ようこそ天の御遣いのいる教室へ (山上真)
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プロローグ

もう一作が行き詰まり、気分転換に久遠を見たら書きたくなりました。
男からも愛されるハーレム系主人公を上手く書けたらいいな。


 眩しい。

 それが真っ先に感じたことだった。

 目を瞑っているにも関わらず眩しさを感じてならない。

 日常生活の中でもなくはない事ではあるが、それでもここ最近では全然起こっていなかった事でもある。

 薄目を開けてはすぐに閉じる。二度三度ではすまない回数を熟した頃に、ようやく眩しさに慣れることが出来た。

 改めて目を開ける。……まあ薄目だが。

 真っ先に目に付いたのは見慣れた蛍光灯。優しくも眩しい光を放っている。視線を少し下げれば、ベッドを隠せるようにカーテンもある。壁際には窓。閉められているが、太陽光を取り込んでいる。

 

(はは、まるで病室だ……な……ッ!?)

 

 未だかつて特段入院するようなことはなかったが、ドラマなりアニメなり目にする機会は幾らでもあった。

 大部屋ではなく個室だろう。……以前に画面の向こうで見たものを参考にして自分の現状に目星をつけたところで、ようやく異変に気付いた。

 

(病室……だって!?)

 

 それはおかしい。何故ならば自分は――北郷一刀は何の因果か三国志の時代にいた筈だからだ。それもただの三国志ではなく、大半の著名な武将が女性化し、なおかつ時代を考えれば色々とオーバースペックな三国志だ。……まあ確かに異質な三国志ではあったが、まかり間違っても蛍光灯は存在していなかった。

 困惑と驚愕を抱きながらも更に視線を動かし、そこでようやく俺の近くにいる人物に気付いた。

 女性だ。少女といった年頃か。

 椅子に座り、カバーの掛けられた文庫本に目を落としている。

 ここが真実病院だとするならば、位置関係的に俺への見舞客なのだろう。

 真っ先に目を惹くのは長い綺麗な黒髪だった。その顔立ちは整っており、可愛いよりも綺麗という印象を抱く。

 さて、三国時代に飛ばされる前の知人にこの様な人物はいただろうか。何せ体感だけで何度も何度もあの時代を繰り返していたのだ。

 

(記憶を探るのも一苦労……だッだだだッッ!?)

 

 途端に頭が痛くなった。無差別に、無遠慮に、あの時代の情報が浮かび上がっては沈み、沈んでは浮かび上がる。

 そして――

 

「っあ~……」

 

 再び目を覚ました時、室内は真っ暗となっていた。蛍光灯の明かりは消されており、窓から差し込む光もない。

 どうやら情報の奔流に耐えきれず、意識を失っていたようだ。

 既に頭の痛みはない。気絶中に記憶の整理がされたのだろう。飛ばされる前も、飛ばされた後も、思い出すのに支障はなかった。……まあ、流石に細かい部分までは思い出せなかったが。

 見当が正しければ、見舞客の少女は堀北鈴音だろう。俺の親友にして同級生たる文武両道の優等生、堀北学の妹だ。自身の記憶よりも些か大人びてはいたが、それ以外に該当人物は思い当たらなかった。

 向こうにいた頃に自覚する事はなかったが、三国志の時代を何周もしている事や、今こうして病室にいる事を鑑みると、結構長く入院していてもおかしくはないし、だとするならば記憶より成長していても不思議はない。

 不思議なのは俺に起きた現象の方だ。

 飛ばされる前の俺は聖フランチェスカ学園の中等部二年生だった。しかし、向こうの自分は北郷一刀をフランチェスカの高等部二年生だと認識していた。この時点でも相当のものだが、初期の手持ちが携帯だったりスマホだったりとその時々で一致せず、その事を疑問にも思っていなかった。

 おかしいのは記憶も同じだ。課外授業の一環で歴史資料展に見学に行き、それを機に三国時代へ飛ばされたことは普通に思い出せる。だが、向こうにいた時は飛ばされる直前の事がハッキリしなかった。正確にはその時々で――寝て起きたらここにいた、悪友と遊んでいた筈、などと――全く異なることを言っていた。

 繰り返す歴史の中では、もう一人の自分に会ったこともある。

 

「全く以て不思議なものだけど……考えるだけ無駄だな」

 

 考えても答えは出ない。推測は出来るが、合っているか確かめることも出来やしない。ならばそこには見切りを付けるべきだ。

 

「体は……動かせなくはないけど、やっぱり重いな。どのくらいの期間かは分からないが、寝たきり状態だったなら無理もないか……」

 

 目は冴えて眠れそうにない。そして今はとにかく情報が欲しい。

 結果、傍迷惑と承知の上でナースコールを押す事にした。 

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 喉元過ぎれば何とやら。

 目覚めた当初はてんやわんやだったが、数週間も経てばそれなりに落ち着きを取り戻している。

 それだけ経てば目下必要な情報は相応に手に入る。

 記憶の通り歴史資料展の見学中に俺は倒れ、それから約二年間寝たまんまだったらしい。

 入院費用は学園と資料展の運営会社が出してくれたとの事。詳しい理由は聞けなかったが、見舞いに来てくれた悪友たる及川の言によれば展示品の中には何やら曰く付きの物もあったそうだ。……それだけ聞けば話は簡単だ。今まで各所で展示してきて誰にも何も問題が起こらなかったのだが、栄えある――と言っていいかは疑問だが――第一号に俺がなってしまったのだろう。当時の見学者は俺たちだけではなく、趣味人や暇を持て余した近所の大人たちもいたのだ。どうしたって情報の拡散は避けられず、同時にイメージダウンも免れない。そんな中でプラスに持っていく手段など限られている。

 昨今の教育事情では中学で留年など早々あり得ることではなく、その例に漏れず俺もまた入院しながらにして卒業した扱いとなっている。……が、学園の方もそれで良しとしているわけではなく、可能な限り便宜を図ってくれるとの事。退院したら週に何日かは放課後に時間を取ってくれるそうだ。今現在も復習を兼ねたプリントを幾らか貰っている。

 いつ目覚めるかも分からない事から、両親は地元での仕事を辞めてこちらに越して来たらしい。迷惑をかけてしまったが、同時に嬉しく思う。寮に置いてあった荷物も回収済みとの事だ。

 学を始めとした何人かは就職・進学にほぼ100%応える全国屈指の名門校、『東京都高度育成高等学校』へと進学したらしい。入学したら基本的に外部と連絡を取れない事になっているそうで、それは家族でも例外ではない。その旨はパンフレットにも間違いなく載っていた。

 進学前はちょこちょこ見舞いにも来てくれていたみたいなので、再会が遠のいたのは素直に悲しい。

 まあ、それはそれとして『東京都高度育成高等学校』についてだ。……正直な話『おいしい』としか言いようがない。

 あの時代を彼女たちと過ごした身にしてみれば、『恥じない自分でいたい』というのが本音だ。だが、ただ漫然と過ごすのでは俺が納得出来ない。よって一つの目標を掲げることにした。

 すなわち――歴史に名を遺す。

 とは言え、俺は天才でも何でもない。ノーベル賞やら何やらを取って、というのは無理筋だ。無論、犯罪者として、なんてのは言語道断だ。

 しかし、俺の掲げた目標は確固にして曖昧だ。その点で鑑みれば『東京都高度育成高等学校』は非常においしい。パンフレットによると倍率は非常に高いらしいが、受かった際のリターンも大きい。そんな学校を目指して受かる位だ。『人材』という点で見れば非常に優れているだろう事は想像に難くない。特化型であれオールマイティであれ……だ。繋がりさえ持てればいい。人脈もまた力なのだから。

 とは言え、上手い話には裏があるのもまた道理。何かしら厄介な点や面倒な部分もあるに違いない。三年間の外部連絡不可という点がその考えを助長する。――同時に、それを差し引いても旨味の大きさが目立つ。

 そんなわけで、今はまだリハビリやら何やらで入院中だが、目下の第一目標として『東京都高度育成高等学校』への進学を目指す事にした。勉強の遅れを取り戻す必要もあるので、鈴音の高校進学とタイミングを合わせる形だ。その旨は既に学園にも伝えてある。

 

「あ~、やっぱ結構忘れてるなぁ~」

 

 一通りプリントを終えたところで頭を掻いた。

 授業分野に関しては、細かなところが曖昧となっているし、中にはまだ習ってない高校分野で覚えている部分もある。……が、共通して英語が酷い。向こうでは使うことが無かったのだからさもありなん。

 授業に関係ない分野では、薬草として使える野草や漢方の知識、鍼灸の知識があったりする。とある歴史の中で華佗に教えてもらった五斗米道(ゴットヴェイドォー)の賜物ではあるが、我ながら非常にカオスだ。

 

「…………そうですね。自分が同じ状況になったことが無いのであまり強くは言えませんが、それでも英語は酷いです。それ以外の科目はマチマチですね。合ってはいるんですが、何故か旧漢字を使用していたり、無駄に難解なやり方で解いたりしてますし。と言うか、このやり方は習ってないので私からは何とも言えません。旧漢字の方も同じですね。これはもう先生の判断次第です」

 

 とは、仮採点を終えた鈴音の言だ。

 ありがたいことに鈴音は学園とここの仲介役を務めてくれており、最低でも週に四日は来てくれる。おかげで復習も捗るというものだ。プリント以外にも暇つぶし用の本を持ってきてくれたりもするため、本当に頭が上がらない。

 

「兄さんにも頼まれてますから」

 

 少し前に訊いた際は上述の回答を戴いた。あのシスコンにしてこのブラコンありと些か呆れたものだったが、ありがたい事に変わりはない。

 まあ、それを踏まえた上でも今日の鈴音はどこか機嫌がいいように思える。

 

「何か良いことでもあったのか?」

「ええ。今日の昼休み、兄さんから電話があったんです。……まあ内容は一刀さんが目覚めたかを聞かれただけだったんですけど、久しぶりに兄さんの声を聞けたことには違いありませんから」

 

 素直に訊けば、返って来たのはこの答え。

 

「学から? 高度育成高等学校ってのは外部連絡禁止の筈だろう?」

「ええ。兄さんもこれは例外で学校からの許可も得ていると言っていました。……ああ、一刀さんが起きたことは伝えましたけど構いませんでしたよね?」

「……ああ、それは構わない。むしろありがたいぐらいだ」

「もういい時間ですし、今日はこれで失礼しますね」

「ああ、今日もありがとう。これで飲み物でも買ってってくれ」

 

 日頃の礼として五百円を渡し、鈴音を見送った。

 

(学が俺の目覚めを気にかけるのは分かるが、学校側がそれを許可した理由は何だ……?)

 

 その一点が気になって止まない。学の優等生ぶりが評価されたにしても、それだけでは弱いように思える。……その答えが分かるのは、もう暫く後の事だった。  



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プロローグ 2

 その人が訪ねてきたのは退院が間近に迫った日だった。

 

「突然の訪問、申し訳ない。私は坂柳。とある学校の理事長を務めている者だ。北郷一刀くん、本日は君に確認したいことがあって来させてもらった。少しばかり時間を頂戴したい」

 

 スーツをピシッと着こなしたその姿。立ち振る舞いには微塵の疲れも感じさせない。『余裕のある大人』とはこういう人物を言うのだろう。

 用件の内容は未だ分からないが、その言葉で学の不可解な外部連絡許可の謎が解けた気がした。推測にしか過ぎないが、少しばかり鎌をかける。

 

「……ああ、どうぞ掛けてください。自分の事は知っているようですが、北郷一刀です」

 

 ここまで告げて、取り敢えず一礼。

 

「それで、高度育成高等学校(・・・・・・・・)の理事長が自分にどのような用事でしょうか?」

「……ふふ。学くんの言っていた通り、気が回るようだ」

 

 微笑を浮かべ、坂柳さんは遠回しに認めた。

 

「さて、早速だがこの写真を見てもらいたい」

 

 言うや否や、薄手の封筒を渡してきた。言葉通りなら、中に写真が入っているのだろう。

 

「失礼します」

 

 言って、封筒から写真を取り出す。中に入っていたのは一枚だけではなかった。合わせて五枚。一枚ずつ、食事用のテーブルの上に並べていく。人物を撮った物もあれば、そうでない物もある。

 

「ッ……!? なるほど」

 

 驚愕を言葉にするのを抑え、その一言を絞り出すので精一杯だった。それほどまでに、その写真に写っていた人物はこちらの意表を突いた。

 真っ先に風景を撮った写真の一枚を除外。立派な運動場と、おそらくは体育館だろう建物の外観が写っている。……が、現状これには何ら思うところはない。

 次いで人物写真の二枚――片方は杖を所持した美少女、もう片方は高度育成高等学校の制服を着た歩だ――を除外。

 残ったのは人物写真が一枚と、物を撮った写真が一枚。パッと見では何ら関連性がなさそうだが、俺に限っては関連性を見出してしまう。

 

「学が特例許可を出された事に納得がいきました」

 

 資料展でも目にした一品。俺が三国時代へと飛ぶことになったきっかけ。……まあ丸っきり同じでもあるまいが、古い鏡を写した写真を手にし――

 

「退院後、会わせていただけますか? この写真の人物――曹孟徳に」

 

 最後の人物写真。現代風の服装に身を包んだ金髪の少女を写した写真を手にしてそう言った。

 

「ああ、良かった。君が知っている可能性はあると思っていたが、それでも荒唐無稽な出来事だ。しらを切られる可能性もあったし、そもそもが偶然の一致に過ぎない可能性も否定は出来なかったからね。……彼女のためにも、ぜひ会って欲しい」

 

 それが坂柳さんの答えだった。心底から安堵したような表情を浮かべている。

 余談だが、写真はくれるとの事だったのでありがたく頂戴する事にした。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 ここは坂柳さんの所有する別荘だ。車でだいたい一時間ほどかかった。自然は豊かで、外の空気も美味しい。

 退院後、双方の都合を合わせてやってきた。部屋数もあるし、普段の住居からは距離もあるため一泊する予定だ。理由は坂柳さんが用意してくれた。立場ある人物の説明に両親も納得した次第である。 

 道中、坂柳さんには俺に起きた現象を軽く説明してある。普通であれば頭を疑われるところだが、それを呑みこまない事には曹操に対する説明が付かなくなってしまう。

 そして案内された一室。そこで待っていた人物が、俺の顔を見るなり口火を切った。

 

「ここに来たということは、挨拶としては『お久しぶり』でいいのかしら?」

「それで構わないと思う。久しぶりだな、曹孟徳。改めて、北郷一刀だ。……訊くが、こちらに来たのは君だけか? おそらく、俺が呉に属していた歴史から来たと思うんだが……」

「ええ、その通りよ。お久しぶりね、北郷一刀。……こちらも改めて。姓は曹、名は操。字は孟徳。真名は華琳よ」

 

 真名まで告げたことに驚きと納得を覚えた。

 

「ありがたく頂戴するよ、華琳」

「ええ、ありがたく受け取りなさいな」

 

 微笑を浮かべて、曹操――華琳は湯呑を口元へ運んだ。

 

「赤壁であなたたちに敗れ、新天地で天を目指す事を決めたその直後の事だったわ。いきなり現れた半裸の怪しい男が『ならば儂が案内しよう』とか言って、気付いたら私一人がこちらにいたのよ。……見慣れぬ場所と、見慣れぬ品々。側近たちも誰一人としておらず思わず取り乱してしまい、坂柳には申し訳ないことをしたわね。改めて謝罪するわ」

「お気になさらず。事情を聞けば無理からぬと理解は出来ます。こちらこそ、御身を閉じ込めてしまい申し訳ない」

「それこそ無理からぬことでしょう。あなたの協力もあって今でこそある程度理解するに至ったが、ここは私のいた時代とは余りにも違いすぎる。差異に気付かぬまま行動していれば、異常者として処理されていたでしょうね」

 

 坂柳さんとの謝罪合戦の後。

 

「それはそうと、先ほど気になることを言っていたわね。俺が呉に属していた歴史、とはどういうことかしら?」

 

 瞳を鋭くして華琳が問いかけてきた。

 

「言葉の通りだよ。向こうにいた頃にその自覚はなかったが、俺は何度もあの時代を繰り返している。時には呉に属し、時には蜀に属し、時には華琳、君の陣営に属したこともあった。その何れにも属さなかったこともある。また、たとえ同じ陣営であっても、周りの顔触れはその時々で異なっていたりもした。

 そして俺が呉に属していた歴史の大半において、君は赤壁で敗れ側近と共に姿を消した。後から風の噂で国を出奔し海を渡ったと聞くのがお決まりだったよ」

 

 俺のようにこちらから三国志の時代へ飛ばされた者がいるのだ。……である以上、その逆が無いとは言い切れない。そして現実として華琳がこちらにいるのなら、その最後が誰の目にも触れられていない歴史から飛ばされてきたと考えるのが妥当だった。

 そこまでは写真を見た際に考えが及んだのだが、逆に言えばそこまでしか予想出来なかった。一人なのか、他の者たちも来ているのか、そこまでは写真だけでは分からない。それ故の問いかけでもあったのだ。

 こんなことを理由までは流石に分からないが、『半裸の怪しい男』には心当たりがなくもない。推測通りの人物ならば、この様な事をやってのけてもおかしくはないだろう。

 

「……なるほど。私も大概だけど、あなたの方がよっぽどね」

 

 呆れたように言って、華琳は苦笑した。そんなでも様になるのだから美人は得だ。

 その後は終始取り留めのない話が続いた。華琳が三国の確執を口に出すことはなかった。

 

「さて、坂柳。以前にあなたから告げられた提案を呑むことにするわ。一刀と知己を得、言葉を交わし、その結論としてこれ以上固辞する必要は無いと判断した。今まで以上に世話と面倒を掛けるでしょうけど、どうかよろしくお願いするわね」

「畏まりました。では、早速手続きをして参ります。……一刀くん、彼女の相手をよろしく頼むよ」

 

 華琳に一礼し、こちらに一声かけて坂柳さんは部屋を出て行った。

 

「提案って?」

「坂柳の養子になる、ということよ。寄る辺のない私にとって、ありがたい事ではあるわね。固辞していたのは、結論を出したかったからよ。そしてあなたと言葉を交わすことで、あの時代は頭のイカレタ女の妄想ではなく本当のことだと納得出来た。……その点についても、感謝するわ、一刀」

「そっか」

 

 覇王たる鎧を纏っただけで、本当は寂しがり屋の女の子が華琳だ。一人こちらに飛ばされて、表には出さずとも心細かったのだろう。

 

「……さて。郷愁の念はあるが、それに囚われてばかりもいられない。そして語らいもいいけれど、座ってばかりだと身体が鈍ってしまうわ。こちらの世は平和な分、ただでさえ普段身体を動かす量が少ないのだし。それはあなたも同じでしょう? 少し歩けば伸び伸びと動ける場所があるのよ。少し身体を動かさない?」

「是非もないな。そのお誘い、乗らせてもらうよ」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 華琳に連れて来られたのは、まるで学校のグラウンドだった。付近――と言ってもそこそこ距離はある――には坂柳さんの他にも別荘が幾らか建っているらしく、そこの使用者のために共同で用意されたそうだ。なお管理は各家の持ち回りとの事。

 初めて訪れるのに、どこか既視感を覚える光景。少し考え、坂柳さんからもらった写真に写っていた景色だと思い至った。

 この広さ、そして立地。そう簡単に人は近付かないだろう。他の別荘の使用者がいる可能性はあるが、街中よりは伸び伸びと身体を動かせることに違いはない。

 入院中に気付いたのだが、以前よりも能力の成長が早くなっている。ゲームでよくあるような成長率○倍とか獲得経験値〇倍、成長限界突破といったようなスキルがパッシブで働いている感じだ。まあ上限はあるだろうが、向こうで達した値までは割とスムーズに成長するのでないだろうか。

 疑問点があるとすれば、気も問題なく使用出来ることだ。確かに気を使用出来るようになった歴史もあるにはあるが、それでも習熟度合いはそれほどでもなかった筈なのだ。

 考えられる可能性としては、龍を殺したことだろうか。あの時は理由が理由だったので女性武将もいなく、数名からなるお供の男連中と共に戦ったのだったか。無我夢中で戦う内に習熟度合いが跳ね上がっていたとしてもおかしくはないだろう。

 ここまで来れば、龍殺しを成し遂げた事による恩恵――或いは呪縛――を受けていたとしても不思議はない。

 実際、医者にも治りが早いと驚かれ、当初の予定より遥かに早く退院をすることになった。退院が早まったのは素直にありがたかったが、人の目が多いところでは思うように身体を動かすことが出来ず、思いの外ストレスが溜まっていたのだ。

 中学時代は剣道部に所属していたこともあり、並よりは身体を動かせていたという自負はある。……が、それも一般的な運動部の枠を超えない範囲に限っての事。退院して早々、以前以上に身体を動かしていれば奇異の目で見られることは明らかだ。ある程度時間が経てば然程の問題も無かろうが、今しばらくの間は人目がある場所での運動には気を配る必要があるだろう。

 そんなわけで、この機会を逃す理由はない。

 グラウンドだけではなく体育館――なんと室内プールも完備――もあるそうで、そこには客人用の運動着も何着か用意されているそうだ。交代制で管理人も詰めており、言えば無料で貸し出してくれるとの事。ありがたく受け取ってササッと着替えを済ませる。

 グラウンドに戻って準備運動を済ませたら、あとはひたすらに走る(ラン)! 走る(ラン)!! 走る(ラン)!!! まず体力を戻さない事には、動きのキレを戻すことなど夢のまた夢だ。無論、適度に休憩を挿むことは忘れない。

 休んでは走り、休んでは走る。それを繰り返していたら、いつの間にか暗くなり始めていた。

 

「お疲れ様。大分集中していた様ね」

 

 いつの間にやら元の服装へと戻っていた華琳が呆れた表情で言いながら、何かを放ってきた。受け取るとスポーツドリンクの入ったペットボトルだった。ありがたく口に運ぶ。

 

「ここはそもそもが富裕層による使用を目的としたものだからか、基本的には丸一日使用可能らしいわ」

 

 その言葉には素直に驚く。金があればそういうことも可能になるのだろう。一般庶民には理解しきれない分野だ。

 まあそうそうある事じゃないようだけど、と付け足してカリンもまたペットボトルを口に運んだ。

 

「便利な物よね、これに限ったことじゃないけれど……」

 

 ペットボトルを揺らしながら。

 一般的に知られている三国時代に比べれば色々とぶっ飛んでいたが、それでも時代相応の部分もあった。もしこれがあったなら、と挙げればきりが無くなるだろう。

 

「ほら、さっさと着替えてきなさい」

「了解」

 

 応え、駆け足で向かう。いつまでも華琳を待たせるわけにもいかない。更衣室備え付けのシャワールームで軽く汗を流し、これまたササッと着替える。使用した運動着は専用の回収箱に入れておけばいいらしい。

 玄関に近付くと華琳と男性の話し声が聞こえてきた。

 

「おや、今日の所はお帰りかな華琳ガール?」

「あら六助じゃない。ええ、今日はもう帰るわ」

「フゥン、それは残念だ。どうやら出遅れてしまったらしい。君との勝負は心躍るのだがね。つまらない授業などより余程いい」

「そう評価してもらえるのは光栄ね。機会があったら、また勝負しましょう」

「心待ちにしておくよ。それではSee You」

 

 会話を終えた男性とすれ違ったので、目礼程度はしておく。向こうはこちらを欠片も気にしなかった。

 

「さっきの人は?」

 

 別荘への帰路を歩きながら華琳に訊ねる。

 

「あら、気になる? けど悪いわね。私から答えるわけにはいかないわ。会う機会はこれから先にもあるでしょうから、あなた自身の手で名乗らせてみなさい」

「……なるほど。華琳が認めるほどの人物、かつ己の価値を安売りもしない男ということか。名乗らせるにも先は長そうだ。……が、だからこそ成功した際は俺の目標を叶える上でも大きな力になりそうだ。気張るしかないな」

「あなたの目標って?」

「後世まで轟くほどに、この世界に名を遺す。君を始めとした人物と交流を持てば、そういう気概も湧くってものさ」

「……なら、私も一口乗らせてもらおうかしら。曹孟徳の名は既に轟いているが、それは私であって私ではない。私は負けず嫌いだもの。たとえ相手が自分であったとしても、そう簡単には負けてやれない。なればこそ、坂柳華琳として、私の名を後世まで轟かせてみせましょう」

「はは、流石は華琳だ。じゃあ、お互いに頑張るとしよう。準備期間の後、第一歩として高度育成高等学校へ踏み出そうか」

「……ああ。坂柳――いえ、義父上が理事長とやらを務める学校だったかしら。期待は出来そうね」

 

 言葉を重ねるうちに別荘へと着いた。坂柳さんは既に戻っているようで、彼の車が駐車スペースに止められている。

 

「一刀、あなた料理は出来る?」

「中華料理とゴマ団子なら。……まあ、設備から何から向こうとは勝手が違うんで擦り合わせている最中さ」

「よろしい。ならば今夜の夕食はあなたにも手伝ってもらいましょうか」

「華琳が評価するのか。これは失敗出来ないな」

 

 軽口を叩きながらドアを開ける。洗面所で手洗いうがいを行った後、共同作業に取り組んだ。  




現時点での恋姫ヒロインは一人だけ。増えるかどうかはまだ未定。


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プロローグ 3

 華琳が正式に坂柳さんの養子となった後、最低でも月に一度は別荘へとお邪魔させてもらっている。移動の際、毎回坂柳さんのお世話になるわけにはいかないので普通二輪の免許を取った。交友関係が功を奏し、中古品ではあるがバイクは安く買うことが出来た。元級友の家が二輪ショップだったのだ。

 やはり、思いっ切り身体を動かすにはこれ以上ないほどの環境だ。何より華琳という好敵手に刺激される事によって生まれる効果は常の比ではない。

 無論、鈴音や及川を始めとする友人・悪友との付き合いも継続しているし、週に何度かは学園に赴いて先生方から勉強を教わってもいる。

 今日もまた学校に来ていた。もはや高校入試までは半年しかないので気合も入るというものだ。

 

「しかし、こういった言い方はアレだが、入院する前と後で北郷は変わったよなぁ。今ほどの勤勉さを在学時から出しててくれれば、と思わずにはいられないよ」

「はは。こっちにしてみれば、寝て起きたら皆においてかれてるわけですからね。日本は学歴社会の面も持っている以上、いつまでも呑気にはしてられませんよ」

 

 放課後。出された問題を解き終え小休止となったところで、思わずといった具合に先生が口を開いた。在学当時のクラス担任でもあったため、他の教師に比べて比較的仲が良いのだ。

 口を開いたついで。学園に来てから感じていた疑問を訊ねることにした。

 

「ところで、今日は何かあったんですか? 何て言うかこう……学園の雰囲気がピリピリしている感じがするんですが?」

「…………分かるか?」

 

 苦い顔をして暫く押し黙った後、先生が口を開いた。

 何でも、複数の教室で問題が起こったらしい。クラスメイトへの悪口が匿名ブログに載っていたという。それだけならあってもおかしくない事だが、問題はその内容だ。単に『気に入らない』とか『ムカつく』といったものではなく、その人物の秘密に触れていたらしい。

 秘密である以上は基本的に隠している筈で、普通に考えてそれを知る相手となれば、その人物にとって一定以上の友好を持つ相手のみ。『信じたい』という願望、『まさか』という疑惑。その板挟みによって、その人物は自然とピリピリしてしまうだろう事は想像に難くない。

 加えて、それが一人ではないのだ。未だ数は少ないにしろ、複数人が匿名ブログ上で秘密に触れられている。

 

「ここだけの話。一応容疑者は分かっているんだ。これでも教師だからな。生徒ならクラスが違えば分からないだろう事も、教師ならばその限りではない。……まあ、その逆も然りだがな」

「それ、俺に言っていいんですか?」

「良くはないが、立場もあって俺たちからはどうしようもないのが現状だ。生徒から相談された後ならともかく、先んじて行動してしまえば強制となりかねん。……厄介なものだよ。

 今だから言うがな。学のことも心配したもんさ。そりゃああいつは文句のつけどころのない優等生だったが、そのせいか自他共に厳し過ぎた。孤立するんじゃないかと危ぶんだよ。しかし、そうはならなかった。――お前がいたからだ。お前が周囲に対する緩衝材の役割となり、その内にあいつも柔軟性を身につけていった。

 あいつの妹、鈴音だったか。受け持ちじゃないんだが、端から見ている分には学以上に危うかった。学にはお前がいたが、あの娘にはお前みたいな奴がいなかった。性差の違いや時期も悪かったんだろう。学以上に孤立し、それを気にも留めていない。歪だと感じたが、そうとでもならなきゃ折れていたとも思えるからどうしようもない。それだけ学は突出していて、そんな兄を持てばそうもなるかと納得出来ちまう。

 教師だってのに、生徒に救いの手を差し伸べることすら出来ない。いや、やろうと思えば出来ただろう。だが、それをやっちまえば職を失う可能性がある。結局は我が身の安否を優先した俺の弱さだ。

 やるせなさを抱いている中、お前が目を覚ましたという連絡があった。藁にも縋る思いでプリントを届ける役に彼女を推した。彼女がお前の見舞いに足繫く通ってるのは教師内じゃ有名だったからな、不思議に思われることはなかったよ。その後はお前も知っての通りだ。徐々に、だが確実に変わってきている。

 二度あることは三度ある。もしかしたら、と期待をしてしまうんだよ。……ちょっと待ってろ」

 

 言うだけ言って先生は部屋を出て行った。

 過大評価もいいところ――とは思うまい。指導者、軍師、警備隊長……異なる立場であの時代を駆け抜けた。自己評価とのギャップなどもう慣れた。

 

「この生徒だ」

 

 そして数分後。言いながら先生が出したのは一枚の写真だった。学園祭か何かの時の写真だろう。正しく『正統派美少女』といった女の子が写っていた。

 

「名前も所属するクラスも言えん。言えるとすれば、正しく『優等生』という事くらいだな」

「……やれやれ。俺も頑張ってはみますけど、あんまり期待しないでくださいよ。率直に言うなら、一度爆発させてしまった方が早いと思ってますし……」

「ふふ、やっぱりお前は察しが良いな。まあその時はその時で仕方が無いと結論付けるしかないだろうさ」

 

 用意された時間が終わり、その日は解散となった。

 

「なあ、及川。この娘、知ってるか? 中等部の生徒らしいんだけど……」

 

 あの後、及川を誘って遊びに繰り出した。ファーストフードで一息つきながら先生から受け取った写真を見せる。

 

「知ってるかも何も有名人やで。鈴音ちゃんと同じ学年で、名前は櫛田桔梗。まあ、流石にクラスまでは分からんな」

「桔梗……ッ!?」

 

 知っているとは思ったが、及川の口から出たその名前に驚いた。脳裏に一人の女性が浮かぶ。 

 

「何や、知ってるんか?」

「……いや、以前にお世話になった人の中に同じ名前の人がいたからな。驚いただけさ」

 

 そうだ。決して彼女とこの子を混同してはいけない。それは双方にとても失礼な事だ。――そう思う一方で、名前の響きからこの少女に親近感を持つ自分を否定出来なかった。

 余談だが鈴音に訊くのは憚られた。多少マシになってきたとはいえ、他者バッサリガールである鈴音が知っているとは思えなかったからだ。……鈴音にはとても失礼な事だとは思うが。

 

(う~ん、取り敢えず接触するか。そうする事で見えるものもあるだろうし、それが重要だと感じてならない)

 

 結論を迎え、学校帰りを狙って接触する事に決めた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 そして後日。

 

「櫛田桔梗さん……であってるかな? 俺は北郷一刀。一応ここの卒業生でね。君の事を聞いてちょっと気になったことがあったんだ。我ながら怪しい誘いだとは思うけど、よければ時間を作ってもらえないかな?」

「北郷一刀……ああ! 前に先生方の間で噂になってるのを聞きました! たしか長期入院されていた方ですよね?」

「まさしくその通り。……それで、どうかな?」

「ええ、大丈夫ですよ。今からでもいいですか? 私も受験生なので二、三時間位しか付き合えませんが……」

「それで構わないよ。カラオケで良いかな? それとも受験勉強の気晴らしに身体を動かす方が良い?」

「う~ん、その二択ならカラオケで!」

 

 彼女とはこれが初対面だが、実際に言葉を交わせば予想以上に『欲しい』と思った。

 初対面であるが故の警戒を抱きながらそれを隠し、校門前という場所を活かした対策を即座に打ってきた。場所柄、ここにいるのは俺と彼女だけじゃない。この後で何かがあったなら、その容疑者筆頭は間違いなく俺になるだろう。そうしておきながら快く時間を作り、それでいて尤もらしい理由で時間制限も付ける。即興としては見事な手だ。

 

「さて、こうしてカラオケに来たわけだけど……実のところ、別に歌いに来たわけじゃないんだ」

「……はあ。では、何でカラオケに?」

「思いっ切り叫べば、ストレス発散になるだろう? 音楽を流した上でマイクを使わなければ、外にバレるリスクも低い。少なくとも匿名ブログなんかよりはよっぽど効果的だと思うよ?」

 

 そう告げれば、外向けの可愛い顔は一気に反転した。眼光を鋭くして睨みつけてくる。

 

「なに? 脅しでもしようってわけ?」

「別にそんなつもりは毛頭ないよ。誘う時に言っただろう? 気になったことがあるって。

 他者から、それも複数の相手から秘密を聞き出す手腕はとても素晴らしい。優れたコミュニケーション能力を持っている証明だ。だが、そうして得た秘密を何の益もない匿名ブログに吐き出している。

 まあ、そこからストレスでも溜まっているのかなと考えたわけだ」

「お褒めのお言葉どーも。馬鹿に付き合えばストレスが溜まるのは自然でしょ。まったく、どいつもこいつも、(ひと)が優しい顔してりゃつけ上がりやがって! 誰が好き好んでお前らみたいな低能と付き合うかっての!」

「……そう、そこだ」

「あ、何が!?」

「周囲からの評価を求めるのはいい。したくない事をしてストレスが溜まるのも自然だ。疑問なのは、どうしてそこまでして周囲の評価を求めるのかが分からない事だ。……なあ櫛田さん。君の目標って何だい? 夢と言い換えてもいいけど」

「私の目標?」

「ああ、そうだ。人間ってのは往々にして夢や目標のためなら色々と頑張れるものさ。例えばプロのバスケ選手になりたい。だからバスケを頑張るのは分かるだろう? しかし、バスケが上手いだけでプロになれるなら何も苦労はない。色々とあるが、まあ当然にして普段の言動――いわゆる礼儀――も少なからず関わってくる。努力してバスケが巧くなっても、そこを考えに入れていない者の大半は夢と現実の壁に阻まれて挫折する。それでもなお食いしばった者の中から成功者は現れると言っていいだろう。

 それを踏まえた上でだ。君がストレスを抱えてまで他人に優しく接する理由が何なのか分からないんだ」

「……まあ教えてもいいけど。私は承認欲求が強いのよ。小学生の頃は運動でも勉強でも周囲より優れた成績を取ることが出来た。けれど中学に上がってからは違った。平均以上だという自負はあるけど、所詮はそこ止まり。これじゃあ、私は認めてもらえない。褒めてもらえない。だから周囲に優しく接する事にしたってわけ」

 

 不貞腐れた顔で彼女は言う。

 

(これは、もしかして矛盾に気付いていないのか……?)

 

 考えても分からないので率直に訊ねる。

 

「なるほど。それで、そうまでして誰からの評価を求めてるんだい?」

 

 そう問いかければ、目の前の少女は愕然とした表情を浮かべた。

 

「誰からの……評価……?」

「……うん、自覚がなかったわけか。評価ってのは意中の相手がいて然るべきだ。例えば尊敬する人。例えば志望校。こんな具合にね。

 志望校からの評価? 求めてはいるだろうが、希望する相手ではない。バレた時にはこれまでの努力がおじゃんになる。リスクと釣り合わない。

 では、尊敬する人か? いないわけじゃないだろうが、希望する相手とはまた別だろう。希望する相手に褒められているのなら、この件でそこまでストレスを溜めるとは思えない。

 つまり、君は希望する相手が未だ定まらぬ中で、有象無象と切り捨てている相手にも優しく接していたのさ。希望する相手が定まっているのなら、君ならこうまでなる前に対応する。この路線では評価してもらえないと判断すれば、被ってる猫を薄くするなり、仮面を脱ぎ捨てるなりしてるだろう。

 しかし、そうはなっておらず、ブログに悪口として吐き出すほどにストレスを溜めている。……言ってしまえば、報酬なく働いているようなものだ。何かしらの酬いがなければ、常人は耐えられない。耐えられる奴がいるとするなら、そんなのは人々の笑顔を動力源とする、正真正銘の聖人ぐらいだろうさ。

 まあ、だとするなら行為にも納得がいく。優しく接してチヤホヤされる。そこまでなら問題はなかった。猫かぶりに対する苦痛も補えてはいたんだろう。……が、相手は自らの秘密を教えてきた。それは君にとって重い荷物となった。『承認欲求を満たすため』と自分に言い訳を重ねる影で、重荷はどんどん増えていく。そして君は耐えられなくなった。結果、匿名ブログに秘密を吐き出す形で荷物を軽くした。……これが俺の導き出した結論だ」

 

 言うだけ言って飲み物を口に運ぶ。

 櫛田さんは未だにフリーズ中だったが、やがて動き出し、絞り出すように口にした。

 

「…………あなたの目標ってなんなの?」

「俺は後世まで轟くほど歴史に名を遺すことを目標としている。まあ、個人で出来ることが多いに越したことはないが、同時に一人で出来ることなど限られているのが現実だ。ならば必然的に仲間が必要となってくる。今は自己研鑽と仲間集めの最中だな。そして君に目を付けた。直にあって『欲しい』と強く思ったよ」

「そうなんだ。……ねえ、連絡先教えてよ。たまにでいいから愚痴に付き合って」

「可愛い子の連絡先を知れるんだ。是非もないな。可能な限り都合はつけるよ」

「ありがとう。……それじゃ、歌おっか!」

 

 そしてめちゃくちゃデュエットした。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 幾らかの月日が経ったある日のことだ。

 涙声の櫛田さんに公園へと呼び出された。急いで向かう。可能な限り愚痴に付き合いはしたが、やはりスパンが長かったのだろうか。

 公園に着く。ベンチに座っている彼女の姿が見えた。

 

「ゴメンね。今まで愚痴に付き合ってもらってたのに……私、耐えられなかった。学級崩壊、引き起こしちゃった。――ねえ、こんな私でも、まだ仲間にしたい? 欲しいって思える?」

 

 俺に気付いた彼女は涙声で訊いてくる。悩むまでもない。返答は決まっている。

 

「勿論だよ。人間は失敗をする生き物だ。一度や二度の失敗で見切りを付けたりはしないさ」

「……なら、あなたが褒めて。こんな私でも『欲しい』と言ってくれたあなたなら、私の欲求を満たしてくれる! 今だからこそ分かる! 私はあなたを求めてた!」

「成長する努力を怠らないのならね。傷ついてる君にとって酷い言い草になるけど、甘いだけじゃあ『仲間』じゃない。苦言を呈する時もあるだろう。……その上で、櫛田さん。君は俺の仲間になってくれるかい?」

「うん! ……ねえ、一刀くんって堀北さんと仲が良いんだよね? 付き合ってるの?」

「いや、付き合ってはいないな。……我ながら最低な事を言うけど、俺は移り気だから。誰か特定個人と付き合う事は無いと思うな。求められれば、応えるけどね」

「うわ、本当に最低だね。……でもそっか。そうなんだ。ならアプローチを掛けるのは良いんだよね? 傷付いた女の子を口説き落としたんだから、覚悟してよね、一刀くん!」

 

 涙を浮かべながらも、美しい笑顔で目の前の少女は宣言した。

 

「お手柔らかに頼むよ、桔梗」

 

 俺もまた、笑顔を浮かべてそう言った。




アンチ対象となる事も多い桔梗ちゃんですが、本作ではこの様な設定に。
また、作中でも述べた通り本作の一刀は誰か一人を選んだりはしません。そんなことをすれば種馬ではなくなってしまうから。

誤字報告感謝です。投稿前に確認してるのにこれだからなあ……。


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プロローグ 4

「ふぅん、そんな事があったのね!」

「ああ、頼もしい娘だよ!」

 

 毎度の如く、華琳の別荘近くの体育館にて。

 今日もまた俺たちは手合わせをしながら近況を語り合っていた。このご時世、剣や大鎌に限らず、武器全般を用いての戦いなど出来るものではない。それ故互いに徒手空拳である。

 素手での戦いはお互いに本領ではないが、だからこそいい訓練になる。向こうにいた際、護身程度に体術は身に着けたので錆び落としにも丁度いい。

 俺と華琳の戦いは気による強化を行っている。そこでは体格差など意味を持たない。小柄な少女である華琳だが、強化した一撃であれば大の大人すら軽く昏倒させることが可能となる。それ故に今のご時世では使いどころを考える必要があるのだが、俺たちだけであるなら関係はない。

 一本を取っては取られの繰り返し。それに合わせて技量とタフネスも成長していく。とは言え、手合わせの機会自体が少ないためまだまだ先は長い。精進あるのみだ。

 何度目かの休憩を取った際、待ち望んでいた男が現れた。

 

「ハロー、華琳ガール」

「ハロー、六助」

 

 流石は華琳というべきか。英語も既に使いこなしている。発音も問題ない。

 そしてやはり俺は無視される。まあ問題ない。今日は彼に俺という存在を刻んでもらうとしよう。

 

「やあ、会えてよかった。華琳が認めるほどの人物だと聞いてね。是非とも名を聞かせてもらいたいな。そして俺の名前を覚えてもらう」

「フゥン、名乗るのは構わないが――果たして私が名を覚えるほどの価値が君にあるのかな?」

「試せばわかるさ」

「華琳ガールの手前だ。その挑発に乗るとしよう」

 

 相対し、一泊の後に拳を繰り出す。様子見などしない。初手から本気で掛かる。……流石に気を用いるわけにはいかないので全力ではないが。

 そして拳と拳がぶつかり合い、その一撃で否応なく悟った。

 強い。華琳が認めるだけはある。それも想定以上だ。チートじみた成長をしていなければ、確実に競り負けていただろう。このご時世、一体全体どういった環境で育てばこうまで成長するというのか。

 感嘆と驚愕が入り混じり、思わず口から洩れた。

 

「マジか……ッ!?」

「ほう……ッ!?」

 

 だが、どうやらそれは向こうも同じようだ。分かりやすいまでに驚きを表情に出している。

 拳が弾かれ合い、それに合わせてバックステップ。仕切り直す。『気を使わない』などとは言っていられない。今の俺では気を用いずしてこの男に勝つことは出来ない。――いや、正確には気を使っても勝てるかどうか分からない。

 勝つことが重要なのではない。何より肝要なのは認めさせること。そんなのは分かっている。

 しかし、実際にぶつかり合えば、そんな理屈など二の次となった。

 そうだ。全力を出しても勝てるか分からない。そんな好敵手(あいて)がいればこそなのだ! それが軌跡を輝かせる華となる!

 思いがけない強敵を前に気分は高揚の一途を辿って行った。

 拳を繰り出す。――捌かれる。

 肘打ちが迫る。――身を逸らす。

 蹴りを繰り出す。――躱される。

 足を掴まれる。――前にもう片方の足で追撃を繰り出す。

 有効打にはならず、距離もまた離れる。

 そして――。

 

「目が覚めたかしら?」

 

 覚えているのはそこまでで、気付けば体育館の床にぶっ倒れていた。

 周囲を見渡す。彼の姿はない。

 

「六助なら帰ったわよ」

「……そうか。俺は負けたか」

 

 悔しさもあるが、清々しい気分でもある。

 

「そうでもないわよ。六助から伝言を預かっているわ。……ゴホン。

『目覚めたのは私の方が早かったが、此度の勝負は引き分けが妥当だろう。久々に楽しませてもらったよ。報酬として、華琳ガールから私の名前を聞くといい。次もまた私を楽しませてくれたまえ。それではSee You ソードボーイ』……だそうよ」

「……そっか。世の中広いな、華琳」

 

 なお、似てない物真似には突っ込まないでおく。俺だって生命は惜しい。

 

「そうね。私も初めて六助に会った時は驚いたものよ。この時代にこんな男がいるのか、と。……そうそう、彼の名前は高円寺六助。『高円寺コンツェルン』の一人息子だそうよ」

「なるほど、道理で……」

 

 知っているのはその名前くらいだが、興味がなくても知れるほど『高円寺コンツェルン』の名前は轟いている、と言い換えることも出来る。

 俺みたいな一般庶民とはそもそもの視点が違うのだろう。いわゆる帝王学の実践者ということか。だとするならば並外れた能力にも納得がいく。

 そしてハイになったあまり肝心な部分を覚えていないにせよ、そんな人物と曲がりなりにも渡り合えたのだ。

 

「一歩前進だな」

 

 紛れもなくそうなのだが、一つだけ気にかかる。

 

「なあ、年下にボーイ呼びされるってどうなんだ?」

「別にいいんじゃない。威厳なんて、あなたには縁遠いものでしょう?」

 

 向こうでは一応指導者を務めたこともあるのだが……。

 華琳の言葉に、俺は心中で涙を流した。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 更に月日は流れて元旦を迎えた。

 知識としてではあるが、華琳とて現代の常識を大凡身に着けてきた。ならばいつまでも別荘で過ごさせるわけにもいかない。むしろ実践を以て知識との差異を埋める必要があるとの事で、彼女は先日から坂柳さんの本邸で暮らし始めた。

 うちとの距離はあるが、それでも徒歩で30分圏内だ。車で一時間は掛かる別荘ほどではない。会おうと思えば気軽に会えるようになったのだ。

 その証拠、というべきなのだろうか。自宅のチャイムが鳴ったのでドアを開ければ、そこには華琳たち(・・)の姿があった。……そう、『たち』である。振袖を来た華琳の他に、坂柳さんといつぞやに写真で見た杖を突いた少女――こちらもまた振袖姿だ――がいたのだ。

 今日は鈴音や桔梗、及川たちと一緒に初詣に行く約束をしており、その集合場所がうちだったので、てっきり彼女たちの誰かしらが来たものだと思い、碌な確認もせずにドアを開けたのだ。

 そしたらこれである。俺が驚き、固まってしまうのも無理はあるまい。

 

「あけましておめでとう、一刀」

「やあ、あけましておめでとう、北郷くん」

「初めまして。あけましておめでとうございます、北郷さん。有栖と申します。……お父様と華琳から話は聞いておりましたので、初めてという気がしませんね」

 

 特に連絡も受けておらず意表を突かれた俺に対し、三者三様に言ってくる。

 

「……失礼。あけましておめでとうございます。坂柳さん、華琳、有栖さん、と呼んでもいいかな?」

「構いませんよ。お父様とも華琳とも知己を得ているのですから、それが妥当でしょう」

「ありがとう。取り敢えず入って下さい」

 

 急な来訪には驚いたが、別に嫌なわけではない。声を掛けて家の中に入れる。

 両親とも挨拶を交わした後で、急な来訪の説明をしてくれた。

 有栖さんは先天性の心疾患を患っており、医師から一切の運動を禁じられているそうだ。それも歩行時には杖が必要なほど。

 その様な事情があれば、最近になって本邸に移り住んだ華琳とて有栖さんを気にかけないわけにはいかない。……が、それで俺と華琳の付き合いが崩れるのも本意ではないそうだ。

 物理的な距離が離れていれば会えないのが普通でも、距離が縮まればその限りではない。

 華琳が近くにいるのなら、俺も今まで以上に会おうとするだろう事は簡単に想像出来る。

 とは言え、俺と華琳は別に恋人というわけではない。ならば、そこに有栖さんも加えてしまえばどうだろうか、と考えたらしい。

 言われてみれば納得だ。俺と華琳は身体を動かすのも好きだが、別にそれしかしないわけでもない。一緒に料理を作ることもあれば、チェスや将棋で勝負することもある。もちろん、普通に遊ぶこともある。

 前者ならともかく、後者なら有栖さんも混ざれるだろう。実際、チェスは得意らしい。

 

(しかし、先天性の心疾患ね……)

 

 華琳との事で坂柳さんには世話になっている。現代医学では無理でも、五斗米道(ゴットヴェイドォー)ならどうにか出来るかもしれない。……色々と不足しているが、程度によっては情熱と勇気で補える。

 そう思った俺は気を目に集中して有栖さんを視た。

 

(こ、これは……ッ!?)

 

 何と厄介な病魔だろうか。今の俺では退治(ちゆ)することは不可能だ。生まれてから今までという、相応の時間をかけて肥大化した病魔は今の俺では如何ともし難い。当時とは違い腕も鈍っているのだ。情熱と勇気で補える範囲を超えている。

 

(どうしようもないのか……?)

 

 紛れもない現実を前にして諦観が俺を襲う。

 

(いいや、諦めるな北郷一刀! この程度で諦めてしまったら、俺に五斗米道(ゴットヴェイドォー)を教えてくれた華佗に申し訳が立たないだろうが!)

 

 だが、そんな俺を叱咤する俺がいた。

 気を取り直し、頭を振って考える。

 

(手持ちの情報すべてを使って活路を見出せ! それが出来ない筈はない。何故なら俺は、名だたる軍師陣からその教えを受けたのだから!)

 

 目を閉じた視界の奥。一筋の光が灯った。

 

(もしかしたら……!?)

 

 この世界には本来在り得ざる気の習熟。そして龍殺しによる祝福――或いは呪縛。

 

(俺の気を有栖さんに流すことで、病魔を弱められるんじゃないか……?)

 

 あくまで可能性でしかない。だが、可能性としてはあり得るのだ。

 とは言え、一気に流すのは危険だろう。徐々に、ゆっくりと浸透させなければ、病魔退治以前に有栖さんの身体が持たない筈だ。

 しかし、うまいこと俺の気が有栖さんに馴染めば、時間こそ掛かるだろうが病魔を退治出来るようになるかもしれない。

 

「有栖さん、よければ手を重ねてもらってもいいかな? 俺は入院の一件を契機にして、体力とか頑丈さとかが色々と向上したからね。手を重ねることでそれを分けられたらっていう、ちょっとした願掛けとかおまじないみたいなものさ」

「ありがとうございます。……では失礼して」

 

 俺の手に有栖さんの小さく柔らかな手が重なる。綿密なるコントロールを以て、ほんの、極僅かだけ気を流す。

 

「……なんでしょう? 身体がポカポカしてきました。もしかしたら効果があったのかもしれませんね?」

「だったら良かった」

 

 微笑を浮かべて言う彼女に、俺も微笑を浮かべてそう返した。

 家のチャイムが鳴ったのはその直後。

 俺が出るよ。言い残して玄関へと向かう。

 ドアを開ければ、今度こそ約束の相手だった。振袖を着た鈴音と桔梗が並び立っている。

 

「いらっしゃい。あけましておめでとう、二人とも」

「あけましておめでとうございます、一刀さん」

「あけましておめでとう、一刀くん!」

 

 片や粛々と、片や元気一杯に。

 

「及川はまだ来てないんだ。入って待ってよう。連絡はなかったんだけど、いま俺の友人とその家族が来ているんだ。友人とはこれから会う機会が増えるだろうし、二人も仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 そう声をかけ、俺は二人を連れて部屋へと戻った。

 

「あら、鈴音ちゃんじゃない。久しぶりねえ。……えっと、そちらは――」

「初めまして。それとあけましておめでとうございます。櫛田桔梗と申します。鈴音さんの同級生でして、一刀さんには色々とお世話になっております」

「ご丁寧にありがとう。桔梗ちゃんね。一刀の母です。……それじゃあ改めまして。二人とも、あけましておめでとう」

「あけましておめでとうございます。お久しぶりです。……初めまして、堀北鈴音と申します」

 

 部屋のドアを開けるなり、母さんが鈴音に声を掛けた。それを機としての挨拶合戦。

 終わってから一息ついていると、再びチャイムが鳴った。

 玄関のドアを開けると及川の姿。気安く挨拶を交わし、室内へ通す。及川もまた年始の挨拶を行い、それが済んだところで初詣へと向かう。

 華琳と有栖さんが俺たちに同行。坂柳さんは両親と大人同士で話し合いをするそうだ。

 

「一刀、有栖の手を握ってあげなさいな」

「構わない?」

「ええ、よろしくお願いしますね」

 

 外に出たところで華琳が言ってきた。彼女もまた気を認識出来る。先ほどの行為を見ての援護射撃といったところか。

 本人に確認を取り、許可を取って手を握る。先ほども思ったが、その手はほっそりとしており小さい。

 

「かーッ! 羨ましいな~、かずピー」

「阿呆。そう思うなら付き合った彼女に対してもう少し真摯になれよ」

 

 ヤジを飛ばしてくる及川を言葉の刃でバッサリと一刀両断し、有栖さんへと気を流す。先ほどと違い歩きながらなので、より慎重にならざるを得ない。

 様子を見つつ、極僅かに流しては止める。

 それを繰り返している内に目的地に着いた。

 

「やっぱり混んでるね~!」

「まあ急ぐわけでもなし。並んでいれば自然と進むでしょう」

 

 二人組となって往路を進む。俺は有栖さんと。鈴音は桔梗と。消去法で華琳は及川と。

 

「ふふ……不思議な気分です」

「ん?」

「私は自分のことを『天才』であると自負しています。その一方で身体は劣等。それもあってか、私はひどく攻撃的なんです。……ですが、華琳やあなたに対しては攻撃性と同時に安息も覚えてしまう。それが不思議でなりません」

「同情が無いからじゃないか? 身体を自由に動かせないのは辛いだろうが、それはそれだ。君の言葉を信じるのなら、君の頭脳はそれを補って余りある。俺たちの目標を鑑みれば、同情するゆとりなんてありはしないよ」

「どのような目標なんです?」

「後世まで轟くほど、歴史に名を遺す。……笑うかい」

「まさか、笑いませんよ。むしろ協力いたします。敵としてか、味方としてかは分かりませんけどね?」

「結構。臨むところだ」

 

 話している内に列は進む。それでもまだ長い。

 それは目標に対しても同じ。もどかしくも一歩ずつ進んで行くしかない。

 そんな俺たちを、晴れ空が照らしていた。




五斗米道の使い手たる者、情熱と勇気で大概は補える。
しかし、腕は鈍り鍼も無しだと、有栖を蝕む病魔には流石に敵わなかった。
よって、一刀はそこに智謀を加えることにした。
まあ、早い話が長期療養を狙うってことです。
気を以て有栖を中から一刀色に染め上げるとも言う。


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1話

 高度育成高等学校から入学案内が届いた。つまりは合格である。本当に良かった。

 既にネットで合格発表はされており、自分の受験番号は確認済みだ。なので合格したことは知っていたのだが、やはりそれだけだと中々実感が湧かないものだ。こうして合格を裏付ける物が届いたことにより、ようやく実感が湧いてきた。

 入学に向けて頑張っては来たが、なにせ倍率が倍率だ。俺の場合、入院もあって浪人状態なので、落ちる可能性は決して否定出来なかったのだ。

 嬉々として入学案内と書かれた封筒内の物を一通り取り出すと、『重要』とデカデカ印字された書類が目に留まる。

 真っ先に書かれていたのは、高度育成高等学校の独自システムについてだ。

 生徒は許可のない外部連絡が禁止であり、例外なく敷地内の寮での生活が義務付けられている。……これについては問題ない。パンフレットにも記載されていたことだ。

 だが、パンフレットには載ってなかったことも記載されている。それが現金や携帯の持ち込み禁止だ。持ち込んだ場合、発覚後即座に退学処分となる旨も記載されている。

 連絡手段のみならず様々なアプリによって便利ツールとしての側面も持っている、もはや必需品に等しい携帯やお金を持たずして、一体どうやって生活するのか? そして学校までの交通費はどうすればいいのか? それに対する回答もきちんと載っている。

 まず、合格者の場合、学校までの交通費は免除される仕組みになっているそうだ。よって現金を持って来る必要がない。

 そして入学後の生活についてだが、それを解決するのがSシステムという高度育成高等学校の独自システムだ。

 入学してから配られる学生証は一般的なそれではなく特殊な物らしい。この学生証には学校から無償でポイントが振り込まれ、日々の買い物に対してはそれを用いて支払いを行うそうだ。

 また、このポイントは他者へ譲渡する事も可能である。このポイント譲渡や外部連絡禁止に関わる事もあって、生徒には学生証端末と同時に専用の携帯が支給される旨が記載されている。

 まあ分からなくはない。いくら許可のない外部連絡禁止を謳ったところで、防げる保証はないのだ。こちらからかけなくとも、相手からかかってくる可能性は否定出来ないだろう。イタ電なり、疎遠の相手なりといった具合に。

 

「なるほど、良く出来てる。――けど、これ、いくら金掛けてるんだ……?」

 

 新入生全員に特殊な学生証と専用携帯を用意するなど、ましてお金――実際にはポイントだが、お金と捉えて問題あるまい――を無償で配るなど、考えるだにバカらしいほどの途方もない大金が必要となるだろう。

 いくら政府が運営する学校とはいえ、そしていくらルールを順守させるためとはいえ、俄かには信じ難い行いだ。

 

「いや、政府運営だからこそ……か?」

 

 今の世は平和だ。しかし、平和とは停滞でもある。そして停滞が永く続けば、それは必ず淀みを生む。

 そうなる前に、新しい風を入れることが目的だとすればどうだろうか。

 聞こえの良い謳い文句で人材を招き入れ、それを篩にかけることで精錬していく。耐えきれない者も出てくるだろうが、元より絶対など求められるものではない。脱落者が出るのは織り込み済みだろう。

 成果が出なければ叩かれるだろうが、この学校を出たことで有名になった卒業生は少なからずいる。彼らが第一線で活躍すれば活躍するほど、憧れ、後に続こうとする者たちも現れるだろう。ジャンル問わずだからこそ、一部の分野に偏る可能性もまた低い。長期的に見れば、赤字が黒字に変わる可能性は決して低くない。

 時代は違えど政治に携わった事があるからよく分かる。変革は一朝一夕では成し遂げられない。莫大な金と膨大な時間が必要なのだ。

 

「あ~、やめやめ」

 

 現時点では所詮憶測に過ぎない。頭を振って思考を止め、書類を読み進める。

 入寮についても記載されていた。入寮出来るのはあくまでも入学式当日からであり、遠方の生徒の場合、指定の宿泊施設が用意されるらしい。これもまた無料だ。……まあ俺には関係ないが。

 制服の受け取りについての記述もある。何でもこの書類の末尾には合格証が添付されており、それを認定の洋服店なり呉服店なりに持っていくことで制服の受け取りが可能となるのだが、基本的に受け取りまではある程度の日数がかかるそうだ。……まあ複数の店が認定されているのだ。どの店にどれだけの生徒が訪れるのかなど分からない以上、これは仕方のない事だろう。

 また、その際に獲得した身長・体重などのデータは高度育成高等学校に送られ、それを基にして寮の部屋に授業で使う体育着や水着が用意されるそうだ。……なお、これら制服類も無料である。

 

「こうも至れり尽くせりだと、やっぱり裏を勘ぐってしまうよな……」

 

 零しつつ、件の合格証にも目を通す。まあよくあるタイプの物だが、配属されるクラスについても記載されていた。どうやら掲示板に張り出されているのを確認するとかではないらしい。楽ではあるが、どこか落胆してしまう。ああいったのを楽しみにしていたのも事実である。

 

「俺はDクラスか……」

 

 合格証には俺がDクラスである旨が記載されていた。

 鈴音に桔梗、華琳に有栖が合格しているかは非常に気になるが、それを確認する真似はしない。事前にそう取り決めてある。入学式当日での再会を待つしかないのだ。

 もやもやした気分になるのは確かだが、確認を取って誰かが落ちていたりすれば、気まずい事この上ないのも間違いない。

 取り敢えずは近場の認定店に向かう事にする。制服の受け取りまでどれだけかかるか分からない以上、早ければ早いほど良いだろう。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 狙い通りバス内は混雑とは無縁であり、余裕を持って椅子に座ることが出来た。迷わずに最後尾の端を確保する。

 高度育成高等学校には、学を始めとする中学在学当時の級友や後輩が何人か進学している。その中には俺の見舞いに来てくれた人たちもいるし、遅くなってはしまったがお礼をしないわけにはいかない。一人当たりノートとボールペンにハンカチの組み合わせだが、塵も積もれば何とやら。ラッピングもしてあるので、数の割には嵩張っている。

 座る場所もないほどに車内が混雑していれば、渡す前にボロボロになってしまいかねない。それを防ぐためにも、普段より早く家を出たのである。

 

「あら? おはようございます、一刀さん」

「おはよう、一刀。あなたがこんなに早いなんて珍しいんじゃない?」

 

 発車して何回目かのバス停から乗り込んだ有栖と華琳は、俺を見るなりそう言った。

 聡いと同時に嗜虐的な彼女たちだ。早いバスに乗っている理由など目星がついているだろうに、その表情と声音は俺を揶揄う気に満ちている。

 

「おはよう、二人とも。会って早々、揶揄わないでくれよ。見ての通り、見舞いに対する礼品を持ってきてるんだ。可能な限りに混雑を避けようと思えば、時間帯を狙いもするさ」

「……まったく、つまらない解答ね」

「本当に。……それはそうと、隣、失礼しますね?」

 

 好き放題に言って、有栖、華琳の順で腰掛けていく。本当にイイ性格をしている。

 

「まあ互いに合格は果たせたようで何よりだが、クラスは何組だったんだ? 俺はD」

「私もDね」

「残念です、私だけが仲間外れですね……。ちなみに私はAクラスです」

「あとは鈴音と桔梗か。あの二人の事だから受かっているとは思うが……」

「まあ着けば分かるでしょう。待つ事にはなりそうですが……」

 

 会話を重ねる内にもバスは進み、応じて人も増えていく。

 

「おはよう! その制服ってことは、高度育成高等学校の新入生だよね? 私もなんだ! それで、空いている様なら隣に座ってもいいかな?」

「構わないわよ」

「ありがとう!」

 

 俺たちへと声を掛けてきたのは快活な女の子だった。ストロベリーブロンドの髪と整った顔立ちは魅力的だ。そして何より、制服の上からでも分かるたわわな胸部装甲が目を惹きつける。――と同時に、足へと奔る痛み。

 

「イテ……ッ!」

「失礼ですよ、一刀さん」

 

 有栖が思いっ切り足を踏んでいた。笑顔だが目は笑っていない。年齢の割に彼女は小柄であり、そのことを気にしているフシがある。そんな彼女の前であからさまに巨乳の美少女に目を惹かれれば、怒りの一撃を食らっても無理はない。むしろ杖による攻撃じゃなかっただけマシと思った方がいいだろう。

 とはいえ、こちらにも言い分はある。

 

「こちとら健全な男子だよ? 美人に惹かれるなって方が無理がある。十人十色、人それぞれに違った良さがある。有栖だって十分に魅力的なんだから、そんなに気にする必要はないさ。――そっちの君は初めまして。俺は北郷一刀。クラスはDだ」

「まったく、この人はこれだから……。私は坂柳有栖と申します。Aクラスに配属されました」

「坂柳華琳。クラスはDよ」

「ははは……。私は一之瀬帆波、Bクラスだよ! これからよろしくね!」

 

 俺たちのやり取りに苦笑いを浮かべていた一之瀬さんだが、割り切ったのかどうなのか、次の瞬間には笑顔で自己紹介を返してきた。

 それからは取り留めのない会話が続き、そうこうしている間に目的地へと辿り着く。人柄だろうか、道中では一之瀬さんが二人にターゲッティングされ揶揄われていた。おかげで俺への矛先が減ったのだから、一之瀬さんには感謝である。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 友人を待つ旨を告げて一之瀬さんとは学校の入り口で別れた。通行の邪魔にならないよう、脇に寄りつつ鈴音と桔梗を待っているのだが……。

 

「やっぱ一筋縄ではいかなそうだなあ~」

 

 零しつつチラリと上方を見やる。そこからは無機質な目――監視カメラが俺たちを見下ろしていた。それも一つではない。方向を変えれば、そこにも監視カメラがセットしてあった。

 華琳と有栖も既に気付いていた様で、あらぬ方向へと静かに指を向ける。そっと指差した方を見れば、別方向へと目を向ける監視カメラ。

 

「悪いけどちょっと預かっててくれ。トイレに行ってくる」

「はぁ……。仕方ないわね。早く戻って来なさいよ」

 

 バッグ自体は持っていくが、流石に礼品をトイレに持っていくわけにはいかないだろう。告げれば、溜息を吐きつつ華琳は了承してくれた。

 下駄箱は同学年男女問わず五十音順になっているようだ。然程の時間もかからずに自分のネームプレートを発見する。内履きは服飾店で申請したサイズそのままだった。

 トイレに向かう間にも、いくつかの監視カメラを発見する。これ見よがしに目立つ物もあれば、隅の方で目立たなく設置されている物もあった。

 用を済ませたら足早に戻る。『廊下を走るな』とは耳にタコが出来るくらいに聞いてきた。なので走りはしないが、まあ早歩きくらいなら許容範囲の筈だ。

 

「お待たせ。下駄箱は五十音順だった。それと中にもあったよ」

「おかえり。二人はまだ来てないわよ」

「あの二人の性格的に次か、その次のバスだとは思うのですが……」

 

 礼品を受け取り、腕時計を見やる。ある程度の余裕を持って行動していれば、確かに妥当な時間だろう。

 言っている間にも人の波がやって来た。おそらくバスが到着したのだろう。

 

「おや、華琳ガールにソードボーイじゃないか。グッドモーニング。君たちもここに進学していたんだね。ふむ、君たちがいるのなら、この学校も少しは楽しめるかもしれないねえ? ……ところで、そちらのリトルガールは君たちの知り合いかな?」

「リトルガール……初対面の相手に対して失礼な方ですね。まあいいでしょう。私は坂柳有栖。こちらの華琳とは義理の姉妹になります。どうぞよろしくお願いしますね、唯我独尊ボーイ?」

「ハッハッハッ、小さくともレディに名乗られたのなら名乗り返さないわけにはいかないねえ。私の名は高円寺六助。よろしくお願いするよ、リトルガール」

「はぁ……。その内にチェスでの勝負でもしなさいな。そうすれば六助も有栖の名を覚える気になるでしょう」

「ほぅ、華琳ガールのお墨付きとはね。その時を楽しみにしておこう。……さて、私は先に行かせてもらうよ。それではSee You」

 

 高笑いを上げて高円寺は去っていった。相変わらず強烈な男である。

 

「はぁ……。嫌味が通じていないのか、気にも留めていないのか。あの方は二人のご友人ですか?」

「友人と言えば友人なのかもしれないが、何を以て『友人』とするかで変わってくるだろうな。……ま、自発的に名乗ってもらえただけ有栖はまだマシだよ。俺の場合、ぶつかり合って漸くだったからな。おまけにボーイ呼びだし、俺の名前を憶えているのかどうかも怪しいし」

 

 確かに俺の名前は一刀なのでソードでもおかしくはないが、普通にカズトと呼んで欲しいところだ。ボーイについては諦める。

 

「おはよう! 良かった。大丈夫だとは思っていたけど、三人とも受かっていたんだね!」

「おはよう。まったく、桔梗さんと一緒になるなんて、乗るバスを間違えたわ」

「え~、ひどいなあ、鈴音ちゃん!」

「私に対してその態度はやめてもらえないかしら? 正直に言って虫唾が奔るわ」

「なおさら止められないよ~。仲間なんだし、ストレス発散には協力してもらわないと!」

「仲間だというのなら、私のストレスについては考えてもらえないのかしら?」

 

 バチバチと火花を散らす少女が二人。相変わらず仲が良いやら悪いやら。協力しあえば頼もしい事この上ないのだが、普段はこんなものである。

 まあ仕方ないだろう。ある意味この二人は同族嫌悪だ。互いが互いにとっての合わせ鏡。『IF(もしも)の選択肢を選んだ姿』と言うべきか。

 鈴音が桔梗のように周囲へ対して優しい態度を取る様に努力していれば、学もあそこまで冷淡な態度を取ることもなかっただろう。

 桔梗が鈴音のように周囲を気にしないタイプだったら、そもそもストレスで潰れることもなかっただろう。

 どちらにせよ過ぎた事で、同時にこれから変えていくのも可能な事だ。

 

「はいはい、じゃれ合うのもいいけれど、動かないと遅刻するわよ?」

 

 パンパンと華琳が手を叩いて二人を促す。この様な光景、魏を率いていた彼女には見慣れたものだ。一例として『魏武の大剣』と『王佐の才』とか。

 

「おっとそうだった。みんなは何クラス? 私はDだったよ!」

「はぁ……。私もDよ」

 

 桔梗が言えば、それを聞いた鈴音が溜息を吐いて嫌そうに続いた。

 

「なんと……ッ!? この面子の中、私だけがAで他はDとは……」

「これは推測が信を帯びて来たかしらね」

 

 ここにいる面子は互いが互いをある程度知っている。

 そんな中で四人ともがDクラスなのだ。偶然といえば偶然なのかもしれないが、監視カメラの存在も含め、裏を勘ぐるには十分な要素でもある。

 しかし、だからこそ面白いとも言えた。

 それは全員が同じようで、それぞれの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。




高度育成高等学校の学生証とか携帯とかがよく分からない。
原作だと学生証カードと書いてるのにアニメだと端末だし。
携帯だって原作初期のDクラスなんて自前の物を持ち込めばルールを守るとも思えない有り様だし。
なので分からない部分は色々と独自設定です。
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2話

 教室内には半分くらいの生徒の姿。時間の割に人数が少ないような気もする。

 それぞれの机にはネームプレートが置かれているようだ。自分の席を探すと中央列の前から二番目。おかげで黒板が良く見える。まあ、未だ何も書かれてはいないのだが。

 

「お隣だね!」

 

 鈴音は後方、華琳は右側とばらけた中で、何と桔梗は隣の席だった。嬉しそうにそう言ってくる。

 

「……だな。よろしく」

 

 応え、グルリと教室内を見渡す。入学したてということもあるのだろう。大体は一人で席に着いている。資料を読んだりボーっとしてたりとやっていることは様々だが。

 そんな中で、一部の生徒たちはおしゃべりに興じている。前からの知り合いなのか、或いはこの短時間で仲良くなったのか。後者だとすれば、そのコミュニケーション能力は侮れないだろう。

 まあコミュニケーション能力では俺も負けているわけではない。時間もあるし、早速行動に移る。

 

「ちょっと人脈構築に行ってくる」

「行ってらっしゃい。私も動くね」

「そうか。無理はするなよ」

 

 桔梗と互いに声を交わして動き出した。

 真っ先に向かったのは太めの男子のところ。太っている、というのはそれだけでマイナスな目で見られがちだ。特に多感な年頃ともなれば。

 それを悪いとは言わないが、それによって孤立が生まれるのは望ましくない。必ずしも彼が孤立するとは思わないが、こういった可能性の芽は潰しておくに限る。

 

「やあ、初めまして。北郷一刀だ」

「……やや。進んでの挨拶、痛み入る。拙者、外村秀雄と申す。どうぞよろしくお願い致す」

 

 件の男子に話しかけてみれば、返って来たのはこんな言葉だ。侍口調とは流石に意表を突かれたが、俺のコミュニケーション能力を侮ってもらっては困る。

 

「……そうか。よろしくお願いする、外村殿。人は私を『天の御遣い』と呼ぶ。級友として、共に切磋琢磨していこう」

「ああ……なんと温かなお言葉か。しかし、拙者、得意なのはコンピュータに関したことのみ。勉学も運動もからきしでござる。この学び舎に入学出来たのは喜ばしいが、果たしてついていけるかどうか……」

「何を言う。人は決して万能でも全能でもないのだ。その中で誇れる能力がある事。まずはそれを喜び、自信を持つことが肝要なのだ。この情報化社会著しい昨今、外村殿の能力は十分誇るに値する。……人より劣っている部分に目を向けるのは、その後でも十分だ。言ってしまえば開き直りだが、そうする事で選べる道も増えるというもの。貴殿に必要なのは、まず自信をつけることに他ならない。

 とは言え、それは勉学と運動を捨てることではない。なにせ運営元が運営元だ。苦手だからと何の努力もしないようでは、切り捨てられる可能性は決して否定出来んだろう」

「拙者に……出来るでござろうか?」

「勿論だとも。自ら成そうとする意志があり、その上で努力をすれば、着実に血肉となる。外村殿に努力する意志があるならば、及ばずながら私も力を貸そう」

「……忝い。その時はどうかよろしくお願い致す」

「うむ。……では、私は他の級友にも声をかけに行く故、この場は失礼する」

 

 一礼し、外村くんの元を去る。ゲームキャラクターの口調を真似てみたのだが、ファーストコミュニケーションは上手くいったと判断してもいいだろう。

 

「やあ、よろしく。北郷一刀だ」

「……ああ。幸村だ、よろしく」

 

 次にやって来たのは、これまた一人でいる眼鏡をかけた男子生徒。見るからに頭が良さそうな印象を抱かせる。及川から軽薄さを除いたらこうなるだろうか?

 

「……意外だな。進んで彼みたいな生徒に声を掛けたのだから、俺に話しかけてくるとは思わなかった」

「なるほど、君はそういうタイプか。なら、俺よりは鈴音の方が気が合いそうだ。紹介してもいいかい?」

「俺が向き合う保証はないが、それで良ければ好きにしてくれ」

「じゃあ、そうさせてもらおう。……鈴音、少し来てくれ!」

 

 印象通り、学力を重視する傾向にあるようだ。学生の本分は勉強だし、それはそれで結構な事だが、他を切って捨てるのはいただけない。……と、いうわけで傾向としては似たタイプの鈴音を呼ぶことにした。

 鈴音にももう少し人付き合いに精を出してほしいところだし。

 

「何かしら、一刀さん。あまり大声で呼ばないでほしいのだけど?」

「悪いな。こちらは幸村くんだ。鈴音と気が合いそうだと思ったんで呼ばせてもらった」

「はぁ……。堀北鈴音よ」

「幸村だ」

 

 簡単な自己紹介を終えた後、幸村くんは元々眺めていた入学資料に目を戻した。

 

「幸村くんはその資料を見て『話が旨すぎる』とは思わなかったかしら?」

「……学生の本分は勉強だ。優秀な学力を持つ生徒が優遇されるのは当然だろう」

「その点については同意なのだけれどね。どうやらここはそう甘い学校でもなさそうよ。心構えはしておいた方が良いわ」

「ふむ、話を聞こう。君はそこらの学のない生徒とは違うらしい」

「それじゃあ、俺はこれで失礼するよ」

 

 資料を置いた幸村くんが鈴音に向き直ったことを確認してその場を離れた。

 

「やあ、北郷一刀だ。よろしく」

「……あ、ああ。綾小路清隆だ。よろしく」

 

 次に向かったのは鈴音の隣席に座る生徒だ。

 

「鈴音とは仲間でね。取っ付きにくいところもあるだろうが、仲良くしてやってくれると嬉しい。もちろん、俺ともな」

「オレはコミュ障でな。自発的に話しかけようと思っても、何だかんだ理由を着けている内に機を逃してしまうんだ。そんなだから、話しかけてくれてすげえ嬉しいよ。

 北郷は次々に話しかけてたみたいだが、どうやればそんな積極的に慣れるんだ? なんかコツでもあるのか?」

「う~ん、コツって言われてもな……。やっぱ心がけ次第なんじゃないか? 理由がどうあれ、人間、必要と思えば行動出来るものだからな。反対に、必要と思わなければ意欲もそこまで湧かないだろうし。あとは、まあ慣れだろうな」

「そんなもんか。まあ、友人は沢山いらないが、ある程度いればいいっていうのがオレの考えだし、急いで作らなくてもっていう思いがどこかにあるのは否定出来ないかもな……」

 

 そう言って綾小路は考え込んだ。

 考え込んだのは俺も同じである。まあ、俺の場合は目の前の男子についてだったが。

 自分で言った通り『コミュ障』である事は間違いないのだろうが、どうにもそれだけじゃないような気がする。その理由は綾小路の目だ。一般的な生徒が浮かべるものと比較して、彼の目は無機質に過ぎる。

 ああいった目には心当たりがなくもない。……あれは華佗との旅の最中だったか。そもそもが荒んだ時代だ。魏・呉・蜀といった統治の行き届いた光の側から離れれば離れるほど、必然として闇もまた強く濃くなる。

 生きるために殺すのは仕方ない。この一言で済ませたくはないが、そういった時代だった。綺麗事は大切だが、それだけでは回らない時代だったのだ。

 中には生きるために狂わざるを得ない者たちだって少なくはなかった。……そう、相手が人であると理解しながら、人であると認識しないようになってしまった者たちがいたのだ。

 とある村に一夜の宿を求めた際だったか。ボロ小屋ではあったが、快く村はずれのそこを貸してもらうことが出来た。そして深夜、村人総出で襲われた。拭いきれていなかった血の臭いに疑問を抱いた華佗が警戒を絶やさなかったからどうにかなったが、何か一つでも違っていたなら、あそこで死んでいてもおかしくはなかった。

 そこの村人たちにとって、旅の者とは衣類や金、村の生活を潤すための物を運んでくる道具でしかなかったのだ。賊が蔓延る、生命が安い時代ならではの方策だった。何の変哲もない村人は、理性を持った狂人と化していたのだ。

 無論、この綾小路が村人と同じとは言わない。……が、常識では考えられないような事が起こるのもまた現実だ。俺が三国時代へ飛ばされたように、華琳がこの世界へやって来たように、時として理不尽な事が起こり得るのだ。

 ならば、綾小路もまた、そういった常識では考えられないような経験をしていたとしても不思議ではない。

 俺の考えすぎならそれでいいが、よくよく注意しておくべきだろう。

 

「さて、いい時間だし俺は席に戻るよ。今後ともよろしくな。綾小路さえよければ、あとで俺の仲間を紹介するよ」

「……ん? ああ、悪いな。無視して考え込んでしまった。北郷さえよければよろしく頼む」

 

 結論を出したところで時間を確認。いつ担任が来てもおかしくはない。俺は綾小路に一声かけてこの場を辞した。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「新入生諸君、私はこのDクラスの担任となった茶柱佐枝だ。教科は日本史を担当している。この学校では年次のクラス替えが存在しないので、卒業までの三年間、お前たちと一緒に学んでいくことになるだろう。よろしく」

 

 チャイムが鳴るのとほぼ同時に入ってきたスーツ姿の女性――私たちの担任となるらしい茶柱先生は、持ってきた段ボール箱を教卓の上に置いてそう言った。

 茶柱先生の言葉は続き、今から一時間後に体育館で入学式が行われる旨と、それまでの時間を使ってこの学校の特殊なルールを説明する旨が告げられた。

 説明を分かりやすくするためだろう。入学案内と一緒に届けられた資料が前から配られる。持ってこなかった者がいないとも思えないが、念のためだろう。私のは何度も読み直してボロボロになってしまったため正直ありがたい。

 コンビニやスーパーは元より、カフェ、映画館、カラオケ、ブティック、ゲームセンター等々……生活に潤いを与える上でおよそ必要と思われる多くの施設が学校の敷地内に用意されている旨が語られる。もはや小さな街と言っても過言ではないだろう。

 

「続いてSシステムの説明に移る。大丈夫とは思うが、自前の携帯を持ち込んでいる者はいないな? もしいた場合、正直に言えば今ならまだ退学処分は免れるぞ? ……いないようだな。安心したぞ。毎年一人二人は資料を読み込まずに持ち込む者がいるからな。

 では、今から当学園の学生証端末及び携帯電話を配布する。これは一人ずつ配っていくから大人しく待っていろ」

 

 言って先生は段ボール箱を開け、その中の物を取り出した。何の変哲もない、白くて小さなケースだ。それがある程度まとまってビニール袋に入れられている。

 

「毎度のことだが、この作業は面倒でならないよ。最初の席ぐらい、五十音順でもいいと思うんだがな……」

 

 などと小さく愚痴を零しつつ、茶柱先生は小箱とネームプレートを見比べながら、各席に一つずつ置いていく。

 もちろん私の元にも届いた。渡されたそれを見れば、ケースにはネームシールが貼ってあった。

 ケースを開けると、入っていたのは二つの物体。内の片方は見慣れた形状をしている。そう、スマートホンだ。必然、残る片方が学生証端末ということになるだろう。

 

「よし、全員に行き渡ったな。左側が学生証端末、右側が携帯だ。まあ、見れば分かると思うがな。あと蓋の内側を見てみろ。ビニール梱包されたカードが貼り付けられている筈だ」

 

 言われて内蓋を見ると、確かにカードが貼りつけられてある。剥がしてみると、名前、生年月日、顔写真、僅かな空白を置いて下部にはバーコードがあり、その上に学生番号が記載されていた。……間違いなく学生証だ。

 

「そのカードが学生証の本体だ。買い物をするだけなら、これだけで事足りる。……のだが、こんな薄っぺらいカードだ。例年、落としたり無くしたりが後を絶たんのが現実だ」

 

 茶柱先生は教卓真ん前の生徒から学生証を借り受けてペラペラと振る。

 

「それを防ぐために用意されたのがこの端末だ。側面にスリットがあるだろう? ここに学生証を差し込め」

 

 そのまま端末も借り受けて、実演してみせる。差し込んだ後で生徒にはきちんと返していた。

 私も同じように学生証をスリットに差し込む。僅かな時間の後、端末に学生証と同じ画面が映った。――いや、『同じ』と言うと語弊があるだろう。学生証にはなかった映像も映っているのだから。最上部には幾つかのアイコンがあり、カードでは空白部分だったところにptという項目が増えている。数えてみると、なんと10万ッ!?

 

「施設によりけりだが、基本的にはカードを通すか、バーコードを読み取ってもらうことで支払う形になる。当然、ポイントは消費するがな。学校内――正確には学校の敷地内では、このポイントで購入出来ないものは無い。何でも買えると言っていい。

 肝心のポイントだが、基本的には毎月一日に自動で振り込まれる。お前たち全員、既に10万ポイントが支給されている筈だ。そして1ポイントにつき1円の価値がある。……それ以上の説明は不要だろう?」

 

 そう言って茶柱先生はニヤリと笑った。

 数瞬遅れて教室内がざわつく。無理もない。ポンと10万円を貰ったようなものだ。高校生に渡すにしては大金に過ぎる。

 

「額の多さに驚いたか? この学校では実力で生徒を測る。狭き門を潜り抜けて入学を果たしたお前たちにはそれだけの価値と可能性がある、と言うことだ。10万ポイントはそれに対する正当な評価だ。自由に使え。

 ただし、このポイントは卒業時に学校側で回収する事になっているからな。その事は憶えておけ。無駄に貯めても得はないぞ。

 ああ、そうそう。ポイントは譲渡も出来る。学生証からでも出来るが、携帯でも出来る。やり方は簡単だ。まずは携帯の電源を入れろ。電源を入れたら同期のために学生番号を求められるから入力しろ」

 

 言われるままに携帯の電源を入れ、学生番号を入力する。

 

「初期アプリの中に『ポイント確認』があるからそれを開け。使用履歴やら何やらあるが、その中に『ポイント譲渡』があるからタッチしろ。あとは渡すポイントと、相手の学生番号かメールアドレスを入力すればいい。打ち間違いがなければ、最終確認のあと譲渡は完了だ。……譲渡に関してだが、無理やりカツアゲするような真似はするなよ? いじめ問題には敏感だからな。

 何か質問があるなら手を挙げろ」

 

 茶柱先生がそう言うや、すかさずに手を挙げた生徒が二人。――一刀さんと華琳さんだ。

 

「ふむ、ではそちらのお前――北郷か。質問は何だ?」

「ポイントの支給についてですが、毎月10万ポイントが支給されるということでよろしいですか?」

「……言っただろう? 実力を評価されたポイントが支給される。――では、そっちの、あ~、坂柳か。そちらの質問は何だ?」

「ポイントで買えないものはないとの話だったけれど、先生の知る限りで構わないので、最低額と最高額を教えてもらえないかしら?」

「……ッ!? 私の知る限りでは最低ゼロ円。最高は優に100万を超すな。ただ、最高額の方はその時々で変動するからハッキリとは言えん。――他に質問はないか?」

 

 答えと言えない答えを言った後、茶柱先生は教室内を見渡した。他に手を挙げる生徒はいない。

 

「ないようだな。では、良い学生ライフを送ってくれ。入学式に遅刻はするなよ」

 

 片手を振って茶柱先生は出て行き、途端に教室内は騒めきに包まれた。




外村はより侍っぽい口調になりました。
そして幸村や綾小路との初接触。サラッとですが。
学生証と携帯はこんな感じに。
一刀以外の視点でも書いてみました。基本は一刀視点ですが、これから先も他キャラの視点があります。
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3話

 茶柱先生が去り、不意に大金を手にしたことにより浮つき始める生徒たち。

 帰りにお店寄ってこうよ、欲しかったゲーム機が買えるぜ……そんな声が聞こえてくる。高校生には過ぎた大金を渡されたことに何の疑問も抱いていない。

 私――櫛田桔梗はそれを冷ややかな目で見つめていた。

 

(これは、推測が当たったかな……?)

 

 そして半ば確信を抱く。私たちDクラスは『劣等生』や『問題児』といった評価を学校から下された者の集まりだ……と。

 私、一刀さん、華琳さん、有栖さん、そして鈴音。この中で有栖さんだけがAクラスであり、それ以外はDクラスだった。それを知った今朝の時点である程度の疑惑はあった。

 私は学級崩壊を引き起こした。一刀さんは浪人。聞いた話、華琳さんは施設育ち――それも俄かには信じ難い系統の――であり、学校自体通ったことが無い。そして鈴音は社交性が低すぎる。……社会一般的な目で見れば、マイナス評価は免れないだろう。

 有栖さんは身体が弱く運動が出来ないが、それは先天性の病気によるもの。本人自体に非があるわけではない。そしてその知能は同年代とは思えないほどに高い。

 疑惑止まりだったのは、一刀さんの浪人や華琳さんの施設育ちに関しては、決して本人に非があったわけではない事に起因する。そして私はともかく、ほかのメンバーは能力が高いことが挙げられる。

 一刀さんは言わずもがな。華琳さんはそんな一刀さんに負けず劣らず。鈴音だって学力と運動能力は十分に高い。私も色々と一刀さんに教わったので以前より成長している自負はあるが、純粋な能力でいえばこの中で一番劣るだろう事は間違いない。

 直接に相まみえれば異なる評価も出てくるだろうし、そのための面接だろうとは思うが、如何せんこの学校の倍率は高すぎる。一人あたりに割り振られた時間は決して長いとは言えず、そのような短い時間で分かる事など高が知れているだろう。

 さて、と思案する。この上で私が取るべき選択は何だろうか……と。

 以前までの私であれば、こうも考えが及んでいたかは分からない。可能性が無いとは言わないが、及んでいなかった可能性の方が高いだろう。

 結果、中学と同じことをしていた筈だ。決して満たされることのない承認欲求を満たすため、誰彼構わず優しくしていたに違いない。一刀さんという要因が無い分、或いは同じ中学の出身である鈴音を掌握乃至は退学させようと躍起になっていた可能性もある。

 まあ、IFはIFだ。いつまでも起こらなかったことに考えを及ばせておく必要は無い。

 推測が合っているならば、私たちにこの学校の謳い文句である進路100%云々は適用されない可能性が高い。いや、むしろ適用されるのはAクラスだけと考える方が妥当だろう。……高い合格率を謳って生徒を引き込み、その実適用されるのは塾内一部のクラスだけとかいう話は、真偽はともかくよく聞く話だ。

 では、私たちには適用される可能性が一切無いのか? そう決めつけるのも早計だろう。年次のクラス替えがなく、三年間ずっと同じクラスメイトという点が肝だと思う。何の理由もなくそんなシステムの筈はない。

 まあ、そうは思っても、私の頭ではそこから先が出て来ないのだが……。

 ともあれ、これからどうするかだ。

 路線は中学時と同じでいいだろう。ただし、ラインは見極める必要がある。優しく接するだけだと私のストレスも溜まる一方だし、それで寄りかかられたら意味がない。クラスの団結は大事だけど、個人の成長もしてもらわなくちゃならないのだ。

 

(しょうがない。ぶっちゃけるか……)

 

 学生という存在は思春期にして反抗期だ。私の所業を伝えた上で推測も合わせて話す。もちろん全てではないが。少なくとも、進路100%云々は言わない方が良いだろう。

 ともあれ、そうすれば学校から『問題児』や『劣等生』として認識されているという説得力が増す。鈴音を巻き込むのは当然として、バス内で見かけた唯我独尊男もいるし、場合によっては一刀くんや華琳さんも同調してくれるかもしれない。

 一人だけだと説得力が足りなくても、それが増えれば話は違う。表向きは40人中のたった3~5人でも、その実は大きく異なる。このクラスにいる以上、誰しも自分がDクラスたる要因に心当たりがある筈なのだ。たとえ自分では認めたくなくとも。

 それは同調圧力という見えない力となって『学校に吠え面をかかせる』という意思の統一を促す。

 そうすれば占めたものだ。一方的に言われるだけだとやる気が湧かない事も、そうするに足る理由を自分で抱けばその限りではないのだから。

 

「皆、少し話を聞いてもらってもいいかな?」

 

 思考を終えるとほぼ同時、そんなセリフが聞こえてきた。視線をやれば、如何にも好青年といった雰囲気の生徒が手を挙げている。……まあ一刀くんには劣るが。

 

「僕らは今日からクラスメイトだし、一日でも早く皆が友達になれたらと思う。なので入学式まで時間もあるし、今から自発的に自己紹介を行わないかい?」

 

 クラスの注目を集める中、好青年(仮)はそんなことを言った。

 正直に思う。チャンスだ。こんな統一性の欠片もない連中の中で口火を切るのは並の胆力では無理だ。少なくとも私は積極的にやろうと思わない。何故なら労力と報酬が見合わないから。まして多少なりと裏の顔を見せるとなれば、自分から言い出すわけにはいかなかった。

 

「提案には賛成だけど、その前に一つ。……理由はさておき、この中には自己紹介に乗り気でない者もいると思う。だけど最低限、名前だけは名乗って欲しい。――でないと、来月に振り込まれるポイントが減る可能性が高い」

 

 好青年(仮)の提案に賛成しつつ、一刀くんが牽制という名の爆弾発言を行った。……なるほど、上手い。

 クラスの中には見るからに不良という生徒や、これだけの騒ぎの中で机に顔を伏せている生徒もいれば、苛立ちを露わにしている生徒もいる。不必要に慣れ合うことを望んでいないだろう彼ら彼女らが自己紹介に参加するとは思えない。最悪、空気をぶち壊しにする可能性もある。

 だが、一刀くんの言葉がそれに『待った』をかける。いくら粋がろうと、いくら拒もうと、お金がなくては生活は出来ない。貧乏生活に慣れているならともかく、一般的な生活をしてきたのであれば、ある程度自由に使えるお金は常に欲して然るべき。10万という大金を得たばかりの今月はまだ良いだろうが、来月以降を考えると二の足を踏む。

 また、茶柱先生の説明を受けたのは今さっきのことだ。どれだけバカでも、流石にこのタイミングならば記憶を漁るのも容易い筈だ。

 当然ながら、牽制対象以外にも生徒たちは騒ぎ出す。まあ無理もない。

 

「そう思った理由を説明してもらえるかな?」

 

 やはりここでも好青年(仮)が口火を切った。冷静に、一刀くんへと訊き返す。

 

「理由はいくつかあるけど、まず第一に中学までと高校からの違いは何だと思う?」

 

 好青年(仮)の問いに直接は答えず、一刀くんはクラス全体へと問いを発した。……これもまた上手い。好青年(仮)には失礼だが、クラス内に自発的に考えることを促している。

 少しの間をおいて、先程まで苛立ちを露わにしていた生徒が答えた。

 

「……義務教育かそうでないか、ということか?」

「そう、その通りだ。意識することは少ないだろうが、その根底には『自分たちが高校に進学することを望んだから』という前提がある。中学時には縁遠かった停学や退学に見舞われる可能性も当然あり得るだろう。……ここまではいいかな?」

 

 いつしか騒ぎは収まり、誰しもが一刀くんの言葉を聞いている。……まあ、一人だけ我関せずな態度を貫いている唯我独尊男もいるが。

 

「そして先ほど茶柱先生は言った。『この学校は実力で生徒を測る』と。そして俺の問いに対しては――」

「『実力を評価されたポイントが支給される』……そう言っていたね。なるほど、確かに来月も10万ポイントであるとは言っていない」

「ああ、そうだ。では『実力』とは何か? 学力が高い? 運動が出来る? それは確かに実力だろう。

 だが、学力が高くとも運動能力が人並以下であれば? 身体能力が高くとも粗暴であれば? 勉強運動共に出来ても常に人を見下した態度を取っていれば? 果たしてそれは実力があると評価されるのか? 

 答えは否だろう。実力の高い人物――すなわち『優等生』とは、客観的に見て欠点が少なかったり目立たない人物を指す。

 そして、ここで答えの二つ目になる。……みんな、上を見てほしい。何がある?」

 

 一刀くんの指が天井を指す。釣られ、クラスメイトも上を見る。

 そして誰かが言った。

 

「あれって、監視カメラ……ッ!?」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「そう、監視カメラだ。教室内だけで複数あるし、もちろん廊下にも仕掛けてあった。まだ校舎の入り口からこの教室までしか確認してないが、あらゆる場所に仕掛けてあると思って間違いはないだろう」

「そうか! それによって直接的間接的問わず、常に素行を評価されている。……君はそう言いたいんだね?」

「いや、ちょっと待ってくれよ! 監視カメラで評価されてるってのは、まあ分かったけどよ。それでなんで名前を名乗らなかったらポイントが減らされるんだよ? そりゃ俺だって名乗られなかったらムカッとするけどよ。中には人付き合いが苦手な奴だっているだろ? これから三年もあるし、クラス替えだってないんだ。個人個人のペースで、ゆっくり知り合っていきゃ良いだけじゃねえのか?」

 

 一刀さんが言えば、自己紹介を提案したクラスメイトが納得を口にした。

 短い時間で見た限りではあるが、言葉は柔らかく、協調性を重んじるタイプ。それでいて理解力もある。Dクラスに配属されたからには彼にも何かしらの問題があるのだとは思うが、流石に現時点で分かるわけもない。名前もまだ分からないし、取り敢えずは男性版の桔梗さんと認識する。

 そこに食って掛かったのは見るからにお調子者と言った態の男子生徒。理解力が足りない様ではあるが、その一方でコミュニケーション能力は高く感じる。いろんな人がいる、ということを実体験で知っている様な口ぶりだ。

 

「それが最低限の礼儀というものだからよ。あなたの言うことは確かに間違ってはいないし、美徳でもあるでしょう。けれどね、今回は通用しない。他のクラスの生徒相手であればまだしもね。

 あなたも言ったように、私たちは三年間を同じ教室で共に学ぶ。……名乗られたら名乗り返す。挨拶されたら挨拶を返す。そんな最低限の礼儀も持ち合わせていないような相手と、毎日顔を合わせて一緒にやっていけると思う? ハッキリと言いましょう。無理ね」

「まあ、厳しい言い方だがその通りだ。趣味や目標、人となりなんかは、それこそ時間をかけて知っていけばいい。そのためにも、まずは最低限の礼儀を示していく必要がある」

 

 華琳さんが言った。厳しい言い様ではあるが、常識として間違ってはいない。

 当然、少なからず反感を抱く者も出てくるだろうが、すかさずカバーする様に一刀さんが続けた。

 

「そして件の評価だけど、クラス単位だと考える方が妥当だろう。その方が学校としても楽だからね。一例として考えるなら、いくつかの減点項目――廊下を走るとか授業中の私語とか――を用意しておいて、そこに引っ掛かった生徒のクラス評価を下げるだけだ。

 個人評価式の可能性もなくはないけど、手間と労力を考えるとやはり低いだろうな。……まあ、あったとしても優秀な生徒にボーナスポイントが支給される可能性くらいかな」

「……なるほどね。新入生に一律10万。それが40人×4クラスで160人。毎月1日に支給される以上、個人評価式だと時間が足りなすぎるだろうね。特に月末最終日分。寮での生活義務に敷地内からの外出禁止を含めて考えると、学校内だけでなく、それこそ敷地内全ての行動が評価され得る。たとえ複数人でチェックするにしても、クラス評価式でギリギリくらいじゃないかな?

 ボーナスに関しては、確かに可能性としてはあり得るだろうね。今月は無いにしても、いずれ中間試験や期末試験は避けられない。仮にクラスの誰かがいい点を取ったとしても、クラス平均が低すぎて評価を落とされてしまったら、その『誰か』のモチベーションが上がらなくなってしまう。実力で生徒を測ると言うのであれば、その『誰か』のモチベーションを維持するシステムはあって然るべきだ。

 けど、人間は利己的な面を捨てきれない生き物だ。普段からボーナスシステムを取り入れていたら、クラスで協調する土壌が無くなってしまう可能性は捨てきれない。それもまた学校の臨むところではないだろう。

 僕の結論としては、ボーナス制度の可能性は五分五分。それもテストや体育会といった特定の場合のみ、と言ったところだね」

 

 思いの外、男性版桔梗さんは出来るようだ。一刀さんの推測に対し、ただ迎合するでなく、きちんと自らの意見も語っている。それも分かりやすい理由まで添えて。――と、ここで無機質なアラームが鳴り響いた。

 時刻は入学式の15分前。念のため、携帯でセットしておいたものだ。10分前でもいいかと思ったが、何せ初めての場所だ。加え、他のクラスも移動することを考えて、更に5分余裕を持たせておいたのだ。

 しかし、音源は複数あった。アラームをセットしていたのは私だけではないらしい。教室内を見やる。私以外に一刀さん、華琳さん、桔梗さん、男性版桔梗さんが携帯を取り出して操作していた。それに合わせて、次々と音が消えていく。

 私たちの視線が重なり合う。浮かんでいるのはほとんどが納得の表情。男性版桔梗さんだけは、僅かな驚きと、これは喜びだろうか?

 

「入学式の15分前になったみたいだ。自己紹介をする余裕はなくなっちゃったけど、それは後でも出来る。まずは移動しよう。慌てず、走らずにね」

 

 笑顔を浮かべたまま、クラスメイト達へ向けて男性版桔梗さんがそう言った。暗に『廊下は走るな』と言い含めて。




一刀や華琳を突っ込んだからこその変化。
鈴音と桔梗も地味に成長しています。
好青年(仮)とか平田の扱いが悪く感じるかもしれませんが、Dクラスに対する推測と、この時点では名前を知らないことが重なった結果ですね。
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4話

明けましておめでとうございます。


 初めて参加した入学式とやらは中々に興味深いものだった。

 静かな空間の中で、義父上を始めとした者たちの言葉を拝聴する。言ってしまえばそれだけのものだが、普段の義父上との違いも見え隠れして個人的には面白かった。

 その中には、生徒たちの代表という立場である生徒会長――鈴音の兄たる堀北学も含まれていた。

 話には聞いていたので期待はしていたが、あれは傑物だ。一刀や義父上が賞賛し、鈴音が尊敬するのも分かるというもの。

 まあ全員が全員入学式を楽しめているわけでもないようで、退屈そうに欠伸を嚙み殺している生徒たちがチラホラと見て取れた。

 拝聴が終わった後はクラス単位での移動となり、敷地内の説明を受けることとなった。食堂や売店、特別教室の場所や使用に当たっての注意事項などだ。

 それらが終われば教室へと戻り、あとはその場で解散となった。

 現在時刻はお昼前。教室を出て行く生徒が後を絶たない――と思いきや、そんなことはなかった。その大半は神妙な顔で席に座ったままだ。入学式前に言っていたことが、それだけ尾を引いているのだろう。

 

「取り敢えず、さっさと自己紹介を済ませちまおうぜ? 式前に言ってたことが気になりすぎて、このままじゃ昼飯を美味く食える気がしねえよ」

 

 そう言ったのは、私が窘めた生徒だった。

 

「そうだね。それじゃあ自己紹介を始めていきたいと思う。――けど、少し待ってもらっていいかな? ちょっと確認したいことがあるんだ」

 

 最初に自己紹介を提案した生徒が前に出る。流れとしては普通だろう。

 そのまま自己紹介が始まるのかと思えば、彼は私、一刀、鈴音、桔梗を前に呼んだ。共通点は考えるまでもない。入学式に間に合うよう、アラームをセットしていた者たちだ。

 

「トイレとかに行きたい人がいたら、今のうちに行ってきてほしい」

 

 クラスメイトへ呼びかけた後、彼は私たちに訊いてきた。

 

「このクラスから笑顔が失われないようにするには、どうすればいいと思う?」

 

 実に奇妙な問いかけだった。いや、言いたいことは分からないでもないのだ。しかし、私たちは出会って間もなく、然程の時間も共有していない。笑顔云々を気にするには時期尚早だと思う。

 そう思うのは一刀たちも同じなのだろう。私たちは揃って訝し気な顔を浮かべることとなった。

 目線を交わし合って頷き一つ。何故そんなことを訊いてくる、と無言のままに訊き返した。

 

「君たちなら既に気付いていると思うけど、おそらく僕たちは学校の評価基準で『問題児』や『劣等生』のレッテルを貼られている。中にはとてもそうは思えない人たちもいるけど、見て分かるだけが全てじゃないからね。取り敢えずはそう仮定させてほしい。実力で評価されているのだとしたら、クラス分けにも意味があって然るべきだから。……まあ、それは良いんだ。僕自身、納得している。

 中学時、僕は失敗を犯した。ある日、無秩序なままでは笑顔が失われると理解した。そして僕は秩序を齎した。――けれど、結局同級生からは笑顔が失われていた。

 僕は分からなくなってしまったんだ。皆が笑顔で楽しく過ごすためには、一体どうすれば良いのか。どうすれば良かったのか。

 ポンと大金を渡された直後の状況下、君たちは冷静に行動していた。そんな君たちだから、訊いておきたいと思ったんだ。……もしかしたら、僕が分からなくなってしまった『答え』を見出せるかもしれないから」

 

 そう言って、彼は口を噤んだ。

 具体的な内容にまでは触れていないが、それにしてもまぁ初対面にも等しい相手にぶちまけたものだと思う。

 個人の尊重とルールの順守。笑顔を求めて行動した結果、彼はその板挟みによってどこか壊れてしまったのかもしれない。……どこか劉備を思わせる。彼女には関羽と張飛(義姉妹)を始めとした頼れる仲間がいたが、彼にはいなかったのだろう。

 人は弱い生き物だ。独りで出来る事など高が知れている。強者であることを自負する私とて、夏侯姉妹を始めとする多くの仲間が必要だったのだ。

 

「正直に言いましょう。万人に笑顔を齎すなど不可能に等しいわ。人はそれぞれに感情を持ち、優先する事柄も異なってくる。……である以上、衝突は必至。

 あなたの望みはとても素晴らしく貴いことだとは思うけれど、だからこそこう言われるわ。『理想論』……と。――同時に、理想だからこそ多くの者が共通して抱き得る。

 私たちのクラスのみ、かつ特定条件下に限定するならば、皆を笑顔にすることもやってやれなくはないでしょう。無理難題に等しくはあるけどね」

 

 少なくとも、笑顔を齎すために彼は立ち上がり、挑んだのだ。たとえ結果が失敗に終わったのだとしても、その事実は敬意を抱くに値する。

 だからこそ、私は素直に思うがままを答えた。

 

「……そうだな。集団行動で必須なのは、第一に共通の目的を抱くこと。それが出来なければ足並みを揃えることも不可能だ。

 よって、あくまで推測でしかないとした上で、Dクラスの現状を伝えるべきだろう。認めがたいし反論もあるだろうが、ぶつかり合わずして分かり合える筈もない。俺たちそれぞれがDクラスに配属されたと思しき理由を言えば説得力も生まれる。

 そしてどうすれば評価されるか。気を付けるべき部分は何か。無理強いは出来ないが、名前を名乗る際にそういったことも一緒に言ってもらうように提案しよう。

 一方的に言われるだけならばともかく、自分たちの口から出て来たことならば自発的に向き合ってくれる可能性も高まる。それは次第に協調性を生み、上手いこと減点を抑えられれば笑顔にもなれる筈だ」

「それは構わないけれど、私は優しく接するなんて出来ないわよ?」

「鈴音ちゃんにそこは期待してないから構わないよ。十人十色、千差万別。個人行動を好むタチであれば、逆に鈴音ちゃんみたいな接し方の方が良いだろうしね。要は結果的に同じ方向を向いていれば良いんだよ」

 

 一刀、鈴音、桔梗が言う。

 

「……ありがとう。協力して学校の評価を覆し、皆で笑顔になろう。僕も頑張るよ」

 

 彼は晴れやかな笑みを浮かべてそう言った。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「……っと、まだ自己紹介は始まってないよね? はいこれ。なんか話し合ってて喉も乾いたでしょ。あげる」

 

 教室に戻ってきた女子のグループがそう言ってペットボトルの水を差しだしてきた。

 

「ありがとう。いくらだった?」

「ああ、いいよポイントは。その水、無料だったし。売店然り、自販機然りね。気になったんで食堂もちょっと覗いて来たけど、無料の山菜定食ってのもあったよ」

 

 礼を告げてポイントを支払おうとすれば、返って来たのはそんな言葉だ。

 一般的な自販機でも水は他の商品より安く売られていることが多いが、それでも無料というのはやりすぎだろう。挙句の果て、食堂には無料の定食もあるらしい。確かに茶柱先生も華琳の問いに対して最低料金ゼロ円であることを告げていたが……。

 街中の店も見てみない事には結論を出せないが、もし無料品が最低限の生活を送れるようにするための物だったとしたら、支給されるポイントがゼロという可能性も出てきた。

 

「お手柄だ。自己紹介の際、是非そのことも一緒に伝えてくれ」

「え? そりゃ別に構わないけど……」

「よろしく頼んだ」

 

 そんなやりとりをしている間に、どうやらクラスメイトは全員戻ってきていた様だ。

 パンパンと手を叩いて、注目を集める。

 

「悪い、待たせた。それじゃあこれから自己紹介を始めようと思う。ちょっと厳しいことも言うが、落ち着いて聞いてほしい。そう推測した理由も説明するから。……それじゃ、そもそもの言い出しっぺから頼む」

「うん、分かったよ。僕から順番に名乗っていくわけなんだけど、皆にもお願いがある。ポイントが変動する可能性は分かってもらえたと思うけど、じゃあどうすれば良い評価がもらえるのか? どうすれば評価の減点を防げるのか? 或いは実際に校内を見て回ったりして気付いたこと。何でもいいから、名前を名乗る際に一緒に言ってほしいんだ。

 この程度、言うまでもなく分かっているだろう。そういった思い込みは止めてほしい。何故なら、僕らはクラス一丸となって、学校からの評価を覆していかなければならないからね」

「それは一体どういうことだ?」

「これから説明するよ。生徒を実力で評価するというのは、先生も言っていた通りだ。ならクラス分けにも評価が反映されている可能性がある。そしてクラスはAからDまで。単純に考えるなら、Aから順により良い評価を下されている事になるだろう。……彼や彼女たちと話し合ってみて、その可能性は格段に高まった。

 率直に言おう。あくまで推測でしかないけど、僕たちDクラスは、学校から『問題児』や『劣等生』として評価されている可能性が高い」

 

 彼がそう言うや、クラス内が一斉にざわついた。しかし、それも長続きはしなかった。おそらくは、なぜそういう結論に至ったのかという疑問の方が大きいのだろう。一人の例外を除いて、誰もが彼の言葉の続きを待つ。

 

「まずは名乗ろうか。僕は平田洋介。気軽に洋介って呼んでほしい。趣味はスポーツ全般だけど、特に好きなのはサッカーだね。この学校でもサッカー部に入るつもりだよ」

 

 まずは人当たりの良い、如何にも好青年といった態度で。

 しかし、次の瞬間。身に纏う空気を一変させて洋介は続けた。

 

「僕は皆が笑顔で楽しく過ごせれば良いと思っている。そこに嘘はない。――けどね、世の中、そんな上手くは出来ていないんだ。

 僕が中学生の時、学校で問題が起こった。よくあるイジメだよ。

 僕は最初、見て見ぬ振りをした。自分が標的になりたくなかったからでもあるし、どうせすぐに終わるだろうと思ったからでもある。

 そして、ある意味では確かに終わったんだ。イジメを受けていた子――僕の友達が自殺未遂で入院する事によってね。……そう、僕は我が身可愛さに友達を見捨てたんだよ。

 けど、そうまで被害を出しておきながら、翌日からもイジメ自体は続けられた。単に対象が変わるだけだったんだ。

 それに気付いたとき、僕は行動を起こした。これ以上放置しておけば、またも消えなくていい笑顔が消えてしまう。そう思ったら我慢が出来なかったんだ。具体的な方法は伏せさせてもらうけど、結果として僕は学年全体を支配下に置くことで秩序を齎した。……皮肉なものだよ。確かにイジメはなくなったけど、そこに笑顔は残っていなかったんだから。

 これが、僕がDクラスに配属されたであろう理由だよ。

 僕はね、自分が傷つく分には構わない。どう思ってくれても結構だ。だけど、消えなくていい笑顔が消えてしまうのは我慢がならない。

 僕がこうして過去を語ったのは、君たちに危機感を抱いてほしかったからなんだ。一つのミスが取り返しのつかない結果を生んでしまうことは、間違いなくあるんだ。君たちには、僕の二の舞にならないでほしい。

 茶柱先生による回りくどい説明と言い、どうにもこの学校は油断がならない。深く考えず、ただ漫然と日々を過ごしていれば、いつか必ず手痛いしっぺ返しを食らってしまう。……それを防ぐために、笑顔で過ごせる日々を無くさないために、どうか皆にも協力してほしい」

 

 そう言って洋介が頭を下げた時、教室内は静寂が支配していた。六助を除き、誰もが言葉を失くして洋介に視線を送っていた。

 それを見て、俺は彼に拍手を送った。華琳、鈴音、桔梗もまた同じく。

 洋介は理想のための第一歩としてクラスメイトに危機感を抱かせるため、敢えて隠しておきたい筈の過去を語ったのだ。その勇気は賞賛されて然るべきだ。

 

「……ヘッ、やるじゃねえか。ただの優男じゃねえんだな。見直したぜ」

 

 やがて、不良然とした赤髪のクラスメイトがそう言って拍手を送った。

 

「やり方はどうあれ、学校からイジメを無くした。その事実自体は、賞賛して然るべきだろう」

 

 幸村くんもまた、そう言って拍手する。

 それからも一人二人と拍手が続き、クラス内に響き渡った。

 

「さて、それじゃあ次は俺が自己紹介させてもらうよ。名前は北郷一刀。中学の時に長期入院してね、本来ならば今の三年生と同期だ。年齢についてはあまり気にせず、気軽に接してくれ。……そしてまぁ、入院の際に多方面に多大な迷惑を掛けてしまったからな。それが俺の問題点として捉えられたんだろう。

 そして支給ポイントについてだが、最低ゼロポイントという可能性が高まった」

 

 特段、隠す様なことでもないので気楽に言ってのけた。授業で資料展に訪れた際に意識不明となったことを。

 ついでに支給ポイントの最低額についても。

 

「確かに、茶柱先生も最低ゼロ円の物があると言っていたね。彼女たちによると、実際にこの水も無料だったらしいし。最初はポイントを使いすぎた人への救済処置かとも思ったけど、支給ポイントがゼロだった人たちへの救済処置である可能性も決して否定は出来ない……か。

 それにしても、災難だったね。オカルト的な理由となれば、止む無しなのかな……? 風評による被害はともかく、実際はどこに責任を求めるってものでもないだろうから。後遺症とかは無いのかい?」

「むしろ倒れる前より調子がいいくらいだ」

「はいはい、ちゃっちゃと終わらせましょう。もうお昼を回ってるし、人数だってまだまだいるんだから。そんなわけで次は私がさせてもらうわね。

 私は坂柳華琳。Aクラスの坂柳有栖とは義理の姉妹よ。私が養子の方ね。……私の問題点を挙げるとすれば、まぁ学校に通ったことが無い点でしょうね」

「学校に通ったことが無いってどういうことー?」

 

 女子の誰かが問いかけた。

 

「そのままの意味よ。私は施設で育ったわけなんだけど、そこがまぁ俄かには信じ難い施設でね。身寄りのない子供を引き取って~と言えば聞こえは良いけど、その実態は天才とかスペシャリストの作成に他ならないんだもの。名前なんて知った事かとばかりに番号で呼ばれて、成果を出せたら名前を付けられる。そんな場所よ。

 ちなみに、そこで私は曹操と呼ばれていたわね。他にも荀彧とか程昱とか色々いたわよ。何故か全員が女性だったけど。とは言え、伊達や酔狂で英傑の名前を付けられたわけじゃないわ。それに相応しい能力があったればこそよ。

 そしてある時、私たちは思ったわけよ。『大人とはいえ、何だって自分たちより劣っている奴らの言うことを聞いていなければならないんだ?』って。そこで協力してその施設をぶっ潰して、晴れて私たちは自由の身になったってわけ。ま、他の子たちとはそれっきりだけどね。施設自体、表沙汰にし難いことをしていたとはいえ、纏まって動くのも問題があるし。

 その後、紆余曲折あって現在の家に養子に迎えられたってわけよ」

 

 勿論のこと、作り話である。これは華琳のハイスペックさに理由を付けるためだ。そして、他にもあの時代から来る者が現れた際に備えてである。

 それに全てが全て噓ではない。華琳が曹操と呼ばれていたこと、荀彧や程昱と呼ばれていた者たちがいたこと、性別が女性なのは紛れもない事実なのだから。

 端から聞けば作り話もいいところの信じ難い内容ではあるが、そのことを華琳自身も認めている。信じるも信じないも相手任せということだ。

 

「堀北鈴音よ。極度に人付き合いの少ないことが、問題点となったのでしょうね。在学時の友人も、強いて挙げれば彼女ぐらいのものだし」

「はーい! 強いて挙げられました鈴音ちゃんの友人、櫛田桔梗です! 私も平田くんと同じで、仲良く楽しく過ごしていきたいので、みなさんよろしくお願いします!」

 

 冷淡な態度のまま簡潔に鈴音が言い、満面の笑顔で桔梗が続けた。

 だが、次の瞬間――

 

「あ、けど最低限のマナーとかデリカシーとかは守ってね。私、我慢が限界を迎えた結果、中学の時に学級崩壊を引き起こしてるから。……ま、途端に誰も彼もが離れていったけど。あれだけ人に寄っかかっておいて、誰一人として傍には残らないんだから薄情なものだよね」

 

 洋介同様、暗く重い空気を纏って桔梗は続けた。

 

「え? じゃあ堀北さんが友人っていうのは?」

「嘘じゃあないよ! ただ、鈴音ちゃんと知り合ったのはその後ってだけでね! いやぁ、気兼ねなく接することの出来る相手って本当にありがたいよ!」

「こちらとしては堪ったものじゃないのだけれど。普段からこんな態度だから虫唾が奔ることこの上ないし」

 

 おずおずと誰かが問えば、空気を戻した桔梗が答え、苦虫を嚙み潰したような表情で鈴音が続けた。

 

「友人……なんだよね?」

「そうだよ!」

「おそらくは」

 

 世間一般でいう『友人』に該当するかは分からないが、気の置けない間柄という点では間違いないだろう。彼女たちは互いに遠慮しない。常日頃から言いたいことはハッキリと言い合っているのだから。




自分以外にクラスを引っ張れる人物がいたため、平田は遠慮なく過去をぶちまけました。
どっか壊れちゃってる彼にとってはクラスの笑顔が第一なのです。自分の過去を明かすことで、クラスが笑顔になれる可能性がより高まるのなら彼は躊躇いません。

桔梗は桔梗で過去を吹っ切ってます。彼女にとっての承認欲求対象は一刀と化してますので、クラスメイトに無理して優しく接するつもりはありません。
彼女は『どうやったら一刀に褒められるか』を基準に行動しています。

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5話

 正直に言って、オレはこれからどうするか悩んでいた。

 ハッキリと言うならば、オレはこの学園に期待を抱いてはいなかった。所詮は一時の安寧に過ぎない。卒業すれば、どうせ連れ戻される定めにあるのだ……と。

 元より束の間の自由なら、それまでの間に人並の学生生活というものを経験出来ればそれで良かった。

 あくまで知識によるものでしかないが、人とは突出した存在を嫌悪するものらしい。だから入試問題でも手を抜いて、全教科を50点に揃えるような真似もした。平均ど真ん中の点数であれば、万一露呈したとしても嫌われることはあるまい……と。

 一部の例外を除いて、オレの配属されたDクラスは愚物揃いだった。監視カメラには気付かない。茶柱の言い回しにも疑問を覚えない。ポンと大金を渡されても、驚くと同時に喜ぶだけ。裏を探ろうともしなかった。

 そんな連中が大半だったから初めは安堵した。オレはあまり目立ちたくない。このクラスなら埋没していくことも可能だろう……と。

 その路線を変えるかどうか迷っているのは、件の一部例外による自己紹介がきっかけだった。

 まずは真っ先に自己紹介を提案した平田洋介。容姿端麗にして、口調も優しい。まるで絵に描いたような好青年だ。――だがそんな彼は、中学時代に学年全体を支配下に置いた暴君でもあったらしい。

 色々と触れていない部分はあったものの、普通なら隠しておきたいだろう自らの所業を、彼はクラスメイトの前で言ってのけたのだ。

 ただ、クラスメイトに危機感を抱かせるためだけに。……まぁ正確には、『来月以降もポイントを手に入れて、クラスが笑顔で過ごせるように』という理由みたいだが。

 理由がどうあれ、俄かには信じ難い行いだ。

 続いては北郷一刀。朝の時点で、自発的にオレへと話しかけてきた人物。

 その際にオレが彼を観察する一方で、彼もまたオレを観察していた。

 平田が自己紹介を提案した際の爆弾発言によるクラスへの牽制といい、茶柱への質問といい、観察力や危機意識が高い。その話しぶりからは十分なリーダーシップも見て取れる。

 その次の坂柳華琳。彼女の言葉が最もオレを揺るがした。普通に考えるなら作り話も甚だしい内容であり、事実クラスの大半は話半分に捕らえたようだが、オレとしてはそうもいかない。

 説明が正しいとするならば、その生い立ちは酷くオレに酷似している。オレもまたホワイトルームという施設で育てられた人工的な天才だ。そしてホワイトルームという例を知っている以上、同じような施設が存在しないとは言い切れないのだ。

 では、施設が存在していたとして、実際に潰す事など出来るのか? 

 これに関しては、可能性としてはあり得る、としか言えないだろう。いくら似ていても、施設そのものには違いがあって然りだ。設備然り方針然り。

 如何にオレがホワイトルームにおいて最高傑作と呼ばれていようとも、この短時間では坂柳の底まで見通すことは不可能だ。分かることといえば、坂柳には自信と自負が満ちていることくらい。

 方針の違いを表す論拠として、坂柳には仲間がいたようだ。彼女が曹操という名を与えられたのと同じように、三国志の英傑の名を与えられた仲間が。

 その一方、オレは一人だ。そして一人では出来る事など限られている。いくら能力が高くとも、オレ一人ではホワイトルームを潰す事など不可能だ。

 それがある種の諦観に繋がっていたのだが、坂柳の言葉がそれに『待った』をかけた。

 オレの意のままに動く『道具』ではない。たとえ意のままには動かせなくとも、確かな実力を持って協力してくれる『仲間』がいるのなら、或いはオレもホワイトルームの呪縛から解放されるのではないのか……?

 その考えが頭から離れない。

 作り話と切って捨てるか、真実と受け止めるか。実に難しい問題だ。

 そもそもとしてオレは世間を知らない。能力が高い自負はあるが、社会的経験が圧倒的に不足しているのだ。

 彼女の言葉を知識に当て嵌めるなら作り話だが、オレの数少ない経験に当て嵌めるなら真実となる。……判を下すための指針がない。それがオレを悩ませる。

 

「なあ、ちょっといいか? 悩み事があったとして、それを解決する際に知識に当て嵌めるか? それとも経験に当て嵌めるか?」

 

 分からなければ聞けばいいとばかりに前の席の生徒に訊ねてみたら、多少煩わしそうにしながらも『どちらに期待するか次第』と答えてくれた。……流石にタイミングが悪かったかと反省する。

 だが、おかげで腹は決まった。オレは自由を望む。

 だからこそ、オレはオレの経験に当て嵌めて坂柳の言葉を信じよう。その上で協力を頼みこむ。その対価として遺憾なく力を振るうとしよう。それが『礼儀』というものだろうから。

 そんな風にオレが一つの決断を下している間にも自己紹介は続いていき、それに伴って色々な意見が上がる。

 テストで赤点だったら問答無用で停学や退学になるんじゃないか?

 担任にそれぞれの入試成績を確認して、成績の良かった者が悪かった者に教える。

 部屋を見てないからアレだけど、ルームシェアも一つの手じゃないか? 特に勉強とか食事とかの面で。

 上級学年の教室を偵察して机の数を数えてみれば、退学が実際に起こり得るかどうかの判断を下す一助になるんじゃないか?

 特別棟って監視カメラが無かった気がするんだけど。

 他にも色々と、本当に当たり前のことから、現実的に考えてそれはどうよ? と、オレですらそう思ってしまう意見もあった。

 そしてとうとう、オレの番がやって来た。

 

「綾小路清隆だ。オレもまた学校に通ったことはない。……坂柳と似た様な感じでな。ホワイトルームと呼ばれる人工的に天才を作り上げる施設で育ったんだ。そこで最高傑作と呼ばれていたので、能力は高い方だと思う。

 ただ、その一方で社会一般的な経験が色々と足りていないんだ。人付き合いから何からな。個人技は高いが対戦経験が無い、と言えば分かりやすいか?

 また、俺の場合は協力者の手筈で施設を脱走してきたんだ。だから施設のヤツらはオレを連れ戻そうと躍起になっていると思う。曲がりなりにも最高傑作だからな。

 この学校にいる間は大丈夫だと思うが、卒業乃至は退学した後は間違いなく連れ戻されるだろう。ここは一時の平穏であり、それも仕方ない――と先ほどまでは思っていた。

 坂柳、お前の言葉を聞いて気が変わった。この学校生活においてオレはお前に協力しよう。あまり目立ちたくはなかったが、能力を振るうのも辞さない。その代わり、お前もオレに協力してくれないか? オレが自由を得るために」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 綾小路清隆。そう名乗った少年の視線が真っ直ぐに私を捉える。年齢の割には無機質な目だ。一般的とは言い難い生活を送って来ただろうことをその目が物語っている。

 

「それで、協力しないと答えたら手を抜いて生活する、ということでいいのかしら?」

「当然だな。この学校を出た後も自由を得られる希望が見えたからこそなんだ。お前の言葉を信じればこそ、お前の協力を得るためにオレは正直に過去を語った。一種の対価としてな」

 

 私の視線と彼の視線が交差する。

 

「ふふ、良いでしょう! 礼には礼を、義には義を以て返すのが人というもの。あなたが私の協力を得るためにその力を振るうというのなら、私もまたあなたの協力を得るために力を振るいましょう! ――ただし、私は厳しいわよ。その力が言うに値しなかった場合、私の助力を得られることはないと思いなさい?」

「それはオレのセリフでもある。お前の力がオレの期待に添わなかった場合、オレは元の路線に切り替えるだけだ」

「了解したわ。精々見限られないようにするとしましょう。……ああ、それと私のことは華琳と呼びなさい。私もあなたのことは清隆と呼ぶから」

「え、いや、いきなりの名前呼びは……」

「悪いけど決定事項なの。あなたの答えなんて聞いてないのよ」

 

 まったく、何と楽しい人物か。六助もいるし、この教室は人材の宝庫ではなかろうか。

 

「……まあ最後はバチバチしてたようだが、自己紹介はこれで終わりでいいだろう。あとは各自解散と――」

 

 一刀が解散を促そうとしたところで、教室の扉が音を立てて開いた。

 失礼する、と言いながら姿を見せたのは生徒会長――堀北学だった。

 生徒会長の突然の訪問に、教室内が俄かにざわつく。

 

「……ほう? 誰かしらいるとは思っていたが、まさか全員が残っているとはな。早速クラス内の親睦でも深めていたか、一刀? ああ、今は敬語を使わなくて結構だ。仕事はまだ残っているが、休憩時間を使い、私人として親友に会いに来ただけだからな。

 遅くなったが……退院おめでとう、一刀。共に卒業出来なかったのは残念だが、またお前の元気な姿を見られて嬉しく思う」

「そういうことなら遠慮なく。ありがとな、学。俺もまたお前に会えて嬉しいよ。

 しかし、当時は驚いたよ。目が覚めたら病院のベッドの上で、年単位で時間が経ってるって言うんだからな。

 ああ、そうだ。ちょっと待っててくれ。俺もお前に用があったんだ」

 

 生徒会長の言葉に対して気楽に応えながら、一刀は自分の席へと向かった。

 

「はい、これ。見舞いの礼品。実用品を選んだんで使ってくれるとありがたい。……他のヤツらの分もあるんだけど、教室とか分かるか?」

「ありがたく使わせてもらおう。確かに教室は分かるが、それぞれの都合までは流石に把握していない。……携帯を貸せ。フランチェスカ出身者のグループチャットがある」

 

 一刀の携帯を受け取った生徒会長は手早く操作した。指捌きに迷いがない。

 

「そら。あとは自分で確認しろ」

「サンキュー。……っておい、学!? これはどういうことだ? なんか俺のポイントが凄く増えているんだが?」

「ああ、それか。お前が入学してきたことをチャットメンバーに伝えたら、快気祝いを渡そうという話になってな。その分を譲渡しただけだ」

「だからって、流石にこの額は……」

「お前の人望だ。素直に受け取っておけ」

「……分かったよ。ありがとな。他のヤツらにも都合の確認と一緒に礼を言っとく」

 

 そのやり取りには遠慮というものがなかった。見てるだけでも二人の親密さが分かるというものだ。

 

「ちょっと兄さん。久しぶりに親友と会えて嬉しいのは分かりますが、実の妹には何も無いのですか? 可愛い妹が泣きますよ、えーんえーん」

 

 そこに割って入ったのは鈴音だ。妹の特権だろう。

 しかしその言葉は、普段の彼女からは考えられないものだった。そのくせして態度は冷静そのままだ。うそ泣きにも値しない。

 

「……お前、本当に鈴音か?」

 

 実の兄にすら、愕然とした態度でこんなことを言われる始末。……まあ、これをさせたのは一刀なのだが。学に会ったら少しふざけた態度を取ってみろ、と以前に言っていたのを思い出す。

 その時は難しい顔をしていたが、彼女なりの答えがコレなのだろう。

 

「まあ、可愛い妹に対してなんて言葉でしょう! 鈴音は傷つきました。よってお小遣いを所望します。手持ちの10%で構いませんよ?」

「…………。く、くくく、は、はははははは……ッ!」

 

 相変わらずの態度で、彼女は更に続けた。これが桔梗なら演技もバッチリだろうが、鈴音にそんなものは望める筈もない。だからこそ、逆にこれはこれで面白い。

 暫し言葉を失った後、生徒会長は堪え切れないとばかりに呵々大笑した。  

  

「確かに、可愛い妹に対する態度ではなかったな。だが、お前ももう少し表情を変える努力をしろ。そうすればもっと可愛くなる。……携帯を貸せ」

  

 生徒会長の言葉が胸に響いたのだろう。信じ難いとばかりに目を見開き、それでも嬉しさを露わにしながら鈴音は携帯を渡した。

 

「可愛い妹の成長した姿を見れたんだ。これからの成長にも期待するとして20%くれてやる。……努力は怠るなよ、鈴音」

「はい、兄さん!」

 

 微笑を浮かべながら鈴音の頭を軽く撫で、生徒会長は教室を出て行った。その背中に対し、鈴音は力強く応えた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 良い話だったな~、で終わるわけがないのが現実である。

 学の訪問から続く一連のやり取りに大半のクラスメイトは呆気に取られていたが、そうでない者も当然いるのだ。

 

「……ふむ。遅くなってはしまったが、そろそろランチを頂くとしようじゃないか。当然、御馳走してくれるだろう、ソードボーイ? なにせポイントが凄く(・・)増えたそうだからねえ?」

 

 終始我関せずな態度を貫いていたくせして、こんなことを言ってくる唯我独尊男が。

 まあ高円寺がここまで残り、自己紹介にきちんと参加したことの方が正直に言えば驚きでもある。彼みたいな男が譲歩したことを思えば、今日の昼食を奢るくらいは許容範囲だ。

 しかし、声高にこんなことを言われてしまえば、当然ながら高円寺だけに奢るわけにはいかなくなる。必然的に大半のクラスメイトが期待の視線を寄越してきた。

 

「仕方ないな。それじゃあ、今日の昼食は全員分、俺が奢るよ。場所は女性陣で決めてくれ。ただ、予算は五万以内に収めてくれると助かる」

 

 俺の言葉にクラスメイトが喝采を上げた。勿体ない気持ちもなくはないが、これでクラス内の団結が高まると言うなら否はない。

 携帯を片手に場所を話し合う女性陣に対し、外から一部男子が肉、肉、と声高に要求を述べる。

 ほどなくして場所は決まった。そもそも、予約しているなら別だろうが、急な来店で一度に40人を収容可能な飲食店などそうありはしない。そういった要因や外野の要求を汲み取った結果、行き先はケヤキモールと相成った。フードコートならば、この人数でも収容出来るだろうという判断だ。

 携帯のアプリマップを片手に持った女子を先頭にしてDクラス40人がぞろぞろ動くこの様は、端から見ればさながら大名行列だろうか。

 当然ながらケヤキモールに着くまでにも様々な店の前を通るわけだが、それぞれの軒先には最早見慣れた物――監視カメラ――が設置されていた。

 

「やっぱりあるね」

「ああ。その内、それぞれの施設内も確認してみないとな。特別棟のように、これらの施設の中にもいくつかは監視カメラのない場所がある筈だ。あらゆる面で実力を測るというのなら、むしろなきゃおかしい」

「裏切りとか、暴力とかだよね? 考えたくはないけど……」

「それには同意だけどな。どうしても考えておかなきゃいけない。仮にクラスメイトに怪しい動きがあったとして、だ。疑わないのは信頼じゃない、単なる思考の停止だ。信じればこそ、それを確かなものとするために調べなきゃいけないこともあるだろうさ」

「世の中、もっと単純だったら良かったのにね。不意にそう思うことがあるよ」

「まったくだ。……けど、面倒で難しい世の中だからこそ、達成感は大きいものとなるんじゃないか?」

「……かも、しれないね」

 

 洋介と話しながら歩いている内にケヤキモールに着いた。

 フードコートには他の客がいないわけではなかったが、どうにか全員が席に着くことが出来た。麺類の店が多いが、ご飯ものや肉類の店が無いでもない。全国チェーンのハンバーガー屋もある。

 男子陣は大半が肉を頼み、その反対に女子陣はアッサリめのメニューを頼む姿が多かった。加え、女子陣は他の店で出してるフルーツドリンクも目当てだったようだ。メインを頼んだら、出来上がるまでの間にドリンクを頼みに行く姿の多いこと。

 

「いただきまーす!」

「ゴチになるぜ!」

 

 フードコートにDクラスの声が響き渡った。




と、いうわけで綾小路参戦(仮)です。
鈴音は学に対して真顔で言ってます。
とは言え、学が高度育成高等学校に入る前からは考えられなかった姿です。同時に、情報も探りに来てます。
成長に対する喜びとこれからへの期待の他に、その点を評価しての20%ですね。あくまで『手持ち』なのがポイントです。

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6話

ありがとうございます。
おかげさまでお気に入りが200件を突破しました。評価も徐々についていますし、嬉しいですね。



 翌日早朝。俺は学生寮前で人を待っていた。相手は久しぶりに会う友人たちだ。見舞い品を渡す傍ら、一緒に登校するためである。

 

「おはよう、一刀! ひっさしぶりだな~。元気そうで何よりだ!」

「おはようございます、早坂先輩。久しぶりに会えて嬉しいです」

「おいおい、何だよその態度は――って、そうか、そうなるのか……。気を張ってるところ悪いが、俺相手には普通に接してくれ、頼むから」

 

 一番最初に姿を見せたのは早坂章仁だった。学同様、俺の親友である。

 当然の如く学生寮前にも監視カメラは存在している。昨日クラスメイトに注意を促した手前、俺が率先してミスを犯すわけにはいかない。なので後輩らしい態度で接してみたのだが……。

 あろうことか、章仁のヤツは苦虫を噛み殺した様な顔で、そう俺に懇願してきた。

 まあ先輩の頼みなら仕方ない。俺はアッサリと態度を一変した。

 

「それじゃあお言葉に甘えて。……わざわざ悪かったな、快気祝いなんて頂いちまって。クラスの親睦を深めるため、ありがたく使わせてもらったよ。――そっちから貰ったもんに比べれば大分グレードは下がっちまうけど、見舞いに対する礼品だ。使ってくれるとありがたい」

「ダチの間でグレードなんか気にするなよ! ありがたく使わせてもらうって!」

 

 中学の時は俺、学、コイツと及川の四人でつるむことが多かった。勉強出来る勢と出来ない勢。厳しいヤツと緩いヤツら。いろんな意味で、バランスが上手いこと噛み合っていたのだ。……その時々でプラスαが加わることはあったし、他にも遊ぶヤツらはいたが、大半はこの四人だった。

 まあ時間の経過は往々にして変化を齎すもので、章仁のヤツは俺が向こうに飛んでいる間に大成長を遂げたらしい。料理や紅茶は得意なままに、再び剣道を学び直し、勉学にも相当力を入れたようだ。

 

「しっかし、お前がDクラスねぇ? 事情を鑑みりゃ仕方ないのかもしれないが、評価を下したヤツの判断を疑っちまうね、俺は。お前を直に知るヤツだったら、俺と同じ意見のヤツが大半だと思うぜ?」

「買い被るなよ。……ま、その期待に応えるってわけじゃないが、評価を覆していくつもりだよ」

「そう言うってことは、やっぱある程度気付いてるってことか……。期待させてもらうぜ?」

 

 そんな世間話をしていれば、他のヤツらもやって来た。三年の日向(ひゅうが)、二年の風吹(ふぶき)丙家(へいけ)だ。

 これに学を含めた計五人が、三年と二年のフランチェスカ出身者だ。この数を多いと見るか少ないと見るかは、人によって分かれるだろう。……なお、学は生徒会長の仕事があるため不参加である。

 

「おはよう、北郷。元気そうで何よりだ」

「おはようございます、北郷先輩! ――って、今は俺が先輩か……」

「おはようございます、北郷せ……さん。これは、慣れるように頑張らないといけませんね」

「おはようございます、お三方。その節はお世話になりました」

 

 挨拶を交わせば、章仁同様、何とも言えない顔になる三人だった。そしてこれまた章仁同様、普通に接する様に頼まれた。

 おそらく、入学して暫くは新入生に対し表立って話すのが禁止されていることがあるのだろう。

 道中の会話は、所々詰まったり、いちいち回りくどい言い回しが目立った。旧交を温めるにしても、彼らがこの学校に入学してからのことを話さないのは不自然になる。故にこの学校の話題も出るのだが、やはり普段との齟齬があるのだろう。知らされている者といない者という違いが、円滑な会話の進行を妨げた。

 結果、会話の内容は俺が眠っている間に起こり、かつ彼らがまだ中学生だった時のことが多くなった。

 特に驚いたのは章仁の変化の原因についてだ。見違えたとは思っていたが、なんと大財閥『不動グループ』の御令嬢と交際関係にあるらしい。それを聞けば、然もありなんと急成長に納得してしまう。……まあ他にも色々とあったようだが、気まずそうなその顔を見れば興味本位で訊くわけにはいかないだろう。

 

「じゃあな、一刀。今度の休日にでも遊びに来いよ。俺の手料理と紅茶を御馳走してやるぜ」

「ああ、是非お呼ばれさせてもらうよ」

 

 そんな会話で締めくくり、章仁たちとは校舎の入り口で別れた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 授業の大半は勉強方針の説明だけだった。初日の授業ということもあるのだろうけど、それ以外の理由も見え隠れしてならない。

 勉強に苦手意識や、そもそも興味を持っていない子たちにとっては、授業など苦痛なだけだ。特に――僕たちの推測が正しければ――Dクラスは『劣等生』や『問題児』の集まりである。昨日注意喚起を促したかいもあって大半の生徒は真面目に受けていたけれど、とうとう4時限目の授業中、極少数の生徒は堪え切れないように眠ったり携帯をいじりだしてしまった。見るからに厳格な教師が相手であれば緊張からそれも防げたかもしれないが、先生たちの誰もが明るくフレンドリーに接してきたのだ。拍子抜けしてしまうのも無理はないと言えるだろう。

 そして、居眠りやら携帯操作やらを目の当たりにしても、該当時間の先生は一切の注意をしなかったのだ。……これを『その先生が甘かったから』と捉えるのは見通しが甘すぎるだろう。

 そうは思っても、一刀くんや華琳さんがいなければ――いたとしても率先して動いていなければ――僕はそこで止まっていただろう。

 無秩序なままで平穏はあり得ない。平穏を得るにはある程度の秩序が必要だ。しかし、僕が秩序を齎すことは出来ない。現実として失敗してしまった過去があるからだ。

 だからこそ、僕だけであれば動くつもりはなかった。僕が動けば、笑顔が消えてしまうのは既に証明されているのだから。

 けれど、僕以外が秩序を齎してくれるのであれば話は異なる。そこには確かな可能性があるからだ。ならば、僕もまた奮起しよう。今度こそ笑顔を消させないために。

 

「池、山内、それに須藤。今回は検証として見逃すけれども次はないわよ? もしまた同じようなことをしたら、さてどうしようかしら? 話しかけられても無視するよう、クラスの女子に通達するのがいいかしらね? もし部活に入るなら、そこの先輩にちょっとしたお願いをするのも捨てがたいわね? どうすれば良いと思う?」

 

 昼休みになって早々、三人に対し、満面の笑顔で華琳さんがそんなことを言った。……正直に言おう。怖い。これを見れば、笑顔は最大の武器と言われるのにも納得してしまう。

 

「華琳さん、流石にそれは……」

「厳しいとでも言いたいのかしら? それは勘違いも甚だしいわね。私はむしろ優しい方よ。わざわざこうして忠告してあげてるんだから。

 昨日の話し合いで十分に危機感は抱いたはずよ。最低限の礼儀を示さなければクラスの足を引っ張るかもしれないし、成績如何では退学になるかもしれない……と。

 事実、この三人以外は真面目に授業を受けていた。中には眠気を堪えるために、頬をつねったりしてる者もいたのよ。

 三人の行いは、そうまで頑張った者を無下にしている。……そのことは誰かが言わなければならないでしょう?

 そして、こうまで言われてなお態度を改める素振りが見られないようであれば、その時こそ見捨てるだけよ。もはや関心を持つことも無くなるでしょうね。……まあそうは言っても、評価を下げないために動かざるを得ないでしょうけど。退学者なんて出したら間違いなく評価は下がるでしょうし」

 

 すまない、三人とも。僕はこの意見に言い返すことは出来ない。

 話す華琳さんの視線を追った際、勉強が苦手だと言っていた外村くんと軽井沢さんの片側の頬が赤くなっているのが目に入ってしまったんだ。君たちを擁護してしまえば、それは同時にあの二人を蔑ろにすることになってしまう。

 どちらにも非があるのなら、僕は可能な限り仲立ちしよう。妥協点を共に探すのにも否はない。……が、今回はそれに当て嵌まらないんだ。誘惑に負けてしまった君たちと、誘惑に打ち勝った二人。どちらに非があるかなんて、考えるまでもなく明らかなんだ。

 

「……言いてえことは分かる。眠っちまった俺が悪いのは確かに認める。だからってよ、人の部活にまで干渉しようとすんじゃねえよ。いや、まあ、まだ入っちゃいねえけどよ、俺にはバスケしかねえんだ。俺からバスケを取っちまったら、クズでしかなくなっちまうんだよ!」

 

 それは須藤くんの、心からの叫びだった。……彼は強面であり、それを裏切らないかのように口調も荒い。そして人というものは第一印象だけで他人への接し方を決めたがる。それがどれだけ残酷なことかも理解せずに。

 きちんと向き合えば、彼が根っからの不良でないことなど簡単に分かる筈なんだ。事実、彼は華琳さんの言葉に謝罪を示した。その場限りの嘘でないことは、彼の表情を見れば一目で分かった。

 

「なら、きちんと授業を受けなさい。学生の本分は勉強なのだから、それを疎かにするようではどの道どこかで躓くわよ? あなたの場合、英語には特に力を入れた方が良いでしょうね。海外に行ったら英語を主に使うでしょうから。

 分からないなら聞きに来なさい。私でも一刀でも、洋介でも清隆でも構わないから。四六時中とまではいかないけど、意思と姿勢を見せる者を拒みはしないわ。可能な限り根気よく付き合ってあげるわよ。……ああ、毒吐きに耐えられる自信があるなら、桔梗と鈴音に教えを乞うても一向に構わないわよ?

 部活を頑張るというのなら、その上でやりなさい。知識でしか知らないけれど、バスケットボールとはチームプレイが必須なのでしょう? なら、Dクラスというチームに貢献するべく努力することも不可能ではない筈よ? それが出来ないようでは、先の言葉が陳腐なものに成り果ててしまうわよ?」

 

 須藤くんに対し、華琳さんは優しい笑みを浮かべてそう答えた。

 それを見て僕は思った。格が違う……と。統率者として、彼女は圧倒的なまでの格を有している。

 確かに華琳さんは厳しい。言葉にも容赦がない。けれど、決して優しさが無いわけじゃない。ただひたすらに、意思と姿勢を示さない者を認めないだけなんだ。

 逆に言えば、意思と姿勢を示す者は認めるということだ。実際、須藤くんは認められた。

 言葉を信じるなら、育った施設において、彼女は曹操と呼ばれていたらしい。『治世の能臣』、『乱世の奸雄』と称される、三国志に名高き、かの偉人の名を冠されたのだ。そして曹操の名を聞けば、誰もが思い浮かべるだろう言葉がある。

 

「唯才あらば、是を挙げよ」

 

 唯才是挙。簡単に言えば、出自も人格も犯罪歴すらも問わないから才能を示せ、ということだ。

 曹操の名を冠されるだけあって、華琳さんもまた同じような部分があるのだろう。

 

「池、山内、それはあなたたちも同じよ? その上で、彼女が欲しいというならば自分の才を自覚し、磨き上げ、自信をつけなさい。長所と短所は紙一重なのだから、努力次第で出来ないことはない筈よ。自信が付けば、それは余裕となって普段の態度に現れる。そしてその余裕にこそ女性は惹かれるのよ。……胸が大きいだのといった外見的特徴だけですり寄ってくる男を女性が嫌悪する様に、外見だけで寄り付く女なんて所詮はただのミーハー、碌なのがいやしないわよ」

 

 華琳さんの言葉は池くんと山内くんにも向けられた。その内容から察するに、彼女は彼らの中にも何らかの『才』を見出しているのだろう。その慧眼は、とても同年代とは思えないほどだ。

 

「あ、ああ……」

「わ、分かった」

 

 そして池くんと山内くんは、気圧された様に頷くことしか出来ていなかった。

 

「皆にも改めて言っておきましょう! 確かに行儀よく振る舞うことは大切よ。事を円滑に進める上でなくてはならない力と言えるでしょう。――しかし、お行儀が良いだけの者に一体何を成せようか! 問題児! 劣等生! 大いに結構! 己が才を自覚し磨き上げたならば、周囲の評価など容易く一転する! あなたたちにはそれだけのポテンシャルがあると、この私が認めましょう!

 故に努力なさい! 如何な才とて研鑽しなければ路傍の石も同然! そして世は、路傍の石を気にかけるほど優しくなどない! 自らが石ころでないと謳うならば、己が力で抜け出してみなさい! その努力を意思と姿勢で示しなさい! そうある限り、私があなたたちを見放すこともまた無いと誓いましょう!」

 

 それは正に『王』の言葉だった。その身に纏う空気そのものが違う。否応なく、絶対者として認めてしまうほどの『何か』があった。

 この光景を見て、僕はこの上なく彼女に惹かれてしまった。失敗して、挫折してしまった僕とは違う。彼女は眩いほどに輝いているのだ。

 この輝きを曇らせたくはない。……ならば、そのために僕も頑張ろう。折れてしまった僕に何が出来るのかは分からないけど、出来る何かはある筈だから。

  

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「華琳のヤツ、飛ばしてるな~」

 

 呑気な感想を零しつつ、俺は昼食に手を付けていた。

 この時代に飛ばされて来て多少丸くなったとは言え、華琳が覇王であることは否定しようのない事実だ。飛躍のために必要とあれば面従も辞さないだろうが、最初からそのような態度では飛躍など叶う筈もない。

 故にこそ、今、この時期。

 俺たち新入生が入学したばかりで、色々と手探りな横ばい状態だからこそ、初動をどうするかが今後の動きに大きく関わってくるに違いない。

 何もせず、皆が学校から否応なく現実を叩き付けられた後で動くのも一つの手ではあっただろうが、俺としてもそれは御免被る。まともな生活が出来なくなる可能性に気付いていながら何もしないなど、選択肢として在り得ない。衣食足りて礼節を知る、だ。

 そもそも、俺がこの学校に来たのは目標を叶えるに当たっての人脈構築が大きい。ある程度の余裕を持って生活を送れるようでないと、行動に差し障りが出るのだ。

 だからこそ、確証も得ない内から動き始めた。そうでないと遅すぎる。確証はないが確信はあるのだ。……Aクラスの有栖やBクラスの一之瀬さんを知っている以上、早めに動きださないと手も足も出なくなってしまうという確信が。

 

「全く以て恐れ入る。純粋な能力で負けているつもりはないが、あのリーダーシップは俺には縁遠いものだな」

 

 俺の独り言に綾小路が応じた。手にはパンと無料の水。

 

「出来るヤツが出来ることを熟せばいいのさ。……ところで、綾小路は自炊しないのか?」

「やったことがないんだ。須らく他人は道具、なんてことを教えていた連中だからな。オレに食事という楽しみを覚えさせたくなかったんだろう。桂剥きやら何やらとやらされた記憶はあるが、食事自体はいつも栄養ブロックだった。まあ、そんなわけでレシピ通りに作ることは可能だと思うんだが……」

「気が乗らないってか。……俺の弁当、つまんでみるか?」

「……ッ!? 美味いな」

「ありがとよ、俺の手料理だ。……自炊してみろよ、綾小路。最初から美味くは出来なくても、その内にやれるようになるさ。日々弁当を買うよりは節約にもなるし、もしかしたら料理にハマるかもしれないぜ? 人間、何かしらの楽しみを持たないとな」

「なるほど、やってみるとしよう」

 

 そんな会話をしていると校内放送の音楽が流れてきた。

 

「本日、午後5時より、第一体育館にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、時間に間に合うよう、第一体育館に集合してください。……繰り返します。本日――」

 

 可愛らしい女性の声によるアナウンス。言葉を区切ることで、時間、場所、何を行うかを強調している。

 

「行ってみるか?」

「……そうだな。入るかは分からないが、興味はある」

「よし、決まりだ。放課後、一緒に行くとしよう」

 

 昼休みは限られている。綾小路と約束し、俺は昼食を食べる作業に戻った。    




春恋*乙女より主人公――早坂章仁を親友枠で抜擢。プレイしたのが随分前なので、言葉遣いとか性格とか記憶の彼方ですが。
なので、名前を借りたオリキャラとでも認識してください。
その他のフランチェスカ出身枠はハ行縛りで適当に考えました。

後は華琳様のターン。その陰で綾小路と親交を深めていく一刀。

六話も使ってまだ入学二日目、それも部活動説明会にも到達していないというスローペースですが、こういった描写も入れておかないと後々の説得力が生まれませんのでご了承ください。

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7話

 約束をした相手は綾小路だけだったが、お約束と言うべきか案の定と言うべきか、それ以外の相手も当然の如くくっついてきた。いちいち名前を挙げるならば、洋介、華琳、鈴音、桔梗となる。女性陣はいつもの面子だし、洋介はクラスを引っ張っていく上で付き合いも増えていくだろう。そう考えればおかしくも何ともない。

 開催時間には間に合ったが、第一体育館は人で混みあっていた。軽く見た感じ、一年生の過半数以上はいるだろう。どうにか空いているスペースを確保する。

 場所を確保した後は、ただ待っているだけなのも暇なので時間潰しがてら雑談をすることにした。

 

「洋介はサッカー部に入るんだったか?」

「うん、そうだよ。自分の楽しみを求めていいのか迷ったけど、楽しんでる姿を見せなきゃ周りの人たちも素直に楽しめないと思ったから。……まあ、所詮は言い訳なのかもしれないけどね。結局のところ、僕はサッカーが好きなんだよ」

「良いんじゃないかしら、それで。理由が絡み合うなんて珍しくもないことよ。誰に迷惑を掛けるわけでなし、その『欲』を大切になさい。『欲』のない人間ほどつまらない者はいないわよ?」

「ありがとう。……それで、君たちは部活に入るのかい?」

「そこなんだよな。興味のある部活が無いわけでもないんだが……」

 

 そう言って答えるのを保留にし、体育館入場時に貰ったパンフレットに目をやった。各部活動の成績や設備内容などが載っている。

 洋介が入る予定のサッカー部、須藤の希望するバスケ部、他にもバレー部に水泳部、柔道部に剣道部など、一般的な運動部は揃っているみたいだ。それは文化部も同じようで、料理部に茶道部、新聞部に写真部などの名前が目に入った。

 

「凄いね。どの部活も高レベルみたいだよ。全国クラスの部活や個人も多いみたいだし……」

「運動部と文化部の組み合わせに限り兼部も可能みたいね。まあ兼部者が選手に選ばれることは少ないようだけれど……」

「緩く部活動ライフを楽しむも一本に絞るも本人の自由ということでしょう。取り組み方は人それぞれ。結果を出せるにしろ出せないにしろ、それが本人の実力という考えみたいね」

 

 例えば華琳や綾小路みたいにハイスペックであれば、兼部をしても成績を残せるだろう。この二人ほどの人材は極めて稀だろうが、多少劣っても構わないのなら10の内に1いる可能性は否定出来ない。それらを組み込める可能性を考えれば、なるほど、兼部を許可する理由も分かる。

 兼部を許可している理由を推測し終えた時だった。壇上脇に一人の人物が現れる。マイクを手にした女生徒だ。

 

「一年生の皆さん、お待たせしました。ただいまより、部活代表による入部説明会を始めます。司会進行は、生徒会書記・橘が務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」

 

 そう言って女生徒――橘先輩は一礼した。声に相応しい、可愛い系の美少女である。彼女がいるだけで俄然楽しくなってきた。

 壇上にズラリと各部の代表が並ぶ。それぞれの部を連想させるコスチュームをしており、簡単に何部か分かる様になっていた。

 入部説明会は滞りなく進んで行く。各部の挨拶はオーソドックスそのものだ。目新しさは特にない。新入生が相手であるため、言葉に出来ない部分もあるのだと思われる。……おそらくはポイント関連。

 実力で評価するというこの学校のシステムを考えれば、部活動もまたその対象になって然り。だと言うのに、どの部活もそういった点には全く触れていない。

 

「お、章仁だ」

 

 剣道部の代表は、我が親友、章仁だった。とは言え、これまた当たり障りのない説明で終始した。

 

「なんて言うか……あまり惹かれないね」

「ま、仕方のない部分もあるのでしょう」

 

 桔梗と華琳の言葉が耳に入る。それには同感だ。正直な話、これで入部するような相手は、元よりその部活と決めていた者くらいだろう。

 壇上から一人去り二人去り、残るは最後の一人となる。……章仁と同じ我が親友にして、当校の生徒会長――学だった。

 マイクの前に立っても学は喋らない。一年生と思しき誰かからヤジが飛んでも、ただただ黙して立っている。

 

「やはり、傑物ね」

 

 学の狙いを読み取った華琳が感心したように呟いた。

 そうしていくばくかの時間が経った頃。体育館内の弛緩した空気が、まるで正反対のものへと変わっていった。

 誰が何を言ったわけでもない。学の態度が、生徒たちをそのように仕立て上げたのだ。

 話してはいけない。静かにしなくてはならない。……そう感じた生徒たちが、自ずと口を閉ざしたのだ。

 誰にでも出来ることではない。

 静寂が体育館を支配して30秒ほど経った頃だろうか。ゆっくりと体育館内を見渡して、学がようやく口を開いた。

 

「私は、生徒会会長を務めている、堀北学です」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「さて、どうする?」

 

 橘先輩による説明会終了の挨拶を確認した北郷が口を開いた。誰に対する問いでもない。強いて言うならオレたち全員を対象としたものだろう。

 

「僕はサッカー部の申し込みに行ってくるよ。それじゃあ、またね」 

 

 元々サッカー部に入る意向を示していただけあって、平田はオレたちに一言断るや否や颯爽と申し込みに向かった。

 

「う~ん、私はいいかな。特にピンとくる部活もなかったし」

「私もね。空手部や合気道部があったら入ったかもしれないけど……」 

 

 櫛田と堀北は早々と部活に入らない意向を示した。……が、堀北の言葉にちょっとばかり疑問を覚えた。

 

「なんでまた空手と合気道なんだ?」

「兄さんは空手五段、合気道四段の有段者でね。私も兄さんの真似をして一時期習っていたことがあるのよ。兄さんには及ばないけれど、一応私も段位を持ってるわ。……まあ、そもそもが兄さんに褒めてもらいたくて始めたものだったし、褒めてもらえないと分かったらサッサと辞めた過去があるから、部活があってもやっぱり入らなかったかもしれないわね」

「ふ~ん、そういうものか……」

 

 堀北の返答を聞いて、オレは一応の理解を示した。一応なのは、オレの社会経験の少なさと感情の未発達具合に起因するものだ。我が事のように置き換えて考えることは出来ないが、知識ではそういったパターンがあることを知っている。

 

「個人的には写真部も捨てがたいのだけど、やはり入るとしたら生徒会かしらね。……と言うか、私か一刀、清隆の誰かしらは生徒会に入っておかないと不味いでしょう」

「……は? オレもか?」

 

 華琳の予想外の返答に、オレは思考を中断して訊き返していた。

 

「当然でしょう。……と言うか、昨日のあなたの言があったればこそ、生徒会に入る選択肢が増えたのよ?」

 

 そう言われてしまえば、昨日オレが言ったセリフを思い返さざるを得ない。……が、そんな選択肢が増えるだろう言葉を言った覚えはなかった。強いて挙げればホワイトルームになるのだろうが、それと生徒会が結びつかない。

 

「悪いが分からない。おそらくホワイトルームが理由なのだろうとは思うが……」

「はぁ……。あなたの場合、やはり対人経験と社会経験の少なさがネックね」

 

 素直に言えば、華琳は思い切り溜息を吐いて呆れを露わにした。返す言葉もない。

 

「あなたはホワイトルームで育ち、最高傑作と呼ばれるほどだった。そしてホワイトルームは表沙汰に出来ない教育を施している。……ここまではいいわね?」

「ああ」

「今の情報化社会において、その様な真似を隠すのは至難の業。しかし、現実として一般に知られていない以上、相応に大きな組織なりが後ろ盾となっている。そんな所からあなたは脱走してきた。……訊くけど、脱走の際に放火を起こしたりはしたのかしら?」

「いや、ある程度の細工はしたが、大掛かりなことまでは出来ていない。気付かれぬよう、逃げるだけで精いっぱいだった」

「……そう。火でも放ってくれてればまだマシだったのだけれどね。……ともあれ、そんなあなたが今ここにいる。

 さて、どこかおかしいところがあるのだけど、分かるかしら?」

 

 堀北と櫛田の方を向いて華琳は問いかけた。

 

「え!? そこでこっちに振る!? え~っと……」

「学校に通ったことが無い、という点でしょう? 華琳さんの場合はまだ分かるのよ。理事長の養子なのだから」

「そっか! 事情を知らない限り、普通なら入試で落とされてもおかしくないんだ! ――って、えぇッ!? それってつまり……」

 

 二人のやり取りに微笑を浮かべ――

 

「脱走後は義父上があなたの後ろ盾となった。そうでなくても、義父上との面識はある。……違う?」

 

 華琳はオレへと問いを放った。……誤魔化すのは、不可能だな。

 

「正解だ。協力者の手配で坂柳理事長に匿ってもらった。……とは言え、いくら彼でも個人では限界がある。よって政府が運営元であり、ホワイトルームも容易に手が出せないであろうこの学校に通うことになった」

「だからこそ、私たちの誰かが生徒会に入らなければならないのよ。それだけの後ろ盾があるのなら、遠からず件の連中はあなたがここにいることに気付く。仮にここに入っていなくても、遠からずあなたの居場所は掴まれていたでしょう。結局のところは早いか遅いかの違いでしかない。……ならばこその『高度育成高等学校』という選択であった筈よ。

 結果、あなたはここという防壁に守られることとなった。……が、連中があなたに仕掛けるのは無理でも、義父上にならば不可能ではない。基本的に私たちはこの陸の孤島に閉じ込められているけれど、義父上はその限りでないのだから。

 そして義父上に何かがあれば、連中がこの学校に干渉する事も不可能ではなくなる。理事長に何かがあれば、必ず代わりが必要になるもの。そこに息のかかった者をねじ込むくらい、あなたの話を聞いた限りではやってやれなくはないでしょう。

 分かる? あなたを守るためには、まず義父上を守る必要が出てきたのよ。そしてそのためには義父上との綿密な情報のやり取りが必要不可欠になる。……が、流石に一般生徒が理事長と頻繁に会うなど不可能に近い。

 その不可能を可能にするために最も手っ取り早いのが『生徒会役員』という肩書なのよ。先ほどの演説で生徒会長も言っていたでしょう? 『生徒会には規律を変えるだけの権利と使命が、学校側に認められ、期待されている』……と。規律を変えるにしても、上の承認は必要不可欠。その際には理事長との面会も叶う筈よ」

 

 そう言われれば、理解も納得も出来た。『他人は道具』と言い聞かされて育ったオレには思いつきもしなかった。オレにとっては理事長もオレを守るための道具でしかない。だからこそ、理事長(道具)を守るという考えなど浮かびもしなかったのだ。

 

「感謝する。あらゆる意味で、経験の少なさを実感させられた」

 

 それに気付かせてくれたからこそ、オレは素直に礼を言った。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「ん~、ちょっとした疑問なんだけどさ。そもそも今の時点で一年生が生徒会に入れるの?」

 

 部活に入るつもりもない以上、いつまでも体育館にいる理由はない。洋介を待つのもありだったが、むしろ次の目的地を思えば今度は彼に待ちぼうけをさせてしまいかねない。そんなわけで、俺たちは彼を待つこともなく目的地――生徒会室へと向かっていた。

 桔梗が顎に人差し指を当てながら小首を傾げて呟いたのは、その道中のことだった。……いい着眼点だ。

 

「どうしてそう思ったか聞かせてもらえるかい?」

「うわ~、その笑みが逆に怖いよ、一刀くん。いや、期待の笑みなんだろうとは思うから嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、間違ってても呆れないでね?

 え~と、さっきの華琳さんじゃないけど、『生徒会には規律を変えるだけの権利と使命が――』なんでしょ? けどほら、私たち新入生ってこの学校のシステムについて表立った部分しか聞かされてないじゃない。クラス分けが優劣順とか、来月の支給ポイントが素行も含めたクラス評価で左右されるとかって、あくまでも推測でしかないわけでしょ? そんな状態で、必然とシステムのもっと深いところまで関わるだろう生徒会に入れるのかな~って」

 

 素晴らしい。掛け値なしにそう思う。

 俺が出会った時点で、既に桔梗は平均以上には優れていた。しかし、自分で自分の能力に見切りを付けているのも間違いなかった。それを悪いとは言わないし、それによって得られたものもある。

 だが、何かを優先すれば、その分だけ犠牲になってしまうものが出てくるのも否定しようのない事実だ。結果的に桔梗は突出した能力が無くなってしまった。言い表すならば『平均的に優れている』タイプだ。バランスタイプや万能タイプと言い換えてもいい。

 その、なんと恐ろしく、なんと頼もしいことか。桔梗は突出した能力が無くなった代わりに、穴も少なくなっているのだ。集団で動く上では、なくてはならないタイプの人間なのである。

 ましてDクラスは――あくまで自己紹介からの推測となるが――特定分野に突出してるであろう生徒が集められているから尚更だ。幸村は学力特化、外村はコンピューター特化といった具合である。

 確かに突出したタイプよりは即戦力になり難いが、平均値が優れているのならばその限りではない。

 万能タイプと言う点では俺も華琳もそうだろう。平均値と言う点で鑑みれば、優に桔梗を超えているのも間違いはない。しかし、人間である以上はやはり得意不得意があるものだ。そんな俺たちの補佐として、桔梗ほど打ってつけの人物はいないのである。

 それに、今はまだ補佐止まりだが、俺たちと並び立てる将来性も十分に期待出来る。……むしろ抜かされないかが心配だ。いや、まあ、俺を超えていく分には素直に祝福するが、先輩としては見栄を張りたい部分もあるのだ。

 

「心から思うよ。あの時、君を仲間に加えられたのはこの上ない幸運だった」

「ホントに!? 嘘じゃないよね!?」

「嘘なんか言わないさ。俺も負けていられないと思うほどに、君の成長は著しいよ」

「じゃあ、ご褒美代わりに今度デートして!」

「承った、お姫様」

「やったー!」

「あら、私はデートに誘ってくれないのかしら?」

「そうですね。男性の方から誘うのが甲斐性というものだと思いますが?」

 

 桔梗が喜ぶその一方、華琳と鈴音から向けられる視線が痛い。

 

「なるほど。知識としては知っていたが、これがハーレムというものか。男の夢だという話だが、まさかお目に掛かれるとは思わなかった」

 

 フムフムと頷きながら零された、綾小路の言葉もまた痛かった。

 視線から逃れるように足を速め、さっさと生徒会室に向かう。

 なお、現時点で生徒会に入ることは出来なかった。

 推測通りと言うべきか。新入生が生徒会に入るのを認められるのは五月以降になってから、と規則で決まっているようだ。

 遠回しに『五月になれば学校側からネタ晴らしが入る』と言っているようなものだが、学は特に気にしなかった。

 

「既に色々と察している相手を誤魔化すなど、時間と労力のムダでしかないだろう? 五月になったら改めて生徒会室に来い。お前たちなら誰であっても歓迎してやる」

 

 とは学の言である。

 これもこれで注意が必要だろう。

 生徒会室に入ったのは俺、華琳、綾小路の三人であり、鈴音と桔梗は廊下で待っていた。よって学の言葉は俺たち三人に向けられたものとなる。……普通に考えれば、俺たち三人は学から生徒会入会の内定をもらったようなものだ。

 だが、ここで注意すべきは『誰であっても』の部分だろう。この部分は特になくても言葉としては問題がない。それを敢えて加えた意味を考える必要がある。

 

「……やれやれ。ほんと、一筋縄ではいかない学校だ」

「だからこそ楽しい。……でしょう?」

「世間一般の『楽しい』とはかけ離れている気がするがな……」

 

 生徒会室を出た俺たちは、三者三様に呟くのだった。 




実際、高度育成高等学校の部活ってどこからどこまであるんでしょうね。

正式な生徒会入りは学校側からのネタ晴らしが入る五月以降という設定。四月中は新入生である限り、誰が申し込んでも断られます。
ただ、ある程度システムの秘密に気付いた上での申し込みであれば、見どころアリとして内定が貰えます。

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8話

 入学してから数日が経ち金曜日を迎えた今日この頃、クラスメイトからの視線がやけに生暖かく感じる。中学時代が中学時代だったので腫物を扱うような視線には慣れているのだが、だからこそこういった視線には慣れない。

 

(初日のあれが間違いだったとは思わないけど、クラスメイトの前でやったのは流石に失敗だったかしら……?)

 

 兄さんに可愛いと言ってもらえたし、60万という高校生にしては破格のお小遣いも貰えた。ダメ出しもされたけど、十分に喜ばしい出来事ではあった。また、限定的ではあるが三年生の保有するポイントを把握するための一助にはなっただろう。

 その点で鑑みれば、やはり間違いだったとは思えないし、思わない。悩んだ末ではあったものの、一刀さんの言葉を信じて実行に移したのは我ながら英断であったと言える。

 けれど、その代償として、クラスメイトからの評価が望ましいものではなくなったように感じてならない。

 私が直接確認したわけではないが、桔梗さん曰く『取っ付きづらいところがあるけど、お兄さんの前では可愛らしいところを見せる子』というのが、クラスメイトが私に持っている印象らしい。早い話がブラコン認定である。まあ、兄さんに認めてもらいたくて頑張って来たのは確かなので、否定はしきれないのであるが。……それはそれとして、嬉々として聞かせてきた桔梗さんはいつか〆る。

 そんな一面があると知ったからなのかどうなのか。

 中学までは私的に普通に接しているだけで離れていく相手が多かったのだが、今では何と言うか、こう、クラスメイトに話しかければ鷹揚な笑みで対応してくるのだ。特に女子。

 

「佐倉さん、いいかしら?」

「え、と、堀北さん、だったよね? 私に、何か、用かな?」

 

 それは目の前の相手――佐倉愛里さんも変わらなかった。

 眼鏡をかけた女生徒で、普段から割と伏し目がちで過ごしており、対人能力は私に負けず劣らずの劣等生。自分から誰かに話しかけることは基本的になく、話しかけられても大概は断りの言葉を入れて逃げ出す。

 そんな彼女が、私相手には柔らかな笑みを浮かべ、か細く途切れ途切れではあるけどきちんと声に出して、逃げださずに対応したのだ。

 彼女に用があった手前、助かると言えば助かるのだが、どこか釈然としないのもまた事実。

 

「ええ。単刀直入に言うけど、放課後に時間を作ってほしいの」

「私、に? ……うん、いいよ」

「ありがとう。それじゃあ放課後に」

 

 用件を済ませた後は授業の準備を済ませて読書に入る。特に用事がない限り、自分から誰かに話しかけようとは思えないのだ。……そこが問題視されているのは分かっているが、私のコレは幼少期からの筋金入りだ。早々容易く矯正出来るのなら苦労はない。

 

「ごめん、堀北さん。ちょっと分からないところがあって、良かったら教えてもらえないかな?」

 

 そう声を掛けてきたのは、クラスメイトの沖谷くんだった。華奢な身体つきにショートボブの青い髪。男子の制服を着ていなければ、女子と見間違う者も少なくはないだろう。一刀さん曰く『男の娘』だったか。

 こうして彼に頼まれるのは、実のところ初めてではない。

 学力が高い自負はあるが、同時に対人能力が劣等生な自覚もある。そんな私によくもまあ訊きに来るものだと思いもしたが、理由を聞けば納得もした。

 沖谷くんは自分の容姿にコンプレックスを持っているらしい。外見的には『男らしい』という印象からほど遠い位置にいるのが彼だ。

 そんな沖谷くんにしてみれば、一刀さんや平田くん、綾小路くんたちに教わるのはバツが悪いそうだ。苦手云々ではなく、沖谷くんが彼ら三人に憧れを抱いているのが理由らしい。仮に教わったとして、ちゃんと頭に入ってくるかが心配との事だ。

 では、他の学力高い勢はどうかと言うと、彼に向けられる視線の中に、容姿への含みが感じられてならないそうだ。

 まあ、確かに……と、思わず納得してしまった。華琳さんにしろ桔梗さんにしろ幸村くんにしろ、勉強自体はきちんと教えるだろう。だが、彼の容姿に対して気にせずにいられるか、と言えば判断に迷う。

 まあ、十中八九、華琳さんは何らかの反応を示すだろうが。『その容姿を自分の武器としてみなさい』くらいは言うかもしれないし、或いはただ単に弄るだけかもしれない。……どちらにせよ、沖谷くんにとっては望むところではないだろう。

 また、仮に教える側に問題が無くても、教わる側に問題がある可能性は否めない。如何せん我らがDクラスは勉強出来ない勢の方が圧倒的に多いのだ。華琳さんや桔梗さんのように教える側のコミュ力が高ければ、自然、他の誰かと一緒に教わることになる。勉強出来る勢の中ではコミュ力の低い方である幸村くんも、最近では綾小路くんや三宅くんと一緒にいることが多いらしい。

 そんな感じに――内容を理解出来ているかどうかはともかくとして――クラスの誰もが真面目に授業を受けている。早朝や放課後に、勉強を教え合ったり教わったりと言うのも珍しい光景ではない。

 沖谷くんもその例に漏れず、私から勉強を教わったことがある。その際に、言葉による当たりは強いが彼の容姿に対して何ら含むところはないこと、真面目に勉強する気概があるのなら、根気よく教えるのも吝かではないことを感じ取ったそうだ。

 まあ、確かに初めて教えた際にはかなり強く当たってしまったのは否めない。なにせ私がまともに知る相手の誰もが誰も平均以上に勉強が出来るのだ。基準点を高く見積もってしまっても仕方ないと言えるだろう。

 それによってへこみはしたが、容姿に対してどうこう思われながら教わるよりはよほどマシらしい。以来、沖谷くんは復習や予習で分からないところがあると度々私に訊きに来るようになった。

 奇妙な感じではあるが嫌な気がしないのは、私なりに成長しているということだろうか……?

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「それで、堀北、さん。用って、何かな?」

 

 そして迎えた放課後。珍しいことに佐倉さんの方から話しかけてきた。理由があるなら自発的に話しかけられると知れたのは悪くない。……まあ、相手によるのかもしれないが。

 

「そうね……。悪いけれど、私の部屋に来てもらっても構わないかしら? あまり大っぴらに話したいことでもないし」

 

 教室内を見渡し、残っている人数を確認した私はそう答えた。部活動に入った生徒は行ったようだが、無所属の生徒は大半が残っている。こんな状態で話したい内容ではない。

 

「……? うん、分かったよ」

「すまないわね」

 

 理由が分からないからだろう。小首を傾げる佐倉さんだったが、分からないものは分からないとアッサリ見切りを付けたようだ。

 快く頷いてくれた彼女に、一言謝辞を告げる。

 寮までの道中、特に会話らしい会話はなかった。そもそも、私も彼女もコミュニケーション能力には難があるのだ。

 一緒に帰っているには静かなままで歩を進め、けれど特に苦痛とも思わない時間を過ごしていれば寮に着いた。

 

「どうぞ」

「お邪魔、します」

 

 佐倉さんを部屋へと招き入れる。彼女も一言断り部屋へと入った。

 

「適当にかけててもらえるかしら? いまお茶を用意するから」

「あ、おかまいなく」

 

 私はキッチンへと向かった。自分から誘った以上、お茶菓子を用意するのは最低限の務めである。

 佐倉さんは佐倉さんで断りの言葉を入れてきたが、まあこういうやり取りは暗黙の了解であるらしい。

 

「どうぞ」

「ありがとう」

 

 周りが周りだけに、私の部屋にはコーヒーに紅茶、日本茶にジュースと揃っている。……凝り出せばキリがないのでペットボトルなりティーパックだが。

 用意したのは無難にほうじ茶。個人的には緑茶よりもほうじ茶の方が好みである。

 ほうじ茶を嚥下し一息ついたところで、私は早速切り出した。

 

「佐倉さん、私に『自撮り』というものを教えてくれないかしら?」

「…………え?」

 

 対し佐倉さんは、ハトが豆鉄砲を食らったような顔で、理解出来ないとばかりに一言零したのだった。

 やはり、私の対人能力は低いらしい。またしても一刀さんや華琳さんを基準にしてしまった。

 

「順番に言うわね。まず、私は兄さんに認められたくて色々と頑張ってきた。学業に運動は元より、兄さんが学んだ空手に合気道も。まあ出来が悪い私は、必然として相応のものを犠牲にすることになった。平たく言えばオシャレや対人能力なんかね。……ここまではいい?」

「うん」

「残念ながらそれで褒められることはなかったのだけど、一刀さんのアドバイスを聞いた結果、この間、とうとう褒めてもらうことが出来た」

「入学式の日、だよね?」

「そう。今までのことを無駄だとは思わないけど、結果として私は『兄さんに認めてもらいたいくせに、兄さんが私に何を望んでいるか』を考えないまま行動していたことが浮き彫りとなってしまった。……まあ、今の私を客観的に見れば、兄さんのデッドコピーと言われてもおかしくないでしょうしね。

 そこで兄さんの言葉から、私は自分の表情を変える努力をしようと思った。けれどまあ、今までが今までなのでこれが非常に難しい。そこで色々と調べてみた結果、『自撮り』というものに行き着いたのよ。色々と付加要素はあるでしょうけど、単純に言ってしまえば自分で自分の写真を撮るだけだし。そこに必ずしも他人を窺う必要は無いわ。

 とは言え、自分だけでは最初の一歩が難しい。そこであなたに白羽の矢を立てたというわけよ」

「え、と、なんで、私に?」

 

 順番に理由を述べれば佐倉さんは理解の色を示したが、佐倉さんを選んだことを告げた途端に躓いてしまった。……顔色を見るに、心当たりはある、といった感じか。対人能力が低い分、特別に佐倉さんが分かりやすいだけかもしれないが。

 

「これ、あなたでしょう?」

 

 私は携帯を開き、とある画面を見せた。グラビアアイドルのホームページであり、トップ画面には簡単な紹介が載っている。

 

「グラビアアイドル、雫。所属事務所のホームページによると、一身上の都合によりしばらく活動休止する旨が載っているわ。その一方、雫がやっているブログの方では――コメントの更新こそないものの――写真が更新されている。そして近日に投稿された写真をよくよく見れば、うちの学校と思しき部分がチラチラと見える。制服の一部なり、寮部屋の扉なりといった具合にね。

 こうなってしまえば、雫とうちの新入生を結び付けることは大して難しくないわ。そして池くんたちの様子を見ていると、雫がいるとなれば声高に叫ばれていてもおかしくはない。しかし現実としてそうはなっていない以上、大半の生徒から雫は雫として気付かれていない可能性が高い。

 それらを踏まえた結果、私はあなたが雫であると考えた。

 まあ、あなたが雫であっても違っても、私にとってはどうでもいい。重要なのは、あなたがこの写真のように自撮りをやっているかどうか。そして私に教えてもらえるかどうかよ。……実を言うとね、最初は桔梗さんに頼もうかとも思ったのよ。けれど、彼女に頼むと確実に言いふらされるに決まってるから。ただでさえ慣れない視線を浴びているというのに、そんなことをされたら我ながらどうなることか……。いくら私の社交性に対する荒療治と分かっていても、手を出さない保証はないのよ。

 その点、あなただったら人付き合いが少ないから、その点は心配いらないでしょう?」

 

 暫しの間を置いて、佐倉さんは唐突に眼鏡を外し、束ねていた髪もほどいた。

 

「……本当に、堀北さんはそう思ってるんだね。結構ひどいことも言われた気がするけど、ハッキリしすぎていて傷つくより先に清々しいや。……うん、そうだよ。グラビアアイドルの雫は私。諸々の理由は教えなくてもいいよね? 堀北さんはそこら辺を気にする人でもなさそうだし。私もまだそこまで教える気もないし」

 

 淀みなく言葉が紡がれる。そこには先程までのおどおどした部分は欠片もない。

 

「それで、自撮りだったよね? 良いよ、私で分かる部分なら教える。所詮私のは趣味だから、カメラとかについて深く訊かれても困るけど。――ただ、私が雫であることについては黙っててもらえる?」

「了解したわ。そちらも、私の自撮りについては内緒にしてもらえると嬉しいわ」

「交渉成立だね」

「そのようね」

 

 ここに、私と佐倉さんによる『自撮り同盟』が結成されたのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 言うは易く行うは難し。後悔先に立たず。……そういった言葉が浮かんでは消えていく。

 率直に言って、佐倉さんは鬼講師だった。

 確かに本人の言っていた通り、カメラ選びは適当だった。――けれど、それ以外では一切の妥協が無かった。平たく言えば、私に関する部分で。

 佐倉さんに言わせれば、私は素材がいいらしい。そのままでも十分にいい画は撮れるらしいが、最終的には兄さんに見てもらうことを考えれば、手を抜くことなど有り得ないそうだ。

 いざ行動するに当たり、まずは私服を見られ、次にケア用品を見られた。

 私服についてはダメ出しとは言わずとも苦言を呈され、ケア用品では叫ばれるに至った。

 

「なんでこんな無料品でその艶が出せるの!? 素材か!? 私とは素材が違うと言うのか!?」

 

 適当に買った無料品を手にそう叫ぶ佐倉さんは普段の様子からはとても考えられず、率直に言って怖かった。

 カメラを買った後に向かったのはブティックだった。私はオシャレをするに当たって組み合わせ可能な私服が少なすぎるらしい。ムダに高い服を買う必要は無いが、ある程度のバリエーションがなくては話にならないとの事。

 ありのままを撮るのも手法としてはアリだそうだが、『可能な努力をしない人をあの生徒会長が認めるとは思えない』と言われてしまえば、私としても大人しく佐倉さんの着せ替え人形になるしかなかった。幸い、兄さんからお小遣いをもらったのでポイントには余裕がある。

 買う物を買ったら、今度は佐倉さんの部屋へと向かった。まずはお手本を見せてくれるらしい。

 流石に手慣れてるだけあってササッと用意を整えた。

 構図を考えポーズを取れば、あとはタイマーセットされたカメラが撮ってくれる。彼女はパターンを変えて、それを何通りかやってくれた。

 今回は着ている服装的に笑顔一択だったが、組み合わせによっては表情も変えるらしい。実際にコロコロと表情を変えて見せてくれた。教室とはえらい違いである。

 

「じゃ、実際にやって見よっか!」

 

 笑顔で告げる佐倉さんとは対照的に、私の気分は死刑台に上る囚人もかくやといった有様だった。

 その後、何度もダメ出しをされてはようやくOKを貰え、かと思えばパターンを変えての繰り返しとなった。……自分で選択したこととは言え、私は早くも挫けそうになってしまった。

 これからは、ちょっぴり他人に優しく出来そうな気がする、そんな一日となったのだった。




鈴音回。またの名を佐倉登場回。

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9話

 日曜日。今日は休日である。そして休日ということは、そう、一刀くんとのデートだ! ……まあ正確には昨日も休日だったのだが、一刀くんの方に先約が入っていたので仕方ない。中学時代のお友達から誘われていると聞けば、私も大人しく退かざるを得ないのだ。

 その分、昨日は出来る限りの準備をすることにした。手持ちの資本金が有限であり、次の支給が如何ほどになるかの目途もついていないので無理は出来ないが、意中の相手とデートをするに当たって何もしないなど、とてもじゃないが一女子として考えられない。結果、ある程度ポイントを奮発する事になったが、まあ必要経費である。

 待ち合わせの時間までまだ余裕はあるが、だからと言って時間をかけてもいられない。私は手早く昨日の戦利品を身に着けた。鏡で確認する。おかしなところはない。

 待ち合わせ場所である寮前の広場に行くと、一刀くんは既にベンチに腰掛けていた。文庫本を読む姿が様になっている。

 いけない。思わず見惚れてしまった。

 

「おはよう! 待たせてごめんね、一刀くん!」

「ああ、おはよう桔梗。気にしなくていいよ。俺と会うためにおめかしをしてくれた結果だろう? 逆に嬉しいってものさ」

 

 これである。

 中学時代にも男子と出かけることはあったが、お約束の如く『待ってないよ』、『こっちも今来たばかりだから』しか言わないのである。だからこそ、このサラリと告げられる言葉がたまらない。

 

「ありがとう! 一刀くんも似合ってるよ!」

「そっか、良かったよ。俺なりに頑張ってはみたが、桔梗のお眼鏡に適うのかは不安だったんだ」

「それで、どこに行こっか?」

 

 苦笑する一刀くんへと私は訊ねた。デートとは言ったものの、どこに行くかはまるで決めていないのだ。

 ポイントを使いすぎないように注意しなくてはいけないからであり、入学間もない私たちではどこがオススメかなど見当を付けられないからでもある。

 

「それなんだけど、生徒会主催のフリーマーケットへ行ってみないか?」

「生徒会主催のフリマ?」

「ああ。生徒会室で受付をすれば、参加証を渡されると同時に場所を教えてもらえるんだ。そして参加証がないと、売るも買うも出来ない仕組みになってるんだとさ。昨日、章仁に教えてもらってね。いま俺が来ている服も、昨日フリマで買った物なんだ」

「……なるほど。ポイントを使いすぎた生徒への一種の救済処置ってところかな?」

 

 私の頭に浮かんだのはクラスメイトの山内だった。初日に牽制を行ったからこそDクラスは割かし真面目に過ごしているが、もしそれがなかった場合、ポイントを使いすぎる生徒が続出しただろう。中でも彼は欲しかったゲーム機があるとか言っていた男だ。

 そして彼にはホラ吹き以外の特徴がない。少なくとも、今の私にはそれ以上の感想が出てこない。

 欲望のままにポイントを惜しみなく使い、いざ支給ポイントが低ければ大金をはたいて買ったゲーム機であろうと容易く手放すだろう。そのくせして、曰く『世間に乏しい』綾小路くん辺りに高く売りつける。……そんな姿が容易に想像出来てしまった。

 

「おそらくね。ポイントを使いすぎれば個人間で物の売買が行われるだろう事は容易に想像がつく。先生とかに見届けてもらえばその後の問題も起こらないだろうけど、そこに気が付くような生徒だったら、そもそもポイントを使いすぎる可能性は低い。結果として後々問題が起こることも少なくはない。ならばいっそシステムに組み込んでしまえ、と言ったところじゃないかな?

 支給ポイントが減る可能性に気付いてる生徒だったら、たとえ新入生であろうとも早期からポイントを増やす手段を模索するだろう。その結果、フリマに行き着くことはさして難しいことじゃない」

「たぶん、裏事情はそんなところなんだろうね。それを知らなくても、たまたまフリマをやっている場所を訪れる可能性だって無くはないからね。新入生お断り、なんてことは出来るわけないか」

「そういうことだ」

 

 話している間に学校に着いた。内履きに履き替えて生徒会室に向かう。

 

「失礼します」

「はい、生徒会室へようこそ。今日はどういった用事ですか? ――ってあれ、北郷せ……さん?」

「あれ、丙家も生徒会役員だったのか?」

「ええ、まあ。一応書記です。橘先輩の後任ですね。……ところで、そちらは?」

「初めまして。一刀くんのクラスメイトで櫛田桔梗です」

「ああ、あなたが櫛田さんでしたか。チャットではともかく、こうしてお会いするのは初めてですね。丙家深月(みづき)です。よろしくお願いしますね」

 

 丙家先輩は独特の雰囲気を醸し出していた。言葉遣いは柔らかく、お嬢様然とした空気がある。だというのに油断がならないと感じるのは、彼女が糸目だからだろうか……?

 まあそんな推測はおくびにも出さず、私と彼女は互いに一礼した。

 

「それで、改めてお訊ねしますが、ご用件は?」

「ああ、そうだった。フリーマーケットへ行ってみようと思ってさ。その受付に来たんだ」

「承りました。……では、こちらをよくお読みになった上で署名をお願いします。櫛田さんもどうぞ」

 

 渡されたのはA4サイズ程の用紙だった。いくつかの内容が箇条書きで記されており、一番下にはサインする箇所がある。

 記されている内容に特におかしい部分はない。問題を起こさないとか、後々異議不服を申しだてないとか、そんな当たり前のことだ。……が、この学校の食えなさは並ではない。念には念を入れて、隠された意味がないかを確かめるように頭から読み直す。

 そこまでしてから、私はようやく署名した。

 

「ふふ、現段階でこれとは、将来有望な後輩ですね」

「まったくだ」

 

 顔を上げ、そこで初めて私は気付いた。

 一刀くんと丙家先輩が微笑ましそうに私を見ていたことに。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 フリーマーケットは思いの外楽しめた。特に驚いたのは参加者側に堀北生徒会長の姿があったことだ。

 

「む、一刀か。どうだ、なにか買っていかないか?」

「学? へえ、生徒会役員も参加出来るんだな。てっきり運営だけかと思ってた」

「まあ、生徒会メンバーとてポイントが入用になることもあるのでな。……尤も、今の俺はクラス代表として参加してるに過ぎないが」

「ああ、なるほど。誰もが誰も都合を付けられる筈はないですものね。なら代役に任せるのも一つの手、ということですか……。普通なら代行料とかでいくらかポイントを掠め取られそうなものですけど、生徒会長ならその心配もなさそうですし」

「お前は……櫛田桔梗だったか。鈴音と仲良くしてくれているそうだな、感謝する」

「仲良く、って言っていいのかは微妙ですけど……。それより、私のことをご存じで?」

「悪友もまた友人。遠慮なく言いたいことを言い合える関係というものは貴重だ。これからも上手く鈴音と付き合ってくれると、俺としても喜ばしい。

 質問についてだが、まあ一刀周りの人物は一通りな。元々有望な新入生がいないかチェックしていたこともあるが、コイツから電話で聞かされることも理由だ」

 

 今日は私人としての参加だからだろうか。以前よりもプレッシャーが少なく感じる。むしろ『妹大好きお兄ちゃん』としての面が強い。

 

「それで、どうだ? 俺の一存で安くすることは出来ないが、物によっては交渉に応じるぞ? 中には掘り出し物(・・・・・)もあるかもしれん」

 

 並べた商品を指し示し、生徒会長はそう言った。

 フリマということもあるのだろうが、クラス内から集めただけあって実に雑多な品揃えだ。衣類もあれば小物もある。それも男性もの女性もの問わずだ。

 品物を見ている中、私の視線はある一ヶ所に釘付けとなった。思わず手に取る。

 

「『堀北学写真集』……って、何ですか、これ?」

 

 タイトルを裏切らず、生徒会長が堂々と表紙を飾っていた。

 

「それか……。一年生の時、写真部に入部したクラスメイトから練習がてら被写体になってくれと頼まれてな。それが今となっても続いているのだ。俺にとっては十分と思える出来でも、当人にとってはまだまだなのだろう。それが積もりに積もった結果、写真集として出せるほどになったそうだ。なのでまあ、本としての体裁を整えて、フリマで売ってみようという話になったわけだ。

 俺としては御免被りたいものだが、成長を知っている分、断り難くてな。客観的な評価にも繋がるし、仕方なく折れたというわけだ。売れれば、いくらか俺にも還元されることになっている」

「へえ……」

 

 苦々しい顔で語る生徒会長に頷きで返し、ペラペラとページをめくる。

 何らかの行事の際に、壇上で演説していると思しき姿。これは体育祭だろうか? ハチマキを頭に撒いている姿。そして――

 

「買います! って、いくらですか、これ? 値段が付いてませんけど?」

 

 そのページを見た瞬間、私は思わず叫んでいた。これを誰かに買われるなどとんでもない。……が、よく見ると値段が付いていなかった。いや、正確には『¥1000~』という表記になっているのだ。

 

「それに明確な値段は付いてない。客が値段を付けるタイプの品になるな。この手の品は、設定時間内に最も価値を付けた(・・・・・・)生徒が買えるようになっている。

 こういった商品の販売理由はあくまでも『客観的な評価』を求めてのことになる。また、これの場合は見て分かる通りに最低でも1000ポイントを払わなくてはならない。……この最低額設定で自分ならいくらの値を付けるか。客のそういったデータの収集が主なのだ。なので、他の客が付けた値段を知ることは不可能となっている。

 欲しいのであれば、こちらのID宛てにポイントを譲渡してくれ。生徒会の用意した仮IDだ。買えるにせよ買えないにせよ、どちらの場合も後ほど生徒会から連絡がいく。買えない場合、ポイントはきちんと戻されるから、その点の心配は不要だ」

「なるほど、ではこれで」

 

 譲渡したポイントは5万。今の私にとって厳しい額ではあるが、買えなければ戻ってくるし、買えた場合も出費分を取り戻せる算段はある。

 そしてこれだけのポイントを払えば、おそらくは私が買えることになる。生徒会長は『最も価値を付けた生徒』と言った。『最も高額な値段を付けた生徒』ではない。……たぶん、その生徒の財政状況を加味した上で対象が選ばれるのだろう。でなければ、新入生に不利過ぎる。

 先日、鈴音はお小遣いと称して目の前の生徒会長から手持ちの20%で60万という大金を貰った。その点だけでも、上級生との財政の差が明らかだ。予想通りであれば――Dクラスは分からないが――AクラスやBクラスとの差は雲泥だろう。

 その事実を前にして、『高額な値段を付けた生徒』が選ばれるとは思わない。それ故の『価値を付けた生徒』という言葉遊び。

 私はそう判断した。

 

「一刀くんもどう? 買えるか挑戦してみない?」

「親友とはいえ、男の写真集に興味はないよ。かと言って、これを女の子にプレゼントするのも御免だしな。――いや、まあ、鈴音へのプレゼントとしてはアリなのか……?」

 

 試しに一刀君に訊いてみれば、当然の返事を返した後で少しばかり悩むのであった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「ああ……幸せ……」

「そうかい? それなら良かった」

 

 おそらく、今の私は蕩ける様な顔になっているだろう。その自覚はある。

 何をしているか? 一刀くんの膝枕を堪能しているのだ。純粋に枕とするには硬さがあるが、意中の男性だからかそんなことはちっとも気にならない。

 外でのデートを終えた私たちは、一刀くんの部屋にやって来ていた。いわゆるお家デートである。

 一刀くんが相手であるなら私の部屋に招待するのも吝かではないのだが、如何せん寮の規則によって男子が女子の階層に入るのには時間的な縛りがある。ある時刻を境として立ち入り厳禁となっているのだ。当然ながら破れば罰則が適用されるため、ゆっくりと過ごすには男子部屋の方が都合が良い。

 一方で、女子が男子の階層に入るに当たってはその様な縛りはない。まあ、それも仕方ないだろう。女子の階層は上であるのに対し、男子の階層は下である。夜中に勉強していたとして、ペンの芯が切れてしまったら? 寮近くのコンビニに行けば買えるが、そのためには必然的に男子フロアを通らなければならないのである。

 

「さて、幸せなところ悪いが起きてくれ。食事の支度をしないとな」

「あ、私も手伝うよ!」

 

 戻ってくる際、スーパーに寄って食材は購入してある。

 営業時間や距離の近さを鑑みればコンビニの方が便利だが、スーパーにはスーパーの良さがある。単純に無料品の量もスーパーの方が上だし、スーパーである以上はセールもやっているのだ。無料品に対する購入制限もコンビニより緩いし、ある意味ではコンビニ以上に役に立つ。

 

「バイクを持ってくればよかったって、短いながらもここで生活してしみじみ思ったよ。その内、バイクとは言わなくても自転車くらいは買うかな……?」

「あ~、自転車恋しいねえ。どのくらいするんだろ……? 安いのだったら2、3万くらいで買えないかな……?」

 

 得意ジャンルの違いはあれど、私も一刀くんも自炊には慣れている。雑談をしながらも身体は淀みなく動いていた。

 ところで、話のタネに上がった自転車についてだが、たとえ2、3万くらいだったとしても今の私に買うことは出来ない。なにせ今の私の手持ちは2万を切っているからだ。今現在、新入生の中で最もポイントが減っているだろう自信がある。

 いくら節約を心掛けても、ある程度のポイント利用は避けられない。まして今日のデートのために一式を買い揃えたのだ。見栄えと動きやすさを考慮すれば、どれだけ安物を狙っても万は飛んでいく。 付け加えると、狙い通り『堀北学写真集』を買えたことが最も響いている。買ったことに後悔はないが、ポイントの急落は避けられない。

 

「そういや、なんだってまた学の写真集なんて買ったんだ? いや、学がイケメンなのは認めるが、桔梗は別にファンってわけでもないだろう? 鈴音にでも売りつけるのか?」

「まあ、最終的にはそのつもりだけどね。吹っ掛けるつもりはないから安心していいよ。買値そのままか、それより少し安くてもいいくらいで考えてるから」

「ますます分からな――いや、待て。もしかして『掘り出し物』ってそういう意味でもあったのか……?」

 

 流石は一刀くんである。頭の回転が速い。

 

「たぶん、でしかないけどね。……けど、私はそう直感したよ。まあ、詳しくはご飯を食べた後でね?」

「……はいよ」

 

 二人で協力すれば完成も早い。

 ご飯とみそ汁は鉄板として、一刀くん作のチンジャオロースと私作の卵焼きがテーブルの上に鎮座している。……個人的に卵焼きは甘い方が好みである。

 

「美味しいね、一刀くんのチンジャオロース!」

「桔梗の卵焼きも十分美味いよ」

 

 互いの料理を口に運んで、互いの料理を褒めあう。……ああ、本当に幸せだ。

 しかして幸せな時間とは長続きしないものである。美味しいのもあったのだろうが、料理は思いの外早くなくなってしまった。――が、幸せとは何も一つだけではない。次は二人揃って後片付けである。

 後片付けを終えた後は写真集についてのお話だ。

 

「パラ見しただけなんだけどね。私はこのページが気になったんだ」

 

 そう言って私が開いたページには水着姿の堀北会長。正に『水も滴るいい男』を体現していた。……これを見たからこそ、間違いなく鈴音に売れると判断したのもある。

 

「ここ、どう見たってプールじゃないよな? その割に水着は学校指定のそれだ。いくら堅物の学だって、授業に関係なく泳ぐとなれば自前の水着くらい用意する筈だ。単純に考えるなら、この写真もまた授業の一環で撮られたってことになるが……」

「いくら写真部だって、普通の授業で撮影許可は下りないよね? ポイントで許可を買い取ったって可能性もあるけど、普通に考えたらそこまでする意味があるかは微妙だし……。まあ、生徒会長の水着姿にはそこまでする意味があるのかもしれないけど……」

「それよりは、やっぱ体育会みたいな何らかの行事の時に撮ったって考える方が無難だろうな……」

 

 その後も、お互いにあーだこーだと考えあった。大半のページはそこまで気にかかる部分もなかったが、やはり少しは水着ページのように気になる部分があったのだ。

 そして気付けば、すっかり夜も遅くなっていた。時計を見れば、時刻は23時を示している。高校生にもなればまだ起きてる人もいるだろうが、明日も学校があるので眠りに入る人も少なくないだろう。……そんな微妙な時間帯だ。

 

「ねえ、一刀くん。今日、泊っていってもいいよね?」

「いや、流石にそれは……」

「一刀くん、我慢してるよね。自分で自分にブレーキを掛けてるって言ってもいい。

 一度抱いちゃえば、相手に対して責任を取らないといけなくなるって思ってる。そして、一度抱いちゃえば、歯止めが利かなくなるとも思ってる。……だからでしょ? 女好きを公言して憚らないのも。そうしておけば、相手から迫ってくる可能性が減るから。……自分から手を出すことは、耐えられるから。

 分かるよ。一刀くん、優しくて責任感もあるから。――けど、それはとても残酷なことでもあるんだよ?

 女の子にだって性欲はあるの。私は、一刀くんが一番なの。中学生の時は仕方ないって思えた! けど、高校生になったら我慢出来なくなった! 一刀くんを困らせるって分かってる! 分かってるけど! 私は、一刀くんに『女』にして欲しいの!」

 

 気付けば、私は欲望をぶちまけていた。

 王子様に優しくされるのは幸せだ。――けどその一方で、王子様に手を出されないのは酷く辛いのだ。

 

「桔梗……」

 

 一刀くんは困ったように私を見てる。

 それを見て、私の頭は急激に冷えた。

 困らせちゃった。嫌われたらどうしよう。……そんな思いだけがグルグルと回り、視界もろくに利かなくなった。

 そして――

 

「んン……ッ!?」

 

 一刀くんに唇を奪われていた。

 そうしてどれほどの時間が経っただろう。唇を離した一刀くんが言った。

 

「悪いな、自分から踏み込む勇気がなくってさ。壮大な目標を掲げたくせして、『常識』ってやつに囚われ過ぎてたみたいだ。……けど、おかげで吹っ切れたよ。ただ、覚悟してくれよ? こうなった以上、俺はもう、歯止めが利かないから……ッ!

 桔梗だけじゃない。華琳だろうと鈴音だろうと、相手がそれを望むのなら全員俺の女にする。そのくらい突き抜けずして、目標を果たせる筈もないからな。文句があるなら、文字通り『実力』で黙らせてやる。

 ああ、自分でも最低なことを言ってるって分かってる。――だが、いま君に手を出すに当たっての、これがオレの誓いだ……ッ! 君を『唯一』には出来ないし悪いとも思うけど、無理にでも納得してもらう……ッ!」

 

 そうして再び唇を奪われ――

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……もう……ダメ……」

 

 簡潔に言うならば、私はこの夜、いろんな意味で『女』になった。

 どうやら私は、目覚めさせてはならないモノを目覚めさせてしまったみたいである。

 文字通り、身体で理解させられた。

 一刀くんからは離れられない……と。

 かと言って私一人では耐えられない……と。

 

(早く道連れを増やさないと……)

 

 薄れゆく意識の中、私はそんなことを考えていた。……私の有様とは裏腹に、未だピンピンとしている一刀くんを視界に捉えながら。




生徒会とか学校側の監視下でフリマとかあってもおかしくないと思うんです。一巻の山内を見てると特にそう思います。なので、本作では生徒会主催のフリマがあります。

原作以上に生徒会長が出張ってますが、まあ主人公の親友ポジなので。在学中は自然と出番が増えます。

写真集はネタであってネタではありません。写真集の他にも、目敏ければ気付く程度にこれからを示唆する物は、描写されない分を含めて用意されています。
それに気付き、確証のない中で対策を練るのも実力ということですね。

漸く種馬の本領が発揮されました。最初の犠牲者は桔梗ちゃん。……誰かR18で書いてくれないかな。

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10話

改めて原作を確認したところ、1巻の水泳授業の描写によると、欠席者16人、カナヅチ1人、競争参加者が男子16人、女子10人となってます。
つまりDクラスは16+1+16+10=43人なんですよね。
ただ、本作では以前の話において1クラス40人と設定してしまったため、そのまま通させてもらいます。

今後もこういった確認ミスが出てくると思いますが、ご了承ください。



「おはよう山内!」

「おはよう池!」

 

 部活の朝練を早めに切り上げて教室に入った僕を待っていたのは、満面の笑顔で挨拶を交わす池くんと山内くんだった。……正直に言おう。何とも珍しい。

 入学式から一週間。華琳さんによる薫陶が行き届いた我らがDクラスは、確かに真面目に授業を受け、無遅刻無欠席をキープ出来ているが、それは何も全員が優良生徒になったことを意味しない。

 何故なら、それは出来て当然のことだからだ。当たり前のことを当たり前にこなしているだけで優秀だと評価されるのであれば、世の中そんなに苦労はないだろう。

 朝や放課後に予習復習をせずにおしゃべりに興ずる人はもちろんいるし、遅刻寸前での登校だって珍しくはない。特にこの二人はそれがデフォルトと化していた。

 それをどうこう言うことは出来ない。授業中はともかく、朝や休み時間、放課後の行動は基本的に生徒の自主性に任せて然るべき。確信はあっても確証がない現状では、強制的な真似は出来ないのだ。

 早い話、それぞれが持つ危機感の違いが行動に現れているのが現状だ。

 そんな状況で池くんと山内くんが余裕を持って登校しているのだから、驚愕や疑問の視線を向けているのは僕に限ったことじゃなかった。

 いったい彼らに何が……?

 

「いやぁ、今日の授業が楽しみ過ぎて目が冴えちゃってさぁ」

「分かる分かる。周りの雰囲気的に苦痛続きの日々だったけど、今日だけは話が別だぜ。まさかこんな時期から水泳があるなんてな!」

「そうそう! 水泳と言ったら女の子! 女の子と言ったらスク水! ほんと、水泳の授業が楽しみだぜ!」

 

 疑問の答えは、遠からぬ内に彼らの口から語られた。

 教室内に響き渡るほどの大声で喋るのはどうかと思うが、その一方で僕は彼らが平常運転であることに安堵した。

 綾小路くんから聞いた話だが、池くんは何度か彼に勉強を教わりに行ってるらしい。毎日ではなく、それとて夜の短い間だけだそうだが、その行動が池くんに多大なストレスを生んだ可能性は否定出来ない。或いは脳に異変を齎した可能性だって考えられたのだ。

 それが杞憂だったと分かったのだ。僕が安堵するのも無理はないと言えるだろう。

 

「おーい、博士ー。ちょっと来てくれー」

「んん、なんでござるかな?」

 

 呼びかけに応えて二人の元に向かったのは外村くんだった。学業はともかく、コンピュータ知識が豊富な彼がパソコンに向かって作業している姿は、なるほど『博士』と呼ばれても不思議はないように感じる。……その語尾が致命的なまでに博士感を台無しにしているけども。

 

「博士ってコンピュータが得意なんだろ? この機会に女子のおっぱいランキングとかって作れないか?」

「いや、流石にそれは勘弁願うでござるよ。女子の水着姿に興味があるのは拙者も同じでござるが、その様な真似をしようとすれば必然的に授業を休まねばならぬ。また、その様な理由での授業不参加となれば間違いなく減点されるでござろうし、後々のバッシングも目に見えている。……どう考えても割に合わぬでござる」

「そこを何とか!」

 

 外村くんが二人の無茶ぶりに否を示し、それでも彼らが食い下がっている時だった。

 

「おはよう」

「みんなー、おはよー!」

 

 教室に一刀くんと櫛田さんがやってきた。

 それだけなら別に珍しくはないのだけど、今日はいつもと違った。

 いつもであれば――早めに切り上げているとは言え朝練に参加している――僕よりもこの二人は早く登校している。それだけならそこまで気にすることもないのかもしれないけど、櫛田さんは異様にハイテンションだし、挙句の果てには一刀くんの片腕に抱き着いているのだ。

 流石にここまで普段と違っていれば、僕としても気にはなる。

 

「ええっ!? もしかして櫛田さん、北郷くんと付き合い始めたの!?」

「ううん、付き合ってはないよ! 一方的に突かれただけだし……

 

 そして当然ながら、気になったのは僕以外にもいたようだ。軽井沢さんが驚愕も露わに櫛田さんに訊けば、当の櫛田さんは満面の笑みで否定する始末。……致命的なまでに態度と言葉がかみ合ってない。

 ボソリと何事かを付け加えたようだったが、生憎と僕には聞こえなかった。

 

「え、でも、ええ……?」

 

 問いかけた軽井沢さんも困惑している。……良かった。軽井沢さんに昨日のことを引き摺っている様子はない。

 昨日、僕は軽井沢さんに『相談したいことがある』と呼び出され、話し合いを行った。

 それによって僕は彼女の意外な過去を知り、それと同時に凄く救われた気分になった。他ならぬ彼女から言われた『ありがとう』の一言が、僕の重荷を軽くしてくれたのだ。

 それはそれとして、今の僕には他にも気にかかることがあった。

 一刀くんには櫛田さんの他にも仲の良い女子がいる。そう、華琳さんと堀北さんだ。

 

(この場面を見た彼女たちはショックを受けないだろうか……?)

 

 若干の不安を覚えながら様子を窺ってみると、華琳さんと堀北さんにその様子はない。堀北さんはいつものように授業の準備を済ませて読書に勤しんでいるし、華琳さんは笑みを浮かべながら一刀くんたちを弄っていた。

 

「おめでとう、とでも言っておけばいいのかしら? どう、気持ち良かった?」

「ありがとう。とっても気持ち良かったよ! けど、私だけじゃ身が持たないね。次は華琳さんどう? 鈴音ちゃんでも良いとは思うけど……」

 

 そんな会話が聞こえてくる。直接的な単語は出していないにせよ、少し深読みすればなんとも生々しい会話だ。

 女子は大半が顔を赤くしているし、男子の大半は嫉妬の視線を一刀くんに向けている。

 

「――と、桔梗は言っているけれど?」

「華琳が望むなら俺は構わないよ。――いや、何も華琳に限ったことじゃないけどね。俺はもう吹っ切れたんだ」

 

 嫉妬の視線に気付いていないわけもないだろうに、一刀くんは気にも留めていなかった。望むなら誰でも相手をすると、言わば『ハーレム宣言』を堂々と行ったのだ!

 女子陣の黄色い歓声が教室内に響き渡る。これが池くんや山内くんが言ったものなら顰蹙を買って終わりだったのだろうけど、なにせ言ったのが一刀くんだ。

 入学してからまだ一週間。――されど一週間だ。

 その期間に、一刀くんはその能力の高さや人柄の良さをところどころで示してきた。顔だけではない、本当の『出来る男』という姿を見せてきたのだ。

 それが『一刀くんなら仕方ない』という説得力を生み、女子陣の歓声に繋がっているのだろう。

 

「それでこそ、と言っておきましょうか。見れば分かるわ。今のあなたは昨日までとは大違い。それほど覇気に満ちている。――しかし、あなたを見て気付かされたわ。いつの間にか、私も周りに気を遣い過ぎていたようね。

 ふむ、桔梗? 良ければ私とも遊んでみないかしら? 一刀とはまた違った気持ち良さを与えてあげるわよ?」

 

 華琳さんの矛先が変わったところで、一刀くんは櫛田さんをその場に置いて動き出した。向かう先は池くんたちのところだ。

 置いてかれた櫛田さんは堪ったものじゃないだろうが、チラリと一刀くんの行き先を見て理解を示していた。

 

「えっ!? それは……遠慮しておきたいかな~って」

「そう? それは残念ね。はぁ……。どこかに私と遊んでくれる娘はいないかしら……?」

 

 華琳さんと櫛田さんのやり取りが耳に入ってくる。……が、僕は出来る限り聞こえないふりをした。

 それから僅かな間をおいて、一刀くんが池くんたちの元に辿り着いた。

 

「おいおい、どうした二人とも? なんだってまた外村に掴みかかってるんだ?」

「うるせえぞ、このイケメンが! チクショウ! 俺の櫛田ちゃんがあぁ……ッ!」

「あっちへ行きやがれ! イケメンは敵だ!」

 

 訊ねる一刀くんに対し、池くんと山内くんは噛みついた。

 

「……一体どうしたんだ、外村?」

「はぁ……。拙者も二人のような反応を返したいところでござるが、北郷殿はこの学校で初めての友でござるからなぁ。勉学でも世話になってるでござるし、無下には出来ぬでござるな。実は――」

 

 外村くんへと訊き直した一刀くんに対し、外村くんは溜息を吐きながらさっきの出来事を話した。

 

「なるほどな。……池、山内、このバカ野郎が! 確かに男として巨乳に惹かれるのは分かる! 理解が出来るとも! しかしな! おっぱいランキングは流石に聞き逃せん!」

 

 外村くんから理由を聞いた一刀くんは、一定の理解を示しながらも池くんと山内くんに怒鳴った。

 これを聞いた女子陣もウンウンと頷いている。

 しかし――

 

「どうせランキングを作るなら、なにも胸の大きさに限るな! どうせなら全部やれ!」

「……は? そりゃどういうこったよ?」

 

 続く言葉を聞いて、池くんのみならず女子陣も首を傾げた。それは僕も同じだ。

 

「言葉通りだ。……時に二人とも、お前たちは華琳や鈴音を可愛いと思うか? 美人だと思うか?」

「え、そりゃあそうだろ」

「性格にキツイところはあるけど、美人だし可愛いだろ」

 

 何を当然のことをと言わんばかりに二人は答えた。

 

「だろう? しかしな、あの二人は別にそこまで胸が大きいわけじゃない。……つまり! 女子の魅力は何も胸に限ったことじゃないということだ! 髪が魅力の女子もいる! 尻が魅力の女子もいる! 全体的なバランスが魅力の女子もいれば、性格が魅力の女子もいる! 

 どうせランキングを作るなら、そういった総合的なランキングを作れと俺は言ってるんだ。……『女性は見られることで魅力を上げる』とも言うだろう? それはうちの女子も例外じゃない。

 それぞれに力を入れている部分が違うんだ。そして女子の視点と男子の視点もまた異なる。力を入れている分野が、男子から見て芳しい反応ではなかったら? それは力の入れ方を間違っていると言うことだ。

 総合的なランキングであれば、そういったことを知れる可能性もある。一分野だけなら女子の反発も大きいだろうが、総合であれば女子にも利があるんだ。カレカノ関係に夢を見てるのは、なにも男子に限ったことじゃないだろ? 無論、興味のない人も当然いるだろうけどな」

「なるほど……」

 

 一刀くんが力説すれば、池くんと山内くんは目から鱗とばかりに頷いた。

 

「分かってくれたか?」

「ああ!」

「俺たちが間違ってたぜ!」

 

 三人はグッと親指を立てた。いわゆるサムズアップだ。

 

「さて、ご高説は終わりましたか?」

「言ってることは尤もだし、理解も出来るのだけどね」

 

 そんな一刀くんの肩に、背後から手を置く女子が二人いた。華琳さんと堀北さんであり、その顔には満面の笑みを浮かべている。

 

「いや、二人とも? ちょっと肩が痛いな~って」

 

 降参とばかりに両手を挙げながら、一刀くんが力なく呟いた。

 

「胸が小さくて悪かったわね!」

「胸が小さくて悪かったですね!」

 

 当然ながら聞き入れられる筈もなく、そんなことは知るかとばかりに二人は怒鳴るのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「まったく、まだ肩が痛いよ。……まあ確かに、デリカシーに欠けていたきらいはあるから、文句は言えないんだけどさ」

「はは……。けど意外だったよ。一刀くんがあんなことを言うなんてさ」

「あ~、やっぱそんな印象持ってたか。別に隠してもないんだけどな。仲間内じゃ、女好きを公言して憚らないし。むしろ、だからこそ華琳に鈴音、桔梗といったタイプの違う女の子たちと上手くやってけてる面もあるし」

「へえ、僕は女の子と付き合ったことが無いからよく分からないけど、そういうものなのかい?」

「まあ、あくまで一意見として、だけどな?」

 

 昼休み。僕たちはそんな会話をしながら更衣室で着替えていた。次の授業は池くんたちの待ち望んだ水泳である。

 雑談をしながらも身体は止まらない。水着を取り出し、バスタオルを腰に巻いてサッと着替える。

 

「堀北さんは空手と合気道をやっていたって話だったけど、やっぱり一刀くんも何かスポーツをやっていたのかい?」

「実家が剣道場をやっててな。幼い頃から剣道はやってたよ。退院後はそれ以外にも手を出したけどな。入院中に中学は卒業扱いになってたから時間だけはあったし」

「何に手を出したか訊いても?」

「ん~、秘密にしとこう。ミステリアスな部分があった方がカッコいいだろ?」

「はは、確かにそうだね」

 

 僕は恵まれている。心からそう思う。

 僕の過去を知って、それでもなお受け入れてくれる人がいるとは、受験当時は思わなかった。

 そして、それでもいいと思っていた。罪には罰が必要だ。クラスメイトから笑顔を奪ってしまった僕には相応しい罰だ……と。

 だけど、実際はどうか。

 僕の醜い過去を知って、それでも受け入れてくれた人たちがいる。感謝を述べてくれた人がいる。……その事実に凄く救われている。

 こんな何気ない会話が、本当に心地いい。

 

「へえ、立派なプールじゃないか! 流石は政府運営ってとこかな」

「本当だね。まさか学校のプールでこのレベルの物が出てくるとは思いもしなかったよ」

「屋内プールだから天気の影響も受けないし、見た限り水も澄んでいる。泳ぐには最適の環境だな」

「フゥム。確かに学校の物としてはまあまあじゃないか。どうだいソードボーイ、どちらが速く泳げるか競争するというのは? それとも、水泳は不得手かな?」

「……ッ!?」

 

 びっくりした。いつの間にか一刀くんの隣に高円寺くんが立っていたのだ。……全然気付かなかった。やはり高円寺くんも並の実力者ではないのだろう。

 僕とは違い一刀くんは気付いていた様で、驚くこともなく返事を返していた。

 

「別に苦手ってわけじゃないけどな。あくまで授業なんだし、俺たちの一存で出来ることじゃないだろう。……ま、先生の方からそういったことを提案されたらだな。その時は潔く受けて立つさ」

「やれやれ、面倒なことだ。では、提案されることを願うとしよう。今回も、私を楽しませてくれたまえよ?」

「そりゃ微力は尽くすがな。楽しませる断言は出来ないぞ?」

「フ、謙遜と受け取っておくとしよう」

 

 そうこうしている内に女子たちもプールに姿を現した。途端に男子から歓声が上がる。

 パッと見たところ、欠席している子はいないみたいだ。……男子からの歓声に不快感を露わにしている子は少なくないが。

 

「待たせたわね」

「待たせました」

「お待たせ!」

 

 大半の女子が仲の良い子たちでグループを組み一塊になっている中、彼女たちは関係なしに僕たちに近付いてきた。いつも通り、華琳さん、堀北さん、櫛田さんだ。だけど、今回はそこにプラスαが加わっていた。佐倉さんと長谷部さんである。

 

「あ~、視線ウザ……ッ!」

 

 長谷部さんが髪をかき上げながら、心底不快そうに零した。

 

「選択ミスったかしら……? けど、一人でいると余計だろうし、その点で考えればこっちの方がまだマシだろうし……」

 

 ブツブツ言っている内容から察するに、彼女がここに来たのは打算的消去法の様だ。

 一週間という短い時間で分かったことを述べると、長谷部さんは一人でいることを苦としないタイプだ。もっと言えば、慣れ合いや上辺の付き合いが苦手の様なのだ。

 何事もハッキリさせたがるタチ、とでも言おうか。誰かに遊びに誘われても、バッサリと断っていたのを見たことがある。……ただ、それで相手が憤慨すれば謝ってもいたので、ムダに和を乱すことを好むタイプでもない。

 強いて言えば堀北さんに似たタイプになるだろうか。

 ただ、堀北さんとの明確な違いが一点だけある。そして、それに関する視線を厭っている。……どこがどうとは言わないけど。

 最低限の和を乱さないために授業に参加したが、一人でいれば視線が集まる。それを防ごうとすればどこかのグループに混じらざるを得ず、その結果が僕たちだった。……こんなところだろう。

 では、佐倉さんはどうなのだろうか……?

 僕の知る限り、佐倉さんもまた人付き合いが得意ではない。ただ、やはり最低限度の和を乱すタイプでもない。だから授業に参加したのは分かるのだけど、僕たちのところにきた理由までは見当がつかない。

 

「眼鏡がスイッチかと思っていたのだけど、そうでもないのね」

「いや、そんなわけ、ないから。基本、私は、引っ込み思案だからね?」

「とてもそうは思えないのだけれど?」

「いや、あれは、あくまで、堀北さんが、相手だからだよ」

 

 疑問に思う僕の耳に、そんなやり取りが届いた。

 正直に言うが意外だ。どうやら堀北さんと佐倉さんは仲が良いらしい。

 

「よーし、お前ら集合しろー」

 

 そこで先生が現れ――意外な事実に驚く僕を余所に――授業の開始が告げられるのだった。  




ようやく水泳授業回まできました。まあ本番は次話ですが……。

いくらカッコ良くても、どこか締まらないところがあってこそ一刀だと思います。

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11話

 水泳の教師は体育会系の文字を背負ったような――まあ、あくまで知識に当て嵌めての見方であるが――マッチョ体型のおっさんだった。

 

「見学者は無しか。例年の一年と比較しても珍しいな」

 

 オレたちをグルリと見渡した教師は、物珍しそうにそう言った。

 その言葉から推察するに、やはり『甘さ』という毒に溺れる生徒が、毎年少なからず出ているのだろう。……言葉だけならともかく、表情にまで出ているのがその確信を高める。

 他クラスの時間割など知らないが、もしかしたら今年も『見学者』という名のサボりがいたのかもしれない。

 

「真面目なのは大変結構だが、そうなると次はそれに見合う実力があるかが気になってくるな。そんなわけで、準備体操をしたら早速全員に泳いでもらう」

 

 教師は表情を変え、如何にもな笑みを浮かべて宣った。……『いま思いつきました』といった態を取っているが、おそらく出席者に泳いでもらうのは既定路線なのだろう。

 

「あの、先生? 俺、あんまり泳げないんですけど……」

 

 男子の一人が申し訳なさそうに手を挙げた。……あれは誰だったか。名前は知っている筈だが、そう簡単には出て来なかった。

 華琳の視線もあるので可能な限りクラスメイトと接触するよう心掛けてはいるが、それだけで人付き合いが上手くいけば苦労はない。

 クラスメイトの前で堂々と過去を明かした以上、当初の路線とは異なり、ヘタに取り繕う意味はなくなった。加え、俺の根底には『他人は道具』という考えが強く根付いている。

 それらが合わさった結果だろうか。この一週間、何人かのクラスメイトに接してみたが、まともに対応してくれたのは――北郷たちを除けば――たったの二人だけだった。

 そんな理由もあり、オレがその二人――幸村と三宅以外で知っているクラスメイトは割と少ない。池や山内など普段から騒がしい相手であればともかく、それ以外となると名前と顔を一致させるのに時間が掛かるのだ。

 

「心配するな。俺が担当となった以上、夏までには泳げるようにしてやる。まあ本人にやる気がないなら無理にとは言えんが、泳げるようになっておけば後で役に立つぞ? 必ずな」

 

 なんともまあ、意味深な返答だ。深読みすれば、『夏には水泳の実力を測られる何かがある』と言っているようなものだ。

 北郷や華琳の影響もあってか、端から見ていてもDクラスの中には警戒心の高まったヤツらが増えてきたように感じる。件の生徒もそのクチだったらしい。教師の言葉を聞くなり、『こいつはやべえ』とばかりに表情を変えた。

 

「えっと、じゃあ、お願いします」

 

 とは言え、やはり忌避感があるのだろう。その口から出たのは消極的な言葉だった。

 全員で準備体操を済ませた後は、50メートル泳ぐように指示が下った。途中で無理だと感じたら、そこからは歩いて構わないとも。

 加えられた一言によって、幾分か気が休まった生徒もいる様だ。

 

「はぁ……。億劫だ。とは言え、歩いても構わないのならまだマシか……」

 

 幸村もその一人だった。授業である以上、サボる選択肢はないとのことだが、運動能力が低いため体育系の授業は気が乗らないらしい。

 

「まあ、無理はするなよ」

 

 三宅がポンと肩に手を置いて慰めた。

 弓道部に入るだけあって、三宅は落ち着いた性格をしている。運動部の中では精神修養のイメージが強い弓道部だが、やはり運動部であることに違いはなく、そこに所属する三宅もまた運動は得意な方だ。

 基本的には一匹狼な気質だが、人付き合いが出来ないわけではない。本人によると不必要な馴れ合いが苦手らしい。

 ムダな馴れ合いを好まないのは幸村も同じであり、オレもまたそうだ。

 幸村は勉強を出来ない生徒を見下す傾向があるが、学力特化の代償として身体能力が低い。三宅は幸村ほど特化タイプではないが平均以上には身体能力があり、平均程度には勉強が出来る。オレは学力身体能力共に高水準だが、一般的な経験が圧倒的に不足している。……こんな具合にデコボコだからこそ、逆にオレたちは馬が合ったのかもしれない。

 一クラスは男子20人、女子20人の計40人だ。自由に泳がせてはどれだけ掛かるか分からないため、教師の指示の下、5人ずつ泳いでいくことになった。

 

「やはり、きちんと管理されているみたいだな」

 

 久しぶりに入ったプールは、オレに冷たさを感じさせることはなかった。適切に温度調整された水は、そう時間を経ずに身体へと馴染んでいく。

 

「まずは、感覚を取り戻すことに重点を置くか」

 

 実力が気になると宣ったような教師が、このままで終わらせることはあるまい。これはあくまで、誰がどの程度泳げるのかを確認しているだけだろう。ならば、確認が終わった後は本格的に実力を測ってくるに決まっている。

 入学式のあの日、自分の過去と実力の高さをクラスメイトの前で告白したオレだが、幸か不幸か、それを披露する機会がなかったのだ。現時点での授業は座学オンリー。当てられれば答えるが、そんなものは所詮、授業内容をきちんと理解出来ていれば誰でも分かることでしかない。いくら答えたところで、『実力の高さ』を証明することにはならない。

 だが、ここに来てようやくその機会が訪れた。いい加減、誰もが理解出来るほどの実力を示さなければ、皆がオレに持つ印象は山内と同じ『ホラ吹き』だろう。オレの対人能力が低いこともあるのだろうが、そういった点もまた人付き合いが上手くいかない理由であると推察している。要するにクラスメイトはオレの過去に信憑性を抱いていないのだ。……無理もないが。

 だからこそ、これは絶好の機会と言える。特に競泳となれば、対戦の形式こそ取っているものの、直接に関わるのは自分だけ。例えばこれが、同じ対戦でもサッカーのPK戦みたいなものならヤバかったが、競泳ならば対戦者は別のコースであり、向かい合うこともない。実力の高さを示すには十分だ。

 そう考える一方で、山内と同じと思われるのはどうにも我慢が出来ない自分がいた。……以前は誰にどう思われようと気にしなかったことからすると我ながら不思議だが、良い変化だと前向きに受け止めている。

 ある意味、鳥籠という点ではこの学校もホワイトルームと同じだが、その中身は明確に異なっている。人工的な調整を受けたかどうか。その違いが刺激となって、オレに影響を与えているのだろう。或いは、未来への希望を抱けたことも一因かもしれない。

 そんなことをつらつらと考えていれば、教師からスタートの合図が出された。それを受けてオレも泳ぎ始める。

 速く泳ごうとは思わない。前言通り、まずは感覚を取り戻すことに専念する。……ここ最近、水泳はご無沙汰だったのだ。オレとて人間である以上、どこかが鈍っていて然りである。

 意識の違いは明確に現れ、50メートルを泳ぎ切る頃には完全に感覚を取り戻していた。これならば、問題なく実力の高さを披露出来る。

 

「ふむ、まったく泳げない者はいないようだな。……では、これより実力を見せてもらおう。男女別に50メートル自由形で競争してもらう。ヤル気を出してもらうために御褒美も付けるぞぉ。男女それぞれ、一位になった生徒には俺から5千ポイントをプレゼントだ! ――ただし、一定タイム以上かかった奴には補習を受けさせるからな」

 

 歓声と悲鳴、二種類の声がプールに響き渡った。

 

「マジかよ。最悪だ」

『ドンマイ』

 

 オレの身近なところでは幸村が悲鳴の筆頭であり、泳ぐ前から肩を落としていた。補習を免れないだろうことは泳ぐ前から分かりきっている。泳げる勢のオレと三宅は、異口同音にそんな彼を慰めた。

 レディーファーストというわけでもなかろうが、まずは女子から泳ぐこととなった。それによって上位五名を算出。泳いだばかりの女子に休憩をさせる一方で男子に泳がせ、同じく上位五名を算出。その後は女子の上位五名が泳ぎ、続いて男子の上位五名が泳ぐという寸法だ。

 池と山内を筆頭に、クラスの男子はその大半が女子が泳ぎ始めるのを今か今かと待っている。正直に言わせてもらえば、そのノリにはついていけそうもない。確かにルックスに優れた女子が多いのは認めるが、オレとしては『だから何だ』というのが正直な思いなのだ。

 とは言え、オレとしても興味を持つ相手はいる。それが華琳を始め、堀北と櫛田――いわゆる北郷グループだ。男子は男子、女子は女子でグループを組んでいる連中が大半を占める中、そこだけは男女混合となっている。しかも北郷、平田、華琳、堀北、櫛田とクラスでも能力的に優れたヤツらが所属しており、圧倒的なリーダー性を誇っている。なので、坂柳グループと呼ばれることもあれば、平田グループと呼ばれることもあったり、櫛田グループと呼ばれることもある。或いはリーダーグループとも。……堀北グループと呼ばれないあたり、彼女の対人能力の低さが如実に表れていた。かく言うオレもここに所属する形になっているのだが、綾小路グループと呼ばれたことは一度もなかった。

 ともあれ、名実ともにクラスのリーダーとしての座を(ほしいまま)にしている華琳。そしてそんな彼女がよく一緒にいる相手。……水泳だけで身体能力の全てが分かるわけもあるまいが、その一端ぐらいは分かるに違いない。

 それ以外だと『能ある鷹』を見つけられたら御の字と言ったところか。まあ、いるかいないかも分からないのだが。いるとしたら、当初のオレと同じ方針を取っている可能性は否めない。

 そんな理由から、オレもまた熱心に女子が泳ぐのを見つめていた。

 北郷グループの女子では、まず堀北が泳ぐことになった。

 

「ほう……」

 

 序盤で他の女子を置き去りにした後は、そのままトップを維持。更に距離を離すことはなかったが、詰められることもなく、安定して泳ぎ切った。泳いだ後も息を乱していなかったことからして、全力を出していないことは明らかだ。

 それで27秒ほどなのだから、全力を出せば更に1、2秒ほどはタイムが縮まるかもしれない。過去には空手と合気道をやっていたそうだが、現在は特に運動部にも所属していない身でこれなのだから、十分といえば十分だろう。

 その次のグループには櫛田がいた。途端に男子から歓声が上がる。入学式の日に裏の顔を暴露して、今朝には北郷との仲睦まじい様子を見せていた彼女だが、思春期の男子にとって『それはそれ』ということか。まあ、基本的には人付き合いの良い笑顔の美少女だからな。

 櫛田のタイムは30秒台。今日はどことなく身体の動きがおかしかったが、それでもこれだ。果たして本調子であればどれほど縮まるのか、興味は尽きない。

 その次のグループにも一人、見どころのある生徒がいた。……が、生憎とその生徒の名前がすぐには出てこなかった。

 

「凄いな。堀北もかなり速かったが、まさかそれ以上とは……」

「小野寺だったかな。確か水泳部だった筈だ」

 

 オレの隣で見物している幸村と三宅のやり取りが耳に入る。

 なるほど、水泳部。だとするならば、26秒台という堀北以上の速さにも納得がいく。しかし堀北とは異なり、泳ぎ終わった姿には若干ながら息の乱れが見られる。水泳部なればこその全力投入か、或いは休憩時間で立て直せるとの算段か。

 そして、とうとう最後のグループ――すなわち華琳の番が回ってきた。

 これだけは何があろうと見逃すわけにはいかない。そう思っているのはオレだけではないようで、北郷に平田、堀北に櫛田、そしてクラスから満場一致で自由人と認識されている高円寺までもが熱い視線を送っていた。

 錚々たるメンバーからの視線だ。並のメンタルなら委縮しても仕方ないだろうが、華琳相手にそのような心配は不要だ。逆に『よく見ておけ』と言わんばかりに笑みと視線を送ってきたのがそれを証明している。

 

「速い!?」

「スゲエ!? なんだよ、この速さ!?」

 

 果たして、結果は早々に示された。不埒な視線を向けていた池や山内ですら、本来の目的を忘れて呆気に取られている。

 タイムは24秒を切っていた。驚くことに、水泳部である小野寺に2秒以上の差をつけているのだ。それでいて息を乱してもいない。つまりは余裕を残している。

 

「取り敢えず挨拶代わりに、と言ったところだけど、お眼鏡には適ったかしら?」

 

 プールを上がった華琳は、オレ――だけではなく、周囲の実力者たちに向かってほほ笑んだ。

 オレの返事は決まっている。

 

「挨拶代わりとしてはな。おかげで、オレもお前の眼鏡に適う部分を見せなきゃならない」

「ハッハッハッ、流石は華琳ガールだ。お返しに、私も少しばかりヤル気を見せないといけないねぇ」

「これは完全に俺も乗る流れだよなぁ……。しょうがない。綾小路も高円寺もヤル気になってるし、本気でヤルか」

「頑張ってはみるけどさ。僕、流石にあんなタイムを超えられる気はしないんだけど……」

「よっしゃ、やってやんぜ!」

 

 言葉を返したのはオレを含めた五人の男子。或いは闘志を、或いは困惑を露わにして並び始めた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「これで愉しく見れそうね」

 

 男子が並び始めたのを見て、華琳さんが楽しげに言った。

 確かに、と同意せざるを得なかった。付き合いだけなら私と一刀さんもそこそこ長いが、生憎とその本領を見たことはない。他の面子は言わずもがなだ。

 それでも、一刀さんに限って言うなら、何度となくその実力の片鱗は目にしている。

 兄さんに紹介されて出会った頃は、学力は平均程度、運動は平均より少し上といった有様だった。だからこそ――兄さんに認められていることもあって――当時は必要以上に嚙みついた記憶がある。……忘れたい、私の黒歴史だ。

 まあ、その人柄に触れている内に、一刀さんの優れたところは学力や運動ではないということは理解出来た。己の欠点を素直に認め、教えを乞うことを厭わない。それでいて、教えてくれている相手に対しても、長所短所関係なく言うべきことはきちんと言うのだ。それは兄さんに対してだけではなく、私に対しても同じだった。

 端から見ているだけではなく、我が身を以て体験すれば、人間としての器が大きいことは嫌でも分かった。

 そんな一刀さんだが、入院したのを境に成長率に大きな違いが見受けられる。習熟や理解の速さが格段に上がっているのだ。

 私と桔梗さんは華琳さんの招待で坂柳家の別荘を訪れたことがある。もちろん一刀さんも一緒だった。一刀さんは何度か訪れたことがある様で、近くの体育館なども勝手知ったるとばかりに使っていた。流石はお金持ち御用達と言うべきか。そこには弓道場や屋内プールもあった。

 一刀さんの向上した実力。その片鱗を目にしたのはその時だった。私と桔梗さんが初めての弓道に苦戦する一方で、一刀さんは皆中を成し遂げていた。季節外れのプールでは純粋に楽しんだが、戯れに競争した時は、私と桔梗さんを置き去りに一刀さんと華琳さんのデッドヒートが繰り広げられた。

 そんな一刀さんが本気で泳ぐという。私にとってはそれを見れるだけでも楽しいが、そこに爆弾発言をかました綾小路くんや、一刀さんも実力を認める高円寺くんも参戦するというのだから、期待は膨らむ一方だ。運動能力に優れる平田くんや須藤くんもいるのだから尚更である。

 最初のグループには綾小路くんと須藤くんの姿があった。さて、その実力はどれほどのものか。

 

「ウッソでしょ!? マジで!?」

 

 軽井沢さんが驚愕の声を上げた。いや、声を上げているのは軽井沢さんだけじゃない。そこら中から大なり小なり上がっている。……声に出してないだけで、私だって驚いている。

 流石は運動部と言うべきか。鍛え上げられた肉体が示す通り、須藤くんは見事な泳ぎを披露してみせた。タイムだってそれを裏切らず、25秒を切っている。華琳さんには負けたが十分なものだ。

 しかし、綾小路くんはそれに輪を掛けて速かった。タイムは華琳さんよりも上の22秒台。

 

「まあ、オレも挨拶代わりにな。……どうだ、お眼鏡には適ったか?」

 

 プールから上がった綾小路くんは平常通りの様子で華琳さんに問いかけた。息を切らしてもおらず、彼もまた余裕を残している。

 

「ええ。……けれど、参ったわね。私、負けず嫌いなの。鈴音たちには可哀想だけど、次は全力を出そうかしら?」

 

 そう言って、華琳さんは不敵に艶然と微笑んだ。心なしか周囲の空気が歪んでいるような気がする。……正直、勘弁してもらいたい。

 その後も続々と人間びっくり箱と言わんばかりの結果が示された。平田くんは25秒台とまだ現実味があったが、高円寺くんと一刀さんも綾小路くんに負けず劣らずのタイムを叩き出したのだ。

 それを見続けた結果、突如として先生から決勝の中止が言い渡された。まあ、高が水泳の授業で公式の日本記録や世界記録が破られるかもしれないのだ。一刀さんに華琳さん、綾小路くんと高円寺くんは、先生にそう思わせるだけのポテンシャルがあることを示してしまった。

 そうと知った上であれば先生も中止を強行しなかっただろうけど、流石に初顔合わせの場でコレは先生の心臓に負担が大きかったのだと思われる。

 

「綾小路、高円寺、北郷、坂柳、以上の四名には各1万ポイントを支給する。前言の撤回に対する詫びも兼ねてな。あの速さだったらもっとポイントを渡してもいいと思うんだが、俺の権限で動かせるポイントにも限りがあるんだ。悪いがそこは理解してくれ」

 

 見るからに疲れ切った顔で先生はそう言った。

 その後は授業の終了まで各自自由にしていいことになった。ただし、補習対象者には先生の指導が入る。

 諦めきった顔で指導を受ける佐倉さんが印象的だった。




そんなわけで水泳回でした。
主要キャラのタイムは原作と微妙に変えてあります。
また、期待された方には申し訳ありませんが、決着は持ち越しです。

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12話

 入学してから半月以上経ったある休日、私は有栖の部屋へとやって来ていた。

 義理の姉妹であるし、別段仲も険悪ではない。今までにも互いの部屋を訪れたり、他愛ない世間話をすることは何度となくあった。――が、クラスが異なったからこそ、一定ライン以上、踏み込むことはなかった。

 しかし、どうにも今回は空気が違う。その発生源は有栖。……どうやら、多少なりと踏み込んだ話をすることになりそうだ。

 

「さて、私たちの間に持って回った挨拶は不要でしょう。単刀直入に訊きますが、私がポイントの融資を頼んだらあなたは引き受けてくれますか?」

「ポイントの融資?」

 

 どういうことかと考える。

 有栖が資金難に陥ったということは無いだろう。この娘もまた頭はいい。天才を自称するだけの能力は確かに持っているのだ。そんな娘が、教師の甘言に乗せられて必要以上にポイントを使ったなど考えられない。

 ならば、欲しいものがあるのだろうか。……無くはないが、その可能性もまた低い。有栖お得意のチェスは、入学時に自前の物を持ち込んでいる。この短時間で壊れた可能性は低く、新しい物を欲する理由はない。

 それ以外としても、有栖は身体が弱いために選択肢は限られる。その中で真っ先に考えられるのは書物の類だろうか。

 だが、ここには立派な図書館がある。蔵書量もそれに見合ったもので、図書館を利用すれば大抵の本は読めるだろう。一部貸出禁止品もあるようだが、生徒である以上、基本的には無料で借り受けることが可能だ。よっぽどの読書狂でもない限り、わざわざポイントを消費して本を買う理由は少ないだろう。

 他にも選択肢が浮かんでは消えていき、最終的に残ったのは『無形のもの』に対する費用だった。

 ポイントで買えないものはない、とは入学初日に聞かされた言葉だ。これを少し穿った見方をすれば『買えるものは形のある商品に限らない』とも捉えられる。

 例えば何らかの権利が挙げられるだろう。『廊下を走ってもいい権利』や『授業中に携帯を弄ってもいい権利』とかだろうか。本来ならば実力を評価する上で減点対象になるであろうそれらを、ポイントを支払うことで減点対象から外すのだ。……可能性だけならいくらでも考えられる。

 しかし現時点では、これはあくまで推測でしかない。教師に訊ねたところで碌な答えは返ってこないだろう。

 当然、そんなことは有栖とて分かっている筈だ。

 

「何をしようとしているのかしら? その内容と額次第では考えなくもないわよ」

「何をしようとしているか。これは簡単です。私、あなたたちのクラスに移りたいんですよ。――費用についてですが、現時点では不明ですね」

 

 あっけらかんと有栖は答えた。

 私たちの推測が正しければ、進路の特典を受けられるのはAクラスの生徒のみ。ならば、評価次第でD←→CやA←→Bといったクラス自体の入れ替えは起こり得る。

 しかし、この学校がクラスの入れ替え方法をそれだけしか用意しないなど有り得ない。抜きん出た『個』としての能力。それ次第でクラスを移る方法も用意されている筈だ。まあ、十中八九に現実的ではない程に莫大なポイントが必要となるだろうが。

 なるほど、確かにそれならば有栖が融資を求めるのも分かる。必ずしも、個としての能力=個人で必要ポイントを溜める、ではないのだ。周りから見て、当人にそれだけの魅力と能力があるならば、支援するのは断然ありだ。……早い話が引き抜きである。それを可能とするための能力と魅力を周囲に示すのも、十分に実力と言えるだろう。

 

「あなた方も気付いていると思いますが、おそらく学校の評価基準に則った上でクラス分けがなされています」

「まあ、そうでしょうね。うちのクラスなんてひどいわよ? 初日に牽制していなかったら、ポイントは後先考えずに使い放題、授業中は私語や携帯を弄りまくり、遅刻や無断欠席の山だったでしょうね。個々の能力で光るものを持っている生徒も多いけど、客観的に見れば『問題児』や『劣等生』という評価は避けられないでしょう」

「そう、そこなんですよ。その考えで行くと、我がAクラスは『客観的に見て優秀な生徒』が振り分けられています。まあ少しばかり首を傾げたくなるような生徒もいますが、大半は文句のつけようもないくらい、世間一般で言うところの『優等生』でしょう。――が、だからこそつまらないのです」

 

 有栖は深々とため息を吐いた。

 

「いえ、光るものを持った生徒も少ないながら確かにいます。以前の私であれば、それで十分に楽しめていたでしょう。――しかし、今の私はあなたを知っている。一刀さんを知っている。……ハッキリと言わせてもらうならば、彼らでは物足りないのですよ」

「なるほど、言いたいことは分かるわ。……ただ、あなたも気付いているでしょうけど、推測通りならその内クラス対抗が起こる筈よ。あなたの言い様だと、勝負をする前から敗北宣言をしていることになるんじゃないかしら?」

「確かにそうですね。Aクラスを率いてあなたたちを含めた他のクラスと戦う。それは魅力的ですし、面白そうです。そこに嘘はないと断言します。その点で考えると、私の言っていることは敗北宣言に等しいでしょう。――が、それを秤にかけた上で、私はあなたたちと一緒のクラスになる方が面白いと感じた。それだけのことです。ぶっちゃけ、Aクラスであることに拘りなんてないですからね。私は、私が楽しければそれでいいのです」

 

 私と二人きりということもあるのだろうが、有栖は何の衒いもなく言ってのけた。

 他人の顔色を窺い、己が意見を封殺する。周囲と円満な人間関係を築いていく上で、それは確かに必要なことだろう。――だが、言ってみればそんなもの、凡人ゆえの処世術だ。天才を自称する有栖には似合わないことこの上ない。

 

「それでこそ有栖、というべきなのかしらね。感心すべきか呆れるべきか分からないわ」

「誉め言葉と受け取っておきますよ」

 

 私の言葉もなんのその。澄まし顔で有栖は紅茶を口に運ぶのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 月末となった。

 相変わらず池や山内は遅刻寸前に登校してくる。クラスメイトの大半が何らかのグループに属し、その中で勉強を教え合ったりしている。授業中の私語や携帯弄りはない。……こんな具合に、我らがDクラスは代わり映えのない日々を過ごしていた。

 だが、大枠で変化は見られなくとも、細々とした部分では変化が見受けられる。

 綾小路はクラスメイトからの当たりが柔らかくなった。これは水泳の授業で実力の片鱗を見せつけたことにより、その過去に信憑性が生まれたからだろう。つまりは綾小路の対人能力の低さにも納得を抱けるようになったのだ。

 クラスメイトは綾小路のことをホラ吹きと思っていればこそ、まともに対応していなかった部分もある。その根幹となるべき部分が覆ったのなら、ある意味では当然の出来事と言えるだろう。

 とは言え、綾小路自身は幸村や三宅と行動することの方が圧倒的に多いようだが。

 鈴音は佐倉さんと一緒に行動することが増えた。流石に毎日ではないが、放課後や休日には度々一緒にいるようだ。……何をしているかまでは分からない。訊いても鈴音は教えてくれなかった。

 それと、時折そこに長谷部さんも加わっているようだ。朝方一緒に勉強しているのを見かけるようになった。

 洋介も軽井沢さんと一緒にいることが増えた。……が、付き合い始めたとかではないらしい。

 

「たぶん、僕と彼女が付き合うことはないだろうね」

 

 寂しげな笑顔の洋介を見れば、詳しく訊くことは憚られた。

 俺と華琳、桔梗はあっちこっちへ行ったり来たりだ。早い話が他クラスとの交流である。

 今はまだしも、いずれはクラスで対抗戦が起こることは目に見えている。そうなってからでは、交流を持つのも容易ではない。

 その一方で、別クラスとの協力を強制される行事なんかもあると想定しておくべきだろう。『堀北学写真集』からもその様子は見受けられた。……なお、件の写真集は既に5万ポイントで桔梗から鈴音へと譲渡されている。

 ともあれ、だからこそ今の段階で動いておく必要がある。敵対するにしても協力するにしても、相手の情報を持っておくに越したことは無いのだ。自分で直接見知ったことであれば、戦略なり戦術の精度を上げることも出来るだろう。

 そんな風に過ごしていたある日のことだ。

 担任である茶柱先生が受け持つ、3時間目の社会の授業にて小テストを行うことになった。これで内容が社会だけであれば茶柱先生の教育方針による判断だとも思えたのだが、主要5科目が揃っていることからして学校側の判断なのだろう。……このタイミングで小テストを受けさせるのは、学校側の予定通りというわけだ。

 

「今回のテストはあくまで今後の参考用だ。成績表に反映されることはないから安心しろ。まあ、カンニングをしようものなら分からないがな」

 

 全くもって言葉遊びが好きな学校だ。このテストが学校の予定通りなら、参考とするのは何も学校側だけとは限らないだろう。実際、それを証明するかのように難問が複数含まれている。

 一科目4問の全20問で、各5点配当。問題自体は非常に簡単で、入試問題より2段階ほど低く感じる。

 だからこそ、ラストの3問がこの上なく異質だった。間違っても、高校1年のこの時期に習う内容ではない。ちょっとやそっとの予習では決して解けない難易度だ。

 俺は解ける。呉で軍師を経た経験からか、学問に対する意識の持ち方、頭の使い方というものがこの上なく向上しているおかげだ。以前と違い、今では予習復習も苦ではない。

 華琳もまた大丈夫だろう。そもそもの頭の出来が、華琳と俺では段違いなのだ。こちらに来た当初ならともかく、坂柳家の力も使って色々と学んだ今の華琳には問題にもなるまい。

 だが、果たして鈴音と桔梗はどうだろうか。最近は一緒に勉強していないので確かなことは言えない。それでも予想を立てるとすれば、予習の進め具合によっては1、2問は解けるかもしれないが全問正解は不可能、と言ったところか。

 しかしそうなると、他の問題の異常な簡単さも異質に思えてきた。

 いや、待てよ。先生は何と言っていた……?

 なるほど、だからこその『成績表に反映されることはない』という発言か。裏を読めば『成績表以外には反映される』とも取れる内容だ。

 これは来月に支給されるポイントに関わってくると見るべきだろう。この難問を解ければ支給ポイントが上乗せされる。その逆に簡単な問題を間違えれば、それだけ支給ポイントが減らされる。……おそらくはそういう寸法だ。

 こんな簡単な問題なんだ。流石にDクラスでも大丈夫だろう。――そう思いつつも、一抹の不安を拭いきれない。

 今日の放課後にでもフランチェスカ組のチャットで確認を取ることに決め、俺は問題を解きにかかった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 5月を――正確には5月になって初めての登校日を迎えた。

 早速ポイントを確認する。確かに昨日より増えてはいるが、10万には遠く及ばない。……残高をメモしていなかったのが痛いな。たぶん7万は超えているが8万には及ばない、と言ったところか。どうやら思いの外減点された様だ。

 ポイントを確認していると、チャットの着信を告げる機械音が鳴った。

 

 桔梗:私は7万と少し増えてたんだけど、皆はどうだった?

 一刀:覚えてる限りだと、7万以上8万未満ってところだな。

 鈴音:そうなると、やはり評価はクラス方式と見ていいようね。私も支給されたポイントは同じくらいだったし。

 華琳:やれやれ、参ったわね。あれだけ発破をかけてこの結果とは……。

 洋介:僕もショックだよ。皆、あんなに勉強を頑張っていたのに。

 清隆:皆、じゃなくて軽井沢が、じゃないのか? 

 洋介:皆で間違ってないよ。確かに軽井沢さんも頑張ってたけど、他の人たちもそれぞれに頑張っていたんだから。

 清隆:オレとしても幸村、三宅、池の勉強を見てやってのこの結果だからな。正直、現実を受け止めきれてない部分はある。

 鈴音:あら、それを言うなら私もよ? 佐倉さんに長谷部さん、沖谷くんの勉強は割と見たつもりなのだけれどね。 

 華琳:まあ、こうしていても埒があかないわ。おそらくは今日にでも学校からネタ晴らしが入るでしょうし、大人しくそれを待つとしようじゃない?

 一刀:賛成だ。ぶっちゃけ、朝飯もまだ食ってないし。

 清隆:オレも同じだ。

 桔梗:私もまだ。良かったらまだの人で一緒に食べない? 

 華琳:いいわね。それじゃあ一刀の部屋に集合で。

 鈴音:分かったわ。出来合いの物で悪いけど、何か持っていくわね。

 洋介:お言葉に甘えてお邪魔させてもらうね。僕も何か持っていくよ。

 清隆:味の保証は出来んが、オレも何か持っていこう。

 一刀:おい、俺の意思は確認しないのか(笑)

 華琳:その必要があるとでも(笑)

 一刀:はいはい、了解。

 

 そういうことになったので、チャットを終えたら折り畳みテーブルを引っ張り出した。

 元々部屋には備え付けのテーブルが用意されているが、当然と言うべきかあまり大きくない。1人や2人で使う分には問題ないが、人数が増えると途端に厳しくなる。まして華琳を始めとした女性陣と話し合いをするとき、寮則の関係もあって俺たち男子の部屋はなにかと会場になりやすい。そんなわけで用意した代物である。

 テーブルをセットしたら朝風呂に入って寝汗を流す。元々ポイントを確認したら入るつもりだったので、用意自体は済ませてあった。

 こうして風呂場で一息つくと、桔梗の私物が増えていることを実感する。シャンプーにリンス、ボディソープが男物と女物の両方揃っているし、脱衣所に行けば女物の歯ブラシもあるのだ。……あれ以来、時折桔梗は俺の部屋に泊っていく。必ずしも毎回抱くわけではないが、彼女ほどのいい女を定期的に抱けているのは間違いない。これで日常生活に張りが出なかったら嘘というものだろう。

 皆が来るとなればのんびりと浸かっているわけにもいかない。距離的な都合上、間違いなく洋介と綾小路の方が先に来るはずだ。一応女性陣には合鍵を渡しているが、男性陣には渡していないのだ。もちろん、許可の無い者に合鍵を渡さないよう管理人にも交渉してある。

 そんなわけで、入浴自体は手早くすませた。制服に着替えて玄関の鍵を開けると、間もなくにして呼び鈴が鳴った。

 扉を開けると私服姿の洋介と綾小路。それぞれが片手にナイロン袋を引っ提げている。

 

「おはよう、2人とも」

「おはよう、一刀くん。早速で悪いけど、レンジを使わせてもらうね」

「おはよう、北郷。オレも同じくだ」

 

 間取り自体はどの部屋も変わらない。案内なしに二人はキッチンへと向かった。

 

「それにしても、2人は私服で来たんだな。初めて見た気がする」

「そうだったかな……。最初は制服で来ようかとも思ったんだけど、部屋も近いしね」

「右に同じくだ。人数が人数だし、場合によってはこれも部屋に持ち帰る必要が出てくるしな」

 

 綾小路が引っ提げている袋を持ち上げる。

 そう言われれば流石に納得した。ハッキリ言って寮のキッチンは狭い。一人で使う分には問題ないが、文字通りに『学生の一人暮らし』を想定した内容でしかないのだ。人数が増えれば必然的に洗い物も増える。

 階層の違う女性陣は制服で来る可能性が高く、容器もまた俺の部屋に置いていくことになるだろう。それ自体は構わないが、時間次第では下校後に洗うことになりかねない。そうなった場合、全員分の容器を流し台に置けるかと訊かれたら首を傾げざるを得ないのだ。

 2人はそれを危惧したのだろう。言葉通り部屋も近いし、どの道戻る可能性があるのなら、わざわざ制服に着替えてくる必要性もまた薄い。

 

「洋介のは鳥の唐揚げか? 旨そうだな」

「ありがとう。……と言っても、僕が作ったものじゃないけどね。これは軽井沢さんが作ってくれたんだよ。勉強を見てもらってる御礼だってね」

「軽井沢が……。正直に言って意外だな。端から見てて料理の出来ないイメージを持っていた」

「まあ、その気持ちも分かるけどね。人は見かけによらないってよく言うでしょ? 軽井沢さん、ああ見えて結構家庭的なんだよ」

「しかし、そうなると、それを頂くのは軽井沢さんに悪い気がしてくるな」

「その点も大丈夫だよ。僕たちがクラスのことで話し合っているのも、その際に男子の部屋が会場になることも、当然だけど軽井沢さんも知ってるから。むしろ、そうなった場合に皆で摘まめるような物を作ってくれてるんだよ。ありがたいことにね」

「これまた意外だ。……そういうのを気配りが出来るっていうのか?」

「うん、そうだね。まあ、だからこそ、その対象に選ばれなかった相手にはぞんざいになりがちで、そこが危惧するところではあるんだけど……」

 

 そんな話をしていると、再び呼び鈴が鳴った。どうやら女性陣もやって来たらしい。

 挨拶を交わして部屋に上げると、互いの持ち寄った料理が次から次へと温められる。電子レンジはフル稼働だ。

 その後、和洋折衷の料理を皆でつつきあった。……華琳がそれぞれの料理に対する評価を口に出さなかったことに安堵を覚えたのは、俺だけの秘密である。




今回で5月に突入しました。……が、原作読んでてちょっとよく分からないところがあります。
原作1巻で茶柱先生が5月最初の登校日に「中間テストまでは後3週間」と言っているので、GWで5月冒頭が休みだったとしても、たぶん中間テストは5月中だと思うんです。
が、2巻になると、いきなり7月に飛んでるんです。……佐倉視点だと6月最終日ですが。
そんでもって7月のクラスポイント発表後、同じく茶柱先生が「中間テストを乗り切った1年へのご褒美」と言ってるんですよね。

判断が付かなかったし、描写に従い7月になってケンカ事件が起こって~なんてことになってれば、原作のDクラスが期末テストを乗り越えられるとは思えなかったので、本作では中間テストは5月中とさせていただきます。ご了承ください。

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13話

 阿鼻叫喚の地獄絵図とまではいかなくても、クラス内は相応に騒がしかった。とは言え、10万でなくとも十分な大金を支給されたのだ。それぞれの顔に悲壮感は見受けられない。

 

「あ、みんなおはよう。朝から勢揃いなんて珍しいね。ポイントについて何か話し合いでもしてた?」

「おはよう、軽井沢さん。まあ、そうだね。と言っても、当然ながら出てきたのは推測ばかりだけどね。おそらく今日にでも学校側からネタ晴らしが入ると思うし、大人しくそれを待つことで一致したよ」

 

 俺たちが教室に姿を現すや、真っ先に軽井沢さんが話しかけてきた。……まあ、その視線が向いているのは洋介だったが。

 だからこそ、洋介が率先して答えた。とは言っても、当たり障りのない返答だったが。

 まあ仕方のないことだ。大幅な減点を食らったのは先日の小テストが原因だと、俺たちの見解は一致している。見ていた限りではあるが、クラスの素行にそれほど問題はないと判断出来る。ならば、それ以外の要因で最も大きいのは小テスト以外に考えられないのだ。

 実際、池の勉強を見た綾小路、軽井沢さんの勉強を見た洋介、そして須藤の勉強を見た華琳の言によると、当初の3人はとても高校生とは思えない学力だったそうだ。……まあ、流石に洋介はオブラートに包んだ言い方だったが。

 その3人も今でこそある程度学力が向上しているものの、ここで推測を声高に叫ぶ意味は薄い。クラスのヘイトが戦犯へと、そして戦犯からのヘイトが俺たちに向くだけだ。それではクラスそのものがガタガタとなる。

 どうせ遠からず学校側からの説明があるだろうし、せめて戦犯からのヘイトは学校側に引き受けてもらう。……今朝の話し合いでそう決まったのだ。

 

「ふぅん……。そっか、分かった。グループの皆にもそう言っとくね」

 

 軽井沢さんは暫し考えた後、あっけらかんと言った。洋介によると彼女は色々と気が回るらしい。或いは言葉にしていない部分までも読み取ったのかもしれない。

 席に着いて暫くすると、ホームルームを告げるチャイムが鳴った。当然だろうが、遅刻者はいない。いつもは遅刻寸前に登校する池と山内も、今日は早く来ていた。

 程なくして担任の茶柱先生がやって来た。その手にはポスターかなんかの筒を持っている。

 表情はなんとも言い難い。嬉しそうでもあるし、嘆いている様でもある。感情がごちゃ混ぜになった結果、というところだろうか。

 

「これより朝のホームルームを始める。色々と気になっていることもあるだろうが、まずはこの言葉を送らせてもらう。……おめでとう。今日からお前たちはBクラスとなった」

 

 クラスの入れ替えが行われたことに俺が納得している一方で、理解の表情を浮かべている者は少ない。ほとんどが首を傾げたりしている。

 

「とは言え、それもいつまで持つかは分からんがな」

 

 言いながら、先生は筒から取り出した紙を黒板に貼り付けた。

 紙にはAからDクラスまでの名前が書かれ、それぞれの横に四桁の数字。

 Aクラス――900。

 Bクラス――650。

 Cクラス――490。

 Dクラス――720。

 以上が記載されている数字だ。

 十中八九、各クラスの成績で間違いない。初期が1000で10万だとするならば、今回振り込まれたポイントである7万以上8万以下とも合致する。

 

「さて、これを見て奇妙な点がないか?」

「うちのクラス以外、数字が綺麗に並んでる?」

「900、650、490……ホントだ!」

 

 茶柱先生の問いかけに、誰とはなしに答えが上がった。

 

「そう、その通りだ。この学校では優秀な生徒の順にクラス分けがなされている。……まあ、お前たちは初日から気付いたようだがな。正直、回されてきた映像を見た時は驚いたぞ。自分たちを指して、こともあろうに『問題児』に『劣等生』と宣ったんだったか? いやいや見事だ。その表現に間違いはない。もっとも、学校側としては『不良品』という言葉を使っているがな」

 

 茶柱先生は嫌らしい笑みを浮かべて拍手した。その様は、わざと俺たちを挑発している様にも感じる。

 

「平田、北郷、坂柳、堀北、櫛田、そして綾小路。理由は様々だろうが、本来ならば隠しておきたいだろう過去を入学初日から打ち明けたお前たちには、私としても感嘆の念しかない。

 それがあったからこそ、他の者たちに対して説得力が生まれたのは間違いないだろう。特に平田、北郷、坂柳に櫛田の四名は、AクラスやBクラスでもおかしくはない能力を持っているから尚更だ。……まあ、堀北と綾小路は行けてもCクラスが限度だったろうが。

 さておき、それにより早くからクラスメイトに最低限の協同意識と警戒心を抱かせることに成功した。その結果、我がクラスに遅刻者はなく、授業中の私語も数少ない。例年のDクラスとはえらい違いだよ」

 

 再びの拍手。しかし、今度は優しい笑みを浮かべて。

 偽悪的に振る舞ったかと思えば、次には態度を一転させる。……無理からぬことだが、茶柱先生の目的が見えてこない。

 

「クラス横の数字はクラスの成績であり、毎月振り込まれるポイントと連動している。これを(クラス)(ポイント)という。CPを100倍した数値がお前たちに振り込まれるポイントであり、これを(プライベート)(ポイント)という。

 またクラスの成績は、同時にクラスのランクにも反映される。今回720ポイントという評価を得たお前たちは4クラス中の2番目となり、DクラスからBクラスに移り変わったわけだ。それに伴い、BクラスはCクラスへ、そしてCクラスはDクラスへとランクが下がっている。

 早い話、お前たちは入学早々にして学校側からの前評判を覆したと言うことになる。――それだけなら、本当に喜ばしかったんだがなぁ……」

 

 嬉々として語った後、茶柱先生は深い深い溜息を吐いた。そして黒板にもう一枚、紙を貼り付けた。

 そちらの紙にはクラスメイト全員の名前が並んでいる。……が、出席番号順ではない。名前の横にはこれまた数字が記載されており、先頭に行くほど大きく、末尾にいくほど小さくなっている。

 俺の名前は先頭から二番目、数少ない100の数字の横にあった。他に100の数字が書かれているのは綾小路と華琳のみであり、丁度2人に挟まれる形だ。

 

「これは先日やってもらった小テストの結果だ。……実際にやってみてどう思った? 堀北、答えてみろ」

「ラストの3問を除けば非常に簡単でした。間違いなく入試よりも。――その分、ラストの3問はちょっとやそっとの予習では解けない程に難しかったですが……。私も全部は解けませんでした」

「素直な感想をありがとう。……ハッキリと言えば、この小テストは各クラスに対する最初のボーナスでもあったんだよ。堀北の言った通り、ラストの3問は普通に授業を受けているだけでは絶対に解けないようになっている。だからこそ、1問これに正答する毎にCPが増える仕組みだな」

 

 つまり、小テストで90点以上を取っている者が多ければ多いほど、CPもまた増えるというわけだ。

 そして100点とはいかなくとも、90点と95点を取っている者はそこそこいる。

 95点を取っているのは4人。鈴音と幸村に高円寺、そして中国からの留学生である王美雨さんだ。

 90点は3人。桔梗と洋介、そして軽井沢さんのグループに属している松下千秋さんだ。

 だが裏を返せば、これだけのプラス補正を受けて、それでも720ポイントという結果なのだ。……茶柱先生が嘆くのも無理はないだろう。

 

「同じように、ラスト3問以外は非常に簡単な問題となっている。つまりは解けて当然なんだよ。……それが出来なければどうなるかなんて、わざわざ言うまでもないだろう?」

 

 茶柱先生はクラスを睥睨しつつ、特に点数の低かった生徒に対して侮蔑の視線を向けた。

 

「今回の小テストで赤点を取った者はいなかったが、中間や期末で1科目でも赤点を取った場合は退学処分となる。

 また、進学や進路に対する恩恵を受けられるのも卒業時にAクラスだった生徒のみと決まっている。……個人でクラスを移動するのも不可能ではないが、必要ポイントは2000万と現実的ではない。なので、クラスで手を取り合うことが賢明だな。

 今月の下旬には中間テストがある。当然、難易度はこの小テストとは比較にもならんから、点数の低かった者は死に物狂いで頑張ってくれ。なに、お前たちなら赤点を回避出来ると私は確信しているよ。

 ああ、言い忘れていた。赤点の算出方法は平均点割る2だ。見ての通り、このクラスには学力面で優秀な者も多い。今回点数の低かった者は安いプライドなんぞ投げ捨てて、そいつらに教えを乞うことをお勧めするよ」

 

 そう言い残して、茶柱先生は教室を出て行った。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「さて、参ったわね……」

 

 茶柱先生が去っても黒板に張り出されたままの紙を見た華琳が深々と溜息を吐いた。

 

「先日――と言っても、小テストを受ける前だけど――有栖から誘われてね。その時に一つ提案をされたのよ。ポイントを融資してくれないかってね。彼女は現在のAクラスにあまり魅力を感じていないみたい」

「それは、キツイな……」

 

 その言葉が正しいとするならば、4月中、有栖はほとんど動いていない筈だ。最低限に動きはしただろうが、言い換えれば、このクラス評価にも彼女の力は最低限にしか現れていないことになる。だと言うのに、Aクラスは僅か100ポイントの減点に抑えているのだ。

 有栖を除いた場合、Aクラスのリーダー格として真っ先に思い浮かぶのは葛城という男だ。実際に会って抱いたイメージは慎重派。出来る限り危険を冒さないその方針は、ともすれば臆病とも取られかねない。……が、現状維持や守勢に回った場合は、得てして付け入る隙が無い。そのため、この上ない難敵となることが大半だ。それはクラス評価にも表れている。

 では、我がクラスはどうか。

 俺たちは割と精力的に動いてきた。入学初日から動き出した俺たちDクラス――現Bクラス――は、他のクラスに対して『初動の差』という絶対的なアドバンテージを有している筈なのだ。……その上で、この結果である。否応なく、他クラス全てとの『地力の差』というものを痛感させられた。

 確かに『初動の差』は現れている。Bクラスに上がれたのが何よりの証明だ。『例年のDクラスとはえらい違いだ』と茶柱先生も言っていた。その点ではあの人も太鼓判を押しているのだ。

 だが、結果としては720ポイントまで落ち込んでいる。それはつまり、小テストにおけるマイナス分がそれだけ大きいことの証明でもあった。

 おそらくあの小テストは、ラストの3問を除いての全問正解が基準となっている。入試問題よりも簡単な内容なのはそのためだ。つまり、クラス全員が85点を取ることがポイントを減らさないための絶対条件。

 しかして俺たちのクラスはどうか。確かに90点以上を取りプラスに導いた者もそこそこいるが、全体としては85点に到達していない者の方が圧倒的に多い。酷いヤツになると50点以下という有様だ。

 以前に華琳はクラスメイトに対して『己が才を磨け』と言ったが、これではそれもままならない。学生の本分たる学力が、学校側の用意した最低基準にすら達していないのだ。

 いくら勉強が出来ないといっても、流石にここまでとは思わなかったのだろう。少数の例外を除けば、85点を取れる者が大半だと思っていたに違いない。それほどまでに、あの小テストは簡単だったのだ。……華琳の溜息には、己が見通しの甘さも含まれている筈だ。

 

「一刀、洋介、それに桔梗、この状況を放り投げるようで申し訳ないけども、これからはあなたたちが中心となってこのクラスを率いてちょうだい。私も可能な限りは手伝うつもりだけど、おそらく肝心な時には役に立てないでしょうから」

「え? それはどういう――」

「なるほど、生徒会か」

 

 疑問が抜けきれない洋介に被せる形で、横から綾小路が口を挿んだ。

 

「ええ、そうよ。ここから先、クラス対抗が行われるのは目に見えている。そして、それは定期試験だけとは限らない筈よ。十中八九、そのための特別な試験なり行事なりが用意されていると見ていいわ。努力と創意工夫、それから運次第ではクラスの逆転も起こり得るようなものがね。……そうでないと、この学校の趣旨に反してしまう。

 現時点ではその程度しか予想を立てられないけれど、生徒会に入ればそうもいかない。今までにどのような試験や行事があったかを知る機会は必ずある。必然的に、その口外、ないしは積極的な介入を防ぐためのシステムも用意されていると見ていい。

 生徒会に入らないのであれば私がこのままクラスの中心に立ち続けてもいいのだけど、清隆のことを鑑みると、私、一刀、清隆の誰かは生徒会に入っていた方がいい。

 ただ、ここで問題が生じる。この1ヶ月間見ていたのだけど、清隆は人間の感情というものを理解しきれていない。あくまで論理的な思考を優先してしまいがちなのよ。これでは清隆1人が生徒会に入っても意味は薄い。

 では一刀はどうか? 別に問題はないでしょう。しかし、私と一刀の決定的な違いが一つ。……一刀は根が優し過ぎる。厳しく振る舞えないこともないでしょうけど、どうしても優しさを優先してしまう。それが悪いとは言わないけれど、そもそもの生徒会に入る目的を考えるとあまり旨くないわ」

 

 そう言われると、ぐうの音も出ない。

 生徒会に入る最大の目的は、理事長との連携を取ることにある。……が、生徒会に入るだけでそれが易々と叶うなら苦労はない。面会出来ないこともないだろうが、回数は極々限られる筈だ。

 現時点でそれを合法的に覆そうと思えば、生徒会の役割を利用するのが一番だ。つまり、Sシステムへの介入である。実際にSシステムに加えられるかどうかは別にして、議論するだけの価値がある提案をすればいい。価値ある提案ならば、提案者の意見を確認しないわけにはいかないからな。

 とまあ、話だけなら簡単だが、『じゃあ実際にどんな提案をすればいい?』と訊かれると困るのが実情だ。少なくとも、現時点だと俺に案らしい案は浮かばない。

 

「話は理解した。オレに何か希望はあるか?」

「クラスメイトだけじゃなく、他のクラスとも積極的に関わりなさい。CPシステムが発表されたからこそ、多種多様な感情に触れることが出来るでしょうしね。そうして感情を学んでいきなさいな」

「……努力はしよう」

 

 そうして休み時間は終了した。




CPの結果はこんな感じ。有栖が積極的に動いていないので、Aクラスは原作よりもCPが落ちています。それでもトップには違いないですが。

小テストにおける補正は独自設定です。……が、特段おかしくはないかと。原作でも『受験問題より2段階くらい低い』とか描写されてますし。
当たり前のことを当たり前にこなせなくて減点されるなら、解けて当然の問題を解けなくても減点対象になると思います。
原作ではそこまで説明されてませんが、そもそもDクラスの素行が酷すぎたため、茶柱先生がそこまで言及しなかった可能性もありますし。

本作における一番の被害者は茶柱先生かもしれない。優れたヤツらが多くて喜んでいたら、他のヤツらが学力で足を引っ張るというね。見事に上げて落とされた感じです。

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14話

「失礼します」

「来たか。待っていたぞ。……ん、お前1人か?」

「ええ、クラスのこともありますので。やれるだけのことをやって、あの結果ですからね。3人ともが参加してしまえば、クラスの方がガタガタになってしまいます」

「入学して初の評価で早速の入れ替えだ。……結果だけなら立派なものだが、内情はそうでもないようだな。――まあいい。生徒会へ入会するに当たっての誓約書だ。熟読の上で署名しろ」

 

 CPやらPPやらクラス入れ替えやらについて学校からネタ晴らしが入った日――つまりは5月最初の登校日の放課後、私は早速生徒会室を訪れていた。

 中にいたのは生徒会長1人。居るかと思った書記の子もいない。

 先月の内、既に当の本人から内定は貰っている。生徒会長は私がここを訪れたことを疑問に思ってもいない。一刀と清隆が来ていないことについて多少説明した後、渡されたのはA4サイズ程の用紙。ずらずらと項目が並び立てられ、一番下に署名欄がある。確認した後、迷いなくサインを入れた。

 

「これでよろしいでしょうか?」

「……結構だ。これを以て、今この瞬間よりお前は生徒会の役員となった。――それと、その似合わん敬語は使わなくていい。言葉遣いも礼儀として大切だが、時と場合によってそれは覆される」

「では、お言葉に甘えさせてもらうわね。……学と呼んでも?」

「フッ、許可を出して早速か。好きにしろ。お前にはそれだけの実力がある」

 

 流石と言うべきか。学はアッサリと名前で呼ぶのを許可してくれた。基本的には堅物であるようだが、凝り固まってはいない。

 

「今日は来ないヤツもいるが、他のメンバーが揃い次第自己紹介をしてもらうからな?」

「了解よ」

「ああ、そうだ。丁度いい機会だから、お前に渡しておく。以前一刀に頼まれたものだが、別にお前に渡しても構わんだろう。所詮はコピーだ。好きに使え」

「一刀に?」

 

 学はクリアファイルを渡してきた。ファイルの中には何枚かの用紙。書かれているのは、各教科の問題だった。

 なるほど、既に先手を打っていたか。私の方から頼むつもりだったが、それならそれで構わない。

 

「しかし、『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とはよく言ったものだが、一刀の成長は著しいな。確かに妙な鋭さを見せる時はあったし、剣道をやっていたからか運動能力も平均以上にはあった。……が、それでも、入院前からは想像がつかんほどだ」

「本人によると異世界に飛んでいたらしいわよ? 著名な武将が女性化した三国志の時代に……ね。目覚めるまで自覚はなかったそうだけど、所属と役職を変えてその時代を繰り返していたとかいう話ね」

「フン、まるでよくある創作話だ。……が、事実は小説より奇なり。そうであるなら諸々納得がいくというものだ。

 古来より精神と肉体は密接な関係にあると言う。精神が離れていたのなら1年以上目覚めなかったのにも納得がいくし、かと思えば急に目を覚ましたのも納得がいく。また、精神だけとはいえ1生涯を何度も繰り返したというのなら、その経験は膨大な筈だ。全てでなくとも肉体にフィードバックされたのなら、飛躍的な成長を果たしてもおかしくあるまい。……実際の時間との関係など、精神だけなら意味も無かろうしな。

 そして、お前はその異世界からの来訪者というわけか。1年の頃、理事長が俺に対し『歴史資料展の見学中に意識を失った少年が目覚めたかどうか、確認を取ってもらえるかな?』と頼んできたことがあったが、ようやく納得がいったよ。お前と一刀に接点があったのなら、答えは自ずと出る。……なあ、坂柳華琳――いや、曹孟徳よ?」

 

 学は挑戦的な笑みを私に寄越した。

 

「ああ、あの日あなたも顔を見せていたものね。やはり生徒会役員ともなれば、監視カメラの閲覧権限を有しているということかしら?」

「誤解の無いように言っておくが、生徒会役員でも監視カメラを確認出来るのは、基本的に会長と副会長に限られる」

 

 明確な言葉にはせず、拍手で以てそれに応える。ついでとばかりに質問をすれば、学はすかさずに訂正を入れてきた。

 

「それで、お前は何を目的としている? 何のつもりでこの学校へ来た? 理事長がお前を養子とし、果てには入学を認めた以上、邪な目的でないとは思っているが、あくまで俺の予想に過ぎん。俺は生徒会長として、お前に直接確認を取らんわけにはいかんのだ」

「その責務を果たそうとする姿勢は立派よ。率直に言って好ましい。故に私も正直に答えましょう。

 最終的な目的は坂柳華琳として、後世まで轟くほどに名を遺すことよ。男性と伝えられているこの世界の曹孟徳に出来たのなら、この私に出来ない筈がないもの。

 この学校へ来たのは、そのための人脈構築ね。元より、その様な大望を私1人で成せるとは思っていない。曹孟徳の周りに『王佐の才(荀文若)』を始めとした煌めく英傑の名があるように、協力者は必要不可欠。謳い文句からして、この学校には豊富な人材が集うと踏んだのよ。

 そして、一刀の目的もまた同じ。だからこそ、私たちは手を組んだ。かつての敵なればこそ、その手腕はよく知っている。優し過ぎるのが玉に瑕だけど、大都督直々の教えを受けたその才略は、決して侮れるものではない。……まあ、実際には私の知る以上の能力があるようだけど」

「大都督直々の教えときたか。羨ましいと感じてならんよ。――お前には副会長を任せる。その手腕、存分に発揮してくれ」

「期待には応えたいものね。早速だけど、一つ訊きたいことがあるの。『――』ってSシステムに組み込まれているのかしら?」

「……いや、俺の知る限りでは無いな。だが、言われてみれば然りでもある。次の議題に挙げるとしよう」

 

 その言葉を聞き、私は笑みを深めた。

 

「それにしても、よくこんな与太話とも言えるものを信じたわね?」

「身近なところに、一刀の他にも作り話としか思えん経歴を持っているヤツが居るのでな……。一刀との違いなど、それが現実的要素かオカルト的要素かの違いでしかない。辻褄が合っているのであれば、無理に否定する意味もなかろうよ」

 

 ふと零した疑問に対し、ため息交じりにそう語った学は、頭が痛いとばかりに手で押さえた。そこに『堅物の生徒会長』としての姿はない。……が、程なくして態度を改め、続けた。

 

「それにだ。与太話というのなら、そもそもこの学校の制度そのものが作り話に近かろうよ。理に適っているのは認めるが、大衆に知られた場合、叩いてくるヤツは間違いなく一定数を超えるだろう。情報の完全な隠蔽など望めない以上、調べようと思えば調べられるのだから。

 何故そうなっていないかと言えば、そこまで興味を持っていないからだ。仮に興味を持って調べたところで、自分で納得してしまえばそこまでだ。そこに真実などどうでもいい。我が校のことに限らずな。

 それが一般的な人間というもので――難度や費用に目を付けず――どこまでも真実を追い求める者の中から、時に例外が生まれだす。『天才』や『成功者』などと謳われてな。……周りのヤツらは俺を褒めそやすが、俺は自分のことを天才だと思ったことは一度もない。ただ努力をしているだけの凡人だ。

 そんな凡人にしてみれば、一刀が一刀であるのなら、成長の要因など実のところどうでもいいのさ。お前に振ったのは話のタネに過ぎん」

「ふふ、本当に素晴らしいわね。一刀があなたを親友と認めるのも分かるというもの。……決めたわ。私はあなたを我が友として認めましょう。親友になるかはこれから次第ね」

「光栄だがな。生憎と俺はまだお前の人となりをよく知らない。暫くは後輩や同僚としてしか見れんぞ? 友とする保証もない」

「別に構わないわよ。『友』に明確な基準なんてないのだから、一方通行の想いであっても不思議はないでしょう。単に、私はあなたを友として認識したというだけの話よ」

 

 そんな感じに、メンバーが揃うまで私たちは雑談を繰り広げた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 華琳が生徒会に入会し副会長に就いたという情報は、想像以上に早く学校内に広まった。

 生徒会からの知らせは、主に月一で掲示板に貼られる『生徒会月報』で伝えられる。基本的にはフリーマーケットの日程を始めとした、ちょっとしたお知らせが載る程度だ。必然、興味がない生徒は見向きもしない。……生徒会長の交代ともなれば大々的に行うが、そうでないならそんなものだ。

 にも関わらずこれほどの速さで広まったのには、いくつかの理由が考えられた。

 第1に、華琳が新入生であるということ。普通に考えても、新入生が副会長職に就くなど異例に過ぎる。

 第2に、今が5月であるということ。例年、新入生から生徒会に参加する者はいないわけではないが、それでもこれほど早くに入会を認められるというのは稀であるらしい。

 第3に、華琳の所属クラスである。俺たちは今でこそBクラスとなったが、元はDクラスである。すなわち『落ちこぼれ』の集まりだったわけだ。それが僅か1ヶ月で評価を覆したという事実は、2、3年生にとっても驚愕せずにはいられなかったようだ。

 第4に、新入生で初の生徒会入会者ということ。華琳が入会する以前――4月の段階から、Aクラスの葛城や、今はCへと落ちてしまったが当時Bクラスだった一之瀬さんなどは生徒会入会の希望を出していたそうだ。しかし、そのどちらも門前払いに等しかったらしい。……結果的にであるが、これにより明らかになったことがある。何らかの基準を満たしていればクラスなど気にしない、という学の採用方針である。

 そういった諸々が合わさった結果、華琳の生徒会入会は学校中に驚くべき速さで広まったのだろう。

 

「はい、そこ間違ってるぞ~」

「うぇッ!? 本当でござるか!?」

「嘘なんか言うかよ。ちゃんと確認してみな」

 

 だが、そんなことは俺たちにとって関係なかった。……正確には、『そんなことを気にしている余裕もない』と言うべきか。

 先月末に受けた小テストの結果が発表されたことによって、俺たち現Bクラスの全体的な学力不足が明らかとなった。それも、入試より圧倒的に簡単な問題でありながら全問正解出来ない者が大半という始末である。280ポイントのマイナスを、この小テストのみで叩き出しているに等しいのだ。

 それだけでも頭が痛いのに、今月の下旬には中間テストが待ち受けているのだ。高校1年生として正規の難度の物が。

 この学校では、テストで1科目でも赤点を取れば退学処分となってしまう。だと言うのに、学力面でスタートラインにすら立ててない者が圧倒的多数を占めているのが、我がクラスの現状なのだ。

 そんなわけで、俺たちBクラスに出来ることは、ひたすらに中間テストに向けての勉強だ。放課後の時間を使って、教室なり図書館なりで勉強会を開いている。

 とは言え、これも参加は個人の自由だ。ヤル気の無い者に強制させたところで効果は薄い。能力が足りないにも関わらず、この土壇場で、こちらからも危険性を訴え働きかけ、それでもなお勉強する意思を持てない者、持てたところで意思の薄い者は、言っては悪いがこの学校で生き残れるとは思えない。

 中間テストでの赤点回避方法は既に確保しているので今回だけは助けられるが、こちらがフォローするにも限度がある。価値を示せないのであれば、厳しい言い方になるが切り捨て候補に挙げざるを得ないだろう。出来る限りどうにかしたいとは思うが、世の中は綺麗事だけで回らないのだ。

 

「うん、また間違ってるね。ハッキリ言うけど、ヤル気あるのかな? そりゃあ一緒の空間にいるんだからこっちを意識するなとは言わないし、私だってチラチラ見られても我慢はするよ。――けどね、それも成果を出せてこそなの。

 この勉強会に参加するに当たって『女子が教えてくれるなら』って条件を出したのはそっちでしょ? こっちはその条件を受け入れたからこそ、こうして私が教えているの。なら、そっちもちゃんと覚えてくれないとさ。……優しい顔をしていられるのにも限度があるよ?」

 

 勉強会の一角では山内や本堂、菊地といった切り捨て候補に対して黒桔梗が降臨していた。

 入学初日、クラスの前で僅かにその一面を見せたとはいえ、それ以降桔梗が黒い面を露わにすることはなかった。誰にでも友好的な美少女としてしか振る舞っていなかったのだ。

 しかし、それは桔梗が黒い面を表すことを厭っているからではない。単にその必要がなかっただけのこと。

 それも今では覆った。

 俺ですら半ば見捨てかけているのだ。俺よりシビアな桔梗はとっくに見捨てているだろう。それでも勉強を教えているのは、アイツ等を体の良い生贄、もとい見せしめとして起用したからだ。アイツ等を利用して、『櫛田桔梗は優しいだけの女じゃない』ということをクラスメイトに示しているのだ。

 

「うわぁ、おっかな~。……今まで忘れてたけど、櫛田さんって『中学の時に学級崩壊を引き起こした』って自己紹介の時に言ってたもんね。そりゃ優しいだけの筈もないか……」

「それには同意見だけど、そこ、違ってるよ」

「マジで!?」

 

 目論見は上手く運び、その場面を目撃した軽井沢さんが思わずといった態で零した。……が、すかさず松下さんに間違いを指摘されへこんでいた。

 軽井沢さんのグループには主に洋介が勉強を教えているのだが、生憎と彼は部活に勤しむ身でもある。勉強会への参加も、部活が終わった後に限られていた。よって、その間は俺や同じグループに属する松下さんが面倒を見ていた。……まあ、松下さんが優秀なので俺の出番はほとんど無いのだが。

 

「なあ北郷、ここってコレで合ってるか?」

 

 訊いてきたのは池だった。以前は綾小路が勉強を見ていたのだが、アイツは専ら幸村や三宅と勉強していることもあり、どうやら居心地が悪いらしく俺のところに参加しているそうだ。……なぜ俺なのかは分からないが。池のことだから、桔梗に教えてもらいそうなものなのだが。

 ともあれ、確かにあの3人だと静かに勉強してそうだもんな。おしゃべり好きな池にはとてもじゃないが耐えられないだろう。それでも、伊達に綾小路に勉強を見た貰ったわけではないようで、よくつるんでいる山内よりも小テストの点数は良かった。

 

「ああ、それで合ってる」

 

 その甲斐あってか、どうにか高校生の授業内容にもついて来れている。ちなみに山内たちは未だに中学の内容を抜け出ていない。……本当に大丈夫か、アイツら。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 夜、気分転換の散歩に出ていた私は、偶然にも兄さんと出会った。

 既に私服に着替えた私と違い、兄さんは未だ制服姿だ。今まで学校に残っていたのだろう。生徒会の仕事だろうか。

 

「散歩か、鈴音?」

「ええ、気分転換に……」

 

 何とか返事をしつつも、兄さんと会うなんて思ってもいなかったら、私の内心は混乱していた。

 何を話すか一杯一杯になってしまった結果――

 

「あの……ッ!」

 

 気付けば、私は携帯を差し出していた。

 

「ん?」

「以前に『表情を変える努力をしろ』と言われたので、私なりに頑張ってみました。いわゆる『自撮り』というものをやってみたんですけど、どうでしょうか?」

 

 内心とは裏腹、首を傾げる兄さんを見た瞬間、私の口は思いの外回ってくれた。

 基本的にはデジカメを使うが、時と場合によっては携帯を使うこともある。それにデジカメの方を見せようにも、今は持ち歩いていなかった。

 

「まさかお前の口から『自撮り』などという言葉が出るとはな……。喜ぶべきか悲しむべきか判断に迷うが、まあ見せてもらおう」

 

 兄さんは携帯を受け取ってくれたが、操作するその顔は険しい。

 渡してしまった以上は仕方がないが、正直に言って自分でも自信はなかった。

 やはり、可愛くないのだろうか……? そう思う私の耳に届いたのは、無言で携帯を操作していた兄さんの声だった。

 

「コイツは……誰だ? どこかで見覚えがある気はするのだが……」

 

 首を捻りながら凝視していたのは、私と佐倉さん――雫ver.――が一緒に写っている画面だった。

 さて、今の言葉はどちらの意味だろうか。

 佐倉さんは以前にグラビアアイドルをやっており、雫名義で少年誌を飾ることは度々あったらしい。兄さんとて雑誌の類は読む筈だし、その際に目に入っていてもおかしくはない。……それを覚えていての一言か。

 或いは、単に佐倉さんと上手く結びつけられないが故の一言か。……兄さんは以前に私たちのクラスを訪れたことがある。その際に佐倉さんも視界に収めている筈だ。印象が異なるだけで、佐倉さんであることには違いないのだから、兄さんが覚えていても不思議はない。普通の人ならそんな一瞬のことなど覚えてもないだろうが、相手が兄さんというだけでその前提は崩れ去る。

 どちらにしろ、問われた以上は答えなければいけない。――けれど、『雫のことは秘密にする』と佐倉さんと約束している手前、そのまま言うわけにもいかない。

 

「クラスメイトの佐倉さんです。ふとした拍子に彼女が自撮りをやっていることを知りまして、色々と教えてもらったんです。その後も度々一緒にやってますね。基本的にはデジカメを使ってるので、携帯の方にはあまり写ってませんが……」

「なるほどな。俺の想定とはかけ離れていたが、確かにお前は成長しているようだ。……この佐倉という娘に櫛田桔梗、どちらも大切にするがいい。良くも悪くも互いに影響を与え合い、変化を齎していくだろう。それを退化と取るか成長と取るかは人それぞれだがな」

「……分かりました。お言葉、胸に」

 

 兄さんから携帯を返してもらい、受け取った言葉をしまい込むように胸元へ持っていく。

 

「それともう一つ。俺相手にはそんな固い言葉を使うな。俺たちは兄妹なんだからな。時と場合にもよるだろうが、もっと砕けた言葉で構わん。少なくとも、俺はその方が喜ばしい」

 

 そう付け加え、通り過ぎ様に私の頭を撫でて兄さんは去っていった。

 また頭を撫でてもらえた。その喜びのあまり、私は暫くぼうっと突っ立っていた。……そのことに気付いたのは、散歩を切り上げる目安としてセットしておいたアラームが鳴ってからだった。

 意識を取り戻した私は、この喜びを忘れないように――

 パシャリ。

 街灯の下で自撮りを行った。……画面の中の私は、だらしのない笑みを浮かべていた。 




華琳様の生徒会入会と、それに伴う学へのネタバレ。プロローグ以来ずっと抱えていた学の疑問がここにきて解き明かされました。
一刀以外にもギャルゲーの主人公を親友に抱えている学の耐性は高かった。

あとは今後の伏線とか何やかやと。

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15話

 何度目かの勉強会が終わった後、俺は寮へと帰らずある場所を訪れていた。

 会員制の――それもV.I.P制度のあるカラオケ店である。この店を使用するには無料の会員登録をする必要があるのだが、会費を支払うことでノーマル会員からV.I.P会員へとランクを上げることが出来るのだ。

 V.I.P会員になると専用の部屋が用意されたり、優先的に予約をとれたりする。何だその程度か、と思いもするだろうが、この学校で生活するに当たり、そう決めつけるのは早計だ。特に専用部屋は殊の外重要だ。なにせ、この部屋には監視カメラがないのである。ノーマル会員が使える部屋とは大違いだ。それだけで会費を払うに値すると言うもの。……まあ、会費を支払ってV.I.P会員にならない限りは、監視カメラがないのも知ることは出来ないのだが。

 システム上仕方無いのだろうが、学園の敷地内はどこもかしこも監視カメラで溢れている。そんな中で、こういった場所は貴重だ。

 そして、こんな場所を使う目的など大凡限られる。……そう、密会だ。

 受付やドリンクバーなどがあるロビーの椅子には、1人の少女が腰かけて読書に勤しんでいた。現Dクラスの生徒で椎名ひよりさんといい、今回の約束相手の1人である。

 俺が視界の端にでも入ったのか、椎名さんは本から顔を上げた。

 

「こんばんは、北郷くん。受け付けは既に済ませてありますので、お部屋に案内しますね」

「こんばんは。ありがとう、椎名さん。今回は仲介役を引き受けてくれて助かったよ」

「お気になさらずに。彼とは同じクラスですし、この程度はどうということもありませんので……。それに、お礼を言うのはこちらの方だと思いますよ? 今回の部屋代だって、北郷くんが持ってくれるのですから。私はただ、約束を取り付けただけです」

「その『約束を取り付ける』のが存外難しくてね。椎名さんの前にも何人かに頼んでみたんだけど、どれも失敗続きだったんだよ。その事実を思えば、支払い程度はどうということもないさ」

 

 挨拶を交わした後も、部屋への通路を進みながら会話は続く。そうしている内に目的の部屋へと着いた。

 

「こちらです。……どうぞ」

「よお、お前が北郷か。Bクラスのリーダー格らしいが、断ってんのにしつこくラブコールを寄越しやがって。仕方ねえから会ってやることにしたぜ」

 

 部屋に入るなり、コレだ。声の主はソファにどっかりと座り、我が物顔で寛いでいる。

 龍園翔。Dクラスのリーダーであり、『王』を自称する男だ。これだけを聞けば単なるイタいヤツであるが、そうでないことは実績が証明している。半分を割っているとは言え、DクラスのCPが残っていることがその理由となるのだ。

 クラス評価というシステム上、よほどの優等生揃いでもなければCPが低下の一途を辿るのは明白だ。そして元々がCクラスであったことを鑑みると、とてもじゃないが優等生が揃っている筈もない。にも関わらずCPが残っているということは、無理やりにでも誰かが統制した結果に他ならない。

 その『誰か』こそが、俺の目の前で悠然とソファに腰掛けている男というわけだ。

 現在のDクラスは龍園の支配下にある。だからこそ、こうして面会が叶うまで総当たりすることになった。

 その一方で、完全な支配に至っていないこともまた証明されている。……こうして俺と面会している時点で。

 

「龍園くん、会って早々それは言葉が過ぎると思いますよ?」

「お前は黙ってな、ひより。コイツと俺が顔を合わせた時点で、今回のお前の役目は終わってる。あとは上に立つ者同士のやり取りだ。――で、何か言い返すことはないのか、北郷」

 

 諫めようとした椎名さんを一蹴し、龍園は俺へと挑発的な視線を寄越した。

 

「噂の自称『王様』に1度会っておこうと思ってな。何度も断られるんで存外臆病者かと思ったんだが、こうして会ってくれて安心しているよ。……ああ、俺のことは知ってるだろうが、北郷一刀だ。初めまして、龍園翔」

「ハッ、ヤワな顔して言うじゃねえか。……が、安心したぜ。仮にもクラスを引っ張る立場にあるってんだから、そんくらいじゃねえと潰し甲斐がねえってもんだ。……龍園翔だ。今後ともよろしく頼むぜ、北郷」

 

 一先ず前哨戦は終わった。取り敢えずの格付けは終わり、相対するに相応しいと判断する。……それは向こうも同じようだ。

 

「用件を聞く前に、先ずはドリンクでも持って来るとしようじゃねえか。話も長くなりそうだしな」

「お言葉に甘えさせてもらうよ」

「私にはココアをお願いしますね、龍園くん」

「さっきのを根に持ってやがんのか……。チッ、ココアで良いんだな?」

「ええ、お願いします」

 

 席を立った龍園に、読書に勤しむ椎名さんからリクエストが入った。

 苛立ち交じりに舌打ちしながらも、素直に椎名さんのグラスを持った龍園を見て意外に思う。

 

「確かにひよりは俺の支配下には入ってねえ。基本的にマイペースだし、俺の方針に唯々諾々と従う素振りもねえ。その点で言えば、頭の痛い相手であることに違いはねえさ。――が、アイツは功を立てた。先日の小テストではクラスで一番だった。本人の思惑がどうであれ、功に報いることを忘れちまったら、王として失格だ」

 

 通路を歩きながら、龍園はそう言った。

 

「なるほど、ただの独裁者というわけでもなさそうだ。厄介だが、同時に喜ばしいな。そうでなくちゃ、この学校に入った意味がない」

 

 俺もまた、素直な感想を告げた。

 

「……で、だ。何だってまたしつこくラブコールを寄越しやがったんだ?」

「最初は単に顔合わせのつもりだったんだけどな。一応はクラスを引っ張る立場だし、他のクラスを気にしないわけにはいかないだろう? AクラスとCクラスは存外楽にリーダーの確認が出来たんだが、Dクラスは違った。実像は杳として知れず、クラスメイトから感じるのは、その大半がお前に対する恐怖か心酔だ。立て続けにそれが続けば、こっちも躍起になるってもんさ。

 暴君ってのは得てして有能さを兼ね備えている場合が多い。己が耳目で確認せずして放置しておけば、その内手痛いしっぺ返しを食らうことになる。そうと分かってて何の手も打たないなんて、バカのやることだろう?」

 

 V.I.Pルームに戻った後、龍園は再び多人数用のソファを独占して問いかけてきた。

 画面に流れるコマーシャルが思いの外煩い。音量を下げ、隠すことなく率直に答える。

 

「ヘタな鉄砲でもあるまいに、よくやるぜ。――いや、所詮はDクラスと眼中に入れてなかった俺の落ち度だな。結果としてクラスは入れ替わり、お前はひよりとコンタクトを取って俺との面会を叶えた。同時にそれは、俺の支配体制の欠点が浮き彫りとなったことを意味している。

 もっと早く――4月中にお前と会っていたら、今の結果は無かったかもしれねえ。CP然りな」

「所詮は仮定の話さ。それに、今になって会うことが出来たからこそ、こっちも欲が出てきた」

「あん、欲だぁ?」

「ああ、俺はうちのクラスに椎名さんが欲しくなった。おそらく、うちのクラスの学力は学年で最下位だからな。初動が良かったから今の結果があるだけで、小テストだけの減点で考えたら、たぶん俺たちが一番だ。

 そんなわけで、学力の高い人は1人でも多く欲しいのが正直なところだ。その点、椎名さんは可愛いし、最低限のコミュケーション能力はあるし、お前の支配下に入っていない、とあらゆる点で狙い目だ。機会があったら、是非うちのクラスに来てもらいたいな」

 

 正直な思いを告げた。これで2人の反応を見る。なにせ言うだけならタダだ。……ついでにポケットの中にある小型録音機を起動させる。このために音量を下げたのだ。

 

「下さいと言われて、はいどうぞ、とやるわけがねえだろうが。システム的にもやれねえしな。……まあ、お前が2千万を貯めて掻っ攫う分には勝手だぜ。どんだけ時間が掛かるか分からねえがな」

「私は構いませんよ。金田くんを除けば、うちのクラスには本を読む人がいないのでお話する相手もいませんし。その金田くんも龍園くんの参謀ポジションで忙しそうですし。――もっとも、2千万なんてポイントは用意出来そうにありませんし、あくまでも『今現在は』と頭に付けさせてもらいますが……」

「なるほど。では、頑張って出来るだけ早く椎名さんをうちのクラスに貰い受けるとしよう。気が変わらない内にね。……ああ、そうだ。受け取れ、龍園。現2年と3年が1年の時に受けたテストのコピーだ」

 

 思いの外色よい返事を貰えたので、少しばかしサービスすることにした。

 華琳経由で学と丙家から受け取った、それぞれが1年だった時に受けたテスト問題と解答のコピー。それを更にコピーした物を龍園に渡す。

 龍園は別に借りとも思わないだろうが、それは別に構わない。そもそもにして俺の目的は人脈作りであり、そこにはクラスの違いなど関係ないのだ。

 初期クラスがCであった以上――俺たちよりマシにしても――Dクラスだって全体的に勉強は苦手だろう。場合によっては次の中間テストで退学者が出るかもしれない。それは俺にとっても旨くないのだ。

 だからこそ、最初からDクラスには過去問のコピーを渡すつもりだった。単に多少はポイントを貰うつもりだったのを無料にしただけだ。そもそもが無料で手に入れた物なので、タダで渡したところで俺の懐は痛まない。

 

「ヘッ、借りとは思わねえぜ? 精々後悔するんだな」

「気にしなくていいさ。いずれ俺が椎名さんを頂くための手付金代わりだ。椎名さんの価値には遠く及ばないが、何もしないのもアレだからな」

「……あら、私、もしかして今プロポーズされました?」

「ま、そう取ってもらっても構わないよ。ただ、俺は相手を1人に絞るつもりもないけどね。望まれるなら、何人でも相手にするさ」

「プロポーズ直後に割と最低なことを言われてしまいました……」

「言ってな、このスケコマシが」

 

 俺の言葉に椎名さんは落ち込み、龍園は呆れを見せながら部屋を出て行った。

 これでいい。直に会って確信を得た。

 龍園は確かに暴君だ。……が、一定の誇りは有している。

 未だ2千万を支払う以外に椎名さんを頂く算段はつかないが、上手いこと頂けた場合、龍園の矛先は俺に向くことになるだろう。椎名さんに向くことはない。

 さっき龍園は『システム的にやれない』と言った。俺たちの知る限り、確かに現時点ではそうだ。しかし、未来は分からないし、もしかしたら俺たちの知らない、それを可能とする制度があるかもしれない。

 また、続く『2千万を貯めて掻っ攫う分には勝手』という言葉から、龍園は『システム的に可能ならば許容する』とも言っている。……少なくとも、そう捉えることが出来る余地はある。

 椎名さんにしても、今現在はクラス移動に異論がないことを明言している。

 ならば、今回の結果は上々と言えるだろう。

 龍園が知らず、俺が分かっていることがある。それは華琳の人となりだ。

 あの華琳が生徒会に入ったのだ。何をするつもりかまでは分からないが、遠からずしてこの学校に波紋を巻き起こすことは間違いない。その一点に対する心構えが出来ているかどうかで、その後の動きに差が出ることになるのは明確だ。

 そして独裁者であるが故に何から何まで自分で指示を下さねばならない龍園と異なり、こちらにはリーダー格が複数いる。場合によりけりではあるが、必ずしも俺自身が目下の対応に気を割く必要はない。つまり、先々のことについて思考を巡らせることが出来る。

 

「悪く思うなよ、龍園」

 

 1人となった部屋で、俺はドリンクの残りを嚥下する。

 Dクラス――正確には龍園、及び椎名さんとの密会はこうして終わった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 放課後。

 相も変わらず勉強会を開くのだろう。ご苦労なことだ。……そう思いながら帰宅の準備を進めていたオレの動きを止めたのは櫛田だった。

 

「はーい、皆ちゅうもーーくッ!」

 

 ホームルームが終わるや否や、誰よりも早く動いて教室の前に立ち、声をかけ手を打ち鳴らして注目を集めたのだ。

 

「今日の勉強会からはご一緒する相手がいます! Cクラス有志の皆さんと、Aクラスの坂柳有栖さんです! 特にCクラスの皆さんには、ポイントを支払いアルバイトという形で来てもらうことになってます! ちなみにそのポイントは鈴音ちゃんが払ってくれました! 教わる皆は感謝する様に! ……で、なんでポイントを払ってまで勉強会に来てもらうかと言うと! そんなの理由は一つしかありません! うちのクラス、勉強が出来なさすぎです! それだけならまだしも、それぞれでムラがありすぎます! ぶっちゃけ自分たちの勉強もある以上、私たちだけじゃ回りません! 手が足りないのです! 数日勉強会を開いた結果、教師陣はその様な意見で一致しました!」

 

 そして、櫛田はそんなことを宣った。

 

「マジか?」

「マジよ」

 

 隣の席に座る人物――堀北がバイト代を支払ったと聞いて、思わず確認してしまった。

 それに対し、堀北は真顔で肯定した。

 だからこそ、オレは困惑せずにいられない。何故なら、クラスのヤツらには知らせてないだけで、中間テストにおける赤点回避手段は既に北郷が確保しているからだ。

 先々を見据えれば、この勉強会もムダにはならない。それは認める。――しかし、生憎とうちのクラスは劣等生が多すぎるのだ。断言するが、この勉強会の成果を中間テストで発揮出来るヤツなんぞ2割もいれば良い方だ。それほどに学力が追い付いていないのが実情だ。

 それ故の赤点回避手段だと言うのに、他クラスにポイントを払ってまでアルバイトに来てもらう? そこに何の意味がある?

 オレは勉強会にこそ参加はしてないが、リーダー格の話し合いには割と参加しているのだ。そこで零れる愚痴やら意見やらを耳に入れれば、勉強会の現状も大凡想像出来る。

 だからこそ、『教師陣の手が足りない』という櫛田の言葉に理があるのは認めよう。

 認めはするが、『では、何故そんなことをするのか』がオレには分からなかった。 

 

「どういうことだ。こんなムダなことをして何になる? 無償でポイントを支払うほど、お前は優しいヤツじゃないだろう?」

「中間テスト、という点で捉えれば確かにムダでしょうね。それに、あなたの言う通り、私は誰彼構わず優しく出来るほど人間が出来てはいない。――それでも、結局はドブに捨てることになる可能性もなくはないけど、『私にとって居心地のいいクラスにするための費用』だと思えば、この程度はどうということもないわ」

「なおさら分からんぞ。個人でのクラス移動は2千万。それ以外の方法がないとは言えないが、あったとしてもそう安い筈はないだろう」

「そうね。だから私の目論見が上手く運ぶ確信も確証もないわ。――ただ、私はあなたよりも華琳さんの人となりを知っている。あの人が生徒会に入った。それだけで、この程度の額をベットするには十分なのよ。手持ちに余裕もあることだしね」

「人となり……か」

 

 そう言われれば、オレは引き下がるしかない。論理的思考だけでは見通せないモノであり、必ずと言っていいほど感情が絡んでくる。

 未だ感情の理解が薄いオレには分からない分野だ。

 

「……そうね、あなたの感情の幅を広げるためにも、今日は――場合によっては以後も――私たちと一緒に勉強しましょうか」

「何だと?」

「場所はあなたの部屋でいいわね。ほら、サッサと幸村くんたちに連絡しなさい。私は佐倉さんたちに連絡するから」

 

 華琳といい、女というのはこういう存在(モノ)なのだろうか。オレの意思などお構いなしに決めていく。

 それを不満に思いながらも、嫌だと思いきれない自分自身が不思議だった。 




龍園とひよりの登場回です。
隙あらば粉をかけておきます。

一之瀬クラスは人の良い人物が多い印象。Cクラスに下がっても、バイト代さえ払えば普通に勉強を見てくれそうです。

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16話

 くぐもった声がする。

 何かを舐め合うような音がする。

 発生源は二人の男女――北郷一刀と坂柳華琳だった。

 唇が密着しあい、幾度となく舌が重なり合う。

 両の手は互いの身体を這い回る。

 有体に言うならば、2人は性交に及ぼうとしていた。現在はその前段階である。

 一体どれだけそうしていたのか。汗が伝った身体は艶めかしさを増していた。

 

『…………ぷはっ』

 

 互いの唇が同時に離れ、透明な橋が架かった。

 荒い呼吸のまま、再度唇が相手を求めて動き出した。さりとて、向かう先は唇ではなかった。

 お前は俺のモノだ。――あなたは私のモノよ。

 そう言いかねんばかりに――額、頬、胸、腹部と――余すことなく相手の身体を貪っていく。

 やがて昂りは最高潮へと達し――。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 やっちまった、と俺は自分自身の節操のなさに内心で呆れていた。……いや、まあ、相手が望むなら誰彼問わず抱くと決めた以上、ヤったことに後悔はない。

 しかし……だ。

 俺はチラリと視線を移す。ベッドの上には2人の少女が全裸で仲良く眠っていた。部屋の主である華琳と、ヤってる最中に彼女を訪ねてきた有栖である。

 カーテンを開けると、窓から見える景色は十分に明るい。まだ日中なのだから当然だ。

 休日の今日、前触れもなく朝早くから呼び出されて華琳の部屋を訪れた俺は、欲求不満が限界を超えた彼女に襲われた次第である。

 基本的には、如何に食指が動いても相手が望まないなら我慢が出来るのが華琳だ。……が、それにも限度があるということだ。向こうにいた頃は、夏侯姉妹や猫耳軍師のように、華琳が望みさえすればいつでもヤれる相手がいたのも大きいだろう。

 しかし、こちらに来たことによりあらゆる前提条件が覆った。

 環境が違う。

 側近がいない。

 立場もない。

 そういった諸々もあって抑え込めていた性欲も、時間の経過と共に現代に適応することで顔を出してきたに違いない。なにせこの学校、美人やら可愛い娘やら、性欲を刺激される相手には事欠かないからな。身近なところには有栖、鈴音、桔梗とタイプの違う美少女も揃っているので尚更だろう。

 そんな折に、俺が桔梗を抱いてしまった。それが華琳の我慢にヒビを入れ、ここに来てとうとう限界に到達したらしい。相手に俺を選んだのは、華琳のなけなしの理性の賜物だろう。

 俺とて向こうにいた頃は多種多様な相手とヤったのだ。桔梗には悪いが、据え膳を出されて食わぬほど男が廃ってはいない。まして華琳ほどの相手となれば喜んでいただくとも。伊達に種馬と呼ばれてはいないのだ。……喜ばしい呼称じゃないけど。

 そんなわけで両者の思惑が一致した結果、俺と華琳は激しくまぐわっていたのだが、そこに顔を出したのが有栖である。……鍵は掛けていたのだが、合鍵を持つ有栖相手には何の意味も持たなかったと言うことだ。

 そこで止めておけばよかったものを、気分が昂っていた俺と華琳はアイコンタクトで意思疎通を果たした。流石にこんな光景は想定外とあってか、呆然とする有栖を華琳が言葉巧みに誘導。言質を引き出したのをこれ幸いに、そのまま彼女も美味しくいただいてしまった、という流れである。……彼女の身体のこともあって本番はしていないが、口を始めとして十分に堪能させてもらった。非常に気持ち良かったです。

 途中からは有栖もノリノリになっていたが、場の空気に酔ってしまっただけとも言える。果たして起きた時にはどうなることか。

 

「ん……んん……」

 

 などと思っている間にも有栖は目を覚ましてしまった。

 はてさて、一体何と言われるか。

 

「…………鬼畜ですね」

「グフ……ッ!」

 

 起きた有栖はキョロキョロと辺りを見回し、次いで自分の状態を確認し、先刻までのことを思い出したのだろう。艶然とした笑みを浮かべて流し目を寄越しつつ、ポツリと零した。

 言葉の刃は鋭く俺に突き刺さったが、そう言われれば返す言葉もない。今回は丸っきり詐欺師の手口もいいところだったから尚更だ。華琳という共犯がいたとはいえ、レ〇プと言われても否定は出来ない。……この程度ですませてくれる分、有栖は十分に優しかった。

 

「ふふ、冗談ですよ。私はご存じの通りの身体ですからね。一応の知識はあれど、する機会があるとは思ってもいなかったんです。それがああも熱心に求められたのですから、不思議と嬉しさすら湧いてきますね。まあ、相手が一刀さんだから、というのも大きいでしょうが……」

「そう言ってくれると、俺としても助かるけど……」

「とは言え、キズモノにされたのも事実ですから、これからもお付き合いくださいね?」

「そりゃあ俺としても嬉しい限りだけど、いいのか?」

「構いませんよ。差し当たっては、早速もう一杯いただきましょうか。別に美味しいわけではなかったんですけど、クセがあって不思議と飲みたくなるんですよね。身体が芯から温まるとでも言いましょうか……」

 

 言うや否や、有栖は前傾姿勢となり、程なくして俺のジュニアは彼女の熱に包まれた。それだけでもじんわりとした心地良さがあるのだが、その上で舌が縦横無尽に動くのだから、もはや言語化出来ないレベルだ。……血の繋がりなど無い筈なのだが、流石は華琳の義姉妹と言うべきか。性に旺盛なのはそっくりである。

 2回戦をしている内に華琳も目を覚まし、当然の如く参戦してきた。

 日も高い内から何やってるんだろうな、と心の片隅で思いつつも快楽には勝てない。そのまま俺たちは食事の時間まで仲良く求めあっていた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 Bクラスの勉強を見ることになって何度目だろうか。僅かな例外を除き、誰もが高校生とは思えないほどの学力の低さ。それでも、ある程度は学力が向上した者がいるというのだから驚きだ。

 いやはや、これは華琳や一刀さんが頭を抱えるのも分かるというもの。Aクラスとはあまりに違い過ぎる。一周回って、それが逆に面白い。

 離れた場所で他の生徒の面倒を見ていた桔梗さんだが、一旦休憩と言わんばかりにこちらに向かってきた。

 

「やっほー、有栖さん。そっちはどんな感じ?」

「順調、と言えば順調なのでしょうかね? 着実に覚えていってはいますから」

「ゴメンね~、こんな面倒なことタダでやってもらっちゃって」

「お気になさらず。以前にも言いましたが、私はこのクラスへの移籍を望んでいますからね。その時のための顔つなぎと思えば、これもそれほど苦ではありませんよ」

 

 私が面倒を見ているのは須藤という生徒だった。バスケ部に所属している、見た目は不良然とした男だ。外見に過たず学力は低く、運動能力に優れているそうだ。

 以前は華琳が面倒を見ていたらしいが、今月になって華琳は生徒会へ入会した。それに伴い、着々と勉強を見る時間が減っているとのこと。

 元々の学力が低いというのに、須藤は部活への参加を優先している。バスケへの情熱は確かであり、その点を認めはするものの、華琳が面倒を見ていればこそ何とかなっていた部分も、これでは遠からず元の木阿弥となってしまう。

 須藤の身体能力は捨てるに惜しく、故に彼の退学を防ぎたい華琳。

 Aクラスに楽しみを見出せず、華琳や一刀さんが所属しているBクラスに移りたい私。

 直接とは言わずとも、間接的には目論見が一致したこともあり、私は華琳の――正確にはBクラスリーダー陣の頼みを引き受けたのだ。

 

「あ~、クソッ、分かんねぇ……ッ!」

 

 それでも、私はCクラスからやってきたアルバイターよりはマシだろう。思惑がどうあれ、対外的には義姉妹たる華琳への義理人情からの行いとなっているので、当然ながらポイントは貰っていない。その代わりと言うわけでもないが、須藤以外の勉強を見る必要もない。

 須藤も須藤で華琳に勉強を見てもらっていたからか、Bクラスの中では比較的マシな部類であった。バカであるのは確かだが、『勉強に対する心構え』という点では他の者たちを追い越しているだろう。

 理由として、華琳は須藤に対し勉強をする目的にバスケを絡ませていたのだ。

 須藤はバスケのプロ選手になることを目指している。プロになったら海外試合もあるだろう。そして海外に行けば、主に英語を使うことになる。ならば英語を覚えておいて損はない。……そんな感じだ。

 英語以外の科目もどこかしらでバスケと関連付けて言いくるめ、帰宅後の自習を徹底させていた。

 そういったこともあり、須藤の面倒を見るのは比較的楽だった。何かにつけてバスケと絡ませれば、後は自分で勝手に学んでくれる。ちょっとした部分は自分で教科書を見直して、どうしても分からない部分のみ訊いてくるのだ。……今の彼は、何事も心構え1つという考えを体現しているに等しい。

 実際、バスケが絡んでいる――と思っている――からか、問題が解けないことに苛立ち、頭を悩ませながらも、須藤は決してペンを放り投げたりはしていない。彼の中で、勉強を行う上での目的意識が成立している証である。

 まあ、その実は『嘘も方便』とか『馬鹿と鋏は使いよう』なのだが……。結果として学力が上がる以上、須藤も文句を言いきれまい。

 

「……あれ?」

「どうかしましたか?」

 

 私が須藤に教えている部分を見た桔梗さんが首を傾げた。

 

「いや、私の勘違いだったら申し訳ないんだけど、範囲ってこうじゃなかったっけ?」

 

 桔梗さんはポケットからメモ帳を取り出し、ページを開くと私に見せてきた。そこには各教科の中間テストにおける出題範囲として発表された部分が記されている。

 

「間違いではありませんが――間違ってますね。その範囲は先日のホームルームで修正されています。今は……こうなってますね」

 

 私もまたメモ帳を取り出して修正されたテスト範囲を見せる。被ってる部分が無いわけではないが、被ってない部分があるのも間違いない。

 互いのメモ帳を見比べた桔梗さんは、やがてその顔から色を失くした。

 

「え、これマジ? それっていつ?」

「たしか……先週の金曜でしたかね? 私やCクラスがBクラスに勉強を教え始めた日です。てっきり、それもあって頼んできたのかと思ったのですけど、もしかして違いましたか?」

 

 Cクラスはいざ知らず、私が勉強を見るようにお願いされたのは金曜の昼休みだ。出題範囲の変更もあって、なりふり構わぬ手段に出てきたと考えていたのだが、桔梗さんの顔色を見るに、どうやらそれは違ったらしい。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 やってくれたな、茶柱ァッ!

 有栖さんからテスト範囲の変更を聞かされた私は、内心の怒りを面に出さないようにするので手一杯だった。

 当初発表された範囲が違っているのは既に知っていた。赤点回避手段を確認すれば一発で明らかなのだから。

 しかし、正規の範囲が発表される前にそれを知っているのはおかしいことになる。故に、範囲の変更が発表されるまでは、テスト範囲外と分かっている部分も教えないわけにはいかなかった。まあ、そもそもの出来が悪い以上、基礎固めと考えればそれも許容出来た。

 赤点回避手段――すなわち過去問と解答を見せたところで、どうしてそうなるかが分からなければ覚えきれるわけがない。特に数学はそれが顕著だろう。大概数学というものは、式と答えが合っていないと正答とは取られないものだ。答えだけを覚えたところで、良くて部分点しかもらえないだろう。最悪の場合はカンニングを疑われかねない。

 過去問と解答を用意しても、それを覚えられるだけの下地がなければ大した効果は見込めないのだ。

 分かり易い例を挙げれば、ゲームの攻略本だろうか。

 自分のプレイしている、或いは興味のあるゲームであれば、攻略本を見れば大凡理解は出来るものだ。RPGであれば、ここにはマヒにしてくる相手がいるから、耐性を持つ装備を用意する必要がある。アドベンチャーゲームであるなら、この選択肢を選ぶと相手の好感度が大きく下がる。……こんな感じに。

 が、そもそもゲームに興味を持ってない人物であると、攻略本を見てもそこまでの情報を拾い上げられなかったりする。デカデカと書かれているような内容ならともかく、このマップで出現する敵一覧の特性なんて目に入らないかもしれないし、仮に入ったところで首を傾げるのが関の山だろう。

 如何な攻略本とて紙数には限りがある。全ての内容を事細かに載せきれる筈もなく、またプレイユーザーを前提にしている以上、簡略化出来る部分を簡略化してあるのはある意味当然で、初見さんお断りとなってしまうのは仕方のないことだ。

 過去問と解答もそれと同じ。満点へと導く素材も、扱う者次第で赤点を回避するだけの物に成り下がってしまうのだ。

 実際、去年と一昨年も問題自体は同じだったが、出題される順番は異なっていた。答えだけを丸暗記したところで、結局は解答欄がズレてしまうだけなのだ。それでも、一応の慈悲なのか順番が変わってない問題もあり、最低でも51点は取れるようになっていたが。

 だからこそ、私たちはテスト範囲変更の発表を今か今かと待っていた。よりよく過去問を活用してもらうためにだ。……それがなんだ。先週の金曜には変更が発表されていた? うちのクラスは聞いていないぞ、そんなこと。

 私がキレるのも無理はないと言えるだろう。

 

「ちょっとゴメン、席外すね。茶柱先生に確認してくる。このメモ帳、借りていってもいいかな?」

「構いませんよ」

 

 範囲はこれで合っていると知っているが、『先生に確認した』という体裁は必要なのである。私は早歩きで職員室への道を突き進んだ。

 程なくして辿り着いた職員室には運よく茶柱がいた。放課後になっているので、他の場所にいる可能性も捨てきれなかったのだ。

 確認だけなら他の先生でも構わないのかもしれないが、茶柱にはミスを償ってもらわねばならない。そのためには本人に確認するのが絶対条件。

 職員室内には他にも何人かの先生がいたが、そんなことは気にせず、私は茶柱の元へと向かった。

 

「ああ、そう言えばそうだったな。失念していたよ。範囲はそれで合っている。クラスの皆にはお前から伝えておいてくれ」

 

 問い詰めた結果がこの返答である。悪びれた様子もない。

 流石にこれには温厚な私もカチンと来てしまった。……え、嘘つくなって? 温厚だよ、認めるに足る相手には。

 

「はい、分かりました。――が、それはそれとして先生にお願いがあります。人間、完全でも万能でもありませんから、ミスが起こるのは仕方のないことです。けれど、ミスをすれば怒られるのもまた道理です。反省を促さなければ、いつまでも改善はされませんからね。……そこで、先生にも反省を形にしてもらいたいと思います」

「これはまた不思議なことを言うな。授業で習ったことをキチンと覚えているか確認するためにあるのがテストだ。範囲の変更を伝え忘れたのは確かに悪いと思うが、真面目に授業を受けていれば赤点を取ることはあるまいよ」

「論点をずらさないでください。先ほども言いましたが、人間は完全でも万能でもないんです。だから予習や復習もあるんですよ。先生が範囲の変更を伝え忘れた結果、ともすれば私たちは本番までそれに気付かなかった可能性もあるんです。今回は気付けましたが、次回以降が無いとどうして言えますか? 言えないでしょう? 

 その可能性を減らすためにも、そして私たちが今後も先生を信用するためにも、反省を形にしてください、とそう私は言ってるんです。……早い話、中間テストで良い点を取ったらご褒美として該当者にPPをください。そんな美味しい餌でも用意しないと、勉強の出来ない人たちはヤル気を失くしてしまい、それこそ赤点回避に終始するでしょうからね」

 

 結果、職員室の真っ只中で、堂々と私は茶柱に脅しをかけた。……が、これで問題視されることはあるまい。言ってることは尤もだし、そもそもにして茶柱のミスに端を発している。

 担任のミスにより、生徒のヤル気が削がれる可能性があるのが現状だ。最悪の場合は担任への不審感から学級崩壊も起こり得る。

 ならば、担任としてはそれを防ぐ義務がある。学級崩壊も1つの結末だとはいえ、学校側に端を発してはならないのだから。

 この学校の制度自体が、それを端的に表している。厳しい(ルール)も、それを凌駕するほどの飴が用意されているから、生徒たちは許容出来ているのだ。

 今回もそれと同じだ。茶柱のミスで生徒のヤル気が削がれたのなら、茶柱の手で生徒のヤル気を跳ね上げればいい。他ならぬ被害を受けた生徒自身の提案なのだから、決して完全否定は出来やしない。

 しかし、そもそも今回の中間テストは学校側の用意した出来レース。小テストに用意された難問がそれを示唆している。本来なら高校2年生や3年生になってから習う筈の問題を組み入れた意図は、『先輩に確認しろ』という学校側からのメッセージ。

 一刀くんが生徒会長と丙家先輩から受け取った過去問は文字通りに1年分だ。その内、1年1学期の中間テストと先日受けた小テストのみ、ものの見事に同じ内容だった。

 つまり、学校側の意図に気付きこれを入手出来れば、十中八九に初回の赤点は回避出来るという寸法だ。

 本来ならポイントによる交渉を実施させる思惑もあるのだろうが、一刀くんは過去問を手に入れるのに1ポイントも使っていない。その恩恵を受ける私たちもまた同じ。……まあ、人脈もまた実力ということだ。

 ともあれ、出来レースともあれば茶柱が渋るのも無理はない。――と、そう思っていたのだが……。

 

「はぁ……。まったく、今回のクラスは本当に例年とは大違いだな。いいだろう。中間テストで良い点を取ったら私からPPをくれてやる。順位式とボーダー式、どちらにする? 

 順位式ならば、それぞれの科目と総合でトップ3に入った生徒に。ボーダー式ならば、一定点数以上を取った生徒に。……現時点で具体的な支給ポイントまでは教えられんが、ボーダー式なら均一となることぐらいは教えよう」

「肝心のボーダーは?」

「それも言えん。言ってしまえば、『その点数さえ取れればいい』という考えを生みかねんからな。心配するな、流石にボーダーが100点などという無茶は言わんよ」

 

 存外茶柱はゴネなかった。むしろ、アッサリとし過ぎている。……そこが疑問ではあるが、まあ、ここまで引き出せただけでも私としては十分だろう。

 チラリと茶柱の表情を見て、もしかしたら元々そのつもりだったのかもしれない、と思い至った。ニヤリと人の悪い笑みを浮かべているが、本当に喜んでいる様にも感じ取れたからだ。……伊達に中学時代をコミュニケーションに費やしてきたわけではない。機微を見るのは得意な方だ。

 ならば何故こんな真似を、と考えて1つの予想が付いた。『機転を利かせて言質を引き出せる生徒がいるかを測っていた』とするなら、その喜びにも納得がいく。吼えるだけの生徒や、すぐに引き下がる生徒に用――或いは価値――はない、と言ったところか。

 それはそれで更なる謎を呼んでしまうが、ともあれ、2択の答えを言わなければならない。茶柱の思惑など後回しだ。

 まあ、どちらを選ぶかなど悩むまでもない。そもそもの前提として『クラスメイトのヤル気を引き出す』必要があるのだから。

 

「ボーダー式でお願いします」

「了解した。精々上手く活用しろ」

「はい。……それでは、失礼しました」

 

 茶柱に不気味なモノを覚えつつ、私は職員室を後にした。




頑張って描写してみた。このくらいならR-18じゃないと思いたい。

テスト範囲変更の発覚元は有栖にチェンジ。そもそも堀北勉強会が発足してないので。

あとは茶柱先生の行為に説明付け。この先生なら過去問への誘導以外の意味もあるだろう……と。

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17話

 中間テスト当日を迎えた。

 突然の範囲変更に、一度は茶柱先生に対しクラスメイトから悪感情が高まったものの、桔梗が取り付けてきた約束を耳にするや即座にそれは取り払われた。むしろ『気前がいい』などと手の平を返す者が続出した。各科目一定ラインを超えた点数を取れば、誰もがポイントを貰えるとなれば無理もないだろう。

 肝心のラインや貰えるポイントは不明だったものの、それはヤル気の阻害には繋がらなかった。何故ならば、同じタイミングで過去問と解答を配ったからだ。現3年と現2年、どちらも1年1学期に受けた中間テストは同じ内容だった。それを鑑みると、今回の中間テストも同じ内容だろうことは想像に難くない。

 過去問が通用するのは今回限りと言い含めた上で、数日の猶予を以て渡したのだ。出てくる問題が分かり、解答が分かり、覚えるだけの猶予もあるとなれば、茶柱先生への怒りを持続させてなどいられない。誰もが時間の許す限り過去問に向かい合った。

 それぞれの基礎学力を思えば、本来ならあまり望ましいことではないだろう。役立つことに間違いはないが、基礎学力の上昇という点では阻害される要因にもなりかねないからだ。しかし、それも時と場合によりけりだ。

 過去問が甘い毒であることは否定しようのない事実だが、考えようによっては薬にも化ける。一夜漬けだと本当にその場限り――テストが終われば程なく忘れてしまうだろう――になりかねないが、数日間も問題と解答に向き合えば、一夜漬け以上に頭に刻まれるのは間違いないからだ。この問題の全てとは言わないが、一部くらいは後々まで覚えていられる可能性も高まる。

 一定ライン突破で貰える、ポイントという名のご褒美の存在がそれを助長してくれる。『退学したくない』という意識だけでは、赤点を突破出来る分だけ覚えた段階で良しとしてしまいかねない。そこに『ポイントを貰う』という意識が組み合わさると、隅から隅まで覚えようとするだろう。肝心のラインが不明だからこそ、ポイントを欲すればより高得点を取ろうとするのが人の性というものだ。

 ポイントを強請った桔梗もそうだが、聞いた話ではそうなることを望んでいたフシのある茶柱先生もまた、即物的な人間心理というものをよく分かっているように思う。

 流れ上、過去問についてはCクラスにも渡してある。最初は恐縮しきりに断ってきた一之瀬さんだったが、最後には根負けして受け取ってくれた。打算込みであるのは否定しないが、バカどもの勉強を見てくれたCクラスの有志には本当に感謝しているのだ。

 一之瀬さん自身は使わないことを明言したが、クラスメイトに関しては確認した上で希望者に配布するそうだ。それもまた一つの選択である。見たところ人の善性を信じる傾向が強く、そのためか正攻法に傾きがちな彼女だが、こういった点では融通を利かせるのがまた恐ろしい。

 念のため有栖にも確認してみたが、案の定彼女は『いりません』と言ってきた。そもそも、天才を自負する有栖にとって、この程度の問題など過去問が無くとも満点を取ることが可能なのだ。加え、彼女は現在のクラスに対して興味が薄いらしい。つまり、過去問を配布してクラスメイトから恩を集める理由もない、ということだ。

 仕方のないことではあるが、個人的には残念だ。ここでAクラスに恩を売れていれば、後々何かしらの布石になったかもしれないのだから。

 ともあれ、クラスの誰しもが自信に満ち溢れた顔をしている。テストに対する不安は微塵もないようだ。

 

「当然だが、欠席者はいないな。全員揃っていて何よりだ」

 

 教室にやって来た茶柱先生がクラスを見渡して言った。その顔には不敵な笑みを浮かべている。

 

「最初の関門に対して何か質問はあるか?」

「ご褒美、忘れないでくださいね!」

「櫛田、念を押さなくても分かっている。ただ、あくまでもこちらの定めたボーダーを突破した者に限るからな? ……ふむ、ここまで来たらボーダーを発表してもよかろう。ボーダーは90点。各科目ごとにこの点数を突破した者には、私からポイントをくれてやる。――しかし、だ。当然ながら私の用意出来るポイントも無限にあるわけではない。該当者が多ければ多いほど、1人頭のポイントが少なくなることは了承してもらう」

 

 今の言葉を聞いて、僅かながらガッカリした者が現れた。俺の席から見える範囲には限りがあるが、それでもいたのだ。見えない部分にもいると思っていいだろう。

 さて、なぜ茶柱先生はこの様な真似をするのか? 単純に考えるなら、俺たちを篩にかけているのだろう。茶柱先生の目的がどこにあるかまでは流石に分からないが、彼女には彼女でそうするだけの意図があるのだ。学校の求めるものとは、また違う意図が。

 例えば、範囲変更を伝え忘れたことに対する言及。桔梗は茶柱先生のミスをいいことに職員室内で堂々と脅迫じみた真似をしたらしいが、普通ならそんなことは中々出来ない。目上の者へ対する礼義、周囲からの視線、差し迫ったテストまでの期間、そういった諸々が実行に移すのを躊躇わせる。……たとえ心の中でどう思っていたとしても。

 そして今の言葉。茶柱先生はボーダーに対しては明確に言及したが、支給するポイントにまではそうしていない。最低○○ポイントとか言ってもよさそうなものなのにだ。

 それをしていない以上、俺たちはご褒美のポイントに具体的な目処を付けられない。裏を返せば、人数が多かろうと少なかろうとご褒美ポイントに変更はない、という可能性だって残っているのだ。……結局のところ、俺たちは貰ったポイントで納得するしかないのだから。

 言葉の表面だけを聞いて、ヤル気を無くすか。言葉の裏側までを読み取り、ヤル気を削げずにいられるか。……俺には、茶柱先生はそれを測っている様に見えた。

 

「話を変えるが、今回のテストと7月に行われる期末テスト。この二つを乗り越えられたなら、夏休みを使ってお前たち全員をバカンスに連れて行ってやろう。青い海に囲まれた自然豊かな無人島で、夢のような生活を送らせてやるとも」

 

 突然の話題変換。これは怪しい。

 ご褒美額の減少を聞いてガッカリした生徒のヤル気を取り戻すため、という体裁を取っている様にも思えるが、普通に考えて怪し過ぎる。

 しかし悲しいかな。Bクラスに上がったとは言え、そもそもが『問題児』や『劣等生』の集まりである。大半は聞こえの良い言葉に踊らされて気を良くしている。いつぞやの水泳授業で先生が言っていたことを思い出せば、そんな甘いものじゃないことぐらいは分かりそうなものなのだが……。

 まあ、それを覚えていられないからこそDクラスだったのだろう。

 内心で呆れていると、やがて問題用紙が配られた。

 中間テストの開始である。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 社会から始まり、国語、理科、数学と片付けて、現在は昼休みである。

 俺は弁当を持って洋介の元へと赴いた。

 

「よっ、そっちはどんな調子だ?」

「ああ、一刀くん。何とかってところかな。全部自力で解けたら良かったんだけど、過去問に助けられた部分も相応にあるからね。もっと精進しないといけないって思ってたところさ」

 

 昼食を取り出していた洋介は、俺の言葉に向き直った。その返事は十分に立派なものである。

 

「そう思えるなら、十分だと思うぜ? 今回の方法は暗黙の了解ってやつで、表立って言わないだけで学校側も認識してる筈だ。流石に入学早々の退学は望ましいことじゃないんだろうな」

「確かに、茶柱先生も『赤点を回避出来る筈だ』とか言ってたしね。……けど、だからこそ不安になるんだよ。今回の方法とは違っても、毎回裏技的なのが用意されてるんじゃないかってね。

 もちろん、『それを見つけ出すのも実力だ』と言われたらその通りなんだろう。だけど、もしかしたら、そういうのを探すのばかり上手くなって、学力とか運動能力とかの純粋な能力を鍛えるのがおざなりになっちゃう可能性を、どうしても否定出来ないんだ」

「その気持ちは分からんでもないさ。いっそ開き直れたら楽なんだろうけどな。……まあ、そういった恐怖心があるから、人間ってのは自戒するのさ。

 それに、俺からしたら洋介にその心配は無用だと思うけどな。だってお前、サッカーが好きなんだろ? 純粋にサッカーが好きで、部活にまで入っちまうお前なら、裏技ばかりにかまけたりはしないさ。練習の厳しさや苦しさなんかも承知の上なんだろ?」

 

 サッカーには個人技も必要だが、何よりもチームワークがモノを言う。いくら能力が高くても姑息な手段ばかり使うようなヤツが選手に選ばれることはないだろう。

 その点で鑑みれば、洋介が選手に選ばれる可能性は十分にある。まあ、1年なのですぐにというのは難しいだろうが。

 そういった考えを洋介に伝えると――

 

「ああ……そうか。そうだね」

 

 思い至らなかったようで僅かに呆けた後、安心したとばかりに良い笑顔を浮かべた。

 

「なになに、男の子同士で何か楽しい話でもしてるの?」

 

 横から覗き込んできたのは桔梗だった。片手に弁当箱を持ち、もう片腕に鈴音を引っ張っている。……引っ張られている当人は諦めの表情だ。

 空いているのをいいことに、桔梗たちもまた席を陣取った。自炊出来ない者にとって、昼食を取るには食堂か売店、カフェぐらいしか選択肢がない。それはテスト当日であっても変わらないのだ。

 

「洋介にテストの出来栄えを訊いていたのさ」

「うん、そうなんだよ。……そういえば、一刀くんの方はどうだったんだい?」

「自慢じゃないが、満点の自信がある」

 

 ニヤリと笑って俺は言った。

 

「自慢にしか聞こえませんよ、それ。要するに過去問を使っていないってことでしょう? 使ってれば、わざわざ『自慢じゃないが』なんて付ける必要はありませんからね」

 

 俺の言葉にツッコミを入れたのは鈴音だった。……こういったことで彼女の成長を実感する。

 出会った当時の鈴音であれば、『過去問を使ってるんだから当然』などという結論に達していただろう。よく知った俺相手だからこそ、という可能性もないではないが、言葉の裏を読めるようになったのは素直に喜ばしい。それは視野が広がったことを意味するからだ。

 如何に能力が高くても、それが飛び抜けたものでない限り、対処法など思いの外存在する。特定分野で敵わないならば、それ以外の分野で攻め立てればいい。それを突き詰めたのが『搦め手』であり、『策』というものだ。

 人は理性と感情を有するアンバランスな生き物だ。だからこそ、同じ内容でもちょっとしたことで結果がブレたりする。そのブレを出来る限り減らすためにあるのが復習や練習だ。繰り返すことで頭と身体に覚え込ませるわけだな。

 当然だが、万事が万事それでうまく運ぶわけではない。あくまでもブレを減らす効果しかないからだ。……が、それでも確実にブレは減る。ブレが少なくなれば、それは能力の上昇を意味し、当人は自信を持つ。

 ところで、人は群れの中で生活する生き物だ。いくら1人を気取ったところで、他人との接点を完全になくすことなど出来やしない。なればこそ、何に付けて『相手』というのは存在する。

 正攻法で敵わない場合、相手はどうするか? 当然ながら、勝つために『ルールに抵触しない範囲で利用可能なあらゆる手段』を用いるだろう。

 鈴音の場合、それに引っ掛かりやすい傾向があった。なまじ能力が高い分、引っ掛かっても正面から打破出来ることが多かったので、『引っ掛かった』という事実を省みることも少なかった。それがまた視野狭窄を招いていたのだ。

 

「う~ん、私も頑張ってはいるんだけど、それを聞くとまだまだ追い付けそうにないなぁ……」

 

 溜息を吐いたのは桔梗だった。彼女も彼女で成長著しいが、中学時代の大半を周囲とのコミュニケーションに割り振っていた弊害が如実に表れている。それがなければ、鈴音と同等の学力を手にしていた可能性は十分にある。

 まあ、過ぎたことだ。それに、客観的に見てどちらが総合的に優れているかと言えば、間違いなく桔梗に軍配が上がるだろう。鈴音は周囲とのコミュニケーションを蔑ろにしすぎである。どうやらそれも改善はされてきている様だが……。

 今月のいつだったかに――

 

「どうやら鈴音にも友人が出来たらしい。クラスメイトで佐倉という娘だ。櫛田に関しては言うまでもないだろうが、よければお前も気を配ってやってくれ」

 

 などと、学が嬉しそうに伝えてきたのだ。

 電話口から聞こえた優し気な声は、レアものと言えばレアものだろう。録音しておけば高値で売れたかもしれない。その代償として友情にヒビが入るだろうが。

 まあ、思う程度は勘弁してほしい。あのシスコンは、昔から鈴音のことで一喜一憂しすぎなのだ。そのくせして当人には冷酷に当たるのだから始末に負えない。……一応、そちらも多少は改善されてきたみたいだが。以前の学であれば、間違っても鈴音の頭を撫でたりなどしなかった。

 ともあれ、今は学のことはどうでもいい。それよりも桔梗を慰めなければいけない。

 

「ま、そう簡単に追い付かれたら立つ瀬がないよ。けどまあ、俺の場合、結局は努力の成果でしかないからな。元々の才能は桔梗の方が優れてるんだし、遠からず追い付かれるさ。他ならぬ俺が保証する。――かと言って、そう簡単に追い越される気はないからな? そこは勘違いしないでくれよ?」

 

 慰めると言っても、こんな形でだが。甘やかす時は甘やかすが、こういう時は発破をかけた方が桔梗は成長してくれるのだ。

 こんな感じで食べる合間に会話を重ねていると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

 最後のテストは英語である。

 全科目でご褒美を貰うべく、俺は気合を入れた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 中間テストは終わり、ホームルームもまた終わった。皆の顔には笑みが溢れている。出来栄えは十分、と言ったところだろうか。

 さて、私も生徒会室へ行くか。……そう思った折、その放送は流れた。

 

『1年Bクラス所属の坂柳、佐倉、堀北の3名は至急生徒会室まで来るように。繰り返す。1年Bクラス所属の坂柳、佐倉、堀北の3名は至急生徒会室まで来るように』

 

 流れたのは間違いなく学の声だった。……不思議なものだ。私に限っては、呼ばれなくとも生徒会室に行くというのに。

 無論、学とてそれは分かっている筈だ。にも関わらず私の名前も呼んだ意味はどこにある? ……少なくとも、私には思い当たるだけの心当たりがない。

 すなわち、要点となるのは私以外に呼ばれた2名――佐倉と鈴音だ。

 私の名前も呼んだのは2人と同じクラスだからだろう。……が、わざわざそうする必要があったということは、相応の大事が起こったか起こり得る、ということでもある。

 

「さて、呼ばれたことだし行くとしましょうか。ちなみに2人に心当たりは?」

「私には特に。確かに兄さんには以前に佐倉さんのことを話したことがあったけど、それだけで呼ばれる筈もないし、そうだとしても時間が経ち過ぎているわ」

 

 どうやら鈴音には心当たりはないようだ。言ってることも尤もである。

 だが、佐倉の方はそうでもなかったらしい。

 

「ゴメン、堀北さん、生徒会長には、なんて?」

「最近親しくさせてもらってるって、それだけよ?」

「それなら……けど、生徒会長だったら……? 2人とも、ごめんなさい。まだ確証はないけど、たぶん、私の問題に巻き込んじゃった」

 

 真剣な、それでいて申し訳なさげな顔で、佐倉は私たちに謝ってきたのだった。




テスト日って昼休み無いのかな? 原作だと4時間目の数学の後、休憩時間が10分って書かれてるんだけど……。
特殊な時間割の可能性もありますが、本作では普通に昼休みを過ごしてから英語のテストに移りました。
過去問も余裕を持って渡してあるので須藤の寝落ちもありません。

次話から新章に入ります。

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実力とは印象である。――実像と偶像、或いは仮面と素顔――
18話


「……来たか。3人はついてこい。橘、俺たちは隣にいるが、緊急、かつ重要度の高い案件以外はお前たちで対処しろ。他の者にも伝えてくれ」

「了解しましたが、今から行われるのはそれほどの案件なのですか? 会長と副会長が揃って当たられるなんて……」

「現時点ではまだ何とも言えん。生徒のプライバシーも関わってくるのでな。だからこそ確認を取るために呼んだのだ。……が、場合によっては、より上の判断を仰ぐことになるかもしれん。取り越し苦労に終わる可能性もあるが、気構えだけはしておけ。――待たせたな、行くぞ」

 

 生徒会室に着き、私たちの姿を確認するや否や、学は隣室へ来るように促した。

 私にとっては見慣れたものだが、生徒会室は2つの部屋――執務室と会議室で構成されている。

 執務室は基本的な業務を行う場所であり、一般的には生徒の対応もこちらで行う。

 もう一方の会議室は名前の通りだ。……が、普通の会議以外に問題案件の話し合いなどでもこちらが使われる。

 どちらも生徒会室であることに違いはないので廊下から入ることも出来るのだが、普段会議室側は施錠されている。

 わざわざそちらを使うということは、どうやら思った以上に厄介事の様だ。茜に対する説明からも、そのことが窺える。

 

「坂柳、すまんが茶の用意を頼む。俺が淹れるよりもお前の方が上手いのでな。他の2人は掛けてくれ」

 

 会議室へと私たち3人を招き入れた学は、執務室とのドアを施錠しながらそう言った。

 

「――だ、そうだから、取り敢えず掛けなさいな」

 

 緊張する鈴音と佐倉に腰掛けるよう促し――所詮は味気ないパイプ椅子だが――私は言われたとおりに茶の準備を始めた。会議室の一角には簡易的な給湯室も用意されているのだ。

 作業の傍らチラリと横目で見てみれば、学はパソコンと巨大モニターを接続しているところだった。

 

「お待たせ」

 

 茶の準備が終わる頃には学の方も席に着いていた。巨大モニターには最早見慣れてしまったホーム画面が映っている。

 

「さて、2人には待ちぼうけをさせてしまったが、改めて今回呼んだ理由を説明しようと思う。……が、佐倉愛里。そのことで最初に謝っておく。今回の件は著しくお前のプライバシーに関わる問題だ。俺とて余り吹聴したくはないが、1人だけでは手が回らんのもまた確か。よって、ここにいる坂柳にはお前の過去を知らせることになる。何故ならば、彼女は生徒会副会長の役職に就いていることもあり、俺の代行を出来るだけの権限を有しているからだ。時と場合にもよるが、わざわざ俺の判断を仰ぐ必要もない。

 本当であればもう1人ここに呼びたかった人物がいるのだが、生憎と俺には心当たりがなくてな……。監視カメラの映像を見せてもらうことも考えたのだが、お前たちが仲を深めた時期を詳しく知らない以上、絞り込むのも難しい。それよりは、直接お前たちに確認した方が早いと判断した。

 まあ、それは後に回すとしよう。話の流れ上、そちらの方が分かりやすいだろうからな」

 

 そこまでを口にして、学は強い視線を私に寄越した。その目が告げている。『いざという時にはお前が対処しろ』……と。

 まあ状況次第ではそうすることも吝かではないが、今の私は事情がよく分かっていないのだ。これでは対処出来るかどうかの判断を下すことすら不可能である。

 

「分かりました。私と堀北さんが呼ばれた時点で、薄々予想は出来てましたから。私と彼女を結び付けたのにも、私の過去が関わってますので……。

 ただ、一つ疑問が。そこまでの、案件なのでしょうか? 私が我慢しているだけでは、ダメなのでしょうか?」

 

 顔を上げることもせず、ただただ机の一点を見つめながら佐倉が零した。心なしか、その声は震えている。

 

「ダメだ。どう落ち着くかも分からん状態ではあるが、それだけは断言出来る」

 

 それに対し、学は真っ向から佐倉を見据えて、力強く断言した。

 

「お前が普通の生徒であれば、或いはそれも可能だったかもしれん。だが、お前の過去との繋がりは、今もって完全に切れているわけではない。そしてそれこそが、この状況を複雑にしている」

「一段落つくのを待ってるつもりだったのだけど、いい加減に口を挿ませてもらってもいいかしら? さっぱり話が見えてこないのだけど?」

 

 無礼と承知で、私は横から口を挿んだ。言葉通り、内容が全く分からないからだ。

 

「ああ、そうだったな。……そこの佐倉は過去にグラビアアイドルとして活動していた。そして問題はここからだ。今の彼女は活動を休止してこの学校に通っているだけであり、所属事務所との契約が切れているわけではないのだ」

 

 佐倉がグラビアアイドルだったことには驚きだが、何となく話が見えてきた。

 芸能人、契約状態、閉鎖空間。これらが結び付けられることなど、そう多くはない。

 

「ひょっとしてだけど、『ストーカー問題』ってやつかしら?」

「未だ誰とも分かっていないがな。しかし、頭が痛いことに十中八九この学校の敷地内にいると思われるのだ」

 

 私の問いかけに学は肯定を示し、溜息を吐いて頭を押さえた。

 なるほど、確かに頭の痛い話である。

 佐倉は学生であると同時に、半分社会人なのだ。……である以上、この学校に通っているのには、所属事務所の善意に依っている部分もある、ということだ。

 何故ならば、3年間敷地内に出ることが出来ず、外部との連絡も出来ずとあっては、会社としてそれだけのビジネスチャンスを棒に振っているも同然だからだ。無論、100%完全な善意というわけではないだろうが……。

 

「俺が佐倉のことを知ったのは、鈴音から自撮り写真を見せられたことに端を発する。それまでは生徒として認識してはいたが、それだけでしかなかったからな。

 俺とて血の通っている人間だ。鈴音に友人が出来たと聞けば、最低限の調査はするとも。いくら可愛い妹とはいえ、対人能力が極端に低いのは否定出来んしな。

 公私混同と言われればそれまでだが、元より完全に切り離せるわけもない。それに、生徒会長には生徒のパーソナルデータを閲覧出来るだけの権限もある。生徒会の戦力を欲しているのも事実であり、折を見ては調査をしているのもまた確かだ。佐倉のことは、たまたま鈴音が要因となったに過ぎん。

 ともあれ、そうして佐倉の資料を閲覧した俺は、必然としてその特記事項も目にすることになった。『雫という名義で、グラビアアイドルとして活動経験あり』としか書かれていなかったがな。だからこそ雫のことも調べ、今が活動休止中であることや、彼女のブログにも辿り着いた。

 そして、問題はそのブログにあった。彼女自身に問題があるわけではない。自撮り写真の投稿は今でも続けられているが、何一つとしてコメントは発信していない以上、『外部連絡の禁止』には当たらない。……問題なのはそのコメント欄――より詳しく言えば、特定ユーザーからの書き込みにあった」

 

 言いながら学はパソコンを操作。ネットに繋げ、佐倉の所属事務所が公開している雫についての情報ページを開いた。

 モニターが巨大であるためハッキリと見える。確かに雫については活動休止中として発表されているだけで、決して引退とはなっていない。

 紹介写真に写っている雫は、眼鏡を掛けておらず、活動的な雰囲気で、髪型も異なる、と一見しただけでは佐倉と似ても似つかない。……が、その一方で髪色や体格などは佐倉と遜色ない。見る者が見れば、同一人物として結び付けることは十分に可能だろう。前情報があるなら尚更だ。

 全員が雫の情報を確認したところで、次に学は別のタブで佐倉のブログを開いた。

 

「これがその問題のユーザーだ」

 

 カーソルが動いてコメント欄にある数多ある名前の中から1つを選び、グルグルと円を描く。ユーザーネームは無機質な文字の組み合わせで、少なくとも私には何かしらの意味がある様には思えなかった。

 

「以前はそこまででもなかったが、今年の4月を機に書き込みが過激化している」

 

 操作に従い、コメント欄を遡っていく。件のユーザーネームを注視してみると、活動開始からの熱心な古参ファンというわけでもなさそうだ。コメントへの初書き込みは、ブログを開設してそこそこの月日が経ってからとなっている。ある程度の知名度が出て、それを機に知った口だろう。

 その書き込みは、確かに他のファンと遜色のないものだった。『応援してるよ』だの、『これからも頑張って』だの、ありきたりと言っていい。

 しかし、今年の4月。

 

「『運命って言葉を信じる? 僕は信じるよ。初めて神様に感謝したんだ。これからはずっと一緒だね』から始まり、数日後には『友だちかな? クールそうな綺麗な子と一緒だったね』……か。学が佐倉を知った経緯からすると、間違いなく『クールそうな綺麗な子』を鈴音と結び付けるわよね。私だってそうだもの」

 

 私の知る限り、佐倉もまた対人能力は低い。方向性は違えど、鈴音と遜色ないほどだ。ある程度そこら辺を知っていれば、佐倉の交流相手として真っ先に思い浮かぶ相手は鈴音となるだろう。

 学の言葉に納得を抱きつつ、コメントを読み進める。するとまぁ、その後の書き込みも酷いものだ。段々とエスカレートしていく内容も合わさって、一見すればファンの行き過ぎた妄想に等しい。しかし、私たちの現状と照らし合わせれば、そうと切って捨てることなど出来るわけがない。

 

「もっと早い段階でお前たちに確認することも考えたのだが、中間テストに支障が出る可能性を考えれば、それもまた難しかった。佐倉がこの件を把握している保証もなかったことに加え、うちの高校は赤点を取ったら退学だからな。……赤点を取っても情状酌量の余地はあると思うが、何ら確認が取れていない段階では『気にしすぎ』と言われたらそこまででもある。

 時に佐倉、お前はこれ以前にこの件で学校側から質問を受けたことがあるか?」

「いえ、ありません」

「かもしれんとは思っていたが、やはりか。まったく、こうなる可能性自体は想定しておくべきだろうに何のフォローも無いとは、上は一体何を考えているのか……。俺は確かに生徒会長だが、1生徒であるのも間違いないと言うに。何だって生徒が学校側の尻拭いをせねばならんのか……。――ああ、すまんな。事情の重さについ思わず。ともあれ、ここで初めに言った『もう1人』が出てくる」

 

 片手で頭を押さえ、深い溜息と愚痴を吐きながらも学は操作を続け、やがてカーソルはあるコメントを指し示した。

 

「『友達が増えたんだね。類は友を呼ぶって言うのかな? 3人で歩く姿は楽しそうだったよ』……か。私と佐倉さんと一緒の3人目となれば、まず間違いなく長谷部さんでしょうね。

 それにしても、ごめんなさい佐倉さん。私はこんなことになってるなんて思いもしてなかった。……以前から一刀さんに視野の狭さについて注意されていたのだけど、これほど痛感したことはないわ」

 

 鈴音もまた痛そうに頭を押さえ、次いで佐倉に頭を下げた。

 又聞きしただけの学がここまで把握しているのに対し、紹介した当の本人は思い至ってもいなかったのだ。それは頭が痛くもなるだろう。

 

「わ……ッ!? 頭を上げて、堀北さん。私は、気にしてないから。友だちなのに、相談しなかった私も悪いし……」

 

 佐倉も佐倉で、バツが悪そうに鈴音へ頭を上げるように促している。

 

「それで長谷部とは?」

「私たちのクラスメイトよ。そして、クラスでも佐倉とタメを張るほどに巨乳の持ち主ね。まず間違いなく、『類は友を呼ぶ』はそこを指しているのでしょうよ。……言われてみれば、いつからか3人で勉強するのを見るようになったわね」

 

 そんな2人を放置して、学は私に確認してきた。

 何ら隠すことなどない。私もまた知る限りのことを答えた。

 

「謝りあっているところを悪いが、この長谷部という生徒を呼ぶことは出来るか? 放送を掛けてもいいが、既にホームルーム終了から結構な時間が経過している。これでは校内に残っている保証もないのでな……。

 ここ最近はテストのこともあり、自撮り写真の投稿が滞っていただろう? そして、こんな妄言にも等しい内容を書きこむ相手が、敷地内の人物だろうことも言った通りだ。中間テストが終わった今、我慢をしきれずに接触を図る可能性はゼロではない」

『……ッ!? 今すぐに連絡を取ります!』

 

 学の言葉で初めてそのことに思い当たり、危機感を刺激されたのだろう。2人は異口同音に声を上げた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 長谷部と連絡を付けることには成功したそうだが、やはり帰宅の途にあったようで来るにも時間が掛かるそうだ。

 それを聞いた学は休憩時間を設け、自身は颯爽と会議室を後にした。おそらくは根回しやら何やらをしに行ったのだろう。執務室のメンバーに後から長谷部が来ることを伝えておかなければ、呼びつけた相手をとんぼ返りさせることになってしまう。

 学の消えた会議室は沈黙に包まれている。見るからに2人は焦燥していたが、私はそれを放置した。

 焦る2人には申し訳ないが、私は長谷部の無事を確信している。しかし、それとて確証があるわけではない。……ただ、わざわざ学が校内放送で呼び出した時点で、目敏い者なら気付いているだろう、という推測があるだけだ。

 実のところ、この推測は――佐倉はともかく――鈴音であれば出来てもおかしくはない。……と言うか、普段の鈴音であればまず間違いなく出来るだろう。それが出来ないポンコツと化している時点で、私はある種の安堵を得ていた。

 鈴音もやはり人間だな……と。

 実際にどれほどの仲なのかは分からないが、2人と長谷部の間に親交があるのは間違いない。そんな相手の安否を煽られたのなら、気が動転するのは普通なのだ。

 そうして時間が経つこと5分か、或いは10分か。待たせたな、と言いつつ席を外していた学が戻ってきた。

 生徒会長たる学が纏う空気は、2人の焦燥を吹き飛ばす効果はあったようだ。徐々に冷静さが戻っていく。

 そんな2人を見つつ、ある程度の時間を置いてから学は声を発した。

 

「さて、長谷部が来るまでの間、出来るだけのことは先にやっておこうと思う。……それで、どうだ? このコメントの書き込み主について心当たりはあるか?」

「すみません。私も考えてみて、ある程度までは絞り込めたんですけど……」

「何でもいい。教えてくれ」

「この、書き込みです。この日付は、私と堀北さんが、初めて一緒に行動した日です。出かけた先は、ショッピングモール内の、家電量販店とブティック。ただ、流石にそれ以上は……」

「……そうか。特定が難しい以上、佐倉にはすまないが、今回の件は理事長に報告することとなる。――いや、たとえ犯人が特定出来たとしても報告しないわけにはいかない。今回の件は、それだけの問題を孕んでいるのだ。

 この学校は数多の信用信頼の上で成り立っている。政府主体の運営。小さな街とも言っていいほどに門を構える多種多様な店舗。その店舗にしても、どれもこれもが『大手』と言われるに値する。……こういった、いわゆる『ブランド』で固めてあるからこそ、生徒も、その親も、我が校を信用信頼している一面があるのは否定出来ない。実際、謳い文句に対してどこか『怪しい』と感じても、入学希望者は後を絶たない。

 しかし、それ故の脆さもある。……分かるか?」

 

 学は私たちを見渡して訊いた。……私には『黙っていろ』と視線で釘を刺して。

 

「『許可のない外部連絡の禁止』。この校則が、その答えを暗に示しているかと思いますが?」

「そうだ。ある一定以上、外部の者から怪しまれてはならず、疑われてはならないのだ。『秘匿』というヴェールに包まれているからこそ、正常な――と言っていいのかどうかは微妙だが――運営が出来ているのは紛れもない事実。……確証はないが、おそらくここの敷地内で働くすべての者は、我が校の生徒と似たり寄ったりな誓約を受け入れた上で働いていると思われる。

 だが、この一連の書き込みはヴェールに切れ込みを入れている。信用信頼にヒビを入れている。

 大多数の者は『佐倉愛里』と『グラビアアイドルの雫』と『高度育成高等学校』を結び付けて考えることは出来ないだろう。しかし、無論のことながらその例外もいる。それが――」

「佐倉さんの両親と――」

「グラビアアイドル雫の契約事務所ね?」

 

 学に挿む形で鈴音と私の言葉が続いた。

 

「そうだ。そして今回ネックとなるのが後者だ。芸能人の所属事務所となれば、一般家庭以上の情報発信力、及び影響力を有していて然り。実態を知らないので確かなことは言えないが、それでも雫のブログチェック位はしていると見ていいだろう。

 特殊なシステムを組み込んでいるとは言え、うちの学校もテスト期間や長期休暇は外の学校と大差ない。多少のズレこそあるだろうがな。……考えようによっては、だからこそ件の事務所も沈黙を保っている、と捉えることも出来るのだ。

 そして、もし本当にそうである場合、時間的な猶予はない。最低でも、残り僅かな今月中にこちらから話を持ち掛ける必要があるだろう。佐倉の入学に際し、件の事務所とどの様なすり合わせをしているのかは見当も付かんが、それが礼儀というものだ。保障されている筈の、『最低限の安全』が妨げられようとしているのだからな。

 また、このコメント主への対応もある以上、事が更に広がりを見せるのは明白だ。誰かは特定出来ず、それでいてこの敷地内の人物である可能性が高いと分かっているのが現状だ。運営を続けていくためには、敷地内施設の経営陣とも話を詰める必要があるだろう。

 当然ながら、そんなことは一介の生徒会長に出来ることではない。よって、どう足掻いたところで理事長に報告することになる。また、その際は佐倉、鈴音、長谷部の3人にも協力を願うことになるだろう。それが口頭か書面によるものかまでは分からんがな……」

 

 それっきり、学は口を噤んだ。

 広い会議室は沈黙に満たされる。

 私と鈴音はともかく、直接の当事者たる佐倉は沈鬱な表情を浮かべている。

 そんな折、コンコンと執務室とを繋ぐドアがノックされた。

 学の視線に促され、解錠してドアを開けると、姿を見せたのは丙家。

 

「1年Bクラスの長谷部さんが来られました。また、同クラス所属の北郷さんと綾小路くんもご一緒ですが、こちらはいかがいたしましょう?」

 

 部屋に入ることはせず、丙家は学を見ながらそう言った。 




学が原作よりも早く佐倉を認知したが故のバタフライエフェクト。原作よりも早く佐倉のストーカー問題に取り組みます。
普段起こるような問題とは桁違いの厄介さに、さしもの学も頭が痛くなってます。学内で完結するのとは違い、十中八九学外が絡んでくるので当然ですね。

ぶっちゃけ、少なくとも人事部は佐倉のグラドルとしての過去を知っている筈であり、である以上、『高度育成高等学校』の運営を考えるとある程度のフォローはして然るべきだと思うんですよね。
ブログに対するコメント――つまりはネット環境さえあれば誰でも確認出来ることも相俟って、放置しておけば佐倉の所属事務所から文句を言われることは目に見えてるんですから。
原作のような事態にまで陥ってしまえば、理事長の不正以前に不祥事で叩かれると個人的には思います。

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19話

『1年Bクラス所属の坂柳、佐倉、堀北の3名は至急生徒会室まで来るように。繰り返す。1年Bクラス所属の坂柳、佐倉、堀北の3名は至急生徒会室まで来るように』

 

 中間テストが終わり、クラスの皆が安堵の笑顔を浮かべている状況下、帰りのホームルームが終わって間もなくその放送は流れた。

 声の主は間違いなく当校の生徒会長である学だ。

 俺の知る限り、本日、テスト以外に何かしらの行事はない。そして、放送部に頼むでなく、他の生徒会役員に頼むでもなく、わざわざ学自身が直接放送をしている事実。

 それらを鑑みれば、何かしらの問題が起こったと見るべきか。……それもうちのクラス絡みの。

 黙ってても生徒会室へ向かうであろう華琳をわざわざ呼んだことも、その推測を高めてならない。

 だとするならば、その『問題』の当事者は他に名前を呼ばれた鈴音と佐倉さんということになるのだろうが……。

 そこまでを考えて、俺は視線を動かした。向かう先は1人のクラスメイト――長谷部さんだ。

 俺の考えすぎならそれでいいが、どうにも鈴音と佐倉さんの名前を聞けば、長谷部さんも連想してしまう。それほどまでに、この3人が一緒に勉強している姿は印象深かった。――正確には、『鈴音が誰かと一緒にいる姿が』と言い換えるべきだろうが。

 学を経由して俺と。その俺を経由して桔梗や坂柳義姉妹と。鈴音の繋がりはこんな感じに本人以外が起点となっており、鈴音が自身の手で誰かと繋がりを持ったことは俺の知る限り無かったのだ。そんな彼女が初めて自身の手で繋がりを得た相手が佐倉さんであり、引いては長谷部さんにも繋がっていった。

 だからこそ、鈴音と佐倉さんが呼ばれて、長谷部さんが呼ばれていないことに違和感を覚えてしまう。――いや、学が自分で放送をしたのはそのためか? 

 そもそもにして、鈴音が絡んでいる以上、問題行為を起こしたとも考えにくい。歯に衣着せぬ物言いで相手を怒らせることはあるかもしれないが、その程度で生徒会が出張ることもあるまい。

 そのことを踏まえた上で考えると、当事者は当事者でも被害者側。それも、わざわざ華琳を呼ぶ辺り緊急性の高い問題だろう。生徒会――或いは学個人――の情報網に何かが引っ掛かったと見るべきか。

 長谷部さんが呼ばれていないのは、本当に無関係だからか。

 或いは、長谷部さんと鈴音たちを結び付けられていない可能性もある。

 人間関係なんて複雑なもの、隅から隅まで把握している者なんている筈がない。どこかで必ず漏れが出る。人間である以上、それは生徒会長たる学も同じだ。まして他学年とあれば尚更である。

 それ故の一手が、さっきの放送だったと考えればどうだろうか?

 放送をきっかけに俺がこうして思考を巡らせている様に、他にも大なり小なり思考を巡らせている者はいる筈だ。普通ならそこで終わりだろうが、ここは実力至上主義の『高度育成高等学校』だ。短いながらにここで過ごした者であれば、その思惑がどうであれ機と見て動かないとも限らない。

 問題に関与しているであろう、学の把握していない相手に対する一手。

 その意図が、さっきの放送に含まれていたとするならば? ――決まっている。その思惑に乗るまでだ。

 

「どうする北郷? あの2人が呼ばれた以上、長谷部が無関係とも思えん。見張っておくに越したことはないだろうが、距離を取るか? それとも直接張り付くか? 問題の内容が分からない以上、どちらにも相応のリスクはあるが……」

「綾小路もそう思ったか。満更俺の考え過ぎってわけじゃないらしい……。距離を取って当たろう。こういう言い方もどうかと思うが、見たところ長谷部さんには関与しているであろう自覚がないようだ。なら、張り付いたって効果は薄い筈だ」

 

 決断した俺に声を掛けてきたのは綾小路だった。コイツもまた俺と同じ結論に至ったらしい。

 そのことに僅かな安堵を覚えつつ、素早く方針を決め、距離を開けて長谷部さんの後を追う。

 

「しかし、なんだな。女の後を追いかける男が2人って、端から見たら相当ヤバいだろうな……。ストーカー扱いされても言い訳出来ん」

「……それを言うなよ」

 

 道中、ポツリと綾小路が呟いた。

 そう、それこそがこの方法の分かりやすいリスクであった。

 

「ただまあ、取り越し苦労ならそれでいいが、そうでない場合を考えると動かないわけにもいかないだろ。動かないで長谷部さんに何かがあったら、その方が俺は嫌だ」

「そうだな。その考えにはオレも共感する。その一方で、同じクラスの女子でも篠原あたりならどうなっても構わないと思っている辺り、我ながら不思議だが……」

「それだけ、お前の中で長谷部さんと篠原さんに対する比重の差が出来ているってことさ。素直に喜んどけよ。そのアンバランスさこそが、人間の証だ。……まあ、個人的には篠原さんの良さも探してほしいと思うけどな。

 世の中ってのは不思議なもので、平等を謳いながらも、人間は必ずどこかで差をつける。それはどうしても避けられないことだ。それが論理的なものであれ、感情的なものであれ、そこに『選択』や『理由』が存在する以上、真の意味での平等は生まれ得ない。

 男と女に分かれているように、人種の差がある様に、生まれつき五体満足な者と不満足な者がいるように、個人にそれぞれの意思がある様に、人間ってのはどうしようもなくアンバランスな存在なんだよ。そんな中で平等に向けて出来ることがあるとすれば、善きにしろ悪しきにしろ、可能な限りにその『差』を減らしていくことぐらいだ。……まぁ、元がアンバランスなんだから、平衡を取ったところでアンバランスに決まってるけどな。

 賢しらな人間ってのは、そこに目を向けないから――或いは目を向けても認めたがらないから――往々にして過激なことをやりたがる。お前の育ったっていう『ホワイトルーム』とやらだって、その目的自体はきっとご立派な物だと思う。真っ先に思い浮かぶのは『不可能命題』への挑戦かな。そんなでもないと、巨大な後ろ盾なんてのは中々在り得ないだろう。

 人間の平等さなんて、生まれたらいつか死ぬことくらいなのにな」

 

 俺は綾小路の変化が思いの外嬉しかったらしい。気付けば長々と語っていた。

 

「生まれたらいつか死ぬことだけが人間の平等……か。なるほど、道理だ」

 

 新しいことをやろうとすれば、トライ&エラーが発生するのは道理だ。難易度が高ければ高いほど、その量も跳ね上がる。件の施設で綾小路は『最高傑作』と謳われていたらしいが、それでもまだ目標には至っていないらしい。

 そこまでして――数多の人を実験体にしてまで何を目指しているのかは分からないが、俺は『ホワイトルーム』とやらには共感出来そうになかった。

 無表情のまま、ポツリと零した綾小路の姿が目に痛い。

 その後、暫く俺たちの間に会話はなかった。

 ただただ黙々と長谷部さんの後を追う。

 

「何も起こらんな」

「……だな」

 

 長谷部さんを追いかけてどれだけ経っただろうか? テストからの解放感もあるのだろう。彼女は真っ直ぐ帰るわけではなく、所々に寄り道をしていた。コンビニやら書店やらに寄っては雑誌を立ち読みし、かと思えば適当なファーストフード店に入ってドリンクを注文。立ち読みのついでに買っていたのだろう本を取り出して読み始めた。

 正直に言えば中々の苦行だった。俺たちの行動は、何ら確信や確証があるわけではない。推測に基づき、起こるかどうかも分からない『最悪』に備えているだけなのだ。もちろん、何も起こらないのなら、それはそれで幸いではあるのだが……。

 同時に、何もアクションが起こらないと、それはそれで困ったことになる。これからの目途が付けられないという意味で。俺たちだって、いつまでもこんなストーカーじみた真似をしていられる筈もないのだから。

 やはり、情報がなさすぎるというのも問題だ。これはやり方を変えるのも止む無しかもしれない。

 

「俺たちも何か買うか?」

「……そうするか」

 

 そう思ったのは綾小路も一緒だったらしい。

 テストの解放感に浸っているのは、何も長谷部さんに限った話ではない。どの席にも誰かしらが座っており、或いは話に華を咲かせ、或いは自由を満喫している。この状況下では相席も止むを得ないだろう。……そんな思惑の下、俺たちもまた店に入ることにした。

 満席を告げに来たスタッフに長谷部さんがクラスメイトである旨を告げ、相席がOKか訊いてもらう。それ次第ではテイクアウトで構わないとも。

 スタッフから声を掛けられた長谷部さんはこちらを見やり、その後、戻ってきたスタッフから相席OKの返事を聞いた。

 ドリンクを注文、受け取り、俺たちは長谷部さんの席へと向かう。

 

「やっほ」

「相席どうも、長谷部さん」

「感謝する」

 

 最低限の挨拶を交わした後は、言葉もなく沈黙が流れるだけ。――そう思っていたのだが、長谷部さんの方から切り出してきた。

 

「訊きたいんだけどさ?」

 

 雑誌に目をやったまま、何の気なしに、といった感じであり、俺もまた気負わずに返した。

 

「何かな?」

「何だってまた、2人して私の後をつけてたの?」

 

 だが、ぶち込まれたのは思いもよらぬ言葉だった。

 相応に距離を取っていたし、細心の注意も払っていた。見た限り、気付かれている様子もなかった。……だというのに、実際には気付かれていた。

 素直に驚きである。

 

「……気付いていたのか?」

「ってことは、やっぱ2人だったんだ」

 

 綾小路も僅かに警戒した様子で問いかける。

 しかし、長谷部さんはそれに気付いた様子もなく、どこか納得した様子で頷くのみ。

 

「かまをかけられた、ってことか……」

「正解」

 

 俺が零せば、彼女は悪戯成功と言わんばかりの笑みを浮かべた。

 

「私って他人の視線には敏感なんだよね。……ただ、今回は勝手が違ったっていうかさ。見られているのは確かなんだけど、いつもとは雰囲気が違う感じで。だから最初は気のせいかなって思ったんだけどね。あっちこっち行っても視線は感じるし、こりゃ気のせいじゃないなって。

 いつものような視線だったら、不快ではあるけど慣れてはいるから我慢は出来る。……けど、理由が分からなきゃ、嫌な感じはしなくても流石に怖いから。だから誘い込もうと思ってこの店に入ったんだよね。そしたら暫くして君たち2人が相席を希望してきたってわけ」

「……参ったな。脱帽だ。けどまぁ、まずは謝らせてもらうよ。怖がらせたみたいで申し訳ない」

「すまんな」

 

 俺と綾小路は長谷部さんへと頭を下げた。

 

「それで理由を訊きたいんだけど――って電話入っちゃった。ゴメンだけど、このまま出させてもらうね?」

「どうぞ」

 

 長谷部さんの相槌が聞こえるが、相手の声が聞こえないので内容の推測は立てられない。ただ、彼女の言葉遣いからして親しい相手だろうと判断することは出来た。

 そして、俺の知る限りだとそれに該当する相手は2人だけ。……そう、鈴音と佐倉さんだ。

 程なくして電話は終わった。

 

「ん~、私のストーカーしてたくらいなんだから、2人って暇なんだよね?」

「いや、事実だけど言い方は気にしてくれ。周囲の目が痛い」

「ゴメンゴメン。今の電話は鈴音からだったんだけど、周りに気を付けながら、今から生徒会室に来てほしいんだってさ。詳しくは着いてから説明するからって。愛里からも同じような内容のメールが届いたし。……これと2人の行動を結び付けないわけにはいかないでしょ? ってなわけで、2人も一緒に来てちょうだい」

「了解した」

 

 そんなわけで、3人して来た道を戻ることになった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「さて、どうする佐倉愛里? 本件に関わりのある長谷部波瑠加は必然として、北郷一刀と綾小路清隆の同席を許すか許さないかはお前の決めることだ。お前のプライバシーが関わってくる以上、お前が決めなくてはならない」

 

 少し待て、と丙家に告げた後、再びドアを施錠して、学は佐倉へと向き直った。

 学の問いは至極当然のものだ。

 現在こうなっている原因、佐倉愛里――グラビアアイドル『雫』のブログに書き込まれたコメント。見るに堪えない妄言にも等しい内容のそれは、佐倉だけではなく鈴音と長谷部にも言及していた。それはつまり、この『高度育成高等学校』の敷地内という閉鎖空間の中にその人物がいることを意味している。……特定出来ていないので未だ可能性の段階だが、十中八九に間違いはあるまい。

 それだけでも最悪なのに、更に最悪なのは件のコメント主が佐倉のことをあくまでも雫として認識していることだ。実像(佐倉)あっての偶像()だというのに、コメント主の中ではそれが逆転しているのだ。佐倉(素顔)(仮面)の区別がついていないと言ってもいい。

 今はまだネットへの書き込みに留まっているが、そんな輩の理性をいつまでも信じられるわけがない。特にここ最近はテスト勉強もあって、佐倉による自撮り写真の投稿も滞っている。コメントへの返信がないことも合わされば、いつ痺れを切らして動き出すかも分からない。

 その危険性もあり、中間テストが終わって早々にも関わらず、学は自ら校内放送を使ってまで佐倉と鈴音――ついでに私――を呼び出したのだ。

 ここで及ばぬ点があったとすれば、学がコメントで言及された3人目――長谷部を絞り込めなかったことだろう。……学年も違う以上、無理からぬことではあるのだが。

 私たちに呼び出した理由を説明し、話の流れから3人目が長谷部であると分かり、時刻やら何やらを考慮して鈴音と佐倉に長谷部を呼ぶよう協力を依頼した。

 その後も長谷部が到着するまでの間に話を詰め、漸くにして待ち人が現れた。……のだが、彼女は一刀と清隆という予定にない同行者を連れていた。

 これが簡単な現状である。

 

「……あ……う……私……は……」

 

 問われた佐倉は即答出来ない。……それが私をイラつかせる。

 人の話題に上がるというのは、それだけで『力』なのだ。なのに、その『力』の持ち主であると知られることを恐れている。そのくせして『力』の持ち主であると知られかねないことを平然と行っている。……擬態能力の高さは認めるが、それは佐倉の『力』と真反対に位置しており、それだけでは何ら役に立たないのが悲しいところだ。

 考えが足りないと言ってしまえばそれまでだが、やっていることがチグハグなのだ。そしてそれが、現状を招いた一端となっている。

 

「まどろっこしい! 時間は有限なのよ。1人で決めきれないのなら、簡単な2択を提示してあげるわ。

 鈴音と長谷部の安全よりも己が心の安寧を選ぶのならば、一刀と清隆を追い返しなさい。己が心の安寧を捨ててでも鈴音と長谷部の安全を選ぶのならば、3人一緒に入れなさい。……ほら、簡単な2択でしょう?」

 

 佐倉がこの調子では、1人で決断し終えるのを待っている余裕はない。

 故に私は、簡単な――それでいて残酷な――2択を佐倉に提示した。

 

「そ……れは……」

「人は何かを選択せずして生きることなど出来やしないのよ。そして『選ぶ』とは『切り捨てる』こと。だから、どちらを選択するにせよ、覚悟を決めなさい。他人の意見など気にせずに……ね」

 

 私が提示した2択は、その実2択ではない。そう見せかけているだけの言葉のマジックだ。言葉に含まれていない部分にも、当然選択対象は存在する。何を選び、何を捨てるのかは、あくまでも当人次第なのだ。

 

「………………3人を入れてください」

「それでいいのだな?」

「はい。……酷い人だね、坂柳さんって。けど、ありがとう。どっちを選んでも、きっと私は後悔する。なら、私は友だちと一緒にいることを選ぶ。そう、決めた」

 

 悩んだ末に、佐倉は絞り出すように答えた。学の確認にも頷きを示す。そして私を見据えるその目には、確かな意思が込められていた。

 解錠し、ドアを開く。3人を入れた後で再び施錠する。

 

「なんか時間が掛かってたようだけど、俺たちも一緒でいいのか? ダメな様なら俺と綾小路は出直すが?」

「大丈夫だよ。散々迷ったし、悪いとは思うけど、北郷くんと綾小路くんには思いっ切り巻き込まれてもらうって決めたから。――だから、その前に私と友だちになってくれますか? 私は佐倉愛里。そして、グラビアアイドルの雫でもあります。私の問題に、巻き込まれてください」

 

 一刀の問いかけに答えたのは佐倉だった。言いながら一刀と清隆の前に進み出る。その間にも髪をほどき、眼鏡を外して、たったそれだけで見事なイメージチェンジを果たした彼女は、そっと片手を差し出した。

 

「は、はは……。美人だとは思ってたけど、まさかグラドルの雫だったとはね。まったく、今日は驚かされてばかりだな。

 喜んで友だちになろう。俺のことは一刀でいい。俺も愛里って呼ばせてもらう」

「オレはまだ『友だち』というモノをよく知らない。それでも良ければ友だちになろう、愛里」

 

 一刀と清隆はそれぞれに答え、佐倉の手を取った。

 

「事情はよくわかんないけど、私も友だちだからね、愛里」

 

 2人と一緒に来ていた長谷部もまた、そう言って手を取った。

 

「うん。……鈴音ちゃんも華琳ちゃんも生徒会長も、この場の全員、皆私の友だちだよ。だって、私がそう決めたから」

 

 そう言ってこの場の全員を見渡す佐倉――愛里は、先刻までの姿とは雲泥の差だった。外見の話ではなく、纏う空気が違っている。

 

「ちゃんは止めてちょうだいな」

 

 その変化を好ましく思いつつも、私は頭を押さえてそう言った。




佐倉の覚醒回でした。
予め言っておきますと、佐倉は一刀のヒロインではありません。

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20話

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 状況の進展は思いの外早かった。少なくとも、オレはもっと時間が掛かるだろうと踏んでいた。

 だが――

 

「何で……ッ!? 何でなんだよ雫!? 校則があるから、僕の言葉に返事が無いのも我慢してたのに! テスト期間だからって、会いたいのを我慢してたのに! 何だってそんなヤツと一緒にいるんだよ!? 手を繋いでなんかいるんだよ!?」

 

 現在進行形で目を血走らせたオッサンがオレと愛里の前に立ち塞がっているとあれば、嫌でも認めないわけにはいかなかった。

 如何に危ないことを口走っているとは言え、武道の心得がある様には見えない。ならば、無力化することなどオレにとっては容易いことだ。

 なので、北郷から借りた小型録音機の電源を入れつつ、取り敢えずは状況の確認から入ることにした。

 

「知り合いか、愛里?」

「えっと、どこかで見覚えが……。そうだ! 家電量販店の店員さん!」

「そうじゃない、そうじゃないだろ、雫!? あんなに君は、僕に笑顔を向けてくれたじゃないか!」

 

 愛里は悩んだ末に思い至ったようだ。この時点で、2人の関係性はそれほどでもないことは明らかだ。

 また、現在の愛里の恰好は普段のそれだ。伊達眼鏡をかけ、髪を結び、地味な雰囲気を放っている。一見しただけでは、彼女のもう一つの姿であるグラビアアイドル『雫』と結び付けることは不可能だろう。――にも関わらず、このオッサンは愛里に向かって雫と呼んだ。つまりは、それだけ彼女のことをよく見ているということだ。

 総合的に考えれば、このオッサンこそが雫のブログに妄言を書き込んだコメント犯で間違いあるまい。……が、所詮は状況からの推測に過ぎない。現段階でこちらから手を出してしまえば、お咎めはオレたちにも向くだろう。それは旨くない。

 幸い、愛里の言葉がお気に召さなかったらしいオッサンは、更にとち狂ったことを喚いている。

 なので、オレはそれに輪をかけることにした。

 

「あ~、なんかよく分からんが、取り敢えずそこをどいてくれないか、オッサン。愛里――オレの友だちも怖がってる」

 

 面倒くさげに、かつ迷惑そうに言いながら、オレは愛里と繋いだ手をさり気なく見せびらかした。

 

「あああああぁぁあぁぁ……ッ! お前えええええぇぇえぇぇ……ッ!」

 

 するとどうだろう。オッサンは雄叫びを上げながらオレに突っ込んでくるではないか。……まあ、元からそれを狙ったわけだが。

 

「おいおい、何だってんだよ一体? 逃げるぞ、愛里!」

「う、うん!」

 

 困惑した態を装いつつ走り出す。

 何故ならこの場には監視カメラがないからだ。敷地内の至るところに存在しているとは言え、やはり設置されてない場所や死角というものは存在する。……オッサンにも、ある程度の理性はあったということだろう。

 オレだけならば軽く走っただけでもオッサンを置き去りにしてしまう可能性があったが、握った手の先にいる愛里の存在が必然的にブレーキを掛けさせる。それがいい塩梅となり、オレたちとオッサンの距離を一定に保たせた。

 オレと愛里の手が繋がれていることにより、オッサンは平常心を失った。更には愛しの雫が自分から逃げていることもあり、更なる視野狭窄に陥った。……そうなってしまえば、手玉に取ることなど実に容易い。

 一定距離を保ったまま、オレたちは監視カメラの、そして人の目に触れる場所まで逃げてきた。戸惑いの表情で逃げる高校生男女2人組と、奇声を上げて追いかけるオッサンだ。どうしたって人目は惹くし、どちらが悪人かなど状況的に明らかだ。

 まして、そこそこの距離を走ったために愛里の息は荒くなり、体力も限界を迎えようとしている。オレはまだまだ余裕だが、それに合わせて速度を落とす。

 

「頑張れよ、愛里……ッ!」

 

 などと、一言を付け加えて。 

 地味な格好をしているとは言え、愛里は女の子だ。雄叫びを上げて追い縋ってくる奇人に追い付かれた場合どうなるかなど、想像するに容易い。平常であれば『有り得ない』と一蹴するような考えも、オッサンとオレたちの様子が楽観的な判断を下すのを妨げる。

 加え――

 

「生徒会の者です! その男を止めるのを手伝ってください!」

 

 オッサンの後ろから華琳の一声が掛かれば、学生然り社会人然り、聴衆たちが善意の協力者へと変化するのは自明の理。

 そう、ここまでの流れはほぼほぼオレたちの筋書き通りだ。

 今頃、別方面で囮役を務めていた堀北と生徒会長、北郷と波瑠加もこちらへ向かっているだろう。……囮の本命は愛里だが、流石に犯人の行動を完全に予測するのは難しかったため、次点の囮たる堀北と波瑠加とは別行動を取らざるを得なかったのだ。

 同時に『学校も雫にはきちんと気を配っていた』という体裁を整えるため、生徒会長と副会長たる華琳も手分けしてオレたちについていたわけだ。

 波瑠加と堀北は友人で、堀北と生徒会長は兄妹であり、生徒会長と北郷は親友である。その事実関係を知っていれば、4人で行動していてもそうおかしなことではない。また、事実を知らない者にとっては、2組のカップルと見られる可能性もある。

 この『カップルに見られる』というのが重要なのだ。妄言を書き込むような人物が、愛しの雫が男と仲良く出歩いているのを見ればどうなるか? 十中八九に何らかの行動を起こすだろう。直情的な行動に出てくれれば、早期解決を図る上では尚ありがたい。

 その様な意図の下、オレもまた愛里と連れ立って歩いていたのだ。……ただ、そうなると人数的に華琳があぶれてしまうため、彼女は離れた所から俺たちを監視していたわけだ。タイミングよく華琳の声が響いたのも必然である。

 

「おい、あの男を取り押さえるぞ!」

「警察を呼べ、警察を!」

 

 華琳の一声により、『生徒会のお墨付き』という大義名分を得た協力者たちはそれぞれに動き出す。ガタイのいいヤツらはオッサンへと向かい、そうじゃなくても警察を呼んだり、オレたちを囲ってバリケードになってくれたりと様々だ。……実にありがたい。

 

「どけえええええぇぇ……ッ! 邪魔をするなあああああぁぁ……ッ!」

 

 オッサンも思いっ切り抵抗したが、所詮は武道の心得もない凡人だ。数の暴力には勝てず、その身を取り押さえられることとなった。

 やがて警察が到着し――

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「とまあ、その様な流れで件の男は御用となった。また、ここという特殊な環境に加えて様々な証言、更には佐倉から提出された参考品のこともあり、即座に男のことは調べられた。そしたらまあ、出るわ出るわだったそうだ。

 以前も言った通り、敷地内にある店はどれもこれも『大手』だ。ポイントカードといった会員サービスがあるのは、半ば必然と言っていい。佐倉にとって不運だったのは、それに登録してあったことだな。犯人はそこから佐倉の個人情報を調べた、というわけだ」

「そうだったんですね。誰かに教えたこともないのに、おかしいとは思ってたんですけど……」

「ともあれ、犯人は捕まったのだ。ここから先は上の仕事であり、俺たちに情報が下りてくることは基本的にあるまい。……まあ、話の推移次第ではどうなるかも分からんのは確かだから、特に佐倉はいつ呼び出されても大丈夫なように心構えだけはしておけ」

 

 数日後。

 朝も早くから生徒会室に呼び出されたオレ、北郷、華琳、堀北、波瑠加、そして愛里は、生徒会長からそのような報告を聞かされた。多少なりとも関わった以上、説明責任があるらしい。

 中間テストが金曜日。それから土日を挿んで、月曜日の放課後には件の騒動だ。既に6月は迎えてしまったが、ストーカー事件としてはスピード解決と言っても過言ではないだろう。策が上手くはまった形になる。

 オレが愛里の相手役に選ばれたのは単なる消去法だとばかり思っていたのだが、どうやらそれ以外にも理由があったらしい。

 波瑠加によると、オレは1年生女子による『イケメンランキング』と『根暗そうランキング』で上位に入っているそうだ。……そう聞けば然もありなん。自分でも納得が出来てしまった。

 イケメンであっても根暗そうな男が――人目のないところ限定とはいえ――愛里と手を繋いでいるのだ。その行為はこれ以上ないほどにオッサンを煽ったことだろう。

 まあ、役得もあったから別にいい。……そう思えるほど、愛里の手は柔らかかった。

 不思議なものだ。異性との接触など施設にいた頃から何度となく行っていたというのに、今までそんな風に感じたことは無かった。

 環境が変わったからか。それとも愛里が特別なのか。

 ともあれ、あの柔らかさを体感すれば、なるほど、男子たちが女子に熱中するのも理解出来るというものだ。

 

「あとはこの誓約書にサインしてもらえばお開きだ。……他言されては困る、というわけだな」

 

 それは至極当然のことであり、誰もが拒むことなくサインを入れる。取り敢えずは、これで愛里のストーカー問題については解決だ。……まあ、実際のところ解決と言うには後始末なりがまだまだ残っているようだが、それはオレたちが直接関われるようなものじゃない。ならば、解決したと判断しても構うまい。

 今日は朝のホームルームで中間テストの結果が発表される。そのこともあり、こんな時間に呼び出されたのだろう。

 CPに関しては、変化は無いに等しかった。先月より若干下がったが、それでも700ポイントを下回ってはいない。十分に誤差の範囲内と言える。

 当初、中間テストの結果が今月のCPに反映されると思っていたのだが、期待に反し、5月中に結果が発表されることはなかった。それがようやく発表されるのだ。ある意味では、『待ちに待った』と表現しても間違いじゃない。

 生徒会室を退室したオレたちは、どんな結果になっているかを話し合いながら、和気藹々と教室に向かっていた。オレ自身は満点の自信があるが、過去問と解答のおかげで、愛里や波瑠加も高得点の自信があるらしい。自己採点が正しければボーナスポイントが貰えそうだ、と笑顔で語っている。

 確かにお金は大切だ。生活する上で欠かすことは出来ない。……だがオレには、そんな当たり前のことじゃなく、それ以外のことで2人が喜んでいるように見えた。

 

「清隆くんも、ありがとうね。今回のこともだけど、勉強を見てもらったこと。授業よりも分かりやすくて、だから余計に身に着いた気がするんだ」

「そうそう、本当に分かりやすかったからさ。……キヨポンって、案外教師に向いてるんじゃない?」

「それは……どうだろうな? オレはまだ、感情ってやつがよく分かっていないから。――ただ、2人の勉強を見ていた際、オレも思い出したことがある。

 施設には嫌な記憶しかなくて、普段なら思い出すことも苦痛だったんだが、その時は違ったんだ。その理由は今もってよく分からないが、巡り巡って2人の役に立ったんだとしたら、オレの過去にも意味がある。……それはきっと、とても喜ばしいことだと、オレは思うんだ」

 

 愛里と波瑠加から礼を言われたオレは、そんなことを言っていた。考えての言葉じゃない。気付けば勝手に紡いでいたのだ。

 その事実に困惑するも、不思議と嫌な気分じゃない。

 そこで、ふと気付いた。

 オレを見る周囲の顔が驚きの表情を浮かべている。愛里に至っては、心なしか頬が赤らんでいるように見えた。

 

「いい笑顔を浮かべるじゃないか、綾小路。これも青春だな!」

「笑っていた? オレがか?」

 

 北郷が笑いながら肩を組んでくる。……が、そんなことよりも、オレはその言葉に驚いていた。

 基本的に、笑顔とは感情の発露によるものだ。自発的に笑みを浮かべる作り笑いなどもあるが、オレはそんなことをした覚えはない。

 ならば、考えられる可能性は一つ。

 オレの感情が高まった結果、意図せぬところで笑みを浮かべたのだ。

 

「うん、とってもいい笑顔だったよ! 残念だな、シャッターチャンスを逃しちゃった」

 

 愛里が笑顔でそんなことを言ってくる。両の手は顔の前に持ち上げられ、カメラを持っているようなポーズを取って。

 その笑顔と仕草が、愛里にはよく似合っていて。

 

「……そうか。どうやらオレはシャッターチャンスを逃さなかったようだ」

 

 気付けば、オレは携帯で愛里を撮っていた。

 

「まあ、素人故に出来は散々な様だが……」

 

 手ブレが酷く、狙いもいまいち。これでは折角のチャンスも台無しだ。それでも、愛里が笑っているのだけは辛うじて分かる1枚となっていた。

 

「も、もう~撮るなら言ってよ。恥ずかしいなぁ」

 

 恥ずかしがる愛里が、殊の外可愛く思えた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「さて、お待ちかねの結果発表だ」

 

 教室に入るや否や、茶柱はそう言った。

 CPや小テストの結果発表と同じように、白く大きな紙が黒板に貼り付けられる。

 小テストの時とは異なり、今回の並びは五十音順。つまりは出席番号順の様だ。5科目それぞれの点数が算出される以上、それが最も簡単なのだろう。

 そのため、オレの名前は簡単に見つけられた。何せ名字が綾小路だからな。結果は想定通り、5科目全て100の数字が並んでいる。

 

「いやはや、正直に言って驚きだよ。小テストからは考えられんほどの高得点だ。それが1科目だけならまだ理解出来ないわけでもないが、誰も彼もが大幅に点数を上げている。複数の科目で満点を取った者も少なくはない。……まあ、そもそも上がりようのない例外も中にはいるがな。

 赤点を取った者も誰1人としていない。本当に素晴らしいよ。この調子で7月の期末テストも乗り越えてもらいたいものだな。

 さて、それでは約束通り、90点以上を取った者にボーナスポイントを配布しよう、と言いたいところだが、流石にこれほどの人数は私としても想定外だ。よって、今すぐの配布は難しい。……心配しなくても今日中には配布するから、そう不安そうな顔をするな。これでも担任だからな。お前たちの頑張りには素直に感激しているとも」

 

 茶柱の言葉通り、10人以上もの生徒が複数の科目で満点を取っている。少し点数が下がり、90点台を取っている者も少なくはない。中には50点台や60点台の者もいなくはないが、普通に考えれば小テストからはとても考えられない結果だろう。感激するのも無理はない。

 だが、そう宣う茶柱に浮かんでいるのは挑発的な笑みである。とてもじゃないが感激している様には思えない。……まあ、所詮今回の中間は裏技ありきの出来レースだからな。教室に監視カメラがある以上、オレたちが裏技を用いたのは学校側も了承済みの筈で、それでこの結果を素直に喜んでたら教師として失格だろう。

 裏技に気付けるだけの実力があることには喜んでいるかもしれないが、本来測られるべき学力という点では信用の置けない結果なのだから。

 

「例年通りであれば、中間の結果発表でホームルームは終わりなんだがな。今回はそうもいかない理由がある。……今から資料を配布する。お前たちにも非常によく関わってくるものだから、よくよく注意して聞くように」

 

 表情を真剣なものにして茶柱が言った。

 それだけ、これから配られる資料とやらには重要なことが書かれているのだろう。

 茶柱の雰囲気に当てられたか、騒がしい生徒たちも自ずと口を噤んだ。

 

「さて、全員に行き渡ったな。届いてない者はいるか? ……いないようなので進めさせてもらう。

 生徒会からの申請により、今月から新たな制度がSシステムに加わることになった。この資料はそれについて説明されたものだ。本来であれば今月の1日から実施される予定だったのだが、学校側でちょっとしたゴタゴタがあったようでな。末端の私には詳しい説明は下りてきていないが、それに伴って実施も後回しにされたらしい。

 タイトルを見てもらえば何となくの想像はつくだろう? 『クラストレードシステム』。それこそが、今回新たに加わった制度だ。……正確に言えば、以前からあった制度に手が加えられた形だな。

 お前たちも知っての通り、2千万ポイントさえ用意すれば個人でのクラス移動も可能となる。見方を変えれば、これは『金銭トレード』と言えるだろう。今回の制度の発案者によれば、『金銭トレードがあるのなら、他のトレードがないのはおかしい』そうだ。まあ、言われてみれば然りだな。

 そして協議の結果、多くの者がトレードと聞いて真っ先に思い浮かべるであろう『人同士の交換』が組み込まれることになったわけだ。それに伴い、以前からあった2千万ポイントでの移動を正式に『金銭トレード』と称し、今回組み込まれた部分を『交換トレード』と称することに決まった」

 

 資料にズラズラと書かれている内容が、茶柱によって分かりやすく説明されていく。

 これにより、オレは以前に堀北が言っていたことがようやく理解出来た。タイミング的に、これを発案したのは華琳に間違いないだろう。こうなるとは知らなくとも、何かしらが華琳によって起こされると堀北は踏んでいたのだ。

 交換トレードを行う場合、一切のポイントは必要ない。その時点で金銭トレードとはえらい違いだ。そこだけを聞けば夢と希望に溢れている。――だが、そんな優しいだけのものが新たな制度として組み込まれる筈もなかった。

 

 ・トレード希望者は、基本的には月初めの1週間以内に、己が意思でその旨を申請しなければならない。そしてそれは、必ず朝か帰りのホームルームの時間でなければならない。……なお、長期休暇明けなどの場合、時期はズレるものとする。また、強制的な申請であると判断された場合、対象者には罰則が適用されるものとする。

 ・申請があった場合、翌日の朝には希望先のクラスに担任からその旨が伝えられなければならない。

 ・伝えられた生徒たちは、それから一定期間内に結論を出さなければならない。……なお、期間は申請件数により前後するものとし、最短で当日中とする。

 ・申請を受け入れる場合、必ず代わりの誰かを送らなければならない。希望者がいればその者とするが、いない場合は多数決で決めるものとする。……なお、部活動参加者はそちらへの参加を優先しても構わないが、その場合、意見は通らないものとし、結果への異論も受け付けないものとする。

 ・トレードが成立した場合、翌日からクラスの入れ替えが発生し、当月中に再度トレード対象になることは不可能とする。

 ・申請件数の上限はないが、成立は一つのクラスから月に先着3名までとする。

 

 箇条書きで並べられた内容だけでもそれは明らかだ。

 クラスメイトの前で表明しなくてはならないのだ。トレードが成立した場合はまだしも、不成立だった場合、その生徒は針の筵となるだろう。

 トレードが成立して送られてきた生徒に対しても同様のことが言える。その生徒がスパイでないと、どうして言えるだろうか。

 だが、そういった不安要素を加味しても、それを凌駕するほどの旨味がこの制度には存在する。利用する者は間違いなくいる筈だ。

 しかし、これはどちらかと言えば2年や3年に向けてのアピールだろう。

 オレたち1年は入学してまだ2ヶ月ちょっとしか経っていない。他クラスの生徒と交流を持っている者も中にはいるだろうが、『実力を知っているか』と訊かれれば首を傾げる者が大半の筈だ。

 何故ならば、オレたちはまだ他クラスに対して大々的に実力を披露する機会に恵まれていないからだ。こんな状態では、よほどの理由でもないと1年の間でトレードが成立することはないだろう。

 ざわつくクラスメイトを余所に、オレは1人トレードシステムに対する結論を出していた。




おや、綾小路の様子が……?

ストーカーについてはこんな感じで、敢えて大衆の目に触れさせての捕り物劇となりました。

あとはトレード制度を突っ込みました。ポイントで移動出来るなら、人同士の交換で移動出来てもいいだろと。
初期のクラス分け――つまりは学校側の評価が絶対じゃないことは、他ならぬ学校側が認めています。
また、『可能性』という一点において、全生徒は同格です。
更に言えば、どうにかして有栖やひよりを早く一刀と同じクラスにしたかった。
それらが絡み合った結果ですね。

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21話

「さて、昨日の今日だが、早速にして我がクラスにトレード申請があった。申請者は2名。Aクラスの坂柳有栖とDクラスの椎名ひよりだ。お前たちには今日中に、この申請を受けるかどうか結論を出してもらう」

 

 朝のホームルームで茶柱先生から告げられたその一言は、各休み時間を過ぎ、昼休みを超え、放課後を迎えた今もなお、我がクラスに波紋を生んでいた。

 俺個人としては迷いもなく受け入れ確定なのだが、一般的な感性ではやはりそう簡単にはいかないらしい。

 有栖を受け入れれば、ポイントを使うこともなく合法的にAクラスに上がることが出来る。……が、それはたった1人だけ。

 特典に惹かれて入学した者たちは誰もがこのチャンスを逃したくはないと思い、それでいてその心根を知られるのは後ろめたい、といったところだろうか。

 友だちと別れたくない、などもあるかもしれないが、所詮はクラスが変わるだけ。努力次第で付き合いを続けていくことは十分に可能だし、結局のところは言い訳だ。

 では、それ以外の者たちはどうだろうか。

 少し調べれば、有栖の表面的な部分は簡単に分かる。杖を使わねば歩くことは出来ず、身体能力は人並以下だ。しかし、それでもなおAクラスに配属された事実が、その不利を覆して余りある優秀さを証明している。

 実際、先日の中間テストも、その前の小テストも、有栖はどちらも満点を叩き出している。その学力は十分に魅力的で――たとえ身体能力と相殺したとしても――それ以外の能力もAクラスに配属されるだけのものを持っていると判断された。

 普通に考えれば、これだけの有望株、受け入れるより他にない。

 それでもなお意見が出ないのは、卑しいと、自分が抜け駆けを狙っていると思われたくないからか。或いは状況の把握に努めているからか。

 この学校に入ってまだ2ヶ月ちょっとしか経っていないのだ。システムにしろ各々の実力にしろ、知らないことの方が多いのは否定出来ない事実。そんな状態で受け入れたところで上手くやっていけるのか。はたまたAクラスに移ったところで卒業まで維持出来るのか。

 それ故動くに動けないというのなら、それもまた無理からぬことだ。

 椎名さんの受け入れに関しては、有栖に対するものとはまた違う理由だろう。何せ彼女はDクラスだ。

 椎名さんを受け入れるということは、誰かがDクラスに行かなければならない、ということだ。そしてその『誰か』は自分になるかもしれない。……おそらくはそういったところで、自分に自信の無い者ほどそんな思いに囚われているのだろう。

 所詮は俺の推測だが、意外と外れてはいないと思う。

 しかし、このままでは時間をムダに消耗するだけだ。

 こういう時に仕切る華琳は書記に徹している。中立の立場に位置する生徒会役員は、他クラスが絡む場合、積極的に動くことを禁止されているらしい。あくまでも、クラスの一員としての分を超えない範囲にしなければならないのだとか。

 まあ、その匙加減も本人次第な部分が大きいらしいので動こうと思えば動ける筈なのだが、華琳に動く様子はない。彼女も彼女で何かしらの思惑があるのだろう。

 結果、未だ高円寺1人しか発言していないのが現状だった。唯我独尊な彼らしく、その際の発言も利己に満ちたものであり、周囲への説得力など無いに等しいものだった。……いや、核心を突いていればこそ、逆に動けなくさせてしまったのだ。一般的な人間は彼ほど強くはないのだから。

 とは言え、今日中には結論を出さなければならない以上、いつまでもこうしてはいられない。

 個人的には、普段とは違う誰かが自発的に発言してくれるのを期待していたのだが、こうなっては俺が進行するのも止む無しか。――そう思った時だった。

 

「……いいか?」

「どうぞ、須藤」

 

 何と須藤が手を挙げた。

 

「俺はDクラスの椎名ってヤツに関してはよく知らねえ。だからそっちに関しちゃ、正直言ってどうでもいい。だが、Aクラスの坂柳には中間テストの勉強を見てもらったりと世話になった。そんなヤツがうちのクラスへの移動を希望してるってんなら、受け入れてやりてえと思う。

 それに、俺は正直に言ってバカだ。学力に関しちゃ、学年でも下から数えた方が早えだろう。んでもってうちのクラスには、俺よりマシにしても、やっぱりバカが多いのは否定出来ねえ。小テストの結果でもそれは明らかだ。

 たとえ代わりに誰かを出さなきゃならないにしても、頭のいいヤツを迎え入れるのは、うちのクラスとしちゃあ十分にアリだと思う。……俺からはそんだけだ」

「発言、ありがとう。まずは有栖の受け入れに一票ね」

 

 華琳が黒板に書かれた有栖の受け入れ賛成欄に横線を一本入れる。

 しかし、正直に言って驚いた。そして、それ以上に歓喜している。今の須藤の発言は、それほどに俺を揺さぶった。

 聞きようによっては、何の変哲もない1意見と思うだろう。だが、須藤はきちんと理由も言った。それも利己的な理由だけではない。クラスのためという、利他的な理由も加えてだ。

 責任を取りたくない。事なかれ主義。イエスマン。……理由は呼称は様々だが、流されるだけの者たちにとって今のは揺れる。特に利他的な理由も述べたのが大きい。『クラスのため』という合法的な理由が告げられたことで、自分の心情を知られたくない者たちも動き出すに違いない。

 実際、須藤の発言を皮切りに、ハイ、ハイ、と挙手する者が連鎖的に増えていく。

 ここで注目すべきは、手を挙げていない者たちだ。彼ら彼女らは、動かない何かしらの理由を持っている、と判断していいだろう。少なくとも、大半はその筈だ。

 

「あ~、はいはい。結局は今いる全員の意見を聞かなくちゃいけないんだから、そんな手を挙げなくたっていいわよ。……そうね、面倒だから前から順に意見を言ってってちょうだい。まずは有栖の受け入れに対してからね」

 

 手を打ち鳴らし、華琳がハイハイと喧しいヤツらをけん制する。……と同時に、勢いを殺しきらぬよう動きを誘導した。それは至極妥当な理由であり、この程度に動くことは問題ないようだ。

 賛成欄に正の字が刻まれていく。順当な流れだ。そもそもこの学校に入学した生徒の大半は、その特典が目当ての筈なのだから。タダでAクラス行きの切符を手に入れられるチャンスをむざむざと逃す筈もない。

 

「全会一致で有栖の受け入れは賛成ね。……では、代わりに誰がAクラスに行くかだけど、希望者はいるかしら?」

 

 華琳の言葉に手を挙げる者はいない。行きたくない筈もなかろうに、様々な理由が邪魔をして踏み出しきれないのだ。俺の席からでも葛藤しているヤツらは何人か見える。……俺とて向こうの経験がなかったら同じようなものだったに違いない。

 だが、そういった『勇気』や『覚悟』の無さこそが、凡人の凡人たる由縁だ。自分だけならば、目先の欲にも飛び込めないのだ。

 

「いないようね。では多数決で――」

「ふむ、希望者がいないのならば私が行くとしようじゃないか」

 

 華琳が多数決に移行しようとしたところで、高円寺が口を挿んだ。

 

「六助、あなたね……。希望するならもっと早くに手を挙げなさいよ」

「これはソーリー。だが、華琳ガール。私は人の上に立つ者として、時には下々の者に慈悲を示す必要があるからね。これほどのチャンスだ。逃す者などいる筈がないと思ったのだよ。……が、予想に反して希望者はいなかった。ならば慈悲を示す必要もない、とこういうわけさ」

 

 華琳が呆れながら高円寺を嗜めれば、彼はいけしゃあしゃあと反論した。その理由はとても彼らしく、同時に確かな理がある。受け入れない理由はない。

 

「……そういうことなら仕方ないわね。では、有栖との交換対象は六助ということで――」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! アリかよ、そんなの! 口にしてないだけで、誰だってAクラスに行きたいに決まってるだろ!」

 

 堪らずに池が口を挿んだ。その気持ちは分からないではない。

 しかし――

 

「はぁ……。『口にしてない』時点で、その意思がないと見做されてもおかしくはないのよ。正当な理由もなしに、後からの文句なんて通る筈がないでしょう。世の中はそんなに甘くなどない。――六助の論には彼の立場も鑑みれば一定の理があった。故に受け入れたのよ」

「だからって!」

「後から文句をいう位なら、希望者を確認した際に手を挙げればよかったじゃない。けれど、理由がどうあれあなたは――いえ、六助以外は手を挙げなかった。それが事実で、全てなのよ」

 

 ピシャリと、華琳は文句を封殺した。黙殺していないだけ、まだ優しい方だろう。

 

「有栖との交換対象は六助。これは決定事項よ」

「では、私はこれで失礼させてもらおう。明日からクラスが変わる以上、Dクラスとのトレードなど私には意味のないことなのでね。まあ、いずれはこのクラスに戻ってくるだろうが、それまでは別荘とでも思って過ごしてくるよ。使えるお金が多いに越したこともないしねえ。アディオス、諸君! ハッハッハッハッ……」

 

 最後に言い残し、高笑いを上げて高円寺は教室を出て行った。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「えげつない制度だな。……が、この学校のシステムを思えば、これ以上ないほど理に適っている」

 

 去っていく高円寺を見送り、意気消沈している池を視界の端に捉え、オレは呟いた。

 

「確かにね。……けれど、とても華琳さんのやりそうなことよ。これでAクラスに行きたい生徒たちはどうあっても努力せざるを得ない。Aクラスの生徒たちもそれは同じ。追いやられたくなければ、やはり努力は必要不可欠。努力が空回ることもあるでしょうけど、それはそれ。あらゆる意味で『実力』を試される。それも学校にではなく、同じ生徒たちに。

 ただ、だからこそ一縷の希望がこの制度にはある。……CPでの逆転は不可能。PPでの移動も現実的ではない。そうして意気消沈していた2、3年生にとって、この制度はとてもありがたいでしょうね。さながら地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸かしら」

 

 隣席の堀北がオレの呟きに答える。

 それも事実。

 だが、そうしてAクラスに上ったところで、通用する保証もない。下位クラスの生徒には、学校側がそう判断したそれなりの理由があるのだ。交換トレードを受け入れられるだけの下地があったとして、卒業までの間、それが続くとも限らない。見限られれば、更なるトレード時の交換要員となりかねない。

 誰しもに一発逆転のチャンスがあり、誰しもに艱難辛苦が降りかかる可能性がある。

 しかし、『チャンスがある』という点では平等だが、『それを掴めるか』に関しては決して平等ではない。

 坂柳に関しては、勉強会の途中から須藤を見ていたため、参加していた生徒たちはほとんどが知っているだろう。……オレ自身は参加していないので知らないが。

 それに加え、Aクラスという、オレたち以上の実績がある。

 では、もう一方の椎名ひよりについてはどうか。

 まず、所属クラスはD。この時点で、大半は受け入れ難いだろう。

 容姿やら能力やらもよく分からない。……どこかで見ている可能性はあるが、結び付けられなければ分からないのと同じだ。

 普通に考えれば、十中八九にこの申請は却下される。

 当然、そのことは椎名とやらも分かっている筈だ。それでもなお申請してきたとなれば、可能性は大きく2つ。単なるダメ元か、その上で勝算があるか、だ。

 

「どうやら椎名さんを知っている人は少ないみたいだな……。『知られていない』というのもそれはそれで実力だが、時期を考えれば無理もない。なので簡単に説明しようか。

 読書好きの女の子で、外見は十分に可愛いと言えるだろう。確かにDクラスの生徒だが、学力面なら学年でも上位に位置する能力はある。本人曰く『運動は苦手』とのことだが、その真偽はまだ分からないな。ついでに言えば、俺が勧誘をかけていた生徒でもある。うちのクラスにとって、彼女の学力は喉から手が出るほど欲しいからな」

「あ、写真もあるよ。前に一緒に撮ったことがあるんだ!」

 

 クラスを見渡した北郷が起立して言い、櫛田もそれに続いた。

 リーダー格たる北郷の意見は、1個人としてのそれを超える発言力を持つ。

 女好きとして知られる北郷だが、普通に男とも遊ぶし、クラスのために色々と動いているのは否定しようのない事実だ。その事実と確かな実績があればこそ、クラスの女子も北郷を邪険に扱ったりはしていない。今もまた他クラスの女子に粉を掛けていたと聞いても、『またか』と若干の呆れを匂わせるくらいだ。それは『クラスのため』という利他的な面に繋がっているからでもあるだろう。

 北郷は利己的な行動と利他的な行動を結び付けるのが――周囲にそう思わせるのが上手い。

 そんな北郷と友好的な関係を築けているのであれば、なるほど、1人1人と顔繫ぎをするよりは遥かに効果的だろう。オレたちが入学して、まだ2ヶ月と少し。実力を知られている者など限られているのが現状で、だからこそ有効な手だ。もっと時間が経っていれば、自ずと発言力も分散し、北郷1人との交流だけでは足りなかった可能性もある。……まあ、実際にはそれでも大丈夫だったかもしれないが。櫛田とも交流を持っているようだし、北郷の実力はそこいらの高校生を軽く凌駕している。

 ともあれ、北郷の発言で天秤が揺れたところに、櫛田の撮った写真がダメ押しをした。

 櫛田の携帯を見たクラスの男子たちは、『いいじゃん』だの『確かに可愛いな』だの、揃って似た様な反応を示す。

 

「どうどう、綾小路くんも可愛いと思わない?」

 

 そう言って櫛田がオレに携帯を見せる。

 図書館の一角だろうか。櫛田ともう一人の女子が本を手に持って写っていた。必然的に、この女子が椎名ひよりだろう。

 

「確かに外見は可愛いと思うが……。櫛田って三国志なんか読むんだな。そっちの方が正直驚きだ」

 

 画面の中の椎名は『レ・ミゼラブル』を、そして櫛田は『三国志』を持っていた。画面の小ささもあり流石に出版社までは分からないが、どちらにしろアンマッチだとは思う。

 

「一刀くん、三国志が好きだから。それで私も読んでみようかなって思ってたんだけど、種類がたくさんあって、物によっては巻数も膨大でしょ? どれが取っ付きやすいかもよく分からないし、買い揃えるってなったらとお金もかかっちゃうからさ。結局、読まないままズルズルと来ちゃったんだよね。

 けどほら、順当にいけばどうせ3年間は敷地内から出られないし、この機会に読んでみようと思い直して、それで図書館をうろついている時に椎名さんと会ったってわけ。この三国志も椎名さんの推薦品だよ」

「なるほどな」

 

 その後も全員が櫛田の携帯を確認し、結局は北郷の推薦と椎名のビジュアルもあり、受け入れる方向で決定した。

 だが、問題はここからだ。椎名を受け入れるのであれば、誰かをDクラスに送る必要があるのだ。……紛糾するのは目に見えている。

 

「では、椎名ひよりも受け入れで決定……と。念のため確認するけど、交換希望者はいるかしら?」

 

 華琳の言葉に手を挙げる者は一人もいない。沈黙が教室を支配する。

 

「ま、分かってたけどね。それじゃあ多数決になるけど、他薦のある者はいるかしら?」

 

 希望する者がいないのであれば、誰かを生贄に挙げるしかない。交換である以上、椎名の受け入れを決めた時点でそれは防ぎようがない。

 後ろめたさもあるのだろう。隣近所で小声で相談し合う者たちはいるようだが、手を挙げる様子はない。

 暫くそんな状態が続き、やがて手を挙げる者が現れた。我がクラスきってのホラ吹き男――山内だ。

 

「では、山内」 

「佐倉でいいんじゃね。陰キャだし、こないだ生徒会長に呼び出されてたじゃん。なんか問題でも起こしたんじゃねーの」

 

 そしてあろうことか、そんなふざけたことを宣った。

 

「――だ、そうだけど、愛里は何か反論あるかしら?」

「私がクラスメイトの大半と交流を持ってないのも、先日に生徒会長から呼び出しを受けたのも事実ですし、そう思われるのも仕方ないと思います。なので、多数決で私に決まるのなら移動も受け入れます。――私に決まるのなら、ですけどね」

 

 華琳の問いかけに、愛里は意味深な笑みを浮かべてそう答えた。……横目にオレを見て。

 愛里をよく知らぬ者にとっては、らしくない態度と言えるだろう。実際、大半が訝し気な視線を愛里に向けている。……が、知る者にとっては話が別となる。視線を向けられたオレは尚更だ。

 愛里はオレに助けを求めている。オレに『動け』と言っている。それを悪いことだとは思わない。自分だけではどうしようもないのなら、どうにか出来る者に頼るのは普通のことだ。

 そして、愛里はオレにとって数少ない友だちだ。である以上、助けを求められたのならば動くのも吝かじゃない。……それが『友だち』というモノだろうから。

 

「発言、いいか?」

「どうぞ、清隆」

「愛里はオレの数少ない友だちだが、かと言って山内の発言に撤回を求めることは出来ない。反論に足る証拠を提示出来ない以上、ただの感情論でしかないからな。

 だからオレに言えるのはこれだけだ。……愛里が交換対象となってDクラスに移るのならば、オレは明日にでもDクラスへのトレードを申請することにする」

 

 オレの発言に、クラスが揺れた。




そんなわけで、早速突っ込んだ制度を活用。

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22話

「……は? なあ、今なんて言った? もう1回言ってもらっていいか?」

 

 オレの言葉を聞いた山内は、意味が分からないといった風に訊き返してきた。

 仕方ないので応えてやる。

 

「愛里はオレの数少ない友だちだが、かと言って山内の発言に撤回を求めることは出来ない。反論に足る証拠を提示出来ない以上、ただの感情論でしかないからな。

 だからオレに言えるのはこれだけだ。……愛里が交換対象となってDクラスに移るのならば、オレは明日にでもDクラスへのトレードを申請することにする。

 と、こう言ったな」

「何でそうなるんだよ! お前、入学式の日に坂柳と約束してたじゃねえか! そりゃ裏切りだろ!」

 

 応えてやったにも関わらず、山内は尚も理解しきれていないらしい。いや、理解しようともせずに吠え立ててくる。

 

「何故だ? オレは確かに華琳に協力すると契約したが、それは『実力を出す』という1点においてのみだ。クラスに関しては契約の外にある。……むしろ、これまで短いなりに観察してみたところ、オレがDクラスに移り歯応えのある相手となる方が華琳は喜ぶと思うがな」

「まあ、そうね。同じクラスでも刺激はあるけど、違うクラスになったらそれはそれで異なる刺激を味わえるでしょう。清隆が自らの意思でトレード申請を出すというのなら、私が止める理由もないわね」

 

 オレの言葉をきっかけにクラス中の視線を集めた華琳はことも無しにそう言った。

 

「な、んだよ、それ……」

 

 己が望みとは異なっていたのだろう華琳の返答に、山内は力なく呟くだけだ。訳が分からない、とその表情が語っている。

 

「ん~、キヨポンと愛里がクラスを移るんなら、私もトレード申請を出そうかな? まあ、通るかどうかは分からないけど……」

 

 そこに、ダメ押しとばかりに波瑠加も同調した。

 波瑠加の言葉通り、彼女が申請を出したとしても通るかどうかは分からない。それはオレに関しても同じことが言える。

 だが、ここで重要なのは『通るかもしれない』という可能性だ。

 水泳然りテスト然り、オレは実力の一端をこれでもかと披露している。ある程度見通しの利く者であれば、これから先はクラス対抗があるだろうことを予想出来て然り。

 波瑠加の場合、『胸の大きさ』という1点だけで十分な魅力を持っている。愛里がクラスを移り、加えて波瑠加までもがクラスを移れば、このクラスから2大巨頭が消え去ることを意味している。……多くの男子陣にとって、それはこの上ない地獄だろう。

 

「『人脈は力』とはよく言われるが、『印象もまた実力』ということだ。

 山内にとって、愛里は取るに足らない存在なのだろう。それを否定するつもりはない。――ただ、オレや波瑠加にとっては『このクラス以上の価値がある』というだけだ。オレたちにそう思わせるだけの人脈を愛里は築いた、とも言える。

 率直に言えば、オレも愛里も波瑠加もクラスとの繋がりは薄い。付き合いのある人物など限られているのが現実だ。その点だけで考えれば、オレたちの印象は薄いだろう。何の力もないと判断されてもおかしくはない。愛里が交換対象として槍玉に挙げられるのも、妥当と言えば妥当だろう。

 だが、現実はどうだ? 一端とは言え、オレの実力はお前たちも良く知っているだろう? 波瑠加もまた日常的に男子の視線を吸い寄せている。その事実だけで、確かな印象を残しているのは明白だ。

 そして今ここで問われているのは、オレや波瑠加を失ってまで愛里を追い出す意味はあるのか、ということだ。……愛里が残留するのなら、オレとしてもクラスを移る理由はない。それは波瑠加も同じだろう。

 そこら辺を踏まえた上で、クラスの皆には賢明な判断を期待しよう」

 

 慣れないながらに論じてみたが、愛里の助けにはなったと思う。

 愛里が自らの正体を明かせばこんな真似をする必要もなかったろうが、それは愛里の望むところではない。また、件のストーカー問題を踏まえれば、無暗に知らせるのも二の足を踏む。

 以上のことから、愛里の正体を知られずして、愛里をクラスに残留させる方法があるとすれば、愛里を交換対象にすることのデメリットを挙げることだ。実現するかはどうでもいい。その可能性があるだけで、凡百の人間は躊躇する。

 

「……ふむ。少々話がズレたようだけど、愛里の移動に賛成の者は挙手を」

 

 華琳が促すが、手を挙げる者はほんの僅か。

 山内とて友だちがいないわけではない。実利と友情を天秤にかけ、友情を選ぶ者がいたとしてもおかしくはないだろう。

 或いは、オレの言い様が気に入らなかったが故の反発もあるかもしれない。

 所詮、出来ることなど推測だけであり、真実など分からない。

 それでも分かることがあるとすれば――

 

「では、愛里の移動に反対の者は挙手を」

 

 反対票の方が圧倒的に多いということだ。

 自分に関わりが薄いのなら誰が移動してもいい。表には出さずとも本音は似たり寄ったりの筈で、だからこそちょっと揺らしてやるだけで実利を選ぶ者が多かった。……それだけのことだ。

 こちらが何も言わずともそれを察してほしいのが理想だが、現状では高望みに過ぎる、ということだろう。

 

「では、多数決の下、愛里の移動は却下。……他に推薦のある者は?」

 

 迷わずにオレは手を挙げた。

 

「はい、清隆」

「『人を呪わば穴二つ』と言うだろう? オレは山内を推薦する。

 正直に言って、オレは山内に対して『ホラ吹き』以上の印象を持ってない。しかも、時折悪質なホラを吹くから始末に負えない。いつだったか、池たちとの雑談の中で言ってたな。『愛里に告白されたが、地味だからフッた』んだったか? 自分を持ち上げるために他人を扱き下ろす、典型的なそれだ。当時は聞き流したが、今となっては後悔しているよ。無意味に友だちを貶められて、我慢出来る筈がない。

 平田は許容出来ないかもしれないが、その上でハッキリと言おう。実力を考えるならば、山内、お前こそがこのクラスにとって最も不要だ。そしてそれは、他ならぬお前自身が招いたことだ。端的に言うならば、お前はオレを怒らせた」

 

 オレは文字通りにゴミを見る目を山内に向けた。

 山内の『ホラ吹き』も使い様によってはこの上ない力となっただろう。特に交渉事においては大いに役立ったはずだ。話の中に9の偽りと1の真実を織り交ぜるだけで、相手は勝手に疑心暗鬼に陥ってくれる。全てが偽りならば見向きもされないだろうが、ほんの僅かに真実を含めることで、切って捨てることなど簡単には出来なくなる。……華琳もまた、それを期待していたに違いない。

 だが、この2ヶ月と少しの期間、山内には何ら成長が見られなかった。武器たるホラを磨くでもない。本分たる学力を上げるでもない。身体を鍛えるでもない。人脈を広げるでもない。ただ言われるがままに、当たり前のことに気を付けて生活していただけだ。

 普通ならそれを悪いとは言わないが、この学校においては話が異なる。実力で評価されるのがこの学校だ。ならば、実力を鍛えぬ者に価値などない。

 この制度は、おそらく1年生に対する華琳なりの慈悲でもあるのだろう。

 テストで1科目でも赤点を取ったら退学にするような学校だ。実力が低く、その上で鍛えもしない者に対して学校がどのような措置を取るかなど、少し考えれば想像がつく。場合によっては、強制的に退学者を選ばなければならないこともあるかもしれない。

 あくまで可能性の段階だが、決して否定出来ない恐ろしさがこの学校にはある。

 この制度は、『それが現実として起こる前の予行練習』と見ることも出来るのだ。

 

「少々言葉が過ぎる気もするけど、意見は意見か。――では、山内の移動に賛成の者は挙手を」

 

 結果は分かりきっている。

 そして案の定、クラスの大多数が手を挙げた。

 多少意図的に貶めている部分はあるが、オレの発言内容は紛れもない事実だ。『山内はホラ吹き』というのがクラスの共通認識なのだ。

 だからこそ、オレはその背をそっと押してやったに過ぎない。……オレの怒りを買いたくない、というのもあるかもしれないが、こうなる下地を作ったのは山内自身の振る舞いなのだ。

 ともあれ、これにより山内と椎名のトレードが確定した。

 実力のある者は迎え入れられ、実力のない者は放逐される。……残酷なまでの現実がここにはあった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 翌日。

 いつもの席から、この2ヶ月ちょっとの間で見慣れた姿はなくなっている。その代わり、見慣れない姿がその席に座っていた。

 交換トレードの結果、高円寺と山内がいなくなり、坂柳と椎名を迎え入れた。……その現実が、光景に現れている。

 何とはなしに見ていると、うちの片方――高円寺が座っていた席に着いている女生徒が、杖を突きながらオレの方へと向かってくるではないか。

 

「ふふ、お久しぶりですね綾小路くん。華琳から話には聞いていましたが、まさか本当にあなたがこの学校にいるとは、この目で見るまで信じられませんでしたよ」

 

 親密そうに言われても、生憎とオレには心当たりがなかった。

 オレの過去は基本的に『ホワイトルーム』に終始している。日常的に出会う相手など限られていたし、そうでない相手として思い浮かぶのは、実力不足から放逐されたヤツら位のもの。……前者は有り得ないし、後者だとすれば態度が親密に過ぎる。

 

「……どこかで会ったことが? 悪いが心当たりがない」

「まあ、無理もありませんか……。私は坂柳有栖です。以前、1度だけ父に連れられて『ホワイトルーム』を見学したことがあり、その時にあなたを見ました。ガラス越しに視線も合ったんですよ?」

「坂柳、ということはお前は理事長の娘か。なら、有り得なくはないだろう。……が、悪いな。過去を思い出すのは苦痛なんだ。よってお前のことも思い出せない」

 

 オレは正直に告げた。それが誠意というものだろう。知ったかぶってぬか喜びさせるのは気が引ける。

 

「私を覚えていないのは残念ですが、仕方ないと言えば仕方ないのでしょうね。ほんの一時の邂逅でしたし、そもそも言葉すら交わしていませんから」

「そう言ってくれると助かる。――オレからも訊いていいか?」

「私に答えられることでしたら」

「実際に『ホワイトルーム』を見知った者として、お前はあの施設をどう思う?」

 

 こればかりは華琳や北郷に訊いても無意味な問いだ。何故ならあの2人はホワイトルームを知らないから。

 だからこそ、ほんの僅かにでもあの施設を知る者の意見を聞いてみたかった。……理事長にも訊いたことがあったが、その答えはオレの望むものではなかった。年代も違えば視点も違うのだから無理からぬことと理解はしているが、その答えがオレの諦観を深めたのは紛れもない事実だった。

 それでも、尚もこうして他の者に確認を取る辺り、オレはどうしようもなく焦がれているらしい。オレの意見に同調してくれる者に。オレの想いを後押ししてくれる存在に。

 

「あの施設について私の知ることなど非常に限られています。その前提において答えさせていただくと、率直に言って『無駄の極み』ですね。積み重ねたノウハウがいずれ役立つだろうことは否定しませんし、実際にあなたのような実力者も育っている。……が、私が聞いたそもそもの創設目的を考えると無意味に等しい。――これが私の見識に基づいた感想です」

 

 果たして、坂柳の答えはオレの望むものであった。……ああ、そうだ。その通りだ。あの男の――父のやっていることなど意味が無いのだ。

 無論、坂柳とオレとでは施設について知っていることにも差があるだろう。実際にあそこで育った者とそうでない者の違いもあるだろう。

 だが、そんなのは些細な問題だ。重要なのは、父の否定者がいたことであり、『オレの想いは間違っていない』と感じられたことにあるのだから。

 ジワリ、ジワリ、身体が内側から熱くなっていく。そんな気分に囚われる。

 

「く、くくく、ははは、はははははは……ッ!」

 

 気付けば、オレは笑っていた。大口を開けて、笑っていた。

 止めようと思っても止められない。……いや、もしかしたら止めようとすら思っていないのかもしれない。

 それほどまでに、オレは愉快な気分になっていた。

 なるほど、今なら分かる。

 これが。

 この心の底から湧き上がるような情動こそが『喜び』だ。

 華琳と契約を結んだ時とも違う。愛里の柔らかな手を握った時ともまた違う。……どちらも心が震えたことに違いはないが、決して今回ほどではなかった。

 

「あ、綾小路くん?」

「はははははは……ッ! はぁ、はぁ、オレのことは清隆でいい。礼を言う、坂柳。お前のおかげで、オレは今までにないほど愉快な気分になれた。これ以上ないほどに『喜び』というものを実感出来た。……今のオレは、心の底から晴れ渡った気分だ」

 

 この言葉に嘘はない。何事も気の持ちようということか。実際、景色が今までよりも色づいて見えるのだ。

 おそらく、今まで無意識下で切り捨てていた部分が、ある種の余裕が出来たことにより見えるようになったのだと思う。

 それほどまでに、オレは父という存在に抑圧されていたのだ。

 

「は、はあ。よく分かりませんが、どういたしまして。それと、私のことは有栖でいいですよ、清隆くん」

「分かった。今後ともよろしく頼む、有栖」

 

 握手をしあう。愛里とはまた違う感触の柔らかさだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 教室に入った俺を出迎えたのは、綾小路の哄笑だった。

 その珍しさに、思わず呆気にとられてしまった。

 

「おはようございます、北郷くん。これからよろしくお願いしますね」

 

 そんな俺を正気に戻したのは、椎名さんによる挨拶だった。

 

「あ、ああ。おはよう、椎名さん。こちらこそ、よろしく」

「ところで、1つお訊きしたいのですが、あの時点でこうなることを想定していたのですか?」

「いや、流石にこうなるとは思っていなかった。……が、遠からず波乱が起きるだろうとは思っていた。

 俺は華琳をよく知っている。彼女が生徒会に入り、剰え副会長になったんだ。何が起こるか分からなくても、何かが起こった時のために布石ぐらいは打っておくさ。……正直に言えば、あの時点では椎名さんの勧誘もその1つに過ぎなかった」

 

 これは事実だ。華琳が動くことは知っていたが、それにより物事がどう転ぶかまでは分かる筈もない。

 逆に言えば、転ぶことは分かっているのだから、可能な限りの準備を整えておくことは出来たわけだ。

 

「なるほど、前情報の段階で後れを取っていたわけですか。そして、物の見事に私と龍園くんは言質を取られてしまった。あなたを相手に『椎名ひより()を渡しても構わない』と取られかねない意味の言葉を発した時点で、龍園くんの負けですね。

 結果、大半は申請を出したくても龍園くんへの恐怖から動けないでしょうが、私に限ってはその軛の外にいることが出来た。そして申請を出し、通ってしまった。……これからのDクラスは、より厳しくなるでしょう。

 龍園くんも自らのミスを認めているでしょうが、それを誘発したのは北郷くんです。まず間違いなくDクラスの矛先は北郷くんと私へ――このクラスへと向けられるでしょう。

 あなたにとって、私にはそれだけの代価を払う『価値』がありますか?」

 

 柔和な雰囲気を崩さぬまま、椎名さんは問うてきた。

 客観的な事実として、椎名さんは龍園の独裁政権から脱出することに成功したのだ。

 その事実は、燻ぶっていた火に薪を突っ込んだに等しい。我も続けとばかりに申請を出す者が、Dクラスから続出する筈だ。……が、現実はそんなに甘くない。十中八九にその申請は通る筈がない。未来ならまだしも、現時点で他クラスについて知っていることなど少ないのだから。俺が椎名さんを知れたのも、結局は偶然の産物だ。彼女が小テストに対して真面目に向き合わなければ、あの時点で俺が知ることは無かっただろう。

 しかしてその行為は、より厳しい弾圧を齎すこと請け合いだ。希望は絶望へと反転し、Dクラスの生徒たちは脱出を果たした椎名さんへと憎悪を向けるだろう。責任転嫁も甚だしいが、それが人間というものだ。

 直接的な問題行為を働くとは思えないが、校則に引っ掛からない範囲で何かを仕掛けてくることは十分に有り得る。それが搦め手というものだし、未だ謎が多いSシステムを把握する上でも役に立つ。

 どこまでが『問題行為』として認識され、どこまでは認識されないのか。それを知ることは、この学校で生き残るための重要なピースだ。

 あの龍園ならば、『報復』と『模索』の一挙両得を狙ってきても不思議ではない。

 頭のいい椎名さんが、その程度のことを分からぬ筈がなかった。

 

「勿論だとも。……何だかんだと言ってところで、遅かれ早かれ他のクラスとぶつかり合うのは必然だ。今回の件は、そのタイミングと攻勢度合いに変化を齎しただけに過ぎない。それでも初手である以上、『様子見』のレベルを超えることもないだろうしね。受け手側としても、逆に探りを入れられる」

「それを聞いて安心しました。私もクラスの一員として協力すべきところは協力しますが、基本的には日常を謳歌させていただきますので」

「それで構わないよ。研鑽は必須だけど、こんな学校だからこそ日常を楽しめなくなったらお終いだ」

 

 茶柱先生が教室に姿を見せたのは、それから間もなくのことだった。 




骨折で入院する事になりました。
執筆はPCでしてるため、次話の投稿は未定となります。

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23話

お久しぶりです。


 6月も半ばを過ぎた。 

 交換トレード制度の導入は確かに学校に波乱を呼んだが、俺たち1年生にはとってはそれほどでもなかった。――まあ、あくまでも2、3年生と比較しての話だが。

 実際、すべて断ったが椎名さんの交換移籍成功に伴い、Dクラスから何件かの交換申請が届きはしたのだ。

 同学年とはいえ、違うクラスの相手だ。まだ2ヶ月少々しか経っていない現状で知れる情報など極々限られている。その中でも『実力』という点で信用のおける情報など、小テストにおける成績くらいなものだ。あれで90点以上を取れたということは、少なくとも学力においては信じてもいい。

 逆に言えば、こと実力において信用のおける情報など、現在の1年にとってはそれくらいしかないのだ。そんな状態では、交換移籍などそうそう成立するわけがない。

 普通の学校であれば、難しいことを考えずに他クラスと付き合いを広げることも有りだろうが、この学校においてはそうもいかない。何においても『実力』が第一に来る。人間関係を構築するにも、利害や損得、それらを踏まえた上でなければ後々に自分の足を引っ張ることになってしまう。

 極一般的な『学生時代の青春』としては問題ありだろうが、将来を考えれば悪いとも言い切れない。

 この世の中、何を成すにも代価は必要で、それは必ずしも金銭とは限らないのだ。その事実を、この学校のシステムは骨身に叩き付けてくる。卒業まで居続けることが出来れば、社会の荒波に揉まれても耐えられるだけの下地は出来上がるに違いない。少なくとも、早々ドロップアウトする確率は低くなると思われる。……『高度育成高等学校』とはよく言ったものだ。

 まあ、いくら特殊な学校とはいえ、他クラスに友人のいる者も普通にいるだろう。俺にだっている。真っ先に上がるのは一之瀬さんだ。彼女の人柄は好ましい。難しいことを考えずに接していられたらどんなに良いか。

 それを鑑みれば、椎名さんの件は僥倖だったと言えるだろう。

 彼女はDクラスの生徒だった。そして我が校のシステムを踏まえれば、普通に考えて俺たちBクラスへの交換申請など通る筈がない。それを通したのは、多分が俺の影響力によるものと自負している。もちろん、桔梗によるアシストがあったのも大きいだろう。

 とはいえ、推せる要素が無ければ成立以前の話だ。その点において椎名さんの学力と容姿の良さを否定はしない。……が、何よりも重要なのは『椎名さんはリーダー格ではない』という事実だ。王でもなければ将でもない。学力を踏まえれば軍師の素養はあるだろうが、ポジションとしてはあくまでも一兵士に過ぎなかったのだ。もっと時間が経っていたなら、こうもすんなりとはいかなかっただろう。未だ龍園の支配力が盤石でなかったからこそ、という事実を忘れてはならない。

 ともあれ、そういった諸々の要素が組み合わさって申請の受諾は叶った。

 だが、交換である以上、申請を通して終わりではない。むしろ重要なのはその先、誰を送るかにある。

 この場合、考えられるのは大きく2通りだろう。すなわち『役立たず』か『スパイ』だ。

 進路希望を叶えられるのは卒業時にAクラスの生徒だった者のみ。その前提がある以上、この学校ではクラス闘争が切っても切り離せない。だからこそ、俺にしろ龍園にしろ、或いはそれ以外の誰かにしろ、先見性のある者は優位に立つために色々と動いている。

 協調性を高める、地力を高める、支配力を固める等々、方法自体は色々とあるだろうが、結局のところクラスという名の『自軍の強化』に集約される。

 そして今回の制度で、そこに『実力者を引き入れる』、『足手纏いを放逐する』、『スパイを送り込む』といった選択肢が現実的に可能なレベルで追加された。

 俺たちのクラスはDクラスとのトレードにおいて、椎名さんという実力者を引き入れ、足手纏い――山内を送った。山内は俺たちを恨むだろうが、平たく言って自業自得だ。個人的には、むしろそれをバネにして成長するのを望んでいる。

 もう片方のトレードは椎名さんほどには紛糾しなかった。希望してきたのが有栖――Aクラスの生徒だったことも大きいだろう。

 クラスポイントによる逆転にしろ金銭トレードにしろ、基本的に上位クラスへの移動は至難の業だ。その事実がある以上、上位クラスから下位クラスへの申請は大概において通ると思われる。

 高円寺がクラスから去ったのは痛いと言えば痛いが、アイツは唯我独尊に過ぎる。総合的に考えれば、有栖と高円寺とのトレードはプラス方向に傾いたと言えるだろう。

 高円寺ほどではないにしろ有栖も我は強い。学力では有栖が上かもしれないが、断定出来るほどではない。身体能力においては問答無用で負けている。これだけならイーブンどころかマイナスだが、協調性という点においては有栖の方が遥かに上だ。わざわざ自分から移籍を希望してきた事実が、有栖にとって我がクラスの優先順位が高いことを示唆している。少なくとも彼女の興味を惹き付けられている限りにおいては、ある程度歩調を合わせてくれるだろう。

 全てでなくてもいい。何かしら幹部陣で共有可能な目標があれば、ある程度までは協力出来るものだ。そして上の方が足並みを揃えていれば、自ずと下の方もそれに習う。良くも悪くも、流されるのは人間の性だ。

 とは言え、個々によって優先順位が異なるのだから『ある程度』止まりなのは仕方がない。あとはどの様にしてその幅を広げていくかだ。……それもまた『実力』だろう。

 そして今回導入された交換トレード制度は――統制力、影響力、魅力、etcと――あらゆる方面から俺たちの実力を測ってくるのだ。正に華琳の好きそうなシステムである。

 しかし、さっきから何かこそばゆいと言うか、得も言われぬ気持ち良さを感じてならない。

 一体何が――

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 そこで、目を覚ました。

 どうやら思考を巡らせている内にそのまま眠っていた様だ。或いは夢を見る代わりに現状を整理していたのか。……まあ、どちらでも構わない。今はそれより大事なことがある。

 開いた目に映った室内は暗い。――が、光量を絞った状態で蛍光灯が点いており、カーテンの隙間から日も差している。完全な真っ暗闇ではない。

 寝る時は明かりを消している。それが点いていることこそが異常だ。電灯のON・OFFは入り口横のスイッチか、部屋に備え付けのリモコン操作のみ。リモコンは枕元に置いてあるので寝ぼけて操作した可能性も否めないが、この部屋で暮らし始めてからこれまで一度もやったことは無い。

 それ以外で真っ先に思い浮かんだのは、合鍵を持つ誰かしらが訪ねてきた可能性だ。華琳や鈴音など、一部の女性陣には部屋の合鍵を渡してある。彼女たちであれば、俺の就寝中に部屋へ入ることも可能だろう。

 そんなことを考えてる間にも、身体には断続的に気持ち良さが押し寄せる。視線を下げれば、薄手の掛布団が明らかに俺の体積以上に膨らんでいた。

 

「てりゃ……ッ!」

 

 勢いよく掛け布団を取っ払う。

 果たして、俺の息子は有栖による口撃を受けていた。そりゃあ気持ちいい筈である。

 

「ぷはっ……おはようございます、一刀さん。気持ち良かったですか?」

 

 そこまでされれば、流石に俺が起きたことを察したのだろう。息子から口を離した有栖は艶然たる笑みを浮かべて挨拶してきた。

 挨拶をされたら挨拶を返すのが礼儀である。ついでに、理由も訊くとしよう。

 

「ああ、おはよう有栖。確かに気持ち良かったけど、何だってまた平日の朝っぱらからこんな真似を?」

「ちょっとした実験、ですかね。先日、病院での定期健診があったのですけど、その結果が気になりまして……」

「悪化した、ってわけじゃないよな? だったらこんなことをしてる筈がないし……」

「むしろ、その逆ですね。いえ、正確には一刀さんとあった日を境に医者からは『体力の向上が見られる』と言われてはいたんです。まあ、そうは言っても所詮は気休めレベル――誤差の範囲だったんですが。

 それが、昨日の検診ではその範囲を優に超える結果が出ていたんです! 生まれてからのこの十余年、まったくと言っていいほど進展が見られなかったのにですよ! それは心当たりを思い浮かべますとも! そして行き着いた結果が――」

「以前の華琳との3Pだったってことか……。そりゃあ劇的過ぎる変化が出たなら、絞り込むのも限られるよな。本番はしていないにせよ、性行為なんて有栖は初めてだったろうし、最たる変化といえばそれになるか……」

 

 どうやら思惑は上手く運んでいたようである。

 有栖と面識を持って以来、俺は可能な限り彼女に気を流し込んでいた。

 世間一般において俺や華琳の用いる気はオカルト扱いされているが、その実は如何様にでも姿を変える万能性を秘めている『力』だ。使用者の適性にもよりけりだが、その範囲は実に幅広い。……完全に同じわけではないが、強化系やら放出系やらが登場する某作品の能力を想像すれば分かりやすいだろうか。

 こう聞けば特別な力のように感じるが、別段そんなことはない。気は天然自然の中に存在し、その一部たる人間もそれは同じ。大地に気の通り道たる龍脈があるように、人間の身体にも生まれつき経絡が備わっている。

 しかし、だからこそ、この経絡に異常があると身体もまたその影響を受ける。有栖の場合、それが生まれつきだったのだろう。

 俺の見立てにおいて、有栖は経絡に異常があった。生まれて早々ならば修正も容易だったのだろうが、10年以上も経っているのだからそうもいかない。故に俺は有栖を視て『病魔に侵されている』と称した。

 だがまあ、俺からすれば有栖の治療は困難だが不可能ではなかった。

 バランスが乱れているのならば整えればいい。……要はそういうことだ。

 人は普通に生活する中でも食事や呼吸から気を取り込んでいる。有栖の場合、経路に問題が起こっており肉体面への還元が不足しているのだ。道が土砂で堰き止められている、とでも評すればいいか。完全に堰き止められているわけではないが、一般的なそれには遠く及ばない状態にある。

 結果、肉体の成長が不足することにより、肉体への供給量も少なくなってしまう。同時に、堰き止められた気はその分だけ問題なく通る方へと過剰に流れていく。有栖の天才性はその証左と言えるだろう。

 ならば、解決策は簡単だ。道を塞ぐ土砂をどければいい。……言うは易く行うは難しだが、やってやれないことはない。

 そのためにも、俺は有栖と接触する度に気を流し込んでいた。徐々に、徐々にと。

 無論、ただ流し込むだけではない。よりよく肉体面へ還元できるように気を操作していた。繰り返した一生涯の中で得た技術があり、その上で直に接触していればこそ可能な事だ。

 涓滴岩を穿つとも言う。有栖だけではどうにもならなくとも、俺が干渉することにより、ゆっくりと、しかし確実に有栖の経絡の通りは良くなっていった。

 そうして下地を整えたところに俺の精子を取り込んだのだ。精子という子供の種は気の坩堝に等しい。その奔流は岩を穿つに十分だった、と言うことだ。

 それが検査結果に現れたのだろう。実際、以前よりは確実に気の流れが良くなっている。現在進行形で確認しているのだから間違いはない。

 まあ、1歩間違えれば『強すぎる気に身体が耐えられない』という事態も引き起こしかねなかったが、そこら辺には細心の注意を払っている。決して性欲に流されただけではないのだ。……性欲に流されたのも半ば本当だが。そうじゃなければ、信じられるかはともかく、最低限の許可は取ってからヤっている。

 

「ええ。そんなわけで、一刀さんの精子をいただきに来た次第です。……こういうのを一番搾りと言うんでしたか?」

「いや、間違ってはいないが――果てしなく間違ってるな」

 

 行為の際の一発目を俗にそう呼ぶこともあるが、まあ本来の意味での一番搾りとはかけ離れている。その程度、有栖なら言わずとも知っているだろうに、そんなことを言う辺り随分と余裕があるらしい。行為に対して抵抗が無いのは個人的にありがたい。

 などと、考えていられる余裕もなくなってきた。有栖が攻勢を強めたためだ。寝起きにこうも攻められれば、さしもの俺もそうそう耐えられるものじゃない。

 

「……うっ……出るぞ、有栖!」

 

 息子を口に含んだまま、おそらくは『どうぞ』と有栖が答えた瞬間、俺は果てた。

 

「……んうっ……ごく……ごく……ふぅ、ごちそうさまでした」

 

 放出された子種を飲み込み、更には舌で息子を綺麗にした後、これまた舌で己が唇を舐め、最後にティッシュで口を拭いて有栖は言った。通算で2回目とは思えないほどに手慣れている。それだけ1回目が――俺と華琳によって刻み付けられた現実が強烈だったという証左だろう。

 有栖の体格も相俟って、イケナイことをした感がありありと押し寄せる。

 

「お風呂、お借りしますね。それとも一緒に入りますか?」

 

 そんなことを問われたならば、俺の答えは決まっていた。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「――ってことは、やっぱ2、3年生は大変なことになってんだな」

「大変なんてもんじゃねえよ。おかげで部活への参加も一苦労だ」

 

 その日の放課後、俺は体育館で章仁と竹刀を合わせていた。

 高校では部活に入っていないが、これでも元は剣道部だ。暇を見つけて素振りなどはやっているが、それだけではやはり足りない。腕を落としきらないためにも、偶には実力者と試合をしたくもなる。

 その旨を剣道部の主将である章仁に相談したところ、『だったら俺とやろうぜ』と誘われたわけだ。

 互いの実力が未知数に等しい1年生とは違い、2、3年生は相応に判明している。そんな中での交換トレード制度の導入だ。下位クラスで燻ぶっている連中は誰しもが『この機を逃すか』と躍起になり、上位クラスは上位クラスでより盤石な体制を取ろうと努めているのが実情らしい。

 特に章仁はAクラスの生徒だ。実力的にトレードの交換対象に選ばれることはないとの自負はあるが、だからと言って安易に部活に参加することも出来ないようだ。部活に参加し自分の知らないところでヘタな人物を受け入れられたり、必要な人材を交換に出されたりでもしたら堪ったものではない、とのことである。

 同じくAクラスの生徒である学が、構わずに生徒会への参加を優先しているのも大きいらしい。……一応、同じくAクラスであり、生徒会の書記を務める橘先輩を残してはいるそうだが。

 そういった事情により、ここ最近は章仁自身、部活への参加時間が少なくなっていた様だ。

 結果、俺の相談は章仁にとっても渡りに船だったようである。

 

「しっかしまあ、まさかお前がここまで強かったなんてな! 入院のブランクなんてまるで感じさせないじゃねえか!」

「そりゃこっちのセリフだっての! 主将なんてやってんだから強いんだとは思っていたが、俺の想像を遥かに超えてやがる!」

 

 あくまで剣道のルールに則っているからでもあるだろうが、俺と章仁の攻防は一進一退だった。正に実力伯仲だ。

 俺が中学に在籍していた頃、章仁は剣道部ではなかった。確かに小学の頃に剣道をやっていたという話を聞いたことはあったが、言ってしまえばそれだけだ。1年以上も手を出していなければ、ブランクは相当なものになる。

 俺の入院後、何やかんやで当時の主将である不動先輩と付き合うことになったらしいが、章仁が剣道に復帰したのはその過程だと聞いている。

 そんなブランクのある状態からここまで腕を上げるのだから、章仁の努力の程が窺えるというものだ。

 ブランクというなら俺にも当てはまるのだろうが、俺の場合、剣道というスポーツからは離れても、剣自体から離れることは無かった。得物が実剣へと変わっても、振るうベースとなるのが剣道だったのも大きいだろう。……繰り返す生涯の中、素手や弓にも手を出したりしたが、やはり一番使っていたのは剣なのだ。

 互いに表層的な事情は知っていたが、所詮は表層に過ぎない。だからこそ、想像と現実との差異に驚きを禁じ得なかった、というわけだ。

 仕掛けては防がれ、仕掛けられては防ぐ。その繰り返し。まるで有効打が決まらない。

 それが歯がゆくもあり、楽しくもある。

 

「……ここまでだな」

「時間切れ……か」

 

 だが、何事も時間というものは有限だ。

 本来は剣道部の使っている時間であり、俺は間借りさせてもらっているに過ぎない。明確な勝敗が着くまで続けたい気持ちがあるのは確かだが、そこまで我儘は言えないだろう。

 剣道部にとって、あくまで俺はお客様だ。試合中の軽口を許されたのもそのためだろう。お客様にまで鯱張った固さを求めるつもりはない、ということか。ありがたいと言えばありがたいが、一線を引かれているのもまた事実。

 

「なあ一刀、やっぱ剣道部に入らないか? そりゃ、お前にはお前の考えてることがあるんだろうけど、実際に竹刀を合わせれば『勿体ない』と感じちまってな……」

 

 脇に下がったところで章仁が訊いてきた。

 それは半ば想定通りの内容だった。章仁に相談した時点で、勝負の流れ次第では勧誘されるだろうと踏んでいた。

 

「魅力的な勧誘だとは思うが、悪い。色々と手を出して、色々と身に着けたいのが正直なところなんだ。剣道を捨てる気はないけどな」

「なら、仕方ないか。……けどな、分かってるとは思うが茨の道だぜ、それは」

「覚悟の上だよ。……断っておいて虫のいい話にはなるが、今後もこうやって使わせてもらえるとありがたい」

「俺が主将である内は構わないぜ。今の手合わせでお前の実力は証明された。断る理由は無いな。……俺以外とも竹刀を打ってもらえると、こっちとしては万々歳だな」

 

 それで納得してくれたらしい。拘るところは拘るが、こういうところはサッパリしているのが章仁だ。

 まあ章仁自身、剣道だけじゃなく紅茶にも力を入れてるから、何となく共感出来る部分があるのだろう。

 

「話を戻して、今回の制度についてだが、俺たち3年は概ね肯定的に捉えている。そりゃ大変な部分もあるが、必要経費と言えばそれまでだしな。

 実力はあっても、クラス評価故に燻ぶっていたヤツは少なからずいる。うちのクラスにいてくれればと思いながらも、2千万という無理難題に等しいポイントから諦めざるを得なかったヤツもいる。……今回の制度は、双方にとって正に一縷の希望となった。

 ホームルームで今回の制度の導入について聞かされた際、まず思ったのは『言われてみればその通りだな』だった。

 じゃあ何で今まで導入されていなかったのかを次に考えてみた。……俺の結論としては『先入観に囚われていたから』だった。

 クラスは学校からの評価によって決まる。個人での移動は不可能に近い。言ってみれば、そこで思考停止していたのさ。認められている方法に拘って、新たな方法を編み出すなんて想像もしなかったわけだ。小利口に纏まっていた、と言い換えてもいい。

 或いは学であったらとっくに気付いていたかもしれないが、導入した場合、波乱が起こるのは避けられない。それを嫌ったが故に提案しなかった可能性は否定出来ない。お前もそう思うだろ?」

 

 章仁の問いかけには頷かざるを得ない。

 今回の制度について、言われて納得出来る、ということは、想像出来るだけのピースは揃っている、ということでもある。あとはそのピースを上手く組み合わせられるかどうかだ。

 その点、学であれば出来ていてもおかしくはない。客観的に見て、それだけの能力が学にはある。

 それと同時に、学には個人では大胆な決断が出来ない部分もある。周りの賛同が得られるのなら動きもしただろうが、幸か不幸かそういった提案は上がらなかった。或いは、周囲の人物は章仁のように思考停止に陥っていたのかもしれない。

 周りが確認して来ないのならば、これは提案するまでもないことだ。……あくまで推測に過ぎないが、学がそういった結論に達した可能性は決して否定出来ない。

 

「タイミング的に、今回の制度を提案したのは新入生の女子だろう? たしか生徒会に入会して早々に副会長に任命されたっていう。俺の記憶違いじゃなかったら、お前と同じクラスじゃなかったか?」

「まあ、そうだな。名前は坂柳華琳」

「お前、その子と親しいか? いや親しくなくても、もしよければ紹介してほしい。

 知っての通り、俺は如耶さんと交際関係にある。一応、彼女の親にも認められてはいるが、あくまでも一応に過ぎない。ぽっと出の一般ピープルと大財閥の令嬢だからな。それも仕方ないと理解はしている。

 だが、俺は諦めるつもりはない。そしてそのために必要なのは結果を出すことだ。とは言え、俺個人で出来ることなど限りがある。どれだけ実力をつけてもそれは変わらない。

 ならどうするか? 周りに頼るしかないだろう。適切な差配による結果ならば、それもまた俺の実力に違いはないからな。だからこそ、可能な限り人脈は築いておきたい。

 あの学が生徒会への入会を認めた時点で、実力に関して一定の保証はされているが、それに加えてのコレだ。その子個人の実力とは直結しないだろうが、Dクラスで入学したにも関わらず、早々に逆転を果たしたという実績もある。是非とも繋ぎは作っておきたい。……だから、頼む」

 

 章仁は真剣な顔で俺に語り、終いには頭を下げてきた。

 こうまでされて断る理由は俺にはない。まして、華琳もまた人脈の構築を目的としている面があるのだから尚更だ。

 

「分かった。近い内に華琳に確認を取って連絡するよ。十中八九、断られることは無いと思うから安心して待っててくれ」

「ありがとう。……ついでと言っちゃなんだが、その子以外にもオススメの人材がいたら是非とも紹介してくれ。学年が違えば、どうしてもそこら辺の情報を仕入れるのは難儀だからな」

「ここぞとばかりに言ってくるな。まあ、分かったよ。どうにか頑張ってみる。……が、上手くいかなくても文句は言うなよ?」

「分かってるって」

 

 本当に分かっているのか怪しいが、そこは親友を信じるしかないだろう。

 その後は世間話へと移り、互いに他愛もない情報を交換し合った。




このくらいの描写なら大丈夫だと思いたい。


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24話

お気に入りが5百件を超えました。ありがとうございます。


 パシャリ。写真を撮る。

 対象を変えてはまたパシャリ。

 今日だけで、それぞれが一体どれだけの写真を撮ったことか。

 しかして、それが先方の要望だったのだから仕方がない。

 

「ふむ、撮られることには比較的慣れたものだが、自分で撮るとなればやはり違うな。実際にやってみると奥が深いことを感じられる」

「でしょう! 会長もこれを機に写真をやってみましょう! 自撮りでも風景でも構いませんよ!」

 

 学が零せば、我が意を得たりとばかりに愛里が食いついた。

 休日を迎えた現在、俺、学、章仁、洋介、綾小路の男性陣に加え、華琳、鈴音、桔梗、有栖、愛里に長谷部さんと椎名さんという女性陣は一塊となって動いていた。

 そもそものきっかけは先日に章仁から頼まれた件にある。

 

『華琳と、それ以外にもめぼしい人物がいたら紹介してほしい』

 

 というものだ。

 うちのクラスで実力者と言われて真っ先に思いつくのは、洋介、綾小路、華琳、鈴音、桔梗、有栖、椎名さんとなる。幸村も学力面では実力者だが、俺との仲は可もなく不可もなくだし、対人能力も加味して考えると実力者からは外さざるを得なかった。

 この内、章仁と鈴音は直接の面識がある。章仁は俺の親友であると同時に学の親友でもあるのだ。そのことを鑑みれば当然だ。

 桔梗とはグループチャットでやり取りしているのを確認している。互いの人となりを考えれば、直接の面識を持っていてもおかしくはない。

 人材、という点なら須藤や外村も候補に挙がるが、最有力は愛里となる。普段は地味な格好をしているが、その実は人気の高いグラビアアイドル『雫』である。彼女がその正体を露わにすれば、大半の男性陣には効果絶大だろう。

 そこまでを考えたところで――

 

(どうせだったら1度に済ませてしまおう)

 

 と思い至った。

 普通に考えて、部活に入っていない連中は上級生と接点を持つ事すら難しい。まして章仁は上級生であると同時に剣道部の主将だ。そういった肩書を持つ人物との繋がりは作っておいて損はない。……そこに俺からの紹介が加われば、ある程度前向きに捉えられる見込みはあった。

 互いを紹介するに当たってまずネックになるのは愛里である。彼女はストーカー問題にあってまだ間もない。章仁の人となりは信用出来るが、彼女が許容出来るかはまた別問題だ。

 それと同時に、愛里も愛里で人脈を広げる必要があるのは理解している筈だ。今回はどうにかなったが、椎名さんとの交換で真っ先に槍玉に挙げられるほどに彼女自身の能力は低く、クラスとの交流もまた少ない。彼女の立場を鑑みれば仕方のない部分もあるが、それに理解を示せるのは彼女の正体を知る者のみだ。

 自分を護るためには他者の協力が必要で、そのためには正体を晒さなければならない可能性が高い。何故なら、愛里個人の実力として誇れるものは未だそれしかないからだ。

 信じよう。信じたい。――信じていいのか。信じられるのか。

 信じることと疑うこと。……明確な出口などない、キリのないジレンマである。ストーカー被害に遭ったばかりの彼女であれば尚更に。

 それでも停滞を続けるなど出来る筈もなく、多少のリスクを覚悟の上で踏み込む必要があることは愛里も分かっているに違いない。

 問題は『誰』に踏み込むかであり、俺はその候補として章仁を挙げた、というわけだ。

 結果、愛里もそれに理解と勇気を示し、そこにクラスとの交流を深める意味も込めて『彼女の正体を知っても騒がなそうな相手』を選別し、更には彼女の友人を含めた結果、今回のメンバーと相成った次第である。

 とは言え、ただ会って話をするだけではいかにも味気ない。

 そこで愛里の提案の下、大撮影会となったわけだ。

 この広い敷地内、普段足を向ける場所は各々の目的意識によって大きく異なる。普通に生活するだけなら知らなくとも特に問題もないだろうが、ここのシステムを考えると足を向けない場所のことも知っておいて損はない。

 また、互いに写真を撮り撮られすることで、自ずと交流も深められる。携帯は誰もが持っているので、最悪カメラがなくても構わない、という利点もあった。

 

「てか、こんな場所あったんだな。監視カメラもなければ人気もない。今まで全然気付かなかったぜ」

 

 俺たちが今いるのは、林の中に備えられた遊歩道だ。……が、位置的なものもあってか章仁の言うように人気がない。全くいないというわけではないが、擦れ違った人も1人2人程度である。

 その割には整備が行き届いており、通路は歩きやすく、雑草などもきちんと刈られている。れっきとした設備の1つということだろう。

 緑が齎す空気、木々の隙間から差し込む日光、身体を撫でる涼やかな風、とこれといって敬遠する要素は感じられない。個人的には時間を見つけてここを歩くのも候補に入れるほどだ。

 人が少ないことに関しては、散歩するだけならば街中でいくらでも出来る、という点も大きいだろう。身体を動かすにしても、運動部に所属していたり、そうじゃなくても街中にはスポーツジムもある。わざわざここまで足を延ばす理由はあまりない。

 或いは、単にこんなところを練り歩く余裕がない可能性もある。

 いずれにしろ、目的がなければ近付かない、という人の意識的な盲点を突いた穴場だった。

 

「自撮りの出来る場所を探して、色々と動き回っている時に見つけたんです。私の場合、そこかしこでパシャリとはいかなかったので……」

 

 答える愛里は、いつもの地味な格好ではない。動きやすさを優先しているものの、その上でオシャレに決めている。人目を惹く要素は十分で、簡単に『雫』と結び付けることが可能だった。

 

「そりゃ納得だ。女は化けるとは耳にするけど、佐倉ちゃんの場合、最初に現れた時とは印象が違い過ぎる。『ちょっと着替えてきます』ってトイレに入って、出てきたらグラドルの雫が目の前にいるんだからな。……あれほどの驚きは早々ない」

「僕も同感です。僕は別段グラビアアイドルとかに詳しいわけじゃないけど、それでも雑誌とかを見れば目に入るからね。まさかそんな人物がクラスメイトにいるなんて思いもしなかったよ。

 ただ、おかげで納得出来た部分もある。椎名さんの交換申請で揉めた際、綾小路くんの行動がどうしても腑に落ちなかったんだ。長谷部さんだったら『友だちだから』でもおかしくないと思ったけど、綾小路くんの場合、それだけじゃ理由が薄すぎると感じてならなかった。『友だちだから』を否定する気はないけど、それ以外にも大きな理由があると思ってはいたんだ」

「はは、ゴメンね平田くん。……最初は鈴音ちゃんにバレて、それから何やかんやあって華琳さんたちにもバレて。

 いっそのこと開き直って、まずはうちのクラスにバラそうかなとも思ったんだけど、私は『雫』であると同時に『佐倉愛里』だから。バラした結果、『雫』としてしか見られなくなる可能性を考えたら、どうしても踏ん切りがつかなくて。それで皆にも内緒にしてくれるように頼んだんだ。

 ただ、今回追加された制度で、私は山内くんから槍玉に挙げられたでしょ? 私自身に大した能力はないからそうなるのも無理はないと認めてるし、山内くんに対して怒ってるってこともない。……けど、1度あんなことが起こっちゃったら、自分でもどうにかしないといけないなとは思うわけで。

 じゃあ私に何が出来るのかってなったら、有力者に正体バラして庇護を受けるしかないなって。……自分でも情けないとは思うけどね」

「僕は自分を有力者だとは思ってないけど、佐倉さんの信頼には応えたいと思うよ」

「同じくだ。こう見えて顔は広いからな。何でもかんでもとはいかないが、手を貸せる部分においては協力を惜しまないさ」

 

 見ている限り、事は上手く運んでいる様だ。

 愛里も変に緊張せず章仁や洋介と接することが出来ている。

 

「時に鈴音よ。お前、意中の男性はいるのか? 贔屓目もあるが、俺としては一刀辺りがオススメだが……」

 

 好調な愛里の様子にウンウンと頷く俺の耳に、そんな声が届いた。

 

「いや、いきなり何を言い出すんですか、兄さん? ボケには早すぎますし、暑気あたりにしては時期が合いませんよ?」

 

 鈴音の返事はにべもない。それほどまでに、学が発したとは考えられないセリフだった。

 

「あ~、鈴音ちゃん? その反応も無理はないと分かるんだが、学の言葉も別段おかしくはないんだ。この学校では男女間の問題ってのが割と起こるんだよ」

「……それはどういう? 説明願えますか、章仁さん?」

「ああ、勿論だ」

 

 頷き、章仁は表情を真面目なものへと変えた。

 

「実力を評価されるシステム故に、俺たちは早熟を余儀なくされる。……が、それと同時に未成年の子供であることも間違いない。恋に恋するお年頃ってヤツだ。酸いも甘いも嚙み分けた、何てのには断然早いのは分かるだろう?

 ただでさえ千差万別なのが人間だ。適応具合に差が出てくるのもまた然り。よって損得に比重を置いて動くヤツもいれば、感情に比重を置いて動くヤツがいるのも無理はないんだ。

 問題はここからでな? この学校では『色事』もまた実力と見なす傾向があるんだよ。避妊さえしっかりとしていれば、そして表立ってバレなければ、セックスしようが口煩くは言ってこない。暗黙の了解ってヤツだ。……一般的な学校とはえらい違いだが、特殊性故致し方なしってところかな」

「だが、それ故の問題もある。知っての通り、我が校はクラス単位で評価し、それに応じたポイントを支給している。

 その結果、クラスでの勝利のために、或いは自らの利益のために、モラルに反する行為が行われることも珍しくはないのだ。証明出来なければ、その様な事実は無いも同然だからな。……そういった狡賢さを磨くのもまた実力ということだ」

 

 この実力至上主義の学校における先達。それも上位たるAクラスに籍を置く2人の言葉には確かな重みがあった。

 

「正攻法だけに拘るのは片手落ち、ということですね?」

「ああ。無論、正攻法を否定はせんし、それだけで乗り越えられたら最上だろう。だが、だからと言って詭道邪道の類をただ否定するのは無能の行いだ。学べるだけ学んで損はない。それは対抗策へも繋がるのだからな。

 恋愛――引いては性行為に関してもそれは同じだ。お前が一刀に恋をしたとして、それが成就するかどうかは分からん。しかし、少なくとも一刀であればお前を弄ぶことは無いと断言出来る。兄としては、その一点だけで一刀を推したくなるのだよ」

「いや、そう言ってくれるのはありがたいが、俺はかなりの女好きだぞ? そりゃあ鈴音が俺に恋愛感情を抱いてくれるんなら嬉しくも思うしキチンと向き合うが、だからと言って鈴音を選ぶ保証もない。まして端からすれば、数ある遊び相手の一人、なんて目で見られかねんぞ?」 

 

 流石に口を挿むことにした。学の言葉は嬉しく思うが、こと女性関係に対しては過大評価に過ぎると感じてならない。

 

「臆面もなくそう言ってのけるお前だから、俺としては逆に信用も信頼も出来るのだ。

 周りの目も大事だが、より重要なのは本人がどう感じるかだ。恋が実るにしろ失敗するにしろ、或いは恋愛感情のない身体だけの付き合いになるにしろ、結果として本人が納得出来るのならそれに越したことはない。……個人的には恋愛感情を育んでもらいたいが、『性欲』という言葉がある様に、性に対する欲求はまた別物だからな。

 ともあれ、お前であるならば、そこらの有象無象よりも良い結果を齎すと俺は踏んでいる。……ただ、それだけだ」

 

 学もまた、臆面もなく言ってのけた。

 

「まったく、過大評価もいいとこだ」

 

 俺は、そう答えるしか出来なかった。

 華琳に桔梗に有栖、現時点でも3人と性的な関係を持っている。そんな俺を相手にしたところで、納得いく経験になるとはとても思えない。

 だが、自己評価と他者による評価は異なるのが常だ。学がそう言うのであれば、もしかしたらそうなのかもしれない。

 

「ふむ。……では、今度デートをしましょうか、一刀さん? 恋愛感情によるものかは分かりませんが、私があなたに対して好ましさを持ってるのも確かですし」

「オーケー。学の信用信頼を裏切らないためにも、精一杯務めさせてもらうとするよ」

 

 そんなわけで、今度鈴音とデートをすることになった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 3年生2人の案内の下、現在オレたちは遅めの昼食を取りに来ていた。喜ばしいことに先輩たちの奢りである。

 入店し、今いる小広間に案内されるまでに見えた客数は、店の造りと比較して明らかに少ないように思える。時間もあるのだろうが、モール街からある程度離れていることも理由だろう。味に問題があるため、という理由も考えられないではないが、それはないと信じたい。

 一般席は洋風だったが、小広間は和風の造りとなっている。

 初めて嗅いだが、畳の匂いが心地いい。座り心地も上々だ。座布団がなくても問題ない。……ポイントに余裕が出来たら、和室に引っ越すのも一つの手だろうか。

 リラックスしているのはオレ以外も同じようだ。

 堀北に生徒会長、愛里たちは今日の成果――撮った写真を互いに見せ合っている。

 有栖に椎名、波瑠加たちは話に華を咲かせている。

 

「入学式以降も生徒会長の姿を見ることは時折ありましたが、まさかあのようなことを言われる方だったとは……。少しイメージが崩れましたね」

「場所とメンバー――すなわち状況に依る部分も大きいとは思いますが、概ね同意見です。それにしても恋愛ですか。若干の興味はありますが、よく分からないのが実情ですね。それよりは様々な本を読んでいたいのが本音です」

「恋愛がよく分からないってのは同感。……まあ、ありがたい話ではあったのよね。活かせるかどうかは別にして」

 

 同じ室内だ。小広間とはいえ、教室ほどには広くない。敢えて声を潜めない限り、どうしたって漏れ聞こえる。

 そして、その内容には同意せざるを得ない。いや、むしろ教えたところで活かせるかも分からないからこそか。

 何かの本で読んだ記憶がある。それによると『恋愛は堕ちるもの』らしい。気付けば好きになっているそうだ。その対象は千差万別で、普段から顔を合わせている相手の場合もあれば、初めて顔を合わせた相手――いわゆる『一目惚れ』だ――の場合もある。

 厄介なのは、その対象が1人だけとは限らないこともある点だ。対象Aを好きな筈なのに、いつの間にか対象Bも気になっている。……恋愛を題材にした作品でよく使われる手法だが、現実でも起こり得るのだ。

 果たしてオレはどうなのだろうか? 

 オレは愛里や波瑠加を友だちと認識している。しかし、本当にこれは友愛なのか判断が付けられないのだ。或いは恋愛感情を抱いている可能性も否定は出来ない。いや、もしかしたら本当はどうとも思っていない可能性だってある。

 いくら考えても分からない。『ホワイトルーム』では色々と学ばされたが、『コミュニケーション』が関わってくる分野については学んでいないのだ。学んでいたとしても、一方的な見方だったりで参考とするには心許ない。脱走しなかった場合はこれから学ばされた可能性は否定出来ないが、そんな『もしも』に意味はない。

 だが、『分からない』とは、すなわち『未知』だ。

 そして、だからこそ面白い。心が躍る。

 色々と冷めてしまっているオレだが、『未知』に関してはまた別だ。どう対処するのが正解かの判断が付けられないからこそ、慎重に当たらざるを得ない。

 相手の反応に期待し、その結果に一喜一憂する。そんな一般的なことが、オレにもまだ出来るのだ。

 オレは誰かを好きになることが出来るのか。誰かを愛することが出来るのか。出来るとして、そんな相手に巡り合うことが叶うのか。それとも既に出会っているのか。

 全く以て分からない。そして分からないからこそ、この『未知』を思う存分味わいたい。そのためには――

 

(ああ、そういうことか……)

 

 この瞬間、あの日、華琳の言っていたことが、本当の意味で分かった気がする。

 この『未知』は自分だけでは完結し得ない。対象となる『誰か』――相手が必要なのだ。

 オレは『ホワイトルーム』を脱走してきた。である以上、そのカリキュラムは未だ途上。如何に『最高傑作』と言われていようと、全てを学び終わってはいないのだ。必然、あの父がそれを良しとするわけがない。必ずオレを連れ戻そうとする。

 そこまでは分かっていた。――分かっている、だけだった。

 そうなってしまえば、『未知』を追究出来る保証はない。

 この高校にいる間に限り、オレだけならば後手に回っても対処出来る自信はある。しかし、『未知』の探究に必要な『誰か』までもがそうである保証はない。

 では、その『誰か』に被害が及ぶのを防ぐにはどうするか?

 そこまでを考慮して動く必要がある、ということだ。

 ならば、今のオレに出来ることは――

 

「早坂先輩、でよかったですよね? 改めて、綾小路清隆です。今更ですけど、オレと連絡先を交換してもらえませんか? 

 オレはちょっと面倒な出自でしてね。不動グループとの繋がりは是非とも作っておきたいんです。卒業後も、自由を保持していくために……」

「へえ、『売り込み』か? 面白いな、お前。……いいぜ。在学中、色々と無茶ぶりしていくから応えてみせろよ、綾小路」

「微力を尽くしますよ」

 

 学園外でも確かな『実力』を持つ有力者――大財閥・不動グループ。

 その令嬢と交際関係にあるという目の前の男――早坂章仁と繋がりを深めていくことだろう。



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25話

 現在、俺と鈴音はゲームセンターに来ていた。先日に約束したデートである。

 

「入学してからは初めて来ましたけど、凄いですね。流石、と言うべきなんでしょうか。……地元とは大違いですね」

「はは、俺も初めてここに来た時には驚いたよ」

 

 建物は数階建て。広さもあり、階層ごとに置いてあるゲームの種類が異なる。更にはボウリングや卓球なども出来る。その分だけポイントの消費も激しくなりがちだが、1ヶ所で色々と済ませられることを鑑みればトントンだろう。……もはやゲームセンターの一言では収まらない規模だ。

 入学前、特に桔梗ともつるむようになってからは鈴音も何度かゲームセンターに足を運んでおり、リズムゲームやガンシューティング、クレーンゲームにプリクラなどは手を出したことがある。

 なのでゲームセンター初心者というわけではないのだが、その言葉通り、地元とは規模が違いすぎる。空気に呑まれるのも無理はない。

 高度育成高等学校の謳い文句に偽りなし、と言ったところだろうか。

 有体に言って鈴音はナチュラル美人だ。服装やメイクに気を配らなくても十分な容貌を備えている。また割とストイックな学の影響もあってか、自分を高めることに重点を置いていた。

 一概にそれを悪いとは言わないが、結果として周囲の女子がやっていることをやらずにいた。それはコミュニケーション能力に確かな弊害として現れている。

 だから、その点においても桔梗の働きは大きい。内心でお互いを嫌い合っていようが、性別が同じというただそれだけで敷居がグッと低くなることはある。俺を間に挿んでではあるが、桔梗(女子)がいたからこそ、鈴音もゲームセンターに足を運ぶようになったのだ。

 

「まずはプリクラでもやりましょうか?」

「そうするか。その後は身体を動かして、最後にクレーンゲームが妥当なところかな」

 

 物にもよりけりだが、クレーンゲームの景品は嵩張る物であることが多い。そう簡単に取れる物でもないが、取れた場合のことを鑑みれば後に回すのが無難だろう。

 そんなわけで手始めにプリクラに向かったわけだが、そこで俺は肝心なことを忘れていたことに気付いた。

 男ということもあるのだろうが、俺一人ではプリクラを使うことは無いに等しい。女子と遊ぶ時には使うこともあるが、その際も操作はお任せだ。入院前には一人で使ったこともあるが、その時と比べて色々と機能が増え過ぎなのである。興味のある事柄ならばそれでも適応してみせる自信はあるが、生憎とプリクラは対象外だ。

 つまり、プリクラの操作に関して俺は完全な役立たずである。必然的に操作は鈴音に任せるしかないのだが――

 

「……ここに来るの、初めてって言ってなかったっけ? 何でそんなに手慣れてるんだ?」

 

 内心の不安を隠したまま様子を窺っていた俺は、次の瞬間、驚愕に襲われた。何と、鈴音が如何にも手慣れた様子で操作しているではないか。驚きの余り、思わず問いかけてしまった程である。

 

「確かにここに来るのは初めてですが、プリクラを置いてある場所は他にもありますから。愛里さんや波瑠加さんと遊んだ際にプリクラを使うこともありましたし、私でもこの程度は出来るようになりますよ」

 

 これが感慨というものだろうか。どうやら俺は学のことを笑えなかったらしい。今の鈴音の言動に、どうしようもなく喜びを感じている。

 

「頼もしいよ。俺自身は操作はサッパリだから」

 

 ともすれば瞳が潤みそうになるのを抑え、俺は何とかそう返した。

 それからも色々とゲームを梯子して。

 現在、俺と鈴音はもはや定番とも言えるリズムゲームをプレイしていた。音楽に合わせ、用意されたバチでタイミングよく太鼓を叩くだけのお手軽なゲームだが、難易度が上がれば本当に難しい。また、収録されている曲も幅広い。そんな、子供から大人までどの層でも楽しめる要素を持っている故か、今や国民的人気を有している。

 俺も鈴音も一応はフルコンボを達成したが、プレイしたのはそこまで難しい難易度ではない。このくらいならば、出来る者はそこそこいるだろう。

 

「次はどうする?」

「あれ、一刀くんに堀北さん? こんにちは、奇遇だね」

 

 プレイし終わり、次はどうするかを鈴音に訊いたのと同じタイミングで、横合いから声がかけられた。

 振り向くと、そこにいたのは洋介と軽井沢さんだった。

 

「洋介に軽井沢さんか。こんにちは」

 

 互いに挨拶を交わす。

 

「僕たちはこれからお昼を食べてボウリングに行くんだけど、良かったら2人もどうかな?」

 

 その言葉に鈴音と顔を見合わせる。次いで時間を確認すれば、なるほど、昼食を食べるには良い頃合いだ。

 

「俺は構わないが、鈴音はどうだ?」

 

 確かに今はデート中だが、休日の今日、洋介たちと一時行動を共にしても時間にはまだ余裕がある。

 それに洋介はともかく、軽井沢さんとは未だ接点が少ない。……先を考えれば、この機会に友好を深めるのも十分にアリだ。

 

「そうね……。私も構わないけれど、軽井沢さんは良いのかしら?」

「北郷くんと堀北さんなら、あたしも構わないよ」

「決まりだね」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

「けど、正直に言って意外だった。北郷くんはともかく、堀北さんにゲーセンなイメージって無かったから……」

 

 建物内にあるファーストフードコーナー。席に腰掛け、注文したセットのポテトを摘みながら軽井沢さんが言った。

 

「私だけだと中々選択肢に挙がらないのは事実だから、そう思うのも無理はないわ」

 

 同じく、こちらもポテトを摘みながらそう返した。

 その言葉に嘘はない。入学早々兄さんからお小遣いを貰い、CPもある程度キープ出来ているため手持ちのポイントにはまだ余裕はあるが、それでも大手を振れるほどではない。一般的な高校生基準で見れば月に数万単位というのは十分過ぎるのかもしれないが、食費やら何やらでじわりじわりと減っているのが現状だ。愛里さんや波瑠加さんとの行動も増えたため、更に減少は加速する。

 そもそも、プリクラは一人で撮ってもつまらない。クレーンゲームは景品次第で欲しくもなるが、『幾らで確実に手に入る』という保証が無い以上、どうしても二の足を踏む。リズムゲームもまた然り。あれは一人でやっても楽しめるだろうが、上を見るとキリのない代物だ。

 そんな理由もあって、如何な趣味娯楽と言えど私一人だとゲームセンターは中々候補に挙がらないのである。それよりは図書館から本を借りて読んだ方がよっぽど有意義だ。

 

「ただ、ゲームセンターに限ったわけじゃないけど、誘われたなら行くのも吝かではないわ。今日みたいにね。……なので、軽井沢さんも、良ければ今後色々と誘ってちょうだい。その時の都合次第になるでしょうけど、可能な限り応えたいと思うわ」

「……やっぱり意外。堀北さんって、一種の線引きしてる人だと思ってたから」

「間違いではないわ。……けど、この学校だと、それじゃあ通用しないから。私個人が一刀さんや華琳さん、或いは高円寺くんやほどに突き抜けた実力を持っていたなら、それでも良かったのでしょうけどね。才が無いとは思っていないけれど、それでも今の私の実力は努力と取捨選択の結果でしかないのも事実なのよ。

 そして今はまだ良いでしょうけど、連帯責任制である以上、今まで切り捨ててきたモノにも目を向けないと、そのうち本当について行けなくなってしまうわ。だから、コミュケーション下手なりに頑張っているところよ」

「……入学式の日から思ってたことだけど、ホント、強いね。ううん、堀北さんだけじゃない。北郷くんも、平田くんも、櫛田さんも、坂柳さんに綾小路くんだってそう。どうして隠すべき――隠しておきたいようなことを人前で堂々と言えるのか、あたしには分からないや。

 あたしにはそんなこと出来ない。今もまだ逃げ続けている。一人じゃ無理だからって、平田くんまで巻き込んで」

 

 そう言って、軽井沢さんは俯いた。

 

「それは違うよ。僕は巻き込まれたわけじゃない。それに、軽井沢さんは僕に過去を打ち明けてくれたじゃないか。それだけで逃げていることにはならないし、君の言ってくれた一言が、確かに僕の心を救ってくれたんだ。

 むしろ、巻き込んでいると言うのなら、僕こそが軽井沢さんを巻き込んでいるのかもしれない。……こんなことをしても贖罪になんかなるわけがないと理解しているのに、やり直しになんてなるわけがないのに、『もう2度と見過ごしたくない』という思いから、軽井沢さんを放っておけないんだ。

 本当、失礼なことだよ。軽井沢さん個人を蔑ろにしているに等しい行為だ。……そう理解していても、僕はこの行動を止められそうにないんだ。

 クラスの和だのと言っておきながら、その実は自分の心の安寧を優先しているにすぎないんだよ、僕は。我ながら呆れた男さ」

 

 その横で、平田くんは乾いた表情で自虐した。

 一体何がいけなかったのだろうか。頑張ってコミュニケーションを取っていただけだというのに、空気がどんよりと重くなってしまった。

 ただ、分かることはある。背負う過去が起因して、この2人は一緒にいるのだ。早い話が『傷の舐め合い』だ。

 そう察したところで、私に出来ることは無い。この状況を上手く回復出来るのなら、そもそもコミュ障なんてやってない。

 

「別に良いんじゃないか、それでも。安寧を求めるのは人間の性だよ。

 2人共、相手に迷惑をかけるのはともかく、かけられるのを厭っているわけじゃないんだろ? なら、そこまで気にすることもないさ。互いに迷惑をかけあうのが、友人だったり仲間だったり家族だったりするんだから。今現在は、より仲良くなるための過渡期なだけさ。

 俺は軽井沢さんの過去は知らない。洋介の過去だって、洋介自身が語ったことしか分からない。誰だってそんなもんで、それで世の中を渡っていくしかないんだ。――けど、そんな中でも過去を知り、認めてくれるヤツはいるもんだ。

 実際、俺だって課外授業でぶっ倒れて、一年以上目を覚まさず方々に迷惑かけまくった。それでも見舞いに来てくれるヤツはいた。鈴音なんて兄である学を通しての付き合いだったのに、それでも定期的に来てくれていたみたいだしな。……何でもかんでも話せばいいってわけじゃないが、自分が気にするほど過去を気にしないヤツは少なからずいるんだ。そんなヤツに出会えたのなら、その幸運をこそ喜べばいいんだよ。

 俺は洋介を友人だと思っているし、軽井沢さんとも仲良くしたいと思ってる。――2人はどうだ?」

 

 そう言って、一刀さんは微笑んだ。

 こういうのを見る度に、敵わないと思ってしまう。

 年齢と比較して、一刀さんは懐が大きすぎるのだ。また、物事を伝えるのにも、相手に応じて言葉を変える器用さがある。気遣える余裕がある。

 それは私に無いものだ。ズバズバと言うだけなら私にも出来る。……が、そこに相手に対する気遣いはない。言葉を解体すれば言っていることの内容は同じでも、気遣いを伴わぬ以上、鋭すぎる刃となって相手を打ちのめす。

 中学時、私に友人が出来なかったことの一因がこれだ。私自身が友人を欲していなかったことも大きいだろうが、多少言葉を柔らかくするだけでも結果は違ったはずだ。……と、今だからその考えに至れるが、当時は全然分からなかった。

 兄さんたちが卒業し、一刀さんが目覚めるまでの間は、本当に苦痛だった。……まあ、当時の私はそれを苦痛とは感じていなかったが。むしろ、話が合わないならそれで良い、と自分を高めるのに躍起になっていた。

 一刀さんが目を覚ましてからはそれを注意され、桔梗さんも一緒に行動するようになってからは、しばしば社交性の低さを小馬鹿にされたものだ。言われるだけだと我慢が出来ないので、学力や運動能力の面で言い返していたが。……それが互いの刺激となったのも、否定出来ない事実だ。

 

「……僕も、一刀くんのことは友人だと思ってるよ」

「あたしだって、仲良くしたいと思ってるし……」

 

 一刀さんの言葉と空気は、平田くんと軽井沢さんにも届いたらしい。多少歪ながらも、2人は笑みで応えた。

 

「なら、それで良いんだよ。改めて、これからよろしくな」

 

 柔らかな笑みを浮かべたまま、一刀さんは手を差し出した。

 

「うん、よろしく。……そう簡単に過去を吹っ切れるわけじゃないから、今日みたくダウナー入って迷惑かけちゃうこともあると思うけど」

「よろしく」

 

 2人も手を差し出して握手をし、その流れで私も握手をした。

 その後は多少冷めてしまった食事を平らげて、予定通りボウリングに向かった。

 ボウリングをやったのは久しぶりだったけれど、全員が割かし接戦だった。

 ただ、私のスコアが一番低かったのは悔しいので、暇を見つけてボウリングに来ようと思った。……愛里さんに波瑠加さん、桔梗さんを巻き込むのも良いかもしれない。




鈴音とのデート回。……と言うほどデート描写はしてませんが。

平田と軽井沢は過去が過去故に傷の舐め合い状態。一緒にいることで救われてる部分もありますが、否応なく過去を思い出しちゃうのでダウナー入ることもしばしば。

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26話

 6月も後半を迎えたある日の放課後。

 

『1年Bクラス所属、綾小路、北郷、坂柳副会長、佐倉、長谷部、堀北の6名は至急生徒会室へ来るように。繰り返す。1年Bクラス所属、綾小路、北郷、坂柳副会長、佐倉、長谷部、堀北の6名は至急生徒会室へ来るように』

 

 生徒会長による校内放送でのお呼び出しがかかった。面子が面子ゆえに、いつぞやのことを思い出させる。

 

「何か聞いているか?」

「何も。まあ、面子を鑑みれば例の1件に関することでしょうけれど、それ以外は分からないわね」

 

 生徒会室へ向かう道中、華琳に心当たりを訊いてみたが、返答は芳しいものではなかった。

 例の1件――愛里のストーカー問題に関することだろうというのは、呼ばれたメンバーから見当はつくのだ。

 

「まあ、行けば分かるさ」

「確かにその通りなんですけどね。ある程度の見当ぐらいは付けておきたいじゃないですか……」 

「その気持ちも分かるけど、そもそもにして見当を付けるための情報が不足しているからなぁ。考えたって無駄だと思うぞ?」

「はは、バッサリだね。柔和な雰囲気が目立つけど、割と冷徹なところもあるよねカズピーって」

「そりゃあなあ。そもそも、俺がこの学校に入ったのは夢を叶えるための人材交流が目的だぞ? 人には強みと弱みがあって然りな以上、最初から切り捨てるつもりはないが、自然と他人を見る目は厳しくもなるさ。

 それに優しく教えることで成長するヤツもいれば、厳しく教えることで成長するヤツもいる。一応はそこら辺を見定めて接しているつもりだよ」

 

 そんな風に話しながら進んでいれば、目的地への到着は思いの外早かった。

 

「来たか」

 

 生徒会室のドアの前、腕を組んで立っている生徒会長――堀北学は、オレたちを見てそう零した。

 

「さて。ここまで来てもらったわけだが、生憎と目的地はここじゃない。少し歩くからそのままついてこい」

 

 そして言うだけ言って歩き出す。

 疑問を覚えても、黙って後を追うしかない。行き先を訊いたところで答えはしないだろう。

 その一方で、オレは脳内に校舎の地図を呼び出していた。いつぞやに確認した校舎内見取り図と、実際に練り歩いた経験からすれば、向かう先にあるのは来賓用玄関の筈だ。当然、玄関に用がある筈もないので、おそらくはその奥にある応接室が目的か。

 予想は外れず、生徒会長は幾つかある応接室の内、一つの前で足を止めた。

 チラリと周囲を見やる。こういった来賓区画は一般の生徒にとって縁遠い場所だ。別に来れないわけではないが、好き好んで来ようとも思わない。実際、オレもここに来たのは初めてだ。

 コンコン。

 静かに響くノックの音。

 

「失礼します。……件の生徒たちをお連れしました」

 

 ドアを開けた生徒会長は、一礼してそう言った。

 後に続いて応接室に入ると、中にいたのは二人の男性だった。

 一人は坂柳理事長。

 もう一人は強面の偉丈夫。見覚えもなければ心当たりもない。……まあ、それも当然だ。応接室にいる以上、この男性は学校にとっての『お客様』――外部の人間だ。余程の理由でもなければ一生徒が知る筈もない。

 だが、オレたちが呼ばれた場所にいる以上、まったくの無関係な筈もない。

 

「プロデューサーさん!?」

 

 だからこそ、ガチガチに緊張していた愛里が、男性を見た瞬間に上げた声に納得を覚えた。

 

「お久しぶりです、雫さん。それとも、佐倉さんとお呼びした方がよろしいでしょうか?」

「あ、いえ、私はどちらでも……」

「では、佐倉さんと呼ばせていただきます。――他の皆さんは初めまして。私、佐倉さんこと『雫』のプロデュースを務めている者です。気軽にプロデューサーとお呼びください」

 

 プロデューサーは一礼して名刺を差し出してきた。名刺にはキチンと名前が載っているが、まあ相手が望んでいるのだ。こちらもプロデューサーと呼ぶことにしよう。

 

「過日の1件ではご面倒をお掛けしました。また、ご協力をいただき、まことに感謝しております」

 

 そう言って再び頭を下げたプロデューサーは、彼がここにいる理由と俺たちを呼び出した理由を話し始めるのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 大枠では件のストーカー事件についてだ。

 活動休止中とはいえ自社のアイドルだ。自身がプロデュースしていることもあり、プロデューサーもまたブログのチェックは行っていたそうだ。

 コメントこそ無いものの、投稿される自撮り写真は笑顔が輝いており安堵していた。――しかし、その安堵は遠からず危惧に変わった。ブログの閲覧者によるコメントである。そのコメント内容は、陸の孤島である『東京都高度育成高等学校』の敷地内に居るかの様ではないか。

 その危惧を後押しする様に、雫のファンを称する者からもブログのコメントについて注意喚起の連絡が入る。

 コメントに疑心を覚える一方で、考えすぎである可能性も捨てきれなかった。何せ未だグラビアでしか活動していないが、アイドルのブログなのだ。時に行き過ぎたファンというモノは、己が欲望をさも自然なものであるかのように垂れ流す。このコメントもその類かもしれない。

 そうして自分を騙しながらもブログをチェックする中で、危惧は焦燥へと昇華する。

 

(間違いない。このコメント主は『東京都高度育成高等学校』の敷地内に居る。自分の考えすぎならそれで良いが、万が一が起こってからでは遅い。外部連絡禁止を謳う学校だが、状況が状況だ。今すぐにでも連絡を入れるべきだ)

 

 そう判断し、この学校に連絡を入れようとしたプロデューサーだが、それは同社に所属する学生アイドルを見て中止することにした。

 入学案内とそれに関する要綱は、愛里が受かった際にプロデューサも目を通しているし、念のためにコピーも取っている。愛里自身は気付いていないようだったが、色々と細々書かれている中にあったその一文を思い出したためだ。

 

『試験の際、1科目でも赤点を取った者は退学処分とする』

 

 コピーを引っ張り出して確認したが、やはり間違いない。

 最近はそこかしこで学生アイドルが中間試験に向けた勉強をしている姿を目にする。ならば、特殊な高校とはいえ愛里もまた中間試験が近い筈。プロデューサーだけあって愛里の学力をある程度把握していた彼は、これまでとは異なる危惧を覚えた。

 

(自分が連絡を入れることで、彼女の赤点を招いてしまうのでは……?)

 

 一度そう思ってしまうと、連絡を入れようにも入れられなかった。

 

(せめて、自社のアイドルたちの試験が終わるまでは連絡を入れるのを待とう)

 

 そうやって自分で自分に言い聞かせていた折、『東京都高度育成高等学校』の方から連絡が入ったというわけだ。

 それから関係各所と連絡を取り行い、そうこうしている内に日は過ぎて今日を迎えた。

 

「今回は未然に防ぐことが出来ましたが、ハッキリ言って幸運に恵まれてのことです。それと同時に、防げたとは言え危険性や対応の拙さが明かされてしまいました。

 以上のことから、私たちは社のホームページを通して『雫』がここに入学したことを発表します。……まあ、流石に本名は明かしませんが、興味の目は増えると思われます。ですが、それは同時に相互監視にも繋がると考えています。

 また、佐倉さんがこの学校を卒業乃至は退学するまでの間、私もここの敷地内で生活させていただくことにしました。これは今回の一件を受けての措置でもあります。活動休止を発表して以来、その後の動向に関しては音沙汰無し。……離れていくファンと、より熱を上げるファンが出ることは社にとっても想定の内でしたが、この度は後者が悪い形に転んでしまいました。

 そして、その様な人物がこの閉鎖された敷地内に1人いたのです。ならば、他にも敷地内にいる可能性をどうして否定できましょうか? これ以上、そのような方を出さないために、ある程度の情報公開はせざるを得ません。――ですが、この学校の運営システムは様々な面で秘匿すべき事柄が多すぎます。

 それらを考慮した上で、ファンクラブ限定での有料企画を起ち上げることにしました。まあ、あまり大掛かりな企画は出来ませんが、現時点では短めの動画配信を考えています。これにより雫が健在であることをファンに向けてアピールします。

 これは学校の運営部――すなわち政府も同意の上です。言わば妥協点ですね。

 写真とは異なり、短いながらも動き、話す雫さんを有料とはいえ公式に視聴できるのです。ファン心理を考えれば、ある程度上手くいくと思われます。

 形になった際には、この場にいる皆さんにもご協力いただきたいのですがいかがでしょうか? 有料企画である以上、それによる収入が入った場合、当然ながら出演頂いた皆さんにも還元させていただきます」

「補足事項として、初回配信の際には私とプロデューサーも出演し、そこで配信に至った経緯を説明する予定だ。また、動画配信の際には基本的に生徒会からも何人かにアシスタントとして出演してもらう形になる。生徒会役員に出演してもらうのは、我が校とプロデューサーの会社の双方が合意の上と視聴者に分かりやすく理解してもらうためだな。

 あまり我が校の内情を話してもらうのは困るが、配信内容は基本的に佐倉くんの希望を取り入れるつもりだ」

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 プロデューサーと理事長の口から放たれたのは、この学校のシステムを考えればある意味で爆弾だった。……まあ、ある程度完成されたシステムに新たに外部を組み込むにしては話し合いの期間が短いような気もするが、プロダクションの知名度等を鑑みれば妥当かもしれない。運営元の政府としても、ストーカーの件で公に訴えられたら面倒なのは目に見えている。同じ面倒事ならば、大手プロダクションを組み込む方が遥かにマシに決まっている。

 ともあれ、悪くない一手ではあると思う。

 ファンクラブ限定、かつ有料にすることで、視聴者そのものを限定させる。そもそもファンの暴走が発端なので、ファンさえ満足させておけばいいのだ。広く知らしめる必要などない。そういうものがあると知ったところで、興味の薄い者は金を払ってまで視聴することは無いだろう。

 運営側としても、芸能方面に強いパイプが出来たと捉えることも出来る。高校の謳い文句からして元からある程度のパイプはあったろうが、より強化された形になる。雫の所属するプロダクションは業界でも大手だからな。

 プロデューサー――つまり会社側としては青田買いの面もあるのだろう。この学校の生徒にはビジュアルに優れた生徒、高校生離れした実力者や曲者も多い。芸能会社としてはそういった人材を欲してもおかしくない。

 或いは敷地内にあるブランドショップなどが絡んでくる可能性だってあるだろう。自社製品のコマーシャルにアイドルやタレントを起用するのは珍しいことでもないのだから。視聴者が限られるとはいえ、皆無ではないのだ。配信の際、雫に推しの製品を紹介してもらうだけでも少なからず効果はある筈だ。

 愛里にとっては『雫』としての仕事だ。無論のこと――ポイントという形ではあるだろうが――報酬が支払われるに決まっている。

 きっかけはどうあれ、上手く運べば関係者の誰しもにメリットがある。

 

「内容にもよりますが、友人のことです。喜んで協力しますよ。報酬が払われるなら尚更です。まあ、当然ながら都合のつかない時もあるでしょうが……」

 

 取り敢えずはそう答えておく。確かに現時点で協力する気はあるが、予定は未定だ。この先がどう転ぶかなど分かったものではない。そもそも企画のスタートがいつになるかすら決まってはいないのだ。予防線を張った上で賛成するのがベターだろう。

 他の面々も似たり寄ったりな返事で賛成していく。

 

「ありがとうございます。今のところはそのお言葉で十分です。つきましては、こちらの契約書を確認してサインをお願いします」

 

 渡された契約書は、よくある規約の様に『細かい文字で何項目も』といったことはなく普通に見やすかった。そもそも、この学校の前提には『外部との接触禁止』がある。それ故に省けるところは省いているのだろう。

 内容としては、佐倉愛里=『雫』であると他言しない、とかそんなものだ。

 しかし、この契約書は肝心の部分が不明瞭だ。支払われるポイントがハッキリしない。

 

「皆さんの疑問は尤もですが、正直に申しましてどれくらい支払うのが妥当なのか、我々の方も判断しかねているのです。この特殊な環境下で皆さんの時間を拘束する以上、こちらとしては相応の報酬をお支払いする義務がございますので……。

 また有料企画とは申しましたが、こちらも未だ金額が定まっていないのです。金額設定が低すぎれば無意味に広がりすぎてしまい、高すぎればそもそもの目的が果たせなくなってしまいます。

 そういった諸々を鑑みた結果、もう少し詰めた上で、改めて皆さんにご連絡したいと考えています。いまご覧いただいているのは、あくまでも仮契約書とお考えください」

 

 なるほど、言っていることは尤もである。――まあ、言っていることが全てではないだろうが……。

 

「この場にいない中にも佐倉さんが『雫』であると知っている者が何人かいますが、それについては?」

「知っている方とであればお話しいただいて結構です。ただ、その方々のお名前を教えていただきたく思います。

 また、現時点で知らない方でも、佐倉さん本人の判断の上でならお話しいただいても構いません。そちらについても、都度報告をいただければと思います」

 

 鈴音の問いに対する、プロデューサーの返答がそれだった。

 裏を返せば、プロデューサーはこう言っているのだ。

 

『情報の取り扱いには注意しろ。仲間を増やすなら熟慮の上で行え』

 

 と。

 参加して間もないにも関わらず、既にこの学校のシステムに馴染んでいるように感じる。それだけやり手のプロデューサーなのだろう。

 面白い。やはりここは実力至上主義の学校だ。




今回の話は賛否両論――と言うか、否の方が多いかなとは思います。
が、ストーカーがブログにコメントを残してる以上、所属事務所は高度育成高等学校に事実確認すると思いますし。
なら、こういう展開もアリかなと。……佐倉の貴重な収入源にもなりますし。

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