ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ (かんひこ)
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ぷろろーぐ
序章 俺の彼女はジャンヌ・ダルク


「──ボク、ヒーローなんだ!」

「・・・・・・は?」

 

 小学校入学から八年とちょっとの間、常に行動を共にしてきた相棒兼幼馴染み兼初恋のボーイッシュ女子に、ある日突然こんなことを言われればどんな人間だって、俺の様な反応をするだろう。

 

 親兄妹を目の前で事故によって亡くし、弱冠四歳で施設入りした俺は、自分でもかなり肝が据わっている方の人間だと自負している。──そんな俺は今、家代わりの施設の近所の公園で、そんな衝撃的なカミングアウトをされて驚いて・・・・・・いや、呆気にとられている。

 

「だから・・・・・・ボク、ヒーローなんだ! ──何回も言わせないでよ。これ実は言っちゃいけないことなんだからね?」

 

 そんな俺に、目の前のこいつ──もとい、有馬望愛(ありまのあ)は再度カミングアウトする。瞬間、俺の中で一つの結論が出た。

 

「エイプリルフールなら一ヶ月も前に終わったろ?」

「え、もう五月だっけ! ボクちまき好きなんだよねぇ・・・・・・じゃなくて! ウソじゃないんだってば! 正真正銘、ボクはヒーローなんだって!」

 

 マジか。確かに望愛はウソついたりするのは苦手なタイプだ。それに、たとえウソをついていたにしても、この八年間寝食を共にした俺が見破れない訳がない。望愛は嘘をつくとき、決まって頭の後ろを掻くのだ。俺は多分、この世の誰よりも望愛のことを知っている。無論、何ら他意はない。ただ、第三者目線でみたときの話だ。もっとも、ここ最近は話す機会が減ってしまったが。

 話を戻そう。・・・・・・ならばこれは夢か?

 

「・・・・・・望愛、ちょっとほっぺつねってくれ」

「? わかった。えいっ!」

 

 ・・・・・・やだ、普通に痛いわ。泣いちゃう。この子こんなに強くなったのね。つまりこれは、夢でも何でもない。現実なのだ。そう、これは現実なのだ。つまりこの世に、ヒーローは実在していたのだ。

 そう考えると、ここ一年の望愛の奇妙な行動も全て合点がいく。俺を置いて突然黒服とどっかに外出してニ、三日帰らなかったりだとか、帰ってきてもアザだらけ傷だらけになってくるとか、ずっと暗い顔してるとか・・・・・・何か隠し事をしてるとか。

 

「って、なげぇよ! ほっぺもげるわ!」

「わっ! ごめん。・・・・・・でもこれでわかった? ボクが本物のヒーローだって!」

「・・・・・・もしかして誰にも、そのこと言ってなかったのか?」

「うーん。でも、先生達は知ってたみたいだよ?」

 

 ここで言う先生とは、俺達の親代わりの施設職員の事だ。

 

「先生達と、俺以外には?」

「言ってないよ? ナオには特別に教えても良いって言われたから!」

 

 ・・・・・・つまり今まで、たった一人で望愛は戦ってきたと言うことか・・・・・・? 孤独の中で、傷つきながら、たった一人で。そうとは知らずに俺は外出のことや、傷のことを隠す望愛に辛く当たってしまった。距離を取ってしまった。──正直今は、目も合わせられない。なにが相棒だ、幼馴染みだ、なにが誰よりも望愛のことを知っているだ。俺は何にも、知らなかったのだ。

 

「・・・・・・ごめんな。俺、お前の事何にも考えてやれなかった」

 

 視界がぼやける。涙の奴が込み上げてきやがる。

 みっともないことこの上ない。泣きたいのはきっと、一人で戦う望愛の方なのだろうに。情けなくてしょうがない。

 

 

 そのとき。さっきまで正面にいた望愛が、俺を優しく包み込む様に抱き締めてきた。俺は驚いて、涙が引っ込んでしまった。・・・・・・そして、そんな俺に望愛は、優しくこう言った。

 

「ナオは悪くないよ。何にも言わなかったボクが悪いんだ。・・・・・・ねぇ、ナオ。また、前みたいに一緒にいてくれる?」

 

 ――この瞬間、俺は心に誓った。ヒーローとして人々を守る彼女(望愛)を、なにがなんでも俺が絶対に守りきることを。そして今、俺達は・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナオ~。暑い~」

「暑いならくっつくなよ・・・・・・」

 

 

 交際をしている。



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第一章 ジャンヌ・ダルクの彼氏は辛いが、彼女のためなら苦にならぬ
第一話 注、これはラブコメです


「ナオ~。暑い~」

 

 梅雨も明け、セミ達が大合唱を始めた夏中旬。うだるような暑さ、セミ達の合唱コンクールが外で開催されている。

 そんな最中、ノースリーブの白シャツと、デニムの短パンを履いた望愛が、後ろから俺にもたれ掛かるように抱きついてくる。

 

「暑いならくっつくなよ・・・・・・」

 

 矛盾してるからな? あ、ちなみにこれは望愛に言ってるんじゃなくてもちろんこの俺、城崎直人(きのさきなおと)自身に向けた言葉だ。

 超絶可愛いボーイッシュショートカット彼女に後ろから抱きつかれるとか、最高ではなかろうか。俺は今この瞬間、この世でもっとも幸福な男児になった! なお、彼女の胸がないだとか、お前童貞だろとか言うセリフは一切受け付けない! (ちなみに俺は貧乳派だ) 

 今が幸せなら、それで良いではないか。あ、望愛シャンプー変えたな?

 

「うおっ・・・・・・!」

「ん? 望愛どした?」

「今背筋ゾクッてした!」

 

 ぎくり。

 

「キ、キノセイダロ・・・・・・」

「ナオ、なんで片言なの?」

「前世がブリキのロボットだったからさ」

「・・・・・・怪しい。さてはまたエッチなこと考えてたでしょ」

 

 ・・・・・・俺の彼女は読心術が使えるらしい。もはや言い逃れは出来んな。諦めよう。

 

「・・・・・・なにか問題でも?」

「・・・・・・変態」

 

 望愛はジト目で俺からちょっと距離をおく。

 ははっ、残念だったな! その言葉は俺にとってはご褒美だぜ!

 

「お前が可愛いのが悪いんだ」

「・・・・・・!? って、その手はボクには通用しないからね?」

 

 おっと、既に対策済みか。だが望愛よ、ちょっと顔赤いぞ?

 

「全く・・・・・・。ナオはボクに何のエッチさを感じるの?」

「お前の細胞のゴルジ体まで愛してる」

「・・・・・・それ、ボクがいなくなった後に出来た彼女さんには絶対言わない方がいいよ?」

 

 ハッ、馬鹿が! 俺はお前以外を彼女にするつもりは毛頭ない! つまり言い放題だ!

 

「望愛以外に彼女作るつもりなんて無いから心配ご無用!」

「それが心配なんだよぉ~。お願いだからナオはちゃんといい人見つけて結婚してね?」

 

 呆れ顔の望愛はそう言って俺の頬を突っつく。

 

「望愛以上にいい人この世にいないから無理」

 

 

 当然だ。お前以外の女と添い遂げるなんて、考えたくもない。

 

「もぉ~・・・・・・。・・・・・・バカ。そんなんじゃ一生童貞? だよ?」

「三十代まで童貞なら、魔法使いになれるらしいぞ?」

 

 どんな魔法が使えるか、今から楽しみだ。

 

「片やスーパーヒーロー。片や魔法使い。カッコいいだろ?」

「・・・・・・ナオには戦って欲しくないなぁ」

 

 望愛はちょっと声のトーンを落としてボソッと呟いた。

 

「・・・・・・それな、俺もお前に対して同じこと思ってる」

 

 セミ達の大合唱が盛り上りを見せる。彼らの愛の歌は、メス達に届くのだろうか。

 



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第二話 俺の彼女はスーパーヒーロー

 彼女──有馬望愛がヒーローになったのは、今からもう四、五年ほど前のことになるだろうか。

 

 中学に入ると同時に、彼女はヒーローになった。

 ヒーローには、様々な特権や恩恵が与えられる。国からは年に一度、億単位で俸給が出るし、申請すれば宮殿のような家に、大量のお手伝いさん達を国が用意してくれたりもする。

 平時の生活も、監視こそされるが基本自由で、未成年ならどんな学校にだって願えば通える。・・・・・・無論、戦闘時の死のリスクを負ってではあるが。

 

 望愛と俺は今、高校二年生。地方都市の築五年駅まで徒歩五分の一軒家に同棲している。この生活は、望愛が望んだものだ。正直言って、最高だ。

 高校生で、彼女と二人きりで同棲しているカップルが、この日本に果たしてどれだけの数がいるだろうか?

 親兄弟の目を憚らず、時間の制限もなく、無限におうちデートでイチャコラ出来るのだ! その点は、神に感謝せねばならないだろう。

 ・・・・・・もっとも、俺は神なんざ信じちゃいないし、そんな奴が実在するならぶっ殺してやりたいが。

 

「・・・・・・ナオ、なにしてんの?」

「お風呂。見りゃわかるだろ?」

 

 曇った鏡越しに、俺の背後の脱衣所に立った望愛がぼやっと見える。表情が若干見えずらいが、多分ジト目で睨んでるのだろう。

 ってか望愛さん、あんたこそなにしてんの?

 

「・・・・・・怪しい。またなんか変なこと考えてたでしょ?」

 

 変なこととは失敬な。この素晴らしき生活を回顧して悦に浸っていただけだが? 

 あとドア閉めてくれません? 背中向けてるから良いものの、見えてはいけない物があるのですが。

 

「ナニモカンガエテナイヨ」

「ふーん・・・・・・まぁ良いや。ボクも入る!」

 

 ・・・・・・は? いやいやいやいや、待て待て待て待て待て!?!?!?

 

「落ち着け望愛、早まるな! 俺達にゃまだ早い! と言うか多分やめといた方がいい!」

 

 俺は思わず立ち上がり、振り返る。その拍子に石鹸に滑って転びそうになったのは内緒だ。

 

「え、なんで?」

「なんでじゃねぇ! あと服脱ごうとすんな! シャツの下なんも着けてねぇだろ!」

 

 望愛はみるみる服を脱いでいく。なんならこう言っている間にこいつはもう上の服を脱ぎ終わっているのだ!

 

「ボクとナオの仲でしょ? 大丈夫だって。間違い? 過ち? なんて起きないって!」

 

 ついにズボンまで脱ぎ終わった望愛は、風呂場に一歩足を踏み入れる。

 望愛さん・・・・・・つまり俺に我慢しろって言ってるんですよね? 高校二年、思春期真っ只中の、彼女大好き人間にそれは辛いですぜ・・・・・・。

 

「もしなにかあったら・・・・・・一緒に責任とってね?」

 

 お前は悪魔か。

 

「いやお前にゃ責任負わせないが!? でも国を賭けた責任問題なんて、俺にゃ負いきれねぇよ!」

「頑張れ!」

 

 望愛は小さくガッツポーズをする。

 

「他力本願過ぎませんか!?」

 

 そうこう言っているうちに望愛は一歩また一歩と風呂場に入ってくる。

 うちの風呂場はそんなに大きくない。俺はたった三歩にして追い詰められてしまった。

 

「背中流してあげるね!」

「お、お手柔らかに・・・・・・」

 

 結局風呂から上がるまでの数十分間、俺の精神は磨り減らされ続けたのであった。

 風呂場の鏡、取り外さなくちゃな。

 

 

 

 

 

 夕食を終えた夜、俺は自分のベッドに潜り、考え事・・・・・・もとい、望愛のことを考えていた。

 壁一枚挟んだ隣には望愛の部屋がある。物音が聞こえない辺り、もう眠ったらしい。寝付きが良いのは相変わらずだ。

 今聞こえるのは、外から響くコオロギやスズムシなんかの鳴き声ぐらいなものだ。

 

 

 ヒーローや、その他諸々の存在は、一般国民には秘匿され続けている。理由は様々あるが、国民の混乱を防ぐため、そして人道的に公開できないため。この二つが主な理由だ。

 ヒーローは強力だ。だから様々な面で優遇される。その一方で、強力であるがゆえに人道を無視した制約が課されている。

 結婚・同衾(どうきん)の制限・・・・・・これはその中の最たるものだろう。

 望愛達ヒーローは、国によって結婚の時期、相手を管理される。

 ヒーローは、人智を超えた能力を使う。なんでも遺伝子に鍵があるようで、両親共に別々の能力を有する子には、二人の能力が遺伝するらしい。

 

 

 ・・・・・・つまり、俺は望愛とは決して結ばれない。

 

 

 俺も望愛も、それを承知で今の生活を続けている。・・・・・・要は諦めたのだ。それにそもそも、俺の体は子供が望めない。

 望愛は、来年の彼女の誕生日に結婚する。お相手は二十も歳上の英国紳士のヒーローらしい。

 写真を一度見たが、中々にダンディーな人だった。能力がなければ、きっと二枚目俳優にでもなっていただろうに。

 

「・・・・・・あと、一年か」

 

 この生活が終わるまであと一年。彼女は英国紳士と結ばれ、幸せな結婚生活を送るに違いない。

 結婚したヒーローは、子供の育成云々のため引退する。望愛も勿論、引退す──────まて、明らかに何かおかしい。何故気付かなかったとかは今はどうでも良い。

 望愛は来年でもまだ十八歳。俺が言うのもなんだが、まだまだ十分に戦えるはずだ。早い、あまりにも早すぎる。

 

「何故だ・・・・・・?」

 

 俺はベッドから起き上がり、明かりすら点けずに顎に手を当てて考える。今日は熱帯夜。噴き出した汗が肌をじっとりと濡らし、その逆に血の気はサッと引いていく。

 隣からはもぞもぞ望愛が寝返りを打つ音と、寝言が聞こえる。

 

 そんなときだった。

 

 

 ──プルルルル、プルルルル・・・・・・

 

 

 時刻は午前二時。隣の部屋から、スマホの着信音が聞こえてきた。余談だが、別々の部屋なのは制約の都合があるからだ。効果はほぼゼロだが。

 望愛はすぐに電話に出て、何やら話をしている。聞く限り、あまり良い内容では無いようだ。・・・・・・ダシャレじゃないからな?

 電話の内容を察した俺はタオルケットを蹴飛ばしてベッドから出ると、パジャマからジャージに着替える。

 紺色に、蛍光グリーンのラインが入っている奴で、通気性は抜群だ。

 

 スマホの充電は百パーセント。リュックの中にエチケット袋と酔い止め、虫除けスプレーと、汗かきな望愛のために制汗スプレーを詰め・・・・・・デカすぎる疑問を除けば、準備は万端だ。

 丁度詰め終わった頃、望愛も電話と準備を終えたらしく、俺の部屋にドタドタ駆け込んできた。

 

「出動だって!」

 

 寝汗をぐっしょりかいたらしい望愛がそう言う。まるでシャワーを浴びてきたみたいだ。

 

「りょーかい。ほれ、酔い止め飲んどけ。あと汗ふきな」

 

 俺はそう言って酔い止めとタオルを渡す。

 

「ありがと!」

 

 望愛はすぐに俺が渡した酔い止めを口に含む。水なしで飲める飴タイプの奴だ。

 そうこうしているうちに、家の前に車が止まった音がした。・・・・・・望愛の仕事の時間が、やって来た。

 コオロギ達は、まだ鳴いている。



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第三話 任務に酔い止めとエチケット袋は必須です

 俺たちは急いで玄関先に出る。月明かりが照らす静かな深夜、そこにはもはや見慣れた外国産高級車……の痛車があった。

 

 

 

「夜遅くにすまんな二人とも、乗ってくれ」

 

 

 

 痛車の窓が下り、運転席から顔を覗かせた男──湯村則之ゆむらのりゆきは、そう言って後部座席のドアを開ける。痛車には似合わない、真っ黒な背広を着ている。

 

 

 

「ノリ兄いつもありがとね!」

「サンキュー兄貴」

「おう! 可愛い妹と弟のためだからな!」

 

 

 

 俺たちはそう言って手慣れた動きで車の中に滑り込む。・・・・・・正直今が夜中で助かった。

 

 オタクに寛容な社会となったこの現代でも、流石に全面萌えキャラコーティングされた高級外車に白昼堂々乗るのは勇気がいる。

 

 もっとも、望愛は大して気にしていないようだが。

 

 

 

「そんじゃ、アクセル全開でいくぜ!」

「おー!」

 

 

 

 望愛の相づちと共に兄貴は急発進する。窓から見える風景がどんどん後ろへと流れていく・・・・・・確実に法定速度オーバーなのだが、それでも引っ掛からないのは車の上にパトランプがついているからだろう。

 

 便利な世の中だなぁ。

 

 

 

 

 さて、移動中に俺たちと兄貴の関係性を説明しよう。

 

 親のいない俺と望愛は施設で育った。そんな施設で、俺たちの事を弟や妹みたいに面倒みてくれたのが、この十歳歳上の兄貴だ。

 

 俺と望愛の関係をよく知る人物にして、俺たちの秘密の共有者でもある。現在二十七歳、彼女無し、オタク街道まっしぐらの国家公務員だ。

 

 

 

 

「ノリ兄、今日のはどんな奴なの?」

 

 望愛が運転席の兄貴に聞く。さりげなく隣に座る俺の手を握っているのは恐らく不安だからとかそういうんじゃなく、単純に癖なのだろう。

 

 昔っから何をするにも望愛は俺と手を繋いだり服の端っこを摑んだりしてたからなぁ・・・・・・ありがとうございます! 

 ちなみにこのどんな奴とは、言うまでもなくヒーローたる望愛が戦う相手・・・・・・と言うか怪物のことだ。

 中々グロテスクな見た目をしてるから、食事中に見ることはあまりオススメしない。吐くぞ?

 

 

「それじゃ、上のモニターにご注目ー!」

 

 兄貴はそう言ってちょっとテンション高めに後部座席上のモニターを展開し、映像を流す。これが深夜テンションと言う奴だろう。

 そこには巨大なオオスズメバチの・よ・う・な・姿の化け物が映っていた。

 

 オオスズメバチとの違う点は、大きさと、その姿。・・・・・・驚くこと無かれ、六本の脚は全部人間の腕とそっくりで、目玉に至っては人間と同じものがびっしり集まって複眼を形成している。

 

 正直言って大変気持ち悪い。生理的嫌悪感を覚える見た目だ。現に隣の望愛なんかは口を押さえて、

 

 

 

「うっ・・・・・・」

 

 ──緊急事態だ。

 

「望愛ァー! ほら、エチケット袋あるから! こん中に出して! 兄貴はモニターすぐに片付けて!」

 

 

 

 俺は急いでカバンからエチケット袋を取り出し、望愛に差し出す。

 

「わかった! 望愛、大丈夫か?」

 

 兄貴はすぐにモニターを格納し、バックミラー越しに様子をうかがう。そして望愛は、

 

「うっ・・・・・・だ、大丈オロロロロロロロ──」

 

 

 

 ・・・・・・今日も絶好調だ。

 

 

 

 

 

「・・・・・・落ち着いたか?」

「まだもうちょっと気持ち悪い・・・・・・うっ!」

 

 あれから十数分後、望愛は未だにえずいていた。隣の俺は、そんな望愛の背中をゆっくりとさする。

 おおよしよし、可哀想に。全部出してすっきりしちゃいなさい。

 

「ナオ。いつもボクの背中さすってくれてありがと・・・・・・」

「死にかけの奴が言いそうなセリフ吐くのやめろ。ほら今はキラキラ吐くのに専念しな」

「わかっ──オロロロロ・・・・・・」

 

 望愛は乗り物酔いが激しい。その上気持ち悪いものを見るのすぐにこうなる。・・・・・・故に酔い止めとエチケット袋は任務には必須なのだ。

 

「──もう大丈夫、多分胃の中全部出尽くした」

 

 顔色を悪くした望愛はそう言って俺にグッジョブサインを送る。

 

「一応袋まだ持っときな。兄貴、次のパーキング寄れる?」

 

 現在の俺たちは高速道路のど真ん中。パーキングエリアに寄れるのなら、そこで望愛にうがいをさせてやりたい。

 ちなみに渋滞に巻き込まれないのは、道路規制が敷かれているからだ。もちろん、望愛のために。

 

「あー・・・・・・まぁ、大丈夫か。うがいとか諸々済ませたらすぐ出発だからな?」

「りょーかい!」

「わかった・・・・・・うっ!」

 

 

 

 望愛ぁ・・・・・・。



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第四話 出撃! 極東のジャンヌ・ダルク

 パーキングエリアに一旦寄り、最後の準備をした俺たちはようやく現場に到着した。現場は深い山々と田畑が広がる閑静な田舎町。

 うちの県には村が無いから、どれだけド田舎でも一応町になる。コオロギ達に混ざって、カエルの声も聞こえてきた。

 

「・・・・・・着いたぞ」

 

 兄貴は手頃なところに車を停め、後ろの俺たちを振り返る。だが・・・・・・

 

「兄貴・・・・・・」

「皆まで言うな・・・・・・起こしてやりなさい」

 

 兄貴はそう言って優しく微笑む。

 俺はゆっくりと隣を見た。

 いつもの事ながら望愛さん、フリーダム過ぎませんか!? 今から得たいの知れない化け物とガチンコで殴り合うんですよ!? 気持ち良さそうによだれ滴しながら寝るんじゃありません!! ・・・・・・可愛いから写真撮っとこ。

 

「・・・・・・お前ってほんと望愛のこと好きだよなぁ」

 

 兄貴は呆れ顔で俺にそう言う。

 

「そりゃぁもう、大好きに決まってるだろ?」

 

 何を今さら。ってそんなこと言ってる場合か! とっととこの寝ぼすけを起こさねば。

 

「望愛さん、起きなさい。お仕事の時間ですよ」

 

 俺は望愛の肩を二、三度軽く叩く。望愛はすぐに薄目を開けて目を覚ました。

 

「・・・・・・ん? ふあぁ~、もう着いたの?」

「いえす」

「ん、わかった」

 

 まだ眠気が取れない望愛はそう言うとベルトを外して立ち上がり、

 

 

 ──ゴンッ!!

 

 

「・・・・・・いちゃい」

 

 天井に頭をぶつけた。この子はアホなのか? アホの子なのか? アホの子なのだろう。(可愛いから良いが)大変不安だ。

 だが驚くこと無かれ、これでもこいつはこの国最強のヒーローなのだ。コードネームは《ジャンヌ・ダルク》。・・・・・・名前負けしてるとしか思えんが、この国は望愛にそうあるように求めた。

 こんなちんちくりんに命運を託すなんて、多分この国はもうダメだと思う。ぶっ壊してやろうか。

 

「そんじゃ俺たちは外に出てるから、着替えたら出てくるんだぞ?」

「ほれ、制汗スプレー。スーツ着る前に振っとくんだぞ?」

「りょーかい!」

 

 頭をぶつけた衝撃で目が覚めたのか、俺たち二人に向かって元気に望愛は親指をたてて返事する。不安だ。

 俺は制汗スプレーを望愛に手渡すと、兄貴と共にそそくさと車を出て、背を向ける。

 お着替えシーンを見たいと思うのは思春期男子特有の感情だが、俺はそれを別の機会にとグッとこらえる。

 さて、と。ようやく兄貴と二人になれた。あの事について聞くなら、今だろう。

 

「なぁ兄貴」

「ん? どした?」

 

 兄貴は早速ライターでタバコに火をつけ、ふかしていた。受動喫煙という言葉を彼は知っているのだろうか?

 コオロギやカエルの声に包まれながら、兄貴はどこか納得したようにこう言った。

 

「あぁー、そろそろタバコに興味が出てきたか? 流石に法に触れるのは良くないからなぁ・・・・・・。ほら、未成年のお前はライターだけで我慢しな」

 

 は?

 

「いや別に要らねぇよ?」

「まぁまぁそう言わずに・・・・・・」

 

 いや兄貴よ、未成年の弟分のリュックサックに強引にライターを押し込むのはどうかとおもうぞ?

 

 ・・・・・・まぁいい。今はその事については後回しだ。俺が本当に聞きたいこと、それは──

 

「望愛の結婚ってさ、来年だよな?」

 

 一瞬場が凍る。心なしかカエル達の声も小さくなったように思える。

 兄貴はタバコを口から外し、煙を吹くと、それをポケット灰皿に入れて俺の方向き直った。

 

「・・・・・・やっぱり気づいたか」

 

 俺はこくりとうなずく。

 

「ちょっと遅すぎたけどな」

「気づけただけ上等だ。・・・・・・ありがとな」

 

 兄貴はそう言って俺の背をポンと叩く。

 なぜ兄貴が礼を言う? そんな疑問をよそに、兄貴は話を続けた。

 

「実は望愛な──」

 

 そのときだった、兄貴の言葉を遮るように、一人の男が現れた。

 

「二人とも来たか」

 

 俺達は思わず話をやめ、振り返る。そこには、元柔道国体出場選手の名に恥じぬ、がっしりした体型の、厳つい中年男性──洲本弘一郎(すもとこういちろう)と、取り巻きの黒服の姿があった。

 その姿を見て兄貴はペコリとお辞儀をする。俺もそれにならう。独特の威圧感が、その場に広がった。

 

「話を遮ってしまったか?」

 

 ダンディーな低い声で、洲本のおっちゃん(普段俺はそう呼んでいる)はそう聞く。

 ギクリ。

 

「・・・・・・いえ、大丈夫です。洲本副支部長」

 

 兄貴は首を横に振って答える。

 位置付けとして、兄貴は洲本のおっちゃんの部下に当たる。

 

「そうか。・・・・・・望愛は中に?」

 

 洲本のおっちゃんはそう言って車をちらりと見る。兄貴は小さくうなずいた。

 

「ええ」

「・・・・・・そうか、ありがとう。ナオも夜中なのにごくろうさん」

 

 おっちゃんは俺の肩に手を置く。大きくてごつごつとした、皮の厚い手のひらだ。柔道家は皆、こんな手をしているのだろうか。

 

「ご苦労なんてそんな・・・・・・俺は彼氏としての最低限の義務を果たしてるだけだ」

「そうか・・・・・・あと一年、よろしくな」

 

 そう言うとおっちゃんは少しはにかみ、離れたところにあるテントに取り巻きともども歩いていった。

 

「・・・・・・この話は今は止そうか」

「・・・・・・だな」

 

 俺達は目を合わせてうなずく。絶好のチャンスを失ったのは痛いが、それが得策だ。

 洲本弘一郎は、俺や望愛にとって父親みたいな人物だ。

 顔は厳ついが、おおらかで気前がよく教養もある。お手本みたいな人だ。・・・・・・機関の幹部でなければどれだけ良かったことか。

 

 

 望愛達日本のヒーローは、内閣府直轄の機関『特殊災害対策特別会議室』。通称、特災対の下部機関に所属している。兄貴も無論、この機関の所属だ。

 これの下部機関、『ヒーロー機関』は日本各地に支部があり、ヒーロー達はそれぞれの支部長の指示のもと、任務に従事する。

 うちの地域の支部は慣例上支部長が不在ならしく、副支部長の洲本のおっちゃんが事実上の司令として望愛達所属ヒーローに指示を出している。

 

 

 ・・・・・・そんなこんなで数分後、ヒーロースーツに着替え終わった望愛が、小脇にフルフェイスと制汗スプレーを抱えて堂々と歩いてきた。

 相変わらず緊張感の欠片もない、ニッコニコな表情を浮かべて。

 

「準備万端! ナオ、スプレーありがと!」

「はいよっ!」

 

 俺はそう言って望愛の投げたスプレーをキャッチしてリュックサックにぶちこむ。

 望愛のスーツは動きやすいように体にピッタリフィットしたスパイスーツ風の物だ。

 白を基調に、腕や体側にピンクのラインが走っている。そして胸とフルフェイスの額部分には、ひし形のマークの中に『特』の字が刻まれた黒いロゴがつき、腰のベルトには鞘に収まった鉈のようなもの(マチェットと言うらしい)をぶら下げている。

 ・・・・・・許されることなら小一時間写真を撮りまくりたいのだが、前にそれをやろうとしておっちゃんに秘匿事項云々とお小言を言われたので止めておく。

 だが、これだけは言わねばなるまい。

 

「やっぱりお前って可愛いなぁ・・・・・・」

 

 その瞬間、望愛は虚を突かれた様に驚き、目を見開いて頬を紅潮させた。

 

「はっ・・・・・・!? もぅ、止めてよぉ~!!」

 

 顔を真っ赤にして恥ずかしがる望愛は、そう言って俺をポコポコ殴る。

 可愛いものに可愛いと言って何が悪い! あとその反応云々全部逆効果だからな? ・・・・・・んでいつものことながらなんで兄貴は目を覆ってんの?

 

「尊い・・・・・・直視できない・・・・・・」

 

 おっとそうだ、この人は次元を選ばないタイプのオタクだった。・・・・・・でも俺たちに尊みを覚えるのはなんか違くね?

 

「もう・・・・・・。それじゃ、行ってくるね!」

 

 おっと、もうそんな時間か。

 

「おう! 行ってらっしゃい! 待ってるからな!」

 

 ・・・・・・これもいつものことながら、やっぱりこの見送る瞬間だけは慣れない。心拍数が上がる。もし帰ってこなかったらと思うと、怖くて怖くてしょうがない。

 だが、そんな情けない姿、望愛には見せたくはない。俺の小さな小さなプライドに懸けて、精一杯の笑顔を望愛に贈る。

 

 俺たちはグータッチをする。望愛はニッコリ笑ってフルフェイスを被ると、山に向かって一目散に走っていく。・・・・・・俺はその背を、見送ることしか出来ないのだ。

 

「・・・・・・俺ってホント、情けねぇよなぁ」

「言うな。俺も同類だ」

 

 俺と兄貴は望愛を見送ったあと、テントへと向かった。



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第五話 地上最強の彼女

 望愛の姿は、自動追尾するドローンカメラ君が撮影してくれる。

 それを俺たちは少し離れたテントの中の巨大モニターからモニタリングする。

 ドローンカメラは望愛を撮影しているものを含めて計四台。他の三台は例の怪物や、一般人が戦闘区域に侵入していないか等、周辺の景色を随時監視している。

 このドローンお陰で、状況に合わせて洲本のおっちゃん達が望愛に的確な指示を出せるのだ。

 

「このテント相変わらず蒸し暑いなぁ・・・・・・」

「今日は例年より早い熱帯夜らしいぞ?」

 

 熱気の籠ったテント内部はまるでサウナのようだ。扇風機とかねぇのかよ。

 洲本のおっちゃんは、テントに入った俺達にそう言ってうちわを渡してくれる。・・・・・・まぁ、無いよりはマシか。

 うちわは真っ白な紙に『特災対』の文字と、支部のエンブレムでもあるコウノトリがプリントされている特注品だ。そこそこ格好いいのがなんか腹が立つが。

 

 

「望愛は?」

「接敵まであと五百メートル強ってとこだな」

 

 五百か・・・・・・望愛ならすぐに戦闘に入るだろう。あいつの運動神経は、地上最強だ。

 あ、望愛に虫除け渡すの忘れてた。汗っかきのあいつのことだ、きっと蚊に刺されまくるぞ・・・・・・可哀想に。

 

 俺達は用意されていたパイプ椅子に腰掛け、モニターを眺める。

 かなりの速さが出るドローンだが、それが追い付けない程のスピードで望愛は山道を駆け上がっていく。

 カメラはただ、前を走る望愛によってえぐられた様に残る足跡を映し続けていた。

 

「流石、最強のヒーローだな」

 

 洲本のおっちゃんがそう呟く。俺はこくりとうなずいた。

 

 

 そんなこんな話していると、望愛は目的地に到着した。わずか三十秒後の事だった。

 カメラも望愛に遅れること数秒、その地点に到着し、ようやく姿を捉える。あれだけ走って疲れた様子一つ見せないあたり、やはり規格外なんだなと思い知らされた。

 つまりはギャップ萌えと言うわけだ。

 

『こちら《ジャンヌ・ダルク》。見つけたよ』

 

 おっちゃんの持つデカイ無線機から、そんな望愛の声が聞こえる。普段より少し低い声。真面目モードだ。

 その無線により、テント内の全員に緊張が走る。開戦は間近・・・・・・きっと今回も大丈夫。あいつは地上最強のヒーローだ。

 俺は祈るように、指を絡めて左右の手を組んだ。

 

「こちら本部。こっちからも確認した。・・・・・・状況を開始せよ」

 

 おっちゃんも、真面目な声で望愛にそう返す。戦闘開始の合図だ。

 カメラが、怪物の姿を映す。

 ジジジジジと、大きな音を立てて五メートルほどの空中をホバリングするそれは、大きな顎と鋭い毒針を持ち、人間のような六本の筋肉質な腕を生やしている。

 捕まれば、命はないだろう。

 

『了解。状況を開始する』

 

 望愛は短くそう返事をした。その瞬間、モニターの向こうに変化が訪れた。

 カメラは今、望愛と怪物を同時に映し出している。望愛はマチェットを持ち、クラウチングスタートするかのように地面に手を当てて構える。それに合わせて、スーツのラインが光輝く。淡いピンクの光は徐々に光度を上げ、そして収束していく。

 望愛が能力を解放した証だ。

 

 ・・・・・・もし帰ってこなかったら、なんて心配は、その瞬間杞憂に変わった。

 

 望愛は突如天高く飛躍する。空中で悠々と羽ばたく怪物と並ぶ。虚を突かれた怪物は動揺しその場から動かない。

 ・・・・・・即座に望愛は、首を刎ねた。

 その首は胴と分かれ、コトリと地面に吸い込まれるように墜ちる。

 噴水のように噴き出す血飛沫は、少し離れたところを飛ぶドローンカメラのレンズにまで跳ね、画面を暗転させた。

 

 俺の彼女は、やっぱり地上最強だった。

 



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第五・五話 望愛の戦場

 暑い。すーっごく暑い。

 フルフェイスに映し出された電子地図では、接敵まであと五百メートルらしい。

 そろそろボクもスイッチを切り換えなきゃなんだけど・・・・・・暑い! ナオからスプレー借りなかったら今頃大変だった! 

 あ、ナオから虫除け借りるの忘れてた。・・・・・・って、そんなことどうでも──良くはないけど! そろそろもう敵が見えてくる。

 ボクは足を止めて近くの茂みに隠れて様子をうかがう。・・・・・・低身長なのはちょっとヤだけど、こう言うときには役立つんだよねぇ。

 深夜の山は驚くほど静かだ。そして暗い虫の音一つ鳴らない、風すら吹かない森の中で、ボクの息遣いだけが響く。

 

 

 ──おう! 行ってらっしゃい! 待ってるからな!

 

 

 ナオの声が、笑顔が頭に浮かぶ。大好きで大好きでしょうがない、ナオの顔が。

 自然と顔がにやけてしまう。ダメダメ、今は任務に集中しなくちゃなんだから! あー、それでもやっぱりにやけちゃう!

 早く終わらせて、ナオに抱きつきに行きたいなぁ・・・・・・。

 そう思いながらボクが周囲をうかがう・・・・・・いた。今日の敵だ。大きな羽音のお陰で、すぐに見つけられた。

 

 瞬間、スイッチが入った。

 

 ボクはすぐにフルフェイスに取り付けられた無線機から、本部(ちっちゃいテントだけど)に連絡を取る。

 

「こちら《ジャンヌ・ダルク》。見つけたよ」

 

『こちら本部。こっちからも確認した。・・・・・・状況を開始せよ』

 

 無線機の向こうからは安心と信頼の洲本さんの低い声が聞こえる。こっそり心の中でおとーさんと呼んでるのは内緒だけど。

 

「了解。状況を開始する」

 

 よし、切り換え完了! ・・・・・・ナオ、すぐ終わらせるから、待っててね!

 

 

 ボクは全身に力を入れる。それに合わせてスーツのラインが鮮やかに光輝く。そしてそれは広がり、収束する。体が軽くなった。

 

 目標はおよそ五十メートル前方、約五メートル上空をホバリング中。向こうからはまだボクの姿は見えていない。

 息を大きく吸って、吐く。鞘からマチェットは引き抜いている。勝負は一瞬で決める。・・・・・・ボクにはもう、時間がない。

 

 

 ボクは茂みを飛び出し、跳ねた。風景がみるみる下に落ちていく。そして目の前に、それが現れた。黒と黄のしま模様の、怪物が。

 怪物は虚をつかれた様に動きを止める。突然自分より少し上に人間が現れたら、普通はそうなるよね。でも、

 

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 ・・・・・・謝って許される訳はないけど、今のボクにはそうするしか出来ないんだ。ボクは人殺しだ。

 姿は変わっちゃったけど、それでも人を殺したことに変わりはない。人を殺した、汚れた手で、昨日も今日もきっと明日も、ナオと手を繋ぎ、抱き付いたりなんかもしたりして、他人から奪った幸せを一人占めする。・・・・・・ボクって本当に、最悪だ。

 

 

 ──ざくり

 

 

 振り下ろしたマチェットが怪物の首を切断する。首はコトリと地面に吸い込まれるように墜ちる。

 切り口からは噴水みたいに真っ赤な血が噴き出し、それがボクにも降り掛かる。

 また一つ、ボクの罪が重なった。やっぱりボクも、怪物だ。ナオにすがらないと生きていけない、地上最弱・・・・・・いや、世界最弱の怪物だ。

 

 ボクは降り立ち、五点着地を取る。

 目の前には血溜まりと、怪物だった誰かの残骸。もう見慣れてしまった光景だ。ただただ、胸が苦しくなる。

 

 ボクは血で重く湿った土を踏みしめ、立ち上がる。こんな姿、ナオには見せられない。ナオの前では、元気な有馬望愛を演じないと──

 

「うっ・・・・・・!」

 

 直後、頭に耐え難い痛みがめまいと同時に走った。



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第六話 最強≠最強

 勝負がついたのはモニターから確認できた。交戦から僅か一分弱の出来事だった。

 

「・・・・・・状況終了。対象の生命反応無し」

 

 おっちゃんの持つ無線機からそんな望愛の声が聞こえる。怪物を倒した直後だからか、声は沈んでいる。・・・・・・早く迎えに行ってやらないとな。

 メインの望愛を映していたモニターは依然として真っ黒だ。今頃帰還しているのだろう。

 

「了解だ。ご苦労様。今迎えを寄越すからまってろ」

 

 そう言いながらおっちゃんは横目で俺を見てちょっとニヤつく。おっさんの微笑みなんざ望んじゃいねぇ・・・・・・と言いたいところだが、今に至っては話が違う。

 ありがたくおっさんの微笑みを受け取って、俺はテントから飛び出し、望愛のいる場所まで駆け抜ける。元陸上部の本気を見せてやらぁぁぁぁ!!!!

 

 

 

 十分後、人気の無い深夜の山中にポツンと一人、汗をダラダラ流して荒い呼吸をする男が立っていたそうだ。・・・・・・無論俺だ。

 正直山道を侮っていた。元陸上部の勘も案外宛にならない。ストレスで望愛が倒れるより先に、こっちが酸素欠乏でバタンキューしそうだ。

 虫の音一つ、風の音一つ鳴らない蒸し暑い山を、俺は汗だらだらの疲労こんぱい状態で登る。

 山道には、望愛の遺した大きな足跡が残っている。道には迷わないな。

 ・・・・・・っと、そろそろ望愛が待ってる所にやって来た。

 ツンと血の匂いが鼻を突く。夏だから余計に強烈だ。思わず俺は鼻を覆う。こんなもんずっと嗅いでたら鼻がもげるわ!

 

「望愛ぁー、来たぞー?」

 

 キョロキョロ辺りを見渡してみるが、姿が見えない。目に入るのは大きな血溜まりと、その中心で事切れる首の無い大きな化け物の死体。血の匂いはこいつの仕業らしい。

 ドローンは戦闘終了と同時に(充電節約のため)撤収してしまったから、本部に聞いてもわからない。

 

「望愛ぁー?」

 

 俺は極力怪物の亡骸を見ないように、望愛を探す。

 ・・・・・・どこに行った? いつもなら呼べば自分から飛び出してくるのに。

 そうだスマホ・・・・・・は流石に車に服と一緒に置いてきてるか。ほんとにどこ行った?

 

 

 そうして真っ暗な森を懐中電灯だけで探すこと数分、俺はやっと望愛を見つけた。

 なんだ、木の影に隠れてたのか。かくれんぼのつもりだろうが、鷹の目と呼ばれたこの俺から逃れることは────って、

 

「・・・・・・望愛? おい、大丈夫か!? おい!」

 

 そこには明らかに体調を崩し、木を背もたれにしてへたりこむ望愛の姿があった。フルフェイスは外しているし、脱水症状も見られない。顔色は悪いが熱中症と言うわけではなさそうだ。

 

「ナオ・・・・・・。大丈夫、ちょっと疲れただけだから・・・・・・」

 

 そう言う望愛は、明らかに大丈夫そうな様子ではない。

 

「大丈夫な訳ねぇだろ。おんぶとお姫様抱っこ、好きな方選ばせてやる。制限時間は五秒な」

 

 早く下山して涼しい所でベッドに寝かせてやりたい。風もない熱帯夜でこんなところにいたら、本当に熱中症になってしまう。

 

「・・・・・・おんぶ」

「りょーかい。フルフェイス貸してみ。リュックん中入れるから」

「はい・・・・・・」

 

 望愛は力無く抱えていたフルフェイスを俺に差し出す。

 

「はいさ」

 

 俺は若干はみ出し気味なフルフェイス入りリュックサックを前に掛けると、背中に望愛を背負った。この際返り血うんぬんは気にしない。スーツの撥水性に期待しよう。

 

「えへへ・・・・・・ナオの匂いだぁ・・・・・・」

 

 背負われた望愛は、そう言って俺の首筋をすんすんと嗅ぎ、背中に顔を埋める。

 

「俺汗かいてんぞ?」

 

 あとちょっとくすぐったい。

 

「大丈夫、ナオだもん」

 

 何が大丈夫なんだ? そんな疑問を抱きながら、俺たちはもと来た道を下りる。

 

 

「・・・・・・ねぇナオ?」

 

 望愛が突然話しかけてくる。さっきよりは体調が戻ったみたいだ。

 

「ん?」

 

 望愛がこう言う話の切り出し方をするときは大体、怒らせたときか、二つのものを選ばせるときか、答えの無い悩みを吐き出すときだ。・・・・・・今回のは一番後ろの奴だろう。

 

「・・・・・・ボクって強い?」

 

 やっぱりそうだった。

 

「場合によるな」

「場合って?」

 

 うーむ・・・・・・。また難しいことを。そもそも強いってなんだ?

 

「スポーツじゃまず俺はお前に勝てない。格ゲーでも無理。勉強は・・・・・・社会と国語以外でお前に勝てる自信無い。なんならその自信もそろそろ崩れそうだ」

 

 ちなみに社会と国語は超僅差で俺の勝ちだ。多分すぐに抜かされる。

 

「俺がお前に勝てることなんてそうそう無い。望愛が出来ることは俺じゃ歯が立たないし、望愛に出来ないことは俺じゃ絶対に出来ない。そう言う意味じゃ、望愛は確実に俺より強い。ヒーローとしての覚悟だってあるしな」

「過大評価だよぉ~・・・・・・」

 

 望愛は少し恥ずかしそうに言った。事実だからしょうがない。

 

「でも、」

 

 でも、

 

「でも・・・・・・?」

「一個、俺が自信をもってお前より強いって言えるところがある。そんでもってそれは、お前の弱い所だと思う」

 

 こればっかりは誰にも負けない。負けてはいけない俺の強みだ。

 

「・・・・・・何?」

望愛愛(のああい)

「はっ・・・・・・!?」

 

 よし! その反応待ってた! ちょっと元気になってきたか?

 

「これだけは負けねぇからな? 第一、望愛は自己肯定感が低すぎる! もっとナルシストになれよ?」

 

 望愛は自分のことを悪人、罪人、怪物だと思ってる節がある。そうやって縮こまって苦しんで苛まれる姿なんて、俺は二度と見たくない。

 望愛を苦しめる奴は、たとえ本人であっても許さん!

 

「でも・・・・・・」

「でももヘチマもあるか! 俺の大好きな望愛をどうこうする奴は、望愛本人だとしても怒るからな?」

「だっ・・・・・・!! もぉ~!! ・・・・・・ナオのバカ」

 

 望愛にバカと言われるならそれは本望だ。・・・・・・事実俺はバカだから何も言い返せない悲しみはあるが。

 

「俺はもう望愛が一人で卑屈になって悩んで苦しむ所は見たくねぇんだよ・・・・・・」

「ナオ・・・・・・」

 

 惚れた女にはずっと笑っていて欲しい。そう思うのは至極当然のことでは無いだろうか? 少なくとも俺は、望愛にはそうであって欲しい。

 そもそも弾けるような笑顔が可愛い望愛に、泣き顔は似合わない。臭いセリフを吐くが、雨天曇天に太陽が見えないのと同じだ。暗い顔は、望愛の良さを潰してしまう。

 ・・・・・・ヒーローを辞めることが出来れば、それも少し良くなると思いたい。辞められれば、の話だが。

 

 

 話しているうちに、山道の入り口が見えてきた。望愛の体調もちょっとは良くなったようだ。

 

 ──ぐるぐるぐる・・・・・・

 

 それに、望愛のお腹の虫も絶好調のようだ。

 

「腹減ったろ?」

「・・・・・・うん」

「何作ろうか?」

「うーん・・・・・・はちみつミルク飲みたい!」

「はちみつミルク?」

「うん! だめ?」

「だめくない。頑張った望愛へのご褒美だからな!」

「やったー! はちみつたっぷりね!」

「りょーかい!」

 

 望愛は俺の背中で、にへ~っと笑った。

 司令部のテントが、すぐ向こうに見えた。



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第七話 でぶりーふぃんぐ

 任務を完遂したヒーローは、前線司令部(ここみたいなテント)で帰還報告(デブリーフィング)を行う。

 ただし、追尾式ドローンでの観測が発達した現代ではもはや儀礼化しており、ヒーローの体調や精神状態の確認ぐらいの意味合いしか持たない。

 が・・・・・・現在望愛は、バッチリ体調を崩している。メディカルスタッフの検査結果では、なんでも過労が祟ったとの事らしい。・・・・・・おバカが。

 もっとも、当の本人は検査が終わった頃にはけろっとして「ナオー、お腹空いた~」とか気の抜けたこと言っていたが、一応大事を取って即座に帰宅の運びになった。

 

 

「望愛ぐっすり寝てんなぁ」

 

 運転席の兄貴が、バックミラー越しに微笑む。

 望愛の寝顔は本当に可愛い。まだ家までは時間がある。ゆっくり休めよ?

 

「すぴー・・・・・・すぴー・・・・・・ナオぉ~、そこダメだって・・・・・・すぴー・・・・・・」

 

 ・・・・・・おい待て、ダメってなんだ!? 夢の中で俺は一体何を!?

 

「・・・・・・良い夢見てるみたいだな」

「その生暖かい視線を今すぐやめろ」

「ははは・・・・・・」

 

 兄貴はそう言って笑ったあと、急に真面目な顔になって話を切り出した。

 

「・・・・・・ナオ。あの事、いつまで望愛に隠しとくつもりだ?」

 

 あの事? ・・・・・・あぁ、あれか。あんなこと、

 

「言えるわけねぇだろ? ()()()()()()()()かも、なんてことが望愛に知れたら、任務どころの話じゃねぇよ」

 

 あれは中学一年から二年の間にかけての事だった。俺の血は突如、白く凍った。丁度望愛と距離を置いていたときの事だ。

 ・・・・・・望愛からの衝撃のカミングアウトがあった翌月、俺は骨髄のミニ移植をした。結果は見事に成功。そこから三年間は何とか安定していた。そのはずだった。

 年始早々の定期検診で俺は、再発した可能性が高いことを宣言された。望愛がたまたま用事でついてこれない日で本当に良かった。

 

 

 本当は望愛に任務なんて行ってほしくはない。だがあいつは行かざるを得ない。

 それならせめて良いコンディションで挑んで無事に帰ってきて欲しい。心に不安を抱いたまま任務に挑むなんて、あまりにも危険すぎる。

 だが、俺の意見を聞いた兄貴の表情は浮かない。

 

「・・・・・・本当にそれが、望愛のためになるのか?」

「・・・・・・当たり前よ。知って大ケガするより、知らない方が良いに決まってる」

 

 それに、まだ本当に再発したと決まったわけじゃない。・・・・・・もしそうでも、何とか薬だけで抑えてみせる。

 

「兄貴、何があってもこの事、漏らすなよ?」

 

 俺は最後にそう、兄貴に釘を刺した。

 

 

 そんなこんなあって数時間後、俺達はようやく家に帰ってきた。空はもうずいぶん明るい。夏の朝は早いのだ。

 

「兄貴ありがと」

「またねー、ノリ兄!」

 

 車を下りた俺達はそう言って兄貴に手を振る。

 

「おう、またなー!」

 

 兄貴もそう返すと、すぐに車を飛ばした。・・・・・・さて、俺はゆっくり朝寝でもするか。っとと、忘れるところだった。

 

「望愛、はちみつミルク作ってやるから、先に手洗って席についときな」

「うんっ! ナオありがとー!」

 

 望愛はそう言ってにっこにこで家の中に駆け込んで行く。俺はそんな望愛の後ろ姿をしっかりと目に焼き付ける。

 

 

 ・・・・・・望愛、お前のためだったら、俺はなんだってしてやれるんだからな。

 

 

 セミ達が、せわしなく鳴いている。



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幕間 ジル・ド・レーの彼女

 ボクの名前は有馬望愛。中学生の時からヒーローをやっている。コードネームは《ジャンヌ・ダルク》。歴史が苦手なボクでも、名前の由来になった彼女のことはよく知っている。滅亡の危機に陥ったフランスに突如として現れた救国の聖女。・・・・・・ボクには不釣り合いな名前だ。

 

 

 ボクには今、彼氏がいる。名前は城崎直人。ボクは昔からナオって呼んでる。ボクたちは施設で育った。四歳ぐらいから施設にいるナオと違って、ボクは六歳から入所した。正直それ以前のことは思い出したくもない。

 ナオはいつもボクの隣にいてくれる。あんまり長く一緒にいるから、一人称まで移ってしまった。大親友、もしくは相棒だった。それは今でも変わらない。大親友であり、相棒であり、ボクの大好きな彼氏・・・・・・自分で書いてて恥ずかしくなったから、これぐらいにしとこう。

 

 

 ボクがナオのことを好きだって気づいたのは、ヒーローになったぐらいの頃だと思う。ナオといる時間が極端に少なくなった、それぐらいの時期。ボクとナオはある約束をしてた。『今起きてることで、隠し事は無し!』って奴だ。今起きてること、なんて前振りしたのは多分ナオの配慮なんだと思う。施設にいる子は多くの場合、辛い過去を持っている。辛い過去は無理に明かさないし、詮索しない。だけど悩みはきちんと話すこと、相談すること。今起きてる辛いことも楽しいことも分かち合う。ナオとボクが最初にした約束だ。・・・・・・でも、それが何より辛かった。

 ヒーローとしての仕事は本当に辛いことの連続だ。そんな辛いことをいくらこなしても、誰も心の底から誉めてくれない。怪物を倒すボクも、怪物と同じかそれ以上に恐ろしい存在なんだ。洲本さん──おとーさんだけは優しくしてくれたけど、それもどこまで本当かはそのときのボクにはわからなかった。ボクが心の底から信頼できたのは、ナオだけだった。

 でも、ボクはそんなナオを裏切ってしまった。ヒーローの仕事は、存在も含めてその全てが隠される。ボクは、何がなんでもナオに隠さなくちゃいけなかった。

 ナオは、いつも傷だらけになって帰ってきたボクを心配してくれた。その度に心がズキズキ痛んだ。毎晩ボクはみんなにばれないように、布団にもぐって泣いた。

 そんなことが半年以上続いた頃、ついにナオはボクから距離を取った。我慢の限界が来たんだろう。・・・・・・助かったって気持ちと、心にぽっかり穴が空いた気持ちと、その両方が同時に押し寄せた。

 一言も話さない日が何日も続いた。喧嘩してる訳じゃないから普通に話すときは話すけど、それでも少し壁を感じる。それは周りの友達も思っていたみたいで、「何かあったの?」とか、「喧嘩した?」とか心配してくれる子達もいた。それだけ前までのボクたちの距離は近かったんだ。

 

 

 昔のボクは孤独だった。母子家庭だったから母親は毎日仕事に行ってるし、祖父母はボクのことが嫌いだったみたいだし、母親に男が出来てからは余計にそれが強くなった。ゼロがマイナスになった感じだ。

 ボクにヒーローとしての力が目覚めたのは、多分そんな孤独なときなんだと思う。母親の彼氏はいわゆるDVってのをする奴だった。ろくに働きもしていなかったと思う。・・・・・・ある時ボクはお風呂場に連れ込まれて、まぁここじゃ書けないようなことをされた。そんなときに多分、ボクはヒーローになった。気づいたときには目の前が真っ赤に染まっていたし、ぐちゃぐちゃになったいろんな部分がそこらに飛び散ってた。母親がボクを見て放った言葉は今でも良く覚えてる。「化け物」。あの人はボクにそう言った。今思えばそれも当然だと思う。でも、そのときのボクにはかなり強く刺さった。

 ボクは施設に預けられた。そしてそこで、ナオと出会った。塞ぎ込んでたボクを気にかけてくれた。一人じゃないんだぞって教えてくれた。ボクの、人生最初の友達になってくれた。そんなナオを裏切って、ボクはまた孤独になった。ゼロがマイナスになって、それが今度はナオと出会ってプラスになって、そしてまた孤独になってゼロに戻る。元に戻っただけ。そうどれだけ強く思っても、やっぱりだめだった。ひとりぼっちは寂しい。

 

 

 中学二年に上がった頃、突然おとーさんからこう言われた。「ナオには話しても大丈夫」って。その頃にはナオとおとーさんは顔馴染みになっていた。その頃のナオはあんまり良く思ってなかったみたいだけど。

 正直ボクは喜びより不安の方が大きかった。信じてくれるくれないは問題じゃない。問題なのは、ヒーローのボクは嫌われるかもしれないってことだ。所詮ボクも化け物、怪物だ。ヒーローとしてのボクを見た人と同じように、そしてあの母親のようにボクを恐れて、憎んで、嫌う。・・・・・・それだけが、どうしても怖かった。ずっとゼロのままで良いから、嫌われたくない。そう思ってしまった。

 そんなとき、ナオが病気だと知った。白血病だった。今思えば、おとーさんはボクより先にナオがそうだってことを聞いていたのかも知れない。それでも、そのときのボクにはそんな考えは微塵も思い浮かばなかった。

 ナオが死んじゃうかもしれない。そのときのボクはそれしか頭になかった。約束を破ったまま、秘密を隠したまま、ナオを裏切ったまま永遠にお別れするのは、嫌われることより嫌だった。

 

 

 ボクは自分がヒーローだとナオに打ち明けた。・・・・・・ナオは怒るわけでも、怖がるわけでもなく、泣いてしまった。ボクはどうして良いかわからなかった。わからなかったから、ボクはナオをぎゅーっと抱きしめた。昔ボクが悪い夢を見て怖くて泣いてるとき、ナオは良くそうして頭を撫でてくれた。もう怖くないぞってなぐさめてくれた。だからボクも、おんなじようにナオを抱きしめた。悪いのは、隠していたボクだから。

 その日からまたボクたちは今まで通りに戻った。周りの友達も「良かったねぇ」と喜んでくれた。

 今まで通りじゃない事ももちろんある。一つは、ボクの任務にナオが同伴するようになったことだ。ナオと一緒にいられるのはとても心強い。これだけで随分救われた。

 そしてもう一つ、それは・・・・・・

 

 

 ボクたちが付き合い始めたことだ。高校に入学したのと同時に、ナオがボクに告白してきた。その頃にはナオも、ボクに結婚の自由が無いことぐらい知っていた。それでもナオは、さよならするそのときまで一緒にいたいと言ってくれた。今から丁度半年前、ボクたちは晴れてカップルになった。

 

 

 

 ボクがこんな日記を書いた理由は二つ。一つは今日、その結婚相手と、時期が決まったから。そしてもう一つは・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクがそれほど長く生きられないことが、わかったからだ。

 本当はこんな日記、書いちゃダメなんだろうけど、それでもボクはこれを書きたかった。ボクの生きた証を、ナオが大好きだったことを遺したかった。

 長々と書いてしまったけど、これが今までのボクの人生と、この日記を書いた理由だ。

 この日記を読んでいる人が居ると言うことは、きっとこの世にボクはいないのだろう。

 

 

 これを読むあなたにお願いがあります。これを読み終わった後、この日記を跡形も残らないように燃やしてください。その上で出来れば、城崎直人という人にボクの言葉を伝えて欲しいのです。

 

 

 ボクは、ずっと貴方のことが好きでした。



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第二章 ジャンヌ・ダルクの彼女とデートは、大概波乱が付き物だ
第八話 デートは始まる前からもう波乱!


 既に見慣れてしまった、清潔感のある真っ白な部屋に、俺は白衣を着た顔見知りのおじいちゃん先生と二人で向かい合わせに丸椅子に腰掛ける。・・・・・・今日は夏休み初日。俺は今、病院に来ている。

 

「うーん・・・・・・」

 

 定期検診の結果を見たおじいちゃん先生は、あからさまに難しそうな顔をする。・・・・・・先生、なんかネタバレを食らった気分で嫌なんですが。

 

「やっぱり、ですか?」

 

 俺の言葉に、先生はゆっくりとうなずいて、固い口を開く。

 

「・・・・・・だね。城崎君。また、頑張れそうかい?」

 

 先生は俺にそう聞く。答えはもう、決まってる。

 

「お金はあります。うちの両親が遺してくれてました。・・・・・・覚悟は出来てますよ」

 

 治療が生易しいもんじゃないことぐらい、前回の経験から分かっている。それでも俺は、望愛にバレないように治さなくてはならないのだ。

 

 

 ──やはり俺の白血病は再発していた。

 

 

「・・・・・・わかった。取り敢えず、新しい薬を処方するね。それでどこまで抑えられるか、やってみよう」

「抑えてみせます。なんとしてでも」

 

 もう俺は、あとには引けないのだ。

 

 

 

 

 そんなやり取りをして薬を受け取り、手続きうんぬんをした後、俺は病院から出た。

 涼しかった病院から一歩出る。照りつける日射し、日本の夏特有のじめっとした暑さ。今にも頭がくらくらしそうだ。

 そんなとき、

 

「あ・・・・・・」

「ん・・・・・・おお、ナオかぁ! 今帰りぃ?」

 

 幼馴染みの男と出くわした。

 

 透き通るような白い肌、ほっそりとした線。肩まで伸びる長い髪。整った顔立ちもあってか、パッと見性別がわからない。

 彼の名は赤穂泰久(あこうやすひさ)。小学校の時からの友人だ。中性的な見た目と性格の良さから、男女ともに人気のあるうらやま・・・・・・けしからん男だ。

 

「そ。ヤスは?」

 

 俺達は日陰に入って立ち話を始める。

 

「俺か? 俺は今暇してるぞぉ。・・・・・・にしてもあちぃなぁ。ちょっとコンビニ寄らねぇ? 俺が奢るからさぁ」

 

 そう言ってヤスは子首をかしげる。答えはもう、決まったも同然だ。

 

「よし乗った。今すぐ行くぞ」

 

 ・・・・・・奢って貰えるのなら行かない手は無いだろう。言っておくが俺はジュース欲しさに釣られた訳じゃないからな? それはともかく、何買ってもらおうか・・・・・・。

 やっぱり王道のコーラか? いや、新作のゆずラムネも良さげだな・・・・・・。

 

 

 そうして俺達はコンビニでジュースを買い、近くの公園に行った。

 

「・・・・・・日陰でも暑いってどういう事よ?」

 

 俺達は公園の真ん中にある藤棚の下のベンチに腰掛ける。地面は熱によってゆらゆらと揺らめき、セミ達はいっそうビートを上げて騒ぎ立てる。

 

「この国はそろそろ溶けるんじゃねぇかぁ?」

 

 そう言いながらヤスはさっきコンビニで買ったサイダーをゴクゴクと旨そうに飲む。

 ・・・・・・なんでお前はジュース飲むだけでそんなに色っぽいの? そりゃ男からも狙われる訳だわ!

 

「そんなに旨い?」

 

 俺は思わずそう聞く。するとヤスは弾けんばかりの笑顔でこう言った。

 

「旨いぞぉ~! ・・・・・・あ、そうそう聞きたいことあったの忘れてたぁ」

 

 ・・・・・・こいつはいつも突然話を振ってきやがる。望愛といいヤスといい、俺の回りにはマイペースしかおらんのか!!

 

「なんぞ?」

「あぁ、えっとなぁ・・・・・・」

 

 何、そんなに聞きづらいようなことを突然聞こうとしてたの? 勿体ぶられると非常に気になるのだが。

 

「ナオ。・・・・・・結果、どうだったんだ?」

 

 ヤスはやっぱり聞きづらそうに、真面目な顔でそう聞いてきた。

 あぁ、なんだそんなことか。俺は人差し指と中指を立ててヤスにこう言った。

 

「三年越しの第二ラウンド開始ってとこだな」

「そうかぁ・・・・・・。なんか、ごめん」

 

 そんな申し訳なさそうな顔すんなよ。こっちが逆に申し訳なくなるわ。

 

「・・・・・・望愛には言ったのか? 今、一緒に住んでるんだろ?」

 

 今さらだが、普段間延びしたような口調のヤスは、真面目モードになると口調が普通に戻る。まさに今、ヤスは真面目モードなのだ。

 ・・・・・・もしかしてわざとキャラ作ってんのか?

 

「言ってると思うか?」

 

 俺が望愛に言う訳なかろう。

 

「・・・・・・俺は二人をずっと近くで見てきてた。最初暗かった望愛がお前のお陰で明るくなっていったのも知ってるし、お前が望愛のことをずっと気に掛けてたことも知ってる。それに、望愛がお前のことをずっと好きだったのも知ってた」

「おい待て、その話初耳なんだけど!?」

「初めて言ったから当たり前だろ? ・・・・・・とにかく、」

 

 あ、はぐらかされた。

 

「俺は二人の繋がりがどれだけ強いか、よく知ってる。だから思うんだよ・・・・・・望愛には、すぐにバレるぞ?」

 

 ・・・・・・そうかもしれないな。でも、もしそうなったら、それはそれで良いのかもしれない。あいつはどのみち来年には結婚が控えている。

 俺のわがままで、ここまでずるずる引っ張ってきたんだ。ケジメは、俺がつけなきゃいけない。

 玉の汗が頬や首を伝う。俺はそれをぬぐって、答えた。

 

「・・・・・・そのときはそのときだ」

「・・・・・・バカだなぁ」

「悪いか?」

「悪いぞ?」

「そうか」

「そうだ」

 

 俺達はジュースを飲み干すと、さっさと解散した。これ以上外に居ては、命に関わる。・・・・・・特に色白のヤスは、日焼けすると後々しんどいだろうからな。

 

 俺は公園から出る。その日一日、帰り道のど真ん中で仰向けになって事切れたセミの死骸が、頭から離れなかった。

 

 

 

 そんなこんなで俺は家に帰り、その後は延々望愛とクーラーを効かせたリビングでゴロゴロしていた。

 

「ナオ~、フローリングにお腹出して寝そべると気持ちぃよぉ~?」

 

 望愛はそう言って腹を出してフローリングに寝そべる。可愛い。

 

「ほんとだ、こりゃ良いなぁ~。お前さては天才か?」

 

 そう言いながら俺もへそを出して望愛の横に寝そべる。フローリングはひんやりとしていて確かに気持ちがいい。

 

「バレてしまってはしょうがない。貴様をくすぐり殺してやるぅ~!」

 

 突如そう言って立ち上がる望愛。

 ほう、俺とサシでやり合おうってか!

 

「バカめ! 返り討ちにしてくれるわ!」

 

 貴様の弱点はここだぁー!

 俺は、望愛に飛びかかると、お腹をくすぐり回した。

 

「ちょ! お腹ダメだって! あはははは!!」

 

 望愛はゲラゲラ笑って、手足をじたばたさせる。

 

「ほれほれ、ここがええんじゃろ」

「ギブギフ! ボクの負け! 死ぬぅ~! あはははは!!」

 

 よーし、勝った! 俺はガッツポーズを掲げた。

 

「参ったか!」

「降参降参! 煮るなり焼くなり好きにしろぉ~!」

 

 ほう。その言葉、後悔すんなよ?

 

「どう調理してやろうか・・・・・・」

 

 ぐへへ・・・・・・

 

 俺がそう考えていた、まさにその時だった。

 

 

 ピコンッ!

 

 俺のスマホが鳴った。

 

「・・・・・・ん? ヤスからメッセだ」

 

 さっきの伝え忘れでもあったのか?

 

「なんて~?」

 

 望愛が俺の肩に顎をのせて、画面を覗き込む。

 

「えっとなぁ・・・・・・」

 

 その瞬間、俺達は驚愕した。

 

 

 ──おいお前ら、デート行ってこい。

 

 

「「え?」」

 

 俺達の、波乱の夏休みが幕を上げた。



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第九話 事情聴取と書いて、ファッションショーと読む

「おぉ~。お二人さんよく来たなぁ~。上がってけぇ」

 

 インターホンを鳴らすと、ヤスは朗らかにそう言って登場した。

 

「よく来たなじゃねぇよ! ありゃなん

だ!」

「ヤスん家久しぶりに来たぁ~。お邪魔しま~す!」

 

 翌日、俺達は突然超ド級爆弾を投下した犯人の家に押し掛けた。・・・・・・望愛さん、あんたちゃんと目的覚えてる?

 

「ポテチ何が良いぃ?」

「コンソメっ!!」

「望愛は相変わらずだなぁ~。ジュースはぁ?」

「サイダーっ!!」

「俺コーラ」

 

 ポテチにはやっぱりコーラだろ?

 

「あいよぉ~」

 

 ヤスはサイダーとコーラの二リットルペットボトルを冷蔵庫から取り出し、コップと共に俺達に手渡す。

 当の本人はコンソメ味のポテチの袋と取り皿をもって、俺達を自室へと先導した。

 

「ほら、上がってけぇ」

 

 ヤスはそう言って扉を開ける。そこには・・・・・・

 

「おぉー! この部屋懐かしいねー!」

 

 大量のスカートや女性モノのTシャツ。果ては全く知らない学校のセーラー服や女子生徒用のブレザーなんかがところ狭しと壁に掛けられた、おおよそ男の部屋とは思えない光景があった。

 ・・・・・・相変わらずヤスの部屋は縮小版婦人服専門店みたいだなぁ。

 望愛はそんな部屋を目をキラキラさせながら見渡す。

 

「・・・・・・お前も相変わらずだなぁ」

 

 人の趣味にとやかく言うつもりはない。無いが、なんと言うか、目のやり場に困る。思春期男子には心臓に悪い部屋だ。

 

「ファッションと恋愛に性別は関係ないってのが俺のポリシーだからなぁ。ほら、そこ座ってぇ」

 

 俺達は促されるままに用意されたクッションの上に腰掛ける。

 にしてもこれだけ大量の服が集められているのだ。やはり、気になってしまうだろう。

 

「・・・・・・これ、いくらかかった?」

「・・・・・・家が金持ちで良かった、とだけ言っとくわぁ。そもそも、値段見て買わねぇなぁ」

 

 俺の問いに、ヤスは悪代官さながらの笑みで答えた。だが、不思議と小汚なさのようなものは無い。

 

「ヤスん家って凄いねぇ・・・・・・」

 

 望愛はやっぱり目をキラキラさせて、ぽかーんと口を開けながらキョロキョロ見渡している。

 流石は一流企業、赤穂商事の御曹司。言葉の重みが違う・・・・・・。

 

 俺達は部屋の壁一面に掛かる服を見回・・・・・・って、マイクロビキニって本当に実在したのか。これを望愛に・・・・・・あぁ、余裕で死ねるわ。

 

「望愛、これ着てみ?」

 

 俺はビキニを指差して望愛に提案する。

 それを見た望愛は一瞬頬を赤くすると、ジト目でこっちを睨んできた。

 

「・・・・・・えっち」

 

 デスヨネー。

 

「ねぇナオ、あれってもしかして・・・・・・」

 

 すると次は望愛がちょいちょいっと、俺の服の裾を引っ張り、別の服を指差す。

 ん? どれどれ・・・・・・

 

「おぉぉ・・・・・・」

 

 いかん。思わず声が出てしまった。

 望愛の目線の先には、メイド服があった。白いフリフリやエプロンなんかがついてるステレオタイプのメイド服。現代の男ならば誰でも夢に見たであろうそのコスチューム!

 ・・・・・・絶対可愛い。命に関わるレベルで。

 

「・・・・・・死ぬなぁ」

「え!? なんで!?」

 

 俺の呟きに望愛がビクッと驚き、反応する。当たり前だろう。

 

「だって、望愛が着たら可愛すぎるだろ?」

「なんでボクが着る流れになってるの!?」

 

 え? 着ないの?

 そんなとき、鶴の一声。否、ヤスの一声がかかった。

 

「そりゃ望愛が着ないとなぁ。一回着てみぃ?」

 

 ニコッと微笑み子首をかしげるヤス。男も女も悩殺するその笑みに、勝てるものはいないのだ。

 

「ヤス!? ・・・・・・もぉー、分かったよぉー。バカ」

 

 結局望愛は、押しきられる形で渋々メイドコスを認めた。我らの勝ちだ!

 

「ヤス、ありがとう・・・・・・」

 

 ヤスと俺はニヤッと笑ってグッジョブする。持つべきものは趣味嗜好に理解のある友だと今、確信した。

 

「普通に着れると思うけど、難しかったらこのメモに従ってなぁ。あ、あとこれはオマケ」

 

 そう言ってヤスは何処からともなく取り出した小さなメモと小包を渡した。

 

「うん・・・・・・。っ!? ほ、ほんとにこれ付けるの?」

 

 望愛はその包みの中を見て赤くなる。・・・・・・なんだ? 何が入ってる?

 

「おう」

「えぇー・・・・・・」

「ほらほらナオ、レディーの着替えを邪魔しちゃ悪いから退散するぞぉー」

「おいヤス、今なに渡した?」

「秘密ぅー」

 

 俺は押しやられる様に、部屋を後にしたのだった。

 

 

 

「てか、ヤスが手伝ってやったら良かったんじゃねぇのか?」

 

 ヤスなら着替え云々は手馴れているだろうし、どうせなら手伝ってやったら良かったのに。

 

 部屋から退散した俺達は、ヤスの家のリビングにいた。一流企業の家だと言うのに、かなり庶民的だ。

 

「いや、俺男だぞぉ?」

 

 え? あ、

 

「あ、そっか忘れてた」

「地獄と天国、どっちが好みだぁ?」

 

 瞬間、部屋にほとばしる静かな怒気。但しそんなに怖くない。ちっこいペンギンが怒ってても誰も怖がらないのと一緒だ。

 

「望愛と一緒ならどこでも天国だ」

「リア充がよぉ・・・・・・」

 

 ヤスはそう、恨めしげな声でそう言った。

 

 ヤスはいわゆる男の娘と呼ばれる人種だ。可愛いもの好きが高じてそうなったらしいが、元々の線の細さと色白肌かつ、その端正な顔立ちのお陰もあり、コスチュームをまとっていると本当に女性にしか見えない。

 ・・・・・・望愛が居なければワンチャン恋してたレベルだ。

 ちなみに今のこいつの服装はブカブカのペンギンさんパーカー。全身丸々すっぽり覆うタイプのあれだ。歩きづらくねぇの?

 

「んで、突然あんなメッセ送ってきた理由を今のうちに聞かせてもらおうか?」

 

 一段落ついたところで、俺は本題に入る。

 今のうちに本題に入っておこう。・・・・・・望愛のメイドコスを堪能するために、後顧の憂いは絶っておきたいとかそう言うわけじゃないからな?

 

「あー、あれなぁ。俺の趣味だなぁ」

 

 俺の言葉に、ヤスはあっさりとそう答えた。

 

 は?

 

「は?」

「いや、だって考えてもみろ? てぇてぇ高校生イチャラブ同棲幼馴染みカップルが目の前に居るんだぞ? そのラブラブっぷりをこの目に焼き付けたいと思うのが普通ってもんだろ?」

 

 ヤスは早口でそう解説し、自分の正当性を訴える。

 忘れてた。こいつも兄貴と同類だった。

 

「その気持ち悪い名称を今すぐやめろ。・・・・・・てかついてくるつもりだったのか!?」

「いや、後をつけるつもりだったぞぉ? 邪魔しちゃ悪いからこっそりなぁ・・・・・・」

 

 そう言いながらヤスは懐から小さなカメラを取り出して見せる。

 

「・・・・・・俺は今とんでもないぐらいお前が怖いわ」

「壁に耳あり障子に目あり、だぞぉ?」

「ちょっと距離置こ」

「逃がさないぞぉ?」

 

 やだこの子、怖いわっ! 誰かー、へるぷみー!

 

 

 そんなとき、俺に救世主(ヒーロー)が現れた。・・・・・・文字通り。

 

「ナオ~、ヤス~! 着替え終わったよぉ~!」



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第十話 猫耳メイド=神

 ・・・・・・誰もいなくなった部屋で、ボクは今とてつもなく後悔してる。

 ほんの出来心のつもりだったんだ。なのに、どうして・・・・・・

 

 

「・・・・・・なんでボクがメイド服を着る流れになってるの!?」

 

 

 しかも猫耳カチューシャと尻尾まで!! 絶対似合わないって!! だってボクだよ!? ちびでナイチチのボクだよ!? ・・・・・・どうしてこうなるかなぁー。って、ナイチチって自分で言っちゃった・・・・・・それもこれも全部ナオが悪いんだからね!

 

「もぉ、バカナオ・・・・・・」

 

 猫耳メイド? なんて、恥ずかしいことこの上ない・・・・・・。恥ずか死ぬ。もうお嫁に行けない・・・・・・。あ、ナオは別だけど。

 

「くそぅ、絶対ナオに仕返ししてやるぅー!」

 

 負けっぱなしやられっぱなしはボクのポリシーに関わる! ・・・・・・乙女のプライドを傷つけた対価は、きっちり払って貰うからっ!

 

 

「──ん? これは・・・・・・なんだろ?」

 

 クローゼットの中に、白いフリフリのついた見覚えのある服が・・・・・・って、これはもしや!

 

「・・・・・・ふっふっふ。ナオ、覚悟しろぉー!」

 

 

 ・・・・・・それはともかく、ボクこの服本当に似合うのかなぁ。・・・・・・ナオ、喜んでくれると良いなぁ・・・・・・。

 

 

 

 

 あー、これは予想外だったなぁ・・・・・・。

 俺は、目の前に広がる光景を見て、この世全てに感謝した。

 

「・・・・・・どう、かな?」

「・・・・・・」

「な、ナオ・・・・・・? やっぱりボク、似合わない・・・・・・?」

「・・・・・・はっ! すまん望愛、可愛すぎて気絶してた」

「・・・・・・ふぇっ!? 真顔でそんな恥ずかしいこと言うのやめてよぉ~! ナオのバカぁ・・・・・・」

 

 ・・・・・・いや、事実なのだから仕方無い。

 状況を端的に述べよう。望愛は今、猫耳メイドになっている。それも右耳が垂れていて、尻尾にはピンクのリボンがついている。ただでさえ可愛いのに、メイドコスでさらにそれがパワーアップし、そして今、猫耳&尻尾をつけて覚醒した。・・・・・・その上今、望愛は顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。最高だ。食べ物で例えるならカツカレースライスチーズのせ、バジルを添えてって所だ。え? わかりずらい? 考えるな、感じろ。

 

「でも望愛、ほんとに似合ってるぞ。可愛い」

「うんうん、望愛、似合ってるぞぉ」

 

 俺の言葉に、ヤスも同調する。

 

「ほ、ほんと? えへへ・・・・・・やったぁ~」

 

 望愛はそう言って顔をほころばせ、喜んだ。

 

 ・・・・・・可愛い。この姿、是非とも写真に収めたい。

 

「なぁ望愛」

「ん? どしたの?」

「写真、撮ってもいいか?」

 

 俺はスマホを取り出し、望愛に聞く。

 

「・・・・・・!? と、撮るの!?」

 

 望愛は、びっくりしたように後ろに少しのけぞった。

 当たり前じゃないか! こんなに可愛い姿、撮らないなんてバチが当たる!

 

「・・・・・・ダメ?」

「もう、ずるいよぉ・・・・・・。わかった、特別ね?」

 

 望愛は、渋々了承してくれた。

 

「やった!!」

 

 望愛、ありがとう!!

 

「どんなポーズが良い?」

「えっとなぁ、まずはなぁ────」

 

 

 俺達はそこから二時間以上に渡って部屋に二人で閉じ籠り・・・・・・否、閉じ込められ、大撮影会を行った。気づけばヤスは部屋から消え、扉は何故だか開かず、俺は猫耳メイドコスの望愛と密室で二人閉じ込められた。・・・・・・それだけなら良かったのだ。それだけなら──

 

 

 

 

「おふたりさーん、どうだぁ? ・・・・・・って、ナオ、なんでお前がその服着てんの?」

 

 二時間後、ニヤニヤのヤスがようやく扉を開けて部屋に姿を現した。・・・・・・見るな。頼むから見るんじゃない! 死ぬぞ!? 俺が!!

 

「・・・・・・見るな」

 

 俺は自分史上もっとも鋭い眼光で、ヤスを睨み付ける。

 

「えー、ナオ似合ってるよぉー? ねぇ、ヤスも思うでしょ?」

 

 そんな俺を、望愛は後ろから両肩に手を置いてにやにやしながらそう言った。

 

 二時間と少し前、俺は望愛の事を確かに神と呼んだな? ・・・・・・それを訂正しよう。こいつは悪魔だ。凶悪すぎる小悪魔だ!!

 

「一個聞いても良いかぁ?」

 

 ヤスがそう聞く。

 

「・・・・・・なんだ」

「あ、いや・・・・・・なーんでお前そんなに似合ってるんだと思ってなぁ。レイヤーとしては百二十点だぞ?」

 

 ヤスはさらっと、そんなことを抜かした。

 

「殺すぞ!!」

 

 俺の怒号が、響いた。

 

 ・・・・・・説明しよう。俺は今、猫耳メイド服を着させられている。

 そもそもなんでもう一着あるんだよ!! ・・・・・・もういい、いっそ殺してくれ。さもなきゃ俺がヤスを殺す!

 

 ──パシャ

 

「撮るな!!」

「いやぁー、あんまりにも似合ってるからなぁ・・・・・・」

「ね、言ったでしょ! やっぱりナオも似合うんだよー!」

「・・・・・・もうお婿に行けない」

 

 ・・・・・・まぁ、行くつもりなんて毛頭ないのだが。にしても恥ずかしすぎる! こんな恥辱、耐えられん!

 

「まぁまぁ・・・・・・でも、これでボクたちペアルックだね!」

「・・・・・・そういやそうか」

 

 なるほど、そういう考え方なら有りか。・・・・・・ってなるかぁ!?

 

「ちなみにナオ、こっちのは着る気ないのかぁ?」

「・・・・・・お前、命知らずな奴だな」

「えぇー。マイクロビキニ、似合うと思うぞぉ?」

「死ね、もしくは殺す」

 

 俺直々に引導を渡してやろうか?

 



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第十一話 頼れる友は、頼んでなくても傘と胸を貸してくれる

 楽しかった時間と言うのはすぐに過ぎ去るもので、気づけばもう夕日が沈みかけていた。

 夕焼け空に少し雲が出ている。これから夕立が降るかも知れないな。

 

「それじゃ、そろそろ帰るか」

 

 俺は立ち上がり、望愛に手を貸す。

 

「うんっ! ヤス、今日はありがとー!」

 

 望愛は俺の手を取って立ち上がると、三人一緒に玄関まで連れ立っていった。

 

「こっちこそぉ、良いもん見せて貰ったからなぁ。ナオ、後で写真送ってやるよぉ」

 

 相変わらず気の抜けたような顔と声で抜け抜けとヤスは言う。

 ほう、良い度胸だ。命が惜しくないようだな。

 

「今すぐ張り倒してやろうか?」

 

 俺がそう抗議すると、

 

「か弱い男の娘に暴力を振ろうってかぁ?」

 

 ヤスはその道のプロ顔負けのファイティングポーズを取り、拳を突き付けてきた。

 

「空手二段の奴が良く言うわ・・・・・・」

 

 俺は両手を上げて降参のポーズをする。

 恐ろしいことこの上ない。俺の回りには望愛やヤスみたいなバーサーカーしか居らんのか。

 

「それじゃ、またな」

「おう、いつでもこいよぉ」

「またねー!」

 

 俺と望愛はそう言って手を振りヤスに別れを告げ歩き出す。──そんなときだった。

 

「あ、ナオー! 一個言うの忘れてた!」

 

 ヤスが背後からそう声をかけてきた。

 なんだ?

 

「ごめん望愛、先行っててくれ」

「わかったー!」

 

 俺は望愛にそう断りを入れて小走りでヤスのもとに駆け寄る。

 

「どした?」

「いや、そのな・・・・・・」

 

 ヤスはそう言いづらそうにする。

 先ほどとは打って変わって真面目モードみたいだ。なんだ?

 そう思っていると、ヤスがようやく口を開いた。

 

「自分の腕、見てみろよ」

 

 そう言ってヤスは俺の腕を指差す。

 

「ん?」

 

 腕? あぁ・・・・・・なるほどな。

 俺は自分の腕を見て、ヤスが呼び止めた理由にようやく気づいた。

 そこには、真新しい大きなアザが一つあった。例の病の症状だ。

 サッと血の気が引くのがわかった。

 バカ野郎、こんなことで動揺してどうする。大丈夫だ。きっと、大丈夫だ。

 おいヤス、そんなに心配そうな顔すんなよ。大丈夫だって。

 

 

「ナオ、お前──」

 

 ヤスが心配そうに手を差しのべようとするのを、俺は制した。

 

「大丈夫だ。何とかしてみせる。病は気からって言うだろ?」

 

 俺はそう言って笑って見せる。なにも知らなかった前と比べたら、随分マシだ。怖くともなんともない。

 

「・・・・・・望愛が心配してたぞ。最近様子が変だって」

 

 俺に制され、手を引っ込めたヤスがそう言う。

 そんなヤスに、俺は冗談半分でこう言った。

 

「俺が挙動不審なのは前からだろ? 心配には及ばんよ」

「茶化すな」

 

 案の定、ヤスはおっかない顔と低い声で咎める。

 

「悪い悪い」

 

 そんなヤスに、俺はそうヘラヘラしながら形だけの謝罪をする。そっちのが何倍も俺らしいだろ?

 だからそんなに怒んなって。そうだ、俺も一つ聞きたいことがあったのを忘れてた。

 

「──ヤス、今度のデート、海と山どっちが良いと思う?」

「・・・・・・ナオ? いきなりどうしたんだよ?」

 

 困惑するヤスをよそに、俺は続ける。

 

「どうもしてねぇよ。でも、夏は楽しまなくちゃだろ? 急がねぇと、すぐに秋が来る。秋にはハロウィンだって控えてるし、冬にはクリスマスだってある。年を越したら正月には初詣をして、その後はスキーなんかにも行きたいな。春からは三年になって受験勉強に追い立てられながら望愛に勉強教えて貰わなくちゃな。そんでまた夏になって・・・・・・」

「ナオ・・・・・・?」

「ん? どうよ、これなら鬼達も大爆笑するだろ」

 

 あの世のSNSでは既に人気急上昇中かもしれない。来年のことを言えば、鬼は笑ってくれるらしい。

 

「あーでも、卒業したら大学には進学せずにすぐに結婚するのも良さそうだな。式は南の島で一発ドでかいのを挙げて、みんなを呼んでワイワイする。最高だろ?」

 

 いつだったかテレビでニューカレドニアなる島の話が紹介されてた。日本の南東にある島で、リゾート地にもなってるらしい。

 まさに天国にいちばん近い島だ。ああそうだ、そこにしよう。

 

「ナオ!」

 

 ヤスの声も聞かず、俺は口を動かし続ける。

 

「それでそのままそこに住んでさ、ちっちゃい民泊みたいなのを経営するんだ。誰も知り合いのいない中だから、そりゃ最初は苦労するだろうけどさ、俺達ならきっと──」

「ナオ!!」

 

 先程よりも大きなヤスの声が耳を貫く。驚いて口が止まる。

 

「なんで・・・・・・なんで泣いてんだよ」

 

 ヤスは、自身も泣きそうな顔をして、そういった。

 

「え?」

 

 その言葉で、俺はようやく自分が涙を流していることに気づいた。

 確かに視界がぼやけている。

 

「・・・・・・悪い、洗面所借りる」

 

 こんな恥ずかしい姿、望愛には見せられない。

 俺は手で涙をぬぐい、うつむき加減でヤスの家に入ろうとする。が、

 

「待て」

 

 ヤスに腕をつかまれ、止められた。

 

「ナオ。お前、不安なんだろ?」

 

 ヤスは優しくそう言葉を紡ぐ。優しい言葉が、胸に突き刺さる。

 

「やめろ」

 

 こんなことで、俺が不安になっちゃいけないんだ。あいつは、望愛は、俺よりもっと不安なんだ。

 

「不安だから、怖いから、明るい未来の空想話を、俺にしたんだろ?」

 

 ぐさりぐさり、ヤスの言葉が胸をえぐる。

 

「やめろ」

 

 怖い? 俺がこんなことで怖がってたら、命の危険をおかして戦う望愛はどうなるんだよ。俺は怖くなんかない。

 

「死ぬのが、怖いんだろ?」

 

 ざくり。その言葉が、核心を貫いた。

 

「やめろっ!!」

 

 俺は腕を強く振り払う。

 死ぬのが怖いだと? あいつはそんな恐怖の中今まで何年も何年も戦い続けて来たんだ。

 

「俺は、怖くなんか無い。不安なんかじゃない。今回もきっと良くなる。そうだ、きっとそうだ・・・・・・」

 

 ちくしょう、涙が止まらない。ぬぐったそばから溢れてきやがる。

 そんな俺に、ヤスは一歩一歩近づいてくる。そして、

 

 

「ナオ、隠し事も怖いことも不安なことも、全部捨てて、逃げたって良いんだ」

「──!」

 

 

 ヤスは、優しく俺を抱き締めた。

 

「死ぬのが怖いのは当たり前だろ? 俺だって怖い。だから、怖くても良いんだ。泣いても良いんだ。嫌なことから逃げ出したって構わない。だから・・・・・・自分を誤魔化すな」

 

 もう無理だった。堪えられなかった。なんだよヤス、優しすぎるんだよ。

 俺はヤスの胸を借りて、泣いた。こんなに泣くのは、いつぶりだろうか。

 ──ああ、思い出した。あの時は、望愛に抱き締められたんだった。全く俺は、不甲斐ない奴だ。

 

 

 

「・・・・・・すまん、もう大丈夫だ」

 

 俺が落ち着いた頃には、すっかり空は暗くなっていた。分厚い雲からは、今にも雨が降りだしそうだ。

 

「服、ぐしゃぐしゃにしちゃったな。ごめん」

「大丈夫。服の替えなら幾らでもある。ナオは、俺の親友は、替えがきかないからな」

「ヤス・・・・・・」

 

 ヤスはさも当然のようにそう言った。

 いかん、また泣きそうだ。

 

「なぁヤス。やっぱり俺、望愛に打ち明けることにした。隠すのはもう止めた。また病室であいつに怒られながら泣かれたら堪ったもんじゃないからな」

 

 最初のときは確か、手術の直前にバレたんだっけな。

 当日の朝一で病室に殴り込んできた望愛に泣きながらバカだのなんだの罵られたことは、よく覚えてる。

 そんな望愛は見たくないって、あの時思った筈だったのにな・・・・・・。

 

「そっか。そりゃ良かった」

 

 ヤスはそう言って頷くと、優しくはにかんだ。

 

「ヤス、ありがとな」

「おう。そうだぁ! 次のデート、海に行ってこいよぉ。望愛の水着、見たいだろぉ?」

「もちろんだ! そうさせて貰う」

 

 そう言って俺達は笑い合う。ヤスも、気づけばいつもの口調に戻っていた。

 もう怖いものなんて何もない。俺はもう、自分を誤魔化さない。

 ふと、頬に冷たい雫が落ちてきた。雨だ。

 

「冷たっ! それじゃヤス、帰るわ!」

「ナオ、傘貸してやるよぉ」

 

 そう言ってヤスはいそいで玄関から傘を引っ張り出し、俺に手渡してきた。

 

「すまん! ありがとな!」

 

 俺はそれを受け取り、開く。雨粒が当たる音が響いた。

 俺は少し小走りになって、帰路に向かう。

 

「気を付けてなぁー!」

 

 ヤスが俺の背にそう声をかける。

 さて、後は走るだけ・・・・・・あ、一つ言い忘れていたことがあった。

 

「ヤス!」

「ん? なんだぁ?」

「マイクロビキニ、考えといてやるよ!」

 

 俺はそう言い残すと、雨の中望愛の待つ家に向かって駆け出していった。



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第十二話(上) いざ聖女サマに告解を

 土砂降りの雨の中、俺はようやく家にたどり着いた。

 ・・・・・・ここまで来たら、もう言うしかない。ドアノブに伸ばした手が震える。

 

「大丈夫。多分、きっと、恐らく」

 

 と、口に出しては見たものの、やはり緊張する。

 怒ったあいつのグーパンチは、かなり堪えるからなぁ。嗚呼、良い人生だった──。

 俺は今までの全ての人生を回顧し、覚悟を決めてドアノブを握った。

 

 ・・・・・・よし、開けよう。そして潔くボコられよう。これが俺のケジメだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

 

 

 ──ガンッ!!

 

 

 瞬間、俺の鼻っ面と額に鈍い痛みが走る。俺は勢い良く後ろにのけ反り、尻餅をつく。

 

「痛ってぇぇぇ!?!?」

 

 俺は何が起こった理解できず、ただ激しく痛む鼻を抑え、目を白黒させた。

 

 何何何何!?!?!? 痛い痛い痛い!!! 何が起こった!? 何で俺は鼻を押さえて尻餅ついてんの!? 何で? Why!?

 

 俺が大混乱をしていると、不意にとある人物の声が聞こえた。

 それは馴染み深いなんてものではない程の、冗談抜きで親の声より聞いた、その人の声だった。

 

「ナオ!? どうしたの!?」

 

 俺は鼻を押さえながらゆっくりと視線を上にして、声の主の顔を確認する。

 ・・・・・・そこには、目と口を真ん丸にして驚き、俺に手を差しのべようとする望愛がいた。

 なるほど。どうやら望愛が勢い良く開けた扉に、俺が鼻を思い切りぶつけたようだ。

 

「あのね、今さっき帰ってきたの。それでドア開けようとして、気づいたらこうなってたの」

 

 俺は鼻を抑え、しどろもどろに状況を説明する。

 望愛は恐る恐る、自分の事を指差し、言った。

 

「・・・・・・もしかしてボクのせい?」

「・・・・・・(こくり)」

「ナオごめんねぇぇぇぇ!!!! 痛くない!? 骨折れてない!? お医者さん行く!? ってナオ、それ・・・・・・」

 

 望愛は大声をだし、目を涙ぐませて謝る。しかし次の瞬間、顔を真っ青にして後ずさりした。

 待て待てそんなに青くなるなよ。俺はそんな重傷じゃない! せいぜい鼻血がちょっと出てるかもなだけだろ? 大丈夫だって。大じ──

 

「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?!?!?」

 

 俺は鼻を押さえていた自分の手を見て、驚愕・・・・・・いや、恐怖した。

 鼻からは、滂沱(ぼうだ)の血が溢れていた。

 

 え!? 鼻血ってこんなに出るの!? 手とか服とか真っ赤じゃねぇか!! 待って、血溜まりも出来てる!! 

 やばいやばいやばいやばい!! 死ぬの!? 俺白血病うんぬん関係無しに死ぬの!? 

 鼻血出過ぎて失血死とか嫌なんだけど!? あっ・・・・・・意識が・・・・・・遠く・・・・・・

 

「ナオぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 望愛のそんな叫び声を最後に、俺の意識は途絶えた。

 

 次に俺の意識が戻ったのは、自室のベッドの上だった。

 

 

 

「──ん、ここは? あぁ、部屋か」

 

 窓の外はもう明るい。どうやらあの後意識を失った俺はそのまま眠ってしまったらしい。

 服も新しいのに取り替えられている。きっと望愛が一人でここまでやってくれたんだな。

 

 ふと、腰辺りに違和感を覚えた。そこだけ掛け布団が引っ張られているような感じがした(寒がりな俺は、基本夏場でも毛布を被ってる)。

 

「よっこらせ、と」

 

 俺は上体を起こして確認する。するとそこには、望愛がいた。

 ベッドに突っ伏してすーすーと気持ち良さそうに寝息をたてている。一晩中ずっと俺の看病をしてくれていたようだ。

 

「望愛、ありがとな」

 

 そう言って望愛の頭を優しく撫でる。さらさらとした短い髪は、俺にとってはきっとどんなものよりも手触りが良い。

 

「う~ん・・・・・・ナオぉ、もう大丈夫ぅ?」

 

 望愛は俺が頭を撫でると、そんな寝言までし始めた。

 

「ボクがいなくても・・・・・・寂しくない?」

 

 俺は空いた左手を、望愛の左手に重ねる。

 

 バカ、寂しいに決まってんだろ。

 

 寝言に返事するのはあまり良くないらしい。だから俺は、そんな言葉を心の中に押し留めた。

 

「えへへぇ・・・・・・ナオぉー。ボク、ずっと一緒が良いなぁー・・・・・・」

 

 望愛は、眠っているのに、優しくはにかんだ。

 

 望愛。俺も、お前とずっと一緒に居たいよ・・・・・・。

 

 

 

 

「──ん・・・・・・」

 

 しばらく後、望愛が目を覚ました。

 

「望愛、おはよ」

「ナオ・・・・・・もう大丈夫?」

「おう、望愛のお陰だ。ありがとな」

 

 そう言うと望愛はえへへ~と、気の抜けた笑みを浮かべた。

 

「そうだ。望愛、寝起きで悪いんだけどさ、言っときたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

「うん。良いよ-」

 

 望愛は左手を重ね合わせたままゆっくりと上体を起こし、居住いを正して俺を真っ直ぐ見つめる。俺は静かに右腕をそんな望愛の肩に回して抱き寄せた。そして、

 

「再発、したんだ。白血病。黙っててごめん」

 

 そう、耳元で告白──否、告解した。

 望愛はニ、三度小さく頷くと、こう言った。

 

「・・・・・・ありがとう、ナオ。ちゃんと言ってくれて。ボク、ずっと不安だったんだ。ナオがどっか遠くに行っちゃうんじゃないかって」

「バカ。俺はどこにも行かねぇよ」

「ほんと? あと一年、ずっと一緒にいてくれる?」

「一年間と言わずに、お前が望むなら俺は何年だって一緒に居てやる。だから、さ──」

 

 俺は体を引いて、望愛の顔を真正面から見る。そして、こう言った。

 

 

「──一緒に逃げよう、望愛。誰も追ってこれないような遠い遠い所に。天国にいちばん近い島に」

 

 

 自分に嘘はつかない。自分の気持ちを誤魔化すのはもうやめだ。

 

 俺はフランス語はおろか、英語すらまともに話せない。だが、頑張ればきっとどうにかなる。

 望愛のためならどんな苦行でも苦にはならない。追っ手が何人来ようが俺が全員追っ払ってやる。

 望愛には指一本触れさせるものか。・・・・・・今度こそ俺は、お前を守ってみせる。

 

 

 そんな俺の告解(プロポーズ)に、望愛は驚いたようにピクリと肩を震わせた。

 そして次の瞬間には、ぼろぼろと大粒の涙を瞳から溢れさせ、嗚咽した。

 それでも何とか強引に笑顔を作り、俺に言葉を紡いだ。

 

「ナオ、ありがとう・・・・・・でも、でもボクっ──!」

 

 

 俺は咄嗟に望愛の唇を奪い、言葉を遮った。『でも』の続きは、もうわかっている。

 だから、望愛が続きを言う必要はないんだ。

 自分を傷つけてまで、言葉を続ける意味は、どこにもないんだよ。

 

 俺は重ね合わせた左手をしっかりと握り、右腕で望愛を優しく抱き締めた。俺にはこうすることしか出来ないんだ。

 彼女の唇は少し湿っていて、そして何より柔らかかった。



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第十二話(下) いざ聖女サマに告解を

 ボクは一人、家路についた。

 ナオとヤスは一体何の話をしているんだろう? ・・・・・・いや、ほんとは何の話か、わかってるんだ。

 さっきナオにメイド服を着せたとき、気づいてしまった。ナオの腕とか背中にある大きなアザ、──白血病の症状に。

 きっと二人は、その話をしてるんだ。不安な思いが、心に広がる。

 

 どうして話してくれなかったの? なんで相談してくれなかったの? 

 

 当然だ。ナオは優しいから、ボクに気を遣って黙ってるんだ。前だってそうだったじゃないか。

 ナオは最後の最後までボクに話してくれなかった。

 ナオは、優しいんだ。だから何にも、話してくれないんだ。

 胸がきゅっと絞まる。あと一年。それがボクがナオの側にいられるタイムリミット。

 もう、甘えてばかりじゃいられない。ナオに安心して一年後を、ボクの居ない新しい人生を迎えて貰うんだ。

 

 ・・・・・・それでもやっぱり、寂しいんだ。苦しいんだ。ナオと離れたくないって、一緒に居たいって叫びたくなるわがままなボクがいる。

 なんで話してくれないのって怒ってる自分勝手なボクがいる。甘えてばっかりのボクのことが憎くて憎くてたまらないボクがいる。

 そして、ナオのことが大好きで大好きでたまらないボクがいる。

 やっぱりボクは、ダメな奴だ。

 

 

 そうこうしていたら、家についてしまった。決して大きな家じゃないけど、ナオが居ないと広く見える。

 

「・・・・・・ただいま」

 

 いつもの癖でついそう言ってしまう。誰も居ない家に、ボクの声だけが響く。

 外はいつの間にかかなり暗くなってる。太陽は沈み、分厚い雲が空を覆う。一雨降りそうだ。

 

「ナオ、大丈夫かなぁ」

 

 ボクは一人リビングのソファーに座り、テレビをつける。この時間はバラエティー番組をやっている。

 世界の衝撃映像とか、UMAの目撃情報とかを取り扱ってる人気番組だ。

 

 ボク達が戦う怪物は、その存在が政府によって徹底的に秘匿されてる。

 でも、この現代社会ではそれにも穴が出来てきている。

 少しずつ、少しずつだけど、怪物達やボク達ヒーローの存在は、世間に広まっていっている。政府も機関も、万能じゃないんだ。

 ボクはつまらなくなってテレビを消した。ナオと一緒ならどんな番組でも面白いのに、一人でいると途端につまらなくなってしまう。

 

 ・・・・・・気づけば外では、大雨が降っていた。屋根や窓を大きな雨粒が叩く。

 鼓動が少し早まる。ナオは今、傘を持っていない。もし帰る途中でこの雨に降られていたら?

 

「ナオ・・・・・・」

 

 不安だ。心配だ。ボクの足は、考えるより先に動いていた。

 ボクはソファーから立ち上がり、荷物を纏めて、電気を消して、靴を履いて、傘を二本持った。準備は万端。

 

「よし、行こう」

 

 ボクは思い切り玄関扉を開け放った。

 

 

 ──ガンッ!!

 

 

 その瞬間、扉が何か固いものに当たった様な音が響いた──ん? 固いもの・・・・・・?

 

 

「痛ってぇぇぇ!?!?」

 

 その瞬間、親の声よりも聞いたその人の声が、辺りに響き渡った。

 

 えぇぇぇぇぇぇぇぇえ!?!?!?!? ナ、ナオォォォォォォ!?!? なんで!? なんでナオが?? え??

 

「ナオ!? どうしたの!?」

 

 ボクは手を差し出し、とっさにそう聞く。

 ナオは尻餅をつき、鼻を押さえて悶絶している。ボクに気づいたのか、ナオはそのままゆっくり顔を上げて話し始めた。

 

「あのね、今さっき帰ってきたの。それでドア開けようとして、気づいたらこうなってたの」

 

 うんうんなるほど。・・・・・・つまり、

 

「・・・・・・もしかしてボクのせい?」

「・・・・・・(こくり)」

「ナオごめんねぇぇぇぇ!!!! 痛くない!? 骨折れてない!? お医者さん行く!? ってナオ、それ・・・・・・」

 

 瞬間、サッと血の気が引いた。何故ならナオの鼻からは、

 

「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?!?!?」

 

 滝のように大量の鼻血が噴出していたからだ。足下は真っ赤に染まり、血溜まりができて・・・・・・

 

「ナオぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 そしてナオは、気を失った。

 

 

 

 ボクが失神したナオを家に運び込んで、服を着替えさせてあげたり、体を拭いてあげたりしてベッドに寝かせた頃には、時刻はもう十二時前になっていた。

 今から夕飯を食べる気にはならない。そもそもボクあんまり料理得意じゃないし。

 

 幸いナオの鼻血はすぐに止まり、その後すぐ気持ち良さそうに寝息を立てはじめたから、取り敢えず一安心だ。

 

「ふふっ・・・・・・ナオの寝顔、可愛いなぁ」

 

 ボクは無防備に眠るナオのほっぺたをつんつんと突付く。お、案外ぷにぷにしてるー。えへへぇー、もっと突っついちゃえ!

 

「うーん・・・・・・ん、うーん」

 

 おっと、やりすぎちゃった? ボクはすっと手を引っ込めた。最近はちょっと疲れていたみたいだから、ゆっくり休ませてあげないと。

 ナオはすーすーと気持ち良さそうな寝息を立てている。見てるとボクまで眠くなって──ふわぁー。

 ボクもだんだん目蓋が重くなってきた。視界がぼやける。

 まだ、まだあと少しだけ、起きていたい。ボクにはもう、時間がないんだ。

 今のうちにもっといっぱいナオの顔を、姿を、声を、その全てを記憶していたいんだ。目蓋に焼き付けたいんだ。鼓膜に刻み込みたいんだ。

 別れた後も、その後にすぐ訪れるお迎えの時も、ずっと大好きなナオを忘れないように、心に留めておけるように・・・・・・。

 でも、重くのし掛かってくる睡魔にボクは勝てなかった。

 

「ナオ・・・・・・」

 

 気づけばボクは、そのままベッドに突っ伏したまま眠ってしまっていた。その日見た夢は、あまり良く思い出せないけど、良い夢だったことに違いはない。

 

 

 

「──ん・・・・・・」

 

 朝、ボクは目を覚ました。

 

「望愛、おはよ」

 

 頭を起こすと、ナオのそんな声が聞こえた。

 あぁ、ナオはもう起きてたんだ。左手が暖かい。見ると、ナオのおっきな手の平が、ボクの左手に重ねられていた。

 

「ナオ・・・・・・もう大丈夫?」

 

「おう、望愛のお陰だ。ありがとな」

 

 ナオはそう言って、にっこりと笑う。

 えへへ~。嬉しいなぁ。

 寝ぼけてるからなのか、表情がふにゃふにゃする。そんなとき、ナオはやけに真剣な目で、ボクを見つめてこう言った。

 

「そうだ。望愛、寝起きで悪いんだけどさ、言っときたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

 

 そのとき、一気に目が覚めた。心がざわつく。緊張が走る。

 

「うん。良いよ-」

 

 ボクは左手を重ね合わせたままゆっくりと上体を起こし、ナオを真っ直ぐ見つめた。

 真剣な、力強い目だ。

 そしてナオは、ボクの肩に右手を回して抱き寄せて、耳元で静かにこう言った。

 

「再発、したんだ。白血病。黙っててごめん」

 

 りんと、心の中で鈴が鳴ったような気がした。その直後、体の内から熱いものが込み上げてきた。

 ボクはなんとかそれを抑えて、ナオを抱き締め返した。

 

「・・・・・・ありがとう、ナオ。ちゃんと言ってくれて。ボク、ずっと不安だったんだ。ナオがどっか遠くに行っちゃうんじゃないかって」

 

 ナオの温もりが体に広がる。

 ボク、不安だったんだよ? 怖かったんだよ? でも、言えなかったんだ。ナオを困らせちゃうと思ったんだ。

 

「バカ。俺はどこにも行かねぇよ」

 

 ナオは優しくボクにそう言う。

 

「ほんと? あと一年、ずっと一緒にいてくれる?」

「一年間と言わずに、お前が望むなら俺は何年だって一緒に居てやる。だから、さ──」

 

 ナオは体を引いて、ボクの顔を真正面から見る。そして、こう言った。

 

 

「──一緒に逃げよう、望愛。遠い遠い南の島に。天国にいちばん近い島(ニューカレドニア島)にさ」

 

 

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。でも、それがプロポーズだって気づくのに、そんなに時間はいらなかった。

 気づけばボクは、ぼろぼろ涙を流していた。体の内から込み上げてきた熱いものを、抑えきれなかった。

 嬉しかった。本当に嬉しかった。救われたような気がした。そして、申し訳なかった。

 ボクにはそれを、受けることは出来ない。許されない。嬉しさと、申し訳なさでもうぐちゃぐちゃだ。

 

 ダメだ、ちゃんと笑わないと。ちゃんと笑って、安心させてあげないと。

 

 ボクは口を開く。でも、中々言葉が出ない。ただボクの口は、ぱくぱくとするだけだ。

 体が、心が、その言葉を紡ぐことを拒否している。それでも、言わなきゃならない。ボクは、ナオのその告白を、断るんだ。

 

 

「ナオ、ありがとう・・・・・・でも、でもボクっ──!」

 

 

 その瞬間、ボクの唇はナオに奪われた。続きは言わなくても良いんだって、言われているみたいな、優しくって、力強い口づけだ。

 なぜだか、許された気がした。ボクはナオに、秘密の一つも話してないのに、ボクはナオの告白を、想いを断ったのに。

 ナオはそれでも、ボクを許してくれるの?

 

 ナオは重ね合わせたボクの左手をしっかりと握りしめて、右腕でボクを優しく抱き締めた。

 ボクはまた、ナオの優しさに甘えてしまった。

 ナオの唇はとっても暖かくって、そしてちょっと湿ってた。



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幕間 兄

「・・・・・・お久しぶりです、烏丸(からすまる)支部長。もう戻られないかと思っていました」

 

 とある公営ビルの一角。俺は目の前に立つ、ソフトハットの黒スーツの男の背にそう呼び掛ける。

 

「則之、止めてくれないか。私とお前は親子だろう?」

 

 黒スーツの男、烏丸敏浩(からすまるとしひろ)支部長は、枯れたそう言ってこちらに振り返る。その顔は包帯で覆われ、素顔が全くわからない。包帯の隙間からはわずかに、火傷でただれた様な肌が見えるだけだ。

 

「あなたに父親らしいことをして貰った覚えは一度もありません。物心ついたときから俺は施設に居ましたし、妹に至っては・・・・・・いえ、なんでもありません」

 

 目の前の男の表情は包帯のせいで読めないが、不快な顔をしていることは間違いないだろう。

 

「お前にも、そして『あれ』にも、悪いことをしたと思っている。許して貰えるとも思っていない。だが、この国を守るためには、致し方なかった」

「『あれ』・・・・・・ですか。ご自分の娘でしょう?」

「この国を守る者となったからには、例え娘と言えど贔屓(ひいき)は出来ん」

「あの子の命が残りわずかだとしても、ですか?」

「その職務についたからには、命の危機は誰にでも訪れる。覚悟はもとより出来ているはずだ」

 

 ・・・・・・駄目だ。話にならない。いくら話しても、無駄なようだ。

 

「・・・・・・話を変えましょう。秋にはもう、イギリスから彼女の『婚約者』が来日します。直接会われますか?」

「あぁ、もうそんな時期か。もちろん、会おう。彼にも、あれにも、そして『ジル・ド・レーの青年』もだ」

 

 ──!!

 

「彼にも会うのですか・・・・・・!?」

「父親なら、気になるのは当然だろう? 娘の、彼氏と言うのは」

 

 男は少し含み笑いをしながらそう話す。包帯の向こうから覗く黒い瞳は、ギラギラと輝いている。

 ・・・・・・この男、今さら父親面するのか。贔屓をしないと言う割には父親面しやがる。滅茶苦茶だ。

 

「あぁ、それともう一つ気になっていたことがある」

「なんでしょう?」

「『カトリーヌ計画』についてだ。あれにはタイムリミットもある。恵まれずに死にました、では許されんからな。・・・・・・もちろん、進んでいるな?」

 

 こいつは正気なのか? カトリーヌ計画、簡単に言えばヒーローのクローンを作る計画だ。雛形となった『ジャンヌ・ダルク』の姉妹を作るからカトリーヌ(ジャンヌの姉妹)の名が与えられた、最低最悪の計画だ。

 

「・・・・・・まだ成功には至っていません」

 

 成功なんてさせるものか。

 

「急がせろ。時間がないぞ」

 

 男はそう冷徹に言い放つと、煙草を一本ふかして、部屋を後にした。

 

 

 

 

 俺は彼の背を見送ったしばらく後、ポケットから携帯を取り出し、とある人物に電話を掛けた。あいつの好きになんて、させるものか。

 

「──もしもし。はい、公安第五課の湯村です。大舘(おおだて)課長、作業の進捗を・・・・・・」

 

 

 ──望愛、ナオ。お前達は兄ちゃんが絶対に守ってやるからな。



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第十三話 夏休みデートの王道はやっぱり海!

青い空! 白い雲! 照りつける日射し! そして海!!

 あの日(告解)からおよそ一週間が経過した今日、遂に俺と望愛は海にやって来た! いわゆる海水浴デートという奴だ! 念のため主治医の先生からは「今のうちに楽しんでおいで」との許可もちゃんと貰ってきた。つまり今の俺は、最強無欠なのだ!

 

 この日のために俺は入念な準備と下調べ、下見に至っては都合四度に至るまで徹底的に行った!(余談だが、下見にはヤスも同伴した)

 脳内では何度もシュミレーションを行い、若干ながら筋トレにも勤しんだ──もっとも、メニューは望愛に教えて貰ったどぎつい代物だったが。あんなのずっとやってたらハゲるわ!!

 俺がここまでするのには訳がある。一つは単純に俺が楽しみだからだ。せっかく遊ぶのだから、全力で楽しまなくちゃ損だろ? そしてもう一つの理由、それは・・・・・・望愛は天性のカナヅチだからだ。

 あいつは常日頃から「ボクどんなスポーツでも出来ますが?」みたいな雰囲気を醸し出してるし、事実運動神経は抜群だ。ただし、水泳に関しては全くの別問題。

 ある時俺は望愛にこう聞いた。なんで他のスポーツは国体選手並みに出来るのに、水泳だけは出来ないのか、と。すると奴は、苦し紛れにこう答えたのだ!

 

「い、いや、よく考えてみて? ボクたちって陸で生きてるでしょ? 水で生きるように出来てないわけで・・・・・・」

 

 つまり、単純に泳ぎがドヘタなのだ。その癖やれ海水浴に行きたいだの、プールに行きたいだの言うのだから、全くもって困ったものだ。別に俺はなんとも思ってはいないが?

 

 

 

 

 話題は少し俺の心の話に変わる。少しばかり付き合って欲しい。あの日から俺の心境にある変化が訪れた。白血病と、自分の思い。二つの告白をしたことで、肩の荷が降りたようにすっと楽になったのだ。今までよりも自然体で望愛に接することが出来ている気がする。フラれた癖にと言われればそれまでなのだが。・・・・・・別に俺はドMじゃねぇからな?

 それにまだ、諦めた訳じゃない。例え俺と結ばれなくても、望愛が戦わなくて良い世界を、望愛が自由に恋人を選べる世界を作る手立てはまだ、あるはずだ。その世界を作るためなら、俺は喜んでこの命を捧げる──っと、俺がカッコつけてる間に、望愛はもう水着に着替えてきたようだ。さて、望愛の水着姿をじっくり拝見しようじゃないか!

 

 

「ナオー! 着替えてきたよー!」

 

 望愛はそう言って大きな浮き輪を小脇に抱え、頭には麦わら帽子を被って小走りでこっちに向かってきた。・・・・・・俺は今、例えこの瞬間死が訪れたとしても後悔することは無いだろう。

 望愛の水着は、フリフリがついたピンクに白の水玉つきのものだ。ぶっちゃけ望愛が着ていればどんな水着でも(例えマイクロビキニであろうとも)すごぶる可愛いのだが、今着ているこの水着はベストマッチではないかと俺は思う!(例外として異論は大いに認める! 皆で望愛に似合う水着を議論しようではないか!)

 

「どう? 似合う?」

「一発KOだ。すっごく似合ってる!」

「ほ、ほんと? やった・・・・・・!」

 

 そう言って望愛は小さくガッツポーズをして喜ぶ。とてもかわいい。

 俺達は合流した後、二人でレジャーシートとパラソルを設置た。そして荷物を置き、諸々の準備をしているまさにそのとき、事件は起こった。

 

「ナオー、へるぷみー」

 

 サンオイルを塗っている望愛から、助けを求める声が聞こえた。

 

「んぁ、どしたの?」

「背中、届かない・・・・・・」

 

 瞬間、振り返った俺の脳に稲妻が走った。つまりこれは・・・・・・

 

「俺にそれを塗れ、と?」

「お願いしても良い?」

 

 神と言うものは、やはり存在しているのかも知れない。俺はごくりと唾を飲み、緊張した面持ちでその場に臨んだ。ありがとうございます!!!!

 

 

 



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第十四話 海の底だって覗けるんだ

「ぷか~」

「楽しいか?」

「楽しー」

「そりゃよかった」

 

 緊張の一幕を何とかくぐり抜け、ようやく海に入った俺達は今、浮かんでいる。もう少し的確に言うと、浮き輪を使って浮かんでいる望愛を、俺が流されないように摑んで立ち泳ぎしている。漂流している、という言い方でも良いかもしれない。

 望愛は海水に浸かりながらのへ~っと腑抜けた顔をして、海を楽しんでいる。・・・・・・まぁ、こういう楽しみ方もありっちゃありか。

 

「一回海の中覗いてみ? 魚いっぱいいるぞ?」

「・・・・・・ナオ、ボクが水の中に顔つけるの嫌いってこと知ってて言ってるでしょ?」

 

 望愛はムスーッとした顔をして、ジト目で俺を見る。ならなんで海に来た! まぁ、誘ったのはこっちからなのだが。

 だがしかし、こちらにはとある秘密兵器があるのだ! ふっふっふ、さぁ! 驚くが良い!

 

「てってれー、箱メガネ~!」

 

 そう言って俺は、海面にそれを持ち上げてくる。望愛にばれないように、こっそり隠し持ってきていたのだ。聞いて驚け! こいつはなんと、顔を水に浸けなくても水中を自在に覗けるのだ!

 

「へぇー! こんなのあるんだ!」

「この前買い物行ったときにたまたま見つけたんだ。これなら顔も濡れないだろ? ほら、覗いてみな?」

 

 俺は箱メガネから水を抜いて、それを望愛に渡した。

 

「うんっ!」

 

 望愛は少し前に乗り出して、箱メガネに顔をつけて覗いた。すると、

 

「うわぁー・・・・・・! すごい! ねーナオ! 凄いよこれ! お魚いっぱいいる!」

 

 まるで初めて海を知った人間のように、大興奮してこっちを見てくる。そんなに喜んでくれるとは、持ってきた甲斐があったなぁ。──よし、少しイタズラをしてやろう。

 

「ちょっとそのまま覗いててみな! 面白いもの見せてやる」

「えー! なになに!?」

 

 それはもちろん、

 

「ひ・み・つ」

 

 だ。

 俺はそう言うとゴーグルを目に装着した。望愛は既に箱メガネにかぶりついていて周りが見えていない。ぐへへ・・・・・・望愛の驚く顔が目に浮かぶわ! 俺は望愛からほんの少し離れて息を大きく吸うと、静かに海に潜った。

 

 海中は、都市近郊の海だと言うのにも関わらずかなり美しい。これなら毎年ウミガメが産卵しに来るのも頷ける。

 小魚達も元気に海を泳ぎ回っている。いかん、腹が減ってきた。

 

(さて、それじゃ早速望愛を驚かせに行くか)

 

 俺はさらに少し潜り、徐々に望愛のすぐ下へと接近する。どうやら望愛はまだ気付いていないようだ。能天気に海中を眺めているのだろう。可愛い奴め。

 俺は徐々に徐々に近づいていく。もうそろそろ望愛の視界に入る頃か? ・・・・・・よし、作戦決行だ! 俺は一気に水を掻き、望愛の覗く箱メガネの底面に潜り込んだ。

 

「うわぁぁぁぁ!?!?」

 

 突然視界の外から、隣に居るはずの俺が現れたことで、望愛は目を丸くして、海中にも響き渡るほどの大声をあげて驚いた。その顔、レンズ越しに丸見えだぜ?

 

「──ぷはっ! どうだ、ビックリしたか?」

 

 俺は海面に顔を出して、ポカンとしている望愛にそう聞く。あー愉快愉快! にやにやが止まらんなぁ!

 

「そりゃビックリするよ!! ずっと隣に居ると思ってたらいきなりレンズの向こうに飛び出してきたんだよ!? いつの間に潜ったの?」

「望愛が箱メガネつけて覗いたちょっと後にこっそり潜ったんだ。どうだ、上手かったろ?」

 

 中学の時は陸上部だったが、泳ぎは案外得意な方だ。少なくとも望愛には遅れを取らない自信がある!

 

「ナオってほんとに泳ぐの上手だよねぇー」

「逆にこれ以外で望愛に勝てるもん無いからなぁ」

 

 望愛、水泳以外は完璧なのにどうしてこれだけは出来ないんだろうか・・・・・・。永遠の謎だ。

 

「・・・・・・今度また、泳ぎ方教えてくれる?」

「なんなら今からでも良いぞ?」

「えー、今からはちょっと・・・・・・」

「えー」

 

 そう言って俺達は顔を見合わせ、笑いあった。



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第十五話 いっぱい食べる君が好き

 それからしばらく漂流、もとい海水浴をした俺達は、望愛が飽きてきた頃合いを見て砂浜に引き上げた。

 

「ねーナオ、次何する?」

 

 パラソルの下で小休止をしていると、望愛が仔犬の如く目をキラキラさせながらこっちを見てきた。尻尾が生えてたら後ろの人は大変だろう。砂と風で凄いことになってしまう。

 

「次か、何したい?」

 

 お昼寝なんてどうですかお嬢様? 俺はもう付かれ申した。・・・・・・真夏の海で泳ぐのがこんなに疲れるとは思っても見なかった。

 

「んー、ご飯!」

「お腹空いたの?」

「うん! お腹空いたー!」

 

 何故ちょっとドヤ顔? ドヤれる要素一ミリも無いからな? 可愛いけど。

 

「もう十二時過ぎか。こんなこともあろうかと、実は作ってきてたりするんだな!」

 

 そう言って俺は荷物の中からそこそこ大きな弁当箱を三箱取り出す。プラスチック製の、使い捨ての奴。その様相はまるで運動会さながらだ。

 

「おおー! 美味しそう!」

「腕によりをかけて作ってみました! これが焼きそばで、こっちが唐揚げ。そこは卵焼きと、ポテサラにコロッケ。ソーセージもあるぞー」

 

 今回弁当に選抜したこの料理達は、全部望愛の好物だったりする。望愛は食いしん坊なのだ

 この俺、実はこれでも案外料理は得意だったりする。望愛も全くしないわけじゃないんだが、同棲始めてからは朝昼晩三食ほとんど俺が作っているかもしれない。

 ・・・・・・余談だが、洗濯掃除も俺の仕事だ。率先して俺がやってることとは言え、徐々に主夫になっていくのが肌でわかるのは、なんか言い表せないものがある。まぁ、生きていくのに困らないからそれで良いんだが。

 

「ジュースはこっち。はい、コップ」

 

 俺はクーラーボックスから望愛の大好きなサイダーを取り出し、コップと一緒に手渡す。我ながら用意周到さが恐ろしいぜ(ドヤッ)。

 

「ありがと! それじゃ、いっただっきまーす!!」

 

 コップにサイダーをなみなみ注いだ望愛は、ウェットティッシュできちんと手を拭くと、そう言って手をあわせて食事を始めた。

 

「んー!! これすっごい美味しいよ!」

 

 最初に唐揚げを口に頬張った望愛は、そう言って目をキラキラ輝かせる。じゃんじゃん食べてけー。まだまだいっぱいあるからな。

 

「お、ほんと? んじゃ俺も、いただきます」

 

 そう言って俺も唐揚げを食べてみる。うん、かなり上手く出来た。百点に近いのでは無いだろうか。

 

「──!! 卵焼きもおいしー!! え、どうやって作ったの?」

 

 おっと望愛さん、良いところに目をつけたな。

 

「望愛さん卵焼きは甘いのが好きだろ? だからいつもよりちょっと多めに砂糖を入れてみた」

「最高だよー! ナオってやっぱり天才!?」

「ばれてしまったか」

「ばらしてしまった」

「いつの間に!? ってか誰に!?」

 

 そう言いながらも、望愛は次々と口の中に頬張っていく。まるでリスかモルモットみたいになってる。可愛い。こう言うのを、いっぱい食べる君が好き、と言うんだろうな。こんなに旨そうに食べられると、つい多く作っちゃうからなぁ。しかもペロッと平らげるし。望愛の胃袋は無限に物が詰められるのではないか?

 

「ほいひー!(訳・おいしー!)」

「そりゃよかった。ほら、まだまだあるからなー」

「うん!」

 

 望愛は大きく頷いた。食べ物達がみるみるうちに吸い込まれていく。省エネ人間の俺と違って、望愛は代謝がすこぶる良いのもあるんだろうなぁ。常にお腹空かせてるし。「ボクは一食抜いたら餓死するからね!」とは、望愛の談だ。それが満更嘘でもないのが恐ろしいんだが・・・・・・。そう言うこともあって、望愛の食事はかなり高カロリーに作ってたりする。他のヒーロー達も同じなのだろうか?

 

「焼きそばうまぁー・・・・・・」

 

 今は何も考えないことにしよう。可愛い彼女の可愛いお食事シーンだ。楽しまねば、損と言う物だろう。あ、そうそう。あれを出すの忘れてた。

 

「デザートもあるぞー」

 

 俺は弁当と同じ荷物から、シフォンケーキと、ホイップクリームを取り出した。

 

 

 

 ──このまま何事も起こらなければ、ただの楽しいデートだった。波乱の足音は、すぐそこまで迫っていた。



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第十六話 波乱は突然訪れる

 ──突如、砂浜に叫び声が響き渡った。

 

「うっ・・・・・・!」

 

 耳をつんざくほどの大きな金切り声に、俺は耳を塞いだ。

 金切り声は一分以上に渡って砂浜に鳴り響き、そして突然止んだ。

 

「ナオ・・・・・・」

 

 望愛が俺の方を振り返る。直感的にわかったのだろう。きっとここには、怪物がいる。──そんな寂しそうな顔すんな。また今度、一緒に来ればいい。まだ夏休みは、半分残ってる。

 

「夏休み終わるまでにもう一回来よう。兄貴には俺から連絡入れとくから。はい、これ」

 

 俺はここに来るときに来ていたパーカーを望愛に渡す。顔バレ防止と言う奴だ。効果は薄いだろうが、無いよりかはよっぽどマシだろう。

 

「そんな顔すんな。ほら、シャキッとしろ! 大丈夫、ここ片付けたら俺もすぐ行くから」

「ナオ、ごめんね」

「謝んな。望愛が悪いわけじゃないだろ?」

 

 そうだ。悪いのは、望愛にヒーローと言う重荷を背負わせたこの国であり、世界だ。

 

「それに、たまにはこんなドキドキなデートも悪くないだろ?」

 

 俺がそう言って笑顔を作ると、望愛の表情も少し緩んだ。そうそうその顔。固い顔より、柔らかい方が望愛には似合ってる。

 

「ナオ、ドキドキってそう言う意味じゃないと思うんだけど?」

 

 ありゃ? まぁ良いや。

 

「こまけぇこたぁ良いんだよ。・・・・・・行ってらっしゃい。まずは人混みに隠れて偵察、だぞ?」

「うんっ! 行ってきます!」

 

 俺達はそう言ってハグをする。水着同士、肌が触れ合う。なんかちょっと恥ずかしい・・・・・・。

 望愛は俺から手を離すと、パーカーを羽織り、フードを被って颯爽と砂浜を駆け抜けていった。

 良いところで邪魔が入るのはいつもの事だ。もちろん、良い気はしない。するわけ無い。俺はすぐにスマホを取り出し、兄貴にかけた。電話は、驚くほど早く繋がった。

 

「兄貴」

『わかってる。今機動隊を向かわせた。俺もすぐそっちに行く』

 

 どうやら兄貴も移動中らしい。かなり焦っている様子だ。

 

「りょーかい。望愛のマチェットとスーツも頼む。それと、後で一発殴らせろ」

『顔は止めてくれよ?』

「考えとく」

 

 俺は言い終えるとすぐに電話を切った。これ以上話すことは無い。俺は荷物を片付けて始めた。

 

 今までこう言うことが無かったわけではない。デート中に突然呼び出されることはしょっちゅうだったし、そこからいきなり三つ県をまたいだこともある。それでも、まさかこんなすぐ近くで現れるとは思ってもみなかった。

 

 

 ──怪物の正体は、人間だ。

 

 

 ある日突然、先程まで普通だった人間が異形のものと成り果てる。それを機関は、『怪物』や、『災害源生命体』と呼称する。

 都市部の人間は、市民に紛れた機関の監視員によって常に観測され、怪物になりうる予備軍が随時リストアップされていく。場合によっては、殺害してでもその被害を防ぐこともあるのだそうだ。しかし、都市人口の過密化に伴いそんなリストにも抜けが生じるようになってきた。その為突如大都市のど真ん中で怪物化することだって、ゼロでは無くなってきたのだ。

 大都市で怪物化すればどうなるか、言わずともわかるだろう。その姿は一気にネットで拡散され、世界中に広がる。たった一発のその投稿で、世界は混乱の渦に巻き込まれるのだ。

 

 さて、荷物も片付け終わった。俺が後出来ることと言えば・・・・・・

 

「──ナイフを持った奴がいるぞぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 人を一人でも多くこの場から逃がすことだ。勘違いしないで欲しい。一般人を助けたいとかそう言うんじゃない。人払いした方が、望愛や機動隊が動きやすいからだ。

 俺はそう叫びながら人混みを掻き分けて進む。これで少しは何とかなれば良いんだが・・・・・・。

 

 あぁそうだ、一つ大事なことを忘れていた。

 

 

 怪物予備軍のリストには、俺の名前もしっかり載っている。俺のリストは、特別らしい。



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第十七話 ドキドキ! 波乱のデート大作戦

 ボクはナオのパーカーを羽織って、人混みを掻き分けながら声のした方へ進んでいく。すんすん。あ、ナオの匂いだぁ・・・・・・って言ってる場合じゃない!! 切り替えろ!

 くそぅ、人の数が予想以上に多い。思ったように進めない。早くしないと、手遅れになる! そんなとき、後ろの方で声が聞こえた。

 

「──ナイフを持った奴がいるぞぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 ナオ! ナオの声だ!

 ナオの叫び声が何度も何度も周囲に広がる。徐々に人の数が減って、視界が晴れていく。そして・・・・・・

 

 

 ──チュー! チュー!

 

 

 中型犬ぐらいの大きさをした、灰色のネズミのような怪物が、そこにはいた。その尻尾は何人もの人間の腕を編み込んだみたいな見た目をしていて、周りには女の人の水着が落ちていた。きっと、あのネズミの正体だ。

 

 どうする・・・・・・? 今ここで叩く? いや、まだ人目が多すぎる。ヒーローの鉄則は隠密行動。でも、このままじゃいつ人を襲うかわからない。ノリ兄が来るまで待つ? ダメだ。どれだけかかるかわからない。いつ来るかわからない増援に期待するわけにはいかない。どうしたら・・・・・・。

 

 ダメだ考えがまとまらない。心臓の音がうるさい。気が散る。もしボクが判断を間違えたらここにいる人達は、ナオは・・・・・・!

 

 

 ──望愛、落ち着け。大丈夫だ

 

 

 そのとき、優しい、大好きな声が後ろから聞こえた。

 

「──! ナオ・・・・・・」

「俺がついてる。心配すんな」

 

 ナオはそう言って、ボクの手を優しく握ってくれた。心が一気に落ち着く。頭が冴える。そうだ、ボクにはナオがいる。ナオがいるんだ。

 

「ナオ、ノリ兄達は?」

 

 まずは増援の確認だ。

 

「先に機動隊が派遣されてくる。兄貴もすぐこっちに来るらしい。武器とスーツも一緒に持ってきてくれる」

 

 機動隊。組織の実動部隊で、主に初動対応(今回みたいなのは異例中の異例だけど)や区域の封鎖なんかをしてくれる、頼りになる人達だ。

 

「わかった。なら機動隊が到着するまで待機だね」

「だな。・・・・・・だいぶ落ち着いたか?」

「うん。ナオ、ありがと」

「おう」

 

 ナオの手はボクよりずいぶん大きくて、優しく包み込んでくれる。とっても頼りになる大きな手。でも、

 

「ねぇナオ」

「ん?」

「もしかして、緊張してる?」

 

 ナオの手から伝わってくる鼓動は、もしかしたらさっきのボクのよりも早くって、大きいかもしれない。走って来たから・・・・・・じゃ無さそうだね。

 

「馬鹿やろ、武者震いって奴だ」

「震えてないよ?」

「なら武者動悸(どうき)だ」

「なにそれ」

「後で教えてやるよ」

 

 そう言ってちょっとだけそっぽを向くナオ。昔っから困ってるボクを見つけてはいつも助け船を出してくれるのに、いっつも自分の方が追い込まれちゃうんだ。本当に、本当にナオは・・・・・・

 

「ありがと、ナオ。大好きだよ」

「ん? なんか言ったか?」

「いや、なんにも?」

 

 そうこうしていると、周囲が騒がしくなってきた。機動隊が到着したみたいだ。

 

「お、来たみたいだな」

「うん」

 

 スピーカーから不発弾が見つかったとアナウンスが流れる(もちろんカバーストーリーだけど)。群衆は急いで砂浜から引き揚げていく。

 

「ねぇナオ」

「どした?」

「また、海来ようね!」

 

 ボクは、飛びきりの笑顔でナオにそう言ってやった。

 

 

 ──ドクン、心臓がはね上がる。

 すごく痛い。でも、ナオにはそんなとこ見せられない。あと一年。あと一年なんだ・・・・・・。



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第十八話 スイカ割り? いいえ、怪物狩りです

 スピーカーから響く避難放送。周辺地域全体が封鎖されるらしい。

 

「望愛、ケガすんなよ?」

「大丈夫、わかってるよ!」

 

 生身の俺は邪魔になるだけだ。望愛にそう言い残して、俺は水着のまま砂浜から離れて道路の方に向かう。機動隊が用意周到なのは相変わらずらしい。目隠し用にブルーシートを張り、中の様子を伺えないようにしている。

 

「そろそろ来てても良い頃だけどな・・・・・・」

 

 俺はブルーシートを潜り、道をキョロキョロ見渡す。あんな目立つ車、見つけられなければそれは俺に問題があるだろう。普通一台二、三千万する車を痛車にするかね?

 

「お、坊主。また一緒か」

 

 ふと、俺は声をかけられた。声の主は機動隊員のおっちゃんだ。機関の機動隊は、警察とは違って普通はヘルメットなり肩なりに『特災対』の文字がプリントアウトされているものだが、市民の誘導・避難を専門とする部隊は別らしく、警察とほぼ同じデザインとなっている。

 このおっちゃんはよく俺や望愛に話しかけてくれる。名前までは知らないが、そこそこ信頼のおける大人だ。

 

「デートしに来てたんですけどね、まぁこんな感じになっちゃって」

「そりゃ災難だったなぁ。うちの娘もな、どこの海かまでは聞いてないんだけど、今日彼氏と海水浴らしくってな。ほんと、子供の成長って早いもんだなぁ」

 

 このおっちゃん、なんでも俺達より少し歳上の娘さんがいるらしい。・・・・・・一瞬嫌な予感が走った。どうか当たらないでくれと願うばかりだ。

 おっちゃんは「って、こんな話坊主にしても仕方ないわな」と言って豪快に笑った。

 

「そういえば、兄貴見ませんでしたか?」

「あー、ノリのあんちゃんか。まだ見てねぇな。って、もしかしてあの娘、今丸腰か?」

「こんなことになるなんて思ってませんでしたから。武器も機関が管理してますし」

 

 そう言うと、おっちゃんは「ならこれ、持ってってやりな」と、自分の持っていた警杖(長い警棒)を渡してくれた。

 

「良いんですか?」

「俺達にゃ盾があるからな。ほら、早く行ってやりな。嬢ちゃん守るのが、彼氏の役目だろ?」

 

 そう言っておっちゃんは俺の背を叩く。・・・・・・本当にこの人は。

 

「ありがとうございます!」

 

 俺はそう言ってブルーシートを再び潜り、走った。

 

 

 いくら戦い慣れた望愛でも、素手での戦闘は危険すぎる。武器が有ると無いとじゃ、ずいぶん変わるだろう。

 幸い、人の姿はほとんど無かった。居るのは怪物が外に出ないように遠巻きに囲っている機動隊ぐらいなものだ。

 望愛の姿は、少し離れたここからでも良く見える。状況は互いに仕掛けては避けての攻防戦が続く。

 俺は更に足を早める。サンダルが脱げるが、気にしちゃいれない。チクチクと足が痛む。固いものでも踏んだみたいだ。それでも俺は走って、走って、走り抜いて・・・・・・

 

「望愛ぁぁぁぁぁ!! 受けとれぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 警杖を投げた。杖は綺麗な弧を描いて飛び、望愛へ向かう。

 望愛は一瞬俺の方を振り返り頷く。そして、

 

 ──バシッ!!

 

「取った!」

 

 空高く飛び上がった望愛が、見事にそれを摑んだ。

 この瞬間、陸上部で槍投げを噛っていて良かったと俺はつくづく思った。

 

 空中の望愛は杖を構え、地面に、怪物に吸い込まれていく。

 地上のネズミはまるで魅入られたかのように動かない。望愛との距離が縮まる。杖を投げた俺はそのまま地面に手をつき、ただ眺めていた。

 

 

 パチンッ!!!!

 

 

 そんな音と共に、それは弾けとんだ。真っ赤に飛び散るそれの残骸は、もはや原型を留めてはいなかった。

 俺の目の前には、返り血を浴びてうつむく望愛の姿が映った。その表情は、フードが隠して窺えなかった。



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第十九話 家に帰るまでがデートです!

 騒動はひとまず終わった。俺達は直後にやって来た兄貴に簡単な状況説明(デブリーフィング)を行うと、そのまま着替えて車で送ってもらうことになった。

 

「望愛、大丈夫か?」

「・・・・・・っ! う、うん! 大丈、夫。多分」

 

 さっきから望愛の様子がおかしい。体調が悪いのか? それとも心の問題か? 乗り物酔い激しいのに、今はそんなことおくびにも出さずにぼーっと遠くを見つめている。

 

「・・・・・・望愛。晩ご飯、何が良い? あ、そうだ、兄貴もよってけよ。どうせ連絡なんて電話でも出来んだろ?」

 

 ぴくり、望愛の耳が動く。効果アリみたいだ。

 望愛はそのままゆっくりと俺の方を振り返って、そして、涙を溢れさせた。

 

「ナオ、ナオぉー・・・・・・!」

 

 望愛はそう言って俺にはすがりついてくる。こうなるとは思っても見なかった。でも、望愛がこうやって自分からすがりついてくるのは珍しい。一体どうしたんだろ?

 望愛は震える声で、涙を何とか堪えながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「機動隊のおじさん、娘さんがいたでしょ?」

「うん。よく話してくれたよな」

 

 ああ、やっぱりか。俺はどういう話か、早々に理解した。

 

「あの杖、おじさんのでしょ?」

「うん。貸してもらったんだ。届けてやりなって」

 

 ああ、嫌になる。本当は聞きたくない。でも、聞かなきゃいけない。

 

「杖が当たるとき、声が聞こえたの。──私はここだよ。お父さん──って」

「・・・・・・そっか」

 

 ・・・・・・。

 

「返り血が跳ねたとき、記憶が見えたの。家族との思い出。彼氏さんとの時間。みーんな、見えたんだ」

「うん、うん」

 

 兄貴は黙って正面を見つめている。話を聞いて、眉をひそめてくれるような人で本当に良かった。

 

「ボク、殺しちゃったんだ・・・・・・この手で、殺しちゃったんだ・・・・・・!」

 

 たまらず望愛は嗚咽する。今の俺には、どうしてやることも出来ない。望愛にも、そしてその手にかかってしまったあのおっちゃんの娘さんにも、どうしてやることも出来ないんだ。

 

「今まで何回も何回も同じようなことはあったんだ。孤独なおじいさんのときもあった、小さな子供の時もあった。でも、仕方ないんだって、これがボクの仕事なんだって、生まれてきた理由なんだって思って殺してきた。殺し続けてきた。・・・・・・でもこの前、ナオにああ言って貰えたあと、心の中でちょっと思っちゃったんだ。逃げても良いのかもしれないって。ヒーローの自分を捨てて自由に生きるのも良いのかもしれないって! そう思ったら、急に怖くなったんだ。今まではそれが全てで、逃げ場なんて無かった。でも可能性が見えて、ナオとずっと一緒にいられることももしかしたら夢じゃないかもって思っちゃうと・・・・・・ボク、怖いんだ。今まで平然と殺してきて、仕方ない仕方ない、ごめんなさいごめんなさいって何の感慨もなくするする避けて生きてきた自分が怖いんだ。ボクもいつか殺す側から殺される側になるんじゃないかって思うと怖いんだ。──ボクは、どうしたら良い・・・・・・? ナオ、教えて・・・・・・?」

 

 

 それは、望愛が初めて見せた姿だった。ヒーローとしての自分への恐怖、いつか殺されるかもという恐怖。俺には今まで見せなかった感情。・・・・・・平和と堕落に浸ってきた俺には、到底抱えきれない闇の部分なのかもしれない。でも、それでも俺は受け止めなきゃいけない。俺を相棒と呼んでくれた、大好きと言ってくれた、自分の彼氏だと胸を張ってくれたこの小さな女の子の為にも、俺は受け止めなきゃいけ──

 

「ナオ、望愛。すまん、緊急伝達だ」

 

 それは、もっとも最悪の形で、精神状況で、コンディションで、そして現場で起こった。

 

 

 ──県庁前で、大きなネズミ形の怪物が現れた。至急対応せよ。

 

 

 この世界は、どれだけこの子を苦しめるのだろうか。

 



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第二十話 それは乱れる波のように

「・・・・・・これは」

 

 既に一般人が退避し終わった都市部に、それはいた。

 大きく丸々と太った、巨大なネズミのような怪物。見た目は先程のものとほとんど同じだが、その大きさはけた違いだ。例えるならそう、空に浮かぶ飛行船のような大きさだ。これが暴れだしたら、少し離れて見えるあの砂時計のようなタワーなんて一撃でおじゃんだろう。

 

「前線司令部は県警本部なんだが、クソ。これ以上進めん」

 

 道路には乗り捨てられた数多の車がひしめき合い、進路をふさいでいる。

 このまま動かなければ、望愛は戦わなくて良いんじゃないか。このまま県警にたどり着かなければ・・・・・・。俺の心にそんな思いがよぎる。光の巨人が現れて、颯爽とあれを倒してくれればどれだけ良いことか。だが、現実はそう甘くはない。

 

「・・・・・・望愛、行けるか?」

 

 兄貴が振り返る。スーツも、マチェットもここにはある。通信は勝手に繋がる。望愛がわざわざ前線司令部に行かなくても、戦闘は出来るのだ。

 

「うん」

 

 望愛は短くそう答えた。ダメだ、今ここで望愛を行かせちゃダメだ。俺の心が警鐘を鳴らす。兄貴もそれはわかってるはずだ。わかっていて、そうせざるを得ないのだ。

 俺は望愛の手を強く握る。

 

「ナオ、」

「望愛、ダメだ。行っちゃダメだ。行ったらお前は・・・・・・」

 

 望愛は強い。きっと俺の手を振り払うことなんて造作もないはずだ。それでも望愛は、優しく俺にはにかむと、ゆっくりと俺の指を外していって、こう言った。

 

「でも、ボクが行かなきゃ。これはボクの使命だから、ね」

 

 俺には止められない。兄貴なら、と、俺は運転席を見て、諦めた。バックミラー越しに見える兄貴は静かに首を横に振った。止めるのを諦めろ、そう言うことだ。

 俺は無力だ。非力だ。望愛が負けるとは思っていない。きっと望愛なら今回も勝つだろう。でも、勝ったあと無事かどうかはわからない。弱った望愛の心は、次耐えられるかわからない。・・・・・・俺は、自分のエゴで望愛をここまで弱らせたんだ。

 俺はスプレーを置いて、兄貴と静かに車を出る。兄貴が俺の肩に手を乗せる。

 

「ナオ、止めようとしてくれて──」

「止めれなかった。結局俺は止められなかった。次帰ってきたとき、望愛は望愛じゃないかもしれないのに俺は、止めれなかった」

 

 だから兄貴、俺にありがとうは要らねぇ。

 

「タバコ、吸うか?」

「未成年だ」

「誰も見ちゃいないさ」

「望愛が見てる」

「・・・・・・だな」

 

 兄貴は遠くを見つめる。

 

「望愛な、お前に話したいことがあるんだってさ」

「話したいこと?」

 

 あの望愛が改まって何を──ああそうか。

 

「あの隠し事のことか?」

「かもしれないな」

 

 バタン、車のドアが開く音がした。望愛が着替え終わったのだ。

 

「望愛、行くのか?」

 

 もう止められない。それでも俺は、こう聞くしかない。そんな問いに、望愛はにっこり笑って答えてくれた。

 

「うん、行ってくる」

 

 俺達はいつものように抱き締めあう。いつもより強く、優しく。

 望愛が離れていく。優しく微笑み、フルフェイスを被る。

 

「ねぇナオ。ボクね秘密にしてたことがあるんだ」

「へぇ、隠し事が苦手なお前が?」

「うん。上手くなったでしょ?」

「成長、だな」

 

 馬鹿野郎が。

 

「そう、成長したんだよ。・・・・・・帰ってきたら、ボクの秘密を、ナオに話すね」

「そりゃ楽しみだ。絶対待ってるからな」

「うん。楽しみにしててね」

 

 そう言ったきり、望愛は振り返ることなく駆け出していった。その小さな背を、俺は見送ることしか出来ない。

 遠くで凄まじい雄叫びが聞こえる。怪物の声だろう。それはまるで、乱れる波のように空気を震わせた。俺の心を、波立たせた。



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第二十一話 空を舞う聖女

 頭がズキズキと痛む。脳裏を怪物だった人々の記憶がよぎる。心臓がバクつく。それでもボクは、足を止めない。止めてはいけない。今まではその事に何の理由も意味も考えることはなかったし、必要もなかった。それがボクの使命で、運命で、生まれてきた意味だと思ったから。でも、今は違う。はっきりと理由がある。意味がある。

 ボクの後ろには、ナオがいる。ボクが戦わなくちゃ、ナオが危ない。大好きな人を守るために、大好きな人が生きる世界を守るためにボクは戦うんだ。どれだけ辛くても、苦しくても、ボクにはナオがいた。ナオの存在が、ボクを引き戻してくれた。だからボクは、戦えるんだ。

 

 

「・・・・・・改めてみるとでかいなぁ」

 

 近くにあったビルの屋上からボクはそれを見下ろす。地上からの光景じゃその全容は見えなかったけど、ここからなら見える。鞭のようにしなる長い人の腕が編み込まれたような尻尾、風船のようにブクブク膨らんだ楕円の胴体。その割に小さく見える四肢は確実に人間の物だけど、巨大すぎる体を動かすことは出来ないようだ。真っ赤に血走った大きな瞳はギョロギョロと左右別々に絶え間なく動き続け、とても気持ち悪い。ナオにエチケット袋貰っとけば良かった。

 

「こちら《ジャンヌ・ダルク》。司令部聞こえる?」

 

 フルフェイスの通信をオンにしてボクはそう呼び掛ける。・・・・・・良かった、すぐ繋がった。

 

『こちら司令部の洲本。よく聞こえてる』

「ナオとノリ兄は?」

『まだ来てない』

 

 一気に不安が広がる。大丈夫、きっと大丈夫だ。だからボクは、こっちに集中しないと。

 

「・・・・・・対象を今視認してる。これより状況を開始する」

 

 ボクは怪物を睨み付ける。彼、もしくは彼女にも人生があったんだ。良いことも悪いことも、幸福なことも不幸なことも。でもボクは、倒さなくちゃならない。

 

(──私はここだよ)

 

 脳裏にそんな声がよぎる。サッと一気に血の気が引く。でも、それでも・・・・・・

 

『了解した。状況を開始せよ』

 

 その瞬間、ボクは屋上を蹴って跳んだ。狙いは、怪物の眉間だ。

 風がスーツ越しに肌を撫でる。少しむしっとした、夏の風。ふと見ると、空中にはドローンカメラが見えた。これがあるだけで、何故だか安心するんだ。

「グギオォォォォァァァァァァァァァア!!!!」

 怪物はボクを見てそう叫び声をあげる。お腹の底から震えるような、耳障りな嫌な声だ。

 怪物は腕のような尻尾を伸ばして、ボクを捕まえようとする。でも、そうはさせない!

「うおぉぉぉりゃぁぁぁぁー!!」

 鞘からマチェットを引き抜き、振るう。スーツのラインは鮮やかに発光し、力がみなぎる。

 

 ──バスンッ

 

「グギャァァァァ!!!!」

 

 尻尾は赤い血を吹き出し、ボクの目の前で切断される。返り血がフルフェイスにかかる。くそ、視界が狭くなっちゃった。頭痛もひどくなってきた。でも後少し。後少しであいつの眉間に・・・・・・

 

(──ワタシハココダヨ。ココニイルヨ)

 

 その瞬間、ボクの視界が大きく揺らいだ。お腹には鈍い衝撃が走って、口には鉄の味が広がって、フルフェイスの端には・・・・・・尻尾が見えた。

 

 

 

 

「がっ・・・・・・ぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 直後に聞こえたのは、ガラスの割れる音と、誰のかわからない大きな叫び声だった。ひび割れたフルフェイスからは、冷たい床が良く見えた。



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第二十二話 地を駆ける怪物

 腹の底から震えるような声が響く。望愛はもう戦闘を始めたみたいだ。

 

「急ごう」

 

 兄貴は足取りの重い俺をそう急かす。ああ、わかってる。

 俺は無言で頷き、少し駆け足になって兄貴に追い付く。・・・・・・そのときだった。

 

「!! 今のは!?」

 

 ガラスが割れたような大きな激しい音と、誰かの叫び声が少し遠くから聞こえてきた。方角は──望愛のいる方だ。今この街に人は居ない。ならあの音は、声は、

 

「兄貴」

「どうした?」

「ごめん」

 

 俺はそういって兄貴の返事も待たずに、顔も見ずに駆け出した。──きっとあれは、望愛だ。望愛に何かあったに違いない。そう思うと、足は自然と動いていた。

 

 走る最中、脳裏に嫌な予想が走る。大ケガを負っていたら? 骨折していたら? ガラスの破片で顔に傷なんかついていたら? 頭を打って出血していたりしたら? マイナス思考な自分に腹が立つ。今はそんなことに体力を使っている場合じゃない。

 俺はそんな予想を振り払うように、足を早めた。あいつを殺す訳にはいかないんだ。絶対に助けてみせる。それが今俺が出来る、最大限の役目だ!

 

 

 無人の大都市に、俺の足音だけが響く。音はこの辺りからしたはずだ。

 思わず鼻を覆いたくなるような強烈な血の臭いが辺りに漂う。正面の大通りには、人間の腕を編み込んだような気味の悪い物体が転がり、血を流しながらうごめいていた。

 

 って、そんなことどうだって良い。今は望愛だ。どこだ、どこにいる?

 俺はビルを見上げる。ガラスが割れている窓はないか探す。が、

 

「クソッ、どこも割れまくりじゃねぇか!」

 

 ビルの隙間からあの大きなネズミの姿が見える。あいつが望愛に何かやったのだ。そうに違いない。正直、殺意が沸いた。今すぐあいつをぶっ殺してやりたい。だが、今は望愛が最優先だ。それにそもそも、俺にはそれだけの力はない。

 

 非力な俺は頭を抱えて考える。どうすれば望愛を見つけられる。どうすれば、どうすれば──

 

「あ」

 

 そのとき、俺はポケットの中に入っているものに気づいた。俺はそれをすぐさま取り出す。

 

「望愛、スマホ持っててくれよ・・・・・・」

 

 望愛は基本スマホを車において戦いに出る。だが今回は乗り捨て覚悟の非常事態。微かな奇跡に、賭けるしかない。

 

「頼む・・・・・・持っててくれ・・・・・・!」

 

 俺は望愛のスマホに電話をかける。コール音が流れる。よし、電源はついてる。俺は耳からスマホを外し、目をつぶった。

 

 一回、二回。コール音が刻む。

 

 全感覚を耳に集中しろ。

 

 三回、四回。コール音が刻む。

 

 微かな音も逃すな、ここにいる人間は望愛だけだ。

 

 五回、六回。コール音が刻む。

 

 望愛のスマホの音を探せ。探せ。探せ──────

 

 

 

 

 ~♪ ~♪ ~♪ ~♪

 

 

 

 

 聞こえた。確かに聞こえた! ほんの僅かにだが、確かに聞こえた! 俺は顔を上げてビルを探し、走る。音がなっているビルは、

 

「──あった。あそこだ!」

 

 そのビルの三階、南向きのオフィスの大きな窓に一つ、穴が開いていた。俺は全力でビルに滑り込み、階段を駆け上がる。足に疲労がたまる、肺が苦しくなる。ここがデッドゾーン(正念場)だ! ここさえ、ここさえ走りきれば望愛を・・・・・・!!

 

 

 俺はオフィスの扉を開ける。着信音が鳴り響くその中に、彼女は血を流して横たわっていた。



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第二十三話 怖いの怖いの飛んでゆけ

 頭が痛い。お腹が痛い。体の至るところが痛い。体が冷たい。寒い。動けない。

 消え入る意識の中で、刻々と死が迫っているのがわかった。

 死ぬこと自体は特別怖くはなかった。ボクは散々怪物になった人を殺してきた。人殺しのボクが、殺されたり死ぬことを怖がるのはなんかフェアじゃないと思っていた。

 でも、そんなボクをナオが変えてくれた。一緒に生活する中で、生きることの喜びみたいなものを思い出させてくれた。幸せを、与えてくれた。付き合って、一緒の家に二人で住んで、一緒に遊んだりお出掛けしたりグータラしたり、お風呂に入ったり・・・・・・まぁそっちはボクが強引に押し入ったのだけど。そんななんでもない生活が、ボクにとっては本当に幸せだった。だからこそボクは今、

 

「・・・・・・怖い、よぉ」

 

 死ぬのがものすごく怖いんだ。ナオとの生活が、あの幸せな日々を続けられないことが、壊れてしまうことが、ボクの手からこぼれてしまうことが何よりも悲しくって、恐ろしくって、怖いんだ。

 これが身勝手な感情だってことは充分わかってる。形は変われど怪物は人だ。そんな人の営みを、幸せを壊しておいて自分一人が幸福を堪能して、それが失われそうになったら身を震わせて、涙を流して恐怖する。身勝手で、わがままで、どうしようもない考えだ。でも、あの幸せな日々を手にしてしまったら、そう思わずにはいられないんだ。

 ナオともっと一緒に居たい。もっと色んなことをしたい。叶うなら結婚だってしたい。子どもをもうけることは無理でも、幸せな家庭を築きたい。結婚したらまずナオの家族のお墓参りに行って報告するんだ。そして結婚式には大勢友達を呼んで、大きなチャペルで神父様に愛を誓うんだ。

 その後はナオと二人でなんてことのない平凡で幸せな日々を送るんだ。それこそ、ナオが言っていたように南国のニューカレドニア? に住んでみるのも悪くないかもしれない。天国にいちばん近い島。色々苦労することだってあると思うけど、それでもナオが居てくれるなら、ボクはどんなことだって耐えられるんだ。例えそこが天国でも地獄でも、ナオさえ居ればボクにとっては楽園だ。だから、だから・・・・・・

 

「死にたく、ない、よぉ・・・・・・ナオぉ・・・・・・」

 

 床に流れた血に、涙が混ざる。寒い。冷たい。指一本動かせない。ここで眠ってしまえば、少し楽になれるのかな。でも、眠ったら起きてこられないかもしれない。嫌だ、そんなのは嫌だ。目蓋が重い。意識を手放した時、ボクは死ぬ。嫌だ、嫌だ、死にたくない。死にたくない。もう二度とナオと会えないなんて、一緒に居られないなんて、そんなのは・・・・・・嫌だ!

 

 

 

 ~♪ ~♪ ~♪ ~♪ 

 

 

 

 そのときだった、大きな音と、小刻みな振動が辺りに響いた。フルフェイスの通信は壊れてて使えないみたいだし、それならこれは──スマホ?

 ああ、そうだ。車をあのまま置いていく感じだったから、念のために忍ばせておいたんだ。

 お尻のポッケだったかな? でも、音がちょっと離れてる。ポッケから落ちたみたいだ。画面は多分粉々だろうなぁ。

 でも、誰だろう。ヤスならあり得そうだ。もしかしたら心配して電話をかけてきてくれたのかも知れない。まさかノリ兄やおとーさん(洲本副支部長)じゃないと思う。そもそもノリ兄に番号教えたっけ? ・・・・・・ナオは、きっと、無いと思う。そもそもナオはノリ兄と一緒にいるんだ。まだ県警本部に着いてないだろうし、何よりボクが普段スマホを車に置いてることを知ってるはずだ。まさか、まさかそんなこと・・・・・・。

 

 階下から足音が聞こえる。階段を全力で駆け上がってるみたいだ。その足音は真っ直ぐに、迷い無くここに向かってくる。そして、おもいっきりその人は扉を開け放った。

 

「望愛ッ!!!!」

 

 ──ボクは耳を疑った。なんで? だってそんなのあり得ないんだ。なんでこの人が、ナオの声が聞こえるの? あ、そうか。これは夢なんだ。ボクはもう死ぬから、お迎えの前にこんな夢を見てるんだ。ナオの声を聞きながら死ぬのも、悪くないかもしれない。でもやっぱり、死ぬのは怖いかな。

 

「望愛、死ぬな!! 絶対死なせない! 守ってやるって約束したろ!!!!」

 

 ナオはそう叫んでボクの顔を覗き込んで、慎重にフルフェイスを外してくれた。ナオの必死な顔が、良く見える。

 

「夢、じゃない・・・・・・の?」

「こんな馬鹿げたこと、夢であって欲しかった! 待ってろ、今止血するから」

 

 ナオはそういって荷物の中から、ボクに貸してくれたあのパーカーを取り出した。そして返り血の跳ねていない部分を手で引きちぎって、ボクの頭や、他の傷がある場所に巻いてくれた。頭に巻いた布が、目隠しみたいになってしまって良く見えない。

 

「・・・・・・見えない」

「ちょっと我慢しててくれ」

 

 そういってナオは、ボクにフルフェイスをもう一度被せた。

 

「なんで、ここに?」

「彼女のピンチにはすぐに駆けつける。それが彼氏ってもんだろ? よし、ちょっと移動するぞ。ほんとはあんまり動かしちゃ駄目なんだけどな」

 

 ナオはボクの両脇に手を回して前で組み、ボクを引き摺る様にして静かに移動した。

 

「ボク、お姫様抱っこが良い・・・・・・」

「頭から血が出てんだから、諦めてくれ」

「えー・・・・・・」

 

 ナオはボクを引き摺ってその部屋を出て、ボクたちは向かい側の部屋にたどり着いた。

 

「あそこの部屋じゃいつ攻撃されるかわかったもんじゃないからな」

「・・・・・・ありがとう、ナオ」

 

 本当に嬉しかった。本当に、本当に・・・・・・

 

「あんましゃべんな。体力使うぞ?」

「うん。そうする・・・・・・あ、ナオ」

「言った側から・・・・・・なんだ?」

「手、つないでくれる?」

「・・・・・・ああ、もちろん。助けはすぐに来るからな。もうちょっと、頑張ってくれ」

 

 ナオはそういって、ボクの手をしっかりと握ってくれた。ナオの手はおっきくって、あったかかった。



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第二十四話 醜かろうが、非力だろうが

 俺は望愛の手を握る。夏だと言うのにかなり冷たい。それは望愛が末端冷え症だから、と言うのとはきっと別の理由だ。

 幸いガラスの破片は体に刺さってはいないようだった。とは言え、頭からの出血が少し多い。早く救助が来てくれれば良いのだが。

 

 

 ──プルルルル、プルルルル

 

 

 俺のスマホに電話がかかる。相手は・・・・・・洲本のおっちゃんだ。

 

「もしもし」

『ナオ、状況は?』

「頭から出血してる。早く来てくれ。場所は・・・・・・おっちゃんからならわかるか」

『グレーなお前と違って俺達は一般人だ。外のあいつに見つかったらどうしようもない。司令部内でも反対派が多いんだよ』

 

 なるほど、確かにそれもそうだ。でも、でもな、

 

「こいつは、望愛は俺やあんた達一般人のために命を懸けて戦ってる。あんたらが命を懸けないでどうすんだよ」

 

 俺は静かにそう言った。今の望愛の横で、あんまり声を荒らげたくはない。望愛は今、少し落ち着いたのか眠っている。

 

「あんたら機関が動けねぇなら、俺は自力で望愛を背負って病院に連れてく。それがどれだけリスキーか、わかるだろ?」

 

 なんの医療知識もない高校生の俺が、全身打撲と頭部出血を起こした患者をおぶって何キロも歩くのだ。危険極まりないことは、おっちゃんにもわかるだろう。

 

『お前にそんなことが出来るのか?』

「やらなきゃならない状況になったら仕方ないだろ? もしそれでこいつに何かあったら・・・・・・」

 

 こんなことは調子乗ってるとか厨二病乙とか言われそうであまり言いたくないのだが、

 

『何かあったら?』

 

 仕方ない。

 

「聖女《ジャンヌ・ダルク》を失った怪物(ジル・ド・レー)が、何をするかわからんぞ?」

 

 俺は一般人としてはあまりに多くのことを知っている。情報を隠したい機関としては、俺の存在は邪魔でしかない。望愛がこの世を去れば、或いはもしかしたら望愛が結婚して俺のもとを離れたら、俺は消されるかもしれない。なら、そうなる前に俺は自分が持つ全ての情報を公開する。つまりどう喝だ。俺は今、国を相手に脅しを懸けたのだ。

 

「俺は望愛のために今まであんたらに協力してきた。大人しくあんたらの勝手な都合に合わせてやってたのは、他でもない望愛のためだ」

『あまり大人を甘く見ない方がいい。特に、俺達みたいなのはな。それはお前もわかってるだろう?』

「あんたらも、あんまり子どもをなめんなよ? 追い詰められた俺は、猫だってジャッカルだって噛み殺すぞ」

 

 守りたいもの(望愛)のいない世界に、未練はない。どうせ死ぬなら醜かろうが、非力だろうが、足掻いてやるさ。

 

「おっちゃん。もっかい言うぞ? 覚悟を決めて、とっとと助けにこい」

 

 高校生なめんな。ペンは剣よりも強いぞ。

 しばらく沈黙が流れた。次に聞こえてきたのは、深いため息だった。

 

『・・・・・・わかった、今から俺の独断で機動隊を派遣する。救急救命士の資格持ちの隊員もいる。そっから動くなよ?』

「よっしゃ! 流石おっちゃん。話がわかる大人で助かった!」

『お前ほんと調子の良い奴だな・・・・・・』

 

 俺達はそう言って、通話を終了した。



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第二十五話 ギブミー救助隊

 ──ゴオォォォ

 

 建物が音を立てて揺らぐ。外の怪物のせいだろう。

 そんな状況でも、望愛は眠っている。規則的な呼吸も、安定した鼓動もしているから、まだ大丈夫・・・・・・だと信じたい。

 

「望愛、死ぬな・・・・・・生きてくれ・・・・・・」

 

 俺は望愛の手を強く握る。今までも、傷を作ってきたり、アザを作ってきたりしたことはあった。でも、こんなにひどい怪我をしたことはなかった。命の危機に陥るような事態に発展したことはなかった。結局俺には、覚悟がなかった。望愛を失うかもなんて考えたこともなかった。想定なんて、しちゃい無かった。俺は、何にもこいつの事をわかっていなかったのかも知れない。

 

 

 ──チュー、チュー・・・・・・

 

 

 そのときだった、外からそんな声が聞こえてきた。ネズミの声なんてまともに聞いたことはないが、多分こんな声なんだろう。それが今、扉を挟んだ向こう側で大量に鳴いている。

 

 ──外にいたあのデカイ怪物関係なことは多分間違いない。俺はすぐにその辺にあるもので扉を塞いだ。・・・・・・これで俺達は部屋から出られなくなった。

 その後俺はスマホをミュートにした。ネズミの耳はかなり良いらしい。スマホのバイブ音で気づかれたら堪ったもんじゃない。第一、ネズミに食い殺されるなんて願い下げだ!

 

 直後、洲本のおっちゃんからメッセージが届く。状況を判断して電話じゃなくメッセージにした辺りは流石副司令だ。

 

『絶対に外に出るなよ!』

 

 俺はそれにこう返信した。

 

「あのネズミの子分か? どれぐらいいるんだ?」

『子分じゃない、分裂したんだ。それがうじゃうじゃビルの中に浸透していってる』

 

 分裂・・・・・・? あのデカイのが分裂? 言ってる意味がわからん。でも、そう言うことなんだろう。そんなのがうじゃうじゃ、気持ち悪いことこの上ない。

 

「来れそうか?」

『行くしかないだろ。お前にバラされちゃ堪ったもんじゃないからな』

「嫌味か!」

『もちろん』

 

 オーケー洲本のおっちゃん、あんたは後で一発ぶん殴ってやる。

 

「兄貴は?」

『まだ県警に来てない。車も置き去りのまま動かない。そもそもネズミの群れがこっちにも押し寄せてきてる』

 

 あの車にはGPSがついているらしく、司令部から位置を監視できるらしい。って、マジか・・・・・・そんなに多いのか。

 

「大丈夫なのか?」

『大丈夫だと思うか? すまん、ちょっと行ってくる』

「了解」

『 ️』

 

 俺はスマホをポッケに仕舞うと、音を立てないよう慎重にリュックの中から荷物を取り出す。この中に何か使えるものがあると良いんだが──

 

「ん? これは」

 

 なんだこりゃ。って、ジッポライター? いつの間に入って・・・・・・!

 

「兄貴、そういや押し付けてきてたなぁ」

 

 でも、ここで火器は少し嬉しいかも知れない。動物は火が怖いってのは有名だ。こんなショボい火でも無いよりマシだろう。

 

「後は・・・・・・あ、制汗スプレー」

 

 ──先に断っておこう。今から俺がやろうとすることは絶対に真似しちゃ駄目だからな?

 制汗スプレーの中のガスに、ライターの火を引火させて簡易火炎放射器を作る。これなら何とかしのげるかもしれない。あとは、

 

「頼むから、絶対に入ってこないでくれ・・・・・・!」

 

 神様に真摯にお祈りをするだけだ。だが、

 

 ──ガンッ! ガンッ!

 

 どうやら祈りは届かなかったようだな。くそが。見捨てるとか、ちょっと神様ひどくないか?

 

 俺は望愛をゆっくり背負うと、ライターとスプレーを構えた。



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第二十六話 救援はミニガンと共に

 俺はライターとスプレーを構える。望愛は伸ばしたリュックのひもと背中の間に挟まれ、ひもに足をかけるようにして俺に背負われている。昔にテレビで見ただけだが、案外出来るもんだな。

 

 耳元で望愛の呼吸音が聞こえる。興奮する・・・・・・とか言ってる場合じゃない。命の危機だ。落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 

 

 ──ガンッ! ガンッ!

 

 

 チューチューと言う声と共に、向こうのナニカは扉をこじ開けようとする。俺は扉に隙間が出来た瞬間を狙って構える。

 扉が揺れる。そろそろ隙間が開きそうだ。俺はスプレーとライターにかけた指に力を入れる。・・・・・・そのときだった。

 

 

 ──ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!!

 

 

 耳をつんざくほどの凄まじい音が響いた。聞いたことはないがこれは、マシンガンか?

 

「ミスターユムラ、この先デスね?」

 

 次に聞こえてきたのは、少し片言な日本語。低い男の声だ・・・・・・って、今湯村と言ったか?

 

「ええ。その扉の向こうに」

 

 そして聞きなれた若い男の声、これはもう間違いない。そこに居るのは、

 

「おい兄貴! 兄貴なんだろ!?」

「ナオ! すまん、遅くなった! もう大丈夫だ」

 

 ああ、やっぱりだ。この声は兄貴に違いない。兄貴は今、扉の向こう側に居る。だが、万一の事がある。こういう時こそ、慎重にならないと。

 俺は望愛を背負ったまま、扉にわずかな隙間を開けて外を覗く。そこにはやはり、

 

「よっ!」

「よっ! じゃねぇよ馬鹿兄貴。おせぇんだよ」

 

 兄貴が居た。それも、背後にミニガンを携えた巨大な白人男性を連れて。どこかで見たことあるんだが・・・・・・思い出せないな。二枚目なのは言うまでもない。渋い感じのイケメンだ。

 

「後ろの人は?」

「強力な助っ人だ。・・・・・・すまんが早く開けてくれるとありがたい。ネズミ共が再生する前に」

 

 怪物達は、ヒーローの力以外では致命傷を与えられない。つまり後ろのはヒーローじゃないのか? いや、攻撃型のヒーロー以外にも、支援型ってのもいるらしい。まだわからないな。

 そんな疑念を抱きながらも、俺は扉を開け、二人を中に入れてまた閉めた。

 

「望愛の容態は?」

「全身打撲と頭から血が。止血は一応」

 

 俺はゆっくり望愛を床に下ろした。望愛は、不気味なほど良く眠っている。

 

「あなたが、東洋の『ジル・ド・レー』卿デスか?」

 

 片言の白人が俺にそう聞く。その名を知ってると言うことは、機関絡みなのは間違いないらしい。

 

「良くご存じですね。元々は自称だったんですけど・・・・・・失礼ですが、出身は?」

「スコットランドのエディンバラデスね」

 

 なるほど、つまりイギリス人か。確か望愛の婚約者もイギリス人だったな。丁度歳もこのくらいで──

 

「──おい、あんたヒーローだろ?」

 

 そう言うと彼は少し驚いた顔をして、フッと笑った。

 

「ご名答デス」

 

 そうだ、こいつの顔には見覚えがあったんだ。こいつは・・・・・・

 

「あんたの顔には見覚えがある。イギリス出身、三十七歳のベテランヒーロー。連合王国特殊部隊、特殊空挺部隊(SAS)所属の軍人でもある。コードネームは、『ロバート・ブルース』。能力は、創傷部治癒だったか?」

 

 ロバート・ブルース。スコットランドの王であり、勇者ウィリアム・ウォレスと共にスコットランド独立の英雄として尊敬されている。かなりの巨漢だったとされているが、なるほど、そのコードネームに間違いはないようだ。

 

「そこまでご存じなら、その後の事ももちろん・・・・・・」

「知ってるよ。納得もしてない。でも、今はそれよりもこっちのが優先だ」

 

 俺は望愛のフルフェイスと、包帯代わりの布をゆっくりと外す。まだ少しだけ、血がにじんでいる。俺はロバートを見る。悔しいが、俺にはなにも出来ない。俺は静かに立ち上がって、後ろに下がった。

 

「怪我をしたのはどれぐらい前デスか?」

「一時間半は少なくとも」

「そうデスか・・・・・・彼女は幸運デスね」

「?」

「まず第一に、大きな血管はどこも損傷していないこと。フルフェイスを被っていたのも大きいデスね。それともう一つは、」

「もう一つは?」

 

 ごくり、息を飲む。ロバートはニカッと笑ってこう言った。

 

「彼女にあなたがいたことデス」

 

 俺が、いたこと?

 

「この状況で、完璧でないとは言えある程度の処置が出来ています。良い腕を持ってます。彼女を救ったのは、あなたデスよ」

 

 俺が、望愛を救った? 救えた、のか?

 

「それじゃ望愛は・・・・・・!」

「もちろん、今すぐ治療すれば命に別状ありません。戻った後に頭を診てもらう必要はありますが」

 

 ああ、そうか。俺は、ちゃんと出来たんだ。ちゃんと望愛を、助けられたんだ。安堵と同時に、体の力が抜ける。俺はその場に尻餅をついてしまった。

 

「それでは、処置を始めます」

 

 ロバートはそう言って、望愛の傷に手をかざした。



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第二十七話 ロバート・ブルース

 ロバートは傷口に手をかざす。淡い緑色の光が部屋全体に広がる。

 

「レー少年、彼女の手を握ってあげてください」

 

 ロバートは優しく微笑む。俺は小さくうなずいて、望愛の手をしっかりと握る。

 心なしか、暖かさが戻ってきているように思えた。脈動が感じられる。望愛が生きている、確かな証だ。

 

「レー少年。少しここを見てみて下さい。面白いデスよ?」

 

 そう言ってロバートは手をかざしている傷口を目で示す。俺は言われるままそこを覗く。すると、

 

「・・・・・・! これは、」

 

 壊れた組織が、皮膚が、まるで早送りのようにみるみる内に回復し、傷口を塞いでいくのだ。

 遠巻きに見ていた兄貴も、「ほぅ」と驚いている。

 

「私の能力は正しく言えば回復ではありません。私の能力は、細胞分裂の促進デス。この光で細胞を刺激し、分裂を促すのデスよ。使い方によっては、武器にもなります」

 

 よし、と、ロバートは手を離す。望愛の傷口は、多少の血の跡を遺して、綺麗に治ってしまった。

 

「じきに意識も取り戻すはずデス。今のところは、大丈夫デス」

 

「・・・・・・ありがとう、ございます」

 

 俺は深々と頭を下げる。彼に思うところが無いかと言われれば嘘になる。実際、思うところの方が大きい。

 それでも彼は、望愛を助けてくれた。礼は、しなくてはならないだろう。

 

 そんな俺にロバートは優しくはにかんで、肩に手をおいた。

 

「レー少年。いえ、レー卿。あなたは本当に、ジャンヌ嬢がお好きなんデスね」

 

 ロバートは一呼吸おいて、続けた。

 

「好きであるなら、その様になさるべきデス。思うままに、貫くべきデスよ」

 

 まるで敵に塩を送られた気分だ。これが大人なのかと、知らしめられた気分になる。優しいその眼差しは、俺をまっすぐに突き刺した。

 

 

 ──ガンッ! ガンッ!

 

 

「おっと、もうお目覚めデスか」

 

 直後、激しく扉を叩く音が聞こえた。チューチューと言う声。間違いない、奴らだ。

 

「ミスターユムラ、ガンの弾数は?」

 

 ロバートは立ち上がり、真剣な表情で兄貴を見つめる。

 

「まだなんとか」

 

「オーケー。レー卿」

 

 ロバートはスッと振り返る。

 

「ジャンヌ嬢をよろしくお願いします。道は私が開きます」

 

 有無を言わさぬ強い眼差し。歴戦の猛者なだけはある。

 

 俺は無言でうなずくと、携帯できる最低限の荷物をポーチに詰め、望愛を背負った。

 

「いつでも行けるぞ」

 

 俺は二人を交互に見渡す。兄貴とロバートはうなずくと、扉に向き直った。

 

 ロバートはミニガンを扉に向ける。

 

「カウントダウンは要りませんね。では・・・・・・!」

 

 直後、轟音が部屋に響き渡った。

 

「私の後ろに着いてきてください!」

 

 蜂の巣になった扉を蹴破り、ロバートはそう言った。



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第二十八話 聖女の目覚め

 乾いた破裂音が響く。道を塞ぐ小さなネズミのような怪物が弾け、廊下や壁や天井を赤く染める。

 ロバートを先頭に、俺達は廊下を進んでいた。耳が壊れそうな機関砲の音が響こうが、血飛沫が飛び散り、異様な臭いを漂わせようが、背中の望愛は一向に起きない。

 

「・・・・・・もし弾が切れ、全員脱出が難しいとなれば、最悪レー卿とジャンヌ嬢のお二人だけで脱出していただきます。いいデスね?」

 

 振り返ること無く、前を行くロバートがそう言う。その言葉に、兄貴も同調しうなずく。

 

「望愛の怪我は取り敢えずはふさがった。ナオが多少走っても問題はないだろう」

 

 確かにそうだ。俺は怪物には襲われない。奴らは俺に興味がない。望愛一人背負って逃げることは、出来ないこともない。

 怪我のふさがった今、望愛は多少揺さぶられても問題ないかもしれない。だが、

 

「望愛にキレられちまいそうだな。最後の手段に取っとこう。こいつ、怒るとおっかないんだぞ?」

 

 そう言って俺はわざとらしく肩をすくめて見せた。

 

 もちろん、優先するのは望愛の命だ。にっちもさっちも行かなくなったら、そうさせてもらう。だが、どうせなら全員で脱出したほうが寝覚めが良いだろう。

 

 と、そんなことを思っていた、まさにそのときだった。

 

「ナオ、誰がおっかないの?」

 

 耳元で聞こえたそんな低いささやきと共に、とんでもない威圧感が周囲を漂う。

 ・・・・・・確かに俺は目覚めてくれと願ったぞ? でも、このタイミングじゃ無いんだよなぁ。

 

「あら、望愛さん。起きていらしたの?」

 

 口が震える。これは決して恐怖からだとか、命の危機がとかそう言うんじゃない。これは、武者震いだ。

 

 ──嘘だ。めちゃくちゃ恐怖だ。ザ・命の危機に震えているのだ。

 

「うん、ついさっき起きたとこだよ」

 

 望愛は元気にそう返事をする。

 

「今の気分はどうだ?」

 

「どうだと思う?」

 

 なるほど、今俺が取れる行動はただ一つと言うことか。

 

「ごめんなさい」

 

 ガタガタと震えながら俺は恐る恐る振り返り、望愛を見る。すると、

 

 

 ──チュッ

 

 

 不意に、頬に、柔らかいものが当たった。

 

「うん、よろしい! ・・・・・・ありがとね、ナオ」

 

 そこには、フルフェイスのバイザーを上げた、にっこにこの望愛の顔があった。

 

「・・・・・・今キスした?」

 

「・・・・・・うん。勢いで」

 

 直後、望愛は顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつ向く。よし、いつも通りの望愛だ。

 

「ナオ、下ろして」

 

「歩けるのか?」

 

 思わず俺は聞く。望愛は大きく「うん!」と、うなずいた。

 

 俺はゆっくり望愛を下ろす。

 望愛はさっきまで昏睡していたとは思えないほど、しっかりと立ち、俺の横に並んで歩いた。

 

「状況は?」

 

 望愛が腰からマチェットを引き抜き、バイザーを下ろし、俺に聞く。

 

「戦う気か?」

 

「もちろん」

 

 正気じゃない。無茶だ。何が起こるかわからないんだぞ。

 そんな言葉が頭をよぎる。だが実際問題、俺と兄貴は戦力にならないし、ロバートはミニガンで道を作ることが出来るだけで、奴らは容易に回復する。

 

 この中でまともな戦力は、望愛しかいないのだ。

 

 ちらりと横目で兄貴を見る。兄貴は俺の目を見ると、諦めたようにうなずいた。

 結局俺達は、この聖女に頼るしか無いんだ。

 

「・・・・・・さっきのデカブツが、分裂してこうなった。取り敢えずこのビルから出て態勢を立て直す。外には多分、洲本のおっちゃんが呼んだ機動隊も居る」

 

 俺は望愛の肩に手を置く。

 

「家帰ったら、何食べたい?」

 

 今の俺にはこんなことしか出来っこない。望愛を死なせない。一緒に生きて夕飯を食べる。そんな普通のことを、約束することしか出来ない。

 それでも俺は、俺達は、この聖女に全てを託すのだ。

 

「うーん、唐揚げ!」

 

 望愛はそう言って、弾けるように笑うと、力を解き放ち、機関砲の弾切れと同時にネズミの大群に突っ込んでいった。

 

 直後に見たのは、弾け飛び、霧散する怪物達の姿と、そこを突っ切る望愛の背中だった。



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第二十九話 窮鼠

 血飛沫が舞う。望愛がマチェットを振るう度に、小さなネズミ達は真っ赤な液体に変わり、空中に散る。鎧袖一触だ。

 

 俺達はそんな望愛の後ろに続いてひた走る。

 さっきまでは無限に沸き続けるネズミ達が壁になっていたせいで中々進めなかったが、望愛のお陰で道はみるみる開けていく。階段まではもう少しだ。

 

「流石は日本にその人ありと言われたジャンヌ嬢デスね・・・・・・」

 

 望愛の活躍を見て、ロバートは苦笑し舌を巻く。望愛を誉められると、なぜだかこっちまで誇らしくなってくる。

 

「凄いだろ? ()()()()()

 

 後半のほうを少し強調して、俺はそう言う。一応ロバートはライバルだ。今のパートナーは俺だと言うことを強調しておかねば。

 

 俺のそんな意図を察してか、兄貴とロバートはフッと笑みをこぼす。なんだ? なんか文句あんのか?

 

「ロバート卿、宣戦布告ですよ?」

 

 兄貴がニヤケ顔でロバートに耳打ちする。するとロバートは不敵な笑みを浮かべて俺にこう言った。

 

ロバート・ブルース()の名を継ぐものとして、挑戦を受けましょう。ジル・ド・レー(元帥)

 

 

 

 

「望愛ー! 大丈夫か?」

 

 前を行く望愛に俺は声をかける。丁度望愛がこの階最後の群れを蹴散らしたところだった。

 

「うん! ボクは全然へっちゃらだよ! むしろ体が軽くなったかも?」

 

 階段の入り口手前で、そう言って望愛は振り返り、俺達に元気に手を振る。スーツやフルフェイス全体にべったりと付着した怪物達の返り血が、奴らの数の多さと望愛の規格外の強さを物語っている。

 

「・・・・・・家帰ったらまず風呂だな」

 

 俺はあえて少し距離を置いて立ち止まり、望愛に言う。望愛はあからさまにガクッと肩を落として、こう返す。

 

「・・・・・・やっぱり臭う?」

 

「俺は気にしないぞ? 望愛の臭いならなんだってオッケーだからな」

 

「よし、すぐお風呂入ろう」

 

 望愛はすぐさま決断した。まさに即決だ。

 

「一応言っとくが冗談だからな?」

 

「もぅ、わかってるよー! ほらほら、早くー!」

 

 そう言って望愛はぴょんぴょん飛び跳ねながらおいでおいでする。

 

「やはりお二人は仲がよろしいデスね」

 

「あんまりおっさんの前でいちゃコラしはなさんなよ? 心臓に悪い・・・・・・」

 

 大人二人のそんな声を背に、俺は望愛に向かって歩いていく。

 

 一時はどうなることかと思ったが、何とか今回も二人で生き延びられたみたいだ。

 ロバート・ブルースというライバルも現れたが、結果として助けられた。まぁ、望愛を渡す気なんてさらさら無いが。

 

 目の前では満面の笑みの望愛が待っている。

 

「あんまり飛び跳ねんなよー、頭ん中出血してるかもしれないんだからなー」

 

「えっ!?」

 

 お、止まった。可愛い奴め。

 

 

 でも、望愛を助けられて本当に良かった。さて、あとは階段を降りるだけ。こんなところさっさと脱出──

 

 

 

 

「・・・・・・!!!!」

 

 音もなく、上に伸びる階段からそれは忍び降りてきた。

 廊下を塞いでいたものとは比べ物になら無いぐらいの大きさの怪物、長い尻尾は中途で切り落とされ、目玉はぎょろぎょろ動き回る。

 鋭い門歯は不気味に光を反射してきらめき、床にポタポタと唾液を滴らせている。

 

「望愛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 自然と声が出た。足が動いた。間に合わないかもしれない。それでも俺の足は、口は頭は、体は、腕は、筋は、骨は、筋肉は、脳は、望愛を助けようと動く。

 

 力がみなぎる。たぎる。燃えるように熱い。心臓がバクバクと音を立てて脈打つ。頭がガンガンと痛む。

 

 全ての光景が、背後へと流れて溶けていく。だと言うのに、世界がスローに見える。

 正面に意識を集中する。望愛が徐々に近づく。背後の怪物の歯が首筋に伸びようとしている。

 

 俺は全身全霊を持って腕を伸ばす。拳を握る。ネズミを捉える。

 

「────ッ!!!!」

 

 俺は、声になら無い声をあげ、拳を目一杯伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちん

 

 

 

 

 風船の割れる音がした。



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第三章 ジャンヌ・ダルクの彼氏は時に、嫌な事実を知るものだ
第三十話 りぼーん


 ──今日はみんなに新しい仲間が増えたわ。

 

 ここは施設。家族がいなかったり、家族に要らないってされたり、家族にごめんねってされたり、家族から逃げてきたりした子達が集められて、家族として過ごす僕たちの家。

 僕には家族がいない。二年前、事故でお父さんもお母さんも、きょうだいもみんな死んじゃった。

 

 朝早く、職員のお姉さん先生がそう言って僕と同い年ぐらいの女の子を連れてきた。

 うつむいてて、顔とか腕はデカバンだらけ。女の子にしては、ちょっと短い髪をしている。

 

 ──さぁ、みんなに自己紹介しよ?

 

 お姉さん先生はいつも優しい。黒くて長い髪の毛を頭の後ろで一つにくくっている。ちっちゃい子達はその髪の毛が歩く度にゆさゆさ揺れるのが面白いみたいだ。

 お姉さんの優しい声に、女の子はちっちゃくうなずいて、こう言った。

 

「有馬・・・・・・望愛、です。六歳、です。よろしく・・・・・・」

 

 みんなが拍手する。おてんばそうだからもっと大きな声だと思ったけど、案外大人しい子なのかな?

 

 でも、僕にはそんなことどうだって良かった。

 今、この女の子は六歳って言ったんだ!

 この施設には僕と歳が近い子は一人もいない。だからちょっとだけ寂しかったんだ。でも、今日からはこの女の子、望愛ちゃんがいる! 頑張って仲良くならなくちゃ!

 

 僕は望愛ちゃんのところにとたとたと走って近寄る。それで、大声を出して、元気にこう言った。

 

「僕の名前は城崎直人です! 六歳です! よろしくお願いします!」

 

 望愛ちゃんは、ちょっぴりびっくりしてた。

 

 

 

「──んぁ、あぁ・・・・・・」

 

 気付いたら俺は、仰向けになっていた。

 知らない天井。真っ白なベッド。ここは病院か?

 

「・・・・・・っ! 望愛!!」

 

 俺はハッと思い出して、声を出す。だが、かすれて上手く声がでない。

 

 そうだ。俺はあのとき望愛に忍び寄ってきたデカネズミを倒そうとした。で、そこからどうなった?

 体に力を入れようにも、上手く入らないし、本当に何がなんだか────

 

「直人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 そう思い出そうとしていた直後、聞き慣れたその人の声と共に俺の胸にドシンと、なにかがのし掛かる。あばらが折れそうだ。

 

 俺は顎を少し引いてそこを見る。

 そこにはやっぱり、望愛がいた。泣きじゃくって、俺に覆い被さっている。

 

「良かった、本当に良かったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 わかったわかった。ごめんって。

 ふと気がつくと、若干腕に力が入ることに気付いた。俺は右腕に渾身の力を入れ、ベッドの外から出し、望愛の頭に──頭に・・・・・・

 

 !?!?!?!?

 

 俺は目を疑った。これは、夢か?

 

 ベッドの中から出てきた俺の腕は、赤黒くに変色し、一回り大きくなっていた。

 

「こ、れは・・・・・・!」

 

 思わず声に出す。かすれも少しましになってきた。

 望愛がさっと顔を上げた。そして涙で潤んだ大きな目で、俺をじっと見つめた。

 

「お、はよう。ごめん、な?」

 

 何となくだが、何があったかはわかった。俺は、望愛を助けられたんだ。

 

 俺はそう異って、右手を望愛の頭に乗せる。左手は点滴がついてるから、動かさない方がよさそうだ。赤黒く、醜くなってしまったが、許してくれ。

 望愛は俺が頭を撫でると、先ほど以上に涙をぼろぼろ流し、飛び付いてきた。

 

「バカぁ!! ナオのバカぁ!! ほんとに、心配したんだからね!!」

 

 望愛はそう言ってより一層泣きじゃくる。泣きわめく。その声は、病室全体に広がっていった。

 

 

 望愛がようやく落ち着いた頃、看護士さんと並んで兄貴が病室に現れた。

 

「よっ。ナオ、体調はどうだ?」

「右腕がラスボスみたいに禍々しくなってることと、脱力感が凄いのを除いたらまずまずだな」

 

 そんな軽口を叩きながら、兄貴は望愛と同様、丸椅子に腰かける。

 望愛はさっきまで散々泣いていたからか、目が少し腫れぼったい。

 

「望愛、顔洗ってきた──」

「やだ! 離れない!」

 

 望愛はそう言って左腕にしがみついて、上目遣いで俺を睨む。

 子供か! 写真撮るぞ!

 そんな俺達を見る看護士さんの目が生暖かい。

 

 看護士さんは点滴の中身を交換すると、さっさと出ていった。

 看護士さんが出ていったのを見計らって、俺は早速本題に入った。

 

「ここは?」

「機関専属の総合病院だ。腕が千切れてもくっ付けられるぞ?」

「どれぐらい眠ってた?」

「三日だ。望愛はその間ほとんど寝てないんだぞ?」

 

 俺は望愛を見る。おい、目をそらすな。

 

「・・・・・・ほんと?」

 

 望愛は目をそらしたまま、小さくうなずいた。

 

「そっか・・・・・・ごめんな」

 

 望愛はまた、小さくうなずいた。

 俺は兄貴に質問を続ける。

 

「なんで俺の腕はこんなのになった?」

 

 兄貴は少し押し黙る。そして、

 

「ここじゃ言えない」

 

 そう言った。俺はさらに聞くことにした。

 

「あの日、何があった?」

 

 兄貴はチラリと天井や壁を目で示し、こう言った。

 

「言えない」

「・・・・・・わかった」

 

 どうやら俺は監視されているらしかった。

 

「あのネズミ共は?」

「ボクとロバートさんで全部倒したよ」

 

 次に答えたのは、望愛だった。

 俺は望愛を見る。相変わらず目を合わせてくれない。望愛は、頭の後ろをかいた。昔からの癖は治らないらしい。

 

 つまり嘘、と言うことだ。本当に、望愛は嘘をつくのが下手くそだ。それとも、わざとか?

 

「望愛、ありがとな」

 

 俺はそう言って望愛に、笑ってみせた。

 それを見て望愛も少し、はにかんだ。



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第三十一話 怪物か雛か、それとも騎士か

 あの日、ボクは一歩も動けなかった。そもそも、気付けてすらいなかった。

 振り返ったときにはもう、あいつの歯がそこにあったんだ。

 全てが終わったと、怪物はもういないと勘違いしていた自分が迂闊だった。

 せっかく助けて貰ったのに、ボクは死んじゃうんだって、ある意味これが報いなのかもって、覚悟を決めた。

 でも・・・・・・そうはならなかったんだ。

 

 

 風を切る音で、ボクは目を開けた。ナオが、床をえぐりながら凄い速さで迫る。

 多分、開放状態のボクと同じぐらいの速さだ。

 驚く間もなく、ナオはボクの目の前に立った。

 気付いたときにはもう、何もかも終わってたんだ。

 右腕を突き出したまま微動だにしないナオを、ボクは尻餅をついて見上げる。

 怪物は、欠片も残らず弾けとんだ。階段は、血まみれと言うより、血みどろになっていた。

 ナオは、全身に返り血を浴びて立ちつくす。肩とか背中からは湯気が立ち上ってた。

 

 ボクは、産まれて初めて、ナオを怖いと思った。思ってしまったんだ。

 

 ナオが怪物予備軍なのは知ってる。そんなナオと、ヒーローのボクが一緒に暮らすことを許された理由についても、大体察しがつく。

 でも、ナオはそうならないって、心の何処かで思ってた。信じてた。だから、怖かったんだ。

 ナオそのものが怖かったのもあるし、ナオに手を下さなくちゃならないかもしれない自分も怖かった。

 でも、すぐにボクは後悔することになる。

 

 ナオがゆっくり、床に横倒しになった。

 腰が砕けてたボクは、這いずってナオに近寄る。

 そのとき、聞こえたんだ。小さな声で、「望愛・・・・・・望愛・・・・・・」って。

 

 ボクは、一瞬でもナオを怖く思った自分が、三日経った今も、ナオが目覚めたあとも、心底許せないでいる。

 

 

 

 

 ナオが目覚めてから、更に三日経った。

 外ではもうつくつくぼうしが鳴いている。秋が近い。

 

「はい。ナオ、あーん」

 

 ボクはそうやって、ナオに切り分けたリンゴを差し出す。

 やっぱりお見舞いの王道はリンゴだよね!

 

「あーん。んー! 美味い!」

 

 ナオはそう言ってほっぺたをほころばせる。幸せそうで何よりだ。

 ・・・・・・じー。

 

「・・・・・・望愛さん、なんでフォークを見つめてんの?」

 

 ナオがそう聞いてくる。ナオもわかってるくせにぃ。

 

「ぱくっ!」

 

 ボクは、ナオが口をつけたフォークで、リンゴを一つ、とって食べた。

 

「んー! 美味ひいね!」

 

 自然とボクも表情が緩む。二倍増しで美味しい気がする。いや、気がするんじゃない。多分事実だ!

 

「間接キスってこんなに堂々とするもんか?」

「もっとロマンチックなのが良かった?」

 

 もしそうなら、次から気を付けよう。

 

「いやもう良いや・・・・・・あ、リンゴおくれ」

「はーい!」

 

 ボクはまた、ナオの口にリンゴを運ぶ。まるで親鳥と雛みたいだ。

 

「腕、まだ痛む?」

 

 ボクはちょっと気になってたことを聞いてみた。真っ黒に変色しちゃったナオの右腕には、大きなギブスがはめられ、指先は包帯が巻かれている。

 

 ナオはそんな右腕を持ち上げて、こう返した。

 

「一昨日の夜よりは痛くはないなぁ」

 

 目が覚めた初日の夜は痛みに悶えてたからなぁ・・・・・・。

 

「ま、何があったかはわからんが、望愛を守れたんだから結果オーライよ!」

 

 そう言ってナオはギブスを左手で叩いて見せる。そして、

 

「・・・・・・痛い」

「ナオ、おバカになった?」

 

 腕を押えて悶えた。やっぱりナオは、ナオのままだ。

 

 この数日間、かなり平和な時間が流れている。こんな平和が、ずっと続けばどれだけ良かっただろう・・・・・・。

 

 

 後ろで、病室の扉が開く音がした。ノリ兄だ。振り返らなくても、臭いでわかる。

 

「お楽しみ中だったか?」

 

 ボクはあからさまに鼻をつまんで、言った。

 

「ノリ兄、くちゃい」

 

 ノリ兄はちょっと苦笑いして、うつむいた。

 

「まだ今日は一本目だ・・・・・・許せ」

「タバコってそんなに美味いの?」

 

 今度はナオがそう聞く。するとノリ兄は、顔をばっと上げて言った。

 

「吸ってみるか? ジッポ、渡したろ?」

 

 そんな言葉に、ナオは言いづらそうに、こう言った。

 

「あー、あれなぁ・・・・・・。他の荷物と一緒にビルに置いてきた」

 

 つくつくぼうしの声が、一層強くなった気がした。



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第三十二話 事実

 俺が目覚めてから一週間が経った。

 右腕の容態も安定したとのことで、無事に退院の運びになった。なったのだが・・・・・・

 

「アイスコーヒーとメロンソーダ一つずつ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 ・・・・・・俺は今、兄貴と二人で近所のファミレスにいる。

 若いボブカットの店員さんの背中を見送りながら、俺は先ほど勝手に注文した兄貴に、ため息混じりにこう言った。

 

「コーラが良かったんだけど」

 

 すると兄貴は、少し驚いた様子でこう返す。

 

「いや、ファミレスって言ったらメロンソーダだろ」

「知らねぇよ」

 

 そうこうしているうちに、さっきの店員さんがアイスコーヒーとメロンソーダを持ってきてくれた。

 腕を包帯でぐるぐる巻きにされている俺に、店員のお姉さんは優しい微笑みを投げ掛け、厨房に戻っていった。

 そんなお姉さんの優しさを胸に、俺は本題に入った。

 

「んじゃ、あの日の事を聞こうか。あの日、俺は何をした? あの後、何があった? あの怪物は、どうなった?」

 

 俺は左手でグラスをつかみ、ストローでメロンソーダを吸う。

 兄貴もアイスコーヒーを一口飲む。そして、ポツポツと語り始めた。

 

 

 

「・・・・・・これが、一週間と三日前、俺達の目の前で起きたことだ」

 

 話し始めてからおよそ十分後、兄貴はそう締めくくり、ほぼ満杯のアイスコーヒーに口をつけた。

 客が少ない時間だからだろうか、店の中はやけに静かだ。

 

 兄貴が語ったことはこうだ。

 望愛の背後に怪物が現れる。それに気付いた俺はとんでもない声量で叫び声をあげ、同時に信じられないほどの速さで廊下を駆け抜け、怪物に拳を突き出した(俺が覚えているのはここまで)。

 怪物は即座に弾けとび、それと同時に残っていたちっこい怪物達も音を立てて弾けていった。

 拳を突き出した俺はその後意識を失って即倒。ロバートに負われて病院へ・・・・・・と言う流れらしい。

 

 腕が黒くなったのは、単純に内出血をしたかららしい。そのお陰か、腕はパンパンに膨れ上がって大変だったそうだ。昏睡していて本当に良かった・・・・・・。

 

「・・・・・・流れはわかった。まさか内出血だとは思わなかったけどな」

 

 俺は少し頬をひきつらせて、メロンソーダを吸う。

 

「そこまで内出血が酷くなったのはきっと、白血病の影響もあるんだろうな」

 

 兄貴が言う。確かに、白血病になると血が止まりにくくなったり、アザや内出血がすぐに出来たりする。腕の黒変もうなずける。

 なら、次の疑問は、

 

「何で俺が突然そんな力に目覚めた?」

 

 まさか、隠された能力が突然開花した! とか、そう言うんじゃないだろう。

 多分きっとそれとは真逆の、よろしくないものに違いない。俺にはその、素質がある。

 兄貴は一気にグラス半分ほどまでアイスコーヒーをあおる。そして、観念したように言った。

 

「お前が思ってるのと、多分同じだ」

 

 兄貴はそう言って俺を指さす。

 

 俺はごくりと唾を飲み込む。嫌な汗が額から頬を伝って、首筋を流れていく。

 なるほどだとしたらこれは、とんだ喜劇じゃないか。

 ずっと非力だと思ってたが、ちゃんと俺にも力があった。気づかなかっただけで、気づいてはいけなかっただけで、出しちゃいけなかっただけで、ちゃんとあるんじゃないか。

 

「・・・・・・俺は正真正銘、怪物になったって事だな?」

 

 沈黙が流れる。カラカラと、店の扉が開く。客が出ていったようだ。

 若い夫婦と、四、五歳ぐらいの女の子。もしかすれば、俺達にもあんな未来があったのかも知れない。

 俺は左手で、右腕を抑え込んだ。じわりじわりと、熱い痛みが湧いてくる。

 

 兄貴は小さくうなずいて、こう言った。

 

「でも、まだそうと決まった訳じゃない。検査だってしてない。それに機関はその事をまだ知らない」

 

 落ち着きを促すような優しい声。俺の心の揺らぎをまるで見透かしているようだ。

 

 でもな兄貴、俺も馬鹿じゃない。機関がそんなに甘くないことだって知ってる。むしろ今まで生き長らえてきた俺はイレギュラーなんだ。

 

 それに俺は、自分が怪物になるかもしれないって知ったとき、俺はもう一個大事なことに気付いてしまってる。

 考えうるなかで最高に最悪で最低なシナリオだ。

 確証が持てなかったから、信じたくなかったから口には出さなかったけどな、もう、良いだろ。

 今、状況は限りなくそれに近づいている。

 

「なぁ兄貴。俺が望愛との同棲を許された本当の理由ってさ」

「やめろ、ナオ」

 

 兄貴が静かに、だが鋭く制止を促す。やっぱりか。やっぱりそうなのか。俺は続けた。

 

「望愛に、あいつに俺を殺させる為だったんじゃないのか?」

 

 黙り込んだ兄貴の表情が、グレーをクロに変える。推定無罪が、確定有罪に変わった瞬間だ。

 

「そりゃ、やりやすいだろうよ機関としては。ちょっとでも怪しいと思ったら寝首をかいて殺せって言えるんだからな」

 

 いちいち大がかりな準備なんてしなくても、望愛なら俺の隙をついて殺すことなんて簡単だ。

 あいつの前では、俺はいつだって無防備だ。

 あまりにも予想が上手く当たるもんだから、少し面白くなってきた。自然と表情筋がつり上がる。

 俺はそれを隠そうと、口の前で左右の手を組み、肘をついた。

 

「このこと、望愛は知ってんのか?」

 

 兄貴はうなずく。俺は畳み掛ける。

 

「このことを知ってるのは?」

 

「俺と望愛と、ロバートさんだけだ」

 

 ようやく兄貴は、重い口を開いた。

 

「このことを指示したのは、洲本副支部長だ。彼は今、あのビルにいる」

 

 後に俺は後悔することになる。あの日、荷物と一緒に包帯代わりに使った、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺はファミレスを後にする。

 ふと、雨がぽつりぽつりと降ってきた。しまった、雨予報だったのを忘れていた。

 だが今さらコンビニに寄るのもめんどくさい。俺はそのまま、歩いて帰路についた。



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第三十三話 決意

 土砂降り、と言うには少し弱めの雨に打たれて、ずぶ濡れになりながら俺は帰路につく。

 傘を忘れた近所の子供たちがカバンやらを頭に乗せて家に駆け込んでいく。雨に濡れているのに、楽しそうだ。今の俺とは、大違いだな。

 

 水滴が髪を伝ってぽたぽたと落ちる。

 すぐ横の車道を走るトラックが水しぶきを上げて通りすぎる。

 これは家に帰ったら風呂直行コースだな。

 

 

 

 分厚い雲は、どんどんとその黒さを増していく。遠くでは雷すら鳴り響いている。

 ふと、昔のことを思い出した。

 

 この地域では珍しく、大嵐が直撃した日のことだ。

 俺達の施設のすぐ近くに雷が落ち、施設が停電した。

 そのとき俺達は小学三年生。俺が自分のことをまだ僕と言っていた頃の話だ(その頃にはすでに望愛もボクだった)。

 ビビリな望愛は部屋の隅っこで小さくなって、涙目でぎゅっと俺の服の裾をつかんで離さなかった。

 望愛はそのとき確か、こう言ったんだ。

 

「ナオ、ボクの横にいて。どっか行かないで・・・・・・」

 

 今にして思えばなんてことない、暗闇と雷への恐怖から来る言葉。

 でも、何を勘違いしたかそのときの俺は、望愛は俺のことが好きだからなんじゃないかと思ったらしい。

 初めて望愛を意中の相手として認識した瞬間だったと思う。もっとも、そんな想いも一週間もすれば忘れてしまったのだが。

 

 望愛は昔から雷と暗闇と自分より大きな生き物が大の苦手だった。苦手、というより、恐怖の対象だというのが正しいか。

 今、俺の横には車道がある。雨の中だから、多少車がブレーキを踏んでも、滑ってしまうだろう。

 俺がまだ怪物になって日が経っていなかったり、怪物になる寸前だったら、もしかしたら間に合うかもしれない。

 俺は、望愛にとっての恐怖の対象になる訳にはいかない。

 怪物として自我を失い、暴れまわる訳にはいかない。

 あいつが俺を殺して、引きずらせる訳にはいかないのだ。

 

 あと一歩。いや、二歩か。

 

 俺に力があればどれだけ良かったかと、悔やんだ日もある。願った日もある。だが、こんな力なんて望んじゃいなかった。

 だからこれは、俺の責任問題だ。責任は、自分でとるべきだろう。

 

 雨粒が目に入る。視界が歪む。

 俺は目をつぶって擦る。

 よし、行こう。俺は目を開け、真横に一歩踏み出そうとした。そのときだった、

 

「・・・・・・!」

「ナオ、何してるの?」

 

 目の前に、望愛が居た。

 小学生が使うような黄色い傘をさし、左手には俺の黒い傘を持ち、そこに立っていた。

 流石に、望愛の前で死ぬわけには──

 

「ナオ、死んじゃやだよ!」

「え?」

 

 思わず声が出てしまった。

 語気を強めてそう言った望愛は、眉間にしわを寄せて俺にどしどしと歩み寄ってくる。

 気迫に押されて、俺は一歩後ずさる。

 

「良い? ボクより先に死ぬなんて、許さないからね!」

 

 望愛は怒ったようにそう言い放つと、「ん!」と、傘を差し出してきた。

 俺は困惑しながらそれを受け取り、交互に見比べる。・・・・・・なんで、

 

「なんでわかったんだ?」

 

 思わず俺は聞く。すると望愛は、はぁ、と息をつき、こう返した。

 

「ノリ兄からメッセージが来たからだよ。ほんとに飛び込むつもりだったの?」

 

 ズボンのポッケからスマホを取り出し、画面を俺に見せる。確かに、兄貴から望愛にメッセージが送られている。

 お見通しだった、と言うことか。

 でもな、だってな・・・・・・

 

「だって望愛、俺が怪物になったら殺せって言われてるんだろ? でも、そんなことしたら絶対引きずるだろうから、だったらせめて──」

 

 その瞬間、激しい音と共に、左頬に痛みが広がる。俺は思わずもう一歩後ずさり、頬に手を当て正面を見る。

 望愛は、赤くなった左手を下ろし、泣いていた。

 

「バカ! バカバカバカバカ、ナオのバカぁ!!」

 

 張り裂けんばかりの大声で、傘も投げ捨て、望愛はまくし立てる。

 

「ナオがどんな死に方したってボクは引きずるよ! 当然でしょ! ボクはナオがなんだって構わない! 人間だろうが、怪物だろうが、ナオはナオだ!! なんと言われようが、ボクは絶対にナオを殺さない、誰にも殺させない!! ナオは・・・・・・ナオには! ボクよりもずーっと長生きして、元気に、幸せに暮らして欲しいんだ!!」

 

 顔を雨と涙でぐしゃぐしゃにしながら、望愛はそう息継ぎもせずに叫ぶ。

 

 俺は、何も言えなかった。俺の死ぬ決意よりも、何倍も何十倍も強くて、熱くて、優しい決意を、望愛は持っていた。

 

 俺のヒーロー(彼女)は、世界一強くて、熱くて、優しかった。

 

「・・・・・・バカやろ、そっちこそ俺より長生きしなくてどうすんだよ」

 

 俺はうつむく。雨雲が切れてきたのか、少し明るくなる。

 足元の水溜まりに、顔が映る。なるほど、俺も存外、酷い顔をしている。

 

「大切な人に先立たれるのは、やだよ」

 

 さっきとは打って変わって弱々しい、か細い声。触れれば壊れてしまいそうな、そんな声。

 

「んなもん、俺も嫌だわ」

 

 俺は静かに目を閉じ、決意する。

 

「だったら──!」

 

 ──死なない決意を、殺されない決意を、ここに誓う。

 

「・・・・・・おう、ごめんな。ありがとう」

 

 俺は顔を上げ、笑って見せる。これからはあんな酷い顔、望愛の前じゃ絶対にしない。

 雨はどうやら上がったようだ。

 雲間から陽光が降り注ぐ。それはまるで、カーテンのように帯状に広がる。

 

「・・・・・・うん。うん! ボクもビンタしてごめんなさい」

 

 光に照らされた望愛の顔が、いつも以上に明るく見える。

 ずぶ濡れになって、謝り合った俺達は、二人並んで帰路につく。

 

「おう。帰ったら、早速風呂入らないとな」

「うん! ボクが背中流してあげるね!」

 

 にっしっし、と、望愛が笑う。

 

「お手柔らかに・・・・・・」

 

 服は重く湿っているが、その足取りは軽かった。



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第三十四話 我が家

 十日ぶりの我が家が、目の前にそびえる。

 鍵をさし、ドアノブに手を掛ける。心なしか、緊張する。

 

「どしたの?」

 

 半歩後ろの望愛がそう聞く。

 

「いや、何でもない」

 

 そう言うと同時に俺は、ガチャリとドアを開けた。

 家の中は、当然だが出てきた頃と何も変わらなかった。

 

「ただいまー!」

 

 望愛は俺の脇を通って一目散に家の中に駆け込む。

 

「ほら、早くー! お風呂行こー!」

「へいへい」

 

 少し遅れて、俺も玄関に入る。望愛は既に靴を脱ぎ、ぴょんぴょんとび跳ねていた。

 

「・・・・・・ほんとに二人で入るのか?」

「だって風邪ひいちゃうでしょ?」

 

 デスヨネー。

 俺はため息をつきつつ、靴を脱ぐ。その瞬間、

 

「よし、行こー!」

「うわっ!」

 

 望愛がいきなり俺の左手をつかみ、風呂場へと駆け抜けた。右手じゃないのは、せめてもの慈悲だろうか。

 

 

 *

 

 

 ボクは今、お風呂の前の脱衣所に立っている。服はもう脱ぎ終わって、後は入るだけだ。

 雨の上がった夕暮れ過ぎの外。コオロギ達の鳴き声と、帰宅していく人々の足音が聞こえる。

 曇りガラスのドアの向こうはお風呂場だ。中ではもうナオがこっちに背を向けてシャワーを浴びている。

 

 ぼんやりと、ナオの背中が曇りガラス越しに見える。ボクの大好きな、おっきな背中が。

 ボクは胸に手を当てる。

 ナオはやっぱり、もう少しおっきい方が良いのかな、なんて思ったりするけれど、こればっかりはしょうがない。

 自分の鼓動が、手のひらに伝わってくる。

 ドクン、ドクンと脈打ち、血を巡らせ、ボクの命を回していく。

 ・・・・・・生き物が一生に鼓動する回数は、ある程度決まっているらしい。

 こうしている間にも、ボクは一歩ずつ死へと向かっている。ナオのいない、あの世の世界に向かっている。

 

「ナオ・・・・・・」

 

 今更になって、死ぬのがとても怖く感じる。でも、それはきっと良いことなんだと思う。

 この世で楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったことがあったからボクは、死ぬのが怖いんだ。

 そして、ガラス一枚挟んだそこに、死の恐怖を教えてくれた人がいる。

 一生かかっても返せない幸せをくれた、その人がいる。

 ボクの、相棒がいる。

 ボクは振り返り、洗濯機の蓋の上に目をやる。

 さっきまでボクのポッケに入っていた、真っ白なスカーフで包まれた小さく長細いもの。

 ボクはそのスカーフを外し、中を見た。

 

「・・・・・・やっぱりボクには、出来ないよ」

 

 そこには、ナイフがあった。これを使えば、今すぐにでもナオ(怪物)を殺せる。

 こっちに背を向けている今、一突きで仕留められる。でも、ボクに出来ない。

 だってそこにいるのは、怪物でもなんでもない。ボク(ジャンヌ・ダルク)にとっての、白馬の騎士(ジル・ド・レー)なんだから。

 

 ボクはナイフをスカーフごとゴミ箱に捨てる。

 ボクは、ヒーローとしては失格なんだろう。でも、それで良い。

 どうせすぐに死ぬんだ。最期くらい、自由に生きても良いよね。

 ボクは風呂場に足を踏み入れる。今日は、とっておきのいたずらを用意してきたんだ。

 

 

 *

 

 

 俺たちは今、風呂場に居る。

 雨水で冷えた体に、温かいシャワーが染み渡る。

 

「ナオー」

 

 すぐ後ろで、背中合わせに座っている(はずの)望愛がそう呼ぶ。我が家の風呂は狭い。ちょっと動けば体のどこかしらが相手に当たる。

 ・・・・・・まぁ、望愛のはちっちゃいから、当たる心配は無いのだが。

 

「あ、今変なこと考えてたでしょ?」

「はっ!?」

 

 何故だ、心が読まれてるのか!?

 

「そそ、そんなことより、どした?」

「ぶー」

 

 ぶーたれる望愛をよそに、俺は取り敢えず話をそらして、半身になって振り返る。するとそこには、

 

「ボク、だいぶおっきくなったと思わない?」

「・・・・・・!?!?!?」

 

 いつの間にか、体ごと振り向いていた望愛が、胸をそらして立っていた。

 いやまて、落ち着け。俺は今座っているんだ。そうだ、座っているんだ。それで向こうは、立っている。

 振り返った俺の目線にあるものは・・・・・・

 

「もー、何で目そらしちゃうの? そんなにちっちゃい?」

「ちげぇよ! その、なんつーか、えっと・・・・・・察しろ!」

「そんなこと言わずにさぁー、教えてよぉー」

 

 望愛は、背を向けた俺の両肩に手を乗せ、左から顔を覗き込む。それを俺は必死にそらす。

 落ち着け、落ち着け直人。そうだ、二人で風呂に入ってるんだ。こんなこと、予想できてたじゃないか。

 心頭滅却すれば火もまた涼し、ここは心を仏のようにして・・・・・・

 

 ──ふぅっ

 

「わっ!」

 

 瞬間、左耳を生ぬるい何かが通りすぎる。

 俺は思わず声をあげて、バッとそちらをを振り向く。

 鼻先の当たる寸前の所に、望愛の顔があった。

 

「えへへ、ビックリした?」

「ビックリするわ!」

「だって、全然ボクのこと見てくれないんだもーん」

 

 ちょっとわざとらしく、望愛は頬を膨らませる。こいつ、知っててやってるだろ。

 

「望愛よ、わかってやってるだろ?」

「・・・・・・?」

 

 マジか。

 

「え、あんたほんとにわかってないの?」

「なにが?」

 

 望愛は、目を丸くして、首をかしげた。

 いやいや、マジか。こいつ、本当にわかってないのか。

 

「あー、ナオがコーフンしちゃうこと?」

「・・・・・・まぁ、そんなもんだけどよ、ダイレクトに言うなし」

「いやいや、でもボクだよ? ちっちゃいし、色気無いし、コーフンするぅ?」

 

 望愛はそう言って笑う。

 いや、望愛さん。違うんですよ。さっきからあんた気付いてないかもしれないですけど、当たってるんですよ。俺の背中に。あと俺は貧乳好きだからな。

 俺は静かに、小さく、うなずいた。

 

「へ? いやいや、ウッソだぁー! だってナオ、おっきい方が好きでしょ?」

 

 望愛はより一層前に乗り出してくる。つまり背中に・・・・・・

 

「大体ボク、男の子みたいな体型でしょ? 付き合ってて言うのもなんだけど、ナオ、もうちょっと女の子らしい体型の子の方が好みでしょ? 中学の時のリリちゃんみたいな」

 

 説明しよう。リリちゃんこと大舘りんとは、中学一年の時に俺が好きだったクラスの女子のことだ(ちなみにおもいっきりフラれた)。

 

「大舘の話は止めてくれ・・・・・・黒歴史だ」

「リリちゃんスタイル良かったよねぇ、ナオはあんなのが好きなんでしょ?」

 

 更に望愛が身を乗り出す。そろそろ限界が・・・・・・

 

「嫌味か! 嫌味なのか!」

「べっつにぃー? そんなつもり無いですよーだ」

 

 ふてぶてしく望愛はそう言い放つと、いきなり立ち上がる。やっぱり嫌味なんじゃないか!

 まぁなにはもとあれ、なんとか解放された。助かっ──

 

「えい!」

 

 突如、左手が引っ張られたかと思うと、柔らかい感触が手全体走った。まさか・・・・・・!?

 俺は恐る恐る左を振り返る。そこには、

 

「あっ・・・・・・」

 

 俺の頭は、オーバーヒートを起こした。



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第三十五話 幸せな時間は、すぐに過ぎ行くものだ

 ──トントントントン

 

 包丁がまな板を叩く音が響く。

 俺は今、キッチンで夕飯を作っている。

 風呂から上がり、しばらく経った。だが、左手に走ったあの感触が未だに取れない。

 

「もしかして、怒ってる?」

 

 望愛が後ろから顔を覗き込む。

 

「怒ってると思うか?」

 

 俺は望愛を見ずに、そう答える。

 包帯の上から滑り止めのついた手袋をはめて包丁を持っている。いつもと違うから手元が狂いそうで怖い。

 

「じゃあ、なんでこっち見てくれないの?」

「指切りそうで怖いんだよ。いつもと違うから」

 

 そう言うと望愛は「なるほど」と呟いて、ちょっと後ろに下がる。

 

 ──良し、サラダはこんなもんだな。

 

 本当はサラダは後からの方が良いのだろうが、この手でどこまで出来るか、一度試してみたかったのだからしょうがない。

 俺は冷蔵庫から鶏肉を取り出す。弁当で全部使ってしまってたから、昨日の内に望愛に買っておいて貰った。

 ・・・・・・そういえば、

 

「望愛ー」

「どしたの?」

 

 すぐ後ろから声が聞こえる。ぴったりついてきているようだ。まるでカルガモの雛だな。

 

「俺が居ない間、飯どうしてたんだ?」

 

 そう聞くと、望愛は「えっとねぇ」と少し考えた後、こう答えた。

 

「最初の三日間はロバートさんが作ってくれたの。その後すぐどっか行っちゃって、後はノリ兄に作って貰ってた」

「なぬ!?」

 

 そうか、あの男は胃袋つかむ系だったか。油断した。

 イギリスだから、フィッシュ&チップスか、それともスコッチエッグか? 何はともあれ、してやられた・・・・・・。

 

「でも、」

「でも?」

 

「やっぱりナオのご飯が一番美味しいかなぁー。ロバートさんのも美味しかったんだけどね」

 

 良し、勝った! 料理上手の血を引き継いでいて良かった。まだまだ負ける訳にゃいかんぜよ。

 

「どしたの? ちょっとゴキゲン?」

「いやぁ? そんなこともないぞぉー?」

 

 そう言いながら俺はタレを作り、鶏肉をそれに馴染ませる。唐揚げはこれが大切だ。

 馴染ませたら後は油を加熱して、衣をつけて・・・・・・

 

「「ふぁいぁー!!」」

 

 ジュー! と、揚げ物特有の良い音が鳴る。

 

「んー、良い音だぁ・・・・・・」

「だねぇ・・・・・・」

 

 唐揚げのポイントは二度揚げだ。一度揚がったら少し休ませてもう一度ダイブ! あのロバートには出来ない芸当だろう?

 

 

 さて、唐揚げも無事に揚がった。米も炊けた。サラダもオーケー。後は配膳して、

 

「「いっただっきまーす!!」」

 

 望愛は自分の皿にどんどん唐揚げを取り分けていく。

 

「マヨつけるかどうか、迷うよねぇ」

「どうした望愛、だじゃれか?」

「ちがわい!」

 

 可愛い。

 望愛は取り分けた唐揚げを頬張る。

 口に入れた瞬間、目がキラキラと輝き、良い笑顔になった。

 

「おいひー!」

 

 そう言って、どんどん米も唐揚げも口に入れていく望愛。この分だと、もう少し作っても良かったかもしれないな。

 バクバクと食べる望愛を、俺は少し幸せな気分で見つめる。望愛のこんな顔を見られるのは、きっと俺の特権だ。

 

 結局俺は、ほとんど望愛の食事シーンを見つめるだけに終わった。

 

 

 その後は、テレビにゲームを接続して対戦してみたり、一緒にお笑い番組を観てゲラゲラ笑いあったり、かなり夜遅くまで起きていた。

 幸せな時間は、過ぎるのが早いものだ。

 

 お互いが眠たくなってきた。それぞれの寝室に入り、俺達はベッドに横になる。壁一枚挟んだ向こうに、望愛のベッドがあるから、音で様子が大体察せられる。

 

 ベッドに寝転び、今日のこと、今までのこと、これからの事を考える。来年のことを言えば鬼が笑うらしいが、それなら俺はコメディアンだ。

 段々目蓋が重くなってくる。あくびも出る。そろそろ寝ようか。そう考えていたとき、横の部屋で音がした。

 望愛がベッドから出た音だろう。足音も聞こえる。

 扉が開く音が聞こえ、足音はこちらの部屋に向かってくる。

 ガチャり、扉が開く。望愛だ。

 俺は気付かないふりをして、背を向けて狸寝入りする。

 すると望愛は、扉を閉め、俺のベッドに入ってきた。添い寝と言う奴だ。

 背中合わせ、ではないな。微かだが、背中に息が吹きかかる。思春期男子には、辛い展開だ。

 

「ナオ、起きてる?」

 

 ふと、望愛が聞いてきた。ばれていたらしい。

 

「おう」

 

 俺は答える。望愛は、静かに続けた。

 

「ボク、もう長くないんだ」



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第三十六話 聖女サマの告解

 ──ボク、もう長くないんだ

 

 

 鼓動が早まるのがわかった。

 体がこわばるのがわかった。

 血の気が引いていくのがわかった。

 

 俺はただ、目の前の壁を見つめていた。まるで、今の俺の頭の中のような色をしている。

 血の気が引き、体温が下がる。望愛と密着している背中だけが、暖かかった。

 

「ナオ、足冷たいね」

 

 望愛が足を絡めてくる。互いの爪先が触れ合う。

 俺の足が冷たいからか、望愛が眠たいからか、彼女の足は、驚くほど暖かい。

 

「俺が冷たいんじゃない。望愛が眠たいだけじゃないのか?」

 

 動揺を見せないように、俺はそう返す。気丈に振る舞っているつもりだが、上手く出来ているだろうか?

 

「・・・・・・いきなりベッドに入って、こんなこと言われて、驚かせちゃった?」

 

 望愛がそう聞く。心なしか、声は震えていた。

 そうだ、本当に取り乱したいのは、望愛なんだ。

 触れ合う背中と足からも、わずかな震えを感じた。

 

 俺は彼氏だ。たとえ、望愛がどんな状態に置かれていても、受け入れなくちゃならない。それが、こいつの彼氏としての義務だ。

 

 俺を殺さない、殺させないと言ってくれた、世界で一番可愛い女の子。俺は、どんな事実も、告白も、受け入れる。

 修羅場なら、地獄なら、絶望なら、とっくの昔に経験済みだ。

 

 俺は深呼吸して、鼓動を無理やり落ち着かせる。そして、静かにこう言った。

 

「・・・・・・今日は、ちょっと寒いな。もうちょっと、くっついても良いか?」

 

 俺は振り返らない。顔を見たら、きっと俺は冷静さを欠いてしまう。

 

 一瞬、沈黙が流れる。

 望愛は、なにも言わずに俺の体に手を回した。

 体が一層密着する。

 息遣いが、耳元で聞こえる。やはり、震えている。

 

 背中から望愛の心音が伝わる。少し早いだろうか。それでも、徐々に徐々に、ゆっくりとしたテンポを刻んでいく。

 

「ナオ、ひんやりしてるね」

「寝苦しい夏には丁度良いだろ?」

「うん。気持ちいいよ」

 

 静かに、そんな軽口も叩いてみる。互いの動揺を、紛らわすために。

 

「高校生になった日、覚えてる?」

 

 しばらくして、望愛が口を開いた。もう、震えは収まっている。落ち着いた、静かな声だ。

 

「もちろん。俺が告白して、望愛がそれを受け入れてくれた。そんな日だからな」

 

 忘れるわけ無いだろ? と、俺は付け足した。

 望愛は、フフッと、少し笑うと、続けた。

 

「中学校を卒業する頃だったかな? ちょっとずつ、頭痛が酷くなってきたんだ。元々偏頭痛(へんずつう)持ちだったから、最初はそこまで気にしてなかった」

 

 望愛が俺の服をギュッとつかむ。

 

「本格的に酷くなったのは、高校生になってから。あまりにも痛いもんだから、機関の主治医の先生に聞いたんだ。そしたら・・・・・・」

 

 望愛は呼吸を整える。鼓動が少し早まっている。

 二、三度深呼吸して、望愛は続けた。

 

「あと十年、生きるのは難しいって言われちゃった。それがナオと付き合って丁度半年あたりのことなんだ。・・・・・・五年、生きてればいい方なんだって」

 

 望愛の声が震える。呼吸が少し乱れる。

 それでも望愛は、平静を装って、続ける。

 

「これが、ボクが約束してた、ナオに話したいこと。ボクの、隠し事だよ」

 

 また、沈黙が流れる。震える息遣いが、すぐそこで聞こえる。

 

 五年後。俺達は二十二歳だ。

 短い。あまりにも、短すぎる。望愛が一体、何をしたというのか。

 こんなに優しくて、健気で、自分を犠牲にしてまで他人のために尽くす望愛が、どうしてこんなに早く死ななくてはいけないのか。

 カミサマと言う奴は、天と言う奴は、世界と言う奴は、本当に性格が悪い。意地が悪い。

 綺麗な花は側に置きたい? そんな身勝手で、望愛は死ななくてはならないのか。だとしたら俺は、そんな神を、天を、世界を、許すわけにはいかない。

 

「ボク、やっぱり生きてちゃいけないのかな?」

 

 ふと、耳元で望愛の声が聞こえた。今にも泣き出しそうな、震え声。俺の服をつかむ望愛の手に、力が入る。

 

「いっぱいいっぱい、やりたいこととか、行きたい場所とか、食べたいものとかあるんだよ? でも、ボクには出来ないんだ。たとえヒーローを引退しても、ボクには自由がない。ボクに与えられるのは、形だけの家庭と、歳の離れた好きでもない夫と、ヒーローになる呪いをかけられた子ども・・・・・・ボクは、生まれてきたこと自体が間違いだったのかな?」

 

 震える声には、やがて嗚咽が混じる。

 体が震える。声が震える。俺の体に回した腕に力が入る。

 望愛は、俺の背に顔をうずめた。

 温かな湿り気が、服越しに伝わる。

 望愛は、ついに声を荒げた。

 

「こんな思いするくらいなら、ボクなんて生まれてこなかったら良かったんだ!!」

 

 背中越しに、嗚咽混じりの泣き声が聞こえる。

 背中に顔をうずめ、望愛は自分を呪った。生まれてこなければとさえ、言った。

 

 

 

 ──俺には、それを否定する義務がある。

 

 

 

「望愛、来年も、海に行こう」

 

 俺はそう言って体を動かし、望愛と向かい合う。

 いきなりのことで困惑する望愛をよそに、俺は続けた。

 

「去年のハロウィン、覚えてるか? 久々に施設に顔を出して、ヤスに借りた服でお菓子配った。確か望愛は、魔女の衣装だった。真っ黒なローブに、とんがり帽子。良く似合ってた。施設の奴らも、絶賛してたよな。逆に俺のドラキュラの衣装は、威厳がないだの、服に着られてるだの散々だった。今年もまた、ヤスに借りてリベンジしたい。付き合ってくれるか?」

 

 俺は望愛の背に手を回す。

 

「クリスマス。施設にいた頃はほんとにサンタが来てくれるんだってウキウキしてたよな。小六の時だったか? まだ正体に気付いてなかったお前は、こっそり俺に『サンタさんが来る瞬間を見よ?』って誘ってきたよな。俺もノリノリで参加して、でも結局俺達は眠気に勝てずに、寝ちゃったよな。今年は、起きてられるかな?」

 

 望愛は目に涙をためて、じっと俺を見つめる。

 

「今年の正月は、一緒に初日の出を見に行ったよな。ビルの影になって見えないんじゃないかって心配してたけど、ちゃんと見えてホッとした。テンションが上がったお前は、スマホでバシバシ連写して、後から画像フォルダを圧迫して消すのに苦労しただろ? その後は、二人で初詣に行って、神社にお祈りしてから、甘酒を飲んだ。まさかお前があれで酔っぱらうとは思ってなかったから、びっくりした。おぶって帰るとき、何て言ってたか覚えてるか? 『これからもずっと一緒にいよ?』って言ってたんだぞ? ・・・・・・人間って、酔っぱらったら本音が出るんだってな」

 

 望愛はボロボロと大粒の涙をこぼす。

 俺は一呼吸おいて、こう言った。

 

 

 

「望愛。生まれてきてくれて、俺の横にいてくれて、ありがとう」

 

 

 

 望愛は、俺の胸に顔をうずめた。じんわりと、温かな湿り気が広がっていく。

 望愛は、声を押し殺して、嗚咽した。

 

 そんな望愛の背中を、俺は夜通しさすった。

 望愛がやっと落ち着いた頃には、もう空は白み始めていた。

 

 

 

 その間も望愛の心臓は、絶えず鼓動し続けていた。力強く、優しく。



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第三十七話 終わりは静かに急速に

 気付いたらボクは、ナオの胸の中で眠っていた。

 ナオの匂いが、鼻を突く。心が落ち着く。

 昨日の夜は、随分泣いてしまった。泣かないつもりで、ちゃんと心の準備をしていたはずだったんだけど・・・・・・。

 

 ふと気付く。ボクの腕は、ナオのを抱き締めるように、彼の背中に回っている。そしてナオの腕は──

 

「──!!」

 

 まってまってまってまって!?!? これって、エッチなことをした後みたいになってない!? 

 ボク達って昨日、そんなことしてないよね!?

 全身がカーッと熱くなる。心臓がドキドキする。

 ボクはすぐに手を引っ込めた。

 

 ・・・・・・待って。ボク、ひょっとしなくても、ナオの足に自分の足絡めてる・・・・・・?

 

 気付いてしまったらもう止まらない。体温がどんどん上がっていく。心臓が破裂しそうなほどドクドクと脈打つ。

 

 まだまだ暑さの残る夏終盤。しっとりと汗が肌を濡らす。ただでさえそうなのに、こんな状況だから、今のボクは汗ダラダラだ。ヤバイヤバイヤバイ・・・・・・

 目の前にはナオの胸がある。目のやり場に困る。一刻も早くこの状況から脱出しないと、ボクの心臓が持たない!

 まずは足を抜いて、それから顔も離して、距離をとっ・・・・・・ってムリ! ナオが手回してるからムリ!!

 

 背中をツーっと汗が流れていく。

 

 マズイマズイマズイ、どうしたらどうしたらどうしたら──あっ、

 

 考えている最中、ふと目に入ってしまった。眠るナオの顔が。ボクの頭の、少し上に。

 規則的な寝息をたて、目蓋を閉じた無防備な寝顔。・・・・・・ボクには到底、耐えられなかった。

 

 心臓がさらにドクドクバクバク脈を打つ。

 今、ボクの目線の先には、ナオの顔がある。ちょっと伸びをすれば、唇くらいなら届くかもしれない。

 ナオは今、眠っている。ボクが眠ってしまう寸前まで背中をさすってくれていたから、多分今頃はぐっすり夢の中だろう。完全に無防備だ。

 

 今なら、今なら行ける──ってダメダメ! 寝込みを襲うなんて絶対ダメ! でもこんなチャンスもう一回あるかないか・・・・・・あぁー!! ボクはどうすれば!!

 

 大好きな人の胸の中で、大好きな人の匂いに包まれ、大好きな人の寝顔を見てボクは悶々として下を向く。

 そんなときだった。ナオが少しみじろいだ。そして・・・・・・

 

 

 ──ちゅっ

 

 

「!?!?!?!?」

 

 なにか暖かい、柔らかいものがボクのおでこに当たった。これは、もしや・・・・・・!?

 ボクは恐る恐る上目遣いで確認する。

 そこにはやっぱり、ナオの顔があった。つまり、これは──

 

「────!!!!!!!!!」

 

 ボクも案外、ナオのこと言えないのかもしれない。

 

 

 

「ん、望愛。もう起きてたのか。おはよー」

「・・・・・・・・・・・・うん。おはよ」

 

 数十分後、ようやくナオが目を覚ました。一瞬のような、永遠のような、ボクの幸福な禁固刑が、幕を閉じたのである。

 ボクは、ナオと掛け布団の狭間で小さく縮こまっている。

 

「望愛、大丈夫か?」

 

 何を勘違いしたか、ナオが心配してそう聞く。昨日あんな話をしたからかもしれない。

 ちゃんと意識してくれているのが嬉しかったりするけど、でも、ちょっと今のボクには耐えられない。

 

「だ、大丈夫っ! それより、手・・・・・・」

「手?」

 

 ナオはそう聞き返し、自分の手を見て、赤面した。

 

「すっ、すまん!」

 

 ナオはサッと手をのけて、勢い良くボクから距離を取る。でも、

 

 

 ──ガンッ!

 

 

「いってぇ!」

 

 後ろの壁におもいっきり頭をぶつけ、悶絶する。

 そんなてんてこ舞いな、朝が来た。終わりが始まる、朝が来た。



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第三十八話 洲本

 後頭部が未だに少し痛む。

 俺達は朝食を食べ終わり、一息ついていた。

 テレビでは朝のワイドショーが流れている。どうやらこの前の市街地での怪物との戦闘は、過激派組織によるテロ行為だと報道されているようだ。

 崩れた瓦礫の撤去や、行方不明者の捜索は未だに続いているらしく、VTRにはそんな作業に従事するボランティアや自衛隊員の姿が映し出されていた。

 

「テロねぇ・・・・・・」

 

 俺はため息をつく。これに便乗して、国内から不穏分子を消し去りたいのだろうか。

 ワイドショーでは、この事件に対しての記者会見の様子も映された。

 

 中央の座席には面長で鋭い目をした総理大臣の香住誠四郎(かすみせいしろう)が腰掛け、記者の質問に答える。

 その左右にはタヌキの置物みたいな顔と体型をした副総理の宝塚惟弼(たからづかこれすけ)と、サル顔で禿げ上がった頭の官房長官岩屋次郎(いわやじろう)が控えている。

 

「みんな、どっかでみたことあるような顔だよねぇ」

 

 望愛がちょっと首をかしげて、そう言う。いわれてみれば確かに、どこかでみたことあるような、無いような・・・・・・。

 

 そう思いながら、ボーッとテレビを見ていたときだった。

 

 

 ──プルルルルル、プルルルルル

 

 

 俺のスマホが鳴った。こんな朝から電話を掛けてくるなんて、絶対ロクな話じゃない。

 

「誰だ? こんな朝っぱらから・・・・・・」

 

 そうぼやきながらスマホを取り出し、画面を確認して・・・・・・俺は少し驚いた。

 相手は、洲本のおっちゃんだった。

 

「もしもし」

 

 俺は電話に出て、そう声をかけた。

 

『ナオか』

 

 電話の向こうの洲本のおっちゃんは、落ち着いた低い声で短くそう言う。

 

「うん。どしたの?」

『良かった。横に望愛は居るか?』

「?」

 

 なぜそんな質問をするのだろう? 取り合えず俺は「居るけど、それが?」と返した。

 すると洲本のおっちゃんは、『そうか』と言って、続けた。

 

『ナオ、お前に話がある。今から一人で駅前に出てこれるか?』

 

 一人で、か。

 

 もしかしたら洲本のおっちゃん、ひいては機関そのものが、俺が望愛の秘密を知ったことに気付いたのかもしれない。

 あるいは、望愛にそう指示したか・・・・・・。

 

 俺は場所を少し移動して、リビングの望愛に聞こえない所で、声で、こう返した。

 

「ちょうど良かった。俺も洲本のおっちゃんと話がしたかったんだ。昼までには帰れるか? 昼飯の都合があるんだ」

『・・・・・・わかった。手早く済まそう。それじゃあまた、駅前で』

「おう」

 

 俺は電話を切り、ポッケに突っ込む。

 遠くの空に、入道雲がかかっていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 暑さの残る八月末。俺は十五分ほど掛けて、駅にたどり着く。

 その男は、既にそこに居た。

 大柄でがっしりとした体型。流石は柔道元国体出場選手と言ったところだろうか。

 連日三十度を超す気温の記録するこの炎天下のなかでも、彼・・・・・・洲本のおっちゃんは汗一つ垂らさず、背広に黒いサングラスと革靴でそこに立っていた。

 

「よう、ナオ。具合は良さそうか?」

 

 洲本のおっちゃんは、俺を見つけるなりそう声をかけた。目線はやはり、右腕に向いている。

 

「お陰さまでピンピンしてるよ」

 

 俺は右腕を持ち上げ、目線の辺りに持ってきて力強くグーパーして見せた。

 

「今は痛みもそんなに無い。いたって健康だ」

「そりゃ良かった。・・・・・・それじゃ、行こうか」

 

 洲本のおっちゃんの後ろには、黒いバンが停まっていた。

 

 

 

 駅から車で十分程度走る。

 洲本のおっちゃんの家は、小さな一軒家だった。

 

「そこに座っててくれ。今、紅茶でも淹れよう」

 

 そう言われて俺はリビングに通された。

 四人掛けの小さなテーブルとイス。そして未だに動いているのが不思議に思えるブラウン管のテレビだけの、小さな寂しいリビングだ。

 

「・・・・・・ん?」

 

 俺はふと、テレビ台に置かれている二つの写真立てが目に入った。

 俺はイスから立ち上がり、それに近づいた。

 

 一枚目は、タキシード姿の若い青年と、ウエディングドレスを着た、お腹の大きな若い女性が並んではにかんでいた。おっちゃんと奥さんだろう。奥さんは、妊娠しているのかもしれない。

 

 そして二枚目は、エコー写真だった。黒と白とグレーの世界に、はっきりと双子の姿が写っていた。おっちゃんの、子供達だろうか。

 

「あぁ、見つけてしまったか」

 

 写真を見ていると、後ろから洲本のおっちゃんの声が聞こえた。

 お盆の上に二つのティーカップを乗せたおっちゃんは、それをテーブルに置くと、俺に並んで、頼んでもないのに説明を始めた。

 

「こっちは俺が結婚したときの写真だな。俺の奥さん、美人だろ?」

 

 おっちゃんは一枚目の写真を指差し、嬉しそうに、優しそうに笑う。

 

「昔は良く美女と野獣なんて呼ばれたりしてたよ。でもな、俺より奥さんの方が強かったんだぞ?」

「え?」

 

 思わず声が出てしまった。写真に写るその女性は、お腹こそ大きいが、腕や顔はかなり華奢(きゃしゃ)だ。到底おっちゃんより強いとは思えない。

 

「それでこっちは、俺と奥さんの子供達。双子だったから、親戚の年寄り連中からは難しい顔をされたんだけどな。でも見てみろ、可愛いだろ?」

「いやエコーだから良くみえねぇよ」

「それもそうか」

 

 二枚目を指差したおっちゃんは、そう言って大笑いする。こんなに優しそうなおっちゃんは、初めて見た。

 

 そう言えばふと、気になったことがある。

 玄関に、靴は幾つあった?

 そもそも何故産まれてきた子供の写真じゃなく、エコーを置いている?

 奥さんや子供達は今、おっちゃんを置いてどこへ行った?

 おっちゃんの左薬指には、指輪が一つ。

 それならきっと、答えは一つ。

 

「なぁ、おっちゃん・・・・・・」

「・・・・・・気付いたか。そう、みんなとっくに居ないんだよ」

 

 おっちゃんは静かに立ち上がり、イスに腰掛ける。

 

「あのエコーを撮った、三日後だったかな。奥さんは、お腹の子供達と一緒に、死んでしまった」

 

 おっちゃんは紅茶に一口、口をつける。

 俺も、おっちゃんに向かい合うようにイスに腰掛けた。

 

「怪物の襲撃に遭ってな。騒動の次の日、瓦礫の下から見つかった。まるで眠っているようだったよ」

 

 おっちゃんは紅茶に映る自分を見つめる。

 

「親戚連中からはやっぱり双子だったから、なんて言われたよ。それも、葬式でな。・・・・・・っと、こんな話してもしょうがねぇな。すまん」

 

 おっちゃんは顔を上げ、少し寂しそうに笑った。

 双子は昔、忌み子として嫌われていたのだと言う。もう随分昔の事だと思っていた。

 

「さて、それじゃ本題に入ろうか」

 

 おっちゃんは居ずまいを正すと、そう言った。



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第三十九話 その話

 おっちゃんは居ずまいを正し、俺をまっすぐ見つめる。自然と俺の背筋も伸びる。

 

「・・・・・・望愛から話は聞いたか?」

 

 おっちゃんは静かにそう言う。俺はこくりとうなずいた。

 

「やっぱり、あんたが望愛に指示してたのか」

「いや、違う」

 

 俺の言葉を、おっちゃんは真っ向から否定する。

 

「今から少し前。望愛から、ナオにその事を話したいと言われた。『ナオはボクに秘密を打ち明けてくれた。ボクも、もう隠し事はできない』からだそうだ」

 

 おっちゃんは紅茶に口をつける。

 そうか、あれは望愛自身の決断だったのか・・・・・・。

 

「それじゃあ、話を戻そう。お前も知っての通り、望愛には時間が無い」

 

 時間が無い。その言葉が、改めて俺に、切迫した現実を認識させる。

 俺には到底、どうすることも出来ないその現実を。

 

「来年の望愛の誕生日を以て、あいつはイギリスのヒーロー、『ロバート・ブルース』こと、ロバート・オオサワ氏との結婚が成立する」

 

 ロバートの本名はオオサワと言うのか。日系の先祖が居るのだろうか?

 

「望愛とオオサワ氏との結婚に向け、二人には来月・・・・・・と言っても来週になるんだが、初顔合わせの(てい)で食事会をして貰う。場所は東京。その席にはイギリスの首相や英雄省の大臣が向こうからわざわざ出向いてくる。無論、総理も出席する予定だ。どうだ、ナオも──」

「行く。当たり前だろ?」

 

 俺はおっちゃんの言葉を遮るように返事をした。行かない理由なんて、何処にもない。

 

「そう言うと思っていた」

 

 おっちゃんは、少し苦笑いしてそう言った。

 

「んで? まさか話はこれで終わりじゃないだろ?」

 

 俺は、紅茶のカップに口をつけ、苦笑いするおっちゃんに問う。たったこれだけの話なら、わざわざ呼び出すことはないだろう。

 俺の問いに、やはりおっちゃんはうなずいた。

 

「もちろんだ。むしろここからが本題だな。ナオ、ガイア理論って知ってるか?」

「ガイア理論?」

 

 あまりにも突然な事に、俺は思わず聞き返した。おっちゃんは、こくりとうなずき、説明を始めた。

 

「この世界を、一つの意思を持った生命と捉える考え方だ。我々生物は世界、あるいは地球と言う巨大な生命の体に暮らしている」

「つまり俺達は地球にとって寄生虫とか大腸菌みたいな存在ってことか?」

 

 人体には数多の生物が暮らしている。それと同じようなものだろうか。

 

「そう。俺達はそんな小さな存在だ。だが、細菌やウィルスみたいに、体内にすんでいてもその宿主に悪さをする奴らだって居る訳だ。そうなったら宿主はどうする?」

 

 おっちゃんはそう、分かりきったことを聞く。

 

 どうするってそりゃ・・・・・・

 

「免疫細胞とかを出して倒すんだろ?」

 

 そう口に出したとき、ハッとした。

 ガイア理論は、この地球を生き物だと捉えた考え方。

 生物には恒常性と言う物が存在する。常に同じ状態を維持したがる性質だ。

 そして体内の環境が崩れそうになったとき、原因を追求し、せん滅し、なんとしてでもその恒常性を保とうとする。

 もし、人類が地球にとってその恒常性を乱す存在と認識されているとしたら?

 何万年もの間環境を破壊して成り立ってきたこの文明を、病気を判断したのだとしたら?

 

「この世界が、怪物を産み出し、人類を滅ぼそうとしている・・・・・・?」

 

 俺の言葉に、おっちゃんは少しにやりとした。

 

「怪物達は、世界にとっての免疫細胞だ。俺達病原体(人類)をせん滅する、世界の先兵だ」

 

 だとしたら望愛や他のヒーロー達は、この世界と戦争をしていると言うことになる。

 

「えらくスケールのでかい話になってきたな・・・・・・本気か?」

「どう思う?」

「さぁな」

 

 俺は苦笑し、紅茶を喉に流し込む。

 おっちゃんは、静かに語り始めた。

 

「望愛の命が短いのは、それが原因かも知れないな」

「は?」

 

 おっちゃんは、俺に構わず話を続けた。

 

「ホメオスタシス。恒常性と呼ばれる、世界の示した規範が、望愛や他の短命だった傑物達や、世界を大きく変えうる存在を早い内に死に追いやり、変化を防いだのかも知れない。・・・・・・それはモーツァルトや滝廉太郎のような音楽家であるかもしれないし、或いはナポレオン・ボナパルトの息子、ナポレオン二世やイングランドのエドワード黒太子のような軍人であるかもしれない。そして織田信長の子信忠や・・・・・・救国の聖女ジャンヌ・ダルクかもしれない」

「まて」

 

 俺は思わず語調を強めてそう言い、続けた。

 

「他のはよく知らんが、ジャンヌ・ダルクは他殺だぞ? それすらも世界の意思だって言いたいのか?」

 

 おっちゃんは、うつむき加減でこう言った。

 

「俺はずっと、そう思って生きてきた。妻と子を失って二十年ずっと、そう信じて生きてきたんだ」

 

 おっちゃんが顔を上げる。俺をまっすぐ見つめる。狂気をはらんだその虚ろな目で、俺をじっと見据えた。

 

「産まれてくることすら出来なかった俺の子達が、世界に影響を与えうる存在だったから死んだと、信じてきた。全ての事象は無意識の内に、自覚無く世界の意思に従うように起きていると、信じてきた。そうじゃなけりゃ俺は、耐えられない。妻や子を目の前で死なせてしまった、ヒーロー失格の俺は、自分を保って居られないんだ・・・・・・」

「おっちゃんも、ヒーローだったのか」

「ああそうだ。俺はヒーローだった。コードネームは『ベルトラン・デュ・ゲクラン』。甲冑を着た、豚だよ。俺は、お前が羨ましい。尊敬すらしている。だがこれだけは忘れるなよ。俺は怪物を、世界を、許さない」

 

 熱に浮かされたように、悪魔に取りつかれたように、その男はそう言った。



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第四十話 お昼ご飯は焼きそばに

 小一時間後、俺は洲本のおっちゃんから、望愛と避難したあのビルに置いてきた荷物を受け取り、家をあとにした。

 

 ガイア理論。おっちゃんの言葉が正しいのなら、俺達人類は世界の意思によって滅ぼされることになる。

 人類が滅びようがどうしようが、正直俺にはどうでも良い。ただ、望愛さえ生きてくれれば・・・・・・。

 だが、望愛は死の運命にある。認めたくはないが、そうなのだ。

 

 

 俺が家をあとにするとき、おっちゃんは俺にこう告げた。

 

 ──俺は人類を守る。俺の大切な人が生きたこの文明を、守り抜く。何としてでも。それが、この世界への、復讐だ。

 

 俺は切れそうになっている牛乳と中濃ソースをスーパーで買い足し、家路につく。

 

 俺は、おっちゃんが羨ましかった。

 おっちゃんのように復讐の鬼になれれば、どれだけ気が楽だろうか。

 世界という強大な敵を定めて生きることは、どれほど単純で、明確で、生きやすいだろうか。

 俺も正直な所、そちら側になりたいとすら思ってしまった。でも、俺にはそうはなれない。

 

 俺は家の玄関前に立ち尽くす。

 

 俺が復讐の鬼になったら、狂気に取りつかれたら、きっと望愛は悲しむだろう。怒るだろう。

 その原因が自分にあると知れたら、それこそ望愛の逆鱗に触れることになる。

 怒った望愛の平手打ちは、とんでもなく痛いのだ。そして怒った望愛は、三日間は口をきいてくれない。

 たとえ彼女の死後でも、望愛は化けて出てきそうだ。サバサバしてそうで、案外望愛は執念深い。

 ・・・・・・五年も前に望愛のプリンをこっそり食べたことをつい最近掘り返されたのには驚いたが。

 

「望愛、怖いからなぁ」

 

 俺は一人、そう呟く。

 俺は玄関扉を開けた。

 

「おかえりー!」

 

 直後、凄まじい速さで望愛がリビングから飛び出し、俺に抱きついてきた。

 

「ぐおぁっ!!」

 

 俺はそれを何とか受け止める。望愛は、はじけんばかりのニッコニコな笑顔で、再びこう言った。

 

「おかえり!!」

 

 洲本のおっちゃん。俺は、あんたのようにはなれないみたいだ。

 

「おう、ただいま。お腹空いたろ? 今作るから待っててくれよー」

 

 俺はそう言って受け止めていた望愛を下ろし、靴を脱ぐ。

 

「お昼は何にするのー?」

 

 俺の後ろを望愛がとことことついてくる。

 俺はおっちゃんから返して貰ったリュックの中からソースを取り出し、こう言った。

 

「焼きそばでどうだ?」

 

 確か冷蔵庫にはまだ、中華麺が残っていたはずだ。

 

 

 俺は、愛する人のために、人類を滅ぼす。

 愛する人に、せめて安らかな眠りと最期の時を捧げるために。

 彼女の最期を、見送るために。

 

 

 腹をすかせた望愛が、食卓で今か今かと待っている。

 俺も大概、狂っているのだろう。



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第四十一話 前夜

 時間はあっという間に過ぎるものだ。

 気付けば八月はもう明日で九月に切り替わり、夏休みが終わる。

 そして俺達は明日、東京に向かう。

 荷物の整理は昨日の夜に終わらせてあるし、足りないものは朝の内に買い足した。あとは明日になるだけ。なるだけなのだが・・・・・・

 

「なーんか、落ち着かないねぇ」

 

 望愛が食卓に肘をついて、はぁとため息を一つ。ソワソワするのも無理はないだろう。実際俺も、

 

「だなぁ」

 

 そう返事をしながら、特に今やるべきでもない掃除なんかの家事をやっている。

 

「明日、朝イチで兄貴が迎えに来るんだっけ?」

 

 俺は落ち着かないついでにふと、そう確認をとる。

 

「うん。御付きの人を引き連れてやって来るみたい。それで東京に行って、色々打合せして、明後日に食事会って感じだね」

 

 望愛はよほど落ち着かないのか、テーブルの下で足をバタバタさせながら、顎をついてそう言った。

 

「あの痛車で来るのか? 御付きの黒服を何人も引き連れて」

 

 俺がそう冗談半分で言うと、望愛もちょっと笑ってこう返した。

 

「もしそうだったら面白いよねぇ。目立ちすぎて暗殺されちゃうかもよ?」

「おーこわ」

 

 そう言い合って、俺達は目を合わせて、笑い合った。不思議と気持ちが楽になった気がする。

 

 俺はふと、時計を見上げる。時刻は五時半。

 ・・・・・・あ、落ち着かない落ち着かないと言ってたら、夕飯の材料を買いに行くのを忘れてた。

 まぁ、丁度良いか。少し寄りたい所もあったし。

 

「なぁ望愛、今から買い物行くけど、一緒に来るか?」

 

 俺がそう言い終わる前に、望愛はサッと立ち上がり、出掛ける準備に取り掛かっていた。

 

「あ、ライターって家にあったっけ?」

 

 俺も出掛ける準備をしながら、振り返らずに後ろの望愛にそう聞く。今振り返るのは、あんまりよろしくないだろう。

 

「ライター? ちょっと待ってね、着替え終わったら見てくるからー。でも何に使うの?」

「ちょっと寄りたい所があるんだ。望愛も来るか?」

「もちろん!」

 

 そう言って俺達は準備をし、夕日が沈む町に繰り出していった。

 

 

 

 俺達が買い物を終え、スーパーから出る頃には、夕日は随分と落ちていた。

 

「これぐらいの時間って、なんかテンション上がるよな」

「わかるー! ウキウキするよね!」

 

 俺達はそう言いながら、エコバッグと仏花をそれぞれ持って、ある場所へと向かっていた。

 

「お、見えた見えた。最近来れてなかったけど、だいぶ綺麗だな」

 

 俺と望愛は少し長い階段を登り、そこにたどり着いた。

 

 そこは、墓地だった。

 

「すっかりタイミング失って、こんな時間になっちゃったな」

「もっとお昼間に来たら良かったのに・・・・・・」

「ごもっともです・・・・・・んじゃ、ぱっぱとやっちゃうか」

 

 俺はそう言って墓地に置いてあるバケツに水を満たし柄杓(ひしゃく)を持って、俺の家の墓に向かった。

 

 『城崎家』と記されたそこそこ目新しいその墓は、中々手入れに来られていないわりに綺麗だった。誰か親戚が来たのだろうか?

 

 敷石のところに雑草はほとんど生えていないし、墓石もほとんど汚れていない。

 花も数日ほど前に誰かが挿してくれたようで、まだまだ枯れていなかった。

 俺達は二人で、そんな小綺麗な墓の掃除をした。

 

 墓石の裏には、白く上から塗られた城崎亮太(きのさきりょうた)優子(ゆうこ)の文字が記されている。俺の両親の名だ。

 この墓の下には、名も知らない遠い先祖と、祖父母、両親。そして俺の兄・直久(なおひさ)と、妹の鈴音(すずね)が眠っている。

 

「父さん、母さん。みんな・・・・・・」

 

 最早顔もおぼろげな両親と兄妹。でも確かに俺は、この四人に愛されていた。それだけは強く覚えている。

 

 夕闇が濃くなる。俺達は線香にライターで火をつけ、線香立てに挿した。

 

「父さん、母さん、兄さん、鈴音。久しぶり。今年は色々忙しくってさ、来るの遅くなっちゃったよ」

 

 俺は墓前でしゃがみこみ、両手を合わせる。隣の望愛も、なにも言わずにそれに(なら)う。

 

「明日、望愛と一緒に二人で東京に行ってくる。正直ちょっと不安だ」

 

 自然と言葉が浮かんでくる。墓前パワーとでも言うのだろうか。心の声が、そのまま外に出る。

 

「俺さ、やっぱり望愛の事が好きなんだわ。うん。大好きだ。今すぐにでも結婚したい」

 

 隣の望愛がびっくりしたようにこっちを振り返る。俺はそれを横目に、語り続ける。

 俺は望愛に言っているわけじゃない。そう、心で言い訳をしながら。

 

「望愛を誰にも渡したくない。ずっと一緒にいたい。・・・・・・わがまま、かな?」

 

 するすると言葉が出てくる。

 

「父さんと母さんも、そう思って結婚したのかな? 兄さんは確か、彼女さんがいたんだっけ? 鈴音は・・・・・・まだ早いか。うん。だからさ、僕は、望愛とずっと一緒にいたい。一緒の墓に入りたい。一緒に生きて、死んだ後も一緒にいたいんだ」

 

 自分でも気付かぬ内に、俺から僕に人称が戻る。横の望愛がどんな顔をしているかは、暗がりでよく見えなかった。

 そんなとき、望愛が口を開いた。

 

「ボク・・・・・・私も、直人君と一緒にいたいです。ずっと一緒に、いたいです。一緒に生きて、これまでみたいに楽しく過ごして、それで一緒のお墓に、入りたいです!」

 

 今度は俺が驚いてそちらを振り返る。

 望愛の声は、少し震えている。泣いているのかもしれない。

 

「お義父さん、お義母さん、お義兄さん、鈴音さん。息子さんを、弟さんを、お兄さんを、ボクに下さい!!」

 

 望愛の声が、夕闇に響き渡った。

 

 

 

 俺達は墓地をあとにする。

 自然と手を繋いで帰路につく。

 

 墓地の方から、澄んだヒグラシの歌が、聞こえてきた。

 



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第四十二話 夜は更けて

 夜は更ける。夕飯も終わり、風呂にも入った。

 明日の朝はかなり早い。

 おれはまだ九時にもならない内に寝室に向かった。が・・・・・・

 

「ナオ、ちょっと・・・・・・」

「ん?」

 

 寝室に向かう俺のパジャマを、望愛はうつむきながら引っ張る。何かあったのだろうか?

 

「望愛、どした?」

 

 俺の問いに、望愛はうつむいたまま答えた。

 

「一緒に寝ても、良い?」

 

 前髪の隙間から微かに望愛の顔が見えた。

 明日が不安だから一緒に、と言う理由じゃないことはすぐに分かった。だとすれば理由は、

 

「・・・・・・一人で寝るのが寂しくなった?」

「違うよ! もぉ、バカ!」

 

 望愛は顔を上げて少し声を荒げる。それでもやっぱり、視線を合わせてはくれない。

 望愛が意図せんとしていることは何となくだがわかる。寝ると言うのはつまり、そう言うことなのだろう。

 墓前で聞いた望愛の心の叫び。俺に向けられた俺への想い。

 でも、それでも──

 

「本当に望愛はそれで・・・・・・」

 

 それで良いのか? 望愛はそれで良いのか?

 俺達はいわばイレギュラーだ。一時の過ちでは済まされない。望愛はそれで、本当に良いのか?

 だが、俺がそう言うのを遮るように、望愛は俺の手を鷲づかみにして言い放った。

 

「それでじゃなくて、それが良いんだよ! ボクはナオと、そうしたいんだ! 本当の意味で、そうありたいんだ!」

 

 望愛はまっすぐ俺の目を見つめる。力強い、覚悟を持った瞳で、俺を見据える。

 望愛はそう言ったあと、煙が出そうなほど顔を真っ赤にして、またうつむいてしまった。

 

 そうか。望愛は本当に、それでじゃなく、それが良いのか。

 

 やはり俺は、不安だったのかも知れない。

 いくら俺が望愛を渡したくないと思っていても、望愛がそう思ってくれている確固たる確証がない。

 俺を心から好きでいてくれている確信が持てない。

 ・・・・・・だが、その答えは既にもう出たのだ。本人が、鈍感な俺のためにわざわざ教えてくれた。俺の家族の、墓の前で。

 

 それが、望愛の決断であり、決意であり、望んだ未来だ。なら俺は、それを受け入れる義務がある。

 聖域をおかし、聖女(ジャンヌ・ダルク)人間(有馬望愛)に引きずり下ろす義務がある。

 俺は怪物(ジル・ド・レー)。彼女のそばに控える守護の騎士。彼女の望みを叶え、守り、戦い、そして共に生きる者(城崎直人)

 

 彼女(望愛)がそれを望む。俺もそう願った。罪も穢れも喜びも共に分かち合い、全てを背負って、ここから去る。

 

 今夜は長くなりそうだ。

 

 俺は望愛を力強く抱きしめ、耳元でこう聞く。

 

「ほんとに大丈夫なのか?」

 

 こう言うところが、俺をヘタレ足らしめる所以なのだろう。

 望愛は小さくため息をつくと、俺の耳元でささやいた。

 

「バカ、恥ずかしいでしょ。・・・・・・優しくしてね?」

 

 心臓がドクンとはね上がる。体温が高まる。

 

「・・・・・・善処する」

「約束してくれなきゃヤダ」

 

 望愛は少し笑いながら、俺にそう返す。

 

「初めての人間にその約束は守れるかわからんぞ?」

「そんなこと言ったって、ボクだって初めてなんだからね?」

 

 至極全うな返答に打ちのめされる。

 

「・・・・・・俺の忍耐力に、期待しよう」

 

 苦笑いした俺は、そのまま望愛をお姫様抱っこし、そしてベッドに運んだ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠のような、一瞬のような、ほどけるような、結ばれるような、そんな幸福な時間が流れた。

 良かったことも、悪かったことも、楽しかったことも、悲しかったことも、あらゆることを忘れられた。

 

 俺は子供を望めない。それでも望愛は、求めてくれた。彼女はやっぱり、優しかった。

 

「ナオー」

 

 すぐ横から望愛の声が聞こえる。心の底から幸福そうな、そんな声だ。

 

「どうした?」

 

 俺は望愛の方を見て、そう聞く。きっと俺も、幸福そうな声なのだろう。

 

「ボク達これで、後戻り出来なくなっちゃったね」

 

 望愛も俺を見て、にっこりと笑った。

 

「だなぁ。東京から帰ったら、フランス語の勉強しなくちゃな」

 

 俺は天井を見上げる。最早見慣れた天井であり、風景だ。でも今は、違って見える。

 望愛が俺の手を優しく包み込む。

 

「これからも一緒にいてくれる?」

 

 望愛が聞く。俺はもう一度望愛の目を見て、こう答えた。

 

「望愛が望む限り、ずっと一緒にいるさ」

 

 俺達は口づけをする。

 この前のようななし崩し的なものではなく、強い意思と決意と、約束を込めた、そんな口づけだ。

 

 夜は更け、やがて白む。

 聖女は地に落ち、穢れを知った。

 怪物は、新たな決意を胸に、彼女と新しい朝を迎えた。

 

 終わりに向かう、朝を迎えた。



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第四章 ジャンヌ・ダルクの彼氏な俺は、彼女を死んでも守り抜く
第四十三話 終わりの第一歩


 午前五時三十分頃、家のインターホンが鳴った。

 歯磨き洗顔も、早めの朝食も、朝のシャワーも、パジャマから制服への着替えも、荷物の整理もした。

 準備はもう出来ている。

 俺達は寄り添いあって、手を繋いで、リビングから出て、玄関に向かった。

 

「ねぇナオ」

 

 隣にいる望愛が俺を見る。

 

「どした?」

 

 俺が聞き返すと、望愛は少しこわばった表情でこう言った。

 

「ちょっと、緊張する・・・・・・」

 

 そんな望愛に、俺はちょっと微笑んでみせて、握る手に力を込めた。

 

「望愛、大丈夫。俺もだ」

「そっか・・・・・・なら怖くないね」

 

 望愛は表情を少し緩めると、柔らかくはにかんだ。

 俺は空いている手で玄関のノブを握る。

 

「行こっか、ナオ」

「おう、行こう。望愛」

 

 俺は玄関扉を開ける。

 白んだ空と、柔らかな朝日が早朝の空気と共に外に出た俺達を出迎える。

 そしてそこに、兄貴はいた。

 

「よう、二人とも。おはようさん」

 

 兄貴は口からたばこを外すと、ポケット灰皿に入れて俺達を迎える。

 

「おはよう、兄貴」

「ノリ兄おはよー」

 

 俺達も、そう挨拶をして兄貴に歩み寄る。

 車は流石に、痛車ではなかった。

 

「朝からラブラブだなぁ、お前達。俺を殺す気か?」

「勝手に死んでろ」

 

 いつも通りのノリの兄貴に、俺はいつも通りのスタンスで返す。一方の望愛は、ちょっとうつむき加減だ。

 

 朝日が徐々に強くなる。セミ達が騒ぎ出す。

 

「それじゃ二人とも、乗ってくれ」

 

 兄貴が促す。

 俺と望愛は目を合わせ、うなずく。

 手を繋いだまま、俺達は車に乗った。

 

 

 車が動き出す。兄貴はバックミラー越しに俺達に話しかける。

 

「こっからは車で空港まで行く。その後飛行機で羽田まで飛んで、そしたら今度は車で首相官邸に直行だ」

 

 ──首相官邸に直行だ

 

 その一言に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 

「は? 首相官邸?」

 

 俺が聞き返すと、兄貴はさも当然のようにこう言った。

 

「そう、首相官邸。望愛は行ったことあるだろ?」

 

 俺は望愛を見る。望愛はこくりとうなずいた。

 

「うん、中一のときから何回か」

 

 なるほど、中学の頃何度か日をまたいで外出してたのはそう言うことだったのか。

 

「望愛、もしかしてお前って実は凄い人だったりする?」

「えっ? ボクそんなに凄くないよー?」

 

 こういう否定は大概人をイラつかせるものだが、望愛の場合は本当にそう思っているのだ。心が和みこそすれ、イラつくことなどあり得ぬのだ。

 

「一応望愛の肩書きは『最強のヒーロー』だからな。実は国内外のヒーロー関係者からはアイドル級に人気があったりするんだぞ?」

 

 兄貴が運転席からそんな耳寄りな情報を投下する。顔は見えないが、きっとニヤニヤしてる。多分。

 そんな兄貴の情報を、望愛は慌てて否定する。

 

「もぉー、やめてよノリ兄ぃー! ぜんっぜんそんなこと無いんだからね!?」

 

 なるほど、そんなことあるらしい。良いことを聞いた。

 そんな隙をついて兄貴は更に畳み掛ける。

 

「ちなみにナオ、お前もそこそこ知名度高いぞ?」

 

 は?

 

「は!? なんで!?」

 

 俺は前のめりになって聞き返す。

 兄貴はニヤニヤしながら続けた。

 

「この前カナダとアルジェリアとフランスのヒーロー関係者の友人に聞いたんだけどな、お前は憧れの存在なんだと」

 

 憧れ? なんで?

 疑問が増える中、兄貴は更に続ける。

 

「『ただの一般人なのに、あんなにもヒーローを深く理解し、尊重し、共に生きようとしているから』だそうだ。それともう一個」

 

 もう一個? まだあるのか!?

 驚きと気恥ずかしさでごっちゃになっている中、兄貴は問答無用でこう言い放った。

 

「『決して諦めない不屈の心』に惹かれたんだと。みんな、お前らを応援してるんだよ」

 

 兄貴はそう言って、微笑む。

 

 車は、高速道路に乗った。



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第四十四話 包帯の男、ジャック

 まだ八時過ぎだと言うのに、空港は多くの人でごった返していた。

 俺達は一時間ほどの空の旅を終え、ついに東京にたどり着いた。

 

 東京国際空港──通称、羽田空港に、俺達は居る。

 

「飛行機なんて中学以来だったからなぁ・・・・・・」

 

 手荷物を受け取り、望愛や兄貴と合流する。

 高所恐怖症の俺にとって、飛行機とジェットコースターは大いなる敵だ。

 

 ・・・・・・そもそも人間に羽がないのは空を飛ぶ必要が無いからだ。飛行する必要があれば、俺達はとっくの昔に空を飛べていたはず。

 人間は地に足をつけて生きているわけだから、高所恐怖症ってのはむしろ至極自然なことなのだ。

 

 と、俺は誰にするでもない言い訳を心の中で行なう。

 

「おーい、ナオー。どうしたのー?」

 

 心の中で言い訳をしていると、望愛が俺の顔を覗いてくる。

 俺はハッとして一歩後ずさり、慌ててこう言った。

 

「はっ! いや、何でもない。全然、ぜーんぜんなんにもないぞぉー? 空なんて全く怖くなかったぞ! うん!」

 

 そう言った瞬間、望愛はにやりと笑った。

 

 ──完全に俺は墓穴を掘ったようだ。

 

「ナオ、高いとこ苦手だもんね」

「見栄はってすんませんでした」

 

 こう言うときは素直にごめんなさいするのが一番だ。・・・・・・って、そもそも俺何か悪いことしたか?

 

 

「・・・・・・よし、そろそろ時間だな。二人とも、着いてきてくれ」

 

 兄貴が腕時計を見、そう言って空港の窓口へと歩いていく。

 俺達は二人並んでその後を追った。

 窓口にたどり着くと、そのまま中へと通された。

 

「迎えはもう到着してるみたいだ。今係員さんが呼びに行ってくれてるから、ちょっとここで待機だな」

 

 兄貴はそう言って、用意された椅子に腰かける。・・・・・・その顔には少しばかり影がかかっていた。

 

「迎え? 前来たときはそのまま官邸の人が車で迎えに来てくれたけど、違うの?」

 

 望愛が驚いたように兄貴に聞く。何やら今の状況はイレギュラーらしい。

 兄貴は言いずらそうに、少し声を潜めてそれに答える。

 

「実はどうしても二人に会いたいって言う人が居てな。迎えに来るついでに、二人に面会したいそうなんだ」

 

 兄貴がそう言った直後、控え室の扉がノックされた。

 兄貴は緊張した面持ちで居ずまいを正すと、静かに「どうぞ」と、扉の向こうに声をかけた。

 そんな兄貴の様子を見て、俺達も姿勢を正し、扉に注目する。

 

 扉はゆっくりと開く。そして、その人物が姿を表した。顔を包帯で覆われた、その人物が・・・・・・。

 

「初めまして。有馬望愛さんと、城崎直人君。私は烏丸敏浩(からすまるとしひろ)。どうしても君たちに会いたかった。どうぞ、よろしく・・・・・・」

 

 真っ黒なスーツの上に、これまた黒いレザーコートを羽織り、黒のソフトハットを被ったその男は、枯れた低い声で丁寧に俺達にお辞儀する。

 

 その瞬間、望愛の顔から血の気が引いていくのが見えた。

 顔面蒼白になった望愛は小さく震え、うつむいてしまった。

 

 

 ──烏丸敏浩

 

 

 その名を聞いた瞬間、望愛はうつむき、小さく震え、手のひらを強く握りしめる。

 ・・・・・・事情はわからない。わからないが、この男が望愛にとって地雷であることは明白だ。

 

 俺は望愛の耳元で小さく「大丈夫だからな」と呟き、椅子から腰を起こす。そして望愛の視界を遮るように、彼女と烏丸との間に立った。

 男のギラギラとした真っ黒な瞳が、包帯の間から俺を見据える。今なら、蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかるかもしれない。

 

 だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 俺は一歩、烏丸の方へ踏み出す。そして、包帯と手袋で覆われた右手を差し出した。

 

「改めまして、『ジル・ド・レー』の城崎直人と申します。どうぞ、よろしく」

 

 一瞬、沈黙が流れる。

 

 沈黙の後、静かに俺を見据えていた烏丸が、目を細めた。

 

「ああ、よろしく。私は・・・・・・そうだな、『ジャック』の烏丸と呼んで貰おうか」

 

 烏丸は俺の手をしっかりと両手で握りしめ、握手に応じた。

 

 ジャックとはまた、望愛(ジャンヌ・ダルク)の前で大きく出たものだ。

 救国の聖女ジャンヌ・ダルク。彼女の父親の名は、ジャック・ダルクと言う。なんでも、相当ジャンヌを溺愛したようだ。

 

 ふと、俺の目にあるものが映った。

 烏丸が着るスーツの襟元に取り付けられた、特徴的な丸い二つの装飾だ。

 

 一つは金色のふちの中に『特対災』の文字とコウノトリのエンブレムが象られた丸いバッジ。

 そしてもう一つは、縦半分に割った菊が三つ象られた、長方形の変わった記章だ。

 

 ・・・・・・そう言えば洲本のおっちゃんも、これと似たようなものをつけていたように思う。だが、確か菊の数は二つだった。

 

「気付いたかね、城崎直人くん。私のこの記章に・・・・・・」

 

 俺がその装飾に目を取られていると、そう烏丸が口を開いた。あまり心地が良いとは言えない、恐怖心をあおるような、そんな声だ。

 

「城崎直人くん。自衛隊のバッジを見たことがあるかい?」

 

 握手を解いた烏丸がそう聞く。俺は半歩下がると、その問いに答えた。

 

「見たことはありません。でも、階級によってバッジが変わることぐらいは」

 

 自衛隊や他国の軍では、階級によってバッジの種類やエンブレムが異なる。

 バッジが特殊な海自を除く陸空自衛隊では、実質トップの大将格にあたる幕僚長が桜四つのエンブレムを襟章として使う。

 そこから(中将格)将補(少将格)になるにつれて桜が一つずつ減る。佐官(一佐、ニ佐、三佐)になると形ごと変わる。

 

 洲本のおっちゃんは菊のマークが二つで、確か自衛隊だったら上から三番目だのなんだの言っていた────そうか。そう言うことか。つまり、こいつは・・・・・・

 

 そのとき、包帯で見えないはずの烏丸の口がぐにゃりと不気味に歪んだ気がした。

 

 自衛隊で将を表すのは、桜三つの襟章。

 洲本のおっちゃんは菊二つで副支部長。そして上から三番目。

 それなら一個上の菊三つは支部長相当にあたるはず。

 もう一つのバッジのコウノトリは、望愛やおっちゃんの所属する支部のエンブレム。

 

 ・・・・・・あの支部には、支部長が不在だ。

 

「・・・・・・あそこの支部に、支部長は居ないはずでは?」

 

 俺は静かに聞く。男は、ゆっくりと口を開いた。

 

「洲本からはそう聞かされているのかね。彼には後で嘘つきは泥棒の始まりと言っておこう。──私が、あの支部の支部長だ」

 

 俺は横目で兄貴を見る。

 兄貴に動揺した素振りはない。どうやら知っていたようだ。

 

「まぁ、そう驚かないでくれたまえ。実際問題、支部長の仕事も、司令の役割も洲本に任せきりだった。私はこっち(東京)()()()()をしていたものでね。私は要は欠番の支部長と言うわけだ」

 

 烏丸はそう言ってコートをひるがえし、俺達に背を向ける。

 

「さて、そろそろ出立の時間だな。総理が官邸でお待ちかねだ。さぁ、こちらへ」

 

 烏丸は控え室の扉を開く。

 俺達は、彼の促すままに控え室を出、空港の裏から車に乗り込んだ。

 

 護衛の数が、やけに多かった。



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第四十五話 後ろ楯

 息が詰まるほどの沈黙が、車の中に満ちた。

 俺達が乗っているのは真っ黒な高級車だ。

 座席はとてつもなくふかふかで、座り心地も抜群。こんな状況じゃなければ、俺は今ごろ望愛と二人ではしゃいでいる頃だと言うのに・・・・・・。

 

 俺達三人は、左右から望愛をはさんで守るように、後部座席に座った。烏丸(ジャック)と名乗った男は、助手席だ。

 俺は左隣に座る望愛の手をしっかりと握る。

 望愛も俺の手を握り返すが、その手は驚くほど冷たく、そして力がなく、やはり小刻みに震えている。

 

「大丈夫か?」

 

 俺は望愛の耳元で小さくそう聞く。望愛は何度も何度も、力なくこくこくとうなずいた。

 大丈夫じゃないのは明らかだ。

 そう言えば先程から兄貴も珍しく緊張しているように見える。

 あまり兄貴が冷や汗をかいている場面は見たことがない。かなり新鮮だ。

 

 窓の外に林立する高層ビル群がみるみる内に後ろへ流れていく。

 俺は、そんな窓に反射する自分の顔を眺め、考えていた。

 はじめましてと名乗ったあの男(烏丸)と望愛との間に、どんな関係があるのか、兄貴は何を知っているのか、俺達の味方はここに、いるのだろうか・・・・・・。

 思考は渦となって頭をめぐる。

 ここで立ち止まるわけにはいかない。決して。

 望愛と共に逃げると、約束した。全てを捨てて、一緒になると。

 

 ──息子さんを、弟さんを、お兄さんを、ボクに下さい!!

 

 あの日の望愛の声が、蘇る。

 

 俺は、望愛と一緒の墓に入る。こんなところでは、止まれない。

 

 

 

 車にしばらく揺られ、遂に俺達はたどり着いた。

 この国の首長たる内閣総理大臣が執務を行い、歴史的大事件を幾度も見守り、時には巻き込まれた宰相の城。首相官邸だ。

 車列は官邸の裏に回り、停止する。

 俺達三人は、既にそこに出てきていた案内人に促されるままに、官邸の中に入った。

 官邸の中に入る直前、ふと俺は振り返る。

 そこには、先程まで俺達が乗っていた車のそばに立ち、こちらをじっと見つめる烏丸の姿があった。

 

「兄貴」

 

 正面を向き直した俺は、横を歩く兄貴の袖を少し引き、小さく声をかける。兄貴はちらりと横目で俺を見、「どうした」と、これまた小さく返した。

 

 俺は少し間を空け、望愛に聞こえないくらいの小さな声で、こう言った。

 

「・・・・・・あんたは、味方か?」

 

 俺は兄貴の次の言葉を待つ。

 兄貴は顎に手を当て、少し考えた後、目線で前を見ろと促す。そして──

 

「俺よりももっと信用も信頼できる強力な後ろ楯が、あそこにいる」

 

 と、呟いた。

 

 俺は正面を見る。するとそこには・・・・・・

 

 

「──有馬くん、湯村くん。久しぶりだな」

 

 

 鋭い目に、スラッとした立ち姿勢をした、一人の壮年の男が立ち、二人にそう声をかけた。

 

 

 男の名は、香住誠四郎(かすみせいしろう)。日本国内閣総理大臣にして、望愛の、俺達の最大の後ろ楯となる男だ。

 

 

 *

 

 

 ──有馬くん、湯村くん。久しぶりだな

 

 

 内閣総理大臣、香住誠四郎。

 四十九歳と言う、政治家としては遥かに若いその年齢で総理の座につき、この国を動かしている。

 常に険しい表情をしており、またその歯に衣着せぬ物言いもあって、『不機嫌総理』などと言うあだ名をつけられた。そんな男が、今・・・・・・

 

「直人くん見て見て! これがね、就任式のときの有馬くん! どうだ、良いだろう? 欲しい? ちょっと待ってね、今スマホ出すから」

 

 首相官邸のすぐ横にある総理の住まい、公邸の私室で大きなアルバムを開き、自慢げに、そして嬉しそうにそれを俺に見せつける。

 

「えっ! 良いんですか!? ありがとうございます! それじゃお礼に、この前撮った猫耳メイド服の望愛の写真を・・・・・・」

「そんなものもらって良いのかい!? ありがとう直人くん!!」

 

 テンションの上がった俺と総理は、そう言ってスマホを取り出し、画像のやり取りをする。

 城崎直人十七歳。俺は今、心を通わせられる同志を手に入れた。

 

「もぉー、ナオもセーさんもボクの目の前でそう言うことするの止めてよぉー。バカ」

 

 そんな俺達に、総理の顔を見て落ち着きを取り戻した望愛は、ムスッとほっぺたを膨らませて抗議する。しかし、

 

「はっはっはっ、有馬くん。そんなセリフも表情さえも、我々にとってはご褒美なのだよ!」

「流石セーさん! そのとーり!」

 

 そう言って俺達は腰に手を当ててアッハッハと高らかに笑い合う。

 そんな俺達の姿を見て、兄貴と望愛は大きなため息をついた。

 

 

 一通り画像の交換や望愛の可愛かった瞬間、仕草を語り合った後、俺達四人はようやくソファーに座り、落ち着いた。

 

「では、直人くん。改めまして、こんにちは。私が内閣総理大臣を勤めさせてもらっている、立憲進歩党(りっけんしんぽとう)党首・香住誠四郎だ。よろしく」

 

 朗らかな笑みを浮かべ、彼はソファーから腰を浮かせて、前のめりになって向かい合う俺に手をさしのべる。

 テレビ中継や新聞からは絶対に想像できないであろう、優しげな表情だ。

 

「城崎直人です。改めまして、よろしくお願いします」

 

 俺もそう返し、腰を浮かせて差し出された手をとり固く握手する。

 

「君のことは有馬くんから良く聞いているよ。『優しくて、頼もしくて、料理も上手なとっても強い最高の彼氏』だとね」

 

 俺は少し赤くなってサッと横の望愛を見た。

 望愛は俺を上回るスピードで、顔を背けた。

 そんな俺達を見て、セーさんもとい、香住総理と兄貴は微笑む。

 

「いやはや、有馬くんの話にたがわぬ好青年で私も安心したよ」

 

 俺達は握手を解いてソファーに座りなおす。

 

「もし、どうしようもないクズな輩が来たらどうしようかと悩んだ昨日の夜は無駄だったと言うわけだ。アッハッハ・・・・・・」

 

 香住総理は死んだ目でそう言って大きく笑う。

 そんな総理を、俺は内心震えながら、見ていた。正直、チビりそうだ。

 ひとしきり笑い終えた総理は、一つため息をついた。そして立ち上がり、部屋の出口の扉に手を掛け、こう言った。

 

「直人くん──いや、ジル・ド・レー(守護の騎士)卿、と言った方が適当かな? 早速で悪いんだが、少しついてきてくれるか?」

 

 その姿は、先程までのセーさんとしてのものではなく、この国を背負う総理大臣・香住誠四郎としてのものだった。

 俺は立ち上がる。そして望愛の方を振り返る。

 心配そうな顔をした望愛が、俺を見上げる。俺はそんな望愛に、ポケットからライターを取り出し、手渡す。前に兄貴からもらったものだ。

 

「大丈夫、すぐに戻る。俺が帰ってきたら、コース料理の作法とか教えてくれよ?」

 

 スーパー庶民の俺は、高級料理の食べ方など知らんのだ。これでは明日恥をかいてしまう。

 

「・・・・・・うん。わかった、早く帰ってきてね。ボクのレッスンはちょっと長いよ?」

 

 望愛は少しぎこちなく笑う。

 

「もしかして夜通し?」

「早く帰ってきてくれたら、日付が変わる前には終わるよ」

「長い夜になりそうだ」

 

 俺はそう言い終わると、望愛の頭にポンと手をおき、離して、扉に向かって歩き始めたのだった。



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第四十六話 民王といばら

 涼しげな秋の風が吹いている。

 俺は今、総理につれられて、彼の弟の家に来ている。

 官邸公邸が、家の屋上から望める。

 そんな屋上の椅子に、俺達は向い合わせで腰掛けた。家には今、誰もいないらしい。

 

「ここなら、あそこよりも安心して話せる」

 

 そう言って総理は胸ポケットから煙草を取り出そうとし、やめた。

 少し苦笑して総理が言う。

 

「いかんいかん、ついいつもの癖でね。未成年の君と話すのに、煙草は良くないな」

 

 どこぞの兄貴にも見習って欲しい姿勢だ。その辺り、流石は一国の首長。

 

 総理は一つ、大きくため息をつき、話を切り出した。

 

「直人くん。あの子──有馬くんと出会って、何年になる?」

 

 顎に手を当て、総理はそう聞く。俺は居ずまいを正し、答える。

 

「もう十一年になります。六歳の頃にあいつが施設にやって来たので」

 

 十一年前のあの日、俺達は出会った。あの頃の俺はまだ無邪気で、逆に望愛はなにかを悟ったようだった。

 全ては、あの日には既に始まっていたのかもしれない。

 

「君と出会う前、つまり施設に預けられる前の有馬くんについてのことは、彼女から聞かされているかね?」

 

 総理は重ねて聞いてくる。

 

 ・・・・・・もちろん、いくらかは聞いている。胸くその悪い話だ。

 

「ええ。口に出したくはありませんが」

 

 俺がそう言うと、総理も小さくうなずいた。きっと彼も知っているのだろう。

 総理は立ち上がり、官邸の方を見る。

 

「あの子の、残り時間についても君は──」

「もちろん。そして望愛が、来年には別の男と結ばれることも知っています」

 

 俺は、彼の言葉を遮るように言った。

 俺も椅子から立ち上がり、総理の横に並ぶ。

 

「でも俺は、やっぱり望愛と共にありたいと思っています。望愛を、世界で一番間近で見ていた男になりたいんです」

 

 望愛と出会って十一年。寝食を共にし、多くのことを分かち合ってきた。

 だから、だからこそ俺は、永い眠りに入るそのときまでは、せめて共にありたい。

 

「君は、あの子と共にいばらの道に進むつもりかね?」

 

 総理が聞く。俺はすぐさま返す。

 

「望愛にいばらは踏ませません。彼女は既に、傷だらけです。いばらを望愛に踏ませるぐらいなら、俺が望愛を抱えて、裸足で道を歩きます」

 

 血を流すのは俺だけで良い。望愛はもう、充分過ぎるほど傷ついた。

 

「君がしようとしていることはこの国、そして日本国民一億五千万人へ弓引く行為ともとれる。何故、私に話した」

 

 静かに、総理の言葉が響く。俺は、少し息を吸い、言った。

 

「望愛好きに、悪い奴はいません。それに何より、望愛は貴方に信頼を寄せている。俺は、そんな望愛を信じます」

 

 総理は、横目でちらりと俺を見る。俺は総理に向き直り、言い放った。

 

「俺は、望愛が好きです。この国が滅びようが、海に沈もうが、更地になったって構わない。俺は、望愛さえ生きていてくれれば、それで良い」

 

 総理の表情が、心なしか緩む。

 総理は俺に向き直ると、スーツの内ポケットからあるものを取り出し、俺に手渡した。

 

「流石はジル・ド・レー(聖女の騎士)を名乗るだけはある。君になら、これを託せる」

 

 独特の金属光沢のあるそれはずしりと重く、ひんやりと冷たい。

 

「これは・・・・・・!」

 

「必要になったとき、使いなさい。S(シングル)A(アクション)A(アーミー)。世界で一番高貴な銃だ。西部劇のガンマンさながら、それで彼女を守ってやりなさい」

 

 そう言って総理は俺の肩にポンと手を置き、階下へと降りていく。

 俺は手渡された、使い方を知らないその銃を、まじまじと見つめた。

 

「おーい、君も降りてきたまえー。あんまり遅くなると、有馬くんに叱られるぞー」

 

 階下から総理の声が聞こえる。俺は急いでそれをズボンのポッケにしまうと、階段を掛け降りた。



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第四十七話 れっすんとぅーざてーぶるまなー

 俺は今、割り当てられたホテルの一室にいる。

 

 公邸に戻った後、俺達は関係各所への挨拶回りや、明日の打ち合わせ、衣装の着付けなどに忙殺された。

 お陰でろくに食事もとれぬまま、一日を終わらせた。・・・・・・もっとも、常に二人で行動できたので、それはそれで良かったのだが。

 

 さて、話を戻そう。このホテルはいわゆる高級ホテルだ。外国から来た政治家や、大金持ちなんかが泊まるような、そんなところだ。

 そんな高級ホテルの、最上階角部屋に、俺達の部屋はある。

 そして今、俺は人生最大とまではいかないが、中々の窮地に立たされている。それは・・・・・・

 

「ナオ、こう言うの覚えるの、苦手でしょ?」

「余の辞書にテーブルマナーの文字は無い!」

 

 俺には絶望的なほど、テーブルマナーについての教養がないのだ。

 

「そんなこと言ってないで、ほら、まずナイフとフォークを使う順番は?」

 

 そう言って望愛はテーブルの上に並べられた無数のナイフとフォーク、そして皿を指差す。

 

「・・・・・・外側、から?」

 

 俺はゆっくりと望愛の方に顔を向け、答える。

 

「ちがーう!」

 

 

 ──ぺちっ

 

 

「あだっ!」

 

 望愛は見事に外した俺の額にデコピンをお見舞いする。これがそこそこ痛いのだ。

 ありがとうございます!

 

「ナイフとフォークは、お皿に近い方から取って使ってくんだよ? 全く・・・・・・こりゃ骨が折れそうだねぇ」

 

 望愛はそう呆れ顔で笑う。心なしか楽しそうだ。

 

「もし眠かったら、いつでも寝てくれよ? 明日朝早いんだから」

 

 明日の朝も五時起きだ。少しでも眠って、体力を回復しなければならない。

 そんな俺の腕に、望愛はぎゅっとしがみつき、にこっと笑って言った。

 

「ぜーんぜん大丈夫だよ! それに、ボクのナオに恥ずかしい思いして欲しくないもん」

 

 俺は少し頬を赤くする。

 

 俺に恥をかかせないため・・・・・・か。それならば俺も、急いでマナーを頭に叩き込まなくてはなるまい!

 

「それじゃ、俺も頑張って叩き込まなくちゃな!」

 

 しきたりみたいなのは苦手だが、人の真似ってのはそこそこ得意だ。何より、俺の無作法で望愛にまで恥をかかせたくはない。

 

「よし! それじゃ、再開だね! 張り切ってこー!」

「おー!」

 

 俺達は拳を突き上げ、そう言った。

 

 

 

 時刻は現在、深夜三時半。

 

 望愛のお陰で、一人前とはいかずとも、精々半人前程度の教養を叩き込んだ俺は、ようやく就寝の運びになった。

 望愛はベッドに入って早々に寝入ってしまった。寝顔を見てると、こっちまで眠たくなってくる。

 

 俺は昼間に着ていたズボンのポッケから、総理に貰った拳銃(SAA)を取り出し、眺める。

 樹脂製のグリップに、重厚感のある金属製の銃身が、月とビルの明かりに照らされて光る。

 リボルバーを回してみて、中を確認する。

 中には、六発全ての弾が既に込められ、自身の出番を待っている。

 

「何かあったときは、よろしく頼むぞ」

 

 そう小さく呟き、俺はそいつを新聞紙で綺麗に包み込んだ。

 起床まで、あと一時間半ある。

 俺は静かに、ベッドに潜り込んだ。



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幕間 二人のファン

 深夜二時。俺は総理に呼び出され、彼の弟の自邸にやってきた。

 お手伝いさんに、総理の待つ部屋の前まで案内される。

 俺は扉を二度ノックし、呼び掛ける。

 

「湯村です。ただいま到着いたしました」

 

 間髪いれずに、扉の向こうから「入りたまえ」と総理の声が聞こえる。俺は失礼します、と断り、部屋に入った。

 

「すまないね、こんな夜分遅くに呼び出して」

 

 彼は明らかに高級そうなソファーに腰掛け、煙草をふかしてそう言った。

 

「いえ、問題ありません。こちらからもお聞きしたいことがあったので」

 

 俺は総理に促され、向かい合わせにソファーに座る。

 

「聞きたいこと、か。それは、特災対職員としてかね? それとも、公安五課として? あるいは・・・・・・」

 

 俺は唾を飲み込み、言った。

 

「湯村則之として、あいつらの兄として、です。いかがでしょう?」

 

 総理は俺の言葉を聞くと、少し口角を上げた。

 

 彼は口からたばこを外すと、それを灰皿に押し付ける。

 

「・・・・・・昼間、(ジル・ド・レー)と話をした。君の見込み通り、いやそれ以上に肝の据わった、好青年だったよ。良い義弟(おとうと)を持ったな」

 

 総理の目の色が変わる。『仕事』をするときの、鋭い目だ。

 

「あいつにどこまでお話ししたのですか?」

「いや、私が話そうと思ったことは全部、彼の知るところだった。だから私は、彼に覚悟を問うた」

 

 総理は足を組み、背もたれに体を預ける。

 

「覚悟、ですか?」

「そう、覚悟だ。『あの子にいばらの道を歩かせるつもりか?』と聞いた。凡人なら尻込みするだろう。覚悟あるものは、痛みを分かつと言うだろう」

 

 総理はクククと笑い、体を起こして、俺を見た。

 

「だが彼はどうだ? 『望愛にいばらは踏ませません』、『望愛を抱えて、裸足で道を歩きます』と言ってみせた! 彼にしか出来ん答えだ!」

 

 そう言って総理は、嬉しそうに手を叩いて笑った。相当ナオを気に入ったようだ。

 

「気に入りましたか? 彼の人となりを」

「ああ、もちろんだ。だから彼には、例のものを渡してやった。いざとなったら、使えと言ってな」

 

 総理は指で拳銃を作ってみせる。

 

「銃を渡したんですか!?」

 

 少し驚き、俺はそう聞く。総理はうんうんとうなずき、満足げに答えた。

 

「とびきり、お気に入りのをな。古い友人から貰った銃だ。大舘君のお陰でしょっぴかれずに済んでいたのを、彼に託した。使い方は、ネットを見ればわかるだろう」

 

 総理は立ち上がり、窓から外の夜景を見る。

 しばらく、沈黙が部屋を包み込んだ。

 

「総理、『例の件』については、お話ししましたか?」

 

 俺は、夜景を見る総理の背に問いかける。

 その問いに、彼はぴくりともせずに、静かに答えた。

 

「世の中には、知らなくて良いことが、知る必要の無いことが山ほどある」

「しかし、彼は知るべきでは?」

「今はまだそのときではない。それこそ、彼らが旅立つ時にでも、その話をしてやれば良い。彼の気持ちは、変わらないだろうからな」

 

 総理は窓ガラスに手を当てる。

 

「・・・・・・この国の夜は、明るいな。大学時代に暮らしたシティ・オブ・ロンドンも、こうは明るくなかったはずだ」

 

 俺はそんな彼の横に並び立ち、夜景を見る。

 

「明るい夜を過ごせるのは、ヒーロー達の犠牲あってのことです。この景色は、彼らの犠牲の上に成り立っています」

「そう、だな」

 

 総理は大きく息を吸い、吐き、言った。

 

「湯村くん、私は決めたよ。ヒーロー法を、改正する。そして、この世界が細い糸で吊るされた剣の下にあることを、公表する」

 

 俺は驚き、総理の顔を見る。冗談で言っているとは到底思えない、身震いするほど真剣な顔で、彼は俺と目を合わせた。

 

「草案はここにある。写しを君に、渡しておこう」

 

 総理は強引に俺の右手を引っ張ると、そう言ってUSBを俺に握らせた。

 

「もし烏丸が動きをみせたら、後は君の手でこいつを押し通してくれ」

 

 俺はゆっくりと右手を引き、USBをジャケットの内ポケットにしまった。

 総理は安心したように笑った。

 

「後は、頼んだぞ」

 

 そう言って、彼は俺の肩に手を置いた。



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第四十八話 はりぼて、或いは虚無虚構

 午前八時半。

 天気は清々しいほどの秋晴れだ。暑くもなく、かといって寒くもない。珍しく過ごしやすい天気だ。

 そんな中、二時間ほども眠っていないのに、望愛は弾けるような元気な笑顔を浮かべ、会話を楽しむ。

 ・・・・・・ただ、その笑顔は、会話は、俺に向けられたものではない。

 『ロバート・ブルース』ことロバート・オオサワ。イギリス出身のヒーローで、彼女の婚約相手だ。

 

 二人は今、東京の名所を見て回り仲を育む、いわゆる『デート』を行っている。

 そんな二人を、機関の職員達が人混みに紛れて護衛する。

 

 現在地は浅草寺雷門前。恐ろしいほどの人混みでも、ロバートの姿は良く見える。・・・・・・逆に望愛はほとんど埋もれてしまっている。

 

「来なかった方が良かったんじゃないか?」

 

 隣に立つ兄貴が俺に耳打ちする。俺は驚いて兄貴の方を振り向く。

 

「そんなにイライラしてるように見えるか?」

「そう言う訳じゃ無いけどよ。あんまり見てて気持ちの良いもんじゃないだろ、あれは」

 

 兄貴はそう言って眉間にシワを寄せ、苦々しげな表情を浮かべる。

 

 確かに、そうだ。望愛も、ロバートも、本心からはきっとこんな展開望んじゃいないはずだ。

 偽りの笑顔を浮かべ、偽りのムードを作り、そして偽りのカップルとなり、偽りの愛を育む。

 嘘と虚構と、打算によって形作られ、セッティングされたシナリオ通りのデート。祝福するのは、日英両機関の幹部と、政府首脳だけ。

 きっと彼らも今、どこかに設置されたカメラ越しに、二人のデートをモニタリングしているのだろう。

 そして彼らはこう言うのだ。『実に素晴らしい真実の愛ですね。二人のデートは大成功だ』と。反吐が出る。

 

 俺と兄貴は今、政府特命の『現地観測員』という名目のもと、望愛達から少し離れたところで二人の動向を逐一上に報告している。

 兄貴に無理を言って、ポストを一枠空けて貰ったのだ。感謝してもしきれない。

 

 俺達は二人が移動するのに従い、一定の距離を保って移動する。

 

 二人は今、浅草名物の人形焼きを食べている。

 望愛が袋から一つつまみ上げ、ロバートの口に放り込んでやる。二人は一瞬見つめ合い、そして微笑み合っ────

 

「ナオ、大丈夫か?」

 

 兄貴が俺の肩を叩く。俺はハッと我に返る。

 

「やっぱ、きちぃな・・・・・・」

 

 額から嫌な汗が流れる。

 

 今、俺の中に生まれたこの感情は、焼きもちや嫉妬なんていう、綺麗なものではない。

 これは多分、もっとドス黒く、混沌とした、醜悪な感情だ。決して人に見せてはいけない、醜い俺の、醜い感情だ。

 

 

「兄貴」

「・・・・・・どした」

「後で人形焼き、おごってくれ。俺まだ食べたことねぇんだ」

「わかった。好きなだけ買ってやるよ」

 

 

 

 浅草寺から離れ、望愛とロバートは下町の方へとやって来た。人通りはまばらで、穴場のような雰囲気を醸し出している。

 ふと、望愛が顔を赤らめてうつむいた。

 何やら話している。話を聞いたロバートは苦笑し、うんうんとうなずく。

 望愛は何度か頭を下げたあと、キョロキョロと辺りを見渡し、近くの公園のトイレへと駆け込んでいった。

 俺と兄貴は、二人で顔を見合わせ苦笑する。

 ロバートもてくてくと公園に向かい、ベンチに座り込んだ。

 

 

 ──ブー、ブー、ブー

 

 

 望愛がトイレに入った直後、ポケットの中のスマホが震える。

 もしやと思い、俺はスマホをとりだし確認する。・・・・・・スマホには、望愛からのメッセージが届いていた。

 

『ナオ、見てるんでしょ?』

 

 俺はすぐに「うん、兄貴と一緒」と送信する。

 既読はすぐについた。十秒ほど遅れて、メッセージが届く。

 

『ごめんね』

『ボク、ロバートさんにあんなことしちゃった』

 

 あんなこと、とは多分、人形焼きのことだろう。

 

「気にすんな。大丈夫だから」

 

 送信する。不思議と手が震える。

 メッセージが届く。

 

『気にするよ!』

『本当にごめんね』

『ごめんね』

 

 ぽつり、画面に雫が落ちる。天気は見事なまでの秋晴れ。狐の嫁入りだろうか?

 文字を打つ手が震える。

 

「謝んな」

「何があっても」

「俺は」

 

 その続きを打とうとして、手が止まる。指が震えて、定まらない。

 

 

 ──ナオ、大丈夫

 

 

 メッセージが届く。

 メッセージは続く。

 

『大丈夫』

『ボクも同じだよ』

 

 メッセージを読む。雫が落ちる。視界がぼやける。

 

『お土産、部屋に帰ったらすぐに渡すね』

 

 写真が送られてくる。

 二つの良縁守の写真を見たとき、俺は遂に耐えきれなくなった。

 

 

 もし神や仏がいるのなら、どうかお願いします。俺と望愛の縁を、守ってください。

 空は、雲がちらつくものの、見事に晴れていた。



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第四十九話 包まれたもの

 お昼からは食事会を挟み、関係各所への挨拶まわりが始まる。部屋に戻れるのは夜遅くになるだろう。

 『デート』を終えたボクとロバートさんは、食事会の会場である某高級ホテルにやって来た。

 ボクはそこの控え室で、先程とは違う服にドレスアップし、出番を待つ。

 ・・・・・・ほんとはこんなに綺麗な衣装も、お化粧も、ナオに最初に見て欲しかった。

 一刻も早くナオの顔を見たい。そして、お土産を渡して、ごめんなさいともう一度謝りたい。

 

 一緒のお墓に入る。そうナオと約束した。たがえる気は全く無い。

 それでも少し、不安になる。ナオを信じてない訳じゃないけれど・・・・・・。

 

 控え室のドレッサーについた鏡に、ボクの顔が映る。

 マスカラにアイシャドー。チークや口紅等々、一度は名前を聞いたことがある超高級ブランドのお化粧道具を駆使して彩られたボクの顔だ。

 普段は滅多にこんなに立派なお化粧はしない。めんどくさいから、と言うのもあると思う。

 でも一番は、ナオの前では出来るだけ素に近い自分でありたいから、だと思う。

 

 今、鏡に映るボクの顔は、なんだかボクじゃないみたいだ。あまりにも綺麗すぎて、作り物のようにみえて、別人のように見える。

 多分ボクにはこう言うの、合わないんだ。

 ボクはお姫様になりたかった訳じゃない。普通の、どこにでもいる普通の女の子になりたかった。今すぐナオのところに、帰りたい。

 

 ボクはただ、ナオの側にいたいんだ。

 

 

 コンコン、と、誰かが部屋のドアをノックする。

 

「望愛さん、入っても大丈夫デスか?」

 

 相手はロバートさんだったようだ。

 

「はい、大丈夫です!」

 

 ボクはドレッサーの前に座ったまま、そう答える。

 ロバートさんは「失礼します」と言って、ドアを開けた。

 

「oh・・・・・・望愛さん、似合ってますよ」

 

 タキシード姿のロバートさんはボクを見て少し驚くと、そう言って微笑んだ。

 

「まるでプリンセスのようデスね。きっと皆さん、目を奪われることデしょう」

「ロバートさんこそ、タキシード似合ってますよ。王子様みたいで」

「恐縮デス」

 

 ロバートさんはボクの隣に進み出る。

 

「・・・・・・直人くんが気がかりデスか?」

 

 静かな部屋に、声が響く。

 ボクはこくり、と小さくうなずいた。

 ロバートさんは「そうデスか」と呟き、続けた。

 

「この食事会、直人くんも招待されているようデスね」

 

 ボクは思わずロバートさんを見る。

 彼はニコリと笑うと、ボクに一つの小さな紙包みを手渡し、耳元でささやいた。

 

「私が部屋を出た後、その中を見てください。きっと、全て上手くいきます」

 

 ロバートさんはそう言って一歩下がる。

 ボクが何か言おうと口を開く前に、彼は言う。

 

「それでは十分後、再びお迎えに上がります。では・・・・・・」

「あ、ち、ちょっと!」

 

 彼は、ボクの制止も聞かずに、部屋を出ていってしまった。

 

 ボクは部屋で一人、呆然と立ち尽くす。

 ふと、先程ロバートさんの言ったことを思い出し、右手の紙包みを見る。

 手のひらに収まるサイズの小さな紙包み。中に楕円形の何かが入っているようだ。

 ボクは紙包みの封を切り、中を見る。

 そこには小さなカプセル錠が一つと、びっしりと書かれた日本語の文字列があった。

 

 

 

『その薬は、抗能力剤と言うものです。服用すれば、貴女のヒーローとしての力が大きく減衰します。それこそ、ヒーローで要られなくなるほどに・・・・・・。きっと、貴女が今最も欲している物でしょう。英政府が極秘裏に製造していたのをくすねてきました。もっとも副作用として、数時間~二日程度昏睡状態に陥りますが、貴女ならきっとこれを喜んで服用することでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日の夜、私はこの世界全ての人類に対し、怪物やヒーローの存在を公表するため、香住総理や湯村さんと共に行動を起こします。その混乱に乗じて貴女は直人くんと共にこの街を、そしてこの国を脱出してください。貴女は、貴女を想う少年と、添い遂げて下さい・・・・・・』



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第五十話 一錠の悩み

 ボクは手のひらの薬を見つめ、唾を飲み込む。

 話が本当なら、ボクはこれを飲めば普通の女の子になれる。

 ・・・・・・そして、ナオと添い遂げることが出来る。

 

 でも、それで良いのかと思う自分もいる。

 普通の人間になったら、誰がナオを守るのか? と。

 あの日ナオが出したあの力。きっと、あれを使いすぎるとナオは人でいられなくなる。

 ボクは今、本当にこれを飲むべきなのだろうか。そもそもボクは、ヒーローを辞めても良いのだろうか。

 大勢のヒーローがこの国で、世界で、生まれ持った宿命に縛られ、傷付き、倒れている。

 そんな中で、ボク一人がのうのうと一抜けをしても良いのだろうか。

 

 目の前に、手の届くところに思わぬチャンスが訪れたとき、尻込みしてしまうのはボクの悪い癖だ。こう言うときの決断力が、ボクには無い。

 昔は、今まではそれでもなんとかなっていた。それは、ボクのとなりにはいつもナオが居たから。

 いざというとき、ナオがボクを引っ張ってくれた。導いてくれた。手を引いてくれた。そして、一緒にいてくれた。

 でも、今はそうじゃない。今ここに、ナオはいない。やっぱりボクは、ナオがいないと駄目なんだと心底思い知らされる。

 

「もし今ナオがいたら、なんて言うだろうなぁ・・・・・・」

 

 思わずボクは呟く。きっとナオは、ヒーローから解き放たれることを喜んでくれるだろう。

 副作用のことを心配こそすれ、それでも喜んでくれるはずだ・・・・・・でも、どうしても踏ん切りがつかない。

 

 

 ──コンコン

 

 

 ドアがノックされる。ボクは時計を見る。もう約束の十分が経過してしまったようだ。

 

「望愛さん、準備できたようデス。行きましょうか」

 

 ドア越しにロバートさんが言う。ボクは急いで薬と紙を胸元に隠す。・・・・・・ポッケが無いのがこんなに不便だとは思わなかった。

 

「はい、わかりました」

 

 ボクはそう言って内側からドアを開け、部屋の外に出る。

 そこにはタキシード姿のロバートさんと、お付きの人が数名立っていた。

 

「望愛さん、行きましょうか」

 

 ロバートさんは再度そう言って、手を差し出す。

 

「はい・・・・・・」

 

 ボクは少しうつむき加減で答え、彼の手を取る。ごつごつとした、大きな力強い手だ。

 

 ロバートさんはにっこりとうなずき、ボクの手を優しく引いた。

 

 長い長いレッドカーペットの廊下を、ボクたちは進む。

 不思議と緊張はしなかった。ボクの頭の中には、ナオのことと薬のこと、そして今後のことしかなかった。

 足取りは重い。それでもロバートさんは、ボクにあわせてゆっくりと先導してくれた。

 

 ボクたちは大きな扉の前に出る。この向こうが、会場だ。

 

「さぁ、望愛さん。笑って下さい」

 

 ロバートさんが優しく言う。

 ふぅー、と、ボクは息を吐く。そして、もう慣れてしまった作り物の笑みを浮かべ、返事をした。

 

「はい、ロバートさん」

 

 扉が開かれる。割れんばかりの拍手の音が響く。

 大勢の人々が、ボクたちの姿を見上げる。皆作り物の笑みを浮かべて、大喝采を送る。

 ボクたちはそれに優しく微笑んで、手を振る。

 

 全ての人が、同じ顔にみえた。まるでロボットか操り人形のようだ。

 個性の無い、感情の無い、ただ同じ動きをするだけの存在。まるで今のボクみたいだ。

 そんな無個性な彼らにボクは手を振り、会場を見渡す。見渡す。見渡──

 

「──!!」

 

 

 そんな中に、その人は立っていた。

 会場の隅の隅。端っこの方に追いやられ、回りよりも頭一つ身長の低い彼は、それでも懸命に人と人との間から顔を出し、ボクに拍手する。

 

「・・・・・・ナオ」

 

 自然と口から声が出た。

 そうだ、そこにはナオがいる。ナオだけは、ボクの姿を真っ直ぐに見てくれる。

 ボクは胸に手を当てる。カプセル錠の形が手に伝わる。

 

 

 

 ────迷う必要は、無くなった。



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第五十一話 ラ・ピュセル、或いは天使、または望愛

 食事会が始まる。

 総理の厚意で、会場の隅の隅、端っこの端っこではあるが、なんとか席を与えられた俺と兄貴は、二人並んで椅子に腰掛けている。

 周囲に座るのは、俺よりも頭一つ分以上大きな英国紳士や、屈強な日本人の巨漢達。皆、機関の人間だ。

 いつか兄貴が言っていた言葉を俺は思い出す。

 

 ──ヒーロー機関の関係者達にとって、憧れの存在なんだと──

 

 その言葉通りなのか、彼らは積極的に話し掛けてくる。

 やれ「ジャンヌ嬢とはどこで知り合ったのか」だの、「出会ってどれぐらい経つのか」だの、「どこまでいったのか」だの・・・・・・最後のは若干セクハラだからな?

 最初は少し緊張していたが、皆、案外フレンドリーに接してくれたのもあって、段々と緊張がほぐれてきた。やはり望愛の影響力は偉大だ。

 

 そんな彼ら彼女らとの話し合いの最中、ふと会場全体を見渡してみる。

 案外年齢や性別はばらつきがあり、俺より少し上ぐらいの若い人だって居れば、長い髭を蓄えた長老のような人物もいたりする。

 秘密主義かつ能力主義のヒーロー機関らしいとも言える。そしてそんな会場前方には、日英両首脳の姿があった。

 

 なんでも、今のイギリス首相と香住総理は古くから親しい友人で、家族ぐるみで付き合いがあるらしい。

 望愛とロバートの今回の件も、そう言った彼らの友人関係が影響しているのかも知れない。

 

 

 しばらく経ち、俺達が談笑していると、突然照明が暗転し、会場正面がほのかに明るく照らされた。どうやら、主賓(しゅひん)の登場らしい。

 

『皆様、拍手でお迎えください!』

 

 司会の女性が日本語でそう言い、ワンテンポ遅れてイギリス英語で復唱される。

 会場にいた全ての者が椅子から立ち上り、拍手をする。出遅れた俺も急いで立ち上がり、人と人との間からなんとか顔を覗かせる。

 カツカツと歩む音が、拍手に混じって聞こえる。

 俺はその正体を知りたくて、なんとか背伸びをして、首を伸ばして見ようとする。

 だが、やはりガタイのいい高身長な彼らの背に邪魔されて、思うように見ることが出来ない。

 そんな俺の動きを知ってか、一人の男が後ろを振り返ってニカッと笑うと、少し横に逸れてくれた。

 俺は会釈し、その間から顔を覗かせる。

 

 

 ──そこから見えた景色に、俺は思わず息を飲んだ。

 

 

 ウエディングドレスを思わせる真っ白な衣装に、きれいな化粧。

 垢抜け、とでも言うのだろうか。昨日までの姿からは想像もつかない大人びた、美しい望愛の姿があった。

 

 俺は口をぽかんと開けたまま、気付けば先程よりももっと強く手を叩いていた。

 

「望愛、綺麗だな」

 

 ボソッと、兄貴がそうささやく。

 

「あぁ・・・・・・ほんとに、綺麗だ」

 

 俺はそう返し、何度もうなずく。

 望愛はにこにことはにかみながら、隣のロバートと共に会場全体に手を振る。

 

 

 ふと、望愛の手が止まった。

 俺と望愛の視線が交差する。

 目と目が合う。

 望愛は目を閉じ、胸に手を当てるような動作を見せる。

 そしてゆっくりと目を開け、今日一番の笑顔を見せた。

 

 

 そんな望愛の目を、俺はきっと生涯忘れないだろう。

 

 望愛は今この瞬間、きっと俺の想像もつかないような、大きな決断をした。

 

 不思議と、俺の中にそんな確信が芽生えた。

 

 

 食事会は、幕を上げる。

 大きな波乱を、内に秘めて・・・・・・。

 

 

 *

 

 

 食事会は幕を上げた。

 豪華な料理が次々にテーブル上に運ばれ、皆それを作法の通りに食べてゆく。

 ・・・・・・正直に言って、あまり味は分からなかった。

 望愛に教えて貰ったマナーを守るので精一杯で、味に気を遣っている暇は無かったのだ。

 

 

 そういえば、さっき周囲を見渡したときに、違和感を覚えた。

 一段落ついたところで、もう一度会場を見渡して、やっとその違和感の正体に気づいた。

 ──支部長、烏丸敏浩(からすまるとしひろ)の姿がどこにも見当たらないのだ。

 あのミイラのような包帯頭を、見間違える訳がない。

 身長もそこそこあったし、埋もれている訳では無いだろう。なら、何故・・・・・・

 

「おい、兄貴」

 

 俺は横の兄貴に小声で呼び掛け、肘で軽くつついた。

 

「どした? お花摘み(便所)か?」

 

 兄貴は紙ナプキンで口を拭くように隠しながら、小声で答えた。

 

「ちげぇよ。会場にくる前に二人で済ましたろ」

「それもそうか。んじゃどうした?」

 

 俺は一呼吸置き、呟いた。

 

 

「烏丸が、居ない」

 

 

 ガタリと音を立てて兄貴が立ち上がり、驚嘆する。

 

 ──絶叫が響いたのは、その直後の事だった。

 

 

 大丈夫ですかッ!!

 

 

 前方から放たれた女性の声が、会場に木霊する。

 一瞬の静寂の後、ざわめきが全体に広がった。

 

 何が起きているのかわからない俺はただ、キョロキョロと辺りを見渡した。

 ボソボソと何かを呟きながらうつむく兄貴をよそに、俺は前方に目をやった。

 

 ・・・・・・先ほど望愛の居た所に、人だかりが出来ている。

 

 冷たいものが、背を撫ぜた。

 俺は人と人との合間を縫って、そこに向かう。

 後ろから兄貴の呼び止める声が聞こえるが、そんなもの関係はない。

 

 

 人だかりのところまで来た俺は、集まる彼らを押し退け、間をくぐり抜け、中に入った。そして、見てしまった。

 

「望愛っ!!!!」

 

 まるで眠ったように床に倒れ伏す望愛に駆け寄り、抱きかかえる。

 

「望愛! おい望愛っ!!」

 

 呼び掛けるも、望愛は目を覚まさない。

 バクつく俺の心臓をよそに、望愛の鼓動は一定のリズムを保っていた。

 

「レー卿、今医者を呼びました」

 

 低い男の声が、背後から響いた。ロバートだ。

 

「顔色も心拍も安定しています。今のところ命に別状は無いでしょう」

 

 ロバートは額に汗を流しながらも、冷静にそう言って片ひざをつき、俺の横に並ぶ。

 

「何があった?」

 

 そんな冷静さに腹が立つ。俺はロバートを睨み付け、聞いた。

 そんなロバートは横目で俺を見ると、またも冷静に、こう言った。

 

「事態が落ち着いたときにまた、お話しします。今はただ、彼女と共にいてあげてください。貴方にしか、出来ない仕事です」

 

 そう言ってロバートは優しく微笑む。

 

 そんな大人なところまで無性に腹が立つのは、きっと俺がまだまだ子供だからなのだろう。



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第五十二話 ロバートは口下手

 間も無く医者が到着し、望愛はヒーロー機関直属の病院に緊急搬送された。

 

 食事会は即刻中止となり、驚きと困惑を残したまま、解散の運びとなった。そして今、俺は・・・・・・

 

「おいロバート。俺が高いところ苦手なの言ってなかったか?」

「む? それは初耳デス。今すぐ戻りますか?」

「上昇真っ只中のエレベーターからどう戻ろうって?」

 

 俺は今、ロバートと二人で、東京タワーの展望台に向かうエレベーターに乗っている。

 

 事の発端は二時間ほど前までさかのぼる。

 望愛は緊急搬送先の病院で、命に別状はないとの診断が下された。

 ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、機関本部によって病院は即刻閉鎖、誰も病院に近づくことが出来なくなった。

 そんな最低最悪のタイミングで、ロバートが俺に「先ほど出来なかったお話しをしたい」と持ち掛けてきた。

 

 そして、今に至るのだ。

 

 

 平日の昼過ぎと言うこともあって、展望台に集まる人はまばらだ。あまり大きな声でなければ、怪しまれることはないだろう。

 

「・・・・・・それじゃ、話してもらおうか。ロバート、何があった?」

 

 展望台においてある椅子に腰掛け、俺はそう聞く。ロバートは「少し長くなりますよ?」と前置きをし、話し始めた。

 

「今からおよそ、十三年ほど前になりますか。日本のとある科学者が、ある物質を発見しました。ヒーロー機関に所属していた彼は、その物質の持つ力と副作用、その特異な構造を目の当たりにし、こう名付けました。──抗能力物質・リス(百合)と」

 

 ロバートは膝を組み直した。

 

「リスには、ヒーローの能力を一時的または永久に抑制する効果がありました。しかしその反面、百合に良く似た、凄まじい毒性を有した、危険な物質でもあったのです」

 

 ロバートは天井を見上げた。

 

「リスの実験は、発見から十一年後、ヒーロー研究の二大先進国であった日本とイギリス、そしてその二か国に一歩遅れをとっていたフランスとアメリカの四か国の共同で行われました。・・・・・・私の妻は、その被験者でした」

 

 彼は、静かに目蓋を閉じ、椅子にもたれ掛かった。

 

「妻は能力こそありましたが、ヒーローの選考からはギリギリ外れ、英国ヒーロー機関のメディカルスタッフとして働いていました。彼女の能力は、治癒、でした」

 

 俺はハッとロバートを見た。

 ロバートの能力は、治癒だ。

 彼は、力無くにこりと微笑み、話を続ける。

 

「能力が他者に継承されるルートは、主に二つあります。一つは、親から子への継承。そしてもう一つは・・・・・・粘膜同士の接触による継承。これは、感染と称した方が良いかも知れませんね」

「粘膜同士の、接触?」

 

 俺は思わず復唱した。ロバートはこくりとうなずく。

 

「キスや、そのもっと先の事を行うと、その能力は継承、もとい相手にうつることがあります。かなり可能性は低いものですがね。この能力は、妻から受け継いだものデス」

 

 ロバートの話しに、俺は息を飲んだ。

 

「それじゃ、俺のあの時の力は・・・・・・」

「ええ、あなたが怪物予備軍だからと言う訳では無く、貴方が望愛さんから力を継承したと言うことでしょう」

 

 ロバートは、静かにそう言って、続けた。

 

「私は元々、何の能力もないただの軍人でした。しかし、海外との合同演習中に偶然怪物と出くわしてしまいました。駆け付けたヒーローによって怪物は倒されましたが、私の隊は、私を除いて全滅。私も死の淵を彷徨いました。そんなところを、妻に助けられたんデス」

 

 過去を懐かしむように、ロバートは微笑んだ。

 

「以来、私と妻は頻繁(ひんぱん)に会うようになりました。その頃の私は、軍人と機関の機動隊、二足のわらじをはいていました。そしてある日、機関から通達がありました」

 

 ロバートの表情が険しいものになった。

 彼は一呼吸置き、口を開いた。

 

「私は、能力の虚弱な妻に代わり、ヒーローになることを言い渡されたのです。通達通り私は、妻と結ばれることになりました。そして、この力を継承しました」

 

 これでお仕舞いなら、どれだけ良い話だっただろう。それでも、ロバートは険しい表情をより一層険しくし、続けた。

 

「私は先ほど、能力を持たないと言いましたね。でも、たった一つだけ、私も知らなかった力があったのです。・・・・・・私は、他者から確実に能力を継承、いえ、さん奪する。そんな能力を持っていたのです。そして──」

 

 ロバートはそう言って、俺の胸を指差した。

 

「その力は、貴方にも受け継がれている」

「え?」

 

 困惑する俺をよそに、ロバートは続けた。

 

「レー卿、貴方骨髄移植を受けていますね?」

 

 俺は少し驚きながらも、うなずいた。

 ロバートは続ける。

 

「海外からの移植だったのでは?」

 

 俺は目を見開き、食って掛かる。

 

「おい待て、それじゃまさか──」

「ええ。貴方に骨髄を提供したのは、おそらく私です。その頃はまだ私もノーマークでしたし、私自身つい最近調べてみるまで知りませんでしたがね」

 

 俺は自分の両手を見詰め、ただただ困惑していた。ロバートは、そんな俺に構わず話を続ける。

 

「私が妻の力を継承した翌日、彼女は実験の成功の代償に、命を落としました。そんな私に、新たな任務がやってきました」

 

 俺は顔を上げる。

 額からは既に尋常じゃない量の冷や汗が流れているが、そんなものはもう気にはならなかった。

 

 ロバートは、大きなため息をつき、言った。

 

「余命幾ばくもない『ジャンヌ・ダルク』、有馬望愛の力を継承せよ。機関は私にそう告げました」

 

 俺は自分の太ももに、思い切り拳を打ち付けた。じんわりと、鈍い痛みが広がる。

 

 そして、ロバートは続けた。

 

 

 

 

「ジル・ド・レー卿。望愛さんは、『初めて』でしたか?」



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第五十三話 その時は今か?

 ──ジル・ド・レー卿。望愛さんは、『初めて』でしたか?

 

 

 

 一瞬、ロバートが何を言っているのか、理解できなかった。

 

 いや、違う。できなかったんじゃない。したくなかったんだ。

 俺の脳が、精神が、理性が、一つを除いたありとあらゆる全ての器官が、神経が、それを拒んだんだ。

 

 ・・・・・・だが、耳は正直だった。

 

 鼓膜に、耳小骨に、聴覚細胞に、ロバートの放ったその言葉は、深く刻み込まれた。

 否応なく、理解させられた。理解せざるを得なかった。

 

 嫌な汗がだらだらと流れる。

 手足が、口が、小刻みに震える。

 体温が下がり、血の気がサッと引いていく。

 

 俺は、ガタガタと震える顎をどうにか抑えて、ようやっと言葉を絞り出した。

 

「今、何つった?」

 

 俺は震える手で、服の内ポケットに手を伸ばし、探る。

 

「貴方には、私を殺す権利がある。言い訳は、しません」

 

 殊勝な心掛けだな。ロバート・ブルース。待ってろ、今その面に風穴を空けてやる。

 

 俺は内ポケットをまさぐり、ようやくそれをつかんだ。

 樹脂製グリップの感触が、右手の包帯越しに伝わってくる。

 俺はそれを、震える手でゆっくりと引っ張り出す。そして────

 

 

「ナオ、駄目だ」

 

 

 聞き覚えのあるその声と、彼の手に、止められた。

 声の主は、俺の右腕をしっかりとつかみ、左肩を抑えて、俺の動きを止めた。

 

「兄貴、手をどけてくれ」

「駄目だ」

「冗談きついぜ、兄貴」

「冗談だと思うか?」

「兄貴は昔から下らない話ばっかしてたよな。ほら、もう良いだろ。どけてくれ」

「断る」

 

 俺は兄貴の腕を必死に振り払おうとする。だが、兄貴はびくともしない。

 

「邪魔してくれるな、兄貴。こいつがなにしたか、知ってんだろ?」

「たとえ何があっても、俺はお前を邪魔しなくちゃならないんだよ」

「あんたも所詮、機関の人間だったってことかよ」

「どれだけ恨んでくれたって構わない。だから、その銃を離してくれ」

 

 兄貴は懇願するように言う。

 

 

 悪いが兄貴、その願いは聞けない。

 

 

「・・・・・・手を離してくれ、兄貴」

「お前がそれから離してくれたら、俺も手をどける」

「俺はどうしてもこいつを殺さなきゃならないんだよ」

「香住さんは、こんなことのためにそいつをお前に託した訳じゃねぇぞ」

「あの人は必要になったときに使えと言った! 今がそのときだろうがよ!!」

 

 

 その瞬間、耳元で兄貴の怒号が響いた。

 

 

「てめぇは望愛を人殺しの彼女にするつもりか!!」

 

 

 耳がキィンと鳴った。

 あまりの大声に、思わず俺は銃から手を離してしまった。

 兄貴はすぐに俺の右腕を引っ張り出した。

 

 兄貴がこんなに怒りを露にしたところを、俺は見たことがなかった。

 

「望愛の気持ちを考えろ。あいつは、こんなこと望んじゃいない。お前が人殺しになったら、あいつはどうなる?」

「・・・・・・」

 

 諭すような兄貴の声。俺は何も、言い返せなかった。何も、何も・・・・・・。

 

「今、何で望愛が昏睡してるか、もう聞いたか?」

 

 俺は静かに首を横に振る。

 兄貴は静かにため息をつき、鋭い目でロバートを睨み付けた。

 

「ロバートさん、貴方も貴方だ。もっと順序だてて話をしないから、危うくこいつは殺人犯になるところだった」

 

 ロバートは少し肩を落としながら、言った。

 

「すまない、ミスター湯村。でも、彼にはそうする権利がある。だから話さないと、と思って──」

「もういい。貴方は黙っていて下さい」

「・・・・・・すまない」

 

 兄貴はもう一度ロバートを睨み付けると、俺の腕を離し、話し始めた。

 

「抗能力剤。望愛はそいつを、自分の意思で飲んで、ああなった。少なくとも、明日の夜には目を覚ます」

「抗能力剤?」

 

 俺が聞き返すと、兄貴は小さくうなずき、続けた。

 

「十何年も前、キノサキと言う日本の科学者が見つけた成分を含んだ薬だ。こいつを飲めば、能力はほぼ打ち消される。つまり望愛は、ヒーローじゃなくなる」

 

 俺は目を見開き、驚いた。

 

「ほんとか、ほんとに望愛は、ヒーローを辞められるのか!?」

 

 兄貴は、大きくうなずいた。

 

 俺にはとても、嘘を言っているようには思えなかった。

 今はただ、信じたい。

 あまりにも展開が早い。一々考えるのにも、もう疲れてしまった。

 俺はただ、望愛と普通に暮らしたい。ただ、それだけなんだ・・・・・・。

 

 

「ああ。だからナオ、お前に手伝って欲しいことがある」

「何だ?」

 

 兄貴は小さく息を吸うと、こう言った。

 

 

「明日の夜、望愛をつれて逃げてくれ」



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第五十四話 怪物の決断

 心のざわめきは、波紋のように静かに広がり、収束する。

 

 望愛をつれて逃げる。

 

 俺に求められたのは、その一つだけ。

 だが、その一つのことがどれほど重要なことかは、兄貴のその目をみればわかった。

 要は望愛は、ヒーロー機関にとっての人質なのだ。

 人質を確保してしまえば、あとはどうとでもなる。そう言うことなのだろう。しかし、

 

「兄貴、俺に白馬の王子さまは務まらねぇよ」

 

 そう言って俺は右腕の包帯を外す。

 内出血の跡は、未だに醜く俺の腕に残っている。

 そんな俺に、兄貴は静かに告げる。

 

「何も、王子さまになる必要はない。王子さまにはなれずとも、姫をさらう怪物にはなれる。だろ?」

 

 兄貴は微笑む。

 

「美女と野獣、ねぇ。そんな良いもんじゃ無いだろ?」

「良いものにするかしないかは、ナオに任せる。どうする? やってくれるか?」

 

 俺はため息を一ついて立ち上がり、目を閉じる。

 

 目を閉じると、今まで望愛と過ごしてきた時間が、思い出が、まるで走馬灯のように駆け巡った。

 

 ──有馬・・・・・・望愛、です。よろしく・・・・・・

 

 

 ──ナオ、ボクの横にいて。どっか行かないで・・・・・・

 

 

 ──ボク、ヒーローなんだ!

 

 

 ──一緒に責任とってね?

 

 

 ──それじゃ、行ってくるね!

 

 

 ──ナオ、ありがとう・・・・・・

 

 

 ──ナオー! 着替えてきたよー!

 

 

 ──声が、聞こえたの

 

 

 ──帰ってきたら、ボクの秘密を、ナオに話すね

 

 

 ──手、つないでくれる?

 

 

 ──うーん、唐揚げ!

 

 

 ──本当に良かったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!

 

 

 ──ナオ、死んじゃやだよ!

 

 

 ──ナオのバカぁ!!

 

 

 ──ボク、もう長くないんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──一緒に生きて、これまでみたいに楽しく過ごして、それで一緒のお墓に、入りたいです!

 

 ──息子さんを、弟さんを、お兄さんを、ボクに下さい!!

 

 

 望愛・・・・・・。

 

 

 ──約束してくれなきゃヤダ

 

 

 

 こんな醜い俺でも、疲れてしまった俺でも、お前の怪物(ヒーロー)に、なりたいよ。

 

 俺は、お前と・・・・・・望愛と、幸せになりたい。

 

「・・・・・・望愛と約束したんだ。一緒に生きるって。一緒の墓に入るって」

 

 

 ──行こっか、ナオ

 

 

「約束したんだ。南の島に、逃げようって」

 

 俺の進むべき道は、歩むべき道は、もう決まっている。

 

「俺は、望愛と一緒に生きたい。望愛と一緒に、幸せになりたい」

 

 俺は、もっと望愛に笑って欲しい。喜んで欲しい。はしゃいで欲しい。

 何者にも縛られない、自由な姿で、いて欲しい。

 ただ、それだけだ。

 

「俺はあいつを鎖から、解き放つ。王子さまになるつもりは毛頭ない。俺は怪物(ジル・ド・レー)。聖女を守る、守護の騎士」

 

 俺は兄貴の方に向き直る。

 

「どうすれば、望愛を助けられる?」

 

 兄貴は嬉しそうに、微笑んだ。

 

 

 

 

「──これが、計画と、当日のナオの動きだ。一応この手帳にも同じことを書いておいた。ホテルに帰ったら、準備よろしく」

 

 そう言って兄貴は俺に小さな手帳を渡す。

 俺はそれを受け取ると、中をパラパラとめくり、そしてポケットの中に仕舞った。

 

 兄貴の語る計画の内容はこうだ。

 午後七時頃、合図と同時にロバートがとある行動を起こす(この行動については、ロバート本人と総理以外誰も知らない)。

 その行動で機関の連中や警察が混乱を起こしたのと同時に、俺は兄貴の手配した車に乗って病院の裏口から侵入。

 望愛を連れてそのまま病院を出て、行きと同様の車に乗り、そのまま東京を脱出。

 脱出を確認次第、香住総理以下政府首脳はヒーローや怪物の存在を全世界へと公表する・・・・・・。

 

 個人的にはロバートが計画の中枢を担っていると言うのが気にくわないが、囮として存分に引き付けて貰おう。

 ・・・・・・いっそのことそのまま消え去ってしまえば、文句はないのだが。

 

「ここまでで質問は──」

「ない」

「りょーかい。それじゃ、今日はここでお開きにしよう。ナオ、ホテルまで送るからついてきな。ロバートさんも、明日に備えて休息をとってください」

 

 俺は兄貴と共にエレベーターに向かって歩いていく。

 

 数歩歩いたところで、俺はふと足を止めた。そうだ、言わなきゃならないことが一つ、あったんだった。

 俺は振り返る。ロバートはまだ、椅子に腰かけている。

 俺はそんなロバートに近づき、正面に立ってこう言った。

 

「ロバート・ブルース。俺は出来ることなら、この手であんたを殺してやりたい」

 

 ロバートは顔を上げ、俺を見つめる。

 

「でも俺は、あんたに構ってる暇はない。俺はどんな手段を使おうと、望愛を助ける。その為に、今は一旦見逃してやる。だが忘れるな、英雄ロバート・ブルース。俺はお前を許さない。たとえ何があろうとも・・・・・・」

 

 ロバートは少し微笑むと、こう言った。

 

「貴方は、優しいですね。本当に、本当に・・・・・・」

 

 

 俺は早足で兄貴に追い付く。

 明日の夜、全てが決まる。

 不思議と俺の心に、恐怖はなかった。

 

 夕日が、痛いほど眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──香住総理、貴方もバカですなぁ。我々機関の指図に従って下されば、長生きできたろうに。・・・・・・機関の存在は、なんとしてもひた隠しにさせて貰いますよ。この私、烏丸敏浩の名に懸けて」



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第五十五話 狼煙

 首相公邸。その自室で今、私は椅子に腰かけている。

 

 机の上には、もう五年ほど前から纏めはじめた大きなアルバムと、USBメモリーの差し込まれたノートパソコン。

 この中には、私の全てが詰まっていると言っても過言ではない。

 妻と子を相次いで失った私の前に突如現れた女神──否、聖女は、今や私にとっては何者にも代えがたい無二の存在になっている。

 

 ・・・・・・だから私は、彼女(有馬望愛)を解き放ちたいのだ。

 

「総理、お久しぶりですね」

 

 目の前の真っ黒なスーツを着た、包帯の男がそう口にする。直接会うのは一年ぶりになるだろうか。

 

「いささか乱暴な手口を使わせていただきましたが、お許し下さい。こうでもしないと貴方は私に会っては頂けないでしょう?」

 

 男はそう言って椅子に腰かける私に歩み寄る。

 男の背後には、多くの機動隊員が控えている。

 

「総理の部屋に・・・・・・土足で上がり込んでくるとはな、烏丸」

 

 私は椅子に腰掛けたまま、右肩を抑えてそう言った。

 焼けた棒を右肩にねじ込まれたような感覚が走る。机や床は朱に染まり、若干の寒気さえしてきた。

 

「おっと、公邸の扉を爆破したことはお咎めなしですか?」

「お前を咎めるのは、私ではない。この国、この世界、この時代だ」

 

 今出来る精一杯の啖呵(たんか)を、烏丸に切る。だが、不機嫌総理の睨み付けは、この男には通用しなかったようだ。

 

「この世界? この国? この時代? 私はこの国のため、世界のために機関を率いてきた。咎められるべきは、そちらなのでは?」

 

 烏丸は、そう言って拳銃を私に突きつける。

 

「私はただ、尊いものを守りたかっただけだ」

「尊いもの? この国に住まう日本国民一億五千万人よりも、もっと尊いものがあると仰られますか?」

「ああ。もっとも、貴様にはわからないだろうがな。我が子を人とも思わぬお前には、わからんさ」

 

 そう言って私は唾の代わりに血を吐いた。

 烏丸の真っ黒なスーツに、私の血がベッタリと付く。良い色じゃないか。

 だが、烏丸は全く気にした素振りを見せぬまま、拳銃の安全装置を外し、言った。

 

「残念ですが総理、時間です。貴方はまだ若い。今すぐそのUSBに入っている物を渡して下さい。そうすれば、貴方の命はお助けします」

 

 

 自然と、笑みがこぼれた。

 今までの人生を回顧する。

 良い人生だった、とは言えないかもしれない。だが、悪くはなかった。少なくとも最後に、やりたいことを成し遂げられたのだから・・・・・・。

 

 

「・・・・・・お前との話は、もう終わりだ。貴様とこれ以上話すつもりは、毛頭ない」

 

 烏丸は引き金に指をかける。

 

「話せば分かる、とは言って頂けないのですね?」

 

 残念そうにそう言う烏丸に、私は大声で笑い声を上げて、言ってやった。

 

「ハッハッハッハッ!! 話してもわからんことを、なぜ話さねばならないのだ!!」

 

 烏丸はまた、残念そうに言った。

 

「では総理、おさらばです」

 

 烏丸は引き金を引く。

 

 

 ・・・・・・城崎直人。あとは、頼んだぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッ!! やってくれましたな総理! このUSBには、ヒーロー法改正案なんて最初から入っていなかった! ・・・・・・お前達、一刻も早く法案を探せ! なんとしてでも、見つけ出せ!!」

「烏丸総司令!」

「なんだ!」

「渋谷のスクランブル交差点に、巨大な怪物が現れました!!」

「・・・・・・これも、貴方の仕業ですか、香住総理! 仕方がない。お前達は引き続き公邸内部をくまなく探せ。私は、『あれ』を呼んでくる。時間稼ぎぐらいには、役立つだろう」

 

 

 烏丸と、その機動隊は部屋をあとにした。

 香住総理の亡骸と、弾けんばかりの笑顔を浮かべた、ある少女の写し出されたパソコンを残して・・・・・・。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 ──♪ ──♪ ──♪

 

 スマホのアラームが鳴り響く。

 

 ホテルのエントランスから外を覗き、確認する。

 どうやら予定通り、迎えが来たようだ。

 俺は急いでホテルを飛び出し、迎えの車に滑り込む。

 

「兄貴、行こう」

 

 俺は運転席に向かって、そう言った。

 

 どうやら狼煙は、上がったらしい。



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第五十六話 有馬望愛奪還作戦

 その男は、全てに決着をつけるため、愛する亡き妻のため、渋谷の町に訪れた。

 

「・・・・・・私に出来るのは、ここまでデス。湯村さん、レー卿──いや、直人くん。よろしくお願いしますよ」

 

 男はそう呟き、スクランブル交差点の中央に立つ。そして・・・・・・

 

 

 ──ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!

 

 

 凄まじい叫び声と共に、渋谷の町に地獄が訪れた。

 天国を願ったものが作る、この世の地獄が──。

 

 

 

 

 

 車は凄まじいスピードで、真っ直ぐに望愛の病院に向かう。

 そんな車のラジオからは、今の東京の状況が報道されていた。

 

『臨時ニュースをお伝えします! 本日午後六時四十分頃、何者かによって突如首相官邸及び公邸が襲撃された模様です!』

 

『臨時ニュースです! つい先程、渋谷区のスクランブル交差点周辺に、巨大な未確認生物が突如出現したとの情報が多数寄せられました!』

 

「官邸が襲われた? それに、怪物!?」

 

 俺は思わずそう言った。

 

「兄貴、香住総理は・・・・・・」

「ナオ、大丈夫だ。きっと、きっと・・・・・・」

 

 兄貴は真っ直ぐ前を睨む。バックミラーに映るその額には、汗がにじんでいた。

 

 俺は懐から拳銃を取り出す。香住総理が俺に託した、その拳銃を。

 

「全部終わったら、この拳銃返しにいかないとな」

「・・・・・・だな」

 

 兄貴は静かにラジオを消し、車のスピードを上げた。

 

 

 

 病院の周辺は、驚くほど人通りが少なかった。

 入り口やその周辺には、数名の機動隊員が見張りをしており、中々入るのは難しそうだ。

 兄貴は病院から死角になる、住宅の陰に車をゆっくりと停めた。

 

「どうやって中に入る?」

 

 自然と声が小さくなる。

 俺の言葉に兄貴も小声で返す。

 

「大丈夫だ。もう一人、強力な助っ人を用意してある」

 

 兄貴がそう言った矢先の事だった。

 

「・・・・・・!」

 

 車の横に突如として機動隊員の姿が現れた。

 

 終った、と思った。こんなに呆気なく、計画がおじゃんになるのかと。

 だが、兄貴はにやりと笑って、車のドアを開けた。

 

「ナオ、安心しろ。助っ人の登場だ」

「?」

 

 俺は何がなんだかわからないまま、兄貴を追って車の外に出る。

 

 その瞬間、俺は彼の正体に気付いた。そして同時に、気まずさと申し訳なさが込み上げてきた。

 

「よう、坊主。久しぶりだな」

「機動隊の、おっちゃん・・・・・・」

 

 彼はヘルメットのバイザーを上げ、微笑む。

 だがその顔は、前に会ったときよりも随分とやつれ、頬も痩け、目の下にはうっすらとクマすら出来ていた。

 

「こんなところで会うとは、思ってなかったです」

「なんだ、ノリのあんちゃんから聞かされてなかったのか」

 

 そう言って、おっちゃんはまた笑う。

 

「それじゃあ、ナオと望愛をよろしくお願いします」

 

 兄貴はおっちゃんに深くお辞儀をする。

 おっちゃんもそれをみて、少し真面目な顔になる。

 

「おう、任せな。それじゃ坊主、行こうか」

 

 おっちゃんは俺の肩に手を当てて、そう言った。

 俺は小さく頷くと、兄貴にこう言い残した。

 

「兄貴、行ってくる」

「ああ。行ってらっしゃい」

 

 俺とおっちゃんは、二人並んで病院の裏手に回った。

 

 

「ここの見張り担当は俺だ。この裏口から螺旋階段を真っ直ぐ上に上がって三階南のど真ん中、三〇六号室。そこに嬢ちゃんの病室がある」

 

 裏口に進みながら、おっちゃんは六階建ての病院の三階部分を指さしてそう説明する。

 

「中の見張りは?」

「二階に一人と三階に二人だが、三人とも上からの呼び出しがあって今日は居ない。他の奴らは軒並み渋谷に向かわせた。今ここを警備してるのは、正面入口の二人と、南口の一人、それと俺だけだ」

 

 その後「医療スタッフも居るには居るが、三階は本当に無人だ。看護師さん一人、あの階には居ない」と付け足した。

 そうこう話していると、とうとう裏口にたどり着いてしまった。

 正面にそびえる病棟を見上げ、俺は息を飲んだ。いよいよ、最終決戦の始まりだ。

 

 だがその前に、ふと聞きたくなったことがある。

 俺は半歩後ろにいるおっちゃんの方を振り向くと、こう聞いた。

 

「・・・・・・娘さんのこと、なんですが」

 

 おっちゃんは俺の横に並ぶ。

 俺は目を合わせ、次の言葉を言おうとした。まさにそのときだった。

 

「──!」

 

 おっちゃんに、力強く抱き締められた。

 驚きのあまり身動きのとれない俺に対し、おっちゃんはこう言った。

 

「何にも思ってねぇ、って言ったら嘘になるわな。でもな、お前達は、うちの娘の尊厳を守ってくれた。・・・・・・今は、そう思うことにしてんだ」

 

 俺を抱き締める腕に、力がこもる。

 

「最後にあいつにこうしてやったのは、小学三年生の運動会だったかな。もう俺には、あいつを抱き締めてやることは出来ねぇんだ。だからさ・・・・・・」

 

 おっちゃんは腕を解き、三歩後ろに下がると、握りこぶしを作り、前に出した。

 

「約束だ。あの嬢ちゃんを、思いっきり抱き締めてやってくれ。まだ坊主はあの子にそうしてやれる。だから・・・・・・」

 

 

 ──頼む、約束してくれ。

 

 

 おっちゃんはそう言って、瞳に涙を浮かべた。

 兄貴の言葉がよみがえる。

 

『みんな、お前らを応援してるんだよ』

 

 俺は、溢れそうになる涙を堪えて、握りこぶしを作ると、前に突き出した。

 拳と拳がぶつかりあい、パチンと小さく音が出る。

 

「おっちゃん、約束します。きっと、いや、絶対に望愛を、救ってみせ(目一杯抱き締め)ます・・・・・・!」

 

 おっちゃんは、満足そうに笑った。

 

 

 

 おっちゃんとの約束を、みんなの思いを胸に、俺は、病室がある三階への階段を昇る。

 念のため拳銃はズボンの右ポケットに移し、何時でも取り出せるようにしている。

 

 音を立てないように、静かに静かに俺は階段を駆け登り、三階までたどり着いた。あとは廊下を真っ直ぐ突き当たりまで進むだけだ。

 

 病院の廊下は、まだ七時を少し過ぎた頃だと言うのに、真っ暗だ。

 非常口の緑の明かりと、背後から差す町の明かりだけが、この暗い廊下を照らしている。

 

 しんと静まり返った病棟。

 明かりが着いたままの、無人のナースセンター。

 明かりすら消えたエレベーターホールを横目に、俺は真っ直ぐ南に進んでいく。

 三〇一、三〇二・・・・・・

 病室の番号がどんどんと迫ってくる。

 三〇三、三〇四・・・・・・

 不思議と緊張はしなかった。ただ、望愛を助け出すこと。それだけが今、俺の頭にある。

 三〇五。そして、

 

「ここだな」

 

 三〇六号室。相部屋らしいが、今は一つのネームプレートだけがかかっている。

 

 ──有馬望愛

 

 俺は銃を取り出し、左手で静かに病室を開けた。

 

 六つのベッドが置かれた病室。その向かって左奥のベッドにだけ、真っ白なカーテンがかかっていた。

 俺は思わず駆け足でベッドに向かう。そして、ゆっくりとカーテンを引いた。

 

 そこには、すーすーと安らかな寝息をたてて眠る、望愛の姿があった。

 

 ようやくだ。ようやく望愛に、また会えた。

 

「望愛、迎えに来たぞ。行こう」

 

 ダメだ、まだ泣いちゃいけない。安心するのはまだ早い。

 俺はなんとか自分に言い聞かせて、望愛を背負おうと手を伸ばした。だが────

 

 

 

「ナオ。すまんがそこを退いて貰おうか」

 

 

 病室に、聞き慣れた、いるはずの無い低い声が、響いた。

 

「洲本、副支部長・・・・・・!」

 

 俺は振り向き、その男の顔を見る。

 

 男は困ったような表情で、俺を見つめていた。



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第五十七話 クライマックスは銃声と共に

「ナオ、そこを退いてくれ」

 

 困ったような顔でそう言う洲本のおっちゃん。心なしか声は押さえ目だ。

 背後には三名の機動隊を引き連れ、腰に拳銃を提げている。

 

「てっきり東京には来てないと思ってたんだけどな・・・・・・」

 

 背中や額から汗がにじむ。

 

「伝えてなかったか?」

「知らないな」

「それはこちら側の伝達ミスだ。すまんな」

 

 俺はそう会話しながら、逃げ道を探す。

 せめて望愛だけでも逃げられたら、俺はそれで十分だ。この状況じゃ、贅沢は言えない。

 

「あんたは味方だと思ってた」

「お前が変な気を起こさなけりゃ、味方だったさ。今だって、話せばわかると思ってる」

「俺はもうこれ以上、望愛を戦わせるわけにはいかない。誰にもこいつを、傷つけさせはしない!」

 

 俺は銃口を洲本に向ける。

 洲本は銃を構えようとした機動隊を手で制すと、一歩、歩み寄ってきた。

 

「動くな!」

「ナオ、俺とお前の仲だろ? 誰も俺達の殺しあいなんざ望んじゃいない」

「俺も、あんたと殺しあいなんてしたかねぇ。だから道を開けてくれ」

 

 話は平行線をたどる。

 

 背後の窓から逃げる案も考えた。だが、今の望愛が窓から飛び降りられるとは考えずらい。

 なら、望愛からもらったあの力を使うか? いや、発動条件も、コントロールの仕方もわからないまま使うのは危険すぎる賭けだ。望愛を巻き込んでしまう。

 

「ナオ。そいつはいい銃だ。人に向けるようなもんじゃない」

「あいにく手元にこれしかなくてな」

 

 洲本との距離は大股十歩ぐらい。

 手の届く位置まで詰められたら、その時点で俺の負けだ。柔道のプロに、接近戦で勝てると思うほど、夢見がちじゃない。

 

「ナオ。大勢の人が、命の危機にさらされてる。どうしても望愛が必要なんだ」

「他のヒーローがいるだろ?」

「関東支部所属の三人のヒーローは皆遠方に出払っててな、到着するまで少なくともあと半日はかかる」

「病み上がりの人間を半日戦わせるのか? そんなバカな話があってたまるか!」

「機動隊も、もちろん全力で支援をしてくれる。増援のヒーローが来たらすぐに退かせる。今のこの国には、望愛が必要なんだ」

 

 それってつまり、

 

「要は時間稼ぎの捨て駒じゃねぇか! 散々こいつの人生滅茶苦茶にしといて、聖女だと持ち上げといて、用済みになったらそれか!」

 

 洲本はぐっと押し黙る。

 

「図星か」

「世の中、綺麗事だけじゃ切り抜けられないことだってある。能力を持って産まれ、ヒーローとして活躍してきた望愛には、その覚悟があるはずだ」

「人と違う能力を持って産まれてきただけで、そんな覚悟を勝手に背負いこまされる世界なんざ、さっさと滅んじまえばいい!」

「それに巻き込まれるのは、無辜(むこ)の一般市民だ。彼らはなす統べなく突然巻き込まれ、そして死ぬことになるんだぞ?」

「そんなもん知ったことか! 無辜の一般市民だ? 無自覚の共犯者の間違いだろうがよ! どこで誰が何人死のうが、俺にとって望愛より大事な人間なんて、一人もいやしねぇんだよ!」

 

 俺は銃のハンマーを下ろす。あとは、引き金をひくだけだ。

 それを見た洲本は、苦々しい表情で拳銃を取り出すと、俺に銃口を向けた。

 

 病室がしーんと静まり返る。俺と、望愛と、洲本の息遣いだけが、今ここに存在している。

 

「・・・・・・ん、うーん・・・・・・・・・・・・」

 

 望愛がそう言って少し身じろぎをする。そろそろ眠りが浅くなってきたのかもしれない。

 

「ナオ、もう一度言う。そこを退け」

 

 洲本は額から汗の玉を流し、そう言った。

 

「何度だって言ってやる。道を開けろ」

 

 右手でかまえる銃に左手を添える。そろそろ片手だけではしんどくなってきた。

 

 銃をもつ手が震える。正直、勝てる自信は全く無い。当てられるかどうかすら怪しい。

 

 洲本はきっと、撃ちたくても撃てないのだろう。俺の背後には、望愛がいる。望愛に当たれば、大変なことになる。

 

「お前がやろうとしていることは、国家反逆のテロ行為だ。ナオ、友達の赤穂君(ヤス)が泣くぞ? 今ならまだ俺が取り成してやれる」

「丁度良かった。俺の葬式で泣いてくれるような知り合いが少なくってな。ヤスの奴、香典まで置いていってくれたら文句無いんだけどよ」

 

 そう言って苦し紛れのひきつった笑みを浮かべる。完全に強がりだ。虚勢だ。だが、張らないよりはいくらかましだと信じてる。

 

「時間がない。ナオ、頼む。銃を下ろして、そこを退いてくれ。あの人が来る前に! 早く!」

「誰が来ようと、俺の返事は一つだ! 俺は、望愛と一緒に──」

 

 

 ────たん。ぺちゃ。

 

 

 俺が言い終わるその直前。そんな音が病室に響いた。

 まるで、左脇腹を思いっきりバッドで殴られたような衝撃を受け、俺は後ろのベッドに叩きつけられ、尻餅をついた。

 

 目の前には、驚いた様子の洲本と、その右手の銃を奪い取って発砲した、真っ黒な背広の男が立っていた。顔には、包帯を巻いている。

 

「あ・・・・・・かっ・・・・・・」

 

 俺は声にならない声を上げ、無意識に押さえていた左脇腹に目をやる。

 

 そこには、尋常じゃないほどの量の血を湛えた、小さな滝が出来上がっていた。

 撃たれたのだと気づくのに、時間はいらなかった。嫌な感覚だ。

 

 

 あ、望愛・・・・・・弾が・・・・・・

 

 

 俺はとっさに後ろを振り向く。

 

 ベッドの上の望愛はいつの間にか目を覚まし、座り込んで口元を手で押さえ、目を見開いて俺を見つめていた。

 

 良かった、望愛は無事だった・・・・・・

 

「洲本、次はもっと早く撃てよ」

 

 背広の男が、何やら小言をぶつぶつと言っている。

 だが、そんな小言をかき消すように、一つの大きな叫び声が、病室に響き渡った。

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

 俺の頬に、望愛の涙が、こぼれ落ちた。



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第五十八話 そのキスは、血と別れの味がした

 望愛の叫び声が響く。

 俺は震える手で、そんな彼女に手を伸ばす。

 脇腹が焼けるように熱い。だが、体からはじわじわと温もりが抜けていく。不気味な感覚だ。

 

「の、望愛、逃げろ・・・・・・」

 

 ようやく望愛の肩に手を置いた俺は、すがり付くように身を寄せ、言った。

 声が思うように出ない。聞こえているのかどうかもわからない。でも、俺の意図は、しっかり伝わったようだ。

 

「・・・・・・え?」

 

 望愛は驚いたような表情で俺を見つめる。俺は小さくうなずく。

 

「頼む・・・・・・逃げてくれ・・・・・・」

 

 体温が下がっていくのがわかる。血が流れていくのがわかる。脇腹が熱い。でも、望愛の前で醜態はさらせない。

 

 

「落ち着いたかね、有馬望愛くん」

 

 病室に響いた低い声に、俺達はハッとして振り返る。

 

「烏丸・・・・・・やってくれた、な」

「やぁ、直人くん。数日ぶりに会って早々こんな手荒なことをして申し訳ないと思っているよ」

 

 烏丸はそう言ってこちらに歩み寄ってくる。

 俺は無駄な抵抗と知りつつも、まだなんとか動く右手を横に伸ばし、望愛を庇って睨み付ける。

 

「そんな怖い顔しないでくれたまえ。必要なことだったのだよ。それに、用があるのは君じゃない」

 

 そう言いつつ烏丸はこちらに進み出る。

 

 人生最後の景色が、こいつの顔ってのは少し腹が立つような気がする。でも、望愛が無事ならそれで・・・・・・

 

 そんなとき、俺のすぐ右脇から望愛が勢い良く飛び出した。

 

 その右手には、俺の手からこぼれ落ちたあの拳銃がしっかりと握られていた。

 

「これ以上、この人を傷つけるな! この人に近づくな!」

 

 拳銃を構え、銃口を向けた望愛は、そんな怒号を上げて烏丸の前に立ち塞がる。

 

「望愛・・・・・・なんで・・・・・・逃げろ、逃げてくれ・・・・・・!」

 

 体に力が入らない。つかまり立ちすらままならない。か細い声を張り上げることが精一杯だ。

 

 俺は望愛を助けに来た。だが今はどうだ? 助けられなかったばかりか、窮地に立たされ、逆に守られている。

 自分の無力さに、心の底から憎悪がわき出る。

 

 俺の声に、望愛は一瞬ちらりと振り返ると、優しく微笑み、また正面に向き直った。

 

「そんな怖いもの向けてくれるな、望愛くん」

「この人を、ナオを傷つけたのはあなただ!」

「確かにそうだ。だが、君は一つ勘違いをしている」

 

 烏丸はそう言って顎をひいた。包帯のせいで表情は見えないが、まるでうつむき加減で笑っているようにすら見える。

 

「勘違い?」

 

 烏丸は、聞き返した望愛に作り物の優しい声でこう言った。

 

「直人くんを今助けられるのは、君だけだと言うことだ」

「直人を、助ける・・・・・・?」

 

 望愛の銃を持つ手が緩む。

 

「望愛、聞くな・・・・・・! 逃げろ・・・・・・!」

 

 くそが・・・・・・。意識が朦朧(もうろう)としてきた・・・・・・。目蓋が重い・・・・・・。

 

「そう、直人くんを助ける。──今さっき、ここ東京に一体の怪物が現れた。対処できるのは君しかいない。引き受けてくれるなら、我々は彼を治療してやれる」

「烏丸・・・・・・貴様ぁぁ・・・・・・!!」

 

 腹の底から、心の底から、烏丸に対する憎悪が、怨念がわき出てくる。

 望愛の心が揺らぐのは、朦朧としていても目に見えてわかった。

 俺は床を這いずって、望愛の足をつかみ──損ねた。

 くそ、力がでない・・・・・・くそっ!

 

「ナオを、ボクが・・・・・・」

「もちろん、今の君の状況は良く理解している。だから、倒せとは言わない。時間を稼いでくれれば、それで良い」

 

 俺は望愛の足を両腕で抱き締める。

 絶対に行かせてはいけない。絶対に、絶対に・・・・・・!

 

 血は尚も止まらず傷口から湧き、流れ、川を作る。

 

 力がとうとう失われていく。

 抱き締める腕が徐々に離れていく。

 

 望愛は、そんな俺と烏丸とを交互に見る。そして一瞬泣きそうな顔になって屈みこみ、言った。

 

「ナオ、ごめんね。ボク、約束守れそうに無いや」

 

 瞳が潤んでいるのがわかった。

 望愛の体が震えているのがわかった。

 

「望、愛・・・・・・ぁ・・・・・・の、あぁぁぁぁ・・・・・・!」

 

 口角にすら力が宿らなくなった。自然と涙がこぼれ落ち、頬を伝って床に水溜まりを作る。

 

 俺は無力だ。俺は非力だ。たった一人の女の子すら救えない、惨めで愚かな、怪物だ。

 

 視界が暗くなっていく。

 そのときふと、望愛の顔がすぐそこに迫った。

 望愛は瞳を閉じ、目尻に涙を浮かべ、そして・・・・・・

 

 

 ──ちゅっ

 

 

 柔らかく暖かい、わずかに湿った感触が、唇をふさいだ。

 

「ごめんね、ナオ。長生き、してね・・・・・・!」

 

 唇から感触が離れ、耳元で涙声になった望愛の声が聞こえた。

 

 俺の意識は、そこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 望愛。望愛・・・・・・

 

 

 そのキスは、血と別れの味がした。



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隨ャ莠泌香荵晁ゥア ジャンヌ・ダルクに恋煩い

 スーツを身に付け、フルフェイスを被り、マチェットを差し、無線を繋げてボクは渋谷の町に降り立った。

 テレビやニュースでよく見たあの町並みは崩れ去り、見るも無惨な光景が広がっている。

 横転した車からは火の手が上がり、林立するビルは数棟がポッキリと折れ、砕けたガラスが空から降ってくる。

 瓦礫の下に挟まり、既に動かなくなった人もちらほらと見受けられた。

 

 悲惨で、無惨な光景。だけどボクの胸には、何の感慨もわかない。ただ、そこにある情報として捉え、脳内補完する。

 

 今はただ、ナオのことが気がかりだった。

 これから死ぬボクと違って、ナオはここから先、ずっと先、必ず良い人生が待っているはず。

 ナオはまだ、死ぬべきじゃない。

 そんなナオのために、ボクは死ぬ。

 ボクと言う呪いじみた鎖から、ナオの人生を解き放つ。

 

『・・・・・・着いたか、ジャンヌ・ダルク』

 

 フルフェイスに内蔵された無線機から声が響く。

 いつもの洲本副支部長(おとーさん)ではなく、あの男、烏丸の声だ。

 

『やることは、わかっているな。君はここから数時間、増援のヒーローが到着するまで時間を稼げ』

 

 どこまでも冷徹で、冷静な、低い声で彼は言う。この男の血が半分体に流れていると思うと、ぞっとする。

 

 ボクはどう足掻こうが、ナオを撃った、憎くて憎くてしょうがないこの男の娘なんだ。

 そんな憎い男の遺伝子を、次に繋いで良いはずがない。

 

「・・・・・・烏丸司令。ナオの容態は?」

 

 ボクは静かに聞く。

 ボクの問いに、無線機から返ってきたのはため息混じりの、呆れたような声だった。

 

『作戦行動と無関係な私情を、持ち込まないでくれ。君が心配せずとも、彼の治療は目下行っているよ』

「・・・・・・ありがとうございます。それでは、状況を開始します」

 

 ボクはそう言って、無線を一方的に遮断した。

 

 これで、安心して死ねる。

 すっきりとした自分と、申し訳なさを抱く自分と、どこか切ない自分がいる。

 

 まさかまだ、この期に及んで死にたくないとか思っているのだろうか?

 

 いい加減諦めろ、有馬望愛。ボクは、大好きなナオのために死ぬんでしょ?

 ナオがボクや機関に縛られない、自由な人生を歩むために、ナオが笑って暮らしていけるように、今日ここで死ぬんでしょ?

 

 自分で自分に言い聞かせる。

 

 ボクはマチェットを抜刀し、走った。

 体が少し重い。薬の影響で、能力がずいぶん抑えられているみたいだ。

 こんなのじゃ、戦闘の方も期待できそうにないな。

 景色はいつもよりゆっくりと後ろへ流れていく。

 

 

 突如、ビルの隙間からその怪物は顔を覗かせる。

 粘液をまとった、不気味にテカる黒い体に、真っ赤なお腹の丸いトカゲのような見た目の、ソイツは、大きく口を開けて、飛び出してきた。

 

 

 ボクはマチェットを構えて、ソイツに飛びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体が痛い。口の中から血の味がにじむ。

 吐く息が熱い。右目はもう、見えない。

 

 一体どれだけ戦ったんだろ。

 東の空が、うっすら明るくなった気がする。

 

 フルフェイスはとっくの昔に壊れて、もう通信すら出来ない。

 

 気がつけば、ドローンや機動隊の人たちの姿が見えない。全滅しちゃったか、それとも撤退しちゃったか。無事だと良いな・・・・・・。

 

 息をするごとに胸が痛い。息が苦しい。肺が潰れちゃったのかも知れない。

 

「ごほっ・・・・・・! がっ・・・・・・、はぁ・・・・・・」

 

 口からまた血が出る。この感覚にも、いい加減慣れちゃった。

 

 肌がヒリヒリ痛む。まさかあの粘液がスーツを浸透して肌を溶かすとは思ってなかった。

 

 最初の内は傷まなかったから、思わず目を擦っちゃったりしたけど、それが間違いだった。

 なんとか左目は守りきれたけど、右目はダメだったな。

 こんなことになるんだったら、理科の授業まともに聞いてたら良かったなぁ。

 

 両足にのし掛かる瓦礫が重い。

 その上左手にはビルの基礎? の細い鉄筋みたいなのが突き刺さっているから、身動きが取れない。

 

 怪物がボクに向かってゆっくりと迫ってくる。

 ぬるぬるした粘液を滴らせて、人間みたいな歯のはえた不気味な口を広げて、迫ってくる。

 

 この辺りみたいだ。

 

 人間はみんな、泣いて産まれてくる。ボクだって、そうだった。

 

 だから最期は、笑ってやろう。

 

 こんな人生だったけど、良いことだって一杯あった。

 

 楽しかった。良い人生だった。

 

 後悔がない訳じゃない。やり残したことも、心残りもあるけど、しょうがない。

 

「ナオ・・・・・・」

 

 ふと、涙がこぼれる。

 ナオの顔が、大好きなあの人の顔が浮かぶ。

 

 胸が締め付けられる。

 

 ボクが、あんなに良い人の人生を狂わせてしまった。

 

 今ナオは、どうしているのかな?

 

 無事に治療が終わって、ボクのいない新しい世界を、迎えてくれるかな?

 

「ナオ・・・・・・ごめんね」

 

 ──ああ、やっぱりダメだ。

 

 無理だ。

 笑って最期なんて、無理だ。

 

 ナオの顔を思い出すと、涙がこぼれる。

 

 あの楽しかった思い出が、幸せだった日々が頭の中を駆け巡る。

 

 あの日々が永遠に続けば良いと、何度思ったことか。

 

「ナオ・・・・・・ナオ・・・・・・!」

 

 

 ──大好きだよ

 

 ボクはきっと、忘れない。

 あなたと過ごした日々を。

 幸福だった、あの日々を・・・・・・。

 

 ボクは静かに、目を閉じた。

 

 

 

 




【あ縺ィがき】

 まず始めに、ここま縺ァ読んで下さり、本当縺ォありがとう縺斐*います! 作者のかんひこで縺ァ縺!
 譛ャ譌・を謖√■縺セして、『繧クャンヌ繝サダルクに恋煩い』、堂々完結縺ォござい──────




 豁「繧√m


      豁「繧√m







   豁「繧√m



             豁「繧√m

































 ────こんな終わらせ方、させてたまるかよ


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第   話 『あとがき』を穿つ想い

 声が聞こえる。

 

 辺りは真っ暗で、足元さえ見えない。

 

 どうやら女の子の声のようだ。

 

 声はかなり遠い。

 

 体がすごぶる重たい。

 

 それでも、それでも俺は何故か、その声の方に行かなくてはならないと思った。

 

 

 どれだけ歩いただろう。

 女の子の声が、段々近くなってきた。

 

 どこか懐かしいような、恋しいような、聞き馴染みのある人の声だ。だが、誰の声だかが思い出せない。

 

 頭にもやがかかったように、思い出せない。

 

 俺はまた歩く。

 

 

 また俺は、長いこと歩いた。

 どうやら声の主は、すすり泣いているらしい。

 

 なんでだ。なんでこんなに胸が苦しくなるんだ?

 

 かなり長いことこうしているが、不思議と疲れは感じなかった。

 

 なんで、なんで俺は疲れてもいないのに、こんなに胸が苦しいんだ? こんなに息が上がってるんだ?

 

 何をこんなに、焦ってるんだ?

 

 この、心にぽっかりと空いた大きな穴は、一体なんだ?

 

 頭にかかったもやは、一体なんだ?

 

 

 俺は一体、何を・・・・・・

 

 

 ──ナオ・・・・・・ナオ・・・・・・

 

 

 ・・・・・・!!

 

 今、確かに聞こえた。

 すすり泣く女の子の、心の声が聞こえた。

 

 

 ──助けて・・・・・・ナオ、助けて・・・・・・

 

 

 彼女は、俺を呼んでいる。

 俺に助けを、求めている。

 

 

 ・・・・・・この声を、俺は確かに知っている!

 

 忘れちゃいけない、あの人の声を、顔を、名前を!

 

 ようやく、思い出した。もやが晴れた。

 

 

 気づけば俺は走っていた。

 声のする方へがむしゃらに走っていた。

 

 胸の苦しみも、体の重みも今はない。

 ただ、俺は走っていた。

 

 

 全ては、望愛のために。あの子を、助けるために!

 

 まだだ、まだ終わらせない。

 

 俺と望愛の人生は、物語は、未来は、まだ始まっちゃいない。

 

 神だろうが、仏だろうが、どうしようもない運命だろうが、邪魔する奴は、幕を下ろそうとする奴は、みんなまとめてぶっとばす!

 

 

 バッドエンドなんかじゃ終わらせない!

 

 

 ハッピーエンドは、俺達の手でつかみ取る!!

 

 

 ──こんな終わらせ方、させてたまるかよ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇が、晴れた。

 

 

 

 俺は気が付くと、病院のベッドに転がされていた。

 ベッドのそばには、兄貴の顔も見える。

 

 目覚めた俺に、兄貴がなにやら話しかける。

 

 ごめん兄貴、今は話を聞いている暇ないんだ。

 

 俺は右手で人工呼吸器を口から引き剥がすと、左手の点滴を引き抜いた。

 鈍い痛みが手に走る。だが今は、気にしちゃいられない。

 

 俺は体を起こす。そして、驚く兄貴に聞いた。

 

「望愛はどこだ? 俺はどれだけ寝てた?」

 

 いきなりのことに困惑しながらも、なんとか兄貴は答えてくれた。

 

「望愛は、渋谷で怪物と戦ってる。今の時間は、大体深夜の一時時ぐらいだ」

 

 夜七時頃に撃たれたのを考えると、六時間弱は寝てたことになる。・・・・・・急がないと。

 俺は点滴の台を杖がわりにして、ベッドから降りて歩く。だがその瞬間、脇腹に強い痛みが走った。

 

「ナオ・・・・・・! まだ傷は塞がってねぇんだ、安静にしてろ」

 

 俺は、そう言って駆け寄る兄貴の胸ぐらをつかんで、強引に引き寄せ、言った。

 

「安静になんてしてられるか! 俺はあいつを助ける、何がなんでもだ!!」

 

 大声で叫んだことも相まって、また脇腹が激しく痛んだ。でも、そんなことどうだって良い。

 

 俺は約束した、一緒の墓に入ると。南の島、ニューカレドニアに連れていくと。

 

 その約束を、あいつに破らせるわけにも、俺が破るわけにもいかねぇんだよ!

 

「・・・・・・どうしてもと言うなら一つ、提案がある。聞くか?」

 

 俺の気迫に押されてか、兄貴は観念したように、静かにそう言った。

 

「なんだ?」

 

 俺は聞き返す。兄貴は俺の肩に手を当て、答えた。

 

「ナオ、『人間』であることを、諦められるか?」

 

 

 一瞬の沈黙が、病室を包む。

 

 頭の中を、望愛との思い出が駆け巡る。

 望愛の笑顔が、声が、鮮明に思い出されていく。

 幸せなあの日々が、鮮やかによみがえる。

 

 人間であることを諦められるか? だと?

 

 

 

 ・・・・・・今さらためらう必要なんて、どこにもねぇよ。

 

 

「俺は城崎直人。人間である以前に、あいつの、有馬望愛の、彼氏だ!」

 

 兄貴はにっこり笑って、うなずいた。



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  話 怪物、ジル・ド・レー

 俺は兄貴に連れられ、立ち入り禁止となっている病院の屋上にたどり着いた。

 外された呼吸器の警報を聞いて駆けつけた看護師さん達は、空の病室を見て今頃大慌てだろう。

 

「ナオ、痛むか?」

 

 兄貴がそう聞く。夜風が嫌に心地よい。

 

「こんなもん、痛い内に入らねぇよ」

 

 俺はそう言って強がって見せる。

 渋谷の方向は炎と土煙に包まれ、異様な雰囲気を醸し出していた。あの中に、望愛は居る。

 

「さっさと始めよう。・・・・・・どうしたら良い?」

 

 兄貴はうなずくと、教えてくれた。

 

「案外簡単なもんだ。ナオ、ただお前は、自分の想いを、自分の出せる限界の声で、想いで、叫べ。()えろ。あのビルでの出来事を、思い出せ」

 

 お前になら出来る。兄貴はそう言って、俺から距離をとった。なんでもこれから、やることがあるそうだ。

 あのビルでも確か、俺は大声で望愛の名を叫び、力を手にした。

 

 そう言えば、その前の海水浴場では、叫び声が聞こえたあとに、あの怪物を見つけた。

 ヒーローと怪物は、もしかしたら似たようなものなのかもしれない。

 

「おっと、そうそう。こいつを、ロバートさん経由で望愛から託されてたんだ。ほら」

 

 兄貴はポケットから小さな袋を取り出すと、それを俺に投げる。

 

「うわっとと・・・・・・」

 

 俺はそれをなんとかキャッチすると、早速袋を開けた。そこには・・・・・・

 

「──『良縁守』」

 

 手のひらサイズの、ストラップのような小さなお守りが一つ、そこには入っていた。

 望愛が浅草でのお土産だと言っていた、あのお守りに間違いないだろう。

 

 俺はそのお守りを袋から取り出し、右手でしっかりと握って、胸に押し当てた。

 

「望愛、絶対に助けて見せるからな」

 

 

 向かい風が吹く。

 まるで俺を拒むように。

 世界とやらは、運命とやらは、どこまでも俺のことが嫌いらしい。

 

 だから俺は当て付けに、お前が最も嫌がることをしてやろう。

 

 

 息を大きく吸い込む。

 

 ──ナオ!

 

 望愛の呼ぶ声が聞こえる。

 愛する人の、声が聞こえる。

 

 

 望愛、今助けに行くからな・・・・・・

 

 

 

「────望愛ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」

 

 ドクン。心臓が大きく脈打つ。

 胸が張り裂けそうになる。だが不思議と、力が湧いてきた。

 体が熱い。内側から体が膨張するような、広がるような感覚が、全身に走った。

 

 息が切れるまで叫んで、叫んで、そしてもう一度、今度はさっきよりももっと大きく、限界のその先まで息を吸い込む。

 そして・・・・・・

 

「大好きだァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 声帯がはち切れそうな程、のどの奥から血が吹き出しそうな程、肺が破裂しそうな程、俺は叫んだ。吼えた。唄った。

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけ叫んだだろう。

 

 両腕からは湯気が立ち上ぼり、汗の粒が無数に現れていた。

 

 全身の血管がドクドクと大きく脈打ち、心臓が普段よりも大きなリズムを刻み、心なしか体が軽くなった気がする。

 成功したのだろうか?

 

 

 試しに一発、軽く屋上のフェンスを小突く。

 

 

 ──ガシャン

 

 

 フェンスは音を立てて吹き飛び、地面に向かって落下した。

 ・・・・・・成功したみたいだ。

 

 気づくと兄貴はもうそこにはいなかった。

 叫び始めた頃にはまだ居たから、きっとその間に行ってしまったのだろう。

 

 着せられた入院着が少し窮屈だ。

 俺は前のボタンを全て外し、着崩した。お腹は冷えるが、仕方ない。

 

 渋谷の町は炎で煌々と燃え上がり、うねる。

 俺は二、三歩後ろに下がり、身構えた。

 

 

 そろそろ、行こうか。

 

 

 俺は一気に助走をつけ、走り、飛んだ。

 

 驚くほど体が軽い。

 

 景色は光の速さで後ろに流れ、足を掛けたフェンスは砕け散った。

 

 俺は建物の屋根や屋上を足場に、渋谷に向かう。

 

 建物はぐしゃりと音を立ててきしみ、ときには崩れた。

 

 痛みもなにも、今は感じない。

 ただ、目の前を真っ直ぐ望み、駆け抜ける。

 

 

 

 

 そうして俺は、渋谷にたどり着いた。

 

 破壊された車からは火の手が上がり、それは他の車や、建物を巻き込んで炎上する。

 崩れ去った瓦礫の下には、物言わぬ躯と化した人々の姿もちらほら見えた。

 

 背筋を冷たいものが通る。

 望愛も、もうこうなっていたら・・・・・・

 嫌な予感に、身震いする。

 

 まさにそのときだった、

 

 

 ──ナオ・・・・・・ナオ・・・・・・!

 

「・・・・・・!!」

 

 声が、聞こえた。

 小さな、か細い、弱々しい声が。

 

 聞き間違えるはずがない。この声は、間違いなく、

 

「望愛ッ!! 望愛ぁー!!」

 

 俺は、声のする方へ走った。

 

 慣れないながらも、なんとかスピードを調整しながら、見落とさないよう、聞きこぼさないよう、神経を尖らせた。そして、そして・・・・・・

 

 

「あっ・・・・・・!」

 

 見つけた。

 

 瓦礫に足を挟まれ、鉄筋に腕を貫かれて血を流し倒れた、望愛を見つけた。

 怪物が迫るなか、全てを諦めて、瞳を閉じた、望愛を見つけた。

 

 

「望愛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 俺は地面を蹴り、叫び、渾身の力で拳を、突き出した。



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  話 人間、有馬望愛

 夢だと思った。幻だと思った。

 

 死んじゃう前に脳が見せた、幻覚だと思った。幻聴だと思った。

 

 でも、違った。

 夢なんかでも、幻なんかでもない。そこに居たのは、正真正銘、本物の、ナオだった。

 

「望愛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 雄叫びをあげたナオは、怪物に拳を突きだし、吹き飛ばしてしまった。

 

 なんでだろ。自然と、涙がこぼれてくる。

 

 この涙は、体が痛いからじゃない。死ぬのが怖いからじゃない。ただ、ナオが来てくれたことが、言葉にできないぐらい、嬉しいからだ。

 

「ナオ・・・・・・!」

 

 ボクは、まだ動く右手をナオに向かって伸ばした。

 こんなところからじゃ、届くわけ無いのに。

 

 ナオがこっちを振り向く。

 

 なんだか、さっきよりもずいぶんとたくましくなった気がする。

 ちょっと、いやかなり筋肉質になって、身長もずっと大きくなって、そして何より、両腕が内出血を起こしたように真っ黒になっている。

 

 あ、でもやっぱりあんまり変わらないかも。

 

 ボクの顔を見たとたん、必死な顔になって、泣きそうな顔になってナオはボクに駆け寄るんだから。

 

「望愛、遅くなってごめんな・・・・・・助けに来た! もう、大丈夫だからな!」

 

 目に涙を浮かべて、ナオはボクの右手を握ってくれた。

 

「ボクの方こそ、ごめんね・・・・・・ナオは、もう大丈夫なの?」

「俺はもう大丈夫だ。だから謝んな。待ってろ、今瓦礫どけるから」

「そっか・・・・・・ありがとう、ナオ」

 

 

 ああ、やっぱりそうなんだ。

 

 ボクは、全てを察した。

 

 

 『怪物』は、能力者、もといヒーロー以外から受けた傷は、全て修復してしまう。

 きっとナオは、ボクのために、こんなボクのために、こんなボクとの約束を守るために、人間であることをやめたんだ。

 

 ふと、足がずいぶん軽くなる。ナオが瓦礫をどかしてくれたみたいだ。

 

「あとは腕か」

 

 瓦礫をどかしてくれたナオが、ボクの左側に片ひざをついて屈む。

 

 あの怪物は、どうやらまだノックダウンしているみたいだ。

 

「望愛、ちょっと我慢出来るか?」

 

 ナオが心配そうに顔を覗き込む。

 やっぱりナオは、優しい。

 

「うん。大丈夫だよ」

 

 ボクはうなずく。

 ナオは、「わかった」と言うと、鉄筋の上部分を、近くに落ちてたボクのマチェットで切り飛ばした。そして、

 

「行くぞ?」

 

「うん」

 

 一気に、ボクの腕を持ち上げた。

 

「・・・・・・ッ!」

 

 ザクザクとした痛みが、ボクの腕から広がる。

 でも、気づいたときにはもう、ボクの腕から鉄筋は抜けていた。

 

「痛かったか? ごめんな」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 ナオが来てくれたことが嬉しくて、ちょっとだけ元気が出てきた。

 

 ナオは、自分が着ていた上の服を脱いで、ちぎって、ボクの腕に巻いてくれた。

 

「まだあいつはへばってるな。望愛、俺が背負うから、逃げよう」

 

 ナオはそう言ってボクに提案する。でも、ボクは首を横に振った。

 驚くナオに、ボクは言う。

 

「アイツの粘液は、皮膚の表面を溶かしちゃうんだ。そんな粘液が、ボクのスーツにもついてるから、背負ってるうちにナオの背中がただれちゃうよ」

 

 なるほど、とナオは自分の右手を見た。

 さっき怪物を殴り飛ばしたナオの右手は、軽いやけどのようになっている。

 

「このスーツだって、完全には浸透を防ぎきれてないんだから、生身でなんて絶対ダメ」

 

 そんなこんな言っていたそのとき、地面が大きく揺れた。アイツが、動き出したみたいだ。

 

「・・・・・・早かったな」

「うん・・・・・・」

 

 瓦礫が無くなったとはいえ、ボクはここから動けない。

 そんなボクに、ナオはにっこり笑ってこう言った。

 

「それじゃ、行ってくる。さっさと終わらせてくるわ」

 

 ナオは拳を差し出す。

 そんなナオを、ボクは引き留められない。

 無力感が、そこにあった。

 きっと、ボクを見送るナオも、そんな想いを抱いていたのかな?

 

「うん、ありがとう。行ってらっしゃい」

 

 だからせめて、笑ってナオを送り出さなくちゃ。

 あの時ナオがボクにしてくれたように。

 ボクは右手で拳を作り、ナオの拳と合わせる。

 

 ナオは、にっこり笑うと、ボクのボロボロになったマチェット(バトン)持って(受け継いで)、行ってしまった。

 

 ナオの背中は、どこまでも大きくって、たくましくって、最高にかっこよかった。



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決戦

 改めて俺は、この巨大な怪物と対峙した。

 黒い体に、赤い腹。トカゲを丸くしたような外見に、皮膚を覆う粘液。

 イモリの見た目に、よく似ている。

 

「こっから先は、俺が相手だ」

 

 俺は望愛のマチェットを構える。

 望愛の戦い方を何度も見てきた。構え方ぐらいなら、なんとか再現できる。

 

 怪物は、二、三度まばたきをする。そして、

 

「ギャァァァァ!!」

 

 体をくねらせ、粘液を滑らせ、突進してきた。

 すぐ後ろには、望愛が居る。

 俺はマチェットを突き立て、踏ん張る。

 衝撃で地面が大きく凹む。粘液や怪物の血液が飛び散り、肌につく。

 

「・・・・・・ぐっ!」

 

 あぶられたような、ヒリヒリする痛みが肌に走る。

 俺の傷が治らない辺り、怪物同士でも相手を倒すことは出来るようだ。

 それなら──

 

「でりゃぁぁぁ!!」

 

 俺は、動きの止まった怪物の顎を思い切り蹴り上げ、マチェットで喉元を切り裂く。

 

「グオオォォァ!!!」

 

 傷口から血を吹き出した怪物は、そんな叫び声をあげる。が、

 

「おい、嘘だろ・・・・・・」

 

 間も無く、吹き出す血は完全に収まり、傷口が塞がった。

 

 そう言えば昔、図鑑かなにかで見た覚えがある。

 なんでもイモリは自己再生能力にたけ、半端な傷じゃすぐに骨まで回復してしまうらしい。

 

「ちくしょう、切り落とすしかないか」

 

 流石のこいつでも、頭を切り落とせば死ぬだろう。

 だが、

 

「ナオ危ない!」

「えっ!?」

 

 ──ブンッ!!

 

 

「ぐわっっっ!!!」

 

 

 凄まじい速さで、怪物は尻尾を振るった。

 望愛が注意してくれたのにも関わらず、対処出来なかった俺はそのままビルに叩きつけられる。

 

「ナオぉぉぉ!!」

 

 俺はガラスの窓をぶち破り、建物の中に入る。

 幸い骨は折れていないようだ。ガラスで切った皮膚も、すぐに治っていく。・・・・・・あまり良い感触じゃないな。なにより、とんでもなく痛い。

 

「くそ・・・・・・痛てぇ。俺は大丈夫だ!!」

 

 望愛の声にそう返事をして、俺は立ち上がる。

 さっきの衝撃で、マチェットは粉々に砕け散ってしまった。首を切り落とす作戦は、使えない。

 

 

 ビルの内部は案外明るかった。だがパソコンやデスクやなにやらと様々なものが散乱し、ひどい状態になっている。

 よくよく見ると、あの怪物の粘液も飛び散っていた。

 ちぎれて火花を散らせた電気のコードが、その粘液に落ちる。粘液は瞬く間に燃え上がる。

 渋谷がこんなに燃えているのは、このビルが異様に明るいのは、この粘液のせいでもあるみたいだ。

 

 

 怪物はどうやら俺を見失ったらしい。辺りをキョロキョロと見渡している。案外頭が悪いのかもしれない。

 

 あの位置なら、望愛とも距離がある。何かあれば、俺がタックルなり正拳突きなりでもしてまたノックダウンさせて────

 

 そうだ、武器なんて無くても、やつを倒せる。

 

 最初に俺が飛びかかったとき、吹き飛ばされた奴はしばらく動けなかった。それは、脳しんとうを起こしていたからだ。

 つまり、外側から大きな圧力がかかれば、奴を倒せるんじゃないか?

 

 我ながら頭の悪い脳筋な考えだ。でも、一か八かやってみるしかない。

 

「ギャァァァ!!」

 

 奴の叫び声が聞こえる。どうやら見つかったようだ。

 怪物はまた、体当たりの姿勢をとる。

 粘液が潤滑剤の変わりになって、奴の加速を助けている。その代わりに奴は、簡単には止まれない。

 

「こいよトカゲ野郎! 俺をまた、弾き飛ばしてみろ!!」

 

 俺は仁王立ちして、そうあおる。

 怪物は、凄まじい速さで体当たりをしてきた。

 

 粘液を地面に塗り付け、奴が迫る。

 

 ──まだだ

 

 迫るごとに、奴のスピードが増していく。

 

 ──まだまだ

 

 そして奴は、ビルに突っ込んできた。

 

 ──今だ!!

 

 俺は思い切り、左に飛んだ。

 脇を突進する怪物がすり抜けていく。

 

 怪物は、とてつもない音を立てて、ビルの柱を砕き、止まった。

 倒壊寸前だったビルは、その一撃で限界を向かえた。

 俺は急いでビルから脱出する。

 

 

 ──ビルが崩れ去ったのは、その直後の事だった。

 

 

 凄まじい量の煙を立て、破片を散らし、ビルが崩れていく。

 俺は望愛のところへ駆けつけ、彼女の上に覆い被さった。

 

「望愛、伏せろぉぉ!」

「うわっ!」

 

 万一破片が当たりでもしたら大変だ。俺は望愛に覆い被さったまま、自分も頭を押さえた。

 

 

 

 がらがらと音を立てて崩れるビル。

 耳元を掠め、背をなぜる大量の砂ぼこり。

 地面に叩きつけられる無数の瓦礫。

 

 奴は、その下に消えた。

 

 

「・・・・・・収まった」

 

 倒壊が収まり、俺は望愛の上から退いた。

 

「倒した、の?」

「多分」

 

 俺達は、崩れ去ったビルの跡を見つめる。

 本当に倒せていたら、じきにあの怪物由来の粘液も、主と同様消えてなくなるだろう。

 

 そう考えていた、まさにそのときだった、

 

「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

 

 突如、凄まじい絶叫と共に、あの怪物が瓦礫の山を吹き飛ばし、現れた。

 

 瓦礫によって切れた皮膚が徐々に塞がっていく。

 だが、瓦礫の下敷きになってひしゃげた頭や足は、いびつにへこんだままだ。きっと、おかしな状態で修復してしまったのだろう。

 

「くそ、まだだったか」

 

 俺は拳を握りこむ。

 

 怪物は、瓦礫の山の上から鎌首をもたげて、俺たちを見る。相当に衰弱してるはずなのに、全く隙がない。

 

 あと一撃、きっと、それで勝負は決まる。

 

 だが、その一撃を仕掛ける隙がない。どうする。どうする・・・・・・

 

 

「ねぇ、ナオ」

 

 そんな最中、望愛が俺を呼んだ。

 

「ん? どうした、望愛」

 

 俺は望愛を振り返り、そう聞く。

 

「ナオ。これを・・・・・・」

 

 彼女は、スーツのポケットから、あるものを取り出した。

 

 それは銀色に光る、小さな小さな四角い箱状の物────タバコの代わりにと兄貴に貰った、お守り代わりにと望愛に渡した、あのライターだった。



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共に、一緒に、いつまでも

 ヒーロー機関本部、観戦室。

 大勢の黒服達が、観戦室におかれた大モニターにかぶりつく。

 

 大量に飛ばしていたドローンも、形勢が悪くなるにつれて次々と撤収していき、遂には今映像を映している一台のみとなった。

 そんな大モニターを、中心で見つめる男が居た。

 烏丸敏浩(からすまるとしひろ)。現下のヒーロー機関の長であり、そして俺と望愛の、実の父親だ。

 

「・・・・・・勝てそうだな」

 

 静かに烏丸は呟く。そして続ける。

 

「ジャンヌ・ダルクはもう役に立たん。これからは、彼にその役を似なって貰おう。なぁ、則之」

 

 モニターから決して顔を背けず、この男は俺に聞く。

 

 ──今しか、無いな

 

 チラリと横を見る。

 洲本副支部長は、もはや脱け殻のような状態になって、椅子にもたれ掛かり、うつむいている。

 他の黒服達は・・・・・・全員知った仲だ。何かあっても、対処できる。それに彼らは今、画面に夢中だ。

 

 この日のために、今まで色々準備してきた。

 望愛とナオの二人が共に寄り添い、歩める世界を作りたくて、その一心で、色々策をこうじてきた。

 

 その、最後の仕上げだ。

 

 俺は内ポケットから拳銃を取り出す。

 そして、

 

 ──ばん

 

 引き金を引いた。

 弾けた後頭部から、血しぶきが舞う。

 

「俺の役割はこれで終わった。あとは、好きにしてくれ」

 

 俺は拳銃を、地面に投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

「ナオ、これを・・・・・・」

 

 そう言って望愛に手渡されたライターを俺は見る。

 

「あの粘液はよく燃えるから」

「こいつで隙を作れる・・・・・・だな?」

 

 望愛は「うん」とうなずいた。

 

 怪物は、相変わらず鎌首をもたげて俺達を見る。

 

 

 もう、終わりにしよう。

 

 

 俺はライターに火をつける。

 小さな炎は煌々と輝き、揺らめく。

 

 俺は、ライターを、思い切り投げた。

 

 火の着いたライターは、美しい弧を描き、怪物に吸い込まれていく。そして、

 

「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

 

 ライターの炎は、瞬く間に怪物を燃え上がらせた。

 燃え盛る炎を揺らし、絶叫する怪物。

 

 俺達は見つめ合い、同時にうなずく。

 これで、終わりだ。

 

 

 俺は走った。

 景色が流れる。

 地面がえぐれる。

 

 拳を握りしめる。

 燃え盛る怪物が近づく。

 

 瓦礫の山をかけ上る。

 地面を思い切り踏みしめ、捉えた。

 

「これで終わりだ!!」

 

 俺は大きく振りかぶり・・・・・・

 

 

 

 ──ありがとう。レー卿

 

 

 

「・・・・・・!」

 

 拳を、突き出した。

 

 

 ぐしゃり。怪物は粉々に砕け、ほどけ、塵となって空に消えて行く。

 ゆらゆらと渋谷の町を焦がした炎も徐々に収まり、元の静けさを取り戻してゆく。

 

 瓦礫の上には、一枚の写真が、残っていた。

 金髪の男と、赤ん坊を抱えたブロンド髪の女が、隣り合わせで微笑んでいる。

 

 

 

 俺は瓦礫の山を降りる。なんだか、どっと疲れた気分だ。

 

「望愛、終わったぞ」

 

 俺は望愛に語りかける。

 

「望愛、戻ろうか。俺がおんぶしてやるから」

 

 望愛は何も言ってくれない。

 ただ静かに、浅い呼吸を繰り返す。

 ただ静かに、柔らかな表情で、瞳を閉じていた。

 

「望愛。一緒に帰ろう。帰って、二人で準備しよう」

 

 俺は望愛を背負う。

 鼓動が、小さい。

 

「向こうは常夏の楽園らしいぞ? 家にある水着、全部持っていかなくちゃな」

 

 かつかつ、と、俺の歩く音が町に響く。

 

「そうそう、ヤスにも水着何着か貰おう。アイツに着て貰いたいのが有るんだ」

 

 俺の声が、町に響く。

 

「望愛、甘いもの好きだろ? 向こうはフルーツも美味いらしいぞ?」

 

 追い風が吹く。

 

「あーでも、俺フランス語話せないからなぁ。望愛、教えてくれるか?」

 

 燃え残った街路樹が揺れる。

 

「死ぬな・・・・・・望愛。俺を、俺を置いていかないでくれ・・・・・・!」

 

 俺は、お前と一緒に、いつまでもずっと、一緒に居たいんだ・・・・・・!

 

 

 

 

 

 望愛を背負い、俺は病院に戻った。

 

「・・・・・・よく、帰ってきたな」

 

 そこには返り血を浴びた、兄貴が待っていた。



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頭をかくとき 上

 外が明るくなり、朝を迎え、昼が訪れてもなお、望愛は目を覚まさなかった。

 

 俺の力は、どうやらもう使えないらしい。

 負荷をかけすぎたとかなんとか、そういう理由らしかった。

 

 俺は望愛の手を握り、すぐそばに座る。

 包帯を巻かれた望愛の手は、温かかった。

 

 

 どうやら兄貴は、やることを全て済ませたらしい。

 大勢の覆面を被った黒服達が兄貴のそばに控えている。

 何でも、洲本のおっちゃんの口利きがあったらしい。奴がいない今、彼が最高責任者だ。

 

 烏丸は、死んだ。

 奴との関係性は、兄貴が全て話してくれた。

 

 昔は高名なヒーローだったこと。

 ヒーローを辞した後は、世界を守るために自分の遺伝子を継ぐ次世代を作ることに奔走し、自身はヒーロー機関の長にまで上り詰めたこと。

 そして、望愛と兄貴の、実の父親だったこと。

 

 初めて会ったとき、望愛があんなに怯えていたのは、そういう理由があったのかもしれない。

 

 望愛はまだ、目を覚まさない。

 

 

 日は落ち、夜が来て、また日が昇った。

 

 

 もしもこのまま目が覚めなければ、なんて嫌な想像をしてしまう。

 望愛が居ない世界に、意味はない。

 俺が生きる、理由はない。

 

「望愛、望愛・・・・・・」

 

 眠れる姫は、王子さまのキスで目覚めるらしい。

 俺は王子さまにはなれない。精々ヒール役の怪物が関の山だ。

 

 ──望愛、生きてくれ。

 

 俺はお守りを取り出し、握りしめ、祈る。

 神や仏を信じたことはないが、もしも祈って望愛が救われるのなら、金輪際心を入れ換えよう。

 だから、頼む。目を覚ましてくれ・・・・・・生きてくれ・・・・・・

 

 

 瞳から、雫がこぼれる。それは吸い込まれるように落下し、望愛の手の甲に落ちて、弾ける。

 そのとき、望愛の手がピクリと動いた。

 

「・・・・・・!」

 

 俺は驚いて顔を上げ、望愛を見る。

 

 

「ここ・・・・・・は?」

 

 

 

 そこには、目を覚ました望愛がいた。

 

 涙腺から熱いものが込み上げてくる。

 それはとめどなく溢れだし、ベッドのシーツを濡らす。

 俺は、望愛を思い切り抱き締めた。

 

「良かった・・・・・・良かった・・・・・・」

 

 自然と声が出る。

 もう離すもんか。ずっと一緒だ。頭の中にそんな言葉が浮かび上がる。

 

 そばにいた兄貴も涙ぐみ、うんうんとうなずく。

 ここからだ。ここから、俺達の物語をはじめ────

 

 

 

「あの・・・・・・誰、ですか?」

 

 

「・・・・・・え?」

 

 

 病室が、凍りついた。

 

 

 

 *

 

 

 

 ここは、どこだろう。

 私は、誰だろう?

 

 真っ白な病室、知らない人。

 そして、知らない男の子。

 

 

 私は一体、誰なんだろう。

 何者なんだろう。

 頭にもやがかかったように、思い出すことが出来ない。

 頭が痛い。

 ただ、心にぽっかりと大きな穴が空いている。

 

 忘れちゃいけない、とっても大事な何かを、私はきっと忘れている。

 

 あの男の子は、私にとても優しく接してくれる。

 その度に、胸がきゅっと締め付けられる。罪悪感に、押し潰される。

 

 私は、どうすれば良いんだろう?

 私には、何が出来る?

 どうすれば、私は心の穴を埋められる?

 どうすれば、私は全てを思い出せる?

 

 わかんない。わかんないッ!!

 

 頭が痛い。割れそうだ。

 

 嫌だ。大切な人も、過去も、思い出も、何もかも思い出せないまま生きていくなんて、そんなの嫌だッ!!

 

 

「──そんなに、思い出したいかぁ?」

「・・・・・・! 誰?」

 

 突然、何とも気の抜けた中性的な声が病室の入り口から響いた。

 私は驚いて、そちらを見る。

 そこには、真っ白のワンピースを着た、可愛い女の子・・・・・・? が立っていた。

 

「今は取り敢えずはじめまして、って言っとこうかぁ。俺は・・・・・・そうだな、フランソワ・プレラーティ。みんなにはヤスって呼ばれてる。こんな格好だけど、男だ。よろしくなぁ」

「えっ、男の子なんですか!?」

「おう。ちゃんとついてるぞ」

 

 にへへと笑うヤスと名乗った彼は病室に入ると、持っていたバッグの中から一冊のノートを取り出し、それを渡しに差し出した。

 

「これは・・・・・・?」

「日記だぁ。前のあんたが、熱心に書いてた、あんたの歩みさぁ。急ぎだったから、これしか持ってこれなかったけどなぁ」

 

 私の、日記・・・・・・!

 これを読めば、もしかしたら私は──

 

「もう一度聞く。そんなに、思い出したいか?」

「え?」

 

 彼は一転、真面目な顔でそう言って、続けた。

 

「前までのあんたの人生は、全部見てきた俺目線で言うとお世辞にもあんまり良いものだとは言えない。ひどい目に遭ったこともあるし、辛い想いも沢山してきた。それでも、」

 

 

 ──あんたは、思い出したいか?

 

 

 まっすぐで、真剣な、それでいて何処か心配そうな目で、彼は見つめる。

 

 

「世の中には知らなくて良いことも、思い出さなくて良いことも山ほどある。もしそれが、あんたの今までの人生そのものだったのしたら・・・・・・」

 

 

 思い出さなくても良いこと。知らなくても良いこと。

 でも、それが私の今までの人生だったとしたら、このぽっかりと空いた穴は何?

 あの男の子を見て感じる、胸の苦しみは何?

 

 この心の焦りは、一体何?

 

 この罪悪感は、一体何?

 

 この感情はきっと、忘れる以前の私のものだ。

 

 こんなに心に喪失感が残るのに、こんなに胸が苦しいのに、こんなに焦がれているのに、こんなに罪悪感を抱いているのに・・・・・・

 

「この記憶は、忘れちゃいけないものなんだって、思うんです」

「・・・・・・」

「私は、この日記を読みます。そして、全てを受け入れます。たとえ、どんな結果になったとしても、私は! ・・・・・・過去の私を、私と関わってくれた人達の想いを、否定したくないんです」

 

 ヤスと名乗る彼はただ一言、「そっか」と言うと、何度かうなずき、病室を出ていってしまった。

 

 病室には、彼の残したノートが一冊。

 

 私は一人になった部屋で、ノートを開く。

 全てを、思い出すために。

 かつての私を、思い出すために・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・やっぱり、そうだった。

 

 この記憶は、忘れちゃいけないものだった。

 ボクって、ほんとバカだなぁ。

 

 

 

 

 

 ナオ・・・・・・ただいま



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頭をかくとき 下

 『全生活史健忘』・・・・・・いわゆる記憶喪失。検査結果等から医者は、俺達にそう告げた。

 望愛が目覚めてから、四日後の事だ。

 

 

 望愛は、自分自身に関する全ての出来事を、忘れてしまった。

 

 能力を薬で抑制した状態で強引に力を引き出そうとしたことによる脳の負荷が、その直接的な原因らしい。

 

 時間が経てば徐々に思い出す可能性もあるし、催眠療法でそれを促すことも出来なくはない、とも医者は言った。

 

 ──どのような治療を行うか、皆さんで良く話し合って下さい。

 

 医者は最後に、そう締めくくった。

 

 

 望愛はもう、何も覚えていない。

 それは何も、悪いことばかりじゃないのかも知れない。

 ヒーローとして、怪物となった人々を多く殺めてきたその罪悪感も、しいたげられてきた悲しみも、暗い過去も、何もかもから解放されるのだから。

 

 ・・・・・・それが、望愛にとっては最良の未来なのかもしれない。

 

「ナオ、望愛を一番近くで見てきたのは、お前だ。だから、どうするかは、お前に任せる」

 

 兄貴は言った。烏丸殺しに相当疲れたのか、声がかなり枯れている。老人みたいだ。

 

「俺には、何かを言う資格はない。すまなかった・・・・・・」

 

 洲本は言った。大きな手で顔を覆い、その表情はうかがえない。

 

 俺は、俺は・・・・・・

 

「二人きりにさせて貰っても、良いか? 監視も、盗聴もなしでさ」

 

 

 話し終わって、彼女を知ったら、俺はひっそりとここを去ろう。

 

 あの銃、確かまだ全弾残ってたはずだ。

 望愛のいない世界に、意味はない。

 俺みたいな怪物に、生きる価値はない。

 俺は、望愛の病室へと向かった。

 

 

 

 真っ白で、無機質で、透き通ったその部屋のベッドに、望愛──少女は居た。

 

「今、入っても良かったかな?」

「はい、大丈夫です」

 

 少女はそう言って、朗らかに笑うと、頭の後ろをかいた。

 

 望愛が良く隠し事なんかをしてるときにやる癖だ。

 でも今の彼女は、望愛じゃない。きっとその行動に、大した意味はないのだろう。

 

 俺はベッドの横の丸椅子に腰掛ける。

 少女は、一冊のノートを読んでいた。

 

「そのノート、どうしたの?」

 

 俺はそれを指差して聞く。少女は、少し恥ずかしそうに笑うと、「読みますか?」と言って、ノートを差し出した。

 

「ありがとう」

 

 俺はそのノートを受け取り、表紙を見た。

 

 

 ──『ボクの日記』

 

 

 表紙には、そうかかれてあった。

 そう言えば施設に居た頃、望愛は良く日記を書いていた。

 飽き性な所があるから、すぐに辞めてしまうだろうと思っていたのだが、案外続いていたらしい。

 

 俺は一枚ページをめくる。

 最初のページは、前書きだ。

 小さな丸い文字で、びっしりと文章が綴られていた。

 

 

────ボクの名前は有馬望愛。中学生の時からヒーローをやっている。コードネームは《ジャンヌ・ダルク》。歴史が苦手なボクでも、名前の由来になった彼女のことはよく知っている。滅亡の危機に陥ったフランスに突如として現れた救国の聖女。・・・・・・ボクには不釣り合いな名前だ────

 

 

 文章を読み進めていく。

 

 

 日記には、望愛の過去、俺との出会い、葛藤、苦悩・・・・・・望愛の想いが、余すことなく全て詰め込まれていた。

 ちくしょう。視界がぼやける。

 涙がにじむ。

 

 

────長々と書いてしまったけど、これが今までのボクの人生と、この日記を書いた理由だ。

 この日記を読んでいる人が居ると言うことは、きっとこの世にボクはいないのだろう────

 

 

 ・・・・・・。

 

 

────これを読むあなたにお願いがあります。これを読み終わった後、この日記を跡形も残らないように燃やしてください────

 

 

 ・・・・・・望愛

 

 

────その上で出来れば、城崎直人という人にボクの言葉を伝えて欲しいのです────

 

 

 ・・・・・・望愛!

 

 

 

 

「ナオ。ボクは、ずっと貴方のことが好きでした!」

 

 

 ────ぎゅっ。

 

 

 俺が顔を上げた直後、そう叫んだ望愛は俺を力強く抱き締めた。

 

「ナオ、思い出した。ボク、全部思い出したよ!」

 

 耳元で、望愛が弾けるような声を出す。

 

 驚きよりも、喜びよりも先に、一つの感情が、俺の中で爆発し、溢れだした。

 溢れる思いはとめどなく流れ、押さえることは叶わない。

 

 俺は、望愛を目一杯の力で抱き締め返しめ、こう返した。

 

「バカやろ。あんまり遅いから心配しただろ・・・・・・」

「ごめんね・・・・・・ごめんね・・・・・・」

 

「良いんだ、望愛。──おかえり。愛してるぞ、望愛」

「・・・・・・うんっ! ただいま、ナオ! ボクも、愛してる!!」

 

 

 

 俺達は、二人で抱き締め合い、二人で泣き合い、二人で喜び合った。

 

 俺達の手元には、あのお守りがあった。

 

 

 もう離さないと、心に決めて・・・・・・。



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えぴろーぐ
恋煩い


 美しい夕日が、どこまでも続く海原の向こうへ沈んでいく。

 

 こっち(ニューカレドニア)に来てから、もう四、五年になるだろうか。

 最初は全く話せなかったフランス語も、なんとか日常会話レベルには話せるようになったし、こちらの暮らしにもずいぶんとなれた。

 それもこれも、全て望愛のお陰だ。

 

 

「ねぇ、ナオ」

「ん? どした?」

 

 縁側に腰掛け、俺は望愛を膝枕して、夕日を見ている。そろそろ夕飯の時間かな?

 

「海、綺麗だね」

「・・・・・・だな」

 

 夕日を浴びてきらめく海は、涙が出そうなほど、憎たらしいほど、美しかった。

 

「もー、ちょっと。そこは『君の方が』とか言うところなんじゃないの?」

 

 おっと、そうだったか?

 

「お前が可愛いのはわかりきってることだろ?」

「・・・・・・そう言うことじゃ無いんだよねぇ」

 

 わかってないなぁ、と望愛は拗ねる。

 悪かった。お詫びに明日なんか買ってやるから、許してくれ。

 

「ねぇ、ナオ」

「どした?」

「本当に、良かったの?」

「何が?」

「ボクと一緒に、こんな遠くまで来ちゃって」

 

 望愛は少し声を潜めてそう聞く。

 まったく。それこそ、わかりきってることじゃねぇか。

 

「良かったに決まってるだろ。日本じゃやっぱりこう、窮屈だしな。色々」

 

 俺は望愛の手をしっかりと握る。

 

 夕日は、もう半分以上沈んでしまった。

 

「なぁ望愛」

「なーに?」

「お前の方こそ、良かったのか?」

 

 こんな俺なんかで、と付け足した。

 望愛は笑って、答えた。

 

「良かったに決まってるでしょ? もっと自信もってよ。ボクのたった一人の、旦那さま」

 

 えへへーと、ふにゃふにゃの笑みを浮かべて望愛は仰向けになり、空いている方の手を俺の顔に伸ばした。

 

「ねぇ、ちゅーしよ?」

「・・・・・・なんだ、頭クラクラするのか? 水持ってきてやるよ」

「もぉー、違うー! ちゅーだよぉ! キースー!」

「冗談だって、ごめんごめん」

 

 ブーと怒る望愛をなんとかなだめて、俺達は顔を近づけ、唇を合わせる。

 

 柔らかく、優しく、温かく・・・・・・。

 

 今まで色々なことがあった。

 

 嬉しいこと、楽しいこと、幸せなこと、素晴らしいこと。

 

 悲しいこと、嫌なこと、辛いこと、不幸なこと。

 

 それら全てがあって、今俺と望愛はここにいる。

 今がある。

 

「ねぇ、ナオ」

 

 望愛が言う。

 

「どうした、望愛」

 

 俺が聞く。

 

 

 

「大好きだよ。ずっと、ずぅーーっと。何があっても」

 

 望愛は、そう言って笑った。

 

「俺も、大好きだ。ずっと、ずっと。何年、何十年、何百年・・・・・・永遠に、いつまでも。俺は、お前を──────」

 

 

 

 夕日が沈んでいく。

 恋煩いが、終わりを告げる。

 

 

 俺は、望愛をぎゅっと抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  Fin…?




【あとがき】
 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました! 作者のかんひこと申します。
 これを持ちまして、「ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の愛の唄~」堂々完結となります!
 ……と言いたいところなのですが、直人はまだ、やり残したことがあるそうです。
 彼の「恋煩い」は終わりました。しかし、まだ彼には煩ったものがあるのです。それは──またの機会に。

 改めまして、ここまでお読み下さった読者の皆様、本当にありがとうございました! また、続編や他作品にてお会いしましょう!


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