千恋*万花~Another Tale~ (もう何も辛くない)
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プロローグ




という事で帰って参りました。
原作は、はい。タイトルにある通り千恋*万花です。大体想像ついてたんじゃないですかね?

とりあえず今回はプロローグという事で、主人公の名前とか能力とか、性格…はまだ流石にこの話だけじゃ無理ですかね。
そういうとこ覚えてやってください。

それではまた、この駄作者をよろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大丈夫!僕が何とかするよ!』

 

 小さな子供が、呆けた表情を浮かべる綺麗な女性に向かって胸を張り、力強く宣言する。

 

『もっと強くなって、おばさんも芳乃も守る!』

 

 それは、現実を知らない純粋無垢な子供の戯れ言。厳しい言い方だが、少なくとも今の俺はそう思っている。

 

『だから、全部解決したらおばさんは芳乃と仲直りすること!』

 

 子供故に分不相応な事を宣い、他人の触れるべきでない所にとことん触れる。

 本当に、当時の俺を殴り倒してやりたい。どうしてあんな事を言ってしまったのか。あんな約束をしてしまったのか。

 

『…仲直り、できるかな?』

 

 あの時の、あの人の悲しげな表情は今でも鮮明に思い出せる。

 当時の俺は、度々あの人が浮かべる悲しげな表情の理由が分からなかった。

 

 あの時もそうだった。どうしてそんな悲しい顔をするのか分からなくて、それでもその今にも泣きそうな顔を止めさせたくて、俺は言ってしまうのだ。

 

『できるよ!だって芳乃もおばさんと仲直りしたがってたもん!だから大丈夫!』

 

 そんな簡単な問題じゃないのに。それを知らず、無遠慮に他人の心に土足で踏み込もうとする当時の俺を許せない。

 

『待ってて。すぐに帰ってくるから』

 

『絶対にここに戻ってくる。そして、芳乃の呪いを解いてみせる。だから待ってて』

 

 結局交わした約束を叶える事は出来ず、あの人は亡くなってしまった。

 そしてその出来事は俺に町を離れる決意を固めさせた。

 

 ここでは足りない。親父とお袋からの手解きだけでは足りない。もっと、もっと力が欲しい。

 二人からは大反対を受けたが、二人を押し切る形で俺は()()に修行に入る事に決めた。

 

 芳乃は泣きじゃくっていた。必死に茉子が宥めようと試みていたが、全く泣き止む気配はなかった。

 それでも涙を流す芳乃と、今度こそ守ってみせるという固い決意のもと約束を交わして、俺は町を出た。

 

 結局、その約束も一部、守る事はできなかったのだが。

 

「…きゃ……ん」

 

 芳乃が離れていく。

 茉子とおじさんが離れていく。

 

「おきゃ…さ…」

 

 いや、芳乃達だけじゃない。景色が、俺の周囲から離れていく。

 俺を独り残して、どこかへ行ってしまう。

 

「……てくだ…い」

 

 そうか、ようやく理解した。何か可笑しいと思ってたんだ。

 

「お客さん!そろそろ着きますから起きてください!」

 

 これ、夢だ。

 そう理解した直後、意識が覚醒し、目が覚める。

 軽く目の端を指で擦り、体を右、左と捻る。

 

「おはようございます、お客さん。そろそろ穂織に着きますよ」

 

 俺が起きて動き出した所をルームミラーで見たのだろう。前からタクシーの運転手が声を掛けてくる。

 

「ありがとうございます」

 

 起こしてくれた事にお礼を言ってから、車外の景色に目を向ける。

 

 最寄りの駅─────といってもそこから目的地である穂織の町までは一時間程掛かるのだが─────でタクシーに乗った時はまだ明るさがあった周囲はすっかり日も落ち暗くなり、時折視界を横切る照明灯の明かりが届く範囲のみハッキリと外の景色が見える。

 

 ドア内の張りに肘を立て、頬杖を突いて流れる景色をぼんやりと眺める。

 もう少しで着く、と言われても穂織を出てから五年。穂織に住んでいた時も殆ど町から出た事はなく、恐らくこの道も殆ど通った事はないと思われる。

 

 そのせいか、全く周囲の景色に見覚えがない。見覚えがないから、現在地と町との距離が分からない。

 

 まあ、運転手がもう少しと言っているのだからもう少しで着くのだろうが─────

 

「うわああああああああっ!!?」

 

「うおっ」

 

 突然運転手が悲鳴を上げる。かと思うと、甲高い音と共に車体に急制動が掛けられた。

 

 慣性に従って前に投げ出されようとする体をシートベルトが支える。

 運転手の声かけに素直に従ったタクシーに乗った時の俺、まじナイス。

 

 やがて車の動きは止まり、体に掛かる慣性が消えたと同時にぽすりと背中が背凭れとぶつかる。

 

「…運転手さーん?」

 

 車が止まったは良いのだが、再び動き出す気配が─────いや待て。ゆっくり動いてないか?これ。

 そして、運転手に呼び掛けても返事がない。というか、運転手のおっちゃんぐったりして気を失ってる様に見えるんだが?

 

「待て待て待て待て」

 

 慌ててシートベルトを外し、車がまだ動いているのにも構わず外に出て、運転席へと回り込む。

 思った通り、運転手の足がブレーキペダルから外れていた。すぐにブレーキペダルを踏んで、セレクトレバーをパーキングに、そしてサイドブレーキを引く。

 

 車は止まり、とりあえずこれで一安心。

 した所で、まずは周囲を見回す。

 

 いきなり運転手が悲鳴を上げたのは何故か。その原因が何なのかを確かめようとして、俺はすぐに()()を見つけた。

 

 黒い甲冑姿の、恐らく男と思われるそいつは、右手に刀を握ってじっとこちらを見つめていた。

 

 ─────仕事着で来るべきだったか。いやでもあの服で出歩くと浮くんだよなぁ。穂織でなら大丈夫なんだろうけど。

 

 一目見て、あの男がこの世あらざるものだと分かる。そして、運転手はあれを見て恐怖し気を失ってしまったのだろう。

 まあ、気持ちは理解できる。普通の人は落武者なんて見たらこうなるよな。

 

 普通の人は落武者を()()()()()訳ないもんな。

 

 とにかく、どうやら仕事の時間らしい。

 

 念のために上着の裏を確認する。武器と結界術を込めた札が十二枚。

 

 普段、依頼や見回りの際に持ち歩く装備はタクシー内のトランクの中、キャリーバッグの中にある。今日はそういうつもりではなかったから手元に殆ど装備はない。

 

 というより、いくら()()()()()()()()穂織周辺で()と出会すとは思わなかった。

 妖を結界周辺に呼び寄せるまでに呪詛が強くなっているのか、それともこの妖自身にそこまで悪意が渦巻いていないのか。

 

 もし後者ならば、俺としては見逃すのも吝かではないのだが。

 

 ないのだが、少し離れていても全身に伝わってくるこの闘気はそんな俺の情けを否定している様。

 

「…」

 

 とりあえずまずは近付いてみる事にする。

 

 相手はこちらをじっと見つめたまま動かない。どうやら、誰彼構わず人間と見るや襲い掛かる、という類いではないらしい。

 それならば、もしかしたらコミュニケーションが可能かもしれない。

 

「止まれ」

 

「─────」

 

 前方から発せられた言葉に従い素直に足を止める。

 

 その声から確かな威圧こそ感じられたものの、悪意や敵意は感じなかった。

 だから無暗に敵対心を与えないよう、危害が及ばない限りは変に反抗はしないでおく。

 

「…分かる、分かるぞ。こうして対峙しているだけで某には分かる。貴様の佇まい、威圧感。貴様は相当腕の立つ武士と見受けた」

 

「…はい?」

 

 敵意がないからと、もしかしたらコミュニケーションがとれるかもと様子見をした結果、突然訳の分からない事を言い並べられた。

 

「やっと、やっと…。某の望む真剣勝負が叶う」

 

「いや、勝手に話を進めないで貰えませんかね」

 

 その手の刀を一振り、やる気満々な所悪いが全くもって意味が分からない。

 

 いやなにやる気出してるの。俺は戦う気なんてさらさらないんだが。

 だって会話が成立…今はしてないが、多分向こうが冷静になれば成立しそうじゃん。

 こういう妖はあまり滅したくないんだよな。こういうタイプって大抵何か本人に望むものがあり、それを叶えればわざわざ滅しなくても浄化されたりするから。

 

 …いや、待てよ。さっきのこいつの台詞からすると、もしかしてこいつの願いって─────

 

「そうだな…、すまない。ようやく待望の者が現れたと思うと嬉しくてな。まず、某の名は鞍馬信孝と申す」

 

「鞍馬…」

 

 覚えのあるその姓は、脳裏のとある記憶を呼び起こす。

 

 鞍馬─────なるほど、そういう()()()か。だとすれば、現世に留まり続けるこいつの無念、願い。

 先程口にした真剣勝負。朧気ではあるが、予測は立てられる。

 

「鞍馬の家系は先祖代々、朝武家に仕えてきた由緒ある家柄。某もまた鞍馬の当主として朝武家に尽くした。だが─────」

 

 そう、()()()知っている。

 ()()()()()()()()()()()()()、そのヒントがあればとまだ穂織に住んでいた頃に色々と調べた。

 

 昔から朝武を守ってきた家臣の家柄が現代まで残っている事を俺は知っている。鞍馬はその家臣の家柄の内の一つだ。

 

 あの鞍馬信孝と名乗った男の格好、恐らく戦国時代のもの。そして、鞍馬の当主ともあろう者が現世に留まってしまう程に無念を覚えさせる出来事。

 俺の頭の中に浮かんだのは、たった一つの可能性だった。

 

「だが某は…忌々しいあの男の騙し討ちに遇い、殺された…。最後まで殿を守り通す事が出来なかった…!」

 

 忌々しいあの男、そして騙し討ち。戦国時代、朝武は当然敵国との戦争の歴史もあったが、朝武の国周辺にまで敵の手が及んだという歴史はない。

 だが、この亡者は穂織の町周辺に縛られている。それはつまり、この男はこの場所で、或いは周辺で殺されたという事。

 

 それが意味するのはただ一つ。

 この男が死んだ理由は、かつて起こった朝武の家督争いに巻き込まれた故だ。

 

「…当時の朝武の当主よりも先に命を落とした。それがアンタの無念か」

 

「…それもある。現世に留まり、某は朝武を見守り続けた。あの男の愚行によって呪われた朝武を─────!」

 

「…」

 

 無念というのはそっちか。

 だとすれば、どうするべきか。

 朝武の呪いを解かなければこいつの無念は晴れない。だが、あの呪いはそんな簡単な問題じゃない。間違いなく時間が掛かる。

 その間にこいつが怨霊化する事だってあり得る。

 

 ─────()()()としての最善の選択をとる。

 

 俺は情よりも、そちらを優先する事にした。

 

「無念が溢れている所悪いが、今のアンタを放っておく訳にはいかない」

 

 堕ちてはいない様だが、この感じ、それも時間の問題だ。

 その前にこいつの邪気を払う。一人の陰陽師として、人間の敵と戦う。

 

「…そうだ。それが某のもう一つの願い」

 

 落武者から発せられる声に僅かな喜悦が込められる。

 

「臣下として失格かもしれぬが─────お仕えする主より先に死んだ無念よりも、騙し討たれて殺された無念の方が某には大きかった。故に最期にもう一度…死力を尽くした決闘がしたかった」

 

 そんな落武者の台詞を聞いてふと思い出す。

 

 ────あの爺さんも、こういう熱血タイプというか、戦闘狂だったな。よく親父と木刀使って試合してたけど、血は争えないってやつか。

 

 一歩ずつ、落武者がこちらに歩み近付いてくる。

 その姿から目を逸らさないまま、俺は懐から一枚のお札を取り出す。

 

 人差し指と中指で札の端を挟み、右腕を高く掲げて札に妖力を込めてから頭上へ放る。

 

 直後、頭上から降ってくる札─────ではなく、降ってきたのは一本の槍。

 柄の中央を右手で掴み、軽く振るってから柄の先でコンクリートの道路を突く。

 

「─────なんと」

 

 感嘆の声を漏らし、呆然とする落武者の視線は俺の握る槍に注がれている。

 

 それも当然だろう。この槍は戦国時代に生きた武士で、知らない者の方が珍しいと言われる名槍なのだから。

 

「その槍、御手杵か…!」

 

 御手杵。

 現代にも伝わる天下三槍に数えられる内の一振り。

 何百年にも渡る時の中でこの槍はとある妖の手に流れ、そしてその妖から俺が分取ったという訳である。

 

 俺の武器にする際に少々、対妖仕様に改造している。先程、札がこの槍に変化したのもその一貫だ。

 流石に三メートル以上の長物を持ち歩くのは面倒臭すぎる。第一、銃刀法違反で捕まる。

 もしそうなったら陰陽師始まって以来初だろうな。警察に捕まる陰陽師って。

 

 その他にも槍に妖力を込めたりなど色々と改造を施したが、まあそこは割愛する。

 

()()勝負を叶えてやる事は出来ないが…、俺なりの本気を以て相手をしてやる」

 

「おぉ…。感謝するぞ、少年」

 

 生憎得物が槍故に、()()で勝負はしてやれないが、それでも落武者が喜悦に声を震わせる。

 

「其方の名を、聞かせては貰えぬか」

 

「…若狭陽明(わかさはるあき)

 

「…その名を胸に刻もう。陽明よ!」

 

 俺の名前を高らかに告げ、落武者─────いや、鞍馬信孝が刀を両手に握り構える。

 

「鞍馬信孝!いざ参る!いやぁああああああああああああああああっ!!!」

 

 口上の後、雄叫びと共に信孝がこちらに駆けてくる。

 

 重い甲冑に身を包んでいるとは思えない程に駆ける速度は素早く、そしてその足取りは軽い。

 

 それに対して俺は右足を前に踏み込む。踏み込みと共に槍を突き出し、信孝の首を狙う。

 

「ぬんっ!」

 

 刀を切り払い突きを受け流され、なおも信孝の足は止まらない。

 

 すぐさま槍を引き戻す。その間にも信孝は俺の首を射程圏内に捉え、袈裟気味に刀を振るう。

 

 刃が首元に迫る。その軌道上に太刀打ちを割り込ませ、刃を受け止める。

 

 金属音が山の中に甲高く鳴り響く。次に鳴るのは金属が擦れる、鍔迫り合いの音。

 

 妖力で身体能力を底上げし、妖の膂力に対抗する。

 

「く…ぐぅ…っはは。今の某は妖。故に、人間離れした怪力を持っていると自負していたのだがな…」

 

「生憎、生まれ持った膂力じゃない。けどまあ、このくらいは一人前の陰陽師なら朝飯前だ!」

 

「つっ!?」

 

 言いながら、信孝の鳩尾を蹴りつける。

 強化の術で底上げされた力で放たれた蹴りは両足で踏ん張る信孝を数メートル後退させる。

 

「…次はこっちから行かせて貰うぞ」

 

「…ふはっ、来いっ!」

 

「っ─────」

 

 本当に楽しそうに、刀を構える信孝に向かって一歩踏み込み、全力で穂先を突き出す。

 

 先程の牽制の突きとは訳が違う。本気で、信孝を射殺すための一撃。

 その一撃を、信孝は受け流す。が─────それで終わらせるつもりはない。

 

 間髪入れずにもう一突き、手応えが肉体を突き刺したものではないと感じ取った直後にもう一突き。

 微妙に突く場所を変え、時に首や心臓等の急所を狙いながら、確実に信孝を追い込んでいく。

 

 信孝も流石というべきだろう。次第に防御の手が追い付かなくなりながらも、急所への一撃だけは確実に防いでいる。

 だが、今頃信孝は自身に訪れている異変に気づいている筈だ。

 

「がはっ!?」

 

 遂に信孝の胸に刃が突き刺さる。

 

 人間とは違う、緑色の血液を吐き出しながらたたらを踏む。

 

「…なるほど。この槍、某の妖力を─────」

 

「あぁ。吸っている。そういう風に改造した」

 

「道理で…体が上手く動かなかった…」

 

 そう、この槍は傷をつけた妖の妖力を吸う性質を持っている。

 といっても、元々この槍にそんな性質はなく、俺がこの槍を手に入れてからその性質を付け加えたのだが。

 

 そして信孝自身に訪れている異変というのは、御手杵の力による急激な妖力減衰。

 それによって信孝の体は本人の意志通りに動かなくなり、そして今この結末に至る。

 

「…まだだぞ、陽明」

 

 もう勝負はついた。信孝の体からいよいよ、槍の性質によるものじゃない、妖力の漏れが発生し始めた。

 これは妖の消滅が始まった合図。この症状が発せられた妖にはもう助かる術はない。

 

 だがそれでも、信孝の戦意までは消えていなかった。

 

 信孝は刀を握っていない左手でがしりと御手杵の柄を掴み、そのまま自身の体から穂を抜くと顔を上げて俺を睨み付け駆け出す。

 

「相手が勝ったと思い込んだその瞬間、それこそ我が好機!」

 

 確かにその言葉通りだ。勝負において勝ったと思い込む、それこそ最大の油断であり、敵にとっては最大の勝機。

 

 だが、信孝は一つ勘違いをしている。俺は勝ったと()()()()()()()()()()()()

 

「それでも、」

 

 柄を引き戻し、右足を引く。そしてすぐに右足を踏み出し、穂先を信孝の首目掛けて突き入れた。

 

 その一連の動作が信孝が俺の懐に入り、俺の首をとるよりも早く。

 

「アンタは間に合わない」

 

 穂先が信孝の首を貫通し、そこで信孝の動きも止まる。

 

 妖力の漏れは止まらない。本人もこれが最期の攻撃になると分かっていた筈だ。

 その最期の攻撃も、俺には届かなかった。それなのに、それでも─────信孝は笑っていた。

 

 最期の言葉はなく、信孝は笑ったまま消滅した。

 

「…鞍馬、か」

 

 本当に、あの爺さんに似た人だった。

 姿は落武者だったから、顔が似ていたとかそういう訳じゃなく、こう、雰囲気というか。血は争えないと今改めて感じさせられる。

 

「さて、と」

 

 思わぬ足止めにはなったがとりあえず一件落着。槍を札に、懐に戻しつつ振り返ってタクシーの様子を見る。

 

 運転席に座る運転手はまだ気を失ったまま。もし意識を取り戻し、今までの様子を見ていたら暗示の術をかけて記憶を消さなければならなかったから、その手間は必要なさそうで一先ず安堵。

 ただ、タクシーの監視カメラの映像には細工が必要だろう。突然タクシーが止まり、それだけならまだしも乗客が席を降り、運転手を起こそうともしないまま数分戻らないなんて怪しさ満載過ぎる。

 

「運転手を起こすのはその後だな。…はぁ、めんど」

 

 軽く後頭部を掻きながらタクシーへと戻る。

 

 その道中、どうやって不自然さがない辻褄の合う映像にしようか、細工の方法を頭の中で考えを回すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖退治を終えた俺はタクシーへと戻り、すぐに監視カメラの映像の細工を始めた。

 まあ細工といってもほんの少し、俺が車内を出てからの十数分を切り取った、ただそれだけ。

 妖退治に掛けた、カメラ内での空白の時間を切り取って、車内を出た後の映像に妖退治から戻ってから運転手を起こそうとする俺の音声が入った映像を繋げた。

 

 まあ、もしかしたら違和感を持たれるかもしれないがあのタクシーから金を盗んだ訳じゃないし大丈夫だろう。

 大丈夫じゃなく、後で追求されたら…その時は暗示の術に頼ろう。暗示の術マジ万能、最高。

 

 そして今、俺は夜の帳が包む和の町、穂織を歩いている。石畳の道をスーツケースを引きながらゆっくりと。

 町並みは五年前と殆ど変わっていない。薄れていた記憶が、町を歩くごとに呼び覚まされていく。

 

 街灯は少なく、夜空を彩る星々がよく見える。本家があった京都の街中では絶対に見られない、綺麗な星空だ。

 

 道脇に並ぶ家々はその全てが木造建築で、こちらは本家の周囲の町並みとよく似た景色だがあちらと違いどこかのどかな印象を受ける。

 まあ、陰陽師の総本山なんて妖からすれば敵の本拠地だ。あっちの周辺では本家に居着く陰陽師達をどうやって殺そうかと画策する妖に溢れてたからな。

 ぶっちゃけ民間人に被害が出ないのが不思議なくらいだった。そこら辺はあいつらの妖絶滅主義が幸いしてるのかもしれんが。

 

「っと…。ここを右、だったか?」

 

 住宅街の中に現れたT字路を真っ直ぐ通りすぎそうになった所で足を止め、周囲の景色を見回してから右へ曲がる。

 

 確か、診療所はこっちだった気がする。多分、めいびー。

 

 今、俺が向かっているのはしばらくの間住まわせて貰う人の家だ。俺が今日こっちに帰ってくる事はお袋から連絡がいっているので、今頃空き部屋を用意して待っている筈だ。

 

 そうして歩くことそこから数分。見覚えのある建物が見えてきた。

 

 一目見て真っ先に湧いてくる印象は、古い。相変わらずのボロ診療所だな。いい加減建て替えればいいものを。

 金がないのかな?何なら利子なしで貸してやろうかな。本人が望むなら、だが。

 

 診療所の隣に建つのは一見の平屋。ここが診療所の院長をしている人の家だ。

 扉の前に立ち、チャイムを鳴らす。

 

 家の中から足音が近づいてきたのはチャイムを鳴らしてから数秒ほど経った後の事。

 やがて、玄関の明かりが着き、そしてすぐに扉が開かれた。

 

 現れたのは眼鏡を掛けた一人の女性。白衣を身につけている所を見ると、もしかしてまだ何か作業でもしていたのだろうか。

 

「やあ。久し振りだね、陽明」

 

「しばらく世話になる。よろしく頼むよ、駒川」

 

 駒川みづは。

 それがこの女性、この家の家主であり隣の診療所の院長、兼この町にある唯一の学院、鵜茅学院の保険医。

 そして今日からしばらく俺を居候させてくれる恩人様の名前だ。

 

「しかし、大きくなったね。180くらいかな?それに口も悪くなっちゃって」

 

「中三の時から計ってないけど、その時で170あったから今はもう少しあるだろうな。中学三年間で一気に伸びた。それと口調は放っとけ。あんなとこにいたら人格の一つや二つねじ曲がるわ」

 

 駒川の身長が大体160後半くらい。穂織を出る時の俺はその駒川より顔一つ分くらい小さかったから、多分三年間で三十センチくらい伸びた。

 が、そこで突如成長が止まり、一応まだ少しずつ伸びてはいるものの、そろそろ完全に止まると思われる。

 

 俺の口調に関しては、まあ穂織にいた時は一人称()だったしな。でもそんな柔らかな態度じゃあそこでは嘗められる。それに謀略渦巻くあんな場所に十一のガキが飛び込んでみろ。人格引っくり返るのも当然だわ。

 まあ、お陰で目的は達せられたが。だからこそ、ここに戻ってきたのだから。

 

 適当に談話をしながら玄関で靴を脱いで家へ上がる。

 

「部屋は?」

 

「こっちだよ。ついてきて」

 

 先を歩き始める駒川の後に俺も続く。

 スーツケースを持ち上げて、駒川の後ろを歩く。

 

「なあ。もしかして、まだ仕事だったか?」

 

「ん?あー…。まあ、一応仕事なのかな?あれは…」

 

「?」

 

 駒川の白衣姿を見てからずっと引っ掛かっていた疑問を歩いている途中で口に出す。

 だがどうも返答の歯切れが悪い。そこに首を傾げた所で駒川が廊下の奥の部屋で足を止めた。

 

「どうぞ。部屋の中は掃除しておいたから」

 

「それは助かる」

 

 駒川が扉を開けて、俺に部屋の中へ入るよう促す。

 

 駒川の言う通り、部屋の中は埃等もなくちゃんと掃除されていた。

 部屋の角には四つ足のテーブルと、その上に照明が置かれている。掃除してくれただけでも有り難かったのに、こんな物まで用意してくれていたとは。

 

「布団はそこの押し入れの中に入れてある」

 

「分かった。何から何まで、悪いな」

 

「うぅん。大した手間でもなかったし、気にしなくていい」

 

 スーツケースを部屋の壁際に置いて、大きく上体を伸ばす。

 

 最寄り駅から約一時間車に座りっぱなし、降りてからこの家まで十数分歩き、その上道中で思わぬ妖退治。

 正直、少々疲労感を覚える。この後、どこかコンビニでも行って夕飯を─────いや、待て。流石に大丈夫とは思うが、あるよな?コンビニ。

 

「なあ、この近くにコンビニはあるか?」

 

「ん?ここからなら歩いて十分くらいの所にフレンドマートがあるけど」

 

「よかった」

 

 流石に町からコンビニが消えたというのはなかったらしい。いや、流石にないとは思っていたが。

 

「今からちょっと適当に飯買ってくる」

 

「ん、そうかい?それなら私も、談合に戻ろうかな」

 

「あ?談合?」

 

 駒川に今から出掛ける旨を伝えてからスーツケースから財布を取り出していると、駒川の口から気になる一言が聞こえてきた。

 

 駒川家は代々朝武家に仕えてきた、陰陽師の家系だ。といっても、現代では陰陽師としての力は殆ど失われ、医療に力を注いでいる。

 立場としては穂織の町医者ではあるが、朝武お抱えの医師といっても間違いではない。

 

 少し話が逸れたが、駒川が口にした談合というのは駒川家を含めた先祖代々朝武家に仕えてきた家元が集まり、話し合う場だ。

 現代では穂織にて行われるイベント事、例えば、この時期だと次のイベントは…花火大会とか?そういうイベント事について話し合う場と捉えてもいい。

 だが、花火大会ってまだ先じゃなかったか?この時期でのイベント事─────あ、一番大事なイベントの事を忘れてるじゃないか。

 

()()()の引き抜き大会か。あれ?でもあれってもう終わったんじゃ…いや、もうすぐ?」

 

「それなら今日、終わったよ。そして今後しばらく、行われる事はなくなった」

 

「あぁそうか。それなら…ん?行われる事はなくなった…?」

 

 叢雨丸とは、この町にある神社、建実神社にて奉納されている御神刀。

 その昔、妖に誑かされた隣国の襲撃を退けた刀として現代まで伝説に残っている。

 

 今は先程言った建見神社にて、何故か岩に刺さったまま御殿に奉納されているのだが─────何をしようと、どれだけ手を施そうと叢雨丸は決して抜ける事はなかった。

 一部に伝わる伝承として、その岩から刀を抜けるのは刀に選ばれし者、という話が伝わっている。

 

 ちなみに子供の頃の俺も挑戦した事がある。勿論、抜く事は叶わなかった。

 実はこっそり、今ならどうだろう?と野望を持ってたりもしていたのだが─────

 

「今日、現れたんだよ。叢雨丸に選ばれた人が」

 

「─────マジで!?」

 

 野望、叶わず。見も知らぬあん畜生にすでに刀は抜かれてしまったらしい。

 ちくしょう…、なんてこったい…。あ、待てよ?談合ってもしかして─────

 

「今日の談合はその事についての話でね。いや、もう皆蜂の巣つついた様な騒ぎで…。かく言う私もその一人なんだが」

 

 苦笑しながら言う駒川。

 

 しかし、そうか。叢雨丸が抜かれたか…。ふむ。

 

「…陽明」

 

「ん?」

 

「今キミ、物凄く悪い顔してるけど、変な事を企んでないよね?」

 

「企んでない。これっぽっちも、その抜いた奴の顔を拝んでやろうなんて考えてないよ」

 

「考えているんじゃないか!はぁ…本当、どうしてこんな風に成長しちゃったんだい。君は…」

 

「誉めんなよ」

 

「誉めてない!」

 

 駒川のツッコミを受け流しながら、取り出した財布をぽんぽん掌で弄びながら部屋を出ようとする。

 

「陽明、本当に今は神社に行っては駄目だからね。取り込み中なんだから」

 

「おう、分かってる分かってる」

 

「本当に!本当に駄目だからね!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なーんて駄目駄目言われてしまうとその駄目な事をしたくなってしまうのが人の性。

 だから、コンビニで焼きそばパン二つとお茶を買った俺が建実神社に足を向けてしまうのは人の性が悪いのであって俺が悪い訳ではない。だから仕方ないのだ。

 

 とはいえ、道中談合の場に戻るであろう駒川と鉢合わせする可能性がゼロではないので、もし鉢合えば面倒この上ないので、鳥の式神を使って周囲を探らせつつ建実神社へと急ぐ。

 

「建実神社、か」

 

 建実神社。神刀、叢雨丸が奉納されている神社だが、それだけではない。建実神社は建立以来、代々朝武家が管理している。

 

「…芳乃」

 

 彼女との約束を破ってしまった俺にはそんな事を思う資格はないと分かっている。

 だがそれでも、思ってしまう。彼女は元気にしているだろうか。巫女姫としての役割を果たすあまり、無理はしていないだろうか、と。

 

 やがて建実神社の鳥居の前に着き、同時に放っていた式神を戻してから境内へと入る。

 ここに入るのも五年ぶりだ。町並みは所々変化が見られたが、ここは全く変わっていない。

 

 境内の奥に御殿はあり、中からは光が漏れていた。それだけではない。少し離れたこの場所に居ても聞こえてくる、これは…男女の話し声、だろうか。

 男はやや低く、年齢を特定しづらいが女の声からは幼い印象を受ける。

 

 こんな夜更けに子供連れで神社を訪れるものだろうか。…もしや、空き巣か?いや、空き巣が子供連れの訳がないか。それに何か盗むつもりならこんなに騒ぐ筈がないし。

 

 ともあれ、御殿の前まで来た俺は、扉に背中を預け、こっそりと中を覗く。

 

「うら若き乙女の胸を触っておきながら、かかかかかかか硬いなどと!表にでろぉ、ご主人!」

 

「お、落ち着いて。頼むから落ち着いて、ムラサメちゃん…」

 

「─────」

 

 御殿の中では今風の、恐らく穂織の外から来たと思われる俺と同年代くらいの男子と少々露出が激しい和服を着たロリっ娘が言い争いをしていた。

 いや、言い争いというより男子の方がロリっ娘に詰め寄られている、と表現した方が正しいか。

 

 というか胸を触るとか、硬いとか、こいつあのロリっ娘にセクハラでもしたんだろうか。

 もしかして、事案か?お巡りさん呼んだ方がいいか?

 

「…」

 

 さて、内心でボケ倒すのはここらで止めておく。確かに御殿の中で繰り広げられてるやり取りはこちらとしては目が点になるほど衝撃的なものではあったが、あの男子の手にある刀。

 そして、その刀と全く同じ気配を感じるあのロリっ娘。

 更にはそのロリっ娘と刀から伝わってくる強烈な神力。

 

 間違いない。あの男子が叢雨丸に担い手として選ばれた者。

 そして、あのロリっ娘が叢雨丸の管理者であるムラサメ様だ。

 五年前、ムラサメ様の姿を視認する事は出来ず、逆にムラサメ様と話ができる芳乃と茉子に疎外感を感じていたが、五年の修行の末に今の俺はムラサメ様の姿を見る事が出来るようになっていた。

 

 いや、しかしあれがムラサメ様か。芳乃と茉子から子供の姿をしていると聞いてはいたが、もっとこう…お淑やかな雰囲気の方を想像していたのだが─────

 

「っ、ご主人!誰かおる」

 

「へ?」

 

 考え事をしている内に気配の隠匿が甘くなってしまった。俺の気配をムラサメ様に悟られ、警戒されてしまう。

 さらにムラサメ様の警告を受けた男子も、俺がいる方へ視線を向ける。

 

 すぐに扉の影に隠れたから顔は見られていないだろうが…、駄目だ。未だにムラサメ様は鋭い視線を向けてこのまま姿を見せず帰っても良いが、もう気配は覚えられただろうし、警戒心を持たれたまま明日以降どこかで再会してしまう方が多分面倒臭い。

 

 それならいっそ、ここは素直に姿を見せて敵意がない事をアピールした方が良いだろう。

 そう考えた俺は、一つ溜息を吐いてから扉の影から離れてムラサメ様と男子に姿を見せる。

 

「…ご主人、気をつけろ。此奴─────」

 

「も、もしかしてお迎えの方でしょうか!?」

 

「ご、ご主人?」

 

 警戒を露にして俺を視線に捉えるムラサメ様。これは敵意がないと分かってもらうのに苦労しそうだ、と思ったその時だった。

 

 突然、叢雨丸の担い手が大声を上げる。

 

 主人の突然の発狂に戸惑うムラサメ様。勿論俺も戸惑う。

 なにこいつ、いきなりどうした。

 

「み、見てください!見ての通り叢雨丸は直りました!なのでどうか!どうか地下労働施設行きだけはご勘弁を!ペリカは嫌だ!チンチロは嫌だぁああああああああああああああああ!!!」

 

「…お前、何言ってんの?頭おかしいんじゃねぇの?」

 

 ずっと熱望していたムラサメ様との初邂逅。そしてその担い手との初邂逅は、こんな締まらない感じで始まったのだった。

 

 てか地下労働施設って、こいつ俺を何と勘違いしてんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という事で、将臣君、ムラサメちゃんとの初対面でした。
次回はこの二人との会話、そしてやっとあの子の出番がやって来ます。


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第二話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久方ぶりに故郷に帰ってきて、買い物ついでに叢雨丸の継承者の顔を拝んでやろうと─────そう思って建実神社に来たのは良いのだが…。

 目的通り、叢雨丸の継承者の顔も拝めたし、そこに関しては満足しているのだが…。

 

「どうか…どうか地下労働施設行きだけは…」

 

「…」

 

 何故かその継承者殿が俺に向かって土下座を始めた。

 

 はて…?俺はこいつに何かしたか?もしかして、俺が覚えてないだけで過去にこいつと会った事がある?

 だとすれば正直お手上げなのだが、地下労働施設とかペリカとか、こいつは絶対に何か勘違いしている。俺をヤが付く何かと絶対勘違いしている。

 

「あの、俺は別に─────」

 

「ひぃぃいいいいいいいいいい!!?」

 

「…」

 

 とにかく誤解を解こうと話し掛けてみるが、継承者殿は顔を真っ青にして後退りしてしまう。

 

 いや、本当に大丈夫かこいつ。何が大丈夫なのかって、叢雨丸に選ばれたのがこいつで本当に大丈夫なのか?

 

「…ムラサメ様。こいつを落ち着かせてください。じゃないと誤解を解くどころか話も出来ない」

 

「う、うむ…。わかっ…待て。お主、吾輩の姿が見えるのか?」

 

「え?…あー。まぁ、はい」

 

 継承者殿の阿呆さにすっかり忘れていたが、普通の人にはムラサメ様が見えないんだった。

 これはまたムラサメ様に警戒されてしまうか…?いやそれよりも、まずこいつを落ち着かせないと。

 

「俺を警戒する気持ちは分かりますが、まずはこいつを落ち着かせてください。話はそれからです」

 

「…分かった」

 

 ムラサメ様が震える継承者殿に寄り添い、背中を擦りながら声をかけ始める。

 大丈夫と繰り返し言い聞かせたり、深呼吸をさせたり、いや、本当に不安になる。叢雨丸の継承者がこいつで本当に大丈夫なんだろうか。

 

「…す、すみません。気が動転してしまって」

 

「あー、気にしなくていいさ。それと多分、俺と同い年くらいだろ?敬語も外してくれていい」

 

「…そうか?それならお言葉に甘えて」

 

 数分後、何とか落ち着きを取り戻した継承者殿が立ち上がり、俺の方へと歩み寄ってきて謝罪してきた。

 

 その謝罪に俺も返事を返しつつ、未だに少々畏まっているその態度を止めさせる。

 

「あと、俺は別にお前を迎えに来たヤクザじゃないから。地下労働施設とか連れてかないから」

 

「ほ、本当にすまん」

 

 それと、そこの誤解だけはしっかり解いておく。誰がヤクザじゃ。

 

「…それじゃ、まずは自己紹介だけしておくか。俺は若狭陽明。叢雨丸に選ばれた人間が現れたって聞いて、顔を拝みに来た」

 

「顔を拝みに来たって…。俺は有地将臣。叢雨丸に選ばれた、らしい」

 

「らしい、じゃなくて選ばれてんだよ。刀が抜けてんのがその証拠」

 

 ふむ、どうやら町の外の人間だからか、自分がした事の凄さを分かっていない様子。

 駒川も言っていたが、まさに事情を知る人間からすれば蜂の巣をつついたような騒ぎになるべき大きな事件なのだ。

 それを引き起こした本人は全く自覚がなく、呑気にして─────はいなかったか。ヤクザに連れてかれるなんて勘違いして恐がってたし。

 

「む?若狭じゃと?」

 

 すると、不意にムラサメ様が俺が口にした姓に反応し、復唱する。

 

 その声は俺の耳に届き、俺は視線を継承者殿─────有地からムラサメ様へと移す。

 

「こうして顔を会わせてお話しするのは初めてですね、ムラサメ様。若狭帯刀と恵津子の息子、陽明であります」

 

「おぉっ!あの二人の息子であったか!なるほど、道理で吾輩が見えて…。いやしかし、大きくなったのう」

 

「…?」

 

 ふわふわと浮きながらムラサメ様がこっちに近付いてくると、俺の周囲を回りながらまじまじと俺の立ち姿を見つめてくる。

 

 ()()ムラサメ様と顔を会わせるのは初めてだが、()()()()()()初めてではない。

 何度かこの神社にも来ているし、それこそ朝武の家には何度も遊びに行った事がある。その時に、ムラサメ様は子供の時の俺を見ている筈だ。

 

「えっと…、二人は知り合いなの?いやでも若狭は話すのは初めてって…え?」

 

 畏まる俺と懐かしむムラサメ様を交互に見ながら、矛盾した事を口にする俺とムラサメ様に有地は戸惑っている様子。

 

「ご主人、さっきも言ったであろう。吾輩の姿は普通の人間には見る事が出来ぬと」

 

「あぁ、確かに言ってたけど…」

 

「この者は昔、穂織に住んでいてな。その頃の陽明は吾輩の姿を見る事が出来なかった。そういう事じゃ」

 

「あー…。あれ?でも、何で今はムラサメちゃんが見える様になったんだ?」

 

 この町に住んでいた頃の俺はまだムラサメ様の姿が見えていなかった。

 だが、今はムラサメ様の姿を見て、話をする事が出来る。

 有地が口にしたのはこの話を聞けばごく自然に湧く疑問だ。

 

 とはいえ、その疑問に対する答えも単純なものなのだが。

 

「若狭家は陰陽師の家系なんだ」

 

「え?陰陽師?」

 

 首を傾げる有地。まあ、この町に来るまでは─────というより叢雨丸を抜くまでは普通の男子高校生だったのだろうし、陰陽師なんて言われたって反応に困るのは当然だろう。

 

「それって、あの陰陽師?それじゃあ何か術とか使えるのか?」

 

 なんて思っていたのだが、有地の反応は思っていたのとは少し違っていた。

 

 何か、テンション高くないか?

 

「えぇっと…」

 

「…」

 

「…ほれ」

 

 何だろう。物凄い期待の面持ちで見られてる。もしかして有地って、陰陽師とかそういう異能力者に憧れる中学二年生だったりするのだろうか。

 

 いやまあ、こんなにもキラキラした目で見られたらその期待を裏切る訳にもいかない。

 だから、一枚のお札を懐から取り出し、軽く宙へ放る。

 

「っ!?おおおおおおおっ!!」

 

 宙を舞う札はぼふんっ、と白い煙を立ててその姿を白い小鳥の姿へ変える。

 これはさっき、神社に来る前に駒川の動向を探るために使用した式神だ。

 陰陽師としては基本中の基本、それこそ半人前の陰陽師でも使用できる簡単な術なのだが、有地はそれだけでも目を更に輝かせる。

 

 いや、そんな反応をされるとむず痒い。

 もっと派手な術見せてあげた方が良かったか?(陽明君はちょっとチョロい)

 

「ムラサメちゃん!動いてる!どうなってんのこれ!?」

 

「ご主人…。ただの式神じゃぞ、これ」

 

「式神…!」

 

「…他の術見てみるか?」

 

「いいのか!?」

 

 ここまで喜ばれると気分が良い。よっしゃ、他の術見せちゃるけんのぉ。

 

「─────」

 

 今度は軽く指先に火でも灯してやろうと思ったのだが、直後この場所に近付いてくる複数の気配を捉える。

 

 急遽予定を変更。懐から一枚の札を取り出し、札を掴む指を通して妖力を注ぐ。

 そんな俺の姿を有地はワクワクしながら見ている。…少し罪悪感はあるが、ここに来る何者かに見つかったら面倒だ。

 もしかしたら駒川かもしれないし…だからここは隠れさせて貰う。

 

「将臣」

 

「おおおおおお!消えた!どこに─────へ?」

 

 術の発動は間に合い、本殿に一人の老年の男が姿を現す直前に俺の姿は有地の視界から消える。

 勿論有地だけでなく、今現れた男の視界にも俺の姿は映っていない。

 

「じいちゃん?」

 

「む?話し声がしていると思っていたが…、お前一人か?」

 

「え?えっと…」

 

 有地が返答に言い淀む。

 というより、何とか答えれば良いのか分からないのだろう。

 

 有地本人からすれば、刀の精霊、陰陽師と話していたなんて答えづらいだろうし。

 しかも二人の内一人は有地の視界から消えてるし。刀の精霊、ムラサメ様に関してはともかく俺の事を話してもまず間違いなく信じてくれない。

 

 ─────というかこのじいさん…もしかして、玄十郎さん?

 

 何と答えようか迷っている有地から本殿に入ってきた老年の男性に視線を移し、改めてその顔を拝む。

 そこでふと、その顔に既視感を覚えた。その直後、その顔を、この男の名前を思い出す。

 

 鞍馬玄十郎。穂織の顔役の一人であり、昔からこの町に居を構える、代々朝武に仕えてきた家系の一つ、鞍馬の現当主であり、今は穂織にある旅館、志那都荘のオーナーを勤めている。

 そして、穂織に着く前に刃を交わした妖、鞍馬信孝の末裔だ。

 

 しかし、有地は玄十郎さんをじいちゃんと呼んでたな。もしかして親族…、孫か?

 だとしたら、穂織にも来た事があるんだろうか。会った記憶はないが、もしかしたら記憶がないだけで実は、という事もあり得るかもしれない。

 

「将臣っ!その刀は…!」

 

「え?あ、これは、えっと…」

 

 ちょっとした別の可能性に思考を馳せていると、玄十郎さんが驚愕の声を上げたのが聞こえた。

 

 何事かと視線を向けると、玄十郎さんの視線は有地が握る叢雨丸に注がれていた。

 

 ここでふと疑問に思う。玄十郎さんは有地が叢雨丸を抜いた事を知らなかったのだろうか?今の反応を見る限り、そうとしか思えないのだが。

 しかしそれはあり得ない。顔役が集まって有地についての談合が行われ、その談合に玄十郎さんも参加していた筈だ。有地が叢雨丸に選ばれた事を玄十郎さんが知らない筈ないのだが──────。

 

『見ての通り叢雨丸は直りました!』

 

 そういえば、有地がこんな事を言っていたような?

 もしかしてこいつ、叢雨丸を折った?その光景を玄十郎さんが見ていて、その後すぐ談合が行われたのだとしたら、先程の玄十郎さんの反応の辻褄は合うのだが。

 

 …いや、まあどちらでもいいや。

 それよりも、叢雨丸の継承者の顔は見れたし、有地に俺がここに来た事の口止めをしてから戻るとしよう。

 

 そっと、足音を立てずに玄十郎さんの背後に回り込む。

 今、玄十郎さんにムラサメ様が刀を直したのだと説明している有地の視界に映るよう立ち位置を調節し、一度術を解く。

 

「やっぱり、じいちゃんには見え─────」

 

「む?どうした将臣」

 

 有地からすれば何もいなかった空間に、何の脈絡もなく俺が現れた風に見えただろう。

 大きく目を見開き、言いかけの台詞を途切れさせ、俺に視線を向ける。

 

「あ─────」

 

 有地が口を開き、何かを言いかけるのを、口許で人差し指を立てる事で止める。

 

 無言のジェスチャーで俺の事は他言無用という意思を有地に伝えようとする。

 とりあえず、有地が俺を呼ぼうとするのは止められたが、俺の無言のジェスチャーが伝わったかまでは分からない。

 

 が、この状況では有地に確かめる事も出来ず、ただ伝わったと信じるしかない。

 

「いや、何でもない。ただの見間違いだから、気にしないで」

 

「そうか。…それでだな、将臣。お前に紹介したい方がいる」

 

「紹介したい方?」

 

 さあ、これからは二人、或いはそれ以上になるかもしれないが、俺が聞くべきではないやり取りが行われる。

 とっととここから離れて帰って、夕飯食って風呂入って寝よう。

 

 そう、思っていたのだが、本殿に入ってきたその人を見て、俺は足を止めた。

 

「初めまして、有地将臣君。僕は朝武安晴。建実神社の神主です」

 

 開いているのか疑わしい程に細い目。小さい頃の俺はこの人を狐のおじさん、なんて呼んでたっけか。

 おばさん─────この人の奥さんと同じくとても優しい人で、たまにキャッチボールして遊んでもくれた。

 

 懐かしい。少し老けただろうか?あれから五年、優しい雰囲気は変わらずとも見た目は少し変わってしまったらしい。

 

 ─────芳乃

 

 この人を見ていると、思い出す。この人と、その家族と、毎日のように関わってきた過去の日常を。

 この人の娘、芳乃の事を。

 

 芳乃もきっと、大きく成長しているのだろう。流石に俺よりは小さいだろうが…、もし大きかったらビビる。

 そんで、おばさんに似て綺麗になっているに違いない。

 

 ─────会いたいな

 

 芳乃に会いたい。

 芳乃だけじゃない。目の前のおじさんと、茉子と、顔を会わせて話がしたい。

 

 だが、あれから五年。すぐに帰ってくるという約束を破り、特に芳乃に何を言われるか分からない。

 もしかしたら素直に再会を喜んでくれるかもしれない。だが、約束を破ってしまった事を責められるかもしれない。

 そう思ったら、勇気が出ない。

 

「芳乃、入ってきなさい」

 

 おっと、いけない。いつの間にか話は進んでしまっていた。

 いつまでもここに留まる訳にもいかない。早く本殿から出なければ─────って、え?

 

 今、おじさんは何と言った?

 考えが纏まる前に、本殿に一人の少女が入ってくる。

 

 白い巫女服を身につけ、赤い帯を腰に巻き、巫女服の上に一枚の着物を纏った少女。

 その少女に視線が吸い寄せられ、釘付けになる。美しい、綺麗だ、そんな感想しか湧いてこない。

 

 サファイア色の瞳は俺を映さない。ただ、それでもその姿を目にしただけで、俺の心は舞い上がってしまう。

 

「初めまして、朝武芳乃です」

 

 有地に名前を名乗るその声は、少し鋭さを感じさせる。

 何か…不機嫌?なのだろうか?もしかして、有地が気に入らない、とか?

 

 いや、そんな器量の小さい奴ではなかった筈だ。というよりむしろ、叢雨丸に選ばれた人間が現れた事を、芳乃は喜ぶべき立場にいる筈なのだが。

 

「初めまして、有地将臣です」

 

「…あの、叢雨丸を抜いたっていうのは本当なんですか?」

 

「うん。抜いたというより、折ったんだけど…」

 

「間違いないんですか?」

 

「うむ、間違いないぞ。目の前の者が、吾輩のご主人だ」

 

 有地と自己紹介を交わし、有地とムラサメ様に、本当に有地が叢雨丸を抜いたのかを確かめる芳乃。

 だが、その表情はどこか固く、有地に向ける態度も少々冷たい。

 

 本当にどうしたのだろう。もしかして人見知り…してる訳ではなさそうだ。

 それに、確かに有地に対して冷たい態度を向けてはいるが、どうも違和感を覚える。

 その違和感の正体までは分からないが…、芳乃は一体どうしたのだろうか?

 

「あれ。朝武さんもムラサメちゃんが見えるの?」

 

「ムラサメちゃん…?」

 

「吾輩のご主人だからな。そのくらいは許したのだ。ご主人、芳乃は吾輩と話が出来る数少ない者の一人だ」

 

「そうなんだ…。巫女だから?あ、もしかして神主さんも?」

 

「安晴でいいよ。僕も将臣君と呼ばせて貰う。…それと、僕にはムラサメ様の姿は見えないんだ。入り婿だからね。あくまで直系の者じゃないと─────」

 

「お父さんっ、そういう事は言わなくていいです。ムラサメ様も」

 

 有地は叢雨丸に選ばれたのだから当然として、芳乃もムラサメ様を見て話す事が出来る人物の一人だ。

 さっきおじさんが言った通り、基本は朝武の直系にあたる者のみがムラサメ様を見る事が出来る。

 

 俺のように、修行を積んだ陰陽師でも見る事は可能なようだが。

 

「そうは言うがな…吾輩のご主人になった以上は─────」

 

「大丈夫です。私が何とかしますから」

 

「…やれやれ」

 

「強情じゃのう…」

 

 ─────…なるほど、そういう事か。

 

 芳乃の態度が有地に対して冷たいのは、今朝武が抱える問題に有地を関わらせたくないかららしい。

 勿論、有地が余所者だからという理由からではない。ただ、有地を危険な目に遭わせたくないから。

 

 穂織を取り巻く因縁を何も知らない有地を巻き込む事が嫌なのだろう。

 

「あの、何の話ですか?」

 

「有地さんには関係のない話ですから、気にしないでください」

 

 話が呑み込めない有地が口を開くが、芳乃が突き放すように冷たく言う。

 意図は分かるのだが…、それは事情が分かる俺だからであって、何も分からない有地からすればその態度の方が逆に気になると思うのだが。

 

「とにかく、これが僕の娘。芳乃だよ。それで、こちらが叢雨丸を抜いた有地将臣君」

 

「よろしくお願いします」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 気まずい雰囲気が流れかけた所で、おじさんが仲介に入り、改めて互いに互いを紹介する。

 

 芳乃と有地が向き合い、互いに頭を下げ合う。

 

「でだ、ここからが本題。叢雨丸を抜いてしまった以上、将臣君をこのまま帰す訳にはいかない」

 

「…それは、責任を取らされるという事ですか?」

 

「そういう事になる。訳も分からずこちらの都合に巻き込んでしまって、本当に申し訳ない」

 

「いえ。俺が出来る事なら何でもやります」

 

 ん?今、何でもって言ったか?

 これはネタではなく、おじさんは基本優しいが割といい性格をしているから、そういう台詞を軽々しく言うと後で後悔する事になるぞ有地。

 

「ありがとうそう言ってくれて助かるよ。芳乃も、理解できるね?」

 

「…はい」

 

 有地を巻き込みたくない。ただ、状況が状況だけに有地を帰す訳にもいかない。

 芳乃もそれは分かっていた。おじさんの問いかけに渋々といった感じではあるが頷く。

 

「うん、理解が得られて嬉しいよ。じゃあ、叢雨丸を抜いた責任として─────」

 

 あ、まずい。

 咄嗟にそう思う。

 

 こういう時のおじさんはとんでもない事を口にする。過去の経験上、簡単に予測できた。

 そして、その予測は本当に的中する事になる。

 

「将臣君。君には芳乃と婚約者になって貰う」

 

「…え?」

 

「っ─────」

 

 呆けた声を漏らす有地。

 そして、俺もまた思わず息を呑んだ。

 

 その音は他の誰にも聞こえていなかったのが幸いした。

 この術は姿は隠せても音までは誤魔化せない。もし、さっきの息を呑む音を誰かが認識すれば、たちまち術が解かれてしまう。

 

 だが、術が解けた様子はない。とりあえずそこに関しては一安心なのだが─────

 

「婚約者…?」

 

「うん、婚約者。二人には結婚して貰う」

 

「「…はぁっ!?」」

 

 声を揃えて驚愕する二人。俺だって声を上げたい。

 

 というかまずい。自分でもかなり動揺しているのが分かる。

 術の行使に必要なのは明鏡止水の心、要するに冷静でなければならない。

 正直、さっきの音がどうこう以前にまず俺自身が術を維持する精神状態ではなくなってしまった。

 

 早くここから離れなければ。

 最後まで話を聞きたい気持ちはあるが、やむを得ない。

 大騒ぎの本殿を後にして外へ出る。ある程度本殿から離れてから、術を解く。

 

「…結婚って」

 

 久しぶりに芳乃の姿が見れた。それはとても嬉しい事で、言葉を交わす事は出来なかったが駒川の注意を無視して本殿に来て良かったと心の底から思う。

 

「マジ?」

 

 ただ、そこで聞いた話が衝撃的すぎて、同時に複雑で。

 

 胸中はここに来る前とは打って変わり、ぐるぐると定まらないまま俺は帰路に着くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 

 お父さんの口から告げられたのはあまりに突拍子のない、私と有地さんの婚約話だった。

 

 当然私も有地さんも混乱して、有地さんなんて聞いてもないのに自分の結婚観について語りだして─────って、そうじゃない!そうじゃなくて…

 

「お父さん!いきなり何を…」

 

「芳乃もついさっき、将臣君をこのまま帰す訳にはいかない事に理解を示してくれたじゃないか」

 

「それは…そうだけど…」

 

 そう。お父さんの言う通り、有地さんをこのまま帰す訳にはいかない。それは分かってる。

 そして、有地さんの立場上、私の婚約者として据える事が最善手だという事も分かってる。

 

 それでも…、それでも、私は…。

 

「…芳乃」

 

「お父さん…」

 

「将臣君も。いきなりこんな事を言われて戸惑うのは当然だ。だが…これは必要なのは事でね。勿論、今すぐに結婚しろと言っている訳じゃない。これから先、君達が望むのなら婚約を解消するのだって構わない。だが今は…、呑み込んでくれないか」

 

 有地さんを─────叢雨丸の継承者を帰す訳にはいかない。それ相応の持て成しをする必要がある。

 その持て成しをするべき立場を持った者が。そう、穂織を管理する朝武の家の者が、叢雨丸の継承者を迎えなくてはならない。

 

 ただ、そういった事情を知らない、特に穂織の外の権力者から見ればどこぞの男が朝武の家に居座っているという風に見られてしまう。

 それを避けるための、私との婚約。飽くまで形式上のだと、分かってはいる。

 

 それでも…、複雑なのだ。

 

「…いや、ちょっ、本当に?え?えぇっ!?」

 

 戸惑う有地さん。この人と、婚約者同士になる。

 仕方のない事だ。だけど─────

 

 ─────陽くん…。

 

 脳裏に浮かぶ、とある男の子の笑顔。

 私と約束を交わしてから五年、帰ってこない男の子。

 

 もしかしたら、約束の事を覚えているのは私だけかもしれない。陽くんはもう私との約束なんて忘れてるかもしれない。

 

 でも…、私は。

 

 私は、私の役目を果たすためにお父さんの提案を呑むしかない。

 

 それが巫女姫。この地を守る者としての役割なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三話








主人公の名前ですが、陽明(はるあき)と読みます。
感想欄にて質問があったのでここに載せておきます。プロローグの方に初めて主人公の名前が出てきた所に描写もしておきます。
説明不足で、申し訳ありませんでした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くの方で音が鳴っているのが微かに聴こえてくる。

 聞き覚えのある、というより毎日聞いている馴染みのある音。その音は合図であり、俺の日常に欠かせない音。

 

 それは最早習性にも近い。音が聴こえた途端、即座に意識が覚醒し、俺は目を閉じたまま腕を伸ばす。

 伸ばした腕を振り下ろすと、掌に感じる手応え。それと同時に音が止む。

 

「ん、んん─────っ」

 

 布団の中で体を伸ばし、脱力してから体を起こす。

 先程俺が叩いた目覚まし時計の画面には、六時丁度と時刻を映していた。

 

「わ…ぁ」

 

 一度欠伸をしてからもう一度体を伸ばし、左右に捻る。

 

 全身を解してから立ち上がり、部屋のカーテンを開けて窓の外を見る。

 目の前には隣の家の敷地とこちらを仕切る石造りの塀と、その上に止まる二匹の雀。

 二匹の雀は少しの間そこに留まっていたが、不意に二匹同時に飛び立っていった。

 

 俺が見てる事に気付いたのか?いやまあ、そこはどうでもいいや。

 

 日射しを浴びてすっきりと目が覚めた。とっとと顔でも洗ってくるとしよう。

 

 布団をたたみ、押し入れに片付けてから部屋を出る。

 確か、洗面所は玄関横のあそこの扉、だったか。廊下を歩きつつ、昨日も寝る前歯を磨く際に使った洗面所の場所を思い出す。

 

「…駒川はもう起きてるのか」

 

 居間の方からはテレビの音声と何やら動き回る俺のではない足音が聴こえてくる。駒川は俺よりも早く起きて活動を始めているらしい。

 

 洗面所に入る前に居間に顔を出す。そこには二人分の朝食を準備している駒川の姿があった。

 

「おや、おはよう。陽明」

 

「おはよう。悪いな、朝食準備して貰って」

 

 自分の分のついでだから、と手を振る駒川。

 彼女を横目に、顔を洗うべく洗面所へと入る。昨日教えてもらった場所からフェイスタオルをとって顔を洗う。

 

「陽明。目玉焼きには何をかける?」

 

「ソース」

 

「了解」

 

 濡れた顔をタオルで拭いていると、駒川が洗面所に顔を出してそんな事を聞いてきた。

 目玉焼きに何をかけるって、まあソースだろ。醤油も好きだけど、目玉焼きにかけるならどちらかというとソース派だ。

 

 俺の返答を聞いた駒川はすぐに居間へと戻っていく。

 というかあの人、料理できたんだな。確か俺がまだ穂織にいた時は飯マズだった。

 

 …いや、まさかな。まさか下手のまま俺に料理を出す訳がないだろう。

 は?今のはフラグじゃないのかだと?やめろ。俺も考えてから一瞬思ったんだ。やめてくれ。

 

 使用済みのフェイスタオルを洗濯籠に入れてから、洗面所から再び居間へ。改めて、テーブルに載った料理を見る。

 

 良い焼き加減のトーストに、先程駒川が言っていた目玉焼き。ドレッシングがかかったサラダと、パリッと焼けたウインナー。

 うん、変な所は見受けられない。というより、まあこれなら俺でも作れるラインナップだし心配はないだろう。

 

 ない、よな?

 

「ん?何を突っ立っているんだい。もう座って食べていいよ?」

 

「…そうか」

 

 自分でも、今声が震えた事を自覚した。

 

 駒川が先に席に座り、俺も駒川の対面の席を引いて腰を下ろす。

 いや、まさかこの献立で失敗する筈がないだろう。多分、恐らく、めいびー。

 

 だから神よ、どうか俺に…じゃなくて駒川に力を貸してやってください。

 

「南無三」

 

「おい、その掛け声はおかしいだろう」

 

 駒川のツッコミを無視してまずはウインナーを一本齧る。

 

「…うまい」

 

「そうかい。それは良かった。あ、コーヒーは飲む?」

 

「飲む」

 

 どうやら身構えすぎていたらしい。ウインナーだけでなく、他の目玉焼きや勿論サラダも、まずいという事はなかった。

 いや、サラダに関しては不味くする方が難しいとは思うが─────。

 

 駒川が淹れてくれたコーヒーもうまかったし、この朝食に関しては満足のいくものだった。

 

「それじゃあ私は診療所に行くよ。昼食は─────」

 

「それは自分で何とかする。夜も無理に俺の分まで用意しなくていいぞ」

 

「そういう訳にはいかない。私も一応陰陽師の家系の末裔なんだ。君をそんな粗末に扱えるものか」

 

 本当にそこまで気にしなくて良いのだが。とはいえ、駒川の気持ちも分からないでもない。

 

 こういう時、()()()()()()()()()()()()()というものを恨んでしまう。

 気心知れた人と、気の置けない関係になれない事が少し寂しかったりする。

 

「ただ…、流石に昼食まで準備するのは難しいから、それだけは自分で何とかしてくれないかな」

 

「おう、そのつもりだ。それと、夜も本当に準備しなくていい。多分、ご飯時までにここに戻ってくる事は少ないだろうから」

 

「…そうか。分かった」

 

 少しの間俺を見つめてから、駒川は頷いた。

 

 このやり取りの後、駒川は俺と一言挨拶を交わしてから診療所の方へと向かった。

 まだ診療所を開くまで時間はある筈だが、こんな小さな町でも医者というのは忙しいらしい。

 人の命を扱う仕事なのだから、当たり前なんだろうが。

 

 さて、俺はどうしよう。まだ朝は早い。この時間帯ではまだ()の活動時間外だろうが─────

 

「行ってみるか」

 

 時間を前倒しする事になったが、今から出掛ける準備を始める。

 

 駒川から借りた自室に戻り、スーツケースの中から仕事着を取り出して着替える。

 黒の和服と同じく黒の法被。この二枚はただの衣服ではなく、衝撃を緩和する術式─────簡単にいえば防御の術式が刻まれている。

 見回りや妖退治に出掛ける時は必ず身につけて行く。故に仕事着。

 

 装備も確認して、勿論昨日使った御手杵も忘れず、それと財布も懐に入れて家を出る。

 駒川から受け取った鍵で錠をかけ、きちんと閉まっているか確認をしてから家を後にする。

 

 向かう先は目的地─────ではなく、その前に行く場所がある。

 

 あまり俺が帰ってきた事を知られたくはない。何なら、誰にも知られずここに来た目的を果たせたのならそれがベストだと考えている。

 しかしそうもいかない。長期戦になる事も考えて、手を打っておかなくてはならない。

 

 駒川は町医者であると同時に、朝武家お抱えでもある。つまり、駒川の診療所に…芳乃が来る事だって珍しくはない。

 そうなれば、俺と鉢合わせする可能性だってある。

 

 その可能性を低くするための手。それは、拠点を増やす事。

 駒川の家だけでなく、他にも寝泊まりできる拠点を増やせれば芳乃と鉢合う可能性はグッと減る。

 その拠点の候補として俺が考えてる場所にこれから向かうのだ。

 

 住宅街を抜けて大きな通りを真っ直ぐ歩き、周囲に家屋が少なくなる道を更に奥へと進む。

 町の中心部から少し離れた場所、そこに俺が拠点の候補として考えている施設があった。

 

「─────」

 

 その施設の近くまで来て、視線に建物が捉えられる様になった時。

 

 建物の前で掃除をする壮年の女性ともう一人、その女性と話す老年の男性の二人が立っていた。

 二人共に見覚えのある、特に男性の方は昨日も顔を見ている。

 

「む?」

 

「あら…」

 

 二人が俺に気付く。

 何やら話していたようだがぴたりと動きを止めてこちらを見る。

 

 少年が一人、荷物も持たずここまで来るというのは珍しいのだろう。

 二人は驚いたように目を丸くして俺を見ている。

 

 二人の視線を受けながら二人の前で立ち止まり、俺は口を開く。

 

「お久し振りです。玄十郎さん、猪谷さん」

 

「…えぇっと、どこかでお会いした事がありましたか?」

 

 建物の前にいた男性の名前は鞍馬玄十郎。女性の名前は猪谷心子。

 そして、俺が拠点の候補として考えていた施設とは何なのか、もう分かるだろう。

 

 その施設は旅館、名前は志那都荘。

 

「おぬし、もしや…。陽明か?」

 

 猪谷さんとはあまり話した事がないから、俺の事を全く思い出した様子はなかったが玄十郎さんは違った。

 

 俺の顔を見て一瞬、何か引っ掛かったように表情を歪ませてから、驚きに目を見開き、声を震わせながら俺の名前を呼んだ。

 玄十郎さんが俺の名前を口にしたのを聞いてきた、猪谷さんもはっ、と目を見開く。

 

「陽明さん…。え、陽明さんですか?」

 

「はい。…五年ぶりです」

 

 猪谷さんの問い掛けにそう答えると、二人は嬉しそうに笑顔を浮かべてこちらに歩み寄ってきた。

 

「大きくなったな、陽明。見違えたぞ」

 

「いやいや。まだ玄十郎さんに追いつけてないし、もう少し背を伸ばしたいんですよ。ちょっと止まっちゃったみたいなんですけど」

 

「弱音を吐くな。ワシの背なぞとっとと越えろ」

 

「いや、努力はしますけどね?でも成長期の限界は努力じゃどうしようもないんですよ」

 

 さっきも玄十郎さんに言ったがもう少し背を伸ばしたい。欲を言うなら180越えは達成したいところ。

 とはいえ、これまたさっきも言ったが成長期の限界は気合いや努力じゃどうしようもないのである。なので、ぶっちゃけ半分これ以上の成長は諦めていたりする。

 

 第三次成長期とか来ないかなー。来てほしいなー。

 

「それで、陽明さんがここにいらしたのは挨拶のためでしょうか?」

 

「あぁ…。ここに来たのは玄十郎さんに一つ、お願いがあったんです」

 

「む?儂にか」

 

 おっと、ここに来たのは世間話のためじゃなかった。

 猪谷さんに言われて思い出す。

 

「玄十郎さん。費用は勿論払います。なので、しばらくの間部屋を一室、お借りできないでしょうか」

 

「─────」

 

 自分でも滅茶苦茶言っているのは自覚している。旅館のオーナーとして俺のお願いは受け難い事も分かっている。

 

「…何故、そんなお願いをする」

 

「俺の願いを叶えるために複数の拠点が必要なんです。…それだけで納得、してはくれませんよね」

 

「立場上、容易くはいどうぞと頷く訳にはいかん」

 

 その答えが返ってくるのは分かっていた。かといって、こちらもすぐに引き下がる訳にもいかない。

 

「複数の拠点、といったな。今、他にもお前が拠点としている場所があるのか」

 

「…昨日は駒川の家に泊まらせて貰いました」

 

「何故拠点を複数必要とする。それに、ここでなくても良いだろう。…あまり儂から薦めたくはないが、安晴様ならば心よく受け入れてくれるだろう」

 

「…」

 

 玄十郎さんの台詞に押し黙ってしまう。

 

 まさに玄十郎さんの言う通りだ。きっと、安晴おじさんならば俺のお願いを受け入れてくれる。

 

「巫女姫様もきっと、お喜びになるのではないか?」

 

「う…」

 

 玄十郎さんが続けて口にした台詞に今度は縮こまってしまう。

 そんな俺の様子を見て玄十郎さんと猪谷さんは首を傾げて、直後玄十郎さんは何かを察した表情になり、かと思うと呆れたようにじと目になる。

 

「…心子さん。すまぬが、席を外してくれぬか」

 

「はぁ…?それでは、客室のお掃除をしてきますね」

 

「頼む」

 

 猪谷さんが俺に一礼してから離れていく。そして猪谷さんの姿が見えなくなってから、玄十郎さんは俺の方を向いて─────

 

「このヘタレが」

 

「うぐっ」

 

「男なら堂々と惚れた女性の前に立ってこんか」

 

「そ、そんな事言われても!俺は芳乃との約束を破っちゃってますし…。大体、その惚れた相手に婚約者がいるっていうのに、尚更顔を合わせづらいじゃないですか!」

 

「約束はともかく…、確かに婚約者に関してはおぬしの事が引っかかってはいたが…待て。何故巫女姫様に婚約者が出来た事を知っている?」

 

「あ、やべ」

 

 つい口を滑らせてしまった。

 呆れたようなジト目に鋭さが込められる。

 

 あー、これは駄目だ。逃げられない。いや、逃げようと思えば逃げられるが、そうすれば二度と顔を合わせられなくなる。

 

「…実は」

 

 観念して、全て吐く。

 

 駒川から叢雨丸を抜いた者が現れたと聞いた事。

 叢雨丸を抜いたその人の顔を見てみたくなり、建実神社に行って有地とムラサメ様に会った事。

 そして術で姿を隠し、玄十郎さん達の会話を聞いていた事。

 

「…お前という奴は」

 

「すみません」

 

「五年前のお前はもっと純粋で、そんな事をする奴ではなかったのだが…」

 

「あの頃の純粋無垢な俺は死にました」

 

「寂しい事を胸を張って言うな。口も悪くなって…嘆かわしい」

 

 嘆かわしいって。

 失礼だぞ、と思いつつ口には出さず、玄十郎さんの次の言葉を待つ。

 

「…従業員用の部屋が空いている。必要であればそこを使え」

 

「え…、いいんですか?」

 

「いい訳なかろう。惚れた女と顔を合わせづらいから逃げ場所が欲しいなどという下らん理由で部屋を借りたいなんて…嘆かわしいっ」

 

 また嘆かわしいって言われた。しかもさっきよりも強い口調で。

 

「だが…おぬしの両親には借りがある。その息子であるお前の願いを無下にはできん」

 

「…ありがとうございます。それで、部屋代の方は─────」

 

「いらんいらん。どれ程の頻度で来るかは分からんが、子供のお前には簡単に払えないだろう」

 

「いや、貯金なら陰陽師の仕事で結構貯まってるんで。大丈夫ですよ?」

 

「…そうなのか?」

 

「向こう二十年くらい遊んで生きてけるくらいには」

 

 本家から俺に充てられた陰陽師としての依頼、そして俺個人に向けられた依頼等でかなり報酬を貰っている。

 俺自身、物欲はなく金を多く使うのは装備を整えるためくらいで、それ以外の殆どは貯金に回している。

 その結果、十代としては膨大な額の貯金が出来上がっている。

 

「…この五年間、苦労してきたのだな」

 

「分かります?」

 

「少なくとも、性格が捻じ曲がるほどには苦労したのだと分かるわい」

 

 そんな察せられ方はされたくなかった。性格については放っておいてほしい。自覚はある。

 というか、駒川にも同じような事を言われたがそこまで俺の性格は酷いだろうか?確かに五年前に比べて()()捻くれたとは思っているが、玄十郎さんや駒川が言うほどではないと思うのだが。

 

「とにかく。お前のお願いは分かった。必要であれば部屋を貸そう。金は要らん、タダでいい」

 

「いや、そういう訳には…」

 

「いらんと言っている。ただし…巫女姫様の呪いを必ず解け。それが条件だ」

 

「─────」

 

 部屋を使う代金はいらない。その代わりに出された条件に、玄十郎さんの鋭い視線に息を呑む。

 

「そのために帰ってきたのだろう?ならば、己の誓いを果たせ。儂が求めるのはそれだけだ」

 

 厳しい言葉だが、それはきっと玄十郎さんなりの俺へのエール。

 

 それに対して、俺が出来る事はたった一つだけ。

 

「はい」

 

 玄十郎さんに向けて頷く。頷きながら、決意を更に固く、この地に纏わる因縁を必ず終わらせてみせると固く誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当はもう少し話を進めるつもりでしたが五千文字を超えたのでここで一区切り。
次回は、()()との初対面です。


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第四話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玄十郎さんと挨拶を交わし、別れて志那都荘から離れる。

 

 とりあえず、志那都荘を拠点として使っていいという許可を得られてほっと息を吐く。

 これで拠点に関してはしばらく問題はないだろう。

 穂織は狭い町だ。俺の事を覚えている人がもしいた場合、その人が俺の姿を見たと誰かに話してしまえばあっという間にうわさは広がる。

 もしそうなったら、野宿も視野に入れる。

 

「さて、と…」

 

 拠点の見通しも立ち、通りに置かれたベンチにて遅めの軽い昼食も済ませて立ち上がる。

 

 一つ目の用事は終わった事で、もう一つの用事を済ませに行くとする。

 足を向けるのは街中で小高くなっている丘の方。昨日歩いた、建実神社へと行く道と同じ道を歩く。

 だが、行先は建見神社ではない。建見神社よりも更に奥、鬱蒼と生い茂る森へと足を踏み入れる。

 

「─────」

 

 瞬間、空気が変わる。ほんの僅かな変化だが、ひんやりと森の外よりも空気が冷たくなった。

 

 どうやら()()─────或いは、発生の兆しがあるらしい。

 それを感じ取った俺は懐から一枚の札を取り出して宙へ放り投げる。

 ひらひらと舞う札を見上げ、右手で人差し指と中指を立てて印をとると、札は白い煙を立てながら犬へと姿を変える。

 

 地面に着地した小さな衝撃で黒い毛並みが微かに揺れる。

 閉じていた瞼を開けた黒犬は俺を見上げ、ゆっくりと口を開く。

 

『何用ですか、主』

 

 耳から聞こえるのではなく、頭に直接響いてくるような、若い男の声がした。

 

 こいつは俺の式神の一つ。昨日、駒川の動向を探る時と有地に術を見せるために使用した鳥の式神よりも能力が高く、会話も可能という俺が最もよく使う式神の一つである。

 用途としては、鳥の式神と同じく探索用。ただ、鳥の式神は視覚による探索に対してこいつは、まあ犬の姿をしているという事で察しはつくかもしれないが、基本は嗅覚を使って探索をする。

 

「今、お前が感じている祟りの臭い。覚えろ、そいつが今回の俺のターゲットだ」

 

『…主。この臭いは─────』

 

「皆まで言うな、()()。分かってるから」

 

『…その呼び方はやめて頂けませんか、主』

 

「名前が短いと咄嗟に呼びやすいからこれでいいんだよ」

 

 この森に漂う気配だけで、その正体が()()()()ではないと察したのだろう。

 

 式神、ポチが固い声で何かを言い掛けたのを途中で遮る。

 そう言われるまでもない。数百年続く怨念と対峙するのは何も今回が初めてという訳ではない。

 その時は、本家の人間が共にいたのだが─────危うく死にかけた。

 

 しかしその時の俺と今の俺とは違う。今の俺ならば─────やれる筈だ。それだけの修行を積んできたつもりだ。

 

「まずは森の探索を行う。お前もついてこい」

 

『承知致しました』

 

 俺の式神となって三年、未だに自身につけられた名前に不満があるらしいポチはその感情を割り切り、森の奥へ足を踏み入れる俺の後に続く。

 

 鬱蒼と生い茂る木々に阻まれ、空からの探索は恐らく無理だ。だから、自分の足で森を歩き、自分の目で地形を把握する。

 穂織で生まれてから十一年、この町に住んできたがここに足を踏み入れたのは初めてだ。だからまず、ここら一帯の土地勘を定める。

 

 人の通った形跡のある道を進み、奥へと行く。次第に人が侵入した形跡は薄くなっていき、やがて道と呼べる景色は消え、人の手が及んでいないあるがままの森が姿を現す。

 

「…どうやら、今はいないか」

 

『そのようですね。…しかし、これは─────』

 

「どうした?」

 

 森に足を踏み入れ、しばらく歩いてきたが…。気配は感じ取れる。しかしその気配がどれだけ歩こうとも一向に濃くならない所を見ると、まだ()()()()()()()らしい。

 

 だが、俺よりも感知能力に長けているポチは何かを感じたらしい。

 

『同じ気配が複数…各地に点在している…?』

 

「なに?」

 

 ポチが言う気配。それが何を現しているかなど聞くまでもない。

 だが、それが複数、各地に点在しているとはどういう事なのか。

 

「…ポチ、一番近い気配を感じる場所に案内しろ」

 

『承知致しました。こちらです』

 

 立ち止まって考えていても埒が明かない。それならば、踏み込んでみるのみ。

 ポチに案内を頼み、後に続く。

 

 ポチは更に木々が生い茂る方へと進み、それに続いて歩くこと数分。ポチは不意に立ち止まり、周囲を窺い始める。

 

「ここか?」

 

『はい。気配は確かに、ここから感じられます』

 

 ポチと一緒に俺も周囲を探索しながら、思考を巡らせる。

 

 気配を複数感じる、とはどういう事なのか。俺が探っている気配の正体は、祟り神と呼ばれる、この地と朝武に呪いをかけた元凶の憎しみが具現化した姿、といえば正しいか。

 確かに祟り神はこれまで何度も出現した。だが、それらは全て同一の存在と言っていい。

 先程もいったが、祟り神とはこの地と朝武に呪いをかけた元凶が抱く強い憎しみが具現化したもの。つまり、これまでに出現してきた祟り神とは全て、同一の存在なのだ。

 

 しかも、それらは全て巫女姫達の手によって払われている。故に、この森にて感じる気配は一つであるべきだと思うのだが─────

 

「ん…?」

 

 日が暮れ始め、空が茜色に染まり始めた頃。視界の端にキラリと何かが光ったのを見た気がして足を止めた。

 

 そっちに足を向け、近づいてみると─────光る何かを見たと思ったその場所に、小さな透明の…水晶の欠片、だろうか?

 さっき光ったと思ったのは、太陽の光が反射したからだったのか。とにかく、そんな物を見つけた。

 

「ポチ」

 

『…はい、間違いありません。気配はその欠片から確かに感じられます』

 

 ビンゴ。と言いたい所だが、ポチの話を考えれば恐らくまだこの様な欠片が森の中に思われる。

 この欠片が何なのか、どういったものかはまだ分からないが─────

 

「ポチ、次だ。気配を感じる場所に連れていけ」

 

 ポチに命じて、次の場所に案内させる。

 

 予想が正しければ、ポチが感知した場所にそれぞれ同じ様な欠片がある。

 一先ず、その欠片を集め、帰って詳しく調べる事にしよう。

 

 二個目の欠片は一個目の欠片を拾った場所からそう遠くない場所で拾えた。

 三個目はその場所からかなり遠くにあり、三個目の欠片を拾った頃にはすっかり日も落ち、森の中という事もあってかなり暗い。

 

 まだ暗くなってすぐ、月も上がり切っていないため尚更森の中は暗い。

 

「探索はここまでだな」

 

『はい。…しかし、この欠片は一体何なのでしょうね』

 

「さあな。それは帰ってから詳しく調べ─────」

 

 視界がかなり狭まり、流石に帰るべきだと判断したその時だった。

 

 ぞくりと背筋に寒気が奔る。この森に入ってからずっと感じ続けていた邪の気配が何の前触れもなく、突然増幅する。

 

『主!』

 

「分かってる!お前は戻れ!」

 

 ポチは俺の命令通りに()へと戻り、札へと戻ったポチを回収した俺は増幅した気配が感知できる方へと駆け出す。

 

 術を使って身体能力を向上、生い茂る木々に衝突しないよう走る位置、速度を調整しながら森を走り抜ける。

 

 やがて木々が生い茂るエリアから抜け、森に入って初めの頃、まだ人が立ち入った形跡が残るエリアまで戻ってこれた。

 どうやら、祟り神が発生した場所は森の入り口から、つまり朝武の家からかなり近い位置らしい。

 それでも祟り神が森の外に出たという例はないようで、心配はないと思うが─────

 

「っ、こいつは─────」

 

 近い。祟り神の気配が近くなっているのを感じながら、それと同時にもう一つ、意識的に鋭敏にさせた感覚に祟り神と少し似た気配を掴む。

 

 祟り神のようにドロドロとした嫌な気配ではない。何と形容すれば良いのか─────大まかに感じられるのは人間の気配なのだが、その気配の中に小さな黒い邪の気配が混じっている、といえば良いのか。

 とにかく不思議な気配だった。

 

 しかもこの二つの気配、位置的にいえばほぼ同じ場所に─────

 

「─────有地っ!?」

 

 その光景を目にして、思わず足を止めてしまった事を後悔する。

 

 道から足を踏み外し、急勾配の方へと体を投げ出してしまう有地。その有地の傍らには、まるで泥で形成された、犬の様な形をとった黒い塊。

 

 祟り神だ。この目で見るのは初めてだが、直感的にそう感じた。

 

 祟り神は落ちていく有地を追う。

 

「させるかっ」

 

 そして俺もまた、有地を追う祟り神を追って急勾配に身を投げ出す。

 

 両足のかかとで体のバランスをとりながら、急勾配を急速に滑り落ちていく。

 

「これでも─────」

 

 体のバランスをとりつつ、こちらには目もくれず有地を追いかける祟り神に狙いを定める。

 

 懐から一枚の札をとり、妖力を注ぐ。直後、札は姿を変え、俺の手には確かな重量がのし掛かる。

 

 直後、有地に意識を向けていた筈の祟り神が突然、ギョロリとこちらを見た。

 この手にある妖力を感知したか、それともまた別の理由か。俺に狙いを変えたらしい祟り神だが、遅い。

 俺の手からすでに()()()は投じられている。

 

 祟り神から断末魔の声は聞こえない。だが滑り落ちる速度に合わせて流れていく視界には確かに、投じられた御手杵に巻き込まれるように、祟り神が消滅していく場面が映った。

 

 祟り神の消滅を確認した俺はもうそちらに意識を向ける事はなかった。

 今意識を向けるべきは、ようやく平地にて落下が止まった血だらけの有地である。

 

「有地!」

 

 聞きたい事は山ほどある。まさか、何も聞かされていないのか。山に入るなとは言われなかったのか。

 だがまず、有地の意識が残っているかの確認だ。

 

「有地っ!」

 

 平地に倒れたまま動かない有地に駆け寄り、もう一度呼び掛ける。が、返事は返ってこない。

 

 少しの焦りを抱えながら、有地の口元に耳を近づけ呼吸の音を、同時に視線は有地の胸に向けてその動きを確認する。

 有地の口からは呼吸をする音が、有地の胸はその音に合わせて上下しているのが確認できた。どうやら、呼吸は問題ないらしい。

 

「くっそ、治癒術は専門外だってのに!」

 

 陰陽師に伝わる数多くの術の中に、怪我や病気を治す事が出来る治癒術というものが存在する。

 一応、俺も使えるには使えるが、出来るのは精々止血程度。有地の様子を見る限り骨折はなさそうだが、まず体のそこらを打撲しているだろう。

 だがその痛みを和らげる程の技量は俺にはない。とはいえ止血だけでもやらないよりはマシだ。だいぶ派手に出血しているから、放っておく時間によっては命に関わるかもしれない。

 

 すぐに両手を、まず有地の額に出来た切り傷に添える。

 意識を集中し、力を両手に集め、いつもは殺意を以て発する力を今は慈愛の心を以て両手から放つ。

 

 両手から発生するのは柔らかい翠色の光。久々に治癒術を行使するため心配だったが、どうやら問題なく発動できた様だ。

 

「…わか、さ?」

 

「っ、有地」

 

 頭の傷の治癒を始めると、有地の意識が朦朧としながらも戻ってきた。

 もしかしたら転がり落ちる最中に頭を打ったか、目は虚ろ、口調も定まっていない。

 

 まずい、もしかしたら俺の手には負えない域なのかもしれない。そう感じた俺は、頭の傷の治癒を負えるとすぐに懐から一枚の札、鳥の式神を取り出して宙へ放る。

 放る直前に俺の妖力を注がれ、同時に命令を刻まれた式神は一目散にとある方向へと飛び立っていく。

 

 飛び立った方向は駒川の家がある方。緊急を要するためメッセージなどは用意できなかったが、式神が送られてきたとなれば駒川も何かがあったと感付く筈。

 式神には駒川を俺のいる場所へと案内するようにという命令も刻んでおいた。これで駒川はあと少なくとも三十分もすればこの場所に来てくれる筈だ。

 

「どうして、ここに…?」

 

「この山に用事があったんだよ。お前こそ、なんで──────」

 

 有地の疑問は当然だ。こんな山の中に俺が一人でいる理由なんて、普通なら考えても分かるまい。

 しかしその疑問にバカ正直に答える訳にもいかない。芳乃が、朝武家が有地には事情を教えないという選択をした以上、俺の口から俺の目的を教える訳にはいかない。

 

 だがその朝武の選択がこの結果を招いた。決して有地に事情を話さない選択が間違いだったとは言わないし、思わない。

 それでもその結果がこの有地の大怪我を招いた以上、朝武は有地への対応をもう一度考え直さなければならないだろう。

 

 それより、俺も気になっていた。確かに山へ入るなとは言われていないのだろうが、何だって有地はこんな本当に、有地にとっては何もない筈の山の中に入ってしまったのか。

 その理由を問おうとした時だった。

 

「ご主人!っ、ご主人!!」

 

 どこからか誰かを呼ぶ声がする。すぐにその声の正体は姿を現し、有地の姿を見つけるとその者はこちらに文字通り()()()()()

 

「ご主人!陽明も…、一体何があった!」

 

「…どうやら足を滑らせて転んでしまったらしいです。俺はそこに偶然居合わせて、今こうして治療を施しているところです」

 

 一瞬、祟り神に襲われたと口から出かかるが有地は意識を取り戻している。有地に祟り神について聞かれる訳にはいかないため、ここは申し訳ないがムラサメ様に嘘を吐かせて貰う。

 

「足を滑らせたなど…そんな…っ」

 

 とはいえ流石に俺の言い訳には無理があったらしい。疑わしげに俺に視線を向けるムラサメ様だったが─────ハッ、と目を見開いて何かを察したのか、俺への追求はせず視線を俯かせる。

 

「そう、か…。そういう事か…。陽明、礼を言う。ご主人を…よくぞ救ってくれた」

 

「本当に偶然だったんですが…。間に合って良かったです」

 

 どうやら俺の意図は伝わったらしく、ムラサメ様は俺に有地を助けてくれたお礼を口にする。

 

 もう少し早く、それこそ俺が生い茂る木々を恐れて()()()()()()()()()()有地が祟り神に遭遇する前に対処できていただろう。

 だが今、それを後悔してもどうにもならない。反省だけはしつつ、ムラサメ様のお礼は素直に受けとる。

 

「ムラサメちゃん…。龍成くんは…」

 

「おぉ、そうじゃ!迷子は無事に保護できたぞ、ご主人。だから安心せい」

 

「…そっ、か。それなら、よか…った…」

 

「っ、や、やっぱりダメじゃ!安心するなご主人!今は迷子よりもご主人の方が危険なくらいだ!気を緩めてはいかん!しっかり気を持て!」

 

 ハチャメチャな事を言い出すムラサメ様。この様な台詞がこの様な状況でなく、もっと日常的な場面で口にされていたらきっと俺は爆笑していたのだろうが─────状況が状況だけに笑えない。

 

 というより有地は本当に気が緩んでしまったらしく、目蓋がゆっくりと落ちていく。

 

「すでに助けは呼んでおるから、それまで意識を保つのだ!ご主人!」

 

「あぁ…わかったよ…」

 

 分かった、と言いつつ更に有地の目蓋が落ちていく。

 その様子を見て、有地に呼び掛ける声を大きくするムラサメ様。

 

「っ─────」

 

 完全に有地の目蓋が落ちてしまったのを見て、俺はもう一度耳を有地の口元に近付ける。

 再び有地の呼吸音と胸の動きを見て、すぐに俺は耳を有地の口元から離す。

 

「ムラサメ様、大丈夫です。どうやら眠っただけのようなので」

 

「そ、そうなのか…?」

 

「はい。それに、外はだいぶ派手に傷ついてますが、体の中を損傷した様子もないですし…。止血を行えば恐らく大丈夫でしょう」

 

 そう言うと、ムラサメ様は一度有地の顔に視線を落としてから、大きく安堵の息を吐く。

 

「それと、ムラサメ様。助けを呼んだ、とおっしゃっていましたが、誰を?」

 

「む?あの時は慌てていたからのう…。芳乃と茉子に玄十郎と駒川の者を呼ぶように伝えてここに飛んできたのじゃ…」

 

「つまり、この場所は?」

 

「…芳乃達は知らぬ」

 

 どうやら相当に慌てていたらしい。

 ムラサメ様が芳乃と茉子に駒川を呼ぶように伝えたと言った時は式神を飛ばしたのは無駄だったかと嘆息したが、どうやら無駄にはならなそうだ。

 

「駒川には俺が先程式神を飛ばしました。恐らくあと二十分もしない内に俺がいる場所へと駒川を連れてくるでしょう」

 

「そ、そうか。それは…助かる」

 

「ですが…、俺はまだ、芳乃の前に姿を現す事はできません」

 

 ムラサメ様の表情がきょとん、と呆けたものに変わる。

 そしてやがて、その表情はじと目に、呆れたようなものへと変わるとムラサメ様は深々とため息を吐いた。

 

「へタレが」

 

「何とでも言ってください。約束を守るまで、俺は芳乃には会えない。なので、式神への命令を()()()()()()()駒川を案内する、から()()()()()()()()駒川を案内する、に変更します」

 

「式神への命令変更…。すでに式神は放っておるのだろう?出来るのか?」

 

「この町は小さいですしね。町の範囲内でなら可能です」

 

 すでに放たれた式神へ、元々刻んでいた命令を遠隔で変更するという芸当はかなり難易度が高い。

 

 まあ、俺には出来るんですけどね。いやぁ、才能って怖いね。流石に習得するまでに少し苦労したけど。

 

「…よし。これで確実に、俺が放った式神は()()()()()()()()駒川を連れてきてくれます」

 

 ムラサメ様にそう伝えてから、有地の体を見る。

 

 ムラサメ様と話しながらも止血は続け、もう有地の体に目立った出血は見られない。

 これで俺はこの場では用なしだ。

 

「…本当に、芳乃には会っていかないのか?」

 

「…」

 

「お前が町を出てからずっと、芳乃はお前の事を気にかけておった。お前が帰ってきた事を知ればきっと、芳乃は喜ぶ」

 

 芳乃の顔が、神社の本殿で見た成長した芳乃の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 会いたいさ。俺だって。

 でも─────

 

「約束を破った俺には、会わせる顔がないんです。…呪詛の件を解決させた後、胸を張って会いに行きますよ」

 

「…その頑固なところ、本当に似た者同士じゃの」

 

 ムラサメ様が苦笑いしたのを見てから、ムラサメ様に向かって一礼してその場から離れる。

 

 遠くの方から、声がした。

 ムラサメ様が呼んだ助けが来たのか、それともそれよりも先に駒川が来たか。

 

 俺はそれを確かめる事なく、誰かと鉢合わせしないよう木々が生い茂る方から迂回して山を降りたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前作って二週間くらい毎日投稿続けてたんですよね。
当時の私はどうやって続けてたの?今もわりと頑張ってるけど早速毎日投稿途切れちゃいましたけど?

という事で黒いワンちゃんこと祟り神との初対戦でした。
なお、呆気なく投げ槍で一撃死。多分、よーいどんの決闘方式だったらあと数秒はワンちゃんの寿命が伸びていたと思います。

この話を読んで主人公強すぎね?ワンちゃん弱くね?と思ったそこのお方。
タグを見てください。この序盤はまだまだ序の口の予定ですよ。(ゲス顔)


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第五話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 

「…知ってる天井だ」

 

 目を開けると、視界に木目の板が入る。決して知らない光景ではなく、俺は昨日、朝起きた時にも同じ光景を見ている。

 朝武家の屋敷にて、俺に割り当てられた部屋。どうやら昨日のあの後、俺はこの部屋に運ばれ寝かされていたらしい。

 

「もう朝か」

 

 あれからずっと、今の今まで寝ていたのだろう。あの後─────若狭が俺を助けてくれて、その後にムラサメちゃんが来て、それから俺は意識を失った、のだと思う。記憶が曖昧だから自信はないが。

 

「…臭い」

 

 ツンと鼻を突く臭いに顔を歪ませる。

 結局、昨日は歯も磨いてないし風呂も入っていない。あんな事があったのだから仕方ないのだろうが…、今すぐにでも風呂に入ってこようか。

 

 そう思って、体を起こそうとした時だった。

 

「んぎぃっ!?」

 

 一瞬、息が詰まる程の鋭い痛みが突き抜けた。

 体を起こすために利き手である右手を突いて、そのまま体を起こそうとして、すると右肩に焼けるような痛みが奔った。

 直後、右腕から力が抜け、起こそうとした体は再び布団に倒れてしまう。

 

 そうだ、そうだった。

 痛みによって曖昧だった記憶がハッキリしていく。

 龍成くんを探しに山へ入ると、あの黒い塊に遭遇し、襲われて─────急斜面を転げ落ちてしまったのだ。

 そうだ。若狭とムラサメちゃんがやって来たのはその後だ。若狭が何かの術で俺を治してくれた筈なのだが…この右肩までは治せなかった、という事なのだろうか。

 

「ご主人、目が覚めたか」

 

 今度は左手で体を起こそうとした時だった。ひょこっと俺の頭上に幼い少女の顔が出現する。

 少女はぺちぺちと俺の頬を叩きながら、そう声を掛けてきた。

 

「うん。おはよう、ムラサメちゃん」

 

「体はどうだ?医者は、意識が戻れば問題ないと言っておったが…」

 

 ムラサメちゃんに問われ、俺は確認するべく体を起こす。

 

 先程のようにまた痛みが、という事はなかった。左腕は問題ないらしい。

 首を左右に傾け、左肩を回し、両足を布団の中で軽く動かす。

 

「大丈夫だと思う。右肩がちょっと痛むけど…動かない事もないしな」

 

 右肩以外どこも問題ない事を確かめてから、今度は慎重に、もう一度右肩を動かしてみる。

 

 痛い、が、先程みたく鋭い痛みではない。慎重にゆっくり動かせば右腕も動かせる。

 

「そうか…。それならよかった」

 

 俺の返答を聞いたムラサメちゃんが大きく安堵の息を吐いてから微笑む。

 

 本当に心配を掛けてしまったらしい。今思い出してみれば、昨日俺を見つけた時のムラサメちゃんは本当に慌てていた。

 正直あれは事故で、俺に過失は全くないのだが…心配を掛けてしまった事を申し訳なく思えてしまう。

 

「ありがとう、ムラサメちゃん。俺を助けてくれて」

 

「い、いや…。吾輩は助けを呼んだだけで何もしておらん。それに、ご主人を最初に見つけて応急処置を施したのも、陽明じゃしな」

 

「そうだ…。若狭はどこに行ったんだ?あいつにもお礼を言わなきゃ」

 

 そう、お礼を言わなければならないのはムラサメちゃんだけじゃない。

 ムラサメちゃんが俺を助けるために呼んでくれた人達にもそうだが、ムラサメちゃんの言う通り最初に俺を見つけてくれたのは若狭だった。

 

 部屋の中には若狭の姿はない。若狭にもお礼を言いたくて、ムラサメちゃんに居場所を聞いてみる。

 

「陽明なら、ご主人の止血を終えたらどこかに行ってしまった。どこへ行ったのかは…吾輩にも分からぬ」

 

「そう、なのか…」

 

 何というか、不思議な奴だ。

 俺が叢雨丸を抜いた後、本殿にてじいちゃんが戻ってくるのを待っていた時に突然現れて、自分は陰陽師だとか語り出して。

 しかも本当に術を使う所を見せてくれた。鳥の式神を出して、その場から消える術まで見せてくれた。

 

 まあ、消えてからそのままそれ以降は姿を見せてくれなかったのだが。

 

「そういえば、何であいつはあの山にいたんだろ…。もしかして、あの黒い塊を退治しに来てたのかな…?」

 

「あー…。その事なんだがな、ご主人…」

 

 ふと思う。どうして若狭はあんな暗くなる頃に、あの山にいたのだろうと。そして考え始めてすぐ、あいつが陰陽師だという事を改めて思い出す。

 それならば、あいつがあの黒い塊を退治するために山にいたという俺の仮説は辻褄が合っているんじゃなかろうか。

 

 今度会った時に聞いてみようか、そう思ったその時だった。

 どこか歯切れが悪そうに、ムラサメちゃんが口を開いた。

 

「陽明と会った事、そして今回の事─────他の者には黙っていてほしいのだ」

 

「え?どうして?」

 

「それは…陽明の希望でな」

 

 若狭の事を黙っていてほしい。理由が分からず聞き返すと、それは若狭の希望なのだとムラサメちゃんは言った。

 

「若狭の希望って…どうして?」

 

 だが、若狭の希望と言われても疑問が深まるだけだ。何故若狭は他の人達に自分の事を知られたくないのだろう。

 …もしかして、若狭はあの黒い塊について秘密裏に調べていたのだろうか?だとすれば、若狭の希望というのも分からないでもないが。

 

 いや、何か違う気がする。何が引っ掛かっているかは分からないが、どうしても違和感を拭えない。

 

「…ご主人。陽明はのう、とんでもないヘタレなんじゃよ」

 

「…は?」

 

 何故、と思考を働かせていると突然、ムラサメちゃんが思いも寄らない事を言い出した。

 

 ヘタレ?若狭が?ムラサメちゃんはいきなり何を言っているんだ?

 

「ムラサメちゃん、それってどういう─────」

 

 ムラサメちゃんにどういう事なのかと聞き返そうとしたその時、部屋の外の廊下から足音が近づいてくるのが聞こえてきた。

 足音はやがて部屋の前で止まり、そして部屋の外から今度は声が聞こえてきた。

 

「ムラサメ様、いらっしゃいますか?」

 

「おぉ。入ってきていいぞ」

 

 部屋の外からムラサメちゃんに呼び掛けた声は高い女の子のもの。

 呼び掛けに対してムラサメちゃんが返事を返すと、すぐに障子が開かれた。

 

 障子が開き、その向こう側に見えたのは二人の女の子。身長は大体同じくらいで、両方ともとんでもなく美少女だ。

 

 一人は長い銀髪を束ねて下した女の子と、もう一人は黒髪を襟元で切ったボブカットの、しかしもみあげは長く下し、ぴょこんとアホ毛が伸びた女の子。

 銀髪の女の子は俺の婚約者にさせられた朝武芳乃さん。そしてもう一人は、朝武さんの付き人である常陸茉子さんだ。

 

「有地さん…?」

 

「有地様…?」

 

「おはようございます。二人とも」

 

「…有地さん!?」

 

「…有地様!?」

 

「あ、はい。有地ですけど、なにか…?」

 

 部屋に入ってきた二人は、驚いた表情を浮かべて俺を見ていた。

 繰り返し俺の事を呼んで、いきなりどうしたというのか。

 

「い、いえ。その…」

 

「随分のんびりされていらっしゃるので、拍子抜けといいますか…。大丈夫ですか?怪我の痛みはどうですか?」

 

「ちょっと痛むけど、大丈夫だよ」

 

 常陸さんの問い掛けにそう答えると、彼女はやや目尻を吊り上げ、少々鋭い視線で俺を見る。

 

「駄目ですよ、ちゃんと診察は受けてください。先生も、何かあればすぐに連絡を、と仰っていましたから」

 

「あ、はい。ありがとうございます。気になる事があればちゃんと言います」

 

 常陸さんの有無を言わさない口調につい姿勢を正して畏まってしまう。

 

「でも本当に良かった、意識を取り戻されて…。ムラサメ様も、一安心できたのではありませんか?」

 

「まあな。血だらけのご主人を見つけた時には、肝を冷やしたぞ」

 

「…ん?」

 

 鋭い表情から一転、安堵の息を漏らしながら言う常陸さんとムラサメちゃんに違和感を覚える。

 

 今この瞬間、二人の間で会話が成立したように聞こえた。もしかして─────

 

「常陸さんって、もしかして…」

 

「茉子も私と同じように、ムラサメ様が見えているんです」

 

 俺の言葉を引き継いでそう語ったのは、朝武さんだった。

 口を開いた朝武さんに向けていた視線を常陸さんに向けると、常陸さんは無言で一度、こくりと頷いた。

 

「…ムラサメちゃんが見える人って意外と多い?」

 

「そんな事はない。少なくともこの周辺には、ご主人を除けば芳乃と茉子だけだ」

 

 今、ムラサメちゃんは多分わざと若狭の名前を出さなかった。

 それが若狭の希望だからなのか。

 

 しかし、ムラサメちゃん曰く若狭は以前穂織に住んでいて、その頃はムラサメちゃんを見る事が出来なかったという。

 そして若狭曰く、陰陽師としての修行を積んだ結果、ムラサメちゃんを見る事が出来るようになったという風な事を言っていたのだから─────ムラサメちゃんはそんな事はないと言ったが、案外ムラサメちゃんを見る事が出来る人は多いのかもしれない。

 

「…ご主人は少々勘違いしているようだな。まあ、後で説明してやるか」

 

「?」

 

 ムラサメちゃんが言っている事の意味が分からず、俺だけでなく常陸さんも一緒に首を傾げる。

 

 しかしただ一人、朝武さんだけはどこか深刻そうな顔をで俺を見ていた。

 

「有地さん。本当に…傷は大丈夫なんですか?」

 

「え?うん、さっきも言ったけどちょっと痛むけどゆっくりでなら肩も動かせるし、大丈夫だと─────っ!?」

 

「有地さん!?」

 

 さっきの常陸さんの問い掛けと同じ事を繰り返した朝武さんに、右肩を動かしながら答えようとした。

 でも、自分でゆっくりでなら肩を動かせるとか言いながらどうやら速く動かしすぎたらしく、右肩から鋭い痛みが奔って言葉が途切れてしまう。

 

 その様子に心配した朝武さんが慌ててこちらに来た。

 

「痛むんですか?」

 

「いや…大丈夫。動かさなければ、こうやって触られてても何とも─────」

 

 ない、と言おうとした。朝武さんの問い掛けに、最後に何ともないと答えようとしたんだ。

 

 朝武さんの頭についたあり得ないものを見るまでは。

 

「…」

 

 ぴょこん、と白い獣耳が生えている。

 あり得ない。人間に獣耳が生えているなんてあり得ない。いやまさか、コスプレか?

 いやいやいや、わざわざ獣耳のコスプレをつけて怪我人の様子を見に来る人なんているか?

 それなら、何だ。朝武さんは目にも留まらぬ速さでコスプレをしたとでもいうのか?

 

 いやいやいやいやいや。

 

「─────」

 

 ごしごし、と目を擦る。が、朝武さんの頭についた獣耳は相変わらず見えたままだ。

 

「───────」

 

 パンパン、と両手で頬を叩く。なお、獣耳は見えたまま。

 

「有地さん…、どうかしたんですか?」

 

「いや。朝武さんの頭にあり得ないものが見えてる気がして」

 

「あり得ないもの…?」

 

 きょとん、としながら朝武さんは両手で頭に触れる。ちょうど獣耳が生えている場所だ。

 

 何その仕草、ちょっと可愛い。

 

「…」

 

 朝武さんの両手が獣耳に触れて、さわさわと、もみもみと、その存在を確かめるように両手が動く。

 

 そして─────

 

「…幻です」

 

「え?」

 

「有地さんは夢を見ているんです。なので今すぐ寝てしまいましょう」

 

「幻なの?夢なの?あと、最後のはおかしい絶対におかしい」

 

「茉子、有地さんは疲れていらっしゃるみたいだからあて身で寝かせてあげて」

 

「おかしい!今の朝武さんは絶対におかしい!常陸さん、ムラサメちゃん、何とかして!」

 

 朝武さんの目に光がなくなっている気がする。というか、寝かせてあげてをそのままの意味で捉えられないのは俺の被害妄想かな?

 

「ご主人の右肩に触れたのが原因であろう。祟り神の穢れに触れた部分だからな」

 

「祟り神…穢れ…」

 

 朝武さんが、あれでもなくてそれでもなくてこれでもなくて、とあたふたしているのを他所に、ムラサメちゃんが俺の知らない言葉を用いて説明を始める。

 

「その獣耳は…その祟り神と穢れっていうのに関係があるのか?」

 

「やはりご主人にも見えるか。…芳乃。こうなってはもう、ご主人にも話しておくべきだと思うぞ。祟り神と関わりを持ってしまった以上、何も知らない方が危険だ」

 

「…」

 

 さっきまであたふたしていた朝武さんは、ムラサメちゃんの台詞を聞くとぴたりと動きを止めて、何やら思案している表情になる。

 

「芳乃様。ここはムラサメ様の言う通り、事情を説明しておいた方が…」

 

「僕もそう思うよ」

 

 ムラサメ様の提案に賛成して口を開いた常陸さんに続いて、新たにこの場にやって来た朝武さんの父、安晴さんもまた事情というものを俺に説明する事に賛成の意を表した。

 

「お父さん…」

 

「盗み聞きをするじゃなかったんだが…茉子くんの声が聞こえてしまってね。でも…、僕も将臣くんに事情を説明すべきだと思う。彼はもう、祟り神と関わりを持ってしまっている」

 

 確か、安晴さんはムラサメちゃんの事を見えていない筈だ。しかし、安晴さんはムラサメちゃんと全く同じ事を言った。

 そしてそれに朝武さんも気付いているだろう。だから、だろうか。

 

「…分かりました。ですが、必要最低限の事だけです。…私だって、今の有地さんが何も知らないままでいる方が危険だって、分かります」

 

 朝武さんは決して歓迎している様子ではないものの、思いの外あっさりと三人の提案に承諾した。

 

 そして俺達は場所を居間へと移動して、俺は安晴さんから事情─────祟り神と呪詛というものについて。

 あの山で出会った黒い塊についても含めて、説明を受ける事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有地が安晴おじさんから朝武にかけられた呪い、その一端について説明を受けている。

 安晴おじさんの説明を聞いて、有地が時折浮かんだ疑問を口にし、安晴おじさんが答える。

 

 その会話を、俺は一昨日に神社の本殿にて使った術で姿を隠して盗み聞いていた。

 

 ムラサメ様に口止めをしておいたとはいえ、万が一を考えてこの家に侵入して様子を観察していたのだが─────来ておいて良かった。ムラサメ様は、有地にだけは俺についての説明をするという選択をとってしまった。

 

 まあ仕方ない。あの日、有地の顔を見に行くという選択をとった、元を辿ればあれさえなければここまでややこしくはならなかった。

 あそこで有地とムラサメ様と関わりを持たなければ、昨日有地を助けたのも()()()()ではなくまた別の、謎の人物として片付けられたかもしれない。

 

 これはもう、仕方ないかな。有地に事情を説明して、その上で口止めをした方が確実かもしれない。

 

 そんな事を考えながら、安晴おじさんの有地に対する説明を俺も一緒に聞く。

 

 まず、安晴おじさんが語ったのは穂織に伝わる伝承は事実と異なる部分こそあるが、叢雨丸とその担い手によって退治された妖は実在したという事。

 伝承というのは、よくある昔話だ。昔、穂織の地を支配しようと企む妖がいて、その妖を叢雨丸とその担い手が退治したという、まあ簡単に要約すればそんなお話だ。

 

 だが、この話には続きがある。退治された妖は、今際の際に呪詛を残した。その呪詛の一部が、あの山で有地を襲った祟り神と呼ばれる黒い塊だ。

 

 そして、さっき祟り神を呪詛の一部といったが…そう、妖が残した呪詛はあの祟り神が全てという訳ではない。

 そう、芳乃に生えたあの獣耳だ。あの獣耳は妖が朝武にかけた呪いによるもので、代々朝武の直系の者は例外なく呪詛によって呪われ、あの獣耳と共に運命を共にする事となる。

 

 今はいい。今はまだ、ムラサメ様を見れる人─────この場で言えば俺や有地、茉子とムラサメ様くらいしかその耳は見えない。その段階ならばまだ大丈夫だ。

 しかし、耳はやがて誰にでも見えるようになり、そしてそうなってしまえば近い内に─────

 

「っ…」

 

 その結末を想像し、恐怖によって途切れかけた集中を繋ぎとめる。危うく術が解ける所だった。

 

 させない、そんな事にはさせない。そのために俺は戻ってきたのだ。

 そのために、何度も地獄を見ながら、あの場所で修業を積んできたのだから。

 

 先程の話の続きになるが、獣耳は呪詛の力が強まると出現する。つまり何が言いたいかというと、あの山で祟り神が発生すると、獣耳が出現するのだ。

 今回の獣耳の出現は呪詛に触れた有地の右肩に芳乃が触れてしまったために起きた()()()()()()のために、すでに芳乃の頭から獣耳は()()()()()

 

 発生した祟り神は俺が消したのだから、一時的なものでなくては困るのだが。

 

「そういえば…、有地様は祟り神に襲われたんですよね?」

 

「え?うん、そうだよ」

 

「つまり、祟り神は現れたという事、ですよね?」

 

「?そうなんじゃない?」

 

「どうしたの、茉子?何が言いたいの?」

 

 不意に茉子が何やら怪訝な表情をしながら口を開いた。

 有地は祟り神に襲われたのも、祟り神が現れたのも、とっくに茉子は知っている。それを今更確認し始めて、何を考えて─────いや待て、何だ今の違和感は。

 途轍もなく大事な何かを見落としている。取り返しのつかない何かを見落としている。そんな気がする。

 

 何だ、何を見落としている?俺は…何を…?

 

「…祟り神は山で発生している。それなのにどうして、芳乃様の耳は消えたのでしょう?」

 

「「「「あ…」」」」

 

 あ、やべ。俺、やらかしたかもしれん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




陽明君はうっかり


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第六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいずずずずずずずまままままままま─────

 

 何がまずいって、この状況に対して全く対処しようがないのがまずい。

 だってこれ、俺が何か行動を起こせばどうあがいても俺の存在がバレる。そうならない様にするために有地とムラサメ様、玄十郎のじいさんにも口止めをお願いしたというのに。

 

 いやホント、これどうすりゃいいんだ。あの時有地を助けたのがまずかったのか?

 馬鹿か、んな訳ないだろ。祟り神に襲われてる有地を見捨てる方がまずいに決まってるだろ。

 ただあそこで助けに入り、祟り神を消したからこうなってる訳で─────あ、消したのがまずかったのか!消さずに弱らせて逃がせば良かったのか!

 んな殺生な!あの場面でそこまで頭を回せるか馬鹿野郎!

 

「芳乃の耳が消えているって…どういう事だい?」

 

「有地様の右肩…呪詛に触れた部分に触った事を切っ掛けに先程、芳乃様の頭に耳が生えました。ですが今、その耳は消えているんです」

 

「将臣くんを襲った祟り神が原因…いや、今、茉子くんは芳乃の耳は消えたって…。つまり、祟り神はもういない…?」

 

「もしそうだとすれば、一体誰が祟り神を払ったのでしょう…」

 

 ああああああああああああああああああああああああ!

 何やってんだよ馬鹿、阿呆、茉子!スルーしてくれよ!そこで鋭さを発揮するなよ!

 

「有地様は祟り神に襲われて気を失ったのですから除外して…、ムラサメ様?」

 

「い、いや…。吾輩だけでは祟り神は祓えん。それは茉子と芳乃が一番分かっている筈だ」

 

「そう、ですよね…」

 

 ちょっと、そこで吾輩がやった!とか言ってくれれば良かったのに!

 

 い、いや落ち着け。ムラサメ様が単体で祟り神を払えるならわざわざ芳乃やおばさん達、巫女姫達が祟り神を祓いに行く必要は皆無。

 流石にムラサメ様がやった理論は無理がありすぎる。簡単に破綻する。

 

 あー、どうすればいいんだ!?もういっそ、ここで謎の男陰陽師として登場すればいいか?

 初め、ムラサメ様も俺の顔見ても気付かなかったし、案外いけるんじゃないか?

 

「…もしかしたら、発生した祟り神の力が弱かったのかもしれん」

 

 思考が混乱の極みに達しようとしたその時、ムラサメ様が口を開いた。

 

 皆の視線が一斉にムラサメ様に集まり、俺もまた例に漏れずムラサメ様へ視線を向ける。

 

「祟り神が出現した。そこまではいつも通りだが…、その祟り神を形成する呪詛が何らかの理由で足りず、永続的に祟り神の形を保てなかった」

 

「それは…」

 

「以前にも同じ事が?」

 

「いや、こんな事はこれまで一度もなかった。だが…祟り神を払う前に芳乃に生えた耳が消えた。つまり、何らかの理由で祟り神が消えたという事は間違いない。予想…というよりこじつけにも近いが、今この場で考えられる理由としてはこれくらいだ」

 

 無理がある。無理があるが…事情を知らない芳乃と茉子、安晴おじさんからすればどう聞こえるか。

 ムラサメ様がでっち上げた理由も、正しく聞こえているに違いない。

 

「それに、一つだけ確かな事がある」

 

「…それは、一体」

 

「今、この周辺で祟り神を祓えるのは芳乃と茉子、そしてご主人だけだ」

 

「え?俺も?」

 

「叢雨丸を使えばご主人にも祟り神を祓う事はできる。…話がずれたが、とにかくこの三人の誰も祟り神を祓ってないというのなら、祟り神は自然消滅したと考えるしかない」

 

 おー…、口から出まかせを吐いているというのにこの説得力。流石はムラサメ様。

 

「そう、なんでしょうか…」

 

「吾輩が言ったのは単なる予測だ。念のために、今夜は山に探索に行った方が良いであろうな」

 

「…そうですね。お父さん。今夜、私と茉子で本当に祟り神が消えたのか確かめに行ってきます」

 

「そうか…。うん、その方が良いだろうね。頼むよ芳乃、茉子くん」

 

 まだ納得しきった様子ではないが、とりあえずの所、この場を誤魔化す事は出来た様で一安心だ。

 

 話は一区切りして、それぞれがそれぞれのやる事を始める。

 芳乃は今夜の探索に、祟り神がまだ消えていない場合の事を考えて本殿にて舞を。

 茉子は使用人として任されているこの家の家事を。安晴おじさんは神社の掃除を。

 

 そして、有地は一度自室に戻る事にしたらしく俺はその後を追う。

 

「祟り神に呪詛、か…」

 

「信じられぬか?」

 

「いや。…昨日の事がなかったり、朝武さんの耳を見ていなかったら多分信じられなかったんだろうけど」

 

 部屋に戻り、一息吐きながら呟く有地にムラサメ様が問い掛けると、有地は少し間を置いてから一度頭を振ってそう答える。

 

「信じてない…訳じゃないんだけど、ちょっと色々ありすぎて。もしかしたら今までの事は全部夢で、目が覚めたら俺の家のベッドの上…なんて事もあるんじゃないかって考えてた」

 

「まあ、気持ちは分かる。有地は最近まで何も知らない一般人だったのにな。お前の言う通り、色々ありすぎた」

 

「ホントにな…。この町に来る前の俺に教えても絶対信じないだろうな…ん?」

 

 しみじみと言う有地に同意を示す。すると有地は俺の台詞にこれまたしみじみと返事を返し、そして明らかにこの会話の中でおかしな点に気付いて固まった。

 

 有地だけではない。ムラサメ様も目を丸くして固まり、そして二人は同時に勢いよく声がした方、つまり俺の方へと振り返った。

 

「わ…わか─────」

 

「おっと、驚くのは仕方ないが大声を上げるのだけはやめてくれ。誰かがここに来る」

 

「─────」

 

 驚きつつ辛うじて冷静さは残っていたらしく、俺がそう言うと有地は大声を上げかけた口を閉じてこくこくと頷いた。

 

「陽明…。お主、さっきの話を聞いておったな?」

 

「祟り神と呪詛の説明だけじゃありませんよ。有地が目を覚ましてからの会話を全部、最初から聞いていました」

 

「え…」

 

 俺の最初から話を聞いてた宣言を前に呆然とする有地を他所に、俺はムラサメ様に視線を向ける。

 

「困りますよ、ムラサメ様。俺の事は誰にも言わないよう口止めした筈です」

 

「お主が帰ってきた事を芳乃達に知らせないよう口止めは受けたが、お主についてご主人に話すなという口止めを受けた覚えはないのう」

 

「…」

 

 ムラサメ様に何も言い返せない。というより、よく考えれば明確に俺の事は誰にも話すなと口止めはしていない気がする。

 

「まあ、有地には少し自己紹介も兼ねて、俺の事を話そうと思ってたんですけどね」

 

「む?」

 

 意外なものを見る顔になるムラサメ様。きっと、意地でも俺が自分について語らないと思っていたのだろう。

 

 だがまあ、何も知らないで口止めをするというのも少々フェアじゃない気がする。

 それに、少しでも事情を知って貰った上で口止めをした方が確実性が上がるかもしれない。

 

「若狭の事って…」

 

「まあ、あれだな。俺がこの町に戻ってきた理由とか…何で芳乃と会いたくないのか、とかかな」

 

「─────」

 

「さて、と。何から話したもんかな…。俺が昔、穂織に住んでた事はもう知ってるよな」

 

「あ、あぁ」

 

 有地を横目で見ながら確認すると、有地はおずおずといった様子で頷く。

 それなら─────

 

「俺が穂織を出たのは五年前なんだが…、それまで穂織に住んでいた。その時、まあ…よく世話になってた人達がいてな」

 

「…それって」

 

「ん。…芳乃のお父さんとお母さんだよ。芳乃とも…茉子とも、よく一緒に遊んでた」

 

 当時の芳乃は今と違ってかなりお転婆で、口調も今みたいな丁寧なものではなかった。

 茉子は…正直あまり変わっていないな。芳乃の事が大好きで、何よりも芳乃を優先して、でもたまに悪戯好きな性格が暴れて俺と芳乃を揶揄ったりして。

 

 そう、あの頃は本当に楽しかった。毎日のように俺の家か芳乃の家で遊んで、たまにどちらかの家で泊まったりもして。

 本当に─────毎日が楽しかった。

 

「だが俺は、穂織を出る事に決めた」

 

「決めた…って」

 

 そう、穂織を出たのは俺の意思。よくある親の仕事の都合で引っ越しする、という理由で穂織を出たのではない。

 

「俺は、朝武にかけられた呪いを解きたかった。そのための力を手に入れるために、俺は京都にある本家で修業をする事にした」

 

「本家…?」

 

「あぁ…。若狭が陰陽師の家系っていうのは話したよな。その家系の本流の屋敷が京都にあって、若狭家ってのは分家で…って、話が長くなるからこの話はいつかだな」

 

 若狭家とその周辺の話だったり、そういった話をしだすと本当に長くなるのでそこは割愛する。

 

「とにかく、一通り修行を終えてここに戻ってきたのはさっきも言った通り朝武にかけられた呪いを解くためだ」

 

「…でも、それで何で朝武さんに会いたくないって話になるんだ?ていうか…若狭ってもしかしなくても…」

 

「ん?なんだよ」

 

 不意に有地の表情が気まずそうなものへと変わる。いきなりどうしたのか、不思議に思っているとおずおずと有地は口を開いた。

 

「朝武さんの事…好きだったりするのか…?」

 

「─────」

 

 そして有地の口からは、そんな質問が飛び出してきた。

 思わず目を瞠って呆気に取られてしまう。

 

 でも、そうか。そう思うのも当然か。それに、間違いでもないしな。

 

「…そうだ」

 

「─────」

 

 一言、そう肯定すると今度は有地が目を瞠る。

 そして何事か、さぁーっと有地の顔色が青くなりわなわなと震え始めた。

 

「な、なんだ。どうした?」

 

「お、おれ…。別に本気でそうなってる訳じゃないから!」

 

「はぁ?」

 

 かと思うと、いきなり訳の分からない言い訳を始めた。ついつい語尾を上げて声を上げてしまう。

 

「こ、婚約者の件はあれだから!押し付けられたというか…あぁいや!別に朝武さんが不満って訳じゃあないんだが!」

 

「あー、分かった。分かったから落ち着け、大声を出すな」

 

 続けられた有地の言い訳(?)を聞いて、有地が俺に伝えたい事を察する。

 要するに、俺の恋敵になるつもりはないと言いたいのだろう。

 

「別に構わんぞ。お前が芳乃を本気で好きになっても」

 

「へ?」

 

「それで芳乃もお前の事を好きになって…、それでお前らが本当に結婚したとしても俺は構わん。芳乃が本当に幸せになるんならな」

 

「…」

 

 有地の目が丸くなる。何を驚いているのかは知らんが、俺はそんな驚く様な事を言っただろうか?

 

「…若狭、お前─────いや、それは今はいいや。さっきの話の続きだけど、お前がどうして朝武さんに会いたくないのかまだ分からない。朝武さんの事が好きなら会いに行けばいいじゃないか。それに朝武さんだって、昔の友達が帰って来たって知ったらきっと喜ぶぞ」

 

「…どうだろうな。俺は芳乃との約束を破ったから」

 

「約束?」

 

 有地が言うような光景を、俺を見つけて笑う芳乃の顔を想像した事は何度もある。その度にもしかしたら、と思い続けてきた。

 もしかしたら本当に、俺が帰ってきた事を芳乃は喜んでくれるかもしれない、と。

 

 だがその度に脳裏を過るのだ。『お前は芳乃との約束を破ったんだぞ』という、俺を戒める声が。

 

「芳乃と別れる時にな。()()()()()って約束をしたんだよ。でも、結局帰ってくるまでに五年も掛かっちまった」

 

「…ん?」

 

「すぐに帰ってこれるって甘い考え持ってた当時の俺を殴ってやりたい…。マジで黒歴史ばっかだよ、子供の頃の俺は…」

 

「…えっと?」

 

 ホント、どうしてあんな軽はずみな約束をしてしまったのだろう。

 芳乃がどれくらいその約束について重きを置いていたかは分からないけど…少なくとも、約束をしてすぐの頃は俺がすぐに帰ってくると信じて待っていた筈だ。…多分。

 

 俺が怖いのは、芳乃に約束を破った事を詰られる事。でもそれ以上に怖いのは─────約束自体を忘れられているかもしれない事。

 

 後者については口に出さない。有地に教える必要もないし…まあ、ムラサメ様には何となく悟られている感はあるが。

 

「別に気にする程じゃないんじゃないかなーって…思ったり思わなかったり…」

 

「は?」

 

「言ってやるな、ご主人。…こ奴は少々約束というものを絶対視しすぎているようじゃ」

 

 何だよこの二人。まるで俺がおかしいみたいな口振りで話しやがって。

 

「五年って、すぐの分類でいいと思うんじゃがの」

 

「それはムラサメ様が長生きだからそう感じるんですよ」

 

「おい陽明。誰がBBAじゃ」

 

「言ってない、そんな事は誰も言ってないですよムラサメ様」

 

 いや確かに少し失礼な事を言ってしまったが、流石にBBAは曲解しすぎですよムラサメ様。

 そこまでは言ってないです、そこまでは。

 

「…とにかくご主人。こ奴の頑固さは芳乃と良い勝負だから何を言っても恐らく無駄に終わるぞ」

 

「え、そこまで?」

 

 いや、流石に芳乃程じゃないんじゃないか?芳乃は昔からかなり頑固で、その頑固さに困らされた事もあった。

 出会ったばかりの有地ですら芳乃の頑固さを実感している様子。俺もまあ…頑固な方だとは思うが、芳乃程じゃないと思う。

 

「いや、陽明もなかなかじゃぞ」

 

「ムラサメ様、心を読まないでください」

 

 ムラサメ様に釘を刺された。ていうか、そこまでか。

 芳乃の頑固さを知っているからこそ、他人の評価を聞いて少し驚く。

 

「そこまでじゃないと思うんですがね」

 

「それなら、約束の事に拘らず芳乃に会ってきたらどうだ」

 

「駄目です」

 

「ほらの」

 

 何がほら、なんだ。全くもって意味が分からない。

 

「うぉっほん。とにかくだ有地、俺が芳乃と会いたくない理由は分かったな?」

 

「いや、分かんねぇよ。まあ、俺が変に出しゃばってややこしい事になるのは嫌だからお前の事は言わないよ」

 

 とりあえず、有地が口止めを受け入れてくれたのは良かった。

 ただその前の一言が解せない。何故分からない。約束を破った俺には(以下略

 

「…とにかく、有地が俺の事を誰かに漏らさないならそれでいい。頼むぞ」

 

「…なあ、さっきお前の事を言わないって言っておいてあれだけど、朝武さん達とお前が協力したら、楽に祟り神を払えるんじゃないか?」

 

「…祟り神は芳乃と茉子がいれば大丈夫だ。叢雨丸もあるしな」

 

 有地の問い掛けに答えながら俺は部屋の出口、障子の前まで歩き、そこで立ち止まってから振り返る。

 

「呪詛の方は俺が調べる。祟り神についても…出来る範囲でサポートするさ」

 

 そう有地に言い残してから、俺は札を取り出して姿と気配を隠匿する術を行使して部屋を出る。

 

 左右を見つつ、周囲の気配を探って近くに有地とムラサメ様以外の人物がいない事を確認してから、音を立てないよう静かに障子を閉める。

 家の中で家事をしている茉子に気を付けながら、玄関に隠しておいた靴を履いて、静かに家を出る。

 

 外に出てから足早に朝武家の敷地を抜けて住宅街へと出る。

 そこから更に数分、朝武家から離れてからもう一度周囲に人がいない事を確かめてから隠匿の術を解く。

 

「…とりあえず、俺の存在がバレる事はなさそうだな」

 

 あまり俺の話に納得した様子はなかったが、俺の事を周囲に話さないと約束はしてくれたからそこはスルーする。

 

 それじゃあ、朝武家にて目的は達した訳だから今度は俺の仕事をするとしよう。

 

 有地にも言った呪詛の調査。それを行う事とする。

 

「…ん?」

 

 呪詛の調査。昨日、山にて拾った謎の透明な、呪詛の気配を感じさせる欠片についてこれから調べる。

 

 懐から呪詛の気配を抑える丸めた札を取り出し、開く。そこに包んであるのは昨日、山で拾った三つの欠片。

 

 その筈だったのだが─────

 

「…あれ、二つ落とした?いやそんな筈は…それに、これは─────」

 

 昨日、確かに俺は三つの欠片をこの札で包んで仕事着の懐に入れておいた筈だ。

 それなのに何故か、札の上にあった欠片は一つだけ。しかも、その欠片は昨日見た時よりも─────

 

「大きくなってる?」

 

 明らかに昨日よりも大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういう事だ、これは…」

 

 一旦駒川の家に戻り、自室にて両腕を組んで俺は頭を悩ませていた。

 俺の目の前にあるのは一つの透明な欠片。見た感じ恐らく水晶の欠片と思われるそれをじーっと見つめて思考を働かせる。

 

「三つあった筈の欠片が一つに減った。しかも、その欠片のサイズが大きくなっている所を見ると─────」

 

 これらの要素から導かれる予測は、俺が拾った三つの欠片が一つに合わさったというものである。

 

「面白いな…。本家の専門家に見せたら飛び付いてくるだろうな、これは」

 

 何らかの妖力に影響された欠片が一つになった。そういった系統を専門としていない俺でも研究心が擽られるのだから、研究専門の者からすればさぞ調べ甲斐のある代物だろう。

 

 だが─────

 

「呪詛と祟り神に関係ない…訳ないよな」

 

 大体この欠片を見つけた切っ掛けがポチがこの欠片から呪詛の気配を感じた事だからな。祟り神に関係ない筈がない。

 しかし、この欠片が呪詛と、祟り神とどういった関係があるのかまではこの段階ではさっぱりである。

 

 とりあえず色々と試してみたい。他に同じような欠片があったとして、また一つになり大きくなるのか。

 この大きくなった欠片をまた割ってみたらどうなるのか。

 

 そして、この欠片の形状からすると割られる前は小さな球体の形をしていた筈。元の形に戻した時、こいつはどうなるのか。

 

「…とりあえず」

 

 とりあえず、何から調べるにしてもこの場所は止めたほうがいいだろう。仮に何か起こった時、俺はともかくこの家が、駒川が巻き込まれる可能性がある。

 それなら俺以外誰もいない場所─────やはり、建実神社の裏山が丁度いいかもしれない。

 

「なんだって俺はここに戻ってきたのやら…」

 

 ほぼとんぼ返りする形になった事に溜息を吐きながら、テーブルの上に載せていた欠片を掴んでポケットの中に。

 再び仕事着に身を包んで立ち上がり、外へと出て山へと向かう。

 

 今日、芳乃と茉子が祟り神は本当に消えているのかの調査に山へ入る予定だが、恐らく二人が山へ入るのは夜になる。

 昼過ぎである今なら二人と鉢合わせになる可能性は少ないだろう。善は急げだ、とっとと山へと急ぐ。

 

「という事で山に来てみたが…」

 

 建実神社のすぐ傍の道を誰にも見つからないよう注意しながら通り抜けて山へと入る。

 山に入った途端、確かな呪詛の気配が身を襲うが躊躇う事なく森の奥へと足を踏み入れる。

 

 その際に、懐から出したあの欠片を掌に載せて何か変化はないかと注視するが特に何事も起きない。

 集めた欠片がまだ三つで、力が弱いからだろうか。欠片が散らばっている山の中に入れば何か起こると思っていたのだが─────

 

 いや、何も起きないのなら仕方ない。それならそれで、元々今日に山でやろうとしていた予定を実行するまで。

 

『何用でございますか、主』

 

 そうして懐から一枚の札を取り出し、召喚したのは犬型の式神ポチである。

 俺はポチにあの欠片を集めたいとの旨を伝えてから、欠片の気配を探るよう命じる。

 

 昨日と同じ要領で欠片を探す。昨日と一つだけ違うのは、昨日は見つけた欠片を呪詛の気配を通さない札に包んで保管していたのだが、今日は拾った欠片を元々持っていた欠片に近付けてみた。

 その結果どうなったかというと─────二つの欠片は光を発し、一つになった。

 

「まあ、見ての通りだ」

 

『こんな事が…』

 

 今起きた現象を目の当たりにして驚愕するポチ。

 

『…主はこのまま欠片を集めるおつもりでしょうか?』

 

「まあ、今のところはな」

 

 そしてこれからの方針について問いかけてきたポチに頷きながら肯定の答えを返すと、ポチは僅かに逡巡の表情を浮かべてから再び口を開いた。

 

『主。欠片を集めるという事はつまり、呪詛の力を強める事になってしまうのではないですか?』

 

「…だろうな」

 

『現に、その欠片から感じられる力の気配は大きくなっております。このまま欠片を集め、元の形に復元できたとして─────何が起こるか、分かりません』

 

 ポチの言う通り、欠片を集めるのに際してそういった懸念はある。

 

 まだこの欠片の正体は分からないが、祟り神と呪詛と何らかの関係があるのは間違いない。ポチと同じく、欠片を集め、一つにしていく毎に欠片から発せられる気配が大きくなっているのを俺も感じる。

 

 しかし、祟りを解く方法に見当がついていない現状でようやく見つけた手掛かりなのだ。多少のリスクも冒さなければ、この手掛かりを手放す訳にはいかない。

 

「…さっきも言ったが、しばらくは欠片を集める方針でいく。その中でもし何らかの危険を感じれば、方針を変えるのも視野に入れる」

 

『…申し訳ありません。出過ぎた事を申しました』

 

「気にするな。お前の言っている事は正しい」

 

 ポチの言っている事は正しい。俺も、以前までなら慎重を期していたかもしれない。

 

 だが…()()()()()()()からまだ時間に多少余裕は残されていると思うが、いつ何が起こるかは分からない。何かが起こってからでは遅いのだ。

 もし、芳乃とのもう一つの約束まで破る事になってしまえば俺は─────

 

 …違う。そんな事を考えるな。そうしないために俺は五年間、何をしてきたのだ。

 あの地獄のような場所で力を蓄えてきたんじゃないのか。大丈夫だ、間に合う。いや…間に合わせてみせる。

 

「…そうだ」

 

 胸の中に湧いたマイナス志向の考えを振り払い、ふと思う。

 頭の中に浮かんだのは、自室にて考えていたこの欠片について調べるための様々な手段だ。

 

 今実行している欠片の収集や、この欠片を再び割る、俺の妖力で欠片を刺激してみる等、自室では周囲を巻き込む危険を考えて出来なかった事もここでなら出来る。

 

「よし、早速だ。まず、欠片を割ってみるか」

 

 欠片の収集は論外、妖力による刺激もいつ反応が出るか分からない。すぐに反応が出てきてくれれば良いが、なかなか反応が出てきてくれなかった場合はそれなりの時間を要するかもしれない。

 それならば手っ取り早く実行できる、欠片を割るという手段を選ぶ。

 

「そーい─────」

 

 間抜けた掛け声とともに、ちょうど近くにあった手頃な岩に欠片を叩き付けようとする。

 

「─────っ!」

 

 その時だった。欠片が急に熱くなった。堪らず欠片を投げようとした腕の動きを止め、掌に掴んでいた欠片を地面に落としてしまう。

 

『主!』

 

「分かってる。どうやら、この方法はとるべきじゃなかったみたいだな」

 

 ポチが警告の声に、地面に落とした欠片から視線を外さないまま答える。

 

 地面に落ちた欠片は赤く明滅していた。しかも次第に、明滅の間隔は短く、輝きは増していく。

 それだけじゃない。欠片から感じていた気配が急激に大きくなり、それに伴い欠片から巨大な呪詛の気配を感じるようになる。

 

「…マジか」

 

 目の前で起こる現象に思わず声を漏らす。

 

 赤く明滅する欠片から突如、黒い泥が漏れ出した。

 漏れ出した泥は周囲に広がり、次第に俺とポチがいる足元へと迫ってくる。

 即座に俺とポチはその場から後方へ跳躍して距離をとる。

 

 距離をとってからも漏れ出した泥の様子を窺う。広がり続けていた泥の勢いはやがて収まりを見せ、少しの間静寂が辺りを包む。

 そんな中でも、時折泥はごぽり、と泡立ち、まだこの何らかの現象は終わっていないと予感させられる。

 

 そして、その予感は間違いではなかった。

 

 不意に泥が浮き上がり、空中にて球体の形をとる。

 手っ取り早くここで泥を払っておけば良かったのだが、もしかしたらあの欠片の正体が分かる、或いは手掛かりが掴めるかもしれないという小さな欲が俺の動きを留めていた。

 

 だがその行動は正解だった。何故なら、空中で球体を形取っていた泥はやがて変形し、祟り神となって地面に降り立ったのだから。

 

「…祟り神と関係あるだろうとは思っていたが」

 

 まさか、欠片が祟り神を産み出すとは。

 つまりあの欠片は祟り神の母体、という事なのだろうか?だがそれにしては祟り神が発生する()()()()()に違和感を覚える。

 欠片が祟り神を産み出せるのなら、もっと早く、それこそ俺が欠片を拾ったあの時点で祟り神を産むべきではなかったのか。

 

 いや─────それこそ今この瞬間、山に散らばっているであろう全ての欠片が祟り神を産み出せば、望み通り朝武を滅ぼすのは容易い筈。

 

 それに今祟り神が発生したこのタイミング。まるで、俺が()()()()()のを止めさせようとしている様─────

 

『主っ!』

 

「うおっと…」

 

 ポチの大声が耳に入ったと同時、思考に沈んでいた意識が引き戻される。

 それと同時に目の前の視界がクリアになり、すぐ眼前まで泥の触手が迫っているのにようやく気付く。

 

 ポチの警告に感謝をしながら、首を傾けて触手を回避してその場から飛び退く。

 危ない、考えるのはこいつを消してからにしなければ。

 

 さて、それでは武器は何を選択するか。周りは木が生い茂り、言うなれば障害物だらけである。

 こんな環境で御手杵は使えない。いや、全力で御手杵を開放すれば周囲の木を薙ぎ倒しながら戦う事も出来るが─────後始末が面倒くさい。多分、後で森に入るであろう芳乃と茉子に見つかってまたもや第三者の存在を疑われる。

 

 じゃあ残る武器は()()しかないのだが…、正直あれは考えるまでもない。論外である。使えば間違いなく御手杵を全開放した時以上の被害が出る。

 あれ、そう考えたら俺の武器って周囲の環境に優しくないものばかりじゃん。もっと小回りの利く武器を作っとけば良かった。

 

 後悔は先に立たず、今それを悔いても仕方がない。武器が使えないのなら仕方ない。

 懐から一枚のお札を取り出す。武器が使えないのなら、久しぶりに徒手空拳で戦うとしよう(大嘘)。

 

「ふっ─────」

 

 再び迫る触手を身を翻して躱す。

 躱しながら、手に持っていた札を体のすぐ横を通り過ぎていく触手に張り付ける。

 

『─────っ─────!!?』

 

 今、俺が祟り神の触手に張り付けた札は封印の札。そこらの妖であれば、体のどこかに張り付けただけでたちまち札の中に肉体を封印される、それ程の代物である。

 

 だが、祟り神は札の中に封印はされない。ただ、札を張られた直後からぴたりと動きを止める。

 札の中に込められた妖力に今、祟り神は抗っているのだ。この札に込めた妖力は祟り神を中に封じ込めようとし、それに対して祟り神は封じられまいと抗っている。

 動けないのは抵抗するのに精一杯だからだ。少しでも抵抗する力を弱めれば封印されかねない。

 

 だからこそ今、祟り神はその場から身動きが取れない。

 

「動かない的を相手に、振り回す必要はないからな」

 

 相手が動けないのなら、振り回す必要はない。俺は御手杵を呼び出し、穂先を祟り神に向け、その体に突き入れる。

 

 泥のような体は崩れて消えていく。それと同時に、先程まで祟り神がいた場所にコロッ、とあの欠片が転がる。

 地面に落ちた欠片を拾い上げ、じっと見つめる。

 

 気配はある。だが、あのおぞましいまでの呪詛の気配は消えていた。

 

『お疲れ様でした、主』

 

 戦闘中、待機をしていたポチが労いの言葉を発しながら歩み寄ってくる。

 ポチは戦闘タイプの式神ではない。全く戦闘が出来ないという訳ではないが─────祟り神が相手だと流石に危険だろう。

 というより、俺が持っている式神に戦闘タイプのものはない。ポチのような感知タイプかサポートタイプの式神しか持ち合わせていない。俺は武闘派の陰陽師なのだ。

 

「…結局、何だったのやら」

 

 拾い上げた欠片を見つめながら呟く。

 

 本当に今の現象は何だったのだろうか。…いや、仮説はある。仮説はあるのだが、飽くまで仮説だ。誰か…駒川かムラサメ様の意見が欲しい。

 駒川は今診療中で忙しいだろうし…、ムラサメ様はまだ有地と部屋にいるだろうか?いや流石にそれはないか。あいつ結構律儀そうだったし、多分境内の掃除とか手伝ってそう。

 

 それなら、駒川が家に帰ってきてから話をしてみるとしよう─────

 

 そう考えた直後、背後から足音が鳴った。

 

「誰だ!」

 

 俺と同じく背後で鳴った足音に反応したポチと一緒に振り返る。

 

 だが、視界には誰も映らない。神経を集中させて辺りの気配を探ってみるが、俺の感知には山中に広がる呪詛の気配しか引っ掛からない。

 

「…ポチ」

 

『申し訳ありません。私の感知にも、何も掛かりませぬ』

 

「お前もか…」

 

 ポチの感知制度は俺よりも数倍高い。そのポチが足音が聞こえる程度の距離にいる筈の気配を掴めないという事実に戦慄する。

 少なくとも、俺ではポチの感知を潜り抜ける事は出来ない。という事は、目の前にいる筈の何者かは俺よりも隠匿の技術は高いという事になる。

 

「…」

 

 相手からは何も仕掛けてこない。静寂の中、油断なく御手杵を構えて周囲の気配を探り続ける。

 

 どれだけ隠匿の技術が高くとも、何らかの攻撃術を行使すればその際には必ず空気の揺らぎが発生する。

 それさえ捉え損なわなければ相手の攻撃は捌く事が出来る。

 

「ポチ。巻き込んで悪いが、警戒を続けろ」

 

『承知』

 

 先程言ったがポチは戦闘タイプではない。だが、感知能力は俺以上のものを持っている。

 ならば、この状況でポチを戻す訳にはいかない。申し訳ないが、この戦闘には付き合ってもらう事にする。

 

 だが、俺とポチの警戒はこの後すぐ無駄になる事となる。何故なら、この後戦闘になる事はなかったからだ。

 

「…っ」

 

 再び聞こえてくる足音。足音はゆっくりとこちらに近付いてくる。

 

 そして、それだけではなかった。目の前で空間が僅かに揺らいだ。この現象を俺は知っている。

 これは、隠匿の術が解かれる際に起こる特有の現象だ。つまり、目の前の何者かは隠匿の術を解いたという事になる。

 

 何故、何故術を解く。何故、絶対的なアドバンテージを捨てるような真似をする。

 隠匿の術のみに特化した術師で、このまま戦闘に入っても敵わないと判断したのか、それとも俺に敵ではないというアピールをするためか。

 

 結論から言えば、俺が頭の中で考えた可能性のどれでもなかった。強いて言うなら後者が近いのだろうか。

 

「…なんで、お前がここにいる」

 

「…山の入り口で見張っていれば、祟り神を祓った誰かが通るかもしれないって思ったから」

 

 隠匿の術が解かれ、その術者の姿が露になる。

 露になった術者の姿を前にして、俺は呆然とするしかなかった。

 

「そしたら貴方が─────陽くんが現れて…山の中に入って行って…」

 

「それで、ついてきたって訳か…。だが、俺もポチも気配を掴めなかったのは─────」

 

 目の前の人物がここにいる理由は把握した。だが、素人の尾行に俺もポチも気が付かない筈がない。

 俺もポチも、背後から足音が聞こえてくるまで尾行されている事にも気が付かなかったのだ。

 

 あの隠匿の術は見事だった。だが、目の前の人物がそれを使ったとはどうしても考えられなかった。

 だからそれについて問い掛けようとして、その人物が手に握っていた札を見て、俺は理由を察した。

 

 その札は親父が作り、渡したもの。『もしいつか、君も祟り神を祓いに山へ入るようになったら役立ててくれ』と言葉を掛けながら、親父がその人物に渡したもの。

 

「あぁ…、それか」

 

 なるほど、その札の力を使ったのなら俺もポチも気配を掴めなかった事に納得ができる。

 

 しかし、まさか町に戻ってきてたかだか二日でバレてしまうとは。鞍馬のじいさんにも手回しをしておいてこの様か。

 我ながら笑えてくる。

 

「…色々言いたい事はあるけど、でも最初に言うね?」

 

「…なんだ」

 

「お帰り、陽くん」

 

 目の前のその人は、花が咲いたような笑顔を浮かべながらそう口にした。

 その笑顔は俺がずっと胸の内に抱いていた不安を一時忘れさせてくれるほど綺麗で、美しくて、可愛くて、魅力的だった。

 

「あぁ。ただいま、芳乃」

 

 俺もつられて微笑んでしまう。

 

 思わぬタイミングで、予定よりもかなり早いものとなってしまったが、まあこの人を欺こうとした罰と思って受け入れよう。

 

 ただいま、芳乃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の奥から来た道を引き返し、来た時にはいなかったもう一人と並んで歩く。

 欠片の気配を探るために喚んでいたポチはもう札に戻して懐にしまってある。なので、今ここを歩いているのは俺ともう一人、芳乃の二人だけだ。

 

 会話はない。辺りに響くのは二人分の足音だけ。その足音も、人が入ってきた形跡がある場所、道が整備されている所まで来ると響く程の音は鳴らなくなり、俺達の間では沈黙が流れていた。

 

「…」

 

 何も言わないまま隣を歩く芳乃をこっそりと横目で悟られぬよう、彼女の横顔を見る。

 

「…どうかしましたか?」

 

 注意をしたつもりだったが、ふと芳乃の視線がこちらを向く。

 サファイア色の瞳がこちらを向き、視線が交わる。

 

「いや…何でもない」

 

「…」

 

 芳乃の問い掛けに答えながら芳乃の横顔から視線を外して前を向く。

 

 そろそろ森の入り口が近い。朝武の─────芳乃の家が近い。

 

「ねぇ、陽くん…。どうして私に会いに来なかったの?」

 

「─────」

 

 視界に木々が途切れた箇所が見え始めた頃、芳乃が固い声質で俺に問い掛けた。

 

 足を止める。直後、隣から聞こえていた足音も止まる。

 

 芳乃が振り返り、再び視線が交わる。俺は何も言わないまま考える。芳乃の問い掛けに対する答えを。真実を語るのか、それとも誤魔化すのか。

 

「私との約束を…破ったからですか?」

 

 だが俺の思考は無駄でしかなく、俺の本心は芳乃には完全にお見通しだったらしい。

 

 つい笑みが零れる。

 芳乃との約束を破り、それを後ろめたく思い隠れてこの町に戻って一人で呪詛を何とかしようとして、その結果がこれだ。

 穂織に戻って高々二日であっさりと存在に気付かれ、しかもこんな回りくどい真似をした理由まで見抜かれて。

 

「…陽くんは帰ってきた。私は、それだけで嬉しいです。それだけで─────」

 

「俺は()()()、二度と約束を破らないと誓った。なのに俺は、また約束を破った。それも、芳乃との約束を」

 

 一番破りたくなかった人との約束を破ってしまった。

 だから俺は、もう一つの約束を果たすまで芳乃と再会する資格なんてないと思っていた。

 

 なのに芳乃は、こんなあっさりと俺の想像を越える行動を起こしてくれた。

 

「俺も、芳乃とまた会えて嬉しいさ。…ありがとう、芳乃」

 

 嬉しい、本当に嬉しい。その気持ちに嘘を吐く事は出来ない。

 だってずっと会いたいと思っていた。一日たりとも穂織での日々を、芳乃の事を思い出さない日はなかった。

 

「でも俺には芳乃と顔を会わす資格がないから」

 

「…」

 

 視線を切って歩き出す。

 

 嬉しかった。本当に。でも、再会はここで一旦お終い。次は今度こそ、約束を果たした時に─────

 

「ぐええぇっ」

 

 と、思っていたのに。背後から襟元を掴まれ足を止めさせられる。

 思いっきり首を絞められる形になり、喉から潰れたカエルのような声が漏れる。

 

「な─────なにすんだっ!」

 

 立ち止まった直後、襟から手が離されたのを悟るとすぐに振り返って芳乃に文句を吐く。

 

「資格って何ですか」

 

「…芳乃?」

 

「資格なんてありません。私に会いたいなら最初から来れば良かったんです。それをうじうじと…」

 

 振り返った俺をジト目で睨みながら、芳乃は頭を振ってから溜息混じりに続けた。

 

「バカですか?」

 

「ぐ…」

 

 ドストレートなディスリが胸に突き刺さる。

 え、芳乃がそこまでストレートにバカって言っちゃうほど俺っておかしい事してたのか?

 

「約束なんてどうでもいいんです。約束にこだわって陽くんが会いに来てくれないなら─────そんな約束は取り消しにしてやりますっ」

 

「─────」

 

 俺は二度、絶対に守ると心に決めていた筈の約束を破った事がある。だからこそ、残る最後の約束を守るまで芳乃には会わないと決めていたのに。

 

 そんな事を言われたら、固く刻んでいた決意が揺らいでしまう。これから明日も、明後日も、明々後日もその次の日も、芳乃と会って話して、一緒に過ごしたくなってしまう。

 

「私は、陽くんとまた一緒に居たいです」

 

「っ…」

 

 こいつ、俺の胸中を分かった上で言ってるんじゃないだろうな。さっきからずっと、俺が言ってほしくない事ばかり─────いや、俺が言ってほしい事ばかり言いやがって。

 

 他の誰でもない、芳乃がそう言ってしまうのなら俺は…俺の決意を曲げるしかなくなるじゃないか。

 

「…最悪だ」

 

「陽くん?」

 

「約束破った上に、今度は自分が決めた事も曲げて…情けねぇ」

 

 最悪だ。最悪で、この上なく情けない。

 俺ってこんなに意志が柔らかい奴だったんだな。まあ、芳乃に対して限定だと思うけど。

 

「芳乃、帰ってくるのが遅くなってごめん。約束破ってごめん」

 

「…はい、許します」

 

 本当にこれでいいのかと、こんなんで済ませていいのかと、どこかから囁き声が響いてくる。

 でも、いいんだ。だって、芳乃自身が許すと言ってくれたから。我ながらチョロいと呆れるが…それでいいという事にしよう。

 

「だから、一緒に帰りましょう?」

 

「…あぁ」

 

 微笑む芳乃に頷きながら、再び並んで歩きだす。

 今度は立ち止まる事なく、迷う必要もなく、行く場所は同じ。

 

 森を出た俺達はどちらから言う事もなく、朝武家へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五年ぶりに穂織に帰ってきてからここに来るのは三度目だ。三度目なのだが、以前の二度が誰にも見つからないよう警戒しながらの侵入だったからだろうか。こうして姿を隠すことなく堂々と、それも家主の一人と並んで入っていると、帰ってきてから初めてここに来た訳でもないのに周囲の景色が、朝武家の敷地内が懐かしく思えてしまう。

 

「今頃お父さんは授与所にいると思うので、行きましょう」

 

 そう言いながら前を歩く芳乃についていく。向かう先はさっき芳乃が言った通り授与所がある方。

 参拝シーズンでもなく、つい最近大きなイベント事が終わったというのもあるのか、参拝客は殆どおらず、境内を歩くのは今この瞬間は俺と芳乃だけだった。

 

 境内を横切り、授与所へと近づいていく。次第に開けられた窓から授与所の中が見えてくる。中では神官衣装を身に纏った一人の男性が少々暇そうに椅子に腰かけていた。

 その男性は近づいてくる俺達に気付き、芳乃の顔を見てからふと笑顔を浮かべた。

 

「芳乃、丁度よかった。授与所の番を替わってくれないかな?今日はお客さんも少ないし、今のうちに仕事を片付けておこうと思って」

 

「お父さん。そんな事よりも、気付かないんですか?」

 

 訂正。暇そうではなく、実際に暇だったらしい。神職ってこんな感じで良いんだろうか?

 いや、昔は仕事中にも関わらずこんな風に時間が空いた時は授与所で遊んで貰ってたりもしたのだが。

 今思い返してみると、あれって良かったのだろうか?案外罰当たりな事のように思えてくるのだが。

 

 とりあえずそれは置いておいて、男性、安晴おじさんがきょとんとしながら俺の方を見た。

 眼鏡の位置を直しながらジッと俺の顔を見つめてくる。んー…なんて言いながら俺の顔を見ていた安晴おじさんの表情が少しずつ変わっていく。

 

「─────陽明くん、かい?」

 

「はい。…お久しぶりです、安晴おじさん」

 

 おずおずと遠慮がちな問い掛けに頷きながらそう返すと、安晴おじさんの表情がぱっと明るくなり、開いた窓から身を乗り出して俺の両手を掴んで上下に振ってきた。

 

「陽明くん!いやぁ、久しぶりだね!帰ってきてたのかい?」

 

「えっと…はい」

 

「いや、本当に大きくなったね…。元気にしていたかい?」

 

「はい。父と母も…安晴おじさんによろしくと言っていました」

 

「そうか。…そうか。お二人も元気にしているんだね」

 

 安晴おじさんの勢いにやや押されながらも次々に投げ掛けられる問いに答える。

 多分傍から見れば男が男に迫られている様にも見える、そんな状況で俺も相手がこの人でなければ容赦なく相手を殴るか蹴るかして離れるのだが─────

 

「本当に…帰って来てくれて嬉しいよ、陽明くん」

 

 相手が安晴おじさんで、しかも本当に嬉しそうな笑顔を浮かべるものだから俺も邪険に扱えない。いや、安晴おじさんを邪険に扱うなんて出来やしないのだが。

 

「お父さん。陽くんが困ってるから離れて」

 

「おっと…、すまないね陽明くん。こんなおじさんよりも可愛い女の子と手を繋ぎたいよね」

 

「は?…いや、まぁ、そうですか、ね?」

 

「…」

 

 ジロリと芳乃に睨まれる。何故だ。

 そして俺を睨む芳乃と芳乃に睨まれる俺を微笑ましそうに見ている安晴おじさん。何故だ。

 

「そうだ、茉子くんにも知らせないと…。あ、でも今将臣くんと買い物に行っちゃったから、帰ってくるまでまだ時間が掛かりそうで─────あっ、食材をもう一人分多く買ってくるように頼まないと」

 

「え?いや、俺は─────」

 

「そうだった。私、すぐに茉子に電話してくる。陽くんも一緒に来て」

 

「いや、夕飯は俺適当にどっかで食ってくるから、そこまでしなくても─────」

 

「陽くん?」

 

「…はい、ご馳走になります」

 

 おかしいな。俺、割とそれなりの数の修羅場を潜ってきた陰陽師なんだけどな。結構ヤバめの妖と戦ったりもしてるんだけどな。

 一人の女の子の威圧感に圧されるなんて、普通あり得ない筈なんだけどな…。

 

 芳乃に手を掴まれ引かれる形で家の中へと連れ込まれる。そのまま居間へと押し込まれ、座布団の上に正座させられた俺は茉子に電話をしに行く芳乃を見送る。

 

 一般家庭のそれよりも広い和式の居間に俺一人、静かな空間にて芳乃を待つ。

 五年前と殆ど変わっていない空間を見回して、穂織に戻ってきてから何度目か分からない懐古の念を覚える。

 

 この部屋で、俺と芳乃と茉子の三人で遊んだ。時にはトランプで、時にはカルタで、時には花札で。たまに大人達の間で行われる麻雀に混ざった事もあったな。とはいえルールは殆ど分からないまま、親の言われるままに牌を出すだけだったのだが。

 

「─────」

 

 その場に存在する筈のない景色を幻視する。

 俺と芳乃と茉子で畳の上に散らばるカルタを囲んで、その近くで文を読む秋穂おばさんと、俺達をやいのやいのと冷やかす俺の両親に、お酒を飲みながら真剣に勝負に臨む俺達を眺める安晴おじさん。

 

 何もかもを忘れてただその瞬間を楽しんでいた、純粋な思い出。俺達がその時のように呪詛の問題に囚われる事なく、純粋に時間を楽しめる時はいつ来るのだろうか。

 

「…いつ来るのだろう、じゃねぇよな」

 

 いつ来るのだろう、じゃない。その時を手繰り寄せるのだ。必ず、俺達の代で穂織の因縁を解くのだ。絶対に。

 

 こうして固く決意するのも何度目か。その度にこの地に纏わりつく祟りへの憎しみを強くしながら俺は本家で修業を重ねた。

 でも今は…今この瞬間だけは、祟りへの憎しみを忘れてもいいだろうか。

 

「陽くん。茉子に連絡したら、陽くんの分の食材も買ってすぐに帰ってくるって」

 

「そうか。…ありがとう」

 

 今この瞬間だけは、芳乃との再会を、本当の意味で帰ってこれた事を純粋に喜んでもいいだろうか。

 誰とも知れない何かにそんな事を心の中で問い掛けながら、居間に戻ってきた芳乃を俺は出迎えた。

 

 芳乃はテーブルを挟んで俺の正面に腰を下ろし、座布団の上で正座になる。一方の俺は足を崩して胡坐をかいて芳乃と対面する。

 

「…」

 

「…」

 

 対面したのは良いのだが、言葉が出ない。何を話せば良いのか分からない。

 何というかこう、再会した事が嬉しくてそれだけで胸が一杯というか、自分でも初めての感覚に正直戸惑っている。

 

 ただ─────

 

「何か、聞きたい事があるんじゃないのか?」

 

「っ…」

 

 それは俺の事であって、芳乃は別の筈だ。

 事実、俺に問い掛けられた芳乃はぴくりと体を震わせた。明らかに図星の反応だ。

 

「何も隠さないから、遠慮なく聞け」

 

「…─────」

 

 優しくそう促すと、芳乃は一瞬迷う素振りを見せてから俺を真っ直ぐ見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「…叢雨丸に選ばれた方が現れました」

 

「知ってる。名前は有地将臣。何度か話したよ」

 

 目を見開いて驚きを露にする芳乃。恐らく聞きたい事がまた増えたのだろうが、一旦それは胸の奥に押し留める事にしたらしい。芳乃は話題を変えずそのまま続けた。

 

「昨日、その有地さんがあの山で祟り神に襲われました。…私の頭には、祟り神が現れた証の耳が生えたんです。でも…その耳は、今はありません」

 

「…」

 

「ムラサメ様は、何らかの理由で祟り神自身の存在を保てなくなって自然消滅したのではないか、と仰いました。私もそうなのか、と納得しようとしていました。…でも、今は違います」

 

 納得しようとしていた、か。どうやら今日、俺を見つけなくとも芳乃はきっと俺を探し続けていたに違いない。

 自分が納得するまで、ムラサメ様の意見を受け入れられる様になるまで、穂織に帰ってきた筈の俺を探し続けていたんだろう。

 

「祟り神を祓ったのは陽くん、ですよね?」

 

「そうだ」

 

「っ─────」

 

 初めに言った通り、隠し事をする気はない。俺は芳乃の問い掛けに頷きながら即答する。

 

「俺が祟り神を祓って、有地の怪我の止血だけ行った。治癒術はどれだけ修行しても苦手なままでね」

 

「…どうして」

 

「ん?」

 

「どうして、そんな危ない事を…!」

 

 芳乃の声が震えだす。泣きそうな目で芳乃が俺を睨んでくる。

 

 危ない事。確かにその通りだ。祟り神と対峙し、戦うなんて事情を知っている者からすれば危ない事この上ない。

 だがそれは俺だけが当て嵌まるものではない。

 

「芳乃にとっても、それは同じだろう?」

 

「でも陽くんは、祟りには関係─────」

 

「関係ない、なんて言ったら怒るぞ」

 

「っ…」

 

 関係ないなんて言わせない。俺を除け者にするなんて許さない。

 自分の戦いに巻き込まないよう芳乃を遠ざけようとしていた俺が言えた事ではないかもしれないが。

 

「何度今俺がいる場所は地獄なんじゃないかって思ってきたか。何度死ぬ様な目に遭ってきた事か。…全部、朝武にかけられた呪詛を祓うためだ。なのに帰ってきて関係ないなんて言われたら、マジキレそう」

 

「…でも」

 

「今度は芳乃がうじうじするターンか。俺が言えた事じゃないけど、芳乃もバカだよな」

 

「なっ…!」

 

 芳乃の顔が赤くなる。羞恥ではなく、恐らく怒りで。

 

「芳乃。関係ないなんて言わないでくれ。俺はな、お前の戦いに巻き込まれたいんだよ」

 

「…陽くん」

 

「だから、一緒に戦ってほしいって言ってくれ。俺は()()()()()()()

 

 芳乃と一緒に戦いたい。今の俺は心の底からそう思っている。芳乃と一緒に祟り神と戦って、呪詛を祓って、芳乃を解放したい。

 それを一人で成し遂げようとしていた俺はもういない。今の俺は─────どこまでも芳乃と一緒に居たいと思っている。

 

「…危ないですよ?」

 

「あのな、大体俺はもう一度、一人で祟り神を祓ってるんだよ。戦力的にはお前や茉子より上だぞ」

 

「そ、そんな事はありません!昨日のは、その…ま、まぐれです!まぐれに決まってます!」

 

 またもや愚問を口にする芳乃を少し挑発してやると、ムキになって言い返してきた。

 子供の頃と比べて大人っぽく、口調も丁寧でお淑やかになったと思っていたが、ふとした時に子供っぽさが見え隠れする。

 その時の芳乃は子供の頃のままだ。

 

「ふーん?まぐれで倒せる程度の相手ならなおさら危ないとは思えないな」

 

「う…ぐ…ぬぬぬぬぬ…」

 

「ぷっ、あははははははははは!」

 

「な、何が可笑しいんですか!?笑わないでください!」

 

 再び軽く挑発してやると、今度は何も言い返せず唸り出す芳乃。その姿が本当に子供の頃のままで、耐え切れずつい噴き出し、そのまま大きく笑い出してしまった。

 芳乃は怒り、文句を言ってから頬を膨らませる。そんな仕草がまた子供の頃の芳乃を思い出させて、収まりかけた笑いがまたもや湧いてきて。

 

「む…。陽くんのバカァッ!!」

 

 芳乃の怒鳴り声を耳にしながら、俺は笑いを収めようと必死になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




法事で実家に帰っていて投稿が遅れました。
それなら投稿ペースは戻るのかと聞かれると、否と答えるしかないです。
ちょっとリアルの方がこれから忙しくなるので今までのペースでの投稿は多分出来ません。
それでも週一ペースでの投稿は保ちたいです。…それすら出来ないかもしれないですが、とにかく頑張るので気長にお待ちください。


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第九話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茉子と有地が帰ってきたのはムキになった芳乃を必死に宥め、ようやく機嫌を直す事に成功した頃だった。

 大きな荷物を両手一杯に持って帰ってきた二人は居間で芳乃と話す俺を見て大きく目を見開いた。

 そんな二人の背後ではムラサメ様が何やらしたり顔で笑っていた。まるでこうなる事が分かっていたみたいに。

 

「ムラサメ様、ありがとうございました」

 

「うむ。吾輩の言った通り、良い事があったようで良かったな。芳乃」

 

「─────」

 

 芳乃とムラサメ様が交わした一言を耳にして息を呑む。

 そうか、違う。分かっていたみたい、じゃなくこうなる事をムラサメ様は分かっていたのだ。

 何故なら、こうなる様にムラサメ様が仕組んだのだから。

 

 恐らく俺が家から離れた後、ムラサメ様は芳乃に何かしらの入れ知恵をしたのだろう。その入れ知恵が何なのかまでは分からないが─────とにかく、俺の予定を思いっきりぶち壊した犯人は明らかになった。

 

「む?どうしたのだ、陽明」

 

「いえ。諸悪の根源に灸を据えてやろうと思いまして」

 

「ふははは!諸悪とは言ってくれるのぉ。吾輩は善行を積んだと思っておるのだがな?まあ、お主が何をしようとしても吾輩に触れる事は出来ん。お主には何もできいだだだだだだだだだ!!?痛い!!?」

 

 胸を張って高笑いしながら高圧的にあれやこれや言うムラサメ様の背後に回り込み、ムラサメ様の蟀谷に両拳で触れる。

 そして、情け容赦なく拳をぐりぐりぐりぐり─────。

 

 ムラサメ様は両手をぶんぶん振って暴れながら悲鳴を上げる。

 ふふ、確かに常人ならムラサメ様に触れる事は出来ない。芳乃や茉子がムラサメ様を見る事は出来ても触れられない様に。

 叢雨丸に選ばれた有地という例外はいるが─────いや、むしろ例外は俺の方か。

 

「触れてる…、ムラサメちゃんに…」

 

 呆然としながら声を漏らす有地。有地だけでなく、ムラサメ様の両側頭部をぐりぐりし続ける俺を芳乃と茉子もまた呆然として眺めていた。

 

「ムラサメ様?」

 

「な、なんじゃいたたたた!お、おい!そろそろやめんか!」

 

「反省しました?」

 

「した!したから放してください!」

 

 うむ、ここまでやられれば流石に反省するらしい。

 俺としても畏れ多いムラサメ様相手にこれ以上粗相はしたくないため素直にムラサメ様を解放する。

 

「おぉ~…いたい…、こんな経験は初めてじゃぞ…。おのれ陽明…覚えておれ…」

 

「反省が足りないようで」

 

「ひぃ~!もうぐりぐりは嫌じゃ!嫌じゃぁっ!!」

 

 ぐりぐりされた側頭部を両手で押さえながらぷるぷる震え、俺への恨み節を口にするムラサメ様に握った両拳を見せながらそう言うと、勢いよく俺に背中を見せてしゃがみ込み、震えを大きくするムラサメ様。

 

「何か…上下関係が逆転しているような…」

 

「気のせい気のせい」

 

「いえ、絶対に気のせいじゃないと思います」

 

 苦笑しながら茉子が呟き、それを否定した俺に芳乃がツッコむ。

 

「うぅ…ご主人~…」

 

「ムラサメちゃん、よしよし」

 

 涙目のムラサメ様が有地の胸に顔をう埋めると、有地はムラサメ様の頭を優しく撫でる。

 何か、兄妹みたいだな。年上なのは妹に見える方だけど。何なら年の差は数百年、四捨五入すれば千にも至るけど。

 

「っ─────」

 

「おっと、何も考えてないですよ」

 

 ムラサメ様に睨まれてしまった。この人…人?は、読心術でも会得しているんだろうか。

 まあ、現世に留まっている年数を考えれば会得していても不思議じゃ─────

 

「っ!っ!っっっ!!!」

 

「はいはい、やめます。もうやめますから」

 

 また睨まれた。唇が開いた中から嚙み締められた白い歯が覗く。

 うわ、キレてる。キレてるけど…さっきのぐりぐりが効いたのか、噛みついては来ない。

 

「…何考えてたんですか?」

 

「…あの二人、兄妹みたいだなって。妹の方が年上で年の差数百年あるけどって思ってたら睨まれた」

 

「…」

 

 芳乃にジト目で睨まれた。呆れられてる気がする。

 

 もういいだろう。これ以上この話題を続けても誰も得しないし、多分今度こそムラサメ様が噛みついてくる。

 また頭ぐりぐりで躱す自信はあるけど、無益な暴力は嫌いだ。

 どの口が言うのかって声が聞こえてくる気がするけど嫌いだ。

 

「しかし茉子、随分買ってきたな」

 

「はい。有地さんもいたので、つい…」

 

「怪我人を荷物持ちにさせるとか、お前変わっちまったな」

 

「あ、いえ、そのっ!…ごめんなさい」

 

 茉子と有地が持ってきた大量の食材、調味料が入った四つの袋を見て言うと、小さな声で茉子が返事を返す。

 その返事に対して揶揄いを込めて返してやると茉子は律儀に受け取ってしまったらしく、有地の方へと頭を下げながら謝罪した。

 

「いや!荷物を持とうって言ったのは俺だし、肩を上げさえしなければ痛みはなかったから大丈夫だって」

 

 茉子の謝罪に対して慌てた様子で両手を振りながら返事を返す。

 なお、ムラサメ様はまだ有地の胸に顔をう埋めたままだ。実はこの方、甘えん坊だったりするんかね。

 

 …多分、見た目通りの年齢の時にだもんな。仕方ないのかもしれない。これからはあまり畏まりすぎない方が良いのかもしれない。

 

「とりあえず、夕飯の準備をしちゃおうよ。俺も手伝うからさ」

 

「い、いえ!それは私がしますから、有地さんは休んでいてください」

 

「いやいや、さっきも言ったけど肩を上げさえしなきゃ痛まないし、他に痛む箇所もないし、料理の手伝いくらいなら」

 

「いやいやいや」

 

「いやいやいやいや」

 

「お互いに譲り合うとここまで面白い光景になるのだな」

 

「…お前ら、漫才したいんならここじゃなくて外でやって来い。夕飯は俺と芳乃で準備するから」

 

「え…。私も一緒に料理をしていいんですか!?」

 

「は?いや、そりゃいいだろ」

 

 ムラサメ様と二人で茉子と有地にツッコミを入れてから、その次の台詞に対する芳乃の反応がおかしい。別に料理くらいしていいに決まっているだろう。何でそんな驚くのか、何でそんな目をキラキラさせるのか。

 

 …あぁ、お前か茉子。昔からそうだったけど、未だに過保護なのは変わっていないらしい。

 

「…なんですか?」

 

「お前さぁ。過保護もいい加減にしないと、芳乃のためにならないぞ」

 

「刃物を持たせるなんて危険な事、芳乃様にさせられません!」

 

「いや、お前が一緒に台所に立って見てやればいいじゃん」

 

「…あっ」

 

 阿呆か。茉子は五年の間に阿呆になったのか。芳乃の事を思いすぎてどこか抜けるのは昔からだが、今はもっと酷くなってる気がする。

 

 というかもしかしてこいつ、芳乃に家事の一つもやらせていないのか?流石にそれはないとは思うが…、追々確かめていくか。まずは今、芳乃と一緒に料理を、と…。

 

「しかし、マジで買いすぎだろこれ…。いや、一日でこれ全部使う訳じゃないんだろうが」

 

「陽明くんの好きなものを揃えてますよ。天ぷらにお刺身、一昨々日に作った沢庵も出しちゃいましょう」

 

「…」

 

 改めて茉子と有地が持ってきた袋の中を見る。茉子が言った通り、天ぷらの材料になりそうな食材も刺身として使える海鮮物もある。

 それに沢庵って、全部食っちゃうぞ。沢庵は俺の超がつく程の好物だからな。

 

「沢庵は芳乃様が手伝ってくれたんですよ」

 

「あ?料理は手伝わせてないんじゃなかったのか?」

 

「刃物は持たせていないだけです」

 

 こいつ…何か、芳乃を主人ではなく自分の子供みたいに思ってないか?扱い方がこう、可愛い子には旅をさせよみたいな、そういう感じなんだが。

 

「とにかくお前は過保護すぎる。高校生にもなって包丁を握った事がないとかあり得ないぞ。刺身は芳乃に切らせる」

 

「そんなっ!?」

 

「そこまで嫌か、茉子よ…」

 

 刺身を芳乃に切らせると言うと、茉子が悲痛な声を上げる。見ろ、ムラサメ様が呆れ切った顔をしているぞ。

 ていうかマジか、そこまで嫌か。どんだけだよこいつ。

 

「俺が見てるから。お前は揚げ物を頼む」

 

「いや、それは…」

 

「このまま芳乃が料理もできない女になってもいいのか?」

 

「うぅ…、頼みますよ。芳乃様の手に傷一つでもついたら許しませんからね」

 

「二人とも…私を子供扱いしすぎです」

 

 茉子を説得できたのはいいが、最後にほんの少し芳乃の機嫌を損ねてしまった。しかし料理に参加できる嬉しさが勝ったのか、芳乃は素直に台所についてくる。

 

「俺も手伝うよ」

 

「あの…、いえ。ありがとうございます。それでは有地さんは私のお手伝いを」

 

 有地も加わって台所に四人とムラサメ様が入る。

 普通の家ならば台所に四人も入れば身動きをとる事すら難しくなるんだろうが、一般家庭とは一線を画する家庭の朝武家の台所では違う。四人で立っても余裕がある程の広さの中で、夕飯の準備を始める。

 ムラサメ様は物に触れられないため残念ながら見学だ。それでも、その表情はどこか楽しげだが。

 

 さっきも言った通り、俺と芳乃で刺身、或いは食材を切って茉子と有地が揚げ物を担当。この割り振りで準備を進めていく。

 料理に慣れている茉子は勿論、有地も意外にもそれなりに料理経験があるようで茉子の動きについていっている。

 芳乃はやや手付きが危なっかしくも怪我することなく俺と一緒に食材を切り進めていく。

 

「あれ、随分賑やかだね」

 

 先に揚げ物の食材を切り終えた所で、俺達の背後から優しい男性の声が聞こえてきた。

 四人で同時に振り返った先に、俺達が思うその人がこれまた優し気な笑顔を浮かべて立っていた。

 

「これは天ぷらと、刺身か。沢庵もまだ残ってたし、今日の夕飯は陽明くんの好物ばかりだね」

 

 別に安晴おじさんの好物が並んでいる訳でもないのに、何故か嬉しそうに言う。

 

 そして、笑顔のまま安晴おじさんは俺の方を見て続けた。

 

「陽明くんがいた頃よりも茉子くんの料理の腕は上がっているし、楽しみにしているといいよ」

 

「あは。安晴様、プレッシャーを掛けないでくださいよ。それに、料理をしているのは私だけではありませんから、安晴様が知っているよりももっと美味しくなる筈です」

 

 茉子の奴、さらっと俺達にプレッシャーを掛けてきやがった。さっきまで包丁を持つ芳乃を見ながらあたふたしていたってのに。

 

「陽くん、この海老はどうやって切ればいいんですか…?」

 

「あぁ、これはこうやって─────」

 

 芳乃に海老のさばき方聞かれ、実際にやって見せる。そしてその後、今度は芳乃が包丁を持って海老をさばこうとするのだが─────

 

「難しい…」

 

「ほら、ちゃんと包丁握れ。ここをな、こうやって…」

 

 上手く海老をさばけない芳乃の背後に立って、背後から腕を回して芳乃の手を俺の手で覆う。

 

「え…っ、陽くん…!?」

 

「ちゃんと手元を見ろ。怪我するぞ」

 

 俺の両腕に抱えられるような体勢になり、しかも互いの距離が急激に接近したせいか芳乃の顔色が羞恥に染まる。

 正直、俺も少し恥ずかしい。何とか平静を装っているつもりではいるが、結構ドキドキしてたりもする。

 好きな人とこんなに近くにいるんだから仕方ないと、自分に言い聞かせて高鳴る気持ちを抑えながら芳乃にさばき方を教える。

 

「頭をしっかり押さえて、胴体との隙間に包丁を入れるんだ。そう、そうやって殻を切り離して─────」

 

 芳乃はまだ僅かな羞恥の色を残しながらも真剣な顔つきで俺の説明に耳を傾け、その通りに手を動かしていく。

 

「…ふふ」

 

「安晴様?どうかされましたか?」

 

「いや。…なんだか、懐かしい光景が戻って来たなって思ってね」

 

「…そうですね」

 

 そんな俺達の姿を見て安晴おじさんと茉子が言葉を交わす。

 その顔に微笑みを浮かべながら、どことなく慈しみの気持ちを感じさせる表情で。

 

「…」

 

 芳乃は気付いていない。すっかり顔からは羞恥の色は消えて俺の説明と目の前の海老に完全に意識を向けている。

 こうして、目の前の事に没頭すると周りが見えなくなるのは変わらないな。芳乃の集中を阻害するのは気が引けるし、ツッコミは止めておいてやろう。ただ─────

 

「おい茉子。有地を手伝わなくていいのか?」

 

「え?あっ、有地さんすみません!私がお取りしますから!」

 

 怪我した右肩の痛みを我慢して上の棚から鍋を取ろうとする有地を放ってこっちを眺め続けるのはどうかと思うので、指摘だけはさせてもらう。こっちは芳乃のフォローで手が埋まっているので、有地の方は最初に決めた通り茉子に任せるとしよう。

 

「安晴おじさんも、そこで見てないで手伝いませんか?」

 

「いやいや、若い子達の邪魔になるといけないし、僕はおとなしく居間で待ってるとするよ。頑張ってね」

 

 ニコニコと浮かべた笑顔は変わらず、俺の誘いを躱して居間へと戻っていった。

 別に邪魔になるなんてそんな事はないが、安晴おじさんに無理強いするつもりなんてないし、それにいくら広いとはいえこの台所でも五人目は流石にきつそうだし、安晴おじさんの言う通り四人で頑張るとしよう。

 

「陽くん。次は私一人でやってみたいですっ」

 

「ん───そうだな。やり方が分からなくなったら聞くんだぞ」

 

「はいっ」

 

 夕飯の準備は賑やかに進み、台所の話し声は準備が終わるまで─────いや、居間へと完成した料理を運び込むまで途切れる事はなかった。

 そして、台所での賑やかさは居間へと移り、今度は安晴おじさんも加わって賑やかさは更に増す。

 

 途中、駒川に外で、芳乃の家で夕飯を頂く事になった報告をしていなかったのを思い出すというちょっとしたトラブルはあったが、特に俺が穂織に住んでいた頃の昔話で盛り上がりながら料理に舌鼓を打った。

 昔話で盛り上がったといっても、有地が仲間外れになるなんて事もなく、それどころか俺、芳乃、茉子の昔の話に興味津々で耳を傾けながら、特に俺の昔の性格の話になるとかなり大袈裟に驚いていた。

 

 そこまで大袈裟に驚かなくて良いだろう、と。確かに少し口が悪くなったとは思うが、そこまで変わらないぞ。

 と、有地に言うと芳乃と茉子、更にはムラサメ様にまで口を揃えて少しじゃない、とツッコまれ更にはこの一連の会話を聞いた安晴おじさんに爆笑された。解せぬ。

 

 そんな感じでテーブル一杯に揃えられた料理もやがて沢庵以外は食べ終えてなくなり、今は台所から食器を洗う音が居間まで聞こえている。

 台所で食器を洗っているのは茉子と有地の二人で、ムラサメ様も有地について行って台所にいらっしゃる。残る俺と芳乃、安晴おじさんは居間で食後の余韻に浸っていた。

 

「パリパリパリパリパリパリパリパリ」

 

「陽くん…本当に沢庵好きですね」

 

「いや、この沢庵が美味すぎる」

 

 食後のデザート代わりに沢庵を一心不乱に食べまくる。てか美味い、犯罪的に美味すぎる。やばいぞこれ、一生食っていられる自信がある。

 

「沢庵の食べっぷりに磨きがかかってる気がするよ…」

 

 安晴おじさんが何故か俺を見ながら引いた表情を浮かべているが、気にしない事にする。それよりも沢庵だ…って、あれ?

 

「ぜ、全部食べた…。あれだけの沢庵を…」

 

「え?あれで全部ですか…。残念だ」

 

 どうやらさっき食べたのが最後だったらしい。茉子達の言い方から数日前から沢庵を出していたらしいし、今日の時点でもう量はだいぶ減っていたんだろう。

 茉子にリクエストしたらまた作ってくれるだろうか。今度会ったら頼んでみよう。

 

「さて、と。俺はそろそろ帰るよ」

 

 座布団から立ち上がりながら言う。夕飯もご馳走になったし、そのお礼を台所にいる茉子と有地に伝えてから…そうだ。その時に茉子に沢庵を頼んでみよう。

 

「え?帰っちゃうんですか…?」

 

 なんて事を考えていると、足元からしょんぼりとした声が聞こえてくる。

 見下ろしてみれば、悲しげな表情でこちらを見上げる芳乃が。いや、何故に?

 

「帰るって…。そういえば陽明くんは、どこに住んでいるんだい?」

 

「駒川の家に寝泊まりさせてもらってます」

 

「みづはさんの家に?」

 

 安晴おじさんの質問に答えると、足元から芳乃に聞き返されてそちらにも頷いて答える。

 

「それなら僕が彼女に電話して伝えるから、今日は泊まっていくといいよ」

 

「え?いや、そういう訳には─────」

 

「なんなら、これからは家に住むかい?」

 

「いやいやいやいや」

 

 この家に泊まるのすら躊躇われるのに住むなんてあり得ない、というか話が飛躍しすぎだ。

 

「流石にこれ以上男を住まわせる訳にもいかないでしょう。有地を住まわせるのだって、まだ納得しきれてない人がいるんでしょう?」

 

「それは…っ、陽明くん。君はまさか─────」

 

 安晴おじさんが驚愕しながら表情を僅かに引き攣らせた。

 

「…知ってますよ、全部。すみません、盗み聞きさせてもらいました。芳乃と有地の事も」

 

「え─────」

 

 あんな言い方をすれば安晴おじさんなら察せるだろう。有地がこの家に住む事に決まった理由、そしてそのために行った安晴おじさんの工作も。

 

 そう直接言うと芳乃の表情が固まると同時、安晴おじさんの表情もまた更に固くなる。

 

「陽明くん、その件は僕が勝手に…」

 

「安晴おじさん、こんな話は止めましょうよ。有地だっているんですし」

 

 こんな所でする話ではないだろう。台所で流れる水の音のお陰でここでの話は届いていないだろうが、それでも有地がいる傍でする話ではない。

 

 それにまず、俺自身がこの話をしたくない。こんな話、したくない。

 

「…そうだね。この話はこれでお終いにしよう。それに、駒川先生の所に電話を入れなきゃいけないね」

 

「あ、いや。俺は─────」

 

「陽くん?」

 

「…はい。今日はお言葉に甘えて泊まらせて頂きます」

 

 おかしいな。泊まらないって思ってた筈なのにな。芳乃のドスの効いた声を聴くと意思に反した返事が勝手に口から出ちゃうな。

 というか芳乃の奴、いつどうやって、これだけの威圧感を操れる様になったんだ?

 そういえば、秋穂おばさんもたまに有無を言わさない迫力を感じさせる笑顔を浮かべてたな。…そういう所は親子なんだな。そんな所まで似なくて良いのに。

 

「ただいま戻りましたー。有地さんのお陰で、早くお片付けが終わりました」

 

「あー、茉子くん。今日は陽明くんも泊まる事になったから、寝床の準備を手伝ってくれないかい?」

 

「え?…あっ、はい!今すぐ準備してきます!」

 

「あ…。手伝ってほしいって言ったんだけどなー…」

 

 たかだか俺が泊まるだけだってのに、嬉しそうにしてまあ。

 

「それなら、私は何か遊ぶものを持ってきますね。陽くんと有地さんも一緒に来てください」

 

「ん」

 

「分かった」

 

 安晴おじさんの微笑まし気な視線を受けながら、俺は芳乃、有地と一緒に居間を出て芳乃の後に続く。

 

「…さて、と。僕も駒川先生の所に電話を入れなきゃね」

 

 五年ぶりにこの家に、芳乃達と一緒に、有地も加えて過ごす夜。

 思わぬ形で始まりはしたが、気分は決して憂鬱ではなくむしろ楽しみで仕方ないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん…」

 

 微睡に沈んでいた意識が、いつもの目覚ましの音によって覚醒していく。重い瞼を持ち上げ目を開けて、木目の天井を見上げる。

 

 すっかり見慣れた本家の黒みがかった天井ではなく、ここ二日の目覚めで見上げた白い天井でもなく、本家と違って明るい印象を覚えさせる木目の天井。

 朝武家にて、いつもの時間に起床した俺は体を起こそうとする。

 

「…?」

 

 する前に、ふと違和感を覚えて動きを止めた。

 右手を着いて体を起こそうとしたのだが、ふと左腕が柔らかく心地よい温もりに包まれている事に気付く。

 布団ではない。もっとこう、何というか─────今、俺は半袖の寝間着を着ているため腕の素肌が露出しているのだが、やけに感触がすべすべしているというか…これ、もしかして人の肌か?

 

 いやそんな筈はない。何故なら俺は、昨日安晴おじさんに割り当てられた部屋にて一人で眠りに着いたのだから。

 その筈なのだ。

 

「…何故?」

 

 だからこそ、俺の傍らで左腕に抱き着いて寝ている芳乃の姿を見て俺は呆然とするのだった。

 

「すー…すー…」

 

 とても穏やかで、さぞ幸せな夢を見ているのだろうと思えるほどに安らかな寝顔で寝ている芳乃。

 彼女が身に着けていた寝間着は眠っている間に僅かにはだけており、少し視線をずらせば確かな存在感を主張する眩しい谷間が目に入る。

 魅惑の光景に視線が釘付けになりそうな所をこらえてすぐさま視線を持ち上げる。

 いけない、これは見てはいけない。いやそれよりも、何で芳乃はここにいるんだ?何でこの部屋に、俺と同じ布団の中で寝ているんだ?

 というか、この部屋に入ってくる芳乃に気付かないとは─────それ程に気が抜けていたのか俺は。

 

 いや、問題はそこじゃない。話を戻せ、芳乃がこの部屋にいる理由─────って、それも違う。

 勿論そこも後で考えるべき事ではあるが、それよりもまずこいつを起こさなくては。色々と手遅れになる前に。

 

「芳乃。おい芳乃、起きろ」

 

「んん…、やぁ…すぅ…」

 

「…」

 

 可愛い。

 

 いや違うそうじゃない。いや可愛いのは全くもって違わないが、可愛いで完結させるんじゃない俺よ。

 

「分かった。まだ寝てていいから、せめて腕を離してくれよ」

 

「いや、れす…。ぜったいに…はなしま、せん…」

 

「…」

 

 れすって、可愛すぎる。

 

 じゃねぇっつーの!いや可愛すぎるのは違わないけれども!でもそうじゃねぇだろ俺よ!

 

「おい芳乃」

 

「んっ…はるくん…」

 

 もう一度呼び掛けるも返事は返ってこず、その代わりに芳乃の両腕の力が強まり、俺の左腕を包む柔らかな感触が更に広がる。

 こう、むにゅぅっと─────

 

 カット。考えるな、クールになれ。koolじゃなくcoolになるんだ。

 そうだ、こんな時は素数を数えよう。そうすれば俺の思考が少しは冷静になれる筈だ。

 

 1、2、3、5、7、11、13…ん?何か違うような?

 

「陽明くん、起きてますか?」

 

「っ!!?」

 

 その時だった。部屋の外から茉子の声がしたのは。

 どうやら俺の思考は自分が思っているよりも冷静からほど遠く、かなり混乱していたらしい。まさかここまで接近されるまで茉子の…いや、茉子だけじゃない。茉子の他にも二人、これは…有地とムラサメ様か?三人の気配に気付かないとは。我ながら不覚─────だからそうじゃなくって!

 

「芳乃、頼むから起きてくれ…!」

 

「はるくん…えへへ…」

 

「…ちくしょう!」

 

 幸せそうに寝言を口にする芳乃を見るともうどうなってもいいやと思えてしまう。

 だがそこで思考を止めるのは、ある意味死を意味する。この光景を見られればどうなるかなど容易く想像できる。

 茉子とムラサメ様がそれは楽しそうに俺と芳乃を揶揄ってくるだろう。安晴おじさんも多分…二人に便乗こそしないだろうが止めもしないんだろうな。

 

 …だから、悠長にしていられないんだっつーの!

 

「分かった芳乃!起きなくてもいいからせめて!せめて離れてくれ!」

 

「いやぁ、れすぅ…」

 

「あの…、入りますよ?」

 

「茉子!?頼む、今は─────」

 

 嫌がる芳乃を力づくで引き離す、なんて出来る筈もなく。扉の向こうの茉子を遮る事も出来ず、部屋の障子は開かれた。

 

「…あは」

 

 布団の中の俺と芳乃の姿を見て、茉子はニヤリと笑って。

 

「…ほぉ?」

 

 ムラサメ様も茉子と同じようににたりと笑って。

 

「…マジ?」

 

 有地は呆然と、あんぐりと口を開けて。

 

「むにゅ…すー…」

 

 芳乃は何も知らずに呑気に気持ちよく眠りこけている。

 

「まさか再会してすぐに朝チュンとは…流石です陽明くん」

 

「やるのぉ、陽明」

 

「茉子、ムラサメ様、有地。これは違う、違うんだ」

 

 この三人が思っている事、勿論朝チュンなんて全くもって事実ではない。だがこの状況で、この体勢で違うなんて言っても説得力はこれっぽっちもない。

 

「はぁるくーん…」

 

「「…何が違うんだか」」

 

 俺の左腕を抱きしめながら、頬すりを始める芳乃。その様子を見てニヤニヤと笑みを浮かべたまま声を揃える茉子とムラサメ様。

 

 そして有地はどことなく羨ましそうな目で俺を見ている。そこ変われとでも言いたげな目で俺を見ている。

 ふざけるな、絶対に変わってやらねぇ。この場所は俺の─────じゃないんだって!だから!さっきから思考ずれすぎだろ俺!

 

「芳乃、芳乃ー」

 

「ん…」

 

「芳乃さーん、起きてくださーい」

 

「んー…」

 

 呼びかけるだけでなく一緒に芳乃の肩を揺する。すると先程までとは違う反応が芳乃から返ってくる。

 身動ぎしながら、寝苦しそうに顔を俺の二の腕に埋める。まだ寝続ける気か、だがそうはさせない。

 

「芳乃ちゃーん」

 

「う…にゅ…」

 

 何その寝言、可愛いすぎる。もっと聞いていたいが、後ろ髪を引かれる気持ちを抑えて芳乃に呼び掛けながら肩を揺すり続ける。

 

「…ぁ」

 

 そして遂に、芳乃の瞼が開かれた。

 俺の腕から顔を離してから、寝ぼけ眼で周囲を見回して軽く目を擦っている。

 

「…はるくん?」

 

「おう。おはよう芳乃」

 

「ん…。おはよう、ございます…。ふわ…ぁぁ…」

 

 目を開けた芳乃はゆっくりと体を起こし、そして大きく欠伸を漏らす。

 何これ、眠ってる時の芳乃も起きてる時の芳乃も可愛すぎるんだが。芳乃は世界一可愛い、異論は認めない。

 

「…あれ、はるくん?」

 

「あぁ、陽くんだぞ」

 

「…どうして陽くんが私の部屋に?」

 

「間違ってるぞ芳乃。ここは芳乃の部屋じゃない」

 

 次第に意識がハッキリとしてきたのか、芳乃が状況を飲み込み始める。

 どこか舌足らずな声は流暢に、寝ぼけ眼はパチリと開かれ、そして俺の顔を見て驚きと共に更に見開かれる。

 

「な…な、ななななななな何で陽くんが私と一緒に寝ているんですか!?」

 

「それを聞きたいのは俺だ」

 

「べべべ別に嫌ではないのですがこれは少し急すぎるというか色々と飛ばしすぎというか─────」

 

「落ち着け芳乃。お前今物凄い事を口走ってるぞ、目を覚ませ。ほら、深呼吸でもして」

 

 シュバッ、と俺から距離を取った芳乃は顔を真っ赤にさせて早口で言い並べる。

 その言葉の中にとんでもないものがあったような気がするが、今の芳乃は取り乱しているし聞かなかった事にしておく。

 

 とりあえず、芳乃に落ち着く様に声をかけてから深呼吸を促す。芳乃は大きく息を吸い、吐いてを繰り返し、それを止めた時には落ち着きを取り戻した表情に変わっていた。

 

「そ、それで、どうして陽くんは私の部屋にいるんですか?」

 

「さっきも言ったがその段階で間違ってるんだよ。ほら、周りを見てみろ」

 

 芳乃は疑問符を浮かべながらも、俺の言う通りに周りを見回す。

 すると、芳乃の表情は次第に驚きに染まっていく。

 

「ここ…私の部屋じゃない…?」

 

「やっと分かってくれたか」

 

 ようやく芳乃は今自分がいる場所を自覚してくれた。が、どうも納得はいかないようで、表情がやや腑に落ちていない。

 

「ど、どうして私は陽くんの所に?」

 

「俺が知るか」

 

 いや、俺にそんな事を聞かれても困るんだが。俺が起きてる時に来たのならいざ知らず、寝てる時に来られても正直知らんとしか答えようがない。

 

「芳乃様は陽明くんと一緒に寝たくてこの部屋に来たのではないのですか?」

 

「そ、そんな事しません!それに私はここに来た覚えもないんです」

 

 茉子の戯言は置いておいて、何とも不思議な話だ。

 芳乃は間違いなく自分からこの部屋に来て、その上俺が被っていた布団の中に潜り込んで来た。

 芳乃の部屋とこの部屋が隣同士に位置していたなら芳乃が寝ぼけていた、で片付けられるのだが、二つの部屋は結構距離が離れている。寝ぼけていた、ではどうしても片付けられない。

 

「…?」

 

 芳乃の寝顔、そして起きてすぐの仕草などでかき乱されていた俺の心も落ち着きを取り戻し、この事態について思考を巡らせようとした時だった。

 

 冷静さを取り戻したと同時に取り戻した鋭敏さは、昨日よりも微かに強まった()()()()を感じ取った。

 

「陽くん?」

 

 布団から出て、壁際に置いてあった俺の仕事着を手に掴む。

 芳乃の呼び掛けへの返事を一旦後回しにして、俺は仕事着の中からとある物を取り出す。

 

 その直後だった。ぴくり、と小さくムラサメ様が反応し、彼女の視線がとある物を掴む俺の掌に向けられたのは。

 

「陽明、それは一体…」

 

「ムラサメちゃん?」

 

 僅かに動揺している様子のムラサメ様に有地が声を掛けるが、ムラサメ様は答えない。

 視線は俺の掌に注がれたまま、恐らくそこから漂う気配について考えているであろうムラサメ様を見る。

 

「拾ったんですよ。あの山の中で、祟り神と戦った場所で」

 

「拾った?祟り神と戦った場所で…って、どういう事ですか?」

 

 芳乃に聞き返された俺は芳乃達に説明を始める。

 

 何度かあの山に入って祟り神について調べさせてもらった事。その山で、複数の祟り神の気配を感じた事。その気配を追って行くと、この欠片が落ちていた事。

 そして、この欠片は元々この大きさだった訳ではなく、俺が拾った複数の欠片が一つになった結果この大きさになった事。

 

 説明を続ける毎に芳乃達の表情は驚愕に染まっていく。

 

「…何という事だ」

 

 ムラサメ様なんて驚きを通り越して絶句している。

 ムラサメ様は朝武の家が呪詛に掛けられた当初からこの地に存在し、朝武と共に数百年という時を過ごしてきた。

 その数百年という時の中で明らかにできなかった謎が、己の知らぬ所で解き明かされそうになっていたのだから当然と言えば当然なのだろうが。

 

「これ…形的に割れる前は球型だったのかな?」

 

「だろうな」

 

「それなら、この欠片を集めて元の形に戻したら─────」

 

「…」

 

 有地の問い掛けに答えた直後、再び有地が口を開く。

 有地はその台詞を言い切る事はなかったが、続く言葉は容易く想像できた。

 

 だから、俺はさっきは言わなかったこの欠片についてのもう一つの事実を伝える事にした。

 

「俺は、この欠片の正体を探るために色々な事を試そうとしたんだ。その一つに、この欠片を削る、或いは割ったらどうなるか、という疑問があってな」

 

 口を開いた俺に、有地だけでなく芳乃達の視線も一斉に注がれる。

 

「…この欠片を割ろうとしたら、どうなったと思う?」

 

「…」

 

 周囲を見回しながら問い掛けると、芳乃達は考える素振りは見せるも答えはどうしても分からない様子。

 

「祟り神が発生した。まるで、俺が欠片を割ろうとするのを止めるように」

 

 だから俺から答えを口にする。

 

 脳裏に過るあの時の記憶。

 近くにあった大きめの岩に欠片を叩きつけようとすると、突然手の中の欠片が熱くなり、思わず手放して欠片を地面に落としてしまった。

 そして、地面に落ちた欠片から発生した祟り神。

 

「祟り神が発生した、だと…?だが、芳乃に耳は…」

 

「発生してすぐに祓いましたから。多分、芳乃が反応する前に祓えたんでしょうね」

 

 あの時、俺は祟り神を発生してすぐに祓った。芳乃に獣耳が生えなかったのはそのためだろう。

 

「とにかく、俺が言いたいのは祟り神はこの欠片を再び割る事を良しとしていないのだとしたら、祟り神はこの欠片を元の形に戻す事を望んでいる、とも考えられないか?」

 

 そう、祟り神が本当に俺が欠片を割るのを止めようとしたのなら、逆に欠片を元に戻したらどうなるのだろう。

 欠片を割るのを良しとしていないのなら、欠片を元に戻す事は…それは、祟り神が望んでいると考えられないだろか?

 

「じゃあ、もしその欠片を元の形に戻せば…」

 

「呪いは、解ける…?」

 

 茉子と芳乃が、声に喜悦を載せて呟く。

 

 そう、()()()()()()()()()()()。決してあり得なくはないのだが─────同時に決してそれが確かという訳でもない。

 

「俺の仮説が正しいのなら、な。それに、正しかったとして祟り神が欠片を元の形に戻す事を望む理由が分からなきゃ、実際に呪いが解けるかどうかも分からない」

 

 希望を抱く芳乃には悪いが、俺も立場上無責任な事は言えない。だから、俺はこの段階で確かな事だけを言う。

 

 まず第一、俺がさっき言った事は飽くまで仮説だ。それが正しいかどうかも今の段階では分からない。

 それに、仮に俺が挙げた仮説が正しかったとして、祟り神が欠片を元に戻そうとするその理由は何だ。

 勿論、祟り神の望みを叶える事で朝武への怒りを鎮められるという可能性もなくはないが、もし欠片を戻す理由が他にあったとしたら。

 

 もしその理由が、各地に散らばった欠片を─────祟り神自身の力を集める事にあるとしたらどうだろう。

 欠片から呪詛の気配が感じられる以上、この欠片には祟り神の力が込められているのは確かだ。

 その力を、欠片を全て望み通り集めたとして、その力が恨みの対象である朝武に─────芳乃に向けられたとしたら。

 

「とにかく、俺はもう少しこの欠片について調べる必要があると思う」

 

「…そう、ですね。それでしたら私も陽くんに協力します」

 

 俺がまだ結論を出すには早いと、まだ欠片について調べるべきだと考えを伝えると、芳乃がそんな事を言い出した。

 

「私も。呪詛を解くために、私も協力します」

 

「俺も、出来る事があれば何でも言ってくれ」

 

「吾輩も意識を集中して近くまで行けば欠片の気配を感じ取れる。欠片があったという山を、吾輩も探してみよう」

 

 芳乃だけじゃない。茉子が、有地が、ムラサメ様が俺に協力しようと声を上げる。

 

「…」

 

 考える。危険はないか、と。

 だが、この欠片が集まり、元の形に近いならともかく今の段階で感じられる気配から考えると恐らくそこまで危険はないと思われる。

 

 ポチの力を借りる事で正確に欠片の気配を捉える事は出来るが、あの広大な敷地の中、いくつあるかも分からない欠片を一人で集め切るのは正直かなり時間が掛かる。

 

「…頼む。だが、拾った欠片は俺に渡せよ。調査に必要だから」

 

 しばらく考えてから、芳乃達に協力を頼む事に決める。

 芳乃達を巻き込みたくはないが、芳乃と一緒に戦うって約束したからな。

 

「…それでは、話も一旦区切りがつきましたし、朝ごはんにしましょう」

 

 話に区切りがついた所で茉子が言う。そういえば、起きてからずっとここで話していてまだ朝食がまだだったな。

 それを自覚すると、急に空腹感に襲われる。

 

 ホカホカのご飯にお味噌汁、出し焼き卵に焼き鮭─────今日の朝食のメニューがこれに決まっている訳ではないが、茉子ならどんなメニューでも美味い飯を出してくれるだろう。

 

 さらっと、自然にこの家で朝食を食べていく事が自分の中で決まっている事に気付かないまま、芳乃達と一緒に部屋を出る。

 縁側に差し込む日差しを浴びながら、朝食の準備をするべく居間へと急ぐ茉子の後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十一話







遅くなってしまいました。
リアルが忙しかったのと、ちょっとポケットでモンスターな世界にて冒険を─────ゲフンゲフン

そ、それでは続きをどうぞ(汗)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば今日から新学期だけれど、のんびりしていて大丈夫なのかい?」

 

 駒川の口からそんな問い掛けが出てきたのは、二人で朝食を食べている時の事だった。

 口に含んでいた目玉焼きを咀嚼して飲み込んでから、駒川の質問に答えるために口を開く。

 

「俺、高校には通ってないぞ」

 

「…え?」

 

「俺、中卒」

 

「…」

 

 駒川が目を丸くして固まっている。

 そこまで驚く様な事だろうか?確かに本家の人間には高校に通っている奴もいたが、そうじゃない奴は決して珍しくはなかった。

 陰陽師界隈では別にそんな─────って、駒川家はその界隈から抜けて長いのか。それならまあこの反応も仕方ないのか?

 

「いや、すまない。これから私は学校に行くし、良ければ案内しようかと思っていたんだ」

 

「…あー、そういや保健医してんだっけか」

 

 駒川の返答を聞いてから思い出す。駒川は診療所を営んでいるだけでなく、この町の学校の保健医も兼任している。

 今日から新学期ならば、当然駒川も一職員としてこれから学校に通う事になる。そして、駒川は俺も今日から学校に通うものだと勘違いしたらしい。

 

「しかし…それは少し残念だね。陽明」

 

「あ?何が」

 

 不意に、駒川が悪戯気に笑みを浮かべて可笑しな事を言い出した。

 怪訝に思いながら駒川を見返して聞き返すと、笑みは変わらず浮かべたまま駒川は続けた。

 

「芳乃様の制服姿、なかなかに似合っているんだよ?」

 

「…」

 

 思わぬその台詞に俺は返事を返す事が出来なかった。

 

 俺は今まで、高校に進学しなかった事に後悔した事はなかった。

 中学を出てからは修行に集中したかったし、進学すれば修行の時間をとりづらくなると考えて進学を選ばなかった事に後悔なんてなかった。

 

 しかし今、俺は初めて、ほんの少しだけ後悔していた。

 俺は進学していない。高校に通っていない。つまり、俺は学園に通う必要はない─────言い方を変えれば、学園に通う事が出来ない。

 

 先程の駒川の台詞を声には出さず、頭の中で反芻する。

 学園に通えない、つまりそれは、芳乃の制服姿を見られないという事でもあるのだ。

 

「…残念だね?」

 

「何が」

 

「いや?別に?」

 

 こいつ─────切れ痔になる呪い掛けてやろうか。あれ地味にきついみたいだからな。実際に呪いを喰らった本家のあいつの顔を思い出す。

 …あれは傑作だった。今でも笑いそうになる。

 

 いや、待てよ…?芳乃の制服姿を見たいのなら、何も学校に通わなくても良いじゃないか。時間的には…家を出るには少し早いか?だが、もう着替えていても可笑しくない時間だ。

 

 よし、式神を飛ばそう。使い方があれ過ぎるが、芳乃の制服姿を見るためだ。やむを得ない。

 

「陽明…?どうしていきなり式神を出したんだい?しかもその式神、君の手に止まったまま飛ばないけど…」

 

「うるさい黙ってろ。おい、おい。くそ、何故飛ばない…っ」

 

 駒川の疑念に満ちた問い掛けを無視して俺は札から解放した小鳥の式神に命令を送り、芳乃の元へ飛ばそうとする。

 しかし、いつもは命令を送ればすぐに飛び立つというのに今回は何故か飛び立とうとしない。

 

 まさかとは思うが─────俺の邪念を感じ取って命令を拒否しているんじゃないだろうな。

 馬鹿な。式神とは本来術者に絶対服従、命令に逆らうなんてあり得ない事なのに。

 

「何故だ式神、何故動かん!」

 

「その台詞は色々と危ない気がするよ陽明」

 

 動かない式神に呼び掛けるも、小鳥の式神は首を傾げるだけ。

 くそ…、飼い犬に手を噛まれるとは微妙に違うが、そんな気分だ。

 

「こうなったら…隠し身の術で通学中の芳乃を見に行くしか…」

 

「陽明、目を覚ますんだ。本気でそれを実行すれば私はおまわりさんにストーカーとして君の身柄を明け渡さなくてはいけなくなる」

 

「警察が怖くて覗きが出来るかぁっ!」

 

「開き直るんじゃないっ!」

 

 この後、駒川の必死な呼び掛けによって俺が平静に戻るのは数分経ってからの事だった。

 でも…見たかったな、芳乃の制服姿。有地は見れて何で俺は見れないんだろ。

 

 …自業自得ですね、分かってるよこんちくしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の錯乱についてすっかり頭から抜けたお昼頃、太陽がほぼ真南に昇る時間帯に俺は家を出て街を歩いていた。

 向かう先はまあ予定調和というか、朝武家の裏にある山だ。昼飯も適当に焼きそばを作って済ませ、腹も膨れた所で仕事に取り掛かる事にした。

 

 したのだが─────街中の雰囲気に俺は違和感を抱いていた。

 

「(…学生多くね?)」

 

 そう、街中を歩く住民達の中に学生が混じっているのだ。それも、こうして疑問に思う程度には多い。

 というか、おかしくないか。まだ正午を回ってすぐだぞ。普通今頃の時間帯は昼休み─────いや、まだ四時間目も終わってないんじゃないのか?

 何で普通に学生達が外を歩いて─────

 

「(あぁ、今日が始業式だからか)」

 

 そこまで思ったところで、思い出す。今日が始業式の日である事を。

 いや、始業式の日であっても午後は普通に授業という学校も多くあるが、鵜茅学院はそうではないのだろう。そうでなくてはこの光景の辻褄が合わない。

 もし俺の考えが外れていて午後も授業なのだとしたら、それにも関わらずああして学生が外を出歩いているのだとしたら─────学院の治安は終わっていると断言して良いだろう。

 

 とりあえず、もうこの事については良い。学生がここに居ようが居まいが俺には関係ない。これからの俺の予定が変わる訳でもない。

 この時の俺は、そう思っていた。間違っているなんて微塵も思っていなかった。だが、俺は分かっていなかった。

 

 学院が午前中で終わるのなら当然、学生は全員学院から出て各々の帰路に、或いは友人達とどこかに出掛けていく。

 そう、学生ならば誰でも漏れなく、例外なく、そうするのだ。

 

「陽くん?」

 

 山に、朝武家がある方へ行く道に入ろうとしたその時、俺を呼ぶ声がして足を止めた。

 

 声がした方へ振り返ると、振り返った先には俺を見て驚いたように目を丸くする三人の男女が立っている。

 

 そう、学生なら当然学院を出る。学院を出て、各々思う場所へと行く。そして、その中で多いのは恐らく自分の家へ帰る者。

 彼女は─────芳乃は、その多数に含まれるのだろう。

 だから、こうなるのは驚くほどの事じゃないのかもしれない。

 

「お前ら…」

 

 しかしだからといって、まさかこんな所で彼女達と出会うなんて思ってもいなかった俺は驚きを隠せなかった。

 確かに外に出た時間帯的にこうなる可能性は高いのかもしれないが、まさかこうも見事にばったり出会す事になるとは。

 

「どうしてここに?」

 

「山に入ろうと思ってたんだよ。昨日、お前らに見せた欠片を集めるために」

 

 驚きを収めてから次に芳乃達は疑問の表情を浮かべた。

 俺に問い掛けてきたのは芳乃だったが、一緒にいたもう二人、茉子と有地も同じ事を思っていたのだろう。俺の返答を聞いた二人は芳乃と一緒に納得の表情を浮かべた。

 

「それなら今頃、ムラサメちゃんも欠片を探していると思うぞ」

 

「ムラサメ様が?…そうか」

 

 有地の台詞に、今度は俺が驚く番だった。だが、確かに昨日もムラサメ様は欠片の探索に協力できるという旨を言っていた。

 その言葉通りの行動を早速今日、実行に移してくれた事への感謝を胸に抱く。

 もし山で会えたら、そうでなくても探索に一段落をつけた後、ムラサメ様を探して礼を言わなくては。もしムラサメ様が欠片を回収していたら、その欠片を受け取らなくちゃいけないしな。

 

「あの、私も手伝います」

 

 芳乃が瞳に決意を携えて、そう言ったのは俺がそこまで考えた時だった。

 芳乃だけじゃない。茉子も有地も、言葉には出さずとも芳乃と同じ事を思っているのが見て取れた。

 

「…まずは家に帰って着替えろよ」

 

「っ…はいっ!」

 

 何がそこまで嬉しいのか知らないが、俺が返事を返すと芳乃は輝くような笑顔を浮かべながら頷いた。

 俺は昨日、芳乃達に協力を頼むと言っている。それなのに、ここで芳乃達の手助けを断る方が可笑しいというのに。

 

 とはいえ、俺以外の三人は学院の制服を着ている。制服を着たまま山に入り、欠片を探す訳にもいかない。

 制服を汚せば大変だろうし、まず第一に制服姿のままでは動きづらいだろう。

 

 こうして山へ行く前に寄る所が出来た俺は自然な流れでそのまま芳乃達と一緒に歩く事となる。

 

「それはそうと陽明くん。芳乃様の制服姿、どう思います?」

 

 不意に俺の隣に駆け寄ってきた茉子がそう口にしたのは、四人で歩き出してからすぐの事だった。

 

 そう問われて、僅かにドキリとする。そして同時に、朝の出来事も思い出す。

 

「ま、茉子?いきなり何を言い出すの?」

 

「いえいえ…。単なる私の興味本位ですよ?」

 

 突然可笑しな事を言い出した茉子に芳乃が問い詰めるも、茉子は堪えた様子はなくむしろ、僅かに頬を染めて恥ずかしそうにする芳乃を見て浮かべていた笑みを更に深くする。

 

「…」

 

 歩きながら芳乃が横目でこちらを見る。頬に浮かべた羞恥の色をそのままにこちらを覗く芳乃の表情に胸を高鳴らせながら、改めて今の芳乃の格好に視線を回す。

 

 全体的なテイストは洋風だが、部分部分に和のテイストを感じさせる制服は芳乃に着て貰うために作られたのではと思えるほどに似合っていた。

 それに、俺の目を奪うのは芳乃の服装だけではない。芳乃は小さい頃から普段は髪を横にまとめてサイドポニーにしていた。そしてそれは今でも変わらなかった。昨日、芳乃と再会した時も髪型はサイドポニーだったし、家に帰ってからも髪型はそのままだった。

 だが今は違う。今の芳乃は髪をまとめる髪型ではあるものの、まとめた髪を横にではなく後ろに下ろしていた。そう、つまりポニーテールである。

 

「陽くん?じっと私を見て…どうしたんですか?」

 

 初めて見る芳乃の姿に目を奪われたまま視線を外せないでいると、芳乃が俺に問い掛けてくる。

 しまった、流石に不躾に見すぎたか。誤魔化す─────いや、そういう訳にもいかない。俺はもう、芳乃には嘘を吐きたくない。

 

 芳乃は気にしないと言ってくれたが、俺は芳乃との約束を破り、それだけでなく芳乃と再会するまでは芳乃を騙し続けようとした。

 だから、だろうか。恥ずかしくない訳がない。それでも、誤魔化したいという気持ちをそれ以上に強く湧き上がる、芳乃に嘘を吐きたくないという気持ちが塗り潰していった。

 

「すまん。似合ってて見惚れてた。綺麗だと思う」

 

「…っっっっっ!!!!!?」

 

「「おぉ~…」」

 

 言ってすぐ、俺は耐えられず芳乃の顔から視線を逸らした。だから、芳乃がどんな反応をしたのか分からない。

 顔が熱い。鏡がないため分からないが、きっと俺の顔は羞恥で真っ赤になっているのだろう。

 

 背後からは茉子と有地が合わせて声を漏らしたのが聞こえた。

 

「まさか、ストレートに感想を口にするとは。陽明くん、やりますね」

 

「男─────いや、漢だ」

 

「うるさい」

 

 好き放題言う、背後の二人に向かって振り返りながら一言突きつける。

 だが全く効いた様子はなく、茉子は勿論有地までニヤニヤと笑みを浮かべたまま前を歩く俺と芳乃を眺めていた。

 

 くそ、別に勝負とかしてないのに途轍もない敗北感を覚える。

 

「…」

 

 しかし二人に怒りの矛先が向かったお陰か、先程までの羞恥はやや薄れ、横目で気付かれない様にではあるが、芳乃の方を見れる余裕が出来た。

 ちらり、と芳乃の方を見て、俺は彼女の表情を目にする。

 

 嬉しそうに、それでいてどこか恥ずかしそうに微笑む、でもこちらを見ようとしない芳乃の横顔を。

 

 また、俺は芳乃に視線を釘づけにされて─────

 

「っ!…ん、やぁ…っ」

 

「…芳乃?」

 

 突然立ち止まった芳乃の変化に気が付いた。

 

 胸元で両手を握りしめ、両眼を閉じ、何かに耐えるように体を震わせる芳乃。

 

「朝武さん?」

 

「…これは」

 

 俺から少し遅れて同じように異変を感じた茉子と有地が駆け寄ってくる。

 俺と同じく芳乃を呼び掛ける有地と、芳乃の状態を見て僅かに顔を顰める茉子。

 

「ぅあっ!んん…んんんっ…!」

 

 どこか艶めかしい声を上げる芳乃。今顔に浮かんでいる赤みは、先程のような羞恥のものではないのだろう。

 

「芳乃、どうした。しっかりしろ!」

 

「陽明くん、これは─────」

 

 初めて見る芳乃の状態に、そしてなかなか収まらない芳乃の苦しみ様に次第に焦りが募る。

 思わず声を荒げながら芳乃へ呼び掛ける俺に、茉子が俺の肩を叩きながら声を掛けてくる。

 

 だがその言葉が続く前に、芳乃に更なる変化が訪れた。

 

「んあっ!ああっ!んんんんん─────っ!」

 

 荒くなる呼吸、そして続く叫び。

 それと共に、にょきっと芳乃の頭から生えた白い耳。

 

 そう、耳だ。人間のものではなく、どこからどう見ても獣のものと思われるふさふさとした毛並みのある白い耳。

 

 そうか、さっきまでの芳乃の苦しみ方は耳が現れる前兆─────つまり。

 

 今この瞬間、あの山のどこかで祟り神が発生したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十二話






実はもうすぐ誕生日なんですよ私。
プレゼントには残業がない人生が欲しいなぁ…。

アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が辺りを包む時間帯の穂織の街は昼の賑やかさとは打って変わって静まり返る。

 これが中央の街道ともなれば話は変わってくるが、住宅街─────ましてや外れの山に近い所ともなればその静けさに不気味さすら感じる程にまでなる。

 

 そんな、夜はまず人が寄り付かない山付近、朝武家の前で俺は芳乃と茉子が準備を終えて来るのを待っていた。

 

 事の始まりは数時間前、学校帰りの芳乃達と歩いていた時。

 突如芳乃の頭に獣耳が生え、山中のどこかで祟り神が発生した事を知った。

 その後、山で例の欠片を集める予定を中止。芳乃はそれから夜、祟り神を祓うその時まで奉納の舞いを行い、俺も一旦駒川の家に戻って対祟り神の準備を進めた。

 

 まあ俺の方は準備といってもする事なんて殆どなく、武器と式神が揃っている事の確認くらいしか行わなかったが。

 

 街に戻ってきてから、祟り神とは二度交戦している。

 芳乃達に協力をお願いした手前、芳乃と茉子についてきてもらう事にはなったが、正直に言ってしまえば祟り神を祓うのは俺一人で充分だというのが内心の本音だ。

 むしろ、俺のスタイル上周囲に人がいると戦いにくい。

 それは俺の基本的な得物が長槍という所から察してもらえると思う。

 

 なら、どうして芳乃と茉子も連れていく事にしたのか。

 上から目線な言い方になってしまうが、二人の力を確かめたいと考えたからだ。

 

 秋穂おばさんが亡くなってから、祟り神を祓う役目は芳乃と茉子に引き継がれた。数年の間、芳乃と茉子は二人の力で祟り神を退け続けてきたのだ。

 その力をこの目で見たい、と思った。

 

 勿論、危ないと感じたその時にはすぐにフォローに入れるよう準備はしておく。

 ─────あまり気にしない様にしたいのだがぶっちゃけると、どうも嫌な予感がしてならないのだ。

 別に山の中から特別強い力、邪気を感じたとかそういう事ではない。ただ何というか…言い知れない寒気が背筋を奔るというか。

 

 こういった事はこれまで何度かあった。そして、この感覚を味わった時は大抵─────というより全て、碌でもない事に襲われてきた。

 

「…やっぱり、一人で行くべきか?」

 

 これまでの経験を思い出す。

 ある時は一緒に戦線を共にした奴が大怪我をして、ある時は長い時間を掛け、苦労して作り上げた式神を妖に殺され、ある時は色々とテンションが可笑しくなって妖を滅する際に周囲を焼け野原にしてしまった。

 

 …いや、最後のは可笑しいな。ただの俺の自業自得じゃないか。

 

 とにかく、やはり芳乃と茉子を連れていくべきではないかもしれない。そう思った時だった。

 

「お待たせしました」

 

 そう声がしたと同時、二人の少女が姿を現す。

 

 一人はやや露出が激しい黒い忍装束に身を包んだ─────いや、待て。忍装束、なのか?これが?

 

「どうかされましたか?」

 

「…茉子。お前、その格好でお祓いに行く気か?」

 

「はい、勿論。代々常陸家にて受け継がれてきた正装ですから」

 

 俺がやや戸惑っている事に気付いていないのか、茉子はぐっと張った胸を拳で軽く叩きながら俺の問い掛けに答えた。

 

 ただでさえ茉子の今の格好は露出が激しいというのに、その状態で胸を張ればどうなるか。茉子の立派に育った胸が強調され、更にそこに拳が押し付けられる事で胸の形がそれは柔らかそうに変形する。

 

 正直、茉子と出会ってから今までこいつを女として意識した事は一度もなかった。が、こんな光景を見せられれば男なら誰でも目が釘付けになってしまう。

 俺も男だ、例には漏れず茉子の格好に、茉子の胸辺りにどうしても視線が吸い寄せられて─────

 

「陽くん。どこを見てるんですか?」

 

「いや別にどこも?それよりも芳乃、痛いんだが」

 

 茉子のとある体の一部分に吸い寄せられた視線が、左の二の腕に奔った痛みで外される。

 そして、茉子から外れた視線は俺の()()へと向けられた。

 

 そこには俺を白けた目を向けて俺の腕を抓る芳乃がいた。

 芳乃の問い掛けに対して何でもない風を装って答えた後、俺の腕を抓る芳乃の白い手を軽くぺちぺちと叩きながら痛いと告げると、芳乃はぷいっとソッポを向きながら俺の腕から手を離した。

 

 そんな少々不機嫌そうな顔をしている芳乃の格好は赤を基調とした巫女服姿だ。

 普段舞いをする時も芳乃はこの服を着ているのだが、その時は桜の花が描かれた羽織を身に着けている。

 今は動きやすさを求めたのか、その羽織を着ていない。そのためやや腕の辺りが露出しているが、まあ茉子と比べればその程度の露出無いも同じだ。

 

 が、羽織を身に着けていないため、芳乃の巫女服姿が全身見える。これが俺にとって問題だった。

 芳乃の細いウエストには赤い帯が巻かれている。そのせいで、茉子に負けず劣らず育った、その…あれが強調された形になっているのだ。

 茉子のように露出が激しい訳ではないのだが、これはこれで視線が吸い寄せられてしまう。

 

「あは~」

 

「…なんだよ」

 

「いえいえ。陽明くんも立派に男をやってるんだなぁ~と思いまして」

 

「…」

 

 芳乃のとある一部分に一瞬目が釘付けになってしまった事に気付いた茉子が悪戯気な笑顔を浮かべる。

 

 こいつ。マジで良い性格してやがる。いや今回は俺が自爆しただけだから耐えてやるが、次同じように揶揄ってみろ。

 軽く呪いをかけてやる。女として地味に困る感じの呪いをな。

 何がいいかね…。やっぱ痔になる呪いか?

 

「陽くん、茉子。話はそこまでにして、早く山へ行きましょう」

 

 和やかな空気が芳乃の声に引き戻されるようにして引き締まる。

 

 そう、ここに集まっているのは三人で話をするためじゃない。

 これから俺達は命を賭ける戦いをしに行くのだ。

 

 茉子が芳乃の言葉に頷き、俺も何も言わないまま山の方へと足を向ける事で応える。

 俺を先頭にして、俺達は朝武家の門から離れ、山へと足を踏み入れていく。

 

 静寂に包まれた夜の山には俺達三人の足音と風に揺れる木の葉の音しかしない。しかし、山の中に漂う祟りの気配を俺は確かに感知していた。

 もし山に入っても祟りの気配が感じられなければポチに頼ろうと思っていたのだが、その必要はないらしい。

 

「二人とも、こっちだ」

 

 顔だけを後ろに歩く二人に向けて言うと、二人は初め驚いた様に目を丸くしたが突如歩く方向を変えた俺の後をついてきてくれた。

 

「陽明くん。祟り神のいる場所が分かるんですか?」

 

「あぁ。熟練の陰陽師ともなれば、感知専門の式神には及ばないがそれなりに気配には敏感になるんだよ」

 

 茉子の問い掛けに答えてから軽く陰陽師としての俺の力について説明する。

 軽くといっても本当にほんの少し、力の一端とすらも言えない程度にだが。

 

 意識を集中させ、感知に引っかかる祟り神の気配を逃がさないようにしながら歩を進める。

 その際に、後ろを歩く二人が祟り神と出会う前に疲れないよう歩く場所を気にする事も忘れない。

 

 ここにいるのが俺だけだったらどれだけ木や草が生い茂ってようと、目標への最短距離を一直線に駆け抜けるのだが。

 二人も何度もこうして山の中に入っているだろうしそれなりに体力もついているとは思うが─────流石に陰陽師基準で考えちゃダメだろう。そこには流石に気を配る。

 

「…ん?」

 

 そうこうしている内に、祟り神との距離も少しずつ近づいてきて、そろそろ向こうも俺達の存在に気付くのではないかという所まで来た時だった。

 俺の感知範囲内に祟り神とは別の、もう一つの()()()()()()()()気配が引っ掛かった。

 一旦足を止め、祟り神から集中を外してそちらの気配に意識を集中させる。

 

「陽くん。どうかしましたか?」

 

「…いや、何でもない。行こう」

 

 直後、その気配の正体を悟り、()()()()()()()()()()敵意がない気配から意識を外して再び祟り神の気配へ集中を向ける。

 

 ─────どういうつもりかは知らないが、覚悟があるのなら構わない。ただ、そうでないのなら。

 

 一度だけ、先程気配が感じた方へと視線を向ける。

 

 ─────覚悟もなく踏み込むつもりでいるのなら…、どうなっても知らないぞ。()()

 

 山中を歩く俺達の体を冷たい風が撫でる。柔らかく暖かい春の風ではなく、冷たく刺すようなまるで冬に吹き荒ぶ風。

 近付いてくる俺達に気付いたのか、()()()()俺達の方へ接近を始めた。

 

「こっちに来る」

 

「「っ…!」」

 

 たったその一言で状況を察した芳乃と茉子に緊張が奔ったのが、背後から聞こえてきた二つの息を呑む声で分かった。

 

 足を止める。

 向こうから来てくれるのならこれ以上歩く必要もない。あちらが接近を止めるようならまた対応を変えるべきかもしれないが、そうでないのならここで準備をし、迎え撃つ方が効率的だ。

 

 懐から妖力を込めた札を三枚取り出す。

 芳乃が鉾鈴を両手で握りしめ、茉子が二本の苦無を両手に構える。

 

 俺達が足を止めた事で、周りで響く音は風が流れる音と草木が揺れる音だけになる。()()()()()()

 

 足を止めてから数十秒、どこからか何者かが草木を踏んだような音がした。

 その音が鳴った方へと、芳乃と茉子が弾かれたように視線を向ける。

 

 音は断続的に鳴り続ける。そして、その音は次第にこちらに近付いてきていた。

 

「─────?」

 

 ()()()()()近付いてくる音に違和感を覚えながら、俺も芳乃と茉子が視線を向けた、音が鳴る方へと向いた時。

 ゆらり、と草陰から現れた黒い影。

 

 長い尾を揺らしながら、黒い泥に形成された祟り神が姿を現した。

 

「っ、芳乃様!」

 

 かと思うと、祟り神は揺らしていた長い尾を芳乃に向かって振り下ろす。

 その直後、振り下ろされる尾の軌道上に茉子が割り込み、苦無で尾を打ち払う。

 

「芳乃様、陽明くん!下がって!」

 

 茉子と祟り神は互いに位置を入れ替えながら苦無と尾を打ち合う。

 迫る尾による一撃を茉子が打ち払い、打ち払われても祟り神は次なる一撃を茉子に向け続ける。

 

 俺と芳乃は茉子の言葉通り一度下がり、少し離れた所で茉子と祟り神の交錯を見守る。

 

 恐らく、これがいつものお祓いの流れなのだろう。

 茉子が前線で祟り神と打ち合い隙を作り、その隙を突いて芳乃が霊力が込められた鉾鈴を突き立て祟り神を祓う。

 

 芳乃は祟り神と打ち合う茉子を心配そうな眼差しで見つめているが、その中に祟り神の隙を見逃さない冷静さが見て取れた。

 

「…」

 

 さて、いつまでも二人の観察に精を出し続ける訳にもいかない。

 俺も祟り神へと視線を向け、いつでも妖の動きを封じる札を投じられるよう準備をして茉子の戦闘を見守る。

 

「くっ…!」

 

 茉子の表情が僅かに苦悶に歪む。同時に、食いしばる白い歯の間から声が漏れた。

 

 まさに忍、と言える素早い動きで祟り神の攻撃をいなし続ける茉子だが、次第に均衡は崩れていく。

 いくら分散されたとはいえ、相手は強力な妖。陰陽術を使えない人間がここまで戦える方が異常なのだ。

 

「茉子っ!」

 

 迫る尾を苦無で防ぐ茉子。だが、衝撃を受け流しきれず体勢が僅かに崩れる。

 

「っ、はるく─────」

 

 茉子を助けに行くために飛び出そうとする芳乃を手で制しながら、もう一方の手で一枚の札を祟り神に向けて投じる。

 

 この札が祟り神の体に触れた時、祟り神は札の力によって縛られ、動きを封じられる。

 

 祟り神は尾を向ける先、茉子に意識を向けている。憎しみの塊である祟り神は思考能力を持たない。

 故に、意識外からの攻撃はまず間違いなく命中する筈だった。

 

 しかし直後、俺の目に驚くべき光景が飛び込んでくる。

 

「なっ─────」

 

 思わず驚きに声を漏らす。

 俺が札を投じた瞬間、祟り神は動きを止めると、こちらを見て迫る札を察しその場から跳んで避けたのだ。

 

「芳乃様!陽明くん!」

 

 あり得ない─────そう叫びそうになるのを抑えながら、祟り神が次なるターゲットである俺に向けて尾を突き出してくる。

 

 溢れ出るおぞましい殺意は明確に俺へと向けられているが、自然と奴の視界には俺の傍にいる芳乃も捉えられている。

 

「俺の後ろに」

 

「っ…」

 

 芳乃を制すために伸ばしていた腕を芳乃の腰回りに巻き付け、自身の体を芳乃の前へと出す。

 そしてもう一方の腕で先程祟り神に投じたものと同じ札を取り出し、今度はすぐに手放さず迫る尾の先を見つめる。

 

「きゃっ」

 

 芳乃の細い腰を抱えたまま体を翻し、迫る尾を躱す。

 その際、通り過ぎていく尾に向かって手を伸ばし、その手にある札を貼り付けてやる。

 

 それは以前、祟り神と戦闘した時に使用した封印の札、の劣化版である。恐らく数秒の間祟り神の動きを封じられる。

 たった数秒、されど数秒。忍である茉子にとっては体勢を整え、そして祟り神の隙を作るには充分すぎる時間である。

 

「はぁ─────っ!」

 

 黒い疾風の如く、くノ一が駆け抜けその手に握る苦無で祟り神を切り裂く。

 

「─────っっっ!!!?」

 

 それと同時、俺が貼り付けた札の効力から逃れた祟り神は声にならない叫びを上げながらふらりとよろける。

 

「今です、芳乃様!」

 

「行け、芳乃!」

 

 その姿を見た芳乃は、俺と茉子が声を上げる前にすでに走り出していた。

 

 流石に茉子ほどではないが、それでも一般的な女子高生とは一線を画する速さで祟り神にまで迫ると、芳乃は大きく鉾鈴を掲げ、振り下ろす。

 

「これでっ!」

 

「─────」

 

 振り下ろされた鉾鈴は祟り神の脳天から突き刺さり、顎の辺りまで貫通。

 先程茉子の苦無で切り裂かれた時のような悲鳴を上げる事無く、鉾鈴を突き立てられた祟り神はどろりと体を崩し、そして煙となって消えていった。

 

 祟り神が消えてからも少しの間、芳乃と茉子は警戒を続けていた。

 しかし、これ以上何事も起こらず、祟り神も再び姿を現す気配はなく、やがて二人は警戒を解いてから大きく息を吐いた。

 

「お疲れさまでした、芳乃様。陽明くんも」

 

「うん。茉子も…陽くんもお疲れ様」

 

「…あぁ」

 

 労いの言葉を二人で掛け合ってから、芳乃と茉子は俺にもその言葉を向ける。

 それに返事を返しながら、俺はある方向へと視線を向けていた。祟り神と戦闘に入る前、こちらに近付いてくる人の気配を感じた方。

 

 その時はこちらからやや遠かったのが、今ではすぐそこにまで近付いてきていた。

 

「「─────っ!?」」

 

 直後、がさりと俺が視線を向けていた方の藪が揺れた。

 芳乃と茉子が緊張を奔らせながら音が鳴った方へと警戒とそれぞれの得物を向ける。

 

 一方、残る俺は特に何もしない。何も持たない。何故なら、そこにいるのは─────

 

「若狭。朝武さんに、常陸さんも」

 

「む?なんじゃ、もう祓い終えてしまったのか?」

 

 こちらに近付いてきていた気配の主である、()()()()()()()()なのだから。

 

「有地さん!?」

 

「来てしまわれたんですか…」

 

 驚いた顔を浮かべる芳乃と茉子。

 

「どうして来たんですか!山に入ってはいけないとあれほど…」

 

「まあまあ、芳乃様。言いたい事があるのは分かりますが、祟り神はもう祓ったんですし。今は一度お家へ帰りましょう」

 

 有地に詰め寄ろうとする芳乃を宥める茉子。そして、もう祟り神を祓い終えたと聞いてやや拍子抜けた表情を浮かべる有地。

 有地としては俺達と一緒に祟り神と一戦構えるつもりだったのだろうが、残念ながら今日の所はそれは叶わない─────

 

「っ、伏せろ有地!」

 

「へ?」

 

 不意に、視界の端で小さく光る何かを捉えた。その何かは宙を舞い、放物線を描きながら地面に落下していく。

 その光る何かの正体と、()()()()()()()()()()()()()で先程起こった事を思い出した俺は何かを考える前に叫んでいた。

 

 だが言葉の矛先である有地はきょとん、と訳の分からない表情を浮かべて戸惑っている。

 有地の反応の遅さに苛立つ暇もない。すぐさま地面を蹴り、有地に向かって飛び掛かり、地面に押し倒す。

 

 直後、後頭部に感じる風圧と数本の髪の毛が持っていかれた感覚。

 どしゃりと有地と二人で地面に倒れこんですぐ、体を起こし、視線を回して事態の把握を急ぐ。

 

「…そんな」

 

「どうして…」

 

「こんな、ことが…」

 

 芳乃、茉子、ムラサメ様が同じ方向を見て驚愕している。そして、俺もまた彼女達と同じ方向へ視線を向けていた。

 

「…あれは」

 

 地面から湧き上がる黒い泥。泥は急激に量を増やしていき、意思を持っているかの如くゆっくりと形を形成していく。

 その光景を見ながら立ち上がる俺の背後で、有地が震える声を漏らした。

 

 この光景を俺は前に見た事がある。

 山の中で拾った欠片について調査するために、一度欠片を割ってみようと思い立ち、それを実践しようとした時の事だ。

 あの時は欠片を実際に割る前に欠片が発熱し、思わず手から落としてしまった欠片から泥が発生。発生した泥はやがて、祟り神を形成した。

 

 今目の前に広がる光景はまさにそれと同じだった。

 先程俺達が祟り神を祓った、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「祟り神─────」

 

 祟り神は再び、俺達の目の前に姿を現したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十三話






VS祟り神続きです


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地面から泡立つ黒い泥はやがて宙へと浮き、円形を型取ると次第に形を歪ませていく。

 あの時と同じだ。形を歪ませた泥はゆっくりと犬型、祟り神の形を形成していき、四本脚を地面に着ける。

 

「祟り神が、復活した…」

 

 茉子がぽつりと呟く。

 祟り神の復活、まさにその言葉通りだ。俺達が滅した、祟り神が消えたその場所で再び祟り神が現れたとなればそう思うのも無理はない。

 

 ただ─────本当に、それだけなのか?祟り神が復活した、それだけでこの現象を片付けても良いのか。

 

 俺も陰陽師としてそれなりに場数を踏んだ。今まで戦ってきた妖の中で、一度滅しても再び現れるというものもいた。

 

 俺の脳裏に過るのは、黒い泥が湧いて出てきた直前に視界の端に映った光。

 何かが発光していたのか、それとも月明かりが反射したのか、それは分からない。だが、もし後者だとしたら─────

 

「…っ」

 

 不意に俺の索敵範囲内に、まさに湧いて出てきた気配に息を呑む。それも、現れた気配の場所は俺達がいる場所からそう離れていない。

 そして、その気配の主は真っ直ぐにこちらに向かってくる。

 

「もう一体、こっちに向かってくる!…っ」

 

 突如現れた新たな気配、すなわちもう一体の祟り神の存在を芳乃達に大声で知らせ、その事態を把握した芳乃達が息を呑んだその直後だった。

 

 俺達の目の前で現れた祟り神がこちらに飛び掛かってくる。

 それと同時にこちら目掛けて振り下ろされる二本の触手を、思い思いの方向へと避ける俺達。

 

 芳乃と茉子、有地とムラサメ様、そして俺と集団を分けさせられた俺達はその中央で着地した祟り神を警戒する。

 

「っ─────」

 

 すたっ、と着地した直後、祟り神は即座に顔を俺の方へと向ける。と同時に迫る二本の触手。

 体を翻し、首を傾け、迫る触手を回避してから俺はムラサメ様の方へと視線を向ける。

 

「陽くんっ!」

 

「こっちは大丈夫だ!ムラサメ様っ!」

 

「分かっておる!ご主人、芳乃、茉子!もう一体が来るぞ!」

 

 祟り神に襲われる俺を気遣う芳乃に返事をしてから、ムラサメ様に呼び掛ける。

 

 ムラサメ様は俺が言うまでもなくもう一体の祟り神の接近を察していた。

 ムラサメ様が言い、芳乃達がムラサメ様が見る方へ警戒を向けた直後、新たな祟り神が現れる。

 

「くっ、芳乃様!私の後ろに!」

 

「ご主人、叢雨丸を抜け!」

 

 茉子が芳乃を自身の背後へと押しやり、そしてムラサメ様は有地に刀を抜く様に告げる。

 

 言う通りに有地が叢雨丸を抜くと、ムラサメ様は目を瞑って集中を始める。

 淡い光がムラサメ様の身体を包んだかと思うと、光はみるみる強くなり、爆発したかと思わせる程に強く辺りを照らした。

 

 辺りを強く照らす光は一瞬、すぐに収まった後、叢雨丸の刃に変化が訪れていた。

 先程ムラサメ様の身体を包んでいた淡い光。それと同じものであろう光が叢雨丸の刃を包んでいたのだ。

 

 これが、叢雨丸の本当の姿。ムラサメ様と一体化し、神から賜った神力を発揮する本来の叢雨丸。

 少し離れた場所に立っている俺の方にまで、ビリビリと叢雨丸から放たれる神力が伝わってくる。そしてそれは、目の前で俺と対峙する祟り神も同様の筈だ。

 

 ─────こいつ…っ。

 

 だが、目の前のこいつは叢雨丸には見向きもしない。有地の方に何の反応も見せず、ただただ二本の触手を俺に向けて振るい続ける。

 

 先程の茉子と祟り神の打ち合いに似ていた。少し違うのは俺の手元に得物がないため、俺は振るわれる触手をひたすらに回避だけしている所。

 そして、振るわれる触手が二本の分、先程よりも展開が速い。

 

 四方八方から時に同時に、時に時間差をつけて迫る二本の尾を躱しながら追いかけてくる祟り神との距離を保つ。

 

 周囲には木が生い茂っているため障害物が多すぎる。それだけならまだ良いのだが、傍には芳乃達がいる。

 芳乃達を巻き込む危険がある以上、御手杵は使えない。となると基本は徒手空拳、札を用いながらの戦いになるのだが─────正直に言うと、あまり札を使いたくはない。理由は、札を作成するコストが割と高いからだ。

 

 この戦いで区切りがつくのなら出し惜しみはしない。だがそうではない。ここで祟り神を祓って終わり、という訳ではない。

 この戦いが終わってもまだ戦いは続く。時間が空いた時には一応札の作成に取り掛かってはいるのだが、作成のペースよりも消費のペースが早くなればいずれ札なしの戦いを強いられる事になる。

 

 こういう事情から、戦闘中札を多く使用するのは本当に必要な時だけに限らせたい。だが、それはこの場にいるのが俺だけの場合だ。

 この場で戦っているのは俺だけではない。茉子と有地が、芳乃も今この瞬間、別の怪異と対峙している。

 

 ─────仕方ない、か。

 

 内心、諦めにも似た思いを抱く。

 この場を凌ぐだけならば札を使えば良い。しかし、これから先も戦いは続く。

 故に俺は、()()使()()()()事を選択する。そのために()()()()()()()事を決めた。

 本来なら絶対に使わない、俺が()()()()()()だけにしか使わない手札。

 

 黒泥の獣が迫り、一度開いた俺との距離をみるみる縮めていく。

 それに対し、俺はその場から動かず、祟り神との距離を見定めながら頭の中で検算する。

 

 勝負は一瞬。正直、この戦いでの一番の問題は、すでに対峙する相手である祟り神ではなくなった。

 祟り神を祓えるかどうかではなく、どう祓うか。祟り神を、力の源であろうあの欠片ごと滅さない事。

 そして何より、芳乃達とこの森に被害を及ぼさない事。

 

 祟り神は二本の触手を俺目掛けて突き出してくる。それを回避しながら、俺はこれから動く方向と角度、それと()()()()を定めていく。

 

 ─────空が見えるのは、あそこっ。

 

 祟り神の攻撃を躱しながら、生い茂る木の葉の隙間から覗く星空を視界に捉える。

 その瞬間、俺は()をそこに定める。

 そうなれば考えるべきは絞られた。あそこを一直線に射抜くにはどこに祟り神を誘い出すか。誘い出した祟り神をどこから、どの角度で()()()()()良いか。

 

 思考に要した時間はコンマ数秒。導き出した答えを疑うことなく、俺はすぐさま行動に移す。

 

「っ!」

 

 迫る二本の触手の隙間に体を入れ込ませ、前へと転がって周囲を囲む触手から逃れて俺は駆け出す。

 

 駆け出した俺を祟り神は視線で追い、その直後俺の方へと祟り神もまた駆け出した。

 

 ここまでは狙い通り。そして俺はある場所で立ち止まると、懐から一枚の札を取り出す。その姿を見た祟り神の動きが更に加速する。

 

 札を貼られれば動きを一瞬にでも封じられる。その事を学習したのだろうか。

 もしそうだとすれば、()()()()()

 

 一体目の祟り神との戦闘の時もそうだった。

 祟り神が持っているのは朝武への怒りだけ。故に祟り神には思考能力が備わっていない筈。それに本来、憎しみの塊である祟り神が狙うのは()()()()()()()()のみの筈なのだ。

 長年朝武を守り続けてきた叢雨丸という例外はあれど、突然現れた俺をいきなり狙うなどあり得ない。

 

 そして今この瞬間、札を警戒するという思考的行動というあり得ない行動を起こした祟り神に内心驚きながらも冷静さは失わない。

 

 立ち止まった俺に触手を振るい続ける祟り神はやはり俺が握った札を警戒しているのか、俺に飛び掛かってこない。

 かといって、祟り神にとってはこのままではじり貧だ。

 

 視線が交わる。直後、祟り神は駆け出した。

 といっても真っ直ぐにこちらへは向かってこず、距離を保ちながら周りを駆け回るだけ。

 

 狙いとしては俺の視線を動かす事で、とにかく膠着した今の状況を動かそうとしている、といった所だろうか。

 そこまで祟り神が考えて行動しているかは分からないが、どちらにしてもその動きは俺の思惑の上だ。

 

「─────」

 

 地面を蹴り、こちらに迫る祟り神目掛けて駆ける。

 一瞬、祟り神が目を見開いたような気がしたが、余計な思考は捨て去る。

 

 あっという間に眼前にまで迫る二本の触手を姿勢を低くしながら体を翻して躱し、地面を踏み締める力を強くして更に加速する。

 恐らく背後では空振った触手の軌道を修正し、再び俺へと振るっている筈だ。

 

 前にはこちらに向かってくる祟り神、後ろには軌道修正された二本の触手。

 前門の虎、後門の狼とはまさにこの事か。逃げ場はあるにはあるが、今はそれを選ばない。

 

 触手よりも先に祟り神との距離が接触範囲内にまで近付く。

 祟り神は己の前足を振り被り、俺目掛けて振り下ろす。

 

 ─────狙う場所はすでに決めている。生い茂る木の葉の隙間から覗く夜空には綺麗に輝く月が浮かんでいる。あそこを正確に、木の葉を巻き込まずに撃ち抜くには、式神に込める妖力を絞り込まなくてはならない。

 

 右手に握る札に妖力を込め、この中に封じ込められていた式神を解放する。

 直後、札から右腕に巻きつく黒い靄が現れる。黒い靄は札を握る右手から手首、腕を通じて肘、肩にまで達する。

 

 式神を解放している間にも迫る前足を、右前方に倒れこむようにして避ける。

 その間、視線は狙うと定めていた木の葉の隙間から見える夜空から逸らさない。

 

 地面に両足を着け、見上げる視線の先。視界には夜空ではなく、祟り神の腹部が映し出されていた。

 

「っ─────!」

 

 祟り神がその場から離脱しようとする。それよりも先に、俺は祟り神の腹部に()()()触れ、式神に溜め込んでいた妖力を一気に撃ち放った。

 

 妖力は光線となり祟り神の腹部を貫き、それでもなお勢いは衰えず、天へと延びる光の柱は()()()()()()()()()()を通り抜け、夜空高く消えていった。

 

 腹部を貫かれた祟り神は動かない。動かないまま、ドロドロと形を形成していた泥は崩れていき、やがて一つの欠片を残して黒い泥は跡形もなく消えた。

 

「芳乃っ…!」

 

 地面に落ちた欠片を回収してからすぐに俺は戦闘の音が止まない、芳乃がいる方へと視線を向ける。

 そこでは祟り神と苦無を駆使して打ち合う茉子と、時折伸びる攻撃の手を躱し続ける芳乃と有地の姿があった。

 

 茉子が祟り神の攻撃を受け流し、黒い触手が大きく弾かれる。

 

「っ、今なら!」

 

 それに素早く反応して駆け出す芳乃。

 巫女姫としての役目を継いでから何度も祟り神と戦闘を続けてきた経験が、この反応の速さに繋がっているのだろう。

 

「朝武さん!」

 

「いけません芳乃様!正面からではっ!」

 

 それが真っ直ぐ、祟り神の正面からの突進でなければそれは正しい行動だったといえただろう。

 

 有地と茉子が芳乃に呼び掛ける前から俺は走り出していた。が、如何せん遠すぎる。先程の戦闘の内に芳乃達からだいぶ離れてしまっていた。

 これでは、間に合わない─────。

 

 だが、動き出したのは俺だけではなかった。

 

 思いの外早く体勢を整えた祟り神が触手をもたげ、芳乃を迎え撃つ。

 しかしそれよりも早く、芳乃よりも祟り神に近い位置にいた有地が祟り神の背後をとっていた。

 

 頭上から両手に握った叢雨丸を振り下ろす。

 それに対して、祟り神は背後に近付く有地の存在を気配で感じ取ったのか、回避行動をとっていた。

 

 結果的に言えば、有地の振り下ろしは祟り神に命中こそした。したのだが─────

 

 ─────浅い…っ。

 

 叢雨丸の刃は祟り神の身体にやや掠めただけに留まった。

 刃に切り裂かれた箇所からは決して少なくない量の泥─────祟りが零れている。しかし、祟り神から感じられる敵意は未だ衰えを見せない。

 

 祟り神は自身を切り裂いた有地と向かい合う。が、すぐさま有地から視線を逸らすともう一人、自身に迫る存在へと顔を向けた。

 

「このぉぉぉぉっ!」

 

 再び回避行動に出ようとする祟り神。

 だったが、いざ回避しようとする方に目を向けて─────その視線が俺の姿を捉え、祟り神は動きを止めた。

 

 芳乃の危機には間に合わず有地に助けられはしたが、せめてこれくらいはしなければ。

 有地と芳乃、祟り神の位置関係に加えて茉子がいる場所、これだけ条件が揃えば祟り神の動きはある程度予測できる。

 

 祟り神が動こうとした場所に先回りした結果、僅かな硬直を生む。祟り神のすぐ眼前まで芳乃が迫っているこの状況で、たとえ僅かといえどその硬直は命取りだ。

 

 振り下ろされる鉾鈴。それでもなお逃れようとする祟り神の頭部を掠めた一撃はかなり効いたらしく、呻き声をあげながらたたらを踏む。

 そこに間を置かず有地が追い打ちをかける。

 

「はぁぁぁぁぁっ!」

 

 気合の声を上げながら有地は再び叢雨丸を振り下ろす。

 芳乃の一撃によろけた祟り神は三度の回避行動に移る事は出来ないまま、有地の一撃をまともに受ける。

 

 神力を纏った刃の一撃を受けた祟り神は真っ二つになりながら形を崩し、消滅していった。

 

「…おわ、った?」

 

 叢雨丸を振り下ろした体勢のまま、先程まで祟り神が立っていた場所を呆然と眺めながら有地が口を開く。

 

『ああ、そうだ。安心しろ、ご主人』

 

 まだ実感が湧いていない様子の有地に、叢雨丸と同体化しているムラサメ様が優しく語り掛ける。

 

 ムラサメ様の声を聞いた有地は一度周囲を見回した後、今度こそ祟り神の姿がない事を確認してからようやく警戒を解き、大きく息を吐いてその場に座り込んでしまった。

 

 緊張から解放されて力が抜けたのだろう。それは有地の完全に気の抜けた表情から見て取れた。

 

「有地さん!」

 

 だが、戦闘の後いきなり座り込む姿を見れば人によっては別の疑いをかける。

 底なしの芳乃は俺とは違い、そっちの部類だった。

 

「大丈夫ですか?もしかして、どこか怪我をしたんですか?」

 

「いや、大丈夫。どこも怪我なんてしてないよ。ただ…力が抜けちゃって」

 

 苦笑しながら自身の問い掛けに答える有地に、一瞬きょとんとした顔を浮かべた芳乃は、一度安堵の息を吐いてから微笑んだ。

 

「それなら良かった…」

 

「おい。()()()()、はこっちの台詞だぞ芳乃」

 

 芳乃の優しい性格は美徳である。

 しかし、今の台詞は少々見過ごせなかった。

 

「は、はるくん?」

 

「祟り神の正面から突っ込んでいきやがって…。あの時どんだけ心配したか分かってんのか?」

 

「そ、それは…」

 

「芳乃様、私も陽明くんと同じ気持ちです。本当、陽明くんの真似をさせてもらいますが…()()()()、はこちらの台詞です」

 

「…ごめんなさい」

 

 しょんぼりと俯き、体を縮こませながら俺と茉子に謝る芳乃。

 

「…まあ、次から気をつけろよ」

 

「はい…」

 

 これで意地を張るならまだしも、本人もしっかり反省している様子だし説教は短くここまでにしてやろう。

 それに、ぶっちゃけ俺もあまり人の事言える立場じゃないし…本家にいた頃お世話になった師匠から似たような説教を何度も喰らった思い出は芳乃達には言わないでおこう。

 

「よっ、と」

 

「ムラサメ様」

 

 話が一区切りした所で、叢雨丸との同体化を解いたムラサメ様が姿を現した。

 するとムラサメ様は、一度祟り神との戦闘を終えて吐いた一息の後、すぐに芳乃へと向き直った。

 

「芳乃。大丈夫か?」

 

 そして、唐突にそんな事を聞き出した。

 質問を受けた芳乃だけでなく、俺達もまた一瞬呆ける。

 

「えっ、と…。はい。どこも怪我はしていませんよ?」

 

「いや、怪我もそうだが…。ご主人が叢雨丸を振った時、近くにおったであろう?」

 

「…あ」

 

 芳乃が質問の意味を少しはき違え、それをムラサメ様が訂正してから─────俺は思い当たる事があり、誰にも聞こえない程度のボリュームで声を漏らした。

 

「え!?もしかして、当たった!?」

 

「いえ。当たっていませんよ」

 

「そうではない。叢雨丸は霊的な存在を斬る事に特化しておる」

 

 そう。神刀叢雨丸は霊的なものを斬るために神が生み出した刀。その刃で例えば、人を斬る事は出来ない。そこらに生え散らかしてる木だって伐採する事は出来ない。

 何度も言うが叢雨丸は霊的なものを斬るために作られた刀。実体を持った物は基本的に斬る事は出来ないのだ。

 

 基本的には。

 

 ならば、ムラサメ様は何を心配しているのか。

 

「故にな、何らかの影響があるのではないかと─────」

 

「芳乃。今すぐ服を押さえた方がいいぞ」

 

「へ?」

 

 即座に感知範囲を広げ、芳乃に意識を向ける。

 そして、芳乃が着ている巫女服の()()()()()()()()()()()()事を察した俺はムラサメ様の言葉を遮って芳乃に忠告した。

 

 だが、いきなりそんな事を言われても芳乃としてはさっぱり分からないのだろう。

 芳乃だけではなく茉子と有地、ムラサメ様も俺が考えた可能性にまでは至っていなかったのか、同じように呆けた表情を浮かべていた。

 

 直後、ハラリと何かが舞い落ちる音がした。

 遅かった。遅かったが、同時に間に合った。

 何を言っているか分からないだろうが、今の芳乃の姿と、そしてソッポを向いている俺を見てくれればその言葉の意味は察せるだろう。

 

「…」

 

 流れる沈黙。

 ソッポを向いている俺の目にはどんな状況なのか見られないが、恐らく巫女服がずり落ちて下着姿となった芳乃と有地が向かい合っていて、その傍に茉子とムラサメ様が固まっている、といった感じか。

 

 とりあえず、遅かったが間に合ったという意味不明の言葉の意味は分かってもらえた事だろう。

 

「と、朝武さん!ごめん!気付かない内に朝武さんまで斬ってたみたいだけど、怪我はないかな!?」

 

「へ?あ、は、はい。怪我はありません…」

 

「そっか…。怪我がなくて良かった…」

 

「はい。怪我がなくて良かった…訳がありますかぁっ!」

 

 芳乃と有地の会話が、そしてその後に芳乃の凄まじい怒鳴り声が響き渡る。

 

「ななななんて事をするんですか!叢雨丸を使ってこんな事…最低!変態です!」

 

「い、いや!俺だってそんなつもりじゃ─────」

 

「とりあえず有地。お前はソッポを向くべきだ」

 

「っ!」

 

 いや、有地がどこを向いてるかなんて俺には分からないけどね?でも多分まだ芳乃の方を向いてるんだろうなぁと思ってたらマジだったらしい。あいつの息を呑む声が俺の耳に聞こえてきた。

 

 は?あいつ、なに?芳乃の下着姿を見たのか。

 さっきはとにかく視線を逸らさなければと必死になってたから気付かなかったけど、そうか…。

 

 有地に呪いを…切れ痔になる呪いを掛けてやろうか…。

 

「有地さん…」

 

「ひ、常陸さん…」

 

 茉子の低い声と、恐怖に震える有地の声が聞こえてくる。

 

 そうだ、茉子。有地にガツンと言ってやれ。

 お前の説教内容によっては有地への呪いは無しにしてやってもいい。

 

 なんて思っていたのだが、俺は今の茉子の性格をやや失念していた。

 

「肌に傷一つつけず、衣服だけ斬るとは…。何という腕前!私、感動いたしました!」

 

 どうやら切れ痔になるべき輩はもう一人いたらしい。

 

 なに感心してんだよ、なに感動してんだよ。お前は有地を るべき立場だろうがよ。

 

「はぁ…」

 

 茉子を叱責する芳乃の声を背後から聞きながら溜息を吐く。

 

 何だよこの状況、訳分かんねぇ。

 そんな力の抜けた思考をしながら俺は和服の上に纏っていた羽織を脱いで、羽織を掴んでいる方の腕を背後へと伸ばす。

 

「おい芳乃。これを着ろ」

 

「は、陽くん…」

 

「そんで、帰って着替えたら、斬られた巫女服を寄越せ」

 

 まだ芳乃の巫女服がどんな状態かは分からないが、状態によっては俺にでも直せるかもしれない。

 そう思っての台詞だったのだが、何故か周囲の空気が固まった気がした。

 

「陽明…」

 

「若狭…お前…」

 

「え、なにこの空気」

 

 訳が分からず戸惑いを隠せないまま、俺はソッポを向いたまま有地達に問い掛ける。

 

 その問いの答えは茉子の口から、俺が全く思ってもみなかったものが返ってきた。

 

「確かに可愛い女の子が着ていた服というのは男子にとってはかなり需要があるものかもしれませんが、まさか堂々と本人に向かって寄越せなんて…」

 

「そういう意味で言ったんじゃねぇよ阿呆どもっ!」

 

 いや確かにさ、一番重要な所を口にしなかったから誤解されるのは仕方ないのかもしれないけどさ。だからって()()はなくね?

 

「てか需要って何だよ!どんな需要だよ!」

 

「それは…女の子の口から言わせるなんて、陽明くんは変わってしまいましたね」

 

「…茉子、そろそろその口を閉じないと俺はお前に呪いを掛けたくなってしまう。明日、お前は切れ痔でさぞ苦しむ事になるだろうな」

 

「閉じます、もう何も言いません」

 

 放っておけば戯言を更に加速させるであろう茉子の口を無理やり閉じてから、俺はこの短時間で何度目かの溜息を吐く。

 

 俺が差し出した羽織を茉子が受け取ってから、茉子が芳乃の方から羽織を着せて、ようやく俺は視線を芳乃の方へと向ける事が出来るようになる。

 羽織を着てもやや際どい恰好ではあるが、さっきよりは間違いなくマシな筈だ。

 

「さて。ひと段落したのだし、早く戻ろう」

 

 笑顔でそう言うムラサメ様の言葉に頷き、俺達は帰路につく。

 その際、祟り神が落とした欠片を回収するのを忘れずに。

 

 ─────しかし、あの祟り神は何だったんだ。

 

 この森に入る時とは打って変わって、和やかな空気の中俺は先程戦った祟り神について思い出す。

 

 本来あり得ない思考的な動きに加えて、芳乃達には目もくれず俺を狙い続けた祟り神。

 

 そして、一体目の祟り神を祓った後。祟り神が復活する直前に視界の端に映った小さな光。

 

「…」

 

 掌を広げ、そこに載った小さな欠片を見つめる。

 先程戦闘を終えて回収した二つの欠片は、俺の手に握られている内にいつの間にか一つになっていた。

 

 月明かりが反射して光っているように見える欠片は透明なまま。

 俺は懐から一枚の札を取り出し、その札で欠片を包む。

 

 ─────考えてたよりも面倒な事になりそうだ。

 

 春の暖かい風ではなく、不自然なほど冷たい風が森の中を流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 

 祟り神を祓い、()()が立ち去って行った方を見つめる影。

 

 一度にたりと笑いながら、その人は掌を広げる。

 

 その掌の上には、()()()()()()()()()があった。

 

「叢雨丸の担い手は…まあ、あんなものか。それよりも問題は─────」

 

 まさかあんな怪物が現れるとは。いや─────()()()()()()()()()()

 

「…目的は、成すべき事は変わらない」

 

 だが、たとえ誰が自分の前に立ちはだかろうとやる事は変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           「朝武に災いあれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十四話






【祝】千恋万花、switch移植。そしてゆずソフト完全新作!

千恋万花も新作も楽しみ過ぎる。という事で投稿です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Another View~

 

「有地、まあ…あれだ。頑張れ」

 

 疲労困憊の体は重く、節々が僅かに痛む。徹底的に負荷をかけられた体は限界に近い…いや最早限界といっても良い状態だ。

 そんな状態で私、有地将臣は剣道の防具を全身に着込み、木刀を持って同じく槍に見立てた木の棒という得物を手に握る若狭陽明と対峙していた。

 

「それでは始めるぞ。両者構えろ」

 

 対峙する若狭は苦笑いを浮かべ、そして向かい合う俺と若狭の中央では澄ました顔でじいちゃんが立っている。

 俺の体を追い込んだのはじいちゃんの癖に、なのにこの人は全く疲労を感じさせない表情でぴんぴんとしていた。

 いや、事実疲労なんて感じていないのだろう。そして俺と同じメニューを熟した若狭もじいちゃんと同じようにケロッとしていて─────この二人は化け物か。

 

「始めぃっ!」

 

 じいちゃんが俺達からやや離れてから、大声で合図を上げる。

 こうなったらヤケだ。俺だってたった数日ではあるけれど、じいちゃんの扱きに耐えてきた。少しくらい…喰い下がって見せる。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 大声で自身を奮い立たせながら若狭に向かっていく。

 若狭も浮かべていた苦笑を収め、駆け出した俺の動きを捉え木の槍を構える。

 

 一体何故、こんな状況になったのか。

 説明するには数日前まで話を遡る必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の俺はいつも通りの時間に目を覚まし、ムラサメちゃんと一緒に軽く外の散歩をしてから身支度を済ませ、常陸さんが作ってくれた朝食を食べて登校した。

 その日の前日が祟り神を祓った日で、体に残った僅かな疲労が授業中眠気となって襲い掛かるも何とか耐え切り学校での一日を乗り切った。

 

 授業が終わってからは今週俺に割り振られた場所の掃除を同じ場所に割り振られたクラスメイトと一緒に済ませて帰る─────前に、俺は校舎を出てから姿を現したムラサメちゃんと共に志那都荘へと向かった。

 

 昨日─────祟り神との戦いで俺は皆の足を引っ張った。何かできればと思って家を飛び出して、ムラサメちゃんと一緒に戦おうとして、そして若狭達の足を引っ張った。

 

 結果的には俺が祟り神に止めを刺す形にはなった。でも、今日になって、朝の散歩中に思い返して分かるのだ。

 俺がいなければもっと上手く、三人は祟り神を祓えていただろう、と。

 朝武さんは俺が現れた事で動揺していつもと同じ動きが出来なくなり、常陸さんも祟り神との打ち合う中で俺という考慮すべき点を増やしてしまった。

 

 そして、若狭。

 若狭は俺達から引き離されて祟り神と一対一での戦闘となった。目の前の事に注視しなければと思いつつ、視界に入った若狭の動き。

 祟り神の攻撃を躱し、いなし、そして一撃で祟り神を撃ち消した一連の流れ。

 

 繰り返しになるが、祟り神に止めを刺したのは俺だ。でも、それだけだ。ただおいしい所を運よくとれただけ。

 あの時、きっとやろうと思えば若狭だって止めは刺せただろうし、近くにいた朝武さんも追撃でもっと深く鉾鈴を突き立てられた筈だ。

 

 俺だけ。

 俺だけ、何も出来なかった。

 常陸さんは祟り神と互角に打ち合って、朝武さんも俺が来る前の一体目の祟り神との戦闘では止めを刺して、若狭は祟り神を一人で祓った。

 

 悔しくて、情けなくて。

 

『ご主人が叢雨丸に選ばれた理由が必ずある。ご主人にしか出来ない事がある筈だ』

 

 ムラサメちゃんは俺にそう言ってくれた。

 

 俺にしか出来ない事。ムラサメちゃんの言う通り本当にそれがあったとしても、今の俺のままではそれを成し遂げられない。

 そう考えた俺は、仕事を抜けて俺と話す時間を作ってくれたじいちゃんに頭を下げたのだ。

 

『じいちゃん!俺を男にしてください!』

 

『…お前。儂が相手で良いというのか?』

 

 いや、さ?確かにさ?俺の言葉のチョイスも拙かったとは思うけどさ?その間違いはどうかと思うよじいちゃん。

 てかじいちゃん、随分俗世に染まってたな。BLとか知ってたし…。

 

 まあ関係ない話はそこまでにして、俺が口にした台詞の真意はそこではなく、じいちゃんに俺を鍛えてほしかったのだ。

 

 先日での戦いで皆の足を引っ張ってしまった事。ムラサメちゃんが俺へ言ってくれた言葉と、このままじゃムラサメちゃんが言う俺にしか出来ない事なんて成し遂げられないと思った事。

 じいちゃんに打ち明ける言葉が続くごとに込み上げてくる悔しさを抑えながら、時折自分でも何を言ってるのか分からないくらい拙い言葉でじいちゃんへ説明する。

 

『…そうか』

 

 じいちゃんは最後まで俺の言葉を聞いてから、一言口にするだけだった。

 正直、俺の説明をどこまでじいちゃんが理解してくれたか分からない。ムラサメちゃんとのやり取りは特に、じいちゃんにはムラサメちゃんの姿は見えない訳だし、それに俺の説明だって拙くて。

 

『決して投げ出さないと誓うか』

 

『はい』

 

『たかが一日…数日、一週間程度で劇的に変わりはせん。そんな都合の良い話はない。それでも─────』

 

『それでも、何もしないよりはマシだと思う。…そう思いたいんだ』

 

 じいちゃんの言う通り、数日鍛えるだけで劇的に強くなる。そんな都合の良い話なんてない。そんなものが存在するのは物語の中にだけだ。

 

 何も変わらないかもしれない。それでも、さっきじいちゃんに言った通り─────何もしないよりはマシだと俺は思いたいんだ。

 

『…良いだろう』

 

『っ!』

 

『だが、途中で投げ出さぬとたった今、お前は誓った。どれだけ辛くとも、誓った事を曲げるな。…それが条件だ』

 

『はいっ!ありがとうございます!』

 

 後悔なんてしない。投げ出したりなんてしない。

 そう胸に刻みながら、次の日の早朝から早速じいちゃんとの訓練に励んだ。

 

 正直、俺の想像以上の厳しさだった。

 俺は小さい頃に剣道をやっていたから、なんて驕りはあっという間に消え失せた。つい先日、叩き折られた鼻っ柱を今度は粉々に砕かれた気分だった。

 

 ここまで鈍っているとは、とため息を吐いたじいちゃんは俺に訓練の方針を語る。

 

 本来は徹底的に基礎体力をつけさせたい所だが、いつ祟り神が出現するか分からない以上基礎体力だけに集中する訳にもいかない。

 そのため、午前中は基礎体力トレーニングだけに絞り、放課後にもじいちゃんとの訓練を行い、そちらでは実戦を見据えた訓練を行う事となった。

 

 そうして訓練を始めてから数日、訓練に慣れるどころか疲労は溜まる一方。何なら今日なんて朝、起きようとしたら筋肉痛で足が震えて少しの間起き上がれなかった。

 そんな状態でもじいちゃんは容赦なく俺にトレーニングを課す。ペースのアップダウンを加えた長距離走に筋トレ、素振り。変わらぬ朝のメニューを熟してからくたくたの体を引きずって朝武家へと帰り、朝食を食べて学園へ。

 

 そして、授業を終えた放課後。今度は午後の訓練を行うためにじいちゃんの所へと向かった俺を待っていたのは─────

 

『有地?』

 

『え?若狭?』

 

 じいちゃんと何やら話をしていた若狭だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 んで、今に至る。若狭はじいちゃんと話をしていたというよりも話をしようとしていたという方が正しかったらしい。

 何でもじいちゃんから若狭のスマホに呼び出しの連絡が掛かってきて、じいちゃんの所に来た若狭が呼び出された理由を聞こうとした、という時に俺がやって来たのだ。

 

 そして、じいちゃんが若狭を呼び出した理由というのがまさにこれ。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 両手に木刀を握り、若狭に向かって突き進む。

 

 そう。訓練を初めて四日目、じいちゃんは俺と戦わせるために若狭を呼び出した。

 

 始まりは昨日、『祟り神とはどんな攻撃をしてくるのだ』というじいちゃんからの質問だった。

 それに対して長い触手を振り回して攻撃してくる、と答えるとじいちゃんはそうか、と一言答えると何やら考える所作を見せていたけど…まさか()()を得物とする若狭を呼んでくるなんて。

 

「っ!?」

 

 走る俺に対し若狭はその場から足を動かさず、しかし両手に握る木の槍をこちらに突き出してきた。

 顔面目掛けて突き出された木の槍は、まさに俺を射殺そうと伸びてくる祟り神の触手と酷似していた。

 

 その場で足を止め、上半身を横に傾けて突き出される木の槍を躱す。が、視界の端で一瞬槍が止まる、その直後槍がこちらにスライドしてくる。

 

「なっ、がっ…!」

 

 急停止からの急加速。まるで俺が動く先を見抜いていたかのように素早く俺が動いた先へと振りぬかれた槍は俺の顔面、まあ防具だけど─────を叩く。

 

「足を止めるなっ!今のお前の動体視力と反射速度で反応勝負に持ち込むなど自殺も同然!まずは動き、相手に狙いを定めさせるなっ!」

 

「くっ…は、はいっ!」

 

 よろけた体勢を立て直し、じいちゃんの大声に答えてから足を動かし走り出す。

 

 今度は無暗に若狭に近付きはせず周囲を回る。のだが、全身の防具を着けているから如何せん動きづらい。

 それに若狭は動き回る俺をしっかり目で追ってくる。攻め込む隙が全く見当たらない。

 

 これ、本当に意味はあるんだろうか─────そう思った時だった。

 

「確かにお前の速さでは攪乱にもならん。だが、それはお前が一人だった場合だ。お前の周りに味方がいた場合は話が変わってくる。注視しなければならない対象が複数なら、その内の一人が動き回るというのはかなり鬱陶しいものだ」

 

 走り続ける俺の耳にじいちゃんの声が入ってくる。

 確かに─────例えば、祟り神が常陸さんと打ち合っている時、俺が祟り神の周りを動き回ってたらそれは割と気が散るかもしれない。

 そうなれば隙が出来て常陸さんも戦いやすいかも─────或いは俺が飛び込む隙だって出来るかもしれない。

 

「っ─────」

 

 若狭が再び木の槍を俺の顔面目掛けて突き出してくる。

 今度は足を止めずに加速し、突き出される木の槍を置き去りにして躱す。

 その直後、先程と同じように木の槍は急停止、こちらに向かってスライドしてくる方へと振り向き、手に握る木刀で弾く。

 

 ─────今ならっ!

 

 得物を弾かれ、若狭に隙が出来た。と、この時の俺は判断した。

 動かし続けた足を若狭へと向けて方向転換、進路を変えて若狭へと突っ込む。

 

 視界を広く、弾かれた木の槍を捉えながら若狭に近付く。

 その思考の片隅で、俺は自分と違って防具を着けていない若狭に対してちょっとした配慮の気持ちを持ってたりした。

 

 狙いは胴、されど防具を着けていない若狭に木刀は当てずに寸止めで、なんて考えてたり。

 若狭陽明という男がこの程度で追い詰められたなんて、愚かしさ極まる勘違いをしたまま。

 

 ─────あれ?

 

 目の前の若狭に向かって、

 

 ─────なんで?

 

 目の前で()()()()()()()若狭に向かって、

 

 ─────なんで、槍を構えてるんだ?

 

 咄嗟に足を止める事も出来ず、有地将臣という近付く便利な的は腹に一突き入れられ後方へと体勢を崩し、尻もちをつくのだった。

 

「─────」

 

 全くもって状況が呑み込めない。だって、ついさっきまで俺の視界の端に木の槍はあったのだ。大きく弾かれ、手から離れこそしていないもののそこから出来る攻撃は横薙ぎくらいの筈だった。それなのにいつの間にか木の槍は引き戻され、穂先は俺へと向けられていた。

 

「あの程度で隙が出来たなんて思われちゃ心外だぞ」

 

 尻もちをついたまま動けない俺を見下ろす若狭の表情は、清々しいまでのどや顔で、ふふんなんて鼻で笑う声が聞こえてくるようで。

 けれど、そんな若狭に怒りが湧く事もなく、ただただ俺の胸中には若狭への憧憬の気持ちが募っていた。

 

 ここまで強くなるまでどれほど時間を掛けてきたのだろう。いや、俺程度に若狭が本気になる筈がない。第一、俺はもっと本気になった若狭を数日前に見ているのだ。

 …いや、その時ですら若狭は全力ではなかったかもしれない。だとしたら、この人の底は一体どこまで─────

 

「今日はここまでだな」

 

「玄十郎さん」

 

「陽明、付き合わせて悪かったな。…将臣」

 

 俺を呼び掛けるじいちゃんの声に、呆然自失だった思考が我に返る。

 頭に着けていた面を外して、若狭の隣に立つじいちゃんの方へと視線を向ける。

 

「落ち込んでは…いないようだな」

 

 面を外して露になった俺の顔を見て、じいちゃんは意外そうな表情を浮かべながらそう言った。若狭もじいちゃんみたく声には出さないが目を丸くして、同じく意外そうな顔をしている。

 

 もしかして、若狭に負けた事に落ち込んでいると思われていたんだろうか?

 というか確かに、全く落ち込むという感情が胸に湧いてこないな。まあ─────

 

「俺が若狭に勝てる訳ないし。それでも少しは追い詰めてやる、って思って臨んだけど…正直、落ち込めないくらいに差を見せつけられたし」

 

 あそこまで完膚なきまでに叩きのめされたら落ち込む事すら出来ない。むしろ、あれで全力じゃない若狭に対して憧れすら抱いてしまった。

 

 そんな事、本人には言えないけど。

 

「そうか。…だが、これまでの訓練の成果は出ていたぞ。及第点はくれてやってもいい」

 

「っ、本当に!?」

 

 口角を上げて笑みを浮かべ、そう言ったじいちゃんに思わず聞き返す。するとじいちゃんは笑みを浮かべたまま頷いた。

 

 でも確かに、訓練を始める前の俺だったら一合打ち合う事すら出来ずノックアウトされていただろう。

 それを考えれば、あまり自覚はなかったがたった数日でも少しは訓練の成果が出ていたのかもしれない。

 

 しかし─────

 

「若狭に追いつくのはまだ無理、だよな」

 

「「…」」

 

 この訓練を始めた理由は、祟り神との戦いで少しでも役に立ちたいがためだった。

 しかし、先程の試合を終え、若狭への憧憬の気持ちが湧いてから今、ふと思ったのだ。

 

 若狭くらいに強くなってみたい。

 

「有地」

 

「ん?」

 

「そりゃ無理だ」

 

 その気持ちがつい漏れてしまったのを聞いた若狭が苦笑いしながら、一刀両断した。

 

 俺の心が少し傷ついた。

 

「そりゃ…、本気でなれるとは思ってなかったけどそんな容赦なく言わなくてもいいじゃん…」

 

「いや、武術だけなら時間を掛ければ俺に追いつく事くらい出来ると思うぞ?ただ強さで俺に追いつくのは…人間止めるレベルの覚悟がないと無理だと思う」

 

「人間止める!?」

 

「そうだな…。とりあえず、ムラサメ様の神力を宿してもらって、それを使いこなせるようになればそこら辺の陰陽師で遊べるようにはなるか?」

 

「ムラサメちゃん?神力?それ「そんな事は絶対にせんからな!!!」む、ムラサメちゃん?」

 

 若狭の口からよく分からない単語が出てきて、それについて聞こうと口を開いた直後にどこからともなく俺の前に立ちはだかる様にムラサメちゃんが現れ、若狭に食って掛かる。

 

「お主も分かっておろう!常人が神力を宿せばどうなるかくらい!ご主人に無謀な事を吹き込むな!」

 

「いやでも、神力を宿して邪神と戦ったっていう人間だっているし…」

 

「我輩は常人と言ったのだ!人間を止めた者の話をしているのではない!」

 

「ひでぇ」

 

 正直ムラサメちゃんと有地の会話の内容は分からない。ムラサメちゃんが怒っている理由も分かりかねる。

 ただ一つだけ、若狭の言った事が何かしらの危険を孕んでいる事だけは察しがついた。

 

「陽明…っ」

 

「いや、ムラサメ様、別に本気で言った訳じゃありませんから。冗談ですから」

 

「冗談でも言って良い事と悪い事があるわぁっ!」

 

「ムラサメちゃん、落ち着いて…」

 

「なんじゃ?ムラサメ様がいるのか?将臣、陽明、説明せんか」

 

 怒り心頭のムラサメちゃんに詰め寄られる若狭と一緒にムラサメちゃんを宥める。

 その一方で、ムラサメちゃんの姿を見る事が出来ないじいちゃんは何が起きているのかさっぱり分からず、俺の苦労も知らず呑気に今の状況の説明を求めてきた。

 

「じいちゃん、ちょっと待って…。ムラサメちゃん、どうどうどう」

 

「ご主人!我輩は馬ではないぞ!馬鹿にしておるのか!?」

 

「うわぁぁぁぁ!ムラサメちゃん、頼むから落ち着いてくれぇっ!」

 

 何とかムラサメちゃんを落ち着かせようとしたのだが方法がまずかった。

 馬鹿にされたと勘違いしたムラサメちゃんの怒りの矛先がこちらに向き、今度は俺に詰め寄ってくる。

 

 キシャアアアアアアアアア、と肉食獣の威嚇のような声を上げるムラサメちゃんを必死に宥める。

 そんな俺を首を傾げながら眺めるじいちゃんと、ムラサメちゃんの怒りから解放され素知らぬ顔で帰ろうとする若狭。

 

「む、ムラサメちゃん!若狭が帰ろうとしてる!いいのか!?」

 

「それよりも今はご主人だ!我輩をどう思っているのか、しかと聞かせてもらわねば納得できん!」

 

「それじゃあ玄十郎さん、俺は帰りますね」

 

「よく分からんが、帰って大丈夫なのか?」

 

「大丈夫ですよ。多分」

 

「若狭、待て!俺を置いていくな!若狭!若狭ぁぁぁぁあああああああああああ!!!」

 

 そして、若狭は俺達を残して帰っていった。それから数分後、じいちゃんもいつの間にかいなくなっていた。

 

 怒り狂うムラサメちゃんが落ち着いたのは二人が帰ってから更に十数分後の事だった。

 

 ………今日は本当に疲れる一日だった。明日、俺は起きられるんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十五話







投稿が遅れたのはパワプロのせいです。
正確には栄冠ナインが全部悪いです。
まあ甲子園連続出場が途切れて今萎えてますけど。(笑)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は毎日山に行って欠片を集めているみたいだけど、たまには休んだらどうだい?」

 

 駒川がそんな事を口にしたのは、学園が休みのためにいつもより遅めになった朝食を食べている時だった。

 

「何だよ急に」

 

「ふと思ってね。どうせこの後も山に行くつもりなんだろう?」

 

「勿論」

 

 駒川の問い掛けに頷きながら一言返すと、駒川は隠そうとしない呆れと共に溜息を吐く。

 

 何だこいつ、そこまでこれ見よがしに呆れられると器が大きい俺でもキレちゃうぞ。

 

「陽明。今日は休みなさい」

 

「断る」

 

「即答するなっ。…あのね、陽明。毎日毎日山の中を真っ暗になるまで歩き回って、疲れていないのかい?」

 

「全く」

 

 再び投げ掛けられた質問に今度は頭を振りながら答える。

 

 これは強がりではなく、本当に疲れてなんていない。いや、正直山から帰ってきてすぐは流石に疲れてないと言ったら噓になるけれど、次の日にまで疲労が残る、なんて事は断じてない。

 大体、駒川は分かっていないのだ。

 

「あの程度で疲れるほど柔な鍛え方はしてない」

 

「…君、この町を出てからどんな生活をしてたんだい?」

 

「悪意渦巻く本家で鬼の師匠に徹底的に鍛えられながら人間に仇なす妖をボコる生活」

 

 さっきから質問ばかりだな駒川は。そして正直に嘘偽りなく答えたのに再び溜息を吐かれたのはなんでだ。

 

「君が彼女のために頑張る事を止めはしない。でも、全てを投げ打って奔走する君を見たら、彼女はどう思うだろうね」

 

「…」

 

 箸を持つ手が止まる。

 

 その俺の様子を見た駒川が続けて口を開く。

 

「陽明。たまには休みなさい。そしてその最初の休みの日は今日だ」

 

「…俺が休んでいる間にも、祟りは芳乃の体を蝕む」

 

「それでもだ。君の体は何ともなくとも、そうやって張り詰め過ぎればいつか擦り切れるよ」

 

「…」

 

 ここまで駒川の台詞に俺なりの反論を返し続けてきたが、今の台詞には言い返す言葉が見つからなかった。

 

 張り詰めて、張り詰めて、その果てに擦り切れていった人達を俺は本家で何人も見てきた。

 才能を期待され、その期待に応えようと─────()()()()()()()()()潰れていった人を俺は見た事がある。

 

 駒川の言う事に間違いはない。俺は特別だ、なんてこれっぽっちも思っていない。というより駒川に言われて今、初めて自覚する。

 確かに、張り詰め過ぎていたかもしれない。この調子が続けば身体よりも先に心が、なんて事もあり得る。

 

「…分かったよ。今日は山には行かない」

 

「そうか。なら良かった」

 

 そう言うと、厳しい表情を浮かべていた駒川が柔らかく微笑む。

 

 …こいつ、普通に見てくれは綺麗だよな。こうして他人を慮る優しさも持ってるし、それなのに男の存在を欠片も感じない。何でだ?そろそろ良い年だし、このままだと行き遅れなんて事も─────

 

「陽明?」

 

「…なんでしょうか」

 

「今─────何を考えていたのかな?」

 

「何も考えておりませぬなのでその顔をやめて頂けませんでしょうか」

 

 思考は般若の顔をした駒川によって途切れさせられた。同時に、俺は悟る。

 

 駒川に彼氏が出来ないのはこの暗黒面によるものだったのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 という経緯があり、俺の今日の予定は皆無。今は宛もなくただ外を歩いている。春の暖かな日差しを浴びながら、雲一つない晴れ渡った青空を時折見上げてのんびりと歩く。

 ふと山の方に向かおうとする足を止めつつ、俺が住んでた頃と所々変わった周囲の街並みに視線を回す。

 

 こうして何も考えずただ懐かしみながら町を歩くのは帰ってきたあの日以来初めてかもしれない。

 しかしそれにしてもこの町は殆ど変わっていない。所々コンビニやファミレスといったチェーン店が目に付くようになったが、昔ながらの町並みは本当に変わっていない。

 

 変わっていないからこそ、目新しいものがないからこそ、こうして歩くだけなのにすぐ飽きが来てしまう。

 どうしよう、家を出てから十分ほどで散歩に飽きてしまった。一人で外に出たのが不味かったか、かといっても駒川と一緒にいたとしても結果は特に変わらない気がする。

 

「…」

 

 ふと、一人でいるから退屈なのではないかと思い当たる。では誰と一緒に居れば退屈を紛らわせられるか。

 

 それを考えて、すぐに頭の中には一人の顔が思い浮かんだ。

 ただ、退屈を紛らわせるとかそういう思考から浮かんだのではなく、ただその人に会いたい、と無性に思った。

 

 だから俺は踵を返して行先を変える。山とは反対の方角から真逆の方角へ。

 平坦な道は次第に登り坂となり、歩く毎に勾配が急になっていく。ここまで来るともう歩行者の姿は殆ど見られなくなる。

 これがもっと遅い時間、昼過ぎ頃になればまた話は違ってくるんだろうが。朝早い、とまではいかないが昼前にあそこに()()()()()()人はそうはいないだろう。

 しかも新年度が始まってすぐ、大型連休でもないこの時期に。

 

 長く続く坂道を登っていけば、やがて視界の奥にまだ小さくだが赤い鳥居が見えてくる。

 あそこが─────正確にはあの鳥居の奥にある建物が俺の今日の目的地、行きたい所だ。

 もうここまで来れば俺がどこに行こうとしていたのは分かるだろう。

 

 まずは今頃神社で仕事をしている安晴おじさんに挨拶をしに行くとしよう。

 この時間だと…祝詞を上げているのはあまり考えづらい。だとすると…、外に出る仕事がなければ社務所にいるか?

 まあとりあえず社務所に行きつつ安晴おじさんを探すとするか。そんな風に方針をやんわり決めつつ鳥居を潜る。

 

 鳥居を潜れば正面には大きな楼門とその奥に見る拝殿。そして門と拝殿を繋げる参道の脇に社務所がある。

 歩きながら周囲を見渡すも、安晴おじさんの姿は見られない。境内の掃除はしていないのだろうか?本殿…もしくはやはり社務所にいるか?とにかくさっき決めた通りまずは社務所に向かう。

 

 だが、その社務所には俺が思ってもいなかった人物が立っていた。

 

「いらっしゃいませ。何か御用でしょう…か…」

 

「…おっす」

 

 やって来た俺を参拝客だと勘違いしたその人は俺の顔を見上げ、俺が誰だか分かると同時に声がか細く消えていく。

 俺はその人に軽く手を上げながら一言、短く挨拶。

 

「…陽くん?どうしてここに…」

 

「まあ…、ちょっと暇つぶしに」

 

 俺を陽くんと呼ぶ人物は一人しかいない。

 目を丸くした芳乃の質問に答えてから、俺は内心失敗したと後悔する。だって、暇つぶしに神社に行くって何となく罰当たりに思えたから。

 そんな言葉を神社の娘、巫女姫の前で吐いた事を少し後悔した。

 

「そうですか」

 

 が、そんな俺の後悔を他所に当の巫女姫本人の反応はそれはあっさりとしたものだった。

 別に何とも思っていないのならそれで構わないし、何なら俺としてはそっちの方がむしろ有難くはあるのだが─────それでいいのか?

 

「で?芳乃はどうしたんだよ。安晴おじさんの手伝いか?」

 

「うん。今日ここに来る人が急に来られなくなっちゃって」

 

 なるほど。休みの日はこうして手伝っているのか、と思ったがそうではなく、たまたま今日は芳乃がここに駆り出す事になったのか。

 

「…暇そうだな」

 

「うるさいですよ」

 

 周囲を見回しながら一言呟くとその呟きは芳乃の耳に届いたらしく、今度は流石に怒られてしまった。

 まあ自分の家系が代々受け継いでいる神社に参拝客がいない所を見て暇そう、なんて言われればそりゃ怒るか。

 俺だって陰陽師として町を見回りしている時に暇そうだとか言われたら怒ると思う。というかキレ散らかすと思う。暇そうって言った奴に痔になる呪い掛けるだろうな、きっと。

 

「お昼が過ぎた頃になれば忙しくなりますよ」

 

「だろうな。こんな昼前に参拝に来る人はそういないだろうし。年始は除いて」

 

 芳乃の言葉に例外はあるが概ね同意する。

 何度も言うが、休日とはいえこの時期にこんな時間から参拝に来る人はそうはいない。だからこの時間、芳乃が暇そうにしていても何も可笑しな事はないのだ。

 

「…そういや、安晴おじさんは?」

 

 一旦会話が途切れ、俺と芳乃の間に微妙な空気が流れそうになったその時、ふと胸に湧いてきた疑問を口に出す。

 ここに来てからまだ数分だが、その間俺は安晴おじさんの姿を見ていない。

 社務所にも外にもいないとなると、その答えはかなり限られてくるが─────

 

「お父さんなら今、外に出てるけど」

 

 やはり、何となくそうではないかと思ってはいたが安晴おじさんは今ここにいないらしい。

 しかしだとすれば一つ疑問が残る。

 

「もしかして、今はここにいるの芳乃だけか?」

 

「うん。そうだけど」

 

「…」

 

 その疑問について。さっきから芳乃以外の人の気配がしない事について問い掛けると、あっさりと芳乃は俺の質問に肯定を返した。

 

 いや、確かにこの時間帯は参拝客が少ないだろうから大丈夫なんだろうけど、それにしても少し不用心じゃないか…?

 この時期に旅行者が来るのはあまり考えづらいし、この町の人達がここで悪さをするなんてないんだろうけど。

 

「陽くん。お父さんも参拝客が多くなるお昼過ぎには帰ってくるし、私一人でも大丈夫だから」

 

 もしかして、顔に出ていたんだろうか。芳乃がまるで俺を安心させようとしているかのように、微笑みながらそんな事を言い始めた。

 

 内心の考えを悟られた事に少し驚きつつ、俺は考える。

 ここに来たのはただの暇つぶしのつもりだった。今日一日、俺の予定は全くない。何かしようとか、そんな考えも一切ない。

 

 それなら─────答えは一つじゃないか。第一、あわよくばこのまま今日は朝武家で過ごそうかとすら思っていたんだし。

 

「芳乃。袴って余ってるか?」

 

「え?…確か一つ、去年辞めた人のが」

 

「貸して」

 

「…えっと」

 

 戸惑う芳乃に向かって笑みを向けながら続ける。

 

「芳乃の仕事手伝うよ。どうせ今日一日する事ないし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、臨時で神社での一日バイトが決まってからおよそ三時間。

 真っ白な袴に着替えた俺は芳乃と社務所で誰も参拝客が来ないのを良い事に、のんびりと世間話をしながら過ごしていた。

 

 そういえばと、茉子と有地はどうしているのか聞いてみると、二人は今日志那都荘で働きに来る外国人を迎えに行っているという。

 そのまま穂織の町を案内してくるらしい。

 

 ちなみに二人はその外国人との約束の時間よりも少し早めに家を出たという。

 一体何をしているんですかね?もしかして、デートでもしてるんですかね?考えるとにやけてくるな。帰ってきたら茉子をちょっとからかってやろう。

 

 さて、と。現実逃避はもうこの辺で良いだろう。

 さっきも言ったが、ここで一日バイト(賃金無し)が決まってからおよそ三時間。安晴おじさんは帰ってこず、俺と芳乃は未だに社務所に二人でいた。

 

「すみませーん、おみくじお願いしまーす」

 

「はい、少々お待ちください」

 

 三人家族の父親と思われる男性からおみくじ三枚分の代金を受け取ってから、おみくじが入った箱をその人の前に置く。

 番号が書かれた木の棒を娘、父親、母親の順番で三本引き、その棒に書かれた番号を見て社務所の奥から割り当てられたおみくじを三枚引き出し、差し出す。

 

 ありがとうございます、と俺に頭を下げてから三人家族は社務所から少し離れた所でおみくじを開いた。

 

 …娘さんはいい結果だったのかな?あの喜び方、もしかしたら大吉か。そしてお父さんがげんなりしてる所を見ると凶、或いは大凶か。どんまい、お父さん。

 

「…で?お昼過ぎには誰が帰ってくるんだっけ?芳乃」

 

「…」

 

 時刻は一時を過ぎ、もうすぐ二時になろうとしている。一時半を過ぎた辺りから参拝客がぽつぽつと来るようになり、さっきみたいに社務所におみくじを買いに来るお客も目立つようになってきた。

 

 さっきの家族が帰っていくのを眺めながら、俺は芳乃に問い掛けるのだ。

 芳乃が言った事を、聞き返すのだ。お昼過ぎに誰が帰ってくるのか、を。

 

「ごめんなさい」

 

「怒ってる訳じゃないけどな。…一人で抱え込むのも大概にしとけよ?」

 

 返ってきたのは謝罪だった。

 ちなみに、帰りが遅くなっている安晴おじさんからは何の連絡もない。もし俺が来ていなかったら芳乃はどうするつもりだったのだろう。

 …多分、一人で何とかしようとしてたんだろうな。だからこそ、優しく芳乃を諭す。一人で抱え込まない様に、と。

 

 ─────お前が言うな、って聞こえた気がしたけど気のせいだろ。

 

 そうして参拝客の対応をしながら時間は過ぎていった。

 たまに芳乃に話しかける町の住人もいて、ちょっとした世間話に発展する事もあった。その世間話に俺が巻き込まれる事もあった。

 普段はいない俺が今日はいる事が珍しいらしく、芳乃ではなく俺が話し掛けられる事もあった。

 

 安晴おじさんが戻ってきたのは日が傾き始めた頃の事。

 

「すまない、芳乃!遅くなっ…た…?」

 

 勢いよく社務所に入ってきた安晴おじさんはすぐさま芳乃に謝罪をして、そして芳乃の隣にいる俺の姿を見て動きが緩く、そして固まっていった。

 

「…陽明くん?」

 

「こんにちは。遅かったですね」

 

 ぽかん、と呆けた様子で俺を呼んだ安晴おじさんに会釈をしながら挨拶をする。

 

「どうして君がここに…」

 

「神社に来たら芳乃が一人だったんで。手伝おうと思って」

 

 安晴おじさんに問われ、ここで俺が働いているその理由を説明する。

 暗に俺がここにいるのは安晴おじさんのせいだと言ってるようなものだが、事実そうなので訂正はしない。

 さっきの挨拶の後の一言も皮肉に思えるが、事実なのでこちらも訂正はしない。

 

「そうか…。陽明くんもすまないね。そしてありがとう、芳乃を手伝ってくれて」

 

「お礼は晩御飯で良いですよ。風呂に入れてくれると尚良しです」

 

「…は、はははっ!そうか、分かったよ。何ならまた泊まっていくかい?」

 

「…そうですね。後で駒川に連絡しておきます」

 

 無遠慮にここで働いた事への報奨を要求すると、安晴おじさんは気に障った様子もなく、朗らかに笑いながら俺の要求を受け入れるだけでなく、それに加えて更なる報奨を俺に提示した。

 その言葉に甘え、晩御飯をご馳走になり、風呂に入れてもらうだけでなくまた朝武家で一晩泊まる事にした。

 

 以前、泊まる事になった時はかなり葛藤していたのが、泊まる事をあっさりと決めた今の自分に少し驚きつつ、芳乃と一緒に一日の参拝が終わるまで芳乃と一緒に社務所で仕事を熟した。

 その後安晴おじさんに社務所を閉めるよう言われ、その指示通りに社務所を閉めてから芳乃と一緒に朝武家へと入る。

 

「お帰りなさい、芳乃様。…陽明くん?」

 

「む?陽明ではないか」

 

「え?若狭?」

 

 玄関に入って靴を脱ぎ、居間へと入ると丁度そこにいた茉子が俺達を出迎えた。

 芳乃に向けて挨拶をした茉子はその後、こちらを見て目を丸くして俺の名前を呼ぶ。すると同じく居間にいたムラサメ様と有地がその声に反応し、続いて俺の方に目を向ける。

 

「邪魔するぞ」

 

「はい、いらっしゃいませ。…じゃなくて、どうして陽明くんがここに?」

 

 茉子に質問され、言葉には出さないが頭の上に疑問符を浮かべているムラサメ様と有地にも、今日一日の事について話す。

 今日は山へは行かず一日のんびりする事にして、何となく建実神社に来た事。そこで芳乃が社務所に一人でいて、安晴おじさんがいないと知り仕事を手伝おうとした事。安晴おじさんの帰りが遅くなり、ついさっきまで社務所で芳乃と一緒にいた事。そして、今日はこの家で泊まる事になった、と茉子達に説明する。

 

「そうですか。それなら今日は一人分多く作らなきゃいけませんね」

 

「手伝うか?」

 

「いえ。以前は手伝ってもらいましたから、今日は芳乃様とゆっくりお話ししていてください」

 

 労働に対する報奨、とはいえその労働に関して茉子は部外者だし、ただご馳走になるだけなのは少し気に掛かった。

 だから茉子に手伝いを申し出たのだが、あっさりと断られてしまう。

 

「ただ、今日は天ぷらにはしませんよ?たくあんもありません」

 

「別にいいよ。お前の献立に任せる。子供扱いすん…な…?」

 

 茉子と言葉を交わしながら居間の中へ入っていく。そうすれば当然、茉子と有地との距離も縮まっていく。

 その瞬間、肌を冷たい何かが触る、と言えば良いのか。とにかく形容し難い冷たい感覚が肌を奔った。

 

「…茉子、有地。確かお前らは今日、穂織に働きに来た外国人を案内したんだったな」

 

「…?もしかして、芳乃様から聞きましたか?」

 

「そうだけど、それがどうかしたか?」

 

 足を止め、茉子の方を向いて問い掛ける。すると茉子はキョトン、とどうしてそんな事を聞かれるのか分からないといった表情をした後、有地を視線を交わしてから有地と一緒に返答する。

 

「その時、まさか山も案内した、なんて事はしてないよな」

 

「勿論です。…どうしてそんな事を聞くんですか?」

 

「…いや。念のために聞いただけだ。忘れてくれ」

 

 答えは分かり切っていた。町を案内するのにあんな山に人を連れて行くなんて事するものか。あの山がどれだけ危険に溢れているか、事情を知らない人だってそんな事はしない。

 

 ただそれでも聞きたかった。二人が今日、山へ行ったのか行ってないのか、知りたかったのだ。

 

 ほんの少し、僅かだが、確かに感じる…。これは、間違いない。

 

 ─────祟り神。

 

「その外国の方は志那都荘で働くんですよね?どんな方だったのですか?」

 

 俺が微かに感じる気配の正体を断定した直後、芳乃が口を開く。

 茉子はすでに夕飯の準備をするべく台所に行って姿は見えない。そのため、その質問に答えられるのは有地のみ。

 

「俺達と同い年の女の子だったよ。鵜茅学院に転校してくるみたい」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。それで、その子の名前は─────」

 

 芳乃の相槌に頷いてから有地が口を開く。

 

「レナ・リヒテナウアー、だって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十六話






仕事が忙しいのが悪い。
あとゼノブレイドが面白すぎるのが悪い。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を閉じ、集中させた意識と式神の視界をリンクさせる。

 脳内に式神から送り込まれる映像には、学院の教室の中が映されている。

 その教室では一人の金髪の少女が教壇に立ち、生徒達の前で自己紹介しているのが見て取れた。

 

 何を話しているのかまでは分からない。俺が送った式神は今、教室の窓を隔てた外にいる。そのため、音までは捉えられない。

 

 ─────あの子が、レナ・リヒテナウアー。

 

 週が明けた月曜日、有地が言っていた通り学院には外国人の女子転校生がやって来た。

 西洋人と思われる、金色の綺麗な髪に彫が深い両目に白い肌。そして、日本人離れした胸部装甲。

 

 最後だけおかしいだと?そんな事くらい分かってるわ。でもな、最初式神を通して彼女の姿を見た時、俺の目は真っ先にあの巨大な胸部に吸い寄せられた。

 何じゃありゃ、あんなの見た事ねぇ。師匠だってあそこまででかくはなかったぞ。あんなもん男なら誰だって一瞥するわ。何ならガン見する奴だって結構いるね、間違いなく。

 っていうか現に教室にいる男子生徒の半分くらいは思いっきりガン見してるし。んで、あの外国人─────ここではレナさんと呼ばせてもらおう─────は全く気付いてないし。

 

 レナさんが席に座っている有地と茉子の姿を見つけ、嬉しそうに笑う。

 異国の地に来た年端もいかない少女だ。来て間もなく知り合えた同年代の二人が同じ教室にいるというのは大きな安心を齎すのだろう。

 

 ─────気配は感じない、か。…まあ、距離が遠すぎるのもあるんだろうが。

 

 意識を更に集中させ、式神との感覚の共有を深くして周囲の気配を探る。が、特に俺の勘に触れる邪な気配は感じられない。

 

 先日、有地と茉子から感じた呪詛の気配。ほんの微かなものだったが、確かに感じたその気配はこの少女によるものだと俺は疑っている。

 何しろ、最も有力な原因候補だった山へ入ったという行為は二人から否定されている。ならば突如現れたこのレナ・リヒテナウアーという少女を疑うのは至極当然な流れと言えるだろう。

 

 …ただ、俺はこのレナ・リヒテナウアーという少女が悪意を持ってこの町にやって来たとまでは思っていない。

 いや、その可能性を完全に捨て去ってはいないのだが、とりあえずそこまでは疑いの目を向けている訳ではない。

 もし何かこの町に危害を加えるために来たというのなら、呪詛の気配を悟られるなんて間抜けな真似はしないだろう。

 それに、感じた気配が祟り神の呪詛のものだというのが引っ掛かる。何故外国からやって来た奴が呪詛の気配なんて纏っている?…その前にまず、有地と茉子に呪詛の気配を纏わせたのがこの少女だと断定できてもいないのだが。

 

 もっと近付かなければ気配は感じ取れない。かといって、今使用している式神は鳥型だ。まさか学院の中に突っ込ませる訳にもいかない。

 …こうなると知っていたら、虫型の式神を手に入れておくんだった。鳥型の方が素早く移動できるし、虫型の式神ってたまに何も知らない人間に叩かれたり潰されたりするんだよな。

 ちくしょう、あらゆる状況を想定すべきだったか。いやこんな状況想定できる奴そういないだろうけどさ。

 

 ─────体育で外に出てくれると楽なんだが…放課後を狙うのが現実的か?

 

 今日の学院の授業スケジュールなんて知らない。だから、もしかしたら今日が体育の授業がない日かもしれない。

 そうなれば、体育で外に出るのを待つ事にすればその間俺は式神を維持し続けなければならなくなる。その場合、結構な妖力が持っていかれるし、何よりその間マルチタスクを続けなければならないのが物凄く面倒臭い。

 

 ─────戻すか。

 

 そうと決まればこれ以上妖力の無駄に垂れ流す必要はない。とっとと式神をこちらに戻し、それからまた山に散策にでも行くと─────

 

「─────っ!?」

 

 敵意、或いは殺意か。全身が凍り付くような冷たい感覚。式神を通してでも感じる、身を射貫くような冷たく鋭い視線。

 すぐに俺の所へ戻そうとした式神を動かし、視線を感じた方へと飛ばしつつ周囲の気配を探る。

 

 呪詛の気配はない、どころか邪な気配も一切感じない。感じた視線もほんの一瞬で、今では先程の感覚が嘘のように何も感じない。

 しかし気のせいではない。確かに感じたあの冷たい感覚は、俺に向けられたものだった。

 

「…くそ」

 

 視線を感じた方へ式神を飛ばしたものの、一瞬のあの内に位置を特定するまでには至らなかった。

 式神を通して地上の景色、道を歩く人達を見下ろしながら気配を探るが可笑しな所は見当たらない。

 

「何だったんだ…」

 

 これ以上探しても無駄だと諦め、再び式神をこちらに呼び戻しながら先程の感覚を思い返す。

 

 強烈な感覚だった。式神を通してでも身が震える程強く、冷たい感覚。久しく感じていなかった、()の感覚。

 

「…行ってみるか」

 

 開いた窓から部屋に入ってくる式神を腕に乗せ、指でそっと触れて妖力を回収して札に戻す。

 戻した札を懐に仕舞ってから立ち上がり、俺は山に散策に行くという予定を変更する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木造の建物から続々と同じ制服を身に着けた、男女問わず多くの生徒達が現れる。

 複数の友人達と帰る者。一人早足で帰る者。異性同士で手を繋ぎながら帰る者と様々だ。

 放課後になり、それぞれの帰路につく学院の生徒達を、周囲の気配を探りながら眺める。

 

 式神を戻してから俺が向かったのはここ、鵜茅学院だ。式神を通して感じたあの感覚の正体を探るべく、そしてあの外国人の少女、レナ・リヒテナウアーに接触するべくここまで来たのだ。

 

 昼前に家を出て途中、コンビニに寄って飲み物と軽い昼食を買って学院の前まで行き、そこで自分の姿と気配を隠匿する術を使いそこでじっと放課後を待った。

 それと同時に周囲の気配を探り、先程の殺気が再度向けられた時に備えて構えておく。が、その構えは結局無駄に終わった。あの殺気は感じられないまま今、放課後を迎えて帰路に着く学院の生徒達を眺めながら芳乃達の姿を探す。

 

 レナ・リヒテナウアーは転校してきたばかりだ。式神を通して見た感じかなり社交的ですぐに友達が出来そうな性格に思えるが、転校初日は日本に来て最初に知り合った現地人である茉子と有地は勿論、恐らく芳乃とも一緒に四人で下校する筈だ。

 

「っ…」

 

 来た。予想通り、彼女は芳乃、茉子、有地と一緒に学院を出てきた。

 表情は柔らかく、転校初日とは思えない、緊張を微塵も感じさせない顔で歩いていく彼女を視線で追う。

 

 ─────やっぱり、感じるな。僅かだが…。

 

 式神を通してでは感じられなかった呪詛の気配は今、至近距離に立つこの場所では確かに、小さいながらも感じられた。

 

 ─────だが何故だ?外国に住んでいたのなら穂織の呪詛とは無縁の筈だが…。外国に住んでいたというのが嘘だとしたら話は別だけど…。気になるのはそれだけじゃない。

 

 芳乃達と歩く背中を見つめながら思考に沈む。

 呪詛の気配は感じる。つまり、彼女は祟り神と何らかの関りがあるのは間違いない。

 しかし、その関わりというのが何なのかが分からない以上、対応のしようがない。

 

 ─────…接触しないと始まらないか。

 

 こうして遠目から見ていてもどうにもならない。

 とりあえずこちらの事情が漏れないよう気を付けつつ彼女から話を引き出し、判断するしかない。

 

 レナ・リヒテナウアーはこちらに仇なす者か否かを。

 

 という事で、校門を通り抜けてそのまま俺の目の前を通り過ぎていこうとする芳乃達集団のすぐ背後に位置をつけ、彼女らに悟られないよう足音を殺しつつ付いていく。

 そして、内心ちょっとした悪戯心を抱きながら芳乃の右肩をちょいちょい、と人差し指で叩く。

 

「?」

 

 芳乃の動きが止まり、振り返る。

 が、芳乃が振り返った先には誰もいない。正確にはすぐ後ろに俺がいるのだが、今の俺は隠匿の術の効果で第三者からは姿が見えなくなっている。

 

「芳乃様、どうかされましたか?」

 

「…茉子。今、私の肩を触った?」

 

「?いえ?」

 

 質問に否定で返された芳乃は一瞬怪訝そうに眉を顰めるが、すぐに表情を戻して前を向く。

 そして歩き出した芳乃の肩を俺は再び叩くのだ。

 

「─────」

 

「…芳乃様?」

 

 再度立ち止まって振り返る芳乃。

 ここまでは先程と同じ光景だが、違うのは芳乃がそのままじっと振り返った先を見つめたまま動かなくなった。

 

「朝武さん?」

 

「芳乃、どうかしたのでありますか?」

 

 茉子だけでなく有地が、レナさんが立ち止まったままの芳乃を不思議そうに眺める。

 

「…悪戯好きな所は変わっていないんですね」

 

 不意に芳乃が柔らかく微笑みながらそんな事を言い出した。

 誰もいない筈の場所に体を向けて─────芳乃からは見えていない筈の俺の方を見て、まるでそこに俺がいるのが分かっているかのように。

 

「芳乃様…?一体何を─────「残念芳乃、俺はこっちだ」ひぃあっ!!?」

 

 首を傾げながら口を開いた茉子の背後で俺は術を解き、声を発する。直後、茉子の体が面白いくらいに飛び上がり、弾かれるように俺から距離を取りながらこちらに振り向く。

 惜しい、今の動画で撮っておくべきだった。しばらく茉子を弄れるいいネタになってただろうに、勿体ない。

 

「わ、若狭!?」

 

「おう!?い、一体どこから現れたのですか!?」

 

 有地が目を見開いて俺の名を呼べば、レナさんは驚きながらも何故か目を輝かせて俺を見ていた。

 

「何が残念、ですか。茉子の後ろに移動しただけでしょう?」

 

「…」

 

 そして芳乃はぐうの音も返せない程に俺の行動を言い当てるのだった。

 

 芳乃には陰陽師としての才能はないし、術で消された俺の気配を掴める筈がないのだが…。

 

「な、何が起きてるのでありますか?全く気付きませんでした」

 

「あー…。レナさん、こちらは─────「もしや、Japanese ninjaでありますか!?」─────は?」

 

 俺の出現に皆が驚く中、特に置いてけぼりな状態になっていたレナさんに茉子が俺の紹介をしようとした。

 しかし、突然瞳を輝かせながら言い放たれたレナさんの台詞に茉子だけでなく、俺達も固まった。

 

「何もない所から現れたのは、確か…しゅんしんのじゅつ?なんですよね?」

 

「…」

 

 しゅんしん?…もしかして瞬身、か?よく知ってるなそんな言葉。この人の出身国ではあのSHINOBI漫画が流行ってたんだろうか?

 

「…そうだぞ、俺は忍者だ。瞬身の術とは違うが、忍術で誰にも気付かれず君達に近付いたんだ」

 

「おおぉ~!Ninjutu!」

 

「適当な嘘を吐かないでください」

 

 陰陽師とか説明するの面倒だし、そのまま忍者だと勘違いしてもらおうと嘘を吐いたのだが芳乃の呆れた冷めた声がぴしゃりと叩きつけられる。

 

「?Ninjutuではないのですか?」

 

「まあ、似たようなものですけどね。ある意味では」

 

 首を傾げながらレナさんから投げ掛けられた質問に答えたのは茉子。

 

 茉子はレナさんの質問に答えた後、こちらを向く。

 

「レナさん。こちらは若狭陽明くんです。学園には通っていませんが私達と同い年で、友達です」

 

「どうも、レナ・リヒテナウアーさん。君の事は茉子と有地から聞いていて、会ってみたいと思ってたんだ」

 

 そういえばまだ自己紹介をしていなかったなと思いつつ、名前は茉子がもう言ってしまったためとりあえず挨拶だけはちゃんとしておく。

 

「おぉっ、芳乃達の友達でしたか。レナ・リヒテナウアーです。気軽にレナと呼んでください」

 

「そうさせてもらうよ。レナさんも、陽明と呼んで構わないから」

 

「はい、陽明」

 

 レナさんと言葉を交わしながら、改めて意識をレナさんに向けて集中させる。

 

 ─────やはり、感じる。ほんの微かではあるが、間違いなく祟りの気配だ。ただの祟りではなく、この穂織の地に渦巻く、憎しみの呪詛。

 

 ならば昨日、茉子と有地から感じた呪詛の気配はレナさんが擦り付けた、或いは意図せず二人にこびりついたこの二つの可能性が残るが、今はこの二つの可能性のどちらが正しいのか、というのは重要ではない。

 いや、勿論この二つのどちらが正しいのかは絞らなければいけないのだが、それをするために確かめなくてはならない事がある。

 

 何故、レナさんが呪詛の気配を纏っているのか。

 という事で、芳乃達の下校に俺もついていってるのだが─────

 

(…いい子だな、この子)

 

 芳乃達と言葉を交わすレナさんの楽しそうな笑顔からは全く嘘や誤魔化しといった気配は全く感じられない。心の底から芳乃達を友と思い、会話するレナさんの姿を見れば見る程、この子が芳乃を貶めようとするなんて考えられなくなっていく。

 

(…だとすると、ますます分からなくなるんだよな)

 

 レナさんに芳乃に危害を加える意思がないと仮定しよう。

 それが辺りだった場合、レナさんから呪詛の気配が漂う理由がますます分からなくなる。繰り返すが、レナさんは外国で暮らしていた以上穂織の祟り神と関わった事があるなんてあり得ない。

 

(祟り神に直接関わりがなくても、祟り神と何らかの繋がりがある代物に触れていたら話は別だが…それも正直…ないわな)

 

 祟り神と何らかの繋がりがある物─────例えば、今俺達が集めている()()を持っていたりすれば呪詛の気配が感じられるのも頷けるのだが。まあ、あり得ないと断じて良いだろう。

 

(…まあ、レナさんに関しては急がなくてもいいかもな)

 

 芳乃達と仲睦まじい友人関係を築いているように見えるレナさん。勿論、呪詛の気配を感じさせる以上警戒は必要だが少なくともレナさん自身に芳乃達を貶める気はないと判断して良いだろう。

 ならば、急を要する事もあるまい。多少レナさんに注意を向けつつ、欠片の収集を続けるという行動方針で間違いはない筈だ。

 

「陽明っ」

 

「?」

 

 ふと、名前を呼ばれて顔を上げる。上げた視線の先ではこちらに振り返り、笑顔で手を振るレナさんの姿があった。彼女の傍では同じように俺の方を見ている芳乃達が。考え事をしている間に少し置いて行かれていたらしい。その事に最初に気付いたレナさんが俺を呼んだのだろう。

 

「…くくっ」

 

 いつの間にか姿が見えなくなった俺を心配したのだろう、レナさんを見てつい笑みが零れる。

 それは、こんな純粋な女の子に疑念を向ける自分の汚さへの皮肉の笑みだった。そして、それを仕方ないと割り切れる自分が()()()()()()()嫌になる。

 

()()()()()()()しか嫌になれねぇんだもんな、俺は)

 

 胸の内に差す影を覆い隠しながら、顔には笑顔を貼り付け、「悪い」と謝罪の一言を告げながら早足で芳乃達を追い掛ける。

 

 心の中でレナさんへの罪悪感を()()()()()()()抱きつつ、芳乃達と一緒に帰路へ着くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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