幼馴染と平和な学校生活を謳歌したい (外崎 赫一)
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第1章「ようこそ実力至上主義の教室へ」
1.「入学」


 はじめまして。小説投稿をするのはこれが初なので拙い部分が多いかと思いますが、よろしくお願いします。



 僕の名前は氷知(ひじり)澄春(すみはる)。今日から高校生になる、思春期真っ只中の15歳だ。髪は灰を被ったような薄いグレーで瞳は黒の、至って普通の高校生男子だと思う。

 

 そんな僕は今、進学先の高校へと向かっているバスの中で、桜の並木をゆったりと眺めて目的地に到着するまでの時間を過ごしている。本当ならば読書の時間に充てたいのだが、車酔いしそうなので僕はやめておいた。

 

 桜の並木の道を駆け抜けるバスの中で、この先どんな学校生活が待っているのだろうかと思いを馳せながら、腕時計の時間を確認した僕は隣の座席で読書に(いそ)しんでいる幼馴染に声をかける。

 

「もうそろそろ学校に着くよ、ひよりちゃん」

 

「……もうそんな時間ですか?」

 

 読んでいた本をパタリと閉じ、件の少女――椎名(しいな)ひよりはこちらを見てそう言った。

 

「うん。あと5分くらいで到着するよ」

 

 それを聞いて本をスクールバッグに仕舞った彼女は、ふわぁと小さな可愛らしい欠伸(あくび)をしてからこちらに向き直った。

 

 小学生の時から9年間ずっと見てきた顔だが、やはり改めてしっかりと見ると、ずば抜けて整った容姿をしていると思う。

 

 僕の胸中を知ってか知らずか、綺麗に整えられた銀色の髪の彼女のアメジストの様に透き通る瞳がこちらに向いた。読んでいた本が物語の佳境に差し掛かっていたからなのか、少々名残惜しそうな感情を瞳の奥に秘めているようにも見えるが。

 

 申し訳ないことをしてしまったと思いつつも、降車する前に話題を振っておくことにする。バスが停車するまで会話もなく無言というのは寂しいからだ。

 

「ひよりちゃんは高校生活、楽しみ?」

 

「はいっ。早く学校の図書館に行って、本が沢山読みたいです」

 

「あはは、君は本当に昔から本を読むのが好きだね」

 

「ええ、大好きです。この『Xの悲劇』というエラリー・クイーンの作品なのですが――」

 

 ふわりとした笑顔を見せながら、彼女は先程まで読んでいた本について楽しそうに語る。僕もよく本を読むのだが、ひよりちゃんはそれ以上だ。

 

 本にかける情熱の大きさを表すとすれば、僕を月に例えるならなら彼女は太陽になるだろう。僕達二人は俗に言う本の虫なわけだが、彼女はその度合いが違い過ぎる。いつの日にかは「私の恋人は本です」と言い出してもおかしくないほどに、椎名ひよりという子は本を愛してやまない文学少女なのだ。

 

「悲劇シリーズの第一作にして内容は推理小説の王道そのもので、事件の矛盾点から犯人を導き出す解決編が素晴らしくて特に伏線回収は――」

 

 ……結局、ひよりちゃんの本の話(マシンガントーク)はバスが停車するまで止まらなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 5分後。

 

 目的地に到着し、彼女と一緒にバスを降りる。その先には天然石を連結加工して作られた大きな門が僕達入学生を待ち構えていた。

 

「今日から私達は、この場所で学校生活を共にするんですね」

 

 横に並び立っているひよりちゃんが門を見上げながら感慨深そうに言った。

 

――東京都高度育成高等学校。日本政府が作り上げた、これから先の未来を支えていくであろう若者たちを育成する学校だ。今日から僕達が通うことになる場所でもある。

 

「そうだね。後は一緒のクラスになれるといいかな」

 

 僕の願望(ねがい)とも受け取れる台詞(せりふ)に、彼女は微笑みを浮かべて肯定の意を示してくれた。

 

 少し心を躍らせながら校舎の中まで来ると、クラス表が貼られている掲示板の前には人(だか)りができていた。

 

「これでは見えませんね」

 

 彼女は遠巻きにその光景を眺めながら呟く。小柄なひよりちゃんでは、この人集りの中で自分のクラスを確認するのは至難の業だ。

 

「僕が見てくるから、ひよりちゃんはそこで待っててよ」

 

「分かりました。気をつけてくださいね」

 

 幼馴染からのささやかなご忠告を頂き、僕は集団の中に入った。身長180cmの僕が見に行った方が効率が良い。背が高い人がそんなに居なかったお陰で、割と早めに僕達の所属するクラスは特定することが出来た。

 

「おかえりなさい。クラスはどうでしたか?」

 

 戻ってきた僕に、ひよりちゃんが尋ねてきた。心做しか、少しドキドキしているようにも見える。きっと、彼女も僕と同じくらいこの学校生活を楽しみにしていたのだろう。

 

「僕達二人共、同じCクラスだったよ」

 

 そう伝えると、ひよりちゃんの不安と期待の入り混じった表情は、嬉しそうな表情一色の笑顔に変わった。

 

 彼女の笑顔はとても魅力的だ。もし都会に繰り出したとしたら、100人中100人が思わず二度見してしまうだろう。9年間ずっと傍にいた僕でも、未だにこれを見たら心打たれる破壊力なのだから。

 

 思わず頬が緩みだしそうになるのを僕はグッと堪えた。

 

 彼女には悟られなかったようで、なんとか無事に1年Cクラスの教室へと移動することできた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 Cクラスの教室をさり気なく一瞥すると、既に大半の席が埋まっていた。扉を開けたときに大半の人から目を向けられたのはなんというか、居心地が悪くて良い気分はしないものだった。

 

 初っ端から嫌な予感を感じてしまったが、気持ちを切り替えよう。自分の名前が記載されているネームプレートを探すこと数十秒。そして、それは見つかった……が。

 

「席がド真ん中って……」

 

 よりにもよって、どの席からでも注目されてしまいがちな中心、センター、またの名を『授業で一番先生に指名されやすい席(勝手に考えた名称)』なってしまうなんて……チクショウめ。これじゃあ授業でうっかり寝てしまったときに周囲から笑い者にされてしまうじゃないか……! 余談だが、ひよりちゃんの席は廊下側の一番後ろでしたとさ。おのれぇ、席を決めた存在Xめぇ……。

 

 席順を決めた誰とも分からない存在Xに向けて、お門違いな恨み節を内心で愚痴りながら落ち込む僕に更に追い打ちをかけたのは、それから3分後の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう白目向いても良いかな? 僕は悪くない。僕の右隣の席には髪の長いガラの悪そうな男子生徒が、左隣にはもはや同い年とは思えないガッシリとした体格でサングラスをかけた黒肌の巨漢の男子生徒が座っていた。左の人、属性過多にもほどがあるよね?

 

 前者は僕の勘が物凄く警戒のサイレンを鳴らすほどの、特にヤバイ雰囲気(オーラ)を放っている生徒だ。チラッとネームプレートを見ると龍園(かける)と書かれていた。名前の時点で既にヤバイ奴ではないかと思ってしまうインパクトがある。

 

 いや、これは僕の偏見だ。人を見た目や名前だけで判断するなと道徳で習ったじゃないか。まずは一声掛けてから考えることにしよう。

 

 ()くして、僕は右隣の生徒である龍園翔に声をかけようとしたのだが……。

 

(うわっ……)

 

 目線を少しだけ右の方に向けて龍園君の横顔が視界に入ったとき、戦慄してしまった。彼は獰猛な笑みを浮かべながら教室全体を眺めていたのだ。

 

 ヤベェなコイツ、と僕が思ったのは勿論のこと、龍園君と目が合った生徒は皆、萎縮しながら即座に違う方向を向いている。イケメンに見られると女性はキュンと来るものだが、流石に怪しそうな顔の人に見られても嬉しくはないし、怖がる。そりゃあ、皆そういう反応するよね……僕だってそうするに違いない。

 

 この時点で、僕の頭の中にあった『龍園君に話しかけてみよう作戦』は中断されたのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「Hallow. My name is Sumiharu Hijiri. As the person in the seat next to me, thank you from now on.(こんにちは、はじめまして。僕の名前は氷知澄春。隣の席ということで、これからよろしくね)」

 

「Oh,you can speak English. Um,by the way, I haven't introduced myself yet. My name is Alberto Yamada. Nice to meet you too. Also,you can call me Alberto.(おお、君は英語が話せるのか。ああ、自己紹介がまだだった。私は山田アルベルトだ。こちらこそよろしく。それと、私のことはアルベルトと呼んでくれて構わない)」

 

 僕の差し出した右手を黒い右手がガッチリと握った。見かけによらない人もこの世には居るものだよね。

 

 さっきまで怖い奴だと思っててごめんよ、アルベルト君。君はこの学校で僕に最初に出来た友達だ。これからは友好を深めていこうじゃないか。

 

 左の席の生徒――山田アルベルト君は良い人だった。右隣の席の不良君とは大違いの温厚でおおらかな性格をしている。

 

 彼と握手をした後は、会話に花を咲かせた。聞いてみれば、登校した直後は周りからの視線が気になったり、他の人と上手く意思疎通(コミュニケーション)出来るか心配だったらしい。そんな時に僕が話しかけたことには感謝しているようだった。お陰で少し緊張が和らいだ、とアルベルト君は(英語で)言っていた。名前からしてなんとなくわかっていたことだが、彼は日本人とアメリカ人のハーフということもわかった。

 

 そんなやりとりが終わってから程なくして、このクラスの担任と思われる先生が入ってきた。

 

「皆さん、一旦席に着いて下さい」

 

 来た先生は……教師と言ったほうが合っている気がするかな、四角い眼鏡をかけたサラリーマンに近い雰囲気を感じられる人で、数学の教師をしていそうな風貌だ。完全に偏見だけれど、几帳面そうな感じがする。教師の人は全員が席に座ったのを確認したのか、話を始めた。

 

「……まずは新入生の皆さん、入学おめでとうございます。私はこのCクラスの担任を務めることになった坂上数馬です。担当科目は数学です」

 

 予想通りというか、坂上先生は数学担当だった。まぁ、それで何かあるわけじゃないんだけれど。

 

「この学校には学年ごとのクラス替えはありません。卒業までの3年間は私が担任教師を務めます。よろしくお願いします」

 

 クラス替えはないのか。ひよりちゃんと三年間一緒のクラスなのは凄く嬉しいけれど、このクラスに馴染めるか心配だな。中学校は不良の溜まり場みたいな場所だったし。このクラスはその雰囲気にとてもよく似ている。周りのメンツを見る限り、明らかに不良のような面構えや格好をしている生徒ばかり居るのだ。

 

 まさかとは思うけど、他のクラスも同じような生徒ばかりだったらどうしよう。そうだったら、来る学校を間違えたかもしれない。

 

 でも、それは流石にないか。一応、ここは政府主導で作り上げられた学校なのだし、採点基準も他の高校と比べて厳しいはずだ。皆、外見が悪そうなだけで案外頭は良いのかもしれないな。たまたま()()()()()()()()()()()()()()()配属されているのかもね。

 

「今から1時間後に入学式が行われますが、その前にこの学校の特殊なルールについて記載された資料を配ります」

 

 前の席の青い髪の女子生徒から資料が回されてきて確認すると、どこか見覚えがある資料だった。

 

「先程配った資料は、皆さんが合格通知を受け取った際に同封されていたものと全く同じものです。内容を覚えている人は読まなくても大丈夫ですよ」

 

 確かこれは、入学案内と一緒に入ってた資料だ。合格したと分かったときはウキウキしながら何回も読み返したんだっけ。改めて思い出すと、あのときの僕はとても恥ずかしかった。ひよりちゃんと手を取り合って喜んでいた気がするな。……これ以上思い出すのはもうやめにしよう。

 

 若かりし頃(約1ヶ月前)の黒歴史を頭の中で抹消した僕は、配られた資料を簡単に読み返すことにした。

 

 高度育成高等学校の特殊なルールは大体こんな感じだ。

 

・在学中は施設内の寮での生活が義務付けられる

・特例を除き外部との連絡の一切を禁ずる(肉親であろうと学校側からの許可が降りない限り不可)

・許可なく学校の敷地内から出ることを固く禁ずる

・Sシステムを導入し、それによるポイントを敷地内での通貨として使用する(現金の使用は不可)

 

 寮生活は初めてだが、これも僕がこの学校に進学することに対して喜びを感じていたことの一つでもある。だってほら、寮生活ってことは個室が使えるわけでしょ?修学旅行みたいで謎の高揚感があるんだよね。他の人の部屋に行くこともできるから休日とかに気軽に遊びにも行けるし、最高じゃないか!

 

 外部との連絡については、特に思うところはない。情報漏洩を防ぐためとか色々あるから仕方ないのだろう。

 

 許可なく敷地外に出ることを禁じているが、その点に関しても困るようなことはないはずだ。この敷地内にはカラオケや映画館、カフェ、ブティックなどの商業店が展開されていて、それらが小さな街を形作っている。勿論のこと、本屋があるのも確認済みだ。休日はそこでのんびりと欲しい本を探したいものだ。図書館には置いていないような本もあるだろうし。

 

 とにかく、生徒が生活に不自由するようなことがないようにあらゆる施設が配備されていて、その広大な敷地は60万平米もを超える。こんなに土地を使って、政府は財政面の方は大丈夫なのか心配になってくるが、国民の僕が言ってどうにかなる話ではないので考えないでおこう。

 

 そしてこの学校最大の特徴ともいえるルールこそが、Sシステムだ。

 

「今から学生証カードを配ります。これ一つで、敷地内にある全ての施設を利用することや、商品を購入することが可能です。しかし、それにはポイントを消費することになるのでくれぐれも注意して下さい。学校内においてこのポイントで買えないものはありません。学校の敷地内にあるものならば、()()()購入が可能です」

 

 何でも、か…………この言葉を聞くと変なことを想像してしまいがちだが、何かしらの権利を買うといったことも可能だったりするのだろうか。授業中に寝ても怒られない権利とか、テストの点数を改(ざん)する権利とか……流石にテストの点数を改竄出来る権利なんてないよね。あったら色々と悪用されそうで怖い。自分で考えてしまったことだが、この権利はあってほしくないし、あったとしても買いたくもない。人の道を踏み外しそうで一度やってしまったら戻れなくなりそうだ。汚職に手を染めてしまうことと同じだと思う。

 

 それに何より彼女のためにも、極力そういうことはしたくないのだ。

 

「施設ではこの学生証を機械に通すか、提示することで利用が可能になります。それからポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっています。皆さん全員には平等に10万ポイントが既に支給されているはずです。念の為に確認をして、振り込まれていない人がいたらここで申し出て下さい」

 

 配られた学生証は、カードというよりも端末に近い形状をしている。画面をタップして残高確認をすると、キッチリ10万ポイントが支給されていた。

 

「……振り込まれていない人は居ないようですので、話を続けます。このポイントは1ポイント1円の価値があるという認識でお願いします。その方が価値観が分かりやすいと思うので」

 

 話を静かに聞いていたクラス内がざわつき始めた。支給額の多さに純粋に驚いている人も居れば、困惑している人、喜んでいる人も見受けられる。僕は純粋に驚いている人に該当するだろう。入学したばかりの高校生に10万という大金を与えるのは何か意図でもあったりするのだろうか?

 

「ポイントの支給額に驚いている人が多いようですが、無理もありません。この学校は実力で生徒を測ります。入学した皆さんにはそれだけの価値と可能性があるということです」

 

 まるで僕達を褒め称えるかのように坂上先生は言った。

 

 途端に上機嫌になる生徒達。何故かそれが宗教勧誘のように聞こえてしまった僕はおかしいのだろうか。先生の言葉の選び方に違和感が感じ取れた。言葉足らずというか、重要な部分を削ぎ落として伝えているような気がしてならなかった。

 

「ポイントについては、各個人が自由に使って頂いて結構です。ただし、卒業後には学校側が全て回収します。現金化は出来ませんので注意して下さい。他の人にポイントを譲渡することは可能ですが、強奪や恐喝のような手段を行うことは厳禁です。発覚次第、処分が下されます。また、いじめなどの非道徳的と思われる行為も同様に処分が下されますので、くれぐれもそういったことをしないように努めて下さい。学校はいじめ問題には敏感ですので。何か質問がある人は挙手をお願いします」

 

 一通りの説明が終わったのか、坂上先生は質問がないか確認をする。

 

「おい」

 

 その時、僕の右隣の席の龍園君が(おもむろ)に手を上げた。

 

「龍園君。目上の人には敬語を使うものですよ。今回は良しとしますが、次からは気を付けるように」

 

 敬語を使わないことに対して先生が注意を入れたが、彼は粗暴な態度を隠そうともせず質問を始める。

 

「ポイントは毎月10万支給されるのか? さっきの説明にはなかったが、もしかしてわざと言わなかったのか?」

 

「……ポイントは毎月1日に振り込まれます。今はそれだけしか伝えられません」

 

「ハッ、何か隠してるみてぇな物言いだな。……まあいい。俺からは以上だ」

 

 龍園君は「きな臭ぇな」という言葉を呟いた後、黙り込んだ。

 

「……他に質問がある人は居ないようですね。それでは、良い学校生活を送って下さい」

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

『――それでは、良い学校生活を送って下さい』

 

 うん、録音はしっかり出来てるみたいだ。先生からの説明が途中から怪しいと思った僕は、支給された学生証端末に内蔵されていたボイスレコーダー機能を使い、さっきまでの会話を一通り録音しておいた。音質に問題はなし。これなら後で確認することが出来るから一安心かな。

 

「アンタ、さっきまでの話、録音してたの?」

 

「うん?」

 

 突然、前の席から声をかけられた。下を向いていたので顔を上げると、青い髪の女子生徒が怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。

 

「え、えーっと、どちら様でしょうか?」

 

 訝しむような視線だったので思わず(ども)っちゃったよ。

 

「そういえば自己紹介してなかったな。私は伊吹(みお)だ、よろしく。それであんたの名前は?」

 

 今度こそは焦らずしっかりと喋ろう。初対面の印象は大事だ(既に遅い)。

 

「僕は氷知澄春。よろしくね、伊吹さん。……えっと、会話を録音してたのは、聞き漏らしがないようするためだよ。何か変なところでもあった?」

 

「ない。けど、会話を録音する奴が居たことには正直驚いた。後、いくら何でも生徒全員に10万支給するこの学校はどうかしてると思う」

 

「な、中々ストレートに言うね……」

 

 伊吹さんは思ったことをはっきりと発言するタイプのようだ。

 

「言い方はアレだけど、僕もそれに関しては同感かな。毎月10万支給するのかどうかの質問についてもはぐらかしてたし、5月は支給額が変わるのかもね」

 

「あー、ありそう」

 

 声のトーンを物凄く低くした声で伊吹さんは言った。呆れているのか嫌そうにしているのか、よくわからない表情だ。

 

「取り敢えず、今月はポイントを節約して様子を見た方が良いかもね」

 

「……そうする」

 

 これで話は終わったとばかりに伊吹さんは前に向き直ると、端末をいじり始めた。割とアッサリ会話が終わってしまった。

 

(さて、ひよりちゃんにも話を聞いてみようかな)

 

 そう考えて席を立とうとした僕だが、誰かに突然右肩を掴まれた。

 

「おい待てよ」

 

「……何か用かな?」

 

「テメェもポイントの変動に勘付いてやがったんだろう? 何故質問しなかった?」

 

「いや、だって君が先に質問しちゃったから「とぼけんなよ。お前は他のことについても質問しようとしてたんじゃねぇのか?」……仮にそうだとしたら?」

 

 僕の問いかけに龍園君はニヤリと笑い、返事の代わりに折り畳まれた小さなメモを差し出してくる。

 

「端末にあった俺の連絡先だ、登録しておけ。詳しい要件は後で話してやる。その時にこの話の続きをしようじゃねぇか」

 

 連絡先の書かれたメモを受け取ると、クククと怪しげな笑みに変わった龍園君は席を立った。その間際に、僕にしか聞こえないくらいの小さな声で―――

 

 

 

 

 

「氷知澄春。昔のお前のことはよく知ってるぜ?」

 

 

 

 

 

―――僕が最も恐れていたことを囁いた。

 

 

 その瞬間、体全体に電流が流れたような衝撃が走る。僕という不完全な鏡の端に(ひび)が入り始めた気がした。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「――はる君、聞いてますか? 澄春君?」

 

 ハッとなり、肩を揺すられていることにようやく気が付いた。

 

「ごめん。少しボーッとしちゃってたかな?」

 

「はい。心底驚いたという表情になっていましたが、お隣の席の方から何か言われたんですか?」

 

 心配した顔で僕のことを見てくるひよりちゃん。彼女からの曇りのない綺麗な瞳を向けられて、僕は幾分か心が苦しくなった。

 

「……もう居ないけど、さっきまで僕と話してた龍園君が、どうやら昔の僕のことを知ってたみたいなんだ」

 

「! ……それは、彼も同じ中学の出身ということですか?」

 

 それは違うかな、と僕は首を横に振って否定する。

 

「うーん、そうじゃない気がするよ。あんな危なそうな人が居たら少なからず噂ぐらいにはなると思う。今まで彼のような顔を見たこともなかったし、僕達とは違う中学なのは間違いないと思うんだ」

 

 龍園翔という男が、昔の僕の何をどこまで知っているのかわからないのがとても怖い。それは即ち、僕の弱みを握っているのと同じようなことだからだ。

 

 ……参ったなぁ。平和な学校生活を謳歌するのは、少し先になりそうだ。

 

 僕は無意識に頭を掻き毟っていた。ホント、悪い癖だな。釈然としない気持ちのまま、僕は入学式の行われる体育館に向かった。

 

 

 

 

 

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高度育成高等学校学生データベース

 

氏名:氷知澄春(ひじり すみはる)

クラス:1年C組

学籍番号:S01T004649

部活動:無所属

誕生日:2月10日

 

 

評価

 

学力:A-

知性:B+

判断力:A-

身体能力:A

協調性:C

 

 

【面接官からのコメント】

 入学試験において全体的に高い成績を残したが、面接時の受け答えは平々凡々というのが当てはまった。また、中学時代にいくつかの暴力事件に関与したとされているが、調査によると当人はほとんどの事件においての被害者であることが判明している。しかし、一部の事件では過剰防衛によって被疑者とはいえ相手を全治半年間以上などの怪我を負わせたりや、一時期不登校になるなどの暴力的な面、精神的に不安定である可能性も明らかになった。本来ならばポテンシャルを考慮してAクラスに配属されるのが妥当であるが、以上の出来事を考慮して、Cクラス配属とする。

 

【担任のコメント】

 入学してすぐに打ち解けて話せる相手が何人か出来ていたことから、交友関係に関しては特に問題ないと思います。今のところは特に怪しい行動も見受けられないため、このままの安定した学校生活を送ってもらいたく思います。




 氷知君のポテンシャルが全体的に高いかもしれませんが、中学時代がヤバかったからこれくらいはないと生き残れなかった、ということにしておいて下さい。後々、彼の過去については掘り下げていきたいと思いますので。

 変だと思った箇所があれば、誤字報告や感想で教えて頂けると幸いです。


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2.「タダほど怪しいものはない」

 よう実1期の再放送が始まりましたね。



 憂鬱な気持ちで迎えた入学式はあっという間に終了した。誰がどんな挨拶したかも全く覚えていないくらいに意識が離脱していたのだから、時間経過は全く感じられない。その後は昼前に一通り敷地内の説明を受けて、自由解散だ。

 

 今日はもう学校にいる必要はなく、お腹が空いたので昼飯でも買おうかとひよりちゃんと一緒にコンビニに寄っているところだ。

 

「わぁ、品揃えが沢山ありますね」

 

 いつもぽわ〜っとのんびりでマイペースな性格をしている彼女だが、今は新しい生活に期待を膨らませており、ワクワクという表現が似合っている気がする。楽しそうで何よりだ。

 

「それに外と比べて物価は割と安くしてるみたいだね。これなんか、家の近くにあったコンビニのものより50円くらい安いよ」

 

 飲料水のコーナーの値札の数字を見ると、全体的な価格設定が低いのがわかる。中学時代の社会科見学で国会議事堂の中に入ったことがあったが、建物内に設置された自動販売機の飲料水の値段は軒並み100円前後だったと記憶している。ここにある飲料水もそれに近い値段だ。

 

 そろそろ腹の虫が主張を強めてきそうなので、取り敢えず今日の昼飯を商品棚から選んでサッとレジに並ぶ。

 

「お会計、435円になります」

 

 学生証端末を取り出してカードスキャナーの所に持っていくと、ピッと軽快な高い音が鳴った。

 

「ご来店ありがとうございましたー」

 

 会計が終わり、彼女より一足先に外に出る。近くには公園があるのでそこのベンチに座って彼女を待つことにした。店の前で待つのは迷惑になるということで、(あらかじ)めここで待ち合わせることに決めてあるので問題ない。

 

 とはいっても、ひよりちゃんが来るまでは暇になっちゃうし、携帯でもいじって待っていようかな。そう考えてアドレス帳を確認すると、画面に4人の名前と電話番号が並んだ。

 

 伊吹澪

 椎名ひより

 山田アルベルト

 龍園翔

 

 今日話した相手とは全員と連絡先を交換している。4人という数は他の人が持っている連絡先の数と比べて圧倒的に少ない部類ではあると思うが、1日目だから仕方ないと思えば落ち込むことはないだろう。しかし、あの不良の多そうなクラスで上手くやっていけるかが問題となる。特に右のお隣さんが得体の知れぬヤバイ奴なので尚更だ。

 

 そんなヤバイ奴の龍園君がそっと呟いた言葉は今でもひどく鮮明に覚えている。思い出すだけで変な汗が出そうになるし、まるでついさっきまで話していたと感じられるほどに心臓はバクバクと鼓動を早めてしまう。

 

 一旦、あの時のことは忘れよう。今は彼女を待つだけだ。これからのことは後で考えればいい。

 

 取り出す前とは逆に沈んだ気持ちで携帯をポケットに戻すと、後ろからトテトテと可愛らしい足音が聞こえてきた。

 

「澄春くん、お待たせしました。少し買い物が長引いてしまって……ふふふ」

 

「え、なんで笑ってるの?」

 

 後ろを向くと、ひよりちゃんがこちらを見て目元を細めながら笑っていた。微笑ましいものでも見ているかのような暖かい眼差しが僕の疑問を更に加速させる。彼女は携帯を取り出し、僕に向けてパシャリと写真を撮った。ますます訳がわからなくなった僕は首を傾げることしか出来ない。

 

 ひよりちゃんもベンチに腰掛けると、携帯で撮った写真を見せてくる。その写真には振り向いている僕の顔が写っているが、それ以外にあるものが写真の中の僕の頭上に乗っかっていた。

 

「ハハハッ、そういうことかぁ……」

 

 あるものの正体とは、小さな白い羽根を生やしたモンシロチョウだった。

 

 携帯を取り出してカメラを起動し、内側のカメラの映像に切り替える。すると、確かに自分の頭の上にモンシロチョウが鎮座しているのが見えた。カメラの映像を見ながら、逃げられないようにそっと左手を頭上に持っていく。人差し指を薄い灰色の地毛に絡ませ、つむじ辺りでゆっくりと持ち上げた。

 

 静かに左手を下ろせば、指の山頂に白い蝶が羽根を閉じながら一生懸命登っている。それがまるで昔の自分のように思えた僕は、あの時は苦労したなぁと感傷に浸ってしまいそうだった。

 

 人差し指の針山の頂上まで登り切った蝶は何度か羽根をはためかせた後、ひらひらと両羽根を忙しなく動かしながら空に飛び去っていく。それを僕達二人は白い羽根が見えなくなるまで眺めていた。

 

 ほんの数十秒でそれは視界から消えていき、僕は首を下ろす。横を向くと、隣に座る彼女は何も考えていなさそうにまだ空を眺めている。

 

 空に羽ばたいていった蝶を見た時にふと、あの蝶はどこへ向かって飛んでいくのだろうかと考えた。僕に蝶の気持ちは分からない。だからこそ、何故蝶は飛ぶのだろうかと思ってしまう。花の蜜を採りに行くのか、それとも(つがい)を見つけて子孫を残そうとするのか。

 

 蝶は卵から生まれ、生まれた場所であるキャベツなどの葉を食べて育つ。その時はまだ幼虫であるイモムシなわけで、沢山の足を同時に動かしながらや、シャクトリムシのように体を真っすぐ伸ばしてはU字型に曲げるなどして移動を行う。やがてそれは(さなぎ)になり、羽化すれば羽根の生えた成虫へと進化する。

 

 人は生まれた時は四足歩行でハイハイをする。手足を使って動くという意味合いでは人も蝶も同じだろう。しかし、蝶とは違って人は成長すれば二足歩行で立って歩けるようになる。大人になっても羽根は生えてこないし、飛ぶことも出来ない。ましてや、蛹になることも不可能である。

 

 蝶の一生は人と比べればとても短いもので、生きていられるのは1年弱だ。人はその何十倍の時を過ごしてから、死ぬ。

 

 人が自分の力だけで空を飛べるようになれば、蝶の気持ちを理解することが出来るだろうか。……いや、無理だろう。蝶は物事を喋らない。コミュニケーションの取り方も、人とは全く違う。その理由はそもそもの根本的な体の作りが違うからではないかと、僕は個人的に考えている。

 

 中学時代、僕との喧嘩に敗れて地を這いつくばった男が僕に問い掛けたことがある。

 

『世界は平等であるか否か』

 

 問いかけの内容が世界ではなく人であっても、答えるのは容易ではないだろう。この世に生きる人は生きられる時間も、生き方も、何もかもが同じな存在などいない。平等とは、全ての存在が同じ生き方、同じ考え方、同じ容姿……寸分違わず全部が同等でなければ成立しないのではないか。極論を言えば、そんなことが出来るわけがない。

 

 では、平等の定義をメリット・デメリットだけの観点で考えればどうなるのか。蝶の一生は短いが、その代わりに空を飛べる。それと比べて人の一生は長くとも、自力で空は飛べない。だけど、観点の置き方は全員が同じではない。メリット・デメリットの大きさが全く違うと考える人もいる。結局のところ、全ての者が納得できる答えなどなく、存在しないのだ。計算のように答えが決まっているものではないのだから、奥が深い。

 

 一生をかけても出せるはずのない疑問に、僕は考えるのをやめた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 恥ずかしいことに、ぐぅ〜〜と間抜けな音が僕の腹から聞こえてくる。時計を見れば、ベンチに腰掛けてから5分と経っていないが、それが途轍もなく長かったように感じられた。僕の腹からの催促に、いつの間にかこちらを見ていたひよりちゃんは微笑みながらこう言う。

 

「そろそろお昼ご飯、食べましょうか」

 

 文字通り、ぐうの音も出ない正論だった。僕はコクリと無言で頷くしかなく、ビニール袋からプラスチックのケースに詰められた弁当を取り出して膝の上に乗せた。次のぐうの音が出る前に食べたい。

 

「「いただきます」」

 

 手を合わせて言った後、一緒に付いていた割り箸を割って食べ始める。買ったのはカルビ弁当だ。良い匂いに焼けた肉を一枚つまみ、パクリと口の中に放り込んで噛み締めると、ジューシーな肉の旨味が口の中に浸透していく。現在連載が続いている某大人気漫画では「トレ!!!ビアンッ!!」と叫んで美味しさを表現するキャラクターがいたが、それほどではなくても十分に美味しいと思える味だった。少しだけ肉に含まれているレモン汁の酸味が舌を飽きさせることなく、次々と口に運んでいける。毎日食べると健康に悪いけど、たまにはコンビニ弁当も良いかもしれない。

 

「澄春くん」

 

 ひよりちゃんから声がかかり、プラスチックのトレーが半分くらい見えてきたところで箸を止めた。

 

「どうしたの? ……って、もしかして」

 

 僕の眼前には彼女の箸で挟まれたおかずがあった。即ち、それがどういう意味を持つのか、ひよりちゃんも知らないわけでもないのだろう。

 

「はい。一口、食べますか?」

 

 彼女の目は羞恥と少しだけの嗜虐が混ざっているように見える。手が小刻みにプルプル震えてるし、恥ずかしいという認識はあるのだろう。

 

 かわいい……とか言ってる場合じゃない! 据え膳食わぬは男の恥、女子から差し出されたものを男子たるもの受け取らなければ! 別に性的な意味じゃないから、健全な意味で使ってるからね!?

 

 ……はぁ、落ち着くんだ。よし、周りには僕達以外に人は居ないから大丈夫。恥ずかしいだとか、そういう気持ちは捨てて素直に応じるんだ、僕。

 

「……あ〜んして下さい」

 

「あ、あーん……モグモグ

 

 顔がいつもより熱く感じる。耳元まで真っ赤になってるんじゃないだろうか。おかげで食べたものの味がよくわからないや。しばらく口の中で咀嚼し続けると、ようやく味覚が戻った。

 

「……うん、美味しいよ」

 

「それは良かったです♪」

 

 僕、完全に遊ばれてるなぁ、ひよりちゃんに。彼女はしてやったりという表情を隠し切れていなくて、口元が少しニヤけている。それを見て、僕はちょっとだけ意地悪(仕返し)をしてみたくなった。

 

「じゃあ、今度は僕がひよりちゃんにしてあげる番だね」

 

「えっ?」

 

 僕の放った言葉に、ひよりちゃんはポカ~ンとしている。する側よりもされる側の方が何倍も恥ずかしいということを思い知ってもらおう。

 

 彼女の恥じらう姿を見たいとか、決してそういう不純な理由ではない。ただ単に、やられたからやり返すだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。倍返しではなく、目には目を、あ〜んにはあ〜んをという、至極当然の行為である。僕はトレーに残っている肉を箸で一つ掴んで、ひよりちゃんの口元に持っていった。

 

「はい、あ〜ん」

 

 さぁ、僕と同じように存分に恥ずかしがるといいs「パクッ」……あれ? 気付いたらいつの間にか箸の先にあった肉がなくなっていた。

 

「ん〜美味しいですよ♪」

 

 ……あらまぁ。

 

 今度は僕がポカ~ンとする番だった。ちくせう。まぁ、本人はとっても幸せそうな顔だからヨシ(思考放棄)。

 

 守りたいこの笑顔。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 午後1時過ぎ。

 

 昼食を食べ終えた僕達は、ゴミを片付けて寮に向かうことにした。今日から僕達はこの寮が家代わりとなる。

 

 1階フロントの管理人さんから自分の部屋番号が記されたカードキーと、寮でのルールが書かれたマニュアルを受け取って、エレベーターに乗り込む。扉が閉まると静かにエレベーターは上昇し始め、扉の上にある4の数字のランプが点灯すると停止して自動ドアが開いた。ひよりちゃんとはここで一旦お別れだ。

 

「私の部屋は9階の903です。澄春くんのお部屋に行く時は連絡しますので」

 

「わかった、待ってるね」

 

 部屋が4階にある僕は先にエレベーターから降りて、手を振りながら彼女を見送った。

 

 406と書かれた部屋に辿り着くと、カードキーをドアのセキュリティに差し込む。それスライドさせると電子音が鳴ってドアのロックが解除された。

 

 ドアを開け、玄関で靴を脱いで揃える。部屋へと続く短い廊下にはキッチン、洗面所、冷蔵庫、トイレ、シャワールームが確認できた。今日から僕が過ごすことになる部屋だが、渡されたマニュアルには八畳の間取りと書いてある。実際に見てみると、ベッドに勉強机と椅子、パソコン、棚、クローゼットが最初から備え付けられていた。カーペットは敷かれていないみたいだ。後で買いに行くとしようかな。

 

 取り敢えずバッグを机の上に置き、脱いだ制服をハンガーに掛けてクローゼットに仕舞った。ワイシャツ姿になってベッドの上に座り、そのままゆっくりと身を委ねるようにベッドに倒れ込む。ふかふかしたベッドからの弾力の抵抗をしばし楽しんだ後、携帯を耳元に置いて彼女からの連絡を待ちながらそっと目を閉じた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 ピコン!

 

 携帯から着信音が鳴り、意識が覚醒する。画面を見て確認すると、チャットメッセージの通知が1件、ひよりちゃんから送られてきていた。

 

【椎名 ひより】:『一緒に夕飯の食材を買いに行きませんか?』

 

 こちらとしては願ったり叶ったりな申し出。断る理由など見つかりもしない。

 

【氷知 澄春】:『もちろん大丈夫だよ。いつにする?』

 

 すぐさま返信のチャットを飛ばした。

 

【椎名 ひより】:『では、今からそちらに向かいますね』

 

【氷知 澄春】:『わかった。準備して待ってるよ』

 

 後5分もしないうちに玄関のチャイムが鳴るだろう。その前に身支度でもしておくとするかな。ベッドから起き上がった僕は洗面台に向かった。鏡を見たら少し寝癖が出来ていたので、備え付けられていた櫛で整える。やっぱり少し寝るだけでも寝癖って付くものなんだね。

 

 髪をセットし終わり、制服を羽織ると同時に玄関のチャイムが鳴った。丁度良いタイミングだ。靴を履いて応対すると、扉の向こうからヒョッコリと可愛らしい顔が覗いてきた。

 

「タイミングはバッチリ…みたいですね」

 

「ナイスタイミングだったよ。それじゃあ、行こうか」

 

「はいっ」

 

 戸締まりをして、二人で横並びになって寮の廊下を歩く。エレベーターのボタンを押すと、9階のランプが点滅した。どうやら誰かが乗っている最中らしい。

 

 少し待つとエレベーターが4階まで降りてきて自動ドアが開く。中には一人の女子生徒が立っていた。

 

「あっ、椎名さん」

 

 どうやらこのストロベリーブロンドの女子生徒はひよりちゃんの知り合いらしい。ここで話していると置いてかれてしまうので、ひとまずドアが閉まる前にエレベーターの中に乗り込んだ。

 

「もしかして、ひよりちゃんの知り合い?」

 

「ええ。こちらは1年Bクラスの一之瀬帆波さんです。お部屋がお隣同士だったので」

 

「へぇ、そうだったんだ。……あっ、僕は1年Cクラスの氷知澄春です。どうぞよろしく」

 

「氷知君、だね。こちらこそよろしくね」

 

 見た感じ、凄く善い人そうだなぁ。Bクラスはこういう優しそうな人が多いクラスなのかな?気になるところではある。

 

「ところで、氷知君は椎名さんの彼氏さんなのかな?」

 

「……えっ?」

 

 いきなりそれ、聞いちゃいます? 凄く返答に困るような質問だ。一体どう答えれば良いのやらと思えば、隣の幼馴染さんがこちらをジーッと見つめてくる。この危機に、僕は一か八かのアイコンタクトを試みた。

 

(僕達の関係って、彼氏彼女の関係なのかな?)

 

(うーん、どうなのかと言われればそれ以上の関係……ですかね?)

 

(……じゃあそれってどう説明したらいいのさ!? 一之瀬さんきっと困惑すると思うんだけど!?)

 

(……では、私から説明しますね)

 

(え、ちょま)

 

 心の準備が出来てないってば! 僕とひよりちゃんの関係はそれなりに複雑で、今のご時世では稀なものなのだ。

 

 僕の視線での制止を振り切って、彼女は口を開いた。

 

「一言で表すなら……私と澄春くんの関係は『家族』です」

 

「……にゃ? 家族?」

 

 そう、僕とひよりちゃんの関係は、幼馴染であり『家族』という表現が一番近いだろう。

 これには複雑な事情があり、それを口に出すのは憚られる。

 

「そ、それって、どういうことなのかな?」

 

 案の定、一之瀬さんは困惑した表情で聞いてくる。とてもじゃないが、気軽に話せることではないのでこちらからはおいそれと言えない。

 

「ごめんなさい一之瀬さん。それを伝えてしまうのはマズイと思うので……」

 

 彼女は暗そうな顔になりながら一之瀬さんにそう告げる。僕も同じように暗い顔になっているのだろう。口元の筋肉が硬直して少し顔が強張(こわば)っているのがわかる。

 

 忘れもしない5年前の出来事。そこから僕とひよりちゃんの関係は明確に変化していった。だが、それを教えられるほどに一之瀬さんとは親密な関係になっているわけじゃない。

 

「こっちこそ、こんなに暗くなっちゃうようなことを聞いてごめんなさい。……でも、少しはわかるよ、その気持ち。私も、誰にも教えられない秘密はあるから。……だから、そういうのは抜きにして、椎名さん達とは仲良くしていきたい」

 

「それは僕達も同じ気持ちだよ、一之瀬さん。ひよりちゃんのお友達になってあげてもらえないかな?」

 

「勿論だよ! それに、氷知君も私とはもう友達、でしょ?」

 

 明るくニッコリと笑って言う一之瀬さん。それにつられて、僕達も自然と表情が和らいでいく。

 

「そうだね。改めてこれからよろしく、一之瀬さん」

 

 親交の証として、一之瀬さんと握手を交わした。彼女とは友達としてこれから仲良くやっていけそうだ。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 1階に到着したエレベーターから降りて、寮の外に出る。日は落ちかけており、雲一つない綺麗な夕焼けが空には広がっていた。現在の時刻は5時ちょっと過ぎだ。この時間帯に外出している生徒は(まば)らで、こちらに向けられる視線はそこまで多くはない。

 

 では、何故視線を集めているかというと、その答えは僕の左横で談笑しながら歩く二人の女子生徒にあるのだろう。片方は僕の幼馴染であり家族の一人であるひよりちゃん。もう片方の女子生徒は、さっき友達になったばかりの一之瀬さんだ。主観的に見ても客観的に見ても、二人共かなりの美少女である。そんな二人の隣で歩いている僕には、男子からの嫉妬の視線や女子からの好奇の視線が集まるのだ。明日、噂になってないといいなぁ。二人の美少女を侍らせた二股野郎とかいうレッテルを貼られた日には引き籠もれる自信があるよ。

 

 こんなフラグ折れてしまえ、とか思いながら歩く。向かう先は大型スーパーマーケットだ。一之瀬さんとも一緒にいる理由は、彼女も同じように夕飯用の食材を買いに行くところだったからだ。

 

『行く場所が同じなら、せっかくの機会だし一緒に行こうよ!』

 

 そう言われ、現在この状況下にある。断れば良かった、なんて微塵も思っていない。むしろ一之瀬さんの提案には土下座をして感謝の意を述べたいくらいだ。そんなことすれば間違いなくドン引きされると思うので実行はしないが。

 

 ひよりちゃんが幸せそうに一之瀬さんと本の話をしているのを横で眺めながら、今日の夕飯は何にしようかなと考える。肉は昼に食べたので野菜を多めに摂るのが健康に良いだろう。となると、野菜炒めやサラダなんかがセオリーかな。料理は人並みにくらいしか出来ないのでレパートリーが乏しいのが悲しいところだ。その他に出来そうな料理を考えるが、あとはカレーやシチューとかしか思いつかなかった。今後は自炊についてしっかりと検討しなければならないな。

 

 かれこれ数分歩き続け、目的地に着いた。思った以上に建物は横長で、敷地面積がどれほどなのかはわからない。僕が住んでいた街にはこんなにデッカイ建物なんてなかったから尚更驚いた。店内に入ると食品ごとのコーナーが30個くらいあって、生もの類もケースごとに種類が分けられている。ここに来ている生徒は入学初日なのもあってかなり少ないので、混雑はしないだろう。

 

「ほへー」

 

「こら。変な声出さないの、ひよりちゃん(……かわいいけどさ)」

 

 店のスケールの大きさに驚いているからか、放心状態の彼女の頭にポンと触れて正気を戻させる。

 

「あっ……すみません。ボーッとしてしまいました」

 

「にゃはは、椎名さんがそうなるのも無理ないよ。私だってこんなに広いとは思わなくて驚いちゃったもん」

 

 一之瀬さんの発言にひよりちゃんは口を少しだけ開いたまま沈黙していたが、しばらくするとまるで示し合わせたかのように二人は互いの顔を見て、ふふふっ、とお淑やかに笑い合っていた。その光景になんとなく百合の気配を感じたが、この数分で彼女達が親交を深められたのなら僕は嬉しいので問題なし。その後少し相談して、レトルト食品のコーナーから見て回ることにした。

 

「やっぱり種類が多いなぁ……」

 

 商品棚にはカレーやシチューにスープ類、更には惣菜や麻婆豆腐などのレトルト食品の入ったパッケージの箱がビッシリと並べられている。その品数の量に圧倒されていると、横から静かに唸る声が聞こえてきた。

 

「うぅ……っ、中々取れないですね」

 

 その声の主は、背伸びをして高い所にある箱に手を伸ばしているひよりちゃんだった。お目当てのものには後少しで手が届きそうで届かない、もどかしい状況になっている。僕が代わりに取ろうとするが、目が合った一之瀬さんがそれを感じ取ったのか視線で(とが)めてきた。

 

(後少しで取れそうなんだから、椎名さんにやらせてあげなよ)

 

 そう言外に告げられているような気がした僕は上げかけた手を下ろし、様子を見守ることに決める。

 

「……よしっ、取れました」

 

 苦戦すること2、3分。背伸びをしながらぴょんとジャンプして、ようやくお目当ての品物を入手した彼女は、右手に握りこぶしを作って小さくガッツポーズを決めた。

 

「…って、澄春くんは何故拍手しているんですか?」

 

「……あっ」

 

 僕は無意識に小さく拍手をしてしまっていたことに気が付く。いやぁ、よく頑張ったねっていう気持ちが知らず識らずのうちに表に出てしまっていたようだ。

 

 ……てか、一之瀬さんも僕と同じように小さく拍手してるけど、それにはツッコまないの? そう思って彼女の方に目を向けると、途端に下手な口笛を吹き始めた。ひよりちゃんも遅れて振り返るが、一之瀬さんの唐突な口笛に首を傾げるばかりだ。

 

「うん……まぁ、取れて良かったね、ひよりちゃん」

 

「?」

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 それからは惣菜コーナー、乳製品コーナー、精肉・鮮魚コーナーという順に回り、最後に野菜・果物コーナーにやって来た。野菜ならばじゃがいも、人参、キュウリ、キャベツといったベターなものから、アボガドやゴーヤなどの普段あまり食卓に出ないようなものまで幅広い種類が揃えられている。その中で、とある商品棚に目がついた。

 

「無料食品……?」

 

 種類ごとに分けられていない棚のポップには『無料食品 お一人様3個まで』と書かれている。

 

「あっ、ここにもあるんだね、無料商品」

 

「ここにもって……一之瀬さん、他の場所にもこういうのが置いてあったの?」

 

「うん。お昼に寄ったコンビニにも無料商品の置いてある棚があって、こんなのもあるんだねくらいしか思ってなかったけど……」

 

 うーむ、それは気が付かなかった。入学初日で浮かれていて観察力が鈍ってしまっていたようだ。他にもまだまだ見落としている部分は多いかもしれない。

 

「うーん……でも、10万も支給されて無料商品まであるのは、いくら何でも待遇が良すぎるような……」

 

 明らかに怪しいぞ。やっぱり学校側が何か隠しているんじゃないだろうか。毎月10万支給されるのかも定かではないし、これから貰えるポイントが減額される可能性も視野に入れておくべきかな?

 

「これは事件の匂いがしますね……」

 

 冗談抜きで本当に起こりそうなんで、ちょっとだけキメ顔で言うのはやめていただけないでしょうか、ひよりちゃん。そういうの、フラグっていうんだよ。

 

 彼女は謎を解き明かそうと頭を捻っているけど、手掛かりが少なすぎるし無理があるんじゃないだろうか。でも、考えることは悪いことじゃないし、僕も便乗するとしようかな。

 

「何か思い当たることがあるのかい? ホームズ」

 

「……そうなんですよ、ワトソンくん。君もなんとなく気が付いているんじゃないですか? 無料商品の置いてある訳に」

 

 おっ、ノッてくれた。小さくてかわいい美少女探偵の誕生だね。僕のお巫山戯に乗じてか、彼女の瞳に込められた熱気も強くなっている。

 

 ……それにしても、これはカマをかけているな?僕がどのくらい仮説を立てているのか、ひよりちゃんは知りたいご様子とお見受けした。ここは素直に思っていることを話すとして、彼女の意見も共有したいな。

 

「フッフッフッ、勿論、見当は付いているさ。……知りたい?」

 

 訳知り顔で決め台詞っぽく言ってみるとコクリと頷かれた。これまで静かに僕達のお芝居(探偵ごっこ)を見ていた一之瀬さんも同様に頷いている。二人共ノーリアクションで首を縦に振ったのはちょっと寂しかった.

イタイ奴だと思われてないといいんだけど。コホン、と咳をして気を取り直す。

 

「僕が観点を置いたのは、毎月支給されるポイント額に関してだ」

 

「それが無料商品の置いてある理由とはどう関係しているのかな?」

 

「良い質問だよ、一之瀬さん。入学式前のSHR(ショートホームルーム)で、僕達は先生からこの学校についての説明を聞いた。その中に、全員に10万ポイントが支給されたことと、毎月1日にポイントが振り込まれるって説明があったでしょ?」

 

「うん、私達のクラスでも同じ説明を受けたよ」

 

「そっか、それなら補足は大丈夫そうだね。……話を続けるよ。毎月10万ポイントも振り込まれるなら、無料商品を置く必要はないと思うんだ。でもさ、先生は毎月10万が振り込まれるとは一言も言ってなかったんだよね」

 

「あっ、確かに言ってなかったかも!」

 

 説明を思い出してそれに気が付いたのか、一之瀬さんは驚いた顔をしている。

 

「ウチのクラスではそれに気付いた生徒が質問をしたんだけど、結局誤魔化されちゃったんだ。そうなると、ポイントの支給額が毎月10万とは考えにくくならないかな?」

 

「……そこまで言われると、確かに考えにくいね。何か裏があるんじゃないかって疑いたくなるよ」

 

「では、毎月のポイント支給額は変動する可能性が高いとワトソン君は考えているんですか?」

 

 その下り、まだ続いてたの……?

 

「その通りだよ、ホームズ。支給されるポイントが減額される場合を考えれば、無料商品が置かれる理由が何となくわかってくるんだよ。更に説明を追加するけど、先生はポイントの説明の際に、この学校は実力で生徒を測ることや、入学した僕達にはそれだけの価値と可能性があると言っている。この『実力』や『価値』って、何を示していると思う?」

 

 僕の問い掛けに、二人は静まり返った。

 

「まぁ、これに関しては来月の1日に判明すると僕は考えてるよ。……それに、来月も10万が何もせずに貰えるほど、この学校は優しくないとも考えてる」

 

「それは、どうしてですか?」

 

「この学校が政府によって建てられた学校だからだよ。いつまでも甘い蜜ばかり吸って過ごしたところで、優秀な人材の育成が出来るなんて考えられないでしょ? 逆に最初だけ待遇を良くして、油断させたところで何かしらの試練をふっかけてくる可能性の方がよっぽど高いよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕達生徒の真の『実力』と『価値』を測るためにね

 

 僕の最後の発言に、二人の顔色がガラリと変わる。確信にまで至ることはなくても、危機感と違和感は覚えたはずだ。

 

 ひよりちゃんは言わずもがな、一之瀬さんも思考力は高いとみている。先生の説明を真に受けていれば思いつかなかったことではあるだろうが、そうは思わなかった他者――この場合は僕――からの意見を取り入れることによって、物事の見方はグルリと変わるものだ。説明の節々に不可解なワードが隠されていたことに、きっと彼女達ははっきりと気付けただろう。僕はここで一旦話を区切ることにした。

 

「……長話はこれくらいにして、買う食材を決めようか。お腹が空いてたら頭が回らないよ?」

 

――こういうことは、意外と日常生活の中で自ずと答えが見えてくるものだから。

 

 




 というわけで、一之瀬さん登場回でした。


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3.「今日も世界は平和だ」

若干のギャグテイストでお送りします。



 買い物を済ませ、レジ袋を両手に(ひっさ)げた帰り道。空は黄金(こがね)色から徐々に深い紺の闇へと侵食されていく。

 

 ひよりちゃんの隣では一之瀬さんが深く考え込むようにしながら街灯の点き始めた夜道を歩いている。僕の述べた仮説が現実味を帯びてきたことで、これからどうすべきか悩んでいる様子だ。

 

 しかし、ここまで思い詰めたような表情をされてしまうと罪悪感が出てくる。もしかすると、彼女は既にBクラスの中核を担っている人物なのかもしれない。そう考えればここまで悩むことにも辻褄が合うだろう。これが勘違いだとしたら、余計に拗らせてしまうことになるので確認をとる必要がある。

 

「一之瀬さんは凄く悩んでるみたいだけど、もしかしてBクラスをまとめる委員長的なポジションだったりする?」

 

 僕が問い掛けると、彼女は考える素振りを止めてこちらを見た。

 

「うん、そうだよ。だから、こういうことはすぐにクラスの皆と共有するべきだと思うんだけど、どうやって伝えようかなって……」

 

「クラスメイトとは全員と連絡先の交換は出来てないの?」

 

「まだ何人か交換出来てないかな。グループチャットも作ってあるけど、全員がメッセージを見てくれるとは限らないし」

 

「要するに、全員に伝えられる確実な情報伝達をしたいんだね?」

 

 僕の問い掛けに一之瀬さんは無言で頷き返した。僕の解釈が間違っていなければ、彼女はクラスメイトを第一に考えているからこそ、こうして悩んでいるのだろう。来月のポイントが減額される可能性があるのならば、浮かれて散財している生徒は来月の生活に支障を来す恐れだってあるのだ。少しでもそういう可能性があるのならば、クラスメイトと情報共有をして損害を最小限にしたい気持ちはわかる。

 

 そうなれば、僕も見習ってCクラスの皆に伝えた方が良いけれど、入学初日なのもあって大半のクラスメイトのことをあまりよく知れていないし、会話も出来ていないのだからそれは難しい。クラス内での地位を確立してもいないのにそれを伝えても「は?何言っちゃってんのお前?」と一蹴され、その日から僕はクラスの日陰者としての地位が確立されることになるだろう。

 

 逆に、初日でクラスメイトからの信頼を勝ち取り、委員長としてクラスをまとめる役割を任された一之瀬さんは凄い人なのではないだろうか。ここは敬意を払って、思ったことを伝えてみよう。

 

「それなら、全員に伝えられるように明日の朝のホームルームで言うのはどうかな? 担任の先生から許可を貰うなりして、教壇の上に立って伝えれば皆きっと話を聞いてくれると思うよ」

 

「そっか、その手があったね! 氷知君に聞いてよかったよ!」

 

「いやいや、そんな褒められるようなことは言ってないよ。僕が言わなくても、一之瀬さんならきっとすぐに考え付いたと思うよ」

 

「そ、そうかなあ? ……とにかく明日やってみるね!」

 

「その意気だよ。何もしないよりも、何かやった方が必ず成果は得られるものだからね」

 

「うん! 精一杯頑張ってみるよ!」

 

 元気だなぁ。彼女のこういう人柄がクラスメイトからの信頼を勝ち取れた理由なんだろうね。

 

「……」

 

 あ、あの、ひよりちゃん? どうしてずっと黙っておられるんでしょうか?

 

「……」

 

 無言のままジト目で見つめられるのは辛いです。知らない間に、僕は何か悪いことをしてしまったのでしょうか?

 

「……一之瀬さんとばっかり話して、私のことは構ってくれないんですか?」

 

 ぷくーと頬を膨らませてそう言われた。ぷいっとそっぽを向いて、すっかり拗ねてしまっている。

 

「これは氷知君が悪いかなぁ? 椎名さんは放っておいてずっと私と話してたもんねぇ?」

 

 ニヤニヤしながら一之瀬さんが言った。全部僕が悪いの!? 相談に乗っただけなのに、それは酷いんじゃないでしょうか?

 

 結局、寮に戻るまでひよりちゃんの機嫌は直らなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 エレベーターが4階で停止し、僕達は一之瀬さんと別れた。その間際に連絡先の交換は済ませておいたので、Bクラスがどうなるのかは彼女から次期に連絡が来ることだろう。一緒に夕飯を食べませんか?とひよりちゃんが誘っていたが、クラスメイトとの先約があるらしく、「ごめんね」とやんわり断られてしまった。

 

 この学校生活で初めて出来た友達というのもあって、断られたことに彼女はしょんぼりしていたが、僕が頭を撫でてあげるといくらか機嫌は直ったみたいだ。「人気者の一之瀬さんも色々と忙しいみたいだし、また今度誘おう? まだ初日なんだから、これからいくらでもチャンスはあるよ」と励ますと元気を取り戻してくれた。

 

 そして、現在時刻は午後7時。

 

 僕の部屋でひよりちゃんと一緒に夕飯を食べている。事情を知らない人が傍から見ていれば「このリア充め!!」とか言いそうだが、僕達にとっては食事を共にするのは至極当然、当たり前のことになってきている。

 

 小学校からの付き合いの彼女とは、両親が高校時代からの仲というのもあって、家族ぐるみで食事をする機会が多くあった。向かい合って椅子に座り食事をすることは、もはや日常の一部と化しているのだ。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

 ほとんど同時に食べ終わると、食器を片付けて僕が流しで洗う。洗った食器はひよりちゃんが布で水を拭き取り、水切りかごに置く。ここまでが様式美となっている。

 

 食器の片付けが終わった後はシャワーを浴びて寝るくらいしかないが、高校生ともなれば異性と一緒にというのはハードルが高過ぎると思うのだ。中学の頃、「一緒にお風呂に()()()()()()?」と恐ろしい提案をされたことがある。中学生といえば思春期に入る時期で、大多数が異性を意識し始めるお年頃だ。いくらマイペースだからといって、そこまで踏み込んでくるか!?と僕が混乱したのは良い思い出だ。今思えば、大人達が止めようとしなかったのも変だったと感じている。

 

 じゃあ結局、一緒に入ったのかって? それは流石にはっきりと言えないことの一つだ。中学時代に異性と一緒に風呂入った、なんてクラスメイトにでも話した日にはどうなるか?

 

 答えは単純明快、男子から嫉妬と恐れの視線を向けられ、女子からはケダモノ扱いされて学校に居場所がなくなることだろう。つまり、そういうことである。

 

 話を戻すが、シャワーと就寝は流石に同じ部屋では無理だ。なので、今日は一緒に過ごせるのはここまでとなる。

 

 しかし、まだ彼女と一緒にいたいという気持ちがあるのも確かだ。だからこそ、僕はこんなことを言ってしまう。

 

「そろそろ部屋に戻る? それなら送っていくけど」

 

 これは僕の我儘だ。昔の出来事もあってか、段々と彼女に依存してしまう傾向がある。

 

「はい。この時間に一人だと心細いので、お願いしますね」

 

 それでも彼女は、そんな僕を快く受け入れてくれる。

 

 

 本当に、ひよりちゃんには感謝しかないよ。

 

 

―――いつも僕の傍に居てくれてありがとう。

 

 

―――いつも僕を支えてくれてありがとう。

 

 

 言うのが恥ずかしくて未だに口にしたことはないが、いつかしっかりとこの思いを伝えると心に決めている。

 

 

 今はまだ、その時ではない。

 

 

 来たるべき日に、必ず―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――心から君のことを愛していると、伝えたい。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 高校生活2日目の朝。

 

 端末にセットしておいたアラームが鳴り、目が覚める。時刻は5時で、太陽もまだ半分も出てきていない状態だ。こんな時間に何をするかというと、朝のランニングである。体力をつける為に、雨の日以外は毎日欠かさず行うことにしている朝のルーティンだ。

 

 洗面所で顔を冷たい水で覆いサッパリしてから、予め学校側から支給されている制服と同じワインレッドの体育着に着替えた。部屋を出た後はエレベーターは使わず、非常階段の方から1階まで降りて寮の外に出る。

 

 準備運動をしてから、昨日訪れた公園の外回りを周回して待つこと数分。待ち人は現れた。

 

「おはようございます、澄春くん」

 

 高いソプラノの声が僕の名前を呼んだ。言わずもがな、その待ち人はひよりちゃんである。走りやすいように髪型をポニーテールにしており、普段とは違った凛々しさを感じる。

 

 彼女は昔から運動が苦手で、体力が人一倍なかった。それを少しでも克服するために、中学の時からずっと一緒に走り続けている。

 

 走る時間は15分間、大体3kmを目安にしている。最初こそは10分で1km行くか行かないかくらいだった彼女だが、3年間毎日走り続けたことにより、女子の全国平均より上のタイムは出せるようになった。50m走は12秒台だった中学1年の頃から急激に伸びて、中学3年の秋には8秒台前半を出せるようになっている。それが出来たのは、これまで一度も音を上げずに、最後まで走り続けた根性があったからだと僕は思う。

 

 因みに僕の50m走の自己ベストは6.2秒だ。体力テストは3年の時点で全て最高得点の10点を取れるようになり、校内で僕より高い身体能力を持つ生徒はいなかった。入りたての中学1年の時こそは、それはそれは悲惨な結果を出していたのだが、そこから文字通り血の滲んだ努力をしてここまで上り詰めたのだ。

 

 太陽は眠い目を擦るかのように薄い雲に覆われて、そんな少しばかり弱い朝日を体に浴びながら走る。日が昇りきっていないために、朝の春の空気はまだひんやりとしており、走るたびに冷たい感触が肌を撫でた。走れば走るほど体は温まっていくので、相対的に春のそよ風は冷たく感じられる。

 

 僕の隣を並走する彼女はそれを心地よさそうに感じながら綺麗な髪をなびかせて、ペースを落とさずに足を動かし続けている。15分走り終えると、スーハーと息を整えながらゆっくりと歩く。走り終わって急に足を止めるのは体に悪いからだ。歩いて公園を一周したら、用意しておいたタオルで汗を拭き取り、しばしの休憩に入る。

 

 ある程度経ったら今度はストレッチを始めた。これを行うことにより、意識が完全に覚醒するので朝特有の気怠さをなくし、スッキリした状態で登校出来るようになる。

 

 一通り朝の運動が終わり、寮に戻る前に自販機の所まで行って飲み物を買うことにした。どれを買おうか種類を見ていると、あるミネラルウォーターの所で目が留まる。

 

「ここにも無料のものがあるのか……」

 

「ポイントが枯渇した人のための救済措置、なのでしょうか……?」

 

 真偽は定かではないが、これでポイント額の変動説は僕の中ではほぼ確定的になった。後少しでも怪しい部分が見つかれば、確信が持てるところまでは来ている。問題なのは、変動するのが個人なのかクラス全体なのかがわからないところだ。

 

 普通に考えれば個人評価が妥当だと思うが、未来ある若者を育成することが目的の学校で協調性を養わないというのはどうにも納得がいかない。いくら優れていようが協調性のない者は社会に出れば、周囲とのコミュニケーションの取り方がわからず、孤立して才能を持て余すだけの存在になってしまうだろう。

 

 中学時代に培った経験がそう物語っている。

 

 

―――人は独りでは弱いから群れ、集団を形成する。

 

 

―――集団に独りで抗い立ち向かうのは極めて困難なことであり、対抗するにはこちらも仲間が必要である。

 

 

 僕の脳裏に不意に()ぎったあの人の言葉で、暫定的な結論は出せた。物的証拠は明らかに不足しているが、自分の中では納得のいく結論だった。

 

 ポイント変動があるのなら、クラス単位で評価されることはほぼ決定的だ。社会で生き残るには、協調性なしでは話にならない。連帯責任という不条理な決まりだって存在する。誰かが一人でも集団の足を引っ張れば、その全員が損害を被る。この高度育成高等学校を社会の縮図として見做すのならば、毎月支給されるポイントはクラス単位での評価になる可能性は極めて高い。

 

 これらは全て僕の仮説に過ぎないことである。

 

 だが、この仮説が事実として存在したとするならば、僕達は既に学校側から見えない試練を用意されていることになる。違和感に気付き、どれだけ早く真実まで到達出来るのかを試されているのかもしれない。

 

 今すぐSシステムの全貌を暴くことは不可能だが、クラスで協力すればある程度の解明は出来るだろう。しかし、この肝心のクラスメイトが皆個性的な人ばかりで、馴染めるかさえ不透明なところである。まずは交友関係をどうにかしなければスタート地点にすら立てないのだ。

 

 クラスで影響力のある人物、それこそリーダーや参謀にでもなれば解決なのだが、あのクラスをまとめる役割を担うのは正直御免被る話だ。クラスメイトから頼られるのは悪くないが、面倒事を押し付けられるのは嫌である。

 

 なので、まずは身近な人から話し掛けて今月はポイントを使い過ぎず、モラルに欠ける行動は慎むようにと呼びかけることから始めていこうと思う。連帯責任でポイントが変動すると仮定して最悪の場合、学生らしくない振る舞いを続けていれば来月のポイントは0になってしまう恐れもあり得なくはない。一之瀬さんのようなクラスの中心人物でもなければ、カリスマも持ち合わせていない僕にはこれくらいしか対策は取れない。他に何が出来そうかは追々考えていくことにしよう。

 

 手に持った無料飲料水を口に流し込みながら、僕は考えをまとめていった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の7時45分。朝食を済ませ、制服に着替えた僕はひよりちゃんと一緒に学校まで歩いていた。

 

「今日は部活動の説明会があるみたいだけど、行く?」

 

「一応、どんな部活動があるかは興味があるので行こうかと思っています。澄春くんはどうしますか?」

 

「僕も行くよ。Sシステムについて何かヒントが得られるかも知れないからね。それに、クラスの誰かと交流もしておきたいと思ってるんだ。そのために伊吹さんやアルベルト君も誘うつもりだよ」

 

「そうですか。私も、伊吹さんとはお話したいと思っていましたので」

 

「同性の友達は居ると気楽だもんね。後は他のクラスの人とも交流出来れば万々歳なんだけどなぁ」

 

 そんな内容の話をしながら学校に到着した。廊下を通ってCクラスに向かうのだが、A~Dクラスまでの廊下は一直線である。その都合上、Cクラスの教室に行く前に必ずDクラスの教室の横を通るのだが、その時にチラッとDクラスの教室の中が見えて思わず立ち止まりかけた。

 

「どうかしましたか?」

 

「ああ……いや、なんでもないよ」

 

 僕の表情の変化に気付いたひよりちゃんに心配されてしまった。きっと今、僕は引き攣った笑みを浮かべていることだろう。

 

 Cクラスの教室に入ると、既に半数以上は登校していた。他のクラスメイトと話す生徒も居れば、机の上に突っ伏して夢の世界に旅立ってしまっている生徒も見受けられる。まぁ、Dクラスよりはマシかなと思いつつ自分の席に座り、隣の友人に挨拶した。

 

「Good morning,Alberto.(おはよう、アルベルト君)」

 

「Good morning,my friend.Your face is so tight, what's wrong?(おはよう、マイフレンド。やけに顔が引き攣っているけど、何かあったのか?)」

 

「Ah...That's right, I saw the inside of the D-class classroom a while ago, but there were people who brought in game consoles and were playing proudly.(あぁ……それがね、さっきDクラスの教室内が見えたんだけど、ゲーム機を持ち込んで堂々と遊んでいる人達が居たんだよ)」

 

「What's that!? Is there such a person in D-class? D-class is Majiyabe.(え、ナニソレ。Dクラスってそんな人達が居るの? Dクラス、マジヤベェ)」

 

 マジヤベェで笑いが堪えられなくなった。サングラス掛けてて表情がわからないから、余計におかしくてもうダメだ。前の席でコッソリ僕達の会話を聞いていた伊吹さんも、机に顔を伏せながらプルプル震えている。ツボにハマってしまったのだろうか?

 

「Say the last word again,please?(さっきのもう一回言ってみてくれない?)」

 

「OK.D-class is Majiyabe.」

 

「ははははは!! ……マジで笑っちゃうからやめろアルベルト!」

 

「Sorry,Majiyabe.」

 

「わはははは!!」

 

 笑い過ぎてキャラ崩壊してるよ、伊吹さん。それにしても、アルベルト君はジョークが上手くなったね。龍園君ですらさっきから「ククク……」と笑いが止まらない様子だし、そのうちCクラスのマスコットキャラクターになっているかもしれない。

 

 ……って、そういえば言うの忘れるところだった。伊吹さんには昨日言ったから覚えてるだろうし、アルベルト君に伝えるのでいいかな。

 

「By the way, I had something like this yesterday...(そういえば、昨日こんなことがあったんだけどさ……)」

 

 僕は昨日あった出来事を簡潔に話し、来月は支給されるポイント額が変わる可能性が高いのでなるべく節約した方が良い、といった感じの内容を伝えた。英語で説明するのは難しかったが、本人は時折頷きながら話を聞いてくれていたので、大体のことは察してくれたようである。

 

「Yes,I understand.Thank you for telling me.(ああ、わかった。教えてくれてありがとう)」

 

 彼はコクリと頷き、その言葉の後に「今月は無駄な出費を控えるようにするよ」と英語で言った。僕が言いたかったことはしっかりと伝わっているようなので、後は他に言わなくても大丈夫だろう。そこで丁度、始業のチャイムが鳴り始めたので、僕達は授業に集中することにした。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 午前中の授業が終わったが、授業初日もあってかほとんどの時間がガイダンスと勉強方針に関する話だった。午後の授業も同じような流れが続くのだろう。

 

 先生達はとてもフレンドリーで、明るい人が多かった。普通に授業を受ければ、話は面白いので楽しい時間となるに違いない。()()()()()()()()()()の話であるが。

 

 Cクラスの大半の生徒は真面目に話を聞かず、机の上に足を乗せてつまらなそうにする人や、談笑したり、下を向きながら携帯を触っている人が多かった。典型的な不良の行動を見せつけられて民度が低いなと感じたが、それを言ったところで聞いてくれそうにもないし、挑発行為と思われて喧嘩になるのは更にマズくなるので何も言わずにいた。伊吹さんやアルベルト君、意外なことに龍園君もだが、彼らは真面目に授業を受けているようだった。

 

 一番変だと感じた点は、軽く学級崩壊をしているのにも関わらず、先生達が一切気にした様子も見せずに授業を進めていたことだ。最初こそは授業に集中しない生徒は少数だったのに、これのお陰で騒いでも注意されないのをいいことに、段々と授業を放棄して騒ぎ始める生徒が増えていった。教室で堂々とゲーム機を持ち込んで遊ぶよりはまだマシな方だけど、明らかに悪化の一途を辿ってしまっている。

 

「このクラスには馬鹿なヤツが多いな……」

 

 侮蔑の表情を浮かべながらそう呟いていた龍園君がやけに印象に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日――』

 

 可愛らしい女性の声のアナウンスで、思考の淵から現実へと戻された。

 

 教室の時計を見ると、昼休みに突入してから早くも15分が経過している。考え過ぎると時間を忘れてしまうのが僕の悪い癖だな。

 

 またやってしまったと思いつつも、僕は昼飯を確保しにコンビニへと向かったのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 放課後になり、伊吹さんやアルベルト君も誘って部活動説明会の会場である第一体育館へと赴いた。黒い肌と巨体を持つアルベルト君は特に目立ち、周囲から視線を集めている。昔もこういうことがあったのか、本人は慣れている様子だったが。

 

 それにしても、沢山の生徒が集まっている。一年生と思われる生徒は100人以上この場に出揃っていて、ガヤガヤとした喧騒が体育館内に響く。もうすぐ所定の時刻に差し掛かる頃合いだ。

 

「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の(たちばな)と言います。よろしくお願いします」

 

 時間になると、司会の橘先輩の挨拶の下、体育館の舞台上に部の代表者がズラリと並んだ。体格の良い強面で柔道着を着た先輩から、綺麗に着物を着こなす気品の良い先輩まで、それは様々だ。

 

 いくつかの部の紹介が終わり、着物を着た女子の先輩が部の紹介を始めると、ひよりちゃんがキラキラとした眼差しでそれを見ていた。どうやら茶道部に魅力を感じたようである。

 

「私、茶道部に入りたいです」

 

 茶道部の紹介が終わると、彼女はムンッとやる気を見せながらそう言った。きっと、着物を着てみたいのとお茶の淹れ方を学びたいのだろう。

 

「凄く良いと思う。それに、ひよりちゃんが着物を着こなしながらお茶を淹れてるところ、僕は見てみたいかな。とっても絵になると思うよ」

 

 僕は出せる限りの優しい顔で彼女を見ながら言った。

 

「はいっ。その時を楽しみにしていて下さいね」

 

 ニッコリ笑顔で返され、僕はゆっくりと頷いた。こういう顔を見ていると、心が浄化されていくのを感じる。

 

「イチャつきやがって……そういうのは他所でやれよ」

 

 伊吹さんには呆れられてしまったようだが。アルベルト君には「Honobono?」と一言だけ言われて、呆れられているのかどうかはよくわからなかった。

 

 僕達が話している間も部の紹介は続き、説明を終えた先輩達から順に、舞台を降りて簡易テーブルの並んだ場所へと向かっていく。恐らくだが、あそこで入部申請の受付を行うのだろう。

 

 一人、また一人と徐々に舞台上に立つ数は減っていき、あっという間に最後の一人だけが残された。全員の視線がその男性に注がれる。身長は目測で170cmくらいで、服越しからでもわかる鍛え上げられた細身の身体に、サラリとした黒髪。鋭い目つきにシャープな眼鏡を掛けたその生徒は、黙りこくったまま壇上に立ち続けていた。

 

「がんばってくださ〜い」

 

「カンペ、持ってないんですか〜?」

 

「あははははは!」

 

 一年生から、そんな野次が飛ばされる。しかしそれでも尚、壇上に立つ先輩は微動だにせず立ち尽くしている。まるで何かを待っているかのように、その場から一歩も動かず、口さえも動かさない。

 

 そうしているうちに、体育館内に変化が起こり始めた。誰かに命令されただとかそういうものじゃなく、話してはいけないと感じてしまうような恐ろしい静寂。弛緩していた空気は張り詰めた空気に塗り替えられ、その静寂だけが場を支配した。

 

 誰も彼もが口を開かずに、静まり返った空間が続くこと数十秒。ゆっくりと全体を見渡しながら壇上の先輩が遂に口を開き、演説を始めた。

 

「私は、生徒会会長を務めている、堀北学と言います」

 

 なるほど、この人は生徒会長だったのか。最近の生徒会長は強者の風格がなければ務まらないものなのだろうか。

 

「生徒会もまた、上級生の卒業に伴い、1年生から立候補者を募ることとなっています。特別立候補に資格は必要ありませんが、もしも生徒会への立候補を考えている者が居るのなら、部活への所属は避けて頂くようお願いします。生徒会と部活の掛け持ちは、原則受け付けていません」

 

 柔らかい口調のはずなのに、こちらには突き刺すような緊張した空気しか感じられない。この生徒会長の場を支配する気配が更に、より一層重苦しいものへと昇華(?)される。

 

「それから―――私たち生徒会は、甘い考えによる立候補を望まない。そのような人間は当選することはおろか、学校に汚点を残すことになるだろう。我が校の生徒会には、規律を変えるだけの権利と使命が、学校側に認められ、期待されている。そのことを理解できる者のみ、歓迎しよう」

 

 一切の淀みなく演説を終え、生徒会長は真っ直ぐに舞台を降り体育館を出ていった。

 

 姿が見えなくなっても尚、誰も言葉を発しないのは、彼にそれだけの存在感と影響力があったからこそなのだろう。普通の人にはこんな芸当は出来ない。この学校の生徒会長は本当に凄い人なのだと実感させられた。

 

「皆さまお疲れ様でした。説明会は以上となります。これより入部の受付を開始いたします。また、入部の受付は4月いっぱいまで行っていますので、後日を希望される生徒は、申込用紙を直接希望する部にまで持参してください」

 

 のんびりとした口調の司会者の橘先輩のお陰で、張り詰めた重々しい空気はゆっくりと消えていった。ああ、空気が美味しいなぁ。意識せずに呼吸を止めてしまいそうになるような緊迫した空気はもう御免だ。

 

「あっ、それじゃあ茶道部の受付に行ってきますね」

 

「いってらっしゃい。僕はここで待ってるから」

 

「わかりました。すぐに戻りますね」

 

 茶道部の受付に向かったひよりちゃんを待つことにして、僕は後ろを振り返った。

 

「二人はどうする? 何か入りたい部活とかあった?」

 

「特にない。最初は陸上部に入ろうか悩んでたけど、先輩が暑苦しそうだったから入るのやめる」

 

 お労しや、陸上部の先輩。部員を確保するどころか、暑苦しさのせいで逆に入りたくなくなった生徒が一人、ここに居ますよ。

 

「I didn't have any club activities that I wanted to join.(特に入りたい部活はなかった)」

 

「そっか。二人共、部活は入らないんだね」

 

「そういうあんたこそ、入る部活とかないの?」

 

「僕はもともと、何か目ぼしい情報がないか確かめることが目的だったからね。特に入りたい部活とかはなかったよ」

 

 それに、運動部とかに入ったら放課後の行動が制限されて、満足に図書館にも行けなくなるだろうからね。

 

「お待たせしました、皆さん。部活の申請は終わったので帰りましょうか」

 

 それから談笑しているとひよりちゃんが戻ってきたので、僕達は体育館を出た。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 それから数日が経過したある日。

 

 いつものようにひよりちゃんと登校すると、妙に教室が騒がしかった。その発端となっているのは男子の集まっている場所からだ。一体、何を騒いでいるのだろうか?

 

「おはよう、何かあったの?」

 

 席に座って事情を知っていそうな伊吹さんに聞いてみることにした。

 

「おはよ。……今日、水泳の授業あるだろ? それでクラスの男子(バカ)共が騒いでんだよ」

 

 普段通りの男勝りな口調で伊吹さんは呆れたように言うと、溜息を吐く。

 

「えぇ……そんなこと、教室でやってて良いのかなぁ?」

 

「おまえ、こういうのすること自体に否定はしないのかよ?」

 

「だって、高校生って思春期真っ盛りじゃないか。男子だってそういう(うわ)ついた話の1つや2つ、出てくるものだよ? ……ただ、教室内で大声で騒ぐんじゃなくて、グループチャットでやってもらいたかったけどね、こういうの」

 

「……それは同感」

 

 それでも、なるべくこういったことはやめて欲しいけどね。

 チャットは履歴が残るし、学校側に監視されているだろうから結局同じことだし。

 

「この数日で新たにわかったことだけど、教室の天井に監視カメラが沢山あるでしょ? あれで全部見られてるだろうから、このままだと来月が心配かな」

 

「……私は気付いてたけど、なんでそのことを他の奴に言わないわけ?」

 

「言っても問題はないと思うけど、僕としては自力で気付いて欲しいからだよ。第一、言おうが言うまいが僕一人に全部の責任が問われることでもないからね。『この世のすべての不利益は当人の能力不足』。僕の読んでる漫画でこんな台詞があるんだけど、まさにそれだよ」

 

「……あんた、意外とそういうところあるよな」

 

「自覚はしてるよ。中学じゃ他人に情報を教えても、良いことがあった試しがなかったから。大体それがトラブルの種になってたんだから尚更だよ」

 

「そうかよ。ところで、その漫画ってどんなタイトルだ?」

 

「『東京喰種(トーキョーグール)』だけど。今度読んでみる?」

 

「そうする」

 

 あの漫画、世界観とか結構好きなんだよね。主人公のカネキ君の境遇にグッと来る描写が多くて、何度涙を流したことか。アニメはオープニングに凄くハマったし。

 

「いや〜、早く水泳の授業にならねぇかなぁ〜。女子の水着姿が気になるぜ〜」

 

「俺も俺も〜」

 

 声を抑えた様子もなく、そんな言葉が教室内で飛び交う。今日の水泳の授業は女子からの欠席者が多く出そうだな。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 昼休みの終わる少し前。

 

 次の授業は男子達が待ちわびた水泳の時間だ。僕達は水着に着替えるために更衣室へ移動していた。

 

 汗臭くてむさ苦しい男だけの部屋だが、これを耐えれば身体を包み込んでくれる水の感触にありつけるのだ。今は我慢する時である。

 

「氷知氏、その背中の傷は……?」

 

 服を素早く脱ぎ、腰にバスタオルを巻いてから競泳パンツを履き終えた僕に話しかけてきたのは、おかっぱ眼鏡が特徴の金田(さとる)君。彼は初日からSシステムについて疑問に思っていたようで、3日前に意見交換をしてから仲良くなった。監視カメラの存在にも気付いていたことから、洞察力は高い。

 

「これかい? 何ていうか……名誉の負傷ってやつかな」

 

 金田君が言っているそれは、僕の背中の右肩辺りから左腰辺りにかけて斜めにザックリと付いた長い切り傷の跡を指しているのだろう。これは今から丁度2年前に出来てしまった傷なのだが、色々とヤバイ内容の出来事に巻き込まれた際に負ってしまったのだ。他の人に聞かれたら、名誉の負傷や男の勲章と答えるしかない一生の傷である。自分で言うのもアレだけど、痛々しい傷なんだよね。もう触っても痛くもなんともないけれどさ。

 

「そ、そうですか。……深くはお聞きしませんが、過去に相当な出来事があったのでしょうね」

 

「今は、そういうことにしておいてくれないかな。……いずれ話すときが来れば教えるよ」

 

 僕の身体に刻まれた傷跡はそれだけじゃない。腕の部分にも切り傷が数十箇所ある。

 

 これらは一時期山に籠もって修行していた時に出来たもので、一つ一つの傷は小さいが、沢山あるとなんとも言えない。クラスの皆に見られたら距離を取られそうだけど、ライフガードを着ていくのは違う意味で注目されそうなので腹をくくることにしたのだ。

 

 他の男子より一足先に更衣室を出た僕は、タイルの敷き詰められたプールサイドで皆が出てくるのを独りで待つ。女子の方は着替えに時間が掛かるようで未だに出てくる気配がないが、2階の見学席にはチラホラ見受けられた。思っていたよりも見学者の人数は少なく、全員が女子で5人だけ。男子はもれなく全員参加のようだ。これが思春期の力か。

 

 あまり待つこともなく、男子更衣室の方から声がしてきた。最初に出てきたのは意外なことにアルベルト君と龍園君と金田君と……後は石崎君(で名前合ってるかな)の4人だった。

 

 金田君を除けば中々強面揃いのメンバーが集まっており、石崎君(?)は龍園君を睨みつけながら歩いている。近くにいれば身体が凍えるような恐ろしく険悪なムードに金田君は怯えている様子だが、それをアルベルト君が優しくフォローしている光景がなんとも暖かい。BL、ではないのだろうが、見学席に座る女子達が妙に色めき立っているのが怖い。こういうのを腐女子っていうんだっけ?

 

 何はともあれ、二人が仲良くなるのは良いことだ。金田君は勉強出来るタイプなので、英語の理解についても問題なさそうで、早速英会話が聞こえてきた。いや、順応早過ぎない? 早くも意気投合したようで、気付けば握手まで交わしてるよあの二人。アルベルト君が握る力の加減を間違えたのか、金田くんは痛そうにしている様子が見えたが。……うんうん、青春だね。

 

 それを皮切りに、他の男子もぼちぼち更衣室から出て来た。まだ女子は現れそうにないか。

 

 なーんて思っていたら、女子更衣室方向から女子の声が耳に届いた。そろそろお出ましのようだ。

 

「く、来るぞッ!?」

 

 何故身構えたし。露骨過ぎると絶対零度の視線を浴びて撃沈するのではなかろうか。

 

 女子達が姿を見せると、大半の男子達が極光に包まれて消滅したような幻覚が見えた気がした。目を擦っても誰も消滅なんてしていないし、アニメの見過ぎによるものだろう。……僕も他の男子に負けず劣らずテンション上がってるんだなぁ。

 

 男子達からの欲望にまみれた視線を浴びて、女子達は絶対零度の視線でたった一言「キモッ」と呟いたのが聞こえる。それにより大多数の男子はショックにより見事に撃沈した。僕は、何を見せられているのだろうか……?

 

 そんな茶番を眺めていると、僕の後ろから声が掛かる。

 

「さ〜て、一体誰でしょう?」

 

 耳元で囁かれ、ビクッと背筋を伸ばしたと同時に視界が真っ暗になった。……あの、当たってるんですけど、背中にアレが。

 

 生理現象を抑えるため、下腹部辺りに意識が集中しないようして、頭を空っぽにする。

 

―――ああ、今日も世界は平和だなぁ……。

 

「…………ひよりちゃん」

 

「正解ですっ」

 

 何も考えずに言葉を発するのは凄く難しかった。

 

 視界を遮っていた小さくて柔らかい地母神のような手が退けられ、むず痒い表情になって後ろに振り返ると、そこには天使ひよりエルが降臨なさっておられましたとさ。はい、おしまい……終わるわけあるかっ。

 

 その水着姿を見て危うく意識が飛びかけるところだったが、なけなしの理性がギリギリのところで繋ぎ止めておいてくれた。……鼻血とか、出てないよね? 何気なく鼻を擦ってみたが、赤い液体は付着していない。極めて正常、健康体だ。

 

 ふぅ…と一息してから、彼女の姿を眺める――いや、この身長差だと見下ろすという表現が合っているな。とにかく、ある部分に意識を持っていかれないように、視線を制御した。

 

 傷一つない、透き通るように綺麗な白い健康的な肌に、少し触れただけで崩れてしまいそうな程にか弱く見える華奢な身体。出るところは出て、出ないところは細く引き締まっている、とても艶めかしいスタイルに魅せられる。美少女の完成形といえる文句の一つも出ないナイスボディに、僕は声が出なかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 次は水泳の授業ということで、私達は屋外プールの女子更衣室に移動しました。

 

 私の横では伊吹さんがテキパキと服を脱いで水着に着替えています。こういう時は抵抗のないスレンダーな身体が羨ましくなりますね。私はまだ、制服を脱いでブラのホックを外し終わったところなのですが……。

 

「……ジロジロ見るなよ」

 

 おや、伊吹さんに見ていたのが気付かれてしまいました。

 

「すみません、ちょっと伊吹さんの身体つきが羨ましかったもので……」

 

 私が素直にそう述べると、伊吹さんがお返しとばかりに私の胸の辺りをまじまじと見てきます。ちょっとこれは恥ずかしいですね……。

 

 私の裸体は異性ならお父さんと澄春くんだけにしか見せたことはありませんが、同性に見られたことがあるのはお母さんだけでした。同年代の同性でも、私は裸体を見られてしまうことに恥ずかしさは感じるようです。

 

「椎名、おまえ綺麗な肌してるな」

 

「えっ?」

 

 男勝りな口調の伊吹さんに言われると、更に恥ずかしくなってきました。それを隠すように私は後ろを向いて着替えを続けます。背後からは伊吹さんが、してやったりという顔をしている様子が伺えました。ちょっと悔しいです。

 

 少し苦戦しましたが、なんとか着替え終わって振り返ると、伊吹さんが壁に寄り掛かり腕を組みながら立っていました。

 

「着替え終わったか?」

 

「はい。……もしかして、私が着替え終わるまで待っててくれたんですか?」

 

「別に。ただ、一人で行くのは嫌だったから。それだけ」

 

「……優しいんですね。ありがとうございます」

 

「ちょっ、違うから……! 別に、あんたを待ってたわけじゃないから……!」

 

 私がお礼を言うと、彼女は満更でもない表情で必死に弁明してきます。それを見て、ちょっとした仕返しが出来たと心の中で喜びました。

 

「お待たせしましたね。それでは行きましょうか」

 

「お、おう……」

 

 既にほとんどの女子の皆さんは外に出てしまっているので、早く更衣室から出なければなりませんね。それまで待っていてくれた伊吹さんに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊吹さんと一緒にプールサイドへ向かうと、何故か男子の皆さんは意気消沈していました。何かあったのでしょうか?

 

「椎名、あんたは知らなくていい」

 

 訳知り顔で苦笑する伊吹さんに聞いてみましたが、(かたく)なに答えてはくれませんでした。

 

「ほら、氷知のとこ行ってきたら? ……あっちで何か、独りで黄昏(たそが)れながら真顔になってるけど」

 

 そういえば、澄春くんが見当たらないと思っていましたが、私達の逆側のプールサイドに居ました。

 

 彼に近づいてみますが、一向に気づく気配がありません。それを見て少し、悪戯(いたずら)してみたくなりました。

 

 澄春くんの背後に回ると、彼の細く引き締まった体格が目に映ります。背中には痛々しい大きな切り傷が2年前と変わらずに残っていました。

 

 この傷は、彼が私を守るために負ってしまった傷跡です。お医者様からは一生残ると言われた程の深い傷跡を見て、私は悲しくなってしまいます。

 

 でも、彼がこの傷を負っていなければ、私は今頃この世に居なかったでしょう。

 

 

 だから、彼の隣には私が居なければならないのです。

 

 

―――今の彼があるからこそ、私は生きている。

 

 

 そのことに、私は深く感謝しています。

 

 

 でも、悲しいのです。

 

 

 澄春くんが、自分のことよりも私のことを優先していることが。

 

 

 彼には私の前だけでいいので、もう少し我儘になって欲しいのです。

 

 

 彼を支えたい、彼に頼られたい、彼から甘えられたい。

 

 

 そんな願望(想い)が、私の中にはあります。

 

 

 だからなのでしょうか。

 

 

 あの時、一之瀬さんと楽しそうに話している澄春くんの顔を見て、嫉妬してしまったのは。

 

 

 私はもう、彼なしでは生きていけない駄目な人になっているのかもしれません。

 

 

 嗚呼、いつかこの思いをしっかりと伝えたいです―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――この世の誰よりも、あなたを深く深く愛しています。

 

 

 その時は、しっかりと受け止めて下さいね?

 

 

 そんな想いを募らせながら、後ろから彼の目を塞いで、極めて上機嫌になった私は彼の耳元でそっと囁きました。

 

「さ〜て、誰でしょう?」

 

 不意に耳元に息が掛けられた彼はビクッと背筋を伸ばしました。ふふふ、とっても可愛いです。彼の背中に胸が当たってしまっていますが、澄春くんになら全然構いません。むしろ、この感触を堪能してもらいたいですね。

 

 こうやって彼の背中に胸を押し付けるのは、彼の背中に傷が出来てしまったあの事件の後に一緒にお風呂に入って以来、実に2年ぶりです。それだけで、彼の体の温もりと存在を感じていられます。

 

 恥ずかしいと感じてきたのか、私の心拍が早まっているのを感じます。彼の心臓の鼓動も、段々と早くなっていきます。

 

 ……緊張しているのは私だけではないみたいですね。その事実にホッとしました。

 

「…………ひよりちゃん」

 

「正解ですっ」

 

 彼に私の名前を呼ばれるたびに、胸が高鳴ります。どうしようもない程に恥ずかしいです。彼に聞こえていないか心配になります。

 

 慌てて彼の目から手を離すと、澄春くんはクルリとこちらに振り返ってきました。目は閉じていて、口もだらしなく波線を描くように閉じています。

 

 私の前では、もっと崩れた表情を見せても良いんですよ?

 

 少しして落ち着いたのか、彼はふぅ…と息を吐くと、今度はしっかりと私を見てきました。顔、胸、腹、脚という風に視線を巡らせ、視線が固定されないように頑張っているのがわかります。一体、私の身体のどの部分が気なるんですか?

 

 私もそれに応じるように彼の肉体を眺めます。6つに割れている立派な腹筋に、少し控えめな大胸筋。小さな傷跡がいくつも出来ている腕も、彼の努力を物語っています。

 

 私の瞳に視線を合わせると、澄春くんは瞬きすらせずに動かなくなりました。彼の黒い瞳には、私がどう映り込んでいるのでしょうか。

 

「よーしお前ら集合しろー」

 

 そう思っていると、担当の先生が大声で集合をかけました。それにハッとした澄春くんに手を引かれ、私達は皆さんのところへと向かいました。

 

「見学者は5人。他のクラスと比べれば少ないから、まあいいだろう」

 

 私達のクラスは比較的に見学者が少なかったことに、先生は驚いているようでした。

 

「早速だが、準備体操をしたら実力が見たい。泳いでもらうぞ」

 

「センセー、俺あんまり泳げないッス……」

 

 一人の男子生徒が申し訳なさそうに手を挙げます。

 

「安心しろ。俺が担当するからには、必ず泳げるようにしてやる」

 

 

 

 それから、全員で準備体操を始め、50mほど流して泳ぐように指示されました。

 

 3年前の私ならば50mも泳げずに終わってしまったでしょう。ですが、毎朝の彼とのランニング(逢引)で、あの頃の私とは比べものにならないほどの体力が付きました。お陰で50m泳ぐことなど何のその、です。

 

「取り敢えずほとんどの者が泳げるようだな。よし、では早速だがこれから競争をする。男女別50M自由形だ」

 

 突然の先生からの競争宣言に、クラスの人達がざわめきます。

 

「1位になった生徒には、俺から特別ボーナス、5000ポイントを支給しよう。一番遅かった奴には、逆に補習を受けさせるから覚悟しろよ」

 

 先生の発言に、歓声と悲鳴の両方が上がりました。少なくとも、最下位は絶対に取らないようにしなくてはなりません。そうでないと、毎朝付き合ってくれた彼に申し訳が立ちませんので。

 

「女子の方は人数が少ないから、5人を3組に分けて、一番タイムの早かった生徒の優勝にする。男子はタイムの早かった上位5人で決勝をやる」

 

 私は1組目になり、すぐにスタート台の上に立ちました。笛が鳴り飛び込むと、一人は飛び込みに失敗したのかあまり加速しておらず、他の3人はそこまで速くありませんでした。

 この組で私が一着で50mを泳ぎ切るのは造作もないことです。

 

 予想通り一着でゴールして、タイムは29秒ほどでした。

 

 プールサイドから上がり手を振ると、澄春くんも笑顔で振り返してきてくれました。彼の笑顔はいつも私に元気を与えてくれます。それがただ、今はとても嬉しいのです。

 

 その後もレースは続き、最終的には27秒台を出した伊吹さんが女子で優勝し、私は総合順位3位でした。やはり、胸の抵抗がない方が速いのでしょうか。総合で1位が取れなかったのは残念でしたが、最下位にはならず、彼の笑顔も見れたので良しとしましょう。

 

 次は澄春くんの番ですよ。頑張って下さいね。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「惜しかったなぁ、ひよりちゃん」

 

 彼女の泳ぎを最後まで見守っていたが、僕の思っていた以上にひよりちゃんは泳ぐのが速かった。毎朝ランニングした甲斐があったね。

 

 総合順位3位ではあったが、それでも十分に凄い。これは僕も負けていられないな。

 

 総合で1位、取ってやるぞ!

 

 

 

 第一レースは龍園君が接戦の末に1位をもぎ取り、第二レースは時任君というこれまたいかつい(ツラ)の生徒が1位でゴールした。……てか、あの長いロン毛で1位になれるとか、龍園君は運動神経良いな。僕の過去を知っている以上、油断ならない存在ではあるが、今回は競争相手としてよろしく頼もう。

 

 続く第三レース、僕の出番だ。

 

 笛が鳴ると同時に飛び込むと、減速しないように絶え間なく足を動かして腕を回すクロールで挑む。タイムは25秒、余裕の1位だ。

 

 しかし、その後の第四レースで波乱の展開が巻き起こった。なんと、24秒台で暫定1位をアルベルト君が叩き出したのだ。あの巨体から繰り出される大ぶりの水を掻く動作は、彼の肉体を凄まじいスピードで水面に押し出した。横のレーンに余波が来るほどの威力に、クラスの男子は息を呑む。

 

 あの(おとこ)を超えられる奴が居るのか、と。

 

 

 

 第五レースも終わったが、第五レースの優勝者は棄権を申し出た。本人曰く、勝てるわけがない!とのことだ。

 

 だが、他の男子は違う。僕も、龍園君も、時任君も、それで勝負を諦めるような男ではないということだ。別に、棄権した生徒を臆病者と言いたいわけじゃない。時には退き際を考えるのも戦略なのだから、勝てないとわかっていながら挑む愚策を選ばないのは英断だと僕は考える。

 

 勝てない、そうわかっていようとも、己の勝利を信じて疑わないバカ共だけが、この決勝に立っているのだ。当然、そのバカには僕も含まれているのだが。それでも、絶対に勝つことは不可能というわけではないのだから、勝機はまだ残っている。

 

 

 

 スタート台の上に立ち、目を閉じて笛が鳴る瞬間を静かに待った。

 

 笛が鳴ったのを耳で捉えた瞬間、目を開けずに飛び込む。その後はただ只管(ひたすら)に腕と脚を動かした。海で泳ぎ続けるサメのように。

 

 サメは泳ぐのをやめたら死ぬ生き物だ。だから、死ぬまで泳ぐのをやめない。

 

 それに倣って、僕は必死に泳ぎ続けた。絶対に止まってはならない。25m、折り返しのところまで来たが、全員がほぼ拮抗していた。

 

 ほんの僅かだが、僕がリードしている。この折り返し地点で減速すれば僕の負けだが、燃え盛る闘志がそれをさせなかった。

 

 アルベルト君より僅かに速く折り返して、彼の巨体から繰り出される余波を凌ぎ切る。余波で体勢を崩した龍園君と時任君はスピードが落ちていく。

 

 実に危ないところだった。彼の全力の折り返しで発生した波の揺れはレーン全域にまで届き、水面を大きく震わす。

 

 その影響で、波の揺れの発生源であるアルベルト君も僅かながら体勢を崩した。それでも尚減速しないのは、彼の体幹が非常に丈夫であることを証明していることに他ならない。

 

 

 その鍛え上げられた身体に敬意を表するよ。

 

 

 だがしかし、勝つのは僕だ。

 

 

 残り10m。

 

 更に腕のギアを上げ、腕の回転数を限界まで増やした。

 

 

 残り5m。

 

 彼に追いつかれ、平行に並んで泳ぐ。

 

 

 残り3m。

 

 それでも負けじと、脚を更に大きく震わせる。

 

 

 残り2m。

 

 

 残り1m。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 結果はタッチの差で僕の優勝。

 

 そのタイム、23秒32。

 

 Dクラスの高円寺君という生徒には、後0.1秒届かなかったようだ。悔しい。

 

 でも、凄く楽しかった。こうして全力で身体を動かせるのは、本当に楽しい。

 

 プールサイドから上がり、アルベルト君と固い握手を交わした。

 

「Nice fight!Nice muscle!」

 

 彼は「良い戦いだった! 良い筋肉をしているな!」と言っているようだ。

 僕も同じように、「Nice fight!Nice muscle!」と返し、お互いに笑い合った。

 

 授業が終わった後、先生から5000ポイントを受け取ったが、その時に「水泳部に入らないか?」とメチャクチャ勧誘され、丁重にお断りした。鬼気迫る表情だったから結構怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしてもアルベルト君、泳ぐ時はサングラスじゃなくてゴーグルに付け替えてたけど、中々にシュールだったなぁ。

 

 こうして水泳の授業は終わった。女子の水着姿を見た感想? 殆どひよりちゃんしか見てなかったからノーコメントでお願いします。

 

 

 

 

 

================

高度育成高等学校学生データベース

 

氏名:椎名ひより(しいな ひより)

クラス:1年C組

学籍番号:S01T004735

部活動:茶道部

誕生日:1月21日

 

 

評価

 

学力:A

知性:A

判断力:D

身体能力:B

協調性:D

 

 

【面接官からのコメント】

 物静かな生徒で、提出された情報によると幼少期から一人を好む傾向が強かったが、小学時代に氷知澄春と関わりを持ったことにより、徐々に改善されている。友人と呼べる存在は殆ど居ないようではあるが、その原因は資料によると中学時代に巻き込まれた事件が大きく関係していると思われる。学力、勉強に取り組む姿勢や知性には問題が見られないため、協調性や友人を構築する力を身につけ社会への対応力を上げていってもらいたい。

 

【担任のコメント】

 協調性のないところには改善を期待しますが、学力は高く授業への取り組みも真面目です。




 キャラ設定を考えている中で、矛盾が生じる説明があったので修正しました。ご了承下さい。


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4.「暴君の始動」

 ロシデレ読んでたらあっという間に前回の投稿から一週間以上過ぎてました。面白いものはつい読んじゃうんだから仕方ない。


「はじめまして! 私はDクラスの櫛田桔梗です!」

 

 桜が疎らになってきたある日の昼休み、一人の女子生徒がこのCクラスの教室へとやって来た。

 

「今日は皆さんと友達になりたくて来ました!良かったら連絡先を交換して下さい!」

 

 その女子生徒――櫛田桔梗さんは明るく自己紹介をした後、早速近くに居た男子生徒達と連絡先の交換を始めた。この子、行動力が高いな。

 

 何より、全体的に怖そうな生徒の多いこのCクラスで、全く物怖じせずにガンガン皆に話し掛けているところが凄い。一切の嫌悪感を感じさせない()()()()()笑顔で明るく話す様には、一種の恐怖すら感じてしまう……あれ?

 

 

―――何故、僕は彼女のことを警戒しているんだろう?

 

 

「こんにちは! 櫛田桔梗ですっ、氷知くん……であってるかな?」

 

「ッ、そうだけど……よろしくね、櫛田さん」

 

「うんっ! よろしくね、氷知くん!」

 

 僕が思い悩んでいる間に連絡先交換は済んで、彼女は次に龍園君に話し掛けている。何を思ったのか、龍園君は櫛田さんのことを睨みつけているが、大丈夫だろうか。

 

「龍園くん、だよね?」

 

「……あぁ」

 

「良かったら連絡先を交換してもらえませんか?」

 

「……フン、好きにしろ」

 

 何か危ないことが起きるわけでもなく、二人の連絡先交換は終わった。彼もまた僕と同じように、彼女に何か感じるものがあったのかもしれないな。その後も櫛田さんはCクラスの生徒に次々と話し掛けては連絡先を交換していく。

 

「Cクラスの皆さん、ありがとう! 他にまだ私と連絡先を交換してない人が居たら、遠慮なく私の連絡先を教えてあげて下さい! それじゃあ、またねっ!」

 

 笑顔を振り撒きながら、彼女はCクラスの教室を出ていった。まるで嵐のように去っていったなぁ。

 

 そんなことを思っていたら、携帯の着信音がピコン!と鳴った。確認すると、個人チャットのメッセージが1件、龍園君から来ている。隣の席なのに、何でわざわざチャットを……と思ったが、プライベートに話したらマズイことなのかもしれないと考え付き、メッセージを見た。

 

 

【龍園 翔】:櫛田桔梗とかいうあの女、お前にはどう見えた?

 

 いきなり何を聞いてくるかと思ったら、そんなこと?

 

【氷知 澄春】:質問の意図がよくわからないよ

 

 そう返信すると、右横からチッと舌打ちが聞こえた。態度悪いね。

 

【龍園 翔】:何の理由もなく全員と友達になりたいだのほざく奴が本当に居ると思ってんのか?

 

【氷知 澄春】:そういう人も世の中には居るんじゃないの? 僕はあんまり信じられないけど

 

 こんなメッセージを送って横の顔を伺うと、不機嫌そうな表情から一変して楽しそうな――いや、不気味な表情をしている。

 

【龍園 翔】:詳しくその話を聞かせろ

 

【氷知 澄春】:世の中に100%の善人なんて居るわけがないんだよ。人生に最適解がない限り、絶対的な善人も悪人も存在しない。そういう風に作られてるものだよ

 

 これはある人からの受け売りだが、聖人と呼ばれる存在でも間違いは犯してしまうものだし、どんなに凶悪な奴でもアリを慈しむくらいの心はあるのだという。

 

【龍園 翔】:なら、櫛田はどちら側だ? 善人か? 悪人か?

 

【氷知 澄春】:どちら側でもあると思うよ。なんなら全ての人に当てはまることでもある。僕達が見ている表側は善人でも、裏ではストレスで罵詈雑言(ばりぞうごん)を吐くような悪人かもしれないし

 

「クハハハハハハッ!」

 

 僕がチャットを送り終わると同時に、龍園君はさもおかしいとばかりに笑い出した。当然、クラスの視線は彼へと集中する。

 

「……ククク、こんなに笑ったのは久し振りだぜ。やっぱりテメェは面白い奴だな」

 

【龍園 翔】:せいぜい、これからも楽しませてくれよ?

 

 不穏なメッセージを残し、クラスの雰囲気を変な風にしたまま、龍園君は教室から出ていってしまった。

 

「龍園の野郎、なんなんだよ! いきなり馬鹿みたいに笑いやがって……!」

 

「なんか気持ち悪いよねー」

 

「陰気なロン毛がイキがってんじゃねぇぞ!」

 

 その後の教室内は、彼に対する悪口で溢れ返っている。本人の前では口に出していないところを見ると、報復されるのが怖いのだろう。昔の中学と全く同じ光景を見させられていて嫌な気分になる。

 

 

 

 

 

 過ごしづらい昼休みを送り、その日の放課後。

 

「おい龍園! ツラ貸せやゴラァ!」

 

 石崎君が龍園君に呼びかける。彼はそれに素直に応じ、真っ先に教室を後にした。その時に龍園君が獰猛な笑みを浮かべていたのを僕は覚えている。

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

 石崎君が顔面を腫らし、ガーゼや絆創膏を貼った状態で登校してきた。こっ酷くやられたようで、元気がない。

 

「よう、雑魚ども」

 

「りゅ、龍園さん……」

 

 龍園君が随分な挨拶で教室に来ると、石崎君は彼のことをさん付けで呼んだ。石崎君の目には龍園君に対する反抗の意志が欠片も見えず、完全に屈服させられてしまったのが見て取れる。

 

 だが、これは龍園君にとって始まりの下準備に過ぎないということを、僕達はこれから思い知ることになるとは考えてもみなかったのだ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日は、小宮君と近藤君が同じように酷い有様の顔で登校してきた。彼らもまた、龍園君の傘下に下ったらしい。

 

 更に次の日。

 

 アルベルト君が元気がなさそうに登校してきた。挨拶をしても返ってくる返事は心細い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校が始まってから2週間後、とうとう彼が本格的に動き出した。

 

「―――俺は龍園翔。このCクラスの王になる男だ。今日からお前達は俺の命令に従え。文句があるヤツはかかってこいよ」

 

 SHRが終わって放課後になるとすぐに教壇に立ち、数人の男子生徒を従えた彼は宣言する。その中にはアルベルト君も居り、僕は少し衝撃を受けた。彼のような生徒をどうやって従えることが出来たのかは知らないが、正面から挑んで龍園君が勝てる相手じゃないのは確かだ。どんな手を使ったのかが気になる。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ、龍園!」

 

 当然、独裁政治を宣言する龍園君に納得する生徒は殆ど居ないわけで、今の時任君のように反発する生徒は現れるものだ。

 

 時任君は龍園君に殴りかかるが、それを他の男子達が押さえ込む。もれなく龍園君の傘下に入った生徒達だ。

 

「一人相手に数人で抑え込むなんざ、卑怯な手を使うじゃねぇか! 自分一人の実力じゃ怖くて勝てねぇのかよ! サシで俺とタイマンしやがれ!」

 

「あ? そんなもん受け入れるわけがねぇだろうが。数は力だ。それに、他の奴を従える力も実力のうちに入るだろう? ククク」

 

 そう言いながら、僕の方に視線を向けてくる龍園君。実力……か。数の暴力というのは戦いにおいてかなり有利なものだ。多対一の戦いはこれまでに何度も経験してきたが、どれも苦戦を強いられるものばかりだったからこそ、身に染みるほどにわかる。

 

 為す術もなくただ殴られ続ける時任君を見ながら、僕は冷静に考えていた。目の前で行われていることを止めようとは思わない。むしろ都合が良いと思っている。どんな手段であれ、この我が強いクラスをまとめる存在が居なければクラスとして成り立たないからだ。遅かれ早かれ、クラスを統治または支配しようとする生徒は現れただろうから幸いである。

 

 僕は暴力が嫌いだ。しかし、それは一概に嫌いというわけではない。自分や大切な人が暴力を振るわれるのと、自分が暴力を振るうことが嫌いなだけである。非常に傲慢で身勝手な考えであることは理解しているが、自分にとって何の関係もない人が関係のない奴――ましてや警戒すべき対象に暴力を振るわれようと、どうも思わない。そっちで勝手にやってくれというので片付く。僕が暴力に訴えるのは、話し合いで解決が困難な時と、自身と大切な人を守る時だけである。

 

「他に歯向かうヤツは居るか?」

 

 時任君を下した龍園君は嘲笑うようにクラス全体に問い掛ける。そして一人、席から立ち上がる者が現れた。その人物とは伊吹さんである。彼女は席を立つと教壇へと歩いていく。それに対して龍園君は他の生徒に下がれと指示すると、一対一で伊吹さんと向かい合った。

 

「龍園、あたしはあんたのことが嫌い。だから、従う気は……ない!」

 

 言い終わると同時に、彼女から唐突に繰り出される素早い右脚の蹴り。それは真っ直ぐに彼の顎を捉えようとするが、寸前で掴まれて失敗に終わった。

 

「おいおい、そんなヤワな蹴りじゃ俺には当てられねぇな? 出直してこいよ、伊吹」

 

 逆に、龍園君から一切の容赦ない平手打ちが伊吹さんの頬目掛けて襲い掛かる。

 

 バチン!

 

 それをモロに食らった彼女はよろめき、追撃で繰り出された膝蹴りを腹にもらい、最後は横に蹴り飛ばされてしまった。男女関係なしに暴力を躊躇いなく行使する龍園君の姿に、クラスメイト達は戦慄している。ひよりちゃんは彼女を心配そうに見ているが、伊吹さんはまだ()()()()()()()()()()様子だ。

 

「グッ……」

 

 鋭い眼光で彼を睨みつけているが、それをハンと鼻で笑った龍園君は愉快そうな笑みを浮かべている。

 

「まさか、この程度で俺に歯向かおうとしたのか? その意気は褒めてやるが、実力が乏わなければただの愚行だぜ。……もう一度聞くが、これを見てまだ歯向かおうとするヤツは居るか?」

 

 龍園君の言葉で、今まで悲鳴や騒ぎ立てていた少数の生徒も沈黙した。教室内に完全な静寂、無音が訪れる。

 

「沈黙は肯定と見做すぜ。これからのCクラスは俺が管理、支配する。許可なく他クラスとの交流は金輪際を以て禁止とし、完全なる情報統制を敷く。それから全員、俺の連絡先を登録しておけ。しなかったヤツは反抗の意思ありと見て、制裁を加える。今すぐ俺の前に並んで携帯を出せ」

 

 その言葉で、従っていなかった生徒達はすぐさま列を形成し、一列に彼の前に並び携帯を出して連絡先を交換していった。その横では龍園君の傘下の男子が目を見張らせており、これだけ見ればアイドルの握手会のようにも見える。実際には連絡先強制交換会なのだが。

 

「氷知、おまえは既に俺の連絡先を持ってるだろ。そこで無様に倒れてやがる伊吹と、時任とかいうヤツに俺の連絡先を教えておけ。後でそいつらの連絡先も俺に教えろ。いいな?」

 

 列に並んでいなかった僕に指示してくる龍園君。クラスメイト達の視線が僕に向けられるが、今は気にせず彼の指示に無言で頷き、二人に彼の連絡先の登録をさせて、ついでに時任君と連絡先の交換を済ませた。二人の連絡先をチャットで送ると『よくやった』とメッセージが返って来る。僕はついでにあるメッセージを送信して、返信を待たずに携帯をポケットに仕舞い込んだ。

 

「……」

 

 無言で睨みつけられるが、相手がひよりちゃんでないのならば動揺することは全くない。こういうのは先に弱みを見せたほうが負けなのだ。クラスの視線を無視して、僕は教室から出た。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 図書館に着くと、本棚からある小説を取っていつものように奥の座席に座る。本のページをパラパラと捲り続けること5分程度。一人の少女が本を持って僕の隣の座席に座った。ここで僕は一旦ページを捲る手を止める。

 

「大丈夫だった? 何もされなかった?」

「何事もありませんでしたよ。龍園くんが全員と連絡先を交換した後は解散になりましたから」

 

 隣の少女――ひよりちゃんに視線を合わせず声を掛けると、普段と変わらないおっとりとした返事が返ってくる。本当に何もされていないようで安心した。視線を向けると、既に本の世界へと飛び立っていってしまっている。

 

 この時間は彼女にとって唯一の安息であることを知っている身としては、この時間がずっと続いて欲しいと切に願う。ひよりちゃんにとっての図書館は聖域であり、それを何人たりとも汚してはならないのだ。もしも害をなす者が現れた時には僕が排除すると心に決めていた。中学では図書館で静かにする人が全く居なくて、()()()()()のはとても時間が掛かったものだ。

 

 それに比べて、ここの図書館は素晴らしい。圧倒的な広さの敷地面積を惜しみなく使った巨大な書物の宝庫ともいえるこの場所は、とにかく蔵書の数が多くポピュラーな本からマイナーな本まで何でも置いてあるのだ。卒業までにどれだけの本が読めることだろうか。とにかく、彼女にとっては読むものに困らない天国のような場所で、物静かな所で心置きなく本が読める聖地なのである。

 

 そんな最高峰の設備が整っている図書館の奥隅で、ひよりちゃんは『そして誰もいなくなった』を静かに熟読していた。この小説は『ミステリーの女王』と呼ばれたアガサ・クリスティー著作の名作ミステリーだ。入学式当日のバス内では『ABC殺人事件』を呼んでいたが、引き続き同じ著者の本を呼んでいるようで、彼女の脳内ではアガサブームが到来しているのかもしれない。

 

 かくいう僕も同著者の『予告殺人』を今読んでいる最中なので同じことが言えよう。これが読み終わったら、今度は『オリエント急行の殺人』を読もうかと考えている。今の所は全部殺人事件絡みだが、いずれは恋愛小説も探して面白そうなのを見つけようかと思っている所存だ。卒業までに最低でも千冊以上は読んでおきたい。好きなだけ本が読めるこの3年間を無駄にしてはならない。

 

 安らぎの一時を享受しながら暫し黙読していると午後6時の鐘が鳴った。壁の時計は長針が2周し、ふと窓ガラスの外を見やると深い海の色と日の光がせめぎ合っている。もうすぐそれも終戦となりそうなのを確認して本を閉じ、元の棚へと戻した。座っていた隣の席では、読了後なのか本を机の横に置き、静かな寝息を立てながらスヤスヤと眠っている銀髪の美少女が居る。今日は予想外のことが起きて疲れてしまったのだろう、だがその寝顔はとても幸せそうだ。何の夢を見ているのだろうか?

 

 もう少し見ていたいが、閉館の時刻になってしまうので仕方なく起こそうとすると、不意に腕を取られた。体が引き寄せられ、鼻と鼻が触れ合う寸前まで近付く。思わず顔を赤くしてしまいそうになる至近距離で、トドメとばかりに寝言を呟かれた。

 

「……おんぶして連れて行ってください……」

 

 呟いた後の口はニッコリと弧を描き、まるで待ち望んでいるかのようにも見える。おんぶ、か……。最後にしたのは何年前だったかな。察するに彼女は昔の夢を見ているようだ。起こすのが可哀想になってきた僕は、ひよりちゃんを椅子からゆっくりと離して立ち上がらせ、揺らさないようにして慎重に背負い込んだ。更に、自分と彼女のスクールバッグは両肩に掛けて重装備になる。彼女の両腕は僕の首をがっちりと抱擁して離さないでいるので落ちる心配はなさそうだが、それでも不安なので手首の下辺りを制服越しに優しく掴んだ。

 

 幸いなことに、館内に居る生徒はもう僕達二人だけだったので他の生徒に見られることはなかったが、唯一残っていた司書の人には驚かれてしまった。僕の背に身を預けて眠るひよりちゃんを見ると、事情を察してくれたのか「仲良しなのね」と温かい言葉を掛けてもらって、事案にはならずに館外へと出ることが出来た。ありがとう優しい司書さん。

 

 街灯だけが照らす薄暗い夜道を歩いて寮の近くまで来る頃には彼女も目を覚まし、背中から降ろした後は今日の本の感想を伝え合いながら寮へと続く短い道を歩いた。その時の月の光が、彼女の瞳を優しく彩っていたのが印象深い。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 時間は飛んで、翌日の放課後。長い髪を垂らしたCクラスの生徒、龍園翔は屋上へと続く階段をゆっくりと上っていた。

 

(氷知の野郎、面倒くせぇことしやがって……)

 

 何故、彼が屋上に向かっているのか。その理由は昨日の氷知澄晴が彼へ送った一通のメッセージにある。

 

【氷知 澄春】:話したいことがあるので明日の放課後、屋上にて待つ。決着を着けよう

 

 このメッセージを見た直後に、龍園は送り主の顔を見ると一瞬だけ表情が変わったのが確かに見えた。

 

(あの時のヤツの目は、いつもの女みてぇな弱っちい目じゃなかった。獲物を狩る獅子のような鋭い眼光が、ほんの一瞬だけ俺には見えた)

 

 あれがヤツの本性か?と龍園は考えるが、氷知の普段の目が脳裏にチラついてその考えは消える。

 

(いや、あれは無意識に出た威嚇行動だろう。それだけヤツが俺のことを警戒しているとも考えられるわけだ)

 

 少しずつ彼の中で考えは纏まっていく。そして考えれば考えるほどに、龍園の好奇心は高まった。未だ見ぬ男の正体を早く拝んでやりたいと思えば、自然と足を動かすスピードが上がっていくのを感じる。彼の氷知に対する興味は尽きないようだった。

 

(それに、宝泉とかいう1つ下のガキがすぐに鳴りを潜めたのにも腑に落ちない点がある。アレを沈めたのがヤツなら、ますます興味が湧いてくるぜ)

 

 中学時代、龍園翔は名の知れた不良だった。不良達の間では『不屈の暴君』と恐れられており、その名の通り執念にも近い不屈の闘志で数々の敵を下してきた猛者である。独裁的な振る舞いで、歯向かう者は容赦なくプライドをへし折り、屈服させ、従えてきた。

 

 2年生の時点で3年生諸共中学を手中に収め、3年生になると他の不良校にまで手を伸ばし、ある時に巷で噂になっていた宝泉(ほうせん)和臣(かずおみ)という1年下の不良を従えようと遠征を企てていた。しかし宝泉の噂はすぐに消え、ある男が彼を沈めたと新しい噂が流れ始める。その時に龍園が耳にしたのが氷知澄春という名前である。

 

 

―――曰く、灰色の髪に黒い目をしたバケモノ。

 

 

―――曰く、通っていた中学を半年で支配した。

 

 

―――曰く、本性を見たものは完膚なきまでにプライドをへし折られる。

 

 

―――曰く、凶悪殺人犯を単独で叩きのめした。

 

 

―――曰く、彼の傍にはいつも銀髪の美少女が居る。

 

 

 などと数々の噂が流れており、最後のは龍園にとってぶっちゃけどうでもいい噂ではあったが、他の噂については事実ならば是非とも手合わせ願いたいと彼は思った。

 

 龍園翔という男は最初から強かったわけではない。初めこそは喧嘩で相手に何度も負け続けて地を舐めてきたが、要領を覚えると次第に勝ち始め、やがて地元で彼の右に出る者は居ないとされるほどの強者になった。

 

 その強さは誰よりも負け、誰よりも場数を踏んできたからこそあるのだと本人は自負している。正攻法で勝てない相手には(から)め手や盤外戦術で追い詰め、何度負けようとも最後には龍園ただ一人が立っていた。

 

 だが、そんな龍園にも懸念はあった。

 

(ヤツに付いた通り名は……『幽霊(ゴースト)』だ。初見殺し、裏切りからの不意打ち、どんな攻撃方法だろうがまるで最初からわかっていたかのように見切られ、こちらが手を出し尽くした後に死角から容赦ない凶悪な攻撃で一気にトドメを刺しにくる。巫山戯た異名を持ってやがる。そう噂では聞いているが、果たして実際はどうだろうな。お手並み拝見と行かせてもらうぜ)

 

 あくまでも自分は挑戦者であり、王者ではない。負かされたなら次に勝てばいい。どんな手を使ってでも、ヤツを従える。龍園にはそんな確固たる強い意志があった。全ては自分のため。どんな奴が相手であろうとも最後に勝つのは自分であるということを、彼は信じて疑っていなかった。

 

 余談ではあるが、氷知本人は自分に通り名が出来ていることなど全く知らない。

 

(生意気にも俺に喧嘩を売ってきた石崎も、俺より力は強かったアルベルトも、最後は俺の下についた。今日だってそうだ。氷知がどんなに強くても、最後に笑うのは俺だ)

 

 

 

 そして、龍園は屋上の扉を開ける。

 

 彼の目線の数メートル先には、氷知澄春が普段とは明らかに違う鋭い目付きで立っていた。

 

「やっと来たね、龍園君。用件は……言わなくてもわかるよね?」

「……どうやら、素直に俺に従う気はないようだな」

 

 龍園の言葉に氷知は軽く笑って言い返す。

 

「ハハッ、そりゃそうだよ。僕を従わせたいのなら、まずは実力を示してくれ」

「いつもとは少し口調が違うな。そっちがおまえの本性か?」

「違うね。いつもの僕と本質は何も変わってないよ。ただ、今は真剣に物事を進めたいだけで、そう見えるだけだよ」

「フン、別にどうでもいい話だ。今日はおまえを従えるために来たんだからな」

「従えるため、か……」

 

 氷知は目を細めると、彼の後ろの屋上の入り口を見ながら言った。

 

「チッ……勘付いてやがったか」

 

 ただ一言「出て来い」と龍園が言うと、屋上の入り口から3人の男子が現れた。

 

「石崎君に小宮君、近藤君か。アルベルト君は呼ばなかったのかい?」

 

「当然、アルベルトにも命令はした。だが、おまえとは戦いたくないと断固拒否してたぜ。情に厚いことだなぁ」

 

「完全に掌握はしきれていないみたいだね」

 

「うるせぇ。後であいつにもたっぷりと躾けこんでやらねぇとな」

 

 龍園のCクラスの王としての活動はまだ始まったばかりだ。クラスを掌握し終えるにはもう少し時間が掛かる。目の前に居る男も自身が掌握すべき対象であるのだから。

 

「そうか、頑張ってね。……ところで、一人で来なくて本当に良かったのかい?」

 

「あぁ? 屋上にも監視カメラがあることはとっくにわかってる。これは必要経費だ。おまえを手に入れるためのな」

 

「クラスの評価下がるよ?」

 

「知ったこっちゃねぇな。どのみちCクラスを支配するのはこの俺だ。誰も文句は言えねぇ」

 

 キッパリと言い切った龍園。多少の犠牲は厭わないという考えで氷知の懸念をかなぐり捨てていく。

 

「随分と強硬手段に踏み切るね。そんなに僕の存在が心配かい?」

 

「元はと言えば、テメェがここに呼び出したのが原因だ。今日でおまえを俺の下に従えさせれば終わる話なんだがな」

 

「そういえばそうだったね。……そろそろケリ着けようか」

 

 氷知と龍園の両者が睨み合う。どちらも動かず、互いに隙を探り合っている。

 

「やれ」

 

 だが、先に動き出したのはどちらでもなく、龍園がこの時のために連れてきた石崎、小宮、近藤の3人だった。

 

「龍園さんの命令だ。悪く思うなよ、氷知」

 

 そう言って、拳を構えて駆け出す石崎と、それに続くように迫る小宮と近藤。同時に3つの拳が氷知へと襲い掛かった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「やっと始まったか」

 

「……そうみたいですね」

 

「Oh...he is so speedy.」

 

 屋上の入り口前では3人の男女が屋上の様子をコッソリと覗き見ていた。言わずもがな、伊吹、椎名、アルベルトの3人である。放課後になると真っ先に教室を後にした氷知と、遅れてそれに続くように出ていった龍園を伊吹は怪しんでいた。氷知の態度が今日はどこか余所余所しく感じたのが発端で、気になって追いかけようとすると椎名とアルベルトも一緒に行くと言い出したのだ。その結果がこれである。

 

「何アレ……氷知のやつ、身体の動かし方が気持ち悪いくらい滑らかなんだけど……」

 

 伊吹が若干引き気味になりながら呟く。氷知は3人の拳を腰から後ろに90度以上曲げて回避していた。2歩後退りするとそのままの勢いでバック回転を一回。綺麗な着地を決めると今度は逆に相手の懐へと潜り込む。

 

 一瞬で目の前に氷知が現れたことに石崎は驚くが、すぐに彼の顔面目掛けて拳を振り抜いた。しかし、それは勢いを殺さず軌道だけを少し変えるように弾かれ、氷知の後ろから迫っていた小宮の顔へと命中(クリーンヒット)する。

 

「ホゲッ……」

 

 俗に言うフレンドリーファイアで小宮は後ろへとよろめく。そしてその隙を突いた裏拳が彼の九尾を捉え、為す術もなく倒れた。 

 

「ふざけんな! 小宮の(かたき)ィィ!!」

 

 間を置かず、氷知の背後に回った近藤からの右脚蹴りが彼に迫る。拳ではまた躱されると考えたのか、攻撃手段の切り替えが早い。このまま行けば脛の裏辺りにヒットしてしまい、氷知は左足を掬われてしまうだろう。

 

 しかし、氷知はその蹴りを後ろが見えているかのように左膝を上げ、自身の靴の踵部分に近藤の爪先の小指だけがぶつかるように調整して相殺した。踵に比べて爪先はぶつけると痛い部位であり、特に小指をタンスの角にぶつけた時の痛みは想像を絶するものである。掠っただけでもかなり痛い。

 

「うおっ、いってぇ……!」

 

 当然、痛い思いをしたのは近藤の方で、右足を抱え込んで蹲る。それを見逃すはずもなく、踵からの後ろ蹴りが彼の顎を捉え、近藤は声も出すこともなく気絶してしまう。

 

「マジかよ……」

 

 これまでの間ずっと拳を振るい続けていた石崎だったが、全て避けられるか捌かれるかで対処され、相手に当てるどころか逆に利用されてしまったことに恐怖を覚えていた。まるで攻撃が当たらず、幽霊を相手にしているようだと感じる。気付けば仲間二人は倒され、残るは自分一人。恐怖心が掻き立てられ、目の前の相手に思わず足が竦んでしまった。氷知がゆっくりと前に一歩動く度に石崎は何歩も下がる。そうしているうちに彼の背中に固い何かがぶつかった。

 

「りゅ、龍園さん……!?」

 

 後ろを向けば、自身の従う王である龍園が冷めた目で見ている。

 

「どうした石崎、やれ」

 

 今はその言葉がとてつもなく恐ろしく感じられた。龍園が自分には何も期待していないように思えて、石崎は怖くなり下を向きながら投げやり気味に前へと駆け出す。

 

「うおおおおおおっ!!!」

 

 恐怖による怯えから無意識に目を瞑ってしまい、前に居るかもわからない敵に向けて何度も殴る動作を繰り返すが、ただ空を切る感触だけが返ってくる。前を向き、目を開くとそこには誰も居ない。彼が後ろを振り向こうとした瞬間、何かが視界の隅にそっと映り込み、そこで石崎の意識は途絶えた。

 

「存外、呆気なかったね」

 

 素早い手刀を背後から石崎の首筋に叩き込んだ氷知がつまらなそうに言葉を発する。

 

「何を勘違いしてやがる。本番はこっからだぜ?」

 

「……僕の体力を少しでも削ろうとしたのかな? それが目的だったのなら残念、肩慣らしにもならなかったよ」

 

「言ってろ。そのスカした面、今から歪めてやるよ」

 

 配下は倒れ、残された王がとうとう動き出す。ここからは正真正銘の一対一。互いの実力をぶつけ合うだけだ。

 

 睨み合ったまま互いに一歩ずつ前へ踏み出す。その挙動一つ一つが重々しいと、見ていた伊吹は思った。

 

 互いの距離が1メートルもなくなると、二人は同時に駆け出す。龍園は腕を引いて拳を打ち込む構えになり、氷知も同じように腕を引くが拳を作らず掌底の構えで迎え撃った。

 

 パシン!と音を立ててぶつかり合う両者の右手。押し合っているが、優勢なのは氷知の方だった。大きな手で龍園の拳を握り潰さんとばかりにギッチリと掴んで離さない。ミシミシと音がするくらいの力で握られて振り解けないと判断した龍園は、左脚の蹴りを氷知の腹に当てて無理矢理引き離そうとするが、氷知が右足を後ろに引いて半身になったことによりスレスレのところで躱される。

 

 その時に氷知は右腕も後ろに引いていたので龍園はバランスを崩されて前のめりになり、逆に氷知からの膝蹴りを腹に受けた。お返しと言わんばかりのカウンターだ。それを当てたタイミングで氷知は握っていた右手を広げ、龍園の右拳を解放する。支えを失ったことによって龍園は平衡感覚がなくなり、後ろに何歩かよろめくとすぐさま距離を取って体勢を立て直す。

 

「ウッ、クソが……バカみてぇな握力してやがる」

 

 悪態をつく龍園の右手は赤く腫れていた。相当強い力で握り込まれたのがわかるほど、くっきりと跡が付いてしまっている。痺れて感覚がなくなった右手は力が入らない。

 

「これで暫くは右手を自由に使えないね」

 

「だからどうした。それで勝負が着いたとでも言うつもりか? 俺はまだまだやれるぜ」

 

「無理だね。これ以上続けるなら次は関節外すよ?」

 

 そう言って氷知は龍園が反応するよりも先に彼の肩に手を掛けた。

 

「チッ……今日のところは降参しといてやるよ」

 

 これ以上の続行は不可能と判断し、龍園は潔く負けを認めた。

 

「本当は話し合いだけで終わらせるつもりだったけど、君が一人で来てくれないからややこしいことになった。こっちは戦う気なんて全然なかったのに」

 

「……なら、さっきまでのことは必要あったのか?」

 

「君らを無力化して話を聞いてもらおうかと思ったんだけど、別の意味に捉えられてたみたいだね……」

 

 はぁ、と溜息を吐く氷知。その目は普段の優しそうなものに戻っている。

 

 氷知は多少の小競り合いは許容範囲として、あくまで対話による決着を着けようと考えていた。だが、それを龍園は暴力でケリを着けるものだと勘違いしてしまったために生じた認識の齟齬である。

 

「最初から戦うつもりはなかったのか?」

 

「君のことだから素直に話は聞いてくれないと思ったし、多少の暴力に甘んじる覚悟はしてたよ。でも、石崎君達は完全に無駄骨だったかな」

 

 少し呆れた口調で淡々と話す氷知。彼の真意を聞いた龍園は乾いた笑みを浮かべた。

 

「……ハッ、こっちが損しただけじゃねぇか。もっとメッセージをわかりやすく送れよ。『決着を着けよう』が話し合いだとは普通思わねぇだろ」

 

「それは君の感覚がおかしいだけだ。常識的に考えて、何でも暴力で解決するなんてこと、まかり通るわけがないよ。僕は出来るだけ穏便に済ませたかったのに……。次の日から石崎君達が僕に怯えるようになったらどう責任を取ってくれるんだい?」

 

「それはおまえが悪い。怖がられたくないなら何もしなければ良かっただけだろうが。自業自得だ、俺の知ったことじゃねぇな」

 

「薄情だなぁ。けしかけてきたのはそっちの方なのに。……まぁ、交渉決裂したらどちらにせよ実力行使は厭わないつもりだったけどね」

 

 二人の間に険悪な雰囲気はなくなっていた。なんなら龍園は少し機嫌を良くしているくらいだ。

 

「はぁ、結局行き着く先は同じじゃねぇか……で、おまえの用件は結局何だ?」

 

「僕はどうでもいいけど、ひよりちゃんには一切手出ししないことと、僕と彼女の他クラスとの交流の許可を約束してもらいたい」

 

「そんなにあの女ことが大事なのか? 所詮、テメェも女のケツを追い掛ける野郎だったってことだな」

 

「答えになってないね。……それで、約束してくれるのかな?」

 

「……却下すると言ったら?」

 

 龍園が試すようにそう言うと、氷知は途端に目付きを鋭くさせる。

 

「そんなの、さっきより酷いことになるだけだよ。もしかしたら歩けなくなるかもね」

 

「最初から認めさせる気満々じゃねぇか。穏便に済ませるって話は嘘かよ」

 

「龍園君が素直に認めてくれれば穏便に済むことだろう? 簡単じゃないか」

 

「チッ……仕方ねぇ、認めてやるよ」

 

「うん、ありがとう。言質は取ったからね?」

 

 ニッコリとした、それでいて有無を言わせぬような威圧感のある顔で、氷知は懐から携帯を取り出して龍園に見せた。画面には録音中という文字が表示されている。

 

「代わりに少しくらいはクラスのために協力するよ」

 

「……少しかよ」

 

 録音を終了させた携帯をポケットに戻し、「じゃあ、やることは終わったし僕は帰るよ。頑張ってね、Cクラスの王様」と言って氷知は屋上から姿を消した。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「あぁクソ、勝てなかったか……」

 

 負けた。それ自体は特に悲観することでもない。だが、ヤツに一度も攻撃を当てることが出来なかったのがどうも気に食わねぇ。そもそもヤツが本気で来ていなかったというのもあり、余計に腹が立つ。

 

 氷知の野郎にやられた右手は今もジンジンと痛みが残っている。もう少しすれば痛みは引くだろう。腹にも一撃もらったが、吐くほどの威力でもなかったから右手と比べれは大したことはねぇ。もしもヤツが最初から全力でかかって来ていたなら、右手は本当に使い物にならなくなっていたかもしれない。

 

「ヤツを倒すにはどうすればいい……」

 

 思わず赤く腫れた右手を握り締めた。今の俺にはヤツを倒せる明確なビジョンが見えてこない。しかし、いつか必ずヤツを倒すと俺は心に決めた。どんな手を使ってでも、俺の前に屈服させてやる。

 

 

 

 その時を楽しみに待っていろ、氷知澄春。

 

 

 

―――最後に勝つのは、俺だ。

 

 

 




 アンケートの結果、主人公の過去は『本編で徐々に明かしていく』が93票、『過去編(第0章)を作る』が8票で、大差がつきました。

 ただ、本編だけではわかりにくい部分があるので、章が一つ終わるごとに番外編を1話ずつ投稿することにしました。番外編は家族関係の話を中心にやっていきたいと思います。

ー追記ー

 途中の文章で不自然な箇所がいくつか見られたので修正しました。ご了承下さい。


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5.「他クラスとの交流」

 コロナワクチン3回目を打ってきました。左肩メッチャ痛いです。

 今回は正直、ネタ回になります。


 龍園君と屋上で契約を結んできた翌日。

 

「おーい、椎名さーん、氷知くーん!」

 

 ひよりちゃんと朝のランニングをしていると一之瀬さんに会った。

 

「おはよう、一之瀬さん」

 

「おはようございます、一之瀬さん」

 

「二人共おはよう!」

 

 こちらが軽く手を振ると彼女は手を振り返し、長い髪を揺らしながらこちらへと小走りでやって来る。

 

「もしかしてだけど、いつもこの時間に走ってるの?」

 

 僕達の格好を見た一之瀬さんがそう聞いてきた。彼女も体育着姿であるので目的は同じのようである。

 

「はい、中学からずっと一緒に続けてますよ。……よろしければ、一之瀬さんも一緒に走りませんか?」

 

「え、いいの? それなら参加させてもらおうかな!」

 

 ひよりちゃんが一緒に走らないかと誘ってみると、一之瀬さんは快くOKしてくれた。

 

 それにしても、二人が一緒になると周囲がおおらかな雰囲気になるのは僕の気のせいだろうか。控えめな美少女と元気な美少女が並ぶと思わぬ化学反応を引き起こすものだなぁ。そんなことを考えている間に、ひよりちゃんと一之瀬さんで競争することになったらしい。準備体操を終えた彼女達は既に走り出す体勢に入っている。

 

「それでは……行きます!」

 

 ひよりちゃんの掛け声で二人は同時に走り出した。ゴールは今居る公園から少し離れた所の、特別棟にある自動販売機までとのこと。ここから一直線で行けるのだが、二人のレースの邪魔はしたくないので僕は遠回りしていこうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自販機の前で買う飲み物を選んでいると、二人の走る足音が段々とこちらに近づいてきて止まった。

 

「走るの、速い、ね……椎名、さん」

 

「3年前から毎日、ずっと走り、込んでいましたから。……ですが、一之瀬さんも、十分速かったです。後少しで、追いつかれてしまうところでした」

 

 話を聞くに、中々な接戦だったみたいだ。二人共々、額からポタポタと汗を垂らし、ハァハァと乱れた呼吸を整えながら話している。この表現は何だか卑猥に聞こえるな。……ともかく、お互いにベストを尽くした競走はひよりちゃんの勝利というのだけはわかった。

 

 二人が膝に手を着き、身体を小刻みに上下させている様はなんとも色っぽい。身体のある部分が揺れて……いい加減にそういう思考から離れろ、僕。そんな目で見てしまったことに気付かれたら人生終わるってば。

 

 僕は煩悩を振り払い、いくらか呼吸の整った二人の元へと歩み寄って飲み物を差し出す。

 

「二人共おつかれさま。汗掻いたでしょ、これ飲みなよ」

 

「「ありがとう!(ございます)」」

 

 差し出したのはスポーツドリンク。さっき自販機から購入したものだ。決して無料のを選んではいない。あんなことを考えてしまった罪悪感もあったので、そのお詫びという形で渡した。以後は気を付けなければ。

 

 受け取ったスポーツドリンクを一之瀬さんは片手でクイッと持ち上げ、豪快に飲み始めた。逆に、ひよりちゃんはボトルを両手で持ってゆっくりと飲んでいる。こういうところにも性格の違いは表れるのかと、当たり前のようなことを僕は今更ながらに考えていた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「おまえら全員、一旦教室に残れ。重大な発表がある」

 

 午後の授業も終わって放課後になると同時に、龍園君が皆に呼び掛けた。それを聞いて席を立つ者は居ない。統制が取れている。

 

「この約2週間で俺が知り得た情報をおまえらに提供してやる。金田」

 

「了解しました、龍園氏」

 

 金田君が黒板に大きく文字を書く。書き終えた金田君が退くと、黒板には『Sシステムの内容について』という文字がデカデカと書いてあった。

 

「全員、上を向け」

 

 龍園君の命令でクラスの全員が天井に目を向ける。最初は監視カメラの存在について知らせるようだ。

 

「えっ、監視カメラ!?」

 

「俺達……今までのこと、全部見られてたのか?」

 

「やべーってそれ! 内申に響くじゃんか!」

 

 今まで監視カメラの存在に気付かなかった生徒から驚きと動揺の声が上がる。先に気付いていた人は少数だ。普段、上を向く機会など全くといってないのだから仕方ないといえば仕方ない。

 

「こんなのにも気付けねぇとは、本当にバカな奴らだ。気付かせてやった俺に感謝しておけよ?」

 

 龍園君の言った「バカ」というワードに何人かは顔を顰めるが、監視カメラがあることに気付けなかったのは事実なので言い返せない様子だ。

 

「次にだが、来月の俺達に10万ポイントが支給されることは絶対にねぇ」

 

 それはすなわち、ポイントの支給額が変動することを示している。どういう原理で支給額が変わるのかについては、僕がまだ知れていないことだ。彼はどんな真実にたどり着いたのだろうか。

 

「そっ、それってどういうことっすか!? 龍園さん!」

 

「落ち着け、石崎。そもそも最初から10万()()こと自体がほぼ不可能なんだよ。入学初日にでも気付かなきゃ出来っこねぇんだ」

 

「つまり、来月支給されるポイントは10万ポイント未満ということですか? 龍園氏」

 

 眼鏡をクイッと上げながら金田君が聞く。動作が凄く様になっていると思ったのはここだけの話だ。

 

「そうだ。ある時に2、3年のクラスを見に行ってきたが、机の数が40個に揃っていなかった。これがどういうことか、わかるよな?」

 

「上級生のクラスでは退学になった生徒が居る、ということですか?」

 

 他の生徒が問い掛ける。それを聞いた龍園君は(元からだけど)悪そうな顔で肯定した。

 

「その通りだ。ついでに言っておくと、どの学年でもDクラスの生徒は山菜定食を食ってる奴が多かった。山菜定食は()()()()()()から良いよなぁ、ククク」

 

 山菜定食……食堂で唯一無料で注文できる料理だが、食べていたのは上級生の割合がとても多かったと記憶している。僕も一回食べてみたが、美味しいとも不味いとも言い難い不思議な味だった。注文した時に周りから「マジかコイツ」みたいな視線を向けられたことも付け加えておく。僕は以前に山籠りで山菜を食べまくったことがあるから、味に慣れていたというのもあるのだろう。ひよりちゃんが試しに一口食べたら眉をしかめて口を押さえていたし、他の生徒からすれば苦くて仕方がない代物なのかもしれない。でも、ご飯と味噌汁に漬物も付いてくるのだから無料で食べるには贅沢だと思うんだ。あれって元取れてるのかな?

 

「それが来月10万貰えないのと、どういう関係があるんだよ」

 

「まだわからねぇのか時任。()()を進んで食える奴なんてそうは居ない。ポイントが枯渇してるから仕方なく食ってるとしか思えねぇだろ?」

 

 龍園君、アレ食べたのか。後で食べた感想を聞いてみようかな。

 

「……これまでの龍園氏の話は全て関連していることなのですか?」

 

「あぁ。これだけヒントをくれてやれば気付く野郎は居るだろうな。その足りない頭使ってよーく考えてみろよ、おまえら」

 

 監視カメラの設置、来月のポイント支給額の減少、上級生から出ている退学者、無料で食べられる山菜定食……なんとなくわかった気がする。

 

「―――おまえはもう気付いてるだろ? 氷知」

 

 突き刺すような龍園君の言葉で僕にクラス中の視線が集まってしまった。余計なことを……。屋上のこと根に持ってるのかな?

 

 いつまでも視線を集めているのは気分が悪いから、さっさと思ったことを言って終わらせてしまおう。

 

「買いかぶり過ぎだよ、龍園君。大体のことは理解出来たつもりだけど、それが合っているかなんてわからないよ?」

 

「それでもいい。言ってみろ」

 

「……わかったよ。まず、監視カメラの存在とプライベートポイントを関連付けて考えてみようか。教室に設置されている監視カメラだけでもかなりの数がある。ただ僕達の行動を監視するだけなら少々やり過ぎなくらいにね。ということは、それだけ細かく監視する理由があるわけだ。……えーっと、ひとまずはこれを聞いて欲しいかな」

 

 僕は端末を操作し、マイクをスピーカーに切り替えると、ある音声を再生した。

 

『―――この学校は実力で生徒を測ります。入学した皆さんにはそれだけの価値と可能性があるということです』

 

「これは入学初日の坂上先生が説明していたことを録音した音声なんだけど、何か気付けた人は居るかな?」

 

 音声を止めて皆に問い掛ける。すると、金田君が挙手した。

 

「はいどうぞ、金田君」

 

「先程の音声ですが、『入学した皆さんにはそれだけの価値と可能性がある』という節の説明に違和感を覚えました。もしかするとですが、10万ポイントというのはあくまで僕達が入学した時点での『価値』を示しているのではないでしょうか?」

 

「僕もそういう風に考えてるよ。……さて、ここでもう一度監視カメラのことと関連付けると、何か見えてくるものがあると思うんだ」

 

 監視カメラ、価値……と金田君が呟いていると、突然ハッとした顔になる。

 

「……学校側は、監視カメラで僕達の価値を現在進行系で測っているということですか?」

 

 真剣な顔つきで彼は聞いてきた。そんな金田君の考察に、龍園君がわざとらしくパチパチと拍手をしている。

 

「正解だ。褒めてやるぜ金田。もう一つ聞いておくが、価値は個別で評価されるか、それとも全員同じ評価になるか、どちらだと思う?」

 

「後者の可能性が高いかと思います。連帯責任ならば支給される額がクラスごとに統一され、評価の低いクラスが貧困状態になるのも納得がいきます」

 

「……だそうだが?」

 

 ここで龍園君はギロリと皆の方へと視線を向けた。半数以上の生徒は事の重大さが理解出来てきたようで、焦ったような顔をする生徒も見られる。

 

「大体の奴は状況が掴めてきたようだな。4月は後半に入ったが、それまでおまえ達は何をしてきた? 授業を真面目に取り組まず、携帯を触っていた奴も居れば、居眠りしたり机の上に足を掛けてカッコつけてるバカも居やがったな。そういうのが俺達Cクラスの『価値』を下げてんだよ。……俺が言いたいことはわかってるよな? 石崎」

 

「はい! これからは授業に真剣に取り組んで遅刻や欠席をせず、クラスの評価を下げない模範的な生徒として努めるべきだと思います!」

 

「……俺が言いたかったのはそういうことだ。これからはクラスの評価を下げないように精々努めるんだな。来月も十分なポイントが欲しいのならそうしろ」

 

 最後に龍園君は「ククク、足を引っ張る奴は退学になるかもなぁ?」と付け加えて教室から出ていった。そういえば上級生の中に退学した生徒が居ることについての説明がなかったな。脅し文句に『退学』という言葉を使ったのかもしれないけど、十中八九これから学校側が新しい情報を開示してくるだろうし、特定の条件次第では退学になるのかもしれない。この学校は隠し事が多いことも段々とわかってきたし、油断は禁物だ。

 

 静まり返ったクラスメイト達に目を向けると、これから好き勝手しようと考えている人は誰一人として居ない様子だ。完全に静まり返って、誰も席を立とうともしない。ずっとこの雰囲気の教室に居るのは憚られるので、僕は後ろを向いてひよりちゃんとアイコンタクトをし、同時に席から立ち上がって教室から出ようとした。

 

「おい待てよ、氷知」

 

 だが、時任君から呼び止められる。デジャヴじゃないか。顔だけ彼の方へ向けると、時任君は煮え切らない表情をしていた。

 

「龍園の野郎が言ってたことが本当なら、前からこのこと知ってたのかよ? なら、なんで教えなかったんだ?」

 

 龍園君……本当に君は僕に面倒事を振り撒いてくれるね。含みを持たせた発言で意趣返しをしてくるとは。本人がここには居ないのに影響を与えてくる。何が『おまえはもう気付いてるだろ?』だ。やっと全貌が掴めてきたばかりなのにそれはないって。

 

「僕が気付けたのは龍園君の言葉があったからこそで、前からわかってたわけじゃないよ。皆と同じで、さっき理解したばかりだよ」

 

「本当かよ? ……前から思ってたんだが、既に龍園の連絡先を持ってたのはアイツと裏で繋がってるからじゃないのか?」

 

「そんなわけないよ。どちらかといえば、僕にとって彼は警戒対象だ。……ねぇ、石崎君?」

 

 石崎君の方を見ると、少し怯えた表情で頷いてきた。屋上での一件以来、石崎君は僕への印象が変わってしまったようだ。

 

「お、おう。確かに氷知は龍園さんとはあまり仲が良くない。近くで見てきたからわかる。……けど、いざという時には役に立つ奴だから、龍園さんは気に入ってるみたいだがな」

 

 ……明らかに最後の言葉は『言わされた感』が強かったぞ。こうなるのを見越して、予め龍園君は石崎君に伝えておいたな?

 

「―――そうかよ。それなら、おまえは俺の敵だ」

 

 ……は? なんでそうなった?

 

「龍園は俺の敵だ。アイツに気に入られてるならソイツも同類だ。それに、前から個人的におまえのことも気に入らなかったんだよ」

 

「……嫌われるようなことしたかな? 皆が見てる前でそんなこと言ったら、敬遠されると思うんだけど」

 

「ハッ、最初から誰かと仲良し小好しする気なんざ、これっぽっちもないんだよ! ダチなんか要らねぇな。欲しがるような奴は自分一人で動けない臆病者だけだ」

 

「クラス全体を敵に回すような発言だね。タイマンなら龍園君には負けないと思ってるの?」

 

 僕の問いに、時任君は自信満々気に言い返す。

 

「ああ? 当たり前だろうが。一対一なら、俺が勝つ。龍園は一人じゃ所詮ただのカスだ」

「時任、テメェ! 龍園さんが弱いってのかよ! 喧嘩売ってんなら、俺が買うぜ!」

 

 時任君の煽りに石崎君が激昂した。龍園君より弱いならカス以下って言われてるようなものだから怒るのは当然か。

 

「良いのかよ? クラスの評価が下がっちまうんだろ? イジメは発覚したら退学案件だし、誰も俺に手出しは出来ねぇんだよ!」

 

 その代わり、君に話し掛ける人は居なくなりそうだけどね。皆の前で堂々と敵対宣言をするのはかなりリスキーなことだ。勝算もなしに言ってのけたのだとしたら、それはもう自分に酔いしれているだけのバカである。

 

「くっ……だが、Cクラスでのおまえの立場はないと思えよ! 足を引っ張るようなマネしたら許さねぇからな!」

 

「上等だ。そのうえで俺は龍園を倒す。おまえらの王様が引き摺り落ろされる時を楽しみに待ってるんだな」

 

 そんな捨て台詞を吐いて席から立ち上がる時任君。すれ違う時に睨まれたが、下らない理由で因縁をつけられるのは本当に困る。どうしてこのCクラスは問題児が多いのだろうか。高校生活まで荒れるのは嫌だよ。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 時任君の盛大な敵対宣言から3日後。昼休みに一之瀬さんからメッセージが届いた。

 

 

【一之瀬 帆波】:やっほー! 今日の放課後にBクラスの皆や他クラスの人達とカラオケに行くんだけど、椎名さんと氷知くんも一緒にどうかな?

 

【椎名 ひより】:今日は図書館が閉館で部活もないので、ご一緒させてもらいますね♪

 

【氷知 澄春】:僕も今日は特に用事がないから参加するよ。よろしくね!

 

【一之瀬 帆波】:大歓迎だよ! Cクラスからは二人しか呼んでないけど、他にも行きたいっていう子が居たら誘ってあげてね!(^○^)/

 

 

 さて、どうしよう。Cクラスが鎖国状態だから僕達以外に行ける人が居ない。龍園君を誘うか? いや、雰囲気ぶち壊しにしそうだから却下だ。取り敢えずは二人で行くことを報告だけしておこう。

 

 

【氷知 澄春】:Bクラスの一之瀬さんからカラオケに誘われたから行ってくるよ。他クラスからも何人か来るみたいだけど

 

【龍園 翔】:ひよりも一緒か? それに、行くなら他クラスの動向も探っておけ。情報は多いに越したことはないからな

 

【氷知 澄春】:了解。ひよりちゃんも一緒だよ。本人の許可なく下の名前で呼んでる件に関しては後でゆっくり話そうか?

 

【龍園 翔】:ククッ、怖え怖え。情報収集に関してだが、特にAクラスが重要だ。それとなく会話して情報を引き出せ

 

【氷知 澄春】:スパイの真似事は苦手なんだけどなぁ……。ていうか、何でAクラス?

 

【龍園 翔】:これからの戦いにおける重要な鍵になるからだ。もうじきわかるぜ。詳しくは話さんがな

 

【氷知 澄春】:そうかい。まぁ、情報収集は出来る限り頑張ってみるよ

 

 

 友達からカラオケに誘われただけなのに、こんなに背徳感のある作業も同時並行でこなさなければならないなんて。僕が思うに、これから他クラスとは敵対しなければならないんだろうなぁ。ウチのクラスのリーダーは好戦的過ぎる。厄介事に巻き込まれないことを願おう。

 

「はぁ……それはそれとして、カラオケ行ったことないから何歌えばいいんだろう……?」

 

 目下の問題は、カラオケに行った経験がない僕はどうすればいいかだ。知ってる曲とか一部のアニソンくらいで、流行りの曲とかは全く知らない。折角誘われて行かないのはもったいないから勢いでOKしちゃったけど……。

 

「澄春くん……」

 

 頬杖をつきながらどうしようかと悩んでいると、ひよりちゃんから声が掛かった。少し申し訳なさそうに聞こえるが、嫌なことでもあったのだろうか。

 

「どうしたの?」

 

「それが―――」

 

 顔を俯かせ、モジモジしながら彼女は口を開いて言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――カラオケって、何を歌えば良いのでしょう……?」

 

「……」

 

 ひよりちゃんも僕と同じこと考えてたよ。こんな時、どう返事をすれば良いのかわからなくて、お互いにしばらく沈黙していた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 そんなこんなで放課後を迎えた。

 

 カラオケに着くなり、受付を済ませると指定された番号のルームへと向かう。廊下の地図を見ると、店内で一番大きな部屋の番号だったことから、かなりの人数が来ていることが予想できる。

 

「「お邪魔します……」」

 

 ドアを開けると、既に一之瀬さんとBクラスの生徒と思われる人達が揃っていた。人数から見るに、他クラスの生徒はまだ来ていないようだ。

 

「いらっしゃーい、二人共! 今日は楽しんでってね!」

 

 一之瀬さんが満面の笑みで出迎えてくれた。彼女の横では数人の男女が座って、機械を操作しながらワイワイしている。一之瀬さんの声でこちらに気付いた彼らも続いて歓迎してくれた。

 

「俺、柴田颯っていうんだ。よろしくな!」

 

「安藤紗代でーす。よろしくね!」

 

「浜口哲也と言います。よろしくお願いします」

 

「私は南方こずえ。よろしくね〜二人共」

 

 そんな感じで次々と自己紹介が進んでいく。皆、言葉にそれぞれの特徴があって馴染みやすい生徒ばかりだ。こちらも簡単に自己紹介を済ませて椅子に座ると、部屋のドアが開かれた。

 

「おっす、少し遅れちゃったかな?」

 

 金髪を後ろに纏めたイケてる風の男子を筆頭にゾロゾロと入ってくる。

 

「俺達はAクラスだ。ついでに言っとくと、俺の名前は橋本正義だ。今日はよろしくな」

 

 その生徒―――橋本君はニカッと笑って挨拶する。他のAクラスの生徒も続いて挨拶を終えると、空いている席に座った。

 

「Dクラスの櫛田桔梗ですっ、今日はよろしくお願いしまーす!」

 

 それからすぐにDクラスの生徒達も合流して、来る人は全員集まったようだ。全員が着席すると、一之瀬さんが進行役で交流会が始まった。

 

「今日は皆、集まってくれてありがとう! これから同じ学び舎で過ごす仲間として、親睦を深めていこうね!」

 

 マイクを取った一之瀬さんがそう言うと、「おーー!」とクラス関係なく男子達が声を上げて盛り上げる。女子達も楽しげに会話をしていて、皆テンションは上がっているようだ。こういう集まりに来たのは初めてだけど、なるべく沢山の人と交流していきたいな。

 

「じゃあ、まずは誰から歌う?」

 

 名前も知らない男子が聞くと、Bクラスの男子から声が上がる。

 

「やっぱり一之瀬さんが最初でいいんじゃね?」

 

「私もそう思うねー。一之瀬さんの歌声聞いてみたいし」

 

「うん、俺も気になる。まずは一之瀬さんが歌ってみてよ!」

 

「頑張って一之瀬さん!」

 

 それを期に同じような意見がBクラスから沢山出た。Bクラスの一之瀬さん人気凄いな。Bクラスの熱気に気圧されて、他のクラスも一番手は譲りたいようだ。最終的に満場一致で歌い始めは一之瀬さんということになり、彼女は「にゃはは、下手かもしれないけど頑張るね!」と苦笑しながらマイクを手に取って立ち上がった。

 

 

 

『Heart Pattern』

 

 

 

 大きな画面に曲名が表示されると、少し後に音楽が流れ出す。

 

 

 

 直らない機嫌は裏返しのFace

 

 ほんとはもっと自重だってしたいの

 

 愚痴ばっかりで愛嬌なし

 

 ……

 …………

 ………………

 

 眺めた愛の重さ計って

 

「わからない」恋愛って何だ?

 

 とりあえず答えはまだ保留で

 

 驚く君の相手しよう

 

 ねぇ頭の中混乱してヤダ!バカみたい

 

 

 

 一之瀬さんが歌い終わると、拍手が巻き起こった。あれは歌手レベルなんじゃないかと思う。女子達は途中から合いの手を入れて盛り上がってたし、彼女の歌は物凄く上手かったのだけは良くわかった。

 

「……今のは『ニセコイ』のエンディングテーマですね」

「そうなの? 聞いた感じだとラブコメ系のアニメっぽいけど」

「そうですよ。私もアニメは見てたので、聞いてて凄く楽しかったです」

 

 そういえば、ひよりちゃんも合いの手を入れてたな。一部の男子も盛り上がってたけど、女子の盛り上がりようはそれ以上に凄まじかった。全然知らないけど、ラブコメ系のアニメって凄いんだなぁ……。

 

 

 

 それからというもの、最高潮で迎えたスタートの勢いで次々と各々が熱唱していった。途中で『DEATH NOTE』の『the WORLD』を歌う生徒も居れば、『脳漿炸裂ガール』を歌う猛者も現れた。これらは聞いたことがあったら少しはわかったけど、皆の曲のチョイスがわからない。流行についていけない僕は大丈夫なのか心配になってくる。歌うのアニソンでも引かれないよね? 他の人も歌ってるっぽいし。

 

「じゃあ、後は……氷知くんと椎名さんかな?」

 

 内心で歌える数少ない曲を選考していると、そんな声が聞こえてきた。い、いつの間にそこまで回ってきたのか。

 

「では、私が先に歌わせて頂きますね」

 

 ひよりちゃんが立ち上がり、マイクを手に取る。

 

 

 

『世界は恋に落ちている』

 

 

 

「!?」

 

 曲名を見て仰天したが、そんなことは関係ないように音楽が流れ始めた。

 

 

 

 世界は恋に落ちている

 

 光の矢胸を射す

 

 君をわかりたいんだよ

 

 「ねぇ、教えて」

 

 ……

 …………

 ………………

 

 世界は恋に落ちている

 

 光の矢胸を射す

 

 全部わかりたいんだよ

 

 「ねぇ、聞かせて」

 

 手繰り寄せてもう0センチ

 

 駆け抜けた青春(ひび)

 

 忘れない忘れられない

 

 輝く1ページ

 

 

 

 曲が終わると、一之瀬さんの時にも負けないくらいの大きな拍手が巻き起こった。男子陣は涙を流しながら手を叩いているし、女子は暖かい眼差しで拍手している。かくいう僕はというと―――

 

「お、おい、大丈夫か? 滅茶苦茶泣いてるけど、次歌えるのか?」

 

―――顔を伏せて、隣の席の橋本君に心配されるくらいに号泣していた。

 

 彼女の声に聞き惚れてしまったとか、そういうレベルではない。歌詞の一つ一つが()()()()()()()()、序盤で静かに泣き崩れた。

 

「じゃあ最後は氷知くん、お願いできるかな?」

 

 一之瀬さんからお呼びが掛かり、全員の視線が僕に集中する。鼻を啜り、ハンカチで涙を拭い終えた僕は静かに立ち上がり、マイクを持った。

 

 僕が選んだ曲は―――

 

 

 

『unravel』

 

 

 

 教えて 教えてよ

 

 その仕組みを

 

 僕の中に誰がいるの?

 

 

 

 彼女の言葉に応えるように―――

 

 

 

 歪んだ世界にだんだん僕は

 

 透き通って見えなくなって

 

 見つけないで 僕のことを

 

 見つめないで

 

 誰かが描いた世界の中で

 

 あなたを傷つけたくはないよ

 

 覚えていて 僕のことを

 

 鮮やかなまま

 

 

 

―――僕は狂ったように歌い続けた。

 

 

 

 誰かが仕組んだ孤独な罠に

 

 未来がほどけてしまう前に

 

 思い出して 僕のことを

 

 鮮やかなまま

 

 忘れないで 忘れないで

 

 忘れないで 忘れないで

 

 

 

 周囲の反応など気にせず、自分の感情に任せて只管に喉を震わせる。

 

 

 

 教えて

 

 教えて

 

 僕の中に誰がいるの?

 

 

 

 歌い終わると、僕には周りの音が聞こえなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

【一之瀬 帆波】:今日は楽しかったよ! 今度もまた行こうね、ひよりちゃん!

 

【椎名 ひより】:こちらこそ、お誘いありがとうございました、帆波さん。カラオケは初めてでしたが、とっても楽しめました♪

 

【一之瀬 帆波】:そっかあ。なら良かったよ! ひよりちゃんの歌、凄く上手だったからびっくりしちゃった(゚д゚)!

 

【椎名 ひより】:帆波さんの歌も上手でしたよ。いつも聞いていた曲だったので、テンション上がりました!

 

【一之瀬 帆波】:にゃはは、そう言ってくれると嬉しいなー。トリを飾った氷知くんも上手かったと思うよ♪

 

【椎名 ひより】:はい。とても感情の籠もった歌い方で、まるで彼の心情を表しているように聞こえて、私は途中で泣いてしまいました……(T_T)

 

【一之瀬 帆波】:確かにそうだったよね。サビのところで泣き出しちゃう女の子が多かったもん。氷知くんの歌声、聞いてると段々惹き込まれる感じがするんだよね。

 

【椎名 ひより】:ある意味では、澄春くんは女の子を泣かせる天才ですね……(・o・)

 

【一之瀬 帆波】:あ、あれは仕方ないと思うよ? 多分、皆感動して泣いちゃったんだと思うし、彼が歌い終わった後はシーンとしちゃってたから……

 

【椎名 ひより】:少し気まずかったですよね……澄春くんも何が起こったかわからなくてオロオロしてました

 

【一之瀬 帆波】:正直、あれはちょっと可愛かったと思うな。普段と違った一面が見れて面白かったよ。いつも真面目そうだったから尚更ね

 

【椎名 ひより】:そうですね。彼は普段しっかりしてるので、ああいう表情はあまり見せないんですよ。そういう意味では、今回彼が参加して良かったと思います

 

【一之瀬 帆波】:でも、ひよりちゃんにとってはライバルが増えちゃったんじゃないかにゃ? あの後皆で連絡先を交換した時に、氷知くんのところに沢山女の子達が集まってたけど

 

【椎名 ひより】:大丈夫ですよ♪ 私は彼のことを信じてますから

 

【一之瀬 帆波】:おお、絶対的な信頼だね……

 

【椎名 ひより】:彼も私に絶対的な信頼を置いています。お互いに助け合ってきましたから、それは揺るぎない事実ですよ

 

【一之瀬 帆波】:凄いなぁ。二人は固い絆で結ばれてるんだね!

 

【椎名 ひより】:その通りです!

 

 ……

 …………

 ………………

 

【一之瀬 帆波】:そろそろ寝る時間になってきちゃったし、一旦終わりにしよっか

 

【椎名 ひより】:わかりました。おやすみなさい(-_-)zzz

 

【一之瀬 帆波】:(つ∀-)オヤスミー

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

【龍園 翔】:何か収穫はあったか?

 

【氷知 澄春】:Aクラスの橋本君っていう男子と個人的に仲良くなれたけど……中々に曲者だったよ

 

【龍園 翔】:Aクラスの橋本か。そいつから何か情報は得られたか?

 

【氷知 澄春】:今のAクラスは二つの派閥に分かれてるらしくて、二人の生徒のどちらがリーダーにふさわしいかで揉めてるみたい

 

【龍園 翔】:その二人の生徒の名前は?

 

【氷知 澄春】:葛城康平っていう男子生徒と、坂柳有栖っていう女子生徒だね

 

【龍園 翔】:葛城と坂柳か。ちなみに橋本はどちらの派閥に所属している?

 

【氷知 澄春】:坂柳さんの派閥って言ってたよ。得られた情報はそれくらいかな

 

【龍園 翔】:もっと他にはねぇのか?

 

【氷知 澄春】:ないかな。強いて言うなら、他クラスの女子達からやけにアプローチが多くて、アドレス帳の8割が女子の連絡先で埋まったことくらいだね

 

【龍園 翔】:ムカつく野郎だな。ハーレムでも狙ってんのか?

 

【氷知 澄春】:ハァ………………?何言ってんの?喧嘩売ってるなら買うけど。今度はフルボッコにしてさしあげようか?(#^ω^)

 

【龍園 翔】:丁重にお断りするぜ。生憎、テメェに売る喧嘩はねぇんだよ。……それより、どうしてそうなった

 

【氷知 澄春】:知らないよ。むしろ、僕の歌で大半の女子を泣かせちゃったんだけど?( ´Д`)=3

 

【龍園 翔】:訳のわからねぇこと言ってんじゃねぇぞ

 

【氷知 澄春】:ホントのことなのに……。橋本君の連絡先送るから、彼から聞いてみてよ

 

【龍園 翔】:あ? 何で俺がそんな面倒くせぇことしなきゃならねぇんだ?

 

【氷知 澄春】:Aクラスの情報と引き換えにCクラスの情報を伝えたら、橋本君が君と個人的に話がしたいって言ってたんだよ

 

【龍園 翔】:ふざけんな。勝手にCクラスの情報を教えるんじゃねぇ。橋本に何を教えた?

 

【氷知 澄春】:Cクラスが鎖国状態で、許可された人しか他クラスと交流が出来ない状態ってことと、Cクラスのリーダーが君だってことの二つ。タダで情報くれるほど優しい相手じゃないよ、橋本君は

 

【龍園 翔】:……そうか、ならまだ許してやる。だが、次はないと思えよ?

 

【氷知 澄春】:はいはい。Cクラスの王様は人使いが荒いお人ですね

 

【龍園 翔】:茶化すな

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「チッ、得られた情報はそれだけか。しかし、有益な情報は得られたな」

 

 氷知の奴が交流会でAクラスの情報を手に入れた。葛城と坂柳の派閥に分かれているらしいが、叩くのは時期尚早だろう。どちらかが弱みを見せた時がチャンスだ。争いは双方に綻びが出るものだと俺は知っている。

 

 ピコン!

 

 携帯が鳴ると、ヤツからAクラスの橋本とかいう野郎の電話番号とアドレスが送られてきた。仕事の早い奴は嫌いではないが、生意気な野郎は嫌いだ。そう思いながら橋本の連絡先を登録した俺は、すぐに橋本へと電話を掛けた。何度かコール音が鳴ってようやく掛かり、応答が返ってくる。

 

『もう掛かってくるとは思わなかったよ。君が氷知君の言ってたCクラスの王様、龍園翔君だね?』

 

「気持ちワリィ話し方はやめろ。素の状態で話せ。次にその喋り方したら切るぞ」

 

『……もう見抜かれっちまったか。氷知といい、あんたといい、勘が鋭いな。あんたとは上手くやってけそうで何よりだ』

 

「その喋り方の方が不快感は少ねぇな。さっきよりもよっぽどマシだぜ」

 

『そうかい。……で、本題は何かな?』

 

「おまえの目的は何だ?」

 

『色々な生徒と繋がりを持つことだけど? 人脈は多くて困らない。いざという時に役に立つからな。あんたとも個人的な付き合いをしたいってことだよ』

 

「ハッ、それは大変なことだな。だが、俺はそう簡単にはOKしねぇぜ? 俺にメリットがないからな。個人的な関係を築きたいならそっち(Aクラス)の情報を寄越せ」

 

『氷知とは違って優しくないねぇ。俺にメリットがなくなっちまうけど?』

 

「俺様と個人的な繋がりが出来るだけでも良いと思えよ。()()()()のことに十分な利益があるんだからな」

 

『……その様子だと、Sシステムについて大体は理解してるみたいだな』

 

「ああ。もうすぐ()()()()()()()()()ことも既に知っている。……どうだ?決心はついたか?」

 

『おう、そこまで知ってるならあんたの条件は飲んでやるよ』

 

「ククッ、決まりだな。おまえは俺と個人的な繋がりを持つ条件として、Aクラスの状況を定期的に報告しろ。有事の際は協力してやっても構わん」

 

『オーケー。それで良いぜ』

 

「この会話は録音してある。裏切ればどうなるか、わかるな?」

 

『怖えこと言うなって。これから仲良くしていこうぜ? 龍園』

 

「それはおまえの行動次第だな。こちらに有益な情報を寄越せば優遇してやるよ」

 

『わかったわかった。じゃ、切るぞ』

 

 そこで橋本との通話は終了した。まさかAクラスのスパイをやろうとするとは、橋本も中々にイカれた野郎だ。場合によっては奴と氷知がAクラスとCクラス間の外交的立場になりうるが、それはそれで面白い。俺にとって退屈しない学校生活が送れれば、それで良い。最後はAクラスもBクラスもDクラスも全て潰してやる。氷知の野郎も、全て俺が支配する。

 

「ククククク……楽しくなってきやがったぜ」

 

 これから起こるであろう出来事を想像しながら、俺は眠りにつこうとして思い出した。

 

「そういや、ヤツの歌の話について聞くのを忘れていたな」

 

 どうでもいいことだが、後で橋本に聞いておくか。

 




 主人公の氷知君は割と中性的な見た目です。一応、理由も考えてあります。


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6.「動乱の5月」

 またしても長くなりました……。

 追記:ひよりパパの名前が判明したので変更しました。


 4月も後少しで終わりを迎える下旬。今日の3時間目の授業は我らが担任、坂上先生の担当する数学だ。授業開始のチャイムが鳴る少し前に坂上先生は紙の束を持ってやって来た。

 

「すみませんが、急遽予定を変更して今から皆さんにテストを受けてもらいます」

 

「「「「「えええ〜〜〜!?」」」」」

 

 チャイムが鳴り終わると同時に坂上先生が言う。学生の僕達にとって抜き打ちテストは心臓に悪い。告知もなしに行うのは学校側の意図を感じさせる。

 

「抜き打ちとかマジかよ!」

 

「こ、心の準備が……」

 

「赤点取りたくねぇ……!」

 

 テストに対する愚痴が飛び交うが、なんやかんやで取り組む姿勢は見せているCクラスの生徒達。龍園君の暴力による独裁政治がここで活きてきたといえる。暴力制裁は命令に逆らわなければ行使されることはないので、彼の命令通り真面目に取り組んでいれば何の心配もないのだ。少しおちゃらけるくらいなら許される。

 

(悪い点取ったらヤバイ……)

 

(真面目に取り組まなきゃ、制裁される!)

 

(来月のポイントのためにも、クラスの足は引っ張りたくねぇ……!)

 

 皆きっと心の中ではこんなことを思っているのだろう。ある生徒は顔を青くしながら、ある生徒はガタガタ震えながらテストに臨もうとしている。これだと逆に実力が発揮できなくなりそうだが、大丈夫だろうか。

 

「突然の小テストで申し訳ありません。皆さんのお気持ちはわかりますが、これは成績表には反映されないので安心して下さい。だからといってカンニングは厳禁ですがね」

 

 成績表()()反映されないらしい。疑り深くなっている僕はその言葉が物凄く気になった。『に』ではなくわざわざ『には』を使っているのが引っ掛かる。他にも評価される項目が存在することを暗に示しているのではないかと、そう思えてくる。何にせよ、この小テストに全力で取り組めば悪い結果には至らないはずだ。

 

「あくまでも今回のテストは今後の参考用です。落ち着いて取り組むようにお願いします」

 

 坂上先生の説明で、緊張していた生徒もある程度の溜飲は下がったようだ。顔色を悪くしている生徒は居ない。問題用紙が行き渡り、テストが始まった。

 

 一通りの問題に目を通してみると、一科目4問、全20問で各5点の計100点満点の問題形式となっている。最初から順番に問題を解いていくが、見ただけで答えがわかってしまうような簡単な問題ばかりだ。これなら受験前の中学3年生でも解けてしまうだろう。入学試験の時ですらこんなに簡単な問題は出題されていない。しかし、最後の3問、18問目から異様に問題が難しくなった。

 

(何だこの問題……まだ習っていない範囲の内容じゃないか)

 

 ラストは理科、英語、数学の3問から出題されている。理科は化学の応用と思われる問題で、化学変化によって起こる作用を記述せよと書かれているが、まだ習ってもいないような長ったらしい名前の物質についての問題なのでわかるはずもない。英語に関しては知らない単語が6割の約300語の長文の問題で、読み解くことすら困難だ。最後の数学の問題は図形の面積を求める問題になっている。

 

 理科、英語に関しては知識不足な僕では無理難題ではあるが、数学は残りの時間を全て費やせばギリギリ解き終わりそうだ。正解かどうかは置いといての話だけれども。授業が終わるまでの残り約30分、僕は脳をフル活用しながら数学の問題に取り組んだ。

 

 問題文と睨めっこし続け、解答用紙に数式を書いては消し、書いては消しを繰り返す。残り5分を切ったところでようやく納得のいく答えに辿り着き、急ぎ足でペンを走らせる。

 

 解答欄の枠を満遍なく使い、残りの小さな空白に答えを書き入れたところで丁度チャイムが鳴った。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「最後の問題、メッチャ難しかったよな〜」

 

「スッゲーわかる、それ。てか、俺は半分くらいしか解けなかった気がするぞ」

 

 突然の小テストから解放された昼休み。Cクラスの生徒達はテストの話題で盛り上がっていた。

 

「氷知氏、最後の3問は解けましたか?」

 

「理科と英語は無理だったけど、数学だったら一応解き終わったよ。……合ってるかはわからないけどね」

 

 金田君に話し掛けられて、僕もテストについての話をしている。

 

「僕は全然わかりませんでしたよ。あの問題はこれから習う範囲の出題でしたし、恐らくほとんどの生徒は解けていないでしょう。学校側の意図が図りかねます」

 

 俯き加減に眼鏡を整えながら喋る金田君。解けなかったことが余程悔しい様子だ。正直、最後の3問は入学したばかりの高校生に出来る範疇じゃないと思う。

 

 金田君と会話した後は、アルベルト君とも話をした。彼曰く、「英語以外の問題は文章を読むことすら難しかった。数学はもはや何を言っているのか理解出来なかった」とのことだ。嘆くように言われた時は思わず苦笑いが出てしまった。日本人とアメリカ人のハーフである彼は、アメリカに在住していた期間の方が断然長く、両親が日常的に英語で会話をしていたという。そのため日本語にはまだ慣れておらず、国語は天敵らしい。

 

 そして、午後の授業は流れるように過ぎ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよ明日から5月かぁ。ポイントはどのくらい残ってるんだろうな……」

 

 夕方の7時過ぎ。食堂でひよりちゃんと食事を済ませて寮に戻ってきた僕はベッドに倒れ込んで呟いた。

 

 明日で何かが大きく変わる予感がする。プライベートポイントだけじゃなく、もっと他に重大なことが明かされるような気がしてならなかった。

 

 ソワソワしていた僕はシャワーを浴びてパジャマに着替え、コンロでお湯を沸かす。沸騰したお湯をマグカップに注いで、軽量スプーンでサラサラとした粉の入った袋からを少しの粉末を掬い上げ、マグカップに入れて別のスプーンでかき混ぜる。そうして完成したのはミルクココア。明日に備えて早めに寝たいため、コーヒーや紅茶などのカフェインの含有量が高いものは避けた。

 

 卓上にマグカップを置き、飲みやすい温度になるまで冷めるのを待つ。その間に所持ポイントの残高を確認した。画面に表示されているポイントは74263pr。この1ヶ月はなるべく昼食を弁当で済ませて、その食材もスーパーに置いてある無料食品を使って食費を節約していたので、食費を抑えることは出来た。食費以外の出費は、カラオケの割り勘と本、飲み物くらいに限っている。それ以外には部屋に敷く用のカーペットを買ったくらいだ。本以外にあまり物欲がないというのもあって、月3万もあれば不自由なく過ごせるくらいには余裕があった。万が一、来月のポイントが支給されなかったとしても、これから2ヶ月程度は普通に耐え凌げる。

 

 特に意味もなく5桁の数字の映った画面をじっと見つめていたが、そろそろ飲み頃になっただろう。カップの縁を触ってみるが、火傷するほどの熱さはない。もう平気そうだと判断し、取っ手を摘まむ。カップに口を付けて少し上へ持ち上げると、温かくて優しい甘みが口の中へと染み渡った。

 

「……うん、おいしい」

 

 コクッ、コクッと何回かに分けて、喉までミルクココアを流し込み飲み干す。最後に溶け切らずに底に溜まっていた粉の塊が喉を通過した。他の人は不快に感じるかもしれないが、僕はこの最後に来るドロッとした後味が結構クセになっている。

 

「ふぅ……落ち着いたぁ」

 

 空にマグカップを洗い、逆さにして水切り台の上に置いたらベッドに向かった。一連の流れで既に時刻は9時を回っている。

 

(明日はどんなことが起こるんだろうか……)

 

 一抹の不安と期待を抱えながら、意識はまどろみの中へと落ちた。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の4時半。セットしておいたアラームで脳が覚醒する。いつもより寝心地が良かったので、身体が軽く感じる。朝のルーティンをこなしに行く前に、ポイントの残高確認をすると―――

 

 

 

「残ったのは半分と少しかぁ……」

 

 

 

―――74263pr(プライベートポイント)から133263prに、59000pr増加していた。

 

「支給されたのは59000pr。評価で言うと41000pr相当の減点をくらったって解釈で良いのかな?」

 

 他クラスはどうなっているのかも気になる。試しに一之瀬さんと橋本君に今月支給されたポイントの額を聞いてみることにして、それぞれにメッセージを送った。

 

「Dクラスはどうなのかわからないけど、支給される額は少ないだろうな……」

 

 先日、教室内にゲームを持ち込んで遊んでいる生徒が居た。アレは相当な減点対象になると思うが、日常的に繰り返していたのなら残るポイントはごく僅かなものになりそうだ。監視カメラの存在に気付いていない線も考慮できる。

 

 だとしたら、彼らは今までどんな学校生活を歩んできたのか甚だ不思議に思う。当たり前のことが出来ない、それでこの先やっていけるのか? それなら、どうして彼らはこの学校に入学することが出来たのか? 疑問は考えれば考えるほど湧き上がってくる。

 

「やっぱりこの学校は不可解な点が多い。見えないルールがいくつも隠されてる」

 

 考え続けて出した結論はそれだった。そもそも、希望通りの進学先を100%叶えるという謳い文句からして怪しさ満点なのだ。入学しただけでそれが叶うのなら、この3年間は無駄なものになってしまうじゃないか。ここは腐っても政府直営の学校なのに、そんな横暴がまかり通るはずがない。優秀な人材を育むことが目的なのに、これでは矛盾が生じてしまう。

 

 もう一度、現在のポイントの額を眺める。この一ヶ月、評価を下げるような振る舞いは一度だけしかしていない。個人評価ならば、その一回でここまで支給額が減るとは考えにくい。逆に、Cクラス全体の評価がこのポイント量なのならば納得だ。最初こそは酷い有様だったが、4月後半には龍園君による支配で一応は危機感を持った皆が模範的な振る舞いをし始めたので、必要以上の減点は抑えられたに違いない。

 

「あっ、そろそろ行かなきゃ」

 

 時間を見ると5時を過ぎている。やはり朝は時間の流れが速く感じてしまうものだな。そう思いつつも、僕は体育着に着替えて外へと繰り出した。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 朝の運動を済ませて部屋に戻り、朝食の準備をしつつ携帯を確認すると、メッセージが2件届いていた。開くと、早朝に送ったメッセージの返信が来ている。

 

 

【一之瀬 帆波】:おはよう! ポイントのことなんだけど、こっちは支給額が8万と少しくらいだったよ

 

 

【橋本 正義】:おはようさん。確認してみたが、俺は支給額が少しだけ減ってたな

 

 

 内容からして、二人は僕よりも支給額が高いようだ。橋本君の『少しだけ』というのが1万以内なら、所属クラス別に考えると支給額が高い順からA、B、Cということになる。

 

「だとすると、評価が高い順にクラスも分けられてたのか……?」

 

 立てた仮説が正しいのなら、Dクラスは一番評価が低い生徒が集められているクラスになるわけで―――

 

「でも、それだと辻褄が合わないんだよなぁ……」

 

―――Dクラスに、櫛田さんや平田君などのしっかりしている生徒が所属していることと噛み合わなくなる。

 

「どうなってるんだ?クラス分けって。何か条件でもあるのかな?」

 

 ますますわからなくなってきたぞ。成績とかは関係なかったりするのだろうか。頭の中がモヤモヤしてきた。

 

「これは学校に行ってみないとわからないよなぁ……」

 

 取り敢えず朝食を取らなければ。栄養が脳に行き渡らないと、考えられることも考えられないし。

 

 作ったツナサラダと、ピーナッツバターを塗った食パンを食べ、学校に行く準備をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊吹さんにも聞いてみましたが、支給額は同じようでした」

 

「今月のCクラスは59000prが平等に支給されたってことだね。クラス単位で評価されるっていう仮説は的を得ていたわけだ」

 

 エレベーター内でひよりちゃんとポイントについての議論をする。ある程度のポイント支給額が減ることは覚悟していたのか、彼女が困っている様子はなかった。

 

「でも、この先どうなるんでしょうか。澄春くんのお話によると、AクラスとBクラスは私達よりもポイントが多く得られたそうですから、クラスによって支給額が違うのには理由があるかもしれません」

 

「そうだね。価値だとか評価だとか、クラス分けの理由も全貌がわからない以上、学校側が新しい情報を知らせてくるんじゃないかな。ポイントの支給額が10万を超えた生徒が1年生の中に居ないってことは、減点方式で支給額を決めているんだろうし可能性は高いよ」

「何故そう思ったんですか?」

 

 エレベーターが1階に到着し、寮の外を出て校舎に向かいながら話を続ける。

 

「減点方式なら、どのクラスも支給額が段々と0に近づいていくから、生活が大変になってくるでしょ? それを解消するために、何かポイントを増やせるイベントみたいなのがあるんじゃないかなって」

 

「イベント、ですか?」

 

 ひよりちゃんはコテンと首を傾げた。こういう天然なところがまた可愛い。

 

「ほら、何ていうか……そう、テストで良い点を取れば新たにポイントが支給されるとか、かな」

 

「なるほど……一理ありますね。今日は澄春くんがホームズみたいです」

 

「ハハハ、僕はただ思ったことを言っただけだよ、可愛い助手君。名探偵ホームズの名推理には遠く及ばない陳腐な推測さ」

 

 少し笑って返すと、彼女は柔和な笑みを浮かべてこう言った。

 

「澄春くんも可愛い探偵さんですね♪」

 

「解せぬと言いたいところだけど、中性的な顔なのは自覚してるから、あながち間違ってないのかな?」

 

 小さい頃、女の子と間違われたことがあるにはあったが、今は体格が細マッチョだから顔以外を見れば男とわかるくらいにはなっているはずだ。背も高いし、もう間違われることはないと信じたい。男装とか言われた日には落ち込む自信がある。

 

「それにしても、いつもより校内が騒がしいですね」

 

 学校に着くと、廊下では生徒達がポイントについての会話をあちらこちらでしている。Dクラス方面からは嘆くような声が聞こえてくるが、支給額が相当に低かったのだろう。

 

「マジで支給額減ったよな。龍園さんの言ってたこと当たってたわ。龍園さんマジ感謝だわ」

 

「だよねー。あのままの態度続けてたらDクラスみたいに0になってたかもしんないし、助かったよな」

 

 ん? 今、Dクラスが0って聞こえたけど……。

 

「皆さんおはようございます。これからホームルームを始めます。今から重大な発表がありますが、その前に何か質問などはありますか?」

 

 その時、丁度坂上先生が教室に来て、Cクラスの皆に向けてそう聞いてきた。その手には筒が握られている。

 

「先生、4月の時よりも振り込まれたポイントが少なかったんですけど、やっぱりこれって何か理由があるんですか?」

 

 一人の生徒が挙手して質問すると、坂上先生は少し感心したような表情で返答した。

 

「ええ、大いにあります。これから説明する内容と密接に関係していますので、よく聞いて下さい」

 

 いつもより上機嫌な態度で、坂上先生は説明を始める。

 

「この学校では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。このCクラスは遅刻、欠席こそは少なかったですが、授業中の私語、取り組む姿勢、端末の使用などを加味した結果、今月のCクラスの成績は59000pr分の評価となりました」

 

 それを聞いて、Cクラスの生徒達はホッとした様子を見せた。4月中に龍園君が動き出していなければ、振り込まれるポイントはもっと減っていたことは自明の理だ。命令されることに不満はあっても、従ったことによって利益が生まれたのだから、Cクラスの生徒からの彼の評価は上がったことだろう。龍園君に羨望や尊敬の眼差しが注がれていることからもはっきりわかる。本人は少し得意気に「フン」と鼻を鳴らしていた。満更でもない様子だ。

 

 生徒間でそんな無言のやりとりが行われている間に、坂上先生は筒の中から一枚の厚紙を取り出して広げ、せっせと黒板に貼り付けていた。

 

「これは今月の各クラスの成績です。皆さんが持っているpr(プライベートポイント)とは別に、この学校では他にもcl(クラスポイント)というものが存在します」

 

 紙には、AクラスからDクラスまでの名前と、その横に数字が表記されている。

 

 

 

 1年生 各クラスポイント成績

 

 Aクラス:940

 Bクラス:840

 Cクラス:590

 Dクラス:0

 

 

 

「月に振り込まれるprはこのclの数値×100となっています。4月はどのクラスも1000clでスタートしましたが、この1ヶ月でここまでの差が出ました」

 

 今度は数値に驚く生徒や()()()()生徒が現れた。それにしても、クラスごとに()()()()()()()()

 

「これを見て気付いた人も居るでしょう。この学校では、優秀な生徒達の順にクラス分けがされています。最も優秀な生徒はAクラスへ。逆にダメな生徒はDクラスへ、と」

 

 その言葉に、さっきまでしていた笑い声は消えた。この後に続く言葉は、Cクラス全体によく響き渡るだろう。

 

「気になっている人が多いと思うので、ここで敢えて言っておきます。このCクラスには、普通よりもやや劣った生徒達が集められています」

 

 坂上先生の発言はCクラス全体に大きな動揺をもたらした。

 

「それって、俺達がAクラスやBクラスの生徒よりも劣っているってことですか!?」

 

 誰が言っただろうか。静かになった教室内に、憤りの声が反響した。少なくとも自分たちが劣等生のレッテルを貼られている事実はCクラスの生徒達には看過し難いことである。暗雲の立ち込める天気のせいか、普段よりも暗い教室内で、たちまちクラス中から抗議の声や怒りの声が爆発した。これでは説明どころではなくなってしまうと、坂上先生が静かにするよう注意しようとする。

 

 

 

―――だが、それよりも早く、クラスの喧騒を鎮めた暴君が居た。

 

 

 

 ダン!と彼が机を強く叩くと、それまで騒いでいた生徒達は声を荒げるのを一斉にやめる。

 

「おまえ達、少しは静かにしやがれ。それとも、人の話も満足に聞けない猿どもしかこのクラスには居ねぇのか?」

 

 Cクラスの王である龍園翔が苛立ちを隠さず、やけに低い声で罵倒混じりの()()()()()()。それ以降、騒ぎ立てる生徒は一人も居なかったということをここに記しておく。

 

「坂上、続けろ」

 

 目上への敬意など全く払わずにCクラスの王が促すと、坂上先生はそれに対しては何も言わずに説明を再開した。

 

「ゴホン。……ですが、それは現時点での皆さんの評価に過ぎません。clの多い順にランク付けされている以上、clが最も多いクラスが最も優秀なAクラスになるわけです。まだまだ上のクラスへと昇格出来る可能性は残されていますので、頑張って下さい」

 

 ここで一旦区切る坂上先生。筒からもう一枚の厚紙を取り出した。

 

「さて、続いてですが……これは先日行われた小テストの結果です」

 

 新たに張り出されたのは、Cクラスの生徒40名の名前と点数が記載された用紙。一部を除いて、軒並みの生徒は60点前後の点数に集中している。

 

(僕の点数は……90点か。一応、回答した問題は全部正解だ)

 

 最後の数学の問題も何とか合っていたようだ。因みにだが、点数の高い順に上から名前が並んでいる。僕の名前は上から2番目に書いてあった。

 

「ひよりちゃんは95点かぁ、やっぱり凄いなぁ……」

 

 彼女の学力はかなり高い。それに、沢山本を読んでいるからなのか知識量が半端ない。そんな彼女でも満点が取れない難易度のテストを現段階で実施したということは、やはり学校側が何か企んでいるのだろう。嫌な予感しかしない。

 

「この学校では、中間テスト、及び期末テストで1科目でも赤点を取ったら退学になります」

 

 下から5番目の生徒の名前の上に赤いラインを引いて言った。

 

「「「「「はあああああああ!?」」」」」

 

 先生が新たな燃料(テストで赤点を取ったら退学になる事実)を投下したことで、成績下位の生徒達が叫び出す。

 

「た、退学って……そんなのありですか!?」

 

「この学校のルールですので、仕方ありません。退学したくないのであれば、真面目に勉強すれば問題ないはずでしょう」

 

 赤点組の中で一番点数が高かった生徒の山脇君(……だったかな?)が声を荒げると、坂上先生はしっかり勉強していれば問題ないという風にさり気なく返答した。

 

「最後に一つ、お伝えしなければならないことがあります」

 

 そう一言告げると、坂上先生はここで初めて険しい顔付きになる。

 

「皆さんは、この学校が誇る進学率と就職率の高さを目的にこの学校に入学したことでしょう。……ですが、世の中そんな上手い話はありません。何事も情報が全て真実ということはないのです。この学校に将来の望みを叶えて貰いたいのならば、Aクラスに上がるしか方法はありません」

 

 絶句。今のCクラスの生徒の状況を単語一つで表すならば、これが一番しっくり来る。僕もその一人……かは微妙なところだ。まぁ、そうだよね、くらいにしか思っていない。入学するだけで将来が約束されるというのは怪しさ満点の話にしか聞こえないのだ。父さんが刑事の職に就いていた影響なのか、この手の話は鵜呑みにしないようにしていたこともあって、あまりショックには感じなかった。

 

「Aクラス以外の生徒には、この学校は何一つ将来を保証しないでしょう。入学して浮かれていたところに水を差すようで申し訳ないことですが、これが現実です」

 

 まだ理解が追い付けていないのか、生徒からの反応は全くない。

 

「まずは中間テストまでの残り3週間、しっかりと勉学に励んで下さい。全員が赤点を取らず、退学を回避してくれると私は信じています」

 

 最後に先生は「期待していますよ、Cクラスの生徒諸君」と言うと、授業5分前のチャイムが鳴るのと同時に教室から居なくなってしまった。現実を突き付けられたCクラスの生徒達には、鐘の音が聞こえていたのだろうか。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 結局、午前の授業はクラス全体がどんよりとした雰囲気に包まれたまま進んで行き、昼休みに入ると流石に皆はいくらか元気を取り戻していた。しかし、「ポイントが残っていただけマシ」とか「Dクラスはポイント0とか終わってるよなw」などという、半ば現実逃避のような会話が繰り広げられている。

 

 不安なのは、自分達よりも下(Dクラス)の生徒が居ることに優越感を見出して()()()()()()()生徒が少なくないことだ。この一ヶ月でCクラスの生徒の顔と名前は覚えられたので、該当者の目星は付いている。特に顕著なのが、山脇君達のグループと、真鍋さん達のグループだ。

 

 山脇君達のグループは授業中の居眠りや態度の悪さが目立っており、真鍋さん達のグループは授業中の携帯弄りや私語が多かった。今となっては改善されつつあるが、龍園君が居ない時に陰口を叩く姿も見られたことから、少なからず彼の支配に不満を抱いているのがわかる。

 

「不安だなぁ……」

 

 自然と溜息とともに本音が漏れる。表面上、Cクラスは統制が取れているが、実際には反乱分子が渦巻いているようなもので、いずれ崩壊することは目に見えている。その時、彼はどう対処していくのだろうか。

 

 そう思い、黙々と弁当を食べながら周囲の会話に耳を傾けていると、廊下の方から言い争う声が聞こえた。

 

「おい、テメェ今なんつった!?」

 

「ハッ、これだから理解の出来ねぇ猿は困るぜ」

 

 聞き慣れ過ぎている会話で、声だけで誰なのかわかってしまう。クラスの皆も「またかよ」みたいな呆れた顔で、すぐに気にせず元の会話に戻っている。このくだりはもう10回以上聞いているのだから、そろそろ終わりにして欲しいところだ。そして、とうとう僕の前の席の伊吹さんが痺れを切らしたのか、苛ついた様子で立ち上がる。そのまま教室を出て、声の主の方へズカズカと歩いていくと、食って掛かるように怒った。

 

「龍園、時任、あんたら二人、いつまでそんなことやってるわけ!? 凄く迷惑なんだけど! 静かにしてくんない?」

 

「あ? 伊吹か。俺様はこの学習しない猿を指導してやってるだけだぜ?」

 

「龍園……テメェ、マジでブッ飛ばす!」

 

 それに対し、煽る声と怒声が廊下からしてくる。このままだと暴力沙汰になりかねない。廊下には監視カメラがあるのに……。そうわかっていても他の生徒が止めに入らないのは、単に巻き込まれるのが嫌だからだろう。伊吹さんは例外だ。

 

「それをさっさとやめろって言ってるのがわかんないわけ? 私から見たらどっちも同じようなもんよ」

 

「俺が龍園と同じ雑魚だって言いてぇのか、伊吹!」

 

「ククク、それは聞き捨てならねぇな。おまえと同列に並べられるのは心外だぜ」

 

 ああ、ドンドン事態がカオスになっていく……。

 

 収拾がつかなくなりそうになってきたので、僕は弁当を片付けて事を止めに入ることに決めた。

 

「廊下で騒ぐのはやめて貰えるかな? 伊吹さんも気持ちはわかるけど、あんまり熱くなり過ぎないでね。これ以上騒ぎを大きくしたらクラスの評価に響くと思うから、それをわかってて二人がまだ続けるなら僕は止めないよ」

 

「おうおう、今度はテメェがしゃしゃり出て来んのか? その女みてぇな顔で言われてもカッコつかねぇな。それとも―――」

 

 騒ぐのをやめるよう促すと、時任君は言葉とともにこちらに握り拳を構えてくる。俺を止めたいならかかってこいよと言わんばかりの体勢だ。

 

「チッ……まったく、喧嘩っ早い猿だな」

 

 龍園君としても評価を下げられるのは得策でないと感じているようで、手を出す様子はない。面倒臭そうに頭に手を当てて時任君を睨んでいる。

 

「聞こえてんぞ龍園。生憎、俺はクラスのことなんざどうでもいい。Aクラスに上がるだとか、そんなものに興味はない。今はおまえをブチのめすことが最優先だからな」

 

「ほう? 前に散々ボコられた割には、まだやる気あんのか? とんでもねぇマゾヒストだな」

 

「あ゛ぁ゛ん?」

 

「ククク……」

 

 頼むからこれ以上煽らないで欲しい、龍園君。ここまで露骨に煽っている理由は大体わかったが、人の目に付く所でやらかすのはやめてくれ。Cクラスの印象が悪くなってしまう。

 

「氷知、あの馬鹿はなんであそこまで煽るわけ? 余計に時任を怒らせるだけなのに……」

 

 いくらか冷静になった伊吹さんが小声で聞いてきた。僕達の目の前では蛇と猿が睨み合っている状況だ。先に猿が噛みつきそうだが、蛇は舌を出しながら隙を伺っている。

 

「それが龍園君の狙いなんだよ、伊吹さん。……あれが見える?」

 

「……そういうこと? ……やっぱアイツのこと嫌い」

 

 小声で話しながら龍園君の後ろを指差すと、伊吹さんは龍園君の狙いがわかったようだ。毒を吐いていたが、そこは気にしないことにしよう。

 

 僕が指を向ける先には石崎君が携帯を持ってスタンバっている。ほぼ間違いなく、時任君を嵌めるためだ。何度も彼を煽って少しずつ怒りのボルテージを上げさせて、暴力行為に及んだ決定的瞬間を石崎君に撮影させる。その映像を脅しの材料として使い時任君を従わせるか、そのまま証拠として排除する算段なのだろう。しかも立ち位置的に、龍園君は監視カメラから背を向けるように立っている。

 

「どうした? さっきから威嚇してばかりで、他には何もしてこねぇのか? ……あぁそうか、突っかかったのは良いが、今になって俺様との差を思い知ったから怖くなったのか!」

 

「………………んな」

 

「あぁ? 良く聞こえねぇな。とうとうチビッちまったのか?」

 

「………ざ…けんな」

 

 チンピラのような物言いで捲し立てる龍園君。それを浴びせられた時任君の怒りはもう爆発寸前まできている。

 

「まともに喋れないくらいビビってんのか? それなら―――」

 

 龍園君は悪辣な笑みを浮かべながら、時任君の耳に顔を近づけて囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――今のおまえはタダのイキがってる『腑抜け』だ。笑えるな」

 

 

 

 その言葉は、彼の箍を外すには十分過ぎるものだった。

 

 

 

「―――ッ、ふざっけんなぁ、龍園!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドスッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オイオイ、邪魔してんじゃねぇよ、氷知……」

 

 見ていた誰もが龍園に届くと思っていた拳は、直前で氷知が受け止めていた。しかも同時に、周囲に気付かれないように時任の九尾に一撃叩き込み、気絶させて無力化している。その一瞬の流れを捉えていた者は、下手人である氷知の他に()()しか居なかった。他の生徒には、殴りかかろうとした時任が拳を受け止められたと思ったら、いつの間にか気絶していたようにしか見えていない。

 

「流石にこれはやり過ぎだよ、龍園君。君の思い通りに事が進んでいたら、最悪の場合、一人の人間の人生が終了したかもしれないんだよ?」

 

 冷ややかな目で龍園を見るが、当の本人は全く気にしている様子がない。

 

「ハッ、どうだかな。使えない駒は今消しておくに限る。これから逆らうかもしれない奴への見せしめにもなって、一石二鳥かと思ったんだがなぁ?」

 

「そんなのじゃ長くは続かないよ。暴力政治は終わるのが早いって歴史が証明してる。せめてもう少し穏便にやらないと」

 

「……フッ、一応は考えておいてやるよ」

 

 あまり期待出来そうにない返事を聞くと、氷知は白目を剥いている時任を見て龍園に聞く。

 

「それはそうと、アルベルト君借りるよ?」

 

「好きにしろ……」

 

 もはや呆れているのか、龍園からの返答は素っ気なかった。若干頬を引き攣らせているように見えるのは気の所為だ。

 

「Alberto,help me carry!」

 

 

「OK」

 

 騒ぎが大きくなる前に、氷知とアルベルトは気絶した時任を保健室へと早急に運んで行った。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 オレ――綾小路清隆は昼休みに購買でパンを買い、教室まで戻って来ると、廊下で他クラスの男子が言い争いをしている現場を目撃した。オレの他にもクラスメイトの何人かはそれを遠巻きに見ている。途中で青いボブカットの女子が注意をしていたが、片方の男子は一向に鎮まる気配はなく、何時殴り合いが起きてもおかしくないような鬼気迫る状況となっていた。

 

 別段、オレには関係ないことなので、無視を決め込んで教室に戻ろうかと考える。その時、もう一人の生徒が騒ぎを止めに入った。一瞬、顔からして女子生徒かと見間違えてしまったが、男子用の制服を着用しているのだからきっと男子だ。それに、目測だが背はオレより高そうだし、体格も制服越しからでもわかるほど細く引き締まっている。うん、顔だけ女子の男子だな、何だそれ。自分でも何を考えているのかわからなくなってしまったぞ。

 

 その(推定)男子生徒も止めようとはしている様子だが、逆に刺激してしまったのか、怒鳴っていた男子生徒が拳を構えて戦闘態勢に入る。だがその男子と言い争いをしていた長髪の男子が何かを言うと、そちらに向き直ってメンチを切っていた。なんというか、短絡的な男子だな。性格が須藤に似ているし、厳つい顔をしているから、これからは心の中で須藤(ヤクザ)と呼ばせてもらうことにしよう。

 

 長髪の男子に煽られたからなのかどうかはわからないが、須藤(ヤクザ)は今にもキレそうな様子だ。それを見た長髪の男子はというと、悪そうな顔で何かを言っている。須藤(ヤクザ)の耳元で何かを囁いたかと思えば、直後に須藤(ヤクザ)が「ふざっけんなぁ、龍園!」と叫んで殴りかかった。

 

 ドスッ!!と大きな鈍い音がすると、(推定)男子がその拳を受け止めており、須藤(ヤクザ)はガクッリと項垂れている。

 

(さっきの動き、異常なくらいに速かったぞ)

 

 その時、確かにオレは見た。

 

 拳を受け止めた男子生徒が、同時に須藤(ヤクザ)の九尾へ拳を叩き込んでいたのを。

 

 ほんの僅か一瞬の出来事で、思わず見逃すところだったが、ホワイトルームで鍛えられたオレの動体視力は確かに捉えた。

 

(あの身のこなしは、戦闘のプロでもなければ出来ない芸当だ。……まさか、ホワイトルームからの刺客か?)

 

 驚きが疑念へと変わっていく。だが、オレと同じ4期生の中にあんな印象的な顔立ちの男子は居なかった。では、高円寺のような天然の天才なのか?

 

 ホワイトルーム生であるかどうか疑いは晴れないが、もし違うのならば、オレを打ち負かしてくれるかもしれない存在を外の世界で見つけられたのかもしれない。

 

 オレが内心で歓喜している間に騒動は収まったようで、オレが気になっている男子と、サングラスを掛けた黒肌の巨漢の生徒が、気絶した須藤(ヤクザ)を二人がかりで運んで行った。

 

 その後、同じく騒動を目撃していた櫛田にその男子生徒の名前を聞いてみると、『氷知澄春』というCクラスの生徒らしい。話によると、イケメンランキングで6位、可愛い男子ランキングで2位、歌の上手い男子ランキングで1位の、現在学年問わず女子達の間で注目されている男子だそうだ。そんなランキングがあるとは知らなかったが、それによるとオレはイケメンランキング5位だったので嬉しかった。ただ、根暗そうランキング上位に入っていたのはショックだったが。

 

 氷知の性格は穏やかで、平田のような温厚な生徒らしい。この時点でホワイトルーム生である可能性は限りなく0に近づいたが、もしかしたらオレのように()()()()()だけの可能性も捨てきれない。拳を受け止めていた時に、一瞬だけ鋭い目付きになっていたのが印象に残っているからなのか? あの目は相当の場数を踏んできているとオレの第六感は言っている。

 

 とにかく、オレは氷知澄春という男に興味が湧いた。後ろめたいことがなければ、是非とも仲良くしたいものだ。他クラスとの交流は難しくなってしまったが、Dクラスにしか友達が数人しか居らず、隣人とすらまともに仲良く出来ていないオレは、友情に飢えているのかもしれないな。

 

「優しくしてくれる友達が欲しいな……」

 

 机に突っ伏し、ボソリと本音が漏れる。

 

「何か言ったかしら、綾小路くん?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 隣の席の堀北に睨まれた。彼女は性格さえ良ければ完璧だと思うんだが……性格がなぁ……。

 

「……何か良からぬこと考えていなかったかしら?」

 

「いや、ホント、そんなこと考えてないからな!?」

 

 結論。平田のように優しい友達が欲しいです。いや、ホント、切実に。

 

 そんなオレの虚しい願望は、暗く立ち込めた雲の向こうには届かなそうだ。

 

 更にこの後の放課後、職員室に呼び出しを受けることになるとは全く思っていなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 昼休みに起きた騒ぎを無理矢理収め、放課後。

 

 いつものように図書室へと足を運んだのだが、中に入ると視線が一斉に向けられた。恐らく昼休みの出来事が知れ渡ってしまったのだろう、早くも止めに入ったことを少し後悔しそうだ。好奇の視線から逃れるように館内の奥へと足を踏み入れると、既に彼女が所定の席で黙々と活字に目を走らせていた。

 

 昨日読んでいる途中だった本を本棚から引っ張り出して隣に座ると、ひよりちゃんが本を閉じてこちらを見てくる。少し困り気に眉が下がっているが、やはり心配させてしまったのだろう。

 

「昼休みは大丈夫でしたか?」

 

「心配されるようなことは何も起きてないよ。怪我もしてないし、この通り元気だよ」

 

「では、何故寂しそうな顔をしているんですか?」

 

「……え?」

 

 自分でもわかっていなかったこと。それは、表情の変化だった。眉間を揉むと、張り詰めた感覚が緩和されたような気がする。知らぬ間に憂いを抱いていたことに、自分もまだ感情の制御が出来ない子供なんだなと、何とも言えない気持ちになった。

 

「……少しこっちに寄って下さい」

 

「……うん」

 

 椅子を寄せると、少し香水特有のほんのりとした甘い香りが漂う。距離が近くなったことを意識して心拍音に意識が傾き、脈動がやけに大きく感じられた。

 

「ここに横になって下さい」

 

 ポンポンと彼女は自分のスカートを叩く。横になれということは、そこに頭を置けという解釈で合っているだろう。しかし、距離感がいつもより近いのがそれを躊躇わせる。異性として意識している人の膝に頭を乗せるというのは中々にハードなことで、僕のメンタルが持ちそうにない。

 

「……」

 

「……えいっ」

 

 なんて思っていると、急に抱き寄せられて半ば強制的に横にさせられた。

 

「……重くない?」

 

「大丈夫ですよ。しばらくそのままでいて下さい」

 

 そうは言われても、羞恥心が半端ない。彼女の太腿の柔らかい感触が布越しに僕の頬へと伝わってきて、熱を帯び始める。ソファに横たわっている時よりも心地が良くて、鼻孔をくすぐる香水の匂いが野原いっぱいの花畑を連想させた。この状態でいると、段々と思考が散漫になっていくような気が……あっ、これ……ヤバイ……。

 

 視界が少しずつ狭まっていく。半分以上が黒で塗り固められたように見えなくなった時、ひよりちゃんと目が合った。彼女は安堵した様子でこちらを見つめている。穏やかで温かな微笑を向けられ、思わず見惚れていた。いや、いつも笑顔に見惚れているのだから今更なことか。薄い桜色の唇が酷く艶かしく見えて、自然とそっちに視線が寄せられてしまう。少しずつ大きく見えてきているのは錯覚なのだろうか。甘い吐息も薄っすらと感じられるのだが。

 

 ぼんやりとして黒く染められていく視界の中、最後まで僕の瞳に映っていたのはその桜色だけで、意識は魅惑の桃源郷に委ねられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うぅん……」

 

 目が覚めると、知らない天井ではなく、滑らかなカーブの膨らみがまず最初に目に入った。

 

「膝枕の寝心地はどうでしたか?」

 

 馴染み深い声が耳元をくすぐる。それによって、僕が今まで何をまじまじと見ていたのか理解してしまった。顔が熱くなるのを感じ、思考が鈍る。

 

「さいこうでした」

 

 意識せずに返答が口から出た。それを聞いた彼女はニッコリと聖母のような笑顔で僕を抱き起こす。

 

「それなら良かったです。もうそろそろ閉館の時刻になるので帰りましょうか」

 

 背筋を伸ばして欠伸をした後に時計を見ると、長針と短針が互いに逆を向いて0と6の数字の上にそれぞれ重なっている。

 

「本はよく読めた?」

 

 言外に、僕が膝上に乗っていて邪魔にならなかったかを聞いた。

 

「とても捗りましたよ。いつもこうしていたい気分です」

 

「……それだと僕が本を読めないよ?」

 

「その時は澄春くんが膝枕して下さい♪」

 

 今度は僕がするの? 落とさないか心配で仕方がない。して良いのなら喜んでするけど、本はまともに読めなそうだ。主に精神面の問題で。

 

「ひよりちゃんが言うのなら、別に良いけど……」

 

「ふふっ、そうですか」

 

 言うのが少し憚られた。実際にやっているところを想像してしまい、少しだけ意識が飛び退きそうになったなんて言えない。

 

 胸中の思いを隠すように席から立ち上がると、近くから、ぐぅ〜〜とお腹の鳴る音が。前回のように僕ということはない。では、この音はどこから?

 

「わ、私です……」

 

 やっぱり、我慢してたのでは? いつもより(膝枕で)カロリー消費が激しかったから、鳴るのが早くなったんだろう。……これって僕の責任では?

 

「……今日の夕飯、僕が全部作るから」

 

 僕以外に聞こえた人が居ないとはいえ、人前で恥ずかしい思いをさせてしまったのだ、これくらいはしなければならないだろう。いや、させて下さい。僕の良心の問題だ。

 

「良いんですか……!?」

 

「もちろん! とびっきり美味しいの作るから、楽しみにしててよ」

 

 普段の夕飯は役割分担して作っているが、お腹を空かせている彼女にやってもらうのは申し訳ない。さっきの膝枕のお返しとして、僕の全力の手料理を振る舞おう。あわよくば、自分が作った料理の感想を教えて貰いたい。自分で作った料理を食べても普通の味にしか感じられず、他の人からの意見が欲しいというのもある。

 

 これからやることも決まったので、すぐに図書館から出て寮へと戻った。

 

 さて、何を作ろうかな?

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「お味はどうかな?」

 

「……凄く、美味しいです。程良い甘さがクセになりますね」

 

 今回はクリームシチューを作ってみたのだが、気に入ってもらえたようだ。

 

「これ、隠し味にハチミツを入れましたか?」

 

「良くわかったね。コクと甘みを引き立たせるために、チョビっとだけ加えてみたよ」

 

 隠し味に気付いてくれたのは嬉しいな。

 

「お母さんが作ってくれるクリームシチューも、ハチミツが入っていたので何となくわかりました。……もしかして」

 

「お察しの通り、彩理(あかり)さんから作り方を教えてもらったんだ。下手に自分の好きなように作るよりも、ベテランの人から伝授したレシピの方が良いと思ってね」

 

「……通りで、どこか懐かしい味がしたんですね」

 

 そう呟きながらも彼女はスプーンを口に運び続ける。彩理さんは、ひよりちゃんのお母さんの名前だ。ちなみに、お父さんの名前はかつみという。二人の顔が見れなくなって早くも1ヶ月が経過したが、恋しく感じているのだろう。

 

「僕の作ったやつはそれを少しアレンジしているけどね。輪切りにしたソーセージやコンソメも入れてるよ」

 

 材料の都合上、完全に同じ具材を揃えることは出来なかったので、自分なりに工夫をこらした。本来の味を失わせず、なおかつ美味しいと思えるように。

 

「お母さんのよりもサッパリとした味わいで、澄春くんらしさが出てます」

 

「……それは、悪い意味で言ってるわけじゃないよね?」

 

「私のために澄春くんがこんなにも美味しく作ってくれたんです。おかわりしたいくらい、この味が好きです」

 

 な、なんて嬉しいことを言ってくれるんだ……。『この味が好きです』って笑顔で言われたら、泣きそうになるじゃないかっ。

 

「そう言ってくれて、僕は今、とっても幸せだよ」

 

 これ以外の言葉が出なかった。『ありがとう』とか、他にも言える言葉は沢山あるのに、こんなキザなセリフが自然と口から出てしまう。

 

「澄春くんが笑ってくれて、私も幸せですよ」

 

「〜〜っ」

 

 ……シチューよりも、とろけてしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やけに甘く感じたクリームシチューを食べ終え、食器を片付けていると携帯から音が鳴った。

 

「龍園くんから、クラスグループのチャットにメッセージが来てますね」

 

 

【龍園 翔】:来週の月曜の放課後から勉強会を開くことにする。基本は全員参加だ。今回の小テストで70点以上だった奴が教える側に回れ。部活のある奴はそっちを優先しても構わんが、赤点を取っても俺は何もしてやらん。退学したくなければ、精々テスト勉強を頑張ることだな。Aクラスに上がりたいのなら、大人しく俺の指示に従えよ?

 

 

 龍園君は、命令口調ではあるが中間テストに向けての方針をしっかり説明している。最後の言葉を信じるならば、このCクラスをAクラスまで押し上げようとしてくれているのだ。本心がどうであろうと、彼はCクラスのリーダーとしての役目を果たそうと動き出した。

 

「私達は教える側のようですね」

「そうなるね。皆しっかり勉強してくれると良いんだけど……」

 

 正直なところ、我の強いクラスメイトが真面目に勉強に取り組んでくれるのかという不安がある。Cクラスの面々は個性的な性格の持ち主が多く、勉強しなければ退学になるかもしれないリスクを負っていても自分勝手な行動に走る可能性を捨て切れずにいた。

 

 中学時代までが決して楽しかったとは一概に言えない日々を過ごしてきた僕は、それが気掛かりで仕方がないのだ。一時期は人間不信になりかけていたせいで、余計なことだとわかっていても脳裏にあの光景が今も焼き付いて離れない。

 

「きっと大丈夫ですよ。あの頃のようなことは起きたりしないでしょうから」

 

 僕の気持ちを汲み取ったのか、頬にふんわりとした白い手が添えられる。伝わってくる温もりが、頭の中で渦巻いていた靄を消し飛ばしてくれた。そして彼女の瞳には絶対的な安心感があったからこそ、何も案ずることなく受け入れられる。

 

「今は私があなたの傍に居ますので、心配しないで下さい」

 

 少し強気な表情で、僕に向かってそう告げる。その後すぐに後ろを向いて「では、おやすみなさい」と言うと、彼女は何かを隠すように急ぎ足で部屋を後にした。

 部屋から出ていく時の彼女の耳元が赤くなっているのが、僕の目にはしっかりと映っていた。

 




 取り敢えず、参考までに現在のアンケート票数を載せておきます。

 (20) 綾小路清隆
 (19) 鬼龍院楓花
 (18) 坂柳有栖
 (12) 神室真澄
 (8) 佐倉愛里
 (4) 堀北学
 (4) 橘茜
 (3) 朝日奈なずな
 (2) 堀北鈴音
 (2) 南雲雅
 (1) その他

 鬼龍院先輩が人気過ぎる件。どうにか1章で登場させたい。坂柳さんと神室さんは確定です。綾小路君は言わずもがな(もう登場しちゃってるし)。

 第1章はあと4話くらいで終わらせて、番外編を1つ上げたいですね(序盤は曇らせ全開になりそうですが)。


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7.「アサガオの花言葉」

 前回の投稿からあっという間に2ヶ月が経ってしまいました。構想は練り上がっていたのですが、考査に追われて書く時間が全くなかったんです。
 2ヶ月の間、毎日空いた時間で少しずつ文字に起こしていきました。ノロマな作者をどうかお許し下さい。


 

 

 

 氷知澄春の独白

 

 

 

 氷知澄春と椎名ひよりは交際しているのか?

 

 そう聞かれた場合、僕も彼女もNOと答えるだろう。

 

 何故なら、()()()()()()()()()()()()()()からである。

 

 彼女の両親に反対されたわけではない。むしろ、喜ばれたくらいだ。

 

 ならば、どうしてそんなことになっているのかというと、『結婚を前提に考えているか?』という問題が発生したからである。

 

 相思相愛であることは問題ないのだが、一生を共に過ごせるパートナーとして互いにふさわしいのか?と問われたのだ。

 

 僕達は迷いなく肯定した。

 

 しかし、親は『ここで認めて良いのだろうか』と悩んだ。

 

 その結果、『二人で高度育成高等学校に合格し、3年間を共に過ごしても互いの気持ちが変わらないのであれば交際を正式に認める』と告げられたのだ。

 

 言い換えると、その試練さえ共に乗り越えられれば大丈夫、ということらしい。

 

 親はその高度育成高等学校の卒業生らしく、そこで知り合って恋仲に発展し今に至るという話も聞かされたのだが、曰く、『あの場所で3年間を無事に過ごすのは難しい』らしい。いくつもの試練が待ち構えており、それを共に乗り越えて行けるのならば、もう何も言うことはないそうだ。

 

 それを聞いた僕達は、親に交際を認めてもらえるよう、互いに助け合ってこの3年間を乗り越えようと入学式前夜に誓い合った。

 

 どんな困難が待ち構えていようとも、幸せな結末を迎えるために。

 

 

 

―――しかし、その時はまだ知らなかったのだ。これが波乱に満ちた濃密な3年間になるということを。

 

 

 


 

 

 

 放課後の教室で、僕達Cクラスは勉強会をしていた。

 

 今日が記念すべき勉強会初日なのだが、驚くべきことに全員が出席している。部活をしている生徒は、退学と部活を天秤にかけてこっちの方が重要だと判断したのだろう。いずれにせよ、幸先の良いスタートだ―――

 

「これ、どうやって解くんだ?」

 

「俺もそこ、わかんねぇや」

 

「Don't understand...」

 

 ……とは言い難いかもしれない。

 

「どこの部分がわからないんだい?」

 

「……ここの所なんだけどよ」

 

 そう言うと石崎君はわからないという問題を指でトントンと叩いた。

 

「連立方程式の所だね」

 

「これの解き方がイマイチわからねぇんだ」

 

 

 次の連立方程式を解け。

 

 5x-2y=56…①

 3x+6y=30 …②

 

 

「どの数字を当てはめても、もう片方の解が合ってねぇんだよ……」

 

 泣き縋るように石崎君は声を溢す。

 

 これの解は分数と2桁の整数なのだから、丁寧に数字を一つ一つ当てはめていっても正解には簡単に辿り着けない。しっかりと式を連立させなければ解けないようになっている。これを自力で解くことが出来れば、石崎君の計算力は向上するだろう。

 

 僕がしてあげられることは、答えまで導く手助け。あくまでも本人自身が解き方を理解して答えを導き出せるようにしなければ意味がない。

 

「じゃあ、まずはxを消してyの解を求めようか」

 

 そのためには、答えを教えるよりも解き方を覚えてもらう方が効率的だと僕は考える。

 

「そうは言ってもよ、引き算してもxの方も残っちまうぞ?」

 

「うん。だからまずはxを同じ係数に揃えるんだ」

 

「スマン……係数って、何だ?」

 

「……まずはそこからしっかりと覚えようか」

 

「はい……」

 

 これは、教えるのが結構大変になりそうだ。少し離れた席では龍園君が悪い顔をしながらこちらを見ている。こら、ちゃんと勉強に集中しなさい。主催者は君だろう。

 

 ちなみにだが、小テストで70点以上だったのは10人だ。よって、教える側と教えられる側が1:3の割合で、小グループが10個形成されている。

 

 僕が担当するのは石崎君、山脇君、アルベルト君の3名。中々に教え甲斐のある個性的な(?)メンバー達だ。山脇君はこれが初対面なのでよく知らないけど。彼らを担当しろと龍園君に言われ、なし崩し的に承諾しちゃったけど、マズったかなぁ……。これから先が厳しそうだ。

 

 とにかく、今は石崎君に数学の基礎を叩き込まなければ先に進むことすら出来ないので、係数について簡単に説明をした。

 

「なるほど……じゃあ、係数ってのは、xやyの前に付いてる数字のことなんだな!」

 

「よし、わかったならさっきの続きだよ」

 

「おう!」

 

 勉強に意欲はあるようなので、後はこの状態がどのくらい続いてくれるかだ。

 

「最初にxかyの係数を揃えよう」

 

「……こうか?」

 

 ①×3…15x-6y=168

 ②×5…15x+30y=150

 

「そう、それで合ってるよ。次は筆算で引き算をして」

 

「わかったぜ」

 

  15x- 6y=168

ー)15x+30y=150

  ―――――― 

    -36y=18

 

「そしたら、yの係数が1になるように両辺を割って……」

 

「今度は割り算かよ! ……よし、出来たぜ。y=-18/36だな」

 

「約分忘れてるよ?」

 

「あっ、そうだったぜ。……y=-1/2か」

 

「次からは約分を忘れないようにね。最後は求めたyの解をどちらかの式に代入してxの解を求めればおしまいだよ」

 

「もう終わりなのか? 意外と簡単に出来るもんだな」

 

 3x-3=30

   3x=33

   x=11

 

「後は練習あるのみだよ。慣れれば計算する時間も減ってきて、もっとスムーズに出来るようになるから」

 

「そうか……! 俺、龍園さんの役に立てるように勉強頑張るぜ」

 

「うん……(理由はともかく)その調子で頑張ってね」

 

 取り敢えず、石崎君の方は一段落だ。これから山脇君とアルベルト君の勉強も見なくちゃいけない。2時間耐えられるだろうか、僕の精神力は。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「あ〜やっと終わったぁ……」

 

 この2時間で少しゲッソリした気がする。

 

 時刻は夜の7時を回り、一日目の勉強会は誰一人途中で音を上げるなんてこともなく無事に終了した。金田君が担当していたグループが一番大変だったに違いない。何せ、犬猿の仲である龍園君と時任君が一緒だったのだ、いざこざが起きなかっただけでも奇跡だ。代わりに金田君ともう1人の男子生徒が終始ブルブル震えながら勉強する羽目になってしまったのだが。今日の被害者MVPはその二人だろう。

 

「お疲れさまです」

 

「そっちもね。伊吹さんたちはどうだった?」

 

 帰りの夜道をひよりちゃんと二人で歩きながら、彼女が担当していたグループはどんな調子だったかを聞いた。

 

「伊吹さんはこのままでも大丈夫そうでしたが、真鍋さんと西野さんはあまり学力が高くないようでした」

 

「それは……平均より下って意味で?」

 

「はい。正直に言ってしまうと、二人は小テストで赤点ギリギリの点数を取っていたようなので、もう少し頑張って欲しいところです」

 

「……大変だったんだね、そっちも」

 

「金田くんの担当していたグループほどではありませんが、伊吹さんと真鍋さんがギスギスしていたので、私も少し精神的に疲れました……」

 

 その時のことを思い出したのか、ひよりちゃんの目のハイライトが少し曇っている。僕は小さく「お疲れ様」と言って、彼女の頭をそっと撫でた。シルクのように柔らかくて滑らかな髪は、掌から逃げることなくされるがままに自然と揺れ動いている。

 

 それを続けていると、ひよりちゃんの足が止まった。下を向いており、どんな表情なのかはわからない。僕もその横で立ち止まり、撫でていた手を退けた。何となく、そうした方が良いような気がしたからだ。

 

 向かい合った状態で立ち止まること数秒。その数秒が、何分にも感じられるほど静かで、ひどく寂しかった。未だに顔を上げない彼女のことが心配で心配で仕方なく、心の中が言葉に表せないような不安一色に染まる。

 

「ねぇ、ひよりちゃん―――」

 

 この悲しげな静寂を打ち破ろうと話し掛けるが、反応はない。慣れない環境下での集団行動は、予想以上に彼女の精神を削っていたのかもしれない。

 

 以前の――小学生の頃の彼女は周りから見れば無愛想、無表情で、話し掛ける相手もほとんどおらず、クラスからは孤立している状態だった。出会ったばかりの時は僕に対しても同じような対応で、他人に無関心な子だったのだ。

 

 年月を重ねるにつれて、僕とひよりちゃんとの距離は物理的にも、精神的にも随分と縮まっていった。些細なことで喧嘩したり、すれ違ったりもしたが、それでも最後はなんだかんだで仲直りしていた。

 

 そんな日々を過ごした中で一番の変化は、彼女が徐々に感情を表に出せるようになっていったことだろう。笑う様子は天使のように綺麗で愛嬌があり、怒る時は冷ややかな目で静かに怒る。感極まれば涙を流し、楽しいことがあれば自然と表情に出る。それ自体はとても喜ばしいことだが、その反面でメンタルが昔よりも弱くなっていた。

 

 以前の状態のままの彼女ならば、悪感情に晒されている環境の中でも図太くやっていけただろうが、他人と接する協調性がないせいで相手との関係性は良くも悪くも進展しないだろう。しかし、今の彼女は他人の感情に揺さぶられることもあるが、真摯に向き合う姿勢を見せていることで周囲からは好印象に映っているはずだ。

 

 伊吹さんと真鍋さんの仲は良くない。二人が言い争うところを廊下なんかで見かけることもしばしばある。これまでの一ヶ月間を省みるに、Cクラスは全体の人間関係が複雑で、全員仲良し!なんて絶対に言えないクラスだ。極端な話、僕にとっては魔境のような場所だと感じている。それでも中学よりは全然マシなのに違いはないが。

 

 慣れない環境で他人と過ごすのは自然とストレスが溜まっていく。自覚していなくても、それは時間が経つにつれて蓄積され、膨れ上がる。彼女も決して例外ではない。例え自分に向けられていない悪感情でも、それを発している人の近くに居続けなければならないというのは、かなり精神に負担をかけてしまうことになる。

 

「一人で抱え込まないでね」

 

 今の彼女には、その疲弊した心を癒せる存在が必要なのだ。

 

「昨日の夜、ひよりちゃんが言ったように、僕の傍には君が居てくれている。その逆も同じなんだ」

 

 そう言うと、微動だにしていなかった彼女の肩が少しだけ揺れ動いた気がした。

 

「辛くなったら、幾らでも僕を頼ってよ。今まで僕は、ひよりちゃんに何度も助けられてきた。だから、今くらいは僕に甘えてくれ」

 

「……本当、ですか?」

 

「好きな子に嘘つけるほどクズみたいな脳はしてないよ。……あの時の僕みたいに、今のひよりちゃんは不安定なんだから、出来れば今日くらいは離れずに居たい」

 

 どうしようもなく、僕は彼女が愛おしいから、こんな気障な台詞が吐けるのだろう。それに何よりも、落ち込んでいる彼女を見るのはもう辛かった。

 

「―――今日は……」

 

 僕が見つめる少女の口が動く。

 

「今日は、ずっと一緒に居ても良いんですか?」

 

「うん」

 

 顔を上げた彼女の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

 

 それを見た瞬間、胸の辺りに衝撃が走った。心が痛いとか、そういう類のものではない。抱きつかれていた。僕の方からしたのではなく、ひよりちゃんの方からだ。

 

 僕の胸に顔を埋めている彼女からは、嗚咽の入り混じった啜り泣く声が聞こえてくる。

 

 しばらく抱擁を続けていると、泣き止んだひよりちゃんは胸に埋めていた顔を戻した。

 

「本当は、ずっとあの場所に居るのが心苦しくて、辛くて……早くあなたと二人きりになりたかったんです」

 

 抱擁を解いて目線を合わせると、彼女の目元は涙で赤く腫れていて、いつもとは違った気弱な顔になっている。普段のお淑やかで物怖じしない面影は鳴りを潜めており、今にも倒れてしまいそうなほどに弱々しくなっていた。

 

 僕は彼女の頬を伝って落ちていく涙を、右手に持ったハンカチでそっと拭き取って仕舞うと、左手を差し出す。

 

「―――帰ろう」

 

 ひよりちゃんは無言で噛み締めるように大きく、ゆっくりと頷くと、僕の左手を華奢な右手で握った。白い陶器のように綺麗な手から、確かな熱が伝わってくる。

 

 離さないようにしっかりと包み込み、再び歩き出した。先程とは打って変わって、僕も彼女も、足取りはとても軽かった。隣で上機嫌に手を繋ぎながら歩いている彼女の屈託のない笑顔を見て、僕の心は温かいもので満たされていった。

 

 

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 

 

『ねぇ、――はる』

 

 

 

 何だかとても懐かしい声だ。でも、何も思い出せない。

 

 

 

『私―――、ずっと―――ないで―――』

 

 

 

―――きみはだれ? 返事をしてよ―――

 

 

 

 

 

「――て――さい」

 

 

 

 

 

「――はるくん」

 

 

 

 

 

「起きてください、澄春くん」

 

 

 

 

 

「んぅ……?」

 

 目が覚めると、パチパチと瞼を開閉させて、まだぼんやりとしか見えない視界のまま、上半身を起き上がらせる。

 

 

 

―――さっきの夢は一体何だったのだろうか。

 

 

 

「やっと起きましたね。おはようございます」

 

 視界が回復すると、目と鼻のすぐ先にひよりちゃんの顔が見えた。そういえば一緒に寝てたんだっけ。それにしても、とても満足そうで笑顔がいつもよりも明るく見える。

 

 昨日は確か、泣き止んだ彼女と一緒に部屋に戻って、夕飯一緒に食べて、お風呂…………どうしたんだっけ。ヤバイ、そこからの記憶があやふやで思い出せないんだけど。一緒には入ってない……はず。

 

「おはよう……っていうか、何でひよりちゃんは僕の腰の上に跨がってるの? この状態はかなり誤解を招きそうな……」

 

 起こしてくれたのはありがたかった。けど、布団越しといえどもその位置はマズイよ! 特に寝起きは気付かれたら本当に恥ずかしい。

 

「っ!? ……この体勢が、一番起こしやすかったので」

 

 パジャマ姿の彼女は僕の言っている意味がわかったのか、顔を真っ赤に染めた。上気した頬は即座に両手で隠し、顔を見せないように横を向いている。初心なところは愛らしくて可愛いのだが、魅力的過ぎて早く降りてくれないと困ったことになりそうだ。下半身に意識が行かないようにするのもそろそろ限界なんだよ。

 

「とっ、とにかく、このままだと僕がベッドから降りれないから、先に降りてもらえるかな?」

 

「あっ、ご、ごめんなさい! すぐに降ります!」

 

 焦った口調で促すと、ひよりちゃんは急いでベッドから降りる。

 

 その後、気不味さと恥ずかしさで、僕達は学校に行くまでまともに顔を合わせられなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 放課後。今日の勉強会は休みで、羽目を外せる貴重な時間になっている。Cクラスの面々はショッピングモールやカラオケに我先にと繰り出していっていた。たまにはストレスを発散させてやらねぇとな、という龍園君の珍しく優しい発案だ。本音は「アメとムチを上手く使い分けねぇと、いざという時に使い物にならなくなるだろ?」ということらしいが。

 

 そういうわけで、ひよりちゃんとに前から行こうと誘われていた、ケヤキモールにあるカフェのパレットに共に赴いた。本当は伊吹さんも誘おうとしていたみたいだけれど、「ごめん、私やることあるから。また今度な」とやんわりと断られてしまったらしい。

 

 店内は女子だらけ、というか僕を除いて女子しか居ないような気がする。店員さんの中にすら男性は見当たらない。こんな時は女子っぽい見た目で良かったと都合の良いありがたみを感じてしまうあたり、僕の性格は悪いのだろう。

 

 注文した飲み物を受け取り、座れる席を探す。

 

「どこに座りましょうか」

 

 ほぼ満席の状況、席の確保は困難だ。不自然に思われないよう、ゆっくりと首を左右に振って空きを探すが、どこのテーブルも満席のようだ。

 

「そこの二人、ここの席が空いているぞ」

 

 さて、どうしたものかと悩んでいると、後ろから声が掛かった。振り向いた先には、長い銀色の髪をたなびかせた気の強そうな女性?ともう一人の女子生徒が座っている。

 

「他には空いてる席もなさそうなんだし、ほら、座って座って」

 

 もう一方の黒髪の女子生徒に促され、言われるがままに僕達は席に座った。

 

「いや〜さっきまで相席してた二人が帰っちゃってねぇ、すこーし寂しかったのよ。あ、そうだ、お二人さんのお名前聞かせてくれない?」

 

「僕は氷知澄春といいます」

 

「私は椎名ひよりと申します」

 

「ボクっ娘の氷知ちゃんとゆるふわ美少女の椎名ちゃんね、うんうん、お姉さんバッチリ覚えたよ! お返しに私達の自己紹介しちゃうね。私は葉月玲奈、こっちの銀髪ロング強気系唯我独尊麗人風美女は鬼龍院楓花ちゃん、どっちも2年Bクラスでーす」

 

 相方の紹介の仕方が独特過ぎる。黒髪の女子生徒――葉月先輩はニコニコとした笑みを浮かべながら言っているが、紹介された銀髪の麗人――鬼龍院先輩は眉をしかめ、納得の行かなそうな表情で彼女を見ている。

 

「おい玲奈、私をそんな風に紹介するのはやめろと言っただろう」

 

「え〜、だって楓花ちゃん、自分から自己紹介する時はいつも『鬼龍院楓花だ(キリッ)』って感じで素っ気ないじゃん! 折角楓花ちゃんの魅力を一言で表現したのにぃ」

 

「……それでは私が変な奴に思われるだろうが」

 

「ダイジョブダイジョブ! そんな楓花ちゃんでも好きになってくれる人は絶対居るから! 世の中広いんだから性癖ドストレートの人も居るって」

 

「それが私とつり合う男とは限らないだろう」

 

「もぉ〜いつもそれじゃん。高望みのし過ぎは良くないよ?」

 

 目の前で突如始まった温度差の大きいコント。以前に相席していた二人が帰ってしまったのも納得出来そうだ。それよりも、物申したいことがあるのだが―――

 

「葉月先輩、澄春くんは男の子ですよ」

 

―――ひよりちゃんに先に言われてしまった。

 

「……え?」

 

「当たり前だろう、玲奈。制服にリボンではなくネクタイがついているのに女子のはずがないだろう」

 

 ポカンと口を開けたまま固まる葉月先輩に呆れている様子の鬼龍院先輩。この二人は性格も雰囲気も正反対のようだ。

 

「あ、そ、そうなんだ〜。ごめんね、勘違いしちゃって」

 

「悪い奴ではないのだが、玲奈はせっかちなところがあるんだ。まぁ、こんな奴でも仲良くしてやってくれ」

 

「「あ、はい」」

 

 買ったアイスコーヒーを飲み、一息ついた。冷たい感触が乾いた喉を潤して充足感をもたらしてくれる。

 

「今月末は中間テストだね〜。二人はちゃんとテスト勉強してる?」

 

「放課後に教室で勉強会をしています。小テストで成績が良かった人が教える役に回る感じですね。今日はお休みですけど」

 

「それで折角のお休みだからここに来たってわけね」

 

「はい。でも、こういう場所に来るのは慣れてないです」

 

「男子禁制って感じするもんね。実際に男子が来ることはあんまりないよ。一部の生徒を除けば、だけどね」

 

「一部の生徒、ですか?」

 

「一番有名なのが、南雲雅っていう2年Aクラスの男子。金髪で見た目はチャラいけど、この学校の生徒会副会長をやってるよ。……黒い噂が絶えないけどね」

 

 黒い噂と聞いて、少し悪寒が走った。南雲先輩はヤバイ人物かもしれない。

 

「聞きたい?」

 

 聞いたら後には戻れないような気がする。……しかし好奇心の方が勝ってしまった。

 

「……聞きます」

 

「度胸あるねぇ。あ、椎名ちゃんは耳塞いでおいた方が良いかもよ? 女の子にとってはショッキングな内容だと思うから」

 

「ご心配どうもありがとうございます。……ですが、私もその話を聞いておこうかと思います」

 

「今年の1年生は肝が座ってるねぇ。じゃあ、忠告はしたし、話すよ」

 

 ゴクリ。その固唾を呑む音は僕と彼女、どちらから聞こえたのだろうか。葉月先輩は真剣な表情で喋り始めた。

 

「その黒い噂っていうのは、南雲君は自分の部屋に複数の女子を連れ込んでるらしいんだよね」

 

 何か拍子抜けした気分だ。先輩は真剣な表情で下世話な内容を淡々と話し続ける。

 

「要はプレイボーイなんじゃないかっていう噂なの。あっ、プレイボーイの意味わかる? 意味は沢山の女性を次々に誘惑してもてあそ「もうその話はなしでお願いします。不愉快な内容でしたので」……そっか」

 

『誘惑』という言葉辺りでひよりちゃんの怒気を感じたので話はやめにしてもらった。かくいう僕も、『プレイボーイ』を体現している奴が中学の時にも居たことを思い出して殺気が滲み出てしまった。奴は何股もしているばかりか、ひよりちゃんにまで手を出そうとしてきたから鉄拳制裁を加えたんだったか。マジであの時は殺意が湧いたよ。

 

「自分から話すように先輩にお願いしておいて、失礼なことまで言ってすみません」

 

「いいよいいよ、気にしないで。逆に最後まで聞かせてこれ以上気分を悪くさせちゃったら申し訳ないから。……そうだ、連絡先を交換しておかない? 何か困った時はおねーさんが力になってあげられるかもしれないし」

 

 なんとありがたい話だろうか。こちらとしては願ったり叶ったりなことだ。上級生とのパイプがあれば何かと有用な情報が得られるかもしれないし、クラスにとってもメリットの大きい内容だ。

 

 ひよりちゃんと顔を見合わせ、『良いかな?』という意味合いを込めた視線を送ると、彼女はニコリと微笑みながら「良いんじゃないですか」と小声で答えてくれた。

 

「是非ともお願いします」

 

「オッケー♪ じゃあ、二人共おねーさんに携帯を預けてくれる? すぐに終わるから」

 

 携帯のロックを解除して葉月先輩に渡すと、手慣れた手付きで画面を操作し始める。指の動きに無駄がなく、とても素早い。数十秒すると作業が終わったようで携帯を返された。画面を見れば、新しい連絡先が2()()追加されている。

 

「……鬼龍院先輩の連絡先も登録されていますが、大丈夫なのでしょうか?」

 

 不思議そうに画面をまじまじと見つめながらひよりちゃんが尋ねると、鬼龍院先輩はフッと小さく笑い、こちらを見て言う。

 

「構わんよ。君達二人には個人的に興味が湧いた。何かあったら連絡するといいさ」

 

「ありがとうございます」

 

 ということで、僕達は上級生二人の連絡先を手に入れたのだった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「それでは、僕達はそろそろ帰ります。親切にしていただいて、どうもありがとうございました」

 

「こちらこそ、また今度暇があったらお茶しようね〜」

 

 氷知と椎名の二人が席を立ち、パレットから去っていく。

 

 葉月と鬼龍院は、二人が見えなくなるまで何も喋らず静かにそれを見ていた。

 

「あの二人、とてもお似合いだね。付き合ってるのかな?」

 

「傍から見ればそう映るんじゃないか? 私は彼らが()()交際していないと見ているが」

 

「その心は?」

 

「距離感が近いように見えるが、どこかしら線引きしている節がある。まるでそれを踏み越えるのを互いが酷く恐れているように、だ。実際、退席する時も寄り添い過ぎず、離れ過ぎず、絶妙な距離感を保っていただろう?」

 

「……興味を持った相手のことは本当によく見てるねぇ。私以外が聞いたらドン引きしちゃうくらい」

 

「私がストーカーとでも言いたいのか?」

 

「う〜ん、そのレベルまではギリギリ行ってないかな」

 

 ミルクティーを口に含むと、「なら、別に問題はないだろう」と鬼龍院は言う。それを見て、「他には二人のどんな所が気になったの?」と葉月は来週のアニメの続きが早く観たい純粋な子供のような表情で訊いた。

 

「君が南雲の噂について話した時、二人からは負の感情が出ていた。椎名からは怒り、氷知からは殺気が滲み出ていたことから、以前に()()()()()からの被害に遭っていたと推測出来る」

 

「その、私が言ったプレイボーイっていうタイプの?」

 

「そうだ。……恐らくだが、椎名が被害に遭いそうになったのを氷知が食い止めた、という筋書きだろうな」

 

「へぇ、もしそれが本当なら、椎名ちゃんにとって氷知ちゃん――じゃなかった、氷知君はお姫様を守ってくれる騎士様(ナイト)ってわけだね」

 

「そう簡単に言い表せる関係であれば、私は彼らに興味を持っていないぞ」

 

「お? 違うの?」

 

 さも知りたげに顔をニヤけさせる葉月につられてか、鬼龍院の強気な赤い眼がギラリと輝いている。まるで面白いものを見つけたと言わんばかりに。

 

「共依存、という言葉があるだろう? 互いを求め過ぎるがあまりに、その人なしでは居られなくなり、いずれは―――」

 

「―――自分自身を見失うってこと?」

 

「その通りだ。相手との関係性にしか自分の価値を見出すことが出来なくなり、最終的にはどちらにとっても良い終わり方をするとは限らない。悪化すればすぐに身を滅ぼすかもしれんな。そうなれば、今までの関係を維持するのはほぼ不可能になる。椎名と氷知はそれを本能的に理解しているのさ」

 

「二人が付き合ってないって言える根拠はそこにあるんだね。今の関係が最良であり、それがもう一歩踏み込んだ関係へ行くのを躊躇わせてるわけか」

 

「交際とはあくまでも好意の形を具現化したものに過ぎない。愛のカタチは人それぞれなのだから、比翼連理ならば問題ないだろう。わざわざ交際という形で縛るのも良くない」

 

「愛するが故に、ってやつかぁ。ロマンチックじゃないの」

 

 葉月はレモンティーを啜ると、「良いなぁ、青春してるね」と呟いた。

 

「相思相愛は互いを想い、愛し合っていることを指す。一般的に、学生時代は熱い愛情を互いに向け合っていても、夫婦になってそれが続く家庭は多いとは言えない。何故だと思う?」

 

「理想とは違った現実や、ストレスによるすれ違いかな?」

 

「大体は合っている。だが、最大の理由は『相手が自分のことを全て理解してくれている』と誤認しているからだと思うのだ」

 

「……今更だけどこれ、高校生がする内容の会話じゃなくない?」

 

「私にとってはとても重要な話だぞ?」

 

 今更何を言っている、と鬼龍院は少し呆れた様子だ。

 

「……愛って、難しいね」

 

「だから、こうして将来について私なりに一生懸命考えているのさ」

 

「楓花ちゃんに見合う人がそういう人かはわかんないけどね」

 

「余計なお世話だ」

 

 周りから見れば完全に婚活に必死な大人の会話のようになっていることに二人は気付かない。

 

「……さて、話の内容が逸れてしまったな」

 

「そういえば、椎名ちゃんと氷知君の関係性について聞いてたはずなのに、いつの間にか夫婦の話になってる」

 

「共依存の話から踏み込み過ぎてしまったが、肝心なのは、今の彼らは交際に踏み切るまでの過程にいるということだ」

 

「親友以上、恋人未満の関係?」

 

「表現するならそれが一番正しいだろう。私は家族のような関係ではないかと考えているがな」

 

「不気味なくらい、歩調ピッタリだったもんね。ありゃ相当長い時間を一緒に過ごしてないと到底無理な芸当だよ」

 

「……君もよく観察しているじゃないか」

 

 鬼龍院は小さく笑った。君も私と同じではないか、と。

 

「……で、それだけじゃないよね? あの二人に興味が湧いた理由は」

 

「ああ。……その前に玲奈、君にはあの二人がどう見えた?」

 

「そうだねぇ……椎名ちゃんは天然っぽいけどその実観察眼に優れてそうで、氷知君は―――」

 

 葉月は愉快そうに口を歪ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――深い闇を抱えた悲劇の主人公、かな♪」

 

 それを聞いた鬼龍院は少しばかり眉を動かし、嗤った。対する葉月の瞳には仄かに闇が垣間見えている。

 

「やはり君は面白い奴だ。普通は見た目などを気にするだろうに、君は常に相手の本質を見ている」

 

「あれだけ濃密な殺気が出てたら、普通なら相当凄惨な過去を送ってきたってわかると思うんだけどなぁ」

 

「確かにそうかもしれないな。幾度の修羅場を潜り抜けているのも、身体の動きを見ればわかることだ」

 

「重心がブレてない人なんて、今まで堀北生徒会長くらいしか見たことないけどね」

 

 先程までとは違うどこか異質さを感じさせる口調に変化しているが、鬼龍院が意に介した様子はない。

 

「彼の肉体には、まるで女性の身体を極限まで鍛え上げたような歪さがあっただろう? 細い腕なのにもかかわらず、かなり引き締まっている。あれは並の鍛錬では身に付かない体格だ」

 

「どんな生活送ってきたんだか気になるなぁ。結構エグそうだけど」

 

 その後も彼女達の話題は尽きなかった。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

 鬼龍院先輩達と別れた後、本屋までやって来ていた。今日が彼女のお目当ての本の入荷日らしく、僕も興味の惹かれる本がないかと、この機会に久しぶりに探求することにしたのだ。そもそも「一緒に行きましょうか」と彼女から言われていたので確定事項だったのだが。

 

 時間は有限だ。彼女と二人で居られる時間が唯一の癒やしの時間だから、この貴重な時間を大切にしたいものだ。

 

「この沢山の本に囲まれている感覚……心地良くて落ち着きますね」

 

「もはや実家のような安心感だよ」

 

 本屋特有の空気感とでも言えようか。ふと、中学の頃に書斎で伝記を読み漁っていた時のことを思い出した。

 

 過去の出来事を回想していたら、あの頃持っていた未知への好奇心が蘇ってきた気がして、自然と気分が更に軽くなった気がしてくる。

 

「今日は一応、デートのつもりだったのですが、楽しいですか?」

 

 店内をゆっくりとした足取りで回っていると、ひよりちゃんが訊いてきた。

 

「こうしてひよりちゃんと二人で一緒に過ごせてるだけでも楽しいし、十分に幸せだよ」

 

 

 

―――僕が望んでいる平穏な過ごし方を今、身をもって体感しているのだから。

 

 

 

 自然と口から紡ぎ出された言葉に、ひよりちゃんは目を見開く。それからすぐにいつもの表情に戻ったかと思いきや、口元は緩んでおり、こちらを見る瞳からは温かい眼差しが送られてきた。

 

「出来れば、ずっとこうしてあなたと二人で静かな時を過ごしていたいです」

 

 

 

―――それは、ずるいよ。

 

 

 

 不意に返された言葉に、今度は僕の口元が緩む番だった。自然と目の辺りに熱が集中しているのがわかる。今にも溢れそうな涙をなんとか堪えなくてはと表情筋を動かすが、緩んでしまった頬の筋肉がそれを許さなかった。

 

 鼻と口を隠すように手を添え、目元から垂れた熱い雫を何でもないように指先で取り除く。

 

 その様子を懐かしむようにしながら、彼女は優しく微笑んでいた。

 

 向けられた笑顔は咲いたばかりのアサガオのように綺麗で、僕の心に一つの想いを強く意識させる。

 

「そんな顔されたら、ますます好きになっちゃうじゃないか」

 

 もう、言わずにはいられなかった。ほとんど告白のような言葉を聞いた彼女は、刹那のような速さでぐいっと距離を近付けてくる。そして、僕の肩に捕まって背伸びをしたひよりちゃんは、僕の耳元で小さく囁いた。

 

「私も負けないくらい、あなたのことが好きですよ?」

 

 それは本当に魅惑的で、すぐにでも抱きしめたくなる衝動に駆られるほど愛らしい天使を錯覚させた。頬の辺りがとても熱くなり、心臓の鼓動が早まった。

 

「ふふっ、この前のお返しです♪」

 

 僕の心を散々に掻き乱してくれた彼女は満足したのか、いたずらっぽく笑うと軽快なステップで僕の耳元から離れ、元の位置へと戻っていた。

 

「さぁ、デートを続けましょうか♪」

 

 彼女の今日一番の笑顔を間近で見ていられる僕は、とても幸せ者だ。

 

 

 

   ◇◆◇

 

 

 

「過去問、ですか?」

 

『坂上の奴は、俺達全員が赤点を回避出来ると確信めいたことを言っていた。そこで俺が思い至ったのが過去問の存在だ』

 

 龍園は中間試験においての攻略法を見つけ出していた。それを入手するために、彼は忠臣の一人となった金田に命令を下す。

 

『上級生に接触して持っている奴から手に入れろ。かかった費用の方は俺が出してやる。それでもなるべく安値で手に入れられるよう交渉しろ。上手くいけば報酬もくれてやる』

 

 必要経費を自分が負担すると言っているあたり、龍園の性格が伺える。しかも成功すれば報酬付きだ。彼から信頼を得たかった金田にとって、これは絶好の機会だった。

 

「……了解しました、龍園氏。必ずや遂行してみせます」

 

 言い切ってみせると、金田は畏敬の念を抱いている王との通話を恐る恐る切った。

 

「さて、どのようにして手に入れましょうか……」

 

 そして、遂行するための算段を必死に模索するのだった。

 

 

 




 夏休みに突入しましたが、私は受験勉強で手一杯のため、次回の更新が更に遅れるものかと思われます。
 どうか気長にお待ち頂けると幸いです。

 評価、感想お待ちしております。


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