乙女ゲー世界でモブが悪役になるまで (鈴名ひまり)
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盗難

「ない!ない!なんでだあああ!」

 

 ボート同然の小さな飛行船の隅々まで探したが、見つからない。

 正規軍でも採用されている軍用ライフルと雷属性の魔法を仕込んだ魔弾──他の荷物と一緒にカバーの下に隠してあったのだが、それがなくなっていた。

 

 ──盗まれた。その結論を受け入れるまで数分かかった。

 俺が補給のため寄港した港で飛行船を留守にした二時間弱の間に泥棒が入って、ライフルと魔弾を盗んでいった。──おそらく売り物にするために。

 

 冷や汗が止めどなく溢れてくる。

 早く、取り戻さなければ──あれがないと冒険の目的を成し遂げられない。成し遂げられなければ、俺は終わりだ。

 

 すぐに港にいた兵士に事情を話したが、取り合ってもらえなかった。

 一人旅で、治安の悪い庶民用区画にボート同然の小型船で停泊、さらに値の張る積荷を箱に入れて鍵を掛けるでもなくカバーの下に隠しただけ──盗んでくれといっているようなものだと言われた。

 

 食い下がったが効果はなく、男爵家の三男の立場を明かしても憐れみの込もった目で笑われただけだった。

 

 態度の悪い兵士たちへの仕返しを考える気力もなく、肩を落として飛行船に戻った俺はこれからどうすべきかを必死に考えた。

 

 だがはっきり言ってこの状況、詰みだ。

 

 買い込んできた食糧では目的地までは保つだろうが、行けたところで武器がなければどうにもならない。

 そこには厄介な敵がいて、そいつらに普通の武器は効かない。

 だからこそ無理を言って魔弾なんてものまで揃えてもらったのだ。

 

 なら、故郷の浮島に戻るのは?

 論外だ。今回の船出だって親父には相当無理をさせてしまった。

 もう一度の船出などまずもって不可能だろう。

 俺に待っているのは妖怪婆に売られて軍人として使い潰される運命。

 

 逃げる?

 これも論外。そもそもどこに逃げる?

 それに俺が逃げたらまだ九歳の弟が俺の身代わりになる。

 かわいい弟を地獄に落として自分ひとりで逃げるなんて俺にはできない。

 

 別の手段で金を稼いで自分で武器を揃える?

 銃と魔弾を買えるほど稼ぐのに一体どれだけ時間がかかると思っている?

 その間にゾラがしびれを切らして弟を連れていくかもしれない。

 

 

 ──どうすればいい!?

 

 

 思考は堂々巡りを続けるばかりで、時間だけが過ぎていく。

 募っていくのは後悔と気が緩んでいた馬鹿な自分への呪いだけだ。

 

 ゲームみたくセーブポイントまで戻ってやり直せたら──そんな思考まで出てきてしまう。

 いくらここが乙女ゲーの世界とはいえ、ステータスも経験値も見えない、やり直しもきかない現実だということは知っているはずなのに。

 

 忌々しい光景が蘇る。

 この旅の始まりとなった出来事──ダラダラと日々を過ごしていた少年の尻に火がついた時の記憶。

 

 

◇◇◇

 

 

 それは十五歳になってしばらく経った頃のことだった。

 

 俺【リオン・フォウ・バルトファルト】は親父の正妻ゾラの策略で五十過ぎのバツ七妖怪婆──ゾラ曰く「歴史ある家の()()()」──との見合い話を持ち込まれた。

 

 相手は世襲できる家を持たない──つまり政略結婚ではない。

 政略結婚でないなら、結婚は学園を出てからというのが普通だ。

 なのに学園に入ってもいないうちから強引に見合い話を持ち込んでくるのは異常だ。おまけに結婚が俺で八回目──見るからに危険な臭いがプンプンした。

 そして、ゾラの放った一言でそれは確信に変わった。

 

「軍人として働く道も用意しました。精々頑張るのね」

 

 コイツは俺を戦死させて遺族年金を貰う気だ。

 

 だから俺は決断した。抗おう、と。

 学園に通うための金、そして縁談を断る非礼に対する慰謝料を自分で稼げばゾラも文句は言えない。

 言質も取った。

 

 そして金を稼ぐ算段も俺にはある。

 俺はこの世界がゲームの世界だと知っているのだ。当然、どこに金になるアイテムが存在するかも知っている。

 その知識と記憶が俺の武器だ。

 今まで何度も使って無双してやろうと考えて、結局日々の疲れにやる気を削がれて使わなかったが、事ここに至っては四の五の言ってはいられない。

 

 他人の玩具にされる人生など御免だ。

 この理不尽に徹底的に抗って、モブの意地を見せてやる。

 

 

 

 そして一ヶ月と少し後、俺は親父が用意してくれたボート同然の小型飛行船で船出した。

 

 目的地は十年前、前世の記憶を思い出したばかりの頃に書き出していた、とある浮島の座標。

 前世で妹にプレイさせられていた乙女ゲーで課金アイテムの飛行船「ルクシオン」の回収ポイントとして登場した浮島だ。

 

 主人公がそこに訪れるのは学園二年生の終盤。

 今そこに行けば手つかずのまま残っている可能性が高い。

 そう踏んで俺はそこを目指した。

 

 主人公には悪いが、俺の命と幸福のためにチートアイテムは頂戴しよう。

 いつか恩返しすればそれでチャラだ。

 

 飛行船に積み込めたのは僅かな武器弾薬と食糧、数点の道具ともしもの時のための軍資金だけ──未知の浮島を目指す冒険者の装備としてはなんとも貧相だが、これでも必死で揃えてくれたのだろう。

 両親には感謝してもし足りないくらいだ。

 なんとしてもこの旅で何かしら持ち帰らなければ。 

 

 そう思っていた矢先、俺はとんだ災難に遭った。

 

 船出してから一週間ばかりが過ぎた時のことだった。

 催した俺は海面に降りて用を足している途中でヒレの生えた巨大なワニみたいな水棲モンスターに襲われた。

 

 大慌てで船に噛み付いたモンスターに斧を叩き込み、怯んだ隙に船のエンジンをふかし、追いすがるモンスターに貴重な手榴弾まで投げつけて逃れたはいいものの、荷物を固定していたカバーがはがれて水と食糧がだいぶ海に落ちてしまった。

 

 回収しようにもさっきのモンスターが執念深く海面近くを泳ぎ回っている。

 ──随分恨めしげな目で。

 なんだよ。先に襲ってきたのはそっちで俺は身を守るために防衛行動を取ったのに逆恨みもいいところじゃないか。

 

 かといってモンスターを倒そうにも火力不足だ。銛や爆雷などという水中の敵を倒すための武器は持ってきていない。

 残念だが、諦めてどこかに寄港するしかなさそうだ。

 幸い軍資金は肌身離さず持っていたので無事だった。足りるといいけど。

 

 俺は地図とコンパス──方位だけじゃなく目的地への方角まで示してくれるファンタジーなやつ──を頼りに定期航路の寄港地に向かった。

 

 寄港地に着いた時、食糧は尽きていた。危なかった。

 

 水先案内人も雇えないまま混雑した一般向けの区画──貴族向けの区画も使えるが料金が払えない──に向かう。

 ちょうど空いていた桟橋があったのでそこに入港する。

 

 上陸して役人に料金を納めて商業地区に向かう。

 この港では船旅に必要なものは何だって手に入る。

 

 安い食堂で保存食でない食事にありつき、その後食糧と水を買って荷車に積んで飛行船に戻ってきた時──積み込んであった武器弾薬がなくなっていた。

 肌身離さず持っていた剣を除けば、荷物になる武器弾薬は全部飛行船に置いてきたのだが、それが綺麗さっぱり消えていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 いつの間にか空は夕焼けに染まっていた。

 今夜は飛行船で寝るか、もう軍資金もロクに残っていないし──ぼんやりとそんなことを考えていると、急に誰かにポンと頭を叩かれた。

 

「ねぇアンタ」

 

 知らない声が背後から聞こえた。

 

 振り返ると、そこにいたのはウェーブのかかった臙脂色の髪をした女だった。

 頭にはヘアバンド代わりの布を巻き、ラフな船員服からのぞく肌は日に焼けている。どうやら船乗りらしい。

 整った顔立ちをしていて、年は俺より少し上だろうか──二十前後に見える。

 

 その女が屈んで俺の顔を覗き込んでいる。

 

「ちょっと協力してくんない?」

 

 自己紹介もなしにいきなり要求してくる女に腹が立った。

 俺は今こんなピンチ状態なのに、何を期待してそんなことを言ってくるのか?

 

「何に?というか誰だよあんた?」

 

 思わずつっけんどんな態度を取ったが、女は気にした様子もなく話し始める。

 

「あーしはアラベラ。見たとこアンタ船泥棒にやられたんでしょ?あーしもやられた。アンタは荷物、あーしは船。泥棒に盗られた者同士で手組んでみない?犯人の目星は付いてっから、あんたの船にあーしを乗せてくれたら取り返しに行けるぜ?」

「──それを信じろと?」

 

 睨みつけるが、アラベラは涼しい顔で受け流す。

 

「信じるんだね。あーしは今抱えてる仕事があってグリッドレイ領に行くところだった。で、ここで水と食糧を補給することにしたんだけど、相方と手分けして買い物に行ったら、相方が勝手に先に帰ってあーしを置き去りにしてくれやがったんだよね」

 

 額に青筋を浮かべた笑顔でアラベラは言う。

 うん、割と本気で怖い。

 

「そういうわけだから、今そいつを追うために船を探してるんだ。それで、アンタはあーしを乗せてくれるの?くれないの?あと五秒で決めて」

 

 一方的にまくし立てられるのは嫌な気分だが──所詮追い詰められていた身だ。

 ここで何もしないより、アラベラの言ったことが本当である方に賭けた方がマシだろう。

 何かあるにしてもこの際乗ってやれ、というやけくそに近い気持ちで俺は返事をする。

 

「分かったよ。乗せてやる」

「よかった!助かるよ!」

 

 アラベラはパッと明るい笑顔になると、もやい綱をほどき始めた。

 

「じゃ、早速出航しようか」

「は?出航って今からか!?」

 

 俺は思わず聞き返した。

 既に日が暮れ始めている。夜の飛行は航路が狂い易くて危ないし、何より夜は寝るものだろう。

 

「あったり前でしょ!こんなボロ舟じゃ今から出なきゃ追いつけないよ。それとも何?もしかして夜が怖いの?」

「──分かったよ」

 

 悪かったなボロ舟で。文句があるなら親父に言えよ。

 心の中で悪態をつきつつも俺は買い込んだ食料品を船底に固定し、防水カバーを被せる。

 

「あ、そういえば、アンタ名前は?呼ぶ時不便だから教えてくれる?」

「──リオンだ」

「リオンね。覚えた。しばらくよろしくね」

 

 アラベラは俺の名前を聞きながら手際よくほどいたもやい綱をまとめると、我が物顔で舵輪のところに陣取る。

 おい、何勝手な真似をしているんだ。これは俺の船だ。勝手に操作させるわけにはいかない。

 

「ちょっと待て。そこは俺の席だ。代われ」

「あーしが舵取った方がいいって。航路だって分かってるしさ」

 

 ──冗談じゃねーよ。会ったばかりの身元不明の奴に舵取りなんか任せられるか!

 こちとら泥棒に遭ったばかりだぞ。そう簡単に相手を信用なんてできるわけがない。

 そっちの提案に乗ってはやるが、主導権を握られるわけにはいかないのだ。

 

「おい、勘違いするなよ。ここは俺の船で、俺の船を操作するのは俺だ。あと航路が分かっているんなら俺にも教えろよ。それが嫌なら乗せないからな」

 

 アラベラは渋々といった顔で舵輪の前を譲る。

 

「む──分かったよ。港を出たら北北東に向かって進んで。近道する」

 

 アラベラは舳先の方に移動して針路を告げた。

 

「分かった」

 

 俺はエンジンを始動させ、飛行船を北北東へと進ませる。

 

 港の明かりがどんどん遠ざかっていく。

 

 

 

 やがてアラベラが停泊準備を指示してきた。

 

「前に浮島が見える?そこに船をつけて」

 

 双眼鏡を覗き込むと、確かに小さな浮島が見えた。

 

 慎重に浮島に飛行船を寄せていくと、アラベラが飛び移り、もやい綱をかける。

 

「ここで少し休む。交代で見張りをしよう。あーしが先でいいから」

「分かった」

 

 エンジンを切って、船底に固定した箱から晩飯の缶詰と乾パンを出して食べる。

 

 アラベラにも渡したが、彼女は夜食にとっておくと言って食べなかった。

 その代わりに自分のこれまでの旅の話をしてくる。

 

「──で、結構デカい取引だから人夫兼用心棒が要るなって思って、そいつと組んだわけ。マジであれは人選ミスったなあ。ヒヨッコで信用も金もないからってケチるんじゃなかったよ。なのに目端の利く奴が組んでくれたってだけで浮かれちゃって、馬鹿だよね。でもそいつ、目利きなのは本当なんだ。スクラッパーギルドで仕事したこともあるって言ってたし。だから、アンタの船にあった軍用ライフルと魔弾の価値だって一目で分かると思うんだ」

 

 要約すると、彼女は親父さんから独立して自分の飛行船を持ち、仕事を始めて間もない新人の運送業者だったらしい。

 経験不足で相方の報酬を独り占めしようとする企みを見抜けず、飛行船を荷物ごと持ち逃げされたのだ。

 それはまたなんとも同情する話だが──正直半分上の空だ。

 

 おっと、今の状況を説明しようか。

 俺はアラベラと一緒にマントにくるまっている。

 二十歳頃の美女と密着状態──精神衛生上かなりよろしくない事態だ。

 

 前世の妹とゾラ、そして今世の姉妹で女の暗黒面を嫌と言うほど知っている俺だが、今の俺の身体は思春期真っ只中の十五歳。

 さっきから心臓の鼓動が激しくなってるし、俺の意思に関係なく身体が熱を帯びている。

 思わず身じろぎすると、アラベラが訝しむ。

 

「どうした?」

「いや、何でもない」

「ふぅん──えい」

 

 誤魔化したが、アラベラは俺の頬を掴んで向きを変えた。

 目の前に彼女の顔が来る。

 

 思わず目を逸らした。

 近くで見るとさらに美人だった。恥ずかしながら直視できない。

 

「あれ?もしかして照れてる?かーわいい♪」

 

 アラベラが俺の反応を見て面白がっている。

 

「うるさいな。俺はもう寝る」

「はーいはい。おやすみー」

 

 手を振り解いて身体を丸めると、アラベラは頭を撫でてきた。

 

 子供扱いしやがって。これでも俺の中身はお前より年上なんだぞ。

 心の中で毒づいてため息を吐く。

 

 やれやれ。

 妖怪婆に売られかけて、冒険者としてボート同然の小さな飛行船で船旅に出て、船に泥棒に入られたかと思ったらどこの馬の骨ともしれない美女と二人っきりでまた船旅に出るとは。

 俺の人生って本当にどうなっているのだろうか。



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追跡 Ⅰ

 ゴツ、ゴツ、という岩がぶつかり合うような音で目が覚めた。

 

 焦点の合わない目を凝らして周りを見てみると、無数の岩が周囲に漂っている。

 

 ──あれ?まだ夢を見ているのだろうか?

 

 その考えは後ろから聞こえてきた声で打ち砕かれる。

 

「あ、起きたか」

 

 振り向くと、アラベラが舵輪と昇降レバーを握って小刻みに動かしていた。

 

 飛行船はアラベラの操作によく応え、漂う岩の隙間を潜り抜けていく。

 

 その見事な操船に惚れ惚れ──している場合じゃない!

 

「起きたか、じゃない!何だここは?というか、いつの間に出発してやがった!?」

「あーアンタ、出発時間になっても気持ちよさそうにグースカ寝てっから、起こさないでいてあげたの。で、急がないと追いつけないからあーしが操船して出航したってわけよ。グリッドレイ領へはここを通るのが近道なんでね」

「いや起こせよ!ってかなんでこんな危ないとこ通るんだよ!船が壊れたらどうするんだ!?」

「喚かないで。集中できない」

 

 アラベラは涼しい顔で昇降レバーを引いて、漂ってきた大きな岩を躱す。

 

 無数の水晶のような鉱石が鋭く突き出した岩を見て肝が冷えた。

 口論などしてアラベラの集中力を乱し、岩に激突すれば一瞬でお陀仏。

 彼女から舵輪を奪い返しても俺ではこの岩だらけの空域を抜けられないし、引き返すこともできない。そもそもどちらの方角から来たのかも知らない。

 

 ──それが理解できてしまった。

 

「何なんだよこの場所──」

 

 力が抜けて、船縁にへたり込む。

 

「心配すんなよ。何度も通った場所さ。あーしら運び屋の間じゃ近道で知られてんだよ」

「お前ら命が惜しくないのかよ──」

 

 こんな機雷原さえ可愛く思えるような難空域を近道として使う連中の考えは俺には分からない。

 

「アッハッハ!リオンって臆病だね!冒険者のくせにさ!」

 

 アラベラは恐怖なんてカケラも見せずに俺を笑っている。

 飛行船に乗って生きてる奴は度胸が違うということだろうか?

 

「うるせぇ。お前と違ってこちとらこれまでずっと陸で暮らしてきたんだよ。お前こそ頭のネジ何本か飛んでいるんじゃないのか?」

「そいつは褒め言葉と受け取っておきますよ、と」

 

 アラベラが急に舵輪を回し、俺は慣性で反対側の船縁に投げ出される。

 そのすぐ後ろを大きな岩が通り過ぎる。

 

「悪い悪い。反応が遅れた。死にたくなきゃしっかり掴まって静かにしててくんな」

 

 ──駄目だこれ。詰んだ。

 飛行船はアラベラに完全に乗っ取られている。

 

 観念した俺はアラベラの言う通りにすることにした。

 だがやられっ放しというわけにもいかないので釘を刺しておく。

 

「分かったよ。けど、絶対に船を壊すなよ。壊したら弁償させるからな」

「はいはい。でもあーしに任せてりゃ心配いらないって。信用しな」

 

 自信たっぷりに宣うアラベラだが、その表情はどこか固かった。

 

 なんだかんだ言ってコイツ自信ないんじゃないのかと疑っていると──

 

 

「ゥオオオオオオオオオオオオオ」

 

 

 風に乗って不気味な叫び声のような音が微かに聞こえてきた。

 

「──クッソ。ついてねぇな。よりにもよってそっちから来るのかよ」

 

 アラベラは毒づいて辺りを見回すと、大きく舵を切った。

 

「おい、何だよ?」

「セイレーンだ。見つかったら船ごと呑み込まれちまう。隠れないと」

「はぁ!?」

 

 聞いたことのない名前が出てきたが、何かとんでもなく巨大で恐ろしいモンスターの類が近づいてきているのだろうと察せられた。

 

 ただでさえ岩だらけの難所なのにそんなモンスターまで出るとは聞いていない。

 

「隠れるって──逃げられないのか?」

「無理だ。あーしらが行こうとしてる方向から来てる。それにこの船じゃ逃げたって振り切れねえよ。隠れてやり過ごす方がいい」

 

 アラベラは飛行船を大きな岩の窪みへと持っていくと、プロペラの回転を止め、手早く舫綱を突き出た鉱石にかけると、飛行船の船体を岩に引き寄せる。

 

「リオン、エンジンを切って、魔力回路も落として」

「あ、ああ」

 

 まだ唸りを上げていたエンジンを切ると、飛行船は浮遊石へのエネルギー供給を絶たれ、どさりと岩肌の上に落ちて横たわる。

 

 そして俺たちはその陰に隠れた。

 

「来た。近いぞ」

 

 周囲を警戒していたアラベラが頭を引っ込め、俺の頭も押さえつける。

 

 その言葉通り、不気味な叫び声がどんどん大きくなってくる。

 否、それはもはや叫び声というより断末魔と言った方がよかった。

 

「声を立てるんじゃねーぞ。あいつ耳がいいから──」

 

 アラベラが耳打ちしてくるが、その声すらも途中からかき消える。

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

 

 

 悲鳴を上げたくなるのを堪えて口に手を当てる。

 

 だがすぐに声が耳をつん裂くような轟音に変わり、手を離して耳を塞いだ。

 それでもなお耳が耐え切れずに耳鳴りを起こし、耳から頭に鋭い痛みが走る。

 

 苦痛と恐怖に思わず目を瞑ったその寸前、一瞬見えたソレは巨大な人魚のような姿をしていた。

 目も鼻もないのっぺりとした顔に鋭い牙がずらりと並んだ大きな口、人間のものに似た手の先についた鋭い爪、一つ一つが剣と見紛うばかりの尖った鱗、ボロボロの旗のような巨大な尾鰭──今まで見てきたモンスターとは比較にならない恐ろしい姿だった。

 

 見ただけで勝てないとはっきり分かってしまうのは初めての経験だった。

 あんなのライフルとか魔弾があったって倒すのは無理だ。

 

 俺にできたのは耳を強く抑えてどうか気付かれませんようにと必死で祈ることだけだった。

 

 

 

 静かになったのは十分ほど経った頃だったが、俺には一時間くらいにも感じられた。

 

「何だったんだよあれ──」

 

 安堵の溜息と共にそんな呟きが漏れた。

 

「飛行船乗りにとっちゃ検問の次に恐ろしい相手だよ。最近はほとんど見かけないけど、ここにはまだいくらか残ってんのさ。ま、さっきみたいにやり過ごせば大体安全だけどね」

 

 アラベラが舫綱を解きながら答える。

 

「さ、ぐずぐずしてられない。日が暮れる前にここから抜け出さないと」

 

 俺は半ば魂が抜けたかのように力が入らない身体に鞭打って飛行船に乗り込み、エンジンをかけた。

 

 アラベラがすぐに操船を交代し、再び目的地に向かって進み始める。

 

 さっきみたいなモンスターが現れないか周囲を警戒しながら思った。

 ここから抜けたらアラベラと一度きっちり話をしよう、と。

 飛行船の持ち主である俺に相談もなしに危険な場所を何度も通られてはたまったものではない。

 

 

◇◇◇

 

 

 岩石地帯を抜けたのはだいぶ陽が傾いてからだった。

 

「ふう。無事に抜けられたね。これであいつの針路上に先回りできたはずだよ」

 

 ご機嫌のアラベラだが、俺の方はもはや限界だった。

 

「お前、あんな危ない目に遭ってよくそんなに平然としていられるよな」

 

 嫌味を飛ばしてやると、アラベラはヘラヘラ笑って頭を掻く。

 

「いやぁ、昔から度胸だけは有り余ってるって言われるんだよね~」

「ふざけた口を利くんじゃねーよ!!」

 

 思わず立ち上がって怒鳴った。

 

「俺は言ったよな?この飛行船の持ち主は俺だ。で、操船するのも俺、航路も教えろって言ったよな?なのに俺に一言の相談も断りもなしにあんな危険な場所通りやがって。下手すりゃ死ぬところだったじゃないか!」

 

 するとアラベラは笑みを消して目を細め、低い声で問うてくる。

 

「言ったところでアンタは賛成したの?」

「あ?するわけないだろうが。死んじまったら何にもならねえんだからさ」

 

 俺の答えにアラベラは目を閉じて溜息を吐いた。

 

「──そう。やっぱりね。言わないでおいて正解だったよ」

「何だと?」

「アンタさ、命あっての物種って思ってるでしょ?危ないことが嫌いで、何を失くしても生きてさえいればどうにかなる、って思ってる。違う?」

「──それがどうだって言うんだよ?」

 

 問いかけると、アラベラはキッと俺の方を睨みつけて口を開く。

 

「アンタがそんな風に思えるのは今までぬるま湯に浸かってたからだよ。アンタなんだかんだで食うには困らなくて、命が危なくなることなんてない贅沢な暮らししてきたでしょ?そんで、その暮らしがある日突然失われることなんてない──そう思ってダラダラ生きてきたんでしょ?」

「そんなこと──」

 

 否定しようとしたが、言葉に詰まってしまった。

 自分のこれまでの十五年間を振り返ってみれば、アラベラの言葉を否定できなかった。

 

 実際、毎日無気力だったのだ。

 朝から親父に鍛えられて、その後は農作業でクタクタになって、夜は勉強。そして寝る時間になったらベッドにダイブして、すぐに泥のように眠る。

 毎日その繰り返しでキツい毎日だったが、その日の飯や寝床に困るわけでもなく、変えようとか、何とかしようとか、そんなことは考えたそばから諦めていた。

 目の前の仕事でいっぱいいっぱいで何かに挑戦することもなく、努力や研鑽とは無縁の日々だったと言ってもいい。

 かといって完全に自分を諦めていたわけでもなく、いつか本気を出して、経験値集めしてみようだとか、冒険の旅に出ようだとか、そんな都合のいいことを考えていた。

 

 アラベラは言葉に詰まった俺を見て溜息を吐いた。

 

「図星か。言っとくけど、あーしはぬるま湯に浸かって生きてきたアンタの生温いやり方には従えない。それじゃあーしの船は取り返せないし、取り返せなかったらあーしは商売道具なくして借金地獄で、人生終わりだから」

「それは俺だって同じだ。武器を取り返せなかったら俺は──」

「でもアンタには帰る家がある。そして誰も大事な積荷を盗まれて無様に帰ってきたアンタを咎めない。むしろよく生きて帰ってきてくれたって褒めてくれるんでしょ?分かるよ。わざわざ成人したての青二才の一人旅に、魔弾なんて高級品を用意してくれるような、優しくてお金持ちなご家族だものね。結局アンタは失敗したって生きてりゃ次がある、別の道があるってどこかで思ってるんだよ。そんなアンタが、武器を取り返せなかったら人生終わりだとか、痛すぎ──」

 

「人の話は最後まで聞けよ!!」

 

 思わず俺は船縁を殴りつけて怒鳴った。

 こちらの事情など何も知らないくせにという怒りが、怒鳴り声として口から飛び出す。

 

「俺はな、自分のためだけに冒険しているんじゃねーんだよ。俺が死んだら、俺の弟が妖怪婆に売り飛ばされちまうんだよ!」

 

 アラベラは目を見開き、続いて怪訝な顔をする。

 

「はぁ?妖怪婆?何のこと言ってるの?」

「若い男を後夫に迎えて戦場に送り出して、戦死させて遺族年金で儲けようと企んでいる五十過ぎのバツ七婆だ。俺の親父の正妻が勝手にそいつと俺の縁談を進めやがった。その縁談を断るために金が必要になったんだよ。それこそ魔弾なんて千発以上買ってもお釣りが来るくらいのな。そんな金を短期間で用意するなんて、冒険で一山当てる以外じゃ無理だ。だから俺はこうしてこんな小さな飛行船で冒険に出ているんだよ」

「──アンタ、それ本当なの?」

「本当だ。この際だから言うけどな、俺は貴族だ。つっても辺境の男爵家の三男坊で、しかも妾の子だけどな。親父の正妻は俺を学園にやる金が惜しいらしくてな、俺を軍人にしてから戦死させて、遺族年金を手に入れようとしているんだ。うちに寄生して王都で贅沢三昧のくせして、俺を穀潰しだなんて抜かしやがった。そんなやつの私腹を肥やすために犠牲にされるなんて真っ平御免だ。だから金は自分で用意するから縁談は取り消せ、って啖呵切って旅に出た。そうしたからには絶対に金を稼いで生きて帰らなきゃいけない。手ぶらで戻ったりしたら、その時は間違いなく俺は売り飛ばされる。俺が逃げたり死んだりすりゃ、次は弟が同じ目に遭う。俺の命もこの船も俺だけのものじゃないんだ。俺と俺の弟の命運が懸かっているんだよ。だから今日みたいに勝手に危険地帯に入られたら、困るどころの話じゃないんだ。俺が嘘を言っているように見えるか?」」

 

 アラベラは俺の長々とした話を顔を顰めながら聞いていたが、やがて大きく溜息を吐いて、ばつの悪そうな顔で言った。

 

「──馬鹿にして悪かった。アンタもけっこう大変な目に遭ってたんだね」

 

 そして俺の手を取って顔を近づけてきた。

 

「アンタもあーしももう後がない。アンタは武器、あーしは船、取り返せなかったら二人仲良くお終いだ。だから改めて、共闘しよう。もうアンタに黙って勝手なことはしないと約束する。だからもうしばらくこの舟とアンタの力を貸して欲しい。あーしもできるだけのことはする。二人で一緒に乗り越えよう」

 

 アラベラの目は真剣だった。

 白々しい気もするが、俺のライフルと魔弾を盗んだ犯人と思しき奴が乗っている船を探し当てるには、コイツの協力が要る。

 不本意ではあるが、勝手をされたことは水に流すことにした。

 だがタダでというわけにもいかない。

 

「──分かった。今回だけは目を瞑ってやる。その代わり、条件がある。もしお前の船に俺のライフルと魔弾がなかったら、買い直すための資金稼ぎに付き合え。二人で乗り越えようって言ったからにはできるよな?」

「ああ。分かった。仕事を終わったらいくらでも付き合うさ」

 

 本当なら一筆書かせたいところだが、生憎そんな道具も暇もなさそうだ。

 

 アラベラが手を離すと、懐から地図を取り出して広げた。

 

「あいつが普通の航路で行ったなら、ちょうど明日の夜明けくらいにこの灯台の近くを通るはずだ。そこまで行って待ち伏せる。ここからだと四時間くらいで着くから、すぐ出発しよう。着いたら交代で見張りをする。それで見つけた方はすぐに起こして追跡を始める。それでいい?」

「ああ。それで、お前の船の特徴は?」

 

 尋ねると、アラベラは指先で空中にラグビーボールの片方半分を絞ったような楕円形を描く。

 

「こんな形の黒い浮き袋が付いてる。で、船体も黒。夜は全然見えないけど、日が照ってれば見つけやすいと思う。夜はあーしが見張るからアンタは日が昇ってからをお願い。とにかく、黒い船を見つけたらすぐに起こして。スループっつってスピードが出るやつだから、一秒でも早く見つけないと捕まえられない」

「分かった」

 

 アラベラは頷くと、舵輪の前を譲った。

 

「よし、じゃあ出発しよう。日が暮れる前に灯台のところに辿り着かないと」

 

 俺は舵輪を握り、地図に描かれた灯台へ針路を取った。




セイレーンの声はシャドーコリドーのうるさいアイツをイメージして頂ければ


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追跡 Ⅱ

「来た!リオン!降下準備して!」

 

 アラベラの声で目が覚めた。

 

 飛行船泥棒に盗られた飛行船が姿を現したようだ。

 

 素早くエンジンを始動させて舵輪を握ると、アラベラが指示する方向へと飛行船を走らせる。

 

「あそこ!」

 

 彼女が指差す先にいるのは前世の飛行船に似た構造の飛行船だ。

 フグの胴体のような浮き袋の下に水上船のような船体が吊り下がっている。俺の飛行船の三倍くらいはありそうな大きさで、しかもかなり足が速いのが遠目に見ても分かる。

 

「いい?合図で全速急降下だかんね!レバーが圧し折れるくらい押し込んでよ!」

 

 舳先でタイミングを窺うアラベラが大声で念押ししてくる。

 

「ハン!折れたら修理手伝えよな!」

 

 こっちも大声で返す。

 

 難空域を突っ切って先回りし、待ち伏せするというアラベラの奇策は見事に当たったが、それでも依然こちらが不利なのは変わらない。

 相手の飛行船は速度でもサイズでもこちらを上回り、追跡してもまず追いつけない。すれ違ってしまえばそれでお終いだ。

 

 だからアラベラが作戦を考えた。

 

 まず上空を取り、浮き袋を持つ飛行船にとって死角になる真上から急降下して浮き袋に体当たりしてこれを破る。

 これによって、相手はそれまで推進に振り向けていたエネルギーを高度維持にも振る必要が生じ、船速が大幅に下がるので、その隙に俺の飛行船を船体に横付けし、乗り込むというものだ。

 

 この作戦を実行するために俺は飛行船が上がれる限界高度まで上昇し、高高度で飛行船の浮き袋を畳むというハイリスクなことをやっている。

 

 浮遊石という天然の反重力デバイスが存在するこの世界で飛行船が浮き袋を付ける理由は、浮遊石を浮かべる魔石のエネルギーを節約するためだ。

 浮遊石といっても魔石からエネルギーを供給しなければ浮かびはしない。

 つまり、飛行船がどこまで上がれるかは魔石のエネルギー量に依存しているのだが、民間の飛行船に搭載されているような魔石は純度が低い粗悪品──外れ玉と呼ばれている非力でエネルギー量に乏しいやつなのだ。

 だが、そんな粗悪品でも結構な値段がする──国が専売制を敷いているせいだとアラベラは言っていた──ので、なるべくエネルギーを節約しながら使わなければならない。

 だから飛行に必要な工程のうち「浮かべる」という役割はガスや熱い空気を詰めた浮き袋に任せて、浮遊石へ供給するエネルギーを出来るだけ少なくする、というやり方が一般的らしい。

 

 ちなみに俺の飛行船の魔石は親父が無理して質の良いものを積んでくれているが、それでも高高度では浮き袋の補助がないと高度を保つだけで精一杯になる。

 かといって浮き袋を付けたままでは急降下なんてできやしない。

 だから今俺は空気抵抗を減らすために浮き袋を畳んで船体に括り付けている。

 

(いつの間に俺はアクション映画に出演しているんだか)

 

 高度を保つために魔石は浮遊石に大量のエネルギーを送り続け、マゼンタ色の強い輝きを放っている。

 ──爆発とかしないだろうな?

 

「真下に入るよ!三でマーク!」

 

 アラベラが叫ぶ。

 

 俺は魔力回路制御装置と上昇・下降用のレバーに手をかける。

 

「一!」

 

 制御装置のリミッターを外し、エンジンにエネルギーを送り込んで加速に備える。

 

 魔石は電球の何倍も明るく輝き、直視できない。

 

「二!」

 

 浮遊石へのエネルギー供給をカット。

 

 飛行船は気持ち悪いほどゆっくりと落下し始める。

 

「三!!」

 

 制御装置のリミッターを戻し、レバーを限界まで押し込む。

 

 飛行船は舳先を下に向け、猛スピードで降下していく。

 

 凄まじい風圧が俺の身体にかかるが、レバーを押し込む手は緩めず、跳ね上がろうとする飛行船の頭を押さえつける。

 目標の飛行船がどんどん近づいてくる。

 

 相手が気付いたらしく、回避行動を取り始めた。

 

 だが全速で急降下中の飛行船はろくに針路調整ができない。このまま突っ込むしかない。

 

 幸い目標の移動より俺の飛行船の降下の方が速いようだった。

 俺の飛行船は真っすぐに目標目掛けて突っ込んでいく。

 

 最初は麦粒くらいにしか見えなかった目標がどんどん大きくなってくる。

 接触はもう目前だ。

 

 俺は内心で祈りを込めて叫ぶ。

 

(当たれえええええええ!)

 

 船底が浮き袋を擦ったかと思うと、何かが折れるような音と共に小さな衝撃が走る。

 どうやら勢い余って船体まで擦ったらしいが、構わずにすぐレバーを引いて今度は上昇に転じる。

 

(手応えはあった。やったはずだ!)

 

 だが上を見上げると──目標の浮き袋は健在だった。

 

(効いてない!まさかミスった!?)

 

 一気に冷や汗が噴き出る。

 

 だがアラベラの口からは予想外の言葉が出てきた。

 

「プロペラがもげてる!そのまま上昇して!」

 

 見ると相手の船体後部のプロペラが一基なくなっている。

 ああクソ。死角になるほかに被害が少なく済むからという理由もあって浮き袋を狙ったのに、浮き袋を破らずに大事なプロペラをもぎ取ってしまうとは。

 飛行船のプロペラは高価な部品なのだ。

 アラベラのやつあとで損害賠償とか請求してこないだろうな?

 

 一抹の不安を抱えたまま俺は飛行船のエンジンを全開にして目標の飛行船を追いかける。

 

 だが相手も追われていることを悟ったらしく、増速し始める。

 距離が縮まらなくなってくる。

 

「このままじゃ引き離されるぞ!」

「もう!リオンがドジやるから!」

 

 アラベラは悪態をつきながらも次の手を用意していた。

 

 俺の飛行船の錨を投げ縄みたいに頭上でぐるぐる回したかと思ったら、身体の捻りを加えて投げた。

 

 錨は見事に相手の船体と浮き袋を繋ぐ索具に引っ掛かった。

 相手の飛行船にこっちの飛行船が引っ張られる形になる。

 

 アラベラは素早く錨のロープを船首に掛けると、舵輪の前に移動してきた。

 

「操船代われ!」

 

 ご命令通り、俺は素早くアラベラと交代する。

 こんな状況だ。ジェナに命令された時みたく口答えする気は起きない。

 

 アラベラが舵輪を握ったのとほぼ同時に、相手が船体を左右に揺らし始めた。

 ロープで繋がったこちらも同じように、いや、小さくて軽い分もっと大きく揺れる。

 

 しかしアラベラはすぐに舵を巧みに調節し、相手の動きと同調する。

 彼女の見事な操船で俺の飛行船は水平状態を保つ。

 

 ──問題はどうやって相手との距離を縮めるか。

 俺は魔法で筋力を強化して必死にロープを引っ張り、手繰り寄せようとするが、ちっとも距離が縮まらない。

 

 クソ!なんで巻き上げ機のひとつもないんだよこの船は!誰が冒険に出る俺にこんな頼りない()()()を寄越してくれやがった!?親父だった!

 

 そんな悪態が浮かんでくるほどビクともしない。

 少し手繰り寄せたと思ったら滑ってまた振り出しに戻り、摩擦で手袋が高熱を帯びる。

 

「リオン!引っ張っても無駄だ!それよりそのロープを伝ってあっちに移れ!」

 

 は?コイツ今なんて言った?

 

「はぁ!?お前正気かよ!?途中で落ちたら死ぬだろ!」

「アンタ冒険者でしょ!それ以前に、男でしょ!それくらいの度胸見せなさいよ!しくじったらどっちみち終わりなんだし、弟さんを助けると思ってやりなさいよ!」

 

 嗚呼凄まじきはことわざになるくらいの社会観念。

 こんな危険な、文字通りの意味での綱渡りを「男は度胸」で乗り越えろ、とは!

 しかもコリンのことを持ち出されるとこっちは言い返せなくなる。卑怯だろうが。

 

 だが他に良い選択肢は思い浮かばず──俺は腹を括ることにした。

 

「ああ!もう!分かったよ!やってやる!コリンのためだ!」

 

 船首に括り付けられたロープをさらに巻いて補強すると、俺は再び魔法で肉体を強化してロープに両手足でぶら下がる。

 

 そして両手足を順繰りに動かして少しずつ、相手の飛行船ににじり寄っていく。 

 悠長に命綱を用意している暇はなかった。手や足が滑ったら死を覚悟するしかない。

 

(なんでモブの俺がアクション映画の主人公みたいな真似しなきゃいけないんだよ!)

 

 目的地だけを見据えて手足を動かしながら、内心で毒づく。

 

 ほんの一瞬でも下を見たら恐怖で竦んで手足の力が抜けてしまいそうで、何とか綱渡りの動きだけに意識を集中しようとした。

 それでもなお湧き上がる恐怖はこの先にあるものを想像して掻き消そうと試みる。

 

 俺は今度こそ田舎で山ナシ谷ナシののんびり引きこもりスローライフを送るんだ。

 こんなところで海に落ちて死んでなんていられない。

 

 そんなふうに自分に言い聞かせながら少しずつロープを渡る。

 

 もう半分くらいは渡っただろうか。

 さっきよりも相手の飛行船がだいぶ大きく見える。

 

 ──いける!

 

 そう思ったが、やはりそう甘くはなかった。

 

「急いでリオン!アイツロープを切りに行ってる!」

 

 アラベラが警告してきた。

 

 マジかよ!ロープ切られたら確実に落ちて死ぬ!急げ俺!

 

 心臓の鼓動が恐怖で早くなる。

 

 俺は必死で腕を動かし、身体を引っ張る。

 

 早く!

 早く! 

 一秒でも早く!

 

 気はこれ以上ないほど急くのに、ロープの先はまだ遠く見える。

 

 ふとロープの先に剣を持った男が現れるのが見えた。

 錨が絡まった索具をよじ登り、錨に繋がったロープを切ろうとする。

 

「やめろおおお!」

 

 無駄だとは思うが叫ばずにはいられない。

 しかし、男は無情にも剣を振り下ろし、ロープに大きな切れ込みが入る。

 そのまま、ロープはどんどん裂けていく。

 

 ヤバい!

 どこかに捕まる場所は──咄嗟に周囲を見渡してみると、すぐ隣に飛行船の方向舵が見えた。

 

(頼む間に合え!)

 

 左手でロープを掴んで、右手で腰に提げていた剣を抜き、ハーケン代わりに方向舵目掛けて突き刺そうとしたが──その鋒は空を切った。

 

 寸前でロープは完全に千切れてしまった。

 

 気持ち悪い落下感と共に俺は振り子のように下へと引っ張られて落ちていく。

 

 その時一瞬下が見えて──寒気がした。

 細波の光る海面が何千メートルもの彼方に広がっていた。

 

 ──落ちる。

 

 一瞬で悟った俺は剣を手放し、両手でロープに全力でしがみついた。

 

 落ちたくない!死にたくない!──その一心で渾身の力を込めてロープを握り締める。

 直後、衝撃でロープにかけていた足が外れて空中に投げ出されたかと思うと、落下感が消失する。 

 

 ロープが張ったようだ。

 俺は足を下にして俺に飛行船にぶら下がる形になる。正確にいうとぶら下がったまま引っ張られている。

 

「リオン!」

 

 上からアラベラの声がしたので見上げると、船縁からアラベラがこちらを見ていた。

 

「待ってろ!今舟を止める!絶対手離すなよ!」

 

 そう言ってアラベラは姿を消したが、すぐにプロペラが止まり、俺の飛行船は減速を始めた。

 

 体感五分乃至は十分くらい経って、飛行船が静止すると、再びアラベラが顔を覗かせた。

 

「上がれそうか?」

「──やってみる!」

 

 両脚でロープを挟み、両手でロープを手繰り寄せてよじ登る。

 

 綱渡りでだいぶ体力が消耗しているのを感じる。

 腕に力が入らなくなってくるが、精一杯気力を奮い立たせて身体を引き上げる。

 

 船縁に両の手を掛けると、アラベラが俺の服の背中を掴んで、飛行船の中へと引っ張り上げてくれた。

 

 ──助かった。

 

 どっと冷や汗が噴き出し、力が抜けて、俺は寝転がったまま荒い息をする。

 

 見るとアラベラも船縁にもたれかかって荒い息をしていた。

 その顔に悔しさが滲ませて前の方を見ている。

 

 身体を起こして同じ方向を見ると、目標の飛行船は遥か彼方へと逃げていくところだった。

 

「クソッ!」

 

 アラベラが握り拳で船縁を叩く。

 その拍子に彼女の手に血が滲んだ。

 

「すまねえ。間に合わなかった」

 

 あと少し──あと少し早く剣を抜いていたら、方向舵から相手の船の船室までよじ登れただろう。

 

 アラベラに謝罪するが、彼女は力なくかぶりを振って言った。

 

「──仕方ないよ。命には代えられない」

「お前──」

 

 昨日とは真逆のセリフに驚いた。

 そして──俺の命を救うために、自分の生命線である商売道具の飛行船の奪還を諦めざるを得なかった彼女にかける言葉を失った。

 

 だが、アラベラは俺の顔を見るや、僅かに笑みを浮かべる。

 

「それにまだ完全に終わったってわけじゃねえ。今度は港で待ち伏せて取り戻す」

「待ち伏せ?」

「ああ。本土にあーしらみたいな半端者や日陰者が集まる港があるんだよ。運びの仕事をしている奴はそこで仕事を取ってくる。だからあいつも今回の仕事を終えたら、新しい仕事を取りに現れるはずなんだ。この舟でそこに行ってあいつを待ち伏せる」

 

 アラベラの次の作戦には俺の飛行船が組み込まれているようだが、はいそうですかと受け入れられる話ではなかった。

 

「──待てよ。それじゃ俺の方はどうなるんだ?あいつに逃げられた以上、俺は一刻も早く武器を買い直してダンジョンに行かなきゃいけないんだぞ。悠長にそんな港に滞在なんてしていられるかよ」

「捕まえ損なったのはアンタがドジやったからでしょ。取り返すまで付き合いなさいよ」

「それは──そうだけどさ」

 

 こっちにだってやむにやまれぬ事情がある。

 失った魔弾とライフルを買い直せるくらいの金を稼ぐには、ダンジョンに潜るくらいしかない。しかも今の俺では特殊な武器やアイテムを必要としない、比較的難易度の低いダンジョンに潜るのが精々。

 難易度が低い分稼ぎはあまり良くなく、どう頑張っても数ヶ月はかかる。

 その間にコリンが売られてしまう可能性を考えると、一日だって惜しい。

 

 だが、アラベラは笑みを消してハイライトの消えた目で俺を睨みつけてくる。

 

「あの時エンジンをブーストさせてれば追いつけたかもしれないんだよ。アンタがあーしの船のプロペラをもぎ取ったのと、あいつはあの時操船を離れていたからね。でもそうしたら追いつく前にぶら下がってたアンタが落っこちると思った。だからあーしは舟を止めた。つまりアンタはあーしに命の借りがあるってわけ。あーしの商売道具を取り返せるチャンスと引き換えに生き延びたアンタには、あーしの商売道具を取り返すまで自分の都合を通す資格なんてないと思うけどな。だってそうでしょ?死んだらダンジョンに行くも何もないんだから。その借りを踏み倒すって言うのなら──あーしを殺してからにしな」

 

 最後の方は底冷えのするような声で思わず震え上がってしまった。

 

「殺すって──そんなことできるわけないだろ」

「じゃあアンタの選択肢は一つだよ。あーしを【ディスカス】まで連れて行って」

 

 有無を言わさぬ圧の込もったアラベラの視線に気圧されながらも、俺は何かこの場を切り抜けられる方法はないかと思考を巡らせる。

 

 そして──一つ、考えが浮かんだ。

 

「なぁ、アラベラ。一つ提案というか、考えがあるんだけど」

「何?」

 

 アラベラは目を細めるが、幾分か圧が弱くなる。どうやら話を聞く気くらいはあるらしい。

 

 その瞳を見据えて、俺は持ちかける。

 

「──俺と組んで俺の船で運びの仕事をする、ってのはどうだ?」



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