対魔忍ユキカゼ2 〜疾風異譚〜 (茶玄)
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第1章 流離編
第1話 勇猛決路


(勇気と覚悟。ありふれた言葉だが……その実、両方を併せ持つ者の何と少ないことか)

 

 達郎はいつぞやの紫先生の言葉を思い返す。

 

 持てる力の全てを駆使し疾走する達郎。その眼に映るは、窮地の二人と魔人が一人。

 

 達郎の視界の左側に見えるはゆきかぜだ。度重なる戦闘に精根尽き果てたか、その呼吸は荒く、地べたに両膝をついている。

 

 その傍に寄り添うは同級生の“□□□“。己が身を挺して守ろうと、ゆきかぜの正面に回り膝をつき、その身体を強く抱きしめている格好だ。

 

 そして…右側からその二人に特攻を目論むは淫魔の王、黒井竜司。ゆきかぜと凜子の苛烈な攻撃を受け、人間の姿に戻ったその身体には、木遁の幹により無数の時限式のC4爆弾が絡みついている。

 

 そのC4爆弾は、この大広間に至る途中で各所に設置していた物だった。今は部屋の外で治療を受けている静流が、木遁で掻き集め黒井への攻撃に利用したのだ。

 

 黒井は死に際の悪足掻きか、二人を爆発の道連れにするつもりのようだ。

 

 ゆきかぜ達の脇奥には、凜子がゆきかぜ達のために用意した空間跳躍の 泡沫(ゲート)が浮かぶ。

 

(今の二人に 泡沫(ゲート)に逃げ込む余裕はない……)

 

 達郎は瞬時に判断を下し、後方にいるであろう凜子に指示を飛ばす。

 

「凜子姉《姉さん》、出口側の 泡沫(ゲート)を消してくれっ!!」

 

  泡沫(ゲート)の出口のみを消し去る。その意味するところは即ち……入口に足を踏み入れたら最後、永遠に次元の狭間を彷徨(さまよ)うことに他ならない。

 

「なっ!?それは駄目だ、往くな達郎!!」

 

 達郎の意図に気付いた凜子が必死に静止を促すも、達郎の脚は止まらない。

 

(流石、凜子姉《姉さん》。察しが良くて助かる…)

 

 ゆきかぜの下へ急ぐ達郎には、凜子が指示に従ってくれたかどうかは分からない。今はただ…凜子を信じるしかなかった。

 

 黒井が妄執の一撃をゆきかぜに叩きつけるべく、その右腕を振り下ろさんとしたその瞬間ーー

 

ドガッ!!

 

 達郎は黒井の間合いに一気に詰め寄ると、走る勢いに任せて左横っ腹目掛け体当たりを仕掛けた。

 

「……っう!貴様、何をっ!?」

 

 視覚外からの横やりに驚きの声を上げる黒井。刹那、黒井の腹にしがみついた達郎とゆきかぜの視線が交錯する。

 

(ぇ……達郎?)

 

 二人の間をスローモーションのように刻が流れる。突如現れた達郎に目を見開くゆきかぜ。達郎はゆきかぜを安心させるように優しく微笑むと、声にならない言葉を口にした。

 

『大丈夫、ゆきかぜ……俺に任せて』

 

(そんな…分かんないよ。何言ってんのよ、達郎……)

 

 ゆきかぜの困惑を他所に、達郎は渾身の力を以て黒井の身体を圧し込んでいく。

 

「うぉおおおお!!」

 

 如何に黒井が暴れ逃れようとしても…達郎は離れない。シャボン玉の如く七色に輝く空間跳躍の泡沫(ゲート)へと徐々に前進し…己を(かえり)みず黒井もろとも入口に飛び込んだのだった。

 

「…ぅあ、達郎が……あぁ、嫌ぁあああああ!!」

 

 遠く(かす)かに聞こえる悲嘆の声は凜子か、それともゆきかぜか。次元の狭間に落ちゆく達郎には、もはや判別することすら敵わなかった。

 




 いかに二次創作とはいえ、遊んだことのないゲームの主人公の名前を出すのは、流石に失礼かなと思いまして……今回は伏せ字にさせていただきました (_ _)

 また、過去の稚作では淫魔側に(くみ)していた静流さんが、今作では対魔忍側に加勢していますが、これはその…法外な金額でエージェント契約を結んだということで、ご理解いただければと思います。


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第2話 生魂流転

 寄せては返す波の音と潮の香り。四肢に(まと)わりつく冷気と砂の感触に、身体の熱が奪われていく……

 

 達郎の目覚めは、心地の良いものでは無かった。砂浜に仰向けに倒れたまま見上げた夜空には、大きな深紅の月が輝き、浜辺を真っ赤に染め上げている。

 

 首を(ひね)り辺りを見回すも人影は無く、建物らしき人工物さえ見当たらない。達郎は左胸に手を当て、心臓の鼓動を確認する。

 

(生きているのか、俺は……)

 

「…ようやく、目覚めたか」

 

 突如、頭上から聞こえた黒井の声に、達郎は即座に飛び起きると瞬く間に距離を置く。

 

「安心しろ。人間とはいえ、俺は命の恩人を無下に扱ったりはしない」

 

(恩人…だと?)

 

 黒井が指差す先の砂浜には、枯れ果てた木遁の幹と不発に終わった無数のC4爆弾が散乱していた。

 

「ぇ…起爆しなかったのか?」

 

「時間・空間の不確かな次元の狭間に落ちたのだ。時限信管のタイマーが止まったとて、不思議なことではあるまい」

 

 呆然とする達郎に、黒井は尚も言葉を投げかける。

 

「それより貴様の方はいいのか?俺を殺したいほど憎んでいたのだろう?」

 

 得物一つ持たない今の達郎が、黒井に抗うには余りにも分が悪い。此処(ここ)は交戦を避け、一時停戦に持ち込むのが得策なのは明らかだ。

 

「お前を助けるつもりなど毛頭無かったが……俺一人では到底敵うわけもないからな」

 

 達郎は両手を上げ、戦う意志のないことを黒井に示した。

 

「ふん…存外に冷静なのだな」

 

「で、此処は一体何処なんだ。次元の狭間に落ちたにしては、想像していたのとは大分違うみたいだが……」

 

「無論、俺にも分からん。元の世界に通ずる場所か、或いは全く別の異世界か。皆目見当がつかん」

 

(嘘を言っているようには見えない…如何に淫魔とはいえ、王の位を冠する男。それなりに分別を(わきま)えていると信じる他ないか)

 

「そうか…まぁ、お互い一度は諦めた命だ。精々、生き足掻いてみるとしよう」

 

 そう言うと達郎は黒井の脇を通り抜け、海とは反対方向に向かって歩き出した。

 

(ゆきかぜや凜子姉《姉さん》のことを考えると胸が痛む。元の世界に戻る方法を早く探さなければ……)

 

「おい、何処へ行こうというのだ?」

 

 達郎は振り返らずに黒井の問いに答える。

 

「遠方…あの山間(やまあい)の付近から、生活音らしき物音が風に乗り聞こえてきたからな。運が良ければ人がいるかもしれない」

 

「ほう…中々使えるではないか、人間」

 

ザッ、ザッ…ザッ、ザッ……

 

 背後から聞こえてくる足音に耐えかね、達郎は歩みを止めて後ろを振り返る。

 

「いや、何で付いて来るんだお前?」

 

「気にするな。他に当てもないのでな、同行させてもらおう」

 

(本気かよ、こいつ……)

 

 一時停戦したとはいえ、行動を共にするなら話は別だ。気分次第で己が命を奪いかねない相手が近くにいては、気が休まる暇もない。

 

(冷静になれ…この先、外敵に襲われる可能性もある訳で。暫くは一緒に行動した方が、(むし)ろ安全かもしれない)

 

 此処は一先ず呉越同舟、考えを改めた達郎は今後の黒井との接し方について、更に頭を悩ませるのだった。

 




 実を言うと黒井のことは結構好きな方でして。見た目も良いし、何故か憎みきれません。

 淫魔の(さが)ゆえに、その行いは褒められたものではないですが、人間の姿では効果抜群の性技と小賢しい淫夢を扱う程度ですし…

 良い友人を得られれば、より魅力的なキャラクターになるのではと考え、達郎とペアを組んでもらうことにしました。


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第3話 仙風道骨(上)

 晩秋の寒さが冬の訪れを感じさせる宵の刻。久方振りに寝所を出た凜子は、カーディガンを肩にかけ、屋敷の縁側に腰を下ろした。

 

 齢八十を超え、近頃は一日中床に()すことも少なくない。凜子は数日前から己の死期が近いことを悟っていた。

 

(明日をも知れぬ命よな…)

 

 生涯未婚を貫いた凜子にとって、唯一の懸案であった逸刀流の跡取り問題も、一人娘の綾に《分家の親戚筋に》引継いで久しい。

 

 凜子は夜空に浮かぶ下弦の月を眺めながら、己の半生を思い返す。

 

ジャリ……

 

(砂利の音…野犬でも迷い込んだか)

 

 凜子が視線を下ろし庭先を見やると、ロングコートの襟を立て、ポケットに両手を突っ込み一人(たたず)む青年の姿が目に飛び込んできた。

 

「……ぇ?」

 

 有り得ない…月明かりに照らされたその輪郭(シルエット)は、凛子に若かりし頃の達郎を思い起こさせた。

 

「…久し振りだね、凛子姉《姉さん》」

 

 信じられない… 驚いたことにその声色も、あの頃の達郎と何ら変わらない。

 

 凜子は青年の下へ近寄ろうと、軒下のサンダルにつま先をかけた。

 

「……まさか…達郎なのか?」

 

 月夜の闇の下、恐る恐る青年へと近付く凜子。年老いた目でその顔を識別するには、まだ余りにも距離が遠い。

 

「あぁ。随分遅くなってしまったけど…間に合って良かった」

 

 青年の正面まで近付き、ようやく焦点を結んだ凜子の両目に映ったのは……遠慮がちに微笑む紛うことなき達郎の姿だった。

 

「あ…あぁ……」

 

 凜子は、眼前の邂逅(かいこう)が己の幻想でないことを確かめるかのように、達郎の頬を両手で(もっ)(しき)りに撫で回す。 

 

「達郎、達郎… よくぞ無事で…うぅ……」

 

 達郎の胸元に顔を寄せ(むせ)び泣く凛子。達郎は凜子の背中に両腕を回し、その身体をそっと抱き寄せた。

「…よもや、こんな奇蹟が待っていようとはな」

 

 抱擁を終えた二人は縁側に腰を下ろした。凜子は達郎の肩に頭を乗せ、達郎もまた凜子の腰に腕を回し、互いにこれまでのことを語り合った。

 

「そうだったんだね…正直、綾《結生(ゆき)》のことは気になっていたから、話しを聞いて安心したよ」

 

「うむ、良き伴侶を得て子宝にも恵まれ、今も家族と幸せに暮らしている。何も心配はいらないぞ」

 

(でも、凜子姉《姉さん》はずっと…)

 

 この屋敷で一人きりだったに違いない。全てはあの日、一方通行の空間跳躍の泡沫(ゲート)に自分が飛び込んだばかりに。達郎は苦悶の表情を浮かべずにはいられない。

 

「凛子姉《姉さん》、俺は…」

 

()せ、達郎」

 

 間を置かず、達郎の言葉を(さえぎ)るように凜子が呟く。その表情は、達郎の考えなど全てお見通しと言わんばかりだ。

 

「私が選び歩んだ道、私の人生だ…達郎が気に病む必要などない。それに…何もお前が私の全てだったという訳でもないのだからな」

 

 無論、嘘だった…今にして振り返れば、凜子にとって達郎こそが己の全てだった。

 

 凜子とて達郎を失って以降、ただ悲嘆に暮れていた訳ではない。対魔忍仲間や身内の人々と喜び笑うことも当然あった。

 

 だがしかし、ふとした何気ない瞬間にフラッシュバックに襲われては、過大な喪失感に(さいな)まれた。

 

 延々と繰り返す心押し潰されるような痛みを、ある時は薬にも(すが)り生き長らえてきた。

 

 だからこそ…最期に再び巡り会えたからには、以前と変わらない姉として気丈に振る舞い、達郎の後悔の念を取り除いてやらねばと凜子は考えたのだ。

 

 やがて凜子は話し疲れたのか、目を瞑り今にも眠りそうな様子を見せはじめた。

 

「凛子姉《姉さん》…疲れたのなら少し眠ったら?」

 

「…そうだな達郎。長話が老骨の身には少々(こた)えたようだ」

 

「……」

 

 逡巡の後、凛子の耳元に不意に聞こえてきたのは、告白の言葉だった。

 

「…愛しているよ、凜子姉《姉さん》」

 

 凜子は一瞬目を見開き全身を震わせるも、すぐにまた達郎に身体をもたれかけた。

 

「ふふっ…その言葉、五十年振りに聞いたぞ《五十年前に聞きたかったぞ》」

 

(今更、改めて私の気持ちを口にしたところで…残される達郎の心の傷が深まるだけだろう……)

 

(私も愛していたよ…ありがとう、達郎……)

 

 そうして遂に、凜子は達郎に胸の内を明かすことなく、最期の眠りについたのだった。

 




 今回は私の趣味趣向一辺倒なお話となりました。

 ちなみに当初は、凜子の口調を年相応の柔らかい雰囲気に変えていたのですが、全くしっくりこなかったので元に戻しました。


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第4話 仙風道骨(下)

「…凜子は安らかに逝ったか?」

 

 屋敷の外に出た達郎に、門前で待ち構えていた黒井が問いかけた。

 

「あぁ、とても満ち足りた顔で…うん、安らかな最期だったと思う」

 

「そうか。それにしても相変わらずよく泣くな、貴様は」

 

 黒井の見立ての通り、泣き腫らした達郎の両眼は酷く赤い。

 

「………」

 

「凜子の死とて看取ったのは一度や二度ではない…いい加減慣れてもよい頃合いだと思うがな?」

 

「こればかりは多分、一生無理だと思う」

 

 今の二人は、大元の“原世界”から無数に連なる“並列世界”を渡り歩く彷徨(さまよ)い人だった。

 

 世界間の移動は突如訪れ、二人の意思が介在する余地はない。一つの世界に留まれるのは長くて三ヶ月、短い場合は半月程度であり、その規則性も判然としない。

 

 加えて二人は歳を取ることも無かった。その容姿は旅を始めて二十年以上経つにも関わらず、一切変わる様子がない。

 

 次元の狭間に落ちたのは勿論のこと、その際に黒井が魔力で結界を張ったことも関係しているように思われたが、原因は未だ分からぬままだ。

 

 屋敷を離れ農道を横並びに歩く二人。沈黙を破るのは、大体いつも黒井の方からだ。

 

「聞いてもいいか、達郎」

 

「何だよ、改まって」

 

「いや、実はいつまで経っても俺を殺さない貴様が不思議でな。今や仙術の域に達しつつあるその腕前ならば、叶わない願いでもないだろう?」

 

「そりゃ、まぁ……」

 

 往く先々の世界で自由奔放、気ままに振る舞う黒井に対し、達郎は己が武芸を絶えず磨き続け、その実力は今や黒井に勝るとも劣らない。

 

 そして、達郎は世界を移動する度に、ゆきかぜや凜子或いはその縁者を探しては、陰ながら見守り続けた。

 

 任務中の窮地は言うに及ばず、敵勢力に(とら)われれば身柄を保護するべく暗躍し、二人が不幸な結末を迎えぬようにとあらゆる手を尽くした。

 

 例えその結果が、“並列世界”に新たな分岐を一つ設けるだけの行為だとしても…達郎には見過ごせるはずもなかった。

 

 詰まるところ今の達郎は、ゆきかぜと凜子の因果律に干渉する事象概念とさして変わらない。

 

 (ゆえ)に、隣りを歩く黒井にばかり(かかず)らわっていられるはずもなく、達郎自身はとうの昔に心の整理をつけていたのだが…

 

「でも……やっぱり一人は寂しいだろ、お互いさ」

 

 達郎はいくばくか逡巡の後、建前とも本音とも取れる曖昧な返事を返した。

 

「ふん……所詮は人間か、脆弱な返答だ」

 

 黒井は達郎より前を行くと、しばらくして後方の達郎に語りかけた。

 

「ところでな、達郎。今宵は(いささ)か気分が良い。これから一緒に街に赴き、遊女でも愛でようと思うがどうだ?」

 

「いや、ここ対魔忍の里だし。そんなお店近くにないから」

 

「まぁ、任せておけ。俺の魔性の(わざ)を以てすれば、街の女共を掻き集め、貴様に極上の相手を用意することなど雑作もない」

 

(はぁ…何言ってんだ、こいつは。だから、それが駄目なんだって……)

 

 達郎は大きく溜め息を吐くと、黒井の考えを少しでも早く改めさせねばと、その歩みを速めたのだった。

 人間と魔族の垣根を越え、世界の(ことわり)の外を漂う彼らには、辿り着く未来などなく、凡庸な最期など望むべくもない。

 

 飄々踉々(ひょうひょうろうろう)彷徨う二人の影は尚追い難く、果たしてその境遇は喜ぶべきか、或いは哀しむべきものなのか…

 

 二人の在り様は、もはや余人の及ぶべきところにはない。そして抱える想いもまた、誰にも知る由のないものだった。

 




 稚作に最後までお付き合いいただいた方々へ、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

「世界が達郎を見限ったのではない。達郎が世界の枠組みから逸脱したがために、狭小な世界に住まう者達からはその様子を観測、或いは認識できなくなったに過ぎない」

 という現対魔忍世界からの逃げの一手が、今作の主題だったのですが…最後まで準備不足、説明不足な感が否めませんでした。

 少しでも真面目な話にしようと思ったら、勢いだけで書いてはいけませんね…

 反省は尽きませんが、私の達郎の物語はここで一旦終着です。今後はこれまでの稚作の誤字・脱字、言い回しやらをこっそり見直す程度に留めるつもりです。

 話題を少し変えまして、対魔忍シリーズについて少しだけ私見を述べさせていただければと思います。

 ネットで見聞きした知識で恐縮ですが、公式の並行世界設定や物語のリスタートについては、正直なところ私からも一家言申し上げたい気分です。

 他方、忍者ベースの和風異能系かつ、やや緩めなサイバーパンクな世界観や、ゆきかぜを始めとした数々のキャラクターについては、本当に魅力的だとも感じています。

 最後になりますが、今後の対魔忍シリーズが、より良いコンテンツとなりますよう、心よりお祈り申し上げまして、私の最後のご挨拶と代えさせていただければと思います。

 本当にありがとうございました。

茶玄( ̄^ ̄)ゞ


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第2章 未来編 Ⅰ
第5話 偵察部隊の風遁使い


 居住区の喧噪(けんそう)静まる深夜のレジスタンス本部。

 

 アスカとゆきかぜ、それに参謀のアビゲイルの三人は、数日前から略奪・殺戮行為を活発化させている南西方面のレイダー達への報復措置について、話し合いを行っていた。

 

「ちょっ、何これ…」

 

 タンポポの代用珈琲を片手に椅子に腰掛け、偵察部隊の報告資料に目を通していたアスカが、唐突に驚きの声を上げた。

 

「え…なになに、どうしたの?」

 

 それまで、ろくに話し合いに加わりもせず、室内の壁にもたれかかり、退屈そうにしていたゆきかぜが反応する。

 

「この偵察部隊からの報告、読んでみて」

 

 アスカに近寄ったゆきかぜは、手渡された資料を一読すると、すぐさま同様に感嘆の声を発した。

 

「何これ、凄い…」

 

 偵察部隊からの報告資料には、強襲予定であった拠点(セクト)周辺の地形や外縁の見張りの位置は勿論のこと、拠点(セクト)内の見取り図、果てはレイダーの兵力装備に至るまで、事細かく記載がなされていた。

 

 この報告資料を取りまとめた者が、高深度の隠密偵察を遂行し得る技量を持ち、かつ情報収集・分析能力にも長けているのは間違いないだろう。

 

 だが、今のレジスタンス内には、一般兵は言うまでもなく対魔忍の中にすら、そんな人材はいなかったはずだ。

 

「一体、誰がこんな資料を…」

 

 呟くゆきかぜに、アスカは首を振りお手上げの姿勢を見せる。すると(わず)かな間を置き、機械生命体のアビゲイルが二人の会話に加わってきた。

 

「…あぁ、それは第八偵察隊の報告書ね。ここ数週間、彼らの隠密偵察の成果には目覚ましいものがあるわ。ついでに言うと、生還率も劇的に向上しているわね」

 

「でも、確か第八は一般人の志願兵で編成されていたはずよね」

 

 納得しきれない表情のアスカが、アビゲイルに問いかけた。

 

「その通りよ。一ヶ月ほど前かしら…部隊の隊長さんが新たに志願兵を受け入れたらしくて。でね、どうやらその彼が風遁使いらしいのよ」

 

「へぇ、確かに風遁使いならあり得る話かも」

 

 ゆきかぜが得心が行ったとばかりにアビゲイルに答える。手練れの風使いであれば、敵影を(いち)早く察知し、敵陣の奥深くまで見つからずに潜入することも可能だろうと考えたからだ。

 

「近接・格闘戦主体のアスカの風神の術より、よっぽど有意義な使い道だと思う」

 

「ゆきかぜ、アンタねぇ…」

 

 嬉々として煽るゆきかぜを睨みつけるアスカ。剣呑な雰囲気になりつつある二人に対し、いつもの事と構わずに、アビゲイルは尚も話を続ける。

 

「彼ならもうじき此処(ここ)に来るわよ。今の部隊では技能を持て余しているように思えたから。なので、アスカとゆきかぜに直接見極めてもらって、適任の部隊を決めてもらいます」

 

「こんな夜遅くに呼出し?何てブラックなの、私達…」

 

 レジスタンスのリーダーであることを忘れたかのような発言をするアスカ。

 

「それに、ちょっと気になる噂もあるのよね…」

 

 言い淀むアビゲイルの躊躇(ためら)いに気付いたアスカとゆきかぜは、沈黙を(もっ)て続く言葉を待った。

 

「……彼、逸刀流の剣士らしいわ」

 

「マジッ?」

「えっ?」

 

 逸刀流とは、かつての五車対魔忍の多くが修めた対魔武術であり、ゆきかぜもそのうちの一人だ。

 

 その噂が本当ならば、二人の知る五車関係者であるかもしれない。ゆきかぜは、アビゲイルに未だ見ぬ彼の名を尋ねた。

 

「名前は何て?」

 

「達郎…秋山達郎と名乗っているそうよ」

 

「…記憶に無いわね。ゆきかぜはどう?」

 

 アスカの問いに、ゆきかぜは首を横に振った。

 

「…私も知らない。けど、苗字が秋山なのは少し気になるかも」

 

 二人とも知らぬ名前…アビゲイルの事前の調べでも、過去の五車学園名簿にそのような名前は見つからなかった。

 

 だがしかし、秋山姓を名乗るからには、五車関係者でなくとも、秋山派逸刀流に連なる者である可能性は捨てきれない。

 

 ゆきかぜは、偵察部隊の彼への興味が薄れるのを感じながら、五車学園時代の先輩であり、艶やかな藍色の髪を持つ剣豪。秋山凜子の姿を想い起こさずにはいられなかった。

「おい起きろ、達郎」

 

 第八偵察隊の坂下隊長の小屋に住み込んで早一ヶ月。

 

 達郎は、いつも通り小屋の隅に毛布を敷くと、壁側を向いて横になり、浅い眠りについていた。

 

 声に先んじて近寄る気配に気付き覚醒するも、相手が坂下隊長だと分かると、達郎は狸寝入りをひたすら決め込んだ。

 

(どうせまた、夜遊びに行くから金を貸せとか、飲みに付き合えとか…ろくなことでは無いだろう)

 

 坂下隊長は年の頃は四十代後半。その容姿と性格は、往年の土方のおじさんを地で行くような人だった。

 

(悪い人ではないんだけどな)

 

「ったく、起きろっての」

 

 坂下隊長が、達郎の背中を足のつま先で小突く。達郎は仕方なく、目覚めたばかりであるかのように欠伸をすると、ゆっくりと振り返り反論を口にした。

 

「…何時だと思ってるんですか、坂下さん。報告書なら夕方に提出したはずですが?」

 

「違ぇよ。我らが参謀様が、お前に用事があるんだとよ」

 

(参謀様…ブレインフレーヤーの支配を逃れた機械生命体だったか)

 

「機械生命体の下へ出向けだなんて…坂下さんは俺を殺すつもりですか?」

 

「気持ちは察するがな、今はお仲間だ。余程の下手を打たなければ、命までは取らんだろ」

 

 レジスタンスの兵士の中には、ブレインフレーヤーに仲間や家族を殺された者も大勢いる。

 

 敵方から離反したとはいえ、新たにレジスタンスに加わった機械生命体に、脅威を感じる者が少なからずいるのは無理からぬことだった。

 

(大体、自我が芽生えたとしても、その倫理観まで人類と同じとは限らないだろうに…って、今はそんなことを考えてる場合じゃないか)

 

 所構わず思索に(ふけ)るのは達郎の悪い癖だった。達郎は、渋々立ち上がり毛布を畳み床の隅に置くと、間を取り繕うように愚痴を洩らした。

 

「他人事だと思って…あぁ、深夜手当は桃缶がいいなぁ」

 

「アホかお前は。果物の缶詰めなんて、そうそうあるわけねぇだろ…どうせ貰うなら酒か煙草にしておけ」

 

(それって、坂下さんが好きな物ですよね…)

 

「はぁ…レジスタンスって人使い荒過ぎません?これじゃ、ブラック企業と変わらないですよ」

 

 得物の忍刀を腰裏に提げ身支度を終えた達郎。二十代半ばのその容姿は、藍色の立体感のあるフェザーマッシュの頭髪に、童顔寄りの整った顔立ちと優しげな瞳。加えて、平均よりやや高めの身長と適度に引き締まった体格をも兼ね備えていた。

 

 見るからに誠実かつ爽やか印象の好青年。坂下隊長が夜遊びに連れ出したがるのも無理もない。さぞ水商売の女性からの受けも良いことだろう。

 

 小屋を出た達郎は、坂下隊長に連れ立ってレジスタンス本部へと向かった。

 

「ところで、坂下さん。小屋の空き状況って、その後も変わりなしですか?」

 

 居住区といっても、所詮は地下トンネルだった場所に、所狭しと小屋が建ち並ぶ見窄(みすぼ)らしい空間でしかない。

 

 空き部屋があるのなら、すぐにでも引越したい達郎だったが、キャンセル待ちが列をなすような状況では、それも望むべくもないことだった。

 

「あぁ、相変わらずだ。英雄“ふうま”がアルサールを倒してから、戦死者もかなり減ってるしな。追加の小屋を建てるにも、そも資材が足りねぇ…いい加減、この居住区も限界かもな」

 

(英雄“ふうま”、ね…人探しに都合が良いと思って、レジスタンスに入ったけれど…)

 

 実のところ、達郎は英雄になど興味がなかった。ましてや、人類の存亡になど関わりたくもない。

 

 達郎の優先すべきことは別にあり、レジスタンスへの参加はその手段でしかなかった。

 

(戦況が好転しているなら、後々面倒を抱える前に、バロネスシティに行って働き口を探すのもありかもしれないな)

 

 坂下隊長と共に本部前に辿り着いた達郎は、早くもレジスタンスを抜ける算段を講じ始めていた。

 




 ご無沙汰しております。活動報告にて述べましたが、対魔忍RPGを始めたのを契機に、創作活動を再開しました(_ _)

 今回の未来編ですが、構想を練り始めた当初は、前話までの“並列世界”を彷徨(さまよ)う達郎を主役に据えたお話を考えていました。

 ですが、私の力量では、チート持ちが“水戸黄門”や“裸の大将”みたいに活躍するだけの内容になりそうだったので……未来編で達郎が生存していたらっていう方向でお話を考え直しました。

 未来編の達郎は、ゆきかぜ達と面識はないですが、NTR属性は相変わらず。作戦指揮はふうまくんに比べてやや劣り、剣の腕前は師範代に次ぐ程度。こと隠密において非凡な才を発揮するといったイメージです。

 私的には、ふうまくん亡き後の未来編にこそ、達郎に活躍の場があるような気がしてならないのですが。現世界のふうまくんとのダブル主人公とか……熱い展開になると思いませんか?σ(^_^;)

※時系列的には対魔忍RPG「Chapter 36 風神の対魔忍」の後になります


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第6話 髄心逸刀流の剣士

 達郎達がレジスタンス本部の小屋に到着した頃には、時刻は二十三時をとうに過ぎていた。

 

 本部まで達郎を連れてきた坂下隊長の姿は既にない。本部に到着して直ぐ、役目を終えたと言わんばかりにその場を後にしていた。

 

(一緒に部屋に入ってくれると思ってたのに……)

 

 大きな溜息を一つ吐いた達郎は、入口脇に立つ偉丈夫な見張りの兵士に軽く会釈をすると、やや緊張した面持ちでドアをノックした。

 

「第八偵察隊所属の秋山達郎です」

 

「お待ちしていました。どうぞ、お入りください」

 

 小屋の中から、温和な女性を連想させる声が聞こえてきた。だが、その語尾には(いささ)か機械的で耳障りな響きが残る。

 

(機械生命体の参謀様…か)

 

「失礼します」

 

 達郎は意を決しドアを開くと、勢いに任せて室内へと踏み入った。

 部屋に入ってきた達郎を見た瞬間、アスカとゆきかぜの二人は息を呑んだ。

 

 あれほど精緻な報告書を作成する人材となれば、相応の経験を積んだ熟練の対魔忍に違いないと、二人は予想していたのだ。

 

 しかし、実際に目の前に現れたのは、年の頃も変わらぬであろう、背のすらりとした好青年だったのだから驚くのも無理もない。

 

 ましてや、凜子と同じ藍色の髪に紫の瞳…同じ秋山姓からしても、何らかの血縁関係にあるのではと疑わずにはいられなかった。

 

 言葉を失うアスカとゆきかぜを他所に、アビゲイルが優しい口調で挨拶を切り出した。

 

「レジスタンス参謀を務めるアビゲイルです。彼女達は…って、レジスタンスに参加して間もないとはいえ、流石にご存知ですよね?」

 

(自我の芽生えた機械生命体というのは、こんなにも人間っぽい応対をするものなのか…)

 

 達郎は礼を失することのないよう、右奥のベッドの手前に立つアビゲイルに一礼すると、次に中央奥の椅子に腰掛けるアスカと、その左脇に立つゆきかぜの方に体を向けた。

 

「お初にお目にかかります。レジスタンスリーダーの風神の甲河アスカさんと、雷神の水城ゆきかぜさん…ですよね。坂下隊長からお噂は伺っております」

 

「夜分遅くに済まないわね」

 

 達郎に多少なりとも気遣いを見せるアスカに対し、

 

「よろしく」

 

 ゆきかぜの挨拶は全く(もっ)て素っ気のないものだった。

 

(以前、酒に酔ってくだを巻く坂下隊長から聞いた話を頼りに、半信半疑で答えてみたけれど…どうやら間違えずに済んだようだ)

 

 一通りの挨拶を済ませ、胸を撫で下ろした達郎は、アスカとゆきかぜの二人の方に改めて目を向けた。

 

(それにしても、レジスタンスのトップが勢揃いとは…いよいよもって嫌な予感しかしない)

 

(確か坂下さんは、二人とも別嬪(べっぴん)さんだけど、風神のアスカは小生意気なあばずれ幼女で、雷神のゆきかぜは日サロ通いのレディース総長って言ってたっけ)

 

(与太話とばかり思ってたけど…うん、あながち見当違いとも言い切れなかったか)

 

 だが、二人の美しい容姿に惑わされてはいけない。各々が神の通り名を持つ歴戦の対魔忍なのだ。

 

(対魔忍の絶対的な優劣は、生まれながらの対魔粒子の総量と、それを制御する内勁(ないけい)に依って決まるそうだが…彼女達を前にしては(うなず)かざるを得ないな)

 

「ん…何?」

 

 こちらを見つめ続ける達郎を不審に思ったのか、アスカが声を上げた。

 

(この細身の体に、ブレインフレーヤーと対等に渡り合うほどの力を備えているなんて。凡庸な者達から見れば、畏怖すべき対象にしか映らないだろうな、これは…)

 

「え…私達、何か憐れむような目で見つめられてない?」

 

 沈黙に耐えきれなくなったアスカが、ゆきかぜに声をかける。

 

「……キモ」

 

 ゆきかぜもまた、不快感を露わに侮蔑の言葉を口にした。

 

(戦時下の今ならば重宝されるかもしれないが、戦争を終えた後は果たしてどうか。安息を得られるとは到底思えないな…これが力を持つ者の宿命、或いは気高き者の責務というやつか……)

 

バチッ!

 

(つう)っ、いっ…て!」

 

 突如、左手に感電したような痛みが走り、達郎は意識を外に向けた。見れば、ゆきかぜの右手が帯電し光を発しているではないか。

 

「ボーッとしないで」

 

「…申し訳ありません」

 

 またしても、所構わず思索に(ふけ)る悪い癖が出てしまったことを反省する達郎であった。

 

(どうやら、雷神様はその名に違わず、口より先に手が出るタイプのようだ…)

 

 アスカとゆきかぜへの挨拶を済ませた達郎に、アビゲイルが本題を切り出した。

 

「秋山さんにわざわざお越しいただいたのは、ここ数週間の第八偵察隊の働きぶりについて、お話をお聞きしたかったからです」

 

「この報告書、これは君が書いたのかしら?」

 

 遠回しな会話は時間の無駄とばかりに、アスカが間髪入れず口を挟む。

 

「はい、何か至らぬ点がありましたでしょうか?」

 

「その逆よ、とてもしっかりした報告書だったわ。仮に出鱈目(でたらめ)だとしても、ここまで凝ったものはそうそう書けないでしょうね」

 

(報告書に不備がないのなら、何故わざわざ俺を呼び出したんだ?)

 

 困惑する達郎。すると、説明の足らないアスカに代わり、アビゲイルが達郎を呼び出した意図を説明し始めた。

 

「率直に述べますと、第八偵察隊は一般兵主体の編成でして、重要な任務を担うような部隊ではありません。にも関わらず、秋山さんの報告書は、私達の想定を遥かに超える物でした」

 

「そんな、大した報告書では…」

 

 謙遜する達郎に構わず、アビゲイルは尚も話を続ける。

 

「ですので、素性を確かめ能力を見極めた後、秋山さんには適切な部隊に異動してもらいます」

 

「なっ!?」

 

(レジスタンスを辞めようと考えていた矢先にこれか…厄介事に関わるのは御免なのに)

 

「…私は第八偵察隊の任務に十分満足しておりますが」

 

「我々レジスタンスに、才ある者を遊ばせておく余裕などありません。何卒ご理解のほどを」

 

「……」

 

「それでは、早速幾つか質問させていただきますね。秋山さんは風遁をお使いになられるとのことですが、元は対魔忍の方なのですか?」

 

(これでは何処かの会社の面接…いや、ここは審問というべきか。とにかく、何とか上手く切り抜けないと…)

 

「…いえ、違います。私の風遁は、使用人の女性から手ほどきを受けた程度に過ぎません。世界が崩壊する前までは、東北地方にある対魔忍の下部組織で現地協力員を務めておりました」

 

 地方での活動に際して、ツアーコンダクターさながらに、対魔忍の案内役を務めるのが現地協力員の役割だった。

 

 地元の知見を生かし、事前の隠密偵察から滞在中の宿泊施設の準備に至るまで、その業務範囲は幅広い。ともすれば、(てい)の良い使い走りとも言える損な役回りだ。

 

「なるほどね、そういう話なら合点が行くわ」

 

 得心のいったアスカの言葉の後に、ゆきかぜが更なる質問を達郎に投げかけた。

 

「逸刀流の剣術を使うとも聞いたけど?」

 

「…私の扱う剣術は髄心(ずいしん)逸刀流、旧・秋山派逸刀流の分家筋の亡き父が創始した流派です。私も父を真似、幼少の頃より刀を振ってはいましたが、他人に自慢できる程の腕前ではありません」

 

(嘘は言っていない…本当にそう思ってるし)

 

 レジスタンスの内情に巻き込まれたくない一心で、達郎は己の技量について下手な期待を持たれぬよう、注意を払いつつ返答を返した。

 

 少しの間を置き、次にゆきかぜは達郎に最も訊ねたかった事柄を口にする。

 

「貴方、秋山凜子という名前に聞き覚えは?」

 

「…っ!?」

 

(よもや、この場でその名前を耳にするとは…どこまでも付き纏うものだな、家柄というものは)

 

 達郎は動揺を気取られぬよう、努めて平静を装い口を開いた。

 

「…お名前は存じております。旧・秋山派逸刀流宗家の嫡女で、剣術は免許皆伝の腕前だとか」

 

「そう。凜子先輩も貴方と同じ藍色の髪に紫の瞳。それに…性別は違うけど、何処となく似た雰囲気を貴方には感じる」

 

「…私が宗家の方と似ているなど、何とも(おそ)れ多いことです」

 

「……」

 

(どうにか誤魔化しきれたか?)

 

 達郎の亡き父は、未だに宗家の乗っ取りを企むほどの野心家でありながら、遁術の才に生涯恵まれず、その劣等感からか独善的で歪んだ性格の持ち主だった。

 

 故に実のところ、達郎は父は勿論のこと、逸刀流や対魔忍に対しても、余り良い印象を持っておらず、それらから距離を置きたいとすら考えていた。

 

 ゆきかぜが質問を終えたと判断したアビゲイルは、これまでとは切り口を変えた質問を達郎に投げかけた。

 

「東北にお住まいだった秋山さんが、危険な廃都にまでわざわざお越しになられた理由をお聞きしても?」

 

「…先程、少し触れました使用人を探しております。世界崩壊の直前に失踪して以降、行方知れずでして」

 

「へぇ、そうだったんだ。まぁ、今のご時世じゃ望みは薄いかもしれないわね」

 

 アスカの薄情とも取れる物言いに、少しばかり気分を害したもの、達郎はそれを(おくび)にも出さずに受け流した。

 

「えぇ、今では感染者やレイダー達が蔓延(はびこ)る遺棄地区ゆえ、生存の可能性が低いことは重々承知しておりますが…何分、姉とも慕う女性ですので」

 

「…見つかると良いね」

 

 想像だにしなかったゆきかぜからの温かみある言葉には、達郎も流石に内心驚かざるを得なかった。

 

「ありがとうございます、ゆきかぜさん」

 

 そうして達郎は、今宵本部を訪れて初めての…心からの感謝を口にしたのだった。

 その後も幾つかの問いに答え、そろそろ質問も出尽くしたように思われた頃、達郎の腰に携えた得物について、アビゲイルが訊ねてきた。

 

「腰に提げた刀を見せていただいてもよろしいですか?」

 

「えぇ、構いませんよ。何の変哲もない忍刀ですが」

 

 アビゲイルは、達郎から手渡された刀を鞘ごと両手で受け取ると、調査・分析を行うべく、頭部のカメラアイから赤色の光線を刀に照射し始めた。

 

「これといって特別な材質は使われていないようだけど、業物ではあるみたいね。(なかご)に“夜霧”と銘が打たれているわ」

 

 (つか)に覆われた茎の銘まで見通したアビゲイルは、次に義体内の多重記憶層にある無数のデータベースの検索に取りかかった。

 

「サルベージした五車のデータベースには……あった。過去に行った装備棚卸しの際に、凛子さんから同銘の刀の届け出が提出されているわ」

 

 アスカとゆきかぜを含む三人の視線が達郎に集中する。

 

「秋山さん、一応お聞きしますけど…凛子さんの刀を何故、貴方がお持ちになられているのですか?」

 

 相変わらず丁寧なアビゲイルの言葉遣いではあったが、その声色には追及の意思が色濃く感じられた。

 

「…残念ながら私には分かりかねます。その刀は下部組織に配属の折、父より譲り受けた品ですので。もしかしたら、過去に宗家から頂戴したのかもしれません」

 

 達郎は半分だけ嘘をついた。宗家から頂いたのは間違いないが、父から譲り受けたわけではなかった。それこそ二十年以上前、幼少の頃より常に(かたわ)らに有った刀なのだから…

 

(それにしても、どうしてそんな届け出を…全く意図が分からない)

 

 しばらく沈黙が続いた後、(うつむ)く達郎を前にアビゲイルが再び口を開いた。

 

「分かりました。それでは、この刀はもう少し調べたいことがありますので、一時預からさせていただきます。よろしいですね?」

 

 疑義を残す結果となった達郎からすれば、立場的にもアビゲイルの申し出を拒否できようはずもない。

 

「はい…用件がお済みなら、そろそろ退出してもよろしいでしょうか」

 

 刀を預けるのが余程無念だったのか、達郎はこれまでのしっかりとした態度が嘘であったかのように、腰を曲げ肩を落としていた。

 

「えぇ、今夜はもう帰って構わないわ。君に聞きたかったことは大体話して貰えたしね」

 

 達郎の問いに、リーダーであるアスカが毅然とした態度で以て答える。

 

「それでは、失礼いたします」

 

 (きびす)を返しドアノブに手を掛ける達郎。

 

「それとだけど…明日の十時に、離れの訓練場に来てもらえるかしら。そこで、君には簡単な試験を受けてもらうから」

 

 刹那、ゆきかぜは達郎の立つ側から、冷たく乾いた…まるで木枯らしのような風を頬に感じ、目を大きく見開いた。

 

(え、何で…湿気の多い地下の居住区に、こんな風吹くはずないのに……)

 

 ゆきかぜの(わず)かな動揺に、アスカとアビゲイルが気付く様子は全くない。

 

「…承知しました」

 

 力無くアスカの方を振り返り、返事を言い終えた達郎は、即座に部屋を後にしたのだった。

「さてと、秋山さんから預かりはしたけれど…この刀どうしたものかしらね」

 

 達郎が部屋を去ると、アビゲイルが困ったように呟いた。

 

「どうもこうも…凜子先輩に聞いてみるしかないよね」

 

 他に手段はないと言わんばかりに、ゆきかぜが即答すると、

 

「ゆきかぜの言う通り、当然そうなるわね」

 

 ゆきかぜの意見にアスカも賛同した。

 

「そう言えばアスカ、秋山さんを訓練場に呼び出すなんて…私はそこまでするつもりは無かったのだけど?」

 

 アビゲイルがアスカの方を向き、先程の発言の真意を問い正す。

 

「え…だって、髄心逸刀流なんて聞いたことないし、凄く気にならない?ゆきかぜもそう思うでしょ?」

 

 アスカの問いかけに、ゆきかぜはすぐには返事を返さずに黙考を始めた。

 

「それに彼、まぁまぁ格好良かったじゃない。折角だからお近づきなりたいかなぁ〜って」

 

「アスカ、貴方ねぇ…」

 

 アビゲイルは心底呆れたような態度を示す。

 

「…そうね、明日は私も見に行こうかな。それに、たまには早起きもしとかないとね」

 

「十時で早起きって…ゆきかぜ、いい加減一昔前のゲーム実況者みたいな生活リズムは改めなさい……」

 レジスタンス本部を離れ、帰路に就く達郎の胸中は穏やかではなかった。

 

 真っ先に達郎の脳裏に浮かんできたのは、幼き頃に別れた達郎と同じ髪、そして同じ瞳の色をした宗家の少女の立ち姿だった。

 

『心配はいらないぞ、達郎。住処は違えども同門の流派。精進を怠らねば、必ずや相見(あいまみ)える時が訪れよう。その時は…寝食を忘れるほどに刀を交え、互いに語り尽くそうぞ』

 

 達郎より年上とはいえ、年端も行かぬ彼女にしては余りにも大人びた別れの挨拶だった。

 

 目尻に涙を溜めるも、気丈に振る舞う彼女の姿を思い返す度、達郎もまた強くあらねばと自らを戒めてきた。

 

(今はこんな思い出に浸っている場合じゃないのに…楓花(ふうか)姉さんを探さなければいけないのに……)

 

 桐谷 楓花…それが、達郎が廃都・東京を訪れ、今もその行方を探している女性の名前だった。

 

(畜生…何でこうも上手くいかないのか……)

 

 逸刀流や対魔忍に反感を持つ一方、結局は自らも同じように剣術と遁術を扱い、大切な思い出ですらその内にあるという…

 

 矛盾に満ちた何とも半端な(おのれ)に、達郎は苛立ち、自嘲を繰り返すばかりであった。

 




 仕事が徐々に忙しくなり、またコロナに感染した同居家族の看護に追われたりと、ろくに執筆時間が取れず、前話から期間を置いての投稿となってしまいました (_ _)

 上記に加えて、通しで書き上げたのは随分前だったのですが、読み返してみると淡々と質疑応答が繰り返されるばかりで、全く面白くなくてですね…

 その後は、キャラクターの設定を掘り下げたり、会話のネタを考えたりしながら、空いた時間を使いひたすら書き直しをしていました。

 使用人の女性 “桐谷 楓花” は、今作オリジナルとなります。未来編のお話を書くに当り “凜子が生存していること” と “達郎に別の姉がいること” は、今作の重要な要素と考えていましたので。

 二人の詳細も今後明らかにしていく予定です…書き切れればですが σ(^_^;)

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【設定補足①】
 逸刀流
  忍びの里に代々伝わる剣術、居合・抜刀術、槍術、杖術・棒術、柔術・体術、砲術、兵術などからなる総合武術。近代以降、対魔忍組織にて隆盛を極め現在に至る。

【設定補足②】
 秋山派逸刀流
  戦国時代に武士の間で起きた剣術の急激な広がりを受け、剣術、居合・抜刀術、柔術に重きを置き、逸刀流より発展を遂げた流派。明治時代に入り逸刀流と流派統合するも、それを快く思わなかった一部の旧秋山派の分家らは、未だに秋山派を名乗り続けている。


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第7話 風神と疾風

 レジスタンス本部を訪れた翌日。坂下隊長から聞いた道順を頼りに、定刻通り地下訓練場に到着した達郎は、想像を超える場内の広さに驚きを隠せなかった。

 

 総合体育館のメインアリーナ位の広さと天井高に、林立するコンクリート柱。その景色は広さにおいて及ぶべくもないが、かつて地下神殿とも称された首都圏外郭放水路の調圧水槽を彷彿とさせた。

 

 天井に備え付けられた照明は用をなしておらず、代わりに所々に設置された投光器が、部分的に場内を照らしている。

 

 また、壁面の石膏ボードや床に敷き詰められたタイルは、老朽化と訓練による影響か、至る所に割れや剥れ、それに銃痕の跡等が見てとれた。

 

(普通の道場位の広さを想像してたけど…建設途中の商業施設か何かだったのだろうか…)

 

「もしかしたら、来ないかもって思ってたけど…どうやら杞憂に終わったみたいね」

 

 場内奥の暗闇から聞こえる声はアスカのものだった。達郎へと歩み寄る足音が大きくなるにつれ、投光器の明かりが、朧気(おぼろげ)だったアスカの輪郭を鮮明に映し出す。

 

(昨夜、その刀を預けてさえいなければ、絶対そうしてましたけどね…)

 

 達郎は、アスカが左肩に引っ提げている忍刀“夜霧“に気付き、内心で毒吐(どくづ)くも、それを悟られぬよう気弱に応ずる。

 

「そんな、果し合いってわけでもないのに……今日は試験なんですよね?」

 

 返事を返しつつ達郎もまたアスカの方へと前進する。やがて二人は場内の中央、互いの間合いを侵さぬ距離でその足を止めた。

 

 (おもむろ)に忍刀を達郎に放り渡し、悪戯っぽい笑みを浮かべるアスカ。

 

「えぇ、その通りよ。ただし、試験は私との剣術仕合だけどね」

 

(まぁ、あり得るかなとは思っていたけど…って、え…まさか真剣で?)

 

 (にわか)には信じ難い思いで、達郎はアスカが右手に持つ刃渡り四十センチ程度のナックルブレードに目を向けた。

 

「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫よ。私の方は、本当は二刀持ちだけど一刀のみだし、遁術も使わないから安心して」 

 

(いや、心配なのはそこではなくてですね……)

 

 微妙にズレているアスカとの会話に、早々に嫌気が差し始めている達郎だったが、その一方でアスカの剣技に関心を寄せずにもいられなかった。

 

 本来、前衛適性に乏しい風遁使いは、後方支援や暗部に回されることが多い。それにも関わらず、アスカは常に前衛で他の対魔忍を圧倒する程の戦果を挙げてきた。

 

 人並外れた絶風暴爆の対魔忍-それこそが達郎の聞き及ぶアスカの印象に他ならなかった。

 

 そんなアスカのハンディキャップの申し出に、(おのれ)如きが(あなど)られたと感じ、(いきどお)ることなど(もっ)ての他だろう。

 

 同じ風遁の使い手として、一介の剣士として、風神の対魔忍と称されるアスカとの手合わせに、達郎の心が(たぎ)るのも無理もないことだった。

 

「…承知しました。風神の御業、御教授願います」

 

 深く一礼した達郎は、腰に提げたばかりの忍刀を鞘から抜き払うと、平晴眼の構えを取りアスカの攻撃に備える。

 

「うんうん、そうこなくちゃね♪」

 

 そうして、右手のブレードを器用に (てのひら)でくるくると回しながら、まるで街中を闊歩(かっぽ)するかのように、アスカは達郎の間合いに踏み入ったのだった。

 剣戟の始まりは達郎の逆袈裟(ぎゃくけさ)の一閃からだった。身を捻りブレードで刃を受け流しつつ、右斜め前方に身体を傾け、一気に達郎に詰め寄るアスカ。

 

 アスカは得意の近接格闘に持ち込むべく、達郎の左腕を拘束しようと左手を伸ばす。だがしかし、達郎の姿は既にそこに無く、五指は当て()なく虚空を掻いた。

 

「…えっ?」

 

 相手を見失ったアスカに、間髪入れず左斜め後方から、達郎の左薙ぎが胴を襲う。

 

 格闘戦を狙う相手の行動を見越した達郎が、アスカの左脇をすり抜けて背後に回り込み、絶対の安全圏から横薙ぎを振り払ったのだ。

 

 前方に伸ばした己の左腕が邪魔をして、迫り来る刃を視認できないアスカ。その斬撃は、まさしく刹那に瞬く不可視の一閃。

 

 (かわ)しきれないと判断したアスカは、咄嗟(とっさ)に右手のブレードを逆手に持ち替え腹部を防御する。

 

ガキィーン!!

 

 かろうじて、達郎の横薙ぎを阻んだアスカだったが、無理な防御姿勢を取ったがために、その刀身を受け流すまでには及ばない。

 

 達郎の膂力(りょりょく)に任せた直刀の振り抜きに、アスカは身体ごと後方に吹き飛ばされると、無様に地面を転がってしまう。

 

「ちょ、君、あり得ないんですけどっ!?」

 

 急ぎ立ち上がり悪態を吐くアスカの声に、達郎の(ささや)きが重なる。

 

「…髄心(ずいしん)逸刀流忍術 “風踏(かざふみ)”」

 

 その忍術は名に(たが)わず風を踏む―――低空下にて風圧を足場に高速機動を()すその遁術は、(わず)かな足運びを(もっ)て、一瞬の内に達郎の体躯をアスカの眼前へと至らしめた。

 

「なっ、嘘でしょ!?」

 

 軽やかに身体を一旋し水平に振り払われる白刃を、アスカは際どい所で受け流す。

 

(片手一刀、遁術なしは流石に荷が重過ぎたかも…)

 

 逡巡するアスカに、尚も達郎の怒涛の連撃が襲いかかる。袈裟(けさ)斬り、逆袈裟、横薙ぎ、刺突。

 

 あらゆる方向から繰り出される変幻自在の刃に、アスカは次第に防戦を余儀なくされる。

 

 その剣速は凡庸―――なれど、俊敏な体捌きと精緻な足運びを以て、達郎自身は一切の反撃を許さぬ安全圏から、斬撃を淀みなく浴びせ続け、アスカを翻弄する。

 

 二刀ならまだしも、小脇差程度のナックルブレード一刀では余りにも分が悪い。反撃の糸口すら見つからず苛立ちばかりが募るアスカ。

 

「あぁ、もう!君の剣、本気(マジ)でウザ過ぎっ!!」

 

 (たま)らずアスカが叫び声を上げるも達郎は動じない。澄み渡る意識の中、この剣戟の終着点―――その一極一点に辿り着くことだけに思考の全てを費やしていた。

 遅れて訓練場に到着し、壁際で二人の様子を見物していたゆきかぜは、アスカが劣勢に立つ状況に驚愕(きょうがく)した。

 

 察するにアスカの方は、二刀持ちと風遁を封じているようだが、絶対的な膂力や速度において、アスカが上回っているのは見るからに明らかだった。

 

 そも、万全の体勢であれば、アスカの剣速は動体視力の極限をも超えるのだが……その一刀を振るう局面が一向に訪れない。

 

「そうか、速いんじゃなくて、(はや)いんだ…それに彼、立ち回りが凄い……」

 

 軽きを以て重きを凌ぎ、遅きを以て速きを捌く技の冴え。そして、相手の一手先を見通す明敏な彼の思考に、アスカは圧倒されている。

 

(彼には、派手な遁術や力任せの剣技は通じなさそう…)

 

 ゆきかぜは達郎の見せる剣技に感嘆すると同時に、悪寒にも似た戦慄に蝕まれていくのを感じていた。

(ハンデが無ければ、多分負けていたな。これは……)

 

 あらゆる他流他派の理合と剣技を数理解析し、それを逸刀流剣術に組み込むことで完成した髄心逸刀流は、確率統計学的な剣筋予測に基づく対人特化の実戦剣術だ。

 

 その特徴は認識、予測、回避行動のプロセスを瞬時に完結し、戦いの趨勢(すうせい)を制することにある。

 

 達郎の知る限り、甲河の流れを組む近接主体の格闘剣術は、圧倒的な手数と遁術による撹乱(かくらん)戦法が特徴のはず。

 

 (ゆえ)にそれらを自ら封じ、実力の半分も発揮していないであろう、今のアスカの攻撃ならば、髄心逸刀流を修めた達郎にしてみれば、躱し捌くこと自体はそう難しいことではなかった。

 

(それでも、流石は風神というべきか。持ち前の身体能力を頼りに良く持ち(こた)えているけれど…)

 

 達郎は逆袈裟でアスカのブレードを上方へと弾き返す。

 

「くっ、まだまだぁ!」

 

 防戦一方で胆力に陰りの見えたアスカが、身体の反射運動に逆らわず、高々と上げられた右腕から、渾身の上段斬りを仕掛ける。

 

(…どうやら、それもここまでみたいだ)

 

 刀身が短く重量の軽い小脇差や短刀は、上段からの振り下ろしでは、太刀に対し間合いに劣り、重みが足らず刃の(はし)りも鈍いため、どうしても相手に見切られがちになる。

 

 故に動作が少なく、また相手の視界から刀身を隠すに(まさ)る、下段からの逆袈裟や、横薙ぎが主な攻撃手段となるのだが……

 

 達郎は忍刀をブレードの刃を撫でるように滑らせ、アスカの斬撃を受け流すと、そのまま刀身を(しのぎ)に乗っからせ、地面へと力任せに叩き下ろした。

 

「あ、しまっ…」

 

 そのアスカの呟きこそが、致命的な悪手であったことの証左。ブレードの刃は、床に敷き詰められたタイルの目地に深く突き刺さる。

 

 地面からブレードを抜こうにも、素早く忍刀を手放した達郎の右手が、アスカの右手首を掴んで離さない。

 

 達郎はアスカの手首を支点に、片手で以て逆立ちの姿勢を取ると、身を捻り右脚で真横の虚空―――風を蹴り旋風の如く回転。

 

 己の腿力に加えて、“風踏”を利用した身体操法により、その威力を増した会心の回し蹴りが、前屈みのアスカの側頭部に直撃する。

 

「きゃっ!!」

 

 アスカは咄嗟に側頭部を左腕で庇うも、その衝撃に真横に吹っ飛ばされ床を転がると、林立するコンクリート柱に身体をしたたかに打ちつけた。

 

「…うぅ、()っつぅ〜」

  

 頭部を(さす)りながら、よろよろと立ち上がるアスカ。対する達郎は忍刀を持ち直し、未だ心身の構えを崩さない。

 

「…まだ、続けますか?」

 

「えぇ、勿論……と言いたいところだけど、私の反則負けね。回し蹴りの直前に、思わず遁術で障壁(バリア)を張っちゃったから」

 

 アスカは残念そうな表情を見せるも、昨夜に比べその声色には親しみやすい雰囲気が感じられた。

 

 達郎は、残心を示しつつ鞘に刀身を納め一礼すると、床に刺さったブレードを引き抜き、アスカへと手渡した。

 

「ありがと。君、案外やるじゃない」

 

「いえ、ハンデを頂かなければ、結果は恐らく違っていたかと。風神の御業の一端を垣間見ることができ、とても良い経験になりました」

 

「…ぇ、ふ、ふぅーん…まぁね、君も良く分かってるじゃない」

 

 達郎の言葉は嘘偽りない本心からのものだった。勝敗の如何(いかん)を問わず、刃を交えたからこそ分かるアスカとの力量の差。

 

 鍛え抜かれた膂力と瞬発力、磨き抜かれた型と技法には、さしもの達郎も舌を巻かずにはいられなかった。

 

 その後も二人は談笑を交えつつ互いを讃えあう。

 

(折角だから、二刀持ちでの手合わせもお願いしてみようかな…)

 

…ブォーン…ブォーン

 

 背後から聞こえる(かす)かな音に気付き、振り向いた達郎が目にしたのは、こちらに歩み寄ってくるゆきかぜの姿だった。

 

 その両手からは、雷神の代名詞である ”雷剣(プラズマブレード)“の刀身が伸び、(まばゆ)い光とプラズマ粒子の放出音を発している。

 

「どうやら、ゆきかぜもやる気になっちゃったみたい。悪いけど相手をしてあげてね、達郎君♪」

 

「…えっ?」

 

 達郎の返事を待たず、場内の端へと退(しりぞ)くアスカと入れ替わるかのように、二刀の”雷剣“の切先を地面に下ろし、達郎の目の前で歩みを止めたゆきかぜが、ゆっくりと口を開く。

 

「…準備はできてる。いつでもかかってきて構わないから」

 

 達郎は思いがけない事態に…そして何より……その余りにも滑稽(こっけい)なゆきかぜの得物に驚き、呆れて声を失った。

 

(うん、(てのひら)から刀身が伸びてるのは良しとしよう)

(けど、何あれ…光ってて、変な音まで聞こえるし)

(あ、昔のSFヒーロー物とかが好きなのかな?)

(いやいや、流石にそれはないでしょう)

(でも、刀剣としては欠陥だらけだぞ、あれ……)

 

「…来ないなら、こっちから始めるけど」

 

 幾ら待てども返事を返さない達郎に、ゆきかぜは怪訝な表情を浮かべる。

 

「……あ、はい。あの…よろしくお願いします」 

 

 物思いの不意を突かれ、気のない返事を返す達郎。その胸中は、先刻まで感じていた歓喜や充実感が失われ、刀を抜くのも億劫(おっくう)に感じるほどに萎えきっていた。

 




 達郎vsアスカ、達郎vsゆきかぜ、まとめて一話に収めるつもりでしたが、書いている途中で諦めました…ということで、次回はゆきかぜ戦、“雷神と疾風(仮)”の予定です。

 また、今作ではゆきかぜの“雷剣”が微かな音を発しますが、これは私の勝手な解釈となります。原理や仕組みを想像すると、流石に無音って訳にはいかないのではと思いましたので。

 最後に、今話での言い回しや髄心逸刀流の着想に関しては、虚淵 玄先生がシナリオをお書きになられた同人作品「浄火の紋章」を参考にさせていただきました。

 これまたガン=カタ好きには堪らない作品ですので、ご興味ある方は、是非ともお手に取っていただければと思いますヽ(´ー`)

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【設定補足③】
髄心逸刀流
 旧・秋山派逸刀流の分家筋に当たる達郎の父、秋山 俊樹が創始した流派。

 その特徴は、外国研究機関の極秘支援の下、元々の秋山派の逸刀流剣術をより科学的に先鋭化させた所にある。
 
 あらゆる他流他派の理合と剣技を数理解析し、それを逸刀流剣術に組み込むことで完成した髄心逸刀流は、確率統計学的な剣筋予測に基づく対人特化の実戦剣術であり、剣士(或いは兵士)のポテンシャルを極限にまで引き上げる。

 髄心逸刀流の特筆すべき点は認識、予測、回避行動のプロセスを瞬時に完結し、戦いの趨勢を制することにある。

 とりわけ、逸刀流の使い手に対しては無類の威力を発揮するため、髄心逸刀流を知る一部の者からは、“同門殺しの髄心流”とも呼ばれている。

 反面、対人特化の剣術であるが故に、対魔族・対生体兵器戦においては、逸刀流の亜流の域を出ず、また遁術を絡めた攻撃手段も皆無に近い。

 これら傾向については、剣才はあれど遁術の才能には恵まれなかった創始者の理念(或いは逸刀流や遁術への逆恨み)が、色濃く反映された結果と言えよう。


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第8話 雷神と疾風

(…成程、そういうカラクリか)

 

 達郎とゆきかぜが丁々発止(ちょうちょうはっし)と斬り結び、既に数十手余り。

 

 達郎は間断なく迫り来るゆきかぜの“雷剣(プラズマブレード)”の間隙(かんげき)を縫い、髄心(ずいしん)逸刀流の保証する安全圏へと身を(ひるがえ)しながら、返す刀でゆきかぜの刃を撥ね除け続けていた。

 

 剣術の一般通念上、二刀持ちは片手一刀で相手の斬撃を阻むには膂力(りょりょく)に劣る。不用意に相手の刃を受け止めれば、一方的に圧し込まれざるを得ない。

 

 加えて、あの“雷剣”は二刀共に中脇差程度(五十センチ弱)もの長さ。実剣と変わらぬ重量ならば、片手の腕力のみでは構えを維持し続けるのも難しい。

 

(けれども、あの二刀…糞っ、何てふざけた剣なんだ)

 

 おそらくは“雷剣”の持つ効力なのだろう。帯電による作用、その放電反発力が達郎の斬撃をいとも容易く撥ね返す。

 

 力任せに押し通すは言うまでもなく、撥ね上げや打ち払いを仕掛けて、安易に有利を取ろうとすれば、その反力により構えを崩され隙を作るのは、(むし)ろ達郎の方に違いない。

 

 更には、(まばゆ)い剣光を放つ見た目からも推して量れよう。その刃は全く重みを感じさせない。ゆきかぜは蝶の如き軽やかな体捌きで(もっ)て、“雷剣”を意のままに操ってみせた。

 

 本来、刀剣の重量は切断性能や操縦性、耐久性に関わるとても重要な要素であり、重心位置によってもその太刀捌きは大きく異なる。

 

 使い手の氣と切先の同調(シンクロ)に優れてこそ名刀。そのような見方において言えば、あの“雷剣”は間違いなくゆきかぜにとって一級品。

 

 だがしかし、匠の鍛えた刀剣を手足のように操るべく、幼少の頃より修練に明け暮れた達郎のような凡人、持たざる者からすれば、そんな卑怯じみた刀剣など、到底認められるはずもない。

 

薫陶(くんとう)を受けたであろう逸刀流剣術を、遁術由来の剣を頼りに、こうも(はずかし)(おとし)めるとは…)

 

 “雷剣”の効力を踏み台に、己の膂力と瞬発力を最大限に活かしたゆきかぜの猛連撃が達郎を襲う。

 

 達郎が刃を撥ね除ける度、ゆきかぜは巧みな体捌きで以て“雷剣”の反力を回転力に変換し、二刀の刃速を際限なく加速させていく。

 

 二刀剣法の基本は、初太刀で相手の刃を払い、もう片方の二の太刀で相手を仕留める攻守兼用。

 

 (ゆえ)に達郎が回避を続けるには、二の太刀から可能な限り間合いを取らねばならず、その最適ベクトルは初太刀側の斜め前方となる。

 

 達郎は、ゆきかぜを支点に時計回りにその立ち位置を変え、左右から交互に襲い来る“雷剣”の刃を身体の外角へと弾き返す。

 

 幾手とも知れぬ剣戟(けんげき)に二人は螺旋を描き、渦潮に引き込まれるかのように、次第にその間合いを縮めていく。

 

 “雷剣”の刃速は、今や動体視力の限界にまで及んでいる。二刀共に攻撃を仕掛けるゆきかぜに対し、達郎は守勢一方に転ずるも、その防御に(ゆる)みは一切見られない。

 

 髄心逸刀流の理合に基づく推算により、ゆきかぜの太刀筋を見通す達郎は、無駄を廃した精緻な足捌きと、“雷剣”の巻き起こす旋風に煽られる煙のように悠揚とした体捌きを以て、その(ことごと)くに応じて見せた。

 

(何で(しの)げるの?彼の目には、私の剣の“起こり”すら映っていないはずなのに!)

 

 焦れるゆきかぜは、雷遁による微弱電流を体内に巡らせ、身体反応速度の強化を図る。

 

 他方、達郎は更にギアを一段上げた“雷剣”の刃速に、内心で溜息をついていた。

 

(はぁ…まったく、受ける側の身にもなって欲しいのものだ……)

 

 速度重視の放物線を描く単調な太刀筋に、極端な手元重心による一本調子な切先の(はし)り。

 

 加えて、眩い剣光を放つが故に、その刀身の輝線は捉えやすく、更に刃影と共にプラズマ粒子の放出音まで発するとなれば―――

 

(こんなに明け透けな太刀筋では、如何(いか)に刃速を上げようが、目と耳から得られる情報だけで、十分対処に足ると何故分からないのか)

 

 反撃には及ばずとも受け捌くのみなら、幾許(いくばく)かの余力がまだ達郎にはあった。

 

(おそらくは、長年の偏った実戦経験のせいなんだろうな…)

 

 達郎の推察通り、感染者や戦闘思考力に乏しいレイダー達、強固な防御を誇る機械生命体ばかりを相手にしては、火力や手数に重きを置いた豪剣に傾倒するのも仕方の無いことだった。

 

 達郎から見て、ゆきかぜの身体能力はアスカと比べても遜色無い。

 

 だがしかし、達郎の刃を受け止める刀身の位置は、理想とされる力点からは程遠く、その太刀筋や足捌きにも、(いささ)かながら乱れが感じられた。

 

(彼女…もしや、剣術を始めて日が浅いのでは……)

 

 そも、かつてのゆきかぜは“雷銃(ライトニングシューター)”を得物に、中・長距離を主戦場とした疾雷爆轟の対魔忍。

 

 如何に雷神と称され、才気に溢れるゆきかぜといえども、物心つく頃より剣の道に入った達郎に比べれば、型や技法の練度において、一歩後れを取るのは当然と言えた。

 

 ましてや、達郎の扱う剣術は”同門殺しの髄心流“。尚のこと、逸刀流を修めたゆきかぜに対する評価は厳しくならざるを得ない。

 

(捌き難いのは確かだけど…それでも、多彩かつ老獪(ろうかい)なアスカさんの剣技とは比べるべくもない)

 

 達郎は己の体躯を駆使し“雷剣”の刃を撥ね除けては、目の前で左右に旋回するゆきかぜに回転力を与え続ける。

 

 今やゆきかぜは、達郎の太刀捌きにより速度を増す只の独楽(こま)に過ぎなかった。

 両者の剣戟が近距離戦の間合いに至り、“雷剣”の更なる欠陥が露呈する。

 

 (つか)が無く掌から刀身を発するが故に、こと近距離戦の太刀筋は手首の可動範囲に大きく依存してしまう。

 

 五指の握りを駆使した柄捌き、(わず)かな手元の所作から繰り出される千万変化の剣舞など、到底望むべくもない。

 

 機敏に手元で刀身を翻し攻めかかる達郎。対するゆきかぜは身体を(ねじ)り、肩を入れ手首を回し、無理な姿勢で応ずるも、その一連の動作は余りにも無駄が多い。

 

 徐々にゆきかぜの身体の均衡(バランス)は傾き、下肢の捌きも逸刀流の理合の示す位置からは一歩足りず、先刻の稲妻の如き刃速など、今や見る影もない。

 

(さあ、この劣勢をどう覆す……)

 

 苦し紛れの反撃か、或いは後退しての仕切直しか。ゆきかぜの次なる一手を、達郎は己の炯眼(けいがん)を以て冷静に推算する。

 

「幻影不知火・電!」

 

 ゆきかぜの声と同時に周囲に(あらわ)れた四つの雷球が、瞬く間にゆきかぜの似姿へと変容を遂げる。

 

 ゆきかぜの母が得意とした遁術に似たその(わざ)は、全ての分身が実体を伴う、人理の枠を超えた分身術の極北。

 

 本体と寸分違わぬ四人のゆきかぜの“雷剣”八刀が、一斉に達郎に襲いかかる。

 

「…髄心逸刀流忍術 “風踏(かざふみ)”」

 

 達郎は、即座に先のアスカ戦で見せた移動遁術を発動し、迫る刃を捌き惑わし(かわ)しつつ、包囲網の網をくぐり抜けると、後方へと大きく飛び退いた。

 

(遁術を使ったか。まぁ、確かに使わないとは言ってなかったけどさ…)

 

 両者の間合いは離れ、その距離およそ六間(十メートル)余り。ゆきかぜの周囲に分身の姿は既になく、その息遣いと表情からは若干の疲労の色が見てとれた。

 

(また、あの独楽回しに付き合わされては、こちらの気力が保たないな)

 

 既に両者の剣戟は、試験の枠を大きく逸脱している。そして何より……達郎は、今だ見処の一つもないゆきかぜの剣技に酷く飽いていた。

 

 刀の切先を下ろした達郎は、ゆきかぜに仕合の終了を申し出る。

 

「ゆきかぜさん、この辺で終わりにしませんか?試験としてなら、もう十分だと思うのですが…」

 

 ゆきかぜからすれば、達郎の申し出は不敵極まりない侮蔑の言葉と変わらなかった。

 

 火に油とはこのことか。アスカが封じた二刀を駆使しても届かず、(あまつさ)え遁術の使用まで強いられたとあっては尚のこと。

 

 “雷剣”二刀の剣先を達郎に向け、相手を見やるゆきかぜの目つきは、最早仕合の域にない。

 

 極低温下を駆け抜けるゼロ抵抗の電流の如き鋭い眼光が、達郎に突き刺さる。

 

「このままでは終われない。もう暫く付き合ってもらう」

 

「……分かりました」

 

(長引くくらいなら…いっそ、雷神相手に己の技を試すのも悪くない)

 

 覚悟を決めた達郎は、腰裏の鞘を左脇に提げ直すと、右前足で力強く風を踏み、腰を落とし納刀の構えを取った。

 

「…髄心逸刀流忍術 “風鳴(かざなり)”」

 

 突如、達郎を中心に巻き起こった烈風が、鞘に納まりゆく刀と共に、鞘奥へと吸い込まれていく。

 

 果たしてその遁術は、刀を抜き放つと同時に、鞘奥の烈風を一気に解放することで驚速の一刀を為す、達郎唯一の遁術を絡めた抜刀術であった。

 

 納刀を終えた達郎の周囲は一転して無風にして静寂。達郎は今にも暴れ狂わんとする鞘内の刀身を、(つば)にかけた左手の親指と、柄を握る右手に力を込めて抑え込む。

 

「いざ」

 

 そうして達郎は、ゆきかぜとの間合いを一気に縮めるべく、前傾姿勢を取ると、その前足に(おの)が体重を預けたのだった。

「あの距離からの抜刀。しかも短い忍刀でなんて…」

 

 訓練場の壁際で仕合を見守るアスカは、達郎の思いも寄らない行動に頭を悩ませていた。

 

 達郎の得物の忍刀“夜霧”は、刀身に全く反りのない直刀だ。居合に向く刀剣とは言い難い。

 

 古くは直刀に近い刀を用いる流派もあったようだが、アスカはそのような使い手と相見(あいまみ)えたことなど一度もなかった。

 

「彼のあの構え、どう思います?」

 

 アスカは、遅れてやって来て今は脇に立つアビゲイル……にではなく、アビゲイルが連れてきた車椅子に座る、藍色の長髪の女性に意見を仰いだ。

 

「………え……あ、うん、秋山派剣術を知る私から見ても、全く見当がつかないが……ゆきかぜ相手に、あれほどの剣戟をしてのけたのだ。達郎の方も、無為無策という訳ではあるまい」

 

 アスカに返事を返したその女性は、左肩から胸部にかけてこそ、紫色の対魔忍装束(スーツ)のような装いだが、その他の部位は全て義体によって補わられているようだった。

 

 端正な顔立ちに喜色を(たた)え、達郎の一挙一動を義肢の拳を握りしめ見守る彼女。アメシストに似た色彩の瞳には、薄らと涙が浮かんでいる。

 

(本当にもう…見てるこっちまで、嬉しくなってくるじゃない……)

 

 込み上げる感情を抑える彼女の様子に、アスカもまた心動かさずにはいられなかった。

 風遁を用いた高速機動により、一気呵成に詰め寄ろうとする達郎を、ゆきかぜは得意の射撃遁術を以て迎撃する。

 

雷苦無(ライトニングボルト)!」

 

 ゆきかぜの両手の人差し指から、次々に放たれる針状の雷撃に対し、達郎は場内を広範囲に移動して、雷撃の雨を()(くぐ)る。

 

 照明の明かりの届かない場内の暗がりや、林立するコンクリート柱を巧みに利用し、雷撃の弾道安全圏を確保しつつ、徐々にゆきかぜとの間合いを詰めていく達郎。

 

(全然当たらない、何でっ!?)

 

 銃術を捨て、剣術に鞍替えしたゆきかぜには分かるまい。

 

 達郎の見る限り、雷撃の連射速度は、物理機構を一切持たないにも関わらず、自動式拳銃(オートマチック)と大差が無く、二丁持ちの制圧力を全く活かしきれていない。

 

 そして何より、二丁持ち最大の短所である命中精度の低下に関して、何ら対策を行っている様子がない。唯一の長所は、弾薬をリロードする必要がないことぐらいだろう。

 

 要するにゆきかぜの雷撃は、銃術を(おろそ)かにした射撃手(ガンナー)の見掛け倒しの銃撃に過ぎなかった。

 

 ゆきかぜの指先“銃口”の向きを認識し、弾道を予測し、回避行動に移るまでが、髄心逸刀流の一刹那のプロセス。

 

 達郎はゼロコンマ一秒先んじた回避運動で、身を捻りながら雷撃の火線をくぐり抜ける。

 

 ゆきかぜに近付くにつれ、浅く掠め過ぎる雷撃に幾多の傷を負う達郎。両者の距離は既に二間半(四メートル半)にまで縮まっている。

 

 抜打の一太刀が届くにはまだ遠い……達郎は地を蹴り高らかに宙を舞う。

 

 跳躍する達郎に狙いを定め、雷撃を斉射するゆきかぜ。達郎は左半身を前に出し回避行動に移ると同時に―――腰に提げた刀を鞘ごとゆきかぜの方へと突き出した。

 

(え!?)

 

 予想だにしなかった達郎の所作に、ゆきかぜが目を見開いたその瞬間、

 

ズドンッ!!

 

 (ほとばし)る爆音と共に、鞘から打ち出された忍刀がゆきかぜの腹部を直撃する。

 

「ぐはっ!!」

 

 刀の柄頭ながら、杖術の直突きにも劣らぬ一撃。後方によろめき倒れたゆきかぜは、腹部を襲う痛みに堪えきれず、そのまま床に(うずくま)った。

 

 ゆきかぜの眼前に着地した達郎が、鋼糸を結んでいた刀を素早く手繰り寄せ、その刃をゆきかぜの首元に軽く押し当てる。

 

「……くっ…こんな騙し打ち、ブレインフレーヤーには通じない」

 

 首元に伝わる冷えた刃の感触に、己の敗北を突きつけられたゆきかぜは、心にもない言葉を思わず口にした。

 

「分かっています、そんなことは。俺の剣術や半端な遁術では、人間相手ならまだしも、魔族や機械生命体には歯が立たないでしょう」

 

 思いもよらなかった達郎の謙虚な返答を聞き、ゆきかぜは深呼吸して心中の狼狽を鎮めた。

 

「……ごめん、言い過ぎたかも」

 

(参ったな…よもや、雷神様に謝られるとは)

 

 困ったようにこめかみを掻いた達郎は、鞘に刀を納めると床に片膝をつき、右腕を床に蹲るゆきかぜへと差し出した。

 

「いえ、本当のことですから。それよりもお腹は大丈夫ですか?」

 

「……えぇ、対魔忍装束(スーツ)が衝撃を緩和してくれてるから」

 

 達郎の腕に支えられ、ゆきかぜがゆっくり立ち上がろうとしたその瞬間、

 

「達郎!!」

 

 突然の呼びかけに振向いたゆきかぜの視線の先には、こちらに歩み寄るアスカとアビゲイル、それに車椅子に座っているのは―――

 

「っ!?」

 

 ゆきかぜは隣で中腰の姿勢を取っていた達郎の呟きに、己の耳を疑った。

 

(そんなまさか……でも彼、確かに今 “凜子姉さん” って………)

 

 ゆきかぜが仰ぎ見た達郎の表情は、心痛に酷く歪み、その瞳には動揺の色がありありと見て取れた。

 




 全力のアスカとゆきかぜが遁術を駆使すれば、達郎に絶対勝ち目はない…という心積りで、前話と今話を書き上げました。

 ゆきかぜは“雷剣”も良いですが、できれば“雷銃”二丁を使い続けて欲しかった(まぁ、元々は雷遁制御を補助するための物ですが)

 今話ではそういった私の思いが、少なからず文章に表れてしまったように感じます(ごめん、ゆきかぜ……)

 何はともあれ、ようやく凜子の登場まで漕ぎ着けました ε-(´∀`*)ホッ

―――――――――――――――――――――
【キャラクター補足①】
秋山 凜子
 旧・秋山派逸刀流宗家の嫡女で達郎の実姉。逸刀流剣術は免許皆伝の腕前。

 過去に、ブレインフレーヤーの“将軍”ネルガルとの戦闘で重傷を負い、その体は頭部と左上腕から胸部を除き、人工臓器と高性能義肢に置換えられている。

 サイボーグ化に際しては、当時の戦況が逼迫していたこともあり、対立関係の垣根を超え、当時のDSO(米連防衛科学研究室)主導の下、高度なサイバネティクス技術が多数投入された。

 DSO日本支部が壊滅して以降は、設備が万全とは言えないレジスタンス研究施設にて、アスカの手により定期的なチェックと最低限のメンテナンスを受けるに留まる。

 前述の通り、現在は義肢の換装もままならない状況につき、内部機構に極力負荷を与えぬよう、義体の可動範囲と動作出力は常人並に抑えられている。

 また、1日の大半を研究施設のメンテナンスシートで過ごし、外出時には車椅子を使い移動する。

 重症を負って以降、身体の経絡・経穴の大半を失ったため、内勁の衰えが著しく、空間跳躍の法等の大量に対魔粒子を消費する遁術は扱えない。

 他方、免許皆伝の剣術の腕前は錆ついておらず、現在は愛刀の“石切兼光”ではなく、耐久性と義肢との相性に優るDSO製の超硬度太刀(高周波ブレード)を得物とする。

 危険を伴う作戦への参加は、アスカとゆきかぜにより厳に禁じられているため、拠点防衛や警戒監視に稀に姿を見せる程度であり、レジスタンス内の認知度も低い。


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第9話 桔梗の姉弟

(決して出会ってはならない。楓花(ふうか)姉さんを見つけるまでは)

 

 顔を合わせたら最後、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住まう危険な廃都にまで(おもむ)いた、己の覚悟が揺らいでしまうから。

 

 幼い頃の温かい記憶にきっと塗り潰されてしまうから……それなのに。

 

 胸の奥底に沈めた少女の面影を色濃く残す、藍色の髪の女性(ひと)

 

 実姉やも知れぬその女性が眼前の車椅子に座り、自らを仰ぎ見ている状況に、達郎の心は激しい動揺に襲われていた。

 

「達郎、お前は達郎なのだろう!?」

 

 達郎の葛藤も知らず、(はや)る心を抑えきれない凜子は、右手を伸ばし達郎の前腕を掴むと、その身体を力任せに引き寄せる。

 

 達郎は、凜子の強引な振舞いに為されるがまま、片膝を下ろすと凜子の視線を真正面から受け止めた。

 

「え、えぇ。俺のことを名前で呼ぶ貴女(あなた)は……もしかして凜子姉さん?」

 

 達郎の返事を聞いた凜子は、満面の笑みを(たた)え、喜びに身体を震わせた。

 

「あぁ、そうだとも!!本当に(たくま)しく成長したな達郎。ゆきかぜとの仕合も見事だったぞ」

 

「凜子姉さんの方こそ、よくぞ生きて…でも、その身体は……」

 

 現地協力員を始めた頃の達郎は、世話をした対魔忍の面々から、“斬鬼の対魔忍”として名を馳せていた凜子の話を聞く度に、誇らしく思えてならなかった。

 

 (ゆえ)に…ブレインフレーヤーの大攻勢において、最前線で戦い続けたであろう凜子の安否は、絶望的に違いないとも諦めていたのだが。

 

「うむ、私としたことが戦いの折、不覚にも深手を負ってしまってな。今や身体の大半を機械で補っている有様だ」

 

「そんな……」

 

 凜子自身の言う通り、その身体は四肢のみでなく、下半身から腹部にかけてまでもが義体であった。

 

「車椅子での移動を強いられているのは、設備や部品(パーツ)が足りないせいでな。今はこの義体を大切に使う他なく、仕方無くこうしている」

 

 悲痛な面持ちで話を聞く達郎に、凜子は気丈な響きを帯びた声で言う。

 

「そんな心配そうな顔をするな、達郎。前線に赴くことはできないが、これでも稽古や防衛任務は普通にこなしている」

 

「そう…うん、少し安心した」

 

 達郎と凜子の会話が一段落すると、戸惑いつつ様子を見守っていたゆきかぜが、真っ先に確認すべきことを二人に聞いた。

 

「えっと、そろそろ説明して貰っても良いですか。何でここに凜子先輩が?それに二人が姉弟って、あの……本当に?」

 

 凜子が説明を始めるよりも早く、後ろに控えていたアビゲイルが、ゆきかぜの一つ目の質問に答えた。

 

「今朝、研究施設を訪ねて凜子さんに聞いてみたの。”秋山 達郎“という髄心逸刀流の剣士に心当りはないかって」

 

 アビゲイルは、降参と言わんばかりに両手を胸元まで上げると、

 

「そうしたらもう、何処にいる!今すぐ会わせろ!!の一点張り。仕方がないから訓練場まで連れてきたという訳」

 

 アビゲイルに次いで、凜子が口を開く。

 

「達郎は幼少の頃に養子に出されたのだ。曲がりなりにも秋山派宗家の嫡男。本来なら養子など(もっ)ての(ほか)だ」

 

 苦々しい記憶を思い返しているのだろう。淡々と話しながらも、その言葉には悔恨の情が多分に感じられる。

 

「だが、両親を失い後ろ盾のない幼い私達が、分家に(あらが)うには余りにも無力でな…」

 

「まさか、凜子先輩に弟がいたなんて…全然知らなかった」

 

「許せ、ゆきかぜ。誰かに話したところで、達郎への哀愁が増すだけと、私一人の胸の内に留めていたのだ」

 

「じゃあ、彼が昨夜話していた、髄心(ずいしん)逸刀流の創始者のお父さんっていうのは……」

 

 今だ凜子の前で膝立ちの姿勢を取る達郎が、ゆきかぜの方へ顔を向ける。

 

「えぇ、実父でありません。秋山派剣術に固執しながらも、遁術を扱えなかった養父は、逸刀流と宗家を逆恨みしてましたから……恐らくは、そういう理由もあって、俺を養子に迎え入れたのだと思います」

 

「でも、昨夜は凜子先輩のこと、名前を知ってるだけって言ってたよね?」

 

「済みません…下手に血縁者と知られては、身動きが取り辛くなると思い、嘘をつきました」

 

 幾許(いくばく)かの静寂の後、アスカが今後に向けた話題を切り出した。

 

「一通り話は済んだかしらね。で、今回の試験の結果を踏まえてなのだけど、私としては、達郎君には本部直属の扱いで、今後は単独での隠密任務をお願いしたいのだけど、どうかしら?」

 

「申し訳ありませんが……」

 

 達郎の辞退の返事を見越し、間髪入れずアスカは言葉を重ねる。

 

「お姉さん代わりだった使用人の捜索でしょ。なら尚のこと、レジスタンスに留まった方が良いんじゃない?」

 

「……何故ですか?」

 

「今後も私達に協力してくれるなら、レジスタンス内外の情報網を使って、その使用人の捜索に力を貸してあげるわ」

 

「それは、俺が凜子姉さんの弟だからですか?」

 

「当然それも否定はしないけれど、達郎くんの実力を高く評価しているのも本当よ?」

 

「……」

 

「達郎、私も悪い提案ではないと思うのだが……」

 

 押し黙り迷う達郎に対し、先程までとは打って変わり、捨て犬のような怯えた瞳で達郎を見つめる凜子。

 

(凜子さんが、これ程までに感情を(あら)わにするなんて…本当にいつぶりかしら)

 

 達郎の返事を待つアスカは、身体の大半を義体化して以降、感情の起伏に乏しく、言少(ことずく)なだった凜子の変化に驚きを隠せなかった。

 

 他方、達郎もその瞳で強く訴える凜子の姿に、心揺らがずにいられなかった。

 

(確かに悪い話ではない。今後、偵察任務の危険度は上がるかもしれないが、それと引換えに楓花姉さんの捜索が、大きく前進することは間違いないのだから……)

 

 楓花姉さんを探すためなんだ……達郎は胸中で己に何度もそう言い聞かせると、

 

「俺はアスカさん達のように、強い信念を持ちレジスタンスに参加している訳ではないですが……それでも良ければ、よろしくお願いします」

 

「じゃあ、決まりね」

 

「それでこそ我が弟だ。達郎ならそういうと思っていたぞ!」

 

 ほんの少し前の悲壮感漂う様子は何処へやら、凜子の声色は一転して喜びに満ちていた。

 

(本当に調子の良い姉さんだ。二十年振りだと言うのに、今の俺のことなど大して知りもしないのに……)

 

「達郎、もし時間が許すなら、この後もう少し話せないか? 別れてからのこと、もっと色々と聞かせて欲しいのだが」

 

(達郎、達郎って…人の名前を気安く何度も何度も……)

 

 限界はとうに超えていた。(こら)えきれなくなった涙が瞳から溢れ、頬を伝い零れ落ちる。

 

(あぁ、畜生。涙で顔もろくに見れないなんて、何て情けない……)

 

 達郎の涙に凜子は、矢も盾も(たま)らず掴んでいた腕ごと更に達郎を引き寄せると、その胸と両腕で以て、膝上に乗せた達郎の頭を掻き(いだ)いた。

 

「……弱虫は卒業したのかもしれんが、泣き虫なのは相変わらずのようだな、達郎」

 

 瞳に涙を溜めながらも懸命に微笑む凜子。感極まった達郎は、(すが)りつくように両腕を凜子の腰に回し、声を上げて(むせ)び泣く。

 

 五車町でのブレインフレーヤーとの戦闘の折、凜子を始め学園の最終学年であった同級生達は、他学年よりも多くの生徒が防衛戦に駆り出され、その大半が命を失った。

 

 今だ身体だけでなく、心にも大きな傷痕を残す凜子にとって、突如訪れた弟との再会は何ものにも替え難く―――その存在は、二度と失うまいと己に固く誓わずにはいられない程だった。

 

(これからはずっと一緒にいよう―――なぁ、いいだろう? 達郎)

 

 そうして、凜子もまた万感の思いを胸に、達郎の髪にその頬を深く(うず)めたのだった。

 訓練場での一件から二週間後。それは、達郎がアスカから指示された偵察任務を終え、深夜にレジスタンス本部を訪れた時のことだった。

 

 アスカとアビゲイルに一通り報告を終えた後、同じく本部にいたゆきかぜから、剣術の助言を求められた達郎は、忖度(そんたく)なく思うところを彼女に述べた。

 

 “雷剣(プラズマブレード)”の発光は明度の低い暗色に。刀身は細身で、身幅は狭く、重ねも薄く。可能であれば、プラズマ粒子の放出音も極力抑えるようにと。

 

 前回の試験を兼ねた剣術仕合を振り返り、容易に剣筋を見切られないようにと(おもんばか)っての発言であったが……ゆきかぜの返答は、達郎にとって予想外のものだった。

 

「そんなの地味過ぎ、即却下」

 

 余りにも思慮に欠ける物言いに、暫し唖然とする達郎であったが、

 

「あの、ゆきかぜさんは対魔忍……ですよね?」

 

 虚無感に(さいな)まれながらも、何とかゆきかぜの理解を得ようと試みる。

 

「何、馬鹿にしているの?」

 

「いえいえ、滅相も無い。でも、てことはですよ? やっぱり忍びな訳じゃないですか」

 

「……そういうことね。貴方が言いたいのは、古式ゆかしい“忍道”ってやつでしょ? 悪いけれど、私の柄じゃないから」

 

(うわっ…忍者、全否定。本気(マジ)ですか……)

 

「そ、そうですか。でも、ゆきかぜさんの剣術は、”雷剣“二刀の扱いを少し見直すだけで、相当良くなると思いますよ」

 

 更に達郎は、実剣のように順手持ちと逆手持ちを“雷剣”でも実現できるよう、掌から発する刀身の伸長方向を柔軟に変えてみてはどうかと提案する。

 

 達人の柄捌きには及ばずとも、理合に適う所作や技の幅が大いに広がるに違いないと考えたのだが、

 

「駄目」

 

 助言を求めた当人は、相変わらず全く聞く耳を持たなかった。

 

「そうですか。では、ゆきかぜさんの気が向いたら……」

 

 嫌気の差した達郎は、理不尽極まり無いこの会話を終え、早々に立ち去ることにした。

 

 アビゲイルの計らいにより、居住区の空き部屋を宛てがわれた達郎は、それまで住み込んでいた坂下隊長の小屋から早々に引っ越していた。

 

(はぁ…さっさと家に帰って、ゆっくり休もう……)

 

「そうじゃなくて、その“さん”付け」

 

「え?」

 

「だから、敬称は要らない。大体、凜子先輩から聞いたけど貴方、私と同い年なんでしょ?」

 

「えぇ。でも、レジスタンス内での立場も違いますし……」

 

 呼び捨てで呼ぶほど親しい間柄という訳でもない。それに、今の距離感の方が、先々レジスタンスを去るにも都合が良い。

 

 申し訳ないけれどその申し出には応じられない―――じっと返事を待つゆきかぜの不安気な瞳に気付かなかったなら、恐らく達郎はそう答えていたに違いない。

 

「分かりました。では、今からお互い呼び捨てということで」

 

「あ……そ、そうね。話が早くて助かるわ。それじゃあ、今後ともよろしく、達郎」

 

 ゆきかぜの安堵の色を帯びた声音に、達郎は己の選択が間違いでなかったことを確信する。

 

「こちらこそ。でだ、ゆきかぜ。早速で悪いけど、やっぱり"雷剣“の扱いは考え直すべきだと思う。このままでは遠からず、君の剣は行き詰まる」

 

「う、うん…って、何? 途端にグイグイ来るじゃない……」

 

 そんな二人のやり取りを黙って見守るアスカの表情が、終始ニヤついていたのは無論言うまでもないことだった。

 

「―――で、何やかんやで結局、その後ゆきかぜに訓練場にまで付き合わされたんだ」

 

 初夏を向かえ、身体に纏わりつく地下の冷たい湿気が、心地良くも感じられる早朝。

 

 身体を冷やさぬよう薄手のコートを羽織る凜子は、二本の竹刀袋を背負う達郎に車椅子を押され、(くだん)の訓練場へと向かっていた。

 

「全く以て、ゆきかぜらしいな。ところで、達郎。私も“さん”付けでなく、昔のように“凛子姉”で構わんのだが?」

 

「……ごめん、実はいつからそう呼ぼうかと切っ掛けを探してたんだ」

 

 凜子に要らぬ気遣いをかけさせたことを、達郎は素直に詫びる。

 

「構わんさ。長い間離れていたんだ。少しは余所余所(よそよそ)しくなるのも仕方ない」

 

 舗装の朽ちかけた道に車輪を取られぬよう、注意深く車椅子を操作する達郎は、気になっていた事柄を凜子に訊ねることにした。

 

「アビゲイルさんから聞いたんだけど、凛子姉が学生の頃かな、装備の棚卸しの時に、俺の忍刀を届け出たらしいんだけど……何か覚えてる?」

 

「……あぁ、言われてみれば。確かにそんなこともあったな」

 

 昔の穏やかだった頃の日々を辿っているのだろう。凜子の表情はいつにも増して明るい。

 

「昔、同級生に打刀と脇差の二刀を腰に差してなければ武士とは言えぬなどと、揶揄(やゆ)されたことがあってな。虚勢を張って達郎の忍刀を届け出たのだ」

 

「そんな持ってもいない刀を何故?」

 

「仕方なかろう。我が“石切兼光”に見合う銘持ちの刀が他に思いつかなかったのだ。無銘の刀剣では格好が付かんだろう?」

 

「あ、そう…だったんだ……」

 

 余りにも他愛の無い理由に、達郎は追及を諦めて苦笑する他なかった。

 

「ところで、今日はアスカさんの許可をちゃんと貰ったんだよね?」

 

「あぁ、日頃の型稽古に比べれば、義肢への負荷は当然増すだろうが…達郎との大切な約束だと言ったら、快諾してくれたぞ」

 

(正直、凜子姉の認知って偏ってるというか、素直過ぎるというべきか。アスカさんのことだから、渋々承諾した気がしてならないのだけど……)

 

「それにアビゲイル殿のお陰で、回収した敵兵の部品(パーツ)を流用する目処が立ちそうでな。そうなれば仕合稽古は勿論、今後は義体の損傷を気にせず戦えるやもしれん」

 

 回収した敵兵というのは、恐らくは機械生命体のアサグのことだろう。

 

 達郎にはその内部構造までは分からないが、女性の対魔忍を模した見た目からして、凜子の義体への換装は現実味があるように思われた。

 

 暫くして訓練場に到着すると、凜子は車椅子を降りコートを脱ぎ、達郎から竹刀を受取ると素振りをし始めた。

 

「そういえば、達郎が探しているという使用人。アスカが姉代わりと言っていたが?」

 

「あぁ、ずっと俺のことを支えてくれた大切な人なんだ」

 

 凜子を横目にもう一本の竹刀を袋から取出しながら、達郎は楓花の姿を思い浮かべる。

 

 明るい栗色の髪に緩いウェーブのかかったセミロングヘア。普段は太縁の眼鏡に控え目な性格も手伝って、周囲には地味な印象を与えていた。

 

 だが、実際は小柄ながらスタイルは抜群で、愛らしい顔立ちに優し気な瞳を湛えていて―――慎み深く上品で、心惹かれずにはいられない女性だった。

 

(そう…俺は取り返しのつかない失敗をしておきながら、この荒れ果てた廃都で、今も楓花姉さんの行方を探している……)

 

「そうか。さぞ、良い姉代わりだったのであろうな。だが…実の姉がいながら、よもや代わりを頼るとは……」

 

 素振りを止め、竹刀の切先を下ろした凜子から不穏な空気を感じ、達郎は思わず後退(あとずさ)る。

 

「え、ちょ…凜子姉?」

 

「黙れ、痴れ者が。そうだな…私がこの仕合に勝ったら、その姉代わりとやらのこと、洗いざらい吐いてもらうとしよう」

 

「いや…だから、どうして……」

 

「四の五の言わずに、さっさと竹刀を構えよ、達郎」

 

 最早、取り付く島もない。凜子の剣幕に気圧されるがまま構えを取った達郎は、何かしら言い返さねばどうしても気が済まず、

 

「なら、俺が勝ったら、これまで付き合った男性の人数でも教えてもらおうかな」

 

 瞬間、凜子はカッと目を見開くも、静かに目を瞑り、

 

「ふ、ふふ…よりにもよって、姉に過去の色恋沙汰を訊ねるなどと…まぁ、良かろう。愚弟の腐った性根を叩き直すのも姉の務めだからな。ふ、ふふふ……」

 

 (たかぶ)る感情を抑えきれず、肩を震わせながら返事を返す凜子。

 

(これ以上、凜子姉の不興を買っては身が危うい…)

 

 達郎は口を(つぐ)み、深呼吸して雑念を鎮めると、自らの精神を静謐の縁へと至らしめる。

 

 相対するは“斬鬼の対魔忍”の二つ名を持つ実の姉。その卓越した技量と到達し得た境地は、達郎にとって未知の領域に他ならない。

 

「いざ」

 

 竹刀の剣線を凜子の喉元に向け、仕合の開始を告げる達郎。

 

「参る」

 

 達郎の掛け声に応ずる凜子。逸る心をそのままに、二人は惹かれ合うようにその間合いを瞬く間に詰めていく。

 

 小気味良い竹刀の音鳴りを伴い、秋山派剣術を色濃く残す体捌きと見切りの剣技の応酬を繰り広げる桔梗色の姉弟。

 

 間を飛び交う濃密な視線と気配のやり取りは、さながら男性選手(リーダー)女性選手(パートナー)が目まぐるしく入れ替わり、主導権(リード)を奪い合う即興のボールダンスのよう。

 

 ―――長い旅路の果て、懐かしい彼方にあった約束は今果たされた。

 




 何とか無事に第2章まで書き終えることができました。特に今回は手前勝手な設定も多かったので…貴重なお時間を割いてここまでお読み下さった方々には、只々感謝するばかりです。

 本当にありがとうございました (_ _)

―――――――――――――――――――――
【キャラクター補足②】
秋山 達郎
 旧・秋山派逸刀流宗家の元嫡男で凜子の実弟。髄心逸刀流の剣士。

 幼い頃に分家筋に養子に出されて以降、剣術は養父である秋山 俊樹の下で髄心逸刀流を修め、遁術の基礎は三歳年上の使用人の楓花より手ほどきを受ける。

 旧・秋山派宗家の乗っ取りを企む野心家の養父の意向により、高校時代から対魔忍の下部組織にて現地協力員を務め、実戦において己の風遁に磨きをかける。

 養父である俊樹は、宗家への異常な執着や、遁術の才に生涯恵まれなかった劣等感を抱えるがゆえに、歪んだ性格の持ち主であったため、達郎自身も逸刀流や対魔忍に対して良い印象を持っていない。

 特に対魔忍の下部組織に属し現地協力員を務めて以降は、更にその思いを強くする。

 達郎と任務を共にした対魔忍達は、何れも強者揃いではあったが戦略に欠け、また戦術も古風かつ画一的なものばかりであった。

 如何(いか)に精緻な敵方の情報を提供しようとも、その場凌ぎの力業の対応ばかり。

 これでは才に乏しいものは命が幾つあっても足りず、武装勢力として大成を収めるには至らないと、対魔忍組織自体を見限っている節がある。

 髄心逸刀流忍術 “風踏(かざふみ)
  極低空下にて風圧を足場に変幻自在の
  機動を為す移動遁術
   ※逸刀流忍術 “追風”の亜流
 
 髄心逸刀流忍術 “風鳴(かざなり)
  抜刀と同時に鞘奥の烈風を解放し
  驚速の一刀を為す攻撃遁術

 髄心逸刀流忍術 “凪待(なぎまち)
  風を利用した全周知覚・索敵遁術
   ※逸刀流忍術 “連達”の亜流


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閑話 墓前にて

 その共同墓地は、五車町近くの見晴らしの良い小高い山の中腹にあり、眼下を見下ろせば五車の町並みが、晴れている時は正面に遠くの山々をも見渡せる程だった。

 

 かつて、春秋のお彼岸やお盆の時期には、町に住まう多くの人々が、先祖の冥福を祈りに訪れたその場所は、今や足を向ける者も稀で、立ち並ぶ墓石や参道は、長年の風雨と伸び放題の草木に侵食され、荒れ果てるばかりであった。

 

 初夏の澄み渡る青空の下、黒のボタンレスのチェスターコートを羽織り、墓前にて腰を低くし手を合わせる一人の青年。

 

 他と違ってその墓は手入れが行き届いており、縁のある何者かが定期的に訪れているであろう様子が(うかが)えた。

 

 故人への祈りを終えた青年は立ち上がり一礼するも、一向にその場を動こうとしない。

 

「ようやく会いに来れたよ。と言っても…この世界では互いに顔も知らぬ仲だったか」

 

 藍色の髪を山風になびかせながら呟いたその声色は、優しくも少し寂しげで。

 

「それでも、ゆきかぜを置いて先に逝ったお前には、言いたいことが山程あってな。悪いが、もう(しばら)く話に付き合ってもらおうか」

 

 そう言うと青年は―――“並列世界“を渡り歩き、今はこの世界に身を置く達郎は、穏やかな表情を浮かべながら、墓の下に眠る旧友に滔々(とうとう)と語り続けたのだった。

 久方振りに墓所を訪れたゆきかぜは、墓の香炉に残る線香の灰と微かな残り香に、少しばかり驚いた。

 

(誰だろう、先客なんて珍しい……)

 

 周辺の雑草を抜き、雑巾と桶の水で以て墓石の汚れを拭き取り、手際良く掃除を進めるゆきかぜ。

 

 一通りの掃除を終え、花と線香を供えると、ゆきかぜは静かに手を合わせ、先ずは暫く足が遠のいていたことを詫びたのだった。

 

「ごめん、前回来たのは二ヶ月位前だったよね。最近ちょっと忙しくて……今日ここに来れたのも、突然アスカに休むように言われたからなの」

 

 アスカ(いわ)く、近頃のゆきかぜは相当なオーバーワークであったらしい。一方のゆきかぜからすれば、アスカも大して変わらないはずなのだが。

 

「過去を(さかのぼ)って貴方に会って…それから一緒にテセラックを破壊して……物凄く大変だったんだから」

 

 別の“並列世界”の彼の姿を見て、彼の声を聞き、彼の身体に触れる度、ゆきかぜは喜びに満たされながらも、心の何処かで後ろめたい思いを抱えずにはいられなかった。

 

「でも…私にとっての貴方は、やっぱり一人だけだから。今日はそれを言いに来たの」

 

 

『死者に囚われ過ぎては道を見失う…もう少し気楽に考えたらどうだ?』

 

 

 彼だったらそう返事を返すような気がした。けれども…今はまだその言葉には従えない。

 

 もしも、生きていたのなら……歳を重ねてもなお、不器用で意地っ張りな自分のことを、彼は仕様(しょう)がないと優しく受け止めてくれただろうか。

 

「大丈夫、言われなくても分かってる」

 

 苦笑を返しつつ墓石を見やるゆきかぜの瞳に、迷いの色は見られない。

 

「そうそう、実は凜子先輩に弟がいたの。達郎って言うんだけど、そいつがもう―――」

 

 そうして、その後もゆきかぜは、日が傾くまで墓の下に眠る彼に延々と語り続けたのだった。




 公式のシナリオを一通り読み終えた後、未来編を題材にするならばと、真っ先に思い浮かんだ場面が今話のお墓参りでして。

 とても短いお話ですが、思い入れがあったので書けて良かったです。


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