呪霊は養分 (スマホ割れ太郎)
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1.始まり

1.

 

 俺こと神凪真(かんなぎまこと)は、人に見えないものが見える。

 

 それが人にとって良くないものだというのは見えるものになら誰にでもわかると思う。日の当たらない裏路地、人の立ち入らない廃墟、荒れた共同墓地など、なんとなくいそうな場所には大体いる。つまりは悪霊だ。

 霊といっても人型をしたものは殆どおらず、虫や動物を象ったものやそれ以前の不定形の名状しがたい姿の奴らが多い。つまりは知性を全く感じさせず人語も解さないが、人を害そうとする意思だけは感じさせる。

 

 普通の奴らには見えもせず対処もできないという、たちの悪い害悪であることには間違いないが、直接的に人を害するまで力を持った存在は稀だ。大抵は肩が重くなったり、寒気を与えたりなどしょーもない悪影響しか与えられないものがほとんど。

 昔の俺は人並みにはお人好しであり、クラスの友達や家族の知人の悪霊が関係している問題を解決していった結果、近所の霊感少年としてかなり有名になってしまっていた。

 

「なぁー、前から頼んでるけど、肝試し、神凪もついてきてくれよぉ」

「嫌だよ面倒くさい」

 

 霊感があるというのは間違いではないし日常的に駆除活動はしているが、今では公言していないにも関わらず俺には霊感少年のイメージが定着してしまっており、今のような頼み事をされることも珍しくなかった。ちゃんと断っておかないとキリが無くなる。

 

「大体俺がいかなくても問題ねーだろ。なんもでねーってば。どうせ女子にいいカッコしたいだけだろーし寧ろ邪魔じゃね?」

「いやぁ、牧野が前にガチの心霊現象に出くわしたって、神凪が頼りになるって聞いてさ。念のため保険が欲しいじゃん?神凪は彼女いるし興味ねーだろーけど、お礼もするからさぁ」

「いや俺彼女いねーから。好きな人はいるけど。つーかそんなに心配なら別の遊びにしろよな。あいつからやめとけって言われなかった?」

「まー言われたけどさぁ、ぶっちゃけ俺も心霊スポットなんて苦手だけど、白木さんこういうの好きっていうしなぁ」

 

知らんがな。いやまぁ保険として俺に頼むのは間違ってない。大抵の悪霊はぶっ殺せる自信はあるし。世に心霊スポットと認識されているところには出やすいというのはある。俺が見ていた中でも襲われかけた人間がいないわけじゃない。一応こういうときは毎回行かないように説得しているのだが、功を奏することは少なく大抵ついていっている気もする。

 

「うーん、そうだなぁ、1週間昼の購買奢ってくれたらいいよ」

「うー、ちょっとキツイけど、そのくらいならOK!日程は来週の土曜の夜だから空けといて!また連絡するわ」

「りょーかい」

 

 結局了承してしまった。面倒ではあるが仕方ない。

今の田島ってやつとは顔を合わせたら少し話す程度の仲でしかないけど、なんかあって寝覚めが悪くなるのも嫌だし、と考えるあたり今でもまだお人好しなきらいがあるな。どいつもこいつも頼ってくるわけだ。

 

 

 

 夜。悪霊と、俺の時間だ。

 昼間、肝試しに同行するのが面倒だといったが、他人を気遣うのが面倒だというだけで、悪霊を祓うのは別に苦じゃない。寧ろ俺は毎日のように奴らを狩って回っている。

 理由は俺にある能力のため。

 

 俺の体は悪霊を狩れば狩るほど少しずつ強くなる。

このことに気づいたのは数年前、まだ小学生のころだったか。今ほど積極的に悪霊狩りをしていなかったころ。普段見かける吹けば飛ぶような霊と違う、強めの霊を祓ったあと、身体に力がみなぎるような感覚があった。単純な筋力、頑丈さや視力、聴力などの五感の強化。それと俺には普通の人間が知覚していない霊力のようなものが見えており、体を巡るその力も増えるということに気づいた。

 

 それ以来暇さえあればこうして霊狩りの夜に出かけている。

雑魚でも数をこなせばそこそこ経験値は溜まるようで、身体能力だけでもゴリラをボコボコにできると思うくらいの力は付いていると思う。そこに霊力を乗せて殴れば威力は倍以上。

 まあ使い道はこうして霊を狩る以外ないんだが。こんな特殊能力をもっててスポーツで無双しても虚しいだけだし、部活はとある文化部にしか入っていない。単純な力で解決できることなんて今の世の中そんなに多くないんだよな。水の上走れる?ふーんだからなにって感じ。

 まあ害虫駆除しながら体も鍛えられて一石二鳥って感覚だ。

 

 

 市街地外れの県道沿いの崖。俺がよく愛用している狩りスポットだ。

 昔はよく飛び降り自殺が横行していたらしい。その影響もあって周辺には厳重な柵や自殺を思いとどまらせるポスターや標語などが貼ってある。警察も定期的に巡回しており、その甲斐もあって自殺者は激減しているらしい。

 だが今は減っているとはいえ、人生に絶望した人間たちの終着点。相当負の念が溜まりやすいらしく、定期的に悪霊がスポーンするため獲物に事欠かない。俺の用事があるのはこの崖下。

 

 柵をジャンプで飛び越えて一息で下まで降りる。大体20m以上、ビル6~7階くらいの高さだろうか。普通は飛び降りたら足ぐちゃぐちゃはもちろん全身を強く打った(隠語)、即死の状態になる。

 昔は不可能な芸当だったが今の俺の能力では難なく可能。

 全身を霊力で強化して着地の衝撃を全身で殺す。

 衝撃。足の先から頭のてっぺんまで吹き抜ける力があるが、強化された肉体を崩すことはない。

 

 「でもやっぱまだ結構来るな。下手な体勢とったら比喩じゃなく骨が折れるぞ」

 

 で俺の目的は、いたな。

 いつもの如く、その辺の木っ端よりは存在感のあるブヨブヨしたそいつ。人面が体のいたるところについているのは自殺者の面を表しているのだろうか?人面のついたぶよぶよイモムシが木の根っこのように枝分かれしており手足も根毛のように無数に生えている。

 全長5mくらいはあるだろうか、普通にデカくてキモい。コレ野放しにしてたらどうなるんだろうな。確かめるすべはないが、自殺者の半分くらいコイツの同類に殺られたやつじゃないだろうか。

 感じる存在感からして、俺の敵じゃないけど。

 

 普段どおり殴って終わらせてもいいが、最近編み出した技を使おうか。

 大量の霊力を右手に圧縮、刃状にして薄く研ぎ上げる。この霊力というやつが曲者で、使用者の思念に反応するらしく結構集中力を要する。身体強化もできるんだから、大量に量を押し込んでやればこんなふうに物理的な武器として使えるだろうと思って練習していたが、結構斬れそうだ。

 

 こちらに脅威を感じ取ったらしい悪霊が、分岐した部分を触手のように飛ばしてくるが、鈍い。

 紙一重で躱して、交差する間に右手の剣撃を叩き込む。

 

 「うん、よく斬れるな」

 

 かまぼこ切ってるような感覚で斬れる。触手を存分に切り刻みつつ、一息に接敵して全身膾切りにしてやる。

 結局抵抗する間もなく消滅させてしまった。練習にすらならなかったな。

 経験値としてもそこまで美味しくはない。前来たときよりも明らかに弱くなってるし、そろそろここに溜まる負の念も枯渇してきたか。

 

 「もっと手応えのある奴相手じゃないと燃費の確認ができん」

 

 これならそこらのコンクリートの方が硬かった。

 といっても守備範囲の悪霊は狩り尽くしてきた感があるし、そろそろ部活に戻ろうか。

 

 

 

 

 翌日。

 俺は手芸部という部活に所属している。まあ早い話小物作りだ。

 だが俺みたいな人間が出入りしている部活だし、普通の部活じゃないし普通のものづくりじゃない。

 それは正真正銘呪いの籠もった呪具だ。

 

 「うーっす。久しぶりです」

 「真!あんた部活どんだけサボったと思ってんの?」

 「たった2週間ですよね?それに前もって言ってましたよね」

 「知らん!埋め合わせとしてノルマ100枚」

 

 この手芸部は通称呪術部ともいう。霊験あらたかな御札や置物、お守りなんかに学びながらを歴史を学びながら小物を制作する、という体のマジモンの呪具製作所だ。ちなみに呪具を作るだけじゃなくて霊関係のお悩み相談もやっている。許可をとって校舎の一室を借りているがほぼ私物化されている。色々ゆるゆるの田舎の学校だからできることだな。

 

 この人、雨池空(あまいけそら)さんは俺の一つ上の先輩で、家が神社。そして俺の同類の『見える人』だ。

俺は小学生のときから近所の霊感少年として有名だったためか、向こうは入学前から俺のことを認知していたらしく、中学入学早々にこの部活に引っ張り込まれた。

 世の中悪霊がうじゃうじゃいるわけで、彼女の家はそういう霊に対して効果のある心霊グッズ、いわゆる呪具というものを自前で制作して売っている。つまり俺はここで彼女の稼業の手伝いをしているというわけだ。

 

 この部活に入ってから、先輩には色々なことを教わっている。基本的な知識や技術について。

まず俺たちのような『見える』人間のことを呪術師というらしい。俺の両親は見えない人たちだから、先祖代々呪術師の先輩のような家が知っている常識を知らない。まあ別に本格的に業界に関わりたいわけじゃないし知らなくても不都合しないんだけど。

 

 呪術師だけが扱える霊力のようなものを呪力、呪力で構成された人に害を為す悪霊を呪霊と呼ぶ。術師の中には固有能力を持って生まれる者がいて、生得術式と呼ぶ。俺のは祓った呪霊の力を取り込んで自分自身を強化する術式、基本パッシブ発動な能力なので特に名前はつけてない。自分で使ってる感じがわからないからいまいちどういう術式なのかもわかってないのが正直なところだ。

 先輩も術式を持っていて、家系に伝わっている降霊術式というものらしいけれど、それについては追々語ろう。

 

 先輩の家は呪力を使った呪具の制作や結界、式神などの扱いに秀でた家らしく、俺も呪術に関して基礎的なことは大体この人の家で教わった。式神を使うのは未だ慣れないけど結界術はそこそこ自信がある。

 呪術界には色々普通の世界とは異なる常識や決まりがあって、先輩にはそういった事情についてもよく教えてもらった。技術的にも価値観的にも俺の先輩であり、師匠といった人だ。

 

 「いつも思うんですけど、こういうのって誰が買ってるんですか?あんな寂れた神社に何もないときにわざわざ観光に行く人いないと思うんすけど」

 

 呪力を込めて呪霊除けの御札を書きながら呟く。

 

 先輩の実家は神社。町外れの山を少し入ったところにある。学校からはかなり離れておりバス通学だ。相当年季が入っていて御神木があったりとなんだかんだ雰囲気はあるのだが、ボロいという印象が先にくる。本業が呪術関係だというのはわかるが改築くらいすればいいのにと思う。

 

 「誰んちが寂れてるって?その自慢の体力をうちの掃除に使わせてやろーか?時給300円で」

 「いやぁ雰囲気出てて風流なお家だと常々思っていたんですよね」

 「物は言いようね。まあ寂れてるのはその通りなんだけど…。この呪符に関してはその道のプロになんだかんだ需要があるのよ」

 「呪術高専とかは少なくとも欲しがらないだろうし、非術師で呪術師の真似事をしてる人らとかですかね」

 

 呪術高専は国内の呪術師の養成学校であり、術師の派遣なども担っている。危険な呪霊を相手にすることも多く学費免除はおろか高給も出るらしい。

 ちなみに俺が今作ってる呪符は4級未満の雑魚呪霊を除けられるかどうかっていう微妙な代物で、まともな呪術師が欲しがるものとは思えない。ほとんど非術師向けの魔除け商品だが需要自体はあるらしい。

 

 こんな感じで、呪具づくり作業しながらたまに世間話するのがここでの日常。部員は俺と先輩のみ。呪術師自体が希少な存在だからということもある。それ以前に入部希望者自体いないけど。

 黙々と作業する先輩の顔をこっそり眺めるのが俺の趣味だ。

 

 「この半月なにしてたの?」

 「例のごとく経験値稼ぎ」

 「やっぱり。呪術師なら強くなって損はないけど、一体どこを目指してるんだか」

 「もはや半ば趣味化してるんで」

 

 コレは半分マジな話。修行で培った技術を実戦で試すのは実際楽しい。スポーツみたいなもんだな。

 最近は歯ごたえがなくなってきたから微妙だけど。

 

「呪霊狩りが趣味とか私でもドン引きなんだけど…。やっぱあんたの術式ってだいぶおかしいよ。このあたりの地域の掃除してくれてんのには感謝してるけど、あんまり強くなりすぎると本家本元から目つけられちゃうかもだから気をつけなさい。今のところ雑魚ばっか狩ってるから目立ってはないみたいだけど」

 

 本家本元とは、例の呪術総監部だったか?全国の呪術関連の問題を担ってるとかいう。高専も呪術総監部の一下部組織らしい。あんまり偉い人に目を付けられるのは本意じゃないけど、そんなに問題なんだろうか。

 

 「呪術師の取り纏めで呪術関連の法や秩序を担ってるといえば聞こえはいいけど、実際はお偉いさんたちが私物化してる組織だから、彼らが黒といえば黒だし、白と言えば白になる。旧態依然とした頑固爺たちの集まりを想像すればいいかも。まあ今は五条悟が抑えてるからバランス取れてるけど、昔は酷かったらしいよ」

 「お得意様のことそんな風に言っていいんですか?」

 「商売と個人の考えは別なのよ。あんたの術式は倒した呪霊から力を取り込むって性質上、呪霊との境界がアレってことで危険視されかねないから、なるべく存在を知られないほうがいいと思うわ」

 

 確かに実際呪霊を倒すことで呪力も増えてるわけだし、傍目には呪霊化していっているようにみえるかも。実際俺自身自分の体がどうなってるのかわかってない部分はある。たまに大物を倒したら身体によくわからん模様が浮き出ることがあるし。まあ俺的には中身がどうあれ人間の姿と機能と思考を持ってれば人間でいいと思うんだけど。なんかその部分を不安に思ったことは不思議と無い。

 

 「五条悟って最強の人ですよね確か。公式で最強の称号を持ってるって冷静に考えて意味わかんないっすね」

 「私も実物見たこと無いけどうちの親は世界に生まれたバグだって言ってた。私からしたらあんたも結構バグっぽいと思うけどね。どこの世界に素で100mを6秒で走りきれる中2がいるんだって」

 

 実はもう5秒にタイム縮んでるけど。確かに身体能力だけみたらバグってるな。

 こんな妙な力は持っているけど、俺という人間にとって絶対に必要なものというわけでもない。そもそも俺は将来呪術師になるつもりもないし。

 確かにちょっと前までは持ってる力を使うことを義務のように感じていたときもあったけど、目の前の先輩にそうではないということを教えてもらったからな。

 

 

 

 一年半前。このとき俺はまだ小学校に通っていた。

幼いときは俺も純粋に困っている人を助けたくて呪霊を祓っていたけれど、地元で有名になってくるにつれて、それを義務のように押し付けられているように感じてきており息苦しくもあった。人間というのは厚かましいもので、無償で働くことを繰り返せばそれを当たり前のことのように要求するようになるということを幼いながら実感していた。

それでも人助けを続けていたのは、持っている力に対して義務感とか責任を感じていたからだと思う。

 

 中学生になり、入学式が終わったあと、すぐに先輩が教室に訪ねてきた。それでその謎な部活に直接勧誘されたわけだが、別に断る理由もなかったから素直に入ることにした。ちなみに先輩は校内で変な部活に入ってる変わった女子として知られているらしいのでちょっと同級生に心配された。

 

 雨池先輩ははっきり言って損得について非常にシビアだ。小遣い稼ぎのために暇さえあれば呪具作りをしているし、個人的な依頼で呪霊を祓う時はきちんと対価を要求する。俺の作成した呪具に対しても一部売上を部費として徴収するし。

 それでも基本的に彼女は善人でもある。ただ昔の俺とは違い誰彼構わず人を助けない。彼女が助けたい人だけを助けて、それ以外には対価を求める。俺は以前から力には責任が伴うものと考えていたが、彼女はそれを否定した。

 

 その頃の俺は呪術絡みのお悩み解決装置のような扱いで、今より遥かに頼ってくる人間が多かった。校内の生徒や教師だけではなく、その親族、知人、近所の人までが対象だった。人の噂は自分で考えているよりも広く、早く伝播するものだ。

 どうでもいいような頼み、全く関わりのない人からの頼み、嫌いな類の人間からの頼み。呪術絡みであればなんでも解決した。それが力をもって生まれた俺の義務だと思っていた。心に引っかかるものは確かにあったが、見て見ぬふりをしていた。

 

 あるときそんな俺を見ていた先輩がキレた。

 

 「なんであんなヤツをあんたが助ける必要があるの?そんな義務ないじゃん。あんたが助けたいと思ってるならいいよ。でもあんた自身別にあいつを助けたいとか思ってないでしょ?」

 「でも俺にしかなんとかできないなら俺が頑張るしかなくないですか」

 「…あんたなんか勘違いしてるね。ただ力を持つのに義務や責任なんて発生しないのよ。人が責任持つべきなのは自分の意思と行動の結果、あと仕事だけ。仕事として対価を要求すれば関係性としては対等でしょ。あんたはあいつらの誰も対等には見てない。それは上から目線のただの傲慢だよ。聖人君子じゃあるまいし、そんな施しみたいな真似やめなさい」

 

 随分とずばずば言ってくる人だなと思った。でもその時の俺はなんとなく感じていた息苦しさや辛さなどのモヤモヤを全部綺麗に指摘されたような気がしてスッキリした気分だった。先輩のそれは確かに俺のためを思っての忠告だった。

 多分心の底では、間違っているとわかっていたけど、人に言われるまで気づかなかった。助けたいから助けるのであって、助けられるから助けなければならないのはおかしいと。だって俺はただの男子中学生であって、人より貴い人間なんかではないのだから。

 

 それからは俺も先輩に倣って基本的に本意ではないことには対価を要求するようになった。別に義務じゃないし、自分も得るものがあると思えばそれまで苦だったことも苦ではなくなった。今思えば多分それは人として当然の在り方だと思うけど、それまでの自分は呪術という力を持ったことでどこか歪んでいたんだと思う。

 呪術なんて俺自身を構成する一要素で、一つの個性に過ぎないというように考えるようになった。呪術への歪んだ拘りがなくなって、呪術師になりたいと考えることもなくなった。だから今呪霊を狩ってるのはほとんど趣味だ。俺は趣味で呪術をやっている。高専の給料は魅力的ではあるが。

 

 そういったことを俺に教えてくれた先輩には感謝しているし、呪術の師の一人として尊敬もしている。

まあ実はその一件から異性として気になりだして、今では完全に惚れてしまっているわけだが。人付き合いは苦手らしいけど、付き合うと好きになっていってしまうタイプの人だと思う。なんだかんだいつだって俺のこと考えてくれてるし、実は責任感が強くて真っ直ぐ誠実な性格だ。あと今考えるとこの部活入ったのって先輩が俺のタイプだというのが半分あるかもしれない。

 

 

 そういえば来週クラスメートに肝試しのお供をお願いされてたな。この際先輩も誘ってみようか。正直乗り気じゃなかったけど先輩がいたら少しは楽しめる。

 

 「先輩、来週土曜に肝試し行きませんか?クラスメートに誘われてるんですけど」

 「嫌、そういうイベント向いてないし」

 「……」

 

 先輩、結構引っ込み思案というか、多人数のお祭り的なのは避けるけれども。

 それに実際呪霊なんてものが見える術師としては試されるような肝も糞もないのは確かだけどさ。なんなら俺も面倒くさいから先輩を道連れにしようとしてるわけだけど。

 でもそんなにざっくりと断らなくても…。

 

 「…先輩って俺のことどう思ってます?」

 「大切な後輩と思ってるよ」

 

 その問いに対してこの答えである。

定期的に聞いてみてるけどいっつも同じこと言われるし。

それにしても先輩美人なのにあまり男っ気ないよな。クラスでちょっと浮き気味だとしても告白の一つや二つされててもおかしくないと思うけど。こっちとしては嬉しいけど。意外と結構はっきりものを言う人だから敬遠されるのかな。いや、それともいつも最速で部室に来てるから告白されるような隙がないのか?帰りは大体俺が家まで送ってるしな。

 そんなことをとりとめもなく考えてたら先輩がおもむろに口を開いた。

 

 「あー、肝試しはあれがアレだけど、今週末うち来る?お父さんもそろそろあんたの修行の成果みたいって言ってたし…」

 「行きます」

 

 気になるあの子にお呼ばれイベントの前では肝試しなんてクソ喰らえだな。

 



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2.先輩の家

2.

 

 土曜日。

 雨池先輩の実家でもある天池神社は俺たちの住んでいる町の外れの山奥にある。ちなみに俺たちが住んでるのは青森。

 周辺には民家すらなく、何故にこんな僻地に建てたのか疑問に思ったことがあるが、昔の呪術師は基本的に人目を避けることを好んだためで、先祖代々受け継いできたかららしい。

 

 まあ先輩にお呼ばれされても恋愛イベントなんて起きないんですけどね。大体休みの日にここに来るときやることは呪術師としての修行アンド修行だ。先輩の父親、雨池正悟(あまいけしょうご)さんっていうんだが、その人にかなり気に入られてしまっていて少し前までは暇さえあれば知識や技術の指導をなされていた。

 なんで気に入られたのか聞いたら、強くて才能があって教え甲斐があるからだと。呪術の訓練は普通に楽しいけど、そこまで将来呪術師になりたいわけではないのでやり過ぎ感は正直感じている。

 

 代々社家として神社の祭祀を引き継いできたらしいが、メインは呪術というだけあって本当に神職業はやる気の無さが見える。呪術師として霊が可視化されているだけに神やらなんやらへの畏れというものが欠けているのかもしれない。

 まあ要するに呪術師という裏稼業を営む上での隠れ蓑としての役割がほとんどというわけだな。こうやっていうとカタギじゃないように聞こえるけど呪術師登録認可はちゃんと受けているらしいので安心だ。

 

 「いつ見てもここは相変わらずだなぁ」

 

 元は赤かったはずの鳥居の塗料はすべて剥がれてしまって久しいし、社に関しては今にも崩れそうな腐りかけの木造から変わってない。境内の目立った雑草は処理されているけど落ち葉類は散乱状態。どう見ても参拝客よりも廃墟マニアからの需要のほうが大きそうだ。本来こういったうらびれた場所には呪霊が出没しやすいのだがそこはちゃんと結界でカバーしているので完全に放置しているわけでもない。まさに必要最低限、合理主義が垣間見えるけど、先祖代々続いている土地へのリスペクトとかないんですかね。

 

 家が神社といっても敷地の中に家屋があるわけではなく、その隣に建っている。俺の目的地はそちらだ。

 住居の方は普通に現代的な建物で掃除もちゃんとされてるのが手に負えない感じがする。

 俺は呼び鈴を鳴らして訪問を伝える。少しして正悟さんが玄関ドアを開けた。そこは先輩のお出迎えがよかったけど。

 

 「こんちわっす」

 「おー、久しぶりだな!最近全然こないから心配したぞ。空も愛想つかされたんじゃないかってな」

 「一応部活終わった後先輩の送りで立ち寄ってはいますよ」

 「水くせーなぁ、晩飯も食ってけばいいのに」

 

 少し前までは部活後も先輩送りついでに毎日のように修行してたからな。呪術については大体教えたって言われたから最近は呪霊狩りツアーで色々試してたんだけど。ちなみにこの人は俺が先輩に気があるということも知っている。親公認というやつだ。

 

 「まあ上がってけよ。修行の成果というやつも見てみたいしな」

 「おじゃましまーす」

 

 なんかこれじゃ正悟さんにお呼ばれしたみたいだなぁ。まあいっつもそんな感じなんだけど。

 俺気に入られすぎじゃね。いやいいんだけど。

 

 リビングに入ると先輩が優雅に茶を飲みながらテレビを見ていた。

 高校野球か、先輩結構野球好きだよな。

 由紀子さん(先輩のお母さん)は外出してんのかな?

 

 「おーす真」

 「こんにちはです」

 「わざわざご苦労さま。じゃ、お父さんのお守りよろしく」

 「了解です」

 

 会話終了。でも実家のような安心感。

うん、俺は良いのかこんな感じで。なんかここに入り浸るのが惰性になってはいないか?いやまあこれがいつまでも続けばいいなとは思ってるけども。なんか違くないか?と最近少し悩んでいる。

 釈然としない思いを抱いていると正悟さんから呼ばれた。まあいつも半分こっちがメインなとこあるし、仕方ないか。仕方ないよな? 

 

 「おい真早くこい」

 「あ、はい」

 

 

 向かうは地下。地下室には家の書庫と、訓練場が備えてある。このあたりは由緒正しい家って感じがするな。

 雨池家は血筋自体はかなり古くから続いているらしく、中世あたりまで歴史を遡る。昔は降霊術による予言や助言などの占いで隆盛を誇ったというが、近現代になりオカルトの入り込む余地が少なくなるにつれて衰退していき、相伝術式よりも呪具制作や結界師などの副業をメインに切り替えていったとのことだ。俗に言うイタコというやつは大体彼らの親戚である。

 家の歴史が厚くても過去の栄光に縋り付くことなく時代に合わせて稼業を変えていけるのは素直に凄いと思う。そういった合理性は俺としては好ましい。

 

 訓練場は、広さと強度を確保するために結界術を利用している。実際の空間よりもだいぶ拡張されているらしく、バスケットコートの1面くらいの広さはある。定期的な呪力供給は必要だが、空間拡張なんて高度な結界を使えるあたり結界術の練度の高さがうかがえる。実生活で便利な呪術その1だな。

 このあたりの技術は領域展開という呪術の秘奥にも関わってくるものであり、このような空間に生得術式を付与することで完成するらしいが、それはまた別のベクトル、別次元の難易度だという。まあ領域なんて自分の術式もろくに把握していない俺が使えるものではないだろうな。

 

 「じゃあとりあえず、俺の式神全部さばいてみろ」

 

 部屋に入って早々課題を言い渡される。正悟さんは呪術高専で言うところの1級相当の実力があるらしい。それは多分凄いことなんだろうが、どのくらい凄いかいまいちその辺の感覚はわからない。ただ実力者であるということはわかる。その式神術は生得術式のものではなく、後天的に習得した技術によるもの。一つ一つが3級程度の呪霊レベルであり、今回はそれを20体現出させる。天狗だったり、犬だったり、蛇だったり形態は様々。この空間自体が元々正悟さんの領域のようなもので、呪力供給などはそちら側のストックも使える。ただ式神は術式を持っておらず、基本的な攻撃は物理攻撃のみ。

 

 数とは力だ。一つ一つは大したことがなくても束になれば2倍、3倍以上の実力となる。術式持ってる奴に囲まれたら普通はフルボッコだ。

 

 しかし一般的には数は力だが、呪術戦においては呪力操作技術と呪力量こそ力。呪力操作は言わずもがな多様な呪力行使を可能とし、呪力量さえあれば術の威力増大、複雑緻密な術式を組まずともある程度術式過程をショートカットできる。

例えば結界術。結界とは呪力によって構築された境界。何を隔てるのかによって使用難度が変わるが、基本的には術者の技量次第で自由に性質を定義できる。

結界術を実戦上使う人間が少ないのは、0からの術式構築、空間指定や長い詠唱などが実戦で運用する上の妨げとなるからだが、それさえ解決できれば応用性の高い武器となりうる。

俺の身体には自分の呪力で基礎的な結界術式を入れ墨のごとく刻んでおり、術式構築はある程度スキップできる。空間指定も自分の体を起点にすればそこまで難しくはない。詠唱などは術式効率のための縛りに等しいから呪力量でスキップ。

俺が使っているのは簡易的な対呪力障壁だが、ただ呪力を通さないというだけでも色々応用できる。

 この間イマイチ使い勝手が判別できなかった呪力剣を使ってみよう。

 

 原始的な呪力は少量であれば物体を透過するが、密度が大きくなれば物理的な影響力を及ぼす。4級以下の下級呪霊は物体を透過するが2級などの呪霊は物理攻撃が可能なのと理屈は同じだ。 

この術はそうした呪力自体の性質と対呪力障壁の応用。呪力を閉じ込めるための結界を剣状に極薄で展開し、中に大量の呪力を圧縮して物理的な強度を持たせるだけの原理的には単純な術式。必要なのは精密な呪力操作と基本的な結界術技能と大量の呪力のみ。詰め込む呪力が大きくなるほど結界自体の呪力消費も大きくなるが、その分威力は高くなる。

 物体として存在するモノに呪力を流し込むのと同じではあるが、あちらは物体表面が呪力を閉じ込める役割を果たしており、一定以上の呪力を注ぎ込むなら物体の崩壊を防ぐために今回使っているような結界術が必要となる。

 即応性、携帯性の点においてこの呪力剣が有利、不利な点は燃費のみ。

 

 とりあえず2m長に展開し、これでもかというくらい呪力を突っ込んでみる。

 式神たちはセオリー通り囲んで攻撃してくるが、カウンターで回転斬りして一刀両断する。

 

 手応え的には皆無に等しく、水でも斬っているような感触だ。多分威力が高すぎだ。

 式神の弱点として媒体の問題で耐久力が弱くなりがちというものがある。紙など使えば文字通り紙耐久であり、この手応えのなさはそのせいもあるだろう。

 そういう性質もあり、式神は大抵戦闘においては受けを考慮せず大量展開して畳み掛けるか、牽制として使うかなどして用いられる。

 今回はもっと呪力抑えめでも十分かな。

 

 「結界術の応用による物理剣展開か。相変わらず器用な…。その密度だと下手な呪具刀よりよっぽど切れ味がいいだろうな。燃費は悪そうだが、お前の呪力量なら問題にはならないだろう。展開速度を上げれば対人においては無手からの奇襲で文字通り一撃で屠れるな。さらにどうにかして不可視化できれば…あるいは投擲できれば…」

 

 正悟さんが少し離れたところでブツブツ言っている。

 客観的なご意見ありがとうございます。だいぶ物騒なこと考えますね。対人戦なんてこの先する予定はないですけどね。

 変形させたりすると呪力操作が難しいし、長くしたりすると単純に増えた体積分呪力消費が増すから短刀程度の長さで定めるのが使い勝手が良いだろうとは個人的に思った。

 

 と、今文字通り捌いたのは4体、まだまだ残りはいる。

 さて、どういった手段を用いるか。

 ちまちました術を使っても何だし、ほぼ魅せ技だけど、あれをやってみるか。

 

 呪力剣の投擲は強度や呪力供給の問題でほぼ不可能だが、逆にそこを無視していいなら結界剣の投擲は可能。

 何に使うかと言えば、術式自体の投擲。 

 中身のない4つの結界剣にある術式を刻み込み、四方に投擲する。俺の身を離れたそれらは即座に消滅を始めるが、消滅し切るその前に地面に衝突して砕け、内包した術式を発動させる。

 それらを起点とした新たな結界の構築が行われる。そして俺自身を5つ目の起点としてメイン術式の起動と呪力供給を担う。

 この投擲剣の利点は空間指定の簡易化のみだが、それこそが肝。結界展開が難しい理由の一つが空間指定の難易度の高さだからだ。これにより術式展開の時間短縮が成る。

 

 両手を合わせ、せめてもの呪力消費軽減のために、一言術式の名前を呼ぶ。 

 

「結界『針地獄』」。

 

 起点から結界が生成され、天を覆う。

 結界内の天井、地面、側壁から無数の黒剣が内部の敵を串刺しにする。当然、俺を避けてだが。

呪力消費はめちゃくちゃ大きいが攻撃が通る相手なら一網打尽にできる。

 

 それにしても呪力消費が激しすぎる。

 

 「ハァ、ハァ…、つ、疲れた」

 

 5秒の展開で呪力は3分の2ほどになってしまったが、目標の式神は残らず消滅した。結果だけ見れば火力過剰だな。

 主に燃費面で問題あり。実用化には程遠い。だから今のところただの魅せ技だこれは。

 

 

 今持っている技術を使って、思いついたことを大体やってみたが、さあ採点はどうだろうか。

 

 「…結界術を学び始めて1年程度、よくこの短期間でここまでの練度に仕上げたな。結界術の基礎と簡易的な応用は全てマスターしたと言っても過言じゃない」

 「あ、ありがとうございます」

 

 なんか珍しく師匠っぽいこと言われた。

 初めて面と向かって褒められた気がする。なんか照れくさいなこれ。

 

 「難点を言えば必中を求めるために空間内全体に呪力剣を生成しなければならないから無駄が非常に多い。当然呪力量の問題で広範囲には結界を広げられないから実用性に乏しい。自分でもわかっているだろうけどな」

 「ええ。でもそれを解決するためには空間自体に術式を書き込むしかないと思うんですけど。自分の呪力を結界空間に充填させないと無理だし、そこまで行ったら領域展開の範疇ですし、燃費的には大差ないんじゃないですか」

 「ああ、地面なんかの結界面に触れた場合にだけ一定範囲に剣を生成するようにすればいいんじゃないか?術式がある程度複雑化してしまうが、今みたいに湯水のように呪力を使うよりマシだろ」

 「結界に外部環境を参照する条件付けするのってどうすればいいんですかね」

 「感知結界と似たような仕組みにすればいい。簡易化するにはまず…」

 

 

 そのまま俺たちは術式の応用法について議論に突入した。

最近の俺と正悟さんの呪術修行は大体こんな感じ。師匠と弟子というよりは同じ趣味の仲間がその趣味について話し合うという感じだ。要するに俺たちは呪術オタクでオタク仲間という間柄なのだった。

 

 正悟さんは呪術高専も卒業しており、生得術式そっちのけで結界術と式神術に特化している術師だ。生得術式を使用しない代わりに結界術と式神術を強化するという縛りを作っているらしく、なんと生得術式を使ったら死ぬという条件までつけている。領域展開は永遠にできないが全く後悔はしていないらしい。ここまで来ると変態の域だと思う。

 だが気持ちはわかる。結界術は奥が深い。下手な術式よりよほど使えるというのは確かだ。『帳』みたいな初歩の初歩で満足している結界師が多いのは非常に勿体ない。生得術式がなまじ簡易的で強力なだけに結界に目を向ける術師が少ないんだろうな。向き不向きも激しいらしいし。

 

 

 

 「そろそろ昼飯の時間だな。上あがるぞ」

 

 議論が白熱して1時間は経った。結界術のエキスパートとの議論は非常にためになる話が聞けて時間があっという間に過ぎるな。

もうすぐ12時か。今日も先輩がご飯を作ってくれるのだろうか。

 なんか俺と先輩ってよくわかんない関係だよな。放課後は大体一緒にいるし、休みの日も課外活動とかで連れ出されることが多いし今日みたいに家に招かれる日も多い。手料理もよくごちそうになってる。

 

 「なんか手伝うことあります?」

 「もう出来るから皿用意して」

 

 先輩の料理する立ち姿を見る。これ俺がプレゼントしたエプロンね。先輩の好きなパンダ柄。

 箸もマグカップも俺専用のが置いてある。ちなみに先輩の髪型は大体いつもポニテなんだが、俺の好きな髪型はポニテなんだ。偶然か?

 でも先輩ってそういう方向に話がいこうとすると急にそっけなくなるからわからなくなるんだよな。

 よくよく考えたら結構悪女だなこの人。弄ばれてるわ俺。

 まあ俺も多分今のぬるま湯のような関係が心地良いんだろうけど。

 

 「やっぱ先輩の飯うまいっすね」

 「一時期めちゃくちゃ練習してたからな。空ちゃん、何で練習してたんだっけ?ほら言ってみ?」

 「黙って食べろバカ親父」

 「おい何だその言い草は。あの時の残飯処理してたのは誰だと思ってんだコラ」

 「こっそり式神に食わせてた癖に。食料の呪力変換研究とかやってたの知ってんだからね」

 「チッ、バレてたか」

 

 仲いいよなこの親子。

 二人をそんな生暖かい目で見てたら、正悟さんが話しかけてきた。

 

 「そうだ、真。お前午後時間あるか?ちょっと仕事を手伝ってほしいんだが」

 「まあ普通に暇ですけど」

 

 仕事のお誘いとは珍しい。稽古始めた頃はよく正悟さんと先輩付き添いで呪霊狩ってたもんだけど、最近は全くそういうのなかったからな。

 

 「私の後輩に危ないことさせないでよ」

 「俺の呪術友達だ。それに総合的な実力としてはもう俺とどっこいレベルだぞこいつ。なんも心配いらん」

 

 いやお恥ずかしい。1級術師の正悟さんと同列なんてまだ恐れ多い。1級がどのくらいのレベルかあまりわからんのだけど。とりあえず正悟さんにはまだまだ敵う気がしない。身体能力では勝っているだろうが術の応用力を見たら段違いだ。教わるべきところは多い。

 そんな事考えてたら先輩はなんか神妙な顔して尋ねた。

 

 「…もうそこまでのレベルになってんの?」

 「ああ。この分だとあと少ししたら俺なんてすぐ追い抜いちまうだろうよ」

 「そうなんだ、ふーん…」

 

 先輩はなにか考え事をしている。前から思っていたが、先輩は俺が強くなることに対して余り肯定的じゃない気がする。なにか気になるところでもあるのだろうか。出る杭は打たれるからとか?そんなに心配する必要ないと思うけど。

 俺が考えたところでわかる問題ではないか。聞けるタイミングがあったら聞いてみようかな。

 

 「ところで仕事ってどんなのですか」

 「呪霊関係だ。俺がわざわざ呼ばれるレベルのな」

 「というと1級クラスの?」

 「ああ。最近骨のある呪霊がいなくて成長も鈍ってきたってぼやいてただろ。さっき急に連絡が来てな」

 

 確かにそんなこと言ったな。そのレベルの呪霊はそういないから経験という意味でもありがたい。

 やられるつもりはないが、苦戦はするかもしれない。

 

 「勉強させてもらいます」

 「お前が来てくれたら俺も助かる。もう10分もしたら出発するから準備済ませとけ」

 

 最近は少し刺激に乏しかったが、久々に楽しめそうだ。

 



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3.水神さま

3.

 

 正悟さんが先に支度のために席を立ってからしばらく。

 俺もごちそうさま、と手を合わせて席を立つ。洗い物をしようと流しに向かうと先輩が話しかけてきた。

 先程から気になっていたが、なんだか浮かない表情をしている。

 

 「うちのお父さんはああ言ったけど、流石に危ないからやめときなさいよ。あんたまだ中学生なのにわざわざ危険に首突っ込むことないって。1級呪霊なんて…」

 

 少し沈んだような顔。本当に心配してくれているのがわかる。

 心配してくれて普通に嬉しいんだけど、先輩は今の俺の実力を知らないからな。2級程度だと本当に片手間に祓えてしまうんだ。

 

 「俺も先輩の見てないとこで結構強くなってるんすよ。心配ご無用です」

 

 努めて明るい調子で余裕があることを示す。

 だが俺のそんな態度は先輩を逆に怒らせてしまったようだった。

 

 「あんたは遊びみたいに思ってるだろうけど、下手したら死ぬのよ。本当にわかってんの?」

 

 少しぎくりとする。最近確かに雑魚ばかり倒していて遊びというより作業のように感じていた。

だがどこか浮ついた気持ちは少しあったかもしれないけど、昔から呪霊なんて害悪はこの世から消したいと思っているのは確かだ。

呪霊を祓うこと自体は遊びじゃない。俺はその過程を楽しんでるだけだ。

 

 「別に遊びとは思ってないですよ。それに死ぬかもっていうなら正悟さんもでしょう。俺が行くことでその可能性が低くなるならその方がいい」

 

 これは本当に思っていることだ。あの人は強いけれど人間なんだからあっさりと死ぬ可能性はある。

 

 「お父さんはそういう『仕事』なんだって私たちは覚悟してる。でもあんたは別にそうじゃないでしょ。あんたも私もそんな覚悟なんてしてないのよ」

 

 そう言われては返す言葉がない。

 だが今日の先輩は妙に頑なだ。呪霊狩りなんて今までずっとやってきたのに、今更ここまで気にすることなのだろうか。

 確かに俺は自分が死ぬ想像なんてしたことがない。そんな目にあった経験がない。先輩はあるのだろうか。死というものはそこまで恐ろしいものなのだろうか。

 

 「わかんないっすよ俺」

 「わかんなくていいのよ。そんなのは覚悟のある人達に任せとけばいい」

 

 彼女の言う通り、俺は少し力が強いだけのただの子供だ。先輩に会ってからその意識を忘れたことはない。

 だが本当にそれでいいのか?

 俺一人だったらそれでもいいかもしれない。でもこの家の人達は呪術師だ。いずれは先輩も呪術師として覚悟する側の立場になるかもしれない。もう俺はこの人達に関わってしまった。皆俺の大切な人たちになってしまった。俺はこの人達に危ない目にあってほしくない。そんな役割は俺が全部こなしてやりたい。

 

 「戦う理由ならありました。俺、先輩や先輩の両親も皆大好きですから」

 

 先輩がなんと言おうと俺はやる。先輩の心配する気持ちを無下にしてしまって申し訳ないけど、俺も譲れないものはあることを思い出した。改めて決心ができてよかった。

 俺の覚悟を感じ取ったのか、先輩は諦めたようにつぶやいた。

 

 「…そう、そういう奴だったね、あんたは」

 「じゃあ」

 「じゃあ私も行く」

 

 なんでそうなる。いや駄目だそれは。正直言って今の俺と先輩の間には大きな隔たりがある。2級をようやく狩れる程度では危険だ。俺はこの人を危険な目に合わせたくはない。

 

 「それはダメです」

 「自分は良くて私は駄目だって言うわけ?いい度胸してるわね。私にだってあんたたちの露払いくらいできるわ」

 「…いつもの先輩なら自分にできることとできないことをちゃんと弁えてる。らしくないですよ」

 

 こんなことは言いたくない。けど先輩にはまだそれだけの力がないことは確かだ。その時点で先輩のいうことはただのわがままなんだ。

 今の先輩は何か焦ってるようにも見える。

 1級とか2級とか関係なく、自分にできることだけすればいいっていつも言ってるのは先輩だろう。

 

 「…らしくないか。ごめん、確かにそうかもね」

 「ごめんなさい先輩。俺も正悟さんも大丈夫ですから、先輩は俺たちが楽勝で戻ってくるのを待っててくださいよ」

 「…わかった。もう好きにしなさいよ。晩ごはんは作っとくから」

 

 少し気落ちしている先輩を見ると申し訳なくなる。本当にどうしたんだろうな。

 俺はそんな彼女を後目に家を出た。

 

 

 最低限の支度を済ませて、既に家の外に出ていた正悟さんのもとに向かった。

 俺が着くなりなぜかいきなり彼は謝罪をしてきた。

 

 「いやーなんかすまんな。今のお前の実力を考えれば割りと楽な仕事だろうと軽く頼んじまったけど、あんなにあいつがお前のことを心配するとは」

 「全部聞いてたんですか、趣味悪いっすね。…まあ最後に先輩が俺の戦ってるとこ見たの半年くらい前ですからね。あの頃からしたらめちゃくちゃ強くなってる自信ありますし」

 「たった半年で別人レベルになれるお前が恐ろしいよ。まあ俺の指導がいいのもあるが」

 「自分で言いますか。まあ凄い勉強になりますけど。高専の教師になったらどうですか」

 

 この人のレベルで結界術や式神術を使いこなせる人は全国で片手で数えられる程度だろう。いや、雨池家以外の呪術師と全然関わってないからしらんけど。

 とにかく教えるのは上手いし教員は向いてると思う。

 

 「あれ言ってなかったっけ?俺昔高専の教員だったんだぞ?家庭を持ったから辞めたけど。今でもたまに外部講師として呼ばれるし」

 「初耳なんですけど」

 「地元に帰って周りの人間だけ細々と助けることにしたのさ。今のお前と同じだよ」

 

 ニヤニヤしながら言うのをやめてくれ。さっきの聞かれてたの本当に不覚だわ。発達した五感で大抵の気配は判別できるんだけど、俺の五感探知を逃れるとか気配消すの上手すぎだろ。

 

 正悟さんはこの地域の呪術師組合長という立場にある。いうなれば高専など呪術界の手が回りにくい僻地を守護するための自衛組織だな。基本呪霊は人口の多い都市などの地域に出現しやすいが、田舎でも出ないわけじゃないし、日本全国を高専だけでカバーするのは不可能だ。まあ田舎の呪術師たちがなんかあったら互いに助け合いましょうってだけの組織だから、実質町内会みたいなもんだけど。

 

 ただ今回のように稀に強力な呪霊が急に現れたりして高専を待たずにすぐに手を貸してほしい時などには有用だ。

 依頼が来たのは県内で4つ市町村を挟んだ先のとある町。ここからは100kmくらい距離がある。どうやって移動するつもりだろうか。車だと2時間近くかかるだろう。たぶん俺は走ったほうが早いけど。

 

 そんなことを考えていたら、正悟さんは呪力を練って呪文を唱え、術式を構築し始めた。

 そして境内の樹齢千年と言われる御神木の枝を一房手折った。触媒に使うつもりだ。となれば式神術。

 

 術式の対象となった枝は勢いよく体積を増していき、枝分かれと枝の撚り合わせを繰り返し、竜を象る。

全長7~8m程度の木の根でできたドラゴン。翼が付いているが、まさか飛べるのだろうか。

 流石に目立たないかこれは。いや結界も織り込んで目立たなくするのか。

 

 「こいつに乗っていくぞ。お前は別に走ってもいいけど」

 「いや乗りますよ、乗ります。なんでわざわざ走っていく必要があるんですか」

 

 自動車とか普通の電車よりは速い自信はあるけれど新幹線は無理だし。それに普通に疲れる。

 

 「まあ流石にお前よりこいつの方が速いな。取り敢えず乗れ」

 

 促されるままにその長躯に跨る。意外と乗り心地がいい。

 正悟さんも式神に跨ると、式神を起動させた。

 

 「ちゃんとつかまっとけよ。振り落とされるぞ」

 「うす」

 

 竜は翼を一度はためかせると一気に体を上昇させた。

 

周囲の山の高さを考えて、標高1000メートルくらいの上空だろうか。絶景だ。この高さからのフリーダイブは流石に考えたくない。

それにしてもやはり手数が豊富だ。生得術式と違いゼロから構築する術式というのは呪力操作や呪力量の他に単純な脳の処理能力が問題になるらしい。相当頭の回りが良くないと術式構築から制御までこなせない。

この人IQ200くらいはあるんじゃないか?俺も結構いい線いってると思うんだけど、この人には敵わない。

 

 「まさかこんな手札まであるとは思いませんでした」

 「使用条件は限られてるがな。あの木の枝じゃないと使えんしその他にも条件がある」

 

 術式の要は『縛り』の巧みさだといつも言われている。ゼロからの術式を使う上では非常に重要な要素だ。

 今大体時速300km以上は出てるはずだ。本当に新幹線並みの速度。そんな性能を持たせるためには大きな縛りを課されていてもおかしくない。例えば移動だけで戦闘には使えないとか。

 

 「真、結界張ってくれ、やっぱ寒い!」

 

 あと使用中は他の術式を使えないとか。

100m標高が高くなるにつれ地上と比べた気温は0.6度下がるらしい。それに加えてこの速度の空気を生身で浴びるのは呪術師であってもきつい。俺は温度耐性もあるしまだ大丈夫だけど。

 言われたように結界を張る。冷たい空気が肌を刺すのを防ぐためだけの簡単な物理障壁だ。

 

 大分快適な空の旅をそれから大体十数分、目的地に着いた。

  

 

 ターゲットとなる呪霊は地主神信仰の恩恵を受けて強化されてしまった厄霊らしい。大昔の災害を神の怒りと見立てて、怒りを鎮めるために社を築いて祀り上げるというのはあらゆる地域で行われている。実際には畏れの集中により本物の仮想怨霊が誕生することを防ぐべく、過去の術師が呪力が溜まらないように散らす結界を施していることが多い。

 今回はそういった結界の一つが乱され、淀み溢れた呪力によって誕生した呪霊。近年になって動画配信者などがオカルト動画作成のネタを求めて神社仏閣や霊的スポットなどを訪れることが増えたが、その中でも中途半端に力を持った半術師のような輩の仕業だ。更に動画拡散による畏れの集中も加わり、最早天然の呪詛師といってもいいくらい迷惑な存在になっている。最近こういった事例が全国的に多くなってきているという。

 

 事の次第を把握した地域担当の『窓』(各地の呪術関係の異変を監視する仕事)による要請を受けて近場の呪術師が確認に向かったが、手に負えないと判断して正悟さんにお鉢が回ってきたというわけだ。

 

 

 山間部入り口の扇状地に流れる川が見える。 目的の呪霊はこの少し上流の自然洞窟にいるらしい。

 前任の呪術師との待ち合わせ場所近くの少し拓けた河原に降り立つ。

 川を逆行すること数分、まだ歳若いことがわかる黒装束のお兄さんが河原の岩の上に腰掛けていた。

 俺たちの来訪に気づいた彼が腰を上げて出迎える。

 

 「雨池さん、さすが早いっすね。連絡してからまだ1時間経ってませんよ」

 「仕事が早いのが俺のモットーだからな。休日出勤ならなおさら早く終わらせたいし」

 「突然呼びつけたのはすいません、終わったら奢らせてもらいますよ」

 

 まだ20代くらいだろうか、爽やかでいい人そうなお兄さんだ。

 

 「そちらはお弟子さんか何かですか?」

 「まあそんなもん。今回の助っ人だ」

 「へぇ、まだ中学生くらいだろうに凄いな。俺、前田健って言います。昔雨池さんの教え子だったんだ」

 「神凪真です、マエケンさんって呼んでいいですか」

 「はは、いいよ。昔はそんな感じで呼ばれてたし」

 

 俺たちは軽く挨拶を済ませて、早速引き継ぎに入る。

 呪霊は例の洞窟内に生得領域という結界のようなものを築いており、そこに引きこもっているらしい。確認のために一応内部に侵入し少し交戦したが、マエケンさんは分が悪いとすぐに判断して撤退。マエケンさんは準1級術師であるため、対象を1級呪霊と認定して正悟さんに応援を要請した。生得領域は出入りは比較的自由であり、撤退後に追いかけてくることはなかったが念のため生得領域に被せる形で一時的に『帳』を張って閉じ込めているとのこと。

 

 1級呪霊は全て何らかの術式持ちの呪霊であり知性もそこそこあるという。おそらく力を蓄えるために領域内に閉じこもっているのだと思うが、逃した獲物が仲間を呼んでくるということに思い至らないあたり知能は大したことなさそうだ。それとも餌が増えるとでも思っているのだろうか。

 

 「奴の術式は水を操る術式です。水自体を生み出すことはできませんが、水場での戦闘においてはかなり強力です。生得領域は洞窟の奥とは境界がゆるく、洞窟には小規模の水場がありますが、川に出て大量の武器を与えるよりは領域内で祓いきってしまう方が得策だと思います」

 

 ただでは引かず情報だけは引っ張ってきているところはさすがプロだ。

 流水操術といったところか。操れる規模にもよると思うけど物理流体を自在に操れるのは普通に脅威だな。

 

 「川の近く、水を操る。一種の水神信仰により生まれた呪霊か。龍、あるいは蛇の呪霊だな」

 「ご明察。と言ってもそこまで大きくありません。大体全長20mくらいですかね。こいつが自由に動けるくらいには生得領域も広いです」

 「…それって十分大きくないですか?現存の世界最大の蛇って10mくらいですよね確か」

 

 アマゾンのアナコンダだったかがそのくらいだったはず。その辺の普通の田舎に世界最大を超える生き物がいるって色々おかしいと思う。人間の想念って怖いわ。

 

 「記録に残っている似たような水神信仰から生まれた呪霊には日本最大で数kmクラスのモノがいるし、それに比べたらね。大昔の記録だからほとんど伝説上のものだけど。そこまでくれば最上位の特級だね。現代だと五条悟くらいしか祓えない」

 

 完全に龍神サマじゃねーか、そんなのがそこらへん跋扈してるとか昔の日本やば過ぎでしょ…。暴れたら町一つ余裕で更地になるだろう。祓える呪術師のレベルもどうなってんだそれ。五条悟やばすぎ。

 

 「幸いまだ生まれたばかり、術式も体躯もシンプルに強力だけど1級術師なら祓えない相手じゃない。術式の扱いを学習される前に倒すべきです」

 「真、いけるか?」

 「まあ多分」

 「おっし、じゃあ行くか」

 

 情報の共有をあらかた終えた俺たちは件の洞窟へ足を進めた。

 

 洞穴入り口から少し進み、違和感を覚える。生得領域手前だ。傍目にはなにもないように見えるが、ここにはたしかに境界がある。

 

 「前田、お前は引き続きここで帳の管理をしていろ。獲物を外に出さないことが優先だ。ただ万が一にでも俺たちがやられたと察したらすぐに逃げられるようにな」

 「了解」

 

 俺と正悟さんは境界の内へ一歩足を踏み入れる。

 

 狭い洞窟から一変、市民体育館程度の規模の広い空間に切り替わる。周囲は岩壁に囲まれており、奥に25mプール程度の池がある。その手前に大蛇の形をした呪霊がとぐろを巻いて鎮座していた。呪霊なのに普通の蛇のような見た目をしているが、体の周りには分厚い水の壁を纏っている。俺たちを警戒しているようだな。

それにしても暗い…。術式効果は付与されていないし領域の出入りも自由らしいが、この暗さは厄介かもしれないな。俺は夜目も利くからいいけど、正悟さんはどうだろうか。

 

 「正悟さん、見えますか」

 「ああ、呪力で強化してギリギリな。戦闘に支障はない」

 

 事前に作戦は決めてある。正悟さんが奴の注意を引いている間に前衛が得意な俺が懐へ潜り込んで直接本体を叩く。まあ上手く行かなかったら臨機応変に。事前情報では本体の挙動は普通の蛇と変わらないという。水の術式さえ剥がしてしまえばあとはただの料理だ。

 

 正悟さんが小手調べに雑兵として式神を展開する。一般に式神に用いる紙で作った形代は水に対して相性が悪い。移動に使った竜と同じく神社の御神木から細かい枝を集めて持ってきていたものを使うらしい。

 数は五、形は鷹。機動力のある式神で様子見をするということだろう。

 

 その鷹たちを脅威と見て取った大蛇は纏っていた水を触手のように伸ばし、宙を舞う鷹たちを追尾する。その間本体の意識もそちらに向いているはずだと、俺は回り込んで懐へ接近しようとした。

 

 背後から風圧。蛇の尾か!

 目を向けずとも空気の形を肌で見て尾で水平に薙ぎ払おうとしているのがわかる。

 とっさに攻撃を読み、宙返りにて回避する。

 

 一旦少し距離をとって蛇を眺める。よく見ると全身に目玉のような紋様が浮き出ている。ただ本来蛇は生物の熱を探知して獲物の場所を捉えるという。蛇だし、呪霊だし、この暗闇だしで普通の目として機能するとは思わないが、何らかの感知や思考の能力を持っているのかもしれない。

 

 それからあらゆる角度で近づいて離れてを繰り返して様子を見ていたが、本体や水によって全て対応される。まさに背中に目をつけている状態か。陽動はあまり意味をなさなそうだな、意外と厄介だ。

 

 警戒して纏っている水の防護壁が厚くて単純な打撃は通りにくそう。となれば呪力剣の出番ではあるが、余り近づいて水で取り囲まれて自由を奪われたら面倒だな。俺のフィジカルを持ってすれば逃れられるかもしれないけど過小評価はしない方がいい。となると。

 

 「正悟さん」

 「ああ」

 

 式神を追う水の鞭を観察していてわかったことがいくつかある。

 奴が操っている水はすべて奴自身の体と呪力で繋がっている。水の触手の中程を簡易結界の壁で呪力遮断してやると先端の水は力なく地面に落ちる。本体と連続している水にくっつけば落ちている水も回収できる。

 奴は水の遠隔操作はできない。つまり奴自身の体と操る水は連続している必要がある。おそらくコレが術式の縛り。

そして奥の水場の大量の水を使わないところを見るに、今の奴の技量では現在身にまとっている量の水しか操ることができない可能性がある。

 

纏っている水をある程度剥がしたほうがいいだろう。剥がした後に水場の水を使わせないためにも、水場と奴本体の分断も必要だ。

 剥がす方法は簡単だ。今みたいに水の鞭を伸ばさせて、その水と呪力の連続性を絶たせつづける。分断された水は式神に回収させる。

 そして奥の水場、こいつは咄嗟に利用させないように先んじて結界で封じておく。水の中に最初から浸かっていればいいものを、わざわざ陸に上がってきてくれているお陰で幾分やりやすい。やっぱり知能は大したことないな。

 

 まあ本当はわざわざ奴の術式に付き合わずに正面から圧倒的な呪力とフィジカルで蹂躙してみたいところだけど、そこまでの自信はまだないからな。そもそも術式持ちの呪霊と戦うことが余りないんだから、相手の戦法に則ってやって経験を積むべきだろう。

 

 方針は決定した。後は実行するだけだ。

 

 俺も正悟さんほどではないがある程度式神を使える。媒介は紙の形代しか持ち合わせていないが、問題ない。水の回収用で戦闘には使うわけじゃないからな。

 

 10体くらいの大きなカエルの式神を生み出し、命令を与える。陸に切り離された水を回収し、出口の方へ向かえと。俺の実力ではコレが限界だ。

 正悟さんはこれまでと同様に陽動用、水の回収用、さらに攻撃用に大きな狼型の式神を新たに生み出す。特殊な媒介や縛りの効果もあるとはいえ、ここまで多彩な式神を複数同時に扱えるのは流石としか言えない。

 

 俺は蛇の背面と水場の間に位置取りして、水場を結界で物理的に封じる。ある程度呪力を喰われたがちょっとやそっとの攻撃では破れないだろう。

 

 静を保っていた大蛇は急に水のリソースを絶たれたことで焦ったのか、積極的にこちらに攻撃を仕掛けてきた。

 水の触手と巨躯を駆使した連撃。だがその合間にじわじわと纏った水は少しずつ剥がされていっている。

 こうなればほとんどただの大蛇に過ぎない。

 

 追い詰められた奴はどうにか俺を締め付けようと囲い込もうともしてくるが、甘い。そちらから近づいてくるのは俺の思うツボだ。

 

 「結界術『剣山』」

 

 午前中に改良した術式をぶっつけ本番で試してみる。

 

 俺の周囲一定範囲に感知結界を敷き、領域内に踏み込んだものを呪力剣で串刺しにする、『針地獄』の燃費改善版。

 奴は俺の用意した地雷を踏み抜き、見事に体の一部を穴だらけにした。

 

 『ぎぃいいアアアアああ!!』

 

 体の目玉模様から血が流れてまるで血涙を流しているようだ。

 痛みを感じているのかのたうち回っているが、悪いけど呪霊相手に憐れむ感情は持ち合わせてないんだ。

 意識の集中が乱れているのもあって、わずかに纏っている水の操作も一時的に解かれる。その隙を逃す俺達じゃない。

 

 3体の巨大な狼が尾、胴体、頭部を押さえつける。

 俺と正悟さんは一気に接敵して大蛇にそれぞれ得物を叩き込んだ。

 

 

 頭部を切断された大蛇は徐々に体を消失させていく。呪霊が構成していた生得領域も消失してもとの小さな洞窟へと戻った。

 領域と体を構成していた呪力は俺の方へ流れ込み、俺の生得術式が起動される。

 全身に淡く発光する紋様が浮き出てくる。大物の証だな。

 

 「おい真、なんか光ってるけど大丈夫か?」

 「たぶんすぐ消えるんで問題ないですよ」

 

 体の能力が底上げされる感覚がある。午前からかなり消耗していた呪力もほとんど回復し、呪力量も結構増えているようだ。

 俺の術式は基礎能力の底上げだけで、残念ながら呪霊が所持していた術式までは引き継がない。水を操る術式なんて使えたらかなり汎用性高いけどな。水刃とか槍とか水圧カッターとか。結界術との相性も良さそうだし。

 

 それから5分くらいして体の紋様はじわじわと消えていった。なんか消えるの遅くなってる気もするけど気のせいか?

 まあとにかく無事に呪霊は祓除できたな。ほとんど完全に対応し切れてたのはポイント高い。

 

 生得領域が消滅したことに気づいたのか、マエケンさんも帳を解いたようだ。洞窟の外から眩い光が差し込む。

 

 「無事に祓えたんですね、流石です。約束通り晩飯奢りますよ」

 「いや、家族が帰りを待ってるからな。今回は遠慮しとくよ」

 「そうですか、残念です。…と、報酬は呪術協会から口座に振り込まれますから、後日確認してくださいね」

 「オーケイ。じゃあまた何かあったら呼んでくれ」

 「そんな機会がないことを祈っときますよ。じゃあ真くんもまたね」

 

 そう簡単に会話を交わして俺たちはマエケンさんと別れた。

 

 

 帰りは普通にタクシーを使うことにした。正悟さんも急ぎで来たのはそれなりに疲れたようだ。

 まああの規模の式神をずっと起動させてたら疲れるだろうな。マニュアル操作ぽかったし。

 

 タクシーの運ちゃんに会話が聞こえないように防音結界を張って会話する。

 一応呪術は秘匿されているらしいから念のための配慮だ。

 

 「結構あっさりいっちまったけど、俺一人だと面倒な相手だったかもな。今回は助かったぜ」

 「俺もいい経験になりました。術式の糧にもできたし」

 「そんな調子でお前はどんどん強くなっていくなぁ。今でもほぼ確実に1級クラスの実力はあるってのに」

 

 確かに、今回の呪霊を一人でやれと言われたら、少しは苦戦するかもしれないがこなせなくはないだろう。これは慢心しているわけではなく、できるだけ自分の実力を客観的に考えた結果だ。1年前までは2級が関の山だったのにも関わらずだ。

 俺は確実に、急速に強くなっていっている。普通の人間ではありえないくらいに。

 

 「ただ特級クラスっていうのが世の中には存在する。過信だけはするな。そしてどんなに強くなっても人として大事なものは忘れるなよ」

 

 正悟さんはそう言って、少し遠い目をしながら語りだした。

 

 「昔お前と似たような術式を持った生徒が高専にいた。そいつの術式は取り込んだ呪霊を自由に操るものだったが、恐ろしく汎用性が高く、お前と同じく戦えば戦うだけ強くなった。名は夏油傑」

 「五条悟と同じ、特級呪術師の一人ですね」

 

 取り込んだ呪霊をそのまま術式ごと使役できる。取り込めば取り込むだけ強くなる、規格外な術式。五条悟のような究極の一がなければその圧倒的な手数と汎用性の前に打ちのめされるだろう。特級であるのも納得だ。

 

 「元、な。今はただの呪詛師だ。元々は非術師のために呪霊を祓うことを謳う高潔なやつだった」

 「なんでそんな人が呪詛師に?」

 「さあ。呪詛師堕ちしたのは奴が3年のとき、俺は奴が1年のときに辞めちまったからな。ただ呪術師として生きる中で価値観がブレるのはよくあることだ」

 

 人の考えが揺れやすいというのは俺も常日頃から感じている。俺自身昔と今とで価値観も考え方も変わってきている自覚がある。それは今のところいい方向に向かっているとは思うんだけど。

 

 「俺も何かボタンを掛け違えればそうなるかもしれないんですかね」

 「そうならないためには常にニュートラルな思考でいることだ。思想の偏りは時として簡単に裏返る。夏油のように。あと一時の激情に流されて一線を超えないこと」

 「気をつけます」

 

 含蓄がある言葉だ。俺はこの人のことを自分の親と同じくらいには尊敬しているかもしれない。

 俺は強くなる。在り方自体も変わっていくかも知れない。それでも今大切にしているものはこれからも変わらないはず。それをずっと握っていればいい。

 

 

 

 

 私の大切な後輩。

 便利な言葉だ。臆病風に吹かれる私をいつも救ってくれる。

 

 真が私のことを慕ってくれているのはわかる。 

最初はただの勢いで関わりを持ってしまったけれど、私みたいな奴のどこが気に入ったのか、先輩先輩、といつも私の傍にいてくれる。

 

 私は自分に自信がない。先輩と呼ぶ声に対してせめていい先輩であろうとしているけど、上手く演じられているのか不安だ。

 でもそれは真の傍にいるために、最低限必要なことだ。真にとっていい先輩であることしか傍にいてもいい理由を見いだせなかったから。

 

 私と真は呪術師という共通点で繋がっている。お父さんが真のことを気に入っているという理由で、思いがけずに私はあいつとさらなる関わりを持つことができている。でも最近はそれが裏目に出てきた。

 

 最近、特に思い悩んでいる。

 言うまでもなく、真のこと。

 

 真は誰よりも強くなる資質を秘めている、それは最初からわかっていたことだ。今はその才能が疎ましくなるときがある。

 強くなればなるほど、助けられる人が増える。呪術が趣味だとかなんとかいって誤魔化してるけど、昔は人助けが趣味だったような奴だ。関わった人を全部助けるためにどんどん強くなって、傷つくことになるだろう。

 私はあいつとは違う。そんな力なんてないし、本当は関係のない他人なんてどうだっていい。だからあいつの持つ特別な力が、私達の間にことさら差異を生んであいつを私から遠ざけていく。

 私にはあいつの進む道を邪魔する権利なんてない。したくない。普通のあいつも普通じゃないあいつも、どっちも大切だから。

 

 でもさっきは馬鹿なことを言った。本当は別に心配から出た言葉じゃない。あいつの足を引っ張るだけの存在にはなりたくないのに、引き留めようとしてしまった。

 どうしようもないダメ人間だ。

 

 私が自己嫌悪に陥っていると、玄関の扉が開く音がした。

 もう終わったのだろうか。いやこれはお母さんか。

 

 「ただいま~」 

 「おかえり、お母さん」

 

 お母さんも呪術師だ。高専でお父さんと出会ってそのまま結婚までしたらしい。呪具職人であり、山の麓にアトリエを持っている。今日の午前中は仕事でいなかった。

 

 「あれ、お父さんは?それに確か今日真くんも来るって言ってたよね」

 「急に仕事が入ったの。真もついて行った」

 

 正直さっきはあんなこと言ったけど、心配自体はそんなにしていない。お父さんは強い呪術師だし、真もそれに比肩するくらいっていうのなら本当に強いのだろう。1級レベルが2人なら特級相手でもなんとかなるはず。だからさっきのは本当に私のわがままなんだ。

 

 「大変ねあの人も。ていうかなんか元気なくない?喧嘩でもしたの?」

 「別に…。ただ私ってダメダメだよなーって思ってただけ」

 「ああいつもの…。自分が真くんにふさわしいかどうかなんて、好きならどうでも良くない?」

 「別に好きじゃないし。ただの後輩だし」

 「ふーん、好きでもないのに隙さえあれば家に連れ込むなんて、とんだ悪女ねあんた。真くんかわいそー」

 「ぐっ」

 

 お父さんが真のことを気に入っているんだし、しょうがない。そう言ってお父さんをダシとして使ってる自覚はある。私はそうして色々屁理屈こねて自分の愚行に免罪符を与えてるんだ。本当にどうしようもない。

 

 「素直になれば楽なのに、ホント難儀な性格してるわ」

 

…それが簡単にできたら今も昔も苦労してないし。

 

 「まああんたの人生だから好きにすればいいけど、時間は有限だからね。もう中学3年の夏、普通の高校に進むにせよ、高専に行くにせよ、今までのようには行かないわよ」

 「…わかってる」

 

 私は呪術師だけど、ぶっちゃけ心の底では見ず知らずの他人がどうなろうが知ったことじゃないし助ける義理もないと思っているから、たぶん呪術師として生きるのには向いてない。でもこんな私にも憧れくらいある。

 高専には行くべきだ。自分で自分を好きになるために。胸を張ってあいつの隣に立てるように。でもあいつは呪術師にならないほうがきっといい。普通でいたほうが真は傷つかない。結局私達の道は交わらない方が、あいつにとってはきっと幸せだろう。

 

 「…夕ご飯、つくろう」

 

 考えていても憂鬱になるだけだ。今は手を動かして頭を空っぽにしていたい。

 



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4.呪印

4.

 突然だが先輩の術式は降霊術式というものだ。

霊を降ろす対象は何でも良いらしく、物質に降りれば呪具に、自然に蓄積している呪力の塊に降りれば呪霊にもなる。もちろん生物に降ろすことも可能ではあるが、元々存在する魂と反発しあって碌な結果を生まないらしくそういった用途には使えないと言っていた。人間などの自我を持つ高級霊は倫理的問題や制御面での問題もあり呼ぶのは大抵動物とか虫とかの低級霊である。

 降霊のため必要なものは、術式を使うための呪力、目的の霊を呼ぶための縁、そして媒体。これらを繋ぐのが降霊術式の本質らしい。

 

 もっとも、普段の呪具制作にはあまり用いていない。有用な術式が付与される確率はあるのだが、如何せん降ろした霊を使役すること自体は不可能らしく、高い確率で呪具というより呪物と化してしまうためだ。

 今は珍しく術式を用いて呪具を作ろうとしていたのだが、残念ながら失敗して新しく一つの呪物を世に生み出してしまった。

 

 ただの鏡が今では完全に呪いの鏡となってしまっている。呪具を生み出す際に霊体が媒体の隙間を埋めるように空間に存在する呪力を勝手に取り込んでしまうことでこうなる。

 部室内はできる限り清浄な空間に保ってはいるのだが、まだまだ甘いらしい。ちなみに部屋の四方に呪符が貼りまくられているためか、この部屋を訪れる者は大抵ドン引きして踵を返していく。俺はともかく先輩が学校で軽くヤバい人扱いされている原因の一端である。

 

 映した対象に手当たり次第霊障を植え付ける立派な呪物を俺は呪力剣で裁断した。こういう手に負えない呪物を処理するのも半ば俺の役目の一つ。

 

 「あーあ、また失敗した。本当に役に立たないな私の術式…」

 「まあぶっちゃけ正悟さんが自分から捨てた理由もなんとなくわかりますね」

 「ねぇ、ちょっと辛辣すぎない?」

 「でも成功例も一応あるじゃないすか」

 

 非術師でも呪力を認識できるようになる伊達メガネとか、遠見の水晶とかは傑作だと思う。売れば大金になるだろうけど後者は便利だから売っていないらしい。

 

 「でも術式制御の練習がしたいだなんてえらく殊勝ですね。なんかあったんですか?」

 「別に、あんたがどんどん強くなってるから軽く触発されただけよ。結界や式神はお父さんやあんたほどの才能もないし、私が強くなるにはやっぱり術式をなんとかするしかないからね」

 

 へー、先輩も実は強くなりたいと思っていたのか。てっきり呪具師の道を進むのかと思ってたけど、将来は呪術師として活動するつもりなんだろうか。強くなること自体はいいことだと思うけど、先輩には呪術師になって欲しくはないな。やっぱり危険だし。

 

 「先輩って呪術師になりたいんですか?いや職業として」

 「そういうわけじゃないけど、ちゃんと私にも目標があるのよ」

 「なんですか目標って」

 「あんたには教えない」

 

 気になる。すごく。でもデリケートな話題っぽいししつこくするわけには行かなそうだ。

 ともかく、それが先輩自身の意思なら俺に邪魔をする権利はない。俺に出来ることは何かあったら傍にいて守ってやることだけだ。

 

 「先輩、これあげます。お守り」

 「あ、ありがと…。ていうかどうしたの急に」

 「別に。ただ先輩が危ない目に合わないようにって俺の気持ちです」

 

 このお守り、実はこの間作った俺の呪力が付与されている呪具だ。離れていても大体の居場所がわかるようになっている。いつでも危機に駆けつけられるように。ちなみに地図とか他の呪具との組み合わせも可能。教えたらストーカーみたいってドン引きされるかもしれないから教えないけど。バレないように隠蔽の方に力を注いだから見た目は何の変哲もない一般お守りだ。渡す機会を伺っていたが勢いで誤魔化すことができた。できたよな?

 

 「さあ先輩、この調子でどんどん練習しましょうか」

 「…?付き合ってくれるのはありがたいけど、なんか隠してない?」

 「なんもないですけど?なんか変ですか?」

 「…まあなんでもいいけど」

 

 危ねー、変なところで鋭いんだよなこの人。小細工はバレてなさそうだ。俺も流石に変態扱いされるのだけは避けたいからな。

 先輩は再び降霊による呪具作成を再開した。

 

 

 

 静かだ。

先輩はそうお喋りな方ではないからこうした沈黙が生じることは多いが、俺はこういう時間が嫌いではない。集中している先輩の顔を眺めているだけで楽しい。はっきり言って幸せ。まあ先輩とお喋りするのも好きなんだけど。

 とかなんとか思ってたら誰か来るな。

 この足音、体重の乗せ方やニオイからして女子生徒かな。と、こんな感じで俺は周囲の気配を察知することが出来るわけなんだが、このことを先輩に前話したら思いっきり引かれた。まあ確かに結構変態チックな響きはするけど、わかるものはわかってしまうのだから仕方ない。

 

 この部屋を訪ねるということは幽霊関係で何か困った事があるはずだが、彼女は引き返さずにとどまるだろうか。

 予想したとおりに部屋の扉がノックされ、先輩が応える。

 

 「どうぞ」

 「失礼しまーす。ってうわっ、噂通りやばげな雰囲気だ…」

 

 黒いカーテンを締め切って薄暗い部屋の中には呪力散らしの呪符が壁中に貼られている。光源は蝋燭のみ。完全に呪術の儀式中って感じの部屋。

 扉を開けてそんな部屋の中を一瞥するなりその女子生徒は口元をひくつかせて心情を顕にした。完全に引いている。だが意を決したように部屋の中に入ってきた。中々胆力あるな。

 顔を見てみると、俺の同級生だった。

 

 「姫矢さん、なんか用事?」

 

 彼女は見知った顔を認めて少しだけ安堵したような表情になった。

 だがまだ何か思い詰めたような顔だな。かなり困っている感じがする。

 

 「あっ、神凪くん!よかった、噂で聞いてたけど実際見てみたら予想以上で緊張してたんだよね」

 「確かに怪しげな雰囲気だよねこの部屋」

 「雰囲気作りにしては本格的過ぎない?なんか御札いっぱい貼ってあるし」

 「全部本物だからねー。悪霊は一匹たりとも寄り付かないよ」

 「またまた」

 

 まあ信じるも信じないもお任せする。大抵の人は本物だといってやると逆に信じないけれど。

 俺が緊張を解すために冗談めかして話していると、先輩が軽く咳払いをして要件を問いただした。

 

 「…おほん!それで姫矢さんとやら、うちに何か御用でも?」

 「ああすみません。姫矢順子といいます。教室で神凪くんに言っても良かったんだけど、人前では話しにくかったから…。で、用事っていうのは私の従兄弟のことなんだけど…」

 

 姫矢さんが言うには、彼女の高校生の従兄弟が1ヶ月前に急に意識を失って目を覚まさなくなったらしい。当然病院に運ばれてあらゆる精密検査を行ったのだが、医学的には何の異常もなかった。心因性の問題か、まだ医学で解明されていない脳の疾患の可能性はあると医者は言っていたが、親族の中には何かに呪われたのではないかと言い出す者もいて、念のために聞いてみることにしたという。

 

 「正直呪いなんて信じてなかったんだけど、あまりに突然で医学的な異常もないっていうならそんなのもあり得るかもと思って、ダメ元で来てみたんですけど…。って、こんなこと急に言われても困っちゃいますよね」

 

 いやまあ確かに、予想以上に深刻な問題で驚いた。

 流石に原因不明で突然1ヶ月も寝たきりになったら藁でも怪しい呪術師でも何にでも縋りたくなるのはわかる。

 

 当然呪いの可能性はある。非術師は基本的に呪いへの耐性がないから、何が起こってもおかしくない。ただそうであれば必ず体に何らかの痕跡が残っている。呪痕であったり、残穢であったり。

 

 「最近の様子がおかしかったとかは?どこか変なところに行ったり、誰かに会ったり。恨みを買うようなことはする人?」

 

 先輩が医者の問診のように呪いの宛を探る。実際には何らかの呪霊に遭遇して喰われずに呪われたパターンとかが多い。人のことを呪えるような人間は呪霊よりも少ない。

 

 「いえ、全然普通の優しい男の子だったんですけど、誰かのことイジメたり喧嘩して恨まれるような質の人じゃないし、逆に気弱な方というか…」

 「その人が誰かを恨んだりとかは?」

 

 これは呪詛返しの可能性を聞いている。人を呪わば穴二つ、呪いを掛けるのに失敗するとその業が自分に跳ね返ってくることがある。それにしたっていきなり1ヶ月も寝たきりになることはそうそうないと思うが…。

 

 「生活では特に大きな悩みとかはなかったみたいだし、そんな恨みを持つようなことはないと思いますけど…。まあ詳しくはなんとも言えないけど…。」

 

 手がかりとなるような情報はなさそうだ。これは実際に見てみないと始まらないだろう。

 先輩もそんな結論に至ったみたいだ。そしてこれはなんとかしてやりたいという顔だな。伊達に日頃から先輩の顔を観察していない。あ、またなんか変態みたいなこと思ってるな俺。

 

 「真」

 「はい。…姫矢さん、今週末は空いてる?一回そのお兄さんを見せてほしいんだけど」

 「え、空いてるけど、本当に呪いなんて可能性があるの?」

 

 俺たちが真剣な雰囲気を出していることで向こうも本当に呪いなのかもしれないと思い直しているようだ。

 

 「今の情報からはまだなんとも言えないけど、見てみたら大体わかるはずだから」

 「…二人共本当に霊感とかある人なんだ。来てみてよかったかも。じゃあよろしくお願いします」

 

  一言礼を言って彼女は部屋から出ていった。

 なんだか懐かしい。最近だとこういうことは少なくなっていたから。

  呪いというのは案外世の中に溢れてる。ある日突然術師非術師に関係なく被害に会う可能性は十分にある。少し忘れかけていたけれど、やっぱりこうして困っている誰かを助けたいという気持ちは間違いじゃないだろう。

 

 「先輩、今回はあっさり受けるんですね」

 「私だってそんな気分なときもあるわ」

 「本当に困っていて可哀相だから助けたいって言えばいいのに。まあ先輩のそんな素直じゃないとこ好きですけど」

 「…生意気言ってないで、続きやるから付き合いなさい」

 

 これは図星突かれて照れている。見ていて本当に飽きないな。

 

 

 

 そしてその週の土曜日。

 俺と先輩、そして例の姫矢さんは従兄弟が入院しているという病院に来ていた。少し前まで大学病院に入院していたと言うが、改善の兆しも見えず、原因も不明であるが幸い命に別状はないということで一旦慢性期病院に移されることになったらしい。

 

 俺たちは早速病室へ案内される。

 そこには少し細身で色の白い少年が安らかに息をついて寝ていた。

 心音、呼吸音に異常はない。本当に意識がないだけで体の方は問題なさそうだ。

 

しかしそこには明らかな呪術的『徴候』が見て取れた。

 残穢はない。だが呪われている証である呪痕、あるいは呪印とも呼ばれるものが彼の額に浮き上がっている。

 

 「先輩、これは…」

 「うん、間違いなく呪詛師の仕業ね。呪印の意味は…」

 

 呪力を刻んだ式。見た目の簡素さ以上に含まれている意味は複雑だ。

 

 「幾つか紋様が組み合わされてる…。なるほど、これがああなって術式と絡むことになると」

 「なんかわかった?結界術に関係してるってことはわかるんだけど、あんたの方がもう詳しいでしょ」

 「なんとなくですけど、術師との繋がりを表してるんじゃないかと」

 

 おそらく術式の遠隔発動。俺も少し前似たような術式を考案したことがあるが、こちらの方がずっと洗練されている。先輩の言う通り2点間の呪術的な距離を無くす結界術の範疇の術式だ。これは俺も参考にできるな。

 よく見ると向こうからの接続だけでこちらからの繋がりは絶たれているようだ。呪印から術者を辿るのは難しいだろう。例え辿れたとしても危険を伴う。術を施した術師は相当高度な結界術の使い手だ。多分正悟さんよりも上。

 

 ということは昏睡の理由は術式そのものというよりこの呪印からの呪力に当てられているショックによるものか。非術師かつ呪力抵抗の弱い人間ならそういう事が起こってもおかしくない。加えて頭部に直接呪力が当てられているのがまずい。下手したら脳に不可逆的なダメージを負ってもおかしくない。

 

 「術式の消去自体は難しい。けど、呪力漏れをなんとかできれば」

 「そうっすね。根本的な解決にはならないけど、一時しのぎにはなります」

 

 目覚めるかどうかは未知数だが、現状維持のためにも漏れ出ている呪力を処理する必要はある。

 先輩が護符を一枚呪印の上から貼り付ける。空間に淀み溜まる呪力を吸い取り拡散・消失させる効果を持つ。これでなんとかなればいいが。

 

 「ちょっと何日かこのまま様子を見てみて。上手くいけば目覚めるはず」

 「あっ、ありがとうございます!神凪くんも!」

 「まだ目覚めたわけじゃないからお礼はいいよ。なんか変わったら知らせて」

 「わかった!二人共本当にありがとう!」

 

 その場を姫矢さんに任せて俺たちは病室を後にした。

 

 結界術の練度から見ても高位の呪詛師の仕業、少なくとも呪術高専には報告するべき案件だ。後日正式に術師が検分に寄越されることだろう。そして術式自体は解除できていない。術式の解除は今の俺達の技量では難しい。そもそも解除することが難しければ、解除のために頭部に呪術的処置を施さないといけないというのが厳しい。いずれ犯人の呪詛師を何とかする必要がある。彼がもし目覚めたらその辺のことも説明しなければならない。

 

 「少し後味が悪い結果になりましたね」

 

 隣を歩く先輩に語りかける。その表情はやはり曇っている。俺も似たような顔をしているだろう。

 

 「私達にできることはやったわ。どうにもできないことについて考えても仕方ない」

 「わかってます。だからこれからできることを増やしていきましょう」

 「…そうだね」

 

 納得してないのは先輩もだ。人を助けたいなら相応の実力を身に着けないといけない。目につく全てを助けることなんてできないけど、俺は今、できるだけ多くを助けたいと思っている。

 

 だが今は考えていても仕方ない。先輩の言う通り出来ることはやったのだから。

 

 「先輩、気分転換に昼ご飯食べにいきましょう」

 「私ラーメン」

 「俺はうどんです」

 「勝負する?」

 「望むところ」

 

 そのあとゲーセンで滅茶苦茶マリカした。

 

 



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5.追憶と不穏

 最近昔の夢を見る。

 大きな呪霊を取り込んだ後はしばらくこんな風に過去のことを思い出す。

 昔のことはあまり思い出したくない。大きく辛いことがあったわけじゃない。ただ、俺は寂しかったんだと思う。

 

 

 幼い頃、俺は自由だった。

 呪術という力を隠すことを考えなかった。力自体がそこまで強くなかったというのもあるが、両親の影響が大きかった。

 俺の両親は俺の力を否定しなかった。霊が見えるということも、不思議な力を使うということも否定しなかった。彼らは善人であり賢人でもあった。理解できないものをそのまま理解できないと拒絶するということが幼い子供を深く傷つけ、他人との隔絶を生んでしまうということをわかっていた。

 だからただ、その力を困っている人のために使いなさいと、そう俺に教えてくれた。

 

 俺は人を助けた。困っている人を待つのではなく、自ら探しにも行き、助けたその人達はみんな喜んでくれた。自分の力が人のためになることが、俺は嬉しかった。ただ人が良いだけの普通の子供でいられた。

 

 だけど、あの頃の俺は今よりずっと未熟で、愚かだった。

 俺に与えられた力のことを正しく認識していなかった。

 

 あるとき、友達の一人と喧嘩をした。口だけではなく殴り合いにまで発展しようかという大喧嘩。理由はよくおぼえていない。子供らしくくだらない理由だったのだけは確かだ。向こうが先に手を出したのだけは覚えている。そして俺もカッとなって、お返しした。結果、そいつに大怪我をさせた。

 

 手加減したつもりだった、そんなつもりはなかったと言い訳したあの頃の俺はどうしようもなく愚かだった。気づいたときには自分の心が、感覚がついて行けていなかったなんて言い訳にもならないが、実際問題として以前の自分の力の感覚と大きく乖離していたのは確かだ。

 両親は俺を怒らなかった。ただ、失敗しただけだと、反省すればいいとそう言った。

 

 当然、互いの親を巻き込んだ問題に発展し、俺たちは菓子折りを持って謝りに行った。

 向こうの親は激怒したが、かつて友達だった子供は俺を恐れるばかりだった。彼のその時の表情が未だに忘れられない。

 

 その時になって、ようやく真の意味で気づいた。俺は皆とは違う存在なんだと。

 優越感なんてあるわけがない。両親の計らいで気づかずにいた隔絶というものを遅ればせながら味わうことになった。

 

 そいつは最終的に転校していった。俺は謝る機会もないまま、心に凝りを抱えたまま、自分の力について考えなければならなかった。そして結論は出た。

 

 力には責任が伴う。制御する責任はもちろん、その意義についても。本人の意図に関わらず使い道を定めなければならない。そうしないと俺はまた誤ってしまう。

 そうだ。こんな出来事があったから俺は力に対して責任を感じるようになった。

 

 俺は俺にしか出来ないことをやる。そして人を助ける。

 力の使い方を学んだ。事故が起きないようにコントロールの訓練を積んだ。理由もなく喜びもなく誰も彼も助けているうちに皆にとって俺は都合のいい存在になっていった。息苦しくもあったけど、俺なら耐えられる。

 それでよかった。人を助けているうちは俺は普通の人間でいられたから。

 

 

 あるとき。

 

 「…本当に最低。そんなこと続けて一体誰が喜ぶっていうの?」

 

 彼女はそんなことを続ける俺に対して静かに、確かに怒りながらそう言った。

 

 「皆喜んでますよ。ちゃんとお礼も言ってくれるし」

 「皆って誰。あんたはどうなのよ。心の底から嬉しいって本当に言える?」

 

 別に俺が嬉しいかどうかはどうでもいい。やらなければならないからやっているだけだ。この人は一体何が気に入らないんだ?どうでもいいだろう俺のことなんて。

 

 「今のあんたじゃ絶対に助けられない人がいるのわかってる?」

 「誰ですか」

 「あんたのことを大切に思ってる人たち。そうやって自分自身を蔑ろにして。有象無象の他人より、その人達と、あんた自身の方が大事だとは思わないわけ?それともそんな人いないっていうの?」

 

 一瞬、両親の顔が頭に浮かぶ。だけど彼らも所詮は他人だ。俺の苦悩をわかってくれているわけじゃない。

 苦悩?苦しいのか、俺は。

 なおも先輩は自分の考えを俺に投げつけた。

 

 「あんたは聖人君子じゃない。他人に施しを与える必要なんてないし、そんなことできない。なぜならあんたはただの子供だから。持って生まれた力に責任なんて感じる必要ない。自分のしたいようにすればいい。人を助けたいなら助けて、傷つけたくないなら傷つけなければいい」

 

 何も知らない人が、偉そうなことをいいやがる。そんなことを表面では思っていても、話を遮る気にならない。それは心の底で俺が欲しい言葉そのままだったから。

 

 「誰も彼も助けたいなら対価を払わせなさい。あんた自身が損するようなことするな。以上。…偉そうなこと言って悪かったわ」

 

 そして彼女が心から俺のために言ってくれているのを感じたから。

 

 なんで会ってから間もない俺のことをそんなに気にかけてくれるのかわからない。後輩だから?単に優しいから?だとしたら彼女は俺なんかよりもずっと優しくて他人のことを思える人だ。

 

 

 その日、俺は両親と話をした。自分の力について、生き方について。

 彼らは先輩と同じ事を言った。俺のことを抱きしめながら。気づいてやれなくてすまない、と。力とか他人なんてどうだっていい、お前が幸せであればそれでいい、と言ってくれた。

 このとき初めて俺たちは普通の、本当の親子になれたんだと思う。

 

 

 時が現在まで進み、俺は目を覚ました。

 両親は既に起床していてテレビでニュースを見ながら朝食を取っている。

 

 

 「おはよー」

 「大山翔次すげーなぁ。二刀流で優勝しちまったよ」

 「おはよう真。真も野球してみたら?メジャー行ってお母さんたちに本場のステーキ食べさせてよ」

 「真は野球すぐ飽きて辞めてマスコミにバッシングされそうだからやめとけ。サッカーやってたけど一週間ですぐ辞めただろ」

 「…そういう問題?」

 

 あれから俺が明け透けになった結果、両親もなんだか少しずれた人たちになってしまったな。

 だけど俺の大切な人たちであることに変わりはない。

 

 

 

 

 

 

 「親戚が突然失踪した?」

 

 いつもの部活の時間、突然先輩の口からそんな不穏な言葉が飛び出した。

 

 「うん。私は会ったこともない父方の親戚らしいんだけど、お父さんも今捜索手伝ってる」

 

 先輩の父方というと、『イタコ』の御歴々だろうか。

呪術師であるからには大なり小なり危険は伴うものだが、呪術師の行方不明は非術師のそれとはまた意味合いが違う。呪術師の行方不明とは、退治しようとしていた野良呪霊相手に肉片も残らず食い散らかされたか、あるいは呪詛師などの敵対者に連れ去られたということを意味する。

特に後者は術式持ちの呪術師であれば常に警戒しておかなければならない。術式そのものの利用や、術式は遺伝要素があるため、その血を欲しがって利用しようとする輩は少ないながらもいるからだ。

 

 「何か手がかりはないんですか?」

 「呪術的には残穢も何もなし。一人暮らしのおばあちゃんだったんだけど書き置きもないって。警察も捜査してるんだけど最後に人と会ってたのが二週間前らしくて…」

 「それは…少しきついですね」

 

 残念だがその人について俺が出来ることは何もないだろう。俺が出来るのは生活の痕跡から足跡を辿ったり残穢から少しでも術式を読み取ることくらいだが、流石に二週間前のものは無理だ。

 だが呪詛師の仕業ということを考えて先輩の身の安全は警戒しておく必要がありそうだ。目的が術式狙いだったとしたら危険は十分に存在するのだから。

 

 先輩の家は学校から20kmくらい離れているので行き帰りバス通だ。どれだけ人気のないド田舎にあるのか察してほしい。呪術修行のためという体で部費(呪具の売上)から交通費を出してもらって俺も帰りは先輩送りついでに家に寄っていた。先輩の家からは走って帰ってるんだけど。そっちの方が早いし。

 

 「先輩、明日から朝も迎えに行きます」

 「え?いや、流石にいいよ。放課後わざわざ送ってもらってるのだって悪いと思ってんのに」

 「そんなこと言ってて先輩まで攫われたらどうするんですか!術式狙いの呪詛師の仕業だとしたら先輩も同じくらい危ないんですよ?」

 「それを言われるとちょっと心配だけど、ほんとにいいって。流石に遠すぎるし迷惑でしょ」

 「何で俺が先輩のことに関して迷惑に思うと思うんですか。なんなら今みたくバス通じゃなくて俺が運んであげましょうか。学校まで10分くらい、バスより通学時間短くなりますよ」

 「いやそれは何かがおかしい」

 

 まあさすがにそれは運ばれる方も疲れるか。

 あ、そうだ。正悟さんみたく式神の乗り物作ったらどうだろう。最近は式神術もモノになってきたし、あんな時速300kmも400kmも出させるのは無理だけど、呪力込めた全力疾走の俺より遅いくらい、100km/hくらいならいけるんじゃね。

 空飛ばせるのはハードル高いけど、途中までは全然人いないし地上走らせても問題ないだろ。マイ五感レーダーで不意の衝突の危険もなし。

 我ながらいいアイデアだ。正悟さんにもアドバイスを貰いながらちょっと練習してみよう。

 

 

 

 その次の週の土曜日。

 

 「はぁ?滅茶苦茶スピードが出る式神の作り方ぁ?」

 

 俺が目標を挙げると正悟さんは呆れたような声を出した。

 

 「そんなに簡単にできるなら誰も苦労しねーよ。ちょっと式神術舐めすぎ」

 「正悟さんが凄いのは分かってますけど、そんなにハードル高いんすか?」

 

 まあ彼の言う通り、少し舐めてかかっていたところはある。最近成長著しい俺の実力なら行けるんじゃないかと。

 

 「お前自身の基礎能力が高いのと優れた式神が使えるのはそこまで相関しないからな。もちろんアホみたいな呪力量で無理やりブーストするなら別だが、基本的に普段からの準備や積み重ねが一番重要なんだよ」

 「あの御神木を媒体にしてるのと関係があるんですね」

 「その通り。俺が普段からどんな努力してるか知ってるか?毎日欠かさず一時間あの木の前で祈祷して呪力を捧げてるんだぞ。これは儀式というより縛りの意味合いも強いが、それだけあの木には俺の呪力が宿ってる。これで使えない式神しかできないなら俺は泣くぞ」

 

 なんかそれだけ聞くと神主っぽいな。一緒に掃除もしてやればいいのに。

 

 「つまりあの木は俺の写し身であり魂でもある。そこまでやる気があるのか否かだよ問題は」

 「うーん、一朝一夕ではいかなさそうですね…。」

 「お前にはまだ基礎の基礎しか教えてなかったからな。まあまだ早いだろ」

 

 仕方ない、今すぐは諦めるか。取り敢えずしばらくはバス通だ。

 

 

 「そういえば最近朝も空を迎えに来てるな。面倒だしもう住んじまえば?俺は全然いいぞ」

 「中学生の娘を持つ父親としてどうなんですかそれは」

 

 なんでこんなに豪胆なんだ。男女七歳にしてなんとかと言うだろうに。

 

 「大丈夫だ。間違いを犯したら責任を取ればいい。お前なら簡単だろ?」

 「俺に対する信頼が厚すぎる…。いやこれは脅しか。てか付き合ってもないのにそんなことしませんって」

 「…ん?」

 「え?」

 

 正悟さんが急に呆けた顔になる。俺なんか気に障ることでも言ったか?

 

 「え、付き合ってないの?」

 「え?あ、はい。俺はあれなんですけど先輩の方はどうだかわかんなくて」

 「真、ちょい座れ」

 

 そう言って正悟さんはヤンキー座りになっておもむろに胸元からタバコを取り出して火を付けた。

 どうしたんだ急に。

 俺は促されるままに地面にあぐらをかいた。

 

 「ふう…。悪い、ちょっと意味分かんなくてな。奥手にも程があるだろ。いや、これが若さか…」

 「なにいってんですか」

 

 

 

 そうして一息つくと、正悟さんはこれまた急に真剣な表情になった。

 

 「若人の青春にとやかく口を出すつもりはない。だがお前はともかく空は呪術師だ。この意味わかるか?」

 

 問われて今一度意味を考える。

 呪術師、人を助ける仕事。呪霊を狩り、呪詛師を裁くもの。その過程には多分な危険が伴うことはわかっている。

 殉職率も警察の比ではないほど高い。

 

 「言っとくが呪術師には時間がない。鍛え上げられた一級術師であろうとも死ぬときは本当にあっさり死ぬ。そしてあいつも同じ呪術師の道を行くつもりだ」 

 

 最近のやる気を出している先輩を見て、何となくそんな気はしていた。

 だけどこれまで俺はそのことについてそこまで真剣に考えてはいなかった。

 

 「別に呪術の才能があって強いからって呪術師にならないといけない理由はない。お前はお前で好きにすればいいが、後悔のないようにしろよ」

 

 この人はこうして急に人を導くようなことを言い出す。元教師だったころの癖のようなものだろうか。

 俺も術師に危険が多いということは知った気でいる。だからこうして式神の事を教わりに来たわけだから。

 

 「肝に銘じます」

 

 力の使い道、俺のしたいことはもう決まっている。俺は俺の心に従う。後悔などはしない。

 

 

 「…そういうことじゃなくて、早くしろよって言いたかったんだけど、まあいいか…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近畿地方のとある山中に一つの寂れた社があった。

 そこには人も獣も寄り付かぬような禍々しい気が立ち込めている。

 血の匂いと共に溢れ出る負の気配。

 

 そんな中に一人の男がいる。

 

 「ここでの目的は達したけど、いきなり貴重な人材を失ってしまうとはね。私の不注意だこれは」

 

 否、先程までは一人ではなかった。もう一人は男の目の前で肉塊となって散乱している。原型を留めていないバラバラな肉塊が。

 まるで圧倒的な膂力で引きちぎられたかのように抉らた断片。

 

 男は反省していた。

 

 「彼女には申し訳ないことをした。この経験は次に活かす」

 

 心底申し訳無さそうな顔をして、簡単に懺悔を述べると男はさっさと肉塊と決別した。

 どこからとも無く現れた呪霊がその餌を食らいつくし、惨劇の痕跡は隠蔽される。

 

 男は次の『人材』を求めて歩きだす。彼自身が目指す大いなる目的のために。

 



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6.告白、会敵

 HRが始まる前の教室。

 私の数少ない友人の奈々子が話しかけてくる。

 

 「空さぁ、ついに真くんと付き合い始めたの?」

 

 朝っぱらから目の覚めることを言ってくるやつだ。

 

 「急に何いってんの?」

 「いや別に急じゃないと思うんだけど…。最近朝も一緒に登校してるらしいじゃん。今まで下校だけだったのに。もしかして…同棲してるとか?」

 

 本当に何を言っているんだこの娘は。頭の中ピンクか。

 

 「いやありえないから。私ら中学生だよ?なんでそんな発想に」

 「だって朝同じバスから降りてきたって目撃証言あるし…。まさかわざわざ迎えに来てくれてんの?」

 「え、まあ、うん」

 

 ドン引かれてるんだけど、引く理由が正当過ぎるから何も言えない。もしかして無理やり迎えに来させてるとも思われてるのだろうか。私だって結構申し訳なく思ってるんだけど…。

というか本当に山の中なんだよね私んち。学校近くに下宿したいと何度思ったことだろうか。実は呪具売ってお金稼いでるのって半分ひとり暮らしの資金作りって意味合いが強い。もう半分は学資稼ぎだけど、高専に行くならどっちも必要なくなるんだよね…。なんか虚しい。ちなみに小学校はお母さんが仕事行くついでに毎日車で送ってもらっていた。小学校すら近くにないのだ私の家は。

 

「いやあんたんち知ってるけど、あんな山奥まで毎朝迎えに行くとか真くん根性ありすぎでしょ。愛されてんね~あんた」

 

普通はそういう感想になるよね…。でもあいつの身体能力知ってる身からするとそこまで大変でもなさそうというか、まあ感謝してるのは確かなんだけど。

 

 「ていうかそれで付き合ってないのが不思議というか意味わかんないというか、なんで?」

 「なんでって、私のことは部活でお世話になってる先輩としか思ってないでしょ。送り迎えしてくれてるのだって純粋に物騒だからって理由だし。真は根っからのいいヤツだから」

 「…それ真面目に言ってんの?…酷すぎる。真くん不憫だ。なんで自分に好意持ってるって発想にならないのか謎だ」

 

 真が私を?そんなことがありえるか?あいつは人に好かれてる。いい女の子だって選り取り見取りだろう。私をわざわざ選ぶ理由が見つからない。自分で言ってて悲しくなるけど。

 正直私は傍目から見て変人だ。呪術師であるのはもちろん、自分がどう見られているかとか、他人との関係についてあまり頓着しない。あと根が暗い。

 例えば目の前のこの子のような娘の方が真には合っている。私から見ても可愛いし、人付き合いあまりしない私にもグイグイ来てくれるから付き合いやすい。明るくて性格もいい。まあそんな子だからちゃんと彼氏いるけど。

 

 「空ってば可愛いんだからもっと自分に自信持てばいいのに。あんたのこと気になってるっていう男子って結構いんのよ?いっつも真くんと一緒にいるから諦めてるっぽいけど」

 「ふーん、そうなんだ」

 「うわー興味なさそー」

 

 興味ないっていうか、赤の他人が自分をどう思ってようとどうでもいいというか。そんなので自分に自信持てるような幸せな性格をしていない。やっぱ根が暗いよな私って。

 

 「私は奈々子みたいになりたいよ」

 「よせって照れる」

 

 くだらないおしゃべりに興じていると担任がのそのそと入ってきた。

 今日も変わらない一日が始まる。

 

 でももう11月、もう数ヶ月のうちにこの学校を卒業してしまう。

 私は呪術高専に入るつもりだ。両親には伝えてあるけど、真にはまだ言っていない。高専に行ったらもう真とはお別れになるだろう。

真は呪術の素質は高いけど、呪術師にはならない方がいい。人を助けるのは立派なことだけど、それを求めつづけると絶対に挫折する。全員を救える人間なんていやしない。呪術師は殉職率が非常に高い。親しんだ同僚が次の日あっさり死ぬということをちゃんと想像できているのだろうか。私もちゃんと認識できているとは言い難いけど、私は自分を『割り切れる』人間だと思っている。真はきっと違うから、やめた方がいい。私たちのような凡人はあいつを傷つけることになるだけだから。

 とても寂しいけれど、それが一番いい選択なはずだ。

 

 

 

 

 

 

 楽しい時間が過ぎるのは早い。

 長いと思っていた学生生活も、ふと振り返ってみれば光のような速さで通り過ぎたような気がして愕然とするものだ。

 人生は短い。だからこそ必死になって人は人を愛し、人を憎み、人生の目標に向かって身を粉にして邁進するのかもしれない。

 

 「彼女が現在唯一、相伝の術式持ちか。私の不手際で貴重な青春の時を壊すようで申し訳ないな。だがこれも大いなる目的のためだ」

 

 その人影は夕闇の中不敵な笑みを浮かべ、一人呟いた。

 

 「隣の少年もそれを理解してくれたらいいんだけど」

 

 

 

 

 

 夕日が差し込む田舎道の中を二つの影が進む。

 周囲に人影はない。元々人口はそこまで多くない上に周囲を田に囲まれた街の外れだ。この時間帯だと車も禄に通らない。

 最近はすぐに暗くなるから部活は休みにしてすぐに下校している。いつものように俺は先輩を家まで送る途中だった。

 

 最近先輩の元気がない。

 俺が話しかけても大抵生返事で、聞いてるか聞いていないのかもわからない。何か悩みでもあるのだろうか。思い当たることと言えば、そうか進路か。そういえばもう11月、先輩ももうすぐ卒業してしまうんだな、と唐突に思い至る。

 ずっとこの時間が続くわけでもあるまいに、俺はなんて悠長に過ごしていたんだ。

彼女がどうするつもりなのかはもう知っている。その口から聞くことが大事だ。

 

 「先輩、卒業したらどうするんですか?」

 「…あー、どうしようか」

 「やっぱり高専に行くんですか」

 「あーうん、そうかもね」

 

 どこか心ここにあらずといった感じだ。先輩がいなくなってしまうと考えると、途端に空虚感が胸に押し寄せる。

中学に入学してから、先輩に引き連れられて、部活に入って。普通の友達と遊ぶ時間もあったけど、多くの時間が先輩とともにあった。

今の生活はほとんど先輩ありきで、いなくなった生活を考えられなくなってしまっている。付き合ってもないのに気持ち悪いと思われるかもしれないけど、それだけこの人は俺の中で大きな存在になってしまっている。

 

 今俺は先輩を追いかけて、高専へ行こうかと思っている。呪術師になるつもりはなかったけど、なるのが嫌なわけじゃない。適性もあると思う。1年はろくに会えないだろうけど、それくらいなら耐えられる。

 

 先輩の横顔を見る。

 夕日に照らされる端正な白い顔はやはり綺麗だ。俺はこれからもこの顔を見続けていたい。

駄目だな、やっぱり気持ちをちゃんと伝えておきたい。

 

 「先輩、俺も来年になったら高専に行きます」

 

 俺がそういうと、先輩は急に我に返ったようになって口を開いた。いつになく饒舌に。

 

 「やめときなさい。高専なんて碌なところじゃないし、あんたは来ないほうが身のためよ」

 「そんなところに行こうとしてる先輩が言っても説得力ゼロですよ。それとも俺に来てほしくないんですか?」

 「…あんたは呪術師にならない方がいい。あんたは力が強いだけの、普通の一般人だ。呪術師になったらきっと傷つくことになる」

 

 凛々しい顔が苦痛に歪んでいる。彼女の胸の痛みが伝わってくる。

 きっと本心で心配してくれているのだろう。彼女は本当はとても優しい人だ。俺なんかよりもずっと。そんなところが俺は好きなんだ。

そして隠しきれないていない別の感情。そこには先輩が普段なかなか見せようとしない心が含まれている。おそらくそれは寂寞感だ。

俺が先輩を追いかけるのが本気で嫌なわけじゃない。だったら遠慮する必要はない。

言うなら今しかない。これ以上のタイミングはない。

 

 「俺の心は、俺が何者になるのかは俺が決めます」

 「私はあんたのことを思って!」

 「そうでしょうね。でもそんなのは余計なお世話です」

 「…!…そう、悪かったわね、余計なこと言って」

 

 俺の言葉が先輩の胸に突き刺さるのがわかる。厚意を無下にするきつい言葉。一方的に自分の言いたいことだけ言って相手を傷つけるなんて酷い男だ。だけどこれは俺の本心でもある。

 そして今から言う言葉も紛れもなく俺の心の底から出たものだ。

 

 「俺はただ先輩のそばにいたい。あなたのことが好きだから」

 

 

 研ぎ澄まされた聴覚が、心臓の激しい鼓動だけを拾い、周囲の音が聞こえなくなる。耳が熱い。口の中がからからに乾いている。口元が震えていないだろうか。目線は先輩の美しい切れ長の目に釘付けで離れない。動かないでいると、向こうの方から目線を切ってしまった。

 

 言った、言ってしまった。言葉は驚くほどすんなりと口から流れ出た。

 稚拙な告白だったと思う。でも後悔はしない。それとなく匂わせるのとは違う、言葉に出して伝わることもあると思うから。

 俺の本心はちゃんと伝わっているだろうか。

 

 先輩はうつむいたまま動かない。

 やっぱりいきなり過ぎただろうか。人気はないとはいえこんな往来のど真ん中でやることじゃなかったかもな。

 

 実際には5分くらいだっただろうが、体感としては永遠とも思える時間が過ぎた頃、先輩がようやく口を動かした。

 その口元はやはり震えていた。

 

 「私も、真のこと…ずっと前から…」

 

 先輩の言葉は尻すぼみになって掻き消える。

 先輩の迷いを感じる。なぜ迷うのか、先輩の気持ちが全部知りたい。例え断られるのだとしてもいつまでも待ち続けていたい。

 

 

 

 

 それなのに、なんでこのタイミングなんだ。

 人生で初めて憎しみを感じるような気がする。背後、遠方に感じる気配に対して。

 

 違和感。

 こんな一世一代の勝負時だというのに、俺の五感が余計な感覚を俺に伝える。これはもう防衛本能みたいなもので、俺の意思とは関係ない。空気のゆらぎ、音の反射、風が運ぶニオイ、光の刺し方、木々や動物たちのざわめき、全ての身体感覚が連動して俺に直感的な危機を伝えてくる。

 先輩の答えを待っている暇がない。急いで後ろを振り向かなければやられる。

 

 俺に向かって飛んでくる一筋の黒い光条。

 呪力弾。呪霊の攻撃か?

 なぜこんなものがいきなり、気配が急に現れる?

 

 瞬間的に両腕に全力で呪力を集中させ、その攻撃をバレーのレシーブのようにして真上に弾き飛ばす。

 両腕が痺れる。少し力を抜けば吹き飛ばされていたかもしれない。

 

 さらに今度は先輩の方に気配が移動した。

 

 (まずい、先輩が危ない!)

 

 俺が先輩の方に振り向こうとしたところで、背後から声が聞こえてきた。若い男の声だ。

 

 「素晴らしい反応だよ。今の対応にしても、雑魚ばかりを纏めたとはいえ、とっさに私の奥の手をいなすとは。とても中学生とは思えない」

 

 (こいつ、呪詛師か!)

 

 呪詛師による襲撃、俺がかねてより危惧していたことが起こった。

 そして見ただけでわかる。この男、俺が知っている誰よりも強い。

 

 そいつは先輩に後ろから近づいて、その肩に手を置いた。

 人質に取るつもりか?先輩は状況がまだ飲み込めていない。ただ、危機を認識している途中の段階。

 相手の目的すらわかっていない。わかっているのはこいつが危険だということだけだ。下手に手を出すことができない。完全に不意を突かれた。

 

 「先輩に手を出すな!狙うなら俺だけにしろ!」

 

 その男、髪を後ろに結い上げ、袈裟姿の生臭坊主のような呪詛師は俺の言葉を聞いて鼻で笑った。

 

 「残念ながら私には君の言うことを聞かなければならない理由がない。そもそも私が用があるのは君ではなく、この少女の方だからね」

 

 俺でなく先輩が目的。

 全てが繋がった感覚がした。先日先輩の親戚が攫われたといった。結局捜索は適わず行方不明のままという残酷な結果のままだったが、こいつの仕業だったか。

 目的はやはり先輩の術式。そしてその理由、こいつの正体すら俺は思い至っている。

 

 「そう怖い顔するなよ。別に危害を加えたいわけじゃないんだ。少し私の目的のために力を貸してほしいだけ。用事が済んだら解放することを約束する。本当だ」

 「信用できない」

 

 当然だ。予想が正しければおそらく攫われた親戚も先輩と同様の術式をもっていたはず。ではなぜ今更先輩を必要とする?

 答えは、もういないから、だ。

 

 「では縛りでも結ぶかい?私はかまわないよ。二度同じ轍は踏まない。彼女の安全は保証しよう」

 

 こいつの声を聞くだけでもはや不快だ。なぜ先輩がこいつのために働く必要がある?この人の命をなんとも思わないような外道のために。

 戦うしかない。先輩を守れるのは俺しかいない。そのために俺は今この場所にいるんだから。

だが、そんな俺の考えは他ならぬ先輩自身に否定された。

 

 「…真、こいつの言う通りにして。私は大丈夫だから」

 「馬鹿な、正気ですか!?」

 

 縛りを結んだところで信用できるものか。こいつに着いていったら最後、利用されるだけに留まらず、先輩は高い確率で死ぬ。縛りの抜け道なんていくらでも考えられる。

 

 「うーん、空ちゃんの方が君より利口みたいだね。力量差も弁えてるみたいだ。わかるかい?彼女は今、他ならぬ君の心配をしているんだ。私としても前途有望な若い術師の未来を奪う真似はしたくない。大義のために仕方なくやっていることなんだ。どうか彼女のためにも君のためにもここは抑えてくれないかな」

 

 

 わかっている、今の俺ではこいつには勝てない。だが敵わなくても戦わなければならない理由がある。

 

 先程の呪力弾、呪霊の気配があった。確実に野良の呪霊じゃない。間違いなくこの男によるもの。

 加えて俺の裏をかくこの身のこなし。見ただけでわかる確実に1級を大きく上回るだろう実力。呪力量。

これらの情報から導かれる答えは一つ、呪霊操術の使い手、特級術師、夏油傑!

 

 目的はおそらく先輩の降霊術式。

 霊を降ろす媒体や縁さえあれば比較的自由に霊を降ろす事ができる。降ろした後の制御までは術式の範疇じゃないため使う機会がないと言って普段は腐らせているけれど、能力自体は本物だ。

 自然の呪力を媒体とすれば呪霊ともなるだろう。夏油にとっては自分の手札を無限に増やすことが出来る駒になる。それしか考えられない。

 

 もう一つ重要な事実。先輩の親戚もおそらく降霊術式、もしくはそれに類似したものだった。なのにもう使えない。死んだからだ。どういった経緯でそうなったのかは知らない。わかるのはこの男がどうしようもない外道で、信用ならない奴だということだけ。

 

 先輩にとっての最大の脅威。

つまりこいつは俺が必ず打倒しなくてはならない敵そのもの。

 

 「…言いたいことはそれだけか?夏油」

 「私の正体にまで勘付くとは、頭も回るらしい。私が特級術師と知ってもやる気満々か。じゃあ仕方ない。少し痛い目見てもらうよ。心配しなくても殺しはしない。君には彼女に協力してもらうためのダシになってもらおう」

 



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7.術式の名

 

 先輩が夏油の呪霊の1体に拘束される。気配からしておそらく準1級以上、先輩自力での脱出は期待できない。

 だが先程からの言動や振る舞いからこいつには今は先輩を傷つける理由がないというのは本当だろう。俺が夏油を始末してしまえば全てが解決する。

 

 人殺しなんてしたことがないし、これからすることもないと思っていた。だけど俺の敵意は殺意となって、意外なまでに冷たく透き通っている。たとえこいつを本当に殺したとしても一片の動揺が生まれることもないだろう。それだけ俺はこの存在を許容できない。

 これが俺の本質なのか。思えば呪霊という『生き物』を殺すときも一筋の痛痒すら感じたことがない。俺は自分の望む世界に邪魔なものは僅かな慈悲もなく排除できてしまうのだろう。

 夏油と俺は同類だ。術式も似ているが、在り方が似ている。だからこそ互いに相反する。絶対に交わらないことが確信できる。

 

 現段階で地力では劣っているのはわかっている。けれど勝機がないわけではない。奴の操る呪霊を片っ端から祓って自分の力に変える。

 最初から全力は出さないでまずは油断させて雑魚を消費させたい。

 

 だがそんな俺の思惑とは裏腹に、夏油はいきなり全開できた。

 準一級~1級レベルと思われる呪霊が5体、それに凄まじい呪力を感じる三節棍型の呪具を一匹の呪霊の口から吐き出させる。おそらく特級相当の呪具。まともに喰らったら最低でも肉がえぐれて骨が砕けることは覚悟しなくてはならないだろう。

 

 「これまで少しの間観察させてもらったけど、君の術式は呪霊の力を取り込むようだからね。仲間にできないのが惜しい、素晴らしい力だ。だから無駄な消費はしない」

 「ちっ!」

 「真、逃げなさい!!今のあんたじゃ勝てない!」

 

 それでも男にはやらないといけない時があるんですよ。

 

 

 再三言うけれど、数は力だ。術式持ちの呪霊が5体、特級呪具を携えた肉弾戦ができる本体。セオリー通りに行くならば周りの呪霊を最初に排除するべきだろう。だがその隙はあるか?

 

 すべての呪霊が術式を開放する。

 タコ型の呪霊が煙幕で視界を曇らせ、鯰は地を揺らし俺の位置取りを不明確にさせ、鎌鼬は空気を切り裂き気配感知を潰す。加えて先程から聴覚が上手く機能しない。夏油の隣に鎮座していた呪霊が何らかの音波攻撃を行っているに違いない。

 五感のほとんどを潰された。おそらく向こうの五感には影響がでない術式だろう。でなければ使うメリットがない。

残っているのは嗅覚くらいだが、この呪霊たちはニオイがしない。夏油と先輩のニオイだけかろうじて追える状況。

 呪霊は俺に祓われるのを危惧して攻撃してこないのか。ただ本体のみが特級呪具を携えて向かってきている。

 なんでここまで俺の能力をピンポイントで封じる戦略を仕掛けてこられる。

 恐るべきは呪霊操術だ。俺の術式が倒した呪霊を取り込むものでなかったら単純な物量で圧倒されてそれだけでお終いだったはず。

 

 「聞こえているかはわからないが、嗅覚以外の身体感覚を潰させてもらった。ああ嗅覚は手頃な呪霊を持ってないんだ。失礼だとは思うが、君を見ているとある男を思い出してしまってね。その猿と身体能力がよく似ているからつい」

 

 三節棍の薙ぎ払いの後に、これは…蹴りか?僅かな空気の流れ、ニオイの揺らぎを感じる。

 

 ほとんど嗅覚の揺らぎだけで夏油の猛攻を捌かなければならない。奴は特級呪具なのに対してこちらは呪力剣。特級呪具の強度に合わせるためにとんでもない量の呪力を注ぎ込む必要があり、どう考えても分が悪い。

 本来ならすぐさまこの場を離脱して体勢を整えるべきなのに、平衡覚、振動覚も潰されており大きな身体挙動がし辛い。下手に動けば大きな隙を作ることになりかねない。全身の神経筋組織の状態から脳内空間で身体シミュレーションを行ってなんとか立っている程度。

 ゼロ距離で肉弾戦を仕掛けられては結界術を作動させる隙すらない。

 

 詰み一歩手前。

 

 かろうじて決定的な一撃はまだ受けていない。左腕が完全に折れているが、それ以外は肌一枚の傷で抑えられている。

これまでにない集中力を発揮して時間感覚が引き伸ばされることで、感覚の逆算が間に合っているが、このままでは長く持たないのは自明だった。

 

 (死ぬ…!本当に!)

 

 初めて身近に死を意識する。

 俺にとってそれは恐怖ではなかった。ただ、焦りだけがある。

俺が死ねば先輩はどうなる?誰が彼女を助け出してやれる?この特級術氏を抑えることができる人間、五条悟か?馬鹿か俺は。いないものに期待してどうする。

 

 できるのは今この場にいる俺しかいない。死んでも成し遂げる。

 

 俺に出来るのは集中力をさらに研ぎ澄ませて曇っている身体感覚に慣れることだけ。雑念を抱いている余裕はない。

 

 間近な死を感じ取ることによる走馬灯にも似た感覚すら利用する。

 極限まで集中し、時間が引き伸ばされる。

 

 やがて孤独な世界が訪れる。

 

 そう、俺は孤独だった。

 俺の他に誰も認知しない世界。呪術という概念。呪霊を倒すにつれて俺は強くなった。その強さは異質なものだ。他の誰よりも俺は優れていた。俺にしか備わっていない力、他の誰にも理解されない。実の親ですら俺を理解しきれない。きっと抗えない孤独感の埋め合わせのためだけに俺は力をふるって人を助ける振りをしていたんだ。人を助けることで俺は人と繋がっていられる。人を助けた後は気分がいい。それは多分徹頭徹尾自分のためだった。

でもいつの間にか綺麗事に縛られて、自分で自分の首を締めるようなことをしていた。そんなときに先輩が教えてくれた。俺は大層な力を持っていてもただの一人の人間なんだと。俺のことを認めて、許してくれたんだ。

 

 奪わせない。彼女は俺の大切な人だ。

 

 

 

 

 感覚を封じられてから防戦一方ではあるが、絶対的に有利な状況にもかかわらず、夏油は俺に対して攻めきれていない。

 少し前から、俺は夏油の動きに少しずつ対応し始めていた。

 

 圧倒的に不利な状況の中、俺の意識は急速に研ぎ澄まされていっている。五感をほとんど潰されていることで、逆にそれらに寄らない新たな認知能力が開花しようとしているのがわかる。なぜこんな事が起こっているのかまではわからない。極限状態で思考を加速させることで普段五感に費やしているリソースをもって新たな脳の領域でも使っているのだろうか。

 

 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、振動覚、平衡覚…、人間が外界を認識するための感覚。呪術師はそれに加えて呪力というものの存在を視覚や聴覚、触覚などの身体感覚の延長として捉えることができる。

 では呪力とはなんだ。それらの感覚を全て封じられている俺が感じているこの力はなんだというんだ。

 

 

 第六感。魂による観測。

 人間に与えられた最後の隠された認知能力。今俺が認識している状況はそうとしか考えられない。

 呪力の揺らぎが俺の魂に直に伝わっている。俺自身の呪力もまた、同じところから発せられているのがわかる。つまり呪力とは魂の揺らぎより生ずる力に他ならない。

 

 次第に夏油の輪郭が見えてくる。自分の立ち位置も、周囲の状況も。目や耳や肌ではなく、呪力を伝い、俺は今魂でそれらを感知している。

 

 現在機能していない過去の身体感覚を全て無視してしまえば、俺の身体能力は夏油のそれを優に上回っている。

 劣勢の状況から盛り返し、肉弾戦は俺優位になってしまっている。もはや五感の有利不利などは問題にならない。

 特級呪具などと言っても、当たらなければ意味がない。

 

 夏油の感情が魂の揺らぎとして呪力に乗り、俺にも伝わってくる。焦り、困惑…。

 

 それを一旦無視し、俺は夏油から距離を取り、呪霊たちの元へと接敵し、結界術を発動させる。

 夏油の心理の不意を突いた起動、反応させる隙を与えない。

 

 「『針地獄』」

 

 全ての呪力を使い果たす勢いで、無理やり必中必殺の疑似領域を起動させる。

 結界が目標を取り囲み、内部に無数の呪力剣が生成される。力押しの必中必殺。

 

 呪霊がある程度固まってくれていたのが助けになった。感覚阻害を引き起こしている呪霊たちをまずは屠った。

 呪力をすべて使い果たしたのも問題ない。

 俺の術式は呪霊の呪力を吸収することで能力の底上げだけではなく、呪力の回復も出来るという効果がある。これまでは理屈がわからなかったが、ようやく理解の緒を掴んだ。使い果たした呪力が回復し、能力自体が底上げされる。5体の上級呪霊を取り込んだ。成長もそれに見合ったものになっている。

 

 

 形勢は俺に有利になった。

 だが腑に落ちない。奴は焦ってはいるが、まだ余裕を持っている。

 とっておきの隠し玉があるということか。

 

 「…どうやら君のことを酷く過小評価していたようだ。あの猿以上の化け物か」

 

 猿とはなんのことかわからないが、早々に始末をつけた方が良さそうだ。奴が本気になろうとしているのがわかる。

 呪力の流れを感じる。また何か出してこようとしている。

 奴の手のひらから呪力塊が現れ、空間に穴をあけた。

 

 そこから這い出してきた、規格外のナニカ。

 

 

 見ずともわかった。存在自体の格が違うと。

 

 「…特級仮想怨霊・化身『大嶽丸』。今私が持っている最高の切り札だ。殺すつもりはなかったが、予定が変わった。君は将来、私の大義への道上で最大の障害になるだろう。私の天敵だ。故に今ここで葬る」

 

 1級術師と特級術師に言語では言い表せないような差があるのと同様に1級呪霊と特級呪霊においても次元の違いというものが存在している。

 

 こいつはその中でも最上級。

 俺の魂が訴えかける。

 逃げろ、絶対に勝てないと。

 

 

 だがもう少し、もう少しで何かが掴めそうなんだ。この状況すらひっくり返す妙手、俺の術式と呪力の核心を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拘束に特化した呪霊にその身を抑えられている中、空はその戦いをただ見ていることしかできなかった。

 最初から真は夏油には勝てないと思っていた。特級相手にただの中学2年生が勝てるはずがない。経験も術式も呪力量も格すらも相手が上。勝てる道理がない。

 付け入る隙を与えないように呪霊を繰り出し、真の五感を潰し、立っているのがやっとの状態での猛攻。いかな真と言えど無理だ。

けれどそれは違った。真は自分を助けるために死力を尽くして状況をひっくり返そうとしている。その甲斐あって五感の不利すら覆し、夏油に一杯食わせてみせた。

 

 絶望しているのは自分自身に対して。何もすることができない自分、真の足かせにしかなっていない自分、そして真を信じられなかった自分。

 

 

 

 そして今本当の絶望が真に押し付けられようとしている。

この期に及んで、真を信じるべきか迷っていた自分がいる。本当に信じられないならさっきまだ真が敵と認定される前に自ら夏油と縛りを結んで真だけでも助けるべきだった。

今はもう何もかもが遅い。夏油は確実に真を殺すつもりだ。

 

 大嶽丸。日本最強の鬼神とも呼ばれる三大妖怪の一体が人々の畏れを元に形を成し、夏油の術式によって顕現した。

全身から迸る圧倒的な呪力量、そして鋼の肉体を持つ鬼神魔王。鬼の中の鬼として顕現したその肉体は強靭極まる。最強の鬼神の名に恥じない凶悪な身体能力、破壊力、そして未知数の術式。だが持っている術式を使わずとも基礎能力だけで圧倒でき、少しの小細工など意味をなさないだろう。全ての能力で真を確実に上回っている。

 

 

 勝負とも呼べない蹂躙劇がもたらされる。

 

 正面特攻、それこそが鬼だと言わんばかりの正直さ。だがただの一撃で決着は着いた。

 

 避ける間を与えないスピードでの単純な拳の殴打、それが全呪力を防御に回した真のガードを貫通し、右腕を砕き、左腕はちぎれ飛んだ。

 単純な呪力量と肉体性能の差が、この残酷な結果を生んだ。

 

 衝撃で吹き飛び、鬼は追撃を与える。左膝から下は潰れ、右脚は鬼の持つ刀で切断された。

 最初の一撃で肋は全て砕かれ、肺に突き刺さり、息すらままならない。

 

 誰が見てもわかる。終わりだと。

 

 一瞬ですべてが終わった。

 

 

 「君に敬意を表して、再度私の奥の手で止めを刺してやる。ストックの無駄遣いなどではない。私自身の新たな覚悟のためだ。君の死を戒めとして私は先に進む。極ノ番『うずまき』」

 「…こぷッ…ごぽっ…」

 

 今の真には喀血すらままならない。

 正真正銘ボロ雑巾のようにぐちゃぐちゃにされた。今はかろうじて意識だけは保っている状態で、それすらいつまで続くかわからない。放って置いても直に終わる命を、夏油は何故さらに蹂躙しようというのか。

 

 今、その収斂された呪力が、解き放たれようとしている。未来は決定している。真は確実にゴミすら残らずに消滅する。

 

 

 

 先程から叫びに叫んで枯れた声で、空は自分の全てを賭けて嘆願していた。

 

 「もうやめて!何でもずるから!!縛りでも何でもむすんで、一生あなだに尽くすから!!だから真だけは殺さないで!!」

 

 

 どう見ても今生かしたところで直に死ぬ命。だが目の前でその生命の灯火が完全に消えるところを見るのは少女の許容量を超えていた。

 

 ギリギリの瀬戸際、思春期の少女の心魂からの叫びは、まだなけなしの善性を有していた夏油の意識を傾けるだけの効果はあった。もちろん打算的な意味合いの方が大きかったけれど。

 

 夏油は至極穏やかな口調で、しかし恐ろしく冷徹に、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃに歪ませている少女へと語りかける。

 

 

 「…実を言うと私は今迷っている。大義のためにどちらを優先すべきかどうか。将来の障害を確実に排除すべきか、君という私の術式にとってのメリットをなるべく使える形で手の内に入れておくべきかどうか。選択肢は二つに一つ」

 

 夏油はチラ、と少年だったものの残骸に目を向ける。右腕もちぎれかけ、四肢は余さず欠損している。肺に肋骨が突き刺さり、喀血のために禄に呼吸もできない。切断口からの出血もひどい。首の骨も少し曲がり方がおかしい。おそらく折れている。放って置いてもじきに死ぬだろう。意識ももうないかもしれない。

 ここは少女の願いを形だけでも聞いて、利用するだけするのが得策ではないか。後に少年の死が完全に発覚して離反される可能性は高いが、できるだけ短期間に利用できるように準備は整えている。

 

 非術師の殲滅という大望を掲げる自分は、長い目線で可能性の高い方を選択し続ける必要がある。たとえこの少年がここで生を永らえさせたとして、術師として再起できるか?自分を倒せるまでに成長するか?

 家入硝子の反転術式を持ってしても、ここまでの欠損や障害は如何ともし難いのではないか。傷害から時間が経てば経つほどその修復は困難にもなる。少年が万が一生き残ってもここで再起不能になる可能性は非常に高い。

 

 夏油は決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真は今心の内を怒りの業火で煮やし尽くしていた。

 夏油という人生最大の憎しみを向けるべき敵に対して、そして力がないために好きな人を泣かせてあんな惨めな懇願までさせてしまった自分自身に対して。

 これからの人生でここまでの感情の渦は今後湧き上がらないのではないか。それくらいの激しい憎しみ。

 

 死に際で遂に至った真実。

 呪力は人の負の感情から生まれるというが、その実は魂の揺らぎからのこぼれ滓。そして現在持っている全ての魂の力が内から表出しようとしている。

 

 蹂躙され、嬲られ、死にかける一瞬の中で、真の思考だけはどこまでも加速し続けていた。そしてようやく掴んだ呪力の核心、自己の術式の本質。だが全ては遅きに失した。先輩はあの外道に連れて行かれてしまった。真を見逃す代わりに一生夏油に従うという縛りを自ら交わして。

 絶対に許さない。死んでも呪う。

 必ず復讐は遂行する。先輩も必ず助ける。

 

 

 先輩の身を投げ売った懇願と、奴の見通しの甘さに救われたことは生涯忘れない。普段奴は強すぎて、何かを奪われたり、格下に足をすくわれる経験をしたことがないのだろう。奪われたものはここまで激しい憎しみを宿すということを知っていさえすれば、真を見逃すという選択をすることはなかったはずだ。

 

 だが今は止め処無い憎しみは捨て置け。

 今自分がすべきことは、現在持ちうる全ての負の感情、全呪力を『反転』させて死にかけている体を修復すること。

 戦いのなかで掴んだ魂の感覚、自らの魂の形に沿って体を再度作り上げること。

 

 人の身で魂すら知覚するに至った集中力をもってすれば、難しいことではなかった。

 微小レベルかつ全く等量の二つの呪力を認識、それらを順次掛け合わせて正の呪力を弾き出す。非常に繊細なバランス感覚を要する呪力操作ですら、現在の真には容易い。そして感覚を一度掴んでしまえば自由自在に使いこなすことができた。

 

 魂の形に沿って体の歪みを置換し、欠損を補填する。肺に突き刺さった折れた肋骨は無理やり元の形に整えられる。傷ついた頸髄、頸椎も同様。失った手足は根本から新たに生えてきた。まるで魂というデータに従って体を正の呪力でプリントしているよう。いよいよ人外染みてきたな、と場違いな苦笑まで漏らす余裕ができた。

 大規模な欠損でも修復できる反転術式。呪力と考える意識さえ残っていれば、いくらでも回復できる規格外。その限界は真自身にもわからない。

 

 自らの魂を認識したことでわかったことがもう一つある。

自分の生得術式。その本質は祓った呪霊の呪力を取り込んで自らの魂に組み込み、魂から体を強化し、作り変えること。条件としては、自らが祓った呪霊のみを取り込むことができ、取り込んだ呪霊の術式は真自身が使うことはできないということのみ。

 名前のなかった自分の術式、今その本質を把握したことで名付けを行う。

 

 魂を混ぜて円ぐ(まろぐ)。そのまま『魂円呪法』と名付けた。

 



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8.追跡

 反転術式によって体を完全に復元した真だったが、やはり呪力消費は凄まじく、夏油の呪霊を祓うことで補った呪力分もほとんど使い果たしてしまっている。

 だが自然な呪力回復のために十分な休養を取って体勢を立て直しているような時間はない。

 

 夏油に連れられて去っていく直前、空は酷く不安定だった。錯乱していたと言ってもいい。

 誰がどう見てもあの時の真は助かる見込みのない状態。真を見逃す代わりに夏油と縛りを結んだのは真が反転術式で回復することを期待していたのではなく単に冷静な判断が出来なかっただけだ。

 時間が経って冷静になれば自棄になって自ら縛りを破ることも考えられる。それは夏油自身理解しているはず。

 奴はすぐにでも彼女に仕事をさせるために動き出す。そしてそれが済めば用済みだ。その後彼女はどうなってもおかしくない。今すぐにでも追跡するべきだ。

 

 真が呪霊を祓い、取り込む時、魂の強化に合わせて取り込んだ呪霊の魂が生み出す分の呪力も補填される。

 『餌』が必要だ。失った呪力を補給するための。しかしそんなに都合よく呪霊は湧いていない。普段から街を巡回して呪霊を狩って回っていたことが裏目に出た。

 一応、呪力補填の方法はある。

 

 (背に腹は代えられない。あれをやる)

 

 術式反転、『魄砕き』。

 

 術式の順転によって魂を統合することができるなら、反転させることで分割できるのも道理。

 真の術式反転は真円の魂を十三に等分する。数は別に真が定めたわけではないから、元々そう言う術式なのだろう。そして分かたれたその内の一つを、完全に砕く。呪力は魂からにじみ出る力。その元を分解してやることで純粋な呪力に還元する。その後、分かたれた魂は再び元の真円に戻った。

 

 これにより枯渇していた呪力が回復した。

 しかし代償は大きい。魂の一部を失い、単純にその分の強さも永久に失われた。

 これでようやく戦闘に耐える身体に戻ることが出来た。

 

 夏油が空を連れてここを去ってからそこまで時間は経っていない。今ならまだ間に合う。

 

 追いかける術はある。以前空に渡していた呪具が効果を発揮する。

 真の呪力をマーキングしたお守り、その方角を指し示す方位磁針型の呪具を今も持っている。酷くアナログな方法になるが仕方ないだろう。本当に使う機会がやってくるとは真自身も正直考えていなかったが、自分の周到さに感謝しなければならない。

 

 そして今再び、今度は本来の使用方法で術式反転を使う。

 真はそれを用いるためにすぐ近くに流れる川の元へ急いだ。必要なのは水だ。

 

 

 

 式神術とは依り代に自分の呪力と構築した術式を乗せて操る技だが、今から行うことはそれとは微妙に違う。

 

 「術式反転、召喚・分御霊『水龍』」

 

 そこに現れたのは以前正悟と共に祓除した、水を操る呪霊。真はこれに水龍と名付けた。

 

 これは姿形を変え、そして異なる術式を持った自分自身。主従関係が存在せず、術式による命令系統は存在しない。故に行動を縛るのは分身自身の思想のみ。

 自分同士で思考が食い違うということは早々ないだろうが一応注意が必要ではある。自身の肉体、外界の環境に合わせて記憶や意識は変わっていく。それに分身は呪力で構成されている、本質的には呪霊と変わらない存在。あまりに長く分かたれ過ぎるとそういうこともありうる。

 

 魂円呪法では真は取り込んだ呪霊の術式を使うことは出来ないが、使えないのは魂円呪法を持っている本体の魂に限った話。

 呪霊を取り込んだ際に一緒に術式も取り込まれてストックされている。分けられた魂にはストックされた術式が刻まれる。だからストックの上限は魂円呪法を除いた十二、入れ替えは自由だが消去したストックは永久に失われる。術式は肉体と魂に刻まれるものであり、逆に現実に顕現した魂は元の呪霊の形を為す。幸いにもこれまで真が狩ってきた術式持ちの呪霊は十二にも満たなかったため、上書きされることなく水龍の術式はまだ残っていた。

 

 弱点はある。分身を召喚している間は分かたれているその魂の分だけ本体の力も落ちる。そしてその分身が祓われてしまった場合その分の魂がそのまま失われる。分身を本体に戻すときには本体が直接祓って魂円呪法の術式順転を発動させる必要がある。万が一分身が造反するようなことがあれば戦って下すしかない。よって強力な術式であればあるほど分身として使う際のリスクも増す。本体は常に頂点の実力を持っていなければならない。

 

 「頼む」

 『承知している』

 

 水龍は川の水を身にまとい、その身を宙に浮かせる。真は浮き上がる水龍に跨った。

 

 そして水龍は水ごと自分の体を動かし、高速で移動を始めた。

 

 

 真が成長するほど分身として生まれ落ちる呪霊も強くなる。しかし今は真の十三分の一の魂しか持っておらず、元の呪霊より若干劣化している。これは今の真の実力が元の呪霊の十三倍未満であることを示している。

 

 夏油を倒すにはまるで足りない。少なくとも正攻法では勝てない。

 だが予想が正しければ、夏油を出し抜くための好機はある。自分はその機会を待つために追いつき、そして耐え忍ばなければならない。

 

 

 

 

 

 青森から飛んで、福島上空。

 夏油は空を飛ぶ呪霊に乗って移動していた。

 安全のため呪霊の口の中に入れて運んでいる空に向かって話しかける。

 

 「もう少しで目的の場所に着く。傷心の君に鞭打つような真似をして悪いけど、早速仕事をしてもらうよ」

 

 しばらく錯乱状態でいたのが、今は逆に怖いほど大人しい。あまり長くは持たないだろうと夏油は予想した。

 

 呪術師という仲間を傷つけるのは本意ではないが、必要とあらばやる。夏油という男はどこまでも冷酷だ。だがそうやって心の底から気の毒に思っているということが逆に恐ろしい。既に一線を踏み超えて、人として必要なブレーキを自ら壊している。不必要な感情を排して怪物のような理性と湧き上がる非術師への嫌悪がこの男を動かしている。

 

 「着く前に予め教えておこう。君にはある呪霊をこの世に呼び出してもらう。準備自体は全てこちらで済ませてあるから、君は術式を使うだけだ」

 

 夏油が穏やかに語りかけるが少女は反応を示さない。

 

 本来ならばあの真という少年を人質に取ることで協力を取り付ける予定だったが、予想外に強く、そして危険な存在だった。彼を殺したのは本当にやむを得ない 

ことだった。今はまだ自分の足元にも及ばないだろうが、際限なく強くなるという術式の性能は本当に恐ろしい。呪霊を下せば下しただけ強くなる呪霊操術という術式を持つ自分だからこそ正確に理解できる厄介さ。自分が大義を果たすまで呪霊は無限に湧いてくる。つまり彼もまた無限に強くなることができるということ。無限の強さなんて一人で十分だ。

 

 空に話しかけてからそれほど時間を置かず目的地に着く。

 出迎えるのは夏油の同胞。彼が家族と呼んでいる者たち。

 

 「夏油様、お疲れ様でした」

 「夏油様おそーい」

 

 長髪の女と、空と同い年くらいの双子の少女が夏油を歓迎する。

 夏油は呪霊から空を引き上げて、呪霊を手持ちに戻した。

 

 「ごめんごめん。でもそんなに遅れてはないだろう?準備は済んでるかい?」

 

 夏油の問いかけに女の呪詛師が答える。

 

 「呪物と儀式場は整えてあります。あとは降ろすだけです」

 「そうか、ありがとう」

 

 夏油はそう言ってその一見荒れ野にしか見えない丘の一画へ歩いて行く。そして夏油が一喝すると隠された洞窟への入り口が顔を覗かせた。その結界で隠された洞穴の中に足を運んでいく。

 その儀式が非常に危険であることを知っている夏油の仲間たちは、夏油に同行することなく洞窟の外で見張りの役を担う手筈になっていた。

 

 「ではお気をつけて」

 「心配ない、前みたいなヘマはしないよ」

 

 そう爽やかに笑って見せて、夏油は虚ろな少女の手を引いて暗い洞窟の中へと姿を消した。

 

 ここはとある妖怪についての伝説が残る土地。

 その伝説の名は、殺生石伝説といった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真は水龍に跨って空を高速で移動していた。

 そして空が持つお守りの方向を指し示していた方位磁針が急に方向を変える。

 

 

 (通り過ぎた!ということは先輩はこの辺りにいる!ここは…)

 

 

 持っているスマホで地図を調べる。示されるのは栃木県の最北端の町。

 真は自分の予想が正しかったことを悟った。

 

 夏油の目的はやはり自分の予想通り、新たな特級仮想怨霊の降霊と使役。

 大嶽丸という特級呪霊の実力を肌身で実感したからこそわかる。特級呪霊は他の有象無象とは比べ物にならないほど力に次元違いの差がある。あれさえあればその他の呪霊なんて戦闘において本来は全く必要とされないはず。まさに一騎当千の力。夏油がそれを欲しがっているということはすぐに予想がついた。

 

 そしてこの土地に残る伝承から呼び出す呪霊といえば答えは一つ。

 

 

 時間的猶予は殆どない。急がなければならない。

 

 水龍は真の指示を聞くまでもなくその巨体を急降下させる。

 そして誰にも見られないように地上およそ100mほどのところで真は水龍の首を跳ねた。

 祓われた分身は呪霊として術式に認識され、真の魂へ還元される。

 

 しかし本物の呪霊ではない。自分自身を殺すというのは妙な感触だった。だが今はその感慨に耽っている余裕はない。

 

 

 初めて訪れる地であり土地勘なんてない。呪具だけを頼りに夜の大地を駆ける。もし夏油に地下に潜られた場合少し厄介だ。

 しかしそんな真の心配は杞憂だったようだ。

 

 

 斜め右前方50m、案内役がいた。

 

 

 真が気配を察知出来る範囲は、妨害がなければ五感による探知でおよそ半径50m、魂魄感知は約10m程度。

 僅かに周囲を警戒している人間が数人、不審に思って近づいてみると術師だった。

 魂を認識できる真には魂から呪力が無造作に漏れ出ているかどうかがわかる。今この場で呪力を操れる存在が善良な呪術師である訳がない。 

 十中八九夏油の仲間。だが向こうは真を認識しておらず完全に油断している上、どいつもこいつも素の実力自体大したことはなさそうだ。

 これならば簡単に利用できる。

 

 

 真は気配を完全に絶ちつつ背後から標的へ接近し、呪力の刃を首元に突きつけた。

 そして周囲に聞こえるように脅迫する。

 

 

 「俺を夏油のもとへ案内しろ。質問は許さない。抵抗すればこいつを殺す」

 

 標的は双子の片割れの一人。

 近くにいた他の術師にもわかるように脅す。

 自分と同じくらいの歳の子供だなんて関係ない。今の真には明確な優先順位が、確固たる目的がある。

 

 突然出現した脅威に自分の姉妹が危険にさらされて、反射的にもう一人の双子が問いかけてしまった。

 

 「美々子!!あんた一体どこから…」

 

 一切の躊躇なく、真は美々子と呼ばれた黒髪の少女の首を裂いた。

 

 

 

 一筋の紅い線が宙を舞った。新鮮な血の匂いが辺りに立ち込める。

 紛れもない残酷な現実を知らせるための匂い。

 

 目の前で起きた惨劇に、その双子の片割れの少女が金切り声を上げた。

 

 

 

 

 しかしその鮮血はすぐに止まった。

 

 「二度言わせるな。今度は本当に殺す」

 「あ、あれ?」

 

 首を切られたはずの少女が呆然としたように声を発する。首元には傷一つ残っていない。少し痛いと思ったかもしれないが、今はもはや痛みすら感じない。

 幻だったのかと誰もが思った。

 

 

 違う。

 今のが幻ではないことは飛散した血痕を見ればすぐに分かる。真が即座に反転術式で治癒させ、あたかも幻であったかのように見せただけだ。

 実力差を理解せずに向かってこられても面倒だからこうした。しかしこれでただのハッタリを言っているわけではないことは伝わったはず。彼我の実力差もまた。 

 後は『縛り』によってこちらの要求を伝える。

 

 「縛りだ。俺を夏油の元に案内してくれたらこいつを解放する。そしてお前たちが俺や先輩に危害を加えない限り、お前たちへ攻撃しないことを誓う。夏油傑を除いて。どうだ?まあ受け入れないなら殺すまでだが」

 

 

 周囲の呪詛師たちは観念したのか、警戒しつつも降参の意を伝えてきた。双子の片割れだけは敵意を剥き出しにしているが。

 ここまであっさりといったのも、おそらくこれでも真が夏油に敵わないことを知っているからこそ。話が早くて助かる。

 

 案内兼監視役として片割れの金髪が付いてくる。

 

 

 

 案内役に連れられて、真は結界に守護された洞窟の入り口にやってきた。

 典型的な隠すための結界。

 

 観光名所として野に鎮座している殺生石は当然呪物でもなんでもない偽物。

 本物の殺生石がこの奥にあるらしい。ご丁寧に人質の少女が教えてくれた。

 縛りの件もあるしおそらく本当だ。それに呪具がこの先を指し示している。

 しかし伝説の呪物が収められているにしてはそういった呪力を感じない。奇妙な静謐ささえ感じさせる。

 

 ここまでで良いと、案内役に人質の少女を開放する。 

 そして別れ際になって案内役の双子が真に話しかけてきた。

 

 「…あんた、さっき本気で美々子のこと殺すつもりだったでしょ。なんで止めたの?」

 「平和主義だから。それに殺すつもりなら一人だけ残して他は全員殺してた。邪魔だからな」

 

 実際はそんな非効率で時間がかかることはしないが、脅しには丁度いいだろう。

 そして双子の少女たちは悍ましい化け物でも見るかのような顔で真を一瞥してから去っていった。

 

 

 

 

 

 

 暗い洞窟の中を、先程のの双子の表情を思い出しながら真は進む。

 

 (さっきは嘘をついた。俺は本当にあの女を殺すつもりだった)

 

 

 あの時、真は確かに明確な殺意を持って刃を引いた。そして確かにこの口元は仄暗い悦びに歪んでいた。

 

 あいつらは夏油の仲間、おそらくは目的を同じくする同胞。

 奴が大切にしている存在が自分に殺されたと知ったら、その時どんな顔をするのだろうか。怒るだろうか、自分に憎しみを向けるだろうか。ざまぁ見ろ、いい気味だ。お前の全てを奪ってやるぞ、と。

 そんな欲望が真を支配していた。

 

 そして血迷った。引き金を引いてしまった。

 

 

 欲望が達せられた瞬間、一瞬の思考の空白が生まれた。

 

 その刹那にも満たない時間は自分の薄汚れた魂を認識するには十分だった。

 

 圧倒的な後悔が押し寄せた。

 浮かぶのは大切な少女の顔だった。彼女はまだ死んでいない。今のこんな醜い自分を見たらどう思うだろうか、合わせる顔がない。もう二度と一緒にいられる気がしない。

 まだ間に合う。人質の少女はまだ死んでいない。まだやり直せるはずだ、とそう思った。

 

 夏油と何も変わらない。自分の欲望のままに人を傷つける怪物。いつの間にか以前の自分が唾棄していた存在に堕ちてしまっていた。

 

 (最低だ、俺は)

 

 だが後悔している暇はない。救うべき人と、倒すべき敵がこの先にいる。 

 後悔なんて全て終わった後にすればいい。

 

 

 

 真のプランは唯一つ。

 特級仮想怨霊がこの世に誕生した瞬間を狙って、不意打ちで一気に祓うこと。

 

 いくら呪力量に差があっても、反転術式の正の呪力を使って呪霊の魂をピンポイントで砕けば難しいことではない。

 問題は如何にして抵抗を許さず最速で、正の呪力を叩き込めるゼロ距離まで接敵するかであるが、誕生した瞬間であれば外界への認識が甘いはずだという予測がある。

 夏油があの大嶽丸という特級呪霊を従える際にしたことも同じようなことだろう。少なくとも真正面から打倒できるような性質の呪霊ではなかった。

 だが同格の特級呪霊を取り込みさえすれば、それも適う。奴の疾さについていけるようにさえなれば。

 

 (最悪なのは夏油が俺と同じ手を使って先に呪霊を手に入れられること。その場合は一か八かで奥の手を使うしかないが、成功する可能性は低い。俺の存在を夏油に悟られる訳にはいかない。)

 

 

 

 気配を絶ちつつ走っていくと、少しして空間に明かりが漏れているのが見えてきた。

 さらに慎重になりつつ進んで行き、広い空間が広がっているのが察知できた。

 気配は二つ、夏油と、空のものだけ。呪霊はまだ降霊されていない。

 夏油の長ったらしい前口上だけが聞こえてくる。

 どうやら奴の話が無駄に長いおかげで間に合ったようだ。

 

 しかし気を抜いている暇はないらしい。

 夏油の話が終わり、ついに空が術式を起動させ始めたのを真は感じた。

 

 呪霊の肉体と魂は呪力で構成される。元となる呪力は必要だ。

 夏油がこの時のためにと溜めていた有象無象の呪霊たちをまとめ上げ、一つの呪力塊として放出した。

 

 今、ついに新たな特級仮想怨霊が誕生する。

 

 

 

 

 だがその結末はこの場にいる誰もが全く予想しなかったものになった。




実は何回か展開変えて書き直してるから頭ごちゃごちゃになって色々矛盾が出てるかも
特に真人関係は地雷原。

もし読んでくれてる方いたら許して!


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9.誕生

 雨池空は前後不覚だった。

 

 夏油という呪詛師に連れられてからの記憶が曖昧だった。いや心の奥ではちゃんと理解している。そういうことにしておきたいのは、自分にとって残酷な事実をただ思い出したくなかったから。現在とあの時との記憶の連続性を持っていたくない。少しでも思い出そうとすれば精神に異常を来してしまいかねないほどの心的外傷。

 だが思い出さずにはいられない。

 

 真は、死んだ。無理だ、あの状態からはどうやったって助からない。遠目からでもそう思ってしまうくらいひどい傷。手足がちぎれ飛んで、人が達磨みたいになっている姿なんて初めて見た。ちぎれた手足が散乱している様子、傷口からとめどなく流れ出る血液、次第に弱っていく呼吸。

 でもまだ生きている、せめて形だけでも残してほしいと、あのときは自分の身を投げ売って懇願したけれど、今思えばさっさと楽にしてあげたほうが苦痛なく逝けたかもしれない。

 その残酷な最期を思い出して何度も嘔吐した。嘔吐した胃液で喉が焼けそうだ。

 

 真に降り掛かったすべての災厄が自分のせいだった。

 自分さえいなければ、彼は今も人好きのする笑みで、皆に囲まれて幸せな学生生活を続けていられた。

 

 憎しみは当然ある。だが全ての責任を自分の手を引くこの男に転嫁する気にもならない。この男がいてもいなくても、いずれ似たような結果になっていた気がしてならない。だって自分は真の足枷にしかなれないのだから。

 

 あのとき、さっさと自分から夏油と縛りを結べば良かった。真が自分を見捨てて逃げるなんてありえなかった。自分が憧れた少年はそんなことをするような人間じゃなかった。

そもそも自分と仲良くならなければ、入学式で声をかけなければ、あのとき出会わなければ、自分がいなければ、と。あのときああすれば、こうすれば、といつまでも思考のループから逃れられずにいる。

 だが、もう全部終わったことだ。もう取り返しがつかないことなのだと思い返して、絶望する。

 

 何もやる気が起きない。縛りでこの男の命令に従わなければならないが、それを破ってどんな災厄が降り掛かっても、もうどうでもいい。

 

 記憶すら曖昧になっている。好きにすればいい。非術師を皆殺しにする?知ったことではない。明日世界が滅びるとしても、今は何の感慨も自分に与えない。

 

 「予定よりだいぶ急で申し訳ないけど、早速最低限の仕事はこなしてもらうよ」

 

 未だ形を為していない特級仮想怨霊を呼びつけるというのが自分の仕事。

 

 だが例え無事に解放されたところでどうなる?自分の大切な人はもういない。自分が殺してしまったようなものだ。生まれてこの方死にたいとまで思ったことはなかったけれど、初めて今心の底から死んでしまいたい気分だった。

 

 

 

 煮詰まった、どうしようもない自暴自棄の精神の中。

 ふと、少女の脳裏に邪念がよぎった。

 自分が死ぬ覚悟であれば、この男に一矢報いることはできるかもしれない、と。

 

 

 空の降霊術式、それ単体は霊体を霊媒に降ろすだけで制御することまではできず、普段はあまり役に立たない。だが別に制御する必要がないのならば、準備は必要だがそれ次第であらゆる霊体を降ろすことができる。幸いにも準備自体は全てこの男が整えてくれている。

 

 夏油は単に呪霊を呼ぶ術式だと勘違いしているのかもしれないが、媒体は呪力に限らない。適性の問題もあるが、人の霊であれば、本来は人間に降ろすのが一番理にかなっている。ただ、霊媒の魂より格上の霊体を降ろしてしまえば、ほぼ確実に霊媒となった人間の魂は消し飛ぶ。だから普通はやらない。

 だが自棄になって何もかもがどうでも良くなった人間にとって、その恨みを晴らすにはうってつけの術式でもあった。

 

 鍵は、自己犠牲を前提にすることによる降霊対象の強化。

 自分の命を犠牲にするという事実が縛りとなり実際の実力を遥かに超えた飛躍を実現する。

 最悪の暴走状態にもなりかねないため相伝の術師たちが予てより禁術の対象としてきた秘術だ。

 特級呪霊に対して使用すればどれほどの効果が出るのかは計り知れない。確実に夏油に泡を喰わせることが出来る妙手に思える。

 

 自分が生み出した恨みの大きさ、人に恨まれるということはどういうことなのか、この夏油という男に教えてやりたい。

 仇討ち、それをすることで少しも報われることはないが、自棄になった少女の自殺の手段としては最上のものだった。

 

 

 

 

 夏油と空は本物の殺生石があると言われる洞穴の奥へと進んでいく。

 本来ここは呪術師が管理、秘匿しているはずの洞穴であったが、その存在を聞き出すための過程で夏油が殺した。長い時を経て全国に散らばった殺生石の破片と呼ばれる呪物を集めるのにもだいぶ手間取った。

 

 そして洞窟の奥、開けたドーム状の空間に、一つの呪物が封印されていた。砕かれ、全盛期の禍々しさは残っていないが、本物の殺生石と呼ばれる呪物。それは今や砕かれて小さくなってしまっている。

 夏油の仲間はそれに集めた殺生石の破片を繋ぎ合わせ、呪霊を喚ぶための縁として完成させた。

 

 古代インド~中国に起源を持つとされる伝説上の妖怪。時の為政者、権力者を誑かし人の世を大いに狂わせたという大妖怪。日本三大妖怪として酒呑童子、大嶽丸とともに数えられる一体。

 

 その妖怪、白面金毛九尾の狐。日本の伝承での名を玉藻前という。

 

 玉藻前が単なる伝説なのか、元となる存在がいたのかどうかはさして重要ではない。必要なのは大妖怪として悪行を為したという逸話。今でも多数の非術師がその名を知っている非常に有名な存在だ。畏れは恐れでなくともいい。とにかく凄い妖怪なんだという曖昧な共通認識ですら呪霊に力を与える。故に名というものは呪霊にとって重要な概念となる。

 

 「一体の呪霊を手に入れるためにも結構な手間が必要なんだよ。ああ、大嶽丸についても今と同じような方法で降ろしたのさ」

 

 言うまでもなく例の空の親族のことだ。

 ただその人は空がこれからしようとしているように無駄な抵抗はしなかったに違いない。でなければここまで無警戒に術式行使を許すはずがない。

 

 儀式の場は整っている。

 縁となる呪物、術式を持つ人間。そして夏油が用意した多くの呪霊を一つにまとめた呪力塊。

 降ろす霊がどこに向かうのかは術師のさじ加減次第。

 

 縛りに従い、躊躇することなく空は術式を行使する。

 

 「降霊、白面金毛九尾の狐、玉藻前」

 

 縁を頼りに漠然としていた人々の畏れが収束し、呪力を使って魂を構築する。肉体は魂という情報をもとに形作られ、特級仮想怨霊が降臨するという。

 だがそれを良しとしない人間がこの場にはいた。

 

 空は更にそこで自分自身を肉体の器として提供した。呪霊の魂が構築されている最中である今だからこそ出来る荒業。

 人間を器とする特級呪霊の受肉。これは呪霊操術の術式対象外になるかもしれないという一種の賭けも含まれている。あわよくば夏油をそのまま叩き潰してしまえればよし。それが適わずとも、どちらにしても縛りを破らず夏油の思惑を破ることが出来るかもしれない最良の方法に思われた。

 

 死んだはずの一人の少年が乱入してくるまでは。しかしもはや止められない。

 術式は発動してしまった。

 

 

 

 

 

 

 儀式が開始されたと見て突入したは良いが、肝心の空の様子がおかしいことに気づいた真は当初予定していた不意打ちのプランを全て放棄した。

 全力で敬愛する先輩の元へと駆けつける。殺したはずの天敵の乱入に気づいた夏油が追撃を加えてくるのにも全部無視して。

 

 しかしその甲斐もなく、真は全てが水泡に帰したのを感じた。

 呪霊は降臨した。平安貴族を象徴するような十二単に黒髪、狐を模したような白い面を形作っている呪霊。特級仮想怨霊・化身『玉藻前』は誕生した。空の肉体を依り代として。

 

 『うふ、うふふふふふ、あーはっはっはっははははは!!』

 

 祝福されるべき産声すら聞くに耐えない悍ましいものに成り果てている。少なくとも人間だった頃の面影は既に保っていない。

 その魂は高すぎる呪力放出のために観測できない。だが現状を見れば元の魂がどうなったかなんて簡単に察せられる。

 存在の格としてあの大嶽丸よりも上。それが何を意味しているのか、聡い真にはわかってしまう。

 

 夏油すらあまりに予想外の出来事に対処を忘れて呆然となっている。真が感じている衝撃はどれほどのものか。

 自分は間違ってしまったのか。万全を期さずに最初から夏油の方に特攻して一か八かの勝負を仕掛けるべきだったのか。

 それとも一時とはいえ夏油と同じ外道にまで堕してしまった自分への罰なのか。

 

 

 

 誕生の悦びを全力で表していた『呪霊』が急に笑い声を上げるのを止め、周囲を一瞥する。

 呪霊は人類の敵。その欲望とは、人間に対する害意。この呪霊、玉藻前は生まれた時からそれを心底理解していた。まずはこの場に存在している人間の殺戮。

 

 力を確かめるかのように、呪力を手に握りいじっている。

 そしてその呪力をおもむろに丸めた。

 

 真は寸前感じた悪寒に従い、反射的に頭を下げた。すると、脳天があった空間に一筋の黒い光条が走った。後方で破壊音が鳴り響く。

 高密度の呪力を射出するだけの単純な物理攻撃。だが速い。あらかじめ来ることがわかっていなければ避けられなかっただろう。

 

 すぐ間近に凄まじい呪力を感じ、冷や汗が湧き出る。喰らっていたら確実に頭を撃ち抜かれて即死だった。

 媒体無しのただの呪力圧縮による攻撃でこれだ。どれだけの呪力出力があればこんなことができるのか。

 

 そして今度は呪霊の白面が割れ、口元が開いた。そこから呪霊からは聞こえるはずのない意味を持った人語が漏れ出す。

 

 『おお、今のを避けるか。童よ、其方はもしや強いな』

 

 絶対に当たると思っていた攻撃を真が瞬間的に回避したことに呪霊は驚いていた。

 

 呪霊が人間の言葉を喋ってコミュニケーションを図る、そんな事は今までなかったことだ。特級呪霊の特権か、それとも人間を器として受肉したことによるものか。どちらにしてもその知能の高さは戦う上では厄介でしかない。

 

 高い知能を持つ凄まじい力を持った呪霊、誕生時点でこれだ。放置すればどんな災厄にまで発展するかは未知数。

 最終的には五条悟が全てを収めるかもしれない。だがそれまでにどれだけの人が死ぬ?

 

 絶対にそんなことを彼女にさせるわけにはいかない。だが自分に止められるのか。実力的な意味でも、精神的な意味でも。一体どうすればいい。真はこの呪霊を攻撃することができない。傷つけることを魂が拒んでいる。

 しかし思い悩んでいるような暇はない。現状を解決するための糸口に思いを巡らせるべきだ。

 

 そして思い至る、先程の攻撃の違和感。一瞬魂の揺らぎを感じた。

 

 (いや、まだ終わっていない。俺はまだ確かめてすらいない)

 

 本当にさっきの攻撃は呪霊が仕損じただけなのか。確かめる必要がある。まだ希望は失われていないかもしれない。

 好機は必ず訪れるはず。今はただ耐え忍ぶ時。

 

 

 

 

 夏油は現状を観察して努めて冷静に思考しようとしていた。彼我の戦力の分析。

 受肉した特級呪霊、予定とは違い今感じている力は自分の切り札たる大嶽丸よりもおそらく強い。しかしただ受肉しただけではこうはならない。少女が自ら死を賭したことで本来の実力を大幅に飛躍させていると考えるのが自然。

 

 受肉についても夏油の予想では術式の対象内だ。肉体の檻を壊せば中身の呪霊を使役することは出来るだろうが、その場合は本来降霊させる予定だった実力の呪霊を手に入れることになる。見立では大嶽丸と同等以下のレベル。

 それを手に入れるために現状最高戦力を今みすみす危険にさらす必要があるか。ここは一旦様子見に徹して、消耗を待つのが得策ではないか。そのためにはうってつけの人材が都合よくこの場に来てくれた。

 しかし玉藻前はそんな夏油の思惑を見越していた。

 

 『生臭坊主、一人だけ離れたところで静観とは、いい身分よなぁ』

 

 そう邪悪な笑みを漏らして、玉藻前がとある術式を発動させた。

 

 宙に浮く呪力の玉、その数九つ。それらは玉藻前のもとを離れ、無軌道に、縦横無尽に、空間内を飛び回る。そしてあらゆる角度に配置されたものから真と夏油に向かって先程と同じ光線が射出された。

 黒い光が断続的に点滅している檻が形成される。その光の線上にいた者がその身を貫かれるということは言うまでもない。

 

 (おいおいファンネルか!私はガンダムじゃないんだぞ!)

 

 夏油は咄嗟に大嶽丸を繰り出し、自分の身を護らせる。大嶽丸はその呪力出力でなんとか光線をガードすることが出来ているが、確実にダメージは負っている。そして四方八方あらゆる角度から撃ち込まれているために全てはカバーしきれない。夏油はその他の呪霊も盾として使うが簡単に貫通してしまっている。呪霊を一度に大量展開しようとしても出現した端から夏油まで攻撃が到達するように器用に撃ち抜かれる。

 

 この攻撃では大嶽丸相手には致命傷を負わせることはできないが、夏油本体は別。大嶽丸を守りに使わなければすぐに夏油は蜂の巣になってしまうだろう。チラと真を一瞥すると、奴は変態のような機動と身のこなしで器用に肌一枚ですべての攻撃を躱している。昔よりさらに体術も磨き上げたとはいえ夏油にあんな真似はできはしない。その姿を見て、脳裏にかつて最も嫌悪した非術師()が呼び起こされて場違いな苛つきを覚える。

 

 しかし一向に攻撃が止む気配がない。呪力量は見立てよりも遥かに多いかもしれない。今は自分もかすり傷程度で済んでいるけれどこのままではすぐに痛手を被ってしまうのは火を見るより明らか。

 この規格外のオールレンジ攻撃に対して本体の安全を保ちつつ状況を覆すための一手を打つには、あれをやるしかない。

 

 大嶽丸は無数の光線攻撃に存在する僅かな隙に乗じて呪力を練った。そして印を結ぶ。

 これより為すは呪術の秘奥、術式必中必殺の支配空間。

 

 だが玉藻前は、誕生したてだというのにその奥義について把握していた。伝承を元にした仮想怨霊であるため、自分の術式というものを生まれる前から知っているのだろうか。だが大嶽丸が使えるならばこの呪霊が使えたとしてもなんの不思議もない。夏油は僅かな焦りを感じ始めた。

 

 そして二体の特級呪霊が同時に領域を展開した。

 

 

 氷雷を呼び、火剣の雨を降りそそがせる天災が支配する領域、そして人を堕落に堕落させ、最期には毒を振りまいたという傾国の妖怪の逸話が支配する領域。二つの世界が互いを侵食し合い、これを制したものがそのまま勝利を手にする。

 

 だが大抵の勝敗は戦いの前から既に決しているもの。

 

 領域の押し合いは術式理解度、制御の練度に加えて純粋な呪力量と呪力出力が物を言う。

 呪霊操術によって使役されている呪霊は、一部制限をかけられた状態での一定の自律思考によって夏油の命令を遂行する。その制限とはすなわち自我の封印。これにより呪霊は夏油に操られた時点で自己の術式を理解する機会を奪われ、その成長は永久に止まる。だから両者が領域の綱引きをしているこの段階においても、玉藻前だけが術式を成長させ得る。それに加えて呪力出力においても水を開けられている以上、大嶽丸がこの領域戦において勝利する可能性は皆無であった。

 

 先に大嶽丸の領域が打ち負け、術式が焼き切れる。暫くの間術式の使用が不可になった。夏油はかつて高専時代に味わったきりの焦燥感を抱いていた。

 大嶽丸に比べて他の手持ちで玉藻前に対抗できるだけのものがいない。それ以前に現在自分は敵の領域の中、まずはこの危機的状況を脱する必要がある。領域で対抗出来ない以上、単純な肉体性能と呪力操作だけで敵の必中必殺に対処しなければならない。夏油にとっては絶望的な状況に思えた。

 

 

 しかしまだこの場には両者が現状取るに足らないと無視していた第三者が残っていた。領域戦においてその支配を免れる方法は非常に限られている。今の少年が耐えしのぐことが出来るとは夏油も考えていなかった。

 

 その予想を裏切り、真は領域の侵食を耐え忍ぶための手段を持っていた。そうして気配や存在感を絶ち、好機が訪れるのをずっと待っていた。玉藻前が大嶽丸に勝利したと確信し、その意識に空白を作る一瞬の間。自分の術式の射程範囲にまで一気に接敵した。

 

 「領域展開」

 

 『無相円輪』

 

 呪力、そして魂とは何か。それはこの世に生まれた差異。世界の混沌から魂は生まれ、魂の揺らぎから呪力が生まれ、呪力が澱となり呪霊が生まれる。魂円呪法とは分かたれたそれらをつなぎ合わせ、自らの内の混沌へと還元する。

 

 空間に付与される術式は、あらゆる呪力の支配。敵は術式はおろか呪力による身体強化も許されず、呪霊に至ってはその存在すら満足に保つことができない。

 

 だが今の真の実力では他者の呪力の影響力を最低限に留め、自分の力を底上げするという程度の効果しか発揮できなかった。しかし現状においてはそれで十分。

 先の領域同士の衝突においては、呪力の節約のために肉体の表面上にだけ領域を薄く展開し続けることで乗り切ることができた。術式が焼ききれないように脳を反転術式で補完しつつであったためかなりの呪力を既に消費してしまっているが、真は自分の目論見が成功したことを確信した。

 

 (射程範囲は俺自身の魂の容量に応じたもの、現状では約3mが限界)

 

 だからこそ十分に対象に近寄らないと空振りとなり、呪力を無駄に消費するだけで終わってしまう。

 だが一旦射程に入ってしまえさえすれば、敵の領域ですらものの数ではない。領域の辺縁を構成する呪力自体を端から無力化していくためだ。現に玉藻前は呪力量、出力ともに真に勝っているにもかかわらず、既に領域で押し負けてしまっている。

 そしてついに玉藻前は真の領域内にその身を囚われた。

 

 天地開闢以前の混沌。世の全てが満ち足りながらも形のない灰の世界が真と玉藻前を中心として広がっていく。

 

 

 真の目的、呪力の影響が取り払われ、その内に宿る魂が顕になった。

 

 先程から続いていた玉藻前の攻撃、まるで避けてくださいと言わんばかりに、あまりにも意図が見え透いていた。生まれたばかりで感情の操作が未熟だといえばそれまでだが、それにしても避けやすかった。あれならばおそらく自分より感知や身体能力で劣る夏油であっても避けられたはず。なのに避けるという選択肢を取らなかった。

 

 真はその魂をみて困惑した。だが得心もした。

 彼女の内に存在する魂は、呪霊の魂の他にもう2()()あった。

 



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10.真相

とんでも設定もう一丁はいりまーす


 雨池空という少女は呪術師の家に生まれた。

 

 両親ともに古くから続く家柄の呪術師、その中でも空は父の家の術式を継いで生まれた。

 呪力量もそれなりに多く、術師としての潜在力はある。

 だが彼女の人生においてそんなことはさして重要ではなかった。

 

 見えないはずのモノが見える、人とは違う存在だということ。

 

 古典的な呪術師の家は幼少期に他の子供と関わらせることをせず、家庭内で教育を施すところが多いが、雨池家は違った。

 幼い時分に人と違うということは子供にとっては残酷な結果をもたらし得る。

 

 人は自分と違う人間を排斥したがる。話が合わないから、理解できないから、そしてわからないものは恐ろしいから。色々理由はある。一つ言えるのはそれが人の本質の一つだということ。

 見えないモノが見えるといい、人にはない力をもっている少女は嘘つき呼ばわりされ、周囲の子供に嫌われた。

 

彼女は特別利口な子供ではなかった。自分が見ている世界が絶対だったから、嘘つきと呼ぶ他の子供に対して反発した。案の定訪れる孤立。

呪術師は呪霊という一種の『生き物』を狩る仕事。生易しい精神ではやっていけないが、別に最初から特別な精神を持っているわけじゃない。誰だって幼い時は友達と普通に遊びたいし、一人は寂しい。けれど圧倒的多数である非術師との出会いを重ねていく内に自分の方が世界の異端なのだと感じ取り、悪意への耐性を身に着け、世界との折り合いをつけていく。

 

 空は簡単にそんな真実を受け入れられるほど素直じゃない上に器用でもなかった。絶対に自分を曲げない。気に入らないやつには迎合しない。幼稚園生や小学生という年齢でも、いや純粋だからこそ子供はどこまでも残酷なことを言えるし出来る。自分たちの行い、徒党を組んだいじめや暴言に何の疑問も抱かない子供は多い。当然のようにいじめられたけれど、彼女は中途半端に強かったから耐えられた。

 

 いじめに対してやり返すことはしたけれど、呪術を使ってやり返すようなことはしなかった。そんなことをしたら非術師は簡単に壊れてしまう。誰にもバレることはないけれど、そんな卑怯な真似をして悦に浸るようなのは下衆のやることだ。嫌いな相手以下の下衆になるのだけは嫌だった。現実では惨めな境遇にあっても、心持ちだけは高くありたいと考える、そういう子供だった。

 一人は寂しいし、いじめは嫌だったけれど、耐えられる。でも惨めさは変わらない。こんなのは親には言えない。いじめを素直に親に訴えられる子供は多くない。みじめさが子供の行動を制限するのだ。親は子供が限界になってようやくそういう事実があったことを知ることになる。

 

 だけどそんな彼女にあるとき一つの転機が現れた。

 

 そのとき空は敵対女子から教科書を隠され、授業中にも関わらず学校中探し回っていた。もうその時は半分グレていた。授業中だろうが知った事か。もう諦めて学校もサボってどこか行くかと。空は利口ではなかったが利発だったため、このときには彼女自身いじめの原因は半分無駄に攻撃的な自分の性格に問題があるかもしれないと気づいていた。だからいじめと言うよりは一対多数の敵対状態といったほうが正確だった。だが自分を変える気にはならなかった。くだらない理由で自分を攻撃してくる気に入らない奴らに取り入りたくはない、そんな棘々したささくれだった気持ちが少女を鬱屈させて、余計周囲との軋轢を招いていた。

 

 気づけば一人の少年がいた。なぜか授業中の校舎内を自分と同じくうろついており、空の方に話しかけてきた。

 

 「君、なんでさっきからうろうろしてんの?今授業中だよ」

 「別に、あんたには関係ないでしょ。あんたこそサボりかよ」

 「いやさっきからずっと廊下を行ったり来たりしてたらそりゃ気になるって」

 「見てもないのに何でそんなことわかるのよ」

 「あー、俺って人より気配とかに敏感なんだよね。エスパーだから」

 

 馬鹿馬鹿しい。よりにもよって呪術師の自分の前で軽々しくそんなことを言うか。こっちは呪術師であることで今まで苦労してきたっていうのに。

 責任転嫁だということはわかっていたが、空は無性に苛々して、柄にもなくこの初対面の少年に意地悪をしたくなった。

 

 「あそこに悪い霊がいるんだけど、エスパーなら当然見えるよね」

 

 指差す先には木っ端呪霊の蠅頭がいる。術師が触れれば消えてしまうような儚い存在だ。多少霊感がある程度では見えるはずがない。呪術師であることにほんの僅かの暗い悦びを見出していた。

 そう言った後今の自分を見つめ直して空は無性に恥ずかしくなった。普段自分が嫌っている奴らと同じことをしていることに気づいたのだ。呪術師であることで優位性を保とうとしている、普段から溜め込んでいる苛立ちを赤の他人で発散しようとしている唾棄すべき人間。空が恥ずかしさで死にたくなっていたとき、その少年が声を上げた。

 

 「え、マジ?君も見えるの?」

 「は?」

 

 そう言って少年は呪力を飛ばして蠅頭を消し飛ばしてみせた。

 雨池空と神凪真の最初の出会いは実はそんな感じだった。空が小学3年生のときの出来事だった。

 

 

 それから二人はたまに会うことがあれば話す程度の仲になった。学年も違い性別も違うから頻度は決して多くなかったが。空は彼と話したくてストーカーのごとく一方的に出待ちして偶然を装っていた。だが無理もない、彼女にとっては自分以外の呪術師の子供との関わりはそれまでの経験上で一番新鮮なものだったのだから。きっと自分と同じような苦労や悩みを抱えているに違いない、共感してもらえるにちがいない、と期待をかけて少年を追いかけた。少しして、それが間違いであることに気づいた。

 

 少年はお人好しといっていい人間だった。困っている人がいれば手を差し伸べる。それが呪霊絡みであってもなくても。結局あのとき自分の教科書探しも授業をサボってまで最後まで手伝ってくれた。その時は無くしたと嘘をついて誤魔化して、恥ずかしさからそっけなくしてそれっきりまともにお礼を言えずにいたが、その後も会えば向こうから話しかけてくる。

 そんな男の子だから、皆彼のことを好いていた。霊が見えるということを公言しているのに排斥されることなく、皆何かあれば彼を頼った。空はあまりにも自分にないものを持っている、そんな彼のことが好きではなかった。嫌いにもなれなかったが。

 

 彼を見ていると自分が情けなくなる。何で同じ術師の子供なのにこうも差があるんだろうかと、それまで以上に悩むようになった。多分、心の底から自分自身の在り方について悩んだのは後にも先にもこのときが一番だった。彼は誰かに褒められたくてそうしてるわけではないと思う。なんでそんな在り方が出来るのかわからない。 

羨ましいと思う。本当は自分も誰かに好かれたい。一人はやっぱり寂しい。少年に会ってからそういう思いが強くなった。そう思うっていうことは自分にとって今の自分の在り方は間違っているということだ。

 悩みに悩んだ末、空は大胆にも直接少年に尋ねることにした。なんでそうやって誰でも彼でも助けたがるのか。

 

 「え?そんなの考えたこともないなぁ。あー、人助けするとなんかすっきりするからじゃね?たぶんそう」

 「いい子ちゃんかよ、ぺっ」

 「ひどっ、自分から聞いといてそれは酷くね!?てか廊下につば吐くなよ!きたねーな!」

 

 つまり天然。自分には無理だなとあっさり切り替えられた。ただ見習うところは当然ある。人の幸せを喜ぶこと、人を好きになること。人から好かれるためには人を好きにならないといけないと教えられた。そういえば自分から他人に歩み寄ったことって全然なかったな、と思った。彼にはなれないけど、彼みたいになりたいとは思う、憧れというやつだった。

 

 少年はそれから間もなくして引っ越してしまい、転校した。下の学年の子供に聞いてみると、たぶん会いに行こうと思えば会える距離だけど、自分たちは友達でもなんでもない。学年も違う。挨拶もせずにいなくなってしまう程度の関係。でも、縁があればまた会えるだろう。きっと会える。その頃には自分も少しは変わっているだろうか、変わってたらいいなと思った。

 

 少しずつ空は変わっていった。最初から疑心や敵意を持って人と関わるのをやめて、人を信じることから始めた。今までのように傷つくことは多かったけれどそれも徐々に少なくなっていき、人並みに学校生活を送れるくらいには成長した。友達と呼べる間柄の人間も少ないながらもできた。そうやって社会との折り合いをつけていけるようになった。

 

 中学生2年になり、入学式であの時の少年を見つけた。背は伸びていて雰囲気も変わっていたけど、ひと目でわかるくらいには彼女の中で大きな存在だったということだろう。空はいてもたってもいられず、半ば私物化している自分の部活に速攻で引き込んだ。

 

 だが、再び会った少年は昔とは変わってしまっていた。

まず空にとってショックだったのが、小学生の時自分と面識があったことをすっかり忘れてしまっていたことだった。幼い頃のことをよく覚えていないということは往々にしてあると思う。真は周囲の人気者であったからその他大勢のうちの一人である自分を覚えていないということは仕方ないかもしれない。でも簡単に納得できるものではない。自分の方は一目見てすぐ思い出したのに、と今の今まで根に持っていることは秘密だ。

 

 そしてもう一つ、義務のように人を助けているということ。心の底から人の幸せを喜んでいた少年が、自分の気持ちに嘘をついてまで人助けをするようになっていた。真を便利屋として食いつぶそうとしているような輩もいた。彼はそんな奴らにまで手を貸す。本心ではどうでもいいと思っているくせに。

だから一番気に喰わなかったのは、自分の気持ちをどうでもいいと思っているような真の態度。一番大切なものを蔑ろにして本当に助けたいものが助けられるはずがない。そんな行いは誰も幸せにしない。

はっきり言って幻滅したし、苛つきもした。同時に幼い自分は憧ればかりでこの少年のことをちゃんと見ていなかったのだと反省もした。

 

 どうしてこうなったのかは空には何となく想像がついた。結局神凪真という人間も自分と同じような普通の子供で、人の波に揉まれてしまったということだろうと。

 それでもこの少年の心根自体は変わっていないこともわかった。どうしても困っている人には自分から手を差し伸べるし、やっぱり自分は少年のそんな優しさが好きなのかもしれなかった。

 

 実際、真が問題なのは呪術という異物に対する考え方だけだった。自分と非術師を区別して、非術師を力なき者として見下している。それはある意味しかたないことだろう。術師と非術師では生物としての強度が違う。呪霊という脅威を前にしたとき、非術師は圧倒的に無力だ。

加えて、真の術式は非常に特殊だった。呪霊を祓うことで呪力量、運動能力や五感、誰も気づいていないことではあるが、脳自体が強化されることで記憶力や思考速度など基礎思考能力にまで微量ながら成長が及んでいる。難易度の高いはずの結界術や式神術でさえあっさりと習得してみせたのはそれが原因だった。誰かにできて真にできないことはそのうちほとんどなくなるだろう。

真は意図せず人を傷つけてしまったことがきっかけでそれを意識するようになったが、遅かれ早かれ自分が『持てるもの』であると意識するようにはなっていただろう。

 

 だからといって、その精神は別だ。人の本質は術師と非術師で変わりはないと真は自覚している。持てるものとしての義務を果たそうとはしているが、その理由は術師と非術師は本質的に差はないとわかっているから、逆に不公平だと感じているからこそ。本人にとっては『人より不当に恵まれている』という、いうなればズルしているみたいだという負い目のような感覚。非術師という『弱者』に対する負い目、人とは違うということに対する恐怖、それは完全に凡人が持つべき精神。力と心のギャップが真を苦しめていた。

 

 空は真がただの子供であると見抜いた。それだけ真のことを見ていた。だったら何も考えず、子供らしく自分の心に従えばいい。人を助けたいなら助ければいい、傷つけたくないなら傷つけなければいい。自分の心に従えない状況になれば、せめて自分が損をしないようにすればいい。少なくとも自分はそうしている。

 

 気づいたときには我慢できなくなっていた。自分の考えを押し付ける行為だとわかってはいたけど、偉そうに講釈するのを止められない。言い終わった後に偉そうなことを言ったな、と恥ずかしくも思ったけれど、後悔自体はしなかった。幸か不幸か、真は無理をしなくなった。昔みたいに誰も彼も助けようとはしなかったけれど、底抜けのお人好しが普通のお人好しになった程度の違い。人の世で生きていくなら多分そちらのほうがいいだろう。

 

 それからなんだかんだと放課後は部活で同じ空間で過ごしたり、毎日のように送ってもらったり、自宅に呼んだら空の父親に真が大変気に入られて稽古つけられるようになったりで、同じ時を過ごし、あっという間に2年近くが過ぎてしまった。

 当然喜びの他に新たな悩みも生まれた。真の隣では自分こそが凡庸。特別になってしまったからこそ、余計に差異が浮き彫りになり、大切だからこそ足かせになりたくないと願ってしまう。

 だから雨池空という少女にとって神凪真という少年は何かと問われたら、ただ、大切な後輩である。自分の心、その半分に従って、それ以上は望まないようにしてきた。

 

 

 

 今は玉藻前と呼ばれるようになってしまった肉体の檻の中、空の魂は健在だった。

 これは本来あり得ないこと。圧倒的に存在が格上である特級呪霊の魂の媒体となったことで、もとの魂は瞬時に消滅してしまうはずだったのだから。そうなっていないのならば、当然それだけの理由がある。

 空自身にその要因がないのならばつまりは第三者の介入。庇護者の存在に他ならない。

 

 今、真の術式によって呪霊の影響力は低下している。眠っていた空の意識が目覚める。

 

 「ここは…?」

 

 神聖さを感じるほど静謐な空間。仙人が修行していてもおかしくなさそうな。見かけはもといた洞窟の中のような雰囲気、だがすぐ近くに透き通った湖が広がっており、水は上に向かって落ちていっている。明らかに現実ではない。

 

 「ここは我の生得領域。お主の魂と自らを匿うために構築した空間。ようやくお目覚めか、寝坊助め」

 

 急に背後から声がして振り向いた。そこにはこの空間の主と思われる存在がいた。

 呪霊ではない。だが人でもない。不可思議な存在だった。

 金糸の髪、金の瞳、青白い肌、そして恐ろしく美しい、正しく傾国の美女。

 

 「永遠の安穏たる浄土の地より我を呼びし娘、わざわざ主の嘆願に応えて降りてきてやった上、こうして匿ってやったというのに、礼の一つもなしか?現代の若い術師は無礼者しかおらんのかのう」

 

 目の前の美女が薄笑いを浮かべながら呆れた調子で語りかける。そんなこと言われても何が何だかわからないというのに、向こうもそれを承知しているのか楽しんですらいるようだ。

 

 「あなたが、私を…?」

 

 自分の記憶を思い返す。夏油に従って呪霊を降霊させようとしたけれど、奴への恨みから魔が差してしまったことは覚えている。そして直前になって、真が飛び込んできて…

 

 「思い出したか。お主は助けを求めた。消えたくないと願った。そしてあのときは全ての条件が満たされていた。意を汲んだ自分の術式に感謝せよ」

 

 全てを知ったような口で話す。だがまだその正体に思い至らない。あの時降霊されるべきは呪霊の他にいなかったはず。

 

 「まだわからんのか、存外鈍いやつだ。これならわかるか?」

 

 少し苛立った様子を見せながら女がそう言うと、その身は少しずつ形を変えていき…。

 

 それは狐だった。もちろんただの狐ではない。光り輝く金色の毛並みに金の目をして先程の女の特徴を残している。そして特筆すべきは、その尾の数。尾裂。九本の尾を持つ狐。その魂がここにあった。

 

 「白面金毛の狐…」

 『その通り。で、礼は?』

 「助けてくれて、ありがとう」

 『それでよい』

 

 そう、呪霊や仮想怨霊ではない、一人の『生き物』の魂。自分の術式で呼ばれたということは、正真正銘玉藻前の伝承の元になった存在なのだろう。

 本当に実在したのか、という衝撃と、なぜわざわざ自分を助けるような真似を、という疑問。そういった思考は置いておいて、いま胸の内にあるのは、圧倒的な感謝だった。自分の軽率な行いの尻拭いをしてくれた存在、彼女がいなければ今の自分は存在しない。全く頭が上がらない。

だがそれでも疑問は消えない。伝説では人を堕落に堕落させ、争いを呼び、世を大いに乱した邪悪として伝わっている。神聖な雰囲気さえある目の前の存在とは全く一致しない。

 

 『良かろう。どうせここでは時間はほとんど流れない。その疑問に答えるために少し昔話をしよう』

 

 

 まず術式を持つのが人間だけ、高い知能を持つのが人間だけという固定観念を排除するところから始めよう。

その狐はどちらも持っていた。『不死』ではなく、『不老』の術式を持つ狐の一族の一個体。古代インドあたりに起源を持つが、その時代そのあたりの土地は正真正銘の人外魔境、不老などクソの役にも立たずに狩られていくものたちが多かった。多くの同胞は山奥に引きこもり、生きるために術の修行を行い、白面狐もそういった道士の一体だった。

人間の尺度では一生の内に術式一つ極められれば良い方だが、長生きすればそういった術式の一つや二つ覚えるのはワケがないこと。人に化けられるようになるのは初歩の初歩。といっても術式を会得するのに100年は掛かるが。

 

 そうして道士として修行する中、白面狐は己の凡庸性を嘆き、力を求めた。そしてある禁術に手を染めた。すなわち呪霊の性質を備える術。呪霊、とりわけ仮想怨霊が人々の畏れをそのまま力に変えるという点に着目した。  

半呪霊と化した白面狐は心まで呪霊となり、大いに人の世を乱し、国を傾け、畏れを集めるために奔走した。象徴としての名前が知られなければ意味がなく、悪事がバレるところまでは予定通り。悪事が、国が大きければ大きいほど人々は畏れた。当時の術師や戦士たちも然るもので、白面の狐はその都度退治された。それでも有名になるに従い強大な力を手に入れることができたため満足していた。

 

 だがそんな試みはある程度までいったところで効果を失った。毎回退治されるとなれば人に対処可能な存在として限界が来るのは当然のこと。

その頃は平安、呪術全盛の時代だった。術師たちも強力無比であり、今で言う特級レベルの術師がそこかしこに跋扈している時代。そういう天才たちに奸計を用いられるでもなく素の実力で敗れたことで狐は限界を悟り、術を放棄した。呪霊としての抜け殻は殺生石となり、呪いを振りまくことになった。

 

だが呪霊としての自分と分離したことで、狐ははからずも我に返ってしまった。そして自らの残虐非道を思い返すことになった結果、大いに後悔した。始めは単なる実験のつもりだった。少しいたずら程度の悪事を働いて、人を困らせてみればすぐに力が手に入った。歯止めが利かなくなり、呪霊との親和性を増した結果だった。

 

 以降、魂をすり減らしながら殺生石という呪物を削り、封印を続けることだけを贖罪の道としたが、それすらも身から出た錆。後にもうほとんど力を失った呪物を人間の術師に完全に砕かれたときに役目を終え、狐は救いとして共にその命を終えた。

 

 

 『なぜ力を求めたのかなぞもはや覚えておらぬ。どうせ下らぬことだろう。今の我はそんな擦り切れた魂の成れの果て。今やこの体の支配者となっている呪霊からお主や自分自身を匿うので精一杯の身よ』

 

 狐は少し寂しそうに昔語りを終えた。

 

 本当の話なのかどうかは空には判断できない。悪事を企むために嘘を言っている可能性はある。だが今自分の身を守ってくれているということは確か。今の自分にはその事実だけで十分だった。

 狐がこの身に降り、空の魂を守ったのは、空が願ったからだけではなく、狐自身も自分の遺した悪行の後始末を望んでいたためだった。縁は十分、呪力も、呪霊が人の身という依り代を得たことで多少は余剰があった。降霊のための素地は揃っていた。

 

 『ちなみに呪霊が本来より強化されて誕生しているが、これはお主が身命を賭したからでもなんでもなく、この領域を安定させる代わりに我が少し力を貸してやっているからだ。まあその御蔭で多少細工も施せるわけだし悪く思うなよ』

 

 細工というのは、呪霊の攻撃の際に真に対して攻撃の意を伝えたり、少し軌道を反らせたり、とそういった類のものだ。これがなければあの射線の嵐の中を真がほとんど被弾ゼロで切り抜けるのは不可能だっただろう。

 とはいえ、この擦り切れた魂では呪霊の魂本体を抑えるのには至らない。自力で体の主導権を奪うことは適わなかった。

 

 「…これからどうなるの?」

 『心配せんでも、真がじきにケリを付ける。何で知っているか?ああ、お主の肉体の記憶は見たからな。あれは稀に見る英雄の器だ。我が憎々しく思うほどの才能、お主が気後れするのも無理はなかろう』

 

 人の記憶を勝手に見るなと物申したいが、肉体を共有している以上は仕方ないことだろう。

 だがこの身は既に呪霊が受肉したことで作り変えられている。もはや呪霊ごと葬るしかないのではないだろうか。

 

 『肉体は魂の形に引きずられる。呪霊の魂だけ葬ることができれば元に戻ることは道理。そのための手段をあやつは持っているようだしな』

 「反転術式…」

 

 あの酷く傷ついた状態からこの場に現れている時点で真がそれを習得しているのは自明だった。だから狐は真が呪霊だけを祓う可能性に賭けてこの体の内でそれを待っていた。

 

 『さあそろそろお喋りはお終いにして、少し手伝ってやるとしようか』

 「そうだね」

 

 

 

 

 

 真の領域内。

 境界はおろか、天地すらはっきりとわからない灰色の空間。

 

 玉藻前は満足に呪力を扱うことが出来ず、その実力は十分の一以下に落ちてしまっている。そして真は玉藻前の呪力を使うことで自分の力を大幅に増している。その大部分は領域の維持にそのまま回してしまっているが、既に優位な状況にある。

 

 それでもまだ玉藻前には少しの抵抗をするだけの余力はあった。人間を依代としていることで純粋な呪霊より領域の影響が低下しているということもあるが、元々の地力の差が大きかった。

 

 玉藻前は肉体の記憶を読み、真が自分を傷つけることが出来ないのを知っていた。ジリ貧なのは変わりないが、逃げ回って抵抗を続ければ好機は訪れるはず。

 なぜなら領域外には夏油がいる。奴が真に自分を祓わせることを良しとするはずがない。もうしばらくすれば大嶽丸も領域展開によって焼ききれた術式も回復する。何らかのアクションを仕掛けてくる可能性は高い。

 だから自分はただその時を待てばいい。

 

 真自身その事は承知していた。混ざり合う魂の核を捉え、受肉した呪霊を祓うには本当にゼロ距離で正の呪力を注ぎ込む必要がある。こうも逃げ回られては難しい。

 

 知るものと知らぬもの。焦りは真の方が大きい。

 

 だが玉藻前もまた自身の内に宿るものの意思を知らなかった。

 突然、玉藻前の手が、足が、その意に反して勝手に動く。完全にその身を静止させる。

 

 『う、動けん!なぜ、自分の身が惜しくはないのか!?』

 

 玉藻前が初めて明確な焦りを見せ、吠える。だが答えるものはない。

 力を借り受ける代わりに自身の内に生得領域を安定させることを約束していた。これを破れば魂が安置されている生得領域は消え去り、格上の呪霊の魂に侵されることは必須。

 

 だがそれはそんな間もなく呪霊が祓われるだろうという確信があってのこと。すべては真を信じるが故。

 

 ついに訪れた絶好の好機を逃すことはない。

 真は動かなくなった玉藻前に近づいていった。そしてその面に両手を添え、優しく口付けた。

 

 




腕が四本あって目がいっぱいついている人間もいることだし、このくらい許されるでしょ、ということで出した。後悔はしていない。たぶん。


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11.結末

ちょっと短め


 呪霊の魂が浄化されていくのを感じる。それと同時に不安定になっていた生得領域の崩壊が止まる。

 目論見通り真が玉藻前を祓ったのだ。

 再び安定した精神世界の中で二つの魂は未だ対峙していた。

 

 「これから、あなたはどうするの?」

 『所詮我ははるか昔に死した魂。現世に留まるには歪に過ぎる。用が済めば疾く失せるさ』

 

 それは至極当然な自然の理だ。呪術という外法を持って永遠の安寧から呼び覚まされているだけにすぎない。

かつて罪を犯したといえど、それを自覚して償いを行い、死した時点で禊は済んでいる。今回の助力はほとんどが九尾の狐の善意によるもの。

 

 『だがそうさな、僅かに未練と言えばお主がそうだ。どうもお主は昔の我に似ておるからのう。やらかし具合とか』

 「うぐっ」

 

 完全に早まったことをしたということは否定できない。この狐がいなければ、本当に命を掛けた縛りが発動して呪霊が手のつけられない存在になっていた可能性もある。命を掛けた縛りというものの強さをまだ空は知らない。

 

『我も弱体化したとはいえ、術の研鑽はそこまで衰えておらんし今のお主よりは格段に強い。どうせお主が死ぬまでくらいは瞬きの時間、もののついでに力になってやらんこともない。同情と憐憫からだが、どうだ?』

 

 九尾の狐は空に対して甘い誘いを授けた。完全に善意からによるものだが、人を堕落させる性の片鱗が確かに残っていた。

 空にとっては願ってもないことだ。力がない自分に辟易しているのは変わりない。力ないものから死んでいくこの残酷な世界では真の隣にいることが出来ない。今回の件でそれがはっきりとわかった。

 だけどこの誘いを受けたところで、その恩をどうやって返せばいい。そして借り物の力で強くなったところで、自分を好きになることが出来るのか。

 

 「…ありがたいけど、やっぱり遠慮しとく。あなたに頼ったところで、私が私じゃなくなるだけだから」

 

 苦渋に満ちた顔で空は答える。

 その様子を見た狐は満足そうに口元を大きく弧に歪ませた。

 

 『クックック…。見込み通り愚かな娘じゃ。我のことも呼び出した自分の力の一部、と傲っておけば良いものを。こちとら始めからお主の意見なぞ聞いておらんわ。お主の中に残ることは既に決めておる』

 「はぁ?」

 

 最初は何を言っているのか理解できなかったが、空は自分が試されたのだということを悟った。

 狐は更に愉快そうに語って聞かせる。

 

『我は我のしたいようにするだけ。お主と同じくな。文句があるなら力ずくで追い出してみせよ。それにお主、あの生臭の存在を忘れておらんか?』

 「うっ、そうだった…」

 

 それを言われたら言い返すことが出来ない。玉藻前は祓うことが出来たが、まだ夏油が残っている。夏油との縛りが健在である以上、自分は単なる人質にしかならない。

 

 「やっぱりお願いします…」

 

 しょんぼりしたように頭を垂れる姿を前に、狐は再び満足そうに笑った。

 

 

 

 玉藻前が消えていく。同時に真は身体に膨大な力が取り込まれるのを感じた。

 全身に青白い呪印が迸る。魂と体を作り変えている証だろう。全能感が真の精神を圧迫するが、耐える。力なんて自分を構成する一部にすぎない。

 そして目の前の少女もまた帰ってきた…はずだった。

 

 「…随分と情熱的な接吻じゃ。思わず体が熱くなってしまったわ」

 

 それは真の予想と少し違った。

空の漆のような黒髪、黒曜の瞳も金へと変貌していた。

 だが真はその存在に敵意を持つことはなかった。魂を見て知っていた。空のことを守ってくれていた存在だと。

 ただ表に出てくることは予想していなかったので困惑するしかなかったが。

 

 『ノーカン!!ノーカン!!』

 

 少女の頭の中で声が響く。

 

 「ああ、すまん、戦闘中だと思って張り切って出てきたが、状況をすっかり忘れておった」

 『嘘!絶対にわざと!この変態、色情魔!なにが現世には未練が無いよ!』

 

 今は精神の裏に引っ込んでいる空が自分の初めてを奪った怨敵に向かって吠え立てた。

 

 「色情狂呼ばわりとは失礼な。そうは言っても、我も頑張ったことだし、何か褒美があってもいいとは思わんか?それに既に我らは一心同体、体の感覚も共有しておることだし別に構わぬだろうに」

 『それとこれとは別でしょうが!なに、あんた真に惚れてるの!?』

 「うーん、そうかもしれん。だってイケメンだし…。まあ認識がお主に引っ張られてるせいだと思うが。そんなに心配せんでも横から掠め取りはせんて」

 『説得力ゼロなんですけど!やっぱ出てって!』

 

 

 傍目には少女が独り言を延々と呟いており軽くホラーな光景だった。非術師が見たら確実にヤバい人間だと思うし、術師から見てもかなりよくわからないことになっている。

 だが真は空の無事を確認してそれどころではなかった。

 

 「先輩、無事でよかった…。そして君が先輩を守ってくれたんだろう。本当にありがとう」

 

 九尾は驚いた。明らかに二つの魂を区別して言葉を掛けていたからだ。

 

 「魂を認識しておるのか。そんなことが出来るとは珍しい。いや、そのような術式を持っていればさもありなん」

 「ああそうだ。君はもしかして玉藻前か?」

 

 本物の?という意味だ。この状況でそれ以外にこのような強い呪術師が現れる道理がない。

 伝承とは様子が異なるが、人の話は得てして歪曲して伝わりあてにならないもの。少なくとも目の前の存在が自分にとって恩人であることに変わりはない。

 その問いに空と同じ姿をした少女は不敵な笑みを浮かべた。

 

 「空と違って頭に血が巡っているようだな。確かに、この魂はかつて白面金毛の狐と呼ばれた。ああそう言えば、我は依り代を得て再び現世に生まれ落ちた身、まだ名がなかった。お主が付けろ」

 

 思いがけない要求をされて真が戸惑う。というか先輩の中に居座るつもりなんだ、とも思ったが恩人でもあるため口には出せなかった。今の力関係がどうなっているのかもよくわからない。見たところ善良な魂だし敵対的でないからあまり心配する必要はないかと真は開き直った。

 とはいえ名付けはあまり得意ではない。見たままを表すことしか出来ないから。

 

 「俺でいいの?じゃあ、九尾だから九重(ここのえ)で」

 「安直じゃのう…。まあいい気に入った。今後ともよろしく、真。…ああうるさい、あの生臭をぶち殺したら替わってやるから大人しゅうしとれ!」

 

 

 

 

 夏油が術式を回復した大嶽丸と、ストック約6000のうち雑兵2000体、余力を残しつつリターンに見合う程度の呪霊を消費して領域に対して攻撃を仕掛けようとしていたところ。

 真が展開していた領域が解かれ、二つの人影が現れる。領域展開後から約一分後のことだった。

 明らかに力を増している少年と、様子の変わった少女の姿。

 

 これを見て冷静を装ってはいたが、実のところ夏油は全てのやる気を失ったのだった。

 

 そもそも真がこの場に乗り込んできたところから計画が崩れていた。

 真が生きているのは百歩譲って許そう。だがあそこまでボロボロにされておいて無傷の状態にまで回復しているというのは許容し難い。明らかに現代呪術師の中でも最高峰の回復力を得てしまっており、領域まで会得している。そしてそれを促したのは自分自身だという結論に至ってしまう。

 

 さらには目的であった特級呪霊まで横から奪われる始末。もはや大嶽丸と同等レベルくらいの実力は最低でもあるだろう。なんで追って来られたのかは考える気にもならない。

やること為すこと何もかもが裏目に出ている。夏油ははっきり言ってここ数年の内で一番凹んでいた。

 

 「やあ、玉藻前は美味しかったかい?」

 「呪霊ってゲロみたいな味がするんだな。知らなかったよ」

 「呪霊の味を知っている人が増えて嬉しいよ。だが空ちゃんは随分と様子が変わってるようだけど?」

 「お前が気にする必要はない」

 

 夏油はため息をついた。おそらく少女と結んでいる縛りについても対策ができているに違いない。今の真と戦ったとして、6割は勝てるかもしれないが失うものも大きい。隣の少女についても今は未知数。玉藻前からの支配を逃れている時点で何らかの力がある。その実力によっては差し引きゼロからマイナスにしかならない。もはやこの二人と戦ったところで自分が得るものは何もなくなってしまった。

呪霊たちを纏めて『うずまき』を作る前で良かった。こんなところで無駄にする必要はない。

 気づかれないように後ろ手にとある呪霊を召喚する。

 

 「私の判断は間違っていたようだね。君はあの時確実に殺しておくべきだった。アレは私の甘さだった。今後は肝に銘じることにするよ」

 「今後?随分と余裕な…。…まさか!」

 

 背後から大口を開けた蛇の呪霊が夏油を丸呑みする。これは尾を喰らう蛇。

 夏油はいつでもある程度の余裕を残している。確実な逃走手段を持っているから。

 自分は大義のために死ぬわけにはいかない。だからこそ常に持っている保険。

 

 真は瞬時に夏油目掛けて突進し、追撃を加えようとするが、その手前で大量の呪霊の壁が行く手を阻んだ。

 

 「置き土産だ。味わって食べてくれ。もう君とは会わないことを願っているよ。全く疫病神だ…」

 

 呪霊の口の中で夏油がうんざりとしたように呟く。

 現れた呪霊は全て2級~3級程度、今の真にとっては雑魚ばかりだったが、一瞬の時間稼ぎとしては十分だった。

 蛇の呪霊は最後には自分自身を丸呑みしてその場から消えた。

 

 

 

 「逃げやがった…」

 

 あっけない顛末に真は憤りよりも呆れを覚えた。

 夏油にはまだ怒りを感じているが、空を取り戻すことが出来た以上もはやそこまで執着を持つこともない。それに追跡する方法も既にない。

 空間から消えてしまっては仕方ないと追うのは諦めて成長した肉体性能の確認をすることにした。

 真は現れた呪霊を前に、黒い閃光となってその壁を貫いた。

 

 九重と名付けられた少女は目の前の蹂躙を見て目を細めた。自分が呪力で強化してかろうじて目で追える程の速度、多くの呪霊は真のことを認識する暇もなく、拳に撃ち抜かれ、首をもがれてこの世から消えることになった。

 圧倒的な膂力と疾さ。基礎能力のみで圧倒できている。並みいる呪霊では全く太刀打ち出来ないだろう。そして狩られた呪霊は全て真を成長させる養分となる。呪霊にとっては悪夢に等しい存在だ。

 

 (およそ100体の呪霊の壁を体術のみで20秒足らずか。強いな)

 

 既に平安の術師と比べても優れていると言っていい実力。正しく英雄の器。そしてそんなのが跋扈する平安の魔境、恐るべし。

 

 それにしても、正直夏油は逃走を選ぶのではないかと考えてはいたが、こうも潔いと逆に毒気を抜かれる。

 懸念すべきは縛りであるが、空が結んだ縛りの内容は、夏油傑の命令に必ず従うというもの。それは九重という存在には関係がない。九重が表に出ているか、夏油本人が目の前にいなければ無害。放置していても問題はない。

 

 九重は夏油の実力を測るために観察していた。

 呪霊のストックは未知数だが100体を使い捨てにできるほどの量はあると見ていい。一つ一つが大したことがなくても数が純粋な力になるというのは嫌というほど知っている。体術だけだったが100体程度で真を20秒は足止め出来ると証明された。単純計算で1000体なら200秒。加えて真の範囲殲滅はそこまで広範囲をカバーできない。範囲外から物量で押されれば、呪霊を糧にできるとしても対応が間に合わない。そして全盛期から劣る自分ではそれをカバーできるかはわからない。

大嶽丸が最高戦力と見ていいがその他に特級を持ち合わせていないとも限らない。玉藻前相手では単に出し惜しみをしていただけだろう。簡単に祓われて真の栄養源にするのも憚られていたということだ。

自分の見立ではここで真と二人で戦ったとして勝率は少なくとも7割あった。ただこの限られた空間だからこその7割、空間の縛りがなかったらもっと低くなるだろう。

そのような有利を得られず、ほとんどリターンが得られない以上無駄なリスクを負う必要はない。もし戦うとしても策を持ってから。場所を限定して向こうのリソースを割いてからもっと確実に勝てる状況が理想的。九重はそう結論付けた。

 

 

 

 洞窟から出る道中、既に九重は表出することを止め、空が表に出ていた。

 真はボロボロの制服、二人して土埃にまみれている。

 空の髪が金糸から見慣れた黒髪へと戻って真が安心する中、空はどこか機嫌が悪かった。それと同時に少し落ち込んでもいる様子。

 チラチラと横目で見ていた真はそれに気づいた。

 

 「…あのー、なんか少し怒ってません?」

 

 真が恐る恐る尋ねる。

 案の定少し不機嫌さを感じる声がする。

 

 「…助けに来てくれたのは本当に感謝してる。あんな状態になってまで守ってくれようとして。でもゲロは酷すぎるでしょ…」

 

 あっ。と真は冷や汗をかくことになった。あのときは正直吐瀉物の味が強烈過ぎて何をしたかよく覚えていなかったのだ。普段は呪霊を祓ったら勝手に全身から取り込まれるのだが、今回は口から反転術式を施しつつだったためそこから取り込まれる分が多かったらしい。

 九重も言うに事欠いてそれか、と少し怒っているらしい。本当のことだとしても、夏油相手に答えたのだとしても、当の女の子の前で言う事ではなかった、と真は少し反省した。

 

 「ごめんなさいすみません申し訳ない…」

 「もういいわ、完全にノーカウントってことで。それよりこっち向いて」

 

 徐々に出口が近づいてくる。

 

 「そう言えば私の答え、まだだったわね」

 

 口直しだと言って、空は不意に真に口づけた。

 洞窟には美しい月明かりが差し込んでいた。これが月の味とでも言うのだろうか。

 

 

 

 

 「あのー、お取り込み中申し訳ないんだけどー、青春を目一杯味わってるところ本当に、非常ぉーに申し訳ないんだけどー」

 

 突然二人の隣から声がした。瞬間移動したかのように、本当に突然それは現れた。

 

 バッっと真と空は反射的に互いに身を離す。

 それは身長が高くて目隠しをしていて白髪で黒装束の怪しいを絵に描いたような男だった。

 今、二人の思いは完全に一致していた。こいつは空気が読めないのか、申し訳ないと思うならもう少し待っとけよ、と。

 



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