持ち前の末脚を使って重賞レースを全て総なめしてやりたいウマ娘の話 (りのちゃん)
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キャラクター紹介

感想で要望があったので、本編とは関係ないキャラクター紹介の回です。

主要キャラ

サブキャラ

の配置で進めていきます。

現時点ではここにしか記載していないようなプチ情報も書いているので、ただキャラの事を振り返るのではなく、見ていれば事前知識として覚えておけるようなものになっています。
スリーサイズについてはちょっと私の知識が圧倒的に足りなく、勉強する時間も無いので省略させてください。反省はしません。

あと普段使わない分、特殊タグで大暴れしました。反省はしません。

ちなみにトレーナーたちの名前なんですが、作中で描写していたのにもかかわらず違う名前を書いていたらすいません。これは反省します。

今日からはこれ(キャラのメモ)があるからキャラを忘れることはないと思いますが、これまではメモしていなかったので、忘れてしまうようなモブキャラ・サブキャラでキャラ抜け等があったら個人メッセージにて対応します。

また、このキャラクター紹介はネタバレになる可能性もあるので、読む際は最新話まで読んだうえでお読みください。

トレーナー・担当のコメントは雑誌の一文をイメージしてます。




 

主要キャラクター

 

スターインシャイン

 

 

【挿絵表示】

 

【挿絵表示】

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

身長:158.4cm

体重:52.5kg

 

トレーナー:橋田 瑠璃

 

脚質適正:追込 逃げも行けるかも……

距離適性:2000~2500m

バ場適正:芝

 

トレーナーのコメント

「距離適性がよ、下限はともかく、多分上限はまだ到達してないんじゃないかなぁ……伸びるといいなぁ」

 

トレセン学園に入学したウマ娘、『誰にも越えられない記録』を作ることを目標にしていたが、ふとした時からチームキグナスと戦う事になった。それでも彼女は走り続ける、自らの目標の為に。

 

 

 

プロミネンスサン

 

身長:157.9cm

体重:51.9kg

 

トレーナー:木村 竜一

 

脚質適正:大逃げ

距離適性:1800m~???m

バ場適正:芝

 

トレーナーのコメント

「あまり話すことはないですね。彼女の逃げ足はサイレンススズカの再来を見せられますよ」

 

シャインと同じ時期にトレセン学園に入学したウマ娘。

いつも明るいが、耳がよく気配が少ない。尤も逃げウマ娘は気配消してもメリットが無いと本人は落ち込んでいる。オクラが大好物で、赤色の毛が特徴。

 

 

 

マックライトニング

 

身長:158.9cm

体重:52.2kg

 

トレーナー:速水 周作

 

脚質適正:差し

距離適性:2000m~ オールラウンダーの可能性アリ

バ場適正:芝ダート

 

トレーナーのコメント

「イマイチ戦績振るわないけど、まぁ実力はあると思いますよ。私が死ぬ気でスカウトしたんですから」

 

シャイン達より少し早めに競争ウマ娘として地方で走っていた黒髪のウマ娘。しかし地方時代のトレーナーに見限られ、落ち込んでいたところを速水に熱心なスカウトをされて中央に来た。

トレーナーに見限られたショックから人見知りな部分が生まれ、口調も荒くなっているが、根はやさしいウマ娘。本人の持つ強烈な殺気で相手を掛からせ、1バ身1バ身確実に近づいてくる『噛み殺すような走り』を武器としている。愛称はクライト。

 

 

 

橋田 瑠璃

 

年齢:31歳

トレーナー歴:2年

 

担当ウマ娘:スターインシャイン

 

担当のコメント

「うん、まぁ、身だしなみを整えてほしいよね。特にじょりじょりのヒゲ。いや……?あれはあれでさわり心地良いからあってもいいかも……?」

 

スターインシャインを担当するトレーナー歴二年の初心者トレーナー。ある時から急にウマ娘のトレーナーをやってみたくなったため、ぎりぎりでトレーナー試験を合格した。レースの日程に関する問題と選択問題を勘で突破した強運の持ち主?

見た目は浮浪者のそれだが、本当は心優しいお調子者。

 

 

 

木村 竜一

 

年齢:21歳

トレーナー歴:3年

 

担当ウマ娘:プロミネンスサン

 

担当のコメント

「知ってる?トレーナーさんの趣味ってね、天体観測なの。家でよく太陽について調べてるらしいよ。奇遇だよね、『太陽』だなんて!」

 

プロミネンスサンを担当するトレーナー歴三年のそこそこトレーナー。以前はシニア級のウマ娘を先輩から引き継ぐ形で担当していたため、トレーナー三年目にして経験豊富。そのウマ娘のレース生涯を見送った後、プロミネンスサンをスカウトする。

丁寧な口調を心掛けているが、時々感情的な言動を喋る時がある。

 

 

 

速水 周作

 

年齢:35歳

トレーナー歴:8年

 

担当ウマ娘:マックライトニング

 

担当のコメント

「前に聞いた話でよ、トレ公って実はアゴ以外脱毛済みなんだってさ。……あ? プライバシーの問題があるって?」

「別に言ってもいいぞ!」

「……だそうだ」

 

マックライトニングを担当するトレーナー歴8年のちょいベテラントレーナー。しかし今まで担当ウマ娘を持ったことは著しく少ない。ウマ娘を鍛えるより、初心者トレーナーを鍛えるのが好きなためにそうなったという。地方にいたクライトを才能ありと見てスカウトする。

クライトといろんなグルメ店を回るのが最近の楽しみ。

 

 

 

キグナスのトレーナー  キグナス トレーナー

 

年齢:23歳

トレーナー歴:7年

 

担当ウマ娘:キグナスのメンバー

 

チーム代表(キングスクラウン)のコメント

「最近また白髪が増えてきたように見えるよ」

 

チームキグナスを経営する詳細不明のトレーナー。橋田たちはこのトレーナーの名前すら知らなく、経歴もあまり語らないために全くわからない。ただ一つ分かるのは、最初の担当ウマ娘の名前「スリープドリーム」のみ。

年齢にしては白髪が多いのが悩み。頭髪の6割ほどが白髪になっている。

 

 

 

キングスクラウン  キグナス所属

 

身長:160.2cm

体重:54.0kg

 

トレーナー:キグナスのトレーナー

 

脚質適正:先行

距離適性:2000m~3000m

バ場適正:芝

 

トレーナーのコメント

「ええ、キングスは才能に恵まれたウマ娘だと思います。いつかはあの七冠ウマ娘、シンボリルドルフを超えるようなウマ娘になってほしいですね。あまり話すとライバルに情報を渡すことになってしまうので詳しくは話せませんが、有馬に向けての調整も行っています。これからもチームキグナスの応援、お願いします!」

 

チームキグナスの実質的なリーダーとなっているシニア級のウマ娘、キグナスの専務ともいえる。クラシック級の時にクラシック三冠を勝ち抜いており、大阪杯も見事制した。世間からはルドルフを超えると言われており、これからの活躍に期待がかかっている。黄金のような金髪をしている。

武器は不明。

 

 

 

ドンナ

 

身長:165.2cm

 

脚質適正:先行(本人の体格的にはオールラウンダーでも)

距離適性:2000m~2500m

バ場適正:芝

 

登山中のシャインと橋田が落下した先で出会った、隠居生活中の謎のウマ娘。すでに引退した身のようだが、選手人生真っ最中のシャインを寄せ付けない実力を持っており、本人曰く、トリプルティアラを制したことがあるらしい。

 

 

 

原田 真紅郎  タルタロス トレーナー

 

年齢:28

トレーナー歴:3年

 

担当ウマ娘:タルタロスのメンバー

 

皐月賞にてクライトの前に現れた地方時代のクライトの元トレーナー。今現在担当しているウマ娘は不明だが、キグナスのサブトレーナーとして雇用されている。才能がないと言われるマル地のみを集め、且つG3やG2にて偉大な戦績を上げるチーム「タルタロス」を経営している。

 

 

 

ウェザーストライク  タルタロス所属

 

身長:160.0cm

体重:55.5kg

 

トレーナー:原田 真紅郎

 

脚質適正:差し

距離適性:2000m~

バ場適正:芝

 

シャインの超前傾やサンの逃げて差すといった、ウマ娘がレース中に発揮する武器を全く使わず、脚にかなりの負担がかかるような走り方で勝ち続けてきた。

 

 

 

ヴェノムストライカ

 

身長:不明

体重:不明

 

トレーナー:竹内愛奈

 

脚質適正:不明

距離適性:不明

バ場適正:不明

 

所属チーム不明

 

シャインの幼馴染であり、倒すべき宿敵でもある。小さなころからシャインには負けた事が無く、本人もそれをシャインに自慢するような話し方をする。問題行動を起こし、休学処分をくらいしばらくトレセン学園にはいない。

 

竹内愛奈

 

年齢:37

トレーナー歴:10年

 

担当ウマ娘:ヴェノムストライカ

 

ヴェノムストライカの担当をするトレーナー。その歳を感じさせない若くきれいな見た目からは想像もつかないほど気だるげな女性。口癖の「やれやれ」をやたら会話文に入れてくる様子は周りの人に『竹内節』と呼ばれている。

 

 

 

サブキャラクター

 

イーグルクロウ

 

母の為に走り続ける不屈の心を持つウマ娘。超前傾を使ったシャインの速度に追いつくポテンシャルの持ち主であり、シャインに負けず劣らずの『勝負根性』を持っている。

 

グッドプランニング

 

勝利に向けて色々なプランを立てるウマ娘。幼い時からの生い立ちのせいで、バ群を自在に動かせる超能力的な力を持つ。良いトレーニングをさせてくれるのではないかと思い、黒沼というトレーナーが最近気になっている。

 

ノースブリーズ  アルビレオ所属  元キグナス

 

レース中に深呼吸をしてスタミナを大幅に回復する武器を持っている。サラサラの葦毛をしている。ライバルとしてプロミネンスサンの闘志を再点火させた。

 

シーホースランス  アルビレオ所属  元キグナス

 

ノースブリーズの小さい時からの親友。本来は逃げ寄りの先行で走るが、シャインとの戦いでは大逃げを打った。特筆する武器は特になし。青毛が特徴的。

 

ブルーマフラー  キグナス所属

 

キグナスのウマ娘、シャインと戦い、その圧倒的な走りからトラウマを受け付けられる。

 

布原 実芯

 

さまざまなウマ娘の勝負服を手掛けてきたベテランデザイナー。テンションが変な方向に高いのでたまに近所の人から通報されるが、腕は確かである。どぼめじろう先生の作品が好き。

 

金泉 諭吉

 

現在はキグナスのサブトレーナー、シャイニングランとリボルバーと呼ばれるウマ娘を担当している。常に金ぴかの衣装を着ていて、非常に趣味が悪い。地方からのし上がって今に至る。

 

甘利 冴子

 

現在はキグナスのサブトレーナー。ツインサイクロンと呼ばれるウマ娘を担当している。赤いキャバ嬢のような服装を何故か着ており、キグナスのトレーナーに好意を見せる。

 

ツインサイクロン  キグナス所属

 

桜花賞にてプロミネンスサンと初めて戦ったキグナスのウマ娘。

風神を扱うのか、それとも扱われているのか、真実は定かではない。

ただ一つ言えることとして、サンを打ち破るほどの実力者と言う事だけ。

 

デルタリボルバー  キグナス所属

 

ダービーにてスターインシャインと初めて戦ったキグナスのウマ娘。

三つの心臓を持つウマ娘とキグナスのトレーナーに呼ばれるほどのスタミナを持つ。

 

シャイニングラン  キグナス所属

 

キグナスのウマ娘、現在は金泉をトレーナーに付けている。シャインとのレースでは接戦を演出した。マヤノトップガンを彷彿とする金髪。

シャイン達とよく喋っているが、一応キグナス所属である……。

 

スロウムーン  キグナス所属?

 

目が見えず、キグナスのトレーナーから盲目のウマ娘と呼ばれるウマ娘。

目が見えなくてもレースを走るすべを身に着けている。

 

レフトメテオ

 

クライトと夏合宿で出会った一人のウマ娘。シューティングレイとレディナイザーの二人にいじめられていたが、クライトのおかげで和解した。クライトの特訓を受けたこともあるので、クライトの走り方を真似する事が出来る。

 

シューティングレイ  元キグナス

レディナイザー  元キグナス

 

二人で一人、姉妹のウマ娘。レフトメテオをいじめていたが、クライトによってメテオと和解することになった。二人とも相手を追い込む追込み漁のような走りが得意。

 

 



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勝つぞ!!メイクデビュー編
第一話 流星


 

『ウマ娘』。彼女たちは、走るために生まれてきた。

ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と

共に生まれ、その魂を受け継いで走る──。

それが、彼女たちの運命。

 

しかしこれは、別世界の名前が存在しない

唯一無二の存在であるウマ娘の物語。

流星のような彼女達の走りは、どれほどの観客を魅了するのか

その運命は、まだ誰にも分からない。

 

 

トレセン学園の校門前、栗毛のウマ娘が一人立っていた。

 

 4月、もう桜が咲き始めて、冬の寒さがウソみたいに暖かくなる頃。

 

「ついにこの時が来たんだね……私」

 

そんなあたたかくなって気が抜けるような季節もとい、めちゃくちゃ眠くなってくる季節に、私はとある場所に来ていた。

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園スクール、通称トレセン学園。競争者の道を歩むウマ娘はみんな、ここでトレーナーと共にライバルと切磋琢磨し、戦うのだ。数々のウマ娘達が、ここトレセン学園で自らの夢を叶えるため、ターフを駆け抜けている。

 

「私もトレセンのウマ娘になれるんだ……芝の上を駆け抜けて……たくさんのウマ娘達と戦って……あれ? 教室どっちだっけ?」

 

そしてついに今日、このトレセン学園に私も入学するんです。

 

「あれま、入学生の子かい?  もうそろそろ教室に入らないといけないんじゃないのかい?」

 

「あ、いえ、その、教室の場所分からなくて」

 

 私が校門の前で何もできずに仁王立ちをしていると、近所のウマ娘のおばあちゃんが声をかけてくれた、このおばあちゃんに教室までの道のりを聞こうと考え、教室の場所を質問する。

 

「えぇ……わからないのかい?  あなた、名前はなんていうんだい?」

 

確かに名前も名乗らずに道案内して貰うのは失礼かもしれない。

 

「ぇ私? 私、スターインシャインって言います!」

 

 私は自分の名前を名乗り、おばあちゃんに大体の道筋を聞く。聞いたところによると、このおばあちゃんは過去にトレセンに通っていたらしい。私はそのおばあちゃんに教室がある棟までの大体の道のりを聞き、たどり着くことができた。

 

まぁ1時間後になんだけど。

 

「や……やっとみつけた……ぜぇ……おばあちゃんの説明聞いても分からなくて20分くらいロスしたかな……念のため早めに出発しててよかった……」

 

「トレセン学園にようこそ、スターインシャインさん、私はトレセン学園の理事長秘書をしております、駿川たづなと申します!」

 

「あ……どうも」

 

 教室がたくさんある棟の前で待ち構えていたのは、緑を基調としたファッションで佇む人だった、笑顔で出迎えてくれたあたりどうやら門限には間に合ったみたいで、私はその人につれられるまま私の教室に案内された。

 

「シャインさんの教室はこちらです」

 

 たづなと名乗る人に案内され、私は教室の扉を開けた。教室に入ると、たくさんのウマ娘達がいた、机の数とウマ娘の数が1人分合わないところを見ると、どうやら最後に来たのは私らしい。ここにいるウマ娘がみんな私のライバルになるのか、なんて考えていると、黒髪のウマ娘と目があった。

 

「あん……? 何見てんだお前」

 

 急に飛んできた言葉の投げナイフに私は少し戸惑ってしまい、とっさに目を離した。目が合うなり威嚇されるなんて……あんまり目を合わせないようにしておこうかな……私が目を離したのを確認すると、その黒髪のウマ娘はふんと鼻を鳴らして窓の外を見直した、何とか難を逃れたようで私は安心した。

 

「あなたがこのクラスの最後のメンバーか」

 

 なんて思っていると、突然横にいた赤髪ポニーテールのウマ娘に話しかけられた、存在感は確かにあるのに声をかけられるまで横にいる事に全然気づかなかった、なんだか不思議な雰囲気を持った子だ。

 

「私の名前はプロミネンスサン、これから同級生としてよろしく」

 

「私はスターインシャイン、よろしくね!」

 

「スターインシャイン……いい名前だね、シャインって呼んでもいい?」

 

「いいよ、サン! ところであの子は……」

 

 私はさっき威嚇された黒髪の子について聞きたくなった、私が単純に興味を持ったからというのもあるが、入学生のはずなのにすごく威圧感あるから、気になったからだ。

 

「ああ……あの子は気にしなくていいと思うよ、なんでも少し前からああみたいで」

 

「へ……へぇ……」

 

「もうすぐ入学式です、新入生の皆様は体育館にお集まりください」

 

 そんなことを話していると、教室の放送機器から声が流れた。

 

「もうそんな時間か、行こう、シャイン」

 

「うん!」

 

 そうして私たちは入学式に向かった、入学式は特に問題が起こることもなく、ただ理事長と名乗る小柄な女の子がめちゃくちゃ長い話をしたくらいだった。そんな中私達、というか私だけかもしれないけど、常に立っている状態がきつすぎて貧血気味になっていた。ぶっちゃけそろそろ解放してくれないと私ぶっ倒れそうなのだが、そんな希望は理事長の楽しそうに話す姿からは微塵も想像できない。

 そうして私たちが直立状態の体制から解放されたのは、45分くらい後だった。

 

「はぁ~……疲れたねぇ、シャイン」

 

「慣れないよね……長時間立って話聞くの……」

 

なんで入学式や卒業式って、生徒を長時間立たせて話を聞かせるんだろう……こればっかりは小さい時から慣れない、脛とこがメキメキ言ってる……

 

「ねぇ見た? 食堂来る前の廊下にいた人、あれって三冠ウマ娘のシンボリルドルフさんだったよね」

 

 先ほど見かけたウマ娘、シンボリルドルフさん、競争ウマ娘に置いて誰も叶えたことのない大記録を残し、皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞と言ったクラシック三冠はもちろんの事、天皇賞やジャパンカップ、そして有記念を二連覇という7冠を達成した伝説級のウマ娘である。

 

「見た見た……すごいよねぇ、貫録がまるで違ったよ、確かサンはトリプルティアラが目標なんだよね? サンもトリプルティアラを達成したらあんな感じになっちゃうのかなぁ……」

 

 先ほど入学式から帰ってくるときの廊下で聞いた話なのだが、なんでもプロミネンスサンはトリプルティアラを目標としているらしい。トリプルティアラとは3つのレースの総称で、世間一般的に知られているクラシック三冠とは違い、もう一つの三冠と言っても過言ではなく、三冠ウマ娘と同じくとても難しい目標だ。

 

「いや、さすがにそんなことはないよ、あの人が特別なだけだと思う。シャインは何か目標とかないの?」

 

私の目標、それは小さいころから考えていたものが一つだけある。

 

「私の目標は、『誰にも越えられない記録を残す』こと!」

 

「誰にも越えられない記録?」

 

「『誰にも越えられない記録』そんなものの定義はどこにもないけど、トウカイテイオーさんみたいな長期休養明けの有記念や、セイウンスカイさんの菊花賞レコードみたいな、歴史に残るような記録を作るのが私の目標なんだ。私の歴史的記録の答えを見つけるために、私はトレセンに来たんだ」

 

「へぇ~、誰にも越えられない記録かぁ……ずいぶん大きく出たね、でもいいの? すでに七冠っていう壁を目の当たりにしたのに」

 

「うっ……それは……ははは……」

 

「いい目標だと思うよ、頑張ってね、シャイン」

 

「ありがとう……サン……」

 

「そういえば、前にも日本一を目指したウマ娘がいた気がするわね、スペちゃん」

 

 背後から声がした、振り返るとそこには、サイレンススズカさんとスペシャルウィークさんがいた。

 サイレンススズカさんと言えば、大逃げでとてつもない勝利を何度も収めたレジェンド中のレジェンド、スペシャルウィークさんも、ジャパンカップでとんでもなく強い海外のウマ娘をねじ伏せた、まさにレジェンドウマ娘。

 

「うわぁ……」

 

「ちょ……スズカさんそれは昔の話ですってぇ……」

 

「ふふ……でも今でこそ、日本一を名乗っていいんじゃないかしら?」

 

「まだまだ! スズカさんに圧勝するまでは名乗れません!」

 

「楽しみにしてるわ、スペちゃん。 誰にも越えられない記録を残す……それは途方もなく大変な道になる、叶えられない夢かもしれない、でも現に日本一に手が届いているウマ娘はいるわ、だからあなたも頑張ってね」

 

「だから昔の話ですってばぁ!」

 

「はい!」

 

レジェンドウマ娘に応援されるなんて……私本当に叶えられるかもしれない……!

 

 

「とか言ってたらとうとうこの時が来てしまったね……サン」

 

「新入生専用の模擬レースだねぇ~、シャイン」

 

 そう、今から私たちは模擬レースを走る、トレセンで生徒としているにはトレーナーが必須だ、そのトレーナーさんを付けるために、私たちは模擬レースで自分の実力を見せつけて、スカウトされる。つまりこの模擬レースが私達ウマ娘の最初の関門と言ってもいい。

 観客席の方を見ると、トレーナーであろう人達はもちろんの事、青毛のウマ娘も見かけた。

 

「私は中距離で申し込んだけど、サンは?」

 

「そりゃ当然、中距離でしょ、トリプルティアラを狙うんだしね」

 

「じゃあ私達、ライバルだね……」

 

「ははは、まぁどっちかが負けても死ぬわけじゃないんだし、気楽にやろうよ」

 

「うげぇ……それでも怖いなぁ……」

 

 気楽にやる、なんて言っておきながらサンからはとてつもないやる気をひしひしと感じた。「恐らくこのレースではサンが一番の強敵となることが間違いない」と私の中で本能的に答えが出るのは不思議ではなかった。

 

 

「…………」

 

 観客席でただ一人、男がグラウンドを見つめていた。その顔はクマを作り、髪もぼさぼさであり、どんな人が見ても不健康と答えるであろう見た目をしていた。

 

「今日は何か良いのいそうなのか?」

 

 その男に少し離れた場所から別の男が話しかける。先ほどの男とはうって変わり、健康的な見た目をしている。

 

「どうでしょう……あの赤い髪の毛の奴とか?」

 

 そう言われて健康的な見た目の男は、あらかじめ学園から渡されていた入学生の資料から男の言った特徴のウマ娘のデータを探す。

 

「え~っと、プロミネンスサンか、なんでもトリプルティアラを狙ってるらしいぞ」

 

「トリプルティアラか……」

 

 そう言って、不健康な見た目の男は肩を落とす。

 

「どうした? 露骨に元気がなくなるじゃないか、トリプルティアラは不満なのか?」

 

「不満と言うかなんというか……まだこれから担当を持つって言う自覚が湧かなくて、どんな目標を持ったウマ娘をスカウトすればいいのか分からなくて」

 

「まぁお前はまだトレセンに入って間もないんだし、あんまり素質を見抜く目も育ってないだろ、今日のレースもちゃんと見て、ゆっくり目を培っていけ」

 

「そうですね……はい、そうします」

 

 

「よろしくね、シャイン」

 

「うへぇ……ちょっと気持ち悪くなってきた……」

 

 私たちはグラウンドについているゲートの中に入ってすでにレースの準備が出来ていた、もうすぐ模擬レースが始まってしまう……何度も段ボールで予行練習はしたのにいざゲートに入るとすごい緊張してくる……ウォエッ……

 どうやって走ろうか、いままで特にレースなどしてこなかったからどのようにすればいいのかいまいち分からないのが本音だ。さっきのサンとの一件もあるし何かしらの走り方は決めておきたいのだが、この緊張した状態で私が冷静に走り方を考えることができる訳もなく、ただひたすらに頭の中で意味の分からない自問自答を繰り返すだけであった。

 

「(ああ……だれかレジェンドウマ娘の魂が一時的に乗り移ってくれないかなぁ……それかゲートが壊れて模擬レース中止とか……)」

 

 そんな私の心情をゲートが察知して待ってくれるわけもなく、スタートのランプが光る。

そして数秒後には勢いよくゲートが開く音が響き、ついにレースが始まってしまった。

 

「やばっ……」

 

 レースが始まってしまったという衝撃から頭が真っ白になり、走り出すことが出来なかった。

 私は出遅れてしまい、最後方からのスタートになってしまった、先頭集団はおろか、中団までもが途方の先にいる。

 ゲートの中で考えていた走り方を、少しは冷静になった頭で考えていると、突然前の方で赤いポニーテールが揺れるのが見えた、そして次の瞬間――

 

「……はいはいはい!失礼するよ!」

 

「ちょ……え……ウッソぉ!?」

 

 前の方にいたサンは後続をぐんぐん突き離し、あっという間に二番手と5バ身くらい離れている。

 

「くぅっ……他の子たちも早い……」

 

 第一コーナーを回り、私は後ろの方にいた。前の方ではウマ娘達がすでに垂れていて、サンは意気揚々と遠くの方で走っている。すると、垂れているウマ娘の集団が私の方に近づいてくる、というより私から近づいていると言った方が正しいかもしれない。

 

「やばいやばいやばい!垂れちゃうって!」

 

 後ろの方にいた私はあっという間に垂れたウマ娘の集団に飲み込まれてしまった、右も左もウマ娘だらけでどうしようもない。

 

 

「やっぱり速かったですね、プロミネンスサン、それにしても逃げか……」

 

「……逃げでトリプルティアラに挑むのか、面白いじゃないか」

 

「同じく逃げでトリプルティアラに挑んだウマ娘と言えば、ダイワスカーレットにも似ていますね……」

 

「逃げるのはいいが、あそこまで逃げるのは勝ちの定石じゃない、あれでトリプルティアラを勝つとなれば、それこそサイレンススズカのような素質がいるだろうな」

 

「異次元の逃亡者、サイレンススズカ、彼女以上の逃げ足なんていないんじゃないんですか?」

 

「分からんぞ? 時代は変わっていくんだ、確かに今は越えられないと思うかもしれないが、いつかは必ず超えるようなウマ娘が出てきてもおかしくはない」

 

「それがプロミネンスサンって事ですか……」

 

 

「うううう……っ!」

 

 完全に垂れウマ集団に飲まれてしまい、私は動けなくなっていた。第二コーナーに入り、そのまま何も展開が変わらず第三コーナーに入る。相変わらずサンは逃げ続け、その後ろの方で私は垂れ続けている、周りを見るに他の子たちも変わらないだろう、完全にサンの独壇場だ。

 

「(これじゃあこのままサンにゴールされちゃう……でも……諦められない……)」

 

 そう、私は誰にも越えられない記録を残すんだ、こんなところで負けていられない……!!

 

「あっ……」

 

 強くそう思った瞬間、私の目の前に道が見える……まるで天の川みたいな、星の道…………これなら集団を抜けられる!

 

「…………私はこんなところで、負けてられないんだぁぁぁぁぁ!」

 

 もうゴールまでの距離もそんなにない……ここが勝負……! 

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 レースがスタートしてからもうだいぶ走っている、やっぱり2000mは長いなぁ……でも……レースの序盤であれだけ逃げに逃げ、後ろのウマ娘達を離したんだ、ここから私がスタミナ切れになっても、追いつける子なんて……

 

「はぁっ……えっ……?」

 

 後ろからドゴドゴと、まるで巨人が走ってくるような、強大な轟音が聞こえる、心なしか地面も地震が起きたように揺れている気がする。その足音の正体は――

 

 

「なんだあいつ!?」

 

「おいおいマジか……」

 

 

「嘘……シャイン……っ!?」

 

「サァァン!……逃がさないっっ!」

 

 なんと後ろからその轟音を響かせていたのは、私の同級生、スターインシャインだった。

 

 

 サンの姿が見えてきた……既に第四コーナーは回っていて最終直線だ、もう時間は無い……

 

「絶対に差し切らせないっっっ!」

 

 私が近づいているのを後ろ目で確認したのだろう、サンは残り少ないであろうスタミナで私から逃げようとする。大外から私が追いすがり、内ではサンが私から逃げている状態だ。

 

「追い越したっ!……いやっ……差し返されたっ……!?」

 

 私は目の前で起きた出来事がウソのように思えた、私がスパートをかけ、サンを追い越したと思ったその瞬間、なんとサンが再び私以上に加速したのだ。そんなことありえないと思っていた、もうサンは最初にたくさん飛ばして疲れ切っているはず、なのになんでまた加速できるの……

 

「(シャインのこの走り方、無謀かもしれないけど真似したら更に加速することができた!私は走り方のフォームなんてないただ勘だけで完成した走り方だ……シャインの走り方を真似ればもしかしたらと思って、やってみた甲斐があった!)」

 

「私だって、叶えたい夢(トリプルティアラ)があるんだ!私だって負けられないんだぁぁっっ!」

 

「私だって……!」

 

「私だって!」

 

 もうすでに脚の感覚はない、もしかしたらすでに骨折とかしているかもしれない、けど走るのはやめない、応援されたんだ、私はあのサイレンススズカさんに応援されたんだ、模擬レースくらい勝てなくて、なにが越えられない記録を作るだ。応援されたことを思い出し、再び私の脚にエンジンがかかる。

 

「っっっっ……ぅあああああああああ!」

 

「そんなっ……さらに加速するなんて……」

 

 

「まさかあの子が差し切るなんて……」

 

「スターインシャイン……すごい末脚だな」

 

 

「はぁぁっ……はぁぁっ……はぁぁっげほっ……げぇぇっほ……おえっ……げほっげほっ……」

 

 私はゴール板を駆け抜けた瞬間に身体が赴くままにターフに転がった、スピードもなにもかもそのままでだ。本来なら怪我をすると言われて怒られるかもしれないが、私は初めてのレースだったので文句は言わないで欲しい。

 

「はぁっ……はぁっ……負けた……っ……のか……」

 

 私は、2分の1バ身差でサンを差し切った。

 

「勝ったんだ……勝てたんだ……私……やった……やったやったやった……」

 

「はぁ……はぁ…………おめでとう、シャイン」

 

 サンが私に近づいて言葉を出す、その表情は凄く満足げで、私も自分自身の顔が笑顔になるのが分かる。

 

「はぁあ……はぁ……サン……すごく強かった!!最後の逃げの再加速、すごかったよ!!」

 

「結果的に同じように再加速したシャインに負けちゃったけどね……まぁ私も2着にはなれたわけだし、多分トレーナーさんからのオファーもシャインほどじゃないにしろ来るでしょ……」

 

「また一緒にレースしようよ……サン……!」

 

「その時は私が逃げ切るよ……シャイン……!!」

 

サンはこちらに向かって手を差し伸べてくる。ぶっちゃけもう肺は痛いわ脚は痛いわで動きたくなかったが、ここで手を取らないのは人としてどうかと思ったから、サンの手をしっかり握り、立ち上がった。

 

そこから教室に戻るまでお互いに言葉は発さなかった、が、私たちはお互いに何となく言いたいことが分かっていた。

 

『絶対に、同じレースで戦う……っ!!』

 



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第二話 私を観測する人

 

 グラウンドで一人、茶髪のウマ娘が自主トレーニングをしていた。

 

「ふぅっ……ふぅっ……」

 

「やぁ、朝っぱらからトレーニングかい?」

 

 朝の5時という早朝から練習をする私に話しかけるのはサンだった。サンもその名に負けず劣らず早起きなようで、練習を初めてから数分もしないでやってきた。

 

「うん、トレーナーもいないし、ここで練習してオファーが来るのを待つしかないからね」

 

「あ~そういうことか~……って、え”?トレーナーがいない?どうして!?」

 

 サンとの模擬レースが終わった後、一着だった私には当然沢山オファーが来た。でも私はそのすべてを断ることにしたのだ、なぜかは単純だ。

 

『俺と一緒に三冠を取ろう! 君は先行策で三冠を制覇できる!』

 

『私と逃げで世界を狙おう! 私と一緒なら世界一になれる!』

 

『拙者と共に天下無双の時代を担おうぞ』

 

 そのどれもが胡散臭くて、断ってしまった。と言うか最後の人に関してはトレーナーなのかすら危うい人だったので断った。

 

「えぇ……シャイン、誰にも越えられない記録を作るんでしょ?そんなにトレーナーさんからのオファーを断ってたら、誰にも越えられない記録が出来る前に退学通知が出来ちゃうよ」

 

「誰にも越えられない記録を作るからこそだよ、私は適当に選びたくない、本当に信用できる人をトレーナーにしたいの」

 

 もちろん学園から忠告が来て、退学になる可能性があるならトレーナーさんはすぐにでもつけるつもりだ、でもそれまでは絶対に選り好みすると決めている。

 

「そういうサンは、もうトレーナーさん付いたの?」

 

「うん、あそこにいる人」

 

 遠くを見ると、サンのトレーナさんであろう人がこちらを見ていた、何やら穏やかそうな雰囲気を持っている……ように見える。

 

「あれ?ってことはサンはこれからトレーニングじゃないの?」

 

「そうだよ、でもたまたまシャインを見かけたから声掛けに来ただけ、じゃあ私はトレーニングしてくるから、またね!」

 

「うん、またね……さて、自主練続けるか」

 

 サンはこちらに手を振ってからトレーナーさんであろう人のところに走って行った。元気なんだけどどこか不思議な雰囲気の子なんだよなぁ……元気なのに気配が少ないというか

 トレーナーさんもいないでこれからどうするか、トレーナーさんからのオファーを受けるにはやはり模擬レースに出て、パフォーマンスを見せつける必要がある。再び模擬レースへ申請をするか、なんて考えていると。

 

「…………トレーナーからのオファーをすべて断るか……変わった奴だな……」

 

 サンが去った次の瞬間、私の背後から声がした、そこには白いワイシャツに灰色のスーツを着てザ・普通みたいな髪型をした、ザ・トレーナーさんみたいな人がいた、しかしクマがすごく、その少しだけ怖い風貌に私は少し後ずさる。

 

「……あなたも私をスカウトしに来たんですか?」

 

「ああ、まぁな、誰も声をかけないなら俺が貰おうと思ってな、この前の模擬レース、すごかったぞ」

 

「……悪いですけど、私は普通の目標を持ってないんです、三冠とか世界とか、そんなものじゃない目標を持っているんです。だからすいません」

 

 そう言って私は自主練に戻った、そのトレーナーさんであろう人は特に追う事もせずどこかに歩き去ってしまった。

 

「普通じゃない目標ねぇ……目標か……」

 

 私がそのトレーナーさんっぽい人と別れた別の日

 

「ふぅ……授業終わった……あの先生の棒痛いんだよなぁ……」

 

 私とサンは授業が終わり二人で廊下をぶらぶらと歩いていた。私のクラスは授業中居眠りをすると先生からのとんでもない仕置き棒が飛んでくる、絶対あれ叩く速度ウマ娘より早いと思う、まだ頭ひりひりするもん。

 

「シャインが居眠りするからでしょうがよ」

 

「サンまでそんなこと言って……厳しい世の中だぁ……」

 

「普通じゃない目標があるなら、厳しいなんて言う言葉じゃ済まないんじゃないのか?」

 

 そう声がして声がした方を向く、またあのザ・トレーナーさんな人が柱に寄りかかっていた。

 

「またあなたですか……昨日説明したじゃないですか」

 

「この人は?」

 

「あぁ気にしないで、俺はこの子をスカウトしに来ただけ」

 

「もう一度説明しますが、私は大きい目標があって―――

 

「明日の模擬レース」

 

「え?」

 

 突然私の言葉がさえぎられてしまい驚く、何やら伝えたいことがあるようなのでおとなしく耳を傾けると、トレーナーさんであろう人は語り始めた。

 

「明日の模擬レース、追込で走ってみてくれ、それも第三コーナーを回り第四コーナー、つまり最後の直線の手前からスパートをかけてみてくれないか」

 

 何を言っているんだこの人は、と思ったが、確かに明日はトレセンが定期的に行っている模擬レースがある、それも実況の人がいる本格的なやつだ、私はそのレースに出走登録していたのだ。

 

「何を無責任な……」

 

「騙されたと思って走ってみてくれないか、君の脚質はおそらく追込だ、もしこれで手ごたえがつかめるようだったら、俺と担当契約してくれないか」

 

「……」

 

 追込、最後方で力をため、最後の最後で一気に前方をごぼう抜きにする豪快な作戦だ。確かに前回私は後方からごぼう抜きを見せた、でも前回のレースはあくまでも出遅れてかつ、初めてのレースだったから最後方になっただけであり、追込なわけがないのだ。私の脚質は良くて差しといったところだろう。

 

「約束はしませんよ……」

 

「大丈夫だ、きっと勝てる」

 

 そういうとトレーナさんはどこかに行ってしまった。正直先ほど去って行ったあのトレーナーさんも胡散臭かった、でも実際、私の事を追込でスカウトしようとする人はいなかった、みんな最後の末脚からスタミナがあると見込み、逃げか先行を勧めてきたのに、それをあのトレーナーさんは追込だと言い切った。

 

「私はあの人信用していいと思うけどなぁ……」

 

「ところでサン、明日の模擬レースって誰が出るの?それにサンは出るの?」

 

「明日の模擬レースの出走メンバーは見てないなぁ、まぁ少なくとも私は走らないよ、申し込んでないし」

 

「追込か……」

 

 そうしているうち、一日はあっという間に終わり、私はいつの間にか眠りについていた。

 

 そして迎えた、模擬レース当日

 

 模擬レースと言う事で、いつにも増してざわついているグラウンドに私は一人立っていた。

 しかし実況もいる模擬レースと言う事で、観客席が埋まっているグラウンドで私は再び緊張気味だった、それに今回は『オファーをすべて断ったウマ娘』という噂が立ち、いつもとは違う様子で観客席が埋まっていたから余計に緊張する。

 

「シャイーーン! 焦りすぎないでよーーっ! 9番だからねーーっ!」

 

「……あっ、わかってるってーーーーっ!」

 

 観客席の方からサンの声が聞こえているのに、私はボーっとしてしまっていた、昨日あのトレーナーさんに言われたことが頭から離れないのだ。

 

「うう……まだ自分の脚質すらわかってないのに……」

 

 ともかく今日は、あのトレーナーさんに言われたことは置いといて、いろんな人に勧められている先行で行くことにした。ふともう一回観客席を見ると、観客席は私の走りを見たくて来たであろうトレーナーさんでパンパンになっていた。

 

『さぁ日本ウマ娘トレーニングセンター学園、本日の模擬レース、天候は晴れ、バ場も絶好の良バ場となりました』

 

「ひぇぇ……実況の人がいるよ……」

 

 よく考えたら実況の人と言うのは着順を読み上げることを思い出した。私負けたらあの人に読み上げられるのかな、……え怖くね?

 

「大丈夫かなあの子……意外と本番のプレッシャーに弱いみたいだし……」

 

 そんな風にシャインが緊張している中、観客席ではプロミネンスサンとそのトレーナーがレースを見に来ていた。

 

「ん、レース見に来てたんですか、サン」

 

「あ、トレーナーさん、トレーナーさんも見に来たの?」

 

「えぇまぁ、確かサンの友達の子だったよね、スターインシャイン、前回の模擬レースは出遅れからのごぼう抜きでレースを勝ったんだっけ、出遅れなければ末脚は輝くものがあるから、先行か差しかな?それかサンと同じ逃げだったりして」

 

「いやぁ、いっくらなんでも逃げはないでしょうよ……」

 

「冗談です」

 

『さぁ9人のウマ娘、ゲートに入りました』

 

「(先行だから、最初から少しだけ飛ばして……)」

 

スタートのランプがついてから、たった一回聞いただけでも強烈なインパクトを残してくれやがるゲート音が響く

 

『スタートですっ!』

 

「……っ」

 

『おっと9番スターインシャインが出遅れたか、最後方からのレースになっています、これは作戦なのか!?』

 

 何を考えているんだ私は、なぜ()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 私自身の思考がそうしたのではない、もっと強力な、磁力のようなもので私は最後方からのレースを選んでしまったのだ。

 

「彼女自身の得意な脚質なんだ、何を言われようが意識さえさせてしまえば本能で得意な位置についてしまうに決まっている、スターインシャイン……やっぱり君は……!」

 

『各ウマ娘、第一コーナーを回り順調にレースが進んでおります』

 

「こうなったらもうヤケクソだ!」

 

 最初こそ先行の位置に戻ろうとしたが、前との差が大きかった私は結局先行の位置に無理やりつくようなことはせず、そのまま追込の位置でレースを走ることにした。

 

『さぁ先頭で1番トロッコレーンが逃げています、その後ろに8番マスカットブルー、3バ身ほど空いて5番マックライトニングです』

 

 ここで走ると、前のウマ娘達が良く見える、全員がどのようにレースを運ぼうとしているのかよく見える。

 

「(中団のあの子は危険だな……二番手のあの子も注意した方が良い……5番のあの子…………)」

 

「(あれ……?なんでこんな私イキイキと……)」

 

『第二コーナーを回りまだ出遅れ気味のスターインシャインは抑えたままだ! さぁ先頭で飛ばしています1番トロッコレーン! 二番手が入れ替わり……』

 

 

「シャイン……追込の位置だ、昨日のトレーナーさんに言われた通りにしたんだ」

 

「前回のレースと同じような展開だね、それにしても追込か……サンとは真逆の脚質みたいだね」

 

「前回のシャインの足音、すごかったもん、きっと今回も見せてくれるよ」

 

 

 私はあのトレーナーさんの言う通り、第三コーナーまでは抑えていた。もうほかの子がスパートにかけて動き出す中、私一人だけは後方でゆっくりと走っていた。

 

「まだ抑えるべきだ……きっと第四コーナーで仕掛ければ……」

 

『第三コーナーを回りおおっとここで4番ウッドラインがロングスパートをかけ始めているか!?ゆっくりと前方に上がって行く!』

 

「っっ……」

 

 私の隣にいた子がスパートをかけ始めた、私もそれに釣られ、ウマ娘の負けたくないという本能がスパートをかけそうになるが、まだ抑える。さぁ早く、もう脚はいつでも飛ばしたいと燃えている。

 

「さぁ退きなぁぁぁ! このレースで輝くのは俺だけだ!」

 

『さぁ各ウマ娘各々スパートをかけ始めている! 1番トロッコレーンはここで捕まったか!?4番ウッドラインが追いすがるが5番マックライトニングに躱される! 8番マスカットブルーは後ろの方に沈んでしまっている! 先頭が大きく入れ替わり現在先頭は5番マックライトニング! 他のウマ娘達も必死に追いかける!』

「無理ぃ~!」

 

 黒髪のウマ娘がぐんぐん前のウマ娘達を追い抜いている……激しいのにあくまでもじわじわと追いすがる、まるでワニが近くに止まった小鳥をじわじわと噛み殺しているような、そんなものを感じる追い抜き方だ。そんな追い込み方に少し狼狽えるが関係ない、私はスパートをかける位置を待つだけである。

 

 第四コーナーが見えてきた、あのトレーナーさんは第四コーナー手前でスパートをかけろと言っていた、ここからの位置でスパートをかけるなら……

 

「……っここだっ!」

 

『おおっと今日は抑えていた9番スターインシャイン! ここで一気にスパートをかけてきた!』

 

「っ!?けっ……!」

 

 

「よしっ……そこだっ……!」

 

「きたーーーっ! シャインのスパートが来たよトレーナーさん!」

 

「あの位置からもう5番手まで上がってきてる!?」

 

 

「なぁにが煌めき(シャイン)だ、今の俺は万全の体調なんだ……負ける気がしねぇ!」

 

 突然俺の後ろの方からうるさい音が聞こえる、それに釣られて実況の人も声を荒げているが俺には関係ない、このまま走り抜けるだけだ。

 

『後ろからスターインシャインが上がってくる! 4番手! 3番手! 2番手! ジリジリと前に詰める詰める詰める!』

 

「いくら足音がデカかろうが、いくら威圧感があろうが、早くなけりゃ意味ないんだよ!」

 

『先頭5番マックライトニングに届くか! 届くのか! 他のウマ娘達も懸命にスパートをかけていますが前の二人に届かない! ただトレセンで行われる模擬レースとは思えない展開!』

 

「届かせねぇ! 届くわけねぇ! 今の俺は誰よりもっ……」

 

「横……失礼するよっ!」

 

 声が聞こえたと思い横を向く、なんとなく察してはいたが先ほどから名前を呼ばれているスターインシャインとかいうウマ娘が俺の方を見て、俺の事を躱していた。私を追い抜いたのを確認してスターインシャインとかいう奴はさらに加速しやがった。

 

「ぅぉぉぉぉぉぉぉおおおおおああああああああ!」

 

「なんでここまで……まだ足音は遠くだったんじゃないのか……!?俺が聞いていた足跡は、ただ遠くで鳴ってるデカい音だったわけじゃなくて……本当に近くに迫っていた足音だったってのか……!?こんな短時間で……っ!?クソッ! 逃がさねぇ!」

 

『躱した躱した! スターインシャインがあっという間にマックライトニングを躱した! 震えている! ターフが震えているぞスターインシャイン! この子の脚力は化け物か!?』

 

 俺は必死に追い抜こうと足を酷使し続けるが、それでも追い付くことができない。そのままスターインシャインの何バ身も後ろを走っているだけだった。

 

「クソッ……なんで追いつけない……!」

 

『マックライトニングも負けじと迫るがそのまま離して! 離して! 今 ゴールインっっっ! 見事レースを制したのは、9番スターインシャイン! まさに超新星爆発のような末脚で、勝利をつかんだっ! この子の活躍が今から楽しみですっっ! 二着は5番マックライトニング! 三着は――――』

 

 

「よしっ……! やっぱりあの子の末脚は本物だ……!」

 

「なんだなんだ、普段あんなに無愛想なのに、今ずいぶん楽しそうな顔してるじゃないか、何か良いもん見つけたのか?」コツ コツ

 

「先輩……!」

 

「なるほど、スターインシャインか、いいんじゃないか?お前の担当として、スカウトしてこいよ」

 

「えぇ……! 当然です!」

 

 

 

「っっはぁっ……はぁあああっ……はぁ……はぁ……ふぅ……」

 

「ふーーっ……ふーーっ……クソッ! クソッ! クソォォォッ!」

 

 私は何とか模擬レースに勝つことができた、二回目の模擬レース、当初の予定とは違う追込での走りだったがギリギリ勝てたのだ。

 観客席からは、ただトレーナーにパフォーマンスを見せる模擬レースだとは思えない大歓声が沸きあがっていた、それもそうだ、デビュー前のウマ娘が走っているのに着差が大きすぎる、そりゃ歓声もあげたくなるかもしれない。

 

 電光掲示板や観客席に目を配っていると、私は二着だった子に言いたいことがあったのを思い出し、5番のウマ娘に近づく。

 

「……あ?なんだよ」

 

 やはり近づくや否や威嚇してくるのは変わっていないようだ、私はその黒髪のウマ娘に向かって言葉をかける。

 

「あなた……入学式の日、私のこと威嚇した子でしょ。……すごく早かった、2番手の子を追い越した時点でとても差があって追いつけないと思った、そう思えるくらいすごかったよ、……またレースしよう」

 

「クッ……うるせぇ!」

 

 マックライトニングと言われていたその子は、私の言葉を投げ捨てると、怒った様子でどこかに向かって行ってしまった。励ましのつもりで賭けた言葉だったが、地雷だったかもしれない。また今度出会ったら謝らないといけないかな……まぁ兎に角、私は見事勝利をつかんだ。他の作戦を試した事が無いから、まだわからないだけかもしれない、でも、少なくとも、私に追込があっていると思えたレースだった。

 

「シャイーーーンっ! おめでとーーーっっ! 今日もすごかったよーーーっ!」

 

「っ! ありがとーーーーっ! サーーーンっっ!」

 

 私に追込があっていた、でもそれに気付かず先行や差しを勧めるトレーナーが多い中、あのトレーナーさんは私のレース一回で見抜いた。ならばもうやることは一つだ。

 

「あのトレーナーさんを探さないと……!」

 

 まだ他の距離の模擬レースが開催されている中、私は特に誰もいない中庭に向かい、私はあのトレーナーさんを探していた。といってもあのトレーナーさんがいるところなど分からないのでひたすら学園内の良そうな場所を回っているだけだ。そのまま学園内をコツコツと歩いていると、中庭のベンチに座っているあのトレーナーさんがいた。

 

「……ん、やっぱり来てくれたね」

 

「あなたの言う通りだった、私の脚質は確実に追込だった」

 

 トレーナーさんを見つけ出すや否や、私は話し始める。

 

「ああ、今日のマックライトニングを躱した瞬間、すごかったぞ」

 

「ありがとうございます」

 

「……それで?君は俺に何を言いに来たんだ」

 

「あなたに担当トレーナーになって欲しい、って言いたいところだったけど、その前に一つだけ聞きたいことがあります」

 

「なんだ?」

 

「あなた、目標はあるんですか?私は普通じゃない目標を持っているって言いましたよね、それについて来れるような目標じゃないとダメ、だから、あなたの目標を聞かせてほしいです」

 

 私はトレーナーさんに向かってそう聞いた、トレーナさんは少し悩んだ後、さらに悩み、自分の目標をひねり出しているようだった。

 

「俺の目標……『誰にも負けないウマ娘を育てる事』かな……」

 

「…………それを聞いて安心しました、私の目標は『誰にも越えられない記録を作る事』」

 

 そういうと、トレーナーさんの目がはっとなりキラキラと輝いた

 

「……つまりテストは合格なのか?」

 

「テストは合格、なんて偉そうに言えないです、お願いしますトレーナーさん、私の担当をしてください、あなたは私の脚質を一回のレースで見抜き、勝利へと導いてくれました、あなたなら、信頼できます、あなたと一緒に頑張りたいです」

 

 私はトレーナーさんに向かって深々と頭を下げた、回答はすぐに帰って来た。

 

「こちらこそ、よろしく頼むよ、スターインシャイン、俺の名前は橋田だ、よろしく」

 

「っっ! よろしくお願いしますっ!」

 

 こうして私とトレーナーさんは出会った、これからこの人とトゥインクルシリーズを駆け抜け、伝説の記録を残す……私も、誰にも負けないウマ娘になるために……!

 

「ほほう……私も負けてられないねぇ……シャイン……」

 

「何やってるんですかサン……」

 



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第三話 滾る太陽

 

「さて、今日からシャインの担当をするわけになったわけだが」

 

 私がトレーナーさんに契約の話を持ち出した次の日、新しく支給された、……と言うには壁に傷がついていたり、資料が転がっていたり、謎のシミがついていたりと少々汚めのトレーナー室でトレーナーが現状を口に出し、気合を入れ直すと同時にこれからのスケジュールについて話し出す。

 

「ちょっと汚いね……このトレーナー室」

 

「しょうがないだろ、俺みたいな過去の実績もないペーペートレーナーは他のトレーナーが使ってた中古部屋使わされるんだから」

 

 ……仮にそうだとしても掃除すれば新品同然に綺麗になりそうな部屋なのだが、トレーナーの目のクマやぼさぼさな髪形を見てわかる通り、日ごろから掃除をするタイプじゃない事はすぐにわかった。

 これはしばらく私が暇を見つけて掃除しないと大変な事になりかねない、茶色いアイツが出てきたり。

 

「まだ模擬レースの期間だから、デビューまでは遠いね」

 

 私はトレーナー室についているボロボロのカレンダーを見ながらぽつりとつぶやく。ここで私たちウマ娘のことをよく知らない人たちは「え?もうデビューしたんじゃないの?」と思うだろう、だがそうではない、ウマ娘達はトレーナーがついたからいいと言うわけではないのだ。簡単に言えば、(きた)るメイクデビュー、所謂デビュー戦だ、それに勝たなければ未勝利クラスとなってしまって、他の子より出遅れてしまう。それがどんなに大きい事か、想像がつかない……とまではいかない範囲ではあるが、恐ろしい事には変わりはない。いわばウマ娘の第二の関門なのだ。

 

「そうだな、まだメイクデビューの時期じゃない、だからシャインのスピードを上げていこうと思う」

 

「スピード?」

 

私のつぶやきを聞いてトレーナーさんはそう答える。うぬぼれているわけではないが、私は模擬レースの際に、他の子をも寄せ付けないほどのスピードを出したと思っていた。なので少しだけ驚いてしまう。

 

「そうだ、確かにシャインの末脚は爆発的だ、でもそれだけじゃダメだ、もっとG1やG2で通用するようなスピードを身に着けないといけない。それにスタミナも必要だ、シャインが走った2つの模擬レース、どっちも最終的にはスタミナが限界だったろ」

 

 トレーナーさんに質問をされて私は自分の模擬レースを振り返ってみた。確かに一回目の模擬レース、サンと戦った時は絶対に負けたくないと言う根性で乗り切り、二回目の模擬レース、マックライトニングと戦ったレースではわりと頭が真っ白だった、どちらも気合で乗り切っているスタミナ切れレースだ。自覚して見るとかなり焦るもので、私はトレーナーさんの方を向いて頷いた。

 

「……シャイン自身がそう感じているなら尚更スタミナがいるな」

 

トレーナーさんは椅子をギシと鳴らして天井を見つめる。顎を押さえてトレーニングメニューを考えているであろうトレーナーさんに私はふと思ったことを言ってみる。

 

「へぇ~……それにしても……もうG1を見据えてるんだ、さすが私のトレーナー」

 

「『誰にも越えられない記録』だったな? 二人で作ってやろうじゃねぇか」

 

「おおお────っ!」

 

「そのためのトレーニングだが、とりあえずインターバルトレーニングでコースを30周くらいしようと思う」

 

「…………ふぇっ?」

 

 広いグラウンドのトラックで、一人ズダズダと動く亡骸のように走るウマ娘がいた。

 

「ゼェ~~ッ……ゼェ~~ッ……」

 

「シャイン! 休憩だ! 次の1周に備えろ!」

 

「ちょ……ちょっとハードだってオエッ……」

 

 私は度重なるインターバールトレーニングでスタミナが底をついていた、というのもこのインターバルトレーニングというものがとてつもなく凶悪なトレーニングで、しばらく走った後、少しだけインターバルという名の休憩をして、またすぐに走り出すというものだ。

 

要するにちょっと休憩してちょっと走ってを繰り返す練習である。一見「適度に休憩できるなら楽じゃん!」と思うかもしれない、確かにその通りで、最初の内は休憩が挟まってとても楽に感じるのだ、が。やってみると分かる、すごくつらい、死ぬほどつらい、肺が取れて口から「こんにちわ~」しそうになるのだ、そんなものを30周もすると言うのだからこのトレーナーさんは本当に現代に舞い降りた鬼かもしれない。

 

「まだまだ! G1は模擬レースのように甘くない!」

 

 トレーナーさんは一時期大きいチームのサブトレーナーをやっていたみたいで、G1ウマ娘がこなしていたトレーニングについて詳しい。もちろん私はまだメイクデビューすら走っていない、そんなウマ娘にG1クラスの練習をやらせたらどうなるか、無論死にそうになる。

 

「でも……これで私が強くなれるなら……っ! オエッ」

 

 

「いい原石、見つけたみたいですね」

 

 シャインのトレーニングを監視していると、後ろの方から聞きなれた声が聞こえる。振り返ると、俺より1年先輩の木村さんが立っていた。木村さんは年齢こそ俺より下だが、2年間トレーナーをやっているだけあってウマ娘の能力を見る目は確かだ。俺と木村さんは前からお互いにサブトレーナーの仕事を手伝う仲だが、木村さんも最近担当を持ったそうで、わりとライバル視している。

 

「木村さん……ええ、彼女は強いですよ、根性もあります」

 

「そうみたいですね、でも、うちのプロミネンスサンも負けてませんよ」

 

「プロミネンスサン……それが新しい担当ですか」

 

 プロミネンスサン、確かトリプルティアラを目標にしていて、俺がシャインの脚質を追込みだと予感した模擬レースの最終直線でシャインが小競り合いをした相手だ。あのウマ娘を木村さんが担当したとなればかなり強い逃げウマ娘になるのは間違いない、俺は感情を隠しながらも少しだけ焦る。

 

「えぇ、サンはシャインさんと良いライバルになる気がしますよ」

 

「俺の最初の担当ウマ娘ですからね、絶対に輝かせます」

 

「(これは、私も負けていられませんね……)」

 

 

「ぜ……ぜぇ……ぅぅぅぅぅえっ……」

 

 それから私は、何日も何日もトレーニングを行った、ある日はショットガンタッチで最高速度を高めたり、またインターバルを行ったり、すごい時は全く整地されていない山の中で走らされた。

 そして時折トレーニング後に胃の中をぶちまけたりして、トレーナーさんがマジで心配したりもしたが、私はトレーニング内容に変更を加えず耐え抜いた。

 

 その効果が出て来たのか、タイムはどんどん縮まり、私の脚は太くなってごつくなってきた、まだまだ私の脚は弱かった状態なのだと実感でき、感動する。

 

 そんな日々を過ごしていた、ある日のトレーニング

 

「ふっ……ふっ……」

 

「シャイン! 少し休憩だ、ゆっくり歩いて止まれ~!」

 

「わ~かってるって、ふぅ……」

 

 何日もそんなトレーニングを続けたおかげか、私はインターバルトレーニングで最初の頃の練習量ならこなせるようになっていた。息の入りも早くなっている。

 

「速い……」

 

「ん?」

 

 声がした方を向くと、トレセンのジャージを着た葦毛のウマ娘がいた、この人はどこかで見たことあるような……

 

「あなたは……」

 

「私はハッピーミーク、一緒に走ろう……」

 

 そうだ、ハッピーミークさんだ、確かすごい家柄のトレーナーさんの担当ウマ娘だったはず。いつも無口で、喋る時ですら割と単語が断片的なときがある、サン以上に不思議な人だ

 そんでそんで……確か全距離を走れるオールラウンダーだったはずだ、そんなわけだから、最速でデビューした人だ。

 

「別にいいですけど……どうして急に……?」

 

「あなたが速かったから……?  ん……」

 

 すると突然、ミークさんが私の右脚を何かを感じているような感じで触ってくる。どうでもいいことなのだが、なぜだかこの人、触り方がねっとりと優しくてくすぐったい。

 

「あの……速いって褒めてくれるのは嬉しいんですけど……」

 

「?」

 

「あんまり右脚をさわさわしないでください……くすぐったい……///」

 

「……」

 

 

 

「ふっ……ふっ……」

 

「ふっ…………ふっ…………」

 

 結局私とミークさんは一緒にトレーニングをすることになった、トレーナーさんも「まぁいいんじゃないか? デビューしてる子と走ればシャインも得るものがあるだろ」と言い、ミークのトレーナーである桐生院さんも「いいですよ!」と言って承諾してくれた。

 いざ走ってみると、ミークさんは私より速いのに走りのフォームが絶対にブレず、いくら走っても息の入りは一定スピード、相当に肺活量や呼吸器官が強いのだろう。

 

「ミークさん……速いですね……」

 

走りながら私はミークさんにそう言う。

 

「私はもうデビューしてるのに……ついてくるシャインもすごい……」

 

ミークさんも走りながら私に返答してくれる。

 

「トレーナーさんの鬼トレーニングのおかげですね……はっ……はっ……」

 

「おぉぉぉぉい! 私も混ぜてくれよーーーっ!」

 

 私たちが併走をしていると、遠くの方からなにやら聞き覚えのある声が響いてきた

 

「あっサンまで来た!」

 

「『まで』って何よ!?遠くでも聞こえてるからね!?」

 

私のちょっとしたからかいにサンが綺麗にツッコミを入れる。私たちはいったん走るのをやめて、サンの方向に向かう。

 

「ところでサン、模擬レース付き合ってくれない?」

 

 サンのところに到着してから数秒、私はサンに模擬レースを申し込んだ。今の私の実力を知っておきたかったのもそうだが、サンの実力も知っておきたい、将来走るライバルの走りを、まだ私達みたいに荒削りの状態で見ておきたい。

 

「別にいいけど……さては私の走りを偵察しようとしてるな?」

 

「ソンナコト、ナイトオモウナー」

 

「声、震えてるよ、シャイン」

 

「じゃあ私は見ておく……」

 

 そんなわけで私とサンだけの二人模擬レースがスタートしたが、特に代わり映えもせず、私たちがはじめて走った模擬レースの時のようなレース展開になっていた。

 

 2000m併走開始 1400m通過

 

「(この前のレースとは違って、2人だから走り方も訳が違う、シャインが仕掛けたタイミングで、私もスパートをかける……!)」

 

「……」

 

 サンは未だ逃げの位置で走っている、私は追込、というか差しも先行もいないから大差を開けて走っている、と言った方が分かりやすいかもしれない

 

 この前まではここですでに限界が近かったのに、まだ脚が残ってるって実感できる……今なら、たとえ100バ身空いてても残り600mあれば追い越せる気がする。

 

「たとえ併走でも……勝利は渡さないよ、サンっ!」

 

 通常時より強く踏み込み、地面がえぐれるような音が響く。

 

「っ!」

 

 シャインがスパートをかける音が聞こえる、ついこの間までとは比較にならない轟音だ。あの時のように垂れたバ群の足音でも掻き消せなさそうな轟音、確実にシャインは力を付けている。

 

「でもねシャイン……私だってまだ脚は残ってる! 2度も勝ちは譲らない!」

 

「!? ……やっぱりサンはそうでなくちゃっ!」

 

 逃げの作戦を打つサンは、普通最終直線でスタミナが切れ、多少なりとも減速するはずなのだ、でもサンは、絶対に速度を落とさない……恐らく前回の模擬レースからスタミナのトレーニングを重ねてきたのだろう、あの時のようにすぐに落ちる加速ではなく、そのまま逃げ切ると言わんばかりの加速をしていた。

 

「ぐぅっ……!」

 

 背後からのプレッシャーがすごい、以前模擬レースで走った時よりも恐怖を感じる轟音、地震、まるでコースの横幅を全て覆い尽くすほどの怪物が私を追いかけているような……

 そんなことを考えていると、私の視界の横から見慣れた茶髪が映った。

 

「今回も、私が勝ちをいただくよっ!」

 

「はっ……」

 

 私は、サンを再び差し切ってゴールする事が出来た。

 

「よし、シャイン! また記録更新だ! いい感じだぞ!」

 

「当り前~っっ!」

 

 トレーナーに元気に返事をした後、模擬レースに付き合ってくれたことに対して感謝の念を送っておこうと思いサンに近づいた。

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

「サン、また速くなってたね……いつか追い抜かされるんじゃないか心配だよ」

 

「あぁ……そうだね……」

 

「サン? どうしたの?」

 

「いや……なんでもない……気にしないで……」

 

 サンはそう言うと、真剣な顔のままどこかに歩いてしまった。私は特に気にすることもなく水分補給をしに行ったが、この時私は気づかなかった、サンの目に明らかな闘志が宿っていたことに。

 

 

「ふっ……まだデビュー前なのに、もう立派な一流ウマ娘みたいになってるな」

 

 シャインとプロミネンスサンの模擬レースを観戦していた俺たちは、トレーナー間で積もる話もあるだろうと思い、何気ない一言を放った、まだ1000mだし、話す時間くらいはあるだろう。

 

「そうですね、申し訳ありません、急に参加させてもらっちゃって」

 

「いいですよ、木村さんにはお世話になってますから」

 

「ところで、お二人の担当はいつメイクデビューを?」

 

 木村さんと話していると、ハッピーミークのトレーナーである桐生院さんが話しかけてきた、確かにそろそろメイクデビューの時期だ、まだ決めてなかったなんて思いながら焦って手元のレース表に目を配る、すると1週間後にシャインの得意距離である中距離のメイクデビューが開催されていたので、そこに出走することに決めた。

 

「私は1週間後の中距離のやつですかね」

 

「えっ……私達もそのレース出るんですけど……」

 

 すると木村さんが露骨に嫌そうな顔で見てくる、まぁ戦績上は未だに勝てていない相手が同じレースに出るとなったら少し恐怖するかもしれない、だけどレースの世界においてそんなことは日常茶飯事なので特に気にすることもなく、木村さんのやる気を煽る言葉を出してみた。

 

「じゃあプロミネンスサンとはもう一度勝負することになるんですね、悪いですけど、今回もシャインが差し切らせてもらいます」

 

「えぇ……勘弁してくださいよ……ただでさえ勝ててないのに……」

 

「でもプロミネンスサンもかなりすごい脚持ってるじゃないですか、多分あの二人がG1に出走する時、何度もぶつかりますよ」

 

「そうですね………………」

 

コースの方から聞きなれた轟音が聞こえてくる。条件反射のようにストップウォッチを見てシャインんに結果を伝える。

 

「よし、シャイン! また記録更新だ! いい感じだぞ!」

 

「当り前~っっ!」

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

「…………サン……」

 

 

「今日はありがとうございました! ミークさん!」

 

「いいよ……」

 

「サンも! また走ろうね!」

 

「ハイ……」

 

 私たちは模擬レースが終わった後、2時間ほどトレーニングをして解散した、別れる際、私のインターバルトレーニングを初めて実施したサンの顔はゲッソリと青ざめていたのが印象的だった。

 ちなみに実施した回数は私がはじめてトレーニングを行った時と同じ30周だ。

 

「ふっ……おかしな顔……また一緒にトレーニングしよ!」

 

「……もうあれはむりっす……ウップ」

 

 

「お~いシャイン、レースについて話がある」

 

「わかった~、じゃあサン、またね!」

 

「ハァイ」

 

 青ざめた顔のままのサンと別れ、私はトレーナーさんに呼ばれたためトレーナーさんの方に向かう、一応サンの為にも他人がいるトレーニングで私達が行っているトレーニングをやるのはやめようと言う話をしようとしたら、今のトレーナーさんの顔は割と真剣そうな話だったので、やめておいた。

 

「それでトレーナー? 話って?」

 

「メイクデビューの日程、1週間後だ」

 

「えっ、決まったの!?」

 

「ああ」

 

 トレーナーさんが軽く口に出した言葉に、私は飛び跳ねて喜んだ。ついに、私のメイクデビューの日が決まった、そこで勝つことが出来れば、晴れて競争ウマ娘として羽ばたけるのだ。

 

「それでなんだが、相手にプロミネンスサンがいる」

 

「サンが……」

 

 サンがメイクデビューで私と戦う、その事実だけで私は気分が上がるのを感じていた。また戦える、またあの逃げ足と戦える、そう思うだけで、たまらなく足が疼く。

 

「いいかシャイン、模擬レースとは違うんだ、あんまり油断するなよ?」

 

「大丈夫だって! 私、今度も差し切っちゃうから! なんせ――

 

「誰にも越えられない記録を作るからか?」

 

「そうそう! 分かってるじゃん!」

 

 

 同日

 

 シャインとのトレーニングが終わり、とりあえず今日やることはすべて終わった私はひたすらとぼとぼと目的地を目指していた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 足が……すげぇ痛い……いや、マジで、私ここでぶっ倒れるんじゃないかな、なんて思いながら私は、着替えるためにトレーナー室に帰ってきた。

 ソファに座るとドスッと失礼な音を立ててソファが沈む、しばらく立っていた影響で背中がメキメキ言い、私の背骨が前傾し長時間のトレーニングの疲労が抜けていくのが分かる。

 

「大丈夫ですか? サン」

 

「うん、全然大丈夫、いやぁすごいねシャインは、ずっとあんなトレーニング繰り返してるんだもん」

 

「1週間後のメイクデビュー、スターインシャインも出るみたいです」

 

「! ……そっか、出るんだね、あの子」

 

 私はその言葉を受けて少しだけ狼狽える。前回の模擬レースはおろか、今日の模擬レースでも勝てなかったのだ、今勝利の流れは完全にシャインの方にある、私が立ち向かっても勝てないだろう。

 

「勝機は……はっきり言って無いに等しいです」

 

 そう聞いて「そうだろうな」と心の中で思う。

 

「そうだよね……あんなトレーニングやってて強くならない訳がないもん、今日の併走だって負けちゃったもん」

 

 

「……でもトレーナーさん、私、勝ちたいよ」

 

 しばらくの沈黙の後、私は胸の奥に秘めていた言葉をひねり出した。

 勝ちたい、ウマ娘の本能がそう私に語りかけているのだ。

 

「……」

 

「私言ったんだ、『次は絶対私が逃げ切る』って。こんなに早く同じレースに出るとは思わなかったけど、私はその宣言を死守したい」

 

「だからトレーナー、私に、私を、勝利に導いて……無責任かもしれない、けど、私だって負けてばっかは嫌だよ」

 

「……サン、負けたら悔しいですよね」

 

 しばらく黙っていたトレーナーさんが口を開いた、ずっと窓の外を見ていて、こちらには振り向かない。

 

「そりゃ悔しいよ、アタシだってウマ娘だもん……勝ちたいよ……」

 

「私だって負けたら悔しいです、でもさっきも言ったように勝機は無いに等しいんです」

 

 しかしトレーナーさんの口から出てきた言葉は残酷な現実だった。私の心が体で感じられるほどに落ち込むのが分かる、今回のメイクデビューは諦めよう、少し出遅れてしまうが未勝利戦でデビューしてトリプルティアラを目指そう。そう思っているとトレーナーさんが続けて言葉を出す。

 

「負けるとは言っていません」

 

「えっ……それって……!?」

 

「勝機は無いに等しい、でもサンが負けるとは言っていません……肝を抜いてやりましょう、サン」

 

 それまでずっと窓の外を見ていたトレーナーさんがこちらを向いて、強いまなざしでそう言った。先ほどまで冷え切っていた私の体があったまりにあったまり、燃え盛るような熱を持つのが分かった、私も自然と笑顔になり、俯いていた姿勢を起こしトレーナーさんの方を向く。

 

「トレーナー…………!」

 

「もう1週間しかありませんが、ある程度良いデータは取れました、必ずあなたをデビューさせて見せます、未勝利クラスなんて私のスケジュールにはありませんよ」

 

 恐らく落ち込んで終わりだろうと思っていたこの会話は、私の魂が熱く燃えて終了した。

 




     次走

     ジュニア級メイクデビュー
     京都 芝 2000m
     2枠3番 スターインシャイン
     1枠1番 プロミネンスサン


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第四話 輝く太陽

 

 これから新星たちがはばたくレースを見たくて押し寄せた人たちであふれかえる京都レース場

 その入り口付近で話し合う二人のウマ娘とトレーナーがいた。

 

「いやぁ……ついにメイクデビューだねぇ!」

 

「あんまりテンション上げすぎて転ぶなよ? 転んでメイクデビュー負けたなんてなったらそれこそ、だれにも真似できない記録になっちまう」

 

「さすがにそんなことしないって……」

 

 サンとの模擬レースやミークさんとの共同トレーニングがあった後、しばらくして私たちは京都レース場に来ていた。それもそう、今日は私の初めての公式レースであるジュニア級メイクデビューが開催されるからだ。ここで勝つことが出来れば、見事競争ウマ娘として羽ばたくことができるのだ。

 今の私はこれまでになくテンションが上がっていて、今からでも入り口であるここからレース場まで走り抜けたいほどの気分だ。もちろん浮かれているばかりではない、今日出走するウマ娘達の走り方や大体の作戦などを見て、今日どのように仕掛けてくるかなどの予想は立ててある。何せ負けるわけにはいかないのだ、調査は怠らない。

 

「今のお前は最高の状態だ、胸張って走ってこい」

 

「本当に今日は負ける気がしないからね! 行ってくるよ、トレーナー!」

 

「これが終わったら、今後のスケジュールについて話し合うからな、体力は残しておけよ、あ、体力残しておくっつってもレースは全力でやれよ、マジでほんとに」

 

「うん、わかった、頑張ってくるよ!」

 

 私とトレーナーがやいのやいのと騒いでいると、その横を今日のレースで私と戦うサンが通った。プロミネンスサン、逃げの作戦を打つウマ娘であり私の友達、恐らく今日も飛ばしてくるのだろう。いっちょやる気を引き出すために声をかけようと思い声をかけたが、サンは特にこっちを見て話すわけでもなく、ただ力強くこちらに向かってほほ笑んだだけだった。太陽のような目を輝かせながら、その奥にギラギラと燃え上がる闘志を燃やしながらどこかに行ってしまった、私は特に気にすることもなく自分の楽屋へ向かった。

 

『さぁやってまいりました、新しいウマ娘達が競争ウマ娘として世界に飛びたつジュニア級メイクデビュー、芝、2000m、9人のウマ娘が挑みます』

 

「(負けられない……このレース……必ず勝たなきゃ……)」

 

『1番人気はこの子、スターインシャイン この評価は少し不満か、2番人気、ウッドライン』

 

「今日こそ勝つよぉ!」

 

 2番人気はこの子か、確かマックライトニングと競い合った模擬レースでロングスパートをかけていた子で、相当にやる気が入っている様子だ、サンに次いで今日警戒しないといけない相手だろう。

 

『各ウマ娘、準備が完了しました』

 

 いつものようにゲートがガコンと開く。

 

『スタートしました! さぁ先頭を行くのはスーアンコウ 3バ身ほど開いてドラゴンエノグ 1番人気、スターインシャインは最後方からのレースだ!』

 

「くっ……やっぱり速い……」

 

 やはり模擬レースとは違う本物のレース、みんなから感じるプレッシャーも段違いに違う、それに本番の緊張感も……

 とりあえずいつも通り追込の位置につき、私はスパートをかけるタイミングを見計らっていた。しかしどのウマ娘も抜かせるものかと目を光らせているのが分かる。

 

「でもみんな私がごぼう抜きにしちゃうもんね! 私は必ず勝ってデビューするんだ!」

 

 隣には模擬レースでも一緒に走っていたウッドラインと呼ばれた子がいる、この子は私より早く仕掛ける追込……そして中団にいるドラゴンエノグって子は先行の割に相当末脚をため込んでるね……あの子は……

 

「(…………あれ……?)」

 

『さぁ第一コーナーを回り先頭集団からは変わらず2番スーアンコウ、その後ろ4番ライジングビローが行く、2バ身ほど空いてドラゴンエノグが迫っている! 中団には――

 

 いかにレースと言えどG1とは違うプレオープン、観客席では少しだけ歓声が上がっていた。そんな観客席で栗毛のウマ娘と白く流星の入った茶髪のウマ娘が観戦に来ていた、サイレンススズカとスペシャルウィークだ。

 

「入学式のあの子が気になって見に来てみたけど……」

 

「問題なさそうですね、ちゃんとレースの緊張感を理解して受け止められてます!」

 

「あれ……?」

 

「どうしました? スズカさん?」

 

「いいえ……なんでもないの」

 

「(たしか入学式の日、あの子(シャイン)の近くにいた子、逃げのはずなのに……先頭集団にいない……? 一体どこに……)」

 

「ふっ……ふっ……」

 

 さっきからやけに落ち着かない、レースが始まって数十秒はこんなに落ち着いていない訳じゃなかったのに、今は凄く落ち着かない。前に行かなきゃ……前に行かなきゃ……という声が私の体の内側から響いてくるのだ。なぜこれほどまでに落ち着かないのか理由はわからない、だけど何かしら恐ろしいと言う感情があってここまで緊張しているのだろう。

初めてのレースだから緊張している、というわけではない。ゲートに入った時点で私はゴールインする未来しか想像していなかったし、いつもある吐き気もなかった、なのになぜここまで緊張するのか、第二コーナー手前になっても答えを出せなかった。

 

「はぁっ……はぁっ……なんでこんなに……」

 

『3番スターインシャイン、落ち着かない様子』『初めてのレースですからね、緊張しても仕方ないでしょう』

 

 ……これは緊張しているのではない、怖いのだ、私は何かが怖くて怯えていた。

 

『第二コーナーを回りました、未だ展開は変わらず、縦長になっております、先頭からシンガリまでおよそ12バ身と言ったところか!』

 

「あっ……そうだ……」

 

 第二コーナーを回って少し経ったあたりで、なぜ私がこんなに恐怖しているのか分かった、私がこんなに落ち着かない理由、こんなに強大な恐怖がある理由が

 

 ()()()……?

 

 サンが、プロミネンスサンが()()()()()()()()()

 

 おかしい、サンは逃げの作戦のはずなのに、どこにも見当たらない。追込の位置である私は、バ群を見れば大体度のウマ娘がどこにいるのかは見てわかる。なのにここから全体を見て見えない位置など、そんなもの立ち位置は私の真後ろ1つしかない……でもサンの脚質は逃げであり、追込の私より後ろにいるはずがない……だけどサンはどこにもいない……なんで……? 

 

『最後方でゆっくり脚をためているスターインシャイン、ウッドラインもすでにロングスパートをかけてきているか!?』

 

 私は相変わらず最後方……じわじわとスパートをかけ始めている子もいるのに今もサンの姿は見えない、なぜ? どこにいるの……サン……! 

 

 

「メイクデビューはウマ娘達にとって初めてのレース、それを追込で勝つとなるとかなりの苦戦が強いられる……」

 

「どうした急に」

 

「初めてのレースのため上手くコース取りが出来ず疲れたり垂れやすいメイクデビューでは、追込の作戦を打つと垂れウマ集団に飲み込まれやすくなる……しかも1番人気のあの子はさっき焦っている様子があった、ここから勝つのは絶望的と言ってもいいかもしれない……」

 

「しかもスタンド前の声援でさらに焦る可能性もあるからな……」

 

 

『さぁ第三コーナーが迫っている! おおっと!? どこから飛んできたか1番プロミネンスサン、急に先頭に躍り出たぁぁぁ! 逃げている! これはもう大逃げと言ってもいいです!』

 

「いくよっ!」

 

 突如前のバ群のなかから見慣れた赤いポニーテールが揺れ始める、サンだ。明らかにそこにはいないと思っていた位置からサンが現れ始めたのだ。私は注意して前方集団を見ていたはずなのになぜ今の今まで見えなかったのか、わからなかった。とにかく言えるのは、サンがスパートをかけ始めたからやばいと言う事だけだ。

 

「先行の位置……!? なんで見えなかったの……!?」

 

「(シャイン……ごめんね、私はやっぱり勝ちたいの……シャインに差し切られてばっかりじゃ、満足できない、だからトレーナーさんから()()()()()()()()()()()()()を提供された時からのこの1週間、いやそれ以前からも、私はシャインに勝つことだけを考えて強くなってきた、だから……)」

 

「橋田さん……私の担当もあなたに勝ちたいと願っています、私だって勝ってほしいんです……だから……」

 

        本番です!」

「これからが……

        本番だよ!」

 

 

『ぐんぐん離すプロミネンスサン! しかしここまで飛ばすといくら残り数百mとはいえスタミナがなくなってしまうのではないか!?』

 

 サンはスタミナなど関係無いような様子でどんどん前に走り去っていく、二番手からの子たちもサンに引っ張られて最高速以上のスピードを出そうとするが、どうしてもサンのスピードについていけず沈んでいった。

 

「もうそんな……そんな遠くまで……ぐぅ!」

 

『もうプロミネンスサンのみが最終直線に突撃している! まさに太陽の輝き! 誰も追いつけない! 後ろからウッドラインも詰めてくるが届かない! この子には誰も敵わないのか!?』

 

「……いや、来る。絶対にあの子なら……」

 

『違う! 外から! 外から! スターインシャインです! スターインシャインが外からスパートをかけてきた! 大差まで開いていたのがあっという間に5バ身以内に! さぁもう真後ろにまで迫っているぞプロミネンスサン! 芝がえぐれるほどの末脚! 来ている! 来ているぞプロミネンスサン!』

 

「さぁ! 差し切っちゃうよ! サン!」

 

 今回も差し切れる、そう確信した瞬間だった、しかし私とサンの体が横に重なったまさに一瞬、私が追い越す瞬間、世界がスローモーションになった、最初はただの幻覚、すぐに普通のスピードで世界が動くと思っていたが、しばらくたっても世界は動きださなかった。

 

「ねぇシャイン……」

 

 しばらくするとサンはスローモーションの世界の中で静かに語り始める、その目はとても穏やかで、かすかに微笑んでいた。

 

「前に私がシャインに言った言葉、覚えてるよね……『次は絶対私が逃げ切る』って」

 

「私も、こんなに早く一緒に走るとは思わなかった、でも言い切っちゃったからね、私は…………その宣言を守るためにここに来たんだ」

 

「シャイン、私は一足先にいくよ、だからシャインも必ず来て、シャインと一緒に戦うG1、私楽しみにしてる」

 

 世界の動きが元に戻った、しかし次の瞬間見えたのは、私がサンを差し切る光景ではなかった。私が見たのは、一気に飛ばしまくってスタミナが切れたはずのサンが、再び最高速度を出している私より速く走る光景だった。あの時と同じだ、私とサンがはじめて走った模擬レースの時と同じだ。

 

『加速した! えっ加速した!? プロミネンスサンがさらに加速した! スターインシャインをどんどん離していく! もう怖くない! もう怖くないぞプロミネンスサン! これはサイレンススズカの再来か! プロミネンスサンが離していく!』

 

「追いつく……必ず……勝たなきゃ……ならないのに……はぁっ……はぁっ……」

 

 道中掛かり、追込の脚を使った直後サンに驚き緊張状態が一瞬緩んだ私の体は、スパートをかけるのを終えていた。あれだけトレーニングしたのに脚が重機のように重い、肺が破けそう、視界はすでに曲がりくねって何を見ているのかすらわからない。

 

「私はぁ”っ……勝たな”きゃ……あぁ……あ”ぁっ……」

 

使いに使いまくって熱を帯びた脚より熱い何かが、目から溢れるのを感じる。そんな感覚を覚えながら、私はサンが前に走って行く姿を見つめるしかできなかった。

 

「シャイン……」

 

『プロミネンスサン! 今先頭でゴールイン! 灼熱の太陽が今! 逃げ切った! ここに新しい競争ウマ娘が誕生しました! スターインシャイン、最後健闘しましたが終盤に沈み6着!』

 

「やった……やったぁぁぁぁぁぁあああああ!」

 

「はぁぁっっ……はぁぁっっ……う”ぅっ”あ”ぁ”あ”! あ”ぁ”ぁ”ぁ”!”!”」

 

 負けた、私は負けた、勝てると思っていた勝負に勝てなかった、完璧だった、私は完璧のコンディションだったのに、自分で焦ってそのコンディションを崩してしまった。私はただひたすらかすれた喉を鳴らして涙を流すしかできなかった。

 

 私は、デビューできなかった。

 

 レースに負けた後、ウイニングライブのバックダンサーの役割があった。当然出席し、しっかりと踊ってきたのだが、私の心は生きていなかった。負けてしまった、デビューできなかったと言う気持ちがずっと私の中で引っかかってしまい、集中できずにバックダンサーを終えた。あれだけ練習したセンターの振付も、今となってはもう何にも役に立たない振付となってしまった。

 

 ウイニングライブが終わり、地下バ道を歩いているとトレーナーさんが迎えに来てくれていた、その顔は怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないようだった、するとトレーナーさんはいきなりポケットからハンカチを取り出し私に差しだしてきた。

 

「泣いた痕、目立つぞ、拭け」

 

 レースが終わった直後に散々泣いたつもりだったが、どうやらまだ涙は残っていたらしい。ウイニングライブの時に私は泣いていただろうか、とりあえず私はトレーナーさんから多少濡らしたハンカチを受け取り、目の下あたりとほっぺを拭う。

 

「トレーナーさん、ごめんなさい……私、勝てなかった……」

 

 枯れたと思っていた涙腺が再び潤い始め、私はまた泣き出しそうになっていた、もちろん私の目標は誰にも越えられない記録を作ること。しかしメイクデビューで引っかかってしまったという事実が私の心を抉る。

 さらにトレーナーさんの目標もそうだ「誰にも負けないウマ娘を育てる」こと、私はすでに負けてしまったのだ。あんなにたくさん、あんなにたくさんトレーニングをしたのに、だ。

 

「次は勝つぞっっ! シャイン!」

 

「!?」

 

 するとトレーナーさんが急に叫び、地下通路に叫び声がこだまする、私は割と周りの目とか気にするタイプなので急な叫び声にびっくりしてオドオドしてしまう

 

「今回は負けた! 相手が俺たちより一枚上手だった!」

 

「ちょ……トレーナーさん……あんまり大きい声出すと周りの目が……」

 

「シャイン! 俺は次の未勝利戦に向けてのトレーニングを作る! これまで以上にライバルの動きを研究し! 俺はシャインを導くぞ! 太陽より、あのプロミネンスサンより輝くんだ! シャイン!」

 

 ここまでの流れで、私はトレーナーさんの言いたいことが分かった

 

 

 とりあえずトレーナーさんの熱が抜けたみたいで、落ち着いた私たちは地下バ道を再び歩き始めていた、そんな中先ほどの件を問い詰めようと私が沈黙を破る

 

「ねぇトレーナーさん」

 

「なんだ?」

 

「トレーナーさんって不器用だよね」

 

「なんだ急に」

 

「だってさ、私がトレーナーさんの意図に気付けなかったらどうするつもりだったの? ただの暑苦しいプレッシャーかけてくる人だよ」

 

 トレーナーさんが叫んだ理由、多分私に負けを得て沈んでほしくなかったからだ。確かにあの時、私は気分が落ち込んでいて、あのままでは行くところまで行っていただろう。しかしそれを荒療治とはいえ、トレーナーさんはレースで負けた直後という一瞬で気づかせてくれた。まだ数週間しか関わっていないのに、私の性格も分かっての上だろう。

 先ほど私は不器用と言ったが、私はトレーナーさんを本当に心から尊敬していた。

 

「こんなくら~い雰囲気出してるお兄さんが暑苦しい人に見えるわけないだろ、余計なお世話だ。……また、頑張ろうぜ」

 

「…………うん、わかった、頑張っていくよ」

 

 

スターインシャイン 1戦0勝 未勝利クラス

 



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第五話 理由とは何か

 

 メイクデビューにてサンに敗北し、次の未勝利戦に向けてのトレーニングを行おうと私が意気込んでいた時、トレーナーさんはものすごい量の資料、というか大量の紙を持ってグラウンドに現れた、え何? これから私筆記テストでもするの? な~んて思っていると。

 

「今日もとりあえずインターバルでスタミナをつけておいてくれ。俺はちょっと用事があって付き添えないから、ある程度何か事態が起きた時対応できるようにメモを作っておいた。何か問題が起きてこのメモにその問題への対処法が書いてあったらその通りに行ってくれ」

 

 急にそのメモの束を手渡されて、あまりの重さに私は思わず重いと声に出してしまった。

 

「じゃあ俺は悪いが席を外す、道具は置いておくからもし手伝ってくれる人がいるならタイム計ってもらえ」

 

「ちょ……このメモ……メモ? 重いんだけど……」

 

 しかし私のその声はトレーナーさんには届かず、すたすたすたとどこかに歩き去ってしまった。

 

「ちょい……」

 

 私は厚さ3センチはあるであろう程に重なったA4用紙をベンチに置き、その中の数枚を見てみた。するとトレーニング内容が細かく記載されていて、とりあえずこの通りトレーニングすれば間違いないだろうと思える具合だ。それに前回私は負けた、メイクデビューに負けてしまったのだ、この程度のトレーニング、こなせなければならない。メイクデビューの時に見せたサンの闘志、とても熱かった、まるで太陽(サン)が近くにあるように。私もあんな風に強い闘志を引き出せれば、勝つことができたのだろうか、私は、戦う意志が弱かったのだろうか。

 

「そんじゃ、トレーニングやりますかぁ」

 

「おう、がんばれねいちゃん!」

 

「姉ちゃんじゃないってば!トレーナーさん!」

 

「ウマ娘のパワーでゲンコツ構えるのはやばいっす先輩」

 

 ふと別のトラックを見ると、 和気藹藹(わきあいあい)としたウマ娘とトレーナーさんがいた、あの二人組、仲が良さそうだなぁ……私もあんな風に信頼関係を築けたらよかったのに……今は迷惑かけちゃってこんな関係だもんなぁ……

 

「シャイン……」

 

 急に私は声をかけられ、声の方向を見るとミークさんがいた。

 

「ミークさん! どうしたんですか?」

 

「模擬レース……頼む……」

 

 ミークさんから模擬レースのお誘いが来た、いやいやいや、デビューしてる人とデビューしてない人が戦って、どうすればいいの私。前回のメイクデビューの後、私は他の人と模擬レースするタイミングが何回かあったのだが、そのすべてに敗北してしまった。そんな状態の私が勝てるわけがないのだ。

 あ、そうだ、こういう時こそトレーナーさんのメモよ。

 

「シャイン……?」

 

 メモを見ると、「他の人から何かしらのお誘いがあったら、相手がだれにしろ受ける事」と書いてあった、うそやんトレーナーさん。

 

「……わかりました、模擬レースのお誘いうけます!」

 

 

 

「…………オエッ」

 

 いや、まぁこうなるよね……

 

 私はミークさんに4バ身ほど差を付けられてゴールされた。いや、途中までは良かったのだ、ミークさんの後ろについてしっかりと動きを見てた、でも末脚の差で勝てなかった。さらにミークさんには強靭な呼吸器官がある、スタミナも桁違いに強かった。最後の直線、私はスパートをかけ、ミークさんより前に出ることができたが、後ろからはっきりとオーラが見えるミークさんが追い抜いてきた。追い抜かれてからスピードが落ちることもなく、私はそのまま振り切られた。

 

「ありがとう……」

 

「いや……やっぱり強いですねミークさん」

 

「ううん……シャインもスパートをかけるのが速かったとはいえ、私より前に出た……すごい……まだまだ改善点ある……」

 

 褒められてるでいいんだよね? まぁでもすごいって言われたしいいか。

 

「この前のメイクデビュー……惜しかった……」

 

「私も体調は万全だったんですけどね……ダメでした……」

 

「まだ未勝利戦がある……がんばって……」

 

「はい……」

 

 正直言うと、未勝利戦で勝てるのか私には分からない。未勝利戦は名前こそ違えど、内容はメイクデビューと変わらない、むしろメイクデビューに負け、今度こそ勝ってやると言わんばかりのウマ娘が集まる場所なのだ。メイクデビューに勝てなかった私に勝てるのだろうか。そんな不安が私の中で何度も何度も繰り返され、消えなかった。

 

「それじゃ……また……」

 

 ミークさんはそういって自分のトレーニングに戻った、私もとりあえずミークさんとの模擬レースで疲れた体を癒してからトレーニングに戻ろうと思った。

 

「おい」

 

「あなたは……」

 

 休憩中、コースの外にいた誰かに突然声をかけられた。声の先を見ると、マックライトニングが立っていた。その顔はどこか怒っているような、あの模擬レースの後のような顔をしている。

 

「お前、なんで負けた?」

 

「分からない、少し練習不足だったからかもしれない」

 

「俺が言っているのはそういう事じゃねぇ、なんで俺に勝っておいてあんなのに負けたんだって話だ!」

 

「……分からないよそんなこと、私だって全力でやったもん!」

 

 私は全力でやった、それは事実だ、だからこそ本当にわからない。これじゃないか、という仮説は立てられても、なぜそれが原因で負けたのかには至らない。私がサンを追い抜くあの瞬間、世界が歪み、サンが私に語りかけた。あの瞬間からサンは加速し、私は離されたのだ。そんなわけのわからない状況で抜かれて、その理由を考えろと言われても見当もつかない。

 

「ならそうやって全力でやったと言い訳せずに、負けた理由を意地でも見つけて、改善すればいいんじゃねぇのか?」

 

「そんなこと言われたって、私はあの日万全の体調だった……それなのに負けた理由なんて……」

 

「……呆れたぜ、俺はこんな奴に負けたのか、たまたま波に乗っていただけの弱虫に。

 負けた理由を追い求めない奴が勝利を追い求めても勝機は、無い、それだけだ、お前とは二度と話さねぇ」

 

 マックライトニングは途端にドスの利いた声からもう私には毛ほども興味がないと言ったような声で、顔から怒りと言う感情を無くし、ただ淀んだ目をギラつかせてどこかに歩き去ってしまった。

 

「分からないよ……」

 

 分からない

 

 メイクデビューに敗北し、未勝利クラスになってしまったと言う現実を再び突きつけられ、ふたたび頬を液体が伝う感覚がした。

 

 

 茶髪のウマ娘が黒髪のウマ娘に敗北の理由を問われている最中、橋田はトレーナー室でパソコンを睨んでいた、ある疑問と戦っていたのだ。

 

「(なんでレースの最中、プロミネンスサンが見えなかったんだ? それにあの逃げ足もそうだ、シャインが迫った瞬間に再加速した……あの逃げ足はいったいどこから引き出されるのか……さらにそれを1週間で目覚めさせる木村さんのトレーニング……)」

 

 レース映像を見返してもわからない、なぜ見えなかったのか、なぜあそこまで飛ばして再加速が出来たのか。

 

 というより、今はシャインが危ないかもしれない。一応地下通路で荒療治を行い、多少は気持ちを落ち着けたかもしれないが、それにしてもまだ気持ちが落ち込んでいるように見える。モチベーションやメンタルはパフォーマンスに大きな影響を与える、それが負けからの落ち込みとなれば傷の大きさは果てしない、俺はどうすればいい……? 

 

「あいつの好きなものも分からないからな……どう励ませばいいものか」

 

 とりあえず俺は、シャインをどう励ませばいいか考えることにしよう。そう思った矢先トレーナー室のドアが開いた、多分シャインが来たのだろうと思いドアの方向を見ると、そこに立っていたのはシャインではなかった。

 

「失礼するぞ」

 

「ん、どうしたシャ……君は……」

 

 扉の先に立っていたのはシャインではなく、この前の模擬レースの最終直線でシャインと争ったマックライトニングだった。マックライトニングはなにやらあきれた様子で俺の事を見ている、何の用だろうと思ったが、今は基本的にトレーニング時間の最中、まして関わりの無い俺に用などないだろうと思い、トレーナー室が違うぞと言う旨を伝えようとした。

 

「いいや、違う、ただ一つだけ言いたいことがあったから来ただけだ」

 

「言いたいこと?」

 

「俺は別にアンタの担当なんてどうでもいい、沈むなら勝手に沈めばいい、だがよ、アレはいいのかよ?」

 

 突然マックライトニングは訳の分からないことを言う。俺の担当、シャインの事だろう、シャインがどうかしたのだろうか。俺はシャインの気持ちが落ち込んでいることが頭によぎり汗が滲み出てきた。

 

「アレ……? アレって、なんだ?」

 

「アンタの担当だよ、ま、グラウンド行って自分で見な」

 

 それだけ言うと、マックライトニングはどこかに行ってしまった。アレとはなんだろうか、俺は不安に駆られてグラウンドへと駆け出した。

 

 

「何にもないでいてくれよ……」

 

 今のシャインはメンタルが落ち込んでいる、何が起きてもおかしくはない。

 

 そうして俺が駆け付けたグラウンドには――

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ベンチの上で頭を怪我したであろうシャインが横たわっていた。

 

「シャインっ!」

 

 誰かが手当てをしてくれているが、かなり強く打っているようだ。頭からは流血もしているし、お腹を打ったのだろう、腹部を押さえている。保健室に連れて行かないと……

 

 俺はシャインを抱えて保健室に走った

 

 

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

 マックライトニングと話をしてから休憩を終えた私は、トレーニングを再開していた。しかしトレーニングに身が入らない、当然あのメイクデビューの事を考えてしまうからだ。どうして負けたか、マックライトニング勝ち、サンにも勝てると思っていた、それなのにどうして負けたのか、理由が分からない。

 

 誰にも負けないウマ娘……誰にも越えられない記録……メイクデビューすら勝てない私に、そんな目標達成できるのかな……

 そんなことを考えていると、突然私の腹部に鈍い痛みが走った。

 

「おごっ!?」

 

 前を見ていたのに、曲がるのを忘れて私はコースの柵に引っかかってしまったのだ。

 そのまま柵を軸にして転がるように地面に落ちた。それも最悪の角度、頭からだ。

 

あ”ぐっ”……

 

 世界が回り、ドサッと重い音が鳴る、強く頭を打ってしまったせいか、視界が歪む

 

「頭打った時の手当てって……どうすればいいんだっけ……」

 

 メモを見ようとするが、ベンチは全くの反対側、私は所謂向こう上面の位置にいたのだ、到底届かない。

 私はメモを見るのをあきらめ、痛みがやまびこのように反響する頭を抱え、仰向けに倒れる、体を打った痛みで動けない。

 

「あの時も……こんな感じだったな……」

 

 私がサンに追いすがり、追い越したと思った瞬間、サンが加速して、私が沈んだ瞬間の視界。

 

 あの時と同じ視界、全体のピントが合わなくなり、世界がまぶしく輝き景色が混ざり合う。このような状況であれだが、とても美しいと感じる景色だ。

 そんなことを思っていると、誰かに触られる感覚がある、視界はゆがんでいるので誰かはわからない。

 だけど的確に、鮮明に、触られているのは感じる、手当てをしてくれているのだろうか。

 触られている感覚がなくなると、今度は持ち上げられている感覚がある。しばらく歩いたのち、私はどこかわからないところに置き去りにされた、感覚的に恐らくベンチだろう。

 

 ……悔しいなぁ、サンに勝てなかった事実が私の中でこだまする。

 サンに勝てなくて、さらに今は自分の不注意で誰かのお世話になっている。

 すごい悔しいよ、サン……

 

「シャインっ!」

 

 トレーナーの声が聞こえる、確か用事があると言っていたのに来てくれたのだろうか。

 

 トレーナーさんが私の体を持ち上げてどこかに走っている、どこに向かっているのだろうか。

 だけどトレーナーさんが来てくれたことによる安心で私の意識は、そこで途絶えた。

 

 

「ん…………」

 

 目が覚めるとそこは、学園の保健室だった。頭には包帯が巻いてあるようだ、触ると少しだけ暖い。

 多分トレーナーさんがここまで運んでくれたのだろう。物音を確認してだろうか、私が起きたタイミングでベッドの周りにあるカーテンが開く。

 

「シャイン! 目が覚めたか!」

 

 カーテンが開けられたそこにはすごく驚いた顔と安堵した顔が混ざったトレーナーさんがいた。私はまた迷惑をかけてしまった、その罪悪感が背骨から伝う感覚がある。

 

「驚いたぞ……頭怪我してぶっ倒れてるんだから……シャイン……すまなかった……」

 

 急にトレーナーさんが頭を下げてくる。あまりにも予想外の行動に私は少し驚いてしまった、なんせ謝られる理由が何一つ思い浮かばないからだ。

 

「なんでトレーナーさんが謝って……」

 

「俺は、お前にただキツイトレーニングをやらせて、ただ機械的に相手を研究するばかりで、何もお前の気持ちを汲み取れていなかった……お前のことを考えてやれなかった……荒療治を行い、シャインの悔しさを拭えていると思ってしまった、それを謝りたい……」

 

「私は別に悔しくなんか……」

 

 言葉が止まってしまった。確かに私はまだ悔しさが心の中にある、だから悔しくなんかないと言い切れなかった。

 

「謝罪は別にしなくていいから、とりあえず、今は一人にさせてほしいかな……」

 

 トレーナーさんはこちらを見ると、何か言いたそうではあったが言葉を抑えて、静かに保健室を出て行った。

 

 

「……悔しいよ、悔しい……」

 

 眼球が熱くなるのを感じる、その時、ふと感じる。

 

「サンもこんな気持ちだったの……?」

 

 少し前、模擬レースを行った時のサンの顔を思い出す。あの時のサンは、いつもの元気な様子が無くとても悲しい顔をしていた。サンだけじゃない、マックライトニングもそうだ、模擬レースの後、とても悔しそうだった。

 でも今の二人はどうだ、前を向き、練習を積み重ねてメイクデビューで見事勝利を飾ったサン。とても怒った様子でも、確実に他人を心配する余裕を持てるほど前を向いていたマックライトニング。私はただ、負けたことを嘆き、勝とうともしていない、ただ落ち込んで立ち尽くしているだけ。

 

「やっぱり私には、すごい記録を残す事なんてできな――

 

「シャインちゃん、それ以上は口にしちゃダメよ」

 

 ふと言葉を遮られ、ハッとする、そこにはサイレンススズカさんが立っていた、独り言を聞かれていたのが恥ずかしくて少しだけ顔の表面が熱くなるのを感じる。

 

「口にしたら、もう戻れなくなるわ、だから口にしちゃダメ」

 

「だって……」

 

「あなたのトレーナーさんから色々話は聞かせてもらったわ、すごくつらいトレーニングを耐え抜いたって。それなのにここで諦めてしまうの?」

 

 テレビで見ていたスズカさんの穏やかな顔とはうってかわって、すごく険しい表情でそう問われる。その顔を見て私は少しだけ戸惑うが、すぐに受け答えを始める。

 

「私は……すぐにでもデビューしなきゃいけない……なのにメイクデビューに勝つことができなかった……他の人とのレースにも勝てなくなってきてる、もうダメですよ……」

 

「正直、私でもきつくなるようなトレーニングだった、そんなトレーニングを耐え抜いて、メイクデビューまで来たのに諦めてしまう、そんなの凄く損じゃないかしら……」

 

 そう言った後、沈黙の場になってしまい、スズカさんは変わらず険しい表情のまま無言で立っていた。

 

「実は私もね、もう自分はダメじゃないかって思ったことがあったの、今のシャインちゃんみたいにね」

 

 突然スズカさんが語り始める。顔はいつものような穏やかな表情になっていた。

 

「スズカさんが?」

 

「ええ、でも、私を待ってくれる人がいたから、私は()()()()()()で立ち上がることができた」

 

 ()()()()()()、恐らくスズカさんが骨折した後の復帰レースの事だろう。スズカさんは秋の天皇賞で骨折してしまい、引退は免れないと思われていたが、その後の毎日王冠で見事1着を取り、復活したのだ。

 

「きっと、シャインちゃんにも待ってくれる人がいるんじゃないかしら……」

 

「私を待ってくれる人……」

 

 私を待ってくれている人を考える、私の周りで私を待ってくれている人……レースで勝つのを待っているトレーナーさん、私の晴れ姿を見たい家族。そして私は先日のメイクデビューの光景を思い出す、最終直線、私がサンを差し切る瞬間、世界がスローモーションになった瞬間。

 

 

『シャイン、私は一足先にいくよ、だからシャインも必ず来て、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そうだ、あの時サンが言ったあの言葉。当然、私の幻聴かもしれないけど、確かにサンの口から出た言葉。

 

「そうだ……そうだった、サンは私と戦うG1を楽しみに待ってくれてる」

 

 こんなところで、落ち込んでられないよね、勝ちあがらなきゃ、1回の敗北で諦めるなんて超ダサいよね。

 

「すこしは気持ちが楽になったかしら……?」

 

「ええ……ありがとうございます、スズカさん。まだ悔しい気持ちは多少残ってます、でもさっきの私みたいにネガティブな気持ちはない。必ず立ち上がります、立ちあがって見せます、私を待ってくれる人がいるから」

 

 そう言って私は、保健室から飛び出した。

 

「ちょっと……まだ怪我が……」

 

「私、もう元気になったので!」

 

「ウソでしょ……」

 

 保健室を出て向かう先は決まっている、トレーナー室だ。トレーナーさんはまだ思いつめているかもしれないから、いっちょ私が大きな声で元気になったことを伝えればきっとトレーナーさんも元気になってくれる、私は全力疾走でトレーナー室へ向かった。

 

「トレーナーさん!」

 

「うぉあびっくりした、何!? てかおま……頭の怪我は!?」

 

 どかぁんと言う大きな音共に、トレーナー室のドアを開ける。壊れそうなドアだが、まぁ多少壊れても私のレース賞金で治せるだろう。

 

「私、デビューしたい! 必ず勝って、サンに追いつきたい!」

 

 私はトレーナーさんに向かってそう叫んだ。トレーナーさんは相変わらず困惑した顔をしているが、私の言葉を聞いて最初は困惑していた顔から笑顔になって行き、最終的には曇っていた目にだんだん煌めきが戻って行った。

 

「あ……あぁ! 何があったのかはわからないが、なんか気持ちの整理ついたんだな!?」

 

「うん! 次の未勝利戦までに、めちゃくちゃトレーニングするよ! 絶対私、勝つから!」

 

「わぁかった! 今からトレーニングメニュー練り直してやる! 絶対勝つぞ! 目指すはデビューしてプロミネンスサン打倒だ!」

 

「っしゃぁこい! ……いっつつ……」

 

 少し暴れすぎて私の怪我した頭に激痛が走る、デビューしようにもしばらくは安静にしないとダメかもしれない。

 

「……とりあえず保健室戻れ」

 

「はい……」

 

 私はもう負けない、負ける気がしない。今度は油断なんかじゃない、絶対に勝つ

 私は負けた、だけどスズカさんやサンが待ってくれてる、トレーナーさんが頑張ってくれてる。だから私も、頑張らなきゃならない……! 

 



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第六話 私だけの『武器』

 

「ふっ……ふっ……ふっ……ふっ」

 

「マジか……また記録更新だ……目に見えて調子がいい……」

 

「だ~から当り前~っ! オエッ」

 

 私はあれからトレーニングに打ち込んだ。負け続きだった模擬レースも勝ちの波が来ていて、タイムも更新を繰り返している。まさにいい感じで、強いて言うなら前回のメイクデビューで勝てると思われていた私が負け、未勝利戦に出るにあたってのことを聞きたがる記者が少々うっとうしいくらいだ、私だって負けたくて負けたわけじゃないし。

 とまぁいろいろあるが私は特に気にしないようにしてトレーニングをしていた。サンが先の舞台で待っているのだ、私もその程度でかっかしていられない。

 

「さて、前回のメイクデビューのプロミネンスサンのことなんだが、レース映像を見ていて気付いたことがある」

 

「ふぅ……ふぅ……気づいたこと?」

 

 私がスポーツドリンクを口に含んで息を入れている最中、突然トレーナーが前回のメイクデビューの事について喋り始めた。気付いたことと言いうのは多分前回のメイクデビューでのプロミネンスサンが見せたトリックのような何かの事だろう。レース中姿が見えず、最終直線になって突然姿が見えた、そして最終盤でのあの再加速、さらに私が負けた理由でもあるトリック。恐らく今一番私が気になっていることだろう。

 先日マックライトニングにも「負けた理由を追い求めろ」と言われていたのも相まってその話に興味津々だった。

 

「恐らくプロミネンスサンは中距離レースの場で『セカンド・ウィンド』を無理やり引き起こしたんだ」

 

「セカンド・ウィンド?」

 

 急に聞きなれない言葉がトレーナーの口から出てきて私は困惑した。話を遮って説明を聞くと話のテンポを気にしてしまうが、聞いてみた。

 

 というわけで軽く説明を聞いたところ、デッド・ゾーンは簡単に言えば自分の限界点、走っている最中に「もうダメだ!」となるポイントの事で、その限界に屈せずに走り続け、自分の限界を超えた先がセカンド・ウィンドらしい。この状態になると先ほどまでのデッド・ポイントの辛さは消え、どれだけペースを上げても疲れを感じなくなるというものだ。

そして、サンはそれをレース中に起こしたと言うのだ。

 

「だが本来、セカンド・ウィンドの前段階であるデッド・ゾーンは呼吸器の限界、ようはスタミナの限界が来なければ訪れない。プロミネンスサンは中距離を十分に走れるスタミナも呼吸器も持っているはずだ、起こりえない現象。だから恐らく、レース中少しだけ前傾したんだと思う、体を前に倒し、走りにくい体制にすることでスタミナの消費を激しくする、そして最終直線で本格的にスタミナを限界まで減らし、デッド・ゾーンを超える。それがサンや木村さんの作戦だと思う、そしてサンの体がレース途中見えなかったのは前傾して他のウマ娘の体に隠れていたからだ、割と先頭集団多かったしな」

 

 確かにそうだった……メイクデビューの時、集団から抜け出したサンの体は前に倒れていた。先頭集団に隠れて見えなかったと言う事に対しては少しだけ腑に落ちなかったが、よく考えればサンは普段から気配が薄いからそのような現象が起きても不思議ではないかもしれない。とりあえずあのメイクデビューの謎が解けて私の頭がすっきりした。

 

 だがその推測を聞いて一つだけ疑問が生まれた。そこまで自分の体を追い込んでサンの体がもつのかどうかだ、私はその二つの現象についてよく知らないので、わざわざ疲れている体を追い込んだ結果が「疲れなくなる」と言うのは一種の麻痺なのではないか。そう思いトレーナーに聞くと。

 

「セカンド・ウィンドは体の各器官が順応することによって起きる現象だからな、身体に影響はないが、本人がそこに行くまで苦しい事に変わりはない。限界を迎えた状態でさらにペースを上げるんだからな」

 

 限界を迎えた状態でペースを上げる。私もやろうとしたことがあるが、とんでもなくキツイ、本格的に肺が破けそうになる痛みが走るから、実行できた事が無い、でもサンはそれを実行しセカンド・ウィンドを迎えた、サンの根性がセカンド・ウィンドを引き寄せたわけだ。

 

「だからお前も何かしらそういう『武器』を持たなければならない」

 

「私の武器……」

 

 私だけの武器とはなんだろうか、私であればこの爆発的な末脚、と言えるが、トレーナーさんの言い方的に恐らくそれだけではだめなのだろう。もっとそれ以上に、爆発的で超次元的な何かが必要なのだろう、はたして私に掴めるだろうか。

 

「だから今日はこの子を呼んだ! この子と模擬レースをしてくれ! カモォン!」

 

 そういってトレーナーさんが連れてきたのは過去に数回姿を見たことがあり、もはや何かしら奇妙な因縁を持っている黒髪、マックライトニングだった。マックライトニングとはただ模擬レースで走りあっただけであり、別に仲がいいわけでもないがどこで模擬レースを申し込みあう仲になったのだろうか。というよりなんか嫌がってるよね? もしかして無理やり連れてきました? 

 

「まぁまぁいいじゃないかクライト、どうせデビューすれば当たる相手なんだ、戦っておいて損はないだろ、それに……橋田、お前の担当の今の強さも見ておきたいしな」

 

 マックライトニングの奥から新たにトレーナーさんだと思われる男の人が出てきた、聞いたところによると私のトレーナーさんの先輩のようで、私の模擬レースも見に来てくれていたらしい。この人はウマ娘を育てる力も持っているが、トレセンに就職してからトレーナーを育てることの方が面白くなってしまいしばらく担当を持っていなかったらしい。しかし後輩である私のトレーナーが担当を持ったことに感化されて自分も担当を持ってみたとその人は語った。

 なるほど、やたらマックライトニングを仲良さそうに呼び出した理由はこういう事か。

 

「どうも~、クライトのトレーナーの速水です~、あ、シャインちゃんだっけ? うちの担当は気軽にクライトって呼んでもらって構わないよ」

 

「余計な事教えんなッ! トレ公!」

 

「よろしくね、クライト」

 

「うるせぇ!」

 

 クライトに思いっきりコブラツイストをかまされた、一応手加減はしてくれたようだった。

 

 

「さっ……これでシャインが何かつかめるといいんだが……」

 

「これで一つ貸しだからな、もうお前とはライバル同士なんだ、先輩だからって貸しのノーカウントはしないぞ」

 

「ええ、分かってます」

 

 私たちのトレーナーが各々ストップウォッチだったり資料だったりを準備し終わった後、私たちはスタート位置についた。今日は絶好の晴れで、芝も変えたばっかりですごく走りやすそうな感じだった。空気が澄んでいたので深呼吸をした後に私はコインを取り出し、クライトにこれがスタートの合図だと目で会話をする。

 

「ねぇ……」

 

 そして私たち二人がスタートする準備が完了した時、私は口を開く。

 

「クライトってなんだかんだ優しいよね」

 

「なっ……いやっ……」

 

 クライトは優しい、私の本心だ。

 さっきコブラツイストを受けた時に感じたあの腕の感触、私が頭を怪我した際に運んでくれた、誰だかわからない人物の感触だった。それにツイストの威力を手加減してくれたのもそうだ、きっと根は優しい人なんだと私は感じたから言いたくなった。

 クライトがあれやこれやと言い返している中私はコインをはじく。

 

「しっかり聞かないとスタートの音聞き逃すよ」

 

 数秒した後に高~く高~く上にはじいたコインが地面に落ち、模擬レースが始まった。

 スタートして数秒、私は相変わらずいつもの追込の位置でクライトを見つめる。クライトの脚質は差しでちょうど私の少し前の位置だ。しかし今の私は自分の武器を見つけるために模索することを考えた走りだ、とりあえず何かしらやってみようと言う事でクライトの後ろにぴったりくっついてみた。

 

「(けっ……俺の後ろにぴったりくっつきやがって、スタート前にも変な事言いやがって、気持ち(わり)ぃ)」

 

「(この位置、風の抵抗が少なくて走りやすい……確かこの現象は……スリップストリームだ。確かにいい作戦だけど決定的な武器にはならないかな)」

 

 スリップストリーム。

前の人の後ろにぴったりくっつくことで、風の抵抗を極限まで減らすテクニックだ。だが例えばサンが驚異のスタミナから加速したように、最終直線で使う武器としては使えない、結局のところ最終直線の時自分の前にウマ娘はいないのだから。

 

 それからも私はことあるごとにいい感じのテクニックを見つけはするが、『武器』の決め手にはならなかった。強いて言うなら、コーナーを曲がる際に私はとても楽に回る方法を見つけたくらいだ、だがサンのように強力な武器になるかと言われたら微妙なところだ。とりあえず練習メニューには入れておこう。

 結局そのまま模擬レースは流れていき、二人で最終直線に向かった。

 

「(何も見つからないなぁ……私にはそういう武器はないのかなぁ……)」

 

「オラァ! ついてこいや! スタ公!」

 

「スタこ……えっ?」

 

 武器が見つからないことに私が頭を悩ませていると、クライトが向こう側でスパートをかけた。私の呼び方にツッコミを入れたかったが走っていたのでツッコミを入れられるわけもなくクライトのスパートを見守っていた。まだ私のスパートをかけるポイントではない、まだ抑えよう。

 

「……だめそうだな、シャイン」

 

 クライトがスパートを仕掛けるのが見える、シャインは表情からしてまだ何もつかめていない様子だった。メイクデビューが終わってから未勝利戦までそう時間があるわけでもない、ここで何かを掴めなければ、たとえ未勝利戦を乗り越えても、メイクデビューで格付けされたプロミネンスサンに対して勝つことができない。俺の額にはじわじわと焦りの感情の証が出てきていた。

 

「橋田、お前が見つけて走り方をアドバイスするだけでもいいんだぞ?」

 

「いえ、私はあいつに見つけてほしいです、あいつ自身が武器だと確信できるものを」

 

 シャインに武器を作れと言ったのは俺だが、俺は外野から口出しするのではなく、シャイン自身が武器と感じれるものを使わせてやりたかった。俺は先輩……いや速水さんの方を見ながら断言する、速水さんは何も言わずにコースを見ていた。

 

 すると突然速水さんが驚いたような声を出し、口を開いた

 

「……どうやら俺が心配する必要もなさそうだな、みてみろよ、あれ」

 

「…………!?」

 

 

「えっ……ちょ……えっ……?」

 

 自分がどうなっているのかわからない。クライトがスパートをかけてから少し後に、私もスパートをかけた、そうしたら急に、視界は延々と下の方に高速で流れていく芝を捉えて前が見えず、私の脚も走っているというより階段を上っているような感覚になっている。ただ一つ言えるのは、すごく気持ちよく走れているし、今までになくスピードを出せているということだ。

 

「はっ……? 何やってんだお前……!?」

 

 私の少し後ろを走っているクライトも思わず困惑しているようだった。私だって困惑している、だってこれまでトレセンに入学する前も走っていた私だが、こんな状態になったのはこれが初めてだ。

 

「なんでこのアタシがゴール役なんて……うぉっと  ゴール!」

 

 

 横の方からゴール役を頼んでおいたヒシアマゾン先輩の匂いがする。恐らくゴールしたのだろうと思いスピードを緩めたら視界が元に戻った、元の状態になった途端にどっと疲れ、汗だくの体を地面に投げ捨てた。空を仰ぎ、私は先ほどの出来事を振り返るが、どれだけ振り返ってもどうなっていたのか見当がつかない。

「こうなっていたのかな?」という予想さえ言葉にすることが出来ないような不可解な体験だったからだ。

 

「はっ……はっ……はっ……え……どうなってたの私……」

 

「うぉーーーいっ! シャイーーンっ!」

 

 遠くの方からトレーナーがこれまでにない笑顔で近づいてくる、とても目が輝いている様子だ

 

「シャイン! もしかしてそれがお前にしかできない武器じゃないか!?」

 

「う……うん! いや、私がどうなってたのかぶっちゃけ知りたいんだけど、すごい気持ちよかった! あれ絶対私の武器だよ!」

 

「お前は今な……

 

 トレーナーから私がどうなっていたのかを聞こうと思ったら、とても大量の足音が聞こえ、その足音の正体を知ろうと遠くの方を見ると、12人ほどのウマ娘が大量に歩いていた、なんだかすごく怖い雰囲気の人たちだったので、私は目が合わないよう、トレーナーに顔をクイクイと大量のウマ娘達の方に合図を出して聞いてみた。

 

「んどうしたシャイン? あ……? ああ、あれはチーム「キグナス」の人たちだな」

 

「キグナス?」

 

「白鳥座の事だな、宇宙で一番大きい星だ、その名の通りあのチームはこの学園で今一番注目されているチームだ」

 

「へぇぇぇ……そんなに?」

 

「なんでもこれから歴史を担うんじゃないかと言うような実力者が大量に集まっているらしい」

 

 そう聞いて私は歴史を担うと言う単語に少しだけ反応した、チームまでできていると言う事はきっと確実に実力を付けて有名なウマ娘になる、ってことはあのチームの中の数人に圧勝すれば記録としてはいいのではないかと思った。いや、ウマ娘の記録はどの相手に勝ったかじゃなくてどのレースに勝ったかなんだけどさ。

 

「まぁすごく強いチームって事だ、戦おうとするのはやめておけと言われるほどにな」

 

 ちょうど私が戦おうと思っていたら戦うことを否定されるようなことを言われた……

 そんなことを話していると、その凄いチームらしいキグナスの一人がこっちに向かってきた。

 

「……何か奇妙だな、こんな風に他人を思ったのは初めてだ」

 

 突然そのウマ娘は意味深な事を言う、そのウマ娘は王冠のような白い模様が入った茶色の髪をしていて、目は赤く光り輝いていた。

 

「なんだ? てめー、馬鹿にしてんのか?」

 

「いや、馬鹿にしに来たわけじゃない、ただ君たちとは『何かぶつかりそうな』気がしてね」

 

 ぶつかりそうな気がする、イマイチ言葉の意味が分からなかったが恐らくレースの事だろう、先ほど私が戦おうと思っていたように、この人も私やクライトを見てレースで『ぶつかりそう』と思ったのだろうか。

 ちなみに私の横でクライトが殴りかかると言わんばかりの興奮具合だったのでゆっくりと私がなだめていた、どうやらクライトは目的がはっきりしないようなことを言われるとイライラするらしい。

 

「ふむ……」

 

 するとキグナスの人は何故か私を見つめてくる、あまり見つめられると目力強いから怖いのでやめていただきたいけどなかなか離れてくれなかった。

 

「…………失礼したね」

 

 そういってキグナスの人は集団に向かって戻ってしまった、相変わらず私の横でクライトが暴れかけていたが、何気なく私が抑えていた。

 トレーナーに聞いた話だが、あのウマ娘は「キングスクラウン」と言い、学園で一番注目されているキグナスの中でさらに一番注目されているウマ娘だそうだ。

 なんでも小学生のころから成績優秀、授業で行うレースでも明らかに飛び抜けた記録を残しての負け無しだったらしく、現在二冠を所持しており、シンボリルドルフさんの記録を上回るんじゃないかと言われているらしい。

 

「それでシャイン、お前の武器だが」

 

 キングスクラウンの事について一通り話し終わったトレーナーは、私の方に向きなおして先ほどの私の状態について話し出した、私もすっかり忘れていたが思い出した以上どうしても知りたい情報なので耳を傾けた。

 

 

「ええ!? そんなことになってたの!?」

 

 私は話を聞いて驚愕した。何せその話の内容は現実的に信じられないようなものだったからだ、当事者である私もあるわけがないと思ってしまうような内容だった。

 

「俺も最初見た時信じられなかった、だが確実にお前は実行して維持もできていた、恐らくこれをモノにすればお前は唯一無二の武器を手に入れられる!」

 

「じゃあ、明日からそれのトレーニング?」

 

「お前の未勝利戦は()()()()だ、それまでに絶対モノにするぞ! シャイン!」

 

「正直そんな怖い状態を本番のレースで行うのは凄い怖いけど……わかった! 私、絶対それを身に着けて勝って見せるよ! トレーナー!」

 

 何はともあれ、私はその現実的に信じられないような現象を実現できたのだ、今は違法な事じゃない限りなんでも信じて身に着けようと思う、私だけの武器、それは──

 

「おい、トレ公」

 

 橋田にお願いされた模擬レースが終わり、どうやら橋田とスターインシャインは何かを掴めたようであちらの方で盛り上がっている。そうして俺もボケっとしていたら、突然クライトから呼び声が掛かる。

 

「なんだ? クライト」

 

「俺もスタ公に負けてらんねぇ、お前もなんかトレーニングくれよ」

 

 どうやらクライトの闘志にも火がついたようで、追加のトレーニングを求められた。

 今回の模擬レースで俺もあるトレーニングが思いついたのでクライトに提供しようと思ったが、ものの頼み方がなってなかったのでどうしようか迷うそぶりを見せたら「うるせぇぶっとばすぞ」と言われたので、おとなしく提供してあげることにした。

 

「(橋田……どうやらお前はとんでもない原石を掴めたみたいだな、お前達のこれからの活躍にクライトも追いつけるように成長できるよう、これから頑張ってみるか!)」

 



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第七話 雪辱の未勝利戦

 

「また、戻ってきたんだね……ただいま」

 

 私は、再びこの地に帰って来た、毎度のごとく人が溢れている京都レース場、私が敗北を味わったメイクデビュー、そこで負けた人たちの復活戦、未勝利戦が行われる、ここで勝利することが出来れば私は晴れてデビューできるのだ

 

「こんどこそ、負けないぞ、シャイン」

 

「シャイーーーンっ! 応援来たよーーーっ!」

 

 声がする方を見ると、サンが速水さんやクライトと一緒に応援しに来てくれていた。

 ……サンに関してはボロボロになったトレーナーさんを引きずりながら……恐らくサンのテンションが上がりすぎてここまで引きずられてきたのだろう、スーツが大変な事になっている。私のトレーナーさんはそのボロボロな木村さんを見て気の毒に思いながらも少しだけ笑いをこらえられなくなっている。

 

「シャイン、頑張ってきてね! 私応援してるから!」

 

「うん、当然だよ!」

 

「スタ公、今度負けたら容赦しないからな」

 

「わかってるって! クライトとの勝負も必ずやろうね」

 

 私は友人から受けた応援の言葉を受け取って、レースの準備をしようと楽屋へ向かおうとしたその瞬間、後ろからサンの声が響いた。

 

「私、シャインと走るG1を楽しみにしてるから!」

 

 その言葉を聞いて、私はハッとする、自然と口角が上がるのを感じた。にやにやしているのを悟られないように表情を固めて後ろに向きなおす。

 

「……シャイン? どうしたの?」

 

「いや、なんでもない! 私、勝ってくる! 勝ってデビューしてくるよ!」

 

 私は、私の返せる最高の言葉を選んで、戦いの場へと向かった。

 

 そうして私がコースへ向かうための地下通路には誰もいなかった。トレーナーやほかのみんなには来ないでくれと言っておいたから、その約束を守ってくれたのだろう。なぜ来るなと言ったかは……私自身分からなかったけど、早めに席を取っておいて、私の活躍を間近で見てほしかったから、だと思う…?

 

『前回は惜しくも6着になってしまいましたスターインシャイン、今回リベンジを果たし、デビューすることはできるのでしょうか』

 

『彼女の末脚は本物ですからね、最後の伸びに期待したいです』

 

 外で私の事を話す実況の人の声が聞こえる、デビューすることが()()()()、なんて的外れな事を言っているようだ。私はデビューできるかを試しに来たんじゃない。

 私はデビューする、そうみんなに宣言したから、その宣言を守るためにここに来たんだ。

必ず……勝つ! 

 

「……よろしくお願いします、スターインシャインさん」

 

 ふと後ろの方から声をかけられる、そこには私よりも小柄な子が立っていた。こういってはアレなのだが、見るからに気が弱そうである。だがしかし勝とうという意志をしっかり発しているのが目に見えてわかる。確かこの子は……イーグルクロウ

 私とは別のメイクデビューで敗北してしまい、未勝利クラスになったウマ娘だ。

 

「よろしく、イーグルちゃん」

 

 私はイーグルクロウに一言だけ返し、地下通路という暗闇を抜け、ターフに立った。

 

「……よろしく、ですか……私は……」

 

『おおっとここで2番人気スターインシャインが姿を現した! 前回の雪辱を経て、さらに顔の鋭さに磨きがかかった気がします! 今回勝利をつかむことができるのか!?』

 

「……!」

 

 私は拳を握り、天高く掲げた、その動作に反応して観客席から少しだけ歓声が巻き起こる。

 

『スターインシャインが天高く拳を掲げたっ! これは勝利への意思を表しているのか! 

 1番人気ウッドラインも姿を現しました! 前回のメイクデビューとは違い、スターインシャインと逆の人気を得た!』

 

『彼女のロングスパートは驚くものがありますからね』

 

 

 

 

「……」

 

「いつになく楽しそうですね? スズカさん」

 

「ええ……本当に……」

 

 

「(シャイン……勝て……!)」

 

「なぁトレ公、俺こういう騒がしい場所苦手なんだけど……」

 

「それもお前に必要なトレーニングかな」

 

「蹴るぞ」

 

 いよいよ出走時間になり、私たち出走ウマ娘が各々のゲートに入る時間、私は深呼吸をしてゲートに向かった

 

『さぁ、メイクデビューで敗北したウマ娘たちのリベンジマッチ、未勝利戦、京都、芝、2000m、バ場は絶好の良バ場です』

 

「……」

 

 ただ前を見据え、ゲートに入る。ゲートに入った瞬間、何にも例えられない熱さが私の体を駆け巡るのを実感する。この勝負で絶対に勝つ、未勝利クラスを脱してみせる。

 

『この未勝利戦で勝利をつかみ、見事羽ばたくウマ娘はどの子なのか……!? 未勝利戦、今……』

 

 実況の人がゲートのランプを確認し、スタートの合図に備えた数秒後、ゲートが勢いよくガコンと開いた。

 

『スタートしました!』

 

『先頭で飛ばすのは9番スターダストロメオ、その後ろ7番スキュラマッスル、5バ身ほど空いて5番キュウリョウブクロ、スターインシャインは相変わらず最後方からだ!』

 

「(スタートも完璧、脚もいい感じに運べてる)」

 

 私はいつものようにレースを運べばいい、前にはイーグルクロウ、恐らくだがこのレースにおいて一番危険だろう、まるで私を前に出さないと言わんばかりにぴったりブロックしてくるマークだ。今までの私だったらここで予定が狂ってしまい多少掛かっていただろう、だけど私はトレーナーさんから精神面を鍛えるためにあるトレーニングをもらっていたのだ。

 

 ……そのトレーニング内容と言うのは、スピーカーからいろんな虫の羽音を流した部屋で座禅を組むというものだ、これは未勝利戦の1週間くらい前から行っていたものなのだが……

 

「(いーーーっ、思い出すだけでも鳥肌が立ちそうになるわ、思い出すのやめよう……くわばらくわばら)」

 

『6番、イーグルクロウが前を見据えている!』

 

 

「スタ公、かなり落ち着いてるな」

 

「そりゃそうだ、前回のメイクデビューは掛かってしまったからな、しっかり反省してトレーニングしたぞ、精神力をな」

 

 シャインは前回、プロミネンスサンの威圧感、姿が見えない恐怖におびえ、掛かってしまったのだ。だが今、俺が監修したトレーニングを行ったシャインはその程度では掛からない。

 

「滝修行でもしたのかよ?」

 

「まぁそんなところかな、アッハッハッハ」

 

「橋田よ……何したんだお前……」

 

 俺が笑う様子を見て速水さんが白い目を向けてくるが、気にしないでおこう。

 それに、万が一シャインが掛かってしまっても、シャインにはあの『武器』がある、シャインにしかできない、たった一つの武器があるのだ。

 

『第一コーナーに入った! 6番イーグルクロウが少し前に出たか! スターインシャインは未だ後方で押さえたまま!』

『彼女の脚質に合っている走り方です、ですが今日は何か様子がおかしいですね、終盤の展開でどう変わるかが気になります』

 

「くっ……」

 

 コーナーを回ろうとしたが、他のウマ娘達が内側、外側を固まって走るため、私は垂れない為にも大外を回る羽目になり、かなりのロスになってしまった。

 一応クライトとのトレーニングで見つけたこのステップを踏むような動きを使えば、横に動くことで発生する体力の消耗をある程度防ぐことができることを知ったので、私はそれをフル活用し、垂れウマ集団に構うことなく大外からコーナーを回りきることができた。

 

 

「かなり苦しい走り方ね……シャインちゃん……」

 

「大丈夫ですって! スズカさんが励ましたんですから! きっと勝てます!」

 

「私が励ましたから必ず勝てると言うわけではないんだけど~……スペちゃん……」

 

 

 レースが始まって数十秒、鹿毛のウマ娘は後方でじっくりと仕掛けるタイミングを見計らっていたが、突然ある疑惑を抱き始めた。それは地下通路でも言葉を交わしたイーグルクロウの事であった

 

「(ゴールまではまだまだある、スタミナもまだ残っている、けど……)」

 

 私の疑惑、イーグルクロウはスタート直後、即座に私の前にぴったりくっついてきた、第一コーナーを回った時もそうだ、まるで私の進路を塞ぐように内側の位置を奪われたから私は大外に追い込まれ、軽やかステップを使ってもかなりスタミナを削られてしまった、何か私をマークしているような? 

 

「邪魔だっ!」

 

「なっ……」

 

 ちょうどそのような疑惑を抱き始めた瞬間に、イーグルクロウが私の体に体当たりをしてきた。もちろんそんなことをすればすぐにわかることだ、でもほかのウマ娘に隠れてちょうど審議の人たちには見えないかもしれない。

 

『先頭から振りかえって行きましょう』

 

 やはり気づかれていないか……そりゃそうかもしれない、確かに公式レースと言う大事な場面ではあるが、G1でもなければ、G2でもないレースだ。そうなれば関係者の中に適当に仕事をする人が混じっていても仕方がない、私の方に運が無かったが故の失速。

 

 私は体勢を立て直したが、ただでさえ最後方の私は差しの位置についているイーグルクロウにさえ大差がある……

 

「(これでスターインシャインさんはもう上がってこれない……私は勝つんだ……勝って賞金を稼がなくちゃいけないんだ……家族の為に……)」

 

 

「どうやら6番は降着するみたいだな」

 

「え?」

 

 突然速水さんがそのような事を口にした、6番……はイーグルクロウと言うウマ娘だ、そのウマ娘は見た感じ何もしていない様子だったのになぜ突然降着するなどと言う事を口にしたのだろうか。

 

「……橋田、気付かなかったか? シャインは体当たりをかまされた、実況は気づいていないが、審議の人たちは気づいているだろうさ、仮にイーグルクロウが1着でゴールしても、降着の判断が下るだろうさ」

 

「面白いことするが……こうやってトレ公1人にでもバレるなら3流だな」

 

「なぜそんなことを……いや、今はシャインが心配だ……!」

 

「シャイン、体当たりされたんでしょ? あの子あそこから上がってこれるのかな……」

 

 

「(勝たなきゃ……勝つんだ……シャインさんに体当たりしてでも……他の人を蹴落としてでも……)」

 

 まだ第二コーナー手前だが、この時点でもう喉が呼吸の空気摩擦で張り裂けそうなくらい呼吸活動を繰り返している。

 でも、この未勝利戦で負けてしまったら、もしも、私が負けてしまったなら……

 

 もう私の()()()()()()()()()()()が……無い……

 

 私がどうしても勝たなきゃいけない理由……それは私の母親が病気だからだ。

 

 私は貧乏な家庭で育った。父親は私が生まれる時、母親のいる病院に来る途中で車の運転を焦り、事故にあって亡くなった。それでも私の母親は一生懸命私の事を育ててくれていた、父親がいなくなったと知り、母親自身、父親が亡くなったショックで辛かっただろうに、すぐにパートを掛け持ちして、育ててくれた。

 そしてウマ娘だった私は、何とか資金を集めてトレセンに入学し、トレーナーさんもつけた、母親も喜んでくれた。

 でもそんな生活もずっとは続かず

 私の母親は、2か月前に脳腫瘍が見つかった、悪性だ。

 

 そこからは簡単だった、母親から仕事が続けられなくなったと連絡が入り、なけなしの貯金を崩して生活しているようだった。だから私は、必ずレースで勝って母親の治療費を稼ぐと誓った。

 

 でも私はメイクデビューで敗北し、デビューできなかった。母親の命は刻一刻と消えて行っているのに、出遅れてしまった。

 

『イーグルは無理しなくていいのよ、私はどうせ病気持ちで死ぬ身なんだ、今更生きようとも思わないよ。イーグル、お母さんはあんたっていう娘がいるだけで、十分楽しい人生だったよ、だからお母さんの事は気にすんな』

 

 なんで、なんでそんな悲しいことを言うんだ、トレセンに入学させてもらってるのに、私だけが幸せになってるのに、お返ししないなんておかしいじゃん。

 

 私は必ず勝って、お母さんに幸せな余生を送ってもらうんだ。

 何があっても負けるわけにはいかない、何をしても勝たなければならない。

 

 

「必ず勝つからぁ!」

 

 

『第二コーナーを回りました! イーグルクロウが前に上がってきている! だんだんと前に上がってきた!』

 

「ふぅっ……ふぅっ……」

 

 割とさっきのタックルが効いている、実はイーグルクロウが左腕を振る動作と重なりあのタックルの際、肘がみぞおちに入っていたのだ。インターバルトレーニングしてなかったら呼吸器官終わってたわ……苦しいのに変わりはないけど。

 

 さて……第二コーナーはさっき回ったと思ったけど、あっという間に第三コーナーか、そろそろアレを仕掛けてもいいかもしれない。

 

 私だけの武器、本番のレースで試すのは初めてだから成功するかはわからないけど、必ず決めて見せる。

 

「さぁ……行くよっ……!」

 

『おっと8番スターインシャインがここでは早めのスパートを…………なっ……なんだこの走り方は!?』

 

「全く、いつみても信じられない光景だな、橋田」

 

「頭おっかしいな、スタ公のやつは」

 

『はっ……8番スターインシャインが……()()()()()()()()()()()()っっ!』

 

 ~~~

 

「それでシャイン、お前の武器だが」

 

 そういうとトレーナーは、突然地面にうつぶせで寝転がり、片足を階段を上るかのように伸ばした状態で膝の位置の地面に刺し、もう片方の足を踏み込んでいるように伸ばした状態で地面に刺した……ちょっと私にも説明が難しいが、こうとしか言いようがない。ちょっと頑張って噛み砕くと、地面にうつ伏せになっている。

 

「いや、だから、こういう事」

 

「え? ど……どういうこと……?」

 

「走っている最中、シャインはここまではいかないけど、ほぼこれと同じように走っていたぞ。究極の前傾姿勢だ。お前は地面のすれすれまで体を前傾させて、その体制を維持して走ることができる、しかもペースを落とさずにな。恐ろしい背筋だ」

 

「ええ!? そんなことになってたの!?」

 

 私は話を聞いて驚愕した。何せその話の内容は現実的に信じられないようなものだったからだ、当事者である私もあるわけがないと思ってしまうような内容だった。

 

「俺も最初見た時信じられなかった、だが確実にお前は実行して維持もできていた、恐らくこれをモノにすればお前は唯一無二の武器を手に入れられる!」

 

 確かに自分の体制が分からない時、後ろ側が見えていた気がする。それはつまり、私が下を向いている状態で走っていたからだ……何を言っているんだ私は? 

 

「正直そんな怖い状態を本番のレースで行うのは凄い怖いけど……わかった! 私、絶対それを身に着けて勝って見せるよ! トレーナー!」

 

 ~~~

 

「ああ、走りやすい! どこまででもスピードを上げられる気がする!」

 

 私だけの武器、それは──

 

 地面を階段のようにして走ることだ。分かりやすい例えだと、オグリキャップさんなんかは凄く体が柔らかいから、前傾して走ってるのは誰もが知っているだろう。この走り方はそれよりもさらに前傾し、もはや足が心臓の前後を行き来しない状態になるのだ。芝につま先をぶっ刺して階段のようにして走っていると言えば伝わるだろうか。

 

 だが当然この走り方にも弱点がある。脚が常に後ろ側にある以上、少しでもスピードを落とすと地面に身体がついて飛んで行ってしまうことだ。だけどそれ以上に空気抵抗が少ないのも事実だから、どれだけペースを上げても疲れない。疲れないと言う事はペースが落ちず地面に身体が点くこともない、私のスタミナ強化トレーニングが生きた瞬間だ。

 

「なんであんな走り方ができるの……!?」

 

『恐ろしい力! まさに8番スターインシャインにだけ重力が横にかかっていて、芝の壁を駆け上がっているよう!』

 

『あんなウマ娘、見たことがありません』

 

 ロケットのように私は走る。ぐんぐん前に進んでいるのが分かる。

 

『第三コーナーを回りました! コーナーを回る際には姿勢を起こしましたが、コーナーを回ったらまたすぐに前傾し、スターインシャインが相変わらず流れ星のように横向きの走りをする! 完全に物理法則を覆す走り方! もう訳が分からない!』

 

 

「ぐぅぅぁぁぁぁぁぁ!」

 

 私が走っている最中、信じられないことが起きていた。スターインシャインさんが前の方に上がってきているのだ。先ほどタックルを決めたと言うのになぜここまで上がることができるのだろうか。しかし私はお母さんの為に、この未勝利戦で負けられない、負けられないんだ。絶対に抜かせない、勝つ、勝つ、勝つ、勝つ、私はタックルまでしたんだ、勝てるはずなんだ。

 

『6番イーグルクロウも負けじと前に伸びる! 先頭のキュウリョウブクロはもう捕まった! 6番イーグルクロウと8番スターインシャインの一騎打ちだ!』

 

「マジか……あのシャインより速く走るなんて……」

 

「さぁ、分からなくなってきたぞ」

 

「勝てーーーっ! 勝って! シャイン! 負けるなーーーーーっ!」

 

 

 おかしい、あのイーグルクロウって子、私がスパートをかけ始めた瞬間に早くなった、ペースを上げないと……

 

 ……さっきペースを上げても疲れないと言ったけど、あれは間違いかもしれない。確かに疲れはしない、だけど脚に疲労がたまって行く感覚は確かにある。このままじゃまずい気がする……

 

「あぐっ……!?」

 

 突如、右脚に痛みが走る。

 

 なんだ、この痛み。

 

『おおっと8番スターインシャイン、とうとう耐えられなくなったのか上体を起こした! スターインシャイン、沈んでいく! 6番イーグルクロウが先頭を行く!』

 

 

「そんな……シャイン……」

 

「なんでだ……なんで沈んだんだよ……シャイン……」

 

「おい橋田、下見てないで前見てみろ。右脚だ、右脚に何か問題が起きたみたいだぞ」

 

「右脚……!?」

 

 速水さんに言われ、俺は必死にコース上のシャインを見た。右脚の部分を見ると、シャインは確かに右脚を守るように走っていた。骨折……いやしかし、走れてはいる、それはない、ならばなんだ。

 

「やりすぎたな、トレーニングを」

 

「トレーニングをやりすぎた……?」

 

「オーバートレーニング症候群だ、右脚がマヒしたか、激痛が走っているんだろう」

 

 オーバートレーニング症候群、疲労が積み重なり、慢性疲労状態になることだ。そしてひどくなると、体がマヒしたりすると言う事を前に何かで聞いた気がする。

 

 確かに、ここ最近のシャインは、『武器』のトレーニングも相まり、かなり疲れているように見えた。その疲労に気付けていなかった、俺のミスだ……

 

「また……勝てないってのか……俺は担当をデビューさせられないってのかよ……」

 

また自分の担当を勝たせることができなかったと言う現実に絶望し、俺は柵に手をつき再び下を向いていた。しかしその時だった、突然俺の聴覚が向いている方向から聞きなれた轟音が聞こえる。

 

この轟音はシャインがスパートをかけて走っている最中に出す轟音だ、しかしシャインはオーバートレーニング症候群で沈んだはず。しかし轟音は聞こえていると言う矛盾した現実に疑問を抱き、また俺は前を向く。

 

「橋田、トレーナーってのは、どんな時でも担当の事を信じて、いつまでも担当の勝利を願う職業だ。お前があの子より先に勝てないとあきらめてどうするんだ、見てみろ、あれを」

 

「う”ぅっ……う”あ”あ”あ”あ”!」

 

『第四コーナーを回り最終直線、8番スターインシャインが再び横向きで走っている! 一度沈んだがまた上がってきた!?』

 

「あの子の眼は、まだ諦めてない。戦う意志や勝ちたいという執念が輝いている、彼女の眼の中でギラギラと燃えている」

 

「スタ公より先にへこたれてんじゃねぇ、バ鹿が」

 

 

「あ”ぁ”……あ”ぁ”ぁ”……!」

 

 かならず勝つんだ……絶対に……私は……

 

 つかんでやる……勝利を……約束したから……! 

 

「ん”ん”っ……あ”あ”! くそっ! ……止まれないんだよ! 止まるもんかぁ!」

 

 だって……サンが私を待ってるから……絶対に負けられないから……

 

「そんな……一回沈んだのに……なんでなの……!」

 

「行ぃくぞぉぉおおおおおおおあああああああああ! イィィグルゥゥ!」

 

 

「私の邪魔をしないでっ! 私だって勝たなくちゃならないんだぁぁ!」

 

 実家で待つ私の家族の為に私は絶対に勝たなくちゃならない、気合で私の勝利が奪われてたまるか、どうせシャインさんはすぐに沈む! 

 

 

『さぁどちらだ!? どちらが先に抜けだす!? シャインか!? イーグルか!? シャインか!? イーグルか!?』

 

「ぐぁっ……っ!? そんなっ……!」

 

 もうダメだ、急に私の脚が前に進まなくなった、私の脚は限界を迎えたのが分かる

 

 もう、走れなくなってる……

 

 先ほどまで競い合っていたライバルが前に駆け抜けていくのが見える、私はまた、負けたの……

 

 

 



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第八話 未勝利戦を終えて

 

『シャインだ! シャインだ!! シャインだ!!! スターインシャインが前に抜け出したぁ!! スターインシャイン今圧勝でゴールイン!! 次元が違った!! 彼女の脚は次元が違った!!!! 一度沈んでからの復活劇、お見事としか言えない走りだった!!!』

 

 レース途中の妨害行為や、シャインのオーバートレーニング症候群などにより、荒れに荒れた未勝利戦は、

 スターインシャインが勝利を掴み取った。

 

「やったわね……シャインちゃん……」

 

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!! シャインがデビューだぁぁぁ!! 見たかよ木村さん!! 速水さん!!」

 

「すげぇ走りだぜ全く……スタ公」

 

「やっとシャインがデビューですね!! 橋田さん!!」

 

 序盤のブロックや激しいコーナリング、道中のタックル、そして終盤に起きた脚の痛みなどがあったが、最後の最後、私がもともと持ち合わせていた根性で最後はイーグルクロウを差し切ることができた。

 

「はぁっ……はぁっ……うっ……オエッ……か、勝ったぁ……!!」

 

 ゴール板を超えたのを何回も確認して、とりあえず私が一番にゴールできたのを確信した、あとは電光掲示板に着順が出て、確定さえしてくれれば私のデビューだ。

 

「(い……痛い……!? さっきシャインさんも足が痛んでいるようだったけど、私までその痛みが……!?)」

 

 先ほど、ゴール板を駆け抜けるコンマ数秒前、急に感じた脚への痛みによって、私はスターインシャインさんに並ぶ速度を継続して出すことが出来なくなり、結局スターインシャインさんを抜くことも出来ず、先にゴールされてしまった。

 

「早く……早く私もゴールしなきゃ……せめて入着しないと……早く……」

 

 だけどまだ諦められない、ある程度の着順になれば未勝利戦でも多少は賞金が出る。この未勝利戦で負けてしまった以上、デビューできる確率はさらに薄くなってしまったが、それである程度は母親に仕送りが出来るかもしれない、私が競争ウマ娘として稼げなくなる前に母親に少しは楽をしてもらえるかもしれない。そう思った矢先、ズゴッと言う鈍い音が私の足元から聞こえ、急に視界が揺らぐ。

 

「えっ?」

 

 私は芝に、ただの芝に引っかかって体勢を崩したのだ。

 まずい、この方向だとゴール板に直撃してしまう。ウマ娘の最高速度は世間一般的に60や70キロと言われている、そのことを加味した場合、プレオープンの私の速度は大体40、50キロと言ったところだろう。そんな速度でゴール板のような硬いものにぶつかったらどうなる?車の交通事故などでは、たとえ車体の固い壁に守られていても死傷者が出ることがある。それでは今の私はどうか、私を守る壁もなければ減速だってできるような状態じゃない、確実に大けがは免れない。もしかしたら死ぬこともあり得る、この速度だから助かるわけがない。

 

 あぁ、私結局、何も残せなかった。結局母親に何もしてあげられなかった。ちっさな頃から母親に助けられながら生きて来たのに、メイクデビューにも勝てず、自分の父親と同じ、事故で亡くなるのか、私。

 

 

 

「っっ!! あぶないっ!!」

 

 

 

 突然鹿毛のウマ娘が私の前に飛び出してきた。誰だと思いその顔を見ると、既に私より先にゴールしていたスターインシャインさんが私の目の前に出てきていた、私をかばう形で。なぜ? なぜ私の前に? この速度でこけたウマ娘がぶつかってきたら、あなたも無事じゃなくなるのに。

 

 あなたの脚は限界のはずなのに、もう数メートルでさえも動けないはずなのに、なんで私の前に……

 

 結局、私がぶつかるまでスターインシャインさんは絶対に退かなかった。全身に鋭い痛みが走り、クッションのようになったスターインシャインさんも一緒に吹き飛ぶ。

 

『なっ……なんと事故です! 6番イーグルクロウがゴール板間近でよろけてしまい、スターインシャインに直撃……いや、かばったのか!? し、しかしコース上にはあまりはみ出てない為、他のウマ娘達は無事にゴールイン!!』

 

「な……なんで……? 怪我しちゃったら、デビュー後に大変じゃん……」

 

「……あなたが怪我をしたら、未勝利戦の期間が終わってしまうから、私はまだ時間がある、けど、未勝利戦のシーズンは待ってくれない、だから庇った」

 

「そんな……そんな理由で……?」

 

 スターインシャインさんは、いとも簡単に、何も気にしていないような顔でそう言い切った。

 

「まだ諦めちゃダメだよ、諦めなければ、勝てるよ。 だってあなた、1着の私より速く走れてたじゃん……!」

 

 そういってスターインシャインさんは笑顔で微笑む、その言葉を受けて、このレースで私が行った悪行に対する罪悪感が襲ってくる。

 

 ……私は、この人をレース中妨害するなんて、なんてひどいことをしたのだろう

 

『お知らせします、6番 イーグルクロウは、事故発生の為、失格とし、その他の着順に、影響はありません、掲示板に表示されている着順で、確定いたします』

 

 

         Ⅰ 8       

             >6

         Ⅱ 4

             >クビ

         Ⅲ 1

             >2/1

         Ⅳ 5

             >1

         Ⅴ 12

 

 

 こうして、私たちの未勝利戦は終わった、見事私がデビューした形で。

 サンもクライトも、もちろんトレーナーさん、木村さん速水さんも喜んでくれた。

 

「いでぇぇぇぇぇぇぇ……いっでぇぇよぉぉぉ……」

 

 レースが終わった後、私はもう歩けない状態になってしまったので、サンやクライトに運ばれながら医療班から応急処置を受け、ウイニングライブの時間が来るまで控室の床に布を引いてダウンしていた。

 

「派手にぶつかったからな、お前今日怪我しかしてねぇじゃん」

 

 そういってトレーナーさんが椅子に座ってからかう様に笑う。確かに私は今日は怪我しかしてない気がするので、いっそ振り返ってみることにした。

 

「えっと……タックルでしょ……疲労でしょ……そしてゴール後のあれでしょ……もう私ボロボロよ……」

 

「まぁ勝てたし良いだろ……よくやったな、シャイン」

 

「当り前~ってね、いで……」

 

 その通りである、私は見事未勝利戦に勝利し、デビューを果たした。未勝利戦に勝った今、怪我してようが関係ない。私は私の全力を出して、かつ勝てたのだ、何も言う事はない、満足である。

 

「ほれ、ここマッサージしてやる」

 

「~~~~」

 

 突然トレーナーさんがぶつかったところをもみほぐしてくるので痛みから私は声にならない声を上げた。そんなことをやいのやいのとやっていると、突然私の控室のドアが開いた。控室に入ってきたのはイーグルクロウだった。あの衝突事故の後、イーグルクロウの方も少し怪我をしたようだが特に大きなけがじゃないようでよかった。

 

「あの……スターインシャインさん……今日は本当に申し訳ありませんでした……」

 

 イーグルクロウは申し訳なさそうに私に謝罪した。私は別にそんなことを言われるとは微塵も思っていなかったので少しだけ困惑する。

 

「い……いいよ別に、気にしないでよ、あなたも今回の敗北で諦めないで、次の未勝利戦でデビューしよう、待ってる人がいるんだよね」

 

 とりあえず何かしら反応しないとイーグルちゃんも不安になるかと思ったし、私も別に気にしていなかったので言葉をひねり出した。

 

「でも……怪我が……」

 

「だ~から気にしなくていいよ、私意外と頑丈だし」

 

 それでもイーグルちゃんは納得していない様子だったが、その後も説得を続けて勢いで推し切ることができた。最終的にはイーグルちゃんの顔に笑顔が戻っていたので、きっと大丈夫だろう。

 

「そうそう、こいつ体だけは頑丈だから」

 

「トレーナー、復活したら覚えておいてね」

 

 トレーナーが横から余計な事を言ってきたが、とりあえずトレーナーは後で蹴るとして、イーグルちゃんを私は帰そうとドアの方へ誘導してあげた。すると部屋を出る直前、イーグルちゃんが私の方に向きなおしてかわいらしい顔で。

 

「あの……私のこと覚えておいてください! 必ず……必ずデビューして、お礼を言いに行きます!! だからそれまで覚えておいてください!!!」

 

「言われなくても、私はそうするつもりだったよ、イーグルちゃん」

 

 特に何も考えずに私の本心を伝えたら、イーグルちゃんは少し驚いた顔をした後、自分自身の目が思わず閉じるほど表情筋を上げた笑顔で返事をして、楽屋から退出していった。

 あ”~、可愛かった。

 

『さぁ、間もなくウイニングライブです。今回は見事な逆転劇を見せつけてくれましたスターインシャイン、前回のメイクデビューを乗り越えて、何とかデビュー出来ました』

『そうですね、今回見せた彼女の特殊な走り方でどれほど重賞を勝ち進むのか楽しみで仕方ありません』

 

 イーグルちゃんが帰って間もなく、楽屋についている放送機器からウイニングライブの時間までのトークが始まった。ぶっちゃけ私の方は体がぼろぼろなのでウイニングライブなんて行きたくないのだが……そういうわけにもいかないだろう。

 

「……私たちもそろそろみたいだね、行こっか」

 

「あぁ、しっかり踊ってこい」

 

「……やっぱりいでぇ」

 

 私は全身から危険信号が出てくる体を無理やり起こし、ウイニングライブのステージへ向かった。

 ……あまりダンスの練習はしなかったのだが大丈夫だろうか。

 

 

『勝利をつかんだウマ娘が歌う場所、ウイニングライブ、今回の楽曲は『Make debut!』です』

 

 少々ぎこちない動きながらも、ある程度形になってはいるので大丈夫だろう。強いて言うなら体の節々が痛んでもはやそれどころじゃない事だ。

 

 ……少しは痛みに慣れてきたところで、私はメイクデビュー、そして未勝利戦の事を振り返る。観客席の方を見ると、私の知り合いがみんな見に来てくれている、私はいろんな人のおかげでデビューすることができたんだと改めて感じた。

 

「シャイィィィン!! 愛してるよぉぉぉ!!」

 

 私に勝ちたいと言う意志をむき出しにし、私に越えるべき試練を与えてくれた親友。

 

「テンションあがりすぎてなんだかすごいことになってますよ、サン」

 

 その親友に秘められた強さを極限まで引き出してくれたトレーナー。

 

「こっちむいて~~~!! シャインちゃぁ~ん!!」

 

 私のトレーナーに担当を持つことを手ほどきしてくれ、アドバイスをかけてくれていた人。

 

「トレ公うるせぇ!! 周りの目がこっちに向いてんだろうが!! 静かに見ろ!!」

 

 不器用ながらも、影で私の事を治療してくれたり、私自身の技を見つけられるように支えてくれた人。

 

「……ふふっ」

 

「この曲を歌ったのが懐かしいですね、スズカさん」

 

 私に目標を与え、私を応援してくれて、大切な事を気づかせてくれた人。

 

 そして……

 

「シャイン……グスッ……シャイーーーン!!!」

 

「オメーもか!! 黙って見ろよ!!」

 

 みんなが各々の好きなように私の晴れ姿を見てくれていた。私のトレーナーさんに関しては涙まで流していて、おかしくなって思わず目元が熱くなる。

 

「(ふっ……涙まで流しちゃって、バ鹿みたいじゃん)」

 

 私の事を信じてくれて、私をこの勝利の場まで導いてくれた人、私の大事なトレーナーさん。

 きっと今私も涙を流しているのだろう、顔を伝う一筋の熱さが物語っている。

 

 ふと横の方を見ると、その横では、イーグルちゃんがウイニングライブを見に来てくれていた。私も初めて知ったことなのだが、失格になるとバックダンサーの立ち位置もないため踊らないようである。

 

「(必ず勝ちあがって……私と同じように、這い上がってこれる脚がイーグルちゃんにはあるんだから!)」

 

 イーグルはただ、私の方を見て力強くうなずいた。私はイーグルちゃんが3回目の未勝利戦にて立ち上がることができると確信し、自分のライブへ意識を戻した。

 

 サンやクライトに続いて、私もこれから駆け抜けていくんだ、自分だけの道を・

 誰にも越えられない記録を作るために!! 目指すは重賞超制覇だ!!

 

 

 

「ふむ……」

 

 レース終盤で彼女が見せた根性、圧倒的に無茶な走り方。

 それにレース途中ブロックやタックルもされていたのにそれでもなお一着でゴールする粘り強さ。

 

「やはり、君たちとはいつかぶつかることになるだろうね……」

 

 観客席の後ろの方にぽつんと一人だけ、キングスクラウンがシャインのウイニングライブを見ていた。シャインに何かの才能、そして運命を感じていたキングスは、メイクデビューで敗北したシャインがこの未勝利戦で這い上がることができるのか、見に来ていた。

 

「ターフで出会うその時を楽しみにしているよ、スターインシャイン、プロミネンスサン、マックライトニング」

 

 私はウイニングライブのステージに背を向けて暗闇を進む、その暗闇の中である考え事をする。

 

 もちろんあの三人組のことだ。私は今まで敗北を考えることはなかったが、彼女らなら、もしかしたらキグナスを打ち破るほどに成長するかもしれない。

 

 コツコツとキングスの靴の音だけが鳴り響く観客席への通路で、キングスは急に立ち止まり、一言だけ小さく呟く。

 

「他の11人が負けようが、最後に残った私が必ず勝つがね……」

 

 希望の新星、スターインシャイン プロミネンスサン マックライトニング

 

 君たちは必ず、この私、キングスクラウンが倒そうじゃないか。

 

勝つぞ!!メイクデビュー編 完

 




めちゃくちゃ徹夜したので、7000文字越えれなかった…お許しください


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快進撃を見せちゃうよ! ジュニア期編
第九話 3人分の休暇


 

「シャイン、今日は有マ記念の日だよ! ちょっと到着が遅いんじゃない?」

 

 ふと私より先にレース場に来ていたサンが、私に「全くこいつは……」と言った様子でそう言葉を投げかける。今日、私たちはついに有マ記念を走るのだ。相手にはプロミネンスサンとプロミネンスサン、そしてプロミネンスサンがいる。他にもプロミネンスサンはこの有マ記念で私が一番危ないと思っているウマ娘だから、しっかりとマークしておかないといけない。

 

「今日はよろしく、シャイン」

 

 私の後ろにいつの間にかプロミネンスサンがいた、足を軽く怪我したと言っていたが、話を聞いたところによるともう走っても大丈夫なくらいに治ったらしい

 怪我をして走れないんじゃないか、という心配をしていた私はその報告を聞いて安心した

 

「うん! サンもプロミネンスサンもよろしく! 今日は絶対負けないからね!!」

 

 私を除いて11人のプロミネンスサンが今日、私が経験した事が無いほどに灼熱するレース展開を巻き起こすのだろう。

 

 絶対に私が、すべてごぼう抜きにする。

 

「どわあああああああああああ!!!!」

 

 私はとんでもない悪夢のような何かで起きた……11人のサンってなんだ……? 

 っていうか、ライブの後の記憶がまったくないんだけど時間戻ったとかじゃないと思いたい。この目覚まし時計が魔法の目覚まし時計で時間が未勝利戦の前になってるとかないよね?

 夢の中でよくわからない現象に遭遇したせいで、よくわからない心配をした私はとっさに自前のデジタル目覚まし時計を確認したが、特に日付も変わってないから今日は今日だった。よし。

 とりあえず安心した私は誰もいない部屋で体を起こした。

 

 そうそう、相部屋の寮で誰もいないかなんだけど、理由はわからない。だけど確実に誰かが住んでいるような跡はあるので、なぜいないのかわからない。入学した日に聞いてみたのだが、なんでも寮長によると『気にしなくていい』とのことだった

 

「ん……トレーナーからメール……」

 

『今日はジュニア期に向けた話し合いをする、トレーナー室に来い』

 

「そっか、もうジュニア級になるのかぁ」

 

 私は窓の外の景色を見ながらそんなことを思う。私は未勝利戦に勝利し、ジュニア級になったのだ、私の目標の第一歩を踏み出したのだ。そんなわくわくを背中に背負いながらトレーナー室に向かい、元気よくドアを開けた。

 

「ん、おはようシャイン、……なんか、話す内容が楽しみで仕方ないって感じだな」

 

「もうジュニア級になったからね! これからとてつもない記録を作っていくんだよ、私は! そんなの楽しみじゃないわけないじゃん!」

 

「それもそうだな、かくいう俺も楽しみだ、これから頑張って行こう、シャイン」

 

 

「さて、ジュニア期のレーススケジュールに関して、次のレースは……と言いたいところだが、まだレーススケジュールが決まっていない」

 

「そうだね! まずはオープンから……って、え? トレーナー、今なんて?」

 

 とうとう私の耳はおかしくなったのだろうか、トレーナーはホワイトボードの裏表を思いっきりひっくり返して、『レーススケジュールが決まっていない』と言ったように聞こえた。まだ、まだ私の聞き間違えかもしれないから、一応聞き返した。

 

「いや、だからレーススケジュールが決まってない」

 

「…………えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 何を言われたのかわからなかった。一応聞き間違いと言う事があるかもしれないから聞き直したというのに、あろうことかこのトレーナーは平然とした顔でとんでもないことを言いだした。レーススケジュールが決まっていない?

 ただレーススケジュールが決まっていないだけと思うかもしれないが、レーススケジュールが決まっていないと言う事は、次に走るコースの研究、相手の作戦の予想、マークするべき相手の絞り、そのレースに向けたトレーニング、そのすべてが出来なくなる。すなわち今後の活動において大きなディスアドバンテージを生む。

 

「ちょいやちょいやトレーナーさん! どういうことよレーススケジュールが出来てないって!」

 

「いや……本当に……俺の問題なんだ……」

 

「え?」

 

 トレーナーさんは突然私の前に正座して、申し訳なさそうに頭を掻き始めた。

 

「俺……担当持つの初めてでさ……どういうレーススケジュールが良いのかわからねぇんだ……」

 

「い……いや、トレーナーさん、サブトレーナーの経験あるんでしょ? それならレーススケジュールが大体どんなものかいくらかわかるんじゃないの……?」

 

 前にも言った通り、トレーナーさんはサブトレーナーの経験がある、それならばレーススケジュールを聞くこともいくらかあったのではないだろうか。それなのに分からないとはどういう事だろうか。

 

「そ、それがな……俺はトレーニングメニューの提案と相談しか担当してなかったから、レーススケジュールに関してはノータッチなんだ……」

 

「ちょっと勘弁してよトレーナーさん……! レーススケジュールも立てれないでどうするの今後……!!」

 

「ちょ、ちょっと待っててくれ……木村さんや速水さんに頭下げてどういう風にすればいいのか具体的に聞いてくる……それまでシャインはどこかで暇つぶしててくれ……レーススケジュールが組み立てられ次第トレーニングメニューを組み立てる……!」

 

「ちょ……ちょま……はぁ……」

 

 そういってトレーナーさんは私を強引にトレーナー室から追い出してしまった。ドアの向こうでは電話をする声が聞こえる。

 

「困ったもんだよ……まぁ暇つぶししろって言われたし、どこかで潰しますか」

 

 

 

 

「ステーキ! ステーキ! ステーキ!」

 

 グラウンドには練習をしているウマ娘で溢れていた、恐らくどれもメイクデビューを乗り越えたジュニア期のウマ娘だろう

 私はレーススケジュールが決まっていないからとりあえずの軽いメニューだけ終えてこうやって出かけてるけど、レーススケジュールが決まったらこうもいかなくなるのかなぁ

 

「ほえぇ……ジュニア期かぁ……」

 

「やぁ、暇つぶしかい?」

 

 そこには見慣れた制服を着たサンがいた、おかしい、この時間はサンも練習をするだろうに

 なぜジャージを着ずにうろうろしていたのか聞いたら、どうやらトレーナーさんに暇つぶしをしていてくれと言われたらしい、……原因はうちのトレーナーだろうな……

 

「と言われても一人で出かける先なんてないからねぇ」

 

「じゃあ、サンも一緒に出掛ける?」

 

「お、いいねぇ、デビュー前は練習だけだったからね」

 

「…………」

 

「あっクライトも一緒に出掛けよ!!」

 

「うるせぇ話しかけんな! うわっ二人で追いかけてくんな!」

 

「逃げウマから逃げようったってそうはいかないよクライト! ハッハッハッハッハッ!」

 

 ついでにそこら辺をほっつき歩いていたクライトも誘って私たち三人でお出かけすることになった

 ちなみにクライトもトレーナーさんに暇つぶししてくれと言われたらしい……本当に申し訳ない

 

 

 なんだかんだメンツがそろってしまい、とりあえず私たちはゲームセンターに来ていた、話を聞いたところここにいる三人全員が意外とゲーム好きなことが発覚したため、ゲームセンターをとりあえずの暇潰し場所として選んでいた

 

「私は割と長時間やるゲームやってたかな、太鼓の音ゲーとか」

 

「どっちかって言うと私はサッと終わるタイプ、クレーンゲーム等、かな?」

 

 私が長時間プレイできるゲームを遊び、サンが短いゲームをプレイする、もしかしたら好きなものの傾向は脚質適正で分かるのかもしれない

 

「……」

 

「クライトは何やってたの?」

 

「……」

 

「じゃああれやろ! サン!」

 

「私は別に好きなゲームをべらべらしゃべったりしな……っておい! 興味無くすのはえぇな!」

 

「えぇ? だって答えてくれなさそうだったから」

 

「だとしても!! もうちょっと粘るもんだと思ってたわ!」

 

「もしかしてもっと粘ってほしかったの?」

 

「……」

 

「恥ずかしがり屋なんだから~」

 

「うるせぇぶっ飛ばすぞ!」

 

 そんなこんなで私たちはゲームセンターを堪能することにした

 

 

 私とサンで太鼓のゲームをやっているとき

 

「ところでさシャイン」

 

「よ……よくリズム乗りながら喋れるね……」

 

 私はリズムに乗っているだけで精いっぱいだと言うのに、サンはリズムを崩すこともなく私に何食わぬ顔で話しかけてきた

 

「クライトも聞いて欲しいんだけどさ」

 

「あん……?」

 

「私達ってさ、なんだかんだ良い三人組だよね」

 

 突然サンがそんなことを言う、良い三人組、その言葉の意味はどういう事なんだろうか、普通に考えれば友達として良い三人組、だがサンの顔はそういう顔ではない、もっと重要な何かを言いたげな顔をしていた

 

「どういう意味だ?」

 

「いやさ、急に思ってさ」

 

 サンはドンドコと太鼓をたたきながら続ける、私はリズムに全く乗れずボロボロになっている

 

「私とシャインは言わずもがなライバル同士、クライトもシャインと仲良し、「仲良くねぇ」私たち三人、なんだかんだ縁があると言うか、なにかと惹かれあうよねって思って」

 

 惹かれあう、確かにそうなのかもしれない

 私たち三人はみんな距離適性が同じで、入学当初からクラスも一緒、出るレースも何回かかぶっている、何かと惹かれあう三人組だ

 私は相変わらず譜面を叩けずボロボロに負けている

 

「いつか……私たち三人で走れるといいなぁ、伝説になった私たち三人が走る伝説のレース、作り上げてみたい」

 

 ドンッ!  フルコンボ~! 

 

「シャイン……途中からボロボロだったね……」

 

「音ゲーの最中に話しかけないでくれぇ……」

 

 

「サン、次は俺がやる」

 

 ~~

 

「……//」

 

 なんで急に思いついたからってさっきあんなことを口走ってしまったんだろう……

『伝説の』レースなんて……あぁぁ……恥ずかしい

 私がこの三人組に対して不思議な縁を感じているのは事実だ、だからこそ伝説のレースを見たいのは本心だ

 もし、この三人で本当に作る事が出来たら……

 

「おいサン、譜面と逆の操作してるぞ」

 

「あっ……ホントだ……」

 

「どうした? まさか恥ずかしくなって集中出来ねえってか?」ニヤニヤ

 

 はぁ……シャインまで笑ってるよ……でも伝説のレースって言いたくなっちゃうじゃんさ……

 

「もう……伝説は忘れてよ……」

 

「まぁでも、お前にしちゃ良い事いうじゃねぇか、面白い」

 

「クライトももう少しサンみたいになってくれたらなぁ……」「るせぇ」

 

 ……やっぱり、この三人組が良いな、私はこの三人組で戦いたい

 

「そろそろ次のゲームやりに行こうか、二人とも」

 

「そ……そうだね……シャイン」

 

 まだまだ私たちのお出かけは続くみたいだ

 

「おい、スタ公」

 

「ん? 何、クライト、わざわざこっそり話しかけてきて」

 

「ぜってぇ俺らで伝説のレース、作ってやろうぜ、ああいう無茶ぶりこそ、実現してやりたくなる」

 

「……やっぱり優しいね、クライトは」「るせぇ!」

 

「おーい! クライトが伝説のレース作ってくれるって!!」

 

「だから伝説は忘れてって!」

 

 

 

 

「ふぅ……だいぶ疲れたね……」

 

「……まだ全然時間あるんだけど」

 

「……」

 

 騒音が鳴り響くゲームセンターの中、私たちはデビュー前には想像もしていなかったほどの暇を圧倒的に持て余していた、私たちはゲームセンターの二階に作られている、一階を見下ろす形の柵に寄りかかって上の空になっていた

 あれから私たちはひたすらにゲームをして暇を楽しんだのだが、それにしても長い暇である、サンは音ゲーのやりすぎでリズムを取る感覚がまだ抜けていないようで、足がひたすらに何かのリズムを刻んでいる

 クライトはどこで手に入れたのか、アミューズメント施設備え付けの袋いっぱいに詰まった板チョコをバリバリと食べていた、本人いわく、クレーンゲームで大勝ちしたらしいが、こんなにあると太り気味になっちまう、というかそれ以前に溶けると言っていた

 

「…………一枚分けてくれない?」

 

「ん」

 

 一文字の返事をするとクライトはガサガサと袋からチョコを選ぶ、ゲッソリとした女の子に袋からチョコを渡そうとするその姿はあたかもサンタさんのようであった、まぁ今クリスマスシーズンでもないけど

 

「……ブラック、ミルク、ハイミルク、ホワイト、ざっと全部15枚ずつくらいあるけどどれ食う」

 

「ん~……ハイミルク」

 

「ん」

 

 4種のチョコがざっと15枚、約60枚……と聞いてまた袋の大きさが気になった私は柵から再び身を引いて袋を見つめる、今にもはち切れそうな袋がチョコを咥えて耐えている、持って帰れるのか心配になっていると、クライトがチョコが欲しいのかと聞いてきたが、私はあまりチョコが好きではないので丁重にお断りしておいた

 

「チョコみたいな髪色してんのにな……」

 

 余計なひと言が聞こえた気がしなくもないが、気にしないでおこう

 クライトとサンがチョコを食べる音や、ゲームセンターの音だけが流れる、私たちの間に再び静寂が訪れた

 

 すると私たちの前に二人のウマ娘と思われる人たちが来た、なぜ「思われる」などという表現をしたのかというと、この二人が帽子をかぶっているせいで耳が見えないからだ

 片方はさらさらとしたロングヘアー、葦毛のウマ娘、もう片方はまるで海のように透き通った青色をしたこれまたロングヘアーのウマ娘だった

 

「あなたたちがキングスさんが言っていた3人ですか?」

 

 葦毛のウマ娘がそんなことを言う、キグナス最強と言われていたウマ娘の事だろう、私とクライトがグラウンドで話していた人だ、この二人のウマ娘はキングスに何か関わりがあるのだろうか

 

「キングス? ……あぁ、あの気に入らない奴か、それがどうした?」

 

「キングスはキグナスを倒すだろうと言っていたが、メイクデビューが終わってすぐにこんなゲームセンターで遊んでいるようなら、私達でも倒せそうだな」

 

 青毛のウマ娘はそういうと黄色く煌めく瞳で私の事を見た、私達も好きでゲームセンターでぐったりするほど遊んでいるわけではないのだけれど……それにはツッコみたいところだったが、そういう空気でもないので黙っておいた

 どうやらこの二人はキグナスの中でも若い二人みたいだ、確かに前にトレーナーさんから話を聞いた時、キングスのように小さいころからの実績を残していないメンバーが何人かいたはずだ、恐らくそのメンバーがこの二人なのだろう

 

「いきなり突っかかってきて何? あなたたち、名前は?」

 

「私はノースブリーズ」

 

「……シーホースランス」

 

 葦毛の方がノースブリーズ、青毛の方がシーホースランス……確か前者が「北風のようにコースを駆け抜ける」、後者が「ダートも芝も関係ない、コースの鬼」と言われていたはずだ

 

「んでその二人がわざわざなんで私たちに突っかかってくるんだよ、暇なのか?」

 

「あいにくお前らみたいに暇なわけじゃないんだ、ただ潰す相手の姿を見ておこうと思ってね」

 

「あ……? いい度胸じゃねぇかよ、喧嘩すっか?」

 

「もしお前たちが私たちと同じ競争ウマ娘なら、レースで証明したらどうだ? 喧嘩っ早いと人生を損するぞ?」

 

「あんだとぅ……!?」

 

 クライトが顎をしゃくれるほどに前に出してイライラしている、潰す相手……確かに、私達と同時期にデビューしたのだから、それならば同じレースに出走するかもしれないのは事実だ。

 いずれぶつかる相手の姿をただ見つめ、しっかりと目に焼き付けた

 キグナス、恐らく私達と何度もぶつかり争うチーム、その一部を目の前にして、私の内側から闘志がわきあがるのを感じる

 

「さぁランス、もう帰ろう、私達もトレーニングの時間がある」

 

「……私たち二人がジュニア期でお前たちの中の二人を潰す、覚悟しておけ」

 

 そういうとノースブリーズとシーホースランスはゲームセンターの階段を下りて出て行ってしまった、……クライトがおでこにシワをつくってイライラを抑えている

 

「おうおうおう、ちょっとあいつらにチョコぶん投げてくるわ」

 

「恥ずかしいからやめてクライト……!」

 

「離せぇ! スタ公!!」

 

 

 

「……」

 

「お……落ち着きなってクライト……」

 

 あの後クライトを落ち着けて、近場の喫茶店に入ったのだが、喫茶店に入ってもクライトのイライラは収まらず、今現在ずっと貧乏ゆすりをしている、多分相当頭に来たのだろう、本当にごめんクライト、私のトレーナーが迷惑をかけているばっかりにあんなことに巻き込まれてしまって

 

「それにしても、あの二人はなんだったんだろうね、私たちを潰すって」

 

 クライトをなだめているとサンがそんなことを聞いてくる、そんなもの私の中では答えが一つだ、そのまんまの意味、キグナスの敵になりそうな奴は片っ端から潰すと言う事だろう、それでも敵わないようなら他の奴らも出てくるだろう

 

「私さ、あの二人が階段を下りていくときに聞こえたんだけど、ホープフルが何とかって言ってた」

 

「ホープフル……? ホープフルステークスの事?」

 

 ホープフルステークス、中山競バ場にて行われる芝2000mの中距離レース、私たちの適性にもあっているし、中距離の競争ウマ娘として生きていくなら必ず通るくらいの道だ

 開催時期は有マ記念の後に行われ、年末最後のG1として扱われている

 

「多分あの二人ホープフルステークス出走するんじゃないの? どうせ潰されるかもしれないなら、こっちから仕掛けたらどうかな」

 

「さっきから私達一つのチームみたいに話してるけど一応ライバル同士だからね? サン」

 

「わーかってるって、シャインは出るの?」

 

 こちらから仕掛ける、というより結局私たちの誰かしらはホープフルステークスに出るのだろうから仕掛けるもくそもないのだろうが、サンはキラキラとした瞳で聞いてくる

 

「私のとこはまだレーススケジュールが決まってないから出走するか分かんない、二人は?」

 

「……俺は出るぜ」

 

「え~いいなぁ、私はクラシックまでG1はお預けだって、というよりまだG1を見据えるほどじゃないってさ、焦らず強くなっていこうって言われた」

 

 クライトは貧乏ゆすりをしながら、サンはオレンジジュースを口に含みながらそう答えた、クライトは出るとして、サンの非出走理由、まぁ、確かにそうだろう、トレセン学園に入学しているウマ娘はみんながみんなこぞってG1に出れているわけではない、スズカさんやスペ先輩のレベルになるとG1は当たり前なのだろうが、私達みたいなまだ名前が売れていないウマ娘にとってはG3ですらとても大きな功績なのだ、そうやすやすと出走できるわけでもあるまい

 

「クライトは出るんだ、じゃあ私とライバルになるね」

 

「スタ公はまだレーススケジュール組んでないんだろ? なんでもう出走することになってんだよ」

 

「あれ? 話したことなかったっけ? 私は誰にも越えられない記録を作るんだ、だからジュニア期のホープフルくらいは出るつもりでいたけど」

 

「初耳だな、伝説のレースと来て今度は誰にも越えられない記録だって? おいおい、お前ら二人して夢見がちな単語ばっか使ってんじゃねぇよ、もっとリアリティがある言葉選べ」

 

 クライトの貧乏ゆすりのビートが32ビートから16ビートくらいになった、私たちを笑ってだいぶ落ち着いてきたのだろう

 

「じゃあリアリティがある単語を使ったら何になるの?」

 

「『シンボリルドルフのような唯一無二の記録を達成する』でいいだろ」

 

「え~……唯一無二もどうなの?」

 

「かっけぇ~っ」

 

 サンがまたかっこいいと思う言葉に惹かれている……

 

 結局私たちはその後も2時間ほど話したのだがそんな話をしているうちに、私たちは「レースの時の風圧がすごく痛い」だの「ゴール板に直撃したメイクデビューの話」など、関係ない話で盛り上がって行った、最初は32ビートを刻んでいたクライトの貧乏ゆすりも、最終的には0になっていて、私たちは楽しくお話をして一日を過ごした

 最初に話していたホープフルステークスの話を思い出したのは、私が寮に帰ってからである

 

「ふぅ……」

 

 私は一人誰もいない部屋でベットに座る、今日は結局トレーナーさんから連絡は来なかったが、レーススケジュールは完成したのだろうか、そんなことを心配していると、ちょうど私のウマホに連絡が来た

 

『レーススケジュールが完成した、明日から本格的にトレーニングだ、がんばるぞ』19:00

 

 メッセージの文面を見る限りどうやら一日である程度レースケジュールの組み方についてしっかり教えてもらい、さらには完成までしたようである、一日でレーススケジュールの考え方を教えれるなんて、流石木村さんと速水さんだ

 

19:01『はいよ、じゃあ明日はトレーナー室に行ってもいいね?』

 

『おう』19:05

 私は連絡が終わったのを見て、ウマホの画面を閉じる、誰もいないベッドでこれからについて考える

 

 ふとゲームセンターで出会ったあの二人、キグナスに所属するノースブリーズとシーホースランスの事を思い出す、あの二人が恐らく私達、というより私と戦う最初の相手なのだろう

 ホープフルステークス、誰にも越えられない記録を作るための第一歩として、必ず希望のレースを制してみせる、キグナスに私の栄光は渡さない

 

「くぁ……んん……」

 

 そんなことを考えていると、眠気が襲ってきた、今日は一日中動き回っていたのでもうくたくただ、体をポキポキと鳴らした後、明日はトレーニングもあるということで今日は早めに寝ることにした

 

「ホープフル……制覇……いえいっ……」

 

 眠くなってちょっとおかしくなった私は、そんなことを最後に言って眠りに落ちた

 

 





オマケ

「すんません!!レーススケジュールの組み方を教えてください!!」

「えぇ……そんな土下座までしなくても……」

「まぁ、そう来るだろうとは思ってたけどよ」

「マジで、申し訳ないです!!」

「まぁまぁ橋田、とりあえずお前が直感で組んでみろ、これが中央のレース表だから」

「速水さん…!分かりました!」



「あ~…橋田、これは?」

「とりあえずG1を見据えていこうかと思いました」

「・・・まず有馬記念や宝塚記念はジュニア期のシャインじゃ出れないし、天皇賞秋は皐月賞より後だ・・・というかお前これ…G1見据えてるとかじゃなくて、G1しか入れてねぇじゃねぇか・・・」

「それに皐月賞は5月じゃないですよ、橋田さん」

「え?そんなに間違ってました?」

「お前本当にサブトレーナーやってたんだよな…?」


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第十話 反射神経で私がヤバい

 

「今日は何食べようかなぁ…」

 

昨日のゲームセンターでの一件があり、私は他のウマ娘より早めに起きて誰もいない食堂に来ていた、誰もいない食堂はトレセンに来てから初めての光景だったので少しだけ感動のような感情が芽生えてしまっている私がいる、普段とは違ってイスを選び放題だし、おかずが軒並み食われているなんて言う事も無いので取り放題である、ここの食堂のおばちゃんはおかずがなくなるといくらでも作ってくれるのだが、割と威圧感があって怖いので私は苦手なのだ

 

「あれ?」

 

先ほど私は誰もいない食堂と言ってしまったが、少しだけ訂正しよう、人がいないと思っていた食堂だ、誰もいないように感じた食堂にぽつんと一人、赤髪のウマ娘が座って食事を摂っていた、無論そのウマ娘は私の同期であるプロミネンスサンだ

サンはお皿に山のように盛られたオクラをひたすら咀嚼している

 

「サンも早いね、それにしてもなんでオクラだけを山盛り…?」

 

「あら、シャインも早起きしたんだ、オクラは私の大好物なんだ」

 

「オクラが大好物だったんだ・・・私は今日はまぁ、ね」

 

「いやぁ、やっぱり昨日あんなことがあるとトレーニングを早めにやらずにはいられないよね!!私もさっさとご飯食べてトレーニングしに行くところだよ」

 

「昨日の一件が悔しかったから」なんて言うのはなんだかこっ恥ずかしかったので少しだけ離すことに困っているとサンは恥ずかしがることもなくすらすらと自分の事を話す、顔を見なくても正直に自分の気持ちを伝えるその姿勢からやる気に満ち溢れているのが分かる、そんなサンを見て、不思議と私も元々出ていたやる気がさらに出てくるのを感じた

それはそうと、私は一つ疑問に思ったことがある、いつものメンバーには私たち二人だけではなくもう一人いるはず、クライトはいないのだろうか、クライトはもともとこんな時間に起きるらしいので、一緒に食事しているもんだと思っていたが姿が見当たらなかったので質問してみた

 

「クライト?クライトならさっきグラウンドでゴルシ先輩に絡まれて麻雀やってた」

 

「気の毒に……」

 

サンは一瞬にして目が死んだ魚のようになり、無情な事実を伝えた、ゴルシ先輩に絡まれたのなら無事では帰れないだろう、クライトがゴルシ先輩に絡まれてしまっているなら食堂で待っていても絶対に今日中には帰ってこないだろう、そう考えた私はクライトを諦め、サンの隣に座り朝食を食べることにした

 

「そういえばレーススケジュール、決まったんだって?」

 

私が白米の上に乗っけた納豆をかきこんでいると、サンがそんな質問をしてきて反射的にギクッとなる、もともとは私のトレーナーさんがレーススケジュールが立てられないって事で昨日の予定がなくなってしまったのだ、もしかしたらその担当ウマ娘である私であっても少しだけ不快な気持ちを抱いているかもしれないと言う不安があり、ぎこちない態度になってしまう

 

「う、うん、だから今日はレースに向けてトレーニング開始するの」

 

「あんまりトレーニングしすぎてこの前のメイクデビューみたいにならないでよ?オーバートレーニング症候群発症するまでやるなんて」

 

「わかってるって、多分それに関してはトレーナーさんも配慮してくれると思うし」

 

前回のメイクデビュー、勝ったのはいいものの、レース終盤でオーバートレーニング症候群の影響で沈んだのは確かだ、だが私のトレーナーも一年やっているプロだ、一度問題が発生すれば二度と起こらない様にするはず、レーススケジュールが立てられないから信用できないかもしれないけど、かれこれ数か月一緒にトレーニングした私が言うんだ、間違いない

…そしてサンは昨日急に暇をもらった理由について気付いていない様子だったので私は安心していた。

 

「へぇ~、ずいぶん信用してるんだねぇ、ふぅ、じゃあ私ご飯も食べ終わったし、トレーニング行ってくるよ、シャインもがんばってね」

 

「はいは~い、私はまだ食べ終わってないから追っかけらんないや、いってらっしゃ~い」

 

「(……あ、そういやごちそうさま言うの忘れたな、ごめんね胃袋のオクラたち…)」

 

サンは着替えるために自分のトレーナー室に向かった、私もほかの人が来てからちまちま食べ始めてる最中に話しかけられたりして変に時間を食う前にご飯を食べてしまおうと思い、再び納豆をかきこんだ、ちなみに私は納豆に梅肉をかける派だ

 

 

 

なんだかんだあり私はご飯を食べ終えてトレーナー室にやってきた、もし昨日の夜に送られてきた連絡が本当ならここでレーススケジュールが分かるのだが…少しだけ不安な事がある、実は今日、寮から出る際にトレーナーさんに連絡しておいたのだが、その連絡が帰ってこないのだ、もしかしたら何かあったのではないだろうか、そんな不安を抱えながら私はトレーナー室へ入る覚悟を決めた

 

「おう、来たか」

 

「いつもいつでも、あなたのそばにいつの間にか現れる、あなたの担当スターインシャインさんです~」

 

そこにはしっかりトレーナーさんがいたので、何かあったと言うわけではないだろうと思ったが

トレーナー室のドアを開けて中に入り、とっさに思い付いたよくわからない登場セリフを吐いてからソファに座ってしまったから私は気付かなかったが、よくよくトレーナーさんを見てみるとなんとトレーナー室のパソコンの前に猫背で座り、目の下にクマをいっぱい作って髪の毛がぼさぼさ、目もかすかに赤くしてパソコンに向かうトレーナーさんを見て、私の中に多少あった「レーススケジュールが完成していない可能性」は、違う形で打ち砕かれた

 

「ちょ……トレーナー、まさにザ・寝不足の人じゃん……ちゃんと寝たの?」

 

「いや……『完成した』ってメッセージ送ってから徹夜で作り始めた……」

 

「メッセージ送った時点で完成してないじゃん!」

 

本当に困ったトレーナーである、もしかしたら意外と信用ならないかもしれないぞこの男

とりあえずトレーナーさんからレーススケジュールを受けとった、スケジュールを見ると、次走予定、つまり私の最初のレースは「サウジアラビアロイヤルカップ」だった

サウジアラビアロイヤルカップとは、東京競バ場で行われる1600m、G3のレースだ、そう、G3、重賞レースである、まだ私はオープンすら走っていないのに重賞のレースに出て勝つことができるのだろうか

 

「これ、G3って……ちょっと早すぎるんじゃないの?いくら高い目標があるからって……」

 

「俺の傲慢かもしれない、うぬぼれかもしれないけど、シャインは多分G3でももう勝てる脚を持っていると踏んでの決断だ、まぁサウジアラビアロイヤルカップ以降の予定も立ててはいるけど、結果によってはある程度変えることもあるからよろしく」

 

「いやまぁ、そりゃ出るって言うなら頑張るけど、ちょっと怖いなぁ…」

 

私は少し臆病になっていた、というのも、サンに負けたメイクデビューを思い出しての恐怖だ、私が走った最初のメイクデビューは、私が勝てるとたかをくくっていたから負けてしまった、サンの闘志に気付けなかった敗北だ、だからあれから客観的に見て、勝てる可能性が少ない状態では調子に乗ったことは控えようと思っていたのだが、そう思った矢先にこれである

 

「いける……シャインなら……ぐぅ」

 

トレーナーさんは最後にそう言って机に突っ伏して眠ってしまった、見た目以上に疲労していたのであろう、パソコンの画面にトレーニングメニューは書いてあるからこれをこなしておくとして、問題はレースの方だ

 

「いけるっていったって……割と言葉無責任だなぁ…」

 

結局私はこのG3出走に対する意見を出せず、ジャージに着替え、トレーナーさんが最後に開いていた画面のトレーニングメニューだけ印刷し、トレーナーさんを放置してグラウンドに向かった、一応ちゃんと毛布はかけてあげた、褒めてもいいのよ

 

トレーナー室からトレーニングメニューを持ち出して、あれから30分ほど一人でトレーニングを続けた、別のトラックを見ると麻雀を打っていたはずのクライトもトレーニングを初めていた、どうやらゴルシ先輩に早めに解放されたようである

トレーナーも睡眠がとれたみたい……なのかな、すぐに起きて駆けつけてくれた

 

「ふぅ……やっぱりくるね、トレーナーが提案するトレーニングメニュー」

 

「まぁな、サブトレーナーの経験はあるから」

 

「レーススケジュールは立てられないけどね」

 

「勘弁してくださいシャインさん…」

 

トレーナーはそういってふざけたように私に頭を下げた、本当にこのトレーナーは……

ここで私はあることを思い出した、ホープフルステークスの事だ、ホープフルステークスに出走したいことを伝えないといけないことを思い出した

キグナスに所属している例の二人のどちらかが出るかもしれないと言うのもあるが、単純に私が「誰にも越えられない記録」の為に出走したいと言うのもあったのでトレーナーに聞くと、どうやら先ほど私が見たレーススケジュールに書いてあったらしい

 

「改まって言わなくても、出走するつもりでいたがな、ちゃんとレーススケジュール表の最後の方見たか?」

 

そういえば確かにそうだった気がする、そう言ってトレーナーさんから再び貰ったレーススケジュール表の最後の方を見ると、そこにはしっかりと「最初の一歩、G1 ホープフルステークス出走ォ!!」と書いてあった

 

「メイクデビューが終わっても俺たちの目標は変わらない、誰にも越えられない記録を作り、誰にも負けないウマ娘になる、そうだろ?」

 

「ふふっ、そうだね」

 

 

「いやぁ~、目標が高いっていいねぇ~」

 

私がトレーナーさんと再びお互いの目標を確認し、これからの未来を思い描いて楽しさにふけっていると、ふと後ろの方からやわらかいような、そんな声が聞こえた、声がした方を向くと、トレセンの赤いジャージを着た、少しだけ緑色が混ざっているような葦毛のウマ娘が立っていて、その姿はどこかで見たことがあったような…そうだ、セイウンスカイさんだ、私の目の前にはセイウンスカイさんが立っていた……セイウンスカイさんが立っていた!?

 

「セイウンスカイ……さん……本物だ……」

 

セイウンスカイさんと言えば、皐月賞と菊花賞を勝ち、なおかつ菊花賞をレコードで制したウマ娘だ……私が人生で1番推しているウマ娘と言っても過言ではないくらいすごい大逃げを見せたウマ娘だ……推してると言っても私は追込だけど、自分にないものは羨ましいアレだろうか

 

「あれ?もしかして知ってる?」

 

「知ってるも何も、有名じゃないですか!菊花賞レコード、京都大賞典の逃げ切り、他にもいろいろ実績残してる方なんですから!」

 

「にゃはは~、セイちゃんもすっかり有名人ですね~」

 

そういってセイウンスカイさんはいかにも「コメくいてー」と言いそうな顔で空を見上げていた

すると、奥の方から男の人が歩いてきた、スカイさんのトレーナーさんだろう

…私のトレーナーと比べるとどっちにも失礼なのだが、それにしても本当に、私のトレーナーは服装の身だしなみこそいいものの、スキンケアを怠っているのだろう、ひげは生えてるし、肌は男の人の肌にしても少しゴツゴツしてるし、挙句今は目の下のクマとぼさぼさの髪の毛付きだ

 

「おいスカイ、あまり人のトレーニングの邪魔をするなよ?ましてデビューした手のウマ娘なんてここが肝心なんだ、うちのスカイがすみません、トレーニングの最中でしたよね」

 

「いえ、全然大丈夫ですよ、セイウンスカイさんやそのトレーナーさんを見れて光栄です」

 

「(私と話すときと全然態度違うじゃん、いい度胸じゃない)」

 

私はちょっとした念を込めた怒りを感じながら、セイウンスカイさんのトレーナーと話すトレーナーを見つめていた、見つめるついでに脇腹にエルボーをぶっ刺しておいた

 

「……にゃはっ☆」

 

「……どうした?スカイ」

 

「ねぇ君、確かスターインシャインって子だよね?もしよかったら私とマッチレースしない?」

 

 

 

 

「えええええええっっっっ!?」

 

私とトレーナーさんは同時に叫んだ、何せあのセイウンスカイさんがまだデビューしたての私にマッチレースを申し込んでくれたのだ、いやその事実に対する喜びもあるのだが、セイウンスカイさんに私が勝てるわけがないと言う申し訳なさも相まって「ええ!?」となってしまう

 

「(また何かよからぬことやるつもりじゃないだろうな……!スカイ……!)」

 

「(さすがにセイちゃんも自分より下の子いじめて楽しむようなウマ娘じゃありませんよ、ただこの子、ちょっと私達の間でも有名で気になってて、ちょっと走ってみたいかなぁって思っちゃってですね☆)」

 

「(……まぁこの二人が良いならいいけど……)」

 

「えっ……いやっ………………えっ……?」

 

スカイさんがマッチレース?私と?G1で?何度も勝ってる?スカイさんが!?

突然の出来事過ぎて頭の整理が追い付かない、いかがいたそうかとトレーナーに目だけ合わせて聞いてみると、トレーナーも頭から脂汗を垂れ流しながら横に頭を振っていた、ぶっちゃけ私も同意見である、走れるわけがない

 

「……ダメかな?」

 

「いや、えいや、あの、えっと、別にダメというわけではないんですけど、あっと……」

 

「ダメそうなら遠慮せずに断ってくれ」

 

「いえっ!!大丈夫ですよっ……ぁ……」

 

私は丁重に断ろうとした、断ろうとしたはずなのだが、つい体の反射神経にに任せていいといってしまった、やばい、やばやばのやばだ、いや本当にやばい、スカイさんに私が勝てるわけがない

私が返事をして間もなくスカイさんはにんまりと笑いマッチレースの準備をしている、トレーナーの方を見るとさっきよりも脂汗を書いて「なんで大丈夫とか言っちゃったの!?」とでも言いたげな顔をしていた

 

「(あれ……おかしいな……私今日G3に向けてのトレーニングする予定だったのに……)」

 

「よろしくね~、シャインちゃん」

 

私の横にはいつも通りのほほんとした態度のスカイさんが佇んでいた、普通の人から見ればただのほほんとしているだけだが、その態度からはわからないほど、先ほど話していた時とは違うオーラがにじみ出ていて、レースが始まっていない状態なのに私の毛が逆立っていたG1ウマ娘とは名前だけじゃないと再確認させられた

 

しかも観戦席には誰が呼んだのか、ギャラリーがたくさん集まってきていた、なんでも高身長で葦毛のウマ娘が集めていたらしい

 

「狭いところは苦手だから、備え付けの簡易ゲートは付けないでいいかなぁ?」

 

「はっ……はいっ……」

 

「も~、そんなに緊張しなくてもいいのに~」

 

スカイさんは緊張をほぐすつもりで言ってくれたのだろうが、レジェンドウマ娘とマッチレースをする数分前、そして自分はデビューしたての状況で緊張するなって方が無理や、なんて思いながら、私はこのマッチレースが始まらないことをひたすらに願っているだけだった、このマッチレース……どうなるのだろうか……

 



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第十一話 Trickster in shine

 

太陽が差すグラウンド、ジャパンカップを制したウマ娘スペシャルウィークがトレーニングの準備をしていると、急いだ様子のサイレンススズカが声をかける

 

「スペちゃん……ちょっと大変な事になってるわよ……」

 

「え?どうしたんですかスズカさん?」

 

サイレンススズカは鬼気迫る表情でスペシャルウィークにそう喋りかける、それを見てスペシャルウィークも何かを察知しスズカについていく

 

「これは……セイちゃん……!?」

 

そうして向かったグラウンドには、スペシャルウィークが良く知っている同期、セイウンスカイが、無茶な走り方をしたという事で有名になっているスターインシャインと共にコースに並んでいた、観客席の方には大勢の観客がおり、誰がどう見ようとマッチレースのフォーメーションだった、スペは思わずスズカに現状を聞く

 

「私がこっちのコートに来たときにはこうなってて……スカイさんがシャインちゃんと走るらしくて、何が何だか……」

 

「セイちゃんがシャインちゃんと走る!?どうしてそんな……」

 

 

「なんでこんなことになってるんだ…」

 

なぜこんなことになっているか、それは私にもわからない、とっさに答えたら間違えてマッチレースを承諾してしまい、私はいつの間にかスカイさんとマッチレースすることになっていた、それくらいしか言う事は、無い…

 

「狭いところは苦手だから、備え付けの簡易ゲートは付けないでいいかなぁ?」

 

「はっ……はいっ……」

 

セイウンスカイ、その名前を聞いて恐れないウマ娘は私の同期にはいないだろう、セイウンスカイさんは菊花賞や皐月賞、京都大賞典を制したレジェンドウマ娘だ、同世代のスペシャルウィークさんやキングヘイローさんといった根っから期待されていたウマ娘達とは違い、あまり期待されていなかったのにもかかわらず異様なまでの逃げ足を見せつけてG1を勝ったという、『下剋上』を具現化したような戦績を残している

 

「も~、そんなに緊張しなくてもいいのに~、他人が決めたルールや常識、空気なんて気にせず、自由気ままが一番いいよ?」

 

スカイさんはそういって頭に手を当てながら空を見上げる、私の準備が整うのを待ってくれているのだろうか、あとこの状況で緊張するなと言う無茶を言わないでください

 

「シャイン……ちょいちょい……」

 

そんなことを話していると、もうすぐマッチレースがスタートするというのにコースの外からトレーナーがやってきて、私に耳打ちした

 

「いいか、シャイン?……今回に関しては勝てるとは俺も思っていないから安心しろ」

 

「パンチしていい?トレーナー」

 

開口一番にトレーナーから飛んできた思わぬ投げナイフに威嚇してしまう

 

「勘弁してくれ……それでなんだが、シャイン、まだメイクデビューや未勝利戦しか走っていないお前が数々のG1を制したセイウンスカイに勝てるとは思わん、だが相手はその数々のG1に挑み、洗練された走り方が出来上がっている、だから得られるものは十二分にあると思う、だから気張って行け!」

 

「……勝てるとは思わないって二回も言ったね……覚えておいてね……。……分かったよ、ようするにスカイさんの動きをしっかり見ておけばいいんでしょ?それでレジェンドの技を盗めと言うわけだよね?」

 

「よくわかってらっしゃいます」

 

よくわかってらっしゃいますって……本当にこのトレーナーは……

 

私はトレーナーと別れて、スカイさんの隣に並び直した、ふとその姿を見ると、私を待っているその目からレースへの情熱や、これまでのレースを思い出すような熱い気持ちがにじみ出ていた

 

「……マッチレース、という名目なのにこんなに人が集まっちゃったらまるで模擬レースだねぇ~、セイちゃん、ちょっと本気出しちゃいますか?」

 

スカイさんは冗談交じりの顔でそうつぶやく、当然本気を出されたら私が勝てるわけがないので、丁重に勘弁願った

 

「さて……そろそろ心の準備は出来たかな?シャインちゃん」

 

急にスカイさんの声色が変わり、とうとう始まるのだと私は実感する、不思議な事にマッチレースの開始が近づいているのを実感すると、私の中の気持ちが高揚していたのだ、先ほどまで負けるとしか思っていなかった私は今、この人に勝とうとしている

 

「さっ……芝2000m、このコインが下についたらスタートね、じゃあ行くよっ!!」

 

「(この子がどれほど恐ろしい原石か……見せてもらっちゃいます☆)」

 

シャインがマッチレースを目の当たりにして気分を高揚させているのおと同じように、セイウンスカイもまた、気持ちが高揚していた、セイウンスカイは感じていたのだ、シャインは私を超えてくるかもしれないと、だからこそ気持ちが高ぶっていたのだ

緑がかった銀髪の少女はコインをセットしていない余った方の手で髪をたくし上げ、ギラリとコースを見つめて、じっくりと思考をめぐらせてこれから始まるレース展開を思い描く

 

コインが気持ちいほどに透き通った音を立てて宙にはじかれる

 

始まる、私とスカイさんのマッチレースが、観客が大量にいるマッチレースが始まる、スカイさんの手からコインがはじかれ、私たちの後ろの方に飛んでいく、このコインが地面に着いたらついに始まるのだ

私はこのしばらく訪れないであろうマッチレースがいつ始まるのか待ち遠しくて、一瞬の出来事のはずなのに1日ほどに感じた

 

 

 

「ふっ……」

 

「え、ちょ、いやっ……速あああぁぁぁぁっ!!??」

 

コインの着地音が鳴ると同時にスカイさんが前に一気に飛び出す、そのスピードは、スパートをかけている私と同じくらい、いや、それ以上の速度だった

ちょ、ほんとに、冗談抜きでやばい、この人さっき本気出すかとか言ってたから丁重に勘弁願ったはずなんだけど、これで本気出してないの?私のスパートだよ?

先ほどまで確かに気持ちが高揚していて、レースの開始を楽しみにしていたが、まさかここまで速いなんて、私のポジションに立って誰が予想できるだろうか

 

「やむを得ない……!」

 

私はスカイさんのペースに飲み込まれないようにするのをあきらめ、素直にスカイさんを追う事にした、どちらにしろこのままペースに飲み込まれないようにペースを普通にしても、逃げ切られてしまうのだ、それならば後ろから追い体力を使用した方が、一か八かサンのように、セカンド・ウィンドで自分の限界を超えて勝負をかけるしかない

 

「(終盤であれくらいのスパートをかけられるスタミナがあるんだもん……これくらいは付いてくる、かな……?それに……)」

 

しかし、シャインのその作戦が成功することはなかった、いくら疲れを感じなくなるセカンド・ウィングがあっても、デッド・ゾーンを抜ける精神力と根性が無ければ発動しない、この場合、セイウンスカイがスターインシャインを離せば離すほどにシャインの精神力は削られ、デッド・ゾーンを抜けにくくなる

レースが始まって未だ十数秒だと言うのに、もはやシャインに勝つ道はなかった

 

「なんだなんだ、やっぱり敵わなかったか」

「そりゃ当り前だろ、あのセイウンスカイが相手じゃあなぁ」

「ここまで開いちゃいくら逃げのスタミナ切れがあっても届かないだろ」

 

セイウンスカイはスタート直後から速度を落とすことなく走っている、その20バ身ほど後ろをシャインが追う、観客席ではセイウンスカイに敵わないシャインを見て笑い声が起きていた

 

「(うるっせぇなぁ……)」

 

マッチレースが始まってからシャインはボロクソにやられている、その走りを観客席で見ていたのだが、周りの嘲笑がこれまでになくうるさい、別に俺がバ鹿にされているわけではないのだが、まるで自分の事のように苛立ってしまう俺がいる

 

「なんか面白そうなことやってんじゃねぇか、混ぜろ」

 

突然後ろの方からバ群ならぬトレ群を抜けて速水さんが抜けて出てきた、そういえば今日は昨日俺が時間をもらってしまったせいで、クライトの初トレーニングでもあったはずだが、どうしたのだろうか

 

「ゴルシとナカヤマフェスタに三麻(サンマ)半荘(はんちゃん)5回分付き合わされてくたびれたってよ、ちなみに全部南場迎える前にクライトがハコテンだってさ」

 

「はんちゃん……?はこて……?」

 

 

「(ぎぃぃぃぃ……ぎぃぃぃっひっひ……やばいって……)」

 

私のスタミナは限界を迎えかけていた、ここまで歯をひん剥いて必死に呼吸しながら走るのは私の人生で初めてだ、ハロン棒を少しだけ横目で見ると、まだ1000mしか経過していないらしい、しかし私の体はすでに2000mのレースを週2で走ったような状態になって疲弊しきっていた、それでもスカイさんは速度を落とすことなく前で逃げ続けている

 

「(シャインちゃん……確かにスタミナがある、普通の子ならこの時点ですでに倒れてるスタミナ消費、しかし今、大差が開いているとはいえまだシャインちゃんは付いてきている……確かに噂通り、すごく強い子みたいだねぇ……)」

 

セイウンスカイは再び加速のギアを上げ、シャインを追い詰める、シャインはそれを受けて血の気が引く

 

「(えっ……おい……まだ加速しちゃうんですかスカイさん……)」

 

何か、何かないのかとシャインは酸欠の頭で必死に考えるが、何も思いつかない、思いついたところでそのすべてを実行できるだけのスタミナが残っていなかった、スタミナが切れてひょろひょろ走っているシャインの足音など聞こえず、セイウンスカイが軽快に飛ばす音のみがグラウンドに響く

 

「……これだ!よし、きっと実行できるだけのスタミナは残ってる…やってみるか…っ!!」

 

 

ドクン……

 

「おっつつ……っとぉ」

 

スカイは未だにシャインの何バ身も先を走っているが、最後の直線で途端にスカイの速度がガタッと落ちる、これは手加減などではない、本当にスカイ自身の速度が落ちたのだ、スカイは感じた、シャインの威圧感を、セイウンスカイほどのウマ娘になれば、その程度の威圧感など効かない、だが先ほどまで何バ身も後ろを走っていたウマ娘から急に放たれる未知の威圧感は、臆病なウマ娘が受ければそのレースを走れなくなるほど強力な足かせとなり、傲慢なウマ娘が受ければどうせそんなわけないと自らの走りに穴を開けるほど強大なものとなる

 

「(……来るかな、私にも勝るようなどんでん返しが!!)」

 

スカイは受け切った、威圧感を、自らの速度を落として受け切ったのだ、だがしかし、受け切ったからいいと言うわけではない、速度を落とすことによって新たな問題が生じる、今までセイウンスカイが大逃げしていたから起こりえなかった問題が、速度を落とすことによって生まれるようになる。

速度を落とすことによって生まれる問題、それは

 

「‥‥‥っ!?」

 

「(この背後に迫る威圧感……これって、ダービーの時と……)」

 

背後への接近を許す事、背後、ウマ娘が一番プレッシャーを受けやすい場所だった

 

「(トレーナーさんの言う通り、私はスカイさんに勝てないかもしれない、だけど私は……どんなレースでも()()()()()で走っているんだ!!)」

 

「シャインのやつ……超前傾走りを使わない!?なんでだ……!?」

 

「あ~、そういうことかい、橋田、多分シャインはな…」

 

「あっ……!そういう事なのか!?ん~な無茶な!」

 

シャインが自らの武器を使わない理由、それはスカイへの威圧も兼ねていた

あの『トリックスター』や『策士』と呼ばれるスカイの方から勝負を仕掛けてきたと言う事は、シャインの走りが研究されつくしているかもしれない、だから、その一枚上、予想外の行動をする

 

「(ルールや常識、適正だって関係ない!私はこのレース、これから……『逃げ』のやり方で走る!!)」

 

確かにスカイはシャインの走り方を事前に確認していた、もちろん超前傾走りの対策もしていた、だがしかしシャインはレース中スカイの走り方に注目し、その走り方を真似した、真似して、完璧にコピーした、走り方を超前傾にせず、スカイのようなピッチ走法に変えたのだ

そうなればスカイの計算は狂う、スカイの計算が狂う事により、多少なりともさらにスカイの動揺を狙う事が出来る、こちらが相手より上を行かなくていい、小さな失速を重ね、こちらより下に行かせればいいのだ

 

「さぁっ!!この最終直線でレースをリスタートしましょう!!」

 

「まさかジュニア級の子にここまで詰め寄られるなんて!!やっぱり噂通り、最高のウマ娘だよ!!シャインちゃん!!」

 

最後の直線、あまりにも予想できないレース展開にトレセン学園のグラウンドについている観客席が湧き上がっている、もうシャインをバ鹿にする笑い声はおきていない、銀髪のウマ娘は掛かりながらも逃げ続け、茶髪のウマ娘は涎を飲み込む暇もなくダダ漏れにしながら追う

 

「ふーーーっ……!ふーーーっ……!」

 

 

「い……いけぇぇぇぇぇぇぇぇシャイィィィィン!!」

 

橋田はその一叫びで喉が消し飛ぶほど叫んだ、目の前でシニア級をも超えたウマ娘に、まだジュニア級の自らの担当が勝とうとしているこの場面に立ち会い、橋田自身も叫ばずにはいられなかった

 

そうしてもつれ合ったマッチレースは、スターインシャインとセイウンスカイが並んでゴールしたように見えた

 

「はぁ~~っ……はっ……」

 

危なかった、あともう少し詰められていたら負けていた

 

私の後に続いてスターインシャインが地面に突っ伏して肩を激しく揺らす、この子の爆発力、レースへのセンス、本当に噂通りでびっくりした

もしこの子がシニア級まで走り切れれば誰よりも強いウマ娘になるんじゃ……いや、この子なら必ずシニア級を乗り越えてくる……

 

「はぁっ…………はぁっ…………」

 

「はっ……はっ……ふぅ」

 

二人は地面に倒れこみ、お互いに息を入れる

シャインは負けたと言うのにこれ以上ない笑顔だった、負けたとしても得られるものがあったから、だがしかしそんな喜びは続かず、地面に倒れこんですぐに、限界を超えて走り続けた代償が来た

 

「(あれ……いけない……意識が……目の前が……暗く……)」

 

「あ……あれ?シャインちゃん!?」

 

 

 

 

 

「んぅ……ん……?」

 

「おう、また保健室での目覚めだな」

 

目を覚ますとそこは見慣れた保健室だった、今回は特に包帯などは巻かれていなく、安心した、理由を聞くと、酸欠による気絶だったようだ、トレーナーもとりあえず私が目覚めてほっとしているようだった。

レジェンドウマ娘に勝てなかった、多少なりとも悔しい気持ちが顔を出すが、今はとりあえずマッチレースに悔しいなんて言っている場合ではない

 

「……シャイン、本当によくやった」

 

トレーナーが不意にそんなことをつぶやき、目から涙を流している、どうして泣いているんだろうか、何かやらかしてしまったのだろうか

 

「シャインは覚えてないか?お前は、本物のレースじゃない1対1と言う場とはいえあのセイウンスカイにクビ差まで迫ったんだ、俺はレース前にとりあえず勝てないなんて言ったが、それはとんでもない間違いだった……本当によくやった、すまなかった……」

 

「クビ差まで……私が……」

 

それを聞いてかなり驚いた、私があのトリックスター、セイウンスカイさんにクビ差まで迫ったというのだ、私はあのレースの終盤あまり前が見えておらず、ただセイウンスカイさんに先にゴールされたと言う事実しか認識できていなかったからだ、当然、負けたのに満足していては仕方がないが、私の中に達成感が溢れるのを感じた、トレーナーは相変わらず涙を流している

 

「トレーナー、模擬レースでクビ差まで近づいたくらいで満足しちゃダメだよ、サウジアラビアロイヤルカップ、取りに行こう、誰にも越えられない記録残して見せようよ、だ~から涙拭いてって」

 

「あ、ああ、そうだな、悪い」

 

その時、ガラガラと保健室のドアが開いた、そこにいたのはセイウンスカイさんだった

 

「はいは~い、ちょっとお邪魔しちゃうよ~っ」

 

「スカイさん!すいません今日は気絶しちゃったままで……」

 

「いやぁ~、私にあそこまで詰め寄っといて気絶するなって方が無理だよ、きっと相当限界を超えたんでしょ?大丈夫だよ、それより寒いから私も入れてくれるとうれしいな~なんて」

 

スカイさんはそう言って私の布団に入ってくる、スカイさんの体温が直に伝わってくる、そんでもってめちゃくちゃいい匂いするんだけど、何この状況、やば、やばすぎ

 

「それにしてもすごい追込みだったねぇシャインちゃん、噂通りだったよ」

 

「噂通り?」

 

スカイさんの言葉に耳を傾けていると、その言葉の中に出てきた噂通りという単語に私は疑問符を浮かべた、私はレジェンドウマ娘も知るほどの噂になっているのだろうか

 

「そりゃ噂になってるよ~、なんでもあのチームキグナスのリーダーが『倒されるかもしれない』って言ったんだから」

 

「キングス……クラウン……」

 

「そういえばキグナスの若いメンバーが京都ジュニアステークスに出るって言ってたような……もしかしたらシャインちゃんとぶつかるかも?」

 

京都ジュニアステークス、私が出走するサウジアラビアロイヤルカップと同じG3のレースだ、若いメンバーと聞いて思いつくのはやはりゲームセンターで出会ったあの二人だ、ノースウィンドとシーホースランス…

あの二人のどちらかが京都ジュニアステークスに出るとなれば、勝負しに行くしかない、どちらにしろあの二人のうちどちらかは私と同じレースを狙い撃ちして潰しに来るのだ、ならばこちらからその勝負を受けに行こうと言う算段だ

 

「……その顔だと、京都ジュニアステークスにも出たいって腹だな」

 

「良くわかってるね、トレーナー」

 

「はぁ……レーススケジュールを出した時はあんなにG3嫌そうだったのに、今じゃもう自信満々じゃねぇか」

 

「あ……確かにそういえば……」

 

確かにそうだ、私は今日レーススケジュールを受け取った時、あまり調子に乗ったことは嫌だと言ってG3に出ることを恐れていた、でも今恐れはこれっぽっちもない、むしろ自分から出たいくらいだ

 

「ふっふふ~、他人の評価とか気にしない、自由気まま、その日のご機嫌次第だよっ☆」

 

「スカイさん……」

 

私はいつの間にか一つ、スカイさんに教えられていたのに気付いた

 

「まっ、明日からはサウジアラビアロイヤルカップ、および京都ジュニアステークスに向けたトレーニングかな!」

 



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第十二話 沸騰し交差する闘志

 

 

あれから私とトレーナーはもう1時間ほど経ったと言うのに、まだ保健室にいた、というよりは、私の横に入ってきていたスカイさんが眠ってしまい、そこから離そうにもすごい強力な力で引っ付いてしまい取れないので保健室から出れないと言う感じか

 

「スヤァ……」

 

「トレーナー、これ起こしちゃいけないよね……?」

 

「最悪G1ウマ娘の睡眠を妨害したとかで俺がシメられるかもしれんから勘弁願いたいぞ、シャイン」

 

「さすがにトレセン学園はそこまで治安悪くないでしょうよ」

 

トレーナーは驚いたような様子でいる、このトレーナーはトレセン学園をなんだと思っているんだろうか、なんだかんだと話していると保健室のドアが開いた

 

「元気そうで何よりだわ、シャインちゃん」

 

「スズカさん!」

 

入ってきたのはもはやわりかし見慣れてきている人、サイレンススズカさんだった、何気に私の名前を覚えていてくれてすごくうれしかった、スズカさんは何やらホッとしたような顔で入ってきた

 

「スズカさん、今日のマッチレース、見てくれました?私セイウンスカイさんにハナ差まで近づくことが出来ましたよ!!」

 

隣で寝ているセイウンスカイさんがギリギリ起きないであろう声量で自慢げに、顔の横で力こぶを作るポーズをした、スズカさんは特に何も言わず笑顔でいるだけで、恥ずかしくなってきたので静かに力こぶを作った腕を布団に戻した、なんか言ってくださいよ

 

「……その様子だと、負けて気持ちが落ち込んでるなんてことはなさそうね、スカイさんにハナ差まで近づくなんて、すごいわシャインちゃん、これで一歩夢に近づいたわね」

 

「はい!私これからも力付けて、どんな逃げウマ娘も追いつく追込ウマ娘になって見せます!」

 

「ふふ……あくまでも目標は『誰にも越えられない記録』よ、シャインちゃん……」

 

「そっちの目標も達成しちゃいます!!」

 

そう言って会話が終わり、暇になった私は保健室を見渡す、数々のウマ娘がここを訪れて、自分の怪我や不調を直していった、無論私の横で眠っているセイウンスカイさんも、私の前に佇むサイレンススズカさんもそうなのだろう、私はレジェンドたちが訪れた部屋の中にいると実感し、少しだけわくわくする、我ながら子供っぽいものだ

そのまま保健室を見渡していると、保健室の天井の角、和風なラーメン屋についているような位置にテレビがあるのに気付いた…………テレビがあった?

 

「ねぇトレーナー、この保健室のテレビって見れるの?」

 

「あぁ、見れると思うぞ、ちょっと待ってろ、リモコン探す」

 

私はトレーナーにテレビのリモコンを探してもらい、テレビをつけた、今日は日曜日で、レースをやっている時間だろう、テレビをつけると、アスター賞のレースが行われていた

 

『今日も逃げ切ったぞノースブリーズ!!圧倒的な逃げで私達の服までもが飛んでいきそうです!!』

 

そこには葦毛の少女、ノースブリーズが何バ身も開けて勝つ様子が映されていた、ノースブリーズと誰かが争ったわけでもなく、ただの一人旅、道中のレース映像を見ていないので何とも言えないが、周りが強い中で一人旅になるほどのスピードが出せるのか、それとも圧倒的に回りが遅いだけなのか

恐らくは、前者だろう、これと私が戦うのか……?

 

「ノースブリーズ……」

 

「キグナスの新入メンバーだな、京都ジュニアステークスに出るのはこいつなのか?」

 

「分からない、シーホースランスかもしれないけど……どうなんだろう……」

 

はたしてあの二人のどちらと戦うことになるのだろう、いつ次走予定が発表されるのだろうかなどと考えていると

 

『早くも次走予定は京都ジュニアステークスの発表です!ノースブリーズの活躍が楽しみです!』

 

本当に言葉通り早くも京都ジュニアステークスに出る方が分かってしまった

京都ジュニアステークスにてノースブリーズと戦う

もちろん結果を見ただけだが、大差勝ちするような子に私が勝てるだろうか、いや違う、勝つしかないのだ、私は誰にも負けないウマ娘になると言う目標がある、ホープフルに出れるだけのファンを集めなくてはならない、トレーナーさんもテレビを見て、これから強敵と戦うのだと言う現実を噛みしめているように見える、この気持ちに応えるためにも私は勝たなくてはならない

 

「いくら新入メンバーとはいえキグナスのメンバーとこんなしょっぱなからやりあうとはな、これに勝てれば実力的にもかなり大きなアドバンテージを得られるだけの成長が出来るんじゃないか?」

 

「たしかに、といってもこちらが勝てばあっちも相当実力上げてリベンジしてくるだろうから油断はできないけどね、ジュニア期にして負けられない戦いが続きそうだね、トレーナー。でも私に任せちゃって、頑張って私勝つから、さ…」

 

「そうだな、まぁ俺の目標は誰にも負けないウマ娘を育てることだからな、こんなもんで負けられちゃ困るってもんよ~」

 

「当り前~っ☆」

 

なんだか空気が重苦しかったので、ふざけた感じで返してあげた、そんなことを話していると、ふたたび保健室のドアが開いた、今日はいろんな人が私の元に来るなぁなんて思いながら扉の方を見ると

 

「やっほ~!保健室の女神ことプロミネンスサンが来たよ~っ!!あれ、サイレンススズカさんだ、すご……」

 

二人目の来客はサンだった、今日はトレーニングだと言っていたがもうトレーニングは終わったのだろうか、わざわざ見舞いに来てくれるあたり優しいもんだ、その優しさが私の心に染み入る

 

「こんにちは、あなたはこの前のメイクデビューですごい逃げをしていたプロミネンスサンちゃんね」

 

「きゃ~っ!あのスズカさんに名前を覚えられてる~っ!!」

 

「木村さんのところの担当じゃないか、なんだ保健室の女神って……」

 

「……怪我しまくるからって理由で保健室の女神にされてるらしいね、それとサン、一応頭痛いから大きな声はなるべく小さめにしてくれると助かるなぁ、横にはセイウンスカイさんも寝てるし」

 

「確かに怪我ばっかりするけどさぁ……なにも保健室の女神ってことはなくない?三女神じゃなくてサン女神ってね」

 

急に保健室内の空気が凍った気がする、心なしか隣で寝ているセイウンスカイさんが「ふがっ」という間抜けな声を出して、髪の毛も逆立ち、体温も下がった気がする

 

「ちょっと……私は太陽なんだからあったまってくれないと困るんだけど……」

 

「ちょっと無理があるかな、サン、今のはかなり…冷えた」

 

「むぅ……結構いいと思ったんだけどな……あれ?これって今日のレースじゃん、誰が勝ったの?」

 

サンはテレビの方を見てそういうが、別に日曜に1レースだけ開催されるわけじゃないからどのレースか指定してくれないと、どのレースの勝者を言えばいいのかわからないのだが、まぁサンの事だしアスター賞の事なのだろうが、いかんせん言葉足らずである

 

「ノースブリーズだよ、このレースの次は京都ジュニアステークスにも出るみたい」

 

「ん、ノースブリーズって……この前の気に入らない葦毛の子でしょ……あれ?そういえば京都ジュニアステークスって私も出るレースだよ、ノースブリーズが出るのかぁ」

 

「え?サンも出るの?京都ジュニア」

 

「うん、とりあえずね、とにもかくにもグレード低いレースに出て公式レースに慣れないといけないから」

 

サンも京都ジュニアステークスに出ると聞いて少しだけメイクデビューの事を思い出す、サンが最終直線で見せたあの再加速だ、今回のレースでもあの再加速を見せつけてくるなら私は付いていけるか怪しい、一応トレーナーに「トレーニングメニューよろしく」というメッセージを目で通した

それにしてもこんな頻度で同じレースに出るなんてつくづく腐れ縁だ、と言ってもまだ知り合って数か月だし、同じレースに出た回数も模擬レースを含めた3回なので腐れと言うのかはわからないが

 

「まぁお手柔らかに頼むよ、シャインも未勝利戦出るときすごい成長してたから、今回もとんでもない成長を見せてくるんじゃない?」

 

「いやぁ、それはどうだろうなぁ……あははは……」

 

「二人とも、頑張ってね」

 

軽いからかいを受けて私は少しだけ頭を掻きながら答える、しかし確実に私たちは、心の中に闘志を宿したのが分かった、恐らくサンも私の闘志に気付いているだろう

 

「んんんん……あれ?いつの間に眠っちゃってましたかぁ、いやぁセイちゃんうっかり」

 

私たちが次のレースの話で盛り上がっていると隣で眠っていたスカイさんが目覚めた、起こしてしまっただろうかと心配になっていたが、どうやらいい目覚めな様子だったので杞憂だろう

 

「いやぁ~あったまったあったまった、ちょっと寒い気がしなくもないけど…それじゃあセイちゃんは帰りますかね~っ」

 

「あの、今日の併走ありがとうございました!!」

 

「にゃはっ、別に気にしなくていいですよ~、私はただシャインちゃんと走りたかっただけだから~」

 

そう言ってスカイさんは外気に触れて寒いと言いたげな顔をして保健室から出て行ってしまった、それに続いてスズカさんも「またね」と言って保健室から出た、恐らくその寒さは外気ではなく目の前にいる太陽のせいだろう

 

「それじゃあシャイン、明日は体調が治っていればトレーニングだな、京都ジュニアステークスに向けて頑張るぞ」

 

「あたぼうよ!トレーナーさん!!」

 

「……あとでレジェンドに『あなたと走りたい』って言わせるコツ教えてよ、シャイン」

 

 

 

 

 

 

「練習終わりで疲れているとこ、呼び出して悪いね」

 

他のウマ娘達はすでに練習を終え、各々自分の好きな事や趣味の時間に少ない時間を割く中このトレーナー室に、学園内で注目されている強豪チーム「キグナス」のトレーナーに呼び出されているウマ娘がいた

 

「なんでも、スターインシャインやプロミネンスサン、マックライトニングにジュニア期での勝負を挑んだんだって?」

 

夕方、陽が差し始めているチームキグナスのトレーナー室にキグナスのトレーナーの声が響く

その白いスーツに青いネクタイの金髪の男はソファに腰掛け、静かに続ける

 

「キグナスとしては、トレセン学園に通うウマ娘の向上意欲の低下を防ぐため、他にも学園からの注意勧告もあるからというのもあるが、あまりレースの場以外で他のウマ娘に勝負を仕掛け『潰す』といったようなことはしたくはないんだがね、それに関してはチームに入る時に説明したと思うけど、忘れたのかい?ノースブリーズ、シーホースランス」

 

「はい、キグナスが弾圧行為を禁じているのは重々承知しています、トレーナーさん」

 

「それを承知しての挑戦をお許しください」

 

ノースブリーズ、シーホースランスはまるで打ち合わせをした台本のようにぺらぺらと自分たちの意見を述べる、手も震えることなく話すものだから、トレーナーは少しだけ二人の事を見直したように微笑む

 

「キングスクラウンが先日言っていたように、スターインシャイン等のキグナスが目を付けている三人組は、キグナスを上回るほどに成長するかもしれません」

 

「いくら弾圧行為を禁じていても、チームそのものが敗れてしまっては元も子もないというものです、そのため、キグナスに牙を剥かぬよう、ここで格付けを済ませておくのが最善の策と考え、今回の行動に至りました」

 

「なるほどね、確かにそうだ……」

 

「(よし、これで私達が弾圧行為を行うことが認められる、喋ることも間違えなかったし、このままノースの台本通りに喋れば……)」

 

「だが」

 

「っ!?」

 

トレーナーが一際大きな声で喋ったと思ったら、突然ソファから立ち上がり、二人の方に近づき、これまでになく眼を鋭くした、まるで飼い犬に首輪をつける際、暴れないよう体を押さえるために真剣になる飼い主の表情のような顔で語る

 

「当然、勝算があっての挑戦だろうね?君たちの言い分はこうだ、『キグナスの看板を汚す奴を先に潰す、だからキグナスのルールを破ることを黙認しろ』と…………『ルール違反を黙認』……ならば当然、それなりの勝算があってあの三人に挑んでいるんだろうね?ノース、ランス」

 

「は……はい……」

 

「(こっ……怖い……あの物静かなノースが手汗でびちゃびちゃになってる……私だってそうだ……)」

 

今まで聞いたことのない威圧的なトレーナーの声を聴き、ノースブリーズとシーホースランスの二人は体の芯から震え上がり、全身の汗腺という汗腺が開いて汗が大量に出ていた

 

「もし今回の勝負に負ければルール違反の黙認は無しだ、なに、心配することはないよ二人とも、()()()、……いいんだからな」

 

「…………分かりました」

 

震えながらにシーホースランスは返事をした、既に二人はレースを走ったかのように疲弊していた、トレーナーの放つ威圧感に全身で恐怖していたからだ

 

「……今日は帰っていいぞ」

 

「……はい」

 

二人同時に返事をして、順番にトレーナー室を出る、どちらもトレーナー室から10mほど離れるまで全身が震えていた

 

二人は地獄から解放された、地獄を垣間見た二人はトレーナー室から離れたベンチで二人腰かけ、一息つく

酸素不足になっているわけでもない、足が痛いわけでもないのに、レース後のような疲れが抜けないのだ

 

「ごめんね、ノース……私があの時勢いに任せて勝負をしかけちゃったばっかりに、こんなことに巻き込んじゃって」

 

「気にしないでランス、私だってランスの言い分には賛成だし、私だってあの三人を潰したい。『必ず勝つ』って、二人で約束したじゃん、二人で必ずあの三人に勝って、キグナスで伸し上がる、もっと高みへ昇るって。それにランスが小さなころから突っ走るのは慣れっこだから」

 

トレーナーとのやり取りですっかり弱気になってしまったランスを慰めるようにノースブリーズは喋りかける、そうして一瞬のみの会話をした後、二人はいっしょに空を見上げる

 

「その約束もしてたね……私達が昔の昔に交わした約束も守らないとね……」

 

「あの約束を守るためにもキグナスに入ったんでしょ、こんなところで弱音なんて吐いてられないよ、ランス、私は次の京都ジュニアステークスに出る、そしてホープフルにも出て功績をあげる、絶対ランスもついてきて」

 

「当然だよ、たまたま才能があっただけのちんちくりんになんか負けたかないしね、私たちが今まで頑張ってきた苦しみに比べればあいつら三人組なんて……」

 

 

 

「ランス~!おいてっちゃうよ~!」

 

「ちょ…ちょっと待ってよノース!」

 

桜が舞い散るトレセン学園の前で、まだ年端もいかぬ二人の小さなウマ娘は、田舎から上京しトレセン学園の入学式に急いでいた

 

「だって何年も待ってやっとトレセン学園に来れたんだもん!早く行こうよ!!」

 

「でもまだ入学式まで2時間もあるって!!さすがに早すぎるよ!!」

 

「なんだとぅ?そんなこという奴にはこうだ!!」

 

「いった!?やめようよその電気ペン取り出すの!!」

 

ノースブリーズはトレセン学園に向かう気持ちが抑えきれず、小さなころからの腐れ縁を持つ親友、シーホースランスを引き連れてトレセンまでの道を電車も使わずに駆けている。

 

「ほらほら!早く行かないと『私の』入学式の時刻に遅刻するよ!!あっ…」

 

前をろくに見ずに走っていたものだから、ノースブリーズは人にぶつかってしまった、すかさずノースブリーズは謝る。

 

「ぶつかっちゃってごめんなさい!ほらランス!早く行こ――――」

 

ノースブリーズはぶつかったその人物を見て、小さいながらに直感で感じた、この人はとてつもなくやばいと、この人はとてつもなくすごい人物だと本能で感じた、そんな人物に出会いノースブリーズは目を輝かせた。

 

「君たち、トレセン学園に入学するのかい?」

 

 

 

「そこで私達が出会ったのが、トレーナーさんだったんだよね、今思い出してもあの時が私たちの分岐点だったのかもね」

 

「私の急ぎたがる癖もあの時からあったもんね」

 

 

 

「君たち、ずいぶんと足が速いみたいだね、何かトレーニングしてるのかい?」

 

「うん!!私G1に出るんです!!そのために小さい時からずっと走ってきたんです!!」

 

キグナスのトレーナーの質問にノースは曇り一つない透き通った眼でそう答える、それを受けてトレーナーは少しだけ微笑む、その顔はこれからこの子たちの未来が楽しみでしょうがないと言うような、そんな微笑みだった

 

「そうか、なら、私と一緒に白鳥にならないかい?」

 

「白鳥?白鳥ってあの白鳥ですか?ニワトリさんみたいな色の……」

 

「そうだよ、白鳥座って知ってるかい?宇宙で一番輝いてる星座の事さ、その白鳥座のように、私はトレセン学園で一番注目されるチームを作りたい、君たちがその気なら、私と一緒に輝ける」

 

「一番注目される……誰にも負けないの?」

 

「誰にも負けない……それは不可能かもしれないけど、それに近い存在にはなれるよ」

 

「ホントに!?なら私はいる!そのチームに入るよ!!」

 

ノースは外だと言う事も忘れて大はしゃぎしていた、変わらずトレーナーは微笑み続けていた

学園内で一番注目されるチーム、そこに入れば、ノースの小さなころからの目標「一番速いウマ娘になる」が達成できると、ノース自身思ったからだ

 

「ちょ……ちょっとやめといた方が良いんじゃない?ノース」

 

「いいじゃん!ランスも一緒に入ろうよ!!きっと有名になれるよ!!」

 

「でも………………まぁ、ノースが言うならいっか」

 

「きっといつか、君たちが競争ウマ娘になる時には私のチームの加入試験を予定している、そこで君たち二人が上位に残ることが出来ればチームへの加入を認めよう、忘れないでいてくれたまえよ、まだデビューまでは数年あるんだ、楽しみにしているよ」

 

「うん!!お兄ちゃんも絶対、注目されるチーム作って待っててね!!」

 

 

 

「そこからはあまり思い出したくない、私がコースを高速で駆け抜けていると呼ばれる脚力を手に入れ、ランスが芝もダートもどちらも走れる技術を手に入れた……私そろそろ帰るよ、また明日トレーニングしよう」

 

「分かったよノース、帰ろっか、私も疲れちゃったよ」

 

「(…私は、私自身を守るため、ランスを守るために、走らなくちゃいけない…勝たなきゃならない…!これに負ければもう、キグナスに私の席は無い…)」

 

 



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第十三話 私の過去について、鼻塩塩

 

スカイさんと模擬レースをしたあと、私はしっかりと回復しトレーニングに打ち込んでいた、といっても模擬レースから間隔が開いていないから、未勝利戦の時のようにオーバートレーニング症候群にならないように抑えたトレーニングをしている。

トレーニング内容は変わらず私の・・・トレーナーが付けた名前は『超前傾走り』だったか、トレーナーのネーミングセンスにはいろいろ物申したいが、まぁ分かりやすいし良いだろう、そのトレーニングをしている

 

「うぉぉぉぉぉ!!!」

 

超前傾走りのトレーニング内容は単純だ、ただひたすら直線コースを超前傾で走るだけ、・・・ただ走るだけと言っても私への負担は計り知れない、というのもこの超前傾走り、初めて見つけたクライトとの模擬レースではテンションが上がって、イーグルと競い合った未勝利戦では勝利した喜びで気づかなかったが、おそらく現実的に99%無理な体制で走っているからだろう、使った直後はとてつもない反動が来るのだ、全身から汗が吹き出し、少し油断すると過呼吸気味になるくらい体力を消耗する

 

「うぉぉぉぉぉぉぉああああ!!!」

 

だからこのように回数を重ねることによって慣れを起こし、少しでも反動を少なくしつつ、超前傾走りをしている最中の速度を上げていこうというものだった、正直私が行っていたインターバルトレーニング30週より辛いトレーニングだが、気合で吐きそうになりながらもトレーニングに耐えている

そうして超前傾走りのトレーニングを続けてはや1ヶ月くらい、私の超前傾走りは確実にモノになってきていた、スピードも前より出せるようになっていたし、反動もある程度少なくなってきていた

 

「うああああああああああああ!!!!」

 

それにしても・・・

 

地面が近くて怖いッッ!!

 

いやマジで、クライトと走っているときや未勝利戦の時は感じなかったけど、この走り方をしていると高速で流れる地面が目の前にあるからとんでもなく怖い!!マジで!!勘弁願いたいくらい怖いの!!

だって考えても見てほしい、私達ウマ娘は最高速度時速60キロくらいはくだらない脚力なのだ、と言う事は時速60キロはくだらない速度で私の顔の目の前を芝が流れていくのだ、そりゃ怖いに決まっている、しかも接触したら大けがするような状態で怖いと言うなって方が無理だ

今でこそ多少慣れたものの怖い、下手したら大けがすると言うリスクを常に考えながらも恐怖を感じないくらいになるまでが目標だとトレーナーさんは言うが、ぶっちゃけこの恐怖だけはどれだけ走っても無くならない気がする

 

「おーーーい!!今日はこの辺で切り上げよう!!  ・・・おう、お疲れ、シャイン」

 

「全くホントに・・・きっつ・・・うっハァァ…ハァァ・・・」

 

「おいおい大丈夫か、服びっちゃびちゃじゃねぇか、もう10月になるんだぞ、体が冷えるとやばいからこれ着とけ」

 

「ぜぇ・・・ありがと、トレーナー」

 

トレーナーからトレーニング終了の合図を受けたので私はベンチに死ぬように倒れこむ、まるで疲れがベンチに吸い込まれるように流れていくが、いくらゼロに近くなったとはいえやはり負の数は負の数、超前傾で走った後に反動が来る、トレーナーさんもこの反動の辛さは理解してくれているようで、反動が来ている最中は特に話しかけることもしないでいてくれてる

1分ほど経ち反動の波が消え、私はやっと息を吹き返したように元気になる

少しだけこの元気になる瞬間がクセになっている自分がいるかもしれない、いかんいかん

 

「あそうだ、シャインこれ見てみろ」

 

「ん?あ、これって・・・もう出たのかぁ」

 

「ああ、サウジアラビアロイヤルカップの出走表だ」

 

「そっかぁ、もうそんな時期だったかぁ」

 

「そんな時期て、もうサウジアラビアロイヤルカップが目の前まで迫ってきてるんだぞ」

 

「わーってますって、何のためにこれまで苦しい練習乗り越えてきたと思ってるんですか」

 

既に10月の前半に差し掛かり、私が出走予定のサウジアラビアロイヤルカップの出走表が出る時期だと言うのを忘れていた、トレーナーから出走表を受け取り、私と一緒に走るメンバーを見てみると、特に知り合いが走ると言う事もなかった、私は上位人気に推されるほどではなかったみたいで、別の子が推されていた、この子たちは一応注意しておかないと負けるかもしれない

さらに言うと私が初めて重賞レースで超前傾走りを試すレースだ、1か月間必死に練習してきた超前傾走りでどこまで対抗できるか、正直不安ではあったが、負けて落ち込むほど今の私のメンタルはもろくない、負けたら負けたでまた練習を積み重ねていこうと思った

 

・・・いやもちろん勝ちに行くよ?うん

 

とりあえず出走表を見て思った事はそれくらいだったので私はトレーナーに出走表を返し、水分補給を行う、容器から流れ込んでくる液体が体内に流れ込んで全身が冷えるのを感じる、それほどまで私の体はあったまって疲労していた

 

「今日で超前傾走りのトレーニングを初めて一ヶ月くらいか、よく怪我せずにここまでこなしたな、シャイン」

 

「けぷ、当たり前~、怪我してサウジアラビアロイヤルカップに出られないなんてことになったら目も当てられないもん、転倒には細心の注意を払ってたよ」

 

「悪いな、常に怪我と隣り合わせなトレーニングで」

 

「気にしないで、これをモノにするのがとりあえずの目標でしょ、私が強くなれる方法なんだから意地でもこなすよ、トレーナー、まぁちょっとは怪我の確率減らしてほしいけどね」

 

そんなこんなでドリンクを飲み終わってあたりを見渡していると、遠くの方にタイムを計っている二人のウマ娘が見えた、1回だけしか見た事が無いが、確実にその姿を覚えていたので目に留まった、ノースブリーズとシーホースランスだった、二人とも恐ろしいスピードで走り続けている、テレビで見た時よりも数段早く感じ、少しだけ危機感を覚える

 

「・・・あれのどっちだ?ノースブリーズは」

 

私が二人を見つめていたのをトレーナーも気付いたようで、そのような質問を投げかけてくる、私はその質問に軽く答えると、トレーナーさんが深呼吸する音が聞こえた

 

「どうやら相当力を付けてるみたいだな、流石キグナスのメンバーってところか」

 

「まさか怖気づいたなんて言わないよね、トレーナー?」

 

「ったりめぇよ、シャインならあのキグナスのメンバーと戦っても勝てるかもしれないからな、勝てる可能性があるならとことんやってやるさ!」

 

どうやら私だけでなくトレーナーさんも闘志が燃えているようで、なんだか瞳孔に炎がついていそうなほどに熱く喋っている、なんだかかわいらしく思わず笑ってしまう、あ、一応言っておくけど別にトレーナーさんが好きだとかそういうわけではない、別に私とトレーナーさんは親友みたいな立ち位置なだけだ

 

「ん、なんだよシャイン」

 

「別に?なんだか私をスカウトした時はこんなキャラしてなかったのになって思って、もしかして私のこと好きだったりして」

 

「いや別にお前の事が好きなわけではないが……変わったと言えば確かにそうだな、俺も初めて担当を持つから、担当とどんな距離感で話したりどんな話し方をすればいいのか正直分からなかったけど、お前と一緒にメイクデビューや未勝利戦を乗り越えて、だんだん俺というものに勝ちたいって気持ちが生まれてきたんだ、そのうちに気付いたらこんな感じになってたな、全然意識してなかった」

 

そう言われて私も自分の事を振り返る、私の方も確かに最初この人がトレーナーになった時は自分の目標とトレーナーの目標しか頭になかったけど、今はどちらかと言うと目標7割、『この人』というものと一緒にレースに勝ちたいと言う気持ち3割くらいと言ったところだ、それに速いうちに敗北の悔しさを知れたのもあり、客観的に自分の事を見てもかなりいい状態と言えるだろう、トレーナーもただ暑苦しいと言うわけではなく、しっかりとレースメニューを組めるようになり、トレーニングメニューを日々徹夜する事もありながら詳細まで考えてくれている

 

「ほれほれぇ、やっぱり私の事が好きなんじゃないかぁ、このサブトレーナーめぇ」

 

「サブトレーナーは昔の話だ、それと離れろ、周りの目も気になるし、俺の立場的にもやばいからあんまり体を押し付けるなバ鹿たれ」

 

「なんだとぅ?喧嘩すっかぁ?」

 

「お前なんか今日めんどくさい酔っ払いみたいだな、勘弁してくれウマ娘と喧嘩しても勝てる気しねぇ」

 

トレーナーさんは特に顔を赤らめる訳でもなくただいつものクマまみれの真顔で眼をパチパチさせながらサッパリと言い切った、んまぁ確かに私も距離が近かった気がしなくもないので少しだけ控えようと思う

 

「そういえば、シャインはどうして『誰にも越えられない記録を作る』って言う目標を持ったんだ?なんだかんだ聞いたことなかったよな」

 

トレーナーさんから離れた後、ベンチで首やらの関節をボキボキ鳴らしていると、突然トレーナーさんにそのような事を言われた、確かにそうだ、今までトレーナーさんには私の目標の理由を話したことがなかった、考えてみれば、サンやクライト、木村さんや速水さんにも話した事が無い気がする、ちょうどいい機会だと思ったから、トレーナーさんに話そうと思う

 

「ちょっとばかし長くなるかもしれないけどいい?」

 

「ああ、構わないぞ」

 

話し始める覚悟を決めて、少しだけ深呼吸をしてから私は話し始める、というかトレーナーさんはこれから話をすると言うのに資料を片付け始めている、聞くのか片付けるのかどっちかにしてほしいものだ

 

「私が『競争ウマ娘になり、誰にも越えられない記録を作る』という目標を志したのは中学生のころからで、まず私の家庭事情から話すと、私の家庭は埼玉の方に住む三人家族なの、父親、母親、そして私、普通の三人家族」

 

「埼玉の方だったのか、大分地方の方だな、それにしても三人家族か、兄弟3人くらいいるもんだと思ってたわ、なんとなく」

 

「残念なことにちっさなころから一人っ子だよ、決して裕福ではなくて、父親はずっと単身赴任でどこかに出向いてたし、母親も家事が得意と言うわけではない、普通くらいの家庭だったよ、だけど私は幸せな家庭で暮らしていたの、父親も母親も私を一生懸命育ててくれた」

 

「優しいご両親だったんだな」

 

「うん、私が何か悩みがある時はいっつも親身になって聞いてくれるし、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも頼めば「私の為に」って言ってお金を稼いで買ってくれた、自慢の両親だよ。ちょうど住宅街のど真ん中と言う事もあってさ、近所に爺ちゃん婆ちゃん多くてね、子供の私はかわいがってもらえてとても楽しい日々だったんだ」

 

トレーナーさんは何かの資料をまとめ終わったようで私の後ろでグラウンドの柵に寄りかかって静かに話を聞き始めていた

 

「そんな私も小学生の頃から成績がある程度良くて将来の夢も持ってた、特に長けていたのは算数で、学年の上位をいっつも独占してたの、だけど中学生になって私は途端に周りについていけなくなってさ、最初は努力すれば巻き返せると思って特に気にしてもいなかったんだけど、どう頑張っても周り以上になることができなくて、そんな生活を続けているうちに私はだんだんと自信も無くし、勉強も運動も出来ないひねくれたウマ娘になったの」

 

「中学で急に回りについていけなくなるか…確かにたまに聞く話だな、シャインもその一人だったのか」

 

途端にトレーナーさんが暗い顔になる、シャイン『も』と言う事はトレーナーさんもそうなのだろうか。そうしてひねくれていた私に両親は「気にしなくていい」「地道にがんばって行こう」と言ってくれるが、その言葉さえも私の心をえぐる言葉になり、いつしか私は自分の部屋に閉じこもった、自分の人生を諦め、将来平凡な仕事に就いて普通以下の生活でも生活出来りゃいいかな、そんな考えで生きていたのだ、どうせ私には何も才能などないと、諦めていたのだ

 

「だけどね、ひねくれていたって言ってもある時に、え~っと確か私が中学二年生になる直前だったかな、そこで転機が訪れたの、私が自分の部屋のテレビで有マ記念を見ているときの事でさ」

 

そう、()()有マ記念だ、トウカイテイオーさんが奇跡の復活を成し遂げたあのレースを見て、私はそれまで感じたことのないほどに感動した「私も努力すれば、きっとこの人のように復活できる」そう信じて私は一年間でトレセン学園に入学できるくらいになるために努力した、死に物狂いで勉強して、何度も嘔吐を繰り返しながら中央に行けるだけの身体能力を手に入れた、両親も私のトレセン入学に賛成してくれて、両親はおろか近所のおばあちゃんやおじいちゃんたちまで苦しい生活の中私の学費を捻出してくれた・・・

 

 

 

「そうして私は両親の助けや近所のみんなの助けがあってトレセンに来ることができたってわけ、中学の二年間親不孝しかしていなかったから、トレセンでただ勝つだけじゃだめだと思った私は、誰にも越えられない記録を残して、沢山稼いで親や近所のみんなに楽をしてもらおうと思ったから

 

まぁあと追加で、私がただ単に後世に名を残したいっていうだけの理由もあるけどね!」

 

「そんな経緯があったんだな、それにしてもお前が成績悪いやつだったなんて信じられないな」

 

「レジェンドウマ娘にもデビュー前の時期があるみたいな感じだよ、私だって努力してここまでにしたんだから、しっかり磨いてよ?トレーナー」

 

気持ちからかい程度にトレーナーさんにそういうと「おう」とだけ返事をし、トレーナーさんは腕を組んで私の話を再び振り返って感銘しているようだった

 

「なるほど・・・スターインシャインさんの人生のアジェンダはそのようなヒストリーがあったのですね」

 

「そうなんだよね~っ、いやはやあの時の私は今思い出しても本当に荒れ狂っていたと思います…ってうぉあっ!?誰あなた!?」

 

そんなトレーナーさんを見つめていたら急に後ろから聞いた事が無い声がしたので大きな声を出してしまった、私たちの後ろにはいつの間にかちょっとクリーム色のような髪色のぱっつんの子が立っていた、どうやら今の話を最初から最後まで聞いていたようで、この人も何やら感動している様子・・・なのかな・・・

 

「失礼しました、私の名前はグッドプランニング、対戦相手のアビリティを視察しておこうと思いまして、あなたの情報を記したサイトのコンバージョンだけでは限界があるので直接会いに来たわけです、アポもなくすいません」

 

「コンバ・・・アポ・・・?」

 

「…サウジアラビアロイヤルカップではスターインシャインさんと対戦すると認識していますが?そこで私のレースドミナント戦術を成功させるためにこうしてシャインさんの話を聞きに来たんですよ、おかげさまでストラテジーがある程度完成しました」

 

「ドミナ……?ストラ……?」

 

何やら聞いた事が無い単語が飛び交ってしまい混乱したが、要約するとサウジアラビアロイヤルカップで戦う私の情報を知るためにトレセンが管理しているウマ娘のデータが乗っているサイトを見たが、サイトだけでは情報量に限界があるため、私の情報をもっと深く知るために直接会いに来たらしい

 

「先ほどの極限まで前傾した走り、素晴らしかったです、私の所持しているシャインさんのインフォメーションにある前傾走りより洗練されているように感じました、もしかして未勝利戦の時からカリキュラムはあの練習のみなんですか?それとシャインさんの過去の体験について気になるポイントがかなりあり、それについても回答して貰いたいです、それと――――――」

 

「ちょ・・・ちょっとストップ・・・」

 

私はトレーニングが終わって休憩していた最中なのにズバズバと質問してくる態度、しかも対戦相手と堂々と仲良い風に喋り挙句色々な情報を抜き出そうとしてくるこの子の姿勢・・・

どうやらこのグッドプランニングと言う子もかなりキャラが濃い子のようだ・・・

しばらくグッドプランニングの質問責めを受けていたが、1時間したあたりでグッドプランニングも満足してくれたようで話が終わった

一応私たちの作戦の核心に迫るようなことは喋っていないと思うが、ぶっちゃけ質問責めが長すぎて曖昧だ

 

「ふむ・・・なるほど、シャインさんのインフォメーションがだいぶ揃ってきましたね・・・これで私のプランは・・・」

 

私達への質問責めが終わるや否や、グッドプランニングは私達なんていない様に振る舞って、独り言をつぶやきながらどこかに歩き去ってしまった、トレーナーさんも質問責めにあい疲弊していた

 

「だ・・・だいぶとがった子だったかな・・・」

 

「・・・おう」

 

グッドプランニング、私と同じくサウジアラビアロイヤルカップに出走するウマ娘、しかし私は、サンやスカイさんのようなウマ娘と戦っている経験があるので、ああいうタイプこそもしかしたらとんでもなく強いのではないかと勘繰ってしまう、なんとなくそんなことを感じ戦慄していると、どうやらその予想は的中したようで

 

「・・・!?お、おいシャインこれ!!これ見ろ!!」

 

「え?何?・・・あ~…なるほどねぇ…そりゃああそこまで意気込むわけだわ」

 

トレーナーさんが驚いて出走表を返してきたと思ったら、先ほどは特に見ていなかったから気付かなかったのだろう、その出走表には堂々と、『一番人気 グッドプランニング』と書かれていた

 

「私の企画(プランニング)に、間違いはありませんよ、スターインシャインさん」

 



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第十四話 冬だ!堤防だ!釣りだ!・・・は?

 

「へっぷし!!う~…なんでこんなことやってんだろ…私…」

 

もう草木も枯れ果て、本格的に寒くなってくる時期、10月

そんな中私は超前傾走りのトレーニングに一区切りを付け、普通の走り込みや販路トレーニングをしていた、あと前回の未勝利戦で少しだけぎこちなかったウイニングライブの練習もしていた

 

超前傾走りの速度も最初の頃から比べるとかなり上がり、今では上がり3ハロンのタイムが34.4ってところだ、割と速い方…なのだろう、私はトレーナーさんみたいにそういう勉強をしてきたわけじゃないからいまいち分からないが、まぁ速いだろう

 

それはそうと、私は今何をしているか話そうか、今私は上着を2枚来て、堤防でトレーナーさんと2人で座っているのだ、目の前には静かにたたずむ細長い棒、聞こえるのはさざ波、そして潮風が目に染みる

 

そう、ここまで聞いたら大体わかるだろう、釣りだ

 

「は?」と思った人も少なくはないだろう、私も思っている、なにせ今は10月、クソ寒いのだ。

なんでそんな中でレースが本業の私が釣りをしているか、少しだけ遡ろうと思う

 

最初は普通にトレセン学園にいて、私とトレーナーさんがいつものようにトレーニングをしていたのだ、そしてトレーニングが終わった頃だった

 

 

 

「シャイン、サウジアラビアロイヤルカップも近くなってきたが、そろそろ休暇も必要だろう、今回はどっかでかけようと思ってるんだが、どこに行こうかシャインが考えてくれないか?」

 

トラックの外にいたトレーナーさんが私に近づいてきて今度の休暇の際、出かける先を聞いてきた、ぶっちゃけ私も疲労がたまってきて辛くなってきていたので、このお出かけはかなりありがたいものだ、しかし…

 

「お出かけ?う~ん、私こっちに来てから特にどこかに行った事が無いからなぁ…」

 

私は埼玉から東京に来てどこにも遊びに行った事が無いのだ、いや厳密にはこの前サンやクライトと行ったゲームセンターくらいしか行った事が無いのだ、そんな私にお出かけ先を聞かれてもどことも答えることができない、どうしようかと頭をひねるも何も出てこない

 

「そうだシャイン、こんな時お出かけ先は知り合いに聞けばいいんじゃないか?」

 

「知り合いか…なるほど、聞いてみるかぁ、出かけるのは明日でしょ?なら今日中に考えてメッセージ送るよ、とりあえず今は解散でもいい?」

 

「おう」

 

そうして私はトレーナーさんとトレーニング後の業務連絡を終えて学園内に駆り出した、お出かけ先を考えるなど両親と出かけた子供の頃以来だ、とりあえずサンに聞いてみようと思い、自分の教室を目指した

 

「おい…あれスターインシャインじゃないか?」

「本当だ、スターインシャインだ…!すげぇよなぁ、この前の走り方」

「あんな走り方ふつう無理だよ」

 

正門前にて私の事を知っている人たちと遭遇した、どうやらいい感じに私の存在は世間に知られているようだ、まぁそれもそうだろう、あの人たちも言っていたように超前傾走りと言う特殊な走り方をしているのだから。

 

こんな感じに噂されていると、私の存在をどんどん世間に知らしめていって、いつかは世界中の人たちに知られるくらいのウマ娘になるためにトレセン学園に来たのだと、今一度自分の目標を再確認できる

 

私の存在が知られていると知って、ルンルンで歩いているといつの間にか私の教室の前についていた、ルンルンな気持ちをとりあえず落ち着けて教室のドアを開けたが、どうやらサンはいないようだった、サンがいないならクライトだ、クライトがいそうなところと言えばどこだろうか…

 

一つだけ心当たりがあったのでそこに行ってみよう

 

「おや?君はもしかしてプロミネンスサン君ではないかね?」

 

クライトがいそうなところを目指し、誰もいない静かな廊下を歩いていると後ろから声がした、声の主は何やら怪しい雰囲気を持った白衣のウマ娘だった、なんだろうか、この人とはかかわってはいけない気がする

 

「いえ…私はスターインシャインですが…あなたは?」

 

「おや違ったかい、いや失礼、あまり印象が大きくない事を覚えるのは苦手でね、トレーニングも終わり、教室には用がないと思うが…どうしたんだい?」

 

「えっいや…いや、そうでした、あの…」

 

名前を聞いたのに返ってこなかったことに関してはツッコまないでおいた、私はクライトがいるのではないか、というような場所の方向を聞いてみた、え?場所はわかっているんじゃないかって?それに関してなんだけど、私はいっつも目的の場所が分かっているはずなのになぜかいっつも目的地が遠くなるとたどり着けなくなるのだ、なぜなのだろうか

 

「ふぅン、そこならあっちを曲がってすぐのところさ」

 

「ありがとうございます、それじゃあ失礼します」

 

「なぁ君、足が速くなる方法に興味はないかい???いや別に怪しいものではないんだ、ただ効果が出たかどうかのレポートを提出してあわよくばこれからも私の実け…おほん、研究・・・ぅん?治験に付き合ってくれればいいのだが…」

 

「あっすいません本当にそういうの興味ないんで!!」

 

私が目的の場所に向かおうとすると突然その人は目の色を変えて怪しいものに私を誘ってくる、なんだかとんでもないものに片足を突っ込みそうになったがとりあえず勢いで振り切ったが…結局あの人はなんだったのだろうか、まぁいいだろう、とりあえず目的の教室についたので、クライトがいるか確認してみよう

 

「ん…?スタ公じゃねぇか、なんだこんなところに来て、なんかあったのか」

 

「いや、まぁ用事と言う用事はあるんだけどさ、少し邪魔だったかな?」

 

教室のドアを開けるとそこではクライトとゴルシ先輩、そしてフェスタ先輩が麻雀を打っていた、私は麻雀に関してはルールを知っている程度なのであまり詳しくはないが、とりあえずゴルシ先輩が親の東一局の…8本場で、クライトがあと1000点と言う事だけはわかる

 

「クソッたれが…なんで勝てねぇんだよ…」

 

「ふふ…オメーのは昼間の麻雀だ…だけどアタシたち玄人(ばいにん)は…夜の麻雀を打つんだぜ…特にこの剣崎ゴルシちゃんには、昼間の麻雀なんて通用しないぜ…嬢ちゃん…」

 

とりあえず麻雀が終わってからクライトに話を聞こうと思い、私はクライトの後ろで麻雀の行方を見ていた、ゴルシ先輩は「夜の麻雀」と言っているが今は大体午後4時くらいなのでまだ昼間ではないだろうか、と思ったが、あの破天荒なゴルシ先輩に対してそんなことを言ったら私まで麻雀に巻き込まれるかもしれないので黙っておこう

 

「クソっ!通れ!!」

 

「悪いな、そりゃロンだ、国士十三面待ち」

 

「どうしたぁ嬢ちゃん、ずいぶん動揺してるじゃねぇかよ…ロン、大四喜、字一色、四暗刻単騎、そして八連荘、六倍役満だ…残念だけど頭ハネは採用してないぜ…」

 

「うああああああ!!!!」

 

どうやらもう決着は付いたようだ、残り1000点で役満をダブロンされたのではどうしようもない…クライト…ご愁傷様…

 

「六倍役満とはな、またアンタに点数で勝てなかったか」

 

「この剣崎ゴルシちゃんはいつでもリベンジを待ってるぜ☆じゃーなー嬢ちゃん!!もっと玄人っちゅうもんを理解しやがれよ~っ!!」

 

そう言うとゴルシ先輩はいきなり窓の方向に走り出し急に窓を開けたと思ったら、どこから取り出したのかグライダーを背中に着け、窓から飛び降りてどこかに飛んで行ってしまった

 

「えぇ…」

 

「そいじゃアタシもこの辺で去るかな、じゃあな、また打とうぜ」

 

そう言って二人の先輩はあっという間に消えてしまった、教室に残されたのは麻雀卓と悲惨な卓上の牌、そして怒りに震えるクライトだった

 

「……あ~…クライト、今いい?」

 

割と聞くのが怖かったが、恐る恐るクライトに声をかけてみた

 

「……なんだ」

 

「私、今度のお休みにトレーナーさんとお出かけしようと思ってるんだけどさ、お出かけ先が決まらなくて…」

 

クライトにそう質問したが、しばらく回答は帰ってこなくて、数分の静寂が訪れた、そのうちにクライトが口を開いて一言だけ

 

「・・・釣りとかいいんじゃないか?」

 

「え?釣り?この時期に?」

 

「なんか問題あるか?」

 

「いや…寒くない?」

 

「おう!!アタシたちで日本最大サイズのデンキナマズ釣り上げてやろうぜ!!」

 

すると突然私の真後ろにさっきどこかに飛んで行ってしまったはずのゴルシ先輩が立っていて、釣り道具を丸々持ってきていた、そしてその釣りセットを私に押し付けたと思ったら今度は

 

「あ、いっけね、アタシこれからトレーナーと泳いで西ヨーロッパまで行くんだったわ、第564回長距離水泳大会シード権獲得不戦勝で優勝したゴルシちゃんの実力を見せてやるぜ!!それじゃ、ゴルッ☆」

 

急にゴルシ先輩の足元から煙が上がったと思ったらゴルシ先輩がどこかに消えてしまった、いったいなんだったのだろうか…あとこの釣り道具をどうしようか悩んでいると、クライトもいつの間にか出て行ってしまった

 

「え…どうしよ、マジでこれ」

 

 

 

そうして今に至るのだ、最初は私だって釣り道具を部屋に放置してどこか別の場所に行こうとしたけどさ、釣り道具の中身を覗いたらその中に「このセットは明日の内に使用しないと爆発します☆」と書いてある紙があって、いくら嘘だと分かっていてもこう書かれてしまっては使うしかなくなってしまったのだ

 

「シャイン、なんか釣れたか?」

 

「いんや、なんにも」

 

ていうか私釣りに関しては全く詳しくないのだが、こんなに寒い時期でも釣れる魚などいるのだろうか

 

「サウジアラビアロイヤルカップに出走するって言う、グッドプランニング、あの子すごく強そうだよねー、トレーナーはどう思う?」

 

話す話題が絶望的になさすぎて、ふとこの前話しかけてきたグッドプランニングについて話す、私自身はあの子がレースを支配するものだと思っている、グッドプランニングは先行の作戦を打つウマ娘で、毎回対戦する相手の情報を確実に、細かく記録してレースに臨むらしい、恐らくこの前の質問責めで私の情報もある程度抜かれているのだろう、それこそセイウンスカイさんみたいに私の超前傾走りの対策を立てたうえでレースに出走するかもしれない、そうなれば強敵となるのは免れないだろう

 

「グッドプランニングの強さの秘訣、恐らく前に行っていた『レースドミナント戦術』だろうな」

 

「あ~、確かに言ってた気がする、結局なんなのそれ?」

 

「レースドミナント戦術という用語はない、がドミナントって言うのは支配的、優位に立つと言う意味だ、と言う事は多分シャインのように、回りより上の立場を手に入れ、レースに出走しているウマ娘の精神を一時的に超える戦術に似ているかもしれないな、お、かかった」

 

私の戦術、実はトレーナーさんに聞いたのだが、レース中の私はとてつもない威圧感を放っていると言う、それを使ってレース中、メイクデビューのサンのように他のウマ娘を掛からせ、勝つと言った戦術を勧められているのだ、威圧感に関しては私は出しているつもりはないのだが、どうにも威圧感が出ているらしい、まぁ末脚と並んで武器になるから別にいいんだけど

私の横でトレーナーさんがタチウオを釣り上げた

 

「へぇ~、優位に立つかぁ、ってうぉあ、でっかいねそのタチウオ」

 

「トレセンに帰ったら天日干ししておくから一緒に食べようぜ」

 

「いいね、タチウオの天日干し」

 

ひとしきり会話が終わってしまい、私たちはもはやこれまでかなどと思い始めていた

するとその考えはすぐに打ち砕かれることとなる、暇すぎて速水さんに電話していたトレーナーさんが突然携帯のマイクを押さえ、口を開く

 

 

 

「そういえばさぁ…シャインってキスは好きか?」

 

「ブファッ」

 

急にトレーナーさんが接吻の話をし出した、なぜこの釣りをしているタイミングで、しかも接吻の話なのだろうか、本当にこのトレーナーさんは私が高校生と言う事を理解しているのか?

 

「…いや、わかんないよ」

 

「えぇ?食ったことないの?」

 

「食うって言う表現やめようよ!?」

 

「え、なに、じゃあ食べる?」

 

「同じじゃん!!!」

 

一応言っておこう、私はキスなんてしたことはない、なにせ小学生の頃はそんなこと考える年ごろでもなかったし、中学の頃は荒れ狂っていてそんなことしていなかったし、そして高校生の頃は…って言うか今が高校生だし、生まれてこの方ファーストキスは守り抜いているし相手も考えてない、少なくとも私はトレーナーさんみたいな人じゃなくてもっとイケメンな人とキスするから

 

「えぇ…俺なんか若いころは田舎住みだったからさ、暇があったら自分の竿で釣りに行ってたよ」

 

「自分の竿!!釣る!!なんてタイミングになんて表現するのよ!?」

 

「表現!?竿って表現だったの!?」

 

「表現だよ!!ガッツリアウトな表現だよ!!」

 

私とトレーナーさんは釣りをしていると言う事も忘れて二人で向き合い騒ぎ合う、だって私悪くないよ、急に接吻の話し始めるトレーナーさんが悪いじゃん、しかも竿なんて言っちゃって、とんでもないセクハラ親父になってしまっている

 

「え、いやだって竿で釣らなかったら何で釣るの」

 

「まず釣るって言う表現をやめようよ、トレーナーさんそういうことしてたの?」

 

「いやそういう事って言うか、普通にキスを釣ってたんだけど…」

 

「やっぱ釣ってんじゃん!!」

 

はじめてトレーナーさんの意外な一面を知った瞬間だった、トレーナーさんは普段クマばかりでお世辞にも若いころブイブイ言わせていたと言うような外見ではない、なのに若いころはさ…竿でキスを釣っていたなんて…被害に遭った女性たちがかわいそうでならない

 

「ちょっとトレーナーさん、仮に昔釣ってたのはいいとして、なんで私にそんなこと聞いてきたの?私一応高校生だからトレーナーさんがそういうこと聞くとセクハラになるよ?」

 

「え!?セクハラなの!?」

 

「どう考えてもセクハラでしょうよ!!えちょっとまってよ、むしろわかってなかったの!?」

 

「知らないよ!!今までの人生で初めてだよこの質問がセクハラって言われたの!!」

 

「オーマイゲァッ!!信じられない!!トレーナーさんの人脈まで信じられなくなってきた!!」

 

ホントの本当にどういう事なのだろうか、トレーナーさんの周りはさっきの質問をセクハラだと思わない人だらけなのだろうか、もしかしたら木村さんや速水さんもそうなのかもしれない、やば、そう考えるともう信じられなくなってきた

 

「ちょぉっとまて!!シャイン!!」

 

「なによ!?」

 

「…お前、まさか接吻の方だと勘違いしてないか?」

 

「え?そうじゃないの?」

 

「………俺が言っているのは、魚の方のキスだ!!」

 

 

 

 

あ~~~もう、思いっきり私は後ろの方にのけぞった、トレーナーさんから会話の矛盾点を指摘されてから、自分の早とちりを一瞬で理解して恥ずかしさと「やってしまった感」で後ろにのけぞらざるを得なかった

 

 

 

「…ほんとにさぁ、スターインシャインさんさぁ、確かにキスだけで質問した俺も悪いけどさぁ、だからってこの釣りをしている場面で接吻と勘違いするってどうなの?」

 

「いや、本当に、ごもっともでございます、トレーナーさん」

 

私はトレーナーさんに謝罪したのち、二人とも釣りに戻っていた、相変わらず連れているのはタチウオ一匹のみだ

 

「まぁいいんだけどさ、実際どうなの?キス」

 

「そうだなぁ、キスは昔実家でよく食べてたから好きだよ」

 

「ほう、シャインのご両親がキス出してくれたのか」

 

「うん、両親もキス大好きでさ、だからその影響で私もキスが好きになっちゃったんだ」

 

やはりキスと言えば揚げたのが一番うまいだろう、あの揚げたてを食べた時のカプッという音の後にじゅるっと出てくる衣の油と淡白な身が混ざり合い、ちょうど良い味になるのが何とも言えないうまみを引き出してくれるのだ、その味が私はたまらなく好きで、外食でもよく食べていた

いかん、考えたら食べたくなってきた

 

「っ!?」

 

キスの話をしていると突然私の釣竿に魚が掛かる、めちゃくちゃ重い、というのもゴルシ先輩が残していったこの釣竿、なんか知らないけど針が何個もついていて一度に複数の魚が釣れる?用になっていて、恐らく今水面の下では何匹も私の釣竿に掛かっているのだろう、それにしても重い、ウマ娘の私が引いて苦戦するなんて

 

「シャインあぶないっ!!」

 

私が釣竿の勢いに引かれそうになっているとトレーナーさんがとっさに私の体を掴んで一緒に釣竿を引いてくれる、トレーナーさんに身体を掴まれていると言う状況を認知し、なぜか私はドキドキしていた

 

「ちょ…やば…私一人で引けるから…」

 

「バ鹿いうな!お前さっき釣竿に引かれかけてたろ!!絶対離さないからな!!」

 

「もぉぉぉぉぉぉ!!!引けるから!!」

 

魚が掛かっていると言うのに水の上では二人がやいのやいのと騒いでいた、二人は釣竿の力に負けかけている瞬間もあったため、可能性としては二人とも水に落とされると言う可能性もあったのだが、この時二人はそんなことを考えている余裕もなかった

 

 

ザバァァァン……―――――

 

 

「すげぇぇぇぇぇ!!!アジが4匹もかかってるぅ!!かかってるぞシャイン!!」

 

「……うるさぁぁい!!」

 

私とトレーナーさんは数分格闘してやっと釣竿を上げることができた、その先端には、先ほどトレーナーさんに抱きつかれる原因となったムカつく顔をしているアジが4匹もかかっていた、私はトレーナーさんを一回ひっぱたいた

 

 

「シャインさ~ん、いつまで機嫌悪いんですか~」

 

私たちはアジを4匹釣った後、ここら辺が一区切りだろうと言う事で帰りの車に乗っていた、そこで私はずっと抱き着いてきたトレーナーさんに対して不貞腐れてずっとだんまりを決め込んでいた

 

「わるかったって、今後は気を付けるから」

 

「…今度から気を付けてよ、本当に、トレーナーさんが近いとなんか知らないけど鬱陶しいから…」

 

「鬱陶しいって…なかなか心に来る言葉ですなぁ」

 

「…今日の釣り、楽しかったよ、またお出かけしよっか」

 

いくらトレーナーさんとはいえ、私も鬱陶しいって言うのは言いすぎな気がしたので、一応楽しかったと言う旨だけは伝えておこうと思い、私は静かな車内で静かに呟いた

 

「…少しは機嫌直ってくれたようでよかったよ」

 

「そりゃね、トレーナーさんと仲が悪いと、メンタル的な面で私の走りに関わってくるかもしれないから」

 

「まぁな、それも俺がどうにかして直るんじゃなくて、自分で直ったしな、本当によかったよかった」

 

「…トレーナーさん、私は、明日のサウジアラビアロイヤルカップ、勝てるかわからない」

 

私はこれまでの話の流れをぶった切って、突然レースの話をしてしまった、不安だったのだ、勝てるかどうか、あの熱意を持っているグッドプランニングに勝てるのか心配だったからだ、そのことをトレーナーさんに相談してみると

 

「何言ってんだ、シャインは誰にも負けない熱意を持ってるだろうが、喧嘩して少しだけメンタル弱ったか?帰ったらアジ焼いて寮に送ってやるから待ってろ」

 

…そっか、そうだったよね、私は誰にも負けない熱意をもってレースに挑んでいた、この人のこういう熱い部分があるからああいう時鬱陶しいのかもしれない

 

「それじゃあトレーナーさん、明日のレースは私を期待していない観客をみ~んな釣っちゃうから、よろしく!!」

 

「おうよ、シャイン!!」

 

 

 

「…橋田、電波悪くてお前が俺との通話忘れてる間の会話よく聞こえなかったんだが、お前なんでシャインとキスの話してるんだ?」

 

「あっ…」

 

急にトレーナーさんの胸ポケット、スマホを入れていたポケットから速水さんのものと思われる声が聞こえる、そういえばトレーナーさんがキスの話をする際、トレーナーさんは速水さんとの電話を切らずに話し始めていた、…トレーナーさんは通話を切り忘れていたらしい

 

「橋田、運転中悪いが少しだけ説教に付き合ってもらおうか」

 

「あっいや速水さんこれは違って」

 

「いくら仲良いとはいえ担当に『キスが好きになっちゃった』なんて言わせるのはトレーナーとしてだな!!」

 

 

 

…こりゃしばらく速水さんの説教が続きそうだ、私はトレセン学園につくまで欠伸をしながらその説教を聞いていた

 





次回 サウジアラビアロイヤルカップ


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第十五話 予想外ーアンエクスペクティドー

活動報告では投稿できなくなったなんて言いましたが、徹夜して気合で投稿しました、gg


 

「ん…」

 

目覚まし時計が鳴るより早くに起きてしまった、今の時刻はまだ朝の三時だった

やはり緊張から来ているのだろう、体が常にこわばっている気がする、当たり前だ、それもそのはず、今日はサウジアラビアロイヤルカップ当日だ、私の初めての重賞レース、同時に私の超前傾走りを初めて重賞で使用するレースでもある

 

私はとりあえず眠れるわけもないので顔を洗ってからベッドに寝直し、一人静かな部屋で天井を見つめ上げる、今日は私の初めての重賞レースだ、こんな時に私の両親がここにいたらどんな話をしてくれただろうか? そんなことばかりが頭に浮かんでくる。

 

そうして考え事をしていると、トレーナーさんから連絡が来た、トレーナーさんも眠れていないのだろう、深夜三時に声を出したら他の人に迷惑かもしれないが、私はトレーナーさんに電話をかけてみた。

 

『おはようシャイン』

 

「おはよ~う」

 

『眠れたか?』

 

「うんまぁ、こんな時間に起きるくらいには緊張してるけどね」

 

『そりゃそうだろ、俺だって緊張してる、だけどお前なら大丈夫だ、俺はずっと見てきたんだぜ?だから自信を持って走ってこい!』

 

「…ありがと、それじゃ私、頑張ってくるよ!」

 

『おう、頑張ってくれよ、じゃあまた数時間後に』

 

「うん、それじゃ」

 

電話を切り、少しだけ深呼吸をして気持ちを落ち着かせる そしてもう一度ベッドに入り込み目を瞑った。

 

 

目を瞑って感覚的に5秒後、ジリリリリリリリ!!と、あと2時間はなるはずの無かった目覚まし時計が鳴る、時計を止めて体を起こすと、もうすでに5時になっていた、私まだ5秒しか寝た気がしないんだけど、もうちょっと寝かせてくれてもいいと思う

 

「今度こそおはよう、かな」

 

サウジアラビアロイヤルカップ、正真正銘当日の朝、朝三時に起きるくらい緊張していた私でも、今日の朝ごはんはしっかりと食べることが出来た、なんせこれから走るのだ、体力をつけるためにもしっかり食べないと

 

「今日の作戦だが…」

「良く見ておけ」

「今日は頑張るよ」

「勝負服どこ?」「G3には勝負服ねぇよ…」

 

それにしても本当に人が多い…… 周りを見るとウマ娘やトレーナーであろう人達みんなが一様に真剣そうな顔つきをしている、レース映像は相手の研究に必要な材料だ、今日はそんな材料が公開される日でもあれば、今日の勝負に人生をかけている子もいるかもしれない、私はいつも通りの雰囲気でトレーナーさんの元に向かう

 

「おう、来たか、それじゃ行くぞ」

 

「オッケ~☆」

 

私達はトレーナーさんの車に乗って競バ場へ向かう、私はこの日のために今まで超前傾走りの練習をやってきたんだ、負けられない。そんなことを考えているうちに、車は目的地に着いたようで、車を降りた。

 

「そいじゃ、しっかり見ておくからな」

 

「ふふっ、しっかり見といてよ?トレーナー!」

 

いつものように関係者用の入り口から入り、控え室へと向かう そして着替えなどを行い、いよいよ本番へと臨む、心臓がバクバクとうなっているのがよくわかる、これが重賞を走る前の緊張か…… しかしここまで来たらもうやるしかないだろう、私の目標『誰にも越えられない記録を作る』と言う目標の為、最初の一歩を踏み出すべく、パドックへと向かった

 

パドックに出ると、すでに多くの観客がいた、そしてその中には当然のように記者団もいた、あれは超前傾走りの時に無理やり取材してきた記者だろうか、とりあえず威嚇だけしてパドックに集中した、パドックで私の姿を見せつけている最中、ノースブリーズとシーホースランスの二人がいるのは当然だと思っていたが、そのほかにも10人ほどのウマ娘達が見えた、多分あれはキグナスのメンバー…であろう人達だろう、その目線すべてが私に向いていたのだが、全員から送られてくる視線がとんでもなく威圧感がある、え怖

 

今日のレース映像も私と対峙するときのデータとして使用するのだろう、京都ジュニアステークスでは恐らく苦戦するだろうなどと思いながら舞台裏に戻った

 

「今日は宜しくお願いしますね、スターインシャインさん」

 

「グッドプランニング…」

 

舞台裏でパドックが終わるのを待っていると、突然後ろの方から機械的に無表情な挨拶が聞こえた、グッドプランニングだった。

彼女は相変わらずの無表情でこちらを見つめている

 

「私が描くレース展開に、間違いはありません、今日は私が勝利をもらいます」

 

「それはちょっと私の思ってる展開と違うかな、今日は私が勝つ予定だから」

 

「…………」

 

いつもより自身が乗っていた私は、宣戦布告のつもりでそう言い切る、私がそういうと、彼女は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに元に戻り、その場を去った、去り際にその顔は少しだけ笑っていた気がする。

 

そしてパドックが終わると、いよいよ入場の時間が迫ってきた、私はせめてレース前にも緊張を緩めておこうと、レース場に続く地下通路にトレーナーさんを呼び出した、当然のようにトレーナーさんは地下通路に来てくれていた

 

「シャイン、今日も頑張れよ」

 

レース前の会話なので手短に終わらせるためか、トレーナーさんは足早にそう言う、私はその応援に一言だけ返事をすると、とりあえず作戦の再確認をすることになった、といってもまぁ私達は気合で乗り切る作戦を打つので、あまり作戦と言う作戦はないのだが

 

「今日の作戦なんだが、やはりお前には追込しかない、よな、ただし今回はいつもよりさらに抑え気味にして、終盤に…いいな?」

 

「了解」

 

「それともう一つ、これは一番大事だからよく聞けよ?」

 

「ん?」

 

「…奴の計画を狂わせてやれ、分かったな?」

 

トレーナーさんは悪い笑顔でニヤっと笑い、そう言い切った、私の答えは当然決まっている

 

「うん!任せて!!」

 

「よし、行ってこい!」

 

トレーナーさんはそういって私の背中を強く叩く、その衝撃で体に走っていた不安はすべて抜けきった。トレーナーさんとの会話を終えた後、私は勢い良くレース場に飛び出して行った、するとそこには、たくさんの人がいて、私を見て歓声を上げてくれる その光景を見た瞬間、私の緊張は完全にどこかへ消えてしまった

 

『さぁやってまいりましたサウジアラビアロイヤルカップ、本日の天候は晴れ、絶好のレース日よりとなっております』

 

『今年は昨年以上のメンバーが揃っており、まさにレベルの高いレースが期待できますね!』

 

『えぇ、そして何よりデビューしたてのスターインシャインが出走していますからね、あの特殊な走り方が重賞に通用するのか、楽しみです』

 

私は入場を終え、ゲートに入る、この瞬間が一番緊張してしまう、他の選手もそうだが、私にとっては特にだ、なんせデビューしてから初めて自分の走りを見せるのだ、しかもそれがG3という重賞レースの場、こんなにも緊張してしまっても仕方がないと思うが…とりあえず落ち着けと自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる

 

「(グッドプランニングはどのように出てくるのか…)」

 

そしてファンファーレが鳴り響くと、会場からは大きめの拍手が送られる、ファンファーレが終わるころにはすでに私は拍手も何も聞こえないくらい集中していた

 

『サウジアラビアロイヤルカップ、東京競バ場、芝1600m、今…』

 

『スタートしました!!』

 

私はゲートが開く音と同時に飛び出す、出遅れることも最初に比べれば少なくなったから立派なものだ、私はまず後方集団の更に後方からついていくように走る

 

「やっぱり先行勢が多いな……」

 

東京競バ場の1600m、このコースは外差しがあまり有効ではないコースで、差しや追込はあまりいい作戦とは言えない、それに比べて内から攻める先行や逃げはそもそものコース形で有利を取れている。

前の方を見ると逃げのウマ娘が4人ほどいる、その少し後ろの方に先行策を打っているグッドプランニングがいた。グッドプランニングは先行の作戦を打つため、追込の私は少しだけ不利なレース展開を押し付けられる、しかし私にとってそんなことは関係ない、ただ全力で走って勝てばそれでいいのだから!

 

『第3コーナーを回りました!』

 

しかし…そろそろスパートをかけようか、などと考えていたら、突然私の前の方にバ群が迫り始める、なぜ私がスパートをかけようと思った瞬間に来たのか、疑問には思ったがとにかくこのバ群を抜けなくては話にならない、私は外側を回り始めるが、またしてもバ群が私の前に動く、明らかに私の動きを妨害する動きだ、だけどまさか、出走するウマ娘全員で妨害するわけがない、私をピンポイントで妨害したいウマ娘は一人しかいない、グッドプランニングだ

 

「く…っそ…!」

 

バ群に動きを制限され、思うようにスパートをかけられずにシャインはもがいていた、このバ群はグッドプランニングが動かしたものだと、シャインは直感で理解した、だが理解したからどうというわけでもなく、ひたすらシャインは前に立ちふさがるバ群に頭を悩ませるのみだった

 

「(流石シャインさん、私がバ群を操作していることにもう気付いたみたいですね、でもいくら気づいたところで、シャインさんのような最後の最後に捲し上げるタイプの追込が走りにくいレース展開は研究済みです、絶対に前には出させませんよ)」

 

「(やられた…!これがグッドプランニングの強さ、武器だ…!こんなに早くから使える武器があるなんて…)」

 

こうしてバ群が前にいることにより、もう一つだけ封じられたものがある、それは超前傾走りだ、まだ大差をつけて負けているだけなら、速度で勝敗が決まる速度勝負になるだけだが、前が完璧に塞がっているこの状況で超前傾走りを使おうとすれば衝突は免れない、そして衝突した先にあるのは私の転倒のみだ、私はバ群で前を塞がれたことにより、超前傾走りまで封じられたのだ

 

「(私は昔からこうだった……私は、昔からこうやって周りを動かしてきたんです…)」

 

小さなころから私はこの堅い考え方を持っていた、その考え方や喋り方のせいで私は周りの同級生たちから嫌われていたんだ、私だって好きでこんな考え方をしていたわけではない、私の過去の記録やこれまでの出来事をまとめ上げて考えて、両親が原因だ、小さなころから私はこのような考え方を強要され、勉強を教え込まれてきたんだ、理由を聞いてみると「変に勉強せず、周りに流されてしまう子になってほしくないから」だそうだ。

 

しかし、私は納得がいかなかった、周りから嫌われ、孤独に過ごし、将来社会人になり遊べなくなると言うのに学生の時間を勉学で10割食いつぶす生活に、私は反対した。何も勉強がしたくない訳ではない、デメリットやメリットの数を加味してもやはり勉強5~7割の生活が将来的に高水準なはずだ、なのに親は私に勉強を突き付けた。

 

だから私は堅い考え方を維持しながら、慈悲を捨てて、周りを弾圧し動かすようになった、小学生の頃も、中学生の頃も、生徒会に務め、私を嫌う人も嫌ってない人もすべてを動かしてきた、もちろん私の論理の結果そのようにするのが最適解と判断したうえでだ。そうしているうちに私は

 

 

「(私は、バ群でさえも自由自在に動かせるようになったんです!)」

 

 

「そういえば今日、シャインさんのレースじゃありませんでした?」

 

今の今まで二人でレース場の研究をしていた静かなトレーナー室でトレーナーさんが静かにそうつぶやく、

 

「そういやぁ…姿が見えないような、トレーナーさん、レース表とか見てない?」

 

私はトレーナーさんに質問する、トレーナーさんはすぐにパソコンを起動させ確認してくれた

 

「えーっと、ああ、サウジアラビアロイヤルカップに出走予定ですね、時間は…もう始まっている頃ですね」

 

「ほんとに!?じゃあテレビ見ようよ!シャインのレースを見よう!そうしよう!」

 

私とトレーナーさんはすぐにテレビのリモコンのスイッチをつけ、チャンネルを合わせた、テレビではすでにレースが始まっており、いつものようにシャインは追込の位置についていた、しかし何か様子がおかしい、シャインがもがいているような、そんな走り方だった

 

「シャイン、どうしたんだろう…何か変じゃない?」

 

「相手にグッドプランニングがいるみたいですね」

 

「グッドプランニング?誰?」

 

聞いた事が無いウマ娘の名前に思わず質問してしまった、私はこれまでトレーニング一色だったために他のウマ娘の名前と言えば、レジェンドウマ娘の面々、キグナスのメンバーとシャイン、クライトくらいしか知らないのだ

 

「作戦を立てることに長けた子みたいです、なんでも対戦前に相手の情報をまとめ上げ、不正にならない範囲でその相手が走りにくくなるようなレース展開を作り上げる天才と言われています、恐らくシャインさんもグッドプランニングの作戦にかかっているかもしれません」

 

トレーナーさんにグッドプランニングのプロフィールを聞いて、私は少しゾッとした、それはもはや作戦というより、相手にかける呪いのようなものだと思ったからだ、グッドプランニング一人で相手を陥れるならまだしも、レース展開そのものを動かしての妨害を行われたのでは気付くこともままならない、そしてどのように妨害されているのか理解することが出来ずにさらに掛かる、まさに呪いのような作戦だ

 

「うわぁ……ちょっと怖いね……」

 

私が正直な感想を述べるとトレーナーさんがクスリと笑いながら答えてくれた

 

「確かに、まあ、シャインさんのことだから大丈夫だとは思いますけどね、尤もあの子は結構メンタル弱いところがあるので心配なところはありますが…」

 

「そうだねぇ、でもまぁこの前落ち込んでた状態から立ち直ったし、メンタルも多少成長してるでしょ、勝てるよ」

 

「だと良いんですけどね」

 

トレーナーさんにそんなことを言ってしまったが、私はテレビの向こう側にいるシャインのレースを見ながら、ふとこんなことを思った

 

「(もし、もし万が一シャインがグッドプランニングの魔の手から逃れられなかったら…)」

 

考えただけで背筋が凍りついた、今現在走っているシャインの顔を見る限り、シャインはすでにもがいているように走っている、恐らく既にグッドプランニングの術中にいるのかもしれない、もしも本当にシャインが負けてしまったら、そう考えると怖くて仕方がなかった。

 

「大丈夫ですよ、ほら、シャインさんだって頑張ってます、あんなに苦しい表情をしていますが、シャインさんはこれまでだってレース中あんな表情してたじゃないですか」

 

「いや、う~ん、それはそうなんだけど…その言い方はなかなか…」

 

 

「(…ここまでは私のプラン通りですね、ここまでは)」

 

私はいつものようにバ群を自由自在に操り、シャインさんが走りにくいようなレース展開を作り上げる、私はいつものように先頭集団から抜け出し、先頭に踊り立つ

 

『さぁ先頭集団が第4コーナーに差し掛かります!ここで後続との差が大きく開き始めました!』

 

「(やはりここからが勝負どころですかね、でもこの程度の差なら問題ないでしょう)」

 

そう思いながら私はバ群を操作してシャインさんからどんどん距離を離す、しかしその時だった。

 

『ここで後方から凄い勢いで上がってくるウマ娘がいるぞ!?』

 

実況の声を聞いて思わず振り返ると、そこにはシャインさんの姿があった、なぜか私のバ群がシャインさんの前にはいなかったのだ、確かに私は後方からの気配をかき分け、バ群の位置を調整していたはずなのに、なぜシャインさんの前にバ群が動いていないのか、わからなかった

 

「(なっ…どうしてあの人が上がって来れるんですか!?)」

 

驚きながらも私はすぐにバ群を操ってシャインさんを再び妨害しようとする、しかし通用しなかった

 

『おーっと!後方から来たウマ娘の驚異的な追い上げに前の選手が対応できない!!これは大外から一気にまくられる形になるのか!?』

 

実況の通り、私が作ったバ群の隙間を縫うようにシャインさんが追い抜きにかかる。

そしてあっという間に私に追いつき並走を始める、その表情には余裕の笑みすら浮かんでいた。

シャインさんの背中を見ながら私は考える、何故こんなことになったのか?何故シャインさんがバ群を抜け出すことができたのか、答えはすぐに分かった。

私が今までやっていた事は全て無駄だったのだ。

どんなにバ群を操っても、どんなに相手の逃げ道を塞いでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

だからこそ彼女は、まるで前には誰もいないかのようにバ群を抜けてこれた

だが不思議と悔しくはなかった。むしろ納得した気分だ。

きっとこの人には勝てないと最初から分かっていたんだろう、観客席から湧き上がる歓声が物語っている

 

「(…周りに、流される…?)」

 

ふと私は、昔から親に言われてきた言葉を思い出す「変に勉強せず、周りに流されてしまう子」

私は今、周りに流されかけていたのだろうか、周りに流されかけていただろう、観客席の歓声がシャインさんに向いているものだと自分で考え、負けるのが確定していると考え、勝負を降りようとしていた

 

「(…あなたたちが言いたいことは、こういう事だったんですね)」

 

グッドプランニングは半ば諦めたような気持ちになっていた、だが550m地点あたりで親から受けた言葉の本当の意味を知り、じわじわとグッドプランニングに勝ちたいという感情が燃えていた。

用意していたプランを全て投げ捨て、シャインが巻き起こしたアンエクスペクティドを覆すような、ガッツで乗り切りたいと言う感情が生まれてはじめて湧き起っていた。

前の方ではシャインが東京競バ場の直線に存在する坂を上り始める、恐らくそこでシャインは減速するはずだと、グッドプランニングは誰にも縛られない、自分自身にも縛られない、()()()スパートをかけ始める

 

「私のプランに、私のガッツに間違いはない!!逃がしませんよシャインさん!!」

 

坂に向かって()()()走るシャインさんが見える、やはり超前傾走りは坂には未対応だった、それならばさかを走る練習をしていた私の方が速い、これなら追い越せる

 

「これで私の勝―――

 

そう思った、そう思っていた、だがしかし私の体がこわばってしまう、一応言っておくが私はサレンダ―したわけでも周りに流されているわけでもない、本気でシャインさんにぶつかっている

 

「(シャインの…シャインさんの背後から…何かが見える…?)」

 

 



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第十六話 フレクシブル

 

「なんだ…これは…」

 

シャインさんの後ろから()()が見えたと思ったら、私は減速していた、重ねて言うが、私は決して降参したわけじゃない、ただあの後ろから出ている何かを見ると、体が勝手に減速してしまう、私がレース中感知していたバ群のプレッシャーとも違う、最終直線に感じたシャインさんの威圧感とも違う何かだった、シャインさんから出ているのに、明らかにシャインさんとは違う何か。

結局最後の最後で全力を出し切れず、シャインさんがゴールする景色がしっかりと私の網膜に刻まれた。

 

『今日もすべてをひっくり返したぞ!!スターインシャインが一着でゴールイン!!』

 

「はぁっ…はぁっ…ぃよっしゃあああ!!!」

 

私とトレーナーさんは超前傾走りを坂に対応させることをすっかり忘れていて、私は最後の坂で上体を起こすしかなかった、その欠点を突かれ、後続のウマ娘達に抜かれるかもしれないと一瞬思ったが、意外にもそんなことはなく、私は7バ身差をつけて一着でゴールした

ゴールして数秒後、見事私の一着でレースが確定し、私は全身で叫んだ、初めての重賞を躓くことなく乗り越えられた

 

ゴールした後すぐに超前傾走りの反動で地面に倒れこむ、やはりまだ完全に反動を消すことはできないようだ、芝の匂いを嗅ぎながら勝利を噛みしめる、観客席からは見なくても分かるくらい、耳が痛くなるほどの歓声が沸いていた、この歓声を聞いてくれ、私が小さなころからずっと憧れてきた、受けてみたかった歓声だ、トレーナーさんもこちらに大きく手を振っている、私はその光景を見て涙が出そうになった、私は初めて重賞に勝つことができた、実家の両親たち、おじいちゃんやおばあちゃんたちも、ジュニア期の私の晴れ姿を見てくれているだろうか。

私の後に続いて、グッドプランニングが私の方に駆け寄ってくる

 

「…お見事でした、まさか私の計画した展開が打ち破られるなんて、夢にも思っていませんでしたよ、…また戦う時を楽しみにしています」

 

「だから言ったでしょ、私の思い描いてる展開と違うって、次も私が勝っちゃうから、よろしくね!!」

 

「ふっ…新しくなった私の計画と根性に、間違いはありませんよ」

 

プランは悔しい表情を確かに見せた、だけどどこか満足そうな顔をしていた、お互いにいつか再び戦おう、私が倒れながら手を差し出すと、グッドプランニングは握手を返してくれた、私たちが握手をすると、観客席からはひときわ大きな歓声が沸き上がった、トレーナーさんも叫んでいるのが見える、きっと喜んでくれたんだろうな、私はそれが嬉しくてたまらなかった、こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった その後私たちはコースから出て、観客たちにサインを求められたりして対応に追われていたが、なんとか時間を作り、トレーナーさんと合流することが出来た

 

「うおおおおおおシャイィィィィン!!」

 

「うぉあっぎゃああああ!!ちょ、離して、トレーナー!!」

 

トレーナーさんは私の姿を見るなり、ウマ娘じゃないかと勘違いするような速度で走ってきたと思ったら私に抱き着いて来た、包み隠さずいうと先ほどまでレース展開に熱狂していたおっさん臭い。私はトレーナーさんが急に抱き着いてきたのでびっくりしてぶっ飛ばそうかとも思ったが、レースを一着で勝ち、帰ってきたのだとお互いに確かめたかったためやめておいた。しばらくするとトレーナーさんは私から離れ、いつもの笑顔を見せてくれた、私もそれに応えようと笑顔を見せた。私はこの瞬間、間違いなく幸せだった、おっさん臭かったけど

 

「まったくさぁ、絵図やばいから今後はやめときなよ?」

 

「分かってるさ、ただシャインだから今回くらいはいいかなって思っただけだ」

 

「私だからって何よ?」

 

「…さぁ?」

 

「まぁ兎に角、よくやった!デビューから急に重賞出走して勝つなんてなかなかないぞ!!」

 

「あったりまえでしょ~、次はもっと上の重賞狙っちゃう?」

 

「ホープフルまでG1はないがな!」

 

「それもそっか」

 

とりあえずウイニングライブがあるため、トレーナーさんとは一時的に別れて控室に戻った、今回は特に大怪我をしているわけではないのでトレーナーさんの治療もいらないから席取りに集中して貰えるのだ。

 

「ふぅ~~っ…はぁ…強かったなぁ…」

 

控室に戻った後、私は今回のレースを振り返ってみたのだが、私は改めて自分の弱さを知った、私は今まで超前傾走りや元々持っていた末脚があったから、自分が強いと思っていた。だがそれは大きな間違いだと知った、確かにスタミナやパワーといった面ではプランより私の方が優れている部分が多いかもしれない、だが戦略性に関しては完敗だった。

今回のレースで今後必要なものだとわかったことは、レース中に相手がどういったことを考えているのか、相手がどのような武器を使用してくるのかを読み取る能力だった、この能力を身に着けることができれば、今後G2やG1のレースに出ても勝てる可能性が高くなるかもしれないと思った、これからトレーニングに励む中で、どうやって身につけるかを考えなければ……

 

そんなことを思いながら着替えてライブの準備をしていると、ドアをノックする音が聞こえたので私は返事をした、ドアを開ける音がすると、サンが息を切らして立っていた、今日はトレーニングのはずだが、何をしにここまで来たのだろうか、というかここはレース関係者以外は入れないはずなんだけど…

 

「シャイン重賞勝利おめでと~~っ!!」

 

サンがここに来た理由や来れた理由を疑問に思っていると、サンは突然右腕を上に突き上げ私に向かってそう大声で叫んだ、今日は木村さんとトレーニングって言ってたし、観客席にもいないように感じたから、私が勝ったことは知れるはずがない、と言う事は私の活躍をテレビで見ていてくれたのだろうか、それにしてもすごい声量だ、私の耳が壊れてしまいそうだった

 

「えっ…いや…サン、ここ入れないはずでしょ…」

 

「いやぁ~シャインが勝ったからうれしさが止まらなくてさ~、それで無理やり突破してきちゃった☆」

 

何を言っているのだろうかこの赤毛は、と一瞬思ったが、それも私の事を戦友として心から応援してくれているからこその行動なのだろう

 

「ぷっ……あっははははははははははは!!!!ありがとう、サン!!」

 

私は思わず笑ってしまった、だってそりゃそうだろう、この一言を言う為だけに関係者以外立ち入り禁止の場所に突撃して、しかもあんなに大きな声で叫ばれたら誰だって笑うと思う、でもやっぱり嬉しいものだな、誰かに祝われるのは

 

「それにしてもよくグッドプランニングの作戦から抜け出したね、私だったら抜け出せなくて負けてたかもしれないよ」

 

私がグッドプランニングの呪縛から抜け出した方法、それは道中グッドプランニングが操作したバ群によって私の進路が塞がれた際、私はあるトリック…と言うより、カモフラージュと言った方が妥当か、を仕掛けていたのだ

私はグッドプランニングをマークするのをやめ、バ群を乱すことに集中していた、恐らくグッドプランニングがバ群の位置を把握しているのは、自分へ向くマークのプレッシャーで大体の位置を把握していたのだろう、進路を塞がれてからすぐにそう思った私はバ群に対し異常なまでのプレッシャーを送ったつもりになってみた、するとやはりというか、トレーナーさんやサンに言われた通りなのだろう、威圧感でバ群は乱れた。

 

しかしそれだけではだめだ、バ群が乱れたのがバレたらすぐに再びまとめ上げるはずだと考え、バ群を乱してすぐにプレッシャーを送る標的をグッドプランニングへ変えた、そうすることでプランはバ群が乱れていることに気付くことが出来なくなった、そのままプレッシャーを送り続け、私は気づかれてもすぐにバ群を動かせないような大外へ移動していった、そうして最後の直線、プレッシャーを送るのをやめ、超前傾走りで一気にバ群より前に飛び出た、そのおかげで私は最終直線を邪魔されることなく駆け抜けることができたのだ

 

プランの武器は私の武器より使い勝手が難しい、私の武器はリスクさえ重いもののいうなればただ走っているだけだ、だがプランの武器は相手の走り方や思考をすべて読んだうえで、後ろを見ずにバ群の位置を把握する必要があった、だから私がとっさに思い付いた作戦が無ければ、本当に負けていただろう。そういう考え方で見ると、本当に綿密に考えられ、私とプランで一手違えば結果が大きく変わったレースだった。

そのような作戦を実行する場面も多くあったおかげなのかは知らないが、今回は気合で乗り切る場面も少なかったのだ

 

「…そもそもサンって逃げだからバ群に邪魔されないんじゃないかな…あっ…」

 

そんなことを話していると、サンの後ろから男の人たちが来る、関係者だ、私はサンに目で合図を送るが、サンはなんにもわかってない顔をして話を続ける、そのうちに後ろに立っている関係者のオーラが強くなる、こんなに存在感があると言うのにサンは全く気付かず、とうとうしびれを切らした関係者に肩を掴まれてどこかに連れて行かれた

 

「ごめんなさぁ~~~い!!!」

 

「申し訳ありませんでした、スターインシャインさん」

 

「あっいえ、全然大丈夫なんですけど…」

 

関係者の一人が私に向かって頭を下げる、その人に続くように私も頭を下げる、すぐに関係者の人は頭を上げて、サンが連れて行かれた方向に行ってしまった、まぁ現役ウマ娘だし何されるわけでもないと思うけど、説教は免れないだろう、気の毒に。

 

そんなことをしていると私のウイニングライブの時間が来た、今回の楽曲はピンポイントで練習していないものだったので絶望していたのだが、まぁ気合で踊るしかないだろう

 

ステージに向かって、楽曲が始まるのを待ちながら必死に振付を思い出そうとするが、マジで何も出てこない、私の横にはグッドプランニングと知らない子が立っているが、恐らくこの二人は完璧に仕上げているのだろう、それなのにセンターの私が踊れなかったら大惨事どころの話ではない、スペシャルウィークさんのデビュー戦のライブみたいになってしまう。

楽曲が始まってから数秒、やはり振付をさほど覚えていないダンスを踊るのは無理があったようで、ものすごくぎこちない動きになってしまっている、どうしてこうも小さいところで私は運が悪いのだろうか、というより覚えないといけないダンスの種類が多すぎるのがいけないと思うんだ、私。

 

そうしてウイニングライブ本番にて私が苦戦していると、私の右側で踊っていたグッドプランニングがいきなり手を掴んできて、本来ないであろう振付を踊り始めた、突然の出来事に頭がパニックになってしまうが、プランの顔を見ると、まかせてくださいと言わんばかりに笑顔だった、しかも完成度が高く、この楽曲の振付を初めて見る観客がまったく気付かないくらいに完璧な振り付けだった。

予定通りの振付で踊らないと気が済まない性格だと思っていたが、その場で振付を考えて実行するなど、意外とクリエイティブなことが出来るんだと知った

 

 

「おまたせ~」

 

「おう、じゃあ乗っちゃってくれ」

 

「いつも悪いね、運転して貰っちゃって」

 

「構わないさ」

 

そうして無事に終わったウイニングライブのあと、私はトレーナーさんと合流し、競バ場から帰ろうと車に乗った時、車の窓がノックされた、もうすでにエンジンは掛かっていたのでトレーナーさんが窓を開けると、グッドプランニングが来ていた

 

「どうしたの?」

 

「いえ、特に何かあるわけではないのですが、ただ今日のレースの事で感謝を伝えたくて」

 

「感謝?」

 

「私は今日のレースで、ある大切な事に気付けました、勝てなかったのは当然悔しいですが…そのことに気付けたのはシャインさん、あなたが私を追い抜いてくれたおかげです」

 

大切な事、グッドプランニングが微笑を絶やさないほどに大切と言う事など私には想像がつかなかったが、恐らく彼女自身の人生にまで関わってくるほどに大切な事なのだろう、私は別にそんなことを意識して走っていたわけではないが、それでプランが大切な事に気付けて、感謝を伝えたいと言う事ならば素直に受け取っておこう

 

「そっか、じゃあこれからもっと強くなっちゃうかな?」

 

「もちろんですよ」

 

会話が終わった後、トレーナーさんは窓を閉め、プランが車から離れたのを確認してから車を発進させた、静かな車内にレースの余韻と言わんばかりにトレーナーさんが車に置いている洋楽が流れる。窓の外では見慣れた景色が流れていくが、その流れるスピードがとても遅く感じた、これはウマ娘だからなのだろうか

 

「サウジアラビアロイヤルカップも終わって、次は京都ジュニアステークスか、速いもんだな、時間が流れるのは」

 

「そうだね、京都ジュニアステークスが終わったらとうとうホープフルステークスだもんね!!」

 

「ああ、そうだな、まぁとりあえずサウジアラビアロイヤルカップを勝って、初の重賞勝利と来たんだ、記念にパーティでも開こうぜ」

 

「あ、いいねそれ、ケーキ買ってよ、あとローストビーフも食べたいなぁ、それとポテトサラダもいいよね、ちなみに全部トレーナーのおごりね!」

 

「お前意外に強欲な奴だな…」

 

トレーナーさんをからかいつつ、私が次に出走する京都ジュニアステークスに思いを馳せる、こういってはあれだが、恐らくプラン以上に強敵であるノースブリーズ、プロミネンスサンが相手にいるのだ、生半可な実力では勝てない、私は少しだけ不安に思う

 

「サンやクライト、木村さんや速水さんも呼ぶか!」

 

でもまぁ、私にはこうやって応援してくれる人たちがいるから、なんだかんだ頑張れるだろう、キグナスのような存在がいる厳しいレース界隈だが、私も競争ウマ娘としてデビューした以上厳しいなどと言ってはいられない、やる以上は勝つ、それだけを考えてノースブリーズ、そしてサンとぶつかり合おう

 

「いいの?人数分おごりの金額増えるよ?」

 

「…それは勘弁願いたいな」

 



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第十七話 久々の休暇、ハロウィンデートじゃい!!

 

「そいじゃあな、また明日」

 

「うんっ!!」

 

トレーナーさんの車に乗って数十分、私はレース疲れですっかり車内で眠ってしまい、同じように疲れているトレーナーさんに悪いことをしてしまったが、なんとかトレセン学園に戻ってきた、周りを見るとやはり今日開催されるレースに出走していたウマ娘達が帰ってきていた私たちはレースも終わって疲れていたのでお互いの部屋に戻った

 

「はぁ~…ただいま、私の部屋」

 

私は一人真っ暗な部屋に戻ってきて電気をつける、嗚呼、まるで故郷に帰って来たような感じがする、今日一日しか部屋を開けていなかったはずなのに何十年も来ていないような気がするのは気のせいだろうか、ベッドに飛び込み、天井のしみを数えながら今日のサウジアラビアロイヤルカップを振り返る、しばらく経ったあたりで私の事を眠気が襲ってきたので睡魔に従い目を瞑った。

 

そこからはいつも通りだった、朝起きてトレーニングをして、休憩して、時々トレーナーさんをぶっ飛ばして、あぁそうそう、グッドプランニングとの戦いで私の超前傾走りの欠点に気付いた私たちは、当然すぐに超前傾走りを坂に対応させようとしたんだけど…どうにもこの走り方だと坂を走ることができない、恐らく今まで直線で練習してきたから上体の角度の違いで体の間隔に誤差が生まれているのだろう。

当然トレーニングが失敗した際には地面に接触してしまったと言う事なので私が怪我しているのではないかと思うだろう、もちろん最初は私も接触してからぶっ飛ぶ程度で怪我をしていたのだが、最近は坂に対応できないイライラからムキになっているのか、接触した時の受け身が取れなくなってきている、それを危険視したトレーナーさんからこのトレーニングは保留の命令が出た、だから今はこのトレーニングはしていない、なかなか悔しい。

 

そんなこんなで私は普通の日々を過ごしていた、そしてサウジアラビアロイヤルカップが終わってから大体半月が経った、サウジアラビアロイヤルカップの開催時期を覚えている人はもう気づいているであろう、この時期の行事、ハロウィンが近づいてきたのだ。というわけでここはいっちょトレーナーさんを驚かせてやろう、そう思った私は朝早くに起きてトレーナー室に忍び寄って、どこかに吹き飛んでいくんじゃないかと言うくらいにドアを思いっきり開けた

 

「やっほ~トレーナーさん!今日はハロウィンだよ!トレーニング休もう!!」

 

部屋に入るなり私の今の欲望を包み隠さず一言ですべていい切った、トレーナーさんは突撃してきた衝撃と発言の内容で驚き、全身をビクゥッと跳ねさせていた

 

「いきなりトレーナー室入ってきて何を言っているんだお前は!!いや別にいいけど!!」

 

「マジで!?よっしゃ!!」

 

なんだかよくわからないうちに私のずる休みが認められていた、ハロウィンのような行事の日くらいは遊んで暮らしたいと思っていたのだが、休みなど認められないものだと思っていたので意外にも休暇をもらえたことに心の底から喜んだ、だがしかしトレーナーさんは少しだけ不満なようで

 

「といってもなぁお前、ハロウィンだからって何するんだ?俺はイマドキの子の遊び分からんぞ?」

 

トレーナーさんまでハロウィンを楽しむモードになっているのは置いといて、トレーナーさんはハロウィン等の行事の内容を知らないと言った、私はてっきり若いころにたくさん遊びほうけたものだと思っていたから意外だった。

 

「そんなの決まってるじゃん、お菓子用意して、ねだりにきた子供たちや友人に配る」

 

行事の内容が分からないと楽しめるものも楽しめないだろうと言う事で、トレーナーさんに申し訳程度にハロウィンの大まかな流れを説明した、するとトレーナーさんはおでこにしわを寄せて

 

「え、なに?ハロウィンってお菓子奢らないといけない行事なの?俺シャインのお祝い会の予算集めでなかなか苦しいんだけど」

 

「う~ん、まぁ私の未勝利戦の時の賞金から少しだけ出せばいいんじゃない?別にそれくらいだったら私の生活にも響かないでしょ」

 

ウマ娘のレース賞金というのは、一応個人の学園口座に振り込まれていて、卒業する時にまとめて渡されるようになっている、これは今までレース一本だったウマ娘が社会に出てからも就職までの生活を出来るようにという事で設けられているシステムだが、少しだけなら卒業前に使う事が出来るので、私は未勝利戦の時に多少出た賞金から少しだけ捻出することにした。少ない金額に見えるが、普通の人から見れば普通に大金なので知り合いの分はおろか、近所の子供たちの分までお菓子が買えるだろう。

 

「本当にいいのか?行事ってだけで奢らせられるんだぞ?」

 

「だからいいって、こういう行事なんだし、楽しまないと。あ、そうだトレーナーさん、これ被ってみてよ」

 

私はあらかじめカバンに入れておいたサイレンススズカさんのなりきりマスクをトレーナーさんにかぶせてみた、するとマスクは凄くピッタリで、体がごついせいで違和感しかないが、これはこれで似合う仕上がりになっていた、体がごつごつのスズカさんが表情一つ変えずにこちらを見ているので思わず吹き出してしまう

 

「おい今笑っただろ」

 

「わ…笑ってない…くくく…」

 

私が笑いを堪えきれずに肩を震わせながら言うと、トレーナーさんは呆れた様子でため息を吐いた後、私に近寄ってきて、頭をガシガシ撫でてきた

 

「ハロウィンはこうやって楽しむってのか?…わかったよ、じゃあ今日は思いっきりふざけて楽しむか!」

 

「うぃ~っす!じゃあさっそく行こうよ!…ってあれ?トレーナーさん普段からふざけてないと思ってる?」

 

「え?」

 

私たちは早速外出の準備をして、ハロウィン用のお菓子を買いに行くことにした、ちなみにこの日の私の服装は、以前からハロウィンのために用意していた仮装で、黒を基調とした魔女の仮装だ。

そして外に出る準備をしていると、トレーナーさんがふと思い出したかのようにこんなことを言ってきた

 

「そういえばシャインのお祝い会だけどさ、どうせやるんだったら他の子たち、勢いに乗ってレジェンドも呼ぼうぜ、多ければ多いほど楽しいだろ?」

 

「レジェンドを呼ぶのはなかなか勇気がいるけど…確かにそれもそうかもね、じゃあまずはスカイさんに連絡してみるか」

 

「ああ、それなら俺はスペシャルウィークやサイレンススズカのトレーナーさんにも連絡取ってみるか、話したことないから緊張するな、これ」

 

こうして私たち二人は、それぞれのレジェンドウマ娘達にメッセージを送り、みんなでお祝い会をすることになった、だがここで問題がひとつ起きた、それは仮装をするかどうかである、別にお祝い会自体はハロウィンの後に行うのでしないという選択肢もあるのだが、せっかくの機会だし何かやりたいと思った、でもトレーナーさんはそもそもそういうものに興味があるかすら怪しい。そんな感じで悩んでいると、トレーナーさんが急にこんな事を言い始めた

 

「なぁシャイン、お菓子買った後なんだが、お前なんかしたいこと無いか?」

 

「え?なに突然?」

 

唐突に質問をされて驚いたが、特に何もないので素直に答えた

 

「いや、俺はこういうイベントにはあまり参加したことがないからさ、どんなものがいいのかわからないんだ」

 

なんとなく予想していたことだったが、まさか本当にここまで分からないとは思わなかった、そこで私はトレーナーさんにこう提案した

 

「う~ん、じゃあとりあえず二人で街を歩いてみようか、それで気になったものがあったらやってみれば?」

 

「ん~…おう、分かった、んじゃ行くか」

 

こうして私たちの初めてのハロウィンは始まった、街中ではたくさんの人が楽しげに行き交っていて、とても賑やかだった、ハロウィンの日はいつもより人通りが多いらしい、とりあえずトレーナーさんとハロウィン用のお菓子を買いそろえた私たちは街中を歩いていた

すると私は目の前の光景を見て驚いていた

 

「ねぇトレーナーさん、あれなに?」

 

私は街中を歩いていて目に留まったものがあったのでトレーナーさんを呼び止め、その気になる物を指さす

 

「ほら、あの屋台みたいなの」

 

「あぁ、あれはたこ焼き屋じゃないか?行事に疎い俺でも分かるくらいハロウィンに出すものではないと思うが、10月だしな、多分あったまるぞ」

 

「へぇ、たこ焼き、美味しいのかな」

 

「さぁな、ま、試しに行ってみるか」

 

私たちはそのたこ焼き屋に近づいていき、メニュー表を見た、そこには普通のソース、ちょっと変り種のハダカ、からしたこ焼きなど、いろんな種類のたこ焼きが載っていたが、その中でひときわ目立つ写真があった

 

「おぉ~!!見てよトレーナーさん、これすっごく大きい!!」

 

「おお、本当だな、でかいな、でかい、でか………でかすぎないか?」

 

私の目に映っていたのは『特大ジャンボたこ焼き』と書かれた看板だった、おそらく普通の大きさのものよりも一回り以上大きく、しかも中にタコの脚が丸々入っているという、まさに規格外のサイズだった。

 

「うぅ~ん、すごい迫力、食べ切れるのかな……」

 

「レース中のシャインにも負けず劣らない迫力だな、まぁ食べきれなかったら俺が半分貰ってやるよ」

 

「ほんと!?トレーナーさんサンクス!」

 

私たちは注文をして、出来上がるまで待つことにした、その間も私はずっとそわそわしっぱなしだったので、店員さんから少し心配された。

 

「はい、お待たせしました!こちらジャンボたこ焼きです!熱いので火傷しないように気を付けてくださいね!」

 

大きなトレーの上に乗っているのは本当に写真のものと同じ大きさで、大きくきれいに焼かれているジャンボたこ焼きが3つ、一応先に断らせてもらうと私はたこ焼きを割って食べる派なのでジャンボたこ焼きも割ってみたのだが、中には大量の具材が入っているのが見えた、そしてその横には普通のサイズのものが2つ、こちらは普通に売ってあるような形をしたものだった

 

「おいシャイン、はしゃぎすぎて落とすなよ、一応それ高いんだからな、マジで」

 

「わかってるよ、落として汚したら大変だもん」

 

私はゆっくりと慎重にトレーを持って席を探していると、ちょうどいい場所を見つけたのでそこに座った

 

「よし、じゃあ食べるか」

 

「うん、いただきます」

 

まずは私が頼んでいた特大のほうを食べてみた、口に入れた瞬間に中に入っている具と生地が絡み合い、とても濃厚な味がした、というかタコの脚がデカすぎて食べごたえがあるどころの話ではない、私はたこ焼きの出汁を楽しむつもりでいたのだが、海鮮のうまみが口いっぱいに広がっていく、しかしそれと同時に灼熱のような液体が私の口の中にあふれ出てくる

 

「おいひぃ……おいふぃよ……おいふぃけどあふ…あふいあふいあふいよ!」

 

「わかったわかった、落ち着いて食えよ、ほれ水」

 

私は助け舟と言わんばかりのタイミングで出てきたトレーナーさんが買った水を貰い、口の中を消火した

 

「んぐっ…ぷはぁ……はぁ…はぁ、死ぬかと思った」

 

「そりゃ良かった、で、どうだった?デカいたこ焼きは」

 

「うん、すごく美味しかった、けど滅茶苦茶熱かったわ…今度は普通に小さいのを買って一緒に食べようね」

 

「ああ、そうしよう」

 

そうして私達は食事を済ませ、次にどこに行くか考えていた

 

「ねぇトレーナーさん、次はどこに行こうか」

 

「そうだな、せっかくだし色んなところ回ってみるか」

 

こうして私たちは様々なところを回った、そして歩いているうちに、一つの店が目に入った そこは小さめの雑貨店だった、だが店内にはたくさんのぬいぐるみが置いてあり、見ているだけで心が癒される空間になっていた 私は吸い込まれるように店の奥に入っていった、するとそこには小さなカゴの中にたくさんの猫のぬいぐるみたちがいて、みんな可愛く寝ていた。

私はそのうちの一匹を手にとって撫でてみると、その子はとても気持ち良さそうな顔をしていた

 

「お前、こういうの好きなのか?」

 

トレーナーさんは猫のぬいぐるみを愛でている私の横で同じように猫を愛でながらそう聞く

 

「うん、可愛いよね、この子達」

 

「ああ、まぁ確かに可愛いな」

 

「この子たち、買っちゃおうかな」

 

「え?マジか、そんなに気に入ったのか?」

 

「うん、だってこんなにたくさんいるんだよ?全部欲しくなっちゃうよ」

 

「まぁ欲しいなら別にいいけど、でもあんまり無駄遣いするなよ、いつの間にかレース賞金無くなってても知らないぞ」

 

「うっ……それは嫌かも、じゃあとりあえず1匹だけにするね」

 

こうして私はその店で猫のぬいぐるみを1匹だけ購入し、店を後にした その後も私たち二人は色々な場所を見て回り、とても楽しい時間を過ごした、気が付けば日も暮れていて、空はオレンジ色に染まっていた。

 

私たちは講演で休憩していて、そろそろ帰ろうと思い二人でベンチを立った直後、そこでトレーナーさんは突然立ち止まり、何かを思い出したかのように言った

 

「あっ、そういえばまだ渡してなかったな」

 

「ん?何を?」

 

「ほら、今日はハロウィンだろ?だからこれ、本来はお菓子なんだろうけど、プレゼントだ」

 

そう言うと彼は手に持っていた紙袋の中から、さらにラッピングされた箱を取り出した

 

「開けてみてくれ」

 

私は言われた通りに包装を取り除き中身を確認した、その中には先ほど購入した猫のぬいぐるみが入っていた そしてその横にはもうひとつ別のものが入っていた それは黒地に白いドット柄が入ったリボンだった なんだろうと思い、それを持ち上げると、タグのようなものがついており、そこにはこう書かれていた 【シャインの夢が叶いますように】

私は驚いてトレーナーさんの方を向いた、するとトレーナーさんは恥ずかしそうに

 

「最近、シャインがメキメキ強くなってるからな、もっと俺も力になりたいと思って、そういう意味のメッセージだ」

 

「最高…最高だよトレーナーさん!!」

 

私は思わずトレーナーさんの後ろに回り持ち前の脚力で一気にトレーナーさんの肩に乗った、トレーナーさんの体は私をいきなり乗っけても頼もしく、私を支えてくれていた、安心感を与えてくれた、私の夢が、願いが、想いが、どんどん大きくなっていくのが分かった。

 

「ありがとう!本当にありがとう!最高のハロウィンになったよ!」

 

「そう言ってもらえると買ったかいがあったってもんだ!ほら、そろそろ帰るぞ!門限に間に合わなくなる!」

 

「うん!そうだね!早く帰ってご飯食べよう!」

 

「ははは、ほんとに食いしん坊だな!」

 

私はトレーナーさんの肩から下りて、トレセンへ帰ろうと歩き出した、しかし歩き出して数秒、私もあることを忘れていることを思い出した、私はトレーナーさんの方に向き直り

 

「トレーナーさん、トリックオアトリート!!お菓子をくれなきゃ、超前傾走りでぶっとばしちゃうぞ☆」

 

「一種の殺害予告かな…」

 

私たちはトレセンに到着するまでお互いに笑いが絶えない話をしながら歩き続けた

こんな楽しい日々がずっと続くといいけど、私たち競争ウマ娘はそうはいかない、いつかきっと必ず戦わなくちゃならない相手が出てくる、だからその時が来るまでにこういう幸せは噛みしめておかないといけないよね…!

 

私の上京してからの初めてのハロウィンは、とても最高な形で幕を降ろした

 

 

 



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第十八話 そこはかとなく不安読み

 

トレーナーさんとトレセン学園まで戻ってきた私は、買ってきたお菓子を学園中に配っていた、もちろん私の未勝利戦の賞金の端くれと言っても、それなりの大金であることには間違いがないので十二分に配ることができた。トレーナーさんも配る作業を手伝ってくれて、かなりスムーズに終わった、もちろんその道中で私達もほかの人にお菓子をねだったりしたが、トレーナーさんの人相が悪すぎてガチ逃げされてしまう事が多々あって苦戦した、確かに人間性を知らずに見たら顔が怖いのは否定しない。

門限が近くなってくる頃にはお菓子をほぼほぼ配り終わっていて、トレーナーさんも時間が迫ってきたためトレーナー寮に帰った、帰り際にまたトレーナーさんは私の事をいじったのでぶっ飛ばした、トレーナーさんが帰った後、手に持っていた袋を見るとまだ数個お菓子が残っていた、魔女の仮装も割と暑くなってきたのでひとまず脱いだ。

 

「ん…?あれ、スタ公じゃねぇか、お前も暇なのか」

 

「暇って訳じゃあないんだけど…」

 

一旦寮に戻り、私が残ったお菓子をどうしようかと廊下をさまよっていると、クライトが前から歩いてきた、どうやらハロウィンの騒がしい雰囲気が好きじゃないようで、ずっと寮にいて一人ぶらぶらしていたようだ、私はクライトにお菓子が欲しいか聞いてみたが、この前のゲームセンターで獲得したチョコがまだ残っているようで、拒否とかそういう次元ではなく拒絶されてしまいびっくりした、()()クライトの拒絶っぷりから相当精神に来ているものだと思われる、ここで私はゲームセンターで大当たりしてもいい結果だとは限らないんだなぁと学んだ。

私はクライトと一緒に寮の広間についている椅子に座り、時間的にもほぼほぼ仮眠みたいになってしまっている談話をしていた、主に消費しきれないチョコの話だったり、次のレースの話だったりをしていた。私が知って驚いたのは、クライトが出るレースだ、なんとクライトの次走予定は

 

「あ?俺の次走予定?京王杯ジュニアステークスだ、そういやそろそろだな」

 

京王杯ジュニアステークス、東京競バ場にて行われる()()()のレース、それも私が走ったサウジアラビアロイヤルカップのようなG3のレースとは違い、その一個上のG2レースだ、確かクライトの適正距離はマイル、長くて中距離だったはずだ、それなのに短距離のレースに出る理由を聞いてみると、どうやら速水さんの読みでクライトの適正距離の再診断を公式レースで行うらしい

 

ふつう適正距離の診断はトレーナーとウマ娘のマンツーマンで見つけていくものだが、どうやら速水さんは実戦で適正距離の本性が見えると考えているみたいで、そのとりあえずの診断として京王杯ジュニアステークスに出るらしい、あまりにも無茶に見えるかもしれないが、実戦で本性が現れると言う意見には、私もサンやプランの走り方で経験しているので、確かにいい診断方法かもしれないと私は思った。

 

「めんどくせぇよ…しかもG2でやるとか意味分かんねぇし…しかも自分の適正距離じゃなかったら当然負けて無駄に悔しい思いするだけだろ?」

 

「そ…それも確かに」

 

クライトは「はぁ…」とため息をついた後に、机に突っ伏して数秒もしないうちにグーグー寝息を立てて寝てしまった、京王杯の出走が近づいてきているこの時期、深夜まで起きていると豪語していたクライトが門限が来てすぐの時間に眠いとは、同じ出走相手の情報を調べていたのだろう、ただでさえ走り慣れていない短距離を適正距離の診断と言うだけで観客の前を走ることになっているのに、レースのグレードはG2と来た、その事実が与えるプレッシャーはとてつもないものだろう、速水さんも私のトレーナーさんに負けず劣らず厳しい人なんだなと実感する

 

「うわー!すごい!」

 

「えっ!?」

 

突然後ろから声をかけられたので振り返るとそこには、オレンジ色の髪が特徴の少女がいた、少女は名前も知らない、髪色で言えばマヤノトップガンというこれまたすごく強いウマ娘にも似ているが、マヤノトップガンさんとはまた違う初めて話すウマ娘だった、彼女はまるでサンのようにずっとニコニコしていて、なぜか私の持っているお菓子の入った袋を見ていた、おそらく私のお菓子に興味があるのだろうか、そう思い言葉をかけようとしたが、その前にオレンジ髪の少女が口を開いた。

 

「ねぇねぇお姉ちゃん、それってお菓子かな?もらってもいい?」

 

「あっうん、もちろんだよ」

 

やはりお菓子が欲しかったみたいだ、私は袋ごと渡そうとしたが、オレンジ髪の少女はそれを手で制止した

 

「袋ごとあげようとしてくれるなんてありがとう!でも私は少しでいいよ!あとこれはお礼だからね……はいこれ、ハッピーハロウィン!」

 

袋の中に入っていたお菓子を取り出した少女は、私の目の前にそれを差し出した、そしてそのまま笑顔で「トリックオアトリート」と言いながら手を差し出してきた、お菓子を渡すことを承諾したのにいたずらされるのかお菓子をあげるかの二択を迫られているのは少し頭が混乱するが、ここであえて意地悪をしてお菓子をあげないとこの少女に嫌われてしまうのではないかと思い、少し悩んだ末に私はお菓子を渡した、するとその少女は私の頬にキスをして「ありがとう」と言ってくれた、その後少女はすぐにオレンジ色の髪をなびかせてどこかに行ってしまったが、去り際に私の耳元で「また走る時にね」と言われた気がしたが、気のせいだろうか。

 

「おい」

 

「ひゃいッ!?」

 

突然背後から肩を叩かれ、変な声で返事をしてしまった、恐る恐る振り向くと、そこにはクライトが立っていた、クライトは先ほど起きたばかりでまだ目が半開きの状態でこちらを見つめていた、どうやら今のやりとりの一部始終を見られてしまっていたようで、私は顔が熱くなるのを感じた、そんな私を見たクライトは一言だけ呟いた

 

「お前、意外にモテんだな」

 

「……うるさいよ」

 

「じゃあ俺は部屋に戻るぜ、お前もさっさと帰れよ」

 

クライトはそれだけ言うと、あくびをしながら自室に戻っていった。私はクライトの姿が見えなくなるまで見届けた後、私も寮の部屋に戻った、別に私はモテるとかモテないとか気にしてないのだけれど…言葉にされると何かムカつく。

 

 

翌日、今日は本来トレーニングは休みだが、レースが近いということで、俺は京王杯ジュニアステークスに向けて最終調整を行っていた。

 

「……よし、とりあえずこんなもんか」

 

「帰りたいよぉ~…クライト~…俺今日は楽しみにしてた高級なモモ食べようと思ってたんだけど…」

 

「俺のトレーナーだろうが、トレーニングには付き合え、あとモモは俺にも分けろ」

 

「えぇ…」

 

本来は休日だったトレ公をグラウンドに呼び出して半ば無理やりトレーニングに付き合わせる、なんだかんだ言ってこのトレ公は突然の無理難題にも期待以上の成果で答えてくれるので、俺もその部分に甘えてしまっているのだろう、だからこそ俺も多少の無茶をさせてしまうのかもしれない、ただ今日のメニューはトレ公がやりたがっていたかなりキツめなものをこなしているので文句は言わせない、むしろ褒めてほしいくらいだ

 

「ふぅ……終わった……あぁ疲れた、早く帰って寝たい」

 

一通りのトレーニングが終わると、俺は地面に向かってぶっ倒れた、そりゃそうだ、本来一日かけてやるようなトレーニングを午前中に全部詰め込んでやったのだから、でもそれくらいしなければ、G2には勝てないのではないか、そのような怖さが私をトレーニングに駆り立てるのだ

 

「お疲れクライト、明日は普通にトレーニングあるから大変だぞ、レースまでにある程度仕上げとかねぇといけねぇし、それに今回のレースでお前の距離適性が短距離にもあるか調べるしな」

 

「…適正距離を調べるだけじゃ足りねぇ、必ず勝ってやるさ…」

 

「そう頑張る分にはいいが、頑張りすぎて体を壊すなよ、とりあえず今日は休日なんだし、ちょっと時間使っちまったが残りの一日の時間、有意義に使えよ、じゃ、解散するか」

 

そう言い残して俺はトレーナーと別れた、トレーナーと別れてすぐに俺はスタ公のトレーナーである橋田と会ったので軽く挨拶を済ませた後に、俺はトレーナー室に足を運んだ

 

「……ん?」

 

トレーナー室の扉を開けると、そこにはスタ公がいた、トレーナー室を間違えたかと一瞬驚いたが、何回も入ってきているトレーナー室を間違えるなどそうそうない、ましてスタ公のトレーナー室は全く遠いところにある、だが俺はスタ公の服装を見て納得した、こいつは今から外出するらしく、制服の上に厚手のコートを着て、首にはマフラーを巻いていた、どうやら俺に何か用事があって訪問してきたみたいだ

 

「おっ、クライト!ちょうどよかった、ちょっと頼みがあってね、少し待っててくれない?すぐ終わるから!」

 

「お、おう?」

 

そう言うと、シャインは足早にトレーナー室を出て行った。

 

「何だったんだスタ公の野郎…」

 

俺は疑問を抱きつつも、特に気にすることなくソファに座って待つことにした、数分後、再びドアノブが動く音がしたので振り返ると、そこには白い息を吐きながらこちらに向かってくるシャインがいた、彼女の表情はなぜか嬉々としており、鼻息を荒くしていた

 

「お待たせ!それじゃ行こっか!!」

 

「は!?」

 

「いいからいいから!」

 

そう言われて俺は手を引かれるがまま連れていかれた、そして着いた先は、なんと東京競バ場であった、途中の道筋からまさかとは思ったが本当に来ることになるなんて思ってもいなかった、しかしスタ公は足を止めることなく誰もいない、がらんとした東京競バ場をどんどん前に進んでいく、最終的に俺は観客席のところまで連れてこられていた

 

「それで、一体ここに来て何をするつもりだ?それにどうして俺を連れてきたんだ?」

 

「あれ、今クライトが一番したい事だと思うけどな?」

 

「あ…?何言ってんだおめぇ…」

 

そういってスタ公はコースの方を指さす、その動作で私がやりたいこと、そしてスタ公がやらせておきたいことが分かった

 

「私も調べてみたよ、京王杯ジュニアステークス、どうにも器用さが求められるコースみたいだから、コースの形状をよく理解しておくのもいいんじゃないかなって思ってさ、実際に見た方が分かりやすいでしょ」

 

確かに京王杯ジュニアステークスはスタート直後に上り坂があり、その後は下り坂や平坦な道が続いてスローペースで流れるレース、それでおきながら最終直線では上がりのタイムが速くなると言う傾向がある、器用さが求められるコースだ、瞬発力はもちろんの事、その器用さをうまく使うタイミングを見極めるセンスも必要だ、それを見越してスタ公はこの練習を提案したのだろう

 

「まぁ……確かにそうだな」

 

「私はどうせ暇だしここで見とくよ~」

 

そう言い残すとスタ公はそそくさと観客席に座った、俺もスタ公に習うように観客席に座り、コースの形状をよく見る、スタ公の言った通り、現物を見ることによってより走る時のイメージがつかみやすくなっているのが自分自身で分かった、それにウマ娘の本能だろうか、芝、それもレースの無い静かなターフがこんなに近くにあることにより、とてもリラックスできる

 

「……よし」

 

そう呟いて俺は立ち上がり、スタ公の隣に座りなおした、スタ公は「なんじゃらほい」とでも言いたげな顔でこちらを見ていた

 

「おい、スタ公、一つ気になったことがあるんだが」

 

「ん、何?」

 

「お前は、俺が京王杯ジュニアステークスで勝てると思っているのか?」

 

俺は今単純に気になっていたことを聞いてみる、俺にコースの研究など進めてもスタ公には何も利益が無いのにそんなことをする理由、ただのおせっかいなのだろうか、それとも哀れみなのだろうか、そのような事を諸々ひっくるめて聞くためにこのような質問をした

俺の質問に対して、スタ公はいつもの笑顔で答えた

 

「うん、絶対勝てると思ってる」

 

「そうか」

 

「だって、クライトは私の最高のライバルだもん」

 

「……何言ってんだか」

 

「あ、照れてる~」

 

「うるせぇ」

 

「まぁまぁ、とりあえず今は京王杯ジュニアの対策を頑張ろ」

 

スタ公は笑みを浮かべながら俺に話しかけてくる、この様子だと本当に俺に勝ってもらうつもりでいるようだ、だが正直に言えば不安しかない、今までのレースの中で、走った事が無い距離の京王杯ジュニアステークス、スタ公はその不安を察しているようで、俺のメンタルケアのためにわざわざこんなことをしたのだ、けっ、少し前まで悔しさで策に腹ァぶつけてたやつが偉そうなことしやがって。

 

それでも俺はスタ公を信じる事にした、俺はスタ公と会話を交わした後、トレーニングメニューの見直しを行った、まずはスタミナの増強を図る為に長距離走を行う、短距離ではスピードは出るが、その分スタミナも消耗しやすいため、実質的なスタミナ消費量は変わらないと俺は考えている、そのため長距離走を定期的に行う事で、適正距離が合わなかった時のための持久力を鍛える事、そして瞬発力のトレーニングも行おうと思い、トレ公に連絡する、するとすぐに返信が来た、内容は

 

『おう、お前にしてはいい考えじゃないか』とのことだった

 

『ぶっとばす』と一言だけメッセージを送り、俺は早速トレーニングメニューをトレ公に見せるためにスタ公とトレセンに帰る、その道中、スタ公はずっとにやにやしながら俺の方を見てきた そして俺はトレーナー室に入るなり、トレ公に先ほどのトレーニングメニューを見せた それを見たトレ公は、一瞬驚いた表情を見せつつも、すぐさま冷静になり、こちらに向かってこう言ってきた

 

「これなら大丈夫そうだな、あとは細かい調整をするだけだ」

 

 

「ああ、任せたぞ」

 

そう言いのこし、俺は寮に戻って残りの休日を少し仮眠で費やそうと思ったが、ふと、あることを思い出し、トレ公に声をかける、するとトレ公は「どうした?」と聞いてきた

 

「いや、ちょっと思い出したことがあってよ、確かハロウィンはスタ公もトレーナーと一緒にどこか出かけてたっていう話だっただろ?」

 

「あー……そうだったな、釣りだったか?いやハロウィンじゃねぇか」

 

「それでよ、俺たちも一緒に出掛けてみねぇか?そうすれば街中でトレーニングのヒントが見つかるかもしれねぇぞ」

 

「オメー口開けばトレーニングの事だな…あんまり根詰めすぎるなよ」

 

「わぁってるよ」

 

「まぁいい、俺も最近外出てなかったから丁度良かった、どこにいくかはまた今度決めよう、とりあえず今日は休め」

 

「あぁ、わかった」

 

そうして俺らは解散となった、そして翌日、俺はスタ公と共にトレーニングを行っていた

スタ公のあの特殊な走り方は前より磨きがかかっていて、かなりの速度が出ていた、あれに追いつけばG2など余裕ではないかと考え追いつこうとするが、いくら走っても追いつけない、本当にスタ公だけの武器と言ったところだ

 

「(サンには最後の最後で加速できる武器…スタ公にはあの特殊な走り方の武器…俺にも、何かそういう武器はないのか…?それさえあればきっとG2でも難なく勝てるようになるかもしれないのに…)」

 

京王杯ジュニアステークスまで、あと四日ほど

 



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第十九話 稲妻はどこに落ちる

 

クライトと東京競バ場に行ったりしてしばらく経ち、クライトは相変わらず誰ともかかわろうとせず、ただひたすらに速水さんとトレーニングをしている。私の方も私の方で京都ジュニアステークスに向けての練習を吐きそうになりながら遂行していた、時間とは速いもので、今日がクライトの京王杯ジュニアステークスだ

 

京王杯ジュニアステークス当日に私は何をしていたのかと言うと、やはり食堂にてレースが始まる前のみんなの様子を見ていた、私がサウジアラビアロイヤルカップを走る時と同じように、みんなざわついていた、G2のためか私の時より音量が上がっている気がするし、壁の反響も相まってとても騒がしい、そんな中私はそのバ群やトレーナー群をかき分けてクライトの姿を探す。

 

「おーい! いたいた!」

 

「おうスタ公、この前は悪かったな、おかげで冷静になれた」

 

「もちろんよ! だって私達友達じゃない?」

 

「友達か…そうだな、ありがとう」

 

私はクライトからかけられた感謝の言葉に少しだけ驚いてしまう、あのクライトが素直に感謝を伝える何て明日は槍が降るかもしれない

 

「そういえばクライト、もうすぐ出走なんでしょ?あっち行かなくて大丈夫なの?」

 

「今トレ公呼んだところだ」

 

「あそう、じゃあ私も乗せてってもらおうかな、応援しに」

 

「来んな、寄るな、立つな、うぉい!」 

 

私はクライトからの拒絶を無視してクライトの隣に立つ、実際今日はトレーニングがピンポイントでお休みだし、ここしばらくは私が応援される側だったからたまには私が応援しに行くのもいいだろう。

 

「おっす待たせたなクライト、今日はあの頃のように…あれ?なんでシャインちゃんがいるんだ?」

 

「あ、特に気にしないでください」

 

「とか何とか言って俺の横に居座るなスタ公…」

 

「まぁいいじゃないかクライト、友達が出来てるんだから。あと『俺』って言うのもいつか治していこうぜ、流石に世間体とかもあるから」

 

「俺は俺だ、俺が俺をどう呼ぼうが自由だろうが」

 

その後クライトと速水さんがなにやら騒いでいたが、結局私が仲裁に入って落ち着かせた。その後速水さんの車に乗って私たちは東京競バ場に向かった、ちなみに私が応援するために車に乗りたいことを伝えたら「オッケー☆」とノンタイムで答えてくれた。やっぱりいい人だと思う。

そして私たちを乗せた車はあっという間に競馬場に到着した、到着してすぐにクライトと別れ、私は速水さんと一緒にクライトの関係者席へと連れていかれる。そこは普通の観客席より高いところにあり、コース全てを見渡せるような位置にあった

 

「ん~~~っ!良い風が吹いてるわ~っ!!」

 

「シャインちゃん、くれぐれも関係者席から落下して怪我したとかやめてくれよ、橋田に合わせる顔がなくなる」

 

「分かってますって~」

 

 

ざわざわと騒がしい入り口を抜け、トレ公やスタ公と別れた後、控室で深呼吸をする

京王杯ジュニアステークスは11レース、そして今は9レース目だ、じわじわと俺の番が迫ってくる感覚に吐き気さえ覚え始めていた。しかしここで弱音を吐いていてはせっかくコースの研究をナマの景色で行わせ、私を冷静にしてくれたスタ公に申し訳が立たない。その後はスポスポとレースが終了し、とうとう私の番が来た

 

舞台裏に案内され、初めて不安に駆られたままパドックの場に立つ、俺は普段パドックをやる気満々で行う為、不安に気持ちがつつまれたパドックは違う景色が見えた、いつもより歓声がよく聞こえ、ここで負けてしまった時の結末だけが俺の頭の中でぐるぐるとまわっている。

 

『もう君には何も期待できなくなってしまった、すまない』

 

恐らく今客観的に自分の姿を見ると、いつもより少しばかり覇気がないように見えるのだろう、観客も少しだけ不思議がっているように見える。私に対する期待がすべて壊れている顔、この顔はいつ振りだろうか、トレーナーに()()()()()を言われたあの日からだろうか

 

「なんだかクライト怖がってるように見える…前にお出かけに誘った時もこんな感じだった」

 

「あいつ、普段あんな態度だけど意外と怖がりなんだよ、いや、あんな態度だからこそ怖がりなのか…」

 

「そろそろ始まりますよ」

 

「ん、そうだな、レース場の方に移動するか」

 

俺はゲートに入る直前に客席を見る、下の方にはいなかったので関係者席の方を見ると、そこには当然のようにスタ公の姿があった、正直来てほしくはなかったが、来ないとそれはそれで怖い。スタ公は俺が見つめている事に気づくと、私に向かって大きく手を振ってきた。その行動を見て俺の緊張が一気にほぐれた気がする、俺は軽くゲンコツする動作を見せつけ、ゲートに入った。

ゲートに入ると、俺の視界は一瞬にして真っ暗になった、それと同時に体が浮いたような錯覚に陥る。初めて感じる感覚だった

 

関係者席にて私はクライトの出走を待っていた、レースが始まる直前になってクライトの様子がおかしいことに私は気づいた、まるで何かを怯えるような表情、震えていた体はゲートに入ってさらに激しくなっていた。そんなクライトの様子を見た私は思わず手を振って落ち着くように指示を出したつもりだが、届いただろうか。

 

「我ながら今回は無茶な事をやらせていると思っている」

 

突然速水さんがそう切り出して語り始めた

 

「距離適性を見極めるだけなのに公式レースに出させるなんてどうかしている、それ自体は俺も理解しているんだが…時間がなかったんだ」

 

「時間?」

 

「さっき普段あんな態度だけど怖がりだと言っただろ?実はその逆でな、クライトはあんな態度だから怖がりなんだ」

 

速水さんの言葉の意味が分からなかった、クライトのあの粗っぽい性格だからこそ怖がり、とはどういう事だろうか、あの性格で怖がりと言うイメージが私に掴めなかったのでよくわからずに聞き返してしまった

 

『スタートしました!』

 

実況の日との声がこだましてふとコースの方を見るともうレースが始まってしまっていた、短距離のレースなら1分ちょっとで決着がついてしまう、その瞬間を見逃すまいとレースにくぎ付けになるが、速水さんはレースが始まっているのにもかかわらず語り続ける

 

「ちょうどいい機会だしクライトの過去について話そうか」

 

「でも速水さん、レースが…」

 

「見ながら話そう」

 

速水さんの言う通り私はレースを見ながら速水さんの話を聞いた。

 

速水さんの話はこうだった。

 

元々クライトは地方のトレセンに所属していたウマ娘で、中等部の頃からレースに出走して2年経つも、なかなか結果が出ずにいたらしい、その時にクライトの担当をしていたトレーナーはクライトの才能を信じてトレーニングを続けたが、一向に結果が出る気配はなく、クライトのモチベーションは徐々に下がっていった。

それでもクライトのトレーナーさんはひたすらにクライトを応援し、何回もレースに出させてくれていた、落ち込んだ時はクライトを励まし、トレーニングメニューもひたすらに考えていたらしい。

しかしある日、トレーニング中にクライトが転倒し、骨折してしまう。幸いにも命にかかわるような怪我ではなかったが、その時のクライトのトレーナーさんはその骨折によってクライトを見限り、何も言わずに去ってしまったらしい、ただトレーナー室に一つの置手紙を残して。その出来事によってクライトの心は完全に折れてしまい、そのまま学園を去ったらしい。本人曰く口調が荒くなったのもその頃かららしい

 

それからしばらく経った後、トレセン学園の関係者がクライトを見抜いたと言いスカウトをした。

しかし、クライトは今までの事を思い出してしまったのか、担当トレーナーを拒絶してしまった。だがそのトレセンの関係者は諦めず、クライトに色々なトレーナーを紹介した、でもそのたびにクライトが拒絶してしまい、紹介されたトレーナーも諦めることの繰り返しだったらしい。

 

そして最終的にトレセンの関係者は自分自身をトレーナーとしてクライトに勧めた、当然クライトは拒絶したが、今回は諦めなかったトレセンの関係者が紹介されていたために、拒絶しても引き下がらなかった、何日も何日も、クライトの元に向かい自分をトレーナーとして契約して、中央に来ないかと迫った、時に警察を呼ばれて注意を受けることもあった、それでもトレセンの関係者はひたすら諦めずに粘った、それほどまでにクライトの才能を信じていたのだ

 

「半年くらい経ったあたりでとうとうクライトが諦めて、そのトレセンの関係者がクライトのトレーナーになったと言うわけだ」

 

「そのトレセンの関係者ってもしかして…」

 

「ああ、俺だ」

 

「あれ?でも速水さんって私のトレーナーさんに感化されて担当を持ったんじゃ…」

 

「ん?ああそういえばそんなこと言ってたな、ありゃ嘘だ」

 

「嘘ぉ!?嘘だったんですかあれ!?」

 

「今でこそ波に乗ってるが、あのころの橋田はまだ担当を持ったばっかで不安な顔してたろ?そんな奴に対して昔からコンビ組んでましたなんて言ったら怖気づいちまうだろ。あ、舐めてるわけじゃないからな」

 

昔話の流れで大体そうではないかと思っていたが、やはりクライトと速水さんは昔から関わっていたらしい、通りでクライトが速水さんと話すときだけ私達と話す時にはない信用があるわけだ。それにしてもびっくりしたのがクライトが中学生のころから出走していたと言う事だ、まさか私が荒れ狂っていた時にクライトが一生懸命走っていたなんて思いもしなかった。

 

そして速水さんはしばらく走っていなかったクライトのレース勘を取り戻す為だったり、クライトの現時点での力を試すためにも早い段階にこのG2と言う舞台を選んだようだ

 

「クライトは」

 

「ん?」

 

「クライトは今どんな気持ちなんでしょうね」

 

「さぁな、俺にもわからない」

 

速水さんの顔を見ると、とても悲しそうな顔をしていて、まるでクライトの事を本当に心配しているようだった、まるで結婚式とかで自分の娘を見送る父親のような顔だ

 

「まあ今はあいつが短距離の適性があるかどうかを見ていこう」

 

「はい!」

 

『第3コーナーを回って直線に入ります』

 

「そろそろだな」

 

「えっ?なにがですか」

 

「もうすぐクライトが来るぞ」

 

速水さんの言葉を聞いて私は再びコースを見る、確かにもうそろそろゴールだからクライトがスパートをかけ始めるころだろう、レース前にあれだけ不安そうな顔をしていたクライトがかけるスパートはいったいどれほどなのかよく見ておこうと私は目を凝らす。

 

「うおおおぁぁぁぁ!!見とけよこのクソったれトレーナーめぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

クライトは加速した、今ではもう昔の事になってしまった模擬レースの時に見たクライトのスパート。それは今まで見たことのないような速度で、まさに稲妻のように駆け抜けていった、だがしかしG2と言う舞台だったのが災いして緊張したのか、体制が少し崩れて減速してしまって、クライトは2着に終わった

 

だがそんな事は関係なく、観客はクライトの走りに歓声を上げ、会場全体からは拍手が沸き起こっていた。もちろん1着の子に向けた拍手や歓声がほとんどだろうが、確かにクライトに対する声も聞こえた。私たちはすぐに関係者席から観客席の方に降りた、観客席の方についてみると、まだクライトはターフに大の字に寝転がっていた。そんなクライトに速水さんが声をかける

 

「すまなかったな、2着なら、よくやったほうだ、クライト」

 

「だから負けるっつったんだ…ふざっけんなよ…トレ公ぉ…!!」

 

その言葉にクライトはとても悔しそうに答えて泣いていた、顔をしわくちゃにして泣いていた、普段のクライトは目つきが悪く暴走族のリーダーのような風貌をしているが、その泣いている顔は確かに純粋無垢な年頃の女の子の顔だった―――

 

その後私と速水さんはクライトのウイニングライブを見に行った、当然一番前の席を確保して。クライトのダンスはキレがあり、振り付けも完璧で、見ててすごいと思った。そして何より驚いたのは、クライトが楽しそうに踊っているところだ、あんなに見た目が怖くて他人を威嚇しまくるクライトしか見ていなかった私にとっては衝撃的だった。そのクライトの姿を見て、クライトのトレーナーとして、速水さんはクライトの事をどう思っているのか聞いてみた。

 

すると速水さんは少し考え込んだ後、笑顔で私の質問に答えてくれた その速水さんの表情はどこか嬉しそうで、それでいて懐かしむように遠くを見つめていた、速水さん曰く、クライトは今まで色々とあったが、そのすべてを乗り越えてきた、だからこそ今のひねくれクライトがいるんだろうと言っていた。その話を聞いていたらなぜだか思わず涙が出てしまった

 

 

「お邪魔しまーす!!」

 

「ん、今日も遊びに来たのか、シャインちゃん」

 

「すいません速水さん、うちのシャインが」

 

「いやいいよ、構わないさ、クライトなら勝手に飛び出してトレーニングしに行ったよ」

 

クライトの京王杯ジュニアステークスが終わった次の日、私はトレーナーさんと一緒に速水さんのトレーナー室に遊びに来ていた、やっぱりこっちのトレーナー室は綺麗だ

 

クライトはあの後、トレセンに帰ってきてすぐにトレーナー室に来て速水さんに抱きつき、わんわん泣いたらしいが、すぐに泣き止んでからトレーニングメニューを自分で作ってしまったらしい

 

そして速水さんは、これからもクライトのライバルとして、クライトの事をよろしく頼むと言ってきた。私はそれに力強くうなずいた。クライトは私にとって大切な友達であり、ライバルでもある、クライトと競い合い、高め合っていける存在になれたらいいなと思う。私はクライトの過去を聞いた次の日、クライトがトレーニングをする姿を眺めていた、相変わらず目つきの悪いクライトだったが、今日はいつもよりも気合が入っているように見える。クライトは短距離の適性があったらしく、今後のレーススケジュールのためにも短距離の練習をしているらしい、私はそんなクライトを横目に、クライトの作った練習メニューをこなしていく。

 

「ん?お前もやるのか?」

 

「うん!だってせっかく一緒にトレーニングするんだもん!」

 

「まあ別に良いけど、俺の真似しても無駄だと思うぞ?」

 

「えっ?どういうこと?」

 

「俺のメニュー、俺用に考えてあるからな、他の奴がやっても意味あるのかわからないぞ」

 

「まぁいいっしょ!!暇だし!!」

 

「暇ならどっかいってくれや…」

 

そんな会話をしながら、私とクライトは黙々と走り込みを続ける。昨日の京王杯ジュニアステークスで負けたから悔しがっているかとも思っていたが、そんな心配もいらないようだった。

私は昨日の出来事を通してクライトの事を見直した、今までクライトはただ怖いけど割と優しいだけのウマ娘だとばかり思ってた、でも違った、クライトは誰よりも速く走るために努力を惜しまない、どんな辛い事にも耐えられる強い心を持っている、そして自分の事だけでなく、他人の事まで考えられる優しさを持っているウマ娘だった。

 

「………」

 

私はそんなクライトに、何か声をかけようとしたのだが、何も思いつかなかった。そんな私を見てなのか

 

「―――俺はもう、負けねぇからな、負けた理由をひたすら追い求めてやる」

 

クライトは、決意に満ちた顔でそう言った

 



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第二十話 トレーナーさん、アレ忘れてたやんけ

 

昼下がり、次に出走する京都ジュニアステークスに向けて私とトレーナーさんは、掃除したのにもかかわらず必ずどこかしら黄ばんでいるトレーナー室で走り方の研究やコース形状の確認をしていた。そんな知識を鍛えるトレーニングをし始めて数時間、流石にマンネリしてきた私たちはソファにぐったりぶっ倒れていた

 

「うへぇ~~」

 

「あ”~…」

 

肘掛けの部分に突っ伏し、お互い数時間にわたる読書に唸っている、それも当然だ、私たち二人は本を読んでも「これいいんじゃね?」等の事実しか言わないため進展もクソもないし、まして二人とも読書をしているうちに眠気が襲ってきてしまい、右から左に本の内容が流れていった。

どうやらトレーナーさんも勉強は苦手なようだ、私も例外なく勉強が苦手なので読書等の勉強をし始めるとすぐに眠くなってしまうのだ、私をスカウトした時は偉そうなこと言ってたのにこのトレーナーはなんと情けない姿をしているのだろうか、いや、今に限っては私もか

 

『イーグルクロウが差し切った!!アルテミスステークスを制したのはイーグルクロウだ!!』

 

突っ伏して視覚をなくしても聴覚はしっかりと働くため、パソコンでひたすらにレースの映像を流している音声が聞こえる、もはや今日何時間も聞きすぎて頭が痛くなってくる実況の声だ

 

「フリースタイルレースも今は開催してないし、私たちが開催しても恋の気配ぷんぷんのこの時期に人が来るわけないしなぁ…」

 

恋の季節、クリスマスも近くなってきて、その後にはお正月、数か月すればバレンタインやホワイトデーも近くなってくる、実りの行事が多い季節、フリースタイルレースをしようにもみんな己のパートナーを見つけたりモノにするのに忙しいのだ、当然私はレース一本なので恋などは興味がない、そして最近はトレーナーさんに恋をするウマ娘も少なくないみたいだが、私は断じて違う

 

「恋といえば、お前初恋とかしたことないのか」

 

「もはやセクハラすることに抵抗なくなってきたね」

 

「…確かに、気を付ける」

 

「いいよ、別に、あと意外かもしれないけど私の初恋は小学生のころに儚く散ったよ」

 

トレーナーさんの質問に答えてあげるとトレーナーさんは興味津々な顔でソファから起き上がってこっちに向きなおした先ほどまで死にかけだったのに急に息を吹き返した顔がたまらなく腹立つ。

 

「急に興味出てきた、その話詳しく聞かせてくれよ」

 

「おだまり、急に起き上がってからに」

 

「なんだよ、聞かせてくれてもいいじゃないか、まぁいいか」

 

トレーナーさんは再びソファに突っ伏して力尽きる、今の私に話す体力も気力もないので、トレーナーさんに私の初恋のことを話すのはまたの機会にしよう。

再びトレーナー室に静寂が訪れる、外の方からはトレーニングをするウマ娘の声が聞こえてくる、いっそ私もこれから体動かすトレーニングしようかなぁ…運動服の替えあったっけ、これからが私の勝負時なので運動服が汚れていてトレーニングできなかったなんてなんだかダサい

…ん?運動服………服………勝負………京都ジュニアステークスの次は…ホープフル…G1…

 

「あ”----------っっっっっ!!!」

 

 

「うおああああああああああ!!なんだ急に!!」

 

私は腹の底から叫んだ、それに釣られてトレーナーさんも飛び上がる、私がなぜ叫んだのか、それはあることを忘れていたからだ

 

「ど…どうしたシャイン!?」

 

「わ…忘れてた!!」

 

「何を!?」

 

「勝負服のデザイン!!」

 

「………あ”---っ!!!」

 

やっぱり二人して忘れていた、私達ウマ娘はホープフルステークス、およびG1を走るにあたって自分だけの勝負服が必要なのだ、G2以下は体操着で使い回されるが、レースの頂点であるG1においては自分だけの服で走れるのだ、私たちはその勝負服のデザインを忘れていたのだ。

ホープフルは12月の後半にある、今は11月の前半だから、デザインの私の勝負服が体操着になってしまうとかマジでシャレにならないので早く決めなければならない。

 

「デザインなら俺に任せろ!こう見えてもデザイナーの端くれだ!」

 

「本当!?」

 

「自称だけど任せとけ!どんな勝負服を着たいんだ!?」

 

「自称じゃん!!」

 

トレーナーさんの自称デザイナーと言う言葉がすごく信用ならなかったが、とりあえず私はトレーナーさんに自分が思い描く理想の勝負服について語ることにしよう

 

まず最初の段階として、私がどんなデザインが良いか探すために、私のお気に入りの勝負服をいくつか思い出すことにしてみる

 

最初に思い付くのはやはりサイレンススズカさんの勝負服だろう、緑を基調とした落ち着きのあるシンプルなデザインでありながらもカッコよく、そして機能性も抜群だ、小さいころの私はあんな風に自分もなりたいと憧れたものだ。それに緑が基調になっているので芝の緑が映えるのだ。だがしかし私にはあまり合わないだろう、先ほどは憧れたと言っていたが、それは小さいころの私の話だ、今の私はなんというかああいうぴっちりしてそうな服はあまり好きではない、だから着るとすればコートのような勝負服だろう

 

次に思い出したのはテイエムオペラオーさんの勝負服、あれもとても良い、白を基調としながらもピンクと金の装飾が施された勝負服は、まるで宝塚の男役のような格好でとても輝いていた、そして極めつけは王冠だ、テイエムオペラオーさんは1年間無敗だった時期があり、その偉業を表すかのような存在感の王冠がとてもきれいだ。しかしこれもあまり参考にはできない、無論キラキラしすぎているからだ、いや別にキラキラしてればいいんだろうけどあそこまでギンギラする必要はないと思う、私は。

 

二人思い出してあまり参考にはならなかったので心配になってきた、次に思い出したのはマヤノトップガンさんの勝負服だ、マヤノトップガンさんは普段パイロットの用語のようなものを使う、『アイ・コピー』や『テイクオフ』が代表的だ、それを意識してか、勝負服もパイロットのようなものになっている、普段の元気溌剌なイメージに縦横無尽に飛び回る飛行機のパイロット服が合っているようにも見えるし、渋い色の為そのイメージに合っていないようにも見える不思議な勝負服だと私は思っている。

 

突然、私の体を貫くような電流が流れた、改めてマヤノトップガンさんの勝負服を見直すと、すごくイカしていると感じた、それは何故か?それは先ほど私が言ったように合っているとも合っていないとも見えるのが原因だと思った。例えば、この勝負服はパイロットの制服を模したものなので、いつもの彼女から感じる可愛らしさが抑えられて、代わりにクールさを感じることが出来る、そのギャップこそかっこよく感じるヒミツではないかと考えたのだ。

 

そのギャップを感じつつ、私の目標というものを表現できるような、『誰にも越えられない記録を作る』と言う事を体現できるようなデザインにしよう。まず最初に肌の露出具合をどうするか、これに関しては私は完全防御で行こうと思っている、ぶっちゃけ肌を出すのは嫌だし、これはちょっとふざけた理由かもしれないが何より冬の時に寒いかもしれないからだ。次に基本とする色を決めよう、私の名前の『スターインシャイン』ここから何かの色を取って行こう、星…星…夜空…その二つから思い浮かぶのは黄色と瑠璃色と言ったところだろう…そこからどうしよう、何も思いつかない

 

結論が出ないのででトレーナーさんに意見を求めることにする

 

「トレーナー、何か案はある?何も思いつかなくて」

 

「いや、俺もだ、今の今まで忘れてたからとくになんもデザインでねぇな」

 

トレーナーさんを見ると何やらスマホを操作していた。多分デザインのアイデアを探してくれてるんだろうと察する、しばらくするとトレーナーさんは顔を上げてこっちに向き直した トレーナーさんの表情から読み取れる情報は少ないが、どうやら何か閃いたようだ

 

「俺の知り合いのデザイナーがいいアイデアを持っているかもしれない」

 

「え?本当?」

 

「あぁ、中学の頃からの友人でな、一応連絡を取ってみよう」

 

そう言ってトレーナーさんは再びスマホを操作する、恐らく電話をしているのであろう

 

「あ、もしもし?久しぶりだな、実はちょっとお願いしたいことが……」

 

トレーナーさんが誰かに電話をかけ始めた、おそらく私のためにデザインを考えてくれる人だと思う、トレーナーさんも信頼しているみたいだし、期待できそうだ

 

「あー、マジ?助かるわ、じゃまた後で」

 

どうやら話がまとまったらしい、トレーナーさんが私に話しかけてくる

 

「今から会えないかってよ」

 

「今から!?」

 

「時間はあるだろ?ほれ行くぞ、ついてこい」

 

私は急いで身支度を整えてトレーナー室を後にした 数分車で走ると目的地に着いたようで、そこには少し古いビルがあった、どうやらここがその人の職場のようだ。

 

「まさか同じ県内にいるとは思わなかったな…おい!来たぞ!」

 

トレーナーさんは知り合いの住居に少し驚いた後、勢いよくドアを開けて中に入った、しかし中に入ってもだれもおらず、静かに扇風機が風を起こす音しか聞こえない

部屋の中は凄かった、いろんなウマ娘の勝負服の写真が書いてあって、そのすべてにいろんな特徴がメモられている

 

「お!きたね!君がシャインちゃんかな!?」

 

私たちが部屋の内装を見て驚いていると、いきなりテンションの高い声が聞こえてきた

 

「あ……はい」

 

「橋田とは古い付き合いの布原だ!よろしく!」

 

「よ……よろしくお願いします」

 

「早速だけど勝負服のデザイン案を見せてくれないかい!?それか君の思い描いている勝負服のイメージでもいいけど!?」

 

その布原と言う人は話すたびに椅子から跳ねて、目をかっ開いて話しかけてくる、何やらテンションが高すぎて私は少し後ずさってしまうが、悪い人ではなさそうだった

 

そのイメージが固まっていないことをトレーナーと布原さんに伝え、私は少しだけ時間が欲しいと外に出る、トレーナーさんも一緒に外に付いて来て、一緒に頭をひねらせてくれている

 

「シャインには強いやつらの中で輝いて欲しいからな、なんかこう、シンボリルドルフのような強い姿でいてほしいよな」

 

シンボリルドルフのような姿、いいかもしれない、私もあの勝負服は凄く気になっていたので、じゃあ私が自分自身のものを作ってきてみるのも悪くないかもしれない

だがしかし、皇帝と言うのはやりすぎだ、皇帝ではなく、マヤノトップガンさんのように渋く、黄色や瑠璃色を使った勝負服…

 

「でもかすかに、可愛さも見せていきたいよね、私の希望はかわいさとかっこよさで2:8くらいかなぁ、それくらいがちょうどいい」

 

「シャインのドレス姿とか見たいけどな」

 

「却下」

 

ドレスは小さいころに着たことがあるが、裾が長すぎてずっこけたことがあるのでそれから二度と着ないと決めているのだ。ここでふと私はあることを思いつく、小さいころに憧れていて、今でも憧れるようなもののような勝負服を作ればいいのではないかと思った、私は小さいころに好きだったものを思い出す

そうだ、それならばあのデザインが良いかもしれない

 

私は鞄の中から神を取り出し、デザインを描きまくった、強く強く、私が世界中にその存在を知らしめるのにピッタリな姿。

 

「そこは赤い方が良いんじゃないか?」

 

「赤ってどうなんだろ…」

 

時にはトレーナーさんからの提案を受けて考え込んだりもしたが、デザイン案はどんどん書き進んでいった

ここで勝負服についてもう一度解説しよう、勝負服とは、G1を走る際にウマ娘が着れる、自分だけの服だ、誰かの遺志を受け継いで走っているのか、家族のために走っているのか、自分自身のために走っているのか、勝負服はいわば思いの貯蔵庫だ、最初こそ知り合いの思いしか入っていない服だが、着ているうちにさまざまな人たちと出会い、その服にどんどん思いが足されていく。だからこそ思いの込めやすいデザインでなければならない、そのために私がえらんだデザインは――――

 

「これがデザインです、見てください」

 

「どれどれ〜?ほうほうなるほど〜」

 

私が出したデザインを見て、布原さんは顎に手を当てながら吟味していた

 

「ふむふむ……これなら大丈夫だ、むしろこれに決まりだ!」

 

「良かったぁ~…、これで一安心だな、シャイン」

 

トレーナーさんもほっとした様子だ こうして私は自分の勝負服が決まったのであった。

 

そうして布原さんに色々デザインを修正して貰ったりした後、トレーナーさんがURAの勝負服を作るようなところに出してくれたと聞いた。

私の勝負服のデザインについては、また届いた時に話そう

 

 

 

後日、トレーナー室で再び私たちはぐでっていた、かれこれずっとレース映像を見ている、この前もこれでいろいろあったような気がしなくもないが、いいだろう

 

「シャイン、体動かすトレーニング行くか?」

 

突然ソファに突っ伏していたトレーナーさんが口を開いた、私はちょうど運動をしたいと思っていた頃だったのでソファから飛び起きてトレーナーさんに答える

 

「もちろん!!行く!!」

 

というわけで急遽トレーニングをすることになった私たちはグラウンドに来ていた、なんとピッタリのタイミングでここのトレーニング場が空いていたのだ、なんと運のいいことか。

トレーニング内容もいたって普通だった、いつものように元サブトレーナー(トレーニングメニュー担当)の力を見せつけるべく、とんでもなく厳しいトレーニングメニューを提案してくるトレーナーさんが鬼に見えるが、今でこそ私はこなせるだけの体力を手に入れたのでおとなしく従う

 

私がトレーニングをしていた最中、坂が見えた、坂と言えば私の超前傾走りが対応できていないギミックだ、坂に対応させるべく行っていたトレーニングはしばらく封印されてしまったが、もう結構経つ、そろそろ再開してもいいだろうと言う事でトレーナーさんに聞いてみたら「いいだろう、ただ無理だけはするなよ」と言われ、私は坂に対する超前傾走りの練習を始めた

 

始めたのはいいが、やっぱり坂で上体を下げることができない、下げれない理由もぶっちゃけ本当にわからない、怖いわけではないのだ、ただなんか、あと少しって言うところで体が止まっちゃうと言うか、何かに引っ張られるような気がするのだ

 

「(…勢い付けてから上体下げてみるか)」

 

勢いをつけてから上体を下げる、よく腹筋をする際に腕で反動をつけて起き上がる人がいるが、あんな感じだ、私は走っている最中少しだけ体を後ろにのけぞらしてから上体を下げた

 

すると綺麗に上体を下げることができたのだ、見えないが確かに私は坂を超前傾走りで走っている、坂に対応させることができたのでトレーナーさんに自慢してやろうと思い、上体を起こそうとした

 

「―――えっ?」

 

突如体が浮いた感覚に襲われ、足には走っているときには感じない感覚がある、ふと足元を見ると、私は脚が絡まっていた、絡まって、体勢を崩していた

体が転がる感覚がある、でも突然の出来事で頭が真っ白になっているのだろうか。

 

「あっ…おい…シャイイイイイイイイイイイン!!」

 

「あぐぁっ…!!」

 

そんな感覚の中で、私の脚に何かがぶつかる感じがした、柵だ、また柵にぶつかってしまったのだ。

私は今この状況を冷静に整理して考える、私は怪我をしてしまったのだ、しかもトレーナーさんにトレーニングの解禁をお願いした直後にだ。

今までも坂の超前傾走りでぶっ飛ぶことはあった、だがここまでぶっ飛ぶことはなかったため、今回の初めてのぶっ飛び方に思考が恐怖していた、ましてトレーナーさんにまた迷惑をかけてしまうと言う事が再び重くのしかかる

 

そうした罪悪感や申し訳なさの中、痛みに悶える事しかできなかった

 



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第二十一話 療養期間、そしてパーリナーイ!

 

「がああっ…ぐっ…いっ…ったっ…」

 

「シャイン!!おいシャイン!!シャイィィン!!!」

 

坂で超前傾走りの練習をしていた私の体は地面に接触してしまい吹き飛んだ、運悪く吹き飛んだ先にあった柵に衝突してしまった、しかも脚がだ。超前傾走りはいつもスパートの時に使用する武器だ、つまり私はスパートの速度で策に衝突したのだ、そんな状態でコースを守る柵に脚が衝突すればどうなるか、ぶつかって痛みに悶えている私の頭にはそこまで答えを出すことができなかった

 

「ごめ…ごめ…なさ…また怪我…」

 

「気にするな!!とりあえず保健室まで急ぐぞ!!」

 

私が頭をぶつけて怪我をした時のように、トレーナーさんは私を持ち上げて保健室まで連れて行ってくれた。運ばれている最中の脚に関しては持ち上げる寸前にアイスボックスに常備していたアイスノンを渡してくれたので運ばれながら冷やすことができた。冷やしたおかげなのか保健室に着くころには多少は痛みが引いていた

 

 

「すこし重い打撲ですね、しっかりと休んで3週間もすれば治ります」

 

「3週間…それじゃホープフルに向けての調整が…」

 

3週間、とりあえずホープフルステークスには間に合うが、3週間寝たきりになってはたして勝てるのかどうか、私の隣でトレーナーさんも顔を暗くして黙っていた。それならば少しでも早くトレーニングに戻れるようにちょっとだけ復帰の予定を早めてみようと保健室の先生に言ってみたが、すぐに却下されてしまった

 

「少しでも早く復帰しようとして無理するのはやめてください、脚はデリケートですから」

 

 

そう言われてしまうと何も言い返せなかった。結局その日はそのまま整形外科に行って診断書を書いてもらい、そのまま帰宅することになった。そして次の日から私は休養していた、やはり脚へのダメージが大きかったのか、思うように動かない。それでもなんとか早く治るように祈っていたが、祈りで怪我が治るなら苦労はしない、1週間経っても脚は治っていなかった。

そして一つ忘れていたことがある、京都ジュニアステークスだ、当然打撲した脚では走れるわけもなく、私は出走取り消しをやむなくされた。

出走取り消しになってしまい落ち込んでいた私は、ここ最近ずっと行っているトレーナー室での勉強をしていた、トレーナーさんは脚が治った後のトレーニングメニューをひたすらに書き出している、勉強している時とは打って変わって、タイピングするトレーナーさんからはまるで般若の顔が見えるようだった

 

「ふぅ…」

 

「お疲れ様、シャイン」

 

勉強に一区切りを付けてソファに座っていると、トレーナーさんがココアを持ってきてくれた、トレーナーさんは怪我をしてからというもの、特に気にしているわけでもなく普通に接してくれている。

 

「シャイン、あんまり気にするなよ、もともとトレーニングメニューを出したのは俺だ」

 

「でも…私がちゃんと坂を走れなかったからで…」

 

「走れないものを走れるようにするのがトレーニングだ、それなのに走れなかったことを悪く思うな」

トレーナーさんの言う通りかもしれないけど、やっぱり自分のせいだと思いどうしても自分を責めてしまう。それにしてもこのココア美味しい……。

それからしばらくするとトレーナーさんは自分のパソコンに向かって何かを打ち始めた。おそらく今度のレースのデータだろう。

 

私がココアを飲みながら休憩していると、トレーナー室のドアが開いた

 

「やっほ~、ごめんね~お見舞い行けなくて」

 

そこにいたのはサンだった、別に私はお見舞いなどしてもらおうとも思ってないのでサンを返そうとも思ったが、せっかくだからいいじゃないかとトレーナーさんが招いた、サンはショートケーキとオクラを持ってきてくれて、机の上にドンと置かれた、ショートケーキとオクラなんてミスマッチもいいところだが、サンの事だし好物だから持って来たとかいうのだろう

 

「お見舞いなんていいのに、サンは京都ジュニアステークスがあるんだからトレーニングしないといけないし」

 

「いいよいいよ、それにしてもまたシャインが怪我するなんてねぇ、私とクライトとシャインの3人の中で一番シャインが怪我してるよね」

 

「というか私以外怪我してないよね」

 

私の怪我をしたヒストリーを振り返ると、まず最初の頭を打った時の怪我、そしてその次に今日の脚の打撲だ、確かに私達3人の中で私しか怪我をしていない、なぜ私以外の2人は怪我をしないのか不思議でしょうがない、私がこんなにも高頻度で怪我をしているのに。

トレーナーさんが脂汗を書いている気がするが気のせいだろうか…?

 

「ま、まぁいいじゃないか、ほら、そうだ、せっかくだしシャインのお祝い会を今日にしよう、準備もしてきたしな」

 

突然トレーナーさんがお祝い会を今日にしようと提案をしてきた、よく考えてみれば確かに、これからクラシック期に移行するシーズンになるから、私達もこれまで以上に暇が作れなくなる、ならばこのタイミングでお祝い会をするのが一番ベストなのかもしれない

 

「え、なに?シャインのためのパーティするの?参加する!!」

 

「おう!サンは木村さん呼んできてくれ」

 

「ちょ…私はまだ今日にしようとは言ってな…まぁいっか」

 

結局私の重賞初勝利お祝い会は今日になった、サンは木村さんを呼びにトレーナー室を飛び出し、トレーナーさんは食べ物の用意をする。私はと言うと、打撲しているから動けない分、クライトや速水さん、サイレンススズカさんセイウンスカイさんなどに電話してパーティに呼んだ、みんな私の招待に迷うことなく返事をしてくれて、パーティはすぐに始まった

 

 

そうしてあっという間に準備が行われていった、みんなが集まり、きったねぇトレーナー室を掃除し、飾りつけをした、ここで驚いたのが、トレーナーさんは意外と料理ができるらしく、テーブルの上にポンポンとローストビーフやポテトサラダ、そしてついでにサンが買ってきてくれたショートケーキも私は食べれるのだ、これほどまでに豪華な食事はいつ振りだろうか、いやそれ以前に、私はこれほどの食事をしたことがあるだろうか。

 

「それじゃ、打撲してる時にこれやるのもあれだけど、シャインの重賞初勝利を祝って!」

 

『かんぱーーーい!!』

 

みんな各々手に持っていたニンジンジュースを天に掲げて乾杯をした、そしてみんな私の重賞初勝利を祝ってくれた

 

「誰にも越えられない記録に一歩近づいたわね、シャインちゃん…」

 

「けっ、俺が京王杯ジュニアステークスを勝ってりゃ、スタ公より祝われてたのによ」

 

「まぁまぁクライト、次がんばろう」

 

「シャインちゃんの末脚ともっかい走ってみたいなぁ~、な~んて☆」

 

みんながみんな、個人個人の方法で私の事を祝ってくれた。

乾杯からしばらく経ったあたりで私はトレーナーさんの作ってくれた料理に手を伸ばした

 

「さぁシャイン、食べてみてくれ、久しぶりに作るから不安だが、お前の注文通りローストビーフだ」

 

「料理の要望まで覚えててくれたんだね、ありがと」

 

圧巻の景色の前で私は手を合わせて箸で断面が赤い肉を掴む、トレーナー室の照明に照らされてさらに断面が輝く、私は同じくトレーナーさんの作ってくれたソースに肉をくぐらせてから、一気に頬張った、第1口目は私からと決めていたのか、みんながみんな私の方を向く、その景色に少しだけ羞恥心が湧いてくるが、気にしないようにして咀嚼する

 

「ど…どうだ、シャイン―――」

 

「おいしい!!おいしいよこれトレーナーさん!!」

 

私は打撲した方の脚に追い打ちをかけないように片足でソファから飛び上がる、口に入れた瞬間の肉の味が衝撃的だった、トレーナーさんが作ったこのソースもさることながら、きっといい肉のせいだろうか、噛まずに呑み込めてしまいそうなほどに柔らかく、そのまま喉の奥に流れ込んで行ってしまう、まるで冷奴を食べているようだ、尤も味は肉だけど!

 

「そうかそうか、シャインの口に合ったようで何よりだ」

 

「実は少し前からトレセン学園のシェフにおいしくなる作り方学んでたぞっ」

 

私の後ろの方で速水さんが早口にトレーナーさんのヒミツを暴露した、どうやらもともと料理が出来る訳ではなかったようだ

 

「へぇ~、私の為だけに料理を学…んでくれたんだ~、へぇ~」

 

私はイジるつもりで言葉を発するが、トレーナーさんが私の為だけに料理を学んでくれた、あの怖いシェフにお願いしてまで学んでくれたと言う事実がこっぱずかしくてまともに言えなかった

 

「うるせぇ担当を持っちまったぜ、さっさと食えこんにゃろ」

 

トレーナーさんが私の頭に拳を軽くポカっと置いた、私の方は恥ずかしくてそれどころではないのだから本当にやめてほしい、ぶっ飛ばそうかとも思ったがこの場でぶっ飛ばしたら空気が冷める気がしたのでやめておいた、私たちがそうやって恥ずかしがったり笑い合ったりしていると、突然トレーナー室のドアが開いた

 

「あなたたち、ずいぶんと暇そうね、それにスターインシャインに関してはトレーニング中に打撲するなんて…バカ丸出しね」

 

ドアの先に立っていたのはノースブリーズだった、いつも一緒にいるシーホースランスは今日はいないようだ、ノースブリーズは何やら呆れたような顔でそう言った

 

「出やがったなキグナスのムカつく野郎、ってかスタ公は自らの技術を磨こうとして怪我したんだ、バカってのはいただけねぇな、この前チョコ投げそびれた恨み晴らしてやろうか?」

 

ノースブリーズが来るなりクライトが立ち上がってそういう、私は怪我をしてしまった事を悔やんでいたが、クライトのフォローによって少しだけ気持ちがホッとする

 

「野蛮な事はよしてもらえるかしら、それに私に言わせればあなたの声こそ聞いててうざったいわよ、黙っててもらえる?」

 

クライトはこの前とは全く違うノースブリーズの態度に怒るわけでもなくただイライラを押さえて後ろに下がるだけだった

 

「クライトがダメなら私が言ってやる、シャインは自分の目標を叶えるために一生懸命練習して怪我したの、それをバカ丸出しって言うなんてどうかしてるんじゃないの?」

 

そしたら今度はサンが前に出てきてそう言いきった、二人ともが私の怪我を悪いと思っていないこの空気、いやもしかしたら私以外の全員悪いと思っていないのかもしれない、そう思うと涙が出てきそうだった。

 

「バカよ、トレーニングして怪我して、トレーニングできなくなるってバカよ。」

 

二人がある程度話し終わって静かになったのを見計らってなのか、すぐにノースブリーズは自分の目的を言いに前に出た

 

「―――私の目的、それはあなたに宣戦布告をしに来たわ」

 

ノースブリーズは突然サンに近づき、そう言った、そういえば忘れかけていたが、京都ジュニアステークスにはサンだけでなく、今学園内で一番注目されているチームのキグナスのメンバーが出るのだ、そしてキグナスのメンバーを除けば京都ジュニアステークスで一番脅威になるのはプロミネンスサンと言うわけだ。そのため今日、宣戦布告しに来ることによってサンを揺らしに来たのだろう。

 

「…いいの?私にそんな宣戦布告をしちゃって」

 

「なに?」

 

「あなたがさっき言った通り、私の友達スターインシャインは足を打撲している、だけどそれは同時に、私の気持ちが高ぶっていることも意味するんだよ、怪我をしている友達が、出れなくても良かった、このレースを見れてよかったと思えるくらいのレースを作り上げようと私は気持ちが高ぶってる、そんな私を相手にして勝てると思ってるの?」

 

サンは曇り一つない顔でそう言った、それを受けてノースブリーズは「そんな気持ちの高ぶりなんてくだらない」と言い鼻で笑った、サンは鼻で笑われても何一つ表情は変えず動じていなかった、しばらくしてノースブリーズは

 

「京都ジュニアステークス、楽しみにしてればいいです、童話の『北風と太陽』では、北風は太陽との勝負に負けてしまいましたが、これはレースです、北風は太陽系の中心に佇んで、全く動かない太陽よりかは速いですよ。では」

 

そういってトレーナー室から出て行ってしまった、サンは京都ジュニアステークスに向けての士気が高まったようで、ご飯はおろか飲み物にすら手を付けずに、真剣な表情で座っていた。

そうしたら仕切り直しのつもりなのか、トレーナーさんがクラッカーを鳴らしてパーティは再開された。

 

その後は速水さんや木村さん、サイレンススズカさんなどの他の人たちも一緒に食べ始め、ポテトサラダの方も食べてみたのだが、これもまたおいしかった、まるで高級レストランのような味わい、ポテトサラダなのにこんなにもおいしいなんて…… 私はもう何度目か分からないが、再び感動してしまった

 

それからしばらくすると、パーティは終わり、みんな帰り支度をはじめる。私はというと、まだ残っている料理を冷蔵庫に入れてもらっていた、また別の日に食べたいしね。その時、サンが話しかけてきた

 

「シャイン、私京都ジュニアステークスで頑張ってくるよ」

 

「うん、私の分まで走ってきてね。でも大丈夫かなぁ?相手にはキグナスがいるんだもん、一筋縄じゃいかないよ~?」

 

私は少しふざけたようにサンにそう言う、だがサンは何も気にしてない様子で

 

「私を誰だと思ってるの?トリプルティアラを志す逃げウマ娘、プロミネンスサンだよ?太陽が京都の観客席を照らしちゃうよ」

 

「ふふっ…そうだったね、サン。それじゃまた今度、レース見に行くからね」

 

「待ってるよ、シャイン」

 

サンは最後にその一言だけ言ってトレーナー室から去って行った

 

「なぁ、シャイン」

 

パーティが終わり、装飾も外されてがらんとしてしまったトレーナー室で二人きりになってしまってから数秒後、突然トレーナーさんが話しかけてくる、その声はとても柔らかく、まるで絵本の読み聞かせをするような感じだったのでびっくりして後ろを振り返った。トレーナーさんは窓の外に見えるパーティ参加者たちを見て話しかけてきていた

 

「なんかずいぶんと優しい声色だね、どしたの?」

 

「いやな、なんだかシャインはいい仲間持ってるなって思って、何にもしてない俺なんかより全然いい仲間だ」

 

「何言ってるのトレーナーさん、トレーナーさんがここまで導いてくれたからみんながいるんでしょ、人生はいろんな選択肢が積み重なって結果が出来上がるの、トレーナーさんが私の人生が良いと思っているならその時点で、私に関わっているトレーナーさんのおかげって事にもなるんだよ。それに第一、トレーナーさんは私のトレーナーでしょ?私の一番の仲間だよ!!」

 

私は私のできる最大の笑顔でそう言ってやった、だって仕方がないだろう、何にもしてないだの俺なんかよりだのお門違いな事ばっかり言うんだもん、だから私は説教のつもりで、この場で惚れさせてやると言わんばかりに言ってやったのだ。

 

「…ああ、ありがとうな、シャイン。お前のトレーナーになれてよかったよ」

 

…でも全く効いてないみたいだけどさ!

 

「ちょいちょい、私たちはこれからだよ?まだまだそんなこと言うのは早いって、私の打撲が治ったらまたよろしくね、トレーナー!」

 

「了解だ」

 

私たちはそれで会話を終え、外はもうオレンジ色になっていたので各々自分の部屋に戻った。

サンの京都ジュニアステークス、必ず見ようと私は心に誓った。

 



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第二十二話 北風と太陽①

―――私は朝の4時くらいに目覚ましで目を覚ました、なぜこんな時間に目覚ましをセットしているのかって?前回のサウジアラビアロイヤルカップの時に早起きしたのをきっかけに初めてみただけだ、トレーニングまでの時間もたっぷり作れるしね、尤も今私は打撲してるわけなんだけど。

 

それに私の部屋は同室のウマ娘がいないから、こんな時間に目覚まし時計をかけても迷惑にならないのだ、最初こそ寂しいものだと思っていたが、一人だからこそのメリットを見つけると意外と便利なものだ、壁も厚いしね。

 

「んぶっ」

 

私は松葉杖をつきながら一人しか入れないくらい狭い洗面台で顔を洗う、顔を洗うたびに思うのだが、どうして水で顔を洗っただけで少し眠気が覚めた気になるのだろうか、不思議で仕方がない、特に調べる気も起きないので気にしてはいないが。

顔を洗い終わり、暴れに暴れまくった寝癖を10分くらいかけて直し、ベッドのある寝室に戻る、私のベッドがある方の壁にかけてあるカレンダーを確認し、今日の予定を確認すると気持ちがわくわくするのを実感した、今日は京都ジュニアステークスだ。

 

最初こそ出走できなくて悲しい気持ちに覆われていたが、この前のパーティのおかげである程度私の気持ちは明るくなっていた、特にサンの言っていた「出れなくても良かった、このレースを見れて良かったと思えるようなレース」が楽しみで仕方がないのだ、そのために今日は早起きしてレースを見る準備を万端にしようとしていた。

今日のレース展開はどうなるのだろうか、誰が勝つのだろうか、サンとノースブリーズの決着は付くのか、そんなことを考えているうちに時間はどんどん過ぎていき、とりあえず食堂に行くくらいの時間になった。

私は松葉杖を使ってゆっくりと立ち上がり、ドアを開けると、クライトが待ってましたと言わんばかりに立っていた。クライトは私を見るなり近づいてきて、私を背中に乗せた。

 

「えっちょっ!?どうしたのクライト!?」

 

「今日はサンのレース見んだろ、おぶってってやるよ」

 

「いや、ありがたいけど…松葉杖邪魔じゃない?」

 

「気にすんな、適当に俺の制服の中に刺しといてくれ」

 

そう言うとクライトは私を背負い、走り出した。この状態で走って大丈夫なのか心配だったが、クライトの足取りはしっかりしていて、問題なさそうだった、私が松葉杖を使わずに済むようになったのはいい事なのだが、なんだか申し訳ない気分になってしまった。そのまま数分走ると食堂に着いた、私は競バ場に行ってトレーナーさんと走り方や作戦の勉強をしながら見るつもりだが、この食堂にはテレビもついているので万が一のことがあったりしていざとなったらここで見るのもありだろう。

 

「これで少しはこの前の借りが返せたか、スタ公」

 

「うん、助かったよクライト、松葉杖で歩くのって周りの視線もあるし走れないしで苦手だったんだよね、ありがと」

 

「どうせこれから橋田のとこに行くんだろ?あとでトレーナー室までの道も運んでやるよ」

 

「助かる~!!」

 

私はゆっくりとクライトの背中から下りて、クライトの首元から松葉杖を取り出して食事を取りに歩き出した、松葉杖を突きつつトレーで料理を取るのももう慣れたもので、サクサクと取って行けるようになった、クライトは私の隣で同じようにご飯を取っていた、朝っぱらからコロッケ5枚に山盛りの城ご飯を食べようとするクライトのその姿は圧巻だった…

 

―――それからしばらく、食事を済ませた私たちは一度寮に戻り、各々持っていくものをカバンに詰め込んだ後、今度はトレーナー室に向かった、そしてトレーナー室の扉を開けると、そこにはパソコンに向かって仕事をしているトレーナーさんがいた。部屋に入ってもトレーナーさんはまだ私たちに気づいていないようで、カタカタというキーボードの音だけが響いていた。その音を聞いているだけで、私の胸が張り裂けそうなくらい緊張感を帯びているのが分かり、まるで心臓を握られているかのような感覚に陥る、やはり仕事をしているときのトレーナーは別の生物になっているような気がする、それくらいの集中力と圧迫感だ。

私は深呼吸をして心を落ち着かせてから声をかけた。

 

「ん…?ああ、シャインにクライト、入ってきてたのか、全然気づかなかったな…二人ともサンのレースを見るために来た感じか?まだレースまでは数時間もあるぞ」

 

それもそうだ、今はまだ朝の8時、レースが始まるもクソもないような時間だ。だが私に関してはトレーニングも出来ずに暇だし、クライトはもうリラックスする気満々にソファに寝転がっているから今日はトレーニングしたくない日なのだろう。

 

「まぁいいけど、サンと木村さんはレースの作戦だったりを立ててるだろうから邪魔はするなよ?」

 

「ああ、もうこのトレーナー室に呼んだぞ」

 

「え!?」

 

クライトがトレーナーさんの呼びかけにすっと答え、トレーナーさんが驚いたちょうどその瞬間、サンがトレーナー室に突撃してきた。飛び蹴りとともに登場したのはいつも通りの赤いポニーテールの髪にオレンジの瞳、サンはいつも通りの笑顔で

 

「私を呼んだマックライトニングってウマ娘は、ここかぁぁぁい!?」

 

確かにクライトが呼んだのには呼んだのだが、なぜこんなにもハイテンションなのだろう、まぁサンの事だしレース前を楽しんでいるだけかもしれない。

そんなことを考えながら、私はトレーナーさんと一緒にサンを出迎えて応援の言葉を投げかけた

 

「シャイン、今日のレース、絶対見に来てね、シャインの分まで走ってくるから!」

 

「当り前だよ!今日は頑張ってきてね!学園で今一番注目されてるチーム、キグナスとの初めての勝負、応援してるよ!!」

 

「太陽は絶対に逃げ切るよ、シャイン」

 

そう言うとサンは空いたままのトレーナー室から見える太陽に重なるように私に背中を見せつけた、逆光でサンが輝いて見える。サンは今こんなことを言っているけれど相手はノースブリーズ、大差勝ちするようなウマ娘にサンが勝てないと根っから思っている訳じゃないが、それでもやはり心配になる、私自身が出ていて勝てるかどうか不安になる相手なのだ。

 

「サン、友達から応援の言葉を受けるのもいいですが、レース前の打ち合わせも忘れないでくださいね」

 

私のトレーナーさんがサンに応援の言葉をかけ終わったあたりで木村さんがトレーナー室にやってきて、サンとは一時別れることになった、サンは少しだけ寂しい表情をしていたが、すぐにいつものやかましいサンに切り替えて自分のトレーナーの元へ走っていった。

 

その後はトレーナー室で出走時間が近づいてくるのを待っていたが、暇だったので私とクライトは食堂に行きテレビを見ながら時間を潰していた、すると食堂の入り口の方から大きな歓声が上がった。

 

「すごいよ!キグナスのノースブリーズさんが来てる!!」

「普段自分たちのチームだけで食事してるのに食堂来るなんて奇跡だわ!!」

「ノースブリーズさん、サインください!!」

 

「はいはい、落ち着いてください、私はどこにも逃げませんから」

 

「でもノースさんは逃げウマですよね!?」

 

「それはレースでの話です、皆さんからは逃げませんよ」

 

『キャァァァァァァ!!!』

 

歓声が上がった方を向くと、ノースブリーズが入ってきたところだった、私は急いでクライトの手を引いて食堂を出た、大勢の人が居る、そんな中で鉢合わせしてしまえばクライトとノースブリーズが喧嘩して面倒なことになってしまう。幸い私たちが食堂を出るルートには誰も居なくなっていたので事なきを得た。

食堂を出て数分経った頃、私たちは再びトレーナー室に戻っていた

 

「なんで急に食堂から出たんだよ?スタ公」

 

「いやぁ~…はは…ね?」

 

「ね?じゃねぇ、ちゃんと説明しろ」

 

…結局食堂から逃げてもクライトの質問責めに合う事になったあたり、トレーナー室で時間を潰すのが私達にはちょうど良かったのだろうか…

それからしばらく、クライトと私が暇を持て余していると12時くらいになってトレーナー室の扉が開いた。そこにはトレーナーの姿があった。

 

「あれ?お前ら帰ってきてたのか、そろそろ行くぞ、向こうで飯も食おう」

 

「トレ公はいいのか?」

 

「速水さんは桃食うから家で見るってよ、クライトを任したって言われたから飯もついでにな」

 

「へぇ、じゃあ寿司よろしく」

 

「勘弁してくれ、クライト」

 

それからほどなくして私たちはトレーナーさんの車に乗り込み、昼ご飯を食べに行ったのち、京都競バ場に向かった。そこにはすでに観客が溢れており、これから始まる重賞レースの予想を行う人もいれば、純粋に自分が好きなウマ娘を応援しに来ている人もみんないた。今日ばっかりは関係者席じゃなく観客席で見ると決めていた私は、京都ジュニアの出走時間までにいい席を取れるか心配になってきていた、観客席の方はトレーナーさんの方に任せて私はクライトと共に地下通路で待機することにした。

 

「それじゃよろしく、ちゃんと確保しててね」

 

「まかしとけ、じゃあクライト、シャインをよろしく頼む、打撲した脚に響くと悪いからな」

 

「おう」

 

競バ場に来てからもクライトは私の事をおんぶしてくれたのでこれ以上なく移動が楽だった、だがそのせいでクライトの体力が減っていくのが申し訳なかった。クライトは私よりも足が速いはずなのに私を背負って全力疾走するのは相当な負担がかかるはずだ。そう思いクライトを止めようともしたが

 

「黙ってろ、俺からすれば変に恩を残す方が気持ち悪い」

 

と言われて断られてしまった、別に京王杯の時競バ場に連れて行ったのは恩というものでもない気がするが…まぁクライトがそういうなら絶対に曲げないだろうから私はおとなしくクライトに運ばれていった。

 

 

私たちが地下通路についてしばらくして、パドックが終わったのであろうサンが歩いてきた

 

「あーーっ!!パドックにいないと思ったら!こんなところで待ってたの!?」

 

「うひひ、レース前に話しておきたいじゃん?」

 

「別に普通に観客席に呼んでくれればレース前に話しに行けるのに!」

 

「誰の目線もないこういうところで話しておきたいじゃん!」

 

そう言いながらシャインは私に抱き着いてきた、ほぼ半年くらい関わってきてシャインは本当に人懐っこいと思う、でもさすがにシャインがこんなことをする姿はあまり見たことがないから、シャインにとって私達は特別な存在なんだと思えてくる。

かくしてシャインとクライトは観客席に向かっていった、レース前と言う事で緊張していた私の心はすっかりほぐされてしまった。

そのシャインたちとすれ違う様に、奥の方からノースブリーズが歩いてくる

 

「今日の京都ジュニア、勝つのは私です」

 

「それはどうかな~?私を他の逃げウマ娘と同じに見ないで欲しいな」

 

「私からすればみんな同じです、黙ってさっさと入場してください」

 

本当に私たちに対する敵意を隠そうともしないノースをしわくちゃな顔で睨みつけた後、私は本バ場入場をした。

 

『ここで3番人気プロミネンスサンが入場しました』

『凛々しい顔ですね、やる気が感じ取れます』

 

実況が私の事を観客全員に紹介する、この感じも何か月ぶりだろうか、私はメイクデビューから出走していなかったので本当に久しぶりだ、入場した瞬間観客全員が湧き上がる、みんなが私の事を見てくれていることを実感して鳥肌が立つ

 

「おっ、シャインのトレ公もなかなかいい席取るな」

 

「だから任せとけっていっただろ?」

 

「さっすがトレーナーさん」

 

それから私は、バ場の状態を見るために軽く走った、今日は少し前から雨が降り始めて、今はやや重と言ったところだろうが、レースが始まるころには重バ場になっているだろう、今日のレースは少しだけ苦戦を強いられるかもしれない、というのも私は重バ場がなぜだか苦手なのだ。太陽だから雨が苦手、というギャグを抜きにしても苦手だ、理由はわからない

 

『さぁ、このレースで最も注目されているウマ娘、デビューしてからのレースはすべて大差勝ち、今世代の最強を担うかもしれないウマ娘、1番人気 ノースブリーズです!!』

 

私の後に続いてノースブリーズが入場した、観客はまるでレースが終わった後のような耳が痛たくなるほどに大きな歓声を上げて盛り上がっている、少しだけその風景に嫉妬しつつも、私はすぐにゲートインをすませる

 

「あ、皆さんここにいたんですね」

 

「木村さんもどもども~」

 

「今日のサンはどんな感じでした?」

 

「良くもなく悪くも無くです、緊張が彼女に良い効果をもたらしてくれて、キグナスに対抗できるのを祈るしか」

 

それからまもなくしてファンファーレが鳴り響き、サンを含めた出走ウマ娘達はゲートに入り始めた、やはりと言うかなんというか、ノースブリーズとサンだけは一番落ち着いてゲートインしていたように見えた

そしてすぐに実況の人がスタートまでの実況をし始める、とうとう私が出れなくなってしまったレースがスタートしてしまうのだ、私は今日のレース展開が心配でもう目も当てられていない。

 

『京都ジュニアステークス、今…』

 

実況の日との声に合わせて、ゲートの中にいるウマ娘達が一斉に構える

 

『スタートしました!!』

 

 

京都ジュニアステークスがスタートした、スタートは誰ひとり出遅れることなくスタートした。だがこのレースにおいて唯一の問題が起きていた

 

『おおっとスタート直後からプロミネンスサンとノースブリーズが飛ばしている!!』

 

スタート直後、なんとまだ最終直線でもないのにまるでスパートのような速度を出す二人がいた。サンとノースブリーズは同じ逃げの作戦を打つウマ娘、こうなるのはわかっていた。こうなってしまえばもうこのレースは二人の独壇場になるだろう、まず間違いなく後続は二人のペースに巻き込まれてスタミナを切らすウマ娘で溢れる。

 

「さすがの逃げだな、あの二人」

 

「いや、それが…キグナスの逃げはこれからが問題なんです」

 

「え?」

 

私は木村さんにそのようなことを言われ、ふとコースの方に目を戻すと、なんとあのサンが位置取り争いに負けていたのだ、先頭を取れていない。

ノースブリーズは前の方で余裕の表情を見せて加速している、サンにとってはかなりの大誤算だろう、同じ逃げの作戦を打っているのにここまで差が出てしまうものなのか。そう考えているうちにすでに二人は坂に差し掛かる、すると

 

「あっ!差しかえした!!」

 

「よしよし、あれならサンの野郎がハナを取ったまま行けるな」

 

しかし坂を抜けて数秒後、すぐにノースブリーズがサンの前に飛び出してしまった

 

 

「はっはっはっはっ…」

 

なぜノースブリーズは私より前に出れるのだろうか、能力の違いだと思う人もいるかもしれないが、確かに私のタイムとノースブリーズのタイムはほぼ同じ、良くて互角のはずなんだ、それなのになぜ私よりとびぬけて走れるのか私には分からない…

 

レースがスタートしてまだ数十秒しか経っていない、まだ時間はある、ノースブリーズのこの謎を解けば、必ず勝てるはずだ…

 

「(無駄です、これはあなたたちが使っているような武器とは違う、あなたはもう私を超えることはできない)」

 

必ず、その秘密を見破ってみせる!!

 



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第二十三話 北風と太陽②

 

「ねぇノース、もし万が一京都ジュニアステークスで負けたら、どうするつもり?負けたらキグナスにはもういられないんだよ、チームのトレーニングとかもあってまともに連絡取ることも出来なくなる」

 

「その時は…その時かな、ランスとは別れることになるけど、地方にでも行って何とかやっていくよ、私なら地方でも勝っていける」

 

私たちがいつも暇つぶしに来ている山の奥でそのような会話をする、何もそんな心配をしなくてもいいのにランスは今にも泣きだしそうな顔で私の事を見つめてくる。

 

「それに心配しないで、ランスは私がいなくてもやって行けるだろうから。ってなんで私が負ける前提で話してるの、私は勝つから」

 

「それもそうだけど、それでもやっぱり心配なものは心配だよ、私のせいでノースがキグナスにいられなくなるなんて…」

 

「ランス…」

 

木々の中を流れる風の音だけが聞こえる、二人とも黙りこくってしまった、この気まずい空気をどうしてくれようかと考えていたところ、ある約束をしようと決めた

 

「じゃあさランス、もし万が一私が負けたらさ、絶対にホープフルで勝ってよ、私の仇を打って」

 

「ホープフルって…スターインシャインが出るレースか」

 

「そう、もしランスの中の私が許してくれないようだったら、負けて悔しい私の気持ちをホープフルで勝って拭ってよ、それで許したげる」

 

「…わかった、絶対ホープフルで勝つから」

 

「あ、それと一つ、あくまでも私は勝ちに行くから負ける前提で捉えないでね」

 

「じゃあノースが京都ジュニアに勝ったら、クラッカー代わりにホープフルに勝つね」

 

「ふっ…なにそれ、それじゃ勝っても負けてもどっちも一緒じゃん」

 

そう言って手を差し出すとランスも手を差し出し握手をした、私は二つの約束をランスと交わした。私は一つ目の約束を破るためにトレーニングを重ね続けた。

 

スゥー…スゥー…

 

「(そうして見つけたのが、この走り方だ!!見るがいいプロミネンスサン!!これがあんたとの決定的な違いだ!!)」

 

「ぐっ…はぁ…はぁ…」

 

レース序盤の先頭を取り合う位置取り争いに負け、ノースブリーズより少し後ろを私は走っていた。昔シャインと走った際、シャインのスピードもなかなかのものだと思っていたが、ノースブリーズの速度はそれすらも凌駕するようなスピードで()()()私を離していく

 

「やっぱりこれで行くかい!?」

 

『プロミネンスサンの走りがさらに加速する!!少し走りづらそうな姿勢ですがこれは大丈夫なのか!?』

 

私は自分のペースをさらに乱してスタミナを減らす、当然減らすことに寄って数秒後には私の体に限界が訪れたが、私はこの武器の為に鍛えた根性で乗り切る、そうすることによってデッド・ポイントを抜けて疲労を感じなくなるゾーンに到達する、きっとこれでノースに多少は追いつくはずだった。

 

スゥー…スゥー…

 

「(いや…離される…何も変わってない…!?)」

 

なぜタイムが同じで能力も同じウマ娘でこんなにも違いが出るのか、見当もつかない、ましてノースはシャインで言う『武器』を使っているそぶりも見せていない、それなのになぜ?どうして私は離されるのだ!?

 

 

観客席でサンの走りを見ていたが、どうにも様子がおかしい。先ほどサンはセカンド・ウィンドを使ったのだろう、だがセカンド・ウィンドを使ってもノースに追いつけず、サンは掛かっているように私の目には見える、それにノースの方も別の意味でおかしい、スタートから武器を使ったサン以上のスピードで走っているのに、減速する可能性すら見えない走りだ

 

「ノースブリーズの走りは、必ず何かしらの武器を使っているはずなんですが…サンと一緒にレース映像を見て研究しても、それがいまだになんなのか判明していないんです」

 

「ノースブリーズの武器に対抗するには、サンがこのレースでセカンド・ウィンド以上の武器を見つけ出すしかないってこと?」

 

「恐らくは…そうかと、私の力不足で、今日までにサンを仕上げられなかった…」

 

 

レースがスタートしてまだ数十秒しか経っていないが、勝敗は既についていると言っても過言ではないレース展開、確実にノースブリーズが勝つレース展開だった。これまで大差勝ちしていたノースブリーズを見ていた観客なら尚更そのように思うだろう、そんな中でプロミネンスサンはひたすらに思考を張り巡らせていた

 

「(能力に差があるわけでもない…それなのに武器を使った私でさえ追いつけない速度を出している…それはなぜ…?)」

 

必死に考えた、だがどれだけ考えても答えは出ない、キグナスのウマ娘を舐めていた、これが本物の強さだ。私が本格的に負け始めるのは時間の問題だろう、もはや勝ち目はない。

 

ただ一つ、ただ一つだけ疑問が私の頭に引っかかって離れなかった、それはこのレースの最序盤、ノースウィンドがたった一度だけ減速したタイミングがあった事だ

 

「(あの時、私たちは坂を上っていた…坂では加速できない理由がある…?)」

 

 

「やはりあれだけの事を言うだけはあるな、ノースはこのレースで勝てるだろう、君もそう思わないかい?トレーナー」

 

「レースに絶対はない、まだわからないぞキングス、キグナスに泥を塗るまいと判断して走る彼女たちはどこまで行くのか見ていようじゃないか」

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」

 

レース序盤こそ抜くことができたが、第一コーナーで前に行かれ、第二コーナーを回っても前に行かれてしまってはもうこのレースの展開を完全に掌握されてしまう、そう考えた私は小さい可能性に賭ける

 

「(そっちが前に出るならプレッシャーで減速させてやる!!)」

 

私は今まで威圧感を放つ練習などしてこなかったが、シャインの見よう見まねで一か八かノースブリーズに威圧感を送ってみる、一応放っている気にはなっているが、こんな付け焼刃のような武器でノースブリーズが減速したら苦労はしない

 

「(無駄だね!!攻撃に徹したウマ娘なんて隙だらけだ!!)」

 

私がいつまでも威圧感を送っていると、突然ノースブリーズの背中からオーラのような何かが出てくる、そのオーラを受けて私は減速してしまった、今からでも私を事故に巻き込むと言わんばかりの威圧感、耐えれるわけがなかった

 

「(しまった…セカンド・ウィンドが…)」

 

減速してしまった事により、自分の限界を超えて発生していたセカンドウィンドが崩れてしまった、多少は加速しても疲れはしないが、少しだけデッドポイントの時の苦しさが息を吹き返している。

 

「(ダメなの…?シャインに勝つって宣言までしたのに、私は負けてしまうの…?)」

 

スゥー…スゥー…

 

「(ん?何の音…?)」

 

向こう正面に入り直線を走っていて、私がノースブリーズに対抗する手段がもうないと諦めかけていたその時、突然聴覚が鋭敏になったのか、何かの音が聞こえ始めた。

普通ウマ娘は走っている最中空気が耳を(つんざ)き、それ以外の音など聞こえないのだ、だが確かに聞こえるその音は、まるで風船から空気を抜くようなゆっくりとした空気の音、その音が出ている元を探そうと周りを見渡す、見渡して数秒、私は勝利へのヒントを手に入れた

 

「(…これだっ!!間違いない!!これだ!!ノースブリーズの武器!!ついに見破ったぞ!!武器を使っていなかったんじゃない!!もうすでに使っていたんだ!!)」

 

 

「んっ…」

 

「どうかしたか?シャイン」

 

「ううん、なんでもないよ、トレーナーさん」

 

今日も同じようなレース展開でノースブリーズが逃げている京都ジュニアステークス、観客席のどこに行ってもプロミネンスサンを応援する人は全体の1割くらいしかいないだろう、そんな中でも私は見逃さなかった、サンが何かを思いつく瞬間、明らかに気配が変わる瞬間をしっかりと感じた。

 

「さてはなんかやるつもりだね?サン、私が出れなくても良かったと思える展開を、頼むよ?」

 

 

「(レース展開は私が支配している、もうここからプロミネンスサンが勝てる可能性はない、これでランスと一緒にキグナスにいることが出来て、実績も上がる。ここで追い打ちを…)」

 

スゥー…

 

「(うっ…)はぁっ…はぁっ…!?」

 

第三コーナーを回ったあたりで突然体が浮いたような感覚に襲われ、私の脚がもつれてしまい、バランスを崩す、プロミネンスサンとの距離ならばたとえ減速しても逆転の可能性はないだろう、だが何故だ?何故私が技術を使おうとした瞬間に身体が浮いたような感覚になったのかが疑問だ

 

『おっとここでノースブリーズに襲い掛かるウマ娘が上がってきた!!プロミネンスサンだ!プロミネンスサンが再び復活した!!どんどんその差を縮めていく!!』

 

そんな実況が聞こえ、私はレースに集中しつつ後ろの気配を探る、確かにウマ娘が近づいてくる感覚がある。バ鹿な、確かプロミネンスサンは自らのスタミナを追い込んでセカンド・ウィンドと呼ばれる現象を人為的に引き起こす戦術だったはずだ、先ほど奴が私を掛からせようとした際、逆にカウンターをくらわせてスタミナに止めを刺したはずなのだ、それなのになぜ上がってくるスタミナが残っているんだ!?

 

「だけど関係はない!私が見つけたこの技術で―――

スゥー…

―――がっ…なんで…」

 

もう一度…

 

「…くっ!また…!!」

 

もう一度!!

 

「…まただ!!」

 

もう一度!!!!

 

「(クソッ!!なんで!!なんで私が技術を使おうとした瞬間に体制が不安定になるの!!)」

 

「(無駄だよ…もうあなたの武器は完璧に見抜いた、返し技も掴んだ、もうあなたに勝ち目はない!)」

 

私はどんどん速度の下がるノースブリーズを後ろから追いかけ、あっという間にノースブリーズを躱した、そのまま最終直線に突入する

 

『最終直線に入りプロミネンスサンが逃げている!だがしかし後ろからノースブリーズも追いかけている!!だんだんと近づいてどちらが先にゴールするのか全く分からない!!』

 

「(技術が使えないなら私の元々の能力で勝ってやる!!京都ジュニアステークスは私が勝つんだ!!勝たなければならないんだ!!ランスの為にも!!)」

 

無我夢中で走り続けた、これに勝てなければキグナスに私の席がなくなる、そうなればランスとも関わりを持てなくなる、それだけは嫌だ、絶対にいやだ、さけなくてはならないのだ。

やはり私の方が素の能力は上だった、どんどんとプロミネンスサンが私に近づいてくる、いや、私が近づいていた

 

「よし!!これで私が追い越す!!」

 

「…………あなたは一つ私の事で忘れていることがある」

 

私がプロミネンスサンの真後ろに近づいたあたりで、プロミネンスサンの声が聞こえた、幻聴だろうか、だがしかし確かに私の耳に聞こえたその声。忘れていることとはなんのことだ…?

 

「私は減速しない逃げウマ娘、プロミネンスサンだ!!いずれはあのサイレンススズカにも負けない逃げを世界中に見せつける最強の逃げウマ娘だ!!自分の武器の弱点を看破されたあんたにもう勝ち目はないんだ!!」

 

「何を……」

 

プロミネンスサンの左目が確かにこちらを向いていた、幻聴などではなく確かに聞こえたその言葉。その言葉を言い終わった後、プロミネンスサンはスタミナ切れのはずの体で再加速した、その速度は今までよりも圧倒的に速く、セカンド・ウィンドを人為的に発動している時よりも確実に速かった。

 

『坂を上って再びプロミネンスサンが加速する!もう誰も捕まえられない!!今大差でゴールイン!!キグナスが初めて黒星を付けられました京都ジュニアステークス!!…あっ…まるで今この瞬間、プロミネンスサンの勝利を祝うかのように天気も雲一つない晴れとなりました!!』

 

「サン…やりましたね」

 

私はゴール板を駆け抜けてからもしばらく止まれず、危うく二周目に行きかけたところでやっと止まれた、電光掲示板を見ると、しっかりと私の番号が1着の位置に表示されていた、大差勝ちをした、あのキグナスのノースブリーズに大差で勝ったのだ、シャインたちの方を向くと、シャインがこちらに大きく手を振っていた

 

「サン!!見れて良かった!!私、このレース見れて良かったよ!!」

 

歓声の中でもしっかり聞こえたシャインの声に、私は喜びの感情が高まる、私は親友が出走できなかったとしても見れただけでよかったと思えるレースを作り上げることができたのだ。北風と太陽はやはり太陽の勝利で完結したのだ。

 

「…サン、どうやってノースブリーズの武器に打ち勝ったの?ってか、まずノースブリーズの武器って、なんだったの?」

 

私はシャインにそう聞かれる、レースの直後なので話す体力はあまりないが、簡潔にシャインに説明した

 

「ノースブリーズの武器、それは走っている最中の息遣いだよ」

 

「息遣い?」

 

「うん、走っている最中、空気が動くような音が聞こえて、その音の元を探してたら、ノースブリーズが深呼吸をして自分のスタミナ消費量を減らしていたの、だからスタミナを気にせずに飛ばすことができた。自分のスタミナ消費量を増加させて加速できる状態にする私とは真逆の武器、そしてそれをレース中見破った私は、ノースブリーズが息を入れるタイミングで圧をかけて、減速させたってわけ」

 

坂で減速したのはおそらく坂を早く登る方法に達していたのだろう、走り方が極端にピッチ走法になっていた。それでも私に追いつくことができなかったのだ、そのおかげで私は彼女の深呼吸に気づくことが出来た。

最初に圧を送った際はノースブリーズが息を入れてなかったのでカウンターされてしまったが、ノースブリーズは息を入れるコンマ数秒だけ隙が生まれる、私はそこに圧を叩きこんだ。

まさか逃げの作戦を打つ私が威圧感での妨害策を使うとは思ってもいなかったが、シャインのレースを見て威圧感の出し方をある程度学んでいたのが功をなした。

 

それと私がスタミナ切れの状態から再加速できたことだが、これは私も良くわからない、ただコーナーを綺麗に曲がろうとしたら無駄のないコーナーリングをすることが出来て、ある程度息を入れてスタミナを回復することができたのだ。

 

「すごいね、威圧感で減速させるなんていつ練習したの?」

 

「いや、それは威圧感に関する先生がいると言うか…ははは」

 

レース後のインタビューも終わり、私は控え室に戻った、インタビューの後にも取材陣に囲まれるかもしれないと思ったが、特にそんなことも無くレースを無事に終えることができた、なんでもみんなが私の負担を減らそうと張り切ってくれたらしい。特にシャインには感謝しなければいけない、なんでも松葉杖をほっぽって一人で悪質な質問をする取材陣をブロックしていたようだ。

ウイニングライブも無事に終わった、木村さんも喜んでくれた、私は勝てた…のだが、何か変に不安な気持ちが湧くのは気のせいだろうか。レースが終わった後からそんな感情が気持ち悪く付きまとう…気のせいだといいんだけど…

 

 

 

「はぁ…はぁ…お願い…キングス…私をキグナスにいさせて…私は…キグナスのトレーニングだから強くなれたのに…速くなれたのに…」

 

レースが終わってすぐ、歓声がプロミネンスサンに向いている中でわたしはキングスとトレーナーさんを見つけてすぐに懇願する、もしかしたら涙も流していただろうが、そんなことを考える余裕すらなかった。

 

「『もし今回の勝負に負ければルール違反の黙認は無し』だと、トレーナー君は言ったのだろう?ノース、キグナスは他のウマ娘を威嚇するような弾圧行為は禁止だ、そのルールを犯した君が座るようなキグナスの席はない。なに、別に死ぬわけじゃないんだ、またチーム探しでもしたらどうだい?」

 

私に突き付けられたのは無情な現実だった、だけど私は引けない、私がいなくなればランスが一人で突っ走るかもしれない、だけど私はルールを犯したからこのチームにはいられない、私はこのチームのトレーニングじゃなければ強くはなれない、そしてキグナスはほかのチームじゃやらせてくれないようなトレーニングを行っている。ならランスもキグナスをやめればいいじゃないかと思うだろうが、私一人の理由でランスの地位を、人生を台無しにはしたくない。

八方ふさがりな状態での希望は、私のルール違反が無条件で認められることだった。だがそんなことをキグナスが認めるわけもなく

 

「静かにしろ、ノースブリーズ、お前はもう負けたんだ」

 

トレーナーさんが強い声でそう言う、それだけ言って二人は観客席から姿を消してしまった

 

「待って!待ってよ!!お願い!!待ってってばぁ!!待って……おねがいだからぁ…!!おねがい…」

 

私は観客がプロミネンスサンに注目している中、観客席の端の方で一人静かに絶望し泣き崩れていた。

 

 

 



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第二十四話 暴風注意報!!

 

授業が終わってトレーニングが始まるまでの休み時間、トレセン学園には色々なウマ娘がいるが、この時間だけは万全の体調で友達と話せたりするため、至高の時間だろう。その時間を当然私は親友と話す時間に費やしていた、廊下を歩きながらくだらない話を繰り返す

 

「それでさ、私三平方の定理なんて完全に忘れてたんだけど、サンは覚えてた?」

 

「いや、普通に覚えてたけど…ウソでしょシャイン?」

 

「俺もだな」

 

「…あそうか、それが普通なのか」

 

こういう会話をするときだけは私の中学時代を呪いたくなる、私は中学はまともに勉強していなかったので中学の範囲が出てくると本当にわからない、といっても『呪う』と言う表現はちょっとしたギャグも込めているのであまり真に受けてほしくはない、私はわからなくても教えてくれる親友がいるので満足だ。

 

そんな会話をつづけながら、私たちは校舎と校舎をつなぐ廊下に出た、今日はレースが終わった後の京都ジュニアのように晴れていたのでとても涼し…いやめちゃくちゃ寒い風が私たちを出迎えてくれる。中庭の景色を見ても大樹のウロに誰かが刺さっているだけで特に変わったところはない、大樹のウロとは、ウマ娘達がレースに負けた時の気持ちを吐き出す一種のパワースポットみたいなところだ…え?大樹のウロに誰かが刺さってる?

 

「…え?サン、ちょっとあれ…」

 

「ブハッ」

 

私は明らかにおかしいと思った景色を指さして二人の視線を誘うように指をさす、私がなぜに指をさしたのか、いやこれに関しては私別に悪くないよ、だってあれ気になるでしょ、大樹のウロにウマ娘ぶっ刺さってんだから。

 

「…あれ引き抜いた方が良いのかな?でも見た感じもがいてる感じもないし…死んじゃってる?いや、にしてはパンツが見えない様にしっかりスカート掴んでずっと上に腕上げてるな…え、本当に何あれ」

 

サンが冷静にぶっ刺さってる人を分析して私に質問を投げかけてくる。クライトはめんどくさい空気を察したのか立ったままアイマスクを付けていないふりをしている、逃れ方舐めてるでしょ。私がアイマスクをひん剥くとレモンを口に突っ込まれたような嫌そうな顔でこちらを見ていた、無理やりにでも付き合わせようと思う。

 

とりあえず私たち三人はおそるおそるそのぶっ刺さっているウマ娘に近づいてみる、やはり先ほどサンが言ったように、生きているのは確かなのだが、抜け出そうとするそぶりも何もしないので目的が不明だ、それとも誰かに埋められてしまって、この体制じゃ抜け出せないとかだろうか。私とサンがおじおじしていると、突然クライトが「何してんだお前」と言って足を引っ張った、最初こそ私たちは止めたが、すぐにそのウマ娘は自分で地面から抜け出そうと大樹のウロのふちを掴んで力んだ。

 

「えっ…あなたは…」

 

そうして大樹のウロから抜け出てきたのは、先日京都ジュニアステークスでサンと戦ったノースブリーズだった、ノースブリーズは顔にたくさん土を付けながら、まるで三日間徹夜したような顔で佇んでいた。ノースブリーズの顔を見た瞬間こそサンに負けたことを悔やんでいるのかと思っていたが、どうやらそんな様子ではないようだ。

 

「…なによ」

 

私たちがちょっとだけ驚いていると、突然ノースブリーズが口を開く、その声すら、前にゲームセンターや食堂で聞いたような高貴そうな声とは違う、ボロボロにチューニングしたギターの弦のような声だった。これは本当に何かあったようだ

 

「いや、なんで大樹のウロに突き刺さってんのかなって…」

 

「それにキグナスのトレーニングはどうした?天下のキグナスならこんな時間にはトレーニング始めてんだろ」

 

クライトの質問に私達もうなずく、ノースブリーズはキグナスのウマ娘だ、そしてキグナスはとても厳しいトレーニングを行っていると聞く、厳しいトレーニングなのにこんな時間にまだトレーニングを初めていないのは変だ。その質問を聞くと、ノースブリーズは今にも泣きだしそうな顔で語りだした

 

「…キグナスは、追い出されたわよ」

 

 

『追い出されたぁ!?』

 

 

全員で発言がシンクロした、そりゃそうだ、チームを追い出されるなんていう事があるだろうか、いや、もし京都ジュニアで負けたのがきっかけで追い出されたのだとしたらさすがにもうちょっとノースブリーズの才能を信じたりするはずだろう、それなのになぜ即時脱退なのか、理由を聞いてみた。

ノースブリーズが言うには、キグナスは他のウマ娘に対して威嚇する事、私達でいうこの前のゲームセンターの出来事だろう、そういう事をキグナスは禁止しているらしい。尚且つキグナスはルール違反に厳しい、そのルールを破ったノースブリーズは、京都ジュニアステークスでサンに勝てばキグナスに残る、負ければ脱退と言う事を決められていたらしい

 

そして無論、京都ジュニアステークスはサンが制した、サンに負けたことによってノースブリーズはキグナスを追い出されたらしい

 

「私が勝ってしまったせいでキグナスから…」

 

「…うるさいわよ、負けたらキグナスから脱退することになる事実をレース前に言って、あなたに手加減されて勝つなんて御免だわ。そもそも言ったところで手加減なんてする気はないでしょうけど」

 

「まぁね」

 

「それで…なんで大樹のウロに突き刺さってたのか聞いていい?綺麗にまっすぐぶっ刺さってたけど」

 

「…する事が無かったから、かしら?なんかもうランスとまともに話せなくなってしまったショックと負けてしまった悔しさでどうにでもなれって感じで、それで大樹にぶっ刺されば何かやることが思いつくんじゃないかなって思って刺さってみたわ、ここってダンゴムシ生息してるのね」

 

どうしてそうなったのかは謎だったが、やることなくて暇じゃないか、という事よりそれくらいの事をしてしまうほどに追い込まれているのだろうと私は感じた。それもそうかもしれない、長年の親友とまともに連絡も取れなくなってしまったショック、そして自分を強いウマ娘としてくれていたトレーニングすらも出来なくなってしまっては、もう競争ウマ娘として終わりと言っても過言ではないかもしれない。だがそんなことがあるだろうか、いくらキグナスのキツいトレーニングと言っても、全部のチームが全部のチーム、そのトレーニングをオーバートレーニングだと言い張りはしないだろう、それで私は一つの提案をした

 

「私達と次のチーム探しをしようよ、ノースブリーズ…あぁいや、これからは呼びやすいようにノースって呼ばせてもらうね、もしこれで良いチームが見つかれば、多少はキグナスも見直してくれるんじゃないかな」

 

「…話を聞いてたかしら、キグナスのようなトレーニングを容認してくれるようなチームなんていない―――

 

「まだわからないよ、学園中のすべてのチームにそのトレーニングメニューを見せてみた?それまでは断言できないと思うけど。どうかな、私達と一緒に次のチームを探そうよ」

 

ノースの言葉を遮ってまで私はチームを探すことを勧めてみた、ノースはしばらく苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、しばらくして私の言葉に対する答えを出してくれた

 

「…これで見つからなかったら、容赦しないわよ」

 

「あったりまえ!!任せちゃってよ!クライトとサンも良いよね?」

 

「ただ一つだけ聞いていいかしら…なぜあなたは、いやあなたたちは私の事を手伝おうとしてくれるの?元々は敵だったのよ?それもかなり酷い言葉も言った、それなのに何故私を助けるの?」

 

「そりゃぁ、サン?」

 

「ねぇ?シャイン」

 

「そして間に挟まる俺も、なぁ?」

 

『同じ世代のライバルに強くあってほしいからだよ』

 

「…バ鹿じゃないかしら、敵に塩を送るなんて」

 

「何も親の仇ってわけじゃないんだから、レース以外では普通の女の子なんだからさ」

 

二人とも迷うそぶりを見せず静かにうなずいてくれた、そうして私たちはノースの次に所属するチームを探すことになった

 

さて、まず最初にどうしようか、今回私たちが探さないといけないのは『キグナスのトレーニングを真似してくれるチーム』だ、となれば大きなチームは逆に悪手となる、大きいチームこそ担当ウマ娘の体調管理に気を使っているだろうから、まず厳しすぎるトレーニングは行わないだろう。となれば小さいチームと行きたいところだが、それこそまた悪手になってしまう、小さいチームはトレーニングは行ってくれるだろうが担当ウマ娘への対応がどうかが分からない、私たちがこの学園に入学してくるより前に、担当にひどく当たるトレーナーがいたらしいが、それを心配してしまう。そんなことを考えていると、その様子を見たノースが心配そうに話しかけてくる

 

「…ずいぶん考えているようだけど、やっぱり諦めるかしら?」

 

「まっさか、とりあえず学園でメンバー募集してるチーム探してみようか」

 

と言うわけで私たちは食堂に向かった、なぜ食堂なのかって?それは食堂にメンバー募集のポスターを張るチームが多いからだ。私も最初こそチーム探しで食堂をめぐることがあったが、今ではすっかりマンツーマン形式でトゥインクルシリーズに臨んでいる。

とまぁ私の話になってしまったが、今はノースの次のチーム探しだ、とりあえず食堂の壁を見て回ると、色々なチームの勧誘ポスターがあった、やはり胡散臭いチームのポスターも多い…

 

左から見ていき、右に行くにつれてだんだん怪しくなっていく、特に一番右のガチムチファイトクラブとかいう怪しいチームなんかもう見るからにヤバイ雰囲気しか醸し出していない。だがそんな中で、私は一枚のポスターに目が止まった。

 

「ほらほら見てノース『君も今日からウマ娘!?』だって、なんかよさげなチームじゃない?どうよどうよほらほら」

 

「…いや何このチーム、私たちは元からウマ娘でしょ、却下よ」

 

「オメー意外と図々しいやつだな」

 

「まぁまぁクライト、私達の方も手分けして何かしらよさげなチームを見つけてこようよ」

 

「応」

 

一つの塊になってチームのポスターを探していたのでは非効率だったため、私たちは一人ずつ分かれて色々なチームの勧誘を探し始めた

 

「このチームはどう?」

 

「『ウマ娘ダート開拓チーム』って何…私芝の適性だから走れないわね…」

 

「こっちはどうだよ」

 

「『天下統一』……論外かしら、というかこれ短距離のチームじゃない、私の適性は中長距離よ…」

 

「つったってよぉ、良さげなチームなんざメイクデビューの時期にほとんど席埋まっちまったぜ?俺たちも手伝うって言っといてあれだけど本当にあんのかよスタ公」

 

「一つくらいあるでしょ、というかあってくれないと困る」

 

手分けしてポスターをいろいろ閲覧し始めてから一時間、流石に時間も経ちはじめていたのでクライトとサンはトレーニングに向かってしまった、私はというと、未だノースと一緒にチームの勧誘を探していたのだが、全然よさげなチームが見つかる気がしない。このチームなら行けるか?というチームを少しだけ見に行っても、キグナスのトレーニングを行わせてくれるようなチームはどこにもいなかった。ノースの方も私の体力に引きずり回されてヘロヘロになっているのが目に見えてわかる、これ以上はノースの体調にも影響を及ぼしかねない、だけどここで諦めてしまってはこのままずるずると堕ちていくだけだ、何とか見つけ出さなくては。と私が決意を固めると不意に声をかけられた。

 

「チーム探してるの?」

 

「あっ、あなたは…」

 

振り返った先にいたのは青い髪の毛に軽くグラデーションのかかっているように見えるツインテール、ああそうだ、この子…いやこの人?はツインターボさんだ。

ツインターボ、後先考えない圧倒的な逃げが特徴で、大体のレースは最終的にスタミナが切れて所謂『逆噴射』をしてしまうのだが、時々そのまま逃げ切ることがある人だ、逆噴射を連発するウマ娘ではあるのだが、その根性はおそらく私やサン、クライトよりも強大だろう、なんていってもあのライスシャワーさんに黒星をつけたこともある、実力があるのは確かな人だ

 

「ダブルジェットさん…!」

 

「ツインターボ!!なんでみんなターボの名前間違えるの!?」

 

なんだか初めて見た気がしない掛け合いを見た後、ツインターボさんは自信ありげに自分の事を親指で指さし、自分の知り合いのチームにノースが来ないかと言う事を述べた。確かにレジェンドのツインターボさんが勧めるチームなら心配は特にいらないだろうが、そのチームがキグナスのトレーニングを行えなければ意味がない、というわけで私たちは、ターボさんの知り合いのチームに連れて行かれた。

 



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第二十五話 真っ白な空

 

「ここだよ!チームアルビレオって言うの!それじゃあターボはちょっとだけ用事があるからじゃーねー!」

 

その知り合いのチームに着くなりターボさんはそう言ってどこかに走り去っていった、アレが生ターボエンジンか…

私たちの目の前にはきれいに磨かれた様子があるトレーナー室の外壁、そして埃一つ見当たらないドア、そして『アルビレオ』と書かれた看板が掛かっていた。私はトレーナー室に入る前にとりあえずアルビレオについて調べてみたかったので、ウマホを取り出して調べてみる。するとちゃんとメンバー募集中で、募集条件には「逃げウマ娘、先行でも可」と書いてあった。それよりも私が注目したかったのはそのトレーニングだ、トレーニング方針について調べてみると「個人個人のやりたいトレーニングを尊重」と書いてあった、これをノースに見せてみたが「どうせ尊重とか言っといてやんわり却下してくるわよ」といつもながらに鼻をプイっとした、それでもそのしっぽは絶え間なく緊張しているように揺れている

 

「それじゃ、とりあえず方針としては問題なさそうだし入ってみようか」

 

「でも私やっぱり不安よ、私はチームに入らなくていいから…」

 

「何言ってるの、ここまで来たんだから所属希望出してみようよ」

 

「やっぱりいいって…」

 

「…それじゃあどうする?他のチーム探してみる?もうここ以外にない気がするから行った方が良いと思うけど…」

 

「でも!これでもしトレーニングの許可が出なかったらどうするのよ!あなたが言ったみたいにもうここ以外にいいチームはないのよ!?私はトレーナーなんてつけなくても自分でトレーニングをできるから!あんたのやってることはすごい余計なお世話だってわかってる!?」

 

ノースが急に怒り出す、普通の人から見れば情緒不安定に見えるかもしれないが、数日前まで彼女は学園内で一番注目されているチームの中にいて、そのプレッシャーを耐え続けてきた。前に食堂で見かけた時も、表情こそ笑っていたがしっぽはぴくぴくとストレスを感じているのを見たし、それにノースはそこから強制脱退させられる流れをこの二日間に詰め込んでいる、いくらなんでも環境が変わるスピードが速すぎる、そのショックや焦りを集めれば、人が死んだ後のショックにも匹敵するかもしれない。尚且つ今日は一日中あるかもわからない希望にずっとすがっている、それならばここまで感情が起伏するのも無理はないだろう。

 

「…ノース、サンに負けた理由はなんだと思う?」

 

「分からないわよ、分からないからこうやって強くなるためにトレーニングしてリベンジしようとしてるんじゃない」

 

「ダメだよそれじゃ、負けた理由を追い求めないと」

 

「負けた理由なんてわからないわよ!たまたま負けただけでしょ!!」

 

「…レース中、何か変な展開が無かった?」

 

私はレースが終わった直後にサンのトリックについて聞いていたので、そう質問をしてみる、これでノースが気付ければいいのだが

 

「私がレース中に使っていた技、使おうとするたびに体制が不安定になったわね、でもそれは私の足運びが悪かったからよ、だからそれが負けた理由、だからトレーニングをしたいの、でもどこも受け入れてくれないの!」

 

「確かに足運びが悪いのも負けた理由、だけどサンが妨害をしていると言う可能性を頭に入れてないの?それに最後、あなたは技術で勝負をするのをやめて、根性のみで突破しようとした。それ自体は悪い作戦ではないけど、あなたは根性に任せすぎて何も見ていなかったのよ」

 

「何も見ていなかった…?妨害をしている…?」

 

「今回だから教えてあげる、あなたが体勢を崩したのはサンがサン自身の技術で妨害していたからよ、それも負けた理由、それを追い求めないで勝利は無いんだよ」

 

「負けた理由を…追い求める…」

 

その言葉を受けてノースはハッとする、クライトの言葉は私の心に深く刺さっていたのでノースにもきっと響くと思っていたが、どうやらその予想はあっていたようだ、これで少しは落ち着いてくれるといいが

 

「…わかったわよ、行けばいいんでしょ?行けば」

 

「じゃ、行こっか」

 

「私が先にいくわよ」

 

ずかずかと私の前に出てきてノースがトレーナー室のドアを開ける、ドアを開けるとそこには優しそうな雰囲気のトレーナーさんらしき人、そして誰もいないソファ…え、誰もいない?

 

「…?え誰、君たち?」

 

「アルビレオのトレーナー室はここで間違ってないかしら?」

 

「え、うん、そうだけど」

 

「所属希望者よ、募集はしてるでしょ?」

 

なかなか偉そうな態度でかかるなぁなんて思いながら私は話を聞いていた、アルビレオのトレーナーさんは面接の準備でも始めたのか資料をまとめ始めた、その途中で私も所属希望者かどうか聞かれたが、私はトレーナーさんがもういるので丁重に断っておいた。

 

「あの、他のメンバーはいないの?」

 

「うん、所属しても結局みんな抜けてっちゃってね。あ、そうだ、面接する前に名前を聞かせてもらってもいい?」

 

「ノースブリーズよ」

 

「ノースブリ…え!?ノースブリーズ!?」

 

アルビレオのトレーナーさんは椅子から転げ落ちて驚いた、まぁこの反応も無理はないか、ノースは少し前に2着とはいえ実績を残しているし、そして何よりキグナスのウマ娘で名が通っているのだ、そのウマ娘が自分のチームに所属したいと言っている状況は人生で1回2回感じるか感じないかの衝撃だろう。ネットを見てもキグナスはノースブリーズの脱退を公にはしていないらしいし、なおさらこのような反応になっても無理はない

 

私たちはアルビレオのトレーナーさんにノースブリーズが脱退したこと、そしてチームの行先に困っていること、キグナスのトレーニングを行わせてほしい事などを説明した、アルビレオのトレーナーさんは最初こそ驚いていた反応だったが、最後の方にはすっかり落ち着いて話を聞いてくれていた。

 

「ふむ…そうか、ノースブリーズさんは―――

 

「ノースでいいわ」

 

「…ノースはキグナスを追い出されたと、それで『個人のやりたいトレーニングを尊重する』僕のチームに所属したいと」

 

「そういうこと、そして…」

 

ここでノースはキグナスのトレーニングメニューを書いた紙を差し出そうとしたが、差し出す直前で手が止まってしまう、その手は震えていて、やっぱり不安が抜けきっていないのだろう。

ここで私はアルビレオのトレーナーさんに気付かれないようにノースの背中を少しだけ指先でひっかいてあげた、もちろんいたずらのつもりはなく、応援のつもりだ。ノースは指先の感触にぶるりと体を震わせ、深呼吸をしてからトレーニングメニューを渡した

 

「…そして、キグナスのトレーニングメニューは大体記憶で覚えている限りこれよ、どう?私にこのトレーニングを行わせてくれるかしら、それともオーバーワークだと言ってやめさせるかしら」

 

「おお…こりゃずいぶんすごい密度だなぁ」

 

なんかホント、この娘はキグナスとシーホースランス以外には態度が変わるなぁと思いながら私もトレーニングメニューの手書きコピーを見ようとしたが、ノースに「キグナスの企業秘密よ」と言われて奪われてしまった、ふえ~。

 

「…いいよ、このトレーニングを行っても構わない」

 

「えっ…ほんとに…!?」

 

私も驚いた、先ほどちょびっとだけ見えたキグナスのトレーニングメニュー、恐らく2割ほどだが、それでも私のトレーニングの10割に届きかけていたような内容だった、つまりほぼ無茶なオーバーワークだ、それでもキグナスのウマ娘はこなしてしまうのだと言う恐怖の感情と、このトレーニングを行うのを認めてくれるアルビレオのトレーナーさんに驚いている。

 

「まぁちょびっとだけ手を加えさせてもらうけどね、その修正も君の思う様にならないなら却下してくれて構わないよ」

 

「すご…このトレーニングを認めてくれるチームが本当にあったなんて…!!」

 

「まぁ僕のチーム知名度もないからまともに宣伝も出来てないしね…チーム探してても気付かないでしょ…それで、どうするノース、あとは君の意思次第だ」

 

アルビレオのトレーナーさんはノースに向きなおして真剣な表情でそう聞く、ノースはちょっと後ろにのけぞって幸せを噛みしめていた、なんだかんだ言ってノースもしっかりうれしいって感じる子供なんだと感じる、そうして数秒経ってからノースは背中を前に戻し

 

「……当然よ、いや、当然です、これからよろしくお願いします、トレーナーさん」

 

「あ、喋り方は前の方が僕は喋りやすいかな…僕は森田、これからよろしくお願いね、ノース」

 

「いよっし、決まったね、やっぱりあったでしょ?ノース!」

 

「えぇ…!」

 

そんなこんなで私の方も幸せを噛みしめることにする、昼間っからぶっ通しでチームを探していたので達成感もダンチだった、いや~よかった。

なんて考えているとノースが私の手を引いて外に行こうとする、伸びをしていて聞いていなかったが、今日はとりあえずトレーニングを休みにしようと言われたらしい

 

「よかったね、チームが見つかって。これできっとこれからも活動できるよね」

 

「えぇ、あ、そうだ」

 

ノースは突然顎に手を当てて考える動作をする、数秒うんうんと悩んでから何かを決めたように姿勢を戻してから、ちょっと話に付き合ってくれと頼まれたので、快く承諾をした

 

私はノースに手を引かれるままどこかに連れて行かれる、どこかお出かけするのだろうと思っていたが、街中に何件もあるような、出かけるに王道っぽい店をどんどん通り過ぎて私たちはどこかに向かっていた、あっという間にどこかの山の中に連れて行かれてしまった、トレセンからさほど遠くもないはずなのにこんな山があったなんて初めて知ったので最初は少し慣れない光景に困惑した。

話を聞くとここはノースの秘密基地なような場所だと言う、なんでもシーホースランスと一緒にいつも休憩に使っているらしい、しかしそんな場所に私が来ていいのかとも思ったが「あなたには恩があるからね」と言われてそのまま森のさらに奥に招待された。森のさらに奥を抜けていくと、一際大きい空間に抜け出した、そこにある木にはハンモック等が付けてあって、寝ながら休憩できるようになっている。

 

「いらっしゃい、私の…いや、私たちの秘密基地へ」

 

「すごい…ここだけやけに風の通りが良くて涼しい…いや冬だから普通に寒いんだけど、それでもなんだか優しい寒さって感じ」

 

ノースは慣れた足さばきで木を駆け上り、かけてあったハンモックに寝転がってしまった、私の方もノースを見習って木を登りたかったが、いかんせん打撲している身なので一番下のハンモックで我慢する。一番下でも途中足を踏み外して大変な事故を起こしかけたが、こういう時の為に備え付けてあると言うクッションが私を助けてくれた、そうして何回も挑戦しているうちにやっとハンモックのところまで登ることができた。

 

寝転がると空の明るさが全身に降り注ぎ、心地よい風が肌を撫でる。そうして数分ハンモックに揺られていると、ノースが口を開いた

 

「…シャインさん、本当にありがとう、今日の出来事が無かったらきっと私はいつまでも過去を引きずって、いつまでも歩み始めてなかったと思う。でもあなたが助けてくれたからアルビレオに所属できた、本当、ありがと」

 

「別に気にしないで、最初に言った通り私は同世代のライバルにずっと強くあってほしいからあえて塩を送ったんだよ」

 

「あそ…気にしなくていいなら気にしないけど。

 

私はこれからキグナスじゃなくアルビレオのウマ娘として活動を始める、まだあのチームも完全に信用できるわけじゃないけど、そこら辺に関してはこれから確かめていくわ。仮にアルビレオが信用できないチームで、私が脱退することになっても、今度は一人でチームを探すために立ち上がるわ」

 

「ひひっ、その言葉を聞いて安心した、これからはもう心配いらなそうだね…」

 

空を見上げていた視線を横にずらしノースが揺られている様を見つめる、これ以上ないくらいにハンモックが横揺れしている。そのまま私は今日一日中動いたことによって訪れた眠気に誘われるまま目を閉じた、別に薄着をしているわけではないし、凍死することはないから安心して欲しい。

 

「それともうひとつ言っておくわね、キグナスについてだけど、シャイニングランっていうオレン………

 

 

…あれ、シャインさん?ああ、寝ちゃったの…」

 

高さが4mはある場所からシャインさんを見下ろす、見下ろすと言う言い方を使うとあまりよろしくないかもしれないが、別に悪意は込めていない

 

「…ランス、私達、間違ってたね…この人たちはたまたま才能があったわけじゃない…確かに努力をしてあそこまでになったんだよ…私たちが手を出していい相手じゃなかった…」

 

今更こんな森の中にいるのに喋ってもキグナスの元でトレーニングをしているランスに届くわけもないが、私はただ、今思ったことを正直にランスに伝えようとした。

しかしここで私は自分自身の言葉に間違いを見つけた、「あぁ、また間違っちゃったな」と思い、私は森の上側に見える真っ白な空を見つめながらぽつりとつぶやいた

 

「負けた理由を追い求めろだったわね、手を出していい相手じゃないわけじゃなかった、私たちがこの人たちに劣っている理由を求め切れていなかったのよ。次は勝ってみせるから、覚えといてよ、私のライバル」

 

 

心が空っぽになっているのを感じる、昨日からずっとこうだ

授業が終わってからすぐにトレーナー室に呼び出され、その後はずっとトレーニングだ、ノースに連絡しようとしても、その間の休憩時間では水分補給とストレッチ以外の事は許されないし、ウマホはトレーナー室に預ける約束になっている、なにより連絡先はキグナスのメンバーとトレーナーさん以外消されている。孤独だ、小さなころから一緒に連れ添ってきた親友と何一つ話せないのだ、だけど私はノースとの約束を守るためにトレーニングを続ける、私は仇を取るためにホープフルに勝つんだ。

 

「それでは私はこれで失礼します」

 

「帰ってからも食事のメニューを送るのを忘れないように、それとすでに抜けたメンバーの事は忘れろ、ランス」

 

ノースの事を忘れろと言われるが、そんなこと出来るはずがない

 

「ふぅ…まだ門限まで時間あるかんじかな、もしかしたらあそこにいるかも」

 

時計を見るとまだ門限まで1時間近くあった、それならば私たちの秘密基地に行けるだけの時間はある、そこにもしかしたらノースがいるかもしれない、少しでも話すことが出来れば、私のモチベーションも持ち直すというものだ

走り始めて数分、私はいつものように森をかき分けていつもの場所に向かう、広間に抜けると、やはりそこにはノースの姿があった

 

「おっいたいた、おーいノース、遊びに―――」

 

ノースに声をかけようとしたその瞬間、一瞬にして私の動きは止まってしまった、なぜなら私とノースが意地でも倒したかった相手、スターインシャインが私たちの秘密基地にやってきているからだ

 

「なんで…?なんで私たちの場所にスターインシャインが…?」

 

理由を考えても何もわからない、これまでこの場所には私たち二人しかやってきていないからスターインシャインがこの場所を知っているわけがない、それなのになぜスターインシャインがいるのか。

考えられる理由はただ一つだった、ノースがスターインシャインをここに招いたのだ、なぜだ、なぜ私以外のウマ娘をここに招いたのだ、私が一番の親友のはずだったのになぜ

 

「そっか…ノースは私と連絡が取れなくなったから、遊べなくなったからもう私には友情を感じていないんだね…」

 

ノースに捨てられた悲しみで私は静かに泣いた、もしここで声を出して泣いてしまっては二人に気付かれるからだ、しばらく泣いてから時計を見ると、10分ほど経っていた

最初こそ悲しみに包まれていた私の感情だったが、途中から私は怒りの感情が湧き始めていた

私が一番の親友なのだ、それがたまたま才能があった努力もしない地方のウマ娘に奪われてしまった、そしてその親友の座を入れ替えるのはノース自身の意思だ。

ノースは私を捨てたのだ、京都ジュニアステークスの前にあのような約束をしておきながら、私のホープフルを見ることもなく私を捨てたのだ、許せない。

 

「もう誰の為でもない、ホープフルで全員私がぶっとばしてやる…そしてノースに言ってやる、私はノースの為に走ったのではないと…!」

 

たまにアニメの表現で、血が出るほどに拳を握る描写があるが、初めて私はその描写を理解した、手にズキズキとした痛みが走っていたのに気付いたのは私が立ち上がった時だった、私は怒りを湧き上がらせている間、痛みに気付かないほどに怒っていた。

 



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第二十六話 ジングルベル!ジングルベル!

 

12月24日、朝っぱらから飛び上がって窓の外を見ると、きれいな雪景色が広がっているこの時期。私は埼玉育ちなのでこの景色にも慣れっこだが、トレセンで見ると少し新鮮だ、今年は雪かきとかで負傷者が出ないといいけど…

 

雪が降っている光景を楽しみつつ私は自分の足の具合を確かめる、私の打撲は先生の言った通り3週間ほど続いた、だが長い期間しっかりと療養した甲斐あって、ついこの間完治させることができた。今ではもう痛みを感じず、すぐにでも走り出すことができる。治った時の喜びはどんなことの比にもならなかった

 

「おう、来たかシャイン、今日はリハビリとしてインターバルを行っていこう。ホープフルまでに絶対体を仕上げるぞ」

 

「当り前~っと」

 

私は授業が一通り終わった後、トレーニングを行うためにトレーナーさんと久しぶりのやり取りをしていた。脚が治ったことにより私はトレーニングを再開することができた、再開していたのだが、やはり3週間のブランクは大きかったようで私のタイムは大きく落ちていた、超前傾走りの反動も前に比べて大きくなっていたように感じる。

 

トレーナーさんとトレーニングメニューの打ち合わせをした後、私はインターバルトレーニングを行っていた、そしてインターバルが終わった後、私は超前傾走りのトレーニングも行っていた、なんせすべての能力がこの3週間でダウンしているのだ、そしてホープフルまではあと4日しかない、死に物狂いで仕上げなければG1に間に合わない、だが一つだけ『問題』がある

 

「シャイン!そのまま坂に行け!ホープフルではスタート直後とゴール前で二度坂を上る必要がある!無理はするなよ~!!」

 

「(分かってるって、この先が坂だよね…)」

 

私は超前傾走りを使ったまま坂に差し掛かる、私が怪我をした坂に比べ角度がついていない、ゆるやかな坂だ。怪我をしたとはいえ体を下げるための感覚とコツは確かに掴んでいたので、あの時と同じように一度体上に軽く上げてそのまま沈み込ませる。

 

だが坂で超前傾走りをしてから数秒、私は全身に電流のように流れた恐怖感で足を止めてしまった、そう、ただ一つだけある問題『坂に対しての恐怖』だ。

怪我をしたことによって坂での超前傾走りは恐怖感を感じるようになってしまったのだ、どうしても坂を上り始めてしばらくすると打撲した時の記憶が鮮明に思い出されてしまう、そして最終的には脚が硬直してしまう。このことに関してはトレーナーさんも重く見ているようで、慣れさせるため積極的に坂のトレーニングを行ってくれてはいるが、何度やっても足を動かすことが出来なくなってしまっていた。私が足を止めてしまった事を確認していつもの心配そうな顔をしてトレーナーさんが近づいてくる、今日も坂での超前傾をできなかったため、一旦普通のトレーニングに戻して今日は終えようと言う事だった。

その後難なくトレーニングをこなした、怪我したとはいえ打撲なので直ってしまえばこんなものであった、タイムが遅くなったことと超前傾の恐怖を除けばだが…

 

怪我をしてからあまり期間も経っていないので、トレーニング時間は本調子の時より少し短くなっている、そのためトレーナーさんをお出かけにでも誘おうかと誘う理由を考える

 

「ほいじゃ、今日はこのあたりで切り上げよう、ホープフルまではあと四日しかないが、プラスに考えろ、四日もあるんだ、気長に修正していこう」

 

「はいはい、あそうだ、トレーナーさん、今夜空いてる?」

 

私は今日がクリスマスイブだったことを思い出し、どうせならトレーナーさんとハロウィンの時のようにどこかに出かけようと言う事で誘ってみた、トレーナーさんは自らのウマホに目を落とし、スケジュールを確認している。どうせ予定も入っていないのだから素直に出かけると言えばいいものを

 

「おう、空いてる空いてる、さてはクリスマスイブだからってこんなおっさんと出かけようとか思ってんな?」

 

確かにトレーナーさんは今年30になるかなりのおっさんだが、サンもクライトも忙しいだろうし、私は特に出かける相手もいなかったので誘ってみただけだ。一人でクリスマスイブの街中に飛び出しても寂しいだけだろう、ノースもアルビレオの事で忙しいだろうし

 

「どうせ暇でしょ?なら出かけてくれたっていいじゃん、トレーナーなんだし」

 

どうせ暇、という点についてトレーナーさんが酸っぱい顔をしたが、なんやかんやでおでかけを承諾してくれた、という事なので私はトレーナーさんと言ったん別れて、お出かけの準備をすることにする。と言っても私は夏服と冬服の二つくらいしか持っていないので、おしゃれもくそもないのだが…

 

準備が30秒で終わってしまったので例のごとく食堂で暇をつぶそうと歩いていたのだが、何やら寮が騒がしい、騒がしいと言うよりかはどこか変な空気と言った方が良いだろうか。なんだかみんなそわそわしている様子だ、やはりみんなクリスマスイブは誰かしら特別な人がいるから、その人に大切な気持ちを伝えたり、何かをプレゼントしたりするのだろう。私はと言うと、出かける友達も今のところ忙しい様子で、それを除くと誰もいなかったので30のおじさんと一緒に出掛けるくらいだ。

 

不思議な空気の寮を歩き続け、私は食堂についた。入ってすぐに何かの噂をする声が聞こえてくる、私はいつも座っている窓側の景色が見える席に座ると、顔を向けずに内容に耳を傾けてみる、すると、どうやらG1で勝ったウマ娘の話のようだ。

 

ここ最近で行われたG1と言うと、阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯フューチュリティーステークスの二つだろう、どちらもマイルのレースだ。私は有マ記念やクラシック三冠レース、宝塚記念など王道のG1にばかり釣られて完全に存在を忘れていたが、確かにもう数週間ほど前にレースが行われた後だろう、誰が勝ったのだろうと思いウマホを取り出し調べてみる、そしてすぐに画面を見てわたしは驚く、なんと阪神JFの一着の部分に堂々と『マックライトニング』と書いてあったのだ。まさかクライトがこの前のG1に出ていたとは微塵も知らなかった。まったくあの子自分のレースについては全くもって喋らないんだから…レーススケジュールの開示をしろと言うわけではないが、せめて何に出るかぐらい教えてほしいものだ。

 

そうすると食堂のドアが開き、黄色い声が上がった、黄色い声が上がった時点で察していたが、やはりクライトが食堂にやってきたようだ。クライトは私を見るなり近づいてきて隣の席に座ってきた、どうやら何か不機嫌なようで、脚で16ビートが刻まれている。レースの事を言ってくれない件について話してやろうとも思ったが、数か月一緒に過ごして分かっている、この状態のクライトを下手にイジってはいけない

 

「…ずいぶん不機嫌そうだね、クライト」

 

クライトの堪忍袋にトドメを刺さないようにジャブ程度の切り出しをした、話し始めるのを待っていたようにクライトはこっちを向いて話し始める。心なしか私と話すときは昔と比べて優しい表情を見せてくれるようになったように感じる、私がクライトと仲良くなれたと言う事でいいのだろうか

 

「あぁ、なんかG1勝っちまった影響でどこ行っても気が休まらねぇ、マジで本当にどこ行っても注目されるからイライラするぜ…」

 

確かにクライトは入学当初から私を威嚇したように、1人を好むタイプのウマ娘だ、良くて私たちのような3人組が精いっぱいだろう、それがどこ行っても9人は下らないウマ娘に絡まれる状況はクライトにとって地獄そのものだろう、お気の毒にと思いながら、少しだけ感謝の言葉を述べてあげる

 

「…だけどよ、なんか変な感じだぜ、G2の時はあんなにつらかったのに、G1の時はそんなにつらくなく優勝できた、今年の阪神JF、弱いメンバーが多かったのかもしれない。もちろん驕りなんかじゃないぜ」

 

確かに中央のレースは全部が全部盛り上がるわけではない、もちろん盛り上がるのがほとんどだが、特に熱狂したレースと比べると盛り上がりに欠けるレースもたくさん見る、スローペースで流れたりなどでだ。クライトはきっとその盛り上がりに欠ける方を踏んだのだろう、良く言えば運がいい、悪く言えば偽りの強さと言ったところだ、それでも私はG1に出走した挙句優勝したんだからそれなりの実力はちゃんと持っていると思うので、クライトにその気持ちを伝えたが「そりゃどうだかな…」とすこし不安げに窓の外を見つめる。

 

「そういえば、クライトもホープフルステークスに出るんだよね?お互いに全力を尽くそう」

 

だいぶ前、私とサンとクライトの3人でゲームセンターに遊びに行った日、クライトが怒りに震えていたから入った喫茶店で一瞬だけ聞いたこと、確かにクライトはホープフルに出走すると言っていた、お互いに負けられない理由を知っているので、どちらが負けても悔いが無いようにこうやって爽やかな約束をしておく

 

「おっ、よく覚えてたな、出走するぜ、スタ公との久しぶりのレースだ、お互い楽しんでいこうや」

 

そういってクライトは拳を私の前に差し出してくる、私も拳を出して、クライトの拳にぶつける、そんなこんなで話しているといつの間にか1時間ほどたってしまい、突然私のウマホが鳴った、画面を見ると、トレーナーさんからの連絡だった。

 

『準備は終わったけど、今からもう出るか?』

 

『ん、それじゃ行きますか★』

 

トレーナーさんに秒で返信をした後、クライトに用事があることを伝えて食堂を飛び出る。駐車場に行くと既にトレーナーさんが車の前でドアを開けてスタンバっていたので、走って車の中にダイブする、車に乗るのは私とトレーナーさんだけなので後ろの席はまるまる私が寝転がって使う事が出来るのだ

 

「あ、そうそうシャイン、なんでもトレーニングメニューについて話すために一緒に出掛けたいと言う事だったから、桐生院さんもつれて来たぞ」

 

「…ふぇっ?」

 

「シャインさん、お久しぶりです!この前のサウジアラビアロイヤルカップお見事でした!あの最終直線からの追込み…見てて惚れ惚れします!」

 

なんということだろうか、私はてっきりトレーナーさんとの二人旅だと思っていたが、いつの間にか横入りおん…おほん、桐生院さんまで付いて来てしまったのだ。桐生院さんはいつものような笑顔で笑っていた、突然ハッとする、助手席を取られてしまったらトレーナーさんとずっと話し始めるのではないだろうかこの人、それだけはやばい、トレーナーさんをいじるのは私だけだと思い助手席に急ごうとしたが、私はすでに後部座席にダイレクトにダイブしていたので先に座られてしまっていた。二人に気付かれないように後部座席の背もたれに「うぐぅ」と声を漏らす

 

車が走り始めてから、やはり私の予想は的中していたようで、この二人、ずっとトレーニングメニューについて話し合っている、マジで私の入る余地がない、マジでこの人の笑顔や言葉が私の堪忍袋を閉じている筋をプチプチと、一本一本ちぎり始めている、これ以上私の目の前で私のトレーナーさんと楽しそうに話していると何をしでかすかわからないかもしれない

 

「あっ、トレーナーさん、クレープだって、買ってよ~??」

 

私は今すぐにでも駆け出しそうな感情を抑えながらトレーナーさん方の会話を終わらせるために誘導する、だがしかしトレーナーさんはすぐに車を停めず、桐生院さんの方を向いた

 

「ん?あ~クレープか、どうします桐生院さん?」

 

「私今はあまりクレープは食べる気になりませんね…」

 

「そうですか、すまんなシャイン、また今度の機会に買ってやるから、今はトレーニングの会話をさせてもらうよ。てか俺都会のクレープポンポン買えるほど今金ないし…」

 

あ~もう、この男ホントに今すぐに後ろから背もたれ蹴って腰いてこましてやろうか、心なしかこの女笑ったように見えるんだけど、こっちも腰いてこましたろか。私が後部座席に座っているのでこの2人の生殺与奪は私が握っているといっても過言ではないのだが、これをやっても何も変わらない気がしたのでやめておいた。

あんだかんだあってそのままいつの間にかクレープ屋を通り過ぎてしまった、再び車内は二人のトレーニングメニュー談義に包まれる

 

「なるほどなぁ、確かにそういうトレーニング方法アリですね」

 

「でも橋田さんのトレーニング方法もかなり参考になりますよ!」

 

「いえいえ、私のはサブトレーナー時代に過酷な環境でいろいろ勉強させてもらったからなので」

 

「それでもすごいですよ」

 

私はもうすごい顔をしながら話を聞いていた気がする、すごく昔、小学5年生くらいの頃にお経をひたすらに聞かされていたような気がするが、その時の心情に近い気がする。虚無だ、ひたすらに虚無だ

だってそうだろう、トレーナーさんと二人でお出かけできると思っていたのに、突然仲良くもない人が間に入ってきて会話の席を独り占めして、特に歩くこともなく車内でずっと話しているだけ、私はずっと流れる景色を見つめながら睡魔を怒りの感情でぶっ飛ばしていた、ちなみにすでに空は暗くなっていた、門限まではまだ2時間くらいある

 

「そろそろこのあたりで降りますかね、街中のイルミネーションとかも見てみたいですし」

 

「そうしましょう、シャインさんもどうぞ」

 

アニメ調に私を描いた場合、きっと私のおでこには怒りのマークが15個ほどついているだろう、私の話し相手を散々奪っておいて何を言っているんだこの女はと私が怒り心頭になっていると、トレーナーさんが私の様子に気付いたのか桐生院さんより前に出て手を差し伸べる。

 

「ちょっとすいません、シャインと話をさせてもらえますか?」

 

「……??別に構いませんよ?」

 

私は手を引かれて近くにある建物の後ろ側に連れて行かれた、何の話をするのだろうとトレーナーさんを待っていると

 

「お前今、桐生院さんに対して何考えてる?」

 

「…別に、なんでもないですけど?」

 

「ウソこけ、バックミラーで見えてたぞ、お前の般若みたいな顔、どうした?」

 

「…私はトレーナーさんとふたりで出かけたかったのになんか予定狂っちゃったなって…」

 

効果音で「むすっ」という音が出そうな感じにむすっとした顔をしてみる、するとトレーナーさんはあきれた様子で

 

「お前なぁ…なんか俺に恋愛感情持ってるみたいな感じだな…」

 

「違います、予定が狂ったので嫌なだけです」

 

乾いた声で吐き捨てる、私とトレーナーさんはあくまでトレーナーとその担当ウマ娘と言う関係なので恋愛感情やその他もろもろの感情は一切ない、ただ私とトレーナーさんの予定が予定通りにいかなくてちょっとイライラしてしまっただけだ。私はトレーナーさんの言葉を食い気味に否定して、私がここまで我慢した分の怒りをぶつけようと思った

 

「じゃあさトレーナーさん、私の機嫌が直る方法が一つだけあるよ」

 

「…な、なんだ?」

 

私はそのままトレーナーさんの後ろに回り、トレーナーさんの左側に立ち、トレーナーさんの腕に私の腕をぶっ刺す、所謂腕組みと言う奴だ、トレーナーさんは相変わらず困惑したような表情でこちらを見てくるが、そんなことお構いなしに私は機嫌を直す方法を教える

 

「今回のお出かけ、私とずっと腕組んで歩いて!!」

 

「………えええぇ!?」

 

鈴はまだ鳴り始めたばかりだ

 





この頃ミークは寮のカタツムリを応援していた


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第二十七話 だから私は違うんだって

 

「いや…今日一日これで歩けっつったって…お前絵面考えてみろ…おっさんと高校生だぞ…さすがにやばいって…」

 

トレーナーさんは脂汗をかきながらそう言って私の腕を自分のわきから取り出そうとする、しかしウマ娘パワーにトレーナーさんが勝てる訳もなく、私の腕はピクリとも動かない

 

「今日は私と出かけるって言っていたのに桐生院さんにばかり気が取られている人は誰ですか一体?私今日は遊べると思って楽しみにしてたのに」

 

私はもう怒り狂っていたので今思っていたことを全てトレーナーさんにぶつけてみた、私は今日確かにこのお出かけを楽しみにしていたのだ、それなのに車内で私などいない様に喋っているトレーナーさんが悪い。

私が今の気持ちを包み隠さずバカ正直にトレーナーさんに伝えると、トレーナーさんは「あぁ~」と言わんばかりの顔で頭を掻いていた

 

「確かに、そうかぁ・・・そりゃちょっと悪いことしてたな俺…」

 

「じゃあ今日一日これで歩いてもいいですね?」

 

私はトレーナーさんの脇に私の腕をぶっ刺したまんまだったので、これだこれだと見せつけるように腕をゆする

 

「それは勘弁してくれ、社会的に俺が死んでしまう」

 

「じゃあなんですか、般若の私放置しますか?」

 

確かにトレーナーさんが社会的に死んでしまうのは困ってしまうが、私が放置されたのは事実なので、レース中発しているような威圧感をトレーナーさんに向けつつ、「わかるよな?」みたいな空気を送ってみる

 

「…好きなもん買ってやるから…」

 

大体2分くらい経ってからだろうか、トレーナーさんのコートから熱が放出されて私が温まり始めたあたりで、トレーナーさんが重い口を開いた

 

「…なんでも?」

 

私の聞き間違いの可能性もあるので一応小声で聞き返してみる

 

「………なんでも」

 

「あ、それなら許す、でも私と話すのも忘れないでよ?」

 

「ほんっとにお前なぁ…何でも買うっつった瞬間にご機嫌になるなよ…はぁ…速水さんにでも借りるか…」

 

…何でも買うって言ったから本当に何でも買ってもらうつもりでいたけど、なんだかトレーナーさんの悲痛な嘆きが聞こえた気がしたので買うものは控えることにしようと思う

私たちは話を終えたのでトレーナーさんの脇から腕をすっぽ抜いて桐生院さんの元へ戻った、戻るなり桐生院さんはいつもの笑顔で私たちを出向かえた、そしてクリスマスイブと言う事でイルミネーションで飾りが施された大通りを歩いていく、ここはどこなのだろうか、少なくとも県外には

行っていないと思うが、いかんせん田舎育ちだから東京の地名を覚えられない。

 

相変わらずトレーナーさんは桐生院さんと話していたが、先ほどの話があったからか私にも少しずつ構ってくれるようになった、私が話す対象になるたびに桐生院さんは少し残念そうな顔をしている気がするのだが、気のせいだろうか…

 

しばらく三人で歩いていると、先ほどのクレープ屋さんが見えてきた、どうやら私たちは来た道を戻っていたらしい。私は今度こそクレープが食べれると思ってトレーナーさんの方を向いて提案する。

 

「おっ、さっきのクレープ屋さんじゃん、買ってよトレーナーさん」

 

「へいへい、じゃあ桐生院さん、少し待っててください、シャインの分だけ買ってきます」

 

「はい!」

 

私たちは桐生院さんを少しだけベンチで待たせ、クレープを買いにお店に入った、やっとこさトレーナーさんと二人きりになれたので数秒間だけとはいえ本来の予定通りお出かけを普通に楽しもう

 

「いらっしゃいませ、ご注文は何にしますか?」

 

あれ、この店員さん私がハロウィンの時に買ったたこ焼き屋さんの店員と同じではないだろうか

それはさておきメニューに目を落とす、私は適当に自分の好きそうなクレープを選んで注文した、もちろんトレーナーさんの分は私が買ってあげた、最初は買ってあげると言う事にトレーナーさんも驚いていたが、さっきはだいぶ冷たくしてしまった気がするのでこれくらいはする。

 

注文してから店内で店員さんがクレープを作り始める、私が住んでいたところはこんなところを見せてくれなかったのでわくわくしながらクレープを作る様子を眺める、最初はただのクリーム色の液体だったのに、店員さんが手慣れた様子で一つのペラペラな状態にしてしまった。そしてトッピングたちが一斉に盛られていき、ぐるぐると巻かれていく、なぜかその様子を見てレース後に押しかけてくる記者たちを思い出したが、嫌な記憶しか思い浮かばないのですぐに忘れることにした

 

注文してから50秒くらい経ってからだろうか、クレープが出来上がった。内側には薄い生地の上から触ると固く感じるほどに詰め込まれたクリームが入っており、てっぺんにはキウイやイチゴと言った果実がたくさん盛られ輝いている。しかも生地は注文されてから作っているため多少暖かい、この時期にありがたい出来だ。

 

トレーナーさんの方もクレープが出来上がり、受け取っているのが見えた、トレーナーさんに買ってあげたクレープは内側にチョコソースがかけられているものだ、頂上には切ったバナナがたくさん盛られている、最初こそ「高いからいいよ」などと言われたが、奢られていては私のメンツが立たないので押し切った。

 

お互いまさにこれこそがクレープと言ったようなものを手に持ち、店内を後にした、外ではずっと桐生院さんが待っていたのだろう、見るからに寒そうだ。

 

「あ、お帰りなさい」

 

「ども~、いい感じにクレープ買いました~、あこれ桐生院さんの分です」

 

「あれ?お前さっき買ってたの?桐生院さん食べない気分じゃないっけ…」

 

私は先ほど、実は桐生院さんの分も買っていたのだ、多分この人はトレーナーさんを狙っている、だからとりあえず停戦と行こうじゃないかというメッセージのつもりだ、ちなみに私はトレーナーさんが好きと言うわけではなくて、あくまでもトレーナー業に集中できなくなるのを防ぐだけだ、決して恋愛感情はない。車内で食べる気分じゃないと言ってたので受け取ってもらえないかとも思っていたが、意外とそんなこともなく快く受け取ってくれた

 

「いえ、大丈夫ですよ、別に食べたくない訳じゃありませんから」

 

「桐生院さんの好きなものが分からなかったから適当に選んじゃったけど大丈夫ですか?」

 

「大丈夫ですよ、ちょうど食べたくなってきたところでしたから!」

 

そう言うと彼女は袋の中からクレープを取り出し、今すぐにと口へ運ぶ、彼女の口に運ばれていくクレープを見つめながら私たちも自分たちのクレープを食べ始めた、トレーナーさんが選んだものは外側にバニラアイスが乗っていたので、少し羨ましいとも思ったが、私は自分の分があるので問題ない。それにしてもこのクレープけっこう美味しい、生クリームがすごく濃厚で甘い、だけど甘すぎるわけでもない絶妙なバランスを保っている、牛乳が特別なのだろうか、少し前にちょっとお高めの牛乳を飲んでみたことがあったのだが、濃厚さが異常に違ったので相当特別な牛乳なのかもしれない。上に乗っかっている果物たちもみずみずしくとても甘くておいしい、クレープを買った後は少し遠回りをしながら車へと戻った、その間もトレーナーさんと桐生院さんは話していたのだが、少しだけ私も桐生院さんと話していた、内容は特に特筆することもないトレーニング中の私の心情についてだった

 

車の中に入ると、桐生院さんが電話をしていた、しばらく車内でトレーナーさんと二人で桐生院さんを待っていたが、しばらくしてから桐生院さんが申し訳なさそうな態度で車の前に歩いてきた、どうやら急用が入ったらしく今日はお出かけが出来なくなってしまったらしい、いよっシ…いやなんでもない

 

「すいません…ミークが問題起こしちゃったみたいで…私は自分で学園に戻れますので、橋田さんはシャインさんと楽しんでください!」

 

「いえいえ、トレーナー業は急用多いですからね…申し訳ないです…」

桐生院さんと別れるときにトレーナーさんと少し話していたのが気になるがまあ私にはあ~~~んまり関係ないことなので気にしないことにした、まぁ?願ってもないトレーナーさんとの二人きりの状態が生まれたので?いいんですけど?

なんて私が考えてドヤ顔をしていると、桐生院さんが後部座席に座っていた私に近づいて私に耳打ちした。ウマ娘の聴力があれば同じ車内でもヒトに聞かれずに耳打ちすることが可能だ

 

「橋田さんと楽しんでくださいね…シャインさん…!」

 

「っっ…!?」

 

突然そのような事を耳元で言われて驚いた、桐生院さんの方を向くといつもの笑顔で私の方を向いていた、私は桐生院さんがトレーナーさんにそういう気があるのではないかと勘繰っていたが、もしかしたら実は私の早とちりだったのかもしれない…本当に狙っているならば、このような事を私に言うはずがない、このような応援するようなことを。

 

「それじゃあまた今度一緒にトレーニングメニューの談義をお願いします!!それでは!!」

 

そのまま桐生院さんはくるりと振り向き学園の方に走り去ってしまった、いや、桐生院さんは私がトレーナーさんに好意を持っていると勘違いしているのではないだろうか、その誤解を解いておけばよかったという後悔を残しつつも、私はトレーナーさんと二人きりでお出かけできるようになったこの状況を楽しんでいた。

 

二人車内でクレープをがぶがぶと貪り、味わったのちトレーナーさんは車のエンジンをかけ始めた、すごく美味しかった。しばらくトレーナーさんが車を飛ばしていると、いつの間にか先ほどとはちがうイルミネーションが施された大通りに出てきていた、先ほどの大通りよりも人が多くどこを見ても腕を組んで歩いているカップルがいた。先ほど私は腕を組むことをトレーナーさんに強要していたのですごく気まずい雰囲気が車内に流れてしまう。

 

「…なんか気まずいな、シャイン」

 

車を運転していたトレーナーさんがぽつりとつぶやいた、どうやら同じことを考えていたようだ、いやまぁそりゃそうか、トレーナーさんは強要された側なのだから。

バックミラー越しにトレーナーさんが何かを主張している気がするが、口笛を吹いてごまかす、トレーナーさんに「夜に口笛拭いたら蛇出るぞ」と言われたので素直に先ほどの出来事を謝った。

 

「よし、ここら辺で降りるか」

 

「おうふっ」

 

走っていた車が突然止まり慣性で軽く吹き飛ばされる、完全に油断していたので情けない声が喉から飛び出てしまった。どんなところに止まったのだろうと思い窓の外を見ると、大きな広場があり、その真ん中に大きなクリスマスツリーが堂々とたてられていた。あまりの大きさに車の中でも圧倒されてしまうほどだ。

 

「えっ…すごいんだけどこれ、なに?」

 

「巨大クリスマスツリーだな、俺も初めて見に来たがすごいデカいな、いや~すげぇ」

 

一足先にトレーナーさんは車の外に出ていて、まるで大きくなった親戚を見るかのようなポーズでクリスマスツリーを見つめている。私も車から抜け出してクリスマスツリーを見るが、やはり車内で感じたより強大な存在感だ、あまりの大きさにこのまま潰されてしまうのではないかという感情も沸いて来ていた。

 

「すごい綺麗だねぇ、東京の方は冬にこんなものも立てるんだぁ」

 

「ああ、すごいもんだろ?シャインには悪いことしちまったからな、今日はちょっと遠くまで連れて来たぞ」

 

「当然だよねぇ?」

 

そのままどんどんクリスマスツリーの方に向かって行き、雪が山を作っているベンチに腰掛ける、オシリが冷たい。それにしても今日のお出かけだが、どこに行っても大体イルミネーションがある、私は本当に田舎の方に住んでいたのでやはり東京は東京だと言う事を知った

 

しばらくベンチに腰かけていると何やら看板を体に付けた人が近づいてきた、所謂サンドイッチマンと言う奴だろうか、私も名前程度は知っていたがまさかこの時代にいるとは思わなかった。看板にはでかでかと『カップル割!!今だけお得!!』と書いてあり、お店に招待されてから、私たちはカップルに勘違いされているのだと悟った。

 

最初は追い払おうかとも思ったが、どうせカップルに成りすましてたら安くなるのだからもうこのままカップルのまま行こうと思い、カップルだと偽る

 

「えっ…ちょっ…えっ…?シャインさん…?」

 

横に座っていたトレーナーさんが露骨にあせり始める、あまりにも急に彼氏だと言われたから焦っているのだろうか、食事を安く済ませようとトレーナーさんに目でサインを送ったが、そのサインは届かずに結局トレーナーさんが私の嘘だと言ってサンドイッチマンの人はどこかに行ってしまった。

 

「ぶぅ~、どうして追い払っちゃうのさぁ~、せっかく安くなるところだったのに~」

 

「だから俺が社会的に死ぬんだって…頼むよマジでシャイン、バレたら本当に終わるんだから」

 

トレーナーさんは顔を青くしながら頭を掻いている、流石にこれ以上やって本当にトレーナーさんがお縄になってしまっては困ってしまうので控えておくが、ビビりすぎではないだろうかと思う。

 

こうやってベンチに座っていると、車に乗っていた時よりもたくさん人がいるように感じる、特に腕を組んで歩いている人が目に留まって仕方がない、先ほどあのような事をしてしまったから特に目に留まるのだ。結局私たちは特にやることもないのでずっとベンチに座っていたが、会話も行われず、そろそろ寮の門限が近づいて来ていたので私たちは車に戻ろうと立ち上がる

 

「なぁ…」「ねぇ…」

 

二人同時に話し始めてしまい再び気まずい空気が流れてしまう、恐らくだがトレーナーさんも言いたいことは同じだろう、私だって同じだ、だがトレーナーさんから言ってくれるならトレーナーさんから言ってほしい。

 

「……」「……」

 

しかし立ち上がってからすでに数秒経っているのに二人とも口を開かない、トレーナーさんも私がいいたことを分かっているから沈黙を決め込んでいるのだろう、だが私からも言いたくはない、だって恥ずかしいから。クリスマスツリーの明かりが立ち止まっている私たちを照らす

 

「…はぁ…」

 

ふとトレーナーさんがため息をついたと思ったら、自分の左腕を少しだけ上げ、脇が開くように動いた、ここまでの動きでもう私はトレーナーさんと考えていることが一緒だと確信した。私は迷うことなく右腕をトレーナーさんの脇にぶっ刺す。

 

「…このまま腕組んで車に行くか?」

 

トレーナーさんが私にそのような質問を投げかけてくる、目は合わせない。

当然答えは決まっていたので、声は出さずコクリと頷く。

 

「そいじゃ、行くか、シャイン」

 

私は車に行くまでの数メートルを腕組んで歩いただけなのにまるで1週間ほどに感じた、恐らく私の人生でこれほどまでに時間が遅く感じるのはしばらくないだろう。私は束の間の楽しい時間をしっかりと味わって車に乗った。

 

寮の門限にはギリギリ間に合い、私は眠るまで今日の出来事が忘れられなかった。決してトレーナーさんに好意があるわけじゃない…あるわけじゃない…

 

私はそのまま布の中で意識を手放した。最後の最後まで私は「自分は好意があるわけじゃない」と言い聞かせていた。

 



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第二十八話 決戦の日 届く勝負服

 

トレーナーさんとのイブデートが終わり、朝が来てから私はいつもの生活に戻った。いつものようにトレーニングを行い、時々トレーナーさんをぶっ飛ばす日々。療養期間のブランクによって落ちてしまったタイムもそこそこ戻ってきたのだが、一つだけ結局できずじまいの事があって悩んでいる。坂に対する超前傾のことだ

 

「シャイン!坂の超前傾だ!」

 

「(うげ、マジ?まぁ行くけどさ…)」

 

今日はホープフル当日だが、ブランクを感じる私はアップで少しだけトレーニングをしていた。トレーナーさんが走っている最中の私に指示を出してくる。もはや坂を超前傾で走ることにさえ嫌気がさしている私は、少し反応が遅れてから坂に走り始めた。

 

そして上体を起こしてから一気に沈み込ませる、この方法でいつものように姿勢は坂に対して平行な超前傾になる、が…やはりダメであった、坂を超前傾で走り始めてすぐに身の毛のよだつ恐怖が全身を覆ってしまう。「結局また走れなかった」と思い私が立ち尽くしていると、トレーナーさんが私の事を励ましてくれる。だがその言葉でさえ今の私には無力だった

 

「どうする?ホープフルまではあと数時間だぞ?坂の超前傾を習得するのは諦めて、コーナリング技と直線の超前傾で勝負するか?」

 

「いや…それは…いやでもなぁ…」

 

トレーナーさんからそのような選択を迫られるが、イマイチ踏ん切りがつかない。だって仮に坂の超前傾を使わずにホープフルに出たとして、坂の超前傾が必要な時が来たらどうしようか、それ以上の技を持っていない私は確実に負けてしまう。となれば習得しない訳にはいかないが、それを習得できないのが今の状況だ。それであれば普通のトレーニングに集中してしまうのが一番いい選択肢なような気がするが、結局前者のような思考が出てきて永遠に選択が決まらない。

 

「…んまぁ一旦トレーナー室戻ろうか、時間もないしな」

 

しばらく私がごもっていると、トレーナーさんに肩を叩かれトレーナー室に戻った。

 

 

「あそうだ、思い出したよシャイン、完全に忘れてたけどさ」

 

トレーナー室に戻るまでの道筋で突然トレーナーさんが何かを思い出して声を上げる。私は先ほどの選択肢をいつまでも考えていたのに、いったいなんだろうかとトレーナーさんの方を向くと、ウマホの画面を差し出されていた

 

「ん?何この画面」

 

「ほら、勝負服だよ、発送完了になってるから多分トレーナー室に届いてるんじゃないか?」

 

「あぁ~」

 

間抜けな声を出してしまったが、私は内心喜んでいる。

トレーナーさんに勝負服のことを話されて私はようやく思い出した、そういえば今日届くようなことを確かに言っていた。私は早く勝負服を着てみたい一心でトレーナー室に走り出した

 

「あっ…おい!グラウンド以外で調子乗って怪我とかするなよ!?」

 

「あたりまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

バゴォンと効果音が鳴りそうなほどにドアを蹴り破って勝負服を探す、私は荷物の届け方については知らないのでトレーナー室のどこにあるのかはわからない。私はロッカーの中だったり、トレーナーさんのデスクの中だったりを探したが、後者に関しては見てはいけないような本が出てきて終わりだった。結局トレーナーさんが追い付いてくるまでに見つけることが出来なかったが、トレーナーさんは場所を知っていたのですぐに出してくれるそうだ。

 

トレーナーさんが奥の方から段ボールを持ってきて私の前に置く。私の人生で、私の唯一無二の勝負服が目の前にある事実に少しだけたじろいでしまう。

 

「…どうした?開けていいんだぞ?」

 

「う、うん…ただちょっと、怖いかなぁって…」

 

「開けないなら俺が開けるぞ」

 

そう言ってトレーナーさんが手を伸ばすが私はその手を掴んで止める、あくまでも私が開けたいからだ

 

「…開けるから…」

 

「おう」

 

トレーナーさんが手を引いたのを確認したら、今度は私が段ボールに手を伸ばす。テープをピリピリと剥がしていき、だんだんと梱包を崩していく。そうして箱を開けた先にあったのは

確かに私が注文した私の勝負服だった。その光景を見て私は少しだけ感極まりつつもすぐに取り出して着ようとする、トレーナーさんの方を見ても静かにうなずいてくれたので着てもいいのだろう

 

「…え、いや、トレーナーさん出てってよ」

 

「あ、すまん」

 

危うくトレーナーさんに裸を見られかけてはいたが、今の会話で少しは落ち着いたのでゆっくり着替えはじめる

 

 

「シャイン?もういいか?」

 

ドアの向こう側からトレーナーさんの声が聞こえる、私の方は既に着替え終わっていたので元気に答える。答えてすぐにトレーナーさんがドアを開けて入ってくる、私はトレーナーさんに勝負服を見せつけるように仁王立ちをする

 

「すげぇ…決まってるな、シャイン」

 

「でしょ?結構いいデザインだと思うよ、これ」

 

私が頼んだ勝負服は所謂ガンマンの服と言うのだろうか、といってもタイキシャトル先輩のように肌を出しまくっているわけではない。拍車が付いたブーツを履き、気持ち控えめに十二星座の刺繍が施された紺色のコートは裾がひざ裏まで届き、二股に分かれている。その中には黒いベスト、さらに下に白いシャツ、赤いネクタイを着ている、サスペンダー付きでだ。

 

手袋ももちろん付けている、手袋の色も重要な要素だったが、私はワインレッドと言う色の手袋を付けている。ワインレッドには主役の風格・個性・自信という意味があり、これから重賞を総なめする私にぴったりな色だ。これまで述べた服装に加えシルクハットを被った姿を、私はトレーナーさんに披露した。

 

私がこのデザインにした理由、もちろん先ほど述べたような手袋の色言葉、スターインシャインと言う私の名前から取った星座のコートなどもそうだが、それ以上の理由もある。最初に言った通り、というか事細かに説明している時点で分かるだろうが、この勝負服はガンマン風になっている。ガンマンは西部開拓時代に現れた、銃器に長けた保安官やならず者の事を言う。私は『みんなが手にしたいG1の座を奪いに、ターフに現れたならず者』と言う意味でこのセットにしたのだ。

 

「あ、でもさすがに勝負服のまま競バ場行くわけにはいかないから、一旦脱げよ」

 

「え~…結構着るの大変だったんだけど」

 

「もともと時間に余裕あったのにその時間削って勝負服を試しに着てるんだ、文句は言うな」

 

「うへぇ…」

 

「じゃ、俺は車に行ってるから、ちゃんと勝負服持って来いよ」

 

「あたりまえじゃい、わかってるっちゅーに」

 

私はもうこのまま行っても良かったのだが、しぶしぶトレーナーさんを再び追い出してトレセンの制服に着替え直した。レモンを口に突っ込まれたような顔をしながら、勝負服を持ってトレーナーさんの車に向かった。

 

「おっ、ちゃんと着替えて来たな、それじゃ行くぞ」

 

「うい~…」

 

「…ん?あれってシャインの知り合いじゃないか?というかあれノースブリーズか」

 

「え?ノース?」

 

私が車に乗ろうとしたら突然トレーナーさんが私の後ろ側を指さしてそう言った。トレーナーさんが指差した方に視線を向けると、確かにノースがこちらに歩いて来ていた、車の前に来ると立ち止まってあいさつ代わりに風船ガムを手渡された。

 

「おはよう、今日はホープフルね、気合も入ってるみたいだし、安心したわ」

 

「ん、うん、そうだね、G1だし、絶対勝ちたいもん。ノースはどうしたの?」

 

「私は今回のホープフル、ランスを応援してたんだけど…ちょっとした事情があって…それは車に乗ってから話すわ、乗せてもらえる?」

 

トレーナーさんの方を見ると、車の窓からグッドポーズを差し出していた、私は勝負服を入れた箱を持ったままノースと一緒に車に乗り込んだ。

 

車に乗ってから数分、私はノースが言っていた『ちょっとした事情』について聞いてみた

 

「あ、そうそう、その事情についてなんだけど…ランスの事でちょっと…」

 

ランスと言うのは、ノースといつも一緒にいたシーホースランスの事だろう。シーホースランスは芝もダートも走れるウマ娘で、アグネスデジタルの再来とも言われているウマ娘であり、ノースとはまた違った意味で強いウマ娘のはずだ。二人は私がノースと和解する前からとても仲が良いのを知っていた、それなのに何かしらの事情があると言うのはどういう事だろうか。私はノースが車に乗る前「ランスを応援してたんだけど」と言っていたのが引っかかっていた。

 

「昨日、実はランスに呼び出されたのよ、場所はあなたも来た私たちの秘密基地。最初こそキグナスのトレーニングの休憩を縫って呼び出してくれたものだと思っていたんだけど、そうでもなかったみたい」

 

途端にノースの顔が暗くなる

 

「どういうこと?二人とも仲良いからただ遊んだんじゃなくて?」

 

「それがね、そうでもなかったの。なんでもあなたと私が秘密基地に来ているのをあの子、見てたみたい。私とランスはあなたやプロミネンスサン、マックライトニングを倒すって約束をしてたから…それで私がランスを裏切って、シャインと仲良くしてると思ってるみたいなの…いや、裏切ってしまったのは事実だから謝罪はしたんだけど…それでもだめで…」

 

ノースはシーホースランスがあの時、秘密基地に行った日あの場にいたという。あの日ランスが私たちの後を付けてきていたのだろうか。私、全然ランスの気配に気づかなかったのだが…

 

私はノースがランスに呼び出された日の事を事細かに聞いた

 

 

最初は秘密基地に呼び出され、久しぶりにランスと話せる時間を楽しみにしていたらしく、慣れた脚付きで森の中を抜けて行ったらしい。

 

「ランス!久しぶり!会いたかった!こうして話せる時間が作れるなんて、どんな技を使ったの!?」

 

私は森を抜けて秘密基地に出た。そしてランスを見つけしだい飛びつくように話しかけた、だがランスは明るく出迎えてはくれず、敵を見るような顔で私を見ていた。私はその顔を見てランスの様子が普通じゃないことがすぐにわかった、だが何も私に敵意を向けているとは気づかず、いつものように接してしまう。だがランスはいつまでたっても何も喋らない、そのため私はランスに顔の事について聞いた

 

「ラ…ランス?どうしたの?顔が怖いよ」

 

「…ノース、あんたは私とシャイン、どっちを選ぶの?」

 

それまで黙りこくっていたランスは突然口を開いて、そのような事を聞いてくる。質問の意図がいまいち分からないが、私たちの今までの関係からとっさにランスと答えた。のだが、ランスの顔は未だに私を睨んでいた

 

「なら、なんでこの秘密基地にシャインがいたの?私達だけの秘密基地って決めてたのになんでシャインがいたの?私たちの敵だったシャインがなんで?私達だけの…秘密基地だったのに…」

 

「それは…まずランス、シャインさんは悪い人じゃなかったのよ、私がキグナスを追い出されてからのチーム探しをあの人たちは一日かけてやってくれた。その間の会話でもあの三人が悪い人たちじゃないことがしっかりと分かったの、だからシャインさんをここに呼んだの。別にランスを裏切ったわけじゃ―――

 

「うるさい!!私たちは小さい時から親友だった…それなのになんであいつらがノースと仲良くしてるのかが理解できないの!!それにそれを受け入れてるノースも理解できない!!あいつらはキグナスの敵だ!!絶対私が倒すんだ!!あいつらと仲良くしてるお前も敵だ!!」

 

その時のランスの表情は、過去に一度だけ見た本当にキレていたランスの顔だった

 

「私は今回のホープフルステークス、ノースの為に走ると約束した。だけどもう違う、私は自分自身のために走って自分の為勝つ!覚えていろ、必ず裏切ったことを後悔させてやる!」

 

ランスはそれだけ告げて私の言葉すら聞かずに走り去ってしまった。理由があるとはいえ友を裏切ってしまった罪悪感、そして友が何も利益が無い復讐に燃えてしまった事に絶望した。

 

 

「そっか…いや、私が秘密基地に容易に足を踏み入れてしまったから…」

 

「いいえ、招いてしまったのは私よ、気にしないで」

 

「それならいいんだけどさ…それで、私に何かを頼みに来たんだよね?」

 

トレーナーさんの車がカーブを曲がり、中山競バ場まではあと少しと言うところだ、競バ場についてからではあまり話す事も出来ないので早めに用件を聞くことにする。

 

「あら、要件があることまでお見通しなの…なら言わせてもらうわね」

 

ノースが一呼吸おいてから、覚悟を決めたような顔をしてから私に告げた

 

「…ランスを、シーホースランスを倒してほしい、それも僅差じゃダメ、圧倒的に、完膚なきまでに叩き潰して。私たちはあなたたちの事をたまたま才能があっただけの能天気な奴らと思っていた、だけど私はしっかりと努力していることや優しい心の持ち主だということを知ったからあなたたちを信用した。だから、努力して手に入れたその力で、圧倒的な敗北をランスにぶつけて欲しい」

 

ノースは決して目をそむけずに私の方を見てそう言った。私も深呼吸をしてから窓の外を見つめた、ノースはその間も私の方を見ているのが窓の反射で見えた。

 

「もちろん、友の気持ちを考えず安易に秘密基地にシャインさんを招いたのは私のミスだった、友の気持ちを考えられなかった、私の罪よ。だけどあんな、あんなふうにみんなを憎むようなランスは見たくない。だからシャインさんが勝って、復讐心を燃やすのをやめさせてほしい」

 

「…うん、わかった、約束するよ。私だって自分が足を踏み入れたせいで同期の子がそんな風になるなんて耐えられないし。勝つよ、ノース」

 

「約束…」

 

「大丈夫、今度の約束はしっかり守らせるから、もう二度とノースには約束破らせないよ」

 

私はノースの方を向いてからそう答えた。そう聞くとノースは少しだけ目に涙を浮かべて車の進む方向を向いた。

 

「なんか後ろで青春?してるところ悪いが、もうそろそろ中山だ、シャイン、勝負服の箱後ろから取り出しとけ」

 

「ほいほい」

 

後部座席で膝立ちになり、後ろの方から勝負服が入った箱を手に持つ。ここに私の勝負服が入っていると言う事実でもうテンションが高まってくる。

 

「あの…もしかしたら私のせいで無駄なプレッシャー与えちゃったりしちゃったかしら?」

 

チームのルールを破ってしまったとはいえ、シーホースランスがそれほどまでにキグナスを守ろうとする、守ろうと思うキグナスの不思議なカリスマ性に私が口を「へ」の字にしていると、ノースが心配そうにこちらを向いてくる。別に私は何も感じていなかったので心配いらないとノースに伝える。

 

「そう…それならいいんだけど、ランスは何か仕掛けてくるかもしれないから…」

 

 

 

 

「ランス、本当に良かったのか?過去の親友を傷つけるようなことを言って」

 

「いえ、いいんです、むしろあの時間を作ってくれたトレーナーさんには感謝しています」

 

「それならばいいがな。それと忘れてないな?君も今回のレースで負ければキグナスを強制脱退だ、しっかりと自覚しろ」

 

「当然わかっています、ですが私はしっかりと勝つ勝算があって弾圧行為をしたんです、負けはしませんよ、トレーナーさん。」

 

「……そうか」

 

「(スターインシャイン…マックライトニング…待っていろ、お前らはもうすぐ海馬(シーホース)が巻き起こす津波に飲まれる、それまで呑気に生きてろ…二度と立ち上がれないほどにそのプライドをズタズタにしてやるからな…!!)」



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第二十九話 希望を掴め!津波の中で!①

 中山競バ場についてすぐ、全員で車から降りて出走者専用通路から舞台裏へと足を運ぶ。私とトレーナーさんは勝負服やもろもろの準備があるので一旦ノースと別れた。

 

「それじゃあ、ランスの事をよろしく……絶対に勝ってちょうだいね、シャインさん」

 

 別れ際にノースにそのような事を言われ、返事はせずに頷いた。

 ノースと別れて控室に向かって歩いている最中『さてこれからどうしようか』という疑問が私の頭の中に浮かんだ。いやアルツハイマーなわけじゃないし、当然ホープフルステークスがこれからあるから走るのだが、これからG1を走ると言う事がいまいち実感できていない。これほどボケッとしていてはいけないのだが。やはり緊張を通り越して私の脳内に宇宙が広がる感覚がある

 

 それでも体は前に進むため、控室に私は着いた。中に入り、勝負服を取り出して朝のように着替える。難なく進んだ着替えはあっという間に終了してしまい、やる事が無くなってしまった私はもう控室にて椅子に座っているだけになった。控室についている放送機器から今行われているレースの実況が流れてくる、どうやら今は第8レースが終わったところらしい。

 

「私は11レースだよね……はぁ……私勝てるかなぁ……」

 

 一人控室で気分が落ち込む。先ほどノースに「そんなこと言われなくても勝ちますけど?」見たいな空気を出しておきながら私は正直勝てるのかどうかが分からない。想像だけならいくらでも勝算が出てくるのだが、あくまでも想像の範囲を出ないので不安になる。それに忘れてはいけないのだが、今回のホープフルステークス、相手にはキグナスのメンバーに加え、すでにG1の舞台を経験しているクライトが出走しているのだ。そのようなメンバーを相手に想像でいくら勝算を見出しても必ずその勝算を超えてくるとしか思えない。

 

「よう、その様子じゃ緊張どころじゃないって顔だな、シャイン」

 

 車でなにやら応援のための小道具を準備していたトレーナーさんが控室に戻ってきた

 

「そんなお前に……これだっ!!」

 

 そういうとトレーナーさんはいったん後ろを向いて顔に何かをくっつけてから私の方に向きなおした。その顔を見ると鼻眼鏡を付けて、間抜けな顔をしていた。

 

「あ~……笑った方が良い感じ?」

 

「笑えよ、うぉい」

 

 ぶっちゃけ本音を言わせてもらうとすごくスベっているのが丸わかりだから、鼻で笑ってやろうとも思ったが、トレーナーさんなりに私の緊張をほぐそうとしてくれたのも丸わかりなので少し控えめに微笑んであげた。

 

「おうおう、初めてのG1なんだぜ、どうせなら楽しく行こうや」

 

「そう言われてもねえ、G1だよ? 分かってる? 重賞レースの最頂点、G1!」

 

「わ~かってるっちゅーに、それでもお前がなんか余計な事考えて自分を追い込まないようにこうやって様子を見に来たんだろが」

 

「ちょ……それ付けたままキレないで……わかったから……くくくっ……」

 

 トレーナーさんが鼻眼鏡を付けたままキレてくるものだから思わず吹き出してしまった。

 私が吹き出す様子を見て安心したのかトレーナーさんも鼻眼鏡を外して控室のソファに座っていた。私はと言うと完全にツボに入ってしまったのでしばらく笑っていた

 

「いやぁ~笑った、たまにはトレーナーさんも良い笑い取ってくるね。たまには」

 

「うるせぇ、余計だ」

 

「それにしても良く私が緊張……というかG1で不思議な気持ちになってるのが分かったね、エスパー?」

 

「だってお前って意外と本番のプレッシャーに弱いだろ? だから今回も初めてのG1だから~とか言って緊張してると思ったもんだから来てやったんだよ」

 

 トレーナーさんはソファの上で「感謝しろ感謝を」といって親指を自分に突き刺している。その動きに興味はなかったので鏡の方向を向いておいた。

 

「おい! なんか言ってくれよ! 俺が変なやつみたいになるじゃねぇか!」

 

「え? 今更?」

 

「おうぶっ飛ばすぞお前?」

 

「うわー、マジでトレーナーズバイオレンスだわ」

 

「なんだよトレーナーズバイオレンスって、トレーナーの暴力ってか」

 

 とっさに出た言葉なので特に意味はないのだが、とりあえずトレーナーさんの質問に対してイエスと答えておいた。トレーナーさんからは「とっさに出たのがそれなのかww」と言う笑い声が届いた、あとでぶっ飛ばそう。

 

「……シャイン、あんまり気負いすぎるなよ、お前はいつものように走って、いつものように勝てばいいんだ。いざとなったら俺もいるんだからお前ひとりで緊張や不安を全部背負おうとするな」

 

 ひとしきりやり取りが終わると、数秒後に突然トレーナーさんが口を開いた、先ほどさんざんやったと言うのにまだこのトレーナーは私の背負いすぎる癖について話す気なのだろうか。

 

「……全く心配性なんだから、私のトレーナーは。私は初めて走るんだから緊張して当然でしょ? それをだんだん慣らしていくためにクラシック期やシニア期があるのに。最初から緊張を感じるななんて無理ってもんよ。私はしっかり受け止めきる気だから安心して」

 

「そうか、お前はそういう奴だったな。あ、今のは別に皮肉で言ったわけじゃなくて、普通に褒め言葉だからな」

 

「あたりまえん、分かってるって☆」

 

 トレーナーさんとの会話を終えて、しばらく最後の方に出てきた「あたりまえん」が気に入ったので何回も連呼していた。そうしているうちに私の控室に誰かが入ってきた

 

「あ、スターインシャインさん、記者会見よろしくお願いします」

 

「記者……あぁ」

 

 G1を見たことがある人はわかるだろう、出走するウマ娘が自らの勝利を誓ったり、相手を揺さぶったりする記者会見があるのだが、確かに私たちは数日前から記者会見があることをたづなさんに伝えられていたというのに私たちは忘れてしまっていた。記者会見の関係者だと思われる人はそれだけ言って控室から出て行ってしまった。

 

「俺たちいろいろ忘れすぎだな」

 

「確かにね……今後はメモしないと。じゃメモはトレーナーさんよろしく」

 

「結局俺頼みじゃねぇか」

 

 私たちは少しだけ自分たちの記憶力をを省みてから記者会見に向かう。記者会見の会場に向かうと、サウジアラビアロイヤルカップのパドックを見に来た観客くらいの人数がカメラなりなんなりを構えて待ち構えていた。

 

「(オッオウ……こんなに人がいるとは思わなかったなぁ……)」

 

 URAのロゴが定期的に刻まれている背景にはカメラが当てられている、その前にはクライトやシーホースランスが堂々とした立ち振る舞いで立っていた。

 

「今回のレースではやはり、ジュニア期で注目されている3人が集まりましたが、勝つ自信はありますか?」

 

「当然だ、スタこ……スターインシャインは俺のライバルだから負けてらんねぇ。それに俺は阪神JF勝ってんだ、負けるわけがねぇ」

 

 いつの間にデザインしたのだろうか、漆黒のドレスに身を包んだクライトが記者に向かって言葉に詰まることなく回答する

 

「私たちキグナスは、これからもURA史に歴史に名を残すウマ娘が絶え間なく排出されます、この程度は勝って当然のレースです」

 

 クライトに負けじとシーホースランスも、水色を基調として貝殻をテーマにしたのであろう半分水着のような勝負服を着てそう言い切った。気のせいだろうか、言い切る際に私の方をぎろりとにらんだような気がする。やはりノースとの一連の流れから私の事を深く憎んでいるのだろう。

 

 ……あの勝負服冬に走る時寒そう

 

「……あの、スターインシャインさんはどうお考えですか?」

 

「えっ? あっ、はい!」

 

 先の二人の演説が堂々としたもの過ぎて私はすっかりテレビで見ている気になってしまい、記者の質問に回答しないまま無言で立ち尽くしてしまっていた。慌てて自分の言葉をひねり出す

 私がこのトゥインクルシリーズで成し遂げたいこと……私が目標の為にするべきことは……

 

「……私は、重賞レースを全て総なめします!! そのための第一歩、ホープフルステークスをこの末脚で制します!!」

 

 私の勝負服、ガンマン服のコートを左腕でなびかせて記者の団体に響かせる。記者たちはすこしだけ「おぉ……」という声を出してからメモ帳やらなんやらに必死にペンを走らせている。

 その後は何気ない質問が続き、テレビで見たような流れで記者会見は終わった。

 

『11レースの出走者はパドックの用意をしてください』

 

 記者会見が終わりしばらくすると、第10レースが終わった直後くらいに放送が流れて私の行先を指示される。いつもなら体操服を着ていくところだが、今回はいつもとは違いG1レースだ。私は私だけが着ることのできる唯一無二の勝負服を着てパドックの方向へと歩きはじめる

 

 パドックの順番が来て、観客の前に出る。すると観客席は見た事が無いほどにみっちみちに詰まっていて、ステージに出るだけで観客席からはこれまで聞いたことのないような、鼓膜が破れそうなほどの歓声が聞こえる。サウジアラビアロイヤルカップの時でさえこれほどの歓声は聞くことができなかった。

 

「これが……私だ!!」

 

 観客の目の前に立ち止まってから、私は足を揃えてピンと伸ばし、両手を広げた。まるで(はりつけ)のようなポージングを取ってから少しだけニヤッと微笑んでみたりして。このポージングに関してはなんとなくのアドリブでやったポージングだが、どうやら観客には大うけだったようで、既に鼓膜が破れそうなほどうるさい歓声がもっとうるさくなっていた。この歓声を聞いてやっと、私はG1を走るのだと実感することができた。

 

「へっ、スタ公の奴、パドックの時点で飛ばしてんな。だが今回のホープフルステークス、絶対に俺が取ってやるぜ……キグナスに加え、シャインまで出てるんだ、このレース、面白くならない訳がねぇ……!」

 

 スターインシャインがパドックでアドリブでのパフォーマンスを披露する中、その様子を遠目に見る、黒を基調としたドレスを着たウマ娘がいた。このウマ娘だけではない、今日このホープフルステークスに出るウマ娘は全員シャインの事を見ている。なぜならこのホープフルステークス、シャインは2番人気だったからだ。人気上位のシャインがパドックの時点でこんなに注目されているなら、周りのウマ娘達にマークされない訳がなかった。

 

 全員が、シャインを、ランスを、クライトを倒すまいと意気込む

 

「しかし……私たち三人が競い合う中、ただの雑魚が手を出しても飲み込まれるだけだ。誰にも手出しはさせない、私が全員吹き飛ばすから……」

 

 スターインシャインがパドックで見せたように今度はランスが不敵な笑みを浮かべながら独り言をつぶやく。

 

『さぁ今年もやってまいりましたホープフルステークス、今回は強力な三人組が出走しており、大荒れが予想されます』

 

 パドックも終わり、返しウマも何もかも終わった。

 ファンファーレが鳴り響き、足早にゲートに入り始めるウマ娘も現れ始める。

 

 サウジアラビアロイヤルカップを制し、マッチレースとはいえあのセイウンスカイに勝つ寸前まであがいたウマ娘スターインシャイン

 

「初めてのG1レース、私は必ず勝って見せる……」

 

 芝とダート、どちらも走るほどの技術を持ち合わせ、アスター賞を制したノースブリーズと同じほどの実力を持つウマ娘シーホースランス

 

「もう誰も信用はしない、私は私の未来の為に勝つ」

 

 京都杯ジュニアステークスでは惜しくも敗北を期したが、すぐに強力な末脚を開花させ、阪神JFで返り咲いたウマ娘マックライトニング

 

「絶対に面白くなるレース、もう二度とあんな惨めな思いをしねぇためにも……」

 

『さぁ、各ウマ娘ゲートイン完了しました、一年の最後を締めくくるG1、ホープフルステークス、今……』

 

『スタートしましたっ!』

 

「(よし! 出遅れなし!! 今までで最高のスタートだ!!)」

 

 私はスタートに大成功し後方に落ち着く。前の方では早くも位置取り争いが始まっているが、私は焦らずじっくりと先頭集団を見つめる。先行しているランスとクライトもしっかりとロックオンすることができる。だが、私は二人を気にすることなく自分のペースで最後方を走り続ける、無理に合わせる必要はない、自分のレースをすればいい。私は私だけの道を歩けばいい。

 レースに集中し、私は最初の難関、スタート直後の坂に対し超前傾を使おうとする

 

「ん、シャインのやつ……坂の超前傾を使うつもりなのか……完成してないのに無茶だ……」

 

 観客席から声が上がる。確かに、私の坂への超前傾走りはまだまだ未完成だ。だが、私はその未完成なフォームのまま坂を駆け上がっていく。

 

『おぉっと!? スターインシャインがここで超前傾姿勢をとった!! これは一体どういうことでしょうか?』

 

 実況の言う通り私は坂に対し前傾をしたままスピードを上げていく。私にとってはこのフォームでも十分すぎるほどに速く走れる。そして何よりこのフォームの方がスタミナの消費が少ない。だからこのまま坂を上りきって──―

 

「っ……」

 

 ……ダメだった

 

『しかしたまらず上体を起こした! 少しスタミナを浪費して減速したようにも見えますが大丈夫でしょうか?』

 

 同じく実況の言う通り、私は坂の超前傾を使おうとして結局上体を起こしてしまった。言わなくても分かる通り、やはり怪我のビジョンが私の脚を止めてしまうのだ。今この瞬間では足を止めることはなかったが、無理に坂の超前傾を使った反動で多少減速する。

 

「(この分なら、スターインシャインは勝手に自滅するか……)」

 

 スターインシャインの失速を見てシーホースランスがほくそ笑む。しかしそれでは満足できず、すぐに冷静になり自らを奮い立たせる

 

「(こんなものではだめだ……もっと……もっともっともっともっともっともっと……二度とその足で走ろうと思えないほどに潰さなくては意味がない!!)」

 

 スターインシャインの失速により、ランスはレース序盤にもかかわらず一気にペースを上げる。ランスから見て後方にいるシャイン、クライトはまだ坂の途中で走っているが、ランスは止まることなく加速し、あっという間に坂を駆け上る。

 

「あら、シャインさんのトレーナーさんじゃない、まったく、どこにいるかくらい教えてちょうだいよ」

 

「ん? あぁノースブリーズか。すまんな、結構いろいろあって」

 

「ノースでいいわ、あなた名前は?」

 

「橋田だ、ほれノース、双眼鏡貸すよ」

 

「あらいいの? 意外と気が利くじゃない、橋田さん」

 

 ノースは双眼鏡でシャインの方向を見る、対象を拡大するためのガラスの向こう側では、シャインがいつものようなスピードを出せていない光景が広がっていた。

 

「ちょっと! シャインさん負けてるじゃないの! どうするのあれ!」

 

「俺に言われても困るわ! 坂の超前傾に関してはシャイン自身の問題もある、あれを乗り越えられなければ勝算は怪しいな……そうだノース、ランスに関して、なにかあいつの武器について知らないか?」

 

 突然橋田は思い出したようにノースブリーズにランスの武器を聞く。レースが始まった今、ランスの武器について聞いても特に何もすることはできないが、それでも情報を知っておくことは大事と言わんばかりに橋田は聞いた

 

「それに関してなんだけど、私は何も言えないわ」

 

「なぜだ?」

 

「ランスは、自分が強くなった理由、あなたたちが言う『武器』について何も話してはくれないのよ」

 

「そうか……奴の武器については知ることも出来ない状況か……」

 

 

「(坂の超前傾を使った時の減速がかなり効いてる……このレース、少しだけスタミナぶっ飛ぶかも……)」

 

「(見てろ観客共!! この津波はまだ1m級だ!!)」

 

 スタート直後、坂の超前傾で減速してしまい、なおかつシーホースランスの情報については何も知らないこのレース。その少し後ろにはG1を制したことがあるものの、強さを磨いた状態とは一度も手合わせをした事が無い同級生がいる

 

 シャインはすでに、シーホースランスが巻き起こす大荒れのレース(津波)に片足を突っ込んでいた……



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第三十話 希望を掴め!津波の中で!②

 

レースが始まって数秒、すでに坂の超前傾を使おうとしてシャインはスタミナを無駄に浪費していた。一方シーホースランスは、先行というその脚質故シャインより先に坂を上りきり、シャインと言う敵を完膚なきまでに叩きのめすという野望を成し遂げるためにひたすらに加速していた。

 

「(このずっと加速する感じ…京都ジュニアステークスの時のノースと同じだ…だけど今回ノースと違う点は、坂でも加速していた点…)」

 

シーホースランスが加速する様を見て、私は京都ジュニアステークスでノースブリーズが見せた呼吸術を思い出す。直線で走り方に集中しなくても多少は何とかなる状態の時にひと際大きく深呼吸し、スタミナを回復する術だ。それによってサンより速く速く走っていたのが今でも記憶に新しい。あの時のサンは呼吸をする際の隙にプレッシャーを叩きこんでいたが…

 

「(深呼吸の音が聞こえない…)」

 

いくら聞いても実況の声に加えて遠くで聞こえる観客の声援しか聞こえない、しかもその音さえも空気が耳をこする音でほぼ聞こえない。京都ジュニアステークスの日にサンはどうやってこの音の中で呼吸音を聞き分けたんだろうか。

 

そんなこともお構いなしにランスは加速していく。私も本来のペースを取り戻そうとするが、先ほどのスタミナの消費が激しく、なかなか持ち直すことができない…やはり下手に完成していない技を使うのは無理があったらしい。かろうじてコーナリング時の技で多少スタミナは回復できるが、それでも消費量を下回る程度の回復量だ。

 

「(回復量が心もとないけど、まぁとりあえず追い追い考えよう。さて…今日のレース展開はどうなるか…)」

 

最後方を走りながらそんなことを考える。最後方からは出走しているウマ娘全員が見えるため、レース展開について勉強しておくととても展開が読みやすい。そのおかげで私は体力を無駄に消費しないような位置取りをすることができる。

 

前の方を見ると、シーホースランスとクライトを除けばかなり先行バが多く、追込に関しては私しかいないんじゃないだろうかと言うような具合だ。となれば今日は外側から捲り上げる形になるだろうと考え、ある程度外側に出やすい位置にとどまる。だがクライトのスパートは必ず外側に出るため、進路が重なり無駄に横移動しないといけなくなる事態だけ注意したい。

 

今日はやけにレースが長い、全体的にかなりのスローペースで走っているのだろう。この調子なら無駄にスタミナを消費したディスアドバンテージも気にせずスパートをかけられるかもしれないと考える。しかしそう考えていた私の希望は、すぐに打ち破られることになった。

突然何mか前にいた青毛のウマ娘が、加速した状態からさらに加速し始めた、当然青毛と言うのはシーホースランスだ。横を通り過ぎていくハロン棒を見てもまだ400mしか走っておらず、全2000mのホープフルステークスにおいてスパートをかけるような段階ではない。しかしそんなこともお構いなしと言わんばかりに青毛のウマ娘は加速する。

 

「ずいぶんとあいつの走りはお前に似てるんだな」

 

「いや…違う、あの子、あんな走り方しないのに…」

 

観客席でシーホースランスの走りを見ていた橋田がふと口にした言葉に対し、横にいたノースブリーズが体のどこかを刃物で刺されたのではないか、というような恐怖に染まった顔をして答えた。柵に寄りかけている手はわなわなと震えており、当然橋田もノースブリーズの様子がおかしい事に気付いて質問をする。

 

「…今日のシーホースランスの走りはいつもと違うのか?」

 

「ええ…違うなんてもんじゃない、まるっきり私が知っている走りと違うわ…あの子は先行の脚質で、なおかつ自分のポジションは絶対に死守するのがあの子の走り方なの。だからあんなに……あんなに逃げるわけがないのよ!!」

 

「(おかしいな…ランスの脚質って確か先行…今までの走り方を見ても先行だったはずなのに…なんで突然大逃げを…?あ、いや…そういう事か…)」

 

ランスが逃げウマを追い越していくのが見える、追い越したと言うのにまだ加速するのもしっかり見えている。そして全体的にスローペースだったバ群はいつの間にか超高速ペースになっていた。

 

「(お前がスタミナを回復する術を持っているのは知っているんだ…だがそんなことはさせないぞスターインシャイン、お前はここからさらに沈む!!)」

 

ランスの作戦、恐らくだが無駄に浪費した私のスタミナをさらに消費させるため、レース自体をハイペースに持ち込んだのだろう。確かにさっきから走っている全員がランスについていくために自らのペースを上げており、私もペースを上げざるを得なくなっている。

 

周りのウマ娘達はパドックの際に私たちをマークするべく見ているのが見えた、そしてマークしている相手が大逃げを打ち、仮にも逃げ切られるかもしれないと言う状況になれば釣られてペースを上げてしまうのは必然。本来あまり逃げウマのペースに飲まれてしまうと、自らの走りに穴を開ける危険な行為でもあるのだが、周りのウマ娘達はもうそんなことを考える余裕もないみたいだ、唯一飲まれる必要がないほど通常時のスピードが速いクライトは流石といったところか。

 

『先頭がシーホースランスに変わり600mの通過タイムは34.5!とんでもないハイペースで流れていますホープフルステークス!!』

 

「34.5!?なんつースピード出してんだあいつ!」

 

「私以上に逃げてるかもしれないわね…」

 

中山競バ場2000mコースでの平均的な600m通過タイムは35~36秒台だ、しかし今回のホープフルステークスでの通過タイムは、その平均を軽く0.5秒下回る34.5。それが何を意味するかは、常軌を逸したそのタイムを見るだけでも明確であった

 

「(息が…入らない…)」

 

私は周りについていくためのペースで走っており、コーナー時の回復術も成功させることができなかった。シーホースランスのスタミナを消費させる作戦に気付いたのはいいのだが、だからどうこうできる問題でもない。私の場合は打撲の療養期間で全くスタミナトレーニングが出来ていなかったのも大きいだろう。このままでは本格的にスタミナが切れて、そもそも走りきるのが難しくなってしまう。

 

「(これほど逃げてしまえば自分のスタミナが切れて負ける可能性もあるのに、明らかに私を狙い撃ちしてきてるなぁ…どうやって…スタミナを回復すればいいんだろ…どうすれば…あの逃げに追いつけるんだろ…)」

 

『他人が決めたルールや常識、空気なんて気にせず、自由気ままが一番いいよ?』

 

「(ルールや常識…関係ない…)」

 

700mを通過し、私のスタミナも微かに底が見えかけてきた頃、私はメイクデビューを勝った直後にセイウンスカイさんに言われた言葉を思い出した。ルールや常識など関係ない、破天荒に進むのが一番良いという教え。私はその言葉を頭の中でひたすらに反すうしているうちに、ある結論に達する。深呼吸をし、前を見据える

 

「(あんたが自分の走りを無理やり変えてくるなら、私ももう一度…逃げを打ってやる!!)」

 

『向こう正面に入ってスターインシャインが上がってきた!シーホースランスの突然の大逃げに釣られてなのか、それとも作戦なのか、最後方からすごい勢いで上がってきました!』

 

「…は?シャインの奴、

           逃げるのっ!?』

「…え?シャインさん、

 

外側から何人もウマ娘を追い抜き私は前に上がって行く。当然作戦を追込から逃げに無理やり変えることによってハイペースで走る以上のスタミナを消費するが、この際別に関係はない、今はシーホースランスがレースを掴む流れを揺らすのが優先だ。レースの主導権を握らせるわけにはいかない。

 

「何考えてんだシャインの奴!脚質適正は追込なのに逃げにするなんざ無茶だ!」

 

「もうダメだわ…」

 

俺の目の前に広がっていたのは信じられない光景だった。これまで追込ウマとして育ててきた担当ウマ娘が、逃げで走る光景にどうしても俺は驚きを隠せなかった。

 

「(いや…前にも同じような事があった…そうだ、あの時は二人しかいなかったからわからなかっただけで、あれも逃げ、だ…?)」

 

俺は少し前にシャインがセイウンスカイとマッチレースしたことを思い出し、顔をぱちんと叩いて改めてコースの方を向く

 

「…行け!!シャイン!!逃げ切れぇぇぇぇ!!」

 

「もう!!逃げで行くならもうそのまま逃げ切りなさいよ!!分かったわね!!!!」

 

「(まさか逃げを打ち始めるとはな…私が動揺するとでも思ってるんだろうが、無駄だ。分からないのか?お前がいくら上がってきても、お前のスタミナはもう無いに等しい、すぐに沈むことになるんだ!!)」

 

「(…なんて、きっとあんたはそう考えているんだろうね。だけどそれは違う)」

 

シャインはぐんぐんと前に伸び、あっという間にランスの真横に並んでいた。だが先頭は取らせまいとランスが加速する。シャインのスタミナを枯渇させ、なおかつレースの流れを掴むために逃げの作戦を打っているのだから当然の対応である。

 

「(だれがお前なんぞに先頭を走らせるかよ!!)」

 

「(その隙こそがあんたの弱点だ!!)」

 

「んぐっ…!?」

 

横を走り始めたランスに私は威圧を送る。当然ランスは突然の威圧感に耐えきれず減速する

 

「(クソッ…こいつがレース中発する『減速してしまう』妙な威圧感には気を付けていたはずなのに…)」

 

私が逃げの作戦を打った理由、それは決してレースの流れを揺らす為ではない。いや、あわよくば揺らせればよかった程度だ

 

(シーホースランスが垂れかけている)

(今が狙い目だ、一気に前に出る!)

 

「なっ…」

 

ランスが減速したのを見て、後ろのウマ娘達が一気に走りこんでくる。あっという間にバ群に飲み込まれ、後方集団に吐き出されているのが大体の気配で分かる。

 

何度も言っているように、今回のホープフルステークスでは私とランスとクライトの3人は全員にマークされている。マークしているウマ娘が中盤で隙を見せたり減速したりしようものならすぐにでも流れを変えるために抜くのがウマ娘というものだろう。この後方のバ群を使ったトリックを実現するために、スタミナを無駄に消費してまで逃げを打ったのだ

 

「(……とりあえずはランスを倒した、かな。あとはこのままスタミナを回復してゴールまで抜かれなきゃいいんだけど)」

 

「クソ!(きたね)ぇぞスターインシャイン!正々堂々と…正々堂々と勝負しやがれええええええええええ!!!」

 

背後からランスの叫び声が聞こえる

 

「(正々堂々と…か…私のこの方法は正々堂々勝負してるのかな…)」

 

私は確かに、汚い方法はあまり好きではない。トレセン学園の授業でも言われているのだが、勝つために手段を選ばない人の事を勝利至上主義(しょうりしじょうしゅぎ)と言い、世間的には良くない人種だと言われている。私もその意見には賛成で、レース中絶対に汚い行為はしないと決めていた。だが今私が行っているこの方法は汚い事に入るのだろうか。ランスの叫び声を聞いてそう思い惑う。

 

「(いけない、今はレース中だ…しっかり走りきらないと)」

 

そう、今はレース中、考え事をしていてせっかくのG1を負けたとあっては恥ずかしくて外を歩けないというものだ。

 

ランスが沈んで数秒、先頭を取ってレースの流れを掴んだ私はハイペースのレースからスローペースのレースに戻していた。といっても背後には私を倒したい気持ちでいっぱいのウマ娘がたくさんいるため、適度に抜かれないようにはしている。

 

『さぁスターインシャインは先頭を取ったままだ!このまま追込ウマ娘が、まさかの逃げ切りを見せてしまうのか!1000m通過タイムは58.9!』

 

実況の人が1000mの通過タイムを言っているのが風圧の中で確かに聞こえる。私の耳に聞こえた58.9と言うタイム、私はあまりどのくらいタイムが縮まれば速いとかわからないのだが、中山の2000mコースの1000m通過タイムの平均は59.9、1秒縮まればまぁ結構速い方だろう。…え、速いよね?

 

「(いよっし、ある程度回復は出来たし、それじゃあこのままスパートを―――

 

私が最後の最後でダメ押しのスパートをかけようとひときわ強く踏み込もうとしたその瞬間だった。突然背後からものすごいプレッシャーを感じた。まるで一気に噛み砕くはずのワニが小鳥をじわじわとかみ殺しているような、そんな光景を見たような恐怖感。この恐怖感に私は確かに覚えがあった。

 

「(おめぇらよ…前の方でドンパチやってたが、俺の事を忘れてんじゃねぇか?忘れちゃいけねぇよ、俺も出てることをな…スタ公!!!)」

 

『おおっと!!スターインシャインが最終直線に入ろうとした瞬間!後ろから上がってきましたマックライトニング!!やはり主役は渡さないと上がってきたぁ!!阪神JFを制した末脚と非現実的な走りをする末脚がぶつかり、どちらが勝つのか!!』

 

背後からじわじわとクライトが上がってくるのを気配でも足音でも感じる。やってしまった、このレースにおいて最も警戒するべきウマ娘はもう一人いるということを完全に忘れていた。

 

「やっば…最後の最後に仕掛けて来たね…クライトォ!!」

 

「ふっ…オメーの担当と、俺の担当、どっちが強いか…今一度確かめてみようぜ?橋田…」

 

最終直線に入り、ホープフルステークスは終わりを迎えようとしていた。最終直線はスターインシャインとマックライトニングの一騎打ち。どちらが勝ってもおかしくはない、どちらが負けてもおかしくはない。勝つためにはただ速く、ただ相手より1でも能力が高くなければならない。

 

『躱した!躱した!マックライトニングがスターインシャインを躱した!ジュニアクラスにしてG1レースを2連覇するのか!マックライトニング!どうなるーーっっ!!』

 

「やらせない!!勝つと誓ったノースの為にも!!」

 

ゴール前最後の難関、心臓破りの坂が見えてくる。クライトが坂に差し掛かった瞬間、速度が目に見えて落ちている。つまりクライトは今レース中における隙を見せている、やるにはここしかない。

 

「スゥゥゥゥゥ…ハァァァァァ…ふっ」

 

「っ…バッカ野郎やめろシャイン!!」

 

『スターインシャインが坂で再び前傾の姿勢を取った!スタート直後は止まってしまったが今回はどうだ!走り切れるのか!』

 

前が見えない、ただまっすぐ進むだけの直線において視界は必要ない。

怪我の恐怖が全身を抉る、だがやめるわけにはいかない。

私は誓った、ノースに、トレーナーさんに勝利を。

 

「なら…やるしかないでしょ…がぁぁぁぁぁぁ!!」

 

私の身体に言葉では表せないような恐怖が電流のように流れる。だがやれる、走り切れる、絶対起き上がるもんか。超前傾なら空気抵抗を受ける面積を減らして尚且つ普通に走るより速度の速いピッチ走法で走れる、坂にはうってつけの走り方。ここで坂の超前傾を成功させなければクライトに勝つ手段がなくなる、だから私は走る。いくら私が怪我をした時のビジョンが見えようが、起きる訳にはいかない!

 

「…ったく、お前はどこまで破天荒なんだ…!!行っけぇぇぇ!!昇りきれぇぇ!!!!」

 

「シャインさぁぁぁぁぁぁん!!!」

 

観客席からトレーナーさんとノースが応援してくれてるのが聞こえる、そうだ、あれだ、あの人の為に私は勝たなければならない。

想像だけではなく、現実でもトレーナーさんとノースを見てその事実を実感した。実感した瞬間に、頭にノイズを作っていたビジョンが消え去った。

もう二度と、この幻影は、ビジョンは見えない。

 

 

 

 

「いよっしゃぁぁぁ!!昇りきってやった!!」

 

『スターインシャインがマックライトニングを躱して坂を前傾姿勢のまま昇りきった!マックライトニングもすぐに追いすがるが届くのか!?』

 

私は何とか坂を上りきることができた。今後何回坂の超前傾を使っても、本当に怪我のビジョンは見えなくなっているだろう。私は坂だけでなく自分自身をも乗り越えることができた。

 

そうと決まればもう考え事をしている場合ではない。怪我のビジョンを乗り越え、ゴール前最後の平らな直線が待ち受ける。後ろの方を走っているクライトとのリードは2バ身。

 

「テメーに二度も勝ちを譲るかよ!!スタ公ォォォォォォォ!!」

 

「私が!!私自身が希望となってやる!!絶対に渡すもんかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

トレーナーさん、しっかり見ておいて。私が勝つところ、絶対に見せてあげるから。『誰にも負けないウマ娘になる』って約束を、絶対絶対守るから!!

 

「だからぁっ!!ぜったい伝説の始まりを見逃さないでよぉぉ!!」

 

怪我をして、療養期間でトレーニングする事も出来ず、かける事も出来ないと思われていたスパートはサウジアラビアロイヤルカップの時のように完璧に上手く行った。

 

私が、勝つんだ

 

『しかしっ!!追いつけない!!マックライトニングはその差を縮めることができない!!希望に満ちたレース、ホープフルステークスを制したのはスターインシャインだ!スターインシャイン今リードを保ったままゴールインッッッッッ!!!』

 

歓声が、巻き起こった

 

トレーナーさん、勝ったよ。

 



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第三十一話 津波収まらず 

 

「クソッ! どけっ! どけよ! 私を前に行かせろ! クソおおおお!」

 

 前の方ですでにゴールしたスターインシャインとマックライトニングが見える。クソ、途中スターインシャインに妨害されなければ私は必ず一着になれたと言うのに。健闘むなしく私は8着で終わってしまった。

 

 電光掲示板を見て私は現実を信じられなかった、スターインシャインが電光掲示板に乗るのは百歩譲っていいだろう、だが何故あいつが一着で私の番号が見当たらないのか。私は勝てるはずだった、勝てるはずだったのに、あの茶色い髪をしたやつのせいで私は沈まざるを得ない状況に追い込まれた。あいつのせいだ、もとはと言えばノースが裏切ったのもあいつが変な優しさを見せたからだ。

 

「確定……だと……? ……ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁぁ! ぅあああああああああああ!」

 

 私は人目など気にせずに、天を仰いで乾いた声で叫んだ、思いっきり泣いていた。尤もどれだけ叫んだとしても、歓声にかき消されて誰にも聞こえていないだろうが。

 

 ランスが一人泣き叫ぶ様子を、観客席にいたノースブリーズは何も言わずに見つめている。その様子に気づいた橋田も同様に見ていた。しばらくしてノースは柵を飛び越す、最初こそURAの関係者に止められたが、その抑止をも破り、ランスに近づいて話しかける。

 

「ランス……これでわかったでしょ? あの人たちは才能と言う言葉だけで強くなったんじゃない、私たちと同じように努力を幾万にも積み重ねてあそこまでになったのよ」

 

 これで少しでも友の誤解を解くことが出来ればいいと思い、思うがままの言葉をかけた。

 

「うるさい! 私達は……私たちは……クソッ!」

 

 ノースに対して言葉を出せず、逃げるようにランスは離れていった。

 一人残されたノースは、友がレースの鬼になっている様子を見て、喜怒哀楽だけでは絶対に表わすことができない感情に苛まれていた。少し前まではかけがえのない友人だったランスが、自分がたった一瞬、彼女の心情を察することができなかっただけでああなってしまった苦しみは計り知れない。

 

「……ランス……私があなたをそこまで変えてしまったの……? でもまさかそんな……そんな急変を遂げるなんて……ううっ……ごめっ……」

 

 観客席に取り残されていた橋田は、観客席の内側に戻ってきてから嗚咽しているノースの肩を軽く叩き、そのまま何も言わずに立ち尽くしてシャインの方を向いた。

 

「すまねぇな、トレ公……くっ……そっ……またダメ、だったわ……ハハッ……やっぱ強えわ……スタ公……面白れぇ……」

 

 3人の最強角が競い合い、まさにランスが巻き起こしたかった大荒れの津波の中、勝ち星を手にしたシャインに観客席から地面が割れんばかりの歓声が沸き起こる。シャインがゴール板を超えてからすぐ、クライトもゴールして地面に仰向けで倒れこむ。模擬レースの時のように怒り狂うわけでもなく、ただ満面の笑みで空を見上げていた。阪神JFでは味わえなかった強敵との戦い、地方の時代には感じもしなかったスリル、そのすべてがクライトの満足するものだった。

 

「おっと……こんなもんで満足してちゃいけねぇな、次は勝ってやるぜ、スタ公」

 

 それだけつぶやくとクライトは立ち上がり、主役の舞台を邪魔するまい、速く速水のところに行こうと足早に去って行った。立ち去る時でさえ、クライトは微笑んでいた。

 

「あ”──っ……つっかれた……ほんっと……」

 

 時同じくしてシャインも地面に倒れこみ、笑っていた。額に汗を輝かせて、高く(そび)え立つ観客席を見上げて笑っていた。ノースやトレーナーとの約束を守れた事や、G1を勝ち抜いてきたクライトに勝てた事。そして何より、最後の坂で自分自身に負けずトラウマを克服できた喜びに、瞳には抑えがたい喜びが溢れ出ていた。

 

『タイムは2:00.5! ホープフルステークスのレースレコードです! スターインシャインが、ジュニア期の終わりを飾り、未来に繋がる希望を掴みました!』

 

「レコード……私が……レコード……」

 

 電光掲示板には確かに、赤い背景にはっきりと『レコード』という文字が書いてあった。

 私の目標、誰にも越えられない記録を作ると言う目標の第一歩、G1ホープフルステークスは最高の形で締めることができたのだ。

 

「おぉぉぉぉい! シャイィィィィン!」

 

 観客席の方でトレーナーさんが呼んでいるのが見える。私は鉛のようになってしまった足を引きずるように歩き、トレーナーさんの方に向かった。

 

「トレーナーさん! やったよ! 私勝ったよ! レコード! しかもレコード!」

 

 トレーナーさんの元についてすぐに、わたしは飛び跳ねて喜び、トレーナーさんにどつきながら歓喜した。当然私が勝ったので観客席に近づこうものなら周りの観客たちが騒いでしまうが、それに負けないくらいの声でトレーナーさんに話しかけた。

 

「わかった! わかったからそれ以上どついてくるのをやめろ!」

 

 トレーナーさんからやめろと言われてしまったので私はしぶしぶどつくのをやめた。横の方を見るとノースも小さく微笑み、祝福の言葉を投げかけてくれる。

 

「いやまさか……本当にやりやがるとは思わなかったぞ、シャイン。しかもレコードだ」

 

「当たり前じゃん。だって誰にも越えられない記録作っちゃうんだから!」

 

「あら、あなたの目標ってそうだったの」

 

 トレーナーさんの耳にタコができるほど語った目標について話すと、突然横からノースがにやにやしながら私の方を見てきた。どこかその目は愚かな人を見るような目だったのが気になったが、なぜそのような目で私を見ているのか、すぐに理由が分かった。

 

「誰にも越えられない記録を残すなら、これからファンも増えるのよ? 現在進行形でファンになってくれてる人や、将来のファンに感謝しなくていいの? トレーナーさんだけに感謝したらファンはどんな気持ちになればいいのよ」

 

「あぁ~……そっか、これからはそういうファンの人たちの事も考えないといけないのかぁ」

 

 完全に失敗した、私はレコードで勝った事ばかりに気を取られてトレーナーさんとばかり話してしまっていた。すぐさま私はコースの真ん中あたりに戻り、せめて観客に見せられるパフォーマンスは何かないだろうかと頭をひねらせる。本物の勝者は疲れたからと言って勝った時だろうとだらしないところは見せない、せめてかっこいいパフォーマンスはできないだろうか。

 

「よし! 久々に()()、やってみるか!」

 

 私は勢いよく観客席の方向に走り出し、そのままの勢いで1mほど飛び上がってから全身を斜めに回転させる、所謂コークスクリューと言う奴だ。私は小さいころからコークスクリューの真似事的な事をやっていたので、コークスクリューもどきなら披露することができる。

 

 視界が回転しているが、観客席から確かに大きな歓声が沸き上がっているのが聞こえる、しかしこれでは終わらない。私はコークスクリューの少ない滞空時間が終わり、着地してから勢いを殺さないようにしてもう一度飛び上がる、それも先ほどより高く。二連続コークスクリューだ。

 着地もしっかりと決め、舞台劇場が終わった後の人のようにお辞儀をした。

 

「うおああああああああああああああ!」

「かっけえええええええええええ!」

「スターインシャイ──ーン!」

 

 すでにもう耳が壊れそうなくらいの歓声だったのに、それすらも超える音量で私は称えられている。ちなみに脚が鉛のようになっている状態でコークスクリューもどきなんてやってしまったせいで、気付かれない程度に足がプルプルしている、調子に乗るのはだめだわこれ。

 

「これでまた目標に……一歩近づいたかな? トレーナーさん……」

 

 当然離れているのでトレーナーさんに聞こえる訳もないが、私は思わずつぶやいていた。

 

「ふふっ……あなたの担当はいつも調子に乗っちゃうのね、脚がぷるぷるしてるわ」

 

「えっ? ……あっほんとだ、あいつよく見たらプルプルしてんな」

 

 ノースブリーズが急に吹き出してそんなことを言うので、シャインの方を見てみると、確かに足が小刻みにプルプルしている。それも注意深く見ないと気付かない程度に。

 

「はぁ……やっぱりあいつ、いざというときに決まらないんだよなぁ……」

 

「まだ私シャインさんと和解してからそんなに経ってないけど、そういう人なのは分かるわ。でもいいんじゃないかしら、完璧すぎるより、少しはおちゃめなところがあるのが一番よ」

 

「だとしてもなぁ……」

 

 しかし、今俺たちの後ろ側で耳がぶっ壊れんばかりの声を上げている人全員がシャインをたたえてくれている。つまり俺の担当を、俺の初めての担当を祝福してくれているのだ、これ以上にうれしい事があるだろうか。俺はトレーナーになる前はよく推しウマ娘にお金を賭けていたが、その時以上の喜びと興奮が俺の中を巡っている。

 

「ま、いっか」

 

 私は観客へのパフォーマンスが終わった後、いつものように控室に戻ってからウイニングライブの時間まで休憩する事にした。初のG1だったこともあるのか、私の体は散々怪我をした未勝利戦の時以上に疲れている気がする。控室に戻る途中速水さんにも出会った、速水さんはいつもの高いテンションでは喋らず、ただ一言「強くなったもんだな」とだけ言ってクライトの控室がある方に行ってしまった。

 

 はたして負けたのが悔しいのか、それとも次の勝負へのやる気が溢れているのか。私からしてみればどちらにしてもまたクライトと一緒に走れればいいのだが、まぁあの速水さんクライトコンビに限って諦めるなんてことはないか。

 

「きゅ」

 

 私がいつも持ち歩いている簡易的な布団を作るためのセットを広げ、そこに顔をうずめて横になる。腹部から地面に向かって熱が向かうのをしっかりと感じる、中学生の頃に熱移動とかやった気がするけどそれだろうか、もう覚えていない。

 

 そんな関係のない事を考えていると、一人の控室ではあっという間に時間が過ぎてしまい、ウイニングライブの時間が来た。

 

 

 

『さぁウイニングライブの時間となりました! 本日はG1レースの為、特別な楽曲で行われます!』

 

『楽曲名は【ENDLESS DREAM】!』

 

 照明がゆっくりと灯され始め、私が乗っているステージがだんだんと上に上がる。もうウイニングライブの場も慣れたものだが、今回に関して『も』ダンスと歌詞が練習と完全に違うので完璧に緊張している。

 

 二着だったクライトと一緒に私は一生懸命練習できたはずのダンスを必死に踊る。初挑戦となるので多分ぎこちない動きになっているだろう。クライトの動き完璧なんだけど、やばすぎ。

 

「(ふぅ、本当は阪神JFのように一着の位置でもう一度踊りたかったがな……ま、今日はとやかく言わず素直にスタ公の勝利を祝ってやるか)」

 

 

 

「やっぱりあの子は私と走るよ! トレーナーさん!」

 

 ウイニングライブが行われる会場を見下ろすことができるような部屋で、オレンジ髪のウマ娘は話し始める。年相応に元気な彼女を見ても、表情一つ変えずキグナスのトレーナーはランスが脱退するという資料をまとめる。

 

「やはりそうなるのか……()()()()()()()()

 

 少しだけ資料から目を離し、キグナスのトレーナーは背伸びをする

 

「光の速さで走る私と、流れ星みたいな走りをするあの人とどっちが速いか、確かめてみたいじゃん!」

 

 シャイニングランと呼ばれたウマ娘は、ガラスからウイニングライブを見ていたがトレーナーの方に戻り、いつもやってるかのようにトレーナーに絡み始めた。そこに他意は全くない様子で、ソファの後ろからトレーナーにおんぶするような形になって、トレーナーの頭を撫ではじめる。そしてだんだんその力は強くなっていく。

 

「おい、頭をゴリゴリするのはやめろ」

 

「トレーナーさんの頭ってなんでいっつもこんなに硬いの? 固めすぎだよ~」

 

 ウイニングライブの照明もあまり届かず、真っ暗で何も見えないような部屋で机の上の照明だけが輝いている。

 

「こんなところに来ていたの、シャイニングラン」

 

 突如何もない場所からスッと白髪が多いウマ娘が出てくる。

 

「え~? もう見つかっちゃったの~?」

 

「私とかくれんぼで勝負だなんて、いい度胸じゃない。私は()()()()()()()()()()()()のよ? いくら隠れても無駄」

 

「ぶ~、なにも寮のテレビで見るだけなことないじゃん……現地で見るとこんなに楽しいのに」

 

 オレンジ髪のウマ娘はしぶしぶリンゴの刺繍が施されたお気に入りのバッグと照明用の懐中電灯を持ち、帰る準備をして部屋から出て行った。残された白髪のウマ娘もすぐに出ていこうとするがトレーナーに止められる。

 

「東京スポーツ杯ではご苦労だったな、ムーン。もう完璧に見えているようで何よりだ」

 

「実際は見えているわけではありませんがね、ですがおかげさまではっきりと見えます」

 

「そういえば、あの厄介なウマ娘はどうなってるんだ?」

 

「いえ、まだ何も。私たちキグナスに対して何かを仕掛けようとはしてるみたいですが、イマイチ居場所が掴めないままです。あの……あの人はキグナスに何をしたいんですか?」

 

「それはお前には関係ない、もう今日は帰っていいぞ」

 

 ムーンと呼ばれたウマ娘の報告を受けてトレーナーは残念そうな顔すら見せずに、部屋から出ていくよう言った。ムーンと呼ばれたウマ娘は静かに礼をして、特に何も持たずに部屋から出て行った。

 

「お前はいったい、俺のキグナスにどんなウマ娘をぶつけて来ようって言うんだ? トレセン学園を前のような状態にするだか何だか知らないが、事実としてリギルやスピカと言った強豪が集まる大型チームは存在していた。今更キグナスのようなチームが生まれたから排除するなんてお門違いなのではないか? ……もしかして、スターインシャインもお前の送り出したウマ娘なのか? なぁ、()()()

 

 

「いやぁ今日のレースは本当に上手く行ったね! いやぁ褒めてくれてもいいんだよ? トレーナー」

 

 帰りの車の中でわたしは大声でしゃべる。ウイニングライブが終わってすぐに、私たちはトレセンに帰るためにトレーナーさんの車に乗っていた。当然ノースも一緒だ。

 

「そういえばシャインさん、ランスの武器について何も知らなかったのによく見抜いたわね」

 

 車に揺られていると隣でこくりこくりとしていたノースが思い出したように話しかけてくる。

 

「いや、ランスの武器については見抜いてないよ」

 

「え? 見抜いてなかったの?」

 

 ノースは眠そうな顔で驚く。そう、私はランスの武器を見抜くことはできなかった。だがあの一瞬、私が逃げの作戦に変え、ランスに並びかけた時に私は勝負をしていた。

 

「ランスは私に対して強い憎しみを持っている、そして前に一回話した態度からして相当プライドが高いと思った。だから絶対に私を先頭にするまいと抜かそうとしてくるだろうと踏んで、逃げの作戦にしたの。ウマ娘にとって一番プレッシャーを受けやすい位置に来るだろうってね」

 

「へぇ……意外と策士なのね、あなた」

 

「憎しみに囚われてはいけない、って言うメッセージを込めた作戦でもあるけどね。でもその様子だと何も変わってなかったみたいだね……」

 

「えぇ……ランスは未だレースの鬼だったわ、私が……ランスを考えられなかったから……」

 

「違うよ……悪いのはノースじゃないよ……」

 

 ノースの目に涙が浮かんでいるのが見える。しかしあの秘密基地にズカズカと入り込んでしまったのは事実私なのだ、だからノースが憎まれる理由はない。ここは少しでもメンタル回復の為に励ましの言葉を沢山投げかけてみる。

 

「その通りだ、ノース。シャインが言う通り、あまり自分で深く背負いすぎるな……ってあれ? お前ら……寝たのかよ」

 

 俺の語りについて返答が帰ってこなかったので、後部座席を見てみたらすやすやと眠るウマ娘が二人座っていた。今日G1と言う舞台を制したとは思えないくらいかわいらしい寝顔に、少しだけ俺の中に最悪と言っていいほどの魔が差してしまうが、ここで素直に従うほどバ鹿ではない。

 

 ホープフルを制して、次は大阪杯、そしてその次は皐月賞か桜花賞、どちらかを選ぶ時が必ず来る。それまでシャインにはゆっくり休んでほしい。俺は眠っている二人を見て眠くなってしまったが、片手で少しだけ目をほぐし、車を走らせる。

 

「これでまた、目標に近づいたな、シャイン」

 





「大阪杯に向けてのトレーニング、何がいいですかね?速水さん」

「橋田、大阪杯はシニア期からだ……」

「え"!?」


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第三十二話 もしかして年越しじゃないの?

 

 慣れ親しんだ景色、風に揺られる木々の間から見える太陽も、慣れ親しんだ景色の一つだ。括り付けたハンモックに揺られながら私は人を待つ。必ずここに来るであろう人を。

 

「……なんだかんだ言っといて、やっぱり来たのね、ランス」

 

 足音を耳で察知し、ハンモックから落ちないように慎重に体を起こして木の下を見る。ここの景色と同じく、見慣れていたはずの青毛、そして数日前ホープフルステークスにてスターインシャインに敗れた私の親友、ランスが立っていた。しかし今はその青毛を見るとピリピリとした気配で私の髪の毛が逆立つのが分かる。

 

「ノース、私はホープフルからずっとノースの言ってることを考えてた、スターインシャインが努力をしてG1を勝ったというノースの言葉を」

 

「それで? どんな結論が出たわけ?」

 

「まず最初に、ノースに謝りたい。一時の感情に任せて強く拒絶してしまった事、めちゃくちゃな思考をしてしまった事を謝りたい」

 

 下の方でランスが私に頭を下げるのが見える、しかし頭を下げるランスを見ても私は何も感じなかった。

 

「謝るべきは私じゃないわ」

 

「それもそうか……」

 

 私は別に昔からの仲、いや昔からの仲だからこそ深く傷つくと思う人もいるかもしれないが、今回に関しては先に謝るべきなのは私ではなく、今回私たちの喧嘩に巻き込まれたシャインさんたちだ。

 

「……私は、まだ少しだけ信じ切れていない、スターインシャインの強さを」

 

 しばらくしてからランスが再び口を開く

 

「だから、私は次のG1でもう一度見てみたい、あの威圧感を、あの技術を、あの末脚を」

 

「次のG1……大阪杯はまず間違いなく()()()が取るとして、ステップ競争の1個目のレースの事かしら、皐月賞、または桜花賞」

 

「そうだ、そのレースにスターインシャインが勝てたらもう私は何も実力を疑わない。だがもし負けたならシャインの実力は二度と信用しない」

 

 あまりにも自分勝手な言い分に私は頭を抱える。もう何も言葉は出てこないが、せめてできるのはシャインさんの勝利を今から願うくらいだ。別にランスが今更私の事を信用してくれなくても構わないが……

 

「そしてもう一つ」

 

 話がひと段落ついたと思ったが、ランスは続けて話を始める。シャインさんたちの話のほかに、まだ話すことなどあっただろうか。

 

「もしスターインシャインがステップ競争の一回目を勝ったのなら、あの約束、私たちが昔の昔に交わしたあの約束は、スターインシャインに託そう」

 

 その一言を聞いて、私の瞳孔が開くのを確かに感じた。あの約束、それを託すのは別に構わない。だがランスが放つ託すと言う言い方に私は怒りを感じる。仮にもシャインさんにひどい態度をとっておきながら、本人に謝罪もせず、挙句数日前ホープフルで惨敗した立場だと言うのに、勝てば信用する、負ければ信用しないといったむちゃくちゃな賭けを始めたランスが、託すと言う言い方をするのはいささか上から目線すぎるのではないだろうか。託すと言う言い方をせずに、言い方を変えればいいというものではない、そのような事を言う立場ですらない。

 

「……あんたねぇ、いったいどこまで自分勝手になれば気が済むのよ?」

 

「私も当然自分勝手だと思ってる、だから私は、引退する」

 

 引退、その一言を聞いて急速に先ほどの怒りが消えていくのを感じる。まだジュニア期なのに引退? 何を言っているのかがまったくわからなかった。

 

「もしスターインシャインが最初のステップ競争に負ければ、私は引退する。勝てば、私はスターインシャインをまっとうに倒すために引退を取り消して走り続ける」

 

 最後の一言を言うと、ランスは足早にどこかに行ってしまった。

 正直、腑に落ちなかった。引退したから今までの態度が晴れる訳ではない、問題はこれからの行動次第だと言うのに、そのような事も分からなくなってしまったのだろうか。だが最初のステップ競争にシャインさんが勝てれば、まだ平和に終わる、ランスはシャインさんを信用して、まっとうに倒すために前を向いて走り始める。やはり私が今できることは、シャインさんの勝利を願うくらいだろう。

 

「本当に……いろいろ巻き込んじゃってごめんなさい……シャインさん」

 

 しばらくハンモックに揺られてから、私はアルビレオのトレーナー室に戻るために木から降りた。

 

 

 夕方になり夕日が差すトレーナー室、私がレコード勝ちしたホープフルステークスが終わってから、数日しか経っていないようなトレーナー室。そして、相変わらず蜘蛛の巣が絶えないトレーナー室のソファに、私とトレーナーさんが座っている。テーブルには冷えに冷えまくったそばとそばをくぐらせるためのおつゆ、そして申し訳程度の「おいっす~! お茶」が置いてある。なぜそばが冷えているのかについては今はノーコメントで進めていこう。

 

 トレーナー室にかけてあるカレンダーは12月31日、そう、今日は一年を締めくくるための日、年末だ。今日一日学園内を見ると、事前に日付を見てなくてもわかるくらい、年末の独特なのほほんとした空気がさまよっていた。かくいう私も数日前にサンやクライトの二人組と忘年会を行ったばかりなのだが、結構ぐでっとしたテンションだったと思う。

 

「ん~…………」

 

「シャイン、今年一年よく頑張ったな」

 

 年末の空気なのは私のトレーナーさんも変わらない。今日は年末と言う事でトレーニングも早く切り上げることを許され、私とトレーナーさんはせめて年末っぽいことをしようと言う事で、トレーナー室で年越しそばを食べることにした。そしてトレーナーさんが今日の為にそばを用意しているとのことなので、ルンルンで帰ってきた私はソファに招かれ、今に至っている。

 目の前を見るとトレーナーさんがペットボトルを前に差し出しながら乾杯を要求していた。それを受けてすぐに私もペットボトルを持って乾杯をした。相変わらずそばは冷えている。

 

「はいじゃあ素敵な年越しを過ごそう~っとはならないよぉトレーナーさん!?」

 

 私は盛大なノリツッコミをかました。トレーナーさんはもうそばを食べようと言う事でお茶を飲んでからすぐに割り箸を割り始めていたので驚いている。

 

「え? どうかしたかシャイン」

 

「『え? どうかしたかシャイン』じゃないんだよ!! なんでそばが冷えてるのッッ!!」

 

 私は年越しそばに関して、こだわりが極端に強い温かい派なので、冷えたそばが目の前に出されていることに激怒し、普段の口調が崩壊するくらい荒れ狂って今思っていることをさらけ出した。しかしリミッターが外れた私の年越し気分はそれだけでは収まらず、どんどん言葉が出てくる。

 

「年越しそばが冷えてるって何!? 12月だよ!? なんで真冬に冷えたそば食わないといけないわけ!? てかなんで丁寧に容器をざるに移したの!? 私見てたけどなんで止めなかったのか不思議だわ!!」

 

「心配するな、ちゃんと冷えた汁も取ってあるぞ」

 

「そういうことじゃないんだよおおおおおおお!!!」

 

 トレーナーさんにいくら説教をしても話を聞いている様子はなく、その後も数分間年越しそばは温かい方が良いという事を延々と説明していると、話している最中にトレーナーさんがそばをすすり始めたため、数日前に忘年会にて使用したハリセンで一発お見舞いした。

 

「痛っっった!! なにすんじゃい!!」

 

「こっちのセリフじゃい!!」

 

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 ソファから立ち上がってテーブル越しにお互いの頬をつねり合う。トレーナーさんの顔はヒゲが多くてチクチクして痛いから、腹いせに一本のヒゲを万力の力で掴み引っこ抜いてやった。痛いはずなのにトレーナーさんは未だに私の頬をモチモチしている。

 

「……お前意外とモチモチしてんだな」

 

「……でしょ」

 

「いやそうじゃなくて、とりあえずだなシャイン、突然ハリセンで人を叩くのはいけないぞ」

 

 トレーナーさんが私の頬を離して座り直し、一呼吸おいてから自分の事を棚に上げてそのように諭してきた。たぶんそのうちそばの話題も出てくるのではないかなぁと思いながらしばらく待っていたが、2分くらい経ってもそばの話題に切り替わらなかったので多分この人は忘れているのだろう。

 

「トレーナーさん、そばの事忘れてるでしょ?」

 

「あ、そうそう食べ忘れてた」

 

「いやだからそうじゃなくて!!」

 

 私がそばの話について切り出すと、やはりこのトレーナーさんは忘れていた。おもむろにオーラを出しながら再びハリセンを持ち上げると、トレーナーさんが露骨に焦り始めるのが分かった。

 

「落ち着けぇ!! ハリセンを持つな!!」

 

 ソファを降り、テーブルを回りこんでトレーナーさんに近づいていく。その光景は他の人から見れば被害者に詰め寄る殺人者のような構図だっただろう、この瞬間に誰もトレーナー室に入ってこなくて本当に良かった。そのままトレーナーさんに近づいていき、トレーナーさんを部屋の角に追い込んだあたりで「温めるから……」と小声で言ったのでハリセンを下ろした。

 

 そんなこんなで数分後、私だけそばを温めてネギを乗っけた状態で、改めて乾杯をすることにした。二人でおいっす~! お茶を持って、新年の訪れを祝う事に加えて、ホープフルをレコード勝ちした祝杯をあげる。

 

「それにしても、今年一年は色々あったなぁ」

 

 そばをすすっていると突然トレーナーさんがお茶を飲みながらそのような事をつぶやく。確かに今年は、私がデビューしたのは当然の事、学園で一番注目されているチームであるキグナスのメンバーをいきなり一人倒したりしているので、色々あったといえば色々あったのだろう。

 

「確かにそうだねぇ、ほんと、大変な一年だったわ~」

 

 私だけじゃなく知り合いの事も入れればその数は計り知れない、例えばサンがノースブリーズに勝利したことや、クライトがジュニア期にしてG1を制覇したこと、そしてノースブリーズがアルビレオに所属したと言うことなど、本当に言葉通り色々あった。確かに私は誰よりも高い目標は立てているが、まさかこんなに大波乱なジュニア期になるとは全く予想していなかったとお茶を飲みながら思う。

 

ほうひえは、ふいももふひょうはもうふふ(そういえば、次の目標はどうする)?」

 

 トレーナーさんが冷えたそばを口に含みながらそのように質問された。とりあえずトレーナーさんの行儀が悪いのでそばを飲み込んでもらってから、私の目標について考える。私のおおもとの目標は「誰にも越えられない記録を残す事」だが、誰にも越えられない記録の定義や基準はどこにもない、だから私が誰にも越えられないだろうと思う事をしなければならない。確かに私はジュニア期にしてホープフルステークスをレコード勝ちしたが、それだけでは弱い。もっとそれ以上の記録を残し、私の生涯記録を誰にも超えられないようにしなければならない。

 

 クラシック期が迫ってきて、ジュニア期とは比べ物にならないG1レースが行われるようになる年に私以外が出来ないであろう記録とはなんだろうか。考えていても何も思いつかないので、とりあえずクラシック期と言えばな目標を伝える。

 

「次の目標は、やっぱクラシック三冠でしょ!」

 

「ほう、クラシック三冠か。しかし……」

 

 私がクラシック三冠が目標だとトレーナーさんに伝えると、トレーナーさんは苦い顔をしてそばを食べる手を止める。いったい何事なのだろうか、そばがまずかったわけではなさそうだし、私がクラシック三冠を取れないと思っているような顔をしている理由を聞いてみると、しばらくしてからトレーナーさんは語り始めた。

 

「……俺が考えているのはあくまでジンクスの話だから、あまりそれだけで否定するのは良くないと言うのはわかってる、だがもしものことがあるから言わせてほしい」

 

 こんな前置きを置いてまで話すと言う事は相当重大なジンクスなのだろうと、私もそばを食べる手を止めてトレーナーさんの話に言葉的にも物理的にも耳を傾ける。

 

「トレセン学園、いや、クラシック期のステップ競争には、昔からあるジンクスがあるんだ」

 

「どんなジンクスなの?」

 

「中央のレースで『耳飾りを左耳に着けているウマ娘は、クラシック三冠に勝てない』ってジンクスだ」

 

「え、じゃあこういうこと?」

 

 左耳に耳飾りがついているのが問題と言われたので、私自慢の星の耳飾りを外して右耳に付け直してみたが、トレーナーさんに華麗にツッコまれて終わった。どうやらトレーナーさんが言うには、普段から癖や拘りで付けている位置で変わるらしく、左耳に耳飾りを付けている場合、トリプルティアラを取りに行くのが普通らしい。

 

 確かにトリプルティアラを狙いに行ったウマ娘を思い浮かべてみると、みんな左耳に耳飾りを付けているような気がする。トリプルティアラを狙いに行ったウマ娘について思い浮かべてみるが、例えばエアグルーヴさん、例えばダイワスカーレットさん、例えばニシノフラワーさんなどが挙げられるだろう、無論私の友人プロミネンスサンも左耳に耳飾りを付けていて、トリプルティアラを志しているウマ娘だ。今思い浮かべたウマ娘そのすべてが耳飾りを左耳に着けているのだ。

 

 もちろんウオッカさんのように左耳に着けていてもダービーを制することができている例外もいるが……むしろ左耳に耳飾りを付けてクラシック三冠レースを勝ったのはウオッカさん以外に思い浮かばないので滅多にない事なのだろう。

 

「だからシャイン、クラシック三冠はやめておいた方が良いんじゃないか? もしトリプルティアラ路線にしていた方が勝てていた、なんてなったら、もったいなさすぎるだろ」

 

「う~ん、確かにそういうジンクスがあると挑みにくいのはわかるけど……それで諦めるってどうなの?」

 

 私がこの学園に来た理由、そして『誰にも越えられない記録を作る』といった目標が出来たのは、セイウンスカイさんやミホノブルボンさんといった、クラシック三冠に挑んだ人たちを見てのことだ。しかもそれらのレースを見るきっかけになったレースですらトウカイテイオーさんのレース、有マ記念だ。私が憧れている人たちはみんなクラシック三冠に挑んでいる、それなら私もクラシック三冠に挑まない訳にはいかないのだ。

 

「いや……ほんとそう思うんだけど……意外とそう言うの信じちゃうタイプだから……」

 

「いやでもさぁ……」

 

 私とトレーナーさんはクラシック期に挑む三冠路線とトリプルティアラ路線の話でしばらく話していた。私はクラシック三冠に挑みたい気持ちを伝えるも、ジンクスを信じてしまうトレーナーさんは頑なに私をトリプルティアラ路線に行かせようとする。この場面を見て、トレーナーさんの指示に従うのが担当ウマ娘ではないかと思うかもしれないが、私の人生で一回しか走れないレースなのだ、そう簡単に他人に任せられるものではない。

 

「まぁまてシャイン、ステップ競争の出走登録期間まではまだもう少しある、それまでゆっくり考えていこう。何もここで決めないといけない訳じゃないしな」

 

 結局その後もしばらく話し続けていたのだが、クラシック期のレースの話について、トレーナーさんがそう話を終わらせて終わった。確かに私のそばも冷えてきてしまったので食べるのを再開し始めることにする。

 

「皐月賞……出たいんだけどなぁ……」

 

「まぁまてって、とりあえずは年越しを楽しもうぜ、シャイン」

 

「おっす……」

 

 やっぱり温めたそばは美味しかった。

 



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第三十三話 ジュニア期を終えて.txt

 

 20■■年 1月2日 ジュニア期を終えて 記入者:橋田 瑠璃

 

現在の時刻は昼の12時、シャインのトレーニングがもうすぐ始まろうとしているが、このようなレポートを残しておくのも良いかと思い、一人寂しいトレーナー室でパソコンを叩いている。

 

このノートを他人に公開するかどうかはまだ決めていない、もしかしたら誰にも見せずに終わる可能性もあるが一応それっぽい事は書いておこう。俺の名前は橋田、トレセン学園でトレーナーをやって2年経つトレーナーだ。担当ウマ娘は『スターインシャイン』というウマ娘だ、脚質は追込、適正距離は未だに測ってないのだが……走っているレースからして中長距離は行けるだろう。

そんな俺の初めての、なんだ。そうだな『トレーナーノート』とでも名付けるか、我ながらシャインには笑われそうなネーミングだが、このトレーナーノートに俺なりにジュニア期を振り返った記録を書いていこうと思う。

 

どこから振りかえろうか迷ったが、まぁ最初だし俺がシャインを担当したところから振りかえって行こう。あれは確か4月の入学シーズンだった、あの時の俺はトレーナー業に楽しみややりがいを見いだせておらず、とにかく腐った日常を過ごしていた。だがある時「担当ウマ娘を持ってみたらどうだ」と、速水さんという俺の先輩に言われたので、トレセン学園のウマ娘が出走する模擬レースを見るようにしていた時期だった。

 

あの時もいつもと同じように、新入生が出走する模擬レースを見ていた時だった。俺は最初、プロミネンスサンという、シャインと一緒に走っていたウマ娘をスカウトしようと思っていた。レースが始まってからも俺の気持ちは変わらず、プロミネンスサンはどんどん先頭の方で加速し続ける一方。だがレース終盤、プロミネンスサンの勝利が決まったと思ったその瞬間に、後方でバ群に呑まれて負けることが確定していたであろうウマ娘、スターインシャインが上がってきたのだ。そうして一気にプロミネンスサンを倒した彼女に俺は、まさに一目ぼれ、というのだろうか。彼女の驚異的な末脚を見て、すぐに俺は彼女をスカウトしようと決めたのだ。

 

最初こそシャインに拒絶はされていたが、俺の助言でレースを勝てた事や、俺の目標である「担当を誰にも負けないようなウマ娘にする」と言う目標が彼女の目標とつりあった事が気に入ってもらえたようで、見事スカウトに成功したのだ。今思い出しても、よくあんな引っ張りだこになりそうなウマ娘をスカウトしようと思ったもんだよ。

 

あそうそう、彼女の目標についてなんだが、彼女は「誰にも越えられない記録を作る」と言う目標がある。誰にも越えられない記録、そんなものの定義や基準はどこにもない、だからこそ彼女は、この三年間でその答えを見つけるために走るつもりのようだ。俺も彼女の目標をかなえてあげたいので、熱心に担当しているつもりだ。

 

話が脱線したので戻そう。そうして彼女を担当することが決まり、俺はサブトレーナー時代に作っていたトレーニングメニュー表を持ってきた、どこのチームにいたかについては伏せさせてもらう。敢えて言うとしたら、G1に出走して勝利したウマ娘を沢山輩出しているチームと言うくらいだ。G1ウマ娘がこなすようなメニューに、シャインは最初の頃、本当に苦戦していた。だがしかし、彼女の目標に対する信念が彼女を突き動かしたのだろう、彼女はG1ウマ娘がこなしていたメニューを難なくクリアできるようになるまでに成長した。そうして迎えたメイク

 

 

 

「……眠くなってきたな、コーヒーでも淹れるか」

 

久しぶりにこれほどのタイピングをしているので、目がシパシパしてきている。この調子だと体調が酷くなってシャインにまたびゃーびゃー言われるので早く書き終わらなくては。

 

 

 

していたメニューを難なくクリアできるようになるまでに成長した。そうして迎えたメイクデビューでは、なんと同じく出走していたプロミネンスサンにリベンジされ、敗北となった。

なぜ負けたか、それは単純だった。プロミネンスサンは逃げウマ娘でありながら先行集団に紛れ込み、体を前にわざと倒して走行していたのだ。そうすることによって著しい体力の消耗が起こり、いくら加速しても疲れない状態であるセカンド・ウィンドに誰よりも早く到達できる、そのため勝つことができると言う作戦だった。

 

敗因であるプロミネンスサンの作戦にどハマりしたシャインの顔は今でも鮮明に覚えている。あの時のシャインはまだ精神的な面で本番のレースに対応していなかったため、俺はしっかりとレース中に訪れる緊張感や恐怖感に対応できるトレーニングを施した。

 

シャイン自身、最初のメイクデビューに負けてから気持ちが落ち込んでいる時期もあったが、シャインの同期であるマックライトニング、先輩レジェンドであるサイレンススズカのおかげで何とか気持ちが復帰した。それにシャインは未勝利戦に出走する前に、自分なりの武器を見つけた、それが超前傾走りだ。

 

超前傾走り、軽く説明すると、かの怪物、オグリキャップがかけるスパートのように前傾させる走り方だ。それも生半可な前傾ではない、もはや自分の前に足を蹴りだすことが出来なくなるくらい前に傾くのだ。文章で説明しても分からないだろうが、今の俺には解説はこれが限界だ。とりあえず、このレポートを見て気になったトレーナーがいるならシャインのレース映像を見てもらえればわかると思う。

 

そして迎えた未勝利戦、シャインは途中イーグルクロウと呼ばれるウマ娘にタックルをされたが、シャインの持ち合わせている武器、根性、そして驚異的な末脚で何とか制する事が出来た。今でも昨日の事のように思える、始めて持った担当のデビューの瞬間、あの瞬間ほど俺は喜んだことはないだろう。

 

デビューしてからも、俺とシャインは前に進み続けた。最初は俺がレースメニューを組めないことが災いしてぐだぐだしていたが、今では速水さんと、同じく先輩である木村さんの鬼トレーニングのおかげで何とかレースメニューが組めるようになっている。あの鬼トレーニングは今でも思い出したくないトレーニングだ。

 

ジュニア期に突入して、最初に出たレースはサウジアラビアロイヤルカップだ。これを読んでいる人も驚くだろう、なぜいきなりG3に出走するのだと。だがシャインは「誰にも越えられない記録を作る」という目標がある、そこに重きを置いた俺は、初出走をサウジアラビアロイヤルカップにしたのだ。事実として、いきなりG3に出走すると言われ、シャインも不安がっていたが、最終的には納得していた。

 

ちなみにこの際、シャインとは釣りに行ったりして、なかなか楽しいお出かけをしていた。この時シャインにはなんだか怒られてしまったが、イマイチなんで怒られたのかわからない。俺はただシャインの釣竿が重そうだったから一緒に引いただけなのだが……

とまぁ少し関係ない事を書いたところで、サウジアラビアロイヤルカップについて振り返ろう。

サウジアラビアロイヤルカップでは、グッドプランニングと言うウマ娘がライバルだった。

 

このグッドプランニングと言うウマ娘がなかなかに強敵で、観客席から見ている俺でも分かるくらいにバ群が動いていた。レースが終わった後にシャインに聞いてみたのだが、グッドプランニングはレース中バ群を好きなように動かせる、一種の超能力のような力を持っていて、レース中自分の天敵になりそうなウマ娘を沈めるための武器らしい。今思い出しても恐ろしいウマ娘だ。

しかしグッドプランニングは、バ群の位置を気配で察知していた、そこが弱点だった。シャインはレース中他のウマ娘を威圧して減速させるのを得意とする、グッドプランニングはシャインの圧倒的な気配によってバ群の位置を読めなくなったのだ。そのためシャインは、バ群の壁から抜け出すことができ、勝つことができた。

 

G3を勝って自信もついたシャインは、次の目標を京都ジュニアステークスに定めた。G3を勝ったのだから次は一呼吸置いてから重賞に行くのではないかと思うだろう。だが俺たちは無鉄砲に挑んでいるわけではなく、ちゃんと勝てると思う重賞レースに出走している。そのため、特に心配はない。

 

次の目標を定めたシャインと俺は、サウジアラビアロイヤルカップにて課題となった『坂に対する超前傾走り』の練習を始めた。というのもこの超前傾走り、なんと平らな地形でしか発動できないのを忘れていたのだ。だから、俺とシャインは、トレセン学園のグラウンドについている疑似的な中山の坂で、ひたすら超前傾で走っていた。この超前傾走りは使用者にとてつもない疲労を与えるようで、超前傾を使った後のシャインは目を真っ白にしながら過呼吸気味な呼吸をしていたのは今でも懐かしい。今では反動を多少抑えられるようになったようで、息の入りが速くなっている。

 

だがそんな時、シャインは坂の超前傾を練習している時に、こけてしまったのだ。とんでもないスピードで走るウマ娘がこけた時の被害は大きく、シャインは足を強く打撲してしまった。当然京都ジュニアステークスの出走は取り消し、しばらく療養期間にすることになった

 

同じく京都ジュニアステークスに出走する予定だった、シャインの同期であるプロミネンスサンは、京都ジュニアステークスにてあるウマ娘と戦った。それはトレセン学園にて今一番注目されているチーム、キグナスのメンバー『ノースブリーズ』である。彼女は今ではシャインやサン、クライトたちと仲良くなっているのだが、出会った当初は本当に仲が悪かったのだ。そうして半ば戦争のような空気でサンは京都ジュニアステークスに臨んでいた。

 

ノースはどうやら深呼吸を使ったスタミナの回復術を持っているようで、レース中に何度も息を入れるタイミングを作ることで、どれだけ高速で走っても疲れないと言うような武器だ。息を入れるタイミングを見極めるノース自身の力もあるため、シャインはまだ武器を奪えていないのだが、いつか機会があれば覚えさせてみたいと思う。

 

そうしてキグナスと戦った京都ジュニアステークスは、ノースが息を入れるタイミングに生まれる隙に、サンが決死の覚悟で真似したシャインの威圧感を叩きこみ、加速を邪魔した。

それもサンは完璧にタイミングを掴み、ノースの武器を圧倒的に封印した。そしてサンの持ち前の根性で勝利し、京都ジュニアステークスは幕を閉じた。

 

シャインとサンが驚異的な快進撃を見せているとき、それに負けるまいと、速水さんの担当であるマックライトニングも快進撃を見せていた。シャインが療養期間を乗り越え、ホープフルステークスに向けての調整を行っているとき、なんとクライトは阪神JFを制していたのだ。だが本人が言うにはあまりつまらないG1だったらしく、どうやら出走メンバーが弱かったようだ。俺に言わせてみれば、クライトが強すぎてつまらないと感じている、所謂勝者の余裕だと思った。

 

打撲してまともに練習が出来ていなかったシャインも、ホープフルステークス直前にはまた前のような走りを取り戻していた。唯一の問題は、坂の超前傾がまだ習得できていないと言う点だった。だがそんなことを言っていても仕方がないと言う事で、俺たちはホープフルステークスに出走するべくレース場に向かったのだ。

 

ホープフルステークスの出走メンバーは圧巻だった、スターインシャインは当然の事、阪神JFを制したマックライトニング、そして、ノースブリーズの親友であったシーホースランス。

ノースはランスと色々あって、あの時は喧嘩をしていたらしい、そのため、ノースはシャインに、勝ってランスの目を覚まさせてほしいと、願いを託してくれた。

 

シャインが走る初のG1、最初はかなり危なかった。なんとシャインがまだ完成していない坂の超前傾を使ったのだ、ホープフルステークスのコースは、スタート直後とゴール前に坂があるため、1回目の坂に超前傾を使ったのだ。当然、決まらなかった。坂の超前傾が失敗すると、反動によってシャインは足を止めてしまうのだが、今回シャインは減速こそしたものの、走りを止めることはしなかった。

 

ほっと一息ついたのもつかの間、なんと先行の脚質を持つシーホースランスが逃げの作戦を打ち始めたのだ。シャインが坂の超前傾に疲れた隙を突き、レースのペースを上げることによってシャインをさらに疲労させようとしていたのだ。

 

しかしシャインは沈まなかった、逃げの作戦を打ったシーホースランスに対抗して、シャインも逃げの作戦を打ち始めたのだ。最初に言った通り、シャインは追込の脚質、逃げなどできないと思われるが、シャインは以前に学園内で、あのセイウンスカイと逃げの作戦でマッチレースを行っている。そのため多少なりとも逃げの適性は上がっていたのだ。適性の数値をアルファベットで表すとするなら、Dと言ったところか。

 

シャインは逃げの作戦を打ち、先頭を取られそうになったらランスが対抗して前に出てくると思ったのだ、だからこそ、ランスは一番威圧感を受けやすい背中を社員に晒すことになった。ここまでの流れでもうわかるだろう、シャインは威圧感でランスをバ群の中に沈め、何とかレースのペースを遅めにした。

 

だがこの時、油断していたシャインは、こっそりと脚を溜めているクライトに気付くことが出来なかった。最終直線にて、クライトはシャインを追い越すべくスパートをかけてきた、当然スピードは向こうの方が上で、シャインはあっという間に抜かれてしまった。

 

しかしシャインは、ここで大博打に出たのだ。先ほども言っただろうが、ホープフルステークスはゴール前にもう一度坂がある、2回目の坂にて、シャインはもう一度超前傾に挑戦したのだ。

当然俺も無茶だと思った、だがシャインは末脚を輝かせ、上半身を地面につけることなく坂を超前傾で走りきった。

 

クライトは坂のスピードが遅かったようで、坂を上っているうちにシャインが前に出ていた。そしてゴール板まではさほど距離もないので、そのままシャインが一着でゴールする事が出来たのだ。

 

 

 

とまぁ、こんな風にシャインのジュニア期について振り返ってみたが、本当にすごいウマ娘だと思う。

 

 

 

「はぁ~っ、書き終わった」

 

「何してるの?トレーナーさん」

 

「うぉあっ!?」

 

突然背後から声がしたので、驚いて後ろを向くと、シャインが立っていた。どうやら授業の方が終わったようで、熱心にパソコンに向いていた俺を邪魔するまいと一呼吸着くまで待っていてくれたらしい。

 

「……ふーん、私のジュニア期について書いてたんだ、ま、ちゃんと綺麗に書いてくれればどうでもいいけど☆」

 

「まぁ、忘れないようにな」

 

「それじゃ、トレーナーさん行こっ!!これからクラシック期も始まるんだよ!!」

 

「……あぁ!!行くか!!シャイン!!」

 

これからクラシック期に突入し、もっと大変な日々になるだろうが、これからもあの子の活躍を確定的なものにすべく、俺もトレーナーとして頑張って行きたいと思う。

 

 

快進撃を見せちゃうよ!ジュニア期編 完

 



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全てを薙ぎ倒す!クラシック期編
第三十四話 三つの冠 その障壁


 

 年末を越えて、特にトレーニングに変更がなく私たちは日々を過ごしていた。私のスタミナと根性を鍛えるためのインターバルトレーニングは相変わらず行っており、最初の頃は1セットで死にかけていたインターバルも無限にできそうなほどにスタミナが付いた。そんな私が今危惧していることがあり、現在トレセン学園内の図書館に来ている。

 

「シャイン、お求めのものは見つかった?」

 

「なんとかね」

 

 横の方から小声でサンが話しかけてきたので、私も適当な回答をする。この図書館に入り、30分くらい探してお目当てのものが見つかった。

 

「それにしても、突然どうしたの、過去のクラシック三冠・トリプルティアラの成績をまとめた本なんか取り出してきて」

 

「いや……これはサンも見といた方が良いと思って、実はあるジンクスについて研究してるんだ」

 

「ジンクス? 一体どんなジンクス?」

 

「『耳飾りを本能的に左耳に着けているウマ娘は、クラシック三冠路線に勝てない』ってジンクス」

 

 そう、私が今危惧していること、それは年末の際にトレーナーさんと話し合ったジンクスについてだった。耳飾りを本能的に左耳に着けているウマ娘は、クラシック三冠路線に勝てないと言うジンクス、その真相を探るべく、私は過去のステップ競争のタイムや勝ったウマ娘、そして耳飾りの位置を見に来たのだ。

 

 私は図書館内で歩き回り作った本の山を机の上に置き、一冊ずつ読んでいく。最初に読んだのはクラシック路線の本だ、どのウマ娘も写真越しでも圧巻といえるオーラを放っていた。そして耳飾りを見ると、やはり三冠を勝っているウマ娘は、ウオッカさんを除いて全員右耳に着けていた。読み進め、右耳についていると言うのを確認するたびに、私の中でジンクスが確定的になるのを実感した。

 

 クラシック路線の本を読み終わり、次はトリプルティアラ路線の本を手に取った。こちらもやはり、全員左耳に耳飾りを付けていた。こんなに耳飾りの位置が露骨に別れているのに、なぜジンクスと言う枠だけに収めてしまうのか、そんなことを考えることができないほど私の頭は混乱していた。なぜこのように耳飾りの位置が分かれているのか、私は理解することができなかった。

 

「私たちは何となく付けていただけなのに、なんでこんなに付けている位置が違うのか……う~ん?」

 

「そういえば、シャインも左耳だよね、私もだけど」

 

 私が耳飾りの謎に対し、頭を無駄に絞らせていると、サンがそう言いながら自らの耳飾りを指さす。入学したあの日から何度も見ている、オレンジに輝く太陽の耳飾り。それはまるでサンの活発な性格を意味しているようで、オレンジと言う色も相まってサンの赤毛によく似合っている耳飾りだ。だがこの耳飾りでさえ、サンは無意識に左耳に着けていたのだ。

 

「そういえば、サンがトリプルティアラを目指そうと思ったきっかけとか理由ってある?」

 

 私は耳飾りの位置を直しているサンに対してそのような質問を投げかける。私は耳飾りの付ける位置について考えていたが、逆に何故耳飾りを左耳に着けているウマ娘はトリプルティアラを目指すようになるのか、右耳のウマ娘はトリプルティアラ路線を目指さないのか、そのきっかけに秘密があると思ったのだ。

 

「私がトリプルティアラを目指した理由? あ~……?」

 

 サンは口を開けたまま人差し指を顎に当て、天井を見つめながら考えている。その間にも出来る限りデータを集めようと私はちらちらと本に目線を向ける。

 

「私がクラシック三冠路線じゃなくてトリプルティアラを目指した理由、それはやっぱりティアラって響きが良かったから、かなぁ……」

 

「ティアラって響きが良かったから?」

 

 ぶっちゃけ拍子抜けした、てっきりもっと重大な理由がある物だと思っていたのだが、サンの口から出てきたのは以外にもあっさりとした理由だった。

 

「あ、あっさりした理由だとか思ってるでしょ」

 

 どうやら心の中をのぞかれていたらしい、サンは頬を膨らましながらこちらを見てくる。特に否定する理由も見つけられなかったので、素直に思ったと伝える。するとサンはやれやれと言った様子で

 

「別にそれだけが理由じゃないよ? もちろん私のタイムや脚質や適正距離を考えてみてのトリプルティアラ路線だからね? それに憧れたウマ娘がトリプルティアラ路線を行ってたとかさ、他にもいろいろ理由は出てくるよ」

 

「…………あ────っ!!」

 

 私はサンの弁解を聞いて閃いた、叫びすぎて今図書館にいたウマ娘全員に怒られたが、改めて椅子に座りなおして本を手に取る、今度は三冠とトリプルティアラの本を同時にだ。私がサンのどの言葉を聞いて閃いたのか、それは『距離適性』だ。距離適性はウマ娘の能力を表すデータだ、もしかしたらこの二つの路線に出走したウマ娘の適正距離を照合する事で何か分かるかもしれないと思い、二冊同時に開いたのだ。

 

「これって……この適正距離って……」

 

 するとなんということだろうか、クラシック三冠路線に出ていたウマ娘は基本的に長いレースが得意なのに対し、トリプルティアラに出ていたウマ娘はみなマイルや短距離などのレースに出ているのが大体だ。

 

「……それで、なんで左耳飾りの適正距離が短いのか分かったの?」

 

「……分かってません」

 

 

 

 

「はぁ~、わからずじまいか~、耳飾りのヒミツ」

 

 私は自分で閃いたなどと言っておきながら、根本的な謎であった『左耳に着けているから○○』という謎を解明できていなかった。謎が分からない私たちは、あれから1時間ほどサンと仮説を言い合ったが、結局何もわからずに私たちの体力が尽きてしまい、そのまま図書館を出てきてしまった。

 私の今後に関わることが何もわからなかったので、少々不満気味な顔になっているが、耳飾りの位置によって適正距離のわずかな違いがあると言う事が分かっただけ収穫があったというものだ。

 

「ちなみにもうステップ競争の出走メンバーを募り始めるころだけど、シャインは最終的にどっちにしたの?」

 

 サンが廊下を歩きながら私に聞いてくる。私がステップ競争をどちらの路線で行くことにしたのか、少なからずファンの中で気になっている話題だろう。安心して欲しい、私はクラシック三冠路線だ。

 

 年末、トレーナーさんと一緒に年越しそばを食べた日、私たちはそばを食べ終わった後、ステップ競争の事について話し合った。どちらにするかゆっくり考えればいい、そうは言うものの、軸としてどちらにするか決めていないとさすがに不安になると言う事で、最終的にクラシック三冠路線にすることが決まったのだ。私はサンにクラシック三冠路線にしたことを伝える。

 

「へぇ……ジンクスをも恐れないでクラシック三冠路線にするんだ……さすがだね、シャイン」

 

「当り前~っての、私は普通のウマ娘よりか適正距離長いと思ってるし、私が第二のウオッカさんになっちゃうかもよ? サン」

 

 今述べたように、私は普通より適正距離が長いと思っている。トレーナーさんが適正距離の計測をしないから私は自分の適正距離について何も知らないのだが、そういう事を除いても長いと思う。そのため、過去のウオッカさんのように、クラシック三冠路線を左耳に飾りをつけて制することができるかもしれないという判断だ。トレーナーさんもその意見には賛同してくれて、しっかり皐月賞に出走登録申請はしている。

 

 サンが私の度胸に驚いている様子を楽しんでいると、あっという間に寮に戻ってきてしまった。

 

「あ、これって金鯱賞ってヤツじゃ~~ないんすか?」

 

 寮の大部屋にやってきて、サンがテレビを指さしながら陽気に喋る。テレビの方を私も見ると、確かに今日行われるレースである金鯱賞の映像が流されていた。

 

『最終直線に入り後ろの方からキングスクラウンが上がってきた! キングスクラウンが来た!』

 

 テレビの中で走っていたのは、波ウェーブをかけた金髪をなびかせている、キングスクラウンだった。過去に一度会っただけだったが、その容姿はしっかりと覚えていた。キングスは最初に見た瞬間、後方集団にいたが、最終直線に入った瞬間、バ群の狭い隙間を進路妨害ともいえない絶妙な距離を保ちながら潜り抜け、先頭に躍り出ていた。

 

『加速したキングスクラウンはもう止められない! 誰もこの速度以上を出すことができない! ぐんぐんとその差を開いていきます!』

 

 先頭に躍り出たキングスはあれほどバ群抜けに体力を使ったように見えるのに、減速などする気配もなく、二番手の子との空白を開けていく。フォームを崩さずに他の子を離していくその光景はとても綺麗で、気持ちが高揚し、だんだんテレビに食いつくように見入ってしまう。

 

「……いっっ!?」

 

「どうしたのシャイン!?」

 

 先頭で走るキングスのフォームを見ていたら、突然頭に激痛が走り、私の記憶に無いビジョンが浮かんだ。私と同じ鹿毛のウマ娘、しかしその姿は見た事が無い。なぜキングスを見てその光景が浮かんだのかわからなかった、だけど確かに私は鹿毛のウマ娘を見た。ビジョンが消えると私の体からどっと汗が流れ、鼓動が速くなるのを感じる、決して恋ではないと一応言っておく。私はこれに似ている状態を知っている、超前傾走りの反動だ、だが今私は超前傾など使っていないし、まずレース中ですらないのだ。それなのに超前傾の反動のような状態になっていると言う事は、間違いなく私の体に何かが起きたのだ。

 

「いっ……や、もう大丈夫、なんでもないよ、サン」

 

「そ、そう? それならいいんだけど……」

 

『キングスクラウン! キングスクラウンです! キングスクラウン今圧勝でゴールイン! 大阪杯に向けて第一歩を踏み出した!! 去年三冠を制した王は、かつての七冠ウマ娘、シンボリルドルフを超えるのか──っ!?』

 

「いぁっっ!! あああああああああああああ!!!」

 

 実況の人がさらに興奮して声を荒げることで、さらに激痛が加速する。逃がしようのない激痛に私は涎をダダ漏れにしながら地面に膝をつき、頭を地面に押さえつける。ここまで来るともはや超前傾の反動状態にすら似ていない、ただの異常状態だ。

 

「シャイン! しっかりしてシャイン!!」

 

 しばらく痛みは続いた、頭が裂けそうになる痛みに私の精神がおかしくなりかけていたが、サンが私のことを心配する声で状態は少しずつ回復してきていた。しかし私はなぜ超前傾の反動に似た、いやそれ以上の現象が起きたのか全く理解できなかった。耳飾りの謎といい、超前傾のような反動と言い、クラシック期に入ってから分からないことだらけで疲れてくる。

 

「ご……ごめんねサン、涎……拭くわ」

 

「あ、うん、ちょっと消毒液の霧吹きも持ってくるね」

 

 頭痛は一旦、完璧に無くなった。冷静になった私はティッシュを取りだし、地面に垂れていた涎を拭く。結局あの痛みはなんだったのだろうか、キングスを見ていたら突然起きたあの痛み。拭いている最中にも原因について考えていたが、何も思いつかずに拭き終わった。とりあえず風邪っぽかったで済ましてしまおう。

 

「……ふぅン、興味深い」

 

「ん……?」

 

 私たちの後ろの方から声が聞こえたので、振り返ってみると、白衣を着た怪しめのウマ娘が立っていた。この風貌は確か見たことがあるような……

 

「あっ! 怪しい治験の人!!」

 

「怪しい治験の人とは失礼だねぇ、プロミネンスサン君。そして横の君はマックライトニング君かな」

 

「あの、プロミネンスサンは私ですし……クライトはそもそもこの場にいません……」

 

 相変わらず人の名前は覚えていないようだ。今度は私たちにどんな怪しいアイテムを紹介してくるのか、紹介される前に逃げてしまおうかとも思ったのだが、この人から逃げたら何されるかわからない気がしたので、とりあえず何かアクションを起こされるまでぐっとこらえることにした。

 

「私は君の今の頭痛について興味を持ったんだ、特に何かするわけじゃないよ。私はアグネスタキオン、よろしく頼むよ」

 

「アグネス……」

 

 アグネスタキオン、聞いたことがある。光のような脚を持っていたのにもかかわらず、一時は退学寸前までいった人だったはずだ。確かトレーナーさんがいつも光っている人でもある。

 

「君が今体験した頭痛、詳しく教えて欲しい。例えば長時間のデスクワークをしたり、ストレスを溜め込んだりしたかい?」

 

 アグネスタキオンさんに私は先ほどの頭痛の詳細を教えた。とりあえず何かしらの病気や症状ではないかと疑ったのか、典型的な頭痛の原因が無いかを聞いてきたりもしたが、そのどれにも当てはまらなかった。

 

「ふぅン? では一体君のその強い頭痛は何が原因なんだ?」

 

「いえ、私にも何もわかりません」

 

 私自身健康的な生活は送っていると思うし、トレーニングの際にも無茶はしていない。授業中に寝たりもしているが、決して夜更かしはしていない、むしろ他の人より早めに寝るくらいだ。やはり考えられる原因はキングスのレース映像だろう、それをタキオンさんに伝えると眉を傾けてハテナを浮かべていた。

 

「キングスクラウンのレース映像? しかしレース映像だけであれだけ叫ぶ頭痛が起きるものかい……? いや、感情は不可解な現象を引き起こす……だが……」

 

「あ、あのタキオンさん?」

 

「私がトレーナー君に感じた感情とかもひっくるめるとやはり感情は……」

 

「……シャイン、これもう帰っていいんじゃないかな」

 

「えぇ……?」

 

 サンが困った顔をしながらそのような事を提案してくる。確かにタキオンさんは何かのスイッチが入ってしまったようで先ほどから何かをブツブツとしゃべっており、私たちの声など届く様子もない。今日のところはとりあえず置いて帰ってもいいだろう、タキオンさんのトレーナーさんは面倒見もいいと聞いたことがあるし、多分何とかしてくれる。

 

「結局、耳飾りの事と良い、頭痛の事と言い、何もわからなかったね、シャイン」

 

「はぁ……今日はホント、レースにも出てないのに疲れた……」

 

 まだ寮の門限までは結構時間があったので、私たちは学園側に戻り、中庭を歩きながらそのような会話をする。とりあえず今日の頭痛の件に関してはトレーナーさんに話すと言う事にして、サンと三女神像の前で別れた。決してダジャレではない。

 

「それじゃあね、シャイン」

 

「まぁこんなところで別れてもどうせまた今日中にどっかであうんだろうけどね、じゃ~」

 

 私はシャインと別れ、とりあえず中庭のベンチに座る。ここはよく日が当たるので暖かい。私は太陽に暖められながら先ほどの出来事を思い出す、シャインが突然頭痛を訴え、地面に突っ伏するほど痛がっていた様子が鮮明に思い出される。シャインのあんな姿を見たのは初めてだ。

 

「シャイン、大丈夫かなぁ……」

 

 シャインの事を思い出していると、ふと三女神像が私の視界に入る。

 

「三女神の像……」

 

 すると、突然視界が真っ白に光り、私の体が軽くなる。シャインに続き、私まで不可解な現象に巻き込まれたのだろうか。シャインのように強い頭痛が来るのだろうとかまえていると、そんなことはなく、むしろ感覚が快適なレベルにまで鋭敏になって行く。

 

「体が、軽い……?」

 



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第三十五話 想いの継承

 

 私は外科に行くべきなのだろうか。しかしどこをどう触っても今はもう痛くはない。別に私はトレーナーさんに超前傾でタックルして、トレーナーさんのシックスパックにはじかれたわけでもないし、バンジージャンプの勢いが終わった状態で30分くらい放置されたわけでもない。

 

 キングスクラウンのレースを見た次の日、私はトレーナーさんに頭痛があったことを報告した。トレーナーさんは凄く心配してくれたが、あの後から特に痛みもなく、後遺症も特にないので心配ないと焦るトレーナーさんをなだめた。しかし不可解なのはやはりあの頭痛の原因だ、理由もなくあれほどの頭痛が起こるわけがない、だが同時に理由も見当たらないため、何も対策することができないのだ。トレーナーには心配ないと言ったものの、そのような現状に私は頭を悩ませていた。

 

 現状に頭を悩ませ、私が昨日サンと別れた中庭のベンチで休んでいると、教室棟から出てきたクライトに声をかけられた。学園内にガムを持ち込んでいるのか口をもくもくさせながら。

 

「ようスタ公。一体どうしたんだこんなところで俯いて」

 

「ん? あぁクライト、なんでもないよ、大丈夫」

 

「どうしたんだよ、元気ないじゃねぇか、どうしたんだよぅ」

 

「いや、なんでもないよ」

 

「にしては元気ねぇじゃねぇか、正直に話してみろよ」

 

 クライトが私の横に座っていつもより優しい口調でしつこく話しかけてくる。別に本人は何とも思っていないのだろうが、優しい口調のクライトと言う時点ですでに違和感がすごくあり、私は何かあるのではないかと、勘繰ってしまう。

 

「あんだその目は、文句あるのか」

 

 ……別にその心配はいらないようである。

 

「あのね、実は昨日大変な目に合ってさ……」

 

 私はクライトに昨日の事を包み隠さず話した、頭痛で苦しみ、泣き叫んだ事。耳飾りのジンクスについて調べたけど何もわからなかった事。昨日行ったことをすべて話した。

 

「へぇ……原因が謎の頭痛か……そりゃあんな顔になるわな」

 

 そう、原因不明、そこがミソなのだ。いくら思考を張り巡らせても、裏表がないメビウスの輪のように、端っこ、つまり結論に到達できない。この頭痛の原因を見つけるのが、今のミニ課題だろう。

 クライトは頭の後ろで手を組んで上を見上げながら、体を前後にぶらぶらしている。本当に心配してるのかな、これ。というか私の先ほどの顔を思い出しているのだろうか、多分恥ずかしい顔をしていたからやめてほしい。

 

「そうなんだよね、何が原因なのか全くわからないんだよ」

 

「病院行ってみたのか?」

 

「もう行ったよ、何にも問題はないって」

 

「そうか……」

 

 私の答えが見えない頭痛の話で、クライトも少し気まずい雰囲気になってしまった。申し訳ない気持ちに包まれる。

 

「あ? スタ公、なんか喋ったか?」

 

 突然、クライトが立ち上がり、私にそのような事を確認してくる。当然私は今何も喋っていないので、クライトの質問に対して横に首を振る。クライトの聞き間違いだろうか。ウマ娘は聴力が優れているので余計な音を拾う事もあるだろうと思い、何も気にしていなかったのだが、クライトが座りなおそうとした次の瞬間、クライトに異変が起きた。

 

「うっ……!?」

 

「クライト!?」

 

 私が心配するのが先か、クライトがうめき声のようなものを上げたと思ったら、今度は上の空な様子で棒立ちしている。心配になって顔の前で手を振ったり、体をゆすったり、クライトが劇場するであろう言葉を投げかけたりするが、全く反応がない。私は例の頭痛の事もあったので正直めちゃくちゃ焦っていたが、クライトが苦しんでいる様子が無いあたり私の頭痛とは別のようだ。

 

「うぁっ……はっ……!?」

 

「あ、おかえり……? なのかな……?」

 

「あ……あぁ、心配させたみたいで悪いな、なんでもない……?」

 

 クライトは自分自身でも何が起こったのかわからないようで、不思議なような顔をして自分の体の安否を確認している。一応私の方からも全身を触って何も変わっていないか、痛みを感じないか確認して見る。しかしどこにも問題は見当たらなかった。むしろクライトに良いことが起きていた。

 

「なんか……なんかわからねぇけど、体が軽いぞ! どこまでも走っていけそうなくらい体が軽いぞ!? ちょっとグラウンド行って走ってくるぜ! トレ公ォォォォォ!!」

 

「え、いや、ちょ、クライトォォォォ!?」

 

 クライトがすでに遠くの方にあるグラウンドに向かってしまったので、私も見失わない様に必死に追いかける。その速度はレース中よりもはるかに速く、クライトの最高記録と言ってもいいかもしれない。私も追いつくので精いっぱいだった。そしてグラウンドで芝の状態でも確認していたのかもしれない速水さんにクライトが勢いよく話しかけている。

 

「ぜぇぇぇ……ぜぇぇぇ……ク、クライト……速すぎ……」

 

「トレ公! 今からタイム計測してもいいか!? なんか知らねぇけど体が軽いんだ! 速く! 芝の状態とかどうでもいいからよ!」

 

「え、ちょ、クライト? それにシャインちゃん……いや息切らしすぎじゃね? なんつー速度で走ってきたんだお前ら……」

 

 そんなことを速水さんが心配している間にも、クライトはどこかに向かって走り出してしまい、既にスタートラインについている。その様子を見て速水さんは呆れたように声を出す。

 

「おーい、どこいくんだよー、クライトー。ってもう声も届かねぇか、仕方ねぇ。すまんシャインちゃん、ストップウォッチ出してくれないか? ちょうどそこの箱に入ってる」

 

「はぁい……オエッ」

 

 私は箱からストップウォッチを取り出して速水さんに渡す。クライトはさっきからまだかまだかとスタートラインについており、そんなクライトに速水さんが合図を出す。私の方も息が戻ってきたので速水さんと一緒にクライトの走りを見ることにする。

 

「しっかし、いきなり飛んできてタイム計測をねだってくるとは……あいつ急にどうしたんだ?」

 

「いや、なんか、三女神像の前で突然立ち尽くしたかと思ったら走り出して」

 

「えぇ……?」

 

 クライトがなぜああなったのか、大まかな流れを説明したが、やはり速水さんは微妙な顔をしていた。まぁ話だけ聞いたらそんな顔になるだろう、だが事実を述べたまでだ、仮にそれ以上の説明を求められても私は何も答えられない、困る。

 

 ここでタイムを見るためにストップウォッチに目を落とした速水さんがあることに気付く。

 

「……あれ? なんかあいつ速くなってね? 自分のペースを崩したか……? いやしかし独走でペースを崩す理由ってなんだ?」

 

 ここ、グラウンドに来るまでのクライトの速さでもう気づく人もいるかもしれない事だが、クライトのタイムが速くなっていると言う事に私も速水さんも気付いたのだ。

 

「……確かにクライト速いですね、え、速すぎじゃない?」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」

 

 コースの向こう側から走ってくるクライトの表情は鬼神のそれと言えるような気迫だった。なんというか、おもちゃ屋さんでお気に入りのおもちゃを見つけて、カゴを持った母親の元に向かってくる子供の勢いような……表現としてはそんなところだろうか。

 

「ゴールっ! タイムが格段に伸びているな……嘘だろ?」

 

 そうしてゴールしたクライトのタイムは驚くことに、前に速水さんからふと聞いたことがあるクライトの最高タイムを大幅に上回る記録となった。というよりなによりツッコミたいのが、クライトがそのままもう一周走りに行ってしまった事だ。どれだけテンション、と言うかモチベーションが上がったのだろう。

 

「やっほ~! シャイン! ちょっと併走しない?」

 

「あ、サン。おっけ~、準備するから待ってて」

 

「もう~、じゃああのコース使うから早く来てよ?」

 

「はいはい、じゃあ速水さん、見学させていただいてありがとうございました」

 

「おう、丁寧にありがとうね。頑張ってきな、シャインちゃん」

 

 私がクライトの強さに恐怖していると、後ろの方から小屋から出たチワワのような顔と速度でサンが走ってきた。このようにサンから併走といったことを誘われるのは久しぶりだったので、私も快く返事をして参加する意思を表明したのだが、クライトに続いてなんだかサンまで速く走りたいと言ったオーラが出ていて、二人ともどうしたのだろう。

 

「ほ~い、お待たせ、サン」

 

「も~待ちくたびれたよ~、速く速く」

 

 サンがあらかじめ予約して使っていたコートに行くと、木村さんは当然の事、ミークさんや私のトレーナーさんまで呼び出されていた。

 

「えっ、トレーナーさんまでいるの?」

 

「おい、なんだその俺がいるのがいやみたいな反応」

 

「いやそういうわけじゃないけど、もしかしてトレーナー、自意識過剰なのぉ?」

 

「なんだお前」

 

 トレーナーさんが私の言葉に対して違う解釈の仕方をしてしまったので、トレーナーさんに向かってちょっとからかいを込めて言葉の斧を振りかざしてみた。するとしばらく申し訳なさそうにしていた木村さんが私たちの間に入って話しかけてきた。

 

「お二人ともすいません、サンのわがままに付き合ってもらっちゃって。スケジュールとか大丈夫でした?」

 

「今のところ何も決まってないよな? シャイン」

 

「あったりまえぇぇ~、別に大丈夫ですよ、木村さん」

 

 私だってサンのクラシック期に入ってからの実力を知りたいですから。とは口に出さなかった。

 

「私も、いるよ……」

 

 ミークさんが小声でつぶやいたのが聞こえた。

 

「それにしても、サンのやる気が上がって、トレーニングをして実力を強化したい俺たちトレーナーからすれば願ったりかなったりですかね」

 

「そうですよねぇ、なんだか昨日からモチベーションが上がって。シャインさんはそういう事ないんですか?」

 

 しばらくトレーナーさん二人の会話が聞こえた後、サンがしびれを切らして駄々をこねはじめる。

 

「ね~えぇ~! そういう話良いから速く走ろうよ!」

 

「はいはい、それじゃあ測りましょうか。とりあえず三ハロンの併せウマでいいですか?」

 

 木村さんが追い切りの内容を話すが先か、サンはスタートラインの方向に走り去ってしまったので、私たちもスタートラインに向かって歩いた。

 

「それじゃ、シャイン、ミークさん、手加減しないからよろしくぅ!」

 

 サンがそのような事を言いながらスタートラインで足踏みをしている。どこかで見たことある動きだと思ったら、まるでトウカイテイオーさんのテイオーステップのようだった。

 

 しばらくして木村さんからスタートの合図が聞こえ、私とミークさん、そしてサンの三人で併せウマが始まった。

 

 今回の追い切りメニュー、三ハロン併せウマ。

 最初の数百メートルは練習相手を離しすぎないように普通に走り、最後の三ハロンから二人以上で併走すると言ったものだ。競い合う相手がいると言うことで、ウマ娘の勝利への欲望が掻き立てられ、良いタイムが出るようになると言った練習だ。

 

 しかし……

 

「いや、サン、速っ!!」

 

「もはやペースを合わせる気もないんじゃ……」

 

 サンの7バ身ほど後ろを私とミークさんは走っている。サンはこれが併せウマメニューと言う事を忘れているのではないかと錯覚するレベルで私たち二人は離されている。遠くに見えるサンの表情は、罪悪感もない清々しいほどの笑顔だった。

 

「いや、どぉぉこいくねーん!!」

 

「どこいくねーん」

 

 柵の向こう側から見ている私のトレーナーさんと木村さんからもツッコミの声が出ている。とりあえずこのまま逃げ切られてしまっては練習にすらならないので、私とミークさんは急いで併せウマが出来る距離まで急ぐ。しかし差が2バ身くらいまで近づいたあたりでサンの様子がおかしくなった。

 

「来た……この距離を詰められる感覚。逃げたい逃げたいってなる感覚。なんでこんなに楽しいのか分かんないけど……私にも止められそうにないやっ!!」

 

「あ、なんか嫌な予感が」

 

「奇遇……私も……」

 

 案の定、サンは詰められてから再加速をし、私たちなど最初からいなかったかのように一周分を走りきってしまった。トレーナーさん方も驚きの声を上げているのが聞こえる。

 

「おぉぉぉぉい! 逃げ切るんっかぁぁぁぁい!」

 

「ちょっとテンション飛ばしすぎでは……サン……」

 

 結局併せウマなどできる訳もないので、私とミークさんはそのまま走ってゴールした。

 

 ゴールした後、冷静になったサンが申し訳なさそうに近づいてきて、謝罪の言葉を述べた。

 

「ごめん! テンションあがっちゃって飛ばしちゃった!!」

 

「いや、別にいいよ、逃げウマを追込みで追うのも久しぶりだったからね。良いリハビリになったよ」

 

 京都ジュニアでノースと戦えず、ホープフルでランスに並んで逃げの作戦を打った私は、逃げウマを追うのは本当に久しぶりだったので、離されても冷静に立ち回る感覚を取り戻すことができた。そういう意味では私にとっていい練習になったかもしれない。尤も、そんなことを言っては、ライバルを強くしていると言う事に気付かれてしまうので口には出さないのだが。

 

 謝罪の言葉が来てすぐ、トレーナーさんたちも来て、木村さんがサンに少しだけ説教して終わった。

 

「もう今後は併せウマの最中に逃げてはいけませんよ」

 

「わかってますってぇ~……」

 

 すると、どこからか甲高い笑い声と共に、例の白衣の人、アグネスタキオンさんが走ってきた。なぜかびろんびろんになった袖を振り回しながら。

 

「ハッハッハッハッ! 興味深い記事を見つけたよシャイン君!」

 

「あ、タキオンさん。興味深い記事ですか?」

 

 興味深い記事。

 ぶっちゃけこの人ならなんでもかんでも興味深い記事と言って取り上げそうなものだが、なにしろタキオンさんとの会話は昨日の『頭痛の話』で止まっていたので、私もその興味深い記事というものに惹かれてしまった。

 勢いよく飛び出してきたタキオンさんに、木村さんやサン、トレーナーさんまでもが体を寄せて話を聞く。

 

「何やら君は自分に不利なジンクスについて調べていたそうじゃないか」

 

「あ、はい、そうですね」

 

 自分に不利なジンクス、耳飾りのジンクスの話だろう。しかし頭痛と何のかかわりがあるのだろうと思っていたら、タキオンさんはある本を取り出した。

 

「君に有利なジンクスがあるかもしれないよ、これを見たまえ」

 

「ん? 『想いを継承するウマ娘達』……?」

 

「ウマ娘とは、何やら上の世代のウマ娘の想いを受け継ぎ、その力を多少手に入れることができるらしいよ。もしかしたら、君の頭痛も想いの継承による反動ではないかねぇ? どうだい? あれから体が軽くなったとかの現象はあるかい?」

 

 想いの継承、何やら素敵なワードが聞こえ、最初こそ期待はしたが、体が軽くなると言った事は何一つ起こっていない。つまり私の頭痛は想いの継承によるものではないと言える。

 

 と言うより、体が軽くなったと言えば、クライトとサンだ。クライトは今日から、サンは昨日から何やら様子がおかしい。走る欲求を刺激されているのはわかるのだが、あまりにも急すぎる。と言う事はあれが想いの継承ではないかと私は思う。

 

「いや、違いますね、少なくとも想いの継承ではないと思います」

 

「ふぅン、違うかぁ。私も過去を思い出してみると、この時期にふわふわとした感覚に包まれることがあってねぇ……どうやら学園の様子を見るに、想いの継承が始まる時期がもう終わりそうだけど、シャイン君はまだ来てないのかい」

 

 私の頭痛が想いの継承によるものだと証明できなくて、タキオンさんが残念がっていると、トレーナーさんがある疑問を投げかけてきた。

 

「まて、『時期』っていったか?」

 

「ふぅン? そうだが?」

 

「なんで、シャインは来てないんだ……?」

 

「個人差というものはあるだろう」

 

「いや、クライトとサン、そしてシャインは同期だ。それなのになぜ、同時に来ない……? もし想いの継承が何かしらのスイッチや条件があって起こる現象なら、同期であるシャインにも今日か明日あたりで来てもいいころだろ?」

 

「……ふぅン? たしかにそうだねぇ……まぁとりあえず様子を見たらどうだい?」

 

 その日は何も進展はなく、そのまま解散した。なぜ私に思いの継承の時期が来ないのか。その謎はしばらく生活して解き明かしていこうということになった。

 

 

 



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第三十六話 私の継承どこですか?

 

 タキオンさんから想いの継承について聞いた次の日、私はまた例の中庭にやってきていた。

 どうやらサンに話を聞くと、あれほどに走りのモチベーションが上がったのは中庭で何かを見たかららしい。

 

「やっぱり何もないね~、シャイン」

 

「う~ん、私も走りのモチベーション上げていきたいのになぁ」

 

 サンやクライトが昨日、走りのモチベーションを上がっている姿を見て、私もトレーニングに打ち込みたいと思った。実際私は昨日クライトが想いの継承らしき現象に出くわすのを見たので、それを信じ、想いの継承をするべく私は中庭でうろちょろしているのだ。

 しかし一向に想いの継承らしき現象は起きない、ただただ時間が過ぎていくだけだ。

 

 想いの継承を通してメリットがあるのはモチベーションだけではない、タイムにも影響しているのが大きい。事実昨日クライトのタイムは大幅に更新されていたし、サンの逃げの適性も上がっているように見えた。

 

 私だってこれから時代を担うウマ娘になるため、タイムを更新できるくらいの体にはしたい。

 ホープフルステークスを私はレコード勝ちしたという気持ちというか、プライドのようなものもあると思う。だけど……一向に想いの継承なんか起きないんだよなぁ……

 

「なるほど、そういうトレーニングもあるんですね」

 

「橋田さんのトレーニングはスタミナと根性を鍛える事に特化してますが、パワーがいまいちですからね、こうすれば大体良いと思いますよ」

 

「パワーを鍛えるなら最終的に水の上を走れるようにすればいいですかね」

 

「……なにを言ってるんです?」

 

 中庭の端にあるベンチに座っていた私達のトレーナーさん二人も、想いの継承のことなど忘れて自分たちのトレーニング方法について話し合っていた。

 

「ん~……ねぇシャイン、時間もそろそろだし、お互い切り上げてトレーニング行かない?」

 

「はぁ……結局想いの継承なんてないんじゃないの~~~?」

 

 あまりにも非科学的な現象なのは分かっている、だが私はその現象に立ち会った事があるため、なまじ諦めることもできない。想いの継承が起きる条件も分からない為、すごく歯がゆい。

 そんなことを思っていると、木村さんがサンを呼び止めてベンチから立ち上がった。

 

「シャインさん、橋田さん、申し訳ありませんが私達はそろそろトレーニングに行きますね」

 

「はぁい、サンを勝手に借りちゃってすいませんでした~……」

 

「大丈夫ですよ、昨日併せに協力してもらいましたから」

 

 木村さんは笑顔でそう言ってくれた。表情を見ても特に怒りを感じてはいないようで安心した。

 私が木村さんに礼をした後、サンと木村さんの二人はグラウンドの方に向かって行ってしまった。残された私はトレーナーさんの方に向かう。

 

「よう、お疲れさん。新しいトレーニングを思いついたからさっそく実行してみるか?」

 

「なんだか嫌な予感するから今のところはやめておくよ」

 

「そうか……。んで、これからどうする、いつものトレーニングか? それともまだ想いの継承について調べてみるか?」

 

 トレーナーさんがこちらを見ながらそのような事を質問してきた。当然私としては後者がいいのだが、想いの継承を発現しようとしてからこれまでにかかった時間を考えてもそれはあまりにも無謀というか、バ鹿なことだろう。

 

 どちらにしようか、悩ませているとトレーナーさんがある提案をしてきた。

 

「俺考えてみたんだけどよ、想いの継承ってなんか霊的な事っぽいじゃん、なら山に行ってみれば意外と想いの継承のカギになったりするんじゃないか?」

 

「……なんで山?」

 

「山ってなんか幽霊住み着きそうじゃん?」

 

 私のトレーナーさんが山に対するすごい偏見を持っていることについては置いておこう。

 

 想いの継承が霊的な事っぽい、というのは私は考えてもなかった。過去に活躍していたウマ娘の想いを継承する、と言うのは確かに霊的といえば霊的な事と言えるだろう。そして一部の山には霊山と呼ばれるものもある。そのような場所に行けば、確かに想いの継承に関する何かはつかめそうだ。

 

「……よし、じゃあ行ってみない? 山」

 

「おう、なら俺は登山の準備してくるわ。時間も……まぁ全然大丈夫か、一応寮の門限を過ぎそうになったら登山の途中でも下山するからな」

 

「あったりまえっ!」

 

 登山なんて久しぶりだから本当に楽しみだなぁ。山を登る際の注意事項とか全部覚えてるかなぁ。

 

 小さいころはよく家族が連れて行ってくれていた事を思い出すとなんだか懐かしい気持ちになる。トレセンに来て早1年ちょっと、仕送りで届く手紙以外で家族とまともに連絡も取れていなかったので、今度電話でもしてみようかと考える。

 

 私がトレーナーさんの車の前で体育座りをして待っていると、でかでかと登山用具セットのようなものを持ったトレーナーさんがやってきた。

 ん~……道具の量的にかなりの大きさの山を予定しているように見えるんだけど。大丈夫かな……。

 

 仮にそうだったとしても、スタミナ等のトレーニングになるかもしれないから別にいいでしょ。多分トレーニング狂のトレーナーさんも同じことを考えているだろうし。

 

 トレーナーさんは車に登山の道具を積んでからエンジンをかけ始めた。私もルンルンで車に乗り込むと、トレーナーさんはすぐに車を発進させた。

 

 それにしても本当に道具が多くて、後ろ側を見ると後部座席がほとんど埋まっている。

 

「ねぇトレーナーさん、この大量の道具どこで買ったの?」

 

「ん、いや、これはなんか登山が好きっていうウマ娘から借りた。話しかけられて、これから登山に行くって言ったら貸してくれてな。サイフォンも貸してくれたし、なんかコーヒー豆まで貰っちゃったわ」

 

「……あれ?」

 

 登山が好きで、コーヒー豆をくれるウマ娘……なんかどこかで聞いたような気がする? 

 それに関しては今はいいだろう、か。

 

 そんなこんなで車を飛ばしている最中、私はあのジンクスについて考えていた。

 私はこの耳飾りを手にしてからずっと左耳に付けているウマ娘、本来であればトリプルティアラを狙う運命だったのだろうが、これまで生きてきて私が出たいと決めているのはクラシック三冠路線だ。

 

 クラシック三冠路線を目指したとなれば、恐らくだが私には大きい壁が現れる、それも周りのウマ娘より強大な壁が。そんな中でほかのウマ娘がみんな発現している想いの継承を私だけ発現できていないと言う劣等感は、私を不安の波で包んでくる。

 

 今私の手元にあるカードは『超前傾走り』『減速させる威圧感』そして『末脚』だ。

 そして私が今まで見てきた武器は

 

 イーグルクロウの『ど根性』

 セイウンスカイさんの『圧倒的な逃げ』

 グッドプランニングの『バ群移動』

 ノースブリーズの『深呼吸』

 シーホースランスの『相手の狙い撃ち』

 プロミネンスサンの『再加速』『セカンドウィンド』

 

 これらの武器を使われたレースを思い出すと、唯一対応できていないのはセイウンスカイさんの逃げとキグナスの二人組、ノースとランスの武器だ。そう、レジェンドウマ娘とあのキグナスのメンバーに対してのみ武器の対応が出来ていないのだ。

 

 となれば、クラシック期のステップ競争に必ず出てくるであろうキグナスのメンバーに勝つことができないも同然と私は考えている。

 

 これから私に立ちはだかるであろう武器に打ち勝つための武器は、今の私には思いつくことができない……。せめて想いの継承さえ発言すれば希望はあるかもしれないのに……。

 

 そんなことを考えて、顔がしかめっ面になっていたのだろうか。トレーナーさんが私に話しかけてきた。

 

「そういやシャイン、有マ記念はどうするんだ? 有マの後にある宝塚に備えて出るべきだろ?」

 

「……有マ記念は、宝塚の後だよ、トレーナーさん」

 

「あ? そうだったか? あ、そうか」

 

 私はウマホを取り出して今日の日時を確認する。今日は2月、トレーナーさんがレーススケジュールの特訓を速水さんと木村さんにしてもらってから、大体半年くらい経っている。それなのに有マと宝塚の日程すら把握していないのはもう頭を抱えたくなるトレーナーとしか言えないだろう。

 

 これは私もレーススケジュールについて教えないといけないだろうか。

 

 そんなことを話しているうちに、目的の山までやってきた。トレーナーさんは適当なところに車を停めて、登山用具を取り出してしっかり鍵をかけた。

 

 私はトレーナーさんがもともと持っていた軍手を貸してもらい、服装も近場のトイレの中で登山用のものにした。

 

「おう、意外と似合ってるじゃねぇか」

 

「ん~、まぁ勝負服がもともとあんな感じだし、こういうスタイルの服装は似合うように見えるんじゃない?」

 

「それは 確かに」

 

 私は割と軽装で、しかもトレーナーさんが大体の荷物を持ってくれると言うので、私は早めに着替えて車に寄りかかりながらトレーナーさんと他愛もない話をしていた。

 しばらくしてトレーナーさんも着替え終わったようで、登山の開始を表し、私たちを鼓舞するかのようにトレーナーさんが大きな声を上げる。

 

「そんじゃあ、登りはじめっか! 想いの継承をしに!」

 

 それに釣られ、私も大きく反応する。

 

「イエッサ~!」

 

 といった感じで、私たちは山を登り始めた。山自体は中くらいの大きさと言ったところだろうか、恐らく1時間ほどで登れるだろう。きっとすぐに頂上にたどり着いて、想いの継承について何かが分かるのかもしれない。

 

 と、最初は思っていた、最初はね。

 

「オェウッ」

 

 今のは私がえずく音だ。

 

 登山開始から1時間半くらい経ち、私たちは山の中くらいを登っていた。といっても、山の中から外側を見て大体の予想で場所を推測しているので、本当に中くらいの位置なのかはわからない。

 

 登山途中の光景についても、私が終始えずいているだけなので、見せる価値もないものだ。

 

 山の外側を見ると、陽はそろそろ落ちかけている。運転する時間を考えても、もうそろそろ下山した方が良いだろう。

 

「う~ん、時間ぎりぎりっぽいから、安全を取って早めに帰ろう。また今度の機会に登ろうぜ」

 

「そ、そうだねオエッ」

 

 トレーナーさんからそのように指示をされ、私たちは来た道を戻り始めた。

 

 自分たちがこれまで頑張ってきた道のりを、完遂せずに戻って行くと言うのは何とも言えない気分になった。

 

 そして、私たちが道中渡った崖っぷちの道を歩いているときだった。

 

「いっ!? 痛ぁっ!!」

 

「うぉっシャインっ!」

 

 またあの頭痛だ。

 私は勢いよく崩れ、助けを求める暇もなく私は落ちた。間一髪トレーナーさんが手を掴んでくれたので助かったが、お互いに動けない状況となってしまった。今回は落ちた瞬間から頭痛がある程度収まり、前のように無我夢中で暴れると言うことはなかった。

 そして私の事をゆっくりとトレーナーさんが上に上げてくれている。本当にトレーナーさんがいてくれて助かった。

 

「大丈夫か、しっかり掴まってろよ? シャイン」

 

「ご、ごめんね、トレーナーさん」

 

 すると、トレーナーさんの方向の地面からみしみしと音が聞こえた気がした。

 

「……なぁシャイン、すごく嫌な予感するんだけどよ、これって俺だけか?」

 

 そうしている間にもみしみしと土の音が聞こえる。

 

「トレーナーさん、ウマ娘の聴覚はヒトより優れてるっていう事忘れた? ……私もだよ」

 

 次の瞬間、トレーナーさんがギリギリ立っていた足場も崩れてしまい、私とトレーナーさんはまっさかさまに落ちて行った。

 

「ぎゃぁぁシャイィィィィィィィン!!」

 

「トレーナーさぁぁぁぁん!!」

 

 落ちている最中、私のこれまでの人生の光景が鮮明に映し出された。サンと初めて走った模擬レース、クライトと初めて走った模擬レース、キグナスと戦ったホープフル。走馬灯とはこういう物なのだろうか。自分の競争ウマ娘人生を思いかえし終わったあたりで、私の意識は途絶えた。

 

 

 目を開けると、暗闇の中、私は誰かの後ろに立っていた。耳としっぽがついているのを見る限りウマ娘だろう。

 

 この空間はどこだろうか。周りを見渡しても、ちゃんとあるかどうかすらも曖昧な地面が、果てしなく存在しているだけだった。

 

「あの……あなたって……」

 

 声をかけると、そのウマ娘は私の方に振り向いた。その容姿は、この前私が強烈な頭痛に襲われた時にビジョンのなかで見たウマ娘の姿だった。

 そのウマ娘はキリッとした目を緩めることなく、ほぼ睨んでいると言ってもいいような眼圧でゆっくりと口を開き、私に言葉をかける。

 

「あんたが、時代を担うんだよ。そしてトレセンを────

 

 

 

「ん……?」

 

 黒い天井だ。それも木材にそのまま黒い絵の具を塗ったような黒だ。壁の方を見るとところどころに黄色いい横線が引かれており、少しだけ落ち着いた配色の部屋に私は寝転がっていた。

 

 部屋には私が寝ていたベッド、タンスのようなもの、大きな窓、そしてドアといった構成だった。

 タンスの上にはウマ娘が重賞に勝った時の写真だろうか。有マの帯を付けたウマ娘の写真と、赤いバッテンのような置物があった。

 



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第三十七話 ドンナ

 

「おや、目が覚めたんだね」

 

 私が起きるや否や、ドアを開けてウマ娘であろう人が笑顔で入ってくる。髪の毛の色は鹿毛だ。

 手にはおぼんと一緒にたまご粥のようなものが入ったお皿を持っており。その容器から漂うたまご粥らしからぬ、香ばしいような、調味料を最大限に活用したような匂いに、私は思わずお腹を鳴らしてしまう。

 

「あの……あなたは?」

 

「アタシかい? そうだねぇ……『ドンナ』とでも呼んでくれ」

 

 ドンナと名乗るその人は、気さくな雰囲気で話しつつも、確かなオーラを感じる人だった。ここがこの人の家だとするなら、恐らくこの人が先ほど見つけた有マ記念の写真に写っていたウマ娘だろう。

 

 つまりこの人は有マ記念を制するほどのウマ娘だと言う事になる。しかし私の知識がスペシャルウィークさんやキングヘイローさん、それにエルコンドルパサーさんやグラスワンダーさん、あとセイウンスカイさんのような、黄金世代と呼ばれる人たちのレースに偏っているため、イマイチこの人が活躍していたレースを知らない。

 

 というより、この人の姿は夢の中で見たあのウマ娘の姿だ。面識のない人が夢の中に出てくるというのはいったいどういう事だろうか。疑問に思いつつも、どこかで会ったことがあるか、などと質問する事は出来なかった。先ほども述べたように私とこのドンナという人は面識がない、面識が無い人から突然そのような質問をされても相手は困るだけだろう。

 

 私はとりあえず今一番疑問に思っていることを質問することにした。

 

「ここは一体どこなんですか?」

 

「ここかい? あんたたちが登っていた山のふもとさ。多分あそこの写真を見て、アタシがトレセン学園のウマ娘って事は察しがついてるんだろ? アタシは引退してからここで過ごしてたんだよ。この家も、アタシ特製の家。あ、土地の権利もしっかり買ってるからね、レース賞金も結構あるんだ」

 

 なんで山のふもとで隠居生活みたいなことをしているのか、その理由については特に気にしないでおこう。土地の権利と言えばかなり高いイメージがあるのだが、それほどまでに有名なウマ娘だったのだろうか。改めて私の知識の偏りを実感する。

 

 いやいや、そんなことを言っている場合ではない。私の命が助かったことが分かったなら、真っ先に確認しなければならないことがあるはずだ。

 

「私の……私のトレーナーさんはどうなったんですか!?」

 

「安心しな、別室でのびてるよ。多少怪我はしてるみたいだけど、しばらく安静にしてれば何とかなるよ。私が引退してからそんなに経ってないはずだけど……最近のトレーナーっていうのは凄いねぇ、担当ウマ娘をかばうために空中で無理やり動いた挙句、自分を下敷きにするなんて」

 

 その言葉を聞いて心から安心する、今回は私のせいでトレーナーさんもろとも落ちてしまったんだ、トレーナーさんが無事じゃなかったのなら私はこれから生きていく顔が無い。

 

 それに私をかばおうとしてくれたと言う話で、本当に申し訳ない気持ちが湧き出てくる。トレーナーさんが目覚めたら、めいっぱい謝って、めいっぱい感謝しよう。

 

「よ、よかったぁ……」

 

「ふふ……あんた、相当トレーナーさんが好きみたいだねぇ。それにしてもまさか、山の上からトレセン学園のトレーナーとその担当ウマ娘が一緒に降ってくるなんて……びっくりしちゃったよ、アッハハハハハ!!」

 

 ドンナさんはひとしきり大笑いした後、たまご粥を私に手渡してくれた。

 

「さ、食べな、あんただいぶ長い間寝てたから、お腹減ってるでしょ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 指摘された瞬間、私は自分が空腹であることに気付いた。先ほど器を受け取った際にも、正直ゆっくり器を受け取ったと思うが、お腹が減っているために激しく受け取ったかもしれないと錯覚するくらいだ。

 

 たまご粥自体は美味しかった。いや、もう、とてもおいしかった。もはやお粥とは思えないくらいのスパイシーな刺激が口に広がりつつも、しっかりとたまごがまろやかにしてくれていた。

 

 味が濃いので白ご飯もしっかり合っており。味からして鶏がらスープの素も入っているのだろう、とてもおいしい。他の人がおいしいと叫んでいたら、横槍を突っ込んであたりまえ~っと叫んでしまいたくなる味だ。

 

「ぐっ……げほっげほっ……うえっ、鼻からご飯が……」

 

「ハハハハ! そんなにがっつくからさ! さて、アタシは別室でのびてるあんたのトレーナーでも起こしてくるかな」

 

「あづっ」

 

「いや、それにしてもよく食べるねぇ……」

 

 私がたまご粥に舌つづみを打っていると、ドンナという人は、トレーナーさんを起こすために私が今寝ていた部屋から出ていってしまった。

 

 私は一度たまご粥を食べる手を止め、今いる部屋を改めて見回してみる。それにしてもこの家はどのくらい広いのだろうか、あの人は自分で作ったなどと言っていたが、建築をする際には崩れないようにいろいろ慎重に設計する必要があると聞いたことがある。

 

 あのドンナと言う人は私の少し年上くらいに見え、まだそのような建築について勉強するような歳でも無いように感じる。だがこうしてこの家が建っているということは、あの人の技術が優れている証拠だろう。

 

 そのような努力だろうか、を今この目で見て、競争能力だけでは将来生活できないということを痛感した。まぁそれに関して私はまだ考える時期でもないが。

 

「ほら……さっさと起きるんだ、よっ!!」

 

「ってぇぇぇぇぇ!! どなーた!?」

 

 ……何やら別の部屋から鈍い音とトレーナーさんの叫び声が聞こえた気がするが、まぁトレーナーさんだし気にしないでおこう。

 なんて言っていたらたまご粥をあっという間に食べ終わってしまった。本当においしかった。

 

「シャイン! 怪我はないのか!?」

 

 すると突然ドアを開けてトレーナーさんが入ってきた。ドンナと言う人もトレーナーさんに続き、やれやれといった様子で部屋に入ってくる。

 

「一応木造建築なんだから乱暴に扱うんじゃないよ」

 

「ん、あぁすまない……」

 

 トレーナーさんは脚を少し引きずっており、恐らく着地した時に打ったのだろう。私は思わずベッドから飛び起き、トレーナーさんの脚をなでてしまう。

 

「ちょ、脚は大丈夫なの……?」

 

「おう、俺の脚を心配してくれるのはいいんだが、触られると普通に痛いし、学生がおっさんの脚をなでている絵面を考えてくれ、シャイン」

 

「あ、ごめんごめんトレーナーさん、でも本当によかった……二人して無事で……」

 

 私はトレーナーさんの脚から離れて再びベッドに座る。私がほっと一息ついていると、ドンナさんが壁に寄りかかりながら、少し不満げに口を開いた。

 

「アタシが助けたって事を忘れないで欲しいねぇ」

 

「ドンナさん、だったな、俺とシャインを助けてくれてありがとう」

 

 トレーナーさんがすぐに感謝を伝えると、ドンナさんは不満げな顔から最初見た時のような笑顔に戻った。

 

「いいえ、どういたしまして。ところで、ウマ娘の方は脚とか怪我してないかい?」

 

 ドンナさんはニッコリとした笑顔でそういうと、その後に私の心配をしてきた。

 トレーナーさんがクッションになってくれたおかげか、どこも痛くない。

 そのことを伝えるとドンナさんは、私の手を引いて外に歩いて行った。

 

「あ、トレーナーの方は脚が痛むだろうし部屋で休んでな」

 

「え、あ、はい……?」

 

 私もトレーナーさんを休ませた方が良いと思うので、ドンナさんの意見に無言でヘドバンしておいた。

 

 外に行く最中、家の内装がある程度分かった。どうやら私が寝ていたのはたった一つの寝室らしく、トレーナーさんはリビングのソファに寝かせられていたらしい。来客用に用意されたであろうダイニングテーブル・チェアがあり、キッチンも設置されていた。ガスや水道、電気なんかはやはり工事をしてもらったらしい。

 

 家自体は二階建てだった。私の家はマンションだったし、中学の頃は友達もろくにいなかったので、このような一軒家に入ったことはなかった。そのため一軒家、しかも二階建ての家に入っていたと言うのはなかなか新鮮に感じる。

 

 家を出た瞬間、私は驚愕した。目の前に広がっていたのは、しっかりと柵が付いており、地面も整地され芝も生えている、トレセン学園についているグラウンドよりも大きい、いっそ本物と同じくらいのサイズであろうコースが広がっていた。コース形状は見た感じ中山競バ場に似ている感じだ。

 

「でっっっか……!」

 

「ふふ、驚いただろ? これもアタシが土地を買って作ったのさ。作ったと言うか、工事して貰ったかな」

 

「え、このコースで、何をするんですか?」

 

 私は驚きすぎて、間抜けな声でそのような質問をしてしまう。ウマ娘がコースに出てきて行うことなど一つだと言うのに。

 

 ドンナさんは、くくくっと不敵に笑いながら答えた。

 

「あんたのトレーナーが怪我した分、アタシが特別にトレーニングを付けてやるよ。これでもトレーニング内容は頭に入ってるからね、効果はあると思うよ」

 

「え、いいんですか?」

 

 私は申し訳ない気分になりつつも、内心とても喜んでいた。

 この人にトレーニングを付けてもらえるというのは、私にとってとても利益になることかもしれない。

 

 先ほども言った通り、この人は間違いなく有マ記念を制している人だ、その人が行うトレーニングが何を意味するかは、言わなくても分かるだろう。

 

 トレーナーさんがG1ウマ娘を排出しているチームで行っていたトレーニングで私の能力を向上させていたように、この人の行うメニューを行えば、私もそのくらいのレベルに上がることができるかもしれないのだ。ぜひともトレーニングをさせてもらいたい。

 

「ぜひ、お願いします!」

 

「その返事を待っていたよ。それで? トレーニングはどうするよ? 併走するかい? それともアタシがやってたトレーニングをやるかい?」

 

「併走……」

 

 ドンナさんの提案の中に少しだけでてきた、併走と言う単語に私は少し反応してしまった。有マ記念を勝つほどのレジェンドと走るというのは、セイウンスカイさんとのマッチレース以来だ。一瞬ためらいつつも、セイウンスカイさんとの着差をハナ差まで縮めた自信が少し湧いてきてしまい、マッチレースを挑むことにした。

 

「あの、ドンナさん、私と、マッチレースをしてくれませんか!」

 

 私がそのように提案すると、ドンナさんの顔が心配そうな顔に変わった、

 

「マッチレース? 別にいいけど……後悔しないかい?」

 

「後悔、ですか?」

 

「だって、あんたまだクラシック期になりたてだろう? 一応アタシはG1を何回も走ってきてるんだ、大分離しちまわないか心配だけど」

 

 ドンナさんはそのような的外れな心配をしてくる。確かに大差以上に離されるかもしれない、だが私だって負けてはいない、何せホープフルステークスを私はレコード勝ちしている。セイウンスカイさんとのマッチレースの時のように、絶対に負けると言えるようなレースではないと思う。

 

「いらない心配ですよドンナさん。私、勝ちますから!」

 

 私がそう大きな声で言うと、ドンナさんはこちらを向いて目を丸くして驚いていた。しかしすぐに下を向いてにやにやし始めた。しばらくにやにやしていると、ドンナさんは吹き出し始めた。

 

「く……くくくくっ……ダッハハハハハハハ! そうかいそうかい! 良い意気だ! ウマ娘にはそういう根性も必要!」

 

「そ、それじゃあ……」

 

「いいよ、その挑戦、受けて立つよ。それとあんた、名前はなんていうんだい? あんたのトレーナーはシャインなんて呼んでいたけど……」

 

「私の名前は、スターインシャインです!」

 

「そっか、それでシャインね。よし、シャイン! あんたが、引退したとはいえまだ時間も経っていないアタシに勝てるかどうか、試してやるよ!」

 

 元気に言葉を言い終わったドンナさんを見ると、いつの間にか競争ウマ娘が発する特殊なオーラが滲み出ていた。

 私はレース中色々なウマ娘のオーラを感じとっているが、そのどれよりも濃いオーラだった。なんならセイウンスカイさんのものにも匹敵するかもしれないと感じる。

 

 さらにもう一つ、この人からはなにか、必ず勝てると言った自信を感じる。だがしかしその自信から、何か『武器』を持っているといったような意図は感じられない。このような自信を持つことも、もしかしたらウマ娘にとって大事な要素なのかもしれない。

 

 私がジュニア期の時、セイウンスカイさんとマッチレースをした際のように、このマッチレースも大変なものになりそうだ……。

 




【作者からのお知らせ】

長いお休みを貰ったので更新頻度が上がるかもしれません
もし更新頻度が上がれば、休日(金の夜、土の昼・夜、日の昼)に投稿したいと思います。


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第三十八話 伝説を相手に、伝説を胸に

 

「それじゃあ、スタート位置も本番のレースと同じ、ここでいいね?」

 

「はい!」

 

 ドンナさんとのマッチレースが決まった後、私はドンナさんの適正距離と私の適正距離なんかのデータを話し合い、走る距離を決定した。

 

 決まった距離は、2500m。

 そして走るコースは中山を模したもの、この条件を聞いてピンと来る人もいるだろう。そう、この距離とこのコースは有マ記念のものだ。私とドンナさんの適正距離は大体同じ、中長距離だという事が分かったので、それならば年末に向けた経験も兼ねて有マと同じものにすることが決まったのだ。ちなみにスタートする際の外側内側についてだが、私は先ほどじゃんけんで負けて外枠になった。

 

 今回走る中山レース場のコース。

 私は一度このコースをホープフルステークスで走ったことがある。有マはホープフルに比べ、ほんのちょっぴりスタート位置は違えど、一度周回コースに入ってしまえばあとはホープフルと同じだ。私がコースの経験不足で負けることはない。

 

 が、それは私の横に佇んでいるドンナさんにも同じことが言える。いや、ドンナさんの経験は私以上だ。

 

 有マは当然の事、他にも何回かG1を勝っていると先ほど聞いた。中央のレースで行われるG1では、中山レース場も多く使われる。もしその勝ったG1、いや負けていたとしても走ったコースの中に中山が多く含まれていれば、明らかに経験の差で負けている。たかが真似したコース、されど真似したコース。経験で負けていればその差は走っているうち如実に現れる。

 

 となれば最後の頼みは私の最後の切り札『超前傾走り』だ。だがそれすらも経験で負け、万が一超前傾を使う事が叶わないような状況になれば私お得意の『末脚』を爆発させればいい。

 

 私の横でじっと柔軟をしているドンナさんからは、今まで感じたこともないオーラを感じる。これはレジェンドであるという事実にどこか戦慄している私の錯覚なのか、それとも本当にドンナさんの強さを表すオーラなのか、私にはまだ判別する事が出来ない。少なくとも後者ではないかと踏んでいるが、正直どちらも当てはまるかもしれない。

 

「さて、そろそろ準備、できたかい?」

 

 屈託のない笑顔でドンナさんは聞いてきた。

 

「私はいつでもOKですよ、ドンナさん」

 

「そうかい」

 

 私がドンナさんの言葉に軽く返答すると、ドンナさんは私にコインを渡してきた。

 

「それじゃあ、あんたのタイミングでコインを投げな」

 

「分かりました」

 

 どうやらこのコインを投げてスタートの合図をしろと言う事らしい。

 私は深呼吸をしてから意気込み、スタートの姿勢を取る。そしてドンナさんの方もスタートの姿勢を取り終わったタイミングで、コインを投げたその瞬間だった。

 

「はたして、トリプルティアラを勝ったアタシに、勝てるかい? シャイン……」

 

 まるで頭の中を電動ドリルで刺激されたように、思考が真っ白になった、トリプルティアラを勝っただって? 

 バ鹿な、そんなことあり得るの? 私がトリプルティアラについての記事を図書館で調べた際に、確かに見た、これまでトリプルティアラを達成したウマ娘はクラシック三冠を達成したウマ娘に比べて少ないと。

 中央レースの歴史やトリプルティアラの歴史ははるか昔からあるのに、トリプルティアラを達成したウマ娘は片手で数えられるほどだったはずだ。

 

 この人が、その内の一人……生ける伝説といってもいいかもしれないウマ娘ってこと……? 

 

「え、トリプルティ────

 

「気を付けな、もうゲートのランプは点灯してるんだよ」

 

「あっ……」

 

 気付いた時には遅かった、後ろの方でコインが芝に落ちる音が聞こえると同時に、真横からとんでもない爆音が聞こえ、ドンナさんがスタートしているのが見えた。すぐに私もスタートするが、私はドンナさんに比べて大体0,5秒ほどの遅れを貰った。

 ……この、コインを投げた時に相手を動揺させる感じ、自分がされると悔しいな。

 

 スタートして十数秒、すぐに緩やかなコーナーが襲ってきた

 いつものようにコーナーを回る際、無駄にスタミナを消費しない様なコーナー術を使う。前の方を見るとドンナさんも同じように自分なりのコーナー術を持っているようだった。

 

 有マ記念のコースは、最初少しだけ第三コーナーから伸びたところからスタートし、その後ホープフルと同じようなコースに合流するといったコースになっている。

 

 そこからは全くペースが変わらず、ドンナさんが先行して私が後を追うといった展開だった。

 途中ドンナさんが加速した時もあったが、私の鍛え上げたスタミナで何とか追いついた。

 セイウンスカイさんとのマッチレースをしたときより体が作られているからか、私は以前より疲れていないように感じる。

 

 しかしこの離し方、ドンナさんは見たところ自分のペースで走っているように見えるのに明らかに私より速い。しかし決して追いつけない訳じゃない、最終直線が近づいて、スパートをかければ追い越すのは時間の問題だろう。

 

「(へぇ……シャインのやつ、やるじゃないか。それじゃ、さらに加速しよっかなぁ、なんて)」

 

「え……はやっ」

 

 以前より疲れていないように感じる、というのは私の勘違いだったようだ。

 ドンナさんはちょうどレース場でいうスタンド前の直線で、ドンナさんにとってのスローペースを、ハイペースへと釣り上げた。

 

 私は先ほどと同じようにドンナさんとの距離を保とうとするが、追いつけない。私の前を走るその鹿毛は、どんどんと私との距離を離していく。

 

 嗚呼、なんかこの光景ジュニア期の頃にも見たことある……

 

 流石にトリプルティアラを勝ったウマ娘、一筋縄では勝つことができないようだ。

 ここら辺で相手を上げるような思考ができるくらい余裕があるという点では、ジュニア期の私より成長している証と言えるだろう。

 

 このレースの前、ドンナさんの脚質は大体先行だと聞いた。逃げがいないこのマッチレースにおいては

先行はもう逃げと変わらないかもしれないが、ドンナさんの足元を見ると、全力で走っているようには見えずしっかり脚を溜めているのが分かる。セイウンスカイさんのようにある程度スタミナを残そうという考えが無いような走り方ではなかった。

 

「(いやぁ……久しぶりだ、このレース中に後ろから追われるような感覚。シャインもクラシック期にしてはかなりやる子のようだけど、やっぱりアタシには敵わないみたいだね)」

 

 それにしても、このスピードは以前戦ったノースブリーズやシーホースランスをはるかに凌駕するようなスピードだ、これで先行脚質だというのだから、信じられない。

 

 ここが中山レース場であれば、スタンド前であろう直線を抜け、第一コーナーに差しかかる。私はスタンド前の直線を抜けてから、再び近づこうと企みペースを上げたが、一瞬ドンナさんに近づけたとしても、すぐにまた離されてしまうといった事を繰り返していた。

 

 私はドンナさんを追う事を言ったん諦め、第二コーナーでも再びコーナー術を使いスタミナを温存する。同じくドンナさんもコーナーを素早く駆け抜ける。

 

 私もこのコーナー術を練習してきたつもりだが、前の方で走っているドンナさんのコーナー術は無駄が無く、きれいなフォームで完成されていた。私には到底真似できないような完成度だ。

 

 第一第二コーナーを抜けると、向う上面の直線に入り、ドンナさんの家の方向に出る。ゴールまでそう時間も無い、ここら辺からすごく早めにスパートをかけないとドンナさんに追いつけないな。などと私が考えていると、ふとドンナさんの家に視線が移る。

 

「よっ、ほっ……シャイン!! 勝てよ!! ぜってぇ勝てよ!! これは有マ記念だ!! 勝てぇ!!」

 

「(えぇぇぇぇ……なんで出てきてるの!?)」

 

 なんとコース柵の外側に立っていたのは、私のトレーナーさんだった。怪我をしているのに、どこで作ったのか手作りっぽい松葉杖を使いながらコースに歩いて来ていた。そして柵の前で立ち止まったと思ったら、マッチレースをしているという事を察したのか私に声援を送ってくれた。

 

「(し、しかもあれって、アタシの緊急用の松葉杖じゃないかい……?)」

 

 前の方を見るとドンナさんもトレーナーさんの方を一瞬向いていたので、トレーナーさんが出てきていることに関しては気づいているだろう。

 ドンナさんからしてみれば、レース中だし気にすることでもない、メリットにもデメリットにもならないような事だが、私にとっては大きな出来事だった。

 

「(トレーナーさん……私の勝つところ見たいよね……!)」

 

 私の勝つ姿を見たいと願ってくれている人が目の前にいる、私の勝たなければならない理由の一つが目の前にいるという事実が私の背中を後押ししてくれる。

 

 最初こそ怪我した体で無理をしているトレーナーさんに驚いたが、不思議な事にトレーナーさんが見てくれているという事実で脚が軽くなる感覚が訪れる。そのおかげかはわからない、ドンナさんとの距離が少しずつ縮んでいる気がする。

 

「(おや、この速度出してるアタシについてくるのかい)」

 

「ドンナさん……逃がしませんよ!!」

 

 先ほどまで圧倒的な脚力、そして驚異的なハイペースで走り大きく離されていたドンナさんに、私は5バ身と言った距離まで近づいていた。今もなおその距離は縮み続け、4バ身、3バ身、2バ身……

 

「……しょうがないねぇ、それじゃあ行こうか……っ!!」

 

 私が距離を縮め続け、あともう少しでドンナさんを差してスパートをかけられるといったタイミングで、ドンナさんがさらに加速した。それと同時に私に対して、殺気というのだろうか、そのような強大な圧が放たれる。その殺気を受けて私は大幅に減速してしまった。

 

「これがトリプルティアラを制する走りさ! 悔しいなら追いついてみな!」

 

「くっ……もしかしなくても私挑発されてる……」

 

 前方からドンナさんの叫び声が、しっかりと耳に届いた。

 今まで経験したことのないようなハイペースによる苦しみの中、私は必死に前のウマ娘を追いかけていた。しかしスパートをかけたドンナさんは、道中のスピードよりも圧倒的に速く、自分のペースを崩してドンナさんを追っていた私でさえ追いつくことができない域まで達していた。

 

 あ、あと先ほど食べたたまご粥が影響して、ものすごく脇腹が痛い。おのれ孔明。

 

「くそぉ……ドンナさんに、追いつきたいのに……全然縮まらない……っ!」

 

 このマッチレースはセイウンスカイさんの時のようにハナ差まで詰められると思っていた、いや、あわよくば勝てるとまで思っていた。だがその結果がどうだ。ドンナさんが積み上げた圧倒的な実力に私のスタミナは、いくらコーナー術を使ったとはいえこのハイペースには付いていけなくなってしまい、すでにスッカラカンになっていた。道中あれだけ溜めようと予定していた末脚もすでに使い果たしている。

 

 現実は違った、レジェンドに一度ハナ差まで近づいたからといって舞い上がってしまっていた。それ故に相手の実力を測ることが出来ず、ドンナさんに負けてしまうような勝負を生んでしまったのだ。恐らく、というより確実にこのマッチレースは私の負けだろう。

 

 トレーナーさんごめん、いっくらなんでも今回は勝てそうにないや……

 

「その程度でクラシック三冠を目指しているって言うのかい!?」

 

「クラシック……三冠……」

 

 大差をつけているドンナさんが、走りながら私に向かって指差し、そう叫ぶ。

 

「ウマ娘は根性さ!! 走りな!! 走り続けな!! そうしてアンタもいつかきっと、でっかい目標達成するんだろ!! トレーナーから聞いてるさ! あんたの目標を!」

 

「でっかい目標……!!」

 

 そうだ、私は

 

「うぁっ! こんな……時に……」

 

 私が呑気にもドンナさんの言葉を噛みしめていると、突然あの頭痛が襲ってきた。

 しかし今回は変な点があった。まず一つ、その場にうずくまるほどの痛みが走らないのだ。確かに頭は痛い、そりゃ頭痛が走ってるんだもの、痛い。だけど走る足を止めてしまうほどの痛みじゃない。

 

 もう一つ、末脚が回復している。いや、末脚に回復という単語を使うのかは実際問題分からないが、脚が軽くなっている。先ほどまでパンパンに中身が詰まった米俵のような重さをしていた脚が、スタート直後のように軽くなっているのだ。トレーナーさんに応援されても似たような状態になるが、あれは背中を押されているという嬉しさから軽くなったと錯覚するわけで、別にこれは錯覚で軽くなっている気がするわけじゃない。確かに疲労が無くなっている。

 

 そうしてひとしきり末脚が回復したと思えるころに、頭痛が引いて行った。そして頭痛が去って行ったあとに、また別の現象が訪れた。

 

 先ほどまでの現象は、末脚が回復しているとはいえ頭痛が走っているためとても不快だった。しかし頭痛が消えた後のこの現象は違った。体のどこかが痛いわけでもなんでもない、ただ爽快感が私の体を貫いていった。

 

 さらに私の心に、ある欲望が、渇望が、渦巻いていた。

 

『勝ちたい』

 

 考えてみればウマ娘として当然の欲望だったかもしれない、だがこの時私に宿っていたこの欲望は、今この世に存在しているどのウマ娘よりも大きく、どのウマ娘よりも強い欲望だった。

 

 走り方を変える。

 突如私はそのような事を思いついた。当然無茶だとは分かっている。だが走り方を変えて強くなっていたウマ娘を私は知っていた。私が走った最初の模擬レースの時、サンは私の走り方を真似してさらに加速していた。そのような可能性に賭けてみるのも悪くないと思ったのだ。

 

 私は今までの『超前傾』につなぐための走りをやめ、全くの勘で走り方を組んでみた。

 当然走りにくいことこの上ない。だがしばらく走っていると、即興で考えたこの走りが体に合致していくのが分かる。どんどん加速していき、さっきまでずっとずっと向こう側を独走していたドンナさんが、三度近づいてくるのが分かる。

 

 ドンナさんは走り方を変えた私を見て驚いていた。

 

「……嘘だろう? その走り方……間違いない、アンタ、あいつの走り方を……」

 

 マッチレースの勝敗が分かれる残り3ハロン。ひたすら走り続け、勝ちたいという欲望を満たすためにドンナさんを追い続け、私が手にしたのは。

 

 

 

 やはり、苦渋の敗北だった。

 

 

 

「あ”────っ!! やっぱり駄目だったぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 やはりというかなんというか、案の定な結果に悔しながらもどこか納得してしまい、地面に倒れ込んで叫ぶ。

 考えても見れば当然だろう、道中ドンナさんとの距離を詰めたり離されたり、詰めたり離されたりで、動きが挙動不審すぎる。そりゃあ体も限界が来るっていうものだ。

 

 それに私が頭痛を感じた時点でドンナさんとの距離は大差まで開いていたのだ。いくらすごい末脚を持っていたとしても追いつくのは至難の業だった。

 

「やれやれ、まさかクラシック期になりたての子に、1バ身差まで詰められるとはね。アンタを称える歓声はこの場に無いが、少なくともアタシはアンタの強さを認めてるよ、シャイン」

 

「えへへ……ありがとうございます」

 

 ドンナさんがのばしてくれた手を取り、私は肩を持ってもらいながら二人でドンナさんの家へと、一度帰った。

 

「(シャインとあいつは見ず知らずの関係のはず……もしかしてアンタ、幽霊にもなってないのにどっかから見てたのかい? ……なはは、奇しくも、クラシック三冠を達成したアンタの走りを、同じくクラシック三冠を目指してるシャインが完璧に真似してるなんてね……)」

 

 私の腕を担いでくれているドンナさんの顔が、すこし笑顔だったのは見間違いじゃないはずだ。

 

 

 

「松葉杖折れたぁ……脚痛ぁい……動けなぁい……助けてくれシャイィン……」

 



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第三十九話 キグナスの本性

 

「へぇ、アンタあのキグナスと渡り合ってるのかい、そりゃまたすごいねぇ」

 

「そうなんですよ! いやーもう大変でしたから」

 

 暗い空の下、たった一つの電球に照らされる部屋で楽しく会話する声が響く。

 ドンナさんに負けた後、何とかドンナさんの家まで戻った。戻ったあと、トレセンに帰らなければならないことを思い出したが、トレセンに帰るにはトレーナーさんの車を迎えに行く必要があるので、これから迎えに行ってからだと寮の門限を余裕で過ぎてしまうのだ。そのためとりあえずはドンナさんの家に一泊させてもらうということで話がまとまった。今日は寮に帰れない事を寮長に電話で報告したら、快い声で了承してくれたので助かった。

 あとついでに、外に出てきていたトレーナーさんが動けなくなっていたので救出した。

 

 そして夜、寝る前に私はドンナさんやトレーナーさんとリビングで雑談をしていたのだ。

 

「俺自身もまさかキグナスのウマ娘に対抗できるなんて思わなかったけどな、しかも初めての担当がな。最初に見て直感で選んだら、才能持ちだったなんてびっくりだ」

 

 私の横に座っているトレーナーさんが頭を掻きながら誇らしそうに語る。これまで死ぬ気でトレーニングして勝ったおかげでトレーナーさんがこう思ってくれているなら、私もちょっとうれしくなる。

 

「あたりまえでしょ~!」

 

 しかし誰にも越えられない記録を残す私が才能を持っていることなどあたりまえの事なので、トレーナーさんに向かい目から星を出してるようなウィンクでいつもの言葉を出す。

 そういえばマッチレースの際、ドンナさんは私の目標について聞いたと言っていたが、誰にも越えられない記録を残すという目標については聞いているのだろうかと思い、確認してみる。

 

「ドンナさんも私の目標聞いたんですよね? 誰にも越えられない記録が目標なんです!」

 

 私が聞くとドンナさんは頬杖をつきながら喋り始める。

 

「ああ、聞いたよ。誰にも越えられない記録か……いい目標じゃないか。それで、誰にも越えられない記録は残せそうなのかい?」

 

「いやぁ、それがまだ、誰にも越えられない記録の定義を見つけられてなくて……」

 

「アッハハハハハ! まぁそりゃそうだ、誰にも越えられない記録を残すなんていう目標は、私だって初めて聞いた目標だよ。それがどんな記録なのか、見当もつかないのはしょうがないことさ」

 

 ドンナさんでも初めて聞いた目標だと知って、改めて自分の目標の高さを実感する。

 

 私はこれまでの自分を振り返ることも兼ねて、ドンナさんに色々な話をした。

 超前傾走りのこと、サンやクライトの事、ホープフルをレコード勝ちした事、ノースやランスの事。本当に色々な話をして、後半は少しグダグダしていたかもしれないだろう。しかしドンナさんは欠伸一つすることなく話を聞いてくれた。

 

「それでですね、キグナスのノースって娘がすごいんですよ!」

 

「アハハハ、やけにテンションが高いじゃないか。アンタもなかなかリスキーなことするねぇ、そろそろG2とかにとどまった方が良いんじゃないかい?」

 

 私がノースの事を話していると、ドンナさんが頬杖を崩さずに、どこか暗い雰囲気でそのように話す。リスキーというのはどういう事だろうか。確かに、まだ戦った事のないキグナスのメンバーに負けて勝負付けをされてしまえば私の戦績は振るわなくなり、名前が売れなくなってリスキーと言えばリスキーなのかもしれないが、だからといってG2にとどまる必要はないと思う。

 

「え? でもG1に出なきゃ誰にも越えられない記録は作れませんよ~!」

 

 G2にとどまれ、というのは冗談交じりで言ったのだろうと思い、私はおちゃらけた感じに返す。しかしドンナさんはそんな私の態度に笑う事もなく、真剣な表情で机を見ていた。

 

「……そうだね、アンタはG1クラスで走った方が良いよ」

 

「……???」

 

 私は頭にハテナが浮かんでいた。最初はG2クラスにとどまった方が良いと言い、今ではG1クラスの方が良いと言っている。明らかに態度がおかしい。

 

「G1クラスだと何かまずいんですか?」

 

 なぜなのか考えてみたが、結局ドンナさんがG2クラスにとどまれといった理由がイマイチ良くわからなかったので、聞いてみることにした。

 

「……アンタのトレーナーは寝てるね。一応このことはトレーナーの耳にも入れておきたいんだが……まぁシャイン、アンタだけにも言っておくよ。言っておくけど、アンタが思っている以上に私はすごい事を言うからね」

 

「え、なんですか……?」

 

 思わずゴクリと息を飲んでいた。トレーナーさんにも伝えておきたい、私が思っている以上に凄い事とはいったいなんだろうか。などと私が考えていると、しばらく沈黙が流れた後にドンナさんが語り始めた。

 

「キグナスに、キグナスに対抗する事はやめておいた方が良い」

 

 言われた意味が良くわからなかった。対抗する事はやめておいた方が良いメリットは、考えてみても「強い相手と戦わなくて済む」くらいだろう。だが私はキグナスのメンバーに対抗できるくらいの力は持っているし、武器もしっかりと持ち合わせている。おそらく対抗するのをやめておいた方が良い理由は別にあるのだろう。

 

 しかし、対抗するのをやめておいた方が良い理由とはなんだろうか。

 

「そのノースブリーズって奴とシーホースランスってのは、キグナスを脱退させられたんだろ?」

 

 そう言われて私は驚く。ノースとランスがキグナスを強制脱退させられた話はしていない、それなのになぜ強制脱退させられた話を知っているのだろう。

 

 普通であれば「たまたまそういうニュースが流れていた」だの「新聞の片隅とかにかいてあるだろう」などと思うかもしれないが、この人は私がホープフルでレコードを出したことを知っていなかった。それどころかスターインシャインと言う名前や姿すら知っていなかった。このことからわかるのは、ドンナさんは今のURA情報をあまり知らない、というより見ていないという方が正しいのだろう。そのためノースとランスが強制脱退させられたという、ほんのりマイナーな話を知っているのはイマイチ腑に落ちない。

 

「アッハハハハ! なんで知ってるんだ、とでも言いたそうな顔だね」

 

「あっ……はい、よく知ってましたね、脱退させられたって話」

 

「分かるんだよ、あのチームがやりそうなことなんて」

 

 私は少し動揺しながら、続けて聞く。

 

「な、なんでわかるんですか……?」

 

「……知りたいかい?」

 

「は、はい……!」

 

 少し身構えてドンナさんの方に向きなおす。

 URAの情報をあまり見ていないドンナさんがキグナスの動きについて分かる理由とは一体……なんなんだ……?? 

 

「……それについてはまた別の機会に話すって事で! それじゃ!」

 

 ドンナさんが早口でそう言い切って、ズバッと椅子から立ち、スタスタと寝室の方へ早歩きで去ってしまった。

 

「えぇぇぇぇぇぇぇ!? いや、どこ行くんですか! 聞き足りませんよ!」

 

 私は思わず椅子から滑り落ち、ドンナさんを大声で呼びとめてしまった。何やら重要そうな話を自分からここまで引き延ばしておいて、別の機会に話すなんてあんまりだろう。ドンナさんの方に素早くついていき、服の端を掴んで動きを止める。

 

「ウワォ、あんまり服を引っ張るんじゃないよ、アンタももう寝な! レディーは夜遅くまで起きてると肌に悪いんだよ! ……ありきたりすぎるかなこのセリフ……」

 

「……ドンナさんがキグナスの動向について分かるのは別に知らなくてもいいですけど……なんで対向しちゃダメかについてまだ聞いてませんよ?」

 

 話の流れが紆余曲折したため忘れかけていたが、私はまだ根本的に対抗してはいけない理由を聞いていない。

 ドンナさんの方はすっかり忘れていたようで、私の言葉に耳をピンと立ててフリーズした後、恥ずかしそうに椅子に座りなおした。

 

「アハハ……アンタに言われるまで元々の話を忘れてたよ、ダメだねぇ、物忘れ激しくなってきたかな?」

 

「めちゃくちゃ早い段階で忘れましたよね!」

 

「まぁ、ノーカンって事で、やんぴ!」

 

「なにがやんぴですか!」

 

 私がドンナさんに軽いチョップをかますと、静寂の後に少しだけ笑いが起きて、それまで重たかった空気が軽くなった。

 

「さて、じゃあ対抗してはいけない理由について、話すかな」

 

「結局対抗しちゃいけない理由ってなんなんですか? 対抗しちゃいけないってことは相当な理由ですよね?」

 

 相変わらず頭にハテナを浮かべながらドンナさんに改めて質問する。ドンナさんも理由については話す気があるようで、私の方を向いて口を開きはじめた。

 

「ああそうさ、キグナスはね、自分たちの戦績に楯突くウマ娘を消すんだよ」

 

「キグナスは……ウマ娘を消す?」

 

 ウマ娘を消す、という物騒な単語が聞こえ、私は鳥肌が立つのを感じる。

 

「またドンナさん、私がそんなウソに騙されるわけないじゃないですか!」

 

 私は心のどこかで事実じゃなくてほしい、と思っていたのだろう。ドンナさんに私は震えた声でそのように返してしまった。しかしドンナさんから帰ってきたのは非常な回答だった。

 

「いいや、嘘じゃない、事実だ」

 

 ドンナさんの堂々とした返事に、私は何も言えなくなってしまう。この話を始める際重かった空気は、先ほどのドンナさんのお茶目で軽くなり、そして今、キグナスの秘密に関するカミングアウトで再び空気が重くなった。

 

 そんな空気になってもお構いなしに、ドンナさんは表情一つ変えずに話を続け始める。

 

「具体的には、レース界を実質的に追放させられる、かな。例えばキグナスに楯突くウマ娘が一人いたとしよう、そしたらそいつはキグナスに圧倒的な敗北を叩きつけられた後にレース界から消される。そのやり方は本人が圧倒的な敗北によって自信を無くし、自らトレセンを去ったり。裏でとんでもない脅しをされたり様々だ。タチの悪い事にキグナスのトレーナーは立ち回りが上手い、それに財力もある。だから私のように事実を知っている人がいても告発されないんだ。その気になればシャイン、アンタだって消されかねない状況なんだ」

 

 ドンナさんが話のピースを一つずつ開示していくたびに、私の血液が液体窒素にでもなったのかと思うほどに身体が冷えていく。先ほどまで気になって仕方がなかった話のはずなのに、今ではもうこれ以上聞きたくないと思うようになってしまっていた。

 

 ウマ娘をトレセン学園から消す。

 かれこれトレセン学園に一年いる私でも聞いたことはない。だが思い返してみれば、確かにキグナスの他のメンバーに勝っていたウッドラインというウマ娘は、いつの間にか姿を見せなくなっていたはずだ。それらの事実が話と噛み合い、その話がドンナさんの悪趣味な嘘じゃないと確信した。

 

 私が特に恐ろしく感じたのは、負けたことによって自信を無くし、自ら引退するという部分だ。ウマ娘というのは全体的に負けず嫌いな性格の子が多い、それなのに負けただけで自信を無くし、自分で勝つことを諦めるという事は、それなりに心を抉るような、ショックな負け方をしなければウマ娘にはあり得ない話なのだ。

 

「なぜ……キグナスはそんなことをするんですか……?」

 

「さぁね、でもああいう強豪を集めてるチームなんて、どうせ自分たちのメンツを守りたいだけだろ?」

 

「じゃあ、キグナスに所属していない私は今後G1に出ることも許されないって事ですか!?」

 

 言い切って、私はハッとする。ドンナさんに対して声を荒げてしまった。しばらく黙っていたが、申し訳なくなってしまい、すいませんと一言言って私は俯いた。

 しかし誰だってこう言いたくなるだろう、ウマ娘として勝ちたいのは当たり前、それなのに突然「今後はG1に出るのをやめておけ」と言われて、ハイと正直にうなずくウマ娘がいるだろうか。私は断言する、絶対にいないだろう。

 

 まして私は誰にも越えられない記録を作るという目標を持っている。G1に出られなければ誰にも越えられない記録など作れるわけがない。

 

「……今後については、アンタのトレーナーとしっかり相談して決めな。アタシはキグナスについて教えただけさ」

 

「…………はい……」

 

 俯いたまま返事をすると、ドンナさんは静かに歩いて寝室の方に向かってしまった。

 トレーナーさんの方を見ると、未だにいびきをかいて寝ている。その寝顔は年相応のおっさんと言わんばかりの寝顔だったが、これからの未来に夢を持っているような、やわらかな寝顔だった。

 

 私は、この寝顔が描いている夢を叶えたい。

 

 しかし下手にレースに勝てばキグナスの標的になる。いや、もうなっているのかもしれない。

 

 私は、どうすればいいのだろうか……

 



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第四十話 蛇がいるでございます……

 

「シャイン、そろそろ休憩終わるぞ」

 

「……」

 

「シャイン?」

 

「……」

 

「シャイン! シャイン!」

 

「……」

 

「おい!!」

 

「うおあっ!? なに!? トレーナーさん!」

 

「何じゃなくてだな……」

 

 あのドンナというウマ娘に助けられてから、トレセン学園に帰ってきて1週間ほどが経った。

 最初こそ車で帰ろうとしていた俺だが、そもそも片足を大怪我しているから車の運転が困難になることを忘れていたため、車に関しては速水さんに頼んで俺たちは電車で帰った。

 帰ってきたのはいいものの、ここ数日シャインの様子がおかしい。俺が声をかけても話を聞いているのか聞いていないのかわからないような状態になっている。今も俺が声を大きくしたからやっと気付いたが、俺が大きな声を出さなければいつまでもボケッとしていただろう。

 

 あ、ちなみに俺の脚はまだ治ってない。しっかり痛い。

 

「いや、だから、休憩終わるぞって」

 

「あ、ごめんごめん」

 

 今のシャインは声をかければ態度こそいつものシャインのようになるが、どこかその動きはぎこちない。練習にも身が入っていないようだ。

 何かシャインの癪に障るようなことをしてしまっただろうか。いやしかし怒っているという様子でもないし、この状態は何日も続いている。シャインの次走は阪神レース場で行われる毎日杯。芝1800mのレースなのだが、当の本人がこの調子では調整も意味が無い。

 

「どうしたんだ? 最近シャインおかしいぞ。毎日杯もあるんだからシャキッとな」

 

「大丈夫……なんでもないよ、気を付けるね」

 

 シャインのここ最近の状態について聞いても毎回こう答えるだけだ。

 しかしシャインがこのような状態になる要因など見当がつかない、シャインとは大体一緒にいたから数日間の間で何があったかも知っているし、二人でどんなバカをやったかも覚えている。ドンナというウマ娘の家から帰ってきてからあのような状態になっているため、電車の中で食べた駅弁が腐っていたのだろうか。

 これまで何回問い詰めても受け流されていたが、今日の俺は違う。練習が終わった後、徹底的に聞いてやる。

 

 おおよそ30分くらい経っただろうか。俺たちは今日の分の練習をこなし、トレーナー室に二人で戻った。

 

「なぁ、シャイン」

 

 俺は何度受け流されても話を止めないつもりでシャインに声をかける。

 

「お前、何かあったのか?」

 

「ううん、なんでもないよ」

 

 案の定シャインは俺の質問に対してなんでもないと受け流してきた。しかしその目は俺じゃなくて部屋の四方をきょろきょろと向いているし、声も震えている。俺は構わずシャインに質問する。

 

「いや、絶対おかしいぞ、ボーっとしてること増えたじゃないか」

 

「なんでもないって~」

 

 相変わらず声は震えているし、きょろきょろもしている。明らかにおかしい。

 ここで俺は質問の仕方を変えることにした、シャインがこれほどまでにごまかそうとすると言う事は、俺がどれだけ真剣かと言う事が伝わっていないのかもしれない、我ながら普段はふざけた態度だしな! 

 

 もし俺が本当に真剣に話をしていると分かれば、シャインも話してくれるかもしれない。少し椅子に座りなおして、低めのトーンでシャインに話しかける。こうすればきっと話してくれる。

 

「コホン……シャイン、分かってるんだぞ、ここ数日のお前がおかしい事くらい」

 

「あ~……えっと~……」

 

 しかしシャインはまだ話す気が無いようだ。「あ~」や「え~」などのつなぎの言葉ばかり発して全然おぼつかない。

 

「悩んでいることがあるなら話したらどうなんだ!」

 

 少し強めに話してみる。それまでしどろもどろしていたシャインは尻尾をピンと張り、驚いた顔をしてこちらを見ていた。

 

「……トレーナーさんに」

 

「ん?」

 

「トレーナーさんに何が分かるって言うの!!」

 

「えっ、あのちょっと」

 

「知らないよ! 私の気も知らないで!」

 

 それまで驚いた顔をしていたシャインは、目に大粒の涙を浮かべてトレーナー室を飛び出してしまった。

 嗚咽と叫びが混じった声を聴いて、ああ、やってしまったと後悔しても、そこに残ったのはがら空きのトレーナー室だった。

 

「何も分からねぇよ……」

 

 

 

 その日の夜、俺は速水さんを居酒屋に誘って今日の事を相談していた。

 カウンター席で俺の隣に座っている速水さんは、俺の話を聞きながら肉団子をピーマンに詰め込んで食べ、ビールを流し込んでいる。

 

「……っぷはあぁぁあ! クライトに叩かれたところが癒えていく~!! キンッキンに冷えてやが──」

 

「ちょっと、話聞いてます?」

 

 舌鼓を打っている速水さんに俺は思わず疑惑のまなざしを向けてしまう。

 

「聞いてるさ、お前がシャインちゃんに怒られた話だろ?」

 

「いや、聞いてるならいいんですけど……」

 

 俺も皿に盛られた枝豆を口にねじ込み、酒の勢いを乗せるためにジョッキを傾ける。

 

「……何がダメだったんでしょう、俺なりに担当の体調を気にしたんですけど……」

 

「まずな、大なり小なり、確実に何かしらで悩んでるのに、大きな声で圧をかけるってお前」

 

 速水さんの口から開口一番にお怒りの言葉が出てきたのでげんなりしそうだ。

 確かに大きな声を出したことに関しては俺が悪いかもしれない、だがシャインもシャインでずっと話したがらないし、何故悩んでいるのかについて相談もしないで「私の気も知らないで!」なんて理不尽だろう。

 

「シャインちゃんの悩みねえ、お前最近何かしたか?」

 

「いえ、何もしてないです……やった事といえば今日の事くらいです」

 

「そうか……」

 

 速水さんに聞かれてぱっと出た記憶でそう答えたが、一応忘れていることもあるかもしれない為、俺はここしばらくの日々を思い出す。

 

「ん~……お前でも分からないとなると、俺にもわからないなぁ。俺もここしばらくはクライトにつきっきりだったしな、あいつ急にやる気上がり始めたからな。これも想いの継承ってやつのおかげかな」

 

「待ってくださいよ速水さん、急に担当の自慢をする話に変えるの勘弁してくださいよ」

 

 俺はマジでシャインに嫌われたんじゃないかと思って相談に来ているのに、特に気にしてもない顔でピーマンを口に投げ込んでいくのやめてくださいよ。

 どうするべきかと思い、携帯を取り出して調べ物をする。検索ワードは当然「女子 悩み」だ。

 

 なけなしのギガを使って検索を行い、出てきた検索結果を下から上にスライドさせていく。シンプルな検索ワード名だけに、いろいろなサイトが出てくる。が……

 恋の悩み……いや違うだろう。

 性の悩み……論外だ。

 下着の悩み……は? 最近の女子って下着にまで気を使うの? あ、いや、そんな事を調べている場合ではない。

 

 出てくるサイトがどれも俺の欲しいものと違うものなのだ。

 

 こりゃもうネットも信用ならないな。などと思っていたら、最後の最後に気になるサイトの名前が出てきた。

 

『分かったつもりにならないで! なんて言われないために』

 

 分かったつもりにならないで、か。確かに今の俺が求めているサイトかもしれない。

 俺は右手で焼き鳥を口に運びながら左手でそのサイトのURLをクリックする。

 

 ……『分かったつもりにならないで、と言われませんか。例えば長い映像作品を見ている間にメモを取ることがあるでしょう。なぜとるのか』……『他にもこのような場面でこのようにすることがあるでしょう』……

 

「前置きがなげぇ!」

 

「いやー、でもなんだかんだあいつパンチの力押さえてくれてるから……ってどうした橋田」

 

 こういうサイトを調べるたびに思う事なんだが、なんでこうサイトって言うのは前置きが長いのだろうか。なんだかよく分からないたとえ話をされるし、引き込むためのギミックなのは分かるのだが、それにしたって長すぎると思う。いつになったら本編が始まるのかわかったものではない。

 しかも何が厄介なのかというと、この前置きの内容を本編で取り出してきて、かつ前置きを見ておかないと理解できないように作られていることだ、俺のように前置きが余計だと思っている人にとっては本当に迷惑極まりない。

 

 諦めて携帯をスリープ状態にすると、速水さんがピーマンをくれたので口に頬張る。

 

「そういや橋田、シャインちゃんはクラシック三冠路線なんだよな?」

 

「ええ、そうですよ」

 

 バリバリと何も詰めていないピーマンを砕いていると速水さんが今更な質問をしてきたので、苦みを感じながら答える。すると速水さんは鞄からタブレットを取り出して何かを見始めた。

 速水さんはしばらくタブレットとにらめっこしていたが、急に俺の方を向いて真顔で見つめてきた。

 

「な、なんですか……」

 

「お前、ハロウィンの時もクリスマスの時も出かけてたよな? そんでなんかクリスマスの時はちょっと喧嘩みたいなことしたとか言ってたよな?」

 

「え、えぇ」

 

 隠す事でもないのでそう答えると、速水さんは顎に手を当てて考えるようなしぐさをしていた。

 割と記憶にも新しいであろうハロウィンとクリスマスのお出かけ、クリスマスの時はなにやらシャインがよく分からない怒りを俺に向けてきたが、特に滞りなく進んだため、今回のように急に怒るようなことではないだろう。

 

「えーっと……今日は、うわ、ホワイトデー過ぎた後か、これは確信犯だわ」

 

「え? なんですか? シャインが怒ってる理由分かったんですか?」

 

「おい橋田、今度シャインちゃんに会うとき、マカロンみたいな菓子をプレゼントしてみろ、可能ならバウムクーヘンでもいい。あ、間違ってもマシュマロは買っていくなよ」

 

「はい? なんでです?」

 

 意味が分からなくて眉を寄せて聞いてしまう。

 

「……恋、かな……」

 

「……はい?」

 

 

 

 後日、俺は速水さんに言われた通り、マカロンを買ってシャインを待っていた。まだ寒い時期なので暑さで痛むなどと言う事は無いだろうが、なるべく早く来てほしいな……。

 その心配も無用だったようで、俺がパソコンを立ち上げてすぐにシャインがトレーナー室に入ってきた。

 

「あの、トレーナーさん、昨日の事なんだけど……」

 

「ああ、俺も言いたいことがあった」

 

 ウマ娘の嗅覚でばれないように、厳重に梱包したマカロンを見つからない様に背中に隠しながらシャインの前に片足で立ち、ゆっくりと腕を回してシャインに差し出した。

 

「昨日は急に大きな声を上げて悪かった、これが俺なりの謝罪だ。……許してくれるか?」

 

「あー……え、あー……」

 

 シャインは口を開けて唖然としている。マカロンのチョイスがダメだったのだろうか? 

 

「ご……ごめん、今日はちょっとトレーニング休んでいいかな……」

 

「え」

 

 しばらく気まずそうな顔をしてシャインは立ち尽くしていたが、突然そのように早口でつぶやき、俺の回答を待つことなくシャインは微妙な顔をしてトレーナー室から出て行ってしまった。

 

「……やっぱりマカロンのチョイスが悪かったかな」

 

 俺のシャインと仲直り計画は、あまりにもあっけなく撃沈した。

 これは俺が悪いのだろうか、マカロンのチョイスが悪かったのかもしれないが、そもそも物をあげて機嫌を直してもらおうとするのはなんかこう、言葉にできないが、卑しい考え方だっただろうか。

 

 

 

「はぁ……トレーナーさんにどうやって言おうかなぁ……」

 

 トレーナーさんのマカロンを突っぱねてトレーナー室から出てきて数分後、私は学園内の木の下で座っていた。

 

 私がここ最近ボケッとしている理由、もちろんドンナさんに告げられたキグナスの本性についてだ。あれからキグナスに私が消されるかもしれない、もしかしたらトレーナーさんまで消されてしまうかもしれないという恐怖の事で頭がいっぱいでトレーニングに身が入らないのだ。

 そうやって考え事をしているうちにいつの間にかボケッとしてしまっているようで、トレーナーさんに声をかけられるまで直立状態になってしまうと言う事だ。

 

「っていうか、なんでマカロン……?」

 

「マカロンがどうしたのでございますか?」

 

「え? ……え? どこ?」

 

「ここでございます!」

 

 突然木の上からウマ娘が飛び降りてきて驚いてしまう。綺麗なフォームで降りてきたのは、私の髪色にちょっと黒色の色素を入れたような……なんていえばいいだろうか。こげ茶色のような髪色の、真ん中で分けた坊ちゃんカットのウマ娘だった。耳飾りは右耳についており、鍵のような耳飾りだった。

 

「私はブルーマフラーでございます! 木の下に蛇が居座ってて降りれなかったのでございますが、あなたが座ってくれたおかげでどこかに行ってしまったのでやーっと降りれたでございます!」

 

「よ、よろしく……」

 

 そもそもなんで木の上に登ってたんだ……

 

「というより、その口調は何……?」

 

 人の口調など個人のものなのであまりツッコんではいけないだろうが、絶対に全人類が気になるであろうこの「ございます」という口調に思わず質問してしまった。

 

「? 私の口調に何か変なところがあるでございますか?」

 

 自覚が無いようだったので私は追及を諦めた。

 

「それより、もしかしてあなたは毎日杯に出走するスターインシャインさんでございますか?」

 

「そうだけど、初めて会うのによく知ってるね」

 

「知っていて当然でございます! あのホープフルステークスをレコードで優勝してるから有名でございますし、なにしろ私も毎日杯に出走するでございますから!」

 

 目の瞳孔が開く感覚がし、耳が無意識にピクリと動く。この子も毎日杯に出る子と聞いて、やはりウマ娘の私はライバル意識を持ってしまう。

 

「毎日杯ではよろしくお願いしますでございます!」

 

「うん、よろしくね」

 

「それで、マカロンがどうしたのでございますか?」

 

「あ、なんでもないの、ごめんね」

 

 突然思い出したようにブルーマフラーはマカロンの事を聞いてくる。理由を話すと3時間くらいかかってしまうような話なので軽く流す。

 

「そうでございますか、それでは私はトレーナーさんの元に戻るでございます。とか言ってたらそこにいるではございませんか!」

 

 ブルーマフラーの言葉に私も目線を動かす。そこに立っていたのはあのキグナスのトレーナーだった。

 

「キグナスの……トレ……!」

 

 キグナスのトレーナーを見たことによって例の話を思い出し、吐き気がこみ上げてくる。抑えないと。

 

「それではまた毎日杯で戦うでございます! トレーナーさんの元へ激走でございます!」

 

 ブルーマフラーが何かを喋っている、答えなくては。

 

「う……うん……」

 

 ブルーマフラーが離れて行った。トレーナーさんの所にもどろう、きっとおちつく。

 

 

 

「このマカロンうめぇなオイ、流石9500円。突っぱねられたけど一応4分の3は残しておくか。……でもあと一個だけ」

 

 先ほどシャインに突っぱねられたマカロンを俺は一つ一つ丁寧に味わっていた。

 

 なかなかに値を張るマカロンだっただけに、その味は格別だった。

 

「ト、トレーナーさん……」

 

「お、おいシャイン! しっかりしろ! いででででで! あぶねっ」

 

 突然トレーナー室にシャインが再び訪れた。その顔は青ざめており今にも限界といった顔で、足運びもままなっておらず、松葉杖を取りに行っては時間が無いと判断した俺は怪我した脚を無理やり地に付け、間一髪のところでシャインを支えた。

 

「シャイン! おい! シャイン!」

 

「ごめんね……やっぱり一人で解決できないや……ごめ、うぷっ……」

 

「喋るな! 落ち着いて呼吸整えろ! ビニール持ってくるから!」

 

「もう大丈夫だから……」

 

「昔の特撮の敵役みたいな顔になっといて何が大丈夫だお前!」

 

 その後、俺は20分ほどかけてシャインを介抱した。

 



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第四十一話 トレーナーとしての覚悟

 

「シャイン、気張って行ってこい」

 

「……」

 

「大丈夫さ、安心して勝ってこい」

 

「……うん」

 

 阪神レース場に設けられた控室で、シャインにそう問いかける。

 シャインがふらふらでトレーナー室に訪れた時、俺はシャインからすべての話を聞いた。ドンナというウマ娘の家でチームキグナスの本性を聞いて、その恐怖からろくに練習できていなかったこと。ブルーマフラーと言う新たなライバルを見つけたと言う事。

 

 その話を受けて俺は「とりあえず毎日杯までは考えさせてくれないか」という結論を出してシャインに話した。毎日杯が終わり、シャインが勝てばキグナスの動きを見て今後を決める。シャインが負けてしまえば次の皐月賞に向けて調整を行い、皐月賞でまた勝てばキグナスの動きを見て……というわけだ。

 

 俺としてはシャインにレースの楽しさを忘れてほしくない。レース中、あいつが一生懸命相手の『武器』を読み、対応し、そして最後の最後に己の末脚でぶっこ抜く時のキラキラした笑顔が大好きだ。だからこそキグナスに消されてしまうかもしれないという話は、俺にとっても今後を決めるための重大な要因となる。

 

 もしキグナスが本当にシャインを標的にして消そうとするならば、その時は……シャインをG2やG3クラス以下に留めるしかない。もちろんそれは俺たち二人の目標である「誰にも越えられない記録を作る」「誰にも負けないウマ娘を作る」という目標は達成できなくなるという唯一無二の事実だが、しょうがない……だろう……。

 

「それじゃあ、行ってくるね」

 

 シャインが立ち上がり、地下通路へ向かおうとする。

 

「む、もうパドックの時間か。キメてこい!」

 

 俺は気合を込めるつもりでシャインの背中を叩く。叩いた勢いでシャインは前方向によろめくが、すぐに立て直して俺の方に笑顔を向けて控室を出て行った。控室を出ていくその背中は、ホープフルステークスの時のような覇気は無く、弱弱しいものだった。

 

「シャイン……」

 

 

 

「さぁ次は、ホープフルステークスをレコードで勝ち、今もなお勝利の一駒を進めようとする煌めき! 一番人気、7枠7番、スターインシャイン!」

 

 私の目の前にひかれた緑の道を歩き、観客に向けていつものパフォーマンスを見せつける。しかしいつもよりうまくできていない気がする。

 

「……あれ」

 

 パドックの席にトレーナーさんがいない。トイレにでも行ってるのかな……いつもは必ず見に来てくれたのに……。

 やっぱりトレーナーさんも怖いのかな……そうだよね、自分の担当のせいで中央のトレーナーをできなくなるかもしれないって思ったらもうこんな担当いらないよね……。

 

 私が走る意味ってなんなんだろう……

 

「おや? どうしたんでしょうかスターインシャイン。立ち止まっています」

 

「あっ……」

 

 涙を見られない様に私は急いでパドックの裏側に向かう。涙が垂れてはいないから見えてないだろうけど、それでも泣いているのかバレてないか心配だ。

 

「二番人気、7枠8番、ブルーマフラー!」

 

「今日は一着を取るでございます!!」

 

 私の後に出てきたキグナスのウマ娘がパドックでアピールしている声が聞こえる。

 

「消される……っ」

 

 心臓の鼓動が早まり、吐き気が少し襲ってくる。私はそれを必死に抑え、爆発しないようにする。ここで変に吐いてしまっては出走取り消しになりかねない。

 

 そこからの記憶はあまりない。いつの間にか出走時間が迫ってきて、本バ場入場を済ませて、返しウマはロクに集中できず、そしてこれまたいつの間にかゲートインの時間が迫ってきていた。観客席の方にはずっと集中して目線を移せたが、パドックの際、パドック席にいなかったトレーナーさんが帰ってきている様子は全くなかった。

 

「どこにいるの……」

 

「スターインシャインさん! 負けないでございますよ!」

 

 後ろから昨日より聞きなれている声が聞こえ、必死に笑顔を作り返事をする。私は今自然な笑顔を作れているだろうか。

 

「うん、よろしく」

 

「……私は先にゲートインするでございますね!」

 

 ブルーマフラーは設置されたゲートの中にスムーズに入って行く。私も入らなければならないと思いゲートに向かう。

 

 ……このゲートに入って、レースが始まり、私が勝てばキグナスの標的になって消されるかもしれない。

 

 でも負けてしまえば……負けてしまえば、トレーナーさんともずっと楽しく走っていられるし、キグナスに消される心配もない。

 

 私は…………。

 

「スターインシャイン、ブルーマフラー共にゲートに入り、全ウマ娘ゲートイン完了しました!」

 

 3月、皐月賞の前の月に行われる重賞という事で、ステップ競争と言われるクラシック三冠、及びトリプルティアラの前哨戦として扱われることが多いレースでもある毎日杯。

 阪神1800m、きっとこのレースで勝つか負けるかによって、私の今後が大きく分かれるのだろうと感じるレース。

 

「今、スタートです!」

 

 ゲートが開いた。

 スタートしてすぐに私はいつものようにバ群の最後方に付ける、いつもの追込位置なだけあって思考はクリアになっている。ブルーマフラーは先行の作戦を打つウマ娘のようだ。そして今回のレース、逃げの作戦で発表しているウマ娘は確か5人もいたはず。このレースの展開は逃げのウマ娘がハナ争いで疲れてしまい垂れる、といったところだろうか。そのため先行策のブルーマフラーがバ群を抜ける技術を持っていなければ、その時の状況によって大外からも大内からも抜けられる追込みの作戦を打つ私の方が有利だ。

 しかし仮にブルーマフラーが5人同時に垂れるようなバ群を抜けられたとしたら……負けるのだろうか。いやそれでいいのかもしれない。

 

「っ……レースに集中しないと」

 

 毎日杯のコースは、序盤に600mほどの長い直線があり、その後すぐに第三コーナーから緩やかな坂を上っていき、ペースが緩む。そのため最初の内は早いと思っているペースでも、釣られてはならない。私は第三コーナーあたりから緩むペースに合わせればいい。

 

「……」

 

 そこから……走って……ゴールが近づいてきて……それで……

 

 私は、勝っていいのかな……。

 

 

 

 俺は何をやっているんだ……。

 

「ちょこれからゲーセン行かない?」

「今度家族みんなで川に遊びに行こうか」

「あの大きなソフトクリーム食べたい!」

 

 街中の声が俺の耳に大きく響いてくる。シャインもウマ娘と言う存在に生まれなければ、あのように彼氏や家族と遊んでいる無垢な高校生だったりしたのだろうか。

 

 シャインと控室で別れた後、何を考えたのか俺は阪神レース場から逃げるように出た。見たくなかった。分かっていたんだ。シャインが勝っても負けても幸せになれない今後を見たくなかった。俺たちの今後が決まってしまうレースを見たくなかった。

 阪神レース場から逃げれば、シャインに恨まれるかもしれない。だが誰にも怒られず、ひっそりと俺自身の存在を消せる。

 

 松葉杖を使いながら街をぶらぶらと歩いていると、いつの間にか公園に出ていた。俺はベンチにゆっくり腰かけて一息つく。

 

「おっしゃ、大体レース見終わったし、重賞レースは後でネットで簡単に見返せるし、あとは兵庫のグルメ制覇しようぜクライ……橋田……? お前、こんなところで何やってんだ……?」

 

「ん、スタ公の所のトレ公……って、今日スタ公レースじゃねぇのか?」

 

 左方向から聞いたことがある声が聞こえてそちらの方向を向く、すると信じられないといったような顔をした速水さんと、疑いの目をこちらに向けているマックライトニングがいた。

 

「ああ、速水さん、シャインは今パドックの最中ですかね……」

 

「おい、橋田、お前昨日の今日で何があった」

 

 速水さんからこれまで聞いたことのないような威圧的な声が聞こえ、思わず尻込みする。

 明らかに暗い俺の態度を見てクライトも何かを察してしまったのだろうか。変わらず俺の事を睨んでいる。

 

「実はですね……」

 

 俺は、すべてを話した。キグナスの本性について聞いたことやシャインの今後が大きくかかっているレースだと言う事、そして俺はそのレースを見たくない事まで、もうどうでもよくなりすべてをさらけ出した。そして最後の最後、俺の今の意思を表明しようとした時だった。

 

「もうこんな事に巻き込まれるなら、俺はトレセンのトレーナーをやめ──

 

 一瞬にして、俺の顔に激痛が走る。何が起きたかわからなかった、気付いたら俺は8mほど離れた滑り台の柱に打ちつけられており、体は全身まともに動かなくなるほどに痺れていた。

 俺はクライトに蹴られたらしい。

 

「……ふざっっけんじゃねぇぇぇ!!」

 

「おい、クライト……」

 

「うるせぇ! トレ公は黙ってろ!」

 

 少し遠くの方でクライトが叫ぶ声が聞こえる。こちらも速水さんと同じように、今まで聞いた事が無いようなクライトの声だった。

 

「てめえはスタ公のトレーナーだろうが! てめえ自身がスタ公の力を信じれなくてどうすんだ! キグナスってのは標的のウマ娘を負かしてから攻撃しかけてくんだろ? ならあいつが勝ち続けられるように導くのが、トレーナーの役目ってもんだろうが!? 担当ウマ娘を、てめえだけの勝手な都合で! てめえだけの勝手な解釈で! 捨てようとすんなああああ!」

 

「勝ち続けられるように……」

 

「俺のトレ公やサン、それにサンのトレ公もいるんだ!! 勝手に抱え込んで、勝手にいなくなるとか決めてんじゃねぇぇぇ!! ムカつくキグナスがスタ公を消そうとするもんなら俺たちが守ってやるさ!! もうそうやってトレーナーが担当を捨てるのは見ててうんざりするんだ!! 分かったらさっさとスタ公の応援に行けこのクソトレーナァァ!!」

 

「みんなが……」

 

 涙を流しながらのクライトのその怒号に、俺はハッとする。

 

 ……俺のなんとバカだったことか。

 前者の「勝ち続ければいい」という案。現実的に不可能かもしれない、だが絶対に無理というわけではない。過去に存在していたという生涯無敗のウマ娘。そのようなウマ娘にシャインがなれれば、キグナスに負けなければ消される心配はない。

 

 紙のように薄く繊細な確率。だが、今まで苦しいレースを勝ち抜いてきた俺とシャインなら、生涯無敗のウマ娘になることもできるかもしれない。もちろん半ば屁理屈のような案だが、そんな案でも、俺は目から鱗だった。

 

 激痛が走る顔と背中を無理やり動かし、阪神レース場に戻ろうとすると、目から涙を大量に流しているクライトが俺の事を背負って走り出した。

 

「行くんだったらおぶってってやる! トレ公ォ!! 後で阪神レース場の豚まん売り場で合流だ!!」

 

「え、ちょ、クライト、俺阪神レース場のフードコート分からな──

 

「知るか!」

 

 速水さんが言い終わる前にクライトは走り始めてしまった。

 

 流石ウマ娘、と言ったところか。クライトはかなりの体重があるであろう俺を阪神レース場まであっという間に連れていってしまった。

 周りの視線が痛かったが、そんなことを気にしている場合ではない。恐らく時間的にシャインが走るレースが始まって数十秒が経っている頃だ。毎日杯は1800mと、1200mほどではないにしろ短いレースだ。シャインがゴールする前にせめて声援の一つを送らなければ。

 

「どぉぉけどけどけどけどけぇぇぇぇい!!」

 

 観客席にクライトが突っ込み、バ群をかき分けるかのように人の集団を進んでいき、気付いたら最前列に来てしまっていた。俺はクライトから降ろしてもらい、電光掲示板で今のバ群の位置を探す。

 

「いや……違う! もう最終直線に来てる!」

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

「第四コーナーを回って最終直線! ブルーマフラーが先頭に抜け出してもうセーフティリードを開いたか! スターインシャインはもう後方に沈んでいる!」

 

 疲れた……1800mのレースのはずなのにすでに3000mを走っているような感覚がある。

 途中のコーナー術はすべて失敗してしまい、しかも逃げウマに釣られてしまうという致命的なミスを犯してしまった私は、2000mを十分に走りきるスタミナがありながら、末脚もなにもない絶望的な状態になっていた。

 

 くそっ……くそっ……私もトレーナさんもキグナスに消されるかもしれないのに全力で走れるわけないじゃん……! 勝てるわけないじゃん……! 

 

もうブルーマフラーとの差を見て、私が戦意を完全に喪失しようとしていた時だった。

 

「走れええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

「えっ……」

 

 突如聞こえた、いつでも聞いていた声。

 

 観客席の方から聞こえた、あの声。

 

「トレーナーさん……っ!」

 

「シャイン! もう俺たちの今後に、キグナスもなんも関係無ぇ! 誰が邪魔をしようが! 誰がお前を消そうとしようが! 俺がお前を、三冠にでも三十冠にでもなんでもしてやるから!! 絶対に幸せにしてやるから!! だから勝て!! 胸を張って、勝てぇぇぇぇ!!!」

 

「うんっ……! うんっ……!」

 

 トレーナーさんの一言一言を聞くたびに、走っている最中だというのに涙があふれてくる。私も心のどこかでこう言われることを期待していたのかもしれない。勝てと言われて、私の闘志に火が付くのを感じる。

 

「だったら私も……その期待に応えなくちゃいけないっ!!」

 

 確かに末脚は無い、だけど私には強靭な根性がある。

 

「(やはりスターインシャイン、あの闘志の無さからして、誰かからキグナスの話を聞いたみたいでございますね。でもだからどうというわけではございません、あなたに圧倒的な敗北を教えてあげるでございます。そしてトレセンから消えるでございます)」

 

「いや! セーフティリードを保っていたと思われたブルーマフラーがその差を縮められている! 後ろから! 後ろからやっと来たスターインシャイン!」

 

 トレーナーさんは、私がキグナスの標的になろうが絶対に勝てるまでに成長させてくれると、私をキグナスなんかに消させないと約束してくれた。ならばこんなところで負けてはいられない。このレースに勝って、必ず皐月賞にも勝ち、ダービー、菊花賞と私はクラシック三冠路線を踏破してみせる。だから私は……。

 

「負けないっっ!!」

 

「な、なんでまだ走れるでございます!! あのペース配分だともう走る気力すらないはずでございます!!」

 

 焦っているブルーマフラーの顔が見える。ブルーマフラーにはレース中味わわなかった分、今ここで存分に味わってほしい。私自前の威圧感を。

 

「くっ……これがシーホースランスを沈めた威圧感でございますか……」

 

「まだ私の武器はもう一個ある!!」

 

 阪神レース場で行われる毎日杯、最終直線のさらに最終地点には、大きな坂がある。中山の坂ほどにはないにしろ、負荷が増えるため普通のウマ娘は減速せざるを得ないだろう。だが私にはもちろんあの武器、()()()()()()()がある!!極限まで空気抵抗を少なくして、誰よりも先に坂を登りきる!

 

「離した! 離した! 浮上は不可能に思われた位置からスターインシャインが復活した! 流れ星は二度も私たちを驚かせてくれる! 坂で減速することなく……」

 

「やあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

「スターインシャイン、今一着で、ゴールインッッ!! 見事一番人気に答えました!!」

 

 道中の異常な疲労状態から無理に坂の超前傾など使ったせいで、私は力なく地面に倒れ込む。一体ターフに突っ込むのは何度目だろうか。でも……

 

「へへっ……私、勝っちゃった……」

 

 苦しくはなかった。むしろ私はやってやった感に包まれ、幸せだった

 

「やったな……シャイン……よく勝った!俺は……俺はもうダメかと……」

 

 観客席に立っているトレーナーさんも、喜んでくれているみたいだった。あのブルーマフラーと言うウマ娘は何も言うことなく地下通路の方に向かってしまった。おそらくキグナスのトレーナーにでも怒られるのだろうか。でも私が知ったことではない、向こうが先に敵対してきたのだ。それだったら私だって対抗してやる。

 

「あったりまえっ!!」

 

 トレーナーさん、私は誓うよ。

 

 私は「誰にも越えられない記録を作る」ことが目標だけど、同時にもう一つ目標ができた。それは「キグナスに完全勝利する」こと。これが私の新しい目標。絶対に負けない、キグナスに勝って勝って、もう私を消そうと思えないほど勝ってみせる。だから……

 

「これからもよろしくね……トレーナーさん……!」

 

「ああ……あたりまえ、だな……!」

 



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第四十二話 訪問者は汚れた金ピカ野郎

 

 電気もつけず、外に浮かんでいる太陽の光だけで明るさを保っているトレーナー室。

 ソファにはキングスクラウンが座っており、デスクには一人静かに仕事をこなしているトレーナーがいた。

 

「スターインシャインはキグナスへの敵意をあらわにした、か……。ブルーマフラーも敗れ、脱退させた2人も合わせてこれで3名のメンバーがやられた。ブルーマフラーに関してはスターインシャインのあの末脚に怖気づいて、もう勝てる様子でもないな……どう思う、トレーナー君」

 

 絶え間なく流れていたタイピング音が止まり、キグナスのトレーナーは静かに口を開いた。

 

「……残りのメンバーでスターインシャインを消すしかないだろう。正直ホープフルを負けた時からはらわたが煮えくり返っている、必ずあのウマ娘は消すさ」

 

「ふ、トレーナー君らしいストレートな理由だ」

 

 キングスはグミを口に含みながら喋る。

 

「お前の前では表面上の態度を飾る必要もないだろうからな……」

 

「それはそうと、スターインシャインがトレーナー君を見た時に怯えていた様子だったんだって? ブルーマフラーからキグナスの噂を聞いたんじゃないかとは言われているが……仮にそうだとして、自分が消されるかもしれないという事実だけでそこまで恐怖するなら大した精神力じゃないだろう。キグナスの更に上のメンバーで叩き潰せばもう立ち上がれないはずさ」

 

 会話が終わり、キングスはトレーナーが仕事の続きをするべくタイピングを再開すると思っていた。しかし聞こえたのは何かのコール音。キングスがトレーナーの方を見ると、キグナスのトレーナーはどこかに電話をかけていた。

 

「トレーナー君? 何をするつもりだい?」

 

「3人に……あの3人にトレーニングを協力して貰おうと思う」

 

「……ふふ、珍しいじゃないか、久々に本気で消すつもりだね?」

 

「当然だ」

 

 しばらくのコール音の後、トレーナーの口からはきはきとした声が響く。

 

「俺だ、サブトレーナーを頼む。……わかった、当然少し回す。頼もうと思ってるのはクラシック三冠のウマ娘……1人につき4700万でいいな?」

 

「久しぶりだな、悪いが仕事だ。サブトレーナーを頼む。あぁ、お前は菓子だったな……いつもお前のトレーニング法には驚かされる。トリプルティアラ路線のウマ娘を1人頼むぞ」

 

「俺だ、うちのメンバーの面倒を……何故俺が頼もうとしていることが分かった? ……いや聞かないでおこう、お前とはなるべく関わりたくないんだ。宝塚に向けて1人の仕上げを頼む」

 

 電話を繰り返し、3本の電話を終えたトレーナーはキングスの方に紙を出して合図をする。

 

「このように配属すると通達してくれ、頼んだぞ」

 

「へぇ……スロウムーンの仕上げを彼にやらせるのかい? あまりよくない話ばかり流れているようだが」

 

 キングスは少しだけ心配そうな顔をしてトレーナーに確認したが、キグナスのトレーナーは何も答えなかった。これが構わないという返事を意味していることをキングスは知っていたため、それ以上何も聞かずに通達の準備を始めた。

 

「……ん、そういえばなぜトリプルティアラ路線のメンバーも依頼したんだい? 消すのはスターインシャインだけなんだろう?」

 

 耳をピンと立て、ふと思い出したようにキングスはトレーナーに聞く。

 

「スターインシャインの周りにいつもいるあの二人のウマ娘、あいつらも同時に消す。事実としてプロミネンスサンにはノースブリーズがやられていたからな。俺が集めた原石達が、あのようなくず鉄に負けるわけが無い。あんな……使い古された携帯やパソコンみたいな、ゴミ機械のたまり場みたいな場所から出てきたウマ娘に、俺のチームが敗れてたまるか!」

 

「トレーナー君……」

 

「……すまない、少し興奮しすぎた。とにかく、キグナスはメンバーの仕上げを協力してもらう事になる、通達を頼んだぞ」

 

 

 

 

「ぶぁっくしょい!!」

 

 突然私の隣でサンが大きなくしゃみをした。時期は4月に入りたてだし、まだまだ寒いともいえる時期だからくしゃみも出るだろうか? 

 

 もはや見慣れてきたこの汚めのトレーナー室、私とトレーナーさんのトレーナー室だ。ここにサンと木村さんが来ていた。なぜ来ていたのか、理由は特に難しくない単純な理由で。暇で暇で仕方がなかったのだ。というのも今日はトレーニングが終わった時間が早かったため、普段から一応勉強もしていて補習もない私たちはやる事が無くなってしまった。

 

 私の次走予定、皐月賞も近いために、あまり過剰に負荷をかけることも出来ない、それは桜花賞が迫っているサンも同じだ。そのためトレーナー室に集まって談笑をしていわけである。毎日杯の時とは大違い、平和そのものだ。

 

「はい、ティッシュ、鼻水出てるよ。……あれ、木村さんどうしたんですか、汗凄いですよ? ポンジュースぬるくなっちゃいますよ?」

 

「(……サンのくしゃみが今間違いなく私のコップに入りましたね……残すわけにもいかないけど……飲むわけにも……いや、やはり残してしまうのは……)」

 

 ちなみにクライトは速水さんとお出かけをすると言っていた。最近あの二人お出かけばかりしている気がするが、大丈夫なのだろうか。まぁ速水さんだし心配することはないだろう。

 暇だから集まって談笑していたとはいえ、やはり時間が経つと再びやる事が無くなってくる。もう集まって30分ほど経ったが、もう話のネタが無くなってきていた。

 

「……ん? 菊花賞がダービーの前で……オークスが秋華賞の後だよな……。なぁ、俺にもポンジュースくれよ」

 

「トレーナーさんはレースの日付覚えるまでポンジュース無しね」

 

「えぇ……」

 

 私のトレーナーさんはデスクに座ってずっとレーススケジュールの勉強をしていたが、その成長速度は絶望的で、木村さんも頭を抱えていた。

 なんて暇を持て余していると、突然トレーナー室のドアが勢いよくあけられた。

 一応壊れそうなドアだから静かに開けてほしいんだけどな……。

 

「おや……? 貧相な匂いがすると思ったら、弱小トレーナーの皆様ではありませんか」

 

 開口一番にこちらを蔑む発言を放ってきたので、何かと思って声の主を見ると、金ピカのマフラーっぽいやつと金ピカの帽子、金ピカの靴を履いためちゃくちゃ悪趣味な中年くらいの小太りな男の人が立っていた。

 

「……え? どちらさま?」

 

「おやおや、ワタシの事を知らないとは……まぁ無理もないですか、しばらく戦線には出ていませんでしたから……」

 

 私のトレーナーさんとその男性が会話をしていると、木村さんが思い出したように声を出した。

 

「もしかして……金泉トレーナーですか?」

 

「おや、そちらの抜けてそうな方は知っていましたか。そう、ワタシは金泉(かないずみ)諭吉(ゆきち)……少し前までこのトレセン学園のトレーナーとして活躍していた者です……」

 

 金泉。

 正直言うと私がトレセン学園に来たのは去年の事なので全く分からない。だがその喋るテンポや雰囲気というか、オーラが他の場所で見かける見知らぬトレーナーさんとは全く違うことが分かる。

 

「はぁ……それでその金泉さんが、一体こんなところにどんな用件で?」

 

 デスクに座っていたトレーナーさんが松葉杖を使って立ちあがり、金泉と言う人の前に立ってそう聞く。この場にいる全員が気になっていることを聞いたため、トレーナー室に元々いたメンバーの目線は一斉に金泉と言うトレーナーの元に集まった。

 

「いや? 特に何も用件は無いですよ、ただ、ワタシが()()トレーナーとそのウマ娘を、一目見ておこうと思いまして」

 

 金泉と言う男のその言葉を受けて私が警戒態勢に入るよりも先に、レースの日付を覚えることに疲れてボケボケしていたトレーナーさんの雰囲気が変わった。この男はキグナスの差し金、恐らくキグナスのトレーナーがサブトレーナー、またはアシスタントとして雇ったのだろう。キグナスの強さは12人のウマ娘を1人で担当してあれほどのものだった。しかし今後は数人で分けて担当するというスタンスをとるらしい、となればキグナスのウマ娘の強さは数倍に跳ね上がりかねない。恐らくもっと熾烈な戦いになるのだろう。

 

 この金泉と言う男にキグナスの怖さを伝えようにも、潰す、という発言をしている以上、キグナスの本性を知っての上で手伝いをしているのだろう。人を見た目で判断するのは良くない事だが、この金ピカの見た目からして、キグナスの手伝いをする代わりに大金を貰っている……といったところだろうか。本当にゲスい。

 

「おや……そんなに警戒しなくても……」

 

「警戒されることを覚悟で来たんだろ? 言っておくがな、俺たちはどんなウマ娘が相手だろうと負けるつもりはねぇ。シャインはどのウマ娘にも負けない最強のウマ娘になる!」

 

 そうだそうだ、と言わんばかりに私も睨みつける視線を送る。

 しかしこの金泉と言うトレーナーからは恐怖というものを何も感じていないように見える。どこか余裕があるような、絶対的自信があるといった感じの雰囲気を感じる。

 

「ねぇねぇ、まだ話終わらないの?」

 

 突然明るい声が聞こえたと思ったら、その金泉と言う男の後ろからオレンジ髪の子が出てきた。

 この子は見たことがあった、ハロウィンの時に私にちょっとしたキスをしてどこかに去って行った元気な子。この子もキグナスのメンバーだったなんて……。

 

「キミってハロウィンの時の……!」

 

「えへへ……ごめんね、私キグナスのウマ娘だったんだ。キグナスがシャインお姉ちゃんを標的にする前から、いつか走ることになると思ってたけど……皐月賞までおあずけだったみたい☆」

 

 やはりあの時の声は気のせいではなかった。だから「また走る時にね」か……。

 

「こいつはワタシが担当することになったシャイニングラン。シャイニングと別にもう一人いますが……力を借りるほどでもないでしょう」

 

 本音はシャイニングちゃんを結構好きだった節があるので、金泉のような男がシャイニングちゃんの頭をわしわしと撫でている絵面はかなりむかっ腹が経った。

 

「そういうわけだから! シャインお姉ちゃんとは皐月賞で走る事になったの!」

 

「……一つ聞いていい? シャイニングちゃん」

 

 シャイニングちゃんの言葉を遮り質問の時間を設ける。なぜ急にこのような事をしたのか、話が終わってこのトレーナー室を去られる前に一つだけ聞きたいことが思い立ったのだ。恐らく私とシャイニングちゃんが関わるうえで一番聞かなければならない事。

 

「シャイニングちゃんは……キグナスの本性を知っているの?」

 

「……知ってるよ。当然でしょ」

 

 目を合わせられなかった。少し答えるのをためらった様子の回答を聞いて、思わず斜め下を向いて唇を噛んだ。

 

「とにかく、あなたたちはワタシが出走させるウマ娘には勝てません。そ・れ・で・は・失礼」

 

 非常に腹が立つ挨拶をして金泉はトレーナー室から出て行ってしまった。シャイニングちゃんがトレーナー室から出る瞬間、私の方を一瞬見たような気がしたが気のせいだろうか。

 

 これまでキグナスが直接的に言葉をかけてくることはなかったが、今回金泉のような刺客を送り込んできた。と言う事はおそらく、キグナスも本格的に私を消しに来たという事だろう。避けられない道だとわかってはいたが、こうやって実際に宣戦布告をされるとやはりゾクゾクしてくる。もちろん前までの私みたいに恐怖からのゾクゾクではなく、ウマ娘の本能がもたらす勝負精神が掻き立てられているゾクゾクだ。

 

 私が挑むクラシック三冠路線、様々なウマ娘が自らの勝利の為に奮闘しているところ申し訳ないが、私が一着の座をすべて奪ってみせよう。

 

 私がこれから本格的に訪れるであろうキグナスとの戦いに意気込んでいると、背後で立ち上がる音がした。

 

「……許せませんね、キグナスというのは」

 

 立ち上がっていたのは木村さんだった。顔こそ見えないものの、木村さんからははっきりと怒っている気配がしていた。所謂アドレナリンという奴やつだろうか、恐らくそれであろう匂いもする。

 

「私は橋田さんから話を聞いただけなのであまり信じれてませんでしたが……あの金泉と言う男を見てしっかりと確信しました。私も戦いますよ、キグナスと。サンをトリプルティアラはおろかそのほかのG1にも勝つウマ娘に仕上げて、キグナスに対抗してみせます」

 

 言葉の一つ一つを喋るたびに、木村さんが握っていた拳の力が強くなっているように見える。確かに私も金泉という男の態度にもキグナスにも怒っている。だがこれほどまでに怒るという事は木村さんの過去に何かあったのではないか。そう思ってしまうほどの剣幕だった。

 

「サン! 私たちのトレーナー室に戻りますよ、トリプルティアラに向けての作戦を練り直します!」

 

「了解だよ! トレーナーさん!」

 

 そういうと木村さんはそのまま怒った勢いでコップのポンジュースを一気飲みして机に叩きつけ、そのままサンと一緒にずかずかとトレーナー室を出て行った。

 トレーナー室を出ていくときに汗を沢山流して一瞬フリーズしていたが、まぁ木村さんだし、ちょっと考え事があったのだろう。

 

「シャイン、キグナスも本格的に消しに来たみたいだな」

 

 二人きりになったトレーナー室で、トレーナーさんが私にそう語りかける。だが私がトレーナーさんに返す言葉など決まっている。

 

「もちろん、全員ぶっ飛ばしちゃうけどねぇぇぇ!」

 

「おうともよぉぉぉ!」

 

 私の言葉を聞いてトレーナーさんも笑顔になった。気合を入れ直したトレーナーさんはデスクに戻りトレーニングメニューの見直しを始めたようで、笑顔を崩さぬままタイピングをしている。

 ……ここで私はトレーナーさんに質問をしてみる事にした。

 

「フェブラリーステークスはぁぁぁぁぁ!?」

 

「12月2日ァァァァァ!」

 

「はい違ぁぁぁぁぁう!!」

 

 本当にまだまだ手がかかりそうである。

 

「シャインお手製ハリセンが痛ぁぁぁぁぁい!」

 



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第四十三話 :狂った瞳の三年間

 

 ぶらり昼下がり、授業も終わり課題も終わり、すっかり赤くなってきた空の下。暇になった私は、トレセン学園内の廊下をぶらぶらと歩いていた。

 

 皐月賞が近いからそれに向けた調整、トレーニングももちろんしているが、別にトレセン学園は休ませずにトレーニングをさせるような場所じゃない。ある程度トレーニングをやったら休ませてくれるものだ。そのため大なり小なり時間は出来てしまう。

 正直な感想はもっとトレーニングをしたいのだが、トレーナーさんがそれを許してくれない。最近は飲むと体力気力が回復するドリンクが販売されているらしいが、トレーナーさんは「これだけは多分やばい、俺の勘」と言っていたので許可が下りなかったのだ。

 

 周りを見ると、トレーナーさんの判断で未だトレーニングを行っているウマ娘。私のように少しの暇を持て余しているウマ娘。そんな暇などないくらい友好関係が広いウマ娘など多種多様な光景が見える。私の名前も多少は有名になってきていたため、私を見かけたウマ娘が私の事を噂している声もちらほら聞こえる。単純にうれしい。

 

 ホープフルをレコード勝ちしたことなど私の目標の天秤にかけるとまだ序の口のように感じていたが、良く考えるとホープフル……もといG1レースをレコード勝ちするなど容易にできる事じゃないのだと自分で感じるようになってきた。

 

 まぁいくら暇とはいえ、あまり遅くまで遊んでいるのは体調によくないとトレーナーさんに何回も注意されているため、もう寮に戻って夕食前に寝る支度でもしてしまおうか。今日の夕食は何にしようかなどと考えていると、誰かにぶつかってしまった。

 

 やってしまった……。私はすぐに立ち上がり、ぶつかった人に謝罪した。恐らく怒られるのだろう、あまり怖い人じゃない事を祈るばかりだ。するとしばらくの沈黙の後、聞いたことのある声が聞こえてきたので、私は驚いて顔を上げる。すると私がぶつかった人はアグネスタキオンさんだった。

 

「シャイン君じゃないか」

 

「あっ……タキオンさん!」

 

 目の前に佇むタキオンさんを見ていたら、明らかに目の色が変わった。まずい、この目のタキオンさんは獲物を捕らえるときのタキオンさんだ。

 

「シャイン君! これから想いの継承について私なりの仮説を沢山立てたからこれからラボに行って聞いてもらえないかい? それに想いの継承を人為的に発現できるかもしれない薬を作ってみたんだ! 安全は保証できないが……命は保証しよう。それに他にも気になることがたくさん……」

 

「あ──ーっ! 分かりました! ラボ行きますから!」

 

 私は経験上、というかこの人と関わってきて立てた一つの仮説がある。この目の時のタキオンさんからは逃げられない、という仮説だ。ここで私が走って逃げても追いつかれるのだろう。諦めてタキオンさんに連れられることにした……。

 

 

 

 そうして寮に行こうと思っていた私は、タキオンさんに捕まってしまい、怪しげなラボに連れて行かれた。

 

 ラボ……恐らく使われていない教室であろう部屋に入ると、何かの薬品の匂いだろうか、が鼻を劈いてきて、入って早々になかなかの苦痛だった。

 私はタキオンさんのラボに関しては話を聞いていただけで実際に来たことはなかったのだが、いざ来てみると見たこともないようなガラスの器具がたくさん並んでおり、全く何を書いているのかわからないような書類がたくさん地面に錯乱しており、いかにもラボという風に改造されている教室に驚愕した。ここまでトレセン学園の教室が酷いリメイクをされてしまうのだろうか。

 

 ……というより私はこれから何をされるのだろう。ここに来る前はなんか「想いの継承を人為的に起こす薬」とか言っていたが、あの酷い匂いがしている薬の事だろうか。

 今更ながら私はここに来たことを後悔し始めていた。

 

「あ、そちらのスペースにはあまり入らないでくれたまえ。色々と恐ろしいことが起こるからね……」

 

「え? 何でですか……って、そんなお腹をわし掴んでまで止める必要あるんですか?」

 

「当り前だろう!? 君は頭がおかしいのか!? このスペースをよく見たまえ! 入るなと書いてあるだろう!」

 

「え? いや、書いてませんけど? あ、これとかサイフォンじゃないですか、このスペースでコーヒーでも淹れてるんですか?」

 

「頼むから! シャイン君! 本当にやめてくれ! 泣くぞ!? あーもう私泣くぞ!?」

 

 ラボの端側にあった特別テーマが違う空間に入ろうとしたら、タキオンさんに後ろから両腕を使って止められてしまった。話をよく聞いてみると、このスペースはタキオンさんの友人のスペースのようで、下手に触ると恐ろしいことが起こるらしく、タキオンさんは研究資料が燃えて泣いたらしい。

 あのタキオンさんが泣いた……? 

 

「さてシャイン君、ここに君を連れてきたのは他でもない想いの継承についての話の続きだ。それに想いの継承を人為的に発現させる薬もあるんだが……」

 

「やっぱりその話ですよね……」

 

 端のスペースから離れ、この部分は必要なのかどうか疑問に思うようなガラスの器具が並べられた机の前に座ったタキオンさんの言葉を受け、私は覚悟した。これから私はモルモットにされる。そう思った矢先、タキオンさんがこちらを向いて言った。

 

「そのことなんだが、さっき私のトレ……モルモット君に言われて、薬を飲んでもらうのは諦めることにしたよ」

 

 意外にもタキオンさんの口から出てきたのは実験を諦めるという事だった。確かに先ほどラボに連れて行かれる途中に携帯を使用していた気がする、多分その時にトレーナーさんに言われたのだろう。

 ちなみにこのモルモット、という発言なのだが、タキオンさんは様々な薬品を開発する中で、自らのトレーナーさんを実験モルモットにしているらしく、よく学園内で体が緑黄色や虹色に光ったタキオンのトレーナーさんが目撃されている。実験()()()()()、と言うところから、モルモット君と呼ばれているようだ。

 

 急に肩の荷が下りたように姿勢が崩れる。よかった、せめて薬品を飲まされるのだけは回避したいと思っていたからラッキーだった。

 

「それにしても、なんで急に諦めたんですか?」

 

 純粋な疑問、出会って数回あった程度だが、間違いなくタキオンさんは実験を自分で諦めるような人ではないと感じている。そんな人がトレーナーさんに言われたという理由だけで自ら実験を放棄するなど、それ以上の相当な理由が無ければありえないと思っていたからだ。

 

「ふぅン……理由、ねぇ。……そうだ、シャイン君、君の次走は皐月賞だね?」

 

 タキオンさんの顔から笑顔が消え、私にそう聞く。隠す理由もないためすぐに頷くと、タキオンさんは少しだけ笑顔を甦らせながら語り始める。

 

「私も皐月賞……いや、皐月賞だけにとどまらない、いやしかし、まぁ皐月賞が一際特別なんだが……G1レースの邪魔だけはしたくないんだ」

 

 今まで聞いたこともないタキオンさんの優しい声に困惑してしまう。

 

「これは私の話なんだが……私は皐月賞を走った後、競争者としての道を外れようとしていた時があったんだ」

 

 競争者としての道を外れる。そのままの意味だろうか、それならば競争ウマ娘をやめざるを得ない理由が出来そうになったのか。それとも道を外れるという言葉の別の意味からして、変なドーピングでもしてしまったのだろうか。

 

「今の私からも感じられるのだろう? あの頃の私も実験一筋、ウマ娘の速度の限界を追い求めていた」

 

「ウマ娘の速度の限界、ですか……?」

 

 確かにウマ娘はヒトに比べ、明らかに……というか、知っての通り大きく身体能力が違う。しかもその身体能力の限界は日々更新され続けている。タキオンさんはそんなウマ娘が実現できる速度、その本当の限界を追い求めていたらしい。

 

「皐月賞の後、私はウマ娘の実現できる速度の限界、その夢を友人に託し、私自身は自らの脚を使い潰して、ひたすら未来のウマ娘に貢献しようと考えていた。本来三冠路線を目指すのであれば当然走るであろう日本ダービーも諦め、NHKマイルカップに出走する。これが私が当時考えていたプランBというものだ」

 

 脚を使い潰す、それがどんな結末をもたらすか、ウマ娘である私には痛いほど分かる。

 速度の限界を追い求めていると言う事は、恐らく脚にも相当の負担がかかるような走りをしていたのだろう。下手をすれば競争ウマ娘の人生を全うすることなく走れない体になる可能性もある。

 

そうなればタキオンさんもウマ娘、走れなくなるという絶望は計り知れないはず。そしてそのようなリスクをタキオンさんも理解していたはずだ、それなのにプランBというものに打ち込もうとしていた当時のタキオンさんの熱意が手に取るようにわかり、手を思わずギュッと握りかためてしまう。

 

「しかし……モルモット君に止められてね、結局私は皐月賞からダービーを走ることにしたんだ。……私は三冠こそ取れなかった、それまで興味もなかった栄光を、あの時の私は必死に掴み取ろうとしていた。モルモット君と出会い、プランAを続けているうちにあることに気付いたのさ」

 

「そのあることっていったい……」

 

 それまで虹色の薬品が入った試験管を見つめていたタキオンさんは、私の方を一瞬見たかと思えば、その妖艶な瞳を光らせて呟いた。

 

「目標を叶えようと奮闘する感情の力は無尽蔵、ということさ」

 

「感情の、力……」

 

 タキオンさんは、トレーナーさんと三年間を走り、感情の力というものについて調べるようになったらしい。タキオンさんの実験好きな性格からして、データや数値のみに重きを置いて研究をする人だと思っていたが、感情の力、などという不確定な数値も研究対象に入れているのは意外だった。

 

「すまない、グダグダと関係の無い話をしてしまった。つまり私にとって皐月賞は分岐点となった重要なレースなんだ。そのため、あまり他人の皐月賞を邪魔しかねない行為はしたくないんだ。今回の場合、私の薬を飲んで健康被害が出てはシャイン君の皐月賞に響きかねないからねぇ」

 

 タキオンさんの過去の話を聞き、思わず感動してしまう。このようなすごい話を聞けるとは思わなかったので、涙が少しだけ溢れそうになる。気のせいか私の胸に少しだけ熱いものが滾った気がした。

 

「とまぁ、薬の事は置いといて、私なりに立てた想いの継承に関する仮説について説明しようか!!」

 

「えっ」

 

 タキオンさんの過去の話に感動した、なんて思っているのもつかの間。タキオンさんは妖艶な瞳から狂気すら感じるような目にすぐに切り替え、椅子から飛び上がってホワイトボードを取り出してきた。ペンを持っている右手はホワイトボードに叩きつける勢いで動かされ、左手はベロベロに余っている袖をブンブンとせわしなく振り回している。

 これはまずいかもしれない……。

 

「まず想いの継承がそもそもどのような風に引き起こるのかという事から考えてみたんだがね」

 

「ほ、本当に話す気ですか~!?」

 

 

 

「──だから、恐らくこれが想いの継承が発現するメカニズムではないかと私は睨んでいる、というわけだ。……シャイン君? 大丈夫かい? ずいぶんやつれた顔をしているが……」

 

「水を貰えれば……」

 

 私はあれからタキオンさんの仮説について2時間ほどノンストップで聞かされた。逃げようにも逃がしてもらえず、椅子に座らせられていた。途中ラボの端っこのスペースを使っている友人こと、マンハッタンカフェさんがやってきたが「もう止まらないので、頑張ってください」の一言で済まされ、コーヒーを一杯淹れたらそのまま帰ってしまった。絶対あの人も感覚麻痺してると思う。

 

「ふぅン、まだまだ話すことはたくさんあるんだが……君の様子からしてこれ以上は健康被害を及ぼすかな?」

 

「ええ……これ以上は勘弁してください……」

 

 私は水を飲みほしてタキオンさんにもう疲れた旨を話す。水に薬が入っているのかもとちょっと疑っていたが、どうやら何も入っていない正真正銘の水のようだった。

 

「それじゃあ、皐月賞は頑張りたまえ。自らの可能性を導き出す悦びは、クラシック級の特権だよ」

 

 私がラボを出ようとすると、タキオンさんにそのように言葉をかけられた。

 

「ありがとうございます。……タキオンさんも他人を応援したりするんですね、私はてっきり研究一筋かと」

 

 疲れていた私は、瞬発的にそのような言葉を出してしまった。タキオンさんに少し失礼だったかもしれないと思い、少しだけ恐怖を感じながらタキオンさんの様子をうかがう。

 

「……ふぅン、確かにそうだねぇ、他人を後押しするような言葉を発するなんて、実に実に私らしくない……。これは実に興味深いぞ、すぐに私が今感じていた感情を記録しなくては!」

 

 私の申し訳なさそうな態度もそっちのけで、自分の感情をメモするためにタキオンさんはホワイトボードを両手でひっくり返していた。

 

 私はタキオンさんに長時間話を聞かされた疲労を抱えながら、寮に戻った。

 

「あ”あ”……ただいま、マイベッド」

 

 今日の疲労……いや、先ほどの疲労を癒すために柔らかいベッドに力なく倒れ込む。私を受け止めたベッドは、ギシと音を立てることもなく静かに包み込んでくれた。

 

 そのまま顔を枕にぶちこむと、ふと違和感を覚えた。顔に何か四角くて、堅いともやわらかいともいえないような物体が当たったのだ。

 顔を上げてもそこには枕しかなく、何かと思い枕に再度顔を当ててみる。するとやはり顔に何かの物体が当たり違和感を覚える。ベッドから降りて枕カバーを外してみると、中には便箋が入っていた。丸く削ったひし形、とでもいうのだろうか。キラキラ、と携帯のキーボードに打ち込むと、最初に出てくる絵文字のような形をしたシールで封がされたものだった。

 

 開けてみると、そこには一枚の手紙が入っていた。学生生活初めてのラブレターかもと思ったが、今学園には女子生徒もといウマ娘しかいないためそれはあり得ない。いや、厳密にはあり得ないとは言い切れないが、あり得ないと思いたい。そう心配しながら手紙を見てみると、少なくともラブレターではない一文が書いてあった。

 

「……明日の昼休み、初めて会ったあの場所に来てください。シャイニング」

 

 シャイニング、恐らくシャイニングちゃんこと、シャイニングランの事だろう。シャイニングちゃんが私に用とは一体どのような用なのだろうか。これは私の勝手な推測だが、多分キグナスのメンバーには私への接触を控えさせるような指示が出ていると思っている。

 

 仮にそうであればの話ではあるが、シャイニングちゃんが私に近づくのはお互いに危険だろう。キグナスのメンバーと私が関わっている風な写真を激写されて、それを何に使われるか分かったものじゃない状況に置かれても困るし、シャイニングちゃんが私と接触したことによってキグナスを追い出される、またはノースブリーズやシーホースランスのように勝利を押し付けられるようなことになってもおかしくはないかもしれない。

 

 これだけ聞いてもあり得ないとは思うが、あのキグナスならやりかねない。と私は思う。

 

「行くかぁっ、明日シャイニングちゃんの所に」

 

 しかし、私にこうやって手紙を出してくれたシャイニングちゃんの勇気を踏みにじるわけにもいかない。私は明日訪れる極限の緊張状態に向けた覚悟をし、静かに眠りについた。

 



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第四十四話 ミイラになったミイラ取り

 

 シャイニングちゃんからの手紙を受け取った次の日、私は以外にも冷静だった。

 キグナスに変な脅しをされるのではないか、シャイニングちゃんまでノースやランスのような目に合わないか。それらの心配も当然私の中にあったが、深く考える気にはならなかった。

 

 というより、キグナスはウマ娘を消すために裏でバレないように脅しも使うらしいとドンナさんに聞かされていたので、普段の行動も気を付けなければならず、気がなかなか休まらない。今もどこかでキグナスのウマ娘に監視されているのかもしれないし、私の考えすぎかもしれない。だがいつかは最終手段として使ってくるかもしれないので、やっかいなものだ。

 

「おや、シャイン君。最近よく顔を合わせるねぇ」

 

 時間は昼休み、シャイニングちゃんとの休みキグナスが厄介だ厄介だ、などと頭で考え事をして教室棟を歩いていたら、前の方からアグネスタキオンさんがガチなフォームで走ってきた。

 

「どうしたんですか? そんなに息上げて」

 

「あ、いや、ちょっとまずいことになってねぇ……」

 

 まずいこととは一体なんだろうか、と私が困惑していると、奥の方から何かが走ってくるような音がした。いや、何かが走ってきていた。

 

「コラ──ッ! バクシンバクシィィィン!!」

 

 走ってきているのはサクラバクシンオーさんだった。上の学年で学級委員長を自称してる人……だったかな。それで、大体の事を「バクシン」で解決しようとするらしい。

 確か学園の選手名簿にはステイヤーと書いてあったはずだ。私よりスタミナはあるのだろう。

 

「いやぁ、教室一つを丸ごと爆破してしまってねぇ。乗りかかった船だ、一緒に逃げてくれないかい?」

 

 突然アグネスタキオンさんが非合理的な事を提案してくる。なぜ私まで一緒に逃げなくてはいけないのか、相手はステイヤーなのに逃げられるのだろうか、まず一緒に逃げたところで私にメリットがあるのだろうか。

 

「……私が一緒に逃げて何か良い事って……」

 

「ふぅン……     そんなものはないねぇ……」

 

「バクシィィィィィン!!」

 

「兎に角! 逃げるよシャイン君!」

 

「ええいもう私は何も考えない! うわ────ーっ!!」

 

 アグネスタキオンさんが有無を言わさずに走り出してしまったので、私もそれに釣られて走り出す。後ろからは絶えずバクシンを叫ぶ声が聞こえ、ものすごい豪脚の音が鳴り響いている。

 そしてタキオンさんと教室棟の昇降口を目指し走っていると、しばらくして後ろから聞こえるバクシンを叫ぶ声が聞こえなくなった。

 

 後ろを見ると、サクラバクシンオーさんは既にいなくなっていた。恐らくスピードからして同じくらいだったため、ステイヤーのサクラバクシンオーさんなら私たちに余裕で追いつける気がするのだが、一向に追ってこない。何かに引っかかってこけてしまったのだろうか。

 

 ……もしかしてステイヤーと言うのは嘘で、本当はスプリンターくらいの実力しかないのでは……実際出てるレース、短距離だし。

 

「そう言えば、シャイン君はどこに行こうとしていたんだい?」

 

 タキオンさんはサクラバクシンオーさんに追われていたのは無かったことのようにケロッと話を始めた。……まぁ、いいか。

 

「キグナスのメンバーの一人に呼ばれちゃって、寮の方に行こうとしてました」

 

「ふぅン、キグナスのメンバーにねぇ……」

 

 キグナスのメンバーと言う言葉にタキオンさんは眉をひそめていた。タキオンさんも昔から学園にいるため、キグナスがきな臭いチームだと言う事には気づいているのだろうか。

 

 タキオンさんはしばらくうんうんと唸った後、ポケットから何かの試験管を取り出して渡してきた。試験管の中には薄緑に光った謎の液体が入っており、昨日の言葉はなんだったのかと思いタキオンさんを怪しむ目で見てしまう。するとタキオンさんはすぐに私が怪しんでいることに気が付いたのか、すぐに弁解と説明を始めた。

 

「これはウマ娘の能力を底上げする薬さ。といっても、上がる能力は五感のみ。体調面に関しては安心してくれたまえ、私がトゥインクルシリーズを駆け抜けてからこの前ようやく安全が確立できた、この世にたった二本しかない薬だ。尤も、一本は安全確認の為にもう無いから、これが最後の一本だがね。念のため飲んでおくとい」

 

 私の本心としては安全が確立されているなど信じたくはない、だがタキオンさんの昨日の言葉から発せられる決意のようなものは明らかに本物だった。

 

 ……ままよ。

 

「よし、飲んでくれたね。キグナスというチームは何やら怪しいチームだからねぇ、保険はかけといて損はないよ。効果は大体5時間と言ったところだから、皐月賞までに効果が切れるかについても心配しなくていい。もし万が一副作用が起きたら私の所に来てくれたまえ」

 

 タキオンさんから試験管を受け取り、私は目の前で中身を一気飲みした。味は最悪と言っていい、ターフの芝と消しゴムと鷹の爪をまとめてミキサーにかけたような味がして、思わず吐き出しそうになるが、一気に飲み込んでしまう。

 

「おっ……おええ……」

 

「味に関しての文句は受け付けないよ」

 

 恐らく私の言いたいことを先読みしてタキオンさんが先手を打ってくる。

 

「わっ……本当だ、視界が広いし周りの音うるさいし。不思議な感じですね」

 

 薬を飲んでから顔を上げると、周りの色が鮮やかになっているし、遠くの会話の声までしっかり聞こえるし、所謂空気の味と言うのだろうか。それも感じられた。

 

「さて、これから寮の方に用事があるのだろう? 早く行ってみたらどうだい?」

 

「そうですね、そろそろ昼休みも終わりかねないですし」

 

「あぁそうだシャイン君、君はこれから皐月賞に向けて本格的な調整だろう? それならばしばらく喋る機会もないだろう、伝えたいことが一つある」

 

 寮の方に向かおうとすると、思い出したようにタキオンさんに止められてしまった。

 

「昨日、私がラボにて思わずシャイン君を応援した、という事について考えてみたんだ。するとどうやら、私はシャイン君に対して特別な友好関係を感じている、という結果が出た。つまり、私は君の事を心から応援している、ということさ。だから私はこうして言葉を伝えられるうちにすべてを伝えておこうと思ってね」

 

 静かにタキオンさんの言葉を聞いていると、タキオンさんは私の方をしっかりと向いて言葉をかけてきた。

 

「皐月賞、勝ってくれたまえ。皐月賞に勝って、私に再び、たまらなく面白いトゥインクルシリーズを見せてくれたまえ」

 

 返す言葉は決まっていた。

 

「はい!」

 

 タキオンさんに元気良く返事をすると、私は寮の方に向かって走り始めた。

 

 4月、もう入学シーズンになり、懐かしいジュニア期の頃に思いを馳せてしまうような時期。

 私が今向かっている場所はご存じのとおり、シャイニングちゃんと初めて会った場所、寮の広間だ。基本的に昼休みの時はみんなグラウンドなどがあるのエリアの方にいるので、こちらの寮のエリアはガラガラで誰も人がいなかった。私以外のただ一人を除いては。

 自分の配属された寮の前に到着し、私は一旦息を整える。寮の扉を開けると、広間の中心に誰かが静かに立っていた。尤も、私はそれがだれなのか分かっているが。

 

「来てくれたんだね」

 

「うん、……来たよ」

 

 広間に静かに立っていたのはシャイニングちゃん。私をここに呼んだ張本人だ。

 シャイニングちゃんは私を見ると一旦従ってくれと言わんばかりにゆっくり椅子に座る。それに釣られて私も椅子に座った、席を一つ開けて。

 

「……隣に座ってもいいんだよ? シャインお姉ちゃん」

 

「一応キグナスのメンバーだからね、注意はしたいんだ」

 

「……そっか」

 

 正直、最初に会った時は元気な様子で話しかけてくれて、とても好ましい子だった。だがキグナスのメンバーだと分かり、それにキグナスの本性を知っている以上、油断はできない。

 

「シャイニングちゃんはどうして私を呼んだの?」

 

 しばらく待っていてもシャイニングちゃんが話すような様子はなかったため、私の方から単刀直入に話しかけてみた。

 

 いきなり話しかけたつもりだが、意外にもシャイニングちゃんは覚悟したような顔立ちで私の方を見て言い放った。

 

「皐月賞、諦めてほしいんだ」

 

 案の定、シャイニングちゃんが私に話したいことは、私に対して次のレースを捨てろ、という話だった。キグナスにそう話すよう命令されたのではない、シャイニングちゃんが私に皐月賞を諦めてほしい理由は恐らく──

 

「シャインお姉ちゃんはキグナスの本性について知ってるんでしょ? ブルーマフラーさんが言ってたもん、私たちのトレーナーさんを見た時に動揺してたって。つまり知ってるんだよね? だからこそ諦めてほしいの、私はシャインお姉ちゃんをトレセン学園から追放したくないの。本当は指示が出た時以外シャインお姉ちゃんに接近しちゃダメなんだけど……絶対にこれだけは伝えたかった」

 

 やはりそうだ、この場で行われる会話はシャイニングちゃんの独断で行われたものであり、キグナスには知られてはならない会話。おまけでキグナスは私に対して指示以外の接近禁止令を出していることまで分かった。

 

「いくらシャイニングちゃんが説得して、私が皐月賞を諦めたとしてもキグナスはもう私の事を標的にしてる。もう手遅れなの」

 

「それは……」

 

 現在私に課せられている非情な状況を伝えると、シャイニングちゃんは言葉に詰まった様子で俯いてしまった。シャイニングちゃんは年齢的には私の一個したあたりだと思われるが、精神的にはまだ幼いように見える。少しむごい言い方をしてしまっただろうか。

 

 しかし悲しい事に、私からちょっと離れた位置に座っている彼女も敵なのだ。敵に甘くしていては自分の足をすくわれてしまいかねない。

 

「それとも、そのカメラと血糊で何かするつもりなの?」

 

「っ!?」

 

 私が持ち物について指摘すると、シャイニングちゃんは観念したようで、机の上に持っていたものをすべて出して両手を上げる。この広間に入った時から変なにおいが漂っており、シャイニングちゃんが何かを持っていることに気が付いていた。何かを持っていると察知した私は、シャイニングちゃんと冷静に話すふりをしながら、その持ち物の匂いを探っていたのだ。そのうちに血糊独特の匂いと、何年も使っているような手垢のような匂いと機械的な匂いから、私が指摘した二つの持ち物を持っていると判断した。

 

 すると案の定、持ち物の中身まで的中したというわけだ。

 

 恐らくは血糊を使って私が暴行したというスキャンダルのような写真を撮って、無理やりにでもレースを諦めさせるつもりだったのだろうが、それも無駄に終わった。

 しかし、いくらウマ娘の嗅覚が優れているとはいえ、匂いは微量なものだ。タキオンさんの薬が無ければ、私は五感のうちの一つである嗅覚が強化されていなかった。もしかしたら血糊の匂いに気付かなかったかもしれない。本当に助かった。

 

 なぜカメラから微かに手垢の匂いがするのか、そのカメラがキグナスが昔から使っているカメラだからだろう。それこそキグナスがこれまで行っていた『脅し』に使用していた写真データが入っているかもしれないが、私が冷徹で無慈悲だと勝手に考えているキグナスのトレーナーに限って、そのようなものをデータとして残すわけが無いのでカメラを奪うのは諦めた。

 

「これで分かったでしょ? 私はキグナスと真っ向勝負をするつもり、これがその覚悟から来る警戒心だよ。私は皐月賞を諦めるつもりが無いから、この話はもう終わり、ね。皐月賞で必ず戦おう」

 

 私は椅子から立ち上がり、寮の広間を出ようとする。すると後ろから怒号が飛んできた。

 

「じゃあなんだっていうの!? 私に……私に自分の走りで一人の人生を壊せって言うの!?」

 

「……」

 

 キグナスの裏を知った時点で、シャイニングちゃんはキグナスと言うチームから逃げだすことはできたかもしれない。だが知ってしまったからこそ、キグナスのトレーナーはシャイニングちゃんを逃がすわけが無かった。

 

「私は……今までシャインお姉ちゃん以外に一人のウマ娘を消させられたの! たった一人って思うかもしれないけど、その子が学園からいなくなる時の顔を見たの!? その子……泣いてたんだよ……!? たまたまキグナスのウマ娘とレーススケジュールが被って、たまたま将来有望なそのキグナスの子より実力が上だったってだけで、今後邪魔になるってトレーナーさんに判断されて、私がその子の出るレースに狙い撃ちで出走させられて、その子は心をズタズタにされて、消されたんだよ!?」

 

 寮の扉の方を向いている私から、シャイニングちゃんの顔は見えていない。だがその発せられる声は確実に震え、涙を流しているだろう。どのような経緯でキグナスの裏を知ってしまったのかはわからない、だがそのせいでシャイニングちゃんは確実に心を蝕まれている。

 

 万に一つもあり得ないが、ここで私が情に流され皐月賞を諦めてしまえば、シャイニングちゃんはこのまま堕ちていく。相手を脅し、レースを諦めさせるウマ娘。そうなってしまっては、キグナスのトレーナーとやっていることは変わらない。私がどうにかして止めなくてはならないんだ。

 

「……一つ聞きたいんだけどね、シャイニングちゃん」

 

 顔は動かさず、ずっと寮の入口の方を見ながら声だけを出して質問する。

 

「私が消されちゃうときって、どんな時?」

 

「……皐月賞に出走して、私に負けた時……あっ」

 

 喋りながらシャイニングちゃんも気が付いたのだろう。言葉の最後には息をハッと飲んでいた。

 

「それは、実力者の余裕ってやつ? シャイニングちゃん」

 

 変わらず入口を向きながら、シャイニングちゃんに対する語りをやめない。

 

「シャイニングちゃんは最初から、私が負ける前提で話してる。だけどね、私は負けないよ、絶対に勝つから。何回も言うようで悪いんだけどさ。私はキグナスに標的にされて、ブルーマフラーに勝ったあのレースから強い覚悟を持ってる。絶対にキグナスに完全勝利してやるってね」

 

「……出来るわけないよ、そんなの奇跡が起きないと無理だよ……」

 

 ガラガラになった声を出しながら、シャイニングちゃんは声をひねり出す。奇跡を起こさないと無理、確かにそうかもしれない。だが奇跡というのは起こすもの、私は必ず勝つ。

 

「無理じゃない、宣言してもいいよ。私は皐月賞を()()()で制して、キグナスそのものを倒す。無理だと思うなら、見ててよ。……奇跡は、起こすものだから」

 

 皐月賞に対する深い思い入れがあるウマ娘、タキオンさんの名前に入っている超光速(タキオン)を使い、シャイニングちゃんに強い決意を宣言する。

 

 シャイニングちゃんの言葉を待たずに、私は寮の扉を開けて出ていく。あまりにも緊張状態で話していたからか気付かなかったが、外では先ほどまで通り雨が降っていたようだ。しかし今は快晴で、空を見ると虹がかかっていた。

 

 皐月賞……やってやる。

 



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第四十五話 超光速 再び①

 

 シャイニングちゃんと話し合ったあの日から数日が経った日、私達は中山レース場に向かっていた。

 訪れるのはこれで何度目だろうか、いつの間にか慣れてしまい、いつも感じていた強大な緊張感はこれから始まるレースへの想い、速く走りたいと思う渇望へと変換されていた。

 

 もう流石に言わなくても分かるだろう、今日は皐月賞。クラシック三冠路線を目指すウマ娘が必ず最初に走るステップ競争の第一歩だ。ここでいきなり三冠の夢を絶たれる子もいれば、見事勝利してダービーへ三冠という栄光への駒を進める子も出てくる。

 まぁ、今年は後者が私なのだが。

 

 今日の皐月賞はクライトも出走するという事で、速水さんが一緒に車に乗せて行ってくれた。もちろん私のトレーナーさんも一緒に。普段レース場に向かう際、私とトレーナーさんは緊張してしまい車内での会話が無いに等しい。レース場が近づいてくると多少会話は発生するが、それでも他愛のないような会話で終わってしまう。

 しかし今日はクライトと速水さんが同じ空間にいる、もしかしたら楽しい会話でレース場へ向かえるかもしれない。

 

「……」

 

「あ~……あ、はは……いや~、今日は良バ場かな~……」

 

 と思っていた私が愚かだったかもしれない。クライトと速水さんはレース場が近づいて来ても一言もしゃべることなく、あっという間に目的地についてしまった。私のトレーナーさんはというと、今日は運転しない立場と言うのを利用して車の中で大きないびきを立てて寝ていた。いびきに対して速水さんに謝罪して、速水さんは「気にすんな」と言ってくれた。というより、それが車に乗ってから聞いた速水さんの最初で最後の言葉だった。

 

 車が駐車場に止まると、前の席に座っているクライトと速水さんが一斉にシートベルトを外し車を降りる。

 私もトレーナーさんをハリセンで叩き起こし、速水さんたちに続く。車外に出ると速水さんとクライトはこちらに向かって話しかけてきた。

 

「よぉスタ公、お前とG1で走るのはこれで2回目。新しくなった俺は必ずお前に食いついて見せる。覚悟しとけ」

 

「ホープフルでは後れを取ったが、シャインちゃん、俺たちもシャインちゃんに負けないくらいの気持ちで皐月賞に挑むことを忘れないでくれよ」

 

 車内では静かだったため、私の事など敵としてしか見ていないのだと思っていたが、そのようなライバル心が高められるような言葉をクライトと速水さんからかけられて、私はとんでもなくドキドキしていた。

 

「あたりまえですよ! だけど私は今日絶対に勝っちゃい──」

 

「それでだクライト、今日のバ場なんだが……」

 

 私にすごく気持ちが昂る言葉をかけてきたかと思ったら、今日のレースの展開について話し合いながら私たちなど最初からいなかったかのようにレース場の方へ向かって行ってしまった。正直私の返事を遮られてしまったのでちょっとへこんでしまったが、これからG1もあるからそれほど集中していると言う事でさほど気にしなかった。

 

「……ふぅーん、レース前のあの二人ってあんなに真剣なんだね。速水さんなんかいつもふざけてる様子だったけど、あんな一面もあるんだ」

 

「もう一眠りします~……」

 

 私が意外な一面を見せたクライトと速水さんに感心していると、突如横の方から間抜けな声が聞こえた。声の方向を見ると私のトレーナーさんが速水さんの車の後部座席で横になって二度寝しようとしている。流石にこのまま寝られると速水さんに申し訳がないので、私はすかさずハリセンを尻ポケットから取り出す。

 

「えっ、もう一眠りって……ちょ、起きてっ!! もう一発ハリセン行く!?」

 

「起きますっ!」

 

 ハリセンを構えるとトレーナーさんはすぐに起き上がり車から出てくる。それに気づいた速水さんが思い出したように、遠くの方から遠隔操作で車の鍵を閉めてくれた。速水さんが遠くまで行ってしまったら鍵はどうするつもりだったのだろうか。全く私のトレーナーは困ったものだ……。

 まだ寝ぼけているトレーナーさんをサンダルで叩いて目を覚まさせ、中山レース場の方へ向かう。最初の頃は軽く迷っていた中山レース場もこれだけ多く訪れるとサクサク進めるものだ。

 

 なんと到着したのが3レースが始まった頃と、時間に余裕を持って来れたので私とトレーナーさんはコースの方に出てレースを観戦していた。URAにおいて、どのウマ娘も自らが走るレースに全力を注ぐものだ。そのため現地で見るレースから発せられる迫力はやはりとてつもないものだった。トレーナーさんに言われるまで私の耳と尻尾が頭上で大暴れしていたことに気付かなかったくらいだ。

 

 しかし、この後のレースがあるのであまりフードコートのがっつりした美味しそうなご飯が食べられないのが残念で仕方がない。

 

 そんな風に中山レース場を楽しんでいると肩を叩かれた、後ろを振り返るとそこには見たことのある二人がいた。

 

「久しぶりね、シャインさん」

 

「……」

 

 私の後ろに立っていたのはノースブリーズとシーホースランスだった。実にホープフル以来の顔合わせに私は喜んだ。

 

「二人は皐月賞を出走回避したんだ」

 

「あなたに勝つための武器がなかなか見つけられなくて……出走することが経験になるのは百も承知なのだけれど、タイム的にも怪しいからダービーに向けて調整するために回避させてもらったわ、いくらなんでも意外かしら?」

 

「ううん、私はノースと走れてないから、いつかは走りたいなって」

 

 ウマ娘であれば、その闘争精神から何が何でも出走するものだと思っていたが……恐らくトレーナーさんと話し合って決めたのだろう。そのように話していると、ノースはいつの間にか苦虫を噛み潰したような顔になっていた。

 

「どうしたの? アルビレオの方で何かあったの?」

 

「いえ……そういうわけではないんだけど……う~ん」

 

 恐らく私に何かを言うために声をかけてきたのだろうという事は、ノースの態度でなんとなくわかっていた。事実ランスがこちらを怪しむような目でひたすら見つめてきていたから、その時点で少なくともなれ合いをしに来たのではないと思っていた。

 それからも私はレースを見ながらノースに何を言いに来たのか聞いたが、何度聞いてもノースは言葉を濁らせるだけで何も喋ろうとはしなかった。

 

「ノース、もういい。私が話す」

 

 しかしその『何か』をずっと話そうとしないノースの態度にしびれを切らしたのか、ランスが横槍を入れてきた。

 

「スターインシャイン、単刀直入に言うが、構わないな」

 

「え、別にいいけど……」

 

 あのノースがあんな顔になるのだから相当言いにくい事なのだろうと思っていたが、やはり私に軽々しく言うにはあまりにも難しい話らしい。私の事を未だ敵対視しているであろうシーホースランスですら、ワンクッション置かないと言わないのだから。

 私はランスが何を言い出すのかと思い、レースそっちのけで言葉が出てくるのを待った。ランスの方も心の準備があるようで、目を閉じてワンテンポ静まってから口を開いた。

 

「今日行われる皐月賞、もしお前が1着になれば、私達の小さい時からの夢を託させてほしい」

 

「……ん? ゆ、夢?」

 

 夢、とは一体……いや、言葉の意味は分かる。しかしなぜ皐月賞に勝ったらなんだ……? 

 しかもなんかノースが恥ずかしそうに周りをきょろきょろしてるし、なんか思っていたような暗い話と全く違って戸惑ってしまう。

 

「言葉のままの意味だ。お前が皐月賞に勝てば、他の者を寄せ付けない強さを持つ最強の逃げ先行バになる、という私たちの夢をお前に託す。それだけを言いに来た」

 

 私がランスの言葉に戸惑っていると、ランスはそのままの勢いで一気にまくし立ててきてそのままレース場の屋内に戻って行ってしまった。その場には私とトレーナーさん、ノースだけが残されてしまった。

 

「え、いや、ちょ……」

 

「ごめんなさいね、ここだけの話あの子ちょっと厨二病? が入ってる様子があって……こうでもしないとシャインさんに負けた気が済まないみたい。でも大目に見てあげて、あれでも私の前ではちゃんとした子なのよ? ガム、食べるかしら?」

 

「いらないけど……」

 

「あらそう」

 

 残されたノースは頭を掻きながら私にそう語り、お茶濁しにチューインガムを勧められたが断っておいた。

 なぜ皐月賞に勝ったら夢を託すという事になったのか詳しく話を聞いてみると、どうやらランスが私に負けたから、私はノースやランスの二人より強いと判断されてしまい、それなら私たちの分まで走ってもらいたいという結論に、ノースは嫌々ながら至ったらしい。そして夢を託す条件が、クラシック期のステップ競争、その最初のレースに勝利する事だった。

 私の場合、クラシック三冠路線を選んだから皐月賞のこと、つまり今日のレースの事だ。

 

 そしてその託したい夢と言うのは、先ほど言っていた最強の逃げ先行バになるというのもそうらしいが、ノースとランスが二人で抱えていた夢は違うものらしく、ノースにその夢が何なのかを聞いてみた。

 

 すると彼女は『誰よりもすごい記録を残す』という夢を語った。

 

 二人の夢は、入学以前から立てていた私の目標と完璧に重なっており、二人も私と同じような夢を見るウマ娘だったのだと感動し、思わず笑みをこぼしてしまう、その様子を見てかはわからないがノースも微笑んでこちらを見ている。どうやら私が似たり寄ったりの夢に感動しているのを察したらしい。

 

「そういうこと、だから別にあなたが何かを抱える必要はないわ。私たちの夢……託されてくれるかしら」

 

「あたりまえ、でしょ。任せてよ」

 

「ダービーからはしっかり仕上げて私も戦線に戻るわ、待ってなさい。……それじゃ!」

 

 ノースは最後に私への二度目の宣戦布告を言い渡し、指をこちらに力強く向けた。指をさした時はお互いに熱くぶつかりあえるライバルのような、格好の良い睨み顔だったが、最終的には微笑んだ顔に戻り、先ほどノースを置いてレース場の中に戻ってしまったランスを追いかけるようにノースも歩いて行った。

 

「あの子もずいぶん、お前が話してた第一印象から変わったよな」

 

 ノースがレース場内に入って行ったのを見計らって、横でずっと話を聞いていたトレーナーさんが突然言葉を発した。第一印象は最悪だったあの二人も、レースで走った後にはすっかり印象も変わり仲良くなってしまった。……まぁ私はまだノースと走ってない訳だが。

 

「うん、ほんと。人って見た目や第一印象に寄らないよね」

 

「正直、第一印象は大事だと思うがな」

 

「それだとトレーナーさんの第一印象最悪だけど大丈夫?」

 

 トレーナーさんのからかいに私が華麗に返すと、トレーナーさんは困ったように眉毛を上げ、降参したように両手を上げている。

 

「それじゃあ、私達も控室、行こっか」

 

 トレーナーさんにそう提案すると、快い声で承諾してくれた。

 

 

 

 控室に付いた私は、まだ6レース目ではあるが勝負服を着始める。瑠璃色の上着だけは控室のハンガーにかけ、黒いシャツを着て手袋をちゃぶ台に置いて地面に伸びる。

 これから皐月賞、やはりG1を走るというのはあまりにも緊張する事のようで、私の手はいつの間にがぶるぶると震えていた。ホープフルレコードと言う勝利を掴んだこの体で、皐月賞も制することができるだろうか。極限まで緊張している私の体は、ポジティブに思考を動かすことが出来ずそのような事ばかり考えてしまっていた。

 

「どうした? そんな不安そうな顔して」

 

 私の緊張が顔に出てしまっていたようで、トレーナーさんがそう声をかけてくる。

 

「別になんでもないよトレーナーさん! ただちょっとボーっとしてただけ!」

 

 別に気分が落ち込んでいるわけでもないので、私が何も悩んでいないことを証明するために明るく振る舞いながら言葉を返す。しかし私の心境をトレーナーさんはわかっているのか、心配そうな顔は変えずにこちらの様子をうかがっている。

 

「……もうっ、心配しなくても私は勝つよ! トレーナーさんは私のこと応援してて!」

 

 いつまでもそのような顔をされると私も不安になってきてしまうので、いっちょ一言だけ士気を高める言葉をトレーナーさんにかけてみた。

 

「あ、あぁ! そうだな、すまんシャイン。やっぱりG1ってなるとどうしても緊張しちゃってな……」

 

 てっきりトレーナーさんは私の緊張を見抜いているのかと思っていたが、どうやらトレーナーさんも私と同じで、G1レースと言う場に緊張しているようで逆に安心した。

 

「……パドックの時間来るまでこれやろっか! トレーナーさん!」

 

「二人でモノポリーっておいおい……」

 

 この重苦しい空気を何とかするために、私達はなんとなく持ってきていたモノポリーをちゃぶ台の上に展開して、しばらくトレーナーさんと遊ぶことにした。

 

 

 

 控室、のちに始まる皐月賞への緊張からか、私はいつもの調子を取り戻せずにいた。

 

「シャインお姉ちゃんにああ言われてからだ……」

 

『負ける前提で話してる』『私は負けないよ』

 

 あの日、シャインお姉ちゃんと一対一で話したあの時に言われたあの言葉。あの言葉を受けてから私は、人生で初めて『負けるかもしれない恐怖』というものに苛まれていた。授業には集中できず、トレーニングもやってて意味を見いだせない。

 

 生まれてからずっと周りよりひときわ脚が早かった私は競争で負ける事が無かった。そのため今回も勝てるのだろうと思っていた。しかしシャインお姉ちゃんのように正面から勝利宣言をしてくるようなウマ娘には偶然なのか出会っていなかった。そのため、敗北の可能性を目の前にチラつかされるという初めての体験に私は恐怖を隠せずにいたのだ。

 

 私はジュニア期の時に消させられた子を見てから、人の目や後ろ姿を見るだけで大体の感情が分かるようになった。あの言葉を放った直後のシャインお姉ちゃんの後ろ姿、あれは紛れもなく奇跡を起こせると思っている姿だった。だからこそ私は怖かった。

 

 学園最強と呼ばれているキグナスのメンバー全員に、どうやって勝つというのだろうか。私ですら最近脱退したノースブリーズさんやシーホースランスさんのどちらか一人に勝てるかというところなのに、シャインお姉ちゃんはシーホースランスを軽くねじ伏せたうえであの自信を持っていたのだ。

 

 もしかしたら、本当に全員に、私にすらも勝つかもしれない。

 

「そんなわけない……私は勝てる……勝てるだけの脚を私は持ってる……」

 

 でも……私はシャインお姉ちゃんに勝ちたいの? 負けたいの? どうしたいんだろう?

 

 色がついていないルービックキューブのように、その疑問の答えが出ることはない。

 

「シャイニング、まさかワタシにトレーニングさせてもらって負けるだなんて思ってないでしょうね?」

 

 ドアを開けた音の直後、私の顔色を見てすぐにトレーナーさんが話しかけてくる。

 

 そうだ、私は勝たなくちゃならないんだ。キグナスの信頼のため、勝たないといけないんだ。

 

 そうだ、私が勝っても悪くはない、私が止めたのにそれでも出走したシャインお姉ちゃんが悪い。

 

 そうだ、勝てば……。

 

「そんなわけないでしょ、トレーナーさん! クラシック三冠は私のものだよ!」

 



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第四十六話 超光速 再び②

全キャラ紹介回は制作中なのでお待ちください。


 

「だぁっはっはっはっはっは! ト……トレーナーさん、ゾロ目たくさん出したから刑務所に入ってるぅっあっはっはっはっはっ! ざまーみろー!」

 

「なんでだよ! ゾロ目三回とかなんで出ちゃうんだよ!」

 

 皐月賞の緊張をほぐす為、中山レース場の控室で行っていたモノポリー。結果は私の勝利で確定していたところ、トレーナーさんがゾロ目を三回出したら刑務所に直行する、というモノポリーのルールに苦しめられているという状況だった。

 さて、トレーナーさんがモノポリー内で警察に捕まったし、さっさとサイコロを振ってしまおうとしたその時だった。突然私たちの控室の扉がノックされ、ドアが少しだけ開き中山レース場の係員の人が顔を出した。

 

「スターインシャインさん、そろそろパドックの時間ですのでお願いしま~す」

 

「おっと、分かりました。さてシャイン、モノポリーなんて片付けよう」

 

「え、やだちょっと、私勝ってたじゃん! いやああああ!」

 

 そろそろパドックの時間が迫っているのをいいことに、トレーナーさんは私が有利だったモノポリーをさっさと片付けてしまい、私のカバンの中に手際よくしまわれた。係員の人がパドックと言う単語を発した瞬間に片づけ始めようとしていたため、係員の言葉を利用して私に負けることを意図して回避したのは間違いないだろう。納得がいかない……。

 

「さーさー、パドックに行こうそうしよう」

 

「トレーナーさん、皐月賞終わったら覚えておいてね」

 

 今すぐにでもトレーナーさんを捕まえてハリセンでしばき倒したかったが、今はとりあえずパドックがあるからそちらを優先することにした。壁にかけてあったコートを着て、手袋を付ける。私の勝負服の完璧な姿になったところで、パドックへ向かった。

 

 パドックでもいつもと何も変わらない演出をできた。パドックを見るための傍観席にあの金泉というトレーナーがいたため半分キレたような状態でパドックをやっていたが、勝ってあの余裕の笑みを濁らせるのを決意した。

 

 というより私が気になったのは、シャイニングちゃんのパドックだ。この前話し合った時、シャイニングちゃんは私が出走する皐月賞に凄い嫌悪感を感じているのは確かだった。それなのに今パドックを行っているシャイニングちゃんの顔は爽快そのもの、曇り湿り気一つない笑顔だった。

 

 いくらウマ娘でも出るのが嫌なレースというのは極まれにあると思う、そうなった時、必ず何かしらの感情が顔に出るはずなのだ。それなのにあれほどの笑顔をできるというのはどういう事なのだろうか。

 

 シャイニングというその名前にふさわしい、キラキラの路上ダンサーのような勝負服を着たシャイニングちゃんがそれほどのポーカーフェイスなのか、それとも……。

 なんにしろこのレース、シャイニングちゃんが全力でぶつかってくるのは間違いない、それも自らの限界を超える勢いでぶつかってくるはずだ。それならば私も全身全霊をかけて応えなければならない。

 

 一通りのウマ娘がパドックを終え、そのまま本バ場入場の時間になり、私はバ場入場をする。

 

 やはりこのバ場へ出た瞬間が一番気持ち良い。普通は入れないような場所にいるからこそ、すごく新鮮な感覚に陥るし、何より私はこの時の芝の匂いがたまらなく好きだ。

 

「よ、スタ公、どうせだし一緒に返しウマしようぜ」

 

「クライト……うん、いいよ!」

 

 私より先に入場していたクライトに併走、兼返しウマを頼まれ、私は快く承諾した。

 

 走ってみて私は驚愕した、クライトの走り方が前と段違いに良くなっているのだ。レースでバテないよう、ほぼジョギングみたいな走り方で返しウマをしているのだが、それでもクライトに置いてかれそうなくらいクライトの通常速度が上がっている。

 

 シャイニングちゃんにも警戒しないといけないが、クライトもそろそろやばいかもしれない……。

 

「なぁスタ公、俺たち、ライバル関係になれてるんだよな……」

 

 そんなジョギングのような返しウマをしている最中、クライトがボソッと私に聞いてきた。ライバル関係になれているか、心配するような聞き方をしていてクライトらしくないと感じてしまうが、それも当然なのだろう。

 

 クライトが地方で少しだけ走っていた頃は、戦績が振るわなかった関係上誰からも相手にされずライバルがいなかった。という話を速水さんから少しだけ聞いたことがある。だからこそ、クライトは初めてのライバルと言う関係に戸惑っているのだろう。それならば安心させるような言葉がこの場面で一番だと思う。というより、紛れもなく私たちは友達であり、ライバルだ。

 

「……うん! あたりまえじゃん!」

 

「そうか……併走、ありがとな、もう十分だ」

 

 私が回答をすると、すぐにクライトは一人で返しウマをするために走り抜けてしまったが、私があたりまえだと言った時のクライトの顔は、見た事が無いくらい穏やかな笑顔をしていた。

 

 クライトから見たことのない笑顔を見た私は何となく気分がよくなり、そしてだんだんとテンションが上がっていったため、バ場を疲れない程度に走り抜けて一人、返しウマをしている最中だった。

 

「シャインさん、相変わらず落ち着いてるわね……私もキグナスにいる頃に見習いたかったわ」

 

「ふん」

 

「ふぅン、ついつい来てしまったよアッハッハッハ!」

 

「なんかいつの間にか人増えてるんだけど……これもシャインの人望なの……か? まぁとにかく、やっちまえ~! シャイン~!」

 

 なんか……観客席の方を見ると、知り合いの顔がめちゃくちゃあるんだけど。

 ノースにランスにタキオンさんに、トレーナーさん……。みんなが観客席で私の方を見ていた。

 ぞろぞろと大人数で見られるのはイマイチ恥ずかしい感覚がしたが、悪い気はしなかった。むしろみんなが私の勝利を願ってくれているため、勝たなくてはならないという使命感がいい感じに気持ちに働く。

 

「スターインシャイン……あなたがどれほどのものなのか、見させてもらいますよ」

 

「……G1をわざわざ見に来るなんて珍しいですね、金泉トレーナー」

 

「それはあなたも同じなのでは? まさかワタシに依頼しているウマ娘のレースを見に来るとは思いませんでしたよ。ワタシって信用ありません?」

 

「いや、地方のトレーナーから突然中央のトレーナーに就職し、レベルの変化に対応して昇華できたあなたの実力は信じていますよ。だからこそシャイニングと()()()()()を任せたんです」

 

「……ふん」

 

 上の方を見ると、なんか太陽光を反射してキラキラしている服の人が見える。あれはもしかしなくても金泉とかいうにくったらしいトレーナーではないだろうか。誰かと話しているように見えるが、そちらは遠くて特徴もないため判定ができない。

 

「そんなに上の方を見て、何か気になる物があるの?」

 

「……シャイニングちゃん」

 

 後ろから声をかけられ、私は振り返る。驚いたのはシャイニングちゃんの声が()()()()()ことだった。私を見る目も、笑顔こそ保っているが目に光や生気がこもっていない。まるで私を本当に消そうとしているような。

 

 ……いや、シャイニングちゃんは本当に私を消そうとしているだろう。シャイニングちゃんからは、シーホースランスから感じたような憎しみの気配がしている。間違いなくその憎しみの矛先は私だろう。

 

 自らがやりたくない事、キグナスとして他のウマ娘を消す行為を、私は身勝手にもシャイニングちゃんに押し付けた。しかしあの時の私にはそれしか選択肢はなかった。あのまま放っておけばシャイニングちゃんは、きっと落ちるところまで落ちていた。

 

「どうしたの? 突然声をかけてきて」

 

「ううん、なんでもないよ。ただ、呑気だなぁって思っちゃって。バ鹿みたい」

 

 突然私に飛んできた言葉の投げナイフに、軽く驚いてしまう。私に対して、いや、そのほかの人物にもまるで愛犬のように人懐っこい性格だったシャイニングちゃんが、今私に対して牙を剥いた。それだけで私はこの子を変えてしまったという罪悪感を感じてしまう。

 

「シャインお姉ちゃんが悪いの、私の警告を無視したシャインお姉ちゃんが悪いの。だから負けても文句はないよね?」

 

 すでに軽く驚いていた言葉の投げナイフを、シャイニングちゃんは連投してくる。それもかなり無理やりな理由で私を憎んでいることも、シャイニングちゃんの口から出た以上確かに私を消そうとしていることも分かった。

 

「突然だね。……なら私ももう一度言うよ、シャイニングちゃんがそうやって勝つつもりでいる以上、何度だって言ってあげる。 ……私は、勝つよ」

 

 指を突き付け、声を低く宣言する。しかしシャイニングちゃんは後ずさりする様子もなく、むしろ私にこういわれることは想定内といったような顔をしていた。

 

「ううん、シャインお姉ちゃんは今日私に負けるよ。私の超高速の脚にね」

 

 超高速の脚……タキオンさんが世間から呼ばれていた超光速とはまた違うのだろうか

 シャイニングちゃんと一対一で話し合ったあの日と違い、今度は私が負けると断言され、それほど今日のシャイニングちゃんはやばいのだと考える。

 

 私とシャイニングちゃんが話をしていると、ファンファーレの音色が中山レース場に響き始めた。ファンファーレが流れている間、私とシャイニングちゃんはずっと見つめ合っていた。まるでこのレースで走るお互いの姿を確認するように。

 

「……そろそろゲートインの時間らしいね。入ろうか」

 

「超高速に追いつけるかなぁ?」

 

 二人で同時にゲートに向かい、すぐにゲートインする。それに釣られ他のウマ娘達も順調にゲートインしていく。

 一度このレースの枠番を振り返っておこう。今日、この皐月賞で走る私のウマ番は4枠7番。シャイニングちゃんのウマ番は7枠14番だ。

 

 そしてコースは知っての通り、中山レース場の芝2000m。ホープフルステークスとコース形状が同じなため、何も変わらないと思うかもしれないが。実際は変わっている。少なくとも私が知っている知識で一つ言えることがある。

 

 それは皐月賞がホープフルに比べてハイペースになりがちと言う事だ。皐月賞と言うのはホープフルと違いフルゲートになることが多い。対してホープフルはフルゲートになることが少なく、出走するウマ娘の数が少なることが多いといった具合。ウマ娘の数が少ないとどういう事になるのかと言うと、ペースが緩くなるのだ。ホープフルの過去の成績を見ても、かなりのスローペースなタイムになっているため、ペースが遅くなっているのが分かるだろう。

 

 しかし皐月賞は違う。フルゲートになり、競い合うウマ娘が多いからこそ位置取り争いが起きやすく、逃げウマ娘もいればそれだけペースも上がるのだ。

 

 前回のホープフルはランスがハイペースにしてくれたため、このコースでの走りは基本的に慣れていると言えるだろう。しかもペースが速くなるのを事前に知れるため、多少ついていくために事前準備ができるのがメリットだ。

 

『夢の舞台、皐月賞。今日ここでどんなヒーローが生まれるのか、はたまたヒーローは既に存在しているのか』

 

『ホープフルステークスをレコードで勝利したスターインシャインにも期待ですね』

 

 実況もそろそろ出走が始まるような喋り方になってきた。頭の整理を終了し、走り出す体制を整える。

 

『各バ、ゲートイン完了しました。中山レース場、皐月賞今……スタートしました!』

 

 ゲートが開き、すべてのウマ娘が走り出した衝撃で地面が揺れる。

 私はというと、少し出遅れてしまった。せっかくのG1レースなのに出遅れてしまうなんてかなりとんでもないことをやらかしてしまった。などと少しだけ焦りながら冷静にバ群を見つめる。

 

 前方一番先頭からシャイニングちゃん、私の少し前位にクライトがいる。走り方を見るにシャイニングちゃんは逃げウマ娘のようだ。

 

「……また逃げかぁ」

 

 なぜだろうか、ここ最近逃げウマ娘とばかり競い合っているような気がする。別に構わないのだが、逃げウマ娘と競っていると仕掛けるタイミングが遅くて逃げ切られるんじゃないかという心配がどうしてもこみ上げてきてしまい心臓に悪いのだ。こればっかりは慣れるしかないか……。

 

 先ほども整理していたように、皐月賞はホープフルとコース形状が変わらない、そのためスタートしてすぐに中山レース場の例の坂がやってくる。

 ホープフルの時は坂の超前傾を使おうとしていたが、スタミナを温存するために今回は使用しないで行こうと思う。

 

『各バ落ち着いて坂を登っています、先頭からシャイニングランそれに続いて──』

 

 他のウマ娘達も同じことを考えているようで、スタートしてから坂に入っても誰ひとり無茶をするウマ娘はいなかった。やはり皐月賞、みな冷静だ。

 

 しかしそんな中、一人だけその均衡を破るウマ娘がいた。

 

「それじゃ! 超高速見せちゃうね!」

 

『おっとスタートして数秒、14番シャイニングランが逃げる逃げるどんどん逃げる! 後ろのウマ娘達をもう5バ身ほど離しています!』

 

 キグナスの逃げウマ娘という時点で嫌な予感はしていたが、やはり、そうだった。シャイニングちゃんもランスと同じ、バ群を引きずり回す逃げ方をするウマ娘だった。

 

 しかし流石皐月賞と言ったところだろうか。前回ホープフルステークスではランスの逃げに対応できていないウマ娘がほとんどだったが、今回の皐月賞ではシャイニングちゃんの逃げに食らいつくウマ娘が多いようだ。適度について行っている私の後ろに誰も沈んでこないという状態だった。

 

『後ろのウマ娘達も必死に食らいつくが、3……4……5バ身以上をキープしたままだ!』

 

 なるほど……超高速とはそういう意味か……。

 

「スターインシャイン、ワタシの鍛えたウマ娘に勝てますかねぇ?」

 

 シャイニングちゃん、先頭のその場所で待っていて。

 



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第四十七話 超光速 再び③

 

 レースが始まり、すべてのウマ娘が坂を乗り越えてコーナーを回っている頃。シャインはこの地中山レース場で以前行った逃げの走りをするなどと言った無茶をせず、安定して最後方を走れていた。

 しかし異様なのはそのバ群だ。普通バ群というものは1つの塊が作られまとまる形や、縦長に変化し、後方集団と先行集団で二つの塊が生まれる形が殆どだ。だが今この皐月賞で形作られているバ群は、()()()()()()()に分かれていた。

 

 後方からシャイン、名も知らぬウマ娘が7人ほど差しの位置で走っており、その少し前をマックライトニングがスタート時から変わらない速度で走っている。そして先行集団が8人、ばらけながら縦長に走っている。ここまでで17人、最後の1人はいったいどこで走っているのか。

 

『坂を登ってからすごい速度で走っているシャイニングラン、もうすでに2番手と15バ身16バ身と間を離していきます』

 

「(やっぱりなんか私が相手する逃げウマ娘のレベルが上がって行ってるよなぁ……)」

 

 シャイニングランは、2番手を離して遥か30mほど先を走っていた。スピードのギアを上げて飛ばし始めた最初の頃は、皆釣られまいと冷静に落ち着くことを心掛けていた。しかしいざ15バ身も離され、焦り始めたウマ娘が出てくる。

 

 クライトの真横を走っていたウマ娘がまず掛かり、芝に躓いた。一度上げようとしたペースを躓くことで落とされるのは大きなスタミナの消費を伴う、このウマ娘はもう上がることができない。

 次にシャインの前を走っていた後方集団の2人ほどが掛かり、無駄にペースを上げている。これほどまでにペースを上げてしまえば最終直線で発揮するはずの末脚が輝かず、最終的に沈むことになってしまうだろう。

 

『どうやら掛かっているウマ娘が多くいるようです』

 

「(どいつもこいつも冷静じゃねぇな。……スタ公、沈むんじゃねぇぞ)」

 

 これはすべて、シャイニングランの思惑通りだった。いや、思惑通りではない、これがいつものシャイニングランだった。これがこれまでシャイニングランが勝ち続けることができた一種の作戦であり、武器だ。

 後先考えていない逃げウマ娘、ツインターボの如し走り方。将来輝かしい実績を残すほどのウマ娘がその才能を開花させていれば、このような場面に立ち会っても適度にペースを上げていけるだろう。だが、G1という頂に届くことができない、G1レースの場で大幅に離される緊張感に耐えきることができないウマ娘はこの時点でシャイニングランの武器に落ちる。

 

 そして今日、シャイニングランの武器に落ちるウマ娘はシャイン、クライト以外のほぼすべてのウマ娘だった。次第に次第に、1人1人確実に脚が死んでいく。そしてシャイニングランも着実に2番手との差を広げていった。

 

『さぁもう7……8……9……20バ身ほど開いていますシャイニングラン。これはこのまま逃げ切りの体制か?』

 

『少し前のセイウンスカイが走った京都大賞典を思い出しますね~』

 

 明らかだった。このままではシャイニングランが逃げ切るというのは、素人目の人が見ても明らかだった。

 

「げっ、やばいってやばいって! 前が詰まってきた……!」

 

 シャイニングランの逃げに誘われ、ペースを上げた後方集団。未だにペースを保っているウマ娘もいるが、その一部がスタミナを使い切りシャインの前に押し寄せてきた。前が詰まってきて、横に避けようかそのまま突っ切ろうか、思考が乱れシャインの態勢が少し崩れてしまう。

 

「(おっと危ない危ない、冷静に冷静に……態勢を正して)」

 

 最初こそ態勢が崩れてきていたシャインだが、何とか持ちこたえる。更にバ群を受ける態勢が出来上がったことで無駄な消費が無くバ群に好位置で入り込むことができた。これによりスタミナの消費がより少なくなる。

 

 時を同じくして中団、クライトも速水から提案された新しい武器を使用していた。

 

「なるほどな、トレ公。確かにこの走り方ならバ群に囲まれにくい。シャイニングランとかいう奴が大逃げの作戦を打って、先行集団が垂れ、俺がそのバ群を抜ける。あんたが言った通りの展開だ……。さしづめライトニングステップ、なんつってなぁ!」

 

 ピッチを上げ、前方三方向に跳ねながらバ群を抜けて加速していく。その加速は決してシャイニングランに誘われたものではなく、レース中盤になった時のクライトの平均ペースだった。

 

「一発目は打った……二発目はまだ調整がいる……」

 

「(あ……? 誰だ今の声? まぁいいか)」

 

 そこからレースは滞りなく進み始めた。シャイニングランがひたすら差を開き続け、シャイン達はスタミナを切らさない様についていく。シャイン達にとってはシャイニングランが逃げ切ってしまうかもしれない展開の為、あまり喜べない展開ではあったが、逆を返せば末脚を溜めるチャンスでもあった。

 

 600mを通過して、第四コーナー手前あたりに近づいてきた。

 未だシャインは最後方に位置し、クライトは差しの位置で前を見据えている。シャイニングランはというと、最初に飛ばしたために流石にスタミナが切れたのか、だんだんと沈み始めていた。2番手との差は既に10バ身ほどまで戻っていた。

 

「よっしゃ、やっぱり逃げすぎてスタミナが切れたか。俺が追い越してやるぜ!」

 

 スタミナが切れて沈み始めたシャイニングランを見て、クライトが最初にスパートをかけ始めた。スパートをかけ始めた時はさほどスピードは出ていなかったが、着実に位置を上げていく。

 それを見てシャインもスパートをかけようか迷っていたが、橋田にスカウトされた時から決めていた、第四コーナーを超えたあたりから仕掛けるスタイルを崩さぬために仕掛けるのをこらえた。

 

「……そういえば、スロウムーンを任せた原田と言うトレーナーですが……ワタシと同じように地方から中央のトレーナーになったんですよね?」

 

「ええ、何か質問でも?」

 

「その原田と言うトレーナー、まだ地方から中央に転職して1年も経ってないじゃないですか。それほどまでに信頼できる理由でもあるんですか?」

 

「あの男はもう普通のトレーナーではない。私も出来る限り関わりたくなかったですが、ムーンの仕上げのためには仕方がなかった」

 

「ふん……ワタシに任せた方が良いと思いますがね」

 

 クライトがスパートをかけ始めて、疲れ切っていた他のウマ娘も前の方で沈みかけているシャイニングランに気付く。すでに道中掛かりスパートをかけるまでもないくらい疲れ切っているウマ娘達だったが、緊迫したレース中に掛かった自分の状態を分析できるわけもなく、沈み始めたシャイニングランを追い越すべく更にペースを上げスパートをかける。

 後ろから上がってきたバ群にじわじわと飲まれているクライトだったが、ギリギリのところでスピードで勝り前目の位置を保っている。

 

「うおおおおお!! 後ろからめっちゃ来るじゃねぇか! スタ公来れんのか!?」

 

「(正直私もこのバ群抜けれるか心配だなぁ)」

 

 第四コーナーを回り、2番手に位置するクライトが8バ身ほど先にいるシャイニングランを追いかけ続ける。

 

「よっしゃぁ! このまま抜いてやるぜオレンジ髪!」

 

 ある程度の所まで近づき、あともうちょっとでシャイニングランを追い越せるという位置に来た時、クライトが最後の最後にシャイニングランを抜こうとした。しかしその時、最後のスパートをかける時に、クライトはふと観客席にいた一人の男に目が行った。

 

「……お前……!?」

 

 次の瞬間、シャイニングランを躱そうとしていたクライトは突然スピードが落ち、まともに呼吸が出来なくなった胸を押さえながら沈んでいく。

 

「クライト!? クライト!!」

 

 だんだんと沈んできたクライトはいずれ最後方にいたシャインの横に来る。明らかに普通じゃない沈み方をして、走りのフォームがガタガタなクライトにシャインは心配する声をかけるが、普通に走っているウマ娘とスピードが死んでいるウマ娘では速度が違いすぎるためにすぐにすれ違ってしまう。それでも心配の気持ちを捨てきれないシャインは走りながら後ろを向いてしまう。

 

「(絶対動揺するなよ……スタ公コラ……てめー勝つんだろが!)」

 

「っ……ごめん、クライト……」

 

 そのまま入学当時からの友人を心配しているがためにクライトの方をずっと見ていたシャインだったが、自分が沈んだせいでスタ公の走りまで邪魔するまいというクライトの眼圧を察し、シャインは前を見て走ることを決断する。

 

 第四コーナーを抜け最終コーナーに入ったあたりで皐月賞は残り400mとなった。クライトは完全に最後方に沈み、シャインは先行集団やや前目の位置まで上がってきている。そして道中20バ身ほど離していたシャイニングランは2番手の2バ身先まで落ちている。

 

『さぁ外からグリーンノオチャ、ハヤシポケットも上がってきている! 最初には驚くほど縦長になっていたバ群がひとまとまりになって先行集団が一気にスパートをかけ始めた!』

 

「さぁ……最初の頃に十分スタミナを使ったでしょ……もうシャインお姉ちゃんにスパートをかける体力は残ってないでしょ……」

 

「(たしかにその通りだ……道中スパートの速度に届かないまでも劣らないスピードで走っていたから、100%の末脚は発揮できない……)」

 

 レース中であり、さらに約8mも離れているのにもかかわらずシャインとシャイニングランはお互いの声を鮮明に聞きあっていた。

 

「(がっ……)」

 

 しかしそんな時だった。

 突然シャインに頭痛が走った。またあの頭痛だった。しかし今回もおかしな点が二つある、それはドンナと走った時と同じようにその場にうずくまるほどの痛みじゃないという点、そしてまた末脚が回復している感覚があることだった。

 

「いけ……シャイン君……! 君の可能性はそんなものではないだろう……!」

 

 そしてシャイン自身は知りようがないが、もう一つおかしなことが起こっていた。

 

「いたっ……」

 

「ん? どうしたんだアグネスタキオンさんよ」

 

「ん、い、いや、なんでもないよ、シャイン君のトレーナー君」

 

「(おかしいねぇ……片頭痛の季節でもないと思うが……)」

 

 観客席で見ていたアグネスタキオンにも同じように頭痛が走っていたという点だ。そしてその痛みは次第に薄れていき、タキオン自身も体に活気が満ち溢れる感覚を感じていた。

 一方でコースを走っているシャインの脳内には今まで経験したことの無いような感情が展開されていた。

 

「(一体なんなんだろう……この好奇心、私のこの体に秘められた無限の可能性にとてつもなく惹かれる……ウマ娘の可能性……こんなの、まるでタキオンさんみたいな……)」

 

 自分の中に広がる自らの限界への好奇心を冷静に分析し、まるで自らがアグネスタキオンになったような、そのような感覚をシャインは覚えていた。

 

『自らの可能性を導き出す悦びは、クラシック級の特権だよ』

 

「(……可能性、か)」

 

 頭痛が次第に薄れていき、最後に残ったのは完全に回復した末脚だけだった。

 シャインは思考の中でタキオンの言葉を反芻し、目を瞑って精神を集中する。

 

 標識は200mを切る寸前、シャイニングランとシャインはほぼ並んでおり、ここで焦ったシャイニングが残ったスタミナを全て振り絞り、逃げ切るための微かなるスパートをかけ始める。

 

 シャイニングランが微かなスパートをかけ、2番手に上がったシャインは1バ身ほど離されている。そんな中でもシャインは精神を集中し続け、そして最後の最後、集中が終わった瞬間に目を開き、腹部に残った酸素を全て使い高らかに叫んだ。

 

 

「さぁ、可能性を導き出すよ!!」

 

 

 その声は観客席にいるタキオンにも聞こえていた。そしてその言葉を聞いたタキオンは、その赤く滾る瞳を輝かせ、腕を組んだ状態で下を向き笑い始めた。

 

「……クックックック、ああそうさシャイン君! 君の可能性はそんなものではない! 導き出せ! 君の可能性を!」

 

『200の標識を通過した! シャイニングランが先頭を走り続けているが、バ群を抜けて出てきたスターインシャイン! 速い! 速い! あっという間にシャイニングランを躱していく! そのままセーフティラインをじわじわ広げていく!』

 

 突然地面を抉るように踏み込んだと思ったら、シャインは既に加速し、先行集団の真ん中を抜けて先頭を走っていた。ここで普段からウマ娘の走りを注意深く見ている人なら分かることが一つあった。

 

「ふぅン、シャイン君の走りが私の走り方に似ているように見え…………いや……まるっきり同じじゃないか……!?」

 

「え? シャインの走り方が?」

 

 そう、シャインの走り方がアグネスタキオンの走り方と全く同じになっていた。当然シャインはアグネスタキオンのレースは見た事が無く、映像で見ていたとしてもカメラが遠すぎてあまりよく分からない。しかし今シャインが形成しているフォームは間違いなくアグネスタキオンの走り方であり、その証拠としてありもしない白衣の袖を握るような手の形をしている。

 

「そんな! なんで! なんでよ! スタミナはもうないはずでしょ! なんでなの!」

 

 経験したこともない景色。自らが逃げに逃げてスタミナを消費させたウマ娘が自分の前にいる光景は、シャイニングランにとって初めての体験だった。

 しかしシャイニングランもキグナスのウマ娘、冷静にシャインの事を躱そうと、自らの限界を超えて走り始める。

 

「私は負けるわけない! 今までだってそうだった! それが覆されるわけないもん!」

 

 半分泣きそうになりながらシャイニングランは走り続ける。しかしその情熱が余計にシャインの勝負根性を呼び覚ましてしまい、シャインはさらに加速した。

 

「奇跡は、起こすものだあああああああ!!」

 

『スターインシャイン離す! スターインシャイン離す! シャイニングランも必死に巻き返そうとするがどうだ!? しかし! シャイン! シャイン! 大丈夫ーッ!』

 

 シャイニングランは一手、いや三手遅かった。すでに100mすら切っている状況で加速したところで、最高速以上のスピードを出しているシャインを躱すことなどできるはずがなかった。

 

 すでにハイペースだったレースをさらにハイペースにし、そんな中で1と2分の1バ身も離した、まさに超光速と言わざるを得ないその走りで、スターインシャインがゴール板を真っ先に駆け抜けた。

 

「……負けたの……? 私が……?」

 

 地面に倒れ込み、シャイニングランは初めて体験する敗北の味を噛みしめていた。涙が溢れそうなほどに目を潤わせ、放心状態になっていた。これまでの人生で自分が負けることがなかった、負けるビジョンなどなかった。しかし今負けたのだ。その悔しさは、ウマ娘に潜在的に眠った負けず嫌いな魂が何倍にも乗算していく。

 レース後と言うのは感覚が鮮明になっており、遠くから静かにシャインが歩いてきたことにシャイニングが気付くのは容易だった。

 

「シャイン……お姉ちゃん……」

 

「見た、でしょ……私、シャイニングちゃんに勝った……。あなたに、誰も消させなかった……だから、さ……私を信じて。私に立ち向かうキグナスのウマ娘は、全員薙ぎ倒すって奇跡、見せてあげるからさ。別に、シャイニングちゃんに私と同じレースに出るなってわけじゃないよ、ただ一緒に……一緒に、楽しく走ろ? シャイニングちゃん」

 

「うっ……うえぇええ……シャインお姉ちゃん、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 レース前、ゲートインの際にシャインにあのような事を言った事を、内心後悔していたシャイニングラン。それでも優しく接してくれるシャインの優しさに、ついに感情が溢れて周りの目も気にせず泣き叫び、そして謝罪した。シャインへ反抗的な言葉を吐いたこと、負けると決めつけていたこと。シャイニング自身が悪いと思った事はすべて謝罪し、シャインはその謝罪を受け止める。シャイニングランに沸いていた悔しさは、ライバル心という良い方向へと割り振られた。

 

 散々スタミナを減らされ、苛立ってシャイニングに文句を言いたかったウマ娘もいただろう。だが二人の邪魔しようとするウマ娘は誰ひとりいなかった。観客はひたすら歓声をあげ、1着と2着のウマ娘を称えていた。

 

 

 

「やったわランス! シャインさんの勝ちよ!! シャインさんの!!」

 

「……スターインシャイン、どうやらお前の強さは本物みたいだ……私たちが敵う相手じゃなかったというわけだな……」

 

 皐月賞が始まる前、夢を託すという話をしていたノースとランス。この二人はシャインの勝つところを自らの目で見て、互いにそのように言葉を発した。シャインの事をすでにライバル兼友達と認めているノースは当然の事、忌み嫌っていたランスでさえ、シャインの勝利を喜んだ。口角を上に上げながら。

 

「そうか……そういう事か……」

 

「どうしたんだ? タキオンさん」

 

「シャイン君の想いの継承について……分かったかもしれない……」

 

「何!? 本当か!?」

 

 レースをおとなしく見ていたタキオンが突然口を開いてそのように切り出す。目線はゴールしたシャインから離さず、歓声の中でも聞こえるように橋田に話を続ける、ノースとランスも静かにその話を聞いていた。

 

「普通思いの継承と言うのは、1年の始まり、具体的には3から4月ごろに発現する現象だ。しかしシャイン君にはこの現象が起こらなかった。ここまでは知っているね? 君」

 

「ああ」

 

 まず最初に、想いの継承が何をもたらすのか。それをタキオンは丁寧に説明し始めた。それは1年間で距離適性が幅広くなったり、または局所的に適正レベルが上がる。いわば想いの継承とは、将来的に出てくる持続的な現象ということを橋田に説明する。

 

「ではシャイン君はなぜ想いの継承が発現しなかったのか。それは……」

 

「それは……?」

 

「シャイン君の想いの継承は、そう、恐らく()()()なんだ」

 

「一時的っていうことは、ど……どういうことだ?」

 

「スイッチはわからないが……シャイン君はレース中、特定のウマ娘の想いを急速に継承し、自らの走りや脚の特性に取り込む、その結果があの完全にコピーされた私の走り方というわけだ。これは私の仮説だが、特定のウマ娘が深く関わっているレースに出走した場合、もしその近くに特定のウマ娘がいれば、自動的にシャイン君の想いの継承は発現するのではないかと思う。あくまで仮説の域を出ないがね」

 

 タキオンの説明を受け、橋田は目を煌めかせる。今までシャインの短所かと思っていた想いの継承が発現しない体質。しかし今形は違えどシャインにも想いの継承が発現すると知り、橋田はこれからのシャインに心を躍らせていた。

 

「単純に考えて、短期的に他のウマ娘の力を取り込んだ際のステータスは2倍近くになる……その負荷に耐えるシャイン君の体も気になるが、一時的に発現する想いの継承というのは実に興味深い」

 

「一時的な、想いの継承か……!」

 

「ああ、面白い! 分からないことだらけというのは本当に興味をそそられる! 早速研究室に戻って実験だ!」

 

 

「バカな!! ワタシがトレーニングを施したんだぞ!? 何故勝てない!!」

 

 同時刻、シャインが皐月賞を勝った瞬間に、別の場所でも大きく話が動いていた。

 部屋にいるのはレース前にシャインが見つけていた金泉と、キグナスのトレーナーだ。

 

「……スターインシャインは少し面白い体質のようですね。しかしキグナスのサブトレーナーとして、どんな相手でも勝たなければならない。金泉トレーナー、あんたはキグナスの看板を汚した。失望しましたよ。今後信頼を得られるとは思わない事ですね」

 

「なんだと……!? ふざけるなよ、もともとはお前のスカウトしたウマ娘──」

 

 突然威圧するように壁を叩き、キグナスのトレーナーは金泉を睨む。その圧倒的な気迫に金泉は脂汗を流しながら黙ってしまう。

 

「見苦しいですね、多額の依頼金は振り込んだはずです、信頼が無くても生活は出来るんじゃないですか? ……そうですね、一つチャンスを上げます」

 

「なんだ……?」

 

「スターインシャイン、あのウマ娘はこのまま放っておけば間違いなく三冠を取る。私のチームキグナスをスポットライトの影にしてね。だからスターインシャインの三冠を阻止してください、リボルバーで」

 

 キグナスのトレーナーの発言に、金泉は何も答えずに関係者専用の観戦部屋を出ていく。残されたトレーナーは、何事もなかったかのように資料の整理を始めた。しかし数分経った後、突然資料を整理する手を止めて天井を仰ぐ。そして深いため息をした後にぽつりと一言だけ呟いた。

 

「……ドリーム、まだ待っててくれ」

 



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第四十八話 栄光の背後で

 

「あの時のシャイニングちゃんの剣幕はすごかったなぁ」

 

「……まだちょっと気持ちの整理がついてないけど、いつかちゃんと謝るから……」

 

 涙の痕を作ったシャイニングちゃんは頭を掻きながらそのように言う。

 

「いや、もう十分謝られたよ、大丈夫」

 

 皐月賞が終わり、一通りの事が終わった後、私は自身の控室にシャイニングちゃんを招き、一緒に話していた。というのも、速水さんが見つからないので、完全に速水さんの車頼りで中山レース場に来た私たちは帰りようがないのだ。そのため私はシャイニングちゃんと話して暇をつぶすことにしたのだ。会話自体は他愛のないもので、シャイニングちゃんが私を陥れようとしていたあの日の事以外で最近のことを話すでもなく、普通に世間話をした。

 

「よう、速水さん見つかったから、帰るぞ~い」

 

「あ、見つかったの?」

 

 シャイニングちゃんと談笑をしていると、ドアを開けてトレーナーさんが控室に入ってくる。どうやら速水さんは無事見つかったようだった。

 

 速水さん、もとい変えるための必須人物が見つかったという事で、私がシャイニングちゃんに別れを告げて控室を出ようとしたとき、シャイニングちゃんにひきとめられた。

 

「シャインお姉ちゃん、これ持って行って」

 

「これって……タ、タコ?」

 

 私が手渡されたのは、押すと目玉が飛び出るタイプの、癖になるようなキーホルダーだった。

 あまりにも突拍子過ぎてこれを渡す意味が分からないが、シャイニングちゃんからの贈り物なので一応受け取っておこう。

 

「これね、ちょうどシャインお姉ちゃんがホープフルステークスを走った直後あたりにトレーナーさんからもらったものなんだ。私達キグナスのトレーナーさんは強いウマ娘を育成するのが得意だから、そのキーホルダーを持っておけばシャインお姉ちゃんにも強くなるおまじないがかかるかなって!」

 

 あ、なるほどそういうこと。

 

 私はシャイニングちゃんからタコのキーホルダーを受け取って、目の前でぶら下げて近くで見てみる。

 

「ありがとう、シャイニングちゃん。改めて見ると意外とキュートな見た目してるなこのキーホルダー……可愛いやつめ」

 

 私はキーホルダーをプニプニ押して目玉を飛びださせながらシャイニングちゃんに感謝を述べる。そしてそのまま控室を出て速水さんの車へと向かった。

 

「シャインお姉ちゃんに福きたれ……なんちゃって、タコって福あるのかな……。……私もがんばらなくっちゃ」

 

 

 

 私のトレーナーさんと一緒に中山レース場の駐車場に出て、速水さんの車があった場所に向かう。すると、車の横に速水さんとクライトに加え、なぜかタキオンさんが立っているのが見える。なぜだろうか、すごく嫌な予感がする。

 

「やぁやぁシャイン君! 先の皐月賞はお見事だった! 特に最後の直線! まるで誰かが乗り移ったような走りだったねぇ……そこでなんだが! 君の体についていろいろ興味が沸いてきたんだ。同行させてもらってもいいかな?」

 

 案の定タキオンさんは割と面倒になりそうなことをお願いしてきた。というか乗るのは速水さんの車なんだから速水さんに許可を貰えばいいのだが、肝心の速水さんはおろか、クライトまでもが、理由こそわからないものの斜め下を向いて暗い顔をしているためタキオンさんも聞こうとは思わなかったのだろう。

 

「え、いやでも……狭いですし」

 

「いやいやいや! 君の体は細いだろうから私も一緒に入れるだろう! 君のトレーナー君も結構細身だしねぇ」

 

 あらかじめ反論に対する反論を考えていたであろうタキオンさんは、ぺらぺらとカウンターを述べる。……私に拒否権は無いらしい、知ってました。

 

 しかしやはりこの状態のタキオンさんを隣、しかも逃げようがない車内に置くのは危険だと考える私が次の反論を出そうとしたら、それを察知したのであろうタキオンさんはせっせこと速水さんの車に乗り込んでしまった。

 

「橋田、そろそろ車出すから行くぞ」

 

「え? まぁ……はい。ほら、シャインも乗るぞ」

 

「ちょちょちょっと! いやぁ! 車のなかで私何されるか分かんない! いやぁ助けて!」

 

「車に女の子乗せる場面でそのセリフはまずいからやめろバ鹿!」

 

「やめれぇ!」

 

「痛ってぇ!」

 

 トレーナーさんが私の手を取って車に乗せようとしてくるので、服から取り出した簡易的なハリセンでトレーナーさんに対抗して見たりもしたが、それでも速水さんの時間を取るわけにはいかないため、数秒後には私はおとなしく車に乗り込んでいた。

 

 車が出てから、前の席には速水さんとクライト、後ろの席には私とトレーナーさんとタキオンさんの三人で座って離していた。以外にも私が心配しているような実験まがいの事は起きず、タキオンさんは車内で何気ない会話をしていた。

 道中高速道路をものすごいスピードで走る車がいて急停止した場面があったのだが、その時にタキオンさんの服からストップウォッチのような計測器が見えた気がするのは気のせいだと思おう。

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 夢だった皐月賞、もともと地方で沈むしかなかったであろう俺の人生のゴールのような、スタート地点のようなレースを終えた後、スタ公に歓声が向いている中で、ただ一点のみを目指す。

 確かにレース中見えた人が立っていた場所を目指す。

 

 あの人物を見たのは第四コーナーのあたり、観客席としてはかなり端っこの方にいるだろう。

 

「……い、いた……」

 

「クライト……」

 

 ゴールした後にもう一回コースを走り、一通り観客席を回ってみると、やはり端の方にその男は立っていた。

 

「ト……トレーナー……」

 

 そこに立っていた男は、俺が以前担当契約を申し込んだトレーナーだった。

 

 地方にいる時、俺は戦績が振るわなかった。そのため俺も自分自身に自信が持てずにいた、しかしこのトレーナーはそんな私にずっとやさしく接してくれていた。だがある時トレーナー室に『もう君には何も期待できなくなってしまった、すまない』とメモを残して私の目の前から消えた。

 

 地方時代のトレーナーと言えば分りやすいだろう。しかしなぜこの男が皐月賞を見に来ているのかわからなかった、この男は私を捨てたはずなのだ。私から才能を見いだせなく、身勝手にも手紙だけを残して私を捨てたはずなのだ。

 そんな男がわざわざ私のレースを見に来ている理由が分からない。

 

「今更……。今更何しに来やがったぁ!!」

 

「負けた理由を追い求めなければ、勝利は追い求められない。僕は地方で負けた君から逃げてしまった、クライト」

 

 冷静にいようと思ったものの、やはり怒りの感情を我慢できずに大声で威嚇してしまう。そのような態度をとってもなお眼の前に佇む男は静かに、どこか申し訳なさそうな表情をしながら語る。

 

「だからなんだよ……だから私との担当契約を取り戻そうって言うのか……? 悪いけど私にはもうトレ公が──」

 

「そういうことじゃない、クライト」

 

 私の言葉を遮り前に立つトレーナーはスマホを取りだしある画像を出す。その写真を見ると、中央のトレーナー資格を取得した時であろう写真だった。

 

「今……中央のトレーナーなのか……?」

 

「ああ、それもお前より上の世代のウマ娘を担当している。……驚いたよ、まさか君が皐月賞に出るほどになり、それもシャイニングランを倒す寸前までいくなんてね……。だけどさ、クライト。やっぱり君には才能が無いよ」

 

「何が言いたいんだ……!」

 

 昔はこんな男ではなかったはずなのだ。私と一緒に地方を走っていたあの一瞬の思い出の中で、この男は私に対してとても優しかったはずなのだ。それが今私に対して再び才能が無いと口に出した。私は困惑の表情をしていただろう。そして、この男から見た私の困惑する表情はさぞ滑稽だっただろう。

 

「僕が観客席にいるだけで沈むなんて、精神面が成長していない証拠だ。今の君のトレーナーもとんでもないハズレくじを引いたものだよ」

 

「うるさい……うるさい……」

 

「だからクライト、僕のチームに入らないかい?」

 

 トレーナーからチームへのスカウトを言い渡され、私は涙が出そうになるのをこらえながらトレーナーを睨みつける。当然私は断るつもりだった、今更この男とトゥインクルシリーズを走れと言われても出来るわけが無い。しかし私が断れないと思っているのか、トレーナーは語るのをやめない。

 

「僕のチームは、マル地しかいないんだ。それも本来地方でしか活躍できないであろうマル地のウマ娘だけね。それでも勝率は高い、才能が無い地方のウマ娘が活躍できるチーム……『タルタロス』に来ないかい?」

 

 マル地。

 中央のウマ娘として登録される前に、地方で走ったことがあるウマ娘に付くマークの事だ。丸の記号の中に、地方の地の字が入っているマーク。ウマ娘のレースを見たことがある人は、出走ウマ娘の一覧を見る時に見かけたことがあるだろう。

 

 しかし地方のウマ娘であることには変わりはない。地方のウマ娘が中央で勝つとなると、それこそオグリキャップのような奇跡が起きなければならない。流石にオグリキャップほどでなくても、重賞を勝つだけならいいかもしれないが、この男の口ぶりからしてそのような才のあるマル地を集めているわけではないようだ。

 

 怪しい。明らかに怪しい。

 

 それに先ほども叫んだように、この男のやっていることは今更なのだ。私を才能が無いと言い捨てて、そして中央である程度勝てるようになったらまたスカウト。そのような身勝手な話があるだろうか。

 

 むしろ私は、私を捨てたあの時のような身勝手さが変わっていなくて安心した。

 

「……断る」

 

「その意地の悪さも変わってないな、クライト」

 

 もうあのトレーナーの言葉は何一つ聞きたくない。それからもトレーナーさんから様々な事を言われたが、もう私に話す理由はないためすべて無視して中山レース場を後にする。

 

 気が付くと駐車場の方に来ていた。見慣れた車の前にはトレ公が立っており、私の顔色を見てか心配そうな声をかけてくる。それもそうだろう、今日のレースで明らかに不自然な沈み方をした担当が、レースが終わってもなお青ざめた顔をしているのだから。

 

「私は大丈夫だから」

 

「クライト、お前その喋り方……」

 

「……俺は大丈夫だ、ちょっと、前のトレーナーに会っただけで……」

 

「……来ていたのか、原田トレーナーが」

 

 

 

「……」

 

 私がトレーナーさん、タキオンさんと速水さんの車に乗り込んで、大分時間が経つ。もう車の外は見慣れた景色になってきており、やっと学園に帰ってきた感じがする。

 やはり心配なのは出発時からずっと黙っている速水さんとクライトだが。

 

 皐月賞が始まる前も黙っていたが、あれは皐月賞に向けて作戦等を考え、ピリピリしていたから黙っていたのであり、今回は皐月賞が終わった後だ。特に黙ってしまうような要因は考え憑かない。自分を負かした相手と喋りたくないというパターンもあるにはあるだろうが、クライトと速水さんに限ってそんなことはないだろう。

 

 車に乗っている間ずっと黙っている要因を聞こうと思っていたが、イマイチ聞き出すことが出来ず、あっという間に学園についてしまった。

 

 学園についてからはすぐだった。乗った時と同じようにタキオンさんがハイテンションで実験だなんだと言い始め、トレーナーさんが逸れに乗って私を引っ張る。速水さんとクライトに車を降りた時こそ黙っている理由を聞こうと思ったのに、トレーナーさんのせいで聞くことが出来なかった。

 

「どうした? そんなに不機嫌そうな顔をして」

 

「……う~うん、なんでもないよ」

 

「そうかぁ」

 

 まぁ、クライトにも悩みごとの一つや二つはあるだろう。その悩み事が原因で黙っているならば、悩みの無いようにも夜が心配する必要はないと思う、クライトには速水さんっていう心強いトレーナーさんがついているから。

 

「っとぉ、すいません」

 

 私とトレーナーさんがトレーナー室に戻ろうと学園内を歩いていると、よそ見して歩いていたトレーナーさんが誰かにぶつかってしまった。私がすぐに前に出て謝ると、その男性は優しい目つきで口を開いた。

 

「大丈夫ですよ、ただ前は見て歩いてくださいね」

 

「すいませんうちのトレーナーが……こらぁ! いくらなんでも前を見んかい!」

 

「痛っっったぁ!! ……ってあれ? あなたもしかして原田トレーナーじゃないですか?」

 

 私がハリセンでトレーナーさんの事をぶっ叩くと、トレーナーさんが思い出したかのようにその男性に聞く。

 

「ええ、そうですよ」

 

「マジか! おいシャイン! すげぇぞ!」

 

「え? なに? そんなにすごい人なの?」

 

「地方から中央に来て1年も経ってない頃からマル地のウマ娘を活躍させまくってるトレーナーだよ!」

 

 そのような話がトレーナーさんから出てきたので、思わずスマホで原田と言うトレーナーを調べてみる。するとすごい逸話が何個も出てきた。

 地方のウマ娘を活躍させる中央のトレーナー、それもあまり勝率が振るわないウマ娘でも中央で勝ち抜けるようになるというチームタルタロスの人気はネットを見ても明らかだった。

 

「え! スマホで調べてもすごい有名じゃん!」

 

「……私はこのあと少し用事があるので……」

 

「あ、すいません、また今度会った時にサインください!」

 

 原田と言うトレーナーさんは、病気でも持っているのだろうか。手をプルプルと痙攣させながらどこか学園の外に行ってしまった。

 

「いやぁ、すごい有名人に出会っちゃったね」

 

「レジェンドウマ娘と話してる時点でかなりすごい事だけどな!」

 

「それもそっか!!!」

 






私生活の方でかなり大きな課題があるので、もしかしたらしばらくお休みを貰うかもしれません。


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第四十九話 恐怖の刻印

 

 いける……! このままなら逃げ切れる……! 

 

『最終直線に入って未だプロミネンスサンが逃げている! 後ろからは誰も上がってこない! このまま桜花賞を制するのはプロミネンスサンか!』

 

 まだスタミナは残ってる、スパートをかけて多少後ろから上がってきてるウマ娘がいるけど、心配はいらない。この流れのまま押し切ってやる! 

 

『残り400といったところで後ろから飛んできたツインサイクロン! プロミネンスサン苦しいか! プロミネンスサン苦しいか!』

 

「うそっ!?」

 

「良い風が吹いてるね。……チャオ~」

 

 後ろの方からいつの間にこんなに上がってきてたの……。

 

 逃げなきゃ……もっとスタミナを振り絞って逃げなきゃ……。

 

「っ……脚が前に進まないっ!? なんで!?」

 

 スタミナはあるはずなのになんで脚が動かないのかわからない。確実にあと200は走れるはずのスタミナはあるはずだ。

 

『耐えられない! 躱された! プロミネンスサンが躱された! ツインサイクロンが先頭! ツインサイクロンが先頭! 桜花賞! 制したのは! ツインサイクロン!!』

 

 

 

「一つ、シャイン君のスタミナにある程度、本当に多少の余裕があること。一つ、そのレースに深く関わる人物がいること。一つ、その人物とシャインくんが友好関係を持っていること。条件はひとまずこんなものだろうねぇ、細かい要因も探せばあるだろうけど……私に考えついたのはこのくらいだ」

 

 皐月賞が終わってその日に言われたタキオンさんの言葉を思い出す。私の想いの継承についての話だ。

 どうやら私の想いの継承が発動する条件がイマイチ見えないらしく、タキオンさんが証明に手間取っているらしい。

 私としても新しい武器の可能性なので証明はして欲しいが、ひとまず私の超前傾で頑張ろうと思った。

 

「サン、最近休んでるなぁ……」

 

 そんな皐月賞が終わり、2日くらい経っただろうか。トレセン学園の教室にて休み時間の最中、教室の外を見ながら頬杖をついてそのようにふとつぶやく。皐月賞が終わって数日、トレセン学園でサンを見かけることが少なくなった。少なくなったというより、全く見なくなったという方が正しいかもしれない。

 

「確かに……そうだな、桜花賞の時くらいからあいつの姿見てねぇな。サンの奴何してんだ?」

 

 ふとつぶやいただけなのに聞こえてしまうあたりやはりウマ娘の聴覚は優れていると感じる、同じ教室内で椅子に座りこんでいたクライトが反応を示した。

 

「俺もスタ公も桜花賞の時は皐月賞の仕上げで忙しかったからな……桜花賞なんて目にも入ってなかったし、何があったのかなんて知りようがないな……」

 

 確かに、あのころは私自身シャイニングちゃんとのことで木が立っていたこともあって桜花賞と言うレースそのものを忘れていた。自分が走らないレースの情報は皐月賞に本腰を入れる過程で不要なために記憶から排除されたのだろう。

 

 しかし何か引っかかるような……。

 

 何があったのかなんて知りようがない、何があったか、何がどうなったか。

 

 着順はどうなったか……。

 

「そういえば私達、桜花賞の結果見た!?」

 

 思考を張り巡らせているうちに一つ重要な情報を知らないことに気付いた。私達は桜花賞の結果をなんだかんだ見ていないのだ。しかもG1レースの結果が出ているのにもかかわらず学園内で全く誰も話題に上げていなかった。やはり同時期に行われる皐月賞や、少し後に行われる日本ダービーに比べて話題性は少しばかり低いのだろうか。

 

 いやそれにしたって学園内で多少は話題になるでしょ、桜花賞って言うなれば第二の皐月賞だよ。

 

「そういや見てねぇな。全く俺ら、サンの友人のくせして全く桜花賞に興味ねぇな、ナハハハハハハハ!」

 

「笑い事じゃないと思うけどね……いや、私も忘れてたけどさ……」

 

 私の机に座りながらクライトがそのように大笑いをしている。しかしながら、サンの友人でありながらサンのレースに全く関心を持たない私達を客観的に見て笑うのは少し違う気がしたのでやんわり止めておいた。

 

「わーってるよ、ちょっとした冗談だ」

 

 私がやんわり止めようとすると、私の心情を察したのかクライトはにやにやした表情を崩さないまま頭を掻いてそのように言った。

 

「んまぁ木村さんはいるだろうし、サンのトレーナー室行ってみる?」

 

「ん」

 

 私たちが桜花賞の結果を全く見ていなかったのは少しだけ置いといて、サンが学園に来ていないことがまず不可解だ。とりあえず木村さんにどうなっているかの確認を取るために私たちはサンのトレーナー室へ向かう事にした。

 

「あ、スターインシャインさんよ!」

「きゃーっ!! サインして~!」

 

「うげっ」

 

 サンのトレーナー室に向かっている最中、ちょうど学園の中庭あたりを歩いていた時。突如背後から黄色い歓声が聞こえ、嫌な予感がして私の額を汗が伝う。壊れたブリキ人形のように後ろをゆっくり振り返ると、そこには私が皐月賞を勝ったことによって生まれた新たなファンの二人がこちらをつぶらな瞳で見ながら走ってきていた。

 

「おう、よかったな、ファンだぞ皐月賞バさんよ」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないんだって!」

 

「スターインシャインさ―ん!!」

「まって~~!!」

 

 クライトのからかいをいなす余裕も持っておらず、私が狼狽えているとファンの二人が色紙を持って私に全力疾走してきた。

 皐月賞が終わってからこうだ、この二人は皐月賞での私の走りに感動して私の熱烈なファンになってくれたまではいいのだが、その情熱が異常なほどに高いのだ。今日だって、昨日サインは済ましたはずなのになぜかもう一回サインをねだられているし、挙句そのサインは二人の学生かばんに張り付けてある始末だ。しかも一度捕まったら3時間は離してくれない。

 

 私は二番手に1バ身まで詰められたときくらいの走りで全力疾走し始める。

 

「やばいってやばいってやばいって!」

 

「スタ公が本気で走ってんの面白ぇなぁ……」

 

 中庭で厄介な人物に見つかるというアクシデントはあった、しかし何とかファンの二人を撒きながら、私とクライトはサンのトレーナー室にやってきた。

 

「そういえば私達ってなんだかんだサンのトレーナー室に入ったこともなかったよね」

 

「そういやぁ……そうか? ……そうか、サンのスタ公もサンもどっちかって言うと俺たちのトレーナー室に来てる印象だなぁ」

 

 その綺麗なトレーナー室の扉に対し、見た事が無い違和感を覚え、ふとここに訪れた事が無いという事実を思い出す。

 しっかり拭かれた跡がある扉のドアノブに手をかけ、私とクライトはサンのトレーナー室に入った。

 

 中に入ると超絶綺麗としか言いようがないトレーナー室が広がっていた。地面はきれいに掃除され、部屋の角に蜘蛛の巣も作られていない。棚もちゃんと整理されていて、机の上に関しては物が散らばってない事で一瞬木村さんをミニマリストか何かと勘違いしてしまいそうだった。

 

「……シャインさん、クライトさん、サンを見てませんか?」

 

 意外にも木村さんから出てきた第一声はそのような質問だった。話を聞くとどうやら木村さんも桜花賞が終わってからサンと連絡が取れていないらしく、寮に問い合わせても鍵が占めてあるらしい。私達は木村さんにサンの居所を聞こうと思ってこのトレーナー室にやってきていたために、いきなり出鼻を折られてしまった気分だ。

 

「あの、木村さん。サンは桜花賞で何かあったんですか?」

 

 とりあえずソファに案内されたため、ひとまず一息ついてから木村さんにそう質問した。あの元気で破天荒なサンが突然音信不通になるなどあり得ない。となれば桜花賞で何かがあったと考えるしかないのだ。私達は桜花賞の現場に立ち会っていないため、その現場をよく知っているだろう木村さんにそう質問したのだ。

 

 木村さんは桜花賞の時を思い出したくないかのように頭を抱えて、ゆっくりと語り口を開いた。

 

「単刀直入に言うと、サンは桜花賞で負けました」

 

「ンだと……?」

 

「サンが……」

 

 木村さんから出てきたのは衝撃の事実だった。正直なところ、最初は信じられなかった。また木村さんが笑顔で放つ冗談に聞こえない冗談だと思った。サンは間違いなく逃げウマ娘としての才能が爆発しているし、うぬぼれかもしれないが皐月賞バである私を負かしたことも過去にあるのだ。そんなサンが簡単に負けるはずがない。

 

 しかし黙っていてもただただ外で車が走る音やウマ娘達がトレーニングをする声が微かに聞こえるだけで、木村さんはいつまでもネタばらしをしてくれない為、サンが桜花賞に負けたのは紛れもない事実なのだろうと私の中で確信した。

 

 隣の方を見てもクライトがスマホを取り出して青ざめたような悲しいような顔をしている。

 きっと木村さんの発言を聞いてすぐに調べ始めたのだろう。

 

「金泉トレーナーと話をした日の次の日くらいに、甘李と言うトレーナーがここを訪ねました。その甘李と言うトレーナーはキグナスのサブトレーナーでした」

 

「二人目のサブトレーナー……」

 

「担当ウマ娘はツインサイクロンと言うウマ娘でした。甘李は私とサンへの宣戦布告通り、サンを打ち負かしました」

 

 話を聞いているうち、次第にわなわなと手が震えてくる。キグナスのウマ娘にサンは負けたのだ、キグナスが圧倒的な勝利を叩きつけた後にトレセン学園を追い出すというスタンスなのは知っての通り。サンはその前段階である圧倒的な勝利を叩きつけられるという工程を遂行させてしまったのだ。

 

 負け方は差されることによる敗北。最終直線まで先頭を走って逃げていたサンは、後方から走ってきたツインサイクロンに躱され、サンの武器である「逃げて差す」を使おうとしたが使えずに失速してしまったらしい。原因は未だ分かっておらず、サンがなぜ失速してしまったのかはレース映像を見ただけではわからない。

 

「そしてその桜花賞で負けてから連絡が取れず、学園内のウマ娘に聞いても情報が無いというのが今の状況です……」

 

「サン……まさか負けてたなんて……」

 

「まさか負けたくらいで心が折れるような奴じゃないと思うが……」

 

 それまで木村さんが語る声が響いていたトレーナー室に再び静寂が流れた。ジュニア期はおろかメイクデビューからの親友であるサンがどこにいるのかわからない。そのような状態で普通の生活をしろと言われても無理というものだろう。

 

「とりあえず、クライトと私でサンを探してみます。木村さんはここでサンの帰りを待つべく、トレーニングメニューを作ってください!」

 

「いや、そういうわけにも……」

 

「いいですから! サンのオークスでは絶対リベンジマッチを決めてくださいよ!」

 

 私は強引に木村さんの言葉を遮ってトレーナー室をクライトと一緒に出た。

 トレーナー室を出るとサンがフレーメン反応を起こしたような顔をしながらこちらを向いてくる。

 

「おい、キグナスって負けたら消されるんじゃねぇのかよ」

 

「確かにそうだよ。……だけど、サン自身に戦う意志があれば何とかなるんじゃないかな。圧倒的な勝利を叩きつける、という点でキグナスが単純に戦績で勝ちたいならサンはもう消されちゃうと思う。けど万が一『圧倒的な勝利で相手の心を折る』というのが目的なら、サンが戦う意志を無くさない限り消されないんじゃないかなって思うけど」

 

「んなアホなことあるかね……」

 

 そこから私たちは、色々な場所に向かってサンを探した。学園内の教室、サンやクライトと一緒に言ったゲームセンター、私とサンが初めて走ったあのコースのあたり。とりあえず思いつくところはみんな立ち寄った。しかしそのどこにもサンはおらず、近所の人に聞いても目撃情報一つないといった状況だ。

 

「ん~~っ、困ったねぇ。目撃情報もないしサンが行きそうな場所ももう大体行きつくしたし、どのウマ娘が勝つかの予想をするより難しいよこれ」

 

 学園の中庭のあたりに戻ってきて、私とクライトは贅沢にも一人一つベンチを使って伸びていた。

 

「あ、そうだよスタ公、あいつの寮室は?」

 

 ベンチで寝ていたクライトが思い出したように言う。

 

「え、でも木村さんが言うには寮室はあり得ないんじゃない?」

 

「分からねぇだろ、行って見なきゃ」

 

 行って見なきゃわからないとクライトに言われ、確かに……。と思ってしまった。

 木村さんが寮に問い合わせてみたと言っていたが、寮室を直接見たわけではない。それならば室内にいても出てこないと言う事が可能だ。しかしウマ娘である私達が直接押しかければ、逃げることはできない。

 

 ベンチから起き上がり、クライトと一緒に寮を目指す。寮に到着してから寮長室に問い合わせると、サンが音信不通になっていることを寮長の人は何となく知っていた。話を聞けば一応部屋にはいるらしく、サンの友人ということを話したらマスターキーを貸してくれた。

 

 サンの寮室の前に行き、マスターキーをシリンダーに差し込む。

 

 ここ数日全く姿を見なかったサン、私の友人が一体どうなってしまったのか。今ドアを開けて確かめる。

 

「サン……」

 

 ドアを開けて中を見ると、太陽が差しこむ隙間すらないくらいカーテンを閉め切り真っ暗な部屋に、布団にくるまっているサンがいた。

 

「シャイン……?」

 



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第五十話 日没


読んでくれる皆さんのおかげで、なんとか五十話達成しました。ありがとうございます。

記念品は……なんもありません。



 

「サン……?」

 

 扉を開けた先にいたのは、布団に身をくるんで、陽の光すら入らないくらいカーテンを閉め切ってベッドにこもっているサンだった。

 

「シャイン……? ……皐月賞はおめでと、もう一冠かぁ」

 

 部屋に入り、私に驚いてなのか私の名前を一回読んだ後、皐月賞の勝利を祝う言葉を贈られた。サンが心配で飛び出してきた身としては全く身に入らない言葉だが。

 見ると同室のウマ娘もサンの事を思ってなのか避けてなのか、サンのスペースとは逆方向の机の上や椅子が埃をかぶっている。必要最低限の時以外は部屋にいないのだろう。

 

「サン……おま、げほっ。ほこりっぽ!」

 

「サン、どうしちゃったの? こんな部屋に桜花賞の時からずっと閉じこもってたの?」

 

 埃でやられそうな喉と鼻を抑えながらサンに問いかける。その気配は曇っており、布団の中から顔を出しているのと部屋が暗いのが相まってこちらを見ているのかどうかはわからない。

 

「もう、いいんだ」

 

 静かだった部屋にくぐもった声が響く。もう、いいとはどういう意味だろうか。

 

「トレーナーさんから話は聞いたんでしょ? 私はキグナスにいたツインサイクロンってウマ娘に負けた。もう走る気力も湧かないや」

 

 確かに敗北の悔しさは私も知っている、しかし負けたからといって立ち止まってしまっては、負けた理由を求めなければ、勝利へと進むことはできない。何とかそのようにサンに伝えようとしたが、うまく言葉が出ない。なんという言葉を書ければいいのか、皆目見当もつかない。

 

 私が戸惑っていると、まず動いたのはクライトだった。クライトはいつもの怒った雰囲気を滲み出しながらサンに近づき、布団を剥いだ。

 

「お前……」

 

「何さ……」

 

 布団を剥いだクライトはあまりの衝撃に絶句していた。当然だろう、ただでさえ言葉に困っていた私でさえ、もっと言葉に困ったのだから。

 

 布団を剥いで出てきたのは、私達が見たこともないようなサンの姿だった。髪の毛がぼさぼさでセットされておらず、クマを大きく作った顔は屍に近いと言った方がいいだろうか。死んだようなその目は静かに私達を睨んでいたが、生気が無く全く威圧感の無いものだった。

 

「ねぇ、サン……負けた理由って判明してるの?」

 

 しばらくの沈黙の後、私が必死で絞り出した言葉。それはサンの敗因についての質問だ。

 

 サンの逃げ足、そしてスタミナなら桜花賞を走りきるなど他愛のない事のはずだ。もちろんだからといって油断は禁物なのだが、逆を返せばそのような油断が生まれることを危惧してしまうくらいにはサンの実力は明確なはずなのだ。それなのに負けてしまった桜花賞での敗因がシンプルに気になった。

 

「分からない……わからないけど……。んまぁ、とりあえずこれがレース映像だよ」

 

 サンはそう言うと、スマホをこちらに見せてきた。ずっと布団の中でリピートされていたのだろう、布団の中の湿気で水分が浮き上がった画面を何度も擦った跡がある。その画面には桜花賞のレース映像が流れており、流れているシーンは最終直線にて、サンがツインサイクロンに抜かれる瞬間だ。

 

「レースは違和感なく進んだ、私の脚も最終直線まで動いてた。だけどスパートをかけ始めた時に私の脚が動かなくなったの」

 

 画面の中のサンを凝視していると、確かに最終直線で明らかに沈んでいくのが分かる。一見スタミナ切れにも見えるが、私達はサンのスタミナを知っている。これは()()()()()()()()()()

 

「でも……だからってこんな……」

 

「シャイン、私はもうダメなんだ……もう何をしようにも気力が起きないの。桜花賞が終わった後、トレーナーさんにもたくさん励ましの言葉を貰ったけど、そのどれも私に届かない。まるで死んでいるみたいな感覚なんだよ」

 

 まるで自分自身をあざ笑うかのように、自分の事を理解しているようにサンは嘲笑する。その様子を見て、私達が知っている明るく元気なサンをサン自身に否定されているような気がして行き場の無い怒りが湧いてくる。

 

「なんでだ……お前は負けた程度じゃめげないだろ! スタ公と走ったメイクデビューの時みたいなリベンジマッチをしてみろよ! 相手の武器を上回るような武器を作──」

 

「クライトに何が分かるの!」

 

 私が再び言葉に困っていると、突然クライトが大声を出し、サンに言葉を投げ続ける。クライト自身も見た事が無いサンの姿に焦っていたのだろう、まくしたてるような言い方をしているとそれを遮るようにサンが叫んだ。

 

 その叫びすらも、腹部からでなく、喉から絞り出されるようなギリギリの声で。

 

「私の夢はトリプルティアラ! その最初の一歩を踏み外したの! その気持ちがクライトに分かる!?」

 

 サンの悲痛な叫びを聞いて、錯覚か否か苦味のようなものが口の中に広がるのを感じた。サンは小さなころからの夢を叶えようとしていたのにその一段買い目である桜花賞で敗北を突き付けられたのだ。その悔しさは私には想像もつかない。

 

 確かに私も、誰にも越えられない記録を残すことが出来なかったら、このようになってしまいそうだと自分で感じる。

 

「私……トリプルティアラを取るって実家の両親に胸を張って言い切ったのに……G1に勝とうと思ってたのに……トリプルティアラ取りたかったのに……」

 

 叫びの衝動が終わると、サンは何度も「トリプルティアラを取りたかった」「勝とうと思っていた」と何度も同じことを繰り返しつぶやき始めた。言葉を重ねるたびに涙が大きくなり、それに比例するように声も小さくなっていく。

 

「サン……」

 

「……っクソが……」

 

 それ以上何を話しかけてもサンは反応してくれない。出来る事がなくなった私たちはサンの部屋を後にした。

 

 悔しかった、入学当初からの友人がこのようになってしまったこと。そしてその原因が今敵対しているキグナスだという事。ツインサイクロンというウマ娘は確かに強く、武器もあったのだろう。だからサンに勝ったんだろうし、それを悪く言う事は私達にはできないだろう。

 

 だがしかし、わざわざ木村さんとサンへ宣戦布告をしに行ったことは別だ。キグナスのトレーナーの目的「他のウマ娘を消す」というものを遂行するためにサンを煽りに行く必要はないはずだ。なのにわざわざ煽りに行ったと言う事は、キグナスのトレーナーの行動に賛同しているという事と捉えていいだろう。サンをあそこまで追いやったツインサイクロンへの怒りは募るばかりだ。

 

「私がオークスに出る……なんてことは流石にできないよなぁ……」

 

「当り前だろ。スタ公はスタ公のレースがある、サンはサンのレースがある、わざわざ捻じ曲げる必要もない」

 

 部屋を出てからしばらくしたあと、そうつぶやいてみたがクライトに軽い説教のようなものをされてしまった。

 

 どうしようか、サンをあのまま放っておくわけにもいかないが、だからといって解決策が思い浮かぶわけでもない。完全に手詰まりの状況だ。

 

 とぼとぼと特に目的もなく歩いており、街中に出たあたりだろうか。いつのまにかジュニア期の頃に三人で行ったあのゲームセンターに私たちは来ていた。そしてあの柵に寄りかかる、あの時とは違って一人少なく。

 

「これからどうする? クライト」

 

「さぁな、サンの気持ち次第……だが、あの様子だと立ち直るのは無理そうじゃないか?」

 

 案だけ追い込まれているようなら立ち直るのは絶望的だと感じていたのだが、どうやらクライトも同じことを思っていたらしい。正直な事を言うと、もうサンは手遅れなのではないだろうか。そう感じてしまう。

 

「あら、ずいぶんひどい顔じゃないの」

 

「ノース……ノースもちょうど来てたんだ」

 

「ええ、あなたたちが行きそうな場所なんて丸わかりよ」

 

「ん? どういうこと? 私たちの行きそうな場所にわざわざ来たって事?」

 

 まるで私たちをちょうど探していたような言い方をしたため、ノースに聞いた。

 

「そうよ、あなたたちもサンの事を見て来たんでしょう? その顔を見ればわかるわ」

 

 この言い方を聞くに、ノースもサンの様子を見たのだろう。話を詳しく聞くと、私とクライトが走った皐月賞の時点でサンが負けたことを知っていたらしい、だがノースもクライトと同じく、サンは一度負けた程度では気持ちが折れるウマ娘ではないと思っていたらしく、特に気にも留めていなかったらしい。

 

 しかし皐月賞が終わった日、サンに結果を伝えようと寮の部屋に向かったらすでに私たちが見た状態になっていたという。それでどうしようかと考えた時、私とクライトならいつか必ずサンにコンタクトを取って、何か良い解決策を思いつくかもしれないと思い、探していたという。

 

 学園内で話せばいいと思うかもしれないが、ノースが言うには「学園内だとどこにキグナスのマイクがあるか分かったもんじゃない」ということで、キグナス内の忙しい時間を熟知しているノースは、キグナスがあまり余計な外出をしないであろうトレーニング時間の学園外を話す場所に決めたようだ。

 

「それで、あなたたちはサンと接触して、何か解決策は思い浮かんだの?」

 

「ううん、何も」

 

 嘘をついて「解決策はある」と言っても恐らくその直後に聞かれてしまうので、正直に答えた。

 

「え、何も考えついてないの?」

 

 ノースは驚いた顔をして聞いてくる。

 

「うん、何も」

 

 即答する。

 

「ええ……あなたたちだけが頼りだったから、これで完全に手詰まりね」

 

 ノースは柵に頭を打ち付け、ぐああと唸り声のようなものを出している。普段元気溌剌なのにメンタルがボロボロになり部屋に引きこもっている、あのような状態のサンがまずイレギュラーすぎる、どのように接すればメンタルの回復が見込めるのかわかるわけが無い。

 

 誰も何も喋らない。ここにいる全員、まさか私とサンとクライトの中からキグナスの毒牙に掛かる者が出るなんて予想もしていなかったのだろう。未だに信じられないといったような、青ざめた顔をしているノースとクライトがいる。きっと私も同じ顔をしているのだろう。

 

「トリプルティアラの夢かぁ……」

 

「でしたら、ダブルティアラを目指せば良いのでは? プロミネンスサンという方のメンタルにグッドな効果をもたらすと思われますが」

 

 もう一人、私達に突然声をかけるウマ娘がいたらしい。正直私も気分がまいっているのでそろそろ休ませて欲しかったが、虫は良くないので後ろを振り返る。

 

「あなた……プランニング!」

 

「お久しぶりですね、シャインさん」

 

 後ろに佇んでいたのは、いつかのサウジアラビアロイヤルカップで走ったグッドプランニングだった。サンのこと自体、学園内の一部で多少有名になっているらしく、プランニングもたまたまその噂を聞いたらしい。そしてサンという名前から私の友人であると言う事を思い出したため、私のところまでやって来たらしい。

 

「そうしたら丁度チームアルビレオのノースブリーズさんとマックライトニングさんがシャインさんと話していたというわけです」

 

「なるほどね。  それで……ダブルティアラって言うのは?」

 

 先ほどプランニングがちょろっと話していたダブルティアラと言う聞きなれない単語について質問してみる。

 

「いえ、ですのでトリプルティアラがダメなら、ダブルティアラ、つまりオークスと秋華賞を狙えば良いのでは? という意見です」

 

「いやねぇ……それはそうなんだけどサン自身それが出来ないくらい追い詰められてメンタルが弱っているから──」

 

「言い方の問題ですよ、シャインさん。 オークスと秋華賞、言ってしまえばこの二つのレースだけですが、ダブルティアラと言えば、多少なりとも特別感は出る感じはしませんか? 前までの堅苦しい考え方をしていた私にしては、かなりやわらかいような発想は出来たと思います」

 

 確かにそのように、言い方こそ悪いがごまかすような言い方をすれば多少はモチベーションも上がるかもしれないが、相手は極限までメンタルが落ち込んでいるウマ娘だ。そんなもので気持ちが騙されるとは思えない。しかしここでプランニングの意見を根っから否定することもできない。結局しばらく唸った後に私が出した答えは。

 

「……とりあえずそれに賭けてみようか」

 

「スタ公正気か?」

 

「やってみないと分からないよ、とりあえず藁にもすがる思いで何でも試してみよう」

 

 オークスと秋華賞という二つのレースをダブルティアラと言い気持ちをごまかす作戦。

 

 正直あまりいい作戦とは言えないが、今は何が何でもサンをあの状態から救いたい。これが私の出した答えだった。



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第五十一話 北風は吹き止まない

 

「サン、いる?」

 

 部屋のドアをノックして部屋の中に居座る住人の存在を確認する。

 私がノックしたと同時に中から物音が聞こえたので、どうやら未だ部屋の中にその住人はいるようだ。

 

 ゲームセンターでプランニングやノースと話した次の日、さっそく私はプランニングから預かった作戦を実行することにした。一応サンに対して切るカードを増やそうと私も一晩中作戦を考えたが、何も思い浮かばなかった。そのため私が持っている作戦は本当にプランニングの作戦のみだ。

 

「作戦おったてたやつが来てねぇのが気にくわねぇな」

 

 グッドプランニングは何故か昨日から連絡がつかなくなっている。一応既読のようだが、返信は来ない。お腹でも壊したのだろうか。

 プランニングがいないと言う事を再確認したため、今一度現状を見返してみる。今日サンのメンタルを回復させる作戦についてきたのは、私はもちろんのこと、クライトとノースが来ていた。

 

「ダブルティアラを志せ……ね。上手く行けばいいのだけど……」

 

「それじゃあ、行くよ」

 

 私は先頭に立ち、ドアノブに手をかける。やはりどうしても、変わってしまった友人を見たくないという気持ちで怖くなってしまい手が震える。

 私がドアを開けるのを渋っていると、いきなり視界の端っこから手が伸びてくる。その手に驚いて後ろを見ると、クライトが私の手を掴むために後ろから手を伸ばしているようだった。

 

「クライト?」

 

「スタ公、……行くぞ」

 

 私の心情を察してくれたのだろうか、クライトは静かにそう言うと、私に合わせるようにしてノブにかかった手を待機させている。やっぱりクライトの根はやさしいのだと痛感した。

 ゆっくり深呼吸をして数秒、覚悟ができた。私はプロミネンスサンと言うウマ娘の親友だ、その親友が困っていたら助けなくてはいけない。

 

 クライトに目で合図をしてノブを下げる、それに合わせてドアがゆっくりと開いていく。少し開けただけなのに、中からの暗い雰囲気が私の肉体に滲んでいくように感じられる。

 私がサンの部屋に入ろうとしたその瞬間だった。部屋の中から手が伸びてきて開けようとしたドアを押さえられた。

 

「……また来たの?」

 

 ドアを押さえていたのはサンだった。サンは中腰でドアを開けていた私を見下すように睨んでいた。

 

「サン……そんな風に暗いままだと、競争ウマ娘として終わっちゃう。だから私は今日、本物のプロミネンスサンを取り戻しに来たの!」

 

 こちらを睨むサンにひるまずに用件を伝える。それを聞いてサンの怒りを招いたのだろうか、すぐにドアを閉めようとした。しかしそれをさらにクライトが押さえる。

 

「おっとサン、レース中ならまだしも、今この瞬間から逃げるのは許さないぜ」

 

「プロミネンスサン、とりあえず中に入れてもらおうかしら」

 

 それに釣られて、後ろの方にいたノースも腕を伸ばしてドアを押さえる。流石に1対2では力負けしたのか、サンがいる部屋のドアは簡単にこじ開けられた。

 

「ちょ……ちょっと……」

 

 部屋の中に入ると、布団から完全に姿を現しているサンが焦りながら立っていた。3人でぞろぞろと部屋の中に入ると、ノースは手慣れた様子でドアを閉めた。

 

「……そんなに無理やり入ってきて、何がしたいわけ?」

 

「さっきスタ公が言った通りだ、サン。俺たちは本当のプロミネンスサンを取り戻しに来た」

 

「わけわかんない、なにそれ……」

 

 クライトの言葉にサンは直球で言葉を投げかける。普段のクライトならぶち切れていただろうが、今に限ってクライトは冷静に言葉を軽くいなしている。

 クライトに続くように私もサンに言いたい言葉を考える、一応一晩かけてどのように言葉をかけようか考えてきてはいたので、サンの目の前に立ちふさがって言葉を抽出する。

 

「……サン」

 

 ゆっくりと、ただ小さくそれだけつぶやいて、サンの意識をこちらに向ける。意識の矛先を変えようとしている私の意思に気付いたのか、クライトは後ろの方に少し下がった。サンの方もクライトと同じように私が話したいことがあると気付いたようで、静かにこちらを見据えていた。

 

「確かにサンは、桜花賞を勝てなかった」

 

「その通りだけど、それが何?」

 

 桜花賞を勝てなかったという事実をリピートされるのが癪に障ったのだろう、ただでさえ不機嫌だったサンが更に不機嫌そうに受け答えをする。

 

「トリプルティアラがダメだったならさ、ダブルティアラを取ろうよ。……って言いに来たの」

 

「ダブル……ティアラ?」

 

 私が今回の話の肝であるダブルティアラと言う単語を出すと、案の定サンは困惑の表情を浮かべていた。ウマ娘の間では当然のこと、世間でもトリプルティアラという名称の方が当たり前のため、変に改造したダブルティアラと言う単語に対する反応としてはこれが自然な反応だろう。

 

「ダブルティアラって……え、なに、オークスと秋華賞を勝ってみろって事?」

 

 意外にもサンはダブルティアラと言う言葉の意味をくみ取ってくれた、説明する手間が省けたので私はサンにその通りだと告げる。それを受けてサンは一瞬呆れたような顔をして、カーテンがかけられて光しか見えない窓の外を見始めた。窓を見始めてしばらくした後、私の方を見て再び不機嫌そうな顔をして叫んだ。

 

「そんなくだらないことを話しに来たんならやっぱり帰って! もう話すことはないでしょ!!」

 

「あ、ちょ……っ痛すぎるっ!」

 

 私が片手に常備しているハリセンを奪われてサンにぶっ叩かれてしまった。遠慮なく力を込めているのか知らないが、ものすごく痛い。

 

 やはりプランニングの作戦は失敗してしまったか、次はどのような作戦でサンを救い出そうか、などと考えていると、後ろの方から葦毛の影が私の横を通った。

 

「……何、ノースブリーズ」

 

「あら、フルネームで呼ぶなんてずいぶん堅苦しいじゃないの」

 

「ちょ、ちょっとノース……」

 

「スタ公、待て」

 

 ハリセンで叩かれて非常に痛みを感じている頭を押さえながらノースを見ていると、殺伐としたオーラが出ているのが見えた。喧嘩の雰囲気になりそうだったので私が止めに入ろうとすると、クライトに止められてしまった。

 

「ちょっとクライト! なんで止めるの!」

 

 なぜ止められたのかよく分からないため、前でバチバチしている二人を刺激しない様に小声でクライトに質問する。

 

「スタ公、ノースの野郎がここで変にサンを見限って暴言を吐くような奴に見えるか?」

 

「……」

 

 クライトの言う通り、私達とノースとはなんだかんだジュニア期からの付き合いで、そのように感じる部分もある。だがしかし私達と出会った時のノースをクライトは忘れてしまったのだろうか。あの時のノースは、わざわざ他人を煽るような性格だったのだ、今回もサンに対して同じような態度で攻めるかもしれない。だからここで止めなかったらもっとひどいことになりかねないのだ。

 

「やだ! 絶対止めるから私!」

 

「落ち着けって! 見とけって! どうせほかの作戦ないんだろ!?」

 

 こうしている間にも向こうの方では勝手に話が進んでしまっている。しかし私がノースの方に行こうとしてもクライトが片手で私の制服のうなじあたりを持って抑えてしまうので、動くことができない。とうとう私は口も抑えられてただ見ることしかできなくなってしまった。

 

「サン、覚えているかしら、京都ジュニアステークスの事を」

 

「……あの時は見事な逃げだったよ、まぁ、勝ったのは私だったんだけどさ……」

 

「言うわね」

 

 口を押さえられているために何も止めに入れないが、既に会話の内容が喧嘩しそうな雰囲気を醸し出しているのが見える。サンも恐らくノースをイラつかせるためにわざとあのような言い方をしたのだろう。この場で喧嘩などされたら部屋の安否が心配だし、お互いにけがをしてレースにも影響が出るかもしれないため、それだけは回避したいが、それもクライトに抑えられて難しいかもしれない。私の額から冷や汗が滲み出てきた。

 

「でも、京都ジュニアステークスの勝ちウマにしてはずいぶん落ちぶれた姿ね。私の方が輝いて見えるわよ」

 

「何が言いたいの、ノースブリーズ」

 

「……私は今月の青葉賞に出るわ」

 

 青葉賞、4月に行われる東京レース場の芝2400mのG2レースだ。以前ノースが走った京都ジュニアステークスの2000mに比べかなり距離が伸びているレースだ。

 

「もしその青葉賞を見て、これ以上私の走りに敵わないと思うなら、二度とレースに出るのはやめなさい」

 

「何言ってるの?」

 

「だから、私の青葉賞を見て二度と私に勝てないと思うなら、もうレースに出るのはやめなさいと言ってるの」

 

 まずい、そろそろノースが煽るフェーズに入り始めたからいい加減クライトの拘束を解かなければならない。そう思いもがくがクライトの力が強すぎて全然抜け出すことができない。ノースが煽り始めたのはクライトも見てわかると思うのになんで止めるのか、これがわからない。

 

「私に煽られても、諦めずにレースに出て勝ちきるのが私の知っているプロミネンスサンだった! それなのに今のあなたはどう? 一度負けただけで落ち込んで、こんな風に回りの友人を振り払って、みっともないわよ。それでも私の青葉賞を見て『まだこいつに勝てる』と少しでも思うなら戻ってきなさい!」

 

「ノースブリーズ……」

 

 しばらくノースの言葉にボケッとしていた。

 

 正直驚いていた、クライトはこれを見越して私の事を押さえていたのだろうか。ノースはサンに対して煽りこそしていたものの、どこか応援しているような、サンに戻ってきてほしいという思いをひしひしと感じる言葉だった。

 伝え方は良くないかもしれないが、確かにいい作戦かもしれない。サンのウマ娘としての対抗心を呼び覚ますことで、ツインサイクロンに対するリベンジへのモチベーションにもなるかもしれない。

 

「シャインさん、クライト、行くわよ」

 

 ノースは突然振り向いて部屋を出ていこうとする、クライトもそれを見てもう終わりだと判断したのか私の拘束を解いてくれた。

 ノースやクライトに続いて私も部屋を出ようとするが、ふとサンが気になる。

 後ろを振り返りサンを見ると、サンはノースの言葉を受けてからずっとベットにおかれた布団を見ている。いや、布団を見ているというより、首を下げた先が布団だからたまたま布団を見ている風になっているだけかもしれない。何も言わず、ずっと座っていた。

 

 部屋を出てからのノースは、どこか決意したような顔で先頭を歩いていた。

 

「ね、ねぇノース……本当に青葉賞で走るの?」

 

「当然よ、サンに宣言した以上は走るわ。絶対に勝って見せるから」

 

 ノースはこちらを見ずに答える。

 

「そのためには今からトレーニングや調整を行う必要があるわね、あの人ならまぁ今からでも承諾してくれるでしょう」

 

 私が青葉賞についての質問をしてからノースは独り言のようにそうつぶやいている。その文章に出てきたあの人と言うのは恐らくアルビレオのトレーナーさんの事だろう。真剣なときのノースは見た事が無いが、今まで見たことのないノースの後姿に本気なのだと嫌でも悟ってしまう。

 

 青葉賞は4月の最終週の土曜日に行われる。それまでにノースの調整が終わり、見事サンのウマ娘の勝負魂が刺激されれば戻ってくるかもしれない。今はそれに賭けるしかないだろう。

 

「ねぇ、それにしてもクライト」

 

「ん? どうした」

 

「ノースがああいう風に言うってなんでわかったの?」

 

「さぁな、でもあいつの表情でなんとなくわかっただけだ」

 

「えぇ……」

 

 

 

「どうやらノースは青葉賞に出るようだね」

 

 いつものトレーナー室、今日もキングスがソファに座りながら何かの資料を整理している。

 

「G2、か。……随分と名誉の高望みをするようだな」

 

 キングスと同じく仕事を処理しているトレーナーも手を止めてそうつぶやく。

 

「まぁ構わないか、青葉賞にはキグナスのウマ娘は誰も出ない」

 

「……ところでトレーナー君」

 

 キグナスのトレーナーがいつものように獲物を倒すべきか倒さぬべきかの答えを出していると、キングスが突然トレーナーに話しかけた。

 

「いつになったら、私の事を見てくれるんだい……?」

 

「またその話か、いい加減にしろキングス。俺とお前はトレーナーとウマ娘と言う関係だ、それ以下でもそれ以上でもないんだ」

 

「しかし……いや、なんでもない」

 

 キングスは何かを言おうとしていたが、諦めたように意気消沈し資料の整理を再開する。

 

「俺がキグナスを設立したのは、俺自身の目標の為だ。それを達成するまではそれ以外の事を考えたくはない」

 

「それならば私も善処しよう……」



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第五十二話 暴風は追い風へ①


作者「今年5回目の副鼻腔炎発症しました、持病と言っても過言ではないはず」



 

「そ、それじゃあ私は部屋出てるから……」

 

 いつものようにそうつぶやいて同室の子は部屋を後にする。毎朝のいつもの光景。

 桜花賞が終わって数日は起き上がる体力もあったが、今ではもう起きる時から寝る時までほぼ同じ姿勢だ。

 

「あ、そういえば今日か」

 

 布団をかぶりながらウマッタ―を見ていると、今日のニュースが流れてくる。そこには『青葉賞にノースブリーズが出走!』と書いてある。

 二週間ほど前、ノースブリーズが出走すると宣言して帰って行った青葉賞、それが開催されるのが今日と言う事を思い出す。しかし見たところで私の気持ちは戻らないだろう、そんな見る意味もないレースをわざわざ見るつもりはさらさらないのですぐにウマホをスリープする。それに続いてうるさい天気予報を流していたテレビもすぐに消した。

 

「はぁ……寝よ」

 

 胸元までかけていた布団を頭の上まで引き上げて目を瞑る。

 

 目を瞑り暗闇を見ていると、ふとみんなの顔が思い浮かんできた。二週間ほど前にシャインやクライト、ノースに会ったのが最後であとは誰にも会っていない。同室の子はノーカウントで。

 

 桜花賞の次の日あたりからトレーナーさんにすらあっていない、今どうしているだろうか。私の事などどうでもよくなっているだろうか。

 

『一度負けただけで落ち込んで、こんな風に回りの友人を振り払って、みっともないわよ』

 

「一度負けただけか……」

 

 負け、という単語でこれほど落ち込んだのは初めてだろう。初めての負け、というより負けて悔しくてどうしようもなくなった時はトレーナーさんが何とか私の調整を済ませてくれて……。

 

「トレーナーさんが助けてくれて……」

 

 私が辛い時はトレーナーさんが励ましてくれて……

 

「トリプルじゃなくても、ダブルティアラを目指せばいい……か」

 

 久しぶりに体を起こした。久しぶりに体を起こしてトレーナーさんの元に行こうと思った。

 しかしドアの手前で体が止まってしまう、どうしても怖い。これほどまでの期間トレーニングをさぼった私をトレーナーさんは受け入れてくれるだろうか。今からトレーナー室に行ってもトレーナーさんはいるだろうか。

 

 そのような事を考えていると、脚だけが空しく後ろに動いて再びベットに座り込んで俯いてしまう。

 

「あ……」

 

 俯いた先には、私が先ほどテレビを消すだけ消してベッドの下に置き去りにしたテレビのリモコンがあった。

 

 青葉賞。私に青葉賞でのノースを見て熱くなる資格はあるだろうか……。

 

「くっそ……やっぱもうダメなのかな私……こんな事ばっか考えちゃって……」

 

 頭を抱えて自分を客観的に見つめているとそのような言葉が垂れてきて、時同じくして大きな水滴も目に浮かんできた。

 

 

 

「突然のスケジュール変更を承諾してくれて、本当にありがとう。トレーナーさん」

 

「いや、なんかホント、君の弾丸スケジュールには慣れたからさ」

 

 青葉賞が始まる寸前、東京レース場にノースと一緒に行き、本バ場入場を済ませようという時だ。地下通路でノースを見送ろうと歩いていたら突然ノースがそう感謝の言葉を森田トレーナーに伝えた。

 

「サン、見てくれるかしら」

 

「サンならきっと見てくれるよ」

 

 感謝の言葉を出したかと思ったら次の瞬間には急に不安そうな顔をして下を向いている。やはり青葉賞に向けての緊張感や、あのような状態になったサンがそもそも青葉賞を見るかなどの不安があるのだろう。そんな不安を消し飛ばすために私は間髪入れずに返事をする。

 

「ずいぶん自信があるのね」

 

 ノースは脚を止め、驚いたような表情でこちらを向いてそう言う。

 

「そりゃあね、入学当初からの友人だから」

 

「そっか……それもそうだったわね。あなたたちはまだ私達と敵対していた時より前から友人だった。私とランスみたいに、他の人からはわからない絆があるものね……ほんと、ごめんなさい」

 

 いつかの自分を思い出して羞恥心を感じているのだろうか。ノースは目を手で覆いながら恥ずかしそうにプルプルしてにやけている。確かにあの時のノースは私達に全力で牙を剥いていたが、それでも今のノースはあの時のノースに比べれば、すごくマシになっている。だから恥ずかしがらなくてもいいのだが。

 

「別にもうジュニア期の事は気にしてないよ、だから謝らないで」

 

「いいえ、たとえシャインさんが気にしていなくても、あのように挑発、弾圧といったようなことをしてしまった事が問題なの。だから私は私自身の為にこの罪を背負い続けるのよ」

 

 ノースは恥ずかしくてたまらない顔を必死に抑えながらそのように私に語った。これも意外な点だったのだが、ノースは意外と責任感が強いという事を最近知った。

 

「ちょっと長話しすぎたわね、それじゃあ行ってくるわ」

 

「うん、まぁ、君の勝利を願っているよ、ノース」

 

「あんなにトレーニングしてたんだもん、絶対に勝てる」

 

 青葉賞に出走するとサンに宣言したあの日から、ノースは死に物狂いでトレーニングをしていた。私達ウマ娘の20倍はあるであろう大きさのタイヤを引きずったり、森田トレーナーを将棋でボコボコにしたり、絶対に負けられないレースに勝つため、サンに強くなった自分を見せつけるためにノースは必死にトレーニングをしていたのだ。それほどまでの情熱があるなら、少しは期待して良いだろう。

 

「(サンに……私を打ちのめしたあのサンに、強くなった私を見せつけてやる…… 私のスケジュールに、諦めるという予定はないわよ!)」

 

 

 

「トレーナーさん、私ね、桜花賞から立ち直ったよ! 

 

 そうかそうか、桜花賞から立ち直ったか! それじゃあオークスに向けてトレーニングをしよう! 

 

 ……流石にそんなにうまくあっさりいかないよなぁ」

 

 寮室の真ん中で場所を移動しながら、私は一人部屋で何をしているのだろう。

 トレーナーさんと私の一人二役の会話劇など、やっても何も変わらないというのに。

 

「そろそろ発走する時間かな……」

 

 ふと時計を見ると、朝起きた時からあっという間に時間が進んでしまっていた。結局青葉賞を見ようかどうか、決心がついていない。もし青葉賞を見て私の気持ちが昂らなかったら、もしやる気が戻らなかったら。そう思うとテレビを付けようにもつけられないのだ。

 

「……もう半月経ってるし、もしかしたらトレーナーさんがトレーナー室にいるかもわかんないからなぁ。トレーナー寮でのシチュエーションもやってみるかぁ……」

 

 セリフを考えながら部屋を旋回する。リモコンは私のベットの上に放置してあるが、触る気すら起きない。

 

 

 

 見たところ、サンは観客席にいない。

 それは私が返しウマをしているときに観客席の前でシャインさんから聞いた事実だ。

 

「……どこにいるのよ」

 

 気合を入れて返しウマをしようとしていたが、サンが来ていないと聞いて私の気持ちは再び不安に駆られていた。

 

 やはり桜花賞でキグナスにメンタルをやられた状態では、私の青葉賞など興味も湧かないものなのだろうか。まるで敵同士、いや事実敵同士だったのだが、そのような状態で一度は走ったライバルと言っても良い存在にとって、自分のレースは見る価値もないのだろうか。

 

 サンはそのような事をする人ではない、そう頭では分かっていても、そのような思考だけが何度も浮かんできて涙が出てくる。

 

「私は……あなたに見てほしいのに……」

 

 もうしばらくすればゲートイン、発走の時間だ。サンの事は一旦忘れて、青葉賞に集中しなければ。流石にG2レース、集中していなくて負けたなど恥ずかしいだけだ。

 

「キグナスのノースブリーズ、かもしれないね」

 

「……誰ですか? 聞いたことのない声ですけど」

 

 私がサンの来ていない理由について考えていると、背後から声がしたため、しかし後ろに振り返る体力を使いたくないのでそのまま相手に聞こえるような声量で聞き返す。

 

「今日はいい天気だよ」

 

「質問に答えてもらえるかしら、あなたは誰?」

 

 口調だけ見ればシャインさんの友人マックライトニングにも似ているきがする、だがこの青葉賞にマックライトニングは出走しないはず。

 誰だ、という質問に対しての返答が帰ってこなかったため、少し威圧するようなトーンで再び聞き返す。しかし返ってくるのは天気の話のみだった。

 

「もしかしたら曇るかもしれないよ」

 

「いい加減にして、会話する気が無いなら無視するわよ」

 

「トレーナーさんが言うには、()()が沈んだみたいだよ」

 

「……どういう意味?」

 

「まぁ私には関係ないか、こっちとしてはたまたまアンタとレース被っただけだし。通り雨みたいなもんだよ。まぁ……お互いにベストを尽くそうよ」

 

「ちょっと! 待ちなさい!」

 

 私が後ろを振り返りそのウマ娘を呼び止めようとしたが、そのウマ娘はすでに私を追い越しており、私などもういないように振る舞って空を見上げながらゲートの方向に歩いて行ってしまった。

 どういうことだ、サンはキグナスにやられてあのような状態になった。確かにトレセン学園のウマ娘には、サンが落ち込んでいるのはちょっとした話題になっている。だがあのウマ娘の言い方は『トレーナーがサンの事を倒そうとしているような言い方』だった。

 

 しかし、キグナスにいた頃もあのような声は聞いた事が無い。新しいメンバー、という可能性も考えたが、もうトゥインクルシリーズが始まっているのにキグナスに所属するレベルのウマ娘が担当トレーナーを持っていないことなどあるわけが無い。

 

「……もう少しでゲートインの時間ね」

 

 話していて気付かなかったが、既に時刻は青葉賞発走の時間に迫っていた。返しウマはとりあえず終え、歩いてゲートの方に進んだ。

 

 

 

「もうダメだ……やっぱりやめよう……」

 

 いくら一人二役の会話劇をやって、覚悟を決めたつもりになってもやはりドアの前で止まってしまう。やはり私にターフに戻る資格はない。

 

「それほど悩むんなら、お前自身もターフに戻りたくなったんじゃないのか?」

 

「え? ……え? クライト? また来たの!? しつこいよ!」

 

 私一人しかいなかった部屋に突然別の人の声がしたため、声がした方向を見ると、クライトが窓レールに座りながらこちらを見ていた。というかなんで窓から侵入してきたのか。

 

 問題はそこではない、私はクライトが言ったようにターフに戻りたい、戻ってツインサイクロンにリベンジしたい。だけどやはり桜花賞が終わってからの私のように荒れてから、またケロッとターフに戻ってくるというのはかなり図々しい気がしてできないのだ。

 

「戻ってこいよ、サン。スタ公だってそう思ってるはずだぞ、なんならノースの野郎が一番お前の事を思ってるんじゃないか?」

 

「うるさい! 勝手に部屋に入ってきて、何しに来たの!」

 

 違う、私はクライトにこんな口調で話したいわけじゃない。思ってもない言葉が口から勝手に出てきてしまう。本当は前みたいに仲良くしたい、元気な私で話したいのに。

 

「まぁ俺は何を言われようが構わないけど。それよりいいのか? あいつのレース見なくて」

 

「……青葉賞の事?」

 

「ご名答。あいつはお前を立ち直らせるために猛練習してたぜ? そんなレース、見てみなくていいのか?」

 

 クライトは地面に落ちていたテレビのリモコンを私に差し出してくる。

 

 私はゆっくりとそれを受け取り、液晶に向け、赤いボタンを押した。

 

「……え」

 

 画面に映し出されていたのは、残り1000mの青葉賞。しかしノースは先頭にいない、逃げの作戦を打つノースは、先頭にいるのが普通だ。しかし今映像として映し出されているのは、ノースがいない先頭集団だった。

 

 いや、それどころか、ノースがいるのは、普段シャインがいるような後方集団だった。

 

「何を……何をしてるんだああああ!!」

 

 

 

「はぁっ……ぐっ……はぐっ……」

 



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第五十三話 暴風は追い風へ②


作者「前書きで一言つぶやくことに味をしめました。それはそれとして特殊タグで暴れました、もっといいやり方あったら教えてください」


 

『さぁもうすぐ1000mを通過します青葉賞、逃げの作戦を打つはずの16番ノースブリーズが後方に回っており、現在先頭は3番……──』

 

「なんなのよ……あのウマ娘……」

 

 レース中盤、私がサンとの戦いで見せた武器である深呼吸を忘れ、スタミナの補給を怠ってしまった。そのためかなり後ろの方に沈んでしまったが、何も問題はないだろう。ちょっと肺が痛いだけだ。そんなもの耐えればいい。

 しかし心配なのは前の方で私を追い抜いたウマ娘。あれは先ほど、私が返しウマをしている最中に話しかけてきたウマ娘の姿だ。

 

「このまま、逃げ切ってやる! サンの闘志に火をつけてやる!」

 

「霧雨 小雨 大雨 津波、風はどんどん荒れていくかもよ。荒れれば、力が分散されるかもよ」

 

「んなっ……」

 

 これはほんの十数秒前の出来事だ。

 先頭で逃げていた私は、このまま逃げ切れるだけのスタミナを補給するために深呼吸を挟もうとしていた。しかしそんなときに、後ろからあのウマ娘がやってきたのだ。このレースの残りの距離は約1000m、距離的にかなり早めのスパートをかけ始めたのだろう。

 

 異様なのはその走り方。

 ウマ娘の走り方には二つの走り方がある。

 一つはピッチ走法と呼ばれているもの。これは簡単に言えば地面を蹴る回数、すなわちピッチを増やし、前に進む推進力を持続し続けるというものだ。

 

 もう一つはストライド走法と呼ばれているもの。こちらは先ほどのピッチ走法とは違い、逆に地面を蹴る回数を減らす。その分大きく足を延ばし、常時跳ねているような状態にする走り方だ。

 

 あのウマ娘の走り方はぱっと見ればピッチ走法にみえるかもしれない。だがそれにしては地面を蹴る間隔が長い、ストライド走法にも匹敵するくらいの長さだ。さらにあのウマ娘は、ピッチ走法と言うわけでもないのに一歩一歩をわざわざ脚が曲がるくらい踏み込んでおり、非常に非効率的な走り方をしている。そんな走り方なのに、先頭にいる私を追い抜いてきたのだ。あの走り方であのスピードを出せば、脚に想像できないくらいの負荷がかかり、いつかは脚が壊れてしまうだろう。いやそれどころか、痛みで走ることすらままならない状態になるのが先のはずだ。()()が今のはずだ。

 

 それなのに、なぜ私を追い抜くくらいのスピードを出せたのか……? 

 

「とりあえず落ち着かないと駄目ね……スゥ──……」

 

 兎にも角にも、今の状況は『私が後ろの方にいる』という状態だ。まずはこの状況を打開しなくてはならないため、深呼吸を行い、スタミナを多少回復させる。

 

「……よし、行こう!」

 

 ある程度深呼吸を挟み楽になった私の体は、脳からの信号を受けて再び前に進み始めた。

 

 

 

「っっっはぁぁぁぁぁ……ノースが上がってきた……」

 

「んだよ、意外とお前も心配なんじゃねぇか」

 

「うるさい、シャインのハリセンまだあるからね」

 

「おー怖、下げてくれよそのハリセン」

 

 クライトに手渡されたリモコンで思わずつけてしまった青葉賞、そこに映し出されていた最後方に位置するノースは、私が青葉賞を見始めて数秒、ようやく前に上がってきた。

 テレビを付けたらいきなり負けそうになっているとは本当にどういう事だろうか。私にあのような事を言っておいてこのような醜態は見ていられない。

 

 しかしまぁ、一応ノースは前の方に上がってきたので、青葉賞は最後まで見ることに決めた。

 

「ねぇクライト、シャインって東京レース場にいるんだよね?」

 

「ん、あぁいると思うぜ」

 

 ふとあることを思いついたので、クライトにシャインの居場所を確認した。クライトは特に何も考えていないような様子で頷き、確認は取れたのでウマホを取り出す。

 

 

 

「いやぁ……本当に……頼む、あの子を、ノースを勝たせてやってくれぇぇ……」

 

「そこまで神に祈るような声を出さなくても……まぁ心配か。……んにょっ」

 

 森田トレーナーとノースの青葉賞を見ていると、私の腰あたりに不気味な振動が走ったため、変な声が出てしまった。振動の犯人はポケットに入ったウマホのようだった。

 

「まったくまったく誰なのこんな大事な時に」

 

 ウマホから発せられる音を聞くと、どうやら誰かから電話が掛かってきているようだ。ノースの青葉賞を見ていたというのに誰が私に電話をかけているのだろうか。

 

 と思い画面を見てみると、私に電話をかけてきているのはサンだった。しかもただの通話ではなく、ビデオ通話で。私は迷わず応答ボタンを押し、画面に顔を向ける。

 

「シャイン! 今レース見てる!?」

 

 画面が繋がるなりサンは急いだ様子でそう聞いてくる。見てるも何も今絶賛走っている最中で、ちょうどスタンド前に来そうな状態であることをサンに伝えた。

 

 

 

「っすぅぅぅぅ……」

 

『今日は後方に下がってしまった16番ノースブリーズが、どんどんと前に上がってきた! 以前のレースでプロミネンスサンに敗れてしまったが北風はいまだ健在だ!』

 

 アルビレオでトレーナーさんと一生懸命トレーニングをしたおかげだろうか。以前の深呼吸はある程度走りが落ち着いた状態でなければ使えていなかったのだが、今の私は本格的に走っている最中にも深呼吸を行う事が出来ている。そうしている間に、あっという間に先ほどのウマ娘が目の前に来ていた。

 

「あなた……風はどんどん荒れていくって言ったわね!?」

 

 私を追い抜いたウマ娘に並びかけた時、私はそのウマ娘にそう声をかける。

 

「風はね……荒れれば荒れるほど、力を増すのよ! 分散なんてできないくらい、荒れてやるわよ!」

 

「私は、風の力を分散できるかもよ」

 

 そのウマ娘に並び、再び私が先頭に舞い戻ろうとした瞬間。なんとそのウマ娘は、さらにスパートをかけるような体制に入った。

 

「!? 無茶よ! その走り方じゃあなたの脚が!」

 

 走り方が無茶だと言う事は、先ほど最後方を走っているときに嫌というほど感じていた。だから私は思わずそのウマ娘を止めるような言葉を精いっぱい叫んだ。

 

「あーもう、さっきからうるさいよ」

 

 私の抑止の言葉を踏みにじるような目線を一度こちらに送ると、なんとそのウマ娘はどうみても脚に異様な負荷がかかる走り方で加速していった。

 おかしい、たとえ素人目には分からなくとも、私には分かる。あの走り方で加速しようものなら、たちまち脚は限界を迎えて麻痺や硬直、下手をすれば骨折まで行くだろう。そんなことが出来るわけが無い、はずなのだ。

 

「あと私は()()()じゃない。ウェザーストライクだよ」

 

『16番ノースブリーズが再び先頭に立ちかけましたが、3番ウェザーストライクがそれを受けて突き放す! 北風があともう少しのところで届かない! やはり天気そのものに勝つことはできないのか!』

 

 離されていく、スパートをかけた私が意味不明なウマ娘に離されていく。

 

「まだだ! まだ……サンに見せつけるのよ! 強くなった私を!」

 

 もはや前を見る余裕などない、首の力を抜き、下に俯きながらひたすら前を目指す。しかしいつまで経ってもウェザーストライクと名乗るウマ娘を抜ける気がしない。

 

「うわ! もっと! 走れノースゥゥゥ!」

 

 観客席からもトレーナーさんが叫んでいるのが聞こえる。いや、それどころではない、もう観客席の前を走っているのだ。一瞬だけ顔を上げてハロン棒を見ると、6という数字が表記されていた。

 

 

「ノ────ス────!!」

 

 突如聞こえたその叫び声、観客席の方から聞こえたその声は、サンのものだった。

 

 その声に脊髄反射するように頭が動き、声が聞こえる箇所を探す。しかしどこにも見当たらない、どこを探しても、サンの姿が見当たらない。

 

「ノォォォォスゥゥゥ──ー!!」

 

 ふとシャインさんの姿が見える。シャインさんは手に何かを握っており、それをよく見るとシャインさんのウマホだった。そしてそのウマホにはしっかりと、ビデオ通話でサンの姿が映し出されていた。

 ああ、やっと。やっとサンがレースを見てくれていると確信を持てた。サンはこの青葉賞を見ている。そう思うとさらに私の脚が加速するのを感じた。

 

 いつもとは違って最後方からの上昇をしたからだろうか、脚がおかしいくらいに軽い。前の方にいるウマ娘に対してどんどん()()()()()()いき、確実に追い込んでいくこの感覚、これがいつもシャインさんが感じている感覚なのだろうか。ただでさえ速度が出ている私の加速力がさらに上がった気がする、もしかしたらうぬぼれかもしれないが、これを私の新たな武器と言っても過言ではないだろう。

 

「よしっ! ここまで来たわよ……!」

 

 ひたすら走り続け、前の方で聞こえていた地面を蹴る音が真横に近づいてきたため横を見ると、私は既にウェザーストライクと並んでいるどころか先頭に舞っていた。

 

「これで一着に……!」

 

「だから、うるさいよって」

 

「まだそんなことを……」

 

 私が先頭に舞い戻り、あとは後ろの集団を振り切るだけだと意気込んだ時、なんと驚くべきことに、ウェザーストライクは更に脚を食いつぶすような無茶な走り方をし始めたのだ。

 姿勢こそ安定していないのに、なぜか私と同等かそれ以上の速度を出しているその光景は、もうこの東京レース場に来ている人すべてが感じていることだろう。

 

「嫌だ! 絶対に負けたくない! 私は負けたくなぁぁいっ!!」

 

 私は、私自身が持てる最大の力を持って地面を蹴り続ける。しかし私がそれほどまでに頑張っても、ウェザーストライクはじわじわと私より前方に突き抜けていく。

 

『ノースブリーズとウェザーストライクの一騎打ちか!? 後ろのウマ娘達もノースブリーズに追いつきかけているがその差が縮まらない! やはり一騎打ち!』

 

 だが、サンにこの青葉賞を見られていると確信した今、絶対にこのウェザーストライクに負けるわけにはいかない。『私の走りがお粗末なら帰ってこい』と言ったことを宣言したのはいいとして、だとしてもレースに負けてしまってはサンに合わせる顔が無いのだ。たとえ死んでも勝たなければならないと、私のプライドが叫んでいる。

 

「私がライバルと認めたウマ娘が、そんなにギリギリの勝負をするな──ーっ!!」

 

「っっ! うああああ────っ!!!」

 

「そんな……アンタは少し頭がイカれている……!」

 

 サンの追い打ちのような叫び声に私の心は更に燃え上げられ、今再び私と言う北風は追い風になった。太陽による熱で、上昇気流になるほどに熱され、前に進んだ。

 

「……っあああっ……は──っ……」

 

 死に物狂いで走り続け、何とかゴール板を駆け抜けた私は、急いで電光掲示板に目を移す。サンの声援によって加速したつもりなのはいいが、ウェザーストライクを抜けた気がしてないからだ。もしこれで万が一負けていたというならば私は恥ずかしくて今後外を歩けないだろう。

 

 そして、電光掲示板に書かれていた着順は──。

 

 

東京11

 

   >写真

 

 

 

14

 

「写真……」

 

 リプレイ映像を見ても、私のウェザーストライクはならんでいるように見える。写真判定でもおかしくはないだろう。

 

 沈黙。

 先ほどまで私のウェザーストライクの一騎打ちを見て熱くなっていた観客席は、いつの間にか沈黙で包まれていた。

 

「まさか私についてくるウマ娘がいるなんて思わなかったよ。意外とアンタ、強いのかもよ」

 

 ウェザーストライクは、ゴール後に私に近づいてきてそう語りかける。

 私はその声に答えず、ただ目を合わせて何も言わずに視線を電光掲示板に戻した。

 

 確定はまだしない。

 

 負けていたらどうしよう。

 

「昔の私は、地方ですら活躍できないようなウマ娘だったよ。でも、今のチームに入ることで活躍し始めていたんだよ。そんなとき、私が走るこの青葉賞で、キグナスのウマ娘が走るって聞いて、すごく楽しみにしてたんだよ」

 

 先ほど話しかけに来たウェザーストライクが未だ語り続けている。

 

「そして今日、私は中央の最強チームと呼ばれたチームのウマ娘に勝つんだよ」

 

 なんだ、そういう事か。

 この子はただ嫌味ったらしい子ではない、私が思っている以上に熱い子だったようだ。ただ、割と大多数の人を勘違いさせるくらいには毒舌気味だが……。

 

「キグナスとあなたのチーム、どちらが勝つか見ものね。でも残念、私はもうキグナスなんていうチームじゃないの。覚えておきなさい……私が所属しているチームは、いずれ学園最強になるチーム、アルビレオよ」

 

 私がウェザーストライクに向かって放つ言葉を言いきったと同時に、観客席から歓声が巻き起こる。どうやら着順が確定したようだ。

 

 先ほどのウェザーストライクとのやり取りを経たからか、今はもう負けるかもしれないという不安はない。ゆっくりと電光掲示板に目を移す。

 

東京11      確定

 

   >同着

16

   

   2/1

   

14

 

「どうやら電光掲示板には、私たちの決着を先延ばしにしろと書いてあるみたいね」

 

 電光掲示板と目を合わせたまま、ウェザーストライクにそう語りかける。

 

「……快晴すぎて、上昇気流が生まれるなんて思わないよ。それじゃあ私の所属しているチームの名前、覚えていってよ。……タルタロス

 

 タルタロス、確かマル地のウマ娘を活躍させているチームだったか。それだけ言うと、ウェザーストライクは観客席の前に手を振りに行ってしまった。

 私もシャインさんの所に行かなくては。

 

 

 

「シャインさん!!」

 

 観客席を一通り探し、シャインさんがいる箇所にやってきた。しっかり最前列に出てきているあたり、流石と言うべきか。最前列に来てくれていたからこそ、サンの声を聴くことができたし、今回の事と言い、アルビレオの時の事と言い、シャインさんには感謝してばっかりだ。もちろん、サンにも。

 

「ノース……」

 

 ビデオ通話越しにサンがそうつぶやいたのが聞こえた。正直歓声で全く聞こえてないに等しいが、全力で聴覚を働かせて聞き取った。

 

「……悪いわね、これじゃあ私の走りに圧倒されて、ターフに戻ってくる気がなくなったかしら?」

 

 私は煽るようにサンにそう言う。当然、私はサンをみすみすターフから退かすためにこう言ったのではない、答えはわかりきっているからだ。

 

「……同着でしょ? それじゃあ私を圧倒する事は出来ないよ。……また、別のレースでもう一度走って、ノース」

 

「……やっと、()()()って略して言ってくれたわね」

 

 レースに勝って、サンの心も取り戻した。

 勢いで始めたこの青葉賞だったが、私が望んでいた最高の展開になって、もう言う事は無い。

 

 

 

「おはよう……?」

 

 ゆっくりとトレーナー室の扉を開ける。もうこのトレーナー室に来るのは何日ぶりだろうか。

 トレーナーさんがいなくてもいい、いや、いてくれた方が良いのだが、長期間トレーニングをさぼった私を待つなどあり得ないからあまり過度な期待はしていない。ただ、またトレーニングを再開したいがために、トレーナーさんに私の気持ちが復活したことを伝えるために私はこのトレーナー室にやってきた。

 

「……おはよう、サン」

 

「トレーナーさん……!」

 

 扉を開けてゆっくり中を覗き込むと、なんとトレーナー室のソファに私のトレーナーさんが座っていた。信じられない、あれほどの期間サボっていたというのにまだ私が来ると信じて待っていてくれたのだろうか。戸惑いで言葉が出てこない。

 

「嘘……なんで……ずっといたの……?」

 

「ええ、サンは必ず戻ってくるって、信じていましたよ」

 

「でも……なんで信じられたの……」

 

「サンの事ですから、またどうせ落ち込んでるんだと思って、待っていれば帰ってくると確信してたんですよ。全く、相談してくれれば私も一緒に悔しさを背負いますよ。……もうちょっと頼ってください、サンは、私のたった一人の担当ウマ娘ですから」

 

 トレーナーさんはそれだけつぶやいて、トレーニングメニューの紙を差し出してきた。

 もう私の顔は涙でびちゃびちゃになってロクに見えないが、かなりぎっちぎちの密度なのは見える。

 

「今日からは今までの分を取り返すために、ハードなトレーニングをしますよ。しっかりトゥインクルシリーズに復帰するために!」

 

「……うん!!」

 

 あの日説得に来てくれたシャインやクライト、そして何より私の心の火を再点火してくれたノースに感謝をしながら、私はトレーナーさんからトレーニングメニューを受け取った。

 

 



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第五十四話 うなぎのぼりが妥当かなっ!


作者「作者はナイスネイチャ推しです」


 

「どうも、今朝はいい調子、ですかね」

 

「……原田トレーナー」

 

 トレセン学園のグラウンドにて、キグナスのトレーナーに原田は近づいた。キグナスのトレーナーが普通のトレーナーではないと語る原田が話しかけてきたために、一本だけ眉にしわを作り、キグナスのトレーナーは受け答えをする。

 

 話自体は他愛のない世間話だった。トレーナー活動の話、最近のG2・G3のレースで活躍しているウマ娘の話など、何一つ違和感はない会話だった。

 

「ところで、面白いものを持っているみたいですね。もしよかったらなんですけど、見せてもらえませんか?」

 

 突然原田が話の見えない発言をする。何の脈絡もない、急な要求。

 

「なんのことですかね、よく分かりませんが」

 

 キグナスのトレーナーは何か心当たりがあるように目を痙攣させつつも、そんなものは無いと言い切る。しかしそんなことを言われるのは知っていたかのように、まるで予定通りと言わんばかりに、原田はある一点に手を伸ばし、あるものを取り出した。

 

「なっ……!?」

 

「さしづめ盗聴、録音ってところですか。良く出来てますね、これ」

 

 原田が自らのスーツから取り出したものは、四角く黒いもの。何かの機械にも見えるし、ただの四角いものにも見える。

 

『いえ、ですのでトリプルティアラがダメなら、ダブルティアラ、つまりオークスと秋華賞を狙えば良いのでは? という意見です』

 

()()からはあるウマ娘の声と思われる音声が流れている。黒い端末に映し出されている日付は数週間前のものだった。これは小型の盗聴器だ、キグナスのトレーナーがそれぞれ違う店で素材を買い、自らで開発したため購入履歴も存在しないような代物。

 

「なるほど……これはついこの間()()()ウマ娘の声ですか。へぇ……プロミネンスサンを復活させることになった要因だからですか?」

 

「……」

 

 原田はその盗聴器をにやにやしながらいじっている、焦っているキグナスのトレーナーの反応を楽しみながら。

 

「これは貰っていいですよね? 何かと便利そうですし。……もちろん拒否はしませんよね? もし拒否というなら、これを証拠として学園に告発させてもらいます。まさかあのキグナスが初めてボロを出すなんて、思いもしませんでしたよ」

 

「……五重のカギをどうやって……」

 

「……さぁ? 私にもわかりません。勘ですよ、カ・ン」

 

「ふざけるな! そんなことあり得るはずがないだろう!」

 

「まぁ、私もこれを使うかもしれませんし、承諾さえしてくれれば告発はしないと誓いましょう。拒否すれば……無論です。拒否出来ればの話ですけどね」

 

 原田はそう言いながらどこかに歩き去って行った。残されたキグナスのトレーナーは地面に片方の膝を突き、手で頭を押さえる。

 これまで学園内のウマ娘、トレーナー、そして生徒会にすらボロを出すことが無かった自分が、初めてボロを出してしまったショックにキグナスのトレーナーは打ちひしがれていた。

 何より、なぜ端末の存在がバレてしまったのか、理由が分からないがゆえに、さらに原田・タルタロスに対しての嫌悪感が増していた。

 

「……クソ……」

 

 そのショックから出るのは、その一言のみだった。

 

 

 

『さぁ外から回ってくるのはマックライトニング! 内からはプロミネンスサン! 今日も逃げているがじわじわと詰められている! しかし! プロミネンスサン! プロミネンスサン! 今日は逃げ切った──ー!!』

 

 京都新聞杯 プロミネンスサン  1着

 

 マックライトニング 2着

 

『最後方に位置している一番人気スターインシャイン! 今日も上がってきている! しかし前はまだ遠いぞ! 届くのか!?』

 

「シャインちゃーん! 言われた通りちゃんと友達も何人か応援に呼びましたー! けっぱるべー!」

 

「にゃはは~、いつの間にかこんなに人気者になっちゃって~」

 

「スペちゃんの友達の事はあまり知らないけど、頑張るデェェス!! グラスの薙刀をお守りに持ってキマシター!」

 

「エル……?」「デェェェス! ウッ!」

 

「ウソでしょ……」

 

『先頭のウマ娘はもうくたびれている! スターインシャインが後ろから襲ってくるぞ! スターインシャイン! 差し切ってゴールイン! 皐月賞ウマ娘の称号は伊達じゃない! NHKマイルカップも制した! G1三勝快勝!』

 

「ふぅ! ……ほんのちょっぴり力借りましたよ、エルさん」

 

 NHKマイルカップ スターインシャイン  1着

 

 

 

「それじゃあ……サンの復活とシャインのG1三勝を祝って……」

 

『かんぱぁぁぁい!!!』

 

 夕方、今日開催されているメインレースをすべて見終わり、興奮冷めやらぬ状態でトレーナー室は盛り上がっていた。いつかの時に見たことがあるトレーナー室の装飾、多分あの時の使い回しだろうが、むしろこれだから安心するまであるかもしれない。

 

 今行われているのは、桜花賞で敗れてメンタルが落ち込んでいたサンが京都新聞杯で復活したことと、私がNHKマイルカップを勝利したことでG1の勝利数が三勝になったことを祝うパーティだ。何かと大きな出来事が起こるたびにこうやってパーティを開いていると浮かれていると思われるかもしれないが、この三人とトレーナーさんの仲だから許してほしい。

 

「お前とシャインちゃんには離されてばっかりだな、橋田」

 

「いやぁそんなこと……ありますかね?」

 

「調子に乗らないっ!!」

 

「痛っったぁ!!」

 

 私の隣でポンジュースを飲みながら調子に乗っているトレーナーさんを、サンから返してもらったハリセンではたく。

 もはやこのハリセン芸もおなじみになってきたように感じる。

 

「しかし……橋田、お前最近トレーニングが適当になってきてるんじゃないか? たまに見に来ると、前に比べて……というか、今年就職したような新人トレーナーのトレーニングより甘いぞ」

 

「そうですかね? まぁでも、困ったときにシャインには想いの継承があるからな」

 

「あったりまえよ!」

 

 しかし、皐月賞やNHKマイルカップでも見せたように、私には想いの継承があるため多少トレーニングが甘くても大丈夫ではあるだろう。いざとなったらまた厳しいトレーニングをすれば良い。

 

「それにしても、サンもよくやったよねぇ。ほぼ一カ月活動してなかったのにそこから猛トレーニングして本調子に戻したんだから」

 

 ノースが走った青葉賞以来、サンはモチベーションを取り戻してトレーニングを行っていた。

 ずっと部屋の中にこもるという生活をしていたサンだったが、なんと4日ほどで調子が戻ってしまったのだ。

 そんなトレーニングについていくサンもすごいし、それを()()()()()()()()()()()()()()()メニューを組めてしまう木村さんが凄すぎる。

 

「ホント、私のトレーナーさんには頭が上がらないよ」

 

「スタ公、サンの奴を褒めるのもいいが、やってることで言えばお前も大概だからな」

 

「えぇ……そんなこと……あるかな?」

 

「ふふふ……シャインよ……調子に乗るなぁっ!!」

 

「痛っったいんだけど!?」

 

 想いの継承もこの数週間の間で使いこなせるようになっている。そのレースに関わりのあるレジェンドウマ娘の方々と仲良くなったりするのは大変だが、それだけ苦労した分発現した時の威力は絶大だ。 ってかトレーナーさんが私のハリセンを使いこなしている。

 

「おかわり貰ってもいいですか?」

 

「……ご飯が……もう少ない……?」

 

 ちなみに、この場にはダービーウマ娘のスペシャルウィークさんもご招待している。

 

 その後、みんなでご飯を食べたり離したりして、私とサンを祝う会はあっという間に終わってしまった。部屋に残った私とトレーナーさんは、二人でトレーナー室の装飾を外して片付ける。

 

そして、みんなが帰って一通りの後処理が終わったトレーナー室。

 

「さて、シャイン。二次会・兼・ダービーに向けての作戦だ」

 

 お互いにソファに座って、日本ダービーが行われるレース場もとい、東京レース場のコース図を広げる。

 

『ヴィクトリアマイル! 制したのはビッゲストタワー!』

 

 今日の日付は5月15日、ヴィクトリアマイルのリプレイを見ながら、もうすぐ行われる私の運命のレース、日本ダービーの作戦会議を始めた。

 

 NHKマイルカップが終わり、もう残す所はダービーと菊花賞のクラシック三冠レース、G1・ジャパンカップ、秋の天皇賞、ほかには宝塚記念と有馬記念のグランプリレースのみだ。

 その第一歩、日本ダービー。私は既に皐月賞を勝っており、一冠を手にしている状況。ダービーを勝利する事が出来れば、残りは菊花賞だけになる。絶対にクラシック三冠を取りたい身としては、必然的にダービーで勝たなくてはならないのだ。まぁ、想いの継承を使えば二倍近く強くなれるので、私が勝つのは目に見えていると言ってもいい。

 

「とりあえずだな……やっぱり狙いは想いの継承だな。ダービーに深く関わりのあるウマ娘といえば、やはりスペシャルウィークやトウカイテイオーといったあそこらへんの強いウマ娘だ、しっかり仲良くなったな?」

 

「うん、というか入学式の日にスペシャルウィークさんには会ってるよ」

 

 これはNHKマイルカップの時に分かった事なのだが、私の想いの継承にはある程度ムラがあるようで、対象のウマ娘とあまり仲がよくなかったりすると、力を完全に継承できない時がある。その証拠に、NHKマイルカップの際に継承したエルコンドルパサーさんの力は、2~5割くらいしか継承出来てないといった手ごたえだった。

 そのため、私達は何か重要なレースに出て、想いの継承を発動したいときはあらかじめそのレースに勝ったウマ娘や関わりが深いウマ娘を調べて仲良くなるようにしたのだ。

 

「そうだなぁ、とりあえず想いの継承さえしちゃえばお前勝てるしなぁ」

 

「この体質のおかげだねっ。三冠ウマ娘になったら、ファンの人にたくさん囲まれちゃうのかなぁ……レースの賞金でちょっとだけ美味しいもの食べても許されるよね?」

 

「アンタが三冠ウマ娘になるのか、それとも拒まれるのか、気になるところだね」

 

 私がトレーナーさんとダービーに向けての作戦を立てていると、部屋に入ってくる人物がいた。ドアの方を見ると、クラシック期が始まってすぐくらいの頃に山の中で出会ったドンナさんが来ていた。初めて見た時よりもラフな格好をしていて、意外な一面を見てしまった気分だ。赤いバッテン柄がイカしている。

 

「ドンナさん! 学園に来てたんですか!?」

 

「ちょっと食材の買い足しのついでにね、それに山の中に一人だと人との会話が恋しくなるんだよ」

 

 確かに、あれだけ広い土地で優雅に暮らせるとはいえ、近くに何もお店が無いから食材も有限、それに人もいないから孤独になるのは仕方ない事なのだろう。まして現役時代などどこに行ってもライバルやトレーナーさんと一緒だっただろうから、なおさらだ。

 

「そんな風に未来への希望や妄想を膨らませるのはいいけど、今の時代は完全にアンタが先頭を走ってる、それをよく思ってない連中もいる。思わぬ伏兵にやられる可能性だってあることを、忘れちゃいけないよ」

 

「分かってますって!」

 

「それならいいけど」

 

「なんですか~、私なら大丈夫ですよ~。ちょっとした新しい武器を手に入れたんで!」

 

 ドンナさんはまるで私が分かってないような顔をしているので、ちょっとだけ顔を膨らませて私の現状について自慢げに報告してみる。

 

「それなら、その武器の長所をしっかり生かせるようにしっかり練習しておきな。アタシはそろそろ行くからね。……日本ダービー、頑張りな」

 

「はい!」

 

 部屋を出ていく寸前に、ドンナさんはそれだけ言い残して帰って行った。キグナスに消されることを危惧してなのか終始不安そうな態度であったが、なんだかんだ私の勝利を願ってくれていると分かって安心した。

 

「さて、まぁ今日の作戦会議はこんな感じだな~」

 

「そうだね! 寮の門限までまだあるから、どこか出かける?」

 

「いいねぇ、特大ジャンボたこ焼き食べに行くか!」

 

 

 

「……」

 

「どうしたんだい? 顔色が悪いようだけど……」

 

 一通り全員のトレーニングが終わり、いつものようにキグナスのトレーナーがトレーナー室でレースの分析などをしていた時。キングスが机に突っ伏し始めていたトレーナーに心配するような声をかける。

 

「いや……なんでもない……」

 

「……今日の君はすごく珍しい行動ばかりだ、何かあったと考える以外にない」

 

「……最近、あまりにも予想外の事が起きすぎてな……」

 

「ノースの事や、スターインシャインの事だね?」

 

 キグナスのトレーナーは顔を上げ、声は出さずに頷く。心配をしてくれたキングスに礼を伝えた後一度深呼吸をし、一口珈琲を飲むと、キグナスのトレーナーは再び資料の整理を始めた。

 

「心配だ、最近の君は少し頑張りすぎているんじゃないか? 今度少しだけ休暇を取った方が良い」

 

「……キングス、俺はキグナスのメンバー全員を最強にする。それがあいつとの──」

 

 トレーナーは途中で言葉を止める。トレーナー室の扉がノックされたからだ。

 

「入れ、リボルバー」

 

「失礼します」

 

 扉を開けて入ってきたのは、きれいな黒髪をなびかせたウマ娘。リボルバーと呼ばれたそのウマ娘は、静かにトレーナーが座っているデスクの前に歩いていき、喋り始める。

 

「報告します、私のスタミナについての調()()が終わりました。金泉トレーナーには予定通りスピードトレーニングを施行してもらうよう申請をしました」

 

「そうか、やっと調整が終わったか……長かったな。お前もキングスと同じく特殊な体質で、1年ほど綿密なトレーニングを行わないと能力が覚醒しない、なかなか厄介な体質だ。だが今、その調整が終わり、今やお前は5000mでも走れるような心臓を手にできた」

 

「はい、ジュニア期の時から今日に至るまで、私の事を見捨てずにトレーニングをしてくれて、本当にありがとうございます」

 

「その感謝は金泉にも伝えておけ。リボルバー、これからはお前の時代だ、今の世代を圧倒するんだ」

 

 キグナスのトレーナーの言葉を聞き、リボルバーと呼ばれるウマ娘は礼をしてトレーナー室を出て行った。

 

()()()()()()()()……三つの心臓を持つウマ娘、と言ったところかな、トレーナー君」

 

「ああ、スターインシャインのあの能力を上回る力を、リボルバーは手に入れた。……しかし、俺の助言が少しあるとはいえ、よく金泉もリボルバーの能力を覚醒させたものだ。そこは感謝しなけらばならないな」

 

「……ところで、私が苦労して買ったモンブランが開封、完食されていたんだが……トレーナー君、知っているかい?」

 

「……今度予定を開けよう」 「まったく……」

 



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第五十五話 風を感じる


作者「ちなみに作者は活字が読めません。ピクシブとかの数千文字なら軽々読めますが、数万文字になると眠くなります」


 

「ふ……ふぃ~」

 

 前より厳しくなっていると感じるトレーニングを終えた私は、走り続けてへとへとになった体をベンチで休ませる。ベンチで休んでいると、トレーナーさんが水分を持ってきてくれた。

 

「おつかれさまです、サン」

 

「まだまだ! オークスには絶対勝たないといけないから! これくらいでへこたれる私じゃないよ!」

 

 私は水分を一気に飲み干して、トレーナーさんにピースしながら元気に答える。少し前までは部屋にこもって落ち込んでいた私だが、今となっては嘘のように元気に活動している。改めてノースやシャイン、クライトに感謝だ。

 

「ふふ、そうでしたね。……それじゃあもう二本くらい行きますか」

 

「うげ、本当に言ってる? もう私走れないんだけど……」

 

「これくらいでへこたれないんですよね?」

 

「うわ~トレーナーさんが性格悪い~!」

 

 そんなやり取りをしながらトレーナーさんと一緒にトレーニング終わりのストレッチを行う。このトレーニング終わりのストレッチだけは何故かトレーナーさんが目の前で動きを直接見せてやってくれるのだが、トレーナーさんは毎回違う動きをしてストレッチをするものだから驚く、一体どこにそれほどまでのストレッチストレージがあるのだろうか。……ストレッチストレージ。

 

「そういえばトレーナーさんってさ、私の前にも担当がいたんだよね? どんな子だったの?」

 

「……それについてはまた今度と言う事で」

 

 ストレッチをしている最中、そこはかとなくトレーナーさんに前の担当についての事を聞いてみた。が、帰ってきたのはいつものようにまた今度と言う言葉。トレーナーさんはいっつもこうやって前の担当の話を聞かせてくれないのだ。

 

 トレーナーさんに前の担当についての話を聞くのは諦め、ふと学園内に設置されている屋外時計を見る。時間は夕方後半、いつも私やシャインがトレーニングを追えるような時間だ。多分そろそろ……。

 

「……そろそろ、シャインもトレーニング終わるころかな」

 

 ふと口に出してしまった。別に言うつもりはなかったのに。

 私のその言葉を聞いて、トレーナーさんは腕時計に目をやる。しばらく首を10度ほど斜めにするような、思い出すようなしぐさをした。

 

「そうですね、いつもこれくらいの時間に終わっている気がします。……シャインさんの所に行きますか?」

 

「うん! 遊びにいこ!」

 

 しばらくしてトレーナーさんから帰ってきた回答は、今私が一番やりたかったことだったから、即答した。

 

 

 

空き部屋 留守にしてるよ☆】

 

「……これは……」

 

「あちゃ~、タイミング悪かったね」

 

 シャインのトレーナー室の前に来たのは言いものの、ドアにこんな看板が立てかけてあった。看板が差してあるところの土を見るに、どうやら私が来る10分前くらいには出かけていたようだ。本当にタッチの差で遊びに誘い損ねた。

 

 ……この看板、使い回しにしか見えないけど、看板自体は学園のものじゃないの……? 

 

「こう言ってはなんですけど、骨折り損でしたね」

 

「まぁまぁ、このくらいの距離ならウマ娘にゃ~余裕だよトレーナーさん」

 

「それもそうですね。……と言いたいところですが、ここしばらく厳しいトレーニングを積みすぎましたから、どこか脚に重力をかけずに……遊べる場所に行きましょう」

 

 脚に重力をかけずに遊べる場所とはいったいどういう場所なのだろう……。と私が思っていると、トレーナーさんはおもむろに車のキーを取り出した。

 

「安心してください、そんなに遠い場所じゃありませんから」

 

 それだけ言われ、私はトレーナーさんに言われるがまま車について行った。

 

 しばらく車を走らせ、ついた場所は学園の近くにある公園だった。正直これくらいの距離ならウマ娘である私は走ってでも息切れしないだろうが、多分トレーナーさんの事だからまた「脚に悪いから」などと言って行かせてくれなかっただろう。

 

 時々イジワルではあるが、根は全然優しい人なのだ。

 

 車から降り、トレーナーさんについていく。トレーナーさんが止まった場所は、ブランコの前。

 トレーナーさんは二つあるブランコのうちの片方に座り、べつに何か怒っているわけではない事を表すように微笑んで私の方を向く。

 

「ちょっとだけ、お話しましょうか」

 

「オッケー!」

 

 ゆっくりと歩み、トレーナーさんが座らなかった方のブランコに座る。揺らし始めると、体が遠心力で軽く重力を受けなくなり、ふわふわとした感覚に襲われる。

 

「……サン」

 

「ん? なに?」

 

 時間にして数十秒ほどの間ブランコを二人で揺らしていると、トレーナーさんがいきなり私の名前を呼んだ。いきなりの事だったので対応が少し遅れてしまった。

 

「なんというべきか、わからないんですけどね。……ぜひ勝ってください」

 

「勝つ……勝つ……。あ、オークスの事?」

 

「ええそうです、言葉が足りませんでしたね」

 

 わざわざしんみりとした空気を作ってから何を言い出すのかと思ったら、トレーナーさんは私のオークスを応援するのが目的であろう言葉を放った。

 

「何を言えばいいかわからないなんて、トレーナーさんでもそんなことがあるんだね」

 

「当然です、私だって一人の人間なんですから。サンも一人のウマ娘です。……しかし、あの時(桜花賞の時)の私は、サンが一人のウマ娘という以前に、しっかりと感情を持った一人の女の子という事を考えていなかった。だからこそ、サンのメンタルケアを怠ってしまった。あのような状態にしてしまった」

 

「……」

 

 ブランコに揺られながら、私はじっくりとトレーナーさんの言葉を鼓膜に刻み込む。

 トレーナーさんのブランコはいつの間にか揺れることをやめており、私だけがブランコに揺られている。

 

 

『ウフフ……ごきげんよう、ミスター木村。わたしは甘利、キグナスのサブトレーナーです』

 

『残念だけど、あなたのウマ娘、正直すごく弱そうね。わたしのツインサイクロンに惨敗しそうだわ! オホホホホホ!!』

 

『良い風が吹いてるね……』

 

『桜花賞を制したのはツインサイクロン!』

 

『ほら見なさい! プロミネンスサンはわたしのツインサイクロンの足元にも及ばなかったわ!』

 

 

 数週間前の桜花賞の記憶が鮮明によみがえってくる。きっとトレーナーさんも同じことを考えていたのだろう。

 

「桜花賞本番の時だってそうです、相手にキグナスのウマ娘がいたと言うのに、ツインサイクロンの情報を知りきれていなかった。もっともっと相手の情報を調べるべきだった。それなのに私は──」

 

「トレーナーさん」

 

 聞いていられなかったので、思わず止めてしまった。これ以上トレーナーさんが自分で自分自身を追い込むのは見ていられなかったから。

 

「あのね、トレーナーさん。私、トレーナーさんの事を恨んだことなんてないんだよ。ツインサイクロンの情報を調べ切れてなかったとしても、私が落ち込んだ時にカウンセリングでもなんでもしてくれなくても、トレーナーさんがダメだなんて一度も思ったことないよ」

 

 私もブランコを止めて、横にいるトレーナーさんに直接話しかける。トレーナーさんの顔はこちらを向いておらず、ずっと斜め下を向いている。いつも私と話すときは目を合わせて話してくれていたのに。先ほど自分で話していた過去の話で相当参っているのだろう。

 

「私、トレーナーさんの担当になれてよかったと思うよ」

 

「……本当にそう思っているんですか?」

 

「むむ、失礼だなぁ」

 

「いや……今のは『私なんかの担当でよかったと思えるんですか?』というニュアンスでした。また、言葉が足りず失礼な事を言っちゃいましたね……」

 

 またトレーナーさんが申し訳なさそうな顔をして俯いてしまった。

 

「トレーナーさんだから私は頑張れてるのかなぁって、思うんだ」

 

「それってどういう……」

 

「もちろん、シャインやクライト、橋田さんや速水さん、ノースやランスだって、私の友達でいてくれるから頑張れてる。だけど何より私が頑張れてる理由って、トレーナーさんがいるからなんだよね。……よく分かんないけどさ、トレーナーさんは、自分を追い込むほど無理して変わらず、ゆっくり穏やかに変わっていくトレーナーさんの方が良いな」

 

「そう、ですか……」

 

 トレーナーさんの気持ちだってわかる。トレーナーという仕事には担当ウマ娘を負けさせてしまった時に責任などが付いて回るから、記者に何度も何度もそこを追及されて、10割自分の実力不足だと感じてしまった節があるのだろう。だから焦っちゃって自分を卑下し続けた。そんなところだろう。

 

 桜花賞に負けたのはなにもトレーナーさんだけの責任じゃない、私の実力不足でもあったのに。

 

 しかしそれでもなおトレーナーさんは納得していないようで、空を眺めたり、かと思ったらまた地面を見たりして、何かを考えていた。

 仕方ないのでひとつ提案をしてみることにする。

 

「じゃあさトレーナーさん、約束してよ」

 

「約束ですか?」

 

「そう、約束。……もし、私が桜花賞の時みたいに、落ち込んで部屋に閉じこもるような状態になりかけたら、全力で引きとめてほしいな。引きとめてもらう代わりに、トレーナーさんの失態は全然気にしません!」

 

「私の……失態……」

 

「もしレースに勝てるくらい私の実力を上げられなかったとしても、オークスに勝てなかったとしても、コーヒーに間違えて塩を入れてもね」

 

 私の言葉を聞いて、終始暗かったトレーナーさんがクスっと笑ってくれた。

 

「去年からそうでしたね、サンは……。私の言う事を全て信じてくれて、元気に付いて来てくれて。まだトレーナー歴が浅くて心配な時でも、サンの笑顔が私の心を照らしてくれました」

 

「えへへ~……そう言われると恥ずかしいな」

 

 頭を掻き、褒め言葉から来る恥ずかしさから自分を守るため、思わず片手をブランコから離してしまい、バランスが崩れてブランコがグワングワンする。あぶない。

 

「……私の前の担当について聞きたいんでしたよね」

 

 話がひと段落つき、二人でまたブランコに揺られていたら、突然トレーナーさんがそのような語りだしをする。前の担当、という単語に私はどうしても反応してしまい、何度も何度も痙攣してるかのごとく頷いた。

 

「私のトレーナー歴は、今年を入れて三年です。それが何を意味するか、サンならわかるんじゃないでしょうか」

 

「……まさか」

 

「そうです。サンを担当しているのは年単位では一年、となれば前のウマ娘を担当していたのは二年になるというのはわかりますね? ……ウマ娘にとって最初の三年間は重要、しかし私の前の担当は負けに負けを重ね、田舎に帰ってしまいました。すべて私の責任なんです、トレーナーになったばかりで、まだ効果的なトレーニングが分からなかった。だから能力を引き出すことが出来なかった」

 

 明るくなってきていたトレーナーさんの顔がまた暗くなってきている。二年経っているというのにこの落ち込み様。相当気にしているし、ショックだったのだろう。

 

「……じゃあ見ててよ! 私がオークスで勝つところ! もうトレーナーさんに『能力を引き出すことが出来なかった……』なんて言わせないからさ」

 

 トレーナーさんのモノマネを全力でやり、トレーナーさんを安心させるつもりでそのように言葉をかける。心にショックや悲しみは残っているのかもしれない、だけど私の言葉に気持ちが落ち着いたのだろう。トレーナーさんはいつものように控えめな笑顔を見せて声を放った。

 

「ええ、見ていますよ。私のスケジュールには、オークスで負けるという予定はありませんから」

 

 

 

「風だ……すごく強い風が……」

 

 いつものように木の上に登って風を受けていると、いつもとは違う風を感じた。

 

 何かを決意したような強い風。

 

「サイクロン、オークスに向けてのトレーニング、続きをやるわよ」

 

 そう言って私が登っている木の下にやってきたのは、無駄に赤い、目立つようなスーツを着た性格の悪そうな女、甘利……いや、今はこう言ってはならないか。

 

「この学園に吹き渡る風はすごくきれいな風が多いんだ。トレーナーさんも見てみない?」

 

「わけのわからないことを言ってないでさっさと降りてきなさい、私はあの人にあなたを任されてる身なのよ? 尤も、トレーニングを少し怠ったところで、負けるなんてありえないけど! オホホホホホホ!」

 

 この人に風を感じる話をしても通じるわけないか……。

 あの人、というのはキグナスのトレーナー、私の本当のトレーナーさんの事だろう。よく分からない自慢をして下品な笑い方をしてから、トレーナーさんは私をもう一度呼び寄せ、自分一人だけ学園の練習用コースに戻ってしまった。

 

「この名の通り、風に愛された私。私の本当のトレーナーさんはこの能力を分かってくれているはずなんだけどなぁ……なんであんな人に私のサブトレーナーを担当させたんだろう……ま、トレーナーさんも忙しいし、それもしかたないのかなぁ……私の運命は風にすべて任せようじゃない」

 

 高さ5mはあるであろう木から、私は飛び降りる。当然普通の人が見れば脚にダメージが行くからやめろというような事だが、私には関係ない。

 

「っとと、最近強すぎなんじゃないの? クッションになってくれてるからありがたいけど」

 

 私の体はあるものにふわりとキャッチされ、ゆっくりと地面に足を付ける。

 

「さて……オークスの運命も、風に任せようじゃない」



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第五十六話 ダブルティアラか二冠か①


作者「このままのペースで行くとクラシック期編だけで(現実時間的にも話数的にも)バカ長くなるのでは……? と危機感を感じ始めた作者です。文字数と更新ペース上げたい……」


 

「ちゃんと来てくれたようでよかったわ、サン」

 

「……どうしたの? こんなところに呼び出して。……ノース」

 

 私が出走するレース、オークスの当日。髪の毛を風に任せながらやってきたのは、トレセン学園の屋上。私が朝起きると、私の部屋のドアにここに来るよう手紙が挟まれていた。ノースの字で。

 

 同室の子が読んだらどうするつもりだったのかは知らない。

 

 ノースは学園のグラウンドを見つめながら黙っており、どうしたいのかがイマイチ分からない。

 

「……分からないわ……自分で何をしたいか」

 

 グラウンドの方を見たまま、ノースは悲しげに呟く。何をしたいのかわからない……とはなんなのだろうか……。

 

「私は、あなたに負けたあの日(京都ジュニア)から、あなたの事をライバルとして意識してた。だからなんだというわけじゃないけど……なんか……ね……えっと……」

 

 顔は見えないが相当困った顔をしているのだろう。呼び出したのは自分自身なのに……。

 困ったちゃんだなぁ、などと思っていると、ノースはこちらを振り向き恥ずかしそうな顔をして何かを言いたそうにしていた。

 

「……どうしたの?」

 

 しかしいつまでたっても何も言わない為、一言だけ声をかけてみる。それでもノースは何も喋らない。私もこれ以上どう声をかければよいのかわからない為、黙ってしまい、沈黙の時間が訪れる。

 

「……あぁもう! 察しなさいよ! あなたの事を応援してるの! 私のライバルとして、もっともっと強くなって私の壁をもっと大きくしなさい!」

 

 しばらくしてノースの方がこの空気に耐えられなくなったのか、叫んだ。

 

「……え? もしかしてそれを言うために呼び出したの?」

 

「えぇそうよ! だってあなた桜花賞の時に負けてあんな状態になったのよ!? もう嫌よあんなの見るの! だから必ず勝って普通の状態で戻ってきなさいって意味よ!」

 

「……なーんだ、そんなことかぁ! あははははは!!」

 

 思わず吹き出してしまった。この前トレーナーさんに対して負けないと言い切った矢先にこれだから、笑ってしまう。みんな私の事を応援していてくれて、涙が出てきた。

 

「ちょ……そんな泣かなくても!」

 

「いや、これはくっくくく……うれし涙だよノース! もうっ! もう……! ホントさぁ、みんな優しすぎだよ……私、目標レースの一歩目から負けたウマ娘なのにさ……」

 

 ひとしきり笑うと、落ち着いてきて、暖かさに涙の量がさらに増える。トレーナーさんといいノースといい、みんな私の為に考えすぎだよ。

 

「スーッ……はぁぁ……。あ~もう。……うん、わかったよ、ノースのその気持ち、しっかり受け取ったから。ノースもしっかり見ててよ?」

 

「……言われなくても」

 

 最後にその会話だけをノースと交わし、トレセン学園の屋上を去った。きっと今頃トレーナーさんが東京レース場に行くための車を用意して駐車場で待っていることだろう。待たせるわけにはいかないから、急がなくては。

 

 オークスに向けたウォーミングアップも兼ね、小走りで駐車場に向かうと案の定既にトレーナーさんがいた。

 

「ん、来ましたね、それじゃあ行きましょうか。……サン? 何かありましたか?」

 

「……んーん! なんでもないよ!」

 

「……そうですか。それじゃあ改めて、出発しますよ!」

 

 私はトレーナーさんの車に乗って、東京レース場へと向かった。

 

 

 

「さて、見えてきましたよ」

 

 しばらく車を飛ばしたのち、トレーナーさんにそう言われて、車の窓から外を覗く。すると今日は出走レスがあるからだろうか、いつもより雰囲気が違う東京レース場が見えてきた。

 

 レース場について、車を降りてからでも、その圧倒的な違和感、雰囲気は消え去っていなかった。

 

「うわ~、今日なんか風強くない?」

 

「確かにそうですね……やたら風が吹くような……」

 

 トレーナーさんも感じているようにやたら風が強い東京レース場、G1が開催されるため人だかりができる景色は、もう私たちのいつもの光景になっている。などとシャインも言うだろう。

 

 今日、この東京レース場で行われるレースは……わざわざ反復して言わなくても忘れるわけないか、私の目標だし。当然、オークス。私が大敗したトリプルティアラの一番目のレース、桜花賞の次のレースにあたるものだ。あの時は負けたショックからシャインやノースやクライトにきつく当たってしまったが、今はもう反省している。

 

「あの約束、忘れませんからね」

 

「あの約束?」

 

「落ち込むサンを全力で引き止める、という約束です。もし負けてしまっても、絶対にサンをあの時みたいにはしません」

 

「……あはは、負ける気なんてさらさら無いからそんな約束忘れちゃってたよ」

 

 トレーナーさんもしっかりその約束を覚えていてくれたようでよかった。

 

 正直な事を言うと、まだツインサイクロンの武器が分かっていない。私の強靭なスタミナを持ってしてもツインサイクロンの武器に敵わなかったらと思うと、恐怖で足がすくむ。だけど今ここでトレーナーさんが言ってくれたように、私の事を支えてくれる人たちがいる。

 

 もし私がこのオークスで負けたとしても、私は二度とあのような状態にならないことを誓い、レース場内へ歩く。

 

 

 

「スタ公~、フードコートで大暴れしてないで、サンの奴のパドック見に行くぞ~。ノースも早く来いよ~」

 

「まっへ! まっへ! んぐっ……。あ! あのドーナツもおいしそう! 穴デカッ!!」

 

「……はぁ」

 

 両方の頬に目一杯ご飯を詰めこんだシャインさんを見送りながら、私は手に持ったカレーの容器を見つめてため息をついてしまう。

 

 なぜ私がこんな状態なのか。理由は、単純……いや、単純というには複雑だろう、かといって複雑といいきっても大げさな気がする。……不安だ。サンがオークスに勝てるのかどうか、心配でままならないというのが私の本音だ。だから私はフードコートの真ん中でカレーを見つめてため息をついてしまっている。

 

 ……改めて自分を客観的に見てみると、とてつもなく恥ずかしいので申し訳程度に壁に寄りかかる。

 

 先の桜花賞、サンが負けてしまい落ち込んでいたことを思い出す。もし今回のオークスで負けたら、またあの状態に逆戻りするのではないか。そのような心配が、常に頭の端っこに存在している。

 立ち直り方を見るに、心配はないだろうが、それでも不安なものは不安だ。周りの声を聴くと、桜花賞でサンを負かしたツインサイクロンの事を応援している人が殆どだ。

 

「やっぱりプロミネンスサンが勝つんじゃないか? ツインサイクロンにリベンジだろ」

 

「バカ言え、ツインサイクロンの圧勝だよ、桜花賞の走り見ただろ? プロミネンスサンはぼろ負けだったじゃないか」

 

「それもそうか、じゃあツインサイクロンを応援するかな」

 

「……っ! あなたたちねぇ! サンは必ず勝つわ! ツインサイクロンなんてぶっ飛ばすわよ!」

 

 ふとそのような声が聞こえ、思わず体が動き、叫んでしまう。その男性二人は、私の事を驚いたような目で見た後、すぐに軽蔑するような表情に変わり何も言わずどこかに去ってしまった。

 

「うん、まぁ、ノースの気持ちもわかるよ」

 

 私が男性二人に叫んだあと、大きな音を出したことによって周りの視線が私に集中してしまい、気まずさからどうしようもなくなってると、後ろからトレーナーさんが話しかけてきた。

 

「トレーナー……。トレー……ナー……。ごめんなさい……アルビレオの信頼にもかかわるわ……」

 

「うん? いやぁ……信頼についてはもともと無名だから気にしなくていいよ。まぁ、とりあえず、今日のオークスでどうなるか、まずは見届けようじゃないか。いや、むしろ友人の為にそこまで叫べるのはいい事だと思うよ。ほら、そこで売ってたソフトクリームでも食べて落ちつ……うぉっ」

 

 トレーナーさんが私にソフトクリームを渡そうとしたら、誰かがたまたま捨てていた東京レース場のチラシに足を滑らせてしまい。そのままの勢いで誰かにぶつかってしまった。しかもソフトクリームが顔面にクリーンヒットして。

 

 ちょ……! 

 

「きゃあああ! ちょっと何!?」

 

「あ、いや、その、すいませんごめんなさい……」

 

 するとトレーナーさんが謝るためにその女性の方を向く。しかし焦っているのか本能的に逃げたいのか、はたまたその両方なのかトレーナーさんが後ろに下がってきた。

 

「ちょ、ちょっとトレーナー! ぶつか……あっ!」

 

 後ろに下がってくるトレーナーさんをとっさに避けれず、ぶつかってしまいカレーをトレーナーさんにぶちまけてしまった。私の手にもかかってしまい、カレーの熱が皮膚を介して直に伝わってくる。かなり熱い。

 

「あちぅぅ……!」

 

「え? なんか背中があつ……? いやあつい! あっつ! うわあっつ!」

 

 するとカレーの熱で驚いたトレーナーさんがまた跳ねる。そしてまた誰かにぶつかる。

 

「うわああ! なんだよいきなり!」

 

「あっすいませ……あっつ! 熱すぎる! やばい! やばすぎる! ノース、水!」

 

「そんなこと言われても私だって熱いわよ──ーっ!!」

 

 

 

『東京レース場、やや風が強めですが天気は晴れのまま、良馬場となっております。本バ場入場を済ませたウマ娘達が次々とゲートに入って、オークス発走の瞬間が刻一刻と迫っています』

 

「まったくさぁ……」

 

 ゲートの前で少しだけ愚痴るようにつぶやいてしまう。やれやれ本当にまったくとしか言いようがない。

 

「サン、いますか?」

 

 ふと、本バ場入場をする前の瞬間が映像のように私の頭に流れてくる。

 

 私がメインレースが始まるまで安息のひと時を過ごしていると、控室をノックしてトレーナーさんが入ってきた。

 

「どうしたの? オークスまでは……おっと、もうそろそろかぁ」

 

 時計を見ると、あと20分もすればオークスのパドックが始まるような時間だった。休憩していたとはいえ、時間には気を使っているつもりだったのだが、緊張しているのだろうか、全くオークスが迫ってきていることに気付かなかった。時計に、気を配る余裕がなかった。

 

「サン、今日のオークスはサンに走りを任せます」

 

「え?」

 

 トレーナーさんが何を言いたいのか、私には分からなかった。走り方を私に任せると言う事は、トレーナーとマンツーマンで綿密に作戦を考え、スケジュール通りに走るという事は出来ず、完璧に私のレースセンスのみが頼りになる。トレーナーさんはそのことを分かっているのだろうか。いや、そういう事を分からずに言う人ではない。

 

「ツインサイクロンの武器はまだわかっていないことが多すぎます、なのでサンに走りを任せたいんです。京都ジュニアステークスの時、ノースブリーズの武器を一瞬で見破ったサンのレースセンスを信じたいんです。今日のオークス、くれぐれも無茶はしないでくださいね」

 

 と、いう具合に、今日のオークスは完璧に私のセンスのみで走ることになったのだ。いや、信頼されているのは嬉しいんだけどね? せめてG2とかでやろうよ。と思ってしまうのは私だけなのだろうか。いやそんなわけない、名だたるG1ウマ娘であろうとしっかり作戦は練るはずだ。

 

「ええい、もうどうにでもなれだ!」

 

 私は半ばヤケクソになりながらゲートに足を踏み入れた。私の番号は8枠17番、ツインサイクロンは1枠2番という何とも広がったウマ番となってしまった。

 

『全ウマ娘、ゲートインが完了したようです。東京競馬場、トリプルティアラ二冠目のレース、オークスが今……』

 

 ゲートインする前にトレーナーさんの言葉を思い出しヤケクソになっていた気持ちも、ゲートの横を見て、遠くの方に私の宿敵であるツインサイクロンの姿がしっかりと目に写ることでやる気が出てきた。

 

「……よしっ! どーんとこい!」

 

『スタートしました!』

 

 高らかな声での実況と共に、オークスを開幕するゲートが開かれた。

 

『スタートしてすぐに8枠17番プロミネンスサンがいつもの逃げ足で先頭を走っています。その後ろ──』

 

 今日の走りが私に任されているとはいえ、いつもとやることは変わらない。ゲートが開いてすぐに先頭に躍り出て、他のウマ娘にプレッシャーを与える。

 

 このままでは逃げ切られる。このままでは負けてしまうといった事を考えてしまうような存在感を見せつける。

 

「そうだ……それでいい……サン、その走りを自分のものに……」

 

 きっと、トレーナーさんだってこの走り方をするのを望んでいるはずだ。私の逃げ足を見せつける走り方をしろと、トレーナーさんも思っているはずだ。

 

 後続をどんどんと離し第一コーナーがやってきた。後ろの方のウマ娘の位置を探ると、かなり話しているように感じるので、このコーナーで少しだけ休み、スタミナを回復することにした。

 

「隙が生まれたね」

 

 私がコーナーで少し速度を落とし、休もうとしたその瞬間。後ろの方から急激に速度を上げて走り込んでくるツインサイクロンが見えた。何故? ツインサイクロンまで逃げウマ娘ならばまだ分かるが、レース映像を見る限りツインサイクロンは先行バのはず。以前ホープフルステークスにて同じ先行バのシーホースランスがシャインに対し逃げの作戦で挑戦したことが脳裏によぎるが、ツインサイクロンの走り方は逃げの作戦を打っているとも感じられない走りだった。()()()()()()()()()()()のような……そんな走り方だ。

 

『第一コーナーを回り一度速度が落ちたように見えたプロミネンスサンでしたが、後方から上がってきたツインサイクロンに押されるように再び速度を上げた!』

 

 そんなツインサイクロンの走り方を見て嫌な予感がした私は、速度を落としてスタミナを回復するのをやめ、先ほどのようなスピードで走り始めた。

 

「隙を無理やり無くした……でもそれじゃあ君のスタミナは持たないね」

 

「まだまだ! スタミナを回復する術はいくらでもある!」

 

 コーナーを回りきる前に、私は大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐く。

 

「サン……」

 

「そんなに心配しなくても、サンは先頭で走り続けるわ、サンのトレーナーさん。ほら、彼女を見てごらんなさい、まったく、どこであんな技を覚えたのかしらね」

 

「……すごい、一度見たことがあるとはいえ、あの技は教えてないはず」

 

 

「それは……ノースブリーズの」

 

 そう、これはノースが京都ジュニアや青葉賞にて使っていた深呼吸のスタミナ回復術だ。これならばある程度速度を保ったまま、走りきる分のスタミナを補充することができる。

 

「よしっ! これでこのまま走りきる!」

 

「なかなか面白い風が吹くねぇ……」

 

 そのままコーナーを回りきり、向こう上面を走っている最中。後ろの方を見てもツインサイクロンはいない。先ほどコーナーを回る際にしっかりと振り切れたようだ。

 

「逃がさない!!」

「絶対に抜かす!」

 

 ツインサイクロンを振り切ったからと言って、私に休んでいる暇はないようだ。残り1400mの地点から、ツインサイクロンではない他の先行バ達が私を捉えるためにスピードを上げてきた。

 

 シャインのような威圧感を使ってくるウマ娘もいれば、各々自分の武器で加速してくるウマ娘もいる。

 

 前者はギリギリで持ちこたえながら、後者は自分の速度をさらに加速させて耐えている。

 

 今日もなんだかんだでずっと速度を上げており、疲れてきた。基本的にスローペースになると言われているオークスだが、私のせいでハイペースになっていると考えると、レースを掌握したみたいで楽しいものだ。

 桜花賞の時のように焦っているような状態でもない、冷静に背後のウマ娘達を対処していけば、きっと……! 

 

「チャオ……☆」

 

「…………え?」

 

 突然耳元で声がする。

 

 その声は紛れもない、ツインサイクロンの声だった。

 

『第三コーナーに差し掛かったところで外からツインサイクロンがプロミネンスサンを捉えた! 桜花賞の時と同じくツインサイクロンがプロミネンスサンを捉えた! ここから先頭が変わるのか!』

 

「東京レース場のこのコース、1200mの地点から坂があるんだよね。風と坂に身を任せると、こんなにもスピードが出るんだ」

 

「なんで……そんなスピードで上がってきてるなら、背後を見ていた私の視界に必ず入るはず……」

 

 私とほぼ同じ位置で横一列に走る彼女の顔は、ただ前を見つめて笑みを浮かべていた。

 

「残念、気付いてないのかい? 君は後ろを見る時、必ず()()()()()()()()()()()()()()。つまり君は自身の左半分、良くて右斜め後ろまでしか見えていないんだ。だから大外からやってきた私に気付かなかった。……さぁ、もうそろそろラストスパートだよ」

 

そう言われ前を見ると、既に第四コーナーを抜けようとしていた。そうだ、第四コーナーを抜けてしまえばあとはもう600mなんだ、ツインサイクロンとの差は現時点でハナ差程度、ここで持ちこたえれば勝てるんだ。

 

「私が勝つんだあぁぁぁぁ!!」

 

いつの間にかツインサイクロンが私と同じ位置に上がってきていることに一度は驚いたものの、そんなことお構いなしと言わんばかりに私はスパートをかけ始める。2400mの内、1800mを走ってもなお余分に余っているスタミナを使って行う()()()()()走りを使えば、ツインサイクロンだって追いつけないはずだし、私のスタミナだってトレーナーさんとのトレーニングを介して桜花賞の時よりスタミナは増えているはずだ。

 

「サン!勝てぇぇ!んな奴ぶっ飛ばしちまえ!!」

 

「うわあぁぁぁツインサイクロンが並んでるよ!!サンがスパートかけてるよ!!もう見てられないよクライト!!」

 

「オホホホホホ! まだわからないのね!ツインサイクロンの能力を見抜けていないのに勝つなんて不可能なのよ!」

 

「あの遠くの方で笑ってる人は誰かしら?」

 

「……甘利トレーナーですよ、ツインサイクロンのトレーナーです」

 

「ツインサイクロンの能力って……一体……」

 

「サンがもしツインサイクロンの武器をまだ看破できていないなら、このレース、まずいかもしれない……」

 

 

「……風が吹き始めた」

 



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第五十七話 ダブルティアラか二冠か②


作者「……よくよく思い返したら感想に対する返信内容がネタバレになってたかもしれない……申し訳ないです、気を付けます」


 

「……風が吹き始めた」

 

「オークスは譲らない!!」

 

 残り600mとなったオークス、ツインサイクロンが私とほぼ同じ位置まで上がってきた焦りからか走りのフォームが崩れている気がしなくもない。しかし私のスタミナはまだ有り余っている、このまま加速していけばいずれはツインサイクロンより速度を出すことができるはずだ。そう思い私はひたすら足を前に進める。

 

「プロミネンスサン、君はなかなか面白い子だ。だからというわけじゃないけど……少しだけ昔話があるんだ」

 

 突然ツインサイクロンが私の方に向かって話しかけてきた。レース中に昔話など効いている余裕はないと思うかもしれないが、いつの間にやら私の周りはシャインと走ったメイクデビューの時のように歪んでおり、全速力で走っている私達も速度が歪みスローモーションだ。残り600mを走りきるのですら3日くらいかかりそうなほどに。

 これはウマ娘の超人的な集中力から来るものなのか、私の幻覚なのか。

 

「私は、日本に来る前、それどころか競争ウマ娘として走り出す前は、何一つ不自由ない生活を送れていたんだ。だけどね、私はちょっとばかし台風が激しい土地に住んでいてね。ある時の話さ、いつものように母に朝ごはんをねだりに行った時」

 

『お母さん、お腹すいたよ』

 

『はいはい、今作るから待っててね。出来上がるまで外で遊んでなさい』

 

「その日は風もおとなしくて、外で気兼ねなく遊べる気候だった。だからお母さんに言われた通り、私は近所の友達も呼んで外で遊んでいたんだ。しかし遊び始めて数十分ほどかな、私はおろか、両親、おばあちゃんの世代ですら見た事が無いほどの台風が襲って来たんだ」

 

『台風が来たぞ──ーッ!!』

 

『早く家に戻って!!』

 

「その時の光景は今でも忘れない、楽しい時間が一瞬にして地獄に変わったんだ。様子を見に来ていた友達の親、親が来ておらずあたふたする友達、みんな共通して屋内に逃げようとしたが、その台風を見つけた時にはもう逃げられない状態だったんだ。……地獄絵図、という言葉がぴったりかな、みんな吹き飛ばされた。私だって例外じゃない、台風の中に取り込まれて、何が起きているか分からないような状態でひたすら自分の身を守るために頭を抱えていた」

 

『……みんな? どこ? ねぇ? お母さん! どこ!?』

 

「しかし何の偶然かな、私が住んでいた街がすべて吹き飛ばされるほどの台風だったというのに、街の住民全員がズタズタにされるほどだったのに、私だけが生き残った。無傷で」

 

「そんなこと……」

 

「そんなことあったんだよ、残念だけどね。そしてそこからなの、私がこの能力を使えるようになったのは。……いや? 正確には憑りつかれていると言った方が良いかな? ほら、自分の脚を見てみなよ」

 

 ツインサイクロンの昔話が終わり、言われた通り私の足元を見ると、私の両足首・両ひざに、何かの渦が巻きついているのが見えた。無色透明なのに、くっきりと形が見えるほどに空気が歪んだそれの正体は、すぐにわかった。

 

「これって……風!?」

 

 重い……脚が重い……! 

 

 巻き付いている風は、私が走っている方向とは逆方向に吹いている。当然脚に対して向かい風となるため、前に脚が進まなくなる。桜花賞の時に脚が前に進まなくなった理由、それが今わかった。

 

「そう、その通り、私はあの台風で生き残った日から気に入られてしまってね。憑りつかれているんだよ」

 

「あなたが憑りつかれているもの……それは……」

 

 ツインサイクロンの周りの空気さえも歪み、その形がくっきりと見える。歴史の教科書で何回か見たことがある、あの姿。

 

風神……。私の武器は、紛れもない……神の力」

 

 周りの景色が戻った、しかしスローモーションになっていたのは私の幻覚ではなかったらしく、私の脚から風は消えていない、未だに脚は重いままだ。

 

「それじゃあ、チャオ、プロミネンスサン」

 

「くそ……くそ……くっそおぉぉぉぉぉ!!」

 

 ツインサイクロンはさらに速度を上げ、私の横から消えていった。

 私の方はいくら脚を前に上げようとしても、風神の風が私の脚を邪魔してまともに走れない。いくらスタミナがあっても、脚に重りが付いていては本来の走りが出来るわけが無い。それに私が相手にしているもの、それが神だったとは思いもしていなかった。非現実的すぎる、考えつくわけが無い。ツインサイクロンの武器が分かったところで、どうやったらこの武器を防げるのか。

 

 神になど、どうやったら勝てるのだろうか。

 

『しかし! ツインサイクロン! ツインサイクロン! プロミネンスサンはリベンジならず! オークスを制したのはツインサイクロン! これで二冠目!!』

 

 私が見たのは、またもツインサイクロンがゴールする景色だった。

 

 歓声の中、ツインサイクロンは私に近づいてくる。これ以上敗者に何をしようというのか。

 

「……君は強かった、だけど私の方が一枚上手だった。それだけだよ。君にこの風は絶対に破れないし、下手に抵抗すればそれはそれで足に負担がかかる、諦めた方が言葉の通り身のためだよ」

 

 私の脚にしつこいほど巻き付いていた風はいつの間にか消えており、逆に今は勝利したツインサイクロンを祝う様に丁度良い風が吹いている。

 

「一枚……上手」

 

「それじゃあ……また秋華賞で」

 

 

 

「ツインサイクロンが勝った、か」

 

「ジュニア期の時は散々驚かされたけど、いよいよキグナスの本領発揮と言ったところだね、トレーナー君」

 

 東京レース場の関係者席に訪れていたキングスとそのトレーナー。先ほど終わったオークスの余韻を噛みしめるようにトレーナーはソファに座る。

 

 しばらく天井を見つめていたトレーナーだが、一呼吸入れてすぐに立ち上がる。

 

「オークスにて完璧にプロミネンスサンを倒し、次はダービーだ。皐月賞は逃したが、今度はリボルバーが勝つ」

 

「……なぁトレーナー君、君はなぜ、そこまで勝利にこだわるんだい? いや、悪意を含んでいるわけではないよ。ウマ娘とトレーナーが勝利にこだわるのは当然ではあるのだが、君の場合何か違うものが後ろにある気がして」

 

 突然キングスがそのようにトレーナーに質問する。トレーナーはそんなことを聞かれるとは到底思っていなかったのか、キングスの方を驚いた表情で見つめてから眉間を押さえ再びソファに座りこむ。

 

「……強くなるためだ」

 

「……それだけではないだろう?」

 

 この時キングスが放っている質問は、過去にも何回かトレーナーに聞いている質問。しかし返ってくるのは毎回強くなるためという普通すぎる回答。だが事実としてキグナスのトレーナーは狂気的なまでに勝利へ執着しているため、その矛盾からキングスは納得がいっていなかった。

 

「……そうだな、お前はチームのトップ、お前になら話してもいいかもしれないな……」

 

「何か、理由があるんだね」

 

「……スリープドリームというウマ娘が、俺の事を待っているんだ」

 

「スリープドリーム?」

 

 突如出てきたスリープドリームと言う名前のウマ娘に、キングスは頭をかしげる。

 

「俺が過去に担当していたウマ娘の名前だ、今はもう、口もきいてくれないけどな……」

 

 

 

「……サン」

 

「……ごめんね、負け……ちゃったや」

 

 オークスが終わり、負けた私は地下バ道を歩いていた。地下バ道にはトレーナーさんが待機してくれていて、私の姿が見えるなりどうすればよいのかわからない顔をして私の名前を呼んだ。恐らくレース前に言っていた「私の状態」を気にしているのだろう。

 

 そんな風にトレーナーさんが心配するような、この前「またあのような状態」などと言って危惧していた私の状態だが、意外にも冷静だ。虚無感というものでもなく、モチベーションが萎えたとかでもなく、ただ、どうすればいいのかわからなかった。

 相手は、神。

 この一言だけを私は頭の中でリピートしていた。

 

「その……なんと言えばいいんでしょうか」

 

「あ、でもね、ツインサイクロンの武器はわかったんだよ。きっと次回、秋華賞の時に活かせる情報のはずだよ」

 

 嘘だ、ツインサイクロンの武器を今日目の当たりにして、勝てる可能性など何も見いだせていない。

 

「あの……なにか美味しいものでも……」

 

「ううん……食べない……」

 

 トレーナーさんが何とか私を元気づけようとしてくれているのがひしひしと伝わってくる。私は別に何も落ち込んでいない、気にしていないという風に振る舞っている。

 

「……トレーナーざん」

 

 しかし、そんな風に振る舞っていても、負けは負け。私が悔しいと感じている気持ちがなくなるわけではないし、今こうやってトレーナーさんと話している間もじわじわとその気持ちは膨れ上がってきている。

 

 私の悔しい気持ちは、もう溢れる寸前まで来ていた。

 

「なんですか?」

 

 正直もう限界なので、両鼻が完全に詰まっている声を出しながらトレーナーさんを呼ぶ。

 

「……お゛願い、胸貸しで」

 

「……はい? あ、いや……はい」

 

 ぐちゃぐちゃになっている顔を見られないよう下を向いていたため良く見えないが、トレーナーさんが静かに腕を広げてくれたのが視界の端っこに見えたので、思わず飛び込む。

 

「う゛うう……う゛ううぅぅ……!!」

 

 小さい時からの夢だったトリプルティアラ、その第二のレース。桜花賞で負けてしまい、一度は落ち込んだが、友達やトレーナーさんにリベンジを誓った大事なレース。

 そんなオークスに負けてしまった私は、トレーナーさんの背中に手を回し、肩甲骨を剥がす勢いでしがみついてむせび泣いた。

 

「ごめん……! ごめんなさい……! 沢山練習したのに……! 何度も何度も試行錯誤して、オークスに……今日のレースに勝とうって……! 焦るなって言われたのに! 焦っちゃって……!」

 

「……秋華賞に向けて、またゆっくり考えましょうか」

 

 私の気持ちが落ち着くまで、トレーナーさんは私の背中を撫でてくれた。

 

 

 

「サン! さんもこれからトレーニング!?」

 

「おは~、サン」

 

 背後から声が聞こえる。この元気な発声は、紛れもないシャインと橋田さんの声だ。

 

「シャイン、橋田さん、おはよう! 私はこれからトレーナーさんとお出かけだよ」

 

 オークスが終わり、私はトレーナーさんに慰められた後、何事もなく学園に帰った。いつものようにウイニングライブを済ませ、その後問題なく帰宅して、いつもと何も変わりない学園生活を送っている。

 

 もちろん学園に帰ってからもトレーナーさんとツインサイクロンの事について話し合った。ツインサイクロンの武器が風神と言う未知なる次元の武器という事も、当然すべて話している。その上でどうするかという事なのだが、答えは出ていない。

 単純に勝てないということで落ち着いたわけではなく、まだ秋華賞まで時間があるからゆっくり対策を考えていけばよいと言う事だった。根を詰めすぎてもよろしくない、だとトレーナーさんにみっちり言われた。

 

 悔しい気持ち? そんなものはトレーナーさんの胸で泣き叫んでからすべて吹き飛んだかな。

 

 これで良いのかはわからない、だけど……。

 

「……チャオ」

 

「……」

 

 絶対に負けたくないと思える新しい試練が目の前にあるってことは、桜花賞の時の私を乗り切れたんだと思いたい。きっと、今よりもっと強くなれるはずだ。

 

 私とすれ違うツインサイクロンを見ながら、私はそう思った。

 

「サン、気にすることないよ」

 

「そうだぞ、秋華賞でぎゃふんと言わせてやれ。サンはシャインに匹敵するくらいのウマ娘なんだ、きっと勝てる」

 

 何より強くなれなければ、自分でシャインに誓った事が実現できなくなる。

 

『絶対に、同じレースで戦う……っ!!』

 

 模擬レースの時に心で誓ったこと。これを実現するためにも私は必ず強くならなければならない。

 

「サン、ツインサイクロンとのレースもいいけど、いつか私とも走るの忘れないでよ? 京都ジュニアの時は私が怪我しちゃったから走れなかったけどね」

 

「……ふふ……うん、出走するレースが噛み合ったらね!」

 

 どうやらシャインも同じような事を考えていたようだ。思わず吹き出してしまう。

 

 

「さーて、サンのオークスが終わって、次は私の番だね、日本ダービー!」

 

「そうだね、シャイン」

 

 学園内でサンを見かけたので、オークスでの悔しさから前のような状態になっていないか見てみたが、どうやらその心配もなく安心したところで、私はそのようにサンに言う。

 

「皐月賞を勝って、次はダービーに出るのかぁ。やれやれ、桜花賞もオークスも負けちゃった私には分からない世界だなぁ」

 

「サンの分まで走ってくるから、まぁ見ててよ、サクッと勝ってきちゃうから!」

 

 サンに対して指を突出し、ダービーへの勝利を宣言する。いくら負けたことを気にしていなくても、1%くらいは悔しい気持ちはサンにもあるはずだ、そんなところで私がダービーに勝てば、多少なりともサンの気持ちは晴れるのではないだろうか、と思ったための宣言だ。

 

「オークスの時はシャインも見ててくれたよね? 私もしっかりとシャインのダービー見てるから!」

 

「オッケー☆」

 



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第五十八話 日本ダービー前夜


作者「眠い。ひたすら眠い。今回の話はしっかり考えて書きはしたんですけど、土曜日の21時から急ピッチで全文字書いたので誤字があるかもしれないです……一応確認予約投稿した後も確認をしながら眠りにつきます」


 

「よっしゃあ、遊園地行くぞ」

 

 めっちゃ棒読みでそのように宣言したのは無論私のトレーナーさん。まぁこの部屋に私とトレーナーさんしかいないしね。

 

 時刻は夕暮れ時と言ったところだろうか。私とトレーナーさんはトレーナー室にてダービーのライバルについてある程度見ていた。

 

「どうしたの急に? 明日ダービーだけど?」

 

 トレーナーさんに続いて私が言ったように、明日が日本ダービーなのだ。こんなタイミングで遊園地に行こうなどと言うのは狂気でしかない。

 

「いや、明日ダービーだからこそ、思いっきり遊んで落ち着けたくないか?」

 

「う~んちょっとよく分からないけど……まぁダービーで戦うキグナスのメンバーについても名前は調べたし、調査終了って事で行きますか!」

 

 しかし今、ちょうどトレーナーさんと一緒に遊びたいと思っていた私はたやすく遊園地に行く決断をした。私はすぐにソファから立ち上がり、近場の遊園地について調べ始めた。トレーナーさんはデスクから立ち上がり、荷物をまとめ始めた。そんな感じで順調に遊園地へ行く予定は進むと思っていたが、こんな時に限ってある来客が来た。

 

「トレーナーさん!」

 

 そのように私のトレーナーさんを呼ぶ声が聞こえ、トレーナー室のドアが開けられた。トレーナーさんと遊びに行こうと思っていた時間を邪魔されて眉間にしわが寄るのを感じる。

 すぐに扉の方に目をやるなり視界に入ってきたのは、なんだかんだ入学式に話した時以来のたづなさんの姿だった。

 

「明日はダービーですね。もっとも運のいいウマ娘が勝つと言われるダービー……これまで、数々のG1を制してきたスターインシャインさんとそのトレーナー、橋田トレーナーさんにご挨拶をと思いまして」

 

「えあっ、やっぱり学園側でもうちのシャインは有名なんですか~?」

 

「……」

 

 表現するならば、開いた口がふさがらないという表現がふさわしいだろうか。挨拶をしに来たと言っていたたづなさんは、そのままトレーナーさんとトレーニングの話やレースの話で盛り上がって一向に私について触れなくなってしまった。いやいや私は? ダービー走る本人である私はどうなってるわけ? 

 

 ていうかたづなさん、いつにも増してニッコニコじゃない? 

 

「……あれ……私今何考えてた?」

 

 なんか、私までいつもと違う感覚になってる気がする。なんでだろう、表現しようがない感情だ。

 いつもなんだかんだ言って騒いでいる私だが、内心では色々な事を事細かに、客観的に見て言語化している。今だってそうだ、私の状況を客観的に見て言葉に起こし、頭で考えている。

 

 だが、この感情だけは言葉に、言語化することができない。私の語彙では、理解が出来ない。

 

 ……いけない、なんかタキオンさんみたいに難しい事ばっか考えて頭痛くなってきた。タキオンさんも感情の力をよくテーマにして研究しているが、私のこの感情について話したら面白がるだろうか。

 

「ん? シャイン、どっか行くのか?」

 

「ううん、なんでもない。ただ電話しに行くだけだから、出発の準備出来たら教えて~」

 

「トレーナーさん、出発とは何のことでしょうか?」

 

「ああ、これから遊園地に行こうかって話をしていたところなんですよ」

 

「ダービーの前にお二人でお出かけですか、とても素晴らしいです♪ ただ、門限には遅れない様に──」

 

 考えているうちに本当にタキオンさんに報告したくなってしまい、私はトレーナー室の外に出てタキオンさんに電話を掛けた。なんだか話が終わりそうな雰囲気だったが、部室から出ても中から盛り上がっているような話し声が聞こえるあたり、しばらく終わらないだろう。

 

「……もしもし? 君から電話をするなんて珍しいじゃないか。やはり想いの継承の実験に賛同してくれ──」

 

「あ~、その話はまた今度考えておきますから! ……今回電話したのは別の話があるからなんです」

 

 私は、タキオンさんにすべてを説明した。トレーナーさんとたづなさんが話しているとなんだか言語化できないような感情が芽生えること、それをもって感情に重きを置くタキオンさんなら何かわかるんじゃないかと思って電話を掛けたこと、本当にすべて説明した。

 

「──って言う事なんですよぉ!」

 

「ふぅン。……ふぅン……シャイン君……」

 

 私が説明を終えると、呆れたような口調で私の名前を呼びつつタキオンさんは口癖をふんふん鳴らしていた。

 

「えと……つまり……。いやはや、私も今まで感情について研究してきたが、なかなか直球で伝えづらいなこれは……」

 

「いいんです! 直球で伝えてください!」

 

 タキオンさんは言葉を濁らせるので、私はいつもぐいぐい話しかけられている恨みを晴らす勢いで問い詰める。しかしタキオンさんは聞くだけで分かるような焦った声を出してごまかすだけだ。

 

「ねぇ~タキオンさんってば~、直球に行ってくださいよ~」

 

「い~や、やめておこう。とりあえず君のトレーナー君と遊園地に行ってみることをお勧めするよ。きっと行ってみれば答えが見つかるだろう。……行くだけじゃなく、()()()()()必要もありそうだが……」

 

「……? どういう意味ですか?」

 

「いいや、なんでもない。気にしないでくれたまえ。……ふぅン、全くトレーナー君、私はどうしていつもこのような話ばかりに遭遇するんだ……

 

 タキオンさんは時々このように意味深な言葉を言ってやめる。説明を求めてみるがいつもはぐらかされてしまう。今だってそうだ。

 

「お~い、シャイン、たづなさんとの話終わったから行くぞ~」

 

 私がタキオンさんと電話をしていると、トレーナー室のドアが開けられトレーナーさんが顔を出した。

 言葉でそのまま言っているようにもう遊園地に行く準備が出来たらしい。

 

「ふぅン、どうやら行くようだね。では私はこれで失礼する──」

 

「え? ちょっと!? タキオンさん!?」

 

 別れの言葉を早口で言い終わるが否やタキオンさんは電話を切ってしまった。いつも自分が興味を持ったことに対してはしつこく噛みついてくるのにこういう時ばっかり興味を持たないですぐに去ってしまうというのは本当に厄介だ。

 

 

 

「お~、なんだかんだで来るの初めてかもな~」

 

 ……いつの間にか私はトレーナーさんの車に乗っており、トレーナーさんが遠くに見える遊園地を見た感想を助手席で聞いていた。

 

 あの後、結局私の感情の説明は付かないままトレーナーさんに車に誘導され、遊園地に向かって車を走らされてしまった。

 

「いや~。……車の中から見るのもいいけど、いい加減入場するか」

 

 到着してからも車から降りずずっと遊園地を眺めていたトレーナーさんだったが、しばらく遊園地を眺めたのちにそう言って入場の準備を始めた。

 

「あ、あのさトレーナー」

 

「ん? どうした?」

 

 タキオンさんの言っていた『言ってみる必要』というのを車に乗っている最中ずっと考えていた。言ってみる必要と言うのは恐らく私の感情についてとりあえずトレーナーさんに相談してみるべきという意味だと私は捉え、私は聞こうとしてみた。

 

「あ……え……感情が……」

 

「感情?」

 

「観覧車って最後に乗りたいなぁ!!」

 

 聞いてみようとも思ったが、なんだかとても恥ずかしくなってしまい言えなかった。

 

「お、確かに観覧車は最後がいいかもなぁ、時間食うし」

 

 危ない、うまくごまかせたようでよかった。しかしどうしようか、もう私の本能はビビり散らかしてトレーナーさんに感情の事を相談したくないと言っているが、タキオンさんの助言を無下にするわけにもいかない。

 

「よし! それじゃあ入場するぞー!」

 

 そんなことを考えて焦っているうちにトレーナーさんは入場する準備を終えてしまい、さっさと遊園地の方に向かってしまった。

 

「あ、ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 その後、遊園地に入場してから私たちは色々なアトラクションに乗ってみた。だが、どのアトラクションに乗っていても私の頭の中にはあの感情の事だけが引っかかっており、イマイチ楽しむことが出来なかった。トレーナーさんに相談しようとして見ても、結局入場の時みたいに言えなくなってしまい、ごまかす。そんなことを繰り返していると、時間もアトラクションもあっという間に過ぎてしまって、いつの間にか門限の時間があともう少し、というところまできていた。

 

 そして最後の最後、入場するときに約束していた観覧車の時間がやってきた。

 

「おお、観覧車ってこんなに高いもんなんだな。こっから学園見えねぇかな」

 

 観覧車に乗ってしばらく、ちょうど私たちが乗っている台が頂上にたどり着こうというところでトレーナーさんがそのように感想を述べている。

 

 私もそれに釣られて観覧車の外を見てみる、確かに観覧車は高いところまで上り詰めており、高所恐怖症の人が見たら失神しそうな景色が広がっていた。

 

「明日、ダービーだな。一生に一度しか出れないレース。緊張してるか?」

 

 ずっと黙っているなぁと思っていたら、突然落ち着いた口調でトレーナーさんがそのように聞いてくる。

 

「もちろん緊張してるよ、それを言ったら、トレーナーさんこそどうなのさ、緊張してるんじゃないの?」

 

「当然だろ、俺だって担当ウマ娘がここまで強くなるなんて思ってもいなかった。ダービーウマ娘のトレーナーになれるなんて10年くらい先の話だと思ってたよ」

 

 トレーナーさんは目を輝かせながらそのように語る。トレーナーの目標である『誰にも負けないウマ娘を育てること』に加え、私の目標でもある『誰にも越えられない記録を作ること』がもうすぐ達成されるかもしれないのだ。もちろんシンボリルドルフさんなど、七冠ウマ娘と呼ばれている人に比べればまだまだだが、途中経過として喜ぶのは構わないだろう。

 

 そしてこういう時、夢を語る時のトレーナーさんの目は綺麗な目だ。

 

 いやいや、そんなことを考えている場合ではない。

 

「あのさ、トレーナーさん」

 

 私もトレーナーさんの口調に釣られるようにトーンを落とす。

 

「私、トレーナーさんに言いたいことがあるんだ」

 

 この遊園地に来てアトラクションを乗っている最中、私はずっと感情の事について考えていた。というのは先ほども私の中で反芻した事実だ。そしてその感情について考えている最中、私はある一つの答えにたどり着いた。それと同時に、タキオンさんの言っていた『言ってみる必要』という言葉の意味も理解できた。

 

「なんだ? シャイン」

 

 私はタキオンさんが間接的に教えてくれた言葉を伝えるために、トレーナーさんを見る。

 

「あ、いや……なんていうかなぁ……そのさぁ……」

 

 しかし、口にしてしまいたい言葉が寸で止まる。いざ言おうとするとどうしても恥ずかしくなってしまってどうしようもない。

 

「ん? どうした?」

 

 中途半端に喋ってしまったせいでトレーナーさんが問い詰めてくる。やらかした。入場する前に一回『観覧車は最後がいい』なんていってごまかしていたが、今の状況で別の言葉が思い浮かばない、別の言葉に逃げることができない。

 

「その~……あはは……」

 

「……ん? マジでどうした?」

 

 まずい、明らかに私の態度が挙動不審だからトレーナーさんが怪しがっている。いや別に怪しがられて困る状態でもないのだが、ないのだが……。

 

「……私ね、トレーナーさんの事、大好きだなぁって」

 

 口にしてしまった。とうとう思っていた言葉を口にしてしまった。

 

 そう、私は今言ったようにトレーナーさんの事が大好きだ。

 もちろんこの『好き』は恋愛的な意味ではなく、友情的なもの。これまでトレーナーさんと一緒にトレーニングをしてきて、とても苦しく、とても楽しい日々を過ごしてきた。そうしているうちに私はトレーナーさんに対して、相棒のような安心感というか、いつまでも一緒にいろんなウマ娘と戦っていたいと思うようになった。

 

 クリスマスの時にも同じような感情になっていたが、あの時に私が感じているのはトレーナーさんに対する好意ではないと言い聞かせていたので好意ではない、きっと。

 

 いや絶対。

 

「ん~……お前やっぱり時々よくないよな」

 

「よ……よくないってなに」

 

「いや、なんというか、不意打ちしてくるよな。……別によ、俺だってお前の事が好きだ」

 

「あふっ」

 

 口に含んでいたスポーツドリンクを吹き出してしまった。

 トレーナーさんから出てきた言葉の意味が分からなかった。

 

「……え? 好きって……」

 

「俺だって、お前のその末脚をいつまでも見ていたい。お前の末脚を極限まで輝かせたい。もちろんシャイン自身も見ていたい、お前の明るい性格を見ていたい」

 

「ちょちょちょちょっと……流石にまずいよトレーナーさん」

 

「……そうだな、流石に頼みにくいか」

 

 言い終わって私は後悔した、トレーナーさんは何を言おうとしていたのだろう。もし私が止めていなかったら、もしまずいと警告していなかったら、トレーナーさんは何を言ったのだろうか。それが気になってしまう事を視野に入れていなかった、めちゃくちゃ後悔してる。

 

「ん~、でも一応トレーナーさんが何を言おうとしたのかは聞いておこうかな」

 

 もちろんそんな後悔を私がほったらかすわけもない、即座にトレーナーさんに再発言を催促する。

 さぁ、早く、言え。

 

「いや、あまりこういう事を言うものじゃない、やめておくよ」

 

「あ~待って待って待って! ……いいの? 後悔するかもしれないよ? もしここで言わなかったら一生後悔するかも……私みたいなのはなかなかいないよ?」

 

 いや今この場で後悔してこんなことをしているのは紛れもない私なのだが、そんなことはどうでもいい。

 

 トレーナーさんが言うのを渋ろうとするので私はひたすら必死に言葉の続きを催促し続ける。

 

「……そうだな、確かにお前みたいなやつはなかなかいない、きっと後悔するだろうな。……シャイン、お前に言いたいこと、いや、頼みたいことがある」

 

 頼みたいこと。

 そんなものの内容はとっくのとうにわかっているのだが、一応私が聞いてあげようと言う事で眉を上げてトレーナーさんを見る。トレーナーさんも覚悟を決めたようで深呼吸をしている。

 

「……最近体がたるんできたから一緒にトレーニングしてくれ。きっとお前なら俺の事を励ましながらトレーニングしてくれるし、お前についていけるようになればきっと俺も前より筋肉がつくはずだ。無駄にムキムキなのが自慢だったのに肉付いてきてて……」

 

「あ~もうしょうがないなぁトレーナーさんは! 生徒に対してそんなことを申し込むなんてよくないなぁ! まぁ? 私も別にまんざらでもないから受け……は?」

 

「あ、やっぱりよくないか? だよなぁ……ウマ娘とヒトとじゃ体力が根本的に違うもんなぁ……流石にシャインのトレーニングに支障が出る可能性あるか」

 

 えと、一体どういう……。

 

 トレーナーさんが言うであろう言葉を先に予想して反応したが、トレーナーさんが言った言葉は私の予想とかなり違っているように聞こえた。

 

「……つまりどういうこと?」

 

「え、俺がシャインと一緒にトレーニングして体を引き締めたいだけだけど」

 

「……あ──ーッッ!! も──このバ鹿トレーナーはぁぁぁぁぁ!!」

 

「なんでぇぇぇぇええ!?」

 

 非常にムカついたので私お手製の折り畳みハリセンで思いっきりトレーナーさんをはたいた。

 

 観覧車は楽しかったです。

 



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第五十九話 受け継ぐ想い 日本ダービー

作者「ダービーは日本競……オホン、中央G1の一大レースだからすごく大きく書きたいよなぁ……」


 

「~♪」

 

 トレセンから一際離れたところに作られたタルタロスのトレーナー室兼トレーニング場。

 そこにトレーナーの口笛が響く。

 

「今日はトレーナーさんがやけにご機嫌だよ……」

 

 たまたま近場を通ったためトレーナー室に来ていたウェザーストライクがやたら上機嫌な原田の口笛に反応する。その時点でぴたりと口笛が止まり、窓の方を見ていた原田はウェザーの方を見る。

 

「まぁご機嫌になって当然だからね」

 

「……なにかあった?」

 

「強いて言うならそうだなぁ……僕にとって最強の切り札が手に入ったことかな。昨日の時点で……」

 

「……昨日……あ、駅前のシュークリーム? キグナスのトレーナーにでも渡すやつかな……」

 

「あ、それじゃないんだけどね。まぁいいや」

 

 原田はウェザーに説明をしようとも思ったが、ウェザーがあまり話を聞かない事を知っていたためにそれ以上は何も説明しなかった。

 それっきり原田は黙り、それまで口笛が響いていたトレーナー室にはウェザーストライクが『切り札』について考察する独り言のみが響いていた。

 

「ウェザー」

 

「あでも切り札と言うにはあまりにも……ん?」

 

「タルタロスはもしかしたら最強の武器を手に入れるかもしれない、そうすればきっとタルタロスは最強のチームとして輝ける。僕が地方で成し遂げられなかった事が……」

 

「最強の武器……? はて……」

 

 原田がそのように意味深な事を言うも、ウェザーはイマイチ理解していなかった。

 

 

「はい、はい。じゃあスペ先輩、今日は応援お願いしますね!」

 

 通話終了ボタンを押し、携帯をスリープモードにする。

 私の武器「想いの継承」においてスペシャルウィークさんの存在は欠かせないため、あらかじめ東京レース場にスペシャルウィークさんを招くための電話だ。

 

「ん、電話終わったか」

 

「うん! 多分これで来てくれるはずだよ、これで想いの継承はとりあえず発現するかなぁ。……ってもう着くのか、あぶない」

 

 窓の外を見ると、長電話だったためかすでに東京レース場が近づいてきており、急いで勝負服を取り出したり、準備をする。

 

「よし! それじゃあいつもみたいに控室で準備しとけ~」

 

「あ~い、それじゃあ行ってき……」

 

 レース場に着いて車を降りると、言葉にならない感覚が私の全身を巡った。

 

 今ここで車を降りてダービーに出走すると、なにかとてもまずいことになるのではないか。取り返しのつかないことになるのではないか。

 そのような感覚がいつまでも続いていた。

 

 忘れもしない昨日のトレーナーさんに対する感情とはまた違う。一種の恐怖心のようなものだった。

 

「ん、シャイン?」

 

 走ってもないのに脈拍が上昇している。不思議と落ち着いた思考ではあるが、明らかに普通ではない感覚だ。

 ふと手に何かが当たり、当たった何かを見る。それは皐月賞の後にシャイニングちゃんからもらったタコのキーホルダーだった。

 

 そのタコのキーホルダーをしばらく揉んでいると、気分が落ち着いてきた。

 

 ここ最近このような事で振り回されることが多すぎて疲れてくる……。

 

「あれ、お~いシャ~イ~ン~」

 

「はっ……ごめんごめん、行ってきまーす。すぐに着替えちゃうから気持ち早めに来ていいよ」

 

「あいよ~」

 

 見慣れた東京レース場の場内、しかし見慣れたというのはいつも言っていることなのでそろそろ違う事も言ってみよう。

 2年も競争ウマ娘として走っていると、知り合いも増えてくる。そしてその知り合いは何度もレースでぶつかることがある。それすなわち、レース場で見かける機会も増えるという事だ。一度私の対戦相手を確認して、まとめてみよう。

 

「よう、スタ公。今度は皐月賞の時みたいにならないからよ、いいレースしようぜ」

 

「クライト……そうだね、あったりまえ☆ってね!」

 

 マックライトニング。

 入学当初からの知り合いで、他人に食らいつく勢いの走りが特徴だ。枠番は8枠16番、かなり大外になっているため、今回のダービーはかなりきつくなるだろう。

 世間での人気は無いが、その内に秘めた実力を私はよく分かっている。

 

「シャインおねえちゃぁぁぁぁぁん!!」

 

「おっとっとシャイニングちゃん、ここで走りすぎて本番疲れないでよ?」

 

「わかってるよぉ!」

 

 シャイニングラン。

 キグナスのウマ娘で、今はキグナスとして私を消しに来てはいないだろうけど、どうなのだろう……。まぁそんなことはないだろう、この目が語っている。枠番は6枠12番、可もなく不可もなくと言ったところだろうか。といっても逃げのシャイニングちゃんは位置取りなどあまりない走りのため関係ない気がするが。

 

「騒がしいわねあなたたち……」

 

「ノースだって殺伐と走るんじゃなくて、こうやってみんなで走るの嫌いじゃないでしょ?」

 

「……ええ」

 

 ノースブリーズ。

 元キグナス、現アルビオレのウマ娘だ。皐月賞の時は出走回避をしていたため、私と走るのはこれが初めてだ。枠番は2枠3番、内に入れたのはかなり大きいのではないだろうか。もし青葉賞の時よりスキルアップしているならば、ノースより外にいるシャイニングちゃんにハナを取らせずに走ることも可能だろう。

 

「……スターインシャインと共に戦ったメンバーがここに集まっているな」

 

「おっ、ランスもやっぱりダービー走るんだ! ホープフルの時以来の勝負だね」

 

 シーホースランス。

 同じく元キグナスのウマ娘、ノースと同じように皐月賞の時は出走回避をしており、ダービーで初めてステップ競争に参戦したウマ娘だ。特に飛びぬけた武器は無いが、地力で他のウマ娘を薙ぎ倒す実力の持ち主だ。枠番は7枠15番

 

 大体こんなところだろうか。

 

 まとめると、今回の東京優駿ことダービーでの知り合いの枠番はこうだ。

 

 マックライトニング 8枠16番

 

 シャイニングラン  6枠12番

 

 ノースブリーズ   2枠3番

 

 シーホースランス  7枠15番

 

 そして私、スターインシャインが1枠2番だ。

 

 東京レース場の芝2400mは内枠が有利なコースで有名だ。そのため私の枠番、1枠2番はなかなかに有利な枠番だと言えるだろう。世間では「最も運の良いウマ娘が勝つ」などと言われる日本ダービー、その枠番で有利な内枠を取れている時点で私は結構運があると言っても良いのではないだろうか。

 

 皐月賞を勝利し、NHKマイルカップも勝利した私が日本ダービーまで勝つことが出来れば、私の目標である誰にも越えられない記録に大きく近づくだろう。

 

 それに私がダービーに勝つことが出来れば、クラシック期の初期に調べていた「耳飾りを左耳に付けているウマ娘はクラシック三冠路線に勝てない」というジンクスを破ることができる。

 

「いつにも増してウキウキしてるじゃない? シャインさん」

 

「そりゃあね、だって誰にも越えられない記録が迫ってきてるんだもん!」

 

「あぁ……そう言えばそんな記録が目標って言ってたわね。残念だけどその記録は私がもらいたいところね」

 

「いいや、スタ公の目標は俺のものだな」

 

「私だって皐月賞の時のリベンジするもん!」

 

「モテモテだな……」

 

「ご、ごめん! 私勝負服に着替えないといけないから!」

 

 3人がかりで囲まれてしまっていたため、私はそのバ群を抜けて自分の控室に向かった。

 

 控室について扉を閉めると、先ほどの騒がしかった空間とは違い静かな状態になる。その静かな空間で勝負服に着替えようとして制服を脱ぐと、あることに気付いた。改めて先ほどの自分を見てみると、入学当初に比べてかなり友人が増えたのだと実感する。正直入学したらレース一筋になると考えていたから、かなり嬉しい。

 

「……えへへ、みんな私の記録を奪うために、私に勝つために頑張ってくれてるのかぁ……」

 

 そのまま嬉しくなってしまい、勝負服に着替えることを忘れていた私は下着姿のままあることも忘れていた。

 

「お──っすシャイン、そろそろ着替え終わったと思ったから来たぞ~」

 

「……あぇっ?」

 

 トレーナーさんに少し時間を空けてから控室に来るよう言っていたのを忘れていた。

 控室に一人だったため、控室のど真ん中でガッツリ下着姿になっている私がトレーナーさんに見られるのは回避しようがない事だった。

 

「え、なんでお前下──」

 

「すけべぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「なぜだぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 とっさにトレーナーさんを蹴飛ばしてしまい、そのままの勢いでトレーナーさんは控室の外に飛んで行った。そして狙ったかのように控室のドアが何故か閉まり、ひと段落ついた。

 

 とんでもない破壊音の後に控室の外で悲鳴が聞こえた気がしなくもないが、きっと気のせいだと言い聞かせて私は勝負服に着替えた。

 

 

 

「おま……お……お前……やってくれたな……」

 

「本当に悪かったと思っておりま候」

 

「本当に悪かったと思ってる奴は候って使わないんだよ」

 

「……ごめんなさい」

 

 結局気のせいだと言い聞かせて勝負服に着替えたのはいいものの、トレーナーさんを吹き飛ばしたのは事実なので着替えてすぐにトレーナーさんを救出した。

 そして今猛烈に謝っている。

 

「まぁそれはいいとして、もうそろそろパドックの時間だな。緊張してくるぜ」

 

「それはいいとしてで片付くんだ……。そうだね、もうすぐ私の記録がまた一つ増えるんだよ」

 

「誰にも負けないウマ娘……誰にも越えられない記録を作る……俺たちの目標が一歩一歩確実に成就へ近づいてるのを感じるな」

 

 成就なんて頭良さそうな単語をトレーナーさんが使っているので驚いてしまった。

 そう考えている私の思考を読み取ったのか、トレーナーさんが渋い顔をしてこちらを見てきた気がした。気にしないでおこう。

 

 

 

「入れ」

 

「お疲れ様です」

 

 シャインが到着する少し前の東京レース場。シャインと同じようにキグナスにも控室が存在する、ここはデルタリボルバーの控室だ。

 先に控室に来ていたキグナスのトレーナーと金泉トレーナーにリボルバーは挨拶を済ませ、中に入って体を拭いてから勝負服を着る。

 

「どのくらい走った?」

 

「今日と同じ2400mを2周ほど学園のトラックで……」

 

「そうか、スタミナの方は?」

 

「まだまだ走れます、パフォーマンスを低下させずに走るとなれば同じ距離であと5周は行けるかと」

 

 リボルバーの報告を聞きながら、キグナスのトレーナーはひたすらパソコンにデータを記入していく。一方で金泉トレーナーはというと、以前皐月賞の時にキグナスのトレーナーから感じた殺気を忘れられず控室の隅で静かに座っていた。

 

「完璧に目覚めたみたいだな、お前の力に」

 

「ええ、最初の頃の私は全くスタミナが無く、短距離レースすら走れなかったウマ娘でしたね。だけど今、こうしてダービーを走れるくらいのスタミナを手に入れることが出来ました。全てお二人のおかげです」

 

「キグナスの看板は最近になって汚されてきている。誰が汚しているかは当然分かっているな?」

 

「……スターインシャイン、プロミネンスサンの二人ですね」

 

「ああそうだ、今回の日本ダービーにはスターインシャインが出走している。そしてお前も出走している。分かるな? お前が消すんだ(やるんだ)

 

「……分かりました」

 

 リボルバーは一瞬迷ったような表情を見せたが、すぐに覚悟を決めた顔になり、キグナスのトレーナーに頷いた。

 

 

 

「さぁて出走だ! 出走だ!」

 

「パドックのパフォーマンスはミスるなよ、スタ公」

 

 パドックの時間が迫ってきて、私が気分が高い状態でスキップをしていると、クライトにツッコミを貰ってしまった。

 

「シャインお姉ちゃんに限ってそんなことないよ~」

 

「おめ~もいつの間にかスタ公信者になったなオイ。俺の方が友達の歴長いんだぞ」

 

「私は皐月賞でライバルになったもん!」

 

「いやいやいや、俺だって皐月賞に出走してたからそこに差はね~だろ」

 

「見えてないもん! 遅すぎて見えなかったもん!」

 

「なんだ? このチビ助」

 

「うるさいよ黒髪のヤンキーさん!」

 

 私がクライトから突っ込みを貰って頭を掻いていたら、いつの間にかクライトとシャイニングちゃんがまた喧嘩をしていた。

 んも~何かと相手の事を煽るあたり精神年齢おんなじなんだから……

 

 パドックの方を見ると、どうやら次はもう私の番らしい。正直この二人を置いていこうか迷ったが……置いていくことにした。喧嘩が発展するかもしれないが、まぁ多分誰かが止めてくれることを祈って。

 

 

 

「なんだかんだランスと走るのも久しぶりね」

 

「腕は落ちてない?」

 

「当然じゃない」

 

 シャインさんのパドックが行われている裏側で、ランスと久しぶりに対面で話しかけてみた。

 といってもありきたりな話しかけ方でぎこちなかっただろうか。

 

「……少し口調変わった?」

 

 突然ランスがそのように私に聞いてきた。どこか口調が変わっていただろうか。

 

「前はそんな風に上品なしゃべり方じゃなかったよね、どこかで習ったの? えと……ホープフルステークスのあたり?」

 

 ホープフルというと私とシャインさんが仲良くなり始めたころだ。確かにあのころを振り返ってみると、口調が前に比べて変わっている気がする。

 

「……ふふっ」

 

「な、何笑ってるの?」

 

「いや? ランスが私の小さい変化に気付いてくれるあたり、まだ私の事をよく見てくれてるんだなって実感できたのよ」

 

「なにさそりゃ……」

 

 

 

『1枠2番、スターインシャイン。いつもの磔のポーズですね、気合が入っているんでしょうか。先ほどから顔がニヤニヤしています』

 

 実況の人がそのように言ったため、鏡こそないものの私は自分の顔を気にして真顔を保つようにしてみた。

 

 今回も私のパドックのパフォーマンスは完璧だったため、パドックを見るための席では歓声が上がっていた。しかし、ある程度パドック上でのパフォーマンスを行うと、次の人に変わらなくてはならない。私はしぶしぶパドックの裏側に戻って行った。

 

「いやぁやっぱり私は人気みたいだねぇ……」

 

 などといいパドックの余韻に浸っていると、あるウマ娘とすれ違った。

 

「……スターインシャイン、良いダービーを」

 

「?? よ、よいダービーを……?」

 

 突然良いダービーを、などと言われて戸惑ってしまい、私はとっさに同じことを言いかえすしかできなかった。あの姿は確かデルタリボルバー……というウマ娘だった気がしなくもないが、どういう意味だったのだろうか。そんなことはわからないが、きっとあの子は私に勝つ自信があるのだろう。それならばレース中私に武器を使うときがあるかもしれないから、気を付けておこう。

 

 いや~私も顔を知らないような子に知られているウマ娘なのか~! 

 



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第六十話 受け継ぐ想い 日本ダービー②


作者「大晦日に38.7の熱を出すなんて……執筆して寝ます」


 

「……トレ公、俺は今、日本ダービーの舞台に立てている。これがどういう意味か分かるか……? あんたのおかげで、俺は中央G1の舞台に立てるほどの実力になったという事……まだ泣くような場面じゃないんだけどよ……ちょっと、感極まっちまうよな」

 

「クライト? どうしたの独り言なんて呟いて」

 

 日本ダービーが行われる東京レース場、パドックも本バ場入場も返しウマも終わったのち、残す所はゲートインのみという場面で、クライトが隅の方で独り言をつぶやいているのが聞こえたので声をかけてみた。するとクライトは怪奇現象でも目の当たりにしたような顔をして私を見た。

 

「うわっスタこっ……! ……どこから聞いてた?」

 

「……トレ公、俺は今、日本ダービーの舞台に──」

 

「ああいい! それ以上はいい!」

 

 クライトに素早く口をふさがれ、私は何も喋れなくなってしまった。正直そこまで辱める気持ちはなかったのだが、クライトにどこから聞いていたなんて質問されたのでしょうがない。

 

 私は丁寧にクライトの手をどかし、クライトと一緒に観客席の方を見る。何度も見ているこの景色だが、今日だけは違う。私の入学から今までを全て詰め込んだみたいな、そんな感情に包まれる。

 

「まぁ、気持ちはわかるよ、感極まっちゃうよね、どうしても。みんなそうだったよ、シャイニングちゃん、ノースとランス、そしてクライト、みんなそれぞれ強い思いを持ってこの日本ダービーに挑んでるからこそ、今この東京レース場にいることに思わず感動しちゃう。私だってそう」

 

「……誰にも越えられない記録か。……それでなくたってどいつにも何かしらの目標がある、か……。よし、決めた」

 

 クライトはそのようにブツブツとしゃべっているうちに何かを思いついたようで、活気に満ち溢れたような目で私の方を見て、こう宣言した。

 

「中央のG1に勝ちまくって、俺の事を見捨てたトレーナーに一泡吹かせてやる! それが俺の目標だ! その目標に近づくために俺はダービーに勝つ!」

 

 クライトの事を見捨てたトレーナーと言うのは、地方時代にクライトに才能が見いだせないという理由で突如姿を消したトレーナーの事だろう。以前速水さんに聞いたことだ。

 確かに、クライトがここまでひねくれてしまったのはそのトレーナーのせいだ。中央に通用する実力を持ち合わせたクライトを活躍させることができなかったのはそのトレーナーの実力不足だというのに、クライトの才能のせいにして逃げたのだから。

 

 そしてクライトは今、完全に過去を振りきれていない。もしその目標が叶う時が来たのなら、きっとクライトは今度こそ自分の競争ウマ娘人生をスタートできるだろう。

 

「……達成できるといいね! その目標!」

 

「……おう」

 

 先ほどまで元気いっぱいだったクライトは突然恥ずかしそうにして顔をポリポリ掻いていた、チワワみてぇ……。

 

 その瞬間、レース場に管楽器の音が響き渡る。日本ダービーのファンファーレだ。いよいよ、いよいよ夢にまで見た日本ダービーを走ることができるのだ。

 

 小さな時から夢に見ていた。トウカイテイオーさんの有馬記念を見てから色々なレースを見ていたが、その中でトップを争うくらい私が出走したいと思っていたレース、それが日本ダービー。

 

 そのファンファーレを噛みしめながら、私はゲートの方に歩いて行った。クライトも私に続いてゲート前まで移動していた。

 

『クラシック期の一大レース、日本ダービー。今年は差を広げ続けるウマ娘、皐月賞ウマ娘スターインシャインが出走しています。場は良バ場、天気も雲一つない快晴です』

 

 わざわざ実況の人が私の名前を挙げているのが聞こえる、それほどまでに私は有名になっているという認識でいいだろう。トウカイテイオーさんもこんな風に、有名になって嬉しい気分だったのだろうか。

 

 実況の人が話しているうちに、各バ順調にゲートインしていき、ついに最後の一人がゲートに収まった。

 

 いつもと同じゲートのはずなのに、今日は一段と中の緊張感と温度が違う。このゲートに入っている全員が尋常じゃないほどの集中力を放っているせいだ。それに負けじと私も前を見てスタートを待つ。

 

『さぁ、夢の舞台、日本ダービーが今……』

 

「ッ!?」

 

 実況の人がスタートしたことを会場に響き渡らせる声が聞こえるコンマ数秒前だった。横の方から既にスタートするために誰かが地面を蹴った音が聞こえ、混乱する。なぜまだゲートが開いていないのに踏み切っているのか、分からなかった。

 

 しかしその理由はすぐにわかった。

 

『スタートしました!』

 

 なんと偶然だろうか、その踏み切った音が聞こえたすぐ後にゲートが開き、実質的にスタートダッシュを完璧に決めたウマ娘がいた。

 

「これは……すごい武器だ……」

 

「ランス……!」

 

 なんとそのウマ娘というのはランスだった。先ほどの音はランスが踏み切っていた音だった。

 

 ゲートが開く瞬間を本能的に察知したのだろうか。いや、なんにしても間接的にランス以外のウマ娘が全員出遅れたような状態になってしまった。

 

「やっぱりそう簡単には勝たせてくれないね……!」

 

『15番シーホースランスがスタートダッシュを切った! それに続いて12番シャイニングラン、3番ノースブリーズが走っている! 一番人気スターインシャインは相変わらず最後方だ! 短いスパンでG1を連勝しているスターインシャイン、このままダービーの座も手に入れるか!』

 

 ダービーで走るコースではスタートしてすぐにコーナーがある、そしてそのコーナーで全体的にペースが緩んでバ群が固まりやすい、それに呑まれてしまっては追込みウマ娘の名が廃るので、私はいつもよりも余裕をもって最高峰に位置した。距離にして大体2バ身くらいだろうか。

 

 そして第一コーナー。

 

『第一コーナーを回ります! おっと16番マックライトニングが綺麗にバ群に呑まれてしまっています! かなり苦しい状況だ!』

 

「クソッ! 邪魔だな……」

 

 やはり私の前の方でバ群が固まっている。だがしかし、いくらバ群に呑まれないようにするためとはいえ私も少し後ろの方に距離を置きすぎたようで、あと1バ身くらいは前に出てもバ群に呑まれないくらい余裕がある位置だった。

 

 

 

「こうしてトレーナーだけでシャイン達のレースを見るの、なんか久しぶりな気がしますね」

 

「ああ、木村はサンにつきっきりだから来れないのが残念だな……」

 

 観客席でダービーを見ながら、橋田と速水はそのような他愛のない会話をする。今ここに来ているのは橋田と速水だけ。当然森田トレーナーやキグナスのトレーナー、金泉トレーナーもこの東京レース場に来ているが、各陣営はお互いにお互いの場所はおろか、来ていることすら認知していなかった。

 人生で一度しか走れない日本ダービー。その決着が決まる瞬間を皆心待ちにしているため、他陣営の事を考えている余裕などなかった。

 

「……おっと橋田、そんなことを言っている余裕すらないみたいだぞ。キグナスが仕掛けてきた」

 

「……え? もう?」

 

 速水にそう声をかけられ橋田が目をやった先には、今回の日本ダービーに出走しているデルタリボルバーの姿があった。バ群の後ろあたりで控えていたデルタリボルバーは、第一コーナーを回った直後、およそ400mを走った地点で、誰が見てもスパートをかけているとしか思えない速度を出していた。

 

「驚いたな……まだ残り2000mも残っているというのにスパートをかけるとは……」

 

 残り2000mの時点でスパートをかける。

 ウマ娘のレースを見ている人ならば誰でもその言葉の異様さに気付くであろう。何の冗談だと、誰しもが笑うだろう。売れないピン芸人のお笑いを見ていた方がまだマシだと誰しもが感じるだろう。

 

 しかしデルタリボルバーはその文面を行動に起こしている。自殺行為としか思えない事をデルタリボルバーはやってのけている。それも不安など微塵もない自信に満ちた顔で。

 

「……ウソ……デルタおねえちゃんがそんなスピードで……!」

 

 無論、今もキグナスのメンバーであるシャイニグランも、同じチームであるデルタリボルバーのステータスを知っていた。スタミナなど全くなく『短距離のレースですら完走できるか怪しいウマ娘』というリボルバーのステータスを、知っていた。

 

 しかしこれは、シャイニングランにすら知る由もなかった、秘密裏に調整が行われていたリボルバーの武器。

 

「(これが私の武器……名を付けるなら『デルタハート』……とでも言うべきだな。私の心臓は三角形の頂点に一つずつ、三つ付いている。そう錯覚できるほど、スタミナは有り余っている!!)」

 

『5番デルタリボルバーが逃げ始めている!? シャイニングランを離しどんどんゴール板へと向かっている! 後続が離されている! 大逃げの作戦だデルタリボルバー!』

 

「いいや! これは私が逃げているんじゃない!! 周りのスタミナが無さすぎるだけだ……今私は()()()()()をしている!」

 

 第一コーナーを超え向こう上面、実況の焦りようからも分かる通り明らかに異質な空間だった。

 レースが始まった直後からスピードを上げていたノース、ランス、シャイニングの三人は完全に追う気力を無くした。人生で一度しか走れないダービーだからこそ、いくらリボルバーに追いつく未来が見えなくても全力でぶつかってやる、と最初こそ三人は覚悟していた。しかしレベルが違った。リボルバーが離す距離が規格外だったために、三人は完全に圧倒されてしまった。

 

「だけどっ!! まだ! まだ私は走れるわ! スタミナが必要だというのなら私の呼吸術腕いくらでも回復する!」

「絶対に奴を抜かしてやる! スターインシャインに二度と無様な走りは見せられない!」

「リボルバーおねえちゃんにもシャインおねえちゃんにも、負けたくない!」

 

 しかし、皆シャインと関わってきたこの数か月間の経験から、自分の闘志を保っていた。

 

 クライトは戦慄していた。再びクラシック三冠のレースに負けてしまうのではないか。シャインに新たな目標を誓った直後に負けてしまうのではないかと震えていた。

 

「ぜってぇ勝ってやる! 勝って原田の野郎に一泡吹かせんだ!!」

 

 だが、だからこそ勝った時の喜びも大きいのだと、死に物狂いでバ群を割っていた。

 

 シャインは楽しんでいた、この状況を。

 これほどまでに大きな武器を持った相手を倒せば、きっと自分の人気も限りなく上昇する。たった数百メートルしか走っていないのにスパートをかけるウマ娘を自分が倒すのだと、楽しんでいた。

 

 各々が各々の感性でリボルバーに共鳴するように士気を上げていた。

 しかしその共鳴する波を打ち砕くかのようにリボルバーは差を広げていく。

 

 これは決して逃げではない。ただの差し。

 

 周りが遅すぎる故の錯覚。

 

『デルタリボルバーが先頭に立ったまま第三コーナーへ入ります! 12番シャイニングラン3番ノースブリーズ15番シーホースランスが先頭集団を作り、後ろから16番マックライトニングが追ってきている! 2番スターインシャインはまだ後方集団!』

 

「ここからっ!!」

 

 第三コーナーを回り始めたころ、シャインが一際強く地面を蹴る。いつもより早くスパートをかけたのだ。

 

「よし! シャインがスパートをかけ始めた! ここから想いの継承でデルタリボルバーを追い抜いてやれ!」

 

 

 

「スペシャルウィークさんの力を継承すれば、絶対に追いつけるはず!」

 

 シャインは走り方を抑え、想いの継承に備える走り方になる。

 

 しかし数秒、シャインが想いの継承を発現させようとするが、一向に想いの継承が発現する様子はない。

 

「……あれっ!? おかしい! なんで!?」

 

 発現しない。シャインがいくら走っても想いの継承は発現する様子が無い。それは橋田もレースを見ていてすぐに気付いた。

 

「なんでだ……!? スペシャルウィークには事前に応援に来るように言っていたはずなのに……」

 

 想いの継承に必要な項目『そのレースに関連のあるウマ娘がレース場に来ている』という項目を達成できなかったわけではなく、スペシャルウィークは確かに応援に来ていた。しかしなぜか発現しない。

 

「くっそぉ! それなら超前傾で……!」

 

 想いの継承が発現しないと判断したシャインは、少し前に使っていた武器、超前傾走りでリボルバーに勝負を仕掛ける。

 

『スターインシャインが体を前に前傾させて走っている! デルタリボルバーも負けじと逃げ続ける! どっちだ! ノースブリーズが後ろから迫っている! マックライトニングも必死に食らいつく! 大混戦だ! 今世代の強豪が一斉に争っている! 誰が勝つ! 誰が勝つ!』

 

 デルタリボルバーが大差しをし、ノースブリーズ、シャイニングラン、シーホースランス、マックライトニングといった、シャインと関わってきたウマ娘が同時に争っている日本ダービー。

 

 走り続け、ゴール板を駆け抜けたのは誰か。

 



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第六十一話 倒壊


作者「寒いですね、作者は布団から出られません」


 

『一着は、デルタリボルバーっっ!!』

 

 レース場に響く実況の人の声、デルタリボルバーが勝利したと言う事を観客全員に知らしめるためのその叫びが、レース場全体に響き渡った。

 

 しかし私は、その声が現実のものだと受け入れることは出来なかった。というより、拒絶反応すら出していた。

 

「私が……負けた……?」

 

 嬉しそうに確定前の電光掲示板を見つめているデルタリボルバーに怒りが湧いてくる。あのウマ娘が、あのウマ娘が邪魔さえしなければ私はダービーに勝てていた。

 

 怒りが湧いて当然だ、私はこの日本ダービーに勝つつもりでいたのだ。何カ月も前から、ずっと勝つつもりで頑張っていた、練習だって──

 

「頑張って……ない……」

 

 ……私は何をがんばっていた? 

 

 レースで走る相手の能力? 想いの継承の練習? いいや何もしていない。日本ダービーに勝つのだといつごろから志していたかすらあやふやだ。

 きっと敗因をとことん言語化するクライトには笑われるだろう。しかし私のダービーの敗因は『負けるべくして負けた』としか表しようがなかった。観客席の前で誇らしそうに立つデルタリボルバーを見つめていれば見つめているほどその事実が私の中に刻まれていく。自覚していく。

 

 涙が出てくる。

 

 あれだけ勝つと思っていながら負けてしまった自分に腹が立つ。

 想いの継承という新しい武器に浮かれ、超前傾走りの練習や想いの継承自体の練習をしていなかった自分に腹が立つ。

 レースで走る相手の情報を何一つ調べていなかった自分に腹が立つ。

 自分のなにもかもに腹が立つ。

 調子に乗っていた。私は調子に乗ってしまっていたのだ。やはり左耳に耳飾りを付けているウマ娘はクラシック三冠路線に勝つことはできなかったのだ。今更気づいてどうする、もう日本ダービーは終わってしまった。私のクラシック期は終わってしまった。

 

『日本ダービーを1着』という私のひとまずの目標は見事に崩れ去った。

 

「そうだ……トレーナーさん……トレーナーさんに……」

 

 謝らなくては、こんな情けない走りをしてしまった私をトレーナーさんに謝らなくては。

 ドンナさんやスペシャルウィークさんにだって、応援してくれたのに負けてしまったと言う事を謝らなくては。

 

「トレー……ナー……さん……」

 

 足取りはおぼつかない。ふらふらと歩いている感覚だ。

 

「シャインッッ!!」

 

 考えていくうちに私の思考はどんどんパニックに陥って行き、いつの間にか意識が遠くなっていった。

 

 

 

 目が覚めるとそこは東京レース場にある私の控室だった。

 頭が痛い。倒れた時に打ったのだろうか。

 

「シャイン……!」

 

 目が覚めるなりトレーナーさんが心配に満ちた顔でこちらを見てくる。控室の中には私のトレーナーさんしかいない。

 

 トレーナーさんはなぜそんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。

 

「ああ……思い出した……私、日本ダービーに負けたんだった……」

 

 痛い思いをして、やっと頭からそんな事実が抜けたと思ったのに、目が覚めてそうそう嫌な事を思い出してしまった。

 

 そうだ、そこで私は倒れて。

 

「あ────……」

 

 控室の天井を見上げると、清々しいまでの脱力感に襲われ、ただ息を吐くことしかできなかった。それは絶望感からだろうか、それとももう何の目標にも縛られていない解放感からだろうか。なんにしろ清々しい感覚のはずなのにすごく気分が悪い、これなら道端でゴミ袋を漁ってその日のごはんを探している方がマシだろう。

 

「何にも言うことないよね……いや、沢山色々言いたいか……」

 

「……とりあえず今は何も言葉が思いつかないな」

 

 トレーナーさんが大激怒しているのではないかと思っていたが、意外にもしょぼくれたチワワのような顔をして座り込んでいた。顔が面白い。

 

「そうだシャイン、ウイニングライブは気ぃ失ってる間に終わったぞ。シャイン抜きで行ったって……」

 

「そっか」

 

「クライトもノースもランスもシャイニングランも、それこそサンだって、みんな心配してたぞ……」

 

「そっか」

 

 私は勝負服を着たまま、天井を見たままトレーナーさんの話に相槌を打つ。何か面白い事を言おうと思っても、ただひたすら日本ダービーの景色が思考を邪魔してくるため、きっと乾いた対応しかできていないのだろう。

 

 どうすれば勝てる……? 

 

 私の目標は……? 

 

 私の今後のレーススケジュールは……? 

 

 誰にも越えられない記録になるのか……? 

 

 誰にも負けないウマ娘に近づいたのか……? 

 

 いくら天井を仰いでも疑問が止まらない。私はいつもレースに負けた時、なんだかんだ勝つための切り札が思いついたりするのだが、今のは勝算を生むための切り札が思いつかない。

 

「もう帰るだけだから、お前の体調が戻り次第学園に帰ろう」

 

「うん……」

 

 とりあえず今できることは、目覚めたての自分の意識を早く戻すことだ。

 

 私はその後すぐに体調を戻し、学園へ帰るためにトレーナーさんの車へと向かった。車に向かう最中もいろんな人の声が聞こえた。私が負けてしまって残念だという声、デルタリボルバーに期待する声、これも私の自惚れなのだろうか、前者の方が多く感じた気がする。

 

 クライトやノース、ランスやシャイニングちゃんにも道中あいさつを交わし、私はトレーナーさんの車に乗って学園に戻った。

 

 

 

「……おいおいお前ら、辛気臭いぞ? もうちょっと元気出せって。シャインだってほら、いつもみたいに俺を煽ってみろって」

 

「クライト……今そういう気分じゃないんだよね……」

 

「私は別にもう気分直ってるよ?」

 

「い~やサン、お前だって暗くなったぞ」

 

 授業が終わり、学園の廊下を歩いている時に、クライトがそのようにして私たち二人に絡んでくる。別に私たちは辛気臭い空気を出しているわけではないのだが、どうもクライトにはそのように見えているようだ。

 

 日本ダービーが終わり1日、私は相変わらず頭の中にダービーの記憶を植え付けられたまま学園を歩いていた。

 キグナスのウマ娘に私は負けた、負けたと言う事はキグナスから何かしら私を消す為のアクションがあるのではないかと思っていたが、意外にも何も起こらず、本当にキグナスはウマ娘を消すのだろうかと逆に心配になってしまう。

 いや、そんな心配したくもないが。

 

 トレーナーさんも相変わらずのおバカ具合で、何一つ日常は変わらないのだろうと確信できる。

 

「……確かにお前らのステップ競争レースは残念な結果になったけどよ、これからじゃねぇか、俺たちはまだクラシック期なんだぜ? これから頑張って行こうぜ? な! シャイン! サン! ほら笑えって……!」

 

 クライトが頑張って私達を励まそうとしているが、今の私は気を使って愛想笑いを作る気力すら起きなかった。

 

「……じゃあ俺これからトレーニングだからよ、お前らもあんまり無理すんなよ……」

 

 クライトが自分のトレーナー室に向かったのを皮切りに、サンも私にアイコンタクトだけ送り木村さんの所へと向かっていった。

 

 残された私は何をすればいいのだろう、これからどうやってあのデルタリボルバーに勝てばいいのだろうか。

 

 解決するのかわからない絶望を感じて立ち尽くしていると、後ろから足音が私に近づいてきた。

 

「何かお困りですか?」

 

 後ろを振り返ると、いつかの時に見た原田と言うトレーナーだっただろうか、が立っていた。

 

 今の私は原田トレーナーに用はないし、向こうだって私に用はない、すぐに立ち去ろうと思って歩き出した。

 

 

 

「ふ──っ……ふ──っ……」

 

 ダービーが終わってから、どうも俺の気分が落ち着かない……。

 

 何も変哲のないトレーナー室、俺はただ椅子に座っていただけなのだが、息が荒くなってしまう。何かとてつもなく悪い目に遭うんじゃないかというような、果てしない不安が俺の中を巡ってやまない。シャインが負けてしまった日本ダービー、ゴールの瞬間からずっとだ。

 

 それは一日たった今になっても原因が分からず、俺はどうすればいいのか分からずにいた。いや、何より最優先なのはデルタリボルバーに対する対抗策を考える事と、シャインがどれくらい落ち込んでいるかの確認なのに、俺がこんなことになっている場合ではないのに。

 

「シャイン……遅いな……」

 

 今日はまだシャインを見ていない。今日はトレーナー室にシャインを呼んだ、それは俺の携帯でチャット履歴を見て再確認したから確かだ。そして時間的に来てもいい具合なのにシャインは来ない。

 

 どこかで道草でも食っているのだろうか? 

 

 俺がシャインを探すためトレーナー室を出ようとした瞬間だった。俺のスマホが大音量で鳴り響いた。俺がいつもシャインの電話通知に設定している曲だ。探す暇が省けたな、などと考えながら俺は電話に出た。

 

「あ~もしもしシャイン? 今日トレーニングだからトレーナー室に──」

 

 いつものように遅刻したシャインに喝を入れるべく叱るような口調で話しかけてやろうと思ったその瞬間だった。まだ俺が喋っている最中だというのに俺の言葉を遮ってまでシャインはその言葉を放った。

 

「……私、あるチームに移籍することになったから」

 

「……は?」

 

 思考が停止した、思考どころか、俺の世界全てが止まった。

 

 シャインが移籍する? 

 何故? 

 理由は? 動機は? 移籍先は? トレーナーとの契約は? 

 

「移籍したいっていう私の意思が尊重されるから……それじゃあ」

 

「まっ、まて! 切るなシャイン! せめてどのチームに移籍するのか名前を……」

 

 切られた。

 

 無慈悲にもその電話は切られてしまった。

 

 シャインが移籍を承諾した? それか自ら志願して移籍したのか? シャインは少なくともそんなすぐに移籍を承諾するような奴ではないはずだ。いやそんなことはとりあえずどうでもいい、調べればきっとどこのチームに移籍したか出てくるはずだ、トレセン学園だってそれくらいの情報は公開しているはずだし、すぐに更新もされているだろう。

 

 俺はすぐにパソコンを開いて、トレセン学園内の情報がある程度分かるようトレーナーに配られる資料に目を通し始めた。確かに俺の担当ウマ娘の欄は空っぽになっていた。そして代わりにスターインシャインと言う名前が刻まれているチーム名もすぐに見つかり、俺は絶望した。

 

「……タルタロス……担当トレーナーは……原田真紅郎……」

 

 原田トレーナー、地方から来て間もないのにウマ娘を活躍させ続けるベテランのトレーナー。原田トレーナーとは皐月賞の時に接触していたが、その時にシャインの事を見てマークしていたのだろうか。

 

 相手が相手すぎる、きっとシャインは自分のことをもっと強くしてくれるであろう原田トレーナーの方へ行くために移籍したのだ。そうに決まっているとしか思えない。

 そしてそれが理由であるならば、もう俺にシャインを引き戻す方法は無いし、引き戻そうとも思わない。俺は確かにシャインを強くすることができなかったし、もしかしたらこれからもそうかもしれない。凄いトレーナーの元で指導を受けることができるならば、きっとそれがシャインにとっての一番の幸せなのだろう。

 

「それを……願うのが……俺の……うっ……うっ……」

 

 しばらく現実を見るのは出来ないかもしれない。

 

 

 

「まちなよスターインシャイン」

 

 すぐに立ち去ろうと思って歩き出した次の瞬間だった。私は突然原田トレーナーに肩を掴まれて、満足に歩けないような状態にされた。突然の行動に私は原田トレーナーに対し声を荒げてしまう。

 

「な、なんですか! 離してください!」

 

「キグナスが早めに君を消す行動に出なくて良かったよ。おかげで君をこうやって捕まえることができた」

 

「どういう意味ですか!? 離して!」

 

「そう暴れないでくれよ、僕だって実力行使は嫌なんだ。言っておくけど蹴っても痛かないからね」

 

 私は原田トレーナーの拘束に対してもがいてみたりもしたが、ウマ娘の力でもがいているというのに原田トレーナーの手は一切力が緩む気配を見せなかった。確かにヒトの手だ、それなのにまるで痛みを感じてないかのような振る舞いで原田トレーナーは相変わらずニヤニヤとこちらを見ている。

 

 しばらくもがいて無駄だと分かった後、私は一応これ以上の接触を許さぬよう気を張りながら原田トレーナーの方を向く。

 

「そうそう、そうやって落ち着いてくれればいいんだ」

 

「……何が目的ですか? こんな人気のないようなところで」

 

「……君に僕のチームへ移籍して欲しいんだ」

 

「ッ!? イヤです! 私にはもうちゃんとしたトレーナーさんが付いているんです! 今更移籍なんてしません!」

 

 原田トレーナーの目的は意外にもチームへの勧誘だった。しかしただの勧誘でここまでするだろうか? そんなことはありえない。きっと何か裏があるはずだ。気は相変わらず張ったまま原田トレーナーの方を睨む。

 

「おお、怖い怖い、そんなに睨まないでくれよ」

 

 原田トレーナーは笑いながらそんなことを言っているが、冗談ではない。私は移籍など絶対にしない。

 

 そう思っていたのもつかの間、原田トレーナーは服から何かを取り出した。黒くて何か怪しい物体。

 

「いいのかい? もし移籍を承諾しないのならこのデータがばらまかれるよ?」

 

『……私ね、トレーナーさんの事、大好きだなぁって』

 

『……別によ、俺だってお前の事が好きだ』

 

「これって……!」

 

 黒い物体は何かの機械だったようで、その機会から流れてきたのは確かに聞き覚えのあるセリフだった。日本ダービーの前日、遊園地に行った私がトレーナーさんに言った言葉と、トレーナーさんが私に言ったセリフだった。だがこんな連続して繋げられたセリフではなく、ちゃんと誤解を解くような会話もしていたはずだ。

 

 これでは、これではまるで、私とトレーナーさんが両想いみたいではないか。いや別に両想いでいいんだけど、この状況においてはとてもまずい、原田トレーナーの言いたいことが分かった。

 

「よくないなぁ、ウマ娘とトレーナーがこういう関係なんて」

 

「……こんな……どうして……どうやって……」

 

 しかし謎なのはその方法。たしかあの時私とトレーナーさんは観覧車に乗ってどこにも盗聴器など仕掛けようもなかったはずだ。それなのにどうして音声が録音されてしまったのか。見当もつかなかった。

 

「知りたいかい? 僕がどうやって君のこの音声を録音したのか」

 

 奴の質問に素直に答えるのはすごくムカつくが、下手に抵抗するとこの音声で何をされるかわからない。確かに方法も知りたいため、私は素直に頷く。

 

 すると原田は私のカバンを奪い取り、一つのものを取り出した。

 

 この行動から考えられるものとして、私の持ち物のどこかに盗聴器が仕掛けられていたと言う事なのだろうが、一体どこに……。

 

 盗聴器として使われていたのは、私の想像をはるかに上回る物だった。

 

「それは……シャイニングちゃんからもらったキーホルダー……」

 

 原田が盗聴器として提出したものは、私が皐月賞を走った後、シャイニングちゃんからもらったタコのキーホルダーだった。

 

「本当はシャイニングランの動向を探るために持たせてたみたいだけど、それがなんとスターインシャインの手に渡るとは、キグナスのトレーナーもとんだラッキーだったなぁ~」

 

 私は何も言う事が出来なかった。まさか私が追い詰められる理由がシャイニングちゃんにあったなんて。

 

 音声をデータとして録音されてしまっているのなら私に手はない。どう足掻こうと、チームへの移籍を承諾するしかトレーナーさんが助かる道はない。

 

「それで? 僕のチームに移籍してくれるのかな……?」

 

「はい……」

 

 

 

「移籍したいっていう私の意思が尊重されるから……それじゃあ」

 

「よし、いいだろう。それじゃあこれからタルタロスのトレーナー室に行こうか」

 

 私はその後、無理やりチームの移籍意思を表明する書類を書かされ、余分な助けを求められない様に原田経由で学園に書類を提出した。そして今は原田の車の中で、トレーナーさんにチームを移籍する意思を伝える電話を強制されていた。

 

 これでもう、トレーナーさんと合う事は出来なくなった。大丈夫なはずだ。トレーナーさんはおバカだから、きっとすぐにまた強いウマ娘を見つけてスカウトするはずだ。

 

 きっと……。

 

「トレーナーさん……」

 

「うん? なんだい?」

 

 きっと私が自分を呼んだわけではないのだと原田は気づいているのだろう。バックミラーに映る原田の顔は、邪悪そのものに染まりきった表情だった。

 



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第六十二話 タルタロス始動


作者「CSMのギャレンバックル買いました」


 

「……まさかシャインちゃんがタルタロスに移籍するとはな……」

 

 雨が降っている中、俺とシャインのトレーナー室だった部屋に、速水さんや木村さん、サンやクライトなど、シャインと深い関係を持っている人たちが集まっていた。皆同じ理由で。

 

 その理由は俺が一番よく知っている。シャインの移籍の件だ。ダービーが終わった翌日、なぜかシャインはタルタロスに移籍する意思を学園に示し、受理された。

 

 最初こそ俺はシャインのふざけた嘘だと思うようにした。しかしトレーナーが見れる資料と、打ちひしがれていた俺に追い打ちするかのようにやってきたたづなさんの報告で、俺の自分に対する嘘は砕かれた。タルタロスのトレーナーである原田トレーナーがなぜ突然シャインを引き抜いたのかは分からない、ただ一つ言えるのは、俺の担当ウマ娘がいなくなったと言う事だ。

 

 そしてショックを受けていた俺は、意外にも冷静にまずみんなに報告することを選んだ。覚えている限りシャインと深いかかわりを持っている人物を皆このトレーナー室に電話で呼び寄せ、最初からじっくりと説明した。

 

「ぜってぇあり得ねぇ、スタ公が橋田を簡単に裏切るわけねぇだろうが!」

 

 クライトは激高してトレーナー室にあるソファに拳をくらわせる。

 

「あいつだ……あいつがスタ公に何かしやがったんだ……」

 

 シャインの移籍について話す際、速水さんとクライトから聞いたことなのだが、どうやらタルタロスの原田トレーナーはクライトの以前のトレーナーだったようで、原田トレーナー自身クライトに何かを思っているらしいと聞いた。

 

 シャインがクライトと深く関わっているから引き抜いたのだろうか? いや、そんな理由でシャインを引き抜くだろうか。分からない。もしかしたらシャインが自主的に望んだ可能性もあるのだ、一概に引き抜かれたとも考えられない。

 

「シャインさんは私に約束した、私とランスの夢を背負ってくれると。その時のシャインさんの目は希望に満ちていて、とても移籍なんてする様子はなかったはずなのに……」

 

「それにスターインシャインは、負けたことによるショックで自暴自棄になる性格でもないだろう? なぜ……」

 

 各々がシャインの移籍に対しての感想を語る中、俺だけはデスクに向かって突っ伏していた。突っ伏する事しかできないからだ。

 

「なんにしたって、引き抜き返すしかないでしょう。橋田さんもシャインさんがいないままトレーナーを続けようと思ってないでしょう?」

 

「うん、私もトレーナーさんの言う通りだと思うよ。シャインは絶対に橋田さんの元を離れるような性格じゃないと思う」

 

 これからどうしようか木村さんに提案されていると、突然クライトがトレーナー室を出ていこうとしたため、速水さんが急いでそれを止める。

 

「お、おいどこ行くんだクライト、まだ橋田が……」

 

「原田の野郎を探す。探し出してぶん殴る。それしかねぇだろうが! スタ公の奴を取り戻す」

 

 クライトはそれだけ言うと速水さんの声も無視してトレーナー室から走って出て行ってしまっ

 た。

 

「おい!? おいクラ~イ~ト~!!」

 

「行ってしまいましたね……。そろそろトレーニングの時間ですか、それでは私とサンは失礼させてもらいます。また何かシャインさんを引き抜くことについて思いついたらすぐに連絡しますね。サン、行きますよ……」

 

「橋田さん、きっと私が言えば私のトレーナーさん……アルビレオも全力で協力してくれるわ。必ず戻ってくるから……」

 

 クライトがトレーナー室を出て行ったのを皮切りに、集まっていた人たちは次々と解散していった。俺もこれ以上何を話せばいいのか全く分からないので、何も言わず机にダイブしていた。

 

 

 

「どこだ……どこにいる……!」

 

 俺はスタ公の奴のトレーナー室を出てから学園内を走っている。普通の学校なら廊下を走るなと怒られるのだろうが、トレセン学園ならば廊下を走っても良いと言われている。それでも全力疾走は危ないんじゃないかと思うがな。

 

 そんなことはどうでもいい、今はとりあえず原田の野郎を見つけて、スタ公の為にも橋田の野郎の為にもぶん殴ってやらないといけない。

 

 そう思いながら廊下を走り続け、教室棟を全部見終わったかと思った瞬間だった。

 

「むぐっ!?」

 

 俺の口元に乱暴に手が添えられ、教室の一つに引きずり込まれる。突然の事過ぎて俺は反応できなかった。

 

「暴れるなよクライト」

 

 その一言が聞こえ、冷静になる。落ち着いて前を見ると、原田の野郎が俺の口を押えているのがしっかりと見えた。同時にここがどの教室なのかも分かった。ここは使われていない開き教室、助けは来ないと分かっていてこのような行動をしたのだろう。

 

「(離しやがれ……! ぶん殴るぞ……!)」

 

 口元を抑えられているため声は出せないが、目線を送ることはできる。めせんを送ったところでどうにもならないとは分かっているが、俺は必死に殺意の目線を送る。

 

「おお、怖い怖い。地方現役のお前からは考えられない顔だな」

 

 ふざけたことを、誰がここまで俺をひねくれさせたのか。

 

「なんか教室棟が騒がしいからよ、そこら辺にいたウマ娘に話を聞いたら『マックライトニングさんが原田さんを探してましたよ?』なんて言ってよ。何の用だ?」

 

 何の用だ? と質問しつつも、原田は俺の口元の手を離す様子はない。それどころかますます押す力を増し、俺の頭は壁に押し付けられ動きが取れない。

 

「どうせスターインシャインの事だろ? 分かってんだよ。お前はスターインシャインを取り戻しに僕を探していた。よかったな、僕が見つかったぞ?」

 

「ぐ……」

 

「残念だけど、僕はスターインシャインを手放すつもりはさらさらない。あのウマ娘はキグナスを必ず倒せる素質を持っている。僕は最強の力を手に入れたんだ」

 

 原田の野郎は口角を上げながら狂気に満ちた目でそう語る。タルタロスはマル地のウマ娘の活躍が多かったし、原田の野郎もマル地しかタルタロスには集めていないと言っていた。そのため何故マル地ではないスタ公を引き抜いたのかはいまいち分からなかったが、今その理由が分かった。

 

 原田の野郎は、ただスタ公の奴を手に入れて学園最強になることだった。

 

「何か言いたげだな? 言ってみろよ」

 

 途端にもがく力を抜いて原田を見ていると、原田の野郎は俺の口から手を離した。

 

「どうした? 何か言いたかったんじゃないのか?」

 

「……いや、お前って地方時代に比べて意外とバカになったんだなと思ってよ」

 

「なんだと?」

 

 原田の野郎はバカと言う単語に少し反応した。ここらへんも地方時代と変わっていない。こいつは地方でトレーナーをやっていた時から何かと煽りに弱いからな、確かにすぐ激昂していたあの頃に比べれば落ち着いているが、それでも怒りの感情はふつふつと感じる。

 

「自分の『マル地しか集めない』信念を曲げてまでスタ公の奴が欲しかったか? そりゃずいぶんだな。あいつは『誰にも越えられない記録を作る』目標をずっと諦めてない、お前も少しは見習ってみたらどうだ?」

 

 久しぶりに原田の野郎と話しているから汗が止まらない、しかしここで俺が何とかしなければスタ公は一生戻ってこないと思うと不思議と緊張が止む。

 

 突然衝撃音が聞こえ、耳がぴんと立つ感覚を感じる。目の前で原田が机を蹴り飛ばしたようだ。

 

「そうか、お前はそこまで僕に楯突きたいか。お前を見捨てたからか? もう一度言っておくがお前には才能が無いんだぞ? 才能が無いウマ娘を見捨てて何が悪い? 僕はトレーナーとして当然といえる行動を取ったまで──

 

「何もかも間違ってんだなぁ、それが」

 

 原田の言葉を遮って俺は喋る。原田が語る理論は聞いていられなかったから。

 

「今となっちゃ、俺にお前は必要ねぇよ。もう俺の才能を見出してくれるトレーナーは見つけたからな」

 

「……僕は宝塚記念に向け、キグナスからスロウムーンと言うウマ娘の教育を任されている。そこだ……そこでスロウムーンを打ち破ってみろ。そうすればお前に才能があると認識してやってもいい。いいな? 宝塚記念だ……宝塚記念に出走してこい……!」

 

「目的を見失ってるみたいだから一応言っておくんだが、俺はスタ公を取り戻しに来たんだからな? お前のエラっそうな態度を見に来たわけじゃねぇ」

 

 勝手に1人で興奮している原田を見ながら俺はそう吐き捨てる。しかし原田は俺の言葉を無視して空き教室を出て行った。

 

 ……レコーダーでも持ってれば良かったか? 

 

「……変わっちまったよなぁ……原田よぉ……」

 

 俺以外誰もいなくなった空き教室で、それだけつぶやいた。

 

「あ、そうだ」

 

 俺はスマホを取りだし、トレ公に電話をかける。

 

『もしもしクライト? 今お前どこにいるんだ?』

 

「あぁ気にすんな、もう用事は終わった」

 

『用事は終わったってお前……原田に会ったのか?』

 

「まぁそれはそれとしてトレ公、俺よ、宝塚記念に出走してぇ」

 

『は!?』

 

 

 

「トレーナーさんがイライラしているよ……」

 

「そうだね」

 

 ウェザーストライクの少し怯え気味な声が少し反響する。タルタロスのトレーナー室に戻ってきた原田は、怒りをあらわにしてデスクに向いていたため当然の反応と言えるだろう、ウェザーストライクの声にすごく冷たく反応だけして私は下を向く。

 

 このトレーナー室にいると鼻がもげそうになる、何故かはわからないがすごく臭いにおいがする。

 

 トレーナーさんの事を裏切ってタルタロスに移籍したあの日から、私はずっとタルタロスのトレーナー室……いや、もはやトレーナー学園と言った方が良いレベルの施設でトレーニングをしていた。もちろんトレセン学園の寮には戻してもらえるのだが、遊びの時間など一切なく、私のメンタルは限界に近かった。

 

 いや、むしろこれが普通なのかもしれない。ダービーでは遊びすぎ浮かれすぎで負けたのだ、これくらい暇な時間が無い方が強くなれるのだろう。私の目標にも近づける。

 

「もういっそタルタロスに馴染んだ方が楽に生きれるのかな……」

 

 私は誰にも聞こえないような声量でそうつぶやく。

 

 すでに私の音声データは原田に保管され、私はトレーナーさんの元に戻りたくても戻れない状況下におかれている。それならばもういっそ吹っ切れてタルタロスで頑張ればいいのではないだろうか。

 

 ……考えていてもネガティブな思考だけが働く。ちょうど休憩時間も終わるころだったので、トレーニングに集中すれば少しは気がまぎれるだろうかと思い、タルタロスが抱えているトレーニング用の部屋に向かおうとソファを立ち上がった。

 

「待てスターインシャイン、どこに行くんだ?」

 

 私が何か行動を起こすときは、こうやっていちいち原田に報告しなくてはならない。他のメンバーは別に何も報告していないのに、私だけがこの報告をやらされている。恐らくは変な行動をされたくないが故の一応の行動管理だろう。

 

「トレーニング部屋です、宝塚記念に向けて調整をしておこうと思って」

 

「……トレーニングするのはいいが、一つ勘違いをしている」

 

「え?」

 

「お前は宝塚記念に出走しない、ファン投票の上位に選ばれても。あくまでもお前はキグナスを崩壊させるための()()。忘れるな」

 

「……はい」

 

 黒い盗聴器の本体をちらつかせながら原田はそう私に言う。私は道具、それは今もこれからも変わらない。やはり何も考えずタルタロスで功績をあげた方が私は幸せなのだろうか。そのような疑問の答えを頭の中で探しながら私はトレーニング室へと向かった。

 

 

 

「……これ俺くさったしたいじゃね? メラゾーマ撃ってみてくれよ」

 

 いつもなら『馬鹿か!』と言って飛んでくるハリセンが飛んでこない。違和感しかない。

 

 誰もいないトレーナー室で俺はひたすら机に頬を擦りつけて目的を見失っていた。

 先ほど退室していったみんなから励ましのメールが届いているが、今の俺はシャインがいなくなってしまったストレスでハゲ増しそうだ。

 

 励ましのメールでハゲ増す、我ながら死ぬほどおもんないギャグが思いついたものだ。

 俺が脳内でそんなギャグを披露していると、突然トレーナー室のドアがノックされた。シャインと仲が良い人たちは先ほどみんな呼んだと思っていたが、まだだれか呼んでいただろうか。

 

「どうぞ~」

 

 脱力した声帯でそのように呼びかける、声を確認してノックの主は扉をゆっくりと開け始めた。俺も誰が来たのか見ないといけないため、ゆっくりと扉の方を向く。するとそこに立っていたのは。

 

「……生徒会長のシンボリルドルフだ、スターインシャインのトレーナー……で間違いないかな」

 

「……はえ?」

 



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第六十三話 人気上位へ向かえ!


作者「既存ウマ娘を書くのが久しぶりすぎてキャラが崩れてないか心配すぎる」


 

「……生徒会長さんが一体何の用事かな……今俺の精神が取り込み中で……」

 

「突然押しかけてすまない、しかし……スターインシャインの移籍について、どう考えても不審に考えるしかなかったからな」

 

 生徒と話している時とは一風変わったシンボリルドルフのオーラに、俺は思わず後ずさりしたくなってしまうが、椅子に座っているせいでできない。思わず背筋が伸びて冷や汗が出てくる。

 

「さて……スターインシャインの移籍だが、君も不審に思っているのは……その顔を見るに間違いないね」

 

「ああ、今でも信じられない……シャインが俺を裏切ってタルタロスに移籍するなんて……」

 

 涙が溢れそうになるが、寸ででこらえる。いくら悲しいからと言って、大の大人が女の子の前で泣くとかかなり気持ち悪いと思うので泣くわけにはいかない。

 

「きっとスターインシャインは、タルタロスの原田というトレーナーに脅迫をされたのではないかな? キグナスとタルタロスは以前から問題行動が目立つんだ」

 

「問題行動?」

 

 俺はキグナスが他のウマ娘を消していると言う事は分かっている。しかしタルタロスがキグナスと並べられるほどの問題行動をしているということが引っかかった。きっと相当真面目な話をしに来たのだと本能で理解し、すぐにだらしない机を片付けて対応の準備をする。

 

「それで……タルタロスの問題行動っていうのは?」

 

「学園内での盗聴や弾圧だ」

 

 盗聴、という単語に俺は反応されてしまう。きっとシャインは弾圧行為に対しては全力で立ち向かうはずだ。しかし盗聴となれば話は別、シャインは何か重大な秘密を盗聴されてしまって、立ち向かうもクソもない状況なのではないだろうか。

 

「学園もキグナスとタルタロスの問題行動は分かっている……分かっているんだが……」

 

「だが?」

 

「……証拠を掴めていない。いくら探しても……いくら警戒していてもだ……。確かに、学園も問題行動の事実は知っているから、キグナスを無条件で咎めることはできる。だが確固とした証拠が無いのにもかかわらずチームを咎めるのは、恐らくその事実を後々キグナスに利用される……」

 

 シンボリルドルフはそこまで言って顔をしかめる、学園ほぼトップの生徒会長ですら苦戦する問題。それにシャインが巻き込まれたという絶望感も当然あったのだが、その問題の事でルドルフは俺に一体何の用なのだろうか。

 

 俺が疑問に思っていることは、すぐにルドルフが答えてくれた。

 

「え……シャインに……どうにかして協力をしてほしい……?」

 

「外部で証拠を出さないのであれば、内側から証拠を見つけ出すしかない。今、タルタロスの内部に潜入できているスターインシャインが希望なんだ。当然、移籍してすぐにこの話をしても君の精神状態が正常ではない事も承知している。しかし一時を争う()()……どうかスターインシャインとの連絡手段を入手し、協力をお願いしたい……」

 

 ルドルフが語る事は尤もと言えば尤もだ、しかし言うなれば俺たちをただただ利用するだけではないのだろうか。ただ俺たちは学園の出来物を取り除くために利用されるだけではないのだろうか。そう受け取ってしまい、イマイチ答えを出すことが出来なかった。

 

「協力するリターンは……?」

 

「……もしタルタロスの事を更正するチャンスが訪れたのなら、その過程でスターインシャインを何とかして君の元に戻そう。きっとそれが、君たちの望む事だろう?」

 

「少し、考えさせてくれ……」

 

 答えを出すことができなかった俺は、目の前に佇む強大な存在、生徒会長シンボリルドルフにそれしか言えなかった。

 

「私の目標は『ウマ娘誰もが幸福になれる時代を創ること』。キグナスとタルタロスを更正させられれば、きっと学園は今のような殺伐激越とした環境ではなく、前のように切磋琢磨できる環境になる……どうか一考してみてくれ」

 

 正直無礼(なめ)ていた。トレセン学園のパンフレットか、学園内の廊下でたまに見かける程度にしか思っていなかったシンボリルドルフだったが、こうして対面して見ると改めてそのオーラの多さに圧倒される。この話し合いのみにおいて、要望を聞かされている俺の方が立場は上であるのだが、それすらも超越するような、今にも食い殺されるんじゃないかというようなオーラがこのウマ娘からは漂っていた。きっと本人にその気はないのだろうが……にしたって悪質なオーラ過ぎる。

 

「失礼する。また後日、日を改めて返答を聞かせてもらおう」

 

 ルドルフはそう言ってソファを立ち、トレーナー室を後にする。取り残された俺はどうすればよいのだろうか。

 

「シャインと連絡を……」

 

 確かに、ルドルフの作戦を承諾し、何とかシャインと連絡を取ることができるようになれば、引き抜き返すこともできるかもしれない。しかしそうやすやすとタルタロスがシャインとの連絡を取らせるだろうか。……分からない、何が正解なのか、全く分からない……。

 

「クソッ……シャイン……シャイン……」

 

「(……同病相憐……いや、惻隠之心か……。未来あるスターインシャインがタルタロスに引き抜かれたのはなんとも言葉にし難く過酷だ、しかし一方で最も過酷なのは本人たち……本人たちの感情は第三者に知りようもないものだからな……)」

 

 

 

「クライトォ~無理だってぇ~……ぜってぇ無理だってぇ~……」

 

「うるせぇ! 俺は絶対に宝塚記念に出走するからな!」

 

 原田の野郎との会話を終え、トレ公が橋田の野郎みてぇに机に突っ伏してやがるトレーナー室に俺は帰ってきた。トレ公に宝塚記念に出走する意思を表明したのはいいものの、トレ公自体は宝塚に反対みたいで、俺は()()をしていた。

 

「やぁ~だぁ~……ダービーからそんなに間隔開かないじゃ~ん……ほぼ一カ月だぜ~?」

 

「だとしても俺は出走する! 原田の野郎に一泡吹かせてぇ! 俺は絶対に出走するからな!」

 

「いくらお前の好きなように走らせたくてもこれは無理だろぉ~……」

 

 トレ公はどこかで見た担当を失った野郎みてぇにうじうじわめきやがる。いい加減このやり取りも数十分やっているのでそろそろ結論を出したいんだが……。

 

 トレ公の野郎を見てもあと数時間は説得に時間がかかるような雰囲気だ。仕方ない……お互いに恥ずかしいからあんまり言いたくないんだけどな……。

 

「『君の才能が捨てられるのはもったいない!』……」

 

「ちょっ」

 

 俺が発した言葉に即座にトレ公が反応する、やはりこれは言うべきではないだろうか、既に俺も恥ずかしい。

 

「『俺が君を導いて見せる!』……『絶対に中央で活躍させて見せる!』」

 

「や……やめてクライト……俺の黒歴史がっ!!」

 

「……こんなこと言ってたやつが今更レーススパン程度で止まってんじゃねぇ、バカ」

 

 これはトレ公の野郎が俺をスカウトするときに行っていた言葉の一部だ。これを言うとトレ公の野郎はいっつも恥ずかしくなってしまうため、こうやってほぼ無理やり意見を通すことができる、俺の切り札だ。当然一言一句覚えているのだが、わざわざ覚えてしまっている俺を自分自身で見つめ直してしまい、恥ずかしくなるため、あまり使いたくはない……。

 

「……仕方ね、分かったよ。お前がそこまで一つのレースに執着するなんて珍しいからな。それがお前の、本当にしたい事なんだな」

 

「言えば分かるじゃねぇか、むしろ何がつっかえになって今の今までゴネてたんだよ」

 

 俺がトレ公の黒歴史をちょっと掘り返しただけで、意外にもトレ公は俺の宝塚出走を承諾してくれた。……いや、こいつのことだし、また変に俺の体を気遣って無理するのかもしれないが。

 

「しかし……どうするんだ? 宝塚記念に出走するには人気投票の上位に上がる必要があるぞ? もう投票締め切りまで時間も無い。6月になったら即発表。こう言ってはなんだが、G1一勝のみのお前が、特に荒れている今世代で人気上位に上がるとは考えにくい気がしなくもない……」

 

「そこはまぁ、パっとやってポンだよ」

 

「なにがだよ」

 

 

 

「でさ、なんで俺らゴミ拾いしてるわけ?」

 

「黙って拾えトレ公」

 

 がやがやと人の声がする商店街。俺の発案でトレーナー室からすぐに出発した俺たちは、商店街でゴミ拾いをしていた。俺は隣で嫌な顔をしながらゴミを拾っているトレ公に喝を入れて、俺自身も地面に落ちていた缶を拾う。というのもしっかり俺に作戦があって……。

 

「こうしてれば商店街の人らが俺たちを知るだろ? そうして俺の戦績を調べて感激するわけだ、そうすればきっと人気投票上位に行けるんじゃないか? 悪くても20位以内くらいにはな。どうせ宝塚記念までレース出る暇なんてないんだから今できることやるんだよコラ」

 

「お前ってやつは本当にさ……」

 

「え? なんかダメな作戦だったか?」

 

「最高じゃねぇかクライトッッ!!」

 

「だぁぁぁよなぁぁぁぁぁっ!?」

 

「「だぁぁぁっはっはっはっはっ!!」」

 

 実際の所かなりいい作戦ではあると思う、現代ならSNSなどで俺たちの行動が拡散される可能性もあるし、商店街もきれいになるし、学園の印象も良くなる。

 

 俺の作戦の内容を話すと、どうやらトレ公にスイッチが入ったようでバンバンゴミを拾っている。それに釣られるように俺も拾うスピードを上げていった。

 

「ん……」

 

 ふと俺の目の前にまだ中身が入っている未開封の缶が落ちてきた。それに合わせて、俺の方向……いや正確には落とした缶の方向に向かってくる足音が聞こえた。

 

「ああ……ごめんなさい……」

 

 顔を上げると、どうやら俺の目の前に立っているこのウマ娘が缶を落としてしまったようだ。俺はとっさに缶を拾いあげ、そのウマ娘に向けて突き出す。

 

「おうよ、落としたぜ」

 

「……プルタブの方向を私に向けて渡してもらえますか……?」

 

 俺が缶を手渡そうとした寸前、突然そのウマ娘はそのように俺に指示してきた。別に渡されてから自分で向きを変えればいいのに、なんでわざわざそう指示してきたのかはわからなかった。

 

「ん? 別にいいけどよ、なんでだ?」

 

「……プルタブのように小さい物の形を捉えるのは少し手間なので……」

 

「……言ってる意味が分からねぇな、捉える? 一体どういう意味だ?」

 

「……私は目が見えないので……」

 

 突然何を言っているのだろうかこのウマ娘は。目が見えないなどあり得ない。だってさっきこのウマ娘は確かに缶の方向に自分で歩いてきた。点字ブロックも、盲導犬も、杖も無しに、早歩きで。

 それなのに目が見えないというのは少々無理がある。

 

「おいおい、それじゃあそもそもどうやってここまで歩いてきたんだよ、勘で歩いてきたのか?」

 

 思わず俺はそのウマ娘にこうツッコんでしまった。しかしそのウマ娘は表情一つ変えずにこう返してきた。

 

「ええ……そうですけど……。私……一応大雑把には見えるんで……」

 

 頭がこんがらがりそうだ。目が見えてないけど見えてる? どういう意味だろうか。

 

「危ないっ!!」

 

 俺が混乱していると、突然叫び声が聞こえた。

 声がした方向を見ると、看板の塗装でもしていたのだろうか、三脚から人が落ちている最中だった。俺は急いでその人の下に走り、何とかギリギリキャッチした。

 

「あっぶねぇぇぇぇ! 気を付けてくれよ本当に……」

 

「ご……ごめんねぇ……怪我は無いかい?」

 

「それは自分の体に言いな」

 

 本来なら走っても間に合わないような位置にいたのだが、ウマ娘である俺の脚力なら容易いものだ。俺がキャッチした人はすぐに立ち上がって俺に感謝を述べてから三脚を立て直していた。三脚の方にも怪我人がいなくて良かった。

 

「うげえ、インクがスカートに……」

 

 しかしまぁ、塗装していただけあってインクが入っていたバケツも落ちてきたようで、俺のスカートは見事に赤色になっていた。

 

「ん?」

 

 ここまで考えて、俺は異変に気付いた。インクは落ちてきた、しかしバケツが無いのだ。バケツが落ちたのならそれなりの衝撃音はするだろうし、もうちょっとインクは飛び散っているはず。それなのに地面はちょっとインクが落ちただけで済んでいる。看板に塗っていたインクが落ちてきたのか? 

 

「あの……これも落としましたよ……」

 

「あらぁ、よく掴んだわねぇ。ありがとうねぇ」

 

 驚いた、なんとインクが入っていたバケツは缶を落としたウマ娘が掴んでいたのだ。どうやら俺のスカートに付いたインクは落下中の遠心力で少しこぼれたインクのようだった、不運すぎるだろ。しかし……なんという事だろうか。そのウマ娘のスカートはおろか服にすらインクがかすっていない。察知して当たらない位置でバケツを拾ったというのか……? 

 

 正直そこまで見えているのならプルタブの向きを自分に向けるくらい簡単なのではないかと思ったが、今回のバケツは大きな動きだから位置を感じやすかったからだとでもいうのだろうか。とにかく不思議なウマ娘だ。

 

「あなたたちお名前は?」

 

「……マックライトニング」

 

「スロウムーン」

 

「~!?」

 

 三脚から落ちた人に名前を聞かれ、俺たち二人で答えているとなんということか、そのウマ娘は原田の野郎が言っていた名前をつぶやいた。

 

『……僕は宝塚記念に向け、キグナスからスロウムーンと言うウマ娘の教育を任されている』

 

 こいつが……目の見えないこいつが、スロウムーン? 

 



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第六十四話 明鏡止水


作者「指が凍りそうです\(^O^)/」


 

「へぇ、あなたがマックライトニング……原田トレーナーが目の仇にしているウマ娘とは聞いていたけど……」

 

「おい……さっき言ってたこと、本当なのかよ、目が見えないけど大雑把には見えるって。いや……本当だと信じるしかないよな。もう見せられた後だし」

 

 スロウムーンと名乗ったそのウマ娘と三脚から落ちたおばあさんを助けた後、近くの公園にあったベンチに座り俺たちは話していた。キグナスのメンバーではあるがある程度話は通じそうだし、何よりスタ公を救うチャンスかもしれねぇ。

 

 原田の野郎がスタ公に何かしやがったのは確実、だから原田の野郎の弱みを握れれば、きっとスタ公を救い出すことができる。そして今その原田の野郎の弱みが分かるかもしれない。そのための会話だ。

 

「ええ、見えていないけど、見えてる……。といっても、あなたの顔は見えない。あくまでもそこにヒト型が見えるだけで、細かい輪郭なんかは全く分からない……」

 

「なるほどな。ちなみに見えるメカニズムは?」

 

「……あなたたちも武器を秘密にしてるでしょう……?」

 

 なぜ見えているのかについて聞こうと思ったが、あくまでもこれがスロウムーンの武器だという。話してみてわかったが、こいつはキグナスでも相当とびぬけた実力を持っているウマ娘らしい。

 俺たちは先ほどからずっとしゃべっているが、全くこいつの感情が読めないのだ。感情が読めないという事は、それすなわち作戦などの考えていることも分からないという事態に繋がる。それはきっとこいつ自身がレース中の仕掛けるタイミングなどを狙い撃ちされない様に狙ってやっていること。

 

「(それにこいつ……俺が目のメカニズムについて聞き始めた瞬間から急に気配が競争ウマ娘になりやがった。レース中のスタ公からも感じた事が無い、圧倒的なオーラ……。警戒してやがる……)」

 

「……はぁ……。なかなか切り出さないのね……」

 

「あ?」

 

 俺がオーラに圧倒され、話すことの一文字一文字に気を張りながら何を聞き出そうか考えていると、突然スロウムーンがそのように話しはじめた。

 

「スターインシャインのことよ……。あなた、ただ宝塚記念に勝つだけが狙いじゃないんでしょう……? 『宝塚記念に勝っただけじゃ、スターインシャインは原田の元から離れられない……だから決定的な何か、原田を押さえつけられる何かを聞き出してやる』……そんなところでしょう……?」

 

「……こりゃびっくりだ、そこまで読まれてるとは」

 

 なんと俺が狙っていたことがすべてスロウムーンに読まれていた。一応俺は冷静なふりをしているが、体は正直で冷や汗がたくさん出てくる。まさかここまで人の心を読めるようなウマ娘、というか観察眼を持った生物が俺の目の前に来るとは思わなかった。

 漫画の世界だけだろそんなの。

 

「実際問題……どうやってスターインシャインを救おうというわけ……? 原田トレーナーには弱点のようなものは見当たらないわよ……」

 

「……なんでちょっと協力的なんだよ」

 

「余計なこと喋ってる暇があるなら答えなさい……」

 

 急にスロウムーンの奴が言葉にとげを生やし始めた。

 俺は驚きつつも言葉を返す。

 

「……考えちゃいねぇよ、そんなもん」

 

「なぜ……? それでなぜスターインシャインを救えると思っているの……?」

 

「おめぇさっきからなんなんだ? 協力的なのか敵対的なのかはっきり──」

 

「私はただ正々堂々と勝負がしたいだけよ」

 

 正々堂々。

 これまで他のウマ娘を消してきたと言うキグナスのメンバーから出てくる言葉だとは思わなかった。

 

「他のウマ娘を消すのは、チームの意思。だけど私は消すなんてことはしたくない……。ただ正々堂々と、奪う奪われるで競争するんじゃなくて、助け合って、傷を刻みあって、みんな一緒に上り詰めていきたい……」

 

「(シャイニングの野郎と同じような奴だな)」

 

「だから……原田トレーナーを止めることができるのなら、今のうちに止めておきたい。原田トレーナーが私たちキグナスのトレーナーさんと争って、トレセン学園がめちゃくちゃになる前に……」

 

「なら、タルタロスのトレーナー室に潜入するのを私に任せてもらえませんか?」

 

 俺とスロウムーンが話していると突然背後から声がした。振り返るとそこにはかなり小柄な見た目のウマ娘が立っていた。

 

「……? おめぇ誰だ?」

 

「イーグル……私の名前はイーグルクロウです……。スターインシャインさんとは、未勝利戦の時に戦った仲です」

 

 スタ公と未勝利戦で戦った事があるウマ娘と聞いて、すぐにスタ公が出た未勝利戦の事を調べる。調べてみると、確かに『6番イーグルクロウ 失格』と書いてあった。

 

「シャインさんが、タルタロスってチームに移籍しちゃったって風の噂で聞いて。まさかあのシャインさんが橋田さんを裏切るわけが無いと思って調べてたんです。そしたらちょうどあなたたちの横を通った時に会話が聞こえちゃって……。ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったんです」

 

「なるほどな……ちなみによ、さっき言ってた『タルタロスのトレーナー室に潜入するのを任せてくれませんか?』って言うのはどういう意味だ?」

 

 このイーグルクロウが俺たちの前に現れる前に放った言葉、それの意味がよく分かっていなかったので質問してみる。用もないウマ娘が他のチームのトレーナー室に入れるとも思わないし。

 

「えっと……マックライトニングさんでしたっけ?」

 

「クライトでいい」

 

「ええっと……クライトさんが宝塚記念で走っているときって、当然タルタロスのメンバーはレースを見に行っていますよね? その間に私がタルタロスのトレーナー室に潜入して、シャインさんをタルタロスに押さえつけているものを探してくる。ということです」

 

 確かに、宝塚記念の間ならタルタロスのトレーナー室も多少警備と言うか中にいる人数は少なくなると思われる。しかしそれは不法侵入に片足を突っ込んでいる、というかもはや不法侵入と言えるだろう。そのため見つかった時のイーグル自身の身が危ない。確かにてっとり早く原田の野郎の弱点を探せる作戦ではあるが、あまり賛成できる作戦ではない。

 

「無茶よ……タルタロスのトレーナー室の構造は今この場でわたしだけが理解しているから言わせてもらうけど、タルタロスのトレーナー室には監視カメラが多く仕掛けられてるわ……」

 

「そこは……気合で何とかします……」

 

「気合かよ!! めっちゃ適当だな!!」

 

「だって……シャインさんがタルタロスにいるまんまだとクラシック期が終わっちゃう……クラシック期でしか楽しめない時間を失ってしまう……私はまだ時間があるからいい、だけどシャインさんは違う。今も失い続けている。だから私が取り返さないといけないの……!」

 

 イーグルはそう言って俺の方をぐっと見つめてくる。さっき適当だと言ってしまったが、子の目を見るにこのイーグルクロウとかいう平和ボケしてそうな小柄なウマ娘は本気も本気、大本気らしい。

 

「……わかったわ、あなたがそこまでする覚悟があるのなら、私も協力するわ……宝塚記念までにタルタロスのトレーナー室にある監視カメラの位置を全部覚えてくるわ。それに加えて監視カメラに写らない領域、所謂死角の位置もね」

 

「ちょっとまて、俺はまだお前の事を信用していないぞ」

 

 勝手に話を進めるスロウムーンの言葉を止めて、俺は敵意むき出しの声でスロウムーンにそう言い放った。俺がその言葉を言い放すとイーグルクロウは気まずそうな感じで立ち尽くしていたが、スロウムーンはすぐに立ち上がって俺の方を向いてこう言った。

 

「……そうね……。なら一度模擬レースで私と走ってくれないかしら……。もしそこであなたが私に勝てたのなら信用してくれなくていいわ……。ただ、私があなたに勝ったら、いやでも信用してもらう……」

 

 スロウムーンから出てきたのは、なんと作戦決行の判断が決まる賭けレースの提案だった。

 一見めちゃくちゃでバカな事を言っているただ断ればよいだけの無意味な提案だが、すぐに断るわけにはいかなかった。ここで引いてしまえば、宝塚記念に出走するまでにスタ公の奴を救い出す手段が考えつく可能性はゼロに近い。

 今最もタルタロスの内部情報を知れて、スタ公奪還に有効な情報を知る手段はこのスロウムーンから聞き出す事のみ。しかしもしその提案を受けて、負けてしまえばどうなる? もし信用させるだけ信用させて最後に裏切られたら? たしかにこいつは正々堂々を望んでいると言っていたが、もしそれが嘘で塗り固められたものだったら? キグナスのウマ娘だからやりかねない。

 

 なにより、スタ公の知り合いであるというイーグルクロウの身すら危ういかもしれない。

 

 しかし引いてしまえば……という無限のサイクルに俺は陥った。そんな俺を見かねてなのか、スロウムーンはため息をついた後に急かすようにこう言った。

 

「これ以上時間を食いたくはないわ……。あと5秒……」

 

 まずい、カウントダウンまで交えてきやがった。

 

「4……」

 

 考えろ……考えろ……。何かあるはずだ。スタ公を奪還する方法が他にもあるはずだ。

 

「3……」

 

 焦るな、ここでヤケになって勝負を受けてしまったら、負けた時に死ぬほど後悔する。

 

「2……」

 

「あわわ……クライトさん……」

 

 クソッ!! そんな焦ったような目でこっち見てくんな! 俺まで焦るだろうが! 

 

「1……。残念ね、あなたの覚悟はその程度だったなん──」

 

「……ゼロは言ってねぇ」

 

「ん……?」

 

「ゼロとは言ってねぇ、カウントダウンはまだ終わってないよな? 勝負を受けるって言ったんだ」

 

「オーケー……」

 

 カウントダウンに焦ったわけではない、決して焦ったわけではないのだが、スタ公を救い出す他の方法が思いつかなかった俺は、しぶしぶ勝負の提案を承諾した……。

 受けてしまった以上、裏切られるなどとマイナスに考えるのは精神衛生的にも良くない。プラスに考えていこう。そうだ、これもこのスロウムーンと言うウマ娘の武器を知れる絶好のチャンスだ。

 

「それじゃあ……明日、トレセン学園で……」

 

「ちょっと待てよ、学園で走ったら原田の野郎に見つかるんじゃねぇのか? もし勝手な事したら怒られるどころじゃ済まないんじゃ」

 

「構わないわ……。原田トレーナーは基本的にタルタロスのトレーナー室でトレーニングを監修しているから、学園には目的が無いと滅多に顔を出さないわ……」

 

「ずいぶん適当なトレーナーだな」

 

「あなたの元担当トレーナーよ……」

 

「……」

 

「あ? なんだイーグル?」

 

 俺たちが賭けレースについての会話をしていると、ゆっくりと後ろの方からイーグルクロウが見ていた。

 

「あ、いや、はは、なんか、レースして信用を得ようとするのってなんだか未勝利戦を思い出しちゃって……」

 

「それじゃあ、明日学園で……」

 

 イーグルクロウが未勝利戦に思いを馳せるのを見て、スタ公の人脈の広さを実感する。それと同時にそんなスタ公が原田の野郎に奪われてしまったという事も再確認してしまい、気分が害される。そんなイーグルを気にせず無視して帰って行ったスロウムーンの図太さもなかなか面白いが、前者の不快感が勝る。

 

「さて……それじゃあそろそろ帰るか……」

 

「あの、クライトさん」

 

「あん?」

 

 俺が学園に帰ろうとすると、イーグルクロウに後ろから呼び止められた。スロウムーンに無視されたのにもかかわらず何も気にしていなさそうな顔には驚いたが、それ以前に何か俺に言いたげな態度なのが気になった。もじもじしているのが明らかだったので、俺はすぐにイーグルクロウに対してなぜもじもじしているのかを聞いてみた。

 

「私、未勝利戦でシャインさんと仲良くなってから以降全く喋ってないんですよね。活躍は当然うわさで聞くんですけど、話はしないのでどんな状況なのか分かってないんですよね。もしシャインさんの事で面白い話があったら教えて下さい!」

 

 イーグルがおねがいしてきたのは、スタ公の武勇伝を語れと言う事だった。正直俺もスタ公のライバル、あまりライバルの武勇伝を語るのは嫌なんだがな……なんなら俺の武勇伝を聞かせてやりたいわ……。

 

「……しょうがねぇなぁ、長くなるぜ?」

 

「大丈夫ですよ! 私シャインさんのファンなので!」

 

「おう、それじゃあついてこい! 今日は語り明かすぞ!」

 

 結局俺はその後、イーグルクロウと学園でスタ公の事について語り合っていた。

 明日の賭けレースに向けて、俺は勝てるように気合を高めておかなければ。スタ公を奪還できるかできないかの瀬戸際、判断ミスは許されない。今後俺も慎重に選択肢を選ぶ必要がありそうだ。

 

 

 

「……ゴミ拾ってたのはいいんだけどよ……」

 

 もう月が出てきて、星空が綺麗な夜。

 

「クライトどこ行ったわけぇぇぇぇぇ!?」

 

 ゴミ拾いに夢中になっていたら、いつの間にか川の方にまで拾いに来てしまい、俺は迷子になっていた。

 



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第六十五話 強く高みへ


作者「えーっと、日曜の朝四時にこれを書いてるわけなんですけども……日に日に期限のギリギリまで書けてない気がします……。

それはそれとしてナイスネイチャのフィギュアが出たぞおおおお!買え買えぃ!!(深夜テンション)」


 

 トレセン学園の片隅のトラックコース、前日スロウムーンにほぼ無理やり賭けレースを受けさせられた俺はここに呼び出されていた。

 

「なるほどな? 授業中なら誰もこのトラックコースの周りをうろつかない。まして俺は常日頃授業サボってるみたいなもんだからな」

 

「……授業はちゃんと受けなさいよ……」

 

 この俺マックライトニングと、キグナス所属でタルタロスに委託されているスロウムーンのマッチレース。俺が勝てばスタ公を助け出す作戦を他で考えることにし、スロウムーンが勝てば否応なしにスロウムーンの奴を信用してこいつが考えた作戦を実行しなくてはならない。

 

 確かに、タルタロスの監視カメラをかいくぐり、スタ公がタルタロスに強制的に引き抜かれてしまった理由を盗むというスロウムーンの作戦は現時点で最適解かもしれない。

 

 しかし、しかしだ、スタ公を助け出す方法が今のところこれしかないとはいえ、いくらなんでもスロウムーンを信用するというのには出会ってからの時間が短すぎる。俺たちは昨日商店街で出会ってその後すぐに賭けレースの提案が出てきたのだ。相手がキグナスのウマ娘である以上、そう簡単に信用するわけにはいかない。

 

「……まだ私の事が信用できないって顔ね、それほどキグナスが怖いかしら……?」

 

「怖いってのは少し違う、キグナスは根っから信用できねぇだけだ」

 

「へぇ……つまり怯えてるのね」

 

「ふざけんな、そういうのじゃねぇ」

 

「それじゃあなんだっていうの? キグナスという前提に怯えて、せっかくスターインシャインを救い出すチャンスをみすみす逃すって言うの? そもそも、イーグルクロウがこの作戦を提案しなければ思いつきもしなかったでしょう……!?」

 

 昨日初めて会ったときはあんなに臆病そうな感じだったくせして、キグナスと言う事を明かした瞬間エラそうな態度になりやがって……。

 

 まぁいい、要するにこの賭けレースで勝てば、宝塚記念の勝利は目に見えることになるし、スタ公を奪還するための他の方法を考える時間も確保できる。

 

 俺はスロウムーンがべらべらと喋った言葉を全部無視してスタートラインについた。

 

「距離は……?」

 

「2200m」

 

「コースの形さえ違えど、宝塚記念で勝てるかどうかの実力を確かめるってわけね……余裕じゃない……。ダービーを走った後に出走する宝塚記念は無茶でしかないというのに……よく走ろうと思うわね……」

 

 俺が何かを言うに合わせて鼻につくことをいちいち言いやがる。

 

 確かに、ダービーを走った後の宝塚記念は無茶そのものだ。なぜ無茶なのか理由は明白だ。トレセン学園のトレーナーは皆、担当ウマ娘の調子をダービーに合わせてピークに持っていく。当然だ、大切な担当ウマ娘が人生に一度しか走れないダービーなら、誰だって全力を出させる、出させたいがためにピークをダービーに合わせるだろう。しかしダービーにピークになると言う事は、その直後しばらくは調子が下がると言う事だ、全力で走ったウマ娘はヘトヘトになるわけだからな。

 

 そして……宝塚記念はダービーのすぐ後に行われる、それが何を意味するかはこれ以上言わなくても分かるだろう。

 

 そう、疲労・調子の二つの要素が重なり間違いなく負ける。そもそもクラシック期のウマ娘が宝塚記念で勝てた事例が無いのだ。少し前にダービーを制したウオッカという名でレジェンドと謳われるウマ娘がいた、そのウオッカというウマ娘でさえも、ダービーの後の宝塚を制する事は出来なかった。

 

 だが、俺は、俺は原田の野郎に一泡吹かせてやりたいんだ。俺を実力不足の才能なしと見下し見放したあのトレーナーに、敗北の味を吸わせてやりたい。俺が受けた悲しみや悔しさを味わわせてやりたい。そのためなら俺はダービーの疲労だって調子に変えてやる。

 

 距離もコースも決まった、あとは走るだけだ……。このいちいちムカつく野郎にも一泡吹かせてやるぜ……。

 

「ゲートが無く、トレーナーさんもついていない時のスタートはコインってお決まりがあったわね……投げるわよ……」

 

 スロウムーンの手からコインが弾かれ、地面にまんべんなく生えている芝に落ちる音が聞こえると同時に、俺の体は前に走り出した。

 

「っっしゃおらぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

「シャイン……俺はどうすれば……」

 

 少し前にシャインと訪れた遊園地の近く、冷房の効く車を停めて観覧車を眺めていた。

 

 この遊園地を見ると最近来た場所だからかすごく落ち着く。もしかしたら遊園地の出口からシャインが出てくるのではないかとさえ思える。

 

おーい、開けてくれたまえ

 

 俺が遊園地を眺めていると、車の窓がノックされた。窓の方を見ると、久しぶりに見たアグネスタキオンの姿があった。

 

「しばらくぶりだねぇ、シャイン君のトレーナー君」

 

「……今日はまたどんな御用時で?」

 

「……シャイン君の事については聞いたよ。どうやら想いの継承の研究をする前にやるべきことができたと思ってね。……タルタロスというチームからシャイン君を取り返すつもりなのだろう? 私も協力しようじゃないか」

 

 シャインを取り返す……。

 

「どうやって?」

 

「まだわからない……シャイン君は何か脅迫まがいな事をされて移籍したのは間違いない、だがあくまでも移籍の理由は本人の意思だ。確かに学園もそれが本人の意思ではないことを理解しているだろう。しかし表面上だけとはいえ、ウマ娘の意思を尊重せずチームの移籍を拒んだとなれば学園の信頼に関わる……本末転倒だ」

 

「やっぱり何か脅迫まがいな事されてんのかね……」

 

「……とりあえず乗せてもらえないかい? 暑くてねぇ」

 

 俺はそう言われ、一旦アグネスタキオンを車に乗せる。しかしバラされるとシャインが困る事というのはいったいどんなことなのだろうか……。

 

「ふぅ……やっぱり冷房が効いていると快適だねぇ」

 

「それで……どうやってシャインを取り返そうって言うんだい?」

 

「やはりタルタロスのトレーナー室から、シャイン君の公開されたくない大切なデータを入手するしかないだろう。それさえなければシャイン君がどのトレーナーに付こうが自由になるからね」

 

「……だけど、タルタロスのトレーナー室……俺もシャインの手掛かりを探すために前に見に行ったんだが、やたらセキュリティが厳重そうだったぞ? 下手をすれば住居侵入罪? とか不法侵入? になるんじゃねぇか? あと窃盗罪とか……」

 

「やはりデータをそう簡単に入手できるほど警戒していないわけが無い、か……」

 

 アグネスタキオンはわかりやすく気を落とし、新たな策を考えるように顎に手を当てている。そう簡単にシャインは救いだせない、だから俺はこんなに悩んでいるのだ。

 

「……しかしタルタロスは、何故そこまでしてシャイン君を引き抜きたかったのだ……?」

 

 ぽつりとアグネスタキオンが呟く。シャインが引き抜かれた理由、当然思いつくのはG1を何勝もできるウマ娘だから、というのが妥当だろう。だがアグネスタキオンの発言からして理由はそれだけではないと思っているらしい。

 

「それについてはアタシが知っている」

 

 先ほどまでアグネスタキオンが立っていた窓の外にまた一人ウマ娘が立っていた。窓の外を見ると立っていたのは、ドンナだった。

 

「シャインの事をそこまでしてタルタロスが引き抜く理由、アタシは知ってるかもね」

 

「……話してくれないか?」

 

 ドンナに対し目でアイコンタクトをして後部座席に誘導する。ドンナは車の扉を開けると、席に座って深呼吸し始めた。

 

「ドンナ……君、どこかで会ったことがあるかい?」

 

「いや、知らないね。一応自分でも有名なウマ娘だと思ってるから、雑誌か何かで見たんじゃないかい?」

 

「ふぅン……アグネスタキオンだ、よろしく頼むよ」

 

「よろしく。……さて、シャインが想いの継承の力を持っているのは二人とも知ってるって事でいいかな?」

 

「ああ、まだ発現する条件については解明できてないが、想いの継承については知ってるぞ」

 

 ドンナから直接想いの継承と言う事については聞いた事が無かったが、まさかシャインの武器に既に気づいていたとは……。

 

「あの能力を持っているウマ娘は、今トレセン学園にもう一人いる」

 

「何!?」

 

「ふぅン……」

 

「そしてその能力を持っているウマ娘がいるのは、キグナスだ」

 

 シャインと同じ能力を持っているウマ娘が他にいると聞いて驚愕した。シャインにのみ与えられた能力だとばかり思っていたが、まさか今この瞬間、今の時代に活躍しているウマ娘の中に同じ能力を持っているウマ娘がいたとは思わなかった。

 

「その能力を持っているウマ娘というのは……?」

 

「それは言えない、自分たちで見つけてみな。だけど身近にいるのだけは確実だよ。……恐らくタルタロスは、あの絶対的な能力をキグナスだけに持たせるのを避けたかった。トレセン学園の頂点を取るために想いの継承の能力を戦力として手に入れたかった、そんなところじゃないかね」

 

 トレセン学園の頂点……。

 

「それともう一つ、その能力を持っているもう一人のウマ娘……キグナスのウマ娘だから『K』とでも名称しておくかね、Kはシャインより圧倒的に勝った想いの継承をするよ。シャインは何がきっかけになったかはわからないが、後天的にあの能力が発現した。しかしKは、先天的、つまり生まれた時からあの能力を持っているんだよ」

 

「つまり経験の量が違うから、その分想いの継承の質……継承率や負荷への耐性がシャイン君よりも勝っている、ということかな?」

 

「そうそう、そういうことさね。だから橋田、まだシャインを助けるべきなのか迷ってる顔してるから言ってやるけどね、あの子はアンタの目標を叶えるために全身全霊でトゥインクルシリーズに臨んでるって、アタシの家で自慢げに話してくれたんだよ」

 

「シャインが……」

 

「そう、アンタの『誰にも負けないウマ娘を育てる』って目標をね。それならアンタも、あいつの目標を叶えるために全力をかけてシャインの奴を取り返してやるべきなんじゃないのかい?このままだとあの子は……誰にも超えられない記録を作れない」

 

 

 

「くっ……」

 

 あの野郎……目が見えてねぇくせにしっかり目が見えてるみたいな走りしやがる……。

 

 俺の前を走るスロウムーンは、全く引けを取らない走りで圧倒してきやがった。ただ走っているだけなのに、目が見えてないという事実を知っているだけで恐ろしくオーラを感じる。いや、もはやここまで来たら目が見えていないと言う事を知らなくても圧倒されてしまうだろう。それほど洗練されているフォームだ。

 

「走りが甘いわね……私を信用する以前に走りのトレーニングが必要かしら……?」

 

 るせぇ!! 

 と心の中で叫びながらも俺は追走を続ける。いつものレースのように後方集団や先頭集団はいないため、俺はただスロウムーンの野郎を追い続けて、最後の最後に追い抜けばいいだけだ。

 

 策についているハロン棒から距離を見ると、残り400m、そろそろスパートをかけてスロウムーンの奴を追い抜いてもいい頃合いだ。

 

「私もここから……!!」

 

 スロウムーンの奴も加速し始めた、どうやら俺と同じタイミングでスパートをかけたようだ。

 

「チッ……」

 

 しかし……やはりそうだ、スロウムーンの奴は自分から勝負を仕掛けて来ただけあって、俺に勝つほどの武器を用意していやがったみたいだ。

 

「しかし……これは……どうやって勝つ……!?」

 

 俺と同時にスパートをかけたスロウムーンは、当然スパートをかけているのだから加速し始めた。しかしその加速は、俺以上……いや、スタ公以上の加速かもしれねぇ……! 

 

「(異様だ……。明らかに何かの武器を使用している加速だ……)」

 

「(私の武器は、ツインサイクロンの武器と似ている……しかし私が武器を使用するのは相手ではなく自分自身! ……風の流れを読んで、自分が最も加速しやすいように位置を調整する!)」

 

 残りは200m、このままではまずいと判断した俺は、スタ公の能力から着想を得て前々から練習していた武器を使う。

 

「っ!? ……またすごい威圧感ね……汗が止まらないわ……」

 

 恐らく奴が感じているのはまるで巨人の口が迫っているかのような恐怖だろう。スタ公が放つ異様なまでの威圧感を俺は習得して、更に鋭く研ぎ澄ませて操れるように練習しておいた。

 

「でも……」

 

「クソッ! ダメか!」

 

 まるで俺の威圧感の塊を打ち砕くかのように奴のオーラが光り輝き、あっという間に俺は後ろにおいてかれてしまった。

 

 武器を使っても使わなかったとしてもスロウムーンとの差は縮まらなかったんだろう。いつの間にかスロウムーンはゴールしてしまっていた。

 

「ぐああ……クソが……」

 

「約束は約束よ、いやでも信用してもらうから……」

 

 地面に倒れる俺に向かってスロウムーンはそのように言った。おまけにこうも言った。

 

「走りが甘いわ。そんなんじゃ原田トレーナーに一泡吹かせるなんてできないわ……。私を超えるくらい強くなって宝塚で勝負よ……」

 

 なんか、ああ、クソ。ちょっとだけこいつの正々堂々戦いたいという気持ちが本物なんじゃないかと思っちまった。

 

 勝負に負けた以上、俺は約束を守らざるを得ないし、このまま俺の実力を馬鹿にされたままなのもムカつく。

 

「原田にも一泡吹かせるがよ、お前にも一泡吹かせてやるよ」

 

「期待してるわ……それじゃあとりあえず、イーグルクロウとも後で合流しましょうか」

 

 こうして俺の実力不足によって、スタ公奪還作戦はスロウムーンの案で実行することに決まった。トレ公にも伝えておかねぇと……



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第六十六話 狂気の滝

作者「サウナ行きたいっすねえ、いやどちらかというと岩盤浴っすねえ」


 

「……あなたのその威圧感には何か特別なものを感じるわ……」

 

「ん? 特別なものだと?」

 

 スロウムーンとの賭けレースを終えた次の日、俺は再び授業中にグラウンドに呼び出され、そのような事を伝えられた。確かに俺はレース中、スタ公の奴の走りから学んだ威圧感を、走っている相手にぶつけるといった事をしているが、それに関してだろうか。実際昨日の賭けレースもスロウムーンの奴に威圧感をぶつけていたしな。

 

 ……それより授業を抜け出しすぎて流石に欠課の数が気になるな。

 

「なんというか、あなたの威圧感には塊のような衝撃を感じるというか……まるで威圧感が実体化して、私自身を食らう蛇が喰らい付いているような……ワニのような……そんな感じなのよ……でも目覚めてはいない……まだ片鱗を見せただけ……だからきっと私と再びレースを行えば、その武器が目覚めるかもしれない……」

 

「やべ……言ってる意味がまったく分からねぇ……」

 

 思わず本音が出てしまった。抽象的すぎることを言われると頭が痛くなってくる。

 

 要約すると、俺の出す威圧感には他とは違う強い武器になる素質を感じると言う事らしい。そして俺が再びグラウンドに呼び出された理由として、スロウムーンの奴と走っていればその威圧感の塊がしっかりとした武器として目覚めるのではないか、という理由だった。

 

「しかし……いいのか? もし仮にお前の言う通り俺の武器が目覚めれば、敵に塩を送る羽目になるんだぞ」

 

「勘違いしないで……。前にも言ったと思うけど、私はただ正々堂々と勝負がしたいだけなの……あなたの才能が持ちうる武器、その全てに私が優位になれなければ、最強のウマ娘とは言えない……真っ先に目覚めさせて、私が最初に弱点を見極めるのよ……お互いの全力をぶつけ合って、私が上になるの……」

 

「腹黒」

 

「黙りなさい……」

 

 喧嘩が勃発しかけていたが、最近トレ公の奴に念を押されているアンガーマネジメントで何とか耐えた。耐えて、俺の威圧感に眠る武器を覚醒させる特訓が始まった。

 

 

 

 まず最初に始めたのは、シンプルに併走だった。最初からレースでもよかったのだが、それではお互い早くから疲れてしまって覚醒にまで至らないかもしれないという理由で併走になった。少しだけ速めに走るスロウムーンの横を走り、その上でレース中に使う威圧感を送っているが、何も変わらない、ただ走っているだけだ。これといって何も特筆することが起きない。

 

 というより、本来俺の放つ威圧感は、レースに勝ちたいという欲望や渇望のようなものから出てきてる威圧感なので、何も勝ち負けの目標が無い併走においては威圧感が送りにくい。

 

 俺も出したいと思ったらなんか出てるからイマイチ感覚とかわからねぇ。

 

「どう? なにか分かりかけて来たかしら……?」

 

 適度に走ったところで併走を終了し、スポーツドリンクを飲みながら座っているとスロウムーンはそのように聞いてくる。相変わらず目を瞑りながら見えているのかいないのかわからない表情で歩いている。そのウマ娘の走りのフォームから垣間見えるのはキグナスやタルタロスのトレーニングの厳しさとそれについていくこいつの地の力。……ノースやランス、シャイニングの野郎もこんな風に……。

 

 たった今タルタロスに捕まっているスタ公もこれほど絞られるトレーニングをさせられているのか……? しかしこれで強くなれるならウマ娘として不正解ではない、のではないだろうか……。

 

「いんや、何も感じねぇ。本当に武器に目覚めるのかよ?」

 

「分からないわ……」

 

 分からねぇのかよ。と思いながら、コップに残った残りのスポーツドリンクを飲み干す。

 

「あ、やべ」

 

 気が抜けていたからか、スポーツドリンクが入っていたコップをベンチの下に落としてしまった。転がって転がって、コップはベンチの真下に入り込んでしまった。うわ背中曲げないといけないのめんどくせぇ。

 

「……!? ちょっとこっちに来て! 荷物も全部持って……!」

 

 コップを拾おうとしながら次はどうするかなどと考えていると、急にスロウムーンが俺の腕と荷物を引っ張って学園に生えている木の後ろに隠れた。俺も引っ張られているので自然と木の中に引き込まれる。俺とスロウムーンと荷物で、三本の木を使っている隠れ方だ。

 

「おい、急にどうしたんだよ……」

 

「出来る限り静かにして……」

 

 それだけ言うと、スロウムーンは先ほどまで俺たちが走っていたグラウンドの方に耳を傾け始めた。あいにく俺は音だけで周りの景色を見ることができるわけではないので、木からはみ出さないようにしてその方向を覗く。

 

「さて……今日も一人でこのメニューをこなしてろ」

 

「はい……」

 

「スタこ、んっ……」

 

 一瞬声が出かけてしまったが、急いで引き留めた。なんとグラウンドの方に来たのはスタ公の奴と原田の野郎だった。スタ公の奴はやつれている様子で、メイクデビューの頃の橋田みたいになっていた。以前のような明るい雰囲気は微塵も感じられない。明るめの赤色をしたトレセンのジャージが、今日だけはまるで血が固まったような不気味な色をしているように見える。それにしても、なんでスタ公と原田の野郎がこんな授業中のグラウンドに来てやがんだ……? 

 

「一本だけ見ていくよ」

 

「はい……」

 

「……なんだあのトレーニング方法……!?」

 

 始まったスタ公のトレーニングは、異常そのものだった。速度はスパート、曲がる時でさえスパート、最初から最後までスパート。あんな方法で走ったらすぐに息が上がるに決まっている。しかしスタ公の奴は止まらない。普通のレースと同じくらいの時間走っている。

 

「ふ──っ……ふ──っ……かふっ……」

 

 あまりの光景に一秒が十分ほどに感じるトレーニングを走りきったスタ公は汗が滝のように流れ、目はうつろ、息も絶え絶えだった。手や足に至っては震えている。

 

「まだだな……まだ完全に限界を超えられていない……」

 

 パソコンを見ながら原田の野郎は何かを話している。なぜこのような状態の担当ウマ娘を前にしてあんな平然と話していられるんだ……? 

 

「あと十本、今の走りをするんだ。しばらくしたら戻ってくるからね。あ、いつもみたいに言っておくんだけど……水分は摂っちゃダメだからね」

 

 しばらく話して原田の野郎はどこかに行ってしまった。

 

 俺は思わず拳を手がマヒするほど握りこんでいた。怒りの対象は当然原田の放つ言葉全てだが、特に最後に聞こえた一言に対してだ。水分を摂ってはいけないだと……? 狂っている、すでに6月だ。夏の熱さは既に現れ始めている下で、水分を摂らないであのトレーニングを続ければ脱水症状は免れない。率直に言ってスタ公が死んじまう。

 

 しかし、原田の野郎が離れたのが唯一の幸いだ。原田の監視下に無いのならば今のうちに水分を隠れ飲んでしまえば良い。そうすれば宝塚記念でスタ公を助け出すまでのスタ公の水分状態は守られるだろう。

 ……俺は原田の野郎が完全に離れたのを見て、スタ公に声をかけようとした。のだが。

 

「シャインさん!」

 

「うわ……今なの……」

 

 なんと俺たちより先にスタ公に声をかけた奴がいた。イーグルクロウの奴だ。でも時間はまだ授業の真っ最中、なぜイーグルの奴が……。

 

「……あなたとの特訓のついでに、作戦の確認もしようと思って呼んでたのよ……だけどよりによってこんな時に……あの子スターインシャインにすごい尊敬の念を抱いてるから、今のあの姿見たら何をするかわからないわ……すぐに私達も声をかけましょ……」

 

 スロウムーンの指示に頷き、イーグルに続いて俺たちもスタ公に声をかけようとしたその瞬間だった。

 

「痛っ……!?」

 

 なんとスタ公の奴が、イーグルの野郎を突き飛ばしやがった。先ほどスタ公の奴を呼んだイーグルの大声で、原田の野郎も戻ってきちまった。木から出かかっていた俺たちはすぐさま木の後ろに隠れ、様子をうかがう。しかし一時的だ。イーグルの身に何か危ないことがあるようだったらすぐに飛び出して原田の野郎をとっ捕まえてやる。

 

「うちのシャインに何か用でしょうか?」

 

「水分を摂っちゃダメって……おかしいんじゃないですか!? あなたそれでもマル地のウマ娘を活躍させてきたんですか!?」

 

「これはうちの教育方針なので……」

 

「ね、ねぇシャインさん……また、あの時(未勝利戦)みたいな笑顔を見せてください……タルタロスから戻ってきてください……」

 

「うるさい……私はここじゃなきゃ強くなれないの……! 今更近づいてきて……どうせレースで邪魔するつもりなんでしょ!?」

 

「まぁまぁシャイン」

 

 そう言ってスタ公はイーグルの胸ぐらをつかんでまた突き飛ばした。しりもちをついているイーグルにスタ公は追撃を入れようとしていたが、原田の野郎がスタ公を抑えている。

 

「あいつ!」

 

 思わず俺はスタ公の奴を一喝してやるために木から飛び出そうとした。しかし腕をスロウムーンに掴まれて引き留められてしまった。

 

「なんで止めんだよ! あいつ一回ぶん殴らないとダメだろ!」

 

「どうしてそうやって思考が脳筋なのよ……!」

 

 掴まれた腕を引っぺがし、原田の野郎とスタ公に気付かれないようにスロウムーンと小声で話す。

 

「耐えなさい……いくら木に隠れてるとはいえ、注意深く凝視されればバレかねない位置よ……あなたが木から出てくれば、あの人たちの視線はこちらに向く……。そして私がいることもバレる、あなたと私が一緒にいることを原田が見たら、怪しまれるわ……!」

 

 確かに……今一番バレてはいけない事は、俺とスロウムーンが一緒にいることだ。バレてしまえば、作戦がお釈迦になる可能性だって否めない、そうなれば次にいつスタ公を救い出す打開策が思いつくか分からない。

 

 確かにそうなんだが……!このまま見ているのも……! 

 

「……私の知ってるシャインさんは……こんな人じゃなかった……」

 

 突き飛ばされたイーグルの野郎が立ち上がってそうつぶやくのが聞こえた。言い合いをしていた俺とスロウムーンはイーグルの方向を再び向き耳を傾ける。

 

「私の知ってるシャインさんは! みんなに希望を与えてくれる人だった! 夢を与えてくれる人だった! それなのに今は! ……今はただの乱暴な人だよ……!」

 

 それだけ言って、イーグルは涙目になりながら走って帰って行った。

 

「……イーグルちゃんには、あとで謝らないといけないわね……。今日の所は引き上げましょう、スターインシャインはこれからここを使うみたいだし……」

 

「……そうだな」

 

 ……腑に落ちない、それしか言えなかった。

 

 いや、一つだけ確信できたことがある。

 

「あの方法は間違っている……」

 

「ん……?」

 

「原田の野郎は他のウマ娘にもあんな感じなのか?」

 

「いや……確かに厳しいトレーニングをするのはよく見るけど、水分を与えないというのは初めて見たわね……極限状態に追い込む必要でもあるのかしら……?」

 

 許せねぇ。スタ公の奴をあんなになるまで追い込んで、挙句反省している様子もない。強くなれるならタルタロスにスタ公がいても問題ないなどと思っていた数分前の俺を殴ってやりてえ。そんなわけあるか! あのトレーニング方法は確実に間違っている! 救い出して……原田を殴って……そしてスタ公も一回ぶん殴る!!

 

「絶対にスタ公の奴を救い出す」

 

「……ハナからそのつもりよ……。……あなたのトレーナーや知り合いにも連絡はしておきなさい……少し作戦を手伝ってもらうわ……」

 

 

 

「ん? これは……」

 

 スターインシャインの元友人? のようなものを追い払い、僕はタルタロスのトレーナー室に戻ろうとした。しかし一つだけ気になるものを発見し、しゃがんでそれを拾ってみた。

 

「これは……コップ……?」

 

 紙コップがベンチの下に落ちていた。トレセン学園はこういうゴミには厳しいはずだから落ちているはずがないし、底を見るとまだ新しいスポーツドリンクの残り液があった。つまり僕とスターインシャインが来る寸前に誰かがここを使っていた。普段ならトレーニングしていただれかで片付くが、今は授業中だ。授業を抜け出してトレーニングしているウマ娘がいるというわけだ。

 

「……クククッ、前から変わってないなぁクライト。コップのふちを噛む癖で丸わかりだ」

 

 しかし誰が使っていたかは一目瞭然、クライトだ。僕に数日前、宝塚記念での挑戦状をたたきつけられて特訓でもしているつもりなのだろうか。

 

「しかし! スロウムーンは既に武器を完成させている……クライト……お前に勝てるかな……?」

 

 紙コップを握り潰し、タルタロスのトレーナー室に戻ろうと再び歩き始めた時。脚に何かが当たった感覚があった。

 

「ん……?」

 

 またゴミか……などと思って下を向いてみると、そこに落ちていたのは見覚えのある容器だった。

 

「これは……スロウムーンの水筒……?」

 

 スロウムーンとクライトが同時に授業中の時間にここでトレーニングをしていた……? 一体何のために……? 

 

「スロウムーン、キグナスから委託されたウマ娘だからと思って警戒はしていたけど……まさか本当に裏切るつもりとはね……」

 

 水筒を踏み、僕はタルタロスのトレーナー室に戻った。

 



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第六十七話 二つの戦い 宝塚記念①

作者「んんんぱからいぶでいろいろ変わりましたねぇ。AIとはいえ三女神が出現してしまいましたか……今更どうしろと言うのか……。それはそれとしてジェット師匠実装おめでとう、ジャングルポケットおめでとう



いやちょっと待って前書き書いてたらいつの間にかアニメ発表されてるホワアアアア


……それはそれとして、どうやらセブンのロイヤルビタージュースは甘いらしいので、暇なときにツイッターの方で抹茶粉末ごりごりに入れた本物のロイヤルビタージュース創りたい

あ、一応言っておくとこの小説は別にメイクラではないですからね。G1にごりごり出走させますけどメイクラじゃないですからね。決して無理なトレーニングなどさせてないですからね。え?六十六話のトレーニングはどうなんだって?……知らん!」


 

「マックライトニング、速水周作、プロミネンスサン、木村竜一、イーグルクロウ、アグネスタキオン。……そして橋田瑠璃、集まったわね……」

 

 いつもより重く苦しい空気が流れているスタ公のトレーナー室で、スロウムーンが着々と部屋にいる人物の名前を読み上げる。いよいよ迫ってきた宝塚記念、今日はその前日だ。

 

「大体事情は知ってるわね……。スターインシャインを奪還するために、私の方から作戦を提案させてもらったわ……」

 

 一通りメンバーの確認を終えると、スロウムーンは作戦について語り始めた。

 

「目標はスターインシャインをタルタロスに縛り付けているものの発見及び奪取よ……そのためにここにいる人に協力してもらうわ……」

 

 今更こんなことを悩んでも仕方がないが、スタ公の奴をタルタロスに縛り付けているもの、それが本当にあるかは定かではない。もしなかったらどうやってスタ公を助け出すべきなのだろうか。しかしまぁ、一度スロウムーンを信用すると約束してしまったのだからやるとこまでやるしかないだろう。

 

「まずイーグルちゃんに聞いて欲しい事、これがタルタロスのトレーナー室にある監視カメラの位置よ……目が見えないから書くの苦労したわこれ……ほぼ平面だから手の感触なんかで書き込み状況調べるしかないんだけれど、しっかりかけてるかしら……監視カメラの死角についてはアグネスタキオンさんが確実な数値で求めてくれたわよ……」

 

「冷たい言葉を投げかけるようだが、君がキグナスのウマ娘と言う以上あまり手伝いたくはなかったね……シャイン君を助け出す為と言われては仕方がないから求めたがね……」

 

 スロウムーンが机に紙を広げるとそこには、何度か指で擦った跡がある鉛筆の線で、タルタロスのトレーナー室の全貌に加えて監視カメラの位置や死角、潜入ルートについても詳しく書いてあった。よく数日間だけでこれほど調べたものだ。

 

「そしてプロミネンスサンは、イーグルちゃんについて行って護衛をお願いしたいわ。正直イーグルちゃんだけだとトレーナー室に誰かいた時に対応できない可能性があるわ……」

 

「う、うん。分かった……?」

 

 そう言ってスロウムーンはサンの野郎に指示を出した。続いてスロウムーンは、スマホを二台取り出した。その画面には二つの端末間でビデオ通話が行われており、どちらも机に置いてあるため常に天井を映し出している。

 

「イーグルちゃんと木村さんには、このスマホを使って原田の状況を確認して貰うわ。もし原田が何か、そうね……電話をしているような、不審な動きをしているようだったら、すぐに連絡をイーグルちゃんに送ってほしいの……。すぐにタルタロスのトレーナー室から撤退して貰うわ……」

 

「は、はい……?」

 

 スロウムーンはそう言い切って木村の野郎とイーグルの野郎にスマホを一台づつ渡す。

 

「そして最後に速水さん……あなたは……担当ウマ娘のレースを見たいでしょうから何もしなくていいわ。それだけよ」

 

「なんか俺だけ適当じゃない? ありがたいけど」

 

「……シャインさんを奪還する、というのはわかったのですが……スロウムーンさんはキグナスのウマ娘ですよね……なぜキグナスのウマ娘が私たちに協力を?」

 

 スロウムーンの野郎が作戦について大体話し終わった瞬間、木村が冷静に質問してきた。うん、まぁそうなるよな。他の奴らも反応イマイチだったもんな。

 

「それについてはこういう事情があって、実はこいつも意外といいやつっぽくて……」

 

 ほかの連中も疑問に思っているような顔をしていたので、スロウムーンの前を陣取って説明をした。

 

 正々堂々とレースをしたい事、スターインシャインを助け出したいこと、原田のやり方を止めたいこと。

 

 今一番したいのはスロウムーンを味方と思わせる事なので、全力でスロウムーンが良いやつと思えるように説明したつもりだ。

 

「ってなわけなんだよ。意外といいやつだろ?」

 

「……それで」

 

「ん?」

 

「それで……最後に裏切るつもりだったら?」

 

 あらかたスロウムーンの奴について説明を終えると、橋田の奴が口を開いた。今まで聞いたことのない橋田の声、スロウムーンに対する不安や怒りや恐怖が混じった声だった。

 

「おいコラ、スタ公を助けるには今のところこれしかねぇんだよ。信頼するしかねぇだろ。それに」

 

「もうこりごりなんだ! キグナスやタルタロスに振り回されるのは! 俺は俺自身のやり方を見つける。シャインは別の方法で取り戻せるはずだ!」

 

 橋田の野郎はそう言ってトレーナー室を出て行ってしまった。

 

「……困ったわね……橋田さんにはまたちょっとした話があったのだけれど……クライト、伝えてきてくれるかしら……?」

 

「……別にいいけどよ」

 

「他の人は外してもらえるかしら……? 本来は橋田さんにだけ伝えたいことなの……」

 

 

 

 流れていく景色、いつかの時にスタ公とレース場に向かったが、今は後部座席に座っているのは橋田の野郎だけ。一人だけ少ない車内だ。俺は()()開催される宝塚記念に出走するため、阪神レース場に向かっていた。

 

「それじゃあクライト、今日の宝塚について展開を話し合おうじゃないか」

 

「うるせぇ前見て運転しろ、今話し合う気分じゃねぇ」

 

「当たり強い……しゅんッ……」

 

 もしここで俺が話し合う気分だったら、運転しながら阪神レース場のコースを思い浮かべてレース展開について話しやがったのだろうか。脳味噌二つあるんじゃねぇのか。

 

 今日の宝塚、というトレ公から出た単語を聞いて再び今日が宝塚当日なのだという事実を実感する。

 

 スロウムーン、イーグルの野郎と何度も作戦の内容について話し合って、完璧に原田の野郎を欺ける作戦になったはずだ。それなのになぜだろうか、やたら落ち着かない。本当に成功するのか不安で仕方がない。

 

「おい、クライト」

 

「あ? なんだよぁっ……」

 

 名前を呼ばれたのでトレ公の方を振り向いたら、俺のほっぺにトレ公の左人差し指がふにっと刺さった。

 

「……何してんだよ」

 

「いや? ただ、ガラスの反射で見えるお前の顔がやたら不安そうだったからな。運転に集中できないったらありゃしない。お前は勝てるんだろ? 今更なに心配してんだ。シャインちゃんを救い出す作戦なら、俺たちに任せとけ。お前とスロウムーンは何も考えず、宝塚記念で存分に戦えばいい」

 

「……そんなこと言ってる暇があるなら、両手でハンドル掴んで運転しろよ、ヒゲ面」

 

「おいコラ、ヒゲ面て」

 

「悪いな、気遣わして」

 

「だ~から、今更なに心配してんだよ。宝塚終わったら、神戸牛でも食いに行くか」

 

 確かに不安が残ってはいるが、トレ公からもらった安心で何も感じなくなった。

 

「……橋田ぁ」

 

 ちょっとだけひげが生えてきたトレ公の顔をイジってから、車が出発して以来一言もしゃべっていない橋田に話しかけてみた。

 

「なんだクライト……」

 

「スロウムーンの奴からはよ、ジュニア期のスタ公みたいな情熱を感じたんだよ。だからよ、信頼してやってもいいんじゃないか? たしかにあいつはキグナスに忠誠を誓ってるようなウマ娘だ。でも、正々堂々と勝負したいって言う気持ちは本物だと思うんだよ。だから信頼してやってくれ」

 

「……」

 

 橋田の野郎から返事はなかったが、バックミラーで顔を見てみると椅子に座って俯いているようだった。

 

 

 

「さ、て……着いたな。俺たちの最初の試練かな」

 

 俺たちの最初の試練。確かにそうだろうな、この宝塚記念はキグナスや原田の野郎が育てたスロウムーンと俺の決着をつけるレースでもあり、原田の野郎の裏をかいてスタ公の奴を助け出す時間でもある。

 

 まだほっぺに残る左人差し指の感覚をつまみながら宝塚に向けた気合を装填する。まだ駐車場だというのにこのヒリつきようがたまらない

 

「にしても驚いたよな~、まさかゴミ拾いで俺たちの名前が少しだけ認知されて、ギリッギリ人気投票上位に滑り込むなんて。俺初めて聞いたよ、ゴミ拾いで宝塚記念出走」

 

「ホントにな、俺も驚いたぜ」

 

「なんで成功できない可能性もあったみたいな言い方なの?」

 

 今更俺のゴミ拾い作戦に驚いているトレ公を差し置いて、俺は阪神レース場の中に進んでいく。

 

「細かい作戦内容については覚えてるな? 木村の野郎とイーグルの野郎とサンの野郎が宝塚記念の発走直前にタルタロスのトレーナー室に潜入するはずだ。一番原田の気が宝塚記念の方に集中するだろうからな」

 

「おうともよ、俺らは特に何もする事が無いよな。強いて言うなら原田に作戦が感づかれない様に話すことか?」

 

「んだな。おら橋田もいくぞコラ~」

 

 俺が橋田の野郎を呼ぶと、後ろの方にいたはずの橋田から返事が返ってこなかった。不審に思って後ろを振り返ると橋田の野郎がいなかった。

 

「……まずくね?」

 

「ん? どしたクライ……まずくね?」

 

 今回の作戦、橋田の野郎も作戦の一部に関わっている。関わっているのだが、その役割が来るのはレースが始まってから。今動き出す必要はないのだ。阪神レース場の中に向かったわけでもないだろうし、今の橋田の野郎の態度から考えられるのは……。

 

「ウッソだろ信じらんねぇ! アイツ作戦から逃げやがった!!」

 

「おおお、落ち着けクライト。きっと、きっとまだ何とかなるはずだ。まずはあいつに連絡してみる!」

 

 すぐにトレ公は仕事用携帯を取り出して橋田の野郎に連絡を取っているが、顔を見るに全く出てこないようだ。しばらく電話を繰り返していたが、最終的にトレ公はパカパカ携帯を閉じて覚悟したような目でこちらを向いて喋り始めた。

 

「……しかたねぇ、お前の宝塚記念は間近で見たかったが、レース映像で我慢することにするよ。俺は全力で橋田を探してくる! レースが始まるまでの流れはわかってるから一人で行けるよな?」

 

「お、おい……マジで言ってんのか? いや、別にいいけどよ……」

 

 俺がキグナスのウマ娘と戦うところをトレ公にリアルタイムで見てもらいたかった、というのが俺の心境だが、それとスタ公のレース人生を重要性の天秤にかけたら後者が勝るだろう。悲しいがトレ公を見送るしかないだろう。

 俺は橋田の野郎を探しに走り出したトレ公を見つめながら思い切り声を出して叫んだ。

 

「行くからにはしっかり橋田の野郎を見つけてこいよ! コラァ!」

 

「はよ控室いかんかお前はぁ~!!」

 

 なんかやまびこみたいなものが帰ってきた。

 

 トレ公の奴を見送って阪神レース場。宝塚記念を見るべく集まった観客で埋まっているが、その中にスロウムーンの姿を見つけた。

 

「お~……怖……」

 

 今までスロウムーンの奴から感じたこともない覇気を感じる。いくら昨日まで味方として話していたウマ娘とはいえ、流石にレース前となるとシニア期の貫録を感じる。

 

「クラシック期のウマ娘が宝塚記念に勝った前例がないのもうなずけるな……あんな奴らがごろごろいるんだし……」

 

 あらためて宝塚記念というレースの重さについて振り返ろう。

 

 まず宝塚記念はウマ娘の中で行われる人気投票の上位10名に滑り込まなければならない。しかしこれは所謂優先出走権というもので、上位10名のウマ娘の一部が出走回避すれば、上位10名に入れなかったウマ娘でなくとも出走権が与えられるレースだ。

 

 しかし俺のようにクラシック期の時に宝塚記念で勝負するウマ娘はそうそういないだろう、勝てる確率が少なすぎるからな。

 

 なぜ勝てる確率が低いか。

 

 一つは前にも話したように、ダービーの直後に行われるレースと言う事で、調子が本調子じゃないまま挑むことになるからだ。

 そしてもう一つ、宝塚記念に出走できるのはクラシック期・シニア期のウマ娘、クラシック期とシニア期では経験が1年分違う。それくらい経験値の差があれば武器の熟練度も大幅に違うため、クラシック期のウマ娘をシニア期のウマ娘がひねりつぶすなど容易い事なのだ。

 

 ここ最近でクラシック期の時に宝塚に出走して掲示板に入ったウマ娘と言えば……ネオユニヴァースというウマ娘くらいか……。

 

 俺は今回の宝塚唯一のクラシック期ウマ娘。そのせいか人気もイマイチ低いし話題にもなっていないが、俺を人気上位10名になんとかぎりぎりすべり込ませてくれた商店街の人たちの為にも、ここまで育ててくれたトレ公の為にも、タルタロスに引き抜かれたスタ公の為にも、負けるわけにゃあいかねぇ。

 

 

「……!?」

 

 揺れた、今間違いなく揺れた。私の全身、骨、心臓が揺れた。この感覚は……。

 

 宝塚記念の最中に行われる二つの戦い。そのどちらもが私の思い描いた通りになるか脳内でイメージしていると、突然私の体に暴力的なオーラがぶつかってきた。

 

 何事かと思い私はすぐに空気のソナーを読み、誰が私の周りにいるのかを読み取ろうとした。しかし読み取る必要もないほど、それは強烈なオーラを醸し出していた。目の見えない私が何もせずともどこにいるか場所が正確にわかり、誰かも分かるほどの圧倒的なオーラを醸し出していた。

 

「(……いるわね、やっぱり近くに、クライトが……)」

 

 この感覚は賭けレースの最中に感じた武器と同じだ。キグナスに入り、数年間レース人生を生きてきて様々なウマ娘と出会ってきたが、まだレースが始まってもないのにここまでの圧を感じるなんて初めての事だった。

 

「ん、どうした? スロウムーン」

 

「いいえ……何でもありません……大丈夫です……」

 

 心配そうに私の事を呼ぶ原田トレーナーに言葉を返し、再び控室に歩き始める。

 

 珍しい、私がこんなにワクワクしているなんて。まだ見ぬ武器を持ったウマ娘に勝利する瞬間が待ち遠しくて仕方がない。本当にこの宝塚記念は面白くなりそうだわ。

 

 

 

「……今更キグナスを信頼しろと言われて、信頼できるかよ……」

 

 クライトと速水さんの後ろから急いで逃げてから数分が経ったころ。そろそろ追われても大丈夫な圏内だと思い、歩き始め、ぽつりとつぶやく。

 

「シャインを救い出す方法……方法方法方法!! クソッ……何があるって言うんだ……!」

 

 適当なところに座って頭を抱える。

 裏切られるのが怖い。あのスロウムーンと言うウマ娘を信頼できない俺も嫌だ。しかし信頼してしまって裏切られる俺も想像してしまって嫌だ。何もかも嫌なんだ。

 

「シャイン……」

 

 こんな時、いつも俺を照らしてくれたシャイン……。今となってはもういないけどな……。

 

 

 

「そろそろ動き出す頃か……?」

 

 黒いドレスを着て、ゲートの前でぶらぶら歩きながらそんなことを思う。

 

 もうすぐだ、もうすぐ一世一代の大勝負が始まる。

 

 スタ公を取り返すための作戦。プラス宝塚記念。ふと後ろから大きな存在を感じて振り向くとそこには。

 

「……へへっ。とんでもねぇ殺気、感じるぜ……スロウムーンよぉ」

 

「……変なものね……あなたと出会ってからまだ数日だというのに、あなたと戦いたい気持ちでいっぱいだわ……」

 

 俺達が感じてるこの熱い気持ちは、(私達が感じているこの闘争心は、)ウマ娘の本能からだろうか。(ウマ娘の本能からでしょう……。)

 

 それだけじゃないかもな。(でもそれだけじゃないわ……。) 俺たちはお互いを(私たちはお互いを)

ライバルとして、(ライバルとして、)見てるのかもな……。(認知してるのかもしれないわね……。)

 

……だからこそ

 

 だからこそ、どっちが上か、(だからこそ、どちらが上か)どっちが下か。(どちらが下か。)白黒つけようじゃねえか!!(白黒つけようじゃない!!)



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第六十八話 二つの戦い 宝塚記念②

作者「CSMのダブルドライバー買いました。さぁ、お前の罪を数えろ!(財布スッカスカ)」


 

「ここがタルタロスのトレーナー室だよね……でっか……」

 

 スロウムーンと言うウマ娘に指示されて向かったタルタロスのトレーナー室だが、あまりにもデカい。一つのチームを経営するのであれば学園にあるトレーナー室で十分だろう、それなのに原田と言うトレーナーはなぜこれほどまで大きいトレーナー室を作ったのだろうか。とりあえず、この中にシャインを助けるヒントがあるかもしれないというのなら、私は全力で探す。

 

「あの……サンさん……」

 

「なんか変な呼び方だね……普通にサンでいいよ」

 

「う~ん……いきなり呼び捨てにするのは気が引けますけど……そ、それじゃあ、サン。サンはシャインさんとはライバルで友達なんでしたっけ?」

 

 一緒に来たイーグルちゃんが私にそう質問してくる。確かにシャインはライバルだが、友達と言うのは違う、もちろんいい意味で。もう私とシャインとクライトは、友達という言葉では片付けられないほど絆が深い関係になっている。そこを強調してイーグルちゃんに返事する。

 するとイーグルちゃんはどこか申し訳なさそうな顔で、言葉に困っているようだった。

 

「どうしたの?」

 

「いえ、あの……今のシャインさんの様子を教えたら傷ついちゃうかなって……」

 

 イーグルちゃんの態度を見るに、今のシャインは相当悪い状態なのだろうと察することができた。態度で分かりやすすぎるからもはや聞くまでもないね……。

 

「うん……大体分かったから大丈夫だよ……」

 

 あまりにもわかりやすすぎるイーグルちゃんのかわいらしさと、シャインの今の状態を想像した二つの感情が混ざってしまった苦笑いをしながら、タルタロスのトレーナー室へと私たちは足を運んだ。

 

 

 

「いや、霧が濃いな!!!」

 

 ゲート前、今までは作戦が上手く行くかの不安があったり、スロウムーンの野郎とアイコンタクトでバチバチしていたから気付かなかったのだが、今日の阪神レース場のコースを見ると、どうにも霧が濃い。もはや観客席が見えないくらいの霧が立ち込めていた。……今日は本当に6月なのだろうか。

 

 なぜ今まで気づかなかったのだろうと自分を心配するレベルの霧の量だ。もしこのまま出走したら視界はどうなるのだろうか。

 

「……見えねぇだろうなぁ」

 

 この宝塚記念がますます不安になってきた、脚がじっとしていられなくなり、どうしてもそわそわしてきてしまう。

 

 ……そういえばトレ公の奴は橋田を見つけられたのだろうか。

 

『さぁ霧が濃い中で行われる宝塚記念、……ウマ娘達が見えませんね。ゲート入りは進んでいるのでしょうか』

 

 ほらみろ、霧が濃すぎて実況の人まで困惑してしまっているじゃないか。

 

 周りを見ると先ほどより霧が濃くなっているように見える。しかし自分の周囲が見えない訳ではないので、レース自体は出来る濃さだ。いつも以上に実況の人が大変になるだけで、特に問題はないだろう。

 

 ボケッとしていると係員の人に霧の中誘導され、ゲートまで導かれた。係員の動揺の仕方的にもイレギュラーな事なのだろうが、俺には関係ないな。

 

『阪神レース場・芝2200mで行われる宝塚記念。今年はいつもとは違う霧が濃い状態での開催となっていますが……』

 

 ゲートインが順調に進んでいるのにもかかわらず、実況のやつは呑気に何かを語っている。この霧の濃さではゲートの様子を確認する事も出来ないのだろうから、しょうがない事ではあるのだが。

 しかしよく考えてみると、スタンド前からのスタートなのに実況席から見えない霧の濃さって普通に考えてやばいな。なんで出走OKにしちゃったんだこれ。

 

『どうやら、もう少しで出走のようです。ゲートイン、恐らく順調に進んでいるのでしょう』

 

 他のウマ娘の気配が後ろの方向から消え、全て俺の横に並んで感じる。全員のゲートインが終わったようだ。

 

 赤いランプが光り、次の瞬間。

 

「(いくぜ……トレ公……)」

 

「(いくわよ……)」

 

 大きな音とともに目の前のゲートが開き、一気に走りだした。

 

『……どうやら既にスタートが切られたようです! しかし私からは何も見えません! 観客席からも不安な声が聞こえます宝塚記念! 恐らくスタンド前を通過しているのでしょうが、足音しか聞こえません!』

 

 なんつー実況だよ。と思いながら、俺は脚を前へと進めていく。

 

「げ……こういう障害があるのか……」

 

 スタートする前は考えてもいなかったが、こうも霧が濃いと他のウマ娘の位置を確認するのが難しくなるのだ。そのためいま俺がどの位置にいるのか、どの場所に控えているウマ娘がいるのか。いまいち分かりにくい。

 

 そのまままっすぐスタンド前を通過していくが、相変わらず白い視界の中俺は走っている。かすかに見える柵を見ながら、コーナーだと判断して体の方向を曲げる。

 

「……なるほど……ただ視界を邪魔してくる霧だと思ってたが……そうだよな……。()()()()を邪魔してくるんだよな」

 

 後ろの方を見ると、かすかに霧が薄くなっていたため、一瞬だけほぼすべてのウマ娘の位置が見えた。他のウマ娘はいつもより乱れた位置にいるのにもかかわらず、ただ一人だけしっかりと位置取りが出来ているウマ娘がいた。

 

「スロウ……」

 

 この霧は俺たちの視界だけを邪魔してくる。しかしこのレースには視界など関係無いウマ娘がいることを忘れていた。

 

「(スロウ、ね……人の名前を馴れ馴れしく呼ぶあたり余裕じゃない……)」

 

 きっとスロウは音の反射や風の流れで周りの景色を読んでいる。レース中であれどすべてのウマ娘の足音一つだけ聞こえればスロウにはすべての景色が見えているのだろう。

 しっかりとしたコース取りが出来ているのなら、スタミナを余分に使わないで走ることができる。それに加えて、他のウマ娘の位置取りが微妙にバラバラなせいで垂れて詰まることもない。

 

 最悪だ。何とも思っていなかった霧がここまで牙を剥いてくるとは。

 

 未だレースは中盤……! 

 

 

 

「イーグルちゃん、尻尾……!」

 

 小声でイーグルクロウの事を呼び止める。揺れていた尻尾が監視カメラに映る範囲まで入りかけていたのだ。

 

「あっぶ……~~!!」

 

 声にならない悲鳴を上げながらイーグルちゃんは息を吐く。スロウムーンから伝えられた情報によると、タルタロスのトレーナー室に付けられた監視カメラの映像は原田トレーナーのスマホから臨時確認できるようだ。それにトラップも多く、ただのトレーナー室にここまでするあたり、やはり原田トレーナーは何かを隠していると言う事なのだろう。それか極度に空き巣が嫌いなのか。

 

「もうそろそろ宝塚記念がスタートしてるころかな……急がないといけないね」

 

「そうですね……!」

 

 いくらか監視カメラを捌きながら、スロウムーンが事前に調べていたものを目指す。スロウムーン自身も原田トレーナーがいない間にタルタロスのトレーナー室をいろいろ調べていたらしいが、シャインを押さえつけているものに関して何も見つからなかったらしい。最終的に残ったのが、原田トレーナーがいつも座っている机に収まっているある金庫だったという。

 

 しかし原田トレーナー自体がなかなかトレーナー室を離れなかったり、宝塚記念も近く、何より他のウマ娘の視線をかいくぐるのが難しすぎるという事もあって、金庫を開けるまでに至らなかったそうだ。そうしてどうしようか困っていたところでクライトと出会ったという。

 

「さて……私たちの仕事だね」

 

 スマホの画面を覗いてみても原田トレーナーが何かをしているという様子はない。

 監視カメラに写っているという感じもないから、あとは私たちの役目を終わらせるだけだ。

 

「サン」

 

「ん? なにイーグルちゃん」

 

突然後ろからイーグルちゃんに名前を呼ばれたが、スロウムーンの地図に書いてある監視カメラの死角と現実のトレーナー室を見比べるのに集中していたので、返事だけ返した。しかし次の瞬間聞こえてきたのは、イーグルちゃんの動揺したような声だった。

 

「あ、あの……今呼んだの私じゃないです……」

 

「え、じゃあ誰が呼んで──」

 

 確かに、確かにそうだった。このタルタロスのトレーナー室に私とイーグルちゃんしかいないと思っていたのは、私の先入観だった。宝塚記念が開催されてるから、タルタロスのメンバーは全員阪神レース場に向かったとばかり思っていた、そう決めつけていた。

 

「シャイン……!?」

 

「えっ、えっえっえっっっ、えええっえっとえっとえっと」

 

 私たちの後ろに立っていたのはシャイン。壁に寄りかかりながら私たちの事をじっと見据えていた。しかしそこに立っていたシャインは、以前の私が知っているシャインではなかった。体からどす黒いオーラを滲み出し、完全に私を『敵』として見ている目でこちらを睨んでいた。

 

「原田トレーナーから言われた通り、ここにいたんだけど……本当に来るとは思わなかったな」

 

「シャイン……もうすぐ助け出せるよ! もうすぐシャインを助け出せる!」

 

「ごっごめんなさえっっ、えっと、えっとえっとごめ、いやあの、えっと」

 

「イーグルちゃんちょっと静かに……」

 

「きゅっ!!」

 

 なぜだろうか、シャインはもうすぐ橋田さんの元に戻れるというのに一向に喜ぶ気配が無い。それどころか戻ると言う事に嫌悪感を感じているように感じる。タルタロスのウマ娘である以上この不法侵入を見逃すつもりがないのかもしれないし、かなりまずいかもしれない……。

 

 ……なんでイーグルちゃんは息止めてるの!? 

 

「シャイン……私達はシャインをタルタロスから解放するために来たの……! お願いだから見逃して……! きっと助け出すから……!」

 

 シャインを必死に説得するが、相変わらず視線は変わらない。シャインは黙ったままこちらを睨み続ける。ふとシャインの右手が動き、ポケットの中に入れられる。ポケットから出てきたのはスマホ、シャインは番号を入力して、ある場所へと電話をしているようだった。

 

 あ、まずい、これ原田トレーナーに連絡されて。

 

「シ、シャインまっ──」

 

急いでシャインの事を止めようとしたが、シャインはとっさに私の口を押さえた。

 

「もしもし。はい、サンはトレーナーさんが言った通りトレーナー室に来ました。はい、トレーニングルームの方です」

 

 終わった……。

 

「でも……逃げられてしまいました」

 

「(え?)」

 

「申し訳ありません……」

 

 逃げ……ウマではあるけど、今この状況においては私は一切逃げていない。むしろ覚悟決めてちょっと正座してたくらいだ。つまりシャインは原田トレーナーに嘘をついた。なぜ、シャインはそんなウソをついたのか……。

 

 私はひたすら困惑していた。隣にいるイーグルちゃんなんか汗が出すぎて風呂上がりみたいになってしまっている。

 

 しばらくシャインの相槌が部屋に響いた後に、原田トレーナーとの電話が終わったようだった。

 

「5分間だけだよ」

 

 それだけ言ってシャインは振り返ってどこかに歩いて行ってしまった。

 

「シャインちょっとま……。……いこっか、イーグルちゃん」

 

「……」

 

「いつまで息止めてんの!?」

 

 

 

「スターインシャインからの連絡からして、トレーナー室の外に逃げたのか……」

 

 宝塚記念に対する期待で熱いくらいに熱気を感じる阪神レース場で、呟く。スマホでトレーナー室の映像を流しても姿一つ見えないあたり、プロミネンスサンは監視カメラの死角を完璧に知っているようだ。先ほどスターインシャインから来た連絡を受け、改めて今後の展開を考える。

 

 プロミネンスサンはトレーナー室から逃げた。もう戻ってくることもないだろうし、心配する事もないだろう。

 一応、プロミネンスサンがタルタロスのトレーナー室に戻る可能性を考えるが、その点においても問題はない。宝塚記念が始まる前から僕の事を見張っている奴が一人いるが、それも心配する事は無い。

 

「彼らが捜しているのは恐らくスターインシャインと橋田瑠璃の会話が入ったレコーダー。しかし……そのレコーダーは僕の金庫の中にあるからこのタイミングを狙った。でも全部無意味だ」

 

 

 その金庫の中は今、空洞だ。

 

 

 数日前、スターインシャインのトレーニングを行っている最中に見つけたスロウムーンとクライトの痕跡。あれを見つけてからスロウムーンの動向に気を付けていたら僕の金庫を開けようとしていることが判明した。だから宝塚記念が始まる前にあらかじめ関係者室の中に持ってきておいたんだ。

 

 だから仮にプロミネンスサンがトレーナー室に戻ってきたとしても、当然金庫には何も入っていない。完璧に僕の勝ちだ。

 

 レコーダーは保持し、宝塚にも勝つ。

 

 これがタルタロスだ。クライト。

 

「……そろそろレースも終わるかぁ、戻るか……」

 

 勝利を確信したところで、僕は関係者室に向かって歩き始める。

 

「……?」

 

 ここである違和感に気付いた。

 

 何か重要な事を見落としているような気がしてならなくなった。先ほどのスターインシャインからの電話に違和感を感じているのだが、違和感の正体が分からない。

 

「……ちょっとまて……トレーニング室……!?」

 

 僕は歩みを加速させ、関係者室へと全力で走り始めた。タルタロスのトレーナー室を熟知している僕には分かる、僕が設計したタルタロスのトレーナー室は、トレーニング室と金庫がある部屋をつなげていない。もしスロウムーンが協力しているのであれば、間違っても金庫が無いトレーニング室に入るわけが無いのだ。

 

 つまりこれは……あのプロミネンスサンは……。

 

「囮だ……! 奴らの目的がタルタロスのトレーナー室にある()()()()()だと思わせるための!!」

 

「(作戦始動ね……原田トレーナー……。あとは頼むわよ……橋田さん、プロミネンスサン、イーグルちゃん、あなたたちにかかってるんだから……)」

 

 

「はぁ~っ……はぁ~っ……。何とか間に合った……ってか霧が濃いな!? なんだこれ……」

 

「あれ、速水さん。クライトのレース最初から見ていなかったんですか?」

 

「ん? ああ木村さんか、ちょっと色々あって……いや、も、この歳で全力疾走ってキツイな……タバコやめたはずなんだけど……ウマ娘も走る時これくらいキツイんだな……。クライトのトレーニング少し優しくしてやるか……」

 

 阪神レース場で原田を見張っていた木村さんと合流し、何とか一息いれる。コースの方を見ると、霧が視界の邪魔をして、芝もウマ娘も掲示板も何もかもが見えていない状況だった。一応霧がほんの少しだけ晴れて来たのか、スタンド前の芝は見える状態だ。クライトは今向こう上面にいるのだろうか。

 

「……原田は?」

 

「少し前に動きました。……しかし、スロウムーンの巧妙さはキグナス譲りと言ったところでしょうか。橋田さんがスロウムーンから伝えられた作戦を私たちに暴露しなければ、気づきもしませんでしたよ」

 

「極秘の作戦を同僚にすぐばらす橋田には今度説教だけどな」

 

 きっと今頃橋田は……。

 

 

 

「すみません! 宝塚記念に出走しているマックライトニングの関係者なんですけど……」

 

 あわただしい俺の雰囲気を察してか、受付の人は身分を確認してからすぐに通してくれた。受付を通り抜けてすぐに俺は走りだす、ただ一点を目指して。

 

「くっ……どこだ……タルタロスの関係者室……」

 

 シャインを助け出す時間は、少ない。

 



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第六十九話 ここに落ちよ、稲光

作者「18日から幼稚園児の親戚と遊び倒すために横浜行くので書けるか不明です。金曜日の夜に帰ってくるので多分気合があれば書けます。もしかしたらパソコン持っていくかも?」


 

「橋田ぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「速水さん……?」

 

 突然後ろの方から大声で俺を呼ぶ声が聞こえたので後ろを振り向くと、車に乗って全速力でこちらの方向に走ってくる速水さんがいた。速水さんは俺の近くで駐車するとすぐに車から降りてこちらに脚で走ってきた。

 

 そして走ってきた速水さんが最初に取った行動は。

 

「いっっっつ……」

 

 突然右頬に走った痛み。どうやら速水さんにビンタされたようだ。以前背中を打って感じた痛みよりは痛くなかったが、流石に成人男性のビンタはある程度痛かった。

 

「お前はぁぁぁ!! このバッッカ野郎!!」

 

「ちょっとまって速水さん、首が……」

 

 ビンタをしてすぐに速水さんは俺の胸ぐらをつかんで腕を思い切り振った。それに引っ張られて俺の体も大きく揺れるため、ヘドバンのような状態になってしまいまともに会話が出来そうにない。

 

 すぐに速水さんにそのことを訴え、胸ぐらを放してもらったが、目の前に立っている速水さんの怒りは収まっていないようだった。

 

「お前は……クライトに蹴られた時の事を忘れたのか!?」

 

「毎日杯の時ですか……」

 

 少し前の毎日杯の景色が昨日の事のように思い出される。最終直線でブルーマフラーをシャインが差し切ったあのレースだ。

 あの時もちょうどシャインのことについて悩んでいるときに怒られたんだっけな。

 

「お前のシャインちゃんを支える覚悟はその程度だったのか……?」

 

「……」

 

 速水さんの質問に答えられず俯いていると、速水さんはしびれを切らしたのか車に戻ってしまった。

 

『スロウムーンの奴からはよ、ジュニア期のスタ公みたいな情熱を感じたんだよ』

『あいつの目標を叶えるために全力をかけてシャインの奴を取り返してやるべきなんじゃないのかい?』

 

「……ストップ速水さん!!!」

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 俺はすでに発進しかけていた速水さんの車の前に仁王立ちを決め、見事に跳ね飛ばされる寸前で車を止めた。車は急ブレーキをかけた反動で少しだけ俺の体に触れたが、俺の体が負傷することはなかった。

 速水さんの叫び声が聞こえた後、車のドアが勢いよく開いて速水さんの頭が出てきた。

 

「おま……お、お前……お前はどこまでバカなことすれば気が済むんだ!?」

 

「……やるだけ、やってみます……だから……阪神レース場に、連れて行ってください……」

 

 静かにそう頼み込んだ。

 

 すぐには返事が返ってこなかったため、もうダメかと思った次の瞬間。

 

「……はぁ……お前はいちいちやる気出すのが遅ぇよ……時間が無い、すぐに乗れ。もうすぐ宝塚記念が始まっちまう」

 

「……! 速水さん!」

 

「いいから早く乗れ!」

 

「はい!!」

 

 

 そしてそのまま俺は阪神レース場に連れられ、すぐに関係者室に向かった。

 

「急がないと……!」

 

 

『よう、橋田』

 

『クライトか……どうしたんだよ』

 

 スロウムーンというウマ娘から話された作戦を根っから信用できないと突っぱねた直後、俺を追うようにしてクライトが来た。俺は最初こそクライトを追い払おうとしたが、粘り強いクライトに押されてしまい話だけ聞いてしまった。

 

 話の内容は、スロウムーンが俺に頼みたかったという作戦の肝についてだった。

 流れていく扉の文字を見ながら、俺は冷静にクライトが言っていた伝言の内容を思い出す。

 

『まず最初に、タルタロスのトレーナー室にシャインを縛り付けているであろうモノはないんだとよ』

 

『……ならシャインは自分で選んでタルタロスに──』

 

『まぁ聞けって。なんでもスロウムーンの奴が阪神レース場にその()()を運ぶ予定なのを聞いたらしいんだ』

 

 

「あった! タルタロスの関係者室!」

 

 チームタルタロス、と大きく書かれた扉の目の前に立ち、大きく喜ぶ。だが、喜びに浸っている時間はあまりない。急いで作戦を遂行しなければ。

 

 

『オメーには、タルタロスの関係者室に向かって、スロウムーンの奴があらかじめ目を付けていた金庫を開けてほしいらしい』

 

『金庫だって? 俺解錠の技術持ってないぞ』

 

『いーんだよ、それに関してはスロウムーンの奴がある程度解錠の方法をまとめたメモ渡してくれたぜ』

 

 

「『ダイヤルをまわしながら、かすかに手ごたえがある場所を探す。明らかに他の番号とは手ごたえが違う場所があるはずだから、根気よく探して。番号のリセット方法? 知らないわよそんなの』……マジか」

 

 クライトから事前に受け取っておいたスロウムーンの解錠方法メモを見たが、それだけ書かれてメモは終わっていた。あまりにも適当すぎるだろ。

 

「……やるしかねぇ! 俺なら開けられる! あたりめーだろ!!」

 

 しばらく悩んでいたが、こうしている間にも原田トレーナーが関係者室に来てしまう可能性があるのだ。俺は急いで金庫の前にしゃがみ込み、ダイヤルをまわし始めた。

 

 

「……僕が見つけたあの水筒は、スロウムーンの作戦の内だった」

 

 数日前、スターインシャインのトレーニングメニューを行うためにトレセン学園のトラックに向かったあの日、僕が去り際に見つけたスロウムーンの水筒は、恐らくスロウムーンの策略だ。

 

「(今頃私の水筒で騙されたことに気付いたころかしら……原田トレーナー……)」

 

「僕があの水筒を見つければ、君が僕の事を裏切ったと勘違いする。そう踏んでわざと水筒を落とした」

 

「(私が裏切るつもりだと分かれば、あなたは間違いなくシャインさんを抑えるためのモノの場所を動かす……。私たちキグナスと同じように滅多に証拠を残さないあなたがそれを隠す第二の場所なんて……私の本当のトレーナーさんの思考と同じように考えれば……当てるのはたやすい……)」

 

 全く、君には驚かされるな。スロウムーン。

 

 だけど僕の金庫は6ケタのダイヤル金庫……果たして僕の設定したパスワードを当てて開錠することができる人材がいるのかな……? 

 

 

「急げ……あと2ケタ……」

 

 解錠作業を初めて数分、なんとか違和感を感じる位置にダイヤルを4つ止め、最後の2個のダイヤルを回している。時々タルタロスとも俺とも関係が無い人の足跡が聞こえてきて非常に心臓に悪い。いつ原田トレーナーが来てもおかしくはない状況なんだ。

 

「よし! 最後の1ケタ!」

 

 最後に残った二つのダイヤル、その片方を何とか正位置に止めることができたようで、やっとの思いで最後の1ケタになった。タルタロスのトレーナー室を早めに見つけられた喜びと、ぶっつけ本番で金庫のダイヤルを最後の1ケタまで解錠した喜びに浸りたいところなのだが、いかんせん時間がなさそうだ。

 

 そうして最後のダイヤルもサクッと終わらせようとダイヤルを回した次の瞬間だった。

 

「……違和感が……無い!?」

 

 違和感が無い。正位置であろうという違和感が無い。どこをどれだけ回しても全く違和感を感じない。

 

「まずいまずいまずい! どうしよう!?」

 

 俺は音をすべて吸収できるようなモフモフしたカーペットにのた打ち回りながら頭を抱える。ここにきて解錠不可能なダイヤルが来るなんて聞いていない。開けられなければシャインを救えない……! 

 

「あー! もう! 知るか! どうせダイヤルは0から9しかないんだ! 一つづつ試していけば……!」

 

 

「タルタロスの関係者室は……ここを曲がってすぐ……!」

 

 スロウムーンに二重で騙されていたのを理解し、僕は全力で脚を走らせている。今こうしている間に僕の関係者室に誰かがいて、あのレコーダーが入っている金庫を開けようとしている可能性がある。万に一つも解錠されることはないだろうが、金庫そのものを破壊され取り出される可能性も入れるとここは走って急ぐのが最適だろう。

 

 

「2……だめか! 3……クソっ! 4……これもダメか!? ……! 開いた!」

 

「さぁ……僕の関係者室には誰がいるのかな……?」

 

 

「……誰もいない……?」

 

 ドアを開けて関係者室を確認するが、中には誰もいなかった。それどころか、部屋の内装まで……。

 

「違う! 隣の部屋か!?」

 

 急いで今いた部屋から抜け出し、廊下を確認するが誰も人の気配はない。落ち着いてドアの数を数えると、僕が阪神レース場に来た時とは違う位置にタルタロスの関係者室を表す紙が貼られていた。やられた、紙の位置をずらすことで僕が関係者室の位置を間違えると思われ騙された……!

 自らの記憶を頼りに本来の関係者室に入ると、そこにはただ乱暴に開け捨てられた僕の金庫があった。

 

「まさか……奪われた……?」

 

 

「うおっ……」

 

 激しい衝撃音が隣の方から鳴り響いた。ドアの開け方乱暴かよ。

 どうやら俺が部屋に入る直前に仕掛けておいたトラップに、原田トレーナーは見事に引っかかったみたいだ。土壇場で仕掛けておいてよかった。

 

「まぁいい! 今開いたんだ! さっさと中のものを取って逃げる!」

 

 中に何が入っていたのかは今とりあえず後回しにして、俺はタルタロスの関係者室から逃げた。なるべく足音を立てずに走り去る途中後ろを向いたが、俺が曲がり角を曲がるまでに人が顔をのぞかせるような事はなかった。

 

「……サクッと作戦、成功……! シャイン……やったぞ……!」

 

 

 

「(見えない……)」

 

 見えない思考の中走り続けているが、先ほどからスロウムーンの奴が異様に気配を発していて奴の位置だけが常に分かる。恐らくはこれから仕掛ける、スパートをかけるのだろう。

 あとどのくらいでゴールなのか。ハロン棒だけが頼りになるこの状況でスパートをかける位置を見極めるのは至難の業だ。

 

 しかし他のシニア期のウマ娘は流石だ。先ほどから何度も霧が晴れたり濃くなったりを繰り返しているのだが、全員の位置を見るとレースの最初は全員がバラバラだったのが、いつも俺だけが無駄にアウトコースを走っている景色に変わっていた。微かにだが全員コースが見えているのだろう。それか今までの阪神レース場を走った経験からコースを大体覚えているかのどちらかだ。

 

 俺だけ……俺だけが周りの奴らに劣っているということか……。

 

「ダメか……クライト……」

 

「え? 見えるんですか、速水さん」

 

「いや……なんとなくなんだけどな……あいつが苦しんでるような気がするんだ」

 

 劣っているだろうな……1年も経験が違えば当然だ。

 

 脚が痛い。いくら調子を無理やりピークにしたとはいえ、こうも先が見えず走ると全力が出せないし、掛かりそうにもなる。それどころか無理やり持ってきたピーク状態は、霧が濃い事に対する動揺ですでにゼロになった。

 

 瞬間、スロウムーンの気配を感じる位置から強く踏み込む音が聞こえた、それに続いて他の位置からも踏み込む音が聞こえる。始まった。スパートをかける位置なのだろう。

 

 ガキン。

 

「っっ!?」

 

 俺も続いてスパートをかけようとした時、言葉にしてそのような効果音がするだろうという音が、俺の足元から聞こえた。突然脚を押さえられたので俺の体は反動を受けて躓きかける。

 

 足元に目をやると、真っ暗な地面から伸びてくる鎖が、俺の脚にくくりつけられていた。

 

 括り付けられているせいで、走れない。脚が動かない。このままだとスロウの奴に二度も負けてしまう。しかしどうやっても鎖は壊れない。周囲をよく見ると世界は止まっており、一応このまま縛られていてもスロウムーンに負けることは無いのだろうと思い、俺は一度走ろうとするのを諦めてその場に立ち尽くす。

 

 周りはだんだんと色が染まって行き、俺のドレスと同じ紫色が入った闇に変わっていた。周りにいたウマ娘や霧は闇に呑まれて見えなくなり、俺だけがそこに存在していた。

 

「……このままスパートをかけても、俺は負けるって言いたいのか? 神サマよぉ」

 

 ……問いかけても答えなど返ってこない。

 

 思えばこのレースは、原田の野郎に挑発されてノリで走ると決めたようなものだ。その思考回路から、既に間違っていたのかもしれない。宝塚記念を走りたいって言った時、最初トレ公に猛反対されたっけな。

 

 原田の野郎に言われた才能が見いだせないという言葉、それは俺の出走レースを選ぶセンス・先を見通す才能の事も入っていたのだろうか。

 それなら原田の野郎は合っていたのかもしれないな……。確かに自らの実力を測れず、無茶な宝塚記念に出走する俺には、レースを選ぶセンスが無い。負けが込むのだから、当然弱いウマ娘と言う風に見られても仕方がないだろう。

 

「うおっ!? いっっっつ……なんだ……!?」

 

 俺がそのように1人考えていると、地面から伸びていた鎖が俺を引きずり込み始めた。引っ張る力は相当なもので、ウマ娘である俺が対抗しても気を抜いたらそのまま飲み込まれそうな力だ。

 鎖が伸びてきている地面の暗闇からは、獣のような声が聞こえる。動物について紹介する番組を見たことがあったが、そのいずれでも聞いた事が無い声だった。

 

 このまま引きずり込まれたらどうなるのだろうか。俺は消える? いやさすがにそんなことはないと思う。恐らくは現実世界に戻されてそのままスロウムーンに負けるのだろう。そう、負ける……。

 

「! トレ公……」

 

 突然俺の背後からトレ公が現れ、俺の前を悠々と歩いていく。名前を呼んでも反応は無い。しかしどんどん距離は遠ざかって行く。トレ公の方に俺が行こうとしても、鎖が邪魔して向かえない。

 

「おい……俺が……俺がトレ公の元にはふさわしくないって言いたいのか……?」

 

 鎖が生えている闇に向かって俺は聞く。帰ってくるのは相変わらず猛獣のような鳴き声だった。

 

 まるでその声は俺に向かって『従え』と言っているような鳴き声で、俺はだんだんと腹が立ってきた。

 

「俺を従えるつもりかよ……?」

 

 俺がそう聞き直すと、鎖はさらに強く引っ張られ始めた。どうやらそういう事らしい。猛獣の意思が俺を従えることだと分かると、途端に足に力が入った。突然反発する力が増えた鎖は、キリキリとちぎれそうな音をたてはじめる。

 それどころか周りの景色にヒビが入り始め、ガラスがだんだん割れていくような音も聞こえる。

 

「ふざっけんな……! 俺を従えていいのは、トレ公ただ一人だ……!!」

 

 俺が抵抗すると、闇の中から更に鎖が伸びてきて俺の手までも縛り始めた。猛獣の声はさらにけたたましく鳴り響き、向こうも本気なのだと感じる。

 

「お前みたいな真っ暗な奴に従えられてたまるかってんだああああ!!」

 

 万力のような力を込めた時、鎖から引っ張る力が消えた。暗かった周りが、突然ガラスが大きく砕け散るような音を鳴らして真っ白になり、トレ公の姿が鮮明に見える。

 鎖が千切れたのかと思ったが、足元を見ても鎖は残ったままだった。

 

「トレ公……」

 

 トレ公は幻影だからなのか知らないが、返事をしない。しかし笑顔で俺の事を見送ろうとしてくれた。

 

「……行ってくるぜ! トレ公!」

 

 

 

「ふむ……」

 

「会長、どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもない。どうやら新しい領域に目覚めたウマ娘がいたようだ。……ようこそ、マックライトニング」

 

 阪神レース場のコースを見つめながらそう呟く。また一人、こちらに来たウマ娘を祝福しよう。

 

 ……新世代というのは極めて優秀なものだな。

 

 先程廊下の方からドアを蹴りあける音が聞こえ、何かしらの事件が起きている可能性を考えて廊下を見ると、原田というトレーナーが立ち尽くしているのが見えた。

 

 私はそこで全てを察した、今を走る新世代のウマ娘達は、私達旧世代が思い付かないような大胆な方法で勝利を得たのだと。

 

 ……おそらく犯罪行為だろうが、私は犯人の姿を見ていない。また、それに必要な証拠もないだろう。犯人を探し出し、制裁をするのはやめておこう。彼女達のためにも。

 

……いや、少しはしておくべきか……。

 

「……エアグルーヴ、橋田瑠璃というトレーナーに今度清掃の仕方を教えてみてくれないか?」

 

「? 構いませんが……何故突然?」

 

「……一応、ちょっとした制裁だ。きっと君なら良い教育をしてくれると思ったから……ではダメかな」

 



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第七十話 暴食悪魔

作者「やっと領域を書けるよ……」


 

 ……

 

 …………

 

 ………………だ

 

 ……………………様だ! 

 

「異様だ……!!」

 

 何度その言葉を繰り返しただろうか。スパートをかけ始めた瞬間からずっと唱え続けているその言葉、恐らく他のウマ娘達も感じていることだろう。

 

「(私の目が……見えている!?)」

 

 最初に異変を感じたのはそこだ、最初は私の視覚が復活していると、そう錯覚した。もちろん私は以前から周りの景色を疑似的に感じることはできたが、今回は違う。私の眼球が正しく機能していると錯覚するほどに、周りの景色が色づいて見えた。

 

 一瞬だった。私が異常事態に気付くまでは一瞬だった。

 

 気づいていた、レース中マックライトニングがまともな位置取りをできていないことを。当然だ、この霧の中まともに位置取りが出来るウマ娘の方が少ないだろう。他のウマ娘だってそうだ、シニア期だからちゃんとした位置取りが出来ているようなものなのだ。そんな霧の中で、マックライトニングの位置が私と同じ『最適な位置』に軌道修正され始めたのだ。

 

 肌から感じるミストの感覚で考えても霧はまだ相当濃いだろう。それなのになぜ最適な位置取りが出来る……? 山勘で位置取りをしているのか……? 

 

 バチバチとスパークの音が聞こえるのは幻聴だろうか。しかしこれまで耳を頼りに周りの景色を見ていた私が幻聴など聞こえるのはあり得ない。ソナーを使わなければまともに見えず、黒一色だけの視界に、確かに紫と白の稲妻が走るのが見える。その稲妻は後ろから現れ私を通り過ぎていく。

 その稲妻はこれから起こりうる未来を描いているのか。

 

 聞いたことがある。時代を動かすほどの極めて少数のウマ娘が目覚めるという唯一無二の強さ。

 

 かの有名なシンボリルドルフ、ミスターシービー、マルゼンスキーなどもこの強さに目覚めていたという。

 

 その強さの名は、領域(ゾーン)……!! 

 

 

 

「静かだ……」

 

 視界が真っ白に染まり、周りの音が聞こえなくなった。先ほどまであんなにうるさかった足音が何も聞こえない。

 

 俺の手足に繋がっている鎖はそのまま、何もない空間を走っている。

 

「……」

 

 相変わらず視界は霧に包まれているが、なぜか走るべき道が分かる。

 

「しねぇ……負ける気が……しねぇ」

 

 なんでだろうな、トレ公。今になってオメーの顔が頭に浮かんでくる。

 

 

『もうそろそろ最終直線でしょうか。ウマ娘達の走る音が聞こえてきます』

 

「クライト……頼む……」

 

 本来2分程度で終わるレースのはずが、俺には何週間にも感じる。

 

 俺たちの前を包んでいる霧は未だ晴れず、俺たちの視界を邪魔している。そのせいでクライトが今勝っているのか、負けてしまっているのかわからない。どうして俺はいっつもこんな異常事態を引き寄せてしまうのだろうか。

 

 不安に耐え切れず俺は上半身が前に倒れ、コース前にある柵に突っ伏してしまう。

 

「頼むよ……俺たちは壁を何度もぶち破ってきただろ……地方から勝ち上がってきたんだろ……これを勝てば……これを勝てば俺たちの目標にきっと近づけるんだ!」

 

「速水さん!」

 

 隣にいた木村さんの叫び声で俺は顔を上げる。

 

 宝塚記念を走るウマ娘達が最終直線に突入してくる方向、右側を見ると、かすかに霧が晴れてきていた。いや、それどころか全体の霧が晴れてきて、そしてその晴れた霧の中にいたのは──

 

 

 

「だから……私はもう走りたくないんですって……」

 

「そんなこと言わずにさ! 君の走りには間違いなく何かがあるんだ!! きっと中央でも通用するはずなんだ!!」

 

 練習用トラックを見つめながら()の横に座る男の人の言葉を流し聞きする。

 

「でも、地方のレースですら通用しない私の走りなんて中央で軽く流されますよ?」

 

「構うもんか、勝てるようになるまで練習を改善していくさ」

 

 この人は少し前から私を中央のレースにスカウトしてくる、速水という人。正直しつこくてうんざりしている。トレーナーさんに……トレーナーさんに見捨てられた私に価値なんてないのに……。

 

 時には警察を呼んで注意して貰った時もあったが、それでもこの人は毎日私の所にやってきてスカウトしてくるのだ。非常にめんどくさい。

 

 骨折した脚を見ながらそのトレーナーさんを見る。そのトレーナーさんは練習中のウマ娘達を見ながら、これからの未来でも見据えているのだろうか。そう感じるほどのハイライトが掛かった眼だった。

 

「なぁ、君は何のために走るんだ? マックライトニング」

 

 私がトレーナーさんの目に見とれていると、急にそのような質問をされた。何のために走る。私の目標についてだろうか。確かに、今までそんなもの考えた事が無かった。ただ走るのが楽しいから、競い合いたいからただ走っているだけだった。

 

 しかし今、私がこれからも走るための目的はなんだろうか。原田さんに見捨てられて、これからどうするべきなのか。

 

 ……舐められていたのだろうか。原田さんに。

 

 舐められていたから、見捨てられた。舐められていたから、他のウマ娘にバカにされた。

 

 ……私の目標は。

 

「……誰にも舐められないため」

 

「ん?」

 

「強くなって……誰にも舐められない為……!!」

 

「……そうか」

 

 私が精いっぱいの言葉をひねり出すとトレーナーさんは、まだ私の担当でもないのにまるで私が担当ウマ娘かのように誇らしそうな顔をしていた。

 

 なぜそこまで私に熱心なのか。

 

「俺も、君のその気持ちに答えたい! 俺だって、君と一緒に功績をあげて、周りに舐められないようなトレーナーになりたい!」

 

 

それはこっちのセリフだッ!! 

 

 俺がここまで上がってこれたのも……ここまで強くなれたのも……全部全部全部トレ公のおかげだ!! トレ公がスタ公を見つけてくれたからライバルとして、走りで殴りあえた。トレ公が徹夜で本を読んで勉強してくれたから、俺の走りが磨かれた! トレ公が……トレ公が……。

 

 だからオメーがドン引きするくらい、恩を倍にして返してやるんだよ! 

 

 ライトニングと付く俺の名前に恥じないくらい、ここに衝撃を走らせる! 

 

「霧が、晴れ……。こんないい位置で走ってたのか……」

 

 最終直線に入った瞬間、コースを包んでいた霧が晴れた。目の前を走っているのはスロウムーンを含めたシニア期のウマ娘が6人ほどバラけている。

 

 見えた……トレ公とのトレーニングで培ってきた集団の抜け方。目の前を走っている7人の集団を抜け出すルートが頭の中で自動的に構築され、俺の視界に映し出される。

 

「見せてやる……ライトニングを!!」

 

 

「いいえ……私が勝つのよ! マックライトニング!!」

 

 あなたの走っている位置、呼吸のリズム、今前に出ている腕、脚。すべて私が持つ感覚の目に見えてる……! あなたがどんな思考で、どんな捲り方をしようとしているか分かれば、そのさらに三手先を読んで、あなたの行動を潰すなんてたやすい……! 

 

 霧の中で視界が邪魔されてまともな位置取りが出来なかった他のウマ娘はもはや相手じゃない! この宝塚記念は私とあなたのタイマンレース! この前の賭けレースの時のようにひねりつぶしてあげるわ!! 

 

 

『霧が晴れてウマ娘達の姿が見えました! 先頭から……』

 

 やっと俺たちの姿が見えたことで急いで実況を始めている声が聞こえ始めた。

 

 実況はいいのだが……スロウムーンの奴がおかしい。

 

 スロウの奴の顔や走り方を見ると、足取りがふらついており、歯も食いしばっているように見え、相当限界なのだろう。そのような状態になるまで体力・精神を削ったからなのか、スロウムーンの奴は俺の追走から逃げ切ろうとしていた。

 俺の今の状態が普通じゃない事は既に気づいてる。だけどその普通じゃない状態でさえスロウムーンには逃げ切られようとしていた。

 

「(これで終わりよ……もう残り200m! このまま……このまま私があなたを倒す!!)」

 

 このまま逃げ切られたら……また他のウマ娘に舐められる……! 

 

「そんなこと……ダメだぁ!!」

 

 

「ん”っ!? ん、く……」

 

 突如私の心臓を貫いた痛み、マックライトニングに負けまいと自らの限界を超えようとしていた時に突然訪れたその痛みは、限界寸前だった私を宝塚において再起不能にするには十二分な威力を持っていた。

 

 後ろを見ると、マックライトニングの脚から伸びている鎖のようなものから黒い龍のようなものが伸びていた。その牙が私に突き立てられていた。当然幻影だ、本当に牙が突き立てられているわけではない。でも確実にその牙は私の体を、脳の処理をショートさせた。

 

『マックライトニングだ! マックライトニングが差し切った! クラシック期のウマ娘がシニア期を倒そうとしている! 年代なんて関係ない! 地方の才能が、今開花した──ッ!!』

 

「トレこ……勝っ……」

 

 スロウムーンの奴をやっとの思いで倒しタあと、走り終わって疲れた体を休ませるため立ち止まると、先ほどのようなはっきりとした真っ白な視界は無くなり、周りの音も聞こえるようになった。それと同時に、すごい量の疲労感が俺の体を襲い、そのまま俺は意識を手放した。

 

 

 

「……」

 

 意識がはっきりと復活した。

 

 周りを見ても何も見えなかった。ただの暗闇だ。俺がレース中に見たあの空間のような場所に俺はいた。

 

 脚に引っ張られる感覚が走る。足元を見ると、レース中に見えた鎖がまだ俺の脚に引っ付いていた。鎖はしばらくカチャカチャと震えていたが、しばらくして動きが収まった。動きが収まった後、鎖が伸びてきている暗闇に向かって何かが収束していくのが見える。見た目的に俺が聞いた恐ろしい声の主だろうか。

 

 その主が鎖の根元にすべて収まりきると、鎖は俺の脚に埋め込まれ始めた。釣竿がリールを巻いて、糸を巻くように素早く。

 

「……俺の新たな武器、って事だったのか……」

 

 すべての鎖が収まりきったあと、再び俺は意識を失った。

 

 

「……あ?」

 

 次に目を覚ました時は、俺はトレセン学園のトレーナー室だった。見慣れた俺のトレーナー室にあるベッドだった。外を見ると時間は夜のようで、学園内には人影一つない。

 机に目をやるとたくさんの新聞記事で溢れていて、その内容を見ると俺は驚いた。

 

「マックライトニング、宝塚記念後に意識不明か……だって?」

 

 日付を見てみると、宝塚記念の1日後だった。俺は、ゴールした後に気絶して、今の今まで寝てたって言う事か……? 

 

「着順は……一着……」

 

 よかった……着順が一着でさえあれば、俺の勝利はどうあがいても覆らない。やっと、やっとこさ原田の野郎に勝ったんだ……。

 俺は息を突きながらベッドに寝なおす。これからどうしようか、原田の野郎を倒して、今後俺はもっと舐められないウマ娘になるためにどうしていこうか。

 

 そんなことを考えていると、トレ公の声が微かに扉の奥から聞こえてきた。

 

「はぁ、一体どう……ってクライト! 起きたのか!?」

 

「あぁ、バッチリとな!」

 

「そうか……。医者からいつ目覚めるか分からないなんて言われた時はどうしようかと思ったぞ」

 

 そんなにやばい状態だったのかと、トレ公の話を聞きながら少しだけ背筋が凍る。

 

 ここで俺はあることを思い出した。あの宝塚記念で行われていたのは何も走りの戦いだけではない、橋田の野郎がスタ公を助け出すための戦いも行われていたのだ。俺とトレ公が橋田の野郎を見失ってしまったあと、トレ公は橋田の野郎を見つけ出せたのだろうか。スタ公の奴は、タルタロスから帰ってきたのだろうか。

 

 はやる気持ちを押さえられず、俺はトレ公に早速そのことについて聞いた。しかしトレ公は特に明るく切り出すというわけでもなく、ただ苦い顔をしていた。

 

「お、おい……何かあったのかよ。橋田の野郎は失敗したのかよ!?」

 

「いや……橋田はしっかりと作戦を遂行した……しかしな……」

 

 まずトレ公から聞いたのは、俺たちの作戦が失敗していないという事だ。レースが終わった後、原田の野郎をトレ公が探した時、ずいぶんとやつれた顔をしていたらしく、見た感じからして失敗したと言う事はまずないのだろう。橋田の野郎もしっかりとスタ公をタルタロスに押さえつけているレコーダーを持ち帰って来たらしい。

 

「橋田が作戦を成功させ、シャインちゃんを助け出すための準備は整ったと思ったんだ。しかし……」

 

 コーヒーに入れる角砂糖の量を数えながらトレ公は話し続ける。

 

 そして俺はこの時、努力が報われないという言葉を頭に思い浮かべた。なぜ思い浮かべたのか、次にトレ公が話した事に驚いたからだ。想定外だった。もはやそんなところまでタルタロスの影響が出ていたとは思わなかった。

 

「橋田が原田の野郎のレコーダーをシャインちゃんの所に持って行ったんだよ……そしたらな……シャインちゃんこう言ったんだ……」

 

 

 

『私はもう、タルタロスのウマ娘だから。今更、戻る気はないよ』

 



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第七十一話 隕石


作者「文字数は基本6000文字くらいをキープしているけど、倍の12000文字くらい書いてペースアップしたいと思います。と言ってもいきなりは無理なのでだんだんと文字数を増やせて行けたらいいなと思います。今の私の体力やスケジュールだとこれが限界に近いので……」


 

「一体……一体どういう事だ!?」

 

 トレ公から吐き出された事実が信じられず、俺は思わず飛び起きて叫んでしまった。トレ公は困ったような顔をしており、俺自身トレ公に当たってもどうしようもないと言う事を分かっているため、一言だけ謝って俺はベッドに座りなおす。

 

「順を追って説明しよう」

 

 俺が叫んでしまったせいで凍り付いていた空気の中、特に叫んだことを怒るでもなくトレ公は切り出した。

 

 まず、宝塚記念を走り終って、俺が気絶したところまでは予想通りのようだった。みんな焦っていたらしいが、今こうしてピンピンしてるからとくに関係は無い。問題はその後だ。

 レコーダーを手に入れた橋田は、すぐにトレ公らと一緒に原田の所へ会いに行き、完璧に勝ったと確信したらしい。話を聞く限りはまだ問題はない。まだ俺たちに有利な状況だ。それがどうしてスタ公のあの発言になるのか。

 

『私はもう、タルタロスのウマ娘だから。今更、戻る気はないよ』

 

 先ほどトレ公から教えられた言葉を脳内で繰り返し考える。なぜスタ公はこのような発言をしたのだろうか……あれほど戻りたがっていたと感じたのに、なぜこのような状態に……。

 

 俺はベッドで前傾姿勢を取りながら眉間にしわを作っていたが、とりあえず事の顛末を聞かない事には詳細が分からないので、冷静にトレ公の話の続きを聞く。

 

「一度こそ原田の奴には若干追い詰められかけたが、そこはスロウムーンが一つ策を打ってくれていたみたいでな」

 

 原田は一度、レコーダーに入っているデータのバックアップをばらまいてやると橋田に吠えたらしい。

 

 まさかバックアップまで取っていたなんてな……。

 

 そしてスロウムーンの打った策、というのも俺は驚いた。

 なんとスロウムーンが打った策は、タルタロスのトレーナー室の空気成分の調査だ。今回、タルタロスのレコーダーを手に入れるというメイン作戦において、サンの野郎がタルタロスのトレーナー室に向かったのは全員が知っていることだ。しかしそれはサンの野郎にレコーダーを手に入れさせるためではなく、原田の野郎に勘違いをさせることに加えて、空気の調査も兼ねていたらしい。

 

「そして、サンが手に入れた、タルタロスのトレーナー室の空気に溶け出ていた成分というのが、これだ……」

 

 トレ公が内側についた胸ポケットから取り出したのは、透明な袋に入った白い粉だった。

 

「これは……?」

 

「お前が考えている通りのもんだ。これは違法薬物、正真正銘のな」

 

 なんとなく、恐らく使っているのだろうな、と思っていたものが目の前に差し出され、俺は無心になる。過去のトレーナーがここまで最低な人間だったとは思わず、また過去にそのトレーナーを選んでいた自分が憎くなっていた。

 

「効果としては一般的によく言われる快感、あと痛覚の麻痺ってところか。まさか違法薬物なんてものが出てくるとは俺も思わなかったな……」

 

 思えば前々からおかしかった。ウマ娘の力で腕をつかんでいるのに一向に離れないほどの腕力。あれは痛覚を感じていなかったからこそ、人間の限界を超えた力を発揮できていたのだ。

 

「でも……でもなんでそっからスタ公の発言に繋がるんだよ!」

 

 我ながら間抜けな声でトレ公に聞いてしまった。

 でも俺の気持ちもわかるだろう。話を聞く限りどう考えても俺たちの完全勝利だ。それなのになぜ、どうしてあのようなスタ公の発言に繋がるのかわからない。俺たちの綿密な作戦がなぜひっくり返されたのか。

 

「……原田は完全に敗北を認めた。今は学園の方で色々と事情を聴取されているが、確実に逮捕はされるだろうな。シンボリルドルフから鬼みてぇなオーラ出てたぞ」

 

「……それで?」

 

「ん、それでな。橋田も喜んでシャインちゃんの所に行ったんだよ。お前も分かるだろ? 原田も敗北を認め、もうこれ以上タルタロスに縛り付けられる理由がなくなった。完全にシャインちゃんが戻ってくると思うだろ」

 

 思う、俺も思う。と全身で表現しながらトレ公を見る。しかしというかやはりというか、そうはいかなかったようだ。

 

「その後にさっきの発言が出てきたわけだけどな……シャインちゃんに理由を聞いたんだ。なぜそのような事を言うのかをな」

 

「……」

 

「シャインちゃんはさっきの言葉に加えてこう言ったんだ。『私はタルタロスで強くなれるから、今更戻りたくない』ってな。……これがお前が気絶している間の出来事だ」

 

「くっ……!!」

 

 俺は信じられなかった。あれほど橋田の野郎が大好き野郎だったスタ公がそのような発言をするなど信じられなかった。俺は外の風を浴びて気を紛らわせようとトレーナー室を飛び出した。

 

「お、おいクライト……」

 

「なんで、なんでだよスタ公……スタ公……なんで」

 

 目頭が熱くなりながら、俺は思いつくままに歩いた。俺の宝塚記念は、勝負に勝ち戦いに負けるという、悲惨な結果に終わった。

 

 もう一度、もう一度元気なスタ公と話がしたいだけなのに……あの普通のスタ公と会いたいだけなのに……。

 

 

 

「おーいクライトー」

 

 ドアの向こうからくぐもった声でサンの声が聞こえてくる。

 俺はすぐに立ち上がりトレーナー室のドアを開けた、するとすぐにいつもの見慣れたウマ娘が入ってきた。

 

「おう」

 

「もう体調は大丈夫なの?」

 

 心配そうにサンの野郎は聞いてくる。俺が気絶した宝塚記念から数日、すっかり体調がよくなり、俺は何一つ問題の無い生活を送っていた。

 

「見てこれ! 植物の種が植えてあるんだ! 最近トレーナーさんが植物にハマってて、トレーナー室にいろんな植物が植えてあるんだよ。その一つを持ってきたの! ここに飾ってみて!」

 

「……何の植物に育つんだ? それ」

 

「ううん、わかんない! 確かこれ私がなんか適当に拾ったの!」

 

「拾ったもんを鉢植えに植えんなバカ」

 

 宝塚記念が終わり、しばらくの暇をもらった俺達ウマ娘は、各々トレーニングをしている時期だ。逆を返せば、トレーニングが終わったウマ娘達が暇を持て余している。だからサンの野郎は最近よく遊びに来るのだ。

 

「シャインとはもう話したの?」

 

「いや、まだだな。一応同じ教室だからすぐに話しかけられる距離に入るんだが、なんて話しかければいいのかわからなくて……」

 

「……橋田さん、落ち込んでたね。でもなんだか作戦を実行してから、吹っ切れて度胸とかが付いたのかな、次の作戦を考えるのに熱心な感じだったよ」

 

「そうか」

 

「生徒会もシャインを助け出したいって考えてるみたいだけど、やっぱり限界があるみたいだね。私達だけで何とかするしかないのかな……?」

 

「さあな」

 

「むぅ……なんか今日のクライト、クライトらしくないなぁ……言葉に鋭さが無いよ」

 

「待て、どういう意味だオメー」

 

 サンの言葉にツッコミながら俺は外を眺める。宝塚記念が終わった後の事を少し思い出す。確か最初に学園を通してトロフィーを貰ったんだ。それで橋田の野郎に会いに行って。あの時の橋田の顔は何とも言えない、どんな言葉でも形容できない表情だった。悲しみを感じるのに悲しさを周りに感じさせまいとする様子がうかがえた。

 

 しかし以前の橋田とは違い、メソメソした態度じゃなくなった。スロウムーンにもしっかり謝罪と感謝を述べていたし、先ほども言ったように悲しさを周りに感じさせまいとしていた。

 

 以前の橋田なら『俺、悲しいです』みたいなオーラをぷんぷんにおわせるような言動ばかりしていたのにだ。それは橋田の成長なんじゃないかと、年下の俺が偉そうに言える事じゃないが、ふと思った。

 

 そんなことを考えしばらくすると、サンが遊びに来たのを察知したのか偶然なのか。先ほど買い物に出かけたトレ公が帰ってきた。

 

「あら、サンじゃ~ん。アイス買ってきたけど食べる?」

 

「あ、頂きます~」

 

「……」

 

 やっぱり、足りない。いつもと数が足りない。

 

「スタ公がいないだけで、スタ公が戻る可能性がなくなるだけでこんなに寂しくなるんだな……」

 

「クライト……」

 

 俺は相変わらず窓の外を見ているから二人の姿はわからないが、サンとトレ公が俺の方を見ているのがなんとなくわかる。分かってるさ、そんなことを言ってもどうにもならない事なんて。これからスタ公を助け出すために再び作戦を考えないといけない事なんてわかってるさ。

 

「(でも……宝塚記念に勝つために色々頑張って、その間泣き言いうの我慢したんだからさ、今くらいはスタ公を助け出せなかった悲しみに浸らせてくれよ……)」

 

 奇しくも以前の橋田みたいになっている自分がいる事に怒りを覚えるが、それどころじゃないくらい今は悔しいし悲しいし、何より寂しい。

 

「こんにちは! 速水さん!」

 

「あ、たづなさん、ども~」

 

「はい! どうも~!」

 

 スタ公のいない寂しさを噛み潰していると、サン・トレ公と続いてたづなさんまでもがトレーナー室の来客として訪れた。トレ公が馴れ馴れしい挨拶をかますと、たづなさんは苦笑い一つせずに笑顔で返していた。対応力の化身かよ。

 

「今日はどうしたんですか?」

 

「夏合宿について説明しに参りました!」

 

 夏合宿、確かトレセン学園が7月ごろに行っている一大イベントだ。そういえば最近トレ公とたづなさん・理事長などが離しているのを見たことがあった。その時に夏合宿がどうとか……みたいなことを言っていた気がする。先生も『トレーナーさんと相談してください』としか言わないし、それの担当ウマ娘を交えた最終確認的なものだろうか。

 

「確認するものでもないと思いますが……夏合宿の基本的な事についてご紹介しますね!」

 

 トレーナー室のホワイトボードをたづなさんに明け渡し、夏合宿の説明がそのまま始まった。

 俺も椅子から立ち上がり、たづなさんの前まで移動して話を聞く態勢に入った。

 

 トレセン学園の夏合宿。

 7月から8月にかけて行われるイベントで、ウマ娘達は旅行を楽しむと同時に普段とは違う自然と隣り合わせのトレーニングを行う事が出来る。トレーナーと共に気分のリフレッシュにもなるため、毎年この時期に行われるそうだ。

 

「と、夏合宿はトレセン学園の伝統的なイベントです!」

 

「自然と隣り合わせのトレーニングか……クライト、今からでも色々調べてみるか?」

 

「調べるつもりならもっと前から調べさせろ、よっ!!」

 

「だって宝塚記念で忙しそうだったんだもん!」

 

 トレ公と取っ組み合いになりながらも、相変わらずサンはお茶を飲みながらまったりしているし、たづなさんはニコニコしながらこちらを見ていた。

 もはや俺とトレ公のこの絡み合いが普通みたいに扱われていてなんだかモヤっとする……。

 

「マックライトニングさんはこの部屋に泊まります。一応部屋割りに関しては現地でも確認はしますが、スムーズに物事を進めるために覚えておいてくださいね」

 

「へ~い」

 

 他にもいろいろな注意事項をたづなさんに説明され、一通り説明したころを見計らってたづなさんはトレーナー室から去っていった。

 

「それでは失礼します!」

 

 もうすぐ夏合宿、という事実が頭に追加されたのはいいのだが、次の目標レースなどあまり考えてもいないからイマイチ何をするべきなのか分からない。

 

「トレ公、夏合宿どうする?」

 

 俺がなんとはなしにトレ公に夏合宿の予定を聞いたちょうどその瞬間だった。たづなさんと入れ替わるようにトレーナー室に入ってくる人物がいた。

 

「スロウムーン!」

 

「久しぶりね……原田トレーナーとの事でいろいろあってなかなか話す機会を設けられなかったけど……元気にしてたかしら……?」

 

 入ってきたのはスロウムーンだった。こいつこんなに口調優しかったっけ? 

 

「スターインシャインの事については……私の考え不足だったわ……。まさかタルタロスにすでに洗脳されていたなんて思いもしなかった……」

 

 スロウムーンはそういって深く頭を下げてきた。別にこいつ一人で背負う必要はないんだけどな……。申し訳程度にスロウムーンの手を取り、そのまま立つ姿勢を直してやる。

 

「スタ公の事は、俺たちにだって予測は出来なかった、寝てた俺が言うのもなんだけどな。それに、オメーの作戦が無かったら原田の野郎を追い詰めることだってできなかったんだから、別に俺たちは感謝しかないぜ。……原田の野郎は?」

 

「クライト……。……原田トレーナーは、今薬物の取締法違反で留置場にいるわ……スターインシャインは原田と面談した弁護士を通してトレーニングメニューを聞いているみたい……。よくそんなことが通ったと思うわ……」

 

 留置場に佇む原田の野郎を想像すると滑稽だ。スタ公の姿が隣にさえなければな……。

 スロウムーンはスタ公を助けられなかったことに相当責任を感じているようで、今こうして話している間にも表情が曇って行くのが分かる。別に気にする必要はないのにな……。

 

「私は、スターインシャインをどうしても助け出したい……あの強さを正面から叩きのめしたい……。だから、私は夏合宿でスターインシャインにレースを申し込むわ……」

 

「しかし、シャインちゃんがそんな勝負を受けるのか? 今のシャインちゃんはトレーニング一本って感じだけど……」

 

「強くなろうとトレーニングに奮闘するウマ娘が多くいる夏合宿ならば、模擬レースは頻繁に開催されるでしょう……。きっとそのうちのどこかの模擬レースにスターインシャインは参加する……。悪く言えば『自分の実力を見せつけたい』……そんな性格でしょう……? 今波に乗っている彼女を倒せば、少しは目が覚めるはずよ……」

 

「……確かに、シャインちゃんならおかしくはないか。悪く言う言い方がちょっといただけないけど……」

 

「そーだそーだ! シャインはそんな性格かもしんないけどそんな性格じゃないもん!」

 

「あくまでも悪く言った場合よ……私自身はそんなことを思っていないわ……。あとプロミネンスサンは日本語を見直しなさい……」

 

 トレ公が話しに入ってきたことで、俺はスロウムーンが話す対象ではなくなった。そのまま椅子に戻り再び窓の外を見ながら二人の話に耳を傾ける。

 

 窓の外を見ていると、ふと誰かのしっぽが端っこに見えた。ウマ娘が俺達の話を聞いている……? 

 

「おいテメー、そこでいったい何して……」

 

 窓を開け、身を乗り出して外を見るとそこにはスタ公が立っていた。

 

「……スタ公……」

 

 俺が久しぶりに正面から見たスタ公の姿は、どす黒く、まがまがしいような雰囲気をまとったスタ公だった。宝塚記念の後、サンの野郎から聞いた『タルタロスのトレーナー室で見たシャイン』と完全に一致していた。宝塚の後も教室で姿を見ていたはずなのに、まさか表情を正面から見るだけでこんなに印象が違うとは思いもしなかった。

 

「聞いてたのか」

 

「……あたりまえ」

 

 スタ公は静かにそう答えた。前のように元気な発声が聞けずがっかりだ。後ろの方ではまだスロウムーンとトレ公が話していて、こちらに気付く様子はない。

 

「……なら話は早い、夏合宿、お前模擬レースに出るのか?」

 

「気分次第かな。でも私には勝てないと思うよ」

 

 突然スタ公は俺の事を挑発してきた。思わぬ挑発に少しイラッと来たが、そこは抑えつつ会話を続けようとする。しかし、スタ公は以前からこんなに自信満々な性格だっただろうか。いや、自信家ではあったが、ここまで故意に自信を見せつけてくるような奴だっただろうか。スタ公がおかしくなっている今、『だろうか』などと言ってもどうしようもないのだが、なぜかスタ公のこの発言だけはおかしく感じられた。

 

 何か新たな武器があるような……それ以上の武器があるような……。

 

「……言うじゃねぇか、やってやるよ」

 

「久しぶりだね、一緒に走るのは。楽しみにしてるね」

 

 顔だけは明るくしているつもりなのだろうが、明らかに感情は笑っていない。どうしてこれほどまでに人が変わるのだろうか。それもこれもタルタロスの影響なのだろうか。

 

 最後の一言を言ってスタ公は去って行ってしまった。恐らく一騎打ちをしようとしていたスロウムーンには悪いが、俺も模擬レースに参加するという事を伝えなくてはならない。

 

 そう思い後ろを向くと、トレ公とスロウムーンがこちらを見ていた。

 

「うおっ……どうしたんだよ二人とも」

 

「ねぇクライト……あなたのトレーナーすごいわね……トレーニングの発想が斜め上を行ってるわ……」

 

「クライト、スロウムーンってすごいんだな……とんでもなくキツいトレーニングを目が見えない状態でこなしてるんだぜ……?」

 

「……な、なんか俺が知らない間に仲良くなったようでよかっ……た?」

 

「ふふ~ん♪ 早く育つといいな~、謎植物。名付けて謎子ちゃん!」

 

 ……キグナスのウマ娘と言う事で未だにみんな警戒しているものかと思っていたが、意外とスロウムーンがサンやトレ公と馴染んでいて、驚いた。

 

 来る夏合宿、早くスタ公を救い出せるといいのだが……。

 

 

 

「……」

 

 クライトのトレーナー室を離れて数分、学園内を歩いていて私は虚無感に襲われていた。

 

 タルタロスにて行われた死にそうなトレーニング。それを乗り越えて私はさらに強くなった。強くなって、『誰にも越えられない記録を作る』という目標に近づいたはずなのに、とてもさみしい、心に穴が開いた気分だ。

 

 前のトレーナーさんを、私は心で捨てきったはずなのに……もうタルタロスで生きていくって決めたのに……誰にも越えられない記録を作るために私は更にトレーニングしないといけないのに……。

 

 どうして、こんなにも心が痛いのだろうか。

 

「私は強くなれる……強くなれるんだ……もっともっともっと……」

 

 もう一度……走り込みをしてこよう……。

 

「そうすればきっと、きっと気持ちが埋まる……」

 

 この穴が開いたような虚無の感情が、きっと埋め尽くされるはず。トレーニングをした充実感で……。

 



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第七十二話 サマートレーニングキャンプ


作者「……諸々の支払いを終えたら4月をお小遣い1200円で乗り切る必要があるのか……相変わらずギリギリの作者です」


 

「夏合宿といったら、この私でしょおおおおおお!!」

 

「黙って座れバカサン」

 

「しどいっ!」

 

 圧倒的に太陽が差しこんできて暑苦しいバスの中、ウマ娘の方の太陽も暴れてさらに暑苦しい。これだから夏は嫌いなんだ……。隣にいるトレ公はさっきから窓の外の写真を撮りまくって全くこっちに興味ないし、G1走るよりきついぞこの状態。

 

「そういえば、キグナスの奴らが見えないな……。なんでだよ、この写真家トレ公」

 

「肩を小突きながら聞くな、ブレるでしょうが。なんでもキグナスは自分らで宿持ってるから、学園と話し合って俺達とは場所が違うみたいだぞ。所属ウマ娘の強さもそうだが、財力でも俺達とは段違いだってよ」

 

「話し合うだけでそんなこと出来ちゃうのかよ」

 

「学園から費用はあまり出ないからだ。つまりリッチって事だ」

 

「へぇ……腹立つな……カチコミに行くか」

 

「やめろ」

 

 俺が冗談を言うと、小突いてもカメラから目を離さなかったトレ公が一瞬でこちらを向いてきた、なかなかに驚いた顔をしていて面白い。冗談でトレ公を驚かしつつバスの旅を楽しんでいると、だんだんと目的地が見えてきた。これから俺たちが泊まる宿泊施設や広大な砂浜。すべてが整えられていて、結構トレーニングしがいがありそうな施設だった。

 

 目的地にバスが止まり、宿泊施設の方に向かって色々な説明や挨拶を終えて、俺たちはとりあえずの自由時間を貰えた。

 

「話なっが……走ってもねえのに脚いてえんだけど……」

 

「この学園に入ってきて最初の頃思い出すなあ……」

 

 サンと砂浜で合流し、お互いに『夏合宿開始の会』的なものを終えた感想を言い合う。やっぱりこの学園の話長い気がする。俺の世代だけか? 

 

「早速みんな士気が高まってる。実力比べの模擬レースが始まるのも時間の問題だね」

 

「……キグナスの面々も見えてきたな。トレーニングはやっぱりこっちでやるのか」

 

 さすがのキグナスも専用の宿泊施設を確保する費用だけで限界だったのだろうか。しかし、泊まるとこだけ良くして、トレーニング場所を俺達と一緒にするのか。そこに費用割くならトレーニング施設でも確保すればよかったのではなかろうか……。あまり他人のチーム方針にとやかく言うつもりはないが……。

 

「ところでトレ公よぉ……そのやたらでけぇパソコンなんなんだ?」

 

 これから夏合宿、どのようなトレーニングをして効率的に実力を磨こうか考えようとしていたところ、横に立っているトレ公が持っていたでけぇパソコンが目に入り、思わず質問してしまった。するとトレ公はパソコンを上空に掲げ説明を始めた。

 

「これは最近買ったスペックつよつよパソコンだ! これがあれば効率的なトレーニングの方法をCGアニメーションで分かりやすく見れるし、莫大な量のデータを記録しておけるんだ。それに日本全土の飲食店のデータが一瞬で丸わかりになるし、フィルター検索で今行きたい飲食店を的確に見つけだすことができて、お前と全国のグルメを巡る野望も──」

 

「ボールそっち行きましたー!」

 

 ふと宿場の方向から声が聞こえた。どうやらビーチバレーをやっていたウマ娘達がボールをあらぬ方向に飛ばしてしまったらしい。そしてそのボールは綺麗な放物線を描いて落ちて……トレ公のパソコンにぶつかった。そしてそのままパソコンが吹き飛んで、海水にさらわれていった。

 

「あ……」

 

「うわああああああ!!」

 

 ……地面に倒れ込むトレ公の姿は、申し訳ないがかなりおもしろかった。

 

 

「それで……トレーニング方法についてですけど……」

 

 ちょっとだけごたごたがあったが、少し落ち着いたところで木村が話を切り出した。せっかく自然に近い場所で行えるトレーニングだからと、同期である俺にトレーニング方法を共有してくれるのは非常に助かるものだ。

 

「うう……まだ一回も検索機能使ってないのに……どこに行ってしまったの……」

 

「いつまで泣いてんだ。オメーのセンスが無ぇとトレーニング方法すら決まらねぇんだから立ち直れ」

 

 砂の上で体育座りをしているトレ公を起き上がらせて、何か良いトレーニング方法を見つけるべく思考を巡らせる。

 

「……ま、あんまり立ち尽くしてても何も思い浮かぶかわからねぇし。サン、併走するか?」

 

「いいねぇ! 久しぶりにやろっか~!」

 

「そうですね、それじゃあ速水さん、ストップウォッチお願いします」

 

「うう……」

 

 

「おうクライト、一周目に比べたら大分タイム縮まったんじゃねぇか?」

 

「ふぅ……ふぅ……ただ軽く走っただけなのにこの疲れようか……脚を取られる砂場はなかなかキツイな……」

 

「ぐえぇぇぇぇ」

 

「ふむ……ちょっとやりたいことができたので失礼しますね」

 

 何故かあっという間に立ち直ってるトレ公に疑問を隠せないが、そんなことはさておいてだ。

 夏合宿の舞台である砂浜、その地面を何周か走ってみて、思い出した。

 

 砂を走る時、俺たちは足を取られる。そしてその分、俺たちは無駄な負担を背負いながら走ることになる。その分パワーが必要だし、スタミナも必要になる。中央に来てからは芝のレースのみで活動する方針になったから、これはただ走るだけでもよいトレーニングになるかもしれない。

 

「お前もよくやるようになってきたな、クライト」

 

「ふ、俺の地方時代の事を言ってんのか? ふぅ……」

 

「宝塚まで勝っちまって、まるで別人みたいになったと思ってな」

 

「うるせぇ」

 

 砂浜に寝転ぶと砂が頭について非常に汚くなってしまうのだが、もはや立っていられないくらい疲れ切っていたので寝転ぶしかなかった。

 

「元気みたいね……マックライトニング……」

 

「お……? おお、スロウじゃねぇか」

 

 砂浜の洗礼を受け、俺が寝転がっているところにスロウの野郎がやってきた。いつものように冷静沈着な雰囲気を醸し出しており、この夏合宿の最中にスタ公と勝負をするとは思えない落ち着きようだった。

 

「どうした? 併走なら見ての通りガス欠だからお断りだぜ」

 

「すこし困ったことがあって……」

 

「おう、大体わかるけど一応聞こうじゃねぇか。トレ公、行ってくるぜ~」

 

「ん、おう。おつかれ。また後でな」

 

 スロウムーンのヘルプに快く答えると、俺はスロウムーンに別の場所へと連れて行かれた。

 

 連れていかれた先は、砂浜。正直海がある場所に来ているからどこ行っても砂浜と言うのが答えなのだが、全く景色が変わらないから驚いてしまった。

 

 しかし先ほどとは違う事が一つある。模擬レースが大量に開かれているところだ。

 

「そうか……俺たちが砂浜トレーニングを初めてから結構経ってるからな……そりゃ開催されるか」

 

「そう……こんなにも模擬レースが開催されているのに、スターインシャインがまったく参加していないのよ……」

 

「あー、大体分かってた」

 

 夏合宿に行く直前の日、スタ公と話した時に話していた時に出てきた『気分次第かな』という言葉。そのままの意味だろう、きっと今スタ公はそういう気分ではない。

 

 そのことをスロウに説明すると、どうも納得いかないという顔で納得していた。

 

 目的がとりあえず無くなった俺たちは、日光を防ぐためにウマ娘達があまりいないような外れにある岩陰に座り、宝塚が終わってからの話をしていた。

 

「そういや、スタ公がタルタロスで活動してるのは聞いたんだけどよ、タルタロス自体はどうなってんだ? トレーナーがいないと崩壊状態だろ」

 

「ああ、それなら心配いらないわよ……。原田トレーナーの知り合いがとりあえずで経営してくれてるから……。今後どうするかについては、本人たち次第ね……」

 

「そうか……まそうだよな、タルタロスがあるからスタ公はタルタロス所属になってるんだよな……」

 

「強いて言うなら、ウェザーストライクと言うウマ娘が身体検査を受けてるわね……まぁ、少なからず薬物の影響は受けていたでしょうから……」

 

「どういう事だ?」

 

「ウェザーストライクは、本来なら脚が痛くて走れないようなフォームで走るのよ……。それなのに走り続けられたのは、薬物の影響で痛みが緩和されていたかもしれない、って事で身体検査が施されているの……」

 

 確かに、ノースが戦ったウェザーストライクは無茶な走り方をしていた気がする。なぜあんな走り方が出来たのかずっと疑問だったが、そういうカラクリだったわけだ。

 

 タルタロスについての話が終わってしまい、岩陰で休みながら時間が過ぎるのを待つ。俺とスロウは和解した中ではあるが、あんまりこいつの好きなものとかわからねぇからイマイチ話題が広がらない。そのせいですごく気まずい。

 

「……なぁ、お前、好きなものとかないのか?」

 

「……そうね……強いて言うなら、麺類は好きよ……」

 

「それなら、なんか食いに行かねぇか? 海の家、あるだろ」

 

「……確かに、悪くないかもしれないわね……行きましょ」

 

 気まずい空気に耐えられず適当に好きなものを聞いてみたが、それのおかげで目的が出来たので万々歳だ。

 

 俺たちは岩陰から出て、海の家に向かった。トレーニングを終えて疲れたウマ娘達がワイワイと食品を買って食べているのが見える。俺たちはその屋台の中から、焼きそばを選び──

 

「油そばがある……!」

 

「ん? 油そば? うおっほんとにある……絶妙なチョイスだなー……ん?」

 

「……!!」

 

 焼きそばを食べるつもりだったが、あまりにもスロウの野郎が目をキラキラさせて屋台を指さしているので、それを裏切って焼きそばを食べる勇気はなかった。

 

 俺たちは屋台に並び、油そばを購入した。

 

 椅子に座り、油そばが好きなのかとスロウに質問したが、スロウの奴はモジモジしながら好きだと回答した。そんなに恥ずかしがることだろうか。

 

「だって……なんかキグナスのウマ娘って印象ついちゃってるから……あんまりこういうがっつりしたもの食べない人だって思われてて食べづらいんだもん……」

 

「……つまりガッツリ食べるやつなんだな、オメー」

 

「ええ……」

 

「まあ、そんなことはどうだっていいさ、食べようぜ」

 

 スロウムーンの意外な部分を知ったところで、俺たちは割り箸を二つに割った。

 

 一応アスリートである俺たちはこのようなガッツリしたものを食べな……いや、大量に食べるような先輩もいたが、基本的に俺は食べない方だ。そのため、油そばみたいに味が濃いものの中でもさらに濃いような異質な存在は久しぶりで、胃袋が驚いていたが、そこは若さで食べ進める。

 

 バスの中といいトレーニングといい、今日一日俺の体には負担しかかかっていなかったからこのような自由な時間がより一層楽しい。俺の目の前に座るスロウも、今まで見た事が無い笑顔で油そばをすすっていた。

 

『守りたい、この笑顔』とか『いっぱい食べる君が好き』とかいう人がいるが、こういう場面で使うんだろうな。

 

「おうおうおうちょっと待て、どっから取り出した」

 

「さっきの屋台に備え付けであったやつよ……。あ、これは自前ね……よかったら使って……」

 

 俺がスロウムーンの見たことない笑顔に驚いていると、食べている時と変わらない手のスピードでポケットから小さい袋に入った粉チーズとニンニク、あと自前で持ってきたというピンク色の表紙の容器に入った辛そうなソースを取り出してきた。

 

「おう、よく見たらライス頼んでんな、気付かなかったわ。めっちゃ食うじゃねぇか」

 

 粉チーズやニンニクに驚いていたのもつかの間、油そばの横を見るとぱっと見お釜ごと持って来たんじゃないかと勘違いするような量のライスが置いてあった。なぜ俺は今まで気づかなかったのだろうか……。

 

 そしてスロウの奴は今出したものとライスを一気に器に放り込んだ。暖かいライスで粉チーズが溶け、ニンニクの香りが対面にいる俺の鼻まで漂ってくる。自前というソースもぶちこまれ、非常に豪が深い料理が目の前で調理されている。俺もアスリート、カロリーには気を付けたい精神はいつでも持ち合わせているのだが、この料理を前にするとその精神が崩れ去ってしまいそうだ。

 

「……そういや今日はキグナスのトレーニングが無いのか?」

 

「もぐ……原田トレーナーの件があったから……今日は久しぶりに暇を貰えたのよ……」

 

「……そうか、まぁキグナスもなかなかグレーなことしてるからな」

 

 ひたすら、スロウが米をかきこむ音が聞こえる。普段キグナスの印象でそんなに濃いものを食べられていないのだろうか。

 

「いくらキグナスのクールなウマ娘って印象が付いてても、別に食べればいいんじゃねぇか?」

 

「バカねクライト……キグナスは結構周りからの見られ方を気にするチームなのよ……」

 

「どっかで聞いたような出だしやめろ。……周りからの見られ方を気にするねぇ……、元気な奴が一人くらいいてもいいだろ」

 

「シャイニングラン……」

 

「あ~……」

 

 こいつが今後周りの目を気にせずにこってりしたものを食べられるようにフォローしたつもりだったが、既にキグナスの中で『元気な子』の席に座っている奴がいたようだ。すまんスロウ。

 

「ふぅ……」

 

「お、食べ終わったか。てか食べ終われたのか……」

 

「さて、準備運動も終わったわ……こっからが本番よ……もう一度ライスを注文して……」

 

「まだ食うのか!?」

 

 やっと食べ終わったと思ったら、スロウの奴はまだ食べる気でいた。スロウは活気づいたような様子で屋台に向かって行ったが、しばらくして手ぶらで帰ってきた。しかも目から涙をこぼしながら。大体何があったのか察したが、あえて何も言わずにいるとスロウはそのまま椅子に戻り机に突っ伏してぐずりだした。

 

「うっ……ぐずっ……ライス売り切れなんてことがあるのかしら……」

 

「実はお前夏合宿でテンション上がってるだろ。感情ブレブレじゃねぇか」

 

 これが一つ上の世代のウマ娘とはあまり思いたくないな。

 などと思ってはいけないな……。

 

 暇な時間を潰すため、ライスが無くて落ち込んでいるスロウに容赦なく質問をぶつけるため、口を開く。

 

「前にオメー、正々堂々とレースがしたいって言ってたよな」

 

「……それがどうしたのよ……」

 

「オメー、そんな良い信念を持ってるのに、なんで他のウマ娘を消すようなチームに入ったんだ?」

 

 これは前々から気になっていたことだ。俺とスロウが初めてであった時に聞いたその信念を持っていながら、なぜキグナスに所属しているのか。これほどの良い精神を持っているならば、他のチームでも活躍できるはずだ。それなのになぜキグナスなのか。

 

「……確かに、キグナスは私の信念とは違う事をするチーム……。だけど私は、私はトレーナーさんに恩があるから所属してるのよ……」

 

「恩……ねぇ……」

 

「そうよ……。クライト、あなたはなぜ私が周りの景色を見れているか、もうわかるわね?」

 

「周りの音をソナーみたいに聞いて大体の位置を察知してるんだろ? それがどうした?」

 

 スロウがそのような方法で視覚を手に入れていることは宝塚記念で共に走って理解した。だがそれがどうしたというのだろう。

 

「麻痺してるわね……。非現実的な方法だと思わない?」

 

「……確かに……!!」

 

 スロウの言う通り、完全に麻痺していた。確かにおかしい、なんだ周りの音をソナーみたいに聞くって。耳どうなってんだよ、化けもんか。

 

「だけど今私はそれを可能にしてる……それはトレーナーが諦めずに教えてくれたからなの……。私の実力を信じて、私がまた走れるように……私の視覚を疑似的でもいいから取り戻そうといろいろ教えてくれた……」

 

「第一、オメーなんで目が見えなくなったんだよ」

 

 とりあえずキグナスのトレーナーがスロウの奴にいろいろ教えてくれたのはわかった。その恩があるから、恩を返すためキグナスに貢献するため、所属し続けるというのは十分に伝わった。しかしそもそもなぜスロウは視力を失う羽目になったのだろうと思い、ふと質問してみた。

 

「……私の目が見えないのは心因性……。ほら、眼球はあるでしょう……?」

 

 スロウの奴が急に瞼を開けて眼を見せてきた。確かにそこに、瞳孔が真っ黒の目が存在している。今まで見た事が無かったが、こんなにも目が見えていないことが分かるものなのか……。

 

「デビューが決まって、デビュー後最初の試合をこなしている最中ね……。私転倒したのよ……」

 

「転倒……」

 

「それで当然ボロ負けしたんだけれど……その時私の担当をしてくれていたトレーナーさんが、過保護になっちゃってね……。当然私はそんな過保護に扱われたくないからちゃんとコーチングしてくれるよう頼んだんだけど……それでもやっぱり過保護な癖は抜けなくて……。避けているうちに向こうから契約破棄されちゃったわ……。それでストレスや悲しい気持ちが高まってこうなったわけ……」

 

 スロウの話を聞いていて『トレーナーに見限られる』という点で俺と同じ共通点を感じ、すこし涙が出そうになった。

 

 こいつも、俺と同じような過去を背負っていた。それだけでこいつとは今更ながら仲良くできそうだと感じる。

 

「そしたら、キグナスを経営していたトレーナーさんに拾われたってわけ……理解したかしら……?」

 

「あぁ……、しっかり噛みしめて話を聞いたぜ……ぐすっ……」

 

「……泣くほどかしら……」

 

 いけない、思わず涙がこぼれてしまったようだ。俺はとっさに涙を拭いてスロウの方向に向きなおす。

 

 スロウのいい過去が知れたところで、いよいよこれからどうしようか迷う時間が訪れた。スロウだっていつまでも休憩期間じゃないだろうし、何かしらアクションは起こしておきたい。

 

「ねぇ! あっちでスターインシャインさんが模擬レースに参加表明してるって!」

「嘘!? あのシャインさんが!?」

 

「何っ!?」「……!?」

 

 ふと聞こえたその声に俺とスロウは同時に反応する。気分次第で模擬レースに出走すると言っていたスタ公が模擬レースに参加すると言っている……こんな奇跡はきっとこの夏合宿最後だ。その奇跡を逃すまいと、黄色い歓声を上げているウマ娘達が向かう方向へと俺たち二人は急いで歩き出した。

 

 

 

「……」

 

 夏合宿。この砂浜を眺め、いくら走っても私の虚無感は拭われない。

 

 クライトと話した時からずっとそうだ。私の心の虚無感がまとわりついて全然離れない。

 

 私はいったいどうするべきなんだ……。

 

「おう、久しぶりに学園に帰ってきたら。懐かしい顔じゃねぇカ」

 

 突如後ろから聞こえる声に私は驚いた。その声は私が聞いたことがある声だったからだ。

 

「ヴェノム……ストライカ!? なんでトレセンの夏合宿に……?」

 

「あれ? 聞かなかったカ? 俺は問題行為で学園を休学してたんだヨ。びっくりしたゼ~、戻ってきたら薬物使用で捕まってる奴がいるしヨ」

 

「……それで、何の用?」

 

「おいおい警戒するなヨ。俺は懐かしい顔に挨拶したかっただけダ。小学校以来の友達にナ」

 

「……それだけじゃないでしょ、アンタは嘘をつくときにいっつも右耳がぴくぴくするもん」

 

「見抜かれてるカ……そうだよ、俺はお前と小学校からの決着をつけたイ」

 

 久しぶりに見る知り合いに警戒しつつ、冷静に相手の出方をうかがう。やはりそうだ。小学校のころから血気盛んだったヴェノムは、私と走りの実力で決着をつけようとしていた。

 

「私はトレーニングで忙しいから、そんな時間ないよ」

 

「ほ~ん、そうカ。まそうだよナ、小さい時から負けっぱなしだもんナ~」

 

 ……確かにヴェノムの言う通り、私は小学校の時からヴェノムにあらゆる面で負けていた。授業の成績や運動神経、無論走りもだ。当時の私は自分に才能が無いと信じ切っていたからあきらめていたが、今になってバカにされるとは思わなかった。

 

「まいいサ、お前が出ないならお前の負けっぱなしって事デ」

 

「……なら、模擬レースにでなよ」

 

 とはいえ私も今更昔の事を持ち出してバカにされると流石にむかっ腹が立つ。私はあえてヴェノムの挑発に乗り、模擬レースに出ることを決意した。

 

 当然、模擬レースに出ると言う事はスロウムーンやクライトが参戦してくる可能性もある。キグナスのウマ娘とクライトを同時に相手にするのは初めてではないが、ある程度面倒ではある。だが、ヴェノムに煽られた以上しょうがないとしか言えない。

 

「模擬レースに出てくれば、私が相手してあげるよ。言っとくけど、昔の私とは違うから」

 

「へェ、言うネ。そんじゃまた後デ」

 

 模擬レースに参加するつもりはなかったけど……。このウマ娘を叩きのめしてからだ。

 



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第七十三話 とりま一旦模擬レース

作者「なんで私はいっつも土曜日に体調を崩すのでしょうか。連載を休む罪悪感に勝てなかったので気合で描き切ってやりました。見たか私の体に入った病原菌め」


 

「おい……どうなってんだ、本当にスタ公の奴が次のレース組に並んでるじゃねぇか」

 

 ウマ娘達があげる黄色い歓声を辿って行き、あっさりスタ公が出るという模擬レースの現場に着いた。

 今行われているレースでスタ公は走っていないが、次のレースで走るウマ娘を募集する輪の中に確かにスタ公がいた。その周りではざわざわと他のウマ娘達で賑わっており、出走資格の関係上今までスタ公と走れていなかったウマ娘が意気込んでいたり、スタ公が走るならもう勝ち目がないと模擬レースの出走登録を取り消しているウマ娘もいた。

 

 いくら前走が負けているとはいえ、NHKマイルカップからダービーに挑戦し、なおかつ善戦するという功績はそう簡単に崩れないらしい。

 

「急ぐぞ、オメースタ公と走るんだろ!?」

 

「ええ……当然よ……! 彼女に勝って、目を覚まさせる……!」

 

 俺とスロウムーンは急いで模擬レース出走登録の輪に走り、ウマ娘の群体を潜り抜ける。しかし流石はスタ公と言ったところだろうか、野次ウマなどが多すぎてまともに前に進めない。これがヒトの群体ならまだしも、今集まっているのはウマ娘。10対1ではなく、10対10の力関係が片方のみ掛け算されているのだ、勝てるわけが無い。

 

「くそっ……通せ、通してくれ……」

 

「密集しすぎて前に進むための隙間が……見えない……」

 

 このスピードじゃ、俺たちが出走登録をする前に今行われているレースが終わるどころか、出走枠が埋まってしまう。しかしひたすら前に進んで声を出す以外出来ないこの状況、俺はがむしゃらにバ群を突き進んでいった。

 

 しかし、バ群を進んでしばらくして俺の前進は止められた。

 

「みんなその人たちを通して!」

 

 突如前の方から聞こえたその叫び声。その声を出したのはスタ公だった。それまで静かに佇んていたスタ公が叫んだことによって、ボルテージが上がってきていたウマ娘達の空気は一気に凍った。

 

 スタ公のその叫びを聞いてだろうか、俺とスロウムーンの周りにいたウマ娘達がぞろぞろと横に退けていき、スタ公までの道が出来た。

 

「ねぇ、この二人を出走させるだけの枠ってあるかな」

 

「あ、あります、よ……?」

 

 スタ公は冷静に司会のウマ娘にそう聞き、俺たちの出走枠を確保した。どういう事だろうか。何も言わずとも俺たちが勝負しに来たというのがなんとなく伝わったのだろうか。

 

「スロウムーン……キグナスから一時的に委託されているウマ娘……。どうせタルタロスに来たのも作戦なんでしょ、今私が格の違いを見せてあげるよ」

 

 そのスタ公の煽るような発言によって周りの空気が再び湧き上がり、場の空気は最高潮に達していた。達しすぎて今行われているレースの方があんまり注目されていない事だ。

 

「……言うじゃない……クラシック期のウマ娘が私に勝てると思う?」

 

「俺は勝ったけどな、うおっ」

 

 俺がちょびっとツッコミを入れると、スロウムーンの奴が俺の腕をつかんで顔を近づけてきた。

 

「あなたはね……ちょっと黙ってなさいよ……!!!」

 

「悪かった、悪かったって、ギブギブ」

 

 スロウムーンに腕を放してもらい、俺たちはスタ公に向きなおす。

 

 スタ公を見ると、いつもの勝負前みたいなオーラを出していた。これだよこれ、やっぱスタ公から出てくる威圧感は他のウマ娘とは比較にならないくらい強いんだよ。おかげで他のウマ娘が圧をかけてきてもなんも思わなくなってしまうほどに強いオーラを俺は見たかった。

 

 でも、この威圧感は通常時でも味わえる。しかし今はタルタロスタ公と言ったところで、あまり良い状態ではない。性能が同じで品質が良い悪い二つのものがあったら、当然良い方を取るだろう。それと同じだ。俺は良いスタ公と共に戦うときにこのオーラを感じたい。

 

「……流星、落としてやるよ」

 

 俺はただ一言、そうスタ公につぶやいた。

 

 俺がそうスタ公を煽り返したことで、ただでさえ最高潮に感じられる場の空気がさらにヒートアップして、砂浜はおろか海が割れんばかりの盛り上がりを見せていた。

 

「……へぇ、なかなか強そうなのと知り合ってんじゃン」

 

 

 

『さーやってまいりました次のレース~! 実況は前のレースから続いてこの私が勤めさせてもらいまーす!』

 

 いつも特徴や声のトーンが違うせいですごく違和感を感じる実況に首をかしげながら俺は自らの枠番が書かれた砂の上に立つ。学園のウマ娘が自発的に始めたものとはいえ、模擬レースは模擬レース、やはり手が込んでいる。

 

『今回のレースはなんとスターインシャインさんが走ってまーす! はっきり言って化け物ですね! NHKマイルカップを走り──』

 

「おいおい、スタ公の紹介ばっかして俺らの紹介なしかよ」

 

「……」

 

 スタ公にぞっこんの実況に突っ込んで隣の奴の空気を和ませるが、イマイチ緊張してしまっているようだ。キグナスのウマ娘が情けない。俺はそっと方に手を乗せて、スロウの奴の緊張をほぐしてやる。

 

「気楽にいけよ、スロウ。俺と戦った宝塚記念みたいに、オメーの全力をぶつけてやればいいんだよ」

 

「……全く、私はあなたより一つ上の学年なのよ……? 少しは敬語使う努力をしなさいよね……」

 

「余計だ、緊張ほぐしやがれコノヤロ」

 

『しかし! 今回そのスターインシャインさんが推薦したウマ娘、マックライトニングさんとスロウムーンさんもこのレースを走っています! 前者は宝塚記念を勝っており、後者はあのチームキグナスのウマ娘と言う事で、すごくレベルの高いレースになっちゃいました! てへ!』

 

「てへじゃねぇんだよ」

 

 本当にこの模擬レースの実況は大丈夫なのだろうか。と心配しつつも俺は自分の砂に戻る。

 

 スタ公の方を見るとすでに走る準備万端と言ったところで、既に走る態勢を取っていた。他のウマ娘達もすでにゲートイン……もといサンドオンしており、どうやらもうレースが始まるようだった。

 

 全員走り出す体制を取り、司会者サイドのウマ娘が放つ音でっぽうの音に構える。

 

『スタートぉ!』

 

 風船が割れるような音が聞こえ、模擬レースは始まった。

 

 走り出してすぐに俺はいつもの差し位置に付き、スロウムーンの奴も自分の立ち位置を確保しているようだった。今日は霧が無いから視界良好だぜ。

 

 スタ公の奴はというと、久しぶりに見たな。レースが始まってまだ数秒だというのに、最後方の最後方、もはや価値は見えないのではないかと思われる位置に陣取っていた。

 

 今思えば、誰も行きたがらないような位置を自分のポジションにしているスタ公は位置取り争いに巻き込まれないからスタミナの余分な消費が必要ないんだと今になって気付く。

 

 その点で少しだけ後れを取るかもしれないな……。

 

「(とかいって……ハナっからステータスでオメーに勝ててる気がしねぇよ、スタ公)」

 

 考えてみれば、タルタロスに入ってからずっとあの地獄のようなトレーニングをしていたのだろう。そのトレーニングを乗り切ったスタ公の根性、そしてそのトレーニングによって鍛えられるスタミナやパワーは計り知れない。ましてパワーなど鍛えられたら砂のレースでは武が悪い。

 

「(俺がスタ公に勝てる可能性と言えば……ただ一つ、あの現象だ……!)」

 

 宝塚記念の時、俺が引き起こした現象。少し前スロウムーンに聞いたのだが、あれは領域と言う現象らしい。なんでも一時的に能力が飛躍する現象で、歴史を動かすようなウマ娘は皆目覚めるのだという。

 

 まさか自分が歴史を動かすウマ娘だと世界に認められるとは思ってなかったが、強くなれているのであれば好都合だった。

 

 

 

「(……甘い、甘いよクライト)」

 

 どうせ、宝塚記念の時に覚醒していた力を使えばきっと勝てるんじゃないかって考えてるんだと私は思う。アレがどんな現象なのかは分かってないけど、今私が持ち合わせてる力に比べたら甘っちょろい武器だよ。

 

 私がタルタロスに死ぬようなトレーニングを課せられて手に入れたのは、ただ単純にウマ娘の競争能力ステータスじゃない。私の持つ想いの継承の力のその先だ! 

 

 

「……トレーナー君、スターインシャインについてだが……」

 

「見に行こう」

 

 

『さぁ第二コーナーを曲がってきました! 砂浜が小さいのでコースを二周するという特殊なレースになりましたが、結構問題なさそうです!』

 

 クソ適当な実況が耳に聞こえ、吹き出しそうになりつつも自分のポジションを取り続ける。そうして流しながら走っていると……。

 

「うっ……来たな、怪物!」

 

 後ろから心臓が重くなるような圧が来る。耳鳴りが起こり、思わずうめき声が出てしまいそうになるような圧。スタ公だ。

 

「(鈍ってないかどうか調べようか)」

 

 まるで俺とスロウムーンを試すかのように打ってきたその威圧感。久しぶりに食らったがやはり並の威圧じゃない。この威圧感を受けることによってスタ公の威圧感の強さに驚くが、以前ダービーでスタ公の奴を打ち破ったデルタリボルバーとかいう奴の強さにも驚く。

 

「だけど今更こんなもんでひるむかよ!」

 

「主に誰かさんのせいで最近十分味わったわ……!」

 

『さ~二周目に入って第一コーナーに戻ってきた! おっとスターインシャインさんがスピードを上げてきた! ものすごい勢いで上がってきた!』

 

 何とかスタ公の威圧感をしのぎ切り、これからどうにかしてスタ公の追込みから逃げる方法を探そうと思っていた矢先、実況からとても不穏な言葉が聞こえてきた。

 

 後ろの方に目をやると、確かにスタ公の奴がだんだんと上がってきていた。しかもそのスピードは尋常ではなく、まるで最後方から先頭までワープしてくるかのような勢いで走り込んできていた。

 

「クッソ! あいつ……相変わらず想いの継承を使ってやがるのか……!」

 

 スタ公が誰かの想いを継承しているとき、スタ公の走り方は全く別人のような走りになる。それと同時に、スタ公の周りに想いの継承をしている最中にのみ現れる独特の光があるので、すごく分かりやすい。今のスタ公は、誰かの想いを継承している最中だ。

 

「(いや……ちょっとまてよ……誰の想いを継承してるってんだ?)」

 

 想いの継承で追い込んでくるスタ公の方を見ながら、ふと頭に思い浮かんだ疑問。

 

 スタ公の想いの継承は、スタ公と仲が良いレジェンドウマ娘が付近におり、なおかつそのレースに深く関わりのあるウマ娘でなくてはならない。

 

 今このレースを行っている付近にレジェンドの姿は見当たらなかったし、そもそも模擬レースに深く関わりがあるウマ娘など聞いた事が無いし見当もつかない。

 

 それなのにどうやってスタ公は今想いの継承をしているというのだろうか。

 

「まさか……俺が感じていた新たな武器の予感って……」

 

 

「(そ、これだよ……クライト!)」

 

 これが私の新しい武器、……いや、進化した武器の方が正しいかな。

 

 以前から私は他のレジェンドウマ娘の力を継承して戦う事が出来るのは周知の事実。でもその継承には様々な制約がついていた。

 

 レジェンドとの親密度、距離、出走中のレースへの関わり。

 

 とにかく発現が難しい武器だった。

 

「(でも今は……今の私は!)」

 

この場にいないレジェンドの力でも継承できるし、このレースに関わりの無いレジェンドの力も継承できる! 

 

 今私が継承しているのは黄金の不沈艦と呼ばれていたゴールドシップ先輩の力だ。

 以前に少しだけ関わりがあったから、その少しの関わり経験のみで継承する事が出来た。

 

「さて、どこまで逃げれるかな……クライト……」

 

 

 

「(クッソ……相変わらず頭おかしいスピードで走り込んできやがる……もう俺の真後ろの方にいるじゃねぇか……)」

 

 後方を向いてスタ公が走り込んできているのを確認してから数秒、何とか全身の力を振り絞って逃げているが、どうにも距離を離せている気がしない……。それどころかスタ公の奴はどんどんと距離を詰めてきて、この模擬レースのゴールも近づいてきて、かなり絶体絶命だ。

 

 しかし、そんな俺にもやっとチャンスがやってきた。

 

「やれやれ……怪物の次は化けもんが俺のとこにやって来たぜ……」

 

 鎖の音が聞こえ、再びあの叫び声が聞こえる。

 

「(宝塚の時みたいな300%の力は出せないんだろ? なら少しだけでもいいから俺に力貸せよ、化けもん)」

 

 そう心の中でつぶやき、俺はスパートをかける。それに釣られてなのかスタ公に釣られてなのか、他のウマ娘達もスパートをかけ始めた。

 

「全員の位置は確認したわ……クライト……スターインシャインを倒すついでにあなたも倒してあげるわ……」

 

 なんだか物騒な言葉が聞こえてきたような気がするが、気にしないでおきたい。

 俺に潜む化け物に協力して貰ったのはいいが、俺が感じた通り、宝塚記念の時のような最強の状態にはなれないらしい。恐らくは『限界の先の先』まで行かなければこの領域は覚醒しないのだろう。

 

 音もしっかり聞こえるし、視界も良好。

 

 位置取りも良いし、特に心配する事の無いレースのはずなんだ。ただ一つ、後ろから来る怪物がいなければなのだが。

 

 

 

「(宝塚記念で目覚めたその新しい武器、すごいなぁ。私の想いの継承ほどじゃないんだろうけど、すごく力を発揮してる)」

 

 前の方にいるクライトを見ながら冷静に状況判断をする。今私は想いの継承を使っていて、クライトは謎の新しい武器を使ってる、スロウムーンはただの武器を持たないキグナスのウマ娘だから気にする必要はない

 

 この状況で使うのならばあの武器しかないだろう。

 

『出た──―っ!! シャイン先輩の超前傾走り! 半年ぶり位に見ました! 私、生で見れて感激です! 最後の直線までもう少し!』

 

 本来想いの継承と超前傾走りを併用したら、前の私はレース中に気絶するほどの負荷を背負っていただろう、でもタルタロスに鍛え上げられた今の私ならそれが可能だ。

 

「(あと3バ身)」

 

 

「(やっべぇスタ公が近ぇ!)」

 

 マジでいつ追いつかれるかわからないため、後ろを見ている余裕すらない。そのため俺はひたすら必死に脚を動かし続ける。

 

 

「(あと2バ身)」

 

 

「(くっ……なんで……私の状態は万全のはずなのに……)」

 

 全ウマ娘の位置が見え、完璧な位置取りをして完璧なタイミングでスパートをかけた。それなのにスターインシャインにはどんどんと離されていく。何故だ。何故こんなにも現実離れした豪脚を持っている……。

 

 

「(あと1バし──)」

 

「残念なお知らせがございまーっス」

 

 瞬間、その場にいる全員が驚いた。俺、スロウムーン、スタ公。恐らく戦闘で争っていた俺たちは全員驚いただろう。突如聞こえたその声は、あまりにもふざけたトーンで俺たちに()()()()を伝えた。

 

「このレースに勝つのハ、スターインシャインでもマックライトニングでもスロウムーンでもなく、この俺、ヴェノムストライカさんだゼ☆」

 

 ヴェノムストライカと名乗ったそのウマ娘は、それだけを俺たちの付近で喋るとさっさと走り去ってしまった。

 

 俺とスロウムーンがそのウマ娘に追い抜かれるのであればまだわからんでもない。宝塚を走ったばかりだし、調子が落ちているかもしれない模擬レースに負けたって仕方がない。

 

 しかしそのウマ娘は、俺たちどころかスタ公の奴まで追い抜いて、さっさとゴールしてしまったのだ。

 

『え? あ? あ! ゴールイン! えっと勝ちウマは?』

 

「この俺だゼ☆」

 

 ゴール後も、スタ公が勝ってない事で驚いている実況席にそのウマ娘は挨拶しに行っており、俺とスロウムーンはあっけにとられてしまっていた。あっけにとられすぎて砂の上に座りつくしてしまった。

 だってそうだろう、こんな、こんなふざけた態度のウマ娘に負けたのだ。悔しいとかそれ以前に、疑問符のみが俺達の思考を支配した。

 

 実況席であいさつを済ませたそのウマ娘は三着と四着だった俺とスロウに近づいてきて手を差し伸べてきた。

 

「オメーらさっきシャインの奴に名指しで指名された奴らだろ? 結構やるじゃねぇカ。シャインのやつとは小さいころからの知り合いなんだよ。俺はヴェノムストライカ、よろしくナ」

 

「お……おう?」

 

 俺とスロウは前髪に紫のメッシュが掛かったウマ娘に差しのべられた手を取り、立ち上がる。

 

 なんか俺とビジュアル似てねぇか? 

 

「あなた……どうやってあんな追い込みを……?」

 

「誰が教えるかヨ、お前らも自分の武器ってやつを秘密にしてんだロ?」

 

「(前に私がクライトに言ったのとおんなじ様な事言ってるわ……)」

 

 俺とスロウがヴェノムストライカと名乗るウマ娘と話していると、スタ公の奴が歩いてくる音が聞こえたのでそちらに顔を向ける。

 

 スタ公は俺たちの前に立つと、ヴェノムストライカに負けたことを悔しがるでもなく、ただ一回ふんっと鼻を鳴らしてどこかに歩き去ってしまった。

 

「スタ公の奴……本気で戦ったのに負けて悔しくないのか……?」

 

「仮に私たちがスターインシャインに勝ったとしても、彼女の心理に大きく変化を与えることはできなかったってわけね……」

 

 スロウは分かりやすく気分を落とす。まぁ今のスタ公は一回レースに負けたくらいで落ち込むような奴じゃなくなってるしな……。

 

「いや、あいつ本気じゃなかったゼ」

 

 隣にいたヴェノムストライカがポンとそのような事をつぶやいた。アレが本気じゃなかった? 本気でもなかったのに俺たちは追い詰められていたのだろうか。しかし本当に本気を出していなかったのかと思い俺はヴェノムに聞いた。

 

「なんでそんなことが分かるんだ?」

 

「あいつが最後の直線を走っていた時、いやそれよりもっと前から、あいつの周りに会った変な光が無くなってタ。多分あの光はあいつの武器なんだろ?」

 

 ヴェノムストライカが話す光と言うのは恐らく想いの継承の時に現れる独特な光の事だろう。それが最終直線より前に消えていたと言う事は、想いの継承をすでにやめていたと言う事になる。

 確かに想いの継承と超前傾を併用し始めたちょっとあとに想いの継承の光は無くなっていた気がする。

 

 結局俺たちは何をしようとスタ公に勝てる運命じゃなかったというわけだ。俺の領域も限界に近いとこまで来ていたが、最後の最後まで真の覚醒を遂げることなく終わってしまったし、俺たちに負けそうになったらスタ公は本気を出して俺たちは負けていたのだろう。

 

「それはそれとして……アンタら弱いんだナ! 宝塚記念上位のウマ娘もこの程度カァ……」

 

「あ?」

 

 俺がスタ公との勝負ですでに負けていたことを知り唖然としていると、ヴェノムストライカの奴が突然俺とスロウにそう言いだした。先ほどまでフレンドリーな雰囲気を醸し出していたヴェノムから発せられたそのセリフは、俺たちの困惑を招くのにはちょうど良かった。それと同時に、怒りも。

 

「なんだよその言い方。お前だって本気のスタ公と走ったら負けるかもしれないだろ」

 

「分からないゼ? 俺は小さい時からシャインの奴に勝負で負けた事が無い。デカくなった今だってそれは変わらないはずサ。それにそもそもアンタらは本気を出してないシャインにすら負けそうだったじゃないカ」

 

 ヴェノムストライカはスタ公の奴を舐め腐る態度こそあるものの、後半の部分に関して俺たちは何も言えない。確かにそうだ。本気を出して無いスタ公に負けたのだから、弱いと思われても仕方ないのかもしれない。だけどそうじゃないだろう。わざわざ弱いと煽ってくるのは違うだろう。俺でもそんなことを言った事は無いぞ。多分。

 

「ま、アンタらがシャインに勝てることはないと思うから、諦めナ。あ、俺にも勝てないカ!」

 

「……」

 

 反論できず、ただ言われるままにヴェノムストライカの煽りを聞くしかなかった。レースに負けた以上、俺たちは何も言えないのだろう。

 

「シャインに久しぶりに勝ったし、なんか高そうなパソコンも打ち上げられてたし、今日は吉日だゼ。売りに行くかコレ」

 

「あ、オメ、それ……」

 

 そのままヴェノムストライカは好き勝手言った後、俺達とは違う方向へと帰って行った。

 

 

 

「大変だったわね……あのウマ娘……」

 

「ああ、ほんとにな。久しぶりに会ったぜああいうタイプ」

 

 夏合宿の自由時間が終わる間近、俺たちは先ほどまで座っていた岩陰に戻り、時間を過ごしていた。岩陰と言っても暑いものは暑いので、持参のタオルで汗を拭きながら会話をする。

 

「結局……スタ公の事はどうするんだよ」

 

「……とても悔しいけど、きっと私は未来永劫彼女には勝てないのだと感じたわ……」

 

 模擬レースでスタ公を救い出せなかったため、今後どうするのかについてスロウに聞くと、唇を噛みながらスロウはそうつぶやいた。

 俺が知っているスロウは自信満々で、誰にでも勝てるのではないかと思わせる佇まいをしていたが、ここまで自信がなさそうなスロウの姿を見るのは初めてで戸惑ってしまった。

 

「らしくないじゃねぇかよ、そんな簡単に負けを認めるなんて」

 

「……自分の実力と相手の実力を比べて、不利だと思ったら逃げるのも一つの手よ……」

 

 何とも言えない気分だった。思いのほかスロウの奴は戦意をそがれていた。

 

「……だから、私はあなたにすべて託すわ」

 

「あ?」

 

 俺は一瞬言葉の意味が分からず聞き返してしまったが、スロウの奴は暑くて脱いだのだろうジャージを俺に投げてきて再度俺に伝わるよう言葉を繰り返し始めた。

 

「だから、私の分までスターインシャインに勝ってちょうだい」

 

「スロウ……」

 

「年寄りみたいなことを言うつもりはないけれど……若い世代の成長性は半端じゃないわ。きっとあなたもスターインシャインに勝てるくらいに成長できると思うの。……だからあなたにスターインシャインを打ちのめすのを任せるわ。私の分までね……」

 

 スロウはそれだけ言うと、岩陰から少しだけ出て日光浴を楽しみ始めた。まるでもう自分は関係ないといったように。

 

「あ、心配しないで……なにも責任をあなたに丸投げしたわけじゃないわ……困ったことがあればすぐに呼んで頂戴……キグナスの予定に穴開けて行くわ……」

 

「お、おう……。……まぁ、これからスタ公をどうやって助けるかは俺に任せてくれるって事でいいのか?」

 

「……えぇ、もともと私が偉そうに口出せる立場じゃないしね……」

 

 今更か。などと思いながらも、スロウなりに俺の事を信頼してくれているからこそ俺に『任せる』と言ってくれたのだろう。

 

「……それじゃあ、せっかく海に来たんだし、少し泳いでくるわ……。多分機会があればまた一緒に走ると思うから、その時はよろしく……」

 

「ん、そうか。それじゃあな」

 

「またね、クライト」

 

「……スロウ!!」

 

 そう言ってスロウは立ち去ろうとしたが、このまま立ち去らせてしまったらもう二度と会えないのではないか、という恐怖があり、つい呼び止めてしまった。

 

「俺達……すげー良い仲間だったよな! また、いつか走ろうな!!」

 

「……そうねクライト……マックライトニング……またいつか一緒に走りましょう……!」

 

 振り返らずにそのままスロウは立ち去ってしまった。

 

 岩陰に残された俺は一人考える。スロウはキグナスのウマ娘でありながら、宝塚記念で俺に負け、夏合宿中に勝手に参加した模擬レースでも四着という結果を残したのだ。

 

「……あいつ、ジャージの上忘れてったな……」

 

 ボロボロになったジャージのみが、俺の手元に残った。

 



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第七十四話 迷い


作者「今作者は危険物取扱試験と、VBAと、英語を同時に勉強しているんですケド、流石にタヒんでしまいそうなくらい疲れた……」


 

「足りない……足りない……」

 

 私はもっと……前に進む……。

 

「ここは……?」

 

 気が付くと、知らない場所にいた。見たこともない場所。周りを見渡す限りの木々、どこまでも吹き抜けていく風、景色こそ最高のはずなのだが、この巨大な自然の中に一人取り残されているというのは、何とも言えない恐怖感を私に与えてくる。

 

 当てもなく森の中を歩くが、木々はどこまでも続いている。一向に出口が見えない。

 

 ついには脚が疲れ切ってしまい私はその場に倒れた。

 

「(ああ……このまま私……)」

 

 このままこの森の中で死んでしまうのだろう。そう思った瞬間に視界が開けて目が覚めた。

 

「夢……」

 

 目が覚めると私の手元にはふかふかの布団。目に見えるのは木造建築の宿場。そうか、私はトレセン学園の夏合宿に来ている最中だったのだ。夏合宿の最中だというのになんと不吉な夢だろうか。

 

 私に振り分けられた部屋から出て、洗面所で顔を洗う。なぜあんな夢を見たのだろうか。タルタロスに来る前はあのような怖い夢を見ることはあまりなかったのだが。

 

 やっぱり、私にまだ強さが足りていない証拠なのだろうか。心が弱いから怖い夢に支配されるのだ。

 

「くだらないことを考えているんじゃないだろうな?」

 

 顔を洗っていると、突然に後ろから声をかけられた。私は一人で足音を立てずに起きてきたはずなのに、起こしてしまったのだろうか。というより、全く気配がしなかった。どんなウマ娘だろうと顔を拭いて後ろを見ると。

 

「……キングスクラウン……」

 

 なんと私の後ろに立っていたのはキングスクラウンだった。以前トレセン学園のグラウンドで一回であって以来全くコンタクトを取っていなかったが、この人はキグナスの頂点に位置するウマ娘。私と話した事こそあまりないが、長い事因縁を持っている相手だ。

 

「想いの継承の力はそこまですごいのか?」

 

「どういう意味?」

 

「気分を害したのならすまない。ただ気になっただけだ。君の言う想いの継承という力は、君が言うほど強いのか? と思っただけだ」

 

「ふざけ……っ!」

 

 私は今何をしようとした? ふわふわと浮いた感じのする右腕を触覚で感じながら自らに問いかける。私の拳は、キングスクラウンの前で止まった。

 

 危なかった。私は怒りに任せて他のウマ娘に手を出そうとしていたのか? 

 

 腕を下げると右腕は何故かずっと震えていた。目の前に立つキングスは私の拳に驚く表情すら見せていなかった。

 

「……私の拳が当たったらどうするつもりだったの」

 

「当たりなんてしないさ。そのまま殴り抜けるつもりなら受け流したからな」

 

 ……受け流すつもりだっただって? 

 

 あまりにも悠々としたキングスの態度に私はだんだんと苛立ちを覚えてきた。

 それこそもう一度拳が出てしまいそうなほどに。

 

 しかし私は怒りを抑え、冷静になる。そうだ。それならレースで倒せばいいじゃないか。

 

「ならさ、私と模擬レースしようよ」

 

「……いいだろう」

 

 

 

「ふあぁぁあぁあぁあぁあぁあぁあ……ねんっっむ!」

 

 昨日めちゃくちゃ本気を出して走ったからだろうか、寝起きだというのにもう眠い。

 

 昨日スタ公やムーンと走った模擬レースにて出会ったヴェノムストライカと言うウマ娘、さらに進化してやがったスタ公の武器など、いろいろなことが起こって気付かぬうちに疲れが蓄積していたのだろう。

 

 しかし起きなくてはトレーニングも出来ないため、何とか体を叩き起こして太陽と向き合う。

 

「クライトさん!」

 

「おっ、イーグルじゃねぇか」

 

 俺が太陽とにらめっこをしていると、イーグルの野郎が起こしに来てくれていた。

 宝塚記念の時に、原田の野郎が隠れて使っていた違法薬物が解けた空気を集め、何とか証拠を押さえてくれたイーグル。しばらく顔を合わせる機会が無かったが、夏合宿でもこうやって会いに来てくれるとはなかなか好かれているようだ。

 

「今日は私とトレーニングして貰えませんか?」

 

「ああ、いいぜ。行くか」

 

 

 イーグルの奴に頼まれてやってきた砂浜、今日も今日とて真夏の太陽が砂を加熱している。本当に余計な事をしてくれるものだ。

 

「それで、どうしたんだよ、急にトレーニングに誘ってくるなんて」

 

 トレ公がまだ来ないようなので、俺は砂の上でストレッチをしながらイーグルの奴に聞く。

 ここ最近でイーグルクロウと関わったことはない。しかしなぜこの夏合宿の最中に突然俺をトレーニングに誘ったのだろうか。さっき俺がふざけて感じたように、好かれているだけというのならそれはそれでよいのだが、もし別の理由があるのなら聞いておきたい。

 

「う~ん、なんというか、最近一緒に遊んでいる子がいるんですけどね、その子が強くなれないって悩んでるので私が強くなって教えてあげようって思って」

 

「そいつにもトレーナーがいるんじゃないのか?」

 

「いるにはいるんですけど……なんというか。私達って武器を大事にするじゃないですか」

 

 武器。

 今更説明する必要もないだろうが、俺達が共通して使う自分だけのレース中の特性だ。その特性一つ一つが他のウマ娘とぶつかり合い、お互いのしのぎを削っているように感じるから俺やスタ公は武器と呼んでいる。この武器と言う名称は俺たちが呼んでいたからか俺達と関わっているウマ娘が大体使っている名称でもある。

 

 例えば俺の武器はこの間の宝塚記念で目覚めた『領域』という力。

 スタ公なら『想いの継承』。サンなら『逃げて差す走り』が武器と言えるだろう。

 

 その武器がどうしたのだろうか。

 

「その子のトレーナーさんは靴を大事にする子なんですね……」

 

「靴ぅ?」

 

 イーグルの奴の話に耳を傾けてみると、どうやらそのウマ娘のトレーナーは靴や蹄鉄など、ウマ娘が走る際に身に付けるものばかり気にしていて、そのウマ娘個人が持つ武器について全く着目しないらしい。

 そのウマ娘はURAで定められている靴の中でもかなり良いものを履いているようだ。

 

 俺から言わせてもらえば靴程度で何も変わらないと思うけどな。

 

 いや変わるのだろうけど、うん、いや……すまん、全国の靴屋や蹄鉄屋。

 

「靴だけを大切にしてその子の武器を見ないから、見た目だけ良くなっていく状態なんですよね……」

 

「なるほどな、俺達とは逆で『装備』を大切にするトレーナーか……」

 

「お~いクライト~、遅れてごめんな~。そいじゃ、トレーニング始めるか」

 

 その子がどんなウマ娘なのか、もう少し話を掘り進めようと思ったが、いいところでトレ公が来てしまったので俺たちは話を中断しトレーニングを始めた。

 

 トレーニング自体は問題なく流れて行った、夏合宿でしか走れないであろう整備された砂浜でのトレーニングは先日と同じようにかなりキツい。イーグルの奴とは初めて一緒に走ったが、相変わらず『元祖スタ公に一矢報いたウマ娘』という称号が名ばかりではない走りをしているようだった。

 

 余裕でデカいタイヤも運んでいたし、晩成型というものなのだろう。これならいつかG2やG1で通用しそうなものだ。いや、もしかしたら俺が戦績を詳しく見てないだけでもう通用しているのかもしれない。

 

 そうして俺たちは真夏のあっつい砂の上で、1時間ごとに数分休憩をはさみながらトレーニングをこなした。

 

「ふ~、なかなか疲れるな……」

 

「あの、クライトさん……」

 

 終盤のトレーニングを何とか終え、日陰で皮膚を休ませているとイーグルの奴が話しかけてきた。恐らくはさっき言っていた靴を大切にするトレーナーの話をしたいのだろう。トレ公に聞かれても良い内容ではあるのだが……どうにもイーグルはトレ公に聞かれたくないようで、ひそひそ声で俺に話しかけてくる。

 

「あの、もしよかったらその子に一回会ってみてくれませんか?」

 

「……ああん? なに言ってんだお前」

 

「だから、その子に会って武器を見出してほしいんです!」

 

 なんとイーグルの奴から出てきた提案は、靴を大事にされているウマ娘に会うというものだった。別に会ってもいいのだが、会いたくはない……。というのも、俺はある展開を危惧していた。もしそのウマ娘に会って、一緒に走るような事になったら、ますますそのウマ娘の不安を大きくしてしまうのではないだろうか。

 

 イーグルと一緒に走るレベルという事は、恐らくはオープンレベルと言ったところだろう、さらに言うと靴を大事にしているあたりあまり走りのスキルを高めてはいないと思われる。そんなウマ娘と俺が一緒に走ったら俺がボロ勝ちしてしまうのは目に見えている。

 レースはわからないとは言うし、まだ相手の強さは推測にしか過ぎないが、俺が負ける確率は紙のように薄いと思われる。

 

 そんな状況で会っていいものなのだろうか……。

 

「お願いします! アドバイスを少しだけしてくれればいいんです!」

 

「まぁ……アドバイスするだけならな?」

 

「ありがとうございます!」

 

 まぁ、一緒に走る展開になったらきっとイーグルが止めてくれるだろうから、心配する事は無いだろう。

 俺はトレ公に自由時間の許可を貰った後、イーグルに連れられてそのウマ娘の元に連れられた。

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

「は~いお疲れ~」

 

 どうやら俺たちが付いた瞬間にそのウマ娘はトレーニングの一部を終えたようだった。遠目にウマ娘の靴を見てみると、確かに俺たちが普段使っているようなものより走りやすそうな見た目をしていた。靴なんて実際は履いてみなければわからないのだが、見るだけでも圧倒されるような靴だ。

 

 尤も、圧倒されるのは靴の部分だけだ、ウマ娘本体の方を見てもやはりオーラを感じない。これじゃ靴に履かれてるようなもんだ。

 

 しかし直前に見えた走りは確かに靴の影響を受けているようで、とても軽い足取りだった。

 

「おーい!」

 

 走りながら隣にいたイーグルが声を上げる。その声に反応してそのウマ娘とトレーナーは俺たちの方を向いてこちらに気付く。

 

「あ、イーグルちゃん……」

 

「いらっしゃ~い。あら、隣の子って……マックライトニング!?」

 

「気にしないでくれ」

 

「気にするわよ~……」

 

 うむ、流石に宝塚記念を勝っただけあって俺の顔は既に知られているようだ。たまたまかもしれないが、俺の顔を見てすぐに目の前のトレーナーが気付くあたりそうなのだろう。

 

「どうしたのイーグルちゃん、こんなレジェンド連れてきて」

 

「えっとね、クライトさんに走りのアドバイスもらえるんじゃないかなって思って!」

 

「あ、うちのメテオに?」

 

「うん!」

 

 イーグルの元気な返事が聞こえたと同時に、トレーナーの後ろ側から静かにウマ娘が出てきた。先ほどは楽しそうにトレーナーと話していたように見えたが、いつの間にか縮こまってしまっている。一体どうしたというのだ……。

 

「ちょ、クライトさん……! なんか……圧出てます……!」

 

「え? ……あぁ」

 

 あまりにもメテオと呼ばれたウマ娘の強さを見るのに必死で、自分の圧力を抑えるのを忘れていた。完璧に敵を見るような雰囲気でイーグルの友達を見てしまった。……俺なんかとくに目つき悪いから睨んだように見えたかもしれないな。

 

「……レフトメテオです」

 

「マックライトニングだ……といっても知ってるか? よろしく」

 

 とにかく俺のいかついであろう雰囲気を紛らわすために、出来る限り明るく演じて手を伸ばす。しかしどうしても怖いのか、ほんの0.2秒ほど握手を交わしたらすぐにトレーナーの後ろに隠れてしまった。

 

「いつもこんなんじゃないんだけどね~……」

 

 メテオの事を少し見た後に、視線をトレーナーの方に移して様子を見る。見た感じは明るく担当の面倒を見ている女性のように見えるが、担当ウマ娘の走りや武器を見れていないというのは本当だろうか。まぁどうせこれから俺はトレーニングを見るだけなんだし、ゆっくり見て行こう。

 

「それじゃあクライトさん、さっそく併走してみてもらえませんか?」

 

 やりやがったよ。このウマ娘。

 

 俺が一番避けたかったこと、それはメテオとの併走になる展開だ。

 それなのに隣にいるこのイーグルとかいうウマ娘は開口一発目から併走の展開に持ち込みやがった。

 

「いや、流石に併走は厳しいんじゃないかなぁ……」

 

「併……走!」

 

 ふと小声で事を反芻する声が聞こえ、その声の方向を見るとメテオがめちゃくちゃキラキラした目で俺の方を見ていた。なんでそんなに興味津々なんだよ。

 

「そうねえ、メテオはいっつも同じくらいの強さの子と一緒に走ってるから、たまには格上のウマ娘とやるのも楽しそうね!」

 

「正気か!?」

 

 思わす声に出して叫んでしまった。なんだたまには格上とやるのも楽しそうって、トレーニングって言葉の意味を舐め腐ってんのか。

 

「さぁクライトさん!」

 

「おっ……?」

 

「併……走!!」

 

「おっ……??」

 

「じゃあちょっとお願いしちゃおうかな~」

 

「おっ……」

 

「併『『さぁ!!』』……走ッ!」

 

「え、いや……さすがにちょっと……いや、な? えっとさ……」

 

 

 

「で、結局こうなるわけか。クソッタレ」

 

 例のごとく俺はいつの間にか砂で作られたコースの上にいた。

 

 隣にはメテオがいる。何やら準備運動にすごい熱を注いでいるが、そこまで入念にする必要があるんか……? 

 

「それじゃあ、まぁ……なんだ、このコイン弾いて、地面に着いたらスタートな」

 

「はい」

 

 正直今すぐにでもこの場を逃げ出してしまいたいが、もうスタートラインの上には立ってしまっている、もうメテオとレースをするしかないんだろうな。と思いながらしぶしぶスタート用にいつも持っているコインをはじく。

 

「っ……。……やっぱり遅いな」

 

 後ろを見るまでもなくスタートの時点で分かった。というか走る前からわかりきっていた事ではあるが、やはり俺とメテオは明らかに走る世界が違っている。コインが地面についてから数秒もしないうちに、俺は恐らくメテオの事を4バ身ほど離していた。

 

「やべぇ……すげぇ止まりたい」

 

 止まってしまっては勝負を申し込んでくれたメテオに対してとんでもない失礼になるため当然止まるわけが無いのだが、ここまで放してしまうといくら競争本能の強いウマ娘とはいえ止まりたくなってしまう。勝っているのにすごく嬉しくないのは初めてだ。

 

 そのまま勝負は流れていき、俺はメテオに圧勝した。やはり勝負などするべきではなかった。どう考えてもこの勝負の内容ではメテオのモチベーションを削ってしまっただろう。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「……ほら、手ぇ貸すよ。……なんか、悪かったな」

 

「クライトさん……! すごく楽しかったです! なんていうか、負けちゃったけどすごく楽しかった! ありがとうございました!」

 

 俺の手を取ると、なんとメテオの奴は嬉々として俺に感謝を伝えてきた。

 

 そうか、この子には勝ち負けなんてさほど関係ないんだ。忘れていた。この二年間、キグナスやタルタロスと死闘をしていたせいで忘れていた。レースを心から楽しむというのを。

 

「トレーナーさん! 見てた!?」

 

「……」

 

 そのまま立ち上がったメテオは、遠くでレースを見ていたトレーナーの元に一直線に走り去ってしまった。レースを終えて体力も切れ、脚も痛いだろうに。相当楽しかったのだろうと全身で感じる。

 

 走りを見る限り、この子には恐らく武器という武器は無い。多分トレーナーもそれを分かっていてメテオの靴みたいな周りの環境から整えてあげているのだろう。

 

「メテオ!」

 

「……はい?」

 

「お前が上まで上り詰められるような武器は今走ってみて見つけられなかった」

 

「……」

 

 俺がメテオの走る能力についてすべて正直に言うと、メテオは明らかに肩を落として落ち込んでいた。

 

「だが! ……煌めくもんはあったぜ」

 

「きらめ……?」

 

「いつか俺の前を走れるようなウマ娘になったら、またリベンジしてこい! その時はもっといろんなものを見せてやる!」

 

「っ!! はいっ!」

 

 イーグルは勢いよく頭を下げて俺に返事をすると、トレーナーの元に向かう足を速めた。

 

 ……こういうのが後輩って言うのかな。地方時代はいっつも周りの奴らに煙たがられてたから、今度こそ頼られる先輩になれるといいな……。

 

 

 

「っはぁっ……ぐっ……おぇぇえっ……」

 

 ……負けたっ……? 

 

「その程度か。想いの継承は」

 

 目の前に立つキングスが私にそうつぶやく。何とか言い返してやりたいが、体が動かない。想いの継承を使いすぎた。使いすぎて私の脚がショートしている。

 

 目の前から立ち去ろうとするキングスをなんとかして止めたい。ただ一つ、ただ一つだけ気になったことがある。

 

「ちょっと待ってよ!!」

 

「……なんだ」

 

「あんた……走ってる最中私と同じ光が出てた……あんたまさか……」

 

「なんだ、気付いたのか」

 

 私が聞いたことにキングスはそう言うと、いきなり圧を放ってきた。すでに体が限界の私にはこの圧力でさえ激痛に感じる。

 

 背中をこちらに向けたままのキングスからは、想いの継承の際に出る独特な光が放出されていた。それも私より大きいように見える。

 

「……私の力も、想いの継承だ。今使ったのは不死鳥グラスワンダーの力……お前の方はスペシャルウィークか……まだ知り合ったものしか使えないと言ったところか……」

 

 キングスから出た言葉を処理するのに、私は時間がかかった。

 

 想いの継承を使えるのは私だけではなかった。その事実に驚きすぎて何も言う事が出来なかったのだ。よく考えたら最初からそうだった。なぜキングスが想いの継承について知っていたのか疑いすらしていなかった。

 

「その程度で得意げになっているようなら、もうキグナスに刃向うのは辞めるんだな」

 

「っ…………くっそぉぉぉぉぁぁぁ!!」

 

 

 

「あ、そういや今日スタ公見てねぇな……」

 

 ふとスタ公の事を思い出す。いや、決して忘れていたわけではない。メテオとの出来事が大きすぎて忘れていただけだ。ちゃんとどうやって目を覚まさせるかについてはゆっくり考えているつもりだ。とはいえ方法に全く見当がつかない。どうやったらあそこまで気持ちが傾いているスタ公を助け出せるというのだろうか。

 

「クライトクライトクライトクライト──っ!!」

 

「お、スタ公センサーがいたじゃねぇか」

 

 俺が砂浜を一人適当に歩いていると、大きな声で俺の名前を連呼しながらサンの野郎が走ってきやがった。お前に疲れというものは無いのか。

 

「サン、スタ公見なかったか?」

 

「シャイン? 見なかったよ? そういえば影すら見かけてないような……」

 

「だよな。どこ行ったんだあいつ……」

 

 サンですらスタ公の気配を感じられないのなら相当遠くに行っているのか、今日は別に走っているわけではないのだろう。まぁ特に作戦が立っているわけでもないし会う予定もないのだが……。

 

「……ん? あれって確かキグナスのキングスとかいう奴じゃねぇか?」

 

「あ、ほんとだ。どうしたんだろあんな茂みの中から出てきて。他のメンバーとかどこ行ったの?」

 

「さぁ……」

 

 ふと茂みの奥からキングスとかいうウマ娘が出てくるのを見て、俺たちは首をかしげていた。まさか天下のキグナス・様ァがあんな人っ気のない練習するスペースもないであろう場所にウマ娘を向かわせるわけが無い。だからこそ謎だ。

 

 しかし、俺たちの困惑はすぐにある疑惑へと変わった。

 

「……なぁサン、あいつまさかあの茂みの奥で走ったんじゃないか? なんか汗かいてるぞ」

 

「確かに?」

 

「サン、茂みの奥からスタ公オーラ感じるか?」

 

 俺がそう聞くとサンの野郎はおでこに両手で三角を作り、茂みの方向を向いてスタ公オーラを捜索している。

 いつの間にやらサンはスタ公から出るあいつ自身が得意な圧力を感じ取れるようになった……らしい。実に文字面は変態臭いが、便利な能力ではある。

 

「!! クライト! 茂みの奥にシャインがいるよ! なんか圧力にキレが無いよ!」

 

「……少し心配だな、行ってみるか」

 

 俺は少しだけ焦っていた。というのもキングスが負けたような雰囲気ではないからだ。仮にスタ公とキングスが走り、スタ公が勝ったのならもう少し悔しそうにキングスは歩きそうなものだ、しかし今のキングスは自身に満ち溢れている感じだ。そしてスタ公が負けたと言う事は今より精神状態が悪くなる可能性があると言う事だ。それは非常にまずい。絶対に避けなくてはならない。

 

 俺はサンに導かれ、スタ公がいる方向を目指す。

 

 走り続け、茂みの中を抜けるとそこには少し広めのスペースがあった。

 

 そしてその中心には。

 

「スタ公……!」

「シャイン!!」

 

 中心にはスタ公が仰向けに寝ていた。何故かずっと空を見上げたまま。

 

 俺達に気付いたのか一瞬こちらを向いたが、すぐに上を向きなおした。

 

「スタ公……お前、キングスに負けたのか」

 

 俺の質問にスタ公は静かに頷いた。

 

「……どうしてそんなに静かなんだ? いつもみたいな悪態ついてみたらどうだ?」

 

「……そんな余裕ないなぁ、今」

 

 今までの恨みを少し込めて言葉を放ったが、全然スタ公には効いていないようで、むしろキングスに負けたことの方が効いているように見える。

 

「……ねぇ、シャイン。もう橋田さんの所に戻る気はないの? 橋田さん、すごく寂しがってたよ……?」

 

「……分かんないんだ」

 

「え?」

 

「分かんないの、なにもかも。私は強くなりたい、強くなるならタルタロスの方が強くなれる。でもそれは本当に私にとって正解か分からない。だけどだからってタルタロスより強くなれないところにいていいのかなって。そして橋田さんの事をタルタロスよりトレーニングが下手って言ってけなしてる私を客観的に見てもっと嫌になるの……もうわかんないよ」

 

 すべての言葉を語り終ると、スタ公からは静かに液体が零れ落ちた。声を上げるでもなく、鼻が詰まるでもなく、ただ静かに。

 

「……お前は、レース界から身を引くのか?」

 

「……引けるわけないじゃん。今更」

 

「お前の目標はなんだ」

 

「『誰にも越えられない記録』を作ること」

 

「ならもっと、がむしゃらに目標に向かえよ。走りを楽しめよ」

 

「……」

 

 それからスタ公は、何を言っても答えなくなってしまった。サンが体調について聞いても無言、俺が勝負について聞いても無言。何を聞いても無言だった。

 ただ一つ答えてくれたものと言えば『ここから一人で帰れるか』という質問だけだった。

 

 その質問の答えだけ聞いて、俺たちは茂みから抜けた。

 

「シャイン大丈夫かな……」

 

「もう俺たちは元に戻ることはできないのかもしれないな……」

 

「そんなことっ……っ!!」

 

「分かってる、俺だって戻りたいさ。でも遅すぎた……」

 

 もう、スタ公の事を戻すことはできない。俺はさっき話してそう確信した。

 

 ……いや、待て、まだ。

 

 もしかしたらスタ公を戻せる奴がいるかもしれない。俺が目の当たりにして心を少し救われたように。

 

「サン、イーグルクロウの奴を探してくれないか? イーグルが知っている奴に会いたいんだ」

 

「ん、分かった」

 

 サンがたくさんウマ娘達がいる方向へ走って行ったのを皮切りに、俺もサンが向かった方向とは逆方向に歩き始める。

 

 レフトメテオ。

 きっと彼女に見た純粋さなら、きっとスタ公にいろいろ思い出させられるかもしれない。

 しかし、スタ公と会っている間に数十分は経っている。連絡先を交換しているわけでもないし、探すのは相当困難になるだろう。

 

 そう思っていたのだが……。

 

「クライトさん!! ここにいたんですね!!」

 

 何やら焦った様子のイーグルが俺の方向に走ってきた。サンの奴が探し当てて俺の所に案内してくれたのだろうか。

 それにしては焦りすぎな気がするが、一体どうしたのだろうか。

 

「メテオちゃんが……メテオちゃんが!!」

 

「……メテオがどうしたって?」

 

 俺は焦りすぎてまともに話せていないイーグルを落ち着かせ、詳しく話を聞く。

 

「メテオちゃんが同級生の子に暴力されてるんです!! 私だけじゃどうしようもなくて……!」

 

「分かった、急ぐぞ!」

 

 

 

 イーグルに連れられた場所で、確かにメテオが二人にいじめられているように見える。イーグルから話を聞いただけでは少し怒りが湧いてくる程度だったが、こうして視覚情報としてみることで俺は怒りが頂点に達した。

 

「おいオメーらぁ!! 何してやがる!!」

 

「あれマックライトニングさんじゃない……?」

「うげ本当だ、逃げろ!!」

 

 メテオをいじめていた二人に向かい怒号を上げると、一斉にこちらを向いて焦り始めているのが目に見えてわかった。

 何やら逃げるつもりみたいだが、こちとら宝塚ウマ娘だ。逃がすわけが無い。

 

「早っ!!」

「きゃっ……」

 

「G1ウマ娘舐めんなよ?」

 

 メテオをいじめていた奴らをとっ捕まえ、俺は急いでメテオの元に戻る。メテオの体を見ると結構やられてしまったようで、うずくまっている。

 

「おいメテオ、大丈夫か!? おい!」

 

「クライトさん……大丈夫です……!」

 

 いじめっ子が離れてもなお怯えていたメテオは、俺の姿を見るなり安心したのかそのまま意識を失ってしまった。

 

「……イーグル、メテオのトレーナー呼んで来い、俺はこいつらと話がある」

 

「分かりました! すぐ連れてきます!」

 

「さて……メテオのトレーナーが来るまでたっぷりお話を楽しもうじゃねぇか」

 

「ひいい……」

「だからやめようって……」

 

 いじめっ子を地面に降ろし、説教を始めようと思っていた。しかし俺はある一点に目が行ってしまい、それまで考えていた説教の文章がすべて消え去ってしまった。

 

 その子たちのジャージには、チームキグナスと書いてある刺繍が施してあった。

 

「またキグナスかよ……」

 



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第七十五話 過去の俺達のように

作者「今週で一話11000文字を執筆している……。物語のスピードが速くなったけど、私の体力が持つのかしら……。でも8000文字は『とりあえず』で書ける思考になりました。

今年一年終われば別の職場に就職して『多・分』クソ暇になるので2日に一話のペースとかにしてみようかなとか思ってます。その時は6000文字とかに下げますが……」


 

「おい、メテオとはどんな関係だ」

 

「……」

「……」

 

 砂浜の上に二人のウマ娘を正座させ、ひたすら質問を叩きつけるも二人は何も答えようとしない。ただ小刻みに震えているだけだ。いじめを行っていたウマ娘二人を捕まえた後、俺はすぐにメテオを日陰に寝かせた。しかしメテオの方を見てもかなり深い傷が出来ているようで、二人の態度からしてもこれは一回目ではないのだろう。

 

しゃーねぇなぁ……なぁ、せめて名前だけでも答えてくれていいんじゃねぇか?」

 

「っ……私がシューティングレイ」

「……私がレディナイザー」

 

 あまりにも質問に答えない二人にしびれを切らし、最終的にレースで使う圧力を出して名前を聞くと、二人はそう静かに答えた。

 

「身長高い方がシューティングレイで、低い方がレディナイザーね……。お前ら、顔似てるけど姉妹か?」

 

 俺がそう質問すると、シューティングレイが小さくうなずいた。なんだか圧をかけてからいっそう萎縮してしまった気がして、なんだか少し申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

 まさかトレセン学園の頂点に位置しているキグナスがこのようないじめを行うとは、1年半戦い続けた俺でさえ信じられなかった。こんな堂々といじめ行為をするなど、実にキグナスらしくない。それも姉妹で。

 

「クライトちゃん! ごめんねぇ、うちのメテオがなんかお世話になってるって!?」

 

「悪いのはメテオじゃねぇ、こいつらだ」

 

「あんたたち……!」

 

 俺がメテオのトレーナーの視線を二人に移すと、明らかにトレーナーの顔つきが変わった。まるで龍が逆鱗に触れられたような、そんな変化を感じさせる表情だった。

 

「知り合いか?」

 

「……シューちゃんとナイちゃん……あんたたち、またうちのメテオをいじめたのね……!?」

 

「……知り合いか?」

 

 怒りに支配されすぎて俺の言葉が届いていないように見えたが、それからも何度か言葉をかけ続けると何とか質問に返答してくれた。

 

 話を聞くとこうだ。

 

「シューちゃんとナイちゃん、そしてメテオは小さい時からの仲良しだったの」

 

「(俺とサンとスタ公みたいな感じか)」

 

「でもやっぱりウマ娘はウマ娘みたいでねぇ……この子たちは特に競争本能が強くて、ある時から身近にいたメテオを敵として見始めたの」

 

 ウマ娘としての競争本能。確かにそれが強いウマ娘がいれば身近な奴を敵として見てしまうのかもしれない。

 ……身近にそんな奴がいたから、こう感じるのだろうか。

 

「それからというもの……自分たちより弱いと思ってるのか知らないけどうちのメテオに暴力振るってくれちゃってまぁ……あんたたち覚悟しときなよ」

 

「うるせぇ!」

「そうだうるさい!」

 

「ちょっとお前ら黙っとけ」

 

 なるほど、いつもの事だから今日もいじめることに抵抗を持っていなかったと。

 これはメテオもなかなかとんがったウマ娘に狙われているなぁと思いながら、どうしてこのようなウマ娘がキグナスに入れているのかが分からなかった。いや、キグナスは強いウマ娘ならとりあえず入れるようなチームだと俺は思っている。もしキグナスの所属基準がその通りで、この二人が強い才能を持っているのならキグナスに入っていてもおかしくはないだろう。恐らくは格が一番下だが。

 

「おい、こいつらキグナスのウマ娘みたいだけどいいのか?」

 

「関係無いねぇ、うちのメテオに手を出したのは変わりないよ」

 

 目が明らかに許す気が無いのだけはわかった。

 

 その後二人がどうなったのかは何となくわかるだろう。キグナスのトレーナーを呼び、その場で謝罪。そして学園にも報告をして『またですか』と注意を食らっていた。

 

「キグナスねぇ……」

 

「……」

 

 俺がキグナスのトレーナーに対して不審な視線を送っていると、キグナスのトレーナーからも視線が帰ってきた。やはり俺の事は認知しているのだろう。メテオのトレーナーなどに見えないような位置で俺に敵対的な視線で睨んできた。

 

 それはそうとキグナスのトレーナーが学園の関係者に怒られている最中、ますます疑問に思った。なぜこれほど奴自身に負担をかけるウマ娘をキグナスに残しているのか。単純に才能を感じたのかもしれないが、実にキグナスらしくない。

 

 キグナスのトレーナー、加えてシューティングレイとレディナイザーが去って行く前、メテオの表情がたまたま目に入った。

 

 その目はあまり嬉しそうではなかった。

 

「どうした、メテオ」

 

 あまりにも気になったのでメテオに質問してみた。

 

「……私、これじゃダメなの」

 

「……どういう意味だ?」

 

「……私は今回も学園に頼っちゃいました。いつかあの二人に勝たないと、また同じことになる……でも、クライトさん言ってました……私にはクライトさんみたいな武器が無いんですよね……」

 

 メテオはそのまま涙をこぼしそうでこぼさないような。泣く前の状態をキープしていた。確かに、考え方を変えれば、自分の力で問題を解決しない、という捉え方も出来るだろう。

 

 しかしそれはメテオが今後ゆっくり変えてゆけば良い事で、何も今すぐに気にすることではない。

 

 でも、それでも気になるというのなら、手を貸してやらんでもない……。

 

「おい、メテオ」

 

「はい……」

 

「どうしても強くなりたいか?」

 

「……はい!」

 

 シンプルな質問をメテオに投げかけると、すぐにその答えは返ってきた。その即答の仕方に、俺の心はさらに打たれた。

 

「よし! ならこれから1週間、俺がトレーニングをしてやる。そして1週間後、あいつら二人に模擬レースを挑め。その模擬レース、絶対勝たせてやる」

 

「はい! ……えぇ!?」

 

「クライトちゃん、いくらなんでもそれは無理があるんじゃないかなぁ……」

 

 俺がそう提案すると、あまりにも話が飛躍しすぎていただろうか、二人は同時に驚いて、トレーナーに至っては俺の事を止めようとしていた。

 しかし俺を誰だと思っている。あの宝塚記念を走ったクライト・様ァだぞ。トレーニングすればきっと勝てるはずだ。

 

 一応言っておくが、俺の思考回路内でふざけているだけで、うぬぼれというわけでは決してない。あと別にメテオがかわいそうになったというわけではなく、単純にウマ娘のコーチングに興味があったから提案しただけだ。別にかわいそうとか思ったわけじゃないぞ、絶対。

 

「それとメテオ、俺がさっきなんて言ったかもう忘れたのか?」

 

「……? だから武器って言う武器は無いって……あっ……」

 

「そう、お前の走りには煌めきがあった。素質はあるぜ」

 

 トレーナーはイマイチ納得していないようだったが、メテオは納得してくれたようだ。

 そこからメテオはすぐにトレーニングの申し出を俺にして、当然俺もそれを承諾した。

 

 

 

 メテオのトレーニングをつける約束を承諾して1日。

 

 俺のトレ公にも事情を説明して、まずは基本的なトレーニングをすることになった。と言ってもあくまで『俺の』基本的なトレーニングを行うので、メテオの奴は終わった時干物みたいになっており、めちゃくちゃおもしろかった。

 

 

 

 2日目

 

 スピードトレーニングを行った。

 一昨日やったように、俺とメテオで一緒に砂浜を全力疾走して併せウマをした。

 昨日のトレーニングが早くも効いているのか、俺に少しだけ喰らい付いてきた。

 

 メテオのトレーナーも最初は乗り気じゃなかったのに、今となってはメテオが叩きだす時計に夢中になっている。

 

 普通こんなに詰め込んだトレーニングをしたらすぐに音を上げるはずなのだが、メテオは二日目でも絶対に泣き言を言わなかった。俺はそんな根性に驚きつつも、メテオに対する尊敬の念を高めた。

 

「は”ぁ”ぁ……は”ぁ”ぁ……」

 

 地面に倒れ込んだメテオを見ていると、ジュニア期の頃を思い出して懐かしくなる。まだ半年くらいしか経っていないというのに、まるですごく昔の事のように感じる。

 

「よう、このくらいで疲れてんのか?」

 

「へ、えへへ……クライトさん、体力ありすぎ……」

 

「うわっ! メテオが気絶した! おいトレ公! 水!」

 

 3日目

 

 メテオの根性に着目して、トレ公と決めた根性トレーニングを行う事にした。

 

 案の定メテオの根性が開花したようで、まるで命がかかっている場面かのような形相で俺に付いて来ていた。やはりメテオの飛び抜けた才能は根性、それに加えてスピードと言ったところだろう。

 

「は”ぁ……は……ははは……」

 

「おいおい、意外と粘るな」

 

「だっで……あの二人に勝ちたいから……」

 

「がんばって~メテオちゃーん!」

「お水置いとくね~!」

「しっかりあの根性を焼き付けておけよお前ら~」

 

「はは……みんな、ありがと……」

 

 メテオの奴にトレーニングを付け始めてから3日経っているが、噂と言うのはやはり広まるスピードが速いようで『宝塚記念に勝ったマックライトニングと言うウマ娘がレフトメテオに稽古をつけている』という噂は瞬く間に広まって行った。そうしているうちにメテオの健気にがんばる姿勢に心を打たれたウマ娘やトレーナーが見学に来て応援してくれたり、飲み物をくれるようになったのだ。

 

 この応援にはメテオ自身とても助けられているようで、トレーニングの最中に見せるファンサービス的な笑顔が増えてきた。見た感じ無理やり作っている笑顔でもないようだし、本人が楽しく笑えているのならよいだろう。

 

 そしてついでに、この応援が来た時も俺は驚いたもんだ。ウマ娘って知らない奴同士でもこんな仲良くなれるもんなんだな。

 

「うげぇ」

 

「うわぁ! おいトレ公! 水! 水!」

 

「……気に入らない」

「……なんであんなに応援されてるの」

 

「……ん?」

 

 応援してくれているウマ娘の間から、ふとシューティングレイとレディナイザーの姿が見えた。またメテオの奴をいじめに来たのかと思ったが、どうにもそういうことではないらしいので見えないふりをしておいた。

 

 

 

「ようクライト、体調はどうだ?」

 

「普通」

 

 あまりにも夏合宿の期間が長すぎていい加減砂浜にもうんざりしている時、後ろから頬にくっ付けられる缶の冷たさが非常に心地よい。トレ公もうんざりしてきているようで、スーツもシャツもはだけてだらしない格好になっていた。

 

 いや、はだけすぎだろ。他のウマ娘の前でやったら色々と犯罪だぞ。

 

「おまえもまた珍しいことしたもんだよなぁ、他のウマ娘のトレーニングを手伝ってやるなんて」

 

「シューティングレイとレディナイザーはキグナスのウマ娘。でもあいつら二人は見たところまだG1とかも知らないみたいだし、どうせなら今までいじめられてきたレフトメテオが倒すのが気持ちいいってもんだろ。あいつ自身も勝ちたいみたいだしな」

 

 この間キグナスのトレーナーがメテオのトレーナーに謝罪しているときに聞いたのだが、あの二人はキグナスに所属してから日が浅いそうだ。まだ日が浅いならキグナスのルールのような、メンツを守るようなことも言われてなかっただろうし、独断で行動したのも納得だろう。

 

 独断でいじめなんてことをしてくれたおかげでキグナスのトレーナーの渋い顔が見れたし、あいつらには別の意味で感謝している。

 

「それよりクライト! 見てくれこれ! 海の家で売ってた『たこ焼きオン焼きそばイン油そば』!!」

 

「はいはい胃もたれ胃もたれ」

 

「器あっついのにクライト冷たくないかぁ!?」

 

 隣でやいのやいのと騒いでいるトレ公を無視して海を眺める。今日はメテオが俺のトレーニングに多少喰らい付いてきたから明日はもう少しきつくしても良いかもしれないなどと思いながら、あいつ自身の武器について考えてみる。

 

「ん、どうしたクライト。冴えない顔してるな」

 

「……なぁトレ公、アンタが見てきた限り、武器を持たないウマ娘っていたか?」

 

 何気なくトレ公に質問してみる。当然メテオの事を相談するためこのような質問をした。トレ公だってトレセン学園に就職してから長い事トレーナーをやっている。それならば武器を持たないウマ娘の一人や二人くらいいたのではないだろうか。そのウマ娘について聞くことが出来ればきっとメテオの武器に繋がるかもしれない。

 

「……いや、すごく言いづらいが、俺は新人トレーナーを育成するのが好きであんまり担当ウマ娘を持った事が無いぞ。前にも言わなかったか?」

 

「そうじゃなくてもよ、他のトレーナーが受け持ってたウマ娘とか見てないのかよ」

 

「あー……それで考えてみると、今まで見てきたウマ娘で飛びぬけた武器を持っていないウマ娘ってのは見た事が無いなぁ……」

 

「……そうか、残念」

 

「すまんな」

 

 申し訳なさそうにするトレ公に一言気にしないで欲しいと言ってから再び海の方を見る。

 

 あと4日で訪れるシューティングレイ&レディナイザーとの勝負。いくら所属してから日が浅いウマ娘とはいえ、キグナスはキグナスだ。メテオ自身にも何かしら一つ武器が無いと勝つのは厳しいだろう。それなのにメテオにはアイツ自身が持つとびぬけた武器がまったく見つからない。可能性すら見つからない。

 

 いっそ俺の持つ威圧感の武器を教えてやってもいいのだが、正直教え切れるか不安だ。

 

「メテオちゃんの事だな?」

 

「……ああ」

 

 突然口を開いたトレ公が放ったのは、俺がさっきした質問の意図を読み取ったものだった。やはりこの男には敵わないと思いながらも、どうすればよいのかとトレ公に助けを求める。

 

「俺はしっかりウマ娘のトレーナー業についての勉強をしたわけじゃない。だからイマイチああいうタイプにはどうすればいいのかわからないんだ」

 

「……武器ねぇ。難しいな」

 

 難しいとつぶやくトレ公に『やはりダメか』という思考に加え、心のどこかで思っていた『きっとトレ公なら何かわかるかもしれない』という期待が打ち砕かれた。

 

 でもどうすればいいんだ。武器が無ければいくらトレーニングしていても、キグナスのウマ娘に勝つなんて不可能に近い。なんとしても武器を作らな──

 

「急ぎすぎるなよ、クライト」

 

「……あ?」

 

 先ほどまで『メテオの武器について』を考えていたと思ったトレ公が急に喋り出したと思ったら、口に出したのはメテオの武器を見つける方法ではなく俺に落ち着けと諭す言葉だった。

 

「どういう意味だよ」

 

「そのまんまの意味だ、焦ってる時の顔してるぞお前。一度落ちつけ、思い出してみろ、お前が最初に見つけた武器はなんだ」

 

「俺が最初に見つけた武器……」

 

 俺が最初に見つけた武器。それは……。それは……

 

「ただの高圧的な走り……?」

 

「そうだ、何にも工夫していないその武器でお前は周りのウマ娘を圧倒してきただろ?」

 

 俺が最初に見つけた武器は、ただ他のウマ娘に対し根性でオラオラ突っ込んでいく走り方だ。今でこそそれが『領域』にまで目覚める武器になっているが、最初の時点ではただのヤンキー系ウマ娘のそれだ。

 

 そうか、何も一ひねりしたものが武器じゃない。スタ公だってそうだ、最初はスピードだけの勝負。サンの野郎は莫大なスタミナでの勝負。俺が昔から知っているウマ娘の武器を考えると、全てウマ娘が持つ基本的なステータスのみで勝負している武器だけだった。

 

 そしてそれらに気付いた方法は人それぞれ。俺は……。

 

「なるほどなトレ公、いいヒントが手に入った」

 

 

 

「ここからは私のじっかんだぁぁぁ!!」

 

 クライトと速水さんが最近構ってくれないし、橋田さんもずっといろいろ本呼んでるし、トレーナーさんもずっと『夏合宿☆トレーナー室』からメールでトレーニングメニューを送ってくるだけだし、もう暇で暇で仕方がない! 

 

 と言うわけで、トレーナーさんから送られてきたトレーニングメニューを全部こなしたので、ここからは自由時間、私の時間だぁぁぁぁ! 

 

 と言うわけでと言ったのは良いものの、友達・知り合いが殆ど暇じゃない状態で何をしようか私は迷走している。ウマ娘だけに迷『走』って!? 

 

 …………バ鹿なの!? 

 

 いやつまらないね……

 

 こんな一人激情を頭の中で繰り広げながら、私は一人暇を持て余していた。

 

「ぐううううううう、暇だよおおおお」

 

 顔を地面に突っ込みながら背中で太陽を浴びる。

 

「そういえば、クライトはどうしてレフトメテオって子を探してたんだろう?」

 

 少し前、ほんの数日前にクライトが急にイーグルちゃんを探してほしいと言ったのは、レフトメテオと言うウマ娘に会う為だったと聞いた。しかしなんでクライトはその子に会いたかったのか、結局私は何も話してもらえなかった。

 

「……まぁクライトの事だし、多分シャインを助けるための事だよねっ!」

 

 まるで私に対抗するかのごとく光り輝いている太陽に向かってそう言う。太陽は何も返してくれないが、私は日光に勇気を貰えた。

 

「う~ん、なら私もシャインを助けるために何かできる事が無いかなぁ……」

 

 クライトが頑張っているのなら、私も何かしなくてはならないはずだ。しかし大体の事はクライトが私より一手早く実行してしまうため、あんまりいい案が思いつかないのだ。

 

 それならば直接シャインに接触するしかないだろう。

 

 そう考えた私はすぐにおでこに手を当てて、シャインのオーラを察知する。ちなみにこのポーズに意味はない。オーラを感知している感じがするから手を当てているだけだ。

 

「ムムッ! 西側にシャインの反応!」

 

 私のレーダーがシャインのオーラを捉えたため、すぐに向かおうとしたその瞬間だった。

 

「あら、あなたこんなところで何してるの?」

 

 私の後方からノースが声をかけてきた。そう言えばノースはシャインと何度か接触があった、きっとノースもシャインの心を動かすような言葉を言えるのではないだろうか。そう思った私はすぐに誘いの言葉を口にする。

 

「ノース! ちょうどよかった! シャインに会いに行くんだけどノースもいく?」

 

「……状況がつかめないんだけど、まずシャインさんは今ほぼ敵でしょ? そんなコンビニ行くみたいな感覚で……」

 

 誘いの言葉を投げかけてもノースはぽかんとしていたので、順番に説明していった。

 

 

「ふぅん……クライトがやってない事をする……」

 

「いや、正確には『シャインとの接触』とか『説得』は何度もやってるんだけどね? 実はこの前キングスとかくかくしかじか」

 

「……なるほどね、今精神的に弱っているのならもしかしたら心の動きを望めるかもしれないってこと」

 

「そぉう!!」

 

 クラシック期の頃から思っていたが、ノースは意外と呑み込みが早くて助かる。しかし説明が終わってからノースは少し悩んでいる様子だった。

 

 何をそんなに悩んでいるのだろうかと思っていたが、すぐにノースは悩みの内容を打ち解けてくれた。

 

「今シャインさんは精神的に弱っている、そんな状態で更に説得のストレスを加えたら彼女、耐えきれなくなるんじゃないかしら?」

 

 その言葉を聞いた時、私は意表をつかれた気持ちだった。確かにそうだ、シャインは自信満々な性格とはいえ、意外とメンタルが弱いところがある。もしかしたら私が説得に行くことでますます橋田さんの元に戻ってこない可能性もあるのだ。それなのに軽々と会いに行くことなどできない……。

 

「なら私たちでシャインの心を休めるようなもの探さない?」

 

「……あなた、次の案考えるの早いわね……本当そのポジティブな思考は少し分けてもらいたいわ……。あ、嫌味じゃないからね」

 

 ノースはそう言っているが、ぱっと思いついたものを言っているので自覚は無い。

 

 シャインのメンタルが落ち込んでいて危険なのであれば、逆に私たちがシャインのメンタルを回復してあげればよい。何もその後の行動を考えていない訳ではない。さっきも言ったようにクライトの方もクライトの方で何かシャインを取り戻す方法を考えついている。

 

 ならばその下ごしらえとして、私がシャインのメンタルを回復して説得しやすくなるようにすることもできるはずだ。

 

「でもどうするの? 勝負に負けたウマ娘の事を慰める物なんてそうそうないわよ? 食べ物でも持っていくつもり?」

 

「う~ん、そうだね! とりあえずシャインがいる方向はわかってるから、その道中で見つけたものプレゼントしよっか!」

 

「えぇ……」

 

 

 

「とは言ったものの、そこからさらにどうするのよ」

 

 ノースを連れてシャインの方向に歩き始めて数分、ノースがそう言いだした。確かに我ながら今回は無鉄砲な作戦だと思うが、ここは海だ。

 貝殻や石など、身近な綺麗なものはたくさんある。それこそ海の家に行けば、以前沖縄について調べた時に出てきたマリンクラフトとかもできるはずだ。多分。

 

「ほら、こういうのだってシャインの慰めになるかもしれないよ?」

 

 私は地面からひときわ大きな石を取り上げる。その石は石と言うには矛盾しているように見えるほどきれいで、向こうの景色が透けてみるような透明度だった。

 

「……ん? 真珠……?」

 

「どうしたの、ノース?」

 

 ノースが一瞬私の持った石に疑問を抱くようなまなざしを向けた後、すぐに地面を向いて考え始めてしまった。私は特に気にすることもないと思ったので、石の方を見つめる、それにしても綺麗な石だ。真っ白で丸くて、シャインに渡すにはうってつけだ。

 

「……まぁ、気のせいよね……」

 

 

「石っ! 石っ! シャインに渡す石ぃぃ!!」

 

「……さっきからその歌はなんなの……? 絶妙に語呂悪いし……」

 

「えぇ?」

 

 石を拾って数分、海の家の付近で私がシャインに渡す石の歌を歌っていると、ノースが突っ込みを入れてきた。確かに私もあまり歌詞については考えていないが、語呂悪くはないだろう。

 

 別に語呂は悪くないとノースに懇々と反論していると、私に話しかけてくる人がいた。

 

「お嬢ちゃん、その石はどこで見つけたんだい?」

 

 服装はあんまり怪しい人ではなさそうだけど、何やら私の石をさっきから見つめてくる。そんなに気になるだろうか。確かにあんまり見ないし綺麗ではあるけど。

 

「え? さっき通ったあそこらへんだけど……」

 

「……マジか……あれはどう見ても高級な真珠だ……3万はくだらねぇぞ……」

 

「?? どうしたの?」

 

 何か小声でブツブツと言っているが、もごもご言いすぎていくらウマ娘の私でも聞き取れない。ほんのりあたふたしているおじさんを見ていると、別のおじさんも合流してきた。

 

「ノ、ノースぅ……」

 

「シャインに渡す石ぃぃ……シャ~インに渡す石にした方が良いんじゃないかしら……? いやでも……」

 

「ノースぅぅぅ……」

 

 二人して私の石に注目していて、なんだか怖い。見る感じ学園の関係者でもないようだし、もしかしたら変態さんかもしれない。逃げた方が良いのかわからないので、ノースの方に目線を送ってヘルプを求めるもさっき私が歌っていた石の歌の語呂について考え込んでいる。

 

「お嬢ちゃん、この石少し預かってもいいかな?」

 

「あ~、それ大事なもので渡せないんです……」

 

「いやいや、そんなこと言わずにさぁ」

 

 私はしつこく話しかけてくる二人のおじさんたちに怯え、とっさに石をポケットの中に隠した。それでもおじさんたちは石の方を見ていて、私のポケットを舐めまわすように見てくる。

 

「ちょっと私これで失礼しまぁぁぁ──すっどわぁぁぁぁぁ!」

 

 おじさんたちのしつこい話から逃げるため、ウマ娘特有の脚力で逃げようとしたが、全力で地面の石にこけてしまった。

 

「大丈夫!? もう、そんなに急いで走るからだよ」

 

「ちょっと石を預からせてくれるだけでいいんだよ」

 

 私は地面にしりもちをついている状態のため、満足に逃げる事も出来ない状況になってしまった。ノースは相変わらずごろについて考え込んでいるし、もう石を渡すしかないのだろうか……。

 

「ちょっと、あなたたち。嫌がってるでしょ」

 

「え?」

 

 私が頭を抱えて防御していると、急に優しそうな男性の声が聞こえてきた。

 

 目の前を見ると、きっとただの一般人であろう人がおじさん二人の前に立ちふさがっていた。顔も……結構良さげだ。っていうかなんでこんなところに一般人……。

 

「あんまり女の子にそうやって詰め寄っていると、犯罪者みたいですよ。警察呼んで本当に犯罪者にしてあげましょうか?」

 

「チッ……なんだ急に出てきて」

 

「……クソッ、やめとこうぜ」

 

 そのお兄さんがおじさん二人に注意を促すと、すごくあっさりおじさんたちはどこかに行ってしまった。

 あまりにもあっけない撃退に、私は目から鱗だった。私が女の子というだけであのおじさん二人に舐められていたのだろうか。なんだか不服だ。

 

「君、大丈夫?」

 

「ひゃい……」

 

 おじさんたちを撃退したそのお兄さんは、すぐに私の方に駆けよってきて心配をしてくれた。あまりにも爽やかな顔面から放たれる心配の言葉に思わず胸がぎゅっとなってしまう。

 

「あんまりああいうのに絡まれた時は焦らない方が良いよ、怯えてると思われてもっと食いついてくるから。こんなかわいい顔してるのにさ」

 

「かかかか可愛い!? いやそんなことないです! もしかしたらそうかもしれないけど!!」

 

 突然可愛いなんて言われてしまい私はとんでもなく驚いてしまった。だってこんな、初めて会ったような人から可愛いなんて言われること滅多にないんだもん。

 

「兎に角、気を付けてね。お嬢さん」

 

「おおおお嬢さんだなんてそんな大したもんじゃないですよおぉぉおぉ……でへへぇへぇ……」

 

 そのお兄さんは私の服のシワを伸ばしたり、ズボンに付いた砂を落としてくれた後も最後まで私の容姿を褒めてくれた。この短時間で自分の容姿を褒めちぎられるというのは今までレースに全身全霊を注いできた私にとってかなり刺激的で、まともな思考が出来なくなってきていた。でへ。

 

 私はお兄さんと別れた後、ノースの元に戻った。

 

「やっぱりシャは伸ばした方が良いわね……。あらサン、どうしたの、その……なんか変態チックな顔して」

 

「なぁんでもないよぉぉぉ……でへぇぇぇえっへっへっへっへ」

 

「笑い方気持ち悪いわね……」

 

 いやぁ、世の中にはあんなふうに女性を褒めてくれる男性も本当に実在したんだなぁと噛みしめながら、私はシャインの方向に再び歩き始めた。

 

「はっ、いい儲けだ。ただのガキが持ってるにはもったいないくらいの真珠だな……」

 

 ……

 

 あれ? 

 

「ない!?」

 

「……何が?」

 

「石が無いよぉ! 盗まれた!!」

 

 なんと私のポケットに入っていたはずの石がなくなっていたのだ。何故だ、あのおじさんたちには一回も触れられていないし、石をポケットに入れてから誰かに触れたタイミングなどお兄さんの時しか……

 

「あのお兄さんかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 

「やられたぁぁぁぁぁ……」

 

「まぁまぁ……また探せばいいじゃない」

 

 お兄さんが私のズボンの砂を落としている最中、こっそりポケットに手を入れられて石を取られたことに気付き、ノースにも事の流れを説明してから私は地面にうずくまっていた。もう落ち込んだ、誰も信じられない。

 

「ううううううぅぅ……シャインに渡す石ぃぃぃ……」

 

「う~ん……、あらサン、これなんか石の代わりにいいんじゃないかしら?」

 

 私が落ち込んでいると、ノースがどこからか四つ葉のクローバーを見つけてくれた。いくら砂浜とはいえ、草木が生えているエリアは近くにある。しかしまさか私が落ち込んでいる砂浜の近くにあるとは思わなかった。

 

「……そうだね! 落ち込んでてもしょうがないっか!」

 

「ふふ……立ち直る速度が速くていい事ね」

 

「うん!!」

 

 

 

「さ、て……この真珠、どこで売りさばくか……女に見せつけて釣るってのもいいかもしれないな」

 

「ちょっと、そこのお兄さん。砂浜のものを勝手に持ち帰ろうとするのは一応犯罪ですよ」

 

「……え? いや、そんなの知らな──」

 

「一応砂浜を持ってる団体のものだからね。しかも女を釣るとか言ってたね、ちょっと付いて来て貰おうか」

 



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第七十六話 彗星となれ

作者「暑すぎやしませんかね?もうクーラーにお世話になってますよ」


 

「クライトさーん!」

 

「ほらクライト、可愛い可愛い後輩が来たぞ」

 

 トレーニングを終えたメテオがこちらに笑顔で走ってくる。相変わらず満面の笑みを絶やさないその性格は見事だと言えるだろう。メテオのトレーニングを見始めてから5日、あと二日であの二人との模擬レースがあるのだが、未だメテオに武器は見つからない。

 

 しかし素のステータスは目に見えて上がっており、これならばオープンレースは総なめできるのではなかろうかというところまでやってきた。元々素質があったのかはわからないが、走っている最中の雰囲気にも貫禄が出てきており、俺も思わずぎょっとするような走りを見せる。

 

 だがやはり危惧するべきは武器の未発見という点だろう。一応この前トレ公に武器を見つける方法についてのヒントは貰ったが、その着想をトレーニングに加えてもなおメテオの武器は形にならなかった。こいつの根性、それを光らせる方法があれば……。

 

「クライトさん! 私、またタイムが上がったんです……! これならきっとあの二人にも勝てますよね!」

 

「おう、そうだな」

 

「クライトちゃん、悪いわね~。私でも思いつかないようなトレーニングを発案するから驚いちゃうわ。それも速水トレーナーの教え?」

 

「……ま、まぁな」

 

「なんだクライト、大変なトレーニングを思い出したか?」

 

「……まぁな」

 

 メテオのトレーナーは冗談半分のつもりだろうか、笑いながらそう俺に聞いてきたが、地方から中央に上がってきた俺をまともに戦えるような状態にするための過酷なトレーニングがフラッシュバックしてきて苦笑いしかできなかった。思い出させないで欲しい。

 

 

 

「いやぁ~……クライトさんのおかげでもっともっと強くなれる気がします。もうオープンレースなら誰にも負けない気がします!」

 

「……」

 

「ク、クライトさん?」

 

 トレーニングを終えたばかりのまだ呼吸もままならない状態でクライトさんにそう冗談で問いかける。でも私の冗談があまりにも笑えなかったのだろうか。クライトさんは黙ってしまった。

 

「メテオ。お前にトレーニングをつける期間はあと二日あったな?」

 

「は、はい」

 

 何をいまさら分かりきったことを聞いているんだろう。と思いながらも、質問に答えなければならないのでハイと一言だけ返事をする。返事をしてからもクライトさんは少し黙っていた。私のトレーナーさんもその異様な空気を察したのか、クライトさんの動きをうかがっている。

 

「メテオ……。俺はお前にトレーニングをつけるのをやめる」

 

「クライト、オメ何言って…………」

 

 突然クライトさんから告げられたのは、もう私にトレーニングをつけないという宣言だった。

 

「ど、どういう事ですか!?」

 

「言葉の通りだ、もう明日からはお前の好きなようにトレーニングをしてくれ」

 

 当然急な事だったので私は何回も説得した。しかしクライトさんは何回説得しても理由を教えてくれない。私が何か悪いことをしてしまったのだろうか。何かクライトさんの機嫌を損ねることをしてしまったのだろうか。

 

 でもやはり私だって一人のウマ娘、感情はしっかりあるようで、何回聞いても理由を教えてくれないクライトさんにだんだんと腹が立ってきた。

 

「なんで……なんでですか! 絶対勝たせてやるって言ってたじゃないですか!」

 

「……いったん帰るぞトレ公」

 

 私が怒りに任せて叫んでも、クライトさんは返事をすることなくトレーナーさんとどこかに戻ってしまった。

 

「まぁまぁメテオ……まぁ……あのレジェンドに5日間トレーニング付けてもらえただけでも大きな経験だよ……元気出して、あの二人に勝とう?」

 

「うぅ……」

 

 私のトレーナーさんが一生懸命慰めようとしてくれているが、いきなりクライトさんに裏切られたショックで私は素直に慰めを受け入れることができなかった。しばらくうずくまっているとトレーナーさんも私が限界だと判断してしまったのだろうか、今日のトレーニングは引き上げにしようとトレーナーさんは提案してきたが、私はすぐにトレーナーさんの手を握ってトレーニングの継続をお願いした。

 

 

 

「おい、クライト。本当に今日は見に行かなくていいのか?」

 

 自分の大きさが微生物の仲間になったのではないかと勘違いするほど大きい岩の下。寝ているクライトに声をかける。

 

 クライトがメテオちゃんのトレーニングを付けないと言ってから二日。もうメテオちゃんがシューティングレイとレディナイザーの二人と模擬レースをする日だ。いくらクライトと俺が五日間トレーニングメニューを見たとはいえ、残りの二日間で出来るはずだったトレーニングをやらなかったことによるマイナスは大きい。

 

 何より、クライトがあんなに悩んでいたメテオちゃんの武器がまだ見つかっていないようだし、今回ばかりは本当にクライトの行動が分からない。俺が声をかけてもクライトは横になったままで、返事をしようとしない。

 

「クライト、一昨日からいくらなんでも酷すぎるぞ」

 

「まだなんだトレ公、まだ探すもんがある。……行くか」

 

「え? メテオちゃんの所へか?」

 

「……トレ公もいくか」

 

 そう言ってクライトは立ち上がり、ある方向へと歩いて行った。これ以上メテオちゃんにしてやれることはないというのに、まだ探すものとはなんだろうか。

 

 クライトは森の茂みの中へと入って行き、俺もスーツが汚れるのを少し気にしながら進んでいく。オキニなのに……。

 

 しばらく歩いていると、ある広間に出た。まるで森の妖精が集会を開くようなちょっとした広間。そこには久しぶりに見たシャインちゃんと橋田とサンがいた。

 

「橋田! つかシャインちゃんまで……なんで三人ともここに?」

 

「クライトにシャインを探しておけ~って言われたんだよね、だからしっかり探して連れてきておいたよ。あと必要だと思ったからついでに橋田さんも!」

 

「上出来だサン」

 

 なぜだ? 何故メテオちゃんの模擬レースがある日にシャインちゃんが必要なのだろうか。俺の疑問は止まなかった。そんな俺を無視するかのようにクライト、それに加えて三人も歩き出してしまい、俺もついていくほかの選択肢が無かった。

 

 橋田とシャインちゃんは気まずそうに何も喋ってないし、俺も気まずい。

 

 再び森の中をしばらく歩いていると、今度は砂浜に戻ってきた。

 

「ここは……」

 

「もうすぐやるとこか」

 

 砂浜は砂浜でも、先ほど俺たちが入ってきた入り口ではなかった。クライトが向かっていた砂浜は、メテオちゃんがキグナスの二人と模擬レースをする会場のすぐそばだった。

 

「ど、どういうことだ……?」

 

「スタ公、オメーに見せたいものがあるって言ったのは、これだ。あのメテオの走りを見ておけ」

 

 シャインちゃんはクライトの言う事に対し反応を返すことはなかったが、目だけで睨むわけでもなくただこちらを向いて了解の意思を伝えてきていた。

 

 シャインちゃんが地面に座り、メテオの方向に視線を合わせたのを皮切りに、橋田やサンちゃんも各々座りやすい位置に座って観戦を始める。

 

「お前、メテオちゃんが勝てると思ってるのか? 相手はいくら所属して日も浅いような奴とはいえキグナスのウマ娘で、メテオちゃんは武器を持ってないんだぞ」

 

「まぁ見とけって。……でもま、一つ分かったことがある」

 

「あ?」

 

「アンタがウマ娘じゃなく、新人トレーナーばっか面倒見てたのが分かった気がするよ。俺が体験したのは5日間だけだが、こりゃ大変な作業だ」

 

 

 

「……クライトさん……見に来てないな」

 

 少し前から私のトレーニングを見て応援してくれていた人たちがまばらに見える中でクライトさんを探すが、どこを見てもクライトさんはいない。視線をコースの方に向けると、シューちゃんとナイちゃんがこちらを訝しそうに見ていた、さしずめ『なんでひとりで模擬レースを申し込んできたんだ』という顔だ。それもそうだろう、実力差はチームからして目に見えている。

 

 才能を認められ、学園内最強のチームキグナスにスカウトされた二人のウマ娘。それに対してチーム無所属の私じゃ、肩書からして勝負がついているようなものだ。

 

 二人は一週間前の行動が問題視され、レースの出走停止を命じられた。それもあってか、これといった目標レースもないためピークを上げも下げもせず、とてもトレーニングに集中できている様子だった。

 

 一昨日、クライトさんに見捨てられてから私もトレーニングを続けていたが、やはりクライトさんほどのレジェンドにトレーニングを付けてもらっていた恩恵と言うのは大きかったようで、クライトさんがいなくなってからは私の成長が著しく停滞した。

 

「トレーナーさん……私勝てるかな……」

 

「大丈夫だって、勝てるよぉ」

 

 思わずトレーナーさんにそう聞いたが、相変わらず私のトレーナーさんは明るい態度でそう答えた。

 

「どうして……クライトさんは私の事を見捨てたんでしょう」

 

「さぁ……ちょっと私にもわからないねぇ……。でもま、メテオ。アンタに今できるのは全力であの二人に勝つことだよ。案外勝てばクライトちゃんも見直してくれるかもしれないよ?」

 

「見直してくれる……。いや、いいです」

 

 トレーナーさんはクライトさんが見直してくれると言ってくれているが、この二日間で私のクライトさんに対する思いはすべて消えた。

 

 勘違いしないで欲しいのですが、これはクライトさんへの感謝が消えたというわけではない。当然5日間トレーニングを付けてくれたことには感謝してる。でももうそれ以上は関心が消えたという意味だ。

 

 必ず勝って、自分であの二人を乗り越えるんだ……! 

 

 そう改めて自分に誓うと、急にやる気が出てきた。絶対にあの二人に勝つ。そんな闘争心が私の中を駆け巡っていた。

 

 

「なんかあいつ、調子乗ってないか?」

「そうだねレイ」

 

 私の近くでストレッチをしていたナイザーと共にメテオの陰口を言う。こうしている最中が自分の強さを証明できているようで楽しい。

 

 遠くの方で自分のトレーナーと話しているメテオを見ていると、まるで自分が私たちに勝てると思っているような顔をしていて嫌気がしてくる。なんだか最近マックライトニングと言うウマ娘にトレーニングを監修して貰っていたが、それで強くなった気でいるのだろうか。突然模擬レースをしたいだなんて申し込んできて、生意気だ。

 

 なんにせよ私達は昔からメテオに勝ち続けているのだ。今回の模擬レースだって勝てる。私たちは学園内最強のチームにスカウトされたウマ娘なんだぞ。

 

「なんにせよ、こっちも出走停止喰らってイライラしてるし」

「走りでもボコボコにしてスカッとしよっか」

 

「お前達」

 

 私たちがストレッチを続けていると、後ろの方から威圧的な声が聞こえてきた。この声を聴くといつも汗が噴き出てくるのは、キグナス内でも私達だけじゃないはずだ。

 

 後ろに立っていたのは、私達のトレーナーさんだった。どうしてここにきているのだろうか。確かに私たちは模擬レースを受けると言って許可を取ったうえでキグナスのトレーニングを抜け出してきたはずだ。なぜこんなにも敵意を感じるオーラを放っているのだろうか。

 

「どのタイミングで言おうかずっと迷っていたんだが……お前たちはキグナスを強制脱退だ」

 

「「えっ?」」

 

 一瞬、ナイザーと顔を見合わせて私たちの時間が止まった。キグナスを強制脱退? 

 

「ど、どうしてですか!? 私達実力もあるし……」

「キグナスの先輩にだってついていけてるじゃないですか!」

 

「やれやれ……『調子に乗っている』のはどっちだ? たしかにお前たちは実力こそある、だが一週間前、お前たちが勝手に起こした問題行動でキグナスは世間からの印象が悪くなった。当然、お前たちは危険因子として脱退させるほかない。必要とされるのは強さじゃない。強さも必要だが、世間体が大事なんだ」

 

 トレーナーさんは落ち着いて手ごろな岩に座り、離し続ける。今更ながら一週間前メテオをいじめてしまったことを後悔し始める。

 

「そんな! 許してください!」

「私達頑張るから!!」

 

 冗談じゃない、学園内最強と謳われていたキグナスに憧れ、必死に努力を積んでアピールし続け、やっとスカウトの声がかかって入れたというのに。こんなにすぐ脱退させられてたまるか。

 

 ここで脱退させられたら、私達の血のにじむような努力が無駄になる。

 

 それにしても……なんでだ、なんで今なんだ。今までメテオをいじめても誰も何も言ってこなかったのに。あのマックライトニングとかいう奴がいたせいだ。

 

「一つチャンスをやろう。この模擬レース、あのレフトメテオというウマ娘に二人とも先着できたらキグナスに席を残してやろう。出来なければ……脱退だ」

 

 私たちが必死に説得すると、トレーナーさんはそう条件を提案してきた。この模擬レースでメテオに勝てというもの。内容はすごく簡単だ。

 

「……な、なぁんだ」

「……メテオに二人で先着するなんて楽勝だよね、レイ」

 

 トレーナーさんに提案された条件を聞いて、私達は一気に肩の力を抜く。昔から私たちに負け続きだったメテオをボコボコにするなんて、私達なら楽勝だ。ナイザーも安心しきったようで、地面で再びストレッチの続きをしている。私も万が一負ける可能性をなくすため、入念にストレッチを始めた。

 

「(脱退理由は実際違うがな……お前達が問題行動を起こしたのもそうだが、お前達には強さが足りない。この一週間でお前たちの走りをよく見てわかった……。お前たちの実力はキグナスにふさわしくない)」

 

 

 

「すぅぅぅ……はぁぁぁ……。耳の上部を引っ張る……。手に人って書く……」

 

 トレーナーさんにさっき教えてもらった落ち着く方法を一通り試しながら、私はレースが始まるのを待つ。もう隣にはレイちゃんとナイちゃんが並んでおり、これから始まるレースに向けての気合を入れ直しているのだろうか。

 

「私は内からのスタート……」

 

 クライトさんが言っていたように、砂の上は芝に比べて多少走りずらい。だから脚に入れる力が重要だと言っていたが……。

 

「うん……私の靴ならいける……」

 

 私の靴はトレーナーさんが厳選して選んでくれた最高級の靴だ。凄く力を入れやすい。クライトさんにトレーニングを付けてもらっていた時、砂の上で足に力を込める方法も教えてもらったからすごく行ける気がする。

 

 クライトさん……。

 

「いけない……忘れよう」

 

 クライトさんはもう私を見限ったんだ。今更思い出して悲しんでも仕方がない。

 

 私はクライトさんに教えてもらっただけの技術を使って、今私にできることをするだけだ。

 

「じゃー、スタート行きまーす」

 

 自分から立候補してスタートの合図を出す役をやってくれた子がこちらに手を振る。それを聞いて私とナイちゃんレイちゃんは一気に走り出す体制をとる。

 

「模擬レース、え~っと1600m~の砂浜~。よ~~い……」

 

 スタートの子が右腕を上に上げて合図用のピストルを構える。

 

「ドン!」

 

 

 

「クライト、一体何する気だよ」

 

「だからいいから見とけって言ってんだろ、バカトレ公」

 

「バカとはなんだバカとは」

 

 クライトの方を向いて意図を聞くも、全く答えてくれない。諦めて俺はピストルの音がした模擬レース会場の方を見る。

 

「……あ~あ、あれは後半でバテるな。能力こそあるが掛かり気味だ。クライト、これでもまだ勝てると踏んでるのか?」

 

 クライトの顔は見ずにそう聞くも、返事は返ってこなかった。それが勝てないと思った事による絶望の意思なのか、勝てると確信しているからこその余裕の意思なのか、俺には分からなかった。

 

 俺がそうやってクライトの扱い方について久しぶりに悩んでいると、突然クライトが呆れたように口を開いた。

 

「オメー自分が前に言ってたこともう忘れたのか?」

 

「俺が前に言った事? なんか言ったっけ?」

 

「……『どんな時でも担当の事を信じて、いつまでも担当の勝利を願う職業だ』……だろ? 俺はあいつを見限ったわけじゃねぇ。勝てると信じてこの方法を取っただけだ」

 

「あぁ……言ってたな、そんな事」

 

 いつかのシャインちゃんの未勝利戦で言っていたことを思い出す。まだ橋田がトレーナーとして精神的に幼かった時に言った言葉だったな。それをクライトが覚えていたというのも驚きだが、だからこそこの行動を取ったというクライトの言葉に疑問を感じていた。

 

 メテオちゃんを突き離すことにどのような意味があるのだろうか。純粋にクライトがトレーニングを直接つけた方が良いと大半の人は思うだろう。しかしクライトはそうしなかったのはなぜなのか、ロジックをまだ聞いていない俺には分からなかった。

 

 しかしこうやって悩んでいる最中にも残酷にレースの時間は進んでいく。メテオちゃんは中盤でスタミナが枯渇したのかガス欠気味な走り方になっていた。

 

「さぁクライト、メテオちゃんはもう限界みたいだぞ。ここからどうするって言うんだ?」

 

「さっきあんなかっこよくキメたけどよ、正直一か八かなんだ」

 

「そうか……見ておくよ」

 

 

 

「……」

 

 無理だ……。スタミナが切れた今、彼女は勝てるわけが無い。

 

 前で話し合っているクライトと速水さんの事も見ながら冷静にレースの状況を分析する。

 

 レフトメテオと言うウマ娘のスタミナは中盤で切れた。あのままでは終盤に限界を迎え、ゴールまでたどり着くことができないだろう。

 

 何やらクライトがトレーニングを付けて鍛えていたらしいが、それでもなおどうしてスタミナが切れてしまったのか、その理由は明確だった。

 

 シューティングレイとレディナイザーと言うあのウマ娘、二人で一つの武器を使っている。

 

 位置関係としては先頭をレフトメテオが走り、その後ろをキグナスの二人が追っている形だが、形だけだ。わざと後ろを走っている。二人がどうしてわざわざ後ろを走っているのか、私はおろかサンやクライトもすぐにわかっただろう。

 

 あの二人は『追込み漁』をしている。

 

 負けたくないという闘争心を持つウマ娘にとって、背後からの追込みは恐怖以外の何物でもない。目の前に敗北の要因が迫ってきていれば、誰だってもっと加速して逃げたがるだろう。それを利用して、マークしたウマ娘の後ろをハイペースで走ることによって、自分のペースが遅いという錯覚を相手に与える、もしくは負けるかもしれないという恐怖を相手に与えるのがあの二人の武器だ。

 

 しかし、私達のようにG1を走っているのならまず引っかからない武器だ。恐らくあの二人は未だG3レベルと言ったところだろう、だから周りが引っかかるウマ娘だけだったのだろうが、レフトメテオと言うウマ娘はオープンクラスと聞いた……。引っかかるなと言う方が無理がある。

 

 あの子はペースを上げすぎた。

 

『レフトメテオが逃げ続ける!! レフトメテオが逃げ続ける!』

 

 ボランティア的な感じで付いた実況は今もなおレフトメテオの事を応援しているが、それもあの数秒の事だろう。クライトは勝てると思っていたのだろうが、読み違いだったらしい。私はバレないように視線を地面に落とし、レースを見るのをやめた。

 

 

 

「負けたくない……負けたくない負けたくない負けたくない!!」

 

 レースはすでに終盤に差し掛かっている頃らしい、しかしそれも酸素の移動を激しく行いすぎて激痛を感じている肺をどうしようかということに思考を奪われ考えられない。

 

 背後から迫っている二人の気迫がたまらなく怖く、レースどころではない。二人は私より先に重賞を走っているとは聞いていたが、まさかこんなに怖いとは思わなかった。

 

「でも…………楽しいっっ!!」

 

 二人のオーラに私はレース中何度止まりかけたか分からない。だけどこれだけは言えた。今まで私は二人にいじめられ、周りに同情されながら生きてきた。でも今は違う、周りの人は私を応援してくれている。あの二人と同じ土俵で勝負させてくれている。

 

 それならばその期待に応えたい。このレースに勝って、あの二人に私の強さを証明したい。

 

 そう実感した時、私の体が軽くなる感覚があった。まるで私の体が砂そのものに順応したような感覚だった。5日間、砂の上で激しくトレーニングを行ったから砂地に慣れたのだろうか。

 

 でも足りない。少しスタミナが回復した程度じゃ、あの二人には勝てない。ならどうするべきか……。

 

 

『お前、根性はすごいからな』

 

『根性ですか?』

 

『ああ、普通G1を走るような俺の走りにオープンクラスがついてくるなんてできないぞ』

 

 

「(……私が目指していたあの走りを……真似するっ!!)」

 

 私はそれまで守っていた自分の走りを崩し、地面を抉るような走り方をする。この走り方は私がずっと見ていた走りだ。結局追いつくことはできなかったけど、ずっと追いつきたかった、あの走り。

 

 追いつくことはできないかもしれない、だけど五日間必死に見てきた私なら真似する事が出来る!! 

 

「嘘っ!!?」

「その走り方……」

 

「(すごい……この走り方、負担が結構……でも、加速や最高速が伸びた気がする……!)」

 

「でも……」

「すぐにバテさせてやる!」

 

 普通なら数秒この走り方をしただけでバテてしまうだろう、でも私の根性なら出来る! 私の根性なら! 気合で乗り切ってやる! この直線だけ……この直線だけ耐えきれればいい!! 

 

 

 

『背後から二人が来てるけどレフトメテオ逃げる!!』

 

 ……

 

『最終コーナーに入ってまだレフトメテオ! 最初から最後までレフトメテオ!!』

 

 おかしい、数秒経っても実況はレフトメテオの事をずっと読み上げている。とっくにスタミナが限界を迎えて垂れてもおかしくないというのに。

 

 地面に落としていた視線をレースの方向に戻してみると、信じられない光景が広がっていた。

 

 G3クラスだと思っていたキグナスのあの二人から、オープンクラスのレフトメテオが逃げ続けていた。

 どう見てもスタミナが切れて上体が上がってきているのに、その足色は衰える事が無い。

 

 しかもその走り方は、クライトそのものだ。速度ですらクライトと並ぶかもしれないほどの気迫。

 

「いや、すご……」

 

『レフトメテオそのままゴ──ル!! 最初から最後まで先頭でした!』

 

 そのままレフトメテオは、キグナスのウマ娘を近寄らせることなくゴールした。

 

「っ!」

 

 ゴールした後のレフトメテオを見て、私はあることに気付いた。あの子の顔は笑っていた。激戦を乗り越え、息も整わず辛いはずなのに、笑っていた。思い出してみれば、レースの最中も笑っていた。何故だ、自分のプライドをかけて戦っているというのに、なんでレース中に笑う余裕があったのかわからない。

 

「スタ公、オメーなら気づいただろ?」

 

「笑ってるね……」

 

「ああ、俺も最初驚いたよ、どんなにボロ負けしても、勝っても、あいつは笑っている。俺たちはレースを楽しむって事を忘れていたんだ」

 

 レースを楽しむこと、確かに忘れていたかもしれない。ずっと自分の強さばかり追い求めて、周りを敵と見なして、レースを楽しめていなかった。元々はお互いの強さを比べあい、切磋琢磨をする競技。それを楽しまなくて正しい道を行けているわけが無かった。

 

「ああ……そっかぁ……」

 

 地面に座り込んで上を仰ぐ、横を見ると橋田さんも驚いた顔をしていた。きっと同じようにレースを楽しむと言う事を忘れていたのだろう。

 

 そして私は過去を思い出す。レースを楽しむには何が必要か。そんなもの決まっている。

 

「……ね……ねぇ、橋田さん。私には、今更あなたを『トレーナーさん』って呼ぶ権利があるかな……」

 

 橋田さんに向かい、そうつぶやく。クライトと速水さんとサンがニヤニヤしながら見ているが、そこは気合で羞恥感を我慢して見つめ続ける。

 

 橋田さんはしばらく迷っていた。でもそれは私の質問を良しとするか迷っているというわけではなさそうだった。まるで自分に何か非があるような表情をしていたが、私は途端に心配になってきた。

 

「……俺だって、今更お前を『担当』って呼んでいい権利があるか分からねぇよ」

 

 しかし橋田さんから出てきたのは、私を拒絶する言葉ではなかった。

 

「っ、シャイン?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私はトレーナーさんに抱きついた。

 

 それは承諾の意味も込めた抱擁、トレーナーさんにもきっと伝わっているはずだ。しばらくして私の背中にもトレーナーさんの手が軽く添えられた。

 

言葉なんて交わさなくてもわかった、だって一年半一緒にいたから。

 

「よ~っし! 仲直りだね!」

 

 まだ口約束だけではあるが、私とトレーナーさんが再び担当契約を結んだ後、サンが突然声を出して激しく動き出した。

 

「でけでけでけでけ~~……じゃん!!」

 

「四つ葉のクローバー……?」

 

 サンが後ろから取り出したのは、糸で器用に四つ葉のクローバーが描かれたお守りだった。持ってみると中はふわふわしているようで、何か緩衝剤のようなものが入っているようだった。

 

「さすがに四つ葉のクローバーをそのまま渡したら散り散りになっちゃうから……お守りの中に厳重に入れたよ! 二人の新しい門出を祝うのだぁぁぁ!!」

 

「そっか……ありがと、サン」

 

 今私の中にある感情は、幸せのみだった。最近心に穴が開いたような虚無感を感じることがあったが、もう感じない。あの虚無感を埋めるには、やっぱりここに戻ってくる必要があったんだ。

 

「それじゃあシャイン……早速次走に向けて色々トレーニングメニュー組むか! よっしゃそう考えたら気合出てきた! やってやろうぜシャイン! 今再び『誰にも越えられない記録』を目指すか!!」

 

「……あったりまえ!!」

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 勝った……? 私が? 

 

 一瞬信じられなかった、でも私に向けられるうるさいほどの拍手や歓声がそれを物語っていた。

 

「メテオ──!!」

 

 声がした方向を見ると、トレーナーさんが嬉しそうにこちらに走ってきた。トレーナーさんは私の元にたどり着くと、すぐに私を持ち上げて嬉しそうに回っていた。重力や慣性の影響を受けて私の体はグワングワンと振り回されたが、それほどトレーナーさんを喜ばせられたと言う事を全身で理解でき、嬉しかった。

 

「よくやったね……よくやったねメテオ……」

 

「もう、泣きすぎだよトレーナーさん……」

 

「そんな……」

「勝てなかった……」

 

 遠くの方を見ると、シューちゃんとナイちゃんが地面に倒れ込んでいた。その表情はただ負けたから悔しんでいるというには歪みすぎており、私は不自然に感じた。

 

「ねぇ……この模擬レース、負けたらキグナスに何されるの……?」

 

「……うるさい! お前には関係ないだろ!」

「あんたは勝ったんだからもう放っておいてよ!」

 

 二人に話しかけても私は拒絶されてしまった。しかし明らかにおかしい、まるでもうキグナスと名乗れないような表情をしていた。

 

「……負けたらキグナスを脱退させられるの……?」

 

「っっ……。あぁそうだよ! キグナスは脱退だよ!!」

「もう! せっかくキグナスに入れたのに! あんたのせ──」

 

 ナイちゃんが『あんたのせい』と言おうとしたのだろうか、でもそれをシューちゃんが止めた。

 

「……やっぱりやめよう、もう」

「でも……」

 

「ごめん、メテオ。私たち、アンタに嫉妬してた」

「……ご、…………ごめん」

 

 突然シューちゃんが私に謝罪してきて、少し驚いた。まさか今まで私の事を敵対視していた子から謝られるなど思ってもいなかったからだ。

 

「アンタ、どんなレースでも笑ってるでしょ。そんな風に私たちはレースを楽しめなかったの」

「……だから楽しんでるアンタが嫌いで仕方がなかった」

 

「……」

 

「でも……メテオに負けた今、そんな事言ってられないよね……私達はキグナスを脱退する。もし今後一緒に走ることがあったら、また走ってね……」

「……」

 

 そのまま二人は覚悟を決めた顔をしてキグナスの宿泊施設がある方向に歩き始めた。私は何も言えなかった。何せ今まで私をいじめてきていたのだ、どう言葉をかければよいのかわからない。

 

「あんたたち!」

 

 突然、私のトレーナーさんが声を上げた。

 

「……私、チームを経営して見ようと思ってたんだ。メテオを入れて、3人くらいのチームをね」

 

「えっ……」

「それって……」

 

「……行くとこ行って、書くべき書類書いたら、私のところにおいで。いつでも待ってるよ」

 

「い、いいの……?」

「私達、前からひどいことしてたのに……」

 

 二人が信じられないといった顔で私のトレーナーさんを見ている。そんな二人を見ても私のトレーナーさんは笑顔を絶やさず言葉をつづけた。

 

「前は前、今は今だよ。私はもう気にしてない。アンタたちが心から反省している様子だったからね」

 

「……はい……!」

「……所属させてください……!」

 

「所属していいよ! ……と言いたいところだけど、ま、先にキグナスを脱退させられてからだねぇ!! アッハッハッハッハ!!」

 

「……よかったね、ふたりとも……」

 

 でもただ一つ、クライトさんがいないというのが心残りだった。こうして私は()()()()()勝ったのに、ここで喜びを分かち合ってくれるクライトさんがいないというのは、とてもさみしかった。

 

「……ん?」

 

 自分の力で……? 

 

 そうだ、最後の方、私がクライトさんの走りを真似したのは、完全に自分の判断だ。でもなぜ急に自分の判断が冴えたのか……。

 

 そうだ、クライトさんが去り、もう味方がトレーナーさんしかいないと思い込んでいたからだ。もしクライトさんが私のトレーニングを続けていたらどうなっていた……? 

 

 勝てたかもしれない、でもそれは誰のおかげだと感じるだろう。きっと私はクライトさんのおかげと信じたはずだ。別にそれでもいいのだが、クライトさんのおかげだとしたなら、このレースに勝てたのは自分の力と言うには少し弱い。勝てたことに喜んでも、多分私はずっとクライトさんに()()()()()()()()()を心に引っ掛け続けるだろう。

 

「クライトさんは……私にそう思わせない為に……?」

 

 そう思ったら、私の脚は勝手に動いていた。レースで使い果たし、もうしばらくまともに動かないと思っていた脚が、勝手に動いた。

 

「あっ……」

 

 模擬レース場の付近を探していると、草木が茂っている方にクライトさんを見つけた。

 

「ク、クライトさ──」

 

 私がクライトさんの方向に近づこうとすると、クライトさんは遠くの方で右手を突き出し、私の方に『来るな』と行動で語った。

 

 クライトさんは立ち上がると、そのまま後ろの草木の中に歩いて行こうとしてしまった。でも私は感謝の言葉を言えていない、クライトさんの事を引きとめられずにいられなかった。

 

「クライトさん!! 一週間、ありがとうございました!!」

 

 クライトさんは振り返ってはくれなかった。でも最後に左手で『じゃあな』とハンドシグナルを私に送り、そのまま立ち去って行った。

 

「本当に……ありがとうございました……!」

 

 幸せの粒が、私の目から零れ落ちていた。

 

 またどこか、レースの場で会いましょうね、クライトさん。

 



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第七十七話 帰って来たよ!!

作者「キリが良いところまで書いて、これ以上無理に伸ばしても平凡な話になってしまうと判断したので今週は7500文字です」


 

「それじゃあ……今までありがとうございました、原田さん」

 

 壁を通して私はそう伝える。私は原田トレーナーがいる拘置所に来て、タルタロスを抜けると言う意志を表明しに来た。私がタルタロスを抜ける理由について長々と話した後、一言そう感謝の分を述べた。その言葉を聞いた原田トレーナーからは何も帰ってこなかったが、ただ一回頷いてくれた。

 

「……僕を恨んじゃいないのかい? ずいぶん丁寧なしゃべり方だけど」

 

 私が退室しようとした時、原田トレーナーは突然そう喋った。

 

 確かに、私は恨んでいる。私とトレーナーさんの関係を壊した原田トレーナーを恨んでいる。しかしもとはと言えば、私があのような発言をしてしまったからというのもある。あのようなトレーナーさんに対して恋心を伝えるような発言を。だから一概に原田トレーナーだけに怒りを向けると言うのは違った気がしたから丁寧に対応しているだけだ。

 

 今この場面で言う事と言えば……。

 

「……あなたのトレーニング方法は、確かに残酷で外道のする事だった。でも……」

 

「でも……?」

 

「確かに私は強くなれていた。……だからしっかり更正して、もし戻れるようなら戻ってきてください。タルタロスには二度と所属しませんが……きっとクライトが生まれ変わったあなたを待ってます」

 

 クライトは、きっと待っているのだと思う、だからこのような発言をした。

 

 昔、地方時代にクライトが見たと言う優しい原田トレーナー。それが戻ってくれば、きっとクライトの心も完全に救われるのではないだろうか。

 

「これ以上言う事はありません、面会にも時間がありますから」

 

 最後に私はそう言って面会室を後にした。最後に原田トレーナーは何か言いたそうだったが、有無を言わさず私は出て行った。

 

 きっと、あの表情なら大丈夫だろう。

 

 

 

「ただいま~、すっかり遅くなっちゃった」

 

 拘置所に行っていると外はいつの間にか暗くなっており、既にトレーニングを終えたウマ娘達が宿舎に帰ろうとしているところだった。

 

 そんな中、あらかじめウマホで言われていた場所でクライトやサンと集合する。

 

「おう、お帰り」

 

「ちゃんとケジメ付けてきた?」

 

「「ケジメて」」

 

 突然サンから出てきたいかつい単語に思わずクライトと二人で突っ込んでしまった。この空気すら懐かしい。

 

 今日ここに集合したのは、他でもない目的があるからだ。と言っても私は別に予定していなかった、二人がサプライズ的な感じで予定を組んでくれて、私が呼ばれている感じだ。

 

 今日集合するときも何をするか言ってくれず、ただ場所を指定したメールが来ただけだった。

 

「それで? 何を用意してくれてるの?」

 

「おう、それなんだがな」

 

「ちょっと宿舎まで歩きながらシャインがタルタロスにいた間の事話そうよ!」

 

「……それもそうだな、行くぞ」

 

 二人は明らかに何かを用意している様子だが、相変わらずギリギリまで内容は話してくれない。私としては早く話してほしい気持ちもあるが、あえて楽しみとして聞かないドキドキ感も味わいたい。どちらにしろ、このように誰かに何かを用意して貰うと言うのは、とても久しぶりだ。

 

「さて、宿舎付いたね!」

 

「それで? 用意してるものは何?」

 

 三人で話しながら歩いているとあっという間に宿舎の前に付いたのだが、結局私は歩きながら考え、何を用意しているのかストレートに聞くことに決めた。

 

 するとクライトとサンの二人は私の前にぞろぞろと並び直し、後ろから何かを取り出した。

 

「そ……それって……」

 

 二人の手元に持たれていたのは、それぞれ2個づつ、計4個のタッパーに詰められたポテトサラダとローストビーフだった。

 

「ふふふ……めっちゃ頼み込んで宿舎のキッチン使わせてもらったよ!」

 

「材料費を全額負担してくれて、宿舎の人たちに全力で土下座してくれたトレ公に感謝……」

 

「マ……マジ? 今からこれ食べれるの……?」

 

 思わず私は口から涎を垂れ流して二人に間抜けな質問をしてしまう。ここまで来たらもう答えは決まっていると言うのに。

 

「食べれない訳ないだろ? これから俺達で宴だ!」

 

「シャインがかえってきた宴だぁぁぁぁあ!」

 

「よっしゃぁぁあぁぁぁぁぁあぁ!!」

 

 

 

「はふっ……はっ……うまっ……」

 

 温かいご飯をかきこみながらローストビーフを一切れずついただく。ソースとも絶妙にマッチしており最高に美味しい。隣ではトレーナーさんと木村さんが一緒になってポテトサラダを食べていた。

 

「あんまり食べすぎもいけませんからね、サン」

 

「はぁい。……でも残念だね、速水さんだけ書類仕事溜まってて来れないの」

 

「……宿舎をイレギュラーな使い方したしな……色々……追われてんだってよ……」

 

「じゃあ~、速水さんの分も少し詰めとこっか」

 

「サンキュ、サン」

 

 何と私達のポテトサラダとローストビーフの材料費を負担してくれたり、宿舎の人たちにキッチンを使わせてもらうために土下座をしたりした他、私たち以外のウマ娘がいない間に食堂を使わせてもらう許可を取ってきてくれたのも速水さんらしい。神かあの人は。

 

「生徒会長にこっぴどく言われてんだろうなぁ……うぅっ、あの対面を思い出しただけで寒気が」

 

「? 生徒会長さんに会ったことあるの? トレーナーさん」

 

「ん、まぁ……お前がいない間に色々とな……」

 

 私がいない間にトレーナーさんは生徒会長さんと話すほどの立場を確立していたのだろうか……。

 

 とりあえず今はこの幸せを噛みしめんとばかりに、ローストビーフを噛みしめる。噛むたびに味が染み出てきて口の中がパラダイスになっている。

 

「トレーナーさん、私もうお腹いっぱいだから私の分の白ごはん食べていいよ~」

 

「……い、いただきます……サン……」

 

 

「ふぅ……けぷ」

 

 そのまま時間は流れ、各々が食事をして場の盛り上がりが収まってきた頃。私もお腹いっぱいになってきたので、そろそろ追い込みをかけなくてはならない。そう思っていた矢先、突然クライトから声がかけられた。

 

「スタ公」

 

「ん? どうしたのクライト」

 

 突然真面目な声で話しはじめるのは良いのだが、椅子にもたれかかってお腹が膨らんでいるのにそのキリっとした顔されるとちょっと笑いかけてしまう。

 

 などと考えていると本当にぶっ飛ばされてしまうので落ち着いてクライトの話を聞く。

 

「ヴェノムストライカってやつについてだが……」

 

「……ヴェノムのことかぁ」

 

 クライトが話したがっていたのは、ヴェノムの事だった。確かに、クライトは少しだけ首を突っ込んできていたからきっといつか聞いてくるだろうと思ってはいたが、思っていたより聞かれるのが早かった。

 

「あいつ、スタ公の事を小さい時から目の仇みたいにしてたんだって?」

 

「うん、まぁ、そうだね」

 

 私はヴェノムに小さい時から何度も勝負を仕掛けられてそのたびに負けてきた。

 それはヴェノムがただただうっぷんを晴らしたいがためなのか、私をいじめたいだけなのか。今となってはわからない事もないのだろうが、聞く気はない。

 

『おらおらおら! そんなよわっちぃ走りしかできないのかヨ、シャイン!!』

 

『まって……許してよ……ヴェノム……』

 

『知るか! お前が弱いのがわるいんだロ!』

 

『なんで……どうしてそんなことするの……』

 

 いつの事かすらわからないが、はっきりと言われたことだけ覚えている風景が頭によみがえる。少なくとも小さいころと言うのは覚えているが、なかなか……。

 

「お前、あいつとの決着をどうするつもりなんだ? あの時、お前は全力を出していなかったが、それはあいつについてもいえる。お前ら様子見しすぎてお互いに強さが分からない状態と同じになってるんだぞ」

 

 私が昔の記憶に唇を噛んでいると、その様子を察してなのかクライトがすぐさま話題を畳みかけてきた。ふと現実に戻った私は、ヴェノムとの決着について考える。

 

「え、なにその話俺知らない」

 

「橋田にはあとで説明してやるから黙ってろ」

 

「はぁん……」

 

 途中で耳を傾けていたのであろうトレーナーさんが横から入ってきたが、冷静にクライトが落ち着かせる。

 

 それはそれとしてヴェノムストライカの事だ。確かにさっきクライトが言った通り、あの時私は全力を出していなかった。しかし自分の実力の事を気にしすぎて、まさかヴェノムも同じように手を抜いているとは思わなかった。そうなってくると結構厄介なことになる。私は20%の力を抜いてヴェノムに勝った、だが逆にヴェノムが70%くらい大幅に手を抜いていたとしたら全力で戦った時に50%も力の差が明らかになる。負ける可能性があると言う事だ。

 

 そしてどのくらい手を抜いていたかは今となってはわからない。

 

「……クライト、本当に申し訳ないけどあいつの武器は見てた? あの時は私あんまり見てなかったのよ……」

 

「あいつの武器か……いや、見てないな」

 

「だよねぇ~っ……」

 

 私は奥歯に挟まったローストビーフのかけらを他の人に見えない様に爪楊枝で取りながらヴェノムについて考える。

 

「小さな時からスタ公と仲が良かったやつか……」

 

「ちょっとやめてよ~、あれ見たでしょ? 仲良くないって」

 

「ん、そうか? 俺としてはやたら仲良さそうに見えたが」

 

「無理無理無理無理、自分の自慢多いし、すぐ私の事けなしてくるし。てか他の人にはある程度優しいのに私にだけ当たり強すぎなのよアイツ……」

 

「……それ、お前の事を特別視して……。いや、言うまい」

 

 結局ヴェノムについてはまた今後考えていくと言う事になり、その日の宴は終了した。

 

 部屋に戻ってベッドに飛び込むとふわふわの布団が私を包んでくれた。タルタロスに所属していた時は布団にもぐっていると色々な事が頭をよぎってきて一番つらい時間だったのだが、今はまったくそんなことはない。むしろ明日への希望が満ち溢れてすごい楽しいくらいだ。

 

 

 

「ふわぁぁぁ……」

 

 ベッドに飛び込んで数秒、私はさっきまで夜の部屋でトランプをやっていたはずなのだが、いつの間に朝になっていたのだろうか。

 と言う冗談は置いといて、トランプをやっている間に寝落ちてしまったのだろう。朝日が私の体を突き差してきて、とても暖かい、二度寝してしまいそうなほどに。

 

「ようスタ公、起きてやが……。おま、1人でトランプやってたのか!?」

 

「シャイン? うげ、ほんとだ。寝落ちたな~?」

 

「たっはは……ねっむ……」

 

 重い体を起こして、モーニングコールをしに来てくれたクライトとサンの二人について行って朝食を食べた。昨日の宴に続いて、朝食に関しても誰かと一緒に話しながら食べたのは非常に久しぶりだった。

 

 その際に再びヴェノムについての話題がクライトから出されたのだが、周りのウマ娘達がこの前の模擬レースの話題で盛り上がり、私達にめちゃくちゃ話しかけてきてしまったので再び保留と言う事になった。

 

 朝食を急いで食べ終わり、三人で食堂から逃げだしてきたのだが、とりあえずトレーナー三人衆を砂浜に呼び寄せないといけない。ある程度バ群から逃げたら、ウマホを取り出して私たちはトレーナーさんたちを呼びだした。

 

「ハァ……やっぱみんな血気盛んだね……模擬レースの話だけであんなに盛り上がるなんて……」

 

「ここからは私の時間なのにぃぃぃぃぃ」

 

「なんだオメーの時間って……はぁ、急に走り出したから腰いてぇ……」

 

 三人でストレッチもなく走り出した反動を受けながらトレーナーさんたちを待つ。岩陰で待っている間に速水さんと木村さんが来て、クライトとサンはお先にトレーニングへ向かってしまった。

 

「それじゃあなスタ公、トレーニングがんばれよ」

 

「シャインじゃ~ね~!」

 

「はいは~い」

 

 ……で、私のトレーナーさんが全く来ない訳だが。

 

 冷静にウマホを取りだし、メッセージのアプリを開く。私のメッセージに既読は付いていない、そして時刻はまだ昼すら回っていない。加えて最近まで担当ウマ娘がいなかった。

 

 ……寝坊してるなぁ。

 

「はぁ……全く、トレーニングがあるのに寝坊するって……。でも、ふふ……こんくらいおちゃめな方が楽しいよね……」

 

 暖かい陽気に触れていると、私もだんだん眠くなってきてしまう。タルタロスにいた時はこんな朝から日向ぼっこをするなんてありえなかったから、できなかった反動でますます睡眠のとりこになってしまう。

 

「おいおい、朝から昼寝かヨ」

 

「うわっ!? うがっ……いったぁ~……」

 

「お~お~、派手にぶつけたナ」

 

 突如後ろから聞こえてきた声に私は驚き、背後にあった岩に軽く頭をぶつけてしまう。しかし軽くぶつけたと言っても岩は岩、めちゃくちゃ痛い。

 

「ベ……ヴェノム……何の用よ」

 

「……お前、雰囲気変わったナ」

 

 雰囲気が変わった、というのは恐らく私がタルタロスを脱退したから明るく振る舞えていることを言っているのだろう。確かに少し前から体調はすこぶる良い。

 

 岩陰にヤンキーすわりをしながらおでこを掻いているヴェノムを見ながら、少しだけ警戒をする。このウマ娘はキグナスのようにウマ娘を消すと言った事はしないはずなのだが、見ないうちに性格が変わったと言う事もあり得る。もしかしたら私を消そうとしているのかもしれないし、ただ単純に私の上に立っていると言う照明をしたいのかもしれない。

 

 どちらにしろ、私より強いのであれば『誰にも越えられない記録』を作ることが出来なくなるため、ヴェノムを乗り越えると言う未来は変わらない。

 

「お前、この前の模擬レースは手を抜いていただロ」

 

「それはお互い様でしょ」

 

「うお、気付いてやがったのカ。シャインにしてはやるじゃねぇカ」

 

 私がそんな細かいところまで見れるようになっているとは到底信じられないと言った非常にムカつく表情でヴェノムは私を見てくる。最近はやりの動画投稿アプリで見そうなドヤ顔だ。

 

 うわ、上の前歯を見せてくるな、腹立つ。

 

「それで、何の用なの?」

 

「お前とは全力で戦いたいんだヨ」

 

「……とかいって、本当は私に勝ちたいだけなんでしょ」

 

「当然だろぉ、時間が経っててお前に負けてたなんて言われたら俺は立ち直れねぇヨ」

 

 やっぱり……。結局のところ、私をぶちのめしたいだけらしい。そんな小さい時から変わっていないヴェノムにうんざりしながらも、これに対して怯えていただけの昔の私にも腹が立った。

 今の私は最強とまではいかなくても、ある程度実力はあるはずだ。きっと今なら、ヴェノムの武器にさえ気を付ければギリギリ勝てるだろう。

 

 とかいってうぬぼれているとダービーの時のように脚をすくわれてしまうから、ある程度謙虚な姿勢でいきながら戦おう……。

 

「……どこで戦おうか」

 

「ふっ、意外と乗り気カ」

 

 私は開口してすぐにどのレースで戦うかを問う。うだうだ話を引き延ばしても、今のヴェノムには戦う事でしか答えられないと判断したからだ。まぁ、改めて考えてみてもキグナスのように負けたからといって追い込むように私を消しに来ると言うわけではない。強いて言うなら私のプライドが掛かっているが、それは向こうも同じ、今までの戦いに比べたらかなり安い賭け金といったところだ。

 

「そうだな……お前でも走れるレース……」

 

 正直皐月賞も勝ってるしNHKマイルも勝ってるし大体のレースは出れると思うのだが……と思っていると、ヴェノムが思いついたように掌を叩いて口を開く。

 

「……セントライト記念。それでどうダ?」

 

 ヴェノムの口から放たれたレース、それはセントライト記念だった。なるほど、確かにこの時期に私とヴェノムの決着をつけるにはちょうど良い舞台かもしれない。

 

 セントライト記念。

 中山レース場で行われる芝2200mの菊花賞トライアルレース。G2だ。

 G2と聞いて軽く感じるかもしれないが、菊花賞のトライアルレースと言う事もあって出走してくるウマ娘達の実力は恐らくピカイチだろう。油断はできない。

 

「菊花賞トライアル……」

 

 ふと私は、菊花賞を走る前のレース、クラシック三冠路線の二番目のレースを思い出す。

 

 日本ダービーに出走してきていた、あのデルタリボルバーと言うウマ娘。

 

 ……デルタリボルバーも出走してくるのだろうか。そうなった場合、私は勝てるのだろうか。

 

 キグナスでは三つの心臓を持つとか言われていたか、あの強大なスタミナ……そしてハイペースな走り。武器の内容自体はシンプルだが、単純なものこそ最強と謳う人もいる。

 

 三つの心臓を持つウマ娘に勝つには、三丁の拳銃(デルタリボルバー)と言う名前の通り、私の心臓が三つ打ち抜かれ、使い物にならなくなったとしても勝てるよう、()()()()()で対抗しなければならない。

 もし仮にセントライト記念でデルタリボルバーと戦う事になった時、私は四つの心臓を身に付けることができるだろうか。

 

『一着は、デルタリボルバーっっ!!』

 

『私が……負けた……?』

 

 デルタリボルバーの姿を思い出すと、ダービーでのあの景色が脳裏によみがえる。

 

 ……いや、やるしかないのだ。もう一つの菊花賞トライアルである神戸新聞杯にデルタリボルバーが流れるなどと言う淡い期待を抱くのはやめろ、スターインシャイン。

 

 デルタリボルバーとヴェノムストライカ。

 この二人を相手にして、私は勝つ。

 

 勝つしかないのだ。

 

「おいコラ、話聞いてんのかヨ」

 

「……分かった、やろう。セントライト記念で、私達の決着を」

 

 私は自身に満ち溢れた声でヴェノムに返事をする。私のその自信満々な態度を察知してか、ヴェノムは全身で意気込むような動きをしていた。

 

 私に対しての過剰な敵意さえなければ普通のウマ娘だろうに……。

 

「……また別の日に会おウ」

 

 喜んでいた様子のヴェノムだったが、突然顔を周囲にぐるぐると向け目を大きく広げて何かを見つめた後、そう言ってすぐに立ち去ってしまった。

 そうしてヴェノムが立ち去ったすぐ後に、また一つこちらに向かってくる足音が聞こえた。

 

「お~い! シャイン! すまねぇ! めっちゃ寝坊したわ!」

 

「まったくさぁ、誰にも越えられない記録を作るんだから一秒も無駄にできないんだよ~?」

 

「悪かったて。しっかり挽回するからさ」

 

「……ま、それならいいけど」

 

 そうして私は、橋田さんもとい私のトレーナーさんと一緒にトレーニングを始めた。

 

 

 

「はぁ~っ……はぁ~っ……。ふぅ、やっぱりこっちの方がやりがいあるわぁ~っ!!」

 

 トレーナーさんから提示されたトレーニングメニュー、それは以前見たものより圧倒的に多い気がしたのだが、トレーナーさん曰く『久しぶりにトレーニングメニュー考えてたら熱が入った』らしい。だがタルタロスでやたら辛いメニューをこなしていた私にとっては朝飯前と言ったところだ。

 

「ふむ、やっぱりタルタロスにいた影響かタイム縮まってる? 俺がトレーナーで大丈夫かな……」

 

「何言ってんの、私の横はトレーナーさんしかいない、これだけはもう迷わないから。……もうちょっと追い込んでいい?」

 

「……そう言ってくれると、本当助かるよ。ああ、いいぞ、思う存分楽しんでトレーニングに臨め!」

 

 (きた)るセントライト記念、私は再び星となる。たとえヴェノムやデルタリボルバーがそれを邪魔して来ようとも。

 

 

「……シャイン、俺は中山レース場で待っていル」

 




作者「『デルタ』を『三丁』と言っているのは気にしないでください。三角州とか言うので、デルタに関しては三つと言う意味で捉えています……」


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第七十八話 夏合宿 終了ッ!!

作者「推しの子のマンガ・聖闘士星矢のDVD・防音マット……いろいろ買いたいものが多いです」


 

「いやぁ、いろいろあった夏合宿だったなぁ」

 

「ホントにな。全く疲れたぜ」

 

「帰宅の時間んんんんん」

 

 学園に戻るバスが長旅の末学園に到着し、ようやく座る姿勢から解放された私たちは各々体を伸ばしながらバスを降りた。

 

 今日は夏合宿が終わった日だ。クライトやスロウムーンとのレース、レフトメテオのレース、キングスとの勝負、いろいろあった夏合宿だったが、とても楽しい夏合宿でもあった。あとタルタロスからの脱退もあったね。

 

「それでは夜も遅いですし、それぞれ自分の部屋に戻って休んでください!」

 

『は~い!』

「へ~い」

 

 一通り引率の人の話が終わった後、私達はそれぞれの寮へと返された。

 

 それにしても楽しい夏合宿だった。今はゆっくり自分の部屋に戻って体力を養おう……。

 

「夏合宿楽しかったね~!」

 

「そうだね~!」

 

「……他の部屋の子か」

 

 そう言えば、私の部屋には長い事誰もいない。入学当日に何故同部屋の子がいないのか聞いてからも何度か聞いているのだが、何度聞いても寮長には『気にしなくていい』としか言われないのだ。

 他の子たちは部屋で夏合宿の思い出について語り合うのだろうか。いや、それでなくたって普段から壁を通して聞こえてくる話し声が私の孤独を煽っている。

 

 ……寂しいなぁ。

 

「いけない、夏合宿で楽しい気分になっていたのに、こんなに暗くなっているとまたクライトやサンに心配されちゃう」

 

 私は気分を入れ替えて、自分の部屋のドアを開ける。そうだ、私は他の子に比べて一人分多く部屋を使えるのだ。そう考えれば優越感と言うのはあるものだ。

 

「よう、遅かったナ」

 

「うんうん、ちょっとナイーブな気分にナリーb……っどえぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

「お帰リ★」

 

 扉を開けると、なぜかそこにはヴェノムが座っていた。私がいつも使っているベッドとは反対方向に位置するベッドには見たことのない荷物が展開されており、私は部屋を間違えたのかと思ったが、間違いなく私のベッドがある、ここは私の部屋だ。

 

「なんで!? なんでヴェノム!? ヴェノムなんで!?」

 

「落ち着けヨ、この部屋はもともと俺が振り分けられてたんだよ」

 

「振り分けられてる!?」

 

「だから言っただロ、俺は問題行動で休学になってたんだヨ」

 

 問題行動を起こしていたから……気にしなくていいと言われたのか……? 

 いやでも普通、問題行動を起こしていても名前くらいは教えてくれるはずでしょ……? 

 

 あ、違う、ヴェノムを知っている私だからこそわかる。きっとヴェノムは相当やばい事をやらかしたのだ、恐らくは滅茶苦茶怪我させたとかそんなところだろう……それほど大きな問題行動を起こしていれば、気にしなくていいと言われるのも納得かもしれない……? 

 

「いやいやだとしても! そこにおいてあった私の物は!? たしか教科書とかの置き場にしてたけど……」

 

「あぁ、それならちょうどいいからバキバキに柔らかくして俺の枕にしてるゼ」

 

「ぎゃぁぁぁぁ!!」

 

 確かにヴェノムが座っているベッドの枕に注目すると、一般的に使われているであろう枕カバーの中に明らかにデコボコしたものが見える。そしてあの高さはちょうど私が夏合宿に出掛ける前いらないからと言って積んでいた教科書の山と同じ高さだ。

 

「なんつーことしてくれてんのアンタ!? ちょ、シワまみれじゃん!」

 

「まぁまぁそんなに怒るなっテ、俺もお前と同じ部屋って聞いてびっくりしたけどヨ、住めば都って言うだロ?」

 

 ヴェノムは茶化すような表情でこちらを見てくる。とても腹が立つ。

 

「言うけど! 言うけどアンタとだけは言える自信ないわ!!」

 

「おいコラなんでだヨ」

 

 ヴェノムの声を無視しながら、私は机に突っ伏する。何故だ、なぜよりによってこいつと同じ部屋になってしまったのだろうか。

 

 これからの私の学園生活はどうなってしまうと言うのだろうか。

 

「あ、ちなみにそれ、これからは俺の机ナ」

 

「そうだったぁぁぁぁ!!」

 

 そう、部屋がに分割になったと言う事で、どこでも私のスペースと言うわけではなくなったのだ。私は今自分が突っ伏していた机を見ると、確かにヴェノムの方にあった。

 

 落ち着いて叫びながら、自分の机に座りなおして突っ伏する。

 

「そんなに嫌がる必要もないだロ、別にただ俺が部屋にいるだけだってノ」

 

「それが嫌なんでしょうが!」

 

 突っ伏しながらも私は冷静にツッコミを入れる。

 

 それからもしばらくヴェノムとの内容の無い会話をしていたが、メンタルが限界になったのと、嘆いていてもヴェノムとの会話が長引いてしまう事を察した私はなんとかして寝ることにした。

 

 寝る際にもヴェノムにからかわれたが、無視して私はベッドにもぐりこむ。

 

「……ふっ、お休ミ、シャイン★」

 

「うるさっ!!」

 

 まるで彼女に言い聞かせるかのようにわざとクールなトーンで喋るヴェノムに怒号を飛ばして私は目を閉じた。

 

 寝てる間も何かをされてまともに睡眠がとれないのではないかと心配していたが、以外にもそんなことはなく、ヴェノムは何もしてこなかった。そのおかげで、結構熟睡する事が出来た。

 

 ただ一つ問題があるとすれば、次の日、目が覚めるとヴェノムが横にいると言う地獄の空間が出来上がっていたことだ……。

 

「ふっ、おはよウ、シャイン★」

 

「だからうるさっ!!」

 

 起きるや否や、ヴェノムは私にそう喋りかけてきたので突っぱねる。私はヴェノムと一緒の空間にずっといたら本当におかしくなってしまうかもしれない……。何とかしてこの部屋から飛び出そうと、せわしなく髪の毛をセットする手を動かしていると、私とヴェノムがいる部屋に来客があった。

 

「よう、夏合宿から帰ってきて一回目の夜は良く眠れ……。オメーは……」

 

「やっほーシャイン! クライトに引きずられながら遊びに来……あなただれ?」

 

「マックライトニングと、プロミネンスサン、カ……」

 

 部屋に来たのは、クライトとサンだ。クライトとヴェノムは以前戦った事があり、私と同じで少し仲は険悪らしいが、とにかくこの部屋のヴェノム要素を薄めたい時に来てくれたのはありがたい。

 ヴェノムは相変わらずニヤニヤした顔で余裕綽々と言ったところだが、クライトは明らかに敵意をむき出しにしていた。

 

「なんでオメーがここにいるんだ」

 

「シャインと相部屋なもんでネ」

 

「相部屋……?」

 

「前からこの部屋には誰もいなかっただロ?」

 

「……」

 

「え? なになに? 私分かんない!」

 

 クライトとヴェノムが話し合っている間に何とか準備を完了して部屋を抜け出そうとしているのだが、どうにも喧嘩が勃発してしまいそうであまり時間は無いかもしれない。ところどころでヴェノムを押さえるような声をかけつつ準備をして、ようやく部屋を出る準備が終わった。

 

「……どうしたよ、夏合宿の時みたいにうるさくないじゃねぇか」

 

「わざわざ口を開く必要もないかなっテ」

 

「あ~はいもう準備できたから行くよクライト! サン!」

 

「え~!? ちょっと私説明がないからわからないんだけど~!!」

 

 

 

「さて……スタ公、これからどうするつもりだ?」

 

「どうするって……。……セントライト記念で私たちは決着をつける約束をしてる、そこで勝って、おとなしくしてもらうよ」

 

「ぶ~……説明の時間んんんん!」

 

 太陽は軌道の半分を通り過ぎ、もう沈む準備をしようとしている頃。

 あの後、私の部屋を出て、授業を受けてから一度三人で集合していた。昨日は夏合宿から帰ってきてすぐに寮で寝てしまったため、このコーストラックも久しぶりに訪れる。

 

 そのコーストラックの端っこで、私はクライトにヴェノムとのことを説明していた。

 

 サンには……後で話そう。

 

「セントライト記念……菊花賞のトライアルレースか……」

 

「そう、どうせこのタイミングならそこくらいしか走るレースないでしょ」

 

「俺はトレ公と話し合って神戸新聞杯になったから、スタ公とは走らないことになるのか」

 

 クライトは神戸新聞杯、そう聞いて少し安心した私がいる。というのも、夏合宿で走ったクライトは私に負けこそしたものの、新しい武器に覚醒していた。私はその武器について説明されていないため、その武器を重点的にトレーニングして使われたら負ける可能性が大きくあるのだ。そのためクライトとレースが分かれれば、夏合宿で頻繁に行われるような模擬レースには残らない『レース映像』を見てクライトの武器を研究する猶予がもらえる。

 

「お~い! シャイン!」

 

「あ、トレーナーさん」

 

 私とクライトが話していると、遠くの方からトレーナーさんが走ってくるのが見えた。今日は一番乗りで来てくれたようだ。

 

「それじゃあ、私トレーニング行ってくるね。時間あったら併走もよろしく」

 

「おうとも」「じゃ~ね~シャイン~!」

 

 私はクライトとサンにそう別れの言葉を告げ、トレーナーさんを待っていたのだが……あまりにも遠く過ぎてトレーナーさんがへばっているので、ウマ娘である私が出迎えに行こうと思う。

 

 三人で苦笑いしながらも、私は立ち上がって走り出す。

 

「はいはい、トレーナーさん、迎えに来てあげたよ」

 

「た……助かる……」

 

 私が迎えに来てすぐはトレーナーさんの息が足りなくなっていたため、少し待つ。しばらくしてからトレーナーさんの息が整ったようで、トレーナーさんは崩れたスーツを直した後、改めてトレーニングメニューについて話しだした。

 

 ……ん? 今この人スーツ直した? 

 

 ジュニア期の頃はどんなに崩れてても直さなかったのに、ちょっと変わったんだな。

 

「さぁシャイン、トレーニングについてだが」

 

「ちょっと待ってトレーナーさん。私の次走について話してないでしょ」

 

「あ、そうか」

 

 私はトレーニングについて話し出そうとするトレーナーさんの口を止めて、次走についての話をした。

 

 最初トレーナーさんは『次走についての話し合いをする』つもりだったらしいが、私にとっては『セントライト記念を走ることについて相談する』つもりだったので、トレーナーさんは最初驚いていた。しかしすぐに私の話に耳を傾けてくれて、深く考えていた。

 

 話したことは大きく分けて4個

 

 ヴェノムストライカとの関係について。

 次走をセントライト記念にしたいと言う事。

 キングスクラウンが私と同じ武器を持っていた事。

 

 そして最後。これは一応まだ誰にも話していないこと。

『私の想いの継承について』だ。

 

 私が持つ武器である、想いの継承。それはタルタロスにいた時に大きく強化されている。原田トレーナーは私が想いの継承をできることを知っていたようで、想いの継承の質を上げるために、鬼のようなトレーニングをしていた。

 

 そのおかげで私はレースに関わりの無いレジェンドの力でも継承できるようになっているのは、以前クライトと走った模擬レースで披露した通り。

 

 詳しく言うと、走っているレースに関わりが無くても良いが、継承元のレジェンドと『少しは関わりが無いと』使う事は出来ない。かゆいところに手が届かないと言った状態なのが、今の私の想いの継承だ。

 

 それについても、トレーナーさんに1から説明した。

 

 流石にたくさん話しすぎたのか、トレーナーさんの脳がキャパオーバーしているように見えたが、あとで紙か何かに書いてメモを渡しておけばきっと理解してくれるだろう。

 

「な、なんか俺がサボってた間に色々あったんだな」

 

「まぁね」

 

「それにしても気になるのが『キングスクラウンの想いの継承』についてだな……」

 

 私が話した出来事の中で、トレーナーさんが一番に取り出したのはキングスクラウンについての話題だった。確かに私たちが今一番立ち向かうべき課題なのかもしれない。

 

 キングスクラウンは、チームキグナスの中でも最強格と言われているウマ娘だ。私達とはこの二年間でレースが被る事が無く、実力を測れていなかったが、なんとキングスはその出走するレースすべてで勝っている。確実に勝てるレースを選んでいるのか、奴の実力が高すぎるのかわからない。ただ、あの想いの継承を見てから考えると、恐らくは後者なのだろう。

 

 巷ではシンボリルドルフを超えるとまで言われており、その活躍は止まることを知らない。

 

「キングスは最後の方、私に『まだ知り合ったものしか使えないと言ったところ』って言った。多分キングスは、私とは違って、名前しか知らないウマ娘であっても、すべてのレジェンドの力が使えるんだと思う」

 

「……確かに、その発言の仕方だとそう考えるのが妥当か……。すべてのレジェンドの力を好きに使えるか……」

 

「それに加えて、私には今相手にデルタリボルバーとヴェノムがいる。きっとここが正念場になると思うから、しっかりトレーニングしないとね」

 

「そうだな。それじゃあさっそく……」

 

「あ、ちょっとまって」

 

「まだあるのか!?」

 

 話が長くなってきてしまったためいい加減くどいかもしれないが、トレーナーさんの口を止めて話の時間を引き延ばす。私が話したいのは単純な事だ。

 

「デルタリボルバーがセントライト記念に出走した時の為に、あるトレーニング……というより、私の新しい武器を会得したい」

 

「新しい武器?」

 

 そう、私が話したいのはデルタリボルバーに勝つための武器についてだ。もしセントライト記念にデルタリボルバーが出走してきたら、私は間違いなくあの()()に再びの敗北をするだろう。同じ武器に負けるなどというのは絶対に避けなくてはならない。そのためにはある武器を身に付ける必要がある。

 

「……4つの心臓を、私は身に付ける」

 

「4つの心臓!?」

 

 私の新たな武器、それは4つの心臓。セントライト記念で決着をつけると決まった時にも考えていた武器だが、私が身に付ける新たな武器は間違いなくそれだ。デルタリボルバーが3つの心臓でレースを走るならば、私は4つの心臓で走れば心臓1個分長い時間走れる。

 

 ここで言う『心臓』とは、ウマ娘が長距離レースを走るだけのスタミナ一個分と考えていいだろう。そのため私は、長距離レースを4回ぶっ通しで走れるだけのスタミナを身に付けなければならない。

 当然そんなこと不可能に聞こえるだろう、しかしやるしかないのだ。今までだってそうだった、どんなに不可能に思える武器でも、私は身に着けてきた。

 

「……ジュニア期みたいな厳しいトレーニングが考えられるなら、4つの心臓を私に与えるくらい、わけないよねっ!」

 

「……そんなに期待されても困るんだがな……」

 

 

 

「どぇぇぇぇっへっへっへぇ……うえっ……うぷっ……オエッ」

 

「そんなに吐かれそうになっても困るんだがな?」

 

 トレーナーさんに『4つの心臓』を会得するためのトレーニングを注文してから、トレーナーさんがトレーニングを思いつくのにそう時間はかからなかった。しかし問題はその内容だ。

 

「ま、まさか体に重りを付けながらランニングマシーンを高速で動かすとは思わなオエッ……」

 

 そう、トレーナーさんが提案してきたトレーニングは、私の体に結構重めの重りを付けながらランニングマシーンを全速力で走るというものだった。確かにこのような力技で武器を身に付けるのは嫌いではないが、やはりつらいものは辛い。やるしかないのだ。などとカッコつけていた数十分前の自分を呪いたい。

 

 結局このトレーニングを行ってしばらく粘ったが、結局4000mほど走ったところで脚が固まってしまった。肺は穴が開きそうなほど呼吸運動を繰り返しており、酸素不足によって視界は白黒している。

 

「いつにも増して嗚咽が凄いな……大丈夫か? ほら、学園の荷台貸してもらって水分沢山持ってきたから」

 

「あ、ありがとオエッ」

 

 私は地面にへばりつきながらオエオエ言っている。トレーナーさんの言う通りいつにも増して嗚咽が酷いかもしれない。タルタロスにいた頃の水分禁止トレーニングよりは辛くないが、にしたって負担が凄い。

 

「しかし……さっきお前から聞いた『心臓』の定義からしたら、これじゃ心臓1.5個分も無いな……」

 

「はぁ……はぁ……ふぅ……。1.5個分かぁ、うげぇぇぇ、きっつ……」

 

「まぁ、やるしかないだろ。デルタリボルバーとのレースについては、俺も前から何度も見返してる。あれに勝つにはもうこれをやるしかない」

 

「ふふ……私もまったく同じこと思ってる……一泡吹かせてやろうよ、心臓4個作ってさ!」

 

「おう! それじゃ、もっかいランニングマシーン付けるぞ」

 

「そ、その前にちょっと水分補給させて……」

 

「飲みすぎて吐くなよ」

 

 最初のセットが終わり10分ほど、私の息が何とか整い、トレーナーさんとの掛け合いで自分を鼓舞しつつ、2セット目を行うために立ち上がった。

 

「あっ……」

 

 しかしその瞬間、私の体に引っ掛けていた重りが落ちてしまった。しかも落ちた場所は、今から行われるトレーニングを実施するために高速回転し始めていたランニングマシーンの上だった。

 

「ぐはっ!?」

 

 ランニングマシーンの上に落ちた重りは、マシーンの上で思い切り吹き飛ばされ、トレーナーさんの脛へと飛んで行った。ダンベルの端についているような硬いものではなく、袋に重いものが詰まっているような柔らかいタイプだったのが幸いして大きなけがにはならなそうだったが、その重りに当たった衝撃でトレーナーさんがよろめいてしまった。

 

「おっとっとっと……」

 

「あっ、トレーナーさん!」

 

「え?」

 

 そうしてよろめいた先は、またもランニングマシーン。その上に乗ったトレーナーさんも見事に吹き飛ばされ、飛んで行った先は……。

 

「あぁぁぁぁぁシャインンンンン!!」

 

 ……トレーナーさんが私の為にたくさん水分を乗せて持ってきてくれた荷台の上だった。

 

 荷台の上に乗ったトレーナーさんは怪我こそしていないようだったが、荷台の方が問題だった。なんとタイヤにロックをするのを忘れていたようで、吹き飛んできたトレーナーさんを受け止めた荷台は当然勢いよく走り出す。それも位置が悪く、トレーニングルームの外へ。

 

「ああああトレーナーさん!! どこいくの!!」

 

「きゃっ、何あの人!」

「危ない!」

 

「もおおおおおおおお!!」

 

 いくら息が整ったとはいえ、足の痛みはすぐには逃げない。まだ少しだけ痛む足を走らせて、私はトレーナーさんを追った。

 

 

 

「やれやれ……やっと戻ってきたのね」

 

「おう、帰ってきたら夏合宿の途中に乱入することになるとは思わなかったけどナ」

 

 久しぶりに訪れるトレーナー室にて、俺は久しぶりに見るトレーナーの顔を拝ム。

 トレーナーの顔は相変わらず女とは思えないほど恐ろしく、俺でも多少接し方を考えてしまうほどだっタ。

 

「……やれやれ、またトレーニングメニューを考える日々が始まるのね」

 

「おいおい、嬉しくないのかヨ」

 

「あら、トレーナー冥利に尽きるとでも言えばよかった? 楽しければ体力使わない、なんてことはないのよ」

 

「楽しいんじゃねぇかヨ」

 

 なんだかんだ言って怖いトレーナーだが、一応は俺の担当トレーナーを楽しんでくれているようで何よりダ。トレーナー室でしばらく座っていて数十分、俺はある相談をしていないことに気付いタ。

 

「トレーナー、スターインシャインって知ってるカ?」

 

「……チームキグナスとやりあってる強いウマ娘、この前のダービーではキグナスに遅れを取ってたわね」

 

「俺、今度のセントライト記念であいつとやりあウ」

 

「……正気?」

 

 トレーナーは呆れたようにそう聞いてくる、俺の担当をしているのなら俺の性格はわかりきっているだろうニ。

 

「ああ、俺はいつでも正気だゼ」

 

「やれやれ……。私の見る限り、他のウマ娘よりとびぬけて強いわよ。それでもやるというの?」

 

「当然ダ」

 

「はぁ……やれやれ……。これから組むトレーニングメニューが大変になりそうね」

 

 トレーナーはデカいため息をついてからパソコンとにらめっこ勝負をはじめちまった。

 

「……どうして急にスターインシャインをターゲットにしたの?」

 

「……強え奴と、やりたいかラ」

 

「強いやつの基準は?」

 

「俺があいつを真の競争ウマ娘として認めてるからダ」

 

 

 

「……また、来たぞ」

 

 その子以外誰もいない病室にて、俺は返事が返ってこないと分かりながらもその子に声をかける。

 

 案の定、返事は返ってこない。しかしこれで良い、これがいつもの事だ。いつも返事が返ってこないと分かっているのに、鉄パイプに腰掛けてずっと話しかけている。

 

「すまない、俺のチームは今あるウマ娘に負けそうになっている。お前の……お前がサブトレーナーとして帰ってきてくれる頃には……潰れてしまいそうになっている」

 

 ベッドで幸せそうに眠っているそのウマ娘は俺の声に対しなにも反応を示さない。この部屋に流れているのは俺の声と、いつも来た時に控えめに流している曲と、唯一そのウマ娘が生きていることを証明してくれる心電図の音だけだった。

 

「……泣き言は良くないと、お前は言うだろう。しかしこれでは……。いや、まだだ、デルタリボルバーとツインサイクロンで……あの二人ならば……きっと……」

 

 

「お前の……俺たちの目標の為に……『最強になる』ために……ドリーム……」

 

 突然、俺の後ろにあるドアが勢いよく開いた。この勢いのある開け方は何度も聞いている。

 

氷野(ひの)さん、そろそろ時間です」

 

「……はい」

 

 俺は鉄パイプのイスから立ち上がり、病室を後にする。

 

 またしばらくしたら、迎えに行こう。



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第七十九話 何のために戦うか

作者「ねむい……(23/05/28/2:48)」


 

「……」

 

「おう、シャイン、そんな嫌そうな態度するなっテ。授業始まるまでそうしてるつもりカ?」

 

 私の布団を介して同じ部屋の中から声がかけられる。声をかけてきたのは当然私と同じ部屋にいる、ルームメイトのヴェノムストライカ。声をかけてきたヴェノムに対して私はうんざりと言ったような顔を布団の中でする。

 出来る限り話しかけない様にしていたと言うのに何故わざわざ話しかけてくるのだろうか。

 

「おいおい、返事くらいしてくれヨ」

 

「……何?」

 

「お、やっと返事してくれたヨ」

 

 恐らくこのまま返事をしなければ私自身自分の行動にクズみを感じてしまうだろうし、それでなくたってヴェノムはずっと話しかけてくるだろうと思い、返事をする。

 

 私が返事をするとヴェノムはやれやれと言ったようにため息をついて、布団の外ではベッドから立ち上がる音が聞こえた。

 

「お前さ、ちょっとは強くなったかヨッ」

 

「……そんなくだらないことを聞くために声をかけたなんて言わないよね?」

 

 我ながらタルタロスにいた頃のような声を出して、ヴェノムに質問をし返す。布団からも顔を出してヴェノムの顔を見たが、質問し返されても気にしていないと言うような顔でニヤニヤしていた。

 

 布団から顔を出すのではなかった。

 

「だいたいお前よ、なんでそんなに怒ってんダ? ちょっとちょっかいかけてやっただけじゃねぇカ」

 

「……忘れたわけじゃないでしょうね? アンタが私を走りでいじめた事、何度も木の枝を持って私の事を追いかけてきたこと、挙句私の事を捕まえたら胸ぐら掴んで奇声上げて。今のアンタが不思議なくらいおかしいことしたの忘れたわけ?」

 

「……そんなこともしてたナ」

 

 今の今まで忘れていたと言うような顔をしたヴェノムに対し、私は頭を抱えた。なんとヴェノムは私に対して行ってきたことを忘れていたと言うのだ。もう本当に、このウマ娘は他人をムカつかせる天才か何かだろうか。でもヴェノムの周りにいるウマ娘達は全くムカついていないどころか、ヴェノムも普通の対応をしているからむしろ人気になっている。

 

「あ、あとあれダ、お前のプリン食ったりしたナ」

 

「そうじゃん、食ったじゃん。ぶっ飛ばすよマジで」

 

「まぁもう時効だロ」

 

「日本の時効期間は25年だし」

 

「まぁ今相部屋だし、ルームメイトのよしみで許してくれヤ」

 

「当時は相部屋じゃないんだけど? てか許すつもりないけど?」

 

「俺はあの時から友達だと思ってたゼ★」

 

「私は思ってないんだけど?」

 

 なんというか、ヴェノムと話していると本当に疲れる。

 

「ま、俺の気持ちなんてお前はわからないだろうけどナ★」

 

 早く授業の時間が迫ってこないかと思っていると、ヴェノムが気になることを言った。ヴェノムの気持ち? そんなもの分かりたくない、そう思っていたが……。

 私は、小さい時の嫌な気持ちをそのままヴェノムの印象へとつなげていた。しかし今、精神が成長した今になって昔のヴェノムを思い出してみると、あまり私に被害が無いようにも思えるのだ。もしかしたらヴェノムはいじめる意思はなかったのではないかとさえ思う。

 

 確かに精神が未熟でいじめのような行為をいじめと認識できない子供がいると言う話はよく聞く。ヴェノムもその一人なのかもしれないと考えれば、今のヴェノムはまともな成長を遂げたヴェノムという可能性も捨てきれない。

 

 ……そもそも、そう思わないと今後相部屋としてやっていける気がしない。

 

「どういう意味?」

 

 その可能性を捨てきれなかった私は、先ほどのヴェノムの発言にストップをかける。ヴェノムの気持ちと言うのはどういう気持ちなのだろうか。

 

「……俺みたいなのが自分の気持ちを語るのは良くないと思うからナ★やめとくゼ★」

 

「ちょっとまってよ、なにそれ。アンタの気持ちなんて知ったこっちゃないけど、私の解釈と違う考えしてるって言うなら教えてくれてもいいんじゃないの?」

 

「良いんだヨ、お前はただ走ってリャ」

 

 私が食い下がると、なぜかヴェノムは自分の気持ちを明かすことをしないと言いだした。自分から気持ちの存在についてほのめかしたのに、何をいまさらビビっているのだろうか。

 

「……まぁ、どうしても知りたいなら、自分で俺を口説いてみロ。どうせ知っても何も面白かなイ。お前はただ単純に俺に対して疑問と怒りが湧き上がるだけだゼ」

 

「ふん、いいよ。私はどうしても口説いてやるから」

 

「ずいぶん興味津々じゃねぇカ。さっきまでのお前が嘘みたいにナ」

 

 この時私は既にヴェノムの挑発のような発言に乗せられていたのだろう。ヴェノムが私から気持ちを聞いてくるように仕向けるように綿密に練られたヴェノムの発言に、完璧に乗っていた。

 

 まぁ、この時の私はそんなこと知る由もなかったけど。

 

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……おいコラぁぁぁぁ逃げんなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「へっへー!! 口説くのは自由だが俺はおとなしくしてるなんて言ってないゼー!!」

 

 ヴェノムが私に絡んでくる本当の理由、ヴェノムの気持ち。それらを知りたければヴェノムを口説けという挑戦を受けてから20分ほど経っている。私は何故か学園内でヴェノムを追いかけている。

 

 ヴェノムの言い分的には『俺を捕まえてから口説け』と言う事らしいが、なんのために逃げるのか全く理解できん……。

 

「ほらほらァ、こんなペースじゃ俺に追いつくなんて不可能だゼ!」

 

「まてコラぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 突然ヴェノムが走り出したせいで、私はスタートの時点でかなり距離のアドバンテージを取られている。このままではヴェノムに追いつける気がしない。

 幸いトレーナーさんと行っていたスタミナトレーニングで長時間走るスタミナは付いているが、流石にそろそろきつくなってきた。

 

 遠くの方にいるヴェノムもかなりの汗をかいているように見えるが、一向にスピードが落ちる気配が無い。デルタリボルバーの驚異的なスタミナについて悩んでいた矢先、ヴェノムのスタミナにも驚かされることになるとは思っていなかった。

 

 当然曲がり角を曲がる際や階段の上り下りの際に生じるスタミナ消費もあるだろうが、それにしたって私がバテてヴェノムがバテないのはおかしい。

 

「げっ……かはぁっ……オエッ……もう無理……」

 

「あばヨ~!!」

 

 私は疲れ果て、その場に座り込んでしまった。それを見てギブアップしたのを察したのか、ヴェノムは去る言葉を残してどこかに走っていった。

 

「……なにしてんだお前」

 

「ク……クラげぼっ……オエッ……」

 

「落ち着けよ、吐くなよ絶対」

 

 地面にしがみついていると、私とヴェノムの追いかけっこを見ていたクライトに声をかけられ、私の疲れた体を簡易ではあるが助けてくれた。

 

「で、何してんだお前……」

 

「聞いてよおおおおクライトおおおお」

 

 私は朝からヴェノムと交わした会話の内容をクライトに説明した。ヴェノムは私が先入観で思っているような人物ではない可能性があること。話をしたければ追いつけと言われたこと。

 

「あいつはなんなんだ……」

 

「さぁ……昔から知ってる私にもわからないよ……」

 

「うん、まぁ……頑張れよ、スタ公」

 

「……頑張る」

 

 

 

 そこからはまさにいたちごっこだった。

 毎日のようにヴェノムを追いかけて、追いつけず私が先にギブアップする。それがここしばらくのルーティンになっていた。あまりにも毎日追いかけっこをしているもんだから、他のウマ娘からは『ルパン三世』と言われるようになってしまい、なかなかに不服だ。

 夜寝る時間になり、お互いに部屋に帰ってきてもヴェノムはすぐに寝てしまう。そのため話すことができず、結局朝逃げられる。

 

『へあぁぁぁぁヴェノムぅぅぅぅぅ!!!』

 

『まだまだ俺は走れるゼ──っ!!』

 

 ヴェノムとの追いかけっこをした日も当然トレーニングをする、もちろん内容は以前行っていたスタミナトレーニングだ。だがそのスタミナトレーニングを行っているのにもかかわらず、ヴェノムには追いつけなかった。

 それほどヴェノムのスタミナが大きいのか、私の成長率が低すぎるだけなのか、それはわからない。

 ウマ娘には得意とするステータスがあると言うが、私は根性などに成長率を振り切ってしまったのだろうか……。

 

「はぁ……トレーナーさん、どうしよ……」

 

「どうしたとっつぁん」

 

「誰が銭形刑事やねん」

 

「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」

 

「食堂のニンジンです ……じゃないよ何言わせてんの」

 

「別に回避できただろ今のは。バカな事やってないで早くトレーニングするぞ」

 

 スタミナの事について昨日トレーナーさんに相談してみたが、トレーナーさんにも『スタミナを伸ばすしかないだろうな……』と言われてしまった。いや実際問題そうなのだが、そのスタミナが伸び悩んでいると言う事も伝えた結果、新しいスタミナトレーニングを考えておくと言われたので、私も納得しそれ以上何も言わないでおいた。そして今日、トレーナーさんが持ってきたスタミナトレーニングと言うのが……

 

 

 

「ははぁ~ん、そう言うことね……じゃ、私帰る」

 

「そう言うことだ。逃がさん」

 

「はぁ……一応アタシの家の敷地内なんだけどね……」

 

 私が連れてこられていたのは、ドンナさんの家付近。以前ドンナさんの家を訪れた際、付近は山場だった、そこにトレーナーさんは目を付けたらしく、ドンナさんの家付近に会った角度90°を超えるのではないかと思われる断崖絶壁を登れと言い放った。

 

「卒業してから暇だからね、自然から丸々くりぬいた激ムズボルダリング施設を作ってみたんだけど……あんまりにも大変だからアタシは一回も使ってないんだよ。ちゃんと安全は確保されてるから安心しな」

 

「安全確保されてても嫌なんですけど!?」

 

「まぁまぁ、許可は貰ってるし、いいじゃん、チャレンジチャレンジ」

 

「めっちゃ簡単に言うじゃん! 登らなくても死ぬほど大変なの分かるからねこれ!」

 

 私は今までトレーナーさんの提出してくるトレーニングに対し、文句を言う事はあったが、抵抗する事はあまりなかった。だがしかし今私は珍しくごねている。それもそうだ、だってこんな、ゴツゴツしてて、高さ50mはくだらないだろう崖を登るなんて狂気の沙汰だ。命綱があっても嫌だ。

 

 それでもここまで連れてこられてしまった以上、もう登るしかないと言う空気が漂ってしまっている。ドンナさんも私に対して『ほんとに登り切れるのかね?』と言ったようなニヤニヤ顔を見せている。登り切れるわけないでしょこんな化けもん壁。

 

「ほら! もう命綱は繋がってんだ! なんかあったらアタシのせいにしていいから行ってきな!」

 

「あぁぁもぉぉぉぉ!! やればいいんでしょやれば!!」

 

 私があまりにも立ち尽くしていると、ドンナさんに背中を叩かれてしまい、ただでさえその場の『登るしかない』と言う空気に怯えていた私は壁の凸に手をかけてしまった。

 

「ぐ……ふ……」

 

 壁を登り始めて数分。未だ私は地面から5mほどの所で突っかかっていた。と言うのもこの壁、普通のボルダリング施設に比べて掴む所が圧倒的に小さい。尚且つ自然から丸々くりぬいた壁と言う事で、岩肌が私の手を蝕むのだ。ある程度掴む所にヤスリをかけられてはいるのだろうが、それにしても痛い。

 

 それに加え、掴む所が小さいと言う事は乗る場所も小さいという事。私は壁につま先立ちをするような形でしがみついていた。

 

 まだ全体の3分の1にも満たない場所だと言うのに、これでは私の体力が持たない。体力だけでは飽き足らず、汗は滝のように流れ、私の水分すらも奪っていく。

 

 しかし、トレーニング内容が幸いした。これは確かにスタミナが鍛えられるが、それと同時に根性も鍛えられる。根性は私の得意分野、スタミナの能力が低くてキツく感じるトレーニング内容はある程度カバーすることができる。

 

「うわっ!!」

 

 スタミナが切れてきて、手の力が抜けてきた頃、私が掴もうとしていた左手側の壁が少し崩れた。私は掴もうとしていたところが突然亡くなったパニックで体勢を崩したが、何とか持ちこたえた。しかし体勢が崩れてしまった事で余分に体力を削られる。

 

「お~~い! シャイン!! 本当に限界なら降りてきてもいいんだぞ~!!!」

 

「けぇっ! 誰が降りるもんか!」

 

 提案してきたのはトレーナーさんだろうに、今更なに優しさを見せてきているのか。

 

「登り始めたからには登りきる!」

 

 そのままトレーナーさんの優しさに甘えることなく登り続け、私は壁の半分というところまで来ていた。手の感覚は無くなってきており、ゆっくりと登っているはずなのに脚の筋肉は全力疾走しているかのような疲労を覚えていた。

 

 私の口からは大きな酸素の移動が止まらず、この状態でレースが終わった後のレース場に紛れ込めばバレないだろうという感じだ。

 

 たがしかし、あと少しで頂上だと言うところで、またも問題が発生した。

 

「は……? マジ……???」

 

 なんと私の安全を保障してくれていた命綱が、どこかで崖のでっぱりに引っかかってしまい千切れたのだ。命綱が千切れたせいで、私は手を離せば落下する状況となった。高さは10mほどだろう、落ちれば落下死は免れない。

 

「うわぁぁぁシャイン!! 絶対に手を離すなよ!!」

 

「アタシが頂上に先に行ってシャインの手を掴む! 橋田、アンタはシャインが落ちた時の為に構えておきな!! 絶対にキャッチミスるんじゃないよ!!」

 

「はぁ~っ……はぁ~っ……」

 

 命綱が落下していった崖下を見て、私は叫び声をあげる事すらできていなかった。ただひたすらに、自分が今生きていることを証明するかのように不安定な呼吸を繰り返すばかり。

 

 神のいたずらなのか、私の全身のスタミナがもう切れかかっていると言うタイミングでのハプニング。

 

 手はもう感覚が完全に無く、疲れた状態でいるため次はどこに手をかければよいのかすら分からなくなってきた。頂上は見えているのに、微妙に距離があるせいで一気に登ることができない。

 ドンナさんが登り用の道を使って頂上に向かっているが、その助けもまだ来る様子が無い。

 早く登らなければならない。こうしている間にも私の体力は岩肌に奪われていく。しかし腕を上げれば間違いなく力尽きる……。

 

 そうして迷っている間に──

 

「あっ……」

 

 ──私の手は、崖から離れてしまった。

 

 

「死……っぅあっ?」

 

「面白そうだからついてきたけどヨ、ダセーな、相変わらズ」

 

 私の手は掴まれていた、頂上にいつの間にかやってきていたヴェノムに。

 

「なんで……付いて来……は……? あっ……」

 

 どうにかして状況を理解しようとしたが、ただでさえ疲弊していた体に死の恐怖が重なり、なおかつ死ぬ直前までいったところに緊張の緩和が訪れたことで私は意識を失った。

 

「うオッ、気絶しやがって、おめーんだヨ」

 

「アンタは……」

 

 

 

「んぅ……?」

 

「お、起きたかシャイン」

 

 目が覚めると、以前見たドンナさんの家だった。同じ部屋にはトレーナーさんとドンナさん、……それにヴェノムまで座っていた。

 

「やれやれぇ、ずいぶん危険なトレーニングしてんナ、お前んとこのトレーナーハ」

 

「面目ない」

 

 何故かトレーナーさんはヴェノムの隣で正座しているが……。

 

「私は……」

 

「それについてはアタシが説明しよう。アンタはね、そこにいる子に命を助けられたんだよ。まさかアタシより先に頂上にいるやつがいたなんて思いもしなかったけどね、なんでも学園からアンタたちに付いてきたみたいだよ」

 

「……は? アンタ学園から付いて来てたの!?」

 

「ああ、そうだゼ」

 

「うわきもっちわる!! きもっっっちわる!! ほ~んまド変態ウマ娘が!!」

 

「ハァ!? お前ド変態だけは聞き捨てならないゾ!?」

 

「はぁ~ほんま、ちょっかいの次はストーカー?? やめてよねも~」

 

「お前が学園抜け出して山ン中行くからだロ!? 面白そうでしかないだロ!!」

 

「面白そうだからって付いてくるのがまず──」

 

 ドンナさんから話を聞いて、全てを聞き終わった直後にヴェノムに対して過剰な拒否反応が出てしまった。ドンナも珍しく怒っており、数分ほど喧嘩が続いた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「ハァ……ハァ……」

 

「……喧嘩は終わったかい?」

 

「まことに申し訳ない」

 

「アンタはいつまで謝罪してんだい、つか誰に謝罪してんだい」

 

 なぜヴェノムが私にここまで固執するのか、わからなかった。なぜ山の中までストーカーしてくるほど固執するのか、疑問だった。

 

 そうだ、その気持ちを聞きたければ口説けとヴェノムは言った。今なら逃げ場はないかもしれない。

 

「……あんたさ、なんで私に拘るのよ」

 

「……ア、そいじゃ俺は帰らせてもら──」

 

「はい、確保」

 

「……アアアアア!!」

 

「……なにやってんだいアンタら」

 

「あ、それは俺から説明します」

 

 隣にいるヴェノムに私への執着の理由を聞くと、ヴェノムは逃げようとした。しかし恐らくここで口説かれるとは思っていなかったのだろう、逃げ遅れたところで腕を掴んでヴェノムを確保し、何とか逃げられずに済んだ。腕が先ほどのトレーニングで疲弊しており、豆腐すら握りつぶせない力で掴んだが、ヴェノムにとっては敗北の証明だったらしい。以外にもすぐにおとなしくなって話をしてくれるようだった。

 

「……小さい時から、お前の強さには気づいているつもりだっタ。だからお前の強さに、もっと触れてみたかっタ。それが結論ダ……。でも確かに、幼いながらにいじめていた気持ちはあるかもしれなイ……」

 

 ヴェノムが私をいじめていた理由については、とてもくだらないものだった。いや、とてもくだらないと見下すのは良くないだろう。強い人を見たらその強さに触れてみたくなる気持ちはよく分かる……。しかし、ヴェノムの場合はやり方がよくない……。

 

「まぁ、とりあえず結論だけ聞いてみての感想……聞く?」

 

「……今更そんな言い訳をしてなんだ、といったところカ?」

 

「……」

 

 何も言えなかった。確かにヴェノムの言う通り、数年越しに会ったと思ったら、いじめをしていたあの時は一時の気の迷いだったなどと言われて納得できるわけが無い。

 しかしヴェノムの気持ちを考えるとその感想を直接言うわけにもいかなかった。

 

「ま正直お前の事を倒したいって言うのは本音ダ。お前との決着をつけたいのも本音ダ」

 

「夏合宿で再開した時やたら昔の敗北をいじってきたのは?」

 

「恥ずかしくテ……」

 

「本当は?」

 

「お前に会ったことによる昔を思い出した脊髄反射」

 

「ひきずりまわす?」

 

「勘弁してくレ」

 

 まぁ兎に角、ヴェノムの話を聞く限り、今のヴェノムに悪意が無いと言う事はわかった。そんなヴェノムがなぜ問題行動をしたのか疑問は残るが……もともと荒っぽい正確なのは変わってないし、さしずめ何か万引きでもやらかしたのだろう。

 

 ……やはり何とも言われようのない気分だ。どうあがいてもヴェノムはとても性格の悪いやつと言うイメージが抜けない。でもそれは昔のヴェノムであって、今のヴェノムは違う。今のヴェノムを受け入れてあげないといけないのに、どうしても昔の記憶がフラッシュバックしてくる。

 

「……シャイン、アンタ、納得いかないって顔だね」

 

「……昔のいじめっ子のイメージは抜けない。どうしても」

 

「……」

 

 私たちが分かりあう方法、それは……それは──

 

「やっぱり、セントライト記念で私達の決着をつけよう。私たちはそれ(走り)でしか分かりあえない」

 

「……ああ、いいゼ。戦おウ」

 

 私が決着についての話を再提案すると、そこからヴェノムの瞳の中で、毒々しい紫の瞳孔が光り輝いているように見えた。

 

 

 

「失礼、スターインシャインさんと橋田瑠璃さんで間違いないでしょうか」

 

 ヴェノムとの会話が終わり、私達は学園に帰った。しかし学園に到着して数分、私とトレーナーさんがそれぞれの寮に帰ろうとしたところで、私達の事をフルネームで呼ぶ声が聞こえた。

 

 後ろを振り向いた時、そこには。

 

「キグナスのトレーナー……!?」

 

「なんでこんなところに?」

 

 私たちの後ろに立っていたのは、私達がジュニア期の頃から散々戦ってきたチームキグナスの大元、チームを立ち上げた本人であり、現トレーナーである男だった。

 

「もうすぐ、クラシックレースの最高潮、菊花賞がある。君たちは、私のチームに勝てない」

 

 キグナスのトレーナーが語るのは、菊花賞での全面的な宣戦布告だった。恐らくはデルタリボルバーで勝てると踏み、私の事を精神共々消しに来たのだろう。

 得意げに話しながらも静かに、上品に話すその男からは、ウマ娘ですらないものの圧倒的なオーラを感じた。

 

「なんでそう言い切れるんです? うちのシャインは菊花賞に向けて()()()調整を行っていますよ」

 

 私のトレーナーさんも負けじと反論する。まさか反論されるとは思っていなかったのだろうか、キグナスのトレーナーは少しだけ、本当に少しだけ驚いていた。その後に少しだけ笑みを浮かべて言葉を放った。

 

「……デルタリボルバーのスタミナに勝てるとでも? 先のダービーを見たと思われますが、あのウマ娘は規格外のスタミナを持っている。距離が長い菊花賞で戦うなどもっての外、あなたたちに勝算は無い」

 

「ならデルタリボルバーに追いつけるくらいスタミナをつければいいんだろ? うちのシャインなら余裕だ」

 

「あなたたちは私のチームに楯突きすぎた。ドンナから話は聞いているでしょう? 私のチームは他のウマ娘を消す。……一つ聞かせてください、もう一度言いますが私のチームは他のウマ娘を消す、それなのになぜ私のチームに刃向おうとしたのかを」

 

 キグナスのトレーナーは周りの耳を気にしながらも、私達にそう聞いてきた。

 

 当然、答えは一つのみ。

 

「私には目標がある、『誰にも越えられない記録』を作る目標が! それを邪魔するなら、容赦しないだけだよ!」

 

「誰にも越えられない記録……か」

 

 トレーナーさんが答えるより先に私がそう答えると、キグナスのトレーナーはだんだんと様子を変えた。先ほどまで落ち着いたような、王者が玉座に座っている時のようなオーラが、とても激しい怒り、まるで家族を殺されたかのようなオーラを浮かべていた。

 

「面白い。なら徹底的に潰します」

 

 オーラこそ変わっているが、落ち着いた様子は維持している。これまで見てきたトレーナーは結構怒りをあらわにすることが多かったが、そこらへんは流石学園一のチームと言ったところだろう。

 

「俺たちに宣戦布告をしてビビらせるのが目的だったみたいだが、失敗したみたいだな」

 

「……構いませんよ、あなたたちに敵を意識させるのが目的なので。私も気合が入りました」

 

 言葉に力が入っている、恐らくこの言葉は嘘ではないのだろう。そう言ってキグナスのトレーナーは立ち去ろうとしたが、立ち去る前に私はキグナスのトレーナーを引き留めた。

 

 まだ、まだ聞いていないことが一つある。

 

「あなた……あなたの名前はなんですか?」

 

 私が聞いたのは名前。今まで『キグナスのトレーナー』と呼んでいたが、私達は未だこの人の名前を知らない。

 

 キグナスのトレーナーは後ろを振り向き、再びオーラを出しながら答える。その時に放ったオーラは、紛れもない一番の担当ウマ娘、キングスとほぼ同じのオーラだった。

 

氷野(ひの)飛鳥(あすか)……それがあなたたちを潰す男の名前です。このまま無事にクラシック期を終えられるとは思わない方が良い」

 

「氷野……氷野トレーナー……覚えたから、あんたの名前。アンタのチーム全員に、私は勝つ!」

 

「私が話すことは以上です。さようなら」

 

 そう言ってキグナスのトレーナー、氷野は立ち去ってしまった。

 

 そうだ、私達の敵はヴェノムだけじゃない。

 

「デルタリボルバーについても、おいおい考えないとね……」

 

「ヤツがセントライト記念に出るかどうか、そこだけが心配だな」

 

 今再び、私の闘志に火が付いた。

 



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第八十話 薔薇

作者「今週火曜日に亡くなったナイスネイチャのご冥福をお祈りします。彼がいてくれたから、ウマ娘のナイスネイチャが生まれた、出会えた。家に帰り、彼が亡くなったニュースを見て、いい年をしながら大泣きした。ただひたすらに悲しい。でも彼が穏やかな人生を過ごせてよかった。競走馬もウマ娘も、どちらもずっと私の最推しです」


 

「……あ、こっちこっち! トレーナーさぁぁぁん!!」

 

「ここにいましたか、サン」

 

 人が多い中、目を細くして探していたトレーナーさんをしっかり呼び止める。自分でも自慢の大声に気付いたトレーナーさんはこっちに手を振って来てくれた。

 

「ごめんね~こんなわがままに付き合ってもらっちゃって! 私の気分がお食事の時間でさ~」

 

「構いませんよ、最近こんなこともしてませんでしたし」

 

 トレーナーさんは相変わらずの爽やかスマイルで返事をしてくれる。

 

 私のわがまま。今日は本来トレーニングのはずだったのだが、私の気分的にどうしてもトレーニングの気分になれなかった。だから今日はトレーナーさんに最近気になっていたスイーツ食べ放題のお店に連れて行ってもらうのだ。

 

 ……トレーナーさんに次走はまだ明かされていないが、絶対レースは近いだろうからあまり食べられないけどね。

 

「それじゃあ行きましょうか、案内はよろしくお願いしますよ」

 

「うん!」

 

 トレーナーさんの前を先導しながら目的のお店へと向かう。先ほどもトレーナーさんが言った通り、最近このように二人でお出かけすることは無かった。そのため久しぶりのお出かけとなり、私もテンションが上がっている。

 

 歩いている最中、トレーナーさんは何かの資料を確認していた。こんな時でもレースについての研究だろうか。私は別に構わないが、会話が無いと言うのは少し気まずかった。

 

「……あ、いけませんね。せっかくのお出かけなのに紙を見てばかりでは。気を付けます」

 

「全然いいのに!」

 

「今日はお出かけを全力で楽しまないと、モヤモヤしてしまいますから」

 

「……そっか! ありがと!」

 

 

 

 しばらく歩いていると、目的のお店が見えてきた。街中を歩いている時に定期的にお店を見ていたが、そのピンクで覆われた外見を目の前にしてみると、やはり圧倒的なキャピキャピ感だ。改めてトレーナーさんの方を見ると、少し苦笑いをしているのが見える。

 

「ご、ごめんね? トレーナーさん。でもここのスイーツ食べ放題おいしそうでさ……」

 

「い、いや……一応話は聞いていましたが、まさかこんなにも男性が入りにくい外見だとは思わずつい……。大丈夫ですよ、こんな程度でお出かけを取りやめにはしません。入りましょうか、サン」

 

「大丈夫……?」

 

「……ええ」

 

 来てしまったのは仕方がないと言わんばかりに、トレーナーさんは頑なに行こうと答えた。

 

 店内に入ってみると、私が事前に予約した席以外はやはり埋まっていた。とても人気なお店のようで、予約でもしないとこうやって席が埋まり、とても長い時間待つことになるのだ。

 

「おいしいね!」「うん!」

「このスイーツおいし~い!」

「パクパクですわ──ッ!!」

「マックちゃん……12個目だぜ?」

 

 そして……どの席に座っている客も女の子ばかりだ。男性は一人もおらず、今この店内にいる男性は私のトレーナーさんだけだ。絵面としては、とても異様だ。

 あとなんか端っこの方にお腹をめちゃくちゃ膨らませてもなおスイーツを食べ続けるウマ娘の人が見えたけど、目を合わせないでおこう。

 

「えー……っと、一応持っかい謝っとくね?」

 

「か、構いませんよ……サン」

 

 このような空間に連れてきてしまった事に対し謝ると、トレーナーさんはぎくしゃくした笑顔を浮かべながらもそう返事してくれた。

 

「(男がふさわしくないような空間にいてなにがおかしいんですか……私はサンと一緒にスイーツを食べに来た……ただそれだけです……私がこの場にいてはいけないような圧力になど負けません……!)」

 

 店内の奥に進み、私があらかじめ予約していた席に座ると、店員さんにお店のルールを説明されたのちに店内にある食べ物表のようなものを貰った。

 

「あ、スイーツだけじゃなくて一応しょっぱいものもあるみたいだね」

 

「……まぁ、スイーツを食べに来たんですし、今日はいいですかね」

 

「甘いものばっかりできつくなったらちゃんと言ってね?」

 

「大丈夫ですって」

 

 私のトレーナーさんがずっと心配で過保護気味になってしまっているが、立場で言えば私が保護される側だし、トレーナーさんだって大の大人だ。大変だったら大変だと言うだろう。そう思いそれ以上は何も言わなかった。

 

 トレーナーさんと一緒にスイーツを取りに行くと、そこには大量のスイーツがあった。

 

 モンブラン、ショートケーキなど王道のスイーツもあれば、なかなかお目にかからないようなスイーツもあった。私はその中から何個かをさらに取り、トレーナーさんもそれに続いてお皿に取る。

 

 見たところ一つ一つがかなり大きいようだし、おおよそ3,4個食べればお腹いっぱい食べれるだろう。

 

「この大きさでこの値段なら、かなりお得ですね」

 

「そうだねぇ! トレーナーさんの財布にも火がつかなくて済むね!」

 

「橋田さんじゃないんですから……」

 

 席に戻り、トレーナーさんと一緒にスイーツを貪りながら他愛のない会話をする。スイーツの出来は至高に近く、これは満席になってもおかしくないと言える出来だった。

 

 トレーナーさんもその出来に驚いているようで、先ほどまでのこの空間に対する気まずそうな表情が一瞬にして消えて、スイーツをキラキラとした目で見つめていた。

 

 ……てかトレーナーさん、鼻にクリームついてる。おもしろ。

 

「そうだサン。今日はお出かけを楽しむと言っておいてあれなんですが、一応次走についてこの場で話してしまいますね」

 

「うん」

 

 スイーツを二個ほど堪能したあたりで、トレーナーさんが鼻にクリームを付けたまんま私にそう言ってきた。一回気づいてくれないかな。面白すぎて笑いこらえるのに必死すぎる。

 

「次走は……ローズステークスです」

 

「ローズ……ステークスかぁ」

 

 ローズステークス。

 阪神レース場で行われる1,800mのレース。そして私の最後の目標、秋華賞のトライアルレースだ。

 

「……」

 

 恐らくは私の宿敵、ツインサイクロンも出走するのだろうと確信し、思わずスイーツを食べる手が止まり黙ってしまう。

 

「ローズステークスでは、少しやりたいことがあります、協力して貰えますか?」

 

「……うん」

 

「へぇ、こんなところに意外な風」

 

 突如私たちが座っている席の後ろから、声がかけられた。その『風』を強調した特徴的なしゃべり方、そしてその声は、紛れもない私の宿敵ツインサイクロンだった。

 

「……なに?」

 

「いや、なんだか風が私をこっちに導いて……。何やら次走について話していたみたいだね」

 

「そうだけど……アンタは次は何を走るの?」

 

 ツインサイクロンが何をしに来たのかはわからない、だが引いてばかりではその分押されてしまう。負けじと攻めた質問をツインサイクロンに投げかけてみた。

 その質問を受けると、ツインサイクロンはしばらく顎に手を添えて考えるような動きをした後、こちらを再び向いて言葉を放つ。

 

「……君たちがローズステークスに出走するのは、偶然ながら聞いてしまった。だから私も答えよう。……私も、ローズステークスだ」

 

 やはり、ツインサイクロンはローズステークスに出走するつもりだった。

 

 あの風神ともう一度、戦う事になる。そう思うと私の脚はあの時の感覚を思い出して震えだした。風がまとわりついてくるあの感覚。相手がとてつもなく大きなものだと実感させられたあの漠然とした恐怖。

 

 テーブルが大きくてよかった、脚が震えているのはツインサイクロンに見えていなかったはず。

 

「アンタとはもう一度戦う事になるんだね」

 

「秋華賞で私たちの決着が付くまでもなく……ローズステークスで各付けが済みそうだね」

 

 いつも気ままな雰囲気のツインサイクロンが、珍しく私に挑戦的な発言をしてきた。そこらへんの精神はキグナスのウマ娘なのだろう。

 

「キグナスのウマ娘と言うのは皆鼻に付く言い方しかできないのですか?」

 

「……少なくともクリームはついているかもしれないけどね……」

 

 私がツインサイクロンの挑戦的な発言にキグナス精神を見出していると、トレーナーさんが対抗するようにそう言って、サイクロンを威圧した。幸いサイクロンがテクニカルな返しをしたから喧嘩にならずに済んだが、トレーナーさんは明らかに敵意むき出しだ。

 

「……ていうか、さ。アンタもこういう店来るんだ」

 

 ツインサイクロンの次走が分かったところで冷静になった私は、何故このウマ娘が一人でこんなところに来ているのか純粋に疑問になった。格別悪いウマ娘と言うわけでもなさそうだし、質問してみた。……トレーナーさんを落ち着かせる時間も欲しいし。

 

 しかし、ツインサイクロンはその言葉を無視した。なぜ? 

 

「……君たちと関わるつもりはない」

 

 そう思っていると、ツインサイクロンは何かを手に持ちながら、もう片方の手で持っているものを指さしながらそう答えた。発言と行動が噛み合わないことに疑問を抱くと、ツインサイクロンは無言で手を動かし始めた。

 

「……手話……?」

 

 その動きは、小さい時に学校でちらっと見た手話の動きだった。私は手話を完璧に覚えているわけではないが、ツインサイクロンもそれを理解してくれているのだろう、ある程度オリジナリティを加えた動きで状況を説明してくれた。

 

 ツインサイクロンが手話で私たちに伝えてたいこと、それはこうだった。

 

『これを持たなければならない。君たちとその会話をすることはできない』

 

 ツインサイクロンが示す()()というのは、手に持っている物の事だ。

 

「これ……う~ん? えっと……」

 

「……」

 

 流石にそれを手話で説明されても分からなかったので悩んでいると、どうやら内容を理解したのであろう顔をしたトレーナーさんが持っていた紙を渡して、筆談で教えてもらった。

 

『これはキグナスのボイスレコーダー、キグナス内で持つことを義務化されている。キグナスに敵対している君たちと仲の良さげな会話をするのは出来ない。データを確認されて私の自由が奪われる。流石に勘弁だ』

 

「……(なぁるほど)」

 

 ツインサイクロンが私の質問に答えようとしなかったのは、そのような理由があったからみたいだ。わざわざ担当ウマ娘の会話を全て録音しようとしているキグナスのトレーナーさん……シャインに聞いた名前は確か氷野トレーナーだっただろうか、氷野トレーナーはなかなかすごい人のようだ。もちろん悪い意味で。

 

「ローズステークス、君は私の力に勝てるかな?」

 

 一通りのやり取りが終わると、ツインサイクロンは改めて私に挑戦のような言葉をかけた。そして私の回答を待たずして自分の席にに歩き去ってしまった。

 

「……トレーナーさん」

 

「はい?」

 

「私さ、頑張るね」

 

「……はい」

 

 キグナスの異常さ、ツインサイクロンの強さ、次走への緊張。その要素をこの短時間で受けて高まった、私の気持ちをトレーナーさんに精いっぱい伝えると、トレーナーさんは笑顔で静かに答えてくれた。

 

「そういえば、なぜあのような質問を?」

 

「え?」

 

 ツインサイクロンが立ち去り、再びスイーツを食べる手を動かしていると、唐突にトレーナーさんがそう聞いてきた。あのような質問……私が『こんな場所に来るんだ』と言った質問だろうか。

 

「ううん、別に? 気になったから聞いただけ。どうしたの?」

 

「いえ……サン、サンはツインサイクロンに桜花賞・オークスと来て連敗している。そして相手はウマ娘を消すと言うキグナス。サンはツインサイクロンに敵対心や恐怖心を抱いていないのですか? あのような、中を深めるような質問を……」

 

 トレーナーさんは、珍しく真剣な表情でそう聞いてきた。その表情は明らかにツインサイクロンへの敵対心が見え、私が質問した内容には、私の心理が分からないといった疑問を抱いているのだろう。確かに、トレーナーさんからしてみれば、自分の担当ウマ娘を消されてしまうのかもしれないのだ。そう思っても仕方がないだろう。

 

「う~ん……なんていうかね……。オークスの最後の方に、ツインサイクロンの話を聞いたことについては話したっけ?」

 

「ええ、確か台風でツインサイクロン以外が亡くなった悲惨な事件について……ですよね」

 

「その事件の話を聞いてからさ、サイクロンののほほんとした表情がなんだか『亡き家族を想う表情』っていうの? に見えてきちゃって。ずっと気になってるんだ、孤独なんじゃないかって」

 

「孤独……ですか……」

 

 とても大きな台風が来てサイクロン以外が亡くなった事件。生き残ったから気に入られたのか、気に入られたから全員殺されたのか。分からない。でもどちらにしろ、サイクロンは家族や友達を風にすべて奪われている。

 

 きっと彼女の心の中は今もなお孤独に囚われているのではないだろうか。さっきだってそうだ、キグナスのボイスレコーダーが無かったら私達とお話しくれたと言う事ではないのか。きっとサイクロンは敵としての戦いではなく、ライバルとしての戦いを望んでいるはずなのだ。

 

「ツインサイクロンは、ノースやランスのように、キグナスに支配された思考ではなくまともになると?」

 

「ううん、それも違うと思う。ツインサイクロンのキグナスに対する忠誠は本物だよ。あの子が支配されてるのは、自分の武器……」

 

「自分の武器……風神……ですか?」

 

「そう、あの子は風神に支配されてる……。じゃなかったらあんな、あの子が時折見せる、あんな目をしないはずだよ。まるで『自分の武器を捨ててしまいたい』って言ってるみたいな目……」

 

 私がそう言うとトレーナーさんは顎に手を当て、考えるそぶりをしながら否定できなさそうな顔をしていた。トレーナーさんも無意識下に薄々感じていたのだろう、ツインサイクロンの支配されたような雰囲気に。

 

 ツインサイクロンは風神に支配されている。台風が来て、あの子の知り合いが全員亡くなったその日から、風神に遊ばれている。

『自分ではない者に勝たされ、葛藤する様を見る』ために。

 あの子と同じレースに出て、あの子より前に出た子はもれなく風に押し返される。それは紛れもない風神の力で、サイクロン自身の力ではない。その事実に何度あの子が葛藤したのかわからない。

 きっとそんな様子を見るために風神は遊んでいるのだ。

 

「なるほど……ツインサイクロンの心情については、あまり考えていませんでしたね……」

 

「でしょ? 考えてみると結構考えさせられない?」

 

 トレーナーさんも私の話を聞いて納得した様子でスイーツを食べている。っていうかまだクリーム気付いてないし。

 

「そうだ、ローズステークス……、当然分かっていると思いますが、メンタルで負けちゃダメですよ。キグナスは気持ちで負けたウマ娘に止めを刺す形で消す。そのためにいろんなことをキグナスにされるかもしれませんが、絶対にメンタルで負けてはいけません」

 

「うん!」

 

 スイーツを食べながらも、トレーナーさんは念を押すようにそう言ってきた。当然私もキグナスに対してメンタルで負けるつもりが無いので元気に返事をすると、トレーナーさんは笑顔でうなずいてくれた。

 

「さぁ! 緊張しながら話すのはもうやめにしましょう、ここからは純粋にお出かけを楽しみましょうか、サン」

 

「りょ~かいっ! ところでトレーナーさん、鼻」

 

「え?」

 

 

 

「……プロミネンスサンは、ローズステークス。ツインサイクロンもローズステークス。秋華賞を前にして、決着が付くみたいだな」

 

「うふふふ……私のサイクロンがあの小娘を倒すところ、しっかり見ててね? 氷野さん♥」

 

「……ツインサイクロンはキグナスのウマ娘だ、甘利」

 

 キグナスのトレーナー室……のはずの部屋で、イライラしながら会話をする。何故この女はずっとこの部屋にいるのだ……。

 

 ……まぁいい、いくら会話をさせられても、仕事をする分は俺の手を動かせばいいだけだ。

 

「ねぇ、なんでプロミネンスサンがローズステークスに出走するって分かったの? まだ出走表は出てないでしょう?」

 

「……タイミングが合ってな」

 

「……へぇ」

 

 何故プロミネンスサンがローズステークスに出走するのが分かったか、それは簡単だ。

 今日たまたま鉢合わせたからだ。

 キングスと共に最近できた飲食店に行ったところ、偶然プロミネンスサンとそのトレーナー……木村と言っただろうか、その二人が次走についての会話をしていたのだ。

 

 こちらには気づいていない様子だったので、次に何を走るのかだけを盗み聞きその場は退いた。

 

 まぁ鉢合わせなくともツインサイクロンが接触していたようだし、ボイスレコーダーからわかったことではあるんだが。

 

 おかげで、プロミネンスサンを全力で潰すための舞台が分かった。どうせローズステークスで衝突するのなら、ローズステークスでメンタルをボロボロにしてやればいい。

 

 これでやっと、あの三人のうちの一人が消える。

 

「そろそろご退室願えないかな? トレーナー君とはこれからの調整について話しあいたいのでね」

 

 俺が甘利をどうしようか迷っていると、同じ部屋でソファに腰掛けていたキングスが甘利を威嚇するような態度でそう言い放ち、甘利は不機嫌そうにしている。

 

「……ふん、何よ。孤児のくせして偉そうに……」

 

「何か言ったかな?」

 

「いえ、何も言ってないわよ!」

 

「君もトレーナー、ウマ娘の聴力を知らない訳じゃないだろう?」

 

「二人ともやめろ、……甘利、今日の所はもう帰ってくれ。用事もないようだしな」

 

 どうやらこのまま放っておくと甘利との契約関係に棘が生えそうなので、一度キングスと甘利を落ち着かせる。

 

 甘利には帰るよう伝えたが、どうしても帰りたくないようで、未だソファに腰掛けようとしている。どうしたものか、どうすればこの女はかえ──

 

「ねぇ、そんなことよりもこの写真に写ってるウマ娘、あなたのチームにいないわよね? 誰かしらこの小汚い服装の子」

 

「黙れ!!」

 

「ひっ……」

 

「……トレーナー君、一度外の空気を──」

 

「お前に何が分かるんだ甘利! 人の写真をバカにしている暇があるならばツインサイクロンのトレーニングメニューでも考えてきたらどうだ!? お前の仕事はそれだけだろう!! 出て行け!!」

 

「……わかったわよ」

 

 少し熱くなりすぎた。冷静を保つことをいつも心に置いているつもりなのに、今回ばかりは頭に血が上った。ドリームの写真を……馬鹿にされるのは……耐えられなかった。

 

「……珍しいね、君が声を荒げるなんて。そんなことは過去一度もなかった。それほどまで……彼女が大事なのかい」

 

「ああ……」

 

 ヤツが触った写真立てを丁寧に戻し、自分のデスクに座りなおす。

 

 少々疲れているのかもしれないと思い、引き出しに入れてある冷えピタを一枚取り出して額に貼りつけた。

 

「君は……彼女との目標を叶えると言うが……。いや……なんでもない」

 

「……余計な口を開く暇があるなら、次のレースについての事を考えろ」

 

「……了解した」

 

「兎に角、まずはローズステークス……覚悟しておけ、プロミネンスサン」

 

 

 

「ひっさしぶりの、レース場だぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「本当に久しぶりだなぁ。やっぱ夏合宿の期間があると懐かしく感じるもんだね、クライト」

 

「レース場には来ていないはずなのに、何度もレースした気がするけどな、スタ公」

 

 レース場にある駐車場にて車から降り、第一声からレース場への再開記念を叫ぶ。

 

「風が……また吹くのか」

 

 そう声が聞こえ、声が聞こえた方向を向くと、ツインサイクロンが一人で空を眺めていた。

 

「……サイクロン」

 

「……?」

 

「覚悟してよね! 今度は私が勝つ時間だよ!」

 



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第八十一話 薔薇の導き

作者「なんか文字数を1000文字ずつ上げていくことができない!!速く調子を戻さないと……」


 

「それじゃ、私はちょっと控室でゆっくりしてるよ。早く来すぎてローズステークスはまだまだ先だしね」

 

「ん、そう?」

 

「気を付けろよ、ツインサイクロンの武器に」

 

 以前二人には少しだけツインサイクロンの武器の内容について話したことがある。私が控室に行こうとした時にクライトにそう言われ、私は笑顔で心配はいらないと返す。

 

 と言うのは建前だけどね……。本当は内心心配で心配でたまらない。もしかしたらまた負けて私のメンタルがやられてしまうのではないか。キグナスに消されてしまうのではないか、と。

 

 しかも特にキグナスに刃向っている私とシャインとクライトは何をされるか分かったもんじゃない。だからこそメンタルで負けてはいけないと分かっているけど、相手が『神』という大きな存在である以上私の精神は既に負けかけている。

 

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」

 

 正直大丈夫ではない。しかしこんなところでトレーナーさんに心配をかけている場合ではないのだ、無理してでも安心させなければならないと思い、笑顔を向けようとした時だった。

 

「無理をしている顔をしていますよ」

 

「……たはは、敵わないなぁ」

 

「……桜花賞の時に散々見ましたから」

 

「そうだったね」

 

 トレーナーさんは私を心配しているようだが、心配される必要があるのはトレーナーさんも一緒だ。緊張しているのかさっきから手と足が一緒に前に出ている。それをトレーナーさんに教えてあげると、トレーナーさんは顔を赤くしながら歩き方に気を付けていた。

 

 しかし、トレーナーさんが私を心配してくれた気持ちを無下にするのも酷いというものだろう。

 

「心配ありがとっ! トレーナーさん!」

 

 私はそう一言だけ言って、スキップしながら控室へとトレーナーさんと一緒に向かった。

 

 

 

「……」

 

 控室で一人、私は座る。座って何をしようと言うわけではないが、やる事が無いので座っている。そうだ。レース前だから家族の写真でも見て気持ちを落ち着かせよう。

 

 ポケットから写真を取り出し、見つめる。私に遺された唯一の家族の証。昔台風に吹き飛ばされすべて消え去った、家族の証。

 

 私は昔の記憶を思い出しながら怒りを募らせる。今この瞬間も忌々しく無風の部屋で私の周りに風を吹かせているこの風神に。

 

「いつまで!!」

 

 私が大きくその声を上げたからだろうか、しつこく私の髪をなびかせていた風が止んだ。これほど大きな声を上げたのは久しぶりだ、それほど私は怒っていた。

 

「いつまで私の周りに付きまとうつもりなんだ!!」

 

 大きな声に反応するように、風は再び吹き始める。

 

「私の家族を殺し、その上で見ものにしようと言うのか!? しつこいんだ、もう!!」

 

 私は、知っていた。この化け物が私の家族を殺したことを。私がプロミネンスサンに身の上話をしたときには話していなかったことだが、私の出身地で起きた台風は、この風神が起こしたものだ。

 

 この風神が起こす風には、特徴がある。風の吹き方のような微弱なものだが、長く付き合ってきた私にはその特徴が完璧にわかる。その特徴が分かるようになってきた頃に台風に巻き込まれた時の感覚を照合して見ると、あの台風はこの風神の風だと確信した。

 

 それからというもの、私はこの風神への復讐心しか燃やしていなかった。でも風神はあくまでも概念的なものであり、生身の実体を持つ私にどうにかできるものではない。

 

 家族の仇がすぐ近くにいるのにどうにもできない。この悔しさは誰に理解できようか。いや、誰にも理解できるはずはない。

 

 私が放ったその言葉に風神は怒りを覚えたのだろうか、風が固まりとなって私の首や手首を壁に押さえつけた。

 

「ぐぁっ……。ふふ……自分の考えと違う行動を取ったら消すのかい? 私たちキグナスの真似事かな……? 神っていうのは意外と短気なんだね……」

 

 今になって風神に刃向った私を始末しようとでもいうのだろうか。

 

 ……昔、風神がなぜ私を殺さずにいたのかはわからない。もしかしたら本当にたまたま私だけが生き残ったのかもしれないし、見ものにするためだけにウマ娘の私を生かしたのかもしれない。

 

 しばらくしたら、風神は私を解放した。首にくくりつけられた自殺縄のような感覚が鮮明に感じられる。もしここで風神が私を殺す気なら、私はこの風神から解放されたのだろうか。でも……ここで死ねば私は家族の仇に一矢報いることすらできずに生まれ変わることになる。

 

「(……誰か、私に勝ってくれ……この風神に勝てるほどのウマ娘よ……)」

 

 心の中で聞こえもしないヘルプを出し、私はあるウマ娘の名前を頭に思い浮かべた。……彼女ならば、もしかしたら……。

 

「(……プロミネンスサン……どうか、私に……)」

 

 たとえ私が戦意を喪失しようとも、風に無理やり足を動かされ。私を躱そうとするウマ娘がいればそのウマ娘は風によって脚を止められる。

 

 最初こそキグナスに貢献できると思い活用していたこの力だが、もう私の精神は耐えられない。ウマ娘でありながら、自分の才能や力で勝負できないもどかしさ。それは何事にも言い替えがたい。

 

 

 

「サン、そろそろローズステークスのパドックに向かいましょう」

 

「そうだね!」

 

 椅子に座って仮眠をとっていたトレーナーさんが、目覚まし時計の音によって覚醒し私に声をかけた。寝ぼけた顔をしているが意識ははっきりしているようだ。

 

「サン……」

 

「ん? な~に?」

 

 部屋を出ようとしたとき、トレーナーさんが寝ぼけた顔を維持しながら声をかけてきた。しかし言う言葉こそ思い浮かんでいるが、発するまでいかないといった顔をしている。

 

 トレーナーさんが何を言おうとしているのかわからない……けど、またきっとトレーナーさんは自分に何も関係ない責任を感じているのだろう。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

「……大丈夫だって! 私は、()()()()から!」

 

 

 部屋を出る前に少し会話はあったが、私は声をかけられてすぐに控室をトレーナーさんと共に飛び出し、ローズステークスへのパドックへと向かった。

 

 ローズステークス……

 秋華賞へつながるトライアルレースと言う事もあって、オークスに挑戦したウマ娘達が多く出走する。そしてこのレースの特徴として、オークスで下の着順だったウマ娘はローズSでも同じく下の着順、上なら上のままという傾向がある。

 

 そう、このレース、前走オークスで負けたウマ娘が巻き返すことは難しいと言われている。極まれにオークス15着でありながらローズSで巻き返しの2着を見せたウマ娘のような存在が出てくるが、そんな事はめったにない。

 

 私はオークスにて1着を取れていない。果たして、私はそのような存在となり巻き返すことができるだろうか。

 

『8枠11番、プロミネンスサン。前走オークスではツインサイクロンに大敗してしまいましたが、秋華賞を前にしてリベンジしたいところですね』

 

「オークスの事わざわざ言わなくてもいいよぉ!!」

 

 パドックの実況と言うのは前走の戦績を加味してコメントしないといけないのはわかるが、コメントされる側としては自分が負けたレースの事をわざわざコメントされると言うのは恥ずかしい。

 わんちゃんシステム変わらないだろうか……。

 

「サン~~! ファイト~~!」

 

「飯を口に頬張りながら叫ぶなバカスタ」

 

「バっ……クライトあんたせめてスタ公って呼びなさいよ~!」

 

 遠くの方でシャインとクライトが相変わらずの喧嘩をしているが、どうせいつかは仲直りしているだろうと思いパドックで行うパフォーマンスに集中する。今日はすごくいい天気で、バ場も良バ場のはずだ。

 

 いや……これほどまでいい天気なら、きっと風も良く吹くはずだ……。良バ場になって喜ぶべきなのか、風がよく吹くことを恐れるべきなのか。

 

「やぁ……、今日は良く風が吹くね」

 

「ツインサイクロン……」

 

 パドックの上から去り、裏側へと戻るとツインサイクロンが私を待っていた。その表情はやはりいつもの笑った顔だが、やはり根元からの笑いは見えない。まるで生気が無いようだ。

 

 やはり、私が思っている考えは正しいのだろうか。ツインサイクロンが家族を失い孤独を感じていること。風神を邪魔と感じていること。

 

 今になって考えに間違いが無いか()()を再()()してみてもやはり風神を邪魔に思っているようにしか思えない。……いや、ダジャレは偶然ね、偶然。

 

 自らが努力して手に入れたわけでもない武器で勝たされる気持ち、それは体験したわけじゃないから完璧には理解できない。しかしとてつもなく悔しく、情けない気持ちになると言うのだけは理解できる。

 

「ねぇ、サイクロン……」

 

「ん? なんだい? そうだ……パドックの時は流石にボイスレコーダーを持たされていないから、今なら何でも話せるよ」

 

「……ううん、やっぱりなんでもない」

 

 友好的な子の態度、やはりおかしい。キグナスのウマ娘として私を倒そうとしていることは間違いないのだろうが、それにしても友好的過ぎる。ブルーマフラー・シーホースラン・ノースブリーズ……戦ってきたキグナスのウマ娘達は皆私たちに敵対するような言動を貫いていた、それなのにこれほど穏やかで友好的な態度と言うのはどうにも調子が狂う。これまでがおかしかったから私がマヒしているのだろうか。

 

「……サン」

 

「え?」

 

 私がサイクロンの横を通り過ぎようとした時、私に声がかけられた。

 

「私を……た、たすけ……」

 

「たす……?」

 

「……いや、やめよう……。プロミネンスサン、君とはこのローズステークスで決着を果たす」

 

「……そうだね、ツインサイクロン」

 

 確かにキグナスの()は今ここに無い、だがこれ以上私たちに言葉は必要ない。そう言う事だろうか。ツインサイクロンは髪の毛を耳にかき上げ、レース場へと歩いて行った。

 

「トレーナーさん……私は、勝つよ」

 

 ローズステークスはG2レース。そのため私の着ている服は勝負服ではない、体操服とブルマを整え、私もレース場に向かう地下バ道へと歩みを始めた。

 

 

 

『さぁローズステークス、秋華賞に向けて実力を上げんとするウマ娘達が滾っている気配がひりひりと感じられます』

 

「……風神か……」

 

 レース前になって怖気ついてしまったのだろうか、それだけつぶやいたのは意識しての行動ではなかった。

 

 大丈夫だよね。トレーナーさんと何度もトレーニング重ねてきたんだもん。

 

 桜花賞・オークスで負けた時から……。

 

「ずっと……」

 

『全ウマ娘、ゲートイン完了しました。ローズステークス今……』

 

「ずっと!!」

 

『スタートしました!』

 

 

「っくぅっ!?」

 

 何故だ……!? 今日は最初から私の脚が風によって強制的に走らされている……。先ほど控室で反抗的な態度をとったことを未だに根に持っていたとでもいうつもりだろうか、今日はもう私に走らせる気はないらしい。

 

「やめろ! 私だって……私だって自分の力で勝ちたいんだ!!」

 

「ツインサイクロン……?」

 

「……サン……」

 

 やってしまった、というより当然か。風神に対しての怒りを声を出してしまったから、私の隣あたりを走っていたプロミネンスサンに聞かれてしまっただろうか。他のウマ娘はレースに集中しているため聞こえていないようだが……サンはどうだろうか。

 

「あなた……風に……?」

 

 どうやら思い違いのようだ、私の言葉は聞こえてこそいないようだが、脚の風には気づいたようだ。……私の脚を見て心配そうな視線を送るのはやめてほしいな。もうどうにもならないというのに。

 

「……」

 

 プロミネンスサンは、自分の走り(逃げ)をするために先頭へと消えて行った。対して私は差し先行といったところの位置で落ち着く。……サン。

 

 

「そんな……」

 

 ツインサイクロンが……叫んでいた……。

 

『私だって……勝ちたいんだ!!』

 

 スタート直後で目の前の位置取りに集中していたこともあってか、言葉が全部聞こえず聞こえたのはその二つの単語のみだ。

 

 そして私がこの逃げの位置に来る前だったからこそ見えた、最終直線以外のサイクロンの脚。彼女の脚に、桜花賞やオークスで私の脚を止めた風と同じような風がまとわりついているのが見えた。あれが彼女の脚を無理やり運んでいるのだろうか……!? 

 

「もしかしたら……本当に……」

 

 本当にツインサイクロンは風神から逃れたいと思っているのかもしれない。

 

 それならば絶対に勝たなくてはならない……。

 

 

 

「あ、木村さん」

 

「どうも、シャインさん、クライトさん」

 

 サンのローズステークスが始まったと同時くらいだろうか、まさに今からサンが走るレース展開を参考にしようとしている私たちの後ろから木村さんが歩いてきた。

 

「関係者の席で見なくていいの?」

 

「屋内で見ると迫力が薄れますからね、一般席で見るに限りますよ」

 

「そういうものなのかよ……」

 

 コースの方を見ると相変わらずの恐るべき逃げを展開しているサン。サンと先頭を争うウマ娘はおらず、スタミナの消費も少ない、ツインサイクロンもいつもより後ろに付けているようだ。今のところは負ける要素は見られないが……。これからが分からない。

 

 ウマ娘が使う武器にはレベルのようなものが存在している。レベルが高いものほど発動や習得は難しくなるが、それに伴う強さの上昇がある。

 

 例えばノースブリーズの『深呼吸』のような武器は『技術のみが必要』といったレベル1

 シャイニングランの『最後まで根性走り』は『本人のメンタルや技術次第』といったレベル2

 そして……キングスクラウンや私の『想いの継承』といった『超常現象』のような武器はレベル3と考えている。というより、考えられていると言った方が良いか。

 

 当然武器のレベルが高い方が勝つ。だがたとえ相手の方がレベルが高くとも、ウマ娘本人が持つ『闘争心』が爆発的な高まりを見せれば、それに限らない。

 

 だがサンから聞いた話だと、ツインサイクロンの武器は常軌を逸した『風神』という武器……。当然『超常現象』だからレベル3に分類されるものだ。それも神が関わっているからそのレベルに収まらない可能性もある。

 恐らく並大抵の武器では勝つ事が叶わないだろう。それこそ私のように『想いの継承』や、クライトの『領域(ゾーン)』でも使わなければ、いや使ったとしても、神に勝つことは相当に難しいはずだ。もしくはサンが神の意表を突く奇策を思いつけば……。

 

 サンに残された勝機はきっと『領域(ゾーン)』のみ。だが仮にサンも『領域(ゾーン)』に目覚めたとして、それがこのレース中に最大限引き出されるかは不明だ。たとえ目覚めたとしても、発動しなければ意味が無い。先に目覚めているクライトでさえも、イマイチ『領域(ゾーン)』の発動方法が分かっていないのだ。

 

 私たち以上の敵を相手にしているサン……。

 

「信じるしかないだろ、スタ公。あいつの火事場力を。お前がそんな顔しても何も変わりゃしないよ」

 

「……そうだね!」

 

「そうですよ、サンもこの日の為にたくさんトレーニングしてきたんですから」

 

 自信満々にそう言う木村さん。そう言えば夏合宿の時もあまりトレーニングするサンを見かけなかったが、どのようなトレーニングをしていたのだろうか。

 木村さんに聞いてみたが、教えてはくれなかった。まぁ一応私達も敵同士といえば敵同士なわけだし、そう簡単にトレーニング内容は言えないか。

 

「……あでも結構分かりやすいね」

 

「え?」

 

「今一瞬、サンが3個の小さな武器を使ったでしょ」

 

「……はは、シャインさんには敵いませんね」

 

「伊達にキグナスと何度もやりあってないよ」

 

「俺も知ってたけどな」

 

 私がサンの武器を見抜くと、木村さんは驚いたような顔をしていた。なんとサンは知らぬ間に3つも武器を取得していたようだ。

 ・躓きそうになった勢いをそのまま加速に使った武器。

 ・上り坂を勢い任せにがむしゃらに登りつつ、スタミナを温存する走り方。

 ・影を踏ませぬ勢いでどこまでも加速するピッチの上げ方。

 どれもサンの走りでは見た事が無い武器だった。

 

「よく考えてみたら、サンって昔から小さな武器を積み上げて相手を倒すよね」

 

「その通りです。サンはレース中、小刻みに自らのトップスピードや持久力を上げ、相手をじわじわと倒す……そのスタイルが一番彼女に会っているんです」

 

「つもちりだな」

 

「……()()()()では?」

 

 

 

「……出てきた……こんなに早く!」

 

 レース中盤、先頭を走っている私の脚に違和感を覚え、下を向くとレース中盤にもかかわらず風がまとわりついていた。

 桜花賞やオークスの時は最終直線で出てきていた風がなぜローズステークスでは中盤に出てきたのか、わからない、分からないが、やばい事だけはわかる。

 

「脚が……進まない……!」

 

 風がまとわりついた事によって、私の脚は前に進まなくなった。これではまた桜花賞やオークスの時のように……負ける……。

 

「(まだ最終直線に入ってすらいないと言うのに、もうプロミネンスサンを襲ったのか……。いや、前走前々走で負けているのならこのローズステークスで危険因子になりかねないと思ったのか……!)」

 

「ぐ……くっそ……ぉ……!」

 

 思う様に脚が動かずもどかしい。いやもどかしいなどと言っている場合ではない。序盤から私の逃げで中団のウマ娘達とは距離を置いている、それでもここまで減速すればいつか追いつかれるのは必然、追いつかれる前にこの減速をどうにかしないと桜花賞オークスの時よりひどい結果になってしまう……。

 

「(いや……プロミネンスサンが減速しない!?)」

 

「……よし……トレーナーさんの読み通りだ。いける!!」

 

 私が取った策は、私の走り『ストライド走法』を『ピッチ走法』に変えること。

 ツインサイクロンに憑いている風神が出す風は、私の脚の角度に対して変わらず後ろの方向に吹き続ける。そのため私のストライド走法では、接地していない一瞬の時間に風に押し戻されて減速してしまうのだ。だがそれは『接地する時間を短くすれば短くするほど減速力が減る』と言う事を表している。

 つまり、接地時間が短いピッチ走法ならば減速は最低限になる!! 

 

 

 

「(考えが甘すぎる……)」

 

 見るとプロミネンスサンは、自らのストライド走法をピッチ走法に変えることで減速を無くしていた。だがしかし、もしその程度の対策で風神の風が封じられるのならば、私は苦労していないさ……。

 

 ウマ娘の走り方には、大きく分けて三つが存在する。

 

 足の間隔を大きく広げ飛翔するように走るストライド走法

 脚の回転を速くすることで小刻みな加速を繰り返し続けるピッチ走法

 そしてその間、どちらにも振りきれていない中間の走法。

 

 ウマ娘の走法は三つに一つ。私が何度もレースを走るうちに、当然その三つの走法はすべて相手にしており、そのすべてが風神にやられてきた。風神はもう三つの走法の潰し方を分かっているのだ。

 

「君が今更ピッチ走法にしたところで……ピッチ走法を潰されるだけだ」

 

 きっと数秒後には再び減速している。そう確信し、私は自分の走りに集ちゅ……いや、今は自分で走らせてすらくれないのだったか。

 

「……」

 

「…………」

 

「……プロミネンスサンが、減速しない!?」

 

 おかしい、もうとっくに風神が走法を潰しにかかり、再びの減速をしてもおかしくないというのに、一向にプロミネンスサンが沈んでくる気配ない。

 

「バカな……なんという事だ……そんなことを君は可能にするなんて……」

 

 前方のプロミネンスサンの走り方に注目すると、なんと彼女は数秒に一回、走法をランダムに変えていた。法則性は無く、見ている私にすら次が何の走法で走るのか予想できない。

 

 そうか、走り方をランダムに変え続ければ、風神は対応できない。たとえ山勘で三つに一つが当たったとしても、すぐに走法を変えればまた風を作り直す必要性がある。

 

 それを可能にする彼女のテクニック……そしてそのような不可能にも近い走法を指示するトレーナー……まさに最高のタッグと言える……やはり彼女ならばきっと……。

 

 

「いくよ風神!! ここからは私の時間だぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 



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第八十二話 風の神 そして 移籍

作者「はたして私の書いているものはウマ娘なのでしょうか……今回の話を書いていてさらにその疑問が膨らみました」


 

「……逃げれている、ちゃんと、あの風から……!」

 

 風神が放つ風から逃げるため、走りながら不規則に足を変え続ける。

 

 ストライド、ピッチ、ストライド、中間、ピッチ、ストライド、中間……。

 

 トレーナーさんから事前に教えられていたこの作戦は風神をしっかりと封じ込めているらしく、私の脚が前へと進む。

 

 これならきっと勝てる。私のこの武器はただの『技術』によるものであり、レベル1に過ぎない。けど超常現象を封じ込めるのには十分な奇策だ。

 変えろ、変え続けろ。走り方も、腕の振り方も、手前さえも。

 

 変え続ければ……。

 

「風を突き破れる!!」

 

「(信じられない……走り方を複数扱うなんて相当訓練しなければ使えない……しかも走り方を変える訓練なんて誰もするはずがないから、はっきりとした練習方法もない。サンのトレーナー……木村と言ったか、あの男……)」

 

 

「……これ以上、担当ウマ娘に悔しい思いをさせたくないですからね……最善の選択肢を取ったつもりですよ」

 

「え? なんのこと?」

 

「いいえ……気にしないでください、独り言です」

 

 

「(でも……走り方を変えて、風神はどのように風を創ればいいのか戸惑っている! これならきっと……風神を破れる!)」

 

「っ……思ったより対応が早いなぁ、もう風のパターンを覚えたの……」

 

 私が走り方を変えて風を抜ける武器を使っていると、風神は私の使える3パターンの走りに対応した風を練り始めた。どれだけ走り方を変えても脚が風に捕まり前に進むことが出来ない。

 

 

「まずいぞ! サンの野郎また風に捕まり始めた!」

 

「レースは中盤……そろそろ他のウマ娘達も各々の武器を使って上がってくる頃だよ……。尤も、風神がいる限りこのレースを支配するのはツインサイクロンだけど……」

 

「(サン……あなたならきっと……)」

 

 

「まだだ……こんなにすぐ対策を作られたんなら……まだ引っ張るぅ……!!」

 

 脚に絡みついた風をしっかりと感じながら、ひたすらに足を前に突き出し続ける。重い、まるで銃器を引っ張っているようだ。

 先ほどまでとは全く違う足の重さに苦しみながら走っていると、当然減速した私を捕まえるためにすべてのウマ娘達の圧力がこちらに向かってきた。まだ最終直線は先だと言うのに、なんとせっかちだろうか。

 

「(な……何をしている、プロミネンスサン)」

 

 私は先ほどまでのように全力で走ることをやめ、風神の作り出した風と自らの脚を密着させるように走り始めた。

 

「(血迷ったか……プロミネンスサン)」

 

「まだ、まだまだまだ! 私の武器はこんなもんじゃないよ!」

 

 息を整え、風神の風を()()()脚に纏う様にして走る。

 

「(もう、ダメか……)」

 

 そして地面に思い切り脚を叩きつけ……

 

「ここだぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 思い切り芝を捲り上げるっ!! 

 

「(……なっ、サンが、加速している……!? なんで!? 風を受けているはずなのに……)」

 

「サンにはまだ二の矢を隠しておきました……たった一つの武器で風神を倒せるなどとは思っていませんから」

 

 やはりだ、トレーナーさんと何度も話し合った通りになった。

 

 私をあれほど邪魔していた風は、今私を前に進める追い風となってくれている。逆に私を減速させる向い風は無くなっている。なぜこのようになったのか、トリックは単純だ。

 

「シャインさん、泥の上を歩くとき、足の裏に泥が跳ねてしまう事ってありませんか?」

 

「確かに、あるね」

 

「あれって、歩くときに脚を上に向けすぎているから泥が跳ねるんですよ」

 

「……あっ!」

 

「その通り、なら風も、きっと流れを変えられるはず。逆に足を上に向けて走ることで」

 

 トレーナーさんがこの武器について思いついたのは、夏合宿の時にクライトと併走した時だと言う。クライトの元地方ウマ娘特有のダートの走り方を見て、このように風を捲り上げる走り方を思いついたそうだ。

 きっと見に来たシャイン達にもトレーナーさんが説明してくれているだろうが、こうやって地面を抉りあげるような走り方をすることによって、私の脚に密着した風は上に押し上げられる。上に押し上げられるどころか、スナップの効いた私の脚首に乗せられて風はそのまま私の脚裏にぶつかる。

 そうすることで、前から私を減速させる風と後ろから私を押し上げる風がぶつかり合い、風神の生み出した減速の風は消え失せる。

 

 トレーナーさんと話し合った時はあくまでも想像の域を出なかったが、まさか本当に成功するなんて思わなかった。

 

「これなら!! いくら風を作り出しても無効化できる!!! ようやく、あなたに勝つときが来た!! ツインサイクロンッッ!!」

 

「……素晴らしい、プロミネンスサン。完敗だ。私は君が勝てるとは思っていなかったが、それは撤回しよう。さぁ、私を倒してくれ……私が敗れれば、きっと風神だって負けを認めるはずだ!」

 

 レースはもう最終直線に差し掛かっている、このまま風神の風を封じて、私がローズステークスを制してやる!! 

 

『さぁ、レースは最終直線に入る!プロミネンスサンが先頭で走り続ける!ツインサイクロンはまだ来ないか!』

 

脚に風をまとい続け、私は加速し続ける。無敵に思えた風神の風が、まさかこのようなレベル1程度の武器で対策できるとは。

 

あとはこのまま、走り方を変えずにゴールするだけだ。

 

「くっ……」

 

私がゴールへ走り込もうとした瞬間、強い圧力に身体が押し戻された。何をされたのかは明白だ。なんと風神はあろうことか、私の全身に向かい風を作った。全身に風をまとってしまえば、泥はねならぬ風はねなど意味が無い。このままでは大幅に減速してしまう。

 

「でも!判断が遅かったね!もう今更減速しても私には追いつかない!それくらい離してる!!」

 

そう、私は逃げウマ娘。距離でアドバンテージを取ることによって、減速によって追いつかれる時間をある程度先延ばしすることができる。

 

「トレーナーさん!シャイン!クライト!ノース!見てて!!私は……勝――」

 

 

「……まさか、勝てないからとサンにここまでするなんて……私にも予想が出来なかった……」

 

「プロミネンスサンッ!!」

 

 なんだ、一瞬目の前が暗くなったと思ったら、今度はすごく首が痛い。

 なんなら今もまだ痛い。何をされたんだ……。

 

「(これ……風に首を絞められて……)」

 

 落ち着いて自分の首元を触ってみると、そこにはあまりの風速に塊のように私の首へ食い込んでいる風があった。三種類の走りを潰しても、また新たな武器で風を封じられたと思い、全身を風で包んでもサイクロンが追い付けないと判断し、最終的には私の首を絞めに来たと言うのか……? 

 

「(ダメ……酸素が……走れな……)」

 

 もう後ろからツインサイクロンが迫っているのが感覚で分かる。ツインサイクロンからしたらこうして首を絞められると言うのは想定内の武器だったのだろうか。きっとそうだろう、彼女は風神と今まで過ごしてきたのだ。相手に対してどれほどの対応をするかなど分かりきっているに違いない。

 

「サン!! プロミネンスサン!! すまない……まさか私もここまでするなんて……!!」

 

 何か聞こえる気がするが、酸欠の脳では言葉を処理できない。もう意識も薄れてきた。

 

「(ごめ……トレーナーさ……また……)」

 

 私の意識が途絶える瞬間、しっかりと私の中で何かが切れる音がした。

 

 

 

「(っっ!?)」

 

 プロミネンスサンの首が風神によって締められ、もはやこれ以上の競争は無理だろうと思っていた矢先、私に……いや、このローズステークス全体に異変が起きた。

 

 まず最初に、私の脚にまとわりついていた風が消えた。それどころか前を見ると、プロミネンスサンの首についていた風も、脚についていた風も消えている。

 

 そして周りを見ると、皆混乱しているのが分かった。私の後ろにいるウマ娘は、かつてキグナスにいたノースブリーズと言うウマ娘と同じ深呼吸を自らの武器にしていたようだが、大きな呼吸が出来なくなっている。そのちょっと横にいたウマ娘は、自分なりのステップを駆使してバ群を抜け出す予定だったようだが、なぜか脚がもつれてちゃんとしたステップが踏めていなかった。

 

 このローズステークスに出走しているウマ娘全員が、自分の武器を使えなくされている。

 

 これが誰の武器か、今の今までぶつかっていた私には分かる。

 

「プロミネンスサン……! 君はまさか……」

 

 プロミネンスサン以外にありえなかった。

 

 まさか風神に首を絞められてもなお走り続けているのかと思い前を見たが、既にプロミネンスサンにほぼ意識は無いようだった。

 だがその手足には幻覚のような炎が燃え盛っているのが見えた。観客はただよろめいたプロミネンスサンに驚いている様子から、私だけに見えているようだ。

 プロミネンスサンの脚は行動が本能的に植え付けられたかのようにしばらく走り続けたが、しばらくして本当に意識を失ったようで、これまた無意識下にコースを外れ地面へと倒れた。

 

「(でも……これは間違いなく彼女の……)」

 

『プ、プロミネンスサンが倒れた! プロミネンスサン転倒です! しかしレースはもう最終直線! プロミネンスサンの後ろにいたウマ娘達が走り込んでくる!』

 

『先頭はツインサイクロン! ツインサイクロン先頭でゴールインッッ!!』

 

 

 

「ねぇ、ルドルフ。最近気になってる子たちがいるみたいじゃない。あの先頭を走っている子?」

 

「……彼女達は、キグナスを打ち破る可能性を秘めた新星たちだ。あまり言葉にして認めたくはないが、トゥインクル・シリーズにおいてキグナスはトレセン学園で最強を誇るチームだ。そんなチームを今倒せるのは、今の世代で彼女達しかいない。かつてのトレセンを汚したキグナス……それを倒そうとするウマ娘が現れれば、私もレースが気になるさ」

 

「でも……なんだか心配って顔してるわよ」

 

「……君には私の本心を話そう。正直な話……スターインシャイン・プロミネンスサン・マックライトニング、この三人がいずれキグナスを倒したとして、またキグナスのようなウマ娘として走り出してしまわないかどうか、とても心配なんだ」

 

「ふふっ、それを止めるのが、あたし達先輩の仕事でしょ?」

 

「……感恩戴獲。それもそうだな……やはり君が友人でよかった、マルゼンスキー」

 

「(今の若い子たちは、あたし達の想像もつかないようなスキルを使うみたいね……)」

 

「我々も、ゆずりはのように、後を託す世代を守らなくてはな……」

 

「……どうやらあの子、まずい様子ね。行ってくるわ」

 

「私も行こう」

 

 

 

「っぅはっ……」

 

「サン!」

 

 目が覚めると、レース場の医務室だった。どうやら私はレース中に気を失い、失格になったようだ。気絶した原因は当然、風神の妨害による酸欠だ。

 

 他者からの妨害、と言う事でURAに訴えようと考える人もいるかもしれないが、私が気絶した理由は風神という超常現象によるものだ。ツインサイクロンからの妨害があった証明のしようが無い。

 

 医務室にはトレーナーさん、シャインやクライトも来てくれていて、皆とても心配そうな顔をして私のベッドを囲んでいた。

 

「トレーナーさん……」

 

「言わなくても分かってますよ、見てましたから」

 

「私達も説明されたよ、災難だったね、サン……」

 

「いよいよ勝負事の域をはみ出てきた感じだな」

 

 首元を触ると、未だレース中のあの感覚が鮮明に思い出される。とうとう勝てると思っていたのに、目の前で勝利を奪われた私は、確かに少しの怒りを感じていた。

 一生懸命練習し、風神の風を封じる武器も見つけたのに、最後の最後にはズルをされるなんて。

 

「……泣かないでください、サン。また秋華賞に向けて、考えましょう」

 

「……泣いてない……」

 

「……」

 

「泣かない……ツインサイクロンに勝つまでは、泣かない……!!」

 

 口の中が痛い、どうやら唇を噛んでいたようだ。

 温厚というかおてんばというか、自分でもそういう性格だと思っていたのに、今の私はツインサイクロンに向ける熱い闘争心を抱いていた。倒したい……神を……!! 

 

「どうやら、意識は戻ったみたいだな」

 

「会長さん!? えマルゼンスキーさんも!?」

 

「おっは~★……って時間でもないわね」

 

「そうですサン、シンボリルドルフさんとマルゼンスキーさんがサンを運ぶのを手伝ってくれたんですよ、いくら私でも人一人運んで走るのは厳しくて……。お二方、本当に助かりました」

 

「礼なら先ほど受け取ったさ、木村トレーナー」

 

 なんとあの生徒会長さんに加え、レジェンド中のレジェンド逃げウマ娘、スーパーカーの異名を持つマルゼンスキーさんに運ばれてしまうなんて……。もう少し早く意識が目覚めなかった自分に腹が立つ。

 

 高ぶる気持ちを押さえながらも、憧れのマルゼンスキーさんと会話をする。まるでレースを失格になってしまった事を忘れたかのように会話してしまっているが、周りの人は特に気にしていないようだ。まぁ、私も気にしていないし、そこらへんは分かってくれているのだろうか。

 

「……領域の可能性があるな」

 

「え?」

 

「いいや、なんでもない」

 

 微かに会長さんから聞こえた言葉、領域……? 何のことだろうか。

 

「シンボリルドルフさん」

 

「……目覚める時を待つ、私達はそれを見守るしかできない」

 

「……」

 

 シャインが会長さんに何かを訴えようとしていたが、ゆったりと止められている。一体何を話しているのだろうと思い二人に聞いたが、依然として二人は答えてくれなかった。

 

「さて……そろそろ帰りましょうか、サン」

 

「……そうだね」

 

 私が2人の話していた内容に興味をひかれていると、トレーナーさんにそう諭された。時間を見るともうそろそろレース場も閉まるような時間が迫ってきており、いくらレース関係者でもいてはならないであろうと危機を感じ、トレーナーさんについて行った。

 

 秋華賞で……秋華賞で必ず倒してやる……! 

 私のメンタルは負けてない……! 

 

「……グスッ」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「こんなところにいたのか、シャイン」

 

「暗い時間にどうしたの、トレーナーさん」

 

「これはそっちのセリフだ」

 

「……逆じゃね?」

 

「……あ」

 

 サンと共にトレセン学園に戻り、噴水のある広場で一人寮を抜け出したのがバレないように夜風を浴びていると、たまたま通りかかったのであろうトレーナーさんに声をかけられた。

 今日ここで夜風を浴びていたのは単純な理由だ。

 今日のローズステークスで失格になったサンの体調が心配なのもそうだし、明日出走するセントライト記念で戦うヴェノムとの決着が不安だからだ。

 

「結局、デルタリボルバーは神戸新聞杯だったか」

 

「まさかの出走だったね」

 

 すこし前、キグナスからデルタリボルバーの神戸新聞杯への出走をほのめかすような発言がメディアにされた。あくまでほのめかすような発言であり、それが神戸新聞杯への出走を確定づける物ではなかったため、きっとセントライト記念へ来ると思っていたが、思い違いだったようだ。

 あの発言が私達をおびき出す餌だったのか、今はわからない。とにかくレースが被らなかった。それが現状だ。

 

「逆に考えれば、ヴェノムストライカとの決着に集中できるんじゃないか?」

 

「それもそうだね」

 

「……」

 

「……」

 

 私たちの間に、静寂が流れた。決して気まずくは無い、二人で夜空を見上げ、明日への不安を忘れるというのは現実逃避にも近かったが、あまりにも魅力的な空に私たちは意識を奪われていた。

 

「私の名前にある『スター』、私もあの星みたいに輝けてるかな」

 

「ああ、間違いなくお前は希望の新星だ。このトレセン学園に流れ落ちた『流星』」

 

「セントライト記念を乗り越えて、菊花賞を勝てば二冠なんだよね……」

 

「そうだな……」

 

「誰にも越えられない記録……じゃないよね。三冠ウマ娘はもういるし」

 

「……そうだな……」

 

 顔を見なくてもトレーナーさんが悔しそうな表情を浮かべているのが分かる。私だって悔しい。

 

「そういえば、何かと私達夜空を見るよね」

 

「確かに、観覧車の時もそうだったか?」

 

「そうだねこのニブトレーナー」

 

「にぶ……は?」

 

 未だによく分かっていないトレーナーさんをハリセンでぶっ叩こうか迷ったが、やめておいた。

 今の不安な気持ちの状態でハリセンを気持ちよく振り回せる気がしない。

 

「見せてやる……ここから、私の伝説を……!」

 

「そうだな……行くぞ、セントライト記念!」

 

 トレーナーさんにぽつりとそう言うと、その言葉に共鳴するかのようにトレーナーさんも気合を込める動作をしてくれた。その共鳴に共鳴し返し、私も拳を上に上げ、トレーナーさんとアイコンタクトをして同時に声を上げた。

 

「「おうっ!!」」

 

「そこ! 何をしている!」

 

「「あっ……」」

 

 

 

「ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 なんだ……なんだあいつラ……。寮抜け出して散歩してたら急に追ってきやがっテ……。

 

 それに足の速さも尋常じゃねェ……俺が全力疾走してるのに全く距離を離せなイ……。

 

「そこまでだ、ヴェノムストライカ」

 

「うげっ……挟み撃ちかヨ」

 

 曲がり角を抜けようとしたところで、出てきた男に俺の走りは止められタ。こいつは……確か一度トレーナーに聞いたことがあル。今トレセン学園で最強を誇っているチームのトレーナー、氷野とかいう男ダ。

 

「……後は任せるよ、トレーナー君」

 

「助かる、キングス」

 

「……確かキグナスだナ? 俺に何の用ダ」

 

 俺の後ろに立っていたウマ娘は未だ警戒態勢を解いていなイ、このまま走り去ろうとしても捕まるのがオチだろウ。諦めて俺は対話を試みル。

 

「キグナスに入る気はないか? ヴェノムストライカ」

 

「……スカウト、なのカ? だとしたら遅すぎだナ、そりゃ去年の初めにやるこっタ」

 

「移籍と言うべきだな」

 

「俺のトレーナーに許可は取ったのカ?」

 

「まず最初に君の意思を聞きたい」

 

 一歩も引かなイ、長年最強のチームを経営しているからこその余裕だろうカ。今まで先公にも誰にも臆してこなかった俺が、自分でも自覚するくらいに怯えていル。

 

 でも、今更トレーナーを裏切るつもりはねェ、答えは決まっていル! 

 

「……断ル」

 

「……そうか、俺の予想とは違う回答だな……」

 

 俺が一言断る意思を伝えると、意外にもあっさりと氷野は退いタ。後ろにいたキングスとか言うウマ娘もいつの間にかいなくなっていル、一体、なんだったんダ……。

 

「……」

 

 

「レシート大丈夫でス。どモ」

 

 氷野と対話したあの後、どうにも散歩する気になれなかった。結局近くのコンビニで夜食だけ買って帰ることにしたのだが、どうにも胸騒ぎが凄い。

 

 ……

 

 電話だ。スマホを取り出して画面を見ると、電話をかけてきた相手はトレーナーだった。

 

「もしもシ? トレーナー、こんな時間にどうしタ?」

 

「……やれやれ……。ヴェノム、明日のセントライト記念、作戦変更だよ」

 

「変更? だけど俺に最適な作戦を選んだはずだゼ?」

 

「……私がいなくてもアンタが走れるようにね」

 

「ん? 何か言ったカ?」

 

「ううん、なんでもないよ。寮抜け出したことはフジキセキに報告しといたからよろしくやりな」

 

「ハ!? おいコラ何しやがル!! ……って切りやがったヨ。チクショー、めんどくセ」

 

 電話を切る前、トレーナーが最後に言っていたこと、ノイズが大きくて聞こえなかったが、一体なんだろうカ。

 でも、トレーナーに何もないようでよかっタ。もしあんたがいなくなったら俺ハ……。

 

 

 

「……やれやれ、ヴェノム。馬鹿な事して……キグナスに行けばもっと強くなれたでしょうに……。それでも私を選んでくれたのは、うれしいね」

 

 暗い部屋でヴェノムにかけた電話を頭の中でリプレイしながら、ゆっくりと覚悟を決める。

 

「……今になって、移籍届を書くことになるなんてね」

 



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第八十三話 許されざる弾圧 セントライト記念①

 

「おっはよ~トレーナーさん! セントライト記念……までは、まだ時間あるね」

 

「そうだな、つかお前早起きすぎな、朝の5時て」

 

「そんな時間に起きてるトレーナーさんも~?」

 

「当然セントライト記念で緊張してるんだよな~」

 

「「うぇ~い」」

 

 外を見るとまだ太陽が顔を出した直後の空をしていた。このような時間に起きてしまうのは、私もトレーナーさんもジュニア期の頃から変わっていないようだ。

 

「今日の作戦は?」

 

「差し戦術のウマ娘が多いからな、あまり後方に行きすぎると最終直線の最後の最後でバ群に呑まれる可能性がある。それでなくたってお前はいろんな陣営に警戒されているからな。確か先行の作戦も多少行けたよな? 今日はそれで行く」

 

「了解。時間もあるし、先行のイメージトレーニングしてもいい?」

 

「うし、タイム計測もついでにしよう」

 

 無意識に私はジャージを取り出し、おもむろに着替えはじめる。その空気を察して、トレーナーさんも後ろを向きながら器用に引き出しの中を探ってストップウォッチを取り出し始める。

 ……思えば、このようにレースの対策を綿密にすることを以前はしていなかった。そう考えると、私達のレースに対する考え方も、大分変わったのだろう。

 

 ま、タルタロスの件でだいぶ痛い目見たしなぁ……。

 

「ぐぅあぁぁァ!」

 

「え?」

 

 ジャージに着替え、トレーナーさんもストップウォッチやパソコンを持っていざコーストラックへ行こうという時、突然トレーナー室のドアが殴り開けられた。

 

 そのような乱暴な方法でトレーナー室に入ってきたのは、ヴェノムだった。

 

「え? え、ちょっと待って、いや待たないで。え、ちょ、ヴェノム一体どういう入り方よ!?」

 

「シャインお前……俺のトレーナーに何しやがっタ……!?」

 

「えぇ? 今度こそちょっと待って、話が見えない」

 

「とぼけるナ!! お前が……お前たちが俺のトレーナーに移籍届を書かせたんだロ!! それどころか……退()()()まデ!!」

 

「……え”え”え”え”!?」

 

 あまりにも話が飛躍しすぎているが、確かにヴェノムの口からは『移籍届』と『退職届』という言葉が出てきた。

 どういうことだ? 情報が足りなさすぎる。ヴェノム移籍する? どこに? 退職する? 誰が? 

 

 私達には、その情報が必要だった。とりあえずヴェノムを落ち着かせて、どうにかして話し合いが出来る状態まで持っていくことができた。幸い私達は早い時間に起きていたため、レース場に向かう車を走らせるまでの最低時刻は数時間先だ。話を聞く時間はいくらでもある。

 

「ヴェノム、一体何があったの? 移籍って? 退職って?」

 

「まず今朝、俺が起きると俺のスマホにあるメッセージが来てタ。もちろん俺のトレーナーからダ」

 

「それで?」

 

「そのメッセージには、長ったらしい文章に加えてある写真が添付されてタ。……これダ」

 

 そう言うとヴェノムは、自分のスマホを私たちに差し出した。その画面にはこう書いてあった。

 

ヴェノムへ。

あんまり面と向かって話すと、私もカッコ悪いところ見せるかもしれないから、メールになって申し訳ないね。

本日付けでアンタはここに移籍することになった。なんで突然って思うかもしれないけど、まぁ色々ね……。

まぁ、隠しても仕方ないと思ったから、この部分だけメッセージ書きなおすわね。

私は退職することにしたの。

それで、私が退職しちゃうとアンタのトレーニングをしてくれるトレーナーがいなくなるでしょ? だからそのトレーナーを確保するための移籍よ。もちろんそのトレーナーには許可を取ってある、今日からそのトレーナーの所に行けばきっと暖かく出迎えてくれるはず。

……やれやれ、ただの電子メッセージを打ってるだけなのに、なんでかねぇ。きついものがあるよ。

一応これが書類の写真だ。生徒会室か理事長室に行けば原本を見せてもらえるはずだから、気になるなら見な。

 

 そうして下の画面に添付されていたのは、確かに私のトレーナーさんの名前と、ヴェノムのトレーナーさんと思われる名前が書いてあった。

 

 

 

「……これが、君の答えと」

 

「そ、了解でオッケー? シンボリルドルフさん、理事長ちゃん」

 

「あの子のそばには君が付いているべきだと思うが……」

 

「……悲憤ッ、確かにチームキグナスの行動は、学園にもどうにもできないことではあるが……何もここまでする必要は……」

 

「いいの……これで、ヴェノムは……」

 

 私がいくら言っても、シンボリルドルフは眉間の眉を解かない、理事長ちゃんも自慢の扇子がぶち折れそうな力を込めているように見える。それほど重大な資料を提出しているのはわかっているが、そろそろ承諾して欲しいものだ。

 私だって……それなりの覚悟持ってここに来てるんだし。

 

「……さて、そろそろ失礼していいかな? 私も荷造りあるからさ」

 

「……」

 

「そんなに拳を強く握ってると、怪我するよ、会長さん」

 

「……私は、自分が情けないんだ。一トレーナーである君に、キグナスに関係の無いただのトレーナーだった君に、ここまでさせてしまう事を」

 

 内心私は驚く、まさかあの生徒会長さんがこんな表情を見せるなんて。

 

「大丈夫ですよ、昨日話してみてわかった。きっとあの子ならうまくやれる。あの人になら任せられる気がする。それに私も……もう潮時だと思ってたから」

 

 

 

「ふざけんナ!! トレーナーがいなくて、俺はどうしろっていうんダ!!」

 

「……ヴェノムストライカ、今は俺がトレーナーだ」

 

「うるせェ! 俺はあいつと頂点目指すんだヨ!」

 

「もう決まったことなんだ、君のトレーナーは……!」

 

「だとしてもなんでダ! なんでトレーナーは退職することになっタ!」

 

 ヴェノムは私にスマホの画像を見せるや否や怒りを再びあらわにする。いくら私が移籍に関係ないと言っても、いつの間にか私のトレーナーさんが移籍に関わっていたのだ。言い訳ができない。

 どうしてトレーナーさんも、私に黙っていたのだろうか。

 

「君のトレーナーが退職することになった理由、それはチームキグナスからの圧だ」

 

「圧……?」

 

「昨日、氷野と言う男に追い回されなかったか?」

 

 ヴェノムは思い当たる節があったのだろう、無言でうなずいた。

 

「そして君はキグナスへの移籍を断った。その後だ、君のトレーナー……『竹内』トレーナーに圧が掛かったのは」

 

「俺のトレーナーに何ガ……?」

 

 ヴェノムにそう質問され、トレーナーさんはもったいぶるように言葉を止める。時間にして10秒ほど経ったあたりで、トレーナーさんはついに喋り始めるかのように口を開いた。

 

「……それは君のトレーナーに言わないよう言われている」

 

「なんでダ!!」

 

「……私も聞くけど、なんで?」

 

「シャイン、お前にも話せない」

 

 私とヴェノムがいくら問いただしても、トレーナーさんは頑なに竹内トレーナーの退職理由を言おうとしない。何故そこまでして言わないのだろうか。ヴェノムが竹内トレーナーの退職理由を知れれば、きっと移籍にも納得してくれるかもしれないのに。

 それとも、何かヴェノムが納得しないような理由なのだろうか。

 

「セントライト記念。セントライト記念でお前たちがどう勝負するか、勝負の結果次第で話そう」

 

「……シャインに勝てって事カ。やってやル」

 

「……トレーナーさんも、めんどくさい正確になったねぇ」

 

「好きに言えぇ」

 

 時刻を見ると、なんだかんだ準備を始めなければならないような時間になっていた。私は着ていたジャージを着替え、ヴェノムも自分の寮室に戻って準備をするために部屋を出た。

 

 その後はいつものようにトレーナーさんの車に乗ってレース場に行くわけだが、当然ヴェノムも私のトレーナーさんの担当ウマ娘になったので、ヴェノムも一緒に車に乗る。これがなんと気まずい事か。

 

 退職などという担当ウマ娘にとって重大な単語が絡んできていると言うのに、その理由すら知れず、この後戦うというのに、一緒の車に乗ると言うのは、とてつもなく気まずかった。

 

 

 

「さて、着いたぞ」

 

 しばらく車を走らせて到着したのは、中山レース場。セントライト記念が行われるレース場だ。

 

 いつもならトレーナーさんと今日のレースで走る作戦について話し合うところだが、今はヴェノムがいるので何も話しようがない。というより、今日の私の体調や、今日の天気、最近のタイムの話だったり、私とトレーナーさんがする会話全てがヴェノムに情報を分け与えることになってしまうため、本当に何も話せない。

 

 流石にレース場にまで来て好きな食べ物の話とかするのもおかしいだろうし……。

 

「……俺は一人で準備すル。シャイン、お前と……トレーナーは二人で作戦でも話し合ってロ」

 

「え? う、うん」

 

 ちょうど私が話す話題について困っていたが、困る間もなくヴェノムは一人でレース場の方にとぼとぼ歩いて行ってしまった。その背中はすごく寂しそうで、まるで生きる気力を失ったかのような背中だった。

 

「……トレーナーさん、すぐに話してくれても良かったんじゃないの? ヴェノムが移籍してくること」

 

「今日中にヴェノム自身から来るだろうと思ってたからな。話すまでもないと思ったんだよ」

 

「……竹内トレーナー、なんでヴェノムを見捨てるような事……。ヴェノムなら、キグナスにだって対抗できる実力くらいあると思うのに……」

 

「……行くぞ、シャイン。作戦は朝話した通りだ」

 

 竹内トレーナーの退職に不信感を抱いていると、それを止めるかのようなタイミングでトレーナーさんが私の手を引いたため、とりあえず竹内トレーナーの退職理由について何も考えずヴェノムとのセントライト記念の事を考えることにした。

 

 

 

「……トレーナー、カ。俺にふさわしいトレーナーはいるかナ」

 

「……やれやれ、何バカな事言ってんだ。アンタは何も戦績を上げてない、特別な生まれでもない、それなのに自分がトレーナーを選ぶ立場だと思ってるのかい?」

 

「誰だお前」

 

「竹内愛奈、一応トレーナーさ」

 

「ハッ、アンタみたいな感じ悪いトレーナーにだけはスカウトされたくねぇなァ」

 

「……ふ、トレーナーを見つける模擬レース出てみな、トレーナーの興味を引く難しさに気付くはずさ」

 

「そりゃどうかナ、こっちは小さい頃最強だったんダ。トレーナーの一人くらいは寄ってくるさ」

 

 そうダ、確か初めて出会った時、こんなやり取りをしていたはずダ。いくら性格が丸くなったとはいえ、口調が荒いところは変わってなかったからナ、初めて会ったトレーナーにも噛みついてたっケ。

 

「……ケッ」

 

「その様子だと、イマイチ興味は惹けなかったようだね。ま、今日に限っては仕方ないか、相手が悪い」

 

「……? どういう意味ダ? 俺は一着だゼ?」

 

「そうじゃないさ、向こうでやってる模擬レースに勝ったウマ娘がやたらすごいんだよ。確か、スターインシャインとか言ったかな?」

 

「……! シャイン……」

 

「なんだい、知り合いかい」

 

「何でもねぇヨ」

 

 小さいころに憧れていた奴の名前が聞こえて、この時に俺は強くなることを自分に誓ったんだったカ。昔の俺の走力は中の下、デビュー前のシャインに比べたら全く比にならない弱さだっただろウ。それは当時、シャインの出ていた模擬レースを見ても実感した力の差だっタ。

 

「ほら! もっとピッチを上げて! そんなんじゃG3にすら通用しないよ! そんなもんかい!?」

 

「はぁ……はっ……ハァ……好き勝手言いやがっテ」

 

 俺のトレーナーが考えるトレーニングはすべて過酷なもんだっタ。他のウマ娘のトレーニングを見て自分のと比較してみると、その負荷は3,4倍くらい違ったかもしれなイ。それくらい過酷なトレーニングだったんダ。

 

 

「……次カ」

 

 過去に思いを馳せていると、いつの間にかセントライト記念間近の時間になっていタ。トレーナーがいなくなってしまったと言うのは、俺にとって思いのほかショックのようダ。いや、今の心は『ようだ』などと言う言葉でうやむやにできなイ。今の俺の心は自分でも分かるくらいショックを受けていル。なんで、なんで退職なんテ……。

 

「……あいつにも、見せてやりたかったナ。俺の勝負服……」

 

 紫と緑を基調とした毒々しいデザイン、しかしポップさはしっかりと組み込まれていて、拳闘士の様な俺の勝負服。どうせ菊花賞に出ると言う事で前もって注文しておいたら、昨日届いたから喜びのあまり着ないのに持ってきてしまった勝負服。トレーナーが見たらどれほど喜んだだろウ。無愛想に見えて意外と感情を表に出すような奴だったからナ。

 

 あいつ(シャイン)の勝負服は西部劇のガンマンの様な服だったカ。奇しくも互いに戦う者をテーマとした勝負服、銃と拳、どちらが勝つか見ものだナ。

 

「っとと、何着ようとしてんだ俺……。落ち着ケ落ち着ケ」

 

 

 

「さて、今回の想いの継承、誰を継承するか……」

 

「そだねぇ」

 

 セントライト記念まであと数レース、時間も迫ってきて私たちの緊張感が増してきたころ。自分たちの控室で私とトレーナーさんは何度目かの作戦会議をしていた。まぁ何度作戦会議をしても困る物ではないし、暇な時間にやってるし、考えすぎになることはないだろう。

 

「しばらく考えていたんだが、11番ロードシャイニングの動向は恐らくお前をぴったりマークした差しだと思う。またロードシャイニングも活躍しているウマ娘だから、それを追ってさらにマークしたウマ娘が寄ってくる。これも多分……4番ミドルサンダーだ」

 

「異論無し。私もそう思うよ、その上で誰を継承するかだよね」

 

「そうだよな……」

 

 確かに私の使う想いの継承は、以前とは違い『レースに関係のある人物』でなくとも継承が出来るようになった。しかしその人物は『ある程度親交を深めた知り合い』に限られる。逆を返せばただ親交を深めただけで好きなレースで継承が出来ると言うことだ。

 

 ただここにも問題があり、知り合いの中でだれでもいいと言うわけではないのだ。

 

 継承率。

 私が想いの継承を使うとき、いかにそのレジェンドの力を継承・再現できるかの指数だ。

 今私の継承できるレジェンドの中で最も継承率が高いのはアグネスタキオンさんの力。継承率は60%というところだ。

 

 継承率が高いレジェンドが分かっているのならそのレジェンドの力を継承し続ければよいと思うかもしれないが、想いの継承の特性がそれを難しくしているのだ。

 想いの継承の特性、それは作戦や走り方が継承したレジェンドに近くなるというものだ。

 それはつまり、自分の作戦との差異が継承率を低くするのだ。例えば逃げの作戦を打ったレースで追込レジェンドの力を継承しても、その恩恵は低くなる。そういうことだ。

 

 自分の走る位置取り、作戦によって継承するレジェンドを変えなくてはならないのだ。

 当然シチュエーションごとの適性が高いレジェンドがいれば、追込みの作戦を打ったレースでも逃げウマ娘の力を継承した方が良い事もある。

 

 継承率・作戦の差異・シチュエーションごとの適性。

 これら三つの要素が、私の継承するレジェンドウマ娘の選択肢を狭くしている。

 特に難しいのが、今回のような多くのウマ娘にマークされている場合。

 

 複数のウマ娘にマークされているプレッシャーを完璧にはねのけるレジェンドはそういない。多少軽減は出来るだろうが、100%プレッシャーをカットできるウマ娘となるとナリタブライアンなどのクライトみたいなタイプのウマ娘の力が必要だ。

 

 サイレンススズカ・スペシャルウィーク・セイウンスカイ・アグネスタキオン・ゴールドシップ

 とりあえず思いつく継承の選択肢はこれくらいだ。

 

 前に一度クライトと個人的に行ったマジレースでドンナさんも継承してみようとしたんだけど……私の体が異様な負荷に襲われて継承できなかった。

 

 今回求められるのは、マークされることによるプレッシャーをはねのけながら差しの作戦を行えるウマ娘、普通に考えればスペシャルウィークさんかアグネスタキオンさんの力を継承すればよいのだが、もし万が一、マークされすぎたが故に一人では突破が不可能なほどのバ群が出来たら? 

 

 突破不可能なバ群と言えば、テイエムオペラオーさんのレースが記憶に新しいのではないだろうか。あのレースの映像を競争ウマ娘となってから二回ほど見ているが、どちらも私には再現不可能だと確信させられたレース映像だった。あのバ群を抜けることは誰にだって不可能、そしてその壁は彼女がマークされすぎていたから作られた壁だ。今回のレースに出走するウマ娘の過去レースを見ると、マークを重点に置いて走るウマ娘が多い、当然このレースでマークされるウマ娘と言うのは『私・ヴェノム・もう一人』と構成された、上位3位までの人気のウマ娘くらいだ。

 

 しかしヴェノムは最近復帰してひさしぶりのG2だ、いくら伏兵の可能性があるとしてもまずマークされないだろう。そしてもう一人のウマ娘は、確かに強いには強いが、私と比べてみても戦績にインパクトが少ない。トレーナーたちが自分の担当ウマ娘を勝たせるために誰をマークすればいいか考えた時、このレースに限って真っ先に思い付くのは私以外にありえない。

 

 それらの要因が重なり、突破できないバ群が作られた時の想像をしてしまうのが現状だ。

 せめて、せめてテイエムオペラオーさんの力を継承できるくらい親交を深めていれば……。

 

「……うわ、もう次か」

 

 時間の流れと言うのは本当に速い、ただ考え事をしていただけなのにもうセントライト記念間近の時間なってしまっていた。

 

「結局、決まらなかったな。どうする?」

 

「……分からない」

 

 しかしもう遅い、テイエムオペラオーさんがセントライト記念を見に来ることは、見に来る理由は特にないはずだ。もし、もしも万が一奇跡のようなことが起きて、セントライト記念に出走する知り合いを見にこのレース場に来ているという事があるかもしれない。だがそんな、糸のように細い確率にすがるのはできるならやめたい。

 

「やるしかないだろうな、何かしら継承して」

 

「とりあえず行ってくるよ」

 

 私が来ている服は体操服、G2だから体操服なのだが、イマイチ気合が入らない。私はゼッケンを締め直し、パドックへと歩き始めた。

 

 

 

「……」

 

「やぁ、トレーナー君。やはり君も気になってしまうのだね、ヴェノムストライカのレース……」

 

「まさかの行動をされ、ヴェノムストライカをキグナスに吸収できなかったのは驚いたがな」

 

 中山レース場の観戦席にて一人で座っていると、先ほどスマホアプリで呼んだキングスが俺の隣に座った。キングスは到着して開口一番に竹内トレーナーの話を切り出してきた。正直セントライト記念の関係者ではない俺たちは今一般の観戦席にいるため、そういう話は控えたいものだ。

 

『ヴェノムストライカをキグナスへ移籍させろ、させなければレース界との関わりを全て断たせる。トレーナー業も続けられると思わない方が良いだろうな』

 

 俺が昨日竹内トレーナーに電話越しに伝えた言葉だ。それほど時間も経っていない為記憶に新しい。

 

 レース業界からの関わりを断たせる。昔からよくやってきたことだ。俺が利用関係にある人の力を使い、二度とURAに関われないようにすることなんてたやすいことだ。第一利用関係にあるヤツですら、俺が弱みを握っている、全ては俺の気分次第にある。

 

「自らトレーナー職を断つ……か、確かに自分からトレーナーを退職されると、俺はこれと言った妨害をできない。竹内トレーナーはトレーナーとなって長い時間が経っていた、これを引き際と見るのは自然な事だ。それを予知できなかった俺のミスだな」

 

「……セントライト記念が始まるみたいだよ。彼女の底力を見せてもらおうじゃないか」

 

「そうだな」

 

 

 

「ヴェノム……」

 

「シャイン……」

 

 パドックにて、ウマ番が隣り合った私たちは入れ替わるように先頭へと立つ。すれ違う瞬間、電流の様な感覚を感じたのは私だけではないはず。お互いのプライドをかけて戦うと決めたセントライト記念。それはこの二日間で突然に課せられたものが大きくなった。

 

 これから一緒のトレーナーの元で走り抜ける私たち、でもヴェノムには私達の元で走る気は全くない。私が全力でヴェノムにぶつかり、私のトレーナー……橋田さんの元で戦いたいと思わせる、私の力で説得するレースだ。

 

「お互いに、全力で戦おウ」

 

「……あったり前!!」

 



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第八十四話 許されざる弾圧 セントライト記念②

作者「大きく分けて二つの構想が思い浮かんでいる……自分のやりたい方を通すか、明らかにまだマシな方を選ぶか……。それどころか、その二つの構想は練れる場所がまだいっぱいあります。まだまだ私の構想力もイマイチということを実感させられます、これだから小説は面白い。もっと面白いストーリーを作り出せるよう独学で研究をします」


 

「あなた担当の子を怪我させたんでしょう?」

「明らかにきついトレーニングよね……」

「ウマ娘を道具か何かと勘違いしてるんじゃないの!?」

 

 知るか、そんなこと。

 

 これが私のトレーニングだ。

 

 ついて来れないなら他のトレーナーの元に行けばいい。

 

 これが以前の私だ。『有馬記念を圧勝する』と言う目標の為に、私は数々のウマ娘を犠牲にしてきた。

 

 何年も何年も研究を重ね、理論上ウマ娘にとって最適なトレーニング、それを私は開発した。しかし本格的にトレーナー業を始めてからというもの、私のトレーニングに耐えるウマ娘は誰1人としていなかった。理由は明らかだ。私の研究したトレーニング、それは、理論上ウマ娘の()()()()()()()()()最適なトレーニングだったからだ。

 

 たとえ結果的にステータスが伸びるとしても、それにウマ娘の体力がついて来れなければ意味が無い。そう私は結論付けた。

 

 しかしどうということはない、それに耐えられるウマ娘が現れるまでトレーナー業を続ければ良い。正直怪我をさせた子には申し訳ないと思いお見舞いを欠かさなかったが、それ以外の勝手に離れて行った子には見向きもしなかった。

 

 どうでもいい。勝手にすればいい。

 

 そう思っていた、いつまでも。

 

 あの子に会うまでは、あの子をスカウトするまでは。

 

「やれやれ……ヴェノム、タイムが落ちてるよ」

 

「ハァ……ハァ……お前トレーニングきつすぎダロ……」

 

「やめるかい?」

 

「……もう一本!」

 

「その意気だよ」

 

 彼女がこなすトレーニングは一寸のブレもない、間違いなく私の研究したトレーニングだ。それなのになぜだ。私の想定していた結果より大幅に上振れた結果が出た。

 

 何故だ……? 

 

 その理由に気付くのは意外にも早かった。

 

 この子たちは、感情の力によって予想外の結果を生む。

 

 私が気付かなくとも、以前学園内で見知らぬウマ娘が言っていたな。感情は偉大な力だと。

 聞いた当初はバカバカしいと一蹴していたその理論に今になって共感させられるとは思ってもいなかった。

 

 でも現に私は、もう体力も切れかけて脚取りも悪く、体勢だってふらついているような、でも諦めず獣のように私の目の前を走り回るウマ娘に、そう教えられていたのだ。

 

 それからの私は変わった。以前怪我をさせたウマ娘には新しいトレーナーにも一緒に改めて謝罪をし、勝手に離れて行ったと貶していたウマ娘達にも同じことをした。

 当然、私は許されないだろう。でも、今私にできることをしようと思った。

 必死に、必死に、何度も、何度も、謝罪を繰り返した。

 

 決して謝罪の時間は楽しくない。唯一の楽しみは、ヴェノムが私の予想していた結果より大きく上振れる結果を出すのを見る時だ。

 

 彼女自身の才能もあったのだろう。私だってすべてのウマ娘を強くできる訳はないし、そもそもとして誰も耐えられなかったトレーニングを今ここでこなしている時点で相当な根性、忍耐力を持っているのは明らかだった。

 

 いつか、この子と一緒に、有馬記念のトップへと行けると思っていた……。あの日までは。

 

 

「ヴェノムストライカをキグナスへ移籍させろ、させなければレース界との関わりを全て断たせる。トレーナー業も続けられると思わない方が良いだろうな」

 

「藪から棒に、どういう意味?」

 

 突然夜に掛かってきたその電話、開口一番にそのような荒い口調で話しかけてくる相手に、私はひるまずに噛みついた。

 私がそう聞くと、電話の相手は咳払いをして一呼吸おいてから話しはじめた。

 

「……ヴェノムストライカは将来私たちのチームにふさわしい実力のウマ娘になる。そのため、私のチームへ移籍させていただきたいんですよ、竹内トレーナー。移籍にあたって、まずはヴェノムストライカ本人から移籍するかどうかの意思を聞きましたが……どうやら彼女はあなたの元が相当気に入っているようです」

 

 最初はいたずらかと思った。だけど電話越しに伝わるそのオーラ、最初に名乗ったチームキグナスという名前からして、いたずらではないことがすぐに分かった。

 ヴェノムを手放せと言うその電話。私の体は返答を考える前にすでにノルアドレナリンを分泌していた。ヴェノムをいまさら手放す? あり得ない。ヴェノムが移籍など望んでいないことだって、今この男から聞いたんだ。移籍などするわけない。

 

「残念だけど、断るよ」

 

 私の答えは、一つだった。

 

「……残念だ」

 

 電話の相手は、それだけ言ってすぐに切ってしまった。恐らく最初に言っていた通り、私はURAから消されるのだろう。

 

「そうだ……今活躍してるあの子のトレーナーに、任せようかな……」

 

 時間にして10分ほどだろうか、私はスターインシャインと言うウマ娘のトレーナーについて思い出す。そのトレーナーならヴェノムの事を受け持ってくれるのではないだろうか。ひたすら窓の外に浮かんでいる月を眺め、覚悟をゆっくりと決める。

 そして私は、机の奥の奥にある、埃をかぶりまくったファイルの中に入っている二枚の紙を取り出した。

 

 私は先ほど思い出した橋田と言うトレーナーへと電話をかける。

 

 この時間にはたして出てくれるだろうか。

 

「もしもしぃ……? 橋田です……」

 

 

 

「……元気にしてるのかな、あいつ」

 

 肌寒くなってきた9月の気温に震えながら、私は窓を見る。そういえば今日はセントライト記念があった。時間を見てももうそろそろ出走の頃だろう。あいつは、スターインシャインと上手く戦っているのだろうか。

 

「やれやれ……せめて最後に、生のあいつの走りを見てあげたかったな……私が鍛え続けてきた……あの子の最高の走り……」

 

 私が一人部屋でぼやいていると、私の部屋のインターホンが鳴らされた。

 

 こんな時間に誰だろうか。

 

「……速水周作です、竹内トレーナーで間違いないですか?」

 

「……ええ」

 

「全く……橋田の奴もめんどくさい仕事押しつけやがって……キグナスのせいで探すの大変だったぞ……」

 

 

 

「ヴェノム、私は正直、昔の事を許してもいいかなって思ってるんだ」

 

「今更なに言ってんダ。このセントライト記念は俺たちの決着をつけるレースだロ」

 

 ゲート前、悩んだ顔をしていたヴェノムに励ましのつもりで声をかける。しかしヴェノムはもうスイッチが入っているようで、勝負するウマ娘の顔になっていた。

 

 私は夏合宿の時、ヴェノムの武器を見ていなかったが、ヴェノムは私の武器をしっかり見ていただろう。つまりこの時点ですでに情報アドバンテージが取られている。事前に対策が出来るのと未知の武器と戦うのでは、天と地ほどの差がある。もしヴェノムの武器が、クライトの領域並みの武器ならば私は負けるかもしれない……。

 

「分かってる。期待してるよ、()()()()()()さん」

 

「昔の黒歴史を掘り起こすのはヤメロ」

 

 話に熱中しすぎていただろうか、周りを見るとゲートインしていないのは私とヴェノムだけになっていた。ヴェノムもそれに気付いたようで、私の顔を見ると気持ち程度に微笑み、ゲートへと視線を移した。

 

 私も、いつものようにレースをするだけだ。

 

「……いくよ、ヴェノム」

 

「シャイン!!」

 

 ゲートへと脚を進めると、しばらくした後にゲートが開いた。

 

 スタートは完璧だ、何度か実施したゲート練習のおかげで、ゲートが開くタイミングが呼吸をするように分かる。付近の気配を見ると、私の後方に五人、前に六人付ける形のようだ。今回、セントライト記念の出走数は13人、位置としてはいい感じに差し気味だ。

 

 ……ん? 五足す六は11。私を足して12人……一人足りない? 

 

『おおっと! かなり出遅れたヴェノムストライカ、やはり久しぶりのレースは厳しいか!』

 

「クッ……」

 

 ヴェノム……よりによってこの舞台で出遅れるなんて……。

 

 ヴェノムの事が気がかりだが、私は私の走りに集中しよう。ヴェノムに気を取られて走りをミスったなんてバレたらそれこそヴェノムにどつかれる可能性がある。

 

 いつもとは違い、差しの作戦を打つ私。久しぶりに追込以外の作戦を使ったが、やはり私の脚に合わない。いくら異常なバ群を回避するためとはいえ、きついものがある。

 

 しかも……追込の作戦を打つ時とは打って変わって周りにウマ娘が多い。いつもは前方だけにいるが、今日は後方にも前方にも、それどころか横にすらウマ娘がいる。それ故に起こる弊害……。武器をどのタイミングで使えばよいのかわからないのだ。

 

 何も私の武器は想いの継承のみではない。レジェンドウマ娘達は皆、三年間で身に付けた数十個にもわたる小さな武器をレース中に可能な限り使用して勝利を掴んでいる。当然私も数個の武器を持っており、レース中にいくつか使用しているのだが……この差しの作戦を打ったセントライト記念ではイマイチ武器を使うタイミングがつかめない。

 逃げと追込なら仕掛けるタイミングが全く違う。もちろん仕掛けるタイミングに合わせてウマ娘はスタミナ管理をするのだが、自分がまったくやったことのない作戦でスタミナ管理をすると言うのはかなり疲れるというか、わからないと言うか。

 

 とにかくとても難しく、うまく加速も出来ていない状態だ。もしかして差しの作戦を打つこと自体が私にとって大きな間違いだった可能性もあるのか……? 

 

 ヴェノムは未だ出遅れた代償分走っている。……いやいや、私は私の走りに集中しよう。

 

 

 

「やれやれ……強引だねぇ」

 

「こうでもしなきゃアンタレース場に入れないでしょうに……」

 

「でもアンタ、マスクにサングラスにフードってどうなんだい。どう見ても不審者だよこれ」

 

 突然私のワンルームを訪れたこの速水と言う男、確かマックライトニングと言うウマ娘を担当していたはずだが……突然どうしたのだろうか。しかも私を……キグナスにURAへの関係を断たれた私を中山レース場に連れてきて。

 

「いいですか、私はあなたをセントライト記念の関係者室に連れてくるよう言われています。だけど……見たいんですよね、ヴェノムストライカのレースを、生で」

 

「……えぇ」

 

 速水と言う男が私の思っていたことをズバリ言うと、内心驚く。まさかぴったりと当ててくるとは。いや、トレーナーにとっては当然なのだろうか。誰だってそうか。担当ウマ娘とのかかわりを突然断たれたら、当然最後にそのウマ娘のレースを見たがる、のだろう。

 

「当然キグナスから関係を断たれたあなたがセントライト記念の関係者なわけはない。だけどそこは生徒会長のシンボリルドルフが何とかしてくれたみたいです」

 

「あの生徒会長……真面目なふりして結構好き勝手やるじゃないか」

 

「ホントですよ、昔からいるだけあって、生徒会長にさえ尊敬されてるんですね」

 

「私は何もしてないけどね……」

 

 恐らくあの生徒会長が私の事を気にかけているのは、私が長い間ずっと走りについて研究していたからだろう。私が長い間トレーニング方法について研究していたのに、それがヴェノムに出会うまで気づかなかった大きな()()のせいで報われていなかったから、かも。思い上がりかな……。

 

「急いで、キグナスの目はどこに光ってるか分からないから。クライトが怪しいやつに目を光らせてます。関係者室まで頑張ってくださいね」

 

「……はいはい」

 

 速水は私の腕を取り、レース場へと早歩きし始めた。

 

 

 

「……」

 

「そう言えばトレーナー君」

 

「なんだ?」

 

「ヴェノムストライカのトレーナーは、とても厳しいトレーニングを行っていたと言うが……どんなトレーニングなのか見たことはあるかい? 私も内容を知りたくてね」

 

 レースを見ていると、突然キングスがそのような事を聞いてきた。ヴェノムストライカの行っていたトレーニング、一応内容自体は知っているが……知ったところでキグナスのトレーニング方針とは全くかみ合わないため参考のしようもない、何の得にもならないのだが……。

 

「いいだろう? 君がスカウトの時期を無視してまで引き抜こうとしたウマ娘のトレーニングだ、気になるに決まっている」

 

「……本当に見ても仕方がないぞ」

 

 あまりにもキングスが食い下がってくるため、仕方なく紙に軽く書き起こして手渡す。それを見たキングスの顔が珍しく青ざめているのは見なくても分かった。それもそうだろう、なぜなら竹内の行っていたトレーニングは……。

 

「こ、これは……」

 

「明らかな高負荷、そして長時間。この負荷ならたとえ20分ほど休憩をはさんでも1時間でウマ娘は力尽きる。それを10分の休憩で2時間……このようなトレーニングは見た事が無い」

 

 俺が紙に書いたのは確かに嘘偽りが無い竹内のトレーニング。しかしにわかには信じられない内容だろう。確かに負荷こそ高いがウマ娘の強さを底上げするのであれば最適なトレーニング、だがあまりにもウマ娘の体力を考えていない。

 

 キングスが苦笑いしている。本当に珍しい。いやこのトレーニングを見れば当たり前か。

 

「……まったく、キグナスだけが悪いチームみたいに見ないで欲しいものだね。たまたまヴェノムストライカが耐えただけであって、このようなトレーニングを行ったところで待ってるのは破滅だけだというのに……」

 

「……」

 

「そろそろ、……話してくれてもいいんじゃないかい? 竹内トレーナーとヴェノムの二人を見ていて、君も思い出すものがあったんだろう?」

 

 俺が椅子に座りながらレースそっちのけで俯いていると、やはりキングスには見抜かれてしまっていた。確かにキングスの言う通り、少し話をごまかしすぎたかもしれない。キングスくらいになら……話しても良いのかもしれない……。

 

「俺の最初の担当ウマ娘、スリープドリームと言う奴がいてな……」

 

「名前だけ聞いたことはある。確か二冠ウマ娘だったね」

 

 昔の思い出に浸りながら、俺はキングスへとゆっくり話しはじめる。

 

「俺とドリームは絶好調だった。負けなんて知らない、強豪コンビ。『最強になる』という目標の為に、俺たちは実力を向上させていったんだ……」

 

 

 

『レースは中盤に差し掛かった! 今日は差しの作戦スターインシャイン、いい位置に付けていますが、それをロードシャイニングとミドルサンダーががっちりとマークしている形です! 対して久しぶりのレース、ヴェノムストライカはそのさらに後方から迫ってきているぞ!』

 

「ヴェノム……やっぱりおかしい、走りに迷いが……」

 

 順調に進んでいるセントライト記念、武器のタイミングが分からない点を除けば私にとってこの上なく良い状態ではあるのだが、やはりヴェノムが気がかりだ。いくら久しぶりのレースとはいえ、あれだけ意気込んでいたのにスタートの時点で出遅れ。そして明らかに夏合宿の時よりスピードが出ていない走り。

 何かヴェノムの中に迷いがあるのだろうか。やはり、私と同じトレーナーさんの元でこれからを過ごすと言う事がずっと頭に引っかかっているのだろうか。

 

「……予想してた通り、この二人が私を徹底マークしに来たね」

 

 ヴェノムの事も気がかりだが、私も私で無事なわけではない。ロードシャイニングとミドルサンダー、この二人のマークが私の動きを大きく抑えている。差しの作戦を打っている私にとって動きを制限されるようなマークはダメージが大きい。

 

 ……いや、事態は私が想像していたよりはるかに大変な事になっているようだ。

 

「まさか……こんなにマークされているなんて……」

 

 あくまで私が特筆して予想していたのはロードシャイニングとミドルサンダーの二人。しかし周りを見ると感じるのは私への警戒心、殺気ばかりだった。まずい、完全に逃げ道が無い。

 本来マークというのは逃げウマ娘に行う行為、後ろからプレッシャーをかけて普段と同じレースをさせなくすると言う作戦であり、私のような差しにマーク作戦をかけてもあまり意味は無い。

 しかし『他のウマ娘を眼中に入れず、マークしたウマ娘だけを倒す!』と言うくらいの気持ちでマークされたら流石に危ないだろう。

 

 そして、私の周りに感じる警戒心や威圧感、殺気は、そのくらいの気持ちを持ったものだと言うのはすぐに分かった。捨て身の覚悟で私に末脚勝負を持ちかけてやる、潰してやる。そんな覚悟が周りのウマ娘達から痛いほど感じる。

 

 数にして6・7人。複数人の勝負でありながら、私はその人数と同時にタイマン勝負をしなければならない。

 

「これは……まずいかも……」

 

 なんだかんだ私は活躍しすぎたということなのだろう。デルタリボルバーというもう一人の最強格が出走していない今、次のターゲットは私となる。それくらいの予想はしていたのだが、まさかここまで顕著にマークされるとは思わなかったな……。

 

 

 

「ちょっと、回り道しすぎじゃないかい?」

 

「キグナスの手法は初めて見ましたけど、こうでもしないとダメみたいで」

 

「……どういうことだい?」

 

「キグナスは、消した相手に対しURAとのかかわりが完全に断たれたことを自覚させるため、しばらくはレース場に待ち伏せ、ターゲットを見つけ次第氷野に情報が行くみたいです。そして担当ウマ娘のレースを見せず、現実を突きつける……改めて手口を読み上げると明らかに幼稚な手法ですが、これが事実です。あ、ターゲットって言うのは、あなたのことですよ」

 

 速水は周りの様子を見ながら私の進むべき道へと引っ張ってくれている。確かに回りをこっそりとみると、レース中だと言うのにモニターへ見向きもせずにきょろきょろと挙動不審な人物が何人かいる。それがキグナス・氷野の刺客といったところなのだろう。

 

「ぃよっ、そこの女連れ」

 

「っ……!! なんだクライトか、こんな時にまで驚かせるなよ……」

 

「わりーな。関係者室への道は安全みたいだぜ、このまま行ける。……にしても、たかがレース見るためだけにここまでさせるなんて、キグナスの本性・バカさ、いろんな意味で恐ろしいって再確認するな」

 

「あなたがマックライトニング……?」

 

 突然声をかけてきた声の主は、速水の担当ウマ娘、マックライトニングだった。凄い、地方に埋もれていたとは思えない、服の上からでも分かる体の美しさ。この子自身に眠っていた肉体のポテンシャルもあるのだろうが、それを地方に埋もれている中で見つける速水の眼もすごい。

 

「……マックライトニング……君のその脚……変なダメージを受けてないかい?」

 

「変なダメージ? あ、トレ公、この前やった足つぼマット全力疾走トレーニングじゃねぇか?」

 

「あの時のお前の顔を撮ったビデオまだあるぞ」

 

「そんなもん撮ってたのか!? おいコラ消せ!」

 

「やれやれ……忙しいところ悪いけど、ここにいたらそれはそれでまずいんじゃないかい?」

 

 速水の事を凄いと思っていたが、足つぼマット全力疾走トレーニングとかいう単語が聞こえてきたので忘れることにした。

 

「……い……竹内……す……」

 

「っ! クライト!! あの男を押さえろ!」

 

 突然速水が大きな声を出したと思ったら、その声にすぐさま反応しマックライトニングは言われた通り遠くにいた男を捉えた。男の手には携帯が握られており、電話がつながった状態だった。画面に表示されている名前は……。

 

「もう氷野に繋がっているのか……」

 

「……今までも抵抗してくる奴らはいた。でも全員警備員に取り押さえられたり、氷野に関わる人物に押さえられた。今回だって同じだろうさ。あくまで俺は『電話をしていた一般人』だ」

 

「……オメーら、自分たちの施設でもないのにレース場で好き勝手してきたんだな。アホくさい」

 

「俺だってやりたくてやってるわけじゃないさ、あの男は弱みを握るのが得意だからな。レースに関しちゃあくまでも自分が勝った相手を潰したがるが、ただのビジネスとしてなら弱みを握ってすぐに利用してくるんだよ」

 

「弱みを見せたオメーの負けだ。これからも一生利用され続けろ、全ウマ娘の敵が」

 

「どうせお前もすぐに消されるさ!! キングスクラウンに勝てた奴はいないからな!!」

 

「チッ……俺は1年半キグナスとやりあってきたウマ娘、マックライトニングだ。覚えときやがれ」

 

「やれやれ、めんどくさい事になりそうだね」

 

 先ほどの二人の反応速度、見事としか言えなかった。もちろんレースの業界においてこのような場面はめったにない、というか普通は無いためあまり意味はないが、さっきの速水の周りへの洞察力、その声に対しすぐに意味を理解し反応するマックライトニングの瞬発力。

 

「レース以外でもすごいもんだ……最近の若い子は」

 

「アンタもまだ比較的若いでしょうが……」

 

「三十路に何期待してんだい」

 

「はぁ……急ぎますよ、氷野には連絡されているんですから。クライトもいくぞ」

 

「……」

 

 マックライトニングは呼ばれても返事をしなかった。何故だろうと思い彼女の方向を見ると彼女は俯いていた。

 

「……クライト、『どうせお前も消される』と挑発された時、よくあの男を殴らなかったな」

 

「一年半やりあってきたのは事実だ、一年半耐えてりゃ負ける事はそうそうないさ」

 

「そうか……」

 

「それよりその言葉、そっくりそのまま返すぜ」

 

「俺は殴らねぇよ!」

 

「前のトレ公ならやりかねなかったぞ」

 

 そうか、この二人はこうやってお互いの成長を見合い絆を深めて来たのか。レース以外でも、レースに必要なステータスなど関係なく、お互いの人としての成長を見合い……。

 

 ……レースバカすぎて、私とヴェノムはどんな感じだったか思い出せないな……。

 



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第八十五話 許されざる弾圧 セントライト記念③

作者「書き貯めとかできる気がしないな……それはそれとして、ディケイドライバーのCSM凄すぎてテンションあがってます」


 

「すごぉい! このトレーニングすごい気持ち楽なのに負荷がかかる!」

 

「……」

 

「中学生のくせにトレセンに飛び級でトレーナー採用とか……」

「俺らの苦労も知らないな」

「てかあれ就職扱いなの? ボランティア扱いなの?」

「賃金出たら一応違法だからな、高校生くらいまではボランティアみたいな扱いらしい」

「生徒会長も何考えてるんだか……」

「いくらトレーナー試験を受けさせて数十分残して満点だったからって……ねぇ」

 

「……ね、気にしてるの?」

 

「……気にしてない」

 

「ウソ、デコのシワすごいよ」

 

「……気にしてる」

 

「そうそう、そうでいいの。何も気にすることないって、どうせ私達同年代なんだからさ、大人に分かんないことだってあるよ」

 

「……そうだね」

 

 知っての通り、俺は異様なケースでトレセンに入った。根っからトレーナー業に才能があった俺は、中学生でありながら、学校と学園の許可を貰ってトレーナーとして隠れ活動をしていた。

 ただ、流石に学業との両立をしないといけないため、あくまでも適当に配属されたサブトレーナーと言う立ち位置だが。

 

 いくら才能があったからとはいえ、大変じゃなかったわけじゃない。ある程度はトレーナ業について勉強したし、トレーニングの組み方練り方考え方に至るまで、頑張って覚えた。しかしトレーナーとして現れた俺に対する周りの目は冷たかったのだ。

 

 中学生のくせに、子供のくせに、ガキのくせに。そんな言葉は聞き飽きるほど言われた。

 その冷たい対応はトレーナーにとどまらず、ウマ娘も同じだった。

 

 同年代にコーチングされたくない、信用できない、中学生のトレーニングとかたかが知れてる。

 誰も俺に関わろうとしなかった。

 

 それでもそんな俺に変わらず接してくれたのが、このウマ娘『スリープドリーム』だ。

 

 俺が配属されたチームのエースを務めており、俺の状況を心配していつも声をかけてくれる。俺とは同年代であり、好きなゲームも好きな漫画も好きなタイプも、二人で話が良く合った。

 

「クソ……また負けた……」

 

「氷野君、パズルは弱いんだね。おやつのモンブランも~らい」

 

「あ~もう! 負けた負けた負けた負けた!! くっそおおおお!!」

 

「負けず嫌いすぎじゃない!?」

 

 

 中学三年生だった俺は、当然すぐに卒業シーズンがやってきた。そうすれば今度は進路を決めることになる。しかし俺は、トレセン学園にそのままいることを決めた。当然問題になるのが学歴だが、そこはトレセン学園と半年ほど話し合って特別に認めてもらった。

 

「やっほ~! ……まっさか本当にそのままトレセンに来るとはね……」

 

「あぁ、お前と約束したからな」

 

「『最強になるため!』ね」

 

 ドリームは、なんと俺がトレセン学園に来て最初の担当ウマ娘になることを選んでくれた。チームにそのままいればエースとして名声を得られたはずなのに、ドリームはわざわざ新人トレーナーの俺を選んだのだ。

 

 応えたかった、そんなドリームの期待に。

 

 そのためなら俺は何でもした、当然犯罪以外で。トレーニングメニューの質を上げるために日々勉強をし、レースのスケジュールもなるべくドリームが最高のパフォーマンスをできるようなスケジュールで組んだ。

 

 コースの研究をし、最適なコース取り。他のウマ娘と戦うための武器についての研究もした。

 

 レースだって何度も何度も勝っていた。そんな風に俺は普通の熱心なトレーナーとしての道を歩むはずだったのだ。

 

「チッ……まだいるのかアイツ」

「俺たちが今のキャリア手に入れるまでにどれだけ苦労したのかもわからないくせに……」

「なんか愛想わるい子よね、あの子」

「担当ウマ娘に強く当たったりしてるんじゃないか?」

「まさか、まぁそう思う気持ちはわかるよ」

 

 しかし、俺への冷たい視線は変わらなかった。中卒でありながらトレーナーの資格を貰い、負ける悔しさも知らずに勝ち続けるトレーナー。それを見たら大人と言うのは癪に障るようだ。

 ウマ娘が天才的な才能を持っていたらちやほやする癖に、俺に対しては褒めるどころか軽蔑の眼で見てくるというのは、なんとも不公平ではないだろうか。

 

 ある時だった。ドリームがあるレースに出た際の出来事だった。

 

「それじゃ、私今日もやってくるよ! 最強になるためのコマ、また一つ進めるよ!」

 

「うん、頑張ってきて、ドリーム」

 

 同年代である彼女は、俺の成長に比例するように発達する。少し前まで中学生の無邪気さが残っていた彼女は、言動こそ元気なままだが、いつの間にか女の子らしい可憐な雰囲気になっていた。

 

 その日のレースに負ける要因は見られなかった。ドリームの能力はそのレースの平均以上だし、コース取りだって綿密に計画して何度もトラックで練習した。他のウマ娘のレースを見てもこれと言った武器を持っているやつはいなかった。

 

 レースが始まるまで、いつも通りだった。

 

 レースが始まっても、いつも通りだった。

 

 最終直線。

 

『さぁ最終直線に入ってスリープドリームが上がってきた! 他のウマ娘はついて来れるのか!?』

 

「よし……いける!!」

 

 ドリームは俺の言った作戦や動きを完璧にこなしている。他のウマ娘の作戦に合わせて多少のアドリブは入っていたが、ほぼ俺の言った動きに近い。体力の消耗も少ないはずだった。

 

「なっ……」

 

 だが最終直線で見たのは、ドリームが一着でゴールする景色じゃなかった。

 

『な、なんと落鉄です! それも外れた蹄鉄が後ろに飛んでいきスリープドリームに当たった!!』

 

 なんと、ドリームの少し前を走っていたウマ娘の蹄鉄が外れたのだ。その蹄鉄はドリームの顔に命中し、その時の俺には鈍い音が聞こえた気がした。

 最終直線を走るウマ娘の時速は、60kmや早くて70kmになる。その速度で蹄鉄が命中したドリームは、鼻から鼻血を大量に出し、頭からも血を出し、姿勢も揺れ走ることすらままならないと言った様子だった。

 

 すぐに柵を飛び越え、ドリームの方へ向かった。一生懸命に走った。

 

 俺がドリームの元に到着するころには、ドリームは地面に倒れ込み、頭部から大量に血を流して気絶していた。

 

 

「氷野さん」

 

「……はい」

 

「残念ですが……意識を取り戻すのは難しいです……」

 

 医者から告げられたのは、残酷な事実だった。

 

 一般道路を走るような車の速度で頭部にぶつかった蹄鉄は、ドリームの脳に深刻なダメージを与えた。所謂植物状態というものだった。

 

「治してくれよ! お金ならある! レースで稼いだお金があるからドリームを治してくれよ!!」

 

「お金がどうこうの問題じゃないんです! ……植物状態というのは、もはや本人次第でしか治らないんです……」

 

「そんな……」

 

 俺は絶望した。ドリームがいなくなって俺はどうする? 学園に居場所なんてない。ドリームがいてくれたから俺はトレーナーとして頑張ってこれたのだ。そんなドリームがいなくなって俺に何ができるというのだろうか。

 

「お気の毒に」

「てか氷野が手術代をケチったんだってよ」

「本当に? ウマ娘の事考えてるのかしら……」

「なんでもレースが終わるまで担当の子そっちのけで放置してたみたいよ」

「前々からやばいやつだと思ってたけど、やっぱり中卒じゃあなぁ……」

「精神年齢的にも若いからね」

「負けを知らなさすぎたんだよ、調子にも乗りすぎた」

 

「違う、違う違う違う違う違う! 全部ウソだ! 俺はドリームの為ならいくらでも出すつもりだった!! レースだって結果も覚えてないほど助けに向かった!! どいつもこいつも他人事だと思ってウソばっかり言いやがって!!!!」

 

 もうその頃の俺は、全てがどうでもよくなっていた。

 ドリームはいなくなり、トレセンにも居場所が無い。ありもしない噂を広げられ、ますます居場所がなくなる。誰かに相談しようともしたが、誰も味方じゃない気がして相談できなかった。

 

「お前らがそうやって俺とドリームをバカにするなら……トレセン学園で俺に刃向う奴はすべて消してやる……」

 

 そこから、キグナスというチームが生まれた。数々の権力者の弱みを握り、トレセン学園のトレーナーを秘密裏に消していった。それが、今の俺だ。

 

 

「……そんな過去があったとはね」

 

「……話しすぎたな……」

 

「……私は、彼女の代わりにはなれないのかい?」

 

 話を終えて無言になると、キングスはそのように声をかけてきた。

 

 無理だ、ドリームは唯一無二の俺の担当だ。キングスはおろかどのウマ娘であっても代わりにはなれない。

 

「無理だ。お前はレースに勝つことだけ考えろ。今年中にスターインシャインには負けを認めさせるんだ、気を引き締めろ」

 

「……あぁ」

 

 

 

「よ、トレーナー、今日もくそキツトレーニングやるんだロ~?」

 

「やれやれ、分かってるならさっさとジャージに着替えな」

 

「めんどくっっサ」

 

「教えたはずだよ? 『どんな時でも頭は上げろ』って。ほらさっさと頭上げな」

 

 自分のトレーニングの欠陥に気付いてからしばらく。私はヴェノムと関わるうちにウマ娘の強さを引き出すトレーニングについてまた考え始めた。もちろん今度は感情や調子の面も考慮して。

 

 とりあえずヴェノムが感情や調子を何も考えていない、いわば『無慈悲トレーニング』についていけることは分かっているし、脚の調子もずっと見ているが特に大きいダメージは無い。ただ小さいダメージは見えるため、ウマ娘本人の調子を考えるトレーニングも早めに完成させなければならないだろう。

 

 ある時、トレーニングをしている最中にヴェノムがこんな質問をしてきた。

 

「なぁトレーナー、俺たちの最終的な目標ってどこなんダ?」

 

「やれやれ……全くめんどくさい質問をする子だ・こ・と」

 

 目標。私はこれと言って掲げるような目標は持っていないが、確かにヴェノム本人の夢や目標があるかもしれない。それを明確にするため、私の目指しているところをヴェノムに教えても良いかもしれない。

 

「そうだねぇ……。私はやっぱり、自分の担当ウマ娘が有馬記念で勝つのが目標……ってか夢だね。ま、勝てなくてもいいさ。なによりも担当ウマ娘が元気に走ってる姿が、私の見たいものさ」

 

「……こんな効率的にトレーニングできる方法知ってて、今まで元気に走った奴、いないのカ?」

 

「……そうだよ、いない」

 

 

 

「……やっぱり、戻ろう」

 

「え? ちょ、ちょっと、何言ってるんですかこんなところまで来て。いや確かに連れてきたのは私ですけど」

 

 突然そのような事を言ったため、速水は驚いた顔をしている。その隣にいるクライトも同じような顔だ。

 

「……一応聞くが、なんでだ?」

 

「……怖いのさ、このレースの行く末を見るのが」

 

「怖い?」

 

「スターインシャインって言うのはすごい強いウマ娘なんだろう? レース映像だって見ている、あれは間違いなく神の領域に近い強さだ。きっと……きっとヴェノムは負けちまう。それにさっきの男が氷野にもう連絡している。私が勝手な行動をすれば、キグナスがあの子に何をするか……分からないじゃないか」

 

 私は担当ウマ娘が元気に走る姿が見たい。勝つ姿だって当然見たい。しかしこのレースに出ているスターインシャインと言うウマ娘はきっと私のヴェノムをあっけなく倒しちまうだろう。その現場を見るのがとても怖い。

 

 きっとこれ以降ヴェノムのレースを生で見る機会はもうない。最後のレースがヴェノムの負け試合なんて、見たくない。それだったら帰ってテレビで見た方がまだマシだ。

 

「……オメーは、あいつが負けると思ってんのか?」

 

 マックライトニングが、静かにそう問いかけてきた。いや、別に負けると思っているわけじゃない、しかし相手が悪すぎるから負ける可能性が高すぎると言っているのだ。

 私はそのことをマックライトニングと速水に打ち明けるが、二人は別に意表をつかれたような表情をするでもなく、ただニヤニヤとしていた。

 

「……よぉトレ公、前にもいたなこんな奴」

 

「ああ、全く。あの時みたいに蹴り飛ばすなよ」

 

「やってねぇだろ」

 

 なぜこの二人はこんなにも余裕な表情なのだろうか。前にもこんな奴がいたとは? 

 

 私の悩みを一蹴するような二人のその態度に怒りを覚え始めた頃、後ろから一人の足音が聞こえた。後ろを見ると、そこに立っていたのは橋田だった。

 

「確かにその通りだ、うちのシャインは俺もびっくりするくらい強い。でも竹内さん、レースに絶対はないんです。もしかしたらシャインが負けるかもしれないし、勝つかもしれない。トレーナーは担当の勝利をいつまでも願う仕事ですよ」

 

「後半全部トレ公の受け売りな」

 

「全くだ」

 

「そういうことを言わないでくれクライト!」

 

「レースに絶対は……ない……」

 

 そうか、あの生徒会長も言っていたな。レースに絶対はない。そうだ、私はそれをずっと心に留めていたはずなのに、忘れていた。

 レースに絶対はない、それなら、ウマ娘の能力にだって絶対はないはずだ。そう信じて私は研究を続けてきたんだった。

 

「……やれやれ、そうだったね。私はあいつのトレーナーなんだ、見てやるしかないか!」

 

「気合が入ったなら何よりだぜ、竹ティー」

 

「竹ティーて……竹(トレーナー)って事かお前……」

 

「なんか文句あるかトレ公」

 

「ないです」

 

「……どうしたんだい? アンタたちは付いてこないのかい?」

 

 二人で楽しそうに会話をしている二人に一度声をかける。私と橋田が前に進んでも、マックライトニングと速水の二人はずっと会話をし続けていたからだ。しかし二人は元気な顔で私に返事をした。

 

「シャインとヴェノム、二人のトレーナーが2人きりで見た方が良いと思って」

 

「どうせここまでくれば安全だろ。行って来い」

 

「アンタたち……。……やれやれ、うん……ありがとうね。さ、行くよ橋田、レースも始まってるみたいだ」

 

「えぇ」

 

 私は橋田と何気ない話をしながら、早歩きで関係者室を目指した。

 

 

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 ……やはりまずい、今日はなんだかマークが異常だ。なんでだ? 日本ダービーで私は負けているのに、ここまでマークする必要があるのか……? 

 

「(……ん? このウマ娘、やけに私の脚だけを見てくるような……)」

 

 脚……なんで私の脚だけを見てくる……? マークをしてくる理由は、逃げウマ娘に威圧感を与えるか、そのウマ娘が仕掛ける時に合わせて末脚勝負を仕掛けて根性比べをするくらいだ。それならば仕掛けるタイミングを見計らうため、表情や手つきなどいろいろな場所に視線を移してマークしたウマ娘が仕掛けるタイミングを完璧につかまなくてはならない。

 

 それなのになぜこのウマ娘は私の脚だけを見てくるのだろうか。

 

「(違う……そうだ……)」

 

 そうだ、私は夏合宿で大勢のウマ娘に、私のレースを見せたじゃないか。URAに関わっていない一般人なんていない砂浜で、トレーナーとウマ娘達に私の走りを見せてしまったではないか。

 

 普通なら他のウマ娘の走りも混ざり注意力は他に向くはず、しかしあの時の私はまだタルタロスの支配下にいて、実力をひけらかすように持ちうる武器を全力で使い、全力で走っていた。それならば私一人に視線が集まり、私だけ警戒度が高まるはずだ。まさか今になってこんな形で牙を剥いてくるとは思わなかったな……。

 

 

 

「……」

 

 これから、俺はどうなル? 

 

 シャインのトレーナーの元で走り続け、俺は何を目標に生きル? 

 

 何を憧れに生きル? 

 

 分かってる、レース中にこんなことを考えている場合ではない事。シャインとの決着をつけるために何とかして勝たなくてはならないと言うのに、こんな考えばかりが思考を邪魔してくル。

 

 前を見ると、シャインの奴はバ群に呑まれていタ。あれじゃ無理ダ、抜け出せるようなバ群じゃなイ。俺だってそうダ、こんなに思考がぶれているんだから、今更走りに集中できるわけが無イ。

 

 思えばキグナスに声をかけられた時から俺は変だっタ。あの時キグナスの誘いを受けておけば、トレーナーは退職することにならずに済んだのニ。俺のせいで、トレーナーは退職することになったんダ。

 

 俺たちの決着は……もうこのままお互い負けで終わるのが、一番いいはずダ。

 

 もう前を見る必要もない。

 

『どんな時でも頭は上げろ』

 

 ……幻聴ダ、別に俺は死にかけているわけでもないのに幻聴が聞こえるなんて、不吉だナ。

 

 ……やれやれダ、トレーナーの言う通り、せめて頭だけは上げてレースを走──

 

「ッ……! シャイン……」

 

 頭を上げて前を向いた瞬間、俺の視界に入ってきたのはバ群に呑まれているシャイン。ちょうど最終直線に入るカーブを抜けているところだからよく横顔が見えタ。

 その横顔は、諦めていなかっタ。複数のウマ娘にマークされて、仕掛けるタイミングが難しいと言うあのバ群の中で、あいつの瞳には流星が宿っていタ。

 

 そうダ。俺はあの瞳に、あの諦めず勝利を掴み取ろうとする瞳に惹かれてあいつに憧れたんダ。

 

 そうダ。俺は今、その憧れの存在と戦っているんダ。

 

 そうダ。俺はあいつ(トレーナー)のコーチングを受けた、あいつ(トレーナー)の生きた証なんだ。勝たなくてはならない。

 

「俺が……あいつの生きた証になってやル!!」

 

 あいつのトレーニングを完全にこなしたのは、トレセン学園で俺だけダ!! 

 俺が走り続けて、勝ち続ければ、トレーナーの鍛え方が間違っていないと証明できル!! 

 俺が走り続けるんダ!! 

 

「シャイン……やってやるサ……」

 

『さぁレースは最終直線へと差し掛かった! おっとここで後方からヴェノムストライカが上がってきた! スターインシャインはまだバ群に埋もれている!!』

 

 

「(ヴェノム……!? やっぱり、最後の最後に仕掛けてきた……!)」

 

 バ群の隙間から見える他のウマ娘の中に、ヴェノムが混じっていた。そのスピードは既にスパートをかけているようで、他のウマ娘達をバンバン追い越して行った。

 

 しかし私が注目したのはヴェノムの走りでもヴェノムのスピードでもない。ヴェノムの顔だ。

 

 何やら明るい顔で、スパートをかけていた。

 

 レースの序盤から中盤までは何やら悩みがあるような迷いのある走りをしていたが、このレースの中でその悩みに答えを出せたのだろう。やっぱり、私のライバルになるウマ娘はみんなこうじゃないと。

 

「……あっ!! ……ここだぁ!!」

 

 ヴェノムの笑顔に心を躍らせていると、周りの異変に気付いた。なんと私の周りを走っていたウマ娘達が、夏合宿で見た私の走り以上の存在感を出しているヴェノムに動揺し始めたのだ。そのおかげでバ群に隙間ができた。ここなら抜け出すことができる! 

 

「タキオンさん……よろしくお願いします!!」

 

 一瞬生まれた隙間が閉じないうちに私は想いの継承へと意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ませる。

 

 超光速のプリンセス。

 

 その力があれば、ヴェノムまで追い抜くことができる!! 

 

「……もう外が騒がしい、急ぎますよ竹内さん!!」

 

「やれやれ、分かってるよ!!」

 

「(距離は残り300m……バ群から抜け出して、想いの継承も出来た今、間に合う!!)」

 

 

 流星が降る音が聞こえル。

 夏合宿の時に見たシャインのあの武器が、発動したのだろウ。

 

「くっ……ソ……」

 

 まるで俺たちが走っている星そのものが地球とはまた違う他の星に変わったかのように重力、威圧感を感じル。

 

 これがあいつの持つ天性の威圧感……。これに加えて……あの武器ガ……。

 

 ゴール板はすぐそこだというのに、背後まで近づいてくる奴がいる。

 

『二人が抜けだした!! なんとかバ群から抜け出したスターインシャイン!! ヴェノムストライカと一対一になっている!! もう一馬身後ろまで迫ってきているぞ!!』

 

「ヴェノムッッッ!!!」

 

「決着ダ、この野郎ォォォオ!!」

 

 

「なんとか着いた!!」

 

「ヴェノムぅ!!」

 

「行け!! シャイン!!」

 

「はぁっ……はぁっ……。すぅぅぅ……ッッヴェノムゥゥゥゥゥゥゥ!!!」

 

 

「……ッ!! ……うぅぅぅぉぉぉおおおアアアァァァァァァ!!!」

 

『しかし! 抜けない! 追い抜けないぞスターインシャイン!! 離される!! 離される!! ヴェノムストライカ、久しぶりのレースで流星を打ち破ったァ!!』

 

 かすかに聞こえたトレーナーのような声、観客の声にかき消され、それが本当にトレーナーの声だったのかは定かではない、もしかしたらそっくりさんの声かもしれない。

 でも俺は確実にその声に力づけられた、それなら、きっとトレーナーが見ていてくれたのかもしれない。

 

「……やぁれやれ……やっぱり、私のトレーニングはしっかり強くなれるんじゃないか……なぁ? ヴェノム……!!」

 

「……ヴェノムストライカのトレーニングは、ずっとあなたのトレーニングに基づいて行おうと思います」

 

「……うちの子を、よろしくお願いします」

 

「(……えぇぇぇぇえシャイン負けちゃったのぉぉぉぉ……)」

 

 

 

「ワァァァァァァァァ……!!」

 

 歓声が響いている、手が振られていル。

 

 俺は、勝ったのカ。

 

「はぁ……はぁ……。まさか、私の武器を使って負けるなんて思ってなかったよ……。やっぱり、強いね、ヴェノム」

 

 俺に続くようにしてシャインが走ってきタ、俺に負けて悔しそうな顔をしていると思ったが、意外にもシャインは明るい顔をしていタ。

 

「随分明るい顔してるじゃねぇカ。俺に負けて泣きべそ書いてるかと思ったケドナ」

 

「……これからよろしくやるチームメイトに、そんな顔見せられないでしょ」

 

「それもそうだナ。……今日のレース、お前のおかげで強くなれタ。これからよろしくナ」

 

「うん、よろしく、ヴェノム」

 

 私とヴェノムは、手を取り合い観客へと手を振った。

 

 

「……やれやれ、じゃあね、ヴェノム」

 

「……トレーナー。俺はアンタの生きた証として、走り続けるぜ」

 

 

「……やはりヴェノムストライカ、スターインシャインを打ち破る素質を持ったウマ娘だったか」

 

「驚いたな……キグナスのウマ娘が手をこまねいてきたスターインシャインを、久しぶりに復帰したウマ娘が破るなんて……」

 

「キングス、キグナスのトレーナー室に戻るぞ。お前のレーススケジュールと、デルタリボルバーの今後について話す」

 

「了解だ。……それより、感動の別れをした竹内トレーナーについてはいいのかい?」

 

「……スターインシャインを倒すビジョンが見えた、今日の所は許そう。これ以上は許さないがな」

 



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第八十六話 改めまして

作者「物書きになりたての頃、pixivにあげた短編の方が86話分のこの小説よりブクマされてるの悲しい」


 

「改めまして、ようこそ私達のトレーナー室へ!」

 

「なんだ、小汚いかと思ったら結構整ってんじゃねぇカ」

 

「それはそれは本当に……最初の頃は汚かったんですよヴェノムさん……」

 

 セントライト記念が終わり、とりあえず菊花賞まで一ヶ月くらいの休みが始まったので、私とトレーナーさんはヴェノムを迎えるミニパーティをしていた。と言っても、何も豪華な料理が出る訳でもない、子供だましのようなパーティだが。

 

「そういえば速水さん、竹内さんはあれからどうなったんです?」

 

「しっかり家まで送り返したさ。あの人、俺と別れる最後の最後まで笑顔だったぞ。……いいことしたじゃねぇか、橋田」

 

「俺もトレーナーなんで、担当との関係を断たれた時の気持ちがなんとなくわかったんです」

 

「そうか……」

 

 一応この歓迎会パーティには、竹内トレーナーを探し出しだすことに貢献してくれた速水さんも参加している。私のトレーナーさんと速水さんは、ずっとトレーナー室の角で何かを話しているが、私はヴェノムとの会話があるので、あまり聞いていなかった。

 

「そうだヴェノム、私の想いの継承に対抗する技、教えてよ」

 

「誰が教えるカ、技はウマ娘の命だゾ」

 

 先のセントライト記念。そこで私はヴェノムに破れたのだが、どうにもその理由……いや理由はわかりきっているのだが、ヴェノムの武器の正体がつかめない。

 

 あの時、私はバ群を抜け出したばかりでヴェノムと距離のディスアドバンテージがあった。それにスパートもかけられていないからスピードも同じだ。

 

 私がヴェノムを見てからバ群を抜けるまでの時間を考えると、多分私とヴェノムの距離差はあの時にして5バ身くらいだったはずだ。そしてのこり300mほどと考えると……想いの継承を使った私に勝つには小さな武器を一つ使うだけでよいのだ。

 

 しかし小さな武器と言うのはいくらでもある。その中からヴェノムが使ったものをピタリと当てると言うのは、難しい。

 

「(でも、距離やスピードのアドバンテージが無かったら勝ててたかもしれないんだよなぁ。そう考えると、想いの継承も便利じゃないな)」

 

 このセントライト記念で、想いの継承を使うまでの道中、そしてその立ち位置や状態によっては想いの継承を使っても勝てないと言う事が判明した。

 これからは誰を継承するかという問題の他に、道中しっかりと立ちまわれるかの問題も課題になるだろう。

 

 なにはともあれ、私とヴェノムは菊花賞への優先出走権を手に入れた。これでデルタリボルバーと確実にリベンジマッチを行えるようになったのだ。

 

 

「(あいつのあの時の走り方、アグネスタキオンの走り方にそっくりだっタ)」

 

 セントライト記念の景色を思い出ス。そこで思い出されるのハ、やはり最終直線でのシャインの走り方。あの走り方は紛れもないアグネスタキオンの走法。あいつの想いの継承については薄々気づいていたガ、まさかあそこまで同じとハ。

 

 あの時俺が打った作戦は、単純なものだっタ。

 

 ストライド走法で走っただけダ。

 

 あの時、トレーナーの声が聞こえた気がした次の瞬間、俺はシャインを抜かしていタ。そして背後から想いの継承を発現する気配がし、俺は無意識にストライド走法で走っていタ。

 

 その時はなんでストライド走法にしたのかわからなかったガ、後から考えてみるとこれはあるウマ娘の走りによく似ていることが分かル。

 

 マンハッタンカフェ。

 アグネスタキオンのライバルであるアイツの走り方がストライド走法だったのを思い出ス。

 俺に想いの継承の素質があるのかもしれないのかもと一瞬思ったが、あの時は決して想いの継承をしたと言う感じではなかっタ。

 

 もしかしたら、想いの継承に対応するには、発現者が継承したウマ娘のライバルの走り方が一番効果的なのかもしれなイ。俺はあの時きっとそれを無意識に分かって実行したのだろウ。これからシャインと走ることになったら、実行してみてもいいかもしれないイ。

 

 当然セントライト記念では距離やスピードの差もあっただろうガ、他のレースでも対抗手段として使えるだろウ。

 

「そろそろ失礼するよ」

 

「え~、もう行っちゃうんですか?」

 

「残念だけどなシャインちゃん……まぁクライトの神戸があるから。また今度サイダー奢ってくれよ橋田」

 

「はい、また」

 

 俺たちが各々の会話をしていると、速水がトレーナー室を出て行っタ。残された俺たち二人と橋田は『一旦とりあえず……』というように、このトレーナー室で一番デカいソファに座っタ。

 

「まぁなんだ、今後のトレーニングについてだが……竹内トレーナーからはトレーニングメニューの参考表を貰っている。ヴェノムはそれをやりたければやってくれ。他のトレーニングがやりたければ俺に相談してくれ。シャインはまた個別でトレーニングメニューについて話し合おう」

 

「おっけ~!」

 

「分かっタ」

 

 ソファに座ってすぐ、トレーナーが俺達の今後のトレーニングメニューについて話しだしタ。俺の前のトレーナーからトレーニングメニューを預かっていたのカ……変に忘れ形見みたいに残しやがっテ。

 

 

 

「……」

 

「どうしたの? トレーナーさん」

 

「いや、なんだかチームっぽくなったなって思って」

 

「確かニ、トレーナーはまだ新人だったカ?」

 

「そ、新人。まさかコネもなく新人がチームを受け持てるなんて夢にも思ってなかったさ」

 

 俺はまだトレーナーと言う仕事についてから時間が経っていない。いわばまだ研修生みたいな立ち位置だ。それなのに担当ウマ娘を二人も持てるというのはなかなかに前例がないはずだ。

 元々どこかのチームのサブトレーナーとして働いており、メイントレーナーがいなくなった時にそのチームを引き継ぐと言う形でならチームを受け持つこともあるが、俺のように全くチームを担当しておらず複数の担当を持つと言うのは珍しい。

 

 以前は気軽にチームを組めるアオハル杯というものがあったようだが、今は経費の都合上開催停止しているようだ。

 

「橋……あぁいや、トレーナー」

 

「ん?」

 

「トレーナーってだいぶトレーナー歴短いよナ、トレーナーになる前に何の仕事をしてたんダ?」

 

「俺か?」

 

 突然ヴェノムが俺にそのような事を聞いてきた。俺の前職について隠すつもりはないんだが……。うぅん……。

 

 いや、別に恥ずかしい仕事と言うわけじゃないんだ、しかし……しかしなんだ、トレーナーと言う高収入な仕事に比べて差が凄いからあんまり言いたくない……。

 

「確かに~、私も聞いたことないかも。聞いたっけ……?」

 

「結構歳だよナ」

 

「歳って言うな」

 

「そんデ? 前は何やってたんだヨ」

 

「あ~……あぁ……もう、分かったよ。俺の前の仕事はただの建設業さ」

 

 そう、俺の仕事は建設業。所謂土木と言う奴で、その業界でも下の下の企業で働いていた。

 

 まともに勉強もしてこなかった俺は、そういう仕事に就くしか選択肢が無かったんだ。しかも人付き合いも苦手で、全然仲の良い人は出来なかった。仕事だって下手くそで、いつも怒られていた。どうせ全力でやっても怒られるのなら、適当にやってしまえといつも思い、よくサボっていた。

 

 いくら土木でも、新卒ならきっと待遇も良いはず。そう考えて入社したところはただの地獄だった。

 

 それでもこのトレーナーと言う仕事を目指したきっかけは、俺がいつものように建設作業を進め、休憩していた時に事務所のテレビで見たある一つのレースだった。

 

『トウカイテイオー、奇跡の復活!!』

 

 そう、あの有馬記念だ。シャインと同じく、あの有馬記念を見たから、俺はこの仕事を目指した。

 

 ゴール前、死に物狂いで走るトウカイテイオーの顔に、気迫に俺は感化されたのだ。

 

 当然今まで何も勉強をしてこなかった俺に、トレーナーになると言うのは大きな壁になった。

 

 うん、壁だった。

 

 しかしトレーナー試験当日、俺は面接を何とか乗り切り、筆記試験も運で乗り切ったのだ。

 

 鉛筆を転がすことによって。

 

「……で、少し働いた後に私に出会ったわけね」

 

「そういうことだ。いやぁあの時はマジですごかったよな、お前が出たレースを見てるトレーナー全員引っ張りだこ、そしてそれをすべて断るお前」

 

「『トレーナーからのオファーをすべて断るか……変わった奴だな』だっけ?」

 

「なんで覚えてんだよ」

 

「なんであの時ちょっと怪しい雰囲気出して口調が不審者だったの?」

 

「知らん」

 

「仲良いなお前ラ」

 

 実を言うと、トレーナーを目指したのは有馬記念を見たからだけじゃない。俺と同じ企業に勤めていた社員の一人がトレセン学園のトレーナーに就職したから、『俺みたいな土木でもトレーナーになれる可能性がある』と希望を見出したからというのもある。そいつの事はトレセン学園に来てから見ていないが、元気にしているだろうか。あの企業で唯一何回か話した事のある社員だったからな。

 

「まぁ、おしゃべりはこの辺にして、まずはセントライト記念の疲れを癒すために寝るか」

 

「正気カ?」

 

「レースが終わって数日はいつもこんな感じだから気にしないで、期限迫ってきたらトレーニング始まるだろうから」

 

「そ、そうカ……なんか、面白いやつだナ」

 

「でしょ」

 

 

 

「桜花賞……負け。オークス……負け。ローズステークスも……負け。はぁ……」

 

「こんなきれいな景色が見えるところで、どうしたんですか? サン」

 

「いやぁ、今までツインサイクロンに負けたレースを振り返ってみてたの」

 

 良い風が吹き、トレセン学園の周りに広がる街の景色が見える屋上。そこで私とトレーナーさんは秋華賞に向けての話し合いをしていたのだが、話に区切りがついたあたりで私は過去のレースを振り返った。

 桜花賞では突然現れたツインサイクロンの風神に破れる。

 オークスでは風神の正体を知り、もう一度破れる。

 ローズSでは風神の怒りを買い、気絶する。

 

 ツインサイクロンが現れてからというもの、私の戦績は全くふるっていない。

 いくら落ち込まないようにしていると言っても、少しは焦るというものだ。

 

 3連敗もしている相手に、今更秋華賞で勝てるだろうか。という不安は、ずっと前から私の中を泳いでいる。

 

「風神に勝つ方法が必要ですね……しかし……」

 

 トレーナーさんだってわかってるはずだ。あの風神は私の事を完全にターゲットにした、もしツインサイクロンが負けそうになれば再び私の事を気絶させにかかるだろう。2レースも連続で気絶すれば世間は異変に気付くかもしれないが、これは物理的に証明しようがないものだ。私が何を言っても風神など信じてもらえないだろう。

 

 脚に巻きつく風はどうにかして防ぐことができた、それでも首に巻きつく風がある。

 

 首に巻きつく風を、どうやって防げばよいと言うのだ……? 

 

 どうやって……。

 

 考えても負ける未来しか見えない。

 

『ダブルティアラを取ろうよ』

 

「ダブルティアラ……トリプルじゃなくて……ダブル……」

 

「……サン?」

 

「どうにかして勝とう、秋華賞までに、あの風神への対抗方法を見つけよう。見つけ出して、私だけの()()()()()()()()を、取ろう」

 

「……えぇ、必ず。そのためにも、多くトレーニングをこなしましょう」

 

「よ~っし!! ここからはトレーニングの時間だぁぁぁぁぁ!!」

 

 桜花賞の時の私ならここで再び落ち込んでいた。でもトレーナーさんにはもうみじめな姿を見せたくないって、見せないって決めたから。私のできる限りの武器を使って頑張ろう。

 

「こんにちは、サン」

 

「ん……? あっ、ノース! 久しぶり!!」

 

 トレーニングを始めようとシューズの靴ひもを整えていたら、ノースがトレーナーさんと一緒にこちらへ歩いて声をかけてきた。しばらく見かけていなかったが、こうして話すことが出来て嬉しい。彼女達だって氷野トレーナーにとって目の上のたんこぶ、忌み嫌われるような状態なのに良く消されずにいてくれているものだ。

 

「ランスは?」

 

「風邪ひいて寝てるわ」

 

「……そう言えばもう9月かぁ、そろそろ本格的に冷えてくるね。といってもまだ風邪ひくような季節じゃないけど」

 

「ほんとね。まぁトレーニングで良く張り切ってるから……」

 

「森田さんも久しぶりですね。時間が経っても、ノースはうちのサンとよく遊んでくれるから助かってます」

 

「はは、まぁ……まぁ、ね」

 

 それにしても、あのノースが話しかけてきたと言う事は何か理由があると言う事だと私は考えているが、本題はなんだろうか。

 

「……あなた、秋華賞のことで悩んでるでしょ」

 

「ギ、ギクッ」

 

「その効果音、口で言うんですね……サン……」

 

 ある程度落ち着いてからノースにかけられた言葉は、ドンピシャで図星だった。

 

 まさに先ほど私は秋華賞の事で悩んでいた、まさかそれをノースに言い当てられるとは思っていなかったため、私は思わず口で効果音を出してしまった。

 

「秋華賞まではまだある……。それまで、私が一緒にトレーニングしてあげるわ」

 

「ほんとに? いいの?」

 

「ウソついてどうするのよ」

 

 私が秋華賞で悩んでいることを看破して何をするつもりなのかと思っていたが、ノースが提案してきたのは秋華賞までの共同トレーニングの事だった。

 

 確かに、ノースは元キグナスのウマ娘と言うだけあって、競争ウマ娘としての能力はピカイチだ。秋華賞までは大体一カ月、それまでノースと一緒にトレーニングすれば、秋華賞までにツインサイクロンを倒す手掛かりが見つかるかもしれない。

 

「それに、あなたには恩があるしね。私を倒してくれた恩が」

 

「そ、そんなの恩にならないよぉ……」

 

「いいえ、あなたが私を倒してくれなければ、私はアルビレオに所属する未来を掴めなかった。あのままキグナスにいる未来よりかは、こっちの方が楽しいわよ。だからありがとう、サン」

 

「は、恥ずかしいからやめてぇぇぇぇぇ!!」

 

「……校舎に向かって走って行きましたね」

 

「……相変わらずなのね、サン」

 

「いや、はは……はは……」

 

 

 

「ようトレ公、なんだかデコにシワ増えてんじゃねぇか」

 

「……」

 

「急に『メシ行くか』なんて言って、こんな高そうな店連れてきやがってよ」

 

「……」

 

「どうしたんだ、なんか悩みでもあるのか?」

 

 俺の問いかけに対して、トレ公は全く反応してくれなかった。深刻な顔をしているばかりで、ご飯も進んでいないようだった。

 

 心配だ、地方時代から俺の面倒を見てくれたトレ公が、いつも笑顔を絶やさなかったトレ公が今、笑顔を消している。

 

 トレ公だって一人の人間、何か悩みがあるのかと思って聞いてはいるが……。今日中に答えてくれるだろうか。

 

 そう思う俺の考えは、杞憂だった。しばらく問いかけ続けていると、トレ公からは答えが返ってきた。

 

「セントライト記念が終わり、次はお前の神戸新聞杯だ。神戸新聞杯が終われば、次は秋華賞、菊花賞のシーズン。一年が終わろうとし始める時期だ。その時期になれば忙しくてこうやってご飯を食べる時間も減るだろうからな。とりあえず連れてきたかっただけだ」

 

「だからって無難にこんな高そうな店にしなくても、いつもみたいな隠れた名店探しすればいいじゃねぇか」

 

「いや、隠れた名店探しは外れた時のリスクも大きい、今回は無難に選ばせてくれ」

 

「そ、そうか……」

 

 意外にもトレ公が心配しているのは、俺が満足に休息を取れるかどうかの心配だった。話し終わったらトレ公はいつもの余裕な顔に戻ってご飯を食べ始めた。食べている最中の顔を見ても特に違和感はない……。何か重大な事で悩んでいるのかと思ったが、違ったようだ。

 

「それで? デルタリボルバーに勝つ方法はあるのか? スタ公を倒した相手だぞ」

 

「正直なところ、思いついていない」

 

 トレ公の表情が元に戻ったところで、俺も俺で聞きたいことを切り出した。もう少しで俺の神戸新聞杯が開催される。しかしそこに出走してくるデルタリボルバーは、ダービーでスタ公を倒した相手。そう簡単には倒せない。きっとトレ公が何かしらの武器を思いついているだろうと思い聞いてみたが、やはりトレ公でも思いつかないようだ。

 

「しかし……相手はスタミナ勝負を仕掛けてくる。そこでひとつ、もしかしたらある武器が使えるかもしれない」

 

「ある武器?」

 

「『スタミナイーター』……」

 

「スタミナイーター? たしかあれって長距離でゆっくり仕掛ける武器だろ? 神戸新聞杯は2400m。確かに長い方だが長距離とまではいかないぜ?」

 

 スタミナイーター。

 レース中盤まで後方で押さえ、強烈なプレッシャーで前方にいるウマ娘全てのスタミナを削り取る武器だ、以前メジロブライトというレジェンドから聞いたことがある。恐らくそれの事だろう。

 

 しかしメジロブライトは長距離で使える武器と話していた。神戸新聞杯で使える武器じゃないはずだ。

 

「たとえ距離が足りなくとも、きっと効果はあるはずだ。使って損はない。それにしたって、デルタリボルバーのスタミナは異常だ。すべて削り切れるか分からない……」

 

「そんな武器使わなくたって、限界まで追い込めばきっと領域が……」

 

「そんな不確定なものに頼るくらいなら、俺は普通の武器を使った方が良いと考えている。領域なんかに頼りすぎるんじゃないぞ」

 

「な……」

 

 何気なく言われたトレ公の発言、俺はそれにひどくショックを受けた。トレ公が今まで俺の提案を却下する事はあったが、否定することはなかった。それが今、俺の領域と言う武器を否定している。

 

「第一、領域が発動したからと言って、必ずしも勝てると言う確信が持てないだろう。お前だって宝塚記念で何が起きているのかわからなかっただろう」

 

「意識が研ぎ澄まされて……脚が軽くなって……視界も広がって……」

 

「単純に身体能力が引き伸ばされただけじゃ、デルタリボルバーに必ず勝てるとは思えない。いいか、絶対に神戸新聞杯では領域を使うなよ」

 

 どうしてだ、だって、俺だって。

 頭が混乱している。領域に目覚めた宝塚記念以来、トレ公に領域について何か言われることはなかった。それなのになぜ急に、こんな、領域を全面否定するような。俺が目覚められた強い武器なのに、そりゃたしかに発動するまでに追い込む必要があるが、それでも発動すれば強いはずだ。

 

「……言いすぎた、すまん」

 

「お……おう……」

 

 少しだけ、悲しかった。トレ公に否定されたのが。

 もしかしたら涙も出ていたかもしれない。一応出ていたとしてもトレ公にばれないようにしたが、まぁ、ばれてるだろ。

 

 結局その話が終わってからは普通に最近の話をして時間を過ごした。ご飯も美味しかったが、正直味がしなかった。

 

 店を出てからも、私……俺の気持ちは落ち着かなかった。

 

「……今日は色々すまん。神戸新聞杯、気張るぞ」

 

「……おう」

 

 俺たちは、黙って寮へと帰った。

 

 

 

「速水トレーナー。君の担当ウマ娘、マックライトニングについてだが……」

 

「なんでしょう? 生徒会長直々にお呼び出しなんて、2回目くらいですかね?」

 

 クライトが宝塚記念に勝利し、嬉しい気持ちの中で俺は生徒会長シンボリルドルフに呼び出された。ついつい俺はおちゃらけたような口調になってしまったが、ルドルフの表情は深刻そのもので、どうやら真面目に聞かなくてはならないようだった。

 

「マックライトニングが宝塚記念の最終直線で使っていたあの武器……君が教えたのか?」

 

「いや……クライトがぶっつけ本番で思いついた、というか発現した武器みたいですね。調べたら領域とかいうやつみたいです」

 

「……やはり領域に似ているようだな」

 

「……?」

 

 俺が質問に答えると、ルドルフは再び表情を曇らせた。まるで『言うか言うまいか』という表情だな。

 

「言ってくれて構いませんよ。なんでも受け止めるつもりです」

 

 俺がそう言うと、ルドルフは気持ちを読まれたことに驚いた表情を浮かべた。そしてしばらく下を向いて深呼吸したのちに、俺に発言した。

 

「マックライトニング……彼女が発現したのは、領域じゃない」

 

「領域じゃない?」

 

「彼女が目覚めたのは……彼女だけが持つ特殊な武器。そしてそれは……」

 

「それは……」

 

「使うたびに、彼女の脚を蝕んでいくだろう」

 

「使うたびに……脚を……?」

 

 大したことないだろうと考えていた俺の思いは、あっという間に打ち砕かれた。

 



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第八十七話 クライト、悩みの巡回

作者「外痔核を切除したのですが、非常に痛くてやばいです」


 

「クライトの脚を蝕んでいくって……どういう事ですか!?」

 

「私達も一瞬、マックライトニングのあの武器は領域のように感じた。しかしレース中のマックライトニングから感じたのは領域のそれじゃあなかった。あれは彼女()()の武器だ、スターインシャインの使う武器のようにね」

 

「じゃ、じゃあ、あの武器を使い続けたらクライトは……蝕まれていくその終着点はいったいどこに……」

 

「あの武器を使い続ければ……いずれもう二度と、彼女は脚が動かせなくなるだろう」

 

 宝塚記念でクライトが勝ったのを喜んでいるのもつかの間、生徒会長に呼び出された俺に突き付けられたのは無情な現実だった。

 

「クライトが……脚を動かせなくなる……? いずれ……?」

 

「そうだ……彼女のあの武器は、領域のように不明確な部分が多い、そのため私達にもわからない部分は多いが……あの武器は自らの脚を生贄にして力を手に入れているように見えた……だから、絶対に彼女にあの武器を使わせてはならない」

 

 見えた、というまるで分かっていないような言い方をする生徒会長に、最初は噛みつこうと思った。クライトの武器の正体が分かってもいないくせにそのように驚く発言をするなと言おうと思った。しかし相手はあの生徒会長、何人、何百人とウマ娘を見てきたあの生徒会長がクライトの武器について指摘してきたのだ。

 

 自らの脚を生贄にして力を手に入れている『ように見えた』

 

 と言っても、恐らくその的中率は9割方なのだろう。

 

「わかり……ました……」

 

「……すまない、私も全力で彼女を走らせてやりたい。しかし、脚が動かせなくなる未来が見え切っていると言うのにそのままにするわけにはいかなかった……。そうだ、私の知っている良い病院を紹介しよう、そこならきっと──」

 

 

「……もう、行ってしまったか……」

 

 

 

「ねぇクライト、私がタルタロスに行ったとき、つか私をタルタロスから助け出そうとしたとき、ボイスレコーダーを原田から取ったじゃん」

 

「ん? あぁあったなそんなの」

 

 昼下がり、スタ公と食堂で昼飯を食べていると、藪から棒にそう確認してきた。一体なんだろうか。

 

「あの時、レコーダーに入ってる私の音声、聞いた?」

 

「あぁ~、あの甘っっったるい観覧車の音声か」

 

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 

「ここ食堂だから叫ぶなバカスタ」

 

 タルタロスから橋田の奴がボイスレコーダーを手に入れた時、当然その中に入っていた音声は俺達スタ公に関わる人物は聞いている。スタ公はそのことを知らないようだが……あまり言わない方が良いだろう。

 中に入っていた橋田とスタ公の甘ったるい会話は、俺にとって恥ずかしくすごく聞けたものではなかったが、すこしだけ恋愛している二人に憧れる。……俺はトレ公にそんな感情があるのだろうか。

 

 わからない、でも感謝しているのは当然だ。地方から俺を引き上げてくれたトレ公には絶対感謝しないといけないし、義務的に感謝するまでもなく俺の思考は感謝一色だ。

 

 でも、俺がトレ公にそんな感情を抱いているのだろうか……。

 

「クライト、どうしたの?」

 

「ん?」

 

「いや、脚押さえてるから」

 

「あぁ、これな、なんか最近ちょっとズキズキするんだよ」

 

「大丈夫? 一応病院行ってみたら?」

 

「気にすんなって、大した痛みじゃないんだから」

 

「そう……」

 

 

「……サン、お前、木村のことどう思ってる」

 

「え? 普通にトレーナーさんだよ? ってかクライト私ピンポイント狙いで甲羅投げないで!!」

 

「恋愛感情とかあるか? ……あ、甲羅もう一丁」

 

「……う~ん、ないかも。もう私の中でトレーナーさんとはコンビってイメージがついてるかな。だから特に恋愛感情とかは無いと思うよ。もっともっと勝ってトレーナーさんを有名にしないと。だから私しか狙ってないじゃん!」

 

 いつかの時に来たゲームセンターにて、俺は自分のトレ公に対する感情の答えを探していた。

 昼にシャインに気付かされたように、俺はトレ公に感謝の気持ちを抱いている。だがそれ以上に何かの感情を持っている気がする。しかしそれをうまく言語化することができないのだ。これが恋愛感情なのか、はたまた別の感情なのか、答えが出てこない。

 

 そこでシャインとは一度別れ、誰よりも自分の気持ちを包み隠さずストレートに伝えてくるサンを呼び寄せてそれとなくトレーナーに対しての感情について質問してみたのだが……。

 帰ってきた答えは単純。やっぱりサンはトレーナーに対してまっすぐな尊敬の念だったりを持ち合わせていた。羨ましい。

 

「だぁあああ! クライトレースゲームうんまぁ! ちょっとぉ! 次は太鼓で勝負! 太鼓の時間!」

 

「自分の得意分野に引きずり込むなバカ」

 

 

「ノース、ランス。オメーらトレーナーのことどう思ってる」

 

「どう思ってる……?」

 

「森田さんの事を?」

 

 サンとゲームセンターで別れた後、街をぶらついていたらノースランスのコンビに出くわした。そう言えばこいつらも新しいチームであるアルビレオのトレーナーについてどう思っているのか気になったため、近くのカフェに誘ってから聞いてみた。

 

 しかし二人は森田トレーナーへの気持ちがイマイチこれと言って出てこないようで、しばらくうんうんと悩んでいた。

 

「そうね、私はキグナスから追放されていたところを拾ってくれた森田トレーナーには感謝しているわよ」

 

「私もだな」

 

「その……恋愛感情とか抱いたりするのかよ」

 

「ないわね」

「ないな」

 

「そ……そうか……」

 

 トレーナーへの感謝の気持ちに、恋愛感情が含まれるのかという旨を聞いてみたが、即答でそう帰ってきてしまい少したじろいでしまった。やはり担当ウマ娘がトレーナーに恋愛感情を抱くなど少ない事例なのだと実感する。

 しかし、収穫はあった。ノースランスが『トレーナーに感謝』の気持ちを抱いておきながら、恋愛感情が含まれていないと言うのなら、俺の感謝の気持ちにだって恋愛感情が含まれていない可能性が大いにある。

 

「私達担当ウマ娘がレースで勝てば、トレーナーの評価だって上がる。そのためにもクライト、あなたには負けてられないわね」

 

「そうだな。お前らもがんばれよ」

 

「スターインシャインにもよろしく伝えておいてくれ」

 

「おう」

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……階段登るのもきつくなったな……歳か?」

 

「クライトお姉ちゃん……まだ学生だよ……? はい、水」

 

「さんきゅ……シャイニング……。 つかお前、一応所属キグナスなんだよな? 俺から誘っておいてあれなんだが……俺達と関わってていいのかよ」

 

「大丈夫大丈夫! 特段悪いことしてるわけじゃないもん!」

 

「ふ……それもそうだな」

 

 カフェで軽食を楽しんだ後は、神社に向かってみた。するとシャイニングランがめちゃくちゃ長い階段を滝登りのように登る自主トレーニングをしている最中だった。階段を独占していると言うわけでもなく、ちゃんと登りたい人を見かけては退いていた。

 

 以前スタ公に倒され、リベンジするべくトレーニングを続けているらしい。確かに俺もスタ公に勝てた覚えがない。あいつが橋田と出会う前? くらいの模擬レースが懐かしいな。

 

 スタ公に負けてもなおキグナスに所属し続け、活躍しているシャイニングラン。あのノースやランスを即追放した氷野にしては珍しいが、一体そこにどのような意図が含まれているのかはわからない。確かノースたちが追放された理由については『弾圧行為を行ったから』とノースの口からきいたが、弾圧行為など今のキグナスが行っていることではないのだろうか。

 

 ……あぶね、聞きたいことを忘れるところだった。

 

「シャイニング……オメ、トレーナーのことどう思ってるんだ? っていうか、どうしてまだ氷野になつくんだ? あっ……」

 

 しまった、あくまでも氷野の事を慕ってるであろうシャイニングの前で、すごく嫌な気持ちにさせるような言い方をしてしまったと思いとっさに口を押えるが、シャイニングは気にしていないようだった。

 

「大丈夫大丈夫、そう言いたい気持ちはわかるから!」

 

「そうか、すまん……」

 

「私のトレーナーさんに対しての気持ちかぁ……、やっぱり尊敬してるし、大好きなトレーナーさんだよ? キグナスの方針はともかくね! あ、これはシーッ! ねっ」

 

「分かってるよ。ちなみにシャイニング、その『大好き』っていうのは?」

 

 今日少なくとも四人に聞いている質問を、同じようにシャイニングにも行う。その中に出てきた『大好き』という単語は、今俺が探しているものだった。

 キグナスの方針をあまりよく思っていないことを口外しないでくれ、というシャイニングのお願いを承諾しつつ、俺は続けてそう質問した。

 

「大好きは、大好きだよ!」

 

「恋愛的な好きなのか?」

 

「うん! そりゃあ……他のウマ娘を消すなんてことはしてほしくないけど……すごくかっこいいし……優しいし……」

 

 身内には優しいのか……。

 

 それにしても驚いた、シャイニングの好きと言う感情には、恋愛的な意味が含まれていると言うではないか。それならば氷野にアタックなどはしているのだろうか。

 さらに続けてそれについて質問してみたが、帰ってきたのは意外な返答だった。

 

「ううん! まったくアタックはしてないよ!」

 

「え? なんでだ!? 好きなのに」

 

「だって、トレーナーさんはチームを率いるトレーナーさんだよ。私だけが独り占めは出来ないもん。それでなくたって、私が成長してこの学園を卒業するくらいになったら、また別の子が担当になるんだよ。私がそう言う立場にいたら、きっとトレーナーさんはお仕事に集中できなくなっちゃう。わたしはあまりトレーナーさんの邪魔をしたくないな」

 

「そういうものなの……か?」

 

「う~ん、私がおかしいだけ、かな? きっと他の子は素直にアタックするんじゃないかな? 自分の好きな人だからこそ、その人には輝いていてほしい。ならアタックなんてしてる暇ない、自分が現役の内にたくさん勝って、トレーナーさんの知名度をもっと上げなきゃ!」

 

 好きな人に輝いていてほしい、か。確かに俺もそうかもしれない。

 

 トレ公には……もっと有名になってほしい、もっと輝いて欲しい。地方で落ちぶれていた俺をここまで成長させてくれた腕を持っているトレ公をもっと有名にしたい。

 

 そのためなら、もっともっとつらいことだって乗り越えられる気がする。

 

「よし! サンキューな、シャイニング!!」

 

「えへへ、じゃあ今年のハロウィンは私にお菓子頂戴ね?」

 

 

「はぁ……みんなちゃんと自分なりの関わり方してんだな……」

 

 すっかり太陽が沈み、真っ暗になったトレセン学園でベンチに座りひとり呟く。今日一日色んなところを巡り、いろんな奴のトレーナーに対する気持ちを聞いて、皆多種多様な関わり方、されどしっかりとした芯がある関わり方をしているのだと思った。

 

 それに比べて俺は……昨日トレ公から言われた、たった一言で落ち込んでいる。

 

「俺も、自分の気持ちに白黒つけなくちゃな……」

 

 俺のこのトレ公への気持ちが、恋愛に傾いているのか、それともただの何気ない尊敬の気持ちの塊なのか。

 

「そろそろ寝るか! うだうだ悩んでるのは俺のキャラじゃない。神戸新聞杯でしっかり勝って、トレ公にいいところ見せないとな!!」

 

 そう思い、ベンチを立ち上がった時。

 

「いっ……」

 

 この前から俺の脚に走る痛みがまた来た。もういつからこの痛みがあるのかはわからないが、気付いたらまるで持病のようにこんな痛みが走るようになった。一体何故……? 

 

 しばらく痛みに悶えしゃがみ込んでいたが、時間が経つと痛みは一時的に引いて行った。しかしまた間を開けて痛みは襲ってくるのだろう。

 

 もしレース中にこの痛みが襲ってきたとしたら……。

 

 あまりそう言う事は考えない様にしよう。

 

 そうだ、神戸新聞杯では領域を使えば勝てるはずだ。当然それに頼り切って負けるなんて失態も犯さない。俺はきっと勝てるはずだ。

 

「なぁ……? トレ公、俺たちは、地方からのし上がって、中央に名を轟かせるんだったよな……スタミナイーターだって、大分感覚分かってきたんだぜ」

 

 寮に帰る途中、俺の脚に鎖がついているような感覚がしたのは気のせいではないはずだ。しかし俺はそれを見たくなかった。見てしまったら、恐怖に呑まれる気がしたから。助けてくれよ、トレ公。どうして昨日、領域を使っちゃダメなんて言ったんだよ……。なぁ……。トレ公……──

 

「すまねぇ……トレ公……なんか怖ぇよ俺……自分の脚がいつか使い物にならなくなるんじゃないかって不安がいっぱいで、怖ぇ」

 

 しかしその場には俺しかいない、当然返事など返っては来なかった。

 

「トレ公に、打ち明けてみるか」

 

 

 

「先生、クライトの脚は?」

 

「厳しいでしょうね、相変わらずルドルフさんの言う通り彼女の脚を細かく見ていますが、やはり足の状態は悪いです。午前中の時点でかなりダメージを受けています」

 

 思わず唇を噛んでしまう。明日はクライトの神戸新聞杯があると言うのに、未だにクライトの脚は良くならない。いや、領域……あの領域もどきを使わなければよい話なのだが、クライトがそれをおとなしく聞き入れるとは思えない。せめてクライトの脚が領域もどきを使えるくらいまでに回復してくれれば、神戸新聞杯の一回だけは許そうと思ったのに……。

 

 シンボリルドルフの紹介で出会った腕の良い医者に話を聞いて、俺は病院の外にある寂れたイスに座る。

 

 俺は、どうすればいい……。

 

 このままでは、クライトの脚が……。しかし武器を使わなければデルタリボルバーに打ち抜かれる……。

 

 担当の為に負けを取るか……自らの栄誉の為に勝ちを取り担当を見捨てるか……。

 

 バカか、そんなの決まってるだろ。前者に決まっている。もし俺が後者を取ればきっとクライトは、二度と立ち直れなくなる。俺は原田と同じく担当を見捨てたトレーナーになる。そんなのはごめんだ。

 

 でも、もし負けたら、負けず嫌いな性格のクライトは悔しがるはずだ……。

 

「クソッ……クライト……クライトォッ……。俺は一体、どうすればいいんだ……お前のために何かしてやりたいのに……力不足でごめんよ、クライト……うっ……くっ……」

 

 もはや周りの視線なんて気にならないくらい、久しぶりに大泣きした。

 

「トレ公?」

 

 その声が聞こえ、俺は思いっきり顔を上げた。多分相当ひどい顔をしていたのだろう。目の前にいつの間にか立っていたクライトは、俺のことを心配そうに見ていた。

 

「俺の事を強くできないのかよ、俺に嘘ついてたのかよ」

 

「……すまない」

 

 俯いてクライトにそう謝罪する、しかし返事は返ってこない。不自然に思って顔を上げてみると、そこにクライトはいなかった。

 

 幻覚だったのか……。

 

「こんなんじゃ、ダメだよな。今一度、あいつにちゃんと向き合おう」

 

 震える手を押さえ、俺はクライトに最大限不安を与えないよう領域の事を伝える文章を考えるため、トレーナー寮へと戻った。

 

 

 

「なぁトレ公……今日、やっぱりあの武器使っちゃダメなのか? ……俺の脚が蝕まれるから」

 

「あぁ……」

 

 レース場の控室で、クライトが弱弱しそうにそう聞いてくる。こんなに弱弱しいクライトの声は、実に久しぶりに聞いた、そのような気持ちにさせてしまっているなら、俺はトレーナー失格だ。

 

 神戸新聞杯の朝、俺はクライトにシンボリルドルフから聞いたことのすべてを話した。そこからレース場に向かうまでクライトは落ち込んでいて、今もそう、という状態だ。

 

「今思えば……だから、だからあのレストランに行ったとき、怒ったのか」

 

「あぁ、何も言わずに怒ってしまったのは本当に良くなかったと思う。すまん」

 

「……まぁ、しばらく時間が経って落ち着いたからよ、俺も納得した。分かったよ、もうあの武器を使うのはやめる」

 

「……分かってくれてよかったよ」

 

 トレセン学園の方で打ち明けた時にはすごいショックを受けているようだったが、レース場に向かうまでの道のりでクライトは納得してくれたようだった。しかし、相変わらず自分の武器が使えなくなったと言う事に対する衝撃は大きいようだった。

 

「もうすぐ神戸新聞杯か、俺達も準備しよう、スタミナイーターの感覚は忘れてないな?」

 

「ばっちりだ。まさか本当に数日で仕込めるとは思ってなかったけどな」

 

 クライトにここ数日教え込んでいた武器の確認をすると、問題なく元気よく返事をしてくれた。スタミナイーターの熟練度こそないものの、クライト自身も実感するほど武器として仕上がっているようだ。

 

 デルタリボルバーを倒すためには、あの膨大なスタミナを削らなければならない。三つの心臓を持つと言われる彼女のスタミナを、スタミナイーターでどれだけ削れるかがこの勝負の肝だ……。

 

 またスタミナイーターは、その武器の特性上自分より後ろにいるウマ娘には効果を発揮しない。そのためクライトはシャインちゃんと同じ追込寄りの走りを求められるわけだが、クライトはこれまで差しを専門に走ってきた。『差し追込み』とひとくくりにされるほどだから差しも追い込みも同じに思うかもしれないが、それはあくまでも位置の話であり、走っているウマ娘本人からしてみると差しと追込は天と地ほどの差がある。

 

 恐らく先のセントライト記念でもシャインちゃんが陥っていた現象なのだが、ウマ娘は自分の得意な位置で走らない場合、武器の使用タイミングが分からなくなる場合がある。そのため差しを専門に走っているクライトはもしかしたらスタミナイーターの発動タイミングを見極めあぐねる可能性がある。

 

 どうか、クライトがタイミングを見極められればいいが……。

 

「それじゃ、パドックの方行ってくるぜ、トレ公」

 

「おう」

 

 体操服をしっかりと着て、ゼッケンも締め直すとクライトは控室を出て行こうとした。俺もそれを見送ろうとしたのだが……。

 

「待て、クライト」

 

「……?」

 

 何か、何かクライトの動きが不自然と言うか、何か不安になる感じがして、思わず呼び止めてしまった。

 

 何故俺はこんなにも不安な気持ちになるのだろうか。まるでここでクライトを見送ったら、もう二度と会えなくなってしまうような感じ。

 

「……変な事は考えるなよ」

 

「……わぁってるよ」

 

 俺は心臓の警鐘を無視して、クライトをそのまま見送った。

 

 

 

「……」

 

 パドックのエリアへ向かう地下通路を歩きながら、俺は考え事をする。と言うより、過去を思い出す。

 

 トレ公と出会ってから、何度も何度もスカウトされたあの日常。トレーニングをしている最中のトレ公の表情。スタ公と出会って、サンと出会って、キグナスとやりあったあの日常。

 

 すべてがフラッシュバックしてきた。それが今俺は、自分の最大限の力を封じられ、デルタリボルバーに確実な敗北を喫することを約束されている。このレースで負けて自信を失った俺は、その後も領域もどきを使わずしてレースに勝つことができるだろうか。分からない。

 

「トレ公……」

 

 俺の足首に見える鎖の幻覚は、ジャラジャラと金属音を鳴らしていた。これをレース中断ち切れば、俺は再び領域にも勝るような状態になる。しかし使えば俺の脚は……。

 

 再び牙を剥いた足の痛みに顔をしかめながら、俺はパドックへと向かった。

 



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第八十八話 鎖 断ち切る

作者「私の憧れの人が書籍化決定しました。すごすぎぃ!!」


 

『はぁ……また一人、行っちまったな……』

 

 あの子との出会いは、ふとした時だった。

 

 自分が手塩にかけたトレーナーがまた一人、立派に育って独り立ちしたため、時間を持て余して地方のトレセンに見学に来たときだった。

 

『ん? あの子……』

 

 トレーナーを育てる段階で何度もウマ娘を見てきたからわかる。明らかに育ち、それでありながら可能性を秘めているように見えるその脚を見て、俺は一目ぼれしてしまった。

 

 しかしその子は落ち込んでいるようで、1人トラックに体育座りをしていた。俺は警戒されない様にゆっくりと歩みより、声をかけた。

 

『君、1人?』

 

『そうですけど……何か用ですか?』

 

『中央に来ないか? 君ならきっと活躍できる!』

 

 

 

『できるだけやってみる……』

 

 控室を出ていくときにクライトがぽつりとつぶやいた言葉だ。

 

 今まで、ここぞと言う真剣勝負でクライトはこのような事は言わなかった。いついかなる時でも、クライトは自分に絶対の自信を持って勝負に臨んでいた。

 それが今、この神戸新聞杯では自分に自信を持っていないような状態で勝負に向かってしまった。

 

 いや、大体は俺のせいなのだが。どうにかして、レースが始まるまでにパドックでクライトを元気づけられないだろうか。

 

 俺は一人残された控室でいてもたってもいられず、足早にパドックへと向かった。

 

 9月ということで少しだけ肌寒い

 

「……さん! ……水さん!」

 

「……」

 

「速水さん!!」

 

「うぉっ、シャインちゃんか……それに橋田まで」

 

「ど~も」

 

「やっぱりクライトの勝負は見に来ないと!」

 

「……ヴェノムちゃんは?」

 

「自主トレがしたいから今日は放っておいてほしいみたいです」

 

「自由な奴だな……」

 

 パドックを一人でボーっと見ていると、後ろの方から声をかけられ、声の方向を見ると橋田とシャインちゃんが立っていた。まぁ、クライトとは前から仲がいいし、見に来るのは当然か。

 

「クライトって結構外枠でしたっけ? まだ出てきませんね」

 

「クライトは……10番だ」

 

「まだ5番のパフォーマンスか、クライトはまだまだ出てこないみたいだな」

 

「そうだね~、早く体操服姿のクライトを拝みたいねぇ……ぐふふ」

 

「お前それ目当てかよ……」

 

「い~じゃ~ん! 滅多にあんな可愛い服着ないんだから~!」

 

 隣でシャインちゃんと橋田が何かを喋っているが、あまり内容は入ってこない。今はただクライトが自らに自信を持って走れるかどうかだけが気になって仕方ない。

 

 しばらくクライトではないウマ娘のパドックを見ていると、デルタリボルバーが出てきた。ダービーの時から変わらない不動の城のような佇まいは、パドックを見ている客を魅了しているようだった。気のせいだろうか、パドックの上を去る際、デルタリボルバーがこちらを見た気がしたのは。

 

「デルタリボルバー……ダービーで私を倒した相手……」

 

「あの狂人の如しスタミナ、クライトは対抗策を持っているんですか?」

 

「……」

 

「速水さん?」

 

「っあぁ、すまん、ボーっとしてた。デルタリボルバーへの対抗策は一応クライトに教えてある。問題はそれをうまく実行できるかどうかだな」

 

「なるほどなるほど~……じゃあクライトの武器を私も使えれば何とかなるかもしれないって事か……」

 

「今日は学ばせてもらうか」

 

 クライト……どうにか自信を付けてくれ……。

 

 俺はお前が怪我をせずに無事に帰ってきてくれることが望みなんだ……。

 

 

 

「今日のマークはマックライトニングか……いや、あの脚じゃ敵にもならないだろうがな」

 

「……? あの脚、とはなんだい? トレーナー君」

 

「マックライトニングのあの脚は爆弾を抱えている。奴が以前見せた、所謂領域と言われるような武器を使えば、あの脚は二度と使えなくなるだろう」

 

 デルタリボルバーをパドックに送り、しばらく控室で過ごしている最中。今日のレースの相手を確認していたら、キングスが俺の言葉について質問してきたので回答すると、それを聞いてキングスは目を丸くしていた。何故目を丸くして驚いているのか大体予想は付く。

 

「私は彼女の脚を見ても何もわからなかった……今まで何人とウマ娘を見てきた私が……。やはり君の観察眼は侮れないみたいだね」

 

「……」

 

 褒められたところで今日のレースの勝敗が変わるわけじゃない、反応する必要はないだろう。

 

 それにしても気がかりなのはあの速水と言うトレーナーだ……。マックライトニングの表情を見ても全くデルタリボルバーが負ける要素が見られないが、あの速水と言うトレーナーの表情は別だ。確かに大きな迷いはあるが、どこか秘策を隠しているような、もしかしたらデルタリボルバーを倒せると確信しているようなあの表情。

 

 戦った事の無い相手ならまだしも、恐らくあの日本ダービーでデルタリボルバーとスターインシャインの戦いは見ているはずだ。そうなれば話は別、どの程度の武器を使えば相手のウマ娘を倒せるのかなまじ分かってしまったせいで、そう簡単にデルタリボルバーを倒せると確信できる武器を見つけることが出来なくなる。

 

 俺が思考を張り巡らせていると、突然俺のスマホが鳴り出した。こんな大事な時にマナーモードにするのを忘れていたのか。

 

 しかし俺は電話の相手を見て驚いた。スマホに表示されていた相手は、スリープが入院している病院からだったからだ。

 

「もしもし!?」

 

「氷野さん!? スリープさんが!」

 

 電話に出たのはいつもの担当医だ、その声は切羽詰まっており、何かただ事ではない様子だ。俺は急いでスリープの状態がどうなったのかを問いただした。

 

「スリープさんが……涙を流しました!」

 

「スリープが……涙を……?」

 

 担当医から放たれたのは、衝撃の言葉だった。今まで植物状態だったスリープは、涙すら満足に流すことのできない体だったはずなのだ、それが今、涙を流したと言うではないか。

 

 もしかしたらスリープの意識がこのまま戻るかもしれない。そう考えると俺は気が気じゃなかった。

 

「俺は少し病院に行ってくる。急用ができた」

 

「……? レースはどうするんだい? トレーナー君」

 

「今日のレースは……後で映像で見るとする。天地がさかさまになるようなことが起きなければリボルバーは負けないさ。キングス、お前はどうする?」

 

「私は……今日のレースをこのままここで見るとしよう」

 

「そうか。それじゃあ行ってくる」

 

 病院からの電話を切り、俺は控室を飛び出してスリープが眠っている病院へと向かった。

 

「……スリープドリーム、か。彼女を越えなければ、私は……」

 

 

 

「マックライトニング」

 

 曇り空を見つめていると、声をかけられた。声をかけてきたのはデルタリボルバー。その声は面と向かって聞くのは初めてで、まるで鉄が喋っているかのように無機質な声だった。

 

「何の用だよ、もうすぐゲートインだろ。お前も自分のゲート前にでもいたらどうなんだ」

 

「……そんなに気分が落ち込んでいて、私に……キグナスに勝てると思うなよ」

 

「あ……?」

 

「見るからにそうだろう、上を無気力に見つめ、ボーっとしている目。まるで廃人のそれだ。そんな状態でキグナスに勝てるわけが無いと言ったんだ」

 

 わざわざ声をかけてきて何を言うのかと思ったら、デルタリボルバーは俺の事をただ煽るためだけにやってきたようだ。

 

 確かにそうだ、今の俺は廃人。ただ無気力に落ち込んで、自分に自信を持つことができない地方育ちのウマ娘。これ以上俺に関わらないで欲しいものだ。今はそっとしておいてほしい。

 

「……ほら、もうすぐレース始まるんだよ。さっさとどっかいきな、拳銃野郎」

 

「その呼び方はやめろ」

 

 俺はそれ以上何も言わずにただ自分のゲート前に向かうデルタリボルバーを見送った。俺は何をやっているんだ。あそこはビシッと『お? キグナスのウマ娘が呼び方程度で起こるのか? 拳銃さんよ』って言ってやるところだろうが。

 

「はぁ……スタミナイーター、レース中しっかり使いこなせるといいけどな……」

 

「クライトさ~ん! しっかり見に来ました~!!」

 

「……メテオか!?」

 

 デルタリボルバーが離れ、再び訪れた一人の時間をただぼうっと過ごしていると、観客席の方からめちゃくちゃ大きな声で声をかけられた。その声の方向を見ると、どうやらメテオが見に来てくれているようだった。つかうるっさ、ゲート前でこんなにうるさいなら観客席の奴ら耳割れるだろ。

 

「メ、メテオー……」

 

 今俺は、メテオに向かってしっかり笑えているだろうか。夏合宿の時のように、俺はメテオに明るくいられているだろうか。

 

 遠くを見ると、未だにメテオは観客席の最前列で跳ねている。どうやら俺の表情は大丈夫らしい。

 

 そうだよな、俺はこれからレースを走るんだ。それも可愛い後輩が見ている前で。

 

「やれるだけ……いや、やってやるか」

 

 トレ公と綿密に話し合ったスタミナイーターを発動するタイミングを思い出しながら、ファンファーレを聞いた後にゲートに入った。

 

 

「クライト……どうか……頼む……」

 

 

「クライトさん! 頑張ってください!」

 

 

「クライトの新しい武器、見せて貰おっかぁ!」

 

 

「っ……」

 

 ゲートが開き、神戸新聞杯が始まった。しかし俺はスタート直前に少し脚が痛んで出遅れてしまった。クソ不吉で笑えたもんじゃない。

 

 どうだっていい、とりあえず俺の持ってるありったけの力を全部スタミナイーターに乗せて拳銃野郎にぶつけるだけだ。他のウマ娘なんて関係ない。他のウマ娘を気にしてたって、どうせ拳銃野郎以上の奴はいない。

 

「……クライト、追込みだ」

 

「珍しいな、クライトは差しだろ?」

 

 俺はスタ公のレース映像を何度も見返し、追込みの位置取り方を学んだ。確かに見える景色は差しと似ているが、後ろからの圧が無い分とても走りやすい。俺はわりかし追込の方が剥いているのではないかとさえ思う。

 

「うぅ……やっぱり本物のレースで見るクライトさんは存在感があるなぁ……。っていうか、クライトさん、なんだか顔が怖い……クライトさんはレースを楽しむ人なのに、なんだか何かウマ娘以外の何かと戦ってるみたいな……? ……うん、ちょっと移動しよう」

 

 デルタリボルバーは差しであり、俺の少し前を走っているのがしっかり見える。今ならこのレースに出走しているすべてのウマ娘にスタミナイーターをぶつけられるだろうが……まだだ。

 

 まだそのタイミングじゃない。

 

 追込みの位置を調整しながら、出遅れた分を取り戻すように俺は走り続ける。すると前の方でデルタリボルバーが強く踏み切り始めたのが見えた。

 

 トレ公と何時間も話し合って決めたスタミナイーターのタイミングは……。

 

「ここだっ!!」

 

「うぐっ!?」

 

 スタ公が走ったダービーを見てわかった、こいつはその強靭なスタミナに過大な自信を持っているせいで、レースのしょっぱなからスパートをかけたがるんだ。いや、むしろそうしなければ逆に距離が短すぎて走りに支障が出るんだ。

 

 長距離適性があるウマ娘が短距離を走れないのは、自分のスタミナが多すぎるあまりスタミナ管理が上手く行かず、結果的にボロボロになるという背景がある。

 

 だからこいつは、レースのしょっぱなからスパートをかけることで自らのスタミナを使い切るようにしている。

 

 そのスパートをかけるタイミング、自分の精神に集中する瞬間に合わせれば……。膨大なスタミナを削ることができる。

 

「うわぁ……クライト、えげつないことするなぁ。アレが新しい武器……」

 

「なんだよ……意外と削れるもんじゃん……?」

 

「(……)」

 

 だが、それでもデルタリボルバーは止まらなかった。やはりあの膨大なスタミナをスタミナイーターだけで削りきることはできなかったようだ。前の方で規格外のスピードを出して走るウマ娘が見え始めた。

 

 しかし俺のスタミナイーターによってスタミナを大きく削れたように見えたのは事実だ。スタ公から学んだレース中の威圧感もなかなか成長したもので、このような高度な技を使うなど、大分自在に操れるようになった。

 

「(私のスタミナが大きく削られてしまった……まさかこんな武器を仕上げてくるとは……)」

 

「だけどやっぱ……レース序盤からスパートをかけるってバカだろ……!」

 

 デルタリボルバーがスパートをかけ、他のウマ娘達に大きなリードを広げていく。デルタリボルバーに釣られ、同じく序盤からスパートをかけてしまったウマ娘も漏れなく俺のスタミナイーターを受けている、間違いなく沈むだろう。俺はその中で、未だスパートをかけず後ろの方で控えている。

 

 恐らくこのまま後ろで控え続けていれば、デルタリボルバーがそのスパートの勢いのままゴールしてしまうだろう。

 

 やはり……やはり俺も奴に合わせてスパートをかけるしか……。

 

 そのままの状態でレースは流れ、残り1200mとなった。それでもまだ半分切ったところなのに、デルタリボルバーは沈む様子が無い。

 

 しかし後方から見てわかった、デルタリボルバーには確かに俺のスタミナイーターが効いているようだ。ダービーの時はあんなに姿勢が良かった走りが少しだけ崩れている。もしかしたらこのまま……。

 

 でも……もし残りの距離を走りきる前に俺のスタミナが切れたら……? 

 

 その時は間違いなく負ける。どうあがいても負ける。

 

「(……今からスパートをかけたら間違いなくやられる……かといってこのままスパートをかけなければ、今度は追い抜かす距離が足りなくて負ける……。残されたのは、俺が今のアイツ以上のスタミナを見せる事……でもそれは……)」

 

 それは……俺の武器を使う事になる……。

 

 もし使えば……。

 

 もし、使ってしまえば……。

 

「まだ……まだもう少し粘るんだ……」

 

 もう少し粘ろう、そう思って気持ちを落ち着かせようとしたその時、ふと自分の行動を客観的に見ていなかった。

 

「はっ……はっ……しまったな……ハハ……やっちまったよ……」

 

 掛かった、デルタリボルバーの圧倒的なリードに恐れ慄きもう一度スタミナイーターを無意識に使おうとしてしまった。しかし思考と動作が噛み合っていない行動に力などなく、俺の二回目のスタミナイーターはほぼ不発に終わり、ただ俺の気力を削ったのみだった。更に掛かったせいだろうか、周りの景色が歪んで見える。

 

 いや、まだ掛かっている自覚があるだけ俺は幸せ者。掛かっているウマ娘と言うのは多くが無自覚だ、しかしこうやって自覚があればまだ巻き返すことはできるだろう。無自覚なら、このままズルズルとレースに飲み込まれていただろう。

 

 デルタリボルバーのスピードは確かにスパート級とはいえ、まだ後方の俺たちに7バ身の差をつけたくらいだ。それならば、まだ何か奴を倒す手立てがあるかもしれない。

 

 掛かる気持ちを抑え、先頭を見ていると、ただでさえ掛かって落ち着かないと言うのにさらにアクシデントが発生した。

 

「くっ……そっ……やたらめったらやりやがって」

 

 俺が掛かるなら、当然他のウマ娘だって掛かっているはずだ。デルタリボルバーのスパート逃げに圧倒されて掛かっている。なんと俺の前方にいたウマ娘の一人が死なばもろともと言った具合に、俺やスタ公が使う『妨害の威圧感』をめちゃくちゃに出し始めた。もちろんそれは俺やスタ公のには大きく劣っていて、取るに足らないくらいのものだったが、今この場にいる俺には大ダメージとなって降り注いだ。

 出遅れ、スタミナイーターを使い、掛かり、無駄に体力を消耗し、自分を落ち着かせることに精神をすり減らしている今の俺には。

 

「はぁっ……はぁっ? ……はぁっ……はぁっ……?」

 

 酸欠のせいだろうか、情けないうめき声の様な呼吸が口から出ているのに聞こえる。いや、なんで俺は酸欠になっているんだ? 足元を見ると俺の脚は知らないうちにスパートをかけていた。でもなんでこんなに苦しいのにスパートを? そうだ、俺は掛かって──

 

 落ち着け……前の方にデルタリボルバーがいる、あのスピードなら19秒後に追いつけない位置に行く。なら19秒目の時点で俺が全力のスパートをかければいいわけだが、バ群に突っかかれば追いつけなくなる可能性もある。かといって早めにスパートをかけても俺のスタミナが先に無くなって負ける。

 

「かっ──はっ……」

 

 ちくしょう、追込みに対して規格外の圧をかける武器を持った奴でもいたのか……? 

 

 俺の体に突然として流れた衝撃は、ボロボロの体にトドメを刺すようだった。レース中盤でありながらもう体の節々が痛み、脚に至っては感覚がなくなってきた。

 

「(やばい……いよいよやばいぞ……色々な事がストレスになりすぎて今にも気を失いそうだ……)」

 

 そんな状態で、前の方から更に大きな地ならしのような音が聞こえた。

 

 デルタリボルバーがさらに加速した音だ。俺のスタミナイーターである程度体力は削れているはずなのに、俺たちの気力を削るために奴は加速したんだ。

 

 加速していく……スパートをかけても追いつけなくなるまであと3……2……。

 

 私が負けたら……トレ公は……。

 

「……チッ」

 

 前の方を見ると、コーナーを回る時にデルタリボルバーが俺の方を見てニヤリと気味悪い笑顔をしているのが見えた。勝ちを確信して俺を煽っているつもりだろうか。いや、ゲートインする前のあいつの態度を見ても俺の事を煽っているのは確かだろう。

 

「舐めたことしやがって……」

 

 ……いや? むしろ今の俺には効果的なのかもしれない。あいつに煽られて、俺は今何のためにこの場に立っているのかやっと思い出してきた。

 

 そうだ、ジュニア期の時から他のウマ娘を陰でこっそり消すなりなんなりしてムカつくキグナスを倒す為に俺はこのレース場で、キグナスのウマ娘と戦ってるんじゃないか。もう俺の原田に対する復讐は終わっているし、あと俺がURAでやることはただ一つ。

 

 キグナスを潰すことだ。

 

 そのためならどんなレースにだって勝つ、どんな犠牲を払っても……。

 

『私が……才能の塊……?』

 

『そうだ! 君なら中央で絶対に活躍できる!』

 

『(変な人かな……)』

 

 

『トレ公、今日のトレーニングは?』

 

『トレ公て、なんだかお前グレてきたな。似合ってねぇぞそのキャラ、だぁっはっは!』

 

『何笑ってんだコノヤロー』

 

 

『うまいだろ!? この店!』

 

『安いし美味い……トレ公、なかなかやるじゃねぇか!』

 

『だろぉ!?』

 

『またうまい店見つけたら教えてくれよ、俺たちの流行にしようぜ、これ』

 

 

 …………走馬灯のようなものだろうか。俺の脳内にこれまでのトレ公との記憶がフラッシュバックしてきた。もう、俺のこの気持ちにも確信が持てた。

 

 俺は……アンタに恩返しするためにも走ってるんだ。俺がレースに勝って、トレ公が有名になって。二人で美味しいご飯食べて、バカみたいなこと言いあって、トレ公のイジりを受け流して。

 

 それが楽しくて、そんな時間をもっと味わいたくて、そして何より俺を地方から掘り上げてくれたアンタに名声を贈りたくて。

 

「悪ぃな……トレ公……約束破るぜ……」

 

 俺はトレ公に嘘をついた。

 

「ふ──っ……」

 

 やれるだけやるという嘘。

 

 またご飯を食べるという嘘。

 

 武器を使わないという嘘。

 

 有馬記念に出るという嘘。

 

「(限界まで追い込んで……自分の精神に集中しろ……!)」

 

 俺はデルタリボルバーに追いつくようスパートをかけた、規格外のスピードで。このペースならばあと300mで……きっと俺は限界になる。

 このレースでスタミナイーターを使ってから立て続けに起こった不祥事。もう俺に対してこの武器を使えと言う事なんだろう!? 

 

「だったら俺は!」

 

「っっ……やめろクライト!!」

 

 トレ公の叫びが確かに聞こえたが、一度走り出した以上俺たちはもう戻れない。一度ゲートが開いたらゴールするまで俺たちは止まれないんだ。

 

「(来た!)」

 

 手足に張った感じが来た。領域に似たアレだ。

 

「(本当に、悪ぃな……っ)」

 

 もちろん俺は発現する覚悟が出来ている。俺の脚がこの領域を最後に使えなくなることへの覚悟は。

 

「これが俺の……ラストステージだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 俺の手足に繋がれていた鎖を断ち切った。

 



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第八十九話 真っ暗な光

作者「暑い!!! ちなみに私最近別の作品も並行して小説書き始めました。ハーメルンにもいつか投稿予定です」


 

 思えば、なんで俺はキグナスをターゲットにしてしまったのだろう。分かってる、ああいう連中を潰したかったって言う俺のエゴな正義感があったからターゲットにしたのだ。

 でも、キグナスを無視してしがなく走り続けることもできたはずだ。それなのになぜ俺はわざわざ修羅の道を選んだのか。

 

 なんで俺がたまたま? 本当にそうだろうか。じゃあ意図的? なんとなく違う気がする。

 

 実を言うと、俺のエゴな正義感だけがキグナスをターゲットにしたわけじゃないと思っている。何か別に、俺をキグナスと戦わせる何かがあったはずだ。

 

 なんだろうか、思い当たる節は少ない。

 

 例えばどうしようもなくすごいやつがキグナスと戦っていて、そいつを逆に倒してやりたかったからとか? 

 

 キグナスのような理不尽なチームがいても、全く笑顔を崩さない奴の笑顔を崩してやりたかったとか? 

 

 そんなクズな理由で俺はキグナスを倒したかったのか? 

 

 違うはずだ、俺がキグナスを倒したかった理由、俺にキグナスを倒すやる気を持たせてくれた理由は。

 

 思い出せ。そうだ、トレセン学園に来てから肩慣らしとして走った模擬レース。そこで出会ったあいつが、キグナスと戦っていたから、俺は一緒にキグナスを倒そうと思ったんじゃないか。

 

「あったりまえ!」

 

 お前を超えるために、俺はキグナスを倒そうとしてるんじゃないか。

 

 お前が苦戦するキグナスを倒せれば、俺はお前以上に強くなれるだろ? だからキグナスを倒そうと決めたんだ。俺は……。

 

「お前を超えたいからッ!!」

 

 

 

「クライト……あいつ……やりやがった……」

 

 向こう上面を走り、そのまま最終直線に入ろうとしているバ群の中に、クライトの姿が見える。長い間あいつの走りを見てきた俺ならわかる、あいつは今さっき、領域の偽物を使った。

 

「バカが……バカがバカがバカがバカがぁぁ!!」

 

 クライトは今まで俺の言った事なら信じて実行してくれた。それなのに今日に限って俺の言う事を聞かないなんて……おかしいじゃないか……! 

 

 思えば、あいつが控室を出て行ったときに感じた違和感。あれはクライトが心の底で領域もどきを使おうとしていることが分かっていたのではないだろか。それなのに俺は止められなかった。

 

 あまりの自分の情けなさに、柵に突っ伏して嗚咽しながら涙があふれる。

 

 それでも……それでも、顔を上げると汗を滝のように流し、目をひん剥き、G1でもないのに勝負服が重なって見えるような気迫で走るクライトが見え、俺は精いっぱいの声で叫んだ。周りの目が気になるがそんなの関係無い。俺は涙も鼻水も垂れ流しながら叫ぶぞ。

 

「勝ちやがれぇぇぇえ”! そこまでやるんだったら絶対勝てよ”ぉぉぉ!! 負けたら……負け”たら絶対許さねえ”っ!! お前がいる病院で一生説教してやる”っ!! だから勝てぇぇぇぇ”!!」

 

 

 

 トレ公の声が聞こえたのは、今度は幻聴じゃないはずだ。

 何度も踏んだ芝が、こんなにも柔らかく感じるのは俺の感覚異常だろうか。

 

 前に見えるデルタリボルバーに向かい、俺は領域の偽物を発現した。発現したことにより、俺の体はシンボリルドルフの話にあった領域の様な状態に近くなる。

 

 しかしこれは偽りの領域、本来の領域に比べ力は劣ると言う。

 

「でもどうせこれが俺のラストランだ……デルタリボルバーにさえ追いつければいい!!」

 

 俺はこれ以上トレ公の戦績に負け星を増やしたくない、菊花賞でデルタリボルバーにリベンジしようにも、スタ公がいるだろうからな。あいつの実力は本物だ、勝てる気がしねぇ、だからもう、ここで終わらせる……。

 

「行くぞ拳銃野郎!!」

 

「その呼び方を……するなぁ!!」

 

 いくら領域の偽物で身体の感覚が研ぎ澄まされ、スタミナが蘇ろうとも、脚が蝕まれていると言うのは本当のようで、デルタリボルバーに追いつくために加速していくにつれて足の痛みが増していく。

 

 デルタリボルバーまではあとほんの1バ身ほど……ゴールまではあと200mほど!! 

 

 もう止まることなんてできやしない、脚が壊れようと関係ない。もう俺の目の前にいるウマ娘を倒す事。それだけを考えて走るだけだ。

 

「トレ公ォ!! 見てろよ!? これが俺の走りだああああ!!」

 

 手をひたすら前に伸ばし、デルタリボルバーを何とかして躱そうとするが、あと一歩のところで届かない。デルタリボルバーも俺に抜かされまいと本気になっているのだろう。こうなってしまえばもうお互いの根性比べで勝った方がこのレースを制する勝負。

 

 負けるもんか。

 

 もう肺そのものが破れそうなほど酸素を吸い込んでいる。付け根から千切れそうなほど脚を動かしている。デルタリボルバーの超速スパートに対して、俺も気合でスパートをかけたんだ。こんなチャンスはもう二度と来ないし、自分から捨てた。

 

 勝利を信じ、ひたすら前に走り続けていた時だった、突然、俺の視界が暗くなったかと思ったら、以前よりも明るい景色が広がっていた。あれだけうるさかった自分の心臓の音が、全く聞こえない。観客の声も聞こえない。そんな状態になったのは、残り100mの時だった。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 ああ、これが、本物の領域か。

 

 任意で発現など出来ない、本物の領域。

 

 そう理解したのは、一瞬だった。

 

『マックライトニングだ! マックライトニング! 攻略不能に見えたデルタリボルバーを! マックライトニングが躱した躱した! そのままリードを広げてゴールイン!! 神戸新聞杯、制したのはマックライトニングです!!』

 

「医療班を呼べぇぇぇえ!!」

 

「勝っ……た……?」

 

「クライトさん! クライトさん!!」

 

 ゴールしたと同時に、トレ公の声やメテオの声が聞こえた。もう脚が痛すぎて地面に倒れ込んでいる俺を心配してだろうか、医療班を呼んでいるようだ。顔の部分があったかい、この感じは鼻血が大量に垂れ流れているのだろう。頭がずきずきと痛む、涙が出てくる。もう指の一つも動かすことができない。俺から出てくるのは、ミジンコの鳴き声のようなか細い声だけだった。

 

 俺はそのまま意識が薄くなってきて、気付いたら気を失っていた。

 

「クライト! クラ……ト……! ……ラ!!」

 

 

 

「……あ……?」

 

 目が覚めると、視界いっぱいに広がる白い天井。どうやらどこかの病院のようだ。

 

 体を起こすと、突然の激痛が走り俺は痛みに悶えた。痛みの方向を見ると俺の脚の方からで、俺の脚は見る限り何も問題が無い健康的な脚なのに、動かそうとすると激痛が走るようになってしまっていた。

 

「あぁ……まったく、勝ってよかった……」

 

 気を失う直前、確かに実況の人が俺の名前を呼んでいるのが聞こえた。神戸新聞杯の結果自体は俺の勝ちで間違いないだろう。

 

 ベッドを囲むカーテンをめくってみると、隣にはトレ公がパイプ椅子に腰掛けてグースカ寝こけていた。近くには俺の私物がたくさん入ったカゴがあったので、その中からスマホを取り出して神戸新聞杯からの日付を確認する。今の時刻は昼ごろのようだ。

 

 日付はかなり過ぎており、神戸新聞杯の二日後だった。

 

「……」

 

 俺はスマホをカゴの中に戻し、再び天井を見つめる。走れなくなった脚の感覚を体で感じていると、自分のウマ娘としての存在意義を考えてしまう。こうなることは覚悟の上で領域を使ったのだが、それでも走れなくなってしまった事実っていうのは、なかなかに効くな……。

 

 しばらく脚の感覚を感じていると、俺の寝ている部屋の扉が開けられた。そこに立っていたのはデルタリボルバーだった。

 

「起きていたのか」

 

「なんとかな。それで? 何の用だ、拳じゅ……デルタリボルバー」

 

 デルタリボルバーは特別意識を取り戻した俺の事を嫌がる様子はなく、ただ黙々と花瓶の水を入れ替えるなどをしてくれていた。

 

「……私の武器は、言わずもがなこのスタミナだ。私がこの武器に目覚めたのは最近、それなのにそれを早くも打ち破ったお前に、すこしばかり尊敬の念があるんだ」

 

「それで氷野の眼を縫って病室に来てるってところか」

 

「……そうだ、そこに置いた花束は私の自腹だ」

 

 デルタリボルバーが指差した方向を見ると、確かに花束が置いてあるのが見えた。それにしても自腹か……。確かにウマ娘はバイトが出来なくはないが、大体レースやトレーニングに集中したくてやらないのが普通だと思っている、それなのに花束を見ると軽く10本は花が入っている。今は造花であっても高いからな……それを自腹で払ったのはなかなかにすごい。それにバイトなんてさせてくれなさそうなキグナスだからなおさらだ。

 

「それじゃあ、私はこれで帰る」

 

 ある程度病室の清掃が終わると、デルタリボルバーは病室から出て行ってしまった。少しくらいゆっくりしていけばよいのにと思い呼び止めたが、キグナスのトレーニングがあるからと断られてしまった。

 

 尊敬の念か……あいつもムーンのやつみたいに、根はただの勝負精神旺盛なウマ娘なのかもな……。

 

 俺がデルタリボルバーの事についていろいろ考えていると、すれ違う様にまた病室が開けられた。

 

「やっほークライト! 今日も来たよ……ってえぇぇぇぇぇ!! 起きてる!!」

 

「なんで俺が寝てると思っててそのテンションなんだよ」

 

 今度はサンが病室にやってきた。サンに関しては病院なんだからスキップしながら入ってくるのはやめた方が良いと思うが……。サンは珍しく制服じゃなく、赤い奇抜な服を着ていた。

 

「シャインもこの後来るよ!」

 

「もう勢ぞろいじゃないか」

 

 サンはカゴいっぱいに俺の好きな飲み物やお菓子を入れて持ってきてくれて、さっきのデルタリボルバーの花束も合わせてすでに机がパンパンになっている。

 

「……どいつもこいつも、俺に対して時間割きやがって」

 

「え~? だってクライトには早く治ってほしいもん!」

 

「え……?」

 

「ん? だってクライト、脚がちょっと痛んじゃっただけでしょ? 脚を治して菊花賞に出るんでしょ?」

 

「あ、ああ……そうだな、菊花賞、出るよ」

 

 サンがふいに放った俺への心配の言葉は、俺が治る未来があると言う風だった。どういうことだ? 俺の脚が治る……のか? いや、そんなわけはない。この脚の痛みを感じてわかる、これは絶対に治らないと。だからこそ不思議だ、なぜサンは俺の脚が治ると思っているのか……。

 

 サンはカゴの中から一つお菓子を取り出して自分で食べている。その横でまだ眠りこけているトレ公を見て一つの説が頭に浮かんだ。

 

「トレ公……てめ~話してねぇな……?」

 

「え~? なんか言った? クライト?」

 

 多分、トレ公は俺の脚の状態の事をサンやスタ公に話していない。

 

 俺から言えとでも? 全くめんどくさい事をしてくれたものだ。

 

 その後、時間が経ってスタ公の奴がお見舞いに来たが、相変わらず俺の脚の状態については知らない様子だった。やはり、トレ公はみんなに話していないようだ。

 

 スタ公やサンが帰ってからも、お見舞いは続いた。

 

 俺がゴールして倒れた時に真っ先に医療班の奴を連れてきてくれたメテオ。

 

「レースが始まる前からクライトさんの様子がおかしいと思って……よかったです、移動しておいて。あ、これお花です」

 

 アルビレオのトレーナー室にあるテレビでレース映像を見ていてくれたノースとランス。

 

「脚、お大事にね、菊花賞もあるんだから。はいこれジュース、あなたのトレーナーさんにも」

 

「スターインシャインの友人が倒れたと聞いた時は驚いた、無事に治して戻ってきてくれ。そろそろ寒くなってくるからな、マフラーだ。治った時にでも付けてくれ」

 

 同じくキグナスのトレーナー室でレース映像を生で見ていたシャイニング。

 

「はい! クライトさんの脚にリボン付けてみたよ!」

 

「余計な事をしおってコラァ……」

 

「まぁまぁ! それとはいこれ! 他のみんなと被らないようにしたかったから……ぱかプチ! シャインさんのやつ!」

 

「スタ公好きすぎるだろ」

 

 だが、やはりお見舞いに来たやつ全員に言えるのが、俺の脚の状態を知らない事だった。それも今から治して菊花賞に出れるくらいの軽い状態だと話されているようだった。

 

「さて……このくらいで全員来たか?」

 

「んん……ん……」

 

 ある程度お見舞いに着た奴が帰り、そろそろ俺の知り合いが全員来たであろう頃に、ようやく俺の隣で眠りこけていたトレ公が目を覚ました。

 

「よ、トレ公」

 

「……クライト!? 起きたのか!!」

 

「いや、むしろよくこの長時間起きなかったな」

 

 サンやシャイニングなどが叫んでいたはずなのだが……トレ公が起きなかったのが不思議だ。それほど俺の病室に滞在していたのだろうか。トレ公は目を覚ました俺に驚き、目を擦りながら俺の顔と脚を交互に見ていた。

 

 トレ公は間抜け面で驚いていたが、しばらくしてからトレ公は安堵の気持ちが溢れだしたように涙を流していた。

 

「よ”っ……よか”った……」

 

「ちょ、ちょっと待てよ、何もそんなに泣くこたぁ……」

 

「俺はお前が領域もどき使った時、本当にお前が死ぬんじゃないかと心配になって俺はもう……」

 

 目が覚めたてで意識が朦朧としているだろうに、トレ公はまるで泣き上戸の酔っぱらいのように泣き続けていた。聞くとレース場から運ばれ、応急処置が終わってからというものずっとこの部屋にいたらしい。バカか。

 

 話を聞いているとかなりやばい状態だったらしく、脚だけでなく酸欠による障害で体の節々が極限状態だったそうだ。確かに倒れた時、脚がいたいだけじゃなく頭もずきずきと痛んで鼻血もドバドバ出していた気がする。

 

 しばらくトレ公の話を聞いていたが、俺は一つトレ公に聞いておくべきことがあるのを思い出して切り出した。

 

「なんで他の奴らには俺の脚の状態を言ってないんだ?」

 

「あ~……それはな……」

 

 俺がそう聞くとトレ公は口をごにょごにょともごらせていた。ただ俺としても友人を騙すと言うのは気に食わないので、トレ公に対して威圧感を送り続けると、トレ公の方が先に折れた。

 

「……あ~、分かったよ、白状するって」

 

「おう、言ってみろ」

 

「ちゃんといつかはみんなに話すつもりだ。でも今は、今だけは嘘をつかないと、辛気臭くなっちゃうだろ、この部屋」

 

「しかしな……」

 

 トレ公はそう言っているが、今日この数時間お見舞いを受けて、俺が治ると思ってこの病室にお見舞いに来てくれる人たちに申し訳ないと言う気持ちがあった。

 そのため、俺はトレ公から目を離し、天井を見つめながら言い放った。

 

「俺は、トレ公がみんなに言わなくても自分で言うぜ」

 

「……」

 

「俺は、走れないクライトとして戻る。その覚悟をして、神戸新聞杯であの武器を使ったんだ」

 

「……そうか、そうだよな。そうだよな……そっ、そうだよなぁ……」

 

 トレ公は自分にしょうがないと言い聞かせるように何度も言葉を繰り返した。

 

 そこからトレ公はずっとごねていたが、俺が何度も何度も説得すると、みんなに脚の状態を告白することを許してくれた。その日は既にみんな病室を訪れていたので、次の日キグナスの立場的にめちゃくちゃ気まずくなるデルタリボルバー以外の全員を集めて、俺の脚について話した。

 

 皆、最初は驚いていた。もう俺が走れなくなるなんてと。

 

 でも、みんな驚いていたのに次第に俺の事を励ましてくれた。

 

 スタ公は『何年かかっても走れるくらいまでリハビリ手伝うから!』と。

 

 サンは『じゃあシャインと一緒にリハビリするから!』と。

 

 ノースとランスは『あなたみたいに強靭な性格ならすぐに帰ってくるんでしょ、ハナから信じてないわよ』『脚の治療法については、アルビレオで調べておこう』と。

 

 シャイニングは『クライトお姉ちゃんならなんだかんだ言って気合で治すでしょ!』と。

 

 本当に、好き勝手言ってくれるものだ。

 

 励ましの言葉をかけてパーティ気分になった病室は、しばらく人であふれかえった。しばらくしてまたみんな帰る時間になったので、病室は俺とトレ公だけになる。

 

「……な、言っても別に良かったろ。あいつらはああいう奴らなんだよ」

 

「ああ、正直、すまんかった、クライト」

 

 トレ公は顔を赤らめながら頭を掻いて謝罪の言葉を放った。まぁこれから無理難題を押し付けるからそれを許可して貰えばチャラにするのだが。

 

「なぁトレ公。俺今から無理難題言うんだけど、許可してくれるか?」

 

「……俺が実現出来る事なら許可しよう!」

 

 トレ公に許可を出してくれるかを聞くと、元気よくそう答えてくれたから安心して相談できる。俺はトレ公に耳打ちし、俺の考えた無理難題を教えた。

 

 

 

「いやぁ、ひっさしぶりのトレセン学園だな」

 

「しばらく病院だったからな」

 

 俺が神戸新聞杯で病院送りになってから数日が経ち、俺は松葉杖を使いながらではあるものの退院することができた。俺は久しぶりのトレセン学園の門を必死にくぐり、ある場所へと向かう。

 

 蜘蛛の巣が張っていたのに、最近は掃除のおかげで綺麗になっているこのトレーナー室。

 

 俺はトレ公と一緒にその扉を開く。

 

「え、クライト? 退院したの!?」

 

「マックライトニング……」

 

「クライト、速水さん、どうしたんです?」

 

 扉を開けて出迎えてくれたのは、スタ公・ヴェノム・橋田だ。ここはスタ公のトレーナー室。俺はここで、やることがある。

 

「スタ公! 俺を……」

 

「俺を……?」

 

「このトレーナー室のサポーターにしてくれ!」

 

「……えぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 俺がやること、それはスタ公やヴェノムや橋田の手伝いをすること、菊花賞や有馬記念その他もろもろに問題なく出走できるように。

 

「俺も、お前のとこのサブトレーナーにしてくれ! 橋田!」

 

 もちろん、トレ公も一緒に、だ。

 

 俺の目の前に立つ三人は、口をあんぐりと開けたまま語っていた。

 



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