神を輓きずりし者達よ (Y-Romi | 和井 火戸見)
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第一話 「北海道の空の元」

初めましての人は初めまして。Y-Romiと申すものです。

ばんえいウマ娘のスポ根小説。開幕です。


500キロの鉄のそり。200mの短いコース。2つの大きな山。きらびやかに輝く中央のGⅠレースとは全く違う、北海道の1大エンターテイメント、ばんえいレース。

 

ダートのコースに悠々と立つ彼女らは、ウマ娘であり、ウマ娘じゃない。

平均身長190cm、広い肩幅、地面を壊すような脚力。その剛力は山をも動かし、鋼の如き心で走り抜ける。

 

そう、彼女らは「ばんえいウマ娘」。それぞれの頂点を目指して走り続ける、崇高な物語の担い手。

 

「行ってきまーす!」

 

この世界に生きるウマ娘の運命は、レースの勝敗は、どんな頂を見渡すかは、まだ誰にも分からない。

それでも彼女たちは走り続ける。たとえどんなに大きな障害が待っていたとしても、最後に誰もが笑っていると信じて。

 

それでは、今、スタートを切りました。拍手喝采でお迎えください。

 


第一話 北海道の空の元

北海道帯広レース場で行われる、レースとライブを備えた一大エンターテイメント、ばんえいレース。中央(トゥインクルシリーズ)と比べたら少し規模は小さいけれど、長い歴史と根強い人気があり、いまだに客足が絶えない。

そして、私は今日、そんなレースに出るために「帯広トレセン学園」に入学する。

 

「はーい、みんなこっち向いてー」

 

ベテランらしい、女性の先生が黒板をチョークでカツカツと叩く。

 

「さて、入学おめでとうございます。今年も元気な新入生が多くて先生は嬉しいです」

 

幾度となくこの作業を繰り返しているのだろう。その人は軽く咳払いをしてから口を開いた。

 

「新しいクラスを持つたびにこれを聞いているのですが、皆さんはどんなウマ娘になりたくてここに入りましたか?」

 

考えたこともなかった。2か月前なら「知ったことじゃない」と言っていた所だが、学園に入った以上そうもいかない。

口元に手を添えながら、少し思考を巡らせる。想像もつかないというのが正直な感想だ。

少しばかり教室がざわついた所で、スラリとした長い手が上がる。

 

「はい、ウェルミングスさん」

 

その腕にふさわしい長身だ。彼女は後ろの席から向けられる羨望の眼差しを感じながら、はっきりとした口調で言った。

 

「私は、レースの頂点に立つウマ娘になりたいです」

 

何たる自信。他人事にしか思えないその言葉に驚きを隠せない私を無視して、先生は言う。

 

「なるほど、いい目標ですね。他には?」

 

「は、はい」

 

少し遠慮気味に、隣の席の子が手を挙げる。

 

「はい、シシカエデさん」

 

「ば、ばんえいレースをもっと盛り上げるようなウマ娘です」

 

先生は柔らかい微笑みを浮かべ「それもいいですね」と言い、ゆっくりと私たちを見渡す。

 

「・・・まあ何が言いたいかと言いますと、必ずしも勝つことだけが競走ウマ娘の全てではないという事です。確かに、他者を寄せ付けない勝利は素晴らしいものですが、ばんえいレースはただ勝つだけでは成り立ちません。「勝利の後に皆笑っているレース」。それを求めてレースに出てほしいな、と先生は思います」

 

教師らしく、ありきたりだが良い事を言うものだと思っていると、チャイムが鳴った。先生は軽く挨拶を済ませ、教室を出る。話の後に思ったが、きっとこの話も毎年やっているのだろう。

 

そんなことを考えていると、さっき手を挙げた横の子が話しかけてきた。

 

「えーっと、これからよろしくね?」

 

「あ、うん。こちらこそよろしく」

 

急に話しかけられると、いつも返答に焦りが出る。新しい交友関係を作るのは勇気がいる。

それにしても、可愛い笑顔の子だ。こんな虫も殺せなそうな子もレースに出るのか。あまり想像できない。

 

「どこ出身?」

 

「えーっと、札幌」

 

彼女は十勝の方で生まれたらしい。取り留めのない話をしながら少しづつ打ち解けていると、彼女はおもむろに言った。

 

「二人でレース、出られたらいいね」

 

「・・・出られたらいいね?」

 

初めまして500kg

どうやら、誰でも簡単にレースに出れるものでもないらしい。

 

「能力検査?」

 

「そう、そりを引いて100mを2分以内に走れば合格」

 

先生に聞いたところ能力の試験があり、それに合格しなければトレーナーが付くどころか模擬レースにも出れないらしい。

 

「大丈夫よ、障害もないし。8割受かるから」

 

「もし受からなかったら・・・?」

 

「サポート科か普通科に移動になるわね」

 

なんという恐ろしい世界。地方レースだと思い舐め腐っていた自分を殴りたい。

 

「特別講習が毎日やってるから、そんなに心配しなくても大丈夫よ。毎年落ちるのは講習をサボってたり、バ体に恵まれなかった子達だから。あなた190はあるでしょう?」

 

「ああ、まあ、はい。」

 

はっきりしない返事をして職員室を後にする。気分が重い。昔から試験の類はあまり好きではないのだ。

小さいため息を吐いていると、廊下で先ほどのウマ娘の子が待っていてくれた。

 

「能力検査、大丈夫そう?」

 

「ハハ、まあなんとか・・・」

 

どうやらこの子の名前はシシカエデと言うらしい。私より少し小さいが、この子も試験を受けるのだろう。どうせなら二人で受かりたいと思い、思い切って声をかける。

 

「あのさ、特別講習が放課後にあるらしいんだけど、いっしょに行かない?」

 

彼女はぽかんとした顔をしたが、すぐに思い出したらしい。

 

「あ、あれか! 黒板に貼ってあったやつか!」

 

彼女は即座にスマホを確認して、すぐに言った。

 

「今日の放課後でしょ? いいよ!」

 

何の曇りもないきれいな目。中途半端に捻くれた私とは違うな、と思い、少し笑う。

 

「ありがと。どうせなら二人で受かろうね。」

 

「うん!」

 


 

「・・・なんですか? これ」

 

そうつぶやいた私に対して、教官はさも当たり前かのように言った。

 

「何って、鉄そり」

 

「そうじゃなくてですね。・・・これ何キロあるんですか?」

 

ウマ娘である教官は凄まじく広い肩幅を揺らしながら、中の重りを確認した。

 

「えーっと、試験用だから500kgだね」

 

「500って・・・、引けるんですか?」

 

「それを今から鍛えるんでしょうが」

 

教官はざわつくウマ娘達に向かってハキハキとした声を上げる。

 

「注目! 実際にそりを引く前に説明をしますので良く聞いてください!」

 

集まったのは15人ほど。まだ初日だし、この講習の存在を知らない子の方が多いのだろう。思っていたより少ない。

 

「500kgのそりを安定して引くには技術がいります。何も考えないで引いたら10mで体力が持っていかれます」

 

話を聞いていると、前の方に背の高いウマ娘がいることに気がつく。どこかで見たことがある立ち姿だ。

 

(あれは・・・)

 

「必要なのは足腰! 筋肉量の多い下半身を意識して地面を強く踏みしめれば、100mくらいなら安定して走ることができます!」

 

カエデが必死にメモを取っている。持ってくるべきだったと軽く後悔していると、教官は遠くに置かれているそりを指さした。

 

「説明は以上、何事も経験。1グループ3ウマ娘でペアを作って、交代で引いてみる」

 

何故大人というものはグループにさせたがるのだろうか。一人足りないぞ。

仕方がないから辺りを見回していると、さっき前に立っていたウマ娘の子が話しかけてきた。

 

「グループ、入ってもいいかな?」

 

「もちろん!」

 

「ええ、どうぞ」

 

「感謝する」

 

どこかで見たと思っていたが思い出した。彼女はウェルミングス。朝の時間に「頂点に立ちたい」と言い放ったウマ娘だ。

 

「よし、じゃあグループ決まったらこっち来なー。」

 

言われるがままに、ダートのコースに並べられたそりの前に行く。

 

「これが、鉄ぞりか。」

 

私の後ろでぽつりと声が聞こえる。彼女の体格なら引っ張ることだって造作もないだろうに。

 

「はい、じゃあこれ付けて。」

 

渡されたのは、金具のついた分厚いベルト。腰に巻くとずっしり来る。

 

「このベルトと紐がそりにつながっていて、それで引っ張ります。では、やってみてください!」

 

金具をそりにつけ、ベルトが腰に巻かれているのを確認し、土を踏みしめ歩みを進めようとする、のだが・・・。

 

「・・・遅いね」

 

「・・・遅いな」

 

動かない訳じゃない。しかし亀のような速さだ。これでは100mなんて以ての外だ。日が暮れてしまう。

 

「・・・次、良いかな?」

 

「ゼハァ、ゼハァ、い、いい、よ、ハァ、」

 

「大丈夫? はい水」

 

「ハァ、ハァ、ありがとうカエデ・・・」

 

もらった水を飲み干し、ウェルミングスさんがベルトを付けるのを見守る。

 

「彼女、何cmあるの?」

 

「さあ、2mはあるよね。」

 

そして、歯を食いしばる彼女のそりは動き始めた。

 

「おっ、動いてる。」

 

着実に、確実に。彼女のそりは歩みを進めた。見た目に違わぬ能力だ、羨ましい。

 

「おおー、速い!」

 

5分ほどたった後、カエデが拍手をしながら座り込む彼女に水を渡す。

 

「ハァ、ハァ。想像、以上に、ハァ、疲れるものだな、これは、」

 

クールな様相を保っていた彼女も、さすがに息が切れている。想像以上に疲れたようだ。

 

「よーっし、次は私か。がんばるぞー!」

 

気合いの入った声を出しながら、カエデはベルトを着けた。

 

「無理すんなよー、カエデー」

 

大丈夫だろうか。少し不安だ。

だが、彼女を心のどこかで軽視していた私は、想像を絶する状況を目にする。

 

「速っ!?」

 

「!?」

 

ウェルミングスさんも言葉を失っていた。目が大きく開く。

 

「あいつ私より10cm以上小さいのに、どういうことだ?」

 

私のそりが亀だとしたら、彼女のそりは兎か猫か。すぐさま30m程を走り抜けてしまった。

 

「ハァ、ハァ、フゥ。」

 

対して息もきれていない。あまりの衝撃で言葉を失っているうちに、彼女は先生に呼ばれていった。

 

「・・・やばかったね」

 

「・・・やばかったな」

 

嵐のごとく流れ出る情動がひと段落ついたところで、自分の事を考える。

 

「ウェルミングスさん、あなたはこの後どうする?」

 

「ウェルで良い。私は・・・、少しトレーニングを増やすかな」

 

そういう彼女の目は情熱に燃えている。私にとっても、決して他人事ではないのだ。私は深く息を吸った。

 

「聞いて聞いて! 選抜メンバー候補だって!」

 

「うん、だろうね」

 

「お前はなんでそんな引くの速いんだ?」

 

「さあ? 分かんないや」

 

「「分かんないのかよ」」

 

その後も交代でそりを引き続け、講習は終わった。

私の結果はどうしようも無かったが、たくさんの物を得られた。それに何より・・・

 

「今日は勉強になったし、楽しかったね」

 

「ああ、そうだな。私も気合が入ったよ」

 

「うん、いい経験になったし、楽しかったよ」

 

季節は春。無限に広がる北海道の空の元、私は大きく伸びをした。




設定紹介Q&A

Q.ばんえいウマ娘とは?

A.ばんえいレースに出場し、活躍するウマ娘達。

中央で活躍するようなウマ娘に比べ体が大きく、平均身長は190cm。小さくても175cm、大きいと2mは超える。肩幅の広さや強靭な足腰などを生かし、開拓時代から北海道の人々と共に共存してきた。
また、精神面の成熟も通常のウマ娘に比べて早く、慎重であり我慢強い。その代わり闘争や競争に対して敏感とされる


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第二話 「能力試験」

比較的昔に書いた作品だからちょっと拙い部分が多い2話。設定の脆弱さが出ている。


同室

 

「ラルバ、筋力トレーニングって何したらいいの?」

 

「筋力トレーニングですか。そうですねぇ」

 

同室のサポート科の子。名前はグランドラルバ。膨大な知識とすさまじいレース愛を持つ子だ。

 

「基本はスクワットとランジですかね。いろいろバリエーションはありますけど、最初は基本的なやつでいいと思います。えーっと、確かこっちのほうに・・・」

 

ランジとスクワットという言葉をメモ帳に書き込み、ラルバが本棚から取り出した本をパラパラとめくる。

 

「あとは、そりの重さを減らして長時間引きずるのもいいと思います。スタミナ付きますよ」

 

やはりこの子はレースへの造詣が深い。トレーナーのようだ。

 

「初めて会った時も思ったけど、ラルバってレースめっちゃ詳しいよね」

 

「えへへ、そうですか?」

 

初めて会った時、といってもつい先日の事だが・・・。

 


 

4日前

「寮、初めてだな」

 

地方レースといえど、トレセンはトレセン。なかなかに大きい寮の扉を開けると、背の高い寮長が名簿を確認し、私の部屋を教えてくれた。

 

「仲良くするんだよ、3年間一緒の部屋だからね」

 

そんなことを言われて、内心浮き立ちながら言われた部屋の前に立つ。

すでに同室の子は中に入っているようで、扉の奥から物音がした。

部屋に入る前に静かに息を吐く。柄にもなく緊張しているらしい。

 

「失礼します・・・」

 

「あ、どうぞー」

 

その子はベッドに腰掛けながら、スマホをいじっていた。佇まいは物腰やわらかだが、大柄な子だ。ジャージに書かれている名は「グランドラルバ」

若干気まずい雰囲気のまま、二人とも軽い自己紹介を終えたところで私は自分のベッドの方に視線を向ける。

 

「その段ボールがあなたのですね、さっき寮長が持ってきてくれましたよ」

 

「あ、これか」

 

真っ白なシーツの横に置かれていた段ボールには、トレセンに出発する前に自分で詰めた日用品が所狭しと入っていた。きっと親が勝手に追加した分もあるのだろう、あきらかに量が多い。あいかわらずのお節介だ。

段ボールを開け、中身を出しているとラルバさんに聞かれた。

 

「レース科の方ですか?」

 

「え? ああうん。そうだよ」

 

「言ってなかったですっけ、私サポート科です」

 

サポート科。だから本棚に入っている本のラインナップがこんな感じなのか。

 

「いろいろお力になりますよ、何か気になる事あったら言ってくださいね」

 

ラルバさんは笑顔で言った。天使のようなその顔を見て、私も思わず笑う。

 

「ハハッ、ありがとうございます。えーっと、ラルバさん」

 

私がクスクスと笑いながらそう言うのを聞いて、ラルバさんはクッキーを口に入れながら言った。

 

「ラルバで大丈夫ですよ。同室なんですから」

 

今更ながら私はこの子と3年間を共にすることを理解し、うれしく思いながら言った。

 

「あ、そうか。じゃあ3年間よろしくね、ラルバ」

 

「はいっ、よろしくお願いします」

 


そんなことを思い出していると、彼女はおもむろに言った。

 

「私、子供の頃は走るつもりでトレセンに行こうとしてたんですよね」

 

「え? そうなの?」

 

私は本をめくる手を止め、聞き返す。

 

「レースがすっごい好きで、私も帯広記念でるぞって思ってたんですけど骨折しちゃってトレセン入れなかったんですよね」

 

彼女は笑顔を保っているが、そうとう辛かったんだろう。目が笑っていない。

 

「ああ、もちろん今は治ってますよ。ただ、ばんえいレースのハードなトレーニングに耐えられるほど頑丈じゃないんですよね、お医者さんに止められちゃって」

 

彼女は頭をかきながら、苦笑いで言った。

 

「・・・それでも、あきらめられなかったんですよね。レースに出る夢はついえたのに、レースのこと以外を考えることができなかったんです。心の隅々までレースに毒されてたんですよ」

 

彼女は本棚の棚の下からガーナのチョコレートを出し、アルミをはがしながら続ける。

 

「私は、1着をとれません。でも、1着を取る手助けはできます。それは、レースに勝つのと同じくらい大事で、素晴らしいことだって思うんです」

 

チョコレートを食べながら彼女は静かにつぶやいた。そしてすぐにいつもの笑顔に戻り、こっちを見ながら言った。

 

「そういえばこの前に聞きそびれたんですけど、なんでトレセン入ったんでしたっけ?」

 

「え? 私?」

 

そう言われて、私は思わず窓の外を見た。空はいつもと同じように輝いている。

 


 

「・・・子供の頃、レースを見たんだよね。ばんえいの」

 

「レース?」

 

チョコレートを飲み込み、彼女は不思議そうに聞く。

 

「うん。親に連れてこられた帯広レース場でちょうど大きいレースがあってさ。全然ばんえいの事なんて知らないクソガキだったから、最初は「おっそ」って思いながら見てたんだ。だけど、姿がはっきり見えてから衝撃を受けてさ」

 

今でも覚えてる。雪の残るレース場で、息を荒げながら自分の倍くらいの重さのそりを引きずるウマ娘達。感動なんてもんじゃない、あれを言い表す言葉をいまだに見つけられない。

 

「幼心ながら「やっべぇかっこいい!」ってなっちゃったね、あれは」

 

彼女は2枚目のチョコレートのアルミをはがしながら「分かります」と言って笑った。

 

「その後レースになんて行く機会なかったからばんえいの事も一時期忘れちゃってたんだけど、進学先どうしますか?って言われた時に思い出してさ。とっさに「トレセンで」って言って入ってきたんだ」

 

本当は、忘れてたわけじゃなかった。鮮明に頭にこびりついて離れなかった。でも、それを言うことは何故かできなかった。

 

「・・・まあ、そんな劇的な動機ってわけでもないんだけどね」

 

彼女は一通り聞き、椅子に大きくもたれかかって言った。

 

「良いですねぇ、レースの思い出かぁ」

 

「後は名前だね。この名前だったから、親にも反対されなかったよ」

 

彼女はチョコレートを食わえ、不思議そうな顔をして言った。

 

「え、名前?」

 

そう、名前。誰しも自分の名前の意味なんて考えない、でも私はトレセンに入る前から、ばんえいレースに運命的なものを感じていたのは確かだ。

 

「ゴッドドラッガー。『神を輓きずる者』」

 


 

「お、さらに速くなったね」

 

「ゼェッ、ゼェッ、そ、そう?」

 

最初は亀のような速さだったそりも、試験には余裕で合格できる程度の速度にはなってきた。日頃のトレーニングの成果だろうか。

 

「ここ最近頑張ってるもんね。」

 

アンクルウェイトを外しながらカエデが言う。「お前もやろがい」というツッコミを抑えながら水を飲んだ。

 

「能力試験前、最後の講習か。結構みんな来るもんだな」

 

今日来ているのは40人近く。さっきの整列時の声は圧巻だった。

 

「初回から全部来てるのうちらだけだけどね」

 

試験まであと3日。今日は最後の講習の日だ。

 

「注目! 3日後の試験はレース形式で行う」

 

先生が手をたたいて、唐突に言った。

 

「レース形式?」

 

「そうだ。一斉にスタートして、ゴールタイムで試験の合否を決める。一回一回やってたらきりがないからな」

 

先生はさっき以上に声を張っていった。よほど大事なことらしい。

 

「勘違いするなよ!、これはレースではないから、競い合う必要はない! 各々自分のペースで走る事! なお、誰と走るかは後で寮に張り出しておくから、各自確認するように!」

 

それに付け加えるように先生は言った。

 

「ただ、各試験1位のものは選抜レースに出走できる可能性がある。以上、解散!」

 

そう言って、あとは普段通りの練習になった。

 

「・・・レース形式なんだ」

 

私がつぶやく横で、ウェルが神妙な面持ちをして、珍しい弱音を吐いた。

 

「いや別にいいけど、緊張するな。大丈夫だろうか」

 

カエデは、いつもと同じ何食わぬ顔でそりを引いていた。

 

「いいじゃない、みんなで走ったほうがきっと楽しいよ」

 

そういうものだろうか。私だけ実感が湧かないままいつも通りの講習を終えた。

 

「今日はゆっくり寝ろよー」

 

そんなことを聞きながらぞろぞろと帰ると、寮の廊下に大きな紙が貼ってあった。

 

「お、出走表出てる」

 

私の後ろからウェルが声を出す。

 

「私は、どれどれ・・・」

 

学年全員が書いてある表だ、当然数も多く、探すのに骨が折れる。

 

「あ、あった。第12R、2枠2番。ゴッドドラッガー」

 

「12Rって、その日の最後のレースだな。私は3Rだから昼だけど、12Rは普通に夜だぞ」

 

よく見ると、20:45スタートと書いてある。

 

「げっ、なんでこんな夜遅くなんだ」

 

私がそう言うと、ウェルは「ナイター競走なんだから、そういうものだ」と言った。

 

「それもそうなんだけど」

 

「準備運動出来て、終わった後に風呂場貸し切りにできるんだから。いいじゃんか。物は考えようだよ、そんじゃ、おやすみ」

 

おやすみ、と言いながらウェルと別れる。とりあえず明日明後日は早く寝ようと思いながら自室の扉を開けた。

 


 

前夜

「明日試験ですよね」

 

「え? そうだけど」

 

ラルバは何かが入った缶を取り出し、私に渡した。

 

「これは・・・?」

 

「クッキーです。私も期待しているので餞別です」

 

中に入っていたのは甘そうなチョコレートクッキー。お礼をしてさっそく1枚かじりながら、窓の外を見る。

 

「・・・最近、空がきれいだなって思うことが増えたんだ」

 

「そうなんですか?」

 

私は少し曇った夜空を見上げながら続けた。

 

「いつも同じじゃない、いつも同じくらい美しく、同じくらい儚い。夜空も、快晴も、曇り空も、全部違って全部良い。こういうのって良いなぁって思うことが増えたんだよね」

 

私がそういうのを聞いて、ラルバはニヤニヤしながら言った。

 

「・・・本でも読みましたか?」

 

「読んでないよ、あとそういうの言われると急に恥ずかしくなるからやめて」

 

そう言って、二人で笑いあった後、ラルバが思い出したかのように1枚の封筒を取り出した。

 

「あ、これ。郵便に届いてたっぽいですよ」

 

「・・・手紙?」

 

あて先は自分、送り主は母だった。

雑に中身を確認しながら言う。たいして興味もないし、今更手紙と言うのも分からない。

 

「お、応援してるってさ」

 

内容はいたってシンプル。普通の親が書きそうな手紙だ。なんやかんや考えが古いからな、と思いながら手紙を机の中にしまう。

 

「もっとちゃんと読まなくていいんですか?」

 

軽くしか読まなかった私に対して、ラルバが言う。

 

「良いんだよ、私こういうの読むと気負っちゃうから」

 

「そういうものですか」

 

ラルバは自分には手紙が来ないから分かんないなぁと言って笑った。

 

「・・・ん?」

 

封筒に、写真が入っている。

 

「なんだろ、これ」

 

おもむろに取り出すと、幼いころの自分が写っていた。

 

「・・・あ、ここレース場だ」

 

写っていたのは、私がトレセンに入学するきっかけになった、あのレースを眺めている私だった。

 

「めちゃくちゃ笑顔ですね」

 

横からラルバが写真を覗き込んで言う。

 

「・・・やっぱ、良いな、こういうの」

 

「レースですか?」

 

「そうじゃなくてさ、笑顔っていいなって」

 

私がそう言うと、ラルバはまたニコニコしていった。

 

「やっぱりなんか詩集とか読みましたよね?」

 

「読んでないよ‼」

 

二人の笑い声が部屋に響いた。気合は十分。走ろうじゃないか。この笑顔のために。

 


 

「いやぁ、緊張するなぁ」

 

大きく伸びをしながらカエデが言う。そう言いつつも余裕がありそうな彼女にウェルが言った。

 

「カエデは確か4Rだったか。私の次なのか」

 

「うん、そうだよ。一足先にがんばってね、ウェル」

 

「カエデもウェルも陽が昇ってるうちに終わるじゃんかぁ、いいなぁ」

 

そう言うと、カエデが笑いながら「夜のレースも楽しいよ」と言った。

 

「中央レースでは夜のレースやんないんだっけ」

 

「ああ、ナイター競走な、えーっと、大井レース場だっけ?」

 

何故試験前だというのにこんなにもリラックスした会話ができるのだろうと思っていると、第1Rが始まった。

 

「お、みんな一斉に出た」

 

先頭をグングンと進む子、そりを引きなれてないようで、進むのに時間がかかる子。色々いた。

 

「あの子めちゃくちゃかっこいいね。凛としてる」

 

談笑を続けながら、残り30秒。先頭の子はもうゴールに差し掛かり、後続の子はあと20mというところだ。

 

「ゴール! 一着はキタカゼスパロー! 残り10秒!」

 

「お、一着だね。すっごいな」

 

そうして、第1Rは終わった。合格は10バ中、8バ。

 

「これなら心配なさそうだね、良かったぁ」

 

そんなことを言いながら第2レースも終わり、とうとうウェルのレースになった。

 

「ウェル大丈夫かなぁ、緊張して転んだりしないといいけど」

 

「ウェルなら大丈夫でしょ、1着取っちゃうかもよ」

 

そして、ゲートが開かれた。

 


 

スタートは上々、問題ないようだった。

 

「先頭だね、このままいけるかなぁ」

 

カエデが心配そうに言う。先頭をキープしたまま、ぐんぐんスピードを上げていく。日頃のトレーニングの成果が分かりやすく表れていた。

 

「大丈夫、ウェルならいけるはず」

 

がしゃがしゃという音が響きながらも、ウェルの気迫はこちらまで伝わるほどにあからさまで、見る者を圧倒しつつあった。

 

「・・・やっぱ、レースの事になると気合入るよね、ウェルって」

 

「・・・うん」

 

見ていて疲れるような激しい呼吸、何のためらいもなく次の一歩を踏み出すその姿勢。目を奪われるものだったが、どこか違和感があるような気がした。

 

「なんか、走りずらそう?」

 

「え? そう?」

 

一歩一歩に若干の迷いやためらいが感じられる。そんなことを考えていると、彼女の口が少し動いたような気がした。

 

(これじゃない)

 

その声の後、ウェルは明らかに減速した。スタミナが尽きたのだろうか、後続がどんどん差を詰めてくる。減速しつつも確実に前に進んではいるから、まだ分からない。

 

「あー、抜かされちゃった。でも、あと25m、まだいける?」

 

「・・・うん、どうだろ」

 

それにしても、これじゃない?、どういう事だろうか。後で聞いてみようと思いながら、レースは終盤に差し掛かろうとしている。

 

「ラストだよ! ウェル! 気張って!」

 

「気張るって、え?」

 

大声を張り上げるカエデにツッコミを入れながら、レースは終わった。

 

「ゴール! 一着はバニラベイリーズ! 残り16秒!」

 

「あー、2着かぁ、惜しかったねぇ。」

 

「うん、でもめっちゃ速かったよね、やっぱしすごいわ」

 

レースを終えたウェルがこっちにピースしているのを見て、こちらも手を振る。

 

「まあ、試験は余裕合格だしいいでしょ。選抜出れないのは残念だけど」

 

「よーし、次は私かぁ、がんばるぞー」

 

大きく伸びをする彼女に、私はがんばれーと言って送り出す。まだレースまでは時間があるのだが、彼女なりの準備があるのだろう。戻ってきたウェルと一緒に見送る。

 


 

「ウェル、なんか走りずらそうだったけどなんかあった?」

 

私がそう言うと、ウェルは苦笑いをしながら「ばれてたか」と言った。

 

「いや、走りずらいというか、集中できなかったんだよな。なんか」

 

「悩み事?」

 

「・・・トゥインクル・シリーズは特別なレースだよな。ばんえいとは違う」

 

ウェルはそれだけ言って、話をそらすように水を飲んだ。

 

「お、ほらカエデのレースだぞ。応援しなきゃ」

 

どうも腑に落ちない状況だが、無言で頷く。誰しも触れられたくない部分はあるものだ。

 

「始まった」

 

本日4度目のガシャンと言う音。周りと圧倒的な差をつけて、カエデは駆けだした。

 

「やっぱ、速っ」

 

「何度見てもすげーよな、あれ」

 

あっというまである。他のウマ娘は驚きの表情で先頭を駆ける彼女を見ている。

 

「ゴール! 1着はシシカエデ! 残り24秒!」

 

相変わらずの強さ。惚れ惚れし、同時に恐怖を覚えた。

 

「・・・いつか戦うのかぁ、あれと」

 

「その前に試験、がんばってこいよ」

 

「まあ一回帰るけどさ」

 

時間は4時半。私のレースまで4時間はある。

 

「・・・そうだね、お風呂入って、準備体操して、考えようによっては私が一番有利」

 

それを聞いて笑いながら帰ってきたカエデと、「そうかぁ?」という顔をしたウェルと一緒に寮に帰宅した。

戦まで、のこり4時間。

 


 

本日のファイナルレース

「ギャラリー少なっ」

 

「いやまぁ、だって8時超えてるもの」

 

星空の元、閑散としているコースの周りを眺めながら、カエデとウェルに「行ってくる」と言う。

 

「勝てよー、ゴッドー」

 

ウェルはあくびをして、手を振った。

 

「勝ってくるよー、絶対」

 

笑いながら手を振って、ゲートに向かう。

 


 

腰にベルトを巻き、ずしりとくるこの感覚を確かめる。気迫に満ちた他のウマ娘の面持ちを横目に、大きく息を吐いた。私は手をじーっと見つめ、ブーツの踵を鳴らす。ゲートは狭く、息が詰まる感じがして早くゲートが開かないかとそわそわとした。

 

「全員入ったな、ゲートが開いたらスタートだ。集中して走れよ」

 

後ろから先生が言った。そして、走るフォームに体を変える。

 

「スタート!」

 

ガシャンという音とともに足を踏み出す。そりが重いが、何も問題はないスタートだった。

勿論、決して速くはない、歩いても余裕で追いつけるくらいの速さだ。でも私たちは知っている。ばんえいレースでそりを引く、私たちの姿がどれほどすさまじく、力強く、そして美しいか。

だから、走る。走らなければいけない。

 

「ハァ、ハァ、ゼハァ、」

 

息がさっそく荒くなってきた。さっそくと言っても、もうすでに40mは走っている。己の全身全霊をかけて、普段出すことのない全力を出しているのだ。無理もない。

横から、別のウマ娘の息と、足音が聞こえる。先頭から少しずつ下がっているのだろうか。

 

・・・先頭?

 

先頭を走っていたらしい。少なくとも置いて行かれることはないと考えたことで、心に余裕が生まれた。足を進めながら、息の仕方を整える。

吸うを2回吐くを2回。少しずつ余裕が生まれてきたとき、少し視界が開けた。

夜空が、広がっている。一点の曇りもない、大空には光る粒が点々としている。

 

「ゴッド―! 抜かれかけてるよー!」

 

「残り30ー! いけるぞー!」

 

コースの外の、数少ないギャラリーが声を張る。今日は都合上消灯時間が遅いんだっけか、ラルバも見ているのだろう。期待していると言っていたな、今日勝てば喜んでくれるだろうか。

 

喜んでくれるだろうか、喜んでくれるだろうな。

 

少しずつ、体全体に力がわたっていく。そりが少しずつ軽くなっていく感じだ。呼吸を変えたからだろうか、視界がどんどん広がっていく、クリアな世界が見えてくる。

 

「先頭キープ、抜け出し準備」

 

自分にしか聞こえないくらいのか細い声で、己を鼓舞する。残り15m、勝機は十分。いざ、駆けだすとき。

 

「ゴッドさん! がんばって!」

 

ラルバの声、やっぱり彼女も応援してくれている、いける、さっきより明らかに速く引ける。後続の息の音も小さくなっていく。足が自然と前に出る、心地いい。このまま、終わってほしい。このまま、先頭のまま。

 

「ゴール!1位はゴッドドラッガー! 残り19秒!」

 

一番前を駆けた私の視界には、普段とは比べ物にならないくらい大きく、美しい空が広がっている。

 

「・・・最高」

 

私のそりは、運命を引きずり始めた。

 




設定紹介Q&A

Q.そりの重さの設定教えてよ

A.真面目に考えてないです

考えてみると、スタートが500㎏なんて引けるわけない。とはいえこの後の展開的にウマソウルを信じるしか道はない。
・・・リアリティより作品としての面白さを優先するというわけです。


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第三話 「彼らの名前はチームサドル」

チームの名前は中央が1等星なのに対し、2等星の名前を使用しています。サドル、エニフ、スハイル・・・。星言葉も気が向いたら調べてみてください。


入学してひと月と少し立った5月中旬。少し広くなったクラスで私は頬杖をついていた。大きく口を開けてあくびをしたのをカエデに見られて頬を赤く染めながら、消されかけている黒板の文字を慌ててノートに書く。校庭でやっている体育の授業を見ながら私はため息をついた。

 

「・・・練習したい。」

 

ぼそっと言ったつもりだったがカエデには聞こえていたようで、彼女はくすくすと笑いながらこっちを見ていた。

 

チャイムが鳴り、授業も終わったところでカエデが言う。

 

「ゴッドも選抜出るんでしょ?」

 

「ああ、出ると思う。」

 

能力試験からはや2週間。「特別講習」が「自主トレーニング」となったが、他はほとんど変わらなかった。選抜レースのほかにも模擬レースなどの申し込みは絶え間なく行われており、学園のウマ娘は皆レースに向かって励んでいるようだった。

 

「選抜でトレーナー付くといいね。」

 

「付くと楽だからそうなったらいいんだけど・・・。」

 

学園でのトレーナーの役割は他と大した違いはない。普段のトレーニングの指導、レースへの出走、走るのに適した環境を整えたり、メンタルのケアを行ったり。いないと公式のレースには出ることができない、ウマ娘にとって大事な存在である。

 

「私はもうチーム入ったぞ。」

 

近くに不意に現れたウェルが言う。カエデは驚いて変な声を上げた。

 

「ふぇあ!?、急に出てこないでよぉ、ウェル・・・。」

 

ウェルは笑いながらごめんごめんと言った。

 

「入ったって、どこに?」

 

「えーっと、『チームエニフ』。早川トレーナーのチーム。」

 

中央と同じように、帯広トレセンにも各トレーナーが作っているチームが存在する。チームミラク、チームアルフェラッツ、チームシェダル。

確か、チームエニフはその中でも最近勢いを伸ばしているチームだ。ウェルらしい選択だと思っているとカエデが言った。

 

「いいなー、私もトレーナー付くかなぁ。」

 

「選抜レースの前にチームに入ってトレーニングの指導をしてもらうって手もある。」

 

ウェルがその選択をしたのだろう。効率的で確実なトレーニングの指導をトレーナーはしてくれるし、勝つためには悪い選択ではないのかもしれない。

 

「私も見学とか行ってみようか、どうしようか。」

 

「行ってみて損はないと思う。私もエニフ入る前に三つくらい見学したし、どこもスタイルが違くて勉強になる。」

 

「そうなの?、どこも大体一緒だと思ってた。」

 

カエデが帰りの準備をしながら言う。確かに、チームごとのトレーニングのスタイルなんて考えたこともない。ますます気になってきた。

 

「ウェル、お勧めのチーム無い?」

 

「ゴッドにお勧めのチーム・・・」

 

ウェルは少し悩んだ後、思い出したかのように言った。

 

「あれだ、『チームサドル』。トレーナーがふわふわした人だから私には合わなかったけど、ゴッドには合うんじゃないか?」

 

カエデが身を乗り出して「私は?」と聞く。それを適当に流すウェルを見ながら私は日曜日の予定を開けた。

 

チームサドル

 

そのチームのトレーナーは若い女性だった。短い髪の毛は金色に染まっており、自分は走らないにも関わらずジャージを着ている。ボードを大事そうに抱えながら、何かを計算している。

 

「あの・・・。」

 

私がおずおずと話しかけると、彼女は目を輝かせて言った。

 

「お、見学の子だよね?、えーっと、ゴッドドラッガー君。チームサドルにようこそ。」

 

私は少し緊張しながらも自己紹介を済ませた。その人はキャラメルを私に放り投げ、何の前触れもなく自己紹介を始めた。

 

「私がトレーナーの西高(にしだか)、このチームの担当をしてるトレーナーだよ。」

 

笑顔で手を差し出してきた。握手と共にトレーニングコースに目を向ける。

 

「うちのチームメンバーは4人。あー、皆いろいろ濃いよ。」

 

「濃い・・・?」

 

「まあ、見た方が早いかな。お、ちょうど来た。」

 

駆け寄ってきたウマ娘の方を見ると、彼女はタイヤ引きの最中だった。

 

「西高ー、タイヤ引き5本終わったよー。」

 

「OKー、バレット、今日はバ場が軽いからあと3本。」

 

「3本?、多くない?」

 

露骨に嫌そうな顔を西高トレーナーは何のためらいもなく切り捨てる。

 

「文句言わないの。あとでおやき買ったるから。」

 

「言ったな!?、言質とったかんな今!?」

 

さっきまでの嫌そうな顔は急変し、そのウマ娘はノリノリでタイヤを引きずりに向かう。人心掌握、というよりは単純に物で釣った感じがする。いつもこうなのだろうか。すさまじく態度がコロコロと変わるウマ娘だ。

 

「・・・嵐のような感じだ。」

 

「まあ、嵐だからねぇ?」

 

私が「え?」と聞き返すと、その人は笑いながら言った。

 

「ストームバレットって言うのよ、彼女。」

 

弾丸の嵐。すさまじい名前だが、名は体を表すという事だろうか。

 

「他の3人は・・・?」

 

「うん、二人が姉妹なんだけどね。シャドーゲイザーとシャドーサイレス。あっちでウェイトトレーニングしてる二人だよ。」

 

トレーナーが指さした方向には順番に数を数える青毛のウマ娘が二人、重そうなダンベルを抱えていた。

今は邪魔してはいけないからあとで挨拶しようと思い西高トレーナーの方を向く。

 

「もう一人は?」

 

「あー・・・、うん。」

 

その人は分かりやすく目を逸らし、苦笑いを浮かべた。

 

「えーっと、その、アイツなぁ。自販機に行っててもうすぐ帰ってくるんだけど・・・」

 

なぜ言葉を濁すのか、と思っていると遠くから元気な声が響いてきた。

 

「ぁぁぁぁぁぁあああああーーーーーー‼‼‼」

 

ぎょっとして振り向くと、アラレちゃんのごとく腕を広げた黒鹿毛のウマ娘がこっちに走ってきていた。

 

「西高トレーナー‼、その子‼、新メンバーでしょ⁉」

 

「違うって、声がでかいんよ、いつも。」

 

トレーナーは耳を抑えながら言った。

 

「ええ?、じゃあ見学か?、まあそれでもいいや‼」

 

そのウマ娘は腕を元気に差し出していった。

 

「私はココロ‼、ココロゴウだよ‼、よろしくね‼」

 

よろしく、だけで済みそうにないが私は覚悟を決めて手を出した。

 

「よ、よろしくお願いします・・・。」

 

案の定、手を大きく上下に振りながらココロさんは「よろしくね!」と言った。

 


 

「・・・どうしたんですか?」

 

私は全身の力を振り絞るようにして言った。

 

「・・・疲れた。」

 

いや、それは分かりますとラルバは言った。

 

「なんでそんなに疲れてるんです?」

 

「いやちょっと聞いてくれよ。」

 

私がベッドに腰掛け、ラルバからもらったクッキーを飲み込んで言った。

 

「今日チームサドルの見学に行ったんだけどさ、先輩ヤバかったんよ。」

 

「ヤバかったとは?」

 

「バレット先輩はおやき食べながらめっちゃ話しかけてくるし、姉妹の先輩は100kg以上のダンベル持たせようとしてくるし、ココロ先輩はダートでブレイクダンスしてるし、西高トレーナーは止めないし。」

 

ラルバは湿布を渡しながら言った。

 

「ああ、ご愁傷さまです。だから部屋に入るなり何も言わずベッドに倒れたんですね。」

 

「そうなのよ・・・」

 

彼女はワッフルの袋を開封し、本を片手でめくりながら言った。

 

「・・・で、結局どうだったんですか?、チームサドル。」

 

「・・・めっちゃ楽しかった。」

 

惹かれる、魅入られたように。

 


 

一週間後

 

「という訳で、ゴッドドラッガーさんが正式にチームサドルに加入です、拍手!」

 

6人入るには手狭なトレーナー室の中で西高トレーナーが言う。

 

「いやぁ、すごいな、うちのチームの見学に来た奴はみんな断っちゃうから、うれしいよ。」

 

「バレットが変に絡むからでしょうが。」

 

「そうだー」「そうだー」

 

トレーナーは盛り上がるメンバーをよそに、私に聞く。

 

「他のチームの見学はしたの?」

 

「あ、はい。しました。チームミザールとチームシェダルに。」

 

私が言った二つのチームを聞くと、西高トレーナーは驚いた顔をして言った。

 

「ミザールとシェダル行ったうえでうちに入ったんだ?、自分で言うのもなんだけど変わってんね。」

 

行った二つのチームは「普通」だった。どこをどうとっても一般的の範疇を出ない。それだけにメンバーも多かったが、どうにもハマらない感じがした。だからこそ私は消去法じゃなく、自分で選んでこのチームにした。

 

「たぶん西高が裏金つかませたんでしょ。」

 

「えー、トレーナーさすがにそれは引くわー」

 

「引くわー」「ないわー」

 

「やってないわい!」

 

私は笑いをこらえながら深く腰を曲げ、お辞儀をする。

 

「えーっと、これからできる限り頑張ります、よろしくお願いします。」

 

私がそう言った瞬間全員ぴたりと動きを止め私の方を見た。私は何かまずい事でもしてしまったかと不安になったが、次の出来事でそんな考えは瞬く間に消え去ってしまった。

 

「「「「よろしくお願いしますっ‼‼」」」」

 

チームサドルの伝統だろうか。全員90°に腰を曲げ、響くような声で言った。私は血がたぎるのを感じ、もう一度大きな声であいさつをした。

 

「こちらこそ、よろしくお願いしますっ!」

 

白鳥座の交点に位置する星、サドル。星言葉は「自由な理想主義者」

そんなチームで、私の自由と理想を追い求める日々が始まった。




設定紹介Q&A

Q.チーム、トレーナーについて教えて

A.中央とさして変わらない

在籍トレーナーは現在46人。また補佐などを含めると70人ほど。彼らの役割は平地の人たちと変わらないが、珍しいことと言えばコースの水分量のチェックやそりの点検、蹄鉄を打つことなど。
チームは1トレーナーあたり1つ受け持つのが基本のため、46チームが存在する。ウマ娘はチームに在籍するのが基本ではあるが、デビュー前のどの時期に加入するかは制限がない。いつ入ってもいつ変更しても、特に差し支えることはない。なお、メンバー3人からチームとして認められる。


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第四話 「勝利への最短の道」

北海道でのおやきは私たちで言う「今川焼」「大判焼き」「太鼓焼き」と同じらしいです。
この食物は名前がめちゃくちゃたくさんあって面白い。ちなみに私は大判焼き派です。


机の上に置かれた金属を見ながら私は言う。

 

「これは?」

 

「え?、蹄鉄。」

 

そんなものは見たらわかる。それは分かるんだが、何故蹄鉄をくれたのだ?

 

「何で蹄鉄くれるんですか?」

 

「サドルの伝統、チーム加入特典として蹄鉄をプレゼントっていうやつです。」

 

私はなるほど、思いながら蹄鉄を持ち上げる。重みと質感を感じながらトレーナーに聞く。

 

「・・・蹄鉄プレゼントって宣伝すればメンバーも増えるんじゃ?」

 

トレーナーはそれを速攻で切り捨てた。

 

「そんなことしたら私の財布が死ぬ。」

 

私は蹄鉄を机に置き、前々から思っていた疑問を聞く。

 

「というか、西高トレーナーはスカウトしないんですか?」

 

トレーナーは良い訳をするかの如く、笑いながら言う。

 

「いや、そうなんだけど、事情がありまして。」

 

そう言った瞬間に後ろからバレットさんがトレーナーに覆いかぶさり大きな声で言った。

 

「なー、おやき奢ってくれよー、小倉あんの奴をさー」

 

「やかましいっ、ここ最近毎日買ってあげてるでしょうがっ」

 

バレットさんはトレーナーを指さしながら言った。

 

「こいつの事情ってのは、スカウトめんどくさいって言う至極単純な理由だぞ。」

 

「そういうこと言うんじゃないよ、いいじゃん新メンバーも入ってるんだしさぁ。」

 

私がクスクスと笑っていると、トレーナーは思い出したかのように言った。

 

「あ、そうだ。蹄鉄、基本的に自分で付けられないから付けるときには私に言ってな。」

 

「・・・え?、自分で付けられないんですか?」

 

確かにこの蹄鉄は私の知る蹄鉄よりも大きく重いが、それでも自分で付けられると思っていた。

 

「いや、自分で付ける子もいるけど、講習受けなきゃいけないんだよね。面倒なやつ。」

 

なんたること、そんなめんどくさい事をしなければいけなかったのか。

 

「トレーナーとかサポート科の子とかが必須事項だからそういう人に頼まないといけないんだけど・・・」

 

「サポート科・・・、あ。」

 

寮にて

 

「ラルバ、蹄鉄貰ったんだけど、打てる?」

 

「・・・急ですね。打てますけども。」

 

思った以上に簡単に請け負ってくれた。やさしいな、と思い少し笑う。

 

「でも、ばんえいの蹄鉄って打ちずらいんですよね。重いし、あと分厚い。」

 

「ああ、やっぱそうだよね。なんか、こんなの脚につけて走るのかって感じ。」

 

「・・・なんでか知ってますか?」

 

ラルバは一冊の本を手渡していった。

 

「蹄鉄はいわば「スパイク」です。ウマ娘の暴力的な脚力に耐えながら、確実な踏み込みを可能にするために金属製になっています、とかなんとかいろいろその本に書いてありますよ。蹄鉄の付け始めは走りずらいと思うのでその本お貸しします。」

 

私はうなづきながらその本をパラパラとめくる。すでに何度か読んだ形跡があり、いくつか付箋も貼ってあった。

 

「やっぱ、レースとか走りとかに詳しいよなぁ。」

 

ラルバはニヤニヤしながら「いつも言ってますね」と言った。

 

「うーん、やっぱ、そうだよなぁ。」

 

私がうなっているのを見てラルバが聞く。

 

「どうしたんです?、悩み事ですか?」

 

「いや、悩み事って言うか、何ていうか。」

 

私は意を決してベッドに座るラルバの方を見て言う。

 

「・・・ラルバ、サポート科の子もチームは入れるんだよね。」

 

「ええ、入れますよ。サポート科もトレセンのメンバーであることに違いはありませんしね。私の友人にも入ってるウマ娘が・・・、」

 

ラルバは話すのを止め、こっちを見て言った。

 

「ちょっと待ってください、何考えてるんですか?」

 

「いや、まあ、ご想像通りの事を。」

 

ラルバは全てを察したらしく、呆れたような顔で言った。

 

「・・・今週の木曜なら、空いてますよ。」

 


 

「・・・どしたん?」

 

「・・・疲れました。」

 

ラルバはベッドに倒れながら言った。普段見ることのない友人の一面を見て内心興奮しながら聞く。

 

「でもまあ、悪い人たちじゃなかったでしょ?」

 

「そうですけどぉ、そうなんですけどぉ!」

 

まあ、私の見学の時と同じように荒れていたのは確かだ。

 

「姉妹の先輩は筋肉の付け方についてめっちゃ聞いてくるし、嵐の先輩は私の髪とか耳とか触りながらあんドーナツ食べてるし、ココロ先輩は私にタイヤ引きやらせようとしてくるし、西高トレーナーもノリノリだったし。」

 

「結局タイヤ引いてたもんね。」

 

「もう一回骨折したらどうするつもりだったんですか・・・」

 

ラルバはむくりと起き上がり、ポッキーを取り出しながら言った。

 

「でもまあ、楽しかったです。ゴッドさんの言ってる事がなんとなく分かりました。」

 

私は笑いながら、ラルバからポッキーをもらい言った。

 

「で、入ってくれます?」

 

ラルバはしばらく唸りながら考えた後、絞り出すようにして言った。

 

「・・・お菓子一週間分奢ってください。」

 

私は笑いながら返事をする。

 

「もちろんいいよ、私じゃないけどね?」

 

「・・・じゃあ、後であのトレーナーさんにお願いしますか。」

 

トレーナー室にて

「へぷしっ、あー、風邪?、やだぁ。」

 


 

「さーて、障害だ。」

 

西高トレーナーはいつものジャージに身を包み、砂の傾斜の前に立った。

 

「障害。・・・でも、小さいですね。」

 

「いや、これ以上大きいと普通に死ぬから。」

 

西高トレーナーの横からバレットさんが言う。

 

「まずおさらいね?、第一障害と第二障害があって、第一が1m、第二が1.6m。結構な傾斜と滑る砂、さらには500kg以上の重り。小さいと思って油断しちゃあいけない。」

 

私は頷きながら、普段通り500kgのそりを付ける。

 

「最初から500いける?」

 

「・・・まあいけるんじゃない?。これ第一障害だし。」

 

トレーナーとバレットさんが話すのを聞きながら、障害の前で足を止める。

 

「息入れて、足にエネルギーがたまる感じをイメージしてー。」

 

言われるがまま、深く息を吐いてゆったりと吸う。

 

「いけると思った瞬間に、足に全身の力を突っ込む、前に進むことを意識して!」

 

私は深呼吸を終え、足を前に出した。

 

「フンッ・・・」

 

足が前に進もうと、この小さい丘を上がろうと全力で踏ん張っているというのに、進む速度はあまりにも遅い。初めてそりを引いた時と同じだ。あの時と違うのは、今ここで力を抜いたら一気に後ろに引っ張られるという事。

 

「まだ!、まだキープして!」

 

「イメージは火薬、足に小さい爆弾を入れて、一気に推進する感じ。」

 

相変わらず何を言っているのか分からないが、言われた通りに火薬と爆弾をイメージする。

 

「アガァッ‼‼」

 

グッと足が前に出て、小さい丘を私は越えた。あんな説明でも超えられるものなのか、不思議だ。

 

「おお、超えた。早かったね。」

 

西川トレーナーはドリンクを渡しながら言った。

 

「障害の最もきつい所は、体力を持ってかれる事。汗は滝のように出るし、吐いちゃう子も出てくる。」

 

「な、なるほど、ハァ、ハァ、た、確かに、ハァ、疲れ、ます、ね、ハァ」

 

「一回落ち着け。」

 

私が、そりに座ってばてていると、ランジを終えた二人が走ってくる。

 

「オッ、ゴッドちゃん、初障害?」

 

「めでたいねぇ。超えられたのか。」

 

二人は私のそりに腰掛け、ダンベルを渡してきた。

 

「下半身の筋肉も死ぬほど大事だけど、上半身の筋肉がいらないかって言われたら全然そんなことはないんだよ?」

 

「そうそう、良く分かってるじゃないか我が妹よ。鍛え上げられた上半身はブレない姿勢により、下半身の前に出ようとする力をフルで使える。よって、速く坂を上がるためにはダンブルを持ち上げるべし。」

 

もう一つのダンベルを渡しながら、先輩は言った。

 

「限界に挑戦することこそ至高だ、いっしょに高みを目指そう!」

 

バレットさんがダンベルを持ちながら言う。

 

「お前ら今何キロ持てるの?」

 

「それを聞くかバレットよ。」

 

「聞いちゃいますか、教えてあげよう。」

 

二人の先輩は謎のポーズをとりながら言った。

 

「片手で60kgだ。聞いて驚け。」

 

「嘘やん姉貴!?、私50なんだけど!?」

 

私は笑いながらそりの上に寝転がって空を見た。いつものように。

 

「しんどいけど、気持ちいです。障害。」

 

「そう?、私は障害しんどいだけだけど。」

 

私はむくりと起き上がり、奥を見つめた。第一なんかよりも全然大きい障害が見える。

 

「あれ、登りたいです。」

 

「第二障害?、本当ならもうちょっと第一に慣れてからやるんだけど・・・」

 

私は立ち上がり、大きく伸びをして言った。

 

「上がります、登りますとも。」

 

VS 山

 

頷いたトレーナーと共に、第二障害の前に行く。

 

「・・・デカい。」

 

「そう、1.6mってそんなに低くないよ。」

 

私は深く息を吐いた。油断なんてするつもりはない。

 

「登る前に聞くけど、ばんえいのレース見たことある?」

 

「あ、はい一応。ここで止まるんですよね?」

 

トレーナーは頷いて続けた。

 

「第二障害を休憩なしで超えるなんて絶対にできないから、皆一度ここで止まる。ここからは自分のスタミナと、周りの出のタイミングを見計らう必要がある、つまり、レースの山場。」

 

そう言うとトレーナーは私から離れて、私に登るように指示を出した。

 

「息を整える!、自分の120%を出せるように、エネルギーを脚に溜める!」

 

イメージは火薬。なるほど、何となくわかってきた。火のついた導火線のように、エネルギーが体の重心に入るように。

 

「フゥゥゥゥ・・・」

 

導火線が足に着火したと思った瞬間、足に溜まったエネルギーを「前進」と「上昇」のエネルギーに変える。爆発する火薬のように。

 

「フンッ‼‼」

 

第二障害は傾斜がきつく、距離がある。第一を小高い丘に例えるなら、第二障害は「山」だ。恐ろしいくらいにしんどい。

 

「焦らなくていい!、一番駄目なのは膝をつくこと!、しっかり踏んで前に!」

 

前に進む、息は絶え絶えだし、砂に自分の汗がぽたぽたと落ちる。

 

「上がってる!、あと2歩!、自分の限界値の遥か上を引き出して!」

 

私は上を見た。残り2歩と言われた通り、若干狭くなった視界に障害の奥が見える。

 

「グッッ、、、ハァァァ‼‼」

 

がしゃがしゃと、そりの音が響いた。足を止めても体が後ろに引きずられない。ここが頂上。

 

「フゥ、フゥ、フゥ・・・、ハァァァ・・・」

 

何て辛く、何と残酷で、なんと美しい景色か。たった1.6mなのに、目線はとても高くなったように感じた。空が近く感じる。地獄のような体力の削られ方だが、悪くない。すがすがしく、いい気分だ。

 

「おおー、第二障害を一発か。逸材かも。」

 

塩の強めのスポーツドリンクをもらいながら、私は汗を拭く。

 

「最高です。第二障害。」

 

「え?、だ、大丈夫?」

 

私は大きく伸びをして、障害の上から空を見上げた。

そこにある勇気の景色。障害の上は、王者の頂。空に近く、ゴールに近い、強者の場所。

私は笑って、思わずつぶやいた。

 

「やっぱり、ばんえい、サイッコー・・・」




設定紹介Q&A

Q.障害って何?

A.200mの直線であるばんえい競馬を面白くする為のもの。

第一障害、第二障害、最終直線の砂障害。
第一障害は最初の1mの山です。ここでストップすることもざらにあるので低いけど侮ることなかれです。
第二障害は後半の山場。高さは1.6m。一番盛り上がって一番書きがいのある場所です。ばんえい記念くらいの大レースになると、越えるまでの時間が長いのですごい盛り上がります。
砂障害は第二障害奥の最終直線に作られた高さ0.5mの傾斜です。地味ですが非常に大事。
ちなみに14話くらいまでこれを書いている人は砂障害の存在を知りません。愚かしいですね。


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第五話 「刻み。」

pixivに連載している方には5話ごとにキャラの情報とか載せてたんですけど、こっちは毎回設定紹介Q&Aがあるので、そっちで消化する予定です。どうせ途中でネタ切れ起こるだろうし。


「選抜出るの?、今年の?」

 

練習終わり、トレーナーは驚きの声を上げた。

 

「はい。言ってなかったんですけど。」

 

トレーナーは煙草の火を消し、携帯の灰皿に入れた。

 

「そっか、出るのか―・・・」

 

トレーナーは少し悩んだ後、ボードに何か書き込んで言った。

 

「今年は豊作らしいから、結構しんどい戦いになると思うけど、自信は?」

 

「分からないです。どうなんですかね。」

 

トレーナーは少し空を見上げた。その横顔は、何を考えているのか見当もつかない。きっとこの人には「勝てる勝てない」なんてないんだろう。あるのは「自分ができるだけのことをする」の1点だけ。それを信じて、私たちは皆ここにいる。

私がそんなことを考えていると、トレーナーは言った。

 

「明日、レースを一本やる。相手は・・・」

 

トレーナーはタイヤを片付ける後ろ姿に向けて指をさし、言った。

 

「ちょうど良い、アイツだ。」

 

私は思わず顔が引きつり、「ホントにやるんですか」という顔でトレーナーを見た。

 

「・・・ココロの走りは一回見といた方が良い、と思う。」

 

トレーナーは苦笑いを浮かべながら言った。肝心の彼女からは普段通りの元気な声が聞こえてくる。

 

「うわぁぁぁぁ‼‼、ここめっちゃ蟻いる‼‼、ここめっちゃ蟻いる‼‼」

 

暴脚、ココロゴウ

 

「コース全部借りれるのはこの時間だけだから、ちゃっちゃかやるぞ。」

 

障害はある程度登れるようになったが、レースとなると話は別だ。障害同士の間も大きいし、何より200mもある。そう簡単に走れる距離じゃない。

 

「ココロ先輩、お手柔らかにお願いします。」

 

「嫌だ‼、本気で行くよ‼」

 

やっぱりこの方頭がおかしい、覚悟を決める以外ないようだ。私は歯を食いしばりスタート地点に立った。

 

「ココロはああ言っても本気じゃない。だが、いい具合に火が付いたな。」

 

「どっちが?」

 

「どっちも。」

 

バレット先輩が旗を上げた。私は足に力を入れる準備をする。

 

「位置についてー、よーい」

 

旗が振り下ろされる音と共に、私は一気に駆け出す。ココロ先輩の足腰の強さは尋常じゃない、スタートに失敗したら即座に置いて行かれる。

まずは第一障害、つまづくわけにはいかない。

私は坂に足を掛けた。体重とそりの重さを考え、若干溜めてから一気に推進する。

 

「フッ・・・‼」

 

坂の頂上に上がり、傾斜を利用して加速する。駆け出せるか。

 

「・・・よいしょっと。」

 

私より少し遅く第一障害を越えた先輩が、2歩3歩歩いたところで止まる。

 

「・・・え?」

 

止まった?、何故?

 

「え?トレーナー、「刻み」教えてないの?」

 

「あれは言葉で伝えるより体感する方が早いんだろ。」

 

「普通に忘れてた説もありうるけどね。」

 

ココロ先輩の息の音はどんどん離れていく。これは勝てるんじゃないか?

そう思いながら第二障害の前で止まる。第二障害は「溜める」、確かあのレースでもそうだった。

 

・・・まだ、まだ上がれない。全然体力が残ってない。

ガシャガシャという音が少しずつ近づいてくる。足音に余裕がある感じがある。

 

「並んだ、さすが「暴脚ココロ」、速い。」

 

「ゴッドちゃんは体力と言うより、気力が切れちゃった感じだ。」

 

おかしい、息が全然整わない。全力ダッシュの後に急に止まってしまった感覚に似ている。

横を見ると、いつの間にかココロ先輩が立っていた。まずい。かなりの距離があったはずなのに。

 

「フゥゥゥゥ・・・・・・」

 

息に余裕がある。目の前の山を登ることに何の迷いもない。

 

「お、行った。」

 

恐ろしい程に速い。これがレースか。

 

それよりも、まずい、置いて行かれる。

 

「あ、釣られた。」

 

足が重い、にも関わらず踏み出してしまった。もう後戻りはできない。腹をくくり、2歩目を踏み出す。

ココロ先輩はすでに登り切ろうとしている。追いつかなくては。

 

「ゼハァ・・・!?」

 

息切れ・・・!、しくじった。単なる体力切れじゃない、踏み込みに集中してなかった。上がろうとするエネルギーに変換できてない、まずい、まずい、すさまじくまずい状況だ。

 

「あっちゃー、やっちゃったね。膝を折っちゃった。」

 

膝小僧に土がべったりつく。それは全然問題じゃない、ここからどうする、立て直しが効くか。

ココロ先輩はすでに障害を越え、ゴールに向かって走っている。さすが暴脚ココロ、届かない。

 

「ッッッアァ‼‼」

 

私は残るエネルギーを総動員し立ち上がり、足を前に出す。置いて行かれるな、一気に踏み込め。

私は障害の上に立ち、大きく息を吐いた。まだ、まだ残ってる。ここから、走って・・・走って、はしって・・・、あっ

 

途端に足に力が入らなくなる。水道の蛇口を止めたみたいに、足からエネルギーが消える。

 

ドサッ、という鈍い音と共に、天地がひっくり返った。

 


 

目が開いた。鉛のように重い体とまでは言わないが、体調は良くない。

 

「起きたな、調子はどうだ?」

 

天井、じゃない、空だ。うっすらと雲がかかった空が視界に広がっている。

 

「トレーナー、何があったんです・・・?」

 

「脱水症状。無理をさせたな、申し訳ない。」

 

トレーナーは私に水を渡しながら言った。その顔からは普段のヘラヘラした感じが消え、本気の心配が読み取れた。

 

「いえ、大丈夫です。勉強にもなりましたし。」

 

私がそう言うと、奥からココロさんが走ってきた。

 

「大丈夫かぁぁぁ!!」

 

「大丈夫です、ご迷惑おかけしました。」

 

体を起こしてから、一気に楽になった。さっきまでの不調が嘘のようだ。

 

私は水を少し飲み、トレーナーに言った。

 

「・・・体力って無尽蔵じゃないんですね。」

 

トレーナーとココロさんはそれを聞くと、少し笑っていった。

 

「そう、そうだよ。ウマ娘だって無敵じゃないさ。」

 

ココロ先輩は私が無事なのを確認して、トレーニングに走っていった。いつものアラレちゃんポーズだ。

 

「じゃあこっからは座学だ、メモは・・・、取んなくていいか。」

 

トレーナーさんは立ち上がり、コースを踏みしめながら言った。

 

「ばんえいにおいて何が一番必要か分かる?」

 

「・・・体力?」

 

「ああ、70点正解。」

 

トレーナーさんは笑いながら第二障害を見て言った。

 

「正解は「気力」、第二障害を登る気概。」

 

納得だ。ゼロに近い体力で見上げる第二障害は、絶望そのものだった。

 

「んで、その気力を保つためには体力の温存が必要なのです。」

 

「・・・止まるんですね?」

 

ココロさんがやったあれだ。第一障害を越えた後、足を止める。止めつつ、少し歩いて、止まって、ゆっくり歩いて、を繰り返す。

 

「そそ、あれを「刻み」って言う。ばんえいの基本技術だ。」

 

「刻み、ですか。足を刻むってことか。」

 

次の一歩のための、楽する一歩。次の全力のための、手抜き。

 

「・・・私が言わなくても、ココロ先輩からいろいろ学べたかな?」

 

「勿論です、やっぱり先輩ってすごいです。」

 

トレーナーは煙草を取り出しながら「そうよなぁ」と呟く。私はそれを見て、息を吐きながら言った。

 

「選抜レース、絶対負けません。」




設定紹介Q&A

Q.ウマ娘版のばんえいのルールって何か特別なのあるの?

A.いくつかある。

「手をついて登ってはいけない」 ひざを折った拍子に付いてしまったとか、躓いてしまったとかで付くのは基本的にOK。ただ、障害とかをそれで上った場合降着となる。

「罵倒、挑発などの行為」 ばんえいはゆっくり進むのでレース中に会話とかまあ出来ないことはないんですけど、だからってこういうことしちゃ駄目ですよ、と。これも降着になったりする。


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第六話 「モンスター・エナジー」

私はエナドリは人生で1回しか飲んだことないです。レッドブルでした。


「選抜レースは毎年やってるんだけどさ、毎年結構盛り上がるんだよ。」

 

「盛り上がるんですか。」

 

西高トレーナーとラルバが蹄鉄を打つ横で、バレットさんが言った。

 

「バレットさんも出ましたよね。」

 

ラルバが黙々と蹄鉄を打ちながら言う。何で知っているのだろうか。

 

「出たね、前言ったもんね。3着だったよ。」

 

「あの頃の私がトレーナー1年目だったからなぁ、今だったら勝たせてあげられたと思う。」

 

トレーナーはそう言うと、打ち終えた蹄鉄を私に渡してきた。

 

「いよし、ラルちゃんと私が心を込めて打った蹄鉄だ。間違いなく勝てるよ。」

 

ラルバが笑いながら「期待してます」と言う。バレット先輩はウインクをして、ニヤリと笑った。

 

「行ってこい!」

 

全員の声を受け、私はゲートの後ろに足を進める。観客席は、新人の中の最強を見ようと多くの見物人で賑わっていた。

 

「今年は誰が勝つかなぁ。」

 

「シシカエデちゃんじゃない?、練習ちょっと見てたけどヤバかったよ。」

 

「いや、ミストチェリーだな、あの脚なら障害も折らずに登れるよ。」

 

きっと彼女らの予想の中に、私も入っているのだろう。ごく少数ではあると思うが。それに・・・

 

「おい、ゴッド―、こっちだ。」

 

「ヘイヘーイ、足の調子は?」

 

場所取りを長いことやっていた先輩もちゃんといる。緊張なんて全くと言っていいほどしない。

 

「大丈夫です、ココロ先輩。教わったからには勝たせてもらいますよ。」

 

「お、言ったな。じゃあ今日買ったらにっしーの金でジンギスカン行こうか。」

 

シャドー先輩が笑いながら言う。気合が一段と入り、私はこぶしを握り締めた。

 

「あ、いた。おーい、ゴッド―。」

 

手を振り私を呼んできたのは、今日の最大のライバル。カエデ。

 

「今日はがんばろうね、って言いたいとこだけど。」

 

私は苦笑いを浮かべた。

 

「あんまり頑張んないでほしい・・・。」

 

カエデはニヤリと笑いながら言った。

 

「お互い様でしょうが。でも、私は手を抜くつもりなんてまったく無いよ。」

 

「私もだ。」

 

もうすぐレースだというのに、なんだか実感が湧かない。ウェルに言ったら引っぱたかれそうだ。

・・・ウェル?

 

「そういえばカエデ、ウェルはいた?」

 

「ああ、なんか体調悪いからってさっき寮に戻っちゃったよ。めっちゃ顔色悪かった。」

 

なんたること。レース前に喝を入れてほしかったというのに。・・・にしても、

 

「ウェルがそんなに不調なの、珍しいね。」

 

「・・・たぶんそれだけじゃないけどね。」

 

「え?」

 

私が聞き返そうとした瞬間、笛が鳴る。私はとっさに指定されたゲートの後ろに立った。

8枠9番。始まってしまえばそんなことを考えている暇はない。

 

「これより!、第46回、選別レースを始める!」

 


 

センバツ

 

そりの重さは500。いつもの重さだ。

 

「位置について。」

 

旗が上がったのを見て、体制を変える。初速はレースの命。勝ちに直結する。

 

「ガシャン、」

 

開いた。行かなくては。

横一線に駆けだした10のウマ娘達。新人の中でもトップの実力者であろう彼女らは皆先頭だけを見ていた。

 

「第一障害だ、上がるか。」

 

練習で行うのと、レースで行うのは話が違う。まずは大きい呼吸。

 

「フゥゥゥ…」

 

足をかけ、上に推進する。そこから、上に上がったエネルギーをそのまま横に。

 

「おっし、ゴッドが先頭だ。行けるか!」

 

「いや、まだだ。」

 

さあ、「刻み」だ。体力は無尽蔵じゃないし、メンタルとフィジカルは思う以上に直結している。痛いほど学んだ。

 

「ハァッ、ハァッ・・・」

 

私が止まったのを横目に、二人ほど駆け出す。刻まないのか。

 

「ああ、やっちゃったか。」

 

私を含めた他の8名は止まっては歩きを繰り返す。まだ体力も残っている。まだ先頭だ。

 

「さあ、トップで第二障害だ。ここからが勝負だな。」

 

先日の私のように障害前で力尽きた横の娘の顔を見ながら、障害を見上げる。

 

「高っけぇな、ええオイ・・・」

 

明らかに1.6mの高さじゃない、自分より30cmも低い丘を私は「見上げている」のだ。

私が息を整えているとすぐにカエデを筆頭に、5人ほどが並んだ。

行けるのか。彼女らよりも先にこの山を登り切れるのか。

自分ならできる、だとかいう確信は一切ない。負けるかもしれない、前のように倒れるかもしれない。

 

しかし、私に登る以外の選択肢はないのだ。「ばんえい」なのだから。

 

足にエネルギーを、踵の火薬を破裂させろ、ここが正真正銘、「踏ん張りどころ」だ。

 

「ゴッドがトップで障害上がったよ!、これはひょっとするとひょっとするんじゃないか!?」

 

まだ先頭だ。他の溜めが中途半端だった彼女らは潰れる。懸念であるカエデもまだスタートを切ってない。

行かなくては、このまま、前へ。

 

「抜けた抜けた抜けたー‼‼、走れー‼、ゴッド―‼」

 

バレット先輩の元気な声が聞こえてくる。私を応援する声援の声もちゃんとある。

視界に光が入った。ここが頂上、山のてっぺんだ。

 

「眩しい・・・」

 

前を見たことで視界が開けた。あとは直線、残った体力で、一気に。

 

「エ゛ア゛ア゛ッッ‼‼」

 

後ろから、耳を劈くような声がして、私は思わず振り向いた。そこにあったのは、まるで平地を歩くかのように障害を登る、カエデの姿だった。

 

「シシカエデ来た、カエデが来たよ‼‼」

 

なんという速度で障害を登るのだ、化け物かコイツは。

 

「マジかよ・・・」

 

私は一気に障害を下る、後ろからくる[[rb:圧力 > プレッシャー]]は私を飲み込もうと、すさまじい勢いで迫ってくる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ッ、ハァッ、」

 

少しでも足を止めたら、「殺される」。トラかオオカミの群れに追い回されるような、死の恐怖。

 

「ゴッドー‼、逃げろー‼」

 

言われなくても逃げるだろう、こんな化け物から逃げ出さない奴なんていない。

残りは20m程、いける、いける、いける。

 

「よしっ、ゴールまで頭入った。あとちょっとだ‼」

 

足が重いッ、動かないッ

ガシャガシャと音を鳴らして化け物は既の所まで迫っている。

勝ちたい、勝ちたいというのに、あと2歩か3歩だというのに。

 

「ァァアアアッッ‼‼」

 

旗が振り下ろされる音が、乾いたコースに響いた。

 


 

「2着かぁ、がんばったなー。」

 

「惜しかったんだけどな、ギリッギリだった。」

 

ジンギスカンを食べながらトレーナーが言う。

 

「まあ、全力は出したので後悔はないです。」

 

ハナ差の2着。あまりに惜しかったが、仕方がない。

そう思っていると、横から遠慮気味な声が聞こえる。

 

「・・・私は居ていいんでしょうか。」

 

私の横に座っているのは本日のナンバーワンであるカエデ。西高トレーナーが呼んだらしい。

 

「勿論ですとも。焼肉なんだから、みんなで食った方が美味いよ。」

 

カエデは笑いながらジンジャーエールに口を付ける。

 

「・・・レース中のカエデ怖かったぁ」

 

私はいつもと変わらないカエデを見て内心安心していた。

 

「怖いって何さ、普段通りだったよ。」

 

「嘘だぁ!冷や汗まで掻いたんだぞ!」

 

カエデと私は笑いながら肉を頬張った。たれの味が口いっぱいに広がる。

やはり肉は良いものだ。黙々と食べていると、トレーナーが言った。

 

「・・・カエデちゃんはトレーナー決まった?」

 

「いや、まだです。」

 

肉と白飯を飲み込み、カエデは言った。彼女ほどのウマ娘ならすぐに担当も決まりそうなのだが。

 

「ウチくる?、楽しいよ?」

 

西高トレーナーにしては珍しい、スカウトするなんて。

 

「せっかくなのですけど、遠慮しておきます。」

 

カエデは申し訳なさそうに続けた。

 

「ゴッドちゃんとはライバルでいたいので、別のチームとして競いたいんです。」

 

西高トレーナーはそれを聞き、少し笑って言った。

 

「それもそうか、変なこと言ってごめんね。」

 

カエデが返事をしようとした瞬間に、後ろから声がした。明るい声だ。

 

「にっしー抜け駆けはずるいよー。」

 

「・・・りっちゃん。飯は奢んねーぞー。」

 

若い女性だ。ワイシャツを華麗に着こなしている。

 

「トレーナー、この方は?」

 

帯刀(おびと)里津。私の同期のトレーナー。」

 

その人はニコニコしながらお辞儀をした。

 

「里津って言います、チームスハイル担当してる人です。以後お見知りおきを。」

 

「・・・んで、何しに来たんだよ、まさか普通にジンギスカン喰いに来たとかは無いよな?」

 

帯刀トレーナーは「まあね~」と言いながらカエデの方を見た。

 

「カエデちゃん、スハイルに入らない?」

 

「スハイル?」

 

チームスハイル、学園屈指の強いチームだ。昨年のばんえい記念を制したウマ娘がいるという。

 

「・・・考えてはみます。今ここでは決められませんが。」

 

カエデはジンジャーエールを飲み干し、ポケットから手帳を取り出した。

 

「見学ってやってますか?」

 

「勿論、明日から一週間は普通にトレーニングしてるからいいよ。」

 

帯刀トレーナーは笑いながら西高トレーナーの横に座った。

 

「・・・用済んだなら帰りなさいよ。」

 

「ジンギスカンを食べようと思いまして。」

 

西高トレーナーは笑いながら言った。

 

「よーし皆どんどん食え、りっちゃんトレーナーが奢ってくれるってさー。」

 

元気な笑い声が焼肉屋に響いた。




設定紹介Q&A

Q.西高とか帯刀とか早川とか。なんか由来あるん?

A.ぶっちゃけほぼ無いに等しい。とはいえ0でもない。

西高はマジでない。とはいえ奇をてらった感じの名前じゃないから気に入ってる。
帯刀は、これを書いていた時に刃牙の宮本武蔵が好きだったから。
早川は「よつばと」のみうらさんが何となく頭によぎったから。決してサザエさんからではない。


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第七話 「圧倒的であれ」

ウェルミングスは「overwhelming」をもじりました。「圧倒する」って意味が込められてます。その名の通りの生き方をするのは簡単ではないですが、難攻不落の目標があるからこそ生は輝くのだと、彼女自身は思ってるんじゃないでしょうか。
ちなみにウェルさんは204cm、会長は189cmです。


私は、何故ここに立っているのだろうか。

私は、何故コースの上にいないのだろうか。

私は、何故走る彼女たちを見ているのだろうか。

 

今日は選抜レース。私の出ない、大きなレース。

 

劣等

 

「レースの勝ち方、障害の超え方、息の整え方、足の踏み出し方。大きいことを成し遂げるには小さい事から始めるべきだ。」

 

その人は、私がチームに入った初日にこれを言った。重々しく、そして心強いこの言葉に私は勇気づけられ、そして今、押しつぶされようとしている。

 

「大きいことを成す、じゃねぇよなぁ…」

 

勝てなかったのは私のせいだ。誰のせいでもない。だからこそやるせない気持ちが襲い掛かってくる。なぜ勝てなかったのか、あの後何度も自分に聞いた。回答はどれも同じ。

 

『お前が弱いからだ』

 

知ったこと。私は弱者だ。それはいつも変わらない。「ウマ娘」に成りきることができなかった、半端者。

 

いつの日だろうと思い出す、幼い時に見たテレビの画面。

 

「アイネス!アイネス!アイネス!アイネス!」

 

湧き上がるダービーの歓声。焦がれる。強く、恐ろしく強く、私を魅了する。

 

「日本ダービー…」

 

私と彼女たちに大きい隔たりがあることを知ったのは、それの少し後だった。

 

「ばんえい、ですか?」

 

「うん。君等は「ばんえい」だよ。」

 

中央、地方程度の壁じゃない。「種族」が違うのだ。私たちはスタート地点どころではなく、走る場所すら違っていた。

ダービーに出る、なんて夢のまた夢。芝の上を走ることさえ不可能なのだ。なんと残酷なことか。トレセンに入学しても、私の脳裏には中央の鮮やかなターフがいつも過る。

 

「…あーあ。」

 

ばんえいが嫌いなわけじゃない。一位を取りたい気持ちに嘘はない。でも、どこか自分の中で「妥協して走っている」という気持ちがある。ここにいるウマ娘の多くは、きっと今の状況に何の疑問も持っていない。ただ、何も考えず、気負わず、マイナスな気持ちを無しにして走れることがどんなに幸運か。

 

能力試験のあの時、私は何を思ったのか。何にせよ、不要な感情だ。レースを走っている時に真っ先に捨てるべき感情だ。「これじゃない。」そんなことを考えるな。お前が走るべきは帯広なのだ。ここ以外にお前の居場所はない。東京にも中山にも阪神にも京都にも、お前の居場所はないのだ。腹を括れ、覚悟を決めろ。

必死に言い聞かせても、負の感情はなかなか消えない。

私は弱者であり、敗者だ。半端者であり、あきらめの悪い、ここにいる資格すらない、愚か者だ。頬を伝う涙が、それらを雄弁に語っていた。

 


 

「ウェル、大丈夫?」

 

「…ああ、大丈夫です。」

 

早川トレーナーは心配そうにこっちを見ている。私はタイヤ引きを続ける。

 

「怪我とかじゃないな、悩み事?」

 

バレていたか。この人に隠し通そうにも、それができる自信はない。

 

「あの、少し聞きたいんですけど。」

 

「どうした?」

 

私はタイヤを外し、少し息を吐いた。

 

「早川さんは中央のウマ娘と関わったことってありますか。」

 

「中央?、あるよ。」

 

意外だった。この人はばんえいの人だと思っていた。

 

「知り合いに中央のトレーナーがいて、会ったことあるけど…。それがどうかした?」

 

「その方はどんな感じでした?」

 

早川トレーナーは少しうなった後、言った。

 

「なんか、オーラがすごかった。こう、迷いのない感じ。」

 

「迷いのない感じ、ですか。」

 

そうだろう。あんな魔物の巣窟で、迷いのある者が生き残れるはずがない。

 

「…で、何を悩んでるの?」

 

話すほうが良いのだろうか。幻滅されないだろうか。

しかしもうどうでもよくなってきているのも事実。ええいままよと私は話し始めた。

 

「私、中央で走るのが夢だったんですよ。」

 

早川トレーナーはぽかんとした顔をし、すぐに頷いた。

 

「ばんえいが嫌いなんじゃないんです。でも、いつも頭には中央のターフが浮かぶんです。」

 

「…中央かぁ。」

 

早川トレーナーは少し考えた後、誰かに電話を始めた。

 

「ああ、はい。お願いします。じゃあ、それで。」

 

「あの、誰に電話してたんですか?」

 

「君の悩みを完全に払拭してくれる人。」

 

まったくもって心当たりがない。私の悩みを聞いてくれるカウンセラーだろうか。

 

「…誰ですか?」

 

トレーナーはニッと笑って言った。

 

「ここで一番強いウマ娘だ。」

 

 

 

生徒会室。入ったことはない。会長さんも知っているが、顔も浮かばないくらい印象にない。

 

「失礼します…」

 

「ああ、いらっしゃい。」

 

私は部屋に入るなり息をのんだ。そこに立っていたウマ娘は何もかもが違っていたからだ。

身長は私より小さいはずなのに、大きく見える。肩幅も広い。タイツの上からでも足の筋肉のすさまじさが分かる。

だがそれだけじゃない。気迫か覇気か。近くに立つだけで窒息しそうになるような、高密度の「強さ」。

 

「帯広トレセン生徒会会長。エゾオウです。よろしく。」

 

差し出された手を見て初めて、私がどこに何をしに来たかを思い出す。私は深く呼吸をし、差し出された手を握り返した。

 

「早川君から話は聞いているよ、中央がチラつくんだってね。」

 

「…はい。」

 

ソファに座り、出されたお茶に手を伸ばす瞬間、自分が震えていることに気が付いた。

思う以上に緊張している。息を吸わなければ。

 

「君のような生徒はいつもいるんだが、君は珍しいな。」

 

「な、何がですか?」

 

会長さんはソファに座りなおしてつづけた。

 

「身長もある。肩幅も、気迫もまだ未熟ではあるが良い物を持っている。にも関わらず、中央か…。」

 

どういうことだろうか、なぜ珍しいのか。

 

「十分な才を持っていながら、それを発揮できる地ではない、別の場所を望む。そういうのはなかなかいない。」

 

「…はい。」

 

彼女は少し笑って、こっちを見た。

 

「私たちばんえいウマ娘は、学術的には「輓系種」というウマ娘の種類になる。「ペルシュロン」「ブルトン」「ベルジャン」など、その中でも更に細かい括りがある。だが、それらに共通することがある。私たちばんえいウマ娘は大型で、体力があり、走り単体では「サラブレッド」という種である彼女らには遠く及ばないが、他の面では十分彼女たちとも渡り合えるということだ。」

 

「それは、知ってます。」

 

会長はお茶を一口飲み、再び話し始める。

 

「でも、全世界どこを探しても、私たち「輓系種」が走る競技は存在しない。」

 

「え、そうなんですか?」

 

どこかカナダとかにはありそうなイメージだ。サンタクロースのトナカイのような感じで。

 

「そう。ばんえいは日本唯一どころか、世界唯一なんだ。」

 

世界唯一。日本の北海道で行われる、ただ一つのレース。

 

「つまり、「北海道最強」は「日本最強」であり「世界最強」なんだよ。」

 

「世界で最も強い…、ですか。」

 

言葉では理解できる。だが、納得はできていない。

 

「うん、じゃあ少し私の話でもしようかな。」

 

会長は立ち上がり、奥の机から写真を一枚取り出した。

 

「これは、私が4度目のばんえい記念を獲った時の写真だ。」

 

「4度目の?、4回も取ったんですか?」

 

会長は頷き、「すごいだろ?」と言って笑った。

 

「…だが、私の最初の重賞はシニア級に入って2年目だった。」

 

「え?、そうなんですか?」

 

こんな強さの極致が、初の重賞勝利がシニア級に入ってから。意外だ。

 

「私も君と同じだったんだ。障害を上ることより、芝の上で走るほうがかっこいいと、心のどこかで思っていた。」

 

会長は懐かし気に外を見た。彼女にもそんな過去があったのか。

 

「…でも、必死にレースに出た。必死に。煩悩だって吐き捨てて、レースに出続けた。…そして、あるレースに出たんだ。ただの協賛レースだったんだけどね。」

 

「何があったんですか?」

 

私はお茶を飲み干し、聞いた。

 

「障害の上から見下ろしたあの景色を、私は生涯忘れない。たかが1.6mの上から見た景色だったけど、私にとっては十勝岳の頂上の景色より美しかった。そしてあれ以来、私はばんえいに心を奪われたままだ。今もなお、ね?」

 

会長はこっちをチラリと見て、少しもの悲しげに言った。

 

「君が頭で理解しようにも、経験しないことには分からない。…だが、君ほどの才能が埋もれるのは私としても惜しい。」

 

分からない。どんなレースなのだろうか。その上から見る景色とは、どんなものなのだろうか。

 

「私も、期待しているよ。君がそういうレースに出会えることを。」

 

会長は手を振りながら、私がドアを開けて外に出るのを見守った。最初に感じたあの威圧感はもう無かった。

外で待っていた早川トレーナーに聞く。

 

「あの人、何者なんですか。」

 

「エゾオウ。ばんえい記念を4度勝利し、幾多の重賞を勝ち抜いた最も強いウマ娘。」

 

…なるほど。

 

「じゃあトレーナーさん、私トレーニングします。」

 

「え、今から?」

 

私は分からない。もしかしたら、一生「そのレース」に出会えないかもしれない。

 

「…出たいレースがあるので。」

 

でも、信じるほかないのだ。私に残された道は、ただそれだけなのだから。




設定紹介Q&A

Q.会長の年齢っていくつよ

A.永遠の10代でいたかったんだが・・・(本人談)

デビューは中等部2年。現役年数は8年。2年前に引退済み。そう考えると20代の前半・・・?


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第八話 「ウマ娘の闘争とは」

リアリズムは悪しきことではないですが、それに取りつかれて創作時の視界が狭まるのは良くないな、と常々思います。作品としての面白さの為なら、どんな滅茶苦茶なことも大真面目な顔で言えるような図太さが時に必要なのではないかと。
・・・前置きが長くなりましたね。まあ読んでもらえば分かります。


「どうしたんですか急に呼び出して。」

 

トレーナー室には昨日新調したホワイトボードが置いてある。

その真っ白な板の前でトレーナーは言った。

 

「何って、作戦会議でしょうが。」

 

トレーナーがそう言った時、ドアが開いてラルバがボールペンとボードを抱えて入ってきた。

 

「サポート科のレポートの宿題のために同席させていただきます。あ、たい焼きください。」

 

ラルバはボードを机の上に置き、たい焼きをかじり始めた。

それを見ながら西高トレーナーは話を進める。

 

「まずは反省会だ。選抜レースの。」

 

「そういえばやってなかった。」

 

西高トレーナーはホワイトボードに前のレースの最後の部分、ゴール寸前でのスタミナ切れの時の写真を張り付けた。いつのまに撮っていたんだ。

 

「…何で止まっちゃったと思う?」

 

「何でって、スタミナ切れでしょう?」

 

トレーナーは首を振った。

 

「スタミナ切れではあるんだけど、それにもちゃんと理由がある。」

 

スタミナ切れの理由がそんなに大層なものなのだろうか。単純に鍛錬不足ではないのか。

 

「私が思うに、カエデちゃんが後ろから上がってくるのに気が付かなければ、あのまま止まらずに勝利していたと思う。」

 

「え、そうなんですか?」

 

単純に体力が足りなかったからだと思っていた。どういことだ。

 

「じゃあまず、私が新入生が入るたびにしている話をしようか。」

 

トレーナーはホワイトボードに二つの言葉を書いた。

 

「ばんえいウマ娘の能力は、ざっくり分けると「メンタル」と「フィジカル」の2種類に分かれている。でも、その中にも区分けがある。」

 

精神力と肉体的な強さ。当たり前のことだ。

 

「メンタルは大きく分けて3つ。「判断力」「精神力」「闘争力」。」

 

トレーナーはホワイトボードに書き込む。

 

「…判断力と精神力は分かります。でも闘争力って?」

 

ラルバが聞いた。彼女は必死にメモを取っている。

 

「昨日のカエデちゃんみたいな感じ。「勝利に対する貪欲さ」と表現してる人もいたね。」

 

なるほど、あの鬼気迫るあれか。

 

「そしてフィジカル。これは5個に分かれてる。」

 

多い。そんなに細かく区切る必要があるのだろうか。

 

「最初に言っちゃうと、「スピード」「パワー」「スタミナ」「登坂力」「(けい)」の五つ。」

 

何だか聞きなれない言葉が出てきた。けい、けい?、なんだそれは。

 

「勁、知らないでしょー。」

 

私とラルバは頷いた。聞いたこともない。

 

「勁、中国武術の「気」。」

 

「あの「かめはめ波」とかの?」

 

西高トレーナーは笑って「違うよ」と言った。

 

「あれは超情的なパワーって感じがするけど、実際の気とか勁はもっと「技術的」なものだ。」

 

トレーナーはゴムボールを手に取り、言った。

 

「勁、とは「体内の運動エネルギーの効率的な使用法」と私は解釈してる。」

 

そう言いながら、西高トレーナーは、野球選手の投球フォームをした。

 

「これ、見たことあるでしょ。これも「勁」だよ。」

 

「…?」

 

何を言っているのだろうか。野球の投球フォームと運動エネルギーに何の関係が。

 

「選手ごとに多少の違いはあれど、投球フォームの根幹はほとんど変わらない。足を大きく前に出し、腰をひねり、肩を振り、ひじの曲げ伸ばしと、手首のスナップを連動させて投げる。こうすることで最大の加速が出せるから、野球の投球フォームは変わらない。」

 

私は何度かフォームをまねしながら考える。何が言いたいのだろうか。

 

「じゃあその「最大の加速」を出せる要因は何か。ここで「勁」の存在がある。一歩目を出すことで安定した上半身、腰のひねりによって発生した運動エネルギーは肩、ひじ、手首を通ってボールに伝わる。少しやってみ?」

 

なるほど。全力でフォームをすると、なんとなくそんな感じがする。

 

「この「運動エネルギーの流れ」こそが勁。なんとなくでは分からない。こればっかりは。」

 

「…で、走りにどう影響するんです?」

 

西高トレーナーは、一枚の写真をホワイトボードに貼った。どこかのウマ娘が障害を上っている。

 

「これ、私の知り合いの教え子なんだけど、きれいなフォームだから毎年使ってんの、んで、何が良いかっていうと。まず上半身の安定。無駄なエネルギーの流出を抑え、全部が下半身に行くように。そして、股関節から発生したエネルギーを膝、足首、足の指先までもを通って、「上に移動する」エネルギーに変える。立派な「勁」。」

 

美しいフォームがなぜ速い走りに直結するのか、今まで何となくしか分からなかったが、こういうメカニズムが存在するのか。勉強になる。

 

「これを意識して走るのと、まったく知らずに走るのとでは天と地ほどの差があると私は思ってる。…まあ、全部先生の受け売りだし、トレーナーによっては知らない、ってやつもいるくらいなんだけどね。」

 

西高トレーナーは一通り言い終えると、ボードに8角形のグラフを貼った。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「これがばんえいウマ娘の強さの「システム」。強者が「なぜ強者足り得ているか」を大雑把にではなく、頭で理解できる形にするんだ。」

 

「おおー、すごいトレーナーっぽい。」

 

ラルバが手をたたきながら言う。

 

「今も昔もトレーナーだよ。ラルちゃん口悪くなった?」

 

笑いながら私は聞く。

 

「…じゃあ選抜は何で負けちゃったんですか?」

 

当たり前だが、「敗因」はスタミナ切れだ。だが、その「原因」が分からない。

 

「答えは単純。「闘争力」で負けたから。」

 

私は思わず、「は?」と言った。どういうことだ。

 

「メンタルとフィジカルは双方結びついてる。良いフィジカルには良いメンタルが付く。逆もしかり。」

 

「闘争力が負けるとスタミナ切れが起こるんですか?」

 

ラルバが不思議そうに聞いた。

 

「相手の闘争力に飲み込まれると、筋肉に不必要な緊張がかかる。無駄な動きが増えたり、呼吸が浅くなったり。そうすると、必然的に被害が出てくる。今回はスタミナだったけど、障害を上れなくなったり、刻みの配分ができなくなってスピードが落ちたりとね?」

 

確かに、あの時の自分はすさまじく動揺していた。恐怖が手綱を握る手を一層強くした。

 

「…で、その「闘争力」があのカエデちゃんはとんでもなく強いんだと思う。ゴッドの顔を青ざめさせるくらいには強力だ。」

 

あの時の写真を撮っていたのならばあとで回収しなければ、と思いながらトレーナーに聞く。

 

「じゃあどうすれば勝てるんですか?」

 

「そこで必要なのが「精神力」。」

 

トレーナーはボードのグラフに指をさしてつづけた。

 

「不屈さ、動揺への強さ、興奮のおさめ方。そういうのを全部ひっくるめて「精神力」。バレッドなんかがいいお手本じゃないかな?」

 

曰く「自分を保つ力」だ。非常に重要だろう。

 

「まあそんなとこか。ゴッドは「勁」がすっごい上手だから、鍛えるべきはやっぱりスタミナだね。」

 

「ですね…。」

 

私がトレーニングに対してげっそりしていると、トレーナーは言った。

 

「トレーニングも大事だけど、必要なのは飯!、よく食ってよく寝ること!」

 

そうだ、良い飯と良い生活が強き肉体を形作る。基本中の基本だった。忘れていた。

 

「にしては、トレーナー細すぎじゃないですか?」

 

「うるさい!、そんなことは知らん!」

 


 

以来、タイヤとそりを引き、坂を上り、ダンベルを持ち上げ、アンクルウェイトをつけランニングをする日々がしばらく続いた。

改めて思うが、日々のトレーニングというものは思う以上に地味だ。

ランジもスクワットも、200とか500とかになってくると、無駄な感情を挟むすきがなくなる。しんどい、と考えることさえ意味がない。しんどいと思ったところで筋肉はつかない。

 

だから、常に「次」を考える。

 

1回目のスクワットの間に、2回目のことを考える。地道に、ひたすら同じ行為をする。それが、回り道に見えてまっすぐ勝利に続いていることをここ最近学んだ。

そして、それを発揮する場所がとうとう訪れた。

 

「デビュー戦だな。初めての帯広レース場か。」

 


帯広レース場

 

「ここが帯広…」

 

特別大きい…訳ではないが、きれいな建物だ。すこし古いが。

 

「いろいろびっくりするかもね、札幌レース場とは全然勝手が違うよ。」

 

私は札幌レース場に行ったことはないが、何があるのか。楽しみだ。

中に入ると、思う以上に広い建物が広がっていた。

 

「集合より全然早く来てるからいろいろ見てきなされ。ほれ。」

 

そう言いながらトレーナーは私に5000円札を渡してどこかに行ってしまった。

 

「二人とも、ここ来るのは初めてか。」

 

ゲイザーの先輩が言う。サイレス先輩も続けていった。

 

「ここはなぁ、豚丼がうまいんだよ。」

 

「そうじゃねぇだろ。物産センターがメインだろ。」

 

「バレット見る目ないなぁ、やっぱばんえいミュージアムでしょ!、歴戦の猛者があつまってるんだよ!」

 

3人の意見に笑いながら、ラルバが言う。

 

「とりあえずスイーツ食べに行きましょう。」

 

この子甘いもの好きすぎだろ…と思いながら結局甘いものを食べることになった。

スイーツを売っている棟に向かい歩いていると、ばんえいウマ娘の銅像が目に入った。

 

「これは?」

 

「ああ、これはイレネー像。」

 

「イレネー?」

 

聞いたことはあるが、詳しくは知らない名だ。

 

「イレネー様。すごい昔に、フランスから日本に来た最初のばんえいウマ娘。あの時に渡ってきた子は他にもいたから詳しいことは分かんないけど、もしかしたらうちらのご先祖かもしれない方。」

 

なるほど、すごい方だ。像になるのも頷けるが、少し気になる点があった。

 

「にしても、強い足じゃないですか?」

 

「イレネー様は、怪物みたいに強かったらしいね。」

 

やっぱりそうだ。空を眺める勇猛とした出で立ちからもよくわかる。足の筋肉量が桁違いだ。

 

「平地を走らせれば普通のウマ娘より速く走り、丸太を担いで斜面を駆け上がった、と言われてる。」

 

「何それ…マジの怪物じゃんか。」

 

私たちは笑いながらレモンタルトのお店に入った。

 

1時間後

 

「…そろそろ時間だな。恋バナなんてしている場合じゃない。行くぞみんな。」

 

「え、もう?」

 

「もうだ。」

 

こういう時のバレット先輩はとてもたよりになる。いつもこうでいてもらいたい。

 

「…っと、トレーナーからLineだ。「ゴッドさん早急に控室に来い」だそうで。」

 

名指しか。あの人はどうせタバコでも吸っているのだろうに。

 

「よっしじゃあ行くかぁ!」

 

急に大声を出したココロ先輩が走って移動するので、私たちもダッシュした。息は切れないが、周りの人に変な目で見られる。少し恥ずかしい。

控室につく頃には、みんな汗だくになっていた。

 

「…何で走ってきたん?」

 

「うるせぇタバコ吸ってんじゃねぇ学生の前なんだぞ。」

 


 

「体操服似合うな、ゴッド。」

 

「それは褒めてるんですか?」

 

西高トレーナーは笑った。普段通りの感じがする。

 

「さて、と。今回は8人出走する。ゴッドは3枠3番だね。」

 

「了解です。結構多いですね。」

 

デビュー戦はもっと少ないのかと思っていた。8人もライバルがいるのか。

 

「大事なのは「自分の走り」をすること。8要素覚えてるよね?」

 

私は詠唱呪文のごとくそれを唱えた。

 

「えーっと、「スピード」「パワー」「スタミナ」「登坂力」「勁」「判断力」「精神力」「闘争力」。」

 

西高トレーナーは歯を見せて笑った。この人にしては珍しい。

 

「それさえ覚えてれば、120%勝てる。行って来なよ。」

 

「…はいっ。」

 

私はパドックに出た。広い。改めて立ってみると、眩しい場所だ。

 

「ゴッドー、あっちで見てるぞー。」

 

ゲイザー先輩が声を張って応援してくれている。

きっと他にも私を応援してくれる人はいるのだろう。

 

負けるわけにはいかない。ただ勝利だけを求めて過ごしてきたのだから。

 




設定紹介Q&A

Q.帯広レース場について詳しく

A.ばんえい競走やってるレース場

現実の帯広競馬場とほぼ同じだが、商業施設が大きく、ばんえいウマ娘用の服や生活用品が売ってたりもする。そのため「とかちむら」がかなり大きい。
過去に平地の競走が行われていた時に使っていたウイニングライブ用の施設をそのまま使っている。ちょっと最近老朽化が進んでおり、改修工事の話が出ているが、実現はまだ先になりそう。
帯広レース場マスコットアイドル「フクヒカちゃん」がいる。レースがない日は彼女がライブをしたりイベントの宣伝をしたりしている。


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第九話 「砂塵と障害を終えて」

改めて読むと無駄が多い気がする。今の自分なら書かないような疎い表現が多くて面白いですね。第一章終わった時に全部修正しますが、これはこれで味があっていいのではないでしょうか。


「さあ、帯広競馬場第3レース。引き続き実況は紫坂、解説は石原さんがお送りします。」

 

実況の声が響く。遠く離れていても結構聞こえるものだ。

 

「今回の1番人気は、3枠3番、学園内選抜レース2着のゴッドドラッガー。どうですか石原さん。」

 

1番人気?、いつの間にそんなことになっていたのか。第一あの人たちも知っていたのなら教えてくれれば良かったのに。

 

「えー、そうですね。非常によく鍛えられています。坂をしっかり登ることができるなら勝利も十分狙えると思いますよ。」

 

…それにしても、皆顔が強張っている。緊張とその他諸々の感情が混ざり合っているのだろうか。実況が2番人気以下の娘の紹介をしているのを聞きながら、私は深く息を吸う。

 

ついにここまで来た。初めて見たあのレースから、ここまで。あの憧れの帯広に。

 

「スゥゥゥ……フゥゥ……。」

 

気合は十分。程よく緊張もしている。良い。

 

「さあウマ娘が続々とゲートに入ります。」

 

私は500kgのそりを付け、体に掛かる負荷を感じた。いつものように、踵をトントンと鳴らす。

 

「ゲートイン完了、帯広レース場第3R、最初の勝利を勝ち取るのはどのウマ娘だ。今、スタートしました!」

 


 

一般的に、レースは「自分対他のウマ娘」とされている。

だが、相手を意識するだけでは勝てない。

まずは「自分のレース」をしなければいけない。いつだって、最初に相手になるのは自分なのだ。

 

「さあ、まばらなスタートです、4番アイーダジャンク出遅れたか。」

 

出遅れは厳禁、第一障害までは止まらない。

 

「さあ1番人気ゴッドドラッガー、先頭で障害に足をかけた!」

 

第一障害では、息を入れながら登る。ここでは躓かない。

…それにしても、コースの水分量が少ない。そりを引くのにも力がいる。

 

「さあ続々と第一障害を越え、次の障害まで刻んでいく。」

 

第一障害を抜け、直線に入ると砂塵が舞った。いつの日か行った鳥取砂丘を思い出す。

息も絶え絶えだ、ゆっくりと刻まなくては。ふと横を見ると、青ざめた顔のライバルが、息切れしながら止まっている。

 

(これは慎重にいかなくては...)

 

フェーズ1 砂地

 

ばんえいには「バ場水分」というものがある。普通のレースとは違い、水分量をパーセントで表示するのが特徴だ。バ場水分が多いと滑りやすく、前に進むのが楽になる。逆に、水分量が少ないとそりや足が砂に埋もれ、前に進むのに力がいる。砂漠の上をダッシュするのと、コンクリートの上を走るのどっちが楽か考えてみればすぐにわかる。踏み込みの楽さは言うまでもない。

水分量が多いと「軽バ場」、具体的には3.0%より上、水分量が2.0%より少なく、乾いていると「重バ場」。

 

では今日の水分量は?

 

2%か、はたまた1.5%か。

 

正解は「0.8%」。砂塵舞う、難攻不落のコース。

 

しかし、重バ場の帯広で最も気を付けるべき場所は直線じゃない。

 

フェーズ2 砂丘

 

「砂が、滑る…」

 

踏み込みで超える以上、最も大事なのは足である。しかし、乾いた砂によって上昇エネルギーは半減されてしまう。よほどの体力がなければ登れない。

 

「さあゼッケン7番ジャムサンド第二障害に足をかけた!」

 

こんなコースで溜めをおろそかにするのは論外。途中で足を折ってしまう。

 

「さあ後続の馬もどんどんと続いていく!、おおっと、ジャムサンド一度戻った、体力は大丈夫か。」

 

…思い出せ、選抜の時の、「あれ」を。化け物か怪物の、あの形相を。

あの身の毛もよだつような大声を、あの肌身に迫る「死」の恐怖を。

 

よし、行ける。

 

「来た来た来たっ!1番人気ゴッドドラッガー!、スムーズに障害を上っていく!」

 

いつも以上に走りずらい、いつも以上に足に力が入らない。

だが、走れる。足が動くのならば走れる。意識があり、前進する気概があるのなら、いつだろうとどこだろうと走れる。

 

「登りきったゴッドドラッガー!、先頭に食らいついていくか。」

 

ああ、いつも思う。頂上は眩しい。世界のどこよりも空に近い気がする。

だが、晴天に見惚れている場合ではない。勝つのだ、そのためにここにいるのだから。

 

「…さあ、前へ。」

 

フェーズ3 砂塵

 

土煙が舞う。一寸先は闇、という言葉があるが、それに近い感じだ。

砂塵の中は体力切れと気力切れを誘う、まさに「砂地獄」

 

「さあすごい砂埃の中で、ゼッケン2番カイロマウンテン現在先頭だが止まっている。」

 

しかし行くしかないのだ。砂の中だろうと、たとえそれが溶岩の海だろうと針山だろうと。そこを踏まなければゴールに行けないのなら踏むしかない。

 

「やはり来たぞゴッドドラッガー、先頭との距離をグングン詰めていく!」

 

あと何歩か。それもよく分からない。

いや、あと何歩かなんてどうでもいいか。私の目的は「相手に追いつくこと」ではなく「相手より先にゴールすること」なのだから。

 

「ゴッドドラッガーとカイロマウンテン、ゴール寸前で並んだ!、さあここからは根気勝負だ!」

 

その通り、ここからは、並んでからは根気勝負。もう一歩、あと一歩。

 

いつだってレースは前に貪欲に進む者が勝つのだから。

 

「ゴッドドラッガー今先頭で、ゴォールインッ!」

 


 

「ゴッドー、1位おめでとう。」

 

「カエデ、ウェル、来てたんだ。」

 

二人は、そこで売っていたと思われるたい焼きをかじりながら言った。

 

「いやぁ、負けてられないねぇ、ねぇ、ゴッド。」

 

「ああ、でもまあ今はとりあえず、おめでとう。ゴッド。」

 

私がありがとうとつぶやくと同時に、後ろからチームのみんなが走ってきた。

 

「ゴッドー、こっちが先だろうがー!」

 

「いいんだよお祝いに前も後ろもあるか!」

 

いつも通りの馴れ合いを見ながら、私は言う。

 

「…トレーナー、先輩。勝ちましたよ。」

 

「…ああ。」

 

私が満足した顔で頷くのを見て、バレットさんが口をはさむ。

 

「うおーい、まだ満足するには早いぞー。」

 

皆で首をかしげていると、ウェルが言った。

 

「…あ、ウイニングライブ。」

 

それを聞いたバレットさんは頷き、ブイサインをしながら言う。

 

「私との練習の成果。見せてきな!」

 


 

「…いつのまに練習してたんですか。」

 

「何このクオリティ…」

 

野外ステージで軽快なリズムとともに異様にキレキレなダンスを踊る、ゴッドの姿。

 

「へっへーん、どうせ勝つだろうしと思って仕込んでおいた。」

 

バレットが自慢げに言う。確かに最近連れ出しているなとは思っていたが、こんなことをしていたとは。

 

「観客も唖然としてるな。デビュー戦のダンスはガッタガタになるのが良いのに…」

 

新人生のあの自信なさげなダンスが良かったのに、こんなダンサー顔負けのキレキレダンス。いくらバレットがダンス上手だとしても、こんなに上手くなるのだろうか。

 

「にしても、スウィングなんだね。ゴッドっぽくないイメージ。」

 

「私が決めたからな。」

 

みんな一斉にバレットのほうを向く。曲が自由とはいえ、勝手に決めるのはないだろう。

 

「よくないでしょバレットそれは。確かにかっこいい曲だけどさ。」

 

「いいんだよ、てかこんなん話してるうちにダンス終わっちまったぞ。」

 

結構な量の拍手喝采を浴び、照れながらゴッドが退場する。

それを見ながら、カエデが聞く。

 

「というか、バレット先輩ダンス上手いんですか?」

 

「うん。ガキの頃は大会とか出てたよ。」

 

私は「そういえばそうだったな」と思い、バレットに聞いた。

 

「どこまで行ったんだっけ?」

 

「えーっと、北海道大会?」

 

二人から驚きの声が上がる。

 

「マジですか、全然見えない。」

 

「いっつも小豆ばっか食べてる先輩だと思ってました。」

 

「私が言えたことじゃないが君等結構失礼だぞ?」

 

私たちが雑談しながら盛り上がっていると、着替えたゴッドが帰ってきた。

 

「ただいま帰りましたー、って、なんで盛り上がってるんですか。」

 

文句を言うゴッドをよそに、私は車のキーを手に取る。

 

「よし、帰るか。」

 

「…ですね。」

 

和気あいあいと、みんな車に乗り込む。

デビュー戦に勝ったからといってうかうかしてはいられない。まだたくさんの勝負が待っている。

 

でも、今日くらいは、このくらい緩やかでも良いな、と思った。

夏はまだ始まったばかりなのだから。

 




設定紹介Q&A

Q.ウイニングライブってどうなってるん?

A.独自設定

シンデレラグレイでオグリが笠松音頭を踊っているのを見て、私は思ったわけです。
「地方のレースでは比較的自由に曲が決められるのでは?」
ラジカセが置いてあったということはCDとかそういうことなんじゃないか。
ということで帯広レース場では、ウイニングライブは任意。更に曲は自由です。

踊るウマ娘は大体半数くらい。任意とはいえ、中央あれを見ているウマ娘が多い分、みんな結構ノリノリだったりする。

だがエゾオウ会長はライブはやらなかった。


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第十話 「たった200mの戦場」

作中に出てくる「協賛レース」。実際に地方競馬では行われているので、気になったらチェックしてみてください。
ちなみに露木ちゃん。これを書いていた時に生まれた親戚の女の子の名前です。固有名詞を出すのはあまりよろしくないですが、若気の至りということで。


夏が来た。北海道の夏は本州に比べてだいぶ涼しい。練習もしやすく良い季節…、なのだが、私は今日、レース場に来ていた。

大事な友人のデビュー戦である。見ないわけにはいかない。

 

「あ、ゴッド、ウェル。見に来てくれたんだ。」

 

カエデは髪の鈴を鳴らした。見た感じ、緊張もしていないようだ。普段と変わらない。

 

「そりゃあ、見に来てくれたんだから見に来るでしょ。」

 

「だよなぁ」

 

彼女は息を深めに吸い、手を握りしめる動きを見せた。

 

「ウェルもゴッドもすごいレースだったからね、私も負けないよ。」

 

先週のウェルのデビュー戦を思い出したようで、さすがの気迫だ。選抜のあの時と同じ、いや、それ以上か。

 

「さすが、『ジキルとハイド』」

 

カエデはブイサインを見せ、ゲート裏に走っていった。

そんな彼女を見て、ウェルは私に聞く。

 

「…ジキルとハイド、ってなんだ?」

 

私はウェルに、先ほど売店で買ったカスタードのたい焼きをウェルに渡す。

 

「スハイルで言われてるカエデのあだ名。」

 

というのも、カエデは練習だろうと何だろうと、「競う」という行為になった瞬間豹変するのだ。

すさまじい気迫、追いつかれてはいけない、殺されてしまうという恐怖。

 

「それを言われてカエデ本人が言ったのが『ジキルとハイド』」

 

ウェルは大きい口でたい焼きを食べながら「なるほど」とつぶやいた。

 

「お、ファンファーレ。」

 

軽快なトランペットの音が鳴り響く。これを聞くとついに始まったと思う。

 

「帯広レース場、第9R、今、スタートです!」

 

カエデはゲートが開くと同時に足を前に出す。少し出遅れた。

 

「だけど、アイツはその程度じゃ止まらない。」

 

ウェルの言う通り。驚異の速さだ。第一障害に入った時点ですでに追いついている。

レースの本領はここから。刻みと障害のバランスで勝敗が決まる。

 

「シシカエデ!先頭で第二障害に到着だ!」

 

カエデは刻みをあまりしない。止まるには止まるのだが、たいして時間をかけない.

ただ、その代わりに

 

「障害前の溜めが長いな。」

 

ウェルが言う。カエデが汗を垂らしながら待っているうちに、他の走者が障害に登りだした。きっと先に登った彼女たちはカエデがばててしまったと思っているのだろう。

しかし、私はこの光景を知っている。

 

「シシカエデが出た、シシカエデが来たぞ!」

 

実況の声とともに、カエデは最後の直線に入る。前を走っていたウマ娘の横顔は、ホラー映画を見ているかのように恐怖で震えていた。

 

「シシカエデ、今一着でゴールイン!」

 

さすが予想通り、いや、予想以上か。

レースを終え、こっちに走ってきたカエデに祝いの言葉をかける。

 

「おめでとう、強いね。」

 

「えへへー、ありがとう!」

 

カエデは汗を拭きながら言った。その横顔はレース中とは打って変わって晴れ晴れとしている。

 

「そういえば、ウイニングライブ、どうするんだ?」

 

ウェルがそう聞くと、カエデは懐からCDを取り出して言った。

 

「め組の人」

 

「「古っ」」

 


 

「さーてゴッド、レースの話だ。」

 

西高トレーナーはタバコくさいパーカーを脱ぎ捨て、私に言った。

 

「次走、ってことですか?」

 

「いや、ジュニア級のレースの話。」

 

目標レースのことなのだろう。私はレース一覧のパンフレットを開き聞く。

 

「えーっと、イレネー記念とかですかね。」

 

「お、いいとこ見つけたね。」

 

西高トレーナーはペンのふたを歯で開け、真っ白なホワイトボードに書き始めた。

 

「まず、ジュニア級は「ジュニア三冠」を目標レースにすることが多いな。もちろん、他の重賞競走に出たり、中には来年のティアラ路線を見据えて黒ユリ賞に出たりするウマ娘もいる。」

 

トレーナーはボードに3つレースを書いた。

 

「ナナカマド賞、ヤングチャンピオンシップ、イレネー記念。がジュニア三冠。」

 

私はそれらをメモ帳に移しながら、先ほど少し引っかかった単語について質問した。

 

「ティアラ路線というのは?」

 

トレーナーは頭を少し描き、言葉を濁すように言った。

 

「ティアラ路線は、あんまり整備されてないからお勧めしない。」

 

話を聞くと、なぜ勧めないかなんとなく分かってきた。

昔のティアラ三冠はクラシック級の三レースで「黒ユリ賞」「ばんえいプリンセス賞」「ばんえいオークス」の3つだったのだが、ばんえいプリンセス賞は特別競走に格下げ、黒ユリ賞もジュニア級に移動してきたため、3つのレースをすべて制すにはジュニア級に黒ユリ賞に出る必要があるのだ。

 

「じゃあ、どっちが良い?」

 

「…ジュニア三冠でいきます。」

 

私は少し悩み、口を開いた。

 

「おし、分かった。それでいこう。」

 

西高トレーナーは笑い、タバコに手をかけた。

 


 

ジュニア三冠の初戦はナナカマド賞。それに出るにはレース経験が必要で、だから協賛レースにたくさん出よう、とのこと。デビュー戦以来、初のレースだ。気合も入る。…だが。

 

「変な名前だ。」

 

露木ちゃん誕生おめでとう記念

 

協賛レースは基本的に付ける名前は自由。だから、その多くが記念であったり、企業の宣伝だったり。

今回は「誕生日」だろう。露木ちゃんという名前からして女の子だろうか。

すこし気合が入る。祝いのレースだ。最高のレースをしなければ。

 

「さあ帯広レース場第8R、露木ちゃん誕生おめでとう記念。今、ゲートインが終わりました。」

 

ファンファーレの音が耳で反響する。さあ、出走だ。

 

「今、スタートしました!」

 

今日のバ場水分量は3%、先日の雨で相当走りやすいはず。

だとしたら障害に全エネルギーを注げるはず。

 

私は第一障害を難なく登る。この程度の「丘」は話にならない。

 

「さあゼッケン4番ゴッドドラッガー、速いペースで先頭にでました。」

 

刻みは息を荒げないように丁寧に、しかし溜めすぎてタイムに影響が出ないよう注意を払う。

砂塵が舞わない帯広。息も深く吸うことができる。

ああ、気分がいい。

 

手綱を握る手に力が入る。気がつけばもう障害の前だ。

 

「フゥゥゥゥゥ・・・‥。」

 

息を吸い、上半身を安定させる。

足が、大地の上に乗っていることを意識しろ。

地面に垂直に、エネルギーを地面を分散させてはいけない。

 

「行った!ゴッドドラッガーが行ったぞ!」

 

登れ、周りを追いつかせるな。追いつかせてはいけない、私が先頭でなければいけない。

 

「さあ周りを寄せ付けず、今障害を登ったぞ!」

 

貧血なんかで倒れてたまるか。脱水症状なんて起こしてたまるか。

私は万事順調にここに立つ。最も天に近く、最も美しく、そして最も残酷なこの王者の頂上に。

 

「ゴッドドラッガー、驚異的だ!、今止まらず一着でゴールイン!」

 


 

表彰台で、私は子供を連れた女性に出会った。長い髪のきれいな人だ。

 

「あの、ありがとうございます。」

 

やっぱりこの人だった。今回の協賛レースの出資者の方だろう。

 

「いえ、私は走っただけなので。」

 

私が少し慌てながら首を振ると、その人は眠っている赤ちゃんを揺らしながら言った。

 

「いえ、私達はその「走る」あなた達が見たかったんですよ。走るあなた達だったからここに来たんです。」

 

自分の胸の中に知らない感情があふれるのを感じる。悪い気は全くしなかった。

 

「…ありがとうございます。」

 

私は可愛い寝顔の赤ちゃんの手を握った。幸せそうだ。

 

「また見に来てね、ありがとう。」

 

ばんえいは中央とは何もかも違う。規模は小さいし、人もあっちよりかは来ない。

でも、こういう事があるから、私はばんえいで良かったと心から思うのだ。

 

前の日とは打って変わって、私の上には晴天が広がっている。

今日の帯広レース場には乾いた風が吹いていた。




設定紹介Q&A

Q.10話になったし、そろそろ主役について教えてくれや

A.いいでしょう。

「ゴッドドラッガー」
誕生日:12月7日
身長:192cm
中等部ジュニア級
好きな漫画「鋼の錬金術師」
好きな映画「シン・ゴジラ」
好きな食べ物「オムライス」
好きな人のタイプ「要領の良い、器用な人」

メモ:札幌の実家ではカマキリを育てていた。スマホはあるのに、父母ともに文通である。

誕生秘話などはまたいつかお話ししましょうか。


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第十一話 「洗練されし敗北」

どんな素晴らしい設定のキャラでも、出しどころというのは見誤ると途端に印象が悪くなったり、変に目立ったり目立たなかったり。そういうのは慎重に考えていかないといけないんですよね。
・・・前書きにこんなことを書くということは、ねぇ?

あとこの回シンプルに出来が悪い。要修正。


7月も終わり、灼熱の8月がやってきた。夏本番、といった感じだ。

 

「お、思ったよりでかいかも。」

 

それにしても、なぜ花火なのだろう。しかもトレセンで。

 

「毎年やってるからねぇ。レース勝利おめでとうついでに、風物詩だから。」

 

銀製のライターをかっこよく回しながら、西高トレーナーは言った。花火でたばこの匂いがかき消される。

 

「んじゃあ、これ。」

 

「…ドラゴン花火。」

 

ノリノリだ。ばれたら怒られるのではないか、という恐怖に襲われながらも、私はドラゴン花火に火をつける。

煙の臭いとともに、目も眩むようなまばゆい光があたり一帯に広がる。きれいだ。

 

「にしても、ゴッド。調子いいじゃねぇか。」

 

「そうですかね?、いや、そうか。そうですね。」

 

あの後、2回協賛レースに出た。どちらも2着で、滑り出しは上々だった。勝てなかったのは少し悔しいが。

 

「ゴッドはこれからも協賛レースガンガン出るとして、ココロとサイレス。お前らはばんえい大賞典だ。」

 

ねずみ花火を5つ同時着火していたココロさんがこっちに来る。サイレスさんも手持ち花火をバケツに投げ込み来た。

 

「ばんえい大賞典、三冠の一角かー。燃えるよね。」

 

ココロさんはいつも通りだ。三冠だろうと臆さず進みそうだ。

 

「私は緊張するな。結構不安かも。」

 

「大丈夫だ我が妹よ。」

 

花火の燃えカスを処理しながら先輩が言う。

 

「自信を持ち、己を信頼し、決して侮らない。お前もいつも言ってるじゃないか。」

 

気合の入った声を聴いてサイレス先輩は笑う。大賞典は今月末。泣き言を言ってる場合ではないのだろう。

それにしても、今の3つ。さりげなく言ったが、結構大事なことなんじゃないか。

 

「…なるほど。」

 


 

「2周年記念協賛 カキツバタ杯。」

 

小雨の降る帯広。少し冷たい雨が肩にあたる。

西高トレーナーの作戦を一通り頭に叩き込んだ後、私は聞いた。

 

「あの、今日の1番人気のゼッケン3番の子って、何か知ってたりします?」

 

「ああ、エルドラドファクト。スハイルにカエデちゃんと同じタイミングで入ったらしいね。」

 

エルドラド、ファクト。かっこいい名前だ。中二心がくすぐられる。

 

「で、何か感じ取っちゃった感じ?」

 

「そうですね…、たぶん、油断は良くないです。」

 

カエデとはまた違う。今までの感覚だと、ウェルに近いか。「相手に勝ちたい」という感情ではなく、「レースに勝ちたい」という勝利の欲求。

 

「じゃあ、行ってきます。」

 

きっと私なら勝てる。羽織っていたジャージを脱ぎ捨て、私はパドックに向かった。

 


 

「さあ帯広レース場第6R、水分量は2.8%ということで、だいぶ走りやすくなっています。」

 

「これだけ湿っていると、レースの展開も早そうですね。仕掛けどころが注目になりそうです。」

 

ゲートに入り、少し横を見る。ゼッケン3番、1番人気、エルドラドファクト。目つきが鋭い。睨まれたら固まってしまいそうだ。

 

「さあ、2周年記念協賛カキツバタ杯、今、スタートを切りました!」

 

そりの重量が重くなった。たった10キロだが、結構な差だ。しんどい。

 

「さあゼッケン5番ビオラビーズ先行したぞ!、そうとう速いペースだ!」

 

前に出るのも悪手ではない。だが、周りを警戒して少し様子を見る必要がある。だとしたら

 

「3番手っ‼」

 

全力を十分に出しながら、直線に入る。

霧雨が顔にあたり思わず目をつむる。風が変わった。

 

「さあ第二障害、続々と後続のウマ娘が追いついていく!」

 

横一線に並んだ。エルドラドとやらもいる。誰が最初だ。

 

「おおっと!エルドラドファクト突っ込んだぞ!」

 

早っ、そして速っ!?

何だこいつ、あの溜め時間でここまで行くか。

 

「だが負けてない‼」

 

私が声をあげながら障害を上ると、そいつはこっちを見た。

 

「……、っは」

 

笑った。鼻で笑ったぞこいつ。

途端に、足ががくんと下がるのを感じる。エネルギー切れか。

 

いや、まだ。まだ残っている。

 

「エルドラドファクト!ゼッケン3番エルドラドファクトだ!」

 

悠々と障害を越え、そいつの背中は遠ざかっていく。

 

「ちくしょう…、ちくしょうっ。」

 

障害は越えられる。だが、このままいって追いつける気がしない。

もう残っていない。負けるのか。私が。

 

「諦めんなよゴッドー‼‼」

 

トレーナーの声が耳に入る。

…だが、気持ちは変わらない。

 

「…ッチ。」

 

心が折れる、とはこういうことなのか。体のエネルギーが溶けていく感覚。

必死に足を前に出そうとするが、いつものように動かない。

 

「ゴール!エルドラドファクト今ゴールイン!、2着はビオラビーズ、3着は———」

 

頬を伝っているのは、雨か。私の涙か。

 


 

「…負けました」

 

「ああ、見たらわかる。」

 

6着。目も当てられないほどの惨敗だ。

 

「…今日の敗因を言ってみろ。」

 

トレーナーはまったく笑わず、紙たばこを咥えている。

 

「障害を登るときに焦りまし「違う。」

 

途中で遮られ、私は思わず言葉をつぐむ。体が硬直するのを感じる。

 

「お前、諦めたろ。」

 

「…ッ。」

 

表情とかで分かるものだろうか。こんなにもばれていたとは。

 

「敗因は2つ。自分の力を正しく理解しなかったこと。自分の実力を信用しなかったこと。」

 

トレーナーはタバコを灰皿に入れ、私の目をじっと見て言った。

 

「…苦汁を飲み、自分で考え、二度と負けないと誓う。私の言っていることが分かるな?」

 

「…はい。」

 

二度と負けたくない。吐くほどに悔しいこの感情を、もう二度と味わいたくない。

 

西高トレーナーは私をもう一度見た後、少し笑い、言った。

 

「帰るぞ。」

 


 

「いっつも思うけど西高―。お前負けたやつに対して冷たくないか?」

 

「あ、それ思います。さっきゴッドさんすごい落ち込んでました。」

 

トレーナー室に入るなり文句を言われる。何でこいつらここを自分の部屋みたいに使ってるんだ。

 

「もっとこう、労わってやれよ。お前らしくないぜ?」

 

バレットの言葉を聞きながら、私は椅子に座る。

 

「…『よく戦った』とか『良いレースだった』とか言って負けた記憶を和らげることは簡単。だけど、よく戦おうと負けた事実は変わらないし、良いレースだったとしても自分が負けたレースに違いはない。」

 

メンバーは私の話を無言で聞いている。

 

「私たちトレーナーの役目は心のケアじゃなくて、「勝たせる」ことなんだ。二度と負けないように、具体的なアドバイスと、負けた事実を心に刻み込ませなきゃいけない。それができない奴は、人としては及第点かもしれないが、ウマ娘のトレーナーとしては失格だ。」

 

恩師の教え。今まで幾度となく敗北したウマ娘を見てきた。敗北を心に刻み込み、二度と負けないと強く願うものと、敗北を忘れるために勝利を求める者には大きく、決定的な差が存在する。だからこそ、敗北時にかけるべき言葉は甘い言葉ではなく、激励なのだ。

 

「なるほどなぁ。まあ考えがあってならいいか。」

 

バレットが言う。周りもなんとなく納得した感じだ。

 

「まあ、ゴッドなら大丈夫。アイツは強いから。」

 

私の言葉にみんな頷く。きっとアイツなら立ち直るということを全員信じている。

 


 

夏本番。さすがに暑い。ダートのコースに汗が落ちる。

 

「おーい、休憩ー。」

 

あのレース以降、少し調子が悪い。なにかやってしまっただろうか。どうにも集中できないのだ。

ラルバが私にお茶を渡しながら言う。

 

「あ、そういえば。夏合宿だね。」

 

「え、ああ。そういえばそうだね。」

 

海か山どっちがいい?と聞かれた。なぜ選択式なのかと疑問がわいたが、とりあえず海と答えておいた。

 

「海で泳ぐのかなぁ。でもこの学校プールないよね。」

 

「配管凍るから、仕方ないんじゃない?」

 

私たちは泳ぎの経験が少ないから海に行ってどうするのだろうか。

そんなことを思っているとトレーナーがこっちに来た。

 

「今週末の合宿、スハイルと合同になった。」

 

周りから驚きの声が上がる。

 

「ど、どうしてそうなったんですか?」

 

「りっちゃんがうちらも行っていい?って言ったから。」

 

ちくしょう、特に何も考えず言いやがったな。

私が嘆いていると、西高トレーナーは言った。

 

「きっと驚くぞー。いい刺激になるさ。」

 

…不安だ。すさまじく不安だ。私はため息をつきながら、空を見上げた。

雲は相変わらず、ゆっくりと動いている、雨が降るのはまだ先だろう。

 




設定紹介Q&A

Q.登場するウマ娘の名前ってどこから決めてるの?

A.由来ありの適当

リアルのばんえい馬の名前も比較的いろいろあるので(チョコレートリリーとかモンスターキングとか)なにがあってもいいだろう、と思い決めてます。特にチームのメンバー。語呂で決めてる節がある。ただ面倒になったので、今後出てくるキャラクターは十中八九、現実のばんえい馬の名前をアレンジして作ってます。つっても出てくるのは40話より後ですが。
ただジュニア3人衆にはそれぞれ由来があったり。「ドラフター」ではなく「ドラッガー」なのにもちゃんと理由があるんですよ?


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第十二話 「合同合宿、その1」

前編後編で分ける必要はないのですが、書いてるうちに分けた方が収まりがよくなったので分けました。ちなみにこの後の16、17話は本当に分ける必要のない回になります。要修正。


「…海だ」

 

「…海だね」

 

潮の香りがあたりに満ちる。波の音が永遠に繰り返される。

 

「…どこの海?」

 

「…太平洋かなぁ」

 

ラルバはアバウトすぎる回答を絞り出した。千葉の海も太平洋なんだぞ。

 

「日本海だよ。さっき車の中で言ったじゃん」

 

後ろからぬっとトレーナーが現れる。彼女は謎の大きめの袋を大事そうに抱えている。

 

「トレーナー、そのデカい袋、何が入ってるんです?」

 

「後のお楽しみ。まず宿に荷物置いてきな」

 

怪しい笑顔。あの中に大量のヒキガエルとかアミメニシキヘビのはく製とかが入っていても不思議じゃない。

一抹の不安を覚えながらも宿に向かう。決して豪華とは言えないが、雰囲気は良い。

 

「少し古めですけど、いい宿ですね」

 

大部屋にリュックサックを置きながら私は言う。やはり海沿いの宿は良い。窓からの景色が他の場所とは一線を画す。

 

「あ、そっか。ゴッドとラルバはここ初めてだっけ?」

 

「そりゃあ今年入ったんで」

 

ココロ先輩は笑いながら言う。

 

「じゃあ、楽しみにしときなよー?」

 

・・・何もかもが不安だ。にっちもさっちも行かない。

「何がですか?」と聞きたい衝動を無理くり抑え、私は浜辺に出た。

知らぬが仏。待ち受けているものが何であれ、詮索しないほうが身のためだ。

 

「お、来たなお前ら。全員・・・いるな。OK」

 

「何するんですか?」

 

西高トレーナーは先ほどの袋の中から金属の棒と網を出した。

 

「ビーチバレー」

 

・・・カエルでもヘビでも無かったから良いものの、予想外だ。

何故ばんえいウマ娘をトレーニングのために海辺に連れてきておいて、最初にやるのがビーチバレーなんだ。

 

「この前試合見て楽しそうだったから。どうせ海行くなら、って」

 

鉄の棒を砂浜に突き刺して言う。自由人め。

 

「お前の私情かよ。そこはもっと嘘つけよ」

 

「うち等が成績出さなかったらこのトレーナー速攻クビだよね」

 

「うちの実家の12haの農場で強制労働の刑だね」

 

バレットさんの罵倒にシャドーの先輩が続く。ごもっともだ。

 

「・・・まあ良いじゃないですか、楽しそうですし」

 

「ラルっちもやる?」

 

「え、私もやるんですか?」

 

他のメンバーは既にジャージを脱ぎ、着々とコートを整備している。

いつも思うが、何でこの人たちは文句を言いつつも終始ノリノリなんだ。

 

「ゴッドー、ボール取ってー!」

 

私は袋からすでに空気の入った球体を取り出す。ウマ娘でも壊れないと評判のガチ競技用のボール。何でこんなものまで?

 

「よし、じゃあ負けたチームは後でランニング2倍!」

 

「はぁぁ!?」

 

ああ、くそ。やっぱり楽しいな。ここは。

 


 

日暮れ。海が少しずつ太陽の色に染まっていく。

 

「・・・負けちゃったねー」

 

「まあ手とか抜いてくれるような人達じゃないしね」

 

2倍走って疲れた足に、湿った砂が心地いい。

 

「おーい、そこのたそがれてる二人ー。風呂だってよー」

 

呼びつけられる声を聞き、少し震える足で宿に戻る。

 

休憩

 

「浴場、広いですね」

 

湯につかりながら私は言う。良い風呂だ。

 

「そういえばココロ先輩、お楽しみって何ですか?」

 

髪を洗いながら先輩は言った。

 

「え、ああ。ご飯の後にね、今言うとつまんないから」

 

サイレス先輩が驚きの声を上げる。

 

「え、今年もなの?」

 

「今年もだよ?」

 

何が何だか分からないまま、私も髪としっぽを洗う。

 

「ゴッド、ラルバ。覚悟しといたほうが良い」

 

ゲイザー先輩の忠告を聞き、一抹どころか百抹の不安を覚える。

ちくしょう、落ち着かねぇぞ。

 

「まあゴッドはたぶん大丈夫。ラルバは・・・まあがんばって」

 

動揺するラルバを横目に風呂から上がる。砂だらけの髪の毛としっぽが大分すっきりした。

 

「晩飯は何でしょう」

 

そんなことを言いながらふすまを開けると、机の上に置かれた和食の横に、トレーナーが寝ころんでいた。

 

「刺身と白飯とお味噌汁。いいじゃないですか」

 

「美味そう」

 

畳にあぐらをかいて座る。やっと一息ついた。

 

「じゃあ、いただきます」

 

「「「「「「いただきまーす」」」」」」

 

元気のいい挨拶の後、味噌汁をすする。程よい塩分が染み渡る。

 

「あ、そういえばトレーナー。チームスハイルの姿が見えないんですけど」

 

「ああ、言ってなかったな。りっちゃんがバスの予約間違えてたみたいで。明日に遅れるって」

 

マジかよ。あの人も結構抜けているのだな。ウェルが聞いたらあからさまに嫌そうな顔をしそうだ。

 

「あ、刺身おいしい。マグロ久しぶりに食べたかも」

 

「姉貴、私のたくあん返して?」

 

「喰っちまったから元から無いのと同じ。諦めろ」

 

わちゃわちゃと飯を食う。こういうのも合宿の醍醐味だろう。

 

「・・・トレーナー。今日いなかったけど、何してたの?」

 

「そりのレンタル。業者と格闘してた」

 

お疲れ様で。この人ビーチボールの後すぐにいなくなったからびっくりした。

 

—その後、時間は瞬く間に流れ、1時間後—

 

「おし、ごちそうさん」

 

「ごちそうさまでしたー」

 

手を合わせ、空になった食器をまとめる。

おいしかった。結構お腹にも溜まるものだ。

 

「おし。じゃあ、やるか」

 

ココロ先輩がバッグから何かを取り出す。今日の最大の不安の種は一体全体なんなのか、と私は息をのんだ。

 

 

「・・・ホラー映画鑑賞」

 

 

なぁに考えてるんだこの野郎。

 

「え、嫌ですけど」

 

「拒否権は無い。何の映画かを選ぶ権利はあげよう」

 

ダメだ。周りの方々が目をそらしているのを見るに、去年もこんな感じだったのだろう。

 

「じゃあどれが良い? 『サイコ』『エスター』、私のおすすめは『透明人間』。邦画だと『着信アリ』とかが楽しいんじゃないかなぁ」

 

練習の時の比じゃない。何でこの人こんなに楽しそうなんだ。

 

「ココロはねぇ、ガチのホラーファンなのよ」

 

「一番好きな映画聞いたら『パラノーマル・アクティビティ』って答えて。びっくりしたよなぁ」

 

ちくしょう、拗らせやがって。仕方がない。

 

「じゃあ、そこの、パッケージがグロくないやつで」

 

見た感じ怖そうじゃない映画を選択する。これが怖かったら死ぬしかない。

 

「お、良いのを選んだね。エクソシストか」

 

嫌な笑顔。選択をミスったかもしれない。

 

「よーし、じゃあ見るぞー」

 

2時間後

 

「・・・死ぬ」

 

「死なないで」

 

ラルバがぴんぴんしているのが謎だ。ポップコーンをかじりながら平気そうに見ていた。

 

「いやぁ、おもしろかったね!」

 

「ですね」

 

ラルバがホラー強いのは想定外だ。天使のような顔をしているくせに。

 

「いやぁ、ラルちゃんもっと怖がると思ったんだけどなぁ」

 

困ったように笑うラルバを見ながら、ゆっくりと体を起こす。

 

「しんどいです。もう寝ます」

 

布団に逃げようとする私を、すでにテンションが切り替わったバレットさんが呼ぶ。

 

「え、ゴッド。ブラックジャックやらないの?」

 

・・・だから、なんで、なんでブラックジャックとか、普通のゲームを、しないんだ。

 

「なんでカジノのゲームなんですか。ホラー映画見て寝る前にブラックジャックなんですか」

 

「え、やらない?」

 

「やりますっ」

 

ちくしょうっ、楽しいっ。

 


 

「お、スハイル来た」

 

バスが止まる。中からぞろぞろと、身長の高いウマ娘たちが出てきた。

 

「Wow...オーラすごいな」

 

「カエデがあの中にいるという事実が怖い」

 

それほどメンバーは多くないみたいだ。威圧感はすごいが。

 

「おーっす、にっしー」

 

「りっちゃん遅いよ。何でバス間違えるんだよ」

 

二人が笑い合う横で、カエデがひょこっと顔を出した。

 

「あ、ゴッドー!」

 

「おー。カエデ。大丈夫? 顔色悪いけど」

 

「夜行バスだったから寝不足で・・・」

 

ははぁ、なるほど。朝から車を走らせてきた我々とはまた違う方法をとったらしい。

 

「海辺歩いて元気出す! おしっ! がんばるぞっ!」

 

この子メンタル強いなぁ。さすがだ。

 

スハイルのメンバーが続々と宿に入っていくのを見ながら、トレーニングを始める。

 

「なんかしばらく見ないうちにカエデちゃん大きくなったね」

 

「そうですかね? 体つきとかは変わってないですけど」

 

バレット先輩は走りながら言った。

 

「そうじゃなくて、心的なあれよ。メンタルというか」

 

ああ、なるほどと思いながらランニングを続ける。確かに、カエデは少しづつ変わってきている。

強靭なフィジカルに精神面が追いついてきている。

でも、それは彼女だけじゃない。

 

「・・・まあ、私も成長しているか」

 

勝利の快感を知り、等しく同じように敗北の苦しみを知る。

ただひたすら同じ行動をすることの意味を知る。意義を知る。

 

『無知の知』

 

「知らない」を知る。ひたすらに、がむしゃらに「知る」という動作を繰り返す。

それが、私にとって「走る」ということであり「生きる」ということ。

 

ここに来て、それを知った。

 

「・・・何笑ってるの、ゴッド」

 

ランニングを終え、語りかけてきたトレーナーに向かって、私は笑顔で言う。

 

「・・・スイッチ、入ったかもしれません」

 

「お、そいつぁ良いや」

 

トレーナーは私の一言を聞くと、駆け足で帯刀トレーナーのほうに向かった。

 

「おしっ、取れたっ!」

 

歓喜の声をあげながら帰ってきたトレーナーに、私は聞く。

 

「どうしたんですか?」

 

「ゴッド。障害なしの模擬レースだ。明日」

 

驚く私の声は波の音に半分かき消され、微妙な間ができる。

 

「というか、誰とですか?」

 

「お前が前負けた、エルドラド。エルドラドファクト」

 

・・・VS、黄金郷。

 




設定紹介Q&A

Q.合宿って何するの?

A.浜辺でそりを引いたり、いろいろ。

走り込みとかは勿論のこと、そりを引いたり筋トレしたり。
ただ、彼女たちは泳ぐ経験がないので海では遊ぶに留まるのが関の山。とはいえ楽しそうではある。
ちなみに浜辺を散歩するばんえい馬とかがあるからこの話を書いてるけど、流石に山にはいかない。


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第十三話 「合同合宿、その2」

ココロさんは「パラノーマル・アクティビティ」が好き。私もあの映画好きですけど、僕はやっぱり「シャイニング」が好き。不気味さ、不自然さ。そんな明確な形のない概念で、恐怖を与え、人の心を動かす。そんな作品が作れたらいいですよね。


あまりにも柔らかい砂地を、蹄鉄で踏む。ここまでの重バ場帯広でもそうそう無い。

 

これは、しんどくなりそうだ。

 

プライド

 

「距離は、大体200m。障害は無いから刻みも無くて良い。それで、あっちのカエデのラインに先についたら勝ち」

 

ルールは単純。障害がない以上、単純な体力の勝負に成りそうだ。

 

「よーし、じゃあ位置について」

 

横一線に並び、重心を低く構える。横の彼女からは視界に入れずとも「絶対に勝ってやる」という圧がひしひしと伝わってくる。

 

「スタート!」

 

合図の声と共に、全身の力を込めて駆け出す。

 

(重ッ)

 

予想はしてたが、思う以上にしんどいぞこれ。エネルギーが砂に逃げていく感じがする。

 

「単純なスタミナだったらファクトの方が上っぽい」

 

「まあゴッドの良さはそこじゃないからな」

 

シャドー先輩の声が聞こえた気がした。私の良さ、とはなんだ。もっと具体的に言ってくれないか。

 

まあ良い、問題はそこじゃない。今は前に進むことが先決だ。

しかし相手が速い。砂浜の重バ場にも難なく対応している。さすがチームスハイルと言ったところか。

こちらが必死になって喰らい付いているというのに、知らん顔でスイスイ進んでいく。ちくしょうめが。

 

今の今まで「勝てる」と自分に言い聞かせてきたが、少し嘘がバレてきた。何となく、ほんのちょっぴりだが、負ける気がしている。

努力量だとか才能だとかで敗北の理由をつけることは簡単だ。この勝負だって、負けたらすべてが終わる訳じゃない。

 

じゃあ何で私は負けたくないのだろうか。

 

足を前に出す度、砂が足にくっつく。波の音と自分の息遣いしか聞こえない。

相手との距離が少しずつ、少しずつ離れていく。蟻の開けた穴が堤を決壊させるように、小さな弾みが大きく事態を揺るがしていく。

私は負けるのだろうか。このまま。憎らしい砂浜の地べたを舐めるのだろうか。

 

心にひびが入る音がし始める。自分の舌打ちの音と共に。

 

遡って、前の日

 

「ゴッド。明日のレース、いけそう?」

 

トレーニングを終えて汗を拭いていると、トレーナーは私に言った。

 

「さあ。どうでしょうね」

 

正直なところ、私にも一切合切分かりはしない。分かっていたらハナからレースになど出ない。

 

「そうだ、聞きたかったんですけど」

 

「どうした?」

 

「勝ちたいと、負けたくない、って何が違うんですか?」

 

多くの人は、この感情に違いがないと言うだろう。だが、何かが違うのだ。唐揚げと竜田揚げくらい差がある。

 

「うーん、そうだなぁ」

 

西高トレーナーは少し悩んだ後、口を開いた。

 

「勝ちたい、は相手を基準にしてて、負けたくないは自分を基準にしてる。ってニュアンスかな」

 

よく分かるようで分からない。「自分に勝ちたい」という言葉と同じくらいよく分からない。

 

「まあ衝動なんて時と場によって変わるさ。自分が納得できればそれで良いんじゃないかな?」

 

「そんなものですか」

 

トレーナーはへらへらと笑った。夏の日差しが傾き始める。

 

「・・・ゴッドは「プライド」って何だと思う?」

 

「プライド、ですか」

 

直訳すると「誇り、自尊心」。残念なことに、この言葉はそんな単純なものではない。

 

「何でしょうね。あまり考えないから・・・」

 

私は海を見ながら唸った。分からないのだ。自分にそう言った感情があることさえ曖昧なのだから。

そのまま5分程が経過し、トレーナーがそわそわとし始めた頃、明確な、私なりの答えが出た。

 

「意地、ですかね」

 

トレーナーは私の答えを聞いて、笑った。なぜかは分からないが、大きく口を開けて笑った。

 

「アハハッ、良いなぁ、意地かぁ!」

 

「どうしたんですか突然に気持ちの悪い」

 

笑いをこらえながら、トレーナーは私の背中を叩き、大きな声で言った。

 

「私の先生が同じこと言ってたからさ、思い出しちゃったよ」

 

「知りませんけど、フフッ」

 

釣られて思わず笑顔が漏れる。湿った風が心地いい。

 

「じゃあ明日、プライド(意地)。見せて来いよ」

 

「ええ、言われずとも」

 


 

・・・負けて堪るか。

 

・・・終わって堪るか。

 

「・・・諦めて、堪るかッ‼」

 

血反吐を吐き散らしても、肉が裂け骨が見えようとも、負けていないのならば終わりじゃない。

赤子でも知っている、そうさ、まだ終わっちゃいない。

 

「お、ゴッドがスパートかけ始めた」

 

「結構距離あるな、スタミナが持つと良いけど」

 

全身をフラットに、筋肉と動きを理解しろ。力の流動体は、砂浜にどう伝わる?

浅い踏み込みでは推進できない。深く、強く、地響きを鳴らせ。

 

「流れが変わったな。もしかするともしかするかもしれない」

 

波の音、声援の声、鳥の声、地面の轟き。森羅万象が私の後ろにいる。

 

「抜いたっ、ゴッドが抜いたよっ」

 

「ファクト! ここから行けるよ!」

 

さあ最終直線。体力も技巧も限界だろう?

 

 

ここからはプライド(意地)の勝負だ。

 


 

「かき氷ってこんなにおいしかったっけ」

 

宿の前のベンチに座りながら、カエデと談笑する。しゃくしゃくとブルーハワイの味が染みる。

 

「抹茶のかき氷にすればよかったのに」

 

「別にいいだろブルーハワイだって」

 

二人で笑っていると、同じようにかき氷を抱えて、先程の対戦者が近づいてきた。

 

「ファクトはイチゴ味なのね」

 

「シシは抹茶味か。美味しそうだな」

 

この二人の関係性はどんな感じなのだろうか。仲は良さそうだが。

 

「えーっと。ゴッドドラッガー・・・さん」

 

「良いよ呼び捨てで、同学年だし」

 

私はあなたに前のレースで鼻で笑われたのを覚えているからな、と冗談半分に言おうと思ったが止めておいた。気を悪くしたくない。

 

「・・・ゴッドドラッガー。今回は同着だったが、次は私が勝つ。「青雲賞」で決着を付けよう」

 

ナナカマド賞のトライアル。ジュニア特別『青雲賞』。ジュニア三冠を狙ってくるウマ娘が多く出走するレースだ。

 

「勿論、シシ。お前にも負けないからな」

 

「うん。頑張るよっ」

 

言うだけ言って、彼女は去っていった。私にも何か言わせてほしかった。

 

「カエデ、青雲賞って確かウェルも出走するよね」

 

「言ってたね。順調に勝ってるみたいだし」

 

思う以上に荒れそうだ。私はかき氷を食べ終え、西高トレーナーに声をかけた。

 

「トレーナー。練習メニューをもう少し厳しめに調整できますか?」

 

トレーナーはメロンのかき氷を飲み込み、私に疑問を投げかけた。

 

「何で?」

 

「青雲賞。今のままの私だと勝てそうにないんです」

 

カエデはもちろん、ウェルとも張り合えない。今のままあのレースに出たら、私のプライドはズタズタだろう。

 

「まあいいよ。ただ、自分で「無理だ」って思ったらすぐに言いなさいね」

 

「はいっ!」

 

プライドを守りきるために、多少の無理は承知だ。

 

「それにしてもゴッド。良い顔してるじゃん」

 

「・・・ハハッ、ですね」

 


 

おまけ☆

 

「何ー!? ゴッドなんかするのー!?」

 

「いや、トレーニングの調整を・・・」

 

「そりゃ良い! じゃあ先輩が今日のホラーを決めさせてあげよう!」

 

なんたること。エクソシストとパラノーマル・アクティビティでお腹いっぱいだ。今日も見るのか。

 

「今日はチームスハイルと一緒に見ることになってるんだ」

 

「え、本当ですか!?」

 

あのチームはホラーの耐性がなさそうだというのに、よくもまぁそんなことを。

 

「で、どっちが良い? そんなに怖くない奴と、普通に怖い奴と、えげつなく怖い映画」

 

私が答えを出す前に、トレーナーが答えた。

 

「えげつなく怖い奴で」

 

「じゃあ『コンジアム』に決定だ」

 

—その日、悲鳴を上げる新入生の3人が見れたという—




設定紹介Q&A

Q.ばんえいの重賞について教えてくれ。

A.だいたい同じような感じ。

「BG(ばんえいグレード)」で格付けが行われている。重賞は現在27レース。中央のG1レースの数と変わらないくらいの量。つまりは少ない。
その分、特別競走に世代最強角の馬が来ることもザラにある。大きいレースの数で安易に規模の判断はできないというわけです。
だが勝負服の存在はとても貴重。なんせBG1は年間に7レースしか行われない。しかも出れるのは10頭。それぞれの服に気合を入れて作られるため、出来は中央と何ら変わらないそうで。


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第十四話 「成長してるのは何も主人公だけじゃない」

引き伸ばしすぎた感、ある。読み直すとやはりいろいろ分かるものですねぇ。


「あー、今頃2人は海辺でキャッキャウフフしてるんだろうなぁ・・・」

 

見渡す限りの山、山、山。青々とした緑と、石が転がっている斜面。青春溢れる夏休みは何処だろうか。

 

「おーい、ウェルー! ペース落ちてるよー!」

 

「はいはい! 了解しましたよ!」

 

夏合宿in十勝岳

 

「え、山なんですか?」

 

「うん。山だよ」

 

夏合宿の2週間前、早川トレーナーは私に言った。

 

「スハイルとサドルは海なのに」

 

「よそはよそ、うちはうちです。我々チームエニフは十勝岳への合宿」

 

すさまじくガッカリしたアピールをするも、トレーナーは足早に行ってしまった。

 

「・・・そんなに気を落とすことでもない」

 

「あ、エゾ会長。お疲れ様です」

 

後ろに立っていたのはエゾオウ会長。ジャージ姿だ。こんな風に来るのは珍しい。

 

「トレーニングの見回りですか?」

 

「いや、暇だったから」

 

なんとも言えない返事をされて私が返答に困っていると、会長は苦笑いを浮かべながら言った。

 

「合宿、十勝岳だってね。良いじゃないか」

 

「会長は山派ですか?」

 

私は大きく伸びをしながら聞いた。タイヤ付のベルトがカチャカチャとなる。

 

「ああ。山派というよりも、私は泳げないんだ。経験がないのではなく、練習した上で泳げなかった」

 

そんな悲し気に言う程の事でもないだろう。別に珍しい事でもない。

 

「まあでも山も良いですよね。空気がきれいだし」

 

「ああ、羨ましいな、十勝岳に登山か・・・」

 

エゾ会長は腕を組み、考えるそぶりを見せている。何を思っているのだろうか。

 

「あの、会長?」

 

「・・・よし、決めた。その合宿、私も同行しよう」

 

「!?」

 

急すぎる。もっと段取りとかはないのか。

 

「いや、え、その。ありがたいんですけど」

 

私が返事をする間もなく、会長は早川トレーナーの方に走っていった。

 

「早川トレーナー! 少しお話が!」

 

 

——こんな事があって今に至る。

 


 

「あの会長、何で私なんかに構ってくれるんですか?」

 

「え、君を気に入ったから」

 

もうちょっと詳しく聞きたい。この人はいつも言葉が一言少ない。

 

「そうだなぁ、昔の私に似てるってのが一番の理由だが。まあ縁と言うやつだよ。たぶん」

 

「・・・そうですか」

 

真面目できっちりした人に見せかけて、この人は実はいろいろと雑なのだ。業務は鬼神の如き速度でこなすそうなのだが。

 

「フフ、君も変わったな」

 

会長は水を飲みながら言う。

 

「そうですか、筋肉はついてきたつもりですけど」

 

会長は笑いながらそれを否定した。

 

「心の話さ。前、初めて君と会った時。君の心はセメントのような、無機質で、不定形だった。今は良い感じに余裕が出来ている。良い笑顔で笑うようになったじゃないか」

 

「へへ、ありがとうございます」

 

急にこういうことを言い出すから、この人は。

私は大きく伸びをして、カロリーメイトを胃に収めた。

 

「さて、ウェルミングス。あと少しで頂上だ。頑張ろう」

 

「あ、はい」

 

私はアンクルウェイトを足にしっかりと付け、土を踏みしめる。残り300mといったところだ。

 

「・・・きれいだな」

 

澄んだ空気、一面の青空。会長の背中が見える。

 

私は鮮やか過ぎるその景色を、しっかりと目に刻み込んだ。

 

1じかんご

 

「やっと着いた。頂上」

 

「いやあ、奇麗だね。どこまでも山だ」

 

息は上がっていないが、とにかく汗をかいた。喉は凄い乾くし、足は少しずつ重くなる。

でも、山の頂上はそれらを吹き飛ばしてくれる。ある種の魔法だろう。

 

「山も良いだろう?」

 

「・・・ですね。海にも負けない感じです」

 

少し遅れて、早川トレーナーが到着する。

 

「み、みんな元気だね・・・」

 

先輩の一人がトレーナーに水を渡し、声をかける。

 

「ほら、景色。きれいですよ」

 

「おお、すごい。絶景だね」

 

トレーナーは息を整え、スマホを構える。

 

「あ、写真。忘れてた」

 

私はバッグから1眼レフカメラを取り出す。

広い広い北海道の中でもトップで美しいであろう場所だ。撮っておくに越したことはない。

 

「・・・会長、写ってください」

 

「ええ? 何で?」

 

「後で私と会長のツーショットも撮ります」

 

「ええ・・・?」

 


 

「で、これがその時の写真」

 

「すごい! めっちゃきれい!」

 

食堂で、二人に写真を見せる。良い反応だ。

 

「にしても、会長の笑顔って初めて見たかも」

 

「ああ、確かに」

 

「え、そうなの?」

 

私は普段からあの人の笑った顔をよく見てるから分からないが、そんな物なのだろうか。

確かに一見すると気難しそうな人かもしれない。関わってみないと分からないことも結構あるのか。

 

「・・・で、二人の合宿はどうだった?」

 

私がそう聞くと、二人はブルブルと震え始めた。

 

「え、どうしたの?」

 

カエデがゆっくりと、スマホの画面を見せてきた。

 

「・・・これ、夜の写真」

 

畳の部屋の中で、暗い廊下の写る画面、布団に籠るメンバーと、ウッキウキで画面に食らいつくメンバー。

 

「どういう状況?」

 

ゴッドがゆっくりと口を開いた。

 

「毎日毎日寝るまえにホラー映画を一本・・・。洋画も邦画も韓国映画も、余すことなく全部見せられた」

 

私が困惑しながらスマホを返し、緑茶をすする。

 

「・・・練習とかの話が聞きたかったんだけど」

 

「ああ、そっちね。良かった」

 

普通そっちだろう、私はそんなことを思いながら二人の話を聞いた。

新しいライバルのこと、何となく吹っ切れたこと、青雲賞のこと。

 

「あ、そうだ。聞きたかったんだけどさ。二人にとってプライドって何?」

 

ゴッドがおもむろに言う。私とカエデは無言のまま少し考えた。

 

「私は「誇り」かなぁ。尊厳と言うか。何というか」

 

カエデがゆっくりと口を開いた。彼女らしいと言えば彼女らしい。こう見えてすさまじく負けず嫌いなのだ。

 

「私は・・・、言い方は悪いけど「思い上がり」かな」

 

「それはどういう?」

 

ストローで紅茶をすすりながらカエデが聞く。私は少し考えた後に続けた。

 

「自分の力はもっと上のはずって決めつけられる思い上がりと、それ故の自信。勝負に勝つ上でプライドが無いと、自信なんて持てないよね」

 

私の答えを聞いた二人は「なるほど」と呟いた。

 

「あ、もう時間だ。じゃあまた」

 

「あ、またねー」

 

「ばいばーい」

 

 

—私のいなくなった食堂で、二人は言う。

 

「・・・ウェル、少し変わったよね」

 

「・・・うん。あんなに柔らかく笑うの初めて見た」

 




設定紹介Q&A

Q.ウェルミングスについて教えて

A.いいでしょう。

「ウェルミングス」
誕生日:5月5日
身長:204cm
中等部ジュニア級
好きな漫画「ドリフターズ」
好きな映画「小さな独裁者」
好きな食べ物「揚げ餃子」
好きな人のタイプ「かっこいい人、ガタイがいいと尚良し」

メモ:幼い時、中央のレース見たさにひとりで札幌競馬場に行ってブチ切れられたことがある。オーバーワーク常習犯。こぞって背が高いばんえいウマ娘の中でも、抜けてデカい。いろいろデカい。


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第十五話 「青雲賞」

ばんえいウマ娘、まずしっかりストーリー組んだ作品が少ないうえに、ここまでしっかりステップレースとか作ってる作品はそうそうない気がする。
あとこの回ちょっとレース描写上手い。お気に入り。


暗い空が揺れている。パドックの中から、風で砂埃が舞うのを見る。観客席はいつもより少し多い。

今日は特別競走「青雲賞ジュニア級オープン」。ナナカマド賞のトライアルレース。

 

「・・・ちょっと空気が冷えるね。手袋付けても良いくらいかも」

 

手をさすりながらカエデが言う。さすがの彼女も緊張するようだ。

 

「パドックでちょっと多めに動くかな」

 

「そうだね」

 

体が強張るのも無理はない。今日の結果でジュニア級初の重賞「ナナカマド賞」の出走権がほぼほぼ決まる。入着すれば出られる。今回は8枠10番まで揃っているから、私たちのうち半分が本番には行けない。

 

だが、私たちの呼吸がおぼつかない理由はそれだけじゃない。

 

「・・・ジュニア級の「今のところの」最強が決まるもんな」

 

ウェルがパドックに入ってきた。彼女はゴーグルをつけている。

 

「私たち3人と、あとファクト。他にも粒ぞろいのメンバーだね」

 

そう、私たち3人だけという訳でもない。彼女、エルドラドファクトもいる。

この戦いは「ジュニア級」としての最初の戦いなのだ。これから首を狙い合う同期との最初の戦い。

私はラルバに新調してもらった蹄鉄を確認し、観客席のチームメイトに目配せをした。

 

「ここを勝って、ナナカマド賞も勝てばまず一冠。ヤングチャンピオンシップを勝って、イレネー記念も勝てば三冠」

 

呪文のようにつぶやく。集中するためのルーティンのようになっている。

結局の所「三冠」といっても大分地味なことの繰り返しなのだ。ばんえいは「積み重ね」の戦い。

 

塔の台座は完全になった。ひびの入る余地はない。

さあ、青雲の元、レンガの一つ目に手を掛けよう。

 


 

「さあ帯広競馬場第11R、ジュニア級オープン青雲賞。今、ファンファーレが鳴り響きました」

 

トランペットが鳴り響く。ゲートは狭いが、その分音が少し反響して大きく聞こえる、気がする。過度の集中による錯覚だろうか。

 

「全員ゲートインが終わりました。ジュニア三冠初戦の出走権は誰が手にするのか!」

 

ああ、身がすくむ。ここまで来て震えて堪るか。

 

「さあ、ゲートが開きましたっ!」

 

ガコンッ!

 

いつも通り、私たちはゲートの外に出る。ライトの光が目に入る。

 

「先頭はキャシーネイビー! いつも以上に良い顔をしております!」

 

第一障害までが長い。前に比べ、更にそりが重くなったからだろうか。

 

「そして2番手にジャグラーデイ、その後ろほとんど差が無くゼッケン6番マーシャルガズン」

 

いつも通りだ。だが、ウェルが前方に出ていない。カエデは差しでいつも通りだから良いが、こうも普段と違う戦法でこられると心配になる。不気味だ。

 

「ここまでが先頭集団。中段にはゼッケン3番エルドラドファクト、並んでゴッドドラッガー」

 

海辺で競り合った黄金郷がこれ見よがしと立っている。

横顔は、私を睨みつけたりなんかしない。見ているのは先頭だけ。ゴールの首を刈ろうと、一心に前だけ見ている。

 

「全員第一障害を難なく越えました。今日で一番きれいな並びです」

 

今日の水分量は1.6%。悪くはないが、体力的にはどうなんだろうか。

先頭の黒鹿毛のウマ娘は、すでに直線の半ばに入っている。気を抜いたら置いていかれそうだ。

だが、焦ってはいけない。私は足を砂に沈めた。夜の帯広に私の足音が響き渡る。

 

「ここで先頭は入れ替わりました、後方から上がってきたエルドラドファクト」

 

少しずつだ。微妙な水分量だからこそ慎重に。

多少なりとも体力に懸念があるのなら、落ち着いて止まるしかない。

 

「さあ第二障害前に先頭が付きました。後続も続々と続きます。差はほとんどありません」

 

今の私に先頭を走る彼女のような体力は無い。きっと、ここにいるウマ娘の多くが私の持っていない物を持っている。

だが、仕方が無い。割り切るしかない。私は「私の持っている物」のみで戦う。

 

「さあ横一線、最初に抜け出すのは誰か!」

 

深く、長い時間をかけて息を吐く。

足の残りエネルギーは45%程。勁を全力で意識して、障害を登ったらきっと15%ほど。

 

「こりゃあ、しんどいなァ・・・」

 

時間をかけて登るのは無理だ。きっとここで足を折ったら、間違いなく出遅れる。

単純なスピードでウェルやカエデには勝てない。先頭で駆け出すのは必須条件。

 

「スー・・・フゥゥゥゥゥ・・・」

 

横をチラリと見る。カエデはあと10秒。ウェルとエルドラドファクトはもう準備完了で、様子をうかがってる感じだ。

私は改めて上を見上げる。障害の奥には、夜空と薄い雲がかかっている。

 

さあ、山登りの時間だ。

 

「出たっ、最初に障害を登ったのはゼッケン8番ゴッドドラッガーだっ! 続いてエルドラドファクト、他数人も同時に出た!」

 

地球の裏側の青い雲よっ、私の背中を押してくれっ。

 

「さあゴッドドラッガー、頂上で止まりました。シシカエデは少し厳しいか」

 

カエデにしては少し溜めが少なかった。珍しいことだ。だが、彼女の足ならば絶対に後半巻き返してくる。

私は頂上で足を止めた。握りしめる手が小刻みに震えている。どういう事だろうか。

 

「おおっと!! ここで一気に上がってきたぞウェルミングス!! 先頭と並んだ!!」

 

何か、鋭い矛をこちらに向けられた感触。そりゃあそうだ。彼女(ウェルミングス)が最後まで後方にいるなんて有り得ない。

圧倒的なその自信と、彼女なりの「プライド」を引っ提げて、必死に首を狙ってくる。

役者は出そろい、闘争が始まる。第二障害後の直線に入った。

 

「さあ先頭はウェルミングス、続いてゴッドドラッガー、エルドラドファクト、シシカエデと続いています。後続は厳しいか」

 

少しずつ前との距離が全員詰まってきている。横一線になるのだろうか。

いつぞやの中央で見た「並ばない」とかいう展開にはさせない。520kgの重りがそれを許さない。

 

「さあ4人並んだ!! 4人同時に頭がゴールに入りました!! ここから止まらないで抜け出すことができるか!!」

 

横顔なんて見てる暇はない。息も絶え絶え、気を抜いたら血反吐が出そうなのだ。あと4歩程度だ、そんなもの私がゴールした後に存分に見ればいい。

前に、前に出ろ。足から大地に流れるエネルギー、私を前に進ませろ。勝利じゃない、ただ少しばかり前に出てくれれば良い。一歩一歩を、ただひたすらに積み重ねろ。

 

「ゴール!! 一着は!!」

 

ああ、気持ちが良い、青色の雲が夜空に見える。

 

「ゴッドドラッガー!!!!」

 


 

「お疲れ様。ライブ良かったよ」

 

「あ、カエデ。着替えてきたんだ」

 

長袖の制服の上にパーカーを羽織り、彼女は笑みを浮かべている。

 

「・・・今日は、負けちゃった」

 

「・・・うん」

 

彼女、何か焦っていた。障害前の溜めが後5秒長かったら、今日のライブで踊っていたのは彼女だったろう。

 

「いやぁ、負けたくないって思っちゃったんだ。ゴッドもウェルもファクトも、命を懸けてここに来てるのが分かって、すごいワクワクした。それで、初めて心の底から負けたくないって思ったんだ」

 

彼女の顔は、隠しきれない悔しさと、不思議な満足感が溢れている。

 

「うぉい、何二人でエンディングみたいにしてんだよ」

 

ウェルが走ってきた。息が切れている。

 

「なんで走ってきたの?」

 

私の問いかけを無視し、彼女は大きな声を轟かせた。

 

「・・・ゴッド! 次は負けねぇ!」

 

「・・・!」

 

彼女がこんなにも気持ちを出すのは初めてだ。激情を無理くり抑え、今ここに立っているのだろう。

 

「私も、次も負けないよ」

 

私はゆっくりと答えを出す。

飾り気のない言葉で良い。彼女は私に「答え」を求めてないのだから。

 

「・・・そういえば、エルドラドファクトさんは?」

 

「さっき帰っちゃったよ。今後のトレーニングの準備するとか」

 

彼女もいろいろ思うことがあったのだろう。気が早い事だ。

 

「・・・ゴッド、飯行こうぜ」

 

「あ、良いね。私も行く」

 

青い雲の行方は、ナナカマドの方角へ。私たちはそれの後ろをついていく。

 

 

「・・・今日勝ったんだから、ゴッドの奢りな」

 

「勝手に決めないでよ」

 

 

無限に思えるようなその時間を、私たちは笑いながら進むのだ。




設定紹介Q&A

Q.オープン?って何?

A.ざっくり言うと、賞金獲得額でつけられる格付けのこと。

A-1とあった場合、Aの部分が格付け、数字の部分は同じ格の中のランクだと思ってくれれば、大体OK。そして、それの中で一番高い水準が「オープン馬」。その馬が出れるレースなので「青雲賞オープン」の名がついてる。
・・・つまりあの同期の4人は全員がっつり勝ってるというわけです、ウェルさんとか別に全然弱くないじゃん、と。


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第十六話&第十七話 「先人談義 その一、その二」

さーて、第一章で最も後悔の残る場所。出来は悪くないが他がよくない。
あと1話当たりの長さが思った以上に少なかったので、まとめました。


「先輩方の次の目標レースは何です?」

 

コースに向かう途中、ラルバがスポーツドリンクを渡しながら言った。

普段より甘めに作られたそれを貰いながら、ココロさんが口を開く。

 

「私はばんえい菊花賞かなー、グランプリの投票はかすりもしなかったし、いい加減大きい舞台出たいよ」

 

「グランプリの投票はシニアの中でも更にベテランが有利だもんな」

 

バレットさんはスポーツドリンクを喉に流し込んで、ラルバにそれを返しながら言う。

 

「私は北見記念。前半の重賞はあんまし出れなかったから、これからの重賞はとりあえずたくさん出る」

 

「先輩ばんえいグランプリ3着でしたもんね」

 

実はこの人、人気投票で5番手なのだ。ひょうひょうとしているが、確かな実力とその性格に魅せられたファンがいる。

 

「いや、悔しいってのもあるけどな。私にもいろいろあんだよ」

 

「・・・?」

 

私は首をかしげる。普段見せないような表情に不思議な感覚を覚える。

 

「というかゴッド、お前ナナカマド賞で頭がいっぱいかもしれないけどな。ナナカマド賞超えた後も忘れんなよ」

 

「後?」

 

「ジュニア級の二冠目。『甲子園』だ」

 

[chapter:ばんえい甲子園]

「ああ、ヤングチャンピオンシップの事だよ」

 

「なんで甲子園なんですか?」

 

煙臭いトレーナー室で、私はたいやきをかじりながら言った。

 

「地域ごとにブロックで分けて、それぞれの上位者が出れるレースだから」

 

「・・・なるほど、確かに甲子園ですね」

 

野球はほとんど興味がないが、甲子園のシステムくらいは把握している。

 

「つまり、今までよりもハイレベルな戦いという訳だ。ナナカマドもやってないうちにその後の話なんてしたくないけどな」

 

「それもそうですけども」

 

私はたい焼きを牛乳で流し込み、タオルを肩にかけた。

 

「休憩終わったんで、練習行ってきます」

 

「ん、行ってらっさい」

 

トレーナー室を後にすると、冷たい風が頬に当たった。

 

「寒そうだな、ゴッド」

 

「バレット先輩は何で半袖なんですか」

 

高い背だろうと、寒さは防げないだろうに。

 

「こんなに寒いとなんか温かいものでも食べたいですね」

 

「・・・あったけぇもの」

 

バレット先輩は少し悩んだ後、近くにいたラルバに声を掛けた。

 

「ラルっち、今晩予定ある?」

 

「いや、ないですよ」

 

ラルバはドリンクを並べ終え、立ち上がりながら言った。この娘は最近背が伸びている気がする。

 

「おし。後輩組、今晩の外出許可取ってこい」

 

「ええ、夜間外出って手続きめんどくさいんですけど・・・」

 

手順が多いのだ。書類も2枚くらい書く必要があるし、何より寮長の部屋に行くのが緊張する。

 

「どうせ明日日曜だし良いじゃねーか。帯広駅で飯おごっちゃる」

 

「え、先輩のおごりですか」

 

バレット先輩は大きい胸板に手を当てながら言った。

 

「おうよ。最近レースの調子が良いかんな。ラーメン一杯くらいなら出せる」

 

「まあ、奢りならいいですよ」

 

ラルバがしぶしぶ言った。やれやれという顔をしている。

 

「・・・で、どこのラーメン屋ですか?」

 

「あー、行けば分かるよ。じゃあ、7時に帯広駅前に集合!」

 


 

「・・・先輩、なんですかその恰好」

 

「え? 洒落てるだろ?」

 

先輩のセーターには「I ♡ 帯広」とでかでかと書いてある。

 

「たぶんですけど、それダサいですよ」

 

「うっそぉ!?」

 

私等が会話していると、ラルバが遅れてやってきた。

 

「待たせました。すいません」

 

「・・・オシャレやなぁ」

 

鮮やかだが優しい色の緑のワンピ、羽織られる綺麗な白のカーディガン。

 

「ラーメン食べるにはあまりよろしくない格好だけどな」

 

それもそうだ。だが、ラルバは平然としている。

 

「で、どこのラーメン屋さんですか?」

 

「ああ、あともうちょっとで来ると思うんだけど・・・」

 

「来る?」

 

来るとはどういうことだ。まさか移動式だとでもいうのか。

 

「あ、来た」

 

車輪がガラガラいう音がする。そのまさかだった。

 

「屋台のラーメン屋、しかも手動ですか」

 

ラルバの問いかけをよそに、バレットさんは店主さんに声をかける。

 

「おいっす。姐御、元気?」

 

「おお! バレット! 久しぶりだな!」

 

軽快なその声に誘われるがままに、私たちも中に入る。

 

「いらっしゃい。後輩さんかな?」

 

軽い会釈と共に自己紹介を済ませる。その背の小さめなウマ娘の方は、笑いながら言った。

 

「アタシはトレミーカペラ。まあ何とでも呼んでくれ」

 

何と言うか、初対面なのに頼りになる感じの人だ。信用できる感じがにじみ出ている。

 

「姐御って感じがするだろ?」

 

「確かに。でもそれだとヤクザ用語ですよ」

 

姐御、というには威厳が無い感じがするが。

私が胸の内で笑っていると、ラルバが言う。

 

「屋台のラーメン屋ですか?」

 

「屋台っていうか。まあそうだな。移動式ラーメン屋だ。一時駐車が可能なところでちょっと止まってを繰り返してる」

 

「なるほど・・・」

 

噂ではかねがね聞いていたが、実際にあるとは。

 

「んで、ご注文は?」

 

「チャーシュー麺固め薄め油少なめ」

 

「とんこつしょうゆ、ほうれん草と味玉トッピングで」

 

「味噌ラーメンネギと海苔多めで」

 

「はいよっ」

 

むかしの話

 

「あ、そうだ姐御。姐御がばんえい甲子園出た時の話をこいつらに聞かせてやってくれよ」

 

バレットさんは厚切りのチャーシューを噛みちぎりながら言う。

 

「ええ、そんな昔の話を」

 

「・・・出たんですか?」

 

「おお、出たよ。3着だったけど」

 

確かに、肩幅とオーラは元ばんえいウマ娘であることを雄弁に語っている。

 

「なんならばんえい記念の優勝ウマ娘だからな」

 

「!?」

 

これまた予想外。ウマ娘は見かけによらないものだと本当に思う。

 

「・・・想い出って何かあります?」

 

「現役の事なんて全然覚えてないけど。唯一あるとするなら、それこそ甲子園かな。いやー、楽しかった」

 

トレミーさんは笑いながら言った。その笑顔は一点の曇りもない。

 

「猛者中の猛者が「北海道一」を決めるために全力を尽くす。あのレースは本当に盛り上がった」

 

私はほうれん草を口に入れ、無言で話を聞く。

 

「・・・なあ少女。アンタ等はこっからいろいろあるさ。本当に、いろいろさ」

 

「?」

 

「そういう時、別に諦めても良い。だけど、再挑戦だけは忘れないようにな。これは人生の先輩としての言葉だ」

 

私等はスープを飲み干し、バレットさんの会計を見ながらさっきの言葉の真意を考える。

辛い事、悲しい事、嬉しい事。様々あるのだろうか。

そんな時、諦めても良いと言ってもらえると楽になる気がする。

再挑戦、もう一度障害に足を掛ける気概。

 

「・・・トレミーさん、また来ます。ごちそうさまでしたー」

 

「はいよー、また来てな」

 

私はのれんの外に出る。再び帯広駅の前に出る。

 

「・・・じゃあ、トレセンまで競争」

 

「は!?」

 

「一番遅かったやつがたい焼き奢りっ」

 

バレットさんが駆けだすのを見て、私たちも走り出す。

 

「ラーメン食べた後だとっ、お腹痛くなるんですけどっ」

 

「やかましいよっ、こっちだって後悔してるっ、ああしんどい」

 

痛む脇腹を抑えながら、私達は大きく笑った。

 

 

 


短かったので前編と後編まとめてお送りします。


 

 

第十七話 「先人談義 その二」

 

「あの、ナナカマド賞近いんですけど、こんな遊んでいいんですか?」

 

「何を、遊びに来てる訳じゃないぞ。レース見学だよ」

 

今日はBG2、岩見沢記念。クラシック級以上のウマ娘が出れるレースだが、経験がものを言うばんえいではシニア級のベテランが出ることが多い。

 

「・・・バレットさんは出なかったんですか?」

 

「おお、北見記念の方にしたからな。このレースも悪くないんだが」

 

バレット先輩は新聞の出走表を見つめながら串に刺さるザンギをかじる。

 

「荒れるようには見えねぇな。たぶん人気通りに進むんじゃねぇか?」

 

「先輩賭けてるんですか?」

 

私が冗談半分に言うと、先輩は新聞の間から2枚バ券を出した。

 

「単勝、1番と4番」

 

「!?」

 

「そんな驚くかよ」

 

私はザンギの一本を貰いながら話を聞く。

 

「未成年の賭博は法律で禁止されてますよ」

 

「私別に未成年じゃないもの、今年で21」

 

「!?」

 

私は思わず声を上げる、衝撃も衝撃だ。

 

「シニア級4年目。現役7年目。もう学業は収めてるから引退したら卒業できる」

 

「マジですか、酒も飲めるんですか?」

 

「規則違反だから」

 

私は笑いながらザンギを飲み込み、レースのファンファーレを聞く。

 

「岩見沢記念。帯広でやるのもなんか変な感じですね」

 

「仕方ない、もう岩見沢はやってないから」

 

しかし場所が変わったとしても、重要なレースであることに間違いはない。BG2で四市記念競走の一つなのだ。

血は滾るし、未だにこれら四つのレースを全て制そうと意気込んでいるウマ娘は多い。

 

「さあ今ゲートが開きました!」

 

そりの音が響きながら進んでいく。やはり大迫力だ。

 

「・・・そういえば、なんでばんえいはベテランの方が有利なんですか? 体力の差?」

 

「ああ、あー、それもあるが」

 

レースはどんどんと進み、第二障害前の直線に入る。砂埃が立つ。

 

「まず、そりの高重量に対する慣れが違う。どの程度で進むかが分かるというのは結構大きい」

 

「なるほど・・・」

 

今日の水分量は少なめ。しんどいはずだが、流石にシニア級の猛者たち。よどみないレース展開だ。

 

「あとは技術。レース中の体力配分、勁、姿勢。ありとあらゆる物を経験で培えるから、ばんえいのシニア級は強い。お、やっぱり4番行った」

 

障害を鋭い眼光で見つめ、足を前方向に「上昇」させる。先に出たのは黒鹿毛のゼッケン4番。すさまじい気迫だ。

 

「先輩、いくら賭けたんですか!」

 

「1番と4番にそれぞれ1000円ずつ! 倍率は2.4倍! 私のおやつ代が消えそうだ!」

 

盛り上がってきた。重賞だからというより、シンプルに熱いレース。

4番は止まらない、そのまま最終直線、さあ行くか。

 

「おおっとここで後方から8番! 一気に上がってきましたゼッケン8番!」

 

「!?」

 

何と、4番の娘は息切れで速度が落ちている、後方から一気に障害を上がってきた芦毛の8番、速い。

 

「おいおい嘘だろ、まて、待って、あ、ちょっと」

 

「ヤバいです、でも4番も残り少しですよ!」

 

私は新聞を見る。芦毛の8番はシニア級6年目。この中でも最も経験値が多い、これは、

 

「・・・まずいかも」

 

ザンギの串を口にくわえながらバレットさんは言う。確かに、8番の勢いは強まるばかり、どんどん背後から迫ってくる。

 

「ひょっとしないでくれよ、まだ終わってないんだ」

 

「今頭がゴールに入りました、あと少しです」

 

魂が揺れ動く。気迫が燃え出す。

先頭駆ける彼女の目に、再び火が付いた。

 

「おお! 行った!」

 

「おっしゃぁぁ!! 行け、突っ込め!!」

 

周りの声援に押されながら、一着が決まった。

 

「おしっ、2400円取った!」

 

「プラスマイナスに換算すると400円ですけどね」

 

「うるさいな、ザンギ代取るぞ」

 


 

「・・・最終直線、あれって何だったんですか?」

 

「あれって?」

 

私はウイニングライブを見終え、イレネー像の前でバレットさんに聞く。

 

「さっきまでエネルギー切れ寸前だったのに、急に復活したやつです。たまにレースで見る光景ですけど」

 

完全に、底の底まで使い切ったはずのエネルギー。それが再び稼働する。

不思議な現象だ。ウマ娘にもそういう「限界の上」があるのだろうか。

 

「ああ、あれな。理屈は分かんねぇけど、長くレースをやるとあるんだよ。自分の持つ体力の限界の更に上が見えるやつ」

 

バレットさんはイレネー様の足を見上げながら続ける。

 

「だが、あれは神だとか奇跡の力じゃないと私は思ってる。すり減らしたウマ娘の体の「更なる果て」だ」

 

私は首をひねる。言葉で理解できるほど簡単じゃないようだ。

 

「・・・じゃあ、本人に聞けばいいんじゃないか?」

 

「え?」

 

「上限」

 

「・・・で、何しに来たの?」

 

「いや、今日のレースの感想を言いに」

 

どうやらバレットさんとこの方は知り合いらしい。気さくに話している。

 

「いやぁ、儲けさせてもらったよ。あとでホットしるこ奢ってやるよ」

 

「アンタ本当に小豆好きね、久しぶりに会うんだからもっと他に言うことあるでしょう?」

 

私が先輩の後ろに背を丸めて隠れていると、その方はこちらに目を向ける。

 

「その娘は? 後輩?」

 

長い脚でこっちに近づいてくる。私は背筋を一生懸命伸ばし、言葉を絞り出そうとする。

 

「ああ、えっと、おつかれさまでした?」

 

「何で疑問形なの? いや、まあありがと」

 

バレットさんが自販機に向かって走り出してしまったため、私は一人で話さなければいけなくなった。

必死に慣れない初対面の人との会話を試みる。

 

「あの、最終直線の最後の事で話が聞きたいんですけど」

 

「うん」

 

「最後体力が切れかけてましたよね。私ならあそこで止まっちゃうんですけど、今日のレースでもう一回持ち直したと思うんです」

 

その方は無言で私の話を聞いている。その目はレース中となんら変わりなく冷静で、鮮やかだ。

 

「あれって何なんですかね・・・?」

 

私が遠慮気味に聞いたその言葉に対して、その人は少し考えてから口を開いた。

 

「・・・例えば、ここから札幌まで走ったとするじゃんか」

 

「・・・?」

 

「例えばの話だから。何なら別に東京でもいいよ」

 

私はおずおずと頷く。ちょっとよく分からないのが本音である。

 

「そして、疲れてもうヘトヘト、一歩も歩けない、となる。でも、そこに急にライオンが襲ってくる。君はどうする?」

 

「・・・走って逃げます」

 

私は首をかしげながら答える、この質問に何の意味があるのか分からない。

 

「そう。そうだね。君はもう限界であるはずなのに、走って逃げることができる。これは「恐怖」で眠る体力を引き出したからなんだ」

 

その方はニヤリと笑みを浮かべ、張った声で続けた。

 

「つまり、私たちの体には「上限の更にの上」がある。それは何かスイッチが入ったり、必死にならないと絶対にいけない領域で、そこが存在することを知らないと間違いなくたどり着けない」

 

分かってきた。「火事場のバ鹿力」というやつだ。緊急状態に陥った時に湧き出す新たな力。

私がメモ帳に書き込んでいると、ホットしるこを抱えたバレットさんが帰ってくる。

 

「おお、聞けたみたいだなゴッド」

 

「あ、はい。先輩より分かりやすいですよ」

 

私の返答に、二人は声を出して笑う。

 

「ハハ、学生時代のアンタによく似てるよ、良い後輩を手に入れたねストーム」

 

「楽しそうだな、それは誉め言葉として受け取っておいて良いか?」

 

私たちは缶のお汁粉を一口飲んで、空を見上げながら話す。

 

「・・・ジュニア級は全員が粗削り。言ってしまうと「素質で戦う」世界なんだ」

 

「ああ、それはある。急にシニア上がってから強くなるやつがいるのもそのせいだよね」

 

素質、と言われて真っ先に思いつくのはやっぱりシシカエデ。エルドラドファクトさんも相当才能に恵まれてる気がする。

 

「・・・だけど、技術ってのはあればあるだけ良い。ジュニア級だろうと技量でなぎ倒す戦いはできる」

 

バレットさんは私の頭をなでながら言った。

 

「ナナカマド賞、見てるからな」

 

「・・・はい!」

 

初の重賞、不安は尽きない。

だが、やることは理解している。

私は「私」を引き出すのみだ。

 

 




設定紹介Q&A

Q.トレミー・・・カペラ?

A.まあこのキャラの是非は一回置いておこう。

ちなみにカペラは「御者」という意味です。屋台を引く彼女はなるほど「カペラ」


Q.なんで馬券買ってるんだよ

A.バレットさんは成人だぞ。いいに決まってるだろ。

彼女は高等部デビューなので買えるんですよねー。
帯広トレセンは「現役ならば寮で生活していいが学業は収め終わっているので、引退した場合は寮を出て進学するかその他の道を歩め」というシステムなので、バレットさんは「校則違反」ではなく「規則違反」という説明をしたわけです。喫煙と飲酒はなしで、バ券を買うのは良いという寮の規則はちょっと分かりませんが。
ちなみに名簿上は寮に籍を置いた上で大学に進学したり、資格を取ったり、専門学校行ったりするウマ娘もいるにはいるらしいです(勿論寮から通える範囲ですが)。そういうウマ娘は学業とレースがどっちつかずにならないようにいろいろ頑張っているんだとか。でもバレットさんは遊び人気質で実力者なので、レースの賞金で生活してます。二十歳超えても衣食住を保証してくれる寮は偉大ですね。


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第十八話 「重賞、ナナカマド賞(前編)」

基本的には重賞レースは前編後編分けて書く予定です。
初の重賞までなんと18話も使うんですよ。先が思いやられる。



「ナナカマド賞」

ナナカマド。この木はバラ科の落葉高木である。赤く染まる紅葉や果実のその美しさから、東北や北海道では多く植えられており、旭川市の木にも選ばれている。

そして、そんな美しい木の名前にあやかって作られたこのレース。BG3「ナナカマド賞」。ジュニア三冠の一角、ジュニア級のウマ娘が最初にぶつかる重賞レースであり、これから名を馳せようと意気込むジュニア級のウマ娘の登竜門となるレースである。

 

花言葉

 

「ナナカマドの花言葉、知ってるか?」

 

西高トレーナーは準備室で、静かに私を見ている。昨夜良く眠れなかったのか、目元にはくっきりと黒いクマが浮かび、タバコの匂いが強く染みついたパーカーが力なさげに揺れていた。

 

「知りませんね、私は旭川出身じゃないので」

 

私はそっけなく言う。自分より周りの方が緊張している状況が息苦しい。昔習っていたピアノの発表会もこんな感じだった。

何故か大きい舞台の一定のラインを超えると妙に緊張しなくなる。感情が麻痺するのか、闘争心が心のブレを上回るのか、分かったところでどうにもならない。

 

「私は貴方を見守る、だってさ」

 

少しだけ微笑みながら私は言う。あの白く美しい花らしい良い言葉だ。

 

「・・・トレーナーさんは私を見守ってくれますか?」

 

私は静かに言った。あいにく私は見守られる側だ。見守る側になるのは遠い未来だろう。

私がタオルを置き大きく伸びをすると、西高トレーナーは紙たばこに火を付けながら言った。

 

「見守ってるのは私だけじゃないよ、案の定全員来てる」

 

「ハハッ、そりゃ心強い」

 

私は準備室のドアを開ける。パドックには既に何人かウマ娘が出ている。

 

「行ってきな。目にもの見せてやれ」

 

私はトレーナーの言葉に頷き、重い靴をパドックの土にうずめた。

 


 

「先輩なんでバ券持ってきてるんですか・・・?」

 

「え、ゴッドが勝つと信じてるから」

 

見守りかたは人それぞれだが、ナナカマドも流石にこれは予想してないんじゃないか?

 

「まあ期待に応えられるように頑張りますけど」

 

私の答えに対して、バレットさんは笑って答える。

 

「ハハッ、お前そういう「期待を背負う」キャラじゃないだろ」

 

相も変わらず、歯に衣着せぬ物言いだ。オブラートに包んで貰いたい。

だが、そんな私の気をよそに、バレットさんは続けて言う。

 

「良いんだよ、私たちの事なんか気にしなくて。お前はお前の為に走れば良いじゃねぇか」

 

その人は、普段と何ら変わらなく言葉を紡ぐ。それが、意識してなのか、考えなしなのかは分からない。ただ、その言の葉が私の中で反響する。

すぐに、頬を打ったような衝撃が全身に伝った。今の今まで感じていた何かを、何の気になしに言語化された。

 

「・・・ですね。そうですよね」

 

己のために走る。仲間と一緒に、自分の為に。ゴールを目指すことに命まで捨て去って。ただ純粋に、自分の快楽の為に、前に進む。

 

「よしっ! 行ってこい!」

 

バレットさんは拳で手を叩きながら、私に言う。その目は言っている事とは裏腹に、期待と希望に満ち満ちているように見えた。

 

「行ってきます、センター獲ってきますよ」

 

私はその期待に笑顔で返す。鉄のそりに比べたら軽いものだ。その重荷、背負ってやろうじゃないか。勿論、自分のレースの為に。

 


 

「さあ帯広レース場第11R、全ウマ娘ゲートに収まりました!」

 

今日のゲートは一段と狭く感じる。気持ちでこんなにも視覚とは制限されるものなのか。

 

「・・・フゥ」

 

息を少し吐く。パドックの周回で少しは温まったが、流石に北海道。それなりに冷える。

闘争心で体が割れそうだ。内側に少しずつ水が溜まっていくような、奇妙な感覚。きっと、このゲートに収まっている彼女たちも同じだろう。

言葉にしたら楽なものだが、それほど軽い物でもない。ゲートに入った瞬間、思わず笑みが消えた。圧がすさまじかった。

 

(カエデがヤバいな、これは・・・)

 

『ハイド』だ。優しい普段の面影を思い出せないほどに、自分の世界に浸っている。もはや狂気に近い。

それに他の2人もだ。威嚇なんてしたら、首に噛み付かれそうな殺気が伝わる。

 

(ひゃー、恐ろしい)

 

勝ちに来ている者達との勝負。無論、それは私もだが。

ファンファーレが鳴く。祝福のではない、これは鏑矢(かぶらや)の音だ。戦の合図だ。

 

「さあ、ジュニア級。BG3、ナナカマド賞。今、スタートしました!」

 


 

「今のお前に、シシカエデと正攻法で殴り合う力は無い。まず最初にこれだけ伝えておく」

 

西高トレーナーは言った。私は「残酷だが、知っておかなければ勝てない」と自分に言い聞かせる。それほど、聞いていて気分のいい内容ではない。

 

「力量差があるのは事実だ。しかし、レースは力量だけで成り立ってない」

 

「まあ、そうですね」

 

勝ちたい。だったら何だって飲み込もう。不要なプライドは夏合宿で全部吐き出してきた。

 

「・・・で、だったらどうするって事になる。という訳で、作戦会議だ」

 

私は頷く。勝つ手法はいろいろ考えてきた。

 

「あの、カエデは障害前で溜める癖があるんです。代わりに、刻みをあんまりしない」

 

「ああ、それは確かにある。だが、決して付けこむ隙じゃない。アイツのトレーナー、帯刀は優秀なトレーナーだ。弱みになる部分なら速攻矯正されてる」

 

「それはそうです。でも、私にもまだ考えがあります」

 

私はポッキーを一本口に入れ、飲み込んでから話す。

 

「同じ作戦で、行きます」

 

「・・・そうきたか」

 

勝つにはこれしかない、と思っている。確かに、リスキーではある。私は少し先行してから長く溜める戦法の方が得意だ。そっちの方が余計な気を使わなくていい。

 

「だけど、それじゃあいけないんです。相手の「闘争心」から逃げる形になってしまう」

 

私の言葉を聞いた西高トレーナーは少し考えてから口を開いた。

 

「・・・つまり、相手のその闘争心と「競り合う」形にすると。なるほど」

 

先日の岩見沢記念で学んだ。時に、肉体というものは「[[rb:精神 > ココロ]]」で莫大な力を得ることが出来る。

ならば、それに賭けてみよう。戦を挑もう。

 

「追い込みじゃ駄目なのか? それはそれで刺激されるかも」

 

「それではダメです。ウェルとエルドラドさんは差しと追い込みなので、二人同時に相手するとこっちが負けます。それで負けたら本末転倒です」

 

闘争とは、命の削り合いだ。先に命にダメージが入った方が負けの、純粋な試合。しかし、そこで二人同時にするのは分が悪い。

 

「・・・そうか。理にかなってはいる」

 

西高トレーナーはポッキーを口に入れ、ゆっくりと続ける。

 

「じゃあ作戦はそれで行くとして、それだけで勝てるか?」

 

「策はまだちょっと考えてるんですが、それは別に良いです。どっちにしたってレース中に考えるしかない」

 

そう。この案は「秘密」だ。言ってもどうにもならないし、第一言ったら反対されるに決まっている。はたから見たら狂ったとしか思われない。

 

「・・・何二ヤついてんのさ」

 

「いや、別に何でも」

 

私は笑みを隠しながら言う。自分でも笑っているのが不思議だ。

 

「・・・じゃあ、私からも提案が一つ。これは作戦というより、もっと技術的な話だ」

 

「・・・?」

 

トレーナーは笑う。嫌な笑顔だ、何か企んでいる。

 

「ゴッドにまだ話してないのがあったと思って。いや、すでに知ってるかもしれないけど」

 

トレーナーはホワイトボードにコースの絵を描き、最終直線を指さした。

 

「ここで、つぶれない方法だ」

 

最終直線、何もない気がするが。

 

「ばんえいの障害の数は、三つだ」

 

「三つ?」

 

「そう。第一障害、第二障害。そして、最終直線の砂、第三障害だ」

 

砂の要塞

 

「あそこって、ただの直線ですよ?」

 

「いや、レースに集中して分からないかもしれないが、あそこには傾斜がある。0.5mのな」

 

知らない情報てんこ盛りだ。困っている。

 

「あー、それはどういう?」

 

「砂障害。あれの目的は「減速」だ。最後、スピードを落として接戦にするためにある」

 

何とも大人な理由だ。盛り上がった方が良いのは分かるが。

 

「だから、それに負けないようにする」

 

「え?」

 

西高トレーナーは、外に私を呼んだ。

 

「これを引いて、コースの端から端まで」

 

「これって・・・」

 

目の前にあるのは、年季の入った重機用の巨大なタイヤ。

 

「・・・何キロですか?」

 

「600! 実家で使わないって言うから貰ってきた」

 

何とも大きい。そして、重そうだ。紐を腰に巻くと、いつものそりと何ら変わりないほどの圧迫感がある。

 

「これを3セット、本番までは毎日、必ずだ」

 

「ひゃー、しんどい」

 

私が動揺を隠していると、トレーナーは笑う。

 

「・・・勝つためには、一切の妥協は許されない。出来るだけのことを、一つ残らずやってからレースという土俵に立てる」

 

「何ですか、それ」

 

「恩師の受け売り。口癖みたいに言ってた」

 

私は深く息を吸う。当たり前だけど、大事なことだ。

 

「・・・初めての重賞なんだ。やれるだけのことはやろう」

 

「ええ。勿論です」

 


 

私はハッとする。ゲートが開くまでの一瞬。雷光のように脳裏に過る、練習の日々。

 

「・・・ハハ。危ない」

 

飲み込まれるところだった。こんなにも緊張していたのか。

だが、良い。走マ灯のような感覚が、脳をいい具合に高めてくれた。

 

「さあて、上手くいくか」

 

私は一心不乱に足を前に出しながら、小声でつぶやく。

 

BG3。ジュニア初の重賞「ナナカマド賞」

戦が、始まる。




設定紹介Q&A

Q.西高さんについて教えてくれ

A.金髪ジャージ敏腕トレーナーについて

高校でちょっと悪いことをしてたけど、両親に無理やり名トレーナーのところに送られ、いろいろしごかれた後にトレーナーとなる。
チームサドルを作った当初はメンバーがバレットしか入ってくれず、いろいろ苦労したらしい。その分、あの二人は仲いい。



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第十九話 「重賞、ナナカマド賞(後編)」

レース描写が本格化してきて、ちょっと出来もよくなってる。
ただ2000文字のレース描写はとっても疲れる。


「さあジュニア級の精鋭たち、皆難なく第一障害を越えました」

 

落ち着け。まだ障害を越えただけだ。

唯一、ではないが、懸念の一つである誰かしらの作戦変更も今のところはない。ここまでは計画通り。上々の出来だ。

 

「さあゴッドドラッガーとシシカエデ、前に出た。後ろにゼッケン3番イリーガルダンサーが続いていく」

 

足に負荷がかかる。そりゃそうだ。普段なら止まっている所を無理に進んでいるのだから。上手くいかないのも無理はない。

しかし気持ちは高まるばかりだ。負けたくないというシンプルな精神が、身体の血液循環を速めていく。

 

「さあ、後方集団も着実に前進しています」

 

後ろを振り向くのは悪手。今は前だけ見る。

もう少しで障害だ。今日の水分量が高いのが功を奏した。今の所順調。普段よりも辛いペースのはずなのに、肉体は次の闘争を求めている。

ヒリヒリと伝わる勝利の欲求に、面白いくらい体が反応する。良い、良い気分だ。

 

「さあ先頭2人! 同時に障害に辿り着いて足を止める!」

 

・・・だが、落ち着け。ここからは未知の領域だ。

今までよりも速いペース。妙にクリアーな視界と、興奮する肉体。自分の残りエネルギーはどの程度か。見誤った瞬間に敗北が確定する。

 

私は深く息を吸い込む。大きい呼吸の音が繰り返され、汗が頬を伝うのを感じる。

冷静さが戻ってくる。血の巡りはそのままに、脳だけを稼働させろ。

 

「さあ2人の女傑が並び立って様子を伺っている。後方のウマ娘も障害に辿り着いています」

 

私の持つ残存エネルギー総量は、きっと休んでいる今でさえ60%程。障害を登るのに30から40は必要だとして、体はその酷使に耐えられるだろうか。

不安が頭をよぎる。怪物どもの巣穴で、これから山場だというのに何たる思考か。合宿前と、なんら変わりはしない。

 

だが私は誓った。トレーナーにでも、神にでもなく。私自身に誓ったのだ。『もう二度と負けて堪るか』と。

 

肉体の火照りは十分。焦りも葛藤も至高の端だ。今見えるのは横に並ぶ、普段とは違う友人(ライバル)の顔と、そびえる障害。

 

「・・・ハハッ!!」

 

空に向かって私の声が飛ぶ。

ますます面白くなってきた。ばんえいも、私も。

 

「行った行った行った! ゴッドドラッガーだ! 青雲賞を制したその足が再び牙を向いている!」

 

体を下側に移動させようとしてくる重圧。それを無理やり閉じ込めて、足を坂に付ける。エネルギーの流動体。減りつつある残存エネルギーを無駄なく使う。

 

「そうこなきゃねッッ!!!」

 

カエデの明るい声がする。やはり来た。いや、来ると確信してた。彼女なら来てくれる。さあかかってこい。選抜レースのように簡単には下させない。

青雲賞の時、彼女は不調だった。それでもギリギリだったあの勝利を、私は飲み込めないでいる。だからこそ、全身全霊の貴方に、今ここで、心から勝ちたいと思う。

 

「障害の上で二人並んだぞ! 後ろからも上がってきている!」

 

負けない。もう二度と負けない。ライバルにも、レースにも、私にも。

紺碧の空の下。坂の頂上。重くなった足。私は必死に息を吐き、頭に浮かぶ言葉を反芻する。

 

「先に下ったのはやはりゴッドドラッガー! だが、シシカエデに続いてウェルミングス! 後続も順調に上がってきている!」

 

良い、今日が過去最高だ。身体と精神の完全な調和。闘争と肉体の完璧な同調。

一気に障害を下り、そのままの勢いで直線に向かう。視界が開けた。このまま直線一気。そう意気込んで、砂の中に足を投じる。

 

「ゴッドドラッガー、順調に直線を進んで、ゴールが見えてきた!」

 

私は直線を進みながら考える。

きっと流れは変わらない。このまま勝てるのなら勝ってしまいたい。

しかし、本当にそうなのか。このまま何の面白みも無くレースが進んでいくのか。かつて経験した、幾度とないどんでん返し。きっとこのレースもそれに違いない。

 

「ゴッド! 後ろ! 来てるぞ!」

 

「!?」

 

トレーナーの声。気が付かないうちに震え始める手。さっきより力が抜けた足。

 

ああ、まずい。飲み込まれる。

 

「デジャヴ・・・!」

 

選抜レースがよみがえる。再び獅子の牙が、私の最終直線を止めてきた。

 

「ここでやってきたのはシシカエデ! まだ距離はあるが大丈夫か!」

 

あの時(選抜レース)もそうだった。あの時もこうやって、震える足で進むのもままならない。そうやって怖気づいていた。同じようにこのレースもそうなるのか。せっかく作戦まで変えたというのに、生き急いだのが裏目に出てしまった。

だが、落ち着け。深く息を吸え。恐怖は飲み込め。精神を奮い立たせろ。心で負けて良いわけがない。

 

「・・・ア゛ア゛!!」

 

私の狂い声が帯広競馬場に高らかと鳴く。残りの直線は私の物だ、という強い意志を示す。

 

「シシカエデとてつもない勢いで迫ってくるが! ゴッドドラッガーの頭は既にゴールに入っている!」

 

その叫び声は自己の認識に繋がる。良い具合に力の抜けた脳が『あれ』を思い出した。前の日に言っていた最後の策だ。

私は手を強く握りしめてから、深く息を吸った。

 

 

『怖気づいた』『飲み込まれた』 『体力の限界』

 

 

私の答えは、唯一つ。

 

 

『知ったことじゃない』

 

 

「おおっと!? ゴッドドラッガー、ゴール板の上で止まってしまった!! エネルギー切れか!?」

 

今日初めて後ろを見る。異常なまでに冷静な頭で、汗を流しながら走るカエデの目をじっと見る。なんて美しいのだろうか。きっと一瞬だったはずなのに、それは永遠のように感じられる。

 

そう。永遠のような「一瞬」で構わない。あともう少し。もう少しだけだ。

 

「・・・いや、ガス欠じゃない。アイツ、狙って止まってる」

 

「ハァ!?」

 

引き付けろ、あと一歩に迫った勝利を求めて手を伸ばす。その隙を利用しろ。

 

「さあシシカエデがゴールインするのか、それともゴッドドラッガーか!」

 

私は横に来た息切れするカエデを見ながら、一瞬。一瞬だけ笑って、自分にしか聞こえないよう呟く。

 

「・・・ありがとう」

 

気力十分。体力十分。私は、足を今日一番強く踏み込み、一気に駆け出した。

 

 

「・・・ゴォールイン!!」

 


 

「おつかれ」

 

「あ、おつかれさまです。トレーナー」

 

ライブの汗も乾いた。筋肉痛一歩手前の体を無理に動かして、私は返事を絞り出す。

 

「・・・トレーナーから見て、どうでした? 今日のレースは」

 

先程から気になっていた質問だ。自己反省の前に、この人の意見を聞いておきたい。

 

「うーん。100点満点はあげられないかな」

 

私も同意見だ。笑いながら控室の外に出る。

 

「ちなみにその心は?」

 

トレーナーは歩きながら口を開く。

 

「障害を登りきる時、ちょっと粘れば最後の無理は必要なかった」

 

「ですね。やっぱ分かりますよね」

 

しくじった、とは思いたくない。だが、一瞬とはいえ相手の思惑に乗せられたのは確かだ。

 

「でも、そこを含めても90点は超える。良いレースだったよ」

 

「・・・へへ。ありがとうございます」

 

この人の考えていることはいつも分からない。怒っている時と元気な時のテンションの差がおかしかったり、変なところもあったりする。だが、トレーナーとしての腕は間違いなく帯広トップクラスだ。そんな人が「良いレース」だと言うのだ。誇っていいだろう。

 

私が内心微笑んでいると、後ろからジャージの裾を引っ張られる。

 

「・・・ゴッド」

 

「・・・カエデ」

 

いつになく神妙だ。何を思ったか、西高トレーナーは先に行ってしまい、イレネー像の前で二人きりになる。

 

「今日はおめでとう」

 

「・・・うん」

 

いつになく。本当にいつになくだ。初めて見る表情。

 

「私、完敗って初めてなんだ。負けたことはあるけど、その時は毎回蹄鉄が悪かったり、足とかメンタルが不調だったり。でも、今日は違った」

 

空気が張る。どうしようもない怒りか、不甲斐なさか。何にせよ彼女に、今まで感じたことの無いような感情が沸き立っている。

 

「・・・絶対。絶対負けないよ、次は」

 

「・・・私も」

 

私ははっきりとした声で返事をする。

そう、彼女もまた「敗北を飲み込む」のだ。勝利に対して貪欲だからこそ、負けを負けとして受け取るのだ。競争に身を置くのだから。

 

「・・じゃあ、また」

 

「うん」

 

終わらない。私と彼女の勝負はこれが最後ではないのだ。

さっきの「また」がどんなものであるかは知らない。ただ、きっと。

 

ナナカマドの実のように赤く、力強く、美しいものであると思う。

 




設定紹介Q&A

Q.レース描写ってどうやって書いてる?

A.ノリと勢い。あとは添削と推敲。

一回「展開」を決める。ザっと、ザっとね。誰が先行して誰が減速して。そしたら勢いで書き上げる。
したらば、ゆっくりと推敲。いらない部分を削いで、物足りない部分を足していく。
・・・つまりは時間がかかる。大事な部分だからこだわるけど、いっぱいやるとしんどい。


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第二十話 「秋のばんえい感謝祭」

ここが節目です。この後受験戦争を乗り切り、以来投稿頻度が落ちます。モチベの低下が主な原因。今から持ち直せるでしょうか。
・・・感想とか評価とかくれると、ありがたいかもしれない。


秋の終わり。冬の始まり。帯広トレセンからのお知らせです。

 


 

北海道の冬は足が早い。10月の下旬になると、もう冬の気温になる。ドアを開けたら冷たい風が吹いてくるのが目安だ。

そして、冬の初めが来ると、とあるイベントが来る。

 

秋のばんえい感謝祭

 

「おはよう、ウェル」

 

「ああ、おはよう」

 

寒い朝が来る。札幌の雪まつりが有名だが、気温だけで言えば帯広の方が低い。刺すような冷え込みを耐え忍びながら、私は大きくあくびをする。

 

「楽しみだな、学祭」

 

そう。今日は帯広トレセンの学祭。その名も「ばんえい感謝祭」。中央に負けず劣らず様々な催しが行われるこの学祭を、人一倍、いや数倍は楽しみに待っているウマ娘がここに一人。

 

「いやぁ、この日をどんなに待ったことか」

 

「2週間くらい前から言ってたもんね」

 

彼女の尻尾はバタバタと音を立てている。起こる風が手に当たり、冷たい。

 

「で、どこから回る? 屋台いろいろあるし、広場で企画もあるっぽいけど」

 

「ああ、私ルート考えてきたよ」

 

ウェルはスマホを取り出し、LANEのメモを見せてくる。

 

「細かいな」

 

「いやぁ、一人でやってたら盛り上がってさ。寝る前に書いてたんだけど」

 

正直なところ、彼女がこんなにも祭りに全力だとは思わなかった。もっとクールな感じで楽しむのかと思ったのだが。

 

「あれ? カエデも誘うって言ってなかったっけ?」

 

「ああ、カエデは先客がいたよ。エルドラドファクトさんに誘われてたんだってさ」

 

「ああ、そう」

 

少し残念に思いながらも、続々と開店の準備を始める屋台を眺める。あと5分ほどで開場だ。

焼きそばのソースの臭いを吸い込みながら、私は伸びをする。

 

「じゃあ、今日くらいはめいっぱい楽しませてもらいますかね」

 

「うん、私も」

 

ウェルの返事のすぐ後、空に向かって空砲が鳴る。白い煙が弾け、スピーカーから大きい声が響き渡る。

 

 

「ばんえい感謝祭! 開幕です!」

 


 

私たちが高等部校舎内の展示を見終わり屋台の通りに出ると、見慣れた顔が目に入る。

 

「先輩、何してるんですか?」

 

「見たら分かんだろ、おやき売ってるんだよ」

 

先輩はハチマキを巻いて、ひたすらおやきを焼いている。既製品を売るのではなく、生地から作るのか。

 

「お? その後ろはご友人かい?」

 

先輩はあんこを生地に投入しながら言う。

 

「ああ、ウェルミングスです。初めまして、先輩」

 

「お、エゾさんの言ってた期待の新星」

 

「え? 会長と仲良いんですか?」

 

先輩は既に焼きあがっているおやきを慣れた手つきでひっくり返し、返事も返す。

 

「まあ、知り合いくらいの仲だな。たまに話すくらい。ん、4個で480円」

 

先輩はおやきを紙袋にてきぱきと入れて、小銭を受け渡す。

 

(くだん)の会長は、中庭にいるよ。行って挨拶してきな」

 

先輩は私におやきの袋を渡しながら言った。私は会釈を返して袋を開ける。

 

「あれ? 一個多い?」

 

「会長に渡しといてくれ、差し入れだ」

 

ウェルの一瞬の笑いを耳に挟みながら、私達は中庭に足を進めた。

 


 

「会長?」

 

「ああ、ウェルミングス。学祭、楽しんでるかい?」

 

「いや、楽しんでるんですけど」

 

私達は驚きを隠しきれない。2つ目のおやきを飲み込み、やっとのことでウェルが声を出す。

 

「なんで会長が売り子なんですかね?」

 

エゾオウ会長は蹄鉄のおみやげをせっせと売りさばいている。

 

「毎年こうだからね。トラブルとかは別の方々が処理してくれるし、私は暇なんだよ。ただ待つのも性に合わないし・・・」

 

働くのが好きというのも困りものだ、祭りの時くらいはのんびりすればいいのに。

 

「あ、後ろの君はゴッドドラッガー君。重賞制覇おめでとう」

 

「あ、ありがとうございます」

 

どうやら私のことを知っているらしい。嬉しい限りだが、少々こそばゆい感じがする。

私が慣れないような笑みを浮かべていると、会長は大きく伸びをして言った。

 

「いやぁ、広場で漫才が始まっちゃったせいで、お客さんが全く来ないんだよねぇ」

 

ウェルは苦笑いで袋からおやきを差し出す。

 

「これ、ストームバレット先輩から、差し入れです」

 

「あ、バレットちゃんからか。ありがとう」

 

会長はおやきを咥えながら重そうな蹄鉄をテーブルの上に置く。ゴトンと鈍い音が鳴る。

 

はっへふ?(かってく?)

 

「いや、私たち自分のあるので・・・」

 

ほへほほうは(それもそうか)

 

会長はおやきを飲み込み、思い出したかのように言った。

 

「そういえば、今コースでレースやってるらしいね、ちょっと行ってみようか」

 

「売り子は?」

 

「一時休店」

 

会長ははちまきを外し、店の外に出た。

 

「そんな適当でいいんですか?」

 

「良いの良いの、祭りなのに規律守ってたら面白くないでしょ」

 

「会長が言っていい言葉じゃないでしょうそれは」

 

2人の馴れ合いを後ろから見ながら、ゆっくりとコースへ足を進める。

会場に近づくにつれて、段々と歓声が聞こえてくる。思った以上に盛り上がっているようだ。

 

「・・・お、やってるやってる!」

 

激熱! 人間ばんバ!

 

「さぁ盛り上がってまいりました! ばんえいウマ娘VSトレーナーと一般人チーム!」

 

話には聞いていたが、すごい光景だ。500kgのそりを引くウマ娘に対するのは、8人で300㎏のそりをひく人間チーム。

 

「今現在の勝敗は人間チームが4勝、ウマ娘チームは3勝となり、人間チームが勝ち越しとなっています!」

 

実況の声が響く。ちょうどレースが終わったようだ。

 

「えー、負けてんの?」

 

会長が受付で働く寮長に話しかける。

 

「負けてるんですよ、今年はトレーナーの皆さんが気合入ってて」

 

西高トレーナーも出てるのだろうか、いや、あの人に限ってそれは無いか。

 

「景品は「特別人参ケーキ15kg」です! さあどちらの手に渡るのか! では第8戦! どのウマ娘が来るのかー!!」

 

エゾオウ会長は寮長と軽く言葉を交わし、バックヤードに消えていった。

 

「え、何、会長出るの?」

 

「出るんだろうね、あの人の事だから・・・」

 

堅実で質実剛健な人かのように見えて、それなりにノリが良いようだ。皆に慕われるリーダーになるには多少なりともユーモアが必要なのだろうか。そんなことを考えていると、実況から驚きの声が響く。

 

「さあ! 第8戦の相手は、この方です!!」

 

特設された控室から、ジャージに着替えた会長が出てくる。早い着替えだ。

それにしても少々気が早い気がする。計10戦やるのだから最後の隠し玉的な登場でも良かったのでは?

 

「対する人間チームの佐川さん、調子と意気込みは?」

 

声を荒げているのは別のチームのトレーナーの方。いかにも体育会系という見た目だ。

 

「最強だろうと何だろうと、ぶったおしてやりますよー!!」

 

それえを聞いたウェルが小さく呟く。

 

「いくらなんでも無理があるんじゃ?」

 

「まあ会長が舐めプしすぎるって可能性もあるし」

 

「それはない、断言する」

 

ウェルは若干の笑いを含めながら言った。

 

「あの人は、絶対に手を抜けないんだ、兎どころか毛虫にも全力になっちゃうんだよ」

 

「それは、病的だね・・・」

 

その徹底した感情があったからこそあの座に座っているのだろうが、それはそれで考え物の気もする。

 

「さあ、第8回戦、スタートしました!」

 


 

「さあ先頭はエゾオウ! 人間チームは早くも悲鳴を上げている!」

 

なんだあれ、速すぎだろ。

 

「それにしても速い速い! エゾオウ速い! すでに直線の真ん中に来ている!」

 

流石というか、何というか。映像で見るのとリアルで見るのとでは訳が違う。言葉が出ない。それは私だけではないようで、皆唖然としている。

 

「本当、しびれる強さだ」

 

ウェルがぼそりという。その顔は欲しいおもちゃを見つけた子供のように純粋無垢で、らしくないが微笑ましい。

 

「しかし人間チームも負けていないぞ! 今追いつきかけている!」

 

いや、厳しい。ぬくぬくと刻みを入れて進んでいる会長とは違い、人間チームは常時全力だ。真ん中にある軽い障害だけで潰れる。

 

「会長、楽しそうだな」

 

「びっくりするぐらい余裕そうだね」

 

あの人に追いつきたくてここにいる者だって多くいるだろう。私の横にいる彼女が筆頭かもしれない。

しかし、私らとあの人とにはとてつもなく大きい壁があるような気がしてならなかった。

 

「さあエゾオウ、障害に足をかけて登っていく! ぐんぐんと差がついていくぞ!」

 

障害を登るその人を横目に、私はチュロスを食べ終わり、紙をクシャクシャに丸めてポッケに入れた。

 

「人間チーム、息切れか! 障害を登れない!」

 

そりゃあそうだ。機械のエンジンじゃないんだ、全力なんて永遠には続かない。いい具合にサボるという技術は、私達が誰よりも知っている。

 

「さあエゾオウ、障害を超えてゴールへと向かう! 着実な足取りだ!」

 

最終直線。会長の顔は子供のように笑っている。本当に楽しそうなレースだ、見てるだけで血がウズウズした。

 

「ゴールイン!! エゾオウ!! 圧倒的だ!!」

 

付近から惜しみない拍手が沸き立つ。流石最強のウマ娘、いろいろなことが勉強になった。私が後でメモする内容を頭の中で繰り返していると、ウェルが静かに語りだす。

 

「楽しんでレースをする、か」

 

「急にどうしたの?」

 

抽象的な意味も入るそのセリフに違和感を感じながら聞き返す。

 

「いや、いいレースってなんだろうな、って考えてて」

 

「うん」

 

「それは結局「楽しいレース」に行き着くのかな、って」

 

そう言われて、私は改めて考える。

ウェルは強いウマ娘である。それは肉体的な面でも精神的な面でも言える。だけど、いまいちレースを楽しそうにやってない。いつも必死そうだ。そう考えると、楽しむ心は確かに必要なのかもしれない。

 

「でも」

 

「ん?」

 

唐突に話を切断される。特別大きい訳ではない、それでも相当力強い声で。

 

「ナナカマド賞は、楽しかった、いいレースだった。負けちゃったどね」

 

彼女の瞳が怪しく光る。私を直視する。

 

「次のレースも、楽しいと良いよね。勿論、私が勝った上でだけど」

 

私は深く息を吸う。

この言葉に、どんな意味が込められてるかとか、どういう意図で言ったのか、とか。いろいろ考えることはあった。でも、私が言えることは結局の所一つだけ。

 

「私は、負けないよ。次も、その次も」

 


 

「あ、おーい! ゴッドさーん!!」

 

遠くから知っている声が聞こえて、ゆっくりと振り向く。

 

「あ、ラルバー!」

 

遠くの方の屋台の近くでラルバが手を降っている。

私達がそこに向かうと、そこには西高トレーナーと早川トレーナー、バレットさんがいた。

 

「あ、ゴッド。どうだった? 学祭は」

 

「楽しかったですよ、すっごく」

 

ウェルがブンブンと首を振る。本当に心から満喫した。

 

「おーい、おやき売れ残ったからやるよ」

 

バレットさんがそう言いながらおやきの入った袋を投げてくる。私はそれをキャッチして、中から一つを取り出して口に入れる。

 

「もう来年が待ち遠しい」

 

ウェルがそう言うので私たちはツッコミを入れる。

 

「「「気が早い」」」

 

「ハハ、確かに」

 

「・・・でも、気持ちはわかる」

 

祭りの終わり、普段の日常の始まり。それは、それほど嫌なものでもなかった。

 


 

一方そのころ

 

「シシ、そんなに気になるなら話しかければ・・・?」

 

「いや、前のナナカマド賞のあとから話しかけづらくて」

 

「良くない? 別に」

 

「良くないんだよぉ・・・」




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Q.帯広トレセンってどこにあるんだよ

A.府中のトレセンもごまかしてるし、ねぇ?

位置的には帯広市の緑が丘公園とかかなー、と思って書いてる。しかしまぁ。そこら辺はノリで読んでください。ちなみに学祭のモデルは「銀の匙」から取ってます。


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第二十一話 「嵐の弾丸」

キャラの掘り下げ、というか「魅せ場」は平等に用意しているんですけど、バレットさんはもうちょっとやってもよかったかなぁ...


轟音が鳴り響く。それは私の途方もない呼吸音か、歓声の渦か。耳の中で反響するようなその音を心に秘めながら、私はそりを引く。

汗に付く土埃、錆びたそりから響く金属音、障害を登り切った時のあの感覚。それら全てが私の為にあるかのような錯覚さえしてしまう。

その素晴らしき喧騒は、今や過去の物だった。いつだったか、私が求めていたものは、勝利ではなかったのだと気が付いてしまったあの時、私はすべてを失い始めた。

 

「バレット先輩、最近調子いいですね」

 

「ハハ、そうだろ。もうすぐ北見記念だからな、気合入れないと」

 

心情が空回りを始める。それはカラカラと薄っぺらい音を奏でつつ、確かに私の心にヒビを入れていく。

 

「ゴッドももうすぐ予選だろ? 後で障害見てやるよ」

 

「え、でも先輩、良いんですか?」

 

「良いんだよ、こういうのは私の為にもなるんだから」

 

可愛い後輩の為、というのは私が自分で納得するために作り上げた幻想である。明らかに私の為だ。

このままでは壊れてしまう。レースが1日ずつ近づいてくることに、心底怯えている。初めての情緒に対応しきれない私のシナプスが「停滞」と「逆行」を求めている。

 

「・・・先輩、大丈夫ですか?」

 

「ん? 何が?」

 

私はいつも通りの、乾いた笑顔を浮かべる。

 

「・・・いえ、勘違いでした。すいません」

 

私の可愛い後輩は、どこか不安げな表情を浮かべていた。私は歯痒く、また苦い思いを内に秘めながら、練習を続ける。

 


 

「久しぶりに1人で来たと思ったら、浮かない顔だな。バレット」

 

「よう、姐御。味噌ラーメンのりとほうれん草で」

 

私は小銭をカウンターに置き、静かに椅子に座る。彼女は何か悟ったらしく、水を置いただけで何も聞かなかった。やはりここに来て正解だったと思いつつ、心のどこかで聞いてもらえた方が楽だったと思っている自分がいる。

帯広駅の電飾の光、談笑の声。それらが小さく耳に入るだけで、ただただ無言の時間が過ぎる。少し遅い時間というのもあり、屋台ののれんの奥には私しかいない。私はどうしようもない沈黙に耐えかねて、声を絞り出した。

 

「姐御はさ、引退いつだったっけ?」

 

「アタシ? えーっと、シニア級の、何年目だっけ? えーっと、デビューがあの年だったから・・・」

 

彼女はスープをかき混ぜながら空を目で追う。

 

「シニア級5年目、かな。確か」

 

「・・・だよなぁ、普通はそんくらい走るよなぁ、やっぱり」

 

私はカウンターに顔をうずめ、少し考える。姐御は疑るかのように言った。

 

「何だい? 引退するのかい?」

 

その問いに対して、私は形容しがたい表情と無言を返す。

 

「・・・え、マジなの?」

 

「・・・まだ決めてない」

 

私は再び顔をうずめ、ぐぐもった声を出した。

 

「へぇ、アンタがねぇ」

 

決めたわけじゃない。ただ、気持ちの偏りは確実にある。

今まで通りの走りが出来なくなっている。体が何かを拒否している。その何かが分からないまま、こうやってズルズルと現役を続けている。

 

「でも、まだばんえい記念も出てないだろ? はい味噌ラーメンのりほうれん草トッピング」

 

「そこなんだよな。だから踏ん切りがついてない」

 

私はラーメンを受け取りながら言った。味噌の匂いが鼻腔をくすぐる。

 

「姐御はさ、引退したのは何でだった?」

 

「どうだったかな、割と昔だしなぁ・・・」

 

私は麺をすすりながら彼女を眺める。彼女は懐かしき思い出に浸っているようにも、苦い記憶を掘り起こしているようにも見えた。

 

「その年のレースに出て、後輩がどんどん強くなっていくのを見て「ああ、もう自分達の時代は終わったんだな」って思った時、かな」

 

私はその返答を聞きながら、小さくため息をついた。

 

「どうしよっかなぁ、ホントに」

 

「どうしようねぇ」

 

ばんえいの世界に足を踏み入れたのに、深い意味は無い。両親の束縛から抜け出したいという一心で学校を決め、流されるかのように現役を続けている。

だからこそ、この世界から逃げ出すきっかけがない。のらりくらりをモットーにしてはいるものの、いい加減決めなければいけないと思う。

 

「・・・姐御。私、頑張ったよな」

 

「さあね、それを決められるのはあいにくアタシじゃないからなぁ」

 

「ははっ、そうかい」

 

私はラーメンを全て飲み込み、席を立つ。

 

「ご馳走さん、今日も美味かったよ」

 

「はいよ、バレット。レース頑張ってな」

 

彼女は軽く手を振り、私はそれを横目に微笑む。

 

「頑張って、か・・・」

 

頑張って、全力を出して、自分を信じて。幾百と言われたそのセリフ。

 

 

くだらない。

 

 

私はコートのポケットに手を入れ、足早に帯広駅へと歩を進める。

明るいライトが目に眩しい。見慣れた風景だが、どこか歯車がかみ合わないような、微小なおかしさを感じる。

私は駅前のベンチに座り、空を見上げた。黄色に変わった落葉樹、薄暗闇の中でも、どこか呑気な平穏さを感じる。

 

「言われなくても頑張るさ、言われなくても」

 

自分の心中に永遠とこだまする「くだらない」を無理に飲み込む。吐きそうだ、先刻胃に収めた飯のせいだろうか。

このまま不安に浸っていると頭も体もおかしくなる、私は立ちあがり、帯広駅の中を歩く。

 

(8時・・・か。いけるな)

 

まだまだ店の明かりは消えていない。それは都市の喧騒も私の心中の何かも同じである。

底の見えない泥沼の如き心の内。笑い話の種にするには泥が付きすぎている。発芽させられる気がしない。

ならば、種のまま成長させようか。

その黒く汚れた心の内で私は薄ら笑いを浮かべ、一人駅の中央で立ち尽くす。

 

「・・・ふふ」

 

いつのまにか手が動き、いつのまにか買っていた乗車券。改札の向こうは、どこか別世界のように見えた。

手には缶の小豆が握られている。少し冷たい風が流れ、やがてやってくる特急列車。

私は自分が何をしたいのか分からないまま、何となくいい気分のまま。その列車に乗り込んだ。

 


 

「バレットっ! 今どこにいるっ!」

 

「札幌だよ。夜なんだから声上げんな」

 

私は腕時計を見る。時刻は11時。心配するのも当たり前か。

 

「札幌!? 何でまたそんなところに」

 

「私が知りたい。この駅デカすぎんだよ」

 

私は空のペットボトル片手に悪態をつく。深夜になりかけている時間だというのに、未だ駅には多くの人がいる。

 

「寮長が心配してたぞ、早く帰ってこい」

 

「つっても、もう電車ねぇよ。走って帰れってか?」

 

私は札幌駅の前を少し歩き、適当な塀に腰を下ろす。レンガが冷たい。

 

「今日はこっち泊まる。寮長にそう言っといてくれ」

 

「・・・言っとけねぇよ」

 

西高の声が低くなる。珍しい。

電話の奥で、エンジンをかける音がする。

 

「おい、何してんだ」

 

「迎えに行く。ここから札幌だから、まあ2時間半ってとこか」

 

「・・・ハァ。そうかい」

 

私は白く変わる息を見る。断ってもどうせ来るのだろう。ならば仕方が無いかもしれない。

 

「じゃあこっち着きそうになったら連絡してくれよ」

 

「・・・ああ。面倒ごと巻き込まれんなよ」

 

私は適当にあしらい、電話を切る。ホントお節介な奴。母親みたいだ。

・・・今、自分の中で数瞬沸いた感情に反吐が出る。過去は今に勝てないというのに脳裏に走るノスタルジーほど嫌な感情はない。

 

(ああ、クソ、らしくねぇ)

 

のらりくらりと風任せ、天下無敗のストームバレット様は一体全体何処に行ったのか。此処に来たら何か答えが見つかるかと思ったのだが、皆目見当もつかない。

 

(今更だが、なんで私はここに来たんだ?)

 

札幌駅は、帯広よりも都会だ。知ってはいるつもりだったが、夜の11時でも未だ都の輝きを失わない。

その都の輝きの中でなら、私の今抱く感情を言語化する何かがあるのだと、勝手に思っていた。きっとそう思っていたから、私はここにいる。

 

「・・・ハァ」

 

今更あがいてもしょうがない。レースは5日後。本来ならばこんな所にいてはいけないのだが、来てしまったのだ。何かを得なければいけない。

とはいえどうしようか、ふむ。私は頬杖を突きながら周りを眺める。

 

「あ、お土産・・・」

 

唐突に思い出した。札幌駅で売られているバームクーヘン、母親が好きだった。

 

(店は、うん。まだギリギリ開いてるな)

 

私はスマホの画面に目を通し、少し空を仰いだ。雲の隙間から淡い月が見える。

懐かしい声が聞こえる気がする。私の求めていたもの、それはそこにあるのだろうか。

それを考える間もなく、私の足は駅に向かっていた。

 


 

駅前は大分静かになった。冷えた風が流れ、私はマフラーに顔をうずめる。

あくびを噛み殺して3本目の缶しるこを開けると同時に、ロータリーに見覚えのある車が来た。

 

「おーい、西高ー」

 

手を挙げると、車の主はこちらに向かってくる。

彼女は無言で車の扉を開け、私を助手席に座らせた。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

何も言わない、聞かない、聞いてくれない。私はたばこ臭い車内で、彼女の顔色をうかがう。

 

「・・・もしや怒ってる?」

 

「私は怒ってはない。私は怒ってないが」

 

彼女は私にスマホの画面を見せてきた。

 

「コイツ等はすごい怒ってる」

 

トレーナーは私に、チームのメンバーから送られてきたメッセージを見せる。

 

「・・・次からは、私に一言入れろよ。あと、寮長には連絡入れろ」

 

私は車のゴミ箱に開けられた4本のエナジードリンクを見て、静かに言う。

 

「・・・ごめんな。西高」

 

「謝らなくてもいい。私にもあったし」

 

「え、あったの?」

 

「あった」

 

トレーナーは笑いながら車のエンジンをかけた。車は札幌市内を駆けていく。

私は、言いたくないことを言わなければいけないという本能的な抵抗と、ここを逃したら後悔するだろうという理性の間でさまよっている。その十数分間、それは恐ろしく長く感じられた。

 

「・・・なぁ、トレーナー」

 

「ああ?」

 

「小樽の、私の実家に寄ってくれ。頼む」

 

「ハァ!?」

 

トレーナーは驚きと困惑で車を止め、静かにこっちを向いた。

 

「・・・なんで」

 

「なんでって・・・」

 

私は自分に聞く。なんでなのだろうか。

 

「私にも分かんねぇよ。分かんねぇけど、なんか、行っておかなきゃいけないような気がするんだ」

 

私は箱に入れられたバームクーヘンを膝の上に置き、はっきりと彼女の顔を見た。

 

「・・・頼む。お願いだ」

 

トレーナーは、私の顔をじぃっと見たあと、静かに、語りだすかのように言った。

 

「・・・シーベルトつけろよ。飛ばすぞ」

 


 

 

外は暗い。私は車のドアを開け、見知った道を歩く。

 

(懐かしい・・・)

 

トレーナーは車の中で待っていると言った。何かしらを察してくれた彼女に、私は初めて頭を下げた。

 

(あ、あった)

 

私は懐かしき私の家を見つめる。トレセンに入って以来、来ていない。あれほど嫌だった家にこんな形で来るとは思いもしなかった。

私は無言でそれを見つめ、思いを馳せる。

重圧とあまりにも重い期待の嵐、弾丸の如き非難の数々。そんなものから逃げ出した、私の思い出。

だけど、あの頃の私、今の私。違いは大してない。ただ、背負ってるものがなくなっただけだ。

 

(ああ、そうか。私が私を構成していられたのは、逃げてるからだったんだな)

 

どうやら、私に足りないものが見えてきた。残酷な理解の形成が、私の心を少しずつ見放していく。

良くも悪くも、私は成長してしまった。束縛されたくない、一人で生きていきたいという、童のようなくだらない感情。そんなもので今まで走ってたのが、出来なくなった。大人になってしまった。

 

「・・・フフッ」

 

私は笑いを浮かべ、インターホンを押そうと門の前に立つ。

土産を渡し、何か軽い話をして、自分の感情にケリを付けよう。終わりにしよう。

指先がスイッチに触れた瞬間、スマホの通知が鳴る。何かピリピリとした感覚が指先に伝わり、私は咄嗟に指を離した。

私は無言で画面を開き、表示を見る。

 

『先輩、明日見てもらう予定だった障害、別日のほうがいいですか?』

 

後輩からだった。私は脳のフリーズと、湧き出る新たな感情を受け、立ち尽くす。

何の気ない言葉の繋がり、だが、そんな当たり前が存在することを私は今、ゆっくりと理解した。

 

(このまま終わるのか・・・? 私の自己満足の為に・・・?)

 

何か、どうしようもない虚無感が心の中に広がった。ここで終わったら、何か筆舌に尽くしがたい様な後悔を感じる気がした。

そう、子供だった私が出来た最善の策が、今となっては出来ない。だからもうやめようとした。きっと、この判断は間違いなく正しいのだろう。

 

 

(だが、滑稽だ)

 

 

私は我が家に踵を返し、車の方へと足を進める。

 

(まだだ、まだやれる)

 

無論、きっと上手くはやれない。私は皆のようには出来ない。

汗を流すチームのメンバーを見た時、岩見沢で同期の走りを見た時、ナナカマド賞での後輩の咆哮を聞いた時。私にはもう無理だと思った。いや、もう無理だった。

 

だが、そんな彼女たちが私を必要としている。勝負事の女神様は私を見放したが、ばんえいがまだ私を離していない。

 

『いや、明日で良いよ。すぐ戻るからさ』

 

私は返事を返し、少し息を吐いた。白く染まる呼気が小樽の空に溶けていく。

足掻いてもがいて、ただただ走ってやろうじゃないか。なぁ、女神様よ。

車の中に入ってきた私を見ると、彼女は一服を終え口を開く。

 

「何してきたんだ?」

 

「いや、まあいろいろ」

 

「・・・そうかい。んじゃ、帰るか」

 

私は頷き、小さく言った。

 

「ああ、帰ろう。帯広に」

 

エンジンのかかった大型車は夜道を走っていく。流れる景色を横目に、私は口を開く。

 

「なあ、西高トレーナー。『幾多のレースを駆け抜け、鮮やかな戦績を残した稀代のウマ娘「ストームバレット」は、ばんえい記念を討ち取り引退する』のシナリオ。どう思う?」

 

「・・・は?」

 

高速に乗り、スピードを上げる車の中で話すにはあんまりな話だ。だが、もはや選んでられない。

 

「引退、するのか?」

 

「ああ、もう十分だ」

 

私は先程とは打って変わって、存分に晴れ渡った気持ちで続ける。

 

「本当は北見に出てやめるつもりだった、だが、気が変わった」

 

彼女はスピードを上げつつ、静かに私の話を聞いている。

 

「・・・私は私の求めていたものを、もう得られないみたいなんだ」

 

「・・・なのに、すぐには止めないのか?」

 

「ああ」

 

「もし引退するってなっても、私は止めないが」

 

「そういう事じゃねぇんだよ。ただ、私のこと待ってる奴がいるのにそうそう簡単にいなくなって堪るかって話だ」

 

きっと言葉にするならこんな所か、私はそう思って一人笑った。

単純な理由なのか、はたまた否か。そんなこと考えても仕方が無い。

嵐は意味も無く現れ、理由もなく消えてく。弾丸がまっすぐ進むのに、理由はいらない。

 

「・・・そういや西高、バームクーヘン喰う?」

 

「それはチームのみんなに分けてやれよ。詫びの品として」

 

「・・・ハハッ、了解」

 

夜風が頬をかすめる。過ぎ去っていく景色と自分を重ねて、私は大きく、大きく息を吸い込んだ。




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Q.最近出番がないシシカエデさんについて教えてくれ

A.彼女の出番は今後ちゃんとあります。でもどうぞ。

「シシカエデ」
誕生日:3月9日
身長:186cm
中等部ジュニア級
好きな小説「コンビニ人間」
好きな映画「ラ・ラ・ランド」
好きな食べ物「めかぶ」
好きな人のタイプ「いつも元気な人」

メモ:世代最強、稀代の大天才。生まれは十勝平野の農場。レース中は性格が豹変するので周りから「ジキルとハイド」と言われているが、本人はこれをかなり気に入っている。


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第二十二話 「開幕」

一気にあげるのはこの作品が最後になります。ここからは平常運転。週1出ればいい方、みたいなペースになります。今後ともよろしくお願いします。


朝、友人と共に校舎へと向かうと、掲示板に「ばんえい甲子園開幕!」というポスターが貼ってある。

北見記念も終わり、ついにジュニア級の第二の戦が迫ってきた、忘れているわけではなかったが、こう見ると少し焦る気持ちがある。

私より少し遅れてきた友人が、その文言に一通り目を通してから言った。

 

「ゴッドは野球好きか?」

 

「いや、あまり」

 

「だよなぁ、私もだ」

 

甲子園と言われても正直なところピンとこない。仕組みしか分からないが、きっと燃え上がるようなものなんだろうな、と思う。思いたい。

 

「地区ごとにレースがあるんだよな? 私とゴッドは地区が違うから、戦いたいなら予選勝たないとだな」

 

ウェルは少しばかり不安そうな表情を浮かべつつ言い放った。

確かに残酷な仕組みだ。アスリートにとっての一勝がどれほど重いか。それにかける気持ちが多いなら尚更だろう。

私も同じように少し不安がっていると、彼女は口を開く。

 

「おいおい、天下のゴッドドラッガー様が何て面だよ。今のジュニア級だと一番強いことになってるのはゴッドなんだぞ?」

 

「それとこれとは話が別じゃないかなぁ・・・?」

 

「まぁ、私がぶっ潰すから今だけだが」

 

胸を張った彼女に、私は言い放つ。

 

「決勝で私に負けてからまた言いなよ、そのセリフ」

 


 

「さーて、甲子園の説明をしておきたい。もう聞いたかもしれないが、一応もう一度だ」

 

トレーナーはホワイトボードに大まかな北海道を描く。

 

「ゴッドは出身どこ?」

 

「札幌です」

 

私がそう言うと、トレーナーは北海道の左側に丸を付けた。

 

「ヤングCSは北海道を五つのブロックに分けて出身者ごとにレースを行い、それぞれのレースを勝ち残ったもので行われるレース。故に「チャンピオンシップ(選手権)」だ」

 

「なるほど」

 

特殊な「予選」が存在する、全国でも唯一の仕組みだ。だからこそ、集まるメンバーも必然的に粒ぞろいとなる。

 

「札幌出身は「南北海道出身特別」。今の所、シシカエデやウェルミングス、エルドラドファクトはここじゃない」

 

「なるほど」

 

確かウェルは釧路生まれ、カエデは十勝生まれだ。

 

「・・・今「なら勝てそう」とか思ったろ?」

 

私は一瞬目を逸らす。思わなかったわけではないが、そうも直接言わなくても良いだろう。

 

「確かに、ここまで中々いい具合に勝ち上がっているゴッドドラッガー君だが、このレースではそうもいかない」

 

「・・・え?」

 

トレーナーは若干の笑みを浮かべながら、こっちを向いた。

 

「ゴッド、お前は「重賞勝ち」のウマ娘だ。ジュニア級は路線が一本化されているし、重賞は5つしかない。その中の一つの勝者なんだ、お前は」

 

「はあ」

 

何を当たり前なことを言っているんだ。それはそうだろう。

 

「他のウマ娘の「残機」は4つ。今まで余裕があった奴らもジュニア級の重賞が5つという事実がどれほど重いか分かってくる。だから、文字通り死ぬ物狂いで獲りに来る。今までとは比じゃないくらい、本気でな」

 

トレーナーはそう言うと、ホワイトボードに幾人かのウマ娘の名前を書いた。何名か知っている名前も入っている。

 

「今回のレースに出る可能性のあるウマ娘の中で、私が特に警戒してる奴らだ。最近メキメキと頭角を現してる。特に「ナナカマド賞」が終わった辺りからな」

 

「・・・マジですか」

 

「残念だが、マジだ」

 

深いため息をつく。どうやら私は「追われる立場」らしい。

 

「・・・だから、いろいろと伝えておくことがある。必要だったらメモも取れ。まぁ、ラルバに伝えてはあるから後で聞いても良い」

 

私はメモ帳を取り出し、顔を伺う。

 

「私が言いたいのは1つ。一戦にすべての精神を割け。次の試合は次の試合の時に考えろ」

 

トレーナーは続ける。

 

「この予選も当たり前だが「本番」だ。すり替えるな、予選は「負けてもいい戦い」じゃない。トライアルレースの時は大本命の事を考えたくなる。それは分かる。だが、そっちに意識が偏ってる奴は、今走ってる一戦に全てを賭けている奴に勝てない。つまりは——」

 

「つまりは?」

 

トレーナーは壁に掲げられた木刀を取り外し、私に向けながら言った。

 

「踏ん張りどころだ!」

 

反響する。私は生唾を飲み込み、深く頷いた。

 


 

「調子はいい感じだな、上々」

 

「あ、ウェル。激励?」

 

彼女は先週の釧路特別で半バ身差の2着、敗北したとはいえ、既にヤングCSの出場権を手にしていた。

 

「そういや、今までのヤングCSの結果って知ってる?」

 

「いや」

 

「・・・南北海道出身者は1度しか勝ってない。札幌出身者もいない」

 

私は彼女の言葉を聞き、目を丸くした。

そしてすぐに、ケラケラと笑った。

 

「じゃあ私が第一号だ」

 

「・・・やっぱり、調子は良さそうだな。いよっしゃ! 行ってこい!」

 

私は彼女にありったけの笑みを浮かべた後、控室を出た。

冷え切った空気が鈍く私を覆う。首をぐるりと回し、いつもの様に息を吸う。

ゲートイン完了。特別競走「南北海道出身特別」。帯広レース場、本日のメインレース。

 

(勝利の欲求が薄まらぬように。一戦が全てだと捉え、兎にも角にも死に物狂え)

 

ゲートイン前、メンバーは私を睨んでいた。視界が狭まって横は見えないが、きっと今も警戒している。

 

「今、スタートしました!」

 

きっと全員で私を潰す方向で来るのだろう。少なくとも私だったらそうする。刻みと障害前の溜めの複合、それをなんとかしようとするはずだ。

 

「注目の一番人気ゴッドドラッガー、第一障害を先頭で超えた」

 

いいだろう、その通りに走ってやる。

私はバ場水分1.2%の重バ場の上、ゆっくりと立ち止まる。

蹄鉄とそりの音を耳に入れ、まだ、まだ、まだだ。

 

「先頭は7番トワノパールに代わりました、後続との間が開いていきます」

 

やはりだ、間違いない。誘ってる。こっちに来い、と言っている。

 

「ゴッドドラッガー、4番手に落ち着きました」

 

・・・うるさいなぁ。ああ、喧しい。お前が何を言ったって、私はそっちに行ってやるものか。

彼女はチラチラとこちらを見ている。作戦通りに行っていないのだろう。障害前は集中したほうが良いんじゃないか?

そのメンタルの焦りは「欠点」だぞ。レースの上で他者に意思を傾けている。そんなことをしている場合か?

 

「5番手でゆっくりと障害前に立ちました、ゴッドドラッガーです!」

 

私が静かに障害前に立つと、横の彼女が話しかけてくる。

 

「動じないのね。流石だわ」

 

「・・・貴方は動じてるよね、すっごく」

 

私はゆっくりと前を向いた。先ほどまで余裕が無かった彼女の横顔が笑みに変わる。

 

「さて、無駄話は終わりにしましょうかね」

 

「ええ」

 

ここまで来たら彼女たちの「作戦」なんて水の泡だ。残るは2つの障害のみ。

重心を下げ、目線は高く。チャージ済みのエネルギーを、一歩前に。

 

「ゴッドドラッガー、最初に駆け出した!」

 

エネルギーの残量は恐らく6割、私には十分すぎる。

 

「続いて3番ツツヒメ、後ろにウイサターン! それぞれ登り始めました!」

 

次、次だ。下れ、頂上の景色を楽しむ余裕はないぞ、早く、速く、迅く!

最終直線に入り、私はスピードを上げている。歓声が近い、ゴールも近づいてくる。

 

「ゴッドー!! 抑えろ、足震えてんぞ!!」

 

バレット先輩の声。私は一度砂の上で立ち止まり、観客席の方を見た。

先輩はこっちをじぃっと見ている。私は小さく笑い、すぐに前を向く。

 

「武者震いですよ、なんて言ってみたり」

 

私は自分にしか聞こえぬように呟く。面白いくらい上手くいっているレースに、魂が震えているのだ。

 

「・・・取り越し苦労だったな、悪かった」

 

そんな声が一瞬聞こえた気がする。前を見据え、私は深く息を吸った。

 

「後ろから再びトワノパール! ゴッドドラッガーは止まったままだ!!」

 

私は横を走る彼女に話しかける。

 

「焦りは禁物、頭で分かってはいても難しいよね」

 

「ハァ?」

 

その瞬間、彼女の足がガクンと落ちた。

 

「おおっとここでトワノパール止まってしまったか! 後方からツツヒメ上がってきている!」

 

先の障害前、震えていた彼女の足は幻覚ではなかった。私のような魂の震えではない、もう砂の障害で限界を迎えているのだろう。

 

「・・・じゃ、お先」

 

私は雷鳴の如く駆け出す。誰も踏んでいない一歩先へと歩を進める。

 

「1着はゴッドドラッガー!! 決勝への切符を手にしたのはゴッドドラッガー!!!」

 


 

「・・・まあ、そりゃ勝つよね」

 

「さも当たり前かのように言ってるけど、きつかったよ」

 

カエデは2着と2バ身差の快勝、これにて3人とも無事に出走権を得た。

 

「にしても、ゴッド強くなったよね、ナナカマド賞より更に!」

 

「まあねー、あ、カペラさんお水のおかわりちょうだい」

 

カペラさんは水を注ぎながら、私たちに言う。

 

「ジュニアの子はあと誰がいるんだ?」

 

「んー、ファクトはこの前足痛めたから出ないけど、他の子も粒ぞろいだから——」

 

彼女は数瞬言葉に詰まった後、笑顔で言った。

 

「分かんない!!」

 

「そっかー、カエデちゃんチャーシューやるよ・・・」

 

カペラさんは笑う。私はラーメンをすすり、小さく言う。

 

「黄金郷は不調かー、残念だ」

 

「ファクト、すごい悔しそうだった」

 

「だろうね」

 

選択肢が断たれる、というのは凄まじく残酷なことなのだ。私達にある「挑戦権」は軽くない。

 

「残機、残り3だね、彼女」

 

「翔雲賞の時とかには復活してるんだろうなぁ、ひゃー、恐ろしい」

 

首を獲られるか否か。それはレース中の私達にしか決定権がない。

ジュニア級という、既に開幕した戦の中で、私は「甲子園」の始まりを肌で感じていた。




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Q.好きなばんえい馬は?

A.現役ならキングフェスタとメムロボブサップ。引退馬も含めるとサカノタイソン。


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第二十三話 「大戦には華がいる」

やるきがでないと書けないので書くスピードがマジでいったりきたり。ちなみに最新話は1か月とちょっとぶりになります。遅っ。
次回はがっつりレース回になります。乞うご期待。


朝霞が幅を利かせる早朝の練習。何やら見慣れない服を着ている二人の姿があった。

 

「おはようございます」

 

「おー、おはよう」

 

「おはよう!」

 

ココロ先輩とシャドーの妹、サイレス先輩。私は二人の着ている不思議な服をまじまじと眺める。

 

「これが気になるかい?」

 

サイレス先輩は黒と紺のふりそでを見せつけながら言った。

 

「これは勝負服、久しぶりに出してみたんだ」

 

私は感動を抑えつつ衣装をじっくりと見る。これが噂の勝負服とやらか。中央の彼女たちと何ら変わらない完成度だ。こういったところで手を抜かないのはURAもNAUも同じらしい。

 

「まあサイレス先輩が黒の振袖なのはすごい分かるんですけど」

 

私は右横で怪しげなポーズをとるココロ先輩を見る。

 

「赤と緑のボーダーのジャケットに黒の中折れ帽・・・」

 

引っかかる。どこかで見たことがある。どこかで。

私が悩んでいるそぶりを見せると、サイレス先輩が横から言った。

 

「ヒント、80年代の代表ホラー」

 

「あ、」

 

「分かった?」

 

「・・・なるほど、っぽいですねー」

 

「エルム街の悪夢」のフレディ・クルーガー。なるほど、趣味が悪い。

 

「何? その顔」

 

「いや、先輩らしいな、と」

 

私は準備運動を始めながら言う。気温は低いままだ。

 

「ゴッドもA-1キープしてるでしょ? じゃあ多分イレネー記念出るときに着るね」

 

ココロ先輩は中折れ帽を被りなおしながら言う。

 

「あ、はい。まだまだ先ですけど」

 

A-1とは賞金獲得順に与えられるクラスのことだ。A-2、B-1、B-2と進んでいく。重量がそれぞれ異なったり、出走できるレースも違ったりする。私は一応ここしばらく上位に入ったままだ。

 

「いやぁ、入ってきたときはあんなに頼りなかった子が、ジュニア級の筆頭になるとは」

 

サイレス先輩はしみじみと言った。

 

「初の後輩の勝負服を見るのがこんなに早くなるとはねぇ」

 

「・・・? どういうことですか?」

 

私は聞き返す。ココロ先輩は白くなる息を眺めながら静かに続ける。

 

「イレネー記念に出れるのはたった10人。体も心もばんえいウマ娘としてはまだまだ未熟なジュニア級のウマ娘にとって、その少ない枠数はあまりにも残酷だ」

 

サイレス先輩が何も言わずに頷く。

 

「私は出れなかったからなー、イレネー記念」

 

「え」

 

「あと少しのところで出れなかったのよ。だからこの勝負服も本番じゃまだ使ってない」

 

サイレス先輩はクルリと回りながら言う。その軽快な動きとは裏腹に、どこか空気が重くなった気がする。私は息を飲んだ。

 

「・・・いろいろ私も思うところはあるけど、どの世代にも共通してるのは「BG1」の貴重さ。ジュニアもクラシックもすごい少ない」

 

ココロ先輩は空を仰ぎなら続ける。私も同じように空を見た。

鳥が空を飛んでいる。澄んだ青空の景色は未だ遠く、焦がれる。

 

「だからこそ。だからこそ。その一つの大舞台、一世一代の大勝負は全力を出し切って終わりたい。その思いの表れが「勝負服」なんじゃないかって思うよ」

 

先輩のジャケットが風で揺れた。力強く、どこか儚げな先輩の姿を、私は改めて眺める。

ウマソウルパワー、という都市伝説がある。ウマ娘の勝負服がどんな走りずらそうな形状でも本来以上の能力を出すことができるのは、極限状態で勝負服が引き出した「ウマソウルパワー」が全身を更なる段階へと持っていくからという話だ。あくまで都市伝説の域を出ないが、先の話を聞くと満更間違いでもない、というか事実な気がする。

 

「・・・ココロってそんなキャラだっけ?」

 

数瞬の沈黙を破ってサイレス先輩が声を出した。

 

「んや、今はちょっとおセンチな気分だからね」

 

先輩は大きく伸びをする。

 

「そういえばゴッド、勝負服のアイデア決めた?」

 


 

「私も決めてない」

 

コースに向かう途中、カエデは紙パックのストローを噛みながら言った。

 

「そんなすぐアイデアなんて出ないよねぇ。どうしようか」

 

「私は決まったぞ」

 

後ろからウェルの声がする。どこかで似たような経験をしたと思いつつ、詳しく話を聞く。

 

「何にしたの?」

 

「黒のフロックコート」

 

「何それ」

 

「・・・秘密」

 

彼女は笑いを浮かべながら、私達より足早に練習場へと向かって行ってしまった。

 

「でもカエデはイレネー記念確定で出るでしょ? やっぱり必要でしょ」

 

「うーん、いろいろアイデアは考えたんだけどなー」

 

私はバッグからノートを取り出し、箇条書きにされた文章列を見る。

 

「洋服か和服なら和服だよね」

 

「それは、まぁ」

 

カエデはゴミ箱に飲み終わったオレンジジュースを投げ入れ、笑顔で言う。

ぶっちゃけ、私にはまだそこも決められていない。果たして自分に何が似合うのかもいまいち分かっていないのだ。

 

「どうしよっかなー」

 

「じゃあさ、聞いてみたら?」

 


 

「私の勝負服?」

 

バレット先輩はタイヤを運び終え、息を整えながら言う。垂れる汗が眩しい。

 

「昔使ってたダンス衣装ベースにしたやつ。黒で、へそと肩が出てるやつ」

 

「露出多いですね・・・、寒そう」

 

私が肩をさすりながら言うと、バレット先輩は笑いながら腰のロープを外す。

 

「運動量多めだからそんな気にならないのよ。まあパドックはキツいけど」

 

「なるほど。そんなものですか」

 

私がメモを取っているのを見て、先輩は首を伸ばしてくる。

 

「勝負服。もうそんな時期か」

 

「はい、一応アイデアだけ出しておけって。先輩はどうやって決めましたか?」

 

「私? 私は、一番思い入れのある衣装がこれだったから。即決」

 

先輩はどこからかスマホを取り出し、写真を私に見せる。そこには、どこか幼い黒鹿毛のウマ娘。

 

「これ私なんだ。一番いいとこまで行ったダンスの衣装」

 

「え、これ先輩ですか?」

 

髪型が違うせいで分からなかった。なんと。

 

「伸ばし始めたのはトレセン来てからだから。こんときゃまだ青いガキンチョよ」

 

先輩はそう言うとスマホをしまい、鼻で笑う。

 

「そうだな・・・、まずは自分がどんな服を着たいか考えると良い。どんな衣装なら力を出し切れるか」

 

「それが分からないんですよねぇ」

 

私は悩む素振りを見せ、自分のスマホを取り出す。

好きな漫画のキャラの服は、背が高すぎる私には似合わない。ファッションも趣味も中途半端にしかない私には、憧れが見当たらない。

 

「・・・ゴッドはここ来る前、何して過ごしてたんだ?」

 

「実家でですか。ええと」

 

私は記憶を辿る。色が薄い記憶を掻き分けて、どうにも地味な日々を思い出す。

 

「日がな遊んでましたけど、母親も父親も働いてたので、家に一人でいることが多かったですね。本とテレビに育てられた気がします」

 

あの頃。何もしていなかったあの頃。どうしようもないほど孤独で、でも叫ぶ必要も意味も知らなくて。

 

「だから何を着たいか全然わからないんですよね」

 

「なんかないかなー、思い出とか」

 

「思い出・・・」

 

そう言われて私は目を瞑る。朧げながら浮かんでくるのは、あの雪景色。幼き頃訪れた帯広レース場。

そうだ、あの後ろ姿。障害の砂を踏む、模様のついた白い服。あの痺れるアイヌ模様の服・・・。

 

「憧れか・・・」

 

バレット先輩は悩む私の顔を見ると、何も言わずに練習に戻っていってしまった。私は軽くお辞儀をして立ち尽くす。

 

(私はあの後ろ姿になりたかったのか・・・?)

 

そうとも言える。だが、それだけではない。あの姿は私をここに連れてきたきっかけではあっても、私が走る動機にはなり得ない。・・・はずだ。

 

だが、「あれ」になれるかもしれないと思うと、気分は悪くなかった。

 

「アイヌ・・・、アイヌか」

 

私が幼いうちに亡くなってしまった曾祖母は、確かアイヌの人だった。私の知るアイヌは本当にそれだけだ。それ以上もそれ以下もない。

私はスマホで民族衣装について調べる。確か記憶の中のあのウマ娘は装飾された白の「アットゥシ」を着ていた。

 

(ふむ・・・、渦巻きの文様は魔除け、北海道に伝わる伝統的な衣装・・・)

 

私はノートに絵を描き始める。バレット先輩にならって内側はサラシにして、上から白のアットゥシを羽織る形に、ズボンはゆったりと。髪は結ぶ形にして・・・、

ものの数時間。コースのはずれのそりの上で、私はスケッチを走らせる。絵は人並みくらいにしか描けないが、このさいどうだっていい。帯広の景色にどんな私が立つのか。どうやったらあの後ろ姿に近づけるのか。ウマソウルはこの服で引き立つのか。ただひたすらにそれを考える。考えて、描いて、描いて、考えて・・・。

 

「・・・出来た」

 

日が沈み始めたその時間。私はゆっくりと腰を上げた。

 


 

「やっほーゴッド。眠そうだね」

 

「夜更かしは肌に悪いんだよねぇ・・・」

 

私はあくびをしながら答える。昨晩は寝る時間が遅くなってしまった。

 

「そういえば、勝負服の希望そろそろ提出だよ。ゴッドは出した?」

 

「ああ、昨日の夜にトレーナーにメールで送ったけど」

 

「どうだった?」

 

カエデは机の上から腰を下ろして身を乗り出す。

 

「まあ多分大丈夫だと思うってさ。意外だって言われたよ」

 

私は昨日修正に修正を繰り返した衣装案を見せる。カエデは驚きの声を上げた。

 

「なんだっけこれ、アイヌのあれだよね」

 

私は頷き、スマホをしまう。

 

「・・・カエデはウマソウルパワーの都市伝説って信じる?」

 

「ああ、有名だよね」

 

カエデは椅子に座り直し、頬杖をついて続ける。

 

「うーん。気合が入るってのはわかるけど、未知のエネルギーってのは正直話が飛びすぎかなって思う」

 

私はくすくすと笑う。それもそうだ。ウマソウルなんてまともな考えでは信じられない。

 

「・・・とはいえ」

 

「とはいえ?」

 

私は聞き返す。カエデは少し笑いながら言った。

 

「自分が本気(マジ)になれる服ってあると嬉しいよね、ふふ」

 

私はゆっくりと頷く。そうだ、私たちの大戦の準備は着々と進んでいるのだ。彼女の言葉は、私にそう思わせた。

 

「・・・イレネー記念、楽しみだね」

 

私は外の景色を見ながら静かに言う。

 

「だねぇ」

 

彼女は伸びをしながら答える。

冬は、まだ始まったばかりだ。

 




設定紹介Q&A

Q.勝負服ってどんな感じ?

A.地方でもはそこは気合入れる。

NAU、National Association of Umamusume racingでNAU。地方レースの勝負服は彼らが一律管理してます。そのクオリティは中央と遜色なく、背の高いばんえいウマ娘でも大抵の要望に応えてくれます。

バレットさん・へそ出し肩出しのダンス衣装
ココロさん・フレディの衣装をおしゃれにアレンジ
シャドーのサイレスさん・黒と紺の振袖。サラシがかっこいい
シャドーのゲイザーさん・紺と黒の振袖。妹と色違い

ちなみに北国だけどへそ出しとかする奴は毎年一定数いるとかいないとか。


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第二十四話 「ココロ、揺れ動いて」

ちゃんと早く書きあがりましたね。今回はがっつりレースです。
あと新メンバーです。そこまでいっぱい出る方ではないのですが、今後の展開でちゃんと大事な立ち位置の方なので、覚えてやってください。


強さ。抽象的なそれに、どうしよもないほどに焦がれてきた。

強くなるためにどうすればいいか考えた。何度考えても、私の中での正解は変わらなくて。

 

帯広の門をたたくのに、そう時間はかからなかった。

 

12月1日

 

「さあ今年もこのレースから始まります! 今期初のBG1のレース、ばんえいオークス!」

 

控え室の中で、私は生放送を開いている。予想やインタビューなんかも、よく聞くと面白い。一定数私の勝利を信じてくれている人がいるというのは嬉しいものだ。

レース前、8度目に見るトレーナーのインタビューを聞きながら、私は呟く。

 

「にっしーはあれだね、緊張すると声が裏返りやすいね」

 

「お前だってその時ガラにもなくソワソワしてたじゃねぇか」

 

私はくすくすと笑って、スマホを閉じた。少しばかりの静寂が訪れる。

 

「まあ、あれだ。お前になんかいろいろと言うつもりはない」

 

沈黙を破ったのはトレーナーの方だった。非情とも、ある種の信頼ともとれるその発言に、私は笑みを浮かべながら返答する。

 

「ひどいなー、元気出るような激励してよー」

 

「・・・そうだな、じゃあ一言」

 

落ち着き払った声でトレーナーは言う。

 

「ぶっ潰してこい!」

 

体の中で何かが熱くなるのを感じる。私はジャケットを羽織り、扉の前に立った。

早く走りたい。数日前から、そりを輓く足がうずいている。待ちきれない。

 

「よしっ! 行ってくる!」

 

扉を勢い良く開け、私はパドックに到達した。すでに何人かのメンバーと、多くの観客がいる。

 

「出た、ココロゴウだ!」

 

「やっほー! 今日は来てくれてありがとうねー!」

 

私は大きく手を振る。やはりフレディ風は受けがいい。年度始めてのBG1ということもあり、流石の人とウマ娘の数だ。

 

「3番ココロゴウ、ばんえい菊花賞3着、実力は十分です」

 

3着、そう3着。その前の大賞典は4着。結局ここまで1冠も手に入らなかった。入着が関の山。勝ちきれない日々。笑顔を絶やさないよう取り繕う裏、声を殺して泣いていた。

だが今この瞬間。勝利まで辿り着かなかったその全ての勝負が、今日の為にあるのだと。私の細胞が確信していた。

 

(勝てる・・・!)

 

一呼吸一呼吸が落ち着いている。軽快な挙動の裏側に秘められた闘志が大地に伝わる。

1番人気は私じゃない。だが、上々。全くもって問題はない。むしろありがたいくらいだ。

例えば1番人気の彼女が主人公だとしたら、私はなんだ。ジェイソン・ボーヒーズのような殺人鬼か、ペニーワイズのような未知の恐怖か。きっとどれも違う。私なんかじゃその役柄は務まらない。

 

「・・・ふふ」

 

私は悪役(ヒール)の器じゃない。誰かにとっての特別なライバルにもきっとなれない。ただ、一人のウマ娘として常に、勝利に手が届く位置にいたい。

ジュニア級時代、一身に浴びたあの歓声が思い出される。重すぎる期待を課せられた同期のスーパーヒーローを、BG2という大舞台で下したあのレース。罵声交じりの大歓声。震える手と足。滾る心。生涯忘れない。

私が感傷に浸っていると、パドックの周りで観客同士の話が小耳に入る。

 

「・・・ココロゴウって、なんか毎レース「もしや勝っちゃうんじゃ」って思えるんだよな」

 

「なんか分かるかも。ほら、去年の黒ユリ賞もそうだったじゃん」

 

私は運動をしながら微笑む。そうだろうそうだろう。私の勝利への意思は揺らがない。それはこのレース場に初めて立ったあの日から、一度たりとも変わっていない。

私は中折れ帽を深くかぶり直し、パドックに揃う全員に目をやる。勝てる。私なら、きっと。

そう自分に言い聞かせ、余りある自信の中で私は「ココロ」を揺らした。

 


 

「あ、西高トレーナー。見送りは終わったんですね」

 

「おう。気合は十分っぽいぞ」

 

入学してから初めて見るBG1。輝いている10人の勝負服。私はおやきを飲み込みパドックの彼女たちを目で追う。

 

「トレーナー的に、勝率はどのくらいなんですか?」

 

「ゴッドはどうだと思う?」

 

柵の向こう、1番人気のウマ娘に目をやる。上位人気に応える堅実派、ばんえい菊花賞1着、大賞典は3着。チームアルフェッカのエースウマ娘、名前は「ハザクラ」。特別深く知っている訳ではない。だが、足の筋肉を見るに下半身のトレーニングは相当積んでいるだろう。パドックの動きも悪くないように見えるし、簡単に勝たせてくれるような相手ではないように思える。

 

「うーん、多く見積もっても五分五分(フィフティーフィフティー)は超えないと思うんですけど・・・」

 

「ふむ、そう思うか」

 

トレーナーはゲート後ろに移動する姿を見ながら続ける。

 

「・・・あくまで私の予想ではになるが」

 

「はい」

 

私は半分に割った2個目のおやきを渡しながら聞く。

 

「ココロゴウ。アイツは勝つよ。100%勝つ」

 

私は言葉が出ない。大真面目な顔で何を言っているんだこの人。

 

「何を変なこと言ってるんですか・・・」

 

「いや、これが頭から否定できるような話でもない」

 

トレーナーは大口を開けておやきを飲み込んでから続ける。

 

「ばんえい菊花と大賞典の敗因は大きく分けて2つ。1つめは軽バ場」

 

「ああ、ココロさん重いバ場好きですもんね」

 

何回か練習試合に付き合ったが、バ場が乾いてるほど強かったのを覚えている。

 

「兎にも角にも重いほど力を発揮するウマ娘、それがココロゴウだ。ある種ばんえいウマ娘の完成形ともいえる力を持ってる。3%を超えた二つのレースでは思うように力を発揮できなかったがな」

 

私は目線を電光掲示板に向ける。今日の水分量は。

 

「・・・0.3%」

 

ここ最近雨が少ないとは思っていたが、程があるだろう。散水機も使わなかったらしい。

 

「ふふ、僥倖だな。例年1%は超えることが多いんだが、まさかの低さだ」

 

トレーナーは嬉しそうに言う。

 

「・・・んでもって、2つ目は?」

 

「ああ、2つ目な。その前に、見てみ」

 

トレーナーはゲートの裏に指をさす。目を凝らすと、そりを付けるココロ先輩の姿が見えた。

 

「表情が・・・笑ってる?」

 

「そう。2つ目は、メンタル」

 

「・・・メンタル? 逆に今まで問題があったんですか? ココロさんに?」

 

私は驚きの声を上げる。常に高温を推移する先輩に焦りや不安があるというのは信じがたい。

 

「いやな、あいつは良くも悪くも器用すぎるんだよな。素の性格も勿論明るいんだが、その明るい性格でいなきゃいけないって思いこんでる節がある。レースに負けてどんなに悔しくても、私の前じゃ絶対に泣かない、嘆かない」

 

「ふぅむ。なるほど」

 

私は相槌を打ちながら、先輩の表情をよく見る。口角が上がっている。調子がいいという言葉では収まらない何かがありそうだ。

 

「・・・得意の重馬場、久しぶりに立ったBG1の舞台と勝負服。重賞で叩き合った同世代のトップ達。何もかもが揃った素晴らしい好条件。それ自体も勿論ありがたいが、それ以上に意味があることが一つ。勝てると確信できたことだ」

 

トレーナーはニヤリと笑った。確かに、ここまで揃えば暴脚としての強さを十分に発揮できそうだ。

 

「でも、100%は言いすぎじゃないですか?」

 

そろそろゲートインだ。周りの盛り上がりの中、私は聞く。

 

「あくまで私の予想だって言ったろ・・・。第一、トレーナーが担当の勝利を全力で信じられなくてどうすんだよ」

 

「まあそれはそうですけど」

 

ゲートインが終わった。出走まで1分とないだろう。

 

「勝てるような体と心を作って、勝てると信じて送り出すのが私たちの役割だからな」

 

トレーナーは誇らしげな目で、ゲートに入る彼女を見ている。

 

「——逆に言えば、送り出した後はどうにも出来ないんだ。強いて言うなら、信じる事だけだ」

 

「・・・ふふ、ですね」

 

旗が振られる。ファファーレの管楽器の音が、高らかに響いた。

 


 

「帯広レース場第11レース、本日のメイン競走 。ソメスサドル杯ばんえいオークスBG1。10人、落ち着いた表情です。1番人気は4番ハザクラ。力強い末脚が持ち味のウマ娘です」

 

実況の声がおぼろげながら聞こえる。どうやら私の名前ではない。少しばかり残念に思いながら、私は横のゲートで目をつぶる彼女に声をかける。

 

「名前呼ばれてるじゃん。良かったねっ、ハザクラ~」

 

「ああ、ココロさん。まあ嬉しいですけど、別に私が欲しいのは1番人気ではないので」

 

「聞き飽きたセリフだね、ふふ。まあ様式美はどんな映画にも必要か」

 

私は不格好に大きくなった手で、中折れ帽を深くかぶりなおす。

 

「そんでもって、欲しいのは~?」

 

ハザクラは、ゆっくりと目を開けながら言った。私もそれに合わせて呟く

 

「「1着だけ」」

 

さて、私の肉体よ。追う準備は良いか、追われる用意はできているか。

この場は「オークス」だ。日本で最も開催が遅く、最もスピードのない、最も美しいオークス。

 

ファンファーレが嘶く。震える手を抑え、私は二足で立つ。

 

「・・・っゲートが開きました」

 

出だしは好調。一歩目を踏み出した瞬間、周りの全員の表情が変わる。

 

(重っっ・・・!!)

 

0.3%、それは砂漠や乾いたビーチサイドの如き質感。いつかの昔に見た砂に食われるホラーを思い出す。

 

「さあ第一障害、先に抜けたのは7番スペクトルワン、続いてココロゴウ。全体少し詰まったか」

 

当然だ。重バ場で何も考えずスイスイと第一を抜けたら前の直線で吐いてしまうだろう。そうだ。今日の為にメンタルだって鍛えてきたんだ。力が必要な場所と、時間をかけるべき場所。見極めろ、見極めないと順位は落ちていくぞ。

私はゆっくりと直線に足を付ける。普段動画で見ていると短いように見えるが、670kgのそりを背負って走る、77mの砂の道だ。一瞬の油断さえ出来やしない。

 

「先頭入れ替わって、やはり出てきた1番人気ハザクラ。桜色の勝負服です」

 

横の直線でそりを引く彼女が先頭に立った。少しハイペース気味だが、大丈夫なのだろうか。刻みも入れているとはいえ、そのペースで行ったら第二障害前で落ちてしまうだろう。

 

(焦りか・・・? だけどそういうキャラじゃ・・・ない気がする)

 

やっぱり、彼女は焦ってない。自分の世界に没頭している。この0.3%の中で、自分ならいけるという確信の元走ってる。尊敬と憧れの反面、同じレースを走る者としては厄介極まりない。

だが、今日のバ場なら、分はこちらにある。

私は刻みを減らしていく。歩幅を小さくし、少しずつ回転数を上げていく。

 

「現在先頭は引き続きハザクラ、ほとんど変わらず3番ココロゴウ」

 

差は詰まっているが、ここからが長い。障害前までざっと20mほど。彼女も私が迫っているのは気が付いたうえで無理な加速をしていない。流石に上手い。

 

「ココロさん、流石に鍛えてきてますねっ・・・」

 

彼女は前を向いたまま呟く。

 

「・・・レース中の私語は慎もうよ、嬉しいけどさぁ」

 

集中を乱すためか、はたまた単なる賞賛か。私は笑いながら返答をする。

鍛えてきている。それはお互い様だろう。貴方だってこの砂の上で先頭を走る脚を持っている。

 

「さあばんえいポイント、第二障害です。先頭二人がたどり着きました」

 

煙となってまき散る砂の中で、歓声が聞こえる。障害は華があるから盛り上がりも一段と大きい。

 

「———フゥゥゥゥ」

 

息を深く、深く吸う。応援の声がどれだけ大きくとも、私のスタミナが増えるわけではない。落ち着いて、足のエネルギーを意識しろ。フレディのように夢の中にいるわけではないのだ、私は完全なウマ娘じゃない。技巧と悪あがきで勝利を掴む以外の道がない。

 

(ハザクラ・・・、)

 

彼女は若干前傾した姿勢で立っている。視線を落とさないように意識しているようだ。とはいえ疲労もあるらしい。首は上だというのに、目線が下がりかけている。

・・・やはり、分は私にある。ここまで無茶をしてきた私の全ての細胞、無駄ではなかった。

 

「さあ、初めに足をかけたのはココロゴウだ! 挑戦が始まっている!」

 

大歓声を一身に受け、私は地面を目いっぱい踏む。体を前傾させ、上半身で発生したエネルギーを大地に持っていく。

 

「オ゛ラ゛ァ゛ッッ!!」

 

怒号ともとれる私の声。普段出さないような低音が私の喉を削る。

 

「続いて1番キタノハドウ、後続も続々と登り始めていきます」

 

歩幅を小さく、自分が今どうやって動くべきかを考えるんだ。障害にかけた足の一歩一歩にココロを込めろ。

スタミナは十分。筋肉も悲鳴を上げるにはまだ早い。

 

「先頭ハナを切ったのはやはり3番ココロゴウだ! 続いて7番スペクトルワン、すぐ後1番人気ハザクラ」

 

勝てる、勝てる。今頂上に立っているのは私、ココロゴウだ!

私はダッシュで障害を下る。もう残りは傾斜付きの直線だけだ。重バ場の直線で私と争える相手なんて・・・。

 

「一気に来たっ、4番ハザクラ走ってきたぞ」

 

「マジで!?」

 

私は思わず振り向く。あのタイミングでこの登り速度。調子のいい時のバレット先輩が想起される。

 

「末脚なら、誰にも負けないですよ・・・」

 

純粋な闘志、不屈さ。諦めない心と魂。それらは敬意と尊敬の対象。そして、戦う相手として、畏怖と驚異の対象。

高貴な精神。その力は実にシンプルだが、どうしようもないほど強力で、一介のウマ娘なんかじゃどうもできないような残酷さを秘めている。

 

(だけど、そうだとしても、)

 

勝ちたいココロ、前に進もうとする私のココロ。私だって誰にも負けないそれを持ってる。だから今ここに立ってる。

脚が砂に埋もれる。エネルギーは既に十分充填済み。駆け出すには十分すぎる。

 

「さあ逃げ始めたぞココロゴウ! 後続も続いていくが距離は離れていく!」

 

私は670kgをものともせず進む。先ほどとは打って変わって、大股で一歩一歩をフルに使って。

 

「ココロー!! 無理すんな!! 焦ってんぞ!!」

 

分かってるよトレーナー。だけど、ここは否応なく無理すべきところだ。

このメンバーの中で、一番動きが多いのはきっと私だ。誰よりも無理をしているのも私だ。このまま流しながら走り切るのも一つの手なんだろう。

だが、それじゃきっと勝てない。あの表情、あの不屈のココロには勝てない。

 

「どうせ勝つなら、暴脚ココロとしてだ・・・」

 

一歩踏め。直線が続く限り踏み続けろ。地面がある限り、砂が舞う限り走り続けろ。

 

「さあ頭が入ったっ! 後続も詰めていくが苦しいか!」

 

勝てる、今なら勝てる。かつてないほど高まる勝利への欲求と興奮。

今の私ならクラシックのBG1に、生涯一度のBG1に、勝てる。勝ち切れる。

 

 

『ピシッ!!』

 

 

何かが、鳴った。私の左足で。

その認識が回った瞬間、想像を絶する痛みが、稲光の如く足から発せられた。

 

「・・・ココロッ!!!」

 

「先輩っ!!!」

 

トレーナーと後輩の声がしている。観衆もざわついているようだ。

いったい何が起きたのか理解が及ばない。一体何が起こったんだ、寸刻前まで万全の状態で走っていたはずなのに。

 

「足をやった、踏ん張りすぎたんだっ」

 

トレーナーの言葉を聞き、私は足を止めて歯を食いしばる。痛いなんてもんじゃない。足で火薬が弾けたみたいだ。

だが、折れてはいけない。ここまできて競走中止なんて冗談じゃない。

夢だったBG1の称号。ここを逃したらもう2度とチャンスを得る事が出来ないかもしれないという不安。どうしようもないほどの、敗北への恐ろしさ。恐怖が全身に回る。

 

「おおっと、ココロゴウに何かトラブルか。だが既にそりの頭はゴールに入っているぞ」

 

全身から汗が噴き出す。血が恐ろしく早く巡っている。痛い、怖い。

 

「ハァッ、ハァッ、ハアッ、———」

 

呼吸が浅くなっている。やはりばんえいウマ娘といえど身体を持つ生物なのだと痛感する。確かに、私はジェイソンやブギーマンのような怪物の肉体を持ってるわけじゃない。あくまでウマ娘として生きているんだ。無限の体力などは無く、こうやって怪我だってする。

 

だからこそ、その儚さに私の理想とする強さが存在したから、私は帯広に立っているんだ。

怪我程度で私の覚悟を、私の不屈の「ココロ」を否定されて堪るものか。

 

「ココロっ、動くなっ!!」

 

「ココロさん・・・!!」

 

トレーナーとハザクラの声が聞こえる。だけどそれもハッキリと耳に入らない。

足が勝手に前に出る。若干の負荷がかかり、鈍痛が走った。

 

「グッ・・・」

 

どうしようもなく痛いが、足が動いた。下がっていた目線を前に向ける。呼吸音がうるさくなってきたが、この際どうでもいい。

 

「ココロゴウ再び前を向いた! あと2歩っ! だがハザクラ迫ってきている!」

 

だが同時に、後方の接近の音が大きくなっている。どうやらもうすぐ決着らしい。

泣いて叫びたい、このまま倒れこみたい。だが、そうなってはいけないのだと私の細胞が、確信している。

ここまで付いてきてくれた、この暴れる脚に失礼だ。

 

「並んだがココロゴウ早いっ! そのまま動き出して、」

 

世代最強、もう手放せないその称号。呪いともいえるそれを私は、

 

「ゴールインッッ!!」

 

軋む左足で、ゆっくりと、確かに受け取った。

 


 

「足、大丈夫ですか?」

 

「あ、ハザクラ、来てくれたんだねっ」

 

私は明るく返答する。彼女の表情はどこか暗かった。

 

「足は、骨にヒビだって。しばらくは療養がいるってさ」

 

私は映画雑誌をしまい、彼女の目を見た。既にトレーナーとチームメンバーが慌てて駆け込んできた後だ、お通夜のような空気には慣れてしまったが、やりきれなさは拭えない。

 

「そうですか・・・」

 

ハザクラは苦笑いを浮かべながらベッドの横に座る。神妙な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。

 

「今日は1着おめでとうございます。完敗でした」

 

「ハザクラも強かったよ。あの末脚にはびっくりした」

 

無理をしなければ確実に獲られてた。あの時の私の判断は間違いじゃなかった。

 

「でも、せっかくBG1ウマ娘になれたのに、これじゃあね」

 

私は包帯が巻かれた足を見ながら言う。トレーナーには、様子を見るが間違いなく「しばらく」の療養だと言われた。表情を見て、そう簡単に帰ってこれるような怪我じゃないのは理解できたが、それ以上を聞く勇気はなかった。

 

「次は、是非リベンジさせてください。待ってますから」

 

「え・・・?」

 

ハザクラは近くの花屋で買ったであろうフラワーアレンジメントを置き、行ってしまった。

 

「むぅ・・・」

 

待たれても困る。いつ帰れるかも分からないのだ。第一、復帰まで期間が空いたら私はCクラスからのスタートになる。私が彼女と同じ土俵に上がれる保証はない。

 

「無責任だなぁ、ふふ」

 

私はせせら笑いを浮かべながら、とうに日が沈んだ外を見つめる。

これからどうしようか悩んだ刹那、電話が鳴った。

 

「はい、もしもし」

 

「ん、ココロ。私だ」

 

トレーナーの声。あとで連絡すると言っていたのを思い出し私は返事をした。

 

「とりあえず今日1日はレース場の保健室で、明日からは病院だ。んで、休養期間はその時の診断結果で私が判断する」

 

「分かったよ、にっしー」

 

「・・・すまないな」

 

ベランダで話してるようだ。車の動く音が電話越しに聞こえる。

 

「そんな悲しい声出さないでよ、勝ったんだからさ」

 

私は明るく返事をする。いつもと同じ気持ちで話しているはずなのに、どこか心苦しい。

 

「・・・ココロ、」

 

「ん? 何?」

 

トレーナーは言葉を選んだのだろう。私は電話越しの息遣いを聞きながら聞き返す。

 

「・・・泣いていいんだからな」

 

トレーナーは一言静かに言った。私は、今までも、そしてこの瞬間もすべてバレていたのだと気が付き、思わず電話を握る手が強くなる。

 

「———うん」

 

もう一度外を見る。夜空には星が輝いている。あの日も、あの日もそうだった気がする。きっとこれからもそうなんだろう。

 

「・・・じゃ、それじゃ」

 

「うん。ありがとうね、にっしー」

 

私は軽い返事と共に電話を切った。

悠久とも取れるような、長い時間が沈黙のまま過ぎたような気がする。私は、少しだけ左足に力を入れた。

 

「痛っ・・・」

 

走りたい。この足でもう一度。ここまで着いてきてくれたこの足を、もう一度信じてあげたい。

私は、震える手を胸に当て、声を押し殺して泣いた。再びここで星空が見えるのが何時になるのか、知らぬまま。

 

 




余談。

ココロさんの怪我は所謂「裂蹄」と呼ばれる故障をイメージして書きました。ばんえい馬は非常に頑丈で骨折や腱鞘炎なんかはめったに起こらないらしいのですが、疝痛や蹄葉炎、裂蹄なんかは起こってしまう事もあるらしいです。そういったものがウマ娘に起こるとしたら一体どう表現するのが適切か。カフェやジョーダンのストーリーでは「爪が裂ける」という表現にしていますね。しかし、裂蹄はそんなレベルの故障ではないのも事実。ということで今回は足の骨の「ヒビ」という表現で書いてみました。実際は輓馬が踏み込みすぎで骨折なんて起こりえない事なので、かなり苦渋の決断にはなりましたが。
また、不快な思いをした方がいたら申し訳ありません。


設定紹介Q&A

Q.ココロゴウって初期より丸くなった?

A.あー、うん。多分そう。

初登場時にはっちゃけさせすぎたんだ。とはいえ大分理性的にしてしまった。あと同じことをバレットさんと西高さんでもしている。変えるならば初期の方を変えるかなぁ。


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第二十五話 「影の闘争」

夏が来ると1周年になってしまう、ちょっと焦ります。


目を閉じると、同期の彼女の大舞台、その最後の直線が脳裏に走る。それは悲劇とただ言い表すにはどうしようもなく美しく、あの日の咆哮は残響として私の心の内に残っている。それらは万人にとって意味のないことかもしれないが、少なくとも今この瞬間の私にとっては、背中を押す未知の力の供給源だった。つまりは。「憧れ」と化したわけである。

 

私はパドックに立ち、空を見る。上旬の快晴はどこに行ったのか。ここ1週間の降雪を表すかのような曇天が広がっている。私がため息を付いていると、観客席から私の名と話し声が聞こえた。

 

「なんか、地味なんだよねー、あの子」

 

「姉もそうだったじゃん。4番人気くらいで、さらっと重賞獲っちゃうけど、安定でも大穴でもなく、みたいな」

 

「盛り上がりに欠けるんだよねー、勝負服も名前もかっこいいのに、なんというか、他のスターウマ娘の」

 

「影って感じ?」

 

影の闘争

 

私は自分に言い聞かせる。勝つつもりで走れ、強気で行けと。それが出来ないから5番人気なんだろうと自分で自分を笑いながら、ゆっくりと息を吸う。初のBG1の大舞台。不安も疑問も溢れるばかりで、一つだって解決しそうにない。

 

「さあここで本日の1番人気、ばんえいオークスではココロゴウに続いて惜しくも2着でしたが、その実力は健在。1枠1番、ハザクラ」

 

相手は皆強大で、私よりも輝いているかもしれない。それはきっと素晴らしいことで、勝つのはそんなウマ娘なんだろう。オークスで学んだのはそういう事だった。

 

ではここで一つ疑問が浮かぶ。私では勝てないのではないか?

憧れは背中を押すエネルギーであり、この期に及んで不安と疑問を生み出し続ける原因と化した。

 

「おーい、サイレス」

 

私が思考の海に投げ出されたその瞬間、私の名を呼ぶ声と共に私は現実に引き戻される。

 

「あ、西高」

 

私は柵の近くにより、黒ジャージの彼女に話しかける。

 

「5番人気だな、もう少し行けると思ってたんだが」

 

「まあ最近負け続きだったから仕方ないんだろうけど」

 

私は振袖を揺らしながら頭を掻く。

 

「しかし、今年もみんな強そうだね。衣装が違うからかな」

 

「そういうお前だって、いつもの数倍気合入ってるように見えるぞ? 何があった?」

 

「さあね、自分でも分からないよ」

 

トレーナーは少しの笑いを混ぜた後に、ゆっくりと、語り掛けるように言った。

 

「お前はココロゴウじゃない。ハザクラでも、ましてやエゾオウでもない。お前はシャドーサイレス。それ以外になんてなれやしないさ。いいな?」

 

「・・・うん」

 

私は手を振るトレーナーに目配せをし、パドックに戻る。頭の中で、さっきの言葉が繰り返される。私は私以外になんてなれないだなんて、そんなこと誰だってわかってる。わかってるんだと思ってた。

 

(・・・ハハッ、そうか)

 

脳裏に走った風景は、あの日の最終直線。あそこに立っているのは私ではない。彼女だった。

その姿は聡明で、優雅で、泥臭く、儚かった。世に幾百と存在する薄っぺらい言葉で形容してはいけないような気さえした。そこにいていいのは彼女だけだったから。

 

未知の力の供給源、鼻で笑えるような間の抜けた考えだ。少し前の自分を殴りたい。憧れだなんて、お前がそれをいくら抱いたところでお前が「それ」になれる訳ではないのに。

・・・今この場にいるウマ娘は皆強大で、美しく、それぞれがそれぞれの矜持を全身に背負ってここに立っている。あの日の彼女も、彼女なりのプライドがあって、最後の最後まで足を止めなかったはずだ。それを私が勝手に模倣しようだなんてのはお門違いにも程がある。

 

きっとどんなウマ娘も、私よりも輝いている。それはきっと素晴らしいことで、私は「それ」を目指すべきだと思ってた。

 

「・・・なんたる傲慢、ふふ」

 

反吐が出る。無理に決まっているだろう。脇役中の脇役が度が過ぎたことをほざくな。お前が輝くなんて天地がひっくり返ろうと不可能に決まっている。

私が戦える場所は、目に入らない暗闇の中。先頭を進む彼女達を静かな影(Shadow Silence)の中へと引きずり込む。私はシャドーサイレス。主役の横の横に立つ、日陰の立役者。

 

「さあ、始めようか」

 

私だけの闘争が始まる。矜持なんてものはない。主人公の描く輝かしい1ページに、少しばかり泥を塗ってやろうと思い立つだけ。

 

高らかに鳴り響くファンファーレで、背筋が伸びるのを感じる。日の沈んだ空にかかる薄い雲を見て、自分の無力さを嘆き、口角を上げた。

 


 

私は、走っている。

 

「さあ第二障害を続々とウマ娘達が突破している!」

 

裂けそうな肺、崩れ落ちそうな足元、酷使によって疲弊しきった脳。それらを全部ひっくるめて、私は走っている。

 

「後ろからは1番ハザクラ! ヘイダルドラゴン続いている!」

 

私はここにいる。ここで走っている。いくら観衆の視線の先が先頭集団の彼女達だけだろうと、私は存在している。

 

「だが現在変わらず先頭は7番エンジンクラウン! 後続も続いているが厳しいか!」

 

・・・色鮮やかに輝く、その後ろ姿を私は追う事しかできない。

そう、追うことしか出来ない。どんなに格好つけようと、どんなに前口上を並べようと。光が前で輝く限り、影は後ろにしか伸びない。

 

じゃあどうする。問いの答えは二つに一つ。

 

「頭がゴールに入った、さあ後ろからハザクラ伸びている、伸びているぞ!」

 

ここで役割は終わりだと悟り、足にこれでもかと込められた力を抜き去るか。

 

「いや、後ろからシャドーサイレスも来ているっ!」

 

数瞬だけ、今のこの瞬間だけ、私の中で盤石に定義された線に抗ってみるか。

 

「エンジンクラウンは詰まった! シャドーサイレスとハザクラが迫ってきている! ハザクラが優勢か!」

 

・・・神様とやらがいたなら。きっとここで私の疲れを全部消し去って、都合よく勝たせてくれるのだろうか。そうやって一夜限りの主人公を満喫させてくれるのだろうか。

だが、世界はそう都合よく回らないようだ。足に蛇口をひねるかの如く注がれていたエネルギーは、弾ける気泡の如くどこかに消えていく。

私が選んだのは前者だった。それが正しくないことは理解していたはずなのに、心の内はその判断を可決しなかった。

 

「先頭はハザクラ! シャドーサイレス一歩及ばないかっ!」

 

結局、ここでも私は、私だった。憧れた「私以外」にも、目指すべきだった「私以上」にもなれなかった。影の中から伸ばした手は、光に入ることを拒んでいるようにさえ思えた。

 

そうやって、私に与えられた1ページは消えてなくなっていく。

 


 

トレセンに入った理由は、驚くほどにシンプルだった。

姉に追いつきたかったのだ。

 

彼女は完璧な存在じゃなかったし、私の方が勝っている部分だってあった。本は私の方が多く読んでたし、部屋の片付けも私の方が上手だった。

 

だけど、いつの日も。いつの日だって。彼女の方が強かった。

 

最初に見つけた、私のスーパーヒーロー。

きっとあそこから、シャドーサイレスという「ばんえいウマ娘」は始まった。

 

影法師

 

「3着か~。惜しいとこまではいったんだがなぁ」

 

「惜しいとこまではね、結局BG1は掴めなかったよ」

 

私は控室で座りながら言う。全身に纏わりつく疲労感が回復するにつれ、BG1のレースが終わったという事実に少しずつ実感がわいてくる。

 

「・・・なあ」

 

「・・・はい」

 

トレーナーの久しぶりに聞いた低音の声。きっと何もかも分かっているのだろうと考えると、何もかもが申し訳なくなってくる。

 

「・・・全力で失敗するのは良いことだ。それなら何時だって許すよ、少なくとも私ならね。だが、妥協は看過できない。これはどのトレーナーも同じだ」

 

私は黙って頷く。追いつけないと勝手に悟った。それは絶対に正しいことじゃない。

分かっている。私だって分かっている。

トレーナーは私を見て小さくため息を付き、席を立った。たばこの箱が手の中には握られている。

 

「お前がそんなに野暮なウマ娘だなんて思ってない。私も、チームのメンバーも」

 

それだけ言うと、トレーナーは外に出ていってしまった。私は一人部屋に残される。

ポツンと自分一人の空間の中で、私はもう一度、思考の海へと身を投じる。それに意味があるのかも分からないままに。

 

(野暮なウマ娘だろう。誰がどう見ても)

 

ばんえいウマ娘の1世代。その群雄割拠の中、私の存在価値は何なのか時々考えている。

皆が皆美しく、私に持ってないものを持っている。だとしたら私が走る意義とは。私がいなくとも、私と同じかそれ以上の偉業をこなすウマ娘は待っていれば現れるだろう。

 

(・・・ああ、そっか)

 

私に足りなかったのは、勝ちたい気持ちだったんだ。私が主人公じゃなくていい、という気持ちは言ってしまえば、勝つのが私じゃなくていいという妥協の意思。

 

「・・・やっぱり姉さんは強かったんだなぁ」

 

零れない涙に自分でも呆れながら、私は静かに呟いた。

 




設定紹介Q&A

Q.チームメンバーの名前の由来を教えてくれ

A.具体的にですね、了解です

ゴッドドラッガー 長くなるのでまたいつか、結構大事な話ですし。

ストームバレット 昔書いた一時創作(削除済み)の主人公からパクってきた。

ココロゴウ 初期案執筆当時に「勝山号」を調べてたから、それのノリで「ゴウ」をつけてみた。ココロはみんな大好き「オレノココロ」から。

シャドーゲイザー 「ゲイザー(Gazer)」が「見る人」って意味なのをスターゲイザーガンダムから知って、かっこいいから入れた。

シャドーサイレス シャドーは姉妹設定からの連想。「サイレス(Silence)」は青馬といえばサンデーサイレンスだよなということで引っ張ってきた。(同じだと被るのでサイレスに)


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第二十六話 「泣く泣く冬夜」

ペースを上げたい今日この頃。


「すっかり冬だねぇ」

 

12月の帯広に、しんしんと雪が降る。既に外には白い膜が薄く張られていた。

 

「明日のトレーニングって雪かきから?」

 

「天気予報ではそんな積もらないとか言ってるけど。あ、ラルっちポン酢取って」

 

部屋の中央に置かれたこたつで、私たちは鍋をつついている。誰が言い出したかもわからないが、ひとまず私たちは鍋を囲んでいるのだ。理由はさしてどうでもよく、その事象自体が大事で貴重だった。

しかし、そんな私たちの会話が弾む中扉が開いて、ヒトミミの影が水を差す。

 

「・・・いや、なにしてるの」

 

「お、西高おつかれー」

 

入ってきた影はこの部屋の主だった。彼女はカギを玄関に投げ入れ、部屋に進んでくる。

トレーナーはビール缶の入った袋をキッチンに置き、言いたいことの多そうな表情を抑えつつ口を開く。

 

「何で人の部屋で鍋食ってんだよ」

 

「休日だし集まって鍋でも食べるかって話になったんだけど、場所がなくて」

 

トレーナー室は鍵が掛かっていたし、寮の部屋は狭すぎるから、この人数では入らない。

 

「つーかどうやって入った。鍵掛かってたろ」

 

「帯刀さんがスペアキー貸してくれた」

 

バレットさんはそう言うと、手元のビニール袋の中からストラップの付いたカギを投げる。トレーナーはそれを受け取り、ため息を付いてから言った。

 

「・・・私の分はあるよな」

 

 

「ココロは足どうなの?」

 

ゲイザー先輩は寄せ鍋をかき混ぜながら言う。

 

「リハビリ中だけど、松葉杖さえあれば日常生活送れるかなって感じ~、あちっ」

 

先輩は椅子に座りながら言った。流石にこたつに座るのは厳しいみたいだ。

 

「いやー、とはいえあのレースは衝撃だった」

 

「まだ言ってるのね」

 

バレット先輩はあのレース以来、ほぼ毎日その言葉を吐いている。

 

「だってチームサドル初めてのBG1ウマ娘だぜ? 心躍るだろ」

 

「あれ、バレットさんBG1獲ってないですっけ」

 

「ないない、帯広記念3着が最高」

 

先輩の感動は大きそうだ。自分の取れなかった称号を得ている彼女に、何か思うところがあるのかもしれない。

 

「私も重賞勝ちはあるけどBG1はないなぁ」

 

この中で2番目に歴が長いゲイザー先輩は、野菜を追加で投げ入れながら呟く。しかしその言葉には、どこか複雑そうな気持ちが込められているように聞こえた。

 

「・・・ちょっと思ったんですけど、西高さん反応薄くないですか?」

 

ラルバが訝しむような眼で言う。ココロのケアにつきっきりの彼女としては、もっと勝利を喜んでもらいたいのだろう。

 

「え、ああ、うん」

 

トレーナーは2本目の缶ビールに口を付けてから続ける。

 

「ココロが怪我したってのもあるけど、なにより私が先生の見習いしてた頃に毎年のようにBG1ウマ娘出てたからさ・・・」 

 

「うわぁ・・・、薄情なやつ・・・」

 

「ちょっと引きますね」

 

ココロ先輩が一番笑っている。どうやらその薄情さに嫌な思いはしないらしい。

 

「サイレスも惜しかったね、ばんえいダービー」

 

話を変えるかのようにトレーナーは言った。

 

「んー、惜しかったけど3着だし」

 

「最終直線は見応えあったよな」

 

ココロ先輩はにやりと笑い、サイレス先輩に言う。

 

「ばんえいオークス2着のハザクラが、ばんえいダービー1着ってことはさ~」

 

「うわ、そういうこと言っちゃいけないでしょ」

 

オープンウマ娘が一室にいると、こういうこともあるのだなと思いつつ、私は口に白菜を詰め込む。

 

「しっかし、ハザクラ強かったよな」

 

「チームアルフェッカは大騒ぎだったぞ。トレーナーも号泣してた」

 

「アンタもそのくらい喜んだらどうだ」

 


 

「さて、今日はこんくらいで解散にすっか。明日も早いし」

 

「今何時?」

 

「8時半」

 

寮長に言われた時間を確認しながら、私達は食器の片付けを始める。異様に手際のいいラルバを眺めながら私は呟く。

 

「BG1のレースってどんな感じなんですか?」

 

興味本位で言ったその一言に、雑談で盛り上がっていた部屋は静まり返る。

私とラルバはキョロキョロしながら先輩方の顔を見渡す。

 

「BG1はな・・・、特別だよ・・・」

 

「いやホント・・・、どう言葉にしたものか・・・」

 

全員の手が止まってしまい、ラルバが手早くその中を片付けていく。私も手を動かしながら耳を傾けた。

 

「勝ちたいって意思はどんなレースであれ全員が等しく持ってるはずなんだけどさ。BG1のレース前に勝負服を着て、胸を張って。さあ出走だってなった時にちゃんと分かるっていうか、再認識するんだよね。ここにいる全員が、勝ちたくて、勝ちたくて、勝ちたくて堪らないんだって」

 

ココロ先輩は台拭きをトレーナーに投げ渡しながら、ゆっくりと言った。どこか分かるようで分からないその感覚を想像しながら、私は聞く。

 

「私もその時になれば分かりますかね?」

 

「分かるよ。逆に言えば、その時が来ない限りは永遠に分からない」

 

私はイレネー記念の情景を想像しながら、手を動かす。きっとその時が来たら、何もかも理解できるのだろう。吸う空気が張り詰めるあの感覚や、畏怖と敬愛が混ざり合ったあの感情とはまた違う、そういう特別な何か。興味深く、面白く。何にせよ強く惹かれる。

私が思考を膨らましていると、トレーナーが少し考えるようなしぐさで言う。

 

「ひとまずばんえいダービーが終わって、次は来週、帯広記念か」

 

バレット先輩はノリノリで言う。ヴォイニッチ手稿が描かれた奇抜なTシャツに身を包みながらも、笑うその姿は何故か様になる。

 

「ゲイザーはまた来年だな~、今年はオープン上がれなかったもんな~?」

 

「うっせぇ、お前だってどうせ6番人気くらいだろうが」

 

「6番人気で何が悪い、BG1なんて出てるだけで世代のトップだぞ、強いし偉いじゃねぇか」

 

バレット先輩のその一言に、その場にいた全員が大きく頷いた。

 

「「「「それはそう」」」」

 


 

「じゃあ西高トレーナー、今日はお邪魔してすいませんでした」

 

「はいよ、また明日。まだ降ってるから滑んなよ」

 

すっかり暗くなった外を、私はタバコと共に眺める。

夜空でも白い粒は見えるものだ。煙がそれらの合間を縫って消えていくのを見るたびに、どこか切ない感情が芽生える。

私はラルバとゴッドに手を振り、後ろを振り返る。

 

「ココロ、大丈夫か?」

 

「ああ、うん。大丈夫。サイレスもいるし」

 

彼女はそう明るく振舞い、軽く笑った。その一つ一つの動作に少し胸が締め付けられる。

 

「それより、サイレス良いの? みんなと帰らなくて」

 

「いやいや、良いの。ちょっとココロとトレーナーと話したいことあったし」

 

「・・・?」

 

サイレスは、ゆっくりと手を伸ばし、雪を手に取った。淡く白い粉雪は、手の上に乗った瞬間溶けて消えていく。それを静かに眺めてから、彼女は言った。

 

「・・・移籍、しようかなって」

 

その言葉に、私もココロも言葉を詰まらせる。何故唐突にそんなことを。2年ほどの付き合いになるにも関わらず、私は彼女が何故そんなことを言い出したのかわからなかった。

 

「どうして、そんな。急に」

 

「急だよね。自分でもそう思う」

 

彼女は頭に付いた雪を軽く払い、何か後ろめたいことを言うかのように続けた。

 

「このチームが嫌になったとか、トレーナーやメンバーのみんなが嫌いになったとかじゃない。そうじゃないんだよ」

 

トレーナー寮前の街灯の光で、彼女の足元から影が伸びている。

 

「でも、私が強くなるためには、このチームにいちゃいけないんだ」

 

「・・・何で」

 

私より先にココロが口を開いた。

 

「このチームは、みんな素敵だよ。バレット先輩は飄々とした言動に実力が伴ってるし、姉さんはアホだけどいつだって前向きだし、ココロもいつも誰かのため、そして自分のために走ってて、とにかく強い。ゴッドは諦めない心と内に秘めた闘志があるし、ラルちゃんは真面目で、芯が通った自分のやりたいが言える子。トレーナーだって、雑だけど誰よりもウマ娘のことを考えてる」

 

急に褒められてどこかむず痒い気持ちになる。彼女はそんな私の反応を見ながら続ける。

 

「みんなが、私のヒーローなんだ。応援したいし、憧れる」

 

私は静かに口を開く。

 

「・・・だからか」

 

「そう、だから」

 

どこか、彼女の考えてることが分かった気がした。

 

「・・・身近にそういう存在がいるとさ。自分が勝たなくても良いって、思えちゃうんだよね。そうやって私自身の「勝ちたい」が薄まってくんだ」

 

彼女は勝ちたかった。いつの日も、どんな日も。だけど、それを邪魔していたのは彼女を支え続けていた彼女の仲間であり、私だった。

ダービーでの最終直線。彼女の脚が出なかった理由は何なのか、嫌というほどに考えた。だがその原因はあまりにも身近だったようだ。皮肉すぎて、笑い話にもなりやしない。

 

「最初は引退も考えたんだけど、ココロを見てたら、なんだかみんなに失礼かなって」

 

ココロはそう言われ、少し俯いてから彼女の目を見る。

 

「なら、仕方ない。そうだよね、トレーナー」

 

「・・・ああ」

 

ココロは松葉杖でゆっくりと雪の下に移動する。その姿は儚げで、私は思わずタバコの火を消す。

 

「サイレス、天馬賞でね」

 

「・・・うん。それまで負けないでよ」

 

ココロが手を差し出すと、涙ぐみながらもサイレスはそれを握った。

 

「・・・西高、トレーナー」

 

サイレスはゆっくりとこちらを向き、いつになく改まった口調で言った。

 

「心の底から、感謝を。いろいろ駄目な部分もあったけど、本当に、本当に素晴らしいトレーナーだったよ」

 

私は胸の内に込み上げる熱いものを感じながら言う。

 

「・・・言いたいことがありすぎて絞れねぇな」

 

キャメルのタバコに再び火をつけ、皆目変わらない空に向かって、複雑な心情と溶けて消えた希望を、煙と共に吐き出した。形にならない紫煙が、電灯の横を通り過ぎていく。

 

「・・・勝つことが全てじゃない、とは言えない。アスリートである以上勝つために戦ってほしい。だけど、お前がどこに行っても、もちろん学園を卒業した後だとしても。仲間とか、友情とか、たとえそれが無駄なものだと思ったとしても、手放さないように。これはトレーナーとしてじゃなく、人生の先を生きる者としての言葉だ」

 

彼女は私がそう言うと、深く頭を下げた。

 

「2年間、ありがとうございましたっ!!」

 

「・・・おうよ、達者でな」

 


 

「止めなくてよかったのか? ココロ」

 

「引退なら首輪つけてでも止めるけど、別のチームでも走ってくれるなら、ね。ちょっと寂しくなっちゃうけどさ」

 

私は先に帰ったサイレスの後ろ姿を思い出しながら、雪道を歩いている。松葉杖のカツカツという音が、雪の中でもはっきりと聞こえる。

 

「・・・サイレスはさ。私の事強いって言ってたけど」

 

沈黙に耐えかねたのか、ココロは口を開いた。

 

「本当にそうかな、って思うんだ。私って強いのかなって」

 

「・・・さあな、私にそれは判断できない」

 

私がそう言うと、ココロは立ち止まる。彼女の目には涙が浮かんでいた。

 

「立ちはだかるライバルを、それぞれが持ってた夢を、彼女たちの自信と希望を、下して、下して、下して、下して。その恨みと渇望で出来た屍の上に、私は立ってる」

 

私は何も言わずに、ただ彼女を見ている。

 

「・・・足に痛みが走ったとき、心の中で「ああ、ついにか」と思った自分がいたんだ。皆の怨嗟がついに私の首まで届いたんだなって。そこで、それに抗おうだなんて思いもしなかった」

 

「だからって」

 

私は言う。

 

「止めるわけにはいかない。それがお前に与えられた「憧れ」で「思い」の形なんだから」

 

「え・・・?」

 

「第一、怨嗟なんて誰一人抱いてない。お前はサイレスの言ってた通り、みんなの、そして自分のために走れるウマ娘だよ。他の奴は持ってない才能だ」

 

彼女は黙ってその話を聞いた後、再び歩き出した。私は雪道を眺めながら、彼女の涙の音を聞く。

 

「・・・もう一回。0からやり直して、天馬賞で胸を張ってサイレスと戦うよ」

 

彼女の絞り出した声。それは微かだったが、確実な成長の証だった。

 

「・・・そうか」

 

寮の前に付いた。私はもう1本タバコを取り出し、静かに付ける。

 

「早く寝ろよ。日ってのは案外早く登っちまう。影だって、すぐ出てくるからな」

 

「・・・うん。おやすみ、にっしー」

 

「ああ。おやすみ」

 

雪道は静かに続いている。帰り道を見ながら、私は静かに涙を流す。伸びた影を避けながら、私は静かに前を向いた。




設定紹介Q&A

Q.西高さんのタバコ事情を教えてくれ

A.愛煙家の方。

2日で1箱くらいのペースで吸ってる。銘柄はキャメルが好きらしい。喫煙開始年齢は18。当時のドラマで好きな俳優が吸ってるのを見て始めた。生徒の前で吸わないよう学園から言われているが、相当無視している。とはいえトレーニング中は吸わないのがポリシー。


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