ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~ (ケ・セラ・セラ)
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第一話「ルールアリアリ、ワールド不問、パスファインダーもOK、ただし高貴本禁止」
1-1 イサミ登場


 

 

 

 

 

 

 

『虎だ! お前は虎になるのだ!』

 

 ―― 『タイガーマスク』 ――

 

 

 

 

 

 

 

 ブラック企業でサービス残業中、意識が途絶えた俺は、気がつくと上も下も右も左もない場所にいた。

 目の前には赤いローブとマントに剣を下げ、パイプをくゆらせるじいさんがいる。

 あれ、この人どっかで見たような・・・

 

「さて、余り時間が無い。早速で悪いが、このまま死ぬのと、新しい世界に転生するのとどっちがいいかね。

 その代わり、新しい世界ではちょっと仕事をして貰う事になる。

 新しい世界は、君達の言葉で言えばダンジョンズ・アンド・ドラゴンズの世界。仕事の内容は・・・『冒険』だ」

「やります!」

 

 俺は即答していた。

 元々D&Dのファンだったこともあるが、終わりのない残業に比べれば、命の危険がなんぼのもんじゃい!

 実際死んだしな!

 

「そうかそうか。積極的だとこちらもありがたい。

 で、いいニュースと悪いニュースがあるが、どちらから聞きたいかね」

「えーと・・・いいニュースの方で」

「君には女神ミストラの加護が与えられる。望むなら魔法も使えるようになるだろう。

 素質に関しては、ほぼあらゆる冒険者を凌ぐはずだ」

 

 ミストラ・・・どこかで聞いたような・・・だめだ、頭がぼんやりして思い出せない。

 

「で、悪いニュースだが、鍛えないと"敵"に殺されるだろう」

「鍛えるってどれくらい?」

 

 俺の質問に老人はふむ、と眉を寄せて考え込み。

 

「最低"超英雄(エピック)"レベルかな」

「ちょっと待てやじじい」

「すまんな、我々にはこれ以外に手段が・・・」

 

 思い出した! このジイさんは・・・!

 そこで周囲が歪み、俺は気を失った。

 

 

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第一話「ルールアリアリ、ワールド不問、パスファインダーもOK、ただし高貴本禁止」

 

 

 

 

 

 迷宮都市オラリオの地下に存在する迷宮。

 その深層域、37階層。

 一つの冒険者パーティが最期を迎えようとしていた。

 今まで何度も繰り返されてきたように。

 

「カルハイン、マジック・ポーションは?」

「今飲んだ奴でカンバンだ。あと一回、それも中くらいの魔法をぶちかますのが精一杯だな」

「くそっ、ラディッシュの血が止まらねえ。何でもいい、布をよこせ!」

 

 褐色の肌を持つ、精悍な男達が会話している。

 そしてもう一人、地面に横たわって気を失っている戦士とおぼしき冒険者。

 その腹部は、流れ出た血で真っ赤に染まっていた。

 

 彼等の肩には象のエンブレム。

 迷宮都市でも最大手の派閥、ガネーシャ・ファミリアだ。

 

「深層域初挑戦でこれか・・・まったく、ついてないぜ」

「ナッシュおめえ、出発前のスリードラゴン・アンティで馬鹿勝ちしたろ。あそこで運を使い切ったんじゃねえのか?」

「こきゃあがれ」

 

 軽口を叩く彼等を遠巻きに囲むのは50を越えるモンスターの群れ。

 37階層に出現する戦士系モンスター、バーバリアンだ。

 そして地面には、ほぼ同数のバーバリアンの死骸。

 

 彼等はガネーシャ・ファミリアでも上位に位置する高レベルパーティである。

 リーダーのナッシュと魔導士カルハインがレベル4。

 横たわっている中衛兼サポーターのラディッシュ、応急手当てしているマルタンがレベル3。

 

 37階層、深層域に初挑戦した彼等は、帰還直前になって大量のバーバリアンと遭遇した。

 サポーターのラディッシュが不意打ちを受けて装備の大半を失い、カルハインの魔法で一度は退けたものの、撤退する暇もなく新たなバーバリアンの群が現れ、こうして周囲を囲まれている。

 

 ポーションなし、予備武器無し、魔力の残りは一発きり。

 だがそれでも、男達の目に諦めの色は見えない。

 

「で、どうするよ、リーダー?」

「・・・右手の入り口だ。そっちの方のバーバリアンどもにカルハインが一発ぶちかまして強行突破。

 ラディッシュはマルタンが担げ」

「おう」

「っ! 来るぞ!」

 

 ナッシュ達の動く気配を察したか、バーバリアンどもが一斉に動いた。

 カルハインが詠唱を始めるのと同時、石の斧を振りかぶって怒濤のように迫ってくる。

 

「行くぞ! 強行突破だ!」

「おおっ!」

 

 一拍遅れてナッシュ達も動いた。

 ナッシュが大斧を肩に担いで先頭。

 カルハインが詠唱を維持しながらなんとかそれに追随し、最後尾をラディッシュを担いだマルタンが走る。

 

「おおおおおおおおおおおっ!」

「オオオオオオオオオオオッ!」

 

 ナッシュと先頭のバーバリアンがともに雄叫びを上げながら大斧を振りかぶる。

 二つの斧が激突しようとしたまさにその瞬間――

 額に強い衝撃を感じ、ナッシュの視界に火花が散った。

 

「ぐあっ、つぅ・・・なんだ、こいつぁ?!」

 

 見ると、バーバリアンも動きを止めている。

 どうやらナッシュたちとバーバリアンどもの間に不可視の壁があるようだった。

 

「こいつは・・・カルハイン?」

「わからん。魔法だと思うが俺じゃない」

 

 次の瞬間、周囲が紅蓮の炎に包まれた。

 

「ギアアアアアアア!」

「グオオオオオオッ!」

 

 炎の柱。

 直径3m、高さは5mにならんとする巨大な炎の柱が、隙間無く乱立する。

 冒険者たちを囲むかのように屹立するそれはバーバリアン達を焼き、苦悶の声を上げさせた。

 

「お、おい、カルハイン・・・これお前・・・」

「んな訳ねーだろ!?」

 

 呆然とした顔のマルタンが問いかけるのを、やはり呆然とした顔のカルハインが遮る。

 バーバリアンたちは火柱の範囲外に逃れようとするが、不可視の壁がそれを許さない。

 火柱は十秒ほどして消えていくが、その前に新たな火柱が屹立し、バーバリアンたちをさらに焼く。

 火炎林は二十秒ほど立ち続け、50を越えるバーバリアンの死骸を残して消えた。

 

「!」

 

 壁が消え、むわっ、と、今更ながらに熱気が押し寄せて来た。

 ナッシュ達が目を見張る。

 鎮火した火柱、バーバリアンどものくすぶる死骸の向こうに、いつの間にか一人の冒険者が立っていた。

 

 虎を思わせるような巨漢である。熊と言うには細く、狼と言うには大きい。

 身長は2mほど、たくましい体つきだがそれなりに均整が取れている。

 腰には打刀、ベルトには無数のポーチ。両腕の手甲以外、鎧のようなものは身につけていない。

 

 ややぼさぼさとした黒髪のサイドには白いメッシュが幾筋も入り、虎の縞のようにも見える。

 それを適当に伸ばし、後ろでまとめていた。

 

 野性的な太い眉にがっしりとした顔つき、そこそこ程度のハンサムだがどこか涼しげで愛嬌がある。

 

(・・・・)

 

 そして何より、歴戦の冒険者であるナッシュが瞠目するほどに、男の放つ存在感は際だっていた。

 その唇がにっ、と不敵な笑みを作る。

 

「悪いね。まさか他の冒険者がいるとは思わなかった。

 獲物の横取りをしちまったんじゃなければいいんだが」

「気にしやしないさ、兄ちゃん。俺達はおおらかなんだ」

 

 肩をすくめ、おどけたようにナッシュが返す。笑みを含んだ視線が交錯した。

 

 意外と若い声だな、とナッシュは感じた。

 目元にも幼さが残っているあたり、実際に若いのかも知れない。

 だがここは迷宮第37階層。生半の実力でぶらつけるところではない。

 パーティを組まないソロなら尚更だ。

 頭を切り換えて、表情を少しまともな物に改める。

 

「ところで兄ちゃん、ポーションの余分を持ってないか? うっかり落としちまってな。

 代価はそこに転がってる連中の魔石全部。足りなきゃ証文を書いてもいい」

 

 男が現れる前にも、数十体のバーバリアンが彼等によって倒されている。

 魔石を集めればリヴィラの街で捨て値で売ったとしても、ハイポーション十数本分にはなるだろう。

 

「いいよ。ただ、あまり多くは持ってなくてね。ポーションの代わりに治癒魔法でいいかい」

「よし、交渉成立だ。急いで頼む。見ての通り、俺らの仲間はせっかちでね。地上に戻るまで待ちきれないとよ」

「わかった」

 

 男が横たえられたラディッシュのそばに膝をつく。

 にじみ出る血は、既に戦闘衣の腹の部分を全て赤に染めんばかりだ。

 腹部の傷に当てられた左手の甲から二の腕にかけ、精緻なデザインの、ホログラムのようにぼんやりと輝く紋様が一瞬浮き上がった。

 

「癒しのドラゴンマークよ、その力を示せ・・・」

 

 紋様から柔らかい光が湧き上がり、ラディッシュの全身を包む。

 ぱちり、とその目が開いた。

 

「おお!」

「大丈夫か、ラディッシュ!」

 

 自分の腹に手を当てて身を起こす仲間の姿に、マルタンとナッシュが歓声を上げる。

 しかし魔導士カルハインだけは、男が詠唱らしい詠唱をせずに魔法効果を発生させたのに軽く眉をひそめていた。

 

「ふぅん・・・"大治癒(ヒール)"一発じゃ治しきれないか・・・やっぱり高レベルになるとキャパシティがでかいな」

「? いやいや、十分だ。ありがとうよ」

「いや、流石にこれだけで魔石ウン十個は気が咎める。しょぼいのもあるが持ってってくれ」

 

 男が肩掛けのポーションベルトからいくつかを抜いて渡す。

 ナッシュは礼を言って受け取るが、手にしたポーションを見て怪訝な顔になった。

 

「なんだ? マジの安物が混じってるじゃないか。この階層まで来てるのに、変なもの持ってるな」

「ああ、間違って買ったのが残ってたんだ。ついでだから適当に使っちまってくれ」

 

 肩をすくめる男。

 

「まあ、そういうことなら使わせてもらうがな。

 そう言えば名前を聞いてなかったな。俺はガネーシャ・ファミリア所属のナッシュ。

 魔導士がカルハイン、転がってたのがラディッシュ、そっちがマルタンだ。おまえさんは?」

 

 にっ、と男が笑った。

 男が惹きつけられるような、気持ちのいい笑みだ。

 

「イサミ・クラネル。ヘスティア・ファミリア所属の魔術師(ウィザード)さ」

「「「「うそこけっ!」」」」

 

 ナッシュ達四人の声が綺麗にハモった。

 まあ、確かにどう見ても戦士ではある。




はじめまして、ケ・セラ・セラと申します。
よろしければご笑覧下さい。
こちらへの投稿は初めてですので、タグなどこれが足りないというものがあれば指摘して下さると嬉しいです。


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1-2 呪文修正(メタマジック)

 

 ナッシュたちは治療を終えた後、18階層の安全地帯を目指して出発した。

 イサミは魔石を回収し、魔法の背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)に放り込んだ後、再び敵を求めて歩を進める。

 

 ほどなくして現れたリザードマン・エリートの群を一足先に察知し、どこからともなく大振りのビンを一本取り出した。

 中に入っているのは『錬金術師の火』と呼ばれる、空気に触れると発火する粘液状の化合物。

 カプコンのゲームをプレイしていた人には「大オイル」と言えば通じるだろうか。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"」

 

 数秒、この世界で言えば超短文の詠唱と共に、その手の中からビンが消える。

 リザードマン・エリートたちの足下に数十の燃えたぎる液体の泉が現れ、そこから炎が吹き上がった。

 

「GYOOOOOOOO!!」

「GAAAAAAA!」

 

 苦悶の声を上げるリザードマン・エリートたち。

 先ほどバーバリアンを焼き尽くした「炎の間欠泉(ファイアーブランド)」の呪文、それも呪文に修正を加えた強化版だ。

 炎の柱は12秒間の持続的なダメージを与えると共に、燃える液体を付着させることで更なるダメージも与える。

 

 《最大化》《威力強化》で合計2.2倍、《二重化》で2倍、《エネルギー上乗せ》4つで更に5倍の、七つの呪文修正を重ねた威力は通常の22倍強。

 "魔術師(ウィザード)"の上級クラス『呪言師(インカンタトリックス)』としての特殊能力に加え、《簡易呪文修正》《実践的呪文修正》《秘術の学究》などの無数の《特技(フィート)》を習得している彼だからこそできる芸当である。

 

「GYYYYYYYYYYY!」

「ぐっ!」

 

 しかし、それでもこの階層の怪物を即死させるには至らない。

 イサミの目の前にいたリザードマン・エリートが、イサミに向けて剣を振り下ろす。

 回避しきれず、上腕が浅く切り裂かれた。

 

「ちっ!」

 

 そいつだけではない。当然他のリザードマン・エリートもイサミの周囲を囲み、剣を振り下ろし、あるいは薙ぎ払う。

 四方を囲まれながら、後ろに目でもついているかのような動きでそれを回避するイサミだが、全てを回避はしきれない。

 不可視の魔法の盾であるいは受け止め、あるいは周囲に纏う力場で弾く。

 だがそれでもおいつかず、次々と体中に傷が開く。

 

 先ほどのように不可視の壁で囲んでから呪文で攻撃すれば、傷一筋負うこともなく封殺できる相手のはずである。

 だがイサミはそれをしない。

 歯を食いしばりながら再び「錬金術師の火」を取りだし、呪文を詠唱する。

 

「GOAAAAAAAAAAAA!」

「がっ!」

 

 己を焼く炎に怒り狂ったリザードマン・エリートが、イサミの背中に曲刀を突き立てた。

 渾身の力で突き立てられたそれは胸郭を貫通し、胸の中央から切っ先が突き出す。

 

 間髪を入れず、前の方から迫る別のリザードマン・エリートが、右手の盾を全力でイサミの頭に叩き付ける。

 ごきり、と鈍い音がして首の骨が折れた。

 

 胸板を突き通され、こめかみから血を流して、あり得ない方向に首を曲げたイサミ。

 鍔元まで突き通した曲刀を握り、リザードマン・エリートが勝利の雄叫びを上げる。

 

 が。

 イサミの右手が動いた。

 ごきり、と再び音を鳴らして首を元に戻す。

 折れた骨の代わりに、強靱な筋肉が頭を支えた。

 

「・・・・・・・・!」

 

 盾で殴りつけたリザードマン・エリートが、おびえたように一歩後ずさった。

 刺さった曲刀をつかんだままのリザードマン・エリートは、手を離すことも、剣を引き抜くこともならず凍り付く。

 笑みを浮かべてイサミが振り向いた。

 

「どうした? それでしまいか、おい」

「GYYYYYYYYYYYYYY!?」

 

 恐怖を知らないはずのモンスターが悲鳴を上げる。

 次の瞬間、再度の呪文詠唱が完成し、リザードマン・エリートの群は全て動かなくなった。

 

 

 

 最後の火柱が途切れ、くすぶる死体だけが残る。

 周囲に新たな敵がいないことを確かめ、イサミは体の力を抜いた。

 

「いつつ・・・心臓や肺は・・・傷ついてないみたいだが」

 

 短く呪文を口ずさむと、刺さった曲刀がひとりでに抜けて床に落ちた。

 胸の傷口に手を当て、更に呪文を詠唱する。

 

「"シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"」

 

 当てた手から金色の魔力が生み出されると共に、胸から背中に貫通する傷口がふさがっていく。

 もう一度呪文を発動し、首の骨を接合する。

 首を一回転させて治り具合を確かめると、その口から深いため息が漏れた。

 

「・・・・・しんどいなあ・・・・・」

 

 ――貰った加護は確かに強かった。

 それこそ半月で深層までこれてしまうほどに。

 

 だがその反動か何なのか、イサミのステイタスは全く伸びない。

 上層ではチートそのものだった加護も、下層で役に立つのは、実質、タフネス上昇と魔法の強化くらい。

 

 魔法は例の呪文修正重ね技でまだ通用するものの、物理戦闘力はこの階層では最早お話にならないレベル。

 いくら肉体的な素質が優れていようが、ステイタスが伸びないのでは見せ筋でしかない。

 

 つまり、あえて白刃に身をさらしているのは、僅かでもステイタスを上げたいという涙ぐましい努力に他ならなかった。

 

「しんどいなあ・・・」

 

 イサミがもう一度深いため息をついた。

 

 

 

 その後、イサミは数十回の戦闘を繰り返した。

 

 かわす。傷を受ける。焼く。傷を癒す。

 かわす。傷を受ける。焼く。傷を癒す。

 

 かわす。傷を受ける。

 焼く。焼く。焼く焼く焼く焼く焼く。

 そしてまた傷を癒す。

 

「"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

 

 冒険はきつい。

 生活費を稼ぐのもきつい。

 でもこういうきつさは予想してなかったなあ、とイサミは思った。

 

 

 

 

 

 三十八階層への階段を確認したところで、イサミは帰還することにした。

 全身の衣類はズタズタに裂け、乾いた血がこびりついている。

 誰も見ていないことを確認し、イサミは胸に右手を当てた。

 

「創造のドラゴンマークよ、その力を示せ」

 

 服の下に隠れて見えないが、先ほどラディッシュの傷を癒したのと同じような――ただし形は違う――精緻なデザインの紋様が脇腹に浮かび上がり、光を放つ。

 

 すると、切り裂かれた服が見る見るうちに元通りになった。

 加護で手に入れた特殊能力のひとつ、「創造のドラゴンマーク」の力である。

 

小魔術(プレスティディジテイション)

 

 今度は呪文を唱える。

 あちこちにこびりついていた血のりがすっと消えていく。

 次に「透明化(インビジビリティ)」の呪文を唱え、イサミは姿を消した。

 

 さらに腰に付けた魔法のベルトの力を解き放つと、30秒ほどかけてその姿が気体化し、白いもやのようになる――もっとも、透明化しているので見えはしないが。

 

 気体となったイサミが動き出した。

 次の瞬間にはもう、風の如く遥か彼方に去っている。

 

風乗り(ウィンドウォーク)」。

 魔道具「グワーロンのベルト」によって付与された呪文の力は、使用者に気体化する力と、まさしく風の速度で移動する能力を与える。

 その速度は約108km/時。一級冒険者の全力疾走にも匹敵する。

 

 しかも、気体状の時はあらゆる物理攻撃を受け付けない。そもそもほとんどのモンスターは、この状態のイサミを感知できない。

 約10分で、イサミは地上へと帰還した。



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1-3 ホームにて

「うーん、そろそろソロじゃキツいかな。俺の魔法も力不足になってきたし・・・」

 

 鍋をかき回しながらぼやくのはエプロン姿のイサミ。

 ヘスティア・ファミリアのホームたる廃教会の地下室には、今良い匂いが漂っていた。

 

 匂いの元は、イサミが作っている鶏肉のクリームシチュー。

 こちらの世界の食事の貧相さに泣いたイサミが、必死で料理技能を上昇させた結果である。

願い(ウィッシュ)」の呪文でレシピ集を手に入れた人間など、彼以外にいないだろう。たぶん。

 

「気をつけてくれよ、イサミくん。兄弟揃って死にかけるなんて、縁起でもないぜ」

「別に俺は死にかけてませんけどね。痛かっただけですよ」

 

 へらず口を叩きながらイサミは《スパイス・ジャー》の蓋を開け、ローズマリーをパラパラと鍋に落とす。

 ちなみにこのスパイス・ジャーもD&D由来のマジックアイテムで、好きな調味料がいくらでも出てくるという、料理人には夢のようなアイテムだ。

 

「でも兄さんって何でも出来て凄く頼りになるけど、結構肝心なところでうっかりしてたりするんですよ、神様」

「お前、今日は飯ぬきな。ジャガ丸くんだけ食ってろ」

「そんなぁ!?」

 

 塩、胡椒、にんにく、生姜やナツメグ、クローブ、セージといった西洋風の調味料だけでなく、醤油、味噌、みりん、わさび、果てはカレー粉まで出てくると気付いた時、イサミはこのアイテムを作る力を与えてくれた何者かに心底感謝した。

 

 仮にその何者かが目の前に現れたとしたら、五体投地して感謝を表していただろう。

 帰依しろと言われたら、5ミリ秒で生涯不変の篤き信仰を誓っていたはずだ。

「だって日本人だもの、しょうがないじゃない」とはイサミの弁である。

 

 ちなみにこの世界では味噌汁があったり、普通におにぎりが作れたりするので、ジャポニカ米や醤油やかつぶしもあるはずである。たぶん。

 

「しかしベル、ミノタウロスに襲われたって、大丈夫なのか? 怪我とか残ってないだろうな」

「大丈夫だよ兄さん! 間一髪ってところでアイズ・ヴァレンシュタインさんが来てくれたんだ! それでね、それでね・・・」

 

 待ってましたとばかりに喜色満面で語り始める弟と、ほほえましそうにそれを聞いてやるイサミ。

 彼は弟の前では常に完璧な兄だ。

 

 一方やることのないヘスティアはソファにだらしなくもたれかかり、やはりほほえましげにそれを聞いている。

 アイズの話題に顔をしかめつつ、ではあったが。

 

「それでミノタウロスを一瞬で切り刻んでさ! 兄さんが鹿の肉を刻むのと同じくらいあっさりと!

 それで、自分は返り血の一滴も浴びないで、凄く綺麗だったなあ・・・」

 

 思い出しているのか遠い目になるベル。

 彼ら兄弟はオラリオに来たばかりの頃、遠征から戻ったロキ・ファミリアに遭遇したことがある。

 金の髪をなびかせる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの姿には、確かに一幅の絵のような美しさがあった。

 

「確かにな。まあ、綺麗だから魅力的ってのはまた違うと思うけど」

「じゃあ、兄さんはどんな人が素敵だと思うのさ?」

 

 ちょっとむっとしたようにベルが言う。

 

「そりゃもう、大人の女だろ。アイズ・ヴァレンシュタインはお前に取っちゃ年上のお姉さんだろうが、俺から見ると年下の女の子だ」

「っていうと、リヴェリア・リヨス・アールヴさんみたいな?」

 

 弟が挙げた名前にイサミが苦笑した。

 ひょっとしてこいつはエルフフェチだったのかと思いつつ、返事を返す。

 

「なんでロキ・ファミリアばかりなんだよ。まぁあの人も確かに凄い綺麗だけどさ。

 なんつーかエルフは綺麗でも色っぽくないからなあ・・・そうだな、アスフィ・アル・アンドロメダとか」

 

 イサミの挙げた名前に心当たりがなかったか、ベルが首をかしげる。

 

「ええと・・・だれだっけ?」

「"万能者(ペルセウス)"。魔道具製作者でヘルメス・ファミリアの団長だよ。

 水色の髪の綺麗な人でさ。品があって顔立ちが整っているのはそれこそ"九魔姫(ナイン・ヘル)"と同じなんだが、血の通った綺麗さっていうか、大人の女性って感じだなあと」

 

 と、それまで黙って二人の話を聞いていたヘスティアがにやにや笑いを浮かべながら口を挟んできた。

 

「なんだい、イサミ君は年上趣味かい?」

「男はいくつになっても年上の綺麗なお姉さんに憧れるものですよ」

 

 実のところ、イサミはこれで18才である。

 

「むしろ年下の子の面倒見てばっかりだった気もするけど・・・」

「年下の面倒を見るのは年長者の義務だろ。いくつになっても危なっかしい弟とかな」

 

 からかうような視線を受けて、ベルが唇をとがらせる。

 

「そんなにあぶなっかしくないよ!」

「と、思うは当人ばかりなりってな」

「もう! にいさんの馬鹿!」

 

 むきになって反論するベルをニヤニヤしながらからかうイサミ。

 一方ヘスティアは我が意を得たりとばかりに腕を組んで頷いた。

 

「なるほど、つまりとても年長者で綺麗なお姉さんのボクは、君たちのあこがれの的というわけだね」

「まあ愛玩対象という意味では」

 

 身も蓋も無い返答に紐女神がぶっと吹き出した。

 

「ちょっ!? 君が歯に衣着せないたちなのは知ってるけど、だとしても今の発言はブッチギリアウトだよ! 暴走馬車だよ!」

「そういわれても、実際神様って年下の女の子にしか見えませんしねえ・・・」

 

 最初の頃、何故かヘスティアに避けられていたイサミであるが、今ではこうして馬鹿話が出来るほどにはなっている。

 というかイサミの料理を口にしてから露骨に態度が変わった。偉大なり美味い飯。

 

 とはいえスタート時点のつまづきが響いたか、それとも単にベルが愛され体質である故か、ヘスティアのベルへの感情はおおむね本来の流れ通りの物であった。

 現状では小学生カップルをほほえましく見守る高校生の兄、といった構図である。

 

「イサミくぅ~ん? 君、また不遜なことを考えて無かったかい」

「いえいえ、忠実なしもべたるこのわたくしが、尊き主神たる御身に対し、何もってその様な」

「にいさん悪い顔してる・・・」

 

 話がずれかけているのに気づき、ヘスティアが強引に話題を戻す。

 

「とにかく! ボクは神様なんだ! ものすごく長く生きてるんだ!

 イサミ君はひねくれてるからそうでもないだろうけど、素直なベルくんだったら、ボクの大人の魅力がわかるだろう?」

「えーと・・・」

 

 何やらよくわからない迫力をかもす女神に、冷や汗を垂らすベル。

 イサミが振り向かずにぼそりとつぶやく。

 

「神様、妄想は早めに捨てておかないと、現実にぶち当たったときに辛いですよ」

「さっきから何だよそのセメントな対応?! 泣くぞ! いくらボクでも泣いちゃうぞ! ええいベルくん! 君の胸を貸してくれ!」

「わ、か、神様?!」

 

 やにわに騒がしくなった居間を無視しつつ、イサミはシチューの味見をして頷いた。

 

「ベル、そろそろ食器の支度頼む。それと、オーブンからパン出してくれ。グリルのジャガ丸くんも」

「あ、うん! それじゃ神様、その、そういう事ですから・・・」

「ちぇーっ・・・まあいいや、それじゃ一緒に用意しようか」

「はい、神様」

 

 もとは廃屋に魔石ランプとコンロを持ち込んだだけの、完璧に不法居住者状態だった地下室。

 が、ファミリアが結成されて以来、壁紙が貼られ、絨毯やテーブルクロスが敷かれ、隅には兄弟の寝る二段ベッドもしつらえられ、とそれなりに人がましい環境になっており、また食生活にも劇的な改善が見られていた。

 

 ベルはまだ迷宮の入り口あたりをうろうろしてるので、ほとんどはイサミの稼いだ資金による物である。

 

(けど、それじゃ足りないんだよなあ・・・)

 

 シチューをかき回しながら、イサミは考える。

 食事関係と読書を別にすれば、彼は贅沢をするほうではない。おいしい物を食べて本を読んで生きていくだけなら今でも十分すぎた。

 

 ただ、あの老人は強くならなければ殺されると言った。

 それも伝説級の英雄(エピックレベル)でなくてはならないと。

 

 現在、イサミはD&Dでいえば15レベル。

 この世界の1レベルはD&Dでいえばおよそ3レベルに相当するので、つまり彼はこの世界ではレベル5相当、この時点でのアイズやベート達と同等。

 

 逆にフィン・ディムナやリヴェリア・リヨス・アールヴはレベル6なのでD&D基準だと16~18レベル。

 迷宮都市最強の冒険者、レベル7の《猛者(おうじゃ)》オッタルは19~21レベル相当というわけだ。

 

 D&Dの通常のレベル上限は20。それを越えるものこそが伝説。

 つまり、あの老人は「最低でもオッタルを越えろ」と言っているに等しい。

 

(そこまでしなきゃならない「敵」ってなんだ? それに「仕事」って?)

 

 奇妙な話だが、イサミはあの老人の言ったことの真偽自体は疑っていない。

 いくつか理由はあるが、一つには実際に女神ミストラの加護を授かったからだ。

 

 今のイサミは《ミストラに選ばれし者》にして《マジスター》。

 不老の肉体、毒や病気、精神攻撃や探知に対する完全耐性。疑似呪文能力と呼ばれる魔法のような能力。

 肉体的精神的なスペックも(恩恵を受けていない人間としては)非常に高い。

 

 だがつまりそれは、彼を殺す「敵」も現実に存在していると言う事。

 

(となると・・・鍛えるしかないんだよなあ)

 

 ため息をつく。

 実際物心ついた後は、イサミの人生の半分はそのための備えに費やされてきたような物だ。

 ちなみにもう半分は大体ベルのためである。

 

 さて、先ほど述べた疑似呪文能力の中には一日二回の「願い(ウィッシュ)」が含まれる。

 限界はあるものの大抵の事を実現できる、現実改変の魔法だ。

 

 レベルを上げたりは出来ないが、D&Dで《特技》と呼ばれる、スキルに似た物を得ることはできた。

 本来取得できない・重複しないものを含め、3歳で記憶を取り戻して以来、毎日二回、一年で七百三十回。十五年で一万九百五十回。

 

 今や彼は無限にも思える魔法使用回数とタフネスを誇り、無数の技能や特殊能力を有する。

 迷宮で使ったドラゴンマークなどもその一例だ。

 その力で、迷宮の上層と中層を一週間かからず踏破し、下層も同じくらいの時間で踏破することが出来た。

 

 だが、問題が一つあった。

 イサミのステイタスは、ヘスティアが初めてそれを刻んだときからろくに上昇していない。

 

 これでも上昇スピードは上がったほうなのだ。例の、白刃に身をさらすような戦い方を始めてから。

 それでもイサミのステイタスは現在熟練度にして合計百点ほど。上層のみのベルですらその三倍以上の上昇があるのに、である。

 

 この世界の常識からすればありえないことに、イサミはレベルは上がっても能力値が上がらない。

 攻撃の命中率は上がる。打たれ強さや抵抗力も上がるし、強い呪文も使えるようになる。

 しかしこの世界の冒険者の持つ圧倒的な能力値の前では、(呪文はともかくとして)それらの基本能力の上昇幅は本当に微々たる物だ。

 

 つまり、レベル上昇=能力値上昇であるこの世界の認識では、彼はまだレベル1の、それも最底辺でしかない。

 貰ったチートでいくら強化しても、せいぜいレベル2相当と言った所である。

 

 冒険者となって半月、破竹の勢いでダンジョンを踏破してきた彼だが、ステイタスの伸び無しではいずれ行き詰まるであろう事は明らかだった。

 

(本来レベルとステイタスはかけ算だ。呪文と《特技》でその不足を埋めるにも限界がある)

 

 本来、この世界のレベルアップには「偉業」というレベルキャップがある。

 イサミの能力はD&D由来であるがゆえにそのレベルキャップを無視できるが、逆にランクアップの恩恵も受けない。

 

(最初から強化していたが故に、偉業を成す機会もなかったし、ステイタスの伸びも鈍いというわけだ・・・

 くそったれめ、中々良くできたシステムじゃないか、「神の恩恵」ってのは)

 

 だがイサミに諦めるという選択肢はない。

 強くならなければ確実な死が待っているのだ。

 

 神の恩恵は苦難を乗り越えたものに力を与えるシステム。

 敵を殺すだけの「作業」をするものに、力を与えることはない。

 

 だから、安全を捨てた。

 安全な位置から敵を焼く戦い方を選べなかった。

 

(けど、しんどいんだよなあ)

 

 イサミはコンピューターRPGのキャラクターではない。人間である。

 正直痛いし怖いしきつい。

 イサミは深々と、今日何回目かのため息をついた。

 

(実際ステイタスの伸びもあんまり良くないしなあ。

 ・・・このままでもどうにかなるっちゃなりそうだし)

 

 実際、上層中層ほどの快進撃が出来なくなったと言うだけで、イサミが驚異的なスピードでダンジョンを攻略しているのは変わらない。

 

 オラリオに来たときは(D&D基準で)5だったレベルも、いまや15。

 "時間停止(タイム・ストップ)"や"流星雨(メテオ・スウォーム)"と言った最高レベルの呪文にも、もうすぐ手が届く。

 

 敵の攻撃からダメージを受けるようになっただけで、特に苦戦しているわけでもない。

 このまま順調にレベルを上げればいけるんじゃないかとイサミは考える。

 

 実際、強くなるのは楽しかった。

 故郷で熊や狼相手に鍛え続け、"火球(ファイアーボール)"の呪文が使えるようになったときはどれほど嬉しかったことか。

 

 オラリオに来てからは尚更だ。

 ランクアップはせずとも面白いようにレベルが上がり、そのたびに強力な呪文が使えるようになる。

 

 成長は快感だ。

 一般人の人生では滅多に味わえない成長の実感を、こうも短期間で立て続けに得ることができる。

 なんだかんだ言いつつも今、イサミは冒険が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま。いやー、君達が来てくれてからというもの、食卓が見違えるように豊かになったよ!

 ヘファイストスの所だと、あれ質実剛健なたちだろ? だから食事もシンプルなのが多くてさー」

「その割には今でも毎食ジャガ丸くんじゃないですか」

「イサミ君、ジャガ丸くんを馬鹿にするなよ? シンプルにして奥が深い、最強のスナックなんだぜ?」

 

 イサミとヘスティアとの無駄話にクスクス笑いながら、ベルが立ち上がって皿を片付ける。

 料理はイサミ、後片付けと皿洗いはベル。長い間に培われた習慣である。

 

「まあ、ジャガイモも揚げ物も好きだから、反論はしませんけどね」

「だろう? だろう?」

 

 喜色満面で勝ち誇る神様。

 コロッケもいいがフライドポテト最強である。

 

(しかし、地球の神々と名前が同じと言うのは何なんだろうな)

 

 ヘスティアはギリシャ神話の炉の女神。ヘファイストスは同じくギリシャ神話の鍛冶の神だ。

 都市を運営するギルドを統治するのはギリシャ神話のウラノスで、現在迷宮都市最強と言われる二大ファミリアを率いるのは北欧神話のロキとフレイア。

 

 勢力としてそれに次ぐガネーシャはインド神話、歓楽街を司る淫蕩の女神イシュタルはバビロニア。

 ヘスティアと貧乏仲間で交流がある武神タケミカヅチは日本神話で、医療の神ミアハはケルト神話だ。

 

 デメテル、ゴブニュ、ディアンケヒト、ゼウス、ヘラ、ポセイドン、アマテラス・・・。

 ロキやヘファイストスが女神になっていたりといくらかの差異はあるものの、明らかに地球の伝説に語られる神々ばかりである。

 

(D&Dの世界だと聞いてたんだけどなあ・・・まあ、D&D世界にもそう言うのがいないことはないけど・・・)

 

 D&Dの世界の神々は概ねその世界独自のものだが、中には地球から転移したという設定で、地球の神話に現れる神々が存在することもある。

 ただそうした存在は明らかにイレギュラーで、こうした地球の神々ばかりという設定の世界はイサミの知る限りない。

 

(まあそう言う世界と言えばそれまでなんだろうが)

 

「にいさん、そう言えば今日ね・・・」

「ん、なんだ?」

 

 ベルが皿洗いを終えて居間に戻って来る。

 イサミは思考を打ち切ってベルに顔を向けた。



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1-4 【憧憬一途】

 

「おやすみ」

「ベル、神様、おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 おやすみの挨拶を交わす三人。

 魔石灯の明かりを消し、ヘスティアは元からあったベッドに、兄弟は二段ベッドの上下にそれぞれ横になる。

 ダンジョンやバイトでの疲れもあり、ベルとヘスティアはすぐに眠りに落ちた。

 

 

 

 

(・・・。・・・・・・・!)

 

 イサミは夢を見ていた。

 

(・・・・・・。・・・・・・)

 

 おぼろげに見える、赤い人影。

 何事かを訴えているようだが、その声も姿と同じようにぼやけ、内容を聞き取ることが出来ない。

 

 物心ついて以来、時折イサミはこのような夢を見るようになっていた。

 

 イサミは本来夢を見ない。

 "ミストラに選ばれし者"は睡眠を必要としないからだ。

 

 それでも外面を取り繕う必要はあるし、呪文の力を回復させるためには肉体と精神を休める必要があるので、その間は横になって瞑想を行う。

 

 横になっていても、瞑想は睡眠とは違う。

 意識は途切れないし、夢を見ることもない。

 

 にもかかわらず、それに割り込んで見える夢・・・いや、幻視と言った方がいいだろうか?

 

(これはひょっとしてメッセージなのか? あのじいさんが俺に送っている・・・)

 

 確証はないがそんな気がするのだ。

 

 

 

 

 

 翌朝四時半。

 ヘスティアがむくりと起き上がり、二段ベッドに近づく。

 寝ぼけた結果でないのは、抜き足差し足していることからも明らかだ。

 

 そのままヘスティアは上の段に這い上がり、ベルの毛布の中に潜り込む。

 夢から覚め、瞑想を再開していたイサミは僅かに苦笑した。

 

 

 五時。

 ベルがみじろぎし、目を覚ました。

 しばらく凍りついた後、素早く身を入れ替えて立ち上がる。

 そのまま素早く身支度をして部屋を出て行った。

 

「ベル君のあほぉ。むにゅう」

(ヘタレめ)

 

 期せずして、神と眷属の思考が一致した。

 

 

 六時半。

 イサミが起き出して、ソファの上で適当な座禅を組む。

 毎朝の日課の呪文準備だ。

 

「スゥーッ、ハァーッ・・・」

 

 深呼吸。床を掃き、窓を磨くように己の精神から雑多な思念を取り去っていく。

 残ったのは消しゴムをかけたような、まっさらなノートのような精神。

 

 そこに更に注意深く、枠と罫線を引いていく。

 掃き清められた精神に、キラキラと輝く無数の枠組みが形作られる。

 これこそが彼の魔法、『秘術魔法(アーケイン)』を使うための前準備である。

 

 イサミの肉体が分厚い呪文書を手に取り、開く。

 そこに銀のインクで記されているのは呪文の術式そのもの。

 必要であろうと思われる呪文の術式を呪文書から読み取り、それをたった今整えた頭の中のノートに、意志のペンと魔力のインクで書き写していく。

 

 心のノートの枠組みに転写された術式は魔力を帯びた構造体となり、一つの形を為す。

 これを輝く文字の羅列と認識するものもいれば、複雑で幾何学的な蜘蛛の巣と言うものもいる。

 

 だがいずれにせよ、ひとたび意志の力によって解き放たれれば、この構造体は恐るべき魔力として現出するのだ。

 秘術魔法(アーケイン)は恩恵が与える魔法と異なり、精神力ではなく、書き込まれた文章そのものを消費して発動する。

 

 呪文には0から9のレベルがあり、また使用回数のスロットも0から9に分かれている。

 当然レベルが高いほど、呪文は強力になっていく。

 もし今のイサミの精神を実際のノートにしたら、何ページかごとにカラフルに色分けされた罫線付きの、あるいは方眼のノートになるだろう。

 

 呪文修正も同様で、3レベルの呪文に3レベルの呪文修正を施すと、それは6レベルの呪文という扱いになる。

 イサミがステイタスが全く伸びないにもかかわらず魔法で戦えているのは、この呪文修正に必要なレベルを圧縮できるという点に寄るところが大きい。

 

 《簡易呪文修正》《実践的呪文修正》【呪文修正強化】《秘術の学究》。

 本来3~4レベルが必要な呪文修正をそれぞれについて4低下させる事が出来るので、たとえば迷宮で使う《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"の呪文であれば、

 本来は"炎の泉"呪文のレベルが5、《最大化》で+3、《威力強化》で+2、《二重化》で+4、《エネルギー上乗せ》4つで+4+4+4+4の、30レベル呪文になるところを、修正ごとにそれぞれ-4してプラスマイナスゼロ(マイナスにはならない)、本来の5レベル呪文として発動できるのである。

 

 こうしてイサミは約一千種類、数千回分に及ぶ呪文を己の中に準備し終える。

「神の恩恵」による魔法と違い、再び一日が過ぎて十分な休息を取らなければ、これらを再装填することは基本的にできない。

 消耗した呪文=魔力構造体を補填するポーションなど存在しないのだ。

 しかし、「神の恩恵」が最大でも3種類しか魔法を与えないことを考えると痛し痒しではあろう。

 

 

 七時。

 昨夜の残りのシチューとパンを温めて、弟の布団でまどろむ神を起こす。

 

「かみさまー。ごはんですよー。早く起きないと冷めちゃいますよー」

「ふみゅう、後五分・・・」

「別に温め直して貰ってもいいですけどね。バイトに遅刻してまた怒られますよ。一緒に謝ったりはして上げませんよ」

「うー、イサミ君は容赦ないなあ・・・」

「ベルで慣れてますので」

 

 渋々起き出して顔を洗いに行くヘスティア。

 この辺りは長年培った兄としての経験の面目躍如である。

 彼も良き兄であるためにそれなりに努力をしているのだ。

 

 主神が顔を洗っている間にシチューとパンを盛りつけ、二人で朝食。

 

「そう言えばベル帰って来ませんでしたねー。朝食くらい食べていけばいいのに」

「まったくだよ。ボクなんか、バイトに遅刻しても朝食はきちんと食べるぜ?」

「それもどうかと思いますけど、まあ朝食は大事ですね。特に体を動かす仕事だと」

 

 そこでイサミがやや半目になる。

 何となく責められてるような気がして、ヘスティアは「うっ」とのけぞった。

 視線が遥か上から降ってくるので、圧迫感が半端無い。

 

「まぁ何と言うか、弟にあまり過剰なスキンシップは控えて頂けるとありがたく。

 ハーレムハーレム言う割に、見ての通りのあれなたちですから」

「こ、心には留めておこう」

 

 イサミが半目からジト目になる。

 たらりと一筋冷や汗をたらし、ヘスティアはごまかすように話題を変えた。

 

「そ、それにしてもベル君は何と言うか、偏ってるよな! やっぱり君達の祖父のせいなのかい!」

「・・・まぁ誰が悪いかと言ったら、物心つく前から俺達を洗脳し続けたじいさんが悪いですね」

 

 何を思いだしたか、まぶたを押さえてため息をつく。

 

「やれ覗きは男の義務だ、ハーレムは浪漫だ、美女との出会いこそ冒険の醍醐味だ・・・尊敬する祖父に始終吹き込まれていれば、ああなるのは火を見るよりも明らかですよ。

 俺でさえ結構影響されてるんだから、素直すぎるあいつがどうなるかは推して知るべしです」

 

 何か思い出したのか、くっくとヘスティアが笑った。

 

「似たようなのがいるもんだねえ。いや、ボクが知っているのは神だけどさ」

「神様にもそんなの、おほん、そんな方がいるんですか」

 

 わざとらしく言いつくろうイサミに、ヘスティアはニヤニヤしながら肩をすくめてみせる。

 

「いるいる。むしろそんなのばっかりさ。その中でも特に彼は群を抜いていてねえ・・・ボクは直接知らないけど、オラリオでも厳重に警戒された女神専用浴場に対して、神の力抜きで覗きを成功させたとか」

「武勇伝ですねえ・・・ヤな意味で」

「女性が絡まなければいいおじいちゃんだったんだけどねー」

「うちのもそんな感じでしたよ。アレさえなければ完全無欠にかっこいいじいさんだったんですけどねー」

 

 あはは、と笑い合う二人。

 互いの話に含まれた深い意味に、まだ気付いてない幸せな笑いであった。

 

 

 

 

「それじゃ先に出ますねー。火の始末は気をつけて下さい」

「うん、気をつけて・・・って、これは君には言うまでもないかな」

「むしろピンチに陥るくらい強い敵と会わないと、いい加減ステイタスが伸びませんからねえ・・・」

 

 無茶な戦い方をするようになって、ようやく少しずつ熟練度が貯まってきたイサミとしては、溜息の一つもつきたくもなる。

 贅沢な悩みだ、とヘスティアは苦笑した。

 

「普通は帰ってくるかどうかが心配なんだけどね。

 本当、なんでだろうね? ベル君より遥かに強いのに、ステイタスはベル君以下。

 おまけに発現もしていないのに魔法が使えるし・・・イサミ君。君は一体何なんだい?」

 

 じっ、と見つめるヘスティアに、イサミは苦笑することしかできない。

 本人も推測しかできないのだからしょうがないといえばしょうがないが。

 

「心当たりはあるというかなんというか。ミストラという女神様を御存じですか?」

「ミストラ? ミトラなら知っているけど・・・あいつは男だしなあ。その女神とやらが?」

「確認したわけではないんですが」

 

 うーむ、と腕を組んで考え込むヘスティア。

 

 《ミストラに選ばれしもの》と《マジスター》はフェイルーン世界の魔法の女神ミストラが授ける力であり、地位だ。

 前者は彼女の地上における代行者として、後者は魔法を世界に広めるための使者としてそれぞれ彼女によって任じられる。

 本来同時に与えられることのないその二つを兼ねなければならない「仕事」とは一体何なのか・・・まだ答えは出ていない。

 

「ところで、こちらからも一つ質問いいですか?」

「ん、なんだい?」

「ベルにスキル、発現してましたよね。チラッとしか見えませんでしたが・・・【憧憬一途】? 何ですか、あれは? 何故隠すんです?」

 

 ひくっ、とヘスティアの口元が引きつる。まさかイサミが神聖文字を読めるとは思っていなかったのだ。

 彼が言語理解の呪文を永続化(パーマネンシィ)していようなどと、ヘスティアの想像の外だろう。

 それでも何とか取りつくろおうと言葉を重ねる。

 

「いいかい、イサミ君! その事は今すぐ忘れるんだ! 世の中には知らなくていい事もある・・・!」

「つまり知られると神様的にまずいんですね」

 

 むぐおっ!? とのけぞるヘスティア。

 

「神様程度の〈はったり〉技能で俺の〈真意看破〉技能を防げるわけないでしょーが。さあ、キリキリ吐きなさい」

「君は時々訳の分からないことを言うなぁ・・・つまりだね、これはベル君を思ってのことであって・・・」

「いいからさっさと吐いて下さい。さもないと今日の夕食は作って上げませんよ」

 

 骨太の顔にドスの利いた笑みを浮かべて迫るイサミ。

 その迫力にか、それとも脅しの内容にか、ヘスティアはあっさりと屈した。

 

「わかったよ・・・でも他言無用だぜ? ベル君を思ってのことだってのも嘘じゃあないんだからな?」

「その辺は疑っていませんよ。ただ、いざという時のために俺も知っておいた方がいいと思っただけです」

「うーん、まあ君なら大丈夫か。実はね・・・」

 

 頭をボリボリかきながら、ヘスティアはスキル【憧憬一途】の内容を説明する。

 何故発現したか、とかそういうことは抜いて、その内容だけを。

 イサミはぴくりと眉を上げたが、追及はしなかった。

 

「成長をブーストするレアスキルですか・・・隠す必要性は分かりました。ですが、実際どの程度有効な物なんでしょう?」

「それは正直ボクにもわからないよ。恐らく、これまでに発現させたのは正真正銘ベル君だけだろう。見当もつかないね」

「ですか・・・まあ、兄貴としてはせいぜいブーストが掛かるのを祈るだけですね。と言うか俺も欲しい」

 

 ぽろっとこぼれた本音に、今度はヘスティアが苦笑する。

 

「君はむしろ強すぎるのが問題な気もするけどね」

「強いし、強くなってるとは思うんですけどね。それでもステイタスがアップしないのは・・・ところで神様。時間大丈夫ですか?」

「あ」

 

 この日、ヘスティアは通算4回目の遅刻をし、お説教と一時間分の給料減額を食らった。

 

 

 

 

 

 一方イサミは悠々と通りを歩き、ダンジョンに向かっていた。

 自由業たる冒険者の強みである。

 

 巨塔【バベル】のエントランスを過ぎ、階段を下りる。

 地下のダンジョン1階層に入ると、同じようにダンジョンに潜ってきた同業者の群を外れ、脇道に入り込んだ。

 周囲に人がいないのを確認して、いくつかの呪文を唱え、あるいはアイテムから起動する。

 

「《二十四時間持続(パーシステント)小魔術(プレスティディジテイション)

「《二十四時間持続(パーシステント)(シールド)

「《二十四時間持続(パーシステント)移動迅速(エクスペディシャス・リトリート)

「《二十四時間持続(パーシステント)幽鬼打撃(レイス・ストライク)

「《二十四時間持続(パーシステント)信仰の力(ディヴァイン・パワー)

「《二十四時間持続(パーシステント)遺跡探索者の幸運(ルインデルヴァーズ・フォーチュン):頑健セーブ上昇」

「《二十四時間持続(パーシステント)遺跡探索者の幸運(ルインデルヴァーズ・フォーチュン):反応セーブ上昇」

「《二十四時間持続(パーシステント)遺跡探索者の幸運(ルインデルヴァーズ・フォーチュン):意志セーブ上昇」

「《二十四時間持続(パーシステント)》《最大化(マキシマイズ)遺跡探索者の幸運(ルインデルヴァーズ・フォーチュン):HP上昇」

「《二十四時間持続(パーシステント)》《範囲拡大(ワイドゥン)瞬間捜索(スポンティニアス・サーチ)

「《二十四時間持続(パーシステント)罠発見(ファインド・トラップス)

「《距離延長(エンラージ)竜の瞳(ドラゴンサイト)

「《距離延長(エンラージ)宝の嗅覚(トレジャーセント)

魔法の入れ墨(マジックタトゥー)・術力上昇」

魔法の入れ墨(マジックタトゥー)呪文抵抗(スペル・レジスタンス)

長距離飛行(オーヴァーランド・フライト)

透明化(インビジビリティ)

 

 最後の呪文を唱えると、その姿が消えた。

 続けて「グワーロンのベルト」を起動し、自らを一陣の風と化す。

 

 十分後、その姿は迷宮深層域、37階層にあった。

 熟練の冒険者でも2日はかかる距離を十分で移動できるだけでも大した物だが、彼ほど高レベルの魔術師(ウィザード)であるなら、本来「瞬間移動(テレポート)」の呪文で一瞬で移動できる。

 だが、彼はそれを使わない。

 

 何故ならこの世界では次元の壁を破るような効果が全く発動しないのだ。

 瞬間移動、霊体化、召喚、神託などの呪文がそれで、これもまた謎の一つである。

 

「使えれば楽なんだけどな・・・まあ言ってもしょうがないか」

 

 前回帰還した地点に出現したイサミはぐるっと周囲を見渡し、独りごちる。

 そして下層への階段に向かい、悠然と歩き始めた。

 

 

 

 その日、夕方。

 

「なんだこりゃあ・・・」

「神様・・・これ、書き写すの間違ったりしてませんか・・・?」

 

 イサミとベルがまじまじと覗き込んでいるのは、ベルのステイタス用紙。

 そこには、たった一日の冒険でトータル熟練度160オーバーという、信じられない数字が並んでいた。

 ちなみにイサミの熟練度上昇は合計で8点である。

 

「・・・君たち、ボクが簡単な読み書きもできないと思っているのかい?」

「い、いえ、そう言う事じゃ無くてただ・・・ほら、『耐久』の項目! 僕、今日は一回しか攻撃をもらってないのに+29って! 今まで半月やって来て、やっと+13だったんですよ!?」

「知るもんかっ!」

 

 ぷいっ、と頬を膨らませてそっぽを向く神様。

 そこでようやくイサミにも合点がいった。

 

 【憧憬一途】。

懸想(おもい)が続く限り効果持続」。

懸想(おもい)の丈により効果上昇」。

 そして成長力強化。

 

 つまり、ヘスティアは意中の人が他の誰かにくびったけ、という現実を目の前に突きつけられているわけだ。

 状況から察するに、恐らく例のアイズ・ヴァレンシュタインだろう。

 

「そりゃあ面白くないわなぁ・・・」

「っ!」

 

 ぎぬろっ、と。

 人を射殺せそうな視線をイサミに放つヘスティア。

 はいはい、言ったりしませんよ、とばかりに両手を挙げて降参の意を示すイサミ。

 

「? ? ?」

 

 ベルがあたふたしながら、両者の顔を交互に見比べていた。

 

 

 

「ボクはバイト先の打ち上げがあるから、それに行ってくる。君達もたまには羽を伸ばして、二人寂しく豪華な食事でもしてくればいいさっ!」

 

 バタン、と音を立てて扉が閉まる。

 後に残されたのは、溜息をつく兄と困惑する弟。

 

「兄さん・・・僕、何かしちゃったのかな?」

 

 すがるような目を向ける弟の肩を、訳知り顔の兄がぽんぽんと叩いた。

 ちなみにこの兄弟、身長差が50cm程ある。

 

「いいか、弟よ・・・女を理解しようとするな。おまえが深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗き込むのだ」

「わけわかんないよ兄さん」




6/3追記

> 《簡易呪文修正》《実践的呪文修正》【呪文修正強化】《秘術の学究》

 の部分で一つだけカッコが違っていますが、これは原作D&Dの表記ルールに沿った意図的なものです。
 他の三つが《特技(Feat)》であるのに対し、【呪文修正強化】は呪言師(インカンタトリックス)のクラス依存能力なので。
 まあ同名の特技もあるのでややこしいのですが、そっちは超英雄(エピック)特技なので今のイサミ君は取得できません。


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1-5 『豊饒の女主人』亭

 黄昏時の西のメインストリート。

 道を歩くのは買い物客から酒食目当ての酔漢予備軍に変わり、通りの空気も繁華街のそれに変わりかけている。

 そんな中、兄弟二人はベルの案内で、弁当を貰う代わりに夕食を取る約束をしたという酒場に向かって歩いていた。

 

 イサミが周囲の視線を集めるが、慣れているのか、二人とも気にせずに歩いていく。

 

「落とした覚えがないのに魔石を持ってたって、それ客引きのための手管じゃないのか?」

「あーいや、そんな事は無い・・・と思う・・・んだけど・・・」

 

 自信なさげに答えるベル。

 まあ客引きとしてはまだ洒落たやり方ではあるし、イサミもそんなに気にはしていない。

 

「それより重要なのはそこの飯がうまいかどうかだな」

「兄さん、料理には本当にうるさいもんねえ」

「俺に言わせれば、お前らが無頓着なんだ」

 

 現代日本の食事に慣れきったイサミにとって、ファンタジー世界の食卓事情は地獄とは言わないまでも不毛の荒野であった。

 何せ田舎暮らしの食事といえば、大体カブのシチューと固いパン、あるいは雑穀粥。肉無し野菜無し甘味なし調味料もろくになし。

 

 日本で言えば、一週間のうち六日間は沢庵と水っぽい粥だけの食事が延々と続くようなものだ。

 ちなみに残りの一日はちょっと奮発して夕食に卵が一個つく。

 

 イサミはそれを打破する為に、それだけのために料理(そして狩人)の技量を磨いてきたのだ。

 それでも都市部ではそれなりに多彩な食事ができるし、実際の中世ヨーロッパなどと比べれば天地の違いなのだが。

 

「ゾウムシの混ざった三日前のパン、いたんだカブのシチュー、ネズミと猫の肉のパイ・・・まっぴらごめんだ」

「兄さん、何か言った?」

「忘れろ。夢だ。想像すらおぞましい悪夢の話だ。ウォーハンマーじゃなくてD&Dで本当によかった」

「うん・・・?」

 

 そうこうしている間に兄弟は目的地、『豊饒の女主人』亭に到着する。

 

「お、女の人ばっかりだ・・・」

「あー、こう言う店か。味はあんまり期待できそうにないか? まぁいい、行くぞ、ベル」

「ま、待って! 心の準備が・・・」

「酒場に入るのに心の準備もクソもあるか」

 

 震えるベルの襟首をつかみ、ひきずって入店するイサミ。

 

「いらっしゃいませー! お客様二名入りまーす・・・あ、ベルさん!」

「し、シルさん・・・」

 

 ヒューマンのウェイトレスが嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その表情がとなりのイサミを見てぴくり、と動くが、すぐに元通りの笑顔に戻る。

 

「お二人で来てくれたんですね。同じファミリアのお仲間さんですか?」

「いや、兄貴だ。愚弟を引っかけたやり手の客引きの顔を見たくてね」

「何の事でしょう? 私はちょっとした親切のやりとりをしたかっただけですよ?」

 

 にこにこと、かわいい笑顔を崩さずにのたまうシル。

 

「親切ねぇ」

「ええ、親切です。善意ですよ」

 

 にやにやするイサミ。にこにこするシル。

 

「はっはっは」

「うふふふふ・・・」

「怖いよ二人とも?!」

 

 やにわに、周囲がざわつき始める。

 陰険漫才をやっていたシルとイサミが、正確にはイサミが注目されているのだ。

 

 シルもそれに気付いたか、そそくさと二人をカウンター席に案内する。

 程なくして巨漢のドワーフという、なんだか矛盾した存在の女将がやってきた。

 

「あんたらがシルの客かい? 二人揃ってかわいい顔してるねえ!」

「ほっといてください」

「俺もか?」

 

 豪放な女将の笑い声にベルはじとっとした暗い視線をぶつけ、イサミは怪訝な顔になる。

 

「なんでもあたし達に悲鳴を上げさせるほどの大食漢なんだそうじゃないか!

 じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってってくれよぉ!」

「えっ!?」

「おい、そこのウェイトレス」

 

 女将の言葉にぎょっとした顔で振り返るベル、ジト目のイサミ。

 そばに控えていたシルは、兄弟の視線からさっと目を逸らす。

 

「ちょっと! 僕、いつから大食漢になったんですか! 初耳ですよ!」

「・・・えへへー」

「えへへ、じゃねーっ!?」

「ベル、今夜はお前が金出せよ」

「にいさぁぁぁぁぁぁん!」

 

 

 

 割高ではあったが、意外にも料理は美味かった。

 イサミは幸せそうな顔で、ベルはどこか緊張した顔でパスタを黙々と口に運ぶ。

 運びつつも、イサミは周囲をそれとなく観察している。

 

(あのヒューマンとエルフ・・・あの猫人・・・あっちの猫人も・・・さっきの女将が一番強いが、他も軒並み・・・。

 なんだここは、高レベル冒険者のたまり場か?)

 

 イサミも観察眼には自信がある。

 女将とウェイトレスでパーティを組んだら深層くらいは普通に潜れるのではないかなどと考えつつ、それでもしっかりと料理は堪能していた。

 

「楽しんでいますか?」

「圧倒されてます・・・」

 

 カウンターの隅に座るイサミ、その隣のベル、更にその隣にシルが座る。

 店のことなどをベルに話すシルを見て、イサミが物珍しそうな顔になった。

 

「・・・なんですか、お兄さん?」

「いや、俺とベルが並んでると、大抵俺の方に話しかけてくるからな。

 珍しいと思っただけさ――まあ、こいつも女の子には結構人気だったけど」

 

 なるほど、と得心したような顔になるシル。

 

「お兄さん、あからさまに雰囲気ありますもんね。

 意外と歌い手とか語り部になったら成功するんじゃないですか?」

「だろうな。冒険者をやめたら考えてみるかね」

 

 実際、イサミには一瞥して人を圧する圧倒的な魅力(カリスマ)がある。

 というのも、「神の恩恵」によるステイタス上昇は本来知力(この場合は計算力や論理力、記憶力等)や魅力には作用しない。

 

 対して、D&D由来の能力の持ち主であるイサミは、「神の恩恵」によってそれらの能力値も上昇させる事ができるからだ。

 もっとも、魔術師(ウィザード)であるイサミは知力を元にして魔法を使うので、上がらないと非常に困ったことになる。

 

 つまり超人的冒険者がゴロゴロするオラリオでも、この二つにおいてはイサミが抜きんでていると、そういうことである。

 

「にしてもベルさんも隅に置けませんねー。まあ、女性に人気なのもわかりますけどー」

「そ、そんなことは・・・いつも注目されるのって兄さんだったし、それに比べれば・・・」

「いやー、お前、老若問わず女には人気あったぞ? 川向かいのニーシャばあさんからガントさんとこのサヤまで・・・」

「ミア母ちゃーん! 来たでー!」

「お?」

 

 陽気な声を上げて入って来たのは、ヘソ出しパーカーにホットパンツという、開放的な格好の女神だった。

 ただし胸は悲しいほどにない。

 その後を追って、十数人の冒険者たちが店に入ってくる。

 いずれも尋常ではない迫力と、一見してわかる実力の持ち主だ。

 

「っ!」

 

 しゃっくりのような音がして、イサミは視線を横にやる。

 弟の視線が一点を指して止まっていた。

 その顔が見る見る紅潮する。

 

(・・・ああ、なるほどな)

 

 視線の先には金髪の美少女。

「剣姫」アイズ・ヴァレンシュタイン。

 女戦士というカテゴリでは当代最強と言われる一級冒険者。

 そして恐らく、いや、間違いなくベルの想い人なのだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 トマトみたいになった顔をカウンターに伏せ、ちらちらと彼女の方を伺うベル。

 幸いカウンター席の隅っこだから目立ってないが、怪しいことこの上ない。

 

「あのー、お兄さん? ベルさんは一体?」

「男にはたまにあることなんだ。大きな心で見逃してやってくれ」

「はあ」

 

 

 

 

 

「よっしゃ、ダンジョン遠征ごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!」

 

 神ロキの音頭を切っ掛けに飲めや歌えの大騒ぎに突入するロキ・ファミリア。

 その中で食べ物を口に運んだり、仲間と会話を交わすアイズ。

 それを横目で盗み見るベル。溜息をつくイサミ、困り顔で「?」マークを浮かべるシル。

 そんな微妙な空気が、突然変わった。

 

「そうだアイズ! お前あの話を聞かせてやれよ!

 お前が5階層で最後のミノタウロスを始末した時の、トマト野郎の話を!」

 

 真っ赤だったベルの顔から一瞬にして血の気が引き、その体がこわばる。

 

「ミノタウロスって、集団で逃げ出して、総出で追いかける羽目になった?」

「それそれ! それでよ、いたんだよ! いかにも駆け出しって感じのひょろくせぇガキがよ!」

 

 うつむいたまま凍りつくベル。

 イサミは顔をわずかにこわばらせ、それを黙って見ている。

 

「で、アイズが牛を細切れにして助けてやったんだが、そいつ返り血浴びてトマトみたいになっちまってよ・・・

 それにだぜ? そのトマト野郎、叫びながらどっか行っちまって・・・

 ウチのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのっ!」

 

 どっ、とロキ・ファミリアの面々が湧く。

 金髪の少女と、エルフの魔導士だけが固い顔をしていた。

 

 ベルの体が小刻みに震え始めた。

 心配そうに話しかけるシルにも無反応。

 イサミは黙ったまま。

 みしり、とその手のジョッキの持ち手がきしんだ。

 

「しかしまあ、久々に胸糞悪くなったな。

 ああ言う奴がいるから俺達の品位が下がるって言うかよ・・・」

「いい加減そのうるさい口を閉じろ、ベート。あれは我々の不手際だ。

 その少年に謝罪することはあれ、酒の肴にする権利などない。恥を知れ」

「こら、二人ともやめえ。酒がまずうなるわ」

 

 にらみ合う獣人とエルフの女魔導士を、ロキが仲裁する。

 だが、獣人の舌は止まらない。

 今度はアイズにからんで「トマト小僧」をあげつらっていく。

 

 ベルの体の震えは、どんどん大きくなっていく。

 イサミは、無表情で無言。

 

「じゃあなにか、お前はあのガキに好きだの愛してるだの言われたら、それを受け入れるのか?」

「・・・・・・っ」

 

 明らかな否定。

 戸惑いを含んではいても、それはアイズ・ヴァレンシュタインの明確な否認。

 

「そんなはずねえよなあ。雑魚野郎にお前の隣に立つ資格なんざあるわきゃねえ。

 何よりも、お前がそれを認めねえ」

 

 沈黙。

 何よりも雄弁な肯定。

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 そこが限界だった。

 ベル・クラネルが椅子を蹴倒し、酒場の外に飛び出す。

 シル・フローヴァがそれを追う。

 イサミ・クラネルはやはり黙ったまま、一気にエールをあおった。



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1-6 素手喧嘩(ステゴロ)

「ベルさん?!」

 

 店員の少女の叫びとともに、白い髪の少年が店の外へと飛び出す。

 少女がその後を追う中、アイズ・ヴァレンシュタインの目は、その少年の顔をはっきりと捉えてしまった。

 言葉を失い、立ち上がる。

 

「アイズ?」

 

 少年を追おうとしたアイズの視線が、ふと、白い髪の少年が座っていた席の隣に座る黒髪の青年のそれと交差する。

 少年と店員の少女が飛び出していった入り口を見やり、青年に視線を戻す。

 もう一度入り口の方を見やり、アイズは青年の方に歩き出した。

 とぼとぼと。これから叱られる子供のように。

 

 

 

 

「・・・あ、あの・・・」

「なんだい」

 

 空になったエールのジョッキをカウンターに置き、イサミがアイズに向き直る。

 アイズは肩を落とし、視線を合わせられずに言葉を続ける。

 

「あ、あなたはあの子の・・・」

「兄だよ。まあ、気にすることはない。君が悪い訳じゃ・・・」

 

 イサミの言葉が途中で止まる。

 アイズが泣いていた。

 

「うっ・・・くっ・・・ごめ、ごめんなさい・・・ごめんなさいっ・・・」

「・・・・・・・・」

 

 アイズ自身、自分のこの反応は意外であった。

 だが、そんな思考とは裏腹に、涙は途切れてくれない。

 

 イサミもあっけにとられていたが、やがて溜息を一つついて、大きな手でアイズの頭を優しく撫でてやる。

 弟ならずとも年下には甘い(実年齢は50近いわけでもあるし)イサミである。放置することはできなかった。

 

「いいんだよ。いいんだ」

「ひっく・・・えっく・・・」

 

 

 

 一方、ロキ・ファミリアは静まりかえっていた。

 今まで酒の肴にしていた少年がこの場にいた。

 その場の全員がその事に大なり小なり後ろめたさを覚えて沈黙している。

 驚愕と敵意に糸目を見開いてイサミをねめつけるロキと、相変わらず空気を読めていないベートを除いて。

 

「てめぇ! 何アイズ泣かせてやがんだ!

 大体なあ、そいつはお前みたいなクソザコが触れていい女じゃねえんだよ!」

「いい加減にしろ、ベート!」

「あんたなんでアイズが泣いてるかわかってないの!? どう考えたってあんたのせいじゃん!」

 

 エルフの女魔導士に叱責され、アマゾネスの少女に食ってかかられてもベートの勢いは止まらない。

 

「うるせえ! テメエらだって笑ってただろうが! 大体本当の事を言って何が悪い!」

「ベート、そろそろ・・・」

 

 さすがに見かねたか、止めようとする小人族の首領をイサミが遮る。

 

「まあ、本当の事ではあるな。無様を晒したのは事実だし、それを笑われたからといって、悪いのは弟だ。

 こっちからどうこう言う気はないよ」

 

 ベートは一瞬キョトンとして、大笑いする。

 

「なんだ、わかってんじゃねえか! そうだよなあ、ザコはザコらしく・・・」

「ただ、一ついいかい?」

「あん?」

 

 いぶかしげな顔のベート。

 ニヤリと笑うイサミ。

 

「そんなだから、女にもてないんだよ」

「・・・っ!」

 

 ぷっ、とアマゾネスの姉妹が吹き出す。

 エルフの魔導士と小人族の首領が目を丸くし、ドワーフの戦士が大笑いした。

 

「おもしれえ。ブッ殺されたいってことでいいんだな・・・?」

「自分は人の悪口言い放題で、自分が悪口言われたら殺すのか。随分とケツの穴が小さいな、おい。

 やっぱ女にはもてないタイプだ、あんた」

 

 顔を真っ赤にしたベートが歯をむき出しにする。

 

「ザコがほざくじゃあねえか・・・弱っちぃ分際でよぉ!」

「黙れクソ野郎」

 

 声に初めて怒気が籠もった。

 さすがに圧されることこそないが、低レベルの冒険者とは思えない意外な威圧に、その場に沈黙が落ちる。

 実のところ彼は激怒していた。

 

「お前がどこの何者なのか、何考えて生きてるのかは知ったこっちゃない」

 

 イサミはクールではない。むしろ感情的だ。

 世慣れてもいない。魔法で対人能力を強化しているに過ぎない。

 大人ですらない。一皮剥けば、そこにいるのは無駄に年を食っただけの、ただのガキだ。

 

「お前がよそで何を言おうとも、それも知ったこっちゃない」

 

 大人びて振る舞っているのはただの仮面。ベルの理想の兄であろうとしているからに過ぎない。

 そして、そこまで大事な弟をコケにされて、彼が冷静でいられるはずがなかった。

 

「だが、可愛い弟の目の前で馬鹿をほざいた事だけは許せないんだよ」

「許せないならどうする気だ、ああん!? ザコをザコと言って何が悪い!」

 

 椅子を蹴倒してベートが立ち上がる。

 イサミもまた。

 

「やめろ、ベート。これは命令・・・」

「なあフィン、なんで止めるんのん。あちらさんもあからさまにやる気やん?」

「ロキ?!」

 

 止めようとしたのを遮られ、首領である小人族・・・フィン・ディムナが驚きの表情で振り返る。

 既に糸目に戻ったロキが、にんまりと笑った。

 ドワーフの戦士、ガレスが顔をしかめる。

 

「とは言っても、見たところ相手はせいぜいLv.2。勝負になりゃあせんぞ」

「えーやん、それでもやりたいゆーとるんやから。ベートもさすがに殺しはせえへんよ。

 やりすぎるようならあんたたちで止めたり」

「むう・・・」

 

 確かにあちらの気持ちもわからんではないが、と口の中でつぶやくガレス。

 ちなみにイサミはいまだにLv.1。

 彼らがイサミをおよそLv.2と判断したのは身のこなし・・・つまり、魔法やアイテムで強化された敏捷のステイタスである。

 彼らにとってレベルとはイコールでステイタスの値だからだ。

 

「話が分かるじゃねえか、ロキ! さすが一応の主神だぜ!」

「一応は余計や。ほれ、二人とも外へ出た出た。中でやったらミア母ちゃんに出禁食らってまうわ」

 

 

 

 

 

 『豊饒の女主人』亭の表で、イサミとベートは相対していた。

 

「おい、あれ、《凶狼》じゃないか?」

「喧嘩か? 誰だ、あのでかいの」

「やべえ、あの虎縞の方すっげぇ好み。押し倒してぇ」

 

 周囲は既に黒山の人だかりである。

 加えてロキ・ファミリアの三巨頭はいずれも硬い表情で。

 顔を泣きはらしたアイズはアマゾネスの姉妹とエルフの少女に付き添われ。

 ロキはいつもの楽しそうな顔で・・・だが、糸目の奥で光る眼光は、果たしていつも通りか。

 

 

 

 馬鹿な事をしてるものだと、血が上った頭の隅でイサミは自嘲する。

 ベートが笑っている。

 身の程知らずにも、自分に挑んできた駆け出し冒険者をあざ笑っている。

 

 実際、ベート・ローガは強い。

 自分より一回り小さいこの男の身体能力は圧倒的だ。

 今まで戦ったどのモンスターよりも遥かに強いだろう。

 第十七階層の『階層主(ゴライアス)』でさえ遠く及ぶまい。

 

 それでも、魔法を使えば十分勝負にはなる。

 たとえば不可視の力場の壁で周囲を囲む。

 またたとえば石畳の下の地面を泥の池にして相手を叩き落とし、落ちたところで今度は泥を石に変える。

 あるいは透明化するなり飛行するなりして、攻撃の届かないところから魔法を打ち込む。

 

 単純に回避不能な広範囲の攻撃魔法を叩き込んでもいい。

 イサミ自身の物理戦闘力を底上げする魔法だっていくらでもある。

 

 だが、イサミにその気はない。

 十中八九勝てないとわかっていても、魔法に頼る気は無い。

 弟を馬鹿にしたあいつを、この拳でブン殴りたくてしょうがない。

 冷静さも計算もかなぐり捨てた怒りと、そして男の意地だ。

 

 

 

 

 

「ええかー。どっちかが気絶するか、"まいった"ゆーたら決着やでー。ほなはじめぇ!」

 

 ロキの号令とともに、ベートが飛び出す。

 一瞬にすら満たない時間の間、その姿は既にイサミの眼前にあった。

 5mはあった距離をたった一歩で詰め、右拳を顔面に打ちこもうとして・・・その目が驚愕に見開かれる。

 

 鈍い音がした。

 ベートの右拳は、迎撃しようとしたイサミの左腕を弾き、見事にイサミの頬を捉えた。

 そのまま嵐のような連続拳打を放つはずであったベートはだがしかし、3m程飛び下がる。

 その顔には、はっきりと驚愕が浮かんでいた。

 

「あれ? なんだ、ボコるかと思ったのに下がっちまったぜ?」

「あーあ、ありゃいたぶる気だな。あの虎縞の兄ちゃん、楽には寝かして貰えねえぞ・・・」

「おらー、やれー! ボコボコにしちまえー!」

 

 そんな無責任な野次をよそに、ロキ・ファミリア前衛組の顔は、のきなみ驚愕に彩られていた。

 フィン、ガレス、ティオネ、ティオナはおろか、アイズも泣きはらした顔に驚きの表情を浮かべている。

 

「なんや? フィンもガレスも、なしてそんなに驚いとるん? ただパツイチ殴っただけやん?

 あっちのパンチ、当たっとらんやろ?」

「・・・今のは、ただ殴り返したわけじゃない。

 外れはしたが、彼はベートのあの踏み込みに反応して、完璧なタイミングでカウンターを合わせてきた・・・

 ベートの敏捷性はLv.5の中でもトップクラスだ。ただの三級冒険者にできる芸当じゃない」

「はー。そなんか・・・やっぱただ者やないっちゅうわけか?」

 

 後半は、隣にいたフィンに辛うじて聞こえるほどの小声。

 フィンはちらりと己の主神を見たが、その表情は普段通りで、何か変化があるようには見えなかった。

 

 

 

 野次馬の中にも、何人かは表情を変えた者がいる。

 

「ほーぉ。珍しいものを見たなあ」

 

 無愛想なひげ面に興味と好奇の色を浮かべた巨漢もその一人だ。

 ひげをもさもさといじり、隣にいる、女性らしきフード姿の人物に向かって嬉しそうに話しかける。

 

「見たか? ありゃあな、相手の攻撃を受けることを覚悟で一瞬早くカウンターを叩き込む反撃技だ。

 それなりの腕じゃなきゃ使いこなせないが、あのヤロウ、見たところガタイはいいが魔術師・・いや、こっちだと魔導士か?

 みてぇなのに、いや、どうして中々・・・」

 

 ペラペラ喋る男を無視し、ちらりとイサミに視線をやった後、フード姿の人物がきびすを返して歩み去る。

 

「あっ、おい?」

 

 呼び止める巨漢を一顧だにせず、フードの人物はすたすたとその場を去っていく。

 巨漢は動きを止めたイサミとベートを一瞥すると、ボリボリと頭をかき、連れの後を追ってその場を立ち去った。

 

 

 

 すうっ、とベートは息を吸った。

 既に酔いは醒め始めている。

 

「いいぜ・・・こっからは本気だ。本気でボコってやるよ」

「なんだ、今のは本気じゃなかったのか? 随分余裕だな」

「抜かせぇ!」

 

 再びの踏み込み。

 一発、二発と、重い拳がイサミの頬にめり込む。

 

(このヤロウ・・・しっかり合わせて来やがる! ザコの分際でっ!)

 

 酒で血が上っていた頭が、どんどんと明晰さと冷静さを取り戻していく。

 全力でひねりこんだ右拳が、イサミの左拳と交錯する。

 

「ガッ!」

「っ!」

「嘘っ! 当たった?!」

 

 相打ち。

 今度こそ、イサミの拳がベートのほお桁を捉える。一瞬意識が飛んだ。

 意外なほどの拳の重さに、ベートは驚きを隠せない。思わず拳が止まる。

 

 "修道僧の帯(モンクス・ベルト)"、《上級武器開眼》、《知識への献身》、《肉体武器強化》、"空手の奥義(エンプティハンド・マスタリー)"、"上級魔法の牙(グレーター・マジックファング)"・・・

 

 実際の所、マジックアイテムと《特技》と"武術の奥義(マーシャルアーツ・マスタリー)"、常動魔法でフル武装したイサミの打撃力は下層レベルで考えてもそこまで低くはない。

 ただ、打撃力に比して命中率が低いだけなのだ。

 

 ニヤリ、とイサミが笑った。

 ちょいちょい、と手招きをして挑発する。

 

「・・・いいぜウドの大木! 付き合ってやるよ!」

 

 凶狼が吼えた。

 

「! ベートの奴、本気になりよった!」

「フィン!」

「いや・・・まだだ。まだ、早い」

 

 フィン・ディムナは親指を口元に当て、動かない。

 

 

 

 そこから先は、嵐のようだった。

 一息で四発を叩き込む、ベートの神速のコンビネーション。

 殴る。殴る。殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴るかわす殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 

 頬を、アゴを、胸を、みぞおちを。

 拳がサンドバッグのようにイサミを打ちすえ、肉を叩き、骨をきしませる。

 

 イサミは決して自分からは仕掛けない。

 しかし、ベートの攻撃全てに完璧なタイミングでカウンターを合わせている。

 毎秒一発ずつの拳を互いに交差させ、繰り広げられる稲妻のような攻防。

 

 特技《ロビラーの大博打》。ダメージ覚悟で相手の手数の優位を消す、受け身にして捨て身の相打ち技である。

 そしていくらステイタスが違うとは言え、タイミングさえ合っていれば20回に1回くらいのまぐれ当たりは取れる。

 

 ベートがイサミの膨大なタフネスを削りきるのが先か、イサミがまぐれ当たりだけでベートを殴り倒すのが先か。

 これは、そういう泥仕合であった。

 

 最初は好きに野次を飛ばしていた群衆も、今や寂として声もない。

 ベートの顔には、今やはっきりと焦りが現れていた。

 

(馬鹿なっ! なんでだ!? なんで倒れねえっ!)

 

 殴る殴る殴る殴る

 殴る殴る殴る殴る

 殴る殴る殴る殴る

 かわす殴る殴る殴る殴る

 

 殴る殴る殴る殴る

 殴る殴る殴る殴る

 殴る殴る殴る殴る

 殴る殴る殴る殴る

 

 ベートの拳打が面白いように命中し、拳が人の体を殴る鈍い音が途切れず響く。

 既にイサミの顔は腫れ上がり、肋骨も何本かは折れている。

 

 《拳打》アビリティを持つLv.5冒険者の拳は凶器だ。

 こうもまともに食らっては、彼と同格のLv.5ですら、十数発で沈む。

 ましてやLv.2程度のザコなど、最初のコンビネーション一回しのげば拍手喝采。

 

 だのに。

 目の前のこのガキは、300近い拳打を浴びてなお、立っている。

 苦痛の色をカケラも顔に出さない。

 拳打の勢いに揺るぎはしても、けっして崩れはしない。

 

「何なんだ、お前はよぉっ!」

 

 叫ぶベートの頬に、イサミの右拳がクリーンヒットした。

 流石に効いたか、ベートがたたらを踏んで後ずさる。

 

 拳を止め、互いに呼吸を整える。

 短いインターバルの後、再び嵐が吹き荒れた。

 

 開始時点よりやや遅くなったとはいえ、一般人から見ればその拳速は雷光に等しい。

 その気になればたやすく人を殺せる拳をぶつけ合い、相手を打ち倒そうとする。

 

 鉄槌のような右拳が叩き込まれ、イサミの顔が弾けた。

 一瞬早く反撃するはずのイサミの拳は、素早い回避によってベートの顔面から逸れている。

 

 続けてベートの左拳が、イサミの肝臓に突き刺さる。胸を狙ったカウンターはブロックされ、またも不発。

 胃の内容物を吐き出しそうになりながらも、イサミは必死で意識を保ち、カウンターを放つ体勢を維持する。

 

 三発目。今度はみぞおちに右拳。反撃はやはり届かない。

 一連のコンビネーション最後の、アゴへの一撃が綺麗に入り、イサミの顔面がぐるりと半回転して天を仰ぐ――

 だが、それより一瞬早く、イサミの右拳がベートの顔面中央にめり込む。

 鼻の軟骨が潰れる感触が拳から伝わり、イサミは腫れ上がったくちびるを僅かに歪め。

 

 次の瞬間、ベートの渾身の右ストレートが顔面に突き刺さり、イサミの意識は途絶えた。



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1-7 僕は強くなりたい

 ベートの右正拳を受けて虎縞髪の巨漢が遂に崩れ、大の字に転がる。

 一瞬遅れて歓声が爆発した。

 

「ヒャッハー!」

「やったぜー!」

「でかい方もよくやったぞー!」

 

 興奮に沸く観衆をぶっきらぼうにおしのけ、ベートが仲間のもとに帰還する。

 親指で曲がった鼻を治し、手鼻をかんで鼻の奥に溜まった血を石畳に吹き出した。

 

「おつかれー。なんや自分、足ふらついてないか?」

「へっ。あんな格下相手に、ダメージなんざ貰うかよ。まぐれ当たりの数発でどうにかなるか」

 

 だが実際に、素人のロキが見てわかるほどにダメージは蓄積している。

 他の第一級冒険者の面々から見れば一目瞭然だ。

 

「虚勢を張るな。なんなら治療してやろうか? お願いしますと言ってみろ」

「うるせえぞババァ。すっこんでろ」

 

 くっくっ、と忍び笑うリヴェリア、牙をむき出すベート。

 肩をすくめるフィンを横目に、ガレスはアイズたちの方をちらと見る。

 アマゾネス姉妹の妹ティオナは虎縞の青年が負けたことに露骨にがっかりしており、姉ティオネとエルフの魔導士レフィーヤは心配そうにアイズの顔を覗き込んでいる。

 

 そしてアイズは少しためらった後、ベートと入れ違いになる形で男のもとへ駆けだした。

 それを見やったベートが、苦虫をまとめて噛み潰したような顔になる。

 再びリヴェリアがくっくと笑った。

 

 

 

 

 アイズが辿り着くと、既に先客がいた。

 小麦色の髪をした中肉中背の男で、全身の傷と鍛え上げた肉体、そして気配から高レベルの冒険者とわかる。

 イサミの上体を支えて、意識のない口に少しずつポーションを注ぎ込んでいた。

 

「あ、あの・・・」

「ん? ああ、こいつなら大丈夫だ。今ポーションを飲ませたから、すぐ目を覚ますだろ」

「そうですか・・・」

 

 ふう、と胸を撫で下ろすアイズ。

 

「おーい、アイズー! その子大丈夫?」

 

 三々五々、散り始める野次馬の間を縫って、ティオネたちもやってきた。

 振り向いて一つ頷き、もう一度腫れ上がった顔に視線を戻す。

 丁度その時、黒髪の巨漢が薄く目を開いた。

 

「・・・つつ・・・」

「よう、気分はどうだ、虎のボウズ。いや、いい戦いッぷりだったぞ!」

「あんたは・・・あれ。どこかで会ったような・・・」

「ん? まぁわからねえか。ほれ、半月くらい前だったか? オラリオの門で・・・」

 

 話しかけたいが、話しかけるタイミングが掴めずにおろおろするアイズと、それを取り囲む三人娘の目の前で、頭をひねるイサミ。

 やがて「あっ!」と声を上げて、目の前の男を指さす。

 

「あの時の門番の人! 確かハシャーナさんでしたっけ!」

「おう。ハシャーナ・ドルリアだ。よろしくな」

 

 呆気にとられるアイズ達の前でいきなり意気投合する二人。

 

「いやー、すげえじゃねえか! 冒険者始めてせいぜい半月か?

 それであの《凶狼》とあそこまでやり合えるなんてよ!」

「いやあ、俺は結構長く冒険者やってた経験がありますんで。詳細は秘密にさせて貰いますけど」

「ふーん・・・まあ深くは聞かねぇがな」

 

 顔色も変えず、さらりと嘘をつくイサミ。

 まあ、全くの嘘ではない。

 テーブルの上でサイコロを振って、という意味でならだが。

 

「あ、あのっ!」

「ん?」

 

 そこで、ようやくアイズが話しかけた。

 

「あ、あの、ベートがごめんなさい・・・」

「ごめんねー。後で私たちがボコっとくからさー」

「いいよ。喧嘩ふっかけたのは俺の方なんだしさ」

 

 イサミは右手をひらひらさせると、呪文を使うべく精神を集中させる。

 最初の呪文で、イサミの周囲にぼんやりとした魔力の場が生まれる。

 次の呪文を発動すると、それは本来の効果を発揮することなく、魔力の場によって生命のエネルギーに変換され、イサミの傷を癒す。

 

 "シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"。

 魔術師(ウィザード)の呪文で二つしかない、ヒットポイントを回復する呪文の一つ。

 

 正確には、"準備"してある他の呪文を癒しの魔力に変換する呪文だ。

 呪文を二つ消費する上に回復量も多くはないが、桁外れの魔法使用回数を誇るイサミにとって、急がないならばこれで十分であった。

 

 

 

「それから、その・・・」

「・・・・」

 

 言いよどむアイズに、イサミは視線で続きを促す。

 

「その、あなたの弟さんに・・・ごめんなさいって・・・」

「言ったろ。君は悪くない。どうしてもって言うなら、弟に直接言ってくれ。

 俺はヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネル。弟はベル・クラネルだ」

「ロキ・ファミリアのアイズ・ヴァレンシュタインです・・・」

「ああ。さて、それじゃ俺はこの辺でお暇させて貰うよ。弟がホームに戻っていればいいけど、多分・・・」

 

 こくり、とアイズが頷く。

 

「あの子、多分ダンジョンに行った・・・」

「えー?! 武装とかしてないでしょ?」

「まぁ、そう言う奴なんでね。助けて貰ってお礼も無しだけど」

 

 ぼりぼり、とハシャーナが頭を掻く。

 

「むう、そうか。酒でもどうかと思ったんだがなあ」

「すいませんね。その内おごらせて貰いますよ」

「気にすんな。そういうことならさっさと行きな」

 

 しっし、と追い払う仕草をするハシャーナ。

 一礼してイサミがメインストリートを走り出す。

 

「あの子、足早いねえ」

 

 感心したようにティオナが言った。

 

 

 

 

 

 ベル・クラネルは地上への道を歩いていた。

 上半身の服はズタズタ、下半身も裾はボロボロで、所々切り傷がある。

 体中に傷痕があり、流れ出た血は、既に半ば固まっていた。

 

 右手には愛用のナイフ、左手にはドロップアイテム「ウォーシャドウの指刃」。

 刃をそのまま握って出血していた左手も、既に血が固まりつつある。

 霞む目と薄れそうになる意識を叱咤し、よろよろと一階層を歩き続ける。

 

(・・・着いた・・・)

 

 足を踏み入れたのは、エントランスに繋がる地下一階の起点の大広間。

 危なっかしい足取りで階段を上る最中、空気が不自然に動いたことに、疲弊しきった彼は気付かない。

 

 

 

 エントランスを抜け、ボロボロの彼に目を見張るギルド職員の横を通り抜けて、巨塔バベルを出る。

 そこにイサミがいた。

 傷も汚れももうない。いつも通りの完璧な兄だ。

 

「よぉ」

「・・・にいさん? どうしてここに」

 

 ぴしっ、とベルの鼻にしっぺを食らわす。

 

「あいたっ?!」

「バカヤロウ、心配かけてるんじゃねえよ」

「ご、ごめん・・・」

 

 ベルの胸の前に手をかざす。

 

「癒しのドラゴンマークよ、その力を示せ」

 

 イサミの左手の甲に紋様が浮き上がり、柔らかい光がベルの体を包む。

 全身の傷が塞がり、体に暖かみが戻る。

 

「どうだ、もう痛むところはないか」

「う、うん、だいじょう・・・あっ」

 

 答えようとしてぺたり、と尻餅をつくベル。

 そのまま立ち上がれなくなる。

 体力の限界・・・というよりは、緊張の糸がぷっつり切れたせいだろう。

 

「しゃあねえなあ・・・よっと」

「あ・・・」

 

 手慣れた様子でベルをおんぶするイサミ。

 少しゆすって体勢を整えると、西へ向かって歩き出す。

 兄弟とヘスティアの、三人のホームへ。

 

「あの・・・にいさん・・・」

「覚えてるか、ベル? 前にもこんな事があったよな」

 

 いきなりの問いかけに戸惑いながらも、ベルは記憶をたぐり寄せる。

 

「え? えっと・・・山で迷子になったときだっけ?」

「ああ、あれもそうだな。後はザッシュたちと喧嘩して負けた時も、川で溺れかけた時も、リンゴを取ろうとして木から落っこちたときも、それから・・・」

「もういい! にいさん、もういいから!」

 

 真っ赤になって兄の言葉を遮るベル。

 心底楽しそうにイサミが笑う。

 

 それからしばらく、二人は思い出話に花を咲かせた。

 野犬から守って貰ったこと。

 かくれんぼをしたら、一人だけ見つけて貰えなかったこと。

 祖父に内緒で山に分け入ったこと。後で二人とも怒られた。

 ベルが正義感を発揮して悪ガキたちと喧嘩になり、多勢に無勢なのでやむなくイサミが加勢したら、村の子供たちのほとんど全員を巻き込んだ大げんかになったこと。

 

 ベルにダンジョンや今日のことを思い出させないよう、イサミは意図的に話を誘導する。

「透明化」の呪文で姿を消し、ダンジョンの中でずっと見守っていたなど、おくびにも出さない。

 

 夜明け間近のメインストリートを二人は行く。

 メインストリートを外れ、ホームに続く脇道に入ったあたりで、ベルがうつらうつらし始めた。

 

「寝てていいぞ。ベッドに放り込んでやるから」

「うん・・・にいさん・・・」

「なんだ?」

「僕・・・強くなりたい・・・」

「・・・ああ。俺もだ」

 

 決意を込めた返事を返す。

 ベルはそれを聞くこともなく、深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間ほど時間は戻る。

 あの後、宴は仕切り直しになり、それなりに盛り上がって終わった。ベートは簀巻きにされた。

 

「よーし、そんじゃ解散! あ、フィン、リヴェリア、ガレス。ちょいとうちの部屋に来てくれるー?」

「ちょっと待て! これほどけぇ!」

 

 ホームのエントランスにロキの声が響く。

 三々五々分かれていく団員たちと放置されるベートを尻目に、ロキと首領格の三人は彼女の部屋に向かった。

 

「おーし、ほなそのへんに座ってんか」

 

 そういいつつベッドに座り込むロキ。

 三人もそれぞれ椅子やソファに腰を下ろす。

 

「それで、話というのは一体?」

「アイズのことか?」

「あーまぁ、それも気にならないではないんやけど・・・」

「ではあの小僧のことか。いやはや、大した物じゃったのう」

 

 笑みを浮かべながら、ガレスがあごひげをしごく。

 フィンとリヴェリアの顔に浮かぶのも、度合いは違え、好意的な表情だ。

 ロキはいつもの糸目に薄笑い。その内心を伺えるようなものはない。

 

「それそれ、あのトラジマの小僧っ子や。あいつのこと、どう思た? 何でもええ、聞かせてほしいんや」

「なんだ、気に入りでもしたのか? 引き抜きは御法度だぞ」

「アホ、フレイヤやあるまいし、ンなまねすっかいな・・・まあ、ドチビのとこってんなら遠慮はせえへんけどな。

 ほいで、どなんや? アンタらなら、ウチが気付かないことも気付いてるやろ」

 

 ぐるっと三人の顔を見回す。

 三人がしばし黙考し、最初に口を開いたのはフィンだった。

 

「何と言っても異常なのはあのタフネスだね。

 素人の酔っぱらい同士の喧嘩とは訳が違う。ベートの拳は、冒険者を殺せる拳だ」

「確かに、わしもあいつの拳打をあれだけ食らって立ってられる自信はないわい。

 しかしタフネスも異常じゃが、Lv.2とは思えない技量の持ち主じゃったの。

 技術だけであればベートをはっきり上回っておった」

 

 ガレスの言葉にフィンが頷く。

 

「技術もそうだけど、あれだけの技量で、名前を聞いたこともないのがひっかかるな。

 Lv.2でベートと殴り合えるような冒険者がいたら、噂にならないわけがない。

 あれだけ目立つ風貌をしてたら尚更――リヴェリア?」

 

 フィンの声に、考え込んでいたエルフの魔導士がふと顔を上げた。

 

「ああ、すまんな。彼からは・・・何と言うかな、妙な魔力の波動を感じたのだ」

「なんじゃ、魔法を使っておったということか? 戦闘力を上げる、たとえばフィンのような?」

 

 それなら納得もできようが、と目線で問い掛けるガレスに、リヴェリアが首を振る。

 

「いや、少なくともアイズと話した後の彼は一切の魔力を発動していない。

 おそらく――いやすまない、私にもよくはわからん。

 ただ、彼は恐らく前衛ではなく、魔導士、あるいは魔法戦士タイプだと思う」

「はァ? あのガタイでかいな!?」

 

 思わず、と言った感じでロキがすっとんきょうな声を上げる。

 一方フィンは腑に落ちたように頷く。

 

「確かにね。言われてみれば彼の立ち回りは多対一を想定した動きの癖がある。

 取り囲まれること前提の足さばきなんだ」

「つまり、ソロの冒険者、少なくともそれが多いということじゃな。

 にもかかわらず、防御に偏った戦闘スタイル・・・すると、やっこさんの武器は剣じゃなくて呪文ってことになるのう」

「はー」

 

 あれだけでそこまでわかるもんかー、と感心するロキ。

 

「まあ、私は魔導士だから、体術はそこまでわからん。単純に、彼の魔力が異常なまでに膨大だったせいだ」

「君の言うことだから信じるけど、発動してない他人の魔力なんて見てわかるものなのかい?」

「他人の顔色を見て元気かどうかわかる程度にはな。それでも普通パッと見てわかるものではないが・・・」

「あの小僧ッ子は普通やなかったと」

 

 こくり、とリヴェリアが頷く。

 

「純度はともかく魔力量は私よりはるかに上だ。むしろ、比較すること自体おこがましいかもしれん」

「うーむ」

 

 腕組みをして唸るロキ。

 フィンは椅子の背もたれに寄りかかって、それを見る。

 

「ところで、もうそろそろ教えてくれてもいいんじゃないか。

 一体、彼の何がそんなに気になるんだい」

「うーん、それなんやけどなー・・・」

 

 ぽりぽり、と頭を掻く。

 

「ウチにもわからん!」

 

 てへっ♪ とぶりっ子するロキ。

 他の三人はそれぞれ苦笑なり溜息なりでそれに応じる。

 

「まったく・・・私は戻るぞ。流石に疲れた」

「そうじゃな。じゃあわしもこれで」

「おやすみ、ロキ」

「ああ、待て待て待ちぃな! 一つだけ! 一つだけ言っとかなあかんことがあるんや!」

 

 慌ててひきとめるロキ。

 しぶしぶ、と言った感じで三人の足が止まる。

 

「で、なんだい?」

「あんな、あのガキ・・・敵になるかも知れんで」

 

 三人が顔を見合わせた。

 

「それは・・・ライバルとして、ってことかい?」

「いんや? 殺し合う相手として、っちゅうことや。ガチでな」

 

 いつもとまったく変わらぬ笑顔のまま、ロキは言い切った。




 あとがき



 と言う訳で第一話終了。お読み下さりありがとうございました。
 コンセプトは「ダンまち世界にD&D冒険者放り込んだらすっげぇ弱くならね?」というのと「本編の隙間産業」。
 よそ様で似たようなネタがあったら、笑ってスルーして下さい。

 "シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"は『呪文大辞典』で"骨接ぎの秘術(シノストドウェオマー)"にアップデートされましたが、
 この話の中ではアップデートされたデータを使いつつ、イサミの(作者の)趣味で、"シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"の名前を使い続けていると言う事でひとつ。
 ぶっちゃけ勝手にそう言う名前で呼んでいるだけです。

 けど、「フローティング・ディスク」より「テンサーズ・フローティングディスク」のほうがD&Dっぽいと思いません?(熱弁)

 イサミは実は準備に呪文書は必要ないのですが、あえて呪文書から準備しています。
 基本忘れるべからずということで。
 なおマジスターの特殊能力があるので、準備には十分しかかかりません(普通は一時間)

 ハシャーナが中肉中背なのは原作外伝およびブルーレイの特典小説に書いてあります。
 読み返して驚いた。モリモリマッチョの巨漢だと思ってた。



 以下ルール的な話。
 興味ない人はスルー推奨。

「神の恩恵」のステイタスは筋力・耐久・敏捷・器用・魔力ですが、
 D&Dの能力値は筋力・敏捷度・耐久力・知力・判断力・魅力となっております。

 この作品ではD&Dの筋力と耐久はそのまま、敏捷と器用は敏捷、魔力は判断力(の一部)に相当するとしております。
 ただし、これはダンまち世界の住人が知力と魅力を能力値として認識していないからで、D&Dの人間は神の恩恵で知力と魅力も上昇します。
 そうしないと主人公(ウィザードというクラスは知力で魔法を使います)がろくに魔法使えなくなりますので・・・。

 目安としては最初に「神の恩恵」を受けたときと、ランクアップでD&D能力値に換算して+10。
 ステイタス能力段階1段階ごとにそれぞれの能力値+1・・・と設定しております。
 ランクIなら+1、ランクSなら+10ってわけですな。

 例えばイサミの能力値はマジックアイテムの補正付きで40前後、現時点のベルが20~30、ベートやアイズは80~110ほど。

 平均的なモブ冒険者(モルドとか)は平均で
 レベル1(D&D換算2レベル) 能力値25 HP25
 レベル2(D&D換算5レベル) 能力値40 HP100
 レベル3(D&D換算8レベル) 能力値55 HP210
 レベル4(D&D換算11レベル) 能力値70 HP380
 レベル5(D&D換算14レベル) 能力値85 HP580
 レベル6(D&D換算17レベル) 能力値100 HP840
 くらいでイメージしております。
 1レベルごとにランクアップで+10、平均E(+5)くらいまで上げてから次のレベルにアップ、と言う計算ですね。
 能力値のムラはレベルごとに±2~3くらい。

 一方でロキ・ファミリアの面々みたいなネームドキャラは、この平均より一回り強いんじゃないかと。
 多分ガレスの耐久は130、HP1200くらいはあると思うw


 なおD&Dの能力値は人間の平均が10、素質最高で18。人類最強がマジックアイテム込みで30、最強クラスのドラゴンや魔王が50という所でしょうか。
 HPは20レベル(通常の上限)の前衛系でざっと200~300。中級の神で1000前後。
 ・・・相手にならねえなw


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第二話「ヘスティアナイフは成長する武器(レガシーウェポン)
2-1 ヘスティアとの約束


 

『よしよし、お前はいい子だから、舞踏会へ行けるようにしてあげよう。』

 

 シンデレラは、ふしぎそうな顔をして、お婆さんの顔を眺めながら、もしほんとならどんなにうれしいだろうと思いました。

 

                     ―― 『シンデレラ』 ――

 

 

 

 

 

「君達、こんな時間まで一体どこに・・・ベル君!?」

 

 ヘスティアは、ホームである廃教会の入り口で所在なげにたたずんでいた。

 まなじりをつり上げて詰問しようとしたその口から悲鳴が漏れる。

 

「怪我は治してあります。綺麗にして寝かせますから、神様は着替えを出してきて下さい」

「わ、わかった!」

 

 脱兎の勢いで廃教会の中に飛び込むヘスティア。

 物思わしげにその背中を見送って、イサミもまた廃教会の中に入っていった。

 

 

 

 ベルは自分のベッドの中で安らかな寝息を立てていた。

 固まりかけていた血糊は既にぬぐわれ、新しい服に着替えさせられている。

 

「一体、何があったんだい?」

「ダンジョンに潜ってたんですよ」

「・・・馬鹿かい!? あんな格好でダンジョンに行くなんて・・・武器も防具も、ポーションすら持っていってないじゃないか! 君みたいに魔法が使えるならいざ知らず! しかも一晩中!」

 

 一瞬唖然としたヘスティアが猛然と食ってかかった。

 イサミは二段ベッドの上に眠る弟の髪を撫でながら、その寝顔を見つめる。

 

「ええ、馬鹿ですね。でも、こいつ、言ったんですよ。『強くなりたい』って」

「・・・・」

 

 その一言に、ヘスティアの追求が止まる。

 しばらくして、再び女神は口を開いた。

 

「一体、何があったんだい」

 

 先ほどと同じ問いかけ。

 イサミは軽く首を振る。

 

「聞かないでやってください。多分・・・神様には知られたくないでしょうから」

「そういう言い方はずるいんじゃないかい?」

「すいません」

 

 イサミは目を伏せ、ヘスティアは溜息をついて天を仰ぐ。

 そのまま、しばし二人は無言だった。

 

 

 

「・・・ボクも、昨日寝てないからね。さすがに疲れたよ。

 ベル君は大丈夫そうだし、君もいいところで切り上げておやすみ」

「はい、そうします」

 

 そういってヘスティアはベッドに潜り込む。

 イサミも、もう一度ベルの髪をなでてから自分のベッドに潜り込んだ。

 

 

 

「ところで、何で寝てないんですか? 遅くなるって書き置き残しておいたと思いますが」

「・・・あー、いや、そのだね・・・」

 

 昨夜帰って来て、イサミが残した「二人とも遅くなります。先に寝ててください」というメモを見たヘスティアは、

 

『ま、まさか夜遊び!? ベルくんが大人の階段を上ってしまう! 待つんだベルくーんっ!』

 

 と暴走し、結局明け方近くまで歓楽街を駆け回っていたのである。

 

「うん、まあ、ちょっと心配でね! いろいろあったんだよ! それじゃおやすみ!」

「・・・おやすみなさい」

 

 口早にその場を取り繕い、ヘスティアは頭から布団をかぶる。

 それを追求しないだけの情けがイサミにもあった。

 

 

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第二話「ヘスティアナイフは成長する武器(レガシーウェポン)

 

 

 

 

 

 三人が示し合わせたように目覚めたのは昼前だった。

 イサミがハムとレタス、そしてスクランブルエッグのサンドイッチを手早く用意して、食卓に並べる。

 言葉少なに食事を済ませた後、「神の恩恵」の更新に入った。

 イサミの伸びはほぼなし。ベルの伸びは・・・

 

「ご・・・合計で335!?」

「え、えええっ!?」

 

 思わずイサミが声を上げる。

 つられてベルが驚きの声を上げた。

 

「こら、更新中に動かない!」

「は、はい、すいません!」

 

 

 

 更新を終えたベルが服を着てソファに座る。

 隣にはイサミ、向かいのヘスティアは腕を組み、難しい表情でしばし沈黙する。

 しばらく沈黙が続いた後、ヘスティアが口を開いた。

 

「イサミくんから聞いたよ。強くなりたい――そう言ったんだってね」

「はい」

 

 強い瞳でヘスティアを見返してくるベル。

 まだ半月ほどのつきあいだが、この子がこれほど強い意志を見せたことがあったろうか?

 

 神には――例外はあるが――子供たちの心が見える。

 だからわかるのだ。

 ベルが、どうしようもないくらい本気だと。

 

 ヘスティアの胸を強い感情が締め付ける。

 ヴァレン某への嫉妬ではない。

 ベルが自分から離れてしまうことへの悲しみ。もしくは、彼を失うかもしれないという恐怖だ。

 

(けど――)

 

 ぐっ、とそれを押さえ込む。

 たとえそれがあの女への恋心から発しているのだとしても、ベルの望みを叶えてやりたい。

 ヘスティアはそう決めた。

 

「今の君は、理由はわからないけど、恐ろしく成長速度が速い。言っちゃえば成長期だ。

 君はきっと強くなる。そして君もまた、強くなりたいと望んでいる」

「・・・はい」

 

 強い瞳はそのまま、ベルがうなずく。

 ヘスティアが目を伏せた。

 

「約束してほしい。無理はしないって。

 昨日みたいなまねはもうしないと、誓ってくれ。

 ボクをおいて逝かないでくれ」

 

 はっとベルが目を見開き、うつむく。

 ヘスティアは目を伏せたまま。

 イサミは、そんな二人をじっと見ている。

 再び、しばらく沈黙が続いた。

 

「・・・わかりました」

 

 ぱっ、とヘスティアが顔を上げる。

 

「無茶、しません。がんばって、必死になって強くなりにいきますけど・・・絶対、戻ってきます」

「そうか・・・よかった」

 

 にっこり、とヘスティアが笑う。

 イサミがよくやった、というように頭をなで、ベルはくすぐったそうにされるがままになっていた。

 

 

 

「・・・よしっ、そうと決まれば!」

「?」

 

 はてなマークを頭に浮かべた兄弟の前で、ヘスティアが引き出しから何やら封書のようなものを取り出した。

 それを見て頷くと衣装ダンスを開け、服を一着引っ張り出してバッグに詰め込む。

 

「お出かけですか?」

「うん、ちょっと仕立て屋に。明日、友人の開くパーティに行くことにしたから。何日か留守にするけど、二人ともかまわないかな?」

「だったら遠慮無く行ってきてください。友達は大事ですから」

 

 にっこりと微笑むベル。

 対してイサミは不審げに頭をボリボリとかく。

 

「パーティはいいんですけど・・・神様、そう言う所に出られるような服持ってましたっけ?」

「う"っ」

 

 痛いところをつかれてヘスティアがへこむ。

 

「いや、この服を買ったところに頼み込んで、ちょっと仕立て直してもらおうかな―と」

「・・・ちゃんとしたパーティではさすがにきついんじゃないでしょうか」

「しょうがないだろ! お金がない・・・ひょっとしてあるのかい?」

 

 深層で、それも派手に稼いでいるイサミである。

 いくら高級品とは言え、ドレスの数着程度は大した事はない。

 

「ええまあ。そのうちお金が必要になったときに備えてストックはしてあります」

「でも兄さん・・・明日の夜だとさすがに間に合わないんじゃないの?」

 

 おずおずと訊いてくるベルに、イサミがため息をつく。

 

「まあなあ。吊し売りをいじってもらうならどうにかなるかもしれないけど。

 神様の一張羅くらいは揃えておくべきだったか・・・まあ、それは後日揃えることにして、今回は俺がどうにかします」

「どうにかって・・・どう?」

「魔法で」

 

 へ? と、ヘスティアが口を開けるひまもあらばこそ、イサミが右手をかざす。

 袖の下、右の手首から肘にかけて精緻な紋様が一瞬浮かび上がった。

 魔法同様の超常効果を発揮する紋様・・・ドラゴンマークである。

 

「歓待のドラゴンマークよ、その力を示せ。《仕立屋の(クロウジャーズ)衣装ダンス(クロウゼット)》」

「お・・・おおおお!?」

 

 ヘスティアの体が一瞬光に包まれたかと思うと、次の瞬間そこにいたのは、純白のドレスに身を包んだ麗人であった。

 

 銀糸で無数の刺繍をあしらった、シンプルで体の線を見せるドレス。

 肩は大きく露出し、腰から下はふわりと広がるレースに包まれたスカート。

 

 白い長手袋が二の腕の半ばまでを覆っている。

 額には宝石をあしらった銀色のティアラ、首には大ぶりのアクアマリンのネックレス、左右の腕には同じく上品な銀の腕輪。

 

「本当に女神様だ・・・」

 

 ぽろっ、ともらしたベルにヘスティアが食ってかかる。

 

「そりゃあないだろうベルくん! ボクは君と会ったときからずっと正真正銘の女神なんだぜ!」

「す、すいません!」

 

 頬をぷくーっとふくらませておかんむりのヘスティア。

 平謝りするベル。

 にやにやしながらそれを眺めるイサミ。

 

「イサミくんも笑ってるんじゃあないっ!」

「おお、申し訳ありません、偉大にして尊厳者たるわが主神よ」

「・・・きみ、ボクのことバカにしてるだろう?」

「いえいえ、忠実なるしもべたるわたくしが、何もってそのような」

 

 明らかに嘘くさい笑いを顔に貼り付けながら恭しく礼をするイサミをにらみ、うーっ、とヘスティアが地団駄を踏む。

 今度はベルが苦笑いをこぼした。

 

 

 

「まあとにかく、そいつは半日はもちますから、パーティなら十分でしょう」

「・・・解けたらどうするんだい? まさか丸裸じゃないだろうね?」

「元に戻るだけですよ・・・こんな風に」

 

 ぱちん、と指を鳴らして術を解除する。一瞬にしてヘスティアがいつもの紐女神に戻った。

 ちなみに別に指を鳴らす必要は無い。

 

「おおう。便利なものだなあ」

魔術師(ウィザード)ですから。けど、表では言いふらさないでくださいね。ベルもだ」

「・・・ああうん、わかった」

 

 意味ありげなイサミの目配せに、ヘスティアが頷く。

 イサミの魔法はベルの【憧憬一途】と同じく、きわめてレアだ。

 それが知られてしまった場合の結果は、推して知るべしだろう。

 

「ところでベルくん、君は今日もダンジョンに行くつもりかい?」

「ええ、もうちょっと遅いですけど・・・だめですか?」

「まあかまわないよ。けがは治ってるみたいだしね。でも、ボクと約束したことは忘れないでおくれよ」

 

 こくり、と頷くベル。

 にっこりとヘスティアが笑った。

 

 

 

「ところで、それだけお金があるなら、もうちょっと普段の生活に回しておくれよ。

 そうすればもっといいところに住むことだって・・・」

「え? いいじゃないですか、ここで。寝床があって台所があって、うまい飯も食えるでしょ?」

 

 心底不思議そうな表情で問い返すイサミに、ヘスティアが絶句する。

 多少人がましい環境になったとは言え、ここは廃教会の地下室、現代で言えば並の広さのワンルームマンションで、居間寝室台所ひとまとめ、間仕切りすらない。そんな所に三人で暮らしているのだ。

 普通「ここでいいだろう」というセリフは出てくるまい。

 しかも、現代日本で言えば億ションに住めるくらいの蓄えは既にあるのにである。

 

「い、いや、にいさん。普通はもうちょっと広いところに移りたいとか思わない・・・かな?」

「狭いか?」

「狭いよっ!」

 

 ベルでさえ突っ込まざるを得ないほどであった。

 うーむ、と唸ってイサミがあごをかく。

 

「よし、わかった。神様とベルがそこまで言うなら仕方ない」

「家を買うのかい? それとも借家でも出物があれば・・・」

「呪文で穴を掘って拡張しますよ。個室を作りましょう」

「違う、そうじゃない!」

 

 ヘスティアが頭を抱えた。

 

「大丈夫です、強度とスペースはちゃんと確保しますよ」

「そう言う事をいってるんじゃないよ!? だいたい何でこの場所にこだわるんだい!」

「地下の隠し部屋なんてかっこいいじゃないですか! わからないんですかこのロマンが!」

「わかるかぁぁぁぁぁっ!」

 

 絶叫したヘスティアが、力尽きたようにソファの背もたれに倒れ込んだ。

 

 

 

「まあ、ロマンは半分冗談として」

「半分かい」

 

 ヘスティアのジト目のツッコミも、マジックアイテムと《特技》で強化された面の皮を貫通することはない。

 涼しい顔でイサミは言葉を続ける。

 

「いいですか? 冒険者の戦闘力は装備にも左右されるんですよ。つまり、安全は金で買えるんです。

 だったら、普段の生活は最低限にして節約するべきでは?」

「そ、それは・・・そういうものなのかい、ベル君?」

「僕に聞かないでくださいよ・・・でも、なんというか、間違ってはいない気が・・・」

 

 実のところ、イサミの言はそれほど間違いでもない。

 実際にそこそこの暮らしで満足して、収入のほとんどを冒険関係につぎ込む冒険者は少なくない。

 賭場や娼館で豪遊して金をばらまく冒険者も同じくらい多いのだが。

 

 ともあれ、実質的に議論はそこで打ち切りになった。

 

「"物質分解(ディスインテグレイト)"!」「"物質分解(ディスインテグレイト)"!」「"物質分解(ディスインテグレイト)"!」

「"泥を石に(トランスミュート・マッド・トゥ・ロック)"!」

 

 イサミが呪文で穴を掘り、壁と床天井を石で固め、あれよあれよという間にヘスティアと兄弟、三人分の個室を作ってしまったからである。

 

「今日の帰り、買い物ついでに絨毯と壁紙も買ってきますよ。ああ、俺のベッドもいるかな。ドアは木材を買ってきて作りましょう」

「うん、好きにしてくれ・・・」

 

 もはや反論する気も起きないヘスティアであった。



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2-2 怪物祭(モンスターフィリア)

 

 それからは何事もなく過ぎた。

 イサミとベルはダンジョンに、ヘスティアはバイトに。

 ダンジョンから戻ってくると、廃教会一階を改造した空きスペースを使って兄弟で特訓。

 ベルがボロボロになるまで模擬戦をして、気絶したら治療、模擬戦再開。これを寝るまで繰り返した。

 

 翌日の夜ヘスティアは「神の宴」に向かい、兄弟は二人で夕食を取り、特訓をした。

 二人だけの夕食がさらに二日続き、神の宴から三日目の朝。

 二人は一緒にダンジョンへの道を歩いていた。

 いつもよりそこはかとなく活気のある通りを見回してベルが首をひねる。

 

「何だろ? なにか賑やかな気がしない?」

「ああ、そういえば今日は怪物祭(モンスターフィリア)だっけ」

「怪物祭?」

「ガネーシャ・ファミリアがモンスターを捕まえてきてな、それを観客の目の前で調教してみせるのさ。

 東の端にある闘技場でやってるんだ。何なら見てく・・・・」

「おーい、待つニャー、そこのでこぼこトラウサ兄弟ー!」

 

 後ろからかかった声に、兄弟が同時に振り向く。

「豊穣の女主人亭」の猫耳ウェイトレスが手をぶんぶんと振っていた。

 

 

 

 

「白髪頭はシルのマブダチニャ。だからこれを渡してほしいニャ」

「えーと・・・」

 

 ベルが訳がわからず戸惑うところに、エルフのウェイトレス、リューが現れる。

 

「アーニャ。それでは説明不足です。クラネルさんも困っています」

「彼女は怪物祭を見に行ったけど、財布を忘れたので届けてほしいと、そう言う事じゃ?」

 

 さらりと正答したイサミに、リューとベルが賞賛のまなざしを向け、アーニャがなぜか胸を張る。

 

「ほら見るニャ! そんな事話さずともわかる事ニャ!」

「そう思います?」

「いえ、あなたのお兄さんがすごいだけでしょう」

「ですよねー」

 

 胸を張ったその横で盛大にスルーされ、猫耳ウェイトレスがわなわなと震えだした。

 

「このでかちん! なぜストレートに理解したニャ?! そのせいでアーニャが恥をかいたニャ!」

「俺かよ?!」

「そういうわけですので、申し訳ありませんが、頼まれていただけないでしょうか。私たちは店の準備で手が離せませんので・・・」

「別にかまいませんけど・・・」

「スルーしてるなよ、おい!」

 

 アーニャを押しつけて、二人で会話しているベルとリューにイサミがぼやく。

 

「おまえが悪いニャー! まあともかく、うっかり娘に財布を届けてほしいニャ。さっき出たばかりだし、すぐ追いつけると思うニャ」

「まあそれくらいなら請け負うけどね・・・」

「いいですよ。シルさんにはお世話になってますし」

「なってたか? うまくはめられて客寄せに使われただけのような」

「あはは・・・」

 

 兄の容赦ない言葉に冷や汗を流すベルであった。

 

 

 

「はい、これ」

「おおおおおおお・・・・!」

 

 ヘスティアは感嘆の声を上げた。

 30時間連続耐久土下座と、二億ヴァリスの借金と引き替えに作ってもらった、ベルのためだけの武器。

 鍛冶の女神ヘファイストス入魂の業物、黒い短刀「ヘスティア・ナイフ」。

 なお、ヘスティア発案の「ラブ・ダガー」のネーミングはヘファイストスが必死で阻止した。

 

「ご要望には応えられたかしら?」

「うんうん、十分十分っ! 文句なんてあるわけもないさ!」

 

 頭の横のツインテールをゆらゆら揺らし、喜色満面でナイフをケースに収める。

 

「言っておくけど、借金踏み倒すんじゃないわよ」

「わかってるわかってる!」

 

 ヘファイストスの釘差しを幸せ絶頂、といった風で聞き流し、ヘスティアはうきうきと部屋を出て行く。

 何を想像しているのか、でへへとゆるむその表情に、男装の麗人がひとつ、ため息をついた。

 

 

 

 『豊穣の女主人』から東へ早歩きに移動し、『バベル』を過ぎて東のメインストリートに入る。

 人混みの密度が上がってきたところで歩調をゆるめるが、さらにしばらく歩いたところでイサミがしきりに首をかしげ始めた。

 時々立ち止まり、ゆっくり一回転するも、思ったような結果が出ず、困惑しているようである。

 

「さっきからどうしたの、にいさん?」

「いや・・・全然あの子の反応が無くてな。『ちょっと前に出た』って話が本当なら、とっくに見つかってると思うんだが」

 

 今イサミは"生物定位(ロケート・クリーチャー)"の呪文を発動している。

 《呪文距離延長(エンラージ)》の呪文修正も込みで、有効距離はおおよそ1.7km。

 目標はシル一人に絞っているので、この範囲内にあのウェイトレスがいるならすぐに見つかるはずなのだ。

 

「ひょっとして追い抜いちゃったんじゃない?」

「いや、呪文を使ったのは酒場の前でだからな。そのときも引っかからなかったんだよな」

「それじゃ、もうコロシアムまで行っちゃってるとか?」

「まあ、それかな。もう少し行けばひっかかるだろう」

 

 そんな事を話しながら、人混みの中を行く兄弟に声がかかったのはそのときだった。

 

「おーい! ベルくーん! イサミくーん!」

「神様!? どうしてここに?」

「そりゃあもちろん、君に会いたかったからさ!」

 

 ふふん、と胸を張るヘスティア。体格に不釣り合いな胸がぶるん、と揺れる。

 

「この人混みでよく見つけられましたねえ」

「愛の力だよ!」

 

 割とマジでそうかもしれない、と納得してしまうイサミ。

 さしもの彼も、美の女神がお膳立てしたとはわかるはずもない。

 

「いやあ、それにしても素晴らしい! 会おうと思ったら本当に会えるなんて!

 やっぱりボクたちはただならぬ絆で結ばれてるんじゃないかな!」

「か、神様? すっごいご機嫌ですけど、何があったんですか?」

 

 徹夜明けの異常なハイテンションにやや引き気味のベルに、ヘスティアはぬふふふ、と不気味な笑みを浮かべる。

 

「実はね・・・やーめた。今は教えない。楽しみは後に取っておこう!」

「えー?」

 

 露骨にがっかりするベルに再びぬふふふ、とほくそ笑んでからヘスティアがちらっとイサミに目をやった。

 イサミも視線でそれに答え、ごく自然な風に次の言葉を切り出す。

 

「ついでだ、ベル。神様のエスコートして祭りを回ってこい。彼女を見つけるなら俺一人いれば十分だしな」

「そうだね、それがいい! それじゃイサミくん! ベルくんを借りるよ!」

「どうぞどうぞ、こんなのでよければいくらでも」

「え? え? え?」

 

 まさに阿吽の呼吸。

 流れるように腕を絡めて歩き出す主神に、ベルはうろたえながら引っ張られるしかない。

 幸せそうにくっつきながら、ヘスティアとイサミの視線が一瞬絡み合う。

 

(よくやった! さすがボクの眷属、褒めてつかわす!)

(お褒めにあずかり恐悦至極)

 

 瞬時の――無駄に高度な――アイコンタクトを交わし、ヘスティアはベルを引きずってイサミから離れてゆく。

 それを曖昧な笑みで見送り、イサミはコロシアムの方へ身を翻した。

 

 

 

「ベルくん、ほら、あーん」

「か、神様っ!?」

 

 ・・・などと、二人が(主にヘスティアが)デートを満喫しているころ。

 闘技場の入り口付近、南ゲートでイサミが難しい顔をしていた。

 

(ここまで来て、まだ反応がない・・・それだけならまだしも、"上級念視(グレーター・スクライング)"はおろか、"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"にすら反応がないのはどう言うわけだ?)

 

 "上級念視"は対象の周囲に起きていることを見聞きする呪文、"完全位置同定"は"生物定位"の上位に当たる呪文である。

 とりわけ"完全位置同定"はこの種の呪文の中でも最上級の物で、効果範囲は無限大、次元の壁やほぼあらゆる魔法的障害も貫通するという強力な呪文だ。

 この呪文ですら反応がないと言う事は、シルという存在が髪の毛一本残さず完全に消滅したか、もしくはきわめて強力な魔法的防御に守られているかのいずれかということになる。

 

 万が一死んでいたとしても、死体のかけらすら残っていないというのはそうそうあり得ない。

 となると後者だが、これも余りありそうにはないことではある。

 ダンジョンの構造物ですらこの呪文を阻害することはできないのだから、よほど高レベルの術者か、さもなくば神の力が関わってでもこない限り無理な相談だ。

 

(この世界だと次元の壁を越えた場合も探知できない可能性はあるが・・・)

 

 そう簡単に次元の壁が越えられるなら、イサミの迷宮探索はもっと楽な物になっているはずである。

 例外として彼の持っている(ベルにも持たせている)マジックアイテム「ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)」などはいわゆる異次元ポケットになっており、内部はある種の別次元として扱われる。

 が、これとて"完全位置同定"の呪文を阻害することはできない。強固なのはあくまでこの世界の次元の壁だけなのだ。

 

 閑話休題。

 

(何か厄ネタの匂いがするなあ・・・)

 

 苦い顔で頭をボリボリとかくイサミ。

 正直やっかいごとはゴメンだし、あのシルというウェイトレスにも義理はないが、万が一何かの事件に巻き込まれているなら、見捨てるのも寝覚めが悪い。

 

「つっても、全く手がかりがないとなると・・・地道に聞き込みっきゃないか?」

 

 人口数十万の大都市で、しかも祭りの日に女の子一人の行方を追う。

 正直どうすりゃいいんだと叫びたくなるレベルの不可能事であろう。

 

「イサミ君」

「ん?」

 

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは眼鏡をかけたパンツスーツのハーフエルフ。

 イサミ達兄弟の担当アドバイザー、エイナ・チュールである。

 担当冒険者に対して非常に親身に接し、特にベルが世話になっているため、イサミにとっては頭の上がらない相手だった。

 

「あ、これは・・・いつも弟が世話になってます。その、この前もご迷惑をおかけしたようで・・・」

 

 冷や汗を流しながら頭をぺこぺこと下げるイサミ。

 彼の弟が血まみれトマト状態でエイナに迫った(一部誇張あり)のは、つい先日のことである。

 

「あはは・・・まあ、あのときは興奮してたみたいだしね?

 それより君の方はどうなの? ベルくんと違って、全然来てくれないけど。何階層まで行ったの?」

「十階層でちまちま稼いでますよ」

「十階層?!」

 

 驚きの声と共に、形のよい眉がきりりとつり上がる。

 あ、やばいな、とイサミが思う間もなく、エイナが爆発した。

 

「そろいもそろって何を考えているの、あなたたち兄弟は! 冒険者になってからまだ半月でしょう!

 それで十階層? ベルくんと違ってあなたはしっかりしてると思ってたのに!」

 

 ベルもベルでえらい言われようだな、とは思ったものの、そこはフォローできないのでとりあえず聞き流す。

 もちろん実際に降りているのは十階層どころではないのだが、まさか正直に言えるわけもない。

 

「いや、言ったでしょう? 俺は魔法が使えるんですってば。超短文詠唱で、しかもオークの10匹くらいなら一撃でほぼ全滅させられるんです。

 正直、十階層というのも、割と余裕を見てるんですよ?」

「だとしても、急すぎるでしょう? 魔法だって、使いすぎたら気絶したりするのよ? しかも、深い階層での戦闘に慣れないうちに」

「そのへんは覚えてますよ。それに、エイナさんの授業ではちゃんと結果出してるでしょう?」

「まあ、それはそうだけど・・・」

 

 痛いところを突かれてエイナの声がトーンダウンする。

 実際、授業で結果を出すどころか、知識面ではエイナを圧倒しているイサミである。

 曲がりなりにも高等教育を受けた、この世界では1%にも満たない知識層であるエイナにとっては未だに信じられない事実であった。

 

 あらゆる技能の判定を可能にする《何でも屋(ジャック・オブ・オール・トレード)》特技と、知識判定にボーナスを与える《ドラゴン譲りの知識(ドラコニック・ナレッジ)》特技。

 それを強化する大量の《ドラゴン譲り》特技を組み合わせているイサミならではであるが、もちろんエイナはそんな事を知るよしもない。

 

「そういえば、短い灰色の髪の女の子を見ませんでした? 年の頃は十五、六のヒューマンで、背丈はベルと同じくらいなんですが。財布無くしたんで困った顔でうろうろしてたりするかもしれません」

「え? えーと・・・うーん、覚えがないわね。友達?」

「知り合いの酒場のウェイトレスです。財布を届けるように頼まれたんですが・・・」

「おーい、エイナ! こっち来てくれ!」

 

 そこで、後ろから声がかかった。

 顔をしかめてから、叫び返す。

 

「はーい! 今行きます! ごめんね、ちょっと手が離せなくなっちゃったみたい」

「いいですよ、ダメ元の話ですし」

 

 もう一度ごめんね? と謝って、エイナは同僚のもとへ駆けだした。

 その背を見送ったイサミは少し考え込んだ後、闘技場の方に歩き出し――数歩歩いてぴくり、と足を止めた。




 待ちに待ってたやっと出た!
 中盤以降割と影薄いよねとか言われそうな主人公専用武器!(ぉ

 ちなみにタイトルになってる「レガシーウェポン」(古代の偉大な遺失武器くらいのニュアンスでしょうか)も使い手の成長に伴って成長していく武器ではあるのですが、何故か成長するたびにメリットを相殺するかそれ以上のデメリットが降ってくるので、3.5版的には割とゴミアイテムと言われております。
 いやほんと、召喚獣を呼べる代わりに命中率が下がる剣とか、純戦士が欲しがる理由が無いって・・・


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2-3 魅了されたものたち

 

 エイナは難しい顔をした獣人のギルド職員と話していた。

 

「何かあったんですか、先輩?」

「それがよくわからなくてな・・・西ゲートの連中が腰を抜かして動けなくなってるらしいんだ。酒でも飲み過ぎたのかなんだか、とにかくこっちからも人手を出すから・・・」

「あのー。俺、治癒魔法が使えますから診ましょうか?」

 

 そこへイサミがひょいっ、と顔を出した。

 

「ん? なんだ、おまえさんは? 冒険者か?」

「あ、私が担当してる冒険者の子です。って、治癒魔法なんて使えるの? 聞いてないわよ?」

「ああ、すいません。発現したのがついこの間でして」

 

 手短に自己紹介をすると、獣人の男性職員は、がっはっは、と豪快に笑った。

 

「レベル1で二つも魔法が使えるたぁ有望株じゃねえか。よし、それじゃ手伝ってもらおうかね。クエスト発注だ」

「報酬は?」

「エイナとお茶を1時間」

「乗った!」

「ちょっとー!? 何勝手に人を売り飛ばしてるんですか!」

 

 イサミと職員の軽口の応酬に、エイナが顔を赤くして抗議する。

 すっとぼけた顔で答える獣人とイサミ。

 

「何って、こんなおっさんとお茶しても誰も喜ばんだろう?」

「クエストに報酬はつきものですしね」

 

 うんうんと頷くイサミを、きっ、と睨み付ける。

 そんなエイナを見て、獣人がまたがははと笑った。

 

「まぁ、それは冗談として」

「冗談でそんなことを言わない!」

 

 まだかすかに頬を染めながらエイナが怒る。

 

「すいません。で、治療の代わりに、ギルド職員の人たちに、さっきの子を見かけたかどうか聞いてくれないかな、なんて。どうでしょう?」

「なんだ、人捜しか? まぁいいぜ、それくらい」

「では交渉成立って事で」

 

 

 

 かつこつ、とテンポの速い足音が闘技場内部の通路に響く。

 未だにむっつりしているエイナをなだめながら、イサミは西ゲートに向かっていた。

 

「エイナさーん。ふざけすぎたのはあやまりますから、機嫌直してくださいよー」

「そうだぞエイナ。仕事一筋もいいがこう言うのも軽く流せるようでないといい女になれんぞ?」

「知りません!」

 

 今のは微妙にパワハラかなあ、と思いつつ、エイナをなだめ続けるイサミ。

 ただ、頭の中では別の事を考えている。

 ウェイトレスの奇怪な行方不明と、時を同じくして起こった奇怪な事件。

 

 関連がありそうには思えないが、何となく気になったのだ。

 むしろこれがシルにつながるのではないかという奇妙な予感があった。

 今からシルを探すとなると、どのみち聞き込み以外に方法がない、というのもある。

 

「ところで、倒れた人たちは、どこのへんの?」

「ああ、西ゲートの外側の・・・そうだな、そいつらも探し人を見てるかもだな」

「そういうことです」

 

 

 

 なだめ続けた甲斐あってエイナの機嫌が元に戻りかけた頃、三人は問題の西ゲートに到着した。

 その場の責任者らしい、ひげ面のドワーフの職員が彼らに気づく。

 

「おう、すまんなシンバ。そっちのでかいのは?」

「エイナの担当冒険者だ。毒抜きができるって話なんで来てもらった」

「そりゃありがたい、早速頼むわい。報酬はエイナの嬢ちゃんに酌をさせるのでいいかな?」

「アルヴィースさん!」

 

 再び赤くなってドワーフに詰め寄るエイナ。

 角や牙が見えそうだな、とはのんきに眺めるイサミの感想である。

 

「イサミ君もさっさと始める!」

「イエス、マム! ・・・で、へたった人たちはどこですか?」

「そっちの方に転がしてある。しかし、妙な具合でなあ。

 二日酔いにしては全く酒臭さを感じないし、今朝方は普通に仕事をしておったんじゃがのう」

 

 関係者用の通路、木箱の影に彼らはまとめられていた。

 ある者はへたり込み、ある者は壁にもたれかかり、誰もが目の焦点が合わず、口の端からよだれを垂らしている者もいる。

 かがみ込み、手早く診察を始めるイサミ。手慣れた様子にエイナは驚き、獣人とドワーフは素直に感心する。

 やがて、イサミが立ち上がり口を開く。

 

「これ、酒とか毒とかじゃないですよ。たぶん、強い精神的ショックを受けたんです」

「・・・?」

 

 職員三人が顔を見合わせる。

 代表してドワーフが質問した。

 

「精神的ショックというと・・・何が原因じゃ?」

「そこまでは。ただ、驚きとか、恐怖とか、そういうショックが強すぎると、こうして茫然自失してしまう事はたまにあります。

 それがなんなのか、となるとお手上げですけど・・・恐怖って感じではないですねえ」

「うーむ」

 

 ヒゲをしごくドワーフ。

 実際、それは彼も感じていたのだ。酒を飲んで酩酊したというよりは、むしろ見事な細工物などを見て感動している状態に近い、と。

 彼の考えはかなりのところまで正解に近かったが、この場でそれを証明できるものはいない。

 

「とりあえず、一人二人元に戻してみましょうか。全員は魔力が足りなさそうですけど」

「うむ、頼むぞ坊主」

 

 壁にもたれかかる職員に左手をかざし詠唱を始める・・・が、これはただのポーズである。

 彼の左手に宿る治癒のドラゴンマークは呪文とは似て非なる能力だからだ。

 

「治癒」「嵐」「移動」など13種に分かれたそれは使用者の術師としての能力とは無関係に発動する能力であり、どんな術者でも術の強さは一定であるし、一日一回から三回ほどしか使えない。

 が、逆にイサミのような秘術使いであっても治癒呪文を使えるなどの利点がある。

 

 本来なら数秒集中するだけで詠唱もいらないが、この世界では強い魔法にはそれ相応の詠唱時間が必要なのが原則なので、そのあたりは取り繕う必要があった。

 

(炎で一つ、治癒で一つ。後おおっぴらにできる魔法は一つだけか・・・何にするかなあ。

 やっぱり壁の魔法か、それとも飛行とかにしておくか?)

 

 そんな事を考えながらごまかしの詠唱を続け、そろそろマークを起動しようとしたとき。

 西ゲートに悲鳴が響き渡った。

 

 

 

「!?」

「ちっ!」

 

 動揺してとっさに動けない三人をその場に残し、イサミは通路から走り出た。

 ゲートの周囲では悲鳴を上げて人々が逃げ惑っている。

 悲鳴の中心にいるのは、身の丈3mほどの、不格好な緑色の人型だった。

 

(・・・トロルかっ!)

 

 筋骨たくましいが手足はひょろりと長く、皮膚はゴムのような弾力があることが伺える。

 ぎょろつく瞳で逃げ惑う人々を無関心に眺めていたそいつが、ふとイサミと目を合わせた。

 

「るぐぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「!」

 

 文字通り、その目が攻撃色に赤く染まった。

 緑色の巨人は一声咆哮をあげると、猛然とイサミに向かって突進してくる。

 

 周囲に響き渡る悲鳴が一段と高くなった。

 逃げ惑う人の流れに飲み込まれ、イサミは呪文を放つこともできず、押し流される――

 

 否。

 

 全速で走る人の流れに飲み込まれながらも、イサミはそれから何の影響も受けていない。

 ぶつかる肩、振り回される腕、そうしたものはガラスの表面を水が滑り落ちるように、何らイサミの障害となっていない。

 

 魔導具「自由移動の指輪(リング・オブ・フリーダム・ムーブメント)」。

 この指輪の魔力の影響下にある限り、茨の茂みであろうと、泥沼であろうと、あるいはロープのいましめや怪物の触手であろうとも、イサミの行動を制限したり束縛したりすることはできない。

 

 人の流れに逆行してイサミが走る。周囲を流れゆく人の波。その後ろから迫り来る緑色の山。

 50mほどもあった距離が瞬く間に詰まり、唐突に視界が開けた。

 人の壁を抜けたその目の前に、緑色の巨人。

 

 いや、目の前と言うには遠い。まだ3、4mの距離がある。

 しかしトロルにとっては間合いのうち。

 一歩踏み出し、長い右腕の先端から突き出した、ぞくぞくするような爪を振り下ろす。

 

 そのまま命中すればイサミの頭はザクロを砕いたように脳漿をまき散らしてはじけ飛ぶだろう。

 だが、一瞬遅い。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》《光線分枝化(スプリット)》"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"!」

 

 イサミの足下に展開する赤の魔法円(マジックサークル)

 酸の異臭と稲妻と冷気を纏った極太の火線が八本、イサミの右手から放たれた。

 八本の火線はトロルの頭部から太ももにかけて、全て過たず突き刺さり――そしてあっけなく貫通する。

 

 どさどさっ、と二回音がした。

 トロルの両腕が地面に転がっている。

 それがつながるべき胴体は既に存在しない。

 

 闘技場の石床に、戸惑っていたように立ち尽くしていた二本の足――足だけ――が、思い出したように倒れ、地面に転がる前に、落ちた腕と共にチリとなって消えた。




正直エイナさん好みなんだけど最近原作で出番が少なくて悲しい。


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2-4 食人花(ヴィオラス)

 

 シン、と周囲が静まりかえり――次の瞬間、爆発した。

 

「すげぇぇぇぇぇぇっ!」

「魔法一発で倒しちまったっ!」

「思い出した! あいつ、ロキ・ファミリアの《凶狼》といい勝負してた奴だ!」

「マジかよ!?」

 

 一方、関係者用通路の出口では、エイナ他二人が呆然としていた。

 

「お、おい、エイナ。あいつ本当にレベル1か? トロルつったら、22階層・・・レベル2のモンスターだぞ?

 そいつを魔法一発で・・・」

「そ、そのはずです・・・」

 

 ぶるっ、と震える。

 正直信じられない出来事ではあるが、目の前で現実を突きつけられては何も言えない。

「余裕を見て十階層」というのは、決してでたらめでも何でもなかったと言う事だ。

 

「いや、問題はそこじゃねえ! あいつ魔法円(マジックサークル)展開したぞ?! 魔導アビリティ持ってるってことじゃねえか!」

 

 言われてはっと気づく。

 魔法円(マジックサークル)は魔法を強化する。

 それを発動する魔導アビリティを持てるのはレベル2以上の上級冒険者のみ。

 厳密にはアビリティを持っていなくても発生させることは出来るが、ごくごく例外的な存在である。

 

(あー・・・しくじったな)

 

 ギルド職員達の会話を聞きながら舌打ちするイサミ。

 実のところ、イサミの魔法円は偽装用の幻影である。

 

 深層を歩いている魔導士が魔導アビリティを持っていないわけがないのでそうしたマジックアイテムを作ったのだが、自動発動する仕様にしてしまったのが裏目に出たようであった。

 そしてエイナが何事かを言いかけたとき、小人族のギルド職員が駆け寄ってきた。

 

「あ、アルヴィースさん! モンスターが逃げ出して・・・」

「おう、それなら大丈夫だ。今あいつが退治してくれたぞ」

「1匹じゃないんですよ! 地下の牢屋から全部で9匹が逃げ出したんです!」

「何ぃ?!」

 

 気色めく三人。

 いつの間にかイサミがそばに来ていた。

 

「逃げたモンスターの内訳は?」

「は、はい、トロル6匹とソードスタッグ2匹、それにシルバーバックです!」

「トロルは5匹だな。今そこで1匹兄ちゃんが片付けた。悪いが兄ちゃん・・・」

「わかってます。どっちへ向かいました?」

「は、はい、メインストリートの方に・・・」

 

 小人族が言い終わる前に、イサミは腰のポーチからよく磨いた小さなメノウを取り出し、天に掲げた。

 

「移動の石よ、その力を示せ」

 

 イサミが集中すると、次の瞬間、今まで何もなかった空間に半透明の、幽霊のような黒馬が出現した。

 ざわり、と周囲から驚きの声が上がる中、イサミはひらりと鞍にまたがる。

 

「イサミ君・・・それ、魔道具?」

「ええ。迷宮の中だとあまり使いどころがないんですけど」

 

 嘘である。

 掲げた石は「幸運の石(ストーン・オブ・グッドラック)」という名前通りのアイテムだし、半透明の馬――ファントム・スティードを呼び出したのは彼の持つ移動のドラゴンマークだ。

 もっとも――

 

(こいつの足は、嘘じゃない!)

 

 どよめきの中、ゲートから飛び出したファントム・スティードが空中を駆け上がる。

 空気を蹴って瞬く間に高度を上げ、メインストリート沿いの建物の屋根に着地。

 

「まずは・・・トロル!」

 

 上昇時に、既に"生物定位"は使っている。

 ゆっくりと周囲を見渡すイサミの脳裏に、トロルの存在が点滅する。

 手綱を操って馬首を巡らせ、馬腹を一蹴りすると、イサミの意志が乗り移ったかのように、ファントム・スティードは猛然と飛び出した。

 

 幻馬(ファントム・スティード)の能力は、術者の力量によって左右される。

 低レベルの術者が使うなら、通常よりやや早いだけの、ただの馬だ。

 だが術者の力量が上昇するにつれ、幻の馬は速度を増し、砂地の上を、水面を、そして空中を駆けることができるようになる。

 そして、高い術力によって限界まで強化されたファントム・スティードのスピードは、直線であれば《エアリアル》を纏ったアイズ・ヴァレンシュタインすらわずかに凌駕する――!

 

「ひとつ!」

 

 メインストリートを西へ走っていたトロルが、上空からの"灼熱光線(スコーチング・レイ)"で焼却される。

 

「ふたつ!」

 

 脇道に入ろうとして、人混みをかき分けていたトロルを、誤射を避けて必中の攻撃呪文、"連鎖する魔法の矢(チェイン・ミサイル)"の連射で屠る。

 魔法のエネルギーでできた半透明の弾丸に全身を穴だらけにされ、魔石を砕かれてトロルはチリになった。

 

「みっつ!」

 

 "灼熱光線(スコーチング・レイ)"で三度トロルを焼却すると、イサミは残りの2匹を追って北へ馬首を巡らせた。

 この時、南へ向かったシルバーバックがベル達を追っていたのに気づけば、この後の展開はまた変わったかもしれない。

 そしてもう一組、本来あり得た展開から外れた者達がいた。

 

「何や今、あっちのほう、何か建物の上を横切らんかった?」

「馬・・・だと思います。あの大きな人が・・・乗ってました」

「え、なに? ベートをボコボコにしたあいつ?」

 

 ロキ達一行である。

 正門南ゲートからエイナが移動してしまったため、ロキ達に内部事情をあえて伝えようとするものがおらず、ガネーシャ・ファミリアから事情を知らされて依頼を受けるまで、十分近い時間をロスしてしまったのだ。

 その間にティオナ達も合流し、現在はロキを入れて総勢五名。

 

「んー・・・あのガキんことも気になるけど、とりあえずはモンスターやな。

 アイズ、上登って、周りの様子見てみ。ティオナ達はアイズについてきや。

 うちもできる限りで追いかけるわ」

「わかりまし・・・」

 

 かすかに地面が揺れた。

 微動は続き、冒険者達が真剣な顔を見交わす。

 不測の事態に常に備える彼らにとって、それは警戒レベルを引き上げるに十分な予兆だったし――実際に間違っていなかった。

 

 突如、轟音と共に、視界の端、市街地の向こうに土ぼこりが吹き上がる。

 彼らの行動は早かった。

 

「作戦変更! まずはあっこや!」

「わかった!」

 

 アマゾネス姉妹はメインストリート脇の建物の上に飛び上がり、レフィーヤが街灯を蹴ってそれに続く。

 そしてアイズは剣を抜き放ち。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 大気が唸った。

 肉眼ですら確認できるほどの颶風がアイズを取り巻き、球体となる。

 次の瞬間、アイズは弾丸のごとく跳躍していた。

 

 レフィーヤはおろか、同じレベル5のアマゾネス姉妹すら瞬時に飛び越し、攻城弓から放たれる矢のごとく、弧を描いて一直線に飛んで行く。

 土煙の中に動くものを認めた瞬間、その軌道が鋭角的に曲がる。

 一瞬遅れて、土煙の中から緑色の何かが射出された。

 

 寸前までアイズの体があったであろう空間を貫き、素早く引き戻されるそれを、一瞬だけだがアイズは視認した。

 

(緑色の・・・蛇?)

 

 考えている暇はなかった。

 アイズを目がけて飛び来る緑色の蛇が三、いや四。

 今度はかわせないと判断し、右手の剣を一閃。ほとんど同時にもう一閃。そのことごとくを切り払う。

 

 着地するとほぼ同時に、土煙が晴れた。

 その中から現れたのは体長10mを越える、顔のない緑色の蛇。

 否、その先端が螺旋状に開く。

 その中から現れたのは、鋭い牙を備えた花。

 

(っ・・・!)

 

 身構える暇もあらばこそ、アイズの足に震動が伝わってくる。

 とっさに右に大きく飛ぶ。

 一拍遅れて緑色の蛇が三本、地面から飛び出した。

 標的を見失ったそれらは、既に咲き誇る同族と同様そのあぎとを開き、牙の花を咲かせる。

 アイズが剣を構え直した。

 

 

 

 

 

 ティオナ達が駆けつけるのと、アイズが最後の一体を倒すのがほぼ同時だった。

 今日はこれまで使用されていなかったゴブニュ・ファミリアのレイピアが、辛うじて最後までもったのだ。

 剣を持ったアイズの前には、謎の食人花といえど相手ではなかった。

 

「うはー、何これ? 気持ち悪い」

「見た事無いわね。ガネーシャ・ファミリアはこんな怪物どこから引っ張ってきたのよ?」

「レフィーヤは知ってる?」

「い、いえ・・・聞いた事も無いです。新種でしょうか・・・?」

 

 ぶつ切りにされ、力尽きてチリと化す茎を見下ろし、短く会話を交わすアイズ達。

 

「まあ、それは後でもいいでしょ。今は逃げ出した他のモンスターを・・・」

 

 轟音が響いた。

 冒険者達が一斉に振り向く。

 視線の先、南の方で、巨大な炎の花が空に咲いていた。



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2-5 【神のナイフ】

 時間はしばし巻き戻る。

 

『ガァァァァァァァッ!』

「!?」

 

 人混みであふれかえるストリートに突如響き渡った咆哮。ベルとヘスティアの体が硬直する。

 ヘスティアとのデートを満喫?していたベルの前に突然現れたのは、本来迷宮の11層に生息する巨大な猿――シルバーバックであった。

 白い巨躯。銀色のたてがみ。巨躯から放たれる、圧倒的存在感。

 

「べ、ベル君・・・」

「神様・・・僕から離れないでくださ・・・」

『ガァァァァッ!』

 

 言う間もあらばこそ、シルバーバックが飛びかかってくる。

 ヘスティアを抱いて横っ飛びに回避。

 悲鳴が多重奏で響き渡り、群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げまどう。

 

 二転三転、派手に転がって立ち上がろうとするベルとヘスティアに、シルバーバックの視線がゆっくりと向けられる。

 突進してくる巨猿からヘスティアを守るべく、その体を押しやってナイフを構え――その顔がこわばった。

 シルバーバックはベルに目もくれずに転進し、ヘスティアを狙ったのだ。

 ベルは盾となるべくその前に飛び出して、次の瞬間、右腕の一振りで吹き飛ばされた。

 

 丸二秒ほど宙を飛び、道ばたの屋台に飛び込んで粉砕する。

 残骸の中から震える体を起こしたその目に映るのは、身をすくませる女神と、それににじり寄る巨大な白猿。

 

(いいかベル。ピンチの時はまず冷静になれ。そして、自分の手札を確認するんだ)

 

「・・・!」

 

 唐突に思い出される兄の言葉。

 立ち上がり、走り出す。

 走りながら、戦闘衣に縫い付けられたボタンを引きちぎり、シルバーバックとヘスティアの間を目がけて投げつける。

 

「!?」

「うわぁっ?!」

 

 閃光が走った。

 閃光(フラッシュ)ペレット。

 いざというときの逃走用に、兄から渡された道具の一つである。

 そして逃走用に渡された道具がもう一つ。

 

『ぐるぉぉぉぉぉ?!』

 

 光に弱いのか、完全に目がくらんだシルバーバックに小さな革製の袋を投げつける。

 視覚を失った白猿はこれをかわせない。

 腰のあたりに命中すると同時に革袋は大きくはじけ、シルバーバックの下半身と街路に粘液状の液体をまき散らした。

 

 足止め袋(タングルフット・バッグ)

 粘性の液体によって対象の動きを止め、それが叶わない場合でも移動力を大きく削いでくれる、D&Dにおいては低レベル冒険者必携の品だ。

 今やシルバーバックは、完全に石畳に縫い止められて身動きもままならない。

 

(このまま神様を連れて逃げ・・・いや、今なら!)

 

 瞬時に身を翻して壁を蹴り、シルバーバックの頭よりも高く飛び上がる。

 全体重を乗せたナイフの切っ先が狙うのはただ一つ、胸の魔石――!

 

 この時、イサミがこの場にいれば自分の判断を後悔したかもしれない。

 冒険を始めるとき、彼が弟に与えたのはごく普通の鋼の短刀。

 だが、この時彼は最後まで超硬金属(アダマンティン)の短刀を与えようかどうか迷っていたのだ。

 

 アダマンティン。

 この世界におけるアダマンタイトに似て、D&D世界において最も硬度が高く、堅牢な金属の一つである。

 最高純度の物であれば、ほとんどいかなる物質であっても切り裂き、突き抜ける。

 ベルの一撃も、分厚い皮と筋肉を抜けて、胸の魔石を貫いていただろう。

 

 だが。

 

「っ!」

 

 鋭い音を立てて、ダガーの切っ先が欠けた。

 シルバーバックの毛皮と筋肉に対するには、力とスピード、そして何より武器が貧弱すぎた。

 

『ごああああああっ!』

「がっ!」

 

 めくら滅法で振り抜かれた豪腕に吹き飛ばされ、ベルは再び大地に伏せる。

 今度は浅かったか、すぐに立ち上がってヘスティアの手を引いてベルが走り出す。

 

「べ、ベル君!」

「逃げますよ! 手を離さないでください!」

 

 二人は南に向かって走り出す。

 その背後で、地面にべったりと張り付いた足を引きはがし、白猿が吠えた。

 

 

 

 迷路のようなダイダロス通り。

 ヘスティアという足手まといがいたとはいえ、二人の逃走はそれなりに余裕のある物だった。

 移動力と共に跳躍力も半減し、シルバーバックの機動力は大きく減退している。

 しかし、完全に引き離すこともできなかった。

 

 いくら引き離しても相手は匂いをたどって追ってくる。

 そしてスタミナは相手の方が圧倒的に上。

 じり貧だった。

 

 ヘスティアを抱えて走りながらベルは悔やむ。

 

「くそっ、あの一撃が通っていれば・・・!」

「・・・ベル君。僕に考えがある」

「神様?」

 

 視線が合った。

 真剣な、ヘスティアの目。

 

「とりあえずあいつを少しでも引き離すんだ。その間にステイタスを更新する!」

「で、でも、ステイタスが上昇しても、このナイフじゃ・・・」

「武器ならある!」

「!」

 

 力強い肯定。それ以上に力強いまなざし。

 すとん、と何かがベルの下腹に落ちた。ヘスティアを抱き上げ、これまでに勝るスピードで走り始める。

 

「わかりました、神様! 落ちないようにつかまっててください!」

「・・・ああ、ベル君、かっこいいよ! こんな時でなんだが、ボクはこの上ない幸せを感じてしまってる!」

「本当に何を言ってるんですか! 台無しですよ!」

 

 

 

 

 適当な壁を飛び越え、その後ろに隠れると、二人は素早く行動を開始した。

 しゃがみ込んで半壊した鎧を外し、その背にステイタスを刻む。

 ヘスティアが可能な限りの早さで指を動かしている間、ベルは渡された漆黒のナイフに目を奪われていた。

 

 とことんまで飾り気のない実用的な刀身。でありながらある種の美と威厳すら感じる。

 グリップは自分専用にあつらえられたかのようで、手のひらに吸い付いてくる錯覚すら覚える。

 

 何よりも、一目見た瞬間心臓が跳ねた。あの時ほどの衝撃ではないけれども、それはまるで【剣姫】の姿を見た時のようで。

 ベルの心の高ぶりに応えるかのように、刻まれた神聖文字から紫紺の微光が漏れた。

 

「っ! 神様!」

 

 石壁が破砕される。

 土煙の中からシルバーバックが現れた。

 べたり、べたり、と、一歩ごとに地面にべとつく足を引きはがしながら迫ってくる。

 ほぼ同時に、ステイタスの更新が完了する。

 

「・・・ステイタス上昇合計800オーバー!? ええい、行けっ! ベル君!」

 

 瞬間、ベルが飛び出した。

 クラウチングスタートの態勢から、放たれた矢のように飛ぶ。

 その速さにシルバーバックが。ヘスティアが。そして何よりベル自身が驚愕する。

 

 何もかもがスローモーションで動いているように見えた。

 驚くシルバーバックの表情と、腕を振り上げようとして間に合わず、かえってがら空きになった胴体がはっきりと見える。

 一秒の半分にも満たない時間の後、先ほどのそれが嘘のように、漆黒のナイフが白い毛皮にさくりと刺さり、勢い余ったベルの体がその胸元に激しくぶつかった。

 

 信じられない、と言った表情のまま、シルバーバックが両手を突き上げて後ろに倒れ、ベルはシルバーバックの体を蹴り、空中でとんぼを切って1mほど離れた場所に着地する。

 素早く身を翻してナイフを構えたベルの目に映ったのは、魔石を砕かれてチリに還って行く白猿だった。

 

 

 

 歓声が上がる。

 息を詰めて潜んでいたダイダロス通りの住人たちが次々と窓を開け、快哉を叫ぶ。

 満面の笑みを浮かべながら、ヘスティアがぺたり、とへたり込んだ。

 

「か、神様?!」

「大丈夫、大丈夫だよベル君・・・ちょっと頑固女神の前で30時間耐久土下座をやって、その後徹夜で鍛刀に付き合っただけだから・・・」

「無茶ですよそれ!? だいたい土下座って何ですか? 拷問ですか?!」

 

 ホッとしながらも呆れるベルと、疲労困憊でなぜか誇らしげなヘスティア。

 だがそんな彼らを見る異質な目が、歓声の中に紛れていた。

 

 

 

「面白いものを使う子ね。それに、ステイタス更新をしたとたん、別人のように早くなった・・・

 ああいうことはよくあるのかしら?」

「どうだかなあ。一年くらい更新してなきゃそう言う事もあるだろうが、それにしたって上がり幅が尋常じゃねえ。

 最初の一撃と今のあれじゃあ、まるで別人だぜ」

 

 男の言葉を聞いて無言になるフードの女。

 

「おい、何を考えてる? こんな人目のあるところで・・・」

「どうせあちこちで騒ぎは起きてるわ。何をどうしたのか"食人花(ヴィオラス)"まで出てきたみたいだし。

 一つ騒ぎが増えたところでどうという事は無いでしょう?」

「・・・知らねえぞ、俺は」

 

 投げやりな男の言葉に、女は赤い唇をあでやかに微笑ませて答えた。

 

 

 

 ふと、羽音が聞こえた気がしてヘスティアは空を仰いだ。

 

「・・・コウモリ?」

 

 薄暗いダイダロス通りとは言え、昼日中にコウモリが飛ぶなどあり得ない。

 だが、それは明らかに黒いコウモリのシルエットだった。

 

 ばさっ。ばさばさっ。ばさばさばさっ。

 一匹だったそれは瞬く間に二匹、三匹と増え、空を完全に覆う無数の大群となった。

 窓から顔を出し、あるいは通りに出てきていたダイダロス通りの住人たちも、にわかに闇に閉ざされた通りに、不安げに顔を見交わす。

 

 そんな中、ベルは不吉なものを覚えてナイフを構え直した。

 次の瞬間、それに呼応したかのようにコウモリの群れの動きが変わる。

 建物の上を飛んでいた無数のコウモリが渦を巻くように通りに降り立ち、路上にわだかまる。

 いや、それは既にコウモリか?

 

「これは・・・!」

 

 路上にわだかまるコウモリの群れは、もはやコウモリではなかった。

 群れがひとかたまりになり、何物かの姿を形作る。

 渦巻く群れが「それ」に合流するごとに形が作られてゆく。

 ぷん、と腐臭が鼻をついた。

 

 全長は7m、直径も3m近くはあろうか。ダイダロス通りの狭い道をふさぐほどの巨体。

 緑色の硬い殻に覆われたずんぐりとした体。鋭いカギ爪の生えた無数のいぼ足。

 

 頭部から飛び出した一対の眼柄の先に黒い目玉。カチカチ音を立てる、鋭い牙のずらりと並んだ大アゴ。

 そして、その大アゴの下に1m半ほどの、うごめく八本の触手。

 

 ベルに知識があったなら、絶望と共にうめいていたかもしれない。

「キャリオンクロウラー」と。

 




 D&D序盤のアイドルと言えば、やっぱりキャリオンクロウラーですよね!(きらきらした目で)


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2-6 キャリオンクロウラー

 

 ぎょろり、と黒い目がベルを見た。

 標的は自分だと確信し、ナイフを構えたままゆっくりと下がる。

 ここで戦えば、間違いなくヘスティアを巻き込む。

 せめて、彼女を安全なところに逃さなければならなかった。

 

 一歩、二歩、三歩。

 ゆっくりと、刺激しないように、すり足で後退する。

 

 四歩、五歩、六・・・

 硬直していた人々がわっと動き出す。

 彼らが逃げようとしたその瞬間、キャリオンクロウラーがうるさげに触手で前方を払った。

 

 しゅるり、と触手が3mほどに伸びる。

 平たく広がった先端で、前方――自分たちとの間――にいた数人を払った、というより撫でた。

 そうベルには見えた。

 だが全くダメージを与えなかった打撃にも関わらず、撫でられた人間は全身の力を失い、かくん、と地に崩れる。

 

(・・・麻痺毒?!)

 

 よく見れば、触手の先端からわずかに液体がしたたっている。

 それがダイダロス通りの住人たちの体の自由を奪ったに違いなかった。

 

 本来ならばそれらの人々を餌として捕食するのだろう。

 だが、そのかちかち鳴る大顎が犠牲者に食らいつくことはなく、眼柄はベルから離れない。

 

「やばいっ!」

「わきゃっ?!」

 

 ベルが身を翻してヘスティアを抱きかかえるのと、巨大な芋虫が突進を開始するのがほぼ同時。

 麻痺した人々も何人かその蹂躙に巻き込まれるが、今はその無事を祈ることくらいしかできない。

 

 

 

 ベルは再び、ダイダロス通りを全速力で走っていた。

 キャリオンクロウラーが迫る。

 周囲の建物の壁を崩し、柱を倒して圧倒的な質量が追ってくる。

 

「べ、ベル君! さっきの! さっきの!」

「は、はいっ!」

 

 駆けながら、再び腰の物入れから足止め袋を取り出し、後ろ手に投げつける。

 だが止まらない。

 いぼ足を粘液にまみれさせながらも、キャリオンクロウラーの勢いはかけらも衰えない。

 

「何でっ!?」

「大きすぎるんですよ! 量が足りないんです!」

「じゃあもっと・・・」

「あれで最後です!」

「ちくしょーめーっ!」

 

 わめくヘスティアを抱えてベルは走る。

 彼女を抱えている分足は鈍るが、キャリオンクロウラーの方も道脇の建物を破壊しながら追ってくるため、早さはほぼ互角。

 己の主神を安全なところにと思うが、退避させられそうな脇道はなく、道沿いの窓は全て閉じられ、中の人々は降って湧いたこの災難にそろって息を殺している。

 

(・・・あれだ!)

 

 そんな中、ベルが見つけ出したのは一筋の光明。

 非常階段のように、屋上まで斜めに立てかけられた長いはしご。

 おあつらえ向きに、ベルの進行方向と登り方向が一致している。

 

 ベルが路面を蹴った。

 ほぼ一階分の高さを飛び、はしごの1/3地点に着地、素早くもう一度跳躍。

 

『ギィィィイィ!!』

「っ!」

「わあっ!?」

 

 更にもう一度跳躍する直前、キャリオンクロウラーがはしごに突っ込む。

 建物全体が震動した。

 

 

 

 一階部分とはしごを破砕し、巨体が止まった。

 ガチガチガチ、と鋭い歯をならし、眼柄と触手が上を向く。

 

 ベル達は落ちていなかった。

 辛うじて、屋上のへりにベルの右手が引っかかっている。

 

「た、助かった・・・」

「これでもう追ってこれません・・・かな?」

 

 キャリオンクロウラーは上体を持ち上げるが、それでも触手の先端はベル達にギリギリ届かない。

 安堵のため息を漏らし、ヘスティアを屋上に上げる。

 自分も上がろうとしたところでふと下を振り向き、その顔が引きつった。

 

 かちかちかち、と鳴る大顎が、すぐ足下にあった。

 体長7mの巨体が、いぼ足の先端の爪を壁にめり込ませ、壁面を這い上がってきている――

 説明しよう! キャリオンクロウラーは垂直の壁でもオーバーハングでも普通に登れるのだ!

 速度は地上の半分位だけどな!

 

「うわあああああああ!?」

「キシャァァァァァァァッ!」

 

 悲鳴を上げながら一瞬で屋上に飛び上がるベル。

 一瞬前まで体があった空間を、八本の触手が撫でて過ぎる。

 

 再びいぼ足を動かし、登攀を再開するキャリオンクロウラー。

 ヘスティアを抱き上げ、走り出すベル。

 おいかけっこが再開された。

 

 増築や改築ででこぼこした屋根の連なりの上を必死で走るベル。

 屋根をきしませ、時には陥没させながらも、一直線にそれを追うキャリオンクロウラー。

 自分と、腕の中のヘスティアの命を賭けた逃走劇。

 

 だが、しばらくすると距離が離れ始めた。

 無数のいぼ足で重量を分散しているとは言え、さすがに数十トンの重量を支えるには、ダイダロス通りの粗悪な建造物はもろすぎたようだった。

 長い体ゆえに落下することは無いとは言え、足を取られる時間が明らかに長くなっている。

 

「これは・・・いける! いけるよベル君!」

「はい、このまま・・・えええっ?!」

 

 明るくなりかけた表情が、驚愕に曇った。

 静止したキャリオンクロウラーの体が黒くなり、ぶわっ、と大きくふくらむ。

 無数のコウモリで構成された、直径10mを超す巨大な群雲。

 それが、芋虫の時に倍する速度でベルとヘスティアに迫る。

 

 スウォームシフター。

 吸血鬼がコウモリの群れや霧に姿を変えるように、無数の小動物に変化できる特殊なアンデッド。

 巨大キャリオンクロウラーの死体を改造した、本来この世界に存在しないカテゴリの怪物。

 それが、この緑色の芋虫の正体だった。

 

「神様! 動かないで!」

「わきゃっ!?」

 

 とっさにヘスティアを地面に下ろし、その上に覆い被さる。

 数秒遅れて、キャリオンクロウラーが変化した無数のコウモリが彼らを襲った。

 

「ぐうっ!」

「ベル君! ベル君っ!」

「だめです・・・神様、動いちゃ・・・っ!」

 

 ベルの体のアーマーに覆われていない部分をコウモリの牙が切り裂く。

 みるみる増える血の筋。

 ぽたり、ぽたりと血のしずくがヘスティアの体にしたたり落ちる。

 泣き叫ぶヘスティアを押さえ込み、盾になることしかベルにはできない。

 

 もっとも、ヘスティアがいなくとも、ナイフを振り回してコウモリ数匹を倒すのが精一杯ではあったろう。

 いかに神の力を宿すナイフとは言え、数万匹の群れは武器で対処しきれる相手ではない。

 

「強くなれたって・・・強くなれたって思ったのに・・・!

 兄さんみたいな魔法が使えれば・・・神様を守れるのに・・・!」

「ベル君・・・」

 

 ぽたり、ぽたりと、血とは別の液体がヘスティアの頬を濡らす。

 ヘスティアもまた無力感にうちひしがれる。

 気がつくと、周囲のコウモリはいなくなっていた。

 

「う・・・ぐ・・・」

 

 傷自体は小さな物ばかりだが、出血がなぜか止まらない。

 ともすれば途切れそうな意識を叱咤し、上体を起こしたベルの目の前に、再び合体した巨大な芋虫がいた。

 震える足で立ち上がり、ナイフを構える。

 

 かちかち、とうれしそうに鳴らされる大顎。

 その巨体を前にしては、ヘスティアナイフも蟷螂の斧にしか見えない。

 

「神様・・・逃げてください・・・僕が食い止めてる間に・・・」

「嫌だ! 嫌だよベル君! 帰ってくるって言ったじゃないか! ボクを置いて逝かないって言ったじゃないかっ!」

「そうだぞ、ベル。約束は守らないとな」

「「!」」

 

 二人が揃って空を見上げる。

 そこにいたのは天駆ける駿馬にまたがった、彼らのよく知る姿。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》《光線分枝化(スプリット)》"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"!」

 

 次の瞬間、天から降り注いだ八条の火線が巨大な芋虫の頭部を焼き貫いた。

 

 

 




 スウォームシフターはアンデッド専門本「Libris Mortis」出典です。
 コウモリや虫の群れ、肉片、灰などに変化できる特殊なアンデッドですね。


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2-7 流星雨(メテオ・スウォーム)

 

 キャリオンクロウラーは頭部を完全に消滅させられ、動きを停止していた。

 根元を焼き切られた八本の触手が、石の屋根の上でぴくぴくと痙攣している。

 

「にいさん・・・」

「遅いよ! イサミ君!」

 

 泣き笑いになるベル。涙をにじませて笑いながら怒るという、器用な表情を浮かべるヘスティア。

 

「すいませんね、道が混んでましたので」

 

 軽口で答え、馬を着地させてひらりと鞍から降りる。

 

「ずいぶんとボロボロになったじゃないか。毎回こんなのばかりだな、おまえは」

「ごめん・・・」

「だが、よくやったぞ」

 

 全身ににじむ血を気にもせず、イサミがベルを抱きしめる。

 

「本当によくやった。おまえは、俺の自慢の弟だ」

「うん・・・」

 

 一瞬戸惑ったベルが、抱きしめられたまま微笑む。

 ヘスティアが惚れ直すほどの、うれしそうな笑みだった。

 

 

 

 羽音がした。

 鋭く振り向くイサミ。よろけたベルを慌ててヘスティアが支える。

 頭部を砕かれて活動を停止していたはずのキャリオンクロウラーが、再び分裂を始めていた。

 残った胴体とうごめく触手がみるみるうちにその姿を失い、無数のコウモリの群れに変化する。

 

「にいさん、あれ・・・」

「わかってる。嵐のドラゴンマークよ、その力を示せ――"風制御(コントロール・ウィンズ)"! 」

 

 イサミの右肩に文様が浮かび上がり、熱を持つ。

 イサミ達を台風の目にして風が渦を巻いた。

 

「キキキキーッ!?」

 

 渦巻く風は中心に吸い寄せられ、吹き上げられる。

 その風速は時速で75マイル(120km)。秒速で実に33m。

 台風並の風に、今は小さなコウモリの集まりでしかないスウォームシフター・キャリオンクロウラーに抗う術はない。

 土埃が竜巻に吸い上げられるように、吸い寄せられ、巻き上げられ、屋上にわだかまっていた黒い群れは、上空にブチ撒けられた。

 

 態勢を立て直し、再び合体しようとするコウモリの群れ。

 だが、彼らの命運は既に尽きていた。

 

「とっておきだ・・・持って行け! 《最大化(マキシマイズ)》《範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"流星雨(メテオ・スウォーム)"!」

 

 "流星雨(メテオ・スウォーム)"。

 魔術師(ウィザード)9レベル、D&Dにおいて最強火力の一つに数えられる広範囲殲滅呪文。

 あれからの数日で獲得したイサミの切り札の一つ。

 

 イサミの手のひらから放たれた四つの燃える火弾が四方に散り、コウモリの群れに接触して爆発する。

 直径24m、《範囲拡大》されて48mの巨大な火球が四つ、大空に紅蓮の花を咲かせた。

 

「《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"流星雨(メテオ・スウォーム)"!」

 

 それでもわずかに焼け残ったコウモリ達が逃げようとするのに、《高速化》してノータイムで発動された呪文が更に飛ぶ。

 今度こそ全て焼き尽くされ、コウモリの群れ――スウォームシフター・キャリオンクロウラーは一陣のチリとなり、空気に溶け込んで消えた。

 

 

 

「惜しかったわね・・・まあ、なかなか楽しめたけど」

 

 一キロ以上離れた所から一部始終を観察していたフードの女が言った。

 連れの男の方は呆れているのか、無言。

 

「あのお兄さんの方は任せるわ・・・弟君は私がもらうから」

「なんだ、惚れでもしたか」

 

 またしても投げやりな口調でため息をつく男。

 くすっと女が笑った。

 

「さあ、そうかもね・・・」

 

 艶めかしい赤い唇を、先がとがって二股になった舌がぺろりとなめた。

 

 

 

 フレイヤは目の前の『神の鏡』を消した。

 あの兄は治癒の呪文も使えるようだし、もう心配することはあるまい。

 

 それよりもフレイヤの心を占めていたのは、ベルがシルバーパックを倒した後に現れた謎の怪物であった。

 怪物の話はそれなりに聞いて知っているつもりだったが、あのようなモンスターは聞いた事も無い。

 

(私以外にあの子にちょっかいをかけようとしている何者かがいる・・・気に入らないわね)

 

 目をすがめた彼女は、だが大輪の笑みを浮かべる。

 彼女はフレイヤ。美と愛の女神であると同時に、戦士を己の館に迎える戦の女神。

 恋であろうと、戦であろうと、敵は倒すだけだ。

 

(待ってなさい・・・あの子は私のもの・・・)

 

 笑みと共に、彼女の姿は路地裏の薄暗がりに消えていった。

 

 

 

 ベルとヘスティアそれぞれに治療呪文をかけ、血だらけの服も"小魔術(プレスティディジテイション)"で綺麗にした後、ベルとヘスティアはホームに戻ることにした。

 疲労困憊したヘスティアがついにダウンしたためだ。

 ほぼあらゆる状態異常を回復する"万能治療(パナシーア)"の魔力も、二徹明けの疲れを癒すには足りなかったらしい。

 

 寝息を立てる女神を弟に任せると、イサミは闘技場にとんぼ返りしてエイナ達に報告を行う。

 その後、ふと思い出して"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"をかけると、あっさりとシルは見つかった。

 がま口を渡して少し話をした後別れたが、はっきりしない物がイサミの胸の中に残った。

 その違和感の理由を彼が知るのは、かなり後の話になる。

 

 

 

 

 

「あ」

「あ・・・」

 

 ばったり、と。南のダイダロス通りから出てきたベルたちと、謎の怪物の検分を終えて北の通りから出てきたロキ・ファミリアの一行がメインストリートの中央で出会った。

 かぁっ、と上気するベルの顔。

 対照的にアイズはうつむき、言葉を探す。

 

「あ、あのっ・・・!」

「ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 

 意を決したアイズが言葉を発しようとしたのと、ベルの感情メーターが限界値に達して全力で逃走を開始したのがほぼ同時。

 まさしく脱兎の勢いで遠ざかっていくその背中を見て、アイズの頭がかくん、と落ちる。

 ずん、と落ち込んだその背中に、どんよりした雰囲気が暗雲のごとく群がり出た。

 

(・・・・)

 

 そして、他の面々が落ち込んだり慰めたり発破をかけたりベルをけなしたりする中、ひとりロキはベルの去った方を見つめていた。

 いつも通りのへらへら笑いを口元に貼り付けたその表情からは、何かをうかがい知ることはできない。

 

 

 

 

 

 その日の夕方。

 いつも通り夕食の材料を買い込んで戻ったイサミは、ホームである廃教会の前に人影がたたずんでいるのを見つけた。

 隙のない立ち姿からかなり高レベルの冒険者と察し、精神の中の呪文をいつでも起動できるようにしながら話しかける。

 

「・・・どちらさまで? うちのホームにご用でしょうか?」

 

 振り向いた人物が、銀縁の眼鏡を中指でくい、と押し上げた。

 イサミが目を見張る。水色の髪、碧い瞳、怜悧な美貌。二重に巻いた腰ベルトにいくつも取り付けられたポーチ。

 一目見たとき以来、イサミが見忘れるはずもない人物だった。

 

「ちょうどよかった。あなたに話があって来たのです。イサミ・クラネル。

 初めまして、になりますね。私はアスフィ・アル・アンドロメダ。ヘルメス・ファミリアの団長を務めさせていただいております」

 





 先に言っておきますがこの話では単純にシル=フレイヤ様です。
 へルンさんは金輪際出て来ません。
 いやそのこの話書き始めたの、最初のアニメが始まったころなので・・・(穴があったら入りたい


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第三話「DMに必要なのは特定の呪文とマジックアイテムを禁止する勇気」
3-1 【万能者(ペルセウス)


 

 

 

『ん? 間違えたかな?』

 

 ―― 『北斗の拳』 アミバ ――

 

 

 

 ヘスティアはふと目をさました。

 ダイダロス通りの屋上で意識が遠くなった記憶がある。

 自室――この前イサミが作った――のベッドに寝かされていることからして、子供達のどちらかが運んでくれたのだろう。

 

 ベル君だったらいいなー、とにやつきながら考えて、居間の方から話し声がするのに気づく。

 片方はイサミのようだが、もう片方は聞き覚えのない女性の声だ。

 いぶかしみながらヘスティアは髪をまとめ、ドアを開けた。

 

「そうか! コアムの種の仁を使って魔力を固着させていたのか! それは思いつきませんでした!」

「ええ、私もこれを思いついたときはまさしく天啓だと思いましたよ! あれが神々の授けたものなら、本気でその神を信仰してもいい!」

「いやあ、それはアスフィさんの実力でしょう! この羽根ペンもそうですけど、怪物寄せの竪琴! 特定のモンスターの聴覚に作用する機構を、しかも交換可能な形でこんなコンパクトにまとめるなんて、まさしく天才の業ですよ!」

「いや、私のひらめきなどあなたの知識の前には砂浜と一握の砂を比べるようなものです!

 特に私が使い捨ての魔薬(モーリュ)の形にしかできなかった守護の魔力を、こうして護符の形に入れ込んでしまうとは・・・知識もそうですが、それを実現できる技術が素晴らしい!」

 

 ビンや指輪、カブトムシ型の護符などいくつかのアイテムを乗せたテーブルをはさみ、熱心な議論を交わすイサミと見覚えのない水色の髪の女性。

 ベルが未知の生物を見るような目でその二人を眺めている。

 たぶん、自分も同じような顔をしているのだろうとヘスティアは思った。

 

「それですよ。店で見た時に思ったんですが、その呪い除けの魔薬(モーリュ)、恐らく――で~~が■■でしょう? で、その工程を・・・」

「・・・! その手がありましたか! 確かにそれなら工程の短縮につながりますし、やりようによっては魔薬の強度を・・・」

 

 彼らの議論は更にヒートアップし、それにともなって話の内容もますます理解不能になっていく。

 使っている言葉はわかるのに、言っている事が全くわからない。

 

「・・・ベル君。なんだい、この状況?」

「・・・さあ・・・」

 

 女神と眷属は、どこかやるせなげに顔を見交わした。

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第三話「DMに必要なのは特定の呪文とマジックアイテムを禁止する勇気」

 

 

 

 話は三十分ほど前にさかのぼる。

 ホームの前でアスフィとばったり会ったイサミは、とるものもとりあえず、地下の隠し部屋に案内した。

 ベルは何らかの用事で外出しているようで、中にいたのは眠り続けるヘスティアだけであった。

 とりあえずソファを勧め、緑茶をいれる。

 

「どうも・・・これはおいしいですね。下手な店のものより上です」

「練習しましたからね。えーと、ところで『初めてになりますか』ということは、俺の事を・・・」

 

 緑茶の香りを楽しんでいたアスフィが、目を笑みの形に細めた。

 

「ええ、覚えてますよ。あなたのような印象的な子にまじまじと見つめられるというのは、なかなかにない経験ですので」

「あちゃあ・・・」

 

 見とれていたことを気付かれていたと知り、イサミが苦笑する。

 アスフィがもう一度クスリと笑った。

 

「それで、【万能者(ペルセウス)】ともあろうお方が、こんな零細ファミリアに何のご用で?」

「いえいえ、大げさな二つ名で呼ばれていますが、私もまだレベル2にしか過ぎませんので・・・

 今日お邪魔したのはお聞きしたいことがあったからですよ。

 昼間のモンスターの騒ぎで、ご活躍だったようですが、そのとき、魔道具で空飛ぶ馬を召喚されたとか?」

「・・・お耳が早いですね」

 

 イサミは内心舌を巻いた。

 たかだか数時間前のことである。

 それで彼女は幻馬(ファントム・スティード)のことや、呼び出したのがイサミであることなどをたやすく突き止めたのだ。

 しかもわかりにくいヘスティア・ファミリアのホームの位置まで。

 

(ヘルメス・ファミリアは色々やっていると聞いていたが・・・情報屋みたいな事もしているのか?)

 

「私も魔道具(マジックアイテム)に関してはそれなりに造詣が深いと自負しておりますが、馬を召喚する魔道具というのは初耳でして。

 できれば現物を見せていただけないでしょうか?」

 

 それなりに、というのは謙虚に過ぎる表現だな、とイサミは思った。

 何せ彼女はオラリオでも五人といない《神秘》アビリティの保持者、つまり魔道具作成者(アイテムメーカー)であり、しかも現在知られている魔道具のほぼ半数は彼女の創案になるものだ。

 しかもそれらの偉業を成し遂げるのに要した期間は僅か数年。

 不老不死の石を作り出したという伝説の賢者を別とすれば、史上類を見ない天才魔道具作成者と言ってもいい。

 

「いえ、残念ながらあれは使い切りでして、今は手元にないんですよ」

 

 実のところ、イサミも彼女とは一度話したいと思っていた。

 D&Dのウィザードは(人にもよるが)魔道具の作成に長けたクラスであるし、イサミもよほど特殊なもの以外、ほぼあらゆるマジックアイテムを作成することができる。

 

「それは残念です。ところで、それはあなたが? ヘスティア・ファミリアには《神秘》アビリティを持った――いえ、そもそもレベル2以上の冒険者はいないと聞きましたが」

 

 戦力的に有益なのはもちろんだが、イサミは魔法と同じくらいマジックアイテムそのものが好きであった。

 一通りの作業道具は揃えているし、冒険の合間を見ていくつもの魔道具を作り出してもいる。

 そうした彼にとって、アスフィ・アル・アンドロメダは、ある種憧れの人であったのだが・・・話はいささか面倒な方向に転がっているようだった。

 

「ええ、俺はレベル1ですよ。《神秘》アビリティも持ってません。神様が言うんですから間違いないですね」

「なるほど・・・神が言われるのであれば、それは確かにそうなのでしょうね」

 

 笑みを深めて頷くアスフィ。

 ヘスティアが己の主神のような食えない神だと思っているのだろう。

 イサミは頭の中で謝っておくことにした。

 

「とはいえ、実際になぜか俺はマジックアイテムを作れますので。お望みなら明日にはお見せできますが?」

「いえいえそこまでは。とは言え、到達階層が11階層でしたか? そのわりにはずいぶんとお強いようですね」

 

 来たか、とイサミは思った。

 さすがにマジックアイテムのためだけに、中堅派閥の団長が会いに来るというのはいささか不自然である。

 何か思惑があってのことと思うべきだった。

 

「ええ、運良く強い魔法に恵まれましてね」

「そのようですね。トロールを一撃で消滅させたとか。それだけの魔法であれば、もっと下の階層でも通用するでしょうね」

 

 あくまでにこやかにアスフィが微笑む。

 イサミは曖昧な笑みを返して、茶を一口すすった。

 

 

 

 実際のところ、アスフィがイサミを見たのはこれが三度目だ。

 一度目は街ですれ違ったとき、そして二度目は一週間ほど前。

 常のように姿隠しの兜を用いて下層域、35階層をファミリアの団員達と探索していると――見てしまったのだ。

 自分たちのパーティが高度な連携で倒してきたモンスター達を単身、それも超短文詠唱だけで次々と撃破していくイサミを。

 

(ヘルメス様が言ったのはこう言う事だったのでしょうか・・・?)

 

 初めてイサミを見た直後のことだ。

 彼女は主神たるヘルメスから、秘密裏にイサミのことを調べろとの命令を受けた。

 気まぐれでいい加減でワガママでちゃらんぽらんな主神ではあるが、それでも切れ者であることは全ての団員が認めている。

 

 命令を下した本神は、その後すぐに旅に出てしまったので、真意を問いただすこともできなかったのだが・・・。

 今回の謎の魔道具の事もあり、いっそ、と直接探りを入れてみることにしたのである。

 

「でもずいぶんと稼いでいらっしゃるのでしょう? ギルドの魔石鑑定係の方々の間では有名人のようではないですか」

「へえ、それは知りませんでしたね。まあそこそこ稼いでいる自覚はありますが」

 

 まぁ来るだろうなとはイサミも思っていた。

 そもそもダンジョンで採取した魔石を鑑定して買い取り値をつけるのはギルドの鑑定士である。

 いずれはバレると覚悟はしていた。

 

 一方のアスフィも揺さぶりに全く動じないイサミを見て、なかなか手強い相手だ、と評価を引き上げる。

 18歳の若さとはとても思えない。もっともアスフィもまだ22ではある。

 

 さてどう攻めるか、と考えつつ、アスフィはもう一口、緑茶を口に含んで。

 次の瞬間、危うく吹き出しそうになった。

 

「でもそれはアスフィさんたちも同じでしょう? 35階層にまで進出してるなんて、すごいじゃないですか」

「っ!?」

 

 目を白黒させ、茶を吹き出さないように必死にこらえる【万能者】。

 主神やファミリアの仲間が見れば、それこそ目を丸くするであろう。

 無理矢理に自分を落ち着かせ、口内の茶を飲み込む。

 

(まさか・・・気づかれていた? そんなわけはない!

 "姿隠しの兜"を使っていたのです、たとえ気配や音を聞きつけていたとしても、私たちだとわかるわけが・・・)

 

「確か35階層の中央南東よりでしたか? 俺がモンストラス・スコーピオンやらの群れを三回ほど焼く間、ずっと付いてきてらしたじゃないですか」

「ゲボッ! ゴボッ! グホッ!」

 

 今度こそこらえきれずに、アスフィは吹きだした。

 幸いほとんどは飲み込んでいたものの、茶が気管に入り、激しくむせる。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です、ゲホッ! お気遣いなく・・・」

 

 アスフィは差し出されたハンカチを震える手で丁重に断り、必死で呼吸を整える。

 

(間違いない。どういう手段を使ったか知らないが、彼は私たちのことに気づいていた!)

 

 

 

 実際イサミは透明化した彼女達に最初から気づいていた。

 

 D&Dには"透明看破(シー・インヴィジビリティ)"という呪文がある。

 そして、経験点を支払って呪文を固定・常動化する"永続化(パーマネンシィ)"という呪文もある。

 

 透明化の手段がありふれているD&Dにおいて、高レベルのウィザードが"透明看破"を"永続化"するのは、当然以前の定石であったし、イサミも当然それは怠っていない。

 もちろん、そんな事をアスフィが知るよしもなかったが。

 

「ヘルメス・ファミリアの到達階層は19階層と聞いていましたが・・・レベル2の団員しかいらっしゃらないのに35階層ですか。

 いつの間にか随分と強くなってらしたんですねえ!」

「い、いえいえ、そんなことは・・・」

 

 攻守は一気に交代した。

 満面の笑みを浮かべるイサミに、もはや探りを入れるどころではない。

 

 実際彼女らは主神の命令でレベルを偽っている。

 それがギルドにばれたら、一体どれだけの罰金を食らうことか。

 

「まあ、アスフィさんが違うとおっしゃるなら俺の勘違いってことなんでしょうね。でしょう?」

「え、ええ・・・」

「そうだ、お茶のおかわりは?」

「いただきます・・・」

 

 互いに突っつき合うのはやめよう、と暗に要求するイサミに、アスフィは屈するしかなかった。



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3-2 専門家の議論(オタトーク)

 おかわりをいれた後、イサミが一つの指輪をテーブルに置いた。

 

「・・・これは?」

「姿隠しの指輪ですよ。アスフィさんたちは兜を使ってるようですけど・・・今度、見せて貰えます?」

 

 どきり、とアスフィの心音が高鳴る。

 自分の知らない魔道具に、研究者としての好奇心が激しくうずく。

 

(だめです! 姿隠しの兜は我がファミリアの最大の秘密! それを余人に明かすわけには・・・

 いえですがしかし、このようなチャンスは二度と・・・!)

 

 葛藤する間にも、イサミはポーチや背負い袋から、アスフィが見た事も聞いた事も無いようなアイテムを取り出して並べていく。

 

「こう言うのもありますよ。"石の軟膏"と言って、肌に塗ると鉄のように固くなり・・・ああ、こっちは周囲に空気の膜を作って、毒ガスを防いだり、水中でも呼吸できるように・・・」

 

 しばし躊躇した後――アスフィは自分の欲望に負けた。

 そこから専門家同士の話が弾み、後は冒頭のごとくである。

 

 この世界に存在しないD&D世界のマジックアイテムの知識はアスフィを興奮させたし、アスフィのひらめきと柔軟な発想はイサミにとって感動すら呼び起こすものであった。

 これで話が弾まないわけがない。

 

 実のところ、イサミとしては自分の秘密を明かすリスクを冒してでもコネを作っておきたいという思惑があったわけだが・・・話をしているうちにそんな思惑は綺麗さっぱり忘れてしまっているのだから世話はない。

 普段語り合える相手がいない同好の士(オタク)が出会えば、大体こんなものである。

 

 

 

 しかし熱心に議論をしつつも、イサミはそれまでの疑問を再確認していた。

 そもそも『何故アスフィと話が合うのか』ということだ。

 

 D&Dにおける「マジックアイテム」は、武器防具、ポーション、巻物、魔法の杖、指輪、その他の様々な魔法の品・・・

 それら全てのことであり、魔法を使える術者なら、理屈の上では全てを一人で作ることが可能だ。

(もちろん人やクラスによって作れたり作れなかったりはある)

 

 対してこの世界では武器と防具は鍛冶師の、ポーションは調合師の、杖は魔術師(メイジ)の領域で、アスフィのような超一流の魔道具作成者でも専門外のものは作れない。

 しかも、D&Dと違ってそれぞれの魔法の品に対応した魔法を保有している必要はない。

 

 なのに、イサミとアスフィの話は綺麗にかみ合っている。

 つまり基本的な理論、そして技法が共通していると言う事だ。

 あの怪人赤マントが言っていたように、随分変化してはいるが、ここはD&Dの世界だということらしい。

 

(魔法が使えなくても材料があれば作れるのは便利だと思うべきか、特定の材料がなければいくら高レベルでも作れないのは面倒だと思うべきか・・・まあ、痛し痒しだな)

 

 そんな事を考えたとき、柱時計が七時の鐘を鳴らした。

 どうやら、思いのほか長話をしてしまっていたらしいと気づき、イサミが周囲を見渡すと、微妙な表情をした弟と主神がいた。

 

「ああ、よかった。やっと戻ってきてくれたみたいだね。おなかぺこぺこだよ」

「これは気づかず失礼しました、神ヘスティア。

 ヘルメス・ファミリアで団長を務めさせていただいております、アスフィ・アル・アンドロメダと申します」

 

 アスフィが立ち上がり、綺麗な一礼をする。

 とてもたった今まで目をきらきらさせて熱弁を振るっていたのと同一人物とは思えない。

 洗練された身のこなしに、思わずヘスティアが感嘆の声を漏らした。

 

「おー。ヘルメスのところの子かい。ヘスティアだ、よろしくな。こっちは知ってるかもしれないけど、イサミ君の弟のベル君だ」

「よ、よろしくお願いします・・・」

「よろしく。とはいえ、そろそろいい時間ですし、おいとましましょうか」

「待ちなよ。どうせなら夕食も食べていったらどうだい?」

 

 再度一礼して立ち去ろうとするアスフィをヘスティアが呼び止めた。

 

「よろしいのですか?」

「なに、イサミ君の料理は絶品だからね! 問題ないよね、イサミ君?」

「ええ。今日はいい白身魚が手に入ったので、ポワレ・・・炒め焼きにしますよ」

「よし、じゃあ決まりだ!」

 

 満面の笑顔でどすん、とヘスティアがアスフィの向かいのソファに座り、アスフィも一礼して再度腰を下ろす。

 これはひょっとして探りを入れるつもりだろうか、という疑いを抱きつつ。

 

「そういえばヘルメスはどうしてる? 下界に来てから会ってなくてさー。それほど親しかったわけでもないけど、長く会ってないと気になるもんでね」

「しょっちゅう旅に出てばかりですよ。オラリオには年の半分もいないのではないでしょうか」

「あはは、あいつらしいなあ。放埒とか奔放って単語はあいつのためにあるようなもんさ」

 

 五分ほども会話を交わすと、これは探りとかではなく、単に会話をしたいだけなのではないかとアスフィはうすうす感じ始めていた。

 そして、目の前にいるのが自分の主神のような食わせ者ではなく、むしろ表も裏もない単純な神物ではないかと確信した頃、イサミがベルを呼び、食卓の準備が始まった。

 

「あの、わたくしもお手伝いを・・・」

「いいからいいから。君はお客さんなんだから、座っていてくれたまえよ」

 

 と言われても、さすがに神に配膳をさせてふんぞり返っていられるほど、アスフィの心臓は強くない。

 多少は手伝って食卓に着いた。

 

 メニューはバゲット、いわゆるフランスパンと粉チーズをまぶしたサラダ、カボチャを裏ごししたスープ、メインディッシュの魚のポワレ。そしてジャガ丸くんである。

 

(何故このメニューでジャガ丸くん?)

 

 いささか戸惑ったものの、まずスープを口にして、心の中で唸る。

 さらにサラダを一口、そしてポワレをひと切れ。バゲットを一口ちぎり、上品に口に運ぶ。

 どれもが舌の肥えたアスフィをして満足させる味だった。

 

 そして目を向ける最後の一品。

 

(もしやこれもジャガ丸くんに見えますが・・・)

 

 少なからぬ期待と共にフォークで小さく切ったジャガ丸くんを口に運ぶ。

 ジャガ丸くんだけは普通のジャガ丸くんだった。

 

 

 

「ごちそうさまでした。大変おいしかったです」

「お口にあったならよろしいですが」

「いえ、お世辞抜きで美味でした。そのまま店にも出せますよ、これは」

 

 照れたように頭をかくイサミ。

 自分のために身につけた技術だが、それでも褒められるのはやはりうれしい。

 ベルも自分が褒められたかのようにうれしそうな顔になる。

 

 アスフィはそんな兄弟をほほえましそうに見つめ、音を立てずに食後の紅茶を一口。

 ほうっ、と息を吐いた。

 

「癒されますねえ・・・」

「・・・疲れてるんですか?」

「あ、いえ・・・」

 

 思わずぽろっと本音が出てしまっていたことに気づき、赤面するアスフィ。

 イサミから顔をそらすと、気の毒そうなヘスティアの顔があった。

 

「・・・ああ、君はヘルメスのところの子だから・・・」

「わかっていただけますか・・・」

 

 同情のまなざしを送るヘスティア、額に手を当てて渋い顔になるアスフィ。

 イサミとベルは、それだけで彼女の主神がどう言う神かわかったような気がした。

 

 

 

 

 

 さすがに夜も更けたことでもあるし、とアスフィは帰って行った。

 一応イサミが送って行こうと提案するが、笑みと共にやんわりと断られた。

 少々残念には思ったが、格上の冒険者であるから強いては言わない。

 

「お気をつけて」

「ええ。ごちそうさまでした。おやすみなさい」

 

 アスフィが辞した後、そういえば、とイサミは思い出す。

 

「神様、明後日からちょっと遠出するかもしれません」

「ん、ダンジョンの奥深くに行くって事?」

「ええ、知り合った上級冒険者の人に誘われまして。そのあたりで仕事が終わるんで、リヴィラの街で会おうかって」

 

 そこで洗い物を終えたベルが居間に戻ってきた。

 

「リヴィラって何だっけ?」

「エイナさんが言ってたろ。迷宮の中の安全地帯、18階層にある街だよ。

 そこかしこから水晶が生えててな、天井の水晶が光ってて地上みたいに明るいし、広い森と綺麗な湖があるんだ。すごくいい景色だぞ」

「へー・・・って、君もう18階層に行ってるのかい!?」

 

 目を丸くする神と弟の視線をそしらぬ顔で受け流すイサミ。

 

「ええ。それくらいでなきゃ、こんなに生活に余裕が出るわけはないでしょう?」

 

 実のところは18どころか43階層にまで到達しているのだが、弟はもちろん、えらそうな事を言っている主神も嘘はへたくそだ。

 教えても構わないと言えば構わないが、黙っているにしくはなかろうとイサミはすっとぼける。

 

「そっかー、すごいなぁ」

「何だったら土産に水晶の一つでも持ってきてやるぞ」

「いいね。その隅にでも飾ろうか。そういえば、知り合った上級冒険者の子っていうのは?」

「ええ、ガネーシャ・ファミリアの人で、ハシャーナ・ドルリアさんと言います」

 



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3-3 レノアの店

 

 翌々日、怪物祭から二日目の朝。

 ロキ・ファミリアの食堂は朝食を取る団員達で賑わっていた。

 アマゾネス姉妹の妹、ティオナがサンドイッチをほおばりながらアイズに話しかける。

 

「ねーねー、今日は何か予定あるの?」

「レイピア・・・壊しちゃったから弁償しないといけなくて・・・」

 

 カップスープをすすりながら憂鬱そうに答えるアイズ。

 昨日、アイズは整備を済ませた愛剣を受け取りに行き、代剣として借りたレイピアをゴブニュに渡した。

 そしてゴブニュがレイピアを鞘から抜いた瞬間、剣は哀れ根元からぽっきりと折れたのである。

 

 スローモーションで床に落ちていった刀身、落ちたときの金属音。

 ゆっくりとこちらを振り向く、曰く言い難いゴブニュの表情・・・背を向けて逃げ出したくなるくらい、いたたまれなかった。

 結局のところ損耗の原因はダンジョンで酷使しまくったせいであって、たかが数匹のモンスターを切っただけでこうなるわけがないのだ。

 

「四千万ヴァリスだって・・・しばらくダンジョン潜らなくちゃ・・・」

「じゃあ、あたしも行くよ! 作り直してもらった大双刃(ウルガ)の代金払わないと!」

「わ、私もお邪魔でなければ・・・」

 

 こうしてティオネとリヴェリアとフィンも巻き込み、彼らはダンジョンに潜る事になった。

 フィンとティオネは依頼を見繕いにギルドに、アイズとティオナは消耗品の調達に。

 そして、リヴェリアとレフィーヤの魔導士二人は、魔術師(メイジ)レノアの店に来ていた。

 

「レノア、邪魔するぞ・・・おや」

「あ・・・これはどうも」

 

 店の中にはイサミの巨体があった。椅子に腰掛けて、店主と何やら話し込んでいた風である。

 

「おや、リヴェリア。この小僧と知り合いだったのかい?」

「知り合いと言うほどではないが・・・どうかしたのか?」

 

 かすかに首をかしげるリヴェリアに、どこか嬉しそうに老婆が言う。

 

「いやなに、同業者と出会ったのは久々なもんでね・・・ひっひっひ」

「ほう」

「えっ!?」

「あー、出来ればご内密に。余り広めたくはないんで」

 

 リヴェリアが軽い感嘆の声を漏らし、レフィーヤが目を丸くする。

 当然である。魔術師(メイジ)とは、それだけ珍しい存在なのだ。

 

 魔道具を作り出す《神秘》アビリティ持ちですらオラリオに四人しかいないのに、更に《魔導》アビリティを持っているとなれば、リヴェリアは目の前のレノアと、後もう一人しか知らない。

 魔法大国アルテナでさえ数えるほどにしか存在しない、希少な人材なのである。

 

 リヴェリアは改めて目の前の青年を観察する。

 頼りになる兄貴分というのがぴったりの顔立ちで、愛嬌と適度な野趣を備えている。

 そこまで思ったとき、その愛嬌のある容貌が冷や汗を浮かべ始めた。

 

「どうした?」

「あーその、愚弟がそちらのお嬢さんにまたしても失礼をいたしましたようで・・・」

 

 また? と首をかしげるリヴェリアに対して、レフィーヤがいきなり大声を上げる。

 

「あーっ! そうですよ! アイズさんが話しかけようとしてるのに逃げ出して! あなたは弟さんにどういうしつけをしてるんですか!」

「いやその、まことにおっしゃるとおりなんですが、男の子には色々デリケートな事もありまして・・・」

 

 角でも生やしそうな剣幕でベルをなじるエルフの少女と、平謝りする大男。

 おぼろげに事態を理解したらしいリヴェリアがくっく、と笑いを漏らした。

 

「リヴェリア様! 笑ってないで何か言ってやってください!」

「人の店先で余り騒ぐな、レフィーヤ。それに、若い男ならそういうこともあるだろう」

「うー・・・」

 

 不服そうに唸るレフィーヤ。

 イサミはほっと一息つく。

 

「ご理解いただけて幸いです・・・レノアさんもすいません」

「なに、かまわんさ。若いってのはいいねえ、ひっひ」

 

 

 

「それで今日は何を? ・・・と言っても、魔導士がここに来る以上、理由は一つか」

「ええ。そろそろ杖を使ってみようかと思ったんですが、やっぱり最初は信頼できる人の作った物がいいかなと」

「作り置きじゃこの坊やは満足できないらしくてね。それで話し合ってたんだが・・・ふぉっふぉっ、年甲斐もなく熱が入っちまったよ」

 

 楽しそうに笑う老婆。

 そこだけを見ていると、孫と話して喜んでいる祖母のように見えなくもない。

 

「ああそうだ、リヴェリアさん。実際に使ってる人の意見も聞かせて貰えるとありがたいんですが・・・」

「ふむ、そうだな。君はソロか? 到達階数は?」

 

 一瞬逡巡するが、いずれはばれることでもあるし、と素直に答えることにする。

 

「今のところソロです。到達階数は43階層」

「ほーお。まぁ、確かにその階層で杖無しはきついな」

 

 ソロで43階層?!と再び目を丸くするレフィーヤをよそに、しばし瞑目するリヴェリア。

 

「そうだな・・・まず私の杖を見て貰おうか。レノア、見せてやってくれ。できてるだろう?」

「あいよ。まったく、特製の魔宝石を四つも駄目にして・・・」

 

 職人らしいぼやきをこぼしながら、レノアは後ろを向き白銀の長杖を取り出す。

 こちらもいつの間に取り出したのか、イサミは青いレンズのはまった手持ちのルーペを取り出し、杖を舐めるように観察していた。

 ルーペを構えた一瞬、魔力を感じたリヴェリアだが、片目をつぶったのみで何も言わない。

 

「・・・芸術品ですね」

「ふふ、わかるかい、坊や」

 

 思わず漏れる感嘆の声。

 "魔力分析(アナライズ・ドゥエオマー)"の呪文で透かし見た白銀の杖の内部は、無数の魔力経路がブレも混線もなく整然と走っており、精緻な細工が施された杖飾りで大きく広がって、複雑な曲線と直線が絡み合い、交差して幾何学的な美を描き出している。

 カウンターの上の杖に視線を落としつつ、リヴェリアが口を開く。

 

「まあ構造については門外漢だから置いておくとして、杖の性能を決定するのはざっくり言って制作者の腕と魔宝石、材質、そして長さだ。

 単純に長ければ長いほど、魔力の増幅効果は上昇する」

「滝が高いほど水は勢いよく落ちると、そういうことですね」

 

 イサミの言にリヴェリアが頷く。

 

「うまいたとえだな。だが、後衛の魔導士としては威力最優先でよくても、ソロの魔法戦士となると話は違ってくるだろう。立ち回りを考えれば、必ずしも長い杖が正解とは言えまい。

 ソロを続けるなら短杖(ワンド)にする手もあるし、信頼できる前衛とパーティを組めるなら長杖で砲台に徹する手もある。杖を選ぶならその辺も考えた方がいい」

 

 リヴェリアに礼を述べ、イサミはしばし考え込む。

 

「レノアさん、それじゃやっぱりさっきのあれで・・・」

「あいよ。初めてだし、9000万ヴァリスにしといてやるか。金は足りるかい、ひひ」

 

 にやにやする老婆に、イサミは肩をすくめる。

 

「9000万くらいならまあ、明日にでも」

「このとんま、そんなこたぁ聞いてないよ。あっちの競りに入れたぶんも一緒に払えるのか、って聞いてんのさ」

「競り?」

「ほれ、そこのさ」

 

 首をかしげるレフィーヤに老婆が示した先にあったのは一冊の本。

 

「これ、ひょっとして魔導書(グリモア)・・・・に、におくっ?!」

 

 引きつったような声を漏らすレフィーヤ。

 

 魔導書。

 それを読んだ物に強制的に魔法を発現させる、文字通りの魔法の書だ。

 当然きわめて貴重なもので、価格は天井知らずに高い。

 今は競りが行われているらしく、札には真新しいインクで二億と記されていた。

 

「まあ、競りが終わるのは半月先でしょ? その頃までには稼いできますって」

「いひひ、威勢のいいことだね。せいぜい死なないよう気をつけな」

 

 へーい、と肩をすくめてリヴェリア達の方に向き直る。

 

「それじゃリヴェリアさん、レフィーヤ、お先に失礼します」

「ああ」

「あ、はい、お気をつけて!」

 

 挨拶されたレフィーヤが、いきなりしゃちほこばって直立不動になる。

 ベル・クラネルの兄と言う事で色々思うところはあるが、とりあえずは明らかに格上の魔導士であるイサミに敬意を示すことにしたらしい。

 根本的なところでは素直な娘である。

 ともあれイサミはバベルに向かい、リヴェリア達も杖の具合を確かめた後店を出た。

 



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3-4 リヴィラ殺人事件 ~真相はクレーターに消えた~

 

 迷宮第十八階層、通称『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』。

 光り輝く水晶と、美しい森、草原、そして湖。

 地上にあったならば別荘地として大人気のスポットであったろう。

 "楽園(リゾート)"の異名も決して大げさではないな、とイサミは思う。

 

 この階層には水晶の発光の間隔によって朝昼夜が存在するが、そのリズムは地上のそれと一致していないため、ずれが生じる。

 現在は「朝」。とはいえ地上でも十時過ぎのはずなので、今のところはそれほどずれてはいないようであった。

 

「ハシャーナさんは・・・やっぱりリヴィラの中だな」

 

 イサミは"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"の呪文を使い、ハシャーナの居所を確かめた。

 何気に呪文の無駄遣いである。

 

 湖から突き出した岩山に作られた街、リヴィラ。街路はまだ人通りもまばらで、店も余り開いていない。

 地上であれ地下であれ、冒険者は朝寝坊なようであった。

 

 バラックのような店や洞窟を利用した酒場、水晶の柱などが入り乱れる街路を登っていく。

 美しい天然水晶と粗末な建築物が入り乱れる町並みには、一種独特の風情がある。

 やがてイサミは「ヴィリーの宿」と看板の出た洞窟の前で足を止めた。

 

「ここか・・・」

 

 洞窟の中へ入ろうとしたイサミの足が止まる。

 中からかすかに匂う――血のにおい。

 

 表情を変えず、無言のままで《高速化(クイッケン)》した"生物同位(ロケート・クリーチャー)"を発動する。

 洞窟の中に、ハシャーナの反応はなかった。「生きた」ハシャーナの反応は。

 

 直後、イサミはきびすを返して街路を戻り始めた。

 酒場らしき適当な洞窟を見つけ、階段を下りたところで再び呪文を発動する。

 

「《高速化(クイッケン)》"上位不可視化(スペリアー・インビジビリティ)"」

 

 誰も見ていない踊り場で、イサミの姿が消えた。

 "上位不可視化(スペリアー・インビジビリティ)"。

 名前の通り"不可視化(インビジビリティ)"の上位呪文で、音や匂い、それどころか"透明看破(シー・インヴィジビリティ)"の呪文でさえ察知できなくなる。

 念には念を入れ、足跡を残さないよう"長距離飛行(オーヴァーランド・フライト)"の呪文で地上10センチほどを飛行しながら、イサミは「ヴィリーの宿」に引き返した。

 

 

 

 「ヴィリーの宿」には、やはり誰もいなかった。

 その代わり部屋の一つに転がっていたのは、上あごから上を踏みつぶされた男の死体。

 顔はわからなかったが肌の色、そして背格好からして間違いなかった。

 

「ハシャーナさん・・・くそっ!」

 

 ののしり声を上げるイサミ。

 憤りがひとしきり収まると、今度は無言で考え込む。

 

「・・・まあ、しょうがないか」

 

 やがてため息をつき、背中の"ヒューワードの便利な背負い袋"から一本の巻物(スクロール)を取り出す。

 日本のそれとは違い、羊皮紙を丸め、紐で束ねたものだ。

 この世界では一般的ではないが、他のD&D世界では込められた呪文を使用できる使い捨てアイテムとして普及している。

 

 そのスクロールに記された呪文は"完全蘇生(トゥルー・リザレクション)"。

 一片の塵からでも肉体を再生し、魂を呼び戻す――『死者を蘇らせる』呪文だ。

 本来ベルに不慮の事態が起きたときのための物だったが、借りがある相手をこのまま放置しておくのも気が進まなかった。

 

 余談だがイサミが一日二回使える"願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力でも、これだけ遺体が残っていれば蘇生は可能である。

 ただ・・・。

 

(レベルが下がるんだよなあ)

 

 D&Dの世界にはそれなりに多くの蘇生手段があるが、"完全蘇生"以外は、おおむね対象のレベルを1減少させる。

 そうでない呪文もあるにはあるが、そうした呪文は「死亡直後」にかけるのが絶対条件なので、今回は使えなかった。

 

 この世界の1レベルはおおよそD&Dの3レベルに相当するから、ステイタスが1/3くらい下がるというのが妥当な予想だとは思うが、万が一この世界のレベルで1低下、と言うことになったら割としゃれにならない。

 何年もかけてステイタスを上げ、更に偉業を積んでランクアップを果たさなければならないこの世界で、1レベルは相当に重いのだ。

 

 

 

 もう一度ため息をつき、覚悟を決めて、イサミは"完全蘇生(トゥルー・リザレクション)"の巻物を開く。

 洞窟に巻物を読み上げる声が響く――もっとも"上位不可視化"をかけた状態なので、本人以外には聞こえないが。

 

 やがて長い詠唱が終わり、強大な魔力がハシャーナの遺体の周囲に集まる。

 それはやがて物理的な光を発し、遺体の欠損部分を回復させ始める。

 更に光が強くなり、魔力が生命力と魂をその冷たい肉体に再び吹き込む。

 そして・・・

 

「フォォォォォォォォォォッ?!」

 

 誰にも聞こえないイサミの絶叫が、ヴィリーの宿に響き渡った。

 

 

 

 乾きかけた血と脳漿、目玉。

 引き裂かれた背嚢と散らばった装備。

 

 その中央にあるのは今や頭を踏みつぶされた男の死体ではなく――身長140cm、年の頃12、3ほどの、可憐なエルフの少女であった。

 腰まであろうかという豪奢な金髪。精緻な芸術品のような面立ち。小ぶりながら形良く盛上がった胸の双丘。華奢で触れたら折れそうな手足。

 ちょっとおでこが大きい以外は、非の打ち所のない美少女だ。

 元のハシャーナがつけていた、男物のボクサーパンツが異彩を放っている。

 

(ぬわんっっっっじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ?!)

 

 頭を抱えてイサミが絶叫するが、その声はやはり誰にも聞こえない。

 そのようにイサミが混乱している間に、エルフの少女が目を開いた。

 鋭い目で周囲を見渡し、素早く、しかし隙のない所作で跳ね起きる。

 立ち上がり、周囲を見渡そうとしたところで、サイズの合わなくなっていたボクサーパンツがすとん、と足下に落ちた。

 

 そこで初めて違和感を感じたのか、自分の体を見下ろす少女。

 そこにあったのはごくうっすらと金色のうぶ毛が生えた、何もない――

 

「お・・・俺の色黒で反り返ってカリ高の、自慢の【ツーハンデッドソード】がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 実に下品な内容の絶叫が、澄んだ少女の声で、今度こそ洞窟内に響き渡った。

 

 

 

(お、落ち着いてください、ハシャーナさん!)

 

 頭を抱えて、キング・ク●ムゾンのCDジャケットみたいな顔になる美少女を何とか落ち着かせようと、肩に手を置く。

 が、透明化を解かずにそうしてしまったあたり、イサミもまだ混乱している。

 少女からすれば見えない何者かが接触してきたことだけしかわからない。

 

「ぬおっ?! なんだぁ!?」

(ぐぶぉっ!?)

 

 闇雲に振り回した拳がみぞおちにクリーンヒットする。

 ベート・ローガのそれにも劣らぬ一撃にたまらずイサミが吹き飛び、隅の棚に叩き付けられて派手にひっくり返した。

 

「そこかぁ!」

 

 戸棚の転がり具合で見当をつけ、全裸の少女が金髪を振り回してイサミにのしかかる。

 馬乗りになり、固めた拳を振り下ろそうとする寸前、ようやく気づいたイサミが透明化を解いた。

 同時に音を誤魔化す魔力も消えて、声も届くようになる。

 

「ストップ! ストップです、ハシャーナさん! 俺ですよ! イサミです!」

「・・・イサミ?」

「え、ええ。ハシャーナさん・・・ですよね?」

 

 探るように尋ねるイサミののど首を、ぐい、と少女が左手で締め上げる。

 

「ぐえっ!?」

「俺をこんな風にしたのはおまえか・・・?」

 

 拳をぶるぶる震わせる少女。

 その表情はうつむいていてよくわからない。

 

「あー、その・・・よくわかりませんけどたぶん・・・」

「返せ」

「はい?」

「俺の【ツーハンデッドソード】を返せぇぇぇ! いやむしろおまえの【バスタードソード】をよこせぇぇ!」

「ファーッ!?」

 

 少女が、鬼女のごとき形相でイサミのズボンをおろそうとする。

 イサミは"自由移動の指輪(リング・オブ・フリーダム・ムーブメント)"の力で馬乗りになった少女の下から必死に抜け出すが、少女はすかさず身を翻して再度襲いかかる。

 

「おまえの、おまえの【バスタードソード】を俺によこせぇぇぇぇ!」

「ぎゃあああああ!?」

 

 鋭い攻撃(?)にイサミは精神集中する暇もない。

 ズボンをおろそうとする少女と、させまいとするイサミの必死の攻防が洞窟を揺らす。

 

 イサミが"感情沈静化(カーム・エモーションズ)"を《高速化》して発動する事を思いつくまでに、ベッドが真っ二つになってひっくり返り、壁にクレーターが二つできた。



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3-5 大当たり転生ガチャ

「・・・落ち着きましたか?」

「・・・ああ・・・その、なんだ、ワリい・・・」

 

 室内はモンスターか何かが暴れたとしか思えない惨状だった。

 ベッドは半ば砕け、原形を保った半分だけが部屋の隅に転がっている。室内は木くずと洞窟の岩壁の破片が散乱していた。

 ベッドのマットレスを敷き、少女とイサミがその上で向き合って座っている。

 少女はシーツを肩から羽織り、あぐらをかいてうつむいていた。

 

「その・・・確認しますけど、ハシャーナ・ドルリアさんですよね? 一週間前に俺を介抱してくれた?」

 

 こくり、と少女が頷いた。

 

「とりあえず今の事はおいておいて、記憶はありますか? こうなる前の」

「・・・」

 

 しばらく沈黙があった。

 イサミは辛抱強く待つ。

 

「・・・ああ、思い出した。首をわしづかみにされて、俺は死んだ。

 首の骨の折れる感覚まできっちり思い出せるぜ・・・おまえが、その?」

「はい」

 

 そのまま言葉が途切れる。

 この世界においては、神々ですら死者の蘇生は禁じられている。

 むろん神の力を使えばたやすいことではあるのだろうが、子らの人生を尊ぶ神々はそれを許していない――というのが建前である。

 

「で、これについてはできれば秘密にしていただけるとありがたく・・・」

「ああ、そいつぁ構わねぇよ。生き返らせてもらった恩義もあるしな。

 しかし、その蘇生魔法だか魔道具だかは、こうやって相手を女にしちまうもんなのか?」

「そんなことはない・・・はず・・・なんですけどねえ・・・」

 

 心底情けなさそうな顔になるハシャーナ、穴があったら入りたいという表情のイサミ。

 実際、"完全蘇生"の呪文でそんな事は起こらないはずなのだ。

 

「まあ、考えられることがないわけでもないですけど・・・」

 

 一つは、巻物の使い方がまずかった可能性。

 

 実のところ、巻物は誰でも使える便利アイテムではない。

 たとえばイサミは魔術師(ウィザード)なので、本来はウィザード呪文の巻物しか使えない。

 僧侶(クレリック)呪文である"完全蘇生"の巻物を使うことはできないのだ。

 

 ただ、ここに抜け穴が存在する。

 〈魔法装置使用(ユーズ・マジックデバイス)〉という技能がそれで、いわば「映りの悪いテレビに斜め上四十五度からチョップ」的な手法で、使えないはずのアイテムを無理矢理使ってしまう、という便利な代物だ。

 

 便利なのだが――読者諸兄は「キャプテン・スーパーマーケット」という映画をご存じだろうか?

 スーパーの日用品係が過去に飛ばされて、アーサー王と共にゾンビと戦うコメディ映画だが、その中で、主人公アッシュが呪文を唱えて封印を解き、魔法の書を得るシーンがある。

 しかし呪文がうろ覚えだったために、魔法の書は手に入ったものの、ゾンビ軍団を呼び起こしてしまうのだ。

 

 〈魔法装置使用〉の欠点も大体ここにある――言ってみれば精密機器であるマジックアイテムを無理矢理叩いたり振り回したりして使っているのだ、何か起きないわけがない。

 まあ、ウィザードのイサミが"完全蘇生"を使うにはそれしかなかったので、しょうがないとは言える。

 

「そんな理由かよ、おい・・・」

「ええとその、もう一つ思い当たることがないでもなく・・・」

 

 「蘇生された人間が別人に変化する」という現象にひとつ、イサミは心当たりがあった。

 自然祭司(ドルイド)の蘇生呪文である"転生(リインカーネイト)"と、その派生呪文である"今際の際(ラスト・ブレス)"である。

 

 命の変転を是とする彼らの呪文らしく、これらの呪文は対象を「生き返らせる」のではなく「新しい肉体に転生」させる。

 さすがに動物などになることはないが、エルフがドワーフに、人間が小人族になるなどは当たり前だし、リザードマンやゴブリンになることすらあるのだ。

 

「だから、神様達が蘇生を禁じてるのはそういう表向きの理由の他に、何か蘇生という行為自体に障りがあって、それで禁じているんじゃないかと」

「それで俺がこんなエルフの小娘になる羽目になったと?」

「現状では推測でしかないですけど・・・・」

 

 はーっ、とハシャーナは頭をガリガリかいて男前にため息をつく。

 見た目が華奢繊細なエルフの美少女なので違和感のある事おびただしい。

 

「で、俺はずっとエルフの女として生きて行かなきゃならないわけか」

「ひょっとしたら戻せるかもしれませんけど・・・」

「オッケー! 何だ、戻せるならそうと言ってくれ!」

 

 いきなり破顔一笑するハシャーナ。

 エルフの美少女が歯をむき出して大笑いするというのも、なかなか見れない光景である。

 

「でも、しばらくはこのままの方がいいかもしれません」

「何でだよっ!?」

 

 一転してハシャーナが悲鳴を上げる。

 

「頼む! 俺の【ツーハンデッドソード】を返してくれ! あれが俺の生き甲斐なんだ! 穴しかないなんて寂しすぎる!」

「自重しろエロオヤジ! 戻さないとは言ってませんよ! でも、今戻したらあなたを殺した犯人にあからさまにばれるでしょう?!」

「む・・・そりゃそうか」

 

 さすがにまずいと思ったのか、落ち着くハシャーナ。

 イサミが考え考え言葉をつなぐ。

 

「もちろんまだこの街にいるとは限りませんけど、とりあえずはここを移動した方がいいかもしれません。話はそれからと言う事で・・・外の森がいいでしょうか?」

「よし、んじゃ行こうぜ」

 

 そういって勢いよく立ち上がるハシャーナ。

 そのまま出て行こうとするのを見て、イサミが慌てる。

 

「ちょ、ちょっと! 何裸で出て行こうとしてるんですか!」

「いや何って・・・サイズ変わっちまったから防具も服も使えねえだろ。

 武器だって、持ってりゃばれるかもしれねえし・・・つうか、数日前に買い込んだ安物だから、置いてっても大したこたぁねえよ」

 

 ハシャーナの言葉にイサミが妙な顔になる。

 

「わざわざ別の装備を・・・結構裏があったりします?」

「鋭いな。ま、その辺含めて話してやるよ」

 

 にやり、とハシャーナが男臭い笑みを浮かべた――エルフの美少女の顔で。

 

「まあ、それはわかりましたから服だけは着てください。精神衛生に悪い」

「お、なんだ? 俺のスケベボディを見て勃起したか? 欲情したか? ん?」

 

 にやにやと、上目遣いでイサミに体をすり寄せるハシャーナ。

 シーツの前をちらちら開けて、完全に遊んでいる。

 

「カンベンしてください、割とマジできついんで」

 

 一方、イサミは珍しく苦り切った顔をしていた。

 "ミストラに選ばれし者"として不老の肉体を手に入れた彼は15歳で肉体年齢が止まっている。

 つまり、肉体的欲求も15歳相当ということだ。

 

(精神は肉体の影響下にあるというけどなあ・・・)

 

 精神年齢は合計で50近いというのに、思春期の少年同様、ちょっとしたことでも【抜剣覚醒】してしまうというのは実にこう、情けないものがある。

 

「とりあえず着るだけ着てください! サイズはどうにかしますから!」

「わーった、わーったって。・・・・覗いてもいいのよ?」

「さっさと着ろ!」

 

 

 

「で、どうすんだ」

 

 だぼだぼの戦闘衣と靴を身につけたハシャーナが言った。

 パンツとズボンがずり落ちないよう、両手で支えている。

 

「はい、お疲れ様。ちょっとそのままいてくださいね――創造のドラゴンマークよ、その力を示せ・・・"加工(ファブリケイト)"」

「お、おおっ?!」

 

 手をかざすイサミの脇腹に、精緻な文様が浮かび上がる。

 次の瞬間、だぼだぼだった戦闘衣と下着は今のハシャーナの体ぴったりに仕立て直されていた。

 

「・・・けど、靴やベルトなんかがそのままなんだが」

「これ、一度に一種類の素材しか加工できないんで・・・ほい、もう一発」

 

 創造のドラゴンマークが再度輝くと、革製のベルトや靴もぴったりのサイズに変化する。

 ぴょんぴょん、と軽く飛び跳ねてはしゃぐハシャーナ。

 

「便利な魔法持ってやがんなあ! この靴なんか前より履き心地いいぞ!」

「魔法とはちょっと違うんですけどね。それじゃ行きますよ。お静かに・・・"不可視球(インヴィジビリティ・スフィア)"」

 

 イサミが呪文を発動する。

 

「・・・ん? なんだ? 何したんだ?」

 

 きょろきょろと辺りを見回すハシャーナ。

 術者を中心に仲間ごと透明化する呪文だが、同じ呪文で透明化した者は互いの姿を見れるので、知らなければ何がどうなってるのかわからないのは無理もない。

 

「他の人には今俺たちは見えません。このまま街の外まで出ますから、俺から離れないのと音を立てないようにお願いしますね」

「ふーむ・・・妙な芸を使うなあ、おまえ」

「魔道具の力、とだけ言っておきましょう」

 

 感心半分、いぶかしさ半分と言ったあたりでハシャーナが唸る。

 魔法が一人三つなんて面倒な世界はこれだから困ると思いつつ、イサミは例によって魔道具で誤魔化した。

 

「しかし、離れちゃいけないのか」

「ええ、術が解けますので」

「お姉さんが腕を組んでやろうか? おっぱいが当たって・・・いて! いてえ! わかった、悪かったから髪つかんで引きずるな!」



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3-6 ボンバーな女

 街から数百メートルほど離れた森の中、二人は適当な木の根元に腰を下ろした。

 イサミは木の根っこに腰を下ろし、ハシャーナは草むらの上にあぐらをかく。

 

「で・・・どういう事情なんです?」

「んーまぁ、極秘って言われてたんだが、こうなっちまったらしゃあねえな。

 クッソ怪しい奴に依頼されて、30階層まで行ってあるものを取ってこい、って言われたんだよ。誰にも知られないように、な」

 

 イサミが眉を寄せる。

 

「クソ怪しいって・・・ギルドの依頼じゃなかったんですか?」

「いいや。黒いフード付きのローブに銀の華奢なガントレットをつけて、顔も見えない野郎だったな」

「それで何で受けるんだよ?! あからさまにヤバいじゃないか!」

 

 思わず突っ込むイサミ。

 頭に手をやって照れくさそうに笑うハシャーナ。

 

「いやあ」

「いやあ、じゃなくて!」

「そのだな、やたらめったら報酬が良くてなあ・・・すまんっ!」

「いや、謝ってもらっても・・・」

 

 何故か腕を組んで胸を張るハシャーナ。

 イサミは疲れたようにため息をつくが、気を取り直して話を続ける。

 

「で、そのあるものってのは?」

「それが気持ち悪い代物でなあ。透明な緑色の玉っころの中に、不気味な赤ん坊みてぇなのが埋まってるんだよ。

 虫が埋まってる琥珀って言うのは聞いた事があるが、そいつ、玉っころの中にいるのに脈があってな。

 おまけにぎょろりってこっちの方を見やがんだよ。ぞっとしたぜ」

 

 イサミは沈黙した。

 限界まで強化された彼の知識をもってしても、類似の物はD&D世界とこの世界を問わず思い当たらない。

 だが、何故かとても危険な物では無いかという気はした。

 ハシャーナが言葉を続ける。

 

「それで、そいつを運び屋に渡して、俺の仕事は終わり。

 あー、それでだな、そのあと・・・」

「?」

 

 突然、ハシャーナが妙に決まり悪そうに言いよどむ。

 首をかしげたイサミだったが、ハシャーナが死んでいた部屋の様子を思い出し、すぐに正解らしき物に思い至る。

 

「ああ、どこかの女を引っかけたと。普通の商売女はさすがにいないだろうから、イシュタルの戦闘娼婦でも口説きましたか」

「あ、ああ、うん、そんな感じだ。・・・その、いつもじゃねえぞ? そうホイホイ手を出してる訳じゃねえからな?!」

 

 何故か必死になるハシャーナに、ますますイサミが首をかしげる。

 

「いやまあ・・・男にはよくある話でしょう。俺はハシャーナさんがヤリチンでもガチホモでも女装Mの変態でも別に気にしませんから」

「あ、うん、そうか・・・あと最後だけはねぇから」

「そうですか」

 

 ガチホモはありなのか、でも今は女装してるよな、体ごと女になってるけど・・・と馬鹿な事を考えて、思考を本題に引き戻す。

 

「で、その女に?」

「ああ。なんつーか、服の上からでもはっきり凹凸がわかるくらいのボンバーないい女だったんだが・・・服を脱いでさあこれから、ってところで喉をわしづかみにされてな。そのまま首の骨を折られてお陀仏さ」

「・・・レベル4のハシャーナさんを? それだけで?」

「ああ。抵抗する暇もなく、な」

 

 沈黙が落ちる。

 不意を突いたとは言え、ハシャーナを右手一本であっさり殺害したその女の力は、明らかにレベル4の彼を大きく上回っている。

 そのような実力の持ち主であれば、オラリオ中に名前が知られていてもおかしくないはずであった。

 

「知っている冒険者ではなかったんですか? そうもあっさりあなたを殺せるとなると、間違いなく一級冒険者だと思いますが・・・」

「ああいや・・・覚えがねえなあ。見た事も聞いた事もない。名前はレヴィスつってたが」

 

 オラリオの冒険者は一万を超すが、その中でもレベル5以上の一級冒険者となれば一握り。

 レベル5を一人擁していれば、それだけでそのファミリアは上位派閥扱いになる。そのレベルの人材である。

 とはいえ、つい先日レベルを偽っている実例を見たばかりだ。

 同様のことをしている派閥がないとは言えない。

 

「荷物がひっくり返されてましたからね・・・やっぱりその宝玉目当てでしょうか? それともそれ以外に殺されそうな理由が思いつきますか。派閥間の因縁とか」

「・・・あると言えばあるし、ないと言えばないなあ。うちは規模で言えばオラリオ一だし、悪党どもをブン殴る仕事もよくある。どこで恨みを買ってるか知れたもんじゃねえ」

「ですよねえ」

 

 そろってため息をつく。

 彼らが出会ったのがハシャーナが門番をしているときだったように、ファミリアの主神たるガネーシャはオラリオの治安維持に積極的な善神だ。

 

「まあ、宝玉の方だと仮定して話を進めましょうか。渡した相手というのは?」

「褐色の肌に黒い毛並みの犬人の小娘だ。いかにも盗賊って感じだったな・・・ん、似顔絵でも描くつもりか?」

 

 マッピングなどの際に使う首掛けの画板を取り出して、インクいらずの魔法のペンを走らせ始めるイサミ。

 D&Dでは探知呪文で取得した視覚情報を他人に伝えるために、こうした技能を持っておくとたまに役に立つことがある。

 

「ええ。髪型はどんな感じでしたか? 眉は? 目は?」

「ざんばら髪、大きめの目で色は金。眉は濃いが太くはなくて・・・」

 

 一方、ハシャーナも一目二目見ただけの相手の特徴を、服装や装備に至るまで事細かに挙げていく。

 この辺の観察力はさすがに熟練の冒険者と言うべきだろう。

 羽根ペンを走らせること十数分、やがて似顔絵・・・というより全身像なので肖像画・・・が完成する。

 

「こんな感じですか?」

「おう、似てる似てる。で、これで聞き込みするのか?」

「ええ。でもその前に、ちょっと試してみたいことがあって」

 

 言いつつ、イサミは懐から細長い六角形にカッティングされたピンク色の水晶を取り出した。

 水晶の中では深紅の渦巻きがいくつもぐるぐると回っている。

 

「なんだこりゃ、魔道具か?」

「ええ、"念視の水晶(スクライング・シャード)"と言います。念じた相手の姿を映し出す魔道具でして」

「すげえもん持ってるな。のぞき見しほうだいじゃねえか」

 

 正確に言えば念視の水晶自体にはそうした魔力はない。術者が"念視(スクライング)"の呪文で取得した情報を映し出す単なる拡張モニタだ。

 魔道具と紹介したのは、例によってカモフラージュである。

 

 なお、何故"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"などを使わないのかと言えば理由は簡単で、それらの呪文は術者が直接見たことのない相手は探せないためだ。

 その点"念視"や"上級念視"は、間接的な情報でも試みることはできるので、イサミも外見情報を詳しく尋ねた、というわけである。

 

「そうでもないですよ。相手が強いと効きにくいんです。レベル3位だと半々、4以上だとたぶんまず無理ですね・・・駄目か」

 

 会話しながら"上級念視(グレーター・スクライング)"を発動したイサミは、水晶に何ら像が浮かばないのを見てため息をついた。

 どうやら相手に抵抗(セーブ)されてしまったらしい。

 ハシャーナを殺した赤毛の女についても一応試してみたが、やはり同様であった。

 

「時間食っちゃいましたねえ」

「まあしゃーねーな。地道に足で探すか。まだ居残ってれば、だけどな」

「どうでしょうね・・・重要な仕事であれば、その足で地上に向かいそうなもんですが」

「まーな。まあ、一通り探して、どっちも見つからなかったら、とりあえず地上に戻ろうか」

「ですね」

 

 会話を打ち切って腰を上げる二人。

 ただ、イサミは内心でいささか迷ってはいる。

 

(まあ、もう一つだけ手はあるんだが・・・)

 

 彼の言うもう一つの手とは、ドラゴンマークのパワーによる"送信(センディング)"の呪文である。

 これも本来相手をよく知っていないと使えないという制限があるが、他人から詳しく説明されることでその制限をクリア出来るという抜け道がある。

 

 ただこれは「相手にメッセージを送る」呪文なので、相手の位置を知る役には立たない。

 なにか使い方を考える必要があった。

 

(いきなり自分の頭の中にメッセージが送られてきたら、大概パニクるよなあ)

 

 それは非常手段に取っておくことにして、とりあえず二人はリヴィラの街で聞き込みを始めることにした。

 

 

 

 一時間ほどが経った。

 数百人が常時生活する街ではあるが、立地上それほど広くはない。

 にもかかわらず、犬人の少女の姿も、ハシャーナが言う所のボンバーな女も見つからなかった。

 

「やっぱり、もうこの街にはいないんでしょうか」

「結構金もばらまいたってのになあ。まあ、隠れようと思えば人ひとりくらい、いくらでも隠れられはするが・・・どうする、戻るか」

「そうですね・・・」

 

 元から高い魅力と技能の上に更に魔法強化を乗せたイサミの交渉・情報収集技能はとんでもなく高い。

 たいがいの交渉はまとめられるし、嘘をついていても大体わかる。

 それで数時間前までは足取りを追えたのだが、それ以降はぷっつりと途切れてしまっていた。

 

「念のため、もう一つだけ試しましょう。ちょっと協力してください」

「ん? ああ、構わねえが・・・」




もうちょっと続きます。


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3-7 緑色の宝玉

 それからしばらく後、リヴィラの街の入り口。

 周囲を気にしながら街を出てくる小柄な犬人の女性冒険者がいた。

 心なしか顔を青ざめさせ、足早に17階層への上り階段の方向へ歩いていく。

 

 街と上り階段の中間くらい、何かの目印か、紺色の布が木の枝に結びつけられていた。

 犬人の少女はそれを確認し、木立の中へ入っていく。

 

 木立の中へ分け入ること数分、「ひっ!」と声を上げて彼女は立ち止まった。

 目の前の、一瞬まで何もなかった空間に、唐突に黒いローブ姿の怪人が出現したからである。

 男とも女とも付かぬ声色で、それが言葉を発する。

 

『やはり、まだ街にいたか。私としては地上に出ていてほしかったのだがな』

「あ、あはは・・・色々仕事もあってさ・・・でも、荷物はちゃんと無事だから!」

 

 安堵半分、冷や汗半分で笑顔を浮かべる少女。

 黒い影はそうした様子に頓着することなく、精緻な銀色の籠手に包まれた手のひらを差し出す。

 

『まあいい。荷物を渡してもらおうか』

「あ、ああ。言われたとおり中身は見てないよ」

 

 少女が、二重底になった肩掛けかばんから、両手の平にすっぽりと収まるくらいの布でくるんだ塊を取り出す。

 黒ローブが銀色の金属に包まれた指をかすかに動かすと、それはふわりと浮かんでその手に収まり、布がするするとひとりでに開いていく。中から現れたのは、奇っ怪な緑色の宝玉だった。

 

 宝玉の中にいるのは、いびつな、戯画化された人間の胎児のような何か。

 それがぎょろり、と目を開いて黒いローブを見た。

 顔を引きつらせる犬人の少女をよそに、ローブの影は顔を明後日の方に向ける。

 

『間違いないか?』

「・・・ああ、間違いねえ。俺が運んだブツだ」

「!」

 

 第三の声に、少女がぎょっとしてとびすさる。

 こちらも唐突に現れたのは、戦闘衣を着たエルフの少女であった。

 

 黒ローブが手を離すと、宝玉はそれをくるんでいた布ごと再び宙に浮かび、今度はエルフの少女の手の中に収まる。

 手足をばたつかせて動き出そうとしていた宝玉の中の胎児は、エルフの少女の手の中に収まると、目を閉じ、また身を丸めて眠りについた。

 

『ふむ・・・? 魔力に反応するのか?』

「あ、あんたら・・・」

『心配するな。彼女の事はおまえも知っているはずだ』

 

 黒ローブが再び指をかすかに動かすと、エルフの少女の上に、犬人の少女も見覚えのある全身鎧の姿が一瞬浮かび上がった。

 

「え? あんたがあの時の?! でも、死んだって・・・」

『殺されかけた・・・というより、一度殺されたと言っていいだろうな。私がいなければ死んでいたのだから。

 殺人犯の目を誤魔化すため、今は姿を変えてもらっている』

 

 さっ、と犬人の少女の顔から血の気が引く。

 

「じゃ、じゃあ、私もやっぱり・・・!?」

『わからん。これを手放せば、おそらくは大丈夫だろうと思うがな』

 

 黒ローブの言葉に、少女は血相を変えて叫ぶ。

 

「じょ、冗談じゃない! 仕事はこれで終わりだろう?! さっさと後金よこせよ!」

「悪いが、それは本当の雇い主からもらってくれ」

「・・・・へ?」

 

 思わず間抜けな声を上げる犬人の少女。

 男とも女ともつかない黒ローブの声は、いつの間にか若い男のそれに変わっている。

 次の瞬間、黒ローブの影は跡形もなく消えて、そこにイサミの姿があった。

 

「はぁぁぁぁぁっ?!」

 

 森の中に、犬人の少女の驚愕の声が響き渡った。

 

 

 

 種はこうだ。

 イサミは"送信(センディング)"で犬人の少女――ルルネ・ルーイにメッセージを送る。

 

『品物を君に渡した男が殺された。もしまだリヴィラの街にいるなら、すぐに脱出しろ。17層への階段への途中、紺色の布の奥で待っている』

 

 果たして、ルルネはまだリヴィラの街にいた。

 宝玉の運び屋のついでに、様々な――主に禁制品――の取引を行うためだ。

 そうしてイサミとハシャーナは"上位透明化"で姿を隠し、"自動幻影(パーシステント・イメージ)"で謎の黒ローブの声と姿を再現して、まんまとルルネから宝玉をせしめた、というわけだ。

 

 

 

「てめぇ、私を騙して・・・え? あ、あんた、あの時の?!」

「おや、俺に見覚えがあるのか?」

 

 にやにやするイサミ。ルルネも失言に気づいたのか、はっと口元を覆う。

 

「い、いや、知らないね。人違いさ!」

「そうかい? 俺はあんたを知ってるぜ・・・心配するなよ、アスフィさんと話はついてるんだ」

「・・・」

 

 意地の悪い笑顔で、ルルネの肩をぽんぽんと叩くイサミ。

 ルルネは引きつった笑顔に脂汗を浮かべている。

 

 35階層でアスフィがイサミと遭遇したとき、彼女もいたのである。

 人並み外れた知力を誇るイサミは、記憶力もまた高い。

 

「まあ、ハシャーナさんが殺されかけたのは事実だ。殺人犯がまだリヴィラにいるとは限らないけどな。俺たちは地上に戻るけど、おまえさんはどうする?」

「わ、私は・・・って、そうじゃねえよ! それ返せよ! それがないと、私報酬貰えないんだぞ!」

「持ってると殺されるぞ」

「うっ・・・けど、ないと2000万ヴァリスが・・・でも・・・」

 

 ぼそっとつぶやいたハシャーナの言葉に、ルルネが硬直する。

 ここに至っても金に執着するその姿に、イサミは感心半分呆れ半分と云う態である。

 

「まぁそれは後で話すとして、あんたが依頼を受けたときの事を聞きたい。同じ奴からの依頼だったようだけど」

「あ、ああ、夜道を歩いてたら・・・」

 

 彼女から聞き出した話は、おおよそハシャーナの時と同じであった。

 誰もいない夜道でいきなり黒ローブが現れ、法外な報酬と引き替えに仕事を請け負った、というものである。

 

「ハシャーナさんといい、なんでそうクッソ怪しい依頼受けるかねえ・・・」

「報酬が良かったんだよ! 裏関係の取引だったら相手の顔も名前もわからない、詮索しないってのはよくある話だし!」

「まぁそうなんだが、それで死んでちゃ、一億ヴァリスもらっても割には合わねえなあ」

 

 苦笑しながらハシャーナが言い、ルルネが渋い顔になる。

 

「とりあえず、この階層を脱出して地上に戻りましょう。ルルネ、品物の受け取りは?」

「・・・城壁の詰め所だよ。今は使ってないから、普段は誰もいないんだ」

「じゃあ、そこで三人で待ってるとしようぜ。俺も奴には問い詰めたいことがある・・・こいつはどうする?」

「ハシャーナさんが持っててください。俺が持ってると、何か活動が活発になるみたいだし」

 

 ハシャーナが頷き、宝玉の包みを腰のベルトにくくりつける。

 イサミが促し、三人は地上への階段へ歩き始めた。

 

 

 

「《最大化(マキシマイズ)》《二重化(ツイン)》《連鎖化(チェイン)》《距離延長(エンラージ)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"!」

 

 炎と冷気と酸と雷という、矛盾したエネルギーの火線が六本、一体の大虎(ライガーファング)に命中する。

 次の瞬間エネルギーの奔流によって爆砕したモンスターの体から、数十本の火線が放射状に飛び出した。

 それは全て周囲の大虎に突き刺さり、最初の一匹と同様に爆砕する。

 モンスターの群れは、一瞬にして壊滅していた。

 

 唖然とするハシャーナとルルネを促し、魔石の回収もせずに三人は再び走り始めた。

 「グワーロンのベルト」を使わないのは秘密を知られる危険を避けたからでもあるが、この面子で魔石等の採取をしなければ、地上まではせいぜい一時間半か二時間ほどで着くと踏んだからでもある。

 

 

 

「お」

「あ」

「えっ?」

 

 迷宮上層、11階層の始点に位置する広いルームの入り口で、イサミ達はロキ・ファミリアの一行とばったり出くわした。

 リヴェリアが表情を柔らかくし、対照的にアイズの顔がわずかにこわばる。

 

「おや、今日はよく会うな。もう帰りか?」

「ええ、パーティ組むはずの人が装備を全損しちゃいまして。残ったのは戦闘衣だけという」

 

 ハシャーナを示しながら苦笑を装って答えるイサミ。

 フィンが見舞いの言葉を述べる。

 

「それはご愁傷様。まあ、命があっただけまだ幸運だよ」

「でしょうね。いや本当に。そういえばフィンさんにもその節はご迷惑を・・・」

「気にしないでくれ。あれはこっちの方が悪かった話だし」

 

 苦笑して手をヒラヒラさせるフィン。

 ロキの言葉も気にはなるが、それでもこの青年に対しては好意を感じている。

 むしろすまない気持ちの方が大きかった。

 

「えーとだね、その・・・」

「!」

「アイズ?」

 

 次にアイズに謝ろうとしたイサミだったが、アイズがびくっ、と身を震わせたのを見てぎくりとする。

 

「あ、あの・・・」

「その・・・わたし、怖がられてませんか?」

「「は?」」

 

 イサミとフィンの口から、同時に声が漏れた。

 

 

 

「だからその、弟さんにいつも逃げられて、私、怖がられてるのかなって・・・」

「ああ・・・」

 

 しばらくの説明の後、どうにかアイズの言わんとすることを理解する一同。

 

「そう言う事はないから・・・まぁ、なんだ、男の子は色々あってさ・・・」

「・・・本当?」

 

 指をくわえて、上目遣いにイサミを見てくるアイズ。

 実にこう、小動物っぽい。

 頭を撫でたくなる衝動に耐えつつ、イサミが言葉を重ねる。

 

「本当だよ、本当。何だったら、今度逃げるようなら首根っこつかんで捕まえちゃってもいいから」

「・・・わかりました」

 

 あえて軽く振る舞ってみせると、こくり、とアイズが頷いた。

 

「お兄さんの許可が出たよー! アイズ、今度会ったら有無を言わせずに捕獲して食べちゃえー!」

「ふ、不潔なのはよくないと思います!」

「そーよー、お兄さんの前なんだからー」

「??」

 

 アマゾネスの妹が後ろから抱きついて煽ると、レフィーヤが顔を赤くして必死にそれを否定する。

 よくわかっていないアイズを囲んで、やにわに地下迷宮に賑やかな声が響いた。

 少女達がかしましくガールズトークをさえずる中、イサミがフィンとリヴェリアの方に向き直る。

 

「それじゃ俺たちはこれで・・・」

「ああ、お疲れ様」

 

 互いに苦笑しながらイサミとフィンが挨拶を交わす。

 いずれも外見は十代だが、かたやアラフィフ、かたやアラフォー。

 本物の十代の会話についていくのは苦労するお年頃であった。

 



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3-8 リヴィラ殺人事件 (未)解決編

すいません、遅れました。


 その後は何事も無く、イサミ達は迷宮を抜けた。

 バベルを出たところでルルネと別れ、ハシャーナと共にいずこかへと消える。

 そしてルルネは約束通り、受け渡し場所の城壁の詰め所へ向かった。

 

 日没を過ぎ、オラリオに闇のとばりが降りる。

 無数の光が都市を彩り、それが少しずつ消えていく真夜中頃。

 ルルネが昼下がりからずっと隠れ潜んでいた城壁内の隠し部屋に、突如として黒いローブの影が現れた。

 

「ひっ!?」

「ご苦労だった。さ、依頼の品を渡してもらおうか」

「・・・」

「どうした? 後金は用意しているぞ」

 

 沈黙するルルネ。

 ローブの裾から、ずっしり重そうな袋を取り出す黒ローブの影。

 意を決したようにルルネが口を開く。

 

「そ、その前に質問に答えろ! 私が運んだものはなんなんだ?

 こいつを私に渡した奴は殺されかけたし、私もそうなるところだったんだぞ!」

「・・・それは聞かないのが依頼の条件だったはずだ」

「いいや、そうはいかないな」

「!」

 

 無機質なほどに気配の薄かった黒ローブから、わずかに驚愕の気配が発せられる。

 慌てて振り向いた黒ローブの目の前に、たった今まで存在しなかったはずのイサミとハシャーナの姿があった。

 ハシャーナの手にはあの宝玉の包みがある。

 

「・・・君たちは?」

「怪しげな依頼をホイホイ受けた馬鹿な冒険者よ。てめえのおかげで殺されかけて、今やこのザマさ。

 詮索しないのが条件とは言っても、あんな化け物相手にするほどの金はもらってねえ!

 さあ、きっちり説明してもらおうじゃねえか!」

 

 エルフの少女が吠える。

 再び発せられる、かすかな驚きの気配。

 

「君は・・・ハシャーナ・ドルリアか? 化け物とはどういう事だ?」

「赤毛の女さ。レベル4の俺の首をたやすくへし折るような怪物だ――心当たりが、あるんじゃねぇのか」

「・・・」

 

 沈黙が落ちる。

 

「おっと、逃がさないぜ」

「!」

「?」

 

 イサミの言葉と共に、黒ローブがわずかに身じろぎする。

 そのフードの奥からは、みたび驚愕の気配が発せられていた。

 が、ルルネには全く何も変わっていないように思える。

 その一方でハシャーナはややいぶかしげな顔になった。

 

「何をした? 空気の流れがちっと変わったが・・・」

「鋭いですね。つまり不可視の壁でこいつの上下左右を囲んで・・・」

「"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"・・・いや、"力場の檻(フォースケージ)"か。しかも《高速化(クイッケン)》を乗せて」

「何っ!?」

 

 今度はイサミが驚倒する番であった。

 黒ローブの言葉は、明らかにD&D世界の魔術の知識を持つもののそれであったからだ。

 次の瞬間、黒ローブの手が不可視の力場の壁に触れたかと思うと、それが粉々に分解される。

 イサミの〈呪文学〉知識がその現象の理由をはっきりと理解させた。

 

「"物質分解(ディスインテグレイト)"!?」

 

 その一瞬の驚愕が事態を決した。

 黒ローブの袖口から黒煙が吹き出し、あっという間に室内を満たす。

 それが晴れたとき、室内には黒ローブの姿も、例の宝玉も存在しなかった。

 

 

 

 手がかりは完全に途絶えていた。

 "完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"も相手の位置を探ることができない。

 おそらくは探知呪文を完全にシャットアウトする"空白の心(マインドブランク)"あたりを使っていたのだろうとイサミは見当をつける。

 

「くそっ! してやられた!」

「すまねえ、油断した。俺があの玉っころをしっかり持ってれば・・・」

「いや・・・これはしょうがないですよ。まさか"真実の目(トゥルー・シーイング)"だけじゃなく、非視覚感知(ブラインドセンス)を誤魔化すとは・・・」

 

 "真実の目(トゥルー・シーイング)"。

 D&Dでもっとも強力な視覚強化呪文で、闇であろうと透明化であろうと見通し、幻や変身した存在の真の姿を見抜くことができる。

 "上位不可視化"の呪文でさえ、"真実の目"の前には無力だ。

 

 一方非視覚感知(ブラインドセンス)は、ソナーにも似た魔法的感覚で、相手の大体の位置をつかむことができる。

 霧や煙幕の中でもこれを遮ることはできない。

 つまり、この二つをあわせれば、知覚できない存在はほぼないのだ。

 

("真実の目"を魔力を込めた煙幕で遮り、おそらく"上位不可視化"で非視覚感知を遮った。完全にD&D世界の定石を知っているやり口だ。何者だ、あいつ・・・?)

 

 石壁を睨みながら、イサミは無言でたたずんでいた。

 

 

 

 ギルドの深奥。

 ほの暗き神殿にて相対するのは、祭壇に座する巨神ウラノス。そして先ほどイサミ達の前から鮮やかに姿を消してのけた黒いローブ。

 その手にはいびつな胎児が眠る緑色の宝玉。

 

「いや、肝を冷やしたよ。まさかあそこまでの実力者だとはね。備えあれば憂い無しとは良く言ったものだ」

「おまえをして危ういと言わしめるか、レベル1の冒険者が」

「ただのレベル1じゃあないさ。少なくとも、そこらの上級冒険者よりはだいぶ手強い」

 

 ウラノスが重々しく頷き、瞑目する。

 

「こたびは敵か味方か、見極めずばなるまい。それに、その宝玉のこともある」

「ロキはどうする? ディオニュソス・ファミリアと組んで動いてるみたいだけど。

 ディオニュソスはまだしも、ロキとフレイヤに目をつけられるのはまずい」

「わかっている」

 

 声音に真摯なものを含ませる黒ローブに、ウラノスも重々しく頷く。

 

「例の地下水道も、ロキ・ファミリアとディオニュソス・ファミリアにばれたようだぞ。食人花を一掃してくれたのはありがたいがね」

「食人花、モンスターを変異させる宝玉、赤髪の女、闇派閥の残党、そしてその魔術師(ウィザード)か。

 ・・・この世界にも、ついに変革の時が訪れたのかもしれぬ」

「あるいは終わりの時がね」

 

 それきりどちらも言葉を発さず、四つの松明が時折たてるぱちぱち、という音だけが暗渠の地下神殿に響いていた。

 

 

 

 時間は巻き戻る。

 地上の時間にして15時ほど。

 リヴィラの街、「ヴィリーの宿」にロキ・ファミリア一行と、リヴィラの大頭ボールス一党の姿があった。

 

「この壮絶な争いの痕跡・・・その全身鎧の男と、フードの女が戦ったと見ていいだろうな」

「そしてどちらかがくたばったって訳だな。どっちだ?」

「散らばった髪の長さからすると・・・男の方だろうね」

 

 絨毯と岩床にべったりこびりついた真っ赤な物を見下ろしつつ、ボールスの疑問をフィンが断ずる。

 

「この壁の穴も・・・」

「だろうね。拳の跡は男の物だとすると小さすぎる・・・素手で岩壁に穴を開ける、おそらく《拳打》持ちで、最低でもLv.4と言った所だろう」

「そうなると、これだけ抵抗の跡が残っているのだ、殺された男の方もLv.4か、そのくらいの実力者と見ていいな」

 

 リヴェリアの言葉にフィンが頷く。

 そのままフィンはボールス達に指示を出し、街を封鎖して殺人鬼を探し出すことにした。

 

 

 

 ボールスとアイズ達が出て行った後も、フィンとリヴェリアはしばし殺人現場にたたずんでいた。

 

「・・・何か引っかかっているようだな?」

「君に隠し事はできないね」

「長いつきあいだからな」

 

 ふ、と笑みを漏らすリヴェリアと、苦笑するフィン。

 気を取り直してフィンが口を開く。

 

「全身鎧の男とフードの女が戦い、そして男の方が死んだ。女は男の荷物をあさった後、死体を持ち去った。

 状況を見る限りこれで間違っていないと思う・・・けど親指がうずく。何かはわからないけど、引っかかるんだ。何かが」

「ふむ・・・殺人鬼は、出てくると思うか?」

「アイズ達には悪いけど、外れだと思うよ、たぶん。探し出すことはできないだろう」

 

 右手の親指を口元に当てて、フィンは言葉を続ける。

 

「それに、もう一つ引っかかっていることがある。

 装備を残して死体を持ち去られた冒険者、そして僕らが11階層で出会った、装備を失った冒険者・・・何か符合すると思わないか?」

「まさか! 彼らがこの件に関係していると?」

「勘だけどね」

 

 動揺するリヴェリアを、鋭く光る碧眼が見上げた。




 第三話しゅーりょー。
 まさかのリヴィラ攻防戦スルーに書いてる方もびっくりだよ!
 対レヴィス用に何でも屋(ファクトタム)レベル取らせたのに、披露する機会が消滅した!

 なお時系列ですが、原作時系列は

 前日夜半? ハシャーナ殺害さる
 6:00頃 アイズの鍛錬&レフィーヤとの会話
 7:30頃 ロキ・ファミリアの朝食
 8:30頃 アイズ達四人がフィンの執務室に押しかける
 9:30頃 リヴェリア達がレノアの店に
 12:00頃 フィン達合流
 14:30頃? ハシャーナの遺体発見
 15:00頃 フィン達、リヴィラに到着(リヴィラ昼)
 16:00頃 冒険者達、広場に集められる&アイズとレフィーヤ、ルルネを発見(リヴィラ昼と夜の境目)
 16:20頃 食人花の群れ出現、リヴィラ攻防戦開始、レヴィス出現

 という想定の下に執筆しております。
 この話だと、イサミがリヴィラに到着したのが十時過ぎ、三人でリヴィラを発ったのが12時過ぎくらいの想定。

 ベル達がオラリオに来たのが作中から一月ほど前で「季節の変わり目」とあるので、この話の時点で恐らく4月中旬~下旬。
 アイズが早朝鍛錬を終えたのが「日が昇ったとき」で、この季節なら五時半から六時くらい。
 アイズがシャワーを浴びて食堂に来たのが30分後として、遅くとも1時間くらい後には用意ができただろうと考えると、朝食が七時~七時半。
 意外と健康的ですね、ロキ・ファミリアw

 そこから朝食と雑談で1時間、身支度する時間も含めてレノアの店まで1時間。
 西南西ブロックで、中堅ファミリアがホームにしていたとするとそこそこ都市中央に近いであろう竈火の館から、南のメインストリートに至るまでの時間が「ややあって」なので(7巻P63)、10分から15分くらいと考えると、都市北端のロキファミリア・ホームから西北西区画のレノアの店まではその倍~三倍くらい?ということでこの数字です。

 なお1時間歩くと大体5kmなので、西南西区画の竈火の館から南メインストリートまで斜めに15分歩いたとして1.25km、これが大雑把にオラリオの直径の1/6として直径は7.5km。面積は42平方km。
 D&Dのウォーターディープ(約12平方km、十三万二千人)と同程度の人口密度として人口50万人前後の超巨大都市とこの話では設定しています。
 オラリオすごい! 中世ヨーロッパだと二万で大都市なのに! コンスタンティノープル並み!

 話は戻ってボールスが真っ先に命じたであろう「ステイタス・シーフ」が届いたのはフィン達が来てからなので、ハシャーナの遺体が発見された時間はフィン達が来る少し前。
 たぶんヴィリーが朝まで飲んだ後酒場で潰れて寝てたんだろうと思われますw

 フィン達の移動時間が三時間なのは、9巻で4レベル二人が大暴れした状態で18階層までかかった時間がそのくらいなので、魔石等の採集なども考えると時間はほぼ同じくらいではないかなと。
 4レベルだろうと6レベルだろうと、上層モンスター相手では(相手が弱すぎて)大した差は出ないでしょうし。


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第四話「ゴスロリ・つるぺた・エルフ幼女・ドラゴンハーフ・女神という属性の塊、ただしリッチ」
4-1 俺がガネーシャだ


 

 

 

 

 

『テクマクマヤコンテクマクマヤコン お姫様になぁ~れ』

 

        ―― 『ひみつのアッコちゃん』 ――

 

 

 

 

 

「空まで飛べるのかよおまえ。本当に何でもありだな」

「マジックアイテムの力だって言ったでしょう? 後静かにしてください。姿は消えますけど、音は聞こえるんですから」

 

 呪文で生成した幻馬(ファントム・スティード)にまたがる巨漢と、その後ろに相乗りするエルフの少女。

 黒ローブを取り逃した後、彼らは透明化してオラリオ上空100mの夜空にいた。

 

「で、どこがハシャーナさんの神様の部屋ですか?」

「額のところが丸々ガネーシャ様の居室になってる・・・しかしなんだな、上から見ると一層・・・本当にもう、あの方は・・・」

 

 ため息をつくハシャーナに、イサミが苦笑を漏らす。

 彼らの足下に見えるのはあぐらをかいた象頭の巨人像。

 構成員から絶賛大不評のガネーシャ・ファミリア本拠地『アイアム・ガネーシャ』であった。

 

 

 

 ガネーシャは寝る前に情報紙――日本で言えば瓦版のような――を読んでいた。

 『グラン・カジノのオーナー、実は犯罪者 囚われの娘たちを救出 正義か悪か"赤い外套"団(レッド・クローク)』と、派手な見出しが躍っている。

 

「ふむ、相変わらず活躍しているようだな・・・結構なことだ」

 

 象頭の神が満足げに頷くのと同時、きい、と音を立てて、ベランダに通じる扉が開いた。

 顔を上げるが、開いた扉からは誰かが入ってくるような様子もない。

 

「風か?」

 

 つぶやいて立ち上がり、扉を閉めようとしたとき、突如黒髪に白いメッシュの入った巨漢と金髪碧眼のエルフの少女が虚空から現れる。

 無言のままガネーシャがそちらに向き直ると、虎縞の巨漢は丁寧な一礼を返してよこした。

 

「お初にお目にかかります、神ガネーシャ。深夜のぶしつけなる訪問、お許しください。

 わたくしはヘスティア・ファミリアの・・・」

「待て」

 

 ガネーシャが手を突き出して口上を遮った。

 神威と威厳のこもった言葉に、男は口を閉じる。

 

「どうやら盗賊刺客のたぐいではないようだが・・・

 しかし、いかなる目的があろうともこれだけは言っておかねばならぬ」

「・・・」

 

 ガネーシャが言葉を切り、巨漢のヒューマンとエルフの少女にそれぞれ視線をやる。

 

「俺が! ガネーシャだっ!」

「知ってるわい!」

 

 耐えきれず、エルフの少女が全力で突っ込んだ。

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第四話「ゴスロリ・つるぺた・エルフ幼女・ドラゴンハーフ・女神という属性の塊、ただしリッチ」

 

 

 

「あのー、ガネーシャ様はいつもこういう?」

「まぁ心配すんな。すぐ慣れる」

 

 妙に弛緩した空気の中で、巨漢とエルフの少女―ーイサミとハシャーナが会話を交わしている。

 

「そこ、俺を放って内緒話か! というかそこの少女よ、何やら知った風だが、我が眷属におまえのような者はおらん! 何者だ!」

「えーとその・・・信じて貰えるかどうかわからないんですが、ハシャーナ・ドルリアさんです、これ」

「あーその、すんません、神様・・・ハシャーナッス・・・」

「は?」

 

 引きつった笑みを浮かべるエルフの少女。

 ガネーシャは間抜けな声を上げて停止した。

 どう説明したもんかとハシャーナが頭をひねるより早く、イサミが言葉を続ける。

 

「つまりですね、ハシャーナさんはリヴィラの街で・・・」

「みなまで言うな! リヴィラの街でその娘を引っかけて一晩しっぽり!

 だがハシャーナは料金を払わずにトンズラ! その料金を立て替えてほしいと頼みに来たのであろう!

 ファミリアの者に断られたので俺に直訴するしかないと思い詰めたのだな!」

「違げぇよこのタコ!」

 

 もはや自らの神に一片の敬意も示さず、ハシャーナが食ってかかった。

 が、神は腕を組んで平然と答える。

 

「違うと言われても、前にもあったことだぞ?」

「・・・ハシャーナさん?」

「い、いやその! 待て! あの時は事情がだな・・・!」

 

 白い目で見下ろすイサミと、必死に否定するハシャーナ。

 

「だが娘よ、嘘はいかんな。奴は少女には優しいが、欲情はしない男。そなたは奴の好みからすると発育不全に過ぎる。

 奴のフェイバリットはボンバーな美女と細身の美少年である!」

「へーえ」

「ち、違う! 誤解だ!」

 

 ますます冷たい目になるイサミ、脂汗を浮かべながら両手を振るハシャーナ。

 

「何が違うものか! 二人で歓楽街に繰り出した時、奴は自慢げに言ったものだ! たとえノンケの少年でも、俺にかかればものの10分で・・・」

「いいからもう黙れクソ神ぃぃぃぃ!」

 

 もはや涙目でガネーシャに飛びかかるハシャーナ。

 

「ぬおおおお、ガネーシャピンチ!?」

「ちょっ! ハシャーナさん、落ち着いてー!」

 

 バーサークした彼女の指が神ののど笛に食い込む直前、イサミの"感情沈静化(カーム・エモーション)"がハシャーナを強制的に落ち着かせた。

 二度目なので慣れてきたらしい。

 

 

 

「ぐすっ・・・ひっく・・・」

 

 薄手の戦闘衣だけを着たエルフの少女が体を丸め、頭をクッションでおおい、ソファに顔を埋めている。

 突き出した尻がぷるぷると震えていた。

 

「まさかマジ泣きするとは思わなかった。許せ。というか本当にハシャーナなのだな。ガネーシャびっくり」

 

 言いながら、妙に綺麗な動きでくるりと回ってポーズを決める神。

 突っ込んだら負けかなと思いつつ、一部始終を説明し終えたイサミが気になっていたことを質問する。

 

「それでですね・・・ハシャーナさん蘇生させちゃいましたけど、それについては大丈夫なんでしょうか?」

「問題あるまい。あれは神々同士が決めたこと、子らが自ら蘇生を行うというのであれば止める理由はない」

「ですか」

 

 ほっと息をつくイサミ。

 さすがにこれでお尋ね者扱いになったりしたら目も当てられない。

 

「しかし、ハシャーナさんがこうして女の子になってしまったのは? そのあたりも禁止された理由じゃないんですか?」

「うむ、他に理由があった気もするが覚えてない!」

「さようでございますか」

 

 扱いが順調にぞんざいになっている自分を自覚しつつ、イサミがまだ尻を震えさせているハシャーナの方に向き直る。

 

「いい加減起きて下さいよ。ガチホモでもヤリチンでも女装Mの変態でも気にしないって言ったでしょうが」

「うう・・・そ、そりゃそうだけどよ・・・」

 

 涙目で起き上がるハシャーナ。

 ガネーシャもなだめる側に回る。

 

「まあまあ、俺も悪かったから許せ。それにイサミ・クラネルよ。そもそもハシャーナは素人童貞だ。

 娼婦や男娼はしょっちゅう買ってるが、俺の知る限り男女問わず誰かを口説けた試しはない! このガネーシャが保証しよう!」

「・・・」

「な、なんだよ。そんな目で見るなよ・・・」

 

 哀れむともさげすむともつかない微妙な視線に、身を縮こまらせるエルフの少女。

 気づいていないのか気にしないのか、ガネーシャが更に言葉を重ねる。

 

「それに自慢のテクにしても、商売女に演技してもらってるのに気づかない程度の・・・」

「それ以上はやめろこの脳天底抜け神ぃぃぃ!」

 

 ハシャーナが再び涙目になった。




 ちなみに章タイトルの人(エベロンのレディ・ヴォル)はこんなの。

 https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/ee/a6/2c/eea62cc534d0095a994f0143f3905bf4.jpg


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4-2 神様会談


 なんだろう、ハシャーナとガネーシャ様の会話、書いてて妙に楽しい。



「さて」

 

 今にも自殺しそうなハシャーナをとりあえず落ち着かせた後、イサミが真剣な表情になる。

 

「今回の件、ガネーシャ様には何かお心当たりがありますか?」

「うむ、わからん! そして俺がガネーシャだ!」

「はい、ありがとうございました」

 

 予想通りの答えを軽くいなす。

 確かにすぐ慣れるようであった。

 

「まあ気になる事はないでもないが、今回の件にはおそらく無関係だ。やはりその宝玉の関係と考えていいだろうな。

 それとその黒ローブは詳しくは言えんが、悪人ではない。これは間違いないだろう」

「教えてくださる気はないと」

「残念だが約束しているのでな。ガネーシャ誠実!」

 

 ガネーシャが何度目かの妙なポーズを決めたところでぴくり、とハシャーナが再起動する。

 

「それで・・・俺はこれからどうすりゃいいんだ? 元に戻っていいのか?」

「難しいところですね」

「うむ、その赤毛の女はおまえの顔は知っているのだろう? 何かの拍子に知られてしまったら、今度こそ殺されてしまうかもしれん」

「ましてやハシャーナさんはレベル4ですしね。

 赤毛の女があの黒ローブ並みの情報網を持っていた場合、既に素性を知られている可能性だってないとは言えません。

 やはりハシャーナ・ドルリアは死んだか行方不明ということにしておいた方がいいのでは」

 

 ふむ、と顎に手を当てて考えるガネーシャ。

 イサミが言葉を継ぐ。

 

「リヴィラでは身元不明者という扱いでしょうから問題なさそうですが・・・神様は眷属が死ぬとわかるんでしたっけ?」

「うむ、恩恵によって神と子らはつながっている。・・・こればかりは何度経験しても慣れないものだ・・・」

 

 宙を見据え、遠い目になる神。

 イサミもハシャーナもあえて言葉を挟もうとはしない。

 ややあってガネーシャが視線を戻した。

 

「よし、イサミ・クラネル。ヘスティアと会える場を設けてはくれないか。ハシャーナの処遇についてはそこで話したい」

「ああ、なるほど。わかりました。それならひとっ走り行ってきます。うまくいけばまだ起きてるでしょう」

「頼むぞ。ハシャーナは最低限の荷物をまとめておくのだ」

「はぁ・・・?」

 

 ハテナマークを浮かべるハシャーナを置き去りにして、二人は何やら通じ合ったようであった。

 そしてガネーシャが雰囲気をやや真剣なものに改め、イサミを見る。

 

「それとだ、イサミ・クラネル。俺がおまえを信じたのは、ヘスティアがおまえを信じているからだ。それを忘れるな」

「? それはどういう?」

「それは・・・いや、やめておこう。俺から言えるのは、ヘスティアの信を裏切るような真似はしないでくれと言う事だけだ」

「それは言われるまでもなく。それに、あんな神様を裏切ったら、良心の呵責が半端じゃないですよ」

 

 肩をすくめておどけるイサミに、にやり、とガネーシャが笑みを浮かべる。

 ハシャーナとよく似た、好漢の笑みだった。

 

「その言や良し! そして最後に一つだけ言っておこう――俺が、ガネーシャだ!」

「それじゃ失礼しますね。すぐ迎えに来ますから、ハシャーナさんは荷物をまとめて置いてください」

「お、おう」

 

 この短時間で完全に慣れきってしまったイサミに、ハシャーナが僅かにたじろぐ。

 次の瞬間、イサミの姿は部屋の中から消えていた。

 

 

 

 案の定夜更かししていた主神をひっぱりだし、イサミは幻馬で再び「アイアム・ガネーシャ」に向かっていた。

 

「まったく、そろそろ寝ようと思ってたんだぜ? 明日も朝からシフト入ってるのに・・・」

「大丈夫ですよ。さっきかけた呪文で、二十四時間は睡眠も休息も必要ありませんから」

「なにそれこわい」

「副作用はありませんから安心してください」

「余計不安だよ!」

 

 顔が引きつるヘスティアだが、実際副作用や悪影響のたぐいはない。

 単純に対象を元気にするだけの効果である。

 

「"疲労除去(リムーブ・ファティーグ)"は高貴本だけど、まあ"限られた望み(リミテッドウィッシュ)"変換ならいいだろ。疲労を除去するだけの効果だし」

「誰と話してるんだい君は」

 

 

 

「しかし、不気味な宝玉に謎の女に黒ローブ・・・またやっかいごとに巻き込まれたもんだね」

「すいません」

「責めてやしないさ。君のやったことは正しいよ、イサミ君。それにしても死者の蘇生? また無茶苦茶な・・・」

 

 頭を抱えるヘスティアに返事をする前に「アイアム・ガネーシャ」が見えてくる。

 なめらかな軌道で減速し、幻馬は再びバルコニーに降り立った。

 中に入るとガネーシャと、何とも言えない表情のハシャーナがいた。

 装備一式といくつかのずだ袋が無造作に足下に放り出してある。

 

「ただいま戻りました」

「俺がガネーシャだ!」

「どういたしまして。ハシャーナさんはどうしたんです?」

 

 微妙に渋い表情のまま、ハシャーナが足下を見下ろす。

 

「そこに重そうな袋があるだろ? 例の仕事の後金、俺の部屋の机の上に置いてあった」

「・・・」

 

 義理堅いのか、それとも皮肉か。

 思わずイサミもハシャーナと同じような表情になって眉間をもむ。

 

(そういえば、ルルネへの報酬も、ちゃんと置いていったなあ・・・)

 

 金袋に飛びついて、これは私のものだと主張するルルネを思い出し、イサミが更に渋い顔になった。

 

 

 

 ハシャーナとイサミが微妙な表情になっている間に、ヘスティアがガネーシャの前に立つ。

 

「久しぶりだね、ガネーシャ」

「うむ、夜分にすまんな、ヘスティア! 事情は聞いているか?」

「大体の所は」

 

 腕を組んだガネーシャが一つ頷く。

 

「ならば話が早い。単刀直入に言うが、ハシャーナを"改宗"させておまえのファミリアに移籍させてはくれないか?」

「はぁーっ!?」

 

 驚愕の声を上げたのは、ヘスティアではなくハシャーナであった。

 改宗(コンバージョン)とは、つまりある神のもとから離れ、別の神のもとへ移籍することである。

 

「ちょ、そりゃないでしょうぜガネーシャ様! まさか二人で遊郭に行ったとき、俺が取った女の方が好みだったのをまだ根に持ってるんですかい?! ありゃコイントスで俺が勝ったからでしょうが!」

「何を言うか! あれは確かにむかついたが、その様な事でおまえを追い出したりはせん! 俺はガネーシャだぞ!」

「何をやってるんだ君たちは・・・というか、処女神たるボクの前でそういう話をしないでくれるかな」

 

 視線の温度が急低下したヘスティアをイサミがまあまあとなだめている間、もう一方ではガネーシャがハシャーナに丁寧に説明していた。

 

「つまりだな、ハシャーナ。おまえが我がファミリアでハシャーナ・ドルリアとして活動することは――少なくとも当分は――できん。

 その女が現れたら、我がファミリアの誇る一級冒険者たちでもおまえを守れるかどうか」

「そりゃ、まあ」

 

 不承不承ハシャーナが頷く。

 我が意を得たりとガネーシャも大きく頷いた。

 

「ならばいっそ、よそに移籍した方がよかろうと思ったのだ」

「新しくガネーシャ・ファミリアに加わった冒険者ということにしても、知り合いの多いここではボロが出る可能性も高いでしょうし、そこへ行くとウチは名前すらまだ知られてない眷属二名の零細です。

 それに冒険者稼業を続けるならステイタス更新が必要でしょうが、いちいちこちらに戻っていたらばれる可能性が高くなります。

 "改宗"は必須でしょう。そう言う事ですよね、ガネーシャ様?」

 

 説明を追加するイサミがちらりとガネーシャの方を見る。

 象頭の神は動揺しつつも頷いた。

 

「う、うむ・・・俺がガネーシャだ」

「この野郎! そこまで考えてなかったな!? 絶対に思いつきだろう!」

「そ、そんな事は無いぞ! おまえは自分の神を疑うのか! 俺も考えてたぞ・・・半分位」

「嘘つけ! いつも思いつきとノリで行動するくせに! このろくでもないホームだってそうじゃねえか!」

 

 主神に食ってかかる眷属という珍しいものを見つつ、イサミが背後のヘスティアを振り返る。

 

「そうなんですか、神様?」

「・・・まぁ大体ね」

「あんたやっぱり天界でもそんなんだったんだな?!」

「ヘスティアーっ?!」

 

 絶叫するガネーシャに何度目かの胡乱げな視線を向けて、ふとイサミは奇妙なことに気づいた。

 部屋の柱や梁などにびっしりと描かれ刻まれている紋様が、【神の恩恵】で刻まれるそれと妙に似ているのだ。

 神界の意匠か何かなのかなと興味深げに見守るイサミであったが。

 

「このちゃらんぽらん脳みそ風船神がぁーっ!」

「ヘルプ! ヘスティアヘルプ!」

「たまには君も痛い目に・・・いや、それでどうにかなるようなら君じゃないか」

「そのとおり! 俺はガネーシャゆえにガネーシャなのだ!」

「そう言う所がだなあーっ!」

 

 目の前で行われるスラップスティックな騒動がイサミを物思いから引き戻した。いい加減呪文も勿体ないしそろそろ殴って止めるかとイサミが思い始めた頃、ようやっとハシャーナの追求が止まる。

 

「はーっ・・・まあいいですよ、もう。ここでどれだけ言ったところで治りゃしねぇんだろうし」

「うむ、俺がガネーシャだ!」

「少しは反省とか学習とかしろよ、あんたは!?」

 

 胸を張るガネーシャにハシャーナが突っ込むが、今はそれもむなしい。

 

「まあともかく、ここにいられないのはしょうがねえが、やっぱり俺はガネーシャ・ファミリアのハシャーナ・ドルリアなんだ。

 わがままだとわかっちゃいるしヘスティア様にも申しわけねぇが、よそに世話になるにしても、俺はこの神の眷属でいたい」

 

 拳を握るハシャーナに、ヘスティアが優しげな笑みを浮かべる。

 一方ガネーシャは困りながらもうれしそうに言葉を重ねた。

 

「おまえの気持ちにガネーシャ超感激! だがな、これはおまえの命に関わることなのだ。

 冒険者にとってステイタスの更新ができないのはかなり致命的ではないのか?」

「まあそりゃあ・・・それでもねえ」

 

 困ったようにぼりぼりと頭をかくハシャーナ。

 らちがあかないと見たか、イサミが口を挟む。

 

「俺としても、ハシャーナさんが改宗して俺とパーティを組んでくれると非常にありがたい・・・」

「よしわかった! おまえに頼まれたんじゃ嫌とは言えねえ! 何せ命の恩人だからな!」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 イサミの言葉を遮り、あっさり手のひらを返すハシャーナ。

 

「どうしようヘスティア。ガネーシャなんだかとっても切ない」

「ま、まぁ、子供達の決めたことだし・・・ね?」

 

 どこか寂しそうなガネーシャの腕をぽんぽんと叩き、慰めるヘスティアであった。

 



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4-3 シャーナ・ダーサ

ちょっと短め。


 

 背中を晒してソファに寝そべったハシャーナの背中に、ガネーシャが指から一滴血を落とす。

 白無垢のきめ細やかな肌に指を滑らせ、血の軌跡を走らせる。

 すると、今まで何もなかった背中の皮膚に、碑文のような紋様と文字の集合体が浮かび上がった。

 

「うーん、やっぱりどこも『(ロック)』は掛けてるんだねえ・・・」

「当然だろう。ステイタスの隠蔽はきわめて重要だからな」

 

 先日その存在をイサミに教えられ、神友から教授されたばかりのヘスティアが納得したように頷く。

 更にガネーシャが指を滑らせると、背中の文字群が明滅し始める。

 場所を替わったヘスティアがそこにおのれの血を一滴垂らして指で炎の紋様とハシャーナの真名を記し、"改宗"は完了した。

 

「これで俺もヘスティアの眷属か・・・お世話になります、ヘスティア様」

「うん。どれだけの間かわからないけど、これで君はガネーシャの家族であると同時にボクの家族だ。仲良くやろうじゃないか」

「ありがたいお言葉、痛み入ります」

 

 頭を下げるハシャーナを、にこやかに見下ろすヘスティア。

 なお、この二人の背丈が大体同じくらいである。

 体のボリュームには圧倒的な戦力差があるが、今のハシャーナはエルフなのでしょうがない。

 

「案ずることはない、ハシャーナ! ヘスティアはお前達に笑みを与えてやれる、良き神だ! 俺は彼女に全幅の信を置いている!」

「そう聞くとちょっと不安になるんですがねえ」

「元眷属からの信頼がストップ安! ガネーシャ大ショック!」

 

 大してショックを受けてない風にポーズを決める元主神ににやりと笑いつつ、ハシャーナが振り向く。

 

「まあ、これで俺も同じファミリアのお仲間ってわけだ。よろしくな。

 なんだかんだこの方がそういうって事は、ヘスティア様も信頼できる神なんだろうしな」

「信頼はできないけど信用はできるって感じですかね? まあやるときはやる方ですよ」

「イサミくぅ~ん、前から思っていたけど君には神に対する敬意ってものが足りないんじゃないかな? ベル君を見習いたまえよキミィ」

 

 ジト目で腕組みしつつ、うねうね動くツインテールでイサミをぺしぺしと叩くヘスティア。

 くるりと振り向くイサミの顔には型にはめたような笑みが張り付いている。

 

「そんなことはありませんとも。ヘスティア様には日頃より感謝しておりますよ、ええ」

「だからその笑みが嘘くさいんだよっ!」

 

 がー! と吠えるロリ神。

 ニヤッと笑ってイサミが顔の笑みを自然なものに戻した、

 

「いや、本当に感謝はしてますよ? ベルに贈ってくれたあのナイフ、どんな手を使ったかまあ想像はつきますけど、高かったんでしょう?

 最低でも、何千万ヴァリスかはしたはずだ」

「ま、まあね・・・」

 

 いきなりの不意打ちに、照れたようにそっぽを向くヘスティア。

 その顔が僅かに赤い。

 

「俺はあなたの眷属で良かったと思ってますよ。ハシャーナさんも、多分そう思ってくれるはずです」

「ああ。早くもあんたが好きになりかけてきたぜ、神様」

 

 ハモる二人に更に赤くなったヘスティアが手をぶんぶんと振り回す。

 

「もう、恥ずかしい事を言わないでくれよ! それから、今の話はベル君には秘密だぜ? 知ったら間違いなく気に病むからね?」

「わかってますよ。伊達にあれの兄貴をやってませんって」

 

 ハシャーナがガネーシャに向き直った。

 

「それじゃガネーシャ様。ちょいと行ってきます」

「うむ。おまえには遠くに使いを頼んだことにしておく。その気になればいつでも帰って来るがいい! 部屋はそのままにしておくからな!」

「はっ! お世話になりました!」

 

 かつての主神に別れを告げ、ハシャーナは新たな主神と共に幻馬にまたがった。

 見送るガネーシャにイサミが一礼し、三人と馬の姿が消える。

 ガネーシャはしばしバルコニーにたたずみ、彼らの去ったであろう夜空を見つめていた。

 

 

 

「それじゃ、今からハシャーナさんの部屋を作りますので、ちょっと待っててください」

「おまえマジで便利だな・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 ヘスティア・ファミリアホームの地下室。

 イサミは新しい廊下とハシャーナの部屋を作る作業をしながら、自分の魔法のことを説明する。

 同じファミリア、同じパーティである以上、隠せるものでもない。

 ハシャーナは感心と呆れが半々くらいのていであった。

 

「で、これだけできて、なんでまだレベル1なんだよおまえ」

「こっちが知りたいですよ、っと、終わりましたよ」

 

 "物質分解(ディスインテグレイト)"で穴を掘り、"泥を石に(トランスミュート・マッド・トゥ・ロック)"で天井・壁・床を固める。

 ベルが移ったことで余っていた二段ベッドの上側を"加工(ファブリケイト)"で切り離して"念力(テレキネシス)"で移動させる。

 先日の余りの材木にもう一度"加工(ファブリケイト)"を掛け、ドアを作って完成。

 この間僅か五分。

 

「絨毯とか壁紙とかは明日買ってきましょう。とりあえず今日はこれで」

「お、おう」

 

 数日前は自分もこんな表情を浮かべていたんだろうなあと思いつつ、ヘスティアは生暖かいまなざしをハシャーナに送っていた。

 

「そういえば、名前も変えた方がいいですよね。ハシャーナって呼んでたら、どこでばれるかわからないし」

「確かにそうだなあ。でもエルフの名前なんかわからねえぞ?」

「訳があって人間の里で育てられた、ってことにするのはどうだい? そう言う事が実際にあるのかどうかは知らないけど、それなら人間の名前で通るだろう」

 

 おお、と手を叩くイサミとハシャーナ。感心された神はふふん、と胸を張る。

 

「それに、いきなり別の名前に変えると戸惑うだろうし、元の名前とある程度似たものがいいんじゃないかな?」

「なるほど・・・じゃあ、ドシャーナ・ハルリアとかどうです」

「ブン殴るぞ、コラ」

「君、ネーミングセンスはないねえ・・・」

「ええっ?!」

 

 紆余曲折の末、彼女の名前は「シャーナ・ダーサ」に決定した。

 

 

 

 夢を見ていた。

 神と邪神、悪魔と魔神、人と亜人とモンスター、全てが手を組んで一つの敵と戦う夢を。

 

 かつて、あらゆる世界、あらゆる宇宙のあらゆる神々、悪魔、知恵持つ人と魔物のたぐい全てが、立場、恩讐、善悪秩序混沌の属性すら越えて手を組み、戦ったことがあった。

 全ての世界と宇宙を破壊しようとする絶対の反存在。

 その名は・・・

 

 

 

 イサミは静かに目を開いた。

 時計の針は朝の四時を示している。

 

「・・・・」

 

 ベッドに横たわったまま、再び目を閉じる。

 これほど明白な夢は初めてだった。

 

 あるいはいつもヴィジョンを送ってくるあの赤いローブの老人とは別口なのかも知れないが、それはわからない。

 ただ、この世界に送られた使命に関係しているのであろう事は確信できた。



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4-4 朝の風景

 朝、廃教会の地上部分。

 

「たぁぁぁぁーっ!」

「甘めぇっ!」

「ぐほぉっ!?」

 

 突っ込んでいったところにカウンターで綺麗な回し蹴りをもらい、ベルが吹っ飛んだ。

 吹っ飛ばした張本人は片足を上げた姿勢のまま、倒れたベルを叱咤する。

 

「おら、すぐ起きろ! 怪物どもは待っちゃくんねえぞ!」

「は、はいっ! やああっ!」

「おっしゃ、いいガッツだ! だが動きが単調なんだよ!」

「ぐっ!?」

 

 身を低くして突っ込んでくるベルの攻撃をほとんど動かずにかわし、今度は左フックをほおげたに叩き込む。

 軽い脳しんとうを起こしたベルは、短い悲鳴と共に崩れ落ちた。

 

「急転換して死角を狙ったのはいい! だがその前にもう一つフェイントを掛けろ!

 型は綺麗だがスピードだけじゃいずれ限界が来るぞ!

 とにかく動け! ナイフは相手の虚を突いてなんぼ、急所を突いてなんぼの武器だ!」

「は、はい・・・っ!」

 

 仁王立ちしてベルを見下ろすのは年端もいかぬエルフの少女。

 だが、彼より圧倒的に強いレベル4の冒険者。

 徒手空拳でありながら武装した彼を歯牙にも掛けない、本物の「冒険者」だった。

 

 

 

 次の日の朝、起きてきたベルにハシャーナ改めシャーナを紹介すると、イサミは彼女に弟の特訓を依頼した。

 彼女の二つ名は『剛拳闘士』。

 《拳打》アビリティ持ちで格闘戦に長け、ナイフの扱いにもそれなりに長じる。ベルの訓練にはうってつけの人材と言えた。

 

 ナイフの基本的な型はイサミが叩き込むことができたが、実戦的な立ち回りまでは手が及ばない。

 たとえ"願い(ウィッシュ)"であっても基本的技術を身につけるまでが限界で、実戦経験を積むことはできないからだ。

 大ファミリアで無数の実戦をくぐり抜け、経験を積んできたハシャーナからは、イサミ、ベルともに学ぶところ大なはずであった。

 

 

 

 一時間後。

 隠し扉を開けて、イサミが上がってきた。

 巨体に付けたエプロンが、冗談のように小さく見える。

 

「おーい、そろそろ飯の時間・・・うわ、こりゃまた手ひどくやられたな」

「ワリいな、手加減は苦手でよ」

「だ、大丈夫です、これくらい・・・」

 

 ボロボロになって倒れていたベルが震えながら立ち上がる。

 顔は腫れ上がり体中アザだらけというありさまではあったが、目は死んでいなかった。

 

「よしよし、男はそうでねえとな。ホレた女のために強くならなくっちゃいけねぇんだろう?

 出会いを求めてダンジョンに来たとか言ってたが、出会いはきっちりあったわけだ!」

「ちょ、兄さん?!」

 

 腫れとアザの上からでもわかるくらい顔を赤くして、ベルが兄に向き直る。

 うむうむ、と訳知り顔で頷くシャーナ。

 

「いやいや、恥ずかしがる事はねえぞ? 男だったらこう、女を落としてナンボだろう?」

「と、異性を口説けた事の無い人がおっしゃってます」

「ち、ちげーし! 俺モテてたし?!」

 

 いきなり挙動不審になるシャーナをスルーしてイサミがベルの前に立つ。

 

「ほれ、動くな。今治療してやるからな」

「聞けよ!」

 

 

 

「うめえ!? 何だこりゃ!」

「ふふん、驚いたろう。ウチのファミリアは零細だけど、食事は最高なのさ!」

 

 今日の朝食はシャーナにあわせてインド風。こちらの世界にインドはないが。

 白蒸しパンと甘いバナナミルク、ナンのようなもっちりさっくりパンに、ひよこ豆のカレー。

 

 バナナミルクと白蒸しパンを口の中で混ぜて飲み込み、ナンをちぎってカレーをすくって食べる。

 食後は甘めのミルクティーで口の中を洗い流す。

 少し不安ではあったが、シャーナには大好評のようであった。

 

「いやー、うまかった! 毎日これが食えるならずっとここに居続けようかな!」

「ふっふっふ、またしてもイサミ君の料理のトリコが一人・・・本当に罪深い男さ、君って奴は」

 

 安物のカップを掲げて意味もなくポーズを取るヘスティア。

 大人の女ごっこでもしているのだろうかと考えつつ、褒められるのはやはり嬉しいイサミである。

 

「そういえばベル、今日の予定はあるか? シャーナさんに迷宮での立ち回りを教えてもらおうかと思うんだが」

「さんづけはいいよ。見た目がこれだしな。シャーナでいい」

「ごめん兄さん、ちょっとエイナさんと約束が・・・」

 

 洗い物をしながら済まなそうに言ってくるベルに、んじゃ明日にでも、と声を掛けると、イサミはシャーナの方に向き直った。

 

「それじゃどうしましょう。二人で軽く潜ります?」

「そうだな・・・」

 

 考える二人。

 そこでヘスティアが口を挟んでくる。

 

「それならシャーナくんの身の回りのものでも買いに行きなよ。服もろくにないんだろう?」

「へ? まあ、そうですがそれならその辺の古着屋で適当に・・・」

 

 そういうシャーナの服装は、着た切り雀の戦闘衣である。

 

「いかーんっ!」

「うおっ!?」

 

 突然ヘスティアが両手でテーブルを叩き、大声を出す。

 

「いいかい! 君は女の子なんだ! ちゃんと服は揃えないといけないし、アクセサリーだってそれなりにいる!

 ボクなんてイサミ君がお金出してくれないから、パーティに行く服にすら事欠いてたんだぞ!」

「あの後ちゃんと仕立ててもらったじゃないですか」

 

 眉を寄せたイサミが反論しようとするが、ヘスティアは取り合わない。

 

「しゃーらーっぷ! ホームだって君がお金を出してくれればそれなりの所に住めるのに、頑固に穴を広げるから未だに地下室暮らしじゃないか!」

「冒険者やってたらお金はいくらあっても足りないって言ったでしょうに」

「俺も、別に女っぽい服はなあ・・・」

「いいから! とにかくイサミ君はシャーナ君に付き合って服を一通り買ってくること! いいね!」

 

 そういうことになった。

 

 

 

「服かぁ。近くの古着屋で適当に揃えてたからなあ」

「俺は田舎暮らしでしたから、基本着たきりでしたね・・・面倒ですねえ、女って」

「面倒だよなあ」

 

 野郎二人――もとい片方は元野郎――が愚痴りながら北のメインストリートを歩いている。

 

「なー、適当に古着買って、おまえにサイズ調整してもらうとか駄目かねえ」

「駄目じゃないっすかねー。なにか神様へそ曲げてましたし」

 

 ちなみに、装備関係については既にイサミの手によってサイズ調整済みである。

 武器も後で装飾を追加して、ハシャーナ・ドルリアの物とは見えないように加工する予定だ。

 

「どうよ、うっかり予算飲んじまったから安物しか買えませんでしたってのは」

「そこらで飲むくらいなら、いい肉と野菜とお酒買い付けて料理奮発しますよ。

 でもやったら絶対烈火のごとく怒るだろうなあ」

 

 はーっ、とため息をつく両人。

 

「めんどくさいなあ」

「めんどくさいですねえ」

 

 いずこの世界でも、女のこだわりは男には理解されない物のようであった。

 もちろん、逆もまたしかりであるのだが。

 

「ってーか、おまえが服を買ってやらねえからすねたんじゃねえのか? つまり、おまえが悪いんだろうがこの状況」

「いやー、シャーナがこだわらなすぎなのが悪いんじゃないかなあ・・・。あそこでそれなりに揃えようとしてたら、あそこまでヒートアップしなかったですよ、絶対」

 

 ぴたり、と二人の足が止まる。

 

「おうなんだ、俺が悪いってか?」

「いえいえそんな事は。ただ、可愛いエルフのお嬢さんはフリルのついたゴスロリドレスでも着た方がいいんじゃないですか? 似合いますよ、きっと」

「・・・ふっふっふ」

「・・・はっはっは」

 

 メインストリートの真ん中でにらみ合う二人を、周囲の通行人達が遠巻きによけて足早に歩き去っていった。



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4-5 虎の尾を踏む男達

「・・・何やってるんですか?」

 

 にらみ合う二人に声を掛けてきたのは先日も会ったエルフの魔導士レフィーヤだった。

 ロキ・ファミリアのホームは、このメインストリートの北端にある。

 

「あ、レフィーヤ?」

「あ、じゃあありませんよ。道の真ん中で年下の子相手に何をしてるんです? あなたみたいな高レベルの冒険者が!」

「いやその・・・」

 

 イサミが自分より格上の、魔法大国(アルテナ)あたりで修行を積んだエリートか何かだと思っているレフィーヤである。

 おまけにまじめで、冒険者は規律正しくあるべきという考えの持ち主だ。

 

 まさか「あたしゃレベル1です」とも言えず答えに窮するイサミを見て、シャーナの目がきらりと光った。

 たたたっ、と小走りでレフィーヤに走り寄る。

 

「うわーん、お姉ちゃん! お兄ちゃんが私のこといじめるのー!」

「あ、この野郎っ!?」

 

 いささか棒読みのセリフを吐いて、シャーナがレフィーヤの脇に抱きつく。

 自分より頭一つ低いエルフの少女を抱きとめて、レフィーヤがイサミをきっと睨んだ。

 

「この野郎とはなんですか! 冒険者とは言え、年下の小さな子相手に!」

「ぐっ?!」

 

(端から見れば)完璧な正論相手にイサミが思わずひるむ。

 ここぞとばかりにレフィーヤの左乳に顔を押しつけたシャーナが、邪悪な笑みを浮かべた。

 

(ふふふ、どうだ、手を出せるなら出してもいいんだぞ、ん?)

(畜生いつか殺してやる)

 

 そんな低レベルのアイコンタクトにも気づかず、レフィーヤがまた怒る。

 大男が小娘に説教されるといういささかみっともない絵であるが、実際(外見的には)正論なので反論も出来ない。

 

「ほら、そんな怖い顔するから、かわいそうに怖がってるじゃないですか! 年上の男の人がやっていいことじゃないですよ!」

「ぬぬぬ・・・わかったよ・・・」

 

 鉄の自制心を発揮して、表情を無理矢理普段の物に戻す。戦闘衣を着た外見だけはいたいけな少女のエルフがあかんべえしてくるが無視。

 

「それで? なんでこんな道の真ん中で喧嘩してたんです? えーと・・・」

「シャーナ。シャーナ・ダーサって言うの、お姉ちゃん」

「シャーナ? 珍しい名前ですね・・・どこの森だろう?」

 

 首をかしげるレフィーヤに、イサミがすかさずフォローを入れる。

 

「あー、その子は訳あってエルフの森じゃなくて、都市で人間に育てられたエルフなんだ。俺も詳しいことは知らないけど」

「ですか・・・それで、どうして喧嘩を?」

「うん・・・服を買いに来たんだけど、お兄ちゃんがシャーナの嫌がってる服を無理矢理着せようとして・・・!」

 

 ぶっ、とイサミが吹き出した。

 

「クラネルさん!」

「待て! 誤解だ!」

 

 これまでとは比べものにならない形相で睨み付けてくるレフィーヤに、半ば本気でイサミがたじろぐ。

 シャーナの一言は、的確に虎の尾を踏んでしまったらしかった。

 

「私、あなたの事見損ないました! 小さな女の子が嫌がることを・・・」

「違うって! だったらおまえが選んでくれよ!」

「え」

「え?」

 

 イサミの言葉にレフィーヤがキョトンとし、一方シャーナが僅かに不安げな顔になる。

 

「シャーナの服を買いに来たはいいが、どのみち店員に任せるつもりだったんだ。

 エルフ向けの店も知らないしさ。同族であるレフィーヤが選んでくれるなら助かるけど・・・どうかな?」

 

 ちらり、としがみついたままのシャーナを見下ろすレフィーヤ。

 今更否定するわけにもいかず、やや引きつった笑みを浮かべるシャーナ。

 外見だけならこの上なくかわいらしい美少女である。レフィーヤの顔が、思わずにへら、とゆるんだ。

 

「しょ、しょうがありませんね!

 あなたみたいな人にシャーナちゃんの服選びを任せるのも不安ですし、同族たる私がちゃんと選んで上げないと!」

「お、お姉ちゃん? 無理にシャーナに付き合ってくれなくてもいいよ? 店の人に選んでもらうから・・・」

「シャーナちゃんはエルフの店とか知らないんでしょう?

 大丈夫、お姉ちゃんは今日は休日だから。夕方まで付き合って、可愛いのを選んで上げますからね!」

 

 かがんで顔の高さを合わせ、満面の笑みでほほえみかけてくるレフィーヤに、シャーナのほほが盛大に引きつった。

 いつのまにか肩にしっかりとレフィーヤの手が回され、逃げるに逃げられない状況になっている。

 ぎぎぎ、と油の切れたちょうつがいのような動きでイサミの方に顔を向けた。

 

(おいイサミ。俺が悪かった。助けてくれ)

 

 必死のアイコンタクトを受けたイサミが、にっこりと笑う。

 

「よかったなあ、シャーナ! うんと可愛いのを選んでもらえ! エルフの店なら、そういう服には事欠かないだろうからな!」

「もちろんですよ! 町中でまで戦闘衣だなんて、かわいそうすぎます!

 もっとこう、ちゃんとしてて可愛い服を選んで上げないと! ね、シャーナちゃん!」

「わ、わぁい、うれしいな・・・」

 

 最早笑顔を維持できなくなる寸前まで引きつるシャーナの表情筋。

 手をつないで歩き始めたレフィーヤの視線が自分から外れた瞬間、怨念のこもったまなざしをイサミに叩き付ける。

 

(地獄に堕ちろ)

(おまえがな)

 

 イサミは満面の笑みを浮かべたまま、その視線を受け止めた。

 

 

 

「あれ? そういえば随分早いな。あの面子で潜ってったんだから、下層か深層で一週間くらいは滞在すると思ったんだけど」

 

 オラリオのダンジョンは12階層ごとに上層、中層、下層と分類されており、37階層以下はひとくくりで「深層」とされている。

 ものすごく大雑把に言えば、12階層ごとにモンスターのレベル(冒険者のレベルとほぼ対応している)が1上がると考えていい。

 

 あの時のレフィーヤ達のパーティはレベル6二人、レベル5三人、レベル3一人。

 食料などの物資さえ潤沢なら深層の奥のほうでも十分通用する面子である。

 

「そのつもりだったんですけど・・・リヴィラの街に入ったときに、殺人事件に巻き込まれちゃいまして」

「へえ?」

 

 弛緩していた精神が、一瞬にして引き締まった。

 表情を変えないまま、「のんきにそぞろ歩きする休日の冒険者」という仮面をかぶりなおす。

 

 一方でシャーナもことさらに驚くような真似はしない。これでオラリオの表と裏を見てきた海千山千の冒険者である。

 レベル3とはいえ、世間知らずの小娘に気取られるほど迂闊ではなかった。

 

「俺らがいた時はそんな話は全然なかったんだけどなあ」

「私たちが到着するすぐ前くらいに見つかったみたいです。

 遺体はなかったんですけど、その、頭を踏みつぶされたらしき跡が・・・」

 

 思い出してしまったのか、顔をしかめるレフィーヤ。

 

「ああ、無理して思い出さなくていいから。それで、犯人は捕まったのか?」

「すいません・・・。街を封鎖して冒険者を集めたんですけど見つからなくて。

 女性が犯人だと言うので女性冒険者を集めて身体検査をしたんですけど、団長がさらわれてティオネさんが暴走したりもうめちゃくちゃで」

「ああ・・・」

 

 イサミとシャーナが思わず苦笑を漏らす。

 女性人気はオラリオでも1,2を争う美少年ショタ、フィン・ディムナである。

 無数の女性冒険者に群がられる姿が、容易に想像できた。

 

「手がかりとかはないのか?」

「犯人は豊満な体つきの女性だそうです。宿の部屋にすごい戦いの跡が残ってました。ベッドを砕いたり、拳で壁に穴を開けたり・・・被害者も加害者も少なくともレベル4以上だった、というのが団長の見立てです――イサミさんや、シャーナちゃんも気をつけてね?」

 

 イサミとシャーナがこっそり視線を交わす。

 シャーナを蘇生させた時の間抜けな乱闘が、いい感じに捜査かく乱になってしまったようである。

 ちょっと後ろめたい。

 

「胸の大きい女を見たら、回れ右して逃げることにするよ。それで、おすすめの店ってのはまだ遠いのかい?」

「いえ、すぐですよ・・・ほら、あの緑色の看板です」

 

 ひくり、とシャーナの頬が動く。

 

「? どうしたんです、シャーナちゃん?」

「い、いや、シャーナ楽しみだな~」

「それじゃ、俺は近くの喫茶店ででも時間をつぶしてくるんで、よろしく頼むなレフィーヤ」

「!?」

 

 がしっ、とシャーナがイサミの手をつかむ。

 

「あら、シャーナちゃんどうしたの?」

「シャ、シャーナ、お兄ちゃんにもついてきてほしいなーって・・・」

 

 少女らしい表情をかろうじて維持しつつ、必死にイサミを引き留めるシャーナ。

 

(頼む、ついてきてくれ! こんな所にこんなのと二人きりとか耐えられん!)

(俺だってこんな所入りたくないですよ! 女なんだから慣れてください!)

(頼むよ! その内慣れるから、今回は頼む! とっときの飯屋教えるから!)

 

 放っておくと本当に泣きだしそうだったので、イサミは折れた。

 決して飯屋につられたわけではない。たぶん。

 

 

 

 意外にも、店の中は男女の客が3:7くらいであった。売り場面積もそのくらいである。

 

「あ、男性用も置いてあるんだ」

「ここはそうですね。女性服専門の所も結構ありますけど」

「なーんか、今ひとつなじめないなあ・・・」

 

 シャーナがぼやく。

 エルフ向けだけあって、並ぶ服はどれも仕立てがきっちりしており、くだけた服でもどことなく上品さが伺える物ばかりである。

 

「こう言うのがエルフの服装なのよ。今日はお姉ちゃんが一から教えて上げますからね」

「あ、ありがとう・・・」

 

 屠殺場に引かれていく豚のような笑顔でシャーナが礼の言葉を口にした。



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4-6 バードの知識(バルディック・ナレッジ)

「おおー」

 

 先ほどの店からほど近い喫茶店の店内。買い物を終えたシャーナを見て、イサミが感嘆のため息を漏らした。

 イサミも途中までは付き合っていたものの、二人が下着売り場へ向かおうとしたところでシャーナを見捨てて逃げたのである。

 

「裏切者め・・・」

 

 恨みがましげにイサミを睨むシャーナ。

 レフィーヤとおそろいのように、白いブラウスと淡いピンク系統のスカートで固め、同系色のカーディガンを上に着ている。

 上品ながらもかわいらしい仕立てで、先ほどイサミが言った「エルフのお嬢様」そのものの姿であった。

 

「しょうがないだろ。さすがに下着売り場に着いてく根性はない。けど本当にかわいいよ。すごい」

「でしょう? でしょう? シャーナちゃん、もう本当に何を着ても似合ってて・・・どれを選ぶか迷っちゃいましたよ!」

「勘弁してくれ・・・」

 

 この数時間でどっと疲れたシャーナの頭が、ため息と共にかくん、と落ちた。

 

 

 

「畜生、甘い物なんて好きでもなかったのに、ケーキがうめぇ・・・」

「まぁ女の子だからねえ・・・」

 

 仏頂面でケーキをぱくつくシャーナと、にこにこしながらそれを見るレフィーヤ。

 時々口元のクリームをぬぐってやったりしている。

 

 女性だからと言って味蕾が変わるわけではないだろうが、女性の体は出産の栄養をため込むように出来ている。

 甘いものを美味しいと感じるように脳ができているのだ。

 言ったらシャーナがますますへこむだろうなあ、とイサミは考えたりもする。

 

「なんというかこうな、下着の感触が・・・違和感がひどいんだ・・・」

「そういうものなのよ、シャーナちゃん。下着が違うと、気分も違うの。

 あと、男の人みたいな言葉遣いはだめよ? ちゃんと女の子っぽくしないと」

「うう・・・」

 

 助けてくれ、というアイサインを送るシャーナだが、イサミは肩をすくめるだけ。

 実際彼にはいかんともしがたい。

 結局、シャーナは夕方になるまでレフィーヤに存分に愛でられたのであった。

 

 

 

 堪能して満足したレフィーヤと別れ、二人はホームへの帰り道を歩いていた。

 イサミの背中には家具屋で購入した衣装ダンスと壁紙、絨毯。手には本日の夕食の材料とシャーナの服。

 シャーナは先ほどのままの格好で、こちらも今日買い込んだ衣服を両手に提げている。

 

「はーっ・・・・」

「疲れましたか?」

「ああ・・・【自慢のツーハンデッドソード】なくした時以上に、自分が女なんだなって実感したよ・・・」

 

 うつろなまなざしのシャーナ。

 妙に生々しいたとえにイサミが苦笑する。

 

「すいませんね、俺のせいで」

「恨む筋合いじゃねえよ。生き返らせてもらったんだしな。とは言えあのお嬢ちゃんも善意だから断りづらいんだよなあ・・・」

「地獄への道は善意で舗装されている、なんて言う人もいますけどね」

「おう、そりゃ確かだ。今日は間違いなく地獄を見たからな」

 

 わはは、とシャーナとイサミが笑いあう。

 気の置けない野郎同士の会話であった。外見さえ気にしなければ。

 

 

 

「ぬう、うめぇ・・・!」

 

 大皿から羊肉のビリヤニを取ってがつがつと口に運ぶシャーナ。

 ビリヤニとはインディカ米、カレーソース、様々な具を層状に重ねて長時間弱火で蒸し炊きにする、インド版カレー炊き込みご飯である。

 今回は刻んだリンゴ入りのヨーグルト飲料、野菜の香草揚げが付く。

 

「うぬぬぬ、この野菜のしゃきしゃきしたのとぱりっとした衣の取り合わせが・・・!」

「くそう、羊肉なのに臭みが全然ねえ・・・いくらでも腹に入る・・・!」

 

 悔しがってるのか堪能してるのか分からない事を口にしつつ、競うように料理を腹に収めていくロリ神とエルフ娘。料理人冥利に尽きる瞬間である。

 

「ん、ベル、どうした? 香辛料がきつかったか?」

「あ、うん、おいしいよ? えーと、その、今日新しい鎧を買ったんだけど、エイナさんに防具をプレゼントされちゃって・・・」

「何ぃっ!? ギルド職員め、やっぱりボクのベル君に不埒な真似を・・・あうっ?!」

 

 ぺしっ、と頭をはたかれてヘスティアが沈黙する。

 

「別に神様の物じゃないでしょーが。しかし、またお世話になっちゃったなあ・・・いよいよ頭が上がらんわ」

「エイナってのは?」

「俺とベルの担当アドバイザーさんです。ベルが毎度お世話になってまして・・・

 ああ、それより、明日はベルの立ち回りを見てやって貰えませんか。正直その辺も俺じゃ教えられなくて」

「OKOK。明日の晩飯も豪勢に頼むぜ」

「はいはい」

 

 言いつつ、ベルが話題をそらしたのが少し気になるイサミである。

 

(・・・まあ、もう子供じゃないし隠したいことの一つや二つあるんだろうが・・・)

 

 ただベルがああいう、一人で抱え込むような隠し事をするときは余りろくな事が無いのである。兄の経験的に。

 

 

 

 しばしの後。食事を終えたイサミが席を立った。

 

「ん? どうしたんだい?」

「ちょっと情報収集に。遅くなると思いますので先に寝ていてください」

「・・・わかった。気をつけてくれよ、イサミ君」

「なに、逃げ足だったら誰にも負けませんよ」

 

 軽口を叩いて外套を羽織ると、イサミは地下室を出た。

 地上部分に出た時点で、小さくコマンド・ワードをつぶやく。

 街路に出た時には、その姿は中肉中背の、吟遊詩人風のヒューマンになっていた。

 

 魔道具「"変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"」の力である。

 幻影で外見をごまかせるアイテムだ。

 D&Dでは低級のアイテムではあるが、使い勝手がいいので高レベルのキャラクターが使っていることも珍しくない。

 

 

 

 変身したイサミは夜の街を歩き回り、酒場をはしごする。

 時に酒をおごって話を聞き、時に芸を披露して喝采を浴び、時にはただ酒を飲みつつ周囲の話に耳を傾ける。

 そんな事を数時間ほど続け、イサミはホームに戻った。

 

 一週間程前、イサミが新たに取得したクラスが"吟遊詩人(バード)"であった。

 このクラスの取得は、戦力的にはほぼ利点はない。

 剣も魔法も技能も何でもある程度こなせるが、器用貧乏というクラスである。

 

 しかしただ一点、情報収集においては他のクラスの追随を許さない。

 "バードの知識(バルディック・ナレッジ)"と呼ばれるそれは、うわさ話を聞き取り、整理し、さらには推論によって望む答えにたどり着く、現代で言えば諜報組織の情報分析官そのものの能力である。

 

 もっとも、さすがの"バードの知識"も噂にならない事柄について知る事はできないが、神託系呪文を封じられたイサミとしてはこうした地道な聞き込みに頼るか、さもなくば自前で諜報組織を立ち上げるくらいしか情報収集の手はない。

 つくづくD&Dの占術呪文は反則だった、と思いつつイサミは廃教会の扉を開けた。

 

 

 

 既に日付の変わった後であったから、さすがに誰も起きていない。

 イサミは荷物を置きもせず、数日前にこっそり作っていた隠し部屋に入った。

 6m四方ほどの空間には広い机と戸棚、書棚、隅には炉と金床、ハンマーがあり、机の上には魔石コンロとビーカーなどいくつかの容器、箱に入った筆記用具に薬草師や細工師の使うような器具もある。

 

 ここはマジック・アイテムの作成室であった。

 イサミが呪文の力を再充填するには八時間の休息が必要だが、"ヒューワードの(ヒューワーズ・)元気の出る携帯用寝具(フォーティファイイング・ベッドロール)"と言うアイテムを使えばそれを一時間に短縮できる。

 

 "願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力とは別に、浮いた時間を利用して手作業でマジックアイテムを作成するのが、ここしばらくのイサミの日課であった。

 "元気の出る携帯寝具"は連続しては使えないため、二日に一度であるが。

 

 夜っぴてマジックアイテムの製作を続け、五時を回ったあたりで魔法の寝袋に潜り込む。

 ちなみに作っていたのは彼自身使用している"ヒューワードの便利な背負い袋"。シャーナの分だ。

 

(この分なら明日には完成しそうだな)

 

 そう考えつつ、イサミは眠りについた。

 

 

 

「うーん、旅の空も良いけど、やっぱり我が家は落ち着くねえ」

 

 ヘルメス・ファミリア、神ヘルメスの執務室。

 帰って来たばかりの部屋の主人が椅子に体を預けて大きく伸びをしていた。

 机の前でアスフィがいぶかしげに主神を見やっている。

 

「今回はお早いお帰りでしたね?」

「まあちょっとあってね。それよりどうだい、例の虎縞の大男くんの件は。

 結構楽しみにしてたんだけど」

 

 笑みを浮かべて話を向ける主神に、眼鏡の位置を直してアスフィが頷いた。

 

「はい、ある程度は調べが付いています。

 名前はイサミ・クラネル。ヘスティア・ファミリアの冒険者です」

「ああ、そう言えば彼女も地上に降りてきてたんだっけね。眷属見つけられたんだ」

「はい。現在ヘスティア・ファミリアの眷属は彼と弟、それにシャーナ・ダーサというエルフの少女の三人。

 神ヘスティアは彼の弟に随分ご執心のようですね」

「ふーん・・・あのヘスティアがねえ。そっちも興味はあるけど、とりあえずイサミ君か、彼のことを話してくれ」

 

 頷いてアスフィが先を続ける。

 オラリオに来たのは約一月前。にもかかわらず、その半月ほど後には既に深層に、それもソロで到達していたこと。

 ベート・ローガとの壮絶な殴り合い。怪物祭での活躍。魔道具製作者としての技量。ルルネ・ルーイと共にリヴィラの街での殺人劇に関わっていたこと。

 ヘルメスは机の上に足を投げ出したまま、瞑目してそれらの説明を聞いていた。

 

 

 

「・・・今のところわかっていることは以上になります」

「ふむ・・・一つ聞きたいんだけど」

「なんでしょう」

「惚れた?」

「惚れてませんっ!」

 

 ばんっ! とアスフィが両手を机に叩き付ける。

 顔は見事に真っ赤だ。

 

「え~、でも彼のこと楽しそうに話してたじゃない? それにそんな真っ赤な顔して、説得力がないなあ」

「それ以上言うとシメますよ・・・!」

 

 アスフィの手がプルプル震え始めたのを見て、降参降参、とばかりに両手を挙げるヘルメス。

 アスフィは深呼吸をして眼鏡の位置を整える。

 その頬はまだ僅かに赤い。

 

「彼は、魔道具製作者として尊敬しているだけです・・・大体あなたは神なんですから見ればわかるでしょう!」

「まぁね」

 

 へらへら笑う主神を忌々しげに睨み付け、がっくりと肩を落としてため息をつく。

 そんなアスフィを見やり、ヘルメスは楽しげに笑った。

 

「まあ、本当に惚れちゃったとしても、彼に近づくのはお勧めしないけどね。

 あれは多分、火種になるよ」

 

 力なくうなだれていたアスフィが怪訝な顔になる。

 

「それは、どういう・・・?」

 

 眷属の質問に対して、だがヘルメスは答えず。

 ただ、底冷えのするような笑みを浮かべた。



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第五話「高レベル冒険者は大体財産の九割以上が装備品」
5-1 青の薬補


 

 

 

 

 

『わかるまい! 戦争を遊びにしているシロッコには、この俺の体を通して出る力が!』

 

   ――『機動戦士Zガンダム』 ――

 

 

 

 

 

 翌朝。

 イサミ達は三人そろって迷宮に向かう準備をしていた。

 ベルは上層でシャーナの「授業」を受け、イサミは普通に深層に潜る予定である。

 

 ベルは新品の軽装鎧《兎鎧(ピョンキチ)Mk-II》とエイナから贈られた緑色のアームガード。

 シャーナは上質の皮鎧の上から鉄色の兜と分厚い胴鎧、それに籠手とすね当てをつけている。いずれもデザインは無骨でシンプルだが、一目見て一流の品と知れる。

 イサミは戦闘衣の上から外套、それに剣帯を提げただけの軽装であった。腰のベルトに多数のポーチがついているのが目立つ程度である。

 

「いいな、その軽装鎧。魔力は籠もっていないが、バランスがいい。これで一万はかなりのお買い得だ――名前はどうかと思うが」

「うん。一目見てビビッと来たんだ! ・・・まあ名前はどうかと思うけど」

 

 どこかの鍛冶師が聞いたらぐぬぬと歯ぎしりそうな感想を漏らしつつ談笑する兄弟。

 笑みを浮かべてそれを聞きつつ、ふとシャーナが口を開いた。

 

「そういえばおまえ、ソロで潜ってるんだろう? そんな格好で大丈夫か、おい」

魔道具(マジックアイテム)で防御力稼いでますんでね。それに俺の場合、防具つけてると呪文発動の邪魔になるんですよ」

 

 ふーん、と頷くシャーナ。

 実際D&Dの高レベル冒険者の例に漏れず、今のイサミもマジックアイテムの塊である。

 

 "変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"の偽装を解けば、派手な帽子に金色のレンズのゴーグル、同じく金色の羽根で覆われたマント、奇怪な目の紋様のローブ、金地の錦の胴着、頑丈そうな腕甲、何となくぼやけているように見える黒いブーツなど、統一性のない数々のアイテムで全身を覆う、世にも怪しい何かが現れるだろう。

 もちろんオラリオに、こんな怪しい格好をしている冒険者はイサミの知る限り一人もいない。

 

(チンドン屋か、良く言って傾奇者だよなあ・・・目立ちたくないってのに・・・)

 

 自分で作ってるんだからデザインを変更すればいいだろうと思われる向きもあろうが、金色のレンズやマントの羽根、目の紋様などにも魔術的な意味がちゃんとあるので、実際問題デザインの自由度はあまりないのである。

 

「それじゃ俺はミアハ様の所に行ってから潜るから、先に出るな。シャーナ、ベルのことよろしく」

「おう、まかせとけ」

「今日も無事帰ってこいよ、イサミくん!」

「それより神様、そろそろ出ないと間に合いませんよ」

 

 一人増えて賑やかになった会話に目を細めつつ、イサミはホームを出た。

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第五話「高レベル冒険者は大体財産の九割以上が装備品」

 

 

 

 ミアハ・ファミリアのホーム、「青の薬舗」。

 廃教会から更に奥の寂れた路地裏にあるこの店をイサミは訪れていた。

 

「おはようございまーす」

「おー・・・来たか・・・できてるよ」

 

 眠そうな顔の女性犬人、ナァーザ・エリスィス。

 店番にして、ミアハ・ファミリア唯一の構成員でもある。

 その彼女が取り出したのは、ファミリアの主力商品であるポーションの入った試験管ではなく、栓をした大きめの陶器の瓶であった。現代世界で言えば二合徳利、あるいは500mlのペットボトルほどか。

 

「それじゃ、確かめさせてもらいますよ」

「ん・・・」

 

 どことなく緊張した面持ちのナァーザを前に、イサミが慎重に瓶の栓を抜く。

 とたん、瓶の口から炎が吹き出した。イサミが冷静に再び栓をすると、空気の供給を絶たれた炎が瓶の中で消える。

 ナァーザに向かってイサミが頷く。

 

「確かに」

「良かった・・・正直初めてだったしね」

 

 瓶の中身は「錬金術師の火」。またの名を「大オイル」。空気に触れると炎を上げて敵にダメージを与える化学物質であるが、イサミにとっては"炎の泉(ファイアーブランド)"呪文の触媒として重要なアイテムである。

 今までは"願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力で補給していたのだが、なるべく使用回数は節約したいのと、金に余裕ができたので半月ほど前から製作を依頼していたのだ。

 「錬金術師の火」は名前の通り錬金術で作られるアイテムではあるが、ポーションを作るミアハ・ファミリアの設備であれば、これも作成できるのではないかと踏んでのことであった。

 

「設備の購入費まで持ってもらったからね・・・それに、腕のこともあるし」

 

 そう言うナァーザの右手は先日までの銀の義手ではない。

 生身の、美しい腕だ。

 

 彼女の腕の話を聞いたイサミが、試しに"再生(リジェネレイト)"の呪文をかけてみたところ、見事に失われた腕が回復したのである。

 イサミの魔法は単純な負傷回復量ではこの世界の魔法に遠く及ばないが、技術的にはこの世界の回復魔法を凌駕しているらしい。

 質に優れるD&D魔法、量に優れるこの世界の魔法と言ったところか。

 

 ちなみに報酬は不要になった銀の義手だ。

 D&D世界には存在しない技術なので、マジックアイテム好きのイサミの興味をいたくそそったのである。

 

「そうそう・・・これ、私の調合アビリティが有効みたい」

「それはよかった。それじゃ、今あるだけ下さい」

「はい・・・200本完成してるから、280万ヴァリス。もらった前金から引いておくね・・・でも、こんな物によく一本一万四千も出すね」

「前に説明したとおり、魔法の触媒でしてね。なくても使えるけど、あるとないとじゃ全然違うんですよ」

 

「錬金術師の火」は単純に投擲武器として使った場合、せいぜい上層4階層位でしか通用しない。

 その割にこの値段では、ナァーザがいぶかしむのも無理からぬ所ではある。

 

 イサミもできればこんな金食い虫の呪文を使いたくはないのだが、下層より下だと一度に出現する怪物の数が段違いに増える。

 敵を最大限速やかに倒さねばならないソロ冒険者としては、高価な触媒の代わりに破格の攻撃範囲を持つ"炎の泉(ファイアーブランド)"はほとんど唯一の選択肢なのである。

 

 実のところ"炎の泉"の呪文を使っていると下層辺りでも赤字になりかねないのだが・・・そこは天から授かった"願い(ウィッシュ)"の力で補っていた。

 この魔法は大抵の願いを叶えるが、金品を望んだ場合、金貨で二万五千枚。ヴァリスに換算して二千五百万までの品物を出すことができる。

 その膨大な資金を消費財につぎ込み、突っ走ってきたからこそ、イサミの急激なレベルアップ(D&D的な)があった。

 

「まぁ・・・もうけさせてもらってるからいいけどさ・・・」

 

 肩をすくめるナァーザ。

 原材料費7000ヴァリスのものが14000で引き取ってもらえる上に大口注文なので、彼女としては万々歳である。

 もっとも、イサミの方も大口注文を盾に3割引にさせているのだからおあいこだ。

 

「それじゃ、また明日。作ったら作っただけ買いますから、お願いしますよ」

「今のままだと、ミアハ様に手伝ってもらっても限界があるから・・・余り期待には応えられないかも」

「まあ、それは人を雇うなりファミリアの構成員を増やすなり。設備投資のしどきですよ」

 

 イサミの軽口に、ナァーザがにやっと笑う。

 

「そのためにも無事に帰ってきて欲しいね。たくさん作って、引き取り手がいないってのは勘弁だよ」

「大丈夫ですよ、当分死ぬ予定はありませんから。じゃ」

「毎度あり・・・」

 

 受け取った「錬金術師の火」を背負い袋と魔法の隠しポケットに収め、イサミは薄暗い店内を出た。



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5-2 リリルカ・アーデ

 バベル前の広場。

 小人族のサポーター兼盗賊リリルカ・アーデは昨日から狙いをつけていたカモを見つけて駆け寄ろうとし、ぎょっとして足を止めた。

 白髪頭の横にいる頑丈そうな鎧を着込んだエルフの少女が目に止まったからだ。

 

 間違いなく上級冒険者、最低でもレベル3、ひょっとしたら4。

 サポーターの経験は長いリリである。冒険者の実力を見抜く目には自信があった。

 

(やばい――! あんなのが一緒にいたんじゃ、隙をうかがうどころじゃない・・・!)

 

 それでもあの値打ち物のナイフをあきらめきれず逡巡してると、いきなり万力のような力で腕をつかまれた。

 

「あいたっ?!」

「何か用か、おい?」

 

 つかんでいるのはまさに今まで見ていたエルフの少女その人。

 大して力を入れているとも思えないその左手は、骨がきしむくらいの剛力でリリの腕をがっちりつかんでいる。

 

(しくじった・・・!)

 

「どうしたんですか、シャーナさん? ・・・あれ、その子・・・」

「ん? なんだ、知り合いか?」

 

 手を離し、シャーナが振り返る。

 ええいままよ、とリリは腹をくくる。

 

「はじめまして、お兄さん。唐突ですけど、サポーターなんか探してはいませんか?」

「え? でも、君・・・昨日の小人族だよね?」

「いいえ、リリは犬人ですよ?」

 

 そういって、ローブのフードを外すリリ。

 そこには確かに、犬の耳がひょこひょこと動いていた。

 ベルが何か言う前に、シャーナが割り込む。

 

「俺たちを見ていたのは何なんだ?」

「いえ、リリは今サポーターの口にあぶれていまして。そちらのお兄さんはソロの冒険者でしょう? リリを雇ってくれそうな気がしたんですよ」

「俺が一緒にいるのにか?」

 

 エルフ、それも年端もいかない少女の割に乱暴な口ぶりだな、と思いつつも、リリはすらすらと答えを述べる。

 

「お姉さんとお兄さんはパーティを組んでいるにしては実力が離れすぎています。

 付き合って鍛えるなり、色々教えるなりするおつもりなのでしょう?

 ならば、今日はいらずとも、明日からは雇っていただけるかも知れませんし」

 

 む、とシャーナが口を閉じる。

 心の中でよしっとガッツポーズを取り、リリはベルの方に向き直る。

 

「それでどうでしょう、お兄さん。リリをサポーターとして雇ってはいただけませんか?」

「ごめん、今特にサポーターが欲しいとは思わないから」

「はぁっ?」

 

 全く予想外の返事を聞き、リリの顎がかくーんと落ちた。

 

 

 

 イサミは基本的に弟にマジックアイテムやいい装備を買い与えたりと言った事はしていない。

 しかし、そのイサミが弟に与えたアイテムが三つある。

 

 一つは、イサミも使っている"自由移動の指輪(リング・オブ・フリーダム・ムーブメント)"。

 絡みつきなり組み付きなりで動きを止められると、どんな冒険者もあっさり殺される危険性を知っているからである。

 

 二つ目は、"呪文貯蔵の指輪(リング・オブ・スペル・ストアリング)"。

 ちょっとした呪文を蓄え、使用者がそれを自由に発動できる魔法のアイテムだ。

 ベルが持っているそれの中には、逃走用に"透明化"の呪文を入れている。

 

 そして最後の一つが"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"。

 いわゆる魔法の背負い袋で本体と左右のポーチを合わせて12立方フィート、つまり30x60x180センチまでの体積の物を収めることができる。

 その容量はリリが背中にしょっている巨大なバックパックの二倍近い。

 おまけにいくら入れても重さは変わらず、しかも望んだ物を間違えずに素早く取り出すこともできる。

 

 本来なら魔石やドロップアイテムがたまるごとに地上とダンジョンを往復せねばならないはずだが、この魔法の背負い袋のおかげで、ベルは換金のために地上と迷宮を往復したりせず、一日中迷宮の中で稼ぎ続けることができる。

 つまりアイテムを持ち運ぶ負担がないし、サポーター無しでも、いるときと同じくらいの高効率で稼ぎができるのだ。

 

「そういうわけだから、サポーターはいらないんだ、ごめんね?」

「うそーん?!」

 

 思わずキャラ崩壊するリリを気の毒そうに見やりつつも、歩き出そうとするベル。

 そのベルの腰に、がしっとリリがすがりついた。

 

「わわっ?!」

「お願いです! 最近稼ぎがなくてひもじいんです! 分け前は1000ヴァリス、いえ、100ヴァリスでも構いません!

 お願いです! お願いです!」

 

 助けを求めるように同行者を見るが、呆れたように肩をすくめるだけ。

 こうなると、ベルが彼女を突き放せるはずもなかった。

 

 

 

「で、ベル君はどうだったんだい?」

「驚きましたよ。技術は未熟ですが、立ち回りに天性の勘がある。我流だが上層レベルではほぼ完璧です。兄貴とは違った意味で才能がありますな」

「余り褒めないでくれよ、シャーナ。こいつは昔からすぐ調子に乗るんだ」

「そんな事言って口元がにやけてるぜ、イサミ君?」

 

 夕食の席で雑談に興じる一同。まさかの高評価に、ベル本人よりもイサミの方が鼻高々である。

 もっとも、イサミをからかうヘスティアにしても、笑みを押さえきれないのだから世話はない。

 当のベル本人はと言うと、先ほどから照れたように笑うばかりだった。

 

 やがて食事も終わり、ベルが席を立って皿洗いに向かう。

 台所の方で水音がし始めたのを確認して、シャーナが声を潜めて話し出した。

 

「そういえば、今日小人族みてぇな犬人のサポーターを雇ったんだが・・・」

「サポーター? 必要があるとも思えませんけど」

「ああ。向こうから売り込んできたんだよ。それも強引にな」

 

 サポーターの存在意義は、迷宮での荷物持ちと武器道具の管理、そして様々な雑務である。

 荷物持ちは魔法の背負い袋があるし、その他の事もまだ他人を雇う必要はないはずだった。

 ヘスティアが話に混じってくる。

 

「うさんくさい奴なのかい?」

「こう言っちゃ何ですが、フリーのサポーターってのはひねてるのが多い。そういう扱いを受けてるからですがね」

「サポーターは扱いが悪いというのは聞いてましたが・・・」

 

 ため息をついてシャーナは言葉を続ける。

 

「フリーのサポーターを雇う奴ってのはな、単純に貧乏な奴、レベル1とか、レベル2でも足踏みしてるような奴が多いのさ。

 それも大抵は弱小ファミリアだ。3レベルや4レベルになるようなら、ファミリアも自然とでかくなるからな。

 そうなったら、ファミリアの下位構成員にサポーターをやらせりゃいい」

「つまり、レベルの低い冒険者が、更に底辺を虐げてるってことかい?」

「レベルが高けりゃ人品が優れてるなんてこたぁありませんが、懐に余裕があれば自然と態度にも余裕が出ますからね。貧すれば鈍すですよ」

 

 肩をすくめるシャーナ。

 はーっ、とイサミがため息をつく。

 

「やれやれ・・・面倒ごとはまとめて来るな」

「まあ今ンとこはただ怪しいってだけだ。本当に食い詰めただけのサポーターって可能性もある」

「ちょっと待ってくれ。イサミ君の方も何か?」

「頭打ちですよ。これ以上レベルが上がらなくなったんです」

 

 D&Dのレベルアップにはいくつかの制限がある。

 まず、レベルアップは安全な場所でゆっくり休んだときにしか起こらない。

 次に一度に2レベル以上は上昇せず、余った分の経験点は次のレベルに上がるのに1点足りない点数にまで切り捨てられる。

 イサミがマジックアイテムを作っているのも、この切り捨てられる経験点を有効活用するためという面がある。

 

 そしてイサミは自分の経験点がレベルアップに足りるかどうか、大雑把に感じとれる。

 一週間程前、イサミは20レベルになった。そして十分な経験点を得たにもかかわらず、翌日の朝はレベルアップしなかった。そして今日の朝までそれは続いている。

 

「何らかのレベルキャップがかかっているんでしょうね・・・"伝説の英雄(エピックレベル)"になるためには、それなりの何かが必要なんだ」

「つまり・・・《偉業》か」

「おそらく」

 

 《偉業》とは、この世界の冒険者がレベルアップするために必要な行為である。

 ただモンスターを倒すだけではなく、文字通り英雄譚に謳われるような行為を成し遂げる事によって、神々の「恩恵」を昇華することだ。

 端的には、とびきり強力なモンスターの討伐などが必要になる――たとえば階層主のような。

 

「神様。しばらく留守にします。シャーナさん、構いませんか?」

「そう来ると思ったよ。もちろんいいぜ」

 

 にやり、とシャーナが笑う。

 ヘスティアが眉を寄せた。

 

「つまり・・・」

「ええ。前の討伐から三ヶ月。37階層の階層主(ウダイオス)を討伐しに行きます」



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5-3 白宮殿(ホワイトパレス)

 迷宮37階層。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

 

 最後のリザードマン・エリートが火柱に焼き尽くされて倒れた。

 ふう、と息をつく。そのイサミにシャーナが心なしかいぶかしさの含まれた視線を向けた。

 

「・・・何か?」

「いや、何でもねえ。先に行こうぜ」

 

 それからも数度、シャーナとイサミはモンスターの群れを倒し、そのたびにシャーナのいぶかしげな表情は濃くなっていき、そして10ほどの群れを倒した後、ついにシャーナが口を開いた。

 

「なあ、何か、調子でも悪いのか?」

「え?」

「いや、な・・・なんかこう、戦い方に戸惑いっていうか・・・俺に合わせて何かいつもと違う戦い方をしてるか?」

 

 ああ、とその言葉で気づく。

 普段は敵の群れの中に飛び込んで、わざと攻撃を受けながら呪文を発動しているイサミである。

 今日はシャーナと一緒と言う事もあり、アウトレンジで呪文を打ち込むスタイルに徹していたのだが・・・その違和感を、シャーナは鋭く感じたようだった。

 

 

 

「アホだろおまえ」

 

 イサミから説明を受けたシャーナは、彼の努力を一言で切って捨てた。

 たじろぎながらもイサミは反論を試みる。

 

「いや、だからそうしないとステイタスが・・・」

「たかが数点の熟練度稼ぐために、そンな手間のかかることしててどうするよ。そんなことしなくても魔力は伸びるんだろう? だったら、ガシガシ効率よく経験値(エクセリア)稼いで魔力伸ばしたほうがいいじゃねえか」

「・・・まあそれは・・・」

 

 実際、そういう戦い方を半月以上続けても、ようやく耐久力が最低ランクから一段階上がっただけなので、イサミとしては反論がしにくい。

 

「しかしですね、レベルが上がれば上がるほどステイタスは上がりにくくなるわけで、それだったら今のうちに上げておかないと・・・」

「それで上がらないんだからやっても無駄だろ。苦手なところを伸ばすより、得意なところを伸ばせ。苦手を補うのがパーティってもんじゃねえか」

「まあそうですけど・・・」

 

 イサミだって、痛いし面倒だし、できればやりたくはないのだ。

 だが上昇できるはずのステイタスを上昇させないのは、いかにももったいなく思えるのである。

 無意識のうちに、かつての世界でのゲーマーとしての癖が出ていたのかもしれない。

 

「ふぐぉっ!?」

 

 そんな事を考えていたイサミの口から、突然奇声が漏れた。

 見下ろすと、にやりと笑ったシャーナが、イサミの股間をわしづかみにしている。

 

「おら、覚悟決めろや? おめーはな、今結構重要な所に立ってるんだぜ」

「じゅ、重要な所って・・・?」

 

 震えながら問い返す。

 

「そりゃあもちろん、仲間に命預ける覚悟よ。

 前衛は筋力や耐久が伸びるが魔法が苦手だし、魔導士は肉体的ステイタスは伸びないが、火力がある。

 前衛は後衛の魔法が敵を倒すことを信じて体張ってるし、後衛は前衛が自分の所に敵を届かせないことを信じて詠唱するんだ・・・そうでなきゃ回らねぇのよ」

 

 言いつつ、股間から手を離すシャーナ。

 

「まあ今すぐ切り替えろってのも難しいだろうが、とりあえず、俺と潜ってる間は俺を信じろ。

 俺と一緒に潜るってんならな」

「・・・わかりました」

 

 にやっと笑いながら振り向いて歩き出すシャーナ。

 フラフラと心なしかよろけながら、イサミはそれについていった。

 

 

 

 それから更に十数回の交戦を経て、シャーナとイサミは37階層の中央の広大な「ルーム」に来ていた。

 38階層への階段に続くこの場所こそ、階層主「ウダイオス」の出現ポイントである。

 

「まだ、出現してないみたいですね」

「前回出たのはいつだっけ? 確かロキ・ファミリアが討伐したんだよな」

「明後日で丁度三ヶ月目ですね。やっぱり三ヶ月経たないと出てこないのかな」

「みてぇだな。17階層のゴライアスもきっちり二週間で出てくるって話だし。つーかウダイオスの前にそっちなり、27階層の・・・」

 

 はた、とシャーナの言葉が途切れる。

 沈黙が落ちた。

 

「・・・試したのか」

「駄目でした」

 

 言いつつ、イサミがルームの中央に進み出て、何やら呪文を唱える。

 

「ゴライアスはまだしもアンフィスバエナをソロでなあ・・・ん、何したんだ?」

「"警報(アラーム)"の呪文を唱えました。数日間、この範囲に何者かが入ったら、1マイル・・・1.6km以内にいればそれがわかります」

「他の冒険者やモンスターが通ったらどうなんだよ?」

「そのたびに"透視(クレアヴォイヤンス)"をかけて確認しますよ。距離内なら壁を通して見れるんです」

「本当に便利だな、おまえ・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 幸い、37階層はこのルームを中心にすり鉢状の同心円を描く、円形劇場ないし闘技場のような作りになっている。

 ただし座席の代わりに五重の巨大な城壁と迷宮が存在するが。

 ともあれ周囲を囲む迷路をぐるぐる回っていれば、"警報"の効果範囲から出ずに探索ができるわけであった。

 

「ま、出てくるまでただ暇をつぶすのも馬鹿らしいしな」

「いざとなれば、城壁を乗り越えて、直接飛んでいけるわけですしね」

 

 そういうこったな、と頷いてシャーナは歩き始めた。

 イサミもそれに続く。

 

 

 

 それからは比較的単調な戦いの連続だった。

 イサミの圧倒的な感知能力により先に怪物を発見すると、遠距離から"炎の泉(ファイアーブランド)"呪文を一発、《高速化》した"炎の泉"をもう一発。

 相手によってはこれだけで片がつく。

 

 生き残ったモンスター達も、大概は最早満身創痍。

 立ちはだかるシャーナの大剣に切り刻まれ、イサミの《連鎖化(チェイン)》"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"にとどめを刺されるのが常であった。

 

 時折、ルームなどで乱戦になることもあったが、怪物に囲まれながら呪文を発動するのは今までイサミがさんざんやってきたことである。問題にはならなかった。

 

 そもそも"炎の泉(ファイアーブランド)"呪文の最大の利点は、効果範囲に融通が利くところにある。

 敵が固まっている場合はもちろん、周囲を囲まれれば輪形に炎の間欠泉を配置し。

 

「グォォォォォ!」

 

 広いルームに敵の群れがばらけていれば、点在するそれぞれの足下から炎を吹き出させ。

 

「ギィィィッ!」

 

 狭い通路で出会えば一直線に炎の柱を並べる。

 

「ガァァァァァァァァアッッ!!!」

 

 その気になれば空中からも吹き出させることができる(その場合周囲360度に噴出するので、およそ直径3mの炎の球形になる)ので、対空能力も高い。

 もっとも、この階層で空を飛ぶモンスターは出現しないが。

 

 ちなみに"灼熱の光線"はおよそ50m以内の敵に数本の火炎光線を放つ呪文である(射程や火線の数は術者の術力に依存する)。

 しかし《連鎖化》の呪文修正を施すと、命中した一匹の周囲9mの敵にもその攻撃が「飛び火」するようにできる。

 "炎の泉"と違って高価な触媒を使わないので、イサミは《連鎖化》を施した"灼熱の光線"をとどめによく使っていた。

 

 

 

 ただ、魔法に対する強い抵抗力を持つオブシディアン・ソルジャーだけは楽勝とは行かない。

 だからイサミも策を弄する。

 

「《高速化(クイッケン)》《範囲拡大(ワイドゥン)》"重力逆転(リヴァース・グラヴィティ)"!」

 

 イサミが呪文を発動した瞬間、押し寄せて来ていたオブシディアン・ソルジャー達の足がふわりと地上から浮遊する。

 否、彼らは空中に向けて「落下」を始めたのだ。

 

 天井まで真っ逆さまに落下するかと思われた彼らは、しかしいったん宙の一点を行きすぎた後今度は正常に落下し、上空6mほどで何かが釣り合ったかのように静止した。

 

 "重力逆転"。

 モンスターに直接作用するのではなく、名前の通り範囲内の重力を逆転させる効果であるゆえに、重力に逆らう能力を持たない対象にはあらがう術はない。

 魔法に対する高い抵抗力も、回避力も耐久力も、この呪文の前では意味を持たない。

 

「壮観だな・・・で、ここからどうするんだ? 魔法は効きにくいだろ?」

「こうします。《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《光線分枝化(スプリット・レイ)》《連鎖化(チェイン)》"人造破壊光線(レイ・オブ・ディアニメーション)"!」

 

 赤銅色の光線がイサミの指先から飛び出した。

 光線はじたばたするオブシディアン・ソルジャーの一体に命中してそれをこっぱみじんに砕いた後、他のオブシディアン・ソルジャー達にも「飛び火」して、それぞれの体にひびを入れる。

 苦悶の声こそ漏らさないものの、明らかに大ダメージを負った黒曜石の人型達が苦痛に耐えるようにうごめいた。

 

「おお? 何だ、全然効いてるじゃねえか!」

「あのたぐいの怪物は普通の呪文はしごく効きにくいですけど、今のはそういうモンスターを内部崩壊させるための呪文なんですよ・・・《最大化》《威力強化》《二重化》《光線分枝化》《連鎖化》"人造破壊光線(レイ・オブ・ディアニメーション)"!」

 

 もう一度イサミが放った呪文を受け、もう一体のオブシディアン・ソルジャーが砕け散り、残りのひび割れも更に大きくなる。

 最後にもう一度放った呪文で、今度こそ全てのオブシディアン・ソルジャー達はこっぱみじんに砕け散った。



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5-4 迷宮のお茶会(ティー・パーティ)

 その後も、次々と敵がわき出す「コロシアム」や敵が大量発生する「怪物の宴(モンスター・パーティ)」を火力呪文の連発で難なく切り抜けると、イサミ達は37階層の最下層から一つ上の回廊を丁度ぐるりと一周していた。

 その後、上の回廊に登って更にもう一周。もう一つ上に登って更に一周する頃には、ほぼ一日が経過していた。

 

「そろそろ大休憩を取ろうぜ。この体で深層は初めてだしな・・・さすがに疲れたぜ」

「少し行ったところに休憩に丁度ぴったりのルームがあります。そこにしましょう」

「地図も出さないでよくわかるなぁ」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 ニッと笑うとイサミはシャーナを促して歩き始めた。

 

 

 

「さて、それじゃあ壁を・・・お、ラッキー! そこの壁の中にアダマンタイトの原石がありますよ!」

「そんな事までわかるのか、おい」

 

 "宝の嗅覚(トレジャーセント)"呪文の効果である。

 金銀宝石を感知する呪文だが、どうもアダマンタイトの原石は貴金属扱いになるらしい。

 

「それじゃ壁を壊しちゃいましょう。"石材変形(ストーンシェイプ)"」

 

 石壁に手をついてイサミが呪文を発動すると、触れた部分から石壁がめりめりめり、とはがれ始めた。

 

 モンスターは迷宮の壁から生まれるが、壁を破壊した場合、それが自動的に修復されるまで出現しない。

 よって、休息を取る場合は周囲の壁を破壊するのが鉄則である。もちろん普通はハンマーなどを使うのだが・・・。

 

 見えない手によって粘土を引きちぎるように石壁の表面が引きはがされ、壁の下部にわだかまる。

 引きちぎられた跡がルームを一周して、呪文の効果は止まった。

 

 それと共に、壁の奥からごろり、と巨大な金属の塊が転がり出てくる。

 "石材変形"の効果によって奥から押し出された、1mを越える超硬金属(アダマンタイト)の塊だ。

 

「でけえ・・・こんなでかいの、お目にかかったことねえぜ」

 

 自身と大差ない高さの金属の塊を見て、感心すると言うより呆れるシャーナ。

 

「・・・これ、分配の時にもらってもいいですか?」

「ん? ああ、おまえの分け前として持ってくなら別にいいぜ。武器でも作る気か?」

「いや、ちょっと・・・いつもお世話になってるところに贈ろうかと」

「?」

 

 遠い目をするイサミの脳裏には、主神の働いているヘファイストス・ファミリアのバベル支店の風景がよぎっていた。

 

 

 

「うんまあ、これくらいじゃ驚かなくなった自分が怖いわ」

 

 1mを超す金属塊がみるみる縮んだ後、イサミの背負い袋に放り込まれたのを目の当たりにしたシャーナが、平板な声で言った。

 

「何をいちびってるんです。それじゃ、入り口に"警報"をかけますから、そしたら休みましょう」

「おうよ。しかし、今頃神様やベルは何やってるかねえ」

「まあ冒険とバイトでしょうね。ベルはそろそろ上がりかも知れませんが」

「あいつもがんばってんなあ。昔を思い出すぜ」

「トシがばれますね」

「うるせえよ、小僧」

 

 何やら昔を懐かしむようなシャーナをからかうイサミ。

 まさかヘスティアがやけ酒をかっ喰らって二日酔いになったり、二人がデートしたり、ベルが女神達の胸の中で窒息死しかけたり、二人して女神達から逃げ回っていたりしようなどとは、さすがのイサミも想像の埒外であった。

 

 

 

「む?」

 

 その様な事があってから丁度丸一日。

 同じルームで再度大休憩を取ろうとしていたイサミとシャーナが、そろってルームの入り口に目を向けた。

 僅かな明かりが入り口の向こう、廊下を照らしている。

 程なくして現れたのは顔見知りの、ロキ・ファミリアの面々だった。

 

「おや、君たちだったか」

「最近良く会いますねえ」

「まったくだ」

 

 腹の内を全く表に出さず、ごく自然に苦笑するフィン。もっとも、半分位は素でもある。

 

「みなさんも休憩ですか?」

「ああ、ご一緒していいかな?」

「もちろん。二人で使うには広すぎますからね。ついでにお茶でも一杯どうです」

「は?」

 

 

 

「・・・まさか、ダンジョンの中でお茶会するとは思いませんでした・・・」

「うん、私も・・・」

「私もだ。だが、美味い。もう一杯貰えるかな」

「どうぞどうぞ」

 

 呆然と紅茶をすするのはエルフの魔導士レフィーヤと、サポーターとして連れてこられた兎人の少女、ラクタ。

 一方悠然と、かつ上品に紅茶を口にするリヴェリアはさすがの貫禄である。

 

「何このクッキー、すごくおいしい?!」

「本当だ・・・こんなおいしいお菓子は初めて食べたよ」

 

 一方、お茶うけとして出されたクッキーの盛り合わせに舌鼓を打つのはアマゾネス妹とシャーナ、意外にもフィン。

 女の体になって以来、甘い物が好物になってしまったシャーナが、複雑な表情でクッキーをぱくついていた。

 

「シャーナちゃんだっけ? 美味しいよね、このクッキー」

「ね、ね、シャーナちゃん! こっち来てお話ししましょうよ!」

「シャーナちゃん、ちんまくてかわいいよねー・・・髪さわっていい?」

「そ、その、シャーナ、お兄ちゃんと話が・・・」

 

 にこにこ顔のレフィーヤその他に呼ばれたシャーナの背中に、ぞぞぞっと冷たい物が走った。

 崖っぷちに追い込まれたような顔のシャーナが、イサミの方を振り向く。

 

(お、おい、助けて・・・)

(因果応報)

 

 イサミはレフィーヤと同じにこやかな笑みを浮かべ、シャーナを崖から蹴り落とした。

 

「ああ、構わないよ。話なら後でもできるから好きにしてくれ」

「やったー!」

「あーもう本当に綺麗! エルフっていーなー!」

「は、はは・・・」

 

 その後しばらく、シャーナはレフィーヤ達に愛でられ、ガールズトークに付き合わされた。

 30過ぎの元おっさんにとって非常に辛いものだったろう事は想像に難くない。

 

 

 

「・・・そういえばイサミ。このクッキー、まさかこれもおまえが作ったのかよ?」

「そうですけど?」

 

 ようやく一時解放されたシャーナがクッキーをもりもり食べながら聞いた。

 無造作に答えたイサミの肩をがしっ!とアマゾネス姉がわしづかみにする。

 

「お願い、レシピ教えて! 団長があんな美味しそうにお菓子食べるのなんて、初めて見たの!」

「お、教える・・・教えるから、手を・・・」

 

 鬼気迫るティオネの表情とミシミシきしむ肩の骨に脂汗を流しながら、イサミがコクコクと頷いた。

 

 

 

「何これ・・・材料の指定から手順の細かさから・・・」

「お菓子ってのは難しいんだよ。材料の配分とか焼く時間と温度とか、ちょっとでも違うと別物になるんだ」

 

 レシピの余りの細かさと長さに、今度はティオネの方が脂汗を流している。

 薄力粉が袋詰めで売っていないこの世界では、材料の小麦粉を買うにも気を使わなくてはいけないのだ。

 ぬ、とイサミの前に大皿が突き出された。皿を持つのはシャーナの手である。

 

「クッキー、もうないか? 全部食っちまったんだが」

「ありますよ。ちょっと待っててくださいね」

 

 横に置いてあった灰緑色の外套のポケットに手を突っ込み、プレーンクッキーの入った袋を取り出す。

 別のポケットに手を突っ込み、今度はチョコレートチップクッキーの袋を。

 更に別のポケットからはハーブクッキーの袋が出てきた。

 

 旅の外套(トラヴェル・クローク)

 フェイルーンという世界固有のマジックアイテムで、寒さを防ぎ、雨を弾き、合い言葉を唱えれば一人用のテントに変化し、とどめに毎日砂糖入りの熱い紅茶(もしくは冷たい水)7.5リットルと三人が一日食いつなげる分の保存食を出してくれるという、まさに旅人にとって神のようなアイテムである。

 食料は別の方法でいくらでも出せるので、イサミはこれをアレンジして、保存食三人分ではなく、三種類のクッキーを出すようにしていた。

 

「ゲームだったら要マスター応談案件だが、実際に技術を持っているならこれくらいのアレンジはアリらしいなー」

「誰と話してるんだおまえは」

 




旅の外套(トラヴェル・クローク)は何気にあまたのD&Dマジックアイテムの中でもかなりお気に入りの一品です。


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5-5 取引(ディール)

「あー、美味しかったー!」

 

 ティオナの言葉にアイズがコクコクと頷く。

 三人の三食分、つまり九食分のクッキーの山を九人で分けたので丁度一食分になった。

 ちなみに一番食べていたのはティオナとシャーナである。

 

「そういえば皆さんはどこまで? ファミリアの遠征とかじゃないんでしょう?」

「ああ、たまには気ままに冒険をしてみたくてね。まあ借金に追われてる子達もいるんだけど」

 

 言いつつ、フィンは笑みを含んだ視線をティオナとアイズに投げる。

 ティオナは「いやぁ」と頭をかいて照れ、アイズは暗い表情でうつむく。

 借金に追われているだけにしては少し深刻すぎるようなとイサミはいぶかしんだが、口には出さなかった。

 

「借金? 武器でも壊したんですか?」

「そーなのー。この前の遠征で、変な芋虫に会っちゃってさー。斬りつけると体液で武器が溶けちゃったのよ」

「うへぇ。深層にはそんなのもいるのかよ」

 

 うんざりしたような顔でシャーナ。純前衛である彼女にとっては人ごとではない。

 

「ギルドに報告は提出したから、興味があるなら閲覧するといい」

「魔法か不壊属性武器(デュランダル)なら大丈夫なんだけどねー」

 

 ティオナの言葉にイサミが首をかしげる。

 

「あれ? アイズの武器って見た感じ不壊属性だよな。じゃあ彼女のは別口?」

「そーなのよー。この子、剣を手入れに出してる間の代剣を乱暴に扱って壊しちゃってさー。四千万ヴァリスだよ四千万ヴァリス!」

「一億二千万の武器をツケで作らせたあんたが言えることでもないでしょうが」

 

 自分の事を棚に上げる妹に、姉が突っ込む。

 レフィーヤが遠慮がちに口を挟んだ。

 

「で、でも、放っておいたら一般の人たちが襲われてましたし・・・」

「というとあれか、怪物祭のときの人食い植物?」

「そうそう。そういえば《美丈夫(アキレウス)》くんも怪物祭で大活躍だったらしいじゃん? 空飛ぶ馬に乗ってさ!」

 

 ティオナの言葉におもわず苦笑する。

 

「まぁね。でも《美丈夫》はあだ名にしてもどうかねえ。俺はそこまでハンサムじゃないぜ?」

「だーって、ものすごいかっこいいじゃん。虎っぽいし。女がほっとかないよー?」

「だったら、おまえさんが頬を染めてないと理屈に合わないわけだが」

「わたし、そういうの興味ないからねー」

 

 だと思った、とイサミとティオナが声を揃えて笑った。

 

「そういう君たちはどこまで? ソロという話だったが、パーティメンバーを見つけられたらしいな」

「ええ、組んで出るのは今回が初めてなんで、慣らしと・・・後は、前回から三ヶ月経ってますから」

 

 ぴくり、とアイズが反応した。

 

「三ヶ月・・・ああ、ウダイオスか。まさか、二人で討伐を?」

「無茶だよそれ! あたしたちが総出で討伐した相手だよ?! 本気でやれる気?」

「ソロで43階層というのはすごいですけど、だからといって・・・」

 

 口々に引き留める面々の中、アイズは無言。フィンもだ。

 それに気づいたリヴェリアが、フィンと素早く目配せを交わす。

 

(・・・彼らを試すつもりか?)

(悪人とは思えないけど、色々と気になるのは確かだ。ここは一つ、手の内を見せてもらおう)

 

 首脳陣がこっそりと意見を一致させている間にも、ロキ・ファミリアの面々によるイサミ達の説得は続く。

 

「あれ、ホントにやばいんだよ? すごい魔導士で神秘アビリティ持ちってのは聞いたけど、それにしたって二人きりで? 無理無理!」

「いや、色々アイテムとか用意はしてきたし・・・」

「それなりの用意はしてあるとは思うけど・・・見てみるだけならともかく、二人で戦うのは私もかなり無茶だと思うわ」

「そうですよ。アイズさんも何か言って上げてください!」

 

 レフィーヤに呼ばれて、アイズが顔を上げた。

 

「・・・・・・あの」

「・・・」

 

 場違いなほど真剣な表情で、アイズがイサミを見つめる。

 無言のまま、イサミが先を促した。

 

「ウダイオスを、私に譲っては貰えませんか」

「は?」

「「はぁぁぁぁぁーーーーーっ!?」」

 

 レフィーヤとシャーナの声が綺麗にハモった。

 

 

 

「オイオイ、譲ってくれって、そりゃ没義道(もぎどう)ってもんだろう。欲しいなら早い者勝ちってのが冒険者の決まりだぜ?」

 

 諭すようなシャーナの言葉に、アイズは無言。

 

「彼女の言うとおりだ、アイズ。団長としてそれを許すわけにはいかない。それに・・・まさか、一人で挑むつもりなのかい?」

「・・・・・・」

 

 同じく諭すようなフィンに対し、リヴェリアはアイズと同じく無言のまま。

 そして、アイズの顔をじっと見ていたイサミが、ティオナ達より一瞬早く口を開いた。

 

「いや・・・アイズが譲ってくれって言うなら譲ってもいい」

「「「「え」」」」

 

 あっけにとられた顔で、ティオナ達がいっせいにイサミの顔を見た。

 フィンがどこか探るような目でやんわりとそれを断ろうとする。

 

「いや、気持ちはありがたいけれども、余り甘やかしてもらっては・・・」

「彼女は弟の命の恩人ですからね。借りがあります」

「む・・・」

 

 黙り込むフィンの代わりに、今度はシャーナが尋ねる。

 

「いいのか?」

「良くはないけど・・・しょうがないでしょ」

「まあ、おまえがいいって言うならそれでいいがな」

 

 肩をすくめるシャーナに、イサミが頭を下げる。

 

「すいません」

「気にすんな。今回はおまえのために出てきたんだからな。それにまあ、三ヶ月経てばまた出てくるわけだしよ」

 

 からからと明るく笑うシャーナにもう一度、イサミが頭を下げた。

 

 

 

 一方、ロキ・ファミリアの方ではほとんど総掛かりでアイズを翻意させようと説得している。

 

「ウダイオスに一人で挑もうって言うの?! さっきも言ったけど無茶だよ!」

「そうです! いくらアイズさんでも・・・!」

 

 アイズは無言でうつむくばかり。と、今まで同じく無言だったリヴェリアが手を挙げてティオナ達を制止した。

 

「まあ、待て、みんな・・・フィン、アイズの行動を許してやってはくれないか?」

「ンー?」

「?!」

 

 いぶかしげにリヴェリアの顔を見上げるフィン、そして無言ながらも驚きの表情を浮かべるアイズ。

 

「この子が滅多に言わないわがままだ。その意思を尊重してやってほしい」

「そんな母親みたいな事を言われてもね・・・」

「はいはいはい! 私たちが後ろで待機してて、危なくなったら割って入るのは?」

 

 ティオナの提案に、だがフィンは首を振る。

 

「残念だが物資が足りない。ウダイオスが再出現するまで、早くてもあと半日。全員で待機していたら、帰りの食料がなくなる可能性がある。手持ちのポーション等ももう少ない」

「うーっ・・・」

 

 悔しそうに唸るティオナ。それを見て済まなそうな顔になるアイズ。

 意志を翻そうとはしないものの、心苦しくは思っているらしい。

 苦笑して、イサミは助け船を出してやることにした。

 

「取引しませんか、"勇者(ブレイバー)"」

「取引?」

「俺たちはこの階層にいる間の、あなた方の食料と水を負担する。

 その代わりアイズは戦闘不能になるか、倒れて10数える間立ち上がれないかした場合、階層主と戦う権利を俺たちに戻す。

 その場合あなた方はそのままそこにとどまって、俺たちが危なくなったら助けの手をさしのべる。どうです?」

 

 思わずフィンは苦笑していた。

 確かにイサミ達の得になる条件でもあるが、アイズがウダイオスを倒してしまえば物資は丸損だ。

 

「いいのかい、そんな条件で?」

「ロキ・ファミリアの保険が掛けられるんです、お得な取引ですよ」

「その割に、アイズが勝つのを疑ってないようだけどね・・・まぁ一応、礼は言っておくよ」

「それこそ彼女が勝ってからにしたらどうです?」

 

 ごもっとも、と再び苦笑するフィンである。

 そして今度はリヴェリアが口を開いた。

 

「すまないな、イサミ・クラネル。私からも礼を言わせてもらう。

 差し支えなければ聞かせて欲しいが、どうしてそこまでアイズに良くしてくれる?」

「まあ、借りの一部というところでしょうか。それに・・・ランクアップするために無茶をしたくなる気持ちはよくわかりますから」

「ふむ・・・」

 

 リヴェリアがアイズとイサミを見比べる。

 アイズは何とはなしに居心地の悪さを感じて縮こまり、イサミは肩をすくめた。

 

「そうそう、後ひとつ。どうやら俺は年下には甘いたちらしいので」

 

 その言葉にん? と首をかしげるティオナ。

 先に述べた通り、イサミの外見年齢は15歳の時から変化していない。

 体躯はたくましいが、どこか少年らしさが残っている。

 

「あれ? 《美丈夫(アキレウス)》くん、アイズより年上? 15、6くらいかなって思ってたんだけど」

「だからそのあだ名は・・・まあいい。四十八だよ」

 

 ティオナの鋭さに舌を巻きつつ、イサミが答える。

 アマゾネスの少女が目を丸くした。

 

「・・・ほんと?」

「嘘に決まってるだろ。十八だ」

 

 まあ前世を足せば嘘じゃないがな、と、これは心の中でつぶやくにとどめて置く。

 

「うそー! 私たちより年上?!」

「さん付けしてもいいんだぞ、ティオナくん?」

 

 にやにやしながらイサミがティオナをからかう。

 

「むきー! 何かムカツクー! 美丈夫のくせに生意気ー!」

「あんた、それ悪口になってないわよ」

 

 大げさに悔しがるティオナと、そんな妹に呆れるティオネ。

 フィンとリヴェリアも顔を合わせて苦笑し、周囲に弛緩した雰囲気が流れた。

 

「・・・」

 

 そんな中で、ほっとしてはいるものの、アイズは硬い表情を崩さない。

 余人は知らず、イサミにはそこから並々ならぬ必死さが見て取れた。

 

(・・・ま、しょうがないか)

 

 心の中でため息をつく。

 結局の所、イサミはやはり年下には甘いようであった。



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5-6 "英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"

「さて、食事はいつにします?」

「そうだね・・・クッキーもごちそうになったし、休憩明けにお願いしようかな。お礼でもないけど、見張りは僕たちが請け負おう」

「それじゃ、ありがたく」

 

 言いつつ、合い言葉を唱えて「旅人の外套」を一人用テントに変化させる。

 

「シャーナはこっちで寝てくれ。俺は寝袋で寝る」

「いいのか? お前のだろうに」

「女の子を外に寝かせて自分がテントだと、あっちのエルフさんが怖いので」

「・・・そりゃそうか」

 

 苦笑するシャーナが、一転してニヤニヤする。

 

「どうだ、何なら二人でテントを使うか? 俺たちなら無理矢理入れないこともないぞ?」

「さっさと寝ろタコスケ」

 

 

 

 数時間後。

 

「それじゃ、用意しますね」

 

 言いつつ、イサミは3m四方ほどの絨毯を床に広げた。

 

「絨毯?」

「ふむ・・・魔道具か?」

 

 興味深げにのぞき込むリヴェリアに頷き、イサミが右手を絨毯に当てる。

 袖と手甲(ブレイサー)に隠れて見えないが、右肘から下腕に掛けて光り輝く精緻な模様が浮かび上がった。

 

「魔法の絨毯よ、その力を示せ」

 

 絨毯の上に光がわだかまる。

 一瞬の後に光は形を成して、湯気を立てる料理の大皿や焼きたてのパン、金色の瓶や杯などに姿を変えた。

 

 タレに漬け込んで焼いた牛肉を山のように盛った銀の大皿、バターたっぷりのマッシュポテト、ゆで卵にソーセージ。

 竜田揚げやジャガ丸くんと言った揚げ物、ドレッシングを掛けた生野菜のサラダ。

 ヨーグルトと生バター、クルミ入りのパンと麦の粥、生クリームと果物を使ったデザート。

 牛乳と紅茶、加えて疲労を消してくれる魔法の酒(ネクタル)

 

「おお・・・」

「すっごい! 何これ!?」

 

 まさか迷宮の中でこんな食事が取れるとは思っていなかった一同から歓声が上がる。

 

「こんな魔道具もあるのか・・・君が作ったのか?」

「ええ。ちょっと使いづらいんですが、便利でしょう?」

 

 例によって嘘である。

 絨毯は「空飛ぶ絨毯(カーペット・オブ・フライング)」というマジックアイテム。

 食事は体に刻んだ歓待のドラゴンマークの"英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"(通称英雄定食)の力だ。

 

 くぅ、とかすかな腹の音がした。

 レベル3のレフィーヤとラクタ以外、全員の視線が一斉にそちらを向く。

 顔を真っ赤にしたアイズがうつむいて縮こまっていた。

 くすりと笑ってイサミがぱんぱんと手を打つ。

 

「はいはい、ともあれ冷めないうちにどうぞ」

「はーい!」

 

 真っ先に絨毯に座り込んだティオナが、山盛りの焼き肉を皿に取ってかぶりつく。

 

「美味しい?! 何これ、めっちゃ美味しい!」

「大事な事なので二回言ったんですね、わかります」

「え?」

「いや、なんでも」

 

 イサミの普段の料理は当然、この世界の材料を使って作られている。

 だがこれはイサミの前世の記憶を元に魔法で生み出された料理だ。

 

 現代日本で品種改良された肉や野菜、高い技術で精製された、しかも酸化していない油やバター。保存状態のよい小麦粉から作られたパンや衣。エ●ラ焼き肉のタレ。

 冷凍技術の発達していないこの世界の、しかも原種に近い食材と比べて、美味くないわけがない。

 しばらくの間、一同は無言で料理をむさぼり続けた。

 

 

 

「ぷはー、食った食ったー! 美味しかったー!」

「お粗末様でした」

「もうちょっと量があれば良かったねー!」

「マジかよ」

 

 9人に対して15人分出したのにと唸りながらも、イサミは「旅人の外套」から鉄瓶を取り出し、今日の分の紅茶をカップに注いで回った。

 

「ティオナじゃないけど凄く美味しかったわね。何か、体から元気が沸いてくる感じ?」

「まぁ、そういう効果もあるよ。疲れを取って、毒や病気を癒してくれる。何せ魔法の食事だ」

「凄いですね・・・まるで伝説に出てくる妖精王の宴のようです」

「あそこまですごいもんじゃないけどね」

 

 ぱたぱたと手を振るイサミ。

 実のところ、士気を高めたり打たれ強くなったりする効果もあるにはあるが、ティオネ達のレベルだと誤差程度の物である。

 

「それで、そろそろ出ますか?」

「そうしようか。もう少し余裕はあると思うけどね」

 

 懐中時計の蓋を閉じながら、フィンが頷いた。

 シャーナが口をゆすいでいた紅茶を飲み込み、呆れたようにイサミを見る。

 

「しかし【剣姫】はともかくおまえは迷宮に来てまだ一月だっつのに階層主、それもウダイオスか・・・生き急いでんなあ」

「予言がありましてね。冒険者になって最低レベル7か、それ以上にならないと何者かに殺されるそうです」

「ほう、それはきついな。あの【猛者(おうじゃ)】以上か?」

 

 肩をすくめるイサミにくすくす笑うリヴェリア。

 腑に落ちたようにティオナがうんうんと頷いた。

 

「そりゃ確かにウダイオス程度、軽く倒せないとだよねー。オッタルのおっちゃん以上となったら、49階層の階層主(バロール)を一騎打ちで倒せるくらいじゃないとさー」

「全くだよ――まあ、どこまで本当かわからないけどね」

「予言のたぐいが全て嘘とは言い切れないからね。ご愁傷様と言ったところか」

 

 言いつつ、フィンが立ち上がる。

 他のものも続いて立ち上がり、移動準備を始めた。

 

 

 

「ヒャッハー!」

 

 シャーナの歓声(ウォークライ)が"白き宮殿"の廊下に響く。モンスターのただ中に飛び込み、体に不釣り合いな大剣を振るうその姿はエルフと言うよりアマゾネスのようだ。

 

「今回出番がなかったからなあ・・・」

 

 逆に時折"炎の泉"を打ち込む以外は手持ちぶさたなイサミがしみじみと言った。

 100m先の敵に一発、《高速化》したものをもう一発、近づいてくるまでにとどめを一発。

 今回の探索では大体そんな感じで片付いていたので、前衛のやることがなくてストレスがたまっていたらしい。

 

 そんなシャーナに触発されたわけではなかろうが、フィンやアイズをはじめとしたロキ・ファミリアの前衛達も縦横無尽に武器を振るう。

 モンスターは出てくる端から駆逐されて、サポーターのラクタを含めた後衛の四人はほとんど仕事がない有様であった。

 

「ふむ。しかし超短文詠唱でこの威力、範囲は大した物だ。ソロにはうってつけの魔法だな」

「その分最大威力に劣るんですけどね。俺としてはリヴェリアさんの魔法を見てみたかったところですが、この分だと無理そうかな」

「まあ、短文詠唱をしているあいだに片付いてしまうのではな」

「それはそうですよ。超短文詠唱の魔法なんて、誰もが持ってる訳じゃありませんし」

 

 この世界の常識では授かった魔法それぞれには固有の詠唱があり、その詠唱の長さによって数秒で発動できるのが超短文詠唱、その2~3倍の時間がかかるのが短文詠唱、一分ほどかかるのが長文詠唱、それ以上が超長文詠唱と、大雑把に区分けされている。

 詠唱の存在しない速攻魔法も存在すると言われているが、真偽は定かではない。

 

 もちろん詠唱が短い方が使いやすいが、詠唱が長い魔法ほど威力・貫通力が高くなるので一概に詠唱が短い方が有利とは言えない。

 D&Dの魔法はほとんどが超短文詠唱に分類されるので発動速度では比較にならないが、最大威力では逆にチートガン積みのイサミですらオラリオのトップクラスには遠く及ばない。

 イサミが言ったのはそういう事である。

 

「全力のリヴェリアさんの魔法は凄いんでしょう?」

「もちろんですよ! 最大出力なら、もう1階層全部焼き尽くしちゃうのかってくらい!

 100近いフォモールを一発で全滅させちゃうんですから! それにですね・・・」

 

 我が事のように自慢するレフィーヤ。

 

「レフィーヤ、一応彼は別ファミリアの人間だ。余りペラペラ話すものじゃない」

「す、すいません・・・」

 

 リヴェリアがやんわり注意すると、彼女は顔を赤くして黙り込んでしまった。

 笑いながらイサミが正面に向き直る。ウダイオスの出現地点はもうすぐだった。

 



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5-7 ウダイオス

 37階層の中央の広大なルーム。

 時折現れる雑魚どもをその都度駆逐しつつ、入り口付近で一行はその時を待つ。

 やがて、何度目かの微動が足下を揺らした。

 

「ん、またモンスター?」

「・・・いや、これは・・・」

 

 微動が次第に大きな揺れとなり、円形闘技場のごとき広いルームの中央から、八方にひび割れが走る。揺れが地響きとなり、ルームの中央が割れ砕けて隆起する。

 

「来るぞ!」

 

 フィンのその言葉が引き金だったかのように巨大な影が大地を突き破って現れる。

 イサミの脳内に響く"警報(アラーム)"。

 巨体からこぼれ落ちる土砂が土石流のように周囲に流れ落ち、堆積する。

 小山が動き出した様なその影は上半身しか存在しない、しかしそれだけで20mを越える、巨大な黒い骸骨。

 

『―――オオオオオオオオオオオオッッッ!』

 

 咆哮が白亜の宮殿を揺るがす。

 これこそが階層主。37階層に君臨する『迷宮の孤王』――Lv.6モンスター、ウダイオス。

 

 

 

「みんな、手を出さないで」

 

 アイズが愛剣をすらりと引き抜く。

 

「ちょっと、本当に一人でやるつもり?!」

「戦闘不能になるか、十数える間立ち上がれなければ交代。忘れないようによろしく」

「わかってます」

 

 ティオネの言葉には応えず。

 視線はウダイオスから離さないまま、イサミの言葉に頷く。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

 アイズの全身が風をまとう。アイズのブーツが石畳を蹴り、再びウダイオスが咆哮した。

 

 

 

 アイズが翔ぶ。

 なぎ払う左腕を軽やかにくぐり抜け、左脇から肋骨の隙間に飛び込むような斬撃。

 狙いは肋骨の隙間をかいくぐっての、胴中央の巨大な魔石。

 だが素早く肋骨が閉じ、隙間を狙ったアイズの剣を弾く。

 ウダイオスの後方に着地したアイズが素早く身を翻し、再び跳躍した。

 

「うお、いきなり魔石狙いかよ!」

「反応が早い・・・さすがは階層主か」

「でも問題はこの後・・・来たっ!」

「!」

 

 ティオネの言葉の直後、イサミが目を見張った。

 駆け回るアイズの足下から、黒曜石の大剣が突き出す。

 回避するアイズの行き先を狙うように、あるいはその動きを制限するように、次々と石畳を割って黒曜石の逆とげが牙を剥く。

 

「これがウダイオスの逆杭(パイル)か・・・うまいな、くそっ!」

「ああ、奴はゴライアスやアンフィスバエナと比べても――こういう言い方は何だが――戦い慣れている。ただ自分の武器を使いこなすだけじゃない。戦術に熟達してるんだ」

 

 フィンが親指を口元に当て、眉を寄せた。

 

 

 

 戦いは続く。

 右の肩関節を狙って突撃をかけるものの、腕のブロックに阻まれる。

 

「くっ!」

 

 風を操って軌道を変え、直後の豪腕を回避するアイズ。

 だが息をつく暇もなく、足下から次々射出される黒曜石の大剣。回避し、後退し、それが止まったときには彼我の距離は30m以上開いていた。

 

『オオオオオオオオオオッ!』

 

 咆哮と共に、地面が広範囲にわたってひび割れる。現れたのは骸骨剣士スパルトイ。

 骨の剣と盾を構え、そこらの冒険者が及びもつかぬほどの巧みさで剣を操る。

 

「!」

「と、こっちもか! 《最大化》《二重化》《エネルギー上乗せ炎・冷気・酸・雷》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「もう、どうせなら全部こっちによこせー!」

 

 イサミ達のそばにも二十体ほどのスパルトイが現れる。

 それらはイサミの呪文や前衛の猛者達によって瞬く間に駆逐されるが、それに倍する数を単体で相手取るアイズはそうはいかない。

 

 黒き杭と骸骨の剣士達を片っ端から砕くものの、ウダイオスとの間合いをなかなか詰めることができない。

 ようやく間合いを15mまで詰めたところで、左右の拳が豪速で振り下ろされ、アイズは自身の足と「エアリアル」の推力全てをもって辛うじて回避に成功する。

 

 しかし魔力を帯びた豪腕は着弾と共に衝撃波を放ち、アイズの軽い体を吹き飛ばした。

 衝撃波に弾かれながらも空中で態勢を立て直し、再び突撃の姿勢を取る――だが、間合いは先ほどの30mに戻ってしまっている。

 

 突撃するアイズ。それを阻む黒曜石の剣林。

 アイズの突進がそれを半ばまで砕いたところで再び現れる骸骨剣士。

 周囲のスパルトイを片付けるタイミングで振り下ろされるウダイオスの両拳。

 

 アイズは再び吹き飛ばされる――そしてまた、再び開く間合い。

 そのパターンを、アイズとウダイオスは何度も繰り返し続ける。何度も。何度も。

 

「くそっ! 骸骨剣士なんざ、ハリーハウゼンの映画だけで十分なんだ!」

「あ? なんだって?」

「何でもない!」

 

 アイズがウダイオスに挑む、そのたびに数を増して再出現するスパルトイ達にイサミ達もやや手を取られるようになっている。リヴェリア達も参加するようになったし、前衛組にもかすり傷が目立ってきた。

 

 ウダイオスの隙のない戦闘力と策にも対応する判断力の前に、一矢報いることもできないアイズ。

 右腕を落とすまでは成功した、そんなあり得た未来をイサミやフィンは知るよしもない。

 

 アイズの強さの源泉は、渇望。

 胸に秘めたたった一つの悲願。

 だがそれと同じくらい。あるいはより大きな強さへの思いがアイズにはある。

 

 仲間。

 フィン、リヴェリア、ガレス。

 ティオネ、ティオナ、レフィーヤ。

 彼らが、彼女の強さの源。

 

 本来のあり得た流れでは、目の前でレフィーヤが食人花に瀕死の重傷を負わされ、リヴィラで怪人レヴィスに敗れ、さらには「アリア」の語を耳にして、強さへの渇望は否が応にも高まっていた。

 

 しかし今のアイズにはそれがない。それがわずか、ほんのわずかに彼女から大胆さを、思い切りを、後一歩の踏み込みを奪っている。

 その僅かな差が招いたものこそ、今の結果だった。

 

 振り下ろした豪腕に、アイズが十何度か目に吹き飛ばされた。

 これまでは空中で体を翻して足から着地していたが、今度はそれもかなわず、地面に叩き付けられてごろごろと転がる。

 

「!」

「アイズ!」

「来ないで!」

 

 思わず飛び出そうとしたティオナをアイズの鋭い声が制止する。

 

「こいつは・・・私が倒すの・・・強く・・・強くならなきゃ・・・」

「アイズッ!」

 

 なおも言いつのろうとするティオナだが、その前にウダイオスが新たなスパルトイを召喚する。

 その数たるや、シャーナを加えたロキ・ファミリアの前衛陣でさえたやすくは殲滅できないほどだ。

 

「ああん、もうっ!」

 

 怒りながら、ティオナが風車のごとく大双刃を振り回す。

 アイズが再び風を纏い、突貫する。

 それを見てイサミは詠唱しようとしていた呪文を取りやめ、一歩後ろに下がった。

 

「どうした?」

「しばらく外れます。手を出すなって言うなら、手を出さずに応援してやろうじゃないですか」

「それはどういう・・・」

 

 リヴェリアの問いは直後の、イサミの行為に途切れて消えた。



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5-8 英雄の(うた)

 風を纏ったアイズの突貫は、高さ5mになんなんとする剣林によって阻まれた。

 そこに左右後方からスパルトイ達が殺到する。

 アイズは振り向いてそれらに対応せざるを得ない。

 

 この戦いの中、今まで十何度も繰り返されて来たパターン。

 しかし。

 ぴくり、とアイズの表情が動いた。

 

 

 

 朗々たる声が響いていた。

 普段の若々しい声ではなく、深みのある、大人の男性のテノール。

 両手を広げ、宙を仰ぎ、古代の英雄譚を吟じる。

 

『悲しみの時 暗き日々 神々無き世の 英雄譚

 恩恵はなく 魔法なく されど勇気を 胸に立つ

 白銀の鎧 輝く剣 傍らに立つは 風の乙女

 されば聞けよや 英雄と 精霊アリアの物語』

 

(っ!)

(「アリア」だと!? 偶然・・・か?)

 

 フィンとリヴェリアは詩に含まれた名前に驚愕の表情を浮かべ。

 

「え? 何よ、いきなり!」

「これ、大英雄アルバートの英雄譚?」

「こんな時にあなたは何を・・・え?」

 

 戦う者達はいきなり始まった朗誦に戸惑いつつも、おのれの内にわき起こる熱さにさらなる戸惑いを覚える。

 

『白銀の剣士 そのもとに 導かれし者 集いたり

 深き森より はせ参ず 尊き血筋の 妖精姫

 岩のほらより 現れし ドワーフの猛者 剛毅たり

 小身大勇 機知縦横 小人の勇士は 野を馳せる』

 

 朗々と詠じられる英雄譚。

 その声が耳に、心にしみこむたびに、体の奥底からわき上がる活力。熱気。立ち向かう力。

 

 "勇気鼓舞の呪歌"。

 "バードの知識"と並ぶバードの固有能力"バードの呪歌(バルディック・ソング)"のひとつ。

 あるいは音楽を奏で、あるいは詩を吟じ、人の心にほんの僅かな勇気を与える。

 わき起こる勇気に、踏み込みは深く、太刀筋は鋭く、意志は強く。

 

 《特技》と呪文により強化されたその(うた)は、僅かなりといえど確実に力を与える。

 シャーナに、ティオナ達に、そして、アイズに。

 

『密林の民に 冠たるは 凜に艶たり 蛮女帝

 平野に猛る 獅子の子は 王者の風格 備えたり

 そして剣士を 支えしは 傍らに立つ 大精霊

 八面玲瓏 天衣無縫 祝福されし 神の愛子』

 

 広大なルームに詩が響く中、戦いは続く。

 やがて、僅かにアイズが押し始めた。

 突貫が剣林を今までより1m深く穿った。

 現れた骸骨剣士を倒す内に豪腕に吹き飛ばされるが、吹き飛ばされた距離がこれまでより50cm浅い。

 

 30mの間合いが29mになり、27mになり、26mに、25に、24mになる。

 突貫するたびに、はじき飛ばされるたびに、じりじりと間合いが詰まっていく。

 アイズの刃が、ウダイオスに迫っていく。

 

『森の小鬼は 剣に伏し 谷の大蛇は 矢に斃る

 牛頭白猿 紫蛾犬鬼 人食い蟻に 大蛙

 向かうところに 敵はなく 白銀の剣に 敗けは無し

 褒めよ讃えよ かの勇者 呼べ大英雄 アルバート』

 

 気がつけば、現れ出るスパルトイを機械的に倒しつつ、ティオナ達も声の限りに声援を送っている。

 

「がんばれアイズーっ! もう少し! もう少しだよ!」

「アイズーッ!」

「がんばってください、アイズさん!」

「アイズさん!」

 

 アイズが剣を握り直す。

 酷使し続けてきたはずの体が軽い。

 それどころか、いつもより鋭く、深く、踏み込める。

 

 思えばこれまで、声援など受けたことはなかった。

 仲間はそこにいてくれるものであり、背中を預けるものだった。

 だが今はよりはっきりと、仲間の存在を感じる。

 

 自分を見てくれている。自分を支えてくれている。

 それだけ、それだけで自分は――

 

(どこまででも――戦える!)

 

 何十度目かの突撃が、ついに黒曜石の剣林を残らず突き破った。

 目の前にそびえ立つ巨体。

 遮るものは、もはや何もない。

 

『―――オオオオオオオオオオオオッッッ!』

 

 ウダイオスが咆哮する。

 怒りか、あるいは屈辱か。

 不遜にもおのれの玉座に近づいた羽虫に、魔力を込めた右拳を振り下ろす。

 

『オオオオオオオオオオオオッッッ!』

「あああああああああっ!」

 

 衝撃。

 

 100m以上離れたティオナ達の腹にも、ずんと響くほどの重い爆発。

 "エアリアル"の全てを込めた全力の斬撃がウダイオスの右手首から先を、込められた魔力ごと粉砕していた。

 

 だが全力を使い尽くした"エアリアル"もまた消失している。

 そして魔力を込めた拳はもう一つ。

 間髪入れずウダイオスが打ち下ろす。

 

『オオオオオオオオオオオオッッッ!』

「【目覚めよ(テンペスト)】ォッ!」

 

 再度の衝撃。

 弾かれ、爆砕する左拳。

 後方に飛び、距離を取るアイズ。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

 三度、風がアイズの全身を覆う。渾身の魔力を込めたそれは、もはや竜巻のようで。

 

「アイズー!」

「やれえぇ!」

「やっちゃえー!」

「アイズさんっ!」

「がんばってください!」

「よっしゃおらぁ!」

「アイズ!」

「あと一息だ! 気を抜くな馬鹿娘っ!」

 

 アイズは思う。

 自身の風だけではない。

 私はこんなにもたくさんの風を受けている。

 自分を後ろから支えてくれる、こんなにも暖かく、強い風がある――!

 

「リル・ラファーガッ!」

 

 掛け値無し全魔力を込めた突貫が、ウダイオスの胸の魔石を十字に組んだ腕ごと貫いた。

 

 

 

 アイズは目を覚ました。

 目の前にレフィーヤの顔がある。

 精神疲弊で気絶した自分に膝枕をしてマジック・ポーションを飲ませてくれていたらしい。

 

「あ、アイズさん! 大丈夫ですか? 痛いところはありますか? だったら今すぐハイポーションを・・・」

 

 傷自体はほとんど受けていないが、酷使した体は古びた水車のようにぎしぎしと軋む。

 だがそんな事も気にならないかのようにアイズは上体を起こす。

 

「あ、もう少し横になってたほうが・・・えっ!?」

 

 ぎゅっ、と。

 正座したレフィーヤを抱きしめる。

 

「ありがとう、レフィーヤ。あなたの声があったから勝てた。・・・ううん、レフィーヤだけじゃない。フィンも、リヴェリアも、ティオナも、ティオネも、ラクタも、クラネルさんも、シャーナちゃんも・・・」

 

 ありがとう、と礼を言うアイズ。

 微笑むもの、照れるもの、純粋に喜ぶもの。

 冷たい迷宮の空気の中で、そこだけは今、確かな暖かさがあった。



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余話 精神疲弊(マインドダウン)

遅くまで帰れなかったので自動投稿試してみましたけど、便利だなこれ。


 三日後。

 アイズ達ロキ・ファミリアは上層にいた。

 あの後もう少し稼いで帰るというイサミ達と別れ、戻ってきたのである。

 リヴィラで丸一日休息を取ったおかげで消耗していたアイズの体調もほぼ平常に戻っている。

 

 やがて第五階層に達した一行は、ルームの中央で倒れている一人の冒険者を発見した。

 その風貌を見たアイズの目がわずかに見開かれる。

 

「・・・!」

「あーっ! この子、《美丈夫》くんの弟じゃん!」

「あら、ほんと」

「あの馬鹿者がそしった少年か・・・典型的な精神疲弊だな。放っておいても治るが、さてどうしたものか」

 

 膝をついてベルの容態を見ていたリヴェリアに、アイズが口を開く。

 

「リヴェリア。私、この子に償いをしたい」

「・・・言いようは他にあるだろう」

 

 額に手を当てて、深くため息をつくリヴェリア。

 何故呆れられたかわからず、アイズは「あれ?」と首をかしげた。

 

「そうだな・・・謝りたいというなら、この子が目を覚ますまで膝で寝かせてやれ。多分それで十分だ」

「なっ!? あああああアイズさんのひざまくらっ!? なんてうらやま・・・じゃなかった、不埒な! そんな事は私がむぐぐぐぐ!」

「はーい、レフィーヤはちょっとこっちねー」

 

 暴走しかけたエルフの少女をアマゾネスの姉妹二人が押さえ込む。

 もがくレフィーヤに冷や汗を流しつつ、アイズが再び首をかしげた。

 

「・・・そんな事でいいの?」

「ああ。おまえのなら喜ばない奴はいないよ」

「よく、わからないよ・・・」

「わからなくてもいいさ。なあ、フィン・・・フィン?」

 

 表情に僅かに険しさを含ませ、周囲をうかがっていたフィンが驚いたように振り向いた。

 

「ああ、済まない。まあ大丈夫じゃないかな? 彼もきっと喜ぶよ」

「うん・・・?」

 

 よくわからないながらも、親代わりの二人の言葉にアイズが頷く。

 フィンは最後にちらりと周囲を見渡すと、なおももがくレフィーヤと共に、座り込むアイズと膝枕されるベルをおいてルームを出て行った。

 

 

 

 それから数分後。

 ルームに通じる通路の一つで、僅かに空気が動く。

 透明化して全てを見ていたイサミがほっと胸をなで下ろしていた。

 

(・・・不精せず、"上位不可視化(スペリアー・インビジビリティ)"を使っておくべきだったなあ・・・)

 

 膝枕されている弟と膝枕するアイズにもう一度視線をやった後、彼もまたこの場から姿を消した。

 

 

 

 自分の太ももにかかる重みを、少女は意識する。

 なぜだか愛おしくなり、頬やその白い髪をそっと撫でた。

 

「・・・おかあさん?」

 

 少年の唇から漏れた言葉に、ぴたり、と手が止まる。

 

「ごめんね、私は君のおかあさんじゃないんだ・・・」

 

 そうこぼした瞬間、深紅の瞳がぱちりと開いた。

 ぼんやりしていた瞳に、次第に理性の光が戻ってくる。

 唖然とするその頬を、アイズはもう一度撫でた。

 

 やがて、無言のまま少年が上体を起こし、向き直る。

 互いに正座の状態で二人は向き合った。

 

「・・・幻覚?」

「・・・幻覚じゃないよ」

 

 ちょっとむっとして少女は言い返す。

 さすがにそれは失礼ではないだろうか、と考えていると、少年がいきなり動かなくなった。

 あたふたしつつ、そうだ、謝らなくちゃと思い出す。

 

「あ、あの、わたし・・・っ!?」

 

 思いを口に出そうとしたとたん、少年の頬がすうっと赤くなる。

 白い肌はたちまちの内に見開いた目と同じくらいの深紅になり、少女が何かしてしまっただろうかと慌てる内に、勢いよく立ち上がる。

 そして。

 

「――だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 高速前転からのダッシュで全力で逃げ出した。

 

 

 

 呆然とそれを見送るアイズ。

 しかし、そのとき脳裏に天啓が響く。

 

(今度逃げるようなら首根っこつかんで捕まえちゃってもいいから)

 

 少年の兄の言葉。

 なら、そうしてしまっても構うまい。

 きっ、とまなじりを鋭くする。

 その瞳は既に、兎に逃げられて泣きそうな幼女のそれではなく、無数のモンスターを屠ってきた狩人のもの。

 

 瞬時にして立ち上がり、迷宮の敷石がひび割れるかと思う程の勢いでブーツが地面を蹴る。

 20ほど数えた後、兎は狩人に捕獲された。

 

 

 

「ふぁーっ!? ふぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」

 

 奇声を上げながら、白髪の茹でダコが腕を振り回す。

 それを後ろから抱きしめるような体勢でがっちりとアイズは押さえ込む。

 

 やがて疲れたのか、それとも落ち着いたのか、少年はおとなしくなった。

 顔は茹でダコのように赤いままだったが。

 

「あ、あの、離して貰えませんか・・・」

 

 背中に当たるアーマーのふくらみを意識しながら、少年が懇願する。

 

「・・・逃げない?」

「に、逃げません・・・」

 

 首筋にかかる息に、顔を更に赤くしつつ少年が答えた。

 約束だよ、と念押しして、アイズは少年を解放する。

 胸を押さえて硬直する少年の脇を回り込み、アイズは少年の前に立った。

 

「あ、あの・・・」

 

 硬直した少年が再起動して何事かを言おうとしたとき、アイズが深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

「え・・・?」

「私が倒しそこねたミノタウロスのせいであなたに迷惑を掛けた・・・一言謝りたかった。ごめんなさい」

 

 一瞬硬直していた少年が、アイズが頭を上げると同時に堰を切ったようにしゃべり出す。

 

「そ、そんな事ないです! 悪いのは迂闊に深く潜った僕で、ヴァレンシュタインさんは全然悪くなくて・・・!

 むしろお礼を言わないといけないのも謝らないといけないのも、助けてもらった僕のほうで・・・ごめんなさい! 本当にありがとうございました!」

 

 混乱しながらも頭を下げ返し、礼を言ってくる少年。

 やがて、アイズの口元が自然にほころぶ。

 それを見て、薄れかけていた少年の頬の朱が、また一層濃くなった。

 

 そのまま、言葉が途切れ、しばらく時間が経つ。

 一歩踏みこめば接吻できるような距離で、見つめ合ったまま――少年のほうは視線が合うたびに目をそらしていたが――ただ時間が過ぎる。

 

(もう少し、このままいたい・・・)

 

 何か話そうと思っても、少女には話題が乏しい。

 それでも何か無いかと考えて、ふと、先ほど彼を捕まえた時のことを思い出す。

 あの時は必死だったから気づかなかったが、彼女が彼を捕まえるまで、20数えるほどの時間がかかった。

 

 だが半月ほど前に見た少年は、間違いなく駆け出しの冒険者そのものだった。

 先ほど呆然としていた時間はそう長くはない。そんな駆け出しの冒険者なら、5つ数える間に捕まえられていたはずだ。

 あのとき逃げ出した彼の後ろ姿と、ついさっきの後ろ姿を頭の中で比べてみる――まるで別人だった。

 

「な、なんですか・・・?」

 

 今までとは違った視線で少年を見る。

 先ほど少年が見せた脚力は、レベル1としては最上級のものだった。

 駆け出しでしか無かった冒険者が、半月でそこまで到達する?

 あり得ない。

 

 少女の心に、少年への強い興味が宿った瞬間だった。




 アニメ一期のローリング逃走は笑ったw


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第六話「ミスリルではありませんミスラルです」
6-1 椿・コルブランド


 

 

 

『夜空の星が輝く影で ワルの笑いがこだまする

 星から星に泣く人の 涙背負って宇宙の始末

 銀河旋風ブライガー お呼びとあらば即参上!』

 

   ――『銀河旋風ブライガー』 ――

 

 

 

 アイズがウダイオスを倒した日の夕方、オラリオ。

 職人街である東北東の第二区画には未だに鎚音が響いている。

 ヘファイストス・ファミリアの大工房。

 金槌と金床で板金鎧のパーツの形を整えていた一人の鍛冶師がふと、顔を上げた。

 

 しばらくすると、工房の入り口のドアが再びノックされる。

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

 周囲を見渡し、手が離せそうなのが自分しかいないとわかると、鍛冶師はため息をついて道具と作業中のパーツを下に置いた。

 

「はいはい、開いてるよ! 勝手に入ってきてくんな!」

 

 正直面倒くさいのだが客だったら放っておく訳にもいくまいと、立ち上がって出迎えにいく。

 失礼します、と言う声と共にドアが開いた。

 入って来た人影を見て、鍛冶師の男がほうと感心する。

 

 顔立ちにどこか幼さを残した極東系の巨漢。黒髪に混じる幾本もの白い筋が虎のように見えて異彩を放っている。

 オラリオで筋骨隆々の巨漢はさほど珍しくはないが、辺りを払う雰囲気があった。

 

「初めまして、ヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネルと申します。

 本日はこちらのヘファイストス様に御奉献をば・・・」

「ああ、堅苦しい挨拶はいらねぇよ。うちはそう言う所じゃねえから。

 しかし捧げ物とはいい心がけだ。物はなんだい?」

「ええ、外に置いてありますが、超硬金属(アダマンタイト)の原石を」

「ほう、ほう、ほう、ほう。それじゃあちょっくら見せてもらうかね」

 

 男が指し示す扉の外に一歩出た鍛冶師は、今度こそ呼吸を忘れた。

 職人をやってそれなりに長い男ですら見た事も無い、1mを超す巨大な原石。

 

「こりゃすげえ・・・」

 

 これに比べれば、どんな絶世の美女であろうとそこらへんの芋娘も同然だ。

 そっと触れると、純度の高い超硬金属独特の手触りが確かに感じられる。

 

「職人だなあ・・・」

 

 今にもよだれをたらしそうな顔で見とれる男に、イサミはたまらず苦笑を漏らした。

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第六話「ミスリルではありませんミスラルです」

 

 

 

 その後、我に返った男は急に丁重な態度になった。

 

「し、失礼しました。すぐに上のものを呼んできやすんで、ちょっとあちらでお待ちくだせぇ」

「あ、いえ。受け取っていただければそれで・・・」

「そうはいきやせんよ! おい、ケジナン! こちら様にお茶をお出ししろ!」

 

 やれやれと思いつつも無下にするわけにもいかず、イサミは案内された部屋のテーブルの端の席に着いた。

 テーブルと椅子があると言っても応接間のたぐいではなく、職人達が休憩する部屋である。

 

 出された茶をすすって待っていると、しばらくしてドアが開く。

 立ち上がって迎えると、それは身の丈170cmほどの褐色黒髪の女性だった。

 緋の袴に上半身はさらしだけというざっくりした格好で、端整な顔立ちながら、いかにも職人らしき雰囲気を漂わせている。

 

 特筆すべきは左目を覆う黒い眼帯。

 それではこれがヘファイストスファミリアの首領、椿・コルブランドかとイサミは得心して立ち上がる。

 

「初めまして【単眼の巨師(キュクロプス)】。私はヘスティア・ファミリアの・・・」

「ああ、よいよい。そんなかしこまらないでくれ。しょうがなく首領なんぞやっておるが手前はただの職人にすぎんし、それにその二つ名は好かんのだ。椿でよい」

 

 それでは、と腰を下ろし、改めて挨拶する。

 

「どうも、ヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネルです。どうもご足労願っちゃいましてすいませんね」

「いやなに。手前どもの神に奉納をという奇特な御仁はたまにおるが、さすがにあれだけ見事なものをどかっと出してくるのは珍しい。多少なりとも応対をせねばいかんだろうよ。

 まあ、すすだらけの応接間に安物の茶ッ葉ではあるがな」

 

 わはは、と笑う椿。

 

「それであれか、ヘスティア・ファミリアということは、例の二億のナイフの支払いに充当してくれと言うことか?」

「二億・・・そこまでの業物だったんですか、あのナイフ・・・」

 

 頭痛をこらえるように、こめかみを指でもみほぐすイサミ。

 椿はまたしても、からからと快活に笑う。

 

「応とも。聞いて驚いたぞ。神が恩恵を刻み、使い手と共に成長する武器。

 いや、その発想はなかったわ!

 しかも鍛冶神たるヘファイストスが手ずから打った業物ぞ。二億でも安い安い!」

 

 二億という額を笑い飛ばす椿に、イサミもおっしゃるとおりで、と苦笑するしかない。

 

「それより恩恵を刻んだって武器にですか? 値段よりむしろそっちの方が気になるんですが」

「うむ。手前も主神様よりちょっと聞いただけだからな。詳しく知りたければお手前の主神様に聞くが良かろう」

 

 なるほどと頷き、イサミは話を戻す。

 

「まあその件については神様同士で話がついてるので眷属の出る幕でもないというか、俺が返そうとしたら神様が嫌がるでしょうしねえ。うちの神様がお世話になりました、これからもよろしくお願いします、くらいのところでご理解ください」

「なんじゃ、薄情者め。山のような借金を負ったおのれの主神を助けようとは思わんのか?」

 

 にやにやしながら問い詰める椿に、イサミは肩をすくめる。

 

「ウチの神様は意地っ張りでしてね。それにあのナイフをもらったのは弟ですし、手助けをするなら弟がするのが筋でしょう」

「まあ、道理だの。ところで先ほどから気になっておったのだが、お手前もなかなかの物を下げておるな。ちと拝見させてもらってよいか?」

 

 椅子に立てかけてある、イサミの剣のことである。

 部屋に入ってくるなり椿が目を止めたのをイサミも気づいていた。

 どうぞと差し出すと、受け取った椿が一言断ってすらりとすっぱ抜く。

 

「ふむ・・・! アダマンタイトの打刀(うちがたな)か? なかなかの・・・いや、大した業物ではないか! しかし、まるっきり実戦で使った様子がないではないか。宝の持ち腐れとはこのことだぞ?」

 

 元は魔術の焦点具や触媒などと一緒に"願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力で生み出した刀である。

 イサミはこれを魔法の武器に加工していたが、椿の言うとおり実戦で使ったことはない。

 実のところ剣には守りの魔力が付与されており、イサミにとっては武器ではなくむしろ防具である。

 

「そりゃ俺は魔導士ですからね。心得がない訳じゃありませんが、魔法使った方が強いに決まってるでしょう」

「まぁそうだが・・・もったいない。もったいないぞ。これほどの業物を。使わずとも備えておくのは冒険者の心得でもあろうが、いや、惜しい。全く惜しい」

 

 大げさに嘆きながらも刀身から目を離さない椿に、職人だなあとイサミは苦笑する。

 もっとも、イサミもマジックアイテムのことになると似たようなものなので人の事は言えない。

 

「しかし、ウチのものでもゴブニュのものでもないな。これはどこで作ってもらったのだ?」

「作ってもらったものじゃないですよ。これは祖父がしまい込んでいたもので・・・」

「違うな」

 

 きっぱりと断言され、思わず言葉が止まる。

 こちらを見据える椿を静かに見返し、再び口を開く。

 

「なぜ、そう思うんです?」

「これが、おぬしのために作られたものだからだ。他の誰のためでもなく、おぬしのためにだ。

 鞘に収まったままであっても、おぬしとその剣は見事に一体であった。

 よほどに使い込んだ武器か、その者のために作られたものでなければ、使い手と剣があそこまで相和することはない。

 違うと言うのならば、この目をくれてやってもよいぞ」

 

 職人の真摯な瞳で見つめられ、今度こそイサミは答えに窮した。

 椅子の背もたれにもたれかかり、長いため息をつく。

 

「おっしゃるとおりですよ。でも、表向きにはそういう事にしておいてください」

「ふむ、まあ何か理由があるのだろうとは思うが・・・どうだ、良ければ教えてはくれんか?」

 

 一転して好奇心と期待に溢れた目つきになる椿。それをうさんくさげに見るイサミ。

 

「なんだ、いかがわしいものを見るような目つきをしおって。秘密は守るぞ?」

「女の『秘密を守る』ほど信用できないものはありませんよ」

 

 それを聞いて椿はわっはっは、とまたも豪快に笑う。

 

「いかにもその通りだな。だが神ヘスティアは我らが主神様のご神友。その眷属との約束をないがしろにはせぬよ」

「まぁそこまでおっしゃるなら・・・でも、秘密ですよ?」

「わかっておるわかっておる。しかし、よほどのことのようだの?」

 

 更に好奇の度合いを増して、目をきらきらさせる椿。

 再びそれをうさんくさそうに見ながらも、イサミは言葉を続ける。

 

「俺は神秘アビリティを持ってるんですよ。そいつは鍛冶師の技じゃなくて、魔道具作りの技を使って俺が作ったんです」

「・・・なんと!?」

 

 今度は椿が、右目を驚愕に見開く。

 

「神秘アビリティの持ち主というのもそうだが、これを鍛冶ではなく神秘アビリティで作ったと?!」

「ええ。魔道具を作るのと同じ技法で魔力を込めています。もちろん剣を打つこと自体は鍛冶師の技を用いましたが」

 

 無論イサミは神秘アビリティなど持ってはいないが、本当の事を言ったら話が果てしなくややこしくなるのでしょうがない。魔道具を作る技法なのは間違ってないし、剣の生成もイサミ自身が持つ鍛冶師の技を魔法で再現したもの。うん大丈夫、嘘は余り言ってない。

 

 それはともかく、ぬぬぬ、と唸って再び刀身に目をやる椿。

 ややあって、しかめつらしい顔でイサミに向き直る。

 

「なあ、ものは相談だが」

「だめです」

「まだ何も言っておらぬのだが」

「絶対ろくでもないことなのでだめです」

 

 話くらい聞いてくれてもよいではないかー、と椿が子供のように口をとがらせる。

 

「構うまいが。試し切りさせてくれと頼もうとしただけだぞ!」

「やっぱり駄目じゃないですか! そうしたら誰が作ったという話になって、椿さんみたいに俺の為に作ったものだという事を見抜かれるかも知れないでしょ!」

「むむむ」

「何がむむむだ!」

 

 その後もああだこうだと椿がごねるが、イサミがそれを全て却下すると言う事が続いた。

 

「あれもだめこれもだめと、まったくけちんぼうめ」

「はいはい、けちん坊で結構。泥棒とけちん坊は悪く言われ慣れてるってね」

 

 ぷーっと頬をふくらませる椿のぼやきを、イサミがさらっと流す。

 

「なんじゃそれは。まあよいわ。あの超硬金属の塊といい、この打刀といい、眼福をさせてもらったからの。主神様にもよろしく伝えておこう」

「よろしくおねがいします・・・って、もうこんな時間?! やばい、店が閉まってる!」

 

 刀を受け取って懐中時計を取り出したイサミが、文字盤を見て驚愕する。

 五時丁度頃に来たはずが、もう時計の針は七時を回っていた。

 酒場や飯屋はともかく、八百屋や肉屋などはおおかた店じまいしている頃合いである。

 

「それでは失礼! 急げばメインストリート沿いの店はまだ開いてるかも!」

「お、おう。引き留めてすまなかったの」

 

 主夫の剣幕に押され、椿がたじろぐ。

 そちらをろくに見ることもせず、イサミは暗くなった町筋に飛び出していった。

 なお、この日のヘスティア・ファミリアの夕食は"英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"だったことのみ書き添えておく。



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6-2 魔導書(グリモア)

「そういえばイサミくん。階層主はどうだったい?」

「ああ、それがですね・・・」

 

 食後、ヘスティアが尋ねてきた。イサミとシャーナが37階層での出来事をかいつまんで話す。

 

「・・・アイズさんがたった一人で? 階層主を倒しちゃったの!?」

「ああ。ありゃレベル6に上昇したんじゃないかなあ」

「とんでもないなあ・・・まあ君たちも二人で倒そうとしてた訳だけどさあ」

 

 驚きながらも、どこか安心したような顔で椅子に座り直すヘスティア。

 

「神様、今ちょっと喜んだでしょう」

「・・・喜んでないよ?」

「喜びましたよね?」

「喜んでないよ」

 

 ジト目のイサミ、不自然に視線をそらして冷や汗を流すヘスティア。

 あこがれの人に突き放されたと知って落ち込むベルを、しょうことなしにシャーナが慰めていた。

 

 

 

 翌朝、イサミは慌てたベルの声によって叩き起こされた。

 昨日も情報収集の後マジックアイテムを作っていて、さて寝ようと魔法の寝袋に潜り込んだ矢先である。

 

「にいさん! にいさんっ! お願いだよ、助けて!」

「・・・ったく、なんだ、大げさな・・・」

「ふにゅう・・・なんだよベル君、こんなに朝早く・・・」

 

 イサミがドアを開けて居間に出ると、寝ぼけまなこのヘスティアまで起きてきた。

 シャーナの部屋のドアは開いているが、彼女の姿はない。

 

「シャーナは?」

「そ、それが、今朝も特訓に付き合ってもらおうと思って、起きるのが遅いからどうかしたのかと思って、あの・・・」

 

 どうも要を得ないので、開いたドアを軽くノックして、部屋の中をのぞき込む。

 

「い、イサミぃ・・・」

 

 中にいたのは、涙目で膝を抱えるエルフの少女。

 寝間着の下半身とシーツに血がついていた。

 

「・・・あー。とりあえず落ち着いてください。

 大丈夫、女の子なら誰でも通る道ですから。すぐに慣れますよ」

「ほ、ホントか・・・? 大丈夫なのか、これ?」

 

 落ち着かせようとするイサミの服の裾をぎゅっと握り、シャーナが涙目で見上げてくる。

 

「ええ、大丈夫ですよ。死んだりはしません。神様、シャーナの後のことお願いできます?

 男がやるよりいいでしょうし」

「馬鹿言うなよ。ボクがそんなあれこれを知ってるわけないだろ」

 

 これだからものを知らない子供達は、と、ヘスティアが何故か得意げに肩をすくめる。

 

「出来ないって事はないでしょう。お願いしますよ、神様」

「ボクにはあれもこれもないんだよ! 神なんだから!」

「・・・あ、なるほど」

 

 少し顔を赤くして叫ぶヘスティアに、それは盲点だったと手を打つイサミ。

 てきぱきとシャーナの処置をしたイサミを、ヘスティアがちょっとうろんな目で見ていたのはここだけの話である。

 

 

 

 その日はヘスティアが上司に怒られたり、リリが魔剣を使ってツンデレたりと、とりあえず何事も無く過ぎた。

 そして翌朝。

 

「あれ? ベル、おまえ今日はダンジョン行かないのか?」

「うん、今日リリが休みだから・・・」

「ふーん。まあ、たまには休みを入れるのもいいがな」

 

 その態度に何となく引っかかるものを感じつつも、丁度いいと頼み込む。

 

「それじゃ、シャーナのこと見ててくれ。体調は随分良くなったし、交換も自分でやれるからまあどうと言う事はないと思うけど」

「うん、わかったよ。いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 

 

 その翌日もシャーナの体調は元に戻らず、ベルもまた冒険には出なかった。

 あのサポーターの少女がいないせいか、それとも彼女の生い立ちや内心の吐露を聞いてしまったせいか。

 だめだだめだと首を振り、気分転換に掃除でもするかと立ち上がった彼の目に映ったのは、棚の上に置かれたバスケット。

 

「・・・・・・・・あ」

 

 三日前ウェイトレスの少女からもらって、返すのを忘れていた弁当のバスケットだった。

 

 

 

 「豊穣の女主人」に走り、ぺこぺこ頭を下げてきたベルは、何故か分厚い書物と共にホームに戻ってきた。

 ソファに座り、借りてきた書物を広げる。

 

「『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・めざせマジックマスター編~』・・・なんだこりゃ」

 

 タイトルにそこはかとなく戦慄を覚えつつ読み進めていくうちに、ベルの視界から現実が消失する。

 浮かび上がったのは顔。顔のない顔。

 

『じゃあ、はじめよう』

 

 顔がベルの声でしゃべった。

 

『僕にとって魔法ってなに?』

「凄いもの・・・兄さんが使うような・・・」

 

 ここではないどこかを見ながら、ベルの肉体が無意識にページをめくる。

 

『僕にとって魔法って?』

「強い力・・・兄さんみたいに、どんな敵でも倒す力・・・」

 

 実のところ、ベルはイサミと一緒に行動した経験は数日ほどしかない。

 だから、兄の魔法に対する認識も限定的だ。

 

『僕にとって魔法ってどんなもの?』

「魔法・・・」

 

 ベルの脳裏によぎるのは、数日間の経験で兄が繰り出していたいくつもの魔法。

 

 青白い魔法の弾丸が敵を貫くマジック・ミサイル。

 火線が伸び、連鎖的に次々と敵を屠っていくスコーチング・レイ。

 

 通路にたむろする敵を一直線に伸びる雷が一瞬に屠るライトニングボルト。

 直径20mを超す、巨大な爆発を起こすファイアーボール。

 そして、両手を広げ、悠然と魔法を唱える兄の姿。

 

「兄さんみたいな力・・・無数の敵を呪文一つでなぎ払うような・・・」

 

 僅かに間があって、再び顔が問いを投げかける。

 

『魔法に何を求めるの?』

「あの人のそばに・・・あの人の隣に・・・」

『それだけ?』

「それ以外にできるなら・・・英雄になりたい。おとぎ話の主人公みたいな・・・兄さんみたいな・・・」

 

 思い起こすのはアイズ・ヴァレンシュタインと並ぶ兄の姿。

 兄は既にあの人と同じ場所にいる。

 自分も、その場所に立ちたい。

 兄が、あの人が認めてくれるような英雄になりたい――!

 

『子供だなあ』

 

 呆れと笑みを含んだ声。

 

「ごめん・・・」

『でも、それが(きみ)だ』

 

 最後に笑みを浮かべ、顔は消失した。




 そういえば書き忘れていましたがタイトルの件。
 「ミスリル」というのはトールキン先生のオリジナルで著作権に触るせいか、最近のD&Dだと「ミスラル」という名称に変更されております。
 「ホビット」が「ホブ」や「ハーフリング」になったり、バルログがバロールになったりとかそんな感じ。
 どうも90年代あたりから厳しくなったくさい。


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6-3 アーケイン・フレイム

「・・・ベル君。ベル君!」

「・・・あ、神様?」

 

 ベルは買い物袋を下げたヘスティアに起こされた。

 帰り道でイサミと出会って、一緒に帰って来たらしい。

 

「眠いならベッドで寝ろよ・・・って、本?」

「ははあん、慣れないことをしてまんまと眠気に負けたってところか。可愛いね、ベル君。おかげで仕事疲れも吹っ飛んだよ」

「うう・・・」

 

 上機嫌のヘスティアと顔を赤くしてうつむくベルに和みつつ、イサミが本を手に取った。

 

「しかしおまえが本か。迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)か何か・・・」

 

 本を手に取ったイサミがぴしり、と固まった。

 ただならぬ空気にヘスティアが冷や汗を浮かべる。

 

「ど、どうしたんだい、イサミ君・・・?」

「神様・・・これ、魔導書(グリモア)です。しかも使用済み・・・」

「ファーッ!?」

 

 ムンクの「叫び」そっくりの表情とポーズでヘスティアが絶叫した。

 

「ぐ、ぐりもあって・・・?」

「・・・要するに、読めば魔法が発現する魔法の本だ。神秘アビリティと魔導アビリティを獲得した魔道具製作者にしか作れない。

 値段は安くて数千万から億ってところかな・・・ちなみに使い捨てだ」

「のぉぉぉぉっ!?」

 

 ヘスティアに続いて、ベルもムンクになった。

 

「大体ベル君、どう言ういきさつでこんなものを手に入れたんだい!?」

「じ、実はカクカクシカジカで・・・」

 

 誰かが酒場に置き忘れた魔導書をシルが渡してくれたことを話すベル。

 イサミの眉がぴくり、と動いた。

 

「ああ、僕はなんて事を・・・!」

「そうだぞこの馬鹿! 何で読む前に俺に見せない!」

「そっちかよ!?」

「そっちですよ!」

 

 思わず突っ込んだヘスティアに、100%素でイサミが返す。

 

「ああくそ、これを解析すれば・・・!」

「え、まさか作るつもりだったのかい?」

「・・・ぼ、僕、返して来る! 返して、謝ってこなくちゃ・・・!」

 

 本を抱えて飛び出そうとするベルの手を、ヘスティアがつかんだ。

 

「ベル君、よせ! 下界ではきれい事じゃまかり通らないことがたくさんあるんだ! 世界は神より気まぐれなんだぞ?!」

「こんな時に名言作らないでください! 隠したってバレますよ!」

 

 ベルはヘスティアの制止を振り切り、夜の町へ飛び出していった。

 

 

 

 二十分後、とぼとぼとベルが戻ってきた、小脇にはガラクタと化した魔導書。

 居間でヘスティアが出迎えた。イサミは台所で調理中。

 

「・・・おかえり。どうだった?」

「こんなものを店においていった方が悪いから気にするな、財布を拾ったと思って忘れちまえ。男だったらぐずぐず言うな・・・って」

 

 あのおかみさんらしいな、と料理をしながらイサミは苦笑する。

 

「まあ、魔導書を持ち帰ってくれたのはよしだ。後でよこせ、研究材料にする」

「・・・兄さんも気にしないんだね」

 

 ベルの声には、どこか責めるような響きがある。

 

「正直、どこかうさんくさくてな・・・」

 

 イサミの脳裏にはシルの顔が浮かんでいる。

 誰かがたまたま貴重な魔導書を酒場に置き忘れ、たまたまウェイトレスが個人的に貸し与え、たまたまそれを知らないで読んでしまった?

 

 それだけなら恋する乙女の暴走で済ませられないこともないが、怪物祭の一件がある。

 "完全位置同定"を回避して姿をくらまして何事も無かったように戻ってきた時点で、少なくとも見かけ通りの人間ではないだろうとイサミは踏んでいた。

 

「それに、シルバーパックやキャリオンクロウラーがわざわざベルたちを追いかけて来たのも・・・」

「え、なに?」

「何でもない。それよりもう少しでできるから、そろそろ準備してくれ」

「うん、わかった」

 

 

 

「うふふ・・・」

「気持ち悪くにやついてるなよ。さっさと食っちまえ」

「はーい・・・んふふふ・・・」

 

 ニヤニヤが止まらないベルと、それに呆れる他の面々。

 食事を始めてからずっとこのような感じである。

 

「まぁ魔法が発現するわけだから、嬉しいのもわかるけどな」

「本当に可愛い奴だなあ、おまえ・・・」

 

 呆れたように言うシャーナに、ヘスティアがわずかに威嚇の混じった視線を向ける。

 

「だよね。でも君にはあげないからね」

「いりませんよ」

「い、いいじゃないですか別に・・・」

 

 周囲から口々に言われて、すねたように口をとがらせるベル。

 人の魔導書がどうのと言ってたくせに結局喜んでんじゃねーか、と突っ込まないのが兄の優しさであった。

 

 

 

 そして食後。

 皿洗いが終わったとたん、ベルがステイタス更新をせがむ。

 

「お願いします神様!」

「はいはい、元気だねえ、君は」

 

 目をきらきらさせる眷属に苦笑しつつ、ヘスティアは自分の部屋のドアを開けた。

 イサミとシャーナも、興味津々で後に続く。

 ベルもプレゼントをもらう直前の子供のような表情で上着を脱ぎ、ベッドに寝そべった。

 

「さてと・・・うわぁ・・・」

「どうしたんすか、神さま?」

 

 ベルの背中にまたがり、手早くステイタスを更新したヘスティアが顔をしかめる。

 表情は驚愕と悔しさが半々と言ったところか。

 ヘスティアの頭越しに覗き込んだイサミが、こちらは呆れたようにシャーナの疑問に答えた。

 

「・・・敏捷が、SSにアップしてやがる」

「はぁーーっ?!」

 

 顎を目一杯開いたシャーナの驚きの声が、ヘスティアの私室に響き渡った。

 

「いやいやいや! ありえねえだろ! ステイタスってのはSまでしかねぇんだぞ?!

 大体Sにするのだってとんでもなく苦労するのに! 俺だって、一個Aにするのが精一杯だったんだぜ?!」

「と、言ってもね。実際そうなんだからしかたないだろ」

「神様! それより魔法! 魔法はどうなりましたか!」

 

 むっつりと答えるヘスティアをベルがせっついた。

 オラリオ千年の歴史の中で、おそらく初めて到達したアビリティSSを意にも介してない様子に、三者が三様の呆れの表情を浮かべる。

 

「はいはい、今書き写すから待ってておくれ・・・っと」

 

 さらさらと紙にステイタスを書き写し、それをベルに渡す。

 目を通した瞬間、ぱぁっ、と顔がほころんだ。

 

「うわぁ・・・」

「"アーケイン・フレイム"。それが君の魔法の名前さ。おめでとう、ベル君」

「"秘術の炎"か? おめでとう、ベル。攻撃魔法かね?」

 

 ヘスティアとイサミが祝う中、シャーナがベルの手元をのぞき込む。

 

「あれ? スキルは発現してないのか? さっき見た感じ、スキルの所に何かあった気がするんだが・・・」

「え? でも僕はスキル発現してませんよ?」

「そうそう、そうだよ! 魔法の欄と見間違えたんじゃないかい?」

 

 ヘスティアがやや大げさに否定し、イサミは目配せをする。

 シャーナもそれで飲み込んだか、それ以上追求はしなかった。

 

「しかし、詠唱がないですね・・・噂に聞く速攻魔法って奴でしょうか?」

「じゃないかなあ。この"アーケイン・フレイム"って魔法名だけで発動するんじゃないか?」

 

 これ以上は無理と言うほどわくわくしている様子のベルを見て、ヘスティアが嬉しそうに微笑む。

 

「ま、それは明日の探索で試してみるといいさ。それではっきりするはずだ」

「そ、そうですね・・・」

 

 ベルはぎこちなく頷いた。



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6-4 へのつっぱりはいらんですよ

 夜半。

 自室で魔導書の使い古しを調べていたイサミはふっと顔を上げた。

 弟の部屋から扉の開く音がしたからだ。

 

 続けて、足音を忍ばせて歩くような音。

 金属と革のこすれる音、足音の重さからしておそらく武装している。

 馬鹿みたいに浮かれていた弟の様子を思い出し、渋い顔になるイサミ。

 

 止めようかと思い・・・結局イサミは透明化してついていくことにした。

 こう言うのを兄馬鹿という。

 

 

 

 深夜のバベルには人気がない。

 魔石灯の明かりは絶えないが、衛兵を除いては人っ子一人いなかった。

 迷宮第一階層に降り立ったベルは、さっそく右手をかざして魔法名を唱える。

 

「アーケイン・フレイム!」

 

 何も起こらない。

 右手から炎が吹き出すこともなければ、炎の嵐が周囲を焼き尽くすこともない。

 

「あ、あれ・・・アーケイン・フレイム! アーケイン・フレイム! アーケイン・フレイム!」

 

 やはり何も起こらない。

 不安げな顔で、右手を見下ろす。

 

「そういえば兄さんが、魔法にはイメージが重要なんだって言ってたなあ・・・

 イメージ、イメージ、ううん・・・」

 

 脳裏によぎるのは、冒険を始めたばかりの頃に見た連鎖する火線を放つ兄の記憶。

 

「ええと、確か・・・そうだ、"スコーチング・レイ"!」

 

 何かのピースがカチリとはまったような感じがした。

 うんと頷き右手を構える。兄の放っていた呪文を思い出し、イメージする。

 

「スコーチング・レイ!」

 

 突きだした右手から紅蓮の火線が放たれる。

 火線は10mほど迸って消えた。

 

 手のひらを見つめる。

 両拳を握る。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 

 声にならない歓喜の叫びが、迷宮の中に響き渡った。

 

 

 

 にこにこしながらそれを見守っていたイサミであるが、弟がスキップしながら更に迷宮の奥に進んでいくのを見て口をへの字に曲げた。

 

(おいおいおいおい)

 

 

 

「スコーチング・レイ! スコーチング・レイ! スコーチング・レイ!」

 

 迷宮の奥に走り込み、ゴブリンやコボルドを見つけては呪文を打ち込む。

 

「スコーチング・レイ!」

 

 ゴブリンの群れに打ち込んだ火線が、《連鎖》してゴブリンからゴブリンへと飛び移る。

 4匹が一瞬にして倒れ、残りも再度の火線で全滅した。

 

(えらく再現度高いなあ、おい)

 

 イサミは驚くやら呆れるやらである。

 

 ベルは更に調子に乗り、迷宮の奥に進んでいく。その結果は先だって述べた。

 ベルはロキ・ファミリアに再び助けられ、イサミはそれを確認してホームに戻った。

 翌朝特に変化のなかったベルの顔を見て、これは成功か失敗かしばらく悩んだのはしょうもなくて誰にも言えない秘密である。

 

 

 

 ともかくその日はシャーナと、ベルも数日ぶりに冒険に出た。

 ベルは出発前に「青の薬舗」に立ち寄ったが、イサミからの注文で潤っていたせいか、ナァーザにはボられるどころか一本おまけまでつけて貰った。

 スポンサーのご機嫌を取っておこうという腹黒い企みがあったことは、もちろんベルの思案の外である。

 

 その日は何事も無く過ぎて夕方。

 イサミがベルにジャガイモの皮むきを手伝わせている。

 時折、イサミはいぶかしげにベルの様子を見ていた。

 

「兄さん、なに?」

「いや、なんでもない」

 

 首をかしげ、ベルは皮むきに戻った。

 

「それじゃ兄さん、行くから」

 

 やがて皮をむき終わったベルが居間に行こうとするのを、イサミが呼び止めた。

 

「なに?」

「今日、何かあったのか? さっきからずっとうっとうしい顔してるぞ」

「・・・何もないよ、大丈夫」

 

 明らかに空笑いとわかる笑みを浮かべるベルの、その両肩にイサミが大きな手を置いた。

 

「なあ、ベル・・・」

「にいさん・・・」

 

 兄弟が見つめ合う。

 

「おまえが俺に嘘をつけるわけがねぇだろうがぁ!」

「あいだだだだだだだ!?」

 

 次の瞬間チキンウィングフェースロックに捕らえられ、ベルが情けない悲鳴を上げた。

 後ろ手に極められた左腕と、締め上げられる顔面がすごく痛い。

 

「さあキリキリ白状しろ」

「痛い、痛いよにいさん?!」

 

 技を解いたかと思うと流れるようにベルの体を担ぎ上げ、アルゼンチンバックブリーカーにスイッチするイサミ。

 その極まり具合には一ミリの隙もない。

 

「痛いようにしてるんだから当然だな。さあ吐け! さもなくば貴様の背骨はロンドン橋のようにへし折れる!」

「ロンドン橋って何あがががっ、こ、これは僕とリリの問題だから・・・!」

「ほう、例のサポーターが関係してるのか」

「あ」

 

 その後さらに顔面粉砕アイアンクロー、続けてのパロスペシャルとキャメルクラッチに耐えたベルだったが。

 

「いったいったテリーがいったーっ!」

「なにそれぎゃあああああ!」

 

 イサミがスピニングトゥホールドからのテキサスクローバーホールドを極めたところでついに根性が尽きた。

 

 そのままリリがファミリア内で疎外されてること、死にたいと思っていたこと、魔剣でベルを助けたこと。

 ついでに神のナイフをなくしてリューとシルに拾ってもらったことまで白状させられる。

 

「ひどいよにいさん・・・」

「下らん意地を張るからだ。意地の張りどころが違うわ」

 

 床に倒れてしくしく泣くベルを一蹴するイサミ。

 どれほど優しく見えようと、兄や姉とは根本的に横暴な生き物なのである(断言)。

 

 

 

「・・・にいさん。ぼく、どうすればいいのかな?」

 

 やがて起き上がったベルがイサミを見上げる。

 その目を一瞥してイサミが素っ気なく告げた。

 

「知らん。好きにしろ」

「知らんって・・・」

 

 口をとがらせるベルをかえりみることもなく、イサミは夕食の準備を再開する。

 

「どうせ腹は決まってるんだろ? だったら俺が何言ったところで聞きゃしないだろうが。よせって言ってるのにサーシャの人形取り返しに行った時のことは忘れちゃいないだろうな?」

「うっ」

 

 冷や汗を浮かべてひるむベル。

 その雰囲気を背中で感じつつ、イサミは楽しそうに言う。

 

「だったらせいぜいやりたいようにやれ。どうなるにしろ、ケツくらいはこっちで持ってやる」

「・・・・・・ありがとう、にいさん」

「いいってことよ」

 

 リズミカルにジャガイモを千切りにしつつ、イサミは答えた。




 ちなみに作者は兄です(ぉ


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6-5 裏切り(ビトレイアル)不意打ち(アンブッシュ)

「で、何をやってるんだ、おまえさんは?」

 

 ニヤニヤ笑いを顔に貼り付けながらシャーナが言わずもがなのことを聞く。

 イサミは前方から目を離さず、苛立ったように小声で答えた。

 

「静かに出来ないなら帰ってください。音は聞こえるんですから」

「へいへい」

 

 チェシャ猫のようなニヤニヤ笑いを消さないまま、シャーナが肩をすくめた。

 翌日。迷宮七階層。

 二人は"透明球(インビジビリティ・スフィア)"の呪文で透明化し、ベルとリリの後をつけていた。

 

「しかしベルの奴なかなかやるじゃないか。ほんの一月前は、見るからにド素人だったのによ」

 

 シャーナの言うとおり七、八、九と階層を深くしていくにも係わらず、ベルは出てくるモンスターと危なげなく渡り合い、倒していく。

 数が多いときは魔法を使うこともあったが、ニードルラビットの5,6匹くらいなら、ほとんど時間を掛けずにさっくりと片付けていた。

 

「ん、小剣(バゼラード)か。いつの間に武器を取り替えたんだ?」

「さあ・・・今朝見た時は持ってませんでしたけど」

 

 時折ベルが振り向き、そのたびに二人は息を殺して身動きを止める。

 やがて首を振りながらまた歩き出したのを確認し、しばらくしてから小声で会話を交わす。

 

「しっかし、えれぇ勘が鋭いなあいつ」

「ここまで察しが良かったとは思いませんでしたけど・・・あいつも成長してるってことかもしれません」

 

 そうこうしている間に、四人は十階層へ進入した。

 この階層は全体に僅かな薄もやがかかり、光もここまでの上層に比べると暗い。

 

「何か仕掛けてくるならこの階層だな」

「だと思います」

 

 しばらくは何も起こらず、ベルたちは薄もやの中を進んでいく。

 やがて現れたのは身長3mに達する大型モンスター、オーク。

 生えている木を引っこ抜き、棍棒にしてベルに襲いかかるが、ベルは慌てず素早く間合いを詰め、すり抜けざまに脇腹を切り裂く。

 すっぱりと傷口が開き、内臓がぼろりとこぼれ落ちた。

 

「こんっ、のぉっ!」

 

 素早く振り返り、気合いと共に小剣を振り抜く。

 右の太ももを骨ごと切断され、オークが悲鳴を上げてうつぶせに倒れた。

 素早く飛び跳ねたベルがぼんのくぼに小剣を突き込み、オークは動きを止めるもほとんど間をおかずもう一匹現れる。

 

「スコーチング・レイ!」

 

 火線がオークの胸を叩き、たたらを踏ませる。

 

「スコーチング・レイ!」

 

 二発目の火線を受け、胸に大穴を開けたオークがチリとなって消失した。

 だが、後ろの二人は既にベルとオークへの興味を失っていた。

 最初のオークが足を切断される直前、例の犬人のサポーター・・・リリルカ・アーデが素早く身を翻したのを見とがめたからだ。

 

 

 

(ちっ、見失ったぞ!)

(こっちです、ついてきてください!)

 

 ステイタスや技能を強化しているイサミはもちろん、それなりの重装備ではあるがシャーナもレベル4の冒険者、その気になればレベル1のリリに気取られずについていくのはわけもない。

 追いかける二人の目の前で、リリは木の根元に異臭を放つ生肉――モンスターをおびき寄せるトラップ・アイテムを設置し、素早くその場を離れた。

 

(・・・!)

(どうする? やるか?)

(・・・いえ。それはぎりぎりまで無しです)

 

 既にイサミの非視覚感知は、接近する複数の大型の影――おそらくオーク――を捉えていた。

 シャーナが気遣わしげにイサミを見上げる。

 それをあえて無視し、イサミはリリと弟の観察を続ける。

 

 リリがクロスボウを放ち、ベルの左足のホルスターを落とす。

 その中の「神のナイフ」を拾い上げ、素早く距離を取った。

 

「ごめんなさい、ベル様。リリはもうここまでです」

「リリ! 何を言ってるの?!」

「・・・ベル様はもう少し人を疑うことを覚えた方がいいと思います。さようなら、ベル様。折を見て逃げ出してくださいね」

 

 寂しそうに笑って、小柄なサポーターはきびすを返す。

 ベルはそれを追おうとするも、オークに阻まれてかなわない。

 それどころか、新手のオークや、インプまでもが現れ、ベルを囲む。

 

「・・・おい、いいのかよ? さすがにそろそろやばいぜ」

「ぎりぎりまで待ちます」

 

 無意識のうちに拳を握り、イサミはベルを見守る。

 

(よいか、イサミよ。ベルのことを思うなら軽々しく助けてはいかん。あやつのことが大事なら尚更じゃ。教えるのはいい。導くのもいい。だが助けちゃならん。おまえならわかるな、イサミ)

 

 かつて言われた祖父の言葉が脳裏にこだまする。

 今すぐにでもベルの周囲のモンスターを魔法でなぎ払いたい気持ちを鉄の意志で押さえつけ――次の瞬間、殺気と緊張感をみなぎらせて身を翻した。

 振り向いたときには既に完全な戦闘態勢になっている。

 

「どうした、イサミ。ケツの穴にツララを突っ込まれたような顔してるぜ」

 

 シャーナが軽口を叩く。

 その彼女も、いつの間にか大剣を抜いて完全な戦闘態勢だ。

 

「そこまでの事じゃありませんよ。腐ったヘビイチゴを思い切り噛みしめてしまったくらいの話です」

 

 身構えたまま、イサミも軽口で返す。

 後ろに意識をやると、ベルがオークやインプを相手に奮闘しているのがわかる。

 

「誘い・・・か?」

「みてぇだな。お子様抜きで俺たちとしっぽりやりてぇらしい」

 

 もう一度後ろに意識をやる。

 インプは連鎖魔法でまとめて撃ち落とし、複数のオークにも素早く動いて目標を定めさせず、足を攻撃して移動能力だけを奪って放置している。

 モンスター達がみるみるうちに数を減らしていくのを確認したイサミとシャーナは頷きあい、薄もやの中へ踏み込んでいった。

 

 

 

 注意深く2、3分も進んだ頃、もやの中から全身をフード付きの外套で覆った人影が現れた。

 ふわり、と場違いな花の香りが鼻をくすぐる。

 

「あのクソ影野郎・・・じゃあねえな。女か?」

 

 シャーナの言うとおり、体つきと袖からはみ出た指先は明らかに女性のものだった。

 加えてウェーブのかかったあかがね色の髪が一房、フードから流れ落ちているが、フードの奥の顔は見えない。

 

「どうも。お招きに応じていただき感謝するわ」

 

 豊かな響きを持つ女の声が、フードの影から漏れる。

 蠱惑的と言える色気のある声だったが、どこか嫌悪感を誘う。

 

「有無を言わせなかったくせに良く言うぜ」

 

 軽口を叩きつつも額には冷や汗が浮かび、視線はフードの女から離せない。

 隣のシャーナも同じだ。

 

 生物としての本能が警告しているのだ。

 目の前にいるのは圧倒的な強者である――と。

 

 ちろり、とフードの影で二股に分かれた細い舌が形の良い唇を舐める。

 影に隠れて、イサミ達にはそれは見えない。

 

「残念ねえ、マッチョな男は好みじゃないのよ・・・そうでなかったらすぐにでも"精神支配(ドミネイト)"したいところなんだけど、でも"空白の心(マインドブランク)"かかっちゃってるかあ」

「っ!」

 

 軽口を叩き返す余裕すらなく、イサミは《高速化》した"空白の心"をシャーナにかける。

 この完全な精神的防壁は、あらゆる精神操作系の魔法やそれに類する能力を防ぐ。

 くすくすと、フードの女が笑いをこぼした。

 

「大丈夫よ。そっちの子も綺麗だけど、私の物にしたいと思う程じゃないからぁ」

「そりゃどうも。これでも結構自信があったんだがな」

 

 不敵に笑うシャーナの頬には、既に大粒の汗が珠を作っている。

 それが一筋、つつっと頬を流れて落ちた。

 

「それで、お誘いくださったお嬢様のご用件はなんだい。今すぐここで死んでくれ、ってのは勘弁願いたいが」

「それは別の者の役目なのよね。私の望みはここでじっとしていてくれること。

 私ね、美しいものが大好きなのよ。美しいものを見ると大切に取っておきたくなるし・・・同じくらい、痛めつけたくもなるの」

 

 その言葉の裏に潜む意味をイサミが理解するまで、1秒ほどかかった。

 

「まさかおまえ、ベルを・・・!」

「ええ、そうよ! あの子は素敵! 愛するものを守るためなら、自分が傷つくこともいとわない! だから、この時を待っていたの!

 逃げ出したあの小人は、恨みを持つ冒険者によって待ち伏せされている! このままでは殺されてしまうでしょう!」

「てめぇ!?」

 

 うっとりと、そして激しく。女は言葉を続ける。

 

「あの子はきっと助けに行くわ!

 でも彼では敵わないような、恐ろしいモンスターがそれを遮るの!

 それでも彼はあの娘を助けるために戦いを挑む!

 きっと、どれだけ傷ついても逃げたりはしないわ!

 ああ・・・なんてゾクゾクするんでしょう!」

 

 感極まったように、女が両手を天に伸ばす。

 イサミとシャーナは歯ぎしりしながらも動けない。

 これだけ恍惚と語っておきながらなお、女には二人が付け入る隙がみじんも存在しなかった。

 

 二人の背後で草を踏みしだく音がした。

 

「!」

「にいさん、今の本当?! リリが襲われてるって・・・!」

 

 モンスター達の包囲網を突破してきたベルがいた。

 彼を追ってこようとしたモンスター達は目の前の存在に本能的に気づき、逃げ散ったようである。

 

 目の前の敵に気を取られ、後ろへの注意がおろそかになっていた事を悔いる。

 フードの影から笑い声が漏れた。

 

「あら、もう突破してきたの?

 ええそうよ、彼女はこのままじゃ死ぬ。

 助けられるのはあなただけ――もちろん、お兄さん達と一緒に私を倒してからでもいいわけだけど・・・その場合、全員死ぬかな?」

 

 ベルが絶句する。くすくすという笑い声。

 

「行け」

「え」

 

 ベルがイサミを見る。

 

「行けって言ったんだ。言っただろうが、ケツくらい持ってやるって」

 

 イサミもベルの方を振り向き、無理矢理にニヤリと笑う。

 それと同時に《高速化》と《持続延長》を施した"加速(ヘイスト)"をベルを含めた自分たちにかけた。

 

「兄貴の心配するのは百年早い。それより自分の心配をしろ。こちらのお姉さんがご親切にモンスターを配置してくれてるそうだからな」

「にいさん・・・うんっ!」

 

 自分を納得させるように頷き、ベルは走り出す。

 

「目の前のこいつを気にもせずに駆け抜けるか。バカなのか勇気があるのか・・・」

「英雄の素質じゃないですか」

 

 真顔。

 本気か冗談か計りかね、思わずシャーナがイサミの顔を見る。

 

「おまえ、時々兄バカだよな?」

「放って置いてください」



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6-6 無敵の女

 二人がそんな軽口を叩くうちに、"加速"の効果を受けたベルの姿はあっという間にもやの中に消える。

 足音も遠くなったあたりでイサミが口を開いた。

 

「・・・で? どんな怪物を用意してくれたんだ、お姉さんは」

「あら、私に襲いかかってくれると思ったんだけど、弟さんの方が気になるの? 妬けちゃうわぁ」

「いいから話せ」

 

 軽口に応じる様子もないイサミに、再びくすくす笑いを漏らすフードの女。

 

「大した事はないわ。ただのキラーアントよ。でも他のキラーアントをたくさん食べさせたから・・・強化種って言うんだっけ? キラーアント・クイーンって感じかしら。

 他にももう少し手は加えてあるけど・・・あら、でもあの調子だと万が一、弟君が勝っちゃうかしら?」

「《高速化》"脂塗布(グリース)"、〈霊感(インスピレーション)〉付与《最大化》《威力強化》《二重化》《光線分枝化》《エネルギー上乗せ・電気・酸・冷気・炎》"灼熱光線(スコーチング・レイ)"!」

「あら」

 

 完全に不意を打ったと思えた火線攻撃は、のんびりとしたつぶやきと共にたやすく回避される。

 足下につるつるの脂を塗布してフットワークを封じた上で、"便利屋(ファクトタム)"の特殊能力〈霊感(インスピレーション)〉を使用して命中率を上げたそれがである。

 

「飛びやがった・・・!」

 

 そう、フードの女は飛んでいた。

 アイススケートのトリプルアクセルのように、しかしふわりと浮いて、致命的な火線を軽やかにかわした。

 

「いいわ、いいわ、そうでなくちゃ」

 

 その言葉を言い終わったときには、10m近い間合いをゼロにして、イサミの目前に達している。

 

「!?」

 

 反応する暇もなく、次の瞬間、無数の金属製のとげがイサミの体を引き裂いた。

 

「がっ・・・」

 

 イサミの体と、女の右手にいつの間にか握られていた武器からぽたぽたと血が垂れる。

 女の右腕に握られていたのは根元から九つに分かれた鞭。だがその根元から先端に至るまでびっしりと、金属製のとげ(スパイク)"が埋め込まれている。

 文字通り目にも止まらぬ早さでこれを五回振るい、女はイサミの体をずたずたに引き裂いたのだ。

 

「ちぃっ!」

 

 舌打ちし、シャーナが詠唱を始める。

 

「梵天よ、聞き届けたまえ。我が体、木、鉄、石、乾いた物、湿った物のいずれにも傷つかず、昼にも夜にも攻められる事なし!」

 

 短文詠唱を行いながら、イサミをかばうように大剣を構えて前に出る。

 詠唱が完成すると共に白い肌が青黒く染まり、金色の髪は黒くなる。額には第三の目めいた黒点。

 

「下がってろ。前に立つのは前衛の役目だ」

「すいません」

 

 一歩下がり、イサミは切り札を一枚切る。

 

「《高速化》《最大化》"時間停止(タイム・ストップ)"」

 

 時間が止まる。

 正確に言えば体感時間で数十秒間、イサミの時間だけが超高速で流れる。

 もっとも、この超高速時流の中で何か魔法を唱えても、それが他の人間やモンスター、物体に影響を与えることは出来ない。

 イサミとそれらとは異なる時の流れの中に存在しているからだ。

 だがそんな事はイサミも承知の上。

 

 

 

 時の流れが元に戻ると共に、11の輝く光球がフードの女の背後に現れる。

 

「?!」

「そして時は動き出す・・・ってな」

 

 次の瞬間光球が一斉に爆発を起こし、女を飲み込んだ。

 

 

 

 イサミが時が止まった30秒の間唱えていたのは、"遅発火球(ディレイドブラスト・ファイヤーボール)"と呼ばれる呪文であった。

 この呪文は発動してから30秒までの間なら、好きなタイミングで爆発させることが出来る。

 

 時が止まっている間にタイミングを揃えて遅延させた火球を10個。

 そして動いた瞬間にもう一つ。

 計11個の火球が炸裂したのだった。

 

 

 

「やったか?!」

「いえ・・・くそ、ひょっとしてとは思ったが・・・」

「なぬ?」

 

 お約束通りのセリフどうも、とつぶやきつつ、イサミは宙を見上げる。

 ふわりと宙に浮いたフードの女はほぼ無傷。

 優雅に地上に再び降り立つそのフードの影から、またしても笑い声。

 

「さすがに大したものね・・・でも、『身かわしの指輪(リング・オブ・イヴェイジョン)』なんて基本でしょ?」

「・・・ごもっとも」

 

 大概の範囲攻撃呪文は素早く身を翻したり、盾を構えたりすることによってある程度ダメージを軽減できる。

 精神支配の呪文に意志力で対抗する場合などを含め、これらを"抵抗(セーブ)"という。

 

 上層から中層を数日で突破したイサミが下層からがくりと攻略のスピードが落ちたのも、能力値の差で大概のモンスターに呪文を抵抗(セーブ)され、ダメージを軽減されるようになったからだ。

 

 そして身かわしとは"武闘僧(モンク)"など一部の超人的体術を誇る者達の持つ能力で、直撃でさえなければそうした範囲攻撃をほぼ完全回避出来る。

 イサミも持つ身かわしの指輪は、使用者にその能力を付与する魔法の指輪であった。

 

「あなたにご褒美を上げたいところだけど、こちらのおちびちゃんもせっかく私の前に出てきてくれたんだもの、あなたからお相手して上げないと失礼に当たるわよ――ねっ」

 

 とげ鞭がうなりを上げた。

 シャーナにも、イサミにも、その軌跡を追うことは出来ない。

 鞭がシャーナの全身を打ち、植え込まれたスパイクが鎧をえぐり、肌を深く切り裂く。

 

 そのはずだった。

 

「!?」

 

 フードから初めて驚愕の気配が漏れた。

 シャーナがにやり、と笑みを浮かべる。

 打ち据えられたその体にも鎧にも、髪の毛一筋の傷すら付いていない。

 

 "暗黒竜の剛鱗(ヴリトラスケル)"。

 最高神の恩恵を受け、この世のほとんどあらゆる物に傷つけられることが無くなった伝説の怪物の名を冠したシャーナの魔法。

 

 その効果は一定時間内の無敵化。

 いかなる攻撃であろうと、発動中のシャーナを傷つけることは出来ない。

 

「お返しだぜ!」

 

 こんちくしょうとばかりに振り抜かれたシャーナの大剣は、だがむなしく空気だけを切り裂く。

 ふわふわ揺らめく女のローブには、かすり傷一つ付いていない。

 レベル4のシャーナと比べてすら圧倒的なのだ、速度の差が。

 

「くそっ・・・! レベル5どころじゃねえな、6,ひょっとしたら7・・・?」

「さあ、どうかしら。もしかするとレベル10くらいかもしれないわよ?」

「ほざけ!」

 

 叫び、シャーナが大剣を構え直した。

 

 

 

 ベルが迷宮の通路を疾走する。

 

(リリ・・・にいさん・・・シャーナさん・・・!)

 

 後ろ髪を引かれつつ、見据えるのは前。

 ベルにだって、あのフードの女がどれだけ危険なのかはわかる。

 だがベルがあそこにいたところで足手まといにしかならないのだ。

 

 だからベルは走る。

 今、彼が救えるのはあの小人族のサポーター一人だけなのだから。

 

(・・・?)

 

 ぴくり、とベルの耳が異音を捉える。

 前方の暗闇を見透かそうとしたベルの目に、銀色の影が飛び込んできた。

 




 と言うわけでタイトルはダブルミーニングでした。

 "暗黒竜の剛鱗(ヴリトラスケル)"は当然オリジナルです。ググったらやっぱりFGOに検索汚染されてて笑ったw
 しかしラーヴァナと言いヒラニヤカシプといい、インドってこの手の無敵な悪役多いなw


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6-7 鉄刺鞭(スカージ)

 それからは拮抗状態が続いた。

 "力場の檻(フォースケージ)"はあっさりと破壊され、ならば"限られた願い(リミテッド・ウィッシュ)"で次の呪文を回避しにくくしようとしても意にも介さぬようにかわされる。

 "固体の霧(ソリッドフォッグ)"で動きを制限しようとすれば吹き払われ、必中の"連鎖の矢(チェイン・ミサイル)"は魔法の盾で止められる。

 虹色の爆発、"輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"は速度では回避できない故にある程度有効ではあるが、それでもほとんど効いたようには見えない。

 

 敏捷性でも、意志力でも、耐久力においても、圧倒的な「ステイタス」の差がイサミの呪文を弾く。

 攻撃を命中させることも、抵抗(セーブ)を抜くことも出来ない状況で有効な呪文は、さすがにイサミといえどもそう多くはない。

 

 そして、フードの女はイサミのことなど忘れたかのように、シャーナと一対一で打ち合っている。

 正確に言えばフードの女がシャーナを一方的に打ち据えているだけだが、フードの女の鉄刺鞭(スカージ)はシャーナに傷一つ付けることが出来ず、ありったけのバフをかけたはずのシャーナの攻撃は全て空を切っている。

 よって互いに無傷。

 

 だがこの拮抗も永遠ではない。いや、むしろ終局は間もなく訪れるはずだ。

 あらゆる攻撃に対して無敵などという反則的な魔法が、生半可な精神力消費であるはずがないのだから。

 

「っ・・・!」

 

 シャーナの足がもつれる。

 それまではまがりなりにも回避行動を行っていたのが、鞭の連続攻撃をまともに食らう。

 

 暗黒竜の剛鱗(ヴリトラスケル)の効果で傷一つ付いてはいないものの、その額からは大粒の汗が流れ落ちている。

 精神疲弊(マインドダウン)

 精神力の枯渇が間近である証だった。

 

(しょうがない、全部いく・・・!)

 

 残りの9レベル魔法を全て"時間停止"からの連続遅延攻撃で使い切るつもりで精神集中を始めた時、シャーナの足がガクリ、と崩れた。

 青黒い肌は白磁のような白に戻り、黒髪も輝くばかりの金色を取り戻す。

 その瞳には、最早何も映っていない。

 

(しまった!)

 

 精神力が完全に尽き果て、気絶したのだ。

 想定より余りにも早い精神枯渇。

 いや、シャーナは限界までこの魔法を使った経験がなく、イサミも本格的なパーティでの戦闘経験はほとんどない。

 ある意味では当然の結果。

 

 加速された意識の中、スローモーションで倒れていくシャーナ。

 顔は見えないが、攻撃動作に入りつつ笑みの気配を放つ女。

 

(間に合わ・・・ないっ!)

 

 絶対的な一手の遅れ。

 今まさに発動しようとしていた呪文が効果を発揮するより前に、女の鞭がシャーナを蹂躙する。

 

 おそらく、素のシャーナでは耐えられて一撃。

 鎧が守ってくれるとしてももう一撃が限度。

 一呼吸に5回の攻撃を放つ女の前では何の保証にもなりはしない。

 

 やむを得ず、一手を捨てる。

 

「"上級瞬速(グレーター・セレリティ)"!」

 

 先ほどの"時間停止"にも似た、時間の流れを操作する魔法。

 違うのは、動ける時間が数秒分、約一手であること。そして相手の行動に対応して、割り込んで行動できることだ。

 

 かつてイサミのいた世界のゲームの名人が言ったと伝わる名言がある。

 すなわち「小足見てから昇龍余裕でした」と。

 

 これは単なる噂に過ぎなかったが、この呪文はそれを現実にする。

 相手の行動開始を認識した瞬間、前もって待ち構えていたかのように行動することができるのだ。

 

 加速された時流の中、数歩動き、鞭からシャーナを守るように、その前に立つ。

 だがそれで終わりではない。

 

「"ビグビーのつかみかかる手(ビグビーズ・グラスピングハンド)"!」

 

 更に女とイサミの間を遮るように、縦横3mにもならんとする、巨大な手が出現した。

 組み付こうとする巨大な手を、女がするりとすり抜ける。

 

「ちっ・・・"自由移動の指輪"も使ってやがるか」

「そういうそちらはセレリティね」

 

 鞭を振るおうとしていた女の手が止まり、先ほど"力場の檻"を破壊した時同様、左手の手袋から光線を放ち、"つかみかかる手"を破壊した。

 "物質分解(ディスインテグレイト)"の効果である。

 

(やはり"詠唱の手袋(キャスティング・グラブ)"か)

 

 内部に魔法のアイテムを一つ封じ、それを手に持っているのと同様に使用できる魔法の手袋である。

 空いた手に武器などを持てるし、何より手袋であるから落とす心配がない。

 おそらくは呪文を封じた"魔法の杖(スタッフ)"、こちらでいう所の魔剣じみたアイテムを使っているに相違なかった。

 

「でも、本当に数秒時間を稼いだだけよねぇ?」

 

 とどめを刺せなかったにもかかわらず、女の声には余裕がある。

 "瞬速(セレリティ)"系の呪文には相手の行動を見てから発動しても間に合うという利点の反面、次の行動を奪ってしまうと言う大きな欠点があるからだ。

 

 無理矢理時間を作り出した代償に、数秒間の未来を奪ってしまうのだ。

 "幻惑(デイズ)状態"と呼ばれる、能動的行動ができない状態。

 

 回り込んでシャーナにとどめを刺そうとする女を、今のイサミは阻止できない。

 

「"ビグビーのつかみかかる手(ビグビーズ・グラスピングハンド)"」

「!?」

 

 巨大な手の再びの出現と共に、そんな女の思惑はこっぱみじんに砕かれた。

 

 

 

「なんでよ?! "瞬速(セレリティ)"の呪文を使ったら、何をどうしても行動不能になるはずでしょう?

 まさかウィッシュでも・・・?」

「さて、どうしてだろうな?」

 

 攻撃することも忘れて叫ぶ女に、指の間からイサミが不敵な笑みを返す。

 

(こいつはエベロンを知らないらしいな)

 

 彼が幻惑状態に陥るのを防いだのは、彼のドラゴンマーク。

 魔法科学の発達した世界エベロンにしか存在しない《特技》、《豪胆のドラゴンマーク》が"上級瞬速"のもたらすデメリットを防いでいるのだ。

 

 あの黒ローブと同じくD&D世界の関係者でありながら、エベロンを知らない。

 それは女の正体に関する重要なヒントではあったが、今はシャーナである。

 

「まさか聖騎士(パラディン)でもあると・・・いやその顔でそれはないか」

「顔は関係ないだろうが顔は!?」

 

 イサミが思わずツッコミを入れた。

 聖騎士(パラディン)の呪文には幻惑状態を防止するものがある。

 

 それはともかく"ビグビーのつかみかかる手"で壁を作ったイサミは、続けて"上級鏡像分身(グレーター・ミラーイメージ)"を発動する。

 とたん八体の、イサミと寸分違わぬ分身が周囲に現れた。

 防御を固めておいて懐を探り、橙の液体の入った試験管――精神力を回復させるマインドポーションを取り出す。

 

 我に返った女が"ビグビーのつかみかかる手"ごしに鞭を振るった。

 この巨大な手は、魔法で存在しているが故に、女がいくら早く動こうとも、あるいは瞬間転移しようとも、イサミと女の間に立ちはだかる。

 それでも完全に防ぐことはできないが、シャーナに対する攻撃を防ぐことはできた。

 

 もとよりイサミも攻撃を受けるのは覚悟の上、その間にシャーナの精神力を回復させるつもりだったが、今度は女の方がイサミのもくろみの上を行った。

 振るわれる五筋の連撃が、手の遮蔽はおろか八体の幻像をものともせずに、正確に本物のイサミを五回、打ち据える。

 

「がっ!?」

 

 血しぶきが舞う。

 当たって一、二発と侮っていたイサミが苦悶と驚きの声を上げた。

 イサミの手のマインドポーションも、イサミの肉体と共に切り刻まれる。

 血と共にオレンジのしぶきがはねて、シャーナの顔と戦闘衣にシミを作った。

 

「はーい、ここで問題。私はどうやってあなたの本体を見破ったでしょう?」

「"擬似視覚(ブラインドサイト)"か"真実の目(トゥルー・シーイング)"だろ!」

「むう」

 

 正解を言い当てられたか、女の声につまらなそうな響きが混じった。

 というか鏡像分身を一目で見破る方法など、それくらいしかない。

 なお擬似視覚とは空間感覚や心眼など視覚に頼らず相手の存在を知覚できる能力の総称であり、"真実の目"はあらゆる幻覚や変身を見破る魔法だ。

 

 そんなやりとりをしつつ、イサミは《高速化》した"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"を発動し、自分たちの周囲を不可視の壁で囲む。

 同時に"ビグビーのつかみかかる手"に女を握りこませようとするが、これはせいぜい嫌がらせ程度にしかならない。

 倒れたシャーナの体を探り、マインド・ポーションを探す。

 

「ちぇっ!」

 

 イサミがシャーナのベルトからポーションを抜き取るのとほぼ同時、舌打ちした女が再び光線を放ち、力場の壁を破壊する。

 すかさずイサミは《高速化》した"力場の壁"を発動して壁を張り直し、シャーナの口にポーションを注ぎ込む。

 

「ゲホッ! ゲホッ!」

 

 咳き込みながらシャーナがうっすらと目を開け、再び女が光線を放って壁を破る。

 すかさずイサミが張り直す。

 膠着状態であった。

 

 女は壁を破っても"ビグビーのつかみかかる手"がある以上、これ以上接近できない。

 "物質分解"で"ビグビーのつかみかかる手"を破壊する事はできるが、壁を破壊するまでの間にイサミがもう一つ作り出せば同じ事だ。

 

 イサミの方にしても、シャーナは回復したが、攻め手が無い。

 一日二回の"願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力を使えば、この場を脱出してベルの所に行くこともできるだろう。

 だが、それではこの女がついてくるだけだ。

 

 とは言え、ここで手をこまねいていても、結局は女の思惑通り。

 イサミがほぞをかみ、女がほくそ笑んだ時。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 その瞬間、銀色の閃光が白いもやを貫いた。



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6-8 救援・援軍・介入(リーンフォースメント)

 ぎぃんっ、と耳障りな金属音がした。

 女が回避するのではなく、初めて自分の武器で攻撃を受け払ったのだ。

 攻撃を払われた闖入者はその勢いに逆らわず、体をひねって着地する。

 それとほぼ同時に不可視の壁が消え、またイサミの"空白の心"がアイズに飛んでいる。

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン!? 何でここに?」

 

 ふらふらと立ち上がったシャーナが目を丸くする。

 

「アイズ、ベルは・・・」

「途中ですれ違いました。あなたたちを助けて欲しいって」

「そうか」

 

 余計な事をしやがってと悪態をつきつつも、その口元はゆるんでいる。

 

「【剣姫】? 驚いたわね」

 

 言いつつ、さほど驚きもしていない風情のローブの女。

 それから目を離さず、イサミとシャーナが前進する。

 

「傷だらけ。大丈夫ですか?」

「見た目だけだ。あいつに勝てそうか?」

「・・・難しいです。今のも、余裕を持って受けられました」

「だろうな」

 

 こちらに攻撃を仕掛けるでもなく、悠然と立つローブの女を見据えつつ、イサミが二人に矢継ぎ早に支援呪文を唱える。

 

「《高速化》"加速(ヘイスト)"」「"完璧追求(チェイシング・パーフェクション)"」「《高速化》"石の皮膚(ストーンスキン)"」「"聖なるオーラ(ホーリィ・オーラ)"」「《高速化》"特級抵抗力(スペリアー・レジスタンス)"」「"樹皮の肌(バークスキン)"」「《高速化》"祈り(プレイヤー)"」「"朗唱(リサイテイション)"」

 

「・・・これは?」

「支援だ。気休め程度だけどな」

 

 限界まで重ねがけした支援呪文は、実のところ1レベルくらいのステイタス差なら打ち消すほどの効果がある。

 だが、目の前の相手に対しては、それでさえ蟷螂の斧にしか思えない。

 アイズとシャーナが武器を構え直し、目の前の女がにまり、と笑みを浮かべた気配がした。

 

「ふうん、やる気満々って事ね? いいわ、遊んで・・・?」

 

 声に戸惑いが混じった。僅かに頭を動かして、視線をイサミ達とは別の方向にそらす。

 

「・・・・・・!」

 

 イサミの息が止まる。

 いつ現れたか、そこに黒いローブの怪人がいた。シャーナとアイズの表情からして、二人もこの怪人が潜んでいたことを察知できなかったようだ。

 10日ほど前に見たままの、上から下まで黒ずくめ。両手にはめた銀の籠手だけがおぼろげな光を反射している。

 

「あなた・・・」

 

 女の声から初めて余裕が消える。

 対して怪人の声には全く抑揚がない。不気味なほどに平板な声。

 

「さて、状況はわかるね? できればここは引いて欲しいのだけど」

「私と戦いたくないってこと? いやだ、随分と惚れられたものね」

「解釈はお好きに。それで、引くのかい? それとも戦う?」

 

 肩をすくめる黒ローブの怪人。

 僅かに逡巡した後、フードの女はつつっと後ろに下がった。

 

「あなたのお願いだし、聞き届けて上げる。でも――」

「わかっているよ。その内貸し借りは精算しよう」

「ええ、それでいいわ。それじゃごきげんよう」

 

 その言葉と共に、フードの女は白いもやに消えた。

 ふう、とイサミとシャーナが息をつく。

 アイズが額の汗をぬぐった。

 

「! そうだ、ベル!」

「!」

 

 一瞬イサミが念じると、脳裏に3mほどの巨大なキラーアントと戦っているベルの映像が浮かんだ。

 

「む? 私としては君たちに依頼したいクエストが・・・」

「今 急 い で る か ら 後 で な !」

「あ、おい、待てよ!」

 

 言いつつ、幻馬(ファントム・スティード)を呼び出す。

 慌てるシャーナを引っ張り上げ、手綱を引いて一目散に馬で駆けだした。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 心なしか呆然とした様子の怪人にぺこり、と頭を下げ、アイズも二人を追って走り出す。

 

「やれやれ・・・」

 

 怪人のため息が迷宮に溶けて消える。

 迷い込んだ兎が一匹、ぴょこり、と首をかしげていた。

 

 

 

 ベルが迷宮を疾駆する。

 "加速(ヘイスト)"によって得た爆発的走力で、その速度は常の倍近くに跳ね上がっている。

 九階層をものの数分で走り抜け、八階層に上がるのとほぼ同時に"加速"の効果が切れるが、構わずに走る。

 

 八階層の通路を走る。

 くぐもった悲鳴が聞こえ、それがリリの物だと気付いた時、ベルはルームに飛び込み、転がって呻くリリを蹴ろうとする冒険者の男に力一杯の跳び蹴りを放っていた。

 

 

 

「ぎゃふっ!?」

 

 ゲドの悲鳴が聞こえ、痛みにもがいていたリリは目を開けた。

 

「リリ! 大丈夫!?」

 

 信じられない声がする。

 目の前にいるはずのない人の声がする。

 自分で切り捨てた、でも別れたくなかった人の声がする。

 

「ベル様・・・?」

 

 ゲドが立ち上がる。

 

「てめぇ、ガキが・・・! 何のつもりだ! てめぇだってそいつに騙されたんだろうが!」

 

 ベルの脳裏に去来するのは兄の言葉。

 

(だったらせいぜいやりたいようにやれ。どうなるにしろ、ケツくらいはこっちで持ってやる)

 

 へそに気合いをこめ、小剣を構える。

 

「そんなの・・・そんなの、リリを助けたいからに決まってるじゃないかっ!」

 

 一瞬、沈黙が落ちた。

 リリもゲドもぽかんとしている。

 ややあって、ゲドが爆笑した。

 

「ひゃははははは! ほ、ほんとバカだなお前! それともまだ騙されてるのに気づいてないのかよ?!」

 

 涙をにじませるほど大笑いするゲド。

 ややあって、じゃり、と足音がする。

 三人がそちらを見ると、中年の冒険者がルームの入り口にいた。

 

「カヌゥさん・・・!」

 

 立ち上がったリリがつぶやく。

 ベルにも見覚えがあった。

 昨日リリと揉めていた、ソーマファミリアの冒険者だ。

 彼らが目の前の男と共謀してリリをはめたのだろう。

 

「おう、来たか。ちょいとこの小僧ひねってやるからよ、クソ小人が逃げないように見張っててくれや」

 

 笑いを収めたゲドがカヌゥに話しかけた。

 だが先ほどの笑いの余韻を引きずるゲドは、カヌゥの目によぎった暗い笑みに気づかない。

 

「ええ、大丈夫ですよ。頼りになる援軍を呼んでありますんでね・・・」

 

 ん? とゲドが首をかしげる。

 

「おいおい、何人呼んだんだ? 分け前が・・・」

 

 そこまで言いかけたところで、ゲドはカヌゥが体の後ろに何かを隠し持っているのに気づく。

 ぽいっ、と投げ入れられたそれに、リリがひっと短い悲鳴を上げる。

 きちきちと大あごを鳴らすそれは、上半身だけになったキラーアント。

 

「!?」

 

 気がつけば、ルームの他の入り口にも、中年の冒険者二人が立っていた。

 いずれも、昨日リリと揉めていたソーマ・ファミリアの冒険者。カヌゥの仲間だ。

 彼らもまた、左手にさげていたキラーアントの上半身をルームの中に放り込む。

 

「三対一ならどうにか、とも思ったんでやすがね・・・もしかしたら旦那のほうがお強いかもしんねぇ。

 なので、こういう手段をとらせていただきやすぜ」

「しょ、正気かてめぇらっ!?」

 

 ゲドの顔から血の気が引いた。

 リリとベルの顔も引きつっている。

 脳裏に再生されるエイナの声。

 

(いい、ベル君? キラーアントは重傷を負うと特殊なフェロモンを分泌して、仲間を呼ぶの。それも大量に。

 だから、戦う時は素早くとどめを刺さないと駄目よ。

 一匹一匹ちゃんととどめを刺さないと、山のようなキラーアントに囲まれちゃうからね?)




ちょっと切りが悪いですが、ここしか切れなかったもので。


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6-9 キラーアント

 カヌゥがぞっとするような笑みを浮かべた。

 リリのよく知る笑み。神の酒(ソーマ)に取り付かれ、そのために金を求める中毒者の笑みだ。

 

「俺たちとやり合っているあいだにそいつらに殺されたかぁないでしょう?

 命が惜しかったら、今すぐ逃げることをお勧めしやすぜ」

「ひっ・・・!」

 

 このルームの入り口は四つ。

 三つの入り口にはそれぞれカヌゥ達が。

 そしてベルの入って来た最後の入り口からは、既に五匹のキラーアントが入ってこようとしている。

 

「く、くそったれ・・・」

「スコーチング・レイ!」

「!?」

 

 ゲドが駆け出そうとした刹那ベルが火線を放ち、上半身だけのキラーアントを一匹屠った。

 続けて二発を放ち、半死半生だった残りの二匹にもとどめを刺す。

 

「魔法だとっ?!」

「い、今詠唱したか?!」

 

 カヌゥ達が色めき立つ。

 ゲドは駆け出そうとした姿勢のまま、呆然とベルに目をやった。

 

「おまえ・・・」

「よくわかりませんけど一人じゃ危ないです! 包囲されたら危険ですよ! ここは一緒に戦いましょう!」

「お、おう・・・!」

 

 目を白黒させながらそれでも冒険者の性か、生き延びるためにゲドは剣を抜いて構えた。

 

「スコーチング・レイ!」

 

 一方ベルは身を翻して、後ろから来ていたキラーアントを撃つ。

 一匹のキラーアントに命中した火線はその体を焼き、続けて後続の三匹に飛び跳ねてその命を奪う。

 最後に残った一匹に素早く接近し、小剣でその首を刈り取る。

 

「すげぇ・・・」

 

 思わずゲドの口から感嘆の声が漏れる。

 普段から同じモンスターを相手にしているだけに、ベルの力量がはっきりとわかるのだ。

 そしてそれはカヌゥ達も同じ事。

 

「お、おい、どうするよ・・・?」

「こっちから何かすげえ足音がする! マジでやべぇぞ!」

「・・・ちっ!」

 

 舌打ちをしてカヌゥは懐から小さな試験管を取り出した。

 ポーションのようにも見えるが、濁った紫の奇妙な色をしている。

 

「ずらかるぞ! 金のありかは後で死体から聞き出してやる!」

「わ、わかった!」

 

 カヌゥはそう言いながら栓を抜き、その中身を自分の体にまんべんなく振りかけた。

 他の二人も慌てて同色の試験管を取り出して中身を自分に振りかける。

 

「リリ、あれって・・・?!」

「多分キラーアント避けのフェロモンです。

 効き目は高いですが他のモンスターには効かないので、余りメジャーな物ではありませんが・・・最初からそのつもりだったんでしょうね」

「くそったれが!」

 

 ゲドが歯ぎしりをするが、どうしようもない。

 三人はカヌゥの所に集まると、ルームを出て通路を走り出した。

 

 通路の奥、闇の中に浮かぶ無数のキラーアントの赤い目が、カヌゥ達が走り抜けるのに合わせて左右に割れる。

 確かにリリの言うとおり、効果は高いようだった。

 

 やがて、四つの入り口からキラーアントが続々と現れる。

 その数は40や50ではきかない。

 半死半生のキラーアントにはとどめを刺したが、一度放出されたフェロモンはそうすぐには消えるものではない。

 

「おいっ、ガキ! リリルカ! ルームの角に下がるぞ! 壁を背にして戦うんだ!」

「ベル様、これを!」

 

 リリが思わず差し出した「神のナイフ」を、ベルは笑顔で受け取る。

 

「ありがとう、リリ。それじゃ、リリをお願いしますね」

「え?」

「あの、ベル様?」

「下がっててっ! "スコーチング・レイ"!」

 

 火線が走り、近づいてこようとしていたキラーアント四匹を黒こげにする。

 ベルの"スコーチング・レイ"は、イサミの"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"に比べて、威力で劣る。

 使用回数で、射程距離で、《連鎖》する数で、貫通力で、命中率すら圧倒的に劣る。

 

 だがたった一つ、速射性においては本家のそれを遙かに凌駕していた。

 イサミが放てる呪文は六秒に一回、《高速化》した呪文を併用しても二回。

 しかしベルは、同じ時間の中で、実に十回の"スコーチング・レイ"を放つ事ができる。

 

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

 

 迸る火線。

 感電するように《連鎖》する炎の槍に貫かれ、次々とキラーアント達が倒れていく。

 その数、六秒で四十匹。

 ルームの隅に退いていたリリとゲドは、ただただ呆然とそれを見守るしかない。

 

 だが、キラーアントはまだ残っている。六本の足を素早く動かし、たった今ベルが倒したよりも遙かに多くの数が通路からあふれ出してくる。

 それでもベルはひるまない。

 腰のベルトから10000ヴァリスの切り札、マジックポーションを取り出して一息に飲み干す。

 

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

「"スコーチング・レイ"!」

 

 再びの十連射。

 またしても同数のキラーアントが焼け焦げた屍をさらす。

 だが、それでもなおキラーアントの群れは途切れない。

 続々と、四方の通路からルームに入り込んでくる。

 

「はぁ・・・はぁっ・・・」

 

 さすがにベルの息も荒い。精神力の消耗が激しいのだ。

 ベルが息を整えている間に、ようやっと通路からの蟻の群れは途切れた。

 だがそれでも五十匹近い蟻が残っている。

 

「ベル様!」

「小僧!」

 

 隅で戦うゲドとリリが叫ぶが、到底援護できる状況ではない。

 彼らも十匹を超えるキラーアントにたかられ、リリは魔剣まで使って必死に応戦している。

 

「大丈夫! これくらいなら・・・!」

 

「神のナイフ」とバゼラードを両手に構え、ベルが突っ込む。

 先頭のキラーアント二匹の首が、何が起こったかもわからないうちに宙に舞った。

 続く三匹目の首も。僅かに遅れて四匹目の首が飛ぶ。

 

「っ・・・!」

 

 剣を振るいながらゲドが息を呑んだ。そしてリリも。

 常に動き続け、狙いを定めさせない立ち回り。

 正確に首をはね飛ばし、中途半端に深手を負わせない攻撃。

 しくじった場合でも深追いはしない。

 

 確実に仕留められるタイミングを待ち、位置を入れ替える。

 相手の攻撃範囲を見切り、その範囲に自分の体を入れない。

 そして、攻撃範囲の死角から疾風の一撃。

 

 涼風がもやを吹き払うように、白い旋風が黒い群れを吹き払う。

 神のナイフが発する紫の微光が光の軌跡を宙に描く。

 その曲線の一つ一つごとに、蟻の首が宙を舞う。

 

 未熟ながらシャーナが絶賛した立ち回りのセンスと、SSに達した敏捷アビリティ。

 そして、リリの叱咤による油断と慢心の排除――程なく、キラーアントの群れは全滅していた。



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6-10 意地

「・・・は、ははっ。すげえ。すげえよお前! 生き残っちまったぜ!」

 

 ゲドが笑い出した。

 ベルの顔にも笑みが浮かび――それが凍り付いた。

 振り向いたリリとゲドもまた。

 

 ベルの左前方、リリとゲドからは右やや後方に位置するルーム入り口からのっそりと姿を現したのは体高3m、通常の二倍に達しようかという巨大なキラーアント。

 がちがちと鳴らす大あごの音も、普通のキラーアントとは段違いの迫力。

 

「なん・・・だ、こいつは・・・」

「リリ、こんな奴って・・・」

 

 ベルがリリに問おうとした時、巨大キラーアントが食らいついた。

 ベル達に、ではない。

 床に転がっていた同族の死体にである。

 

「・・・あっ」

 

 同族の胸の部分をちぎり取り、咀嚼して飲み込む巨大蟻。

 それを見て、リリは理解してしまった。

 

「あれは・・・おそらく『強化種』です。共食いで他のモンスターの魔石を食らい、どんどん強くなっていくんです!」

 

 ゲドの顔が再び血の気を失う。

 

「じょ、冗談じゃねえぞ! 強化種ったらあれだろ、『血まみれのトロール』とかだろ?!

 さすがに無理だ! 逃げようぜ!」

 

 ゲドがそう言ったとたん、巨大キラーアントがぎょろり、とベル達の方を向いた。

 同族の死体をむさぼるのをやめ、明確な敵意を放射する。

 

「ひっ・・・!」

「ちょっと遅かったようですね。まあお逃げになるなら止めはしません。逃げられると思うなら――ですが」

 

 言葉に詰まるゲド。

 あの巨大キラーアントの体格はキラーアントの二倍。

 単純に速度も二倍としても、ベルはともかくリリや自分は逃げ切れないだろうと、彼にもわかった。

 

 

 

 戦いは自然と始まった。

 飛び込もうとするベルに振るわれる、甲殻に包まれた二本の前足。

 

 鋭い。

 ベルの敏捷度をもってしても、かわすのが精一杯。

 それも間合いを空けての話だ。

 無理に接近すれば、高い確率で迎撃され、吹き飛ばされる。

 

 巨体故のリーチ、そして巨体にもかかわらず動きは鈍いどころか恐ろしく早い。

 ベルとゲド、二人で挟もうとしても素早く動き回ってそれをさせない。

 四本の足があるからか、方向転換も恐ろしく早かった。

 

 しかも甲殻が異常に固い。

 リリのクロスボウも、ゲドの剣もろくに打撃を与えられていない。

 まともに傷をつけられたのは、ベルの神のナイフのみ。

 このままではらちがあかないと、ベルが左のバゼラードを鞘に収める。

 

「"スコーチング・レイ"!」

 

 左手から火線が伸びる。

 頭部を狙った炎の槍は狙いあやまたず真っ直ぐに伸び・・・そして頭部の直前でかき消えた。

 

「!?」

 

 "呪文抵抗(スペルレジスタンス)"。

 この世界では知られていない、主に悪魔や天使、竜、そしてそれらの眷属などが持つ能力。

 

 この巨大キラーアントはただの強化種ではない。

 正確な表現をするならば、フィーンディッシュ・キラーアントクイーン。

 

 "悪魔的な(フィーンディッシュ)"の名の通りの魔の眷属。

 "悪魔(デヴィル)"や"魔神(デーモン)"が使役する、地獄の魔獣達と同じ属性の存在。

 

 その力の一端が異常なほどに固い表皮であり、たった今見せた呪文抵抗であった。

 

「くっ!」

 

 再びバゼラードを抜き、二刀流で構える。

 巨大キラーアントの胴体越しに、ゲドの姿が見える。頷き合った。

 

「てぇりゃあっ!」

 

 ゲドが振りかぶり、突進する。

 素早く向きを変えてそれに対応しようとする巨大キラーアントに、一瞬だけ遅れてベルが飛びかかった。

 レベル1どうしの、それも即席の連携にしてはかなりのものだったが・・・

 

「うぉっ!?」

 

 左の前足を大きく振って、ゲドを牽制。

 そして素早く体をひねり、本命の右で鋭い一撃。

 

「がっ!」

 

 とっさに左腕のアームガードでかばう。

 みしり、と腕がきしんだ。

 体勢を崩しそうになったが辛うじて耐え、後方に大きく飛ぶ。

 

「キシィッ!」

「てぇりゃあ!」

 

 追撃しようとする巨大キラーアントだったが、ゲドがすかさず斬りかかった。

 うるさげに払った左腕を、ゲドが剣で受ける。

 剣を持って行かれそうになる衝撃に必死で耐え、ごろごろと後ろに転がった。

 

 精一杯の素早さでゲドが立ち上がる。

 その時にはベルももう、態勢を立て直していた。

 

 強い。

 ルームの隅に避難していたリリが意を決したように右袖をまくり、ハンド・クロスボウの弦を巻き上げる。

 

「ベル様! ゲド様! 今度はリリも援護します! 三人で行きましょう!」

「リリ・・・うん、わかった!」

「お、おう!」

 

 太矢を装填し、リリが右腕のクロスボウを構える。

 

「おおりゃああ!」

 

 ゲドが大上段に斬りかかり、巨大キラーアントの左腕に弾かれる。

 その隙にベルが突進する。それを迎撃しようと振り払われるキラーアントの右腕。

 ここまでは先ほどと同じ。

 

 巨大キラーアントが腕を振り抜こうとしたその瞬間、リリの右腕のクロスボウがうなりを上げた。

 狙いは正確。

 太矢が一直線にキラーアントの頭部目がけて飛ぶ。

 

 ベルも、リリも、ゲドも。

 矢がキラーアントの目を貫く事を確信した。

 

 だが。

 

「え?」

「あっ」

「はあっ!?」

 

 ぎちりっ、と音を立てて、金属製の太矢が噛みちぎられる。

 巨大キラーアントは僅かに首を動かし、太矢を口でくわえ取ったのだ。

 

 次の瞬間、ベルが吹き飛ばされた。

 今度はまともに食らい、体勢を崩してダンジョンの床に転がる。

 そこにとどめを刺そうとする前足。

 

「ベル様!」

 

 とっさにリリが魔剣を振った。

 胴体に炎が炸裂し、ダメージはさしてなかったものの一瞬巨大キラーアントがひるむ。

 その隙にベルは距離を取って立ち上がった。

 

「あ・・・」

「効いた!?」

 

 呪文抵抗(スペル・レジスタンス)は、決して呪文に対して無敵になる能力ではない。

 術やアイテムの術力がそれを貫くこともある。

 魔法の術力と呪文抵抗の力が互角なら、貫通する確率も五分五分。

 

 そして上級鍛冶師が打った魔剣は、威力はともかくレベル1であるベルのそれより術力は高いので貫通する確率も高い。

 そんな事を理解したわけでもないが、こちらも吹き飛ばされて立ち上がったゲドが叫んだ。

 

「おい、クソ小人! こっちにその魔剣を放れ!」

「え?! 何をする気ですか!」

「うるせえ! いいからよこせ! 一発カマしてやる!」

 

 その剣幕に押されるように、リリが魔剣を放った。

 それをキャッチしたゲドは自分の剣を捨て、魔剣を両手で握る。

 

「ガキィ! もう一度だ! 今度はお前が先に行け! クソ小人、てめぇもだ!」

「は、はいっ!」

 

 巨大キラーアントの攻撃をかわしていたベルが辛うじて頷き、飛び下がる。

 蟻はナイフを警戒したか、深追いはしない。

 リリは無言のまま、右腕のクロスボウに再び太矢を装填し、ゲドは魔剣を逆手に構え直した。

 

「行くぞ!」

 

 三回目のコンビネーション。

 今度もゲドが最初に突撃する・・・と見せかけて、最初の数歩を踏んだ時点で足を止める。

 

「ギッ!?」

 

 なまじコンビネーションに慣れた巨大キラーアントが戸惑い、ベルへの対応が僅かに遅れる。

 巨大キラーアントがベルの方を向き、リリのクロスボウが発射された瞬間、今度こそゲドが突っ込んだ。

 

「おおおおおお!」

「ゲド様っ!?」

「ゲドさん!?」

 

 ベルをはじき飛ばし、素早くこちらに振り向こうとしている巨大キラーアントが、リリの矢を甲殻で弾く。

 

(あんなガキにばっかり・・・あんなガキにばっかり、いいところさらわれてたまるかよぉっ!)

 

 魔剣を両手で握り、薙ぎ払われる左腕の下に飛び込む。

 巨大な左腕と、ゲドの体が交錯した。



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6-11 切り札

「ギィィィッ!?」

「!」

 

 悲鳴を上げたのは巨大キラーアントのほうだった。

 ゲドが逆手に構えた短剣が、左後ろの足の付け根に突き刺さっている。

 キラーアントの左腕のかぎ爪は、ゲドのこめかみを切り裂くにとどまっていた。

 

「炎よ!」

 

 足の付け根に突き刺したまま、ゲドが魔剣を発動させる。

 甲殻の隙間から炎が漏れ、巨大キラーアントが再び悲鳴を上げた。

 

 幸運は二つあった。

 ベルに注意が向いていたとはいえ、Lv.1のゲドが攻撃をかいくぐって、それも甲殻の隙間に魔剣を突き刺したこと。

 そして魔剣の術力と威力が巨大キラーアントの呪文抵抗と火炎耐性を十分貫きうる強度だったこと。

 

「炎よ! 炎よ! 炎よ!」

 

 連続して魔剣を発動させるゲド。巨大キラーアントが痛みに身をよじる。

 幾度目かの発動で、力を使い果たした魔剣が砕け散り、それと同時に巨大キラーアントの足が、付け根からもげて落ちた。

 

「ははっ! ざまあみ・・・」

 

 次の瞬間、横殴りに振るわれた前足がゲドを吹き飛ばす。

 そのまま床と水平に数mも飛ばされたゲドは壁に激突し、バウンドして動かなくなった。

 

「リリ、ゲドさんの治療を!」

「は、はいっ!」

 

 リリが、先ほどゲドに蹴り飛ばされた時に落としたバックパックの方へ走る。

 ベルは己の方へ向き直る巨大キラーアントを見て、明らかにこの敵の機動力が落ちているのを確信した。

 巨大キラーアントの体を支えるのは二対四本の足、今や一本失われて三本。

 

(なら・・・!)

 

 オレンジ色の液体の詰まった試験管を取り出し、素早く飲み干す。

「二本目の」マジック・ポーション。

 ミアハ・ファミリアの薬師ナァーザが、二本10000ヴァリスで売ってくれた本当の切り札。

 

「ギギギギィッ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

 

 僅かに鈍った敵の攻撃をかわしながら魔法を連射する。

 狙うは、一本だけ残った左側の足。

 

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

 

 火線の二本に一本は打ち消される。

 呪文抵抗を貫いても、火炎に強いフィーンディッシュ種はそのダメージを半分以上軽減してしまう。

 

「キシャァァァァァァァァァァッ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

 

 巨大キラーアントの攻撃が激しくなる。

 それを必死でかわし、時には傷を負いながらも、ベルは魔法を唱え続ける。

 

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

 

 目に見えて巨大キラーアントの動きが鈍くなる。

 ダメージの蓄積が足から力を奪っているのだ。

 

「ギィィィッ!」

「スコーチング・レイッ!」

 

 ぎりぎりありったけの精神力を込めた、最後の火線が炸裂する。

 右腕を大きく振り上げて、ベルを袈裟懸けに切り裂こうとしたところで、巨大キラーアントの体勢が大きく崩れ、倒れ込む。

 踏み込みに耐えきれず、残った左の足が関節部からもげていた。

 

「はあっ、はあっ、はあっ・・・!」

「ベル様!」

 

 背嚢からポーションを取り出していたリリが歓声を上げる。

 ベルは一歩下がって前足の攻撃範囲から外れつつ、精神を集中させる。

 

「"透明化(インビジビリティ)"」

「「!?」」

 

 ベルの姿が消失し、リリが目を見張った。

 巨大キラーアントも、敵が消えてしまったことに戸惑うように首を振る。

 

 巨大キラーアントの横の壁面で、たんっ、と音がした。

 振り向く間もあらばこそ、次の瞬間にはその首にベルが組み付いている。

 

 "呪文貯蔵の指輪(リング・オブ・スペルストアリング)"。

 イサミが"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"、"自由移動の指輪(リング・オブ・フリーダム・ムーブメント)"とともにベルに与えたアイテム。

 中に入れた呪文を装備者が使えるようにする魔法の指輪。

 

 移動ができなくなっても、あの両腕の攻撃をかいくぐって有効打を与えることは難しいと見たベルは、イサミが込めておいた"透明化(インビジビリティ)"の呪文を発動させ、後ろの壁を蹴って三角飛びの要領で巨大キラーアントの首に飛び付いたのだ。

 

 攻撃的な行動によって透明化の効果が消えたベルが右手でナイフの柄を、左手でナイフの背を掴み、巨大キラーアントの喉をかき切ろうとする。

 巨大蟻はもがくが、体の構造上背中に手が届かない。

 

 首をかききろうとするベル。壁に叩き付けて振り落とそうとする巨大キラーアント。

 しばし、生死をかけた格闘が続く。

 そして。

 

「てぇりゃあああああああああああっ!」

 

 気合い一閃。

 どさり、と。

 今まであれだけ苦戦したのが嘘のように巨大キラーアントの首が転がり落ち、残った胴体も動きを止めた。

 

 勢い余ったベルも巨大キラーアントの背中から転がり落ち、地面にへたり込んで荒い息をつく。

 

「やった・・・やりやがったぜおい!」

「やりました! ベル様がやりましたぁぁぁぁ!」

 

 リリと、回復したばかりのゲドが抱き合って喜ぶ。

 互いの背中を叩き、喜びを分かち合う。

 やがて二人は我に返り、互いにじっと見つめ合った。

 

「・・・おほん」

「・・・ごほん!」

 

 咳払いをして、そそくさと離れる二人。

 やがて口を開いたのはゲドだった。

 

「あー、なんだ、リリ・・・悪かったな、手ひどく扱っちまってよ」

「こ、こちらこそ・・・剣を盗んだりして申し訳ありませんでした・・・」

 

 相手と顔を合わせないまま、照れくさそうに、あるいは恥ずかしそうに謝罪する。

 また、しばし言葉が途切れた。

 照れ隠しのように、ゲドがリリに指を突きつける。

 

「・・・あのな、言っておくが、俺はお前を許したわけじゃないからな。あの小僧に免じて大目に見てやるだけだ。それを忘れるな」

「そっちこそ! リリはあの扱いを決して許しませんよ! ベル様に免じて忘れて上げるだけです!」

 

(えーと)

 

 ちょっと汗をかいているベルをよそに、しばしにらみ合いが続く。

 

「・・・ふふっ」

「ははっ」

 

 やがて、どちらからともなく笑い出す。

 すぐにベルが加わり、三人の笑い声がルームに響いた。

 

「・・・なんだこりゃ」

「さあなぁ」

「?」

 

 ルームの入り口、幻馬にまたがったイサミとシャーナが気が抜けたようにつぶやく。

 途中で追いついたアイズがかわいらしく小首をかしげていた。



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第七話「古参D&Dプレイヤーはだいたいタコが怖い」
7-1 ベルくんの逃走(何から?)


 

 

 

『ホレイショ、天と地の間にはお前の哲学では思いも寄らない出来事がまだまだあるのだ』

 

                          ――『ハムレット』 ――

 

 

 

「"シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"」

 

 イサミの呪文詠唱がルームに響く。

 魔術師(ウィザード)の呪文でほぼ唯一、他者のヒットポイントを回復できる呪文だ。

 正確には準備した呪文の力を回復の魔力に変える呪文である。

 二つの呪文を消費する上に回復量も多くはないが、Lv.1の冒険者を癒すには十分だった。

 

「おう、すまねえな・・・ひょっとしてお前、怪物祭で空を飛んで逃げた怪物を倒したっつう・・・」

「自分で飛んだわけじゃないけど、まあ多分ね」

「そ、そうか・・・」

 

 下手をすれば上級冒険者(と、思っている)相手に喧嘩を売る羽目になっていたと気づき、冷や汗を浮かべるゲド。

 

「それよりも兄さん・・・他にはいないかな?」

 

 自分と戦わせるためにあのフードの女が用意したモンスターが、と言外に告げる。

 

「多分な。あの口ぶりからして、自分でもう一度襲うなんて真似はしないだろう」

「よかったぁ~・・・あんなのと、もう戦いたくないよ」

 

 膝に手をおいて、大きく息をつくベル。

 その頭をイサミが乱暴にガシガシと撫でた。

 

「まあよくやったよ、お前は。正直勝てるとは思わなかったわ」

「へへ・・・」

 

 満面の笑みを浮かべるイサミ。照れくさそうにしながらも、為されるがままのベル。

 アイズがほほえましそうにそれを見つめ、それに気づいたベルの顔が真っ赤になった。

 

「あ、そ、そうだ! 指輪の呪文使っちゃったんだ! 後で入れてよ!」

「おう、わかった。・・・あいつとはまだパーティを組むのか?」

「うん、そうだよ?」

 

 ぴくりと反応したリリが何かを言う前に、ベルが答えた。

 当たり前だというように、あっけらかんと。

 

「・・・!」

「オーケー、それじゃ今度は"透明球(インビジビリティ・スフィア)"を入れといてやるよ。3m以内にいれば一緒に透明になれる」

「ありがとう、にいさん!」

 

 無邪気に喜ぶベル。

 それを見ていたリリの体から力が抜けた。

 

「今、安心したろ?」

 

 ぎょっとして振り向くと、いつの間にか後ろにシャーナがいた。

 

「心配するこたぁねえよ。あの坊やのお人好しっぷりは筋金入りだ。お前にだってわかるだろう?」

「それは・・・そうですが」

 

 うつむくリリに、エルフの少女がにやりと笑う。

 

「ま、諦めるんだな。惚れちまったら負けさ」

「シャーナ様に何がわかるんですか」

 

 むっとしてリリがシャーナを睨む。

 

「なに、岡目八目って言葉もあってな? ――だから、あいつの前から消えるような真似はすんなよ?」

「・・・リリは、シャーナ様が嫌いです」

「だろうな」

 

 すねたように言う少女の肩を、笑いながらシャーナが叩いた。

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 第七話「古参D&Dプレイヤーはだいたいタコが怖い」

 

 

 

 ふと、イサミが振り返った。

 僅かに遅れてアイズもたった今走ってきた後ろの通路を振り向く。

 

「兄さん?」

「ああ、何でもない。とりあえず今日はもう帰っておけ。俺はちょっとこなさなきゃならない依頼があるから」

「う、うん」

 

 その視線が向かうのはアイズ・ヴァレンシュタイン。

 視線に気づいたアイズが振り向き、真っ赤になって慌てて視線をそらす。

 「?」とアイズが小首をかしげた。

 

 真っ赤な顔のまま後ろを向き、イサミに小声で話しかける。

 

「にいさん・・・ひょっとしてアイズさんと一緒に行くの?!」

「どうだろうな? なりゆきで一緒に来ちまったが・・・」

「・・・」

 

 恨みがましげな目でイサミを睨むベル。

 弟が今まで見せたことがない表情にイサミがたじろいだ。

 

「ちょ、ちょっと待て。そういう事じゃなくてだな・・・」

「・・・だってにいさん、昔から村中の女の子に人気だったじゃないか・・・それに、そもそもどうして、アイズさんが来たのさ。まさか、兄さんと冒険する約束を・・・」

 

 何か闇落ちしそうな弟の目つきに、やばい本格的にいじけてる、とイサミが戦慄したのもつかの間、澄んだ声がそれを遮る。

 

「ギルドの人に、君を助けるように頼まれたの・・・チュールさんってひと」

 

 ベルの背中がびくっと震えた。

 まさか聞かれていたとは思わず、冷や汗がだらだらと流れる。

 

「ああ、そういう事か。本当に世話になりっぱなしで・・・その内何かお礼でもしなきゃなあ。

 アイズもありがとうな? 助けて貰ったのは俺だったけど」

「いえ・・・あれで良かったと思います」

「まぁ、結果を見ればね」

 

 肩をすくめるイサミ。

 

「・・・・・・」

 

 その後ろで再起動したベルがそろりそろりと歩き始め・・・

 

「うわああああああああああああああああああああ!」

 

 絶叫しながら全力で逃走した。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・ま、待って下さい、ベルさまぁ!」

 

 我に返ったリリが、バックパックをしょって後を追いかける。

 

「・・・あー、それじゃ俺もこれで失礼します。弟さんには俺が礼を言ってたって伝えておいて下さい」

「あ、うん。気をつけて」

 

 いつの間にか敬語になっていたゲドも剣を拾い、こちらは歩いてルームから去っていった。

 それからしばし。

 ゆらり、と黒いローブ姿が、イサミ達が入って来た通路に現れた。

 

「うおっ?!」

 

 驚いたのはシャーナのみ。

 イサミとアイズは平然とそれに相対する。

 

「さて、用事も済んだようだし、私の話を聞いて貰えるかな?」

「まぁな。助けて貰ったわけだし、大概の事は聞くぞ」

「結構」

 

 黒ローブの怪人が頷く。

 その姿をじっと見てから、アイズが隣に立つイサミにささやいた。

 

「この人は何なんですか?」

「怪しい人」

「・・・」

 

 端的すぎるイサミの言葉に、微妙に不満そうな雰囲気を漂わせる怪人。

 シャーナがにやっと笑った。

 

 




ベルくんの逃走アビリティって、アイズから逃げてた分も多少入ってると思うw


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7-2 依頼(クエスト)

「まあ、とある神様によれば信用はできるらしいけどね。で、何の用だい」

「・・・君たちに"冒険依頼(クエスト)"を託したい。24階層でモンスターの大量発生が起こっている。

 これを調査、あるいは鎮圧して欲しい。もちろん報酬は出そう。

 事の原因の目星は付いている。おそらく"食料庫(パントリー)"だ」

 

 イサミとシャーナがうさんくさげに怪人を見る。

 

「・・・で? おまえさんが依頼する以上、よっぽど危険なことなんだろうな?」

 

 その視線にいささかも動じることなく、怪人は言葉を続けた。

 

「実は以前、彼女を向かわせた30階層でも同じようなことが起こっていた」

 

 僅かに目を見張り、横のシャーナに視線を向けるイサミ。

 真剣な顔でエルフの少女が頷く。

 

「事態は深刻だ。イサミ・クラネル。シャーナ・ダーサ。そしてアイズ・ヴァレンシュタイン・・・どうか君たちの力を貸して欲しい」

 

 深々と頭を下げる黒ローブの怪人。

 イサミとシャーナは再度視線を交わし、頷き合った。

 

「いいだろう。俺とシャーナはこのクエストを受諾する・・・アイズはどうする?」

 

 アイズの直感が目の前の人物に自分を騙す意図はないこと、そして何か重大なことが迷宮の中で起きていることを伝えている。

 しばし考えて彼女も頷いた。

 

「受けてもいいです。でも、話せる限りで事情を話して貰えませんか? それと・・・」

 

 アイズのもう一つの頼みは、地上のロキ・ファミリアにこのことを言伝してほしいと言うことであった。

 

「わかった、それくらいは頼まれよう。事情はそちらの二人から聞いてくれ」

 

 アイズが手短に記した羊皮紙を手にして黒ローブの怪人は闇に消えた。

 目立つ幻馬を消し、三人は頷き合って歩き始める。

 

「それじゃまず、リヴィラであったことから話そうか・・・」

 

 

 

 早足で歩きながら、赤毛の女にシャーナが殺されかけたこと、宝玉のこと、ルルネのことなどをざっと話す。

 シャーナがハシャーナであること、リヴィラの殺人事件(?)の当事者であることは伏せた。

 

「とりあえずはこんな所かな。質問はある?」

「はい、大丈夫です・・・あ、でもひとつ」

「何?」

「その、弟さんは・・・」

 

 言いよどむ。

 

「弟さんは、なぜあんなに早く強くなったんですか?」

 

 考えたあげく、正面から質問する。

 というより、対人経験に乏しいアイズに、他の選択肢はない。

 来たか、とイサミは思った。もちろんそれを気取られるようなことはしない。

 

「それについちゃ俺たちも悩んでてね。俺は経験者だからともかく、あいつは正真正銘の初心者だったからなあ」

「はい・・・ミノタウロスに襲われた時の彼と、さっきの彼・・・まるで別人でした」

「俺も最近ファミリアに加わった口だが、一月前のあいつとはまるで別人で驚いたぜ。

 何をどうすりゃあんな短期間であそこまで強くなれるのか・・・あのままだと一年したら"猛者(おうじゃ)"に届いちまうかもな」

 

 イサミの韜晦にシャーナが合わせる。

 さしものアイズも魔法と魔道具でブーストしたイサミの言葉の裏を読めるほどに鋭くはなく、シャーナは経験の差でアイズの直感を煙に巻く。

 結局、アイズは二人の言葉を疑問に思うこともなく丸め込まれた。

 

 

 

 三人が18階層に向かっている頃、ロキ・ファミリアホームの前庭。

 40日ほど前の、ディオニュソスの眷属殺害に始まる一連の事件――深層の芋虫、怪物祭りの食人花、同じく食人花の潜んでいた地下水道――そして24階層のモンスター大量発生。

 それらについて無乳の女神ロキと、貴公子然とした男神ディオニュソスが会談していた。

 

「今回と同じような大量発生が以前30階層でも発生していた。三週間ほど前の話だ」

「ふむ・・・関連はあるんかいな?」

「それはわからないが、無関係と断じることもできない。余り噂になっていないのも不自然だし、正直ギルドが絡んでいる疑いは捨てきれない」

「うーむ。きな臭いのは否定せぇへんけどなあ」

 

 彼らは30階層からシャーナが持ち帰った宝玉のことを知らないため、話はそれ以上広がりようがない。

 

「・・・で、ウチに何をさせたいんや?」

「ははは、何かわかったら知らせると言ったろう? 他意はないさ」

 

 ロキのジト目をきらめく笑顔でシャットアウトするディオニュソス。

 狐と狸の化かし合いが始まった。

 

「うちの子は今出払っとるから、24階層の調査なんて無理やー」

「例の地下水道の調査かい?」

「自分、勘ええな・・・せや、そういうわけやから、今残ってる面子じゃ無理やでー」

「何も全員とは言わないよ。【剣姫】と、後2,3人いればどうにかなるんじゃないか?」

 

 ロキが何か言い返そうとした時、頭上から小さな羊皮紙の巻物が落ちてきた。

 上を向くと、小柄なフクロウが飛び去るのが見える。

 

「手紙かい?」

「みたいやな・・・」

 

 巻物を開くロキ。

 ディオニュソスは優雅に紅茶に口をつける。

 

「何が書いてあった、ロキ?」

「アイズが・・・24階層に行きおった」

 

 ディオニュソスが紅茶を吹き出した。

 咳き込む男神をよそに、ロキが天を仰ぐ。

 

「心配しないで下さいって、このタイミングで言われたら心配するわ、おばかアイズたんっ!」

 

 ホームに残っていた高レベル冒険者、レベル5の獣人ベートとレベル3のエルフの魔導士レフィーヤを呼ぶように命ずるロキ。

 ハンカチで口をぬぐったディオニュソスが話しかける。

 

「どうするつもりだい?」

「ベートとレフィーヤを向かわせる。この騒動・・・一気にきな臭くなってきおった。

 よりにもよって、あのガキも一緒とは・・・」

 

 ロキの脳裏に浮かぶのはイサミの顔。

 魔導士でありながらベートを打ち合いで敗北寸前に追い込み、ソロで43階層に到達し、未知のマジックアイテムを操り、魔導と神秘アビリティを兼ね備えた正体不明の怪人。

 しかもリヴィラでの殺人事件に関わった可能性もあり、さらには「アリア」の名前を口にしたともいう。

 

(ったくあのドチビ、あんな()()()()()()()()()を眷属に加えるとか、何やっとんねん?

 それともあの超が五つ六つ付く単細胞のことや、何らかの手で丸め込まれたか?

 むしろ逆にそれを計算に入れて、できたばかりの、単細胞の神のファミリアに潜り込んだ・・・?)

 

 うぬぬ、と唸るロキに、いぶかしげに眉をひそめるディオニュソス。

 

「どうしたんだい、ロキ? 何か気になる事でも?」

「・・・せやな。自分には伝えておいた方がええやろ」

 

 

 

 イサミに関する情報を聞かされたディオニュソスの顔には、先ほど以上の驚愕がありありと表れていた。

 

「・・・それは本当かい? 正直にわかには信じがたいんだが・・・」

「せやからウチも今まで黙っとったんや。けどこうなると、ンなこと言っとる場合やない。

 最悪の場合、あのガキと一戦交えるつもりでいかんとあかんな」

 

 ロキの言葉に、ディオニュソスも改めて真剣な表情になる。

 

「【凶狼】がレベル5とは言え、二人で大丈夫なのか? 持ちかけておいて何だが、この件はきな臭いぞ。その冒険者の話が本当なら尚更だ」

「今動けて、アイズの助けになるのがマジでその二人しかおらんのや。最悪アイズたん回収して逃げた方がええかもしらんな」

 

 総勢で調査に行かせたのは失敗やったかー、と頭の後ろで手を組むロキ。

 ディオニュソスが肩越しに後ろを振り返った。

 

 そこに控えているのは、護衛として付いてきた黒髪の女エルフ。

 ディオニュソス・ファミリア団長、魔法戦士フィルヴィス。

 

「フィルヴィス。ロキの子達と共に、24階層に向かってくれ」

「ディオニュソス様?!」

 

 目を大きく見開くエルフ。

 

「フィルヴィス。私はロキの信用が欲しい。そのためにはどうすればいいか・・・わかるだろう?」

「それは・・・」

 

 しばし抵抗していたフィルヴィスも、己の主神の真剣なまなざしに折れる。

 

「気持ちはありがたいけどな、実際付いてこれるん?」

「問題ない。この子は私の派閥では唯一のレベル3だ。くだんの冒険者はともかく、24階層のモンスター相手には足手まといにはならない」

「ふむ。まあええわ。二人には言っとく」

「ありがとうございます、神ロキ」

 

 しばらくして、ロキ・ファミリアホームの門前で三人は合流した。

 十日ほど前の因縁があるベートとフィルヴィスがにらみ合い、レフィーヤが板挟みになる。

 

「足を引っ張るようなら蹴り飛ばすからな。くたばる前に失せろよ」

「抜かせ、狼人」

「ううっ・・・」

 

 レフィーヤの胃壁にダメージを与えつつ、三人はホームを発って迷宮へ向かった。




 【韜晦】(トウカイ・名自スル)

 1 自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。
 2 身を隠すこと。姿をくらますこと。


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7-3 ジャガ丸くん抹茶クリーム味

 イサミ達はさほど時を置かずに18階層、リヴィラの町に到着していた。

 やがてたどり着いたのは町の北部、水晶の谷間にある裏道。

 その奥にある洞窟だった。

「黄金の穴蔵亭」という看板が掛かっている。

 

 軋む階段を下りると、「いかにも」な冒険者の酒場だった。

 中央から生える珍しい黄水晶が目を引くが、それ以外はさほど変わった所はない。

 

「げっ!?」

 

 店内には十数人の冒険者がたむろしており、その内の何人かはイサミの巨体を見て、ぎょっとした顔になる。

 イサミも、彼らの顔には残らず見覚えがあった。

 

「こんにちは、アスフィさん。それにルルネ。ヘルメス・ファミリアのトップ戦力が勢揃いでどうしたんです?」

 

 答えをほぼ確信しつつ、イサミは笑顔で挨拶した。

 眼鏡の位置を直しながら、水色の髪の麗人、ヘルメス・ファミリア団長アスフィ・アル・アンドロメダが挨拶を返す。

 

「久しぶり・・・というほどでもありませんね、イサミ・クラネル。まさかとは思いますが・・・」

「そうだぜ、まさかとは思うけど・・・」

 

 こっちはやや複雑そうな顔で小柄な犬人の盗賊、ルルネが言葉を続けた。

 それには答えず、イサミはカウンターの隅から二番目の席に座り、合い言葉を口にする。

 

「ジャガ丸くん抹茶クリーム味」

 

 ルルネがカウンターに突っ伏した。

 

 

 

 ルルネが突っ伏すと同時、酒場にいた全員からどよめきが起こる。

 イサミが再び立ち上がり、状況について行けないアイズが小声で尋ねた。

 

「あの・・・どういう事ですか?」

「ここにいるのは全員がヘルメス・ファミリアの精鋭なのさ。下層も問題なく踏破できる連中だ」

 

 小さく目を開いて驚くアイズ。

 

「しかしそうか・・・またあんたかあ」

 

 複雑そうな表情でルルネが唸る。

 

「なんだよ、俺が来たら悪かったか?」

「いや、あんたが強いのは知ってるし、助けて貰って感謝もしてるけどさあ。

 何かこう、厄介ごとのたびに顔合わせてる気がして・・・」

 

 視線を逸らして頭をポリポリとかくルルネ。

 その頬が僅かに赤い。どうやら照れているらしかった。

 

「ガラにもないな」

「何か言ったか、このロリエルフ!」

 

 しっしっし、と笑うシャーナにルルネが噛みつく。

 そう言えばリヴィラに行く途中で会った時に、彼女もいたなとアイズは思い出した。

 

 

 

「アスフィさん、知ってると思うけどこちら【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。後ろのは俺と同じファミリアのシャーナ・ダーサ。Lvは4。

 アイズ、シャーナ、こちらアスフィ・アル・アンドロメダ。あの【万能者(ペルセウス)】だ」

 

 イサミの紹介を受けて、挨拶を交わす三人。

 

「【剣姫】にそちらもレベル4ですか! それは心強い。お二人ともよろしくお願いします」

「こちらこそ」

「よろしくな・・・って、そういうあんたもレベル2にゃ見えないな?」

 

 いぶかしげなシャーナの視線。

 アスフィがイサミに視線を向ける。

 イサミはかすかに首を振り、無言のまま肩をすくめた。

 アスフィがため息をつく。

 

「・・・私たちのファミリアは、ヘルメス様の命令でレベルを偽っているんです。私はレベル4。

 ここにいるのもほとんどはレベル3です」

「そういうことか。危ない橋渡ってんなぁ・・・」

 

 呆れたように言うエルフの少女に、アスフィが不満そうなまなざしを向ける。

 

「あなた方に言われたくはありません。

 イサミ・クラネルもそうですが、あなただってすねに傷持つ身なのでしょう?」

 

 イサミが紹介のさいに二つ名を告げなかったことで、アスフィも何となくその辺を察している。

 エルフの少女は肩をすくめた。

 

「で、アスフィさんたちも24階層の調査と鎮圧を依頼されたと言う事でいいんですね?」

「ええ、この金に目が無い駄犬のおかげで、ファミリア全体が迷惑を被っています」

「アスフィ~~」

 

 容赦ない言葉と視線に、ルルネが涙目になった。

 じとっとした視線を彼女に投げるイサミ。

 

「まさか、金に目がくらんでまた依頼を受けたのか?」

「やらないよ! 命の方が大事に決まってるだろ!」

 

 憤然と反論するルルネ。

 しかしその怒りも、アスフィの氷の視線の前に瞬く間に鎮火する。

 

「その黒ローブとやらに、ファミリアがレベルを偽っているのをばらす、と脅されたそうです」

「うわぁ・・・」

 

 ファミリアの格付けは構成員のレベルと数に比例し、格付けは払わなくてはならない税金の額に直結する。

 これだけ大がかりなレベル詐称だ、ばれたら追徴課税どころではすむまい。

 

 探索も姿隠しの兜まで使って進めるほど情報隠蔽に厳しいこのファミリアの情報をどうやって手に入れたのだろう、と呆れ半分驚き半分で考えるが、"透明看破(シー・インヴィジビリティ)"と"念視(スクライング)"が使えりゃ簡単だな、と思い直す。

 

「この馬鹿っ! 愚か者! 脅されようが最後まで白を切れば良かったのです! それでも盗賊ですか!」

「うう~、ごめんよぉ」

 

 床に座り込み、耳と尻尾をしおれさせるルルネ。

 周囲の団員たちの視線も、あからさまに冷たい。

 

「うう、ヘルメス様のわがままだけでも面倒ごとは十分だというのに・・・どうしてこんな・・・」

「苦労してますねえ・・・」

 

 疲れのにじんだ顔で愚痴るアスフィに、イサミ達は心底同情した。

 

「まぁ、今度新作の魔道具見せて上げますから・・・それよりこれからのことですけど」

「・・・そうですね。見苦しいところをお見せしました。で、依頼内容ですが・・・」

 

 魔道具のこと、約束ですよ? と念押ししてから依頼内容、互いの装備、能力その他を突き合わせる。

 ここにいる面々であれば鼻歌まじりに踏破できる階層ではあるが、最低限の準備もできない冒険者には不慮の死が待つのみだ。

 

「こうなっては仕方ありません。各員全力で当たりなさい。特にあなたは死ぬ気で働くんですよ、駄犬」

「ウッス!」

「はい!」

「わかったよぉ・・・」

 

 各員それぞれの返事を聞いて、アスフィはイサミ達の方に向き直る。

 

「短いパーティになると思いますが、よろしくお願いします。あなた方が加わってくれるのは非常に心強い」

「俺も、アスフィさんとご一緒できるのは嬉しいですよ」

「それはどうも」

 

 笑顔のイサミと、まんざらでもなさそうな顔で握手を交わすアスフィ。

 次にシャーナの手を握り、最後に握手したアイズの耳元にささやく。

 

「よろしくお願いします。ですが、くれぐれも私たちのことは内密に」

「あ、はい」

 

 冷や汗を一筋浮かべ、アイズはこくこくと頷いた。



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7-4 もう【剣姫】一人でいいんじゃないかな

「フェルズ」

 

 祭壇に重々しい声が響いた。

 ギルド地下、ウラノスの籠もる神殿の間。

 戻ってきた黒ローブを見下ろし、巨神が問う。

 

「何故、アイズ・ヴァレンシュタインやイサミ・クラネルを巻き込んだ?」

「純粋に戦力が足りない。万が一、あの女やあの男が出てきたら、【剣姫】を加えても心許ない」

 

 ウラノスは無言で先を促す。

 

「30階層はこちらの手勢だけでどうにかなったが、"同志(リド)"たちにも被害が出た。

 これ以上彼らに負担をかけるわけにもいかないだろう――前回は番人がいなかったが、今回はそれは期待できない。

 ハシャーナ・ドルリアを抵抗も許さずに殺した赤毛の女の事もある」

「イサミ・クラネルは?」

「彼はまず大丈夫だよ――私の勘だがね」

 

 無言で瞑目するウラノス。

 しばしあって目を開く。

 

「ヘルメスには私から言い含めておこう」

「彼らには申し訳ないが、これ以上、好きにやらせるわけにはいかない・・・それでは私は出てくる」

「気をつけろ」

「そう簡単に死ぬ気は無いさ。特にこの体ではな」

 

 黒ローブの姿がふっと消える。

 巨神が再び瞑目した。

 

 

 

 ダンジョンの奥深くにその大空洞はあった。

 岩肌であったろうその床も壁も天井も、今はすべて濁った赤色の「何か」で覆われている。

 壁面からは時折毒々しい色の煙が噴き出し、床からは柔らかい感触と脈動が伝わってくる。

 

 赤い微光。奇妙な腐臭。ゴボゴボと何かが泡立つ音。

 正気の人間ならば、居続けるだけで精神を削られそうな場所に「それ」はいた。

 赤い短髪。緑色の瞳。豊満な肢体を冒険者の戦闘衣に包み、右手に持った果実をかじる。

 

 シャーナが見れば、髪は短くなっているものの、かつての自分を殺した犯人だとわかっただろう。

 壁面に身を預けて座る彼女のもとへ、足音が近づいて来た。

 ローブと頬当てで素性を隠した大柄な男。

 

「おいっ! モンスターがダンジョンに溢れて、冒険者の間で騒ぎになっているぞ! 大丈夫なのか?!」

「うるさい。騒ぐな」

 

 食べかすを吐き出し、果実を握りつぶす。

 

「"食人花(ヴィオラス)"を貸してやる。有象無象はお前達でどうにかしろ」

「・・・ちっ」

 

 ローブの男は舌打ちしてきびすを返す。

 入れ替わりに、赤髪の女の所にやってくる者があった。

 

 白い肌。白い髪。白い戦闘衣。モンスターの頭蓋骨を加工したとおぼしき、白い仮面。

 異様な姿であったが、それ以上に異様な気配を発している。

 

「・・・闇派閥の連中に押しつける気か、レヴィス?」

「冒険者に気づかれようが知ったことではない。私はここを動かん」

「間違いなく我々の動きは察知されているぞ。30階層のように『彼女』を狙う連中が来たらどうする?」

「決まっている。潰すだけだ」

 

 それがごく当たり前であるかのように、何の気負いもなく女は言い放つ。

 沈黙した男の仮面の下で、何かがもぞり、と動いた。

 

 

 

「ん~、剣姫の行き先かぁ。オレ様の大好きな金の音を聞けば思い出すかもしれねぇな~?」

「さっさと話せクソ野郎。殺すぞ」

「アッハイ。すいません言います許して」

 

 遅れて出たベート達がリヴィラの町のボス、ボールスの首根っこを締め上げていたころ。

 

「アスフィ! 前方から敵多数、大型だ!」

「左の通路からも羽音3! 接敵あと20!」

「総員戦闘態勢!」

 

 ヘルメス・ファミリアとイサミ達は22階層を進んでいた。

 集団での攻略には馴染みのないイサミが見ても無駄のない、かつ高度な連携で出てくる敵をたやすく退けていく。

 前衛の戦闘力、後衛の魔術やアイテム、それらを的確につなぐ中衛の役割分担。

 ずっとソロだったイサミにとっては全く未知の領域であった。

 

「凄いですね・・・前の所と比べてどうです?」

「俺の古巣でも、ここまで綺麗に連携取れるのはそうはいねえな。ロキ・ファミリアと比べたらどうだい?」

「アスフィさんはすごい・・・と思います。まるでフィンみたい。

 パーティ全体としても、私たちの所の、同レベルの人たちと比べて遜色ないんじゃないかと・・・」

 

 アイズの言葉にシャーナが大きく頷く。

 

「だろうな。よく見とけよ、イサミ。いずれ役に立つかも知れないぞ」

「はい。勉強させて貰います」

 

 現在中衛でお客様状態の三人である。観察する時間は十分にあった。

 もっとも、下手に手を出そうとしたところで、これだけ息の合っている中に飛び込んだら、余計なお荷物になりかねない。

 ほどなく戦闘は終息した。

 

「凄かったですね、今の。最初から最後までアスフィさんのもくろみ通りの、詰めチェス(チェス・プロブレム)みたいだ」

「【万能者(ペルセウス)】の指揮もそうだが、僅かな指示だけで全員的確に動くだろ?

 ありゃ、迷宮外でも普段から連携の訓練を積んでるんだぜ」

「あー・・・そうか、そういう事やってるのか・・・」

 

 シャーナの解説付きで熱心に観察するイサミを見て、ふとアイズは気づく。

 

(・・・そうか。こう言うのも強さなんだ)

 

 オラリオ最高クラスの指揮官であるフィンの下で戦ってきただけに、今まで気づかなかったこと。

 的確な指揮や高度な連携があって当然のものではなかったことに、今さらながらに気づく。

 

(フィンって本当にすごかったんだ・・・それに、イサミさんやシャーナもすごい・・・)

 

 私もがんばろう、と決意を固めてアイズもヘルメス・ファミリアの連携を観察することに集中する。

 

 

 

「どうした、アイズ? 気分悪いのか?」

「だ、大丈夫です・・・」

 

 そして三十分後、アイズは既にグロッキー気味であった。

 連携の一つ一つはアイズも大半経験したものであり、十分に理解出来る。

 ただ、戦場全体をいっぺんに見渡そうとすると、とたんに目が回ってしまうのだ。

 

(フィンって・・・本当に凄かったんだ・・・)

 

 人間向き不向きがあるのである。

 

 

 

 途中休憩を挟み、イサミが"英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"で食事を出してアスフィが目を輝かせたり、ヘルメスの調理担当が対抗意識を燃やしたりして一行は再度出発した。

 

 そして24階層。

 階段から僅かに進んだ十字路で、一行はさっそく噂の大量発生に出くわしていた。

 通路の奥の暗がりに見える百を超す赤い瞳。

 イサミの聴覚は、間違いなく数百のモンスターが闇の中にいると察知している。

 

「どうします? 俺が焼きましょうか」

「そうですね・・・」

 

 イサミの提案を受けて考えるアスフィに別の方向から声がかかった。

 

「私に行かせて」

 

 すらり、と剣を抜いたアイズが前に出る。

 

「おい、アイズ?」

 

 返事を返さず、アイズが一気に前に出る。

 戦闘――否、掃討が始まった。

 

「ギアッ!?」

「グォッ!」

 

 モンスターの短い断末魔が次々に上がっては消える。

 刃の旋風が荒れ狂い、怪物が次々と両断されて地に伏せた。

 白銀の暴威を呆然と眺めるアスフィ達に対して、イサミ達はまだ余裕がある。

 

「魔法は使わないのか。なんか無駄な動きも多いけど、剣の練習してるみたいな・・・」

「・・・あれで練習ですか?」

 

 冷や汗を浮かべてアスフィが問う。

 

「ほれ、ランクアップしただろ? 感覚のズレを調整してるんじゃねえかな。

 リハビリの体操みたいなもんだ」

「ああ、なるほど」

「体操・・・・・・」

 

 最早言うべきこともなく、殲滅戦を黙って見やるヘルメス・ファミリアの面々。

 ごくごく一方的な掃討は、きっかり10分で幕を閉じた。



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7-5 沈黙の迷宮

 気を取り直して、アスフィが後衛と中衛に魔石の回収を命じる。

 

「申し訳ありませんが、あなた方も手伝っていただけますか」

「わかりました・・・"従者の群れ(サーヴァント・ホード)"」

 

 呪文を発動すると、腰の後ろに差していた"最高純度超硬金属(アダマンティン)"製のダガーが8本、鞘から自然に抜けて空中に飛び出した。

 ダガーは四方に散り、転がるモンスターの胸をえぐって魔石を取り出しては、それをイサミのバックパックに放り込んでいく。

 

 またしても唖然とするヘルメス・ファミリアの冒険者達の前で、魔石をえぐり出されたモンスター達の死体が次々と灰になっていった。

 

「・・・これも魔道具ですか」

「ええまあ」

 

 その中でアスフィだけは、興味深げに眼鏡を押し上げて空飛ぶ短剣を観察しているが、もちろん実際は違う。

 不可視の念動力の塊である"従者(サーヴァント)"を多数召喚し、それらにダガーを持たせて魔石回収をさせているのだ。

 とにかく効率よくモンスターを倒してレベルアップするための、イサミの工夫の一つであった。

 

 回収があらかた終わった辺りで、後を任せてイサミはアスフィの所に戻った。

 ルルネが隣で地図を開いている。

 

「あの黒ローブの言う事が正しいなら、食料庫(パントリー)に原因があるんだろう?

 北東西と三つあるけどどこに行く?」

「そうですね・・・イサミ・クラネル。どう思いますか?」

「北でしょう」

「ですね」

 

 イサミの言葉にアスフィが頷く。

 話を脇で聞いていたシャーナとアイズ、それにルルネが首をかしげた。

 

「どういうこと?」

「一番怪しいのはモンスターが大量発生する源だろ?」

「つまり、モンスターの足跡をたどれば、自然と原因にたどり着くと言う事です」

「あー・・・・なるほどなあ」

 

 感心して頷く三人。

 ややあって、サブリーダーである虎人の戦士ファルガーが魔石の回収が終わった事を報告し、一行は歩みを再開した。

 

 

 

「退屈だなあ。そろそろ動きたいぜ」

「どのみち食料庫に着いたら嫌でも動く事になりますよ。今は力を蓄えておきましょう」

 

 アイズの剣がモンスターたちを切り裂く後ろで、そんな会話を交わすイサミとシャーナ。

 アイズは出てくるモンスターを全て瞬殺し、疲労回復のためにポーションをちびちび舐める以外は消耗も負傷もない。

 その後にただついて行っているだけのヘルメス・ファミリアとイサミ達には、最早弛緩した空気すら漂っている。

 

「あ! ホワイトリーフ! 何枚か摘んでこうよ!」

「やめなさい。今は寄り道をしている余力はありません」

「ちぇーっ。今品薄だからどこでも高く売れるんだけどなあ・・・」

 

 ルルネをたしなめて先に進むアスフィだったが、さすがに時価数千万の天然芸術品"宝石樹"を見つけた時にはパーティの仲間共々息を呑んだ。

 が、はやる心を理性で押さえ込み、泣く泣く通り過ぎる。

 もっともアイズなどは宝石樹の番人である木竜(グリーンドラゴン)と戦いたそうにしていたが。

 

 

 

 樹皮のような迷宮の壁面が、洞窟のような石に変わる。

 "食料庫"に近づいた証拠である。

 一行もゆるんでいた気持ちを引き締め直し、改めて前進する。

 

 やがて「それ」が目の前に現れた。

 食料庫への通路があるはずの空間は、高さ10mを超す真っ赤な壁でふさがれていた。

 生物の内蔵のようにも見える濁った赤色の壁はどくんどくんと脈打ち、時折毒々しい色の煙を吹き出す。

 その異様さと本能的に感じる嫌悪感に、その場の全員がしばし息を呑んだ。

 

「・・・ルルネ。この道で間違いないのですね?」

「ま、間違いないよ! 真っ直ぐ一本道だもの、間違うわけがない!」

「【剣姫】。深層でこのようなものは・・・?」

「いえ、私もこんなのは初めて・・・」

 

 こわばった表情でしばし壁を見上げていたアスフィが、パーティを二つに分けて周囲の調査を指示する。

 自身とルルネ、サポーター一人、イサミ達三人はその場に残し、待つ間に壁を調べる。

 

「・・・」

 

 アイズが顔をしかめた。

 赤い壁にそっと触れた手に、ニチャリと粘液が付着して糸を引く。

 サポーターが布を差し出し、礼を言って手をぬぐう。

 

「・・・つまり、モンスターの大量発生は大量移動だったというわけですね。

 食料庫に入れないモンスターが、東と西の食料庫に移動した。

 そのルートにたまたま、下層へのメインルートがあったと」

 

 アスフィの推測にイサミが頷く。

 程なくして偵察に出ていたメンバーも戻り、北の食料庫に続く他のルートも封鎖されていることを確認した。

 

「やはりそうですか・・・とにかく、前に進みましょう」

「斬りますか?」

「発想が脳筋だよな、【剣姫】(あんた)・・・」

 

 呆れたように言うルルネに内心こっそり頷きつつ、イサミが自分が破ろうかと提案するがアスフィは首を振った。

 

「こちらの術者で破れるかどうか試してみます。メリル、長文魔法を」

「わかりました」

 

 サポーターに肩車されていた小人族の魔導士が頷く。

 詠唱と共にうごめく壁を炎が貫き、4mほどの穴を空けた。

 

 次々とその穴を通る一行だが、穴はみるみる間にふさがり、最後の一人が通って程なく完全に閉じた。

 不安に思いながらも、アスフィの号令で先に進む。

 

 広い通路の中は壁面も床も、入り口と同じ赤い肉壁に覆われている。

 壁が吐き出したのであろう煙でうっすらともやがかかり、天井が見えない。

 

 壁面の花のような物体から発せられる明かりが煙をすかし、毒々しい色彩に周囲を染めている。

 ぐにゃぐにゃした床をブーツで踏みしめながら一行は進んでいく。

 

「なあ・・・怖い想像してもいいか? これ全部生き物の体だとしたら、私たち、化け物の腹の中を・・・」

「おいよせ」

「やめろバカっ!?」

 

 ルルネがぼそっと漏らした言葉に、ヘルメス・ファミリアの面々が一斉に反応する。

 シャーナがくっくっと笑いながら、隣のイサミを見上げた。

 

「やれやれ、のんきな話してやがんぜ。なあ?」

 

 返事はなかった。

 シャーナは、見上げたイサミの表情に違和感を感じる。

 

「・・・おい、イサミ?」

「え? はい、なんですか?」

「いや、大した事じゃねえが・・・迷宮の中でぼさっとしてんなよ」

「すいません」

 

 殊勝に謝るイサミに、シャーナもそれ以上は言葉を重ねない。

 だがシャーナの脳裏には、今イサミが見せた、こわばった表情がべったりと張り付いていた。

 





 それにしてもヘルメス・ファミリアNo.2の彼。
 虎だからファルガーなんだろうか・・・トラファルガー。


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7-6 食料庫(パントリー)

 食料庫の中は、地図と完全に道が違っていた。

 ルルネが地図を作りつつ探索を続ける。

 

「すごいね・・・地図が作れるんだ」

「まあ、私はシーフだからね」

 

 そのような会話を交わしつつ、壁や床がときおりゴボゴボと音を立てる他は全くの静寂に包まれた腐臭の迷宮。

 

 やがてパーティは足を止めた。

 前方の通路に灰の山を見つけたのだ。

 

「モンスターの死骸か?」

「そのようですね・・・」

「近づくなっ!」

 

 イサミの声がアスフィの足を止める。

 一瞬遅れて《高速化》された"炎の泉(ファイアーブランド)"呪文が、もやに包まれた洞窟の天井に炸裂した。

 

「なんだっ!?」

「げえっ!」

 

 一瞬遅れてどさどさっ、と落ちてきたのは炎に包まれた《食人花》の燃えかす。

 "竜の視覚(ドラゴンサイト)"呪文で付与された、ソナーめいた超感覚――"非視覚感知(ブラインドセンス)"が間一髪のところで天

井に張り付いていた敵を感知したのだ。

 

「気をつけろ! まだ動いているぞ!」

 

 前衛リーダーの虎人の言葉と同時にアイズが飛び出している。

 生き残ったうちの一体が、花弁を落とされて動かなくなった。

 

「戦闘開始!」

 

 アスフィの号令と共にヘルメス・ファミリアが動き出す。

 それなりに歯ごたえはあったものの、ダメージを負っていた生き残りの動きは鈍く、ややあって戦闘は終結した。

 回収した極彩色の魔石に、ヘルメス・ファミリアもイサミも揃って驚きの声を上げる。

 

「【剣姫】。《怪物祭》で戦った、そして地下水道に出現したのは今のと同じ怪物と云うことでいいのですね?」

 

 アスフィの問いに、何故それを知っているのだろうと思いながら頷くアイズ。

 問われるがまま、食人花の特性を話す。

 

 打撃が効きにくく、逆に斬撃の耐性は低い。

 魔力に過敏に反応し、魔法を使おうとすると術者に押し寄せる。

 

「・・・あと、他のモンスターを率先して狙う習性があるかも知れません」

 

 厳密には食人花ではなく、深層で遭遇した芋虫型のモンスターの特徴ではあるが、極彩色の魔石という共通点を考えると話しておいた方がいいと判断したのだ。

 

「共食いのモンスター? 珍しいな」

「そうでもない。ついさっきも上層で見たばかりだ」

 

 顔をしかめるイサミの脳裏によぎるのは、弟が戦っていたフィーンディッシュ・キラーアントクイーン。

 

「強化種・・・ですね?」

 

 アスフィの問いにイサミが頷いた。

 

「キラーアントの強化種でしたが、3mはありました。一体何匹の魔石を食ったんだか・・・」

「3mって、キラーアントがかよ」

 

 顔をしかめるイサミの言葉に、ヘルメス・ファミリアの面々がざわめく。

 

 「強化種」。

 他のモンスターの魔石を食らって強化されたモンスターをそう呼ぶ。

 他者の魔石を食らい、それのもたらす力と全能感に取り付かれたモンスターは共食いを繰り返すようになる。

 

 ゲドが名前を挙げた「血まみれのトロル」などがそれで、上級冒険者50人以上を返り討ちにした後、"猛者(おうじゃ)"オッタルをはじめとするフレイヤ・ファミリアにようやく討ち取られた正真正銘の怪物だ。

 

「言われてみればあいつらおかしかったな。個体間で強さの差がありすぎだ。同族が即死するような攻撃を食らってるのに、結構手こずったぜ」

「でも群れそのものが魔石を狙うってそんなのありか? 強化種ってのはあくまでイレギュラーなんだろ?」

 

 侃々諤々と意見が交わされるが、結論は出ない。

 議論を打ち切り、一行は探索を再開した。

 

 

 

 再襲撃は早かった。

 三叉路で三方向から襲撃を受けるも、一方はアイズ、もう一方はイサミとシャーナ、後方はヘルメス・ファミリアが対応して戦線を維持する。

 

 アイズは単身斬って斬って斬りまくり、イサミもシャーナという安定した前衛を得て襲い来る食人花を次々に焼き払う。ヘルメス・ファミリアも三人ほどの派手さはないものの、前衛の阻止力と後衛の魔法、アスフィのアイテムでどうにか対処できていた。

 

 戦闘は長く続いた。

 倒しても倒しても、焼いても焼いても新たな食人花が現れる。

 

 だがヘルメス・ファミリアの面々に疲労の色が濃くなったころ、食人花は一斉に退却した。

 三方向同時に、潮が引くように闇の中に消えていく。

 

「なんだぁ・・・?」

 

 肩で息をしながら、前衛の小人族がつぶやく。

 

「何にせよ助かりました。総員、今のうちにポーションで回復を。メリルはマジック・ポーションも忘れないで下さい。

 イサミ・クラネルとシャーナ・ダーサ、【剣姫】はどうですか?」

「こちらは問題ありません」

「ああ、疲労回復のポーションだけくれ」

「私もお願いします」

 

 手早く回復を済ませ、再びアイズを先頭に立てて動き出す。

 しかし、行けども行けども食人花は現れず、迷宮は再び沈黙に包まれていた。

 

「・・・」

「・・・」

 

 中衛の中央近く、イサミとシャーナ、アスフィは並んで歩く。

 やがてアスフィが口を開いた。

 

「ここまで再度の襲撃が一度も無し・・・どう見ますか?」

「誘い・・・でしょうね。モンスターをこれだけ手なずけてるってのはにわかには信じがたいですが。モンスター調教師(テイマー)ならこれくらいできるんですか?」

 

 イサミが話をむけたのは、元ガネーシャ・ファミリアのシャーナ。

 ガネーシャ・ファミリアはオラリオ随一のモンスター調教師(テイマー)を抱えていることで有名だ。

 

「いや、おれはそっちはあまり詳しくないけどよ・・・正直あんな大量に、しかもあそこまで統率の取れた動きができるとは到底思えないな」

「ふむう・・・」

「ですが、あれだけのモンスターをけしかけるだけならまだしも統率するなど、テイム以外には考えられないのも事実です」

 

 アスフィの言葉にイサミが思い出すのは、強化種キラーアントを作り出し、弟にぶつけたローブの女。

 

「・・・そうとは限らないかも知れませんよ」

「どういうことです?」

 

 いぶかしげな表情でイサミを見るアスフィ。

 

「はっきりとした根拠のある話じゃないんですが・・・」

 

 そこで言葉が途切れる。

 一行は広大な空間に出ていた。



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7-7 闇派閥(イヴィルス)

「ここは・・・"食料庫(パントリー)"、か?」

 

 差し渡し数百mはあろうかという広大な空間には濁ったピンク色のもやがかかっている。

 高い天井はもやと闇に隠れて見えず、広大な空間には巨大な柱が立っているのが見えた。

 あちらこちらに濁った地底湖があり、ひときわひどい腐臭を放っている。

 壁や床は、やはり濁った赤い肉の壁で覆われており、そこかしこから緑色のつぼみが垂れ下がっている。

 

「あれ・・・ひょっとして食人花の・・・!」

 

 緑色のつるは肉壁を這い、巨大な幹となって巨大な柱に三重に巻き付いている。

 この緑色のつるは食料庫の中心にある石柱の、本来モンスターのために分泌される栄養を全て吸い取ってあの無数の食人花を生み出していたのだ。

 

 そして、大空洞にいるのはそれだけではなかった。

 ローブとフードと頬当てで素性を隠した謎の集団。

 突然、ルルネが声を上げて巨大な柱の根元辺りを指を差す。

 

「イサミ! シャーナ! あっ、あそこっ! あの時の宝玉だよ!」

「!」

 

 ルルネの言葉の通り、ひときわ大きな石柱の根元に、あの、緑色の胎児の宝玉があった。

 周囲では床の赤、植物の緑が複雑に絡まり、不気味なマーブル模様を作り出している。

 

「あいつらを倒して調べてみるしかないな」

「ですね。総員戦闘準備!」

 

 アスフィの号令と同時に、上空から落下してくる物体。

 が、一瞬早く空中から吹き出した炎によって焼かれる。

 イサミの"炎の泉"である。

 

「同じ手が通用するか、馬鹿!・・・と言いたい所だが」

 

 燃えかすや、ダメージを負った食人花が落ちてくる。

 だがそれを遙かに上回る数の、無傷の食人花が落ちてきていた。

 いくらかは地底湖に落ち、異臭を放つ水しぶきを上げる。

 敵は残った全ての食人花をここの天井に潜ませ、飽和攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 その数、数百。あるいは千を越えるかも知れない。

 無数の食人花に前後左右を囲まれ、さすがに顔をひきつらせるヘルメス・ファミリアの面々。

 アイズやシャーナの表情もこわばっている。

 

「前と左右の敵は気にするな! アスフィさん、後ろの敵だけ倒して、退路の確保を!」

「え?・・・わかりました! 総員転進! 通路までの退路を確保します!」

「えええっ!?」

 

 大丈夫かよとルルネが叫ぶいとまもなく、地面に落着した食人花が一斉に襲いかかってくる。

 が、それより一瞬早くイサミの呪文が完成した。

 

「"《持続延長》力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

「"《高速化》《持続延長》力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

 

 前から襲ってきた食人花を、アイズが斬り捨てる。

 後ろから襲ってきた食人花を、間一髪、後衛と入れ替わったヘルメス・ファミリアの中衛とシャーナが防いだ。

 そして左右からは・・・敵は襲いかかってこない。

 

「何これ?!」

「壁があるぞ!」

 

 見えない壁に阻まれ、花弁の牙をがちがちと鳴らす食人花。

 だが、その牙は決して味方には届かない。

 

 "力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"。

 名前の通り透明な力場の壁を立てる呪文である。

 視線こそ遮らないが、力押しでこれを破ることは決して出来ない。

 

 イサミはその壁をパーティの左右に一枚ずつ張ったのだ。

 大空洞の入り口から、パーティの現在位置の少し前まで、高さは大空洞の天井まで届いている。

 つまり、今イサミ達は大空洞の入り口に続く幅6mほどの通路の途中に立っていることになる。

 

 前方はアイズが、後方はヘルメス・ファミリアとシャーナが防いでくれる。

 

(つまり――俺は敵を焼くのに専念すればいい!)

 

「冷気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「冷気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「音波変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《範囲拡大(ワイドゥン)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"音波の炎の泉(ソニックファイアーブランド)"!」

「音波変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《範囲拡大(ワイドゥン)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"音波の炎の泉(ソニックファイアーブランド)"!」

 

 大魔導士(アークメイジ)の能力「元素体得」で呪文のエネルギー全てを冷気と音波に変換し、代わる代わるに叩き付ける。

 凍り付き、もろくなった怪物の体は、音波攻撃の衝撃によって効率よく粉砕される。

 魔法戦術特技《エネルギー複合:凍結粉砕》。

 

 今や、地の利はイサミ達の側にあった。

 数の利を活かし切れない食人花達は、見えない壁で構成された通路に入ろうとしては最強の門番に瞬断される。

 そして安全な後方からは途切れることなくイサミの攻撃呪文が飛んでくる。

 

 みるみるうちに数を減らす食人花。

 最後の食人花をアイズが両断するのと、イサミが張った"力場の壁"が持続時間切れで消滅するのがほぼ同時だった。

 

「【剣姫】も大概だけど、あんたもいいかげん反則だよな・・・」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

 

 呆れたようにつぶやいたルルネに、イサミは気取って一礼して見せた。

 

 

 

「馬鹿な、食人花(ヴィオラス)が・・・!?」

「うろたえるな! 今こそ我らの信仰心を見せるときだ! この命、イリスのもとに!」

「おお、同志よ、死を恐れるな!」

「おおーっ!」

 

 僅かに呆然としていた覆面の男達が、自らを鼓舞して突っ込んでくる。

 

「さて、生け捕りにしますか?」

「できればでいいですよ、イサミ・クラネル」

「お任せ下さい、レディ」

 

 が、イサミ達は既にこうした会話を交わす余裕すらある。

 身のこなしや脚力を見る限り、相手の力量はレベル2かせいぜい3。

 その程度でイサミの魔法に耐えることはできない。

 

「《非致傷変換(ノンリーサル)》《最大化(マキシマイズ)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

 

 不可視の衝撃がローブの男達を打った。

 炎の攻撃を殺さないよう調節された震動に変換し、内臓と脳を揺らして気絶させる「呪文修正」だ。

 

 三人ほど幸運にも抵抗(セーブ)に成功した覆面達がいたが、それも直後の《高速化》された《非致傷変換》の"炎の泉"の前にくずおれる。

 意識を失った覆面達が床に積み重なり、大空洞に静寂が戻った。

 

「こいつら、ひょっとして"闇派閥(イヴィルス)"でしょうか?」

「・・・根拠は?」

 

 右手で眼鏡を直しながら、アスフィがイサミに問う。

 

「さっきの会話ですよ。信仰心がどうの、イリスがどうのと・・・イリスってのは、闇派閥の神の一柱だったはずです」

「私には聞こえませんでしたが・・・ルルネ?」

 

 感覚の鋭い犬人の盗賊が頷くのを見て、アスフィはため息をついた。

 

「またやっかいな連中が絡んできたものですね・・・ルルネ、開錠薬(ステイタス・シーフ)を。イサミ・クラネルは背中のステイタスを確認してもらえますか」

「あいよー」

「わかりました」

「他の者は回復と装備のチェックを。まだ出てこないとも限りません、急いで下さい」

 

 きびきびと指示を飛ばすアスフィをよそに、ルルネとイサミが歩を進める。

 何故かシャーナもついてきた。

 

「別に一緒に来てくれなくても大丈夫ですよ?」

「ばーか、おまえとルルネだけじゃいざって時に危ないだろ。前衛がいなくてどうするんだよ」

「はいはい、ツンデレどうも」

 

 馬鹿な事を言い合いつつ、折り重なる覆面の男達の前まで来て、足を止める。

 

「どれにしよっか?」

「どれでもいいんじゃないか? そこの一番手前ので」

「オーケイ」

 

 シャーナがごろん、と気絶した男を蹴り転がし、大剣で雑に服を切り裂く。

 ルルネが懐からステイタスの隠蔽を剥ぐ薬の小瓶を取り出して蓋を開けようとしたところで、イサミがその首筋を掴み、ぐいっと後ろに引っ張る。

 

「"上級瞬速(グレーター・セレリティ)"」

「"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

 

 不可視の壁が発生したのと同時、何かが飛来して、転がっていた男の一人に命中する。

 次の瞬間、飛んで来たそれは爆発し、一瞬遅れて命中を受けた男が、そして周囲の男達が次々に連鎖爆発を起こす。

 

 呆然とするイサミ達の前で、全ての覆面の男達が爆発に巻き込まれ、燃えくすぶる黒こげの死体と化した。

 

「なんてこった・・・」

「な・・・なんだよこれ。何だよこれぇ?!」

 

 軽いパニックに陥るルルネの傍らで呆然とするイサミの、その脳裏に去来するのは前世の記憶。

 体に爆弾を巻き付けた自爆テロリスト。

 

 前世においても、テレビの中でしか知らなかったこと。

 モンスターの殺意とも違う人の狂気に触れて、イサミは僅かに気圧される。




 なお、D&Dでは"炎の泉"を音波に変換したからと言って、"音波の炎の泉"という名前に変化したりはしません。
 あくまでわかりやすさ優先の演出ですのでご理解下さい。


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7-8 なまえをいってはいけないかいぶつ

 その瞬間、様々な事が同時に起こった。

 

 左手前の地底湖の水が盛上がり、中から異様な何かが現れた。

 さしわたしは2.5mほどもあろうか。

 一言で言うならば、浮遊する一つ目の巨大な首。

 

 肉塊にしか見えない体の前方には巨大な一つ目と同じく巨大な口があり、髪の毛の生えているであろう頭頂部には、その代わりに10本の触手がある。そして触手のそれぞれの先端にはまた小さな眼球。

 その姿は、異形としか呼びようがない。

 

「すず、じゃなかった、ビホルダーだと・・・っ!」

 

 驚愕に身を震わせた次の瞬間、イサミは再び驚愕に襲われる。

 本来睡眠・恐怖・即死などの様々な光線を発するはずの触手の目が、その代わりにイサミが使うのと同じ、魔術師(ウィザード)魔法の術式を展開したのだ。

 

「ビホルダー・メイジ?!」

 

 それと同時に、読み取った術式に顔を引きつらせる。

 胴体の巨大な目から一筋の光線が発射され、イサミの展開した"力場の壁"を消失させた。

 それと同時に、他の触手眼から呪文を発動する。

 

『"集団金縛り(マス・ホールド・パースン)"』

『"陽光爆発(サンバースト)"』

『"固体の霧(ソリッドフォッグ)"』

『"重力逆転(リヴァース・グラヴィティ)"』

 

 体の自由を奪われ、光の爆発で視覚を奪われ、移動を阻害する魔法の霧に包まれ、重力逆転の結界の中で宙に浮かされるヘルメス・ファミリアの面々。

 そちらを気にする間もなく、イサミ達にも呪文が襲いかかる。

 

『"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"』

『《連鎖》"石化光線(レイ・オブ・フレッシュ・トゥ・ストーン)"』

 

呪文相殺(カウンタースペル):"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"!」

「ぐっ!」

 

 咄嗟にイサミの放った反呪文が、致命的な解呪呪文を相殺した。

 もう一つの光線はルルネに命中して彼女を石に変え、《連鎖》してシャーナとイサミに飛び跳ねるが、二人は耐える。

 

 ビホルダー・メイジの恐るべき能力、"呪文の眼柄(スペル・ストーク)"。

 ビホルダーが本来持つ、眼柄の先の目から発射される光線をひとつ諦める代わりに、その眼球ごとに一つ、呪文を放てるようになる能力。

 イサミが呪文を二回放つ間に、極めたビホルダー・メイジは眼柄で10、高速化して1、通常の詠唱で1の、実に最大十二回の呪文を放てるのだ。

 

 ビホルダーが飛び出して、ここまで一秒未満。

 敵の攻撃はまだ終わってはいない。

 

 

 

 ビホルダーが現れたのと同時に、別の地底湖の水が大きく盛上がっていた。

 でかい。

 十数mから20mはあろうか。

 イサミがこの迷宮で見た中では、37階層と27階層の階層主であるウダイオスとアンフィスバエナのみがこれに匹敵するだろう。

 

 濁った水をはね飛ばして現れたのは巨大な魚であった。

 古代の甲冑魚とカンブリア期のバージェス・モンスターを合成すればこのような姿になるだろうか?

 

 全体的なフォルムは魚に似るものの、体の側面や背中には触手が生え、潰れた三角錐のような頭に目が縦に三つ、並んで付いている。

 鱗は濁った青緑色で腹はピンク。体表はぬるぬるした、汚い色の粘液で覆われている。

 

 D&Dの地底世界において最強と呼ばれる存在の一角――アボレス。それも通常のアボレスの三倍近い体躯。

 鯨のような巨体を波打たせることもなく、一直線に宙を飛ぶ。

 その先には――アスフィ達を包んだ、"固体の霧(ソリッドフォッグ)"。

 

 だがアボレスが襲いかかるより一瞬早く、ヘルメス・ファミリアとアイズを包んで宙に浮いた"固体の霧(ソリッドフォッグ)"から二つの影が左右に分かれて飛び出す。

「エアリエル」を発動させたアイズと、魔道具"飛翔靴(タラリア)"を発動させたアスフィだ。

 

 呪文に耐えた――アイズはステイタスの高さと対異常アビリティで、アスフィは防護の魔道具の力で――二人は、足下の霧が薄いことに気づき、そこを破って飛び出したのだ。

 "重力逆転(リヴァース・グラヴィティ)"をかけてから"固体の霧(ソリッドフォッグ)"をかけるのではなく、その逆の順番にしてしまったビホルダーの僅かなミスを見事に突いた形である。

 

 だが。

 

「!」

「っ!?」

 

 二人を意に介さず、アボレスは蛇や一部の深海魚のように口を大きく広げ。

 "固体の霧(ソリッドフォッグ)"を、中のヘルメス・ファミリアごと飲み込んだ。

 

 だが、それでもまだ終わりではない。

 ぎいんっ、と音がした。

 

 振り返ると赤い大剣を持った、赤い髪の女がアイズに斬りかかっている。

 金属音は大剣の不意打ちをアイズが防いだ音だった。

 

「あ、ああーっ!?」

 

 赤毛の女を見たシャーナが絶叫する。

 そしてその瞬間、白い骨の仮面をかぶった男が神速で距離を詰め、手刀をイサミの首にめり込ませた。

 

 

 

 長い長い一瞬が終わった。

 その一瞬の最後に、突然アイズの「エアリアル」が消失する。

 

(!?)

 

 自らに一撃を加えた赤毛の女を追うように、アイズも身を翻して地面に落着する。

 立ち上がった瞬間、振り下ろされる紅の大剣。

 辛うじてそれは受け流したものの、体勢を崩して連続攻撃を許す。

 

 二撃、三撃、四撃としのぐ。

 

(・・・おかしい)

 

 違和感があった。

 魔法が消失したのもそうだが、剣の振りがいつもに比べて鈍い。

 鍛冶師の鍛えた業物ではなく、まるで練習用の木剣を使っているような・・・。

 

「今の風・・・お前がアリアだな」

「っ!」

 

 赤い髪の女がつぶやいた名前に、アイズは金の双眸を大きく見張る。

 

「来てもらうぞ、『アリア』!」

「私は・・・アリアじゃないっ! 【目覚めよ(テンペスト)!】」

 

 アイズは「エアリアル」発動の呪文を詠唱する。

 だが何も起きない。

 

(!?)

 

 再び斬りかかってきた女の大剣を、今度はやや余裕を持って払いのけるが動揺は隠しきれない。

 

(何故・・・!?)

 

 魔封じの滅びの目。

 あらゆる魔法や魔力、超常能力を抑止する反魔法力場(アンチ・マジック・フィールド)を発生させる、頭部の十本の光線と並んでビホルダーが恐れられる最大の理由。

 

 ビホルダーの主眼からは前方90度、45mの円錐の範囲にこの反魔法の場が発生する。

 この範囲内にいる限り、あらゆる魔法および魔道具は発動せず、持続していた効果も停止する。

 上級鍛冶師が打った武器や防具の切れ味や鋭さ、防御力も含めて、だ。

 

 神秘アビリティを持つ魔道具製作者は、魔力を秘めた原材料と自らの魔力を使って魔道具を製作する。

 鍛冶アビリティを持つ上級鍛冶師は、魔力を秘めた素材と自らの魔力を用いて上級の武具を打つ。

 

 つまりこの世界での認識とは裏腹に、上級鍛冶師が打つ武具は製作方法が違うだけで一種の魔道具(マジックアイテム)なのである。

 全く別のものとして捉えられているのは、ひとえにそれぞれの専門性が高すぎるからに他ならない。

 

 アイズの"デスペレート"も、この反魔法力場の中ではただ頑丈なだけの剣でしかない。

「エアリエル」が使用不可能なことに加え普段と感覚の違う愛剣への戸惑いに、アイズは次第に押されていった。




 もうそろそろ知らない人も多そうだけど、「名前を言ってはいけない怪物」はバスタードで流用したらD&D版権に引っかかった鈴木土下座右衛門さんことビホルダーのことです。


 ちなみにビホルダーメイジの簡単な能力

・クラスレベル10までで、ウィザード/ソーサラー呪文9レベル習得(普通は17~20レベル必要)
・呪文習得はウィザード(習得数制限無し)、使用回数と使用はソーサラー(あらかじめ準備せずにその場その場で好きな呪文を使える&使用回数多し)のいいとこどり
・最大1ラウンド12回呪文発動可
・物質要素(触媒)不要、高価な物質要素は経験点で代替可能
・物理打撃に使用可能なテレキネシス能力、手に持つアイテムを保持&使用も可
・呪文吸収能力

 なあ、リチャード・ベイカー(デザイナー)・・・なあ!w


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7-9 狂気の王たち

 一方手刀の一撃を受けたイサミは、苦痛に耐えて体勢を立て直す。

 

「ほう」

 

 白い仮面の下から感嘆の声が漏れた。

 

「魔導士にしては頑丈だな。一撃で殺すつもりだったが」

 

 それには答えず、周囲の状況を確認する。

 

 ビホルダー・メイジは眼柄で次の呪文の術式を展開。先ほどのイサミの呪文相殺(カウンタースペル)に僅かに驚いたような気配。

 アイズ達に向けて反魔法力場を照射しているので、アイズに呪文が向けられることはあるまい。

 

 ヘルメス・ファミリアを飲み込んだアボレスは大きく旋回中、機動性と速度からして、おそらく"飛行(フライ)"の呪文で飛んでいるのだろう。

 そこからやや離れて、イサミ達とアボレスの中間ほどの空中にアスフィ。

 

 そしてイサミの目前に白い骨の仮面の男、その隣にシャーナと、石化したルルネ。

 

 ここまで追い込まれた状況、本来は魔導士であるイサミが反撃のきっかけを作らなくてはならない局面である。

 だが、今のイサミは数秒間は動けない状況であった。

 

 特技《臨機応変呪文相殺(リアクティブ・カウンタースペル)》。

 本来相手のアクションを待ち受けて放つ呪文相殺(カウンタースペル)を即座に行えるようになる特技であるが、その代償として体に負担をかけ、数秒間ろくに動くことができなくなる。

 "瞬速(セレリティ)"のペナルティを打ち消してくれる《豪胆のドラゴンマーク》も、これには効果が無い。

 

 やむを得ず、《高速化》された呪文だけを発動しようとして――イサミは、先ほどビホルダーがイサミ達に対して二回しか呪文を発動しなかった意味を知った。

 

「《高速化》"時間停止(タイムストップ)"!」

呪文相殺(カウンタースペル):"時間停止(タイムストップ)"』

「!」

 

 イサミの身に走る驚愕。

 呪文相殺(カウンタースペル)は何もイサミの特権ではない。

 D&D世界において呪文を操る存在であれば誰もが行うことができる。

 

 繰り返すが、イサミが数秒の間に放てる呪文は通常詠唱のものと、高速化したものの二つ。

 そして、ビホルダー・メイジが放てる呪文は同じく通常詠唱のものと、高速化したものの二つに加えて、最大で10。

 

 このビホルダーは最大4つの眼柄しか一方向に向けられないとは言え、ビホルダーはその内二つを常時待機させておくだけで、イサミの呪文を完全に封じることができる――イサミは最大の武器を封じられたのだ。

 

「くっ・・・!」

『認めてやろう、小僧。人間にしてはかなりの術師よ・・・偉大なる我が種族には及ぶべくもないがなあ!』

 

 歯をむき出して笑う『単眼の暴君(アイ・タイラント)』。

 イサミに匹敵する9レベルの魔術師呪文、そして圧倒的な手数。

 術力と威力では勝っているものの、カウンターに徹されるとイサミには為す術がない。

 

『遊ぶな、ザナランタール。そやつは最優先の排除対象だ。息の根が止まるまで油断するな。姫君も言っていただろう』

『ふん、あの女がなんだ。人間どもにバレないよう百年以上潜んで活動してきたというのに、いきなり割り込んできて好き放題に動きおって!

 我らがどれだけ気を遣って動いてきたか! やつこそ石化してやりたいわ!』

「しゃべった!?」

 

 空中を泳ぐ巨大魚が単眼の異形と言葉を交わす。

 驚愕するシャーナにぬらり、と巨大魚が縦に三つ並んだ目を向ける。

 

『愚かしいな、下等種。我らの知性は人の者など比較にならぬ。そして今食らったものどもの知識もまた、我が知性の糧となる』

「なっ・・・! ではそのために私の仲間達を!」

 

 アスフィが動揺を見せる。

 アボレスがくぐもった不気味な音を立てたのは、笑い声であろうか。

 

『貴様はマジックアイテムの作成において天才と謳われているのであったな。

 よかろう、我が知識の糧となれ! ザナランタール!』

『ファファファ・・・一つ貸しだぞ、ネヴェクディサシグ』

 

 ビホルダーの瞳孔が収縮した。

 今まで前方に扇形状に放射されていた反魔力の場が、カミソリの刃ほどの薄さにまで収斂する。

 圧縮・収束されたアンチマジックフィールドはいかなる魔力をも突き破り、破壊する反魔力の針となる。

 

魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)

 

 先ほどイサミの力場の壁を分解したのと同じ極細の光線が、アスフィの飛翔靴(タラリア)を捉えた。

 

「!」

 

 光線を突き立てられた右の飛翔靴(タラリア)があっけなく破壊された。

 片方だけではバランスが取れず、アスフィがでたらめに空を飛び始める。

 すぐにきりもみを起こし、高速でイサミ達の方に突っ込んでくるアスフィ。

 バックパックから取りだそうとしていた透明化の兜がその手を離れ、床に落ちて肉の中に埋まった。

 

「くっ!」

「アスフィさんっ!」

 

 イサミが飛び出す。

 その隙を逃さず白仮面が一撃を加えようとするが、シャーナの大剣がそれを牽制した。

 

 不規則な軌道を描きつつ頭から落下してきたアスフィの体に手を回し、体全体で彼女を抱き止める。

 イサミのステイタスでは受け止めきれず、クッションになるような形で床にたたきつけられた。

 

「っ・・・!」

「うっ、く・・・すいません、助かりました」

「何、この程度っ・・・」

 

 残った飛翔靴(タラリア)を素早く停止させ、アスフィが立ち上がる。

 ほとんど間を置かず、イサミも素早い身のこなしで立ち上がった。

 

 だが、ビホルダーの攻撃はまだ終わりではない。

 収束させていたアンティマジックフィールドを元に戻し、【剣姫】と赤髪の女を範囲内に入れる。

 

 そしてイサミたちに向けていた四本の呪文眼柄(スペルストーク)のうち呪文相殺用に二本を残し、残る二本で呪文を発動する。

 

『"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"』

 

 白仮面の男を避け、イサミとアスフィを含む半径12mの範囲に、魔力を分解する強烈な力が作用する。

 この呪文は、いかなるものであれ範囲内のあらゆる魔力を問答無用で解呪する。

 その力はマジックアイテムにさえ及ぶが、こちらはまだ意志力次第で耐えるチャンスはある。

 

 とは言えあくまでチャンスだ。

 イサミは意志力と身につけた《特技》を総動員し、辛うじて身につけているアイテムを守ったが、アスフィは6割以上のアイテムを破壊された。

 だがこのビホルダーとの圧倒的なステイタスの差を考えれば、まだしも健闘した方であろう。

 

『む・・・?』

 

 一方でそのザナランタールはやや困惑している。

 先ほど同様に、一発目は相殺されるものと読んでいたからだ。

 

『まあ良い。何を考えておるやは知らぬが・・・所詮愚昧の行いよ。

"石化光線(レイ・オブ・フレッシュ・トゥ・ストーン)"』

「ぐっ・・・・!」

 

 眼柄の一つから、今度はイサミ一人に石化光線を放つザナランタール。

 イサミは意志力を総動員し、必死にそれに耐える。

 抵抗力を上げる多くの《特技》、マジックアイテム、防御呪文、万能クラス「便利屋(ファクトタム)」の"霊感(インスピレーション)"。どれか一つでも欠けていれば、おそらくは石化していただろう。

 

『ぬう、ウィザードのくせに耐えおるわ・・・これはきゃつらの言う事もまんざら・・・』

 

 ザナランタールのつぶやきを、イサミの耳はしっかりと捉えている。

 

 

 

 続けてマッコウクジラのごときアボレスの巨体がアスフィに襲いかかった。

 再びかばおうとしたイサミの努力をあざ笑うように、触手の鋭い一撃がアスフィを捕らえ、ぐるりと巻き付いてその体を上空へ運び去る。

 

 レベル4のアスフィでさえ回避できない一撃。

 ましてや、レベル2相当でしかないイサミには反応すらできない、圧倒的なステイタスの差。

 

「くっ!」

「私のことは気にしないで下さい! 最悪、あなただけでも脱出して、ここの事を報告・・・」

 

 アスフィの言葉の後半は、アボレスが立てた不気味な音によって遮られる。

 イサミは歯がみする事しかできない。

 

(あの触手に触れられたものは、生きながらにおぞましい粘液と化してしまう! 急がなければ・・・がっ!)

 

 体をくの字に折るイサミ。

 シャーナを無理矢理に突破して、白い仮面の男が目の前にいた。

 

(?!)

 

 男が目の前にいることとは別に、何か違和感を感じる。

 だが思考を続ける時間を、目の前の男は与えてくれない。

 

 続けての三連打。いずれも回避できず、イサミが血反吐を吐く。

 仮面の男の速度はベート・ローガと同等。打撃力に関してはそれを明らかに上回っていた。

 振り向いたシャーナが一歩踏み込んで斬りつけるが、かすり傷は与えたものの、皮膚の表面で剣が滑り、有効な打撃は与えられない。

 

「なんだぁ、こいつ・・・!?」

 

 汗を一筋浮かべ、シャーナが唸った。

 





 ロード・オブ・マッドネスは今回出てきたビホルダーやアボレスなどを扱ったサプリメントです。

 ネヴェクディサシグはそのサプリに載ってたサンプルネーム。
 ザナランタールは公式サプリメントに載ってる有名どころのビホルダーの名前のツギハギですね。
 フェイルーンガイドブックとシャックルドシティとアイ・オブ・ザ・ビホルダーだったかな?



 以下はザナランタールとネヴェクディサシグが保有するモンスター専用特技。

 《素早き暴君(アガイル・タイラント)》・・・ ビホルダーが一方向に向けられる眼柄の数を3から4にする
 《魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)》・・・ アンチマジックフィールドを、射程150ft(45m)の魔法解体光線に変換する。自動命中、標準アクション

 《記憶食らい(メモリーイーター)》・・・ アボレスが食べた対象の記憶・知識全てを得る(通常は断片的)
 《高速粘液化(クイックスライム)》・・・ アボレスの粘液化攻撃が分単位ではなくラウンド(6秒)単位で進む


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7-10 ゴルゴーンの首

 唐突に《風》が復活した。

 ビホルダーが"魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)"を放った一瞬、反魔力の場が消失したのだ。

 

「!」

「っ!」

 

 アイズはその機を逃さず、赤い髪の女がついてこれない速度で後退し、体勢を立て直す。

 一瞬の後に再び《風》は消え、剣が打ち合わされる。

 だが今度はアイズもしっかりと両足を踏みしめ、赤髪の女の斬り下ろしをさばくことができた。

 舌打ちする赤髪の女。

 

「ちっ・・・!」

「もう、慣れた・・・ここからは、遅れは取らない」

「ほざけっ!」

 

 白銀の剣と、紅の大剣が激突した。

 

 

 

 仮面の男は全力の連打を叩き込みつつ、僅かな畏怖を目の前の巨漢に感じていた。

 何者をも砕くはずの己の拳を受けながら、いささかたりとも崩れる様子がない。

 

 連打を放つ合間に横のエルフの小娘が大剣を振り下ろしてくるのを左腕で受け止める。

 同時に右拳を巨漢の胸元に打ち込むと、僅かによろめくものの、動じはしない。

 手応えはあっても、深手を負わせた感触がない。

 

 連打が途切れるごく僅かな瞬間、男は巨漢の口元が動き、何かを小声でつぶやくのを見て。

 そして次の瞬間、イサミは男の目の前から消えた。

 

 

 

 イサミ目がけ眼柄から石化光線と物質分解光線を放とうとしていたザナランタールも、彼が消えた瞬間を四つの目で捉えていた。

 馬鹿な、呪文も使わずに・・・とそこまで考えて自分の考えの穴に気づく。

 

 いきなり、ぐいと眼柄をつかまれた。

 石化光線を今まさに放とうとしていた眼柄だ。

 強くつかまれたショックで、あさっての方向に飛んで行く石化光線。

 その向かう先を見て、ザナランタールは絶叫した。

 

 

 

 くぐもった、不気味な音が目の前の穴から響いてくる。

 丸鋸が三つ並んだような三角形の異形の口。やや内側にへこんだ三角形の頂点からそれぞれ一本ずつ、カギ爪のついた触手が飛び出している。

 

『今から食ろうてやるわ、下等生物が。貴様の知識はいかほどに美味であろうかのう』

 

 縦に三つ並んだ目がぬらり、とアスフィを見た。

 今からこの穴の中に入れられて咀嚼されるのだと理解する。

 

 体が恐怖に震えた。

 だが一番恐ろしいのは食われることでも、全身を締め付けるぬたぬたした触手の感触でも、縦に並んだ三つの目でもない。

 

 触手に締め付けられた体の部分が異常な柔軟性でくびれる。

 服の内側から粘液がしみ出してくる。

 肌は透明になり、骨が透けて見える。

 

 変質しているのだ。自分の体が、自分でないものに。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 我知らず、アスフィは絶叫していた。

 触手がゆっくりと動き、彼女の体を口元に持って行く。

 

 ゆっくり、ゆっくりと穴が近づく。

 丸のこぎりは三枚だけではなかった。

 一番表の三枚に重なるようにして、何重にものこぎりが続いている。

 

 それらは粘液でしとどに濡れ、ぬらぬらと光っている。

 僅かに蠕動する喉の筋肉が、波のような動きをそれらの鋸歯に与えている。

 

 だがそれらを見てもアスフィは何も感じなかった。

 自分の体が変質していく恐怖に、ひたすら絶叫を続けている。

 

 そしてその瞬間、光が走った。

 

 

 

 アスフィが我に返ると、自分を捕まえている巨大な怪魚がゆっくりと石になっていくところだった。

 

『ザナランタール・・・貴様・・・』

『よ・・・避けられぬ貴様が悪いのだ! 痴れ者がっ!』

 

 背後に浮かぶイサミに眼柄の一つをつかまれながら、ビホルダーが慌てて言いつくろう。

 そう、イサミである。

 

 イサミはビホルダーが他にも使うべき呪文はあるだろうに石化光線を二回も使ったことから、このビホルダーが石化光線を得意にしているのではないかと見当をつけた。

 果たして、ビホルダーは三回連続で石化光線を放とうとし、イサミはそれが発射される直前のタイミングを狙い、"時間流(ブーツ・オブ・)加速(テンポラル)のブーツ(アクセラレイション)"を起動したのである。

 

 僅か十秒余りだが、"時間停止(タイムストップ)"と同じ効果を得ることの出来るマジックアイテムだ。

 そして呪文相殺(カウンタースペル)は強力ではあるが、マジックアイテムの効果までは相殺できない。

 

 イサミは時間を「止めて」いる間に後ろに回り込み、眼柄をつかんで、アスフィを食らおうとしていたアボレスの方に向けたのだ。

 そして結果はかくのごとく。見事に石化光線が命中し、アボレスを石にした。

 ビホルダーの得意な光線は、強大化したアボレスすら石化させるほどの力を持っていたのだ。

 

「怪物の首ならぬ首だけの怪物を使ってアンドロメダ姫を助ける、か。神話の通りだねえ」

『おのれぇぇ! この借りは高くつくぞ!』

「おっと、その前に自分の心配をした方がいいんじゃあないかな」

 

 ちっちっち、と指を振るイサミ。

 ビホルダーがはっと気付いた時には自分にかかった防御呪文が全て解呪され、四条三組、計十二本の黒い光線が横腹に命中していた。

 

 《高速化》《発動遅延》"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"。

 《発動遅延》《二重化》《光線分枝化》《最大化》《威力強化》"気力吸収(エナヴェイション)"が二本と《高速化》されたもう一本。

 無論、イサミの仕業である。

 

 今の位置にまで移動するには二、三秒もあれば事足りる。

 そして残りの停止時間で《発動遅延》した呪文を発動し、時間流が元に戻った瞬間、発動するように仕掛けた。

 

 "気力吸収(エナヴェイション)"は、負の生命のエネルギーで対象の生命を削り、いわゆるエナジードレインに似た現象を起こす呪文である。

 生命力を失った肉体は動きが鈍くなり、また呪文を使うための精神力、準備した呪文をも失う。

 

「お前がどれだけ呪文を持ってるか知らないが、ざっと合計63レベル分の呪文喪失だ、どれだけ残るか見物じゃあないか?

 ――まあ、その前にお前の生命力がこいつに耐えられればだがな」

『きっ、きさ・・・』

 

 そして生命力を完全に削られれば、死あるのみ。

 たとえ【異形】種別のモンスターといえど、生命には違いない。負のエナジーへの耐性がない限り、これには耐えきれない。

 防御呪文も既に解呪されている。

 

 ビホルダーの巨大な主眼がぐるん、と裏返った。

 白目を剥いたまま、落下する単眼の暴君。

 地面に叩き付けられたとき、その肉体のどこを探しても、最早生命の息吹は感じられなかった。

 

 

 

 アイズと赤髪の女の戦いは続いている。

 慣れたと言ったのは嘘ではなかった。

 アイズが押し始めている。

 真っ向正面から斬り合っているのに、赤髪の女は【剣姫】の上を行けない。

 

 そしてビホルダーが死んだ瞬間、反魔法の場が消えた。

 アイズの"風"が復活する。

 

 その瞬間、アイズが加速した。いや、速度だけではない。

 スピードが。パワーが。防御力が。最早赤髪の女では完全に太刀打ち出来ない。

 更に数合打ち合った後強烈な蹴りを食らい、赤髪の女は吹き飛ばされた。

 

 

 

 石化したアボレスが、"飛行(フライ)"の魔力の余韻でゆっくりと降下する。

 接地した衝撃で石化した触手が砕け、アスフィは自由の身になった。

 

 体に力が入らない。

 もう半ばまで粘液化してしまっているのがわかる。

 恐怖に再び叫ぼうとしたとき、その頬に手が触れた。

 

 見上げると笑みを浮かべるイサミの巨体があった。

 安堵の余り、涙がこぼれそうになる。

 

「イサミくん・・・!」

「"病気除去(リムーブ・ディジーズ)"」

 

 魔力がアスフィの体に浸透すると、彼女の体は素早く元の姿を取り戻した。

 思わず抱きつきたくなるのをぐっとこらえ、ヘルメス・ファミリア団長のペルソナをかぶる。

 

「ありがとうございます、イサミ・・・イサミ・クラネル。お礼を申し上げたいところですが、先に仲間をどうにか出来ませんか?」

 

 視線の先には巨大な石像と化したアボレスと、同じく石化したルルネ。

 

「やってみましょう」



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7-11 "精神衝撃(マインドブラスト)"

「馬鹿な?! 一体何が起こったというのだ!」

 

 圧倒的な優位から一瞬にしてザナランタールとネヴェクディサシグを失い、レヴィスもアイズ・ヴァレンシュタインに押されているこの状況で、白仮面が狂乱して叫んだ。

 

「馬鹿はテメエだ!」

 

 剣を投げ捨て、シャーナは呆然とする白仮面に組みついた。

 その肌は既に"暗黒竜の鱗(ヴリトラスケル)"によって青黒く染まっている。

 

「こ、こいつっ!?」

 

 その体格からは考えられないほど重く、そして上手いタックルに白仮面の男が倒される。

 倒されながら反撃のパンチを放つも、拳から伝わるのはまるで鉄を殴ったような手応え。

 

「ぐっ!?」

「おぉらぁっ!」

 

 にやりと笑った少女の拳が胸にめり込み、再び仮面は苦悶の声を上げた。

 彼女の二つ名は「剛拳闘士」。

 それは単に格闘に長けていると言う事だけではない。

 魔法を使ったときの、超硬金属(アダマンタイト)より固い拳も含めてのこの異名なのだ。

 

「さあ、男らしくドツキ合いと行こうじゃねえか!」

「ぐあっ!」

 

 グラウンドで転がりながら、互いに拳を振るうシャーナと白仮面。

 ステイタスでは完全に負けていながらも、格闘技術と無敵状態のおかげでどうにか勝負は拮抗していた。

 

 だが、シャーナも違和感を感じている。

 胴体を殴る手応えがおかしいのだ。

 まるで皮一枚下に弾力のある殻があるような・・・

 

 

 

 シャーナが防いでくれている間、イサミは素早く呪文を詠唱する。

 "石材変化(ストーンシェイプ)"で石化したアボレスの腹がめりめりとまくれた、

 胃袋だった部分も切り開かれ、現れたヘルメス・ファミリアの面々をとっておきの"集団大治癒(マス・ヒール)"で治療する。

 

 本来は僧侶(クレリック)の呪文であるが、特技《秘術使いの信徒》はイサミのような秘術使いが限定された信仰呪文を一日一度だけ使用することを可能にしてくれる。

 最高位9レベルに属するこの呪文はほぼあらゆる状態異常を回復し、レベル3程度の冒険者であれば負傷を完全に癒してくれる。

 

 さらに石化したルルネを"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"で治療して(石化解除の呪文は詠唱が長い)イサミが振り返ったのと、シャーナが力任せに蹴りはがされてイサミの足下に転がってきたのが同時。

 

「シャーナ!」

「大丈夫だ、怪我しちゃいねえ・・・だが、ちっとばかし手強いぜ、あいつは」

 

 言いつつ、投げ捨てた得物を拾って素早く立ち上がるシャーナ。

 さらにアスフィの号令でヘルメス・ファミリアの精鋭達が再び戦闘態勢を取る。

 こちらも素早く立ち上がった白仮面が、いらだたしげに首を振った。

 

「こしゃくな冒険者どもめっ・・・!」

「がっ!」

「レヴィス!?」

 

 その足下に吹き飛ばされてきたのは赤髪の女、レヴィス。

 全身は傷だらけで血に濡れている。胸には斜め十文字に深々と斬撃の跡があり、かなりの深手なのが見て取れた。

 僅かに遅れて、アイズも剣を構えてイサミ達の横に並ぶ。

 

「ぬう・・・動けるか、レヴィス?」

「問題ない。が、今のままではアリアには勝てんな」

「まさか【剣姫】がアリアだったとはな・・・」

 

 手を貸し、レヴィスを立ち上がらせる白仮面。

 それを見て、シャーナが愉快そうに笑った。

 

「へっ、ざまぁねえなあ、レヴィス。化け物みてぇなてめぇでも、もっと上の化け物には敵わなかったか。ざまぁみろってんだ」

「・・・? 誰だ、お前は? 私を知っているのか」

 

 僅かに顔をしかめ、問い返すレヴィス。

 ふん、とシャーナが鼻を鳴らした。

 

「まぁ、わからねえだろうな。けど、殺された方はテメェの顔を忘れちゃいねぇんだよ!」

「私が殺した人間の身内か・・・それは確かに、いちいち覚えてはいられないな」

「てめぇ・・・」

 

 イサミが手をかざしてシャーナを制した。

 

「・・・お前達の目的はなんだ? あの緑の胎児は何に使う?」

 

 白仮面はくぐもった笑い声を立てる。

 

「目的。目的と言ったか! いいだろう、教えてやる。

 私の――いや、彼女の目的は――迷宮都市を滅ぼすことだ」

 

 多くの者が息を呑む。

 オラリオは迷宮の蓋。それを破壊すると言う事は、古代と同じ、この世界を怪物の跳梁跋扈する地獄に変えるのと同義だ。

 震える声でルルネが問うた。

 

「じ、自分が何言ってるのかわかってるのかよ?」

「当然だとも」

 

 その声には隠しきれない狂喜がにじみ出している。

 先ほどの闇派閥の者どもと同じ――狂気の喜びだ。

 

「おまえたちには聞こえないか、『彼女』の声が!?

 『彼女』は空を見たいと言っている!『彼女』は空に焦がれている!

 地中深くに眠る『彼女』にとって、迷宮都市は邪魔なのだ!

 ならば私はその願いに殉じよう!

 彼女は一度死んだ私に第二の命を与えてくれたのだから! 彼女こそが私の全てなのだから!」

 

 狂信者の恍惚。

 生理的な嫌悪感を感じ、イサミが顔をしかめる。

 ただし内心で、だ。意地でも顔には出さない。

 

 一方シャーナは盛大に顔をしかめる、思わず視線をそらして――その目が十文字に切り裂かれたレヴィスの胸元に注がれた。

 肉の奥でよく見えないが、双丘の間に光る物がある。

 視線に気づき、レヴィスがシャーナを、次に白仮面を見た。

 

「これが気になるか。ならば見せてやろう」

 

 レヴィスが胸の傷に指を立て、自ら左右に引き裂く。

 中から現れたのは、禍々しく輝く極彩色の結晶。

 

「ま・・・魔石っ!?」

 

 誰かが叫んだ。

 レヴィスの胸に埋め込まれていたのは紛れもなく、51階層の芋虫や、先ほど倒した食人花と同じ、極彩色の魔石だった。

 

 

 

 一瞬、全ての人間の意識がそこに集中した。

 イサミはもとより、アイズ、シャーナ、アスフィでさえも。

 

 その瞬間、ぎぃんっ、と空間が軋む音がした。

 いや、そう感じられた。

 

「なんだっ!」

「ぐわっ!?」

「きゃあっ!」

「っ!」

 

 イサミは何も感じなかった。

 "暗黒竜の鱗(ヴリトラスケル)"を発動していたシャーナもまたしかり。

 アイズはレベル6の意志力で耐えた。

 アスフィは壊れ残ったアイテムで辛うじて耐えた。

 

 だが、ヘルメス・ファミリアの面々はそうはいかなかった。

 脳みそを手でわしづかみにされたような感覚。

 巨大な雑音に自分の存在が消されるような感覚。

 彼らの意識が、突風(ブラスト)にかき消されるロウソクのようにふっと途切れる。

 

 意識を吹き消された彼らの手から、次々と武器が落ちる。

 倒れはしないものの目は焦点を失い、口を開け、中にはよだれを垂らしているものすらいる。

 

「っ!」

 

 イサミの背筋に驚愕と戦慄が走った。

 "精神衝撃(マインドブラスト)"。

 抵抗(セーブ)に失敗した者全てを数十秒間朦朧とさせる、時にドラゴン以上に恐れられる『あるモンスター』の代名詞。

 

 だが状況は動き続ける。

 イサミに思考する時間を与えてはくれない。

 

「やれ、巨大花(ヴィスクム)!」

「十分ではないが完全に育った! エニュオに持って行け!」

「はあっ!」

「どりゃあっ!」

 

 白仮面とレヴィスが何者かに呼びかけると同時、アイズとシャーナがそれぞれに斬りかかる。

 右のアイズは左の白仮面に。左のシャーナは右のレヴィスに。

 交差した二人の剣は、かたや白仮面を真っ向唐竹割に斬り下ろし、かたや動きの鈍くなっていたレヴィスの肩口に食い込む。

 

「ぬっ・・・!」

「ぐっ!」

 

 左肩に半ばまで大剣を食い込ませたレヴィスが、シャーナののど元を右手でわしづかみにする。

 奇しくも、かつてハシャーナ・ドルリアが殺された情景の再現。

 

「・・・ぬ?」

 

 レヴィスが困惑の声を漏らす。

 渾身の力で握りしめたエルフの少女のか細い首は、まるで超硬金属の彫像ででもあるかのようにびくともしない。

 

「同じ手が二度通用するかぁ!」

 

 のど首を掴まれたシャーナの右膝が、むき出しになったレヴィスの胸の魔石に叩き込まれる。

 

「がぁぁぁぁぁっ?!」

 

 極彩色の結晶にぴしりとヒビが走り、レヴィスがはじめて苦悶の声を上げた。



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7-12 白髪鬼(ヴェンデッタ)

 正中線を振り抜かれたアイズの剣が手元に戻される。

 白い骨の仮面が床に落ち、その場にいる人間が大なり小なり絶句した。

 

 仮面の下から現れたのは異貌。

 鼻から上は白髪と病的なまなざしを持つ人間だが、口元に生えているのはぬらぬらした光沢を放つ四本の触手。

 

 物怖じしないシャーナですら、一筋の汗を垂らしている。

 そして信じられないことがもう二つ。

 

 血を流していた顔と胸から腹にかけての傷がみるみるうちにふさがっていく。

 加えて、アイズの剣は敵の内蔵にまで届いていなかった。

 

 いや、肉すら断てていない。

 額と胴体の傷口からは、白い何かが覗いている。皮一枚下に何かがある。

 装甲板のようなそれが、アイズの斬撃を防いだに違いなかった。

 

皮下装甲(ダーマルプレート)・・・いや! 異類移植(グラフト)かっ!」

 

 にやり、と触手の下の口が笑った。

 

 異類移植(グラフト)

 一言で言えば、別生物の組織を移植して生体を強化する禁断の秘術である。

 

キチン質皮下装甲(キチン・プレート)・・・他にも随分入れてるみたいだな。

 その触手もグラフト・・・いや、フレイヤースポーンサイキックか!」

 

 精神衝撃(マインドブラスト)キチン質皮下装甲(キチン・プレート)。そして口元の触手。

 いずれもが時にドラゴン以上に恐れられる『あるモンスター』の特徴。

 

 イリシッド。

 "精神を狂わせる者(マインドフレイヤー)"とも呼ばれる、地下世界の覇者種族の一つ。

 

 タコのような頭、口元に四本の触手。精神衝撃(マインドブラスト)で朦朧とさせた人型生物の脳を食らう、おぞましき怪物。

 その因子を埋め込まれ、変態を遂げた人間こそが、今目の前にいる存在だった。

 

「そうとも・・・私は彼女に選ばれたのだ! この姿も彼女の恩寵と祝福の証し!

 第二の命と共に授かった・・・」

 

 またしても始まる長広舌。

 だが、それを聞く者は誰もいない。

 

 モンスターに栄養を与える石英の巨柱。

 それに巻き付いていた三つの巨木・・・ないしは極太のツタが柱からその身を剥がす。

 倒れ込むその下にはイサミ達。

 

「やべえ・・・! ヘルメスの奴らが!」

「ちっ! 《高速化》"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

 

 石英の柱の根元、緑色の宝玉を取り外そうとする人影を見ながらイサミは舌打ちした。

 やむを得ず、アイズ達と朦朧としたままのヘルメス・ファミリアの周囲に力場の壁を立てる。

 

 僅かな時間のあと、巨大な質量が空中から叩き付けられた。

 今日最大の衝撃に二十四階層が揺れる。

 

 果たして、その巨大な質量を"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"は支えきった。

 物理的な力で破壊することが不可能な力場は、上からの圧倒的な衝撃にも耐えたのだ。

 

「助かりました、ありがとうございます・・・イサミ・クラネル?」

「むっ?」

「イサミ? おい、イサミ?!」

 

 巨大な緑の大蛇がうねり暴れる中、イサミはどこへともなく姿を消していた。

 直上へ飛び上がるイサミに気づいていたのはアイズ、そして地面に膝をつくレヴィス。

 

「上だ・・・あれを守れ・・・っ」

「ちっ!」

「させない!」

 

 跳躍してイサミを追おうとする白の怪人と、それを阻止しようと飛びかかるアイズ。

 その隙にイサミは巨大な三本のうねるツタを飛び越え、その向こう側でルームの外に脱出しようとしていたフードの男を視界の端に捉えた。

 その手には、緑色の宝玉がしっかりと握られている。

 

「闇派閥の生き残りか・・・? 《最大化》《光線分枝化》《二重化》《射程延長》《エネルギー上乗せ・炎・雷・酸・冷気》"灼熱光線(スコーチング・レイ)"!」

 

 八本の火線が伸び、フードの男を貫く。

 手応えの微妙さに眉を寄せる暇もなく、男の手から離れた宝玉が、ふわりと宙に浮いた。

 

「なんだ?」

「しまったっ!」

 

 跳躍してイサミを追って来た白の怪人が舌打ちする。

 緑の宝玉が宙を飛び、今も暴れ回る三本のツタ、その根元近くに飛着する。

 

「――ァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!」

 

 そのまま緑の宝玉はまるで破水するように割れ、胎児が巨大花と融合する。

 変化が始まった。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!」

 

 寄生された巨大花が絶叫を上げる。

 赤い静脈がその長大な体躯を走り抜け、さらに、隣り合う二本の巨大花も巻き込んで融合する。

 胎児が寄生した場所が大きく盛上がる。

 背中を突き破り、さなぎから羽化する蝶のように、極彩色の女体の上半身のごときシルエットが生まれた。

 

「あれは・・・50階層の・・・!」

 

 アイズが記憶を刺激される。かつて50階層で戦った、巨大な芋虫と女体が融合したような怪物。

 あの時は下半身が芋虫であったが、今は三首の多頭蛇(ヒュドラ)、もしくは半人半蛸(スキュラ)か。

 

「! やめろっ!」

 

 同時に白の怪人が叫ぶ。

 未だにまだつながっている根元から、巨大怪物が石柱のもたらすエネルギー全てを吸い尽くす。

 全てを吸収された石英の柱がひび割れ、崩れ落ちる。

 

 壁面と床を覆い尽くした生体組織ももろともにエネルギーを吸収されたか、急速にしなびて乾燥していく。

 逆に緑のマーブル模様を描いていた食人花のつぼみやつるは、巨大花と同じく生体組織に融合していく。

 ベート達が食料庫の入り口に姿を現したのは、まさにこのようなときであった。

 

 

 

「オイオイオイオイ、一体全体何が起こってやがんだ?!」

「ベートさん! レフィーヤも!」

「アイズ! 無事だったか!」

「アイズさん!」

 

 アイズが僅かにベートたちに気を取られた瞬間、白の怪人が身を翻した。

 

「あれは・・・!」

 

 怪人の顔を見て、もう一人の乱入者、エルフの魔法戦士フィルヴィスが顔色を変える。

 

「おまえは! オリヴァス・アクト!?」

 

 だが白の怪人はそんなフィルヴィスを意にも介さない。

 巨大怪物の上から飛び降り、レヴィスにとどめを刺そうと剣を交えていたシャーナを蹴り飛ばす。

 強烈な蹴りを辛うじて剣の腹で受け、勢いに逆らわずに後ろに吹き飛ぶシャーナ。

 その隙に、白の怪人がレヴィスを横抱きに抱きかかえる。

 

「こうなっては仕方がない。撤退するぞ、レヴィス」

「やむを得んな・・・一つ教えてやろう、『アリア』。59階層へいけ。今丁度面白いことになっている。

 お前の知りたいことがわかるはずだ」

 

 後を追い、降りて来たアイズに語りかけるレヴィス。

 アイズはこわばった顔でそれを聞いている。

 

「それともう一つ、あいつがやり過ぎたせいで石柱が崩れた・・・あれはこの食料庫の要だ・・・言いたい事はわかるな?」

「!」

「せいぜい急いで逃げることだ・・・逃げられれば、だがな」

「もういいだろう。行くぞ」

 

 そう言って白い怪人は身を翻す。アイズ達にはやはり追う余裕はない。

 食料庫が震動する。しなびた組織を突き破り、こぶし大の石が落ちてきた。

 

「【剣姫】! 脱出を!」

「あなたたちは逃げて。私たちはこいつを倒す」

 

 叫ぶアスフィに、アイズがいっそ冷徹に返す。

 

「おい【剣姫】?!」

「こいつは他のモンスターを吸収する能力がある――もし、このまま強大化したら、もう倒せないかも知れない。

 倒すチャンスは、今しかない」

 

 異を唱えようとしたシャーナが黙った。

 アスフィも動けない仲間と、目の前のモンスターの脅威を秤にかけて迷っていたが、腹をくくったようだった。

 

「わかりました。あるだけ叩き込みましょう」




 フレイヤースポーンサイキックは異形本「ロード・オブ・マッドネス」に掲載のプレイヤー用?上級クラス。
 君もマインドフレイヤーに仕えてタコさんになろう!


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7-13 我願う

「ちっ! なんだかわからんが、こいつをブッ倒さなきゃいけねぇってことかァ!?」

 

 巨大怪物の攻撃をかわしつつ、アイズ達の会話を耳ざとく聞きつけたベートに、上から声が降ってくる。

 宙に静止するイサミだ。

 

「ちょっと待ってろ早漏狼! でかいのぶちかますから10数えるまで待て!」

「そ、空を飛んでる?!」

「この虎刈り野郎! 誰が早漏だ! もういっぺんぶちのめされてぇか、オラ!」

 

 それには答えず、イサミが呪文詠唱を始める。

 舌打ちしてベートが『魔剣』を抜き、自らのブーツに炎の魔力を充填し始めた。

 特殊武装【フロスヴィルト】。魔力を吸収し、攻撃力に上乗せするミスリル製の打撃長靴である。

 

「おい、お前らも詠唱始めとけ!」

「は、はい!」

 

 イサミとベートの会話に顔を赤くしていたエルフ二人もつられて詠唱を始め――次の瞬間、その表情が引きつった。

 

 巨大怪物の全身を無数の冷気の爆発が覆う。

 イサミの"時間停止(タイムストップ)"からの、11連続《発動遅延》"冷気の炎の泉(フロスト・ファイヤーブランド)"。

 そして更に数秒経ち、再度"時間停止(タイムストップ)"からの、11連続"音波の炎の泉(ソニック・ファイヤーブランド)"。

 今度は不可視の衝撃波が凍り付いたその体躯を砕く。

 

「これで・・・どうだっ!」

 

 24連続の高速発動、極度の精神集中に息を切らすイサミ。

 祈るような気持ちで怪物の巨躯を眺め・・・次の瞬間、体の大部分が砕け散る。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!」

「いやったぁっ!」

 

 上半身と、僅かな触手しか残らず、苦悶の叫びを上げる女体型。

 空中でガッツポーズを取るイサミ。

 

「よっしゃ、よくやったガキィ!」

 

 叫び、待ちかねていたベートがいち早く突進した。

 アイズ、シャーナ、アスフィがそれに続く。

 

「どぉりゃぁぁぁぁっっ!」

 

 爆炎が炸裂する。跳躍したベートの蹴りが女体型の胸を穿ち、込められた炎の魔力が爆発を起こす。

 ベートが飛び離れた瞬間、アイズの斬撃が斜め下から肩口まで、胸を大きく切り裂く。

 体と同じ極彩色の魔石がむき出しになる。

 

「ちっ・・・差ァ開けられた・・・!」

 

 魔剣の魔力を乗せた自分の蹴りのダメージ、魔法を乗せたアイズの剣撃のダメージ。

 それらを見比べて、ベートが不機嫌そうにつぶやく。

 

「アアアアアアアアアアアアッ!」

 

 女体型は苦悶の声を上げ、両手を床につく。

 逃走にかかろうとして力をためようとしたその瞬間。

 

「どりゃあああああああああああああっ!」

「【一掃せよ破邪の聖杖(いかづち)!】 【ディオ・テュルソス】!」

 

 シャーナの大剣が右手首を切り飛ばし、フィルヴィスの雷撃魔法が左腕を焼く。

 それでも逃走しようと腕に力を込め――女体型は、己の下半身が床から離れないのに気づいた。

 いつの間にか、強力なねばねばが床と自身を接合している。

 

「ざまあみなさい・・・っ!」

 

 いつの間にか姿を消していたアスフィがつぶやく。

 予備の透明兜をかぶり、気づかれぬように接近して強化版「足止め袋」の試作品で女体型の下半身を固定したのだ。

 

 自らの体組織を切り離して脱出しようとする女体型だったが、一手遅い。

 

「【狙撃せよ妖精の射手、放て必中の矢!】 【アルクス・レイ】!」

 

 レフィーヤのありったけの魔力をつぎ込んだ巨大な光の砲撃が、露出した巨大な魔石を打ち貫く。

 女体型は苦悶の声を上げる暇もなく、魔石を砕かれて灰となった。

 

 

 

「おっしゃ、やったぜ!」

「喜んでる暇はないです! 早く脱出しないと!」

 

 アスフィのそのセリフとほぼ同時に、数mはあろうかという巨石がすぐ近くに落ちてきた。

 続けて、天井にひび割れが入り、次々と小さな岩石が落下してくる。

 

「おいイサミ! ヘルメス・ファミリアの連中を!」

「わかってる!」

 

 数人、頭を振って意識を取り戻しているが、全員の回復を待っている余裕はなさそうだと判断し、ドラゴンマークではなく自前の呪文から《連鎖化》した"大治癒(ヒール)"を発動する。

 ルルネに命中し飛び移った呪文の力が、全員の朦朧化をまとめて解除した。

 

「ちっ、ザコどもが、手間かけさせてんじゃねえよ! とっとと・・・」

 

 退路を確保しようとしていたベートの目の前で、食料庫の出口が崩落した。

 さすがのベートが声を失う。

 

「《範囲操作》《範囲拡大》"物質分解(ディスインテグレイト)"! 《高速化》《範囲操作》《範囲拡大》"物質分解(ディスインテグレイト)"!」

 

 イサミの光線が、崩落した部分に直径24mの穴を穿つが、次の瞬間それも崩落する。

 アイズの頬にも一筋の汗が伝った。

 

「くっ・・・!」

「崩れるぞ!」

「うわぁぁぁ! やっぱりあんな黒ローブの依頼なんか受けるんじゃなかったぁぁぁ!」

 

 阿鼻叫喚が響く中、イサミは本当に最後の切り札を切る。

 "ミストラに選ばれし者"、そして"マジスター"として得た18の疑似呪文能力の一つ、本来莫大な経験値と引き替えであるにも関わらず、魔法の女神ミストラの加護故に一日2度までノーコストで使える、現実を思うがままに改変する魔法。

 

 "願い(ウィッシュ)"。

 

『我願う! 我らを安全な場所へ脱出させたまえ!』

 

 緑色の光が瞬く。

 次の瞬間、食料庫の天井は全面的に崩落した。

 

 

 

 光が差していた。

 視界に緑が広がる。

 周囲には水晶。

 遠くには湖とリヴィラの街が見える。

 

(・・・18階層か。とりあえず脱出は出来たらしい)

 

 周囲を見渡し、漏れがないかを確認する。

 シャーナ、アスフィ他ヘルメスファミリア15人、ロキ・ファミリアの二人とエルフの魔法戦士。

 自分を含めて総勢20人を確認して安堵の息をつく。

 信じられないように周囲を見渡していたアスフィが、イサミの方に歩み寄り、小声でささやいた。

 

「・・・これはまさか、あなたの仕業ですか?」

「さあ、どうでしょう。まあみんな助かったようですし、いいんじゃないですか?

 余計な奴も助かっちゃってますけど」

 

 ぴくり、と狼の耳が動く。

 

「なんだと、コラ。余計なってのは誰の事だ虎刈り!」

「さあ、少なくともレフィーヤやそっちのエルフさんのことじゃあないな」

 

 ガンを飛ばすベートと、それをふてぶてしく見返すイサミ。

 あわあわしているレフィーヤにちらりと笑みを含んだ視線を向けた後、「そっちのエルフ」ことフィルヴィスのほうに視線を向ける。

 

「おいこら! シカトしてんじゃねえ!」

 

 ベートが文句をつけてくるが、無視。

 

「ディオニュソス・ファミリアのフィルヴィス・シャリアさんとお見受けします。俺は・・・」

「知っている。ヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネルだな」

「おや、ご存じで」

 

 意外そうにイサミが目をぱちくりとさせる。

 

「怪物祭では活躍したと聞く。それで、何の用だ?」

「先ほどあなたが口にした名前について。・・・オリヴァス・アクトと聞きましたが」

「・・・」

 

 フィルヴィスの表情が目に見えてこわばった。

 

「オリヴァス・アクト? "白髪鬼(ヴェンデッタ)"ですか!? 馬鹿な、彼は・・・!」

「くたばったはずだな。"第二十七階層の惨劇"の時に」

 

 アスフィの言葉を、ベートが引き取る。

 

「第二十七階層の惨劇って・・・」

「闇派閥の生き残りがモンスター達を大量に呼び寄せて、討伐に来た冒険者達もろとも自爆した事件だな。

 階層主(アンフィスバエナ)まで巻き込んだと聞いていますけど」

 

 イサミの確認にこくり、とフィルヴィスが頷く。

 

「ああ。私は・・・あの事件の生き残りだ。

 そしてオリヴァス・アクトはあの事件の首謀者の一人・・・だが、あいつは死んだはずなんだ」

「オリヴァス・アクトに間違いないんですか?」

「ああ、あの目、あの髪・・・忘れはしない・・・!」

 

 激情に襲われ、拳を握るフィルヴィス。

 

「死体は下半身だけが見つかったんでしたね。つまり、上半身は見つかってない」

「あなたは、彼が上半身だけで生き延びて、下半身を再生したと?」

 

 汗を一筋たらしながら、アスフィが問う。

 いや、問いというより確認か。眼鏡を直す手が僅かに震えている。

 

「どういう訳かわかりませんけど、あいつの相方は胸に魔石を埋め込まれていた。人間なのに。

 あいつも同じ存在だとして、モンスターのような回復力を得て、それで生き延びたと考えればつじつまは合います。

 あいつ自身、『二つ目の命を授かった』って言ってましたしね」

「筋は通ってますね・・・私も気になることがあります。

 彼女の胸の魔石は、食人花と同じ極彩色でした。つまり食人花と同じく魔石食らい・・・強化種である可能性があります」




 D&Dでは何故かテレポートの際に緑色の光が点滅することが多いです。
 まあ最近ではそうでもないみたいですけど。


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7-14 勇者の褒賞

 嫌な沈黙が落ちた。

 モンスター、それも強化種の能力と、冒険者の能力を併せ持った敵。

 しかもビホルダーやアボレスと言った、異形の者どもの力も借りている。

 

「・・・どうなっちまうんだよ、オラリオは? あいつら、マジでオラリオを潰そうとしてるんだろ?」

「ブルってんじゃねえよ、ザコが。んなもんぶちのめしゃいいんだ。そうでなかったら食われるしかねえ」

 

 おびえるルルネをベートが一蹴する。

 ため息をつきつつ、イサミもそれを肯定するしかない。

 

「まあ、そういう事だな。見ての通りあいつらは撃退できた。逃げられた奴もいるが、俺たちが勝ったんだ・・・どうにかなるだろ。

 オラリオには一万人からの冒険者がいるんだ。20人で一匹片付けられるなら、500匹くらいは大丈夫って計算さ」

 

 意図的に軽く振る舞い、肩をすくめて見せる。

 いくつかの笑いが上がり、多少は雰囲気もゆるんだようである。

 

(しかし・・・ひょっとしたら俺の「仕事」ってこれなのか?)

 

 沈思黙考する。

 イサミも、おそらくあのビホルダーや白仮面達も、この世界においては異物である。

 

 ただ強いだけなら、ロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリアの強者達でも事足りるだろう。

 だが、ああした異物たちに対処するために自分は送られてきたのではないか?

 

(だとしたら、俺はワクチン・・・ってわけか。他にも俺みたいなのがいるんだろうか?)

 

 この世界において、空間を渡る効果が発動しない理由もその辺りと関係しているのではないか、あの赤い男にもう一度会って話を聞きたいと思いつつ、アイズが近づいてくるのに気づく。

 

「それじゃ失礼します。早く帰らないといけないみたいなので・・・」

「ああ、お疲れ様。今日はありがとう」

「いえ・・・それより、忘れてましたけど弟さんは大丈夫ですか・・・?」

 

 奇声を上げて逃げ出したベルのことである。

 苦笑しつつ手をぱたぱたと振る。

 

「大丈夫だよ。あの歳の男にはたまにあることなんだ。気が向いたらまた話しかけてやってくれ」

 

 ほっとしたような顔でアイズがこくりと頷く。

 

「おら、さっさとしろよ。お前を連れ帰ってこいってロキに言われてんだからな」

 

 その後ろに見えるのは仏頂面のベートと、ぺこりと頭を下げるレフィーヤ。

 

「それじゃ・・・」

「ああ、帰り道も気をつけて」

 

 無言できびすを返すベート。

 アイズ達もそれにならう・・・が、ベートは背中を向けたまま足を止めた。

 

「イサミ・クラネルだったな・・・覚えておいてやるぜ。てめえのほうはな」

「そのうち弟の方も覚えることになるさ。いやでもな」

「けっ」

 

 互いに視線を交わさないまま、言葉だけを交わす。

 そのまま、ベート達は去っていった。

 

 

 

「さて、私たちはこのまま戻りますが、あなた方は?」

 

 何となくロキ・ファミリアを見送った後、アスフィが話しかけてきた。

 

「そうですね・・・」

 

 と、懐から時計を取り出して時間を確認する。

 

「ちょっと寄りたいところがあるので、これで失礼します。皆さんが帰れば報告には十分でしょうし」

 

 あれだけの目に合ってまだダンジョン潜るつもりかよ、と言いたげなヘルメス・ファミリアの視線がイサミに集中する。

 アスフィも苦笑して頷いた。

 

「わかりました。それでは()()()()。今日は本当にお世話になりました」

「お気になさらず。助けたくて助けたんですから」

 

 すました答えに、アスフィが今度はくすりと笑みを漏らす。

 

「いえいえ。ささやかですが、お礼です。ちょっと耳を貸して下さい」

「ん?」

 

 イサミがアスフィと顔の高さを合わせるようにかがみ込んだ。

 目の前に降りて来た大きな頭を両手でそっと挟む。

 頬に口づけをしようとして・・・直前でアスフィはイサミの唇に自分の唇を合わせた。

 

「あ・・・」

「「ああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっ!?」」

 

 どよめくヘルメス・ファミリアの面々。

 そしてわき起こる絶叫二つ。

 一つはシャーナの、もう一つはヘルメス・ファミリアのキークスという盗賊風の男。

 

 ぱちくりと、イサミは目をしばたたかせる。

 自分の唇に触れている柔らかい感触が、脳の理解力を越えている。

 

 アスフィがそっと唇を離す。

 イサミの顔に盛大に朱が差す。

 鍛え上げた技能も、心を平静にするマジックアイテムも、この時ばかりは全く効力を発揮してくれない。

 

「~~~~~~~~~~~っ!?」

 

 声にならない絶叫を上げ、尻餅をついた。

 そのまま2mほども後ずさる。

 

「あなたでもうろたえることがあるんですね。

 いつもすました顔をしてるから、そういう子なんだと思ってました」

 

 アスフィが頬を染めながら、おかしそうに笑った。

 

「それでは失礼。また会いましょう」

 

 優雅に一礼して、アスフィもまたきびすを返す。

 号令一下動き出すヘルメス・ファミリアの中で、地面にくずおれてOTLする男が一人。

 ルルネが苦笑しながら肩を叩いて慰めてやっていた。

 

 

 

 ヘルメス・ファミリアがヒューマンの男を引きずって去った後も、イサミは尻餅をついたままだった。

 右手を胸に当てるが、胸の動悸も、朱に染まった顔も、混乱した頭も、いっかな元に戻ってはくれない。

 面白くなさそうな顔で、シャーナがそばに立っている。

 

「・・・・・・」

「・・・ほら、立てよ。行くんだろ?」

「ああ・・・うん」

「あれだろ、狙いは宝石樹だろ? 崩落したのは食料庫だけだろうし、俺とお前なら木竜も大した相手じゃねえ」

「ああ・・・うん」

「おい、聞いてるのか?」

「ああ・・・うん」

「おまえのかーちゃんでべそ」

「ああ・・・うん」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 シャーナが何を言っても、イサミはアスフィ達の去った方を呆然と見つめているだけ。

 

「おうふっ!?」

 

 何故だかとてもむかついて、目の前のマヌケ面を力一杯張り倒した。

 

 

 

 

 

 ギルドの深奥、祭壇の間。

 巨神ウラノスの前に黒ローブが姿を現した。

 

「・・・どうだった、彼の者は」

「おそらくは味方・・・と考えていいだろうね。

 まだ断言はできないけど。

 だが、私が知る限りでは今までで一番希望が持てるかも知れない」

「封印が完全に解けてしまえば、再びあの戦いが起こる。

 それだけは何としてでも避けねばならん」

「わかってる。だから私もここにいるのだからね」

 

 ウラノスが瞑目する。

 黒ローブが天井を仰ぎ、神殿は再び沈黙に包まれた。

 




タイトルがどれのことかはご自由に想像してください(ぉ

設定ですがオラリオの冒険者が一万人というのは捏造です。
確か原作だと言及はされてませんでしたよね?


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第八話「呪文やアイテムの和名チェックめんどくさい」
8-1 リリの人生相談


 

 

 

『この盃を受けてくれ どうぞなみなみつがしておくれ 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ』

 

 ―― 『歓酒』 作:干武陵 訳:井伏鱒二 ――

 

 

 

「ああああああああああ・・・・・・・私は何故あんな真似を・・・!」

 

 例の事件の翌日、顔を真っ赤にして執務机に突っ伏すのはヘルメス・ファミリア団長アスフィ・アル・アンドロメダ。

 朝から半日近くずっとこんな有様である。

 

「ううう、ほっぺたで良かったじゃないですか・・・何故くちびるに・・・バカバカ私の馬鹿・・・!」

 

 頭を抱えて唸っているアスフィを、他の団員達は遠巻きに見守っている。

 心配そうな顔をしている者もいれば、生暖かい視線を送っている者、やけ酒を飲んでいる者など様々だ。

 そのような視線にも気づかず、アスフィはどうにか理論武装して自分を再構築しようと試みる。

 

「そうです、あの時の私は気が動転していたんです。

 あのような未知の怪物に翻弄され、異常な攻撃を受けた上に死にかけていたわけですし、そう言う状況では正常な判断力を失ったとしてもおかしくは・・・」

 

 そのままなら普段通りのアスフィにどうにか戻れただろう。

 が、空気を読まない(あるいは読みつつ無視する)神が約一名。

 

「やほー、アスフィ。例のイサミ君と熱烈なディープキッスかましたってホント?」

「黙りなさいこのちゃらんぽらん神ィーッ!」

「ブギャッ!?」

 

 涙目のアスフィがサイドテーブルにあった花瓶を全力投球する。

 哀れな花瓶は狙い過たずヘルメスの顔面に炸裂し、陶器の破片と水と花をまき散らして神は倒れた。

 

「あああああああ・・・もう!」

 

 まとまり掛けていた理論武装が雲散霧消し、アスフィはまた真っ赤な顔で自分の行いをリフレインし始める。

 団員達の生暖かい視線がより一層強まったことに彼女は気づいていない。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第八話「呪文やアイテムの和名チェックめんどくさい」

 

 

 

 時刻は戻って、24階層の死闘当日。

 宝石樹を回収したイサミ達が迷宮を出たのは三時を少し回った頃だった。

 例によって"風乗り(ウィンドウォーク)"で高速移動してきたため、アイズたちやヘルメス・ファミリアの面々も追い越しての帰還である。

 

「ちょっと早いけど、俺は夕食の買い物をしてきます。ホワイトリーフの換金お願いしますね」

「おう」

 

 ついでに摘んできたホワイトリーフを青の薬舗に売り飛ばしてこづかい稼ぎ。

 とは言っても、深層の稼ぎに比べれば、本当にこづかい程度のものではある。

 

 それぞれの用事を終えてファミリアのホームに戻ると、居間でヘスティアとベルが難しい顔をしていた。

 リリはどことなく申し訳なさそうな顔をしている。

 

「あ、にいさん、シャーナさん!」

「なんだ、しけたツラしてんな。どうした?」

「それがね・・・」

 

 話はやはり、リリのことであった。

 今後もベルのサポーターをすると言うことで話はついたのだが、そこから先について話がまとまらない。

 

 かつてのリリの被害者である冒険者・ゲドをも巻き込んでリリへの襲撃を敢行したソーマファミリアの冒険者、カヌゥたち三名。

 彼らはリリが生きていると知れば、やがてまたその金を狙って何事か画策するだろう。

 

「・・・連中、ベルも狙ってくると思うか?」

「わかりません。ベル様の実力は見たはずですから、軽々しく襲撃はしてこないと思いますが・・・」

 

 そのままリリは言葉を濁す。

 何をやってくるかわからない連中だ、というのを言外に匂わせて。

 

「その人達は何でそんな事をするの? その、リリから何か盗まれたわけでもないんだろう?」

「それは・・・」

「神ソーマの造る酒を飲みたいから。違うか?」

「!」

 

 イサミの言葉に、リリが驚きをあらわにする。

 シャーナが呆れたような顔になった。

 

「は? 酒ぇ? そのために同じファミリアの構成員をハメるって? ありえねえ。どんだけ美味い酒だよ」

「小耳に挟んだんですよ。ソーマ・ファミリアでは麻薬みたいな酒を造ってるって。それを飲みたさに、みんな必死に金を稼いでるって」

 

 吟遊詩人(バード)の能力"バードの知識(バルディック・ナレッジ)"である。

 酒場の冒険者達のひそひそ話、ギルド職員の愚痴、雑貨屋の店員のうわさ話――そうしたものを総合して導き出した結論だ。

 

 リリがうつむいていた顔を上げた。

 

「・・・その通りです、イサミ様。ソーマ様の造る酒は人を狂わせます。

 どうしても呑みたくて呑みたくて仕方がなくなってしまうんです。

 そして、それを呑めるのはノルマを満たした人だけ」

「うげぇ・・・麻薬中毒以外の何物でもないじゃねえか。お前よく抜けてこれたな」

 

 何か嫌な思い出でもあるのか、盛大に顔をしかめるシャーナにリリが自嘲の笑みを浮かべる。

 

「リリもはまってましたよ? 一口飲んだだけで、もうそれのことしか考えられなくなっていました」

「それでもソーマは神酒を配ってるんだろう? もう麻薬の売人と変わりないじゃないか!」

 

 憤激するヘスティアに、今度は寂しそうな笑みを向けるリリ。

 

「ソーマ様も、昔はそこまでひどくはなかったんです。

 両親が死んで放置されていたリリを育ててくれたのはソーマ様でしたから・・・リリにとって、ソーマ様は親も同じなんです」

「むっ・・・」

 

 ばつが悪そうにヘスティアが口を閉じた。

 

「ソーマ様がお変わりになってしまったのは、多分神酒を飲んだリリを見た時からだと思います。

 それ以降のソーマ様は、本当にお酒のことにしか関心がなくなってしまって・・・ファミリアも、団長のザニスが好き放題に壟断しています。

 今のソーマ・ファミリアは、実質あの男の私物と化しているんです」

「でも話を聞く限り、そいつをどうにかしたとしても、ソーマの方をどうにかしない限り難しそうだねえ」

 

 ヘスティアの嘆息に、憂鬱そうにリリは頷いた。

 イサミもつられたようにため息を漏らし、話を元に戻す。

 

「まぁ今はソーマファミリアの改革じゃなくて、リリの身柄のことだな・・・

 確認するが、リリは変身魔法が使える。そして、それをあのゲドって冒険者に知られた。これは間違ってないな?」

「はい。たぶんカヌゥさんたちにも知られていると思います」

 

 イサミがぼりぼり、と頭をかく。

 

「死体が残ってない限り、あの状況でリリ達が死んだと判断するかどうかは微妙だろうな。

 いや、リリをヒューマンなりアマゾネスなりに変えればいいんじゃないかと思ったんだが、変身魔法が使えると知られてたら、意味がないんだよなあ」

「・・・そのような事がお出来になるのですか?」

「秘密だぜ?」

 

 驚いた顔になるリリ。

 イサミは片目をつぶって、口元に人差し指を一本当てて見せた。

 

 魔術師8レベル魔法、"万能変身(ポリモーフ・エニイ・オブジェクト)"。

 人型種族はおろか、モンスターや物体にも変身できる/させられる魔法である。

 

 元の姿が近しいほど持続時間は長くなり、人型種族から人型種族への変身であれば永続する。

 新しい体に慣れる必要はあるが、この状況にはうってつけの魔法であるはずだった。

 

「リリの魔法はそんな大きく変わることは出来ませんが・・・」

「相手が『できる』って思っちゃったらそれで終わりだからなあ。あ、後で変身するところ見せてくれる? 興味があるんだ」

「イサミ様の魔法に比べれば大したものではありませんが、まぁお望みでしたら」

「おい話がずれてんぞ」

 

 好奇心を発揮するイサミの脇腹を軽くこづいて、シャーナが話を再び元に戻す。

 

「まあ、脅しつけてどうにかするって手はあるな。ソーマって確か、数はそこそこ多いがレベル2止まりだろ? 最悪、俺とイサミだけでも全員叩きのめせるだろうさ」

 

 まあそうですね、とイサミが頷く。

 

「でも最後の手段にしておきましょう。下手に恨みを買って、たとえば神様なんかにとばっちりが来たらたまりませんし。金貨の袋で頬を叩く方がまだしもでしょう」

「まぁな。いくらくらいでいけるかね」

「1000万も用意すれば大丈夫じゃないですか?」

 

 そこでリリがたまらず話に割り込んできた。

 

「い、いけません! リリのためにそんな・・・」

「別にリリのためだけじゃない。ベルのサポーターが問題抱えてたんじゃ不安だからね」

「今日な、宝石樹を取ってきたんだよ。それに木竜のドロップアイテムもだ。それだけでも三千万は固いぜ」

 

 にっ、と笑いあうイサミとシャーナ。

 リリは驚きの余り声も出ない。

 

「まあ宝石樹は売るにはちょっと惜しいし、貯金から出しましょう」

「わ、私の蓄えがありますから、まずそれを・・・!」

「それは後で精算しよう。

 リリ、正面から行って入れてくれるか?」

「・・・難しいと思います。先ほども言ったように、今のファミリアはザニスに壟断されていますから」

「なるほど。それじゃしょうがないなあ」

 

 何を考えているのか丸わかりの笑みを浮かべるイサミを見て、リリは考えるのをやめた。



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8-2 神ソーマ

 夜半。真夜中にはやや時間がある頃合い。

 リリ達は透明化してソーマ・ファミリアの酒蔵に忍び込んでいた。

 

 "透明球(インビジビリティ・スフィア)"を使ったイサミを中心に、リリとベル。

 イサミはリリと二人で行くつもりだったのだが、珍しくベルが食い下がったのだ。

 

 透明化と飛行の呪文を併用して難なく忍び込み、やがて最上階の一室の前で三人は足を止める。

 

「ここか?」

「・・・はい」

 

 緊張した面持ちでリリが頷く。

 ベルとも頷き交わし、イサミは扉を開けた。

 

 

 

 扉の中は広くはあるが質素な一室だった。

 作り付けの棚と物入れのほかは飾りもない机とベッド、いくらかの植木鉢と酒らしき瓶が並んでいるだけに過ぎない。

 

 手酌で酒を飲んでいた、中背の繊細そうな青年が顔を上げた。

 外見はただの青年のようだが、発散される神気で人ではないのがわかる。

 それを見つつ、扉を閉めて鍵をかけると、イサミは不可視化の術を解いた。

 

 同時に声が漏れないよう、"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"の疑似呪文能力を用いて"モルデンカイネンの(モルデンカイネンズ・)秘密の部屋(プライヴェイト・サンクタム)"の効果を呼び出す。

 

 普通に発動する事も出来るのだが、施術に10分かかるため、リミテッド・ウィッシュで呪文を"擬似再現(エミュレート)"し、発動時間を短縮したのである。

 ともあれこれで部屋の中の光や音が外に漏れる気遣いはない。

 

「おまえたちは・・・リリルカ・アーデか。どうした」

 

 杯に酒をつぎ足しながら、どうでもよさそうに神が言った。

 リリが両手と頭を床につけ、平伏する。

 

「お願いいたします、ソーマ様。リリをファミリアから退団させて下さい・・・!」

「そういう事はザニスに言え。ファミリアの運営はあれに任せてある」

「ザニス様はきっと許してくれません! もしくは、絶対払えないような額を吹っかけてきます!」

「なら諦めるのだな」

「・・・っ!」

 

 あなたはそれでも神か、そう詰め寄ろうとして、直前でベルはイサミに制された。

 代わって交渉用の笑みを浮かべたイサミが進み出る。

 

「初めまして、神ソーマ。私は・・・」

「・・・!」

 

 ソーマが初めて、顔を上げた。

 まじまじとイサミの顔を見る。

 

「なにか?」

「いや・・・なんでもない。それで? 何か話があるのだろう」

 

 再び視線を手元に戻し、杯をあおるソーマ。

 一礼してイサミが話し始めた。

 

「くだんのザニス氏はこう申し上げては何ですが、今ひとつ信用できません。

 ので、神様に直接ご裁断を頂きたいと思った次第です。

 ここに手形が500万ヴァリスあります。これでリリルカ・アーデの改宗を認めて頂けないでしょうか?」

 

 言いつつ、懐から一枚の紙片を取り出し、床に座るソーマの前に置く。

 紙片にはギルドの紋章と印、500万ヴァリスの額面。

 

 高額決済用にギルドが行っているサービスである。

 現金を預けて手形を発行し、手形を持って来た者に額面分の金額を支払う。

 現代世界でいう所の小切手と当座預金のようなものだ。

 

「現在のソーマファミリアの異常さはギルドでも問題になりつつあります。

 ギルドがこちらのファミリアの内情を知れば、神酒の醸造に制限をかけてくることもあり得るでしょう。

 私どもも場合によっては・・・」

 

 時には脅し、あるいはなだめすかす言葉にもソーマは動かない。

 聞いているのかいないのかわからない様子で黙々と杯に酒を満たし、口に運ぶ。

 

「私たちとしては、御ファミリアの内情には興味はございません。

 ただ、友人であるリリルカ・アーデを助け出したいだけなのです。

 お許しをいただけるなら・・・」

 

 イサミが移籍金の値上げを口にしようとしたところで、ソーマが手を振った。

 

「ああ、もういい。面倒くさい。500万もあれば、ザニスも納得するだろう」

「本当ですか!」

 

 叫んだのはリリではなく、ベルだった。

 

「よかったね、リリ!」

「あ、はい・・・」

 

 喜色満面でリリの手を握り、ぶんぶんと振る。

 当のリリはと言うと、まだ実感が湧かないのか曖昧な笑みを浮かべる。

 

「リリルカ、背中を出せ」

「は、はい」

 

 服をはだけたリリの背中に、ソーマが無言で指を走らせる。

 【錠】を解除した後血を一滴落とすと、背中のステイタスが光り、波打つ。

 

 これでヘスティアが自らの血を落とせば、"改宗(コンバージョン)"は完了する。

 リリが拍子抜けする程あっさりと、儀式は終了した。

 

 

 

「ありがとうございました。それでは失礼致します」

 

 一礼するイサミ。

 リリもぎこちなく一礼し、ためらった後口を開いた。

 

「・・・今まで、お世話になりました・・・」

「・・・」

 

 ソーマが杯を持つ手を止める。

 イサミとベルも動きを止め、しばし沈黙が部屋を包んだ。

 長い逡巡の後、ソーマがぎこちなく口を開く。

 

「リリルカ・・・いい仲間を持ったな」

「・・・はいっ・・・!」

 

 再びソーマがうつむいた。

 リリがもう一度一礼し、イサミ達と共に立ち去る。

 扉が閉まるまで、ソーマが再び顔を上げることはなかった。

 

 

 

 再び透明化し、"集団飛行(マス・フライ)"の呪文で宙に舞う。

 壁を越え、通りを二つ越えたところに三人は着地した。

 

「どうにかなったね・・・リリ?」

「・・・うわっ、うわっ、うわああああああああああ!」

 

 いきなりリリがベルにしがみついた。

 周囲を気にせず、ただただベルの腰にすがりつき、泣きじゃくる。

 

「あ、あの・・・にいさん・・・これ・・・」

「ぎゅって、抱きしめてやれ――それが、いい男の条件らしいぞ」

「え・・・あ、うん・・・」

 

 同情のまなざしでリリを見やるイサミ。

 ベルが不器用にリリを抱いてやると、泣き声がひとしきり大きくなった。

 




 正直ソーマ様はこの時点では心動かされないだろうなあと思わないでもなかったのですが、ここは無理にでも綺麗に締めた方がいいかなあと思いまして。


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8-3 イサミ悩む

 廃教会に戻り、リリの部屋とベッドを作った後、イサミは自分の部屋に引っ込んだ。

 

「・・・」

 

 ベッドに仰向けに転がっていると、ややあってノックの音が響く。

 酒瓶とグラスを二つずつ、手に提げたシャーナがドアの隙間から顔を出した。

 

「・・・何か?」

「いや、飲みたいんじゃねえかと思ってな」

 

 イサミの返事を待たず、シャーナが部屋に上がり込む。

 グラスに琥珀色の蒸留酒を注ぎ、片方を上半身を起こしたイサミに渡した。

 からん、と氷が音を立てる。

 

「何に乾杯します?」

「生き残ったこと・・・でいいだろ。俺たち冒険者にとって、何より重要なことだ」

 

 頷き、イサミがグラスを掲げた。

 遅れてシャーナも。

 

「生き残ったことに」

「生き残ったことに!」

 

 そのまま二人とも一気にグラスの中の液体をあおる。

 

「くぁ~っ、キく~っ!」

「おっさんくさいですねえ」

「悪いか、俺はおっさんだ」

 

 言いつつ、エルフの少女は手酌でグラスにお代わりを注ぐ。

 ん? と視線でイサミにもお代わりを勧めてくるのに、グラスを突き出して応える。

 

 差しつ差されつ、しばらく二人は無言のまま杯を重ねていた。

 

 

 

「・・・・」

 

 シャーナがグラスを机の上に置き、ため息をついた。

 無言で付き合っていたイサミもグラスを持ち上げる手を止める。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 無言のまま視線を交わす。

 

「で、どうなんだ?」

「どう、とは?」

「すっとぼけんな、あの女の事だよ。

 俺たちと剣姫の三人がかりでびくともしなかったあのマジモンの怪物だ。

 くそったれ、あの赤毛どころじゃねえ怪物がまだいるたぁな」

 

 実際に【剣姫】を加えて戦ったわけではないが、だとしても勝てた気はしなかった。

 どうにか膠着状態に持ち込めたのも"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"があったからであって、相手が力場を簡単に無効化するような能力を持っていれば、【剣姫】が来る前に二人が倒されていた可能性は低くない。

 

 イサミが無言のまま指を動かすと、まだ開けてない蒸留酒の瓶が宙を飛んでその手に収まった。

 

「お、おいっ?」

 

 封を切り、そのまま中身を一気に喉に流し込む。

 蒸留酒の中でも特に度数のきついドワーフの火酒が喉を焼く。

 

 だが、それだけだ。

 毒への完全耐性を持つイサミが酒で酔うことはない。

 

(酔いたいときに酔えないってのも辛いもんだな)

 

 空になった瓶をイサミが放り投げる。

 絨毯の上を転がった瓶は、反対側の壁に当たって止まった。

 

 

 

(・・・こりゃ重症だな)

 

 シャーナが小さくため息をついた。

 何となく気になって酒に誘ってはみたが、思ったよりも大きな地雷を踏んでしまったようである。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 再び、両者無言。

 イサミは何も語らず、シャーナもどう切り出していいか考えあぐねている。

 

 しばしの後、沈黙を破ったのはイサミだった。

 天井を仰ぎ、口を開く。

 

「・・・三歳の時からね、わかってたんですよ。

 自分がいずれここに来なきゃならない、怪物どもと戦って強くならなきゃならないって」

「例の予言とやらか」

「ええ。もっとも実際には生まれる前、おそらく魂だけの状態で受けたんですけどね。だからこのことはじいさんもベルも知りません」

 

 思い起こすのはあの赤いローブの老人。

 おそらくは世界の守護者と呼ばれる存在。

 

「厳密に言えば、俺には何らかの使命があって『敵』ってのはそれを阻む存在らしい。

 だから、それを思い出した三歳の時からずっと、俺にとって一年365日全てが鍛錬の日々だった」

 

 実際イサミはLv.1の冒険者としては破格に強い。

 ステイタスはLv.2相当、《特技》その他を加えれば、物理戦闘力はLv.3にも匹敵する。

 呪文修正特技を加えた術の威力は第一級冒険者並みであるし、魔法の使用回数と打たれ強さはあらゆる冒険者から隔絶している。

 

 だがそれゆえに、イサミの「恩恵」は成長していない。

 更に言えば精神的にも、戦闘経験という意味でも未熟だ。

 強くはあるが、きわめて偏った強さ。それが今のイサミという冒険者であった。

 

「それに使命を果たすため、俺には力が与えられていた。

 どんな願いでも叶える、たとえば24階層から18階層へ冒険者20人を救い出すような――そんな力を一日に二回使えた」

「・・・そりゃ、何でもやりたいほうだいだな」

 

 どう反応していいかわからない、そう言う表情でシャーナが相づちを打つ。

 頷き、イサミが話を続けた。

 

「毎日二回、"願いの呪文(ウィッシュ)"で自分を少しずつ強化し、体を鍛えて、本を読んで。

 弓が持てるようになったら狩りのふりをして山に入って狼や熊、時にはゴブリンと戦って実戦訓練を積んで・・・

 でも結局、どこか真剣味というか、命のやりとりというリアルを感じてなかった気もします」

狩猟(ゲーム)のようにか?」

遊戯(ゲーム)のようにです」

 

 打てば響くようにイサミが答える。

 

「迷宮に来てからも・・・打たれ強さは念入りに強化してたから、どんな傷を負っても命の危険は感じなかった。

 だから魔法を駆使すればもうどんな状況でも対応できると思ってたし、殺害の予言にも現実味を感じてなかったかもしれません」

「・・・だが、あの女に出会っちまった・・・か?」

「はい」

 

 憂鬱そうにイサミが頷く。

 

「ただの敵なら逃げればいい・・・だが、あいつはベルを狙ってる。

 もし今回みたいな事があったら、俺はあいつを守りきれないかもしれない。

 そう考えると・・・」

「・・・」

 

 ベッドの上で片膝を抱えるイサミ。

 シャーナはため息をついて、頭をボリボリとかき回す。

 

「よしわかった! 飲もう!」

「おいおっさん」

 

 イサミのジト目にもシャーナはひるまない。

 

「考えたってどうにもならねえ事はどうにもならねえよ。

 そんな時はな、酒飲んで寝ろ! 頭を切り換えればどうにかなることもある!」

「・・・・・・」

 

 そういやサンマ傷の眼帯海賊がそんなことを言っていたような、と薄れつつある前世の記憶を呼び起こすイサミ。

 

「酒が嫌なら女だ! いきつけの伎廊(みせ)があんだよ! 美人揃いでサービスもいい!」

「酒でお願いします」

 

 真顔で即答するイサミに、シャーナが破顔一笑。

 

「そうと決まれば、そら、行くぞ!」

「うぉっ!?」

「朝まで開いてる酒場を知ってるんだ! いい酒出すところだぞ!」

 

 イサミの腕を掴み、強引に引きずるシャーナ。

 ステイタスが違いすぎて、シャーナがその気になったらイサミでは止められない。

 "自由移動の指輪"の魔力を使えば逃れるのはたやすいことだが・・・

 

(ま、野暮か)

 

 腕を引かれるまま、イサミは流されてみることにした。

 

 

 

「うぐぇぇぇぇぇっぷ!」

「ぎゃあああぁぁぁぁっ?! 何でおぶってるときに吐くんです!

 解毒の呪文要らないって、無くても大丈夫だって言ったじゃないですか!?」

「す、すまん・・・オロロロロロ・・・」

「うわあああああ!?」

 

 その後、盛大に後悔する事になったが。



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8-4 ファミリアの休日(ただし主神を除く)

 翌朝。

 上級冒険者のレベルで考えても盛大に飲みまくったシャーナを、昨夜の恨みも込みで無理矢理叩き起こしていつも通りベルの特訓に付き合わせる。

 

 最近朝食は英雄定食、もといドラゴンマークの"英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"に切り替えたので、イサミは朝食の準備をすることもなく、のんびりと呪文書をめくっていた。

 "英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"呪文で出した食事なら病気を癒し、さらには12時間の間、毒と恐怖に対する完全耐性や魔法の打たれ強さなどを得ることが出来るからだ。

 なお夕食は今まで通りイサミの手製である。

 

 階段から足音が聞こえ、イサミは呪文書を置いてヘスティアを起こしに向かった。

 ヘスティアが顔を洗い、ベルとシャーナがシャワーを浴びれば、後はイサミがちょっと精神集中するだけで朝食の準備は完了する。

 主夫としてはありがたい限りであった。

 

 

 

 ちなみに昨夜のステイタス更新の結果、それなりにイサミのステイタスが上昇していた。特に耐久と魔力は1段階上昇している。

 おそらくフードの女及びビホルダー達と戦った時の経験値(エクセリア)だ。

 

 ランクアップはしなかったがそれはしょうがない。

 魔力だけはちびちびと地味に伸びているものの、それでも評価値F。

 ランクアップの目安である評価値Dにはまだ届いていない。

 

 ウダイオスと一騎打ちをしてレベルを上げたアイズにしろ、それまでにある程度偉業は積み重ねていたのだ。

 そう簡単に器を昇華させられるなら苦労はない。

 多少なりとも偉業経験値が入ったことでよしとすべきであろう。

 

 

 

「・・・・・・」

 

 毎度のごとく抵抗するヘスティアをどうにか起こして居間に戻ったイサミの眉が、いぶかしげにひそめられた。

 特訓を終えて降りて来たとおぼしきベルが、開いたままの呪文書を食い入るように眺めていたのだ。

 

「あ、ごめん、兄さん。今シャワー浴びちゃうから・・・」

「いや・・・そうじゃない。呪文書(それ)、わかるのか?」

「え? いや、難しくてよくは・・・」

「ちょっと待て」

 

 言いつつ、イサミは自分の"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"から、一番低レベルの部類の呪文が載っている呪文書を引っ張り出し、慌ただしくそれをめくる。

 

「これだ。これならわかるか?」

「えーと・・・うん、わかるよ! この『マジック・ミサイル』って、兄さんが使ってた奴だよね!」

「・・・!」

 

 今度こそ、イサミは驚愕に目を見張った。

 ウィザードの呪文書は高度な術式記述の塊だ。秘術使いでない人間には読み解けない。

 アルファベットも知らない人間に、プログラミング言語を理解出来るわけがないのだ。

 

「じゃあベル、こっちのページは・・・」

「ええと・・・」

「・・・サポーターくん。ベルくん達は何をやってるんだい?」

「さあ・・・リリにもさっぱりです」

 

 起きてきたヘスティアとリリの前で、呪文書を挟んだ二人の会話はしばらく続いた。

 

 

 

「うーむ・・・わからん。お前、これを誰かから習ったわけじゃないよな?」

「兄さんが読んでるのを横から覗いたことはあるけど、その時はちんぷんかんぷんで・・・今日見たら突然わかるように・・・」

「うーむ」

 

 朝食の後も調査は続いていた。

 普段ならとっくに迷宮に出ている時間になり、ヘスティアもバイトに出かけてしまっている。

 

「しかし、そろそろ皆様迷宮に出ませんと・・・」

「いや、いいんじゃねえか? 俺たちもベルも、昨日は色々あったし、ついでだから今日は骨休みをするってのはどうよ」

「あー・・・まあ、それもいいかもな。ベルはどうだ?」

「うーん、言われてみれば確かに疲れてる・・・かな?」

 

 短い話し合いの結果、ベルとリリはリリの家具を買って回ることになり、シャーナは一人で外出、イサミはホームで調べ物をすることになった。

 

「イサミ様だけ放っておいてよろしかったのでしょうか?」

「いや・・・ありゃ、テコでも動かねえだろ」

「ですね」

 

 肩をすくめるシャーナの言葉に、苦笑しつつ弟が頷く。

 

「それよりそっちは手伝い要らないのか? リリのベッドやら何やらかさばるだろ」

 

 正式にヘスティア・ファミリア入りしたことにより、リリもこのホームに住むことになっている。

 本人は遠慮したが、ヘスティアが強引に決めた。

 昨夜イサミが作ったベッドや寝具は永続しないので、今日明日のうちに買い物に行く必要があった。

 

「まあ、それくらいなら僕一人で・・・」

「リリも重い荷物は慣れてますので、お心遣いだけ頂戴いたします」

「そか。んじゃ、お先」

 

 頷くと、シャーナはぺたぺたと足音を立てて階段を上っていった。

 

 

 

 サンダルの足音をぺたぺたと鳴らしながら、ティオナ・ヒリュテは仏頂面で交易エリアをうろついていた。

 武器を新調したら姉に怒られて、マーケットでの廃品処理を命じられてしまったのだ。

 たった九千万ヴァリス、日本円で九億円程度の借金なのに。

 

「まー、来るだけなら楽しいんだけどねー」

 

 オラリオ西南西、第六区画の大半を占める市場には珍しい海産物や果物、あるいは異国の武具などが所狭しと並び、島国や砂漠など、一見して外国からとわかる服装の商人や旅人達がひしめいている。

 第四区画の歓楽街と並び、オラリオでも特に異国情緒の強い場所だ。

 

「よっしゃ、やってやるぞー!」

 

 その更に西南の方、素人向けの蚤の市の広がる区画に外套を敷き、ティオナは気合いを入れて売り子を始めた。

 

 

 

「おい、モルド! 見ろよこれ! 上物のブロードソードだぜ! 掘り出しもんだ!」

「おお、こんな蚤の市にも足を運んでみるもんだぜ・・・って、げぇ、【大切断(アマゾン)】?!」

「ちょっと、何で逃げるのさー!?」

 

 一目散に遁走する第三級冒険者らしき男達に文句を浴びせてみるも、それで客が戻ってくるわけでもない。

 ティオナの店は、先ほどから大体このような状況であった。

 

「場所が悪いのかなー・・・それとも私も呼び込みとかした方がいいのかなー・・・」

 

 とは言え、その程度でどうにかなるようなら苦労はない。

 結局ティオナは荷物を巨大なバックパックに詰め直し、場所を移動することにした。

 

「蚤の市の方でも色んなもの売ってるなー」

 

 自家製のジャムに趣味で描いたと思われる絵画や工芸品。獣の爪や牙を迷宮のドロップアイテムと称して売っているインチキ店すらある。

 

「あ・・・」

 

 思わず足を止めたのは本を売る屋台の前だった。

 難しそうな哲学書や薬学書に混じって、懐かしい冒険譚のタイトル――『理想郷譚(アルカディア)』に自然と手が伸びる。

 

「「あっ」」

 

 思わず声が漏れた。

 伸ばした手が別の手とぶつかり、互いに手を引っ込める。

 

「あっ、すいません! ぼ、僕、お金ないのでどうぞ・・・!」

「あ、うん・・・」

 

 そう言って本を譲ろうとする目の前の人物を、ティオナはまじまじと見つめた。

 おそらくは冒険者、自分より年下の少年であろう。

 

 あろう、というのは普段着の上からがっしりした漆黒の完全兜を装着しているからだ。

 兜は口元が見えるのみで、頭部のそれ以外の部分が全く露出していない。

 春も半ばを過ぎて暑くなりつつあるこの季節、奇天烈なことおびただしい。

 

「・・・暑くない?」

「その・・・取れないんです、これ」

「は?」



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8-5 私はエルナ

「ふぬぬぬぬぬ!」

「あいだだだだだだだ!?」

 

 なんでも、露天でかぶってみたら取れなくなったということらしい。

 第一級冒険者の腕力でも外れない――少年の首の方が先にちぎれかけた――兜に、ティオナは目を見開いて叫ぶ。

 

「これ呪いのアイテムだよ! 絶対呪詛がかかってるって!」

「え、ええっ?!」

 

 情けない声を上げる少年。

 魔道具(マジックアイテム)の作成に失敗するとある程度の割合でこうした呪いのアイテムが発生するが、ろくでなしの神々がわざわざ命じて作らせたものも少なくはないという。

 

「久々に見たなー、この手のアイテム・・・他に何か変な呪いはかかってない?」

「え・・・は、はい。実は、視界に映る人がみんな別人みたいに見えて・・・連れの小人族の女の子は、人間族の女の子に・・・」

「あの露店の店主さん、エルフだけど・・・」

「エルフなんですか? 体格のいい獣人の男性に見えます・・・」

 

 うーむ、と腕を組んで唸るティオナ。

 

「あ、それじゃ私はどうかな?」

「あ、その・・・華奢でおしとやかなエルフの女の子に・・・」

「エルフ・・・あたしが? ぷっ・・・あはははははは!」

 

 余りと言えば余りの変貌?ぶりに、ティオナの大笑いはしばらく止まらなかった。

 

 

 

「あの、これどうやれば取れるんでしょうか・・・」

「んー、魔薬(モーリュ)か、あるいは魔術師(メイジ)治療師(ヒーラー)なら・・・」

「あ、なら兄さんが解けると思います。兄さん、腕のいい魔術師(メイジ)ですから」

「そうなの? すごいじゃん! ・・・あ。

 ひょっとして君、"美丈夫(アキレウス)"くんの弟くん?」

「へ? いやまあ、美丈夫・・・なのかな?」

 

 戸惑う少年にぬふふ、と怪しい笑みを浮かべて完全兜の耳元に口を近づける。

 

「アイズのひ・ざ・ま・く・ら♪」

「・・・っ?!」

 

 その一言で、いきなり少年が挙動不審になる。

 おそらく何度か見たように、兜の下の顔を真っ赤にしてあたふたしているのであろうと思うと、自然と笑みがこぼれた。

 

「ひょ、ひょっとしてロキ・ファミリアのひとですか?!」

「あたりー。私はねー・・・」

 

 そこまで言ったところでちょっとしたいたずら心がティオナに芽生える。

 普段は「げえ!」などと恐れられる自分が、せっかくばれていないのだ。

 

「私は・・・エルナだよ」

「それ、もしかしてさっきの・・・」

「あはは、わかる?」

 

 『理想郷譚(アルカディア)』に出てくるヒロインの名前だ。

 

「やっぱり君もおとぎ話、好きなんだ?」

「はい、祖父や兄によく読んで貰ってて・・・エルナさんは?」

「私は昔闘技場にいてさー。その中で見つけちゃったのが英雄譚の本だったんだよねー。

 それではまって集めるようになって・・・ねえねえ、騎士ガラードが助けようとする人の名前は?」

「王女アルティス様?」

「竜殺しのジェルジオが倒した怪物のすみかは?」

「シレイナ湖畔ですね」

「じゃあじゃあじゃあ、その時に竜を倒した武器は?」

「槍と見まごう聖剣と、乙女のリボン」

「すごいすごいすごーい!」

 

 ベルの知識の深さにはしゃぐティオナ。

 このまま別れるのが惜しくなった彼女は、ある提案をする。

 

「それじゃあさ、君の連れの子探して上げるから、それまで私のこと手伝ってよ!

 この荷物、売らないといけないんだ!」

「え・・・まあ、いいですよ。僕も今日はお休みですし」

 

 少年の返事を聞いて、ティオナは満面の笑みを浮かべる。

 

「オッケー! 君の連れってどんな子?」

「小人族の女の子で、エルナさんと同じくらいのバックパックを背負ってます」

「へー。力持ちだねえ。それでさっきの『理想郷譚(アルカディア)』だけどさ、あれ主人公の男の子がいいよねー」

「いいですよね! 何度失敗しても諦めずにアルカディアを探す所なんて・・・」

 

 結局二人は商売などそっちのけで、リリに見つけられるまで英雄譚の話題に花を咲かせたのであった。

 

 

 

「・・・で、リリを放っておいて、お二方は楽しくご歓談というわけですか」

「ゴメンナサイ」

「スイマセンデシタ」

 

 腕を組んで仁王立ちするリリの前で、何故か地べたに正座する二人。

 

「ええ、ええ、リリは怒ってはおりませんとも。

 ただ、あからさまな呪いのアイテムを装備してしまい、連れともはぐれたベル様が、どれほどお心細くていらっしゃるかと思ったら、事もあろうに可愛いアマゾネスのお嬢様と話を弾ませていらっしゃったと。

 どれほど力が抜けたかおわかりになりますか、ベル様」

「あ、あのー・・・」

「なんですか、エルナ様?」

「話に付き合わせちゃった私が悪いわけだし、"英雄譚(アルゴノゥト)"くんは余り叱らないで上げてくれるとうれしいかなー、なんて・・・」

 

 それって僕のこと? と首をかしげるベルをよそに、上目遣いでリリを見上げるティオナと、ため息をつくリリ。

 

「わかりました。それではエルナ様に免じてこれ以上は申し上げませんっ。

 ほら、ホームに戻ってイサミ様に解呪して頂きましょう。

 いつまでもそんなものをかぶってるわけにはいきません」

「そ、それなんだけど・・・エルナさんの荷物の処理、手伝って上げられないかな?」

「は?」

「え? 悪いよ、サポーターちゃんとも会えたんだし・・・」

「でも約束しちゃったし・・・ねえリリ、どうにかならないかな?」

 

 兜の下で超お人好し顔をしているのだろうと容易に察しがついて、先ほどに勝る重いため息をつくリリ。

 そのお人好しに自分も助けられた事を考えると、無碍に突き放すことはできなかった。

 

 

 

 夕刻、ヘスティア・ファミリア。

 

「そいつは災難だったな」

 

 わはは、と手酌で一杯やりながら笑うのはシャーナ。

 くだんの完全兜は既に解呪され、今はヘスティアとシャーナのおもちゃになっている。

 

「うわー、本当だ! ベルくんが虎人に見えるよ! イサミ君は兎人だ! 兄弟逆さまじゃないか、これ?」

「ヘスティア様はそう見えるんですか。俺はベルがドワーフでイサミが小人族に見えましたねぇ」

「二人とも、呪いのアイテムで余り遊ばないよーに。後遺症が出ないとも限らないんですからね」

「うんうん、わかってるわかってる・・・これ、明日バイト先に持って行ったらまずいかなあ」

「か・み・さ・ま!」

 

 さっきから"魔力破り(ブレイク・エンチャントメント)"の呪文を何回もかけさせられているイサミはげんなりした顔になっているが、今夜だけでもまだ何回か呪文をかける羽目になりそうであった。

 

「まあ、そう言わずにイサミ君もかぶってみなよ。面白いぜ?」

「あいにくそのサイズだと頭が入りませんので」

「ああ、たしかにそりゃそうか。あはははは!」

「だーっはっはっは!」

 

 何が面白いのか、シャーナと一緒に大笑いする紐女神。

 それを横目で見やってイサミはため息をついた。

 

「・・・まぁ話を聞かない奴らはほっとこう。ベル、明日いくつかマジックアイテム渡すから、迷宮の中でちょっと使ってみてくれ」

「え? 魔道具の実験って事?」

「むしろお前の実験だな。アイテムをどこまで使えるかって話だ」

 

 D&Dのアイテムには、特定のクラスしか使えないものがいくつかある。

 聖騎士(パラディン)にしか使えない聖剣や吟遊詩人(バード)にしか使えない魔法の楽器などだが、呪文を蓄えた長杖(スタッフ)短杖(ワンド)巻物(スクロール)などはその最たるものだ。

 

 〈魔法装置使用〉技能という裏技はあるが、これらは基本魔術師(ウィザード)なら魔術師の呪文を込めたもの、僧侶(クレリック)なら僧侶の呪文を込めたものしか発動できない。

 

 魔術師の呪文書を読み解けるベルが魔術師のアイテムを使えるとするなら、イサミとしても弟を守る手段の幅が増えることになる。もちろん、ベルの能力がどれほどのものかという好奇心もあったが。

 

「あ、そうだ、兄さん。

 エイナさんが、ちょっと来て欲しいって言ってたよ」

「エイナさんが? 何かお叱りかな。随分行ってないし」

「そんな様子じゃなかったと思うけど・・・なるべく早く来てってさ」

「ん」

 

 頷いて、イサミはとりあえず明日持たせるアイテムの選別に頭を切り換えた。



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8-6 神の怒り(Wrath of God)

 一方、同時刻のロキ・ファミリア。

 食堂で隣り合ったティオナが、アイズに今日のことを話していた。

 

「それでさー、"美丈夫(アキレウス)"くんいるでしょ。あの弟くんと偶然ばったり会っちゃってさー。

 その小人族のサポーターちゃんに売却も手伝ってもらってさー。

 何より弟くん、英雄譚にすっごく詳しくてさー。

 話が弾んで・・・アイズ? どうしたの? 何か機嫌悪い?」

「・・・別に」

 

 そう言いつつ不機嫌な表情を崩さないアイズに、これはロキの罰ゲームでよほどろくでもない命令をされたかと考えるティオナ。

 普段が普段だけに、ベルと仲良くなったのに焼き餅を焼いているとは思いつかない。

 もっとも焼き餅を焼いている当人も、それが嫉妬であるとは気づきもしていなかったりするが。

 

 

 

「うお、【剣姫】?!」

「さっきから誰か待ってんのかな・・・」

 

 翌日の夕刻。

 「バベル」の一階、迷宮への入り口にアイズ・ヴァレンシュタインの姿があった。

 入り口の柱の影に隠れながら、探索帰りの冒険者達を次々と吐き出す入り口をちらちらとうかがうその姿は不審者以外の何者でもない。

 

 やがて目当ての人間を見つけたのか、柱の影を出て一直線に歩き出す。

 その歩みの先には、白髪頭の少年冒険者がいた。

 

 

 

「ヴァ、ヴァレンシュタインさんっ!?」

 

 探索を終えてローギアに落ち着いていたベルの心拍が、一瞬にしてトップに入る。

 見事に紅潮した顔に、ずい、とアイズの顔が近づけられた。

 

「ふぁ、ふぁっ・・・!?」

「偶然・・・」

「え?」

「偶然、だね・・・ここで会うのは」

「え? あ、はい、そうですねっ!」

 

 どこが偶然だ白々しいとリリは思ったが、見事にのぼせているベルと偶然であることを強調しようと必死のアイズは気づかない。

 

「これはその、偶然だから・・・」

「は、はい、偶然ですねっ!」

 

 一方でアイズとベルの会話は早くも座礁しつつあった。

 ベルとの会話を楽しそうに吹聴するティオナに居ても立ってもいられず、とにかく(ベル)に会いに来たのであるが・・・会ったところで、さて何を話そうかわからないと言うのがアイズ・ヴァレンシュタインという少女であった。

 

「ぐ・・・偶然だね!」

「そ、そうですね!」

 

 結局、アイズの額に汗が浮かび始めたところで、リリが二人を引っ張ってとりあえずその場を離れたのであった。

 

 

 

「で、【剣姫】に特訓を受けることになったって?」

「は、はい、すいません。シャーナさんに稽古をつけて貰っているのに・・・」

「謝るこたーねえさ。稽古相手としちゃ、【剣姫】のほうがそりゃ上等に決まってる。ま、せいぜい揉まれて・・・」

「許さーんっ!」

「ひっ!?」

 

 シャーナは全く気にしていないが、一方で収まらないのがヘスティアである。

 眼と口を限界まで開き、黒いツインテールがうねうねと波打つ。

 神の怒りの前には、ベルなどおびえる哀れな子ウサギにしか過ぎない。

 

「ステイタスは! ステイタスは教えてないんだろうね?!」

「は、はい、教えてません!」

「となると成長速度に目をつけられたか・・・まぁ確かに強化種なんかを倒したりしたら・・・ブツブツ・・・」

「あ、あの、神様・・・?」

 

 おそるおそるお伺いを立てようとするベルに再びうがーっ、と吼えるヘスティア。

 

「ひいっ?!」

「とにかく! すぐに縁を切るんだっ! お互いのファミリアのためにもそれが一番なんだっ!」

「そんなぁ・・・」

 

 救いを求めて周囲を見回すものの、シャーナは肩をすくめるのみ、リリはヘスティア程ではないがやはり不機嫌そうな表情で。苦笑いをこぼしつつイサミが動いた。

 

「神様、そう言わないで認めて上げてくださいよ。Lv.6の冒険者に直接師事できるなんて、滅多にないチャンスなんですよ? 強くなれる機会を棒に振るなんてもったいない」

「それはそうかもしれないが、よそのファミリアと・・・」

「神様」

「なんだい? 言っておくけど、たとえ君とベルくんのお願いでもこればかりは・・・」

 

 イサミがにっこりと、太い笑みを浮かべる。

 

「認めてくれなきゃ、神様のお小遣いは全カットです」

「のぉぉぉぉぉっ!?」

 

 一転して崖っぷちに追い詰められたヘスティアが、盛大にのけぞる。

 数歩たたらを踏み、辛うじてロリ紐女神はその場に踏みとどまった。

 

 今度は逆にヘスティアが味方を探して周囲を見渡すが、シャーナはやはり肩をすくめるのみ。

 リリも複雑そうな顔をしているが、まだ意見できるような立場ではない。

 ベルは言わずもがなだ。

 

「しゅ、主神たるボクに対して・・・」

「このファミリアの収入のほとんどを叩き出してるのは俺ですよ? できないとでも?」

 

 イサミの笑顔は、いつの間にか素晴らしく邪悪なものに変わっていた。

 

「君って奴は・・・! いや、そもそも君は誰の味方だい?!」

「愚問ですなあ。俺はいついかなる時もベルの味方ですよ!」

「ぐはぁっ!」

「か、神様ーっ?!」

 

 きっぱりと断言され、ヘスティアが膝から崩れ落ちる。

 何よりも雄弁な圧力に、彼女の抵抗の意志は完膚無きまでにへし折られたのだった。

 

「・・・ひょっとしてイサミ様って、ベル様には凄く甘いんですか?」

「まあ、控えめに言っても兄馬鹿だな」

「うるさいだまれそこ」

 

 

 

「まぁそんな事よりベル、渡したアイテムはどうだった?」

「ええと、"氷の壁(ウォール・オブ・アイス)"のワンドと、"力術の杖(スタッフ・オブ・エヴォケーション)"は全部使えたよ。"火球(ファイアーボール)"の巻物も。

 "万能治療(パナシーア)"のワンドと、"樹皮の肌(バークスキン)"の"巻物(スクロール)"は駄目だった」

 

 ワンドは比較的低レベルの呪文一つを蓄える呪文デバイス――魔剣のようなものである。

 スタッフはその高級版で、複数の呪文を使い分けることが出来る。

 スクロールは一回限りの使い捨てだ。

 

 なお前者3つは魔術師呪文が込められており、"万能治療"は僧侶の、"樹皮の肌"は自然祭司(ドルイド)の呪文である。

 

「ふむ・・・やっぱり"魔術師(ウィザード)"呪文のみか。

 じゃあ"氷の壁(ウォール・オブ・アイス)"のワンドはそのまま預けとく。

 どうにもこうにもならないときだけ使うんだぞ」

「え・・・いいの?」

 

 眼をぱちくりさせるベル。

 イサミはため息をついた。

 

「まあそれは思わないでもないが・・・逃げるときにはこれほど便利な呪文もそうないからな」

 

 壁を作れば敵を分断できるし、単純に通路を塞いで追ってこれなくすることも出来る。

 ベルではまだ使いこなせないだろうが、戦場をコントロールできる壁の魔法は、使い方を知ればきわめて強力な呪文の一つである。

 加えて敵を倒す呪文ではないため、ベルの成長には悪影響を与えないだろうという判断であった。

 

「それとこいつもだ」

 

 そう言ってイサミが渡したのはこぶし大の無骨な自然石。

 

「これは?」

送信の石(センディングストーン)と言ってな。一日一回俺にメッセージを送ることが出来る。

 正確に言えば、この片割れのこの石を持ってる相手にだな」

 

 そう言うイサミの手には、ベルが受け取ったのと全く同じ大きさ、形の石がある。

 

「へー・・・」

「あくまで非常用だから、余りほいほい使うなよ。俺は魔法で同じ事が出来るからそうでもないけど」

「うん、わかった」

 

 素直に頷くベルが、思い出したように首をかしげた。

 

「そう言えば兄さん。エイナさんの方はなんだったの?」

「あー、ちょっと俺のレベル登録のことで問題がな。まあ、もう終わった話だ」

「ふーん」




 紐神白ウィニーの「神の怒り(Wrath of God)」を「対抗呪文(Counterspell)」で打ち消したイサミはきっと青赤のカウンターバーン使い(ぉ 


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8-7 放課後職員室(ギルド)に来なさい

 時間は戻って夕方。

 アイズがベルを襲撃するしばらく前くらい。

 イサミは、ひとりギルド本部を訪れていた。

 

「こんにちはー。来ましたよー」

「悪いわね、わざわざ来て貰って・・・ボックスの方に行きましょう。少し待っててね」

 

 珍しく硬い表情のエイナにこれは何かやっかい事かと眉をしかめつつ、イサミ達は面談用のボックス室に入った。

 しばらく待つとエイナがどこかで見たようなドワーフと入って来た。

 

「お待たせ」

「いえいえ。あれ、そっちの人は確か・・・」

「アルヴィースだ。冒険者管理業務課の課長・・・まあ、嬢ちゃんの上司の上司と言った所だな」

 

 怪物祭りの時に、西のゲートの責任者をしていたドワーフである。

 

「あー、あの怪物祭りの後な、色々と調べさせてもらったんだ。

 おまえさん、Lv.1でソロでやってるらしいが・・・魔石鑑定部の連中にちょいと当たってみたら深層クラスの魔石を、それも毎日大量に持ち込んでるらしいじゃないか」

 

 怪物祭りの時、彼やエイナを含む数人の職員にはレベル2モンスター、トロルを魔法で一撃のもとに倒したのを見られている。

 偽装用の幻影魔法円(マジックサークル)を展開するところもだ。

 

 ギルドにはLv.1で申請しているので、彼らが怪しむのも当然である。

 実際まだLv.1ではあるのだが、オラリオの常識からして信じられないのも無理はない。

 

「魔法円を展開しているのも見ちまったし、トロルを一撃で倒すのも見ちまった。

 その、なんだ、怪物祭の時はおかげでけが人もほとんど出なかったし、感謝してるんだ。

 だが実のところ、ギルドの上の方ではレベル詐称じゃないかって問題になっててな。

 できれば大ごとにはしたくないんだが・・・」

 

 済まなそうにイサミの巨体を見上げるアルヴィース。

 一方イサミとしては来るものが来たか、という心持ちであった。

 

 ギルドの魔石鑑定士はその道のプロだ。

 魔石のサイズと質を見れば、大体どのあたりの階層のものかはわかる。

 魔石を収入にしている以上、今回のようなことが起きるのは避けられない事だったと言える。

 

 とはいえ、まだオラリオに来て一月余り。こんなにも早くギルドに睨まれるとは思わなかった。

 

(ちっと目立ち過ぎたかなあ)

 

 ため息をついて、頭をボリボリとかいた。

 

「あー、まあ、おっしゃるとおり、俺は深層をうろついて稼いでます。ただレベル1ってのは嘘じゃないですよ」

「んじゃあれか、誰かレベルの高いのと組んでるってのか?

 最近おたくのファミリアに入った、シャーナ・ダーサってのとか・・・にしたって、おまえさんがレベル1てのはねえだろ」

 

 あからさまに疑っている様子のアルヴィース。

 まあトロルを瞬殺した所を実際に見ているのだ、疑いたくもなる。

 

「嘘じゃありませんよ。何なら背中のステイタスを見て貰ってもいい。

 エイナさんにだけ、と言う条件はつけさせて貰いますが」

「む・・・」

 

 そこまで言われるとアルヴィースも口ごもらざるを得ない。

 ファミリアにとって秘中の秘である構成員のステイタス。

 とあるファミリアにステイタスの開示を命じた結果ギルドが多額の賠償金を支払った件は、まだ職員の間で記憶に新しい。

 

「うーむ、このまま放置は出来ん問題ではあるしなあ。チュール、悪いが確かめて来てくれるか?」

「・・・わかりました」

 

 戸惑いながらも、エイナが頷く。

 そして一度エイナと共にホームに戻り、ヘスティアの帰宅を待ってステイタスを確認して貰ったのだが・・・結果は当然、イサミの言うとおりであった。

 

 ベルに色目をどうのこうのとエイナが釘を刺されつつ、イサミ達はギルド本部にとんぼ返りする。

 裏路地を歩きながら、エイナが口を開いた。

 

「本当にレベル1だったのね。じゃあ、深層に潜っているって言うのも本当?」

「本当ですよ。でも、それを正直に言ったら信じてくれました?」

「・・・そうね。本当は何階層まで行ってるの?」

「47階層です」

「47階層ー?!」

 

 耐えきれず、今度こそエイナが吹き出した。

 

 

 

 時間は元に戻って、夕食後のヘスティア・ファミリア。

 ベルが皿を洗っている間にヘスティアが身を乗り出し、イサミに耳打ちをしてくる。

 

「そう言えばイサミくん、あのギルド職員の件はどうなったんだい?

 何かごたごたに巻き込まれそうな気がするんだが・・・」

「とりあえずは保留って事にして貰えました。後でまた、今度は俺の能力自体を調べたいという依頼があるかもしれない、とは言ってましたが」

 

 普通なら往復に数日かかるような階層の魔石を毎日、それも大量に持ち込んでくるのである。迷宮から上がる利益で運営されているギルドとしては、そこに何らかの秘密があるなら知りたいと思うのが当然であった。

 

 とは言え、先ほど述べたようにファミリア構成員のステイタスはギルドもおいそれと手を出せない領域。どうなるかはわからないが、すぐに結論が出ると言う事はないだろう、というのがアルヴィースの言だった。

 

「魔法の件についてはエイナさんも口をつぐんでくれると約束してくれましたから、今のところ問題なのはファミリアのランクが上がって税金が増えるくらいですね。

 ただどっちにしろ、その内また面倒が起こりそうではあります」

「うーん」

 

 腕を組んで天を仰ぐ紐女神。

 イサミが黙って茶をすすった。

 

 

 

 翌朝、まだ夜も明けない時間からアイズとベルの特訓は始まった。

 既にレベル1の限界を突破しつつあるベルのステイタスと、シャーナから叩き込まれた身のこなしにアイズが目を見張ったことは言うまでもない。

 

 更にその翌日レフィーヤがベルを追いかけ回し、自分にも特訓を付けてくれるようアイズに可愛い脅迫をしたのはささやかな余談であるが、ささやかで済まない余波もあった。

 

 

 

 薄暗い室内。

 迷宮直上、バベルの最上階。美の女神フレイヤの座する玉座。

 

「あの子、見違えたわ。ステイタスがどうこうじゃないの。

 あの子の輝きはいっそう鮮やかになった――器が洗練されたようにも見える」

 

 手の中のワイングラスを転がす女神。

 若い白ワインに、誰かの面影を重ねるように。

 

「でも一つだけ、輝きを邪魔するよどみがある・・・オッタル、あなたはわかる?」

「因縁かと」

 

 部屋の隅、直立不動で立っていた猪人の従者が短く答えた。

 

「因縁?」

「はい、フレイヤ様がお話しくださったあの者の因縁・・・過去の汚点が刺となり魂を苛んでいるのでは無かろうかと・・・」

 

 フレイヤ自身詳しいことは知らないが、かの少年がミノタウロスに手ひどい惨敗を喫したことは疑いようがない。

 

「つまり、トラウマ・・・ならばその茨を取り除くには・・・」

「因縁たる過去と決別するならば、おのれの手でそれを取り除く以外にありますまい」

「さしものあなたもそうだったのかしら、オッタル?」

「男はみな、轍を踏む生き物ではないかと愚考いたします」

 

 くすり、とフレイヤが笑みをこぼす。

 

「あの子はもう、私が手を出さずとも強くなる・・・でも一つ気になる事があるの」

「時間がかかりすぎる・・・ということですか?」

「いいえ。私以外に、あの子を狙っている者がいる。それのことよ」

 

 怪物祭でのキャリオンクロウラーのことだ。

 フレイヤの勘は、その後ろに潜むフードの女の存在を明確に捉えていた。

 

「であるならば、強引にでも庇護下に置いてしまうのがよろしいかと存じますが」

「・・・それも思惑に乗るようで嫌なのよね。それに、身の安全は頼りになるお兄さんがいればどうにかなるでしょうし」

「噂は聞いております。魔導士でありながら、単身深層にまで到達する腕利きとか・・・では、時計の針を進めるのはいかがでしょう」

「時計の針?」

 

 フレイヤの視線がオッタルの方を向く。

 

「こちらでかの者に試練を与え、成長を促進するのです」

「自分で自分を守れる力を育てるということ?」

「それもありますが、輝きを引き出すのであれば、試練を乗り越える以上のものはありますまい。収穫が早くなれば、ちょっかいを出されることもございますまいし・・・何より、冒険をせぬものに、自分の殻は破れぬ道理かと」

「ふぅん・・・」

 

 妖艶な流し目を、フレイヤはおのれの従者に送る。

 

「何か?」

「その試練、あなたに任せるわ」

「・・・どのような風の吹き回しで?」

「だって、私よりあの子のことをわかっているんだもの・・・嫉妬しちゃうくらいに」

 

 そう言うと、瞳を細めて、美の女神は妖麗に笑った。



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8-8 大荒野(モイトラ)

 そしてベルとアイズの特訓が始まった日、イサミとシャーナはついに深層49階層、『大荒野(モイトラ)』に到達していた。

 直径は10kmを優に超え、天井の高さも数百mはくだらないであろう大空間。

 外壁があるからわかりづらいが、地平線すら見える。

 

「すっげえな。天井がかすんでるぜ」

 

 さすがにこの領域は未到達であるためか、シャーナもただただ感嘆の態である。

 イサミも気持ちは同じであったが、目は周囲の景色を楽しむ一方で油断無く敵の姿を捉えていた。

 

「シャーナさん、伏せて! 岩陰に隠れてください!」

 

 一瞬で感嘆の色を目から消し、地面から出っ張った岩の影に伏せるシャーナ。

 岩陰から油断無く覗かせる目は、歴戦の冒険者のそれに他ならない。

 

「敵か。どこだ? 見えねえ」

「左前方10時半。4kmほど先に山羊頭の巨人がいます。多分フォモールですね」

「・・・よく見えるな、おい」

 

 呆れたように目をすがめつつ、敵の姿を捉えようとするシャーナ。

 常人の百数十倍、高レベルの冒険者と比べても十数倍の鋭敏さを誇るイサミの五感は、たとえLv.4のシャーナであってもたやすく追従できるものではない。

 

 《ドラゴンの末裔》特技という一連の《特技》がある。

 D&Dにおける特定のドラゴンの系統――たとえばレッドドラゴンとか、カッパードラゴンとか――の血統を引き、その力を発現させた者達が得る能力だ。

 

 それはたとえばドラゴン譲りの超感覚であったり、高い術力や知識への適応能力であったり、鋭い爪や頑強な体、エネルギー攻撃への耐性であったりする。

 そしてそれは概ね発現した竜の血の強さ――平たく言えば取得した《ドラゴンの末裔》特技の数に比例する。

 

 つまり、"願いの呪文(ウィッシュ)"でほぼ無制限に特技を取得できるイサミにとって、あらゆる意味で非常に相性のいい《特技》群だと言う事だ。

 本来1系統18種の中から、しかも最大でも7~8しか取得できないそれを、イサミは41系統18種、合計738個取得することができる。

 

 もっとも、ドラゴンの強靱な皮膚を取得する《ドラゴン譲りの外皮》や爪を生やす《ドラゴン譲りの爪》特技は、取得すると明らかに人間離れした外見になってしまうので泣く泣く諦めているが、それにしても650を越える数だ。つまり、視覚などの知覚判定には+650。

 D&Dにおける一般人の視覚判定値がせいぜい10であるから、どれほど桁外れの数値かわかるだろう。

 

 更にそれを"竜の視覚(ドラゴンサイト)"呪文で強化しているため、実質的な視力はその倍に達する。

 シャーナがぼやくのも無理からぬ事であった。

 

「・・・ああ、いたいた。で、どうする。遠隔攻撃か?」

「それもいいですけど、ギルドの記録によればだいたい複数の群れがいるそうです。

 ここはもう一度気体化して、この階層全体を偵察しましょう」

「オーケイ」

 

 頷きあうと、二人は30秒程かけてゆっくりと気体化し、更に透明化して空に舞い上がった。

 

 

 

 十数分後、「大荒野」のほぼ中央で二人は再度実体化した。

 数百mほど離れた群れのフォモール達が二人に気づき、シャーナが大剣を構える。

 

「こんな所に実体化して本当に良かったのか、おい?」

「ここだからいいんです。この地点ならほぼ一掃できる」

 

 咆哮を上げながら突進してくるフォモール達。

 その咆哮で周囲にいた他の群れも気づき、イサミ達の方を目指して走り始める――だが、もう遅い。

 

 イサミが念じると、その周囲にぶんぶんと羽虫が唸るような音が聞こえる。

 《高速化》された"精神の唸り(ソノーラス・ハム)"呪文・・・術者の精神集中を肩代わりしてくれる呪文だ。

 

 そして先端に魔法石がはまっている以外、飾り気のない白い杖――魔術師レノア特製の魔杖を高々と掲げ、イサミが本命の呪文の詠唱を終える。

 

「《範囲拡大》《最大化》《威力強化》《二重化》"風制御(コントロール・ウィンズ)"!」

 

 風が唸った。

 怪物祭でスウォームシフター・キャリオンクロウラーを相手にしたときのドラゴンマークのそれとは違う、イサミ自身の強大無比な術力で発動された本物の"風制御(コントロール・ウィンズ)"の呪文。

 

 風速480km(秒速133m)、直径3840mの巨大竜巻。

 家程もある巨大な岩が宙を舞い、ぶつかり合って砕け散る。

 

 最初は耐えていたフォモール達も、一分経たないうちに次々と空中に巻き上げられ、気流の渦にひねり上げられ、上空から地面に叩き付けられる。

 そしてまた僅かな時間をおいて再び宙に巻き上げられ、気流の渦に飲み込まれる。

 

 安全なのは台風の目、イサミとシャーナがいる直径6mほどの空間のみ。

 二重の巨大竜巻に巻き上げられ、すりつぶされ、次々とフォモールが絶命していく。

 

「・・・いい加減お前の無茶苦茶には慣れてたつもりだったが・・・とんでもねえな、こいつは」

 

 冷や汗をにじませながら相棒を見上げるシャーナ。

 精神集中の維持に軽く眉を寄せながら、イサミがにやりと笑った。

 

 

 

 魔術によってもたらされた大自然の暴威は、数分ほどで収まった。

 大量の土砂と共に無残にねじくれたフォモールの死体が数百体、次々と落下してくる。

 

 例によって"従者の群れ(サーヴァント・ホード)"の呪文で手早く――それでも十数分かかったが――魔石を回収すると、二人は50階層へ向かった。

 

 安全階層である50階層は49階層と同じく巨大な空間だが、草木のろくにない「大荒野」と違い、鬱蒼たる森林――ただし骨のように白い――に覆われている。

 二人は高さ10mほどの小高い岩山で休息を取ることにした。

 

「野営の跡がありますね。一月くらい前かな?」

「ロキ・ファミリアが遠征に行ってた頃だ。連中のだろうな」

「ですね。それじゃ少し早いですけど飯にしますか」

 

 言いつつ、《歓待のドラゴンマーク》を発動する。

 むき出しの地面の上にいきなり赤い絨毯が敷かれ、精緻な細工の施されたテーブルと椅子、そして山盛りの料理の大皿や芳醇な香りをかもし出す金属製の酒瓶などが現れた。

 

「うほっ! いやー、お前とパーティ組んで一番良かったと思うのは、何と言ってもこれだよなー!」

「どういたしまして」

 

 もみ手をせんばかりのシャーナに続き、笑いながらイサミも席に着く。

 最初のうちは驚いていたシャーナも、今や慣れたものだ。

 胃袋を掴まれて逆らえる人間などいようはずもない――そもそもイサミ自身がその典型だ。

 

 

 

「さて、それじゃ52階層以下のことですけど」

 

 食事が一段落したころ、イサミが切り出した。

 

「下から攻撃が突き抜けてくる・・・んだったな」

「俺も実際に見た訳じゃありませんけどね」

 

 迷宮52階層から下は、58階層から階層の床をぶち抜いて直接「砲撃」を受ける非常識な階層だ。

 かつての最強派閥がつけた領域名はその名も「竜の壺」。

 58階層に鎮座する砲竜ヴァルガング・ドラゴンの放つ大火球が、階層床をぶち抜いて直接52階層の冒険者を襲う。

 

「まあ、一応準備はしてきましたが・・・」

「これな。お前を疑う訳じゃ無いが、どれだけ通用するもんやら」

 

 シャーナが装備している真新しい指輪はイサミの作ったリング・オブ・グレーター・ファイア・レジスタンス。

 名前の通り、火炎攻撃に対して高い抵抗力を得る魔法のアイテムだ。

 

 それに加えて両腕に装備されたアームガード、物理防御と(ブレイサーズ・)火炎無効の(オブ・アーマー・アンド・)ブレイサー(ファイア・イミュニティ)

 魔法の力場を生み出して鎧の代わりにするアイテムだが、それに加えて一分間だけ火炎に対して完全な防御を得る事ができる。

 

 さらにヘファイストス・ファミリアで購入してきた最高級の耐火炎防具と、最後の切り札として"暗黒竜の剛鱗(ヴリトラスケル)"を連続使用するための最上級マジックポーションの山。

 

「俺ばっかり強化してるけど、お前は本当にいいのか?」

「俺は大丈夫ですよ。俺がダメージ受けるような火炎攻撃なら、シャーナさんは魔法使わない限り一撃で蒸発しますって」

「うーむ」

 

 事実である。

 《ドラゴンの末裔》特技の中には、そのドラゴンの持つ元素系ダメージ、たとえばレッドドラゴンなら火への抵抗力を与えてくれるものがあるからだ。

 イサミ自身が全力で自分に魔法をかけても、元素系の攻撃であれば装備含めて傷一つつかない。そのレベルだ。

 

「まあ、ここで悩んでてもしょうがねえか。実際に行ってみないことにはな」

「そういうことですね」

 

 互いに右拳を握り、軽く打ち合わせる。

 

「おし、んじゃ行きましょう!」

「おうっ!」

 

 

 

 ――二時間後、真っ黒焦げになって51階層にたどり着いたシャーナと、こちらは無傷のイサミの姿があった。

 初手でいきなり命中弾を食らったシャーナは、備えもむなしく全身を焼き尽くされ、即死こそしなかったものの、消費アイテムの大半をバックパックごと失ったのである。

 

 無論アフロだ。

 

「畜生てめえ! 何で俺が真っ黒焦げなのにお前は無傷なんだよ?!」

「だからエネルギー攻撃に対しては高い耐性があるって言ったでしょう!

 "ヒューワードの便利な背負い袋"にマジックポーションにエリクサーに・・・ああもう、大損だ!」

 

 イサミの分のポーションその他はまだ残っているものの、これはどうにもならないと、二人は"上位不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"をかけ、手をつないで脱出を果たした(シャーナは透明化したイサミを感知できないので)のである。

 足音や臭いもごまかせる"上位不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"だけあって、さすがの砲竜も目標を見失ったようであった。

 

「あれだ、風になってそのまま突っ切ったほうが良かったんじゃねえか?」

「風になっても火炎攻撃は防げませんしね・・・穴をぶち抜いてくれるんですし、そのまま飛び降りる方がいいかも。

 それか、"上位不可視化"をかけてそのまま速攻か・・・でも、それはやりたくないですねえ」

 

 52階層へ続く階段の前でそんなことを話し合っていると、ふとイサミが通路の向こうに顔を向けた。

 

「モンスターか?」

「ええ。まあ、このままじゃ大損ですし、51階層で少しでも損を取り戻して帰りましょう」

「・・・そうすっか。憂さ晴らしだ」

 

 ぺっと両手に唾を吐き、大剣を握り直す。

 やや間を置いて突進してきたブラック・ライノスの群れはものの十数秒で駆逐された。




 普通の身長の人間なら7、8キロ先くらいが地平線になるそうです。
 なので、たぶん「大荒野」あたりは地平線が見られるんじゃないかなと。


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8-9 おそらくはそれさえも平穏な日々

 それからしばらくは、概ね何事も無く過ぎた。

 ベルはアイズと特訓を重ね、オッタルは17階層でミノタウロスを鍛えた。

 

 イサミとシャーナは52階層へのアタックを中断し、49階層と51階層での稼ぎに徹した。

 もっともこの階層まで来るとシャーナですら攻撃面では力不足であり、初日以降は大盾を構えての盾役に専念するようになっている。

 

 レフィーヤがフィルヴィスと再会して稽古をつけて貰い、イサミがホールケーキを(色々詫びとして)エイナの所に持って行った。

 アイズとベルがヘスティアの屋台に立ち寄って一騒動起きたり、軽い嫉妬に襲われたフレイヤの手のものによって警告の襲撃を受けたり、ディオニュソスがヘルメスに絡まれたり・・・。

 

 そんな中、イサミは再び夢を見た。

 

 

 

 「敵」は倒された。

 「敵」の信徒もあらゆる神々の信者達によって駆逐され、大神殿は崩壊した。

 

 だが「敵」は原初にして根源の存在故に、滅ぼす事はできなかった。

 そこである世界の神々全てがその力を結集し、その身を捧げる事を決意した。

 

 「敵」は封印され、全ての世界は再び存在を許された。

 しばしの間は・・・。

 

 

 

 イサミは目を覚ました。

 自室の石天井を見上げ、黙考する。

 

 その「敵」が自分の戦う相手なのか。

 神々が力を結集した世界がここなのか。

 考えても答えは出なかった。

 

 

 

 52階層へのアタックに失敗してから八日目、ベルとアイズの特訓が終わった日。

 深層からの帰りにイサミとシャーナは見た。

 偉丈夫の猪人が、同じく規格外に巨大なフルプレートの女戦士をはじめとしたアマゾネスの一団に取り囲まれて戦う場面を。

 

 思わず足を止めた二人は、繰り広げられる戦いを一心不乱に観察する。

 深層、未到達領域一歩手前での戦いを繰り広げてきたイサミ達の目から見ても、格の一つ違う戦い。

 

「あれひょっとして・・・」

「ああ・・・"猛者(おうじゃ)"オッタルだ・・・!」

 

 攻め手側は頭が異常に大きな、大戦斧を両手に振るう巨躯の戦士が頭一つ飛び抜けている。

 とは言え残りのアマゾネス達もおそらくはシャーナと互角。

 そしてそのような集団を相手にして都市最強の冒険者"頂天"オッタルは一歩も引いていない。

 

「でもおかしいぜ。土偶みたいなあいつはイシュタル・ファミリアの"男殺し(アンドロクトノス)"だろうが、まだLv.5のはずだ。いくらなんでも強すぎる!」

「強化魔法・・・? あの光の粒?」

 

 よく見ると、"男殺し(アンドロクトノス)"フリュネ・ジャミールを筆頭としたアマゾネス達は、全身に光の粒を帯びている。

 イサミの魔力視覚は、その光粒からきわめて強力な魔力を感知していた。

 D&Dの分類で言えば変成術。生物や物質を変質させたり、強化したりする種類の魔力だ。

 

「彼女たちの後ろのあのカーゴ・・・あれ怪しくありませんか?」

「・・・確かにな」

 

 アマゾネス達の中で数人が攻撃に加わらず、後方に控えて移動式の物資運搬用カーゴを守っている。

 人ひとりがすっぽり入りそうなそれは、異次元の戦いを繰り広げているルームの中で不気味な沈黙を保っている。

 

 やがて戦いの趨勢が少しずつ傾き始めた。

 多対一の不利な状況でありながらオッタルが一人また一人とアマゾネス達を倒していき、サポーターの回復も間に合わなくなっていく。

 

 機を見るに敏なのかリーダーとおぼしき巨女が撤退命令を出し、けが人を回収して素早く退却する。

 オッタルもそれを追わなかった。

 

 剣を収めぬままじろり、とその視線がイサミ達の方向を向く。

 以前フィンに看破されかけた事を思い出し、イサミが素早く音を立てずに"上位不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"を自分とシャーナにかける。

 

 しばらくじっとしているとやがて"猛者(おうじゃ)"は剣を収め、きびすを返してその場を立ち去った。

 戻ってこない事を確認し、"上位不可視化"を解除してため息をつく。

 

「はーっ・・・・・・・・・」

「心臓に悪いぜ、おい・・・こっちゃ透明になってるってのによ・・・」

「フィン・ディムナもそうでしたけど、本物の一流ってのはシャレになりませんねえ・・・」

 

 二人もまた、再び風になってその場を去った。

 オッタルがこの一週間何を鍛えていたのか、そしてこの階層に何を運び、盗まれたか、そして盗んだ者達がどうなったか、知る事もなく。

 

 そしてリリを付け狙っていたソーマ・ファミリアの冒険者、カヌゥ達三名の消息はこの夜を境にぷっつり途切れることになる。

 ミノタウロスの目撃情報と共に。

 

 

 

「くんくん。くんくん」

 

 その夜。

 

「くんくん。くんくん」

 

 夜更かしのヘスティアも眠る深夜。

 ヘスティア・ファミリアのホームである廃教会がかすかに揺れた。

 

(・・・"警報(アラーム)"呪文に反応?)

 

 隠し部屋でマジックアイテムを作っていたイサミが、異常を感じてふと手を止める。

 次の瞬間、轟音と共に廃教会の地上から地下につながる隠し扉が破られた。

 

 咄嗟に杖を掴み、隠し扉から飛び出す。

 

「おう、何だ一体・・・」

 

 僅かに遅れて飛び出してきたシャーナの言葉が途中で途切れた。

 イサミの暗視視覚に捉えられたその影は。

 

「ゲゲゲゲゲッ! 見ぃつけたぁ、アタイ好みのイイ男ォォォッッッ!」

 

 さしものイサミの顔から血の気が引いた。

 巨大な頭、ずんぐりとした胴体、筋骨隆々の太く短い手足。

 

 イシュタルファミリアの第一級冒険者、Lv.5、"男殺し(アンドロクトノス)"フリュネ・ジャミールだった。




 フリュネって、絶対外見のイメージもとは「ジャングルの王者ターちゃん」のヂェーンだと思う(ぉ


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第九話「キャラモン・マジェーレを性転換すると、身長2mの桜橋涼香になる」
9-1 フリュネさん無礼帖


 

 

 

『ぶう』

 

 ―― 『外谷さん無礼帖』 ――

 

 

 

「ゲーッゲッゲッゲ。見つけたよぉ」

 

 べろり、と巨大な舌が革紐のような分厚い唇を舐める。

 

「フリュネ・ジャミール・・・」

「おや、知ってくれておいでだったかい。嬉しいねえ」

 

 フリュネの唇がまくれあがり、気の弱いものなら失神しそうな笑顔を作る。

 

 イシュタル・ファミリア団長、"男殺し(アンドロクトノス)"フリュネ・ジャミール。

 レベル5、迷宮都市全体で見ても屈指のつわものだ。

 

 だがそれでも、イサミは目の前の侵入者がフリュネであることに奇妙な安堵を覚えていた。

 それがあのフードの女への恐怖心の裏返しであることに、うすうす気づきつつ。

 

「それで、フリュネ・ジャミール氏。何のご用でしょうか?」

「ゲゲゲゲゲッ。つれないねえ。あんたに決まってるじゃないかぁ。

 ――うん、改めて見ると悪くない。いや、上物だよォ! アタイの鼻も捨てたもんじゃないねぇ?」

 

 顔の端から端まで裂けた口でにばぁっと笑う。

 顔を引きつらせないよう、イサミは必死で感情を押さえ込む。

 

「そう言うわけだから、お嬢ちゃんはいい子で寝てなァ。ここからは大人の時間さ」

「・・・」

 

 絶句していたシャーナの顔が愉快な感じにひきつった。

 

「それで・・・どうやってここを突き止めたんですか? まさかとは思いますけど・・・」

「言っただろう、鼻だよォ。迷宮の中で、若い男の香りをかぎつけてねえ・・・辿って来たらドンピシャってわけさァ!」

 

(獣かお前は!)

 

 奇しくも、後にロキ・ファミリア団長が抱くのと同じ感想を、イサミもこの時共有した。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第九話「キャラモン・マジェーレを性転換すると、身長2mの桜橋涼香になる」

 

 

 

「なんだなんだなんだ・・・・うわっ?!」

「うわぁぁっ!?」

「な・・・何ですかあれは・・・!?」

 

 シャーナやイサミからやや遅れて、ベルやヘスティアたちも飛び出して来た。

 その体が一様に固まり、侵入してきた巨大な肉の塊を凝視する。

 背後のそれを感知しつつ、イサミは目の前の妖物から目を放さない。

 

「それで・・・俺に何のご用で?」

「何だ。わからないのかい? ウブだねえ。それともカマトトぶってるのかい?

 まあ、どっちでもいいけどさ。ゲーッゲッゲッゲ」

 

 巨大な眼が細められ、イサミに流し目を送る。

 ぞぞぞぞっと走る悪寒に耐え、イサミは必死に頭を回転させる。

 

(明らかにこいつは本気だ。俺以外の目的はない・・・となれば)

 

「お、おい、イサミ?」

 

 シャーナが戸惑う。じりじり、とイサミが後退した。

 笑みを大きくして、その分だけフリュネがにじり寄る。

 

「怖がらなくてもいいさぁ。たっぷりとかわいがってやるよォ」

「・・・シャーナさんはここで待機していて下さい。万が一の時は神様達をお願いします」

「お、おい、イサミくん?」

 

 脂汗を浮かべながら、イサミが更に下がり、フリュネが更に近づく。

 イサミが壁際にまで下がり、フリュネが居間の半ばにまで達したとき――イサミが動いた。

 前傾姿勢になり、全力でフリュネの脇を駆け抜けようとする。

 

「イサミ!」

「トロいよぉ!」

 

 鋭く、そして破壊力に満ち満ちたフリュネの右拳が、イサミのこめかみにクリーンヒットする。

 

「ぐっ!」

「ぬォ!?」

 

 が、僅かにバランスを崩しただけで、イサミはそのまま走り抜ける。

 鋼鉄の盾をへこませる拳をこめかみに受けて崩れ落ちないイサミに、フリュネが驚きのまなざしを投げた。

 

 フリュネの傍らを走り抜けたイサミは、そのままフリュネの背後の階段に駆け込む。

 後ろでフリュネが振り向く気配。

 足下のガレキに足を取られないように注意しつつ、数歩で地上、教会内部に飛び出す。

 僅かに遅れて、巨大なカエルがその後を追って地上に現れた。

 

 

 

 この世界と、通常のD&D世界との間には様々な差異がある。

 最たるものは「恩恵」によるステイタスの上昇だが、それ以外にも魔法の形態や《特技》と《拡張アビリティ》、ポーションの効果、マジックアイテムの種類や製作方法などさまざまだ。

 

 そしてこの世界の常識に比して、D&D世界が優れていることの一つに移動能力がある。

 攻撃力や回避力などと異なり、この世界では特殊なスキルや敏捷のステイタスを伸ばす以外に方法のない移動速度の上昇が、D&Dの魔法やマジックアイテムを使えば比較的たやすく強化できる。

 飛行・水中移動・地中移動能力などを付与できる事を考えれば、その差は更に開く。

 

「うおおおおお、サファイアブルーの波紋疾走(サファイア・スプリント)ぉぉぉぉ!」

 

 "移動迅速《エクスペディシャス・リトリート》"呪文、素早さの領域特典、《早足》や《思考のごとき早さ》特技、"魔狼の毛皮の気功(ワーグ・ペルト)"・・・

 今のイサミにはレベル2相当のステイタスによるものに加え、《特技》と魔法、気功術(インカーナム)による強化がかかっている。

 それらを全て合わせたイサミの足は、レベル5ではあっても自らのステイタスに頼るしかないフリュネのそれを遥かに上回っていた。

 

 なお《サファイアブルーの疾走(サファイア・スプリント)》という特技はあるが、「波紋」はつかない。たぶん。

 

 夜の街を走るイサミと"男殺し(アンドロクトノス)"。

 見る間に開く差を見て、フリュネの目が信じられないと言ったように見開かれる。

 

 イサミには疲労を防ぐ《特技》もある。

 このまま持久力勝負になったとしても、十分以上に渡り合えるはずであった。

 

(だが、このままじゃにっちもさっちも行かない!)

 

 怪物祭でシルバーパックに追われたベル達と同じである。

 たとえ引き離したとしても、相手に非常識なタフネスと鋭敏な嗅覚がある限り、決してまくことは出来ない。

 

 いや、イサミの場合は呪文を使ってまくこと自体はできなくもない。

 だがホームを知られてしまった以上、フリュネ本人をどうにかしなければ問題解決にはならないのだ。

 

 十分距離が開いたところで足を止め、振り向く。

 フリュネが近づいてくる間に、ドラゴンマークを使ってシャーナにメッセージを送る(センディング)

 今、ホームではシャーナがいきなりの緊急メッセージを受け、目を白黒させていることだろう。

 

 フリュネが足をゆるめ、ゆっくりと近づいて来た。

 

「ゲゲゲゲゲッ、驚いたよォ。足が速いじゃないかァ」

「おかげさまでタフなのと足の速さには自信があってね」

「タフなのはいいねぇ。ベッドの中では特にだよぉ」

 

 ウナギのような舌がべろり、と唇を舐めた。

 再びイサミの背に悪寒が走る。

 

 深夜の裏町に人影はない。

 いっそこの場で息の根を止め、"物質分解(ディスインテグレイト)"で証拠隠滅すべきかと真剣に考えつつ、相手の思惑をもう少し詳しく探ってみることにする。

 

「一つ聞きたいんですが、いつもこのように男を口説いてるので?

 よそのファミリアのホームまで押し入るのは普通とは思えませんが」

「ゲッゲッゲ、弱小ファミリアの事なんざ知ったこっちゃないねえ。

 アタシをどうこうしたいなら、もうちっとでかいファミリアに入るこった」

 

 フリュネについては、イサミも"バードの知識(バルディックナレッジ)"で小耳に挟んだことがあった。

 時折、美形の男を無理矢理ベッドに連れ込んでは、薬で無理矢理興奮させて、廃人になるまで搾り取る。

 

 フリュネの口調からして、他のファミリアに属する冒険者もしばしばその犠牲になってきたのだろう。

 確かにLv5のフリュネと、Aランクの大派閥であるイシュタル・ファミリアを向こうに回せるファミリアというのは、オラリオ中を探してもそうはあるまい。

 多くのファミリアが泣き寝入りを強いられてきたことは想像に難くなかった。

 

「・・・素朴な疑問なんですけど、無理矢理男として楽しいですか?」

「ゲゲゲゲゲッ! これだからお子様はわかってないねえ。

 いいかい、見ての通りアタシは世界一美しいんだよ? それこそイシュタル様よりも、フレイヤよりもねえ・・・

 だったら、いい男はすべからくアタシに奉仕しなくちゃいけないはずだァ。違うかい?」

 

 本気で言っているようにしか聞こえない、フリュネの言葉。

 しかし、魔法と《特技》で限界以上に〈真意看破〉技能を強化したイサミは僅かな違和感を感じている。

 

 だがその違和感の正体を考えるより前に、イサミの人間離れした聴覚はある叫びを捉えていた。

 おそらくは西方、2kmほど先、オラリオの城壁の近く。イサミの聴覚でギリギリ聞き取れるレベルだ。

 

「お話はそれだけかい? じゃあそろそろ・・・」

「悪いけど用事が出来た。またな!」

 

 短く唱えるのは"次元の扉(ディメンジョン・ドア)"。

 短距離瞬間移動の呪文だが、当然、今まで何度も試したように転移効果は発動しない。

 

 しかし、呪文自体は発動している。

 そこがイサミの狙いだった。

 

「ぬゥ!?」

 

 突然、イサミとフリュネの間に渦巻く黒煙が現れた。

 さしわたし3mほどの黒雲は、フリュネの視界から完全にイサミの姿を隠す。

 

 特技《黒煙渦巻く召喚術(クラウディ・コンジュァレーション)》。

 空間転移や魔物召喚など、召喚術に属する術に副作用として嘔吐性の黒煙を発生させる特技だ。

 

 そしてイサミは本命の呪文を発動する。

 

「《高速化》"上位不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"」

 

 突進したフリュネが黒煙を突っ切ったとき、イサミの姿も、足音も、残り香すらそこにはなかった。




新沢靖臣をいじめるとすずねえのお姉ちゃんパンチが飛んでくる。
レイストリンをいじめるとキャラモンのお兄ちゃんパンチが飛んでくる。
これは同一人物ですね!(ぉ


ちなみに気功術(インカーナム)というのは、効果が超ショボいHxHの念能力みたいなもんです。
わりとマジで。


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9-2 アクマ(ウェイ)

 "上位透明化"で姿を隠したイサミが深夜の街路を駆ける。

 フリュネに急襲されておっとり刀で飛び出してきたイサミは"飛行の外套(フェニックス・クローク)"を装備していないので、飛行しようとすると"長距離飛行(オーヴァーランド・フライト)"呪文の効果に頼ることになる。

 

 常人に比べれば早いが、イサミの走る速度に比べれば1/4程度のものでしかない。

 地上を走る方がよほど早かった。

 

 なお最大速度"幻馬(ファントム・スティード)"や、【エアリアル】込みのアイズが大体今のイサミの1.5倍。

 素のアイズが一回り遅いくらいである。

 

 閑話休題。

 

 市の城壁がぐんぐんと大きくなる。

 一分程全力疾走すると、音がよりはっきり聞こえてくる。

 下町とはいえ本来このような町中では聞こえるはずのない音・・・冒険者とモンスターの戦いの音であった。

 

 

 

(何なのです? こいつらは!)

 

 アスフィ・アル・アンドロメダは焦っていた。

 "透明化の兜(ハデス・ヘッド)"を用いて怪しい家屋を調査中、奇妙な亜人の集団を見つけた直後に、今まで見た事も無いモンスターと亜人の集団に襲われたのだ。

 

 全身にトゲの生えた、ハリネズミを人型にしたような怪物。

 蜘蛛の巣の張り付いた金属鎧の戦士。

 サソリの尻尾の生えた骸骨のような何か。

 金属鎧を鋲で直接体に固定した巨漢の戦士。体からは絶えず黒い血が流れ落ちている。

 

 幸い、近くで同様の調査をしていた虎人の戦士ファルガーのチームが駆けつけてきてくれたからいいものの、それでも数は十人に満たない。

 40を越える、それもレベル3から4相当と思われるモンスターの群れを相手に苦戦は免れなかった。

 

 頼みの透明化の兜も、キラキラしたチリをまき散らされて無効化された。

 透明化した全身に金粉がまとわりつき、シルエットがくっきりと浮かび上がってしまったのだ。

 

 しかもきわめて強い火炎耐性があるらしく、魔導士メリルの火炎魔法が全くと言っていい程ダメージを与えていない。

 何とか数体は倒したものの、じり貧であった。

 

(脱出を考えたいところですが、このままでは・・・!)

 

 その瞬間周囲に轟音が響き、冷気と稲妻の混ざり合った数十の柱が立つ。

 

「GOAAAAAAAAAAAAAAA!」

 

 苦悶の声を上げ、大半の敵が倒れ伏す。

 残ったのは刺の怪物と顔のない人間型の怪物、赤い肌の小柄な亜人、合わせて5体。

 

「お・・・」

「おっ?」

 

 続けてヘルメス・ファミリアの負傷がかなり回復した。

 全快という程ではないが、重傷を負った者も軽傷域にまで戻る。

 

 そして街路の脇の家の屋根から2m近い巨体が降ってきた。

 猫のように足音も立てずに着地した体術に盗賊のルルネとキークスがうなり、顔を見たアスフィが笑みを浮かべる。

 

「やはりあなたでしたか。助かりました。イサミ君」

「いえ、気づいて良かった。まぁ話はこいつらを片付けた後で・・・っ!」

 

 イサミが反応した。だが一瞬遅い。

 次の瞬間、巨大な肉の弾丸がイサミを吹き飛ばし、地面に叩き付けた。

 

「ぐっ!?」

 

 反射的に逃れようとするイサミ。

 だが圧倒的に相手の方が早い。

 馬乗りになった巨体が右手の先から生えた、50cmほどもある赤い爪をイサミの胸に突き込む。

 

「ぐふっ・・・!」

 

 ガードも間に合わず、胸を串刺しにされる。

 口から鮮血が漏れ、イサミは標本のセミのように石畳に縫い止められた。

 さすがの「自由移動の指輪(リング・オブ・フリーダム・ムーブメント)」も、この状態から脱出することは出来ない。

 

 にたあ、とそいつが笑った。

 3mを越す肥満したピンク色の巨体。

 ぶくぶくとふくれたツノガエルのような頭、耳まで裂けた口にはびっしりと牙が生えている。

 

 何の冗談か口元には真っ赤な紅を、目元には青いアイシャドウを引いている。

 よく見れば爪の赤もマニキュアだ。

 

「よくも可愛いアタシの部下をヤってくれたわねえっ?! オ・シ・オ・キ・よっ!」

「しゃべった?!」

「というかオカマだっ!」

 

 甲高い男の声とともに右手の爪はそのまま、イサミの顔目がけて左手の爪を突き込む。

 

「・・・っ!」

 

 血の泡を吹きながら辛うじて腕を交差させ、防ぐ。

 両腕を突き抜けた爪が、眼球すれすれにまで迫る。

 

(この力・・・レベル6モンスタークラスか・・・っ!?)

 

 このモンスターの名前はパエリリオン。高位の悪魔(デヴィル)だ。

 (D&D世界において秩序の悪魔はデヴィル、混沌の悪魔はデーモンと称される)

 

 魔王や準魔王クラスを除けばほぼ最高位の力を誇る種族であり、特殊能力に長け諜報や工作の指揮を執ることが多い。

 だがそれは、決して戦闘力に劣っていると言う事ではないのだ。

 

(くそっ、この前のビホルダーといい、こっちはステイタスが伸びずに悩んでるのに・・・やっぱり魔石・・・ぐっ?!)

 

 イサミの両腕を貫く左手はそのまま、パエリリオンが肺を貫いた右手の爪をぐりぐりと動かす。

 イサミの口から、冗談のような量の血がこぼれだした。

 

「がっ・・・っ!」

「どぉう? イタいでしょ? 魔術師は大変よねえ。イタいと魔法が使えなくなっちゃうんだからっ!」

 

 D&Dの魔法発動には様々なものが必要とされる。

 詠唱、身振り、触媒、経験点・・・しかし発声出来なくとも魔法を使う術はあるが、精神集中せずに魔法を使うことだけはできない。

 

 こうして継続してダメージを与えられると、精神集中を乱されるイサミは呪文を発動できない。

 むしろ、ショック死していない方がおかしいレベルの苦痛である。

 

「イサミ君っ!」

「アスフィ! 上だっ!」

「っ!」

 

 危機一髪、先ほどのパエリリオンのように上空から降ってきた三叉槍(トライデント)の切っ先がアスフィの髪をかすめる。

 ファルガーの警告が無ければ、今の一撃で倒されていたかもしれなかった。

 

 ねじれ曲がった羊の角にコウモリの翼、尻尾に筋肉質の巨体。

 見るからに悪魔らしいこの悪魔(デヴィル)の名はマレブランケ。戦士の悪魔だ。

 

「アスフィ・・・くっ!」

 

 援軍を得て、刺のデヴィル二匹とのっぺらぼうのデヴィルがヘルメス・ファミリアに襲いかかった。

 皮鎧を着た赤い肌の亜人――こちらももちろんデヴィル――がそれぞれ攻撃呪文と治癒呪文を唱え始める。

 

「ファルガー、援護は要りません! そちらの指揮をお願いします!」

「くっ・・わかった!」

 

 刺とのっぺらぼうのデヴィル、そして後方の二体もおそらくレベル4相当。

 調査と言う事で戦闘専門のメンバーはサブリーダーの虎人ファルガーと、小人族の魔導士メリルしかいない。

 

 一方で目の前のマレブランケの推定レベルは5。

 対応できるのはおそらくアスフィとファルガーのみ。

 

 ファルガーを向こうから外せばおそらく戦線が保てない。

 であればアスフィが一対一で対処するしかなかった。

 

 レベル4の冒険者であるアスフィと、レベル5であろう目の前のモンスターが一対一ならかろうじて互角。

 モンスターのレベルは「同レベルの冒険者が倒せる」という基準に基づいて決められているからだ。

 

 メリルが戦力外であるため、ファルガー達は実質六人。六対五だが、ファルガー以外の面々にレベル4モンスターの相手は荷が重い。

 パエリリオンをイサミが足止めしてくれているだけ、まだマシだと思うしかなかった。

 

(すいません、イサミ君・・・!)

 

 申し訳なさを感じつつ、アスフィは短剣を構える。

 

飛行靴(タラリア)!」

 

 アスフィが魔道具を発動させて天に舞う。有翼の悪魔がその後を追った。

 槍の構えから見て、近接戦の技量は間違いなく向こうが上。

 足を止めての殴り合いは避け、アスフィのアイテムが有効活用できる機動戦を選択したのだ。

 

(とは言え、炎が効かないのでは爆炸薬(バースト・オイル)は使えませんね・・・。

 イサミ君、みんな・・・どうにか持たせてください!)

 

 赤いデヴィルが使った"きらめく塵(グリッターダスト)"の呪文はまだ効果を発揮しており、姿隠しの兜は使えない。

 祈るように下を見下ろしつつ、アスフィは合い言葉を唱えた。

 

「!?」

 

 直後、アスフィを狙ったマレブランケの三叉槍(トライデント)がきらめく塵に覆われたアスフィの体を突き抜ける。

 逆にアスフィの短剣が見当違いな空間を切ると、アスフィとは逆方向の腕が浅く切り裂かれた。

 

「コレハ・・・ッ!」

 

 "光屈折の外套(クローク・オブ・ディスプレイスメント)"。

 先日新しい魔道具を見せるついでに、イサミがアスフィにプレゼントしたマジック・アイテムだ。

 

 この外套の魔力を発動させると、使用者の周囲の光がゆがみ、蜃気楼のように実体から60cmほど離れた場所に像が浮かび上がる。

 グリッターダストの塵の光ごと屈折させるので、実体の位置を気取られる心配はない。

 

(感謝しますよ、イサミ君・・・!)

 

 僅か60cm、されど60cm。

 形勢は今や逆転していたが、この外套の効果は僅か一分半しか保たない。

 急いで決着をつけねばならなかった。

 




今回登場したデヴィルたちですが、デヴィルの中でも主流のバーテズゥと言う種族でして、彼らはデフォで火炎無効を持っています。
なので、ヘルメスお得意の油+火炎魔法アタックも、アスフィさんのバーストオイルも効かないという、相性最悪の相手。

話はずれますけど、ヘルメスの精鋭15人の中にも火力術者がメリルしかいないあたり、強力な魔法や魔導士って本当に貴重な存在なんでしょうねえ。
ロキ・ファミリアでも、リヴェリアとレフィーヤ以外に一応魔導士はいるみたいですけど、完全モブ扱いですし。


本文中に登場した悪魔ですが、

トゲトゲ=スパインドデビル(スピナゴン)
プレートアーマーを着たやつ=スティールデビル(ブエロザ)※
鋲で鎧を固定してる奴=オルソン※
骨みたいの=ボーンデヴィル(オシュルス)

赤いの=リージョンデビル(メレゴン)※、それぞれウィザードとクレリックのクラス持ち
刺悪魔=バーブドデヴィル(ハマトゥラ) 
のっぺらぼう=アサシンデビル(ドガイ)※

です。
基本ルールに乗ってない奴(※印)は、「魔物の書II 九層地獄の支配者」に掲載の奴ですね。


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9-3 オカマとデブの地獄絵図

(しくじった・・・!)

 

 口から血の塊を次々と吐きながらイサミは心の中で毒づく。

 肺を貫かれ、発声できないので、合い言葉が必要なマジック・アイテムは使えない。

 ビホルダー戦で使った"|時間流加速のブーツ《ブーツ・オブ・テンポラルアクセラレイション》"も、合い言葉無しでは発動しない。

 

 ワンドやスタッフもコマンドワードは必要だし、そもそも両腕が封じられている。

 もっとも両腕で防がなければ、今頃左手の爪はイサミの目を貫通し頭を串刺しにしていただろう。

 

 そして自身で呪文を発動するには、肺をえぐられ続けるこの痛みを克服しなくてはならない。

 

(〈精神集中〉をブーストするアイテムを、もっと強化しとくんだった・・・!)

 

 後悔先に立たず。だがその瞬間、重い打撃音がしてパエリリオンが吹き飛んだ。

 無論、イサミの胸と腕に突き立った赤い爪もろともにである。

 

(!?)

 

 イサミが見たのは、自分と吹き飛んだパエリリオンとの間に立ちふさがる肉の壁。

 

「ゲーッゲッゲッゲ! アタシの男を横取りしようなんざ、舐めた真似してくれるじゃあ無いか、このオカマ野郎がァ!」

 

(おまえかーっ!?)

 

 目を丸くしながら、それでもドラゴンマークの"大治癒(ヒール)"をかけ、傷口を塞ぐ。

 肺と両腕に開いていた穴がふさがり、口からこぼれていた血もすっと消える。

 

「ゲーッゲッゲッゲ。本当にタフじゃないかァ。こりゃ後が楽しみだねェ・・・

 ん、どうしたい。鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしてさァ」

「・・・いや、助かったよ。ありがとう」

 

 素早くイサミが立ち上がり、フリュネに礼を言う。

 

「ゲッゲッゲ、惚れ直したかい」

「驚いてるよ。まさかカエル顔の天使がいるとは思わなかった」

 

 にまぁっ、とフリュネが唇をゆがめた。

 現金なもので、今はそれすら頼もしく思える。

 

「あああああああああ!」

 

 二人がさっと前を見た。

 パエリリオンが自分の指を見て悲鳴を上げている。

 指先には、唇をぬぐったときに付いたであろう、黒い血がしたたっていた。

 

「血が! アタシの血がぁっ! 良くもやったわねカエル女?!」

「ゲーッゲッゲッゲ。今の方が色っぽいよォ、オカマデブ」

 

 腹を抱えて笑うフリュネに、パエリリオンの頭に更に血が上る。

 

「殺すっ! 殺して魂に永劫の苦痛を与えてやるわっ!」

「やってみなよォ、デブガエルゥッ!」

 

 身長3m、約1.4倍の体格を誇る相手に対し、フリュネは武器も防具も身につけていない。

 にもかかわらず、巨躯のアマゾネスは臆せず拳を握る。

 

「フリュネさん、そいつ少し任せていいですか?」

「ゲッゲッゲ、どってこたないさァ。ザコどもを助けたいなら好きにしな」

「どうも」

「キェェェェェェェ!」

 

 イサミが身を翻すと同時、怪鳥音を上げてパエリリオンがフリュネに襲いかかる。

 

「ゲゲゲゲゲェッ!」

 

 マニキュアを塗った50cm超の爪が鋭く突き出されるが、前屈みのファイティングポーズを取ったフリュネは頭を振ってそれをかいくぐる。

 

「ゲボァッ!?」

 

 フリュネの剛拳がカウンターでみぞおちに打ち込まれ、パエリリオンが苦悶の声を上げた。

 

 

 

 パエリリオンの苦鳴を背中で聞きつつ、イサミは上と左方に視線をやる。

 上では、アスフィがマレブランケと空中戦を繰り広げており、少し離れたところではファルガー達がデヴィルの生き残り相手に苦戦している。

 

「電気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"雷の炎の泉(エレクトリシティ・ファイアーブランド)"!」

 

 デヴィルの主流を占めるバーテズゥという種族は、炎の常時渦巻く地獄に住んでいるからか、あらゆる炎を受け付けない。

 ヘルメス・ファミリアの魔導士メリルの呪文が通用しなかったのもそれゆえだ。

 

 だが、炎が効かないならば別のエネルギーに変換してしまえばよい。

 大魔導士(アークメイジ)の能力で呪文の威力を丸ごと電撃に変換した呪文が炸裂する。

 

 夜の街路に数本の雷の柱が立った。同時に上空に直径3mの球電が発生し、マレブランケをすっぽりと覆う。

 

「ギエエエエエエエエ!」

 

 一方、雷の柱はパエリリオンにもダメージを与えている。

 背中を電撃で焼き焦がされ、再び悲鳴を上げる巨体の悪魔。

 

「ハッ、面白いねェ! ますます惚れ直したよォ!」

 

 歯ぐきまでむき出しにして笑うフリュネが、パエリリオンを蹴り倒す。

 

「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」

 

 体ごと雷の柱の中に叩き込まれ、さらなる悲鳴を上げるパエリリオン。

 

「ゲーッゲッゲッゲッゲッゲ!」

 

 巨大アマゾネスの笑い声が高らかに響く。

 僅かに間を置いて、雷の柱からよろめき出てきた瀕死の刺悪魔をファルガーが両断し、同時にアスフィの短剣で喉を切り裂かれたマレブランケが墜落、石畳に激突して動かなくなった。

 これで、残るはパエリリオンのみ。

 

 アスフィが街路に舞い降りる。

 ファルガーと小さく頷き交わした後、イサミの方に歩み寄った。

 

「助かりました、イサミ君。傷は大丈夫ですか?」

「タフなのが取り柄でしてね。俺を殺したいならまずい飯を食わせるのが一番確実です」

 

 ほっと息をつきつつ、くすりと笑みをこぼすアスフィ。

 が、すぐに表情を再び曇らせ、パエリリオンとの壮絶な殴り合いを再開したフリュネの方を見やる。

 

「"男殺し(アンドロクトノス)"ですか・・・その、イサミ君を?」

「・・・ええまあ」

「・・・」

 

 無言で眼鏡を直すアスフィ。

 うつむき加減のその表情は、頭一つ高いイサミにはうかがい知れない。

 

(やばい。何か怒らせたか?)

 

 さすがの〈真意看破〉技能も、相手のアクションがこれだけではいかんともしがたい。

 目に見えておろおろしはじめた大男と自分たちの団長を、ヘルメスファミリアの面々が生暖かい視線で見つめている。

 そんな弛緩した時間の中にふわりと優しげな花の匂いが香り――次の瞬間、戦慄が走った。



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9-4 鏡よ、鏡

「「「「!」」」」

 

 イサミ、ヘルメス・ファミリアの面々、壮絶な殴り合いをしていたフリュネとパエリリオンまでもがそちらを向く。

 その視線の先、街路から悠然と現れたのは女性らしきフードの影。

 そしてそれと並んで歩く、ひげ面の巨漢。額に黒い布を巻き、灰色の戦闘衣にマントの軽装。背中にロングボウ、腰にはバスタードソードを下げている。

 

 ごくり、と誰かがつばを飲んだ。

 フリュネやイサミですら比較にならないほどの存在感が、二人から放射されている。

 

「ひ、姫様・・・これは・・・」

 

 パエリリオンが卑屈な表情を作り、おびえたように口を開く。

 

「お黙り」

 

 悲鳴をかみ殺し、パエリリオンが縮こまる。

 その隙に乗じてしかるべきフリュネは、だが動けない。

 二人から発せられる強者の匂いに気圧されている。

 

「あなたも撤退なさい。

 けど、覚えておくのね。

 私が今あなたを殺さないのは、まだしばらくあなたが必要だからよ」

「は、ははーっ! 必ずや、ご下命果たしてご覧に入れますわ! それではこれにて失礼します!」

 

 どんっ、と効果音が聞こえそうな程の勢いで、翼を広げたパエリリオンの巨体が宙に舞う。

 その姿は一瞬にして連なる屋根の向こう、南側の夜空に消えた。

 

「さて」

 

 女の視線――フードに隠れていて見えないが――が、イサミ達をなで切りにする。

 多くの者は体をこわばらせ、小人の魔導士メリルは悲鳴を上げて仲間の後ろに隠れた。

 

「またあなたなのね、ボウヤ。今回は大した損害ではないけど・・・こうも続けざまだと、やっぱり早めに消えて貰った方がいいみたいね。

 と言うわけで、やっておしまいなさい!」

「ん? 俺か?」

 

 片方の眉を上げたのは黒ひげの巨漢。

 腕を組み、どこか人ごとのように状況を眺めていた顔がいぶかしげなものになる。

 

「そうよ。そもそもこの子はあなたの担当じゃない。

 あなたが放っておいたからこうなったのよ、責任を取りなさい」

「お前が勝手に決めたんだろ・・・まあいい。この小僧にはちっとばかり興味もある」

 

 悠然と、巨漢が一歩前に出る。

 気づくとその右手には、腰の鞘に収められていたはずのバスタードソードが下げられていた。

 黒い刀身が、冷え冷えとした冷気を放っている。

 

(・・・!)

 

 フードの女を除く、その場の全員が息を呑んだ。

 この巨漢は、Lv.5のフリュネにすら抜いたと気づかせない程、ごく自然に剣を抜いて見せたのだ。

 

 それがどれほど困難なことか、素人は知らず、この場にいる人間は理解している。

 この男が――ステイタスはともかく――技量においてはフリュネすらはるかに隔絶する達人だと言う事だ。

 

「まぁそういう訳だ、兄ちゃん。ちょっと付き合って貰おうか」

「・・・ゲーッゲッゲッゲ! 待ちなよ! 人の男に手を出すのは感心しないねえ!」

 

 フリュネが、イサミを守るかのように一歩前に出た。

 

 3m。

 いわゆる一足一刀の間合いで二人が対峙する。

 フリュネの肩が僅かに震えているのに、イサミとアスフィは気づいた。

 

「どいてくんねぇかな、お嬢ちゃん。女を切るのは余り好きじゃあないんだ」

「ゲッゲッゲ、なんだい、この子に嫉妬してんのかい? 何だったらこの子の後にあんたも相手してやるよォ!」

「そうかい」

 

 巨漢が興味なさげにつぶやいた瞬間、フリュネの方から仕掛けた。

 突進から体全体で踏み込んでの右ストレート。

 速度はイサミの眼でギリギリ追い切れるかどうか。

 

 だが剛拳が巨漢に突き刺さるかと思われた瞬間。

 

「!?」

 

 フリュネの拳は空を切っていた。

 否、拳そのものが空に舞っていた。

 

「うっ、腕が・・・アタシの腕がァァァァァ!?」

 

 フリュネの上腕部の断面から血が吹き出す。

 右腕が肘から綺麗に切断されて地に落ちた。

 

 傍目には巨漢の振るう剣にフリュネが自ら突っ込んでいったようにしか見えない。

 男が無造作に放ったカウンターによって、フリュネの鋼鉄の肉体はたやすく切り裂かれていた。

 

「がっ、がが・・・」

「言ったろ? どいてくれってな」

「・・・・っ!」

 

 イサミが瞠目する。

 

(今のは・・・《ロビラー卿の大博打(ロビラーズ・ギャンビット)》!)

 

 「豊穣の女主人」亭の前でイサミがベートを相手に使ったカウンター技である。

 イサミが相打ちだったのに対し巨漢が無傷なのは、ひとえに巨漢の身のこなしがフリュネを圧倒しているためだ。

 

「っ! "致命傷治癒(キュア・クリティカルウーンズ)"!」

 

 我に返ったイサミが治療呪文を唱え、血は止まった。

 次に呪文を唱えると、腕がふわりと浮き、更にもう一度の呪文と共に接合される。

 その間、巨漢は眉を片方上げただけで動かない。

 

 腕は戻った。しかし技量だけではなく、ステイタスも圧倒的に上。

 次に巨漢が剣を動かしたとき、フリュネは回避も出来ずに死ぬ。

 フリュネ本人を含めて、誰もがそう信じた。

 

「あ、ちょっと待って」

 

 フードの女がのんびりとした声をかけるまでは。

 

「なんだ。まだ何かあるのか?」

 

 巨漢がいやそうな顔で振り向く。

 くすくすと、女が笑った。

 

「ああ、そうじゃないの。その女は私が相手するわ」

「・・・? 珍しいな。お前の好みそうなタイプじゃないが」

「ええ、美しくはないわ・・・でも、とても面白い」

 

 好きにしろ、と言いたげに巨漢が肩をすくめて脇にのいた。

 フードの女がどこか気品を感じさせる身のこなしでフリュネに歩み寄る。

 

 額の汗をぬぐい、フリュネがフードの女と相対した。

 

「ゲッゲッゲ、言ってくれるじゃないかい。アタイよりよほど不細工なくせしてさ」

「ええ、ええ、そうなんでしょうね。あなたにとっては自分こそが美。それ以外は有象無象でしかない」

「ゲゲゲゲゲ、当然じゃないかァ? アタイは美しい。お前は醜い。美の女神だってアタイには敵いやしないさァ」

 

 くすくすと女が笑う。

 

「ふふっ・・・本当に面白いわね。魔法も魔力も使わず、自分の心を操ってしまうなんて。人間の心って本当に不思議・・・ねえ、そうは思わない、ネサレテ?」

「っ?!」

 

 それまで不敵な表情を――表向きだけでも――崩さなかったフリュネの顔が、初めて恐怖にゆがんだ。

 

「な・・・何故その名前をォ?!」

「忌々しい神々とは違うけど、私にもそのくらいのことはわかるの・・・だって私、悪魔ですもの」

 

 はらりとフードが背中に落ちる。

 現れたのは美しい女の顔だった。

 

 白い肌、赤銅色の髪、青い瞳、赤いくちびる。

 フレイヤやイシュタルと言った美の女神にも劣らぬ、しかしどこか不安をかき立てる美貌。

 

 底知れぬ深みとよどみをたたえた青い瞳がフリュネを射貫く。

 顔を恐怖にゆがめたまま、金縛りになったかのようにフリュネは動けない。

 

「美人揃いのアマゾネス でもその子はカエルそっくり

 みんながはやし立てる フリュネ フリュネ フリュネ(ガマガエル)のネサレテ!」

「な・・・・あ・・・」

 

 歌うように女が言葉を紡ぐ。

 顔色を蒼白にしたまま、フリュネは動けない。

 

「だから女の子は自分に魔法をかけた 自分は美しい 世界で一番美しい

 みんながはやし立てるのは自分に嫉妬しているから

 誰も近づいてこないのは自分の美しさに気後れしているから

 こうして女の子は幸せを手に入れました、めでたしめでたし・・・

 

 でも魔法の時間はもうおしまい

 ごらん十二時の鐘が鳴る 魔法の鏡はひび割れる 後に残るのは・・・」

 

 幼い女の子がいやいやをするように、フリュネが弱々しく首を振る。

 くちびるが、酸欠のキンギョのようにぱくぱくと動く。

 

「や、やめて・・・やめてくれよォ・・・」

「哀れな醜いカエルの子」

 

 女がパチン、と指を鳴らすと、フリュネの目の前に突然鏡が現れた。

 彼女の巨体を余すところ無く映し出す、巨大な鏡。

 

 鏡の中の自分をフリュネは見る。

 それは人間ではない。いぼだらけの肌、瞳孔のない真円の目、指の間の水かき・・・人間の姿をした、ガマガエル。

 

 ほとんど物理的な音を立てて「何か」が切れた。

 

「あ・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 絶叫が響く。

 家々の板戸を震わせる程の、悲痛な慟哭。

 

「・・・」

 

 慟哭が唐突にやんだ。

 枯れた大木のごとく、フリュネがくずおれる。

 体を丸めて何事かをブツブツつぶやき、瞳孔は焦点を合わさず虚ろに開いている。

 その表情には一片の生気も感じられなかった。

 

「・・・えげつねえなあ。これだから女は」

「ええ、女だもの。悪魔でもあるけど」

 

 女は楽しげに笑った。




フリュネの本名として設定したネサレテという名前ですが、これはフリュネという名前が古代ギリシャの超高級娼婦から来ていて、彼女の本名がネサレテだからです。
フリュネというのはガマガエルという意味で、彼女は絶世の美女でしたが肌が黄色かったのでそう言うあだ名をつけられたようです。

女がフリュネの目の前に立てた鏡は疑似呪文能力による幻影です。
(彼女はメジャー・イメージ呪文を無制限に使える)
交渉系技能馬鹿高い上に幻影や魅惑の呪文も使えるんだもの、精神攻めるしかないじゃないw

《暗黒語/Dark Speech》特技が名前はそれっぽいのに、この手のことに役に立たないのがちょっと残念w
ダークスピーチッスよダークスピーチ。
恐怖を与えたり物体を腐敗させたり精神融合したりは出来るんだけどねー。


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9-5 魔姫と超戦士

「さて」

 

 ちらり、と女がイサミに妖艶な流し目をくれる。

 鏡はいつの間にか消えていた。

 

「何か気づいたって顔ね。言ってみたら?」

「・・・"九層地獄(ナイン・ヘル)"に九人しかいない魔王(アークデヴィル)の一人、九層地獄の統治者アスモデウスの娘にして第六層の君主、魔姫グラシアの分体(アスペクト)、だと思うんだがな。

 その姿はこの世界の生物と融合しているから、か? おそらくはあの仮面や女と同じ・・・強化種」

 

 グラシアの本来の姿は全身赤銅色の肌に、角と尻尾、コウモリの羽根。

 美しくはあるが、一目で人外とわかる姿である。

 分体(アスペクト)とはいえ、通常姿は変わらない。

 

 だが今目の前にいる女は、一切の変身や幻像を用いていない。

 強大な存在ではあるが魔術にそこまで堪能ではないグラシアの、それも分体(アスペクト)が、イサミの"真実の目(トゥルー・シーイング)"と"魔力視覚(アーケイン・サイト)"をごまかせるとは思えなかった。

 

 ぱちぱちぱち、と女――グラシアが両手を叩く。

 

「惜しい、惜しいけど・・・いいところ行ってるわ。85点は上げてもいいかな」

「採点どうも。答え合わせはしてくれるのかい」

「100点満点の答えを出したら教えて上げるわ」

「つれないこった」

 

 肩をすくめるイサミに、グラシアが再び妖艶に微笑んだ。

 

 

 

 軽口を叩いて見せているが、実のところイサミにも余裕はない。

 わかってはいたはずなのに、いざ目の当たりにすると膝が震えそうな程に恐ろしい。

 不敵な態度も精一杯の虚勢だ。

 

 だがそれすらも目の前の二人には見抜かれていそうな気がする。

 それでも今から目の前の巨漢と戦わなくてはならない。

 一見平静なようでいて、イサミは追い詰められていた。

 

 

 

「さぁて」

 

 今度は巨漢が言った。同時にゆらりと一歩、イサミに向かって踏み出す。

 再び緊張が走った。

 

「ネヴェクディサシグとザナランタールを倒したんだって?

 おまけにこいつ(グラシア)の攻撃を凌いだそうじゃないか。実力・・・見せてみろよ」

「《高速化》《持続延長》"力場の檻(フォースケージ)"!」

 

 巨漢が言い終わるか終わらないかのうちに、イサミが呪文を発動する。

 不可視の力場の立方体に上下左右を囲まれ、巨漢は閉じ込められた。

 

力場の檻(フォースケージ)か・・・」

 

 不可視の壁を左手で探りながら巨漢が言った。

 イサミの魔力視覚が正しければ、男は呪文使い(スペルユーザー)ではない。

 

 マジックアイテムもおそらく基礎能力上昇系のものばかりで、呪文を発動するようなものは持っていない。

 後ろのグラシアが力場の檻を破壊しなければ、これで詰むはずであった。

 

 だが。

 

 探るように二、三回小さく円を描いた指先が、つぷり、と力場の壁に沈んだ。

 そのまま無造作に一歩を踏み出す巨漢。

 

「なっ・・・!?」

 

 次の瞬間、表面に僅かな波紋だけを残し、巨漢は力場の壁をすり抜けていた。

 

(魔力の干渉はなかった! いや、確かエピックレベルハンドブックに・・・)

 

 気がつけば、イサミの目の前にその巨体がある。

 

「くっ!」

「遅い」

 

 剣尖が五度、ひらめいた。

 

「がぁぁぁっ!」

「イサミ君!」

 

 イサミの全身から血が噴き出す。すさまじい威力であった。

 まともに喰らえば、第一級冒険者ですら即死。

 おそらくこの男は、迷宮58階層の砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)ですら一瞬に屠るはずだ。

 

 一撃一撃の重さ、鋭さ、そして何より、男の発する圧倒的な殺意。

 迷宮都市に来て初めて、イサミは「死」を実感した。

 

「さすがにタフだな」

 

 自分の一撃が文字通り龍を倒せる一撃だと知っているのだろう、巨漢が感心したように言う。

 

「さて、ここから何をやってくれるんだ?」

「こう・・・するっ!」

 

 イサミが精神を集中させたのは、女神ミストラより授かりし"願い(ウィッシュ)"の疑似呪文能力。

 ほぼ間違いなく、目の前の戦士はグラシア以上の難物である。

 イサミが選択したのはヘルメス・ファミリア及びフリュネも含めた、即座の逃走であった。

 

 目の前の戦士からは、《魔導士退治》特技・・・明らかに対魔術師戦闘に慣れた気配を感じる。

 発動の瞬間に一撃喰らうことを覚悟で、イサミは願いの言葉を唱える。

 

「我願う、我らを・・・グァッ?!」

 

 黒い刃の一閃。

 並の上級冒険者ならそれで即死する一撃だが、それでもイサミにとっては耐えられるダメージ。

 

 だが思わず驚愕のうめきを上げてしまったのは、苦痛のためではない。

 発動しようとしていた"願い(ウィッシュ)"の魔力が雲散霧消したためだ。

 

(なんだ? 何が起きた?! 呪文相殺? だが魔力の波動は感じなかったし、疑似呪文能力の相殺など・・・ならばあの剣か!?)

 

 混乱するイサミに対し、にいっ、と黒ひげの巨漢が笑う。

 

「つれないねえ。もうちっと遊ぼうじゃねえか」

「・・・っ!」

 

 イサミの手から、ノーアクション、ノータイムで迸る火線。

 《高速化》された"灼熱の光線(スコーチング・レイ)"だ。

 

 だが火線の迸る先に、既に黒い戦士の体はない。

 1mの距離から、矢よりも早く、しかも前兆無く発射された火線を「見てから」避けたのだ。

 

「いいね! そうこなくっちゃ! だが・・・甘いっ!」

「ぐっ!」

 

 再び五条の斬撃が空間に黒い線を描く。

 新たに五つ、イサミの体に深い傷が刻まれる。

 

「ちっ!」

 

 イサミは後ろに3mほど、一歩で後退した。

 一瞬だけ間合いが離れたすきに、呪文を発動する。

 

「《高速化》"重力反転(リヴァース・グラヴィティ)"!」

 

 黒ひげの巨漢の足下がふわりと、宙に浮く。

 重力逆転。

 空を飛べない戦士はそのままジ・エンド・・・にはならない。

 

「定石だな。だが、それくらいは対策してるぜ」

 

 巨漢は宙に「立って」いた。

 おそらくは"空中歩行(エアウォーク)"呪文なり飛行なりの効果を持つ何らかのマジックアイテムであろう。

 

 間合いを詰められ、またしても五連撃。

 イサミでなければとうに死んでいる。

 

(なら距離を・・・離す!)

 

 イサミは全力で走り出す。機動戦に持ち込もうというのだ。

 走りながら全力で攻撃を繰り出せる人間というのはいない。

 一撃一撃はどうしても単発になる。

 

 そもそも戦士相手に魔術師が接近戦をしている時点で圧倒的不利なのだ。

 せめて相手の手数を減らさねば、勝てるものも勝てない――だが。

 達人の技は、そんなイサミのこざかしい思惑すらあっさりと破ってのける。

 

「はははは! 追いかけっこか! 童心に返るなあ!」

 

 フリュネすら歯牙にかけない速度を誇るイサミに、巨漢は悠々とついてくる。

 全力疾走するイサミに対して、軽く走る程度の巨漢。その手には、いつの間にか巨大なロングボウが握られている。

 そしてそこにつがえられた5本の矢。

 

(げっ)

 

 そう思った瞬間、五本の矢が放たれた。疾走しながら、である。

 避けることも出来ず、魔法の障壁をも貫いて、五本の矢はあやまたずイサミの体に突き刺さる。

 

 《束ね撃ち強化》。

 どこぞの指輪っぽいエルフ無双が持っていそうな《特技》、といえば大体凄まじさはおわかり頂けるだろう。

 

 

 

 そしてイサミを瞠目させたことがもう一つ。

 

(消える?!)

 

 まるで"空間明滅(ブリンク)"呪文を使ったかのように、現れたり消えたりする巨体。

 魔力の反応は無いが・・・と考えて、イサミはそれが自らも身につけている特技、"稲妻の歩法(ライトニング・スタンス)"である事に気づく。

 

 魔法ではない純粋な体術による、相手の虚を突く回避機動と緩急つけた歩法の組み合わせ。

 現代世界の禹歩(うほ)と呼ばれる魔術的・武術的歩法にも通じる技法だ。

 

 この技術が極まっているが故に、ただ走っているだけのはずの巨漢は、短距離瞬間転移を繰り返しているようにすら見える。

 それがどういう事かというと・・・呪文の目標に取れない、単体呪文の対象にならないということだ。

 

 "灼熱の光線(スコーチング・レイ)"のような射撃呪文と違って目標に「命中」させる必要は無いが、単体対象にかける呪文は相手を認識していなくてはならない。

 一瞬前まで相手がいた空っぽの空間に魔力を発動しても、ただの無駄撃ちなのである。

 絶対命中の特性を持つマジック・ミサイル系も、目標を取れないのでは意味がない。

 

「なら・・・とっときだっ! 《高速化》《即時最大化》"時間停止(タイム・ストップ)"!

 くらえ、10連"輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"ッ!」

「ぐぉっ?!」

 

 虹色の輝きが10連続で爆発し、黒の戦士を飲み込んだ。

 

「効いた!?」

 

 これまで沈黙していたヘルメス・ファミリアの面々から歓声が上がる。

 範囲魔法ゆえに体術でかわせず、魔法やアイテムで軽減されるエネルギー攻撃でもない。

 間違いなくセーブされているであろうとは言え、イサミの呪文は初めて有効打を与えていた。

 

「つうっ・・・効いたなあ、こいつは」

 

 言いつつ、飛んでくる五本の矢。満身創痍のイサミの体に、更に傷口が開く。

 

「ぐっ・・・! というか、あれで死んでないのが不思議でならないんだがな」

 

 常用している"炎の泉(ファイアーブランド)"に比べれば、呪文修正が乗せられない分威力は劣るものの、それでも第一級冒険者を即死させるレベルの威力である。

 効いたと言いつつ動きに寸分の衰えも見られない敵に対し、一言もの申したくなるのも当然ではあった。

 

「不思議? お前に言われたくはねえよ。並の第一級なら、もう10回は死んでるはずだぜ」

「ごもっとも」

 

 にやりと笑うと、戦士は額に巻いていた布を目元にずり下げる。

 

「なんだ?」

「目隠し?」

「っ・・・!」

 

 ヘルメス・ファミリアの面々がいぶかしむが、イサミは一目でその黒い布の正体を見抜いた。

 ほぞをかみつつ、再び呪文を発動する。

 

「《即時高速化》《最大化》"時間停止(タイム・ストップ)"!」

 

 再び、10連続の遅発攻撃呪文が放たれる。

 だが今回は"輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"は一発のみ。

 残りはアークメイジの能力で炎・冷気・電気・酸属性を付与した"上級絶叫(グレーター・シャウト)"が9発。 

 

「おっと」

「くそっ!」

 

 攻撃を全て受け流した巨漢にイサミが舌打ちをする。

 "輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"と"上級絶叫(グレーター・シャウト)"は完全に無効化された。

 

 巨漢が目を覆った布は、「真なる(ブラインドフォールド・)闇の目隠し(オブ・トゥルーダークネス)」。

 視覚を封じる代わりに疑似視覚――心眼的なもの――を与え、光への完全耐性を与えるマジックアイテム。

 

 "輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"は強力ではあるが、目の見えない相手には全く効かないという欠点がある。

 "上級絶叫(グレーター・シャウト)"が回避されたのはおそらく巨漢のはめている指輪。

 

 "全精霊力無効(リング・オブ・ユニバーサル)化の(・エレメンタル)指輪(・イミュニティ)"

 元素の力を元にした攻撃全てを完全に無効化する、伝説級(エピック)マジックアイテム。

 火・冷気・酸・電気・音波などの属性を持つが故に、それらの呪文は無効化されてしまったのだ。

 

 最後の切り札として、9レベルのダメージフィールド創造呪文、"混沌のあぎと(モー・オブ・ケイオス)"という手もあったが、ここまで身体能力に差があると、フィールドの中に自分が叩き込まれて逆に潰されかねない。

 いや、間違いなくそうなるだろう。

 

 ――イサミが善属性、あるいは悪属性であれば、まだ手はあった。

 善ないし悪の信仰の力を呪文に乗せる《呪文聖別化》ないしは《呪文穢し》の呪文修正。

 元素の力では傷つけられずとも、信仰の力では傷つけられたはずである。

 

 しかし、イサミは中立属性であった。

 善にも悪にも、秩序にも混沌にも偏らない、真なる中立。

 ウィッシュで無理矢理特技を修得することは出来ても、信仰の力がないイサミにはそれを活用できない。

 それゆえに、イサミには最早状況をひっくり返す手はなかった。

 




黒ひげの戦士が力場すり抜けたのは特技とかじゃなくて、エピックレベルハンドブックに載っている「エピックな技能の使い方」の一つ。
〈脱出術/Escape Artist〉技能で120以上の達成値を出せば力場の壁の隙間をすり抜けられるとか、軽業技能で魔法を使わずに雲の上を歩けるとか、顔色から表層思考を読めるとか、色々トンチキな事が書いてあります。


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9-6 血まみれのイサミ

「がふっ・・・」

 

 何十度目かの強打を受けたイサミがついにくずおれる。

 辛うじて意識はある。だが通常ならとっくに意識――いや、生命すら失っている。

 意志の力で意識を、魔法の力で命をむりやりつなぎ止めているに過ぎない。

 街路には大量の血液が池のように溢れ、下水道へ流れ込んでいた。

 

 非常用に準備しておいた"九つの命の指輪(リング・オブ・ナインライヴズ)"も一瞬にしてチャージを失い、燃え尽きている。

 自動発動する九回の"大治癒(ヒール)"の魔力も、数秒事態を長引かせる程度の役にしか立たなかった。

 

「まあ、ここまでか。よく頑張ったよ」

 

 言って、黒の戦士はイサミの顎を強烈に蹴り上げる。

 的確な脳への打撃により、ついにイサミの意識が刈り取られた。

 おのれのぶちまけた血の海に、大の字に転がる。

 

 アスフィ達のほうにちらりと視線をやる。

 ぶん、と剣を振って血を払い飛ばし、鞘に収めた。

 

「ちょっとー!? 何剣を収めてるのよ!」

「やることはやったさ。とどめをさしたきゃお前がやれ」

「・・・意趣返しのつもり?」

「さあな」

 

 女の文句を受け流し、巨漢はきびすを返す。

 止める間もなく、そのまま本当に立ち去ってしまった。

 しばらくの沈黙の後、アスフィが口を開く。

 

「ご友人は去っていったようですが。あなたはどうなさいますか、グラシアとやら」

「そうねえ」

 

 イサミにちらりと視線を向けた後、無造作にアスフィに歩み寄る。

 その顎に手をかけて持ち上げた。

 

 息がかかる程に顔が近づく。

 雰囲気にそぐわぬ優しい花の香りが花をくすぐった。

 

「っ・・・」

「あなたの美しさに免じて、ここは私も引きましょうか?」

「・・・それはどうも」

 

 汗を流しながら、アスフィは毅然とした態度を崩さず、グラシアを睨み付ける。

 

「それにまあ、何かどうでも良くなったしね。やっぱりその子より弟くんのほうがいいわ」

「・・・?」

 

 怪訝な顔になったアスフィの顎から手を放し、フードをかぶり直す。

 きびすを返し、グラシアも街路の闇に消えた。

 

 

 

 しばらく経ってから、アスフィがふう、と息を吐いた。

 それが合図だったかのように、凍り付いていたヘルメス・ファミリアの面々が動きを取り戻す。

 

 珠のような汗をぬぐうもの、震える体を抱くもの、今更ながらに腰を抜かすもの。

 涙を浮かべて仲間にすがりつくものもいる。

 

 そうした仲間達の中、アスフィは足早にイサミに駆け寄った。

 懐からポーションを取り出そうとして、イサミの腕が上がったことにぎょっとする。

 

「イサミ君?!」

「だいじょうぶ・・・ですよ」

「ちっとも大丈夫じゃありません!」

 

 眉を寄せてしかりつけるアスフィに、転がったままのイサミが気の抜けた笑みを浮かべる。

 胸に置いた手から、淡い金色の光が漏れた。

 

 "シンバルの治癒の魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"の治癒力が、徐々にイサミの負傷を癒していく。

 だがその速度はかなり遅い。呪文一回では黒の戦士の放った一連撃の1/3にも満たない。

 

 それでも全身の血は止まった。後はゆっくりででも着実に回復させればよい。

 それを見て取って、アスフィも安堵のため息を漏らした。

 

「呪文だけでは遅いようですね。このポーションも・・・」 

「大丈夫ですよ、精神力は山程ありますから・・・もったいないから取っておいてください」

「・・・まったく」

 

 嘆息し、アスフィはポーションをベルトに戻す。

 そのまま地面に膝を下ろした。

 

「ちょっ・・・汚れますよ・・・」

「いいんです、これくらい! 頭を出しなさい! 膝枕して上げますから!」

 

 怒ったようなアスフィの声。実のところは照れ隠しに他ならない。

 遠慮しようとすると、頭をわしづかみにされ、無理矢理引っ張られた。

 いくら細腕に見えてもアスフィもLv.4。牛を片手で持ち上げるくらいの力はある。

 

「あいたたたた! けが人ですよ、俺は・・・」

「なら、素直に言う事を聞きなさい! 怪我が治りきるまではこのままです!」

 

 イサミの頭を膝に乗せ、そっぽをむくアスフィ。その頬が僅かに赤く染まっている。

 イサミは苦笑しつつ、さらに呪文を唱える。

 結局、この姿勢はさらに15分程続いた。

 

 

 

 ゆっくりと、イサミが立ち上がった。

 全身血まみれのずたずただが、肉体の傷は既に完治している。

 

「本当にもう大丈夫なのですか?」

「ええまあ。それに衆人環視の中で膝枕というのは、その、思ったより・・・」

 

 言葉を濁す。

 アスフィは微笑んで、自らも立ち上がった。

 

 イサミが手をかざすと、イサミとアスフィの全身に付着した血糊がすっと消えていく。

 それから言う言葉を探すかのように頭をボリボリとかいた。

 

「その、お見苦しいところを・・・」

「いえ、あなたが来てくれなければ私たちは全滅していたでしょう。この外套も。感謝します。ですが・・・」

「?」

 

 イサミが首をかしげる。

 

「あれは・・・どうしましょう」

「ああ・・・」

 

 アスフィの視線の先には、まだぶつぶつとつぶやき続けるフリュネの姿。

 ふう、とイサミがため息をついた。

 

「まあ正直ホームを襲われたりして複雑ではあるんですが・・・助けて貰ったのも事実ですしねえ。

 そのままにしておいたら流石に寝覚めが悪いというか」

 

 アスフィが苦笑する。

 

「そう言うと思ってましたよ。では、彼女はお任せします。それと」

 

 そこでアスフィの表情が真剣なものになった。

 気がつけば、周囲のヘルメス・ファミリアの面々の視線もイサミに集中している。

 

「あの女・・・グラシアと言っていましたね。"九層地獄(ナイン・ヘル)"? デヴィル? バーテズゥ?

 この前の怪物達の事と言い・・・イサミ君。あなたは、一体何を知っているんですか?」

 

 アスフィの問いに、少し考えてから口を開く。

 

「この世界ではない世界から来た怪物・・・というところですか。

 おそらくですが、この前の目玉(ビホルダー)大怪魚(アボレス)、"白髪鬼"なども同様の存在でしょう」

 

 無言でアスフィが眼鏡を直す。

 

「異なる世界・・・ですか。地獄というものが存在するとでも?」

「神様の住む天界があるんだから、地獄もあっておかしくないんじゃないですか」

 

 肩をすくめ、イサミが冗談めかして言った。

 そんな馬鹿な、とアスフィは笑おうとして失敗する。

 結局別れの挨拶を告げて去っていくまで、彼女の表情はこわばったままだった。

 

 

 

 翌朝。

 食事を終えた一同がくつろいでいると、イサミがぴくりと眉を動かした。

 廃教会の入り口に仕掛けた"警報(アラーム)"の呪文に反応があったのだ。

 

 昨日の今日だけにシャーナに武器を取りに行かせ、ベルにヘスティアを守るように命じる。

 すると入り口の隠し扉(昨晩のうちにイサミが修理している)をノックする音がした。

 

「・・・どうぞ」

 

 イサミが返事をすると、隠し扉が開く音がした。

 

「あ~! イサミちゃんいたーっ!」

「へっ?」

 

 次の瞬間、褐色の弾丸が飛び込んできた。

 避ける間もなくイサミが押し倒される。

 

「んぐぉっ!?」

 

 イサミを押し倒したのは美しいアマゾネスだった。

 肩幅が広く均整の取れた、メリハリのある豊満な肉体。

 ただし恐ろしく大きい。2m近いイサミより頭一つは大きいだろう。

 

「ん~♪ あーもう、イサミちゃんだー♪」

 

 満面の笑みを浮かべ、イサミの首に腕を回してキスの雨を降らせる。

 

「ふわっ!?」

「ちょっ・・・」

「うわぁ・・・」

「なんだこりゃ」

 

 とっさのことで反応できないイサミ、茫然自失するヘスティアとリリ、真っ赤になるベル、曰く言い難い顔のシャーナ。

 

「と、とにかく離れろ!」

「やー♪ 私イサミちゃんと一緒がいい!」

 

 美女のほっぺたに手を当てて引きはがそうとするが、筋力は相手の方が圧倒的に上らしく、力ずくでつき放すことが出来ない。

 

 端から見ると痴話げんかにしか見えない光景に、ヘスティアが髪をうねうねさせて詰問する。

 

「こ、ここは処女神たるボクのファミリアだぞ! 今すぐ不埒な行為はやめるんだ! 大体君は誰だ!」

「ん~、わたし? わたしね、フリュネっていうの♪」

 

 一瞬の沈黙が落ちた。

 

「は?」

「え?」

「はい?」

「・・・・・・」

「「「「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」」」」

 

四人分の絶叫が、地下室に響き渡った。



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第十話「英雄の素質」
10-1 フリュネは起き上がり、仲間になりたそうにこちらを見ている


 

 

 

『男なら、危険を顧みず、死ぬと分かっていても行動しなければならない時がある。

 負けると分かっていても戦わなければならないときがある』

 

 ―― 『宇宙海賊キャプテンハーロック』 ――

 

 

 

「・・・で? どういう事か説明して貰おうじゃないか」

 

 氷点下とまでは行かないものの、かなり冷たい視線でヘスティアが目の前の罪人達をねめまわす。

 罪状は風紀びん乱とか不純異性交遊とかそんなの。

 

「・・・」

「~♪」

 

 非常に居心地が悪そうな顔でソファに座るイサミが身じろぎする。

 その隣には、幸せそうな顔でイサミの首に抱きつく美人の巨女アマゾネス――本人の言を信じるならフリュネ・ジャミール――が座っている。

 

 シャーナはあきれ顔、リリは軽く混乱しているようで、ベルはひたすらにうろたえていた。

 イサミが頭をボリボリかいて、ため息をつく。

 

「えーと、ですね。どこから話したものやら」

「初めから話して、終わりに来たらやめるんだ」

「へいへい」

 

 微妙に冗談が通じないモードのヘスティアに辟易しつつ、イサミはもう一度ため息をついた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十話「英雄の素質」

 

 

 

 昨夜、巨漢の戦士と魔姫グラシアが自ら撤退し、後にはイサミとヘルメス・ファミリアの面々、そしてグラシアによって精神崩壊したフリュネだけが残された。

 

 ヘルメス・ファミリアも引き上げた後、イサミはとりあえず霧を呼び出して姿を隠し"モルデンカイネンの(モルデンカイネンズ・マグニフィ)豪勢な邸宅(シェント・マンション)"の呪文で異次元空間の避難所を作る。

 

「"テンサーの浮遊円盤(テンサーズ・フローティングディスク)"」

 

 呪文と共に、地上90cmの高さに中型盾ほどの大きさの円盤が現れた。

 荷物運搬用の初級呪文だが、イサミの術力をもってすれば優に3tを越える物体を運搬できる。

 200kgを優に超える巨体はテレキネシス呪文で持ち上げられない(!)ので、円盤の上に引きずり上げて異次元の邸宅に運びこむ。

 

(まさかこんな形で使うことになるとは・・・いや、そうでもないか)

 

 テンサーズ・フローティングディスク。

 俗に「一番頻繁な使用法は仲間の死体運搬」と言われる魔法である。

 

 

 

 ともあれイサミは、フリュネの巨体を乗せてするすると付いてくる円盤と共に異次元の扉をくぐった。中は豪奢な邸宅であり、大きな食事テーブルと厨房にはたっぷりの食料、それを調理したり配膳したりする魔法で作られた使用人もいる。

 ダイニングから続く扉の先にはこれも豪奢な寝室があり、イサミはフリュネの巨体をキングサイズのベッドの上に移動させて彼女を横たえると、呪文を解除した。

 

「ふーっ・・・」

 

 フリュネの瞳は未だ虚ろで、断片的な何かをぶつぶつとつぶやき続けている。

 同情のまなざしをちらりと投げかけると、イサミは腰の触媒ポーチから精緻な彫刻を施された金の縁にはまった水晶のレンズを取り出す。

 

(一応用意はしたが、まさか実際に使うとは思わなかったなあ)

 

 これから使う呪文の触媒である。

 買い求めようとしたら、50万ヴァリスはかかるだろう高価なものだ。

 

 "記憶操作(プログラムド・アムニージア)"。

 精神に手を加えて記憶を消去したり改変するのみならず、人格すら消去・再構築できる恐るべき呪文である。

 イサミもこんな状況でなければ使おうとは思わなかっただろう。

 

 が、これ以外では"願い(ウィッシュ)"か"神の奇跡(ミラクル)"の呪文でもなければフリュネの精神は修復できないだろうし、他に考えていることもあった。

 "記憶操作"を発動させる前に精神を集中させ、女神ミストラから授かった恩恵の一つを呼び起こす。

 

「我願う・・・この者に美しき容姿を」

 

 願いの言葉と共に強大な魔力が解き放たれる。

 肉だるまのような胴体は、均整の取れた豊満な体つきに。

 短く太い手足はすらりと伸び、巨大な頭部も――体格に比すれば――小づくりなものに。

 

 顔立ちも太い眉と大きな目、大人の色香と少女のあどけなさを併せ持つとびきりの美人に。

 恒久的に姿を変えるだけなら"万能変身(ポリモーフ・エニィ・オブジェクト)"でも良かったが、何とはなしに魔法などで解呪されない美しさを与えてやりたかったのだ。

 

 最後に、緩やかにウェーブのかかった黒髪がふわりと広がったのを確認して、イサミは次の呪文を唱え始めた。

 複雑な詠唱と身振りを1分程続け、呪文を発動する。

 

記憶操作(プログラムド・アムニージア)

 

 フリュネの胸の上に置いた水晶のレンズから、イサミにしか見えない小さな光球が飛び出した。

 それはフリュネの胸の上で複雑に変形・展開し、複雑なワイヤーフレームに沿って整然と並ぶ無数の小光球となる。

 

 光球の一つ一つがフリュネの記憶であり、それらをつなぐワイヤーフレームがフリュネの思考パターン・・・つまり人格そのものだ。

 だがワイヤーフレームは所々途切れて大きく曲がっており、前世で言えば大事故にあってひしゃげた自動車のようにも見える。

 記憶の光球も多数がワイヤーフレームから離れ、宙を漂っていた。

 

 記憶情報の一つ一つとワイヤーフレームの接続を丁寧に確認しつつ、イサミは注意深く作業を開始した。

 

 

 

「・・・で? 彼女の精神を癒したらこんな天然さんになったっていうのかい?」

「いえ、容姿は美人に変えたわけでしょう?

 だから容姿に関するトラウマを削除して、ストレスでゆがんだ精神構造もなるべくフラットなものにしようとしたんですがその、ストレスが幼児の頃から思春期、その後もずっと続いていたようで・・・成長期の負荷が人格の大半に影響してたみたいなんですよ。

 それを削除して整形したら、こんな小さな女の子みたいな性格になっちゃって・・・」

 

 あー、と納得したように顔を手で覆うヘスティア。

 話を聞いていたベル達の表情も、一様に同情的なものになっていた。

 

「それにしても君もほとほと人がいいねえ。襲いかかって来た相手に、ここまでしてやることもないだろうに」

 

 ヘスティアの苦笑混じりの言葉にしゅん、と意気消沈するフリュネ。

 それをこちらも苦笑しつつちらりと見やったあと、イサミが少し寂しそうな顔になる。

 

「まあ、外見で差別されるのは辛いことですから・・・」

「・・・そうだね。うん、そうだ」

 

 ヘスティアが僅かに遠い目になる。

 まぶたの裏に浮かぶのは、顔の半分を眼帯で覆った神友のおもかげか。

 そこでニヤっとイサミが笑った。

 

「それにあれですよ。物語をハッピーエンドにするのが魔法使いの仕事でしょう?」

「君も意外にロマンチストだねえ・・・いい年しておとぎ話に夢を見るのはベルくんだけかと思ってたよ」

 

 くすりと笑う紐女神。

 神様ひどい!? とショックを受ける白兎は無視。

 

「まあそれはめでたしめでたしって事でいいと思うんだが、何でまたウチに来たんだ?

 まさかこの唐変木を口説きに来たわけでもないだろ」

 

 腕を組んだシャーナが質問を投げかけると、今度はフリュネがしょぼん、とした。

 さっきはしゅん、今度はしょぼん、だ。

 

「その・・・ホームから追い出されちゃったの。私がフリュネだって信じて貰えなくて・・・」

「ああうん、そりゃそうなるわな」

 

 気の抜けたような表情で頷くシャーナ。

 同じ巨女でもガマガエルと均整の取れた体躯の美人アマゾネスでは、どう見ても同一人物には見えない。

 

 以前のフリュネなら腕ずくで納得させたところだろうが、どうやら"記憶操作(プログラムド・アムニージア)"によってそうした性格もなりを潜めたらしい。

 女神イシュタルならわかっただろうが、丁度不在。

 それどころか周囲のうさんくさげな視線に耐えきれず、自らホームを飛び出してきてしまったと言う事だ。

 

「それにその、今まで酷いコトしてきたからファミリアの中にお友達もいなくて・・・

 それでぇ、ずっと街を歩いてたんだけどお金も何もなくてぇ・・・」

「で、イサミくんを頼ってここまで来たってわけかい」

「うん・・・」

 

 はあー、と腕を組んでため息をつくヘスティア。

 申し訳なさげにイサミが口を開く。

 

「それでですね、神様・・・」

「ああ、いいよいいよ、みなまで言わなくても。眷属の不始末は神の不始末だからね。

 フリュネくんはここにおいてあげようじゃないか」

「ありがとごうございます」

「わーい! ヘスティア様だいすき!」

 

 イサミが頭を下げるのと同時、喜色満面のフリュネがヘスティアに飛びつきキスの雨を降らせる。

 大人と子供どころではない体格差がある二人であるから、ヘスティアはまるでぬいぐるみのように抱き上げられなすがままにされている。

 

「わ、ちょっ?! や、やめるんだ?! 君たちも微笑ましそうに見てないで止めないかぁ~っ!」

 

 ヘスティアの悲鳴が地下室に響き渡った。

 




 巨女いいよね・・・!
 ん、誰ですか。「シャーナと言いこいつ大概こじらせてんな」とか言ってる人は?


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10-2 キスミーベイベー

祝・ダンまちアニメ四期開始!


 しばしの後、フリュネはとりあえずイサミ達と一緒に51階層まで潜る事になった。

 装備は身の回り品や現金と一緒に、先ほど既に"回収"してきてある。

 サイズ調整や偽装も最早手慣れたものだ。

 

「どんどん変な方向に向かってないか、おまえ」

「・・・まあ、魔術師(ウィザード)ですから」

 

 実際高レベルの魔術師(ウィザード)というのは、あらゆるD&Dクラスの中でもトップクラスの万能ツール(マクガイバー)なのである。

 閑話休題(それはさておき)

 

 イサミが仕立て直したフルプレートを装備したフリュネの姿は、アマゾネスというよりも見目麗しき女騎士であった。

 色も、かつての濁った赤から鮮やかな真紅に変わっている。

 ぱっと見でかつての彼女と同一人物とわかる人間もいないだろう。

 装備の様子を確かめていたフリュネに、イサミが洒落たデザインの女物帽子を差し出す。

 

「ほれ、フリュネ。これをかぶれ」

「? 何これ?」

「"変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"。お前イシュタル・ファミリアに怪しまれてるだろうし、変装しておかないとな」

 

 かぶって念じるだけで、無制限に"幻像変装(ディスガイズ・セルフ)"呪文の効果を受けられるアイテムである。

 D&Dのマジックアイテムとしてはかなり安価なものではあるが、効果が便利なので高レベルの冒険者もよく使う。

 

 兜を取ったフリュネがかぶると身長が30cmほど低くなり、髪は灰色に、肌の色も白くなり、狼の耳と尻尾が生えてきた。

 フルプレートも体に合わせて縮んでおり、洒落た女物帽子はいつの間にか左のこめかみの髪をまとめるバレッタに姿を変えている。

 

「うおっ!」

「凄いですね・・・これがイサミ様の言ってた変身魔法ですか」

「いや、こいつはただの幻影。リリの魔法と大差ない。特に念じなければ、その狼人の姿になる・・・けど、あくまで見せかけだけだ。

 接触したりすると身長差で違和感を出るから、変装してる間は控えるように」

「接触?」

 

 フリュネが可愛く首をかしげる。

 

「抱きついたりするなってこと」

「・・・だめ?」

「だめ」

 

 指をくわえて上目遣いになるフリュネにちょっと心動かされつつ、きっぱり言い渡すイサミ。

 

「・・・はーい」

 

 しゅん、とするフリュネに一同が苦笑する。

 先ほど判明したのだが、幼女化したフリュネは抱きつき魔のキス魔であった。

 ここ一時間程の間に、ヘスティア・ファミリアの面々は全員が被害者リストに名を連ねている。

 特にイサミ以外の小さくて可愛い子達(フリュネ視点)がお気に入りのようであった。

 そこで、あ、と何かに気づいたようにヘスティアが口を開く。

 

「今更だけど、フリュネくんは名前そのままでいいのかい?」

「そう言えばそうですね。えーと、フリュネ・・・リューネ・・・ネサレテ・・・サレ・・・レテ・・・レーテーでいいか?」

 

 こくこく、とフリュネ改めレーテーが頷く。

 レーテー、ギリシャ神話でその水を飲むと全ての記憶を失う忘却の川の名前である。

 悪い思い出を忘れてやり直そうとする彼女にはふさわしい名前かもしれないと、イサミは思った。

 

「よし、じゃあレーテー。改めてよろしくな」

「うん! ・・・あのね、あのね」

「なんだ?」

「もういっぺん、名前呼んで」

 

 照れながら言う巨躯のアマゾネス。

 

「・・・? レーテー?」

「もういっぺん」

「レーテー」

「もういっぺん!」

「レーテー!」

 

 何が嬉しいのか、きゃあきゃあと喜ぶレーテー。

 イサミがぽりぽりと頬をかいた。

 

「うーむ・・・」

「えへへー。イサミちゃん、大好き!」

「こら、抱きつくな! キスするな!」

 

 

 

 レーテーの魔手から"自由移動の指輪"の力で逃れ、息を整える。

 彼女も満足したのか話題を変えてきた。

 

「それにしても、ヘスティア・ファミリアって全然名前聞かなかったけどすごいねぇ。

 四人しかいないのに上級冒険者が三人もいるなんてぇ」

「あー、ランクアップしてるのはシャーナだけで、俺とベルはレベル1だぞ」

「うそぉ! イサミちゃんもベルちゃんも、絶対レベル2かそれ以上でしょお?!」

 

 目を丸くするレーテー。

 イサミがため息をついた。

 

 剣姫との特訓を経て、ベルのステイタスもレベル2に上昇したばかりの冒険者に匹敵するレベルにまで達している。

 ステイタスに「S」がいくつ並んでいるか、最早数えるのも面倒になる程だ。

 

 イサミに、シャーナに、そして誰よりアイズに徹底的にしごかれ続けたことが最大の要因だが、"ヒューワードの(ヒューワーズ・)便利な背負い袋(ハンディ・ハヴァサック)"によって一日中迷宮に潜っていられる事、複数のモンスターを素早く屠れる速射魔法の存在も大きい。

 

「まぁそのへんは余りよそに漏らさないように」

「はーい」

 

 精神が幼女化してもその辺はわかっているのか、素直に頷くレーテー。

 

(まあ、考えてみればその辺を利用して勢力伸ばしたのがイシュタル・ファミリアだしな・・・)

 

 そんな事を考えつつ周囲を見渡す。

 四人とも装備を整え、準備は出来ていた。

 

「おーし、準備は出来たな。それじゃ行くぞ」

「うん、早く行こう、兄さん!」

「なんだ、やる気満々だな」

 

 アイズとの特訓で得たものを試してみたいのだろう、高揚する弟の頭をくしゃりとなぜる。

 

「ベルは調子に乗りやすいからな。リリ、お目付役頼むぞ」

「お任せ下さい、イサミ様。ベル様はわたしがお守りして見せます」

「むー」

「わはははは! 弟の面倒も大変だな、イサミ?」

 

 信用してよ、とむくれるベル、大笑いするシャーナ。

 それらをほほえましく見ていたヘスティアの手元で、不意にぱきり、と。カップの取っ手が壊れた。

 

「・・・・・・・・・・!」

 

 得体の知れない悪い予感。慄然とするヘスティアが口を開こうとして――

 

「"簡易修理(メンディング)"」

 

 気づいたイサミが素早く手をかざして呪文を発動する。

 ヘスティアが眼をぱちくりさせたときには、カップは元通りになっていた。

 

 見上げるヘスティアにイサミは指一本、くちびるの前に立てる。

 出発前に不吉は禁物であると言いたいのだろう。

 ことに、生死を賭けた迷宮探索ともなれば。

 ヘスティアは逡巡し・・・その口から出てきたのは無難な言葉だった。

 

「それじゃ行ってらっしゃい・・・みんな、気をつけてくれよ。特にベルくん」

「もう、神様まで! わかってますよ!」

「だといいんだがな、ん?」

「それでは行って参ります、ヘスティア様」

 

 シャーナにいじられてムキになるベル。

 丁寧に挨拶を返すリリ。手を振るイサミとレーテー。

 言いしれぬ不安を抱えつつ、ダンジョンに向かう彼らを見守ることしかヘスティアには出来なかった。




フリュネ・ジャミールは死んだんだ
いくら呼んでも帰っては来ないんだ
もう本編設定は終わって、君も巨女萌えに目覚める時なんだ


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10-3 迷宮は暗く・・・

 ホームを出て、バベルまで五人でそぞろ歩く。

 

「それじゃ今日は12階層に挑戦か・・・お前も強くなったもんだな」

「えへへ・・・」

 

 感慨深げにうんうんと頷くイサミと、照れるベル。

 

「えらいえらい。がんばったんだね」

「あっ、はい・・・ありがとうございます」

 

 レーテーがにこにこしながらベルの頭をなでる。

 またたくまにベルの顔が真っ赤になった。

 

「あー、レーテーは頭の中ちっちゃな女の子みたいなものだし、あんま気にするなよ・・・と言っても無理か」

「無理だよ兄さん・・・」

「あーもう、ベルちゃんかわいい!」

「わぶっ!?」

「こら、ハグ禁止!」

 

 

 

「あれ? 今日はシルさんお休みですか」

「だニャー。そのおかげでミャーたちもあの弁当の犠牲にならずにすんだニャー」

 

 「豊穣の女主人亭」の前。

 ヒューマンのルノア、猫人クロエ、同じく猫人のアーニャ。

 ウェイトレス三馬鹿トリオが晴れやかな表情でうんうんと頷く。

 エルフのリューも、それをちらりと見はするが何も言わない。

 

「代わりと言っては何ですが・・・私が作っておきました。クラネルさん、どうかお持ち下さい」

「あ、ありがとうございます」

 

 戸惑いながら小さなバスケットを受け取るベル。

 一方でイサミはアーニャの言葉に眉をひそめる。

 

「なあベル。シルって、料理下手なのか?」

「・・・独創的な味ではあるかな」

 

 視線をそらしつつ、ベルが答える。

 続けてリューに視線を向けると、彼女も黙って顔をそむけた。

 

「そーニャ! シルが少年に弁当を作るようになってからミャーたちは・・・! それは聞くも涙、語るも涙の物語・・・」

「リューさん。彼女、調理スタッフに教えて貰ったりしてないわけ?」

「私の知る限りでは・・・」

「聞くニャ?!」

 

 当人がいたら一言どころか百言言わなければ気が済まないところであったが、リュー達に言ってもしょうがないので挨拶をしてイサミ達はその場を辞した。

 

 

 

 バベルを抜け、迷宮の一階層。

 そろそろ別れようかというところで、いきなりベルが後ろを振り向いた。

 

「どうした?」

「何か見られてる気がしたんだけど・・・気のせいだったみたい、ごめん」

「そうか」

 

 言いつつ、イサミも背筋にチリチリするような嫌な予感を感じている。

 

(神様のあれもそうだが・・・嫌な予感がビンビンするな)

 

 それを押し殺して、努めて普段通りの雰囲気で会話を続ける。

 

「それじゃこの辺で別れるか。ベル、何かあったら"送信の石(センディングストーン)"で連絡を送るのを忘れるなよ」

「うん、わかってるよ」

「"送信の石(センディングストーン)"? なんですかそれは?」

「そうだな、リリにも知っておいて貰うか。ベル、ちょっと出せ」

「あ、うん」

 

 ベルとイサミが腰の物入れから、それぞれこぶし大の石を取り出す。

 自然石のようだが、どちらも全く同じ形をしていた。

 

「こいつは2つセットでな。もう片方の石の持ち主に短いメッセージを送ることが出来る。手にすれば使い方は自然とわかる」

「兄さん。ピンチの時に使うなら、僕よりリリに持ってもらったほうがいいんじゃない?」

「・・・あ、そうだな」

 

 ちょっと虚を突かれたような顔でイサミが頷いた。

 ベルがリリに"送信の石"を手渡す。

 

「何となく使い方がわかっただろ? ピンチの時は迷宮の階層と場所を伝えてくれれば、10分もすれば駆けつけられるわけだ。

 ただ一日一回だから、夕メシの献立を聞いたりするのに使うんじゃないぞ」

「わかりました。お弁当を届けて欲しいときには使ってもよろしいですか?」

「おう、許す」

 

 イサミがにやりと笑い、リリがおどけてみせる。

 一同の間に和やかな笑いが広がった。

 

 ややあって歩みを再開した一同は、次の十字路で別れる。

 ベルとリリは12階層を目指して歩き出し、イサミ達は適当な通路で「グワーロンのベルト」を発動させ気体になって49階層を目指した。

 慣れないレーテーがはぐれたりして、いつもより少し時間がかかったのは余談である。

 

 

 

「《高速化》"精神の唸り(ソノーラス・ハム)"」

「《二重化》《最大化》《威力強化》《範囲拡大》"風制御(コントロール・ウィンズ)"!」

 

 49階層、「大荒野(モイトラ)」。

 階層の中央でイサミが"風制御(コントロール・ウィンズ)"を発動すると、もはや日常風景となった巨大竜巻が巻き起こる。

 推定レベル4から5、一体で並の上級冒険者なら数十人を相手取れる程の力を持つフォモールたちが紙屑のように次々と巻き上げられ、気流の螺旋にすりつぶされていった。

 

「ふわぁ・・・」

「まあ、驚くわなあ」

 

 レーテーが目を丸くする横でシャーナが苦笑する。

 竜巻は数分程でやみ、フォモール達の魔石を回収した後一行は50階層への階段に向かった。

 

 

 

 一方ベル達は12階層に到達している。

 11階層から続く階段から1kmほど移動した、広いルームでベルは立ち止まった。

 

「ベル様?」

「リリ・・・何かおかしくない? 12階層に下りてからここまでモンスターに一度も遭遇していない」

 

 そういえば、とリリも気づく。

 言いしれぬ不安感にベルの額に脂汗がにじむ。

 

(あの時も・・・こんな感じだった。ダンジョンは静まりかえっていて・・・)

 

「・・・ベル様? 大丈夫ですか?」

 

 リリの言葉ではっと物思いから醒める。

 頭を振って考え事の残りカスを脳から追い出すと、強いて明るく振る舞う。

 

「大丈夫だよ、リリ。それじゃ・・・」

 

 ――さあ、見せてみなさい?――

 

「えっ?」

「ベル様?」

 

 いきなりベルの、ベルの頭の中だけに聞こえてきた蠱惑的な声。

 それがどこで聞いた声であるか思い出す暇もなく、

 

『――ヴ――ォ――』

 

 「その声」が響いた。



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10-4 ミノタウロス

「――っ!」

 

 ベルの足が硬直する。

 全身の汗腺が開くような感覚。

 

「ベル様? ベル様っ!」

 

 リリが必死に呼びかけるが、その声もベルの耳には届かない。

 

『ヴゥゥゥゥゥ・・・・』

 

 再びの「声」。

 近づいて来ている。それがはっきりとわかる。

 わかっているのに、ベルは指一本動かす事が出来ない。

 

 かつて魂に刻み込まれた恐怖が、無力感が、絶望が。

 その体を縛り付ける。

 

『オオオオオオオオオ・・・・』

 

 そして、そいつは現れた。

 牛の頭、蹄の足、片折れの角。優に2mを越える巨体。

 身長はフリュネ改めレーテーと同じくらいだが、肩幅と肉の量が二回り多い。

 

 常人が両手で使うサイズの大剣が、巨躯と比べると大ぶりの片手剣にしか見えない。

 全身から発散される圧倒的な威圧感が「そいつ」が本物だと、何より雄弁に告げていた。

 

「み・・・ミノタウロス?! 何故12階層に・・・!」

 

 通常、ミノタウロスが生息するのは17階層以下。

 1、2階層なら昇ってくることもないではないが、5階層も上がってきた例は・・・一ヶ月前の例外を除いて、ない。

 

『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』

 

「っ・・・!」

「ひっ・・・・!」

 

 咆哮が魂を砕く。

 精神を揺るがし、意志をくじく。

 

 目の前にいるのは命を刈り取る死の化身。

 圧倒的な、そして絶対的な死。

 

「べ、ベル様! 逃げましょう! 今のリリ達では太刀打ち・・・ベル様? ベル様ぁ!」

 

 リリがベルの戦闘衣の裾を引っ張り、呼びかけた。

 だがベルは凍り付いたまま動かない。

 目には涙がにじみ、歯はかたかたと鳴っている。

 

 一歩一歩、牛頭の死が近づいてくる。

 死の化身が右手の大剣をゆっくりと持ち上げたとき、とっさにリリはベルに体当たりした。

 

 一瞬遅れて地面が爆発した。

 リリとベルを巻き込み、こぶし大の石の群が空間を蹂躙する。

 

「うぅ・・・リリ・・・リリ!?」

 

 我に返ったベルが見たのは、ローブを朱に染めて倒れるリリだった。

 背中にはバックパックの残骸。額から血を流し、それ以外にも数カ所に赤く血がにじんでいる。

 

「っ!」

 

 リリを抱きあげ咄嗟に跳ね起きるのと、ミノタウロスが二の太刀を振り下ろすのがほぼ同時。

 肩アーマーに大剣がかすっただけで少年の体はバランスを大きく崩し、吹き飛ばされた。

 

 それでも体は自然と動いていた。

 自ら飛んで距離を取りつつ、とんぼを切って両足から降り立つ。

 

「リリ、ごめん!」

 

 小人族の軽い体を放り投げ、幅広短剣(バゼラード)と『神のナイフ』を抜き放つ。

 猛烈な勢いで突進してくるミノタウロスの斜め上からの三撃目を、両手の武器を盾にしてほとんど体全体で受け流す。

 

 バゼラードと『神のナイフ』の刀身を滑った斬撃は結果として横向きのベクトルをベルの体に与え、少年は再び吹き飛ばされた。

 だが、数歩たたらを踏んで転倒を耐える。

 

 双刀を構え直した瞬間、ミノタウロスが瞬時に間合いを詰める。

 次の斬撃が来た。

 右から左になぎ払う鋭い一撃。

 頭を低くして飛び込み、髪の毛数本と引き替えにミノタウロスの右脇に抜ける。

 姿勢を立て直し、素早く振り向く。

 ほとんど同時に振り向いたミノタウロスの、打ち下ろしの斬撃。

 

「スコーチング・レイッ!」

「ヴォオオオッ!」

 

 火線の連射。

 ほとんど効いてはいないものの、ミノタウロスが僅かにひるむ。

 ぶれた剣をかわし、後ろに飛んで間合いを離す。

 

「ヴォォォォォォォォォッッッ!」

「くっ!」

 

 だがミノタウロスの踏み込みは、必死で稼いだ僅かな間合いを瞬時にゼロにする。

 右上から左下の片手袈裟切り。

 体を半身に構えると同時に、大剣の横腹をバゼラードで弾いてさばく。

 

 その瞬間、左での追撃が来た。

 破城槌のように打ち出される、左拳での突き。

 重い斬撃をさばいて、体勢が崩れているベルにはかわせない。

 

 咄嗟に床を蹴り、後ろに飛んだ。

 腕を交差させ、左腕のプロテクターと右腕の『神のナイフ』でガード。

 

 それでも体ごと、意識を持って行かれそうな衝撃が来た。

 腕とあばらが軋む。

 

 数秒間宙を舞い、ごろごろと転がって素早く立ち上がる。

 軽い脳しんとうを起こしつつも、震える手で両手の得物を構え直す。

 今度はミノタウロスも追わず、右手の大剣を両手で中段に構え直した。

 

(・・・あれ?)

 

 そこでベルは、この状況のおかしさにようやく気づいた。

 ここにミノタウロスがいると言うことに、ではない。

 自分がミノタウロスの攻撃をしのげていると言う事にだ。

 

(見えてる・・・? ミノタウロスの攻撃が?)

 

 確かにミノタウロスの攻撃はベルを圧倒している。

 だが、対処できている。

 都合六回の攻撃を、髪の毛数本とこめかみからの数滴の血だけで防ぎきっている。

 

 動揺と恐怖が、すっと消えていく。

 冷静さが戻ってくる。

 

 少し離れた所に倒れていたリリの指がぴくりと動いた。

 出血と苦痛に朦朧としながら、身を起こす。

 

「べ・・・ベル様?」

 

 そしてリリは目を見張る。

 再び始まった激しい打ち合い。

 神のナイフと魔法の助けがあって辛うじてではあるが、確かにミノタウロスの攻撃をしのいでいるそれを。

 

「ベル様!」

「リリ! 無事かい!」

 

 再び間合いを空け、振り返らないままに呼びかけに応えるベル。

 その声音には明白な安堵の成分が含まれている。

 

「い、今すぐ援護を・・・!」

「ダメだ! リリのクロスボウじゃ援護にならない! "送信の石"で兄さんを呼んでくれ!

 その後はどこか安全な所に! それくらいの間なら持たせてみせる!」

「っ・・・!」

 

 仮にベルが今にも殺されそうであったら、リリはたやすく頷かなかっただろう。だが現状はミノタウロスに不利ながらも太刀打ち出来ている。

 

「~~~っ!」

 

 腰のポーチから"送信の石"を取り出し、手に持ってイサミの顔とここの場所――ギルドの正式地図で割り振られているルームナンバー――を念じる。

 

「イサミ様達はすぐに来るそうです! リリは他の冒険者様に助けをお願いしてきます・・・ご無事で・・・!」

 

 石をポーチに戻した後、リリは身を翻して11階層への階段の方によろよろと歩き出した。

 赤いシミが点々とその後に続く。

 

 ミノタウロスは僅かに反応するが追おうとはしない。

 目の前の敵と戦うことに比べれば、取るに足りないとでも言うかのように。

 

「ヴォォォォォォォ!」

 

 振りかぶっての打ち下ろし。

 まともに食らえば脳天から股下まで真っ二つに切り割られ即死する、必殺の一撃。

 速度も圧倒的。

 

 だが大ぶりに過ぎる。

 振り上げる準備動作。力の入りすぎている剣の振り。

 金色の剣姫の流麗な剣さばきとは比べるべくもない、テレフォンパンチ。

 

 視線が、振り上げた剣の切っ先が、握りが、足の位置が、これ以上ない程明白に次の剣の軌道とタイミングを教えてくれる。

 その剣の軌道の範囲外に、一瞬だけ早く逃げ込む。さばく必要すらない。

 直後に振り下ろされる鉄塊。だがその剣の届く先に、既にベルの体はない。

 

「ヴオオオッ!?」

 

 剣を持つミノタウロスの右腕に血が散った。

 脇をすり抜けざま、ベルが『神のナイフ』で切り裂いたのだ。

 深手ではないが、確実にダメージを与えている。

 

「やれる・・・戦えない相手じゃ・・・ないっ!」

「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!」

 

 少年の闘志を不遜と取ったか。

 怒れるミノタウロスの咆哮が、再び迷宮にとどろいた。



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10-5 《魔法的防御貫通(ピアース・マジカルプロテクション)

「すごいわ・・・!」

 

 遠隔地をのぞく『神の力(アルカナム)』、『神の鏡』の円盤の前でフレイヤは陶酔する。

 ミノタウロスと戦っている。立ち向かえている。

 僅か一ヶ月前は、ただの駆け出しだった少年が。

 『神の鏡』を通して見える透明な、余りにも純粋な輝きにフレイヤは歓喜する。

 

「そうよ、もっと深く、深く、透き通った魂を・・・っ?!」

 

 次の瞬間フレイヤが目を見張る。

 ガタッと、椅子を倒して立ち上がった。

 

「これは・・・?」

 

 

 

 迷宮12階層。

 もう何十度目か、ミノタウロスの大剣と神のナイフが火花を散らす。

 

 技術と敏捷性はベル。力と耐久力は圧倒的にミノタウロス。

 敵に勝る先読みと身のこなしを活かし、辛うじて渡り合う。

 

 豪風を伴って振り下ろされる鉄塊を、辛うじて数センチのところで回避する。

 左のバゼラードでフェイントをかけ、右の神のナイフでの斬撃。

 

 だがミノタウロスも学習している。

 バゼラードには目もくれず、振り下ろした大剣を翻して神のナイフでの斬撃を防ぐ。

 

 注意すべきは黒いナイフ。

 それ以外は自分の肉を断てないと理解している。

 

「くっ・・・!」

 

 ベルが飛びすさった。ミノタウロスも、もう無思慮に追撃したりはしない。

 十何度目かの僅かな中断。

 少年も、モンスターも、互いに油断無く隙をうかがう。

 

「?」

「ヴゥ・・・?」

 

 しばしにらみ合っていた両者が同時に怪訝な顔になった。

 

「おい、俺の前を歩くな虎刈り野郎!?」

「嫌ならついてこなくていいんだぞ、童貞狼!」

 

 言い争いながら近づいてくる声。

 その片方は、ベルが生まれたときから知っているそれだ。

 

 それとともに多くの足音が近づいてくる。

 

「あれは!」

「うそ、本当にいた?!」

「あん? あのガキ・・・?」

「・・・!」

 

 ベルが振り向くことができればその面々に驚いたろう。

 イサミとシャーナ、レーテー、リリはともかくとして、アイズ・ヴァレンシュタイン、フィン・ディムナ、リヴェリア・リヨス・アールヴ、ヒリュテ姉妹、ベート・ローガらロキ・ファミリア。

 

 そしてもう一人、昨夜イサミとアスフィ達の前に現れた黒いひげの巨漢。

 冴え冴えと冷気を放つその黒い刀身が、イサミの首にぴたりと当てられていた。

 

 

 

 時間はやや巻き戻る。

 ふらふらとおぼつかない足取りで上層への階段を目指したリリは、数分程歩いたところで全速で走ってきたアイズ・ヴァレンシュタインに出会った。

 駆けつけようとするアイズを迷宮都市最強の冒険者"猛者(おうじゃ)"オッタルが阻んでいた頃、イサミもまた障壁に行く手を阻まれていた。

 

 リリからの"送信の石(センディングストーン)"による一報を聞き、イサミたちは51階層から即座にとって返した。

 体を再び気体化させ("グワーロンのベルト"の効果は11時間持続し、その間は何度でも気体化/実体化できる)、迷宮を全速力で駆け抜ける。

 

 中層を2分余りで通過し、12階層に入る。

 その瞬間、斬撃が来た。

 

「!」

「なッ!?」

「きゃあっ?!」

 

 気体化しているから、刃は空を切るのみだ。

 にもかかわらず、その瞬間"風乗り(ウィンドウォーク)"は解除され、三人は秒速30m、時速108kmの速度で宙に放り出される。

 

 三人とも咄嗟に体をひねって着地したものの、それに安堵している場合ではなかった。

 目の前の通路を塞ぐのはマントと灰色の戦闘衣のみで防具を身につけていない、黒ひげの巨漢。

 

 昨夜フリュネとイサミをたやすく退けた超戦士だった。

 

「・・・ったく・・・やっぱり来ちまったか。おい、ここで退く気は無いか?

 正直お前らを斬っても、面白いことはないんだがな」

「・・・」

「イサミ・・・おい、イサミ?」

 

 のんきそうに、だがみじんも隙はなく、巨漢が剣を突きつけてくる。

 イサミは汗を浮かべて無言。男の発する威圧感に身動きが取れない。

 

「レーテー、こいつが昨夜の野郎って事でいいんだな?」

「う、うん・・・」

 

 こちらも汗を浮かべながら、レーテーが大戦斧を構える。

 頷きながらシャーナも大剣と盾を構えた。

 聞かなくても、わかってはいたのだ。

 今目の前にいるのが、あのフードの女と同じ・・・あるいはそれ以上の絶対的存在だと。

 

 だが。

 

「おいイサミ、ぼけっとしてんな! ここは俺がどうにかする! お前は先に行け!

 いくらなんでもミノタウロスはベルにゃ荷が重い!」

「!?」

「梵天よ、聞き届けたまえ。我が体、木、鉄、石、乾いた物、湿った物のいずれにも傷つかず、昼にも夜にも攻められる事なし!」

 

 詠唱を完成させたシャーナの全身が青みのかった黒に染まった。

 そのままシャーナは大盾(タワー・シールド)に身を隠し突貫する。

 

「やめ・・」

「ふむ」

 

 イサミが制止しようとするが間に合わず、黒ひげの巨漢は無造作に剣を振り下ろす。

 構えた大剣と大盾の間に太刀筋はするりと滑り込み――

 

「がっ!?」

 

 シャーナの右肩を存分に切り下げた。

 

 

 

 血が噴き出す。

 刀身がシャーナの黒い皮膚に潜り込んだ瞬間、黒髪に青黒い肌だったその姿は元の金髪と白磁の肌に戻っていた。

 

「馬鹿・・・な」

 

 本能的に大盾を構え直しながらも、シャーナがよろよろと後退する。

 右肩は深く割られ、ろくに大剣を持ち上げることもできない。

 肉体的なダメージもそうだが、絶対の信を置いていた無敵魔法を破られた心的ショックも大きい。

 

 特技《魔法的防御貫通(ピアース・マジカルプロテクション)》。

 剣に強靱な意志と信念そして戦士の技を込め、敵の防御魔法を貫通、それどころか解除してしまう魔術師殺しの破格の《特技》。

 

「やっぱりな。何かの防御魔法だとは思ったんだよ」

 

 悠然と剣を構え直す巨漢。その動きに、レーテーがほぞをかむ。

 シャーナに斬撃を送ってからのその一連の動きには、Lv.5の彼女ですらつけいる隙が一切無い。

 

「イサミちゃん! シャーナちゃんの治療!」

「あ、ああ・・・」

 

 治療呪文をかけようと思いはする。

 精一杯の意志を振り絞る。

 だが、それでもイサミの体は動いてくれなかった。

 

 かちかちかち、とイサミの歯が鳴る。

 ちっ、と黒ひげの戦士が舌打ちをした。

 

「ったく、みっともねえ奴だな、おい。

 仲間がやられても動けねえのかよ。なら弟のことなんざさっさと諦めて・・・」

 

 かちかちかち、が、ぎり、になる。

 黒ひげの戦士が言葉を途中で止めた。

 

「うる・・・せぇっ!」

「ほう?」

「弟の・・・ベルのピンチだってのに、兄貴の俺がガタガタみっともなく震えていられるか・・・っ!」

 

 一歩踏み出したイサミが黒ひげの戦士を睨み付け、その喉もとに黒い剣の切っ先が突きつけられる。

 戦士の口元に、にやりと笑みが浮かんでいた。

 

「いいね、そうでなくっちゃ。・・・で、それで俺をどう乗り越える気だ?

 言っておくが、お前がなにか呪文を発動するより俺の剣の方が早いぜ?」

 

 レーテーがごくり、とつばを飲んだ。

 対照的に、イサミの顔にはいつの間にか――汗をかきながらも――黒い戦士のそれに似た、不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「なぁに・・・ここを切り抜ける算段はついてるんだ。取っておきの秘密兵器が・・・な」

「ほう!」

 

 自信たっぷりのイサミの言に、いたく興味を引かれた様子の黒い戦士。

 

「なら見せてくれよ、その秘密兵器とやらを」

「慌てるなよ・・・これさ」

 

 マントの下に隠していた左手をゆっくりと持ち上げる。

 開いたその手の中には・・・何もなかった。

 

「あん?」

「・・・イサミちゃん?」

「ああ、そっちじゃない。これだ」

 

 イサミが左の拳を軽く握る。

 中指にはまった飾り気のない鉄の指輪がかすかに光った。

 

「・・・!」

「?」

「・・・何なんだよ、一体」

 

 首をかしげたのはレーテー。茫然自失から復帰し、自前のポーションを飲みながら顔をしかめるのはシャーナ。

 そして黒の戦士だけは僅かに目を見張っていた。



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10-6 "本家本元(オリジナル)"

 黒の戦士の持つ《魔導士退治》特技は、間合いの中にいる敵が呪文などを発動しようとしたら即座に割り込んで一撃を食らわすことができる。

 そして剣の持つ解呪の魔力が、発動しようとしていた魔力を霧散させる。

 それがイサミの呪文を完封したからくり。

 だがイサミが拳を握った瞬間、付け入れる隙は完全に消えていた。

 

「・・・なるほど、"力場の盾(フォースシールド)"の指輪か。

 あれだな。ドワーフやノームのクレリックが時々使う、盾で呪文発動を守る技法だ」

「正解」

 

 《発動を守る盾》特技。

 《魔導士退治》の効果を防ぐほぼ唯一の手段である。

 通常魔術師(ウィザード)は盾などの防具を一切使えないが、"万能戦士(ファクトタム)"などとマルチクラスしているイサミは盾も鎧もそれなりに扱える。

 

 つまりそれは、黒の戦士の行動も大きく制限されると言うこと。

 イサミの呪文発動を妨害しようとすれば、発動の瞬間にあわせて攻撃を"待機"しなくてはならない。

 自分から積極的に攻撃することはできなくなるのだ。

 

「これで俺が"願い(ウィッシュ)"で転移すれば、あんたに邪魔されずベルの所に行くことができる」

「そうだな」

 

 頷く黒ひげの巨漢。

 

 ちなみにテレポートの呪文が使えないのに何故"願い(ウィッシュ)"の呪文で空間転移ができるかと言えば、"願い(ウィッシュ)"は現実改変の魔法だからだ。

 空間に穴を開けて転移を行うテレポートと違い現実を改変して「この場所にいた」事にできるので、原理的に空間をいじる必要がないのである。

 閑話休題(それはさておき)

 

「だが俺たちが移動しても、あんたはすぐに追いかけてくる。何せ同じ階層だ。あんただったら五分くらいで来かねない。

 それでベルを助けるのを妨害されでもしたら本末転倒だ」

「だろうな」

 

 再び巨漢が頷く。

 剣を突きつけているその表情にはむしろ楽しそうな風情すらある。

 

「で、どうするつもりだ、お前さんは?」

「だからさ。お互い納得の行く話をしようじゃないか」

 

 にやり、と。もう一度イサミが笑った。

 

 

 

 一分後、首筋に後ろから剣を突きつけて/突きつけられて早足に歩く男とイサミの姿があった。

 レーテーは困ったような顔で、シャーナは露骨なあきれ顔でその後ろに続いている。

 

「いいのかよ、これ?」

「いいんだよ。俺たちはベルの所に行ける、おっさんは上役に言い訳が立つ。利害の一致だ」

「上役って訳じゃ無いんだがな・・・まあ似たようなもんか」

 

 早足と言っても化け物二人のペースにあわせてであるから、そこらの上級冒険者の全力疾走より遥かに早い。

 シャーナはほとんど全力疾走であるし、レーテーも小走りの域は越えている。

 ベルのいるルームに着くまで三分とはかかるまい。

 

 ミノタウロスとおぼしき咆哮と、武器を打ち合わせる音がかすかに聞こえてきた。

 南北と西に延びるT字路。

 ベルのいる筈のルームに続くそこで、四人は足を止めた。

 四人とは反対側から走ってきた白金の剣士――アイズ・ヴァレンシュタインもまた。

 

「・・・どういう、ことですか?」

 

 右手に油断無く愛剣を構えつつ、アイズが問う。

 黒の巨漢の力量を見抜いたか、その額にはうっすらと汗がにじんでいた。

 

「その、だな。話すとちとややこしいんだが・・・」

「アイズーッ!」

 

 少女の後方から、駆ける足音と彼女を呼ぶ声。

 フィン、リヴェリア、ティオナ、ティオネ、ベート。

 ロキ・ファミリアの一級冒険者達。

 

「このっ! 【美丈夫(アキレウス)】くんから離れろーっ!」

「よせっ!」

「ティオナ、だめっ!」

 

 状況を見て取ったティオナが大双刃を振りかぶり、跳躍する。

 イサミごとぶった切る勢いの彼女をイサミとアイズが止めようとするより早く、イサミの背後から黒い剣が一閃する。

 

「え・・・きゃあっ!」

「うおっ!」

「きゃっ!」

 

 鈍い音と共に、大双刃がティオナの手から離れてティオナの前方、巨漢の後ろに飛んだ。

 驚きの声を上げてシャーナとレーテーが飛来する巨大な鉄塊から身をかわす。

 まさに振り下ろそうとしたその瞬間得物をはじき飛ばされ、ティオナはバランスを崩してイサミの右脇に転がった。

 

「っったぁ~~!」

「馬鹿っ! このおっさんに手を出すな!」

「おっさん言うなよ・・・いや、おっさんだけどなあ」

 

 ぼやく黒の戦士をよそに、リヴェリアを除く残りのロキ・ファミリアの面々の顔色が一斉に変わる。

 

「どうした、おまえたち?」

「ああ、君にはわからないか。あれはね――」

「あの虎縞野郎だよ! あの虎縞野郎が使ったカウンター技と一緒だ!」

「!?」

 

 リヴェリアの顔色も変わった。

 再び剣を突きつけられたイサミに、そしてその後ろの黒ひげの巨漢に視線をやる。

 フィンが親指を口元に持って行きながら、片目をつぶってたずねる。

 

「何やら取り込み中のようだが・・・君らは何か関係があるのかい?」

「まあ、関係あると言えばあるな。あの酒場の前でこいつが使ったのと、今俺が使ったのは紛れもなく同じ技だからな。だが一緒にされたんじゃあ心外だね――何せ俺が"本家本元(オリジナル)"だ」

「っ・・・!」

 

 イサミが絶句した。

 

「その風貌にその技量、冷気をまとった黒いバスタードソード(ブレード・オブ・ブラックアイス)・・・まさかとは思っていたが・・・」

「おい、どういうことだ。知ってるのか?」

 

 シャーナが戸惑ったように黒い巨漢とイサミを交互に見上げる。

 

「ああ。ロビラー卿・・・と言っても知らないだろうがな」

 

 ロビラー卿(Lord Robilar)

 D&D最強の戦士。

 

 道を究めた達人超人といえば九割九分まで魔術師か僧侶といったスペルユーザーである世界において、ほぼ唯一純戦士でありながらその域に達した男。

 邪神や世界最強の魔術師と剣一本で渡り合う、正真正銘の怪物。

 

 最強の魔術師モルデンカイネンと共にあまたの冒険をくぐり抜け、国を落とし、邪神に深手を負わせ、その後裏切って邪悪な大魔導士レアリーに忠誠を誓い、また裏切った男。

 

(レベルは・・・媒体によって結構ばらつきがあったような)

 

 D&Dでは時折あることだが、有名人や魔王などは文献によって設定されたデータに食い違いがあることがある。

 ロビラーもその例に漏れないが、こちらのレベルに換算すれば最低でも7。最悪9にも達する。

 

(せめてエピックレベルハンドブックのデータ・・・レベル8相当でとどまっていてほしいところだが・・・)

 

 嘆息するイサミをどう見たのか、後ろの黒い戦士――改め、ロビラーがにやにやしながらつっつく。

 

「おう、それで弟の所へ行かなくていいのかよ?」

「行くさ。行かいでか。

 ・・・そう言うわけで、今俺はこのおっさんの人質って事になってるから、手を出さないでくれると助かる。ベルを助けてもダメらしい」

 

 言うなり、「早足」で歩き始める。無論、ロビラーも遅れずに。

 

「あ、待ちやがれ!」

「・・・」

 

 叫ぶベートや戸惑う面々をよそに、無言のままアイズが追随する。それにベートとフィン、リヴェリアも続いた。

 二人の速度に目を丸くするティオナに、レーテーがひょい、という感じで彼女の大双刃を手渡した。

 

「はい、ティオナちゃん、これぇ」

「あ、うん、ありがと。・・・お姉さん誰? ヘスティア・ファミリアのひと?」

「私? レーテーって言うの。ファミリアは秘密ぅ」

 

 にこにこと笑う狼人女性に、「ふーん」と首をかしげるティオナ。

 

「何してるの! 置いてくわよ!」

「わかってる!」

 

 叫ぶとティオナはレーテー、シャーナと共に駆け出した。




 厳密に言うと高レベル戦士系はザクネイフィン・ドゥアーデン(ダークエルフ物語で有名なドリッズト・ドゥアーデンの父。ファイター24)もいるのですが、
 作品に登場した時点で亡くなってる&生ける死者となった後に消滅してるので、多分現状ではロビラー卿がオンリーワンだと思います。
 私が知らないだけで他にいたらごめんなさい。


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10-7 形質変化(トランスミューテーション)

 ここで場面は現在に戻る。

 ルーム入り口を塞いでいた"氷の壁(ウォール・オブ・アイス)"を解呪し――むろん、リリが逃げられるようにベルが張ったもの――イサミ達はベルの元へ到達したのである。

 

「ベル・・・良かった、無事か!」

「兄さん!」

 

 何事かを言おうとしたベルだったが、その後を続ける事はできない。

 再び、打ち合いが始まった。

 

「・・・!」

「ほぉ」

「へぇ」

「・・・あれって"英雄譚(アルゴノゥト)"くん? なに、凄い強いじゃん!」

 

 ミノタウロスの大剣とベルの神のナイフが火花を散らす。

 互いの攻撃を紙一重で避け、あるいは肉で弾き返し、攻防が続く。

 

 ときおりベルの鎧から火花が散り、髪が数本、血しぶき数滴が舞う。

 だがそれだけだ。

 けして致命的な打撃は喰らわない。

 

 それどころか同じくらいの頻度で、深手ではないものの着実にミノタウロスにダメージを与えている。

 ミノタウロスもベルの右手のナイフを警戒はしているが、技術と敏捷性で勝るベルに対して完璧に防御しきれていない。

 

 その様子をアイズは辛うじて冷静さを保って観察し、一方ベートは驚愕を隠し切れていなかった。

 

「馬鹿な・・・」

「ベート」

 

 びくっ、と狼人の体が震える。

 いつの間にか横に来ていたロキ・ファミリア首領フィン・ディムナの言葉。

 

「僕の記憶が確かなら・・・一月前。ベートの目には彼がいかにも駆け出しに見えたんじゃなかったかな?」

 

 静かな言葉に、ベートは何も答えることができず、ただ繰り広げられる戦いを凝視していた。

 

 

 

 一方でイサミとロビラーも戦いを注視している。

 

「ん? どうした?」

「いや、あのミノタウロスの太刀筋、どこかで見たような・・・」

「おまえさん、モンスターにも知り合いがいるのか?」

「そんなわけないでしょう。しかしこのままなら、うまくいけば勝っちまいそうですが・・・」

「あの女が、それを許すとも思えねえんだよなあ」

 

 言葉を濁したイサミに同意するかのように、ロビラーがつぶやく。

 

 

 

「その通りよ」

 

 この場の誰にも聞かれない場所で、女の声がささやいた。

 

 

 

「っ?!」

「ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥウゥゥゥゥ・・・・!」

 

 ミノタウロスの、歯をむき出しての威嚇。

 一瞬注意をそらしたベルが、無言でナイフを構え直す。

 が、次の瞬間怪訝そうな顔になった。

 

「――――――」

 

 ミノタウロスのうなり声が唐突にやんだ。

 戦意をみなぎらせていた目が虚ろになり、びくんっ、と体が痙攣する。

 

「・・・?」

 

 それでもベルが油断無く間合いを詰めようとしたとき、「それ」は起こった。

 

「ガッ、ガァアァァァァァァァァァァ!」

 

 最初の咆哮と同じ、いやそれ以上の大音量でミノタウロスが吠える。

 相手を威嚇するためのそれではなく、苦痛の叫び声。

 別の存在に無理矢理作り変えられる事への抗議。

 

 ただでさえ筋骨たくましいその体躯が、更にもう一回り筋肉でふくれあがる。

 体が赤く変色し、装甲板の様な鱗が全身を覆う。

 

 一本だけ残った角が巨大化してねじくれ、爪と牙が伸びる。

 足の蹄がバキバキと音を立てて割れ、前三本、後ろ一本の太い蹴爪になる。

 ぐはあ、と硫黄臭い息が漏れた。

 

「ド・・・ドラゴン・・・!?」

 

 確かにそれは怪物の王と言われる存在を思わせた。

 だが依然としてミノタウロスでもある。

 赤い眼にみなぎる殺意と、たどたどしいながらも何者かに叩き込まれた剣の構えは、間違いなく今まで戦っていたミノタウロスのものだ。

 

「ヴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!」

「ぐっ?!」

 

 臓腑を震わせる咆哮。

 伝説の竜の咆哮のように魂を砕きこそしないものの、戦意をくじき、腹の底にまでダメージを与えてくるかのような豪咆。

 ベルは歯を食いしばり、必死にそれに耐える。

 

「ヴァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「っ!」

 

 咆哮から、間髪入れず斬撃が来た。

 これまでと同じような大振り、だが桁違いに増強された膂力がそこにさらなる速度を加える。

 

 先読みを凌駕する剣速。

 回避できず、【神のナイフ】でいなそうとして。

 

「うわぁぁぁぁっっ?!」

 

 【神のナイフ】の刀身に大剣がかすった。

 たったそれだけのことで、数メートル吹き飛ばされる。

 勢いをこらえることもできず、無様にごろごろと転がった。

 

 だがミノタウロスは待ってはくれない。

 追撃の踏み込み。

 大上段に振りかぶった渾身の一撃。

 

「ぐっ!?」

 

 素早く立ち上がろうとしてできず、転がって斬撃を回避する。

 

 爆発音。

 ベルの全身を破砕された床石のかけらが叩く。

 

 再び数メートル転がされ立ち上がったベルが見たのは、3mにも及ばんとするクレーターであった。

 魔力ではなく、ただ純粋な膂力でそれをなした怪物はゆっくりと立ち上がり、ベルの方を振り向いた。

 

 赤い眼がベルを射すくめる。

 

 がちがち。

 がちがち。

 

 何だこのうるさい音は。そう思って、ベルはそれが自分の歯が鳴る音なのに気がついた。

 歯の根が合わない。体の震えが止まらない。

 

 戦えると思った。

 自分は強くなったと思った。

 

 愚かしい過信、根拠のない慢心への圧倒的な否定。

 見えた希望の頂きからの滑落。

 一度昇ったぶん、その落差も激しい。

 

「ヴオオォォォォォォッ!」

「ひっ・・・!」

 

 一気に間合いを詰めての振り下ろし。

 ウサギのようにおびえきったベルは、自らに迫る死をただ見ているだけ。

 

「・・・っ!」

 

 だが体は勝手に反応した。

 ぎぃんっ、と鋼の打ち合う音を立て、致命的な一撃から辛うじて体幹を守る。

 一週間の間【剣姫】に叩き込まれた防御がぎりぎりのところでベルの命を救った。

 

 だがそれだけだ。

 弾かれて、吹き飛ばされて、立ち上がって、そこに追撃。

 右の肩アーマーがはじけ飛び、再びベルは吹き飛ばされる。

 

 そこからは一方的な展開になった。

 防戦一方のベルに、異形のミノタウロスの大剣が襲いかかる。

 

 辛うじて紙一重でかわすのは同じ。

 だが、反撃する余裕は全くない。

 

「ヴァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ぐっ!」

 

 吹き飛ばされる。血しぶきが舞う。

 立ち上がる。大剣が振り下ろされる。

 

 転がってかわす。木の幹が飛んでくるような蹴り。

 かすっただけでまた吹き飛ばされる。転がる。左肩に痛み。

 

 立ち上がる。目の前に大剣を振りかぶったミノタウロス。

 ナイフとバゼラードを全力で叩き付ける。びくともしない。

 

 割り込ませたナイフで斬撃を中途半端に受け止める形。

 重すぎる振り下ろしに巻き込まれ、体がくの字に折れる。

 

 圧倒的。もはや力では完全に太刀打ち出来ない。隔絶している。

 足下が破砕する。弾かれた体は空中で一回転し、クレーターに埋まる大剣の上に。

 

「グルォォォォォォォォォォォォォォッ!」

 

 ミノタウロスが、不快の咆哮を上げる。

 ベルが上に乗ったまま、渾身の力で剣を振り上げる。

 

「うわあああああああああああああああああああああああっ!?」

「えっ!」

「嘘っ!?」

 

 天高く、ベルが舞った。

 その高さと距離は10mを越えるか。

 たっぷり3秒は滞空した後、時速50kmで石床に激突する。

 

「がはっ・・・・」

 

 受け身を取っていてなお全身に走る激痛。

 肺の空気が全部押し出される。

 

 二、三度バウンドして体が止まる。

 震える手足を叱咤し、立ち上がる。

 両手の武器を構えるのと、横殴りの斬撃が来るのが同時。

 

「ブモゴォォォォッ!」

「ごぶぅっ!」

 

 斬撃は【神のナイフ】で受け止めた。

 だが衝撃は防ぎきれない。

 胸甲と神のナイフ越しに斬撃の衝撃を受けたベルの肋骨が、みしりと嫌な音を立ててきしんだ。

 

 同時に、またも吹き飛ばされる。

 床と水平に5,6m飛んだ後バウンドし、転がって再び10mほど距離が離れた。



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10-8 英雄の条件

「・・・おい。俺が言う事じゃないが、そろそろ助けないでいいのか?」

 

 末期的な蹂躙劇に顔をしかめ、ロビラーがイサミに問う。

 もとより彼とて、このようななぶり殺しを是とする人間ではない。

 魔姫グラシアに命令され、形ばかりの服従をしているだけに過ぎない。

 

 一方でアイズはベルとミノタウロスを注視しつつも、イサミの顔をちらちらとうかがっている。

 レーテーやティオナも同様だ。

 

 シャーナは大盾と剣を地に突き立て泰然としているように見えるが、その額には汗。

 フィンやリヴェリアたちは、いぶかしげな表情を浮かべつつも沈黙を保っている。

 

 だがそのようなロビラーの言葉にもアイズ達の様子にも気づかないかのように、イサミはこの場にいる人間誰もが見た事の無いような険しい表情で、右手の親指の爪に噛みついている。

 

「・・・あるんだ」

「ん?」

「あいつには、あるんだ・・・素質が。あるはずなんだ・・・!」

 

 安易に弟を助けるな。

 かつて兄弟の祖父はそうイサミに言った。

 

 心情は別として、それが正しいことをイサミの理性は理解している。

 だがそれだけが理由なら、とっくにイサミはベルを助け出していたはずだ。

 

 この場にいる誰もが知らない、14年の歳月を共にしたイサミだけが気づいているベルの素質。

 それを信じたい兄の気持ちと、もう無理だという理性の声のぶつかり合いが、イサミの精神を限界近くまで張り詰めさせている。

 

「がぁっ!」

 

 イサミが血走った目を見開く。

 横薙ぎの一刀がベルのガードをはじき飛ばした。

 武器を落としはしないものの、両手は痺れてしばらくは動くまい。

 

「ヴォォォォォォォォォォォォッ!」

 

 一瞬遅れて、真っ向正面からの唐竹割。

 かわそうとして足がもつれる。

 

「あっ!」

「だめっ!」

 

 思わずアイズが飛び出す。

 だがいかに神速の【剣姫】といえども、振り下ろす剣より早く走る事はできない。

 血しぶきが舞い、石床に十何個目かのクレーターを作った爆発によって、ベルの体は吹き飛ばされた。

 

「ベルッ!?」

「・・・っ!」

 

 イサミが叫ぶ。

 アイズが顔面蒼白で立ち止まった。

 

 誰もが息を呑む中、土埃の中で動いたものがある。

 

「ベル!」

「おお・・・!」

 

 ベルだ。

 足をもつれさせたのが幸いしたか、後ろに倒れ込んだベルはほんの僅かな差で両断を免れていた。

 

 震えながら立ち上がったベルの右肩から左腹にかけて赤い線が走り、胸甲(ブレストプレート)がばっくりと二つに割れた。

 使い手を守れと託された使命を果たし、力尽きた鎧が軽い音を立てて石床に落ちる。

 その音が、ベルの最後の意気地を折った。

 

(無理だよ・・・こんなの勝てるわけがないよ!)

 

 涙を浮かべ、少年は自らの敗北を認める。

 満身創痍。

 今も体中の傷から血がしたたり落ちている。

 

 ナイフを握る手は震え、腕は萎え、足には力が入らない。

 失血でともすれば目はかすみ、にもかかわらず今にも吐きそうだ。

 

 目の前のミノタウロスは本物の怪物だ。

 こんなイレギュラー、Lv.1の自分に勝てるわけがない。

 

 がっくりと、体から力が抜ける。

 しょうがないじゃないか、異常事態なんだから、と何かがささやく。

 

 最優先は生き延びる事だ、生き延びる事ができれば、いつかもっと強くなれる。

 だからしょうがない、今は蛮勇をふるう時じゃない、かっこわるくても生き延びるべきだと、そうささやく。

 

 助けを求めても恥じゃない。

 諦めても、ギブアップしても悪いことは何もない。

 死んだら全ておしまいなのだから。

 

 にいさんたすけて。

 そう言おうとして、首を動かす。

 その時、これまでミノタウロスだけに集中していたベルの視界に、初めて周囲の状況が目に入った。

 

 剣を突きつけられた兄。シャーナ。レーテー。レーテーの腕に抱えられる、気を失ったリリ。

 フィンをはじめとするロキ・ファミリアの面々。

 

 それら全ての視線に共通するのは「まあ、しかたがない」というあきらめの感情。

 彼らにもわかるのだろう。ベルの心が折れたことが。

 

 だが。

 だが。

 だが・・・

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

 心配そうにこちらに向けられたその瞳。

 いたわりと心配を込めた瞳。

 ()()()()()()()()()()()

 

 それに気づいた瞬間、ベルは言うつもりだったはずの言葉を忘れた。

 

(・・・・・・・っ!)

 

 かっと頭が燃える。

 折れたはずの意気地が体を突き抜いてそそり立つ。

 

 生き延びる事が最優先? それがどうした。

 蛮勇? それがなんだ。

 

(この人に・・・またかっこ悪いところを見せるくらいなら・・・死んだ方がマシだっ!)

 

 目に炎が燃える。

 歯がぎりりと食いしばられる。

 

 得物を強く握りしめる。

 萎えた手足に力が戻る。

 

 背中が熱い。

 服の下でステイタスの【憧憬一途】の文字が発光し、むきだしの炎のような熱を生み出している。

 

(男なら女の尻を追いかけろ。おなごのために突っ走れ。見栄を張れ。前を向け)

 

 かつて聞いた祖父の言葉。

 イサミと並んで、ベルがこの世でもっとも尊敬する(おとこ)

 

(己を賭したものこそが――英雄と呼ばれるのだ)

 

 ならば、そうしよう。

 それが英雄と呼ばれる条件であるのなら。

 それが自らの求める場所に、憧れてやまない人たちに続く道であるのなら。

 

 己を賭そう。

 冒険を――しよう。

 

 

 

 空気が変わった。

 戦意を失った兎にとどめを刺そうとしていたミノタウロスの手が止まる。

 

 ヒュウッ、とロビラーが口笛を吹く。

 彼とイサミ以外の全員が目を見張っていた。

 

 そこにいるのは一瞬前までの負け犬ではない。

 冒険者だ。

 未熟だが、堂々たる冒険者だ。

 それを、ミノタウロスを含めてこの場にいる全員が感じている。

 

 驚愕に目を見張りながら、シャーナが隣のイサミを見上げた。

 

「おいイサミ・・・何が起こったんだ? あいつ、完全に折れてた・・・そのはずだ」

「言ったろう、シャーナ。あいつには・・・ベルには英雄の素質があるんだ」

 

 真剣な顔でイサミは言い切る。

 今度ばかりはシャーナも茶化せない。

 

 イサミの脳裏によぎるのはこれまで14年間見て来た弟の姿。

 

 無茶をする弟だった。

 正義感に駆られると、相手が年上だろうが、複数だろうが、つっかかっていった。

 イサミの助けを借りられないとわかっていても、決してひるまなかった。躊躇もしなかった。

 

 己を賭することが英雄の条件であるならば――ベル・クラネルは、既にそれを備えていたのだ。



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10-9 本当の魔法

「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 二匹の雄が咆哮する。

 ナイフとバゼラードを構えたベルが突撃する。

 ミノタウロスは大剣を振りかぶり、それを迎撃する構え。

 

「ああああああああああああっ!」

「ヴモッ?!」

 

 だが大剣の間合いに入る直前、突撃が急加速する。

 これまでとは違う、回避を考えない全力疾走。

 それがミノタウロスの剣尖に一瞬の遅れをもたらす。

 

「ヴモォォォォッ!」

「やった! 行ったあっ!」

 

 鱗と毛皮を切り裂いて、【神のナイフ】が赤い鱗に覆われた右太ももに深く食い込んだ。

 そのまま振り抜き、脇を駆け抜ける。

 今までとは明らかに異なる量の血しぶきが舞う。

 

 石床を蹴る。まるで競泳のような、体全体のバネを使った鋭角的なターン。

 ミノタウロスが振り向いて剣を構えた瞬間には既に懐、大剣の攻撃不可能な間合いの内側にいる。

 

「ヴォォォォッ!?」

 

 再び舞う血しぶき。

 先ほどとは反対側、左の太ももを【神のナイフ】が切り裂いた。

 

「まず敵の機動力を殺すつもりか」

「驚いたね・・・存外クレバーな戦い方をするじゃないか」

 

 ロキ・ファミリアの首領二人が感心したように頷く。

 

 まず走る足を殺せ。次に武器を握る腕を殺せ。そして最後に命を絶て。

 兄から教わった、戦いの心構え。

 意識するまでもなく体がそのように動く。

 

 今までの攻防でわかったこと。

 ミノタウロスは異形と化した後でも敏捷性は上昇していない。

 つまり機動力は未だにベルが上回っていると言う事。

 ゆえに、それを活かした機動戦。

 

 激情に駆られながら戦い方は合理的。

 心はこれ以上ないほど熱く燃えているのに、思考はそれを超越して冷静。

 明鏡止水。されど刃は烈火のごとく。

 

「スコーチング・レイッ!」

「ヴォォッ!」

 

 二度目の鋭角的ターン。ベルの捨て身の全速にも目の慣れてきたミノタウロスの顔面を、速射魔法が直撃する。

 防御のための牽制ではなく、攻撃のための牽制。

 逃げではなく、立ち向かう勇気が生んだ、一歩進んだ速射魔法の使い方。

 

 ひるんだミノタウロスの脇を駆け抜け、左の太ももに二度目の斬撃。

 

「ヴァァッ!」

 

 ミノタウロスが再び苦鳴を上げた。

 

「やったぁ! ベルちゃんすごい!」

「いけいけー! やっちゃえーっ!」

 

 上がる歓声。

 だがベルが力の全てを発揮していなかったのと同様、異形のミノタウロスもその力をまだ見せきってはいなかったのだ。

 

 

 

 三度目の鋭角ターンを成功させたベル。

 その目の前で、ミノタウロスの鱗に覆われた喉と頬が異常にふくれあがる。

 

「っ! いかん! 避けろ、ベルッ!」

「えっ!」

 

 次の瞬間口から吐き出されたのは紅蓮の炎。

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ?!」

「なっ!?」

 

 10m近い範囲に広がったそれを、突貫しようとしていたベルがまともに食らう。

 

(ぬかった! 強化魔法(バフ)のたぐいかと思ったが・・・ハーフドラゴンだと!?)

 

 ハーフドラゴン。

 文字通り、竜と他種族とのハーフを指す。

 竜そのものには及ばなくても、その膂力、鎧のような鱗、爪や牙、エネルギー攻撃への耐性などを得て、もう片親の種族とは一線を画する強さを得る。

 ミノタウロスにはどのような手段によってか、後天的にそうした特質が付与されたに違いなかった。

 

 

 

 驚愕と痛みでベルの足が止まっていた。

 

「ヴモォォォォォォォォォッ!」

 

 その隙をミノタウロスは見逃さない。

 天井から降ってくるかのような、打ち下ろしの左拳。

 

「くっ!」

 

 辛うじて直撃は避けたものの、かすってバランスを崩す。

 

「ヴァァァァッ!」

 

 追撃の前蹴り。

 極限まで高めた集中力でタイミングを合わせ、その「蹴り足を蹴る」。

 

 相手の蹴り出す力と自分の足の力を合わせ、ベルは後ろに飛んだ。

 5mほど飛ばされて、空中でバランスを崩しかけるが、辛うじて両足から着地する。

 

「ヴモォォォォォォォォォッ!」

「くうっ!」

 

 大剣を振り上げてミノタウロスが走る。

 ナイフを構えてベルが疾走する。

 

「ヴァッ!」

「こんのぉっ!」

 

 疾走で体勢が崩れたか、これまで以上に見え見えの、荒い斬撃。

 辛うじてそれをかわし懐に入ろうとして、本命が来た。

 

 大剣はフェイント。

 頭をハンマーのように振り下ろす頭突き。

 

「ぐぁっ!?」

 

 巨大化した角が、咄嗟にかばった左腕のプロテクターを貫く。

 

「ヴモォォォォォォォォッッッ!」

 

 頭を振り上げる。

 ふたたびベルの体が宙に舞った。

 

 

「ベルッ!」

「ベルちゃんっ!」

 

 思考が加速する。

 周囲の景色がゆっくりと回転している。

 

 足下には地面を蹴るミノタウロス。

 落ちてくるところを今度こそ角で貫こうとする構え。

 

 自由落下中のベルに、これをかわすことはほぼ不可能。

 だがそれでもナイフとバゼラードを構え――ふと兄の姿が目に入る。

 

 その瞬間、稲妻のようなひらめきが走った。

 加速した神経細胞の中でいくつもの事柄が一つに繋がる。

 

 魔導書(グリモア)。【アーケイン・フレイム】。兄の呪文書(スペルブック)。最初中々出なかった魔法。"スコーチング・レイ"。そして顔のない自分との問答。

 

 あの時、自分は何と答えた? 何を望んだ? 『兄さんみたいな力』。

 確かにそう言ったはずだ。

 それは――この戦いに勝利するための、欠けていた最後のピース!

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "即時飛行(スウィフト・フライ)"!」

「なっ!」

「えっ!?」

「おっ?」

「・・・っ!」

「ヴモォッ!?」

 

 その場の全員が――ロビラーすらもが――目をみはった。

 

 落下の軌道がV字の軌跡を描いて急速上昇に転じる。

 そのままベルの全力疾走を上回るスピードで水平飛行し、ルームの端、20mほど離れた所でふわりと着地する。

 同時に、いつの間にかベルトから抜いていたマジックポーションとポーションを続けて一気に飲み干す。

 

「ヴルルルルル・・・・」

「・・・」

 

 異形のミノタウロスが唸る。

 無言のまま、ベルが神のナイフとバゼラードを構え直した。

 

 

 

 ベルの魔法「アーケイン・フレイム」。

 その意は『秘術の炎』(フレイム)ではない。『秘術の枠』(フレイム)

 すなわちその本質は、イサミの使う秘術魔法(アーケイン)を一つ収めるためのスロットだ。

 

 魔法を発動するたびにスロットの中身は(ベルが扱える範囲内で)自在に切り替わる。

 最初に発動したときは、「何を」収めるのかベルがイメージできなかったせいで発動しなかった。

 "灼熱の光線(スコーチング・レイ)"をイメージすることで初めて枠が埋まり、魔法が発動した。

 

 そして今セットしたのが"即時飛行(スウィフト・フライ)"。

 数秒だけだが飛行を可能とする秘術呪文。

 (通常の飛行呪文は数分間は持つが、ベルの技量(レベル)ではまだ扱えない)

 

 もちろんこの二つだけではない。

 自身の魔力と精神力、そして兄に見せられた呪文書(スペルブック)からの知識の許す限り、ベルはあらゆる秘術呪文をこの"『枠』(フレイム)"にセットすることができる――たとえばこのように。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "雄牛の膂力(ブルズ・ストレンクス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "猫の敏捷(キャッツ・グレイス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "熊の頑強(ベアズ・エンデュアランス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "魔道師の鎧(メイジアーマー)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "(シールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "鏡像分身(ミラーイメージ)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "元素抵抗:火属性(レジストエナジー・ファイア)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "英雄のいさおし(ヒロイックス):《フェイント強化》"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "移動迅速(エクスペディシャス・リトリート)"!」

 

 筋力上昇、敏捷器用上昇、耐久上昇、力場装甲、不可視の盾、分身、火炎防御、武器への音波属性付与、戦技獲得、移動力上昇。

 これだけの効果を、精神力の続く限り、たった一つの魔法で再現することができる。

 

 そして既存の秘術魔法を収めていると言っても、アーケイン・フレイムが速射魔法であることには変わりない。

 つまりそれは、これだけの自己強化を僅か数秒で完了できると言う事。

 

 一つ一つの効果は圧倒的ステータス差の前には蟷螂の斧。

 だが僅かな強化もこれだけ積み重ねれば・・・。

 

「はぁっ!」

「ヴモォッ!?」

「早ぇっ?!」

 

 ベルが駆ける。敏捷をステイタスにして4段階分引き上げる"猫の敏捷(キャッツ・グレイス)"呪文と、移動力を敏捷30段階分引き上げる"移動迅速(エクスペディシャス・リトリート)"呪文の効果。

 それに元のステイタスを合わせ、今のベルはLv.4に匹敵する機動力を誇る。

 

 20mの距離を瞬時に詰め、ナイフを振るう。

 ミノタウロスが辛うじて構え直した大剣が、ミスリルのナイフをぎりぎりで受け止める。

 

「わっ?!」

「きゃあっ!」

 

 金属同士が打ち合うそれとも異なる、ぎいんっ、という耳障りな音がした。

 ナイフの表面を覆う音波震動の魔力がミノタウロスの大剣を震わせたのだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 ベルが吼える。

 

 ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃんっ!

 高周波音が周囲に響く。

 

 真っ向正面からの攻勢。

 体勢の崩れたミノタウロスは、高速の連続攻撃に防戦一方。

 足の負傷もあるがハーフドラゴンの膂力をもってしても重い大剣では防ぐのが精一杯で、反撃に移る隙を見いだせない。

 

 ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん、ぎぃんっ!

 

「よっしゃーっ! 英雄譚(アルゴノゥト)くんいっけー!」

「す、すげえ・・・Lv.1の冒険者が・・・!」

 

 今まで圧倒されていた少年が、初めてミノタウロスを圧倒している。

 まさしく英雄譚のごとき光景に、周囲はただただ見入るばかり。

 

「ヴォォォォッ!」

 

 連続攻撃に業を煮やしたミノタウロスが体ごと、力任せに大剣を押し込む。

 力に逆らわず、ベルが後ろに飛んだ。

 僅かに縮まったものの、膂力の差はやはり圧倒的。

 

 間髪を入れず手首を翻したミノタウロスが、踏み込みからの大剣の一閃。

 ベルの周囲に重なっていた鏡像分身が、横薙ぎの一振りでまとめて切り裂かれて消える。

 

 再びぎぃんっ、という耳障りな音。

 バゼラードと神のナイフで辛うじてブロックしつつ、ベルが再び後ろに飛ぶ。

 

 3mほど飛びすさり、互いに武器を構え直す。

 そこでようやく、イサミが口を挟む隙ができた。

 

「ベル! 今のそいつには炎は完全に効かない! 催眠(スリープ)麻痺(パラライズ)もだ!

 ブレスはおそらく一発きりだが、連発できる可能性はゼロじゃないから気をつけろ!

 それから・・・!」

「ヴウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」

 

 イサミの言葉が途中で遮られる。

 ミノタウロスの鱗に覆われた背中が盛上がり、中から骨のようなものが突き出す。

 次の瞬間、それは大きく展開して、差し渡し5mにも達そうかというコウモリのような翼になった。

 

「ガァッ!」

「おおおおっ!」

 

 ミノタウロスがその翼を大きく羽ばたかせようとする瞬間、ベルがその目の前にいた。

 広げた翼の右側を目がけ、飛び上がる。

 

 両腕を大きく広げ、逆手に構えた【神のナイフ】とバゼラードを翼に突き立てる。

 

「ああああああああああああああああああああああああ!」

 

 突き刺さった刃が、翼の被膜を上から下までたやすく切り裂いた。

 ベルが着地したときには、翼は全く使い物にならなくなっている。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 翼を奪われたミノタウロスの、怒りの咆哮。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 冒険者のきざはしを昇らんとする少年の、戦士の雄叫び。

 二匹の雄が振り向きざまに激突する。




 いやあ、「炎」と「枠」のひっかけは感想で誰かに見抜かれないかと戦々恐々でした。
 実はダンまちSSは余り読んでないんですが、ベルくんのチートとしてはどうなんでしょうねこれ。あんまり強くない方だとは思うんですが。
 というか原作の【憧憬一途】と【英雄願望】のほうがよっぽど強いかw


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10-10 born legend

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 大上段からの鋭い振り下ろし。

 

 ぎいんっ。

 

 神のナイフを横から叩きつけ、強引に回避する余地を作り出す。

 膂力では圧倒的に負けているものの、敏捷と耐久力の上昇がそれを補っている。

 更に斜めにかざした魔法の盾にぶつかり、大剣は完全にベルの体から逸れる。

 

 そしてベルは受け流しに使った【神のナイフ】を大剣の刀身に滑らせ、そのままミノタウロスの右腕を狙おうとして。

 

「っ!」

 

 咄嗟にかがんだベルの頭の5cm上で、がちん、と鋭い牙が噛み合わされる。

 本来のミノタウロスにはない、鋭く長い牙によるかみつき。

 

 これまでは使ってこなかった、大剣とのコンビネーション。

 手首の切断を狙ったナイフの一撃は、鱗の表面を削るにとどまる。

 

「ウヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」

「くっ!?」

 

 ミノタウロスの圧力が倍加した。

 ベルの攻撃は鱗ではじくに任せ、大剣の攻撃に全霊を注ぐ。

 合間に織り交ぜてくる噛みつきも決して軽視はできない。

 

 防御を捨てたリスキーな戦法。

 だがリスキーなのはベルにとっても同じ。

 

 今ベルが戦い続けていられるのは、ミノタウロスの大剣の攻撃を一度もまともに受けていないからだ。

 まともに貰えば、次の一撃を回避する余裕はおそらく残らない。

 

 文字通り必殺の攻撃を紙一重でかわしながらの綱渡り。

 装弾数の増えたロシアンルーレット。

 

 疲労も蓄積してきている。

 30分近く、この鋼鉄の暴威を前に命の綱渡りを繰り返してきているのだ。

 人の体力も精神力も、無限ではありえない。

 

 そしてもう一つ不利な点。

 それは【神のナイフ】があくまでナイフでしかないと言う事。

 

 たとえ敵の鱗を斬り裂けるにしろ、ナイフの刃渡りでこの巨体に致命傷を与えるには急所を狙わねばならない。

 だがこの鋼の嵐を前にその余裕があるのか。

 

「ヴォォォォォォォォォ!」

 

 打ち下ろし。

 横薙ぎ。

 袈裟懸け。

 

「・・・っ!」

 

 どれもが一撃必殺の鉄塊の暴風。

 かわしながらの反撃は肉を浅くそぐにとどまる。

 

 ミノタウロスは相撃ちでいいのだ。

 巨体とタフネスが致命傷を防いでくれる。

 

 だがベルは攻撃を完全回避した上で反撃せねばならない。

 ここに来て、体格の差が出てきていた。

 

「ヴウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」

「ぐっ!?」

 

 ベルが押され始めた。

 足を狙い機動力を完全に殺そうとするが嵐のような連続攻撃を、大剣の壁をかいくぐることができない。

 

(こうなったら、危険覚悟で飛び込むしか・・・!)

 

 ベルが一か八かの大博打の覚悟を決めようとした瞬間、後ろからの声がその足を止める。

 

「やめろ、ベルッ!」

「でも、兄さん!」

 

 兄の叱咤に、振り向かず反論しようとするベルだが、続く言葉を聞いてはっとした表情になる。

 

「ベル! "ウェポン・シフト"だ!」

「あ・・・! うん、わかったっ!」

「ヴムゥンッ!」

 

 隙あり、とばかりにミノタウロスが斜め上から鉄塊を打ち込む。

 受け止めることはせず、横に飛んでかわす。

 大剣が再び不可視の盾に遮られ、斜めに逸れて石床を破砕した。

 

「ヴグッ・・・!」

 

 さらにベルを追おうとするミノタウロスだが、左足の傷口が痛みたたらを踏んだ。

 その間にベルは大剣の間合いの外に脱出している。

 

「おおおおおおおおおおお!」

「ヴモォォォォォォォォッッッ!」

 

 間髪を入れずベルが飛び込む。

 ミノタウロスがそれを迎撃する。

 

 再び始まる鋼の打ち合い。

 だが今度は全くの互角。

 

 次の攻撃を考えず、ミノタウロスが振り回す鉄塊を迎撃することに全身の力を注ぐ。

 神のナイフが打ち合ったときの高周波音と、バゼラードが打ち合ったときの金属音が交互に、あるいは同時に響く。

 

 斬る。弾く。

 振り下ろす。弾く。

 薙ぐ。弾く。

 ひたすら、刀身に刀身を叩き付ける。

 そのような攻防が何十合繰り返されただろうか。

 

「っ!」

「ヴムッ!?」

 

 大上段から打ち下ろした大剣の刀身に、横からバゼラードと神のナイフを叩き付ける。

 その瞬間、鈍い音を立ててバゼラードの刀身が砕け散った。

 そして同時に大剣の刀身も、真ん中から砕けて折れる。

 大剣と、バゼラードと、死闘の末に力尽きた武器たちが同時に地面に落ちた。

 

「・・・」

「ヴゥゥ・・・」

 

 一瞬の間の後、両者が同時に飛びすさった。

 その間合い、10m。

 

「フゥーッ、フゥーッ・・・!」

 

 ミノタウロスが両手を床につけた。

 イサミの前世で言えば相撲の立ち会いにも似た、全力の突撃の姿。

 ミノタウロスの最強武器たる、角を用いた強力無比の突撃(パワフルチャージ)

 

「・・・・・・・・・・・!」

 

 ベルは予備の武器を抜かず、右手の神のナイフを逆手から順手に構え直す。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 ごくり、と誰かが喉を鳴らした。

 ベルの肉体も精神ももう限界。

 魔法を使うための精神力も底をつきかけている。

 

 一方ミノタウロスも深手ではないとは言え、全身に無数の傷を負っている。

 武器も失った。失血も馬鹿にならない。

 

 誰もがわかっている。

 次の激突で、おそらく決着がつくであろう事を。

 

「・・・・・・・・・・・っ!」

「ヴゥ・・・・・・・・・ッ!」

 

 視線が空中で火花を散らす。

 機をはかる。

 限界まで引き絞られる弓のごとく、たがいの戦意と緊張が高まる。

 

 十秒。

 二十秒。

 誰かの頬を汗が伝う。

 

 その瞬間、矢が放たれた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」

「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!」

 

 真っ向正面、一直線。

 人とモンスターが互いを目指して疾走する。

 ミノタウロスのものか、ベルのナイフからぼたぼたと大量の血が流れ落ちて、床に一直線の赤い線を描く。

 

「ベル様っ!」

 

 目をさましたリリが絶叫する。

 

「馬鹿がっ!?」

 

 ベートが叫ぶ。リヴェリアは若いな、というように眼を細めるのみ。

 

 間合い6m。

 ベルが跳躍した。

 

「!?」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"・・・"武器形態変化(ウェポンシフト)"ぉぉぉっっっ!」

 

 その瞬間、ベルの手の中の【神のナイフ】が巨大化した。

 一瞬にして形態変化を完了したその姿は、刃渡り2mの超巨大剣(フルブレード)

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 全身のバネを使い、突撃の勢いと自らの体重と巨大剣の重量と残った精神力生命力の全てをこの一撃に注ぎ込む。

 

「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!」

 

 ミノタウロスもまた、全身の膂力と慣性を角の一点に集中させて突き上げる。

 

 一瞬の後。

 

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃんんんんんっっっ!

 

「がっ!?」

「うわっ!」

「きゃあっ!?」

 

 その瞬間、それまでにない高周波の音が響き、大量の土埃が舞い上がった。

 聴覚の鋭い獣人やエルフは思わず耳を押さえる。

 

「おい! ベルは! ベルはどうなったっ!」

 

 耳を押さえながらシャーナが叫ぶ。

 

「・・・・・・・!」

 

 イサミが目を見張った。

 

 

 

 土ぼこりは晴れていた。

 一人と一匹が動かず立ち尽くしている。

 

 一匹は天高く角を突き上げた姿勢で。

 一人はその足下にうずくまって。

 

 ぱっ、とベルの全身から血が噴き出した。

 そのまま少年は地面にくずおれる。

 

「・・・っ!」

 

 無言の悲鳴で空気がどよめく。

 アイズが蒼白になり、口元を手で押さえた。

 自分はまた、失ってしまったのだ。

 また。また。また!

 

 目の前が真っ暗になる。

 闇が心をじわり、と浸食する。

 怒りと憎しみが心を塗りつぶしていく。

 

 だが。

 

 がらん、という音でアイズは我に返った。

 かなり重い、金属質のものが石床に落ちた音。

 

 向けた視線の先にあるのは、いびつにねじくれた、巨大な角。

 はっと気づき、ミノタウロスの頭部に視線をやる。

 

 天向けて突き上げたはずの角は、根元から消失していた。

 それを叩き折った・・・いや、斬ったのはなんだ?

 そしてそれは、角を斬った後どうした?

 

 ずるり、とミノタウロスの体が傾いた。

 頭の付いた右半身は前に。左半身は後ろに。

 

 左肩口から股下にかけて断たれた線に沿って、体がずれていく。

 それを成した超巨大剣は石床にめり込み、クレーターを作っていた。

 剣からあふれ出した不自然な程の血がクレーターを満たし、血の池を作っている。

 

 "血の刃(ブレード・オブ・ブラッド)"。

 血の形を取った魔力を武器に纏わせ、破壊力に転換する魔術師呪文。

 術者が更に生命力を消費することによって、その破壊力は飛躍的に上昇する。

 

 そして、ベルはそれを恐るべき高速で重ねがけできる――

 文字通り、精神力と生命力のありったけをつぎ込んだ一撃がミノタウロスの肉体を両断したのだ。

 

 

 

 ミノタウロスの巨体が前後に分かれて倒れ、地響きを立てた。

 

「ぐ・・・うう・・・」

 

 地面にくずおれたベルの口からうめき声が漏れる。

 生きている。Lv.1の冒険者が死力を尽くしてミノタウロスを倒し、なお生き延びている。

 

 それは――まさしく偉業だった。

 

「~~~~~~~っ!」

 

 こらえきれず、イサミが両手を突き上げた。

 ルーム全体にとどろく勝利の雄叫び(ビクトリークライ)

 声に出せない弟に代わり、歓喜を爆発させる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「わああああああああああああっ!」

「うっしゃああああああああああああああっ!」

 

 シャーナ、レーテー、ティオナがそれに続く。

 フィンやリヴェリアすら、感嘆の色を隠し切れない。

 ティオネは驚愕の色を顔に貼り付け、ベートはただ呆然と、うずくまる勝者を見つめている。

 

 ベル・クラネル。

 この瞬間をもって彼は冒険者の――英雄への(みち)を踏み出した。




 書き終えた死んだー。
 原作のこの部分は本当に神がかってます。
 色々努力はしましたがやっぱ原作が完璧すぎて勝てねーわ、はっはっは。


 なおタイトルの「born legend」は30年ほど前の漫画「影技 -SHADOW SKILL-」のアニメOP(まあ2014年まで連載してましたが)。
 今回の話書く間ガンガン鳴らしてました。曲も歌詞もクッソかっこいいんだこれが。
 我が一撃は無敵なり――!


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第十一話「八者の円といい、冥府魔術師団といい、灰色の魔女といい、積極中立にろくなやつはいない」
11-1 安堵


 

 

 

『兵は詭道なり』

 

 ―― 『孫子』 ――

 

 

 

「・・・ふう」

 

 歓喜を吐き出し尽くしたイサミはベルの治療に向かおうとして、自分の首に突きつけられていた黒い剣が消えているのに気づいた。

 それどころか、その使い手の姿もいつの間にか消えている。

 おそらく全員の注意がベルとミノタウロスに集中している間に姿をくらましたのだろう。

 

「あんた、忍び足とかそう言う技能は持ってなかったはずだろうが・・・」

 

 ため息をつき、イサミはベルの方に一歩踏み出した。

 

 

 

 "シンバルの癒しの魔力(シンバルズ・シノストドウェオマー)"一回でベルの肉体的負傷は全快した。

 精神枯渇(マインドゼロ)寸前の精神力の消耗もマジックポーションを飲めばある程度回復するだろうが、魔法とは関係なく精神的な疲労も濃いはずだと判断し、寝かせておくことにする。

 

 レーテーの腕から地面に降り立ったリリが、横たわったベルにすがって泣きじゃくり始めた。

 彼女も緊張の糸が切れてしまったらしい。

 

 

 

 一方ロキ・ファミリア。

 レーテーと手に手を取ってきゃいきゃいと喜んでいるティオナを横目で眺めつつ、フィンがつぶやく。

 

「ベル・・・ベル・クラネルか。興味深いね」

「彼の魔法にも興味が尽きないが、それはそれとしていいものを見せて貰った。

 ひさびさに――胸が躍ったぞ」

 

 首領二人が笑顔を見せる横で、ベートの顔はこわばったままだ。

 

「よう」

 

 振り向いたイサミの声に、びくりと震える。

 次の瞬間、それを隠すかのようにベートは牙を剥いた。

 

「気安く呼ぶな、虎刈り野郎。大体てめえごときが・・・」

「言ったろう? 嫌でも覚えることになるって」

 

 満面の笑みを浮かべたイサミの表情は楽しげで、ベートのけんか腰を意にも介さない。

 

「・・・」

 

 苦虫をかみつぶしたようなベートの顔。

 フィンが肩をすくめ、リヴェリアがくっくっと笑った。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十一話「八者の円といい、冥府魔術師団といい、灰色の魔女といい、積極中立にろくなやつはいない」

 

 

 

 両手を胸に当て、アイズは立ち尽くしていた。

 胸の中に様々な思いが溢れて、自分でもどう反応するべきかわからない。

 それでも最初に一番強く感じたのは安堵だった。

 

 次によくわからない、熱いものが胸に溢れた。

 普通の人間であれば感動とでも称するのだろうが、アイズにはそれがわからない。

 ただ、体を動かしたくて仕方がないと思った。

 

 そして、表現しがたい第三の感情がアイズの心にわき起こる。

 気づけば一歩、二歩と少年に近づいていた。

 

 兄の手によって横たえられた体。

 すがりついたまま、再び気を失っている小人族の少女。

 

 その前でアイズは立ち尽くす。

 何がしたいのか自分でもわからないままにしゃがみ込もうとして、ぽん、とその頭に手が置かれた。

 振り向くと少年の兄の巨体。

 

「ありがとうな、アイズ。こいつを助けに来てくれたんだろ?」

「なにも・・・できませんでしたけど」

「いいや。こいつが勝てたのはきっと君のおかげだよ。ありがとう」

「・・・? よく、わかりません」

 

 わからなきゃいいよ、と頭を撫でられる。

 釈然としないものは残ったが何とはなしに懐かしい気持ちになって、アイズは大きな手に撫でられるまま目をつぶった。

 

 

 

「あの・・・」

「なんだい?」

 

 巨漢が手を放し、しゃがみ込もうとしたところでアイズが再び口を開いた。

 

「弟さんは・・・何故こんなにも早く成長できるんです?」

 

 前にも投げかけられた問い。

 より切実さを増した、真剣な問い。

 しばし間を置いて、イサミが口を開く。

 

「言ったろう? 俺たちにもわからないって。

 強いて言うなら・・・こいつには英雄の素質があるんじゃないかな。

 少なくとも俺はそう思う」

「そう・・・ですか」

 

 本当ではないが、嘘でもない答え。

 少なくともイサミは、弟にそれがある事を信じている。

 でなくば【憧憬一途】などというスキルが発現することもあるまいと、今ではそう確信している。

 

 もの問いたげなアイズをそのまま、イサミはベルをおぶい、レーテーがリリを抱き上げ、ヘスティア・ファミリアの面々は一礼してその場を去った。

 

 

 

 迷宮の出口にたどり着くと塔内の武器屋でバイト中の主神を呼び、そろってホームに帰る。

 弟とリリの世話をヘスティアに頼み、再び迷宮に挑むべく三人はバベルに向かった。

 もう日もかなり高くなり、人通りも増えた大通りを歩く。

 

「ベルに付いててやらなくて良かったのか?」

「疲れて寝てるだけだ。それに、今は一刻一秒が惜しい――ロキ・ファミリアの最深層到達までおそらく五日か六日。それまでに可能な限り準備を整えておきたい」

「ああ、まあ確かにな」

「ん~? どういうことぉ?」

 

 シャーナとイサミの会話にレーテーが首をかしげた。

 

「ああ、レーテーは知らないな。実は・・・」

 



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11-2 "戦造人間(ウォーフォージド)"

 数日前。

 イサミとシャーナが50階層に到達した翌々日である。

 49階層を抜けて50階層に下りたイサミとシャーナの前に、あの黒ローブが現れた。

 心底嫌そうな顔でシャーナが黒ローブを睨む。

 

「なんだよ、また無理難題か?」

「そう言わないで話を聞いて貰えないかな。損はさせないよ」

 

 実際先だっての報酬として、イサミ達はルルネやアイズと共に宝石や宝飾品、貴重なアイテムや魔導書など、数億ヴァリスにも達するであろう莫大な財物を受け取っている。

 無論、いくら莫大な報酬があるからと言って依頼を受けるかどうかは別の話なのだが。

 

「その代わり命の危険があるってんだろ。聞き飽きたぜ」

 

 イサミが苦笑してまあまあと間に入る。

 

「このタイミングであんたが出てきたって事は、59階層の何かのことか?」

「そうだ。私にとっても52階層から下に入ることはかなりのリスクを伴う。

 ロキ・ファミリアが遠征に出ることは知っているな?」

「まあね」

 

 仮届けの段階であるものの、ロキ・ファミリアの遠征はこの時点で既に街の噂になっていた。

 情報収集に余念のないイサミも当然耳にしている。

 

「君たちが報告してくれた24階層での事件――そして59階層に何かあるという敵の言葉。私としてはそれをはっきりさせたい。

 ロキ・ファミリアはそれに挑むつもりだろうが、彼らですら生還できるかどうかはおぼつかないところがある」

「・・・」

 

 無言のままうなずくイサミ。

 確かに、ロビラーとグラシアのいずれか・・・あるいは両方が出てくれば、迷宮都市の双璧たる彼のファミリアも無事で済むとは考えにくい。

 

「そこで、君たちには彼らと共同して事に当たって貰いたい」

「それはいいが、向こうに話は通ってんのか?」

 

 疑いを消さないシャーナの視線に、怪人が僅かに沈黙する。

 

「・・・いいや。ロキ・ファミリアには今回の件は伝えていない。

 あの女神は今ひとつ信用しきれないし――我々の依頼を唯々諾々とこなすほど素直でもあるまい」

「確かに彼女は天界では随分大暴れしてたらしいが。それだけか?」

 

 片目を閉じて怪人に視線を送るイサミ。

 

「いやそれよりもだ。俺たちは都合良く動くってか? ムカツク物言いじゃねえか」

 

 シャーナの怒りの混じった視線を無言で受け流し、怪人がイサミの方を向く。

 

「彼女はともかく、君は動いてくれるものと思うが。

 君はそのためにここに来たはずだからな」

 

 イサミの片眉がぴくりと動いた。

 

「そう言うセリフが出るって事は、やっぱりあんたも俺と同類と思っていいんだな。赤いじいさんと会ったか?」

「む? いや、それは知らないな。君と私は別口と言う事だろう」

 

 怪人の返答にイサミが頷く。

 

「だろうな。あんた、"エベロン"の人だろう。その銀の手。籠手じゃないんじゃないか?」

「・・・わかるかね」

 

 今度はフードの怪人の方が僅かに驚いた様子になる。

 

「歩き方や関節の動きで何となくな。ローブで隠してても動きがヒューマンやエルフとは違うんだよ、"戦造人間(ウォーフォージド)"は」

 

 "戦造人間(ウォーフォージド)"。

 善悪の戦いが繰り広げられるファンタジーが主のD&D世界にあって、魔法による疑似産業革命・国家間の大戦と暗闘・曖昧な善悪の境目などなど、特異さが際だつ"エベロン"世界にて生み出された人造人間である。

 黒曜石の骨格に植物性繊維が絡みつき、表面を金属製の装甲が覆うその外見はファンタジー版アンドロイドといった趣で到底生物には見えない。

 

 実際彼らは秘術的な実験から生まれた人工物だ――だが、それでも彼らには生命があり、自我があり、魂がある。

 泣き、笑い、歌を歌い、魔術を行使し、神に仕えて信仰の奇跡を授けられさえする。

 戦のために生み出されながら、確固たる意志を持つひとつの命――それが"戦造人間(ウォーフォージド)"という存在であった。

 

 

 

「なあおい。どっちでもいいから、俺にもわかる言葉で話してくれよ」

 

 すっかりくさった様子のシャーナが口を挟み、二人の会話はそこで途切れる。

 

「悪い悪い。前に予言の話をしたろう? このおっさんも俺と同じ予言を受けてるお仲間ってことさ」

「おっさん・・・私が若かったり女性だったりしたらどうするつもりか、君は」

「ウォーフォージドだろ。それもかなりの年を経た。おっさんでいいじゃないか」

「・・・」

 

 あからさまに不服そうな雰囲気をかもし出す怪人。

 にやにやとイサミが意地の悪い笑みを浮かべた。

 ちなみにウォーフォージドには性別は――少なくとも肉体的なそれは――ない。

 

「まあ、お前の同類ってのはわかった。

 色々ややこしいみてぇだが、そのウォーなんたらってのはなんだよ? おまえがそうなのか?」

「ふむ・・・」

 

 フードに隠れた視線がちらりとイサミを見た。

 イサミが軽く頷く。

 

「やっぱり見て貰った方がいいんじゃないか?」

「そうだな。だが、驚かないでくれよ」

 

 そう言って怪人はフードとヴェールを取る。

 その下から現れたのは、白銀の兜に覆われた頭部と、人の顔を抽象的に模した同じく白銀の仮面だ。

 古代の神像のようにも見えるし、SF映画のアンドロイドのようにも見える。

 

「仮面・・・?」

「いいや、違う。これが私だ、シャーナ・ダーサ」

「しゃべった?!」

 

 目の部分の玉石がぎょろりとシャーナの方を向き、口が動いて言葉を紡ぎ出す。

 仮面と思っていたものが動くのを目の当たりにして、シャーナは絶句した。

 

「この体の半分位は石とミスラル――ミスリルでできている。

 これがウォーフォージド・・・戦のために生み出された種族だ。

 だが勘違いしないで欲しい。私たちはモンスターではない。

 心があり、魂があり、命があるのだ――人間やエルフと、何ら変わらぬ命なのだ」

「・・・」

 

 沈黙が落ちる。

 ややあって、シャーナがはーっ、と長いため息をついた。

 

「色々納得はいかないが、イサミに免じて勘弁してやる。

 だが、俺がてめぇを気に入ってる訳じゃないのは覚えておけよ」

「感謝する。それで十分だ」

 

 怪人が一礼した。

 

「ところで、そろそろ名前を教えて貰えないかな。怪しい人とかウォーフォージドとかじゃ呼びづらい」

「『フェルズ』だ。今はそう名乗っている」

「"愚者(フェルズ)"? また自虐的なネーミングだな」

「実際愚者なのさ、私は。今ここにいるのも、己の愚行の償いのようなものだ」

 

 嘆息するその声には、深い後悔の色があるように思えた。

 

「・・・まぁそれはいい。それで、59階層でロキ・ファミリアと協力して調査なり探索なりを行えばいいのか?

 俺がここに来た理由がそこにあると?」

「で、あろうと私たちは考えている――少なくともその一部ではあるはずだ。

 私たちも、事態の全てを把握しているわけではないのだ」

 

 嘘では無いが、事実を全て述べてもいないと感覚は告げていたが、それでもイサミは首を縦に振った。

 

「わかった。どのみち二人だけで59階層の攻略は難しそうだからな。それこそ階層主が出てくる可能性もある――シャーナはどうする?」

「今更そういう事は言いッこなしだぜ、相棒。お前が行くって言うならついてくだけさ」

 

 隣の巨体を見上げてニッ、と笑う。

 イサミも笑い返し、二人は拳を軽く打ち合わせた。

 

 

 

「・・・と、言う訳でさ。59階層の攻略はロキ・ファミリアとタイミングを合わせなきゃいけない。それまでにできる限り強くなっておきたいのさ」

「ふーん・・・つまり、みんなでがんばろうってことだね!」

「ああうん、それでいいよ」

 

 満面の笑みを浮かべるレーテーに、二人揃って苦笑をこぼす。

 そしてイサミが天を仰いだ。

 

 その視線の先には都市の中央にそびえ立つバベルの塔。

 迷宮のフタにして入り口。

 

「それに俺はあいつの兄貴だからことさらだけど・・・お前達もあいつの戦いを見て、何か感じるところはあったろう?

 こう、さ・・・体を動かさずにはいられないんじゃないのか?」

「・・・」

「・・・」

 

 イサミの問いに、シャーナとレーテーは無言のまま、しかし雄弁に肯定の意を返す。

 

「特に俺は兄貴だからさ。あいつより強くないといけないんだよ。

 だからさ、ダンジョン行こうぜ、ダンジョン。あんなもの見せられたら、強くならずにはいられないよ」

「だな」

「うんっ!」

 

 にやりとシャーナが笑い、レーテーは満面の笑みでこくりと頷く。

 そのまま三人は、足早にバベル目指して歩みを進めた。




 たったひとつの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体
 鉄の悪魔を叩いて砕く、フェルズがやらねば誰がやる!(CV:内海賢二)


 なおウォーフォージドは公式で寿命がないので(多少劣化はしますが)、原作のフェルズと同じく不老不死ではあります。


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11-3 お茶会再び

 その後ベルは丸一日寝込み、そしてヘスティアの手によってランクアップした。

 

「ほら、拡張アビリティは【幸運】。スキルも発現したぜ・・・【英雄願望(アルゴノゥト)】だって。かわいいね、ベルくん?」

「うわぁぁぁぁ神様のばかぁぁぁぁ!」

「わははははは、純だなあ、少年!」

「えっとねえ、レーテーはかっこいいと思うよ? ベルちゃんはちっちゃな男の子のままなんだね」

「わああああああああん!」

「あ、逃げた」

「あれ? なんで?」

 

 

 

 更にその翌々日【神会】でベルのランクアップが承認され、【リトル・ルーキー】の二つ名が授けられた。

 フレイヤが不自然な程にベルとイサミに肩入れし、不倶戴天の間柄であるはずのロキがヘスティアに忠告するなど奇妙な雰囲気が流れる。

 

 一方で食人花についての警告には多くの神がその表情を改め、ロキ、ディオニュソス、ヘルメスが神々の中に一連の事件の首謀者がいないかどうか探りを入れたが、それは不発に終わった。

 

 更にベルがお調子者の神々に絡まれたり、

 イサミもからまれそうになって直前で回避したり、

 ランクアップお祝いパーティで酔った冒険者に絡まれたり、

 これまでの最短記録を大きく破ったランクアップ速度が話題になったり、

 ベルが新たな仲間を得たり、

 【英雄願望】スキルが発動して小ドラゴンを一撃で撃墜したり、

 イサミが中層進出の前祝いにベルとリリにマジックアイテムをプレゼントしたり・・・

 

 その間もイサミたちは黙々と探索と準備を続け、ミノタウロスとの戦いから数えて六日後。

 ついにロキ・ファミリアが49階層に到達した。

 

 

 

「うおー! やってきたぞ49階層ー!」

 

 闘志満々で吼えるのはアマゾネス姉妹の妹ティオナ。

 ベルとミノタウロスの戦いを見て以降、ロキ・ファミリアの一級冒険者達には火がついていた。

 

 未熟ながらも魂を震わせるような、全力を振り絞った強敵との戦い。

 それは教え導く立場のフィンやリヴェリアですら例外ではない。

 

「私だって・・・!」

 

 一方、エルフの魔導士レフィーヤも無言で杖を握り、闘志をたぎらせている。

 リヴェリアから聞いた戦いぶりに加え、己のお株を奪うかのような万能コピー魔法。

 アイズを巡るライバルとして(勝手に)認定している相手の雄飛に、闘志を燃やさずにはいられないレフィーヤである。

 

 

 

 整然と隊列を組んで、ロキファミリアは『大荒野』を進む。

 

「・・・?」

 

 それに最初に気づいたのは感覚の鋭い獣人族のベートだった。

 

「おい、おかしいぞ・・・クソッタレのフォモール共の姿が全く見えねえ」

「間違いないのかい、ベート?」

「このだだっ広い階層で、ここまで影も形も見えないってのはねえよ。おまけに匂いすらしねえ・・・こっちが風下だってのに」

「フム・・・」

 

 その場で停止し、足の速いベートやアイズらを偵察に出す。

 それで判明したのは、この階層からモンスターが一掃されている事実だった。

 

「大量の灰が残ってた・・・魔石をえぐり出したフォモールの死体だと思う」

「こっちも同じだ。後、裏ッ返しになったり砕けたりした岩が多々あった。

 どういうことかはわからねえが・・・」

 

 彼らの話を聞きフィンは僅かに瞑目していたが、やがて前進を命じる。

 結局50階層への階段に到達するまで、彼らはモンスターと遭遇しなかった。

 

 

 

 50階層。

 

「やあみなさん、おそろいで」

「ちょっと待て! なんでテメエがここにいるんだ!?」

 

 安全階層に到達し、ベースキャンプを設置しようとしたロキ・ファミリアの前に現れたのは、8人程が入れる大型テントとその前にテーブルセットを設置してお茶を楽しむイサミ達の姿であった。

 ベートは当然だが、イサミのことを知らない一般の団員やヘファイストス・ファミリアの鍛冶師達も目を丸くしている。

 

 もちろん計算ずくの行為である。

 ロキ・ファミリアの進行を見計らって再出現の前に彼らが49階層を通るようにフォモールを全滅させ、更に初見でインパクトを与える。ウダイオスのお茶会に招かれたフィン達には効果が薄いだろうが、それでもある程度のはったりにはなるはずであった。

 

「おい! 何でいるのかって聞いてんだよ!」

 

 食ってかかるベートに半目をくれ、イサミは涼しい顔で受け流す。

 

「別にお前の家ってわけでもあるまい。何か問題でもあるのか?」

「・・・っ!」

 

 歯ぎしりするベートに代わり、軽い呆れ顔のガレスが口を開いた。

 

「他のファミリアの遠征の話は聞かなんだが・・・おぬしら、届け出はしておらんじゃろう?」

「報告は義務ですけど、届け出は慣習であって義務じゃないんですよ。うちはあまり注目されたくないので出してません」

「そうなのか? 初耳じゃぞ」

 

 ガレスはいぶかしげだが、事実である。

 お役所仕事ではまれによくあることだ。

 

「良くあることなんだよなあ・・・」

「なんでため息をついとるんじゃ」

「いえ何でも」

 

 イサミはお役所仕事のなせる業だと思っているが、実際のところは少し違う。

 深層への「遠征」というのは探索系ファミリアの義務である到達階層更新のために行われる事が多いのだが、まれに事故やノリで更新してしまう場合もあるため、そうした事後報告も認められているのである。

 閑話休題。

 

 

 

 リヴェリアと苦笑を交わしていたフィンが口を開いた。

 口元に笑みは残っているが、ただし目は笑っていない。

 

「で。聞くまでも無いことだろうけど、君たちも59階層にアタックするつもりかい?」

「ええ。一度失敗してますからね。今度は準備を整えてきましたよ――芋虫対策も、砲竜対策も。どうです? ここは一つ、協力してアタックするというのは」

 

 ぴくり、とフィンの眉が動いた。

 

「協力とはまた大きく出たね。こちらの傘下に入る、ではなく?」

「ええ。そちらは戦力を、こちらは技術と策、ついでに物資を提供する。

 戦力についても、俺たちだって三人で49階層のフォモールを全滅させるだけの実力はある。

 十分な交換条件ではあると思いますが。それに、飯のうまさは保証しますよ?」

 

 にやりと笑うイサミに、今度は本当の苦笑を一瞬漏らす。

 

「まあ、それについては疑いはしないけどね。

 実際君の火力は有用だし、君の仲間も腕利きなのはわかる。

 ただ、もう一押し欲しいところだね」

 

 賭け金をつり上げる小人族の英雄に、イサミも再び上乗せ(レイズ)

 

「それは・・・」

 

 イサミの説明を聞き、しばらく沈思黙考する。

 

「わかった。だが戦闘では基本僕の指示に従って貰うと言う事でいいね?」

「商談成立ですな」

 

 団長同士の間で握手が交わされる。

 フィン・ディムナはイサミ達を受け入れることを決定した。

 

 

 

「うめー?! 何っすかこれうめー?!」

「んー! これよこれ! もっぺん食べたかったー!」

「・・・!」

 

 阿鼻叫喚のごとき歓声が50階層に響き渡る。

 "英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"でイサミが用意した晩餐である。

 

 ロキ・ファミリア中堅団員のまとめ役である――にもかかわらず地味で影が薄い――ラウルはうまいうまいと連呼し、ティオナはかたっぱしからむさぼり食う。

 ベートは恐ろしい程不機嫌な顔で牛のアバラのあぶり肉にかじりついていた。

 一般の団員の反応についてはことさら述べる必要もあるまい。

 

「そう言えばアイズ、その腰にぶら下げてるのは?」

「出発前にルルネから貰ったんです。体のどこかに下げておいてくれって・・・」

「おう、ちょっと邪魔するぞ」

 

 褐色の肌を持つ女性がイサミ達の隣に腰を下ろした。

 ヘファイストス・ファミリア首領、椿・コルブランドである。

 入れ替わりに、レフィーヤに呼ばれたアイズが一礼して席を立った。

 

「久しいの、イサミ殿」

「どうも、椿さん。なんでまた・・・ひょっとして例の芋虫絡みですか?」

 

 51階層を探索している間に、イサミ達も何度も強化種の芋虫型に出会っていた。

 何でも溶かす溶解液を放出し、体液も同様の強酸性を持つため、普通の武器では攻撃することもかなわない難物だ。

 

「当たらずといえども遠からずだの。それ対策で不壊属性武器(デュランダル)を注文されてな。

 ついでにファミリアぐるみで遠征中の武器の整備も引き受けたわけだ。その分予備武器が不要になり、魔剣を運べるからな」

 

 あー、と納得するイサミ。

 次の瞬間、表情が一転して興味と好奇心が顔に浮かぶ。

 

「ってことは、今椿さんの作った不壊属性武器(デュランダル)がここに?」

「ぬっふっふ、食事の後に打ち合わせがあろう、そこでとくと堪能するがよい」

「いいですねえ。楽しみですよ」

 

 イサミが笑みを浮かべると、椿は期待しておれ、とでもいうように大きく頷いた。

 

「そう言えば芋虫対策、お主らは大丈夫なのか? お手前は魔導士だからいいとしても、ほかの二人は前衛であろう」

「もちろん考えてますよ。"青輝鍛造(ブルーシャイン)"という技法がありましてね。武器や鎧の腐食を完全に防いでくれるんです」

「ほう、ほう、ほう。神秘アビリティとはその様な事もできるのか。鍛冶で再現できるなら是非やり方を・・・」

「だから大きな声で言うなっつーの。まぁ難しいと思いますが、可能性としては・・・」

「むー・・・」

 

 そのまま技術方面の話に突入するイサミと椿を、レーテーが頬をふくらませて不満そうに睨む。

 話に混じれないのが悔しいらしい。

 

「あーもー、かわいいよねえ、シャーナちゃん」

「ほら、焼き肉食べる?」

「フルーツ取って上げるよ!」

「こっちの焼き菓子も美味しいぞー」

「はは・・・ははは・・・」

 

 一方でシャーナはやっぱりレフィーヤを初めとする女性陣に愛でられていた。

 元よりロキ・ファミリアは男性より女性のほうが多い。

 その分シャーナの周囲の女性の壁は分厚くなっており、シャーナの流す冷や汗の量も比例して増えていた――人それを因果応報という。




インガオホー・・・おお、インガオホー!


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11-4 突入前夜

「最後の打ち合わせを始めよう」

 

 ロキ・ファミリア三十七人、ヘファイストス・ファミリア二十四人、ヘスティア・ファミリア三人。

 食事を終え、輪になった一同がフィンの言葉に耳を傾ける。

 

「事前に伝えてあるとおり、51階層からは選抜した一隊でアタックを仕掛ける。

 残りはこのベースキャンプの防衛に回って貰う。

 パーティは僕、リヴェリア、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナ、ベート。

 サポーターにラウル、ナルヴィ、アリシア、クルス、レフィーヤ。

 それにヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネル、シャーナ・ダーサ、レーテー。加えて椿に武器整備士として参加して貰う」

「うむ、任された!」

 

 イサミ達を含め、名前を呼ばれた者達が真剣な表情で、あるいは笑みを浮かべて頷く。

 椿などは後者だ。

 

 そして種々の注意事項や溶解液を放出する芋虫型への対抗策などをフィンが一通り述べた後、椿が立ち上がった。

 自慢げな笑みを見るに、こちらも自分の作品を披露したくてうずうずしていたらしい。

 

「では渡すものを渡しておくぞ! 注文されていた品・・・『不壊属性武器(デュランダル)』だ!」

「おお・・・!」

 

 白布に包まれた武具が、ロキ・ファミリアの一級冒険者達の前に差し出される。

 フィンには長槍。ガレスは大戦斧。ベートは双剣。ティオナは大剣。ティオネはハルバード。

 

「連作《ローラン》。それぞれの要望通りに作った。

 第二等級武装並みの切れ味は保証しよう」

 

 不壊属性武器(デュランダル)

 超硬金属(アダマンタイト)をも越える硬度と強度を持つ世界最強の超合金、「オリハルコン」より鍛造された、文字通り金剛不壊の武器。

 

 壊れず、折れず、曲がらず、溶けず、燃えず、錆びない。

 強度の溶解液を放ち、体液で武器を溶かす芋虫型に対しても、不壊属性武器は全くその威力を失わない。

 

 魔導士のリヴェリアと元から不壊属性の武器を持つアイズを除き、全てのロキ・ファミリア前衛に不壊属性武器が行き渡る。

 一級冒険者達は己の新しい得物を満足げに眺め、あるいは振り回して使い心地を確かめていた。

 イサミなどはティオナを拝み倒してちょっぴり彼女の大剣に触らせて貰っていたりもする。

 

 やがてフィンが解散を宣言し、一同はそれぞれ思い思いに動き始める。

 天幕に戻るもの。血のたぎりを押さえられず体を動かすもの。明日に備え、静かに剣を研ぐもの。

 

 そしてイサミ達は自分達のテントに戻り、くつろいでいた。

 座り込んで食後のお茶を入れた後、シャーナがもの問いたげにイサミを見る。

 

「それで・・・大丈夫かよ、おまえ?」

「大丈夫かっていうと、何が?」

「すっとぼけんな。59階層の何かのことだよ。・・・絶対あの女なりおっさんなり、どっちかか、あるいは両方が絡んでくるんじゃねえのか」

 

 あいつら相手に戦えるのか? と暗に問うてくる。

 

「まぁ・・・どうにかするしかないでしょう。いざとなったら逃げる手もある」

「ならいいがな」

 

 いささか疑わしそうにではあるが、シャーナが一応納得のていを見せる。

 それと同時に、イサミの背中に柔らかい重みがのしかかってきた。

 

「・・・なんだよ、レーテー?」

 

 あぐらをかいたイサミを、レーテーが後ろから抱きしめている。

 

「大丈夫。イサミちゃんはぁ、私が守るから」

「・・・そっか、ありがとな」

 

 姿勢はそのまま、抱きついているレーテーの頭を撫でてやる。

 

「ん・・・」

「やれやれだ」

 

 眼を細め、気持ちよさそうに撫でられるレーテー。

 ため息をついて肩をすくめるシャーナ。

 その顔には苦笑が張り付いている。

 

 イサミ達の未到達階層アタック前夜は、そうして過ぎていった。

 

 

 

「ところでお前、女は平気になったのか。前は俺がくっついただけで赤くなったのに」

「ぶっちゃけ慣れました」

「ああ・・・」

「?」

 

 自分に向いた視線に首をかしげるレーテー。

 まあ、四六時中抱きつかれていれば耐性もできようというものである。

 

 

 

 怪物の咆哮・・・いや、苦鳴が暗闇に響く。

 どことも知れぬ暗い空間。

 

 苦鳴が響くごとに、紫紺の光を放つ結晶――魔石が地に落ちる。

 それを手に取り噛み砕くのは赤髪の麗人、24階層でイサミ達と交戦した怪人レヴィス。

 

 白装束の仮面の怪人、元闇派閥にして現在は半ば人をやめたクリーチャー、オリヴァス・アクトの姿もあった。

 拘束されたモンスターを黙々と屠り、その魔石をレヴィスの元に運んでいく。

 それは雛をかいがいしく世話する親鳥のようにも見えた。

 

 唐突に、人ならざるものの声がこの空間に響く。

 紫紺のフード付きローブに不気味な仮面を被った謎の人物。

 

『何ヲシテイル。【剣姫】達ハ既ニ『深層』ヘ向カッタ。何故動カナイ』

「食事だ。この体はひどく燃費が悪いし・・・それに傷は深い」

 

 視線を向けもせず、ひたすらに魔石を貪るレヴィス。

 オリヴァスが振り向き、口を開いた。

 

「『アリア』にあの魔導士の大男・・・今の我々より奴らは強い。正面からぶつかったところで太刀打ちはできまい。

 それに今回はあの女が絡んでいるのだろう? 尚更我々の出る幕はない」

『勝手ナ事ヲ・・・神ニ逆ラウツモリカ!』

「貴様らが私を利用するのは好きにしろ。だが私は勝手に動く。話は終わりか? なら消えろ」

 

 レヴィスの最後通告を叩き付けられ、憤懣たる様相でローブの人物はきびすを返した。

 足音が暗闇に消えると、レヴィスは魔石をかじる手を止めて傍らの白い怪人を見上げる。

 

「お前はいいのか? 私と違って貴様はあれに随分と入れ込んでいたようだが?」

 

 オリヴァスはしばし無言でたたずみ、やがて口を開く。

 

「実際にあやつらが絡んでいる以上、今の私たちでは行ったところで意味がない。

 今はお前の戦力を回復させ、強化することが先決だ」

 

 仮面越しのオリヴァスの視線と、見上げるレヴィスの視線が静かに絡む。

 

「・・・ならさっさと魔石を持って来い。おかわりだ」

「わかった」

 

 頷いて、オリヴァスは闇の中に消えた。

 

 

 

 翌朝。

 光の届かない迷宮でも着実に時間は流れる。

 

 朝、再びの《英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)》による朝食。

 そして冒険者達は無言で準備を整え。

 

「――出発する」

 

 フィン・ディムナの静かな号令と共に、未到達階層攻略パーティは野営地を発つ。

 

 前衛にベートとティオナ、中衛にアイズとティオネ、そしてフィン、椿。

 後衛にリヴェリア、レフィーヤとガレス、イサミ達ヘスティア・ファミリア。

 これにそれぞれ予備武器やポーションを抱えたサポーターたちが付く。

 

 シャーナやレーテーはドワーフの大戦士ガレスと共に、イサミを含む後衛の魔導士達の盾になる布陣である。

 部外者であり、連携の訓練を積んでいないイサミ達を有効活用するにはこの位置しかなかったとも言える。

 

 

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

 

 呪文と共に数十本の炎柱が立ち並び、モンスターを焼いていく。

 

「すげぇっす・・・」

 

 今までイサミの魔法を見たことが無かったラウルが呆然とつぶやく。

 前後左右、出現する敵のことごとくをイサミの魔法が屠り、パーティは無人の野を行くがごとく51階層を疾走する。

 

 ブラックライノスが炎の柱の中に折り重なって倒れる。

 

 奇襲を得意とするデフォルミス・スパイダーも、イサミの目を逃れることはできない。

 四方八方から襲いかかろうとする巨大グモは、的確に出現位置を捉えられて次々焼却される。

 

 もっとも恐るべき敵であったはずの芋虫型ですら、この高速範囲火力には太刀打ち出来ない。

 最初のダメージに耐えても炎の柱の列を突破できず、異臭を残して消え去る。

 

 僅かに炎の柱を越えてくるものも、前衛を務めるティオナとベートの前にことごとく瞬時に粉砕されていった。

 顔をしかめ、ベートが舌打ちする。

 

「なーに舌打ちしてんのさー。あ、わかった。《美丈夫(アキレウス)》くんが活躍して悔しいんだ!」

「馬鹿言ってんじゃねえよ」

 

 けっ、と吐き捨てて炎の列柱の消えた闇の先を透かし見るベート。

 

「むっ」

 

 遠くに見える敵の姿に、その目が鋭く細まる。

 芋虫型らしき影を認め、両手の双剣を構えたその瞬間。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

 

 イサミから飛んだ呪文によって芋虫型の大群は接近することすらできず、残らず焼却される。

 

「・・・けっ!」

 

 さっきより強く、ベートが吐き捨てた。



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11-5 《竜の壺》突入とこの世界の魔法に関するちょっとした考察

 一方、後衛ではリヴェリアとレフィーヤが曰く言いがたい顔になっていた。

 

「・・・こんなの反則です・・・」

「まったくだな」

「レフィーヤはまだしも、リヴェリアさんに言われたくはないんですが」

「君ほどではないよ、イサミ・クラネル」

 

 走りながら「うー」と見上げてくるエルフの少女と、こちらは呆れ顔のエルフの美女に肩をすくめるイサミ。

 ともにこの世界の常識を覆す反則魔法を有する二人ではあるが、問題はそこではない。

 

「出てくる敵を全部魔法で片付けられたら苦労はしませんよ! マジックポーションも飲まずにどれだけ精神力蓄えてるんです!?」

 

 これである。

 もっとも、イサミからすればこちらの世界の魔法も十分反則だ。

 

 なにしろ重ねに重ねた呪文修正の効果で、"炎の泉"呪文の威力は素のそれの実に24倍に達している。

 しかしこれはほぼ無制限に《特技》を取得できるイサミだからできる技であって、本来"炎の泉"に重ねられる呪文修正は戦闘特化した20レベル術者でもせいぜい3つか4つ、威力にして6倍という所だ。

 

 だがその全力を振り絞った威力の遥か上を、この世界の術者達は悠々と行く。

 レベルが同じなら五分の力で既にD&D術者の全力を上回り、下手をすれば三分で互角。

 効果範囲も圧倒的だ。

 

 イサミの魔法が感心されているのも素早く発動する事と連発できる点であって、威力と効果範囲については「まあ一流」程度なのである。

 (ただし"時間停止(タイムストップ)"からの遅延連続発動はさすがに別だ)

 

 この世界の魔導士は魔力のアビリティによってあらゆる魔法の効果を上昇させることができる。

 D&Dにもそれに近い能力を持つ戦魔導士(ウォーメイジ)治癒術師(ヒーラー)と言ったクラスは存在するが、この世界の術者はそうした能力をデフォルトで持っている上に呪文の種類による制限もなく、魔力による補正率そのものも高い。

 しかもどうやら【魔導】アビリティによって、呪文修正に似た効果を付与できるらしい。

 

(この世界の魔導士の長文詠唱は約一分。D&D世界の魔術師なら、その間に10回は呪文を発動できる。その分威力や効果範囲が広いと考えれば納得はできる、できるが・・・)

 

 詠唱の長さやレパートリーの少なさという弱点はあるものの、この世界の魔法は威力・効果、特にその上限においてD&Dのそれを圧倒的に上回っている。

 しかもポーションを飲んできわめてお手軽に使用回数を回復できるおまけ付きだ。

 

(精神力のつぎ込み方次第で威力が上下するのは魔法というより超能力(サイオニック)っぽいよな。

 にしても《恩恵》といい、D&Dの世界にしても恐ろしく戦闘力が高いんだよなあ、ここ・・・そもそも《恩恵》ってのは・・・)

 

「っとっ!」

「イサミ! 敵だっ!」

 

 シャーナの叱咤より一瞬早く、イサミは物思いから覚めた。

 

「《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"炎の泉(ファイアーブランド)"!」

「ギィィィィィイィ!?」

 

 脇の通路から忍び寄ってきていたデフォルミス・スパイダーの群れが焼き尽くされる。

 

「ぼっとしてんな、タコ!」

「悪い」

 

 走りながら謝るイサミ。

 確かに今はのんきに考察をしていられる状況ではない。

 頭を切り換え、イサミは周囲に注意を集中させた。

 

 

 

 さして時間も要せず、一行は52階層に続く階段の前に立った。

 

「ここからはもう、補給は望めないと思ってくれ」

 

 アイテムの使用等はこの場で済ませろというフィンの言葉に対し、ここまで無傷の冒険者達は無言。

 ヘスティア・ファミリアの三人を含めて走る緊張に砲竜のことを知らない椿が怪訝な顔をするが、それを気に止めるものはいない。

 

「それでは、イサミ・クラネル。あれを」

 

 全員の反応に頷き、フィンはイサミに視線を送る。

 イサミも頷き、懐から「それ」を取りだした。

 

 

 

 迷宮58階層、『竜の壺』最深部。

 「大荒野(モイトラ)」よりも一回り巨大な空間には、海豹(アザラシ)や海鳥の群生地のごとくモンスターがひしめき合っている。

 

 中型の竜である怒りの竜(レイジドレイク)

 植物質の装甲に覆われた六本足のライオンのような歩く植物、バトルブライアー。

 昆虫と人のあいのこのような褐色の巨人、ホリッド・アンバーハルク。

 石の巨獣、スローターストーン・ベヒモス。

 下層に出現するブラッドサウルスの上位種である恐竜、ブラッドサウルス・タイラント。

 

 いずれも、推定レベル5に分類される強敵ばかりだ。

 その中でひときわ巨体が目を引くのが、この階層の名の由来ともなった砲竜、ヴァルガング・ドラゴン。

 

 10匹ほどたむろするそれらの内の一匹が、ぴくり、と顔を上げた。

 それが合図であったかのように、その他のヴァルガング・ドラゴンも次々と顔を上げる。

 捉えたのだ。遥か頭上をうろつく不遜な冒険者の存在を。

 

 深く、竜が息を吸い込む。間近にいればその呼気で全身が震えた事だろう。

 天向けて開いた口の奥に光がともる。

 次の瞬間、極太の火線が天高く立ち上った。

 

 直径数メートル、イサミの使う"炎の泉"呪文の倍以上に達するそれは数百mの距離をものともせず、それどころか天井の岩を易々と貫通する。

 火線が次々と天井を穿ち、広間にたむろするモンスター達がギャアギャアと吼える。

 

 ややあって火線が途切れた。

 砲竜達が口を閉じ、満足げに再びうずくまる。

 侵入者の気配は消えた。

 おそらく火線の内一本が命中して消し飛んだのだろう。

 

 やがて騒いでいたモンスター達も落ち付き始める。

 その瞬間だった。

 

『シギャアアアアアアッ!?』

『ゴヴァァァァァァァァッ?!』

 

 階層の中央近く、直径20m程の範囲に数十本の冷気の柱が立つ。

 ワンテンポ置いて不可視の衝撃波の柱が同じ範囲に。

 

 凍り付いた体を衝撃波で打ち砕かれ、モンスターどもが崩れ落ちる。

 それによって空いた空白に、次の瞬間、一人の冒険者が姿を現した。

 

 2m近い巨躯、側頭部に白いメッシュの入った黒い髪、白い長杖。

 イサミである。

 

『ガァァァアァァ!』

『グウォォォォォッ!』

「《高速化》"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

 

 イサミを認識した瞬間、周囲から殺到するモンスター達を高さ12mの不可視の壁が阻止する。

 単純な力や火力では決して打ち破れない力場の壁は、モンスターの爪牙はおろか、砲竜の大火炎すらものともしない。

 

 それらを尻目に、イサミは左手で素早く懐からハンカチ大の折りたたんだ布を取り出した。

 軽く振るとそれは直径1.8mほどの円状になり、ふわりと地面に広がる。

 

 次の瞬間、そこには深さ3mの穴が出現していた。

 中にはシャーナ、レーテーをはじめ、ロキ・ファミリアの面々がぎっしりと詰まっている。

 ガレスの肩の上に地味なラウルが立ち、フィンは幸せそうな顔のティオネに肩車され、小柄なシャーナとレフィーヤは胴上げ状態でこの狭い空間に詰め込まれている。

 

「よっしゃ! うまくいったみてぇだな!」

 

 シャーナが素早く起き上がり、長身のベートの肩を踏み台にして穴から飛び出す。

 手に持っていたガラス瓶をイサミに投げると、そのままベートの手を取って引っ張り上げた。

 同時にフィンが飛び出し、やや遅れてレフィーヤがあたふたと這い出してくる。

 

 レーテーが残ったメンバーを穴の外に投げ、あるいは自分で穴の縁に飛びついて這い出すのを見ながら、イサミはキャッチしたガラス瓶をバックパックにしまった。

 ガラス瓶は"空気のビン(ボトル・オブ・エア)"。新鮮な空気を無限に供給する。

 そして床に広がった布は"携帯穴(ポータブル・ホール)"。"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"同様、異次元空間を展開してアイテムを収納する為のアイテムだ。

 

 イサミは自分以外のパーティをポータブル・ホールに詰めこみ、単身52階層に突入。

 砲竜の階層間攻撃を誘って58階層直通の穴を空けさせる。

 (イサミとその装備は圧倒的な強度の《ドラゴン譲りの抵抗力》特技で守られているため、直撃でも傷一つつかない)

 

 しかる後"上位不可視化(スペリアー・インビジビリティ)"の呪文で音や気配を断ち、そのまま穴を通って58階層に直接降下。

 "炎の泉"呪文でスペースを空け"力場の壁"で遮蔽を確保した後、ポータブル・ホールを広げてパーティを解放したのだ。

 

「まあ最初の予定だとシャーナだけだったから、ちょっと窮屈だったがな」

 

 ポータブル・ホールをもう一枚出せば良かったか、とこれは口に出さずに考える。

 その間にレーテーと椿、ロキ・ファミリアの精鋭達は素早くポータブル・ホールから飛び出してきていた。

 

 広がった布を素早く畳んで懐にしまうイサミに、フィンが話しかける。

 ちらりと周囲に目をやると、四方全ては見えない壁に取り付く怪物たちに封鎖されていた。

 

「さて、ここまでは見事にはまってるけど・・・この防護呪文はいつまで持つんだい?」

「そうですね、あと六分という所ですか。準備があるならその前にどうぞ。

 ただ、こちらも壁が消えると同時に"とっておき"をカマしますので、攻撃魔法は待機してて貰ったほうがよろしいかと」

「ふうん・・・聞いたな、みんな! リヴェリア、防護魔法を今のうちに! 他のみんなは円陣! 中央に魔導士達を!」

「了解!」

 

 ものの数秒で円陣が組まれ、一分ほどで全員にリヴェリアの防護魔法が行き渡る。

 それを確認して、イサミは自分の詠唱を始めた。



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11-6 砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)

「"精神の唸り(ソノーラス・ハム)"」

 

 詠唱が終わると共に、円陣の中にいるイサミの周囲からぶんぶん言う音が起こる。

 

「え、なにこれ?」

 

 首をかしげるティオナその他の疑問には答えず、イサミが声を張り上げる。

 

「それじゃ壁を消すぞ! 『~~~』」

 

 "力場の壁"の呪文を逆順に詠唱し、不可視の壁を解除する。

 

『グウォォォォォ!』

『フゥゥゥゥゥゥッ!』

 

 なだれ込む怪物たち。だが《高速化》されたイサミの呪文の方が一瞬早い。

 

「《高速化》《範囲拡大》《最大化》《威力強化》《二重化》"風制御(コントロール・ウィンズ)"!」

 

 轟、と風が唸った。

 この広大なルーム中からイサミ達の周囲にたかってきていた大海嘯のごときモンスターの群れ。

 それら全てを飲み込み、巻き上げる直径4kmの巨大な竜巻。

 

「・・・・・・・・」

「っ・・・・・!」

「あ・・・が・・・・」

 

 さすがのロキ・ファミリアの精鋭達が声もない。

 恐れ知らずの椿でさえ口を開けて(ほう)けている。

 

 3mサイズのホリッド・アンバーハルクやバトルブライア―が木の葉のごとく宙を舞う。

 それどころか5mを越すブラッドサウルス・タイラントですらこの暴威にあらがえず、気流に飲み込まれてすり潰されていく。

 

 さすがにヴァルガング・ドラゴンは耐えているものの、それでも地面に縛り付けられ身動き一つできない。

 大火炎を吐いて攻撃するどころか、口を開くことすら困難な有様だ。

 

 上の階層に出現するイル・ワイバーンの群れが、砲竜の空けた穴を通っていつの間にか出現していたが、それらも大渦巻きの周囲を飛行するだけで、到底中に突入することができない。

 時折不注意な個体が渦に巻き込まれ、翼を持たない同類と同様、気流にすり潰されていった。

 

 

 

 数分後。

 気流に巻き込まれ、地面に叩き付けられ、また巻き上げられ、を繰り返していた怪物達のほとんどが動きを止めている。

 無言で精神集中を維持していたイサミがフィンに目をやった。

 

「カウントダウンを。20秒で頼む」

「了解。20、19,18・・・」

 

 イサミが頷いてカウントダウンを始めると、フィンが声を張り上げた。

 

「カウントダウン終了と同時に砲竜に仕掛ける! リヴェリアとレフィーヤは遠距離にいる奴を、前衛は手近な奴を潰せ!

 ナルヴィ、アリシア、クルスは魔剣で仕掛けろ! ラウルは待機! いつでもアイテムを使えるようにしておけ!

 みんな、砲竜を確実に仕留めてくれ!」

「「「「はいっ!」」」

 

 周囲の一同が頷く。

 

「13、12、11・・・」

 

 既にリヴェリアとレフィーヤ、アイズは詠唱を完成させ、ベートのミスリルの長靴にも魔剣の威力が充填されている。

 そのほかのものも、飛び出すタイミングを今か今かと見計らっていた。

 

「7、6、5、4・・・」

 

 レフィーヤの表情が緊張に引き締められる。

 前衛達は武器を手におのおのの獲物を見定め、体勢を低くして飛び出すときに備える。

 

「2、1・・・ゼロ!」

 

 轟風の壁が唐突に消失する。

 

「っ!」

「!?」

 

 その瞬間、誰よりも――ベートやアイズよりも――早く、ドワーフの大戦士ガレスが飛び出す。

 敏捷度に劣るはずのドワーフという種族が、しかし経験によって「機」を誰よりも早く掴んだ。

 努力と経験が種族の壁を凌駕したことに驚愕しつつ、その他のメンバーも負けてはならじと自らの獲物に走りよる。

 

「ウィン・フィンブルヴェトル!」

「アルクス・レイ!」

 

 全力の精神力を込めた氷の嵐と光の矢が合わせて三体の砲竜を屠った。

 

「ふんっ!」

 

 直後ガレスの大戦斧が、砲竜の一匹の足を文字通り吹き飛ばす。

 体勢の崩れたその首を、二の斧がたやすく断ちきった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』

 

 砲竜が咆哮する。

 だが前足が翼になったその体型は砲撃に特化しており、近接戦には決して向いていない。

 

「うぜぇぇぇぇっ!」

「はぁぁっ!」

「よっしゃぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 氷雪を纏った蹴りが、疾風の斬撃が、巨大な双刃が砲竜の頭を打ち砕き、体を両断する。

 

「どりゃあっ!」

「やあーっ!」

 

 続けてシャーナの大剣が竜の足を半ばまで断ち、体勢の崩れた頭を、レーテーの双大戦斧が打ち砕いた。

 

「ははっ! やるのう!」

「んもう、やっぱりもっと重い武器にして貰うんだった!」

 

 椿とティオネ、そしてサポーター達の魔剣による一斉攻撃もそれぞれ砲竜にダメージを与えるが、倒すには至らない。

 

「冷気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「冷気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「!?」

 

 残る四体の砲竜の足下から凍れる炎が吹き出し、負傷していた三体にとどめを刺す。

 だが、残り一匹。

 その口が大きく開き、大きく空気を吸い込む。

 へばりついた氷がばらばらと剥がれ落ち、喉の奥に明かりが灯る。

 

「来るぞっ!」

「くっ、間に合わない・・・」

「耐えろ! ババァの術だ、一発くらいどうってこた・・・」

 

 どんっ。

 

 ベートの言葉が途切れるのと同時、明かりの灯る喉奥に一本の長槍が突き立っていた。

 切っ先は喉を貫き、首の後ろまで貫通している。

 

「これで11頭・・・綺麗に全滅だね」

 

 投擲の体勢を元に戻しつつ、フィンが微笑む。

 最後の砲竜が地響きを立てて倒れた。

 

 

 

「お見事!」

 

 親指を立てるイサミにウインクを返しつつ、フィンが続けて指示を飛ばす。

 

「円陣を組み直せ! リヴェリアとレフィーヤは補給の後詠唱開始!

 イサミ・クラネル、君は上空のイル・ワイヴァーンを頼む・・・一人で大丈夫かな?」

「雑魚の相手は得意ですので」

「結構」

 

 にやっと笑って視線を戻す。

 

「フィン!」

「ん」

 

 アイズが投げてきた己の長槍を軽く受け止めると、フィンは彼方に目をやる。

 大竜巻の効果範囲外にいた地上モンスター、そしてワイヴァーン達が殺到して来ていた。

 

 2km近い距離があるとは言え、レベル5相当モンスターのステイタスはそれをあっという間に詰めてくる。

 だが、冒険者達の隊列の乱れを突けるほどではない。

 

「冷気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「冷気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

 

 飛竜の群れの先頭が200m程に迫った時、空中に数十の氷の華が咲く。

 直径3mの冷気の爆発の連鎖。直撃を受けたワイヴァーン達が氷像と化してぼたぼたと地に落ちる。

 全速で飛行していたのが災いし、後続の相当数も自ら冷気の壁に突っ込んでその後を追った。

 

「冷気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「冷気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

 

 転進が間に合い、迂回しようとしていた後続の飛竜どもに再び氷の爆発が炸裂する。

 損害は最初の一撃ほどではないが、これで飛竜の群れの勢いが完全に止まった。

 

「冷気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

「冷気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の炎の泉(コールドファイアーブランド)"!」

 

 さらなる連打が飛竜の群れを襲う。

 一撃ごとに100近い飛竜が地に落ちるが天井の穴から次々と新たな飛竜が現れ、その数は減じることがない。

 上空の戦いは一進一退であった。

 



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11-7 大乱戦

「「ウィン・フィンブルヴェトル!」」

 

 そして地上もまた、エルフの魔導士師弟によって、極寒の地獄と成り果てている。

 山雪崩のごとく迫り来るモンスターの群れを、六筋の冷波が氷の彫像へと変えた。

 

 だが後続のモンスター達は仲間の氷像を踏み砕き、なおも前進する。

 その怒濤の狂奔を。

 

「どっせいぃぃぃぃぃっ!」

 

 ティオナがその巨大な双刃を振り回し、粉砕する。

 双刃の軌跡に沿ってモンスターの体が上下に両断され、上半身が文字通り吹っ飛んでいく。

 続けてガレスの大戦斧が、ティオネのハルバードが、ベートの双剣が、レーテーの斧が、シャーナの大剣が、次々とモンスターを屠っていった。

 

「シャーナちゃん、大丈夫?」

「へっ、どってことねえよ!」

 

 レフィーヤの気遣いにも、にやりと笑って返せる程度の余裕がシャーナにはある。

 いまだLv.4、ロキ・ファミリアで言えばサポーター達と同格であるシャーナが前衛を張れているのは、Lv.4にしては並外れた耐久力もさることながら、イサミが武具に付与した魔力のおかげでもあった。

 

 ロキ・ファミリアの面々が普段の得物と不壊属性武器を使い分けているのと同様、レーテーとシャーナには溶解液対策の"青輝鍛造(ブルーシャイン)"武器とは別に、"竜殺し(ドラゴンベイン)"の魔力が付与された武器が用意してあったのだ。

 この階層に多いドラゴン系統のモンスターに対してステイタスで言えば筋力18段階、丸々1レベル分に相当する威力上昇をもたらす魔力である。

 

 D&D風に言えば+5竜殺し(ドラゴンベイン)水魔(アクアン)衝力(コリジョン)・グレートソード。

 もとより第一等級武装に匹敵するスペックの上に、打撃力重視、対火炎系・対竜系特化で可能な限りの強化を施した、まさに"竜殺しの大剣(ドラゴンスレイヤー)"であった。

 

「うっしゃ、どんどん来いやぁ!」

「す、スゴイ・・・」

「うひゃあ、やるねえシャーナちゃん!」

 

 こと竜系に関する限り、今のシャーナはLv.6に匹敵する打撃力を持つ。

 耐久力についても、イサミ謹製の鎧と盾、そして本人の耐久力がLv.5並の防御力を彼女に与えていた。

 

 元よりLv.5のレーテーはなおさらだ。

 強靱な前衛を二人、椿も含めて三人加え、ロキ・ファミリアの鉄壁の円陣はモンスターどもの大波にもびくともしない。

 

「えーいっ!」

 

 新たに壁から生まれた砲竜めがけ、レーテーが右手の大戦斧を全力で投げつける。

 生まれたばかりで無防備なその首に"竜殺し(ドラゴンベイン)"の刃が食い込み、たやすく両断した。

 

 元より重装甲に二丁斧のスタイルであるから、得物はもう一本残っている。

 だがこれでもう替えの武器は無い。そうロキ・ファミリアの面々が思った瞬間だった。

 

 砲竜の首を断ち切り、勢い余ってくるくる飛んで行く大戦斧の軌道が不自然に曲がった。

 回転しながら空中でUターンし、そのままバトル・ブライアーを切り割ったレーテーの右手に綺麗に収まる。

 隣で戦っていたティオナが目を丸くした。

 

「えーっ? 何それ?!」

「ふっふーん。イサミちゃんに作ってもらったんだぁ。うらやましいでしょー!」

 

 得意満面の笑みを浮かべながら両手の大戦斧を振るい、レイジドレイクの首を二匹同時に落とす。

 呪文を詠唱していたイサミが思わず苦笑した。

 

 "帰来武器(リターニング)"。

 ブーメランのごとく、投げても武器が戻ってくる魔力である。

 レーテーの戦闘スタイルに合わせて、イサミがチューニングした武器であった。

 

(しかし赤いフルプレートで二丁斧で、しかも斧投げたら戻ってくるとか、ねえ・・・ゲッター□ボG?)

 

 それを見ていたイサミの脳裏に、何だか懐かしい音楽がガンガン鳴っていた事を誰も知らない。

 

 

 

 "竜の壺"の怪物をも圧倒する面々ではあったが、とは言え三十分後、再び周囲には数百メートルに及ぶ分厚いモンスターの垣根ができていた。

 上層から下りてくるモンスターの数に、倒しても倒しても追いつかないのだ。

 

「それじゃそろそろ」

「わかった、やってくれ」

「了解」

 

 イサミが左太ももの辺りに手をやると、虚空から120cmほどの飾り気のない杖を取り出す。

 "魔法の杖(スタッフ)"。

 こちらの世界で言えば魔剣に相当する、特定の呪文を込めた魔法発動装置。

 

 だが魔剣と魔杖(スタッフ)の間には、一つだけ決定的な差がある。

 それはしかるべき者が使えば、その術力をもってスタッフの中の呪文を発動できること。

 

「《範囲拡大》"風制御(コントロール・ウィンズ)"!」

 

 発動と共に、圧倒的な大自然の暴威が再び顕現する。

 

『ギエエエエエエッ!』

『ギョォォォッ!』

 

 木の葉のように舞う数m級のモンスター達。

 呪文修正を重ねていないぶん、やや時間はかかったものの、20分経たずに周囲の怪物達は全滅した。

 

 

 

『グウォォォォォ!』

「おりゃああああああああああっ!」

 

 死闘は続く。

 予想されていたことだが、戦いは持久戦になった。

 モンスターは無限であるかのように途切れることなく現れ、途中からは芋虫型の大群やローブの怪人までもが乱入して三つどもえになった。

 

 イサミも魔法の使用回数を1割ほど消費したところで戦術を変え、ワイヴァーンが上空に溜まって来たところでスタッフからの"風制御(コントロール・ウィンズ)"で吹き飛ばす戦法に切り替える。

 この戦法では中心の「台風の目」直上を攻撃することはできないのだが、リヴェリアとレフィーヤというオラリオ屈指の魔導士二人がいれば、それもどうということはない。

 

 そして二時間後。ついにモンスター達は全て駆逐された。

 

 

 

「うーん、見あたらないなあ・・・」

「あのローブの怪人? リヴェリアの魔法でぶっ飛ばした後、モンスターがもみくちゃにしちゃったからねえ・・・

 その上イサミくん・・・さんの竜巻で吹き飛ばされたら、もうどこにあるやら」

 

「おお、砲竜の牙に鱗に・・・!」

「椿、それは後にしてくれ。どのみちこれだけの量だ、帰りでないと運べない」

 

「おいナルヴィ、ハイポーションよこせ」

「は、はい!」

「すまない、こちらにはマジックポーションを頼む」

 

「前衛ども順番に並べ! 武具を手入れするぞ!」

 

「何これ美味しい!」

「ヘルメス・ファミリアのルルネって人から貰った携行食・・・ひとつだけで一日もつって」

 

 

 

「・・・」

 

 一行がしばしの休息を取り回復と補給に努める中、ひとりフィンは59階層へと続く階段を見つめている。

 ふと、その周囲に影が落ちる。

 振り向いたフィンに、イサミは無言のまま会釈した。

 

「君か・・・仲間のほうはいいのかい?」

「俺は魔導士ですし、武器の手入れも二人分だと手早く済むので」

 

 そうか、と頷いてフィンは前に視線を戻す。

 

「それより、何か気になる事でも?」

「ゼウス・ファミリアが残した59階層の資料は見たかい?」

「ええ、59階層から先は氷河の領域。酷寒の・・・」

 

 そこでイサミの声が途切れる。

 フィンの言わんとすることを察したのだ。

 

 かつての最強ファミリアの猛者達の動きを鈍らせるほどの冷気。

 たとえ一階層分の距離があるとしても、そこに続く階段の間近に立って、それが全く感じられないということがあるだろうか?

 

 ふんふん、と鼻をうごめかせ、階段から立ち上る空気の流れを鼻腔に吸い込む。

 

「・・・下からの空気に感じるのは、湿気と臭気。俺が知っている中で一番近いのは・・・第二十四階層の食料庫(パントリー)です」

 

 無言のままフィンが頷いた。

 きびすを返して一同のもとに戻る彼に、イサミも続く。

 

「あの、団長。そろそろサラマンダー・ウールの準備を・・・」

「いや、いい。椿、武器の手入れは終わったな? 総員、三分後に出発するぞ」

 

 右手の親指を舐め、フィンが宣言した。

 



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第十二話「男ロビラー大勝負」
12-1 穢れた精霊


 

 

 

『真の勇気とは打算なきものっ!! 相手の強さによって出したりひっこめたりするのは本当の勇気じゃなぁいっ!!!』

 

 ―― 『ダイの大冒険』 ――

 

 

 

 剣を手に再び隊伍を組み、一行は第五十九階層への階段を下りていく。

 

「寒いどころか・・・」

「蒸し暑いですね・・・」

「何この匂い? 鼻がひん曲がりそう」

「ジャングルの匂いに似てるけど・・・それだけじゃないわね」

 

 二十四階層未経験組が違和感に眉をしかめる中、ベートやアイズ、レフィーヤは既視感にあるいは顔をしかめ、あるいは身を固くする。

 

「・・・おい、アイズ。気づいてるか? このくっせぇ匂い」

「はい・・・あの時の食料庫の匂いです」

「気を抜くなよ。お前にゃ言うまでもないだろうがな」

 

 それだけを言って、ベートは自分の位置に戻る。

 アイズも一つ頷き、緊張を新たにした。

 

 あの赤髪の怪人の言った、「59階層へ行ってみろ」という言葉。

 自分を「アリア」と呼んだ彼女たちの言葉。

 

 この先に待つのは、ロキやリヴェリアたちしか知らないはずの自分の秘密に関わるものなのかもしれない。

 剣を握る手に、力がこもった。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十二話「男ロビラー大勝負」

 

 

 

 そしてついに一行は、ゼウス・ファミリア以来初めて、五十九階層にその歩を記した。

 

「これは!」

「何これ・・・?」

 

 そこには資料に記されていた氷山も氷壁も何もない。

 赤黒い肉の壁と緑色のツタの毒々しいマーブル模様。

 肉の壁から吹き出す蒸気と異臭。

 立ち並ぶ壁と同色の肉の柱。

 

「これってまるで・・・」

 

 アイズ達の報告した二十四階層そのままの光景。

 唯一異なるのは、地面が灰色の何かで覆われていること。

 

「・・・全隊、前進」

 

 五十八階層よりもなお広大なはずのルームの中央から聞こえてくる異様な音。

 何がそれを発しているのか、肉柱の林に阻まれて見ることはできない。

 フィンの号令一下、パーティはルーム中央に向かって進み出した。

 

 

 

「っ・・・!」

 

 そして数分後、肉の柱が途切れて視界が開ける。

 広大なルームの中央近く、距離は300mほどか。

 

 そこにいたのは体高10mに達するであろう、上半身が女体型、下半身が植物の巨大な緑色のモンスター。

 そしてそれに群がる無数の食人花と芋虫型。

 

「うぷっ・・・」

「タイタン・アルム・・・か?」

 

 深層に生息する巨大植物のモンスターに寄生した宝玉の胎児。

 食人花と芋虫型は、その巨大な緑の女性型に自らの魔石を捧げ、次々と食われては灰になっていく。

 その様はさながら女王蟻と、それに栄養を与える働き蟻。

 

「魔石を・・・食ってる」

「強化種を喰らう強化種だと?!」

「つまり食人花と芋虫は、あの女体型の触手・・・言い換えればあれを育てるためのエサ係だった、と言うことか」

 

 食人花と芋虫は、ダンジョンで他のモンスターを襲い、その魔石を食らう。

 そして蓄えた栄養を、自らが食われることによって女体型に与える。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。じゃあこの床の灰って・・・」

 

 レフィーヤが真っ青になる。

 分厚く降り積もり踏み固められた灰。

 これらが全て、あの芋虫と食人花の死骸だとしたら。

 

 どくん。

 アイズの心臓が跳ねる。

 視線の先にいる存在に血が反応している。

 

 あれは――いてはいけないものだ。

 

『――ァ』

「!」

『――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 

 フィン達の訪れに反応したのか、あるいは元よりその時が来ていたのか。

 絶叫と共に、女体型の背中が割れ、つるりと脱皮する。

 

 中から現れたのは美しい女体。

 それまでの女体型が人の姿をかたどった不格好な彫刻とするなら、それは天女か、はたまた女神か。

 すべすべとした緑色の肌、流れるような緑色の髪、美しい裸身を極彩色の衣が覆う。

 

 それと同時に下半身の植物部分がざわりとうごめき、巨大な花びらや無数の触手を生み出す。

 女神の上半身と植物の下半身を持つ巨大な怪物が、歓喜の声を更に強める。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「ぐっ!」

「ちくしょう、キンキンと・・・!」

 

 耳を押さえる冒険者達の中で、アイズは視線を離すことができず、立ち尽くす。

 巨大な金色の双眸が、その瞳を正面から見返し――そして怪物はその言葉を紡いだ。

 

『アリア!』

 

「えっ!?」

「何だと!」

 

『アアアアア、アリア!』

 

 ゆがんだ歓喜をにじませるその表情に、アイズは確信する。

 あれは――

 

 

 

「―――ウラノスっ! あれは・・・!」

 

 ギルド地下、祈りの間。

 アイズの腰の『目』を通して59階層の様子を見ていたフェルズが絶叫する。

 玉座に座する巨神は心なしかそのまなざしを険しくして頷く。

 

「ああ。あれは――精霊だ」

 

 フェルズの水晶の中、美しい巨大な女体型はアイズに対してアリア、アリアと歓喜の声を上げ続けている。

 

「古代、我らが降臨するより以前、神々の意志の元に数多の英雄に助力した精霊達――オラリオで散っていった精霊達の一柱だ」

「取り込まれ・・・反転したとでも言うのか。精霊が」

 

 さすがのフェルズの声にも震えが混じる。

 神に準じる存在であり、その力を保ちつつも、精神と姿は怪物と成り果てた異形。

 

「あれは・・・『穢れた精霊』だ」

 

 

 

「精霊?! あんな薄気味悪いのが!?」

 

 アイズのあれは精霊であるとの言葉に、ティオナが叫ぶ。

 美しさと醜さを兼ね備え、圧倒的な嫌悪感をまき散らす女神のごとき怪物は、いまだに歓喜の声を上げ続けている。

 

『アリア、アリア、アリア! 会イタカッタ、会イタカッタ! 私ト一緒ニナリマショウ?』

 

 ぞくり、と。その言葉に寒気を覚える。

 リヴェリア達が、緊迫した表情を浮かべ、ティオナ達がアイズの方をぱっと振り向く。

 そして女体型は。

 

『アナタヲ、食ベサセテ?』

 

 瞳孔のない瞳を真円に開き、口を三日月の形にして、笑った。




 ちなみにタイトルはイサミやロビラーが使った特技《ロビラーの大博打》のボツ翻訳案。
 何でこっちにしなかった翻訳スタッフ・・・!
 なお今回ロビラーさんは出てきません(ぉ


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12-2 "縄操り(アニメイト・ロープ)"

「総員、戦闘準備っ!」

 

 それが戦いの合図だったかのように、芋虫型と食人花が突進を開始する。

 同時に階層の入り口が肉壁で覆われ、退路が断たれる。

 

 瞬時に陣形を整えるロキ・ファミリアの猛者たち。

 だが芋虫型が彼らの元にたどり着くより、イサミが魔杖を発動させる方が遥かに早い。

 

「《範囲拡大》"風制御(コントロール・ウィンズ)"!」

 

 風が唸る。

 半径2kmの大竜巻。

 芋虫や食人花はことごとくその渦に飲まれ、空気の臼にすり潰されていく。

 

 堕ちた精霊本体は流石に耐えているものの、極彩色の薄衣ははぎ取られ、下半身の触手も無残に引きちぎられていく。

 下半身から触手を打ち出そうとするも、風速480km、秒速133mの烈風の中ではそれも狙った場所を大きくそれる。

 

「わー、"美丈夫(アキレウス)"くんったら、エッチなんだー♪」

「"目"の外に蹴り出すぞこの野郎」

 

 ティオナとイサミのやりとりに、周囲が苦笑を漏らす余裕すらある。

 だがひとり、フィンだけは違った。

 

「リヴェリア、レフィーヤ、詠唱は待て」

「フィン?」

「親指のうずきが止まらない――嫌な予感がする」

 

 

 

「――」

「? なんか聞こえたか?」

「いや、俺には何も・・・」

 

 竜巻の轟きに遮られて、それは最初冒険者達の耳に響くことはなく。

 

「あ、あれ! あの女体型の口、なんか動いてます!」

「まさか。モンスターが呪文詠唱するわけ・・・」

「・・・いや! 魔力が集まっている! あいつは、魔法を使おうとしているんだ!」

「そんな?!」

 

 驚愕が走った。

 

 魔力を用いて火を噴いたり雷をまとったりする怪物もいる。

 だが、それはモンスターとしての生理現象に過ぎない。

 魔力と呪文、精神集中をもって超常の現象を呼び起こす技術である魔法は、知恵あるものの特権なのだ。

 

「【――猛ヨ猛ヨ炎ノ渦ヨ紅蓮ノ壁ヨ業火ノ咆哮ヨ突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ燃エル空燃エル大地燃エル海燃エル泉燃エル山命全テヲ焦土ト変エ怒リト嘆キノ号砲ヲ我ガ愛セシ英雄ノ命ノ代償ヲ――】」

 

 今や堕ちた精霊は10mを超す巨大な魔法円を展開し、巨大な魔力を隠す事もなく発散している。

 リヴェリアですら及ばない超高密度の魔力と呪文詠唱。

 フィンが叫ぶように指令を出す。その顔にも最早余裕はない。

 

「リヴェリア、レフィーヤ、詠唱を! イサミ・クラネル、壁の魔法はすぐ発動できるな? 合図したらすぐに! あるいは君の判断で発動を!」

「わ、わかりました!」

 

 精神集中を解かれ、超自然の竜巻が消滅する。

 芋虫型や食人花の死骸が次々落下し、魔導士三人がそれぞれ魔法の準備に入る間にも、堕ちた精霊の体から立ち上る魔力は無限かと思う程に増大していく。

 

 

 

「レア・ラーヴァテイン!」

「ヒュゼレイド・ファラーリカ!!」

「「「てーっ!」」」

 

 エルフ師弟の呪文が僅かに早く完成した。

 巨大な火炎がサポーター達の魔剣と共に堕ちた精霊に炸裂し、わずかにその体を揺るがせる――だが、そのほとんどは下半身から展開した巨大な花弁に食い止められ、ダメージを与えられていない。

 精霊が、再び三日月の笑みを浮かべた。

 

「イサミ・・・っ!」

「《高速化》"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

『【ファイアーストーム】』

 

 堕ちた精霊のそれより一瞬早くイサミの魔法が発動する。

 世界が紅蓮に染まった。

 

 周囲を囲む高く透明な壁に遮られ、炎は直接中に入り込んでこない。

 だが壁一枚外は地獄だった。

 

 岩壁の表面を覆っていた赤と緑のマーブル模様は一瞬にして焼き尽くされ、岩はガラスとなって融解する。

 床も同じだ。

 灰となった死骸が更に焼き尽くされて分解し、炎が舐めた岩の床もまた溶融し冷えてガラス体となる。

 

「・・・・・」

「くっ・・・・!」

 

 あるいは冷や汗をぬぐい、あるいは身をこわばらせる冒険者達。

 だがこの炎の地獄もまだ序章に過ぎないことを、彼らは直後に知る。

 

『【地ヨ、唸レ―――】』

 

「うそっ?!」

「連発だとぉ!」

 

 今度展開されるのは黒い魔法円。先のそれほどではないが、莫大な魔力があふれ出す。

 

「・・・っ!」

 

 ぎり、とイサミが歯ぎしりをする。

 

「フィン! あいつの魔法だけは何とか封じてみます! 後をよろしく!」

「!? 何を・・・」

 

 それには答えず、イサミは呪文を逆に唱えて"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"を解除し、単身飛び出す。

 

「飛んだ!?」

「早ぇっ?!」

 

 【エアリエル】を発動させたアイズを除けば、イサミの移動速度はこの場にいる誰よりも速い。

 そして魔道具「不死鳥のマント(フェニックス・クローク)」は、走るのと等しい速度で宙を駆ける事を可能とする。

 堕ちた精霊の頭部を目がけ、黄金のマントをひらめかせたイサミは秒速39.5m、時速142kmで突貫する。

 

「くっ・・・リヴェリアとレフィーヤは呪文の詠唱を! ラウルたちは二人を守れ! 残りは全員突撃だ!」

「大丈夫なの!?」

「ここは賭けるしかあるまい! 無駄口を叩いておらんで、行くぞ!」

 

 

 

 後方で仲間達が一斉に動き出す気配を感じながら、イサミは飛ぶ。

 堕ちた精霊の一瞬迷う気配。

 

(?)

 

 いぶかしげに思う暇もなく、イサミ目がけて弾丸の速度で射出される、丸太のような触手。

 だが。

 

『!?』

「こっちだってなあ・・・無策で突っ込んでるわけじゃねえんだよ!」

 

 イサミはそのことごとくをかわし、先読みし、剣で払い、装甲で弾き、不可視の障壁で防ぐ。

 守りの刀、外皮の護符、防護の指輪、大魔導士の胴着、敏捷の手袋、修道士の帯、"(シールド)"と"梟の洞察(アウルズ・インサイト)"呪文。

 

 一級冒険者でも苦労する触手の射出を、防御に徹したイサミはことごとく払いのける。

 元より触手をどうにかする気はない。

 

 8秒。

 目標へ到達するまでのその短い時間をくぐり抜けられればそれでいい。

 動きを止められさえしなければ、脚の一本くらいは許容範囲。

 最悪腹に大穴が空いたとしても、堕ちた精霊の喉元に取り付くことができさえすればそれでいいのだ。

 

 そして無限とも思える攻防の一瞬をくぐり抜け、イサミは詠唱を続ける堕ちた精霊の喉元に潜り込む。

 その左手には、いつの間にか一束の頑丈なロープが握られていた。

 

 

 

「取り付いたっ!」

「だがあいつ、何を・・・?」

 

『【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヨ黒鉄ノ宝閃ヨ星ノ鉄槌ヨ開闢ノ契約ヲ持ッテ反転セヨ空ハ焼ケ地ハ砕ケ橋ヲ架ケ天地ト為レ降リ注グ天空ノ斧破壊ノ厄災――】』

 

 堕ちた精霊の詠唱は続く。

 集まる魔力の量からしておそらく長文詠唱、呪文が完成するのには約一分。

 だが詠唱開始に気づくのに6秒、力場の壁を消すのに6秒、相手の懐に飛び込むまで10秒余り。

 まだ30秒以上の時間が余っている。

 

 そして、30秒もの猶予を与えた時点で、堕ちた精霊がイサミを止める術はなかった。

 

「"縄操り(アニメイト・ロープ)"!」

「はっ?」

『?』

 

 冒険者達と堕ちた精霊が等しく疑問と不審の感情を漏らす。

 呪文の完成と共にロープがイサミの胴体ごと精霊の首回りに素早く巻き付き、イサミの体を固定してしまったのだ。

 ちょうど、堕ちた精霊のチョーカーか何かになったような形である。

 

「おっと、本命はこっちだ・・・《高速化》《持続延長》"反魔法力場(アンティマジック・フィールド)"!」

「!」

『代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ・・・?!』

 

 今度こそ、その場に驚愕が走る。

 イサミの魔法が発動すると同時に、堕ちた精霊の展開していた魔力が雲散霧消したからだ。

 詠唱は続いているが、魔力が伴わないのではいかなる呪文もただの繰り言に等しい。

 

「そうか、あの一つ目の怪物の使っていたのと同じ・・・!」

 

 その中で、一度同じ現象を経験していたアイズだけがイサミの魔法の正体に気づく。

 

「こいつは俺から3m以内のあらゆる魔力や魔法を打ち消す! 今のうちだっ!」

 

 反魔法力場(アンティマジック・フィールド)

 名前の通り、範囲内の全ての魔法・魔力・マジックアイテム、そのたぐいの全てを打ち消す力場。

 自分を中心としてしか発動できないゆえのイサミの無茶だった。

 

 余談だが、"縄操り(アニメイト・ロープ)"呪文は「縄に物理的に結び目を作って固定する」ので、アンティマジック・フィールドの中でもほどけたりはしない。

 閑話休題(それはさておき)



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12-3 融合

『アアアアアアアアアアアアアッ!』

 

 絶叫と共に、イサミに向けられたのと同じ数の触手がアイズに射出される。

 

「わっ、重っ!?」

「何これ・・・っ! やっぱり、もっと重い武器にして貰うんだったっ!」

 

 アマゾネス姉妹がその内二本を弾きつつも悲鳴を上げる。

 シャーナやレーテー、その他の前衛組も同じようなものだ。

 

「ふんっっっっ!」

 

 だが、その中で一人、ドワーフの老雄が気を吐いた。

 射出される触手を、巨大戦斧が真っ向から迎え撃つ。

 

「ふんんんぬっ!」

『!』

 

 振り下ろした戦斧の刃にぶつかり、巨大触手がそれ自身の勢いで「ひらき」にされていく。

 あっという間にその勢いが止まり、縦割りにされた触手は力なく地面に垂れた。

 

「どうした貴様らぁ! 普段威勢が良いのは口だけかっ! しゃきっとせんかい、しゃきっとぉ!」

「・・・ちっ! てめえに言われるまでもねえんだよ、ジジイっ!」

「ふふ、ご老体にそこまで言われては、それがしも奮起せざるをえんのう!」

 

 発憤した前衛組と共に触手の攻撃圏内に突入しつつ、フィンが苦笑した。

 

「やれやれ、そう言うのは僕の仕事なのになあ。お株を奪われたよ」

「なあに、たまにはよかろうが?」

「まあね」

 

 呵々大笑するドワーフの剛戦士とともに、長槍を担いだフィンは地を駆ける。

 既に前衛達の先頭、アイズとベートは堕ちた精霊と接触していた。

 

「くっ!」

「ちっ、固ぇ・・・!」

 

 だが、巨大な盾のごとき花弁は二人の攻撃を阻む。

 ベートの炎を込めた蹴りは焦げ目を付けるにとどまり、アイズの風ですら一刀両断とは行かない。

 だが。

 

「どいたどいたどいたぁーっ!」

「うぉっ!?」

「どっせいっっっっっっっ!」

 

 気合い一閃。跳躍し、体ごと突っ込んで来たティオナの大双刃(ウルガ)が、アイズのつけた傷を下まで切り裂く。

 

 そう、大双刃(ウルガ)だ。

 相手が芋虫でないと見るや、このアマゾネス姉妹の妹は不壊属性の大剣ではなく、愛用の超重武器を持ちだして来たのだ。

 

「あんたね、こいつの体液も溶解液だったらどうするつもりだったのよ・・・」

「その時はその時!」

 

 姉が呆れた顔を見せている間にも、ほつれた花弁から前衛達が飛び込んでいく。

 堕ちた精霊も、下半身の触手でそれに対応する一方、自分の喉元のイサミを両手で何とか引きはがそうとする。

 

 だが巨大な両手で引きちぎるにはロープは余りに細く、首に食い込みすぎている。

 ロープ自体も鋼線を織り込んだ、冒険者御用達の特製品。

 それを十重二十重にも束ねれば、イサミの体を引っ張った程度でちぎれるものではない。

 

 そして呪文やマジックアイテムの効果を封じても、イサミの体は耐久力だけならば圧倒的。

 堕ちた精霊とはいえ、自分の体を傷つけない程度の攻撃で殺したりちぎったりできるほどやわではない。

 

 そして下半身を攻める前衛達も奮戦している。

 風を纏った長剣が、長槍が、大戦斧が、斧槍が、大双刃が、炎を纏った蹴りが、大太刀が、大剣が、二丁大戦斧が。

 

 次々と堕ちた精霊の下半身に食い込み、触手を断つ。

 僅かずつではあるが、冒険者達の攻撃は確実に堕ちた精霊の身を削っていく。

 

 それらを一掃できるはずの魔法は、喉元にへばりついたやたらに頑丈な人間によって封じられ。

 

『ラァァー!』

 

 悲鳴とも思えるかのような堕ちた精霊の絶叫。

 それに応えるかのように、堕ちた精霊の後方、60階層へ続くと思われる階段から現れる、大量の芋虫と食人花。

 

「総員後退! イサミ君はそのままで!」

 

 ちらりと上方を見た後、フィンが指示を飛ばす。

 喉元のイサミが親指を立てて見せたのに頷き、他の仲間達と共に一目散に駆ける。

 

 堕ちた精霊も追撃しようとするが、下半身はずたずただ。

 数本の触手を射出するのが精一杯で、それらも全てしんがりのアイズとガレスによって阻まれる。

 

『ラァァァァァアァ!』

 

 不快感を感じながらも、周囲を芋虫型と食人花で固め、どことなく安堵の気配を見せる堕ちた精霊。

 はや50m程彼方に駆け去ったフィン達を見て――彼らは逃げたのではなく、本当にただ後ろに移動しただけなのだと、彼女は悟った。

 

 

 

「【至れ紅蓮の剣、無慈悲の猛火、汝は業火の化身なり】」

 

 迷宮都市最強の大魔導士――イサミを含めても一撃の威力ではなお――【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 

「【ことごとくを一掃し、この戦乱に幕引きを。焼き尽くせスルトの剣、我が名はアールヴ!】」

 

 その全力を込めた、最強最大の殲滅攻撃魔法。

 

「【レア・ラーヴァテイン】!」

 

 

 

 地獄の業火が再び世界を焼き尽くす。

 紅蓮に染まる59階層。

 無数とも思える芋虫型食人花の全てを瞬時に焼き尽くし、天井の岩すらもガラス状に溶融させる。

 

 その中心にいる堕ちた精霊とて無事では済まない。

 花弁を閉じ完全防御しようとする。だがそれはハイ・エルフの王女の魔力を余りにも軽んじた行為。

 

 一枚の破れ目、それを見逃すほど都市最強の魔法は甘くはない。

 

『~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!』

 

 破れ目から入り込んだ炎が、防御の内側を存分に焼き尽くす。

 悲鳴は爆炎の轟音にかき消された。

 

 

 

 持続時間を終え、爆炎が消失する。

 十枚の花弁全てを焼き尽くされ、炭化しつつも辛うじて原形をとどめた巨大な上半身が残った。

 アンティマジック・フィールドの効果範囲内だった顔と肩、乳房の上半分だけが冗談のように綺麗に残っている。

 

 ぼきり、と音がした。

 炭化した胴が半ばから折れ、無事だった胸から上が地に落ちる。

 焼き尽くされ、ガラス状になった大地に、緑色の胸像(トルソ)が転がった。

 

「よっしゃあっ!」

「よーし、とどめだーっ!」

 

 歓声が上がる。

 痛みに顔をしかめつつ、喉元のイサミもまたニヤリと笑ったその瞬間。

 その「声」が響いた。

 

 

 

 ――またあなたたちなの? ここでこの子を潰されるわけにはいかないのよねえ。

 

 

 

「!」

「!?」

「その声は・・・!」

 

 イサミ、シャーナ、レーテーの顔色が変わる。

 同時に無数の金属製のとげがイサミの全身を切り裂いた。

 

「がっ・・・」

 

 体を縛っていたロープもろともにズタズタにされ、地面に落下する。

 トゲ付き鞭(スカージ)を振るった影が、いつの間にか空中にいた。

 

 白い肌、赤銅色の髪、青い瞳、赤いくちびる。

 美の女神にも劣らぬ、しかし本能的な恐怖をかき立てる美貌。

 

「グラ・・シアッ!」

 

 九層地獄の統治者アスモデウスの娘にして第六層の君主、魔姫グラシアの分体(アスペクト)

 この世界において強化種と融合している彼女は、純粋な戦闘力においてはオリジナルすら遥かに凌駕する。

 

「お久しぶり・・・でもないかしらね。まったく、ちょっと目を離した隙にやってくれたわね」

「ダンジョンに潜るのが俺たちの仕事でね。悪く思わないで欲しいな」

 

 減らず口を叩きながらも、素早く呪文を唱えてアンティマジック・フィールドを解除する。

 堕ちた精霊の攻撃で、死にはしないまでも右足は股関節が外れ、左足は膝から下が丸ごと砕けている。

 反魔法力場の中では移動も治療もままならない以上、他に選択肢は無かった。

 

 アンティマジック・フィールドを解除したイサミが、不死鳥のマントの力で飛行し、離脱する。

 それを笑顔で見送ったグラシアは堕ちた精霊を見下ろし、イサミが張り付いていた喉元に降下する。

 そして次の瞬間、その下半身を堕ちた精霊の胸元に埋めた。

 

「!?」

『ア・・・ガアアアアアアアアアアアアッッッ!』

 

 はっきりと、苦悶の悲鳴を上げる堕ちた精霊。

 上半身だけとなったその体が震え始める。

 

「ごめんなさいね。でも、ここであなたに消えられると、今までの苦労が水の泡だから。

 結構苦労したのよ? あなたをここまで育てるのに」

 

 いつの間にか、グラシアは裸身となっていた。

 体は髪と同じ赤銅色に染まり、腰までうずめたその結節点から、じわり、と同じ赤銅色が堕ちた精霊の体に広がり始める。

 

「さあ、あなたも力を貸しなさい! ここでこのまま死なせたくはないでしょう!」

 

 グラシアが叫ぶと同時に、地面から無数の触手が飛び出し、堕ちた精霊の体に突き刺さった。

 胸像だけとなった巨体が再生・・・否、増殖を始める。

 

「な・・・何だありゃ!?」

 

 堕ちた精霊から30m程の距離でイサミと合流し、エリクサーで治療を補助しながらシャーナが脂汗をにじませる。

 堕ちた精霊の体は増殖を続け、既に最初の大きさすら上回るサイズになっていた。

 

「わからないが・・・あの地下からの触手。あれがあの精霊に力を与えているようにも見えるね」

 

 フィンの額にも冷や汗がにじんでいる。

 その言葉の通り、精霊に突き刺さった触手は脈打ち、栄養を送る葉脈か血管のようにも見える。

 

 と、その脈が止まった。

 突き刺さった緑色の触手が黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちる。

 おぞましき巨体が再び産声を上げた。

 

『Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』

 

「うっ・・・!」

「くっ!」

 

 大音響に耳を押さえる冒険者達。

 女神のごとき女体型は肌も髪も赤銅色となり、腰まで再生している。

 だがそれ以外は、何もかもが元のそれとは似ても似つかぬものと成り果てていた。

 

 右腕の先には口と10の眼柄を持った巨大な眼球。中央の目は固く閉じられている。

 左腕の肘から先は、牙を剥きだし、何本もの長い触手を持った巨大な芋虫。

 腰から下はカンブリア紀の深海魚のような、鱗とヒレと触手を持ったクリーチャー。

 

 ビホルダー。キャリオンクロウラー。アボレス。

 今まで戦ってきた怪物達を取り込んだおぞましき融合体。

 

 融合寄生を行う堕ちた精霊の性質からして、形だけをコピーしたとは考えにくかった。

 実際に、融合精霊の下半身は床から僅かに浮いている。

 アボレスの持つ空中浮遊の能力を用いてると考えるべきだった。

 

「でかい・・・!」

 

 そして何より、融合精霊は巨大だった。

 10mを越える上半身に、20m近いアボレスの下半身。

 宙に浮いていることもあって、感覚としては37階層のウダイオスよりも大きい。

 

トーリック・クリーチャー(Tauric Creature)・・・いや、違うな。単に複種融合(キメラ)というべきか? にしても、なんてふざけた姿だ。DAIC●Nマク□スかよ」

「なんだ、何か言ったか?」

「いや、田舎のほうの怪物の話に似たようなのがあってな」

 

 トーリック・クリーチャーとは、名前の通りセントール(ケンタウロス)のように、人型生物の上半身と四本脚(あるいはそれ以上)のクリーチャーをつなげたモンスターである。

 堕ちた精霊の上半身をアボレスにつなげた様はそう見えなくもないが、両手に他のクリーチャーを接合するようなゲテモノには流石に心当たりがなかった。

 素直に、あの堕ちた精霊の融合寄生能力によるものだと考えた方が妥当だろう。





 DAIC●Nマク□スとは後に某アニメスタジオを結成する連中が作った同人フィルムに出てくる宇宙戦艦ロボです。
 1200mの戦艦ロボが両腕に海賊船アルカDィア号と宇宙戦艦Yマトを装着していたので、ワンカットながら強烈な印象を残しました。
 というか実際にマク□ス描いてた人間が描かされたと言うからたちが悪いw


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12-4 奥の手

「で、どーすんのよ、フィン!」

「どうすると言っても、戦う以外にあるかい?」

「そりゃまあそうだけど・・・」

 

 尻すぼみになって消えるティオナの声。58階層への退路はすでに肉壁によってふさがれている。

 フィンはイサミに目をやった。

 

「あいつらと直接戦ったのはアイズと君だけだ。何か意見はあるかい?」

「見ての通り、あれは複数の怪物の集合体です。左手の芋虫は触手を伸ばして麻痺攻撃をしてきます。

 下半身の魚は触手に当たると、体が溶けて動けなくなります。また若干の魔法も使います。

 そして右手の球体は、頭部の触手から超短文詠唱の魔法を同時に11回発動でき、中央の目を開くと前方45mの円錐形に、俺がさっき使った反魔法力場を発生させ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 さすがのフィンが渋い顔をして眉間を揉んだ。

 他のロキ・ファミリアの面子も似たり寄ったりの表情になっている。

 

「よくもまあ、そんなのを相手に勝てたね・・・」

「攻撃魔法の威力は大した事はないんですよ。一方向には4発までしか撃てませんし、それ全部でも俺の魔法一発に大きく劣ります。

 ただ石化とか閃光とか空気を固体化させて動きを阻害するとか、そう言う特殊な魔法を使いこなしてきますので、決して油断はできませんね」

「十分すぎるよ」

 

 肩をすくめるフィンにイサミが苦笑する。

 

「後、魔法を能動的に打ち消してくる事があります。同じ量の魔力を当てて相殺するんですね。

 長文以上の魔法なら恐らく大丈夫でしょうけど・・・とも言い切れないのが怖いところですが」

 

 D&D世界の術者が使う"呪文相殺(カウンター・マジック)"は、同じ呪文、またはそれ以上のレベルの呪文をぶつけることで、他者の発動しようとしている呪文を打ち消す技術だ。

 であるからして、魔法の系統も違えば一つの魔法に込められる魔力の上限が一桁違うこの世界の魔法を打ち消すのは基本的に難しい。

 

 が、"魔法解呪(ディスペル・マジック)"系統の呪文を使えば、術者の術力(使用する呪文のレベルではなく)次第でどんな呪文も相殺する可能性はある。

 イサミの言ったのはそういう事だ。

 

「で、対策は? 少なくともあの目玉をどうにかしないと、にっちもさっちも行かないよ?」

「そっちは・・・俺がどうにかしてみましょう」

 

 表情を真剣なものにして、小さな声で何かをつぶやいた直後、イサミの姿が消えた。

 

「!?」

 

 ロキ・ファミリアの面々がざわめく暇もなく、次の瞬間、肉の柱に叩き付けられた影が一つ。

 

「イサミッ!」

「イサミちゃん?!」

「イサミ殿!」

 

 全身をズタズタにされ、腹に触手が突き刺さったイサミ・クラネルだった。

 

 

 

 ずるり、とイサミの腹から触手が抜ける。

 粉砕された肉柱の残骸の中に埋もれていたイサミの体が、力なくくずおれた。

 

『グッグッグッグッグ・・・』

『ファファファファファ・・・一度使った手に、対策を取っていないと思ったか・・・? まぬけが!』

 

 下半身のアボレス、ネヴェクディサシグが唸るような声で笑い、右手のビホルダー、ザナランタールが嘲笑を放つ。

 呪文相殺を受ける前に、魔法では相殺できない"|時間流加速のブーツ《ブーツ・オブ・テンポラルアクセラレイション》"で速攻しようとしたイサミだったが、その行動は完全に読まれていた。

 

 イサミがそれに気づいたのは、ブーツの魔力を発動させた瞬間だった。

 異なる時間の流れに存在するものは、生き物であれ物体であれ微動だにせず、僅かに灰色がかって見える。

 だがその瞬間、ザナランタールの十個の眼柄は、確かにイサミを見たのだ。

 

(っ! "時間停止(タイムストップ)"を・・・合わせられた?!)

 

 次の瞬間、堕ちた精霊の上半身、乳房と言わず腹と言わず、無数の触手が射出された。

 下半身のタイタン・アルムは焼け落ちてしまったが、『死体の王花』を融合吸収した『堕ちた精霊』は、その性質をも継承していたらしい。

 

 だが、単純にタイタン・アルムの触手を再現しただけではない。

 今射出したそれにはグラシアの好んで使うトゲ付き鞭(スカージ)のように、あるいはイバラのように、無数の鋼鉄のトゲがびっしりと生えていた。

 

「くっ!」

 

 刀を構え、先ほどのように触手を弾こうとして――イサミの体に巨大なイバラの触手が直撃した。

 

「がっ!?」

 

 数十センチの鋼鉄のトゲが存分にイサミの肉体を切り裂き、血しぶきが舞う。

 一撃で、左肩から腹までの部分がズタズタになった。

 

 もちろん一撃では終わらない。

 

 二度、三度、四度。

 五度、六度、七度。

 

 直径1mを越えるイバラが空を裂き、唸るたびに、イサミの肉体から血しぶきが舞い、見る間に全身の肉が削れていく。

 イサミに一級冒険者のレベルで見ても桁違いの耐久力があるからもっているのであって、並の冒険者なら一撃で即死、恐らく死体も原型をとどめていないはずだ。

 

 無論イサミも全力で防御している。

 だが先ほどの触手の全力攻撃をことごとく凌いだ魔法の力場が、強化された敏捷性が、先読みが、剣でのいなしが、全く意味を為していない。

 

 グラシアと融合したことで膂力と速度が上昇しているのか、精霊ではなくグラシアが操っている分、技の冴えが増しているのか。

 おそらくは両方であろう。

 

 咄嗟に放とうとした呪文はやはりザナランタールに相殺され、為す術無く連打を受けること十二秒。

 "|時間流加速のブーツ《ブーツ・オブ・テンポラルアクセラレイション》"の効力が切れ、通常の時間流の中に戻ったイサミは触手に腹を貫かれたまま、肉柱に叩き付けられた。

 

 

 

『グッグッグッグッグ・・・』

『ファファファファファ・・・! 来るとわかっていれば、対策は容易よ!

 所詮きさまの勝利は奇策に頼ったもの。絶対的な実力差に二度目はない!』

「しゃべったぁぁぁぁぁ!?」

 

 時間はイサミが肉柱に叩き付けられた時点に戻る。

 笑い声を上げる眼球と巨大魚に、素っ頓狂な声を上げたのはティオナ。

 話を聞いてはいても、実際に目にするとショックが大きいのだろう。

 

「イサミッ! ちょっと待ってろ!」

「イサミちゃんッ!」

「い、今エリクサー用意するっす!」

 

 一方、イサミの元に駆けつけたのはシャーナ、レーテー、そしてラウル。

 シャーナとラウルはバックパックからエリクサーを取りだし、それぞれ口に含ませ、腹の大穴に振りかけようとする。

 レーテーは二丁斧を構え、盾となるべくその前に立ちはだかる。

 

 だが。

 

 その瞬間、ザナランタールが中央の巨眼を開いた。

 

「!」

「な、なに?」

「鎧が・・・重くっ!」

 

 前方45mの範囲に広がる反魔法力場に捕らえられた存在は、その魔法的能力の全てを失う。

 そしてそれは魔法の力のこもった武器や防具、魔道具に至るまで効果を及ぼす。

 つまり。

 

「傷が・・・治らねえ!?」

「こっちもっす! ディアンケヒト・ファミリアの、最高級のエリクサーっすよ?!」

 

 顔を青くするのはシャーナとラウル。

 飲めば全身の傷を癒し、傷口に振りかけてもたちまちそれを塞ぐ最高位の霊薬が、全く効果を発揮していない。

 追加のエリクサーを取りだして更に飲ませ、また数本まとめて全身に振りかけるが、それらもやはり何の治癒効果ももたらさない。

 

 何故ならポーションもまたマジックアイテムであるからだ。

 魔力ある素材からそれを抽出合成し、作り手の魔力を注いで作られる、飲むマジックアイテム。

 それがポーションというアイテムの本質なのである。

 

『貴様は放っておくと何をしでかすかわからんからな・・・反魔法力場の中で何もできぬまま死ぬがよい!』

 

 だがザナランタールが哄笑し、女神の胸像から再びイバラの触手が射出されようとした瞬間。

 

「電気変換《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"雷の炎の泉(ライトニング・ファイアーブランド)"!」

「電気変換《高速化(クイッケン)》《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"雷の炎の泉(ライトニング・ファイアーブランド)"!」

 

『グウォウォ!?』

『ガガガガガガガッ!』

 

 全身を走る電撃に悲鳴を上げるザナランタールとネヴェクディサシグ。

 左腕のキャリオンクロウラーもぎちぎちぎちと苦悶の叫びを上げ、ここまで余裕たっぷりに無言を保っていたグラシアすらもが流石に顔色を変える。

 

「そんな馬鹿な・・・! アンティマジック・フィールドの中で呪文を発動するですって?!」

「なぁに、奥の手ってやつでね・・・」

 

 ぺっ、と血の唾を吐きながら笑みを浮かべるイサミ。

 やはりこいつは"グレイホーク"以外知らないようだ、とこれまでの認識を確信に変える。

 

 D&Dでもっともメジャーでスタンダードな背景世界がグレイホーク(オアース)。

 対して、イサミはほぼあらゆる背景世界の技術や呪文を使いこなすことができる。

 

 《ミストラの秘伝を受けし者(イニシエイト)》はグレイホークの次にメジャーな世界、『忘れられた世界(フォーゴトン・レルム)(フェイルーン)』の《特技》。

 術者の術力次第だが、見ての通りアンティマジック・フィールドの中での呪文発動を可能とする反則的《特技》である。

 

 そも魔法を使うには、いわゆる"マナ"と呼ばれるような魔法の源と自身の精神力を反応させなければならない。

 そのマナの働きを一時的に抑止するのがアンティマジック・フィールド。

 そして抑止されたマナに能動的に働きかけ、無理矢理に稼働させる秘術が《ミストラの秘伝》。

 

 フェイルーン世界のマナそのものである魔法の女神ミストラのしもべだからこそ許される、超反則技だ。

(なお本来はミストラの僧侶か兼業僧侶でなければ取得できないが、イサミはウィッシュによる取得でその辺をクリアしている)





 D&Dでタイムストップを合わせる、なんてことはできませんがまあ正直できてもおかしくは無いかなと言うことで。
 鳥取案件(プレイグループごとに細かいルールが違う)と思ってください。


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12-5 蹂躙(トランプル)

 一方全身を焼き尽くされた融合精霊だったが、それでも致命傷にはほど遠い。

 焼け焦げた表皮、焼け落ちた眼柄や触手もまたたく間に再生していく。

 

『フシュウウウウ・・・』

『グググググ・・・』

 

 人のものではあらざる声帯から声を絞り出すザナランタールとネヴェクディサシグ。

 左手のキャリオンクロウラーもキチキチと声を上げており、グラシアは無言。

 堕ちた精霊は先ほどから一切のリアクションを見せない。

 完全にグラシアに制御されているのだろう。

 

「散開しろ! アイズ、ベート、椿、リヴェリアは右手!

 ティオネ、ティオナ、ガレス、ナルヴィ、アリシア、クルス、レフィーヤは左手に回り込め!

 ラウルとシャーナ、レーテーはイサミを守るんだ! 総員、攻撃はなるべくかわせ!」

 

 だがもちろん、回復を黙って見過ごすロキ・ファミリアではない。

 反魔法の目を避けるべく、イサミを含めて魔法攻撃を行うメンバーを三方向に分け、有効活用する戦法に打って出た。

 これはD&D世界におけるビホルダーへの定石でもある。

 

 展開するロキ・ファミリアを横目に、ザナランタールが眼柄の一つでグラシアの方を見た。

 イサミがアンティマジックフィールドの中で呪文を発動できるとなれば、そもそもの大前提が狂うからだ。

 アンティマジックフィールドの中に対してはザナランタール当人も呪文は放てないし、当然呪文相殺も行えない。

 

反魔法光線(アンティマジック・レイ)はそのままに。

 回復できないうちに確実に殺すわ」

「随分と好かれたもんだな」

 

 再び呪文に精神集中しつつ、イサミが苦笑する。

 そのイサミと視線を合わせ、グラシアが晴れやかに笑った。

 

「ええ、もちろんよ。弟くんと違って美しくない上に手強い厄介者となれば、生かしておく理由はないわ。

 それに、あなたの死は彼の美しさをいっそう引き立たせてくれるでしょうしね」

「美しい、ねえ」

 

 引っかかるものはあったが、今はそんな事を考えている状況ではない。

 会話を打ち切りイサミは呪文を放った。

 

「《範囲拡大》"鉄の壁(ウォール・オブ・アイアン)"!」

 

 高さ12m、厚さ4mの鉄の壁が出現する。

 最早城壁とすら呼べそうな支え付きの壁は、いかに融合精霊と言えどもたやすく打ち破れそうにはない。

 

 いつも使う"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"と異なり、鉄の壁は破壊不可能というわけではない。

 だが、力場でも炎でも魔法の氷でもないただの鉄であるがゆえに、一度生み出されれば持続時間が切れて消えることもないし、反魔法力場の中でも存在できる。

 

(そして、反魔法の目(アンティマジック・レイ)を遮ることもな)

 

 壁が建った瞬間、腹の大穴と全身の傷口が見る見るふさがっていく。

 先ほどシャーナとラウルが飲ませ、振りかけたエリクサーが、反魔法力場の効果範囲外に出た瞬間本来の効果を発揮したのだ。

 

 10本近い、それも最高品質のエリクサーをぶちまけただけあって、負傷はかなり回復した。

 これだけのエリクサーを使って完治しないことに改めて脅威を感じつつ、次の一手を打つ。

 

「シャーナ、レーテー、ラウルさん! 後方に離脱・・・」

 

 言いさして、ぞっとする感覚がその背を伝った。

 他の三人も程度の差はあれ似たような表情を浮かべている。

 

 次の瞬間、鋼鉄の城壁を引き裂いて現れた融合精霊が何の反応を示すいとまもなくイサミ達を巻き込み、蹂躙した。

 

 

 

「~~~~~っ!」

 

 悲鳴すら上げられず、融合精霊の巨体に挽き潰されるイサミ達。

 やや離れた場所で指揮を執っていたフィンを始め、椿を含めたロキ・ファミリアの面々が揃って顔色を失う。

 

 イサミ達が瓦礫の下に消えたからだけではない。

 厚さ4m、高さ12mの鋼鉄の城壁を薄紙のように突き破る膂力。

 そして一級冒険者達に反応を許さない速度を目の当たりにしたからだ。

 

 僅か1秒弱。

 その間に既に融合精霊は50m程も彼方へ移動してしまっている。

 

 ウダイオスを凌駕する巨体にしてこの速度。

 恐らく追いつけるのは【エアリエル】を発動したアイズのみであろう。

 だがそれも反魔法の目(アンティマジック・レイ)を向けられなければ、の話だ。

 

 そしてあの巨体。あのリーチ。あの質量。

 今のように突っ込んでこられたとき、第一級冒険者と言えども、前衛は後衛の魔導士やサポーターを守りきれるのか?

 

(無理だ)

 

 戦慄と共にほとんど全員がそれを認めた。

 だが、それでも諦めていないものが三人。

 

「総員散開しろ! とにかくあの蹂躙(トランプル)に巻き込まれるな!」

 

 絶望的ながらも、最善の手を打つフィン。

 

【舞い踊れ大気の精よ、光の主よ。森の守り手と契を結び、大地の歌をもって我等を包め――】

 

 鋼鉄の壁が挽き潰されたのを見た瞬間、自らの持つ最強の結界魔法の詠唱を始めたリヴェリア。

 

「・・・」

 

 そして手に持つ二振りの大戦斧を何やらいじり始めるガレス。

 その首領達の姿を見て、他のメンバーの動揺も僅かながら鎮まる。

 

 だが、敵はそれより尚早い。

 融合精霊が身を翻した瞬間、炎の爆発が連続して発生する。

 

『"遅延火球(ディレイドブラストファイアーボール)"』

「きゃあっ!」

「ちいっ!」

 

 四つの爆発が連続して起こり、冒険者達を炎で焼く。

 一つ一つは一撃必殺に程遠い威力しかないが、無視できるダメージでもない。

 そして次の瞬間爆炎を裂いて、瞬時にトップスピードに乗ったその巨体が突っ込んできた。

 

 想像してみればいい。

 6階建てのビルほどの「何か」が、F-1並の(時速300kmを軽く越える)速度で突進してくるのだ。

 いかに超人であろうと、人の身が太刀打ち出来るものではない。

 

「レフィーヤッ!」

 

 先輩冒険者であるアリシアの声と共に、エルフの少女は突き飛ばされた。

 その目前で、巨大な怪魚が姉のようなエルフの姿をかき消して通過する。

 アボレスの触手が少女の金髪をかすった。

 

「レフィーヤっ! ・・・【目覚めよ(テンペスト)!】」

魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)

「!?」

 

 右腕を動かし、こちらに向けたビホルダーの巨眼からカミソリのように細い一筋の光線がほとばしる。

 今まさに跳躍しようとしていたアイズの風が瞬時に『分解』され、白銀の剣士がつんのめる。

 

 かつてアスフィの飛行靴(タラリア)を一瞬で破壊した魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)

 反魔法の目(アンティマジック・レイ)の力を一点に集中させ、あらゆる魔法を瞬時に分解する。

 アイズの抵抗力がまさっていなければ、《デスペレート》を含めた装備のほとんども一緒に破壊されていただろう。

 

 だが今は蹂躙に巻き込まれたアリシア、そしてティオネだ。

 ティオネは辛うじて立ち上がるが、レベル4、しかもエルフであるアリシアに彼女のような耐久力はない。

 

「アリシアさんっ!」

 

 レフィーヤの声がむなしく響く。

 エルフの女性冒険者は全身から血を流したまま、瓦礫の中で動かない。

 

「い、今・・・」

「馬鹿っ!」

 

 駆け寄ってエリクサーで治療しようとするが、今度はティオナに襟首を掴まれる。

 そのまま脇に抱えられて、一緒に前に飛ぶと同時に、再び炎の爆発がその体を焼く。

 次の瞬間、巨大な質量がたった今いた場所を通過するのを感じた。

 

「っ・・・・!」

 

 今度狙われたのはティオナ、ナルヴィ、クルス、そしてレフィーヤ。

 レフィーヤはティオナに抱えられて辛うじて飛び避ける。

 

 だが蹂躙の中心線近くにいたナルヴィとクルスは間に合わず、まともに巻き込まれた。

 ガラス化した地面を削り取った瓦礫の中には、虫の息の二人が残される。

 

 これで行動不能になったのはイサミ達三人とラウル、クルス、ナルヴィ、アリシアの合計七人。

 また椿が駆け抜けざま左腕のキャリオンクロウラーから攻撃を受けたが、抵抗(セーブ)に成功し、麻痺は免れている。

 この巨大な怪物は、頭と下半身と両腕が、それぞれ独立して行動できるようだった。



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12-6 崖っぷち

 

「!」

「っ!」

「くそがっ・・・!」

 

 そして融合精霊の頭上に、再び黒い魔法円が展開した。

 先ほどイサミの奇策で中断された長文詠唱魔法。

 回避に必死だった他の面々はまだしも、リヴェリアだけは詠唱と魔力に気づいていた。

 

『【来タレ来タレ来タレ大地ノ殻ヨ黒鉄ノ宝閃ヨ星ノ鉄槌ヨ開闢ノ契約ヲ持ッテ反転セヨ空ハ焼ケ地ハ砕ケ橋ヲ架ケ天地ト為レ降リ注グ天空ノ斧破壊ノ厄災――】』

「我等を囲え大いなる森光(しんこう)の障壁となって我等を守れ――」

 

 競うように響く堕ちた精霊とリヴェリアの詠唱。

 三度目の突進が開始されるのとほぼ同時、詠唱が完了したのはリヴェリア。

 

「――我が名はアールヴ! 【ヴィア・シルヘイム】!」

 

 展開された緑色の障壁の表面で、四発の"遅延火球"が炸裂する。

 おお、と歓声が上がった。

 都市最強の魔導士が生み出した障壁である。

 いかにビホルダー・メイジとは言え、力押しで破れはしない。

 

『ファファファ・・・無駄だ! 魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)!』

 

 だが、このビホルダーにはこれがある。

 全ての魔力を分解する一条の光線が触れた瞬間、緑色の障壁は幻のように消え去った。

 

 勝ち誇るビホルダー。

 だが、エルフの王女のかんばせにも、優雅な笑みが浮かんでいる。

 

『ぬ?』

「その芸は聞いていたし見せてももらった。それで私が何も考えず、障壁魔法を使うと思うか?」

『!』

「【目覚めよ(テンペスト)!】」

 

 飛び出したのは風をまとったアイズ。

 そう、滅びの目の魔力を一点に集中させるからこその魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)

 一度に複数のターゲットは狙えない。

 

 だが。

 

「甘ぁい」

 

 この場に不似合いな色気のある声と共に、融合精霊の鎖骨からイバラの触手が飛び出す。

 空中では避けるすべはなく、かろうじて剣で受けたものの、アイズは床に叩き伏せられた。

 

 ガラス化した床の岩が粉みじんに飛び散る。

 触手が体を剣ごと叩きつぶす。

 がはっ、と肺の中の空気が全て押し出される。

 

「アイズッ!」

 

 同じく飛びかかろうとして果たせなかったベートが叫んだときには、既に融合精霊は椿とリヴェリアを挽き潰し、50mの彼方に去っている。

 流石に二人は素早く立ち上がるが、それでも後二発は耐えられるかどうか。

 アイズも同時に立ち上がるが、こちらもダメージは目に見えて大きい。

 三人とも立ち上がると同時にホルスターから抜いたエリクサーを口にするが、それでもダメージを完全に癒すことはできない。

 

「《二重化》"奇跡(ミラクル)"――変換"集団致命傷治癒(マス・キュアクリティカルウーンズ)"」

「!」

 

 その場の全員の負傷が、エリクサー一本分ほど回復する。

 振り向いた者達が見ると、鉄の壁の瓦礫をかき分けてイサミ達が立ち上がっていた。

 シャーナやレーテー、ラウルも無事だ。

 

「《高速化》"奇跡(ミラクル)"変換"素早さ(セレリティ)"」

「《二重化》"奇跡(ミラクル)"――変換"集団致命傷治癒(マス・キュアクリティカルウーンズ)"」

 

 イサミの右手の"詠唱の手袋(キャスティング・グラブ)"に仕込まれた"奇跡(ミラクル)"のスタッフ――この世界で言う魔剣――から再び魔力が発動される。

 神に願い奇跡を乞う、"願い(ウィッシュ)"と対を為す僧侶魔法の万能にして究極の呪文であるが、神の力を借りているだけあってよほど強力な効果を願うのでなければ経験点の消費は必要ない。

 そして何より、アイテムから発動しているので呪文相殺の対象にならない。

 

 特技で無理矢理取得した呪文であるため本来一日一回しか使えないが、アイテムに込められた力を使う分には関係ない。

 59階層攻略のために作っておいた秘密兵器であった。

 なおスタッフに収納された呪文に呪文修正がかかっているのは、イサミがそうした特技を持っているからである(使用回数を余分に消費する)。

 

 ともあれ、再び全員の負傷が回復する。

 合計でエリクサー二本分ほど。

 笑みを浮かべつつ、フィンが声をかける。

 

「無事だったか。だろうとは思ったけどね」

「信頼頂けて嬉しい限りですね。それよりも・・・っと!」

 

 四度目のターンをかける融合精霊。イサミ達を目がけ突進する怪魚の縦に三つ並んだ目が、嗜虐的な喜びをたたえて歪められた。

 それより一瞬早くイサミから再び魔力が放たれ、高さ12mの鋼鉄の城壁が出現する。

 

『グッグググ・・・! 無駄な事を・・・!』

『?! ま、待て、ネヴェクディサシグ!』

 

 何かに気づいたか右手のザナランタールが制止をかけるが、1秒足らずという時間は大怪魚が制動を掛けるには遅すぎた。

 次の瞬間、大空洞が揺れた。

 時速330kmで突進した融合精霊が鉄の壁に激突し、跳ね返されたのだ。

 

『グガッ・・・』

『代行者ノ名二オイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ地精霊――ッ!?』

 

 上半身の堕ちた精霊も鋼鉄の壁に突っ込み、跳ね返されて一瞬詠唱が途切れる。

 鋼鉄の壁は上も下もへこんでいるが、それでも融合精霊の巨体の突進に耐えて立ち続けている。

 

「ちっ、一体何が・・・!」

『だから言ったのだ、痴れ者めが・・・!』

 

 種は単純。

 イサミは鉄の壁を建て、直後そのすぐ後ろに"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"を立てたのだ。

 

 魔力解体光線に耐える鉄の壁と、物理では破壊できない力場の壁。

 融合精霊を構成する五者の中でもっとも魔術に造詣の深いザナランタールのみがそれに気づけたわけだ。

 

 だが、種が割れてしまえば対処は容易い。

 

物質分解光線(レイ・オブ・ディスインテグレイト)

『"物質分解(ディスインテグレイト)"』

魔力解体光線(ディスジャンクション・レイ)

 

 ザナランタールが物質分解光線を二発放ち、鋼鉄の壁に3m四方の穴を開ける。

 すかさずそこに魔力解体光線を打ち込んで力場の壁を消滅させた。

 

 この間僅か0.5秒。

 蹂躙突撃をしながらでも悠々とこなせる作業だ。

 そして次の瞬間。

 

『【我ガ名ハ地精霊大地ノ化身大地ノ女王――】』

『【メテオ・スウォーム】』

 

 詠唱が完成し、黒い、膨大な魔力が直上に打ち上がる。

 天にを染める闇と光。

 唐突に現れた漆黒の宇宙から降り注ぐのは、燃える星々。

 

「いかん! ラウルたちをかばえっ!」

「・・・? っと、レーテー、俺はいい! シャーナとラウルさんを!」

「うんっ!」

 

 フィンが仲間に指示を出し、一瞬いぶかしげな顔をしつつも、イサミもそれに続く。

 ティオナがレフィーヤに、ベートとアイズがそれぞれクルスとアリシアに覆い被さる。

 直後、巨大な隕石が彼らを直撃した。

 

「うあああああああああああああああああああああっ!」

 

 爆砕する岩盤、飛び散る破片。

 イサミが張った鉄壁など、一瞬にしてひしゃげて潰れる。

 ただただ圧倒的な、純粋な質量が彼らを押しつぶす。

 

 漆黒の流星雨は迷宮を揺るがし、大地を震わせる。

 

「ぐ・・・う・・・」

「くそ・・・がぁ!」

 

 誰かのうめき声が響き、ベートの爪が砂礫に食い込む。

 その前の回復の効果もあってか、奇跡的に命を落としたものはいない。

 だが椿は右腕を潰され、レーテーも左足を鎧ごと潰されている。

 

 ラウルたちは辛うじて意識があるが体が動かない状態。

 一級冒険者以外で動けるのは、最早イサミとシャーナだけであった。

 

 その一級冒険者達も満身創痍。

 ティオネたちは体に力が入らないのか立ち上がれず、アイズも剣を杖にして辛うじて膝立ち。

 二本の脚で立っているのは、フィンとガレス、そしてイサミだけだ。

 

 あと一回の蹂躙で全滅しかねない状態。

 だが融合精霊は容赦しない。

 魔姫グラシアは、決して手を休めない。

 

『"流星雨(メテオ・スウォーム)"・・・"流星雨(メテオ・スウォーム)"!』

「ぐおおおおおおっ?!」

 

 ビホルダーの眼柄の二つから、4つずつ、合計8つの火の玉が放たれ、爆発する。

 D&Dにおける最強の火力呪文、"流星雨(メテオ・スウォーム)"だ。

 今堕ちた精霊が使った物はもちろん、レフィーヤの魔法にも及びの付かないレベルだが、ダメージが蓄積している今は決して無視できる威力ではない。

 

 爆炎が冒険者達を焼く。

 残りの二つの眼柄は油断無くイサミの方に向けられ、いつでも"呪文相殺(カウンター)"できるように身構えられ、そして・・・

 

『【火ヨ、来タレ。猛ヨ猛ヨ猛ヨ炎ノ渦ヨ紅蓮ノ壁ヨ業火ノ咆哮ヨ――】』

 

 堕ちた精霊は再び詠唱を始めていた。

 先ほどは力場の壁で防がれたが、迷宮の壁と床を融解させるほどの高温を呼び出す破壊の呪文。

 グラシアの力が加わったせいか、詠唱は単体であったときよりも更に数段早さを増している。

 おそらくは、威力も。

 

 そして新たに現れる芋虫型の大群。

 60階層への開口部から現れた極彩色の怪物達は見る間に数を増し、地平線を埋め尽くさんばかりだ。

 

「―――」

 

 誰かの心が折れる音がした。



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12-7 君たちに『勇気』を問おう

 イサミがフィンの方を向き、切羽詰まった口調で意見具申する。

 

「フィン、撤退を進言します! 今なら、全員生きて地上に戻れる!」

「24階層で脱出に使ったというあれかい?」

「ええ。あれなら・・・」

 

 振り向いたフィンの視線に、イサミは言葉を失った。

 怒りでもなく、叱責でもなく、ただ静かに見つめられる視線に、自然と言葉が途切れる。

 

「なるほど・・・君がLv.1で登録しているのは正直詐称だと思っていたが・・・本当だったんだな」

「え?」

「はぁ? Lv.1ぃ!? 嘘だろおい!」

「・・・・」

 

 絶体絶命の状況も忘れて周囲がざわつく。

 

 それはそうだ。

 第一級冒険者ですら到達困難なこの59階層にやすやすと進出し、下手をすればリヴェリア以上の圧倒的な魔力を見せつけ、しかもLv.5の面々までもが倒れ伏す中、フィンやガレスと並んで二本の脚で立っている。

 

 Lv.2程度の敏捷度しかないと見えるのはレフィーヤと同じ、あるいは更に極端な魔力特化タイプだからであって、魔導と神秘アビリティを併せ持つのなら最低レベル3、恐らくは5か6に達しているのではないのかと、みな何とはなしに思っていたのだ。

 

 彼らの驚きをよそにフィンの言葉は続く。

 静かな視線に捕らえられ、イサミは言葉を紡げない。

 

「今、確信した。()()()()()()()()()()()()()()

「・・・」

 

 無言のままイサミはうつむく。

 フィンの指摘は、はからずもイサミがこれまで考えつつも向き合ってこなかった問題の本質を突いていた。

 

 物心ついて以来、イサミは自分より強い敵を打ち破った経験がない。

 与えられた加護故に、周囲に自分より優れた存在はいなかった。敵は常に自分より弱い存在だった。

 

 そして自分より強い敵に自ら挑んだ経験もない。

 おそらくグラシアやロビラー相手でも、状況が許せば戦闘を回避したであろう。

 だからこそ、イサミはいまだにランクアップができない。

 

 それはベルが持つ勇気。

 イサミがこれまで持ち合わせてこなかった勇気。

 

 それ故にこそ、グラシアにとってベルは美しく――イサミは美しくない。

 

「・・・っ、ですが! この状況では撤退しか・・・!」

「ああ、そうだね。確かにこの状況なら撤退は選択肢のひとつだろう。

 止めはしないさ。君がいなくとも僕たちは勝てる。多少の犠牲は出るかも知れないが、それでも勝つ。

 なぜなら、僕たちはロキ・ファミリアなのだから」

 

 気圧される。

 圧倒的な数の修羅場をくぐり抜けてきた英雄の意気に、イサミは圧される。

 

「・・・けどね」

 

 そこで息を切り、フィンは笑みを浮かべた。

 

()()()()()()()()()()

「っ!」

 

 息が止まった。

 

「君が撤退するのは構わないさ。でもこのままだと、これから先、ずっと君は撤退し続ける。壁を越えられないまま」

 

 もはや反応も返せず凍り付くイサミに、フィンは訥々と語りかける。

 

「君の弟は間違いなく英雄の器だ。このぼくが、《勇者》が認めよう。だが君はどうだ?

 今は圧倒的に弟にまさっているだろう。

 しかし足踏みし続ける君をよそに君の弟は英雄への階段を登り続ける。

 そして彼が輝ける英雄となったときもまだ、君は同じ場所で腐っているだろう――それでいいのかい?」

 

 ぎり、とイサミの歯が鳴った。

 

「い――」

「うん? 何かな?」

「いいわけねえだろうがこのクソ小人族(パルゥム)! 俺はベルの兄貴だぞ!

 兄貴ってのはなあ、いつでも弟より強くて、賢くて、頼りになる存在じゃなきゃいけねえんだよ!

 たとえ本当はそうでなかったとしてもだ!」

 

 にやり、とフィンの笑みが変化する。

 乗せられたのはわかっているが、それでもこう答える以外の選択肢はなかった。

 何故なら、イサミ・クラネルはベル・クラネルの兄であるのだから。

 

 フィンはぺろり、と親指を舐めた。かつて無いほどに親指がうずく。

 ここが勝機であると、圧倒的な確信をフィンに伝えている。

 振り向き、他の面々に語りかける。

 

「君たちに『勇気』を問おう。その目には何が見えている?

 恐怖か、絶望か、破滅か?

 僕の目に見えるのは倒すべき敵、そして勝機だけだ」

「・・・・!」

 

 一同の視線がフィンに集まる。

 

「退路などもとより不要だ。道は、この槍をもって切り開く」

 

 誰かの拳が、ぎゅっと握られた。

 

女神(フィアナ)の名に誓って、君たちに勝利を約束しよう――

 それとも、ベル・クラネルの真似は君たちには荷が重いか?」

 

 やはりフィン・ディムナは人の心を震わせる英雄であり――

 そして、人を焚きつける天才でもあった。

 

 全身全霊を賭して異形のミノタウロスと渡り合った少年。

 その姿が、見ていた全員の脳裏にフラッシュバックする。

 

 激闘の余韻が、熱が、臓腑を焼く。

 何よりも熱く、白く、尊いあの姿、あの戦い、あの闘志。

 

「――ざけんな。雑魚に負けてられっかッ!」

 

 ベートが吠え。

 

「上等じゃない」

 

 ティオネが前髪をかきあげ。

 

「あたし達も、『冒険』しなくっちゃね」

 

 ティオナが笑った。

 

「―――!」

 

 アイズの瞳にあのまなざしが蘇った。

 完全に折れた心が、真っ白な灰になっていた闘志が、再び炎となって燃え上がるあの瞬間を。

 

 そしてその戦いを直接は見てはいなかったレフィーヤの心にも、その名前は火を付けた。

 アイズが助けた少年。アイズを泣かせた少年。言語道断にもアイズに膝枕をさせた少年。

 他ファミリアであるにもかかわらず一対一でアイズに戦闘の手ほどきをして貰っていた少年。

 アイズが、アイズを、アイズに、アイズの・・・

 

(あなたなんかに・・・あなたなんかに・・・)

 

「アイズさんを渡すものかァーっ!」

 

 自分が叫んでいたことにレフィーヤは気づいていない。

 かろうじて「堕ちた精霊に」という意味だと周囲が解釈してくれたのが救いであった。

 

 

 

「さて、イサミ・クラネル。何か策は」

「んなもんある訳無いじゃないですか。

 ただ・・・堕ちた精霊の魔法は止められるでしょう」

「随分自信たっぷりだね。相手の呪文相殺とやらを破る手立てはあるのかい」

「『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』ですよ、フィン」

 

 イサミの顔に浮かぶ笑みを見て、フィンが頷く。

 

「聞いたな! 魔法はイサミ・クラネルが止めてくれる! 

 何としてでもあいつに食らいつけ!」

 

 おおっ!と雄叫びが返って来る。

 

『させるか・・・虫の息の下等種族どもが!

 "流星雨(メテオ・スウォーム)"・・・"流星雨(メテオ・スウォーム)"!』

 

 再び流れる炎の流星雨。

 だがその直前。

 

「"我願う・・・我らが傷を癒したまえ!"」

 

 イサミが疑似呪文能力の"願い(ウィッシュ)"を発動させた。

 強力な魔法のエネルギーが因果をねじ曲げ、現実を改変する。

 

 潰されたレーテーの足、椿の腕がふくらみ、砕けた骨が結合し、断裂した筋肉と神経繊維が再生する。

 シャーナ、ラウル、ナルヴィ、クルス、アリシアが目を開き、立ち上がる。

 むろんその他の冒険者達の傷も、その全てが癒えている。

 

 爆炎が炸裂するも、その状態でただの"流星雨《|メテオ・スウォーム》"を受けたところで、都市最強の冒険者達には何ら痛手ではない。

 蹂躙と組み合わさればこその脅威であって、単体では多少痛い程度の嫌がらせだ。

 

 一瞬、僅かに驚いた表情を見せたグラシアだったが、すぐにくすくすと笑い出す。

 

「あら、切り札をそんなところで使っちゃっていいのかしらぁ? それとも、まさか私に勝てる気?」

「んなもん知った事か。俺は俺の仕事をやるだけだ。そうすりゃ前衛が何とかする。

 俺の支援を受けてどうにもならないなら、そりゃあいつらが不甲斐ないからだ、俺のせいじゃねえ!」

 

 イサミの啖呵?に、責任を押しつけられた前衛達があるいは笑い、あるいは怒る。

 

「ざっけんな、虎野郎! 待ってろ、こいつぶちのめしたら次はテメェだ! またボコボコにしてやる!」

「そこまで言うからには、ちゃんと仕事はしてよ!」

 

 ベートが噛みつき、ティオネと椿は不敵にくちびるを吊り上げる。

 フィンとガレスは無言で笑い、アイズはちょっと困った顔をした。

 ティオナとレーテーは「がんばるぞ、おー!」と気勢を上げ、シャーナは破顔一笑。

 

(パーティってのがどんなものか、ちったぁわかってきたみてぇじゃねえか!)

 

 最初にパーティを組んだときにイサミの股間を握りつつ教えたこと。

 どうにかこうにかそれが形になってきていると知り、くちびるが笑みの形にゆがむのを止められない。

 

 思えば、ずっと危なっかしい奴だった。

 自分やレーテーとパーティを組んでからも、何もかも自分一人で片付けるつもりでいるのがありありと見えた。

 

(まあ、それだけの実力はあったわけだが)

 

 だとしても、一人でダンジョンは攻略できない。

 自分のできる事はきっちりやって、他のことはパーティメンバーに押しつける。

 それくらいでいいのだと先輩冒険者(シャーナ)は笑う。

 

(一皮むけたな、イサミ!)

 

 なら自分は自分の仕事をしようと、シャーナは走る速度を上げた。



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12-8 犬死に気違ひ

「"奇跡(ミラクル)"――変換"加速(ヘイスト)"」

「《高速化》"奇跡(ミラクル)"――変換"加速(ヘイスト)"」

 

 イサミの右手から再び奇跡の力が迸る。途端、走る前衛の速度がぐんっと上がった。

 秒速にしてプラス6m。

 アイズやベートで二割増し、その他のもので三割から四割増しという所だ。

 

「おおっ!?」

「なにこれ、体が軽い!」

 

 "加速(ヘイスト)"。

 D&Dでもっとも基本的で、それでいてもっとも強力な強化魔法(バフ)の一つであるそれは、名前の通り対象の動きを加速する。

 速度は力だ。高速で動き、高速で斬りつけ、高速で回避する。

 

 もっとも第一級冒険者の圧倒的な敏捷度に比しては、命中回避への強化は微々たるものだが、それでも移動力の上昇は大きい。

 距離こそは最強の防壁であり、集団戦において位置取りほど重要な事はないのだから。

 

『【突風ノ力ヲ借リ世界ヲ閉ザセ燃エル空燃エル大地燃エル海燃エル泉燃エル山燃エル命全テヲ焦土ト変エ怒リト嘆キノ号砲ヲ我ガ愛セシ英雄ノ命ノ代償ヲ――】』

 

 堕ちた精霊の詠唱が続く中、魔法が完成する前に一撃を与えんと前衛達が走る。

 恐らく、詠唱の完成まで後数秒。

 加速によって強化された今の脚力なら――!

 

『"石を泥に(トランスミュート・ロック・トゥ・マッド)"』

 

 だが敵もそれを容易く許しはしない。ザナランタールの呪文が発動した瞬間、前衛達の足下が深さ3mの泥沼に変わる。

 幅24m、奥行き15mの巨大な泥沼だ。

 

「ふわっ?!」

「うおおっ!」

 

 さすがの第一級冒険者達もこれには対応できず、重装備のものは胸、軽装備のものでも腰まで泥に沈む。

 既に【エアリエル】を展開していたアイズを除いて。

 

 

 

「!」

 

 足下が泥に変わった瞬間、アイズは風の力だけで高く跳躍した。

 そのまま、融合精霊の右手のビホルダーに向けて突貫する。

 

(精霊の魔法はイサミさんが何とかしてくれる――なら、私は!)

『ぬうっ!』

 

 ビホルダーを撃破、少なくとも一定時間無力化しようと剣を振りかざすアイズに、下方から四本の触手が襲いかかる。

 アボレスの恐るべき変異の触手。

 アイズはそれらをことごとく切り払うものの、体勢が崩れた。

 

「っ?!」

 

 そこに飛来したのは無数のコウモリ。

 壁となってアイズがビホルダーに到達するのを阻み、勢いを殺そうとする。

 アイズは気づいていないが、左手のスウォームシフター・キャリオンクロウラーが変化したコウモリの群れ(バットスウォーム)だ。

 

 アイズの周囲を守る「風」に阻まれてその牙は届かないが、数が尋常ではない。

 あらん限りの速度で切り払うものの、剣で数万匹の群れを殺しきることはできない。

 コウモリの壁はアイズの突進を完全に受け止め、そして柔らかく弾き返した。

 

 だが当然だろう。

 体長7mに及ぶキャリオンクロウラーの変化したコウモリの群れだ。

 一匹一匹は軽くとも、その体重の合計は数十トンに達する。

 いかにアイズの突撃が強力であれ、それだけの質量をはじき飛ばすには純粋に運動力が足りない。

 くやしげに顔を歪めたアイズが着地すると同時に、コウモリの群れが左腕に集まり、大芋虫の姿に戻っていく。

 

『【代行者ノ名二オイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ火精霊炎ノ化身炎ノ女王――】 』

「っ!」

 

 はっと上を見上げたアイズの目に映ったのは、今まさに詠唱を完成させんとする堕ちた精霊の姿だった。

 

 

 

 泥の中で前進しようともがいている冒険者達に、フィンが指示を飛ばす。

 

「全員泥に潜れ! 万が一の場合でも、泥の中ならダメージを軽減できるはずだ!」

 

 

 

『と、思うのが下等生物の浅ましさよなあ――"泥を石に(トランスミュート・マッド・トゥ・ロック)"!』

 

 泥の中の全員が潜った瞬間、ザナランタールが呪文を発動する。

 先ほどとは逆に、泥を石にする呪文。

 

「フィン! ガレス!?」

「ティオネさん! ティオナさん!」

 

 つまり、泥の中に潜った冒険者達は全員石の中に封じ込められてしまったのだ。

 いかに第一級冒険者の怪力とはいえ、全身を石で固められてはどうしようもない。

 さらにザナランタールは"石の壁(ウォール・オブ・ストーン)"を発動し、冒険者達が埋まっている石床の上に新たに石の蓋を積み上げる。

 

『ファファファファ・・・!』

「ザナランタール、油断するな。あやつの呪文に備えろ」

 

 嘲笑するビホルダーに、魔姫の厳しい声が飛ぶ。

 グラシアもザナランタールも、無論ネヴェクディサシグも、この期に及んで油断はかけらもない。

 

『わかっておるとも、姫。同じ轍は踏まぬわ』

 

 その巨眼が睨むのは、数十m彼方の虎の男。

 これまで通りミラクルのスタッフを使ってくるか、それとも逆転を狙って何らかの高レベル呪文、おそらく"時間停止(タイムストップ)"を発動してくるか・・・。

 

 アイテムからの魔力発動はいかにビホルダー・メイジと言えども相殺はできない。

 だが"奇跡(ミラクル)"といえどできる事には限界がある。

 相殺を恐れて呪文を発動せぬのであれば、それはそれで押し切るだけだと、ザナランタールは考える。

 

 視界の中で虎の男が呪文詠唱を始めた。

 

(ファファファ、愚かな! 相殺されることはわかっておろうに、やはり人間は・・・)

 

『ぬう・・・!』

「どうしたザナランタール・・・むっ!」

 

 ザナランタールが僅かに驚愕の声を上げる。

 つられてグラシアがイサミの方を見やった瞬間、堕ちた精霊の呪文が完成した。

 

『【ファイアースト・・・】』

 

「"我願う! 彼の者の呪文を打ち消したまえ!"」

 

 地獄の業火が現出する寸前、ウィッシュの強大な生の魔力がそれとぶつかり合い、打ち消し合う。

 物理現象として噴出しない魔力の乱流に、魔力を感知できる人間が耳鳴りを覚える。

 

「ウィッシュで、魔法を相殺したですって!?」

 

 疑似呪文能力ではない。呪文として発動した"願い(ウィッシュ)"。

 ザナランタールは、それを何故打ち消さなかったか?

 

 "願い(ウィッシュ)"はほぼあらゆる願いを叶える現実改変の呪文。

 だがその代償として術者の魂の一部、端的に言えば未使用の経験値と引き替えにしなければならない。

 そして失う経験値の量は莫大なものだ――オラリオの冒険者でたとえれば、【恩恵】を受けたばかりの新米が、いきなりレベル1のトップクラスに躍り出るほどの。

 

 呪文相殺を行うには、相手と同じ呪文を発動しなければならない。

 つまり、同様に"願い(ウィッシュ)"を発動し、莫大な未使用経験値を消費せねばならないということだ。

 それができない故に、ザナランタールはイサミの"願い(ウィッシュ)"を相殺できなかったのだ。

 

『ちい、味な真似を・・・だが頼るべき前衛は・・・』

「《高速化》"願い(ウィッシュ)"! "我願う! 我が仲間たる戦士達を、敵の下へ!"」

『『なにいっ!?』』

 

 ザナランタールとネヴェクディサシグ、両者の驚愕の声が同期するのと、生き埋めになったフィン達が融合精霊の周囲を取り囲むように出現したのとがほぼ同時。

 

「ネヴェクディサシグ! 移動を!」

『わ、わかっ・・・』

「やぁぁらせるかぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 

 動揺したネヴェクディサシグを叱咤するグラシアの声を、階層自体を震わせる大音声がかき消す。

 転移した瞬間、唯一即座に動いたのはドワーフの大戦士ガレス。

 100kgを超える重装甲をものともせず数mを跳躍するや、アボレスの口元に愛用の大戦斧を叩き込む。

 

『グァギィガァァァァァァアァッ?!』

 

 肉に根元まで食い込む大戦斧。

 骨に達したか、ネヴェクディサシグが苦悶の声を上げる。

 

「ひるむな! 包囲網を抜けなさい!」

「させんと言っておる!」

 

 そのまま飛び降りるドワーフの大戦士。

 左手の、不壊属性の大戦斧の柄から繋がっているのは超硬金属(アダマンタイト)製の鎖。

 そのもう一方は、アボレスの口元に食い込んだ大戦斧の柄頭に繋がっている。

 

「どっせいっ!」

 

 そのまま着地して、自らの体重で不壊属性の大戦斧を石床に打ち込むのと、アボレスが全力移動を始めるのがほぼ同時。

 鎖がぴんと張る。

 ガリガリガリガリ、と、凄まじい音を立てて引きずられた大戦斧が石床を砕く。

 

 それはまるで錨を引きずって走る船のようで、だが大怪魚は苦痛にもだえ苦しみ、錨たる大戦斧の上にはガレスが渾身の体重を込めて踏ん張っている。

 骨と骨の隙間に食い込んでしまったか、口元の大戦斧はびくともしない。

 釣り針にかかった魚のように暴れるネヴェクディサシグだが、超重量の錨は決して地から離れず、それどころかますます大地に食い込んでいく。

 

「ザナランタール! "物質分解"であの鎖を破壊しなさい!」

『無理だ! こう動きが激しくては・・・!』

 

 その瞬間、ビホルダーの11の目は、周囲から一斉に襲いかかる冒険者達を見た。

 動きがにぶくなった瞬間を見逃さず、"加速"で増強された跳躍力をもって、残りの八人が一斉に飛びかかったのだ。

 

 ティオナの大双刃が、ティオネのハルバードが、ベートの銀靴が、椿の大太刀が、シャーナの大剣が、レーテーの双大戦斧が大怪魚の腹を裂き、ヒレを落とし、エラを吹き飛ばす。

 

『ガァァァァァァアァッ!』

『ネヴェクディサ・・・はっ!』

 

 苦鳴を上げる怪魚の名前を呼ぼうとしたザナランタールの「目」の前にはフィン。

 次の瞬間、中央の巨大単眼に長槍が突き刺さり、黒い血が噴き出した。

 同時に飛びかかったアイズが、眼柄のうち三本を切り落としている。

 

「おのれっ!」

 

 グラシアが舌打ちすると共に、堕ちた精霊の体から数十本のイバラの触手が射出される。

 

「ぐわぁっ!」

「くっ!」

 

 融合精霊に群がっていた冒険者達がたたき落とされ、あるいは後退を余儀なくされる。

 だが、最優先の目標であるガレスが動かない。

 十数本のイバラに打ち据えられながら、"重傑(エルガルム)"はびくともしない。

 

「ちっ・・・」

 

 グラシアが舌打ちする。

 そして同時に堕ちた精霊が魔法円を展開し、詠唱を開始した。

 

『【突キ進メ雷鳴ノ槍代行者タル我ガ名ハ雷精霊(トニトルス)雷ノ化身雷ノ女王――】』

 

 長文詠唱をしている暇はないと見たか、短文詠唱。

 その余りの詠唱速度ゆえに、実質の詠唱時間は超短文かそれよりも短い。

 にもかかわらず、恐らくその威力はレフィーヤの全力にも匹敵しよう。

 対応できないままフィン達が雷撃を受けるかと思われた瞬間――

 

「"我願う! 彼の者の呪文を打ち消したまえ!"」

「なぁぁぁッッッ!?」

 

 今度こそ、心底魔姫が驚愕する。

 イサミの三回目の"願い(ウィッシュ)"が堕ちた精霊の【サンダー・レイ】をかき消したのだ。

 

『馬鹿な! 貴様正気か!』

 

 ザナランタールでさえ冷静さをかなぐり捨てて、驚愕に全ての目を見開く。

 

「まさか! 貴方、堕ちた精霊の詠唱を全てウィッシュで相殺するつもりだとでも言うの?!」

「それ以外に何がある!」

 

 イサミが気を吐く。

 その覚悟を決めたまなざしに。

 一瞬、確かにグラシアは気圧された。

 

「こちとらレベルキャップがかかってな! 使えない経験値(エクセリア)が山ほど溜まってるんだよ!

 俺の経験値が尽きるのが先か、お前らがくたばるのが先か! いっちょ試してみようじゃないか!」

『だからといって・・・有り得ん! 貴様、未来を捨てる気か?! それだけの経験値、再び得られるとは限らんのだぞ!』

 

 眼柄から呪文を放つ事も忘れ、ザナランタールが叫ぶ。

 通常のモンスターと違い、彼は冒険者同様に経験値を稼いでレベルアップを重ねて来たビホルダー・メイジだ。

 それゆえにこそ信じられないのだろう。このような、経験値をどぶに捨てるような戦い方が。

 フィンやアイズ、レフィーヤやリヴェリアの顔にも驚愕がありありと現れている。

 

「んなもん、死んだら元も子もねえだろうが! 俺をここで殺す気まんまんなくせに、馬鹿言ってるんじゃねえよ!」

『ぐっ・・・!』

 

 そのくらいのことはザナランタールやグラシアとてわかる。

 だが、わかってはいても普通はできない。

 命を救うために自分の腕や脚を躊躇無く落とすような真似は、常人には決してできない。

 

 ピュロスの勝利という言葉が脳裏をよぎりもする。

 失うものの大きい勝利、得る物の何ら無い勝利。

 

(否・・・得る物はある!)

 

 ここでひるめば、もはや前には進めない。

 ピンチのたびに後ずさりし続けるだろう。

 世界の果てから足を踏み外すその日まで。

 そしてそれは、イサミにとって兄たる資格を失う事を意味する。

 

「追い詰められた人間が何をするか、とくと見るが良いぜ!

 "我願う・・・我らが傷を癒したまえ!"」

 

 《高速化》された再びの"願い(ウィッシュ)"。

 イバラの触手に打ち据えられた全員の傷がすっと消える。

 

「くっ・・・!」

 

 堕ちた精霊が後ろを振り向く。

 その視覚に同調したグラシアは、60階層への開口部から現れた芋虫型がすぐ近くまで来ているのを確認し、僅かに安堵する。

 

(こいつらを盾に使って・・・いや、溶解液で鎖を溶かせば・・・)

 

 だがその希望は、グラシアの目の前で儚くも砕け散る。

 

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ!】」

「【レア・ラーヴァテイン!】」

 

 炎の雨が何十匹もの芋虫型を焼き尽くし、ラグナロクの業火が更に多くの芋虫型を蒸発させる。

 魔法を発動した二人の周囲にラウル達が控え、とっかえひっかえでマジックポーションを飲ませる。

 芋虫型はいまだに出現し続けているが、この二人を前にして一匹でも自分の元にたどり着けるとはグラシアも思えなかった。

 



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12-9 白銀の流星

 戦いは続く。

 

『【アイシクル――】』

「"我願う! 彼の者の呪文を打ち消したまえ!"」

 

 氷嵐の砲撃を、三たびイサミのウィッシュが打ち消す。

 

「くっ、あなた本気で・・・」

「だから言ったろうが! おまけだ! 《高速化》"奇跡(ミラクル)"変換――"吹き下ろす風(ダウンバースト)"!」

『ぬぁっ!?』

 

 魔法の風が、浮遊していたネヴェクディサシグを地面に押しつける。

 これ自体は一時的なものだが、冒険者達が全力を叩き付けるには十分な時間だ。

 

「おおおおおおおおっ!」

「おらおらおらおらおらぁっ!」

「やぁぁぁっ!」

 

 冒険者達の武器が融合精霊の体を切り刻み、時折イサミの放つ電撃がその体を焼く。

 (グラシアの種族バーテズゥは炎に完全耐性があり、また冷気と酸にも強い)

 後方より現れる芋虫型もリヴェリアとレフィーヤ、そしてラウル達の魔剣に焼かれ、一匹たりとも融合精霊の所には届いていない。

 

 だがそれでもなお、戦況は互角であった。膠着状態と言ってもいい。

 武器であれ呪文であれ打撃はすぐに修復され、眼柄や触手を切り飛ばし、目をえぐってもすぐに再生する。

 砂浜に引いた線を波が洗うように、次の瞬間には傷口が消えてしまうのである。

 

 堕ちた精霊の魔法こそ相殺し続けているものの、グラシアは鋼鉄のトゲが生えた数十本の触手を縦横無尽に振るい、ザナランタールは眼柄から石化と物質分解の光線、そして呪文を乱射し続ける。

 キャリオンクロウラーは時に芋虫の麻痺触手で、時に分離したコウモリの群れとなって冒険者達を牽制し、ネヴェクディサシグは触手と呪文で妨害に徹している。

 

 イバラが数発連続で直撃したティオナが血の海に沈み、石化した椿を"暗黒竜の鱗(ヴリトラスケル)"を発動したシャーナが盾となって守る。

 堕ちた精霊の魔法を防ぎながら"願い(ウィッシュ)"や"奇跡(ミラクル)"でフォローに入るイサミがいなければ、ロキ・ファミリアと言えども崩れていただろう。

 

 特に執拗なのはアイズに対してだ。

 触手の半分近く、数十本を常に割いて迎撃している。

 アイズは全てをかわし、あるいは防いでいるが、攻撃に移ることは到底できない。

 

 どころか、十回に一回は攻撃を喰らい、甲冑も半壊状態だ。

 むしろそれで済んでいるアイズの技量と【エアリエル】の機動力を褒めるべきだろう。

 

 

 

「みんな頑張ってる・・・だが、このままじゃじり貧だ」

「っすね・・・! 倒すにはやっぱり魔石を狙わないとだめっすか・・・?」

 

 イサミとラウルが言葉を交わす。

 

「けど、どうすれば・・・」

「やむを得ない、こうなったら・・・」

「ラウル!」

「!」

 

 イサミがさらなるウィッシュの多重使用――《二重化》と数秒後に呪文を繰り返す《二連続化》、行動を追加する"素早さ(セレリティ)"を絡めた無限加速連鎖の使用に踏み切ろうとした瞬間、フィンが叫んだ。

 前線で自らも戦っていたロキ・ファミリア団長の声が戦場に響く。

 

「みんな聞いてくれ! 何とかして奴の魔石を砕かなければ勝機は無い!

 リヴェリア、レフィーヤ、イサミはタイミングを合わせて奴に魔法を集中!

 前衛の皆もそのタイミングで堕ちた精霊に攻撃を集中!

 アイズが魔石を破壊してとどめを刺すんだ!」

「芋虫型はどうするんですか!?」

「連中が来る前に融合精霊を倒せばいい!」

 

 ぷっ、とティオナが吹き出した。

 

「いーじゃん! それでいこーよ!」

「おう、いい策だ」

 

 ティオナが明るく、ベートが不敵にそれぞれ笑う。

 残りの全員も頷き、フィンもそれに頷き返した。

 

「それじゃ、ラウル。後の指揮は任せるよ!」

「えっ? は、はいっす!」

 

 一瞬ぽかんと口を開けたラウルだが、フィンが何をやろうとしているかに気づき、真剣な顔で頷く。

 それを確認し、フィンが自らの黄金の槍を額に当てた。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て――ヘル・フィネガス!】」

 

 碧眼が真紅に染まる。

 フィンの切り札、狂戦士化の魔法。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 雄叫びが上がった。

 両手の双槍を風車のごとく振り回し、挑みかかるはイバラの触手。

 ドワーフの胴回りよりも太い精霊の触手が、一振りでほとんど両断される。

 

 普段の温厚にして冷静沈着な彼からは想像もつかぬ狂乱の戦いぶり。

 黄金と白銀の長槍二振りが、鋼のトゲをはじき、樹肉を断つ。

 

 次々と切り飛ばされるイバラの触手。

 無論、即座に新しい触手が生えてくるが、それでもタイムラグは生まれる。

 それはつまり、アイズにかかる負担が減ると言う事であり――

 

「!」

 

 今まで回避に回していたリソースを、攻撃に回せると言うこと。

 ここぞとばかりに攻勢に転じたアイズの剣が一本、また一本と触手の先端を切り払い、それがまたアイズにさらなる余裕を与える。

 

「くっ・・・!」

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に風(うず)を巻け。閉ざされる光、凍てつく大地――】」

「【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)。汝、弓の名手なり――】」

 

 リヴェリアとレフィーヤの詠唱も進んでいる。

 それを止める手立ては今のグラシアにはない。

 

 グラシアも魔王の分体。それなりの魔力は持っているが、彼女の得意とするのは幻影と精神支配の技である。

 それは街の影で密かに勢力を伸ばすには最適な力ではあったが、今はイサミが全員に精神攻撃を防御する《連鎖》"空白の心(マインドブランク)"をかけてしまっている。

 切り札の"死の一本指(フィンガー・オブ・デス)"も"集団即死防御(マス・デスウォード)"がかかった今となっては無意味。

 この時点で、既に勝負は決していた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 狂戦士と化しながらも正確な戦術的判断を下してのけたか、フィンが右手の長槍を融合精霊の胸・・・グラシア目がけて投擲する。

 その瞬間、四方八方に乱舞していた数十本の触手が胸の前に集中し、黄金の弾丸からグラシアを守る。

 流石に止められはしたものの、数十本分の触手の盾を半ばまで貫通した長槍に、グラシアが一筋の冷や汗を流した。

 

 だが次の瞬間、フィンがもう一本の長槍を投擲する。

 白銀の流星は完全に正確に一本目と同じ軌跡を描き――白銀の切っ先が触手の中に潜り込んだ黄金の石突きを強打する。

 

「があああっ?!」

 

 新たなる運動エネルギーを得た黄金の長槍がイバラの盾を貫通する。

 その切っ先は狙いを僅かにそれ、グラシアの左目を深くえぐった。

 

 それが合図だったかのように、周囲の冒険者達が一斉に飛び退る。

 オラリオ最強の魔導士たちの呪文が完成しようとしている。

 

「【閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】」

「【狙撃せよ、妖精の射手。穿て、必中の矢】」

「"我願う――"」

『おのれ・・・ガァァァァッ?!』

 

 ザナランタールが前方に反魔法の目を向けてアンティマジックフィールドで防御しようとするものの、飛来した数本の矢に巨眼を射貫かれ、悲鳴と共にまぶたを閉じる。

 包囲と並ぶ対ビホルダー戦のもう一つのセオリー、光線の射程外からの遠隔物理攻撃。

 

「おっしゃ、当たったっす!」

 

 それを成したラウルが小躍りしてガッツポーズを取る。

 50m先の目標にろくに狙いもつけず、一息に4本の矢を放って、しかもそれら全てを瞳中央に命中させる離れ業。

 周囲から賞賛のまなざしが集まるが、本人は気づいていない。

 

 そして、それぞれ異なる笑顔を浮かべたリヴェリアとレフィーヤが、全精神力を込めた呪文を完成させる。

 イサミもまた。

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル!】」

「【アルクス・レイ!】」

「"我が敵を雷にて焼き尽くせ! "霊感(インスピレーション)"雷変換《二重化》《エネルギー追加火・電・冷・酸》《最大化》《光線分枝化》八連雷の灼熱光線(ライトニング・スコーチングレイ)!"」

 

 全てを凍てつかせる凍気、けして狙いを外さない極太の黄金の光線、急所を的確にうち貫く八条の稲妻。

 それらが同時に融合精霊を貫いた。

 

「まっ、まだ・・・!」

 

 辛うじて残った数本の触手で守られたグラシアが左目を押さえて歯を食いしばる。

 右腕のザナランタール、左腕のキャリオンクロウラーはほとんど吹き飛ばされ、下半身のネヴェクディサシグも体半分は原形をとどめていない。

 それでも即座に再生を開始するが、もはや遅い。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「ふんんんんんんんっ!」

「いい加減くたばれやこのブサイクがぁぁぁっ!」

「いやぁぁぁぁっっっ!」

「死ねやぁぁぁぁっ!」

 

 落ちてくる得物をキャッチしたフィンの槍がイバラを切り裂く。

 大怪魚の頭が消失し、自由になったガレスの双大戦斧が、精霊の胴体を半ば大怪魚から切り離す。

 ブチ切れたティオネの斧槍が乳房をえぐる。

 全力以上の全力のティオナの大双刃が残りのイバラを根元から刈り取る。

 取って置きの魔剣の力を銀長靴に込めたベートの雷を纏った蹴りがグラシア本体を襲い、そのガードを誘う。

 

 そして。

 

「リル・ラファーガッ!」

 

 全ての防御手段を失った融合精霊の胸、赤銅色の乳房の間を、風と化したアイズが貫いた。



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12-10 最高の気分

 胸を貫通したアイズが、十数メートル先の地面に着地する。

 融合精霊の胸に、ベートが立って通れるくらいの穴が、ぽっかりと空いていた。

 

 巨体がぐらりと傾き・・・次の瞬間魔石を失った体が灰となる。

 そのうず高くつもった灰の上に、赤銅色の何かがどさりと落ちる。

 下半身を失った、グラシアだった。

 

「これは・・・どうにもならないわね。

 まさかこれで負けるなんて。

 あーあ、ちょっと見くびりすぎてたかしら」

「・・・?」

 

 上半身だけの状態で、器用に肩をすくめる。

 それを見たイサミの脳裏に違和感が走った。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 だがそれを言葉にするより前に、狂戦士状態のフィンが襲いかかる。

 レベル6を越えた速度で襲いかかる双槍を、だが上半身だけのグラシアは余裕を持って、両手で柄を掴んで止めて見せた。

 

「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ・・・・・・・・・・!」

「だめだめ、ボウヤ。せっかちさんは嫌われるわよ?」

 

 艶然と微笑むグラシア。

 狂戦士状態の全力で押し込んでいるはずの槍が微動だにしない。

 

「っ!」

「うそ・・・! あの状態で団長のあれを・・・?!」

 

 ティオネが驚愕の声を漏らし、グラシアはふっと表情をゆるめる。

 

「《勇者》・・・だったかしら? それにロキ・ファミリア。見事だったわね。私の負けよ」

「ま、待て!」

 

 はっと気づいたイサミが声を上げるも、既に遅かった。

 

「だーめ。待たない。さっきのあなた、少し美しかったわよ――弟くんほどではないけどね」

 

 グラシアの背中を中心にぴしり、と地面にヒビが入る。

 それと同時に59階層全体が震動を始めた。

 

「!」

 

 狂戦士化を解除したフィンが、5m程後ろに跳躍する。

 直後、グラシアを中心とした一帯が陥没し、大穴が空く。

 赤銅の影が暗い闇の底に落下していった。

 大穴の周囲には更にヒビが広がり、冒険者達の顔が引きつる。

 

「みんな! こっち! 芋虫型が!」

「!」

 

 アイズの声がイサミの意識を引き戻す。

 大海嘯のごとき芋虫型の群れが、もう十数メートル、時間にして一秒余りの所まで迫ってきていた。

 

「全員出口まで走れ! イサミは開口部を塞ぐ壁を焼き切るんだ!

 芋虫型は適当に相手をしろ! 足を止めるな!」

 

 フィンの指示が飛ぶとさすがに第一級冒険者、たちどころに混乱から立ち戻り、条件反射的に武器を振るう。

 イサミも詠唱を始め、ラウル達もそれぞれ弓や魔剣を構えた。

 しかし、

 

「!? 待ちなさい、馬鹿ティオナ! あんたのそれ、不壊属性じゃないでしょ!」

「あっ」

 

 と、思ったときにはもう遅かった。

 一ヶ月前の情景を再現するかのように、芋虫を真っ二つにして胴体に食い込んだ大双刃の刃が消えている。

 

「あああああああああああああああ!?」

 

 この日最後の悲鳴が59階層に響いた。

 

 

 

 やや手間取ったものの、一行は無事58階層への脱出を果たした。

 階下から響く轟音からすると、あの後59階層は完全に崩壊したのだろう。

 ただし、心と懐に深い傷を残した者が約一名。

 

「あああああ、どうしようティオネぇ・・・私の二代目大双刃(ウルガ)が・・・」

「どうしようもないでしょ。まじめにお金稼いで借金返済しなさい」

 

 片方の刀身がほとんど全部溶解して"大単刃"になってしまった愛用の武器の残骸を抱きしめて涙を流すティオナ。

 姉は腕を組み、冷淡にそれをあしらう。

 

「お金貸してよぉ~」

「あんたね、お金は大事に使いなさいって何度も口酸っぱくして言ったでしょ! 自業自得よ!

 だいたい9000万ヴァリスなんて、持ってる訳ないでしょ!」

「ティオネぇ~!」

 

 大泣きであった。

 フィンを始め、周囲の者は苦笑している。

 

「こりゃまた、見事に溶けちまったなあ・・・」

 

 そこへぬっと現れたのは、イサミである。

 椿も一緒に覗き込み、やれやれと首を振る。

 

「これはさすがに手前も修復できんなぁ・・・大剣に仕立て直せというなら引き受けなくもないが」

「ですよねえ」

「そんなこと言わないでよぉ! 《美丈夫(アキレウス)》くん、凄い魔術師(メイジ)なんでしょ?

 どうにかならないの?!」

「ダメだよ、ティオナ。彼は共闘した仲ではあっても別のファミリアだ」

「・・・・」

 

 苦笑しつつもフィンがティオナをたしなめる一方で、イサミはぐじゅぐじゅと鼻をすすり上げるティオナを見る。

 一瞬、その顔が子供の頃のベルと重なった。

 

「しょうがねえなあ・・・貸し一つだぞ」

「!」

 

 ティオナの顔がぱぁっと明るくなる。

 苦笑して、その頭を撫でてやった。

 イサミ・クラネルはやはり年下に弱い。

 

「"我願う――かの武器を元の姿に"」

 

 呪文と共に、ティオナの溶けた大双刃が一瞬にして元の姿を取り戻す。

 鍛冶師達が打ち上げたばかりの、まばゆい輝きだ。

 

「やったー! ありがと、《美丈夫(アキレウス)》くん! ほら見てアイズ! 元通り、いや、刃こぼれもなくなって新品ぴっかぴかだよ!」

「う、うん、よかったね・・・」

 

 目を丸くしつつも、アイズが喜色満面のティオナに笑みを漏らす。

 一方でフィン達年長組は再び苦笑。

 ティオネも苦笑しつつイサミに抗議する。

 

「もう、甘やかさないで下さいよ。お馬鹿なんだから、痛い目見ないとわからないんですよ?」

「ごめんごめん。でもほら、俺って年下には甘いから」

 

 そう言われるとティオネも苦笑を深くするよりほかない。

 ありがとうございました、でも甘やかしすぎは良くないですよ、と釘を刺してから引き下がった。

 そこにティオナが大双刃ごと飛びついてくる。

 

「《美丈夫(アキレウス)》くんありがとー! 本当にありがとねー!」

「せいぜいちゃんと感謝しておきなさいよ、馬鹿ティオナ。

 貸し一つどころか三つ四つでも足りないんだからね!」

「わかってるわかってる! わたし、《美丈夫(アキレウス)》くんのためなら何でもしちゃうよ!」

 

 女の子が軽々しくそういう事を言うのはどうかなあと、「女に夢見すぎ」と言われそうな感想を抱きつつイサミは苦笑した。

 

「はいはい、それじゃそのうち弟の特訓にでも付き合ってやってくれ」

「《アルゴノゥト》くんに? うんいいよー。するするー!」

 

 二つ返事でティオナは首を縦に振った。

 イサミが怪訝な顔をする。

 

「《アルゴノゥト》? ベルのことか? まあ《美丈夫(アキレウス)》よりは似合ってると思うが・・・」

「最初は英雄譚が好きだからそう呼んでたんだけどね。私もそう言うの好きだから、話が弾んじゃってさ。

 ・・・でも、今のあの子は"駆け出し英雄(アルゴノゥト)"だと思う。

 ほんと、凄かったなあ・・・」

 

 僅かに顔を赤らめて、ほおっ、とため息をつく。

 

「・・・」

 

 答えず、イサミは顔を上に向けた。

 ダンジョンの床と天井を透かして、そこにいるであろう弟の姿を捉えようとするかのように。

 

 

 

 

 緊張から解放されて周囲が歓談するなか、ふうと息を吐いて座り込む。

 気がつくと、隣にリヴェリアが立っていた。

 

「大丈夫か?」

「ええまあ。怪我は治ってますしね」

 

 リヴェリアを見上げて笑ってみせるイサミに、だがエルフの王女は首を振る。

 

「そうじゃない。私が言っているのは魔法の後遺症だ――経験値を消費するなどという魔法は初めて聞いたが、経験値(エクセリア)は我々の一部だ。

 今まで我々が歩んできた人生そのものと言っていい。

 そのような魔法を、それもあのように連発して・・・無事で済むわけがない」

「・・・」

 

 実際その通りだ。

 今のイサミは肉体的精神的と言う以上に、魂のレベルで消耗している。

 

 経験値の消費と一口で言うが、それは自分の中にある未分化の可能性を消費する事に他ならない。

 ロマンチックな言い方をするならば、目の前の現実を理を越えて改変するためには自らの未来の種を投じなくてはならない、と言うことだ。

 

 生まれたての赤ん坊には無限の可能性がある。

 だが成長していくにつれ、その無限の選択肢はどんどん狭まっていく。

 

 体を鍛えた者は、その分の時間の勉学で得られたかも知れない学識を得る事はできない。

 鍛冶師に弟子入りして鍛冶の技を身につけた者は、薬師に師事して調合の奥義を知る事はできない。

 

 天才と呼ばれる者ならその双方を身につけることは可能だろうが、だとしても全ての可能性を極めることなどできない。

 

 その有限の可能性を消費して、"願い(ウィッシュ)"や"奇跡(ミラクル)"の呪文はあり得ない現実の改変、偉大な奇跡を起こす。むしろその偉大な力を一日一回ずつとは言えノーリスクで使えるようになるミストラの加護が規格外なのだ。

 

 その様な事を語ったわけではないが、リヴェリアはかなりの所まで正確に察していた。

 無言のイサミをよそに、エルフの王女は更に言葉を紡ぐ。

 

「今回、君の払った犠牲無しで勝つことはできなかった。もし、この後遺症で君が苦しむのであれば、我々は――」

「勝ったのは前衛も魔導士もサポーターも、みんながそれぞれの仕事をしたからですよ。

 リヴェリアさんだけの力でも無いですし、アイズだけの力でもありません」

 

 ふ、とリヴェリアの口元に笑みが浮かぶ。

 

「ならば私の感謝を受け取ってくれ。

 ありがとう。君がいなければみんな死んでいた」

「どういたしまして」

 

 にっ、と笑ったイサミが後ろに倒れ、大の字に寝転がる。

 

「それにね、今は凄くいい気持ちなんですよ」

「?」

「確かに随分と色々なものを失った・・・この損害は、もう取り返せないかも知れない。

 でも、いい気持ちなんです。すごく、いい気持ちなんですよ」

 

 そういってイサミは晴れやかに笑った。




 完成~~~っ!
 いや、難産でした。
 D&Dのルール踏まえた上でメタ的な駆け引きまで考えると戦闘の組み立てが難しいのなんのって・・・今までで一番きつかった。
 あ、できてるかどうかはまた別の話と言う事で(汗


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第十三話「モンクのレベル依存ACボーナスと書いて焼け石に水と読む」
13-1 勝利の報酬


 

 

 

『レベルアップおめでとー♪』

 

―― 『フォーチュンクエスト』 ――

 

 

 

「よし、ここまで! 撤収準備!」

「あれ、もう終わりですか?」

 

 58階層。

 先だって倒した「竜の壺」のモンスターのドロップアイテムや魔石を収集中。

 フィンが掛けた号令にイサミが首をかしげた。

 周囲を見れば、ヴァルガング・ドラゴンやブラッドサウルス・タイラントと言った大物はあらかた解体されたが、それでもまだワイヴァーンをはじめとして無数の怪物の死骸が転がっている。

 

「これ以上採取しても脚が鈍るしね。

 モンスターの産出幕間(インターバル)の間に安全地帯に帰還したい。

 ここの産出幕間(インターバル)がどれだけの長さかはまだ確かめた人間がいないから、安全策をとるにこしたことはないだろう」

「もったいないなあ・・・」

「何なら後で取りに来るかい? 今持って行けない分は全部上げるよ」

 

 きらり、とイサミの目が光った。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十三話「モンクのレベル依存ACボーナスと書いて焼け石に水と読む」

 

 

 

「それは今採取したうちの取り分を頂いた上で、ってことでいいんですね?」

「もちろん」

 

 イサミの内心を読んでいるのか、肩をすくめて言質を与えるフィン。

 どのみち物理的に持ち帰れないのでここで全てイサミ達に与えたところで懐は痛まないし、フィンとしても"経験値(エクセリア)"を大量に消費してまで勝利に貢献したイサミに何か報いたいとは思っているのだ。

 

「よし、聞きましたよ。それじゃ撤収しましょうか。今度は"ポータブル・ホール"を二枚出しますから、その中に入ってください」

「二枚あるんすか? できれば行きに使って欲しかったっすよ・・・」

「いやあ、ぎりぎりかなあと思ってたけどほんとうにぎりぎり入っちゃったんで・・・」

 

 ラウルの愚痴に、はっはっはと笑って誤魔化すイサミ。

 甲冑を着た人間こみで乗車率250%の山手線に押し込められれば、それは文句を言いたくもなろう。

 現在のパーティはあの時より荷物がふくらんでいるため、さすがに一枚では入りきらない。

 

 ちらりと上を見ると、砲竜の空けた穴が多少小さくなってはいるが52階層までまだ続いているのがわかる。

 頷くと、イサミは懐からポータブル・ホールを二枚出して地面に広げた。

 

 

 

「全員入りましたねー。それじゃ畳みますよー」

 

 中に全員入ったのを確かめ、地面に開いた二つの穴を「畳む」。

 直径1.8mに広がった布を畳むと、それは縮んでハンカチくらいのサイズになった。

 

「さて、と」

 

 ポータブル・ホール二枚を懐に収め、周囲を見渡す。

 

「"我願う――全ての魔石とドロップアイテムをここに"」

 

 ミストラの加護で得られた分のウィッシュ、今日の最後のそれを発動すると、周囲のモンスターの死骸全てが灰となって崩れ落ちた。

 同時にイサミの目の前の穴に高さ1m、直径3mあまりの魔石とドロップアイテムの山が現れる。

 魔石も石であるから、合計重量は恐らく5tほどに達するだろう。

 

 重量で言えば先ほどパーティ全員で採取したものの二十倍はある。

 価格的にも十数倍は行くはずだ。

 

「うーむ」

 

 さすがに圧倒されるが、ポータブル・ホールの中の空気的に、余り時間は掛けられない。

 感慨を振り切って次の呪文を唱える。

 

「"石変形(ストーンシェイプ)"」

 

 床の石に対して呪文を発動すると、石が風呂敷のように魔石の山を包み込んで変形し、直径2m弱の丸い岩となった。

 頷き、更に呪文を発動。

 

「"物体縮小(シュリンク・アイテム)"」

 

 発動と同時に、岩がソフトボールの玉ほどに縮む。

 それを拾い上げて背負い袋に放り込んだイサミは、52階層を目指して地面を蹴った。

 

 

 

「はいどうぞ、出てきて大丈夫ですよ」

 

 52階層。

 数時間前に飛び込んだ穴のそばで、イサミはポータブル・ホールを広げた。

 モンスターの姿は見えないが、念のため周囲に"力場の壁"を張って安全を確保している。

 

「ふう」

「行きよりはましっすけど、やっぱ狭いところはきついっすね・・・」

「まあ武器が当たるよりはましじゃない?」

 

 口々に勝手なことをいいながら、冒険者達が這い出してくる。

 全員が出てきたところでフィンが号令を掛け、再び隊列を整える。

 途中モンスターと何度か遭遇したものの、一行は無事50階層のベースキャンプに帰還した。

 

 

 

「・・・では、あの女体型ですら尖兵に過ぎないというのか?」

 

 祈祷の間でフェルズがおののくようにつぶやく。

 祭壇の老神が重々しく頷いた。

 

「魔姫グラシアが呼びかけ、瀕死だった女体型に力を与えたあの触手・・・

 堕ちた精霊の本体はさらなる下層にいると見て間違いあるまい」

「怪人達もそれか・・・しかしここ数年で奴らの動きが活発になったのは――やはり【剣姫】か?」

「おそらくはな。だが――」

 

 

 

「だが当座はもっと重要な問題がある。あの宝玉が地上に、しかも複数運び込まれていたら?」

「つまり敵の狙いは――」

 

 ベースキャンプの一角、首脳陣用のテントの中で、フィンはリヴェリアとガレスに語りかける。

 己の言いたい事を察したらしい二人に、フィンが頷く。

 

「ああ。敵の狙いはあの女体型を地上で羽化――あるいは発芽かな――させることだ」

 

 魔姫グラシアの力が加わったとはいえ、都市最強派閥に助っ人がついてようやく倒した大怪物。

 階層主ですら及びもつかぬその力を思い返し、二人の表情が硬くなる。

 

「急いでロキに知らせる。すぐに地上への帰還準備を始めよう」

「おう」

「わかった」

 

 そろって頷いたあと、今度はガレスが口を開いた。

 

「それでな、フィン、リヴェリア。あの小僧をどう見る?」

「・・・」

 

 二人はしばし沈黙し、ややあって最初に口を開いたのはリヴェリアだった。

 

「人間としては大変好もしいな。実力も折り紙付きだが・・・余りに未知でありすぎる。

 魔力と耐久力のみが突出したちぐはぐなステイタス、聞いた事も無い魔道具、特に魔法だ。

 私が言うのもなんだが、彼は一体いくつ魔法を所持しているのだ? そもそも――」

「そもそも彼は、僕たちと同じ存在なのか?」

 

 リヴェリアの言葉をフィンが引き取る。

 

「人物については僕もリヴェリアと同じ評価だ。まるっきりの善人ではないと思うが、信用できる。

 だが――異質だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「「!」」

 

 リヴェリアとガレスに衝撃が走る。

 

「だ、だが・・・」

「君も薄々は察してたんじゃないかい? 彼の魔法は僕たちから見るとまったく異質だ。

 だが、あの目玉の怪物の魔法と同系列のものと考えると妙にしっくり来る。

 超短文詠唱相当の発動時間、込められた魔力の少なさ、術の多彩さ、そして彼の魔法に対してしか有効でないらしい呪文相殺とやらだ。

 あのロビラーという男と同じ技を使ったのもそうだ。確たる証拠はないが、あの怪物達と同質の存在であると僕は思う」

 

 がたっ、と椅子を蹴倒してリヴェリアが立ち上がる。

 

「彼も怪人の仲間だと?!」

「落ち着いて、リヴェリア。声が大きい」

「・・・すまない」

 

 わびの言葉と共に、リヴェリアが再び着座する。

 

「少なくとも彼らが同じ技術体系を用いているのは間違いないと思う。

 どうやら怪人や堕ちた精霊達とは敵対しているようだが・・・だからといって、必ずしもこちらの味方とは限らない」

「場合によっては、手を組んで我々に敵対すると?」

 

 ヒゲをしごきながら、ガレスがフィンに問う。

 

「ンー・・・そこまでは行かないと思う。勘だけどね。

 ただ、ロキも警戒していたのは確かだ。あまり気を許すべきでもないだろうね」

 

 「ガチで殺しあいするかもしれんで」と言っていた主神を思い出し、三者三様に渋い顔になった。

 あの時は九割たわごとと思っていたが、ここに来てそれがやにわに現実味を帯びてきている。

 

 ふっ、とリヴェリアが笑みを浮かべた。

 

「しかしフィン、それならあそこで焚きつけず、撤退させておいた方が良かったのではないか?

 間違いなく彼は今回の事で一皮むけたぞ」

「そうなんだけどね・・・さすがに彼の力無しでは勝てた気がしない。

 勝てたとしてもかなりの犠牲が出ただろうね。やむを得ない選択という奴だよ、リヴェリア」

 

 こちらも笑みを浮かべながらフィンが肩をすくめる。

 ヒゲをふるわせてガレスが笑った。

 

「よく言うわい。そんな事、最初から考えてもおらんかったじゃろうに」

「冒険者の先輩だからね、僕たちは。多少それらしいことをしてやってもバチは当たらないだろう?」

「言ってろ!」

 

 しばし、笑い声でテントの中が満たされた。

 

「まあ地上に戻ったらロキを問い詰めてみた方がいいな。何をもってそう判断したのか。

 とにかく、彼とヘスティア・ファミリアは今後要注意だ」

 

 締めくくるフィンの言葉に二人は再度頷いたが、リヴェリアはさらに言葉を続けた。

 

「それはわかっている・・・だが我々が彼に大きな借りを作ってしまったのも確かだ」

「まあね。それはそれ、これはこれ、と行きたいところだが・・・頭が痛いね」

 

 個人的には好感が持てるだけに余計にと、フィンは額に手を当てて顔をしかめた。

 

 

 

 話し合いを終えた三人が天幕から出ると、周囲にいい匂いが漂っていた。

 ダンジョンの中には似合わぬ瀟洒な大テーブルがいくつも並び、その上では山盛りのごちそうが湯気を立てている。

 

 フィン達も何度も見た、イサミの"英雄の饗宴(ヒーローズ・フィースト)"だ。

 テーブルの席は冒険者たちで埋まりつつあり、どうやら彼らが最後であるようだった。

 

「あっ、やっと出てきた! そろそろ呼びに行こうかと思ってたんですよ、団長!」

 

 手を振るのはティオネ。

 私の横の席に座ってください、と無言での熱烈なアピール。

 

「・・・まあ後のことは食べてから考えようか」

「そうじゃな、せっかくの晩餐だ。味わわなければ勿体ない」

 

 苦笑いを浮かべつつ、顔を合わせる三首領。

 

「ほーら、早く! フィン達が来ないと始められないんだからさ!」

「わかってるよ、そうせかさないでくれ」

 

 重ねて苦笑しつつ、三人はいい匂いを漂わせる卓の方へ歩き出した。

 




ちなみに魔石の量は、コミック版外伝一巻の芋虫型の魔石の描写をもとに、一個が森永ミルクキャラメル二つ分(約10g)として、
石の比重が2.8なので一個28g、土砂が1立方m=約1.7~1.8t、隙間が多いのでもう少し軽いだろうと言う事で1.6t。大体六万個弱で1立方m。

倒した怪物の数は――原作では全く不明ですが、ベート、ティオネ、ティオナ、レフィーヤ、ガレスが八時間戦い続けて五人がそれぞれ6秒(D&Dにおける1ターン)に2匹倒したと仮定して、一時間6000匹、八時間で四万八千匹。
(レフィーヤは一度に数十匹倒せますが、芋虫型のせいでフルで呪文詠唱できたわけでもなさそうなのでこの数字)
三つどもえだったので芋虫型、食人花に食われたモンスターが半分いるとすると、倍の九万六千匹。

5~10mサイズの怪物の爪やら鱗の山やらはそれなりにかさばるでしょうし、動きが鈍るほどは持ってかないだろうと言う事で、ロキ・ファミリアが持って行った分を差し引いても1.5立方m。
ドロップアイテムも含めれば2~3立方mくらいはいくかな、ということで作中の描写になりました。


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13-2 レベルアップおめでとう

 食後、キャンプを畳んで帰還準備を始めるロキ・ファミリアと別れ、イサミ達は一足早く地上に帰還した。

 "グワーロンのベルト"で気体化し高速移動すると、ものの20分で第一階層に到着する。

 バベルから外に出ると、もうすぐ夕方になろうかという時刻であった。

 

「二日ぶりの日の光ですねえ」

「普通あんな奥まで遠征してたら、二日どころじゃすまねえんだがな・・・

 お前が一番反則なのはそれじゃねえかといつも思うよ」

 

 イサミのベルトに目をやりながらしみじみつぶやくシャーナ。横でレーテーがうんうんとうなずく。

 ロキ・ファミリアほどではないものの、彼女たちの属していたガネーシャ・ファミリアやイシュタル・ファミリアも深層に遠征を行っている。

 一度深層に潜ったら半月は日の光を拝めないのが普通なのだ。

 

「まぁそれはさておき、シャーナ達は先に帰っててくれ。

 俺は夕食の買い物してから行くから」

「ん、換金はしないのか?」

 

 首をかしげるシャーナ。

 

「自分で今言ったじゃないか、反則だって。

 こんな最深層の魔石やらドロップアイテムやらを、しかもロキ・ファミリアより前に持ち込んだら一発で怪しまれるだろ?」

 

 なるほどそりゃそうだとシャーナが掌を打つ。

 

「それじゃそういう事だから」

「あー、じゃあ私もイサミちゃんとお買い物行きたーい」

 

 だめ? と顔を覗き込んでくるレーテーにイサミが戸惑う。

 普段はイサミが買い物、シャーナとレーテーが換金担当だったのだが、ついていきたくてうずうずしていたらしい。

 

「いや、いいけど・・・別についてきても面白くないぞ?」

「いーの。イサミちゃんと一緒なのがいーの」

 

 言いつつ、イサミの腕を取る。(抱きつくと"変装帽子"の効果で誤魔化しきれなくなるからだ)

 

「・・・ま、いいけどな」

 

 かくして、イサミはにこにこ笑うフルプレートの巨女と、大剣を担いだロリエルフ(ついでについてきた)を引き連れて魚屋や八百屋を廻ることになったのだった。

 普段着に見えなくもないイサミはともかく、フル装備の二人が目立ちまくったのは言うまでもない。

 

 

 

「ふうん? 何だか随分いい顔してるじゃないか、イサミ君」

 

 バイトから帰って来たヘスティアが、開口一番感心したように言った。

 少し照れくさそうにイサミが返す。

 

「そうですか?」

「ああ。これは期待できそうかな?」

 

 いつもより遅めに帰って来たベルとリリが2mの丸岩(魔石入り)を見て驚いたりと言った一幕を経て、食後のステイタス更新。

 

「・・・何ですか、この"(プラス)"って」

「そんなのボクが知りたいよ。なんでこう、君たち兄弟は訳のわからないステータスを発現させるんだい?」

「そう言われましてもですね・・・」

 

 

 

 イサミ・クラネル

 Lv.1+

 力:I68→H112 耐久:F375→E462 器用:H192→G232 敏捷:G277→F322 魔力D:544→B:798

 

《魔法》

 

《スキル》

 

 

 

「レベル1プラスもそうだけど、何だよこの魔力の異常な伸びは?!

 ベルくんじゃあるまいし・・・いやベルくんでも流石に一度に200も上がったりは――そうそう――しないぞ?」

 

 顔を引きつらせながら問い詰める紐神。

 うーむ、と沈思黙考するイサミ。

 

「そうですねえ・・・強いて言えば、身を捨てて浮かんだって事でしょうか」

「わけがわからないよ」

 

 でしょうね、とすまし顔で頷くイサミ。

 察するに、常軌を逸したウィッシュの連続使用による負担が規格外の成長に繋がったと言う事だろうか。

 だとしても、もう一度やる気は無いが。

 

 ただ、レベル横の"プラス"については心当たりが無くもなかった。

 何となく、壁を乗り越えた感触がある。

 "プラス"というのがそういう意味であるならば・・・やっておかねばならないことがあった。

 

「うっしゃ、ランクアップだぜぇ!」

「やったー!」

「すごい! これで第一級冒険者ですね!」

「おめでとー!」

「やったな、シャーナ!」

 

 こちらはまっとうにランクアップしたシャーナを祝福しつつ、イサミはそれに備えた「組み立て」のラインを考えていた。

 

 

 

 翌朝。

 

「イィィィィヤッホォォォォォウ!」

 

 ホームにイサミの歓声が響き渡る。

 とは言ってもベルたちは一階部分で朝の特訓中。駄女神は朝の惰眠を貪っており、その声を聞いたのは居間で準備をしていたリリだけだ。

 

「い、イサミ様・・・?」

 

 どこかおっかなびっくりで扉を開いたリリの目に映ったのは、ベッドの上に片足を乗せてガッツポーズを取るイサミの姿。

 

(そんなことをするようなキャラではないと思っていましたが・・・)

 

 うーん、と唸りながら引っ込もうとすると、喜色満面のイサミにがしっ、と両手を掴まれる。

 そのまま引っ張られて、部屋の中央でたらったらった、と歌を歌いながら踊るイサミに巻き込まれた。

 

「イサミ様!? ちょ、一体なんですか?」

「なったんだよ、リリ! 俺は、"超英雄(エピック)レベル"になったんだ!」

「は、はあ・・・?」

 

 それから五分ほど、リリは訳がわからないままイサミのダンスに付き合わされた。

 

 

 

 通常D&Dのキャラクターのレベルの上限は20。

 "超英雄(エピック)"、もしくは"伝説級"とはその限界を超えた、21レベル以上の存在を指す。

 オラリオのLv.7がD&Dの19~21レベルに相当するので、レベルだけなら"頂天"オッタルに並んだことになる。

 

 もちろんオッタルとは圧倒的なステイタスの差があるのだが、D&D冒険者にもオラリオの冒険者にはない利点がある。

 恩恵を受けたレベル2以上の冒険者が下級冒険者に持てない発展アビリティを持てるように、エピックレベルの冒険者はそうでない冒険者の持てない「"伝説級(エピック)"特技」と呼ばれる特殊な《特技》を修得できる。

 

 ほかにもエピックレベルのみの技能、呪文、クラス、マジックアイテム等々が存在し、エピックレベルと非エピック冒険者の能力差は恐らく上級冒険者と下級冒険者のそれを上回るだろう。

 

 そしてこれでようやく、あの赤い老人の言った生き残るための条件をクリアしたことになる。

 もっとも「最低限」とも言ってはいたが。



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13-3 ヴェルフ・クロッゾ

 ベル達が降りて来たところでヘスティアを起こし、上機嫌で朝食を用意する。

 

「そう言えばリリ、渡したあれ、どうだ? 使えてるか?」

「使えてると言いますか・・・あれ、リリには分不相応な武器じゃないんですか?

 リリでも2,3発撃ち込めばオークを倒せるとか、普通じゃありませんよ」

「そりゃまあ、リリの腕がいいんじゃないの?」

 

 すっとぼけるイサミ。

 リリの武器は手首に装着する折りたたみ式の小型石弓、いわゆるハンドクロスボウだ。

 ゴブニュ・ファミリアの鍛冶師が作った精巧なものだが、魔力は込められていない。

 

 イサミはベルのランクアップと中層進出の前祝いと言う事で、リリの武器に魔力を付与したのである。D&D風に言えば、+5・加速(スピード)自動装填(クイックローディング)火炎(フレイミング)・ハンドクロスボウ。

 

 通常の倍の速度で射撃を行い、撃った矢を異次元弾倉から自動装填し、更に矢に炎を纏わせて威力を上昇させる。

 その上で第一等級武装並みの基本性能を持つのだから、それは上層レベルでは分不相応にも程があろう。

 

 おまけに弓と同レベルで魔力をこれでもかと込めまくった矢も50本、切り札として与えている。

 リリが試しにオークに撃ってみたら炎と雷と冷気と音波と酸とその他よくわからないエネルギーが炸裂して、原形をとどめないゼリーになった。

 

「まぁまじめな話、リリはサポーターとしては優秀だが戦闘力に欠けるからな。多分中層だとあれくらいの武器があって戦力になるレベルだろう。ベルのためと言う事で持っててくんないかな」

「それは・・・わかるのですが」

 

 リリとしてはベルの役に立てるのは嬉しいのだが、ただでさえ恩義が積み重なっているのに余り高価なものを貰っても心苦しいという複雑な心境である。

 弓と矢、合わせて四億ヴァリスばかりすると知ったら卒倒していたかもしれない。

 

 ちなみにベルに与えたのは毒避け、病避け、どこでも呼吸できる適応の首飾りの機能を一つに合わせた護符で、本人には今ひとつ不評であった。

 

「僕も強い弓とか欲しかったなあ・・・あいたっ!」

 

 ぺしっ、とベルの額にしっぺを喰らわす。

 

「中層進出するのがやっとって、初心者に毛の生えたようなのがぜーたく言ってんな。

 大体毒も効かない、病気も効かない、ガスも胞子も弾くし水や泥の中に落ちても生き埋めになっても息ができるってすげえ便利だろうが」

「そうだけど・・・」

 

 ヘファイストスではないが「強い武器(チート)が人を腐らせる」というのを身をもって知っているイサミとしては、身の丈以上に強力な武器は与えたくないのである。

 

「大体、お前には新しい武器があるじゃないか。【牛角短剣(ろっくばいそん)】だっけ?」

「【牛若丸】だよ!?」

 

 顔色を変えたベルが必死で反論する。

 今ベルの腰に下がっているそれはベルの新たな仲間、鍛冶師ヴェルフ・クロッゾがベルの倒したハーフドラゴン・ミノタウロスの肥大化した角を原材料として打った両刃短剣(バゼラード)だ。

 

 オリジナルよりも肥大化したその角は、刃渡り30cmの短剣を作るのに十分な量があった。上層ではあり得ないほど上質のアダマンタイトを含んだそれは、確かにLv.2になったばかりの冒険者の武器としては十分以上の業物だ。

 なお製作者に【牛角(ろっくばいそん)】と命名されそうになって、使い手が必死で軌道修正した名前が【牛若丸】である。

 

「まぁ名前はともかく、結構いい剣だろ。お前のレベルで文句を言ったらバチが当たる」

「そりゃわかってるけどさあ・・・」

 

 何やらモヤモヤした表情のベル。

 と、そこでヘスティアがにやにやしながら口を挟んだ。

 

「まあしょうがないさ、イサミ君! ベルくんも年頃の男の子だからね!

 地味な防御用の魔道具よりは強力で派手な武器が欲しくなるものさ。かわいいじゃないか、なあ?」

「うぐっ?!」

 

 図星を言い当てられ、絶句する。

 

「ふーん、そうなんだぁ? かわいいね、ベルちゃん」

「うわぁぁぁぁぁん!」

 

 周囲の生暖かい視線とにこにこ笑うレーテーの言葉に耐えきれず、ベルは自分の部屋に遁走した。

 

 

 

 何事も無かったかのように食事を続けるイサミが、再びリリに話を振る。

 

「話は変わるが、ヴェルフはどんなもんだ?」

「あ、はい・・・そうですね、少なくとも足手まといにはなってません。

 もちろんベル様に比べれば大幅に見劣りしますが、ベル様の負担を減らして効率的に探索を進められるという点では有益ですね」

「ふむ」

 

 相づちを打つイサミは、ヴェルフに会った三日前の事を思い出していた。

 

 

 

 その男に会ったのはベル達と連れだってダンジョンへ向かったとき、バベル前の中央広場でだった。

 くたびれた黒の着流しに青いスカーフ。

 そこそこの長身に赤いぼさぼさ頭、若いが男臭い顔立ち。年を取ったら渋みのあるいい男になるだろう。

 

(色を反転させたら「Y心棒」のN代達也だな)

 

 白い着流しにリボルバーを下げた色男を思い出しつつ、イサミは手を差し出した。

 

「あんたがヴェルフ・クロッゾか。俺はイサミ・クラネル。今日は弟をよろしくな」

「イサミ・クラネル・・・あんたがか。いい刀鍛冶だって、椿がべた褒めしてたぜ。怪物祭でも活躍したんだって?」

 

 手を握り返したヴェルフの言葉に「おや」という顔になるイサミ。

 褒めていたと言う事は打刀の件だろうが、余計な事まで漏らしてないだろうなと顔をしかめる。

 

「椿さんか・・・しかしフィルヴィスといいゲドと言い、意外に売れてんだな俺の名前」

「スットコドッコイの神々だろうさ。あいつら面白いものには食いつきが半端ねえからな。空飛ぶ馬で駆け回って怪物退治とか、いいネタだろうよ。あんた、結構有名人なんだぜ?」

 

 笑いながら胸板をこづいてくるヴェルフに、イサミが肩をすくめる。

 

「今はベルに抜かれたろ。さすがに一月半でランクアップするとは思わなかった」

「い、いや、兄さんにはまだ全然かなわないし・・・!」

 

 あたふたとベルが否定するが、その肩を笑いながらヴェルフがどやしつける。

 

「謙遜するこたぁねえさ。直接契約のこともそうだが、今回11階層に連れてって貰うのもそうだ。

 レベル1の木っ端鍛冶師に過ぎない俺の方がよろしくされる立場ってことさ」

「あはは・・・」

 

 照れるベルとその新品の鎧を見て、リリがわざとらしくため息をついた。

 

「新しいお仲間が増えたと聞けば、何ですか、ベル様は物につられて買収されただけじゃないですか」

「へ? い、いやその・・・」

「はぁー、リリは悲しいです。とてもとても悲しいです。

 お買い物に行かれただけなのにリリの不安(きたい)を裏切らず、厄介ごとをお持ち帰りになるなんて・・・リリは涙が止まりません」

「あの、そのね」

 

 たじたじと後退するベルに、まあまあとイサミが間に入る。

 

「そうは言うがリリ、これはいいものだぞ。

 その【牛角】といい、上級鍛冶師でこそないがヴェルフにはセンスがある」

「そ、そうだよリリ。ヴェルフさんの鎧は軽くて頑丈でさ・・・だから【牛若丸】だよ!」

「確かにな。ベルのレベルにしちゃ出来もなかなかだが、何よりこいつの戦い方にぴったりの防具だ」

「・・・」

 

 むう、と三人がかりの援護にリリが頬をふくらませる一方、先輩鍛冶師(と、思っている)や上級冒険者からの意外な高評価にヴェルフが嬉しそうな顔になった。

 

「そうなんだよ、自分で言うのも何だが、俺はそれなりにいいものを作ってると思ってる。

 けどこの兎鎧(ピョンキチ)Mk-IIIにしろ、こいつが最初に買ってくれたMk-IIにしろ、在庫処分扱いにされたり、そもそも店に出して貰えなかったり、買っても返品されたり・・・何が悪いのかねえ」

 

 本当にわからない、心底わからないと言った風情でヴェルフが頭をひねる。

 

「名前が悪いんじゃないかねえ」とイサミ。

「ネーミングだと思います」すまし顔でリリ。

「センスがねえよ」ばっさりとシャーナ。

「否定はできないかな・・・」擁護したいけどできないベル。

「フルボッコかよお前ら!」

 

 一転、ヴェルフが涙目になって叫ぶ。

 その頭をいい子いい子、とレーテーがなぜた。

 

「えっとねえ、レーテーは可愛いと思うよ?」

「かっこいいじゃなくてかわいいかよ・・・」

「かっこいいと思ってつけてたんかいお前」

 

 レーテーとイサミの二人がかりでとどめを刺され、ヴェルフはぐったりとうなだれた。




牛角さんステッキーアルヨ、たとえ活躍の場が無くても! 活躍の場が無くても!
なお主人公兄弟が虎と兎になったのは割と偶然です――偶然なんだってば。


作中ではダンまちの第一等級武装=D&Dの+5武器というイメージでバランスをとっています。
リリの武器が+5・加速(スピード)自動装填(クイックローディング)火炎(フレイミング)・ハンドクロスボウなのは作中で述べましたが、スペシャルな矢の方は+1冷気(フロスト)電撃(ショッキング)(コロッシヴ)音叫(スクリーミング)念力(サイコキネティック)衝撃(コリジョン)力場化(フォース)・クロスボウボルト。
ダメージ追加系・貫通系の効果をこれでもかとばかり乗せた矢玉ですね。

なおルール上弓と矢の+はどちらか大きい方のみ適用なので、弓のほうの強化を最大限にして、消耗品である矢に特殊能力を山盛り乗せるのが一般的です。
いやほんと、弓使いやってると対デーモン用とか対アンデッド用とか対ドラゴン用とか、魔法の矢の価格がシャレにならないんだ・・・その分相手によって手軽に撃ち分け出来たりして強いけどさあw

一方ベルくんの護符はDMG287ページの「新しい能力の追加」を使用して作成しています。
毒避けの護符が基本で27000、適応の護符が9000*1.5で13500、病避けの護符が7400*1.5で11100の、合計51600gp、換算すると5160万ヴァリス。
価格にしてリリに渡した弓矢の1/8。やー、ベルくんがすねるわけだ(ぉ


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13-4 力が金ではない! 金が力だ!

「しかしそうか、おまえさんがヴェルフ・クロッゾか。ヘファイストス・ファミリアにいるとは聞いてたが・・・」

 

 イサミがその名前を口に出すと、ヴェルフの眉が盛大にしかめられた。

 

「悪いが家の話は無しにしてくれ。俺は魔剣は打たないんだ」

 

 かなり本気で嫌がってるのが見て取れて、イサミは口をつぐむ。

 

「そうか、そりゃ残念だな。出来れば魔剣を打ってるところをいっぺん見せて欲しかったんだが」

「打ってるところが見たい・・・か。そんな事を言ったのはあんたが初めてだよ」

 

 寂しそうに笑うヴェルフ。

 

「俺の所に来る奴はみんな"クロッゾの魔剣"目当てでな・・・まあ、辟易もするぜ」

「クロッゾの魔剣?」

 

 首をかしげるベルに、ちらりとヴェルフの顔を見てからイサミは説明し始める。

 

「昔、ある男が精霊を助けた。そのせいで瀕死になった男に、精霊は自らの一部を与えて命を救ったんだ。

 男の子孫が神の『恩恵』を受けたとき、精霊の血が発現してな。

 その一族は残らず魔剣を打てるようになったんだ。それも『海を焼き尽くす』と言われるほどの、空前絶後に強力な奴をな」

「へぇ・・・」

 

 ぴくりと片方の眉を上げるヴェルフ。

 イサミは淡々と説明を続ける。

 

「クロッゾの一族は"王国(ラキア)"――戦神アレスが君臨する、侵略国家だな――に仕え、強力な魔剣を大量生産した。

 王国(ラキア)はそりゃもう連戦連勝だったが、あるときエルフと精霊の住む森を丸ごと焼き払っちまってな。

 精霊に呪われたと言われてるが、とにかくクロッゾの打った魔剣は残らず壊れ、彼らは魔剣を打てなくなった――はずなんだが」

「ああ、打てるんだな。何故か」

 

 再び自分に向けられた視線に、無造作にヴェルフが頷く。

 シャーナが目を見張った。

 

「マジか!? そりゃまあ、殺到するわなあ・・・」

「エルフにしちゃ珍しい反応だな。エルフは俺がクロッゾだと知ると、大体目の色を変えて非難してくるんだが」

「あー・・・俺は人間に育てられてね。そのへんはあまり実感がわかねえんだ」

「そうなのか。珍しいな」

 

 ふーん、と感心するヴェルフ。

 

「しかしあんた詳しいな。王国出身って訳でもなさそうだが」

「ああ、ギルドの図書館の本に載ってた。あそこの本は大体読んだからな」

「あれを全部か!? すげえな、おい!」

 

 目を剥くヴェルフ。

 曖昧に笑って誤魔化したが、イサミがそこまで読書に時間を割いているわけではない。

 "学者の接触(スカラーズ・タッチ)"と言う呪文の力だ。

 

 もっとも初歩の呪文であるにもかかわらず、分厚い本でも一冊数秒で内容全てを読むことができる。連続使用できるなら、数万冊の本があっても数日から一週間で全て読破出来る超チート呪文であった。

 実際イサミはエイナの授業のついでにこの呪文を使い、10日ほどでギルドの図書館の本をほぼ全て読破している。

 

「でもぉ、ヴェルフちゃんはどうして魔剣が嫌いなのぉ?

 打てるなら打っちゃえばいいじゃない? あれって凄く便利なんだけどなぁ」

 

 子供のように首をかしげ、レーテーが問うた。

 他の誰かが言ったなら反発したかもしれないが、レーテーは純粋に疑問に思っているだけで初対面のヴェルフでも誤解する余地がない。

 

 ため息をつき、頭をボリボリとかいてヴェルフはレーテーの疑問に答えてやった。

 なおレーテーとヴェルフは丁度倍の年齢差がある――もちろんヴェルフが年上ではない。

 

「いいか? 魔剣ってのは自分の力じゃない。確かに便利だがそいつの力じゃない。

 そう言う分不相応な力は使い手を腐らせる。特にクロッゾの魔剣はそうだ。

 そいつは鍛冶師のほうも同じだ。クロッゾ一族の魔剣を打つ力は、俺たちの力じゃない。精霊の血だ。

 俺たち鍛冶師が磨いてきた技で生み出したもんじゃねえ・・・だからクロッゾの一族は腐ったし、俺は魔剣が嫌いだし打たないんだ。わかるか?」

「・・・よくわかんない」

 

 かわいらしいしかめつらのレーテーに、うぬぬ、と唸るヴェルフ。

 本来なら怒るところだろうが、何となく面倒を見てやりたくなる何かが彼女にはある。

 笑いながらイサミがフォローを入れてやった。

 

「まあこだわりだよ。職人の矜持って奴だ。・・・ただ、一つだけ言わせてくれ」

「・・・なんだ?」

 

 警戒するようなヴェルフの両肩を掴み、その顔を覗き込む。

 先ほどまでとはまるで違う真剣な表情。

 ヴェルフは思わず唾を飲み込み――

 

「よく聞けヴェルフ・・・金は力だ」

「・・・は?」

 

 ぽかんと口を開けた。

 ずずい、と更にイサミが迫る。

 

「いいか、冒険者が稼いだ金で第一等級武装を買ったとする。それは分不相応な力か? 使い手を腐らせるか?」

「い、いや・・・自分で稼いだ金で買ったなら・・・いいんじゃねえか?」

 

 我が意を得たりと頷くイサミ。

 

「そう、稼いだ金はそいつの力なんだ。だから魔剣も相応の価格で購入したなら、それは分不相応じゃない。

 クロッゾの魔剣はそりゃ強力だろうが、なら相応に高い価格を付ければいい。

 仮に10億ヴァリスの値を付けたとして、10億ヴァリスを稼いだ苦労が魔剣の強力さと釣り合わないと言う事があるか! どうだ!」

「いやまぁ・・・そう言う話なら・・・」

 

 いつの間にかイサミの目は見開かれ、ぎらぎらと光っている。

 

「需要と供給の関係もあるが本質的な問題はアイテムに適切な価格をつけることでそれは売り手次第で解決できるしかし普及すればその適切な価格も当然下がる安くて便利な物は誰もが使うポーションを見ろ昔はレアな治癒魔法だけが頼りだっただがポーションが出来て魔法に頼らなくてもみんな回復できるようになり深く潜れるようになっただがポーションを使っているから分不相応とは誰も言わない初期は最低ランクのポーションが今のエリクサー並みの価格で取引されていたというのにだ貧乏人は麦を食えと言った奴がいる米はみんなが欲しがるから高くて麦は人気が無くて安いからだだがこれも一面の真理だ高い物は高い安い物は安い市場原理に任せておくばかりでは買い占めや恐慌によって崩壊することもあるが神の見えざる手こそ経済の基本なのであり――」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「えいっ」

 

 めりっ、と鈍い音がした。

 

「ぐおおおおおおおおっ!?」

「めーでしょ、イサミちゃん。ヴェルちゃんが困ってるのよ」

 

 大戦斧で殴られたイサミが頭を抑えて転げ回り、ヴェルフが呆然とする。

 レーテーが胸を反らしてイサミを叱るという非常に珍しい光景に、残りの面子もようやく再起動した。

 

「あーうん、悪い。ちょっと興が乗りすぎた・・・いててて」

「わかればいいの!」

 

 よろしい、とばかりにレーテーが頷く。

 

(見えなかった・・・!)

(あれをやられたら、リリやベル様は頭が胴体にめり込みますね・・・)

 

 おののくベルやリリをよそに、イサミが頭を振って立ち上がる。

 後頭部をなでさすりつつ、再びヴェルフに視線を向けた。

 

「まあとにかくだ、金もリソースであり、武具やポーションや魔道具もリソースである以上、金をつぎ込んで武装を整えるのは冒険者として正しい道なわけだ。

 装備だって冒険者の強さの一部なんだしな」

「まあそりゃ・・・けどなあ」

「お前の信条にはそりゃ口は出さないよ。鍛冶師としての腕を見て貰えなくて悔しいのはわかるし、でかすぎる才能が時としてそいつを腐らせちまうのもわからんでもない」

 

 ランクアップできない今の俺みたいにな、とこれは口には出さずに思う。

 

「才能ねえ」

「才能だろ。血統で遺伝する才なんていくらでもあるし、そこまで否定してたら切りがない――後は個人個人のこだわりと割り切りだな」

 

 腕を組んでしかめっ面になるヴェルフに、肩をすくめて見せる。

 実際ヴェルフの言う事にも一理あるとは思っている。

 安易に便利な道具に頼るのはやはり堕落を招くし、精霊の血は「才能」の一言で片付けるには余りにも強力すぎるからだ。

 

 とは言え金が力なD&D出身なだけに、一言言わずには済まなかった。

 何か変なスイッチが入って暴走したのは、まあご愛敬である。




この話のタイトルはタイガーマスク二世のパロですが、
そうか、虎頭繋がりでこうなることは必然であったか・・・(ぉ


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13-5 超英雄特技(エピックフィート)

 時は戻ってヘスティア・ファミリアの朝食。

 

「とはいえヴェルフと契約できたのは、ベルにとっちゃ案外めっけもんかもな。

 あいつ、きっと鍛冶師として大成するぞ」

「随分とヴェルフ様のことを買ってらっしゃるのですね。

 鍛冶師としてはイサミ様の方が上でいらっしゃるのでしょう?

 ベル様の武具も、イサミ様が作って差し上げればいいではないですか」

 

 余りヴェルフのことが好きではないのか、はたまた焼き餅でも焼いているのか、不機嫌そうにリリが指摘する。

 が、イサミは自分の事をそれほど信用してはいない。

 

「まあそうだけどな。俺がやるとあいつを甘やかすか、逆に必要以上に厳しくしすぎるかしそうでなあ。

 その点ヴェルフなら品質的にも代価的にも適切なものを渡してくれるだろ」

「確かにな。お前はその辺加減がうまい方じゃねえわ」

「ほっとけ」

「いいんだよぉ。イサミちゃんはベルちゃんが大好きなんだから」

 

 わははと笑うシャーナと肩をすくめるイサミ。

 レーテーがにこにこしながら二人を見つめている。

 

「そういやぁ、今日はどうする? ランクアップしたばかりだし、潜るにしても中層辺りにしておきたいんだが」

「今日は俺もやることがあるので、休みにしましょうか。潜るなら"グワーロンのベルト"の予備を貸しますけど」

「そういう事なら、レーテーと組み手させてもらおうかね。

 ランクアップした後は調整しておかないと怖くて潜れねえ・・・いいか?」

「いーよぉ」

 

 そういう事になった。

 

 

 

 自室で布団にくるまっていたベルを蹴り出し、ヘスティアたちと共に送り出すと、イサミは自室に籠もった。

 一階部分で組み手をしているシャーナとレーテーが起こす震動が時折響く他は静かな室内。

 イサミは机に向かい、昨夜からの作業を再開した。

 

 作っているものは"願い(ウィッシュ)"の呪文を込めた魔法の杖(スタッフ)。

 ただしコストダウンのため使えるのは一発こっきりである(通常は50回使用可能)。

 

 何のためにそんなものを作るのかと言えば、新たに選択したエピック特技《マスター・スタッフ》のためである。

 伝説の域に達した冒険者にのみ許されるこの特技は、スタッフに込められた魔力(チャージ)を消費する代わりに、それに見合ったレベルの自分の呪文を消費することでその魔力を呼び起こすことを可能とする。

 スタッフを起動するためのエネルギーに自分の呪文を使うと言い換えてもいい。

 

(まあ平たく言えば、経験点を消費せずに"願い(ウィッシュ)"が使えるという事なんだが)

 

 「準備した呪文を消費する」としか書かれてない以上、ウィッシュを込めたスタッフにこの特技を使えば通常の呪文消費だけでウィッシュを使えるのである。

 ルールの穴というか反則だとは思いつつ、それを見過ごすイサミではなかった。

 

(まあウィッシュを乱発したぶんの元は取れたかな)

 

 イサミ自身の呪文に制限がある以上無制限に乱発できるわけでもないが、それでもウィッシュの使用回数が増えると言うことは計り知れない利益をもたらすはずであった。

 

 

 

 ためしにウィッシュを発動してみたイサミは自分自身の「再構築」を試してみた。

 再構築とはたとえば魔術師を戦士に変えるような、人間の存在そのものを改変する事だ。

 本来は神の試練などを乗り越えて行う業だが、この世界ではウィッシュならば可能なようである。

 

 とはいえ、結局存在変換は行われなかった。

 クレリックをかじろうかと思ったのだが、次元の壁が強固なこの世界で世界の外に存在する神の力を得るのは難しいようであったからだ。

 戦闘力を追及するならもっと別の組み方もあったが、バランスを考えると現状の構成が最上と判断したのである。

 もっとも属性の問題で彼は自らの守護神格たるミストラのクレリックにはなれなかったりするのだが。

 

 なお現在のイサミはウィザード5/ファクトタム1/バード1/アーティフィサー(魔法技師)1/インカンタトリックス11/アークメイジ2。

 ウィザードは魔術師、ファクトタムは瞬間的にさまざまな能力をブーストできる万能職、アーティフィサーは魔道具の専門家、インカンタトリックスとアークメイジは魔法を高度にアレンジできる魔術師の上級職である。

 

 アーティフィサーを入れたのはレベルアップの「端数切り捨て」で失われる膨大な経験点(まだ結構残っていた)を保持するため。

 アーティフィサーは魔法のアイテムの製作・使用を得意とするクラスで「作成用予備点」という疑似経験点のプールを持っており、マジックアイテムを作るときのみ通常の経験点の代わりに消費できる。

 

 イサミは切り捨てで失われてしまう経験値をこの作成用予備点としてプールすることを思いつき、そして成功したのだ――経験点の移動に成功したとき、思わずガッツポーズを取ったのはここだけの話である。

 エピックレベルのマジックアイテムを作るには膨大な経験点が必要になるので、可能な限り確保しておきたいと思うのはしょうがあるまい。

 

(ウォーブレードとか危険物だし、ソウルナイフ? 何それ正気? だしなあ)

 

 脳裏によぎったトンデモ職業(イロモノ)の誘惑を振り切りつつ、イサミは部屋を出た。

 そのまま台所に入り、卵ハム野菜でサンドイッチを、牛乳タマネギでスープを作る。

 サンドイッチの皿に覆いをかぶせると、マントを羽織って上に上がった。

 

「おら、ら、ら、ら、らっ!」

「ふんっ!」

 

 丸太を丸太で叩くような音が連続して廃教会の中に響く。

 アマゾネスの巨女(幻影を解除している)と、華奢なエルフの少女が組み手をしていた。

 

 殴り合いあり、蹴りあり、投げ関節ありのバーリ・トゥードだ。

 ロキ・ファミリアのベート・ローガやアマゾネス姉妹に比べるとスピードはやや落ちるが、それでも見応えは十分だった。

 感心して見ていると、レーテーの方が先に気づいた。

 

「うーん? イサミちゃん、どうしたの?」

「ちょっと出かけてくる。昼飯は作っておいたから、スープを温めて食べてくれ。晩飯までには戻るよ」

「ん、わかった」

「二人ともがんばってなー」

「いってらっしゃーい」

 

 ぶんぶんと手を振るレーテーに手を振り返すと、イサミは廃教会を出て表通りに向かって歩き出した。

 

 

 

 オラリオに八本あるメインストリートのうち、ギルド本部が存在する北西のメインストリート、通称冒険者通り。

 ここはギルド以外にもヘファイストス・ファミリアの支店や薬剤医療の最大手ディアンケヒト・ファミリアなど、冒険者向けの様々な店・施設が集まっている。

 

 そのメインストリートから南に路地を入った第七区画。

 冒険者向けの店や酒場が点在するその地区に、ヘルメス・ファミリアのホームがあった。

 

 堅苦しいのが嫌いな主神の性格を反映してか門番などはいないが、イサミが近づいていくと軒先でカードゲームをやっていたエルフと獣人の二人組がこちらに視線を向けてくる。

 その視線がいぶかしげなものに変わり、はっと何かに気づく。

 

「あの、ひょっとしてヘスティア・ファミリアのイサミ・クラネルさんで?」

「ええ。アスフィさんかルルネはいますか?」

「二人ともいますよ。どうぞこちらへ」

 

 目立つ外見も時には得だなと思いつつ、イサミは中に案内された。

 中に入るとぽつぽつ見知った顔もいて、片手を上げて挨拶する。

 アスフィの部屋に向かって歩いていくと、丁度ルルネが部屋から出てくるところだった。

 

「あれー、イサミじゃん。どうしたのさ?」

「ちょっと野暮用でな・・・今回は『げっ』って顔しないんだな」

「わ、悪かったって! 何回も助けて貰って感謝してますよイサミ様!」

 

 ばつが悪そうな顔になるルルネをけらけらと笑いつつ、ルルネ達と一緒に執務室に入る。

 

「おや、どうしましたルルネ、まだ何か・・・い、イサミ君?!」

 

 不意を突かれたのか、事務仕事をしていたアスフィがわたわたと意味不明に両手を動かす。

 

「"上級瞬速(グレーター・セレリティ)"」

 

 振り回した手が当たって落ちた花瓶を、とっさの魔法で加速したイサミがぎりぎりのところでキャッチした。

 

「どうしたんですか、アスフィさんらしくもない」

「え・・・は、はい、そうですね。すいません」

 

 イサミが花瓶を(アスフィの手の届かないところに)置くと、水色の髪の麗人は恥じ入るようにうつむく。

 案内してきた男とルルネの目がちょっと生暖かい。

 

 

 

「・・・あー、アスフィ。お客さんを連れてきたぜ・・・それじゃ俺はこれで」

「ありがとう。助かったよ」

 

 男が一礼して出て行く。

 空気を変えようと、アスフィがこほんと咳払いをした。

 

「それでイサミ君、今日はどんなご用件で?」

「アスフィさんをデートに誘いに」

「ブフォッ!?」

 

 落ち着き掛けたところに強烈なカウンターパンチを喰らい、アスフィは盛大に吹き出した。

 軽口のつもりで言ったイサミの方が逆にうろたえる。

 脇で見ていたルルネの視線が極めつけに白けたものになっていた。

 

「え? え? 何です、その反応?! ・・・まさかとは思いますが、ひょっとして・・」

 

 みなまで言わせず、アスフィの繊手が神速でイサミの胸元に伸びる。

 

「さっさと用件を言いなさい、イサミ君! さもなくば爆炸薬(バースト・オイル)をその口に叩き込みますよ!」

「アッハイ」

 

 ブチ切れ寸前のアスフィの顔が赤い。

 レベル4の筋力で胸ぐらを掴み上げられ、かくかくとイサミは頷いた。




22/09/05追記
感想のご指摘で《マスタースタッフ》の前提条件をミスしていた(エラッタが出ていたのに気付いていなかった)のが発覚しましたが、
かなり後(14-6話)でのご指摘でしたのでTRPGっぽく「プレイのテンポが悪くなるので巻き戻しはなし、以降は《マスタースタッフ》使用不可」という措置にしたいと思いますw


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13-6 情報収集

「情報の共有ですか」

 

 紅茶を一口、口にしてアスフィが言った。

 既に冷静沈着な常の彼女が戻っている。

 

「ええ。59階層ではひどい目に会いましたしね。シャレにならないことも色々あった。そちらもそちらで、闇派閥(イヴィルス)怪人(クリーチャー)達の情報を掴んでるんでしょう?」

「・・・」

 

 アスフィが無言のまま、眼鏡のつるを直した。

 先ほどまでの動揺は跡形もなく、冷徹に思考を走らせる。

 

「わざわざ来て頂いて申し訳ないのですが、共有と言えるほどの情報はこちらも掴んでいません。あれ以来、あの異形(デヴィル)たちも、あのグラシアという女も、一緒にいた戦士もぱったりと足取りが途絶えていまして・・・」

「ふむ・・・」

 

 強化された対人能力で、嘘は言っていないが隠していることがあるなと見当をつける。

 しかし個人的感情を抜きにしても、情報と都市の裏に通じたこのファミリアとのよしみは結んでおきたい。

 そのことについては目をつぶることにした。

 

「では今回は貸し一つと言う事で。まあルルネがアイズに怪しげな代物を渡してましたし、ひょっとしたら見てたのかもしれませんが・・・けどルルネ、ありゃアスフィさんの魔道具じゃないな?」

「うっ・・・良く気づいたなっつーか、見ただけでわかるのかよ」

「プロなめんな」

 

 にやりと笑うイサミ。

 常時魔力視覚を発動しているイサミである。いつもと違う魔力の波動を感知したら疑ってかかるのが当然だ。

 

 そしてD&D世界のアイテムとアスフィが神秘アビリティで作る魔道具は、基本理論が一緒とは言っても明らかに別物になる。

 余人ならいざ知らず、魔道具作りの専門家であるイサミがアスフィの作品とフェルズの作品を見間違えることはない。

 

「私もルルネからの報告を受けて現物を少しだけ調べましたが、恐らくは監視のための魔道具でしょうね。

 残念ながら構造を解析することまでは出来ませんでしたが」

 

 何分ロキ・ファミリアの出立前夜に渡されたので、報告を受けてからじっくり調べる時間はなかったのだと言う。

 

「なるほど・・・しかし、ちゃんとアスフィさんに報告したんだな。報酬だけ貰って勝手に動くかと思ったが」

「そりゃ学習もするさ。この前はそれで危うくみんな死ぬところだったし・・・」

「というか、イサミ君がいなかったら確実に死んでましたね、私たちは」

「うぐ・・・」

 

 冷徹なアスフィの指摘にルルネがへこむ。

 肩をすくめてイサミは昨日の戦いのことを話し始めた。

 

 

 

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 話し終えたとき、アスフィの顔からは血の気が引いていた。

 ルルネに至っては引きつり笑いのまま顔が固まってしまっている。

 

「な、なあ。それ、誇張してるんだよな? イサミも男の子だしさ、好きな女の前でええかっこした・・・」

 

 無言のまま、アスフィがルルネの頭をグーで殴った。

 

「っ~~~~!」

「実際どうなのです? 今の話に誇張は?」

 

 よほど力を込めて殴ったのか頭を抱えて悶絶するルルネをよそに、アスフィがイサミに先を促す。

 表情は変わらないが非常に怖い。

 

「実際は大した事はなかったと言いたい所ですが、これでもまだ控えめな方ですよ。何でしたらもっと臨場感を盛り上げて迫力を出しますが」

「いえ結構」

 

 頭痛をこらえるように、アスフィがこめかみをもんだ。

 でしょうね、と苦笑してイサミが表情を改める。

 

「それじゃここからはビジネスの話と行きましょうか。

 単刀直入に言いますが、情報を集めて欲しいんです」

「情報ですか。どのような?」

 

 アスフィが眼鏡を押し上げる。

 そうですね・・・と言いつつ、イサミは指折り数え始めた。

 

「直接には怪人達とあのような異形の怪物達の情報。多少胡乱でも目撃情報があれば。

 それ以外では迷宮外での死者行方不明者、特に冒険者のですね。

 連中が暗躍するとすれば犯罪組織なり商会なりに食い込むと思いますし、そう言う手立ても持ってますのでそうした所に妙な動きがあれば・・・連中が潜り込むとしたらダイダロス通りあたりでしょうか?」

 

 そこでルルネが頭をさすりながらようやく復活した。

 

「いや、それはねーな。確かに得体の知れない奴がゴロゴロしてるとこだが、それだけによそ者は結構目立つんだよ。横の繋がりも結構強いしな。

 今イサミが言った通り、商会なりと手を組んで倉庫や、いっそどこかのお屋敷に隠れ潜んでる可能性の方がむしろ高いと思うぜ」

「なるほど・・・」

 

 盗賊を名乗ってるのは伊達じゃないな、とイサミが感心したところでルルネの表情がにへらと崩れる。

 

「それで報酬は? こう言うのって必要経費も結構かかるからさー。それなりに見て貰わないといけないぜ?

 いやー、イサミからぼったくる気は毛頭無いんだけどさー」

「ルルネ!」

 

 呆れ顔のアスフィにたしなめられつつも、ルルネが期待に目を輝かせる。

 イサミは苦笑して懐からずっしりと重い袋を取りだした。

 小ぶりのスイカがすっぽり入りそうな袋がテーブルの上に置かれると、じゃらりと硬貨のふれあう音がする。

 

「ひょお! 白金貨かよ! 1000万ヴァリスってところか?!」

「音だけでわかるのか・・・額もあってるし」

 

 今度は呆れつつ感心するイサミ。

 白金貨は500円玉ほどの大きさで額面一万ヴァリス。

 一枚がD&D世界だと金貨10枚、現代日本では十万円程か。

 

 それが千枚で大体9kg。

 この額の取引となると手形で決済するのが普通なので、ルルネもアスフィもこれだけの白金貨を見たことはほとんどない。

 

「とりあえずそれだけ。必要なら追加するぞ」

「うへへへへ、そうかそうか、物わかりがいい奴は好きだぜ?

 うーん、いい輝きだなあ・・・ぐぶぉはぁっ?!」

 

 よだれを垂らさんばかりに袋の中を覗いていたルルネを、今度はもうちょっと強めにアスフィがはたいた。

 

「まだ反省してないんですかこの駄犬! あなたのそう言う執着がファミリア全体を危機に陥れたんでしょうが!」

「うぐっ・・・ご、ごめんよぉ・・・」

 

(まあ、そうそう変われれば苦労はないよな・・・)

 

 そのどつき漫才をイサミが生暖かい目で見ていた。

 

 

 

 ヘルメス・ファミリアを出たイサミが路地裏に入った。

 出てきた時には身長2mの巨漢ではなく、中肉中背の吟遊詩人風の中年男になっている。

 

 変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)で姿を変えたイサミは、昼間から冒険者がたむろっている酒場を目指して歩いていく。

 《冒険者通り》にもその周辺にも、まっとうなものから怪しいものまでそうした酒場は数多くあった。

 

(どうせ今日一日はオフだ。少しでも情報を集めておかないとな)

 

 ひとりごちながら、イサミはそうした店の一つに入っていった。



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13-7 かわいい女性(ひと)

 日中はずっと酒場をはしごして情報を集め、一度戻って夕食の後、再びイサミは夜の街に出た。

 今度は一般向けの酒場を廻り、酒をおごり、芸を披露して情報を集める。

 そして時刻も真夜中にさしかかった頃、また一つの酒場に入る。

 

(今日はここで終わりにしておくかな・・・)

 

 入って周囲を見渡した瞬間、その足がぴたりと止まった。

 

「足りないわおー! お代わり持って来ならい!」

「は、はい、ただいま!」

 

 テーブルに突っ伏すようにしてお代わりを要求する、冒険者らしきヒューマンの女性。

 栗色の髪を長く伸ばし、戦闘衣に身を固めている。

 が、まやかしを見通すイサミの目にはその本当の姿――水色の短髪に眼鏡を掛けた麗人――が見える。

 

「・・・何やってるんですか、アスフィさん」

 

 幻を纏う魔道具の効果を見透かし、イサミは呆然とつぶやいた。

 

 

 

 イサミが思わずつぶやいた言葉を聞いて、くだを巻いていた女性がびくっと震える。

 

「な、何よあなた・・・人違いじゃないの?」

 

 動揺しながらも取り繕おうとするアスフィの耳元に顔をよせ、作り声を素の物に戻してささやく。

 

「俺ですよ、アスフィさん」

「!?」

 

 アスフィの目が信じられない物を見たように見開かれ――次の瞬間、さーっと音を立てて顔から血の気が引いた。さらに一拍置いて今度は真っ赤になる。

 

「あの、その、これはですね・・・」

「・・・とりあえず部屋を取りましょうか。ここだと何を口走るかわかったものじゃない」

「はい・・・」

 

 うなだれるアスフィに手を貸して立たせ、店員に部屋を開けさせて二階に上がる。

 誰もいなくなったテーブルの上に、キツい蒸留酒の空き瓶がゴロゴロと転がっていた。

 

 

 

 酒場の二階の個室。

 シングルのベッドが一つ、サイドテーブルにテーブルと椅子がワンセット。

 それに、先ほどアスフィが注文した蒸留酒の瓶が三本とグラスがふたつ。

 身の置き所のないといった顔でアスフィが椅子に座っていた。

 

「あの・・・その・・・お見苦しいところを・・・」

「まあその、なんです。中堅ファミリアの団長というのは色々忙しいお仕事でしょうし、ヘルメス様の噂は聞き及んでますから・・・」

 

 全面的同情と共にアスフィを慰める。

 そもそもこっちの世界に来たきっかけが度を超えたサービス残業による過労死だったのだ、まったくもって人ごとではない。

 あの時相談に乗ってくれる人がいたらなあ、と遠い目をするイサミである。

 

「ありがとうございます・・・うう、イサミ君にだけは見られたくなかったのに・・・」

「ん? 何か?」

「何でもありません!」

 

 真っ赤になってアスフィが叫んだ。

 いかにアスフィが有能で沈着冷静といえども、まだ22。

 現代日本で言えば女子大生の年齢である。

 

 日本に比べ全般的に精神年齢が高い世界ではあるが、それでも団員の命を預かる重さや裏仕事の緊張感、日々の雑務に経理に決済。

 ろくでもない主神の気まぐれや、ろくでもない主神の気まぐれや、ろくでもない主神の気まぐれを飲み込める程には老成していなかった。

 というか多分イサミなら放り出して逃げてる。それで一度死んでるし。

 

「まあ、なんです。とりあえず飲みましょうよ。お酌くらいはしますから」

 

 瓶の栓を抜いてグラスにつぐ。

 

「あ、え、でも・・・」

「いつも苦労してるんでしょう? なら、たまには羽目を外しませんとね。

 アスフィさんはまじめすぎるから、適当に気を抜くことが出来ないんでしょう?

 いいんですよ、お酒飲んでくだ巻いても。いつもお世話になってるんだし、愚痴くらい付き合いますよ」

「イサミ君・・・!」

 

 恥じ入って穴に入りたいところを、まさかの優しい言葉に涙ぐむアスフィ。

 本当に相談できる人とかいなかったんだなあと、かつての自らに重ねて再び遠い目になるイサミ。

 

「さ、どうぞ。まずは乾杯しましょうか。そうですね・・・24階層と七番街で生き残ったことに」

「ありがとうございます・・・生き残ったことに、乾杯」

 

 チン、とグラスが鳴った。

 

 

 

「もう本当にひどいんですよ、あのクソボケブラブラ糸切れ凧神は! すぐにどこかに行っちゃって、仕事は全部私に丸投げ!

 いても仕事はしないしファミリアのお金はちょろまかすし、それを真似してファミリアのみんなまで私に厄介事を押しつけるし!」

「大変ですねえ・・・とっと」

 

 二人での酒盛りが始まってから一時間ほどが過ぎていた。

 神様に出会えたのはマジで幸運だったなあ、と思いながらアスフィのグラスに酒をつぐ。

 

 行方不明の――いや、一応いる場所は知っている――祖父から聞いてはいたが、神というのが本気でろくでもない存在だと実感したのはオラリオに来てからだ。

 と言うより、来たその日に思い知らされた。

 

(悪い意味で物見高いというか、暇をもてあましたタチの悪い金持ちというか・・・)

 

 幸い神は神気を出しているので、イサミの知覚能力であれば相当遠くからでもわかる。

 そのことに気づいて以来、ヘスティア以外の神には極力近づかないようにしているイサミであった。

 

「・・・・・」

「ありゃ」

 

 いつの間にかアスフィがテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。

 イサミに気を許したのか、普段ならセーブして飲むところを、手加減無しのハイペースで飲み続けていたのだろう。

 気づけば、ラストオーダーで注文した蒸留酒の樽の中身も随分減っている。

 

 もちろんアスフィもそれなりの耐久力ステイタスは持っているが、【耐異常】アビリティはない。

 限度を考えないハイペースで飲んでいれば、こうもなるだろう。

 なおイサミに元から毒は効かないので、いくら酒を飲んでも酔うことは全くなかったりする。

 

「~~」

 

 短く呪文を唱えると、アスフィの体が浮いた。

 テレキネシス呪文でベッドに寝かせて上掛けをかぶせると、眼鏡を取ってサイドテーブルに置き、少し躊躇してから額にキスをする。

 

「それじゃ、おやすみなさい」

 

 微笑んで身を翻すと・・・マントが引っ張られた。

 

「・・・」

「イサミ・・・くぅん・・・」

 

 アスフィのくちびるから吐息が漏れる。

 その手は、イサミのマントの端をしっかりと掴んでいた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 しばらく固まった後、イサミはベッドの横の床に座り込んだ。

 そのまま、呪文を準備するときのように適当な結跏趺坐を組む。

 

 深呼吸を一つ。

 そのままイサミは休息を取るべく、瞑想に入った。




アスフィさんかわいさ強化週間!


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13-8 赤いローブの老人

あれこれの設定は基本的にこの作品独自のものです。


 イサミは夢を見ていた。

 本来睡眠を必要とせず夢も見ないはずの"ミストラに選ばれし者"が見る夢。

 

 どこか懐かしさを感じる、上も下も右も左もない空間。

 そこに、あの赤いローブの老人がいた。

 イサミの記憶と寸分違わぬ姿でパイプをくゆらせている。

 

「や、どうも」

「久しいな・・・とはいえ思ったよりも随分と早かったね」

「おかげさまで、色々死線をくぐりましたので」

 

 肩をすくめる。

 赤いローブの男が微笑んだ。

 

「それではあらためて自己紹介をしておこうか。

 私はシャドウデイルのエルミンスター。老賢者と呼ぶ者もいる」

「やっぱりか・・・」

 

 イサミがため息をついた。

 

 エルミンスター。

 D&Dでもっともメジャーな世界の一つ、フェイルーンにおける最強の善の守護者。

 

 魔法の女神ミストラに力を与えられた不老不死の大魔術師にして戦士、盗賊、司祭。

 英雄の後見人にして千年以上を生きた叡智の持ち主。

 そしてゲームデザイナー公認のチートチート&チート。

 

(つーかぶっちゃけ「ぼくのかんがえたさいきょうのしゅごしゃ」だよなこの人・・・まぁそれはともかく)

 

「時間もないでしょうし、単刀直入にお聞きしますが・・・俺は何のためにこの世界に送られたんですか?」

「一言で言えば、邪神の復活を阻止するためだな。タリズダンという名前に聞き覚えは・・・あるようだね」

「ええまあ」

 

 イサミはもう一度、今度は盛大にため息をついた。

 

 タリズダン。

 エントロピー、無秩序と腐敗、永遠の闇そのものである、彼方の領域より来たりし異貌の神。

 世界を原初の混沌に返さんとして、今ある世界を全て――文字通り一切合切消滅させようとした狂える神だ。

 

 あらゆる次元、あらゆる世界を破壊しようとするタリズダンの軍勢に、それらの世界に住まう善神や天使、それに仕える多くの種族はもちろん、死の神や虐殺の神など邪神と呼ばれる神々や邪悪なデヴィル、果てには混沌に属するデーモンまでがそこに加わり抵抗した。

 恐らく、長いD&Dの歴史でも唯一無二の出来事であったろう。

 

 もちろんいかにタリズダンとその軍勢が強大とはいえ、世界と宇宙の全てを敵に回しては勝ち目はなかった。

 とはいうものの集った神々や魔神、ドラゴン、人間やエルフやオークやゴブリンの勇者達の大半を返り討ちにしたというのだから凄まじい。

 

「死せるタリズダン、夢見るままに待ちいたり・・・ってか?

 この世界の次元の壁が強固なのは、タリズダンを封印するためだったんですか」

「その通り。当然外側から中を覗くことも至難の業でね。こうして世界の合の時を狙わないと話もできない」

「わざわざ俺みたいなのを送り込んだのも、そのために? 境界が強固で肉体を持ったままでは通過できないとか」

「少し違うな」

 

 エルミンスターはそこで言葉を切り、パイプをくゆらせた。

 吹き出した煙が無数の球体になって宙に浮かぶ。

 それらは一見ランダムに動き、近づいたり遠ざかったりする。

 

「知っているだろうが、それぞれの世界は独自の軌道を描いて虚空に浮かぶ玉のような物だ。一定のタイミングで接近し、また離れる。こちらから封印世界に干渉できるのもそのタイミングしかない。

 だからそちらの世界でタリズダンの封印が解けかけていると気付いた時も、我々はすぐには干渉できなかった。

 複数の次元界で連絡を取り合い、神格の力も借りて、次元界が接近するたびにそれぞれの世界から英雄を送り込んだのだが・・・実を言えば、こうして再度コンタクトを取れたのも君で二人目なのだ」

 

 イサミが苦笑して肩をすくめた。

 

「つまり俺は、アプローチを変えてみた結果と言う事ですか」

「その通り。よその世界から既に出来上がった英雄を送り込むより同じ世界から、しかも1から育ててみたらどうか、とね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん? 今なんて?」

 

 目をしばたたかせるイサミ。

 エルミンスターは意外そうに片眉を上げて、ゆっくりと繰り返した。

 

「同じ世界から送り込んだ、と言ったのだよ。君が今いる世界は君がいた次元界の中の、そうだな、夢の領域とでも言うべき場所に作られた封印空間――疑似次元界だ」

 

 疑似次元界。神格やそれに準じる存在が作り出す人工的な次元空間である。

 混乱するイサミが目を白黒させた。

 

「でも俺の元の世界に魔法はありませんし、神様とかもいませんよ!? あ、いや・・・しかし・・・」

 

 疑問を呈しながらも何かに気づいたイサミに、エルミンスターが頷く。

 

「その通り。封印世界にいる神々は()()()()()神々だ。

 名前を聞いたことのある神がいたのではないかね?」

 

 ヘスティア。ヘファイストス。ウラノス、ロキ、フレイヤ、ガネーシャ、ミアハ、ソーマ、タケミカヅチ、ヘルメス・・・

 イサミの頭の中で、パズルのピースがカチリとはまった。

 

「あらゆる世界のあらゆる神々が手を組んでタリズダンを打倒した――打倒しはしたが、滅ぼす事は出来なかったのだ。

 かの神は始原の存在であり、司るのは必然たる滅び。君たちの世界の言葉で言えば"エントロピー"だったか。

 忌まわしきものではあるが、この宇宙に必要不可欠な法則の一部だ。権能ごと滅ぼす事はこの宇宙の歯車を狂わせることになる。

 さりとていずれかの神がその権能を受け継げば、それが第二のタリズダンになる可能性もあった」

「それで封印した・・・」

 

 イサミの言葉に、エルミンスターが厳粛な面持ちで頷く。

 

「むろん、なまなかの封印では容易く破られる恐れがあった。かの神を信奉する者どもも、全滅したわけではなかったからな。

 そこである世界の勇気ある神々が自らと、自らの世界を用いて奴を封印することを申し出た。

 その世界の全ての神が力を結集して作り上げた疑似次元界に奴の本質を自らもろともに封印し、外界との一切の接触を断ったのだ」

「じゃあ俺の元の世界で魔法が使えなかったのも・・・」

「封印を維持するために物質界の(ウィーヴ)、ええと、そちらの言葉では魔素(マナ)だったか?が消費されているからだ。

 それはどのような大魔導士と言えども、魔術の行使は難しいだろうよ」

 

 (ウィーヴ)魔素(マナ)も、魔法を使うために必要な要素である。

 それが薄いと言う事は、外の世界から魔法で干渉することもまた難しいと言う事になる。

 一つの世界の神々と魔法を犠牲にした、完璧な封印であった。

 

「まあ、その結果技術が発達して、あらゆる次元界の中でもトップクラスの文明を築き上げたのは皮肉と言うほかないがね。

 エベロンだったか、あの世界も大したものだが君たちの世界には遠く及ばない」

「色々欠点もありますがね」

 

 互いに苦笑するイサミとエルミンスター。

 

「まあそれはおいておこう。

 タリズダンが封印されたのが遙かな昔。私が生まれるよりもずっとずっと昔だ。

 そしてこちらの世界で200年ほど前に、"伝説に倣う者たち"が封印がほころびかけている事に気づいたのだ」

 

 「伝説に倣う者たち」。その起源はまさしく全次元世界を巻き込んだタリズダンとの戦いにまでさかのぼる。

 高次次元で神々がタリズダンその人との激しい戦いを繰り広げている間、物質界における彼の軍勢とそれに対抗する者達との最終的な、破滅的な戦いが起きた。

 

 善悪秩序混沌のあらゆる属性、モンスターも含めたあらゆる種族の、数千とも数万とも言われる、いずれも一騎当千の勇者達。

 彼らが挑んだのがタリズダンを信奉する者達の最後の砦、元素邪霊寺院。

 

 戦塵が晴れたとき、そこで生き残っていた六人の英雄達が"影より帰りし六者(ザ・シックス・フロム・シャドウ)"。

 「伝説に倣う者達」とは彼らの衣鉢を継ぐ集団なのである。

 

「"伝説に倣う者たち"って、そう言う団体だったんですね。"六者"を崇める英雄育成機関だと思ってましたよ」

「こういう事態になるまでは私も知らなかったがね。英雄候補を育成していたのも、タリズダン復活に備えてのことだったのだろう。

 ともかく、破滅の大戦終結直後から彼らは各次元界に支部を作り、連絡を取り合っていたらしい。

 そして次元の壁のほころびに気づき、私や他の次元界における同様の人物にコンタクトを取ったと言うわけだ」

 

 頷き、重要な事を思い出す。

 

「そう言えば、向こうで明らかに封印世界の外から来た人間と出会ったんですよ。

 オアース世界のロード・ロビラーとアークデヴィル・グラシアの分体(アスペクト)。彼らは、明らかに俺たちと敵対していました。

 モルデンカイネンさんあたりから何か聞いていませんか?」

「なんだと?!」

 

 エルミンスターの目が見開かれた。

 モルデンカイネンとはフェイルーンとは別の世界オアース(グレイホーク)において、世界の守護者を任じる大魔術師だ。

 

 ただし善の勢力であるエルミンスターと異なり、善悪のバランスを重視してそれを保つためにどちらの勢力にも力を貸す危険人物でもある。

 しかしその目的はあくまで世界の存続であり、世界そのものの崩壊を願うタリズダンに手を貸すことだけはないはずであった。

 

「・・・わかった、なるべく早くモルデンカイネンと接触してみよう。

 彼の仕込みだと思いたくはないが・・・」

「俺も違うとは思うし、違っていて欲しいとは思いますが・・・

 奴らが恐るべき敵として俺たちの前に立ちはだかってきたのは確かです。

 何らかの情報があるなら是非欲しい」

 

 真剣な顔でエルミンスターが頷いた。

 ふう、とイサミが何度目かの息をつく。

 

「しかし、これでいろいろ疑問が解けましたよ。

 俺みたいなのより、どうせなら《ハーパー》とか《八者の円》とか《門を護る者達》とか、集団で送り込めばいいんじゃないかとずっと思ってたんです。

 というか、いないんですか、そう言う助っ人」

「んー・・・今すぐ呼べてある程度戦力が期待できる所・・・」

 

 沈思黙考する赤いマントの老人。

 

「シルヴァーフレイム教会?」

「すいません、無理です、ほんと無理」

 

 イサミが速攻全力でドゲザした。

 

 シルヴァーフレイム教会はエベロン(D&DのMMO「ストームリーチ」の舞台世界だ)に存在する宗派だ。

 間違いなく善の勢力なのだがリアル宗教団体の如く内部がかなり腐敗してたり(まぁこれはシルヴァーフレイム教会に限った話でもない)、「獣人は邪悪なので浄化しましょうね♪」とばかりに虐殺かましたりする危険集団でもあるのだ。

 

(この世界に組織ごと呼び入れた日には、何をしでかしてくれることか・・・!

 いや、個人個人としては信頼できる善人が大多数なんだけどねえ・・・)

 

 ゆらり、と世界が揺れた。

 エルミンスターが顔をしかめる。

 

「いかんな、思ったよりも早く世界が離れるようだ。もっと色々伝えねばならないが、時間がない。

 モルデンカイネンのことは確かめておく。それと最後に・・・神々には気をつけろ。必ずしも味方とは限らん」

 

 それはどういう、と言おうとして、世界がぐにゃりとゆがむ。

 目を開けると、そこは酒場の二階の一室だった。



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13-9 晴れた朝

 

 適当な結跏趺坐の姿勢のまま、イサミは目を開いた。

 飾り気のない木作りの天井と壁、それなりに清潔で掃除の行き届いた室内。

 昨夜、アスフィと共に飲み明かした一室である。

 

 窓の板戸の隙間から漏れる光は、時刻が夜明け直後くらいであることを示していた。

 ホームでは今頃、ベル達が朝の特訓を始めているだろう。

 

「ん・・・」

 

 吐息が耳をくすぐる。

 アスフィは体を丸め、イサミのマントの端を固く掴んだまま眠っていた。

 美女の寝顔とは眼福の光景ではあるが、息が酒臭いのがはなはだしいマイナスである。

 

「・・・"万能治療(パナシーア)"」

 

 アスフィの額に伸ばした左手にドラゴンマークの複雑な紋様が浮かび上がり、一瞬光を放つ。

 ほぼあらゆる状態異常を癒す魔力が"万能者"の体に染み渡り、寝息が安らかなものになった。

 

「・・・」

「・・・・んん・・・」

 

 そのまま役得とばかりにアスフィの寝顔を眺めていると、額に触れたことがきっかけになったか、目を開いた。

 ぱちぱち、とまばたきをして目の前のイサミと目を合わせる。

 そう言えば"変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"を使っていたなと思い出し、幻覚を解除して挨拶をする。

 

「どうも、おはようございます。ご気分はいかがですか」

「・・・いさみ・・・くん?」

 

 次の瞬間、早朝の酒場に悲鳴が響いた。

 

 

 

「どどどどどういう事ですかこれは!? 私に何をしたんですか! 見損ないましたよイサミ君! あなたはそんな事をするような子じゃないと思ってたのに・・・!」

「お叱りは後で聞きますが、とりあえず俺のマントを返して貰えませんか」

「・・・え?」

 

 そこで初めて、アスフィは自分がイサミのマントを握って離さないでいるのに気づいたらしい。

 自分の手を信じられないように見下ろした後、しゅんとうなだれてしまった。

 

(かわいいなあ)

 

 ちょっと鼻の下を伸ばすイサミであった。

 

 

 

 扉の外に人の気配を感じ、再び"変装帽子"を起動する。

 イサミが冴えない中年男の姿になるとほぼ同時に、部屋のドアがノックされた。

 

 しかめ面で部屋の中を覗き込む主人に謝罪し、千ヴァリス金貨を二枚ほど握らせる。

 主人は手の中を確認した後ため息をつき、それ以上は何も言わずに引っ込んだ。

 

「・・・・・・」

 

 戻るとアスフィがベッドに腰掛けて、それはもうわかりやすく落ち込んでいた。

 

「すみませんイサミ君・・・何から何まで・・・」

「気にしないで下さい。いつもお世話になってますし」

 

 イサミが言うと、アスフィがほろ苦く笑った。

 

「逆ですよ。私のほうがいつもお世話になっています。

 24階層の時の事ももちろんですし、七番街でもあなたのくれた魔道具がなければ、いえ、あなたがいてくれなければあの二人に全滅させられていたでしょう。

 それなのに、私はあなたにろくに借りを返せていない。昨日だって・・・」

 

 はっと何かに気づいたようにアスフィが口をつぐむ。

 気づかないふりをしてイサミが言葉をつないだ。

 

「それより体調はどうです? 昨日は随分飲んでらしたようなので毒消しの術をかけましたが。なんでしたらホームまでお送りしますよ」

「・・・っ!」

 

 にやにやするイサミに、アスフィの顔が再び紅潮する。

 

「勘弁してください! 派閥の長たる私が、仕事でもないのに朝帰りなんて・・・! ましてやイサミ君と一緒だなんて、示しが付きません!」

「いや・・・送るのはともかく、別にいいじゃありませんか。大人の女性なんだから、一晩飲み明かすくらい」

「それはっ・・・そう、ですが・・・」

 

 うう、とうなだれるアスフィ。

 不意に、この女性がものすごく気の毒になってイサミは目をすがめた。

 

(ずっとまじめに生きてきたんだろうなあ、この人)

 

 噂によればアスフィは元々とある海国の姫であり、それをヘルメスがさらっていったとのことだが・・・それが本当だとすれば、籠の鳥が決意した一世一代の大冒険だったのだろう。

 あれだけ振り回されてなおアスフィがヘルメスに忠誠を尽くす理由も、何となくわかるような気がした。

 

 ふと思い立ち、懐から予備の"送信の石(センディングストーン)"を取り出してアスフィに渡す。

 持ち主が互いにメッセージを送りあえるマジック・アイテムだ。

 

「イサミ君、これは?」

「メッセージを送る魔道具です。何かの連絡なり、お酒のお誘いなりお好きに使ってください。

 ただの愚痴でもいいですよ」

 

 一瞬意表を突かれた顔になったアスフィがクスリと笑った。

 

「あら、私を口説いているつもりですか? 生意気ですよイサミ君」

「何言ってるんです、アスフィさんだって俺と大して違わない年齢でしょうに」

「ふふ・・・」

「ははっ」

 

 早朝の酒場に、今度は和やかな笑い声が響いた。

 

 

 

 結局二人はそのまま酒場で別れた。

 イサミはヘスティア・ファミリアのホームへ。

 アスフィは朝帰りなんて初めてです、と笑いながらヘルメス・ファミリアのホームへ。

 

(・・・少しは役に立てたかな)

 

 そう思いつつ、イサミは"上級不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"と"肉体気化(ガシアス・フォーム)"の呪文を唱えた。

 不可視の気体となったイサミは廃教会の崩れた壁から入り込み、朝の特訓を行う三人を尻目に地下に下りる。

 その後、一時間ほどしてから自分の部屋から何食わぬ顔で出てきた。

 

「おはよう、イサミ君!」

「おはようございます、イサミ様」

「おはようございます、神様、リリ」

 

 珍しく早起きしていたヘスティアとテーブルの上に道具を並べて点検していたリリに挨拶し、ソファに座って呪文書をめくり始める。

 ややあって朝の特訓を終えたベル達が降りて来た。

 

「おはよう、にいさん、リリ」

「おはー」

「おはようございます、ベル様、シャーナ様、レーテー様」

「おはよう。それじゃ朝食の準備するかね・・・レーテー?」

 

 普段なら朝の挨拶をした後、大型犬のようにじゃれついてくるレーテーが、じーっとこちらを睨んでいる。

 

「な、何だ?」

「・・・イサミちゃんから女の人の匂いがする」

「ブーッ?!」

「ええええええええええ!? に、兄さん?」

 

 思わず吹き出すイサミ。ショックを受けるベル。

 レーテーがさらにイサミの匂いをくんくんとかぐ。

 

「お酒の匂いもする・・・」

「そ、それは昨夜は酒場を廻って情報収集を・・・」

「情報収集して、アスフィちゃんの匂いが付くんだ、へー」

「んぐっ?!」

 

 呪文で消臭しておくべきだったと後悔するがもう遅い。

 そしてジト目のレーテーが最後の爆弾を投下した。

 

「そう言えば今朝、部屋からイサミちゃんの匂いがしなかったけど・・・ 昨 晩 ど こ に い た の か な ?」

「「「「?!」」」」

 

 他の四人の視線が一斉にイサミに集まる。

 この時点でイサミは死を覚悟した。

 



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13-10 今日は死ぬにはいい日だ

「ジャーン!」

 

 ノリノリのシャーナが両手を広げて叫ぶ。

 

「告発せよ! 告発せよ! 告発せよ!」

「まさかの時にヘスティア純潔裁判!」

 

 妙に懐かしいノリと共に開幕する臨時眷族(ファミリア)会議。つるしあげとも言う。

 

「それでは被告人、イサミ・クラネル。何か弁明はあるかい?」

 

 ソファの中央にふんぞり返る、裁判官兼検事兼死刑執行人のヘスティアが氷のような瞳でイサミを見つめる。

 なお弁護士はいない。

 

「いやその・・・いつも通り情報収集で酒場に行ったらアスフィさんと出くわしまして。

 アスフィさんが酔いつぶれたもんで、介抱してたんですよ」

「イサミ様、不潔です」

「いかがわしいことはやっとらんわ!」

 

 ジト目のリリに反論するイサミ。

 

「えー? ムキになるのがあっやしーなー?」

「黙ってろよ貧乳クソロリエルフ」

 

 ニヤニヤしながら顔を覗き込む――完全に楽しんでいる――シャーナに全力で呪文を叩き込みたい衝動に耐えながら、イサミは弁明を続ける。

 なおベルは先ほどから顔を真っ赤にしてうつむいたままだ。

 

「それでですね、ベッドに寝かせたらマントを握って離さないものだから、やむなくベッドの横の床で一晩過ごしたわけですよ。

 それ以上のことはじいさんに誓ってやってません」

「ふーむ・・・」

 

 アゴに手をやってイサミをじっと見つめるヘスティア。

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 じー、とずっと睨んでくるレーテー。

 非常に居心地が悪い。

 横からシャーナが口を出した。

 

「で、どうなんです? 神様だったら本当か嘘かわかるでしょう?」

「いやそれがね・・・ボク達は確かに子供達の心が読めるんだけど、イサミ君にはそれが効かないんだよ。

 嘘はついてないと思うんだけどね・・・」

「へえ?」

「ええっ!?」

 

 ベルが目を丸くする。

 

「どういうことなの、兄さん?!」

「どういう事と言われてもなあ・・・あ」

 

 ぽん、と手を叩いて思い出したのはミストラの加護の一つ、常動型、解除不可の"空白の心(マインドブランク)"。

 ミストラの使徒「マジスター」に与えられる、探知と精神干渉の完全な無効化能力だ。

 

「かくかくしかじかと言うわけで、俺には精神系の能力は効かないんですよ。

 まさか神様の読心能力にまで干渉できるとは思いませんでしたが・・・ひょっとして最初の頃避けられてたのはそれが原因ですか?」

「まぁね・・・ボクたちからしてみれば、君みたいに心の読めない子供って言うのはあり得ないんだ。

 どこかの神がボクをからかうためにやってるのかと思ったくらいだよ」

 

 彼ら兄弟がオラリオに来た当初はイサミがファミリアを探し、ベルは適当にオラリオを観光していたのだが、その間にベルとヘスティアが出会い、これも縁と言うことで彼らはこのファミリアを結成したのである。

 それがなければ、恐らく二人はガネーシャあたりに入団していたであろう。

 

(ちょっと情報収集した限りでも、ひどいもんだったからな・・・

 ガネーシャ以外にまともなのはヘファイストスとゴブニュ、デメテルくらいって、どれも冒険者系じゃないし)

 

 「まともな神がいねえ!」と絶叫した当時をまぶたを揉みつつ思い出すイサミ。

 本拠地の建物を自分の座像にしてライトアップするような神がまともかどうかはこの際おいておく。

 

「まあ呪文でも同じ事は出来ますけどね。シャーナ、ちょいと・・・"空白の心(マインドブランク)"」

「お?」

「おおっ!?」

 

 前にそうしたようにシャーナに呪文をかける。

 今度はヘスティアが目を丸くした。

 

「本当だ! シャーナくんの心も読めなくなったよ!」

「そうなんですか? こっちは全然変わった気がしないんですけどね・・・」

 

 自分の体を見下ろして怪訝な表情になるシャーナ。

 

「まあ、表では余りやらないほうがいいね。

 今まではお調子者の神達に運良く見つからなかったみたいだけど、まじまじと見られたら多分一発でばれるよ」

「わかりました、気をつけます」

 

 イサミが頷いた。

 

「だがそれはそれとして、ボクのファミリアで不埒な行為はゆるさーん!

 イサミ君には何か罰を与えないとね!」

「えー・・・・て、いたた、痛い! ほっぺたつねるなレーテー!」

 

 

 

「せやで、奴は心が見えんのや・・・最悪、人間やないっちゅーことも十分あり得る話やな。

 例の怪人の同類ってのも考えとかなあかん」

 

 ある高級酒場の一室。

 ディオニュソスを前にして、ロキが語り終えた。

 

「聞くのは二回目だけど、やはり信じがたいね・・・」

「ほんまやで。少なくともベートとほとんど相打ちにまで持ってく所はうちがこの目で見とった。

 それだけの戦闘力がありながらLv.1で登録しとんのやで。あっからさまに怪しいやろが」

 

 しかめっつらのロキが行儀悪く椅子の上にあぐらをかく。

 一方ディオニュソスは、こちらはあくまでも優雅に眉をひそめた。

 

「確かにね。それに、彼の弟のこともある。一ヶ月半でランクアップなどと有り得る訳がない。

 ・・・神会(デナトゥス)ではヘスティアを問い詰めていたが、彼女が何かしたと本気で思っているのかい?」

「ないない。あのクソロリドチビおっぱいにそんな真似する知恵があっかいな。

 栄養が乳にばかり行ってて、頭に廻っとらんからな」

 

 へっ、と吐き捨てるロキにディオニュソスが苦笑した。

 ロキもそうだがディオニュソスも、ヘスティアが表裏のない単純な神物だと知っている。

 表情を真剣な物に戻し、ディオニュソスが口を開いた。

 

「下界には未知が溢れている。我々神にも計り知れない未知がね。兄か弟、どちらかだけならそうした未知の現れと考える事も出来ただろう。

 だが、そんな未知が、偶然が、果たして重なるものだろうか? それも兄弟で、しかも作ったばかりの新興のファミリアでだ」

「まあ、ないわな・・・後ろ暗いところのある連中があの単細胞ドチビジャガ丸おっぱいをダマくらかしとると考えた方がまだしもや」

「フレイヤはどうだい? 例の兄弟を随分とかばっていたが」

「あれは・・・あいつはあいつで男にしか興味のないやっちゃからな。

 ベル・クラネルやったか、あのがきんちょに手を出されたくないだけやろ」

 

 言葉が途切れる。

 ディオニュソスは手元のカップを見つめ、ロキは天井を睨み、数日前の神会のことを思い出していた。



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13-11 神会(デナトゥス)

「第ン千回神会(デナトゥス)開かせてもらいます。司会はうちロキや! よろしゅうな!」

「「「「イエーッ!」」」」

 

 バベル30階、1フロアぶち抜きの大広間にノリのいい神々の歓声が響く。

 三ヶ月に一度の神会は、神々同士の情報交換の場であり、ほぼ有名無実ではあるが、ギルドの諮問機関でもある。

 

「ハイハイハーイ! ソーマくんがギルドに警告喰らって、唯一の趣味を没収されたそうでーす!」

「な、なんだってーっ!」

王国(ラキア)がまた侵攻してこようとしてるらしいな」

「またアレスかよ。あのバカ、そろそろどうにかしたほうがよくないか?」

「怪物祭で空飛ぶ馬に乗ってたやつ、ヘスティアの所の子供だったってホント?」

「マジかーっ!?」

 

 とはいうものの、その実体は暇をもてあました神々による井戸端会議に他ならない。

 重要度の高い情報をギルドに伝えたりもするが、さして重きを置かれているわけでもなかった。

 

 美の女神フレイヤに同じく美の女神であるイシュタルがつっかかったり、

 ロキが食人花や闇派閥の件を持ち出して探りを入れてみたりもするが、さしたる事もなく情報交換は終わった。

 

(反応は無しか・・・まぁそう簡単に尻尾を出すとは思っとらんかったが)

 

 頭を切り換え、ロキはくちびるを吊り上げた。

 

「ほな、次に進もうか・・・命名式や!」

 

 ニマァ、と神会常連の神々が同様のゲスい笑みを浮かべた。

 対照的にヘスティアを初めとする数人の神は顔をこわばらせる。

 

 命名式。

 Lv.2かそれ以上に達した冒険者に贈られる二つ名を決める、神会のもう一つの権能である。

 

 そもそも神会の出席資格は「Lv.2以上の眷族を有していること」なので、ヘスティアのようにLv.2の眷族を得たばかりの神々は今回が初めての神会と言う事になる。

 そしてそうした神々に対して、神会常連の神々からの扱いはほぼ例外なくひどい物になるのが常であった。

 

「決定。セティ・セルティ。称号名【暁の聖竜騎士(バーニング・ファイティングファイター)】」

「イテェエエエエエエエエエエエッ?!」

「ほい、エリカ・ローザリア。称号名【美尾爛手(ビオランテ)

「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああ?!」

「ゲド・ライッシュ! 称号名【電撃稲妻熱風の竜王(ドラゴンロード・ドラゴンロード)】!」

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「タケミカヅチ・ファミリア、ヤマト・命ちゃんの称号は・・・・【絶†影】に決まりで」

「異議無し!」

「うわぁああああああああああああああああああああ!」

 

「狂ってる・・・」

「あんたの気持ちはよくわかる・・・」

 

 量産される「痛い」二つ名。絶叫する犠牲者とそれを指さしてゲラゲラ笑う神々。

 呆然とする紐神とため息をつく男装の麗人ヘファイストス。

 

 だが一番救いがたいのは、この「痛い」二つ名が下界の子供達にとっては名誉ある、かつハイセンスなネーミングだと言う事だろう。

 痛い二つ名を誇らしげに名乗る子供達の姿が、神々を更なる絶望のどん底にたたき落とすのだ。

 

 もっともそうした痛い二つ名は主に弱小ファミリアに対しての物で、強力なファミリアに対してはそうもいかない。

 

「アイズたんの二つ名はどうする?」

「無理に変えなくてもいんじゃね。【剣聖】とかちょっと違うし」

「ま、最終候補は間違いなく【神々(オレたち)の嫁】だがな!」

「「「「だな!」」」」

「殺すぞ」

 

 据わった目でぼそりとつぶやくロキ。

 

「「「「すんませんっしたー!」」」」

 

 一斉に頭を円卓にこすりつけるお調子者ども。

 都市最強の双璧たるロキ・ファミリアに正面きって喧嘩を売れる神がいるとしたら、同じく双璧の一角であるフレイヤくらいだろう。

 

「喧嘩は相手を見て売らんかいボケが。で、次で最後やな・・・」

 

 そう言ってロキがめくった資料の最後のページには、白髪頭のヒューマンの少年の似顔絵。

 

(ほんまにランクアップしとるなあ、ドチビの子・・・しかも一ヶ月半? 嘘やろこれ。ありえん)

 

 神会開始のほんの数時間前に駆け込みで入ったらしく、情報はほとんど記されていない。

 Lv.1でミノタウロスと一対一で戦い倒したというのも驚愕の事実ではあるが、もっと信じられないのがランクアップの所要期間だ。

 

 Lv.1から2へ上がったこれまでの最短記録は他ならぬアイズ・ヴァレンシュタインの一年。

 それですらオラリオを震撼させた文字通りの偉業だったのだ。

 ロキとしては疑わしいやらねたましいやら腹が立つやらである。

 

(この成長速度・・・普通に考えれば未発見のレアスキルかなんかやろうけど、あの小僧の弟となるとな・・・)

 

 神々が資料を見てざわつく中ロキは立ち上がり、ばん、と卓に手を叩き付けた。

 

「ちょいと聞かせぇドチビ。ランクアップにうちのアイズでも一年、一年かかったんやぞ。

 うちらの【恩恵】いうんはこういうもんやないやろが。

 たかだか一ヶ月半で器を昇華させられたら苦労はないっちゅう話や。それができんから誰も彼も苦労しとるんやろうが。あん?」

「・・・・・・・」

 

 本気の凄みを利かせるロキに、冷や汗をだらだらと流して固まるヘスティア。

 周囲の神々も興味深げに沈黙し、盟友たるヘファイストスも困ったように口を閉ざしている。

 

「それにや、お前の子供。ギルドに虚偽登録しとるやろ。魔導アビリティと神秘アビリティ持ってるくせにLv.1とかどういうこっちゃねん」

「!?」

 

 ざわ、と満座の神々がどよめいた。

 卓に突っ伏していたタケミカヅチや隣に座っていたヘファイストスも、驚愕のまなざしで神友を見る。

 

 一ヶ月半でランクアップしたベルほどではないが、【神秘】アビリティもまた相当に神々いう所の「レア度」が高い。

 【魔導】アビリティを併せ持っているなら尚更だ。

 

「ヒューヒュー! なに、ロリ巨乳すげーレア持ちじゃん!」

「一人分けてよー!」

 

 無責任にはやし立てる神々に、があっとヘスティアが吼えた。

 

「うるさい! お前達なんかにやるわけがないだろう!

 ボクはベル君に何もしてないし、イサミ君に関してはギルドのアドバイザー君に確認してもらって嫌疑は晴れてる!

 エイナ・チュール君というハーフエルフの受付嬢だ! どうしても疑うなら確認してみればいいさ!」

 

 むう、とロキが唸った。

 まさかリヴェリアの知己である彼女の名前が出てくるとは思っていなかったのだ。

 

(エイナちゃんが確認した、ゆーんなら間違いないか?

 いや、何らかの手管でだまくらかしとる可能性もあるか・・・どっちにしろこの件ではやっぱりドチビは何も知らんか)

 

「なら、もう一つ答えんかい。その兄貴の方の・・・」

「あら、いいじゃない、ロキ。ヘスティアは不正をしていないと言ってるんでしょう?

 なら団員の能力を暴こうとするのは御法度よ」

「!?」

 

 突然割って入ったフレイヤに、険しい視線を向けるロキ。

 フレイヤは凄みを利かせたその視線を、そよ風のように受け流して笑う。

 

「おのれ、わかっとんのか? あの兄貴の方はな、うちらの・・・」

「わかっているわ。【恩恵】の能力を超えていると言うんでしょう?」

 

 自分の言葉に即座にかぶせてきたフレイヤを見て、ロキは確信する。

 こいつは明らかに神がイサミ・クラネルの心を読めないことを知っているし、またそれを隠そうとしている、と。

 

(そうか、こいつが狙ってる男っちゅーんがドチビの所の・・・話から察するに弟の方か)

 

 ロキは察してしまう。

 同時に、怪物祭の日に交わした約束――昔パチった"鷹の羽衣"と引き替えにロキは今フレイヤが狙っている男には手を出さない――に従い、今この場でフレイヤに丸め込まれなくてはいけないと言う事も。

 

「・・・」

 

 不機嫌そうに黙り込むロキを見てフレイヤがクスリと笑う。

 

「弟君については、彼ミノタウロスに殺されかけたことがあったらしいじゃない。

 つまり彼にとっては特別な存在――しかも、Lv.1でそのミノタウロスを倒したのよ?

 なら、通常ではあり得ない【偉業】の達成となったと言う事も有り得るんじゃない?」

 

 事の成り行きを見守っていたその他の神々が確かになあ、とか言われてみれば、と口々につぶやく。

 実際Lv.2のモンスターの中でも屈指の強さを誇るミノタウロスをLv.1の冒険者が単独撃破したこと自体、オラリオの長い歴史でもそうそうない偉業である。

 

「そしてお兄さんのほうだけど――ひとつ思い当たる節がないでもないわ」

「なんやそら」

 

 ぶーたれた表情をもはや隠しもせず、ロキが合いの手を入れる・・・次の瞬間、その視線が今日最大の敵意に彩られた。

 

()()()()よ。彼に・・・いえ、()()()精霊の血が流れているとすれば有り得る話だわ」

 

(こいつ・・!? まさかアイズのことを知って!?)

 

 倍増したロキからの敵意を、フレイヤは柳に風と受け流す。

 怪訝そうな顔をした神の一人が挙手した。

 

「えー、でもフレイヤさまー。精霊って子供作れないでしょー?」

 

 微笑んで頷きつつ、フレイヤはヘファイストスの方に顔を向けた。

 

「精霊の子孫ではないけど、精霊の血を分け与えられた者の子孫が恩恵を受け、鍛冶アビリティなしで魔剣を生み出した例がある――そう、【クロッゾの魔剣】よ。そうよね、ヘファイストス?」

「・・・ええ」

 

 硬い表情で、男装の麗人は言葉少なに頷く。

 ヴェルフの件は彼女にとっても余りつつかれたいことではない。

 が、そのような理屈は根性のねじ曲がった神々には通じない。

 

「あー、前に話題になった偽クロッゾか!」

「あれ本当だったんだな!」

「ねーねー、一本おいくら万ヴァリスー?」

「言っておくけど、彼は魔剣は打たないわよ。無理強いする気なら私を敵に回すつもりでいなさい」

「「「「へへーっ」」」」

 

 凄みを利かせた隻眼の視線に、再び一斉に平伏する神々。

 ヘファイストス・ファミリアもロキやフレイヤに及ばないとは言え、第一級冒険者を擁する上位派閥。

 しかも、オラリオの武具販売の最大手だ。

 ロキ・ファミリアとはまた別の意味で敵に回してはいけないところである。

 

 ともかく下界は未知に満ちている、神でさえその全てを計り知ることは出来ないというフレイヤの主張は本人のカリスマもあり、出席した神々に浸透していった。

 ざわざわととりとめない会話が続き、「まあそういうこともあるかな」で何となく落ち着いてしまう。

 

 ヘスティアがほっと胸をなで下ろしたとき、ロキの固い声がかかった。

 

「おいドチビ」

 

 びくり、と震える紐女神を険しいまなざしで見下ろす。

 

「注意しとけや――フレイヤと、後はオノレの眷族にな」

「・・・それは。どういう意味だい?」

 

 むっとして問い返すヘスティアに、だがロキは答えなかった。

 

 

 

 

 

 

「・・・フレイヤが彼らと通じてると言う事は本当にないと思うかい?」

 

 ディオニュソスが再度問うた。

 

「そらまあ、絶対無いとは言い切れへん。神は退屈しのぎのためなら何でもやるからな。

 せやけどフレイヤが男以外のことに興味を示すか? ゆーたらそれは違うんやないかなと思うんや」

「ふむ・・・」

 

 しばし沈思黙考していたディオニュソスだが、やがて優雅な笑みを浮かべた。

 

「それにしても今回の事には随分本気になってるね。公共奉仕の精神にでも目覚めたかい?」

「アホ抜かしてると耳から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせんぞ。ウチは衆生の主(ガネーシャ)でも正義の女神(アストレア)でもないわ。

 ウチのかわいいかわいい子供達に手ェ出しおったボケに落とし前つけさせずにはおれんだけや」

「はいはい、そういう事にしておくよ」

 

 はっ、と鼻で笑うロキを、微笑みつついなすディオニュソス。

 

「それに・・・スケベジジイとの約束があんでな」

「ん? 今なんて?」

「何でもないわい」

 

 それっきり、部屋から会話は途絶えた。



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第十四話「いのししはにやりとわらってたちあがった」
14-1 サンジョウノ・春姫


 

 

 

『お前さん方を逃がせば、オイラここには居らンねぇ身体だ。なぁに丁度潮時』

 

 ―― 『幕末太陽傳』 ――

 

 

 

「なー、レーテー」

「つーん」

「機嫌直してくれよー」

「つーん」

「そこまで怒らないでもいいだろ?」

「ふーん、だ。イサミちゃんのばかっ!」

 

 べえっ、と舌を出すレーテー。

 何で俺がこんな苦労をせにゃならんのだ、とイサミが頭を抱えた。

 

 

 

「おーい、イサミー。今日も休みだろ? 飲もうぜー」

「これ以上話をややこしくするな! だいたい朝からなに酒瓶持ちだして来てるんだあんたはっ!」

 

 両手に蒸留酒の酒瓶を持って近寄ってくるシャーナを、歯をむき出して威嚇する。

 なおつるし上げと罰の宣告(掃除当番一ヶ月)の後、朝食を済ませてベルやヘスティア達は既にホームを出ている。

 

「なんだよー、あんな女とは飲むのに俺は置いてけぼりかよー?」

「はたくぞコラ」

 

 睨み付けられても、シャーナのにやにや笑いは消えない。

 腹立たしく思いつつも、絡んでくるシャーナは無視して、レーテーのご機嫌を取ることに集中する。

 

「なあ、話だけでも聞いてくれよ。何でもするからさあ」

「ん? 今なんでもするって」

「黙ってろっつうんだこのダボが」

 

 背中にじゃれついてくる――もちろんわざと――このロリエルフの外見をした物体をそろそろ始末すべきかと真剣に考えるイサミ。

 それを見てますます不機嫌になるレーテー。

 

「ふーんだ。イサミちゃんにやって欲しい事なんて・・・あ」

 

 レーテーの言葉が途切れた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十四話「いのししはにやりとわらってたちあがった」

 

 

 

狐人(ルナール)の娼婦?」

「うん、春姫ちゃんって言うんだけどぉ・・・」

「事情はわからねえけど、娼婦なら身請けするなりなんなりすればいいんじゃないのか?」

 

 こっちの世界にも身請けはあるんだなと思いつつイサミも頷く。

 

「そうなんだけど・・・身請けは絶対無理なの」

「どういう事だ?」

「うん・・・これから話すこと、秘密だよ?」

 

 二人が初めて見る深刻な顔で、念押しをしてくるレーテー。

 思わず顔を見合わせた後、イサミとシャーナは揃って頷いた。

 

 

 

 ――レーテーが話した内容は、二人を揃って胸糞悪くさせるようなしろものだった。

 

 奴隷商人から買い取られた狐人の娼婦、サンジョウノ・春姫。

 それにイシュタルが【恩恵】を授けたところ発現した、桁違いの強化魔法。

 

 主神のフレイヤに対する憎悪。

 そのために春姫の魂を殺生石と呼ばれる特殊な石に移し、分割して、その魔法をファミリアの構成員全員が行使できるようにする。

 

 魂を復元することは理論上は可能だが、殺生石の欠片が一つでも失われてしまえば完全な形での復活は不可能となる。

 既に一度儀式が行われ、その時は春姫をかわいがっていたアマゾネスの反逆で失敗したものの、次の殺生石を手に入れる算段は既についている。

 

 つまり狐人の少女の命は、どう長く見積もっても後数ヶ月なのだ――

 

 

 

「クソみてぇな話だな」

 

 シャーナが吐き捨てた。

 イサミの表情も険しいものになっている。

 レーテーがしゅんとしていた。

 

「ごめんなさい・・・」

「レーテーが謝ることはないさ。悪いのはイシュタルだ」

「でも、アイシャちゃんを痛めつけたのは私だから・・・それにイシュタル様の計画に賛成してたし・・・」

 

 うなだれるレーテーの頭を、イサミがちょっと背を伸ばして撫でてやった。

 アイシャとは、儀式を失敗させたアマゾネスの名前であるらしい。

 

「でも、それをどうにかしたいと思ったから今俺に言ったんだろう?

 それはそれ、これはこれさ」

「うん・・・ありがとう」

 

 それを見て少し表情をゆるめたシャーナが、腑に落ちない表情になった。

 

「しかし、その春姫とかの魔法ってのはそんなすげえのか?

 俺の魔法も割と反則の部類だが、イシュタル・ファミリアが全員"暗黒竜の剛鱗(ヴリトラスケル)"を手に入れたからって、フレイヤ・ファミリアに勝てるたぁ思えねえぞ」

「確かに・・・いや待て。そうか。前にフリュネ達が"猛者(おうじゃ)"オッタルを闇討ちしてたときの、あの光の粒!」

 

 フリュネがヘスティア・ファミリアのホームに急襲をかけ、ヘルメス・ファミリアの面々と共にデヴィルどもと戦う事になったあの日に目撃した光景。

 光の粒を纏ったフリュネ達が、2lv以上の能力差にもかかわらず、かなりの善戦を演じていたあの戦い。

 

「うん・・・あれを受けると1lvくらい能力が上昇するの。Lv.2の子が下層で戦えるくらいに」

「ひょっとして、イシュタル・ファミリアが団員のステイタス絡みでギルドの監査を受けたってのも?」

「たぶん、それ絡みだと思う」

「そりゃ確かに何としてでも確保したくなるか・・・」

 

 ため息をつき、シャーナがソファに沈み込んだ。

 

「で、その彼女を助けたいと」

「うん・・・だめ?」

「どうにかするさ。レーテーの頼みって事をおいといても、俺も少々腹を立ててるからな」

 

 ぱぁっ、とレーテーの表情が明るくなる。

 

「わぁい! イサミちゃん大好き!」

 

 喜色満面でイサミに抱きつくレーテー。

 が、抱きついたその顔が一転、不機嫌な物に変わる。

 

「イサミちゃん、まだアスフィちゃんの匂いがする」

「・・・シャワー浴びてきます」

 

 

 

 一時間後。

 

「ほい、連れてきたぞ」

「は、はじめまして・・・」

「はえーよ!?」

 

 金毛の豊かな長髪と尻尾を持つ狐人の少女が、ヘスティア・ファミリアホームの居間にいた。

 

「春姫ちゃん!」

「は、はいっ!?」

 

 2mを遥かに超えるアマゾネスに抱きつかれ、目を白黒させる春姫。

 感極まって泣き出し始めるレーテーを前に、狐人の少女はしばしうろたえるのみだった。




タイトルはAD&Dのコンピューターゲーム「プール・オブ・レイディアンス」から。
このゲームでも雑魚はHPが0になると倒れる(そして死ぬ)のですが、猪はタフなので、一度HPが0になっても「にやりとわらってたちあが」り、HPが-10になるまで死なないのです。
何でこういう訳にしたんだろう。
原文からそうなのかなw


後今回書いてて思ったけど、これだけ重要なVIPなのにファミリアの奥に監禁するどころか花街で客とらせてたイシュタルは頭おかしいw


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14-2 オラリオ心中

「落ち着いたか?」

「うん・・・ごめんね。春姫ちゃんも」

「い、いえ。こうして助け出して頂いたわけですし・・・」

 

 反射的に答えを返す狐人の少女。

 そのさまは、自分の身に起こったことをまだ飲み込めていないようにも見えた。

 

「けどよ、実際どうやったんだ? 出る時はちょっと下調べしてくるって言ってたじゃねえか」

「んー、まあ、そうなんですけどね・・・」

 

 実際そう複雑な話ではない。

 春姫の大雑把な現在の状況と居場所を聞き出したイサミは、閑散とした昼の花街に潜入した。

 そして春姫を口先三寸で信用させた後、自殺を偽装してそのまま逃げ出してきたのである。

 

 以前述べたが「ウィッシュ」の呪文には死者を生き返らせる力もある。

 普通は死体が一部でも残っていることが必要なのだが、それもない場合あらかじめ別の「ウィッシュ」を発動する事で、本人の物と寸分違わぬ肉体を生み出す事ができる。

 もう一度のウィッシュを発動して魂を呼び戻せば蘇生完了というわけだが・・・イサミはこれを利用して春姫の体をもう一つ作り出したのだ。

 

 春姫の背中にある【神の恩恵(ファルナ)】には流石にイサミと言えども手が出せないが、【恩恵】そのものに手は出せなくても、庭木を植え替えるように春姫の魂を移すことはできる。

 現実改変の魔法である「ウィッシュ」があり、移す先が本物と全く同じ肉体であるからこそ為せる荒技だ。

 

 元の体には着物をそのまま着せておき、鴨居に帯を引っかけて首を吊らせる。

 位置情報を知らせる魔法の首輪もついたままだから疑いようはない。

 

 一応簡単に調べた上で肉体や魂に悪い影響が出ないであろう事は確信していたが、成功してほっとしたのは言うまでもない。

 そして後は春姫をポータブル・ホールに入れ、来たとき同様"上級不可視化"をかけて脱出した、というわけだ。

 

「今頃イシュタルは、春姫が死んだと思って怒り狂っているだろうよ。

 イシュタルの方からすれば春姫が突然死んだようにしか思えないさ」

「はー・・・本当に便利な奴だな、お前」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 それから少し話し合って、シャーナとレーテーがとりあえずの身の回りの物を買いに外出、イサミは護衛も兼ねてホームでマジックアイテム作成ということになった。

 

「そう言えば春姫、どんな顔がいい?」

「顔、でございますか?」

「死んだはずのおまえさんがうろついてたら色々まずいだろう。魔道具で変装させるから、何か希望があったら応えるぞ」

「ああ、そういう・・・そうでございますね、極東風で黒髪に青紫の瞳、端正でりりしい顔立ち、太くて短い眉・・・」

「ふむふむ」

 

 大体の要望を聞いてイサミが幻影を作る。

 ああでもないこうでもないと修正を繰り返した後で、春姫が嬉しそうに頷いた。

 

「ああ、こうです! これでございますわ!」

 

 宙に浮かぶ幻影の美少女の顔。

 イサミは知らず、また春姫本人も知らないがその顔は春姫の幼友達、今はタケミカヅチ・ファミリアの上級冒険者である【絶†影】ヤマト・命にうり二つであった。

 

 

 

 その後バイトから戻ってきたヘスティアに許可を貰って入信したり、手持ちぶさたな春姫にイサミが貸した祖父謹製の絵本(旅立つときに実家から持ちだして来ていた)を読んでいるのをベルが見つけて二人で意気投合したり、その姿を見た紐神とリリがぐぬぬったりしたが、概ね春姫は円滑にファミリアの一員として迎え入れられた。

 

「そう言えば例のとんでもない強化魔法、"ウチデノコヅチ"だったか? あれはどうなるんだ?」

「さっき恩恵を刻んだときはそれらしいのは発現しなかったね。

 能力値も全部まっさらだから、刻んだ経験値は全部イシュタルの【恩恵】に置いてきたんだろう。

 魔法の発現も刻む経験値(エクセリア)あってのことだから、その魔法を刻んだのと同じ経験をしなければ発現はしないんじゃないかい?」

「あ、なるほど・・・」

 

 腑に落ちたらしいシャーナから、視線を転じるヘスティア。

 

「それで、春姫くんはダンジョンに出るつもりかい?」

「ど、どうでしょう・・・?」

「いや、ボクに聞かれても」

「無理に潜る事はないと思いますよ、春姫様」

「ああ、好きにすればいいんじゃないか。まともにダンジョン潜ったことないだろ?」

 

 イサミの言葉にこくり、と春姫が頷く。

 

「潜るときは常に頑丈なカーゴの中でしたから・・・自力では一階層にも下りたことはございません」

「魔導書が何冊かあるから、それを使えば多分戦力にはなるだろうけど・・・当座はやめておいた方がいいかもな。

 下手に"ウチデノコヅチ"が発現しても困る」

「それはだめ!」

 

 レーテーが顔色を変えた。

 春姫も困ったような顔になる。

 

「魔法無しでは皆様のお役に立てませんでしょうし・・・サポーターであればまだしもですが」

「とは言っても僕たちのパーティにはもうリリがいるし・・・」

「俺たちの方だと流石にLv.1を連れてけないしなあ」

 

 ふむ、とヘスティアがあごに手をやる。

 

「まあいいさ。難しいならホームの家事でもこなして貰おうか。春姫君もそれでいいかい?」

「は、はいっ! 誠心誠意務めさせて頂きます!」

 

 春姫がしゃちほこばって頭を下げたところで、この話はお開きとなった。

 

 

 

「あ、掃除は一ヶ月間はしなくていいよ。

 朝帰りの罰でイサミ君が担当することになってるから」

「そこは勘弁してくれないんですね・・・」

 

 

 

 翌朝。

 割烹着姿の黒髪の少女が教会の玄関で深々と頭を下げた。

 

「行ってらっしゃいませ、皆々様」

「おーう、留守番よろしくな、春ひ・・・じゃなかった、お春君!」

「お春って・・・ださくねぇか?」

「いいじゃないの、本人が喜んでるんだから。それに、いかにも町娘っぽいだろ」

 

 まあ単なる町娘にしては美形過ぎるがこれはこれでよかろう、ということで、昨夜春姫の新しい名前が決まったのであった。

 ちなみに割烹着はイサミが用意した。

 

「それじゃ昨日言った通り、僕の部屋の本は全部読んで貰ってていいから」

「はい! 久しぶりなので春姫は楽しみです!」

「帰ったら昨日の話の続きをしようね」

「はい!」

 

 昨日、英雄譚の話で盛り上がったベルと春姫が楽しそうに会話を交わす。同好の士の連帯感という奴である。

 紐神と小人族のサポーターもまた昨日に続いてぐぬぬと唸り、レーテーは嬉しそうな顔でにこにこしていた。

 

「今日は俺たちも早めに上がるから、一緒に近所の店を回ろう。買い物とか覚えて貰わなくちゃいけないこともあるしな」

「はい、わかりました!」

「ええと、他に何か・・・」

「大丈夫じゃないですか。出る時は戸締まりと火の始末を気をつけてね」

「はい! それでは、皆様お気をつけて行ってらっしゃいませ!」

「「「「行ってきまーす」」」」

 

 挨拶をすると、イサミは"生物定位(ロケート・クリーチャー)"の呪文を発動した。

 探知するクリーチャーの種別は・・・「神」である。

 

 一ヶ月半でのランクアップが公になり、神会当日から早速ベルがスットコドッコイの神々に絡まれたため、ここ一週間ほどは念のために周囲を走査してから出ることにしていた。

 

「ん・・・周囲に神様以外の神の存在は無し、と。流石に飽きましたかね」

「どうだろうなあ・・・だったらいいんだけど」

 

 ことほど左様に神ってのは物見高いし、暇を持てあましたろくでなしが多いからね、とヘスティア。

 いやはやまったく、とイサミが頷いた。




心中(相手はこれからみつくろう)


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14-3 味覚の破壊者

 北のストリートに向かうヘスティアと別れ、「豊穣の女主人」亭の前。

 シルとリュー、ウェイトレス三馬鹿トリオが店の前でベル達を待っていた。

 

「あら、お兄さん。お久しぶりです。一週間くらいぶりですか?」

「そう言えばそうなるな」

 

 イサミとシルが最後に会ったのは正確には6日前。

 深層への遠征やその準備などでバタバタしていたため、ベル達と一緒に迷宮に行くことがなかったのだ。

 

「はい、ベルさん。今日のお弁当です」

「あ、ありがとうございます・・・」

 

 満面の笑顔のリューが、硬い笑顔のベルにバスケットを渡す。

 イサミが無表情のまま、くん、と匂いをかいだ。

 

「それじゃシルさん、リューさん・・・」

「はい、行ってらっしゃい」

「ご武運を」

 

 それでは、と別れようとしたところでイサミが待ったを掛ける。

 

「ちょっといいかな、シルちゃん?」

 

 笑顔に凄みを乗せて――漫画なら血管が浮いているところだ――迫る大男に、冷や汗を垂らしたシルが一歩下がる。

 

「・・・あの、お兄さん? 何か怒ってらっしゃいます?」

「はっはっはー、わっかりますかあー」

 

 リューと後ろの三人娘に緊張が走る。

 素人とは思えない気配ととっさの身のこなしに、ベルやシャーナ達にも緊張が走った。

 

「クラネルさん。シルに・・・」

 

 イサミが手を上げてリューの言葉を遮る。

 

「冒険者でもない女に手を上げるほど腐っちゃいないよ。ただ、言っておかなきゃならないことがあってな」

「・・・」

 

 その言葉にだが四人の緊張は解けず、いつでも飛びかかれるように身構える。

 それを意に介さず、イサミはシルを睨み付ける。

 加減はしているようだが、それでも素人の娘には腰が抜けるほど怖い。

 

「なあシルちゃん。実は俺はずっと君に怒ってた。何故だかわかるか?」

「い、いえ、さっぱり・・・」

 

 本気で訳がわからないと言った表情のシル。

 それを見たイサミは今度こそ怒りの表情でシルに指を突きつける。

 

「なら言ってやる! 俺が腹が立ってならないのはなあ・・・お前が食材を無駄にしているからだっ!」

 

 その瞬間、後ろに控えていたリュー達の緊張が雲散霧消した。

 

「・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「え? え? なんです、みなさん?」

 

 周囲の雰囲気の変化を敏感に感じ取り、シルがうろたえる。

 

「それをニャーたちに言わせる気かにゃ?」

「そーよ! いつも人を実験台にして!」

「今我らは反逆ののろしを上げるにゃー!」

 

 気勢を上げる三人娘に冷や汗を流し、シルがリューに助けを求めるように視線を投げる。

 

「申し訳ありません、シル。今回ばかりはあなたに味方できない。

 私が言うのも何ですが、あなたは一度まともに料理を学ばれるべきだ」

「リュー~~~!」

 

 申し訳なさそうに目を伏せるリューにシルがすがりつくが、それでもリューが態度を翻すことはない。

 ばしん、とその頭を木の盆がはたいた。

 

「あいたぁ~っ?!」

「店の準備をサボって何をしてるかと思えば・・・大体シル、アンタが文句言える立場かい?

 アンタの料理で厨房に異臭が充満するのも、いい加減見過ごしにはできないんだよ!」

「うう・・・っ」

 

 張り倒された頭を抱え、涙目になるシル。

 木の盆を肩に担いだ巨漢の女将はにやり、とイサミに笑いかけた。

 

「それで? この料理オンチをどうするって?」

「出張料を払いますので、しばらくの間夕方にこっちによこして頂けませんか。一から叩き直してやりますよ」

 

 拳を握り、凄みのある笑みを浮かべるイサミ。

 女将が同じ笑みを浮かべたまま頷く。

 

「いいだろう。お客さんのリクエストに応えるのもウチの仕事だからねえ」

「だ、だめです! ベルさんのところのホームは・・・!」

 

 ようやく復活したシルが必死で懇願するのを女将が一瞥する。

 

「なんだいシル? 仕事がイヤだなんて、随分えらくなったもんだねえ?」

「そ、そうじゃなくて・・・ここの厨房でならやりますから!」

「ふぅん?」

 

 首をかしげるイサミ。

 女将はそんなシルを少し見ていたが、やがて頷いた。

 

「そういうわけだ、しごきはウチの厨房でやっちゃくれないかい。

 その代わり指名料は半額でいいし、食材もウチのを使っていい」

「ええまあ、そういう事でしたら」

 

 何か引っかかりを覚えつつ、イサミが頷いた。

 が、素早く切り替えて、再び凄みのある笑みをシルに送る。

 

「さて、何はともあれ決まりだな。しばらく付き合って貰おうじゃないか? ん?」

「お、お手柔らかにお願いします・・・」

 

 こわばった愛想笑いを浮かべるシルの後ろでリューが瞑目し、三人娘が万歳三唱していた。

 

 

 

 その日の午後、早速料理教室は開催された。

 探索を早めに切り上げて豊穣の女主人亭を訪れたイサミに、従業員達の好奇と応援めいたまなざしが集まる。

 

「包丁を使うときは爪を立てぇーるっ!」

「は、はいっ!」

「食材は可能な限り同じ大きさに切る! 火の入り方にムラが出るからな! 遅くていい、包丁の位置を確かめながら正確に切れ!

 だが切るときは素早く包丁を動かせ!」

「はいーっ!」

「味見はこまめにしろ! 調味料はカップとスプーンでいちいち正確に計れ! 足すときは少しずつ! 出来れば他の誰かに味見して貰え!」

「ふぁいい!」

「口を開く前と後にサーをつけろ!」

「サー、イエッサぁぁぁぁ!」

 

 まぁ最後のはともかく、鬼軍曹レベルで、しかも基本からいちいち細かく指導するイサミである。

 だが我流に凝り固まったメシマズを更正させる手段としては、まだこれでも優しいほうだ。

 ことほどさようにメシマズというのは人の話を聞かない物なのである(断言)。

 

 イサミ自身の腕が伴わなければ周囲の反応はかなり寒い物になっていただろうが、元よりイサミはあらん限りの余裕と熱意を料理に投資しているような男。

 豊穣の女主人亭の調理スタッフの受けが悪かろうはずもない。

 

 上限までの技能割り振り、恩恵による高い能力値補正、異世界のレシピ、あらゆる調味料のわき出る壺。おまけにわざわざ料理技術を上昇させるマジックアイテムまで作成しているのだから実にこう、経験点と時間の無駄遣いである。

 

 

 

「今日は以上! お疲れ様!」

「ありがとうございました・・・」

 

 ぱちぱちぱちと調理スタッフが拍手する中、店を出るイサミ。

 とりあえず作らせたサンドイッチと野菜スープ、砂糖をまぶしたパンの耳のフライは彼女たちにも好評であった。

 

「おおっ! これぞヒトさまの食い物にゃ!」

「クラネルさんのものほどじゃないけど、涙をこらえずに食べられると言うだけで長足の進歩ね!」

「今までのシルの料理なんて、猫もまたいで通るような代物ばかりにゃー。これなら猫に食わせても泡吹いて転がったりしないにゃ」

「皆さん言いたい放題ですね・・・へぶっ?!」

 

 テーブルに突っ伏してもごもごと恨み言を唱えていたシルの頭を、またしても女将のお盆が直撃する。

 

「全部ホントのことだろ。ちったぁ自分の行いを省みな! ・・・うん、結構いけるじゃないか。あの小僧に任せたのは正解だったかね。

 さて、あんたら、遊びはここまで! さっさと夜の準備にかかりな!」

 

 女将の号令に、はーい、と娘達の返事が響いた。



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14-4 赤い外套団

 春姫と買い物に出て、一緒に夕食を作ったあと――ちなみにド素人なりにシルより筋は良かった――夕食。

 

「で、ベル。"おまじない"の効果はどうだった?」

「全然違うよ! 一気にステイタスが上昇したみたい!」

「みたい、じゃなくて実際に上昇してるんだ。そう言う魔法なんだからな」

 

 二人が話しているのは、昨日イサミがかけた「ウィッシュ」のことだ。

 ウィッシュの呪文は、一回につき能力値一つを1点、【恩恵】で言えば一段階ほど上昇させる。

 【恩恵】とは関係ない素の能力値が上昇するので、【恩恵】が伸びにくくなったりはしない。

 

 イサミはエピック特技その他によりウィッシュを経験点不要で一日十数回使用可能、一つの能力値は最大+5点まで上昇させられる。

 ので、まずはベルの筋力と敏捷(+器用)、耐久をプラス5段階。その結果が、今のベルの感想と言うわけだ。

 ちなみにイサミ本人のステイタスは既に全て限界まで上昇済みである。

 

「オーケー、今日はベルの魔力と、リリの敏捷と耐久だ。リリの次はシャーナとレーテーな」

「よろしいのですか? 貴重なものなのでは・・・」

「金がかかる訳じゃ無し、使わない方が勿体ないさ」

 

 耳をそばだてていたヘスティアが、はいはいはい! と手を上げる。

 

「ボクには! ボクにはかけてくれないのかい!?」

「いるんですか?」

「いるんだよ! ヘファイストスの方は力仕事なんだから! 結構きついんだぞ!」

「はいはい、それじゃ全員終わった後にかけてあげますよ。お春にもな」

「よろしいのでございますか?」

「掃除だって洗濯だって力仕事だろ。ステイタスが高いに越したことはないさ」

 

 【恩恵】を受けた時点でその辺のムキムキマッチョ並の筋力はあるのだがそれはそれ、である。

 

「お前本当に何でも出来るなあ」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 

 

 

 次の日の午後。

 ダンジョン帰りで豊穣の女主人亭に向かっていたイサミと、買い物に出ていたシル、リューが鉢合わせ、三人は何とはなしに連れ立って路地を歩いていた。

 

「今朝のサンドイッチは悪くなかったな。少なくとも異臭はしなかった」

「・・・開けてみたんですか?」

「まさか、匂いだけでわかるさ」

 

 にやっと笑うイサミに、シルは頬をふくらませる。

 

「犬か何かですか、お兄さんは。獣人だってそんなに鼻は鋭くないですよ」

「失礼ですよ、シル。本意ではないかも知れませんが、あなたはもっと感謝すべきだ」

「わかってるわよそんな・・・」

 

 赤い何かが飛来する。

 固い物が目の前のレンガの壁に叩き付けられる音で、シルの言葉は遮られた。

 

「!」

「!?」

 

 シルをかばうように、リューとイサミが咄嗟に前に出る。

 

「ぐっ・・・」

 

 レンガの壁に叩き付けられた赤い塊がうめいた。

 よく見れば、上から下まで赤いフード付き外套にすっぽりと身を包んだ亜人である。

 種族は判然としないが、少なくともドワーフや小人族ではない。

 激突したレンガ壁が崩れている。にもかかわらず当人はまだ動ける辺り、相当なレベルの冒険者であると知れる。

 

「その恰好・・・もしかして、"赤い外套団(レッド・クローク)"?」

「シル、何ですかそれは?」

「ここのところ世間を騒がしている謎の集団ですよ。最近ではグラン・カジノの偽オーナーの犯罪を暴いたとか・・・使います?」

 

 イサミが腰の打刀を逆手に抜いて差し出す。それでは、とリューが礼を言って受け取った。

 ほぼ同時に、再びいくつかの影が降ってくる。

 

「オードっち!」

 

 数体は落ちてきたのと同じ、しかし巨漢から小人族サイズのものまで、さまざまな体格の赤い影。

 落ちてきた影の周囲に集まるそれらを、イサミは油断無く見据える。

 そして僅かに遅れて落ちてくる、もう一つの影。

 

「・・・・・!」

 

 そのもう一人を見たとき、リューの眼が大きく見開かれた。

 同時に、イサミの警戒レベルが最大限に引き上げられる。

 

「レヴィスッ!」

「何故あなたが・・・アリーゼ!」

 

 ハシャーナを殺した女、赤髪の怪人が凍り付くような視線を二人に向けた。

 

 

 

(アリーゼ?)

 

 リューの言葉が気にはなったが、よそに気を置いて立ち向かえる相手ではない。

 イサミは精神の中に「準備」した呪文をいつでも発動できるように、赤髪の女レヴィスに向かって身構える。

 

「・・・ちっ」

 

 一方のレヴィスは態勢を整える赤外套軍団とイサミにちらりと目をやり、舌打ちした。

 そのまま無言で退こうとして。

 

「アリーゼ! 生きていたのですか?!」

 

 リューの言葉に動きを止めた。

 表情を変えず、冷たい視線のままリューを見る。

 

「そのような名前、知らんな。他人のそら似だろう」

「私は! どのように変わっていようと親友の顔を忘れはしません!」

 

 ぴくり、とレヴィスの目元が動く。

 次の瞬間、無言のままレヴィスは地面を蹴り、家々の屋根の向こうに姿を消した。

 

 

 

 イサミは追わない。

 一対一では勝てるかどうかわからない相手というのもあるが、赤外套達を警戒したせいでもある。

 

「・・・ん?」

 

 赤い外套を見やり、イサミが首をかしげた。

 

 一方、その赤外套達は目に見えて安堵のため息をついている。

 イサミが見た限りでは、彼らの実力はLv.5が一人、残りは3から4。

 

 対して今のレヴィスは恐らくLv.6クラス。

 あのままイサミ達が居合わせなければ、殲滅されていたであろうことは想像にかたくない。

 

 リーダー格とおぼしき一人が、こちらに向き直った。

 

「すまねえ、助かったぜ・・・あんた、イサミ・クラネルだな?」

「別にあんたらを助けようとしたわけでもないがな」

 

 肩をすくめる。

 破顔一笑――フードと覆面で見えないが多分――する、リーダー格の赤い外套。

 

「いや、それでも助かったぜ。ありがとうよ! んじゃな、イサミっち!」

「あ、待ってください・・・」

 

 リューが何かを言いさす間もなく、赤い外套達もまた地面を蹴って姿を消す。

 手を伸ばしたまま、追う事も出来ずリューはその場に立ち尽くしていた。




"赤い外套団(レッド・クローク)"はD&Dの背景世界の一つエベロンの、最大の都市シャーンにおけるエリート治安部隊です。


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14-5 【疾風】

 翌朝、いつも通りにダンジョンに出たイサミ達。ベルが誰かの視線を感じてしきりに不審がっていたが、ともかく別れて第一階層の脇道に入る。

 周囲から人の気配がなくなったところで、三人が一斉に振り向いた。

 

「さあ、出てこいよ。何者か知らねえが、俺たちゃちょいと手強いぜ・・・お?」

 

 通路から出てくる、覆面姿の冒険者らしき姿。

 まさか素直に出てくるとは思わなかったのか、シャーナが虚を突かれた顔になる。

 同時にイサミも。

 

「え? リューさん?」

「申し訳ありません、クラネルさん。お話ししたいことがあり、後をつけさせて頂きました」

 

 覆面を外し、リューが一礼する。

 

「それは、やはり昨日の?」

「はい。アリーゼ・・・クラネルさんはレヴィスと呼んでいましたが・・・」

「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 

 不意に、レーテーが大声を上げる。

 リューはおろか、イサミやシャーナまでがぎょっとした顔で振り返った。

 

「な、何ですか?」

「思い出した! あなた、【疾風】ちゃんでしょ! アストレア・ファミリアの!」

「え? あっ!」

 

 一瞬眼をぱちくりさせたシャーナもまた驚きの表情になった。

 アストレア・ファミリアはかつてオラリオに存在した、正義の女神の眷属達である。

 

 過去にガネーシャ・ファミリアはアストレア・ファミリアと協力してオラリオの犯罪組織や闇派閥と戦っており、彼女(当時は彼)もアストレア・ファミリアのエースであった【疾風】とは多少の面識があった。

 

「? その歳で私を知っているのですか? 私がその名前で人前に出たのは五年前が最後ですが・・・」

「あ、いや、ガネーシャ・ファミリアの人から聞いたことがあって・・・」

「ああ、なるほど」

 

 もちろん、リューの方で相手がハシャーナ・ドルリアだと気づくわけもないが。

 

「【疾風】って、正義の女神(アストレア)の派閥のエースでしたよね。

 敵対派閥にファミリアが壊滅させられた後、復讐をやり過ぎてブラックリストに載り、最後は生死不明・・・でしたか」

「よくご存じで。ですがそれはおいておきましょう。私が伺いたいのは、あの赤髪の女性。

 私の目が節穴でないなら、彼女は私の親友だった、そして死んだはずの人物なのです・・・」

 

 沈黙が落ちた。

 イサミ、シャーナ、レーテーの三人が視線を交わす。

 二人の視線は「お前に任せる」と言っていた。

 しばし悩んだ末、洗いざらいぶちまけることにする。

 

「実はですね・・・」

 

 

 

「・・・」

 

 これまでレヴィスにかかわったほぼ全てを――シャーナの事は別にして――話し終えると、リューは沈黙した。

 イサミの語った事実を受け止めきれていないようでもある。

 

「正直、信じられません。生きていたことも、そうした者達に手を貸していることも・・・」

「アリーゼさんは迷宮内で罠にはめられてお亡くなりになったんでしたね。

 生きていたことに関しては、27階層の惨劇の時に半身を失って死んだはずの"白髪鬼(ヴェンデッタ)"という例もありますので、アリーゼさんとレヴィスが同一人物だとすれば、同様の経緯で命を繋いだ、ないしは蘇生したと言う事は十分に有り得るかと」

 

 再度沈黙したリューが顔を上げた。

 

「クラネルさん。話してくれてありがとうございます。それで、厚かましいと思いますが、もう一つお願いが」

「あの赤い外套のことですか?」

「ええ。あなたは、彼らを知っているのではありませんか?」

 

 確かにイサミには思い当たる節がないでもない。

 ショックを受けた状況だったろうによく見ているな、と感心する。

 さてどうするか、と考えるが、結論は既に出ていた。

 

「わかりました。心当たりにコンタクトを取ってみましょう。ただ、一連のことはご内密に」

「! ありがとうございます!」

「気にしないで下さい。愚弟のナイフを取り戻してくれた時のお礼をまだしてませんでしたからね」

 

 にかっとイサミが笑った。

 

 

 

 ちょっと待っていて下さい、と言ってイサミが脇道に引っ込む。

 ややあって戻ってきたイサミが頷いた。

 

「しばらくしたら来るそうです」

「・・・? そう、ですか」

 

 やや胡乱なまなざしになるものの、リューが頷く。

 しばしの時が流れ、雑談やシルの料理の話などで時間を潰していた時。

 

「お、いたぜ! よう、イサミっち! 昨日はありがとよ!」

「リド、声が大きい」

 

 黒いフードと赤いフードの、見るからに怪しい一団が迷宮の通路に姿を現した。

 黒い方はいわずと知れたフェルズである。

 

「・・・!」

 

 本当に来た、と口に出しはしないものの、軽い驚きにリューの目が見開かれる。

 昨日赤い外套団の外套を見て占術阻害その他の効果を持っていると気づいたイサミは、彼らが自身の顔を知っていたと言う事もあって、フェルズと関係あるのではないかと見当をつけていた。

 そして"送信(センディング)"呪文でフェルズとメッセージのやりとりをし、こうして彼らがやってきたと言うわけだ。

 

「ご足労頂き申し訳ない。まさか本人達も連れてきてくれるとは思いませんでしたが」

「君が【疾風】の名前を出したからね。アストレア・ファミリアは言わば彼らの先輩だ。会わせておきたかったのだよ」

「そりゃどういうことだ、フェルズ?」

 

 リューが問う前に、リドと呼ばれた男――恐らく、昨日の赤外套のリーダー格――が首をかしげる。

 言いつつフードを取って見せた顔は30絡みの、快活な笑みを浮かべるヒューマンの男だ。

 

 その他の赤外套たちも次々とフードを取る。

 エルフや小人族、獣人など種族は様々だが、それらの顔を見たイサミの眉がぴくり、と動いた。

 

変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)か)

 

 変装帽子による変装はあくまで幻覚。イサミの"真実を見抜く目(トゥルーシーイング)"には全くの無力である。

 そのイサミの視覚は、トカゲ人間や翼の生えた美しい女性型モンスター、小人サイズの二足歩行するウサギなど、モンスターとしか思えない彼らの真の姿を捉えていた。

 

 ちらり、とフェルズの顔を見る。

 フェルズが頷き、イサミはそのまま何事も無かったかのように視線を戻した。

 フェルズが改まった様子で口を開く。

 

「おほん。改めて紹介しよう。彼らは"赤い外套団(レッドクローク)"。都市にはびこる犯罪や闇派閥の残党と戦ってくれている。

 ハシ・・・シャーナくんだったな。彼女に最初に宝玉を取ってきて貰ったときにも、バックアップをしてくれていたんだ」

「へえ、そりゃ気づかなかったぜ」

 

 アゴをつまむシャーナに、リドがにやっと笑ってみせる。

 

「それでフェルズ、こっちの姐さんが俺らの先輩だってのは?」

「言葉通りの意味だよ、リド。ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアが倒れた後、都市の治安を守っていたのは彼女の所属するアストレア・ファミリアとガネーシャ・ファミリアだったのだ。

 残念ながら彼女のファミリアは壊滅してしまったが・・・その名はいまだに都市住民の間で語り継がれている」

 

 おお、と赤外套たちから感嘆の声が上がった。

 わらわらとリューの周囲を取り囲み、口々に質問や賞賛を投げかける。

 

「あ、その」

「こらこら君たち。リューさんが困っているだろう。少し遠慮しなさい・・・リューさん?」

 

 リューの様子を見たフェルズが首をかしげる。

 無表情な彼女にしては珍しく、その顔には驚きや戸惑い以外の何かが浮かんでいた。

 

「いえ・・・」

 

 ぎゅっ、とリューが拳を胸の前で握った。

 その口元が僅かにゆるんでいる。

 

「ただ、少し嬉しかったのです。

 私たちのファミリアは壊滅してしまいましたが、ガネーシャの人たち以外にもその志を受け継いでくれている方々がいたとは・・・

 私たちのやって来たことは無駄ではなかった、そう思えて」

「へへ・・・」

 

 リドが鼻の下をこすりながら照れたように笑う。

 残りの赤外套達も、程度の差はあれ似たり寄ったりの表情をしていた。




異端児登場~。
変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)はマジックアイテムとしては凄く安い(普通のプレートアーマーが金貨1500枚、変装帽子が1800枚)ので、あれ、そうすると異端児の問題の大半は解決しちゃうんじゃない?とw


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14-6 捜査は足や

 ふう、と息をついてからリューが表情を戻す。

 

「まぁそれはこの辺にしておきましょう。私がお聞きしたいのは、昨日あなたたちを追っていた赤い髪の女・・・

 アストレア・ファミリアの同胞にして私の親友だった、アリーゼという女性です」

「!?」

「け、けどよ! 姐さんの仲間っていうなら、その人も都市のために戦っていた人じゃあねえのかい?」

 

 リドの問いに、リューは目を伏せ。

 

「もちろんです。彼女が、都市の破壊をもくろむ敵にくみすることなど有り得ません。

 しかし、それ以上に彼女は――五年前、死んだはずなのです」

「なぁっ?!」

 

 今度こそ、赤外套達は驚愕に固まった。

 フェルズも少なからず驚いているようだったが、はっと顔を上げる。

 

「そうか、あれだな? ルルネ・ルーイの報告にあった白仮面の男――オリヴァス・アクトと同じと言う訳か」

「そうじゃないかとは睨んでます・・・リューさん、アリーゼさんの当時のレベルは?」

「私と同じ、Lv.4です」

「【白髪鬼】が死んだ時Lv.3だったか? それでLv.5以上の戦闘力があったんだから、レヴィスもまあ妥当なところか」

 

 実際に戦ったシャーナの指摘にイサミが頷く。

 

「それで、彼女と出会ったのはどういう経緯だったのですか?」

「彼らには動きの怪しい商会を探って貰っていたのだ」

「その商会の倉庫を調べてたんだけど見つかっちまってなあ。

 即座に撤退したんだがそのまま追撃を受けて、イサミっちとリューっちに助けて貰ったってことよ」

 

 リド達の言葉にリューが考え込む。

 

「ですか・・・では今からもう一度その倉庫を調べても無駄でしょうね」

「やっぱそうかね?」

「そこで急いで掃除もしないような連中なら、とっくに尻尾を掴んでるさ」

 

 リドが顎をかき、フェルズがため息をついた。

 

「そう言えばリド達には透明化のアイテムか何か持たせてないのか?」

「もちろん持たせてるさ。起動していた状態で見抜かれて、襲撃を受けたそうだ」

「これだから本物の一流はなあ・・・それとも、透明看破のアイテムでも持ってたか?」

 

 24階層で戦った時点でのレヴィスの戦闘力は、Lv.6のアイズにやや劣る程度。

 だが強化種である怪人は魔石を大量に摂取することで短期間に大幅な能力上昇が可能だ。

 現状ではLv.6の域を超えて強化されている可能性もあった。

 

「それで、リューさんはこれからどうするつもりなんだ?」

「よろしければこちらのフェルズさん、リドさんたちと行動を共にさせていただけないものかと。

 店の方は女将さんにお願いして休みをいただいておりますし」

 

 ふむ、とフェルズが考え込む。

 一方リドは喜色をあらわにして拳を握った。

 

「いや、姐さんが参加してくれるなら千人力だぜ! ひょっとして魔法とかも使えたりすんのかい?」

「あ、はい。攻撃魔法と、いささか効きは遅いですが回復の――」

 

 会話を交わす二人をよそに、シャーナがイサミの顔を見上げた。

 

「向こうさんは話がまとまった感じだが、俺たちゃどうするんだ?」

「レーテーはぁ、イサミちゃんがいいほうでいいよぉ」

「うんまあ、お前さんはそうだろうな」

 

 肩をすくめ、シャーナが再度イサミを見上げる。

 

「で? おまえさんはどうするんだ?」

「まあその・・・ここではいさよならってのも後味悪いじゃないですか?」

「そう言うと思ったよ」

 

 困ったように言うイサミに、シャーナは大剣を担いでため息をついた。

 

 

 

 "空白の心(マインドブランク)"に類する強力な占術妨害を得ているのだろう、イサミの呪文でレヴィスの位置はつかめない。

 

「まあ、だろうとは思ったがな」

「そこまで甘くはないか」

 

 軽く方針を話し合った後、一行はフェルズと別れてくだんの商会の近くに来た。

 

「それじゃ、打ち合わせ通りに」

 

 "集団不可視化(マス・インヴィジビリティ)"で不可視化した一行がイサミの言葉に頷いた。

 (この呪文で一緒に透明化したものは、互いの姿を見ることが出来る)

 そして一人透明にならずにいたイサミが呪文を唱え、彼らの前から姿を消した。

 

 

 

 "上位不可視化"で姿を消したイサミは商会の内部に潜入する。

 "精神探査(プロウヴ・ソウツ)"呪文で管理職の記憶を片っ端からさらっていく力業に打って出たのだ。

 

 フェルズにも近いことは出来るが、彼は透明にこそなれるものの尋問や隠密、捜索と言った盗賊系の技能の心得がない。

 本質的には技術屋のたぐいだろうなというのがイサミの見立てだ。

 

 かくして忙しく動き回る商会員にぶつからないように、また時折歩いてくる高レベル冒険者に悟られないよう注意しつつ、イサミはそれとおぼしき地位の人間の記憶を探る。

 冒険者やモンスターと異なり、【恩恵】を受けていない商会の人間がイサミの術に抵抗するのはほぼ不可能だ。

 

「赤銅色の髪の女を知っているか?」

「黒ひげの戦士を知っているか?」

「赤髪の女を知っているか?」

「白い仮面の男を知っているか?」

「知っている人間は誰だ?」

「知っていそうな人間に心当たりはないか?」

「怪現象や怪しい人物を目撃したことはないか?」

「目撃した人物を知らないか?」

「目撃したという噂は?」

「商会内できな臭い噂のする部署は?」

「商会内の倉庫やその他の建物で噂がある場所は?」

 

 等々、上級冒険者が護衛についているであろう幹部級は避け、現場責任者クラスから一人一人洗っていく。

 記憶をさらう行為自体それなりに時間がかかるため、必然作業時間は長きにわたる。

 

 商会に入っていったのが午前の九時過ぎ。

 "上位不可視化"を二度ほどかけ直し、めぼしい人物の記憶を探り終えて商会を出てきた時にはもう昼の三時を回っていた。

 

 

 

 待ち合わせの場所に戻り、"上位不可視化"を解除する。

 待機組の不可視化は解除しないままに、片手を上げて挨拶。

 

 シャーナ達は互いの姿が見えるし、イサミの魔力視覚は不可視化を見通せるので、このままでも不都合は無い。

 端から見ると空気に話しかけるイタい人だが。

 

「お疲れさん。首尾はどうだった?」

 

 路地裏の何もない空間からシャーナの声がする。

 一流の冒険者であれば、その周囲に多くの息づかいや身じろぎの気配を感じていぶかしんだことだろう。

 

「商会主はいなかったが、幹部の一人が知っていた。8番街の商会主の別宅だ。

 それと、そいつにデヴィルがついていた――もちろん、姿は変えていたけどな」

「やっぱり黒か」

 

 と、リドの声。

 そこにレーテーが言葉をかぶせてくる。

 

「見破られたりはぁ、しなかったのぉ?」

「ただの"不可視化(インヴィジ)"ならともかく、"上位不可視化"は"真実の目(トゥルー・シーイング)"くらいでしか見破れない。

 その辺の雑魚がそうそう持ってるような能力じゃないさ」

「へー」

「ただ、何人か凄腕の冒険者とすれ違ってな。バレないかどうかひやひやものだったよ」

 

 ぴくり、とリューの眉が動いた。

 

「護衛ですか?」

「いや客、というか取引相手のようでした。明らかにまともじゃない面構えでしたね。後で似顔絵を描いて渡しますよ」

「あなたも多芸ですねえ・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

「いや魔術師関係ねえし」

 

 シャーナが突っ込むのをスルーしてイサミはリドに視線を向ける。

 

「で、どうする? 今から行くか?」

「いやあ・・・やっぱ夜じゃねえか? 昼間に騒ぎがあったらまじぃよ」

「同感です。この場合、世間の目はあちらの味方だ」

 

 と、これはリュー。

 

「じゃあそれで行こう。夜11時に、北西の城壁の見張り詰め所で」

 

 短く呪文を唱えて、ぱちんと指を鳴らす。

 赤装束の一団と、シャーナ、レーテー、リューの姿が現れた。

 

「そりゃ構わないけど・・・どこ行くんだ?」

「日銭稼ぎさ。しがない冒険者は生活が厳しいんだ。ほれ、行こうぜ、シャーナ、レーテー」

 

 バベルへ向かって歩き出しながら、イサミが後ろ手に手を振った。



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14-7 ガサ入れ

 夜十一時。

 繁華街はまだ明るく人の往来が絶えないが、住宅街である八番街では魔石灯の明かりがまばらに灯るのみで、人影もない。

 

 オラリオを囲む城壁内部、以前フェルズと宝珠の受け渡しをした場所に一同は再び集まっていた。

 今度はリド達やリューに加えてフェルズもいる。

 

「それで先輩。これからどーすんだ?」

「せ、先輩!?」

 

 リドの言葉に、リューが目を白黒させた。

 

「先輩・・・」

「センパイ、センパイ!」

「あ、あう・・・」

 

 口々に先輩先輩と連呼する赤外套達、ないことにうろたえるリュー。

 イサミとフェルズが顔を見合わせて苦笑し、シャーナがにやにやと笑う。

 

「あーん、もう、リューちゃんかわいい!」

「ふわーっ!?」

 

 リューを抱きしめてほおずりするレーテーに、リューの口から思わず変な声が漏れた。

 

 

 

 しばし後。混乱した場を落ち着かせて、改めてリューが口を開いた。

 なおレーテーは中身が子供ということもあって、リューのエルフ潔癖症チェックをすり抜けられるらしい。

 

「・・・おほん。正直私もこの規模で強襲というのは余り経験がありませんが、それほど問題にはならないでしょう。

 内部事情を探っていたら逃げられる可能性もありますし、二手に分かれて手当たり次第というのが良いのではないでしょうか」

「まあそんなところでしょう。組み分けは俺たち三人とそれ以外の皆さんでよろしいでしょうか?」

 

 じっ、とリューがイサミ達三人を見て、頷いた。

 

「妥当なところでしょう。クラネルさんには出来れば情報の吸い出しをお願いしたいところです」

「もちろんです。出来る限りやってみましょう」

 

 頷き、一同は動き出した。

 

 

 

 かすかに戦いの音と断末魔の悲鳴が聞こえる。

 シャーナがつまらなそうな顔で舌打ちした。

 

「ちぇっ、当たりはあっちの方だったか」

 

 くだんの商会主の別邸。

 離れと倉庫の二手に分かれたイサミ達であったが、本命はリュー達の向かった離れの方であるようだった。

 

 倉庫の中にも少数デヴィルがいたが、レーテーとシャーナによって苦もなく切り伏せられている。

 一匹無力化して捕縛したが、ざっと頭の中を覗いてろくな情報を持っていないと判明したのでとどめを刺された。

 

「早くあっちに応援に行こうぜ。

 あいつらも弱かねえが、レヴィスだのあのおっさんだのが出てきたりしたらやばいだろ」

「まあ待てよ。俺たちの目的は敵をどうこうするより情報だ。むしろこっちの方が本命だ。

 とりあえず手当たり次第にその辺の物を持ち帰ってくれ」

「はーい」

 

 怪しげな物品を次々と"ヒューワードの便利な背負い袋"に放り込む二人。

 一方イサミは目を閉じつつ、倉庫の中をゆっくり進んでいく。

 

 そのまぶたの裏に、戸棚の中の皿、机の下の食べかす、梱包された木箱の中身、テーブルの上の羊皮紙に走り書きされたメモの内容、木箱と壁の間に挟まった銅貨・・・そうした物が自動的に浮かんでくる。

 "瞬間捜索(スポンテニアス・サーチ)"呪文を常動化したイサミは、数分から数十分掛けて周囲を調べる手間を数秒に短縮することができる。

 

「こりゃ凄いな。深層の魔石にデフォルミス・スパイダーの目玉にフォモールの乱杭歯、ヴェノムスコーピオンの尾針・・・」

「おい、そりゃ確か・・・」

「ええ、ご禁制の魔道具や薬の材料になる奴ですよ。随分有能な取引相手がいるらしい・・・ん?」

「どうした」

「いや、ちょっと離れててくれ。お宝かもしれん」

 

 罠かと頷いて、シャーナとレーテーが倉庫の入り口にまで下がった。

 それを確認してイサミが向き直ったのは、何の変哲もないレンガの壁。

 倉庫だけあって、漆喰で塗り固められたりしていない、打ちっぱなしの頑丈だが簡素な物だ。

 

「・・・・・・」

 

 その前でイサミが立ち止まり、膝をつく。

 腰の袋から奇妙な道具――我々の世界でたとえるなら、先端が刃物になった極端に細長いマイナスドライバーや鳥のくちばしのようなペンチ、はけ、針金、しおりのような薄い鉄板、釣り針のような小さなフック、手鏡などを取りだして脇に置く。

 

 怪しい箇所の周囲をはけで丹念にはき、ホコリを落としていくと、よくよく注意してみなければわからないレンガ壁の継ぎ目が浮き出る。

 レンガのいくつかを注意深く取り外すと、そこに鍵穴と超硬金属製の扉が現れた。

 

(さて、と。どうやら罠は二種類。この線とトリガーの配置は、"宝箱の中の瓶"か?

 もう一つは上に伸びてるから、釣り天井か、それとも"銀の雨"のたぐいか・・・用心深いことで)

 

 正しい鍵を、正しい方法で用いなければ、泥棒の命はないと言う事だ。あるいは中にあるものも。

 これだけの罠が仕掛けてあると言う事は、よほどの物が中にある可能性が高い。

 む、と気合いを入れ直す。

 

「少し時間がかかるかもしれない。見張り頼む」

「オーケイ」

「任せておいて!」

 

 頷きを返すと、イサミは壁に向き直った。

 

小魔術(プレスティディジテイション)

 

 呪文の力でふわり、と手鏡が宙に浮く。

 鏡の反射で鍵穴を覗き込んで、真正面に立たないようにして作業する。

 飛び出してきた毒矢で目や命を失った間抜けな盗賊の話など、冒険者の間にはゴロゴロしているのだ。

 

(このトリガーは・・・こっち、かな。この腸線をこっちで抑えて・・・よし)

 

 大きな手で器用に道具を使いこなし、仕掛けの腸線を抑え、針金を切断したり曲げたりして、トラップが正常に働かないように細工する。

 

 1分ほどかかったが、罠職人としてもイサミは一流である。

 さほど苦労することもなく、罠を解除して金庫の扉を安全に開くことに成功した。

 

「おーい、入っていいか?」

「ええ、どうぞ。さて、ご開帳・・・と、何だこりゃ?」

「あん?」

「うん?」

 

 金庫の中身を取りだして、眉を寄せるイサミ。

 肩の上から覗き込んだ二人も、似たような顔になる。

 

 真っ黒い金属製のそれはイサミのラージサイズの両手の平に余るほどの大きさで、何らかの像なのかインゴットなのか、はたまた前衛芸術なのか、いかんとも判別しがたい。

 渦巻くうねりのようにも、放射状にうねくる触手のようにも、また風にふくらむローブを纏ったのっぺらぼうの何かのようにも見える。

 ただ、見ているだけで不安になるような何かがその造形にはあった――これが何者かによる造形だったとしてだが。

 

「うへっ、気持ち悪りい」

「やな感じ・・・」

「マルタの鷹にしちゃあ、嫌なデザインだな・・・ん? んん?!」

 

 何かに気づいたイサミの、その瞳が次の瞬間大きく見開かれた。

 

「おい、どした?」

「・・・これ、最硬精製金属(オリハルコン)ですよ! オリハルコンの像です!」

「ぬわにぃーっ?!」

「えーっ!?」

 

 シャーナとレーテーが目を丸くした。

 

 

 

 最硬精製金属(オリハルコン)

 不壊属性武器の素材でもある、文字通り世界最硬、金剛不壊の超合金である。

 

 最高純度の強度と魔力を込められたそれは、殆どあらゆる物理的衝撃、熱化学変化、魔力による干渉を受け付けず、"最高位鍛冶師(マスタースミス)"が専用の設備をもってすることでしか加工できない。

 ヘファイストス・ファミリアの椿をはじめとして、それが出来る鍛冶師はオラリオでもほんの一握りだ。

 

「しかも純度も高いですよ・・・下手すると椿さんの打った武器より高いかも・・・」

「マジか」

「ふわぁ・・・」

 

 下手をすると、この塊だけでも億は行くかも知れない。

 オリハルコンとはそれほどの貴重な素材なのだ。

 

「あれぇ? けど、オリハルコンって銀色なんじゃ? 不壊属性武器って銀色でしょ?」

「その辺は精製と鍛え方によるんだよ。方法はわからないけど、これは間違いなく高純度のオリハルコンだ」

 

 そうなんだぁ、とレーテーが頷こうとして次の瞬間、大爆発で倉庫が吹っ飛んだ。




ガサ入れって何のことだと思ってましたが、どうやら「捜す」をひっくり返して「ガサ」、「手入れ」で「入れ」ってことらしいですね。
まあ内容には何の関係もない事ですがw


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14-8 赤と白と赤

 離れの方の戦闘は、終始"赤外套(レッド・クローク)"側優位で進んでいた。

 "変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"同様の魔法的な幻影変身をフェルズが解除し、亜人の姿をしていたものどもがその本性を現す。

 

 Lv.5相当のデヴィルは人間サイズの白い昆虫のようなものが一体、残りは推定Lv.4が一体とそれ以下が10体ほど。

 リドが主力の白いデヴィルを抑え、残りをリューとフェルズ、他の赤外套達が素早く駆逐していく。

 

 そして白いデヴィルをリドが切り伏せ、最後の一体、ひげ面の悪魔をリュー達が捕縛しようとしたその時、庭で大爆発が起こった。

 

「何っ!?」

「倉庫が!」

「!」

 

 一瞬フェルズ達の注意が逸れた隙に最後の一体が逃げようとして首が飛んだ。

 

「なっ!」

 

 大剣の一振りでそれを為した闖入者は、いつの間にか悠然とそこに立っていた。

 呆然と、リューがその名をつぶやく。

 

「アリーゼ・・・」

「いいや、違う。私はレヴィスだ。お前達の言う"怪人(クリーチャー)"だ」

 

 赤髪の怪人、レヴィスがそこにいた。

 

 

 

 大爆発が起こった瞬間、イサミ達三人は倉庫の外に飛び出していた。

 シャーナとレーテーはLv.5冒険者のステイタスで、イサミはそれには及ばないまでも強化された機動力と反射速度で爆発の直撃を避けている。

 

 その三人の目に映ったのは、庭の中央に立つ白い影。

 全身を白い衣と骨で出来た防具で覆い、頭部に装着した仮面の裏で何かがもぞもぞと動く気配をさせている。

 その姿はレヴィス同様の怪人、"白髪鬼"オリヴァス・アクト。

 

「ちぃ、貴様らか! よりによって・・・それは!」

 

 イサミが手にする像を見て、仮面の奥の目が見開かれる。

 やはりこの像は、と思う間もなくイサミは呪文を詠唱する。

 

「っ!」

 

 直前、オリヴァスのまとうオーラに気づき、詠唱しようとしていた呪文を対単体の"灼熱の光線"から範囲攻撃の"冷気の円錐"に切り替える。

 

「《最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"冷気の円錐(コーン・オブ・コールド)"!」

「《高速化(クイッケン)》《呪文連鎖化(チェイン)》"空白の心(マインドブランク)"!」

「ぐおおおおっ!」

 

 炎と電気と冷気と酸の複合した円錐状のエネルギーがイサミの手から放たれ、18m半径、90度の1/4円の形に庭の芝生を焼き凍らせる。

 

「ぐっ・・・さすがだな。光線の呪文で攻めてくれば無効化出来ていたものを・・・!」

「あいにく、その手の駆け引きは慣れてるんだ。見え見えの防御に引っかかるか馬鹿」

 

 "光線そらし(レイ・デフレクション)"。

 名前の通り、あらゆる光線系の攻撃を逸らして弾く強力な呪文だ。

 

 D&Dにおける対単体攻撃呪文のかなりが光線呪文であることを考えると、高レベルの魔術戦では極めて強力な防御呪文と言っていい。

 イサミは魔力視覚でオリヴァスの帯びた防御術のオーラを感知し、呪文、あるいはアイテムの正体を看破したのである。

 

 しかし範囲呪文は光線に比べて一体ごとのダメージが低くまた抵抗(セーブ)もされやすい。

 (というより、光線呪文にはセーブという概念が基本的にない)

 現に今、オリヴァスの受けたダメージも致命傷には程遠かった。

 

「ぬん!」

 

 ぎぃんっ、っと幻聴がした。

 精神衝撃(マインドブラスト)。"精神をかき乱すもの(マインドフレイヤー)"のもっとも恐るべき能力にして、オリヴァスの奥の手。

 だが。

 

「なにっ!?」

 

 イサミはもちろん、シャーナもレーテーも、全く意に介さずに攻撃を繰り出してくる。

 

「しゃっ!」

「やあっ!」

「ぐうっ!」

 

 皮下装甲のおかげで辛うじて皮一枚、直撃は避けたものの、オリヴァスはたまらず後退した。

 

「馬鹿な・・・! いつの間に!」

「タコ野郎とやり合うのに、精神衝撃(マインドブラスト)対策をしないわけがないだろ」

 

 精神衝撃(マインドブラスト)は名前の通りに精神を揺さぶって朦朧とさせる力。

 だが空白の心(マインドブランク)は、精神に干渉するあらゆる攻撃を弾く。

 シャーナが大剣を構え直す。

 

「こいつ、強いね・・・」

「ああ。だが、やれない相手じゃない」

 

 シャーナとレーテー、どちらかと一対一なら互角かオリヴァスがわずかに有利。

 しかしLv.5が二人がかり、しかも奥の手を封じられてはさすがの怪人も分が悪い。

 後ろにイサミが控えているなら尚更だ。

 

「ぬう・・・」

 

 仮面の下に脂汗がにじんだ。

 

 

 

 時間は少しさかのぼる。

 

「うわっ?!」

 

 八番街を当てもなく歩いていたベルが、爆発音と爆炎にびくり、と震える。

 夜も更けて、フル装備で出て行く兄たちを不審に思ってつけてきたのだ。

 八番街に入ったところで見失ってしまったが、諦めきれずにウロウロしていたのである。

 

(最近の兄さんは・・・きっと何か隠してる)

 

 兄ほどの観察力はなくとも、ベルとてイサミとは十年を超す付き合いだ。

 弟は、兄が思うよりも兄のことをよく見ている。

 まなじりを決すると、ベルは爆発音と爆炎の上がった方向に向かって走り出した。

 

 

 

 そのベルを見下ろす影があった。

 豪華な屋敷の屋根にうずくまるそれは、高さも幅も3mはある。

 赤いマニキュアを塗った長い爪が、アイシャドウを配した眉をなぞった。

 

(まずいわね。あれを奪われると・・・いえ、見られただけでもシャレにならないわ。

 この小僧も、何かやらかす前に始末しておいた方がいいかも。

 グラシア様直々の命令だったけど、その姫様もあんな事になってしまったしね・・・)

 

 鮮やかな赤いくちびるが、耳まで裂けてニヤリと笑った。

 

 

 

「うわっ!」

 

 炎が上がる屋敷の近くにまでたどり着いたベルは、思わず足を止めた。

 悲鳴と炎が上がり、屋敷のガラス窓が割れるのが見える。

 

「蛇・・・?」

 

 割れたガラス窓から細長い物が這い出してくるのが見え、ベルは夜闇に目をこらす。

 

「っ!」

 

 次の瞬間、街路がひび割れた。

 割れた地面の裂け目から次々と飛び出すのは、魔石灯の弱々しい明かりに照らされた緑色の太い蛇・・・いや、牙の生い茂る花を咲かせる人食いの花。

 

 反射的に【神のナイフ】を抜こうとして、強烈な視線と寒気を感じる。

 ベルが前方に転がるのと、「何か」が地響きを立てて落ちてくるのと、一瞬前までベルのいた空間を赤い爪がなぎ払うのがほぼ同時。

 

 振り向いたベルの前に立ちはだかったのは、高さ3m、横幅3m。ほとんど自身の倍の巨大な壁。

 ベルは知らないが、十日ほど前にイサミ達と戦った巨大な肥満体のデヴィル。

 推定Lv.6、パエリリオン。

 

「あらやだ、勘のいいボウヤだこと! ほんと、グラシア様がお気に入られるのもわかるわぁ。

 でもねえ、アンタのクソ兄貴がやってくれた分、せめてアンタに返さなきゃアタシの気が済まないのよぉっ!」

「っ! 兄さんが?!」

 

 やはり。

 その時ベルの顔に浮かんだのはそう言う表情だった。

 にまあ、とパエリリオンのくちびるが再び笑みの形にゆがむ。

 

「あら、その様子じゃ知らなかったみたいね? 知りたい? そう、知りたいでしょうねえ。でもダメ。アンタはここで死ぬのヨっ!」

「っ!」

 

 振り下ろされる、左右の赤く長い爪。

 ベルは奇跡的にそれを両方避けた。

 

「まっ! ナマイキッ!」

 

 パエリリオンが笑みを大きくする。

 が、ベルは笑うどころではない。

 圧倒的なステイタスの差がわかる。相手は全く本気を出していないのに。

 

 振り向き、全力で駆け出そうとして、柔らかい何かにぶつかる。

 見上げたベルの目に映るのは真っ赤に紅を塗った、耳まで裂けたくちびる。

 

「アラ、せっかちじゃない? 夜はまだこれからよ。一緒に楽しみまショ?」

「・・・・・・ッ!」

 

 一瞬前まで目の前にいたパエリリオンが、また目の前にいる。

 ベルの視界が、絶望で黒く染まった。

 



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14-9 ヒルディスヴィーニ

「がっ! ぐっ! がぁっ!」

「ホラ、ホラ、ホラァ! この程度でイっちゃヤあよ! もっとアタシを楽しませなさいっ!」

 

 面白いように命中する赤い爪が、ベルの鎧と肉体を削る。

 なぶっているのだ。この肉の塊は。

 

 必死で避ける。

 必死で防ぐ。

 アイズ・ヴァレンシュタインに教わった戦闘技術をフルに駆使する。

 

 相手から目を逸らさず、集中力を途切れさせず、常に動き回り、三手先を考えて動く。

 だが圧倒的なステイタスの差がそれを無視する。

 面白半分に振り回しているだけの赤い爪が、体に次々と傷を刻み込んでいく。

 魔法を使う暇すらない。

 

「・・・!」

 

 それでも倒れず、ベルはナイフと短剣を構える。

 パエリリオンの目がすっと細まった。

 

「ホント、ナマイキねえ。そうね、次はその目を・・・っ?!」

 

 数分前のベルのように、何かを感じ取ったパエリリオンの体が硬直する。

 目の前のベルを完全に無視して、後ろの「何か」に振り向く。

 

 恥も外聞もなく前方に逃げた少年との、そこが違い。

 そして、それが両者の運命を分けた。

 

「ひぃっ?!」

 

 振り向いたパエリリオンが最後に見たのは、おのれの脳天に食い込む鋼のきらめき。

 そしてそれを一瞬に足下まで切り下ろした、偉丈夫の猪人(ボアズ)

 

「あ・・・」

 

 ぽかん、とベルが口を開けた。

 両断されたパエリリオンの残骸がどさどさ、と一拍遅れて地に伏せる。

 たった今、パエリリオンを頭から股下まで一刀のもとに切り捨てた男は、無言で大剣を振り、青黒い血を剣から払った。

 

 その無骨な相貌にベルは見覚えがあった。

 否、オラリオに住まう者で、この男の顔と名を知らぬ者はいないだろう。

 

 生ける偉烈。

 オラリオ唯一のLv.7。

 英雄豪傑が綺羅星のごとくひしめくオラリオでなお頂天に輝くその名。

 

 "猛者(おうじゃ)"、オッタル。

 

 

 

(フレイヤ様の御懸念が正しかったと言う事か)

 

 唖然とするベルを見下ろしてオッタルは思う。

 ここ数日ベルの周辺に怪しげな影があると見たフレイヤは、オッタルに命じてベルの周囲を張らせていたのだ。

 

「あ、あの・・・」

「構えろ。来るぞ」

 

 おずおずと言いかけるベルにハイポーションを投げ渡し、ずい、とオッタルが前に出る。

 先ほどのパエリリオンすら上回る、隣を山が通り過ぎるような感覚。

 圧倒されながらも、ベルは慌ただしくガラス管の中身を飲み干して振り向く。

 

「!」

 

 街路を埋め尽くす食人花がいた。

 無差別に暴れるのではなく、明らかにベル達を狙っている。

 

「奴らの魔石は花の中央、口の中にある。斬撃と火炎が効くから、お前ならやれるはずだ」

「は、はいっ!」

 

 頷く暇もなく、食人花が襲ってきた。

 

「"ファイアーボール"ッ!」

 

 ベルの手から小さな光球が放たれた。

 迫る食人花達の間をすり抜けたかと思うと、二列目の食人花に命中し、次の瞬間半径6mの爆発が起きる。

 だが紅蓮の炎に焼かれつつも、食人花達は突進してくる。

 単純に、ベルの魔力では威力が足りないのだ。

 

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「"ファイアーボール"ッ!」

「ほう」

 

 が、威力が足りないなら連射で補えるのがベルの速攻魔法だ。

 右手から乱射される光球が次々に炸裂し、焼かれた食人花達が一体また一体と倒れていく。

 それを横目で眺め、オッタルが軽い感嘆の声を上げた。

 

 もっとも、そのオッタルのほうは一体また一体どころではない。

 無造作に大剣を振るたびに数体の食人花がバラバラになり、あるいは魔石を砕かれて灰となる。

 精神力の限りに放つベルの火球が焼くそれより、竜巻のように振るわれる大剣の倒す数の方が遥かに多い。

 

(うわっ・・・)

 

 横目でちらりと見たベルが、冷や汗をかく。

 彼には、振り回される大剣の影を追うことすらできない。

 

「よそ見をしているな。死ぬぞ」

「は、はいっ!」

 

 正面に向き直り、精神力の限り火球を放ちながら、それでも接敵してくる食人花をナイフと【牛若丸】でなぎ払う。

 相性的に有利とはいえ、根本的に食人花のスペックはベルのそれを上回る。

 時折オッタルのフォローが入るとは言え、ベルにとっては辛い戦いだった。

 

 

 

「はあ・・・はあっ・・・」

 

 だが思ったよりも早く、食人花の群れは途切れた。

 大多数がベル達にではなく、屋敷に向かって行ったせいだ。

 精神力の大量消費にベルが汗を流す。

 

「・・・・・・・・!」

 

 屋敷の方を向くと、三階建ての屋敷と広い敷地がまるごと隠れるほどの食人花が群がっていた。その高さは優に10mを超える。

 時折内部から空に向けて炎が吹き上がり、百体を超す食人花が灰になるが、すぐに周囲の食人花が群がり、穴を塞いでしまう。

 

 イサミの魔法は強力だが、しかし視界の外、壁の向こうに放つことは出来ない。

 先ほど使った"冷気の円錐"のように術者を基点に効果が貫通する魔法もあるが住宅街の中、しかも周りに仲間がいて、屋敷の中にもひょっとしたら生き残りがいるかも知れないと考えると、少しずつ丁寧に焼いていくしかない。

 こんな場所で"風制御"など使おうものなら、甚大な被害が出るだろう。

 

 

 

 その直前、オッタルは食人花の塊から二つの人影が飛び出していったのを見ていた。

 Lv.7の鋭い視覚はそれが赤髪の女と白い仮面の男であるのも確認している。

 だが追いはしない。彼の使命はあくまでベルを守ることだからだ。

 

「兄さん!」

 

 走り出そうとしたベルの肩をオッタルが掴む。

 

「やめておけ。今のお前では死ぬだけだ」

「で、ですけど!」

「お前の兄が噂通りの男なら、あの程度では死ぬまい。足手まといにはならないことだ」

 

 くちびるを噛んでうつむくベル。

 それを見下ろすオッタルの口元がかすかに、ほんのかすかにゆるんだ。

 

 ベルとミノタウロスとの死闘を、フレイヤのそばに控えていた彼も見ていた。

 だからわかる。この少年は悔しいのだ。兄を助ける力のない自分が不甲斐ないのだ。

 

 もう一度何か鍛えてやろうか。そんな事を考えている自分に驚きを感じる。

 ふっ、と今度ははっきり苦笑を表に出して――オッタルは後ろを振り向いた。




ヒルディスヴィーニは女神フレイヤの持つ猪。
一説には愛人であるオッタルが変化した姿とも。


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14-10 頂天と最強と

「えっ・・・っ!?」

 

 オッタルの様子に気づいたベルがワンテンポ遅れて振り向く。

 その視線の先に悠然と立つのは、灰色の戦闘衣を着た黒髪黒ひげの巨漢。

 体格はオッタルに僅かに劣るが、放つ威圧感は都市の頂天たる彼をも凌ぐかと思われるほどだ。

 

「・・・・・・・・・」

「あーあ、殺っちまいやんの。たく、こっちゃ使える手駒が少ないってのによ」

 

 オッタルの放つプレッシャー、余波でベルが動けなくなるレベルのそれを、軽く受け流して軽口を叩く巨漢。

 

「えっ?」

 

 すらりと剣を抜き、黒い刀身を唐竹割されたパエリリオンの胸元に無造作に突き刺す。

 魔石を破壊されたモンスターと同じく、パエリリオンの体が灰になった。

 ぴくり、とオッタルの目元が動く。

 

「貴様は・・・」

「ん? 俺を知ってるのか? ああ、あの時のぞき見してた奴か?」

 

 飄々とした調子を崩さないロビラーに対し、オッタルは無言。

 ヒゲの戦士はにやりと笑って顔をベルの方に向けた。

 

「よう、ひさしぶりだな。レベルアップしたか? 随分と強くなったじゃねえか」

「え、ええと・・・?」

 

 少年の反応に、ロビラーが怪訝な顔になる。

 

「ありゃ? 俺の事覚えてないのかい。まあしょうがないか、あん時ゃお前さん一杯一杯だったからな」

「す、すいません!」

 

 きまじめに頭を下げるベルに、吠えるような笑いが喉を突いて出た。

 

「わはははは! まあ気にするな! レベル1でミノタウロスと、それもあんなろくでもない怪物と戦ったんだ!

 俺の事なんざ、覚えてなくても仕方ねえやな!」

「ああ、あの時の・・・え? それって・・・!?」

 

 思い当たったのか、ベルの顔がこわばる。

 にやり、とロビラーがくちびるを歪めた。

 

「そうさ。お前の兄貴に剣を突きつけてたのが俺だ。

 つまり――お前らの敵さ」

「!」

 

 言葉と共に放たれるプレッシャー。

 

「か・・・はっ・・・!?」

 

 いかにランクアップしたとて、ベルはまだLv.2に過ぎない。

 Lv.7を超える相手から発せられる本気の圧に、呼吸すら忘れて石のごとく固まる。

 

 そのベルを守るように、オッタルが一歩前に出る。

 くちびるを歪めたまま、ロビラーがオッタルに向き直った。

 黒いバスタードソードを両手で持ち、顔の前に垂直に立てる。

 剣士の礼だ。

 

「俺は・・・今は称号()無しのロビラー」

「女神フレイヤ様の眷属、オッタル」

 

 オッタルもまた剣を立て、礼を返した。

 どちらからともなく、二人が剣を下ろし、構える。

 

 オッタルは両手持ちの大剣。刃渡りは130cmほど。

 ロビラーは刃渡り100cm、冷気をまとった黒い片手半剣(バスタードソード)、邪神の鍛えし魔剣"ブレード・オブ・ブラック・アイス"。

 

 オッタルは両手青眼に構え、ロビラーは半身で右手中段。

 二人はそのまま動かず、息詰まるような数瞬が流れる。

 

 動かない。

 微塵たりとも剣は動かず、ただ空気に、今にも爆発しそうな危険な何かが満ちる。

 呼吸をすることも叶わず、ベルはただそれを見ていることしかできない。

 

 

 

 その瞬間、二人の間で何が通ったのかはベルにもわからない。

 二人の技の起こりも、それを導いた「機」も、ベルには全く見て取れなかった。

 

 ただ気がつくと火花が散り、金属音が響く。そこでようやくロビラーの斬撃をオッタルが弾いたことを理解した。

 オッタルが半歩下がり、ロビラーもまた間合いを取る。

 呪縛が解けたかのように、ベルが呼吸を再開した。

 

「・・・・っ! はあっ、はあっ・・・!」

「おう少年。息しなきゃダメだぞ? 死んじまうからなあ」

 

 オッタルから視線は逸らさぬまま、剣は動かぬまま、ロビラーがベルをからかう。

 オッタルは無言、そして同じく不動。

 ただ眉間のしわが僅かに深くなっている。

 ベルはただ、立ちすくんでいることしかできない。

 

 

 

 火花が散る。

 オッタルの大剣に刃こぼれが生じた。

 

 火花が散る。

 オッタルがまた半歩下がる。

 

 火花が散る。

 更に刃こぼれ。

 

(何かしなきゃ・・・!)

 

 立ちすくみながら、脂汗を浮かべながら、それでもベルが頭をフル回転させる。

 そうしている間にも無数の火花が散り、オッタルの大剣の刃が少しずつこぼれ、僅かずつその足が後退していく。

 二人の剣など影すら見えないが、それでもオッタルが押されているのは確かだった。

 

 完全防御。

 都市唯一のLv.7冒険者が持つ、いわば超英雄の技(エピックスキル)

 

 【エアリエル】を加えたアイズの全力の突撃すら止めて見せたそれは、ステイタスと技量の双方で上回るロビラーの猛攻をほぼ完全に凌ぎきっている。

 だが、凌いでいるだけだ。

 決して――そう、決して互角ではない。

 

(何かしなきゃ・・・何かしなきゃ・・・何かしなきゃ・・・!)

 

「おう、馬鹿な事は考えるなよ、少年」

 

 びくり、とベルの体が震えた。

 火花が次々と発しては散る中、楽しそうに笑みを浮かべている黒ひげの戦士。

 脂汗が、滝のような汗になる。

 

 ドラゴンの前の兎。

 圧倒的というのも愚かしい存在の差がロビラーとベルの間にはある。

 

「流石にこいつ相手にしてたら、おまえさんを優しく気絶させてやれるかどうか、ちっと自信がないからな。

 真っ二つにされたくなかったら、大人しく引っ込んでな。な?」

 

 優しいとすら言えそうな声音に、戦慄と安堵と、そして悔しさが燃える。

 

「・・・!」

 

 それで、たがが外れた。

 何も考えずに右手が上がり、それに左手を添える。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "雄牛の膂力(ブルズ・ストレンクス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "猫の敏捷(キャッツ・グレイス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "熊の頑強(ベアズ・エンデュアランス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級魔道師の鎧(グレーター・メイジアーマー)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "移動迅速(エクスペディシャス・リトリート)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "加速(ヘイスト)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "勇壮(ヒロイズム)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "武器鋭化(キーンエッジ)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "所くらまし(ディスプレイスメント)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "朧姿(ブラー)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "対悪防護(プロテクション・フロム・イーヴル)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "対悪魔法陣防護(マジックサークル・アゲンスト・イーヴル)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級武器魔力付与(グレーター・マジックウェポン)"!」

 

 数秒の間に十を超す呪文が疾った。

 一つ一つはロビラーとオッタルのステイタス差に比べれば微々たるもの。

 

 無我夢中で詠唱した呪文は無駄なものもあれば効果が被って無意味になるものもある。

 冷静さを失い精神力を浪費したベルは、先の食人花との戦いもあり、もはや立っているのもやっとだ。

 

 だが。

 

「・・・!」

 

 オッタルの後退が止まった。

 先ほどよりもひときわ増えた火花の嵐。

 その中にあって、自分を上回る力量を持つ超戦士を相手に、オッタルは退くことをやめた。

 

「おっ?」

 

 今までとは違う音色を奏でる一筋の火花。

 一太刀、それも無造作に流されたとは言え、ロビラーの雷光のごとき連続攻撃の合間を縫って、初めて放った攻めの一撃。

 

「ふうん。そういやお前さんの太刀筋、前に見たことがあるなあ。あれは・・・」

「・・・っ!」

 

 火花が散る。金属音が間断なく響く。

 オッタルの大剣から削り取られる金属の破片の数が、目に見えて増えていく。

 互いに攻めを繰り出すようになり、打ち合う回数が倍加しているのだ。

 

 ロビラーにはまだ余裕がある。オッタルは全力。

 まだ互いの体に、互いの剣は一太刀もかすってはいない。

 だがそれでも、両者は辛うじて互角の戦いを演じていた。



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14-11 幕切れ

 実際にはそう長い時間ではなかっただろう。

 大規模な攻撃呪文が使えないとしても、所詮食人花はイサミ達にとって苦戦する相手ではない。

 だがベルにとってその時間は無限にも等しく、オッタルにとっても決して短くはなかった。

 

「ベル! ・・・オッタル、ロビラー?!」

 

 食人花達を全滅させ、こちらに気づいたイサミ達が駆けつけてくる。

 イサミがベルの横に並んだ瞬間、ひときわ高い金属音が響いた。

 

「!」

 

 魔石灯の弱い光の中、ボロボロになった金属片が回転して、割れた音とともに石畳に落ちる。

 オッタルの大剣が、根元1/3程を残して折れていた。

 一方、ロビラーの剣には刃こぼれ一つない。

 

 オッタルが素早く間合いを取り、大剣の柄を捨てて腰の後ろの小剣を抜く。

 ロビラーも追わず、黒剣を肩に担いだ。

 

「・・・どういう状況だ? できれば誰か説明して欲しいんだがな」

 

 駆けつけたイサミが、ベル、オッタル、ロビラーの三人を見回した。

 

「あ、あの、兄さんの後をついてきたら、爆発があって! こっちに来たら太った怪物が! 緑色の大きな花が、それで、オッタルさんに助けて貰って・・・」

「! 太った怪物ってあれか、3mくらいあってマニキュアと口紅とアイシャドウつけてる?」

「そうそうそう! それで、食人花倒したらこの、ロビラーさんが出てきて!」

 

 我が意を得たりと頷くベルに、大体の事情を察する。

 ロビラーに戦意がないのをちらりと確認すると、オッタルに向かって深々と頭を下げた。

 

「弟がお世話になりましたようで。このご恩はいずれ必ず」

「俺はただ通りすがっただけだ。それにこの男は我らにとって敵。戦う時と場所を選ぶ道理は無い」

 

 ちらりとイサミに目をやったのみで、淡々と答えるオッタル。

 イサミはいぶかしみながらも苦笑しようとして、はっと目を見開いた。

 十日ほど前、ベルと戦ったミノタウロスの太刀筋をどこで見たか思いだしたのだ。

 

(そうだ、レーテー・・・フリュネと戦った時の!)

 

 ベルがミノタウロスと戦う前日、迷宮の中で見たイシュタルファミリアの襲撃。

 その時のオッタルの剣と、あのミノタウロスの剣がイサミの脳裏で重なる。

 

 ステイタスは比較にもならないが、技量であればイサミはオッタルとほぼ同じ水準にある。

 つまりそれは、オッタルの剣技を正確に見て取れる目があると言う事。

 その目が、両者の剣技に共通する物があると断じていた。

 

 驚愕を押し殺してオッタルを見上げる。

 続いてロビラーに目をやる。

 剣を担いだままニヤニヤするそのさまは、今頃気づいたのかと言われているようでむかついた。

 

「で? 俺には事情を聞いてくれないのかい?」

「おっさんに聞く事が何かあるとも思えないけどな」

 

 すまし顔のイサミに、今度はロビラーの方が渋面になる。

 

「だからおっさんはやめてくれって言ってるだろうに。敏感なお年頃なんだぞ」

「うるせえ。あんたなんかおっさんだ」

 

 漫才めいた会話を繰り広げるロビラーとイサミにシャーナがため息をつき、リューやリド達が唖然とする。

 オッタルの目元にすら僅かに呆れた表情が浮かんだ。

 

 

 

「で、あんた何でここにいる――あの像か?」

 

 ぴくりとロビラーの眉が動いた。

 

「やっぱ見たのか・・・今持ってんのか?」

「そうだと言ったら?」

 

 イサミがロビラーの視線を正面から見返した。

 事情を知らないオッタルとベル以外の全員に緊張が走る。

 黒ひげの巨漢は苦笑して、よせよせと手を振った。

 

「持ってようがいまいが、まあ俺の管轄じゃないから関係ないね。

 もっとも、持ってるなら色々厄介ごとに巻き込まれるのは覚悟しておけよ」

「もう巻き込まれてるさ。とっくの昔にな」

 

 違いない、と肩をすくめてロビラーがきびすを返す。

 

「帰るのか、おっさん」

「もうここにいる用もないしな・・・そうそう、オッタル殿、いずれまた。今度はもうちっとマシな剣があればいいな」

 

 しからばごめん、と後ろ手に手を振ってロビラーは闇の中に消えていく。

 後を追う勇気――あるいは無謀――はこの場の誰にもなかった。

 

 

 

「ぶはぁ~~~っ!」

 

 ロビラーの気配が完全に消えてしばらく経った後、リドが盛大に息をつく。

 それが合図であったかのように、誰もが肩の力を抜いた。ただし、オッタルだけはわからない。

 リューが口元の覆面を下げて額の汗をぬぐった。

 

「何だったんですか、あの化け物は・・・」

「見ての通りの怪物だよ。一応敵だが、何を考えてるんだかよくわからん」

 

 がやがやとリドやフェルズ達が会話を交わす中、オッタルも無言のまま一同に背を向けた。

 気づいたイサミが、改めて頭を下げる。ベルが慌ててそれにならった。

 

「ありがとうございました・・・あなたにその気はなくても、それで弟が助かったのは事実ですから」

「あ、あの、オッタルさん! ありがとうございました!」

 

 一瞬、オッタルの足が止まる。

 だが結局振り向くことも言葉を発することもないまま、偉丈夫の猪人も闇の中に姿を消した。

 

 

 

 続いてフェルズとリドたちもその場を離れた。

 リューもしばらくは彼らと行動を共にするらしい。

 

 後にはイサミとシャーナ、レーテー、そしてベルだけが残った。

 

「にいさん・・・」

 

 ベルが兄を見上げる。

 イサミが頭をボリボリかいてため息をついた。

 

「まあ、なんだ。とりあえずホームに帰ってからにしよう。ここじゃ人目につかないとも限らない」

「・・・うん・・・」

 

 

 

 廃教会に帰ると、まだ起きているらしいヘスティアに気づかれないよう、イサミの部屋に集まる。

 イサミが外套のポケットから紅茶の瓶とクッキーを取りだし、思い思いその辺に腰を下ろした。

 

「さて、何から話したもんかなあ・・・怪物祭のあたりからか?」

 

 紅茶とクッキーをつまみながら、シルに対する疑念やシャーナのこと、フェルズの正体やオッタルとミノタウロスに関する疑念などは除いて大体のことをベルに伝える。

 

「じゃあ、あのシルバーパックや大芋虫、ええと・・・」

「キャリオンクロウラー」

「キャリオンクロウラーやミノタウロスも、僕を目標にしたものだっていうの?」

「あくまで可能性だがな」

 

 イサミの言葉にベルが黙り込む。

 無理もない。上級冒険者とは言え、14歳の少年が立ち向かうには途方もない問題でありすぎる。

 

「まあ、そんなに深刻に考えることもないさ。連中に対処するのは赤外套や上位派閥の役目。

 けどそれとは別にお前を狙ってる奴もいるから、心構えはしておけ。そう言う話だ」

「うん・・・」

 

 うつむいたベルがぎゅっ、と拳を握る。

 震える拳にイサミもシャーナもレーテーも気づいたが、何も言わなかった。

 

 

 

 薄闇の部屋に月光が差し込む。

 ワインを口にするフレイヤの傍らに彫像のごとく控えるのはオッタル。

 

「それで、あなたの目から見てあの子はどうだった?」

「着実に強くなっております――身も、心も」

 

 美の女神が艶然と微笑む。

 

「正直さすがに手を出し過ぎかとは思ったのだけれど、念のためにあなたに行って貰って良かったわ」

「御懸念は正しかったかと」

 

 フレイヤが外の景色に目をやった。

 未明の迷宮都市はさすがに灯火も絶え、闇に沈んでいる。

 

「この闇の中に何かが潜んでいる・・・でも心しなさい。

 あの子に手を出すようなら、やけどする程度では済まなくてよ・・・」

 

 そう独りごちると、美の女神は再び艶然と微笑んだ。

 



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第十五話「心はサムライ(戦士大全じゃないほう)」
15-1 サラマンダー・ウール


 

 

 

 

 

『じゃあ、エルフ風呂』

 

 ―― 『新ソードワールドリプレイ へっぽこーず』 ――

 

 

 

 

 

 闇の中。

 うすぼんやりとした人影だけが浮かんでいる。

 数はわからないが、少なくとも十人以上。

 

「・・・なあ、本当にやるのか?」

「なんだ、今更ビビったか」

「~~~はなんて言ってるんだよ?」

「決まってるだろ。『面白ければいい』さ。全くどいつもこいつもクソッタレだぜ、くくっ」

 

 含み笑いをする男。

 長椅子でくつろいでいるにもかかわらず、男の発する雰囲気がその場を支配している。

 それきり言葉を発するものはいなかったが、場の意志が一つにまとまったのが誰にも感じられた。

 

「よーし、それでいい。"人生"は短いんだ、やりたいようにやらないとな」

 

 皮肉げな言葉に周囲から笑いが上がった。

 ぱしん、と手を叩いて男が立ち上がる。

 

「さあ、行こうぜ・・・人間狩り(マンハント)だ」

 

 

 

「はあっ!」

「やあっ!」

 

 赤外套達とデヴィル達の調査に赴いた翌朝。

 払暁の廃教会に金属音が響く。

 ここ一月ほど、毎朝の日課となっているベルの特訓だ。

 

「やあっ!」

「グッ!?」

 

 レーテーの強烈な蹴りがベルの腹をまともに捉える。

 吹き飛ばされたベルが壁に激突し、漆喰がぱらぱらと降り注いだ。

 

「だ、大丈夫?」

「まだまだあっ!」

 

 慌てるレーテーに構わず、ベルが跳ね起きる。

 

「お願いしますっ!」

「う、うん・・・」

「気合い入ってんなー」

 

 シャーナがのんびりとつぶやいた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十五話「心はサムライ(戦士大全じゃないほう)」

 

 

 

 しばらくして、そろそろシャーナに交代しようかと言うところでイサミが上がってきた。

 左手に刀を提げている。

 

「なんだ、珍しいな・・・気になるか?」

「まあね」

 

 一種鬼気迫るベルの様子を見て、軽くため息をつく。

 昨夜、改めて自分の未熟さを思い知らされた事への悔しさ。

 それがベルを駆り立てているのだろう。

 

「ふう・・・はぁ・・・」

「大丈夫? 少し休む?」

「いえ、大丈夫です! 続けて下さい!」

 

 心配そうに覗き込むレーテーに、ベルが顔を上げて答える。

 

「うーん・・・」

 

 困り顔のレーテーがイサミの方を向いた。

 イサミが頷く。

 

「俺が代わろう」

「え、兄さん?」

「久しぶりに相手してやるよ――俺もちょっと、体を動かしたいところだったしな」

 

 歩み出たイサミが左手の刀を抜く。

 刀身を顔の横に縦に立てる――右八双の構え。

 

「・・・!」

 

 ベルがナイフと短剣を構え直した。

 

 

 

 太刀風が唸る。

 

 イサミが先手を取って振り下ろした剣を、ベルが敏捷度任せに避けた。

 能力値では既にベルがイサミを凌駕している。

 

 だが二撃目。

 反撃しようとしたところで、下から燕返しに切り上がってきた二の太刀はかわせなかった。

 左手の【牛若丸】で弾き、重さに手を痺れさせつつも右手のナイフで脇腹を狙う。

 イサミは軽くステップを踏み、後ろに動いてこれを外した。

 

「しゃっ!」

「!?」

 

 剣が疾る。

 先ほどの燕返しも折り込んだ、息もつかせぬ五連撃。

 

 ベルは全力回避。後ろに大きく飛び下がって、どうにか外す。

 前髪が数本、頭頂部の毛が数本、それぞれ切られて宙に舞った。

 

「ふわぁ。イサミちゃんすごいねえ」

「ああ・・・言われてみれば、【凶狼】相手に技量では負けてなかったんだよな、あいつ」

 

 かつて"猛者(おうじゃ)"オッタルが"風"を乗せたアイズ・ヴァレンシュタイン必殺の【リル・ラファーガ】を技術だけで凌いだ。

 単純な威力だけならオッタルの渾身の一撃をも凌ぐそれをだ。

 極めた技は、1lvくらいのステイタス差なら埋めてしまえる。

 

 そしてD&Dの戦闘系《特技》とは、すなわち戦闘技術そのものに他ならない。

 自らの体を効率よく操縦する技術。同じステイタスでも、その多寡によっては圧倒的な差となりうる。

 

 ましてやイサミはステイタスが追いつかないだけでLv.7に匹敵する技量を有しているのだ(魔法強化込みでではあるが)。

 いかに鍛えられようと、ステイタスで平均5段階ほど勝る程度のLv.2冒険者(ベル)では相手にならない。

 ほどなく、ベルは壁に追い詰められて降参した。

 

「まー、2lv違うと、どんな技術を磨いてもカバーできないって事でもあるがな」

「でも兄さんやっぱり凄いよ・・・ステイタスは僕の方が上のはずなのに、全然敵わなかった」

「今のうちだけさ。お前がLv.3になったら太刀打ち出来なくなってるんじゃないかな」

 

 微笑して、イサミは弟の頭をくしゃりと撫でた。

 

(ステイタスも上がってくれると嬉しいんだがなあ・・・)

 

 堕精霊グラシアとの戦いでレベルキャップを越えたイサミではあったが、そのレベルもD&D換算にして23レベルで再び止まっている。

 これ以上に上がるには、再び《偉業》を積まねばならないということなのだろう。

 イサミとしてはステイタスも伸びる、通常のレベルアップも是非して欲しいところなのだが。

 

「そう言えば今日から中層か。気合いが入ってたのもそれでか?」

「うん・・・そんなとこ。エイナさんの許可が貰えればだけど」

「リューさんもエイナさんも言ってたが、中層からは戦いのレベルがまるで違う・・・らしいからな。

 準備はいくらしてもし過ぎることはないぞ」

 

 歯に物の挟まったような言い方に、ベルが妙な顔になる。

 

「らしいってのは何さ。兄さんだって中層突破したんでしょ?」

「俺はまあ・・・最初から魔法使えたからなあ。中層の壁は全然感じなかった。壁を感じたのは下層と深層の境目くらいからだな」

「そりゃまあ、あんな魔法最初からぱかすか使えればな」

 

 苦笑したのはシャーナである。

 イサミの非常識な魔法を一番よく知っているのは彼女だ。

 

「シャーナさんとレーテーさんは、中層に入ったときどうだったんですか?」

「そうだなあ。いつもって訳じゃ無いが、上層から考えるとしゃれにならん頻度で敵が増えることがある。

 最初のうちはファミリアの先輩がついてきてくれてたんだが、それがなきゃ一回二回は死んでたかもしれねぇ」

「いーなあ。レーテーはそういうのなかったから、結構苦労したよぉ。

 特にヘルハウンドがね。囲まれて、二回くらいパーティの仲間が死にかけたの」

「あー、ヘルハウンドは厄介だよな。"火精霊の護布(サラマンダー・ウール)"着てなかったらやべぇわありゃ」

 

 そのまま中層での苦労話に移行する二人から、兄に再び視線を戻す。

 

「にいさん、"サラマンダー・ウール"って?」

「"火精霊(サラマンダー)"の加護を織り込んだ布。火から守ってくれるんだ。

 中層行くなら必須装備だそうだな。まあ、エイナさんがその辺は教えてくれるだろ。

 それよりそろそろ飯の時間だからシャワー浴びてこい。俺は神様起こしてくるから」

 

 

 

 食後、イサミの提案でベルのステイタス更新を行う。

 昨晩更新したばかりであるにもかかわらず爆発的な伸びを示したベルのステイタスに、ヘスティアが吹き出したのは言うまでもない。

 

 その後、イサミ達はダンジョンの深層へ。

 ベルはギルドに向かい、エイナから中層進出の許可とサラマンダー・ウールの割引購入券を貰った。

 

 そして夕刻。

 豊穣の女主人亭から戻ってきたイサミが、春姫の出迎えを受けて怪訝な顔になる。

 

「あれ、ベル達はまだ戻ってきてないのか?」

「はい。今日は少し遅いようで・・・」

 

 心配そうな春姫に、イサミはちょっと考えてから面を上げる。

 

「うーん・・・まあ初めての中層だろうし、そういう事もあるだろう。

 何かあれば"送信の石"で連絡が来るだろうしな」

「そう・・・でございますね。ベル様達は大丈夫でございますよね」

「ああ。それじゃ買い物行こうか。今日は魚市場の方に行くぞ」

 

 二人が買い物を終え、ヘスティアが帰宅し、夕食の時間になっても、ベル達は帰ってこなかった。




D&D3版のサムライは最初「オリエンタル・アドベンチャー」という東洋系冒険サプリメントで登場してて、これは結構強かった&応用が利いたりしたんですが、後に「戦士大全」というサプリで再録されたときは強さでも能力の幅という点でも、キャラ付けの点ですら大幅劣化してたという・・・。
サムライなんだから刀と脇差しくらいデフォでよこせや、おう?!


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15-2 "念視の水晶片(スクライング・シャード)"

「・・・・・・・・・」

 

 テーブルの上に並べられた料理がむなしく冷めていく。

 時計の針は八時を指していた。

 ヘスティアがこわばった顔をイサミに向ける。

 

「な、なあイサミ君。やっぱりこれはベル君たちに何かあったんじゃないか?」

「そうですね。ちょっとこっちから呼びかけてみましょう・・・《発動短縮》"送信(センディング)"」

 

 精神的なメッセージをやりとりする呪文を発動するが、本来すぐあるはずのベルからの応答はない。

 

「・・・!」

 

 表情を険しくしたイサミは、ピンク色の細長い六角形の水晶を取りだした。

 "念視の水晶片(スクライング・シャード)"。

 遠隔視に使うモニター、つまりは千里眼に使う水晶玉と同じようなものである。

 

「"上級念視(グレーター・スクライング)"」

 

 イサミがベルの顔を念じて呪文を発動すると、テーブルに置かれたピンクの水晶から光が発し、その上に像を結び始めた。

 はじめは色彩の波だった映像が唐突に明晰なヴィジョンを映し出す。

 

 映像はどこかの情景を半径3mに渡って半球状に切り取ったようで、範囲外の情景は全く映し出されない。

 どことも知れぬ夜の草原、そばに口を開ける洞窟。倒れ伏す10人ほどの男女。中央には傷つき倒れたベルが映っている。その背中が、かすかに上下していた。

 

「ベルくんっ!」

「ベル様!」

「ここは・・・十八階層の入り口か?」

「・・・うん、だと思うよぉ」

 

 周囲の面々が口々に叫ぶ中、イサミは安堵のため息をついた。

 ベルがどうして18階層にいるのか、どうして見知らぬ冒険者達といるのかはわからない。

 だが、生きて息をしている。それだけでイサミには十分だった。

 

「でもぉ、一緒にいる子達は何なのかな?」

「たぶん中層突破するのに途中で手を組んだ・・・あん? こいつ、お春に似てないか?」

「え・・・あっ! 命ちゃん!? 千草ちゃんも、他の皆様も・・・!」

「えっ?」

 

 春姫に周囲の視線が集まる。

 

「知ってるのかい、お春くん!?」

「わ、わたくしがまだ極東におりましたころのお友達でございます! タケミカヅチ様の眷属であるはずなのですが・・・」

「タケの!?」

「え? ご存じなのですか!?」

 

 極東の武神タケミカヅチは医神ミアハと共にヘスティアの近所づきあいの貧乏神仲間である。

 灯台もと暗しと言うべきか、ヘスティア、春姫共に互いに関係があることを全く知らなかったのだ。

 

 しばし驚愕に固まっていた春姫が、決然と顔を上げる。

 向けられた強い視線に、イサミが目を見張った。

 

「イサミ様。お願いでございます――春姫を十八階層にお連れ下さいませ。

 必要とあらば冒険者になります。魔導書も読みます。

 たとえ"ウチデノコヅチ"をもう一度発現するとしても春姫は・・・春姫は、ベル様達と命ちゃん達を助けとうございます!」

 

 数瞬黙考した後イサミが頷いた。

 

「わかった。どうせ迎えに行くんだ、春姫一人ならどうってことはないだろう。

 中層なら俺一人でも十分すぎるくらいだしな」

「ああ・・・!」

 

 感極まったか、両手を握って座り込む春姫。

 代わりにずい、とヘスティアが身を乗り出した。

 

「よし、ならばボクも連れて行ってくれ、イサミ君!」

「あ、神様はご遠慮願います」

「何でだよ?!」

 

 にべもない拒絶に、歯をむき出して威嚇するロリ巨乳。

 ため息をつきつつ、それを手で押しとどめる。

 

「神様がダンジョンに入っちゃまずいんでしょう?

 それにお春なら【恩恵】がありますからかすり傷程度なら耐えられますが、神様の場合普通の人間以下の耐久力しかないじゃないですか」

「ばれなきゃ問題ない!」

 

 胸を張る主神にまたため息。

 

「いいじゃねえか。一人増えたところで中層だ、大したことはねえだろ」

「そうだよぉ、私とシャーナちゃんで一人ずつ守ればいいじゃない?」

「うーん・・・」

 

 イサミに四人の視線が集中する。

 三度目のため息をついてイサミは降参した。

 

 

 

 時間は半日ほど巻き戻る。

 エイナの条件通り、サラマンダー・ウールを人数分買い込んで中層に乗り込んだベル達は、早速その洗礼を受けていた。

 13階層に下りて数度目の戦闘で、小型の兎型モンスター・アルミラージに包囲されたのだ。

 

 まるでベル様ですねなどと冗談を飛ばしていられたのも最初のうちで、筋力は低いものの敏捷と集団戦に長じ、しかも石斧で武装する白兎の群れにパーティは翻弄される。

 Lv.1のヴェルフでは攻撃が中々当てられず、リリは飛び道具故に距離を詰められると弱い。

 自然、ベルに負荷が集中した。

 

「温存なんて・・・言ってられない! "スコーチング・レイ"!」

 

 右手から飛び出した火線が次から次へと6匹のアルミラージに飛び移り、その内半数を倒した。

 ファイヤーボール等の範囲型攻撃魔法と違い、一体一体を狙って飛び火する連鎖型魔法は、威力に劣る代わりに乱戦でも問題なく使用できる。

 

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

「スコーチング・レイ!」

 

 連射によって大半のアルミラージが焼き殺され、残りをどうにか始末する。

 精神力の消耗と多数を相手に渡り合った肉体的疲労に、ベルが大きく息をついた。

 

「ベル様、ポーションとマジックポーションです」

「ありがとう、リリ」

「ヴェルフ様も」

「ああ、すまん・・・」

 

 ベルが二本の試験管を一気に飲み干した時、足音が聞こえてきた。

 強化されたステイタスによる鋭敏な聴覚が、その中から二種類の足音を聞き分ける。

 一つは自分たちと同じ冒険者のもの、恐らくは5~6人。

 そしてもう一つは・・・

 

「リリ! ヴェルフ! モンスターだ! 多い!」

「!」

 

 丁度ポーションを飲んでいる最中だったヴェルフが激しくむせる。

 魔石を採集しようとしていたリリが、ナイフをしまって右腕のハンドクロスボウを構えた。

 

 ベルが叫んですぐ、ルームの入り口に一団の冒険者が現れた。

 極東風の装束を身にまとった六人パーティ。

 大半が負傷しており、重傷を負った少女が先頭の大男に背負われている。

 

 冒険者達が真っ直ぐベル達の方へ走ってくる。

 ベルは神のナイフを鞘に収め、彼らに向かって右手を突き出した。



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15-3 タケミカヅチ・ファミリア

 タケミカヅチ・ファミリア首領、カシマ・桜花は視線の先の若い冒険者が右手を真っ直ぐこちらに突き出すのを見てぎょっとした。

 自分たちのやろうとしていたこと――怪物進呈(パス・パレード)、現代日本のMMOではMPK(モンスター・プレイヤー・キラー)と呼ばれる怪物のなすりつけ――が看破されたのかと思ったのだ。

 

 だが。

 

「"蜘蛛網(ウェブ)"!」

 

 桜花達がルームに入るのと同時に白髪の少年が呪文を発動する。

 と、彼らがたった今くぐり抜けてきた通路が、無数の白い糸のようなものでびっしり塞がれた。

 僅かな時間をおいて、アルミラージや巨大アルマジロ・・・ハード・アーマードの怒りの吠え声が蜘蛛の巣の向こうから響く。

 

 "蜘蛛網(ウェブ)"。

 さしわたし12mに渡ってびっしりと蜘蛛の巣のような粘着質の糸を張り巡らせる魔法である。

 踏み込んだものは糸に絡め取られ、動けなくなってしまう。

 糸を張り渡すための壁や天井などがなければ使えない欠点があるが、力づくでこれを抜けるのは中層のモンスターであっても容易くはない。

 

「今のうちです! 態勢を立て直して!」

「お、おう! 景清、千草の治療だ! 飛鳥は詠唱を! 卜伝は盾をくれ!」

 

 ベルの声に桜花は戸惑いながらもてきぱきと指示を出し、背中の少女――千草を床に下ろす。

 自身は黒髪の少女――命と共に仲間の前に立って、怪物達が抜けてきた場合の盾になった。

 

 その横に白髪の少年と赤髪の青年が並び、桜花はちらりと少年の方を見下ろす。

 恐らく彼は自分が彼らを生け贄にしようとしたことに気づいていない。

 ただ純粋に、こちらがピンチだから助けてくれようとした。

 胸に、ちくりと痛みが走った。

 

「!」

 

 糸の間から吹き出した炎が桜花を物思いから引き戻した。

 炎が蜘蛛の糸を舐め、あっという間に焼き切っていく。

 

 蜘蛛網(ウェブ)呪文のもう一つの弱点、炎による攻撃だ。

 ヘルハウンドの炎の吐息はさしわたし12mの蜘蛛の巣を一息に焼き払うほどではないが、それでも熱したナイフがバターを切るより容易く、蜘蛛の糸を切り払っていく。

 

「ちっ・・・景清! 千草は!」

「もう少しかかる!」

 

 舌打ちする。

 少女の肩に食い込んだ石斧は相当の深手で、桜花達が買いそろえられるレベルのポーションでは治療に限界があった。

 もう少し高価なものに手を出しておけばとも思うが、故郷に仕送りをしなければならない彼らにはレベルほどの金銭的余裕がない。

 

 ついに炎が蜘蛛の糸を焼き切った。

 その奥に光るのは怪物どもの赤い目、目、目。

 

(来るか・・・!)

 

 大斧を握り直す。隣の命も刀を構え直した。

 暗闇の中、赤い目の怪物どもが走り来る。

 身構えたその瞬間。

 

「ライトニングボルトォ!」

 

 黄金の雷光が白髪の少年の右手からほとばしった。

 一直線に伸びたそれは通路を突き進み、36mの直線上に存在する全てを灼き尽くす。

 同レベルのファイアーボールに比べると敵を巻き込みにくく使用頻度の低い呪文だが、一直線の通路を迫り来る敵を迎撃するのに、これ以上適した呪文はない。

 

「ライトニングボルト!」

「ライトニングボルト!」

「ライトニングボルトォ!」

 

 火炎攻撃に強い耐性のあるヘルハウンドも、電撃には何ら耐性を持たない。

 アルミラージの大群と共に、数発連射するうちに全てが倒れ伏す。

 

「ふんっ!」

「だりゃあっ!」

 

 この階層では突出した耐久力を持つハードアーマードのみがそれに耐え、球状になって突進して来るも、桜花の大斧とヴェルフの大剣に切り伏せられ、絶命する。

 息をついた桜花は、自分でもよくわからない感情と共に白髪の少年を見下ろす。

 少年は、荒い息をつきながらもにっこりと笑った。

 

 

 

「あの、その・・・」

「すまん、助かった。俺はタケミカヅチ・ファミリアのカシマ・桜花」

 

 どこか申し訳なさそうに話しかける黒髪の少女と、それを遮って頭を下げた巨漢に首をかしげつつも、ベルは再度笑みで応える。

 

「気にしないで下さい。困ったときはお互い様ですから。それにタケミカヅチ様と言えば、うちの神様のお友達ですし」

「え?」

「あ、僕、ヘスティアファミリアのベル・クラネルです。こっちはサポーターのリリ、そっちはヘファイストス・ファミリアのヴェルフ」

 

 何気なく告げられた名前に、タケミカヅチ・ファミリアの面々が一斉に青ざめた。

 ヘスティアがタケミカヅチの神友なのは彼らも知っている。

 

 あるものは胸をなで下ろし、またあるものは恥じ入り、またあるものはこの借りを深く心に刻む。

 リリは彼らが何をやろうとしていたのか何とはなしに察したようだが、結局何も言わなかった。

 

 

 

 うぉぉぉぉん。

 

 命の顔を見たベルが何かを言おうとしたとき、その音が響いた。

 それも、ルームに繋がる二つの通路の双方から。

 

「この声は・・・」

「ヘルハウンドだ!」

 

 それまでの雰囲気は雲散霧消し、戦いの緊張がその場を包む。

 

「景清! 千草の治療は!」

「大丈夫です! やれます!」

「よし!」

「桜花さんたちはそっちの通路を! 僕たちはあちらの通路の入り口を塞ぎます!」

「っ、頼む!」

 

 桜花は駆け出していくベルの背中を見つめ、胸の中のわだかまりを今は忘れる。

 生き延びるためにだ。

 

 

 

 モンスターはひっきりなしに現れたが、戦いは意外なほどに冒険者側優勢で進んだ。

 ルームではなく通路の入り口で迎撃しているから前線を形成でき、包囲されないと言うだけで負担は劇的に減る。

 時に押し込まれることもあるが、ベル達はベルの魔法で、桜花達は前衛の桜花と命の二人のLv.2と数の多さでそれをカバーできる。

 

 だからだろうか。誰かがこのままいける、と思ったのも。

 ダンジョンがその慢心に牙を剥いたのも。

 

「!?」

 

 ぐらり、とダンジョンが揺れた。

 ひび割れがルームの床と言わず壁と言わず走る。

 

「いかん! ルームから脱出しろ!」

「そんなこと言ったって、前には・・・!」

 

 モンスターのひしめく通路に無理にでも逃げ込もうとするも、次の瞬間、ルームと周囲の通路はまとめて崩落した。

 

 

 

「うっ・・・」

「ぐうう・・・」

「みんな、無事か! 命! 千草! 景清! 飛鳥! 卜伝!」

「リリ! ヴェルフ!」

 

 ベル達と桜花達はまとめて崩落に巻き込まれ、同じ場所に落ちていた。

 足を痛めたもの、生き埋めになったものを協力して助け出す。

 ヴェルフと景清が足を痛め、ろくに歩けない状態だ。

 

「アイテムがほとんどやられちまった・・・そっちはどうだ?」

「こちらもです。特に、マジックポーションはもうありません」

「それは・・・ちょっときついかな」

「中層に下りてから、予想以上に消費が多かったですから・・・」

 

 魔法に頼りすぎていたか、と自責するベルだが、今はそういう事を考えている場合でもない。

 頭上に大きく空いた穴を見上げるベル。

 

("飛行"の呪文・・・いやだめだ。残りの精神力では使えて2回。全員運ぶには足りない。

 "壁歩き(スパイダークライム)"でも3回が限度だ・・・)

 

 見上げた顔を元に戻し、傍らの大男を見る。

 

「とりあえず上層への階段を目指そう。桜花さん、それまで一緒に行動しませんか?」

「ああ、こっちには異存はない」

 

 頷く桜花とベルにそれなのですが、とリリが切り出す。

 

「ここは14階層ではなく15階層かもしれません」

「!?」

「根拠ですが・・・」

 

 落下距離や周囲の光源のパターンを元にしたリリの仮説には説得力があった。

 そう言えば、と命も口を開く。

 

「この階層、確かに14階層ではないかもしれません――感知できるモンスターの種類が少なすぎます」

 

 命は二つの【スキル】を持っている。

 一つは効果範囲内の仲間、正確には同じ神の【恩恵】を受けた眷属を感知できる【八咫白烏】。

 もう一つは効果範囲内の、遭遇したことのあるモンスターを感知できる【八咫黒烏】。

 

 後者によって感知できる範囲内のモンスターの数が妙に少ない。

 13階層とさしてモンスター分布の変わらないはずの14階層であるにしてはおかしなことである、と言うのが彼女の主張だった。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 暗澹たる雰囲気がその場を支配した。

 13階層であれだけ苦労していたパーティが15階層から、しかも精神力もアイテムも乏しい状態で帰還できるか?

 かなり分の悪い賭けになるだろうことは、誰の目にも明らかであった。

 

 しかも先ほどの崩落の際、"送信の石"も失われている。

 ベルがなけなしの精神力を使って"物体定位(ロケート・オブジェクト)"を発動するが、反応は無い。

 範囲内に存在しないと言う事は考えづらいので、壊れてしまったのだろう。

 

 しばらくの沈黙の後、リリが口を開いた。

 

「お聞きの通り、状況はかなり困難です・・・そこで、リリは十八階層へ下りることを提案いたします」

「「「「「「「はあ?!」」」」」」

 

 その場の全員の声がハモった。




タケミカヅチ・ファミリアのその他のメンバーの名前は、鹿島市の観光名所から取りました。
鹿島神宮は建御雷神を祭る鹿島神社の本社であり、千草と飛鳥はわかりませんが、桜花は多分桜花公園からであろうと思われますので。
(飛鳥建設という会社はヒットしましたw なお茨城限定なら千草という飲み屋も)
というかこの桜花公園って、命名元は特攻兵器の人間爆弾桜花なんですよね・・・(汗)
まさかそう言う意図で付けたわけでもないでしょうが。

アニメやコミック版で弓を持っていたのが景清、千草の容態を見ていた帽子の女の子が飛鳥(これは原作でも名前だけ出ました)、
鉢金を付けてでかいバックパックをしょったサポーターっぽいのが卜伝と、この話では設定しております。

タケミカヅチパーティには攻撃呪文を使えるマジックユーザーが一人はいるのですが、多分景清か飛鳥でしょうね。
この話では後にLv.2に上がった飛鳥が魔法使いとしておりますが、タケさんが救出行に連れて行けと言わなかったあたり、威力が弱いかまだ未熟だったのでしょう。


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15-4 救出隊結成

「つまり上に上る場合と違い、15-16階層間と16-17階層間なら縦穴によるショートカットを使えると」

「はい。中層には先ほどのような縦穴が多数存在します。先ほどの崩落も直下にたまたま縦穴があったせいで二階層分を落下したのでしょう。

 ここ15階層から12階層に向かうのも18階層に向かうのも三階層分の道程であることは変わりありませんが、18階層に向かうならば、大幅なショートカットを期待できます」

 

 再び沈黙が落ちた。

 だが、先ほどとは違う。沈思黙考の沈黙だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 階層主(ゴライアス)はどうするんだ?! 18階層の手前にはあいつがいるんじゃないのか!?」

「前回出現したゴライアスは遠征に向かったロキ・ファミリアが倒したはずです。

 ゴライアスの再出現の期間は二週間。今ならギリギリ間に合うはずかと」

「・・・18階層から戻るのはどうするんだ?」

「自力で18階層にたどり着いたパーティの後ろについていかせてもらいます。

 そうでなくても、恐らくイサミ様達が迎えに来て下さるでしょう」

「確かに、過保護そうな顔をしていたな」

 

 にやにや笑うヴェルフ。

 この場にイサミがいたら、盛大に渋い顔をしていた(そしてシャーナにからかわれていた)ことだろう。

 

「それならさ、リリ。この場にとどまるのはどうかな。多分6時間くらいなら安全を確保できると思う」

「6時間ですか・・・」

 

 "ロープの奇術(ロープ・トリック)"の呪文である。

 おとぎ話のごとく天からロープが降りて来て、それを上ると異次元空間の避難所に入れるという呪文だ。

 解呪や次元移動の術でも使えない限り、この中にいる存在に干渉する手段はない。

 

 ただ、この避難所に入れるのは術力に関係なく八人まで。

 この人数では二つ作らねばならず、またベルの残り精神力で双方を維持できるのは6時間が限度であった。

 

「現在時刻は午前10時。もつのは午後4時まで。

 イサミ様達が異変に気づいて迎えに来て下さるとしても、気づくのは早くて午後8時、遅くて9時以降。最悪明日の朝。

 すぐいらして下さるとは思いますが、万が一の場合見過ごせるリスクではありません」

「むう・・・イサミ・クラネル、お前の兄は強いのか?」

「うん、シャーナさんとレーテーさんはLv.5だし、兄さんはその、レベルはそこまでじゃないけど一緒に深層に潜ってますから」

 

 おお、とタカミカヅチファミリアの面々から声が上がる。

 

「それなら帰りの足は心配しなくてよさそうだな。みんな、俺はこの賭けに乗ってもいいと思うが、どうだ?」

 

 桜花の問いに、命達がそれぞれ頷く。

 頷き返し、桜花はベルに顔を向けた。

 

「そういう事だ。だがお前達が持久を選ぶならそれに付き合おう。お前の決断次第だ」

「え・・・」

 

 ベルが視線を向けると、ヴェルフとリリも頷く。

 しばしうつむいた後、ベルが顔を上げた。

 

「行きましょう・・・18階層へ」

 

 

 

 夕食を五分でかき込んだ後、ヘスティアはレーテーを伴ってタケミカヅチ・ファミリアのホームに、シャーナはヘファイストス・ファミリアの北西支店に向かった。

 桜花たちとヴェルフの主神である両神への報告のためである。

 

 一方イサミ達は夕食の残りをタッパーに詰めて魔石冷蔵庫にしまい、"上級創造術(メジャー・クリエイション)"呪文で春姫の戦闘衣をでっちあげる。

 防御力は気休め程度だが、動きやすいし擦過傷などからは守ってくれる。

 

「どうだ? 重くないか?」

「流石にこの程度なら・・・大丈夫のようでございますね」

 

 【恩恵】を受けた人間は、ただそれだけで常人とは一線を画した身体能力を得る。

 とは言え春姫の場合、ただでさえ肉体的には強くない狐人であるから、筋力と耐久に関してはそのへんの農民や肉体労働者と同程度であろう。

 イサミが装備を再度身につけると、二人はバベルに向かって出発した。

 

 なお何気にタッパーはヘスティアの神器であるらしいが、真偽の程は定かではない。

 

 

 

 バベルでは他の面々と、神が待っていた。

 タケミカヅチ、ヘファイストスの両神が、イサミを見ていぶかしげな顔になる。

 

「なんだ、お前は?」

「ああ、待って待って。あれはボクの所の子だ」

「あんたの子? ヒューマンなの!?」

 

 心を読めないイサミに驚く二人に、ヘスティアが事情を説明する。

 レーテーに"空白の心(マインドブランク)"をかけてみせると、両神も一応納得したのか落ち着いた。

 

「それじゃお願いするわね、ヘスティア。うちで中層に潜れるような子供達は出払っちゃってるから」

「こっちはそもそも全員潜ってしまってるからな・・・俺もついていきたいところだが、足手まといがこれ以上増えてもまずいだろう。

 頼むぞ、ヘスティア。俺の子供達を無事に連れ帰ってくれ。ヘスティアの子供達もよろしく頼む」

「必ずや」

 

 イサミが礼をし、他の三人がそれに倣う。

 

「春姫――こんなところで再会できるとは思わなかったが、これが終わったらみんなで祝いの会をやろう。ぱーっとな」

「はい!」

 

 タケミカヅチの言葉に、嬉しそうに頷く春姫。

 そこに一見のんきで、どこか油断ならない声がかぶさった。

 

「いやあ、すごいすごい。心が読めない魔法なんてねえ」

「げっ! ヘルメス!」

 

 タケミカヅチが一転して心底嫌そうな顔になる。

 ヘファイストスもやや険しい顔になり、人差し指を突きつけた。

 

「どこからかぎつけたの? 言っておくけど、今回は私たちの子供の命がかかってるんだからね。

 面白半分でちょっかいを出すようなら容赦しないわよ」

「イヤだなあ、ヘファイストス。俺はヘスティアの神友だぜ? 友が困っているときに助けずして何の友か?」

「ヘスティアが地上に降りて来ても会おうともしない神友、ね」

 

 どこからどう見ても「面白半分で首を突っ込みに来ました」といったていである。

 イサミが後ろに控えるアスフィにちらりと目をやると、彼女は申し訳なさそうに頭を垂れた。

 

「ともかくだ! ヘスティアが子供達を助けに行くと言うなら、俺たちも手を貸そうじゃないか! 頼むぞ、アスフィ!」

「はぁ?! 何ですかそれ! 私聞いてませんよ?!」

 

 動揺するアスフィだが、ヘルメスは意にもかけない。

 

「はっはっは、今言ったからね!」

「もうやだあ・・・」

「はっはっは」

 

 泣きそうな顔になるアスフィの頭を、ヘルメスがポンポンと叩いた。

 

「まあアスフィさんならそりゃ実力に不安はありませんけど・・・ヘルメス様もいらっしゃるつもりで?」

「当然じゃないか。俺はヘスティアの神友だからね!」

 

 イサミの醒めた目にも、ヘルメスの鉄面皮がほころぶことはない。

 その場にいる人間の視線が、救出団の責任者であるヘスティアに集まった。

 

「・・・まあ、いいだろう。何かの役に立つかも知れないしね」

「ありがとうヘスティア! 愛してるよ!」

「君はいっぺん死んだ方がいいんじゃないかい、ヘルメス」

 

 全く同感、とアスフィを含む何人かが頷いた。

 

 

 

「そうそう、神様。これ渡しておきますね。ちょっと動かないで下さい」

 

 かがんだイサミが、ヘスティアの襟元にコガネムシの形をしたブローチを取り付ける。

 

「なんだい、これ?」

「"容態安定化のスカラベ(スカラブ・オブ・スタビライゼーション)"という魔道具です。

 負傷すれば自動的に血を止め、更に一回だけですが致命傷を負っても命を取り留めさせてくれます。

 神様を中層に連れてくならこれくらいは必要になるかと思いまして」

 

 おー、と感心するヘスティア。

 ひょい、とヘルメスがそれを覗き込む。

 

「いやあ、イサミ君は便利なアイテムを作れるねえ。俺にも一個くれないかい?」

 

 更に図々しい要求をしてくるお調子神を醒めた目でイサミが見下ろす。

 

「アスフィさんになら喜んでお譲りしますが、何故に神様とはいえ男にただでくれてやらなきゃいかんのです?」

「あはは、そりゃそうだね! こりゃあ一本取られた!」

 

 すいませんすいませんとアスフィが振り子のように頭を下げていた。




神器=タッパーはガチ。


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15-5 嘆きの大壁

「り、リリ、くっつきすぎじゃないかな・・・」

「この球は小さいですから。人数が多いから、くっつくのも仕方ないことなんです」

「・・・十分広いと思うがねえ」

「どうでもいいが、大声出すなよ。音は聞こえるんだろう、これ?」

 

 ベル達は、透明になって15階層を進んでいた。

 イサミがベルの呪文指輪に入れておいた"透明球(インビジビリティ・スフィア)"呪文の効果である。

 

 術者を中心に、半径3mの範囲内にいる人間を透明化する呪文で、範囲から出ると透明化は解除されてしまう。

 直径6mの範囲に九人なので、やっぱりくっつく必要はない。ないが、そこは乙女心という奴である。

 

 なお指輪に入れた呪文にはイサミの術力が反映されないので、持続は50分。

 ベルが自分で使った場合と大差ない。

 一方、その後ろには足を負傷したヴェルフと景清の二人が、ふよふよと浮かぶ円盤に背中合わせで座っていた。

 

「お前、こんな事まで出来るのな・・・」

「ま、魔術だから・・・かな?」

 

 曖昧に笑うベル。

 ベルの後ろに浮かぶ円盤は"テンサーズ・フローティングディスク"。

 

 重量物を運ぶための魔法だが、今のベルなら最大で225kg、大人二人を乗せて運べる。

 持続時間も、他の魔法を使わなければ18時間はもつ。

 ベルが咄嗟に動けなくなるリスクはあったが、負傷した二人を足手まといになることなく連れて行けるのは大きかった。

 

 しばしの後。透明球の効果が切れる前に、ベル達は幸運にも16階層への縦穴を発見する。

 頷きあった後、九人は闇に身を躍らせた。

 

 

 

「うげっ・・・」

「なんて匂いだ・・・」

「我慢して下さい」

「でもよぉ・・・」

「お言葉ですが、リリが一番この悪臭に悩まされています!」

 

 そう言うリリが棒の先に下げているのは「強臭袋(モルボル)」。

 ミアハ・ファミリアの調合師ナァーザが作り上げた、強力なモンスター避けのアイテムである。

 落下時に透明化が解除された(元々持続時間は残り少なかったが)一行は、次の手としてこの強臭袋を使って16階層を進む事にしたのだ。

 

 が、16階層の途中でその強臭袋もストックが尽きる。

 そこから先は死闘の連続だった。

 

 ベル、桜花、命の三人のLv.2を中心に、全員が死力を尽くす。

 動けない二人も景清は弓で、ヴェルフは魔法封じの魔法でパーティをサポートし、リリも取って置きの矢を惜しみなく放つ。

 

 その中でもベルの動きは際だっていた。

 魔法はほぼ使えないながらも縦横無尽に動き、時には【英雄願望】によるチャージ攻撃で数体のミノタウロスを一息に屠る。

 数が多い場合は"氷壁(ウォール・オブ・アイス)"の短杖(ワンド)で壁を作り、敵を分断、あるいは逃走する。

 既にLv.2の上位を超えるステイタスがそれを可能にしていた。

 

 だがそれでも限界はある。

 ひとりまたひとりとパーティのメンバーは疲労と負傷により気を失い、17階層の終端に達する頃に残っていたのはベルと桜花の二人だけだった。

 

 ベルが命と飛鳥を抱え、桜花が千草と卜伝を担ぐ。リリ、ヴェルフ、景清の三人は落ちないようにロープでまとめて円盤の上。

 体を引きずるようにしてベル達は前に進んだ。

 

「・・・おい」

「ええ」

 

 先ほどから、全くモンスターが出てこない。

 

 他の上級冒険者が掃討した?

 それにしては魔石をえぐり出されたモンスターの灰一つない。

 

 たまたまモンスターの空白地帯が生まれた?

 確率は天文学的。

 

 恐れているのだ。この先にいる、あるいはこれから生まれるものを。

 

「急ぐぞ・・・どうした?」

「いえ、さっきから視線を感じるような・・・」

「モンスターにつけられてるってことか? 気のせいじゃないならその内襲ってくるだろうが、どっちにしろやることは変わらん。行こう」

「は、はい」

 

 キョロキョロするベルを桜花がたしなめ、二人は巨人のためにしつらえられたような広大な通路を進む。

 やがてたどり着いたのは、高さ20m、さしわたし200mの巨大な空間。

 第十七階層の最奥に存在する、最後の大広間。

 

 目を引くのが向かって左側の壁。

 継ぎ目が全く存在せず、鏡のように磨き抜かれたなめらかな平面。

 

「『嘆きの大壁』・・・!」

 

 伝え聞く噂に、ベルの体がこわばる。桜花も同様。

 通常の壁と違い、ただ一種類のモンスターしか生まない鏡の壁。

 

「・・・行きましょう!」

「あ、ああ」

 

 二人は必死で足を動かす。

 ここさえ抜ければ18階層。安全地帯。

 その一念で、限界近い体に鞭を入れる。

 

 ばきり、と。音が鳴った。

 

「――――!」

 

 二人が同時に振り向く。

 鏡のような壁面に、天井から床までジグザグに走る一本の筋。

 次の瞬間、それが左右に大きく広がるひび割れとなり、僅かな間を置いて砕け散った。

 

 轟音。

 爆砕した壁面から無数の岩や破片がはじけ飛び、床に飛散する。

 

「そんな!? よりによってこのタイミングで!」

「言ってる場合か! 走るぞ!」

 

 毒づきながらも二人は走った。横手から巨大な足音が響く。

 ちらり、とベルは左を見た。

 見たくはないのに、見ざるを得ない、それは恐怖。

 

 土煙の向こうに見える身長7mの巨大なヒトガタ。

 灰色の体、黒いざんばら髪、真っ赤な眼球。

 

 階層主、Lv.4――大巨人、ゴライアス。

 その真っ赤な眼球が、ぎろり、と動いた。

 人の顔ほどもある瞳に映るのはベルと桜花の姿。

 

「来る!」

「畜生、こんなところで!」

 

 Lv.2冒険者のステイタスをもってしても、人二人は軽くはない。

 死線の境をさまよって消耗しきった今の状態では尚更だ。

 

 それでも二人は必死で駆ける。

 だが相手はLv.4、階層主。しかも7mの巨体。歩幅からして違う。

 

 一歩、二歩、三歩。

 飛ぶように駆ける巨体は、たったそれだけで哀れな小動物達の必死の努力をゼロにする。

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 

 咆哮と共に振り下ろされる巨大な手のひら。

 小うるさい小動物を叩き殺すために10mの高さから降ってくる質量1tの打撃兵器。

 

 隣を走る桜花をとっさに突き飛ばした。

 スローモーションになった世界の中で、驚愕と絶望の表情を浮かべて桜花が手のひらの攻撃範囲から離れていく。

 

 ゆっくりと、巨大な手のひらが下りてくる。

 全速を出しても絶対に間に合わないタイミング。

 魔法に頼ろうにも、既に初歩の魔法一つ使えないまでに精神力は枯渇している。

 

(僕を置いて逝かないでおくれ)

 

 一瞬、涙を浮かべて懇願するヘスティアの顔が脳裏によぎる。

 間に合わない。そうわかっていつつも、足に最後の力を込めたその時。

 

『ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?』

 

 階層主の苦鳴が大広間に響き渡るのと、大量の生ぬるい液体がベルに降りかかるのがほぼ同時。

 床にぶちまけられた黒い液体に足を滑らせ、ベルが転倒した。

 

「な・・・あ・・・?」

 

 尻餅をついて振り向いてみれば、見えるのは右腕の肘から先を落とされ、大量の血をまき散らして転倒するゴライアス。

 そしてそれを為したであろう、鉄トゲを埋め込んだ多條鞭を右手に下げたフードの人物。

 こちらを振り向いた拍子に、襟元から赤銅色の髪が一房、外套の上に波を打ってこぼれ落ちる。

 ふわ、と。甘い花の匂いが鼻腔をくすぐった。

 

 

 

「早く行きなさい。こいつは私が引き留めて置くから――仲間、心配なんでしょう?」

「・・・」

 

 ぽかん、と口を開けるベル。

 美しい女だった。絶世の美女と言っていい。アイズのりりしくも儚げなそれとも、ヘスティアの健康的なそれとも、エイナの理知的なそれとも違う、一種魔性の美。

 吸い込まれるような妖艶さがその瞳にはある。

 

 はっ、と我に返ったベルが苦労しつつも立ち上がった。

 

「あ、あの、ありがとうございます! 僕はヘスティア・ファミリアの・・・」

「知ってるわ、【リトル・ルーキー】。私は・・・グレイシアよ。さ、行きなさい」

「ありがとうございます、グレイシアさん! 桜花さん!」

「お、おう!」

 

 仲間を引きずり18階層へのスロープに走り込む二人を見つつ、グレイシア――魔姫グラシアはふわりと横に飛ぶ。

 直後、怒れるゴライアスの左拳が地面に直径5m程のクレーターを作った。

 

「ほんと、似合わないことしちゃったかしらねえ・・・でも、ここでこんなのに殺されちゃうのも勿体ないし」

 

 溜息をついた後、怒りを込めてゴライアスにじろりと視線を向ける。

 続けての攻撃を叩き込もうとしていた階層主の動きが、ぴたりと止まった。

 

 その赤い眼によぎるのは恐怖。

 本来あり得ない、絶対的強者に対する恐怖だ。

 

 ひるんだゴライアスが一歩、二歩と後退し、逆にグラシアはゆっくりと歩を進める。

 

「何故かしらね、私、今凄くイライラしてるの。悪いけど、そのはけ口になってちょうだい・・・!」

 

 一時間後その場に到着したイサミ達が見たのは、大量の灰の山とその中に埋もれるドロップアイテム「ゴライアスの歯」だけであった。



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15-6 【勇者】の笑顔

 意識が覚醒する。

 目を覚ましたベルの視界に最初に入ってきたのは見慣れた兄の顔。そして、それを押しのけて抱きついてきたヘスティア。

 

「ベル!」

「ベルくん!」

「・・・にいさん? 神様? ! そうだ、ヴェルフとリリとタケミカヅチ・ファミリアの人たちが!」

「大丈夫・・・今、みんな目を覚ましたから」

「ファッ?!」

 

 身を起こしたベルの、兄やヘスティアとは反対のがわから声を掛けてきたのは金髪金眼の少女。

 ベルのあこがれの人、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「なななななんでアイズさんがここに!? っていうか、ここどこ!?」

「十八階層だよ。お前はロキ・ファミリアに助けられたんだ」

 

 五十九階層での融合精霊との死闘の直後、ロキ・ファミリアは上層に向けて出発した。

 イサミ達のような便利な魔道具を持っていない彼らでも、今頃は地上に帰還していたはずだったのだが、猛毒のモンスター"毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)"の大量発生に出くわしてしまい、1/3近いメンバーが動けなくなってしまったのだ。

 

「それで・・・今はベートさんが薬を取りに行ってる・・・」

 

 ポイズン・ウェルミスの毒は特殊なポーションか治療呪文がないと解毒できない。

 都市最高の魔導士たるリヴェリアも効果の抑制までは出来ても、完全な解毒は叶わなかった。

 

 そうした理由で十八階層にとどまっていたロキファミリアだったが、十八階層に到着して二日目の夜、寝る前の散歩に出ていたアイズがまさに命からがらといった態で現れたベル達を見つけ保護したのである。

 イサミが念視したのは、アイズがロキ・ファミリアのキャンプ地に応援を呼びに行っている間のベル達だったというわけだ。

 ちなみに今は十八階層の時間では真夜中。地上では夜の九時と言うところである。

 

 テントの中ではベル達とタケミカヅチ・ファミリアの面々が治療を施されて横たわっていた。

 先ほどイサミが発動した回復呪文によって、今はその傷も完全に治り、春姫と再会の喜びを分かち合っている。

 

「アイズ達には本当に世話になってるよなあ。ミノタウロスの時もそうだが」

「いえ・・・クラネルさんには私たちもお世話になりましたし」

 

 イサミとアイズがそんな話をしていると、外から話し声がした。

 

「やほー、お姉さんひさしぶり。【美丈夫(アキレウス)】くんたちいる?」

「いるよぉ。ちょっとぎゅうぎゅう詰めだけどぉ」

 

 ロキ・ファミリアが用意してくれた大型テントも十人以上入ると流石に手狭なので、レーテーやヘルメス達には外で待っていて貰ったのである。

 中に入ってきたのはティオナ・ヒリュテとティオネ・ヒリュテ。

 ロキ・ファミリアのアマゾネス姉妹だ。

 

「おー、アルゴノゥトくん目を覚ましたんだ! ごめんね、こっちもポーションとかなくてさー」

「遠征帰りで物資を分けて貰えた事だけで十分だよ。で、フィンさんが?」

「ええ。目を覚ましたならこっちに来て貰えないかって」

 

 ティオネの言葉に頷き、イサミが立ち上がる。

 

「行けそうか、ベル?」

「うん、僕なら・・・」

 

 起き上がろうとしたベルにヘスティアが待ったを掛ける。

 

「いいよいいよ、君は休んでおいで。死にかけたんだからね。ボクとイサミ君が行ってこよう・・・ただし!」

「は、はい?!」

 

 表情を一転させてぎろり、とベルを睨む。

 

「ボクのいない間に不埒な真似をしないように! 君もだ、ヴァレン(なにがし)君!」

「?」

 

 指さしされたアイズが首をかしげる。

 

「ご安心下さい、ヘスティア様。リリがしっかりと見張っておきます!」

「君もだよサポーター君?」

「ねーねーアルゴノゥト君! 大丈夫? 痛いところ無い?」

「あ、ひょっとしてエルナさん?」

「エルナ?」

「あー、いやそのね・・・」

 

 にわかに賑やかになったテントの中。

 また増えてる?! とショックを受ける紐神をイサミが引きずり、ティオネがフィン達のテントに案内していった。

 

 

 

「はじめまして、【勇者(ブレイバー)】、【九魔姫(ナイン・ヘル)】、【重傑(エルガルム)】。

 ボクがヘスティアだ。ボクの眷属を助けてくれたことに礼を言うよ。

 それと神友のヘファイストスとタケミカヅチに代わって彼らの眷属を助けてくれたことにも礼を言おう」

 

 ロキ・ファミリア首領たちのテント。

 ヘスティアの言葉と共に、後ろに控えていたイサミが無言で頭を下げた。

 

「気にしないで下さい、神ヘスティア。そちらのイサミ君にはこちらも世話になりましたから。

 それにヘファイストス・ファミリアとは盟約を結んでいますから、どのみち助けていましたよ」

「それでもさ、パルゥム君」

 

 ヘスティアの返答に、フィン達の表情がゆるんだ。

 

「何、こちらとしても下心があったわけですからね・・・イサミ君の食事とか」

「ははっ! 確かにそれは助けたくもなるか! イサミ君!」

「はい。みなさんがこちらに滞在する間の食事は、全てこちらで用意させていただきます。

 弟たちを助けていただいて、ありがとうございました。他にもできる事があれば何でも言って下さい」

 

 あらためて頭を下げるイサミ。

 フィンの笑顔は変わらない。

 

「そう言えばテントは大丈夫かい。流石にこちらにももう余裕はないけど・・・」

「持って来てますので大丈夫です。戻ったら立てますよ」

 

 イサミの言葉にヘスティアも頷く。

 

「そうだね、今日は早く寝よう。何か、どっと疲れたよ」

「初めてのダンジョンでしたからね・・・俺やベルも最初は緊張感が半端無かったものです」

「それじゃ、そろそろお暇しようか。こっちはもう真夜中だし、居続けても悪いだろう」

「はい、神様」

 

 一礼して立ち去ろうとするイサミをフィンが呼び止める。

 

「あ、イサミ君は残ってくれないかな。ちょっと話したいことがあるんだ。時間は取らせないよ」

 

 イサミが視線だけで問うと、ヘスティアが頷く。

 

「それじゃボクは先に行ってるよ。それじゃお休み、【勇者(ブレイバー)】くん、【九魔姫(ナイン・ヘル)】くん、【重傑(エルガルム)】くん」

「おやすみなさい、神ヘスティア」

「おやすみなさいませ」

「良い夢を」

 

 ヘスティアがテントの垂れ幕をくぐって姿を消すと、イサミは三人に向き直って絨毯の上に腰を下ろした。

 

「それで、話というのは?」

「君のことさ。前々から思っていたけど君、ダンジョンの中をあり得ない速度で移動する手段を何か持っているんじゃないかい?」

「ここでそれを聞きますか」

 

 と、イサミは苦笑する。

 質問の態を取りつつ、それは確認だった。

 

 確かにイサミ達は大所帯のロキ・ファミリアに比べ身軽であるし、高レベルのメンバーで固めているから、一日ほど早く地上にたどり着いていてもおかしくはない。

 日数を考えると、そこからとんぼ返りしてきたと考えるのが自然だ。

 

 だがそれにしてはイサミ達に疲労が残っていなさ過ぎたし、ベル達の到着からの時間が余りにも早すぎた。それ自体は別の要因によるものではあるが、流石にフィン達がそこまでわかるわけはない。

 

 先ほどイサミ達がロキ・ファミリアの野営地に入る際にもフィン達とは顔を合わせたが、その時の短い会話からフィンは何かを掴んでいたのだろう。

 もちろん12階層で出会った時や37階層の時、その他の行動で色々と不審を抱かれていたのもあるのだろうが。

 

 しゅるり、とイサミがベルトを抜いて、眼前に置いた。

 

「"グワーロンのベルト"という魔道具です。一日一回、十二時間、12人までの人間を――そうですね、煙というか空気のような姿に変え、風のように移動することが出来ます。

 【エアリエル】抜きのアイズが全力疾走するより速いくらいの」

「・・・!」

 

 ロキ・ファミリアの首領三人が揃って目を見張る。

 真っ先に口を開いたのはドワーフの大戦士ガレスだった。

 

「風になると言うが、その間攻撃は・・・」

「もちろん受けません。空気を切り裂く剣があれば別ですが。ただ、ブレスなどの効果は通常通り受けますので無敵というわけでもありません。

 そもそも発見したり捕捉したりすること自体難しいですけどね」

「大雑把でいい。深層までの移動時間はどれくらいだ?」

「37階層に到達するのに10分。50階層でも20分という所ですか。各所の縦穴でショートカットをしたうえでの数字ですが」

 

 再び落ちる沈黙。

 深層への「遠征」の主なネックはそこまでの移動時間とそれに伴って発生する戦闘でのロス、必要になる食料・武器・薬などの物資だ。

 大荷物は運べないものの、この方法があればそもそも荷車などは必要なくなる。

 

「君たちが急速に力を付けた理由がわかったよ。

 こんな便利な魔道具があれば、それは効率よく探索を進められるだろうさ」

 

 お手上げとでも言いたげに、フィンがため息をついて天を仰ぐ。

 イサミが笑みを浮かべて肩をすくめた。

 

「ま、弟たちを救っていただいたお礼です。これは差し上げますよ」

「良いのかい?」

「弟の命より重いものではありませんよ・・・ですがご内密に。出所はもちろん存在も秘密にしていただけると助かります」

「それは約束しよう。悪用したらどうなるか、ちょっと考えただけでも寒気がするよ」

 

 空気になれば空も飛べるし、どんな細い隙間からでも出入りできる。

 どんな鍵も、どんな頑丈な鉄格子も、どんな固い警護も無意味になる。

 盗賊や暗殺者にとっては、いかなる手段を用いても手に入れたい代物に違いあるまい。

 

「それと、使う時はまず練習した方がいいですよ。凄いスピードが出ますから、はぐれないように隊列を組むには慣れが必要です」

「ふむ、実体験から来るセリフか?」

「黙秘権を行使させて頂きます」

 

 にやっと笑うリヴェリアに、肩をすくめて答える。

 

「しかし12人というのがネックじゃな。もし注文したら、追加で作ってくれるかの?」

「まぁそれは構いませんが、高いですよ、そこそこ」

「いくらじゃ?」

「2100万ヴァリス。ざっと十日ほどもかかることを考えれば、ダンジョンでの日当分、それなりに色を付けて貰いたいですね」

「思ったよりは安いが、さすがにいい値段じゃのう・・・いや、最深層の十日分となると下手な装備品どころではないな」

 

 ヒゲをしごきつつガレスが唸る。

 普段の彼らなら不可能ではないが、経済的に多大な消耗を負った今はぽんと出せる金額ではない。

 遠征隊全員に使うためには更に何本か必要になるのでなおさらだ。

 

「むしろなんて安いんだ、と思って頂きたいですね。材料と手間賃だけで、需要による割り増しは付けてませんから」

「確かに十倍・・・なんなら百倍の値段でも欲しがる奴はいるだろうな」

 

 リヴェリアもため息をつく。

 

「まあ注文を受けるときの問題はむしろ、そちらの主神とウチの神様がやたらに仲が悪いことですけどね・・・神ロキがウチの神様にやたら突っかかってくるようですが、どうにかならないんですか、あれ」

「・・・ならないだろうねえ」

「ならんだろうなあ」

「ならんじゃろうなあ・・・」

 

 三人が揃ってため息をついた。

 己が主神の平たい胸と、先ほどまでそこにいたヘスティアの豊かな胸を脳裏で比べていたのは疑う余地もない。



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15-7 リヴィラ

 ともあれそこで話は終わり、イサミはベルたちに割り当てられたテントに戻った。

 フィンはまだ何か気づいているようでもあったが、それ以上は追及しなかった。

 今回の貸しで聞き出すのはここまで、ということなのだろう。

 

「あ、来たよ! おーい! 早くテントを用意しておくれよ! ボクはベルくんと同じ布団でも全然オッケーなんだけどさ!」

「何を言っているんですか! ベル様はお疲れなんです! そんな邪魔者と一緒では疲労が取れません!」

「誰が邪魔者だ?!」

「はいはい、テント張るからちょっとどいてて下さいね。言い争いはテントの中で好きなだけして下さい」

 

 投げやりに言うと、イサミは懐から手のひらの上に乗る程の布の塊を取りだした。

 カンバス地(帆布、平たく言うとジーンズの生地)で作られたそれは正四面体をしており、秘術的な印が縫い取られている。

 

「グウォウ」

 

 合い言葉を唱えてイサミがそれを放り投げると、帆布の塊は見る間に巨大化し、縦横6mの大型テントになった。

 "デイルンズ・インスタント・テント"。

 五十階層でも使った携帯用の魔法のテントである。

 

「こっちは俺らとアスフィさんたちで、借りたテントはタケミカヅチ・ファミリアの人たちで使って貰おう。お春もそっちで寝ていいぞ」

「あ、ありがとうございますイサミ様!」

 

 頭を下げる春姫――ハット・オブ・ディスガイズを取って元の姿に戻っている――に早めにテントの中に戻るように促すと、イサミも自分たちのテントの中に入っていく。

 金髪の狐人の姿を見て、ヘルメスがかすかに眉をひそめた。

 

「ヘルメス様?」

「なんでもないよ。俺たちも寝ようか。ヘスティアじゃないが俺も疲れた」

「・・・」

 

 いぶかしむアスフィをよそに、ヘルメスはイサミの出したテントに入っていった。

 

「ああそうだ、ヴェルフ君」

「なんでしょう?」

 

 それに続いてテントに入ろうとしたヴェルフに、ヘスティアが声を掛けた。

 イサミに背負わせていた細長い包みを受け取り、長身の鍛冶師に渡す。

 

「ヘファイストスからの預かりものさ。伝言もある。

 『意地と仲間を秤に掛けるのはおやめなさい』だってさ。

 何のことだかボクにはわからないけどね」

「・・・」

 

 手渡された包みが、不意に重みを増したようにヴェルフには思われた。

 

 

 

「ほら、ティオナ、アイズ。私たちも戻るわよ」

「うん・・・おやすみなさい」

「はーい。アルゴノゥト君、明日、またお話ししようねー!」

「は、はい。おやすみなさい」

 

 ロキ・ファミリアの面々も去り、一同は寝具を広げて横たわった。

 隣のテントからは賑やかな話し声も聞こえてきたが、それもやがて途切れた。

 

「・・・ベル、起きてるか?」

「うん・・・なんか、眠れないんだ。疲れてるはずなのに」

「"集団大治癒(マス・ヒール)"かけたから疲れが吹っ飛んでるんだな。まあ目だけつぶっとけ」

「うん・・・」

 

 しばし、沈黙が落ちる。

 

「なあ、ベル」

「なに?」

「お前が生きててくれてよかったよ。よく生き残った」

「・・・うん」

 

 今度の返事は、少し湿っていた。

 

「おやすみ、ベル」

「おやすみ、にいさん」

 

 

 

 

「うめー!」

「うははは、甘露甘露!」

「何だこりゃ、うめえ・・・」

「春姫どのは毎日このような食事をしてらっしゃるのですか?!」

「い、いえその、最近はわたくしもイサミ様に料理の手ほどきをしていただいて・・・」

 

 翌朝、ロキ・ファミリアの食卓はいつになく賑やかなものになった。

 イサミ達が加わった上に毒に倒れた者達をイサミが解毒したので人数が増えていること、50階層以来のまともな食事であることが主な理由だ。

 

「しかしベートに地上に向かって貰ったのが半分位無駄になってしまったね」

「まあ、解毒剤はいつかの時に使えるだろうさ」

 

 ポイズン・ウェルミスの毒は特殊なポーションか呪文がなければ解毒できないとは先に述べたが、桁外れに高い術力と最上級治癒呪文である"集団大治癒(マスヒール)"で力づくで解毒してしまったのだ。

 

 ポイズン・ウェルミス用の解毒剤は高価かつ現在のロキ・ファミリアの懐事情は極めて寒いので、どうせ来るならあと一日早く来て欲しかったとは口には出せない本音である。

 

 

 

 食後。

 全員が食べ終わったところを見計らい、イサミが呪文を唱える。

 長テーブルと椅子が、テーブルの上の食器や食べ残しなどと共にすうっと消えた。

 

「後片付けしなくていいのは楽でいいよね」

「だよなあ」

 

 しみじみと頷き合う兄弟。

 確かに七十人を超す宴会の後片付けなど、どれだけ手間がかかるか考えたくもない。

 偉大なり魔法。

 

 頷きあっているところに、つつつと近寄ってきたのは満面の笑みを浮かべるティオナ。

 後ろにはアイズとティオネもいる。

 

「アルゴノゥトくーん。お話ししよっ!」

「むう、来たなアマゾネスくん! そしてヴァレン某!」

 

 素早くベルの腕を取ったヘスティアが、ティオナたちを威嚇する。

 もっとも威嚇されたティオナの方は、ヘスティアの剣幕を見てほにゃっとした顔になっていた。

 子犬にじゃれつかれているような感覚なのだろう。

 

「え? で、でも、僕は帰らなきゃ・・・兄さん?」

「あー、ロキ・ファミリアは毒を受けてた連中の休養に今日一日はここにいるそうだからな。

 それまでは俺もここにいるし、ついでにお前達も骨休めしてこい。

 せっかく"迷宮の楽園"に来たんだし、神様連れてリヴィラでも見物してきたらどうだ」

 

 そう言いつつ、イサミが剣やポーチの下がったベルトを身につけ始める。

 

「あれ、【美丈夫】くん、どこか行くの?」

「日銭稼ぎにな。昼飯には戻るよ」

「あなたくらいのレベルで中層をうろうろしても大した稼ぎにはならないでしょうに。勤勉ねえ」

「貧乏性なのさ」

 

 そのまま後ろ手に手を振って、本当にイサミたちはダンジョンに潜ってしまった。

 

 もちろんイサミ達は"ウィンドウォーク"呪文(一日一回だが自前で使える)で最深層に向かうつもりだが、フィン達は"グワーロンのベルト"のことをまだティオネ達にも話していない。

 ゆえに、彼女たちとしては当然こういう反応になる。

 

 

 

「ぜぇ・・・ぜえ・・」

「ほら、神様しっかり!」

 

 リヴィラの街は湖から数十mも垂直に飛び出した岩山の上にある。

 岩山に刻まれた階段や手すりもない丸太橋を上り下りするのは【恩恵】を受けた冒険者にはいざ知らず、ヘスティアには厳しかったらしい。

 

「ああ、これはいい眺めだなあ。冒険者の子供達がうらやましいよ」

 

 もっとも、同じく神でありながら年の半分をオラリオ外を旅して過ごすヘルメスは涼しい顔なので、単にヘスティアが体力不足と言う事だろう。

 

 それはともかく、ヘスティアが最後はベルにおぶわれながらも、一行はリヴィラに到着した。

 断崖絶壁のてっぺんに築かれた町並みは壁に囲まれ、水晶をちりばめた箱庭のようでもある。

 

「この街は冒険者達が作ったんです。

ギルドが失敗した拠点の計画にちゃっかり乗っかって、自分たちの商売に活用してるわけですね。

結果的には中層から下層を目指す冒険者達のベースキャンプになっていますので、ある意味ギルドの狙いは達成されたと言う事でしょうか」

 

 アスフィの解説を聞きつつ、冒険者達は三々五々別れていった。

 桜花達は湖の景色を見に行き、アスフィとヘルメスはいずこかへと姿を消す。

 

「むー・・・・!」

 

 そして、ヘスティアはベルの腕にかじりつきつつ、憤懣やるかたない表情であった。

 

「ベルくんと二人きりのはずだったのに、どうして君たちまで一緒に来るんだい!」

「つっても、別行動する理由がありませんしねえ・・・」

「ヘスティア様とベル様を二人きりにしておいたら、何が起きるかわかったものではありません!」

「いーじゃない、みんな一緒の方が楽しいよ?」

「・・・?」

 

 ヴェルフが肩をすくめ、リリが噛みつき、ティオナがほにゃっとした表情で巨乳幼女を愛でる。

 アイズがぽややんとした顔で首をかしげた。



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15-8 ドラゴンロード

 一緒に来ていたティオネたちの案内で一行はリヴィラを歩いていく。

 バラックの連なりながら巨大な水晶をちりばめた美しい町並みに感嘆し、並べられた商品のぼったくり具合に驚いていると、突然一行に――正確にはベルに向かって声が掛けられる。

 

「あっ、てめえは!?」

「え?」

「あっ!」

 

 道ばたの商店から出てきてベルを指さしているのは、剣を背負った若い男だった。

 全体的に整った顔立ちではあるのだが、目つきの悪さがそれを台無しにしている。

 

「ゲドさん!」

「ゲド様!」

「久しぶりだな、お前ら! ランクアップしたんだって?」

 

 かつてリリをはめようとしたが、成り行きでジャイアント・アントクイーンと共闘した冒険者、ゲドであった。

 なんだかんだで一応リリとも和解している。

 

「ええ! ひょっとしてゲドさんも?」

「ああ、上級冒険者様だぜ! 聞いて驚け、二つ名は【電撃稲妻熱風の竜王(ドラゴンロード・ドラゴンロード)】だ!」

「うわ、すごい、恰好いい!」

「だろう! うちの主神様には足向けて寝られんぜ!」

 

 二つ名で盛り上がるベルとゲド。その無邪気な子供達の会話に。

 

(無難な名前を勝ち取れてよかった・・・!)

 

 深いため息をつくヘスティアだった。

 

 

 

「そーいやお前、俺の仲間見なかったか?」

「どんな人です?」

「えーとだな、モルドって人で、いかにもチンピラぽいっていうか・・・」

「つまりゲド様の同類ですか」

「おいリリルカ」

「なにか?」

 

 ゲドがリリを睨み付けるが、リリはにっこりと笑い返す。

 

「まあとにかくだな、三日前に一緒にこっちに来たんだが、その日の内に他の二人と一緒にどっかに消えちまってな。

 どこかにしけ込んでるんだとは思うが・・・どうだ?」

 

 ベル達は互いに顔を見合わせるも、やはり知るものはいない。

 

「アイズさんたちは二日前からここにいるんですよね? 見ませんでしたか?」

「私たち、リヴィラには入ってないから・・・」

「今まで見てきたと思うけど、ここ、ぼったくりもいいところだからねー。宿屋だってまともな値段じゃないし」

 

 ティオネの言葉に頷こうとして、ふとティオナが首をかしげる。

 

「でもなんかさ、今日は人少なくない?」

「そういえばそうねえ」

 

 普段は数百をくだらない数の冒険者が行き交う街だが、今日に限っては妙に人通りが少ないようにティオネにも思えた。

 もっとも、一級冒険者である彼らが中級者向けの拠点であるリヴィラに入ること自体それほどあることでもないので、最近はこんなものかも知れないと言えばそれまでのことではある。

 

「まあともかく、私たちは知らないわね」

「ですか・・・」

 

 うーん、と唸るベルの頭をゲドが抱え込んだ。

 

「つか、なんでお前が【剣姫】や【大切断(アマゾン)】と一緒に歩いてるんだよ、おい!」

「い、いや、遭難して命からがらたどり着いたところを助けてもらって」

「それで一緒にリヴィラ観光か! うらやましいだろうがおい! 俺の仲間はむさいおっさんばかりなのに! ちくしょう、一人位俺によこせ!」

「そんな事言われても・・・」

 

 実際、今ベルと一緒にいるのはヴェルフを別とすればヘスティア、リリ、アイズ、ティオナ、ティオネと美少女ばかりである。

 こればかりはゲドの怒りも正当?なものと言えた。

 

「っていうか、ひょっとして地上に帰れないんですか?」

「ああまあ・・・ランクアップしたばかりだからなあ。最悪ロキ・ファミリアが出発するときに尻にくっついていこうかと思ってたんだ」

 

 ばつが悪そうに頭をかくゲド。

 実際ここはパーティメンバーをLv.2で揃え、かつアイテムをそれなりに用意してやっと到達できる階層であって、Lv.2単独や、Lv.1の足手まといを大量に連れて地上と往来するのは難しいと言わざるを得ない。

 そうした冒険者が、十分な戦力を有するパーティの後について地上に帰還するのもさほど珍しいことではなかった。

 

「僕たち明日出発するんですけど、良かったら一緒に行きませんか? 兄さんたちも一緒なので、安全に戻れると思いますよ」

「マジか!? ありがてぇ!」

 

 明日までにモルドたちが見つからなければ同行させて貰うという事で話がまとまり、ゲドは笑顔で去っていった。

 その後ヘルメスのおごりで18階層名物のフルーツを楽しんだり、甘すぎる果実にベルが目を白黒させたり、ベルが口を付けた果実をリリが取ろうとしてヴェルフに奪われてキーキー泣いたりして昼飯時。

 

「くはぁ~っ、キくのう! リヴィラで手に入る安酒なんぞ及びもつかぬわ!」

「これ東方の料理でしたっけ。ちょっと油がきついですけど美味しいですね」

「あーもーおいしーっ! ねえねえ【美丈夫(アキレウス)】君、うちの料理人にならない?」

「よしなさいよ、無理に決まってるでしょ」

「だから【美丈夫】はよせっつーに。リヴェリアさんはお酒は召されないので?」

「ああ、飲まないんだ。済まないな」

 

 イサミが作った"英雄定食(ヒーローズ・フィースト)"は相変わらず好評である。

 朝のイングリッシュ・ブレックファスト風とは打って変わり、昼は中華料理系統。

 揚げ物やおこげ、餃子など、油を多用したこってり気味の、こちらでいえば北京風か。

 

 冒険者は体を使う仕事であるから、基本的に高カロリーの食事の方が喜ばれる。

 もっとも英雄定食の場合、料理の内容が異なってもカロリーは変わらないのだが。

 

 

 

「それじゃ、もっぺん出てくるわ」

「またぁ?」

「晩飯には戻るよ」

 

 食後、イサミ達が再び深層に向かう一方で残ったヴェルフは椿に拉致されていた。

 ロキ・ファミリアの女性陣が揃ったテントの中でクロッゾと精霊の血筋についてバラされた後、根掘り葉掘り質問攻めに遭う。

 アイズが精霊の血筋を引いているのではないかという疑問解明のためなのだが、彼にとっては煩わしいとばっちりでしかない。

 

「他に精霊について何か知っておらんか? 英雄譚に出てくる『アリア』という精霊について情報が欲しいのだが」

「知るか。精霊と直接関わりがあったのは初代だけだ。言い伝えなんてものは残ってない」

「ええい肝心なところで役に立たんやつめ! だからお主の作品は残念扱いされるのだ!」

「本当にいい加減にしろよお前?!」

 

 頭から湯気を立てながらヴェルフが帰った後は、哀れな生け贄としてベルが召喚された。

 

「あ、あの、どうして僕はここに・・・」

「フッフッフ、ベル・クラネルよ。貴様はヴェル吉に売られたのだ。観念するがよい」

「う、売られた?!」

 

 邪悪な笑みを浮かべる椿に、小兎が怯える。

 しかしおとぎ話のたぐいにこそ詳しかったものの、彼もティオナになつかれたり、レフィーヤたちエルフ陣につるし上げを食らったのみで、彼女たちとしてはさして得る物はなかった。

 

「あ、でも兄さんなら何か知ってるかも・・・凄い物知りですし、ギルドの図書館の本を全部読んだって言ってましたから」

「マジで!?」

「本当に凄いんですね・・・じゃあ、次はお兄さんのほうに聞いてみましょう!」

 

 そのままであれば次はイサミが召喚されたろうが、結局リヴェリアが介入して、その場はお開きとなった。

 もっともイサミが来たところで話はさして進展しなかったであろうが・・・。




ゲド君は当然原作ではLv.1のまま死んでしまった(多分)わけですが、この話ではフィーンディッシュ・キラーアントクイーン相手に偉業経験値を稼いでレベルアップした設定です。
二つ名は「ゲド戦記」の同名の主人公ゲドの尊称「竜王(ドラゴンロード)」をイタい感じに適当に改変しました。
というかWiki見るまで彼にフルネームが設定されてるなんて知らなかったwww


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15-9 さあ、お前の罪を数えろ

 18階層の夕方。

 イサミ達が野営地に戻ると、顔を青黒く腫れ上がらせたヘルメスが木から逆さに吊されていた。

 憤懣やるかたない表情のアスフィが仁王立ちでそれを睨み付けており、周囲にロキファミリアの女性陣とベル達がいる。

 

「・・・何があったんだ?」

 

 嫌な予感を感じつつ尋ねると、視線をそらす弟に代わって妙なテンションのヘスティアが答えた。

 

「それがヘルメスの口車に乗って僕たちの水浴びをのぞいてさー。

 ぼ・く・の! 裸が見たいなら言ってくれればいいのにね!」

「ベル! お前っ!」

「ごっ、ごめんなさいっ!」

 

 怒りに拳を振り上げるイサミを、慌てて周囲が止めに入った。

 間違ってもそういう事はしそうにないベルであるし、主犯は間違いなく逆さづりの蓑虫神だと衆目も一致している。

 ベル本人が先ほどまで土下座行脚していたのだから尚更だ。

 

「だからといって、何かしらケジメは・・・」

「しょうがないですよ。それにあれですよ、ほら。私たち年下には甘いですから」

「む」

 

 なおも言いつのるイサミに、ティオネがいたずらっぽく微笑んだ。

 58階層で自分の言った言葉がそのまま戻ってきた恰好である。

 

 さしものイサミも、これには苦笑して引き下がるほかなかった。

 とりあえず、弟の頭に拳骨を一つ。

 

「痛っ!」

「痛いだけですんでありがたいと思え。周りのお姉さん方にちゃんとお礼を言っておけよ」

「はぁい・・・」

 

 ため息をつくイサミと、頭を抑えるベルの姿が周囲の笑みを誘った。

 なお冒険者の暗黒面に落ちていたレフィーヤは、シャーナが身を張る事で正気に戻ったようである。

 ベルが本当に礼を言うべきは、周囲の女性よりむしろ彼女であろう。

 

 

 

「・・・で、どちらが目的なのですか?」

「何がだい、アスフィ?」

 

 三々五々人も散り、周囲から人がいなくなった頃。

 アスフィが蓑虫状態のままのヘルメスに問うた。

 

「クラネル兄弟のことです。どちらがお目当てなのですか?」

「両方さ。けど、強いてどちらかというなら――弟君のほうかな?」

「そうなのですか? てっきり兄の方に注目してるかとばかり」

「まあ普通ならそうだろうね。ただ、弟君の方もちょっとばかり気になってね。それに――」

「それに?」

 

 沈黙が落ちる。

 ヘルメスは薄笑いを浮かべたまま、アスフィの問いに答える気は無いようであった。

 

 

 

「そう言えばお兄さんの方とは進展してるの? 時々会ってるんでしょ?」

「な、何故それを!?」

 

 ヘルメスの言葉に、アスフィがびくっと身を震わせる。

 ちっちっち、と(蓑虫にされているので口だけで)言った後ヘルメスがにやにや笑いを強くする。

 

「君の主神がどんな神か忘れちゃったかな? 情報は何よりも高い値が付く商品なんだぜ。で、どうなの。どうなのさ?」

「そ、そんな事は話してません! 愚痴を聞いて貰ったり、後は技術的な話を・・・」

 

 頬を染めながらも全力で否定するアスフィに、ヘルメスが思わず真顔になる。

 

「・・・ひょっとして魔道具の話しかしてないわけ? 男女が二人で会ってるのに?」

「い、いいじゃないですか別に!」

「色気のないことだねえ」

 

 くせ者のこの神には珍しく、ヘルメスは心底からのため息をついた。

 

 

 

「ところでアスフィ、そろそろ縄を解いてくれる気は無い? 後治療もして欲しいんだけど・・・」

「自業自得です。気が向けば夕食の時には解いて上げましょう」

 

 冷徹な瞳で自分を見下ろしてくるアスフィに、ヘルメスは逆さになったまま再び薄笑いを浮かべる。

 

「厳しいなあ。気になる男の子に迷惑を掛けたのがそんなに不満かい?」

「イサミ君は関係ありません!」

「あれー、俺はベルくんのことを言ったつもりだったんだけどなー」

「・・・っ!」

「なんだ、やっぱり結構気にかけてるんじゃーん?」

 

 再び頬を染めるアスフィにしてやったりの表情になるヘルメスだったが、それも彼女が懐から何やら禍々しい形の短杖(ワンド)を取り出すまでであった。

 

「さあ、自分の罪を数えなさいこのスットコ神。数えられればの話ですが!」

「あ、ちょっと、アスフィちゃんタンマ。その魔道具と表情は反則・・・ぎゃああああああああああああ!?」

 

 自らの主神に対する、魔道具までを駆使した生かさず殺さずの折檻は、それから一時間以上続いた。

 なお夕食にヘルメスは出席しなかったことのみ言い添えておく。

 

 

 

 夕食後。

 ロキファミリアの女性陣に愛でられるシャーナを見捨て、一人先にテントに戻る途中のイサミが足を止めた。

 闇に沈む木立に視線を向けると、まもなくその中から覆面とフードを身につけたエルフが現れる。

 下ろした覆面の下からリューの顔が現れた。

 

「さすがですね。気配は消したつもりでしたが」

「耳はいいほうなんですよ。リドさんたちは?」

「北の方に待機しています。彼らがあなた方を見かけたというので、私が代表して接触に来ました」

 

 ふむ、とイサミがあごに手をやった。

 

「つまり何か俺に手助けして欲しいことがあると」

「はい。闇派閥の残党とおぼしき・・・」

 

 そこで会話が途切れ、二人が同時に後ろを向いた。

 薄闇の中に浮き上がるのは、白面玲瓏という表現がぴったりの黒髪のエルフ。

 24階層で僅かながら戦いを共にしたディオニュソス・ファミリアの魔法剣士、フィルヴィス・シャリアであった。

 

 ロキファミリアの見張りを捜して案内を請おうとしていたのだろう。

 イサミ達のテントは野営地の隅であるため、たまたま彼らと行き当たってしまったものと思われた。

 

「やあ、フィルヴィスさん。おひさし・・・」

 

 挨拶をしようとしてイサミはぎょっとする。

 立ちすくむフィルヴィスのまなこに、大粒の涙が盛上がっていた。

 リューはそんなフィルヴィスを静かに見つめている。

 

「生きて・・・生きていらしたのですね、【疾風】・・・!」

 

 リューに駆け寄り、その手を握りしめる。そこから後は言葉にならない嗚咽だった。

 

「おいこらイサミ! てめえ、良くも見捨てて・・・あん? どうしたんだ?」

「シャーナちゃん待って下さいよ・・・フィルヴィスさん?」

 

 ほうほうのていで逃げ出してきたシャーナと、それを追ってきたレフィーヤが目をしばたたかせる。

 薄闇の中にフィルヴィスの嗚咽だけが響いていた。




「風都探偵」絶賛放送&配信中!(ダイマ)


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15-10 エルフのお茶会

(どうしてこうなった・・・!)

(わ、私にもわかりませんよ・・・!)

 

 小さな石造りのコテージ。居心地の悪そうな顔でシャーナとレフィーヤがアイコンタクトを交わす。

 壁際には8つの寝台があり、隅には小さな暖炉、中央のテーブルには紅茶のカップとクッキーの皿が並んでいる。

 "レオムンドの安全宿(レオムンズ・セキュア・シェルター)"。魔法で生み出された野営用の小屋だ。

 

「そちらの二人も楽にしてくれ。せっかく彼が用意してくれた場だ。堅苦しくすることもあるまい」

「は、はい」

「そ、その、私は・・・」

 

 その言葉にも関わらずフィルヴィスはひたすら恐縮し、覆面を取った【疾風】ことリューも緊張を隠し切れない。

 卓を囲む最後の一人、ロキ・ファミリア副首領にしてハイ・エルフの王女リヴェリアはそんな彼女らに苦笑しつつ、湯気を立てるカップに口を付けた。

 

 

 

 シャーナとレフィーヤが現れて場が固まったところに、更に現れたのがリヴェリアであった。

 とりあえずその場を収めた彼女がイサミの方を見ると、彼も頷いた。

 イサミはこのコテージを魔法で出し(魔道具であるような演出はした)、紅茶とクッキーを用意して下がったのである。

 

 コテージの中に残ったのは目元を泣きはらしたフィルヴィスと、リュー、シャーナ、レフィーヤ、そしてリヴェリア。

 期せずしてエルフたちだけで始まったお茶会であったが、王女たるリヴェリアは彼女たちにとっては雲上人。

 彼女たちが固まり、リヴェリアが苦笑するのもやむからぬ事と言えた。

 

 しばらく、沈黙が部屋の中を支配する。

 まず王族への敬意に無頓着なシャーナがクッキーに手を伸ばした(元々エルフではないのだから当たり前だが)。

 続いてレフィーヤがカップに口を付けたところで、フィルヴィスが口を開いた。

 

「や、やはり私がこのようなところに・・・リヴェリア様と同じ卓につくなどと・・・」

「そう言わないでくれ。お前には一言礼を言いたいと思っていた。

 レフィーヤが世話になっているそうだな。それに、お前がレフィーヤに伝えてくれた魔法のおかげで、我々も助けられた。

 ありがとう、エルフの同胞よ」

 

 その言葉にフィルヴィスは身をこわばらせ――泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

「その御言葉だけで・・・報われた気がします。お目にかかれて光栄でした、リヴェリア様」

 

 そのまま一礼して立ち上がろうとするフィルヴィスの手を、隣に座っていたリューが掴む。

 鋭く振り向いたフィルヴィスを、静かな視線が包み込む。

 

「【白巫女】。この場にあなたを疎んじている者など一人もいません。

 もうあなたも立ち直ってもいいころではありませんか」

「やめて下さい、【疾風】! 私は【死妖精(バンシー)】なんです!

 死の呪いに穢されているんです! これまで幾人の仲間を、同胞までも巻き込んで死なせてきた!

 このような身がリヴェリア様を穢しでもしたら・・・!」

 

 血を吐くような叫び。

 だが、その言葉をリューは真っ向から切って落とす。

 

「あなたよりわたしの方がよほど穢れています!」

 

 泣きそうな顔のフィルヴィスがびくり、と震えた。

 

「そんな! あなたは・・・あなたはいつだって正義そのものだった! 弱きを助け、悪をくじき、オラリオを守ってきた!」

「あなただって知っているでしょう。それは五年前までのことです。あなた同様に全てを失い、私が選択したのは復讐だった。

 無辜の者こそ手に掛けてはいませんが、そうなっていても何らおかしくないことをやったのです。

 私の手は血に濡れている! 呪われているとしたらそれはあなたではなく、私の魂だ!」

「そんなことは!」

 

 言葉の応酬が更なる言い争いに発展しようとしたとき、唐突に二人の間に沈黙が下りた。

 いつの間にか立ち上がっていたリヴェリアが、それぞれの肩に両手を置いている。

 

「その様な事を言わないでくれ、フィルヴィス。【疾風】。私まで悲しくなってしまう」

「・・・申し訳ありません」

「お、およし下さいリヴェリア様! 私は・・・!」

 

 リューが王族の言葉に沈黙する。

 だが身をよじり、さりとて不敬ゆえに振り払うこともならず、フィルヴィスは必死に訴える。

 自分は呪われているのだと。穢れたエルフであるのだと。

 

「そのことは知っている。27階層の悪夢で仲間を失い、それ以降も続けざまに仲間を失ったのだったな」

「そうです! 私は・・・」

 

 言葉を続けようとして、フィルヴィスはリヴェリアの顔を見てしまった。

 そこに浮かんでいたのは哀れみではない。ましてやさげすみや嫌悪ではない。ただひたすらに純粋で神々しくすらある――慈愛。

 

「同胞の不幸を悲しみこそすれ、誰がさげすもうか。

 お前は心根の優しい、そして勇敢な娘だフィルヴィス。【疾風】、君も。

 お前達は決して穢れてなどいない。身も心も清く美しいエルフだ。誇るべき――我が同胞だ」

 

 雷撃に打たれたように、フィルヴィスが身を震わせた。

 それはかつてレフィーヤが彼女に言った言葉。

 敬愛する主神のそれと同じくらいに、彼女の心を打った言葉。

 それを一人の友だけではなく、畏敬すべき尊きエルフの王女が言ってくれたのなら。

 

 リヴェリアの腕が、優しくフィルヴィスをかき抱く。

 白いエルフの震えが止まる。その代わりに涙がこぼれた。

 一滴二滴落ちた涙はすぐさま奔流となる。

 

 フィルヴィスは泣いた。大声を上げて泣いた。

 先ほどの嗚咽とは違う、感情を全てぶちまけるような涙。

 悲しみを洗い流す、喜びの涙。

 

 そのフィルヴィスを見やりつつ、リューは静かに瞑目した。

 

 

 

 しばし後。

 フィルヴィスが落ち着いたのを見やってリヴェリアが口を開いた。

 卓の面々はそれぞれ無言のまま茶とクッキーを口に運んでいる。

 

「しかしシャーナ・ダーサ。君がうらやましいな。これだけ美味な菓子と茶をいつでも口にできるのだから」

「え? ええまあ、あいつは本当に料理がうまいから、じゃなかった! うまいですから、リヴェリア様」

 

 慌てて言い直すシャーナにリヴェリアが微笑んだ。

 

「さっきも言ったが、かしこまることはない。森を出た時点で私は元王族に過ぎないからな。

 エルフの皆は持ち上げてくれるが、本来その必要は無いのだ」

「は、はあ・・・そういう事ならこっちも気楽ですが」

 

 何とも言えない顔になったシャーナに代わり、レフィーヤが口を開く。

 

「そ、そうかもしれませんけど! それでもリヴェリア様は尊き王族の血を引くお方です!

 それなりに払うべき敬意というものが・・・」

「お前も頭が固いな、レフィーヤ。礼儀を忘れろとは言わないが、少しはシャーナを見習え」

「シャーナちゃんは人間に育てられたエルフだからしょうがないですけど、私たちは・・・」

 

 そこではっと気づき、レフィーヤが口を押さえる。

 

「あー、気にしないでいいよ。別に隠しているわけでもないから」

「ご、ごめんなさい、シャーナちゃん」

「ふむ。そういう事もあるのだな。だがシャーナ、女らしい言葉遣いは練習しておいた方がいいぞ。いずれ男を口説くときに困ることになる――私のようにな」

 

 笑みを浮かべて少女をからかうリヴェリアに、シャーナもニヤリと笑って見せる。

 

「何、お気になさらず。当てはありますので」

「イサミ・クラネルか。そう言えば年下に弱いようだったな、彼は」

「そうそう、ちょっとかわいい声音で『おにいちゃん』とか迫ったらイチコロですよ」

 

 にたにたと笑うシャーナ。この場にイサミがいたら、今度こそ切れて攻撃魔法をブチ込んでいたかも知れない物言いである。

 リヴェリアがこのような下世話なやりとりをかわしている事自体に衝撃を受けていた残り三人だったが、そこでレフィーヤが再起動した。

 

「しゃ、シャーナちゃん! だめよ、女の子がそんなこと言ったら・・・!」

「うん? なぁに、レフィーヤおねえちゃん?」

「はうっ!?」

 

 上目遣いでにっこり笑い、かわいらしい声音での「おねえちゃん」攻撃にレフィーヤが胸を押さえてうずくまる。

 

「ほら、効果抜群」

「まったくだな」

 

 くすくすと、リヴェリアとシャーナが笑いあった。

 

 

 

「しかし【疾風】か。生きていたとはな。お前達アストレア・ファミリアの活躍には常々感服していたし、その中で同胞が活躍していると聞いて誇りにも思ったものだ」

「恐縮です、リヴェリア様」

 

 言葉少なにリューが頭を下げる。

 

「差し支えなければ教えて欲しいが、お前とフィルヴィスはどこで知り合ったのだ?

 随分と親しげに見えたが」

「それは・・・」

 

 口ごもるリューに代わり、フィルヴィスが口を開いた。

 

「『27階層の悪夢』の時に生き残りの私たちを助けて下さったのがアストレア・ファミリアの方々でした。

 そして、放心している私を地上に連れ帰ってくれたのがこの方だったのです」

「そうか・・・すまない、無神経だったな」

「いえ」

 

 フィルヴィスが目を伏せた。リューは天井を仰いだ。

 『27階層の悪夢』の後約一年。フィルヴィスたちを助けたアストレア・ファミリアも同様に闇派閥の企みによって全滅した。

 リューが賞金を掛けられたのも、ひとえにその復讐の度が過ぎたためだ。

 

 その時抱いた思いをリューも、そしてフィルヴィスも忘れてはいない。

 リヴェリアも、それがわからないほど鈍くはない。

 重ねて謝罪の言葉を口にしようとしたとき、今度はリューの方から口を開いた。

 

「リヴェリア様もご存じでしょうが、今その闇派閥の残党。そしてそれと協力する怪しげな連中が暗躍しています。

 それに対してロキ・ファミリアはいかが動かれるおつもりなのでしょうか?」

「ふむ。五年越しに姿を現したのはそれが理由か?」

「理由の一つではあります。それで、いかがなのでしょう?

 ロキ・ファミリアの総意としてと言うのが難しければ、リヴェリア様個人のご存念でも構いません」

 

 そうだな、とリヴェリアが少し考え込む。

 

「少なくともロキには何か考えがあるようだ。座して見ていると言う事はなさそうだな。

 フィンも恐らくその路線で動くだろうな。ガレスも異は唱えまい。私としてもあいつらを放置しておきたくはない」

「ありがとうございました。そのお言葉が聞けて嬉しいです」

 

 リューがどことなくほっとした顔で頭を下げた。

 リヴェリアもそれに頷く。

 

「いつか、お前と肩を並べて戦える日が来るといいな。いや、そんな状況にならない方がそもそもいいのだろうが」

 

 わずかに苦笑の色をにじませつつも、楽しげに語るリヴェリア。

 リューも、僅かに頬をほころばせて頷いた。



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15-11 トラッキング

 その後は和やかな雑談が続いた。

 それぞれのファミリアの男どもをサカナにして盛上がったり、ファミリアに入った頃のアイズの話をしたり。

 レフィーヤと服を選んだ時の話が出て、当のシャーナの顔が引きつったのはご愛敬か。

 

 やがて話題も尽き、会はお開きとなった。

 シャーナとリューが一礼して席を立ち、フィルヴィスも続けて席を立つ。

 そのまま懐から出した書状を、うやうやしくリヴェリアに差し出した。

 

「これは?」

「我が神からの言伝です」

 

 開封して一読する。

 

「これはロキの方にも?」

「同じものが届いているはずです」

「わかった。フィンたちとも話して、可能な限りすぐに戻ろう」

「はい。それではわたくしもこれで」

 

 一礼してコテージを出ると、そばの木の根元にイサミが座り込んでいた。

 どうやら彼女たちの会合が終わるまで待っていたらしい。

 その横にはシャーナとリューの姿もある。

 

「・・・あの、【疾風】。これから?」

「少し気になることがありまして。クラネルさんたちにも少し手伝って貰うつもりです」

 

 リューの言葉にフィルヴィスが少しうつむいた。

 

「そうですか・・・お手伝いできればよかったのですが」

 

 その肩に、そっとリューが手を触れた。

 

「気にやむことはありません、フィルヴィス。恐らくあなたがたが追っているものと、私が追っているものは同根だ。

 同じものを違う方向から追っていけば、いずれ共に歩むこともあるでしょう」

「・・・はい」

 

 硬い表情のままフィルヴィスが頷く。

 イサミとシャーナは僅かな違和感を覚えたが、口にはしなかった。

 

 

 

「それではおやすみ」

「おやすみなさい、リヴェリアさん」

 

 リヴェリアやレフィーヤたちも去った後、"安全宿"を解除する。

 それから三十分後、食事の後片付けを済ませたイサミは、ヘスティアたちに断りを入れ、リューと共に北へ向かった。

 

 

 

「おーう、イサミっち! シャナっちにレーテー! 悪いな、わざわざ!」

「お久しぶりー。元気してたー?」

「わぷっ?!」

「こら、抱きつくな!」

 

 ロキ・ファミリアの野営地から北北東に一キロばかり行った森の中に10人ほどの赤外套達が集まっていた。

 レーテーに次々とハグされて目を白黒させるリドらをよそに、早速本題に入る。

 

「それで、怪人たちが何だって?」

「あ、ああ。あいつらじゃねえんだが、仲間が怪しい冒険者らしいのを見かけてな。

 そいつらを、この階層の東のほうで見失ったってんだよ」

 

 18階層の東から南にかけては鬱蒼とした森林地帯になっている。

 17階層からの入り口が南端、18階層への出口が中央。リヴィラの街は西部の湖畔にあり、ロキ・ファミリアの野営地は南端近くにあった。

 

「それが怪人とどう関係が?」

「それが先日クラネルさんに似顔絵を頂いた、例の商会に出入りしていた男らしく」

「なるほど。そいつは確かに無関係とは言い難いですね」

 

 イサミが真剣な表情になる。

 リューが頷いた。

 

「探したのですが、それらしき洞窟などは見つからず・・・クラネルさんの力をお借りできればと」

 

 少し考えていたイサミが頷いた。

 

「わかりました。とりあえずそいつを見つけた地点まで案内して下さい」

「見失った辺りじゃなくてか?」

「ええ」

 

 

 

 リドの仲間の小人族に案内されたのは、何ら変わったところのない森の中だった。

 ただし素人の目で見れば、である。

 

「おい、イサミっち。何してんだ?」

「しっ。お静かに」

 

 トラッキングという技術がある。

 足跡などの痕跡(トラック)や糞などの残留物を調べ、標的――多くは狩りの獲物である動物――を追跡する技だ。

 そこから転じて現代では商品流通やインターネットのアクセス元を調べることも指す。

 ファンタジー世界では「指輪物語」のアラゴルンがこの技術の持ち主として余りにも高名だろう。

 

 今イサミがほとんど地面に這いつくばるようにして行っているのは、まさにそれだ。

 違うのは、相手が人間であるという一点のみである。

 

「けどぬかるみでもない固い地面で、足跡なんか残ってないだろ? そんなのわかるのか?」

「狩人の技を侮ってはいけません。私はさほど得手ではありませんが、熟練の狩人は一月前の足跡ですらたどることが出来ます。

 ましてやここは雨も降らぬ迷宮の中。クラネルさんならあるいは・・・」

 

 リドたちは迷宮の中とオラリオしか知らない。シャーナとレーテーも似たようなものだ。

 リューを除く彼ら"都市(アーバン)"の冒険者には、そもそも「あるかないかわからない足跡をたどる」という発想がない。

 足跡は「あるか」「ないか」の二択だ。

 

 しかし"野山(ウィルダネス)"を駆ける狩人――いや、野伏(レンジャー)は違う。

 彼らにとって足跡は常にそこに存在する。薄れこそすれ、消えることは決して無い。

 追える足跡と追えない足跡を分けるのは、ただ本人の技量のみ。

 

「・・・・見つけた」

「!」

 

 赤外套達の間に静かな興奮が広がる。

 もちろんただ手がかりを見つけただけに過ぎないが、それでも未知の技術を見せられ、少年のように心を躍らせているようであった。

 

(ふうん? 腕は立つみたいだが、意外に若いのかね、こいつら)

(かわいいよねえ)

 

 意外そうに赤外套達を見やるシャーナとにこにこするレーテーである。

 

「しかしお前、本当に何でも出来るのな」

「"魔術師(ウィザード)"ですから」

「いや魔術師関係ねえよ」

 

 軽口を叩く二人であるが、イサミが歩き出したのを見てシャーナも口を閉じた。

 腰をかがめてそろそろと歩くイサミから10m程離れて、赤外套達がややおっかなびっくりでついていく。

 その後ろにシャーナ、レーテー、リューの三人。

 

 イサミが立ち止まる。後ろの赤外套達も一斉に立ち止まった。

 イサミが立ち上がって周囲を見渡すと、リドたちも意味もなく周囲を見渡す。

 イサミが足跡を逆にたどると、慌てたように後退する。

 

 地面に顔を近づけて微動だにしなくなったときは、全員が拳を握ってそれを注視した。

 そして、イサミが再び歩き始めるとまたその後について歩き出す。

 

(カルガモか何かか、こいつらは)

(かわいーなあ、もう!)

 

 シャーナが呆れてため息をつくのと、レーテーが相好を崩すのがほぼ同時だった。

 

 

 

 追跡は続く。

 イサミの見つけた足跡は、やはり東へ向かっていた。

 30分、距離にして1kmほどを移動してたどり着いたのは、水晶の柱と木々の入り交じる幻想的な森。

 その突き当たりのそそり立つ岩壁――18階層の外壁の前でイサミは足を止めた。

 

「ここで足跡は途切れてますね」

「え・・・でもイサミっち、壁じゃねえか?」

 

 コンコン、と岩壁を叩いたリドが怪訝な顔になる。

 赤外套達の何人かも同様だ。

 

「なあ、イサミっち。これってまさか・・・」

「お見事。ビンゴみたいですね」

 

 ぐっ、と親指を立てるイサミ。

 逆にリューやシャーナ、レーテーは何が何やら、という顔だ。

 

「見た感じ、砕けた岩の痕跡がありますから、割と最近にも――まあそれはいいでしょ。

 ちょっとどいて下さい。ぶち破ります」

「おう」

「"物質分解(ディスインテグレイト)"」

 

 短く呪文を唱えたイサミの手から、破壊の魔力を込めた無色の光線が迸る。

 光線は正面の岩壁に命中し、それを3m立方の形にえぐる・・・事にはならなかった。

 

「これは・・・」

「すごい! 未到達領域?!」

「いや、違うぞ! こいつぁ迷宮じゃねえ!」

 

 "物質分解"が命中した後には縦横5mほどの開口部が開いていた。

 特筆すべきはその壁が石組み――人工物であると言う事。

 

 大前提として、この迷宮は人間の手による物ではない。《白宮殿(ホワイトパレス)》と称される37階層にしても、壁が白いからそう呼ばれているだけであって、構造自体はその他の階層と変わらない天然のダンジョンである。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「奥のは・・・扉か?」

「少なくとも人工物ではありますね。"開けゴマ"とでも唱えてみますか?」

「そいつぁおまえの弟に任せるよ。おとぎ話なんかとうの昔に忘れちまったからな」

 

 軽口をたたくシャーナたちをよそに、リューがリドに視線を向けた。

 

「言われてみれば壁を叩いた音がおかしい感じではありましたが・・・よくあれだけでわかりましたね?」

「俺たちも同じ事をしてるんでね。ダンジョンの壁や水晶は壊してもすぐに直る。隠れ家にはうってつけだ」

「なるほど。ですが・・・」

「ああ、俺たちはダンジョンの構造を利用してるだけだが、この先のは違う。どうやって作ったんだ、こんなもん・・・?」

 

 早くも再生を始める岩壁、その奥に見える石組みの通路を二人は厳しい目で見やった。



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15-12 人造迷宮

「待った」

「!」

 

 イサミの声で、一同が足を止めた。

 

「罠か?」

「わかりませんけど、ちょっとそのまま」

 

 ふわり、とイサミの体が宙に浮いた。

 取り付いたのはガーゴイルを刻んだ壁の彫刻。その影に巧妙に隠された水晶の花。

 そこから発せられる魔力の波動を、イサミの魔力視覚が感知したのだ。

 腰のポーチからサファイアのレンズがはまった手持ちの眼鏡を取り出す。

 

「"魔力分析(アナライズ・ドウェオマー)"」

 

 レンズを通して花の中に見える、魔力線と呪文式。

 魔術師レノアの作った杖の整然としたそれとは異なり、複雑かつ有機的にからみあったそれらは人工ではなく天然の魔力回路――つまり、魔法的生物が生まれながらに持つそれだ。

 

「魔力の系統は占術・・・映像と音の認識、それに伝達と・・・やっぱこれ隠しカメラか」

「何だって?」

 

 聞き返してくるリドに、イサミは唇に指を一本当てて返した。

 ふわり、と音を立てずに床に降り立ち、同じく音を立てずに呪文を発動する。

 

「《音声省略(サイレント)》"集団不可視化(マス・インビジビリティ)"」

 

 その場にいた全員の姿が不可視になる。続けて更に呪文を発動。

 

「《音声省略(サイレント)》"レアリーの心的結合(レアリーズ・テレパシックボンド)"」

 

(よし、これでみんな俺の声が聞こえるな?)

 

「ふぇッ?!」

「なんだこりゃ? 頭の中に声が・・・!」

「シッ」

 

 一瞬ざわめいた一同だったが、再度の制止ですぐに静まりかえる。

 

(声を立てないで、頭の中で話して下さい。これはそう言う呪文なので)

(音を立てないで話せるのか。こいつぁ便利だな。でもどうしていきなり?)

(今調べた奴、あそこにあるのは魔法の「目」です。

 この通路をずっと見張ってて、その光景をどこか、千里眼の水晶玉みたいなものに伝えてる)

 

 一同の顔が引き締まる。

 

(フェルズが使ってる奴と同じか)

(近いですね。まさかこんな仕掛けまであるとは・・・)

(俺たちの侵入はもう察知されてるってわけか)

(わかりません。全ての地点を常時監視できてるとは限りませんし)

 

 一同の視線が互いの上を行き来する。("集団不可視化(マス・インビジビリティ)"で全員一度に透明化しているので、彼ら同士の間であれば姿は見える)

 代表してリドが口を――むろん精神の方――開いた。

 

(どうするよイサミっち? 察知されてるなら一端引くのも手だが)

(取りあえず、調べられるところまでは調べましょう。少なくともこの扉の先くらいは)

 

 その場の全員が頷いた。

 

 

 

 通路の行き当たりを調べていたイサミの喉が、ひぐっ、と奇妙な音を立てた。

 

(おい、どうした?)

(これ、オリハルコンだ! オリハルコンの扉ですよ!)

(ファーッ!?)

 

 シャーナたち三人に驚愕が広がった。

 赤外套達は今ひとつぴんと来ないようだったが、イサミの説明で大体のことは理解したようである。

 

(つまり、壊すこともぶっ飛ばすことも出来ないって事か。イサミっちの呪文でもか?)

(無理だなあ。アダマンタイトなら出来なくもないが、オリハルコンは無理)

 

 超硬金属(アダマンタイト)最硬精製金属(オリハルコン)の最大の違いは硬度よりもむしろ魔法抵抗力にある。

 極めて魔法的な金属であるオリハルコンは、魔法に対しても絶対的な防御力を誇る。

 

 固いから魔法の攻撃に耐えられると言うことではない。根本的に魔法を受け付けないのだ。

 変形や物質分解といった物質に直接作用するイサミの魔法に対しても、オリハルコンはほぼ完全な抵抗力を持つ。

 

 "隠し扉感知(ディテクト・シークレット・ドアーズ)"の呪文で調べてもみたが、開閉に特定のマジックアイテムが必要と言うことがわかったのみだった。

 一方、壁に穴を開けられないか試していた赤外套達が石壁の下にもう一枚、金属の壁があるのを発見する。

 

(うわっ! 見ろよ! 壁の石組みの裏、これアダマンタイトだぜ!)

(こっちも純度高そうだなあ・・・扉がオリハルコンで壁がアダマンタイトとか、どれだけ金掛けてるんだ・・・)

 

 ふう、とリドがため息をついた。

 

(こりゃどうしようもねえなあ。ここを見張って、出入りするところを捕まえるしかねえか?)

(いや、壁に穴開ければ大丈夫ですよ)

(ああ、やっぱイサミっちでも無理だよな・・・開くのかよ!?)

(アダマンタイトなら出来る、と言ったでしょう? "千里眼(クレアボヤンス)")

 

 透視の呪文を唱えると、イサミはじっと周囲を観察する。

 その後、おもむろに扉横の石壁を素手でたたき割り、下のアダマンタイトを露出させた。

 

("物質分解(ディスインテグレイト)"――"物質分解(ディスインテグレイト)"!)

 

 "物質分解"二回で6mのバイパスを掘り、向こう側の扉横の石組みを裏から崩して、一行はあっさりと扉を通り過ぎた。

 

(見事ですね。しかし、石組みの壁ごと分解しなかったのは何故?)

("物質分解"したものは元に戻せませんけど、砕いただけなら呪文で修理できますから。

 侵入した後で石組みの壁を元に戻せば、どこから侵入したか相手にはわからないでしょう?)

 

 言いつつ、"致命的損傷修復(リペア・クリティカル・ダメージ)"呪文を発動する。

 地面に散乱していた石のブロックや破片がふわりと浮いて結合し、高さ50センチほどの石壁が再生した。

 完全に修復すれば、見た目にはその裏に穴があるなどもうわからないだろう。

 

(ほんと、便利な奴だなあ、おまえ・・・)

魔術師(ウィザード)ですから)

 

 言いつつイサミはしゃがんで石壁の破片を調べる。

 

(どうした?)

(いえ、今修復魔法の効きが悪かったので・・・ああ、なるほど)

 

 崩れた石の中には黒曜石のように見える黒いものが混じっていた。

 

(なんだそりゃ?)

(オブシディアン・ソルジャーの体石じゃないかなと)

(ええっと・・・魔除け石とか魔法に強い鎧の材料になるあれ?)

(ええ。そのものではないから修復魔法(リペアダメージ)が効きましたけど、魔法でこの石壁を砕くのは至難の業でしょうね)

 

 素手で石壁を砕いてから"物質分解"を使ったイサミの判断は、結果的にだが正しかったと言うことだ。

 

(では、進みましょう。私たちは、この先を確かめねばなりません)

 

 リューの言葉に、全員が頷いた。

 







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15-13 ダイダロス

 ――扉を抜けると、ダンジョンだった。

 

 この世界における固有名詞としてのダンジョンではない。

 現代日本に生きていたイサミが知る、地下迷宮。

 

 石組みの壁と床と天井。

 一定間隔を置いてもうけられた魔石灯。

 そこかしこに施された怪物などの彫刻。

 

 想像の中で、コンピューターゲームの中で、テーブルトークRPGのなかで、イサミが憧れ、夢見、幾度となく歩いた「ダンジョン」がそこにあった。

 

(・・・・・)

(お、おい? 何だ、泣いてるのか!?)

(ちょっ、ちょっとイサミちゃん、大丈夫?)

(大丈夫だ、問題ない)

 

 ボロボロとこぼれる涙を戦闘衣の袖口でぐいっとぬぐう。

 自分でも意外だったが、イサミはこうした石組みのダンジョンに随分と思い入れがあったようであった。

 

(ウィザードリィの影響かねえ・・・)

(つうか、ダンジョンだろ? 何の違いがあるってんだ)

(違うのだ!)

(うおっ!?)

 

 迂闊な一言を口にしたシャーナに、胸ぐらを掴まんばかりの勢いで迫るイサミ。

 端から見ると女子小学生に迫る大男という実にアレな構図である。

 

(いいか、ダンジョンってのは・・・へぶっ?!)

 

 スイッチが入ってしまったか、長広舌を発動しかけたイサミの脳天にレーテーの大戦斧がめり込んだ。

 

(めーでしょ、イサミちゃん。今そんなことをしてる暇はないのよ)

(お、おっしゃるとおりで・・・)

 

 頭を抑えてうずくまるイサミ。

 もっとも、あのままこだわりトークが発動していればイサミが異世界から転生してきたこともばれてしまいかねなかったので、痛し痒しではある。

 いや、頭は凄く痛いが。

 

(漫才はそこまでにしてあれ見ろよ。何か壁に書いてあんぞ。え、えーと・・・"ダイダロス"?)

(・・・・!)

 

 瞬間、頭の痛みも忘れてイサミは顔をしかめた。

 それはギリシャ神話随一の工匠の名。

 船の帆という概念を生み出し、本物と変わらぬ人造の牝牛を作り、造りものの翼で空すら駆けて見せた男。

 そして、神話に名高き"始原の大迷宮(ラビュリントス)"を生み出した男。

 

 更にイサミには、神話とは別の心当たりが一つあった。

 

(ダイダロス・・・バベルを作った伝説の大工匠)

(・・・ダイダロスって、ダイダロス通りと関係があるのか? そいつがバベルも作ったのか?)

(最初に《神の恩恵》を受けた一人です。バベル、オラリオの城壁や円形闘技場、英雄墓地、ダイダロス通り・・

 そもそも今のオラリオの都市設計自体が彼の手になるものですし、魔石製品の基礎を作ったのも、現在広く使われている魔道具や魔剣製作の基礎技術を確立させたのも彼です。

 まさしく絶世の天才ですよ)

(マジかよ・・・)

 

 イサミの読んだ歴史書によれば、ダイダロスはあらゆる工芸品や建築を生み出す一方迷宮にも潜っていたが、次第に言動が常軌を逸するようになり、あるとき不意に姿を消したという。

 

(まさかこの通路をコツコツ掘ってたんじゃあるまいな?

 確かに、18階層直通の通路とかあったらすげえ便利だけどよ)

 

 その言葉ではっと我に返る。

 確かに、余りにもそれらしかったので早合点してしまっていたが、今のところ闇の先に見えるのは真っ直ぐ延びた通路だけ。

 この構造物が単なる通路ではなく「地下迷宮」である保証はどこにもない。

 

 これがただの通路ではなく、広大無辺なもう一つのダンジョンであってくれと、イサミは不条理にも願った。

 

 

 

 ――結論から言うと、イサミの願いは叶えられた。

 

 カーブ、十字路、傾斜路、アーチ。

 扉や玄室こそ無いが、通路の先はまさしくダンジョンだった。

 闇は暗く、通路は長く、闇を見通すイサミの目を持ってしてもどれほどの広がりがあるのかわからない。

 

 唯一盗賊(ローグ)の技術を持つイサミを先頭に一行はこの未知の地下迷宮を進む。

 

(――察知されてるかどうかを別としても、片手間に探索できるダンジョンじゃなさそうです。

 本格的な探索は後日にして、他の出口を突き止めるまでにしておきましょう)

(どうやって?)

 

 興味津々に聞いてくるリド。

 そりゃ魔法で――と言おうとしたとき、イサミはリドの他にも視線が自分を見ているのに気づいた。

 赤外套達のほぼ全員が、期待に満ちた目でイサミを見つめている。

 

 シャーナはにやにやと、レーテーはにこにこと、リューもそれなりに興味深げなまなざしを投げてくる中、イサミはため息をついて呪文を発動した。

 

(《音声省略》"経路発見(ファインド・ザ・パス)"――この迷宮の出口を示せ)

 

 呪文を発動した瞬間、イサミの脳裏に一本の経路が浮かび上がる。

 通路、階段、扉、錠前、罠、分岐点でどの道を選ぶべきか――経路の途中にあるありとあらゆるものの情報と共に、

 それらの情景と立体的な地図が頭の中に表示される。

 そして、その出口は――

 

(・・・驚いたな。"ダイダロス通り"だ。あそこの地下水路に、この迷宮の出口がある)

(マジか)

(――!)

(どうした、アルル?)

 

 普段余り喋らない、小人族の女性と思われる赤外套の反応に、リドが首をかしげた。

 喋ること自体に慣れていないのか、もどかしそうに言葉を探してどうにかそれをつなげる。

 

(フェルズ――言ってた。迷宮、出口、ええと・・・外! 上の、外!)

(ええっと・・?)

(――オラリオの、オラリオの外にも迷宮の出入り口があると?)

 

 ぶんぶんぶん、とアルルが首を縦に振って肯定の意を示す。

 

(そうだ! 確かにフェルズの奴がそんなこと言ってたぜ、イサミっち!

 迷宮からオラリオの外に通じる経路があるかも知れないって!)

 

 言われて思い出したのかやや興奮気味のリドに頷き、イサミは画板と紙を取り出した。

 

(とりあえず呪文が持続しているうちに経路だけ書き写してしまいましょう)

 

 手早く――とは言っても10分近くかけて、経路を事細かに書き記していく。

 

(オリハルコンの扉は他にもあるのか? やっぱ開閉に何かの魔道具が必要なのか?)

(多分そうだと思いますが、今描いてるルートはオリハルコンの扉を通らずに地上に行けます。

 ですが、やはりそのマスターキーは手に入れる必要があるんじゃないでしょうか)

(あの出口で待ち伏せですか。持久戦になりそうですね)

 

 迷宮の地図を一発で表示できるような魔法があれば良いのだが、さすがにD&Dと言えどもそのようなご都合呪文は存在しない。

 

(探索は・・・俺がついてくしかないだろうなあ。リューさん含めてこいつら全員戦闘の専門家ではあっても探索の専門家じゃないし)

 

 そんな事を考えているうちに、経路の地図製作(マッピング)が完了する。

 

(それじゃもう一発、《音声省略》"経路発見(ファインド・ザ・パス)"――この迷宮のオラリオ外に続く出口を示せ)

 

 先にかけていた呪文を解除して、新たな経路発見の呪文を発動する。

 新たに脳裏に浮かんだ経路のヴィジョンは、地下水路までは全く同じだった。

 ただしその先は地下水路から海蝕洞を通り、港町メレンの近くに通じている。

 

(今まで謎だったことがあっさりわかっちまったなあ)

(クラネルさん、他の出口があるかどうかはわかりませんか?)

(この呪文は最短の経路一つを調べることしかできないので・・・どこそこに出口があるとわかってればできるんですが)

 

 筆を走らせながら答えるイサミに、ですかと頷くリュー。

 程なく完成した二枚目の地図を脇に置き、呪文でコピーを一枚ずつ作ると、イサミはコピーの方をリドに手渡した。

 

("書写(アマニュエンシス)"とか使いそうにない呪文でも準備しておくもんだな・・・フェルズに渡してくれ。とりあえず今日はこれでお開きにしておこう)

(ん、わかったぜイサミっち。これだけでもすげぇ収穫だ)

 

 喜色満面でそれを隠しにしまうリド。

 つられて笑みをこぼしつつ、立ち上がろうとして、イサミはふと動きを止めた。

 

(どうした?)

(いや、この際もう一つ情報収集しておこうかと。何十分かかかりますけどいいですか?)

 

 異論が出ないのを確認して、イサミは壁を背にしてあぐらをかいた。

 

(透明になってますから大丈夫と思いますが、一応敵への警戒よろしく)

(おう、まかせとけ!)

 

 イサミの魔法が今度は何をやってくれるのか、期待に目を輝かせて意気込むリドや赤外套達に頷きつつ、イサミは呪文の詠唱を開始した。





人造迷宮以外に原作ダイダロスの功績として明言されてるのはバベルとダイダロス通りだけだったと思いますが、この作品では他にも色々作った事になってます。
本当にそこまでの絶世の天才なら、これくらいやれても良かろうと言う事で。


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15-14 伝承

 10分後。

 ただ座り続けるだけのイサミに対し、赤外套達の目は既にだれきっていた。

 

(なあ、何にも起きないんだが。今使ってるのどんな魔法なんだ?)

("伝承知識(レジェンド・ローア)"っていう、この迷宮についての伝説を調べる魔法)

(何の役に立つんだよそれ)

(手がかりは重要だよ? 何者が作ったのかとか、そこから突破口が開けるかも知れない)

(そらそうだけどよぉ・・・何かこう、な? もっと凄い感じの魔法かと思ったのに)

 

 頬をふくらませるリドに、イサミも苦笑するしかなかった。

 

(本当にガキみてぇなやつらだなあ)

(いいじゃない。シャーナちゃんも、昔はそうだったんじゃないの?)

(えー、シャーナまだ子供だしー)

 

 わざとらしく子供ぶるシャーナをよそに、リドたちはブツブツとぼやき続ける。

 イサミ達は知らないが、リドたちが「世界」を知ってから、まだ5年ほどでしかない。

 ある意味で、まさしく彼らは子供なのだった。

 

 

 

 それからさらに30分後。

 赤外套達が完全にダレたころ、イサミの呪文が完成した。

 

 石造りの迷宮の、その物質的な存在ではなく形而上的な本質へのアクセス。

 そこから「伝承」というあやふやなものを引き出すのがこの呪文。

 

 名前に反して、この呪文は人々の口に上る伝承から情報を引き出す物ではない。

 「伝説となるべき存在」そのものから伝承という形で情報を引き出すものなのだ。

 

 ゆえに、それは誰かに知られている必要すらない。

 功績を打ち立てた英雄、英雄の使った武器、偉業の行われた場所・・・

 伝説となる価値のある存在であれば、逆説的にそこには伝説が存在しうる。

 人の口に乗らずとも、誰も知るものが無くても、その価値がある限り伝説は存在するのだ。

 

(知られざる伝説、というやつだな)

 

 おのれの精神の中央に膨大な情報が渦巻くのを感じながらイサミは独りごちた。

 目の前に存在するこの迷宮から超自然的な手段をもって引き出された情報は呪文の力によって処理再構築され、口承や口伝のような短い文章となってイサミの脳裏に結実する。

 

"かつて大工匠ダイダロス、「迷宮」に魅惑されり。

 迷宮の神秘に魅せられしダイダロス狂えり。

 狂えるダイダロス、「迷宮」に寄り添う作品を作らんとす。

 ダイダロスとその妄執、千年の後も血に連なるものを駆り立て作品を作り続けん。

 迷宮の全てを我がものとするその時まで"

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・!)

(お、おい、どうした?)

(イサミちゃん?!)

 

 両目から、今日二回目の涙が溢れる。

 周囲の声も耳に届くことはなく、イサミの心はある種の感動で満たされていた。

 

 顔も知らぬ神代の工匠。

 その志を受け継いで、今もこの巨大な作品を作り続けている人々がいる。

 そのことに純粋な感動を覚えたのだ。

 

 イサミの元の世界でもっとも長い間作り続けられているサグラダ・ファミリアでもせいぜい百年余り。

 それを千年だ。

 現代日本で言えば、平安時代から延々と作り続けられている大建築物。

 料理しかり、マジックアイテムしかり、イサミは「作る」ことにこだわりを持つ人間だ。

 同じ「作る」人間として、その受け継がれてきた意志に純粋に感動したのである。

 

 もっとも、それを素直に言ったら全員に――レーテーにさえ――呆れた顔をされたのだが。

 

(あのなあ、ここは闇派閥やら怪人やらのアジトなんだぞ?

 ダイダロスの子孫どもが何をやってるかは知らねえが、連中が鍵を持ってる以上そいつらとグルになってるってことじゃねえか)

(それはまあそうだが、同じ匠としては感じ入る物があるわけでな・・・)

(イサミちゃんわかってる? この先、多分その子達が敵に回るんだよ? ちゃんと戦う覚悟しておかないとダメなのよ)

(わかってる・・・とは思うんだがな)

(ならいいんだけどぉ・・・)

 

 話を強引に打ち切り、イサミが立ち上がった。

 

(さ、戻ろうぜ。もう用は済んだし、長居しないに越したことはない。

 次にここに来るのは、フェルズとも話し合ってからってことになるだろうな)

(あ、ああ・・・)

 

 "敵"はイサミ達に気がついているのかどうか、来た道を戻り外壁が復元し終わるまで一切のリアクションはなかった。

 下層の方に用があるというリュー達とその場で別れ、鬱蒼と茂る夜の森を南西に戻る。

 

「しかし、とんでもねえもん見つけちまったな・・・少なくとも地上から十八階層までの範囲で巨大な迷宮作ってるんだろ? どれだけ掘り進めたんだよ」

「すごいですよねえ。しかも、単に穴を掘っただけじゃない! 建築物としても非常に洗練されていますよあれは! ダイダロス・・・やはり天才か・・・」

「本当にイサミちゃんはあのダンジョンが気に入っちゃったのねぇ」

 

 相変わらず感心することしきりのイサミに、苦笑しつつも微笑ましそうな視線を向けるレーテー。

 もちろんだとも、と再び熱弁を振るおうとして、瞬間イサミの表情が険しい物になる。

 

「「!」」

 

 空気の変化を素早く察し、シャーナとレーテーの二人も身構えた。

 意思疎通をまだ持続している"レアリーズ・テレパシックボンド"による念話に切り替える。

 

(どうした!?)

(人の集団、数百m程先からこっちに高速で移動中――ロキ・ファミリアの野営地の方からです)

(!)

(それと――)

(それと?)

 

 イサミがシャーナの質問に答えようとしたとき、「それら」は現れた。

 一見したところでは20人ほどの冒険者の集団に見える。

 レベルはざっと見3から4。一人5か6。

 

 半分ほどは人がすっぽり入るサイズの袋を抱えていた。

 向こうも突然現れたイサミ達を見て足を止める。

 

(なんだ、こいつら!?)

(なんか・・・何か変! こいつら、()()()()()()()()()()()!)

 

 レーテーの心の声に、シャーナがはっとして敵の姿を見る。

 冒険者達の揃って青白い肌は、夜の明かりのせいか?

 兜の下の目が赤く光っているのは気のせいだろうか?

 これだけの人間がいて息づかいが全く聞こえないのは?

 そして、口元に見える鋭い牙は?

 

(――気をつけろ! こいつら、"吸血鬼(ヴァンパイア)"だ!)




サグラダファミリア着工は1882年なので、2022年時点で140年です。
今回ググって吹きましたが、あれ違法建築だったんですなw
下にトンネル掘ろうとして発覚したという。
結局特別法を制定してどうにかしたようですが。


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15-15 吸血鬼

「《最大化》《威力強化》《二重化》"陽光爆発(サンバースト)"ぉ!」

 

 戦いはまばゆい光から始まった。

 直径48mを照らす巨大な光の爆発。

 効果範囲こそイサミの持つ呪文の中でも突出して広大だが、威力自体は素の"炎の泉(ファイアーブランド)"にくらべても大きく劣る。

 まっとうな人間やモンスター相手なら、だが。

 

「「「ギャアアアアアア?!」」」

 

 悲鳴を上げて目を覆う冒険者、否、ヴァンパイアたち。

 名前の通り光で攻撃するこの呪文は、光に弱い一部の存在に対して絶大な効果を持つ。

 

「《即時高速化》《最大化》《威力強化》《二重化》"陽光爆発(サンバースト)"!」

 

 続けての一撃で、全身を焼けただれさせて半数以上のヴァンパイア達が倒れた。

 

「ちっ! 退くぞ!」

 

 敵のリーダーの判断は迅速であった。

 残る数人のヴァンパイアを引き連れ、夜の木立の中に姿を消す。

 一瞬で木立に姿を消した彼らを、もう呪文でも攻撃することは難しい。

 シャーナとレーテーも彼らをあえて追おうとはしなかった。

 

 敵がいなくなったのを確認し、三人が息をつく。

 その視線が、倒れたヴァンパイア達とそいつらが担いでいた袋に向かう。

 三人が頷き合ったのと、【風】をまとったアイズがその場に飛び込んでくるのとが同時だった。

 

「え・・・クラネル、さん?」

「アイズか! 状況どうなってる? こいつら、野営地を襲ってきたのか?」

 

 状況にややついて行けないのか、戸惑いながらもアイズが頷く。

 

「はい・・・寝入って少しくらいした後に突然襲われて、何人かが・・・」

「ベル達は無事か?!」

「弟さんは無事だったみたいです。全員はわかりません」

「そうか」

 

 ほ、と安堵の息をついてイサミはかがみ込んだ。

 転がっている袋の口を開け、中を確かめる――中は、イサミの想像したとおりだった。

 

「ルカさん・・・」

 

 アイズの表情がゆがむ。

 イサミ達にも見覚えがある顔だった。

 ロキ・ファミリアのサポーター、レベルは確か3だったはずだ。

 その顔に血の気はなく、呼吸もしていない。

 

 残りの袋も開いていく。

 それらの中にもロキ・ファミリアのサポーターたちがいた。

 いずれも息はしていなかった。

 

(・・・・!)

 

 遺体を手早くあらためたイサミの顔が僅かに険しくなった。

 遺体にはいずれも傷一つない。僅かな打撲痕があるだけだ。

 

 生命力吸収(エナジードレイン)

 いわゆる「レベルを下げる」攻撃である。

 生命力を吸収された人間は動きが鈍くなり、限界まで吸い尽くされると肉体的な負傷に関わらず即死する。

 イサミ自身、24階層でビホルダーのザナランタールをその手で仕留めている。

 ロキ・ファミリアのサポーター達の死因がヴァンパイア達による限度を超えた生命力吸収なのは明らかだった。

 

(絶対に後で面倒なことになるよなあ・・・)

 

 悲しみに目を伏せるアイズをちらりと見る。

 この世界では絶対にあり得ないことではあったが、イサミは限定的ながら死者を蘇生することができる。

 もちろんそんな事が知れたら大騒ぎになるし、このまま放置しておくのが一番波風立たない選択ではあるのだが・・・

 ここで彼らを見過ごせるほどイサミも冷たい人間ではなかった。

 

「? クラネルさん、何を・・・?」

「まあ見てな」

 

 太ももの辺りに手をやったイサミの手に、長さ150cmほどの長杖が忽然と現れた。

 取り出した魔杖(スタッフ)に、おのれの呪文のエネルギーを注ぎ込む。

 魔剣のように内包された力ではなく、外部から注がれたエネルギーが呪文の回路を走り、魔杖(スタッフ)がその魔力を起動させる。

 

「"完全蘇生(トゥルー・リザレクション)"」

 

 かつてシャーナを蘇生させたときと同じく、強大な癒しの魔力が遺体の周囲に満ちる。

 吸収され枯渇した生命を新たに肉体に付与し、召喚の魔力が天界より魂を呼び戻す。

 

「・・・あ」

「・・・・・・・!?」

 

 ぱちり、と目を開けるルカ。

 声も出せずに驚くアイズ。

 

「仮死状態になってただけなんだよ。あいつらは非常に珍しいモンスターでね。そう言う能力がある。

 俺はそれを元に戻す魔法が使えるんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 じーっ、と露骨に疑わしげな視線を向けるアイズ。

 さすがに疑われてるな、と思いつつイサミが言葉を探していると、アイズがため息をついた。

 

「いえ、なんでもないです。ありがとうございました」

「・・・どういたしまして」

 

 魔杖(スタッフ)を再度発動し、残りのロキ・ファミリアメンバーも素早く蘇生させる。

 

「ありがとう、助かったよ・・・何かやられる前より調子がいいみたいだ」

「ついでにその他もろもろの症状や疲労も回復しますからね。まあおまけってことで」

 

 そう言ってイサミは誤魔化した。

 "完全蘇生(トゥルー・リザレクション)"は文字通り完全に人間を蘇生させる。

 それはたとえ肉体が残っていなくても一から再構成できるほどの魔力であり、ルカ達が注意深く体を観察していれば、古傷までも完全に治っているのがわかっただろう。

 

「それじゃ戻りましょうか。弟たちも心配だ」

「そうだな、フィン達も心配してるだろうし」

 

 アイズも頷いたのを確認し、イサミ達は足早に歩き始めた。

 第一級冒険者とは言わないまでも、全員それなり以上のステータスの持ち主である。

 ただ早足で歩くだけでも、常人の全力疾走を上回る移動速度だ。

 10分とかからず、一行はロキ・ファミリアの野営地に帰還した。

 

 しかし、そこでイサミ達を待っていたのは思いがけない知らせであった。

 

「大変だよ兄さん! 神様が・・・神様と春姫さんがさらわれたんだ!」

「なっ・・・!」

 

 イサミの顔から音を立てて血の気が引いた。

 




イサミもあれからレベルが上がって、更に二つエピック特技を習得しております。
うち一つは《呪文容量強化》(呪文の使用レベル上限を+1)。
なので、《呪文使用回数強化》特技も9レベルまでOK=9レベル呪文撃ち放題=9レベル呪文のスタッフも起動し放題なわけですね。
《マスタースタッフ》はなかったことになりましたので、そうするとあと二つ(パスファインダー仕様なので23レベルで2つめのエピック特技を習得できる)は《マルチスペル》と《物質要素完全無視》かなあ。
対ロビラー用の《戦闘発動強化》は《発動を守る盾》でどうにかなりますし、パスファインダー仕様だとウィッシュのコストは経験点ではなくて25000gp分のダイヤモンドなのでこれで踏み倒せるwww

ちなみにベートはまだ帰って来ていません。
イサミが来て回復呪文をかけたのでベルが早く覚醒した分、タイムテーブルが一日繰り上がってます。
原作通りなら彼が帰って来るのは翌日の午後遅くになります。


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第十六話「リッチとは金持ちの死者のことである(嘘)」
16-1 追跡


 

 

 

   アイ・ネバー・ドリンク・ワイン

『私はワインは飲まないのだよ』

 

 ―― 『吸血鬼ドラキュラ』 ――

 

 

 

 野営地は惨憺たる有様だった。

 あちこちに血が飛び散り、テントは一つが焼失している。

 異様なのは鎖で縛られ、気絶した冒険者達が数十人、まとまって転がされていることだ。

 ロキ・ファミリア、ヘファイストス・ファミリアにタケミカヅチ・ファミリア。

 中にはベルとリリ、ヴェルフ、ティオネやティオナ、椿などの姿もある。

 リヴェリア達と共に周囲を囲んでいたフィンがこちらに気づいて笑顔を向けてきた。

 

「アイズ! ルカ達も! 無事だったか!」

「・・・これは一体?」

「襲撃を受けてね。どうやら集団にかけられる"呪詛(カース)"らしい。

 僕たちは咄嗟に飛び退いたんだが、大半の者がやられてごらんの有様さ」

 

 "呪詛(カース)"とは特殊な魔法だ。

 使用者にペナルティを負わせる代わりにほぼ無条件、抵抗(レジスト)なしにステイタス低下などの効果を与える事ができる。

 

 敵の使った"呪詛(カース)"は集団に対して理性を失わせ、敵味方の区別なく襲いかかる狂戦士にするものだったらしい。

 咄嗟にかわしたフィン、リヴェリア、ガレスとたまたま散歩に出ていたアイズ、魔道具で防いだアスフィとで全員殴り倒して拘束したそうだ。

 

「・・・まだ呪いは残ってるようですね。確かにこれは強力だ」

「わかるか、イサミ・クラネル」

「今解除しますよ・・・"魔力破り(ブレイク・エンチャントメント)"」

 

 20秒ほどの詠唱の後、イサミの手から放たれた不可視の魔力が転がされている冒険者達に渦のように絡みついた。

 犠牲者達にまとわりついた呪詛の魔力が清水に洗われた泥のように流れ落ちるのが、イサミの魔力視覚にははっきりと捉えられる。

 タイミングを合わせたかのように、ティオナの目がぱちりと開いた。

 

「あれ? どうしたの? ねえガレス、あたしどうして縛られてんの?」

「・・・やれやれ」

 

 ガレスが深くため息をつき、フィンとリヴェリアが苦笑した。

 

 

 

「おい、ベル。起きろ」

 

 のんきな顔で寝息を立てている弟を苦笑混じりにこづく。

 隣ではレーテーがリリを揺すって起こしていた。

 

「ん・・・」

「どうだ、おかしいところはないか?」

 

 ぼんやりとイサミを見ていたベルの目が、はっと焦点を取り戻した。

 

「大変だよ兄さん! 神様が・・・神様と春姫さんがさらわれたんだ!」

「なっ・・・!」

 

 イサミの顔から、ほとんど音を立てて血の気が引いた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十六話「リッチとは金持ちの死者のことである(嘘)」

 

 

 

 敵はまず、不意を打ってロキ・ファミリアの見張りを無力化した。

 そして更に眠っている冒険者達を無力化・殺害し、連れ去るつもりだったと思われる。

 思われる、というのはその途中でフィンたちが目を覚まし、ガレスの雷声で全員を叩き起こしたからだ。

 その後乱戦にもつれ込みかけたところで呪詛を受け、その隙に逃げられたらしい。

 フィン達三人が鎮圧しているあいだに、アイズとアスフィがそれぞれ散り散りになって逃げた敵を追ったと言う。

 

「ともかく、ルカたちを助けてくれたことには礼を言うよ」

「貸し一つと言う事にしておきましょう――他にいなくなったのは?」

「ルカ達以外だと、うちの団員が8人、ヘファイストス・ファミリアの上級鍛冶師が7人。タケミカヅチ・ファミリアが3人。

 ヘスティアファミリアが神ヘスティアと団員一人だ」

「わかりました。いなくなった人間の名前を教えて貰えますか? こうなったら出し惜しみは無しで行きましょう」

「ああ。こんな時だが――頼もしいね。実力拝見と行こう」

 

 視線を交わし、フィンとイサミが頷き合う。

 双方笑みを浮かべつつも、その表情には59階層以来の凄みがあった。

 

 

 

 【恩恵】を受けた冒険者が人並み外れた身体能力を誇るように、イサミは人並み外れた知力や記憶力を手に入れている。

 そこに更にウィッシュによる能力値底上げやマジックアイテムによる強化が加わるため、記憶力は写真記憶一歩手前と言ってもいい。

 名前と簡単な特徴を聞けば、ちらりと見た程度の顔を思い出すこともできた。

 

 その記憶を元に"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"呪文を人数分連発し、さらわれたものたちの場所を特定する。

 うすうす想像していた通り、その位置は明らかに18階層の外壁の更に外側だった。

 方角は北と北西。おそらく階層の北側と西側に、先ほどイサミ達が見つけたような入り口があるのだろう。

 

「と、言うわけでさらわれた人たちはダンジョンの外――

 昔日の名匠ダイダロスが作り出した人造迷宮に連れ去られたものと思われます」

 

 念のため、先ほど作った地図のコピーを渡しながらイサミが言う。

 

「にわかに信じられない話だけど、疑ってる時間もないね。

 【万能者(ペルセウス)】が帰って来しだい、進発しよう。班分けは・・・」

「待って下さい。助っ人がもうすぐ到着するので、彼らを含めてと言うことで」

「ふむ?」

 

 興味深そうに首をかしげるフィン。

 その後ろに控えていたリヴェリアが「ああ」という顔をした。

 

「彼女か?」

「彼女たち、ですね」

 

 "レアリーズ・テレパシックボンド"で急報を受けたリューと赤外套達が到着したのは、それから5分ほど経ってからだった。

 

 

 

 それから更に数分経ってアスフィが帰還した。

 北の方に向かった敵を追っていた彼女は、岩壁を破壊して現れた通路に入っていく敵を確認したという。

 

「なら決まりですね。俺たちは西に行かせて貰いますよ。ウチの神様と新人がそっちにいますんでね」

「わかった。じゃあ僕らは北に向かおう」

「だがそれだと戦力がやや偏ろう。そちらもつわもの揃いではあるようだが、レベル5はイサミ殿を入れてもひのふの、四人か。

 ならそれがしもイサミどののほうだな」

 

 現在の戦力はイサミ側のレベル5がシャーナ、レーテー、リド。レベル4がリュー他5名、レベル3五名。そしてベル達とイサミだ。

 ロキ・ファミリア側がレベル6のフィン、リヴェリア、ガレス、アイズ。レベル5がティオネ、ティオナ。

 ラウルとLv.3組を野営地に残してレベル4四名とレフィーヤがそれに続く。

 ちなみにヘルメスも当然今回は留守番だ。

 

 レフィーヤはレベル3だが魔法の威力ではレベル5に匹敵するものがあり、レベル5の椿が加わったとしても、イサミたちの方が戦力的にかなり不利な構成である。

 

「で、でしたら私も・・・」

「じゃああたしが【アルゴノゥト】くんのほうに行くよ!」

 

 おずおずと手を上げかけたアスフィを遮って、というより気づきもせずティオナが元気に手を上げた。

 

「ンー、じゃあティオナに行って貰おうか。申し訳ないが【万能者】、あなたには僕たちを案内して貰わないといけない」

「そ、それなら大丈夫です! くだんの壁の横に見えない印をつけておきましたので、このレンズで外壁を見れば・・・」

「場所がわかると」

「は、はい!」

「じゃあイサミ・クラネル。君もそれでいいかな?」

「大歓迎ですよ」

 

(探偵秘密ペンとか昔あったよな)

 

 微妙に年齢がばれそうなことを考えつつ、イサミは頷いた。

 その腰の辺りをニヤニヤしながらシャーナが肘でつっつく。

 

「どうよ、チェリーボーイ。あこがれのお姉さんと一緒のパーティで嬉しいだろ?」

「・・・」

 

 シャーナ同様余計な一言を言ったらしいヘルメスの顔面にアスフィの綺麗なコンビネーションブローが刺さる。

 それを見つつ、イサミは割と本気でシャーナの尻を蹴っ飛ばした。



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16-2 モルド・ラトロー

「連中はだいたいおとぎ話の吸血鬼と同じような存在だと思っていい。血を吸い、仲間を増やし、太陽光に弱い。

 銀の武器以外では傷を負わない、ということはないが傷つきにくいのは確かだ――まあ、第一級や第二級の冒険者なら力で押し切れるだろうがな」

 

 一行は薄闇の中を進んでいた。

 リリやヴェルフがどうにかついてこれる程度の早さで歩きながら、イサミが手早く吸血鬼のレクチャーを行う。

 "レアリーズ・テレパシックボンド"で精神的に繋がったロキ・ファミリア側の面々もこれを聞いているはずであった。

 

 暗闇に沈む森をイサミの声を聞きつつ、無言のままで移動する。

 不意に、先頭を歩いていたイサミの言葉が途切れた。

 

「みんな、走るぞ!」

「!?」

 

 言うなり、イサミが走り出した。訳がわからないながらも、全員がそれに続く。

 ややあってリューとティオナも何かに反応する。

 

「なぁ、一体何だって・・・っ!」

 

 尋ねようとしたリドの言葉が途中で途切れる。

 かすかに聞こえてきたのは、まぎれもない悲鳴だった。

 

 

 

 ゲド・ライッシュは恐怖していた。

 ベル達に会い、地上まで連れて行って貰う約束をして、数日ぶりに安心して寝床に入ったはずだった。

 だが見るはずだった幸せな夢はあっさりと悪夢に変わった。

 

 ベル達と別れた後、地上に帰れるという安堵から一杯引っかけて安宿のベッドでごろりと横になる。

 その数時間後、彼を叩き起こしたのは隣の部屋からの悲鳴だった。

 

 はっと起き上がった瞬間、自分にのしかかろうとする青白い顔の怪物と目が合った。

 

「う、うわああああああああああああああああああ!?」

 

 そう、怪物だ。

 人間と何ら変わりない姿のはずなのに、ゲドはそれを怪物だと直感的に認識した。

 そこから先はよく覚えていない。

 気がつくと戦闘衣に剣一本の姿で、同様の目に会ったらしい冒険者達と必死で逃走していた。

 

 背筋がざわつく。口の中がひりつく。足の感覚は既にない。ただ走る。

 首筋にやつらの吐息がかかるような気がする。

 追いつかれているのではないかと不安で不安で仕方がない。

 だが振り返るのが怖い。振り返って、そこに牙を剥きだしたあの顔があったらと思うと、たまらなく怖い。

 

「ぐわっ!?」

 

 全身を強打する。

 転んだのだ、と気づくより前に体が勝手にもがいて跳ね起きようとする。

 その瞬間、肩を掴まれた。

 

「っ!」

 

 全身の血が凍り付く。

 歯の根が合わない。

 かちかちと鳴る歯。

 そこ以外、体が石になってしまったかのように動かない。

 くっくっく、と後ろから含み笑いがした。

 

「え・・・?」

 

 それで呪縛が解けた。

 立ち上がりながら、信じられないと言った表情でゆっくり振り向く。

 そこに、予想したとおりの顔があった。

 ごつい顔つき。額とほお骨に走る傷、無精ひげ。

 

 だがその眼は赤い。水晶の薄明かりに照らされた肌は青白く輝いている。

 屈託なく笑うその口からは、鋭い犬歯が覗いていた。

 

「も、モルドさん? スコットさんにガイルさんも?」

 

 同じファミリアの先輩冒険者であるモルド・ラトローとその仲間二人。

 Lv.2になりたてのゲドを18階層まで連れてきたのが彼らだ。

 親しみのこもった笑みを浮かべる彼らの口にも、また鋭い犬歯が覗いていた。

 

「よーう、探したぜゲド。悪かったな、ほっぽり出しちまって」

「な・・・これは、どういう」

 

 乱暴だがざっくばらんなその口調は、彼のよく知る先輩たちのもの。

 だが何かが決定的に違う。

 その「何か」が、ゲドにはたまらなく恐ろしかった。

 

「いやな、ちょいと面倒に巻き込まれちまったんだが・・・まあそれはいい。

 それより"これ"だぜ。なあ、聞いてくれよ。最初は戸惑ったけどよ、これが慣れるとスゲえんだわ。

 腕力も早さも元の体とはまるで比べものにならねえ。まるでランクアップしたみてぇなんだぜ?」

 

 子供のように腕をぶんぶんと振り回すモルド。

 その腕が奏でる風切り音は、確かにゲドの知っていた彼のものではありえなかった。

 

「そ、それで・・」

「やーねえ、察しが悪い男は嫌われるわよ?」

「そうそう。お前も"仲間"に入れてやろうと思って探してたんだぜ? こんなの、俺たちだけで独り占めするのはもったいないからな」

 

 純粋に親切で言っている、という風情のスコットとガイル。

 ひぐっ、とゲドの喉が音を立てた。

 

「それで、どっちがいい? 手から吸いとるのは痛みがないし、血を吸うのはちっと痛みがあるが、もっと強い体になれるかもって話だ」

「ど、どっちって・・・」

 

 引きつった顔のゲドを見て、あたかもそれが気のきいた冗談であるかのようにモルド達は笑った。

 

「ばっか、そりゃ決まってるだろ、おまえ――どういう風に死にたいか、ってことさ」

「―――――!」

 

 声にならない悲鳴が響く。

 鋭い牙をむき出しにして、モルド達の笑いがいっそう大きくなった。

 

 

 

 ひとしきり笑い合うと、モルド達はゲドに向き直った。

 だが口元には笑みが張り付いたままで――むき出しの牙が否応なしに人類とは異なる存在であることを主張している。

 逃げたい。そう思っても、金縛りにあったかのように足は動いてくれない。

 ぽろぽろと涙がこぼれた。小便を漏らさないのがむしろ奇跡だと、頭の片隅でどうでもいいことを考える。

 

「か・・・は・・・」

「おいおい、泣くこたぁねえだろう。俺たちゃ同じファミリアの仲間じゃねえか。

 なあに、なっちまえばお前も俺たちに感謝することになるさ。

 ほら、ボールスいるだろう。リヴィラの顔役で、態度がクッソでかい眼帯の奴。

 あいつをよぉ、さっき俺がブチ殺してやったんだぜ? Lv.3のあいつを、Lv.2の俺がだ!

 すげえだろう!? だからお前もなろうぜ・・・ヴァンパイアによ」

 

 ゲドは涙を流しながら、いやいやをする赤ん坊のように弱々しく首を振る。

 げらげらと笑うモルド達は、もはや非人間的な、怪物の顔を隠そうともしない。

 

「まあ嫌でもなんでも、お前の血はいただくんだけどな」

「ずるいわよモルド。私だって渇いてるんだから」

「そうだぜ。俺たち仲間だろ」

 

 狂ったように笑いながら、モルドが動けないゲドの両肩に手をかけた。

 

「わーってるよ。一口ずつだ・・・三人交代でな」

「・・・!」

 

 顔を筋肉の限界まで引きつらせつつも、ゲドは動けない。

 ただ涙を流して恐怖することしかできない。

 

「それじゃ・・・いタダキまース」

 

 ある種のトカゲや蛇のように、モルドの顎がヒューマンの顎骨の可動限界を越えて大きく開く。

 むき出しになる歯ぐきと牙、そして乱杭歯。

 恐怖にあえぐ表情を楽しんでいるのか、ことさらにゆっくりと首筋に牙を埋める、その瞬間。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「グブゥオアッ!?」

 

 矢のような速度で飛んできた蹴りが、まともにモルドの顔面に刺さる。

 たまらず吹き飛ぶモルド。

 一方襲撃者は蹴りを入れた反動で空中でバク転、華麗な着地を決める。

 

「大丈夫ですか・・・ゲドさん!?」

「り、【リトル・ルーキー】!」

 

 蹴られた瞬間魔力か、あるいは恐怖が解けたか、へたり込んだゲドが叫んだ。



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16-3 Lv.2の意地

 

 

「【リトル・ルーキー】・・・【リトル・ルーキー】だとぉ!?」

「ひいっ!?」

 

 ベルの顔を見たモルドの喉から怒号が迸った。

 立ち上がろうとしていたゲドが再び腰を抜かす。

 

 牙を剥きだし目を赤く光らせた人外の容貌ながら、それは先ほどまでの狩猟生物の愉悦を浮かべる怪物の顔ではない。

 憎悪にゆがむ人間の表情だ。

 

「え・・・あっ!? 【豊穣の女主人】亭で会った冒険者の人!」

 

 十日程前【豊穣の女主人】亭で行ったベルのランクアップ祝い。

 その時にからんできた冒険者達がモルドたち三人であった。

 もっとも(リューに)手ひどく断られた上にウェイトレスたちに撃退され、それっきりではあったのだが・・・。

 

「ここにゃあの忌々しいクソエルフもいねえ! ランクアップしたばかりで18階層とはいい度胸だ・・・冒険者の掟って奴を教えてやろうじゃねえか!」

「丁度いいわ、血を吸ってこの坊やもヴァンパイアにして上げようじゃない!」

「いいねえ、溜飲が下がるぜ!」

 

 意味不明のことを言う二人に、ゲドがいぶかしげな表情になる。

 モルドがにたにたと言う感じの嫌らしい笑いを浮かべた。

 

「ヴァンパイアに殺された人間はな、ヴァンパイアになるのよ。そんで新しく生まれたヴァンパイアは、"親"であるヴァンパイアには絶対服従だ。

 わかるか? 俺に血を吸われたら、未来永劫おめえは俺の奴隷ってことよ、【リトル・ルーキー】!」

「・・・!」

 

 自分がどう言う運命をたどるところだったのか理解して、ゲドが再び顔を引きつらせた。

 兄からざっとレクチャーを受けていたベルは厳しい表情のまま無言。

 

「へっ、恐怖で声も出ねえか。それじゃ・・・行くぜ? 血を吸いたいから半殺しにするつもりだが、ブッ殺しちまったらゴメンなあ?」

 

 牙を剥きだした人外の顔でゲラゲラ笑いながら、三人が広がって間合いを詰めてくる。

 冒険者としての経験は長いのだろう、吸血鬼になってもその動きはごく自然に息のあったものだった。

 ベルの【神のナイフ】と【牛若丸】を握る手に力がこもる。

 

「ゲドさん、立てますか? ぼくの後ろに回って下さい。できれば逃げて・・・」

「!」

 

 がばり、とゲドが立ち上がった。

 震えながらも剣を構える。

 

「てめーはそう言う所が生意気なんだよ! 俺が何年冒険者やってると思ってんだ!

 ランクアップしたっつっても、たかだか一月二月のぺーぺーが舐めた口利いてんじゃねえ!」

「・・・はい、すいません!」

 

 歯ぐきをむき出しにして、無理矢理におのれを鼓舞するゲド。

 ベルは、こちらは自然な笑顔でナイフとバゼラードを構え直した。

 

 

 

「もう、何よぉ、ゲドちゃんも生意気よ!」

「大人しくしてりゃ、あんまり痛くなくしてやろうと思ってたのによぉ」

 

 モルドの左右に広がったスコットとガイルがにやにやと笑う。

 背中を預けるように、ベルとゲドがそれぞれ左右を向く。

 

「ゲドさん、一人お願いできます?」

「お、おう!」

 

 人外の笑みを大きくしながら三匹の怪物が迫る。

 

「バッカねえ、ゲドちゃん? あんた、あたしたちが人間だった時でさえ、一対一じゃ全然勝てなかったじゃない?

 今のあたし達に一対一どころか、二対一でも勝てるわけが・・・」

「【太古の言葉により命ず 冥府より来たれ死の影 汝にまことの名を与えん 我は汝、汝は我なり】」

「!?」

 

 ゲドの口から流れ出す詠唱に、スコットの動きが驚愕で止まる。

 

「【戦いの影(ザ・シャドウ)】」

 

 ゲドの影から、もう一人のゲドが立ち上がった。

 どことなく影を帯びているように見える以外、外見も武装も動きも、本物のゲドと全く変わらない。

 

「あんた、いつの間に魔法を・・・!」

「驚いたろう? ランクアップの時に発現してさ。二対一でも勝てないかどうか、試してみようじゃねえか!」 

「ふざけやがって・・・あんたなん、かァッ!?」

 

 スコットの語尾が跳ね上がった。

 

「ギャブゥッ!?」

 

 モルドの左側にいたガイルの体がくの字に折れ曲がっていた。

 腹にベルの膝が突き刺さっている。

 間髪を入れず、両腕と右のひざ上に血筋が走る。

 手足の腱を切られたガイルが、人形のように崩れ落ちた。

 

「てっ、てめえっ?!」

 

 一瞬前までの余裕が嘘だったかのように、地金をさらした焦り顔でモルドが剣を振り下ろす。

 Lv.2どころか、Lv.3としても上位に入るだろう動きでベルはそれを軽くかわした。

 

「な、ンな馬鹿な・・・」

 

 モルド達の敗因は、三人のうちの誰も魔法を修得しておらず、また魔力発動の気配にも鈍かったことだろう。

 無言のままでいた数秒間。モルド達が恐怖を煽るようにじわじわと近づいていた数秒間。

 だがベルにとっては十分に過ぎる数秒間だった。

 

 筋力強化・敏捷強化・耐久強化・加速・装甲強化・武器強化。

 既にLv.3なみのステイタスを持つベルにそれだけの強化がかかれば、吸血鬼化して辛うじてLv.3に手が届く彼らでは動きを追いきれない。

 その結果がガイルの瞬殺だった。

 

「うおおおおっ!」

「ガッ! このっ!」

 

 その隙を逃さず斬りかかったゲドの剣を、こちらは辛うじてスコットが受け止めた。

 更に連続して斬りかかる影のゲドの剣が大きくのけぞったスコットの顔をかすめる。

 一瞬遅れてスコットの顔に冷や汗が浮かんだ。

 

 一方でモルドは冷静さを取り戻していた。

 この三人の中では彼が一番技量が高い。

 十年以上修羅場をくぐってきているのも伊達ではなかった。

 確かに目の前の【リトル・ルーキー】の動きは吸血鬼化した自分たちをも上回るが、対応できないほどの差でもない。

 やりようはある。

 

 そう、思っていた。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "大地のつかみ(アースン・グラスプ)"!」

「!?」

 

 ベルの紡いだ魔法に応じ、一瞬にして地面から出現する土の腕。

 それは今まさに斬りかかろうとしていたモルドの右足首を掴もうとするが、吸血鬼の怪力の前にあっさりと振り払われる。

 が、一瞬体勢を崩すのには十分だった。

 

「ギアッ!?」

 

 注意が逸れたその一瞬で右手首を半ば切断され、モルドが剣を取り落とした。

 次の瞬間、彼も手足の腱を切断され、ガイル同様に地に伏す。

 残ったスコットもまたそうなるのに、10秒かからなかった。




貴様はこのモルドにとってのモンキーなんだよベルゥゥゥゥゥ!(なお結果は


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16-4 いともたやすく行われるえげつない行為

 戦闘が始まって20秒弱で、モルド達は全員手足を切り裂かれて倒れていた。

 うめき声が夜の森に響く。

 安堵の余り座り込みそうになるのを我慢しながら、ゲドがベルに尋ねた。

 集中が切れたのか、もう一人のゲドは既に影に戻っている。

 

「そ、それでどうするんだよこれから。モルドさんたちを元に戻せるのか?」

「ええ。今手分けして生き残りの人たちを助けてます。兄さんならこの人達を・・・」

「あぶねえ、ベル!」

 

 声に反応したベルが咄嗟に体を開いて身をかわした。

 青白い手の先に生えた長い爪が頬をかすり、僅かに赤い筋を浮き上がらせる。

 振り向いたベルの視線の先で、モルドがその爪の先を舐めていた。

 

「ベル! 大丈夫か!」

「ベル様!」

 

 その場に駆け込んでくる影二つ。

 先ほど声を掛けた大剣を持った青年と、大きなバックパックをしょったサポーター・・・ヴェルフとリリだ。

 ばらけた吸血鬼達に対処するために分かれた一行の中、三人は一緒に行動するはずだったのだが、悲鳴を聞いて全速を出したベルに二人ともついて行けなかったのである。

 

 それはともかくその四人の視線の先で、地に伏していたはずのモルド達が立ち上がっていた。

 

「傷が・・・!」

 

 ゲドがうめく。

 三人の手足に刻まれていた傷が、にじんだ血だけを残して綺麗に消え去っていた。

 切断されかけていたモルドの右手首も、既に半ばまで癒着している。

 

「"高速治癒(ファストヒーリング)"でしたか・・・ここまで強力とは」

 

 リリが目を見張る。

 "高速治癒"。一部のモンスターが持つ名前の通りの特殊能力で、その中でもヴァンパイアのそれは群を抜いて強力だ。

 普通の武器が通用しない防御力や硬い肌と相まって、恐るべき耐久力をこの怪物に与えている。

 

「やるしか、ねえってことか」

 

 硬い表情でヴェルフが大剣を構える。

 ぎり、とベルが歯を食いしばる。

 

 確かにモルド達は粗暴だった。

 女性にいやらしい視線を送り、たやすく暴力に訴える、下品で乱暴な冒険者だった。

 だが芯から邪悪ではなかった。

 人の命を喜々として奪うような怪物では決してなかった。

 

 どんな善良な人間でも吸血鬼になれば邪悪な怪物となってしまう。

 魂が汚染されてしまうのだとイサミは言っていた。

 それを救うには一度倒すしかないとも。

 だが。

 

「やれるつもりかよ? Lv.1のガキがよぉ? 【リトル・ルーキー】の野郎は完全にびびっちまってるみたいだしなあ?

 わかるか? 俺たちを止めたければ殺すしかないんだぜ? てめえには、できねえよなあ?」

「・・・!」

 

 自信を取り戻したモルドの言葉に、ベルの顔色がはっきりと変わる。

 そう、ベルにその覚悟はない。

 モンスターとなら戦えても、人間の姿をして人間の言葉を喋る存在を殺すことなどできない。

 

「ちっ」

 

 舌打ちして、ゲドが前に出た。

 

「【リトル・ルーキー】。お前はモルドさんたちの動きを止めてくれりゃあいい。

 とどめを刺すのは俺がやる」

「で、でも」

「できねえなら黙ってろ! これは俺の仕事だ!」

「あんた、同じファミリアなんだろう。俺が・・・」

「お前の剣じゃ威力が足りねえよ。こいつらの肉は固いんだ。Lv.1はすっこんでろ」

「・・・」

 

 弱々しく反論しようとしたベルだったが、ゲドの剣幕に反論することができない。

 ヴェルフも絶対的な実力差を持ち出されては押し黙るしかなかった。

 

「この野郎・・・!」

「悪いな、モルドさん。せめて俺の手で楽にしてやんよ・・・!」

 

 牙をむき出しにして威嚇する三人に、覚悟を決めた表情で対峙するゲド。

 ベルとヴェルフもそれぞれ悲痛な表情で武器を構えた。

 

「リリ、後ろに下がってて。銀の武器しか通用しないらしいから・・・」

「あのう、ベル様。悲愴な覚悟を決めておられるところ申し訳ないのですが、殺さなくても無力化できますよ?」

「「「え?」」」

 

 唖然とした顔でベルとゲドとヴェルフが振り向いた。

 

「イサミ様の説明をちゃんと聞いておられませんでしたね?

 高速治癒とやらは、確かに傷は治りますが、ちぎれた手足がくっつくことはありません。

 まあとどめを刺せばそれ以上再生しないらしいので、そっちのほうが楽ではあるのですが」

 

 実際その通りである。D&Dには首をはねられても新しいのが生えてきたり、心臓を貫かれて息が止まってもその内また動き出すような本物の怪物もいるので、その手の能力としてはまだマシな部類だ。

 

「お、おい、この獣人族、てめえまさか・・・」

 

 心なしか引きつった顔のモルドに、リリがにっこりと微笑む。

 

「ええ。手足を切り離せばもうくっつかないのでしょう? であれば、切り離させて頂きます。

 それならベル様も良心の呵責をさほどお感じにならないですむでしょう」

「そ、それはそうだけど・・・」

「"アンデッド金縛り(ホールト・アンデッド)"でしたか。ベル様の魔法にこういう怪物を足止めできるものがありましたよね?

 それで足止めしている間にゲド様がやっちゃってください。こう、スパッと」

「お、おう・・・」

 

 もはやゲドもヴェルフもどん引きであった。

 なおリリはベルと共に受けたイサミからのレクチャーで、下手をすればベル本人以上にベルの魔法に通暁していたりする。

 

「ささ、お早く! 逃げられてはまずいです!」

「う、うん・・・"アンデッド金縛り(ホールト・アンデッド)"!」

 

 逃げだそうとしたモルド達の足がベルの魔法で止まる。

 

「じゃあモルドさん、その、そういう事ッスから・・・」

 

 引きつった笑いを浮かべてゲドが近づいていく。

 

「「「ぎゃ~~~~~っ!?」」」

 

 夜の森にモルド達の恐怖の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

「・・・これ、良かったんでしょうか」

「良くないけどこうするしかなかっただろ・・」

 

 お子様には見せられない状態になったモルド達をロープで束ねて引きずりつつ、ベル達はイサミ達と合流した。

 無事を喜ばれつつ、どん引きされたのは言うまでもない。

 

「よかったぁ! アルゴノゥト君、やるじゃん!」

「あ、あはははは・・・」

「ちょっと! ベル様にくっつかないで下さい!」

 

 ただし、似たような事をやらかしたティオナを除いて。

 

 

 

 吸血鬼になった者達や彼らに殺害された冒険者達を最早やけとばかりに次々とイサミが蘇生させていく。

 「非常に珍しいモンスター」「特殊な状態異常」「仮死状態」と言う事で押し通したが、イサミの口先三寸に丸め込まれたのか、丸め込まれたふりをしてくれたのか、とりあえず不審を口にするものはいなかった。

 

 "完全蘇生(トゥルー・リザレクション)"の呪文は蘇生者を完全な健康体にしてくれる。

 周囲を"生物定位(ロケート・クリーチャー)"で走査してこの辺りの吸血鬼を全滅させたことを確認し、イサミはリヴィラの冒険者たちをロキファミリアの野営地に向かわせた。

 

「時間を食っちまった。神様達とはもうかなり離されちまってる。急ぐぞ!」

「うん!」

「ああ!」

「はい!」

「承知!」

「おうっ!」

「「「「・・・・・」」」」

「な、なんだよ?」

 

 周囲から一斉に浴びせられた視線にゲドがたじろいだ。

 ちなみにモルド達はベルやゲド・・・特にリリと目線を合わせないようにして、遁走するようにこの場を後にしている。

 まあ無理もない。

 

「何で野営地に行かないんですか?」

「いや、助けて貰ってこのままハイサヨナラってのも不義理だろう?」

 

 意外に義理堅いのか状況の深刻さを理解していないのか、その様子に周囲から溜息が漏れる。

 

「言っておくけどにーちゃんよ、このまま一緒に来ればさっきの連中とは比較にならないのが来るぜ? 正直第一級冒険者でも危ねえぞ」

「ああもういい、時間が惜しい。ついてきたければついてこいよ。だが死んでも文句は言わせないぞ」

「お、おう」

 

 リドの言葉をイサミが遮った。

 ゲドがちょっとびびりながらも頷いたのを確認し、再びイサミ達は移動を始めた。



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16-5 浮上

 

 先ほどに比べれば追跡はたやすいものだった。

 集団で、しかも重い荷物を担いだ足跡は容易に見分けられる。

 速度を落とさずに18階層の西、人造迷宮の入り口に直で到達すると、イサミが指さした石壁をリドが拳でたたき割る。

 最硬精製金属(オリハルコン)の扉横の壁を壊して通路を掘り、今度は"集団不可視化(マスインビジビリティ)"の呪文だけをかけて隠蔽工作抜きでそのまま通り過ぎる。

 

 罠の自動感知魔法をかけたイサミを先頭に、一行は可能な限りの速度で進む。

 リリやヴェルフ、ゲドにはイサミの強化魔法がかかっていたが、それでも彼らにはついていくのがやっとだった。

 

 嗅覚を魔法で強化し、ヘスティアと春姫の匂いを追ってイサミは小走りに――彼の尺度で――走る。

 呪文でぱっと道を探せばいいと思うかも知れないが、「迷宮の出口を探す術」や「ヘスティアの位置座標を示す術」はあっても「ヘスティアのいる場所までの道筋を探す術」はないのでこういう手段が必要になる。

 D&Dの秘術魔法も万能とはいかないのだ。

 

 だが今イサミの不安を煽っているのは探知魔法の不確かさではなく、もっと別の事だった。

 正規ルートなら2階層ほどは移動したかと思えるくらいの時間の後、リューが前に出てイサミの横に並ぶ。

 

「クラネルさん、おかしいとは思いませんか?」

「ええ。ここまで、敵がまだ一人も出てきてない」

「え・・・でも兄さん。ここはダンジョンじゃないからモンスターは出てこないんじゃないの?」

「モンスターはな。だがあっちも追われてることには恐らく気づいている。あそこに野営しているのがロキ・ファミリアだって事は旗印(バナー)を見ればわかる。

 都市最強派閥相手にあれだけ派手にやって、まさかこの人造迷宮の中に入れば追って来れないとかそこまで暢気なことは考えちゃいないだろう」

「・・・」

 

 ベルが険しい顔で無言になる。

 リューが口を開こうとして、思い直して再び閉じた。

 

「何か?」

「ああいえ・・・なんでもありません。ただ何とはなしに誘い込まれているのではないかと感じまして。忘れて下さい、根拠のない話です」

「ふむ」

 

 リュー自身迷っているようだったのでイサミもことさらに追及はしなかった。

 だがその懸念が正しかったことを、彼らはすぐに知ることになる。

 

 

 

 数十分の疾走の後、一行は両開きの扉の前で止まった。

 階段はなかったが、上昇してきた感覚がある。

 イサミが扉に耳を当て、呪文を発動して中の様子をうかがった後、後の仲間を振り返る。

 全員が揃って頷いた。

 

 次の瞬間、扉を蹴り開けた一行は広い空間に出た。

 一瞬謁見の間にも見えたが、魔石灯に照らされた空間にあるのは素人には使い道もわからない器具や魔道具、奥にあるのは玉座ではなく作業机。

 

「工房、か?」

 

 だが普通の工房と違うのは、そこで立ち働く人々に牙が生えていること。

 そして作業机から立ち上がりこちらを見る、豪奢なローブ姿の人影から発せられる邪悪と死の気配。

 魔力視覚など持たずとも感じられるそれは濃厚に鼻腔を犯し、肌に染み入ってくる。

 

 透けて見える骨に申し訳ばかりの肉がへばりついたその姿は、よく言って干からびた死体にしか見えない。

 だがその手はなめらかに動き、装飾の施された杖を構える。

 落ちくぼんだ眼窩の奥には赤い光が灯り、侵入者達をその視線で貫く。

 

死霊王(リッチ)・・・!」

 

 イサミの口から、食いしばるような声が漏れた。

 

 

 

 死霊王(リッチ)

 D&D世界において、高位のスペルユーザーが転じる最上位のアンデッドモンスターだ。

 死霊術に長けた秘術使い・・・死霊術士(ネクロマンサー)がなることが多いが高位のスペルユーザーなら種類は問わないため、僧侶であったり、あるいは自然祭司(ドルイド)であったりすることすらある。

 いずれにせよ、限りなく不死身に近い肉体とヴァンパイアすら凌駕する数々の特殊能力を持ち、高位の魔法を操る恐るべき相手であることに変わりはない。

 おまけに"経箱"と呼ばれるリッチの生命力を封じたアイテムを破壊しない限り、肉体を完全に破壊しようとも数日で完全復活してしまう。

 イサミといえども好んで事を構えたい相手ではなかった。

 

 だが。

 

「貴様・・・イサミ・クラネル!?」

「神様!」

 

 死霊王が叫ぶのと、部屋の隅に縛られたヘスティア達の姿を認めたイサミが叫ぶのが同時。

 戦いが始まった。

 

 

 

「"我願う! 囚われ人を我らが手に!"」

 

 戦闘はイサミの"願い(ウィッシュ)"から始まった。

 現実を改変されたヘスティア達が「イサミ達と一緒にいた」ことになり、ベル達が固める後方に位置を移すとともに縛めが消える。

 

「ベル! タケミカヅチの! お前達は神様と春姫のカバーだ!」

「う、うん!」

「承知!」

 

 この場に囚われていたのはヘスティア、春姫、タケミカヅチファミリアのLv.1三人、ヘファイストスの上級鍛冶師とロキ・ファミリアの中堅団員が二人ずつ。

 ヘスティア達とタケミカヅチの面々はともかく、上級鍛冶師とロキファミリアの面々はLv.3。

 遊ばせておくわけにも行かないので、千草とリリが間に合わせながら武器を配る。

 だが、前線ではその彼らですら介入し難いレベルの戦いが既に繰り広げられていた。

 

「オラァ!」

「ふんっ!」

「どっせいっ!」

 

 シャーナ、レーテー、ティオナ、椿、リド。

 彼女たちLv.5の面々に加え、赤外套らLv.4の前衛達と正面からぶつかりながら、敵の前衛もそれに全く引けを取っていない。

 この場にいた吸血鬼達の半数はさほどでもないが、残りの半分は間違いなく一級冒険者か、それに近い戦闘力の持ち主。

 後ろに下がった中にも魔法の詠唱を始めているものが少なくない。

 リューは切り結びつつも詠唱を始め、アスフィも出し惜しみ無しで新型の爆炸薬(バースト・オイル)を放っているが、それで容易く倒れるような連中ではない。

 

「音波変換高速化(クイッケン)最大化(マキシマイズ)》《威力強化(エンパワー)》《二重化(ツイン)》《効果範囲拡大(ワイドゥン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》"音波の炎の泉(ファイアーブランド)"!」

呪文相殺(カウンタースペル):"炎の泉(ファイアーブランド)"』

高速化(クイッケン)"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"』

呪文相殺(カウンタースペル):"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"!」

 

 一方、イサミと死霊王は千日手の状態にあった。

 互いに致命的な呪文を投げかけつつ、それを相殺し合う。

 

「《高速化》"時間停止(タイムストップ)"!」

呪文相殺(カウンタースペル):"時間停止(タイムストップ)"』

「くっ!」

『・・・・・・・』

 

 当然だがこの死霊王もD&Dスペルユーザー、それも最高位の秘術魔法使い。

 こうなると互いに呪文をただ放ち合う消耗戦になるほかない。

 互いに互いの呪文を通すわけには行かず、さりとてこちらの呪文も相手には通らない。

 

(何か・・・何か無いか。突破口が・・・!)

 

 頭をフル回転させながらも、イサミは全力で呪文を紡ぎ続けた。

 

 

 

「・・・・・・・・!」

 

 ヘスティア達戦力外の面々を守るように組まれた円陣の端で、剣を構えたままゲドは硬直していた。

 深く考えずについてはきたものの、事態は完全に彼の認識を越えていた。

 想像力が足りなかったとも言える。

 

 ほとんど理解すらできないLv.5前衛達の打ち合い。あちこちから放射される、ゲドですら理解出来る程の強大な魔力。

 "リトル・ルーキー"を警戒してか遠巻きにこちらを取り巻いているが、いつ襲ってくるかわからない吸血鬼ども。

 

 それらが一秒ごとにゲドの意志を削っていく。

 自分で言い出した引け目や先輩冒険者のささやかなプライドがなければ、恥も外聞もなく逃げ出していたかも知れない。

 

 そうする間にも戦いは進んでいく。

 イサミと敵のボスは(ゲドの視点では)立っているだけで何もせず、前衛達は壮絶な削り合いを続け、時折炸裂する強大な魔力も戦況の天秤を決定的に動かすには至らない。

 

(どうにか・・・どうにかしなきゃ・・・!)

 

 奇妙な話だが、ゲドは自分がこの状況で何か貢献しなければと思い詰めていた。

 意外に義理堅いこの男は、二度もベルに助けられた恩をどうにかして返したいと思っていたし、また男として先輩としての意地もあった。

 

 だが現実に彼にできることは、せいぜい戦列の一部を支えることくらい。

 それも数合わせの補強要員だ。

 

(何か・・・何か・・・!)

 

 ティオナの大双刃が一体の吸血鬼をほとんど両断した。

 が、とどめの一撃は別の吸血鬼に阻まれ、後ろに下がった負傷者の傷は高速で癒えていく。

 椿が深々と足を切り裂かれ、倒れそうになるところにアスフィーの爆炸薬(バースト・オイル)の支援が割り込む。

 追撃しようとした吸血鬼がひるんだ隙に、エリクサーを振りかけた椿の足が元通りに修復された。

 

 焦りと恐怖が蓄積されていく。

 何もできないもどかしさ、命を失う危険、異質な存在に対する根本的な恐怖。

 それらが刻一刻と積み重なり、限界を超えそうになったときに、「それ」はゲドの視界に飛び込んできた。

 

 何らかの実験が行われていたのであろう、机の上に図面や書類、何に使うかもわからない道具と共に放置されている黒い錫杖(ロッド)

 長さ50センチ、イサミの世界で言えば古い木製警棒くらいの太さと長さ。

 黒光りする金属で作られ、先端には大きなピンク色の宝石がはめ込まれている。

 

(・・・あれだ!)

 

 理由はわからないが、ゲドはそれこそが全員をこの窮地から助け出してくれるものだと、一目で確信した。

 

「あっ、おい!?」

 

 誰かが止めるのも構わず円陣を飛び出し、黒い錫杖(ロッド)に飛びつく。

 遠巻きにしていたヴァンパイア達も、予想外の行動を理解出来ず、一瞬動けない。

 その隙にゲドは錫杖を高々と掲げ、コマンドワードを唱える。

 

 魔術で"示唆(サジェスチョン)"を受けているゲドは、目の前に転がっていた見知らぬ魔道具を使うこと、自分がその魔道具起動のコマンドワードを知っている不自然さに気づかない。

 

(頼む、動いてくれ!)

 

 心の底から、ベル達を救いたい一心でゲドはその錫杖を起動させた。

 

 

 

「!」

『!?』

 

 世界が揺れた。

 いや、それはイサミの錯覚に過ぎない。

 

 しかしこの場で魔力視覚を持っている二人にとって、今身じろぎした魔力の規模はまさしく世界が揺れたとしか表現できない。

 余りに巨大な魔力の揺らぎゆえに、自分の足元が揺れているような錯覚さえ起こすほどに。

 

『馬鹿なっ!? なぜそれがここにある! 何故貴様が持っている!?』

 

 死霊王が初めて動揺し、悲鳴のような声を上げる。

 それと共に周囲の戦闘が収まっていく。

 イサミや死霊王ほどに鋭敏な魔力感知能力を持たない彼らも、発動した余りに巨大な魔力の流れを否応なしに察知したのだ。

 

「・・・・・・・」

 

 錫杖を発動させた本人は、呆然と周囲を見渡している。

 イサミがそちらの方向を向いたとき、再び世界が揺れた。

 

「!?」

 

 これまでは脈打つようにうごめいていた巨大な魔力が、一方向・・・イサミ達が入って来た部屋の入り口から奥に向けて流れになる。

 たとえるなら時速500kmで流れる黄河の水。

 抗うことすら考えられない圧倒的な魔力に押し流されるような錯覚を覚え、イサミはたたらを踏んだ。

 

『馬鹿な! これは! これでは! わしの悲願が・・・!』

 

 死霊王の悲鳴。イサミに直感が走った。

 以前使った"経路発見(ファインド・ザ・パス)"による脱出ルート解析や先ほどまでの移動ルートの情報が、頭の中でカチリと噛み合う。

 

(そうか! 迷宮を取り巻く、階段なしに上昇する構造、この指向性の魔力の流れ! この人造迷宮は・・・()()()なんだ!)

 

 それ以上を考える前に、イサミは ()()()()()した。

 この神々の力によって閉ざされた、次元の壁を決して破れぬはずの世界で。

 

 

 

 一瞬の浮揚感と違和感。

 次の瞬間、イサミは真っ暗な部屋にいた。

 周囲の世界法則が一瞬にして別のそれに置き換わることに対する肉体と精神の適応反応。

 もちろんイサミは生身で空間転移をするのは初めてだが、鍛えられた呪文学の知識が今起こった現象の正確な答えを導き出す。

 

(この感覚は・・・多分"次元移動(プレインシフト)"かそれに類する効果だな。

 アストラルを経由して同次元界を移動する"瞬間移動(テレポート)"では・・・なっ!?)

 

 半ば自動的に分析していたイサミが絶句した。

 暗闇を見通す視覚に飛び込んできた光景。

 不織布のカーペット。木目の壁。黒い金属パイプと木板の、がたが来つつあるPCデスク。

 高さ160センチほどの木製ベッドと、その下の本がぎっしり詰め込まれた本棚。衣装ダンスとその横にはやはり本棚。

 エアコンとその下の窓を覆う分厚いカーテン。

 

「俺の・・・部屋?」

 

 イサミ・クラネルではない、一度死ぬ前の「自分の部屋」を見て、彼は呆然とつぶやいた。




吸血鬼のHPについてシステム上の話。

D&Dプレイヤーならご存じでしょうが、実は第三版のアンデッドは「耐久力がない」というシステム上致命的な欠陥を抱えています。
D&Dの最大HPは「クラスごとの固定値(ダイスで決定)+耐久力修正」にレベルをかけたものになりますが、基本レベルが上がれば上がるほどこの耐久力修正の割合が増えていきますので、最大HPの相対的低下がキッツくなっていくという・・・
能力値上昇がブッ飛んでるオラリオの場合は、もう目も当てられないことにw

D&D15L戦士系(オラリオのLv5上位に相当)で大雑把に比較してみると

D&Dの冒険者:基本期待値5.5+能力値補正5 10.5*15=157HP
D&Dアンデッド:基本期待値6.5のみ 6.5*15=97HP
オラリオ冒険者:基本期待値5.5+能力値補正40(爆笑) 45.5*15=682HP

・・・くらいになろうかと存じますw
いやほんとひでーわw

とは言えD&Dでも一部のアンデッドは【不浄なる頑健さ(アンホーリー・タフネス)】という特殊能力を持っていまして、これは魅力修正を耐久力修正の代わりにHPに足してHPの不利を補う事が出来ます。
なのでこの話では死霊王先生が似たような秘術を開発して、自分と配下に施してたってことでひとつ。
そうでないと高速治癒もクソもなく、ティオナや椿たちにオーバーキルされて終わりますからねw

後多分これ扱えるの死霊王先生だけですので、モルド達量産ヴァンパイア軍団には施されてないですね。下手をすると冒険始めたときのベルくんくらいのHPしかなかったかも。
ああ、ベルくんにイキってたモルド君たちがますますお労しくなってしまったw


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第十七話「D&D20モダン」
17-1 地上にて


自動更新忘れてた。


 

 

 

『なぜ戦うことしか考えない!』

『帰れるてだてがあるわけがない!』

 

 ―― 『聖戦士ダンバイン』 ――

 

 

 

 かつての――前世で死ぬ前の――自分の部屋。

 数秒で彼の精神は再起動を果たした。

 頭を振って感慨を追い出し、PC机に歩み寄る。

 いや、歩み寄ろうとして足元の違和感に気づく。

 

「・・・靴履いたままだ」

 

 ちょっと悩んでからブーツを脱ぎ、背負い袋に雑に突っ込んでからイサミは椅子を引いた。

 

「こんなに小さかったんだな・・・」

 

 就職したときの初任給の一部で買った、部屋には不釣り合いな革張りの豪勢なPC椅子。

 疲労時にリラックスできる、そのまま眠れるという触れ込みのもので、PC家具屋で気に入って即買いしたものだった。

 前世では体がクッションに埋もれるくらいの大きさだったが、今のイサミには辛うじて尻が収まるサイズだ。

 

 PC画面も低い。キーボードも手をかなり下の方に置かないと打てない。

 今の自分がかつての自分でないことを、否応なしに認識させられる。

 

 幸いPCの電源は入った。

 回線も手を加えられていなかったのか、インターネットに接続できる。

 親が年の割に新しい物好きで、ネットサーフィンもたしなむたちなのが幸いしたのだろう。

 

「今は・・・俺が死んでから三年少しくらいか」

 

 異なる次元界で時間の流れが異なるのは時折あることだ。

 おおよそ五倍から六倍ほど、封印世界の時間の流れが速いのだろう。

 

「余りもたもたしているとまずいかな・・・ん?」

 

 そこでイサミはようやく違和感に気づいた。

 背負い袋に突っ込んだブーツの履き口が後頭部に当たっている。

 入れたものを異空間に収納する魔法の背負い袋なのに。

 

「まさか」

 

 慌てて魔力視覚に精神を集中させる。

 無い。マナ、(ウィーヴ)、その他どんな名前ででも・・・魔法の素、媒介となる要素が存在しない。

 全く存在しないわけではない。だが衛星軌道における大気なみに希薄だ。

 たとえて言うならマナの真空一歩手前。

 魔法的な存在はほぼ活動できず、呪文は発動せず、マジックアイテムも機能しない、そんな空間。

 

(くそっ、そう言えばエルミンスターが言っていたな。

 この世界のマナはほとんど全部封印世界の維持に使われているって・・・)

 

「!」

 

 頭を抱えていたイサミの表情が劇的に変化した。

 次の瞬間、イサミの姿がその場から消える。

 数秒して部屋のドアが開けられ、電気のスイッチがつけられた。

 

 入って来たのは細身で小柄の女性だった。

 老人と言うには若々しいが、髪には白いものが多く混じっている。

 頼りなげな視線を周囲にさまよわせるが、PCモニタは沈黙しており、椅子も彼女の記憶にあるそれと変わらぬ位置にある。

 点灯しているPCの電源ランプは椅子に隠れて彼女には見えない。

 そして視線を巡らせる彼女の直上数十センチ、イサミの巨体が天井に張り付いていた。

 純粋に技術と肉体の力だけで天井の羽目板の枠を手足の指でつまみ、体を支えている。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 イサミにとっては息詰まる数瞬の後。ほう、とためいきをついて女性は電気を消し、部屋から出て行った。

 自室に戻ったのを音で確認し、音を立てずに巨体を着地させる。

 

(母さん・・・老けてたな)

 

 両親が年を取ってからできた子供で、しかも一人っ子だった。

 あれから三年としても、もう70は過ぎているはずだ。

 先立ってしまった申し訳なさを感じつつ、それらを振り切って今とこれからに思考を戻す。

 更にネットで情報を収集してからPCの電源を落とす。椅子を元に戻してからタンスを漁る。

 

(確かここに・・・あった)

 

 自分が死んだ時のままにしてくれてあるのだろう。

 預金通帳と印鑑をタンスの引き出しから取り出す。

 幸いなことに財布も同じ場所に入っていた。

 クレジットカードやキャッシュカードなども一緒にだ。

 更に幸いなことにクレジットカードの更新期日がまだ来ていない。

 免許証もあったが、顔が変わってしまっている現状では役に立つまい。

 

(よし)

 

 カーテンをめくって外が夜なのを確認すると、イサミは夜の住宅街に身を躍らせた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十七話「D&D20モダン」

 

 

 

「あ・・・あれ?」

 

 ベルが気がつくと、そこはかなり広い、倉庫のような一室だった。

 部屋の半分ほどには木製の棚が並び、開けたスペースには木箱などが積まれている。

 そこに多数の人間がいた。

 

「ここは・・・?」

「あ、アルゴノゥト君だ!」

「ティオナさん!」

 

 弾む声に振り向くと、大双刃をかついだティオナがいた。

 それにレーテー、アスフィ、タケミカヅチやヘファイストス、ロキの面々、リューと赤外套たち。ついでにゲドも。

 

「ひのふの・・・フィンさんたちはこっちには来てないか。あれ、ベル。神様はどうした?」

 

 声に振り向くと、見慣れない格好をしたイサミがいた。

 帆布のような分厚く青い生地の上下に赤い胴衣を着て、つば付きの縁なし帽子を被っている。

 要するにキングサイズのジーンズ上下に赤いTシャツ、野球帽なのだがベルにはわかるはずもない。

 

「にい・・・」

「ふえええええええ! イサミちゃぁぁぁぁん! 怖かったよぉ!」

 

 ぱあっと顔を輝かせるベルが何か言うより早く、レーテーが泣きながらイサミに飛びつく。

 2m超の巨体にフルプレートなのでイサミでも支えるのに一苦労なのだが、完全にガチ泣きしているようなのでその辺はおいておく。

 

「ああ、よしよし。落ち着け。もう大丈夫だからな?」

「うう・・・ぐすっ。うん・・・」

 

 兜を脱がせ、頭を撫でてやりながらレーテーを落ち着かせる。

 

「それより神様はどうした? 神様もこっちに呼んだはずなんだが・・・」

「ええとその、それがね・・・驚かないでよ?」

「今更大概の事で驚くかよ」

「うん・・・」

 

 微妙な表情でベルが腰の小物入れに手をやる。

 取りだしたのは、15cmほどの人をかたどった物体だった。

 

「・・・美少女フィギュア?」

 

 イサミがいぶかしんだ時、その美少女フィギュアが片手を上げて挨拶する。

 

「や、やあイサミ君・・・一日ぶり」

「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!」

 

 自分でも良くこんなフレーズ覚えてたなと頭の片隅で考えつつ、イサミは心底驚愕した。



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17-2 八時だよ全員集合

 しばらくしてもろもろ完全に落ち着いてから情報交換が始まった。

 美少女フィギュアサイズになったヘスティアはベルの肩にちょこんと乗っている。

 

「ふむ、つまり俺以外のみんなは所属ファミリアごとに固まって飛ばされていたと」

「ぼく達は石造りの神殿の廃墟みたいな所に出たんだよ、にいさん」

「わたしたちもー」

「私もです」

「それがしどももだ」

 

 ベルの言葉に頷くティオナたちとリュー、椿(及びヘファイストスの鍛冶師達)。

 

「レーテーは砂漠の真ん中の廃墟みたいなところだったんだよ・・・」

「私は壺や壁画、彫刻などがガラスケースに並べられている場所でしたね」

「俺は泥沼のド真ん中だったな。何もなかったぜ」

「レーテーはどこかの遺跡、アスフィさんは博物館かな。ゲドさんはちょいとわからんけど」

 

 レーテーは事実上ヘスティアファミリアのようなものだが、【改宗】はしていないので厳密にはいまだにイシュタルファミリアである。

 

「俺たちは・・・なんだろうな、極東のどこかの神殿のような場所だった」

「タケミカヅチの面々は・・・ふむ・・・それって、ひょっとしてここだったりするか?」

 

 イサミがショルダーバッグから取りだしたタブレットに画像を映してタケミカヅチ・ファミリアに見せる。

 

「うお、何だこりゃ? マジックアイテムか?!」

「あ、そうです、ここ! このお社の前に出たんですよ! この池と石の鳥居もありました! お社の人に怪しまれたので逃げたのですが」

「あの建物はなんだったんですか? 何か懐かしい感じがしたんですけど・・・」

「鹿島神宮と御手洗池。武甕槌(タケミカヅチ)大神を祭るお社さ」

 

 目をパチクリさせる千草に、イサミは肩をすくめてみせた。

 なお赤外套達はそれぞれバラバラに飛ばされていたらしい。

 

「後一応確認するけどゲドさんの主神は?」

「オグマさまだが」

「ケルトの戦いの神か・・・タケミカヅチと赤外套の人たちは取りあえず置いておくとして、ここに来る前レーテーの所は夜になって少し、ベル、アスフィさん、ヘファイストスのみなさんはもうすぐ夜。

 ティオナたちはそれと同じか少し早いくらい。ゲドさんはまだ昼間の太陽が傾いた辺り。それで間違いないかな?」

 

 それぞれに頷く面々。

 いぶかしげな顔のベルが口を開く。

 その肩のヘスティアは滅多に見れない厳しい顔になっている。

 

「あの、にいさん・・・それでこれはどういうこと?」

「そうだよ。服装も変だし、何か知ってるんじゃないの?」

 

 おずおずと尋ねるベルと首をかしげるティオナ。

 残りの面々は無言だが、椿だけは何かを期待するようなキラキラした目でイサミを見ていた。

 

「うーむ。話せば長いことなんだが」

「待った。多分ボクの方が正確に説明できるだろう。そもそもだ・・・」

 

 ぐう、と腹の音の鳴る音がした。

 しかも二重奏で。

 みんなの視線が集まる中で、レーテーが顔を真っ赤にして縮こまっている。

 その横ではティオナがあっはっはー、と頭をかいていた。

 

「まあ取りあえずは飯にするか。冷めかけで悪いけど」

 

 肩をすくめると、イサミは後ろに積んであったフランチャイズのカツカレー弁当の山を取りだした。

 

 

 

「あれ? リドさんたちは食べないんですか?」

「あ、いやなんだ。俺達は・・・」

「ああ、他人に食事をするところを見られると恥ずかしいという所もあるんだよ。

 ほれ、そっちの箱の影で食ってきな」

「わ、悪いな・・・」

 

 積まれた木箱の影に赤外套達が入っていく。

 その外套が所々、人間のシルエットとは思えない具合にふくらんでいるのにはまだイサミ以外誰も気づいていない。

 もっとも装備品などでそうした不自然なふくらみができることもあるので、一概に周囲の人間が鈍いというわけでもあるまい。

 

 

 

「洗い場はどこ? お皿とこのスプーン洗わないと・・・」

「これは使い捨てなんだ。まとめて後で捨てる」

「えええええっ!?」

 

 という会話も挟んで食後。

 これもイサミが用意していたペットボトルのお茶やら水やらを手に、一同が車座になる。

 

「それで神ヘスティア。イサミ・クラネル。一体どういう事かな? 何事か知っておるようじゃが、できる限り話して欲しいのだがな」

 

 この中では年長であり、Lv.5かつ派閥首領と言う事で一番格上でもある椿が代表して問いかける。

 ただその顔にも声にも隠し切れない好奇心が溢れているのであまり威厳はない。

 ベルの手前、イサミのショルダーバッグの上に立ったヘスティアが腕組みをしてうむ、と頷いた。

 

「実はだね・・・」

 

 ヘスティアの話の内容はおおよそエルミンスターが語ったのと同じであった。

 かつて起こったタリズダンとの、多元宇宙を引き裂く大戦。

 それを封印するために、この世界の全ての神々が力を結集したこと。

 今までいた世界はその封印の中であり、その封印の外にあるのがこの世界だということ。

 語り終えたとき、イサミを除く全員が程度の差はあれ感嘆のおももちであった。

 

「神様達って凄かったんですね・・・」

「ああ。もっと褒めてくれてもいいんだぞ、ベルくん!」

「正直ほとんどの神は遊興にふけりすぎと思うておったが・・・彼らにとっては牢獄のような世界、しかも永遠にそこにいなくてはならぬとなれば、必死なまでに退屈しのぎを捜すのも無理はないかもしれんなあ」

 

 珍しく神妙な顔で椿が頷く。

 

「いや、あれは割と元からだから。神なんて大体ああいうろくでもない奴ばかりだよ」

「「「元からかい!」」」

 

 椿とイサミとヴェルフが同時にツッコんだ。

 まあ、ろくでもない奴らばかりだから、超越神に神の力を奪われて地上を彷徨う羽目になったりするのである。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「まあともかく、ボクやベルくんたちが現れたのは、多分だけど元々ボクの神殿だった場所なんだ。

 他の子たちも、それぞれの"恩恵(ファルナ)"が縁になって、君たちの主神にゆかりのある場所に出たんじゃないかな」

「でしょうね。神様たちやアスフィさん、リューさん、ヘファイストスの人たちはギリシャ、ロキの人たちは北欧、レーテーはイラクかイラン。

 桜花達は日本の鹿島。ゲドさんはアイルランドかイギリスってとこでしょう」

「でも神様、どうして僕たちが世界の外に出ちゃったんですか?」

「そこはボクにもわからないなあ。よっぽどのことでもボク達の施した封印を通り抜けることはできないはずなんだけど・・・

 そっちのほうはイサミ君が説明してくれるんじゃないか?」

 

 ミニサイズの主神に視線を送られ、イサミが頷いた。

 

「まず転移した理由だが・・・やっぱりあの魔力の奔流だろうな。

 恐らくだがあの人造迷宮はダンジョンの周囲を螺旋状に取り囲むように作られている。

 ダンジョンの持つ魔力を利用して次元間転移をするための超巨大な魔道具だったんじゃないかと思うんだ」

 

 おお、と感嘆の声を上げたのはアスフィ。

 頬が興奮で紅潮している。

 

「魔道具! あの迷宮が丸ごとですか! なんと言う壮大な・・・」

「あの、アスフィさん。それについては後で話しましょう。今は話の続きを・・・」

「あ、はい、すいません」

 

 アスフィが今度は羞恥で頬を染めてうつむく。

 この人やっぱり俺と同類だなあと思いつつ、イサミは話を続けた。

 

「で、俺は元々この世界の人間で、死んだ後に封印の中の世界に生まれ変わったわけだ」

「えっ?! それじゃ、兄さんは僕の兄さんじゃ・・・」

 

 ショックを受けた顔になるベルに、慌ててイサミがフォローを入れる。

 

「待て待て待て! 生まれ変わりと言ったろう。俺とお前が兄弟なのは間違いない。

 大体それを言ったらお前も生まれる前はどこかの別人で、生まれ変わってベル・クラネルになったわけだしな」

「あ、そうか、そう言う事だね」

 

 心底安堵した表情になるベルに、こちらもホッとした表情になるイサミ。

 何人かが頬をゆるませ、周囲に柔らかい空気が流れた。

 

「まあともかく、俺はそう言うわけでこっちで転生するはずだったと思うんだが、それが色々あって封印の中の世界に送られたわけだな」

「前にお前が話していた、生まれる前の予言とやらか」

「ああ。それ以外にも実はしょっちゅう赤いローブの老人の夢を見ていたんだが、その爺さんの正体がエルミンスターって異世界の大魔術師でな。タリズダンが復活しつつあるので、その対抗策、恐らく偵察要員としての意図もあったんじゃないか」

「えっ」

「えっ?」

 

 きょとんとした顔になるヘスティア。

 思わずオウム返しに声を漏らすイサミ。

 互いにまぬけな声を出し、一人と一柱はしばし見つめ合った。




なお原作でゲド君の主神は不明です(たぶん)。
この作品ではモルド達と同じファミリアなので、彼らと同じオグマ・ファミリアと設定しています。


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17-3 ネコと和解せよ

「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってくれイサミ君! タリズダンが復活するとか何それ聞いてないよ!?」

「いや、何で知らないんですか! 普通に今まで何人も俺みたいなのが送り込まれてるみたいなんですけど!? フェルズだってその一人なんですけど!」

「マジで?!」

 

 反応したのは赤外套達。

 明らかに彼らにとっても初耳であったらしい。

 

「というかだ、この際だからぶっちゃけて聞いちまうが、お前らのトップってウラノス様だよな?」

「えっ、そうなのかい!?」

「あ、ああ。俺らが直接会うことはあんまないけどな」

「指示はフェルズが伝えてくるの」

「後ガネーシャ様も知ってるはずだぞ」

「あ、馬鹿!」

 

 赤外套の一人がぽろっと口を滑らせる。

 他の赤外套が色めき立つが、時既に遅し。

 今度はシャーナが驚いた顔になる。

 

「マジか。じゃあガネーシャ様がギルドに積極的に協力してるのも、そのタリズダンとやらの絡みかよ?」

「そこまでは・・・たまに協力を依頼することがある程度でさ」

「あなたに依頼をしたのもガネーシャ様の推薦だって聞いてるわよ」

「あのスチャラカ神・・・知ってたのかよ」

 

 複雑な顔で唸るシャーナ。

 間違った事だとは思わないが、多少思う所はあるらしい。

 

「まあシャーナが"改宗"するときに何やら意味深なことを言ってたのが、そういうことだったんだろうな」

「あー・・・言われてみればフェルズのことを知ってた風だったなあ」

 

 シャーナが頷いた。

 しばらくイサミが沈思黙考し、それに伴って周囲も静まる。

 ややあって、顔を上げたイサミがヘスティアの方を向いた。

 

「そもそも神様達は何故地上に降りてきたんですか?」

「? それは知ってるだろう? 退屈だからさ。退屈しのぎにこうして地上に降りてきてるんだ。分体(アスペクト)といえばわかるかい?」

「ああ、やっぱり分体だったんですか」

「え? 神様って本当の神様じゃないんですか?!」

 

 グラシア絡みで分体という単語を知っていたベルが驚いた顔になり、先のイサミに続いて今度はヘスティアが焦ったような顔になる。

 

「いや、これは本物のボクだよ!? ボクは封印のために殆どの力を使って眠っているような状態だから、残った力でこの体を作って、自由に行動してるのさ! だからこの体もこの心も、もちろんベルくんへの愛も本物だよ!」

「あ、うん、よくわからないけどわかりました」

「スルーされた?!」

 

 がびーん!と棒立ちになるミニ紐神。

 ベルの隣に陣取っていたリリががあっ、と吠える。

 

「はしたないですよヘスティア様! どさくさに紛れて不埒なことを言わないで下さい!」

「なんだとーぅ!?」

 

 一方で反対の隣に座っていた春姫は頬を染めて手で顔を覆う。

 

「あ、あの、わたくしもベル様には・・・」

「いいからお前らちょっと黙れ」

 

 こんがらかりかけた状況にイサミが無理矢理収拾をつける。

 今は女同士のてんぷくコントをしていられる状況ではない。

 

「それはわかりましたが、何故縮んだんですか?」

「うーん・・・封印の外に出て、本体とのチャンネルが細ったせいかなあ。

 この分体は分体とは言うけど本体と意志を共有してるから、普通のそれとはちょっと違うんだよね。

 ちなみに"神の力(アルカナム)"を使うと下界の生活がつまらなくなるから封印してる、って言うのは嘘。

 人に迷惑をかけなければ別に使うのを止める必要は無いからね。

 本来は神の力を使いすぎて、封印に支障が出るのを防ぐための取り決めなのさ」

「そうだったんだ・・・」

 

 はー、と感心するベル。

 興味深い話ではあるが、イサミは好奇心をグッとこらえて話を戻す。

 

「それで、退屈だから地上に降りることを提案したのは誰です? ウラノス様じゃないんですか?」

「え? いや、どうだったかな・・・確かゼウスだったような・・・ウラノスじゃないのは確かだ。

 そもそもあいつはくそまじめなカタブツだし、それが退屈しのぎに下界に降りたんでみんな驚いたくらいさ」

「ふむ。ではもう一つ。"恩恵"というのは誰が考え出したんです? ずっと昔からあったんですか?」

「いや。ボクは知らないなあ。地上に降りて、ヘファイストスから教えて貰ったのさ。そうでなくても一目見れば、どうすればいいかわかるしね」

「・・・」

 

 再びイサミが沈思黙考する。

 

(地上に降りた神の一人・・・最初に人類に"恩恵"を授けた神の一人・・・ギルドを作り、このオラリオを今まで維持してきた。

 エルミンスターによればタリズダンの封印がゆるんだのを察知したのが200年前、時間流の差が五倍から六倍とすると中では千年ほど前。

 オラリオに神々が降り立った時期とほぼ一致する。根拠はない、根拠はないが・・・)

 

「あの、兄さん・・・?」

「ん?」

 

 弟の声に顔を上げ、周囲を見回す。

 集まる視線に、思ったより長いこと考え込んでしまっていたのだと気づく。

 

「ああまあそれは取りあえずおいておこう。今はここからどうオラリオに戻るかだな」

「戻れるのかい? 言っておくけどボクの"神の力"を当てにして貰っても困るぜ。

 言った通り、今はこの体を維持するので精一杯だからね」

「わかってます。非常に強力な魔法が必要でしょうが、不可能ではないんじゃないかと」

 

 イサミの言に口々に反論が上がる。

 

「ですがイサミ君。この世界では魔法もマジックアイテムも・・・」

「そうだぜ。気づいてないのかも知れないが、ここじゃあ魔法は使えないんだ」

「それはわかってます。しかしですね、アスフィさん達をここに集めたのはどうやってだと思います?」

 

 あっ、と全員が声を揃えた。

 彼らをこの場に集めたのは"願い(ウィッシュ)"の魔力である。

 だが当然魔素(マナ)のほとんど無いこちらの世界では呪文を発動できない。

 そこをクリアしたのがイサミの持つ《特技》、《ミストラの秘儀を知るもの(イニシエイト)》だ。

 

 ミストラの秘儀とは周囲の"(ウィーヴ)"、あるいは"魔素(マナ)"を操作し、それらの欠乏空間でも魔法を発動する技術だ。

 59階層でビホルダーの魔法消失力場の中で魔法を発動したように、微量であっても存在するマナを集めれば魔法の発動は可能になる。

 ただしこちらの世界ではマナが希薄すぎて、一回の呪文を発動できるようになるまでに丸一日近くかかったのだが。

 

「だから、望みが全くないわけではありません。とは言えある程度長期の滞在は覚悟して貰わないといけませんかね。

 幸いなことにこちらでの行動には慣れてるので、少し待って貰えれば拠点は用意しますよ」

「イサミ先生、よろしいでしょうか?」

「どうぞ、アスフィくん」

 

 挙手するアスフィをぴし、とイサミが指さす。

 

「少し待つと言いますが、それまではここにいて大丈夫なのですか? 中に誰か入ってくるんじゃないでしょうか」

「ここは町内会の防火用具兼祭り道具の倉庫・・・といってもわかりませんか。

 まあ火事が起こったりした場合や、防火訓練の時、お祭りの時以外は誰も来ないから大丈夫ですよ」

「なるほど。まあ先生がそう言うなら大丈夫でしょう」

 

 教師と生徒ごっこをする二人に周囲から笑いが漏れる。

 先の展望も見え、腹がくちくなったこともあり、イサミが最初恐れていたパニックや不安は抑えられたようであった。

 

 

 

 数日後、ようやく一同は防災倉庫から脱出することができた。

 イサミが調達してきた服に着替え、"願い(ウィッシュ)"で日本語と現代日本の常識を植え付けた上で全員に財布とスマートフォンを渡す。

 が、他の面々が見慣れない服や新しい知識にワイワイと騒ぐ中で、赤外套達だけは困ったような雰囲気を出していた。

 

「なあイサミっち。俺達はどうしたらいいんだ? ・・・俺達のフードの中身、もう知ってるんだろ?」

 

 後半は小声でイサミに話しかけるリド。

 

「もちろん。そのことも考えてあるよ。服装はそのままでいいから、このプラカードを持って歩いてくれ。文字が見える様に」

「? ああ、わかった」

 

 通行人がいないのを見計らって、一行は防災倉庫を出る。

 後は駅前のタクシー乗り場まで歩き、新しい拠点に移動する段取りだ。

 (レンタカーは免許証が使えないので借りられなかった)

 

「・・・なあイサミっち、この看板の文字ってどんな意味だ? と言うか周囲から妙にじろじろ見られてるんだが・・・」

「顔をフードで覆ったらそりゃ怪しいだろうな。ただでさえ目立つ格好だし」

 

 すっとぼけるイサミ。

 手に手に「神の国は近い」「悔い改めよ」「死後さばきにあう」などのプラカードを掲げつつ、赤外套達はしきりに首をひねった。

 

 

 

「あのー、人が寝静まった夜に移動すれば良かったのでは?」

「真夜中に三十人からの外国人が、しかもクッソ怪しいフード姿の連中がうろついてみろ。巡回の警官に見つかって職務質問不可避だろ」

「あ」



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17-4 駅前徒歩十分

 タクシーに乗って一時間ほど、東京のベッドタウンの一角。

 やや古くなった短期賃貸のマンションが一行の拠点だった。

 

「この人数がまとめて生活できる所を捜すのにはちょっと苦労したぞ」

「お疲れ様です」

 

 この五日間で、仕切り能力の高さ故にイサミの副官のような立場に収まったアスフィが改めて労をねぎらう。

 

「各部屋に小さいが風呂がついてるから、体を洗う事もできる。みんな使い方はわかるな?」

 

 おお、と女性陣から歓声が上がった。

 物陰で濡れた布で体を拭くだけではさすがに限界もあったらしい。

 仕事柄そう言う事を余り気にしない椿でさえ嬉しそうな顔をしているのだから、きれい好きな面々は推して知るべしである。

 

「部屋割りはどうしましょう」

「そうですね・・・俺、ベルで一部屋。うちの女性陣五人で二部屋。タケミカヅチの男衆と女衆、ヘファイストス男衆とロキ男衆で一部屋ずつ。

 ティオナ椿さんとリューさんアスフィさん、赤外套達でそれぞれ一部屋。ゲドさんはロキの男衆のところで。それでどうだ?」

「えー、私イサミちゃんと一緒がいい~」

「それならわたしはアルゴノゥト君と同じ部屋!」

「君たち、男女同室なんて不埒なこと、ボクが許さないぞ! あ、ボクは神様だからベルくんと同じ部屋でいいよね!」

「いいわけないです! 前から思っていましたが、ヘスティア様は自分だけ特別扱いが過ぎますよ!」

 

 またしても始まる女の戦いを我関せずと高見の見物しつつ、シャーナがイサミを見上げる。

 

「俺は構わないけどよ、赤外套の連中は大丈夫か? ちょいと見たが五人で一部屋はちっとばかり狭いだろ」

「ああいや、俺達はそれで構わないぜ! むしろそのほうが好都合と言うか・・・」

「なのか?」

「まあこいつらは色々面倒なのさ」

「ふーん」

 

 首をかしげつつもシャーナは話をそこで終える。

 リドの後ろの赤外套が視線で謝意を伝え、イサミは軽く頷いた。

 

 

 

 それから一週間。

 各人は新聞やテレビ、インターネットで情報収集し、その合間に散歩したり買い物をしたりと、それなりに日本の生活に適応しつつあった。

 食事は朝夕がイサミ及び有志による合作、昼は好きな物を各自で取るスタイルである。

 

「・・・で、戦力になりそうなのが女性陣の半分以下ってのはどういう了見だよ。しかも殆ど極東組だし」

 

 まがりなりにも料理ができるのがイサミ以外では命、千草、飛鳥らタケミカヅチ女性陣とリリの四人だけという事実に軽く頭痛を覚えるイサミ。

 

「申し訳ありません・・・」

 

 実にありがちなことに、「できる女」であるアスフィは料理ができなかった。まあ王女という生い立ち的にある意味当然ではある。

 料理できなくても気にしないのが椿。と言うか彼女は食事自体にさほど興味がない。レーテーは興味は無くもないが食べる方が好き。

 

「火を通すだけでいいならやるぞ」

「おなじく」

「切って焼いて盛りつけるだけなら!」

 

 ヴェルフとシャーナ、ティオナはこのレベル。他の男性陣も大体そのようなものだ。

 というわけで、下ごしらえと皿洗い程度はできるベルと春姫を加えて、この七人で何とか食卓を回している状況であった。

 

「わー、いい匂いだねー」

「お、今日の晩は揚げ物か。俺串カツがいいなあ。どれ、ちょいと味見を・・・」

「出やがったな! ベル、シャーナとレーテーを追っ払え!」

「あ、うん」

「やーん、ベルちゃんのいけずー」

 

 そんな感じで日々は過ぎていった。

 イサミは部屋に籠もりきりで、しばしばヘスティアもそこに連れ込んで何やら作業をしている。

 一方情報収集と言っても、イサミ以外は一緒に転移してきたであろうヴァンパイア達の痕跡くらいしか探すこともないので、大体各自が勝手なことをしている。

 ティオナを含めた女性陣がベルに絡んでヘスティアが地団駄ふんだり、

 シャーナがベルに飲ませて潰したり、

 女性陣が昼ドラにはまって配信サービスに加入したり、

 18禁サイトにアクセスしてノートPCをシャットダウンさせたり、

 某お菓子の粉の中毒になってネットで大量注文したり、

 ソシャゲにはまって重課金する馬鹿が出たりと色々あったが、まあ些細な問題である。

 

 ――些細な問題である。

 

 

 

 そんなある日。

 

「イサミ君! これを!」

 

 一行の中で一番まじめに情報収集にいそしんでいるアスフィが、イサミ達の部屋に飛び込んでくる。

 その後ろにはリューと椿も。

 

「どうしました?」

「これです」

 

 アスフィが差し出したノートパソコンの画面には、ギリシャでの猟奇事件の記事が小さく載っていた。

 

「『病院が連続襲撃、輸血パックが大量盗難』?」

「そうです。これは、あの人造迷宮の闇派閥のものでは?」

「・・・」

 

 画面を見据えてイサミが沈黙した。

 実はこれまでにも一度、ウィッシュで彼らを捜そうとはしたのだ。

 ただ指定した条件が悪かったのか、それとも何らかの妨害があったのか、はたまたマナの希薄な世界故か、明白な答えは返ってこずに(魔法を使える回数が限られていることもあり)そのまま仲間達のインターネット検索にまかせていたのだが・・・

 

「やっぱり連中こちらに来ていたか・・・くそっ!」

「後悔はいつでもできます。今は彼らをどうにかしましょう」

「こちらにはオラリオとは比較にならないほどの高度な治安維持組織があると聞きましたが、高レベルの冒険者相手では・・・どうでしょう?」

「無理ですね」

 

 リューの疑問をばっさりと切り捨てるイサミ。

 経済危機から立ち直りつつあるとは言え、あの国はそもそも警察組織が日本に比べるとかなり脆弱だし、それ以前に高レベル冒険者に常人が攻撃を当てるのは――たとえ銃器でも――不可能だ。

 当たったところで吸血鬼、しかも【恩恵】持ち相手に拳銃程度ではどうにもならない。最低でも重機関銃や対物ライフルがいるだろう。

 

「つまり、こっちの人たちじゃ吸血鬼達には太刀打ち出来ないって事?」

「・・・吸血鬼は太陽の光に弱いし、紫外線照射装置かなんかが有効ならワンチャン・・・か? あるいは銀の弾丸の機関銃とか」

 

 生前に読んでいた漫画や小説を思い出しつつイサミ。

 もっともD&Dの吸血鬼がダメージを負うのはあくまで自然の直射日光なので、科学で作り出した紫外線ではどうにもならない可能性も高い。

 

「そもそも、何故我々の【恩恵(ファルナ)】はいまだに有効に働いているのでしょう? 魔法や魔道具は全く働かないのに・・・」

「単純に言えば神の力、だからでしょうか。もう少し詳しく言うなら、魔法や魔道具は"魔素(マナ)"の存在を前提に作られてます。

 【恩恵】はマナを媒介しない力だから、この世界でも有効に働くんでしょう」

 

 なるほど、と頷くリュー。

 ちなみにリリの変身魔法も働かないため、彼女はこちらへ来てからずっと小人族の姿のままである。

 イサミがノートPCを閉じて立ち上がった。

 

「とりあえず全員集めましょう。今後の方針を決めないと」

 

 

 

 話し合いの結果は全員一致でギリシャ行きだった。

 積極的消極的の差はあるものの、自分たちの世界から来た者達がこちらの世界で犯罪を重ねている、しかもこちらの官憲では対処できないと来てはそれを見過ごせるような面々ではなかった。

 

「しかしギリシャか・・・」

 

 あまり広くないマンションの居間から台所まで、ぎっしりと詰め込まれた面々を見渡してイサミは内心頭を抱えた。

 アマゾネスは外見は褐色肌の人間女性だし、小人族は子供で通せるだろう。

 が、リューをはじめとしてエルフやらドワーフやら獣人やらを連れて飛行機に乗るのがどれだけ難儀なことか。

 変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)の魔力が働かない赤外套達に至っては論外だ。

 

 まあエルフやらドワーフやら小人族やらが冒険して魔法使いが剣を振り回しながら騎馬突撃するファンタジー映画とか、魔法使い見習いの少年が不思議な世界で冒険する映画が世界的に大ヒットして久しいし、コスプレと思ってくれる可能性はあるが。

 

「というか俺もパスポート取得できないから大して変わらんか・・・」

「なんでだ? 空飛ぶ船みたいなものなんだろ? 金払えば乗せてくれるんじゃないのか」

「大概の国は出入りに専用の許可証が必要なんだよ。そんで、この国に住んでる人間はだいたい役所・・・ギルドみたいなもんだな。

 そこに出生からの記録がある。そこに載ってない人間が許可証をとることはできないんだ」

「マジかよ。すげえなこっちの世界」

 

 現代の社会制度のチートさを改めて実感するイサミである。

 素晴らしきかな普通選挙、素晴らしきかな表現の自由。

 もっとも今はそれがイサミ達の行動を縛る枷となっているのであるが。

 

 なお余談だが先進国でもアメリカなどは戸籍がない。だからといってパスポートが不要なわけではないが。

 

「"上級瞬間移動(グレーター・テレポート)"しかないだろうな。まあ"願い(ウィッシュ)"って手もあるが。

 ギリシャの映像はネットで拾うとして・・・いや、その前にあいつらの位置の特定か」

 

 ピンポーン。

 

 チャイムが鳴った。

 

「またセールスかな」

 

 なにぶん古いマンションで、オートロックなどと言うしゃれたものはない。

 新聞の勧誘も来れば訪問販売もある(驚くなかれ、昭和の遺物のような彼らは、この令和の世においてもまだ生き残っているのだ!)。

 

「はーい! ほれ、ちょいとどいてくれな。ヒューマンとパルゥム以外の連中は外から見えないところにな」

「むぎゅ」

「おい、押すな!」

 

 ぎっしりつまった肉の山をかきわけ、イサミが玄関に向かう。

 エルフやドワーフ、獣人や赤外套達が奥に引っ込んだのを確認し、覗き穴からドアの外を伺う。

 予想に反し、外にいたのはスーツ姿の男二人組だった。

 新聞勧誘にしては格好がきっちりしているし、訪問販売にしては荷物を持っていない。

 首をかしげつつイサミはドアを開く。

 

「はい、どちらさまで?」

「・・・上尾勇さんですか?」

「そうですが・・・」

 

 がちゃり、と音を立てて左手首に銀色の手錠がはまった。

 後ろにいた方の男が腕時計を見ながら小さく、しかしはっきりと声を出す。

 

「十時四十五分、被疑者確保」

「自称上尾勇、預金口座等不正利用防止法違反で逮捕する」

 

 一瞬、時間が止まった。

 

「えっ」

「「「「「えええええええええええええええええええええええええええ~~~~!?」」」」」




ちなみにお風呂問題、イサミ君がいれば"小魔術(プレスティディジテイション)"という初級魔法で服も体も綺麗にできるのですが、さすがにこの状況では使えませんでしたw


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17-5 逮捕しちゃうぞ

 

 イサミは警察署の留置場にいた。

 同室には柄の悪い男達が数人いるが、イサミの体躯と雰囲気のせいか、近づいてくる者はいなかった。

 

 あの後イサミは騒ぎ出す仲間達をどうにかなだめて、暴れることもなく素直に連行された。

 取り調べの時にそれとなく聞き出したところによると銀行員に上尾勇、つまり前世のイサミの母の知り合いがおり、息子が死んだことも知っていたので、彼の口座に動きがあるのを不審に思って母親と警察に通報したらしい。

 母親は町会のとりまとめ役のようなことをやっており随分顔が広いのは知っていたが、ここでそれが効いてくるとは思わなかった。

 

 取り調べ自体は刑事ドラマのように光を顔に当てられることも椅子ごと蹴り倒されることもなくごく普通に終わったが、これはイサミが暴れ出すのを恐れたせいかもしれない。

 なおカツ丼は出なかった。

 

「うんまあ知ってた」

 

 わかってはいてもちょっと期待している辺り、まだ余裕があったのかも知れない。

 余裕が無くなるのはそのしばらく後のことだ。

 

 

 

「っ!? なんだ!」

 

 留置場のベッドに転がってうとうとしていたとき、爆音と共に警察署全体が揺れた。

 監房の天井にもヒビが入り、パラパラとコンクリートの破片が落ちてくる。

 

「まさか、な・・・」

 

 慌てふためく同居人達をよそに鉄格子に近づいた瞬間、爆音や怒号に混じってごくごくかすかな悲鳴が聞こえた。

 魔法ではなく《特技》ゆえに、こちらの世界でも維持されている超人的な感覚。

 その声を、忘れるはずもない。

 

「母さんっ!? おい、誰か! 誰かいないのか!」

 

 鉄格子を掴んで叫ぶも、返事はない。

 断続的に続く震動と爆音、そして母のものではない悲鳴だけがイサミに応える。

 

「くそっ!」

 

 一瞬のためらいもなく、全力の前蹴りを留置場の鉄格子扉にぶちかます。

 だが《恩恵》で強化された筋力をもってしても、鉄格子は僅かにゆがむだけでイサミを自由にしない。

 魔法抜きのイサミの筋力は、せいぜい一トンの物体を持ち上げる程度。

 十分に超人的と言える膂力ではあるが、鋼鉄製の鉄格子をへし折るには足りない。

 

(いっそ魔法を・・・いやだめだ、ここで使ったら後が続かない。くそ、ここに神様がいれば・・・!)

 

 ひたすらの蹴り。僅かずつではあるが、鉄格子がひしゃげていく。

 爆音と震動が響き、同室のごろつきどもがそれを恐怖の面持ちで見つめるなか、唐突にイサミの動きが止まった。

 

「???」

 

 怪訝な顔をする同室のごろつきどもには聞こえない声が、彼の耳には届く。

 

「おおい、ここだ! こっちだ!」

 

 一転して叫び続けるイサミ。

 ややあって現れたのはパーカーを着て耳を隠し、ギターバッグを肩に掛けたリューだった。

 パーカーが所々切り裂かれ、あるいは煤にまみれているが、手傷は負っていない。

 

「イサミさん!」

「リューさん! 状況はどうなってますか!」

「それは後で! とにかくここを!」

 

 リューがギターバッグから取り出した小太刀を閃かせる。

 イサミの蹴りにはあれほど頑強に抵抗した鉄格子がゴボウか何かのように綺麗に断ち切られ、四角い脱出口が開いた。

 

「これだもんなあ・・・ステータスの差ってのは」

「これでもレベル4ですから。それに、上を見ればきりがありませんし」

 

 やや憮然とした顔になるイサミにリューがくすりと笑う。

 唖然とするごろつき達を後に残し、二人は駆け出した。

 

「タケミカヅチ・ファミリアの方々に"けいさつしょ"を見張って頂いておりました。

 そこへ襲撃が・・・イサミさん?」

「ごめん、ちょっと寄り道する!」

 

 走り出して角を曲がった先に老女が一人、崩れて倒れ込んできたコンクリートの壁に足を挟まれて倒れていた。

 足を潰されてはいないようだが、瓦礫が大きすぎて、周囲の警官も手を出しかねている。

 

「ちょいとごめんなさいよ」

「なんだね、君は。下がって・・・」

 

 制止しようとした中年警官の口がぽかんと開く。

 一トンはあろうかという鉄筋コンクリートの壁が、重機でも使ったかのように軽々と持ち上がっていた。

 

「早く! 引きずり出して!」

「は、はい!」

 

 警官達が老女――前世でのイサミの母親を引きずり出したのを確認し、イサミは瓦礫を下ろした。

 そのままかがみ込んで、簡単に母親の足を診る。

 

「痛みはありますか? 動かせる?」

「は、はい、大丈夫です」

 

 軽いすり傷と打ち身だけであろうと判断し、立ち上がる。

 逮捕された容疑者だと気付かれたら面倒だと、身を翻して立ち去ろうとしたとき、後ろからの声がその足を止めた。

 

「あの、前にお会いしたことはありませんか?」

「・・・いいえ。今日が初対面ですよ。それじゃこれで」

 

 振り向かずに歩み去る。

 警官達が危険だのなんだのと制止していたが無視。

 リューは廊下の曲がり角の向こう、姿が見えないところで待っていた。

 

「早く行きましょう。椿殿たちが戦っていますが、正直苦しい状態です」

「敵は・・・死霊王たちか」

「はい」

「うかつだったな・・・自分に出来ることは相手にも出来る、というのが基本なのに」

 

 知らぬ間に慢心していたか、と歯ぎしりしたい思いだった。

 自分と同じD&D世界由来の呪文を使う以上、同じ世界由来の力を持っていてもおかしくはなかったのだ。

 そう、たとえばマナのない世界でも魔術を使える《ミストラのイニシエイト》のような。

 

「まあともかく、相手の正体もうすうす見当はついた。ひょっとしたら話し合いで解決できるかもしれん」

「あれを相手にですか!? 一体どうやって・・・いえ、今更でしたね」

「自信はないけどね。まあやるだけやってみるさ」

 

 そこまで話したところで、二人は警察署の玄関から外に飛び出した。

 

「っ!」

 

 その瞬間、何かが飛来するのをイサミは感じた。

 それと同時にリューが身を翻し、飛んで来た何かを綺麗なフォームで蹴り飛ばす。

 一瞬遅れて警察署の壁が爆発した。

 

「これは・・・おい、まさか」

「はい。彼らは、この世界の武器を使っています」

 

 大穴があいた壁から視線を戻す。

 燃える車。鳴り響く銃声と爆音。銃弾にえぐられたコンクリート。

 所々に倒れた一般人らしき人々を、ゲドや春姫が必死で回収している。

 警察署前の四車線道路で、仲間達と銃器を構えた吸血鬼達が激突している。

 

 ――警察署の前は戦場だった。

 

 

 

「と言うか危ないことするなあ・・・蹴った瞬間爆発してたらえらいことになってたぞ」

「・・・なるべくそっと蹴りましたので」

 

 さっと視線を逸らすリュー。その頬が僅かに赤い気がしたが追及はしない。



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17-6 今度は戦争だ

 時間はイサミが逮捕連行された直後に巻き戻る。

 

「どうしよう・・・どうしよう、兄さんが・・・」

「おおおおお落ち着くんだベルくん! イサミ君なら大丈夫だよ!」

 

 動揺を隠せない者。

 

「イサミが犯罪をやらかしてるわけがねえ。何か誤解だろうが・・・事と次第によっちゃ力づくでも助け出すぞ」

「当然だよ! 何だったら今からでもやっちゃおうよ!」

 

 ぶっそうな覚悟を固める者。

 

「ここは様子を見るしかあるまいて」

「でも、元々この世界にいない人間だよねー?

 この世界の人はみんな名簿に名前が載っているって言うし、調べられたらまずいんじゃないかなあ・・・」

「すげえ世界だと思ったが、こう言う時は困りもんだなあ・・・」

 

 とりあえず静観する気ではあるが、かといっていい思案も浮かばない者。

 

「落ち着きなさい、あなたたち!」

 

 一喝したのはアスフィだった。

 ざわついていた室内が、それだけでしん、と静まりかえる。

 レベルは4止まりとは言え、実際に構成員を統率し、派閥を運営してきた経験は重みが違う。

 Lv.5で同じ派閥首領である椿や元首領のレーテー、Lv.6のティオナも沈黙させるだけの威厳がそこにはあった。

 

「まずは事態を静観します。ですが、すぐに動けるように備えてもおきます。

 恐らく連れて行かれたのは近くの"けいさつしょ"でしょう。

 幸いタケミカヅチ・ファミリアの方々はこの国の人々と外見が同じで目立ちませんから、

 近くの喫茶店かなにかで交代で張り込みをして貰い、動きがあったらすぐに連絡して貰います」

「お、おう」

 

 桜花が慌てて頷く。

 

「夜になったら隠形に長けた方に交代します。とは言っても今だと【疾風】以外にはいませんね・・・

 しょうがありません、敏捷度の高い高レベルの人間が交代と言う事で。

 日没から真夜中まではティオナさん、椿さん、【疾風】、レーテーさん、シャーナさん。

 真夜中から夜明けまでは私と赤外套の方々ということでどうでしょう」

 

 名前を挙げられたメンバーが頷いたのを確認し、アスフィは指示を続けようとするが、それをベルが遮った。

 

「あの。僕も見張りに加えてはもらえないでしょうか」

「・・・いいでしょう。日没からの組に入ってください。指示には従うように」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 僅かに考えはしたものの、アスフィはベルの提案を受け入れた。

 いてもいなくてもさほど影響はないし、足手まといにはならないと思ったのだろう。

 

「赤外套の方々は今のうちに仮眠を。他の方々は、いつ出撃してもいいように準備を。

 ここには戻って来れない可能性も高いでしょうし荷物をまとめて、保存食やロープ、野営用品なども"ほーむせんたー"などで可能な限り調達をお願いします」

 

 視線を向けられたロキファミリアの中堅団員やヘファイストスの鍛冶師達もまた頷きを返す。

 最後にアスフィは視線をベルに――正確にはその肩に乗っかったヘスティアに向けた。

 

「現状ではできる事はこのあたりかと思います。よろしいでしょうか、神ヘスティア」

「うん、文句はないよ。よろしく頼む、"万能者(ペルセウス)"」

「それはこの場の全員のがんばり次第ですね――では行動開始してください!」

「はいっ!」

「わかった!」

「おう!」

「任せとけ!」

 

 口々に威勢良く、了承の返事が部屋に響いた。

 

 

 

 日中から夜に変わった頃、早くもそれは起こった。

 ただし、さすがの"万能者(ペルセウス)"にも予測不可能な形で。

 

 警察署近くの喫茶店に交代で張り込んでいた命達の携帯に電話がかかってくる。

 近くのビルの屋上にアスフィたちが着いたという知らせ。

 同じテーブルに着いていた景清、飛鳥と短い会話を交わし、注文票を掴んで立ち上がる。

 爆音が響いたのはその時だった。

 

「!」

 

 ウナギの寝床のような細長い店内であったゆえに、入り口に近い席でないと外の様子はうかがえない。

 交通事故か?くらいの表情を顔に浮かべる店員や他の客を尻目に、千円札二枚をテーブルに叩き付けて喫茶店を飛び出す。

 

 街灯がつき始めた薄暗がりの中、覆面の男達が肩に担いだロケットランチャーで警察署を爆撃していた。

 ハリウッド映画としか思えない、余りと言えば余りな光景に通行人も呆然としている。

 

 ピルルル、と再び命の携帯が鳴った。慌てて通話ボタンを押した彼女の耳に、さすがに焦りをにじませたリューの声が響く。

 

「既に待機組には連絡しました! あなた方は彼らと合流して武具を受け取ってください!

 それまでは私たちがどうにかします!」

 

 それだけを言って通話は切れ、次の瞬間警察署の前で今度は閃光を伴った爆発が起きた。

 一瞬遅れて警察署の周囲がもうもうたる白煙に覆われ、警戒の叫び声が煙の中から聞こえる。

 更に続けて上空から複数の影が飛び込み、驚きの声と金属同士が激しくぶつかり合う音。

 

「くっ・・・魔法が使えれば・・・!」

 

 屋外、開けた場所でこそ命の重力魔法《フツノミタマ》は真価を発揮する。

 Lv.2の冒険者が持つには破格の、そして足止めにはこれ以上ない魔法だったが、マナの存在しない世界では発動すらできない。

 最低限の武器しか持ってきていない事もあり、命達はしばらく歯がみしているしかなかった。

 

 

 

 最初にリューの手から飛んだのは閃光発煙の手投げ弾だった。

 強化足止め袋などと並び、アスフィの手持ちの中では数少ない魔力を介さないアイテムである。

(バースト・オイルなどは魔力を秘めた材料を使用しているので、この世界では発動しない)

 

「イサミさんはどうしますか!?」

「取りあえずは時間稼ぎを優先! きゃつらを止めるぞ!」

 

 椿の言に頷き、リューもまた白煙の中に飛び込んでいく。

 

「てりゃあああぁっ!」

「グワッ!?」

「ギャアッ!」

 

 真っ先に飛び込んだのはティオナ。

 同士討ちなど考えずに振り回された大双刃(ウルガ)が、不意を突かれた二匹のヴァンパイアの胴体を両断する。

 

「こっちだね!」

「しまっ・・・」

 

 野性の勘か、それとも鋭い嗅覚か。

 

『ぬっ!』

 

 煙を抜けて突進したティオナの目の前には、豪奢な衣装をまとい、長杖を持った死者――死霊王。

 

「いっただきぃ!」

 

 轟、と空気を切り裂いて大双刃(ウルガ)が唸る。

 頭から真っ二つになると見えた死霊王の姿が、だがゆらりと揺れた。

 

「なっ?!」

 

 素人の目には、大双刃(ウルガ)の刃が死霊王の体をすり抜けたように見えたはずだ。

 中レベルの冒険者ならば、死霊王の体が瞬間移動でもしたかのように真横に50cm程ずれたように見えたに違いない。

 そして一級冒険者であるティオナの目には。

 

「このっ、リヴェリアみたいな事を・・・いや、リヴェリアよりも上・・・!」

 

 死霊王が長杖で大双刃(ウルガ)の刃を横にずらしつつ、全く隙のない、最小限の動きでかわしたのが見えていた。

 ただの術者ではない、肉弾戦でも侮れない相手とティオナが認識した刹那。

 

『どうやら貴様が一番の手練れじゃな――"念動(テレキネシス)"』

「えっ? わっ、うわああ!?」

 

 ふわり、とティオナの体が浮いた。

 高レベル冒険者であろうと何だろうと、普通の人型生物は空を飛べるようにはできていない。

 飛び道具も魔法もなければただの無力なカカシと化す。

 

「ま、魔法は使えないんじゃなかったの!?」

『ふん』

 

 驚くティオナに、死霊王は一瞥をくれたのみ。

 

「このっ、無視すんなあ!」

 

 ぶんっ、と空気を引き裂いて飛んで来た大双刃(ウルガ)も軽く身をかがめてかわす。

 空中でジタバタするティオナがわめき散らすが無視。

 

「う、うおっ!?」

 

 死霊王が続けて杖を向けたのは椿。

 やはり抵抗(セーブ)できず、その体が宙に浮く。

 

『残りを包み殺せ』

「はっ!」

「くそっ!」

 

 歯がみするが、やはり椿には何も出来ない。

 幸いなのは、(彼らは知らないが) "念動(テレキネシス)"がこれで打ち止めと言う事くらいだろう。

 圧倒的不利に傾いた状況では大した慰めにもならないだろうが。




 "念動(テレキネシス)"は本来精神集中を要する呪文であり、当然、一度には一つの呪文にだけしか集中できません。
 死霊王は"呪文集中の達人"であり、複数の精神集中を同時に維持することが出来ますが(イサミもできる)それでも最大で三つ(即行、移動、通常アクションをそれぞれ消費)。
 三つ同時に維持すると、文字通り身動き一つ出来なくなるので事実上二つが限界なのです。


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17-7 光の剣

 G3突撃銃を構えた吸血鬼の一団が、散発的に射撃しつつ煙の中に突入する。

 正確な位置はわからないにしろ、高レベル冒険者同士の鋭敏な聴覚をもってすれば互いに大体の位置くらいはわかる。

 そして冒険者達は負傷を回復できないが、吸血鬼達にとって鉛の銃弾などは大した脅威ではなく、さらにこの世界でも働く高速治癒(ファストヒーリング)がある。

 多少の同士討ちなど、彼らにとっては物の数ではない。

 

「くくっ・・・」

 

 そう確信してニヤリと笑った吸血鬼の首が、紫紺の閃光に薙ぎ払われて宙を舞った。

 

『む?』

 

 慌てて銃を向ける隣の吸血鬼に、再度紫紺の輝線が走る。

 身を低くしてセミオートの連射をかわし、伸び上がるように切り上げた一閃が金属製の銃身を半ばから真っ二つにした。

 仲間を巻き込むこと覚悟で、また別の吸血鬼がフルオート連射。

 襲撃者は深追いせず、大きく飛びすさって身をかわす。

 

 白煙の中におぼろげに見える小柄な姿。

 だがそれでも、紫色に強く発光するナイフが「ここにいるぞ」と何よりも強く雄弁に主張している。

 

「この封印外世界で・・・」

「馬鹿な! あれ()アーティファクトか!?」

 

 アーティファクト。本来「遺物」と言う意味だが、剣と魔法の世界においては特に「現代では作り出せない強大な過去の遺産」を指す。

 D&Dにおいても同様で超古代文明や、あるいは神の力をもってしなくては作れないような強大なマジックアイテムをそう呼ぶ。

 そう、例えば死霊王の持つ"大魔術師の杖(スタッフ・オブ・マギ)"や、ベルの持つ《神のナイフ》のような。

 

 そしてそれらのアーティファクトは、その強力さゆえに周囲のマナにその力を依存しない。

 ゆえにマナのほとんど存在しない封印外世界でも死霊王は魔杖の力を行使できるし、ヘスティアナイフはその切れ味を最大限発揮できる。

 その結果がこれだった。

 圧殺するはずだった冒険者達を、吸血鬼達は押し切れない。

 

 だがベルのアーティファクトだけがその原因ではない。

 魔法や武具の助けがないとはいえ、残りの三人も一騎当千の猛者ばかりだ。

 レベル5のシャーナとレーテー、そしてレベル4では最強とも思われる【疾風】リュー・リオン。

 

 何も吸血鬼側も全員が一級冒険者相当の前衛タイプばかりではない。

 術士タイプもいれば、比較的レベルの低いものだっている。

 そしてもう一つ押し切れない理由が、吸血鬼達の武器だった。

 

 魔法が使えない世界で火力を補うために銃火器を使用する、それは正しい。

 しかし銃火器の扱いはともかく、実戦における運用をものにするにはさすがに時間が足りなさすぎた。

 射撃から近接戦闘に切り替えるタイミング、味方が弾倉交換する時の支援など、基本的な扱いを覚えただけでは分からない事も多い。

 後知恵になるが、死霊王は術者タイプのものたちにだけ銃を持たせ、前衛タイプには今まで通り近接戦を行わせるべきだったのだ。

 

「たあっ!」

「ぎゃあっ!」

「どおりゃっ!」

「ぐっ!」

 

 また一匹、ベルの神のナイフで吸血鬼が顔を割られて倒れ、また別の吸血鬼がシャーナの大剣で突撃銃を破壊される。

 ひん曲がった銃を捨てて本来の獲物である斧を引き抜いたそいつが、今度こそシャーナと正面から打ち合いを始めた。

 

「その白髪から倒せ! そいつが穴だ!」

『ちっ・・・』

 

 もはや煙幕もほぼ晴れた戦場で、白髪の少年を指して叫ぶ副官を見て死霊王が舌打ちする。

 ティオナと椿を封じてから動かなかった彼が、ここに来てみたび杖を振った。

 

「ぬおっ!?」

 

 ベルの正面、シャーナから見て左側。ゆらり、と空間に影が揺れる。

 薄い平面のもやのようだった影が見る間に厚みを帯び、実体を備え、一秒足らずの間に土塊で出来た7m程の巨人の姿を取った。

 

『・・・"招来(サモン)"など、久方ぶりに使(つこ)うたわ』

 

 エルダー・アース・エレメンタル。

 封印世界、つまりオラリオのダンジョンにはいないたぐいのモンスターだ。

 強いて言うなら精霊族が近いが、それとも少し違う。

 

 体内に魔石を持たず、従ってステイタス補正を受けないとは言え、地を司るエレメンタルの内でも高位の存在である彼らは、それだけでレベル3上位のモンスターに匹敵する戦闘力を持つ。

 耐久力、生命力に限って言えば間違いなくレベル4だ。

 いかな一級冒険者といえど、魔法や武具の力を封じられた状態では一撃とは行かない。

 

「ちっ、やばいなこれは・・・っ!?」

 

 巨大な紫紺の閃光がシャーナのぼやきを中断させた。

 

「なっ」

『お、おおっ・・・』

 

 この戦いが始まって以来初めて、死霊王が驚きの声を漏らす。

 唐竹割に両断されたエルダー・アース・エレメンタルがただの土塊に戻ってボロボロと崩れながら、その姿が薄れて消える。

 その正面に立つのは、紫色の光の剣を構えたベル。

 光を迸らせているのは、右手に構えた《ヘスティア・ナイフ》。

 刻まれた神聖文字が、夜の闇を圧してまばゆいほどに燃えていた。

 

 

 

 ――目の前に土くれの巨人が現れた瞬間、体が勝手に動いた。

 逆手に握っていた神のナイフを素早く順手に持ち直し、打ち合っていた吸血鬼も無視して大きく振りかぶる。

 当然その隙を見逃さず、致命の一撃を見舞おうとした吸血鬼達が次の瞬間、迸る魔力の余波だけで吹き飛ばされる。

 膨大な魔力が神のナイフから放たれ、巨大な光の剣を形成した。

 そして振り下ろす。

 

 一太刀。

 ただの一太刀で、ゴライアスに匹敵する体躯を持つ大地の精霊は消滅した。

 

「はあっはあっはあっ・・・」

 

 荒く息をつきながら、ベルが手の中のナイフを見下ろす。

 

「わかる・・・魔法は使えないけど、神様のナイフに精神力を注ぐことはできる!」

 

 魔法のために精神力を使うという感覚を覚え、そして魔法が使えなくなったベルが、唯一見つけた精神力を外に放てる出口。

 気付いたのは、ここがマナの存在しない封印外世界であったればこそ。

 魔力伝導に優れるミスリルという素材、そして封印外世界でも働く『恩恵』を力の源とする《神のナイフ》だからこそ出来た技。

 

『驚かせてくれる・・・だが、それなら代わりを呼ぶまで』

「えっ!?」

 

 死霊王が四度杖を振る。再び現れたのは不定型な身長7mの巨人。

 ただし、今度はその全身が炎で構成されている。

 先ほどのアースエレメンタルと同じ地水火風の四大精霊の一つ、エルダー・ファイア・エレメンタル。

 

『その一撃、かなりの精神力を消費すると見た。何度放てるかな・・・』

「・・・・っ!」

 

 歯がみするベルが、ナイフを構え直した瞬間、上から更に別の声が降ってきた。

 

「よう、お待たせベルッち!」

「無事ですか、みなさん!」

 

 五人の赤外套たちとアスフィ・アル・アンドロメダ。

 敏捷度の低い者達をおいて先行してきたのだろう。

 死霊王が口元を歪める。

 

『ええい、全部叩き込め! 後を考えるな!』

「はっ!」

「何を・・・」

「いけねえ、よけろ!」

 

 吸血鬼達が手元に残ったロケットランチャーや手榴弾を手当たり次第発射し、投げつけ始める。

 シャーナ達は素早く避けるが、「それ」が何かわからないアスフィ達は一瞬反応が遅れた。

 

「アスフィさん!」

 

 爆発音。

 それでも咄嗟に飛びすさってかわしたが、ダメージは免れない。

 

「"しゅりゅうだん"と言う奴ですか。迂闊でしたね・・・」

 

 言いつつ、アスフィの柳眉は逆立っている。

 アイテムメイカーとして、プライドを痛く刺激されたらしかった。

 だがそれでも冷静さは失わない。

 戦場の奥にいるリューに目配せをすると、再びその手から閃光白煙弾を投じる。

 

「小賢しい!」

 

 今度こそ乱戦に突入する中、リューが消えた事に気付いた者は誰もいなかった。





吸血鬼達がG3突撃銃を使っているのは、それがギリシャ軍の制式小銃だからです。


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17-8 Open the GATE

 遅れていたレベル3以下の後続組が到着したことで更に戦いの激しさは度を増した。

 基本能力では吸血鬼の方が圧しているとはいえ、レベル3の冒険者達でも数人集まればレベル4の吸血鬼一人の相手くらいは出来る。

 互いに魔法が放てないぶん、戦いは消耗戦の度合いを増していった。

 

「ぐっ・・・!」

「下がれ! それ以上は危険だ! ポーションはねえんだぞ!」

「す、すまん・・・」

 

 味方が一人また一人と戦闘不能になっていく。相手は高速治癒を持つ吸血鬼、そして数は減ったが銃器もある。

 レベル3~4程度のモンスターとは言え、死霊王が途切れることなくエルダー・エレメンタルを召喚しているのも地味に大きい。

 ベルが新たに会得した魔力剣で気を吐くが、それにも限界はある。

 

「くそっ!」

「シャーナちゃん!」

「こっちくんな! 大丈夫だ!」

「う、うん・・・きゃあっ!」

「危ねえっ!」

 

 シャーナに気を取られたレーテーを、リドが辛うじてフォローする。

 彼ら三人のレベル5が残った主力である故、かかる圧も厳しい。

 

「ちっ!」

 

 大剣を大振りして間合いを取る。

 その隙につけ込もうとする一匹を赤外套の一人が牽制。

 そうした連携で辛うじてもたせてはいるが、問題は向こうも連携を取ってくることだ。

 高度に息のあった動きは、間違いなくその辺のモンスターが持つようなものではない。

 

「・・・これだから冒険者同士の戦いってな嫌なんだ」

 

 歴戦のシャーナをして愚痴をこぼすほどの激戦がそこにあった。

 

 

 

 半壊した警察署の入り口にイサミとリューの姿が現れたのは、そのようなときだった。

 

『あれじゃ! 撃て!』

 

 めざとくイサミを見つけた死霊王の命令で、控えていた吸血鬼が最後のロケットランチャーを発射するが、リューのファインプレイにより回避。

 

『ちっ、じゃが・・・』

 

 次の行動に移ろうとした死霊王の目前から冒険者達の姿が消えた。

 同時にその全員がイサミの周囲に姿を現す。

 

("再集結(リグループ)"じゃと? 一日一度こっきりの魔法をここで使うはずもなし、あやつもアーティファクトを持っておったか?)

 

 死霊王がそう考えた刹那、強化された"炎の泉(ファイアーブランド)"の火柱が残っていたエレメンタルを一掃し、吸血鬼達にも重傷を負わせる。

 更に続けて、彼本人を含めて生き残っていた吸血鬼全てを"力場の檻(フォースケージ)"が包んだ。

 

『なっ・・・何っ?!』

 

 "たとえミストラの使徒であろうとも、魔法を使えるのは一日一回"

 その大前提を崩されて、一瞬行動を忘れる死霊王。

 そこで詰みだった。

 

「"我願う! この一瞬太陽の光を!"」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?!」

 

 "力場の檻(フォースケージ)"に包まれて逃げることもならない吸血鬼達を、魔法で産み出されたものではない、地球の裏側から呼び出された本物の太陽の光が灼く。

 一瞬ゆえに滅ぼされるまでには至らないものの、吸血鬼にとっては致命的な弱点。

 死霊王本人には効かないものの、それ以外の吸血鬼達はもはや息も絶え絶え。

 

「さて、どうする死霊王。お望みなら俺は後何度だって魔法を放てるぜ。降伏するなら受け付けてやる」

『・・・わかった』

 

 がっくりと肩を落とす死霊王。

 イサミの胸で、イサミの首から下がった鎖の先――ゴンドラに乗った新婦のようなヘスティアが何故かえっへんと胸を張っていた。

 

 

 

 タネを明かせば、このヘスティアこそがイサミの魔術の素であった。

 ヘスティアがすっぽり入るような魔法の護符を作り、このヘスティアの分体と封印世界のヘスティアの本体とのリンクを利用し、

 僅かな――とは言っても、ミストラの秘儀を修めたイサミにとっては魔法を使うに十分な――マナを補給する事に成功していたのだ。

 にわかごしらえで耐久度に不安があったため、使用をギリギリまで控えてはいたが。

 

 むしろ吸血鬼達を人質に取るような形で降伏を迫って、死霊王がそれに応じるかどうかの方がイサミにとっては不安だったと言っていい。

 高位のアンデッドにとって、従える下僕は使い捨てのコマに過ぎないことも多いからだ。

 状況が状況としても、こうもあっさり行くとは思っていなかった。

 

「さて、じゃあ聞かせて貰おうか。何故こんな事をした?」

 

 イサミの問いに、死霊王は星の見えぬ空を見上げた。

 心なしか、その虚ろな眼窩が揺れているようにも見える。

 

『・・・帰りたかったからだ』

「帰りたかった? オラリオにか?」

『違う! 私の・・・私の生まれた場所にだ』

「・・・!」

 

 それはやはり、と問いただそうとしたとき、宙にまばゆい光が走った。

 

「な、なんだいこれは!? 君かイサミくん!?」

「違います、これは・・・!」

『これは次元移動・・・いや"次元門(ゲート)"か?!』

 

 緑色の光は一瞬で収まり、そこから何かが落ちてきた。

 それは空中で姿勢を制御し、駐車場の看板の上に軽やかに着地する。

 そして仁王立ちになり、腰に手を当て、大声で呼ばわった。

 

「ただのクリーチャーには興味がありません!

 この中に英雄、神格、異世界人、千年以上生きた何かがいたらあたしの所に来なさい!」

「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

 

 沈黙。

 痛いほどの沈黙。

 冒険者達が、ヘスティアが、死霊王が、吸血鬼達が。

 程度の差はあるものの、全員が胡乱な目で「それ」を見上げている。

 

「・・・あれ? わたし、ひょっとしてもの凄く空気読めてない?」

 

 栗色の長髪の女性、直前までの雰囲気をぶちこわしにした闖入者は、真顔でそんなことをのたまった。




申し上げておきますが、D&D3.5版においてSOS団は公式設定として存在します。

繰り返します。

D & D 公 式 設 定 と し て S O S 団 は 存 在 し ま す 。


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第十八話「次元界巡りツアー三泊四日プラン」
18-1 世界を大いに賞味する団


 

 

 

『ただの人間には興味ありません。

 この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上!』

 

 ―― 『涼宮ハルヒの憂鬱』 ――

 

 

 

 いきなり現れてトンチキな事を言いだし、周囲を停止させた謎の闖入者。

 いち早く再起動を果たしたのは、やはりイサミだった。

 前世で似たような事を言うヒロインの出てくるアニメを見ていたからかどうかはさだかではない。

 

「あー、取りあえず降りてこないか。今ちょっと立て込んでてな」

「あ、うん」

 

 闖入者は素直に頷いてぴょんと飛び降り、綺麗な身のこなしで着地する。

 その動き自体はかなり高度に訓練された見事なものだったが、明らかに技能と身体能力が一致していない――オラリオの冒険者としては。

 

 改めて闖入者を観察する。

 栗色の髪を長く伸ばした若い女だ。

 空色を基調とした衣装とマント、軽量堅牢な魔法銀(ミスラル)の胸当てに籠手とスネ当て、腰には片手半剣(バスタードソード)

 胸元には剣と太陽をあしらった盾の聖印。

 

("盾の乙女"マイアヘンの信者かな。だとしたら"グレイホーク"出身か)

 

 そんな事を考えつつ、あらためて話しかけようとしたイサミの機先を制するように女が自己紹介をする。

 

「はじめまして、フェリスよ。世界を大いに賞味する団(ソサエティ・オブ・センセーション)、略してSOS団のフェリス!」

「ヘスティア・ファミリア団長のイサミだ。とするとあれか、お前さん、"熱烈な好事家(アーデント・ディレッタント)"か」

「Yes, I am! この多元宇宙のありとあらゆる事を味わい尽くすのがSOS団のエリートたる私の目的よ! これが、ここが神々が封印した世界なのね! 素晴らしい! 素晴らしいわ! 今まで訪れたどんな次元世界とも違う!」

 

 ソサエティ・オブ・センセーション。直訳すれば「知覚協会」とでもなるだろうか。

 そこに所属するメンバーはおのれの個人的充足のためにあらゆる経験――楽しいものもそうでないものも――を追い求める。

 

(要するに次元を股に掛けた暇人の集団なわけだ)

 

 高位のメンバーが"熱烈な好事家(アーデント・ディレッタント)"などと呼ばれているのは伊達ではない。彼らは興味の赴くままにあらゆる事に手を出し、よく言えば広範な、悪く言えば無節操に雑多な技能や知識や能力を蓄えていく。

 たとえば生きる喜びを思い出させたり、犬の様に鼻が鋭くなったり、相手の呪文をコピーしたり。

 歌も歌えば罠も外し、水泳と精神集中が得意で、揃って博識。剣も振るえば秘術魔法も信仰魔法も使う(使いこなせるとは言ってない)。

 まあぶっちゃけ器用貧乏と言って差し支えあるまい。

 

「この世界のことを知って以来、来たくて来たくてしょうがなかったのよ!

 神々が丸ごと封印した世界! そこには一体、いかなる未知が私を待っているのかしら!」

 

 話している内にテンションが上がってきたのか、再び興奮状態で語り始めるフェリス。

 

「それはいいんだがお前さん、どうやって帰るつもりだ? この世界にはマナがほとんど存在しないんだぞ?」

 

 それをイサミが口にした瞬間、フェリスの表情が劇的に変化した。

 猫のような笑みを顔一面に浮かべ、ピンと指を立ててイサミを見上げる。

 

「ふふん、そりゃあもちろん考えてますとも。ねえ、知りたい? 知りたいでしょう! 

 でも教えて貰うにはちょーっとばかり親密度が足りないと思わない?」

「なんかマナを溜め込むマジックアイテムでも持ってるんだろ」

「う"っ」

 

 イサミにばっさり一刀両断されて、フェリスの顔が今度は酸っぱい木の実を口にした時のようなそれになる。

 

「まあ興味は無くもないがな。それがあればこの世界でも・・・」

「でしょでしょ!? いやあ、これ作ってもらうのに大枚はたいたんだから!

 あれだけのお金があれば、ギルドホールの感覚拡大槽(センス・エスカレーション・タンク)を何日貸し切れたか・・・」

「ちょいちょい君たちィ。今どういう状況か忘れてないだろうねえ?」

 

 不機嫌そうな紐神の声が、イサミを現実に引き戻す。

 はっと振り向けば、そこにはじとっとした視線を向けてくる冒険者達。

 なんとなく死霊王や吸血鬼達も似たような目つきをしている気がする。

 

「大変。大変興味深いお話ですがイサミ君。神ヘスティアのおっしゃるとおりです。

 取りあえずこの場を離れることこそ肝要かと」

「「アッハイ」」

 

 何かをこらえているようなアスフィの声と無表情。

 くいっと眼鏡を直すその仕草に、思わず姿勢を正すイサミとフェリスであった。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十八話「次元界巡りツアー三泊四日プラン」

 

 

 

 ともかく周囲を見回せば確かに煙も晴れており、見物人や警察官もこわごわとこちらの様子をうかがっている状況である。

 厄介ごとになる前にこの場を離脱しようと、"願い(ウィッシュ)"を起動しようとして掲げたその手が止まった。

 

「勇・・・勇なのかい?」

 

 半壊した警察署の正面入り口。

 そこに、警官に支えて貰いながら老女――前世でのイサミの母が立っていた。

 

「・・・っ」

 

 その声とイサミの表情で何かを察したのか、ベルが息を呑む。

 驚くほど静かな表情で、ゆっくりとイサミが振り向く。

 その顔からは、何も読み取れない。

 

「勇・・・」

「あなたの息子は死にました。ここにいるのは名前を騙るただの詐欺師ですよ。

 あなたが気にしなければいけない事は、何一つありません」

「でも・・・でもっ」

 

 老女の目に涙が浮かぶ。

 相変わらず静かな表情で、それでもイサミはやわらかく微笑んだ。

 

「それでは失礼致します――幾久しく、お健やかに」

 

 次の瞬間警察署前から彼らの姿が消え、すすり泣く老女を警察官があわてて支えた。

 

 

 

 ベルが気がつくと、そこは真っ暗な場所だった。

 

「明かりを持ってる奴は出してくれ。こっちで買った道具か、魔石灯なら多分つくから」

 

 その言葉と共に光が灯り、イサミの姿と部屋の中を浮かび上がらせた。

 続いて生まれたいくつかの明かりで周囲を見渡すと、かまぼこ形の大きな部屋だった。

 煉瓦造りで、中央には朽ちかけた木の机の残骸とおぼしきものがある。

 そこそこ広いが冒険者達30人と死霊王たち十数人が入るとかなりいっぱいいっぱいだ。

 

「・・・!」

 

 死霊王たちの姿を見た瞬間、ぎょっとする冒険者達。

 転移する時に置いていかれたのか、力場の檻(フォースケージ)にはもはや拘束されていない。

 思わず身構えた冒険者達を、死霊王が手を上げて制止する。

 

『降伏したからにはこちらからは何もせん。

 わしはともかく、こやつらは先ほどのように太陽の光を呼ばれれば、為すすべ無く滅ぶしかないからな』

「ご理解頂けて何よりですな」

 

 表情を見せずにイサミが頷く。

 再びはっとして、多くの者がイサミの顔を見上げた。

 

「イサミ君・・・その、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、アスフィさん。今はそんな事を考えてられる状況じゃありませんから。

 ベルもそんな顔するな。な?」

「うん・・・」

 

 くしゃくしゃっ、と頭を撫でられる。

 いつも安心するその感触にも、今日だけはベルの心は晴れなかった。

 

 

 

「ところでここはどこだ? 随分古そうだが」

 

 漆喰のはげたレンガ壁に目をやりつつ、意図的なものだろう、いつも通りの声音でシャーナがのんびりと尋ねる。

 

「あ、レーテーわかったよ! ここ"ひみつきち"ってやつでしょ!」

 

 どこから仕入れてきた知識なのか、レーテーが妙なことを言い出し、イサミが思わず苦笑を漏らした。

 ある意味ではまさにその通りだったからだ。

 

「え、本当にそうなのかい、イサミ君?」

「ええまあ。ここは昔の要塞――城なんです。普段は施錠されてますから、まず人は来ませんよ」

 

 神奈川県横須賀市猿島。

 明治時代に東京湾防衛のための要塞が建造され、かつて某国民的特撮番組の撮影において悪の組織の秘密基地として使用された場所である。




 ソサエティ・オブ・センセーションは本編で語ったとおりの団体で、多次元冒険サプリ「プラナーハンドブック(未訳)」出典です。
 3.0版の「次元界の書」の3.5版版みたいなサプリですね。

 略称が「SOS」で内容がこれなら、もう間違いなくハルヒパロだろうと思いまして、このようなことにw
 意外に思うかも知れませんが、この界隈でも結構日本のサブカルのパロは多いです。
 日本のほうでもロボットバトルものTRPGのサンプル機体なんてまーひどいことひどいことw
 なのでソサエティ・オブ・センセーションの元ネタは間違いなくSOS団! ゲドの魂を賭けるぜ!

 フェリスは「プラナーハンドブック」のサンプルキャラから名前と外見だけ借りてきました。
 この話ではファクトタム8/クレリック(マイアヘン)1/アーデント・ディレッタント6と設定。
 マンチキンを貫くなら、本編で言ってた通りザン・ヤイ(領域:知識、欺き、戦、素早さ)を信仰して戦の領域でアーデント・ディレッタントの前提条件を満たしつつ《知識への献身》を取らせて知力による戦闘力ブーストをさらにかけるところですが、キャラ的にはやりそうにないなあってことでマイアヘン信仰に。
 まああれです、マンチキンなプレイヤーはイサミ一人だけで十分ってことでw

 猿島は東京湾に浮かぶ無人島で、作中でも語った通り明治時代に要塞が作られました。
 元祖仮面ライダーでショッカーの秘密基地として使用されたことでも有名です。
 今は市立公園になっており、横須賀市から船が出ているので、割と簡単に行くことが出来ます(ちょっとお値段お高めですが)。


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18-2 死霊王

「それで・・・さて、何から話したもんかね」

 

 一息ついて気も多少紛れたのか、普段通りの調子に戻ってイサミが頭をボリボリとかいた。

 死霊王たちの処遇、フェリスの事情、これからの行動など話し合うべき事は山のようにある。

 僅かな沈黙の後口を開いたのはアスフィだった。

 

「そうですね。まず気になるのは吸血鬼の方々がこれで全部かどうか、ということですが」

『少なくともわしと共にこちらに来たのはこれで全てよ。

 ・・・ご丁寧に遺骸も運んでくれたようだが、これは蘇生をしても構わんということかな?』

 

 その言葉に、いくらかの冒険者が床を見る。

 確かに胴を両断されたものや首を落とされたものなど、いくつかの吸血鬼の死骸――元から死んでいるのだから死骸というのもなんだが――が転がっていた。

 肩をすくめる死霊王を見て嘘は言っていないと判断し、イサミが言葉を返す。

 

「そのへんはこれからの交渉次第ですね。そもそも何故俺達やロキファミリアを狙ったのか、リヴィラや18階層にいた冒険者を襲ったのか。まずはそれを教えて貰いましょうか」

『・・・なんだと? 知らんぞ、そんなことは』

 

 ざわ、と部屋の空気が揺らいだ。

 冒険者の中にはあからさまに怒りを見せるものもある。

 一方で死霊王や吸血鬼達も確かに戸惑いの色を見せていた。

 食ってかかろうとする仲間達を取りあえず押しとどめ、質問を変える。

 

「それじゃ、神様達や他のファミリアの人をさらったのは?」

『ディックス・・・わしのしもべの一人が連れてきた。実験材料にするからと言ってな――神であることに気付かなかったのは迂闊であったわ』

 

 迷宮の中ということでヘスティアは神気を抑えていた。

 そのため死霊王も一瞥したのみでは気付けなかったのだろう。

 

「そのディックスとやらは?」

『お前達が来る前に姿を消したわい』

 

 言葉が途切れる。

 イサミと死霊王が少しの間にらみ合うように視線を絡め、やがてイサミが溜息をついた。

 

「つまり、ハメられたということですか。俺も、あなたも」

『そうなるな』

 

 対照的に、死霊王は低い声で答える。

 声に込められた怒りの響きに、周囲の吸血鬼やレベルの低い冒険者達が身をすくませた。

 

「整理しましょうか。あの人造迷宮は迷宮の力を利用して次元の壁に穴を開ける魔法装置だ。

 で、ディックスとやらはあなたか俺達も邪魔になって一緒に片付ける算段を考えた。

 騒ぎを起こし、神様達をさらって俺達とあなた方をぶつけ合わせ、ゲドさんに"示唆(サジェスチョン)"呪文かなにかで暗示を掛け、人造迷宮を起動させた。

 結果、俺達はまとめて封印外世界に追放されてディックス氏万々歳というわけですな」

『然り』

 

 怒りの感情を収めないまま、言葉少なに死霊王が頷く。

 握った大魔術師の杖(スタッフ・オブ・マギ)が僅かに震える。

 感情の希薄な不死者がここまで内心を表に出すというのは、しもべに裏切られたのが余程腹に据えかねたらしくあった。

 

『そう言えばあの錫杖(ロッド)、お前が持っておるのじゃな? 破壊などはしておらんだろうな』

「それはもちろん。あんな芸術品、壊せるわけがないでしょう」

 

 肩をすくめたイサミが、桃色の宝石がはまった黒い錫杖(ロッド)をぱっと虚空から取り出した。

 ゲドが人造迷宮の魔法装置を起動させたあの錫杖である。

 何もないところから錫杖を取り出したイサミに、ベルが目を丸くする。

 

「えっ? い、今どうやったの? それも魔法なの?」

「こんなの魔法を使わなくたっていくらでも隠せるし取り出せるさ。何なら今度教えてやるぞ?」

 

 錫杖を手のひらの上でくるくる回転させながら、自慢するでもなく肩をすくめるイサミに、ベルの肩の上のヘスティアが溜息をつく。

 

「ほんと多芸な奴だなあ君は・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

「いやどう考えても魔術師の芸じゃねえよ」

 

 シャーナのツッコミは毎度のごとくスルーされた。

 

 

 

「よろしいでしょうか、イサミ様?」

「なんだ、リリ?」

 

 予想外の事実をぶつけられてざわつく冒険者達の中、リリが発言を求めた。

 

「おっしゃる事はわかります。ですがこの方々の言う事を信用なさるのですか?

 私たちが実験材料だと言われて、それを問題にされないような方々ですよ?」

「まあ言いたいことはわかるがな。少なくとも、俺達のぶつかり合いを画策した第三者がいたことは確かだ。ゲドさんに"示唆(サジェスチョン)"かけた何者かがな。

 そうでなかったら、見た事も無い魔道具のコマンドワードを唱えるなんて出来やしない」

 

 リリが黙り込む。イサミの正しさを認めつつも、感情的には割り切れないものもあるのだろう。

 それを見ていた死霊王が不意に口を開いた。

 

『何もわしらが善良だなどと言うつもりもない。わがしもべ達は血を吸わねば生きていけんしな。

 だがこのような状況ではわしらがお前達を利用し、お前達もわしらを利用せねばここで朽ちていくだけだ。

 ましてや今、わしらの生き死にはそこの魔術師の胸先三寸。このような些事で無駄なリスクを冒そうとは思わんわ』

「・・・わかりました」

 

 不承不承、と言った感じではあったが一応納得した様子を見せてリリは引き下がった。

 リリと、周囲の冒険者達の様子にちらりと目を走らせてからイサミは視線を死霊王に戻す。

 

「それで『帰りたかった』とおっしゃいましたが・・・やはりあなたはフェイルーン、あるいはトリルのご出身で?」

『然り。我が名はダイダロス。ミストラに仕える使徒にして、オラリオにて最初に神の《恩恵》を授かった一人よ』

「・・・!」

 

 イサミが目を見張る。ひょっとしてと思ったが、ここで伝説の名工の名前が出てくるとやはり衝撃も大きいらしい。

 

「え、ダイダロスってダイダロス通りの?」

「いや、確かそれを作った昔の名工だって・・・」

 

 ざわめく冒険者達には一瞥もくれず、死霊王ダイダロスはじっとイサミを見た。

 

『それより貴様は何者だ。てっきりわしと同じミストラに仕える身かと思えば、先ほどのやり取り。どういう事だ?』

「まあ、話せば長くなりますし、色々ありまして」

 

 本当に色々あるので適当に流そうとして、ふとイサミは死霊王の落ちくぼんだ眼窩が今までになく真剣な色をたたえているように思えた。

 

『・・・戻りたいとは、思わなんだか』

 

 僅かに沈黙。

 

「一度死んでいますから。たとえ前世の記憶があるとしても、大いなる転輪を経たこの身は上尾勇じゃない。イサミ・クラネルなんですよ」

『左様か』

 

 死霊王が短く呟く。

 この一瞬だけ、イサミは死霊王のむき出しの心に触れた気がした。

 

 

 

「まあ取りあえずダイダロス殿とその一党にはここを脱出するまでは協力して貰うこととして」

「では次はフェリスさんのことでしょうか」

「え、あたし?」

 

 いつの間にか取り出した干し肉(ジャーキー)をのんきにかじっていたフェリスがアスフィの言葉にびっくりした顔になる。

 

「そりゃそうだろう。場合によっちゃ、おまえさんの持ってるアイテムがこの世界を脱出する唯一の切り札になるんだからな。後気になる所と言えば・・・なんでおまえさんみたいなのがマイアヘンを信仰してるのかってところだが」

「気にするところそこ? いやもっとあるでしょ! こっちに来た動機とか、私のこれまでの生き様とか!」

「"熱烈な好事家(アーデント・ディレッタント)"って時点で物好きの暇人ってのはほぼ決定じゃねえか。 嗜好は多少違うだろうが、おまえら揃って面白い経験がしたくてあっちこっちほっつき歩いてる暇人だろ」

「ぐっ・・・」

 

 反論できないのか、フェリスがうーっ、と頬を膨らませて黙り込む。

 小さな女の子みたいだなあ、とベルは思ったが、口に出したら絶対に怒られるので自重した。彼も成長はするのである。

 

「それで、何故マイアヘンだ? お前さんみたいなのなら"地平の住人(ファラングン)"か"遠くさすらうもの(セレスティアン)"、そうでなきゃ"笑うローグ(オリダマラ)"あたりだろ?

 恋愛には関心無さそうだから"口づけされしもの(ミーリス)"はないだろうし、いっそ"狂える大魔道師(ザギグ)"あたりと言われりゃ納得するわ」

「好き放題言ってくれるわねえ・・・これでもマイアヘン様の僧侶(クレリック)だってのに」

 

 残っていた干し肉を口に放り込み、ムッツリ顔のフェリス。

 ちなみにそれぞれ旅の神、星の彼方を旅する神、盗賊と幸運の神、愛の女神、人間から成り上がったユーモアと魔術師の神である。

 ザギグは愉快犯的に性格が悪いことでも有名だ。

 

 一方"盾の乙女"マイアヘンは善なる太陽神ペイロアの眷属で、弱者を守る守護者の神である。 

 確かにこういう自由奔放な人間が好き好んで信仰する神ではない。

 

「まあいいわ。私がマイアヘン様を信仰している理由、それはもちろん・・・」

「それはもちろん?」

「かっこいいからよ!」

「・・・」

 

 思わず絶句したイサミのことをどう解釈したのか、フェリスは指を一本、ぴんと立てて得意げに話し続ける。

 

「マイアヘンの聖騎士(パラディン)ってあれよね、弱きを守り、邪悪をくじく正義の味方(ヒロイン)

 私は聖騎士の召命は受けなかったけど、超勇者(ファクトタム)たる私にふさわしい神だと思うのよ!

 強く! 優しく! かっこよく! そのために髪だって伸ばしたんだから!」

 

 ふぁさ、と髪をかきあげてポーズを取るフェリス。

 呆れた視線が集中するが、意にも介していない。

 

(こんなんでも僧侶(クレリック)として神の力を授けるあたり、神ってのもアバウトというかなんというか・・・)

 

 「神なんてみんないい加減なもんだよ」と言っていた己が主神と、オラリオで好き放題神生を謳歌していたろくでなしの神どもを思い出し、思わずこめかみをもむイサミである。

 まあ実際に神が奇跡の力を授けているあたり、こんなのでもマイアヘンが重んじる善性や高潔さ、弱者を守る心は備えているのであろう。

 

「やっぱロングソードよりバスタードソードよねー! ロングソードも悪くはないけどありふれすぎてるし、ひと味違った選ばれし勇者の武器って感じがひしひしとするわ! "盾の乙女"ばんざい!

 正直ザン・ヤイを信仰して《知識への献身》をしようかとも思ったけど、なんか私の趣味に合わなかったしね! やっぱ黄昏の女神なんて根暗よ! 人間ポジティブになった方が勝つの!」

 

 備えているはずである、たぶん。





 この辺ややこしいですが、トリルは惑星の名前、フェイルーンはその中の、冒険の主な舞台となる大陸の名前ですね。
 ちなみに世界全体を指す場合は「忘れられた世界(フォーゴトンレルム)」とも言います。

 同様にオアースは世界(惑星)の名前、フラネスはその中のオアリク大陸の中央地方、グレイホークはその中の最も栄えた中心的都市国家です。なので世界全体を指して「グレイホーク世界」とも言います。
 ややこしいですねw


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18-3 グレイホーク

「まあともかく、しばらく行動を共にして貰うって事でいいのかな」

「それはまあね。こーんな面白い一行、こっちから同行頼みたいし!」

「お前さんには負けるよ」

 

 肩をすくめるイサミだが、実際の所は似たようなものであろう。

 

「それでイサミくん。これからどうします?」

「そうですね・・・神様、やっぱり封印世界の次元障壁は、外から入るのも厳しいんですよね?」

「まあね。正直あれだけ大がかりな魔法装置とは言え人間の力で突破できたのが・・・いや、そうでもないのか」

「というと?」

「ああ、そう言えば話してなかったっけ? つまりだね・・・」

「いい加減脇道にそれるのはやめましょう。興味深い話ですが・・・興味深い話ですが!」

 

 先ほどからの度重なる脱線に知的好奇心より仕切り属性がまさったか、アスフィがヘスティアの話を遮る。

 ヘスティアもさっき脱線をとがめただけに、ばつが悪そうに笑ってごまかした。

 

「ああうんそうだね! 今はこれからどうするかを考えようじゃないか!」

「おっしゃる通りで・・・ダイダロス殿、一応確認しますが例の魔法装置は一方通行ですね?」

『本来は迷宮の力を循環加速させ、世界の壁を打ち破ってトリルまでの門を開くためのものだ。

 未完成であるのと、恐らくは力の蓄積が不十分であったゆえ、中途半端に次元の壁を破ってしまったがな・・・まああれでは足りぬとわかっただけでも収穫よ』

「確かに。貴重なデータが取れましたね。とはいえ強固なのは封印世界の障壁でしょうから、トリルの次元座標さえわかれば・・・」

「い・さ・み・く・ん?」

「スイマセンスイマセンスイマセン」

 

 コメツキバッタのようにヘコヘコと頭を下げるイサミ。

 何度注意されてもこうして脱線してしまうのだから、全面的にこっちが悪い。

 本来はアスフィも話に混ざりたいところを、我慢して仕切りに徹しているだけに尚更だ。

 

「まあ・・・となると手段としては二つだな。この世界から封印領域の障壁を抜くか、いったんこの世界の外に移動して、マナのある世界から改めて次元門なり何なり開くか、だ。

 たしかスタッフ・オブ・ザ・マギには"次元界転移(プレインシフト)"の力もあったと思いますが・・・」

『次元界を特定するための触媒がない――封印世界のそれならこの場ででも用意できようがな』

「ですよねー」

 

 次元界と次元界の間を渡るためにはいくつかの手段があるが、"次元界転移(プレインシフト)"の呪文で移動するには触媒として目標の次元界の物質で作った金属棒が必要になる。

 上位呪文の"次元門(ゲート)"ならどうにかなる可能性もあるが、それとて次元界同士の距離が離れている現状では難しい。

 更に言えばイサミは封印世界以外の次元界を知らないので、どうにかして他の次元界の座標を確定する必要がある。

 

 かといって、ここから直接封印世界――オラリオに帰るには、神々が作った障壁に穴を開ける必要がある。

 エルミンスターの口ぶりからして、恐らく肉体を持つものは魂だけの存在に比べて障壁をすり抜ける難度が格段に高いはずだ。

 

「肉体を持ったまま、この人数で神々の障壁を抜ける方法か・・・難易度高いなあ」

 

 悩む兄を見て、ベルも肩の上のミニ紐神に顔を向ける。

 

「神様。神様の力で何とかならないんですか? 神様もその、しょうへき?を作ってるんだったら、神様の作った部分に穴を開けるとか」

「うーん、難しいかなあ。できるかどうかわからないし、できたとしても障壁はとても高度なバランスを保って作ってるから、ボクの部分に穴を開けると、全部がおじゃんになりかねない。

 それこそゼウスとかオーディンみたいな器用で力もある神ならどうにかだけど・・・」

「そうですか・・・」

「いや、いい線いってるぞ。それで行こう、ベル」

「「え?」」

 

 弟と主神が揃ってきょとん、とする様を見て、イサミはくっくと含み笑いを漏らした。

 

 

 

 イサミのアイデアは何の事はない、神の力を借りて障壁を突破しようというものだった。

 ただしオラリオのではない。トリルないしオアース・・・つまりダイダロスやフェリスの出身世界の神々である。

 幸いフェリスがオアース(グレイホーク)から次元の海を渡ってやってきたばかりだ。次元界同士の距離が不安定とは言え、そうすぐに離れるものでもない。

 せっかく未知の世界に来たばかりなのにとむくれるフェリスをなだめすかし、彼女の持つオアースの次元座標を用いて、翌日マナを蓄えたイサミの"ゲート(次元門)"呪文により一行は更なる異世界――ロビラーやグラシアの来た世界でもある――に跳んだ。

 

 

 

「翼よあれがグレイホークの灯~♪」

「変な歌ねえ。それはともかくようこそグレイホークに! フラネスの宝石、オアースで最も繁栄している都市!」

 

 グレイホーク自由都市を見下ろす丘の上、一行たちはいた。

 大きく手を広げてグレイホークを紹介するフェリスに、だが一同の反応は微妙なものだった。

 

「なによー、ノリが悪いわね」

「つってもなあ・・・」

 

 グレイホーク市の人口は約七万。いわゆる中世レベルのファンタジー世界では文句なしの巨大都市であり、オアースの代名詞ともなるくらいの都市だ。

 が、同じD&Dの背景世界であるトリル(フォーゴトンレルム)最大の都市ウォーターディープは人口13万。同じくエベロンの最大都市シャーンは20万。オラリオに至っては50万を超える人口を擁する超超超巨大都市である。

 彼らから見れば、グレイホーク市と言えどもオラリオの一区画程度の大きさに過ぎない。

 

「50万!? 外方次元界じゃなくて物質界の都市で?! はー、そりゃ凄いわねえ」

「フラネスより広い範囲、大陸全土から人が集まってくるからな。封印世界に戻れたら案内してやるから、今は戻る手伝いを頼むよ」

「OKOK、まかせておきなさい! そーれ、黙って私について来い!」

 

 胸を叩くと、後ろも見ずに意気揚々と歩き出すフェリス。

 互いに顔を見合わせて苦笑すると、イサミ達も三々五々その後に続いた。

 

 ちなみに死霊王たちは"携帯穴(ポータブル・ホール)"に纏めて詰め込んである。

 呼吸が必要ないから中にずっと入っていても窒息しないし、太陽の光も届かない。

 というかそもそも冒険者の町でもあるグレイホークは基本的にかなり出入りが自由な場所ではあるが、さすがに死霊王だの吸血鬼だのを中に入れてくれるほど寛容ではないのもある。

 まあ広い次元界の中には、そうしたアンデッドどもが昼日中(?)から堂々と歩いてる都市もなくはないのだが。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 さすがに地元民、フェリスは数多くの人種、種族でごった返すグレイホークの街路をすいすいと泳いで行く。

 そうした国際都市だけに、雑多な様子の一行もさほど目立たない。

 時折一行の実力に気付いて目をみはる戦士や魔術師がいたりもするが、特にちょっかいを掛けられることもなかった。

 むしろオラリオともまた違う「ファンタジー世界の風景」に封印世界生まれの一行が目を見張ることも多い。

 

 

 

「何だ、あのでかいの? 口元に牙があるぞ!」

「鼻がそれっぽいし、こっちの猪の獣人でしょうか・・・?」

「ありゃハーフオークだな。向こうのオークと違って、こっちのは人型種族の一種なんだ。まあ悪属性が多いからしょっちゅう戦争はしてるが、殺すしかない相手ってわけじゃない」

「えええ・・・」

 

 

 

「え? あの一団ひょっとしてノームですか!? あんなに沢山いるのは初めて見ましたよイサミ様!」

「ああ、ノームもこっちでは精霊じゃなくて人型種族の一員でな。タチの悪い冗談が大好きな連中だから気を付けろよ」

「そ、そうなんですか」

 

 

 

「あれってひょっとして『じいん』ってやつー?」

「神が地上に降りてくる前はそう言うのもあったらしいなあ」

「そういやうちのファミリアのホームも寺院だったんだよなあ」

「言われてみればそうだな。あれは・・・武勇と名誉の神ハイローニアスの神殿だな。戦士とかパラディン・・・聖なる戦士が帰依していることが多い」

「聖なる、ねえ・・・」

「なんだよ! 神が聖なる者であって悪いか! それに仕える存在だって聖なる戦士だろ!」

「か、神様」

「あんまり大声でそういう事を言うなよ? こっちでは神はオラリオにいるようなろくでなしの集団じゃなくて、空の上から恵みを与えてくれるありがたーい存在なんだ。

 神から力を授かる"僧侶(クレリック)"なんて存在はオラリオにはいないが、この世界で癒しの力を持ってるのは大体僧侶だし、信者の悩みを聞いたり問題を解決してくれたりするのも僧侶だ」

「よくわかんねえなあ。ファミリアと何か違うわけ?」

「もの凄く大雑把に言えば似たようなものではあるが・・・あれだ、僧侶や信者の前で神様を軽んじる発言をするのは・・・」

「するのは?」

「フレイヤ・ファミリアの前で女神フレイヤを侮辱するのと同じだと思え」

「OK、とてもよくわかった」

 

 

 

「この辺は一般向けの区画か。冒険者向けの区画はどこらへんだ?」

「ないよ、んなもん。あんなでかい迷宮、こっちの世界には――まあ、滅多には――ない」

「ないのかよ・・・」

「そもそもモンスターを生成したりはしないからな。住み着いたモンスターを倒したらそれで終わり、ただの空の洞窟だ。

 そうだな、こっちの世界の冒険者ってのは、ダンジョン探索もするけど基本的にはギルドの冒険者依頼(クエスト)みたいな依頼をこなすことで生計を立ててる何でも屋、トラブルシューターなのさ。

 隊商の護衛、金持ちのペットの捜索から犯罪捜査の手伝い、ドラゴンの討伐までそれこそピンキリだけどな」

「うーむ」

 

 

 

 大路地から曲がりくねった裏路地に入り三十分ほど歩いた後、一行はそれほど大きくはないが瀟洒な邸宅の前に出た。

 が、魔術師であるイサミの目には見かけとは違うものが映っている。

 塀の上に仕掛けられた警報の結界、門の奥に見える庭や玄関に続く石畳の上にいくつも仕掛けられた魔術的トラップ。

 明らかに、かなり高位の魔術師の邸宅だ。

 フェリスが無造作に呼び鈴を鳴らす。

 

「ここは?」

「"八者の円(サークル・エイト)"ってわかる? その一員、ジャラージ・サラヴァリアンの家よ」

「女魔術師ジャラージか!」

 

 "八者の円(サークル・エイト)"とは、オアース世界における均衡を守り、世界を維持することを目的とする秘密結社である。

 エルミンスターによれば、その首魁たるモルデンカイネンもオラリオの封印世界の事を知っている人間の一人だ。

 確かにコンタクトを取るには最適の人選と言えた。

 

「しかし凄いな。ジャラージとコネがあったとは」

「コネ? そんなもの無いわよ。会ったこともないわ」

「おい!?」

 

 顔色を変えたイサミだったが、玄関口から召使いとおぼしき人間――もっとも、見た目通り人間とは限らないが――が出てきたので慌てて口を閉じた。

 

「どちらさまでしょう」

「ウィムのフェリス。"SOS団(ソサエティ・オブ・センセーション)"のアーデント・ディレッタントよ。ジャラージ女史に取り次いでちょうだい」

「お約束は?」

「ないわね」

「では申し訳ありませんが・・・」

 

 紋切り型の文句で門前払いをしようとした召使いの言葉が止まった。

 フェリスが右手でゆっくりと胸の前を払い、手のひらを相手に向けてから裏返し、指を素早く小指から折りたたんでまたぱっと開く。

 同様の良くわからない仕草を数回すると、召使いが恭しくお辞儀をした。

 

「少々お待ちください。主人に取り次いで参ります」

「よろしくねー」

 

 相変わらずの軽い調子でひらひら手を振るフェリス。

 召使いが玄関の扉の中に消えると、一同の視線がフェリスに集まった。

 代表してイサミが口を開く。

 

「・・・一体何をしたんだ?」

「コネも面識もないけどね、手練手管ってものがあるのよ」

「何かの符丁か?」

「ま、そんなとこ」

 

 けらけら笑うフェリス。

 詳しく説明する気はないらしいが、ともあれ彼女のおかげで最初のステップはクリア出来たようだった。



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18-4 大魔術師モルデンカイネン

 実に珍しいことに、大魔術師モルデンカイネンは――表情には出さないが――困惑していた。

 彼の同志たる秘密結社"八者の円(サークル・エイト)"の一人、女魔術師ジャラージを通じて接触してきた一団が余りにも異様だったからだ。

 とは言え封印世界の迷宮都市という、この世界でもごくごく限られた存在しか知らないキーワードを出されては門前払いというわけにも行かない。

 

(それにしても)

 

 と、改めて一団の代表者達を見渡しモルデンカイネンは思う。

 内包する魔力からして伝説級(エピック)に達したと思わしき巨漢の魔術師。彼が一行の事実上のリーダーらしい。事実上の、というのは白髪の少年の肩に乗った神格の分体(アスペクト)がこの中では最高位のようだからだ。

 

 同じく伝説級(エピック)に達した死霊王(リッチ)

 別室で控えている一団の残りにも、眷属であろう吸血鬼が相当数いる。

 彼ら以外の面々も、純魔術師の彼が一見してわかるほどのつわもの揃いだ。

 かつて数々の冒険を共にした黒い戦士を思い出す。

 

(レアリーの元からも離反して、今はどうしているやら)

 

 ほんの一瞬そんな感慨に思いを馳せて、モルデンカイネンは意識を目の前の一行に戻した。

 

 

 

(見られている)

 

 モルデンカイネンの視線を感じ、イサミがわずかに身を固くする。

 伝説の魔術師とは言え、今のイサミも伝説級(エピック)に達した冒険者。実力的にさほど引けは取らないはずだ。

 取らないはずだが・・・相手は「あの」モルデンカイネンだ。

 

 D&Dの作者であるゲイリー・ガイギャックス自身が創造したキャラクターであり、D&D草創期からこの世界の根幹を成す重要人物。

 世界の維持のために善悪の天秤を揺らし続け、人の身でありながらその知略で神や魔王とも渡り合う、オアース世界最大の黒幕(フィクサー)の一人。

 数値やデータでは決して計れない力の持ち主だ。

 

 一対一で戦うなら、あるいはイサミに勝機も――『恩恵』込みならそれなりに高い確率で――あるだろう。

 だが善の至高たる太陽神と死を司る大邪神の双方にしれっと顔を繋いでいてもおかしくないような人物が、個人の戦闘力だけで推し量れるはずがないのだ。

 個人の戦力が時に一国のそれを凌ぐ世界ではあるが、だからといって腕っ節だけでどうにかなるような甘い場所でもない。

 

 余談ながらオアースにおいて死を司る神ネルルは文句のつけようのない邪神であるが、別世界トリルにおける死の神ケレンヴォーは厳正中立なる生死の秩序を守る神である。

 魂の転輪するD&D世界においては死と転生も世界の秩序の一部であり、善悪正邪で区分けできるようなものではないということだ。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 イサミの様子を見て取ったのか、モルデンカイネンが手を上げる。

 

「そう警戒するな。私の評判を聞いているのだろうが、この件に関しては全面的に君たちの味方だ――タリズダンは決して、そう決して私と相容れる事の無い存在だからな」

「ええまあそれはわかってはいるんですが」

 

 頭をかきながらも、イサミがさほど気をゆるめた様子はない。

 目の前の人物は善なる勢力の最強の味方であると同時に邪悪と混沌の最悪の友でもあるのだから。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 一方で死霊王ダイダロスは無言。

 モルデンカイネンの評判を知らないからというのもあるだろう。

 そして同じくモルデンカイネンのことを知らない紐神が、無造作に口を開いた。

 

「それでモルデンカイネン君。ボクたちをオラリオ――封印世界へ戻す手立てはあるかな?」

「神ヘスティアでしたな。まずは我が守護神ボカブに謁見を賜ってみることにしましょう。

 かの方はオアースの魔法と叡智そのものと言ってもいい神格。

 腰の重いお方ですが、さすがにタリズダンが復活するとなれば放置は致しますまい」

 

 ボカブ。

 "神々の大魔道士"などとも呼ばれる、魔法を司る大神である。

 善悪や秩序混沌に囚われない絶対のバランスを重んじる神であり、モルデンカイネンが世界の天秤を揺らし続けるのも彼の教えに沿うところが大きい。

 普段は「無頓着」とあだ名されるほど外界のことに干渉しないが、タリズダンのために世界から魔法が消えるかも知れないという危惧を抱いていたゆえに、過去の大戦では神々の連合軍をまとめるべく積極的に動いていたのだとモルデンカイネンは言った。

 

「恐らくボカブ様は動かれるでしょう。そこからは他の神々がどれほど食いつくか、ということになります。

 ただそちらのイサミ殿はおわかりでしょうが、我が守護神は俗世と遠いお方。やや時間はかかるやもしれません。こちらでも動いてはみますが・・・」

「待つしかないか・・・歯がゆいね」

「いかさまさようで。ただ、神々を説得するのに従者の方々共々お出ましを願うことはあるでしょう」

「うん、そうだね。ボク達も出来る限りの協力はするよ」

「かたじけなく」

 

 モルデンカイネンが一礼する。

 

「それでは早速連絡を取ってみます。動きがあるまではどうぞこの塔にご滞在下さい」

「ありがとうございます、モルデンカイネン殿。ところで、今ロビラー卿がどこにいるかご存じですか?」

 

 主に代わって礼を述べるイサミ。

 だがその後の言に、はてとモルデンカイネンは首をかしげる。

 まさか封印世界の客人の口からその名前が出てくるとは思わなかった。

 

「オラリオ・・・封印世界でそう名乗る人物と出会いました――敵として」

「・・・・!」

 

 目を見張る。

 イサミが浮かび上がらせた幻像の人物は、まぎれもない、モルデンカイネンが知るロビラーだったからだ。

 

「封印世界で会ったと言うのはまちがいないのかね」

「ええ。恐るべき実力の持ち主です。封印世界の冒険者で最強のものでも、一対一では分が悪い。エルミンスター師にその旨伝言を頼んだのですが、届いてませんか」

「いや。このところトリルとは遠ざかっていたからな・・・」

 

 もう一度、幻像のロビラーを凝視する。

 単なる幻像であっても、そこには術者の力量次第で解像度や再現度の差が如実に存在する。

 目の前の青年の技量はモルデンカイネンをして驚くべきもので、細部に至るまで実に精細に彼の戦士の面立ちを再現している。

 

(若返っているか? 私と袂を分かってからもう十年、何らかの手段で若さを保っているにしてもやや若すぎる気がする)

 

「確かにロビラーに見える。レアリーの所を飛び出して以来、私も奴の居場所はつかめていない。いずこかの次元界を放浪しているのだろうと思っていたが・・・」

魔王(アークデヴィル)グラシアの分体も共にいました。レアリーや、九層地獄(ナイン・ヘル)の勢力の差し金と言うことは?」

 

 再びイサミが浮かび上がらせた幻像に、またしても目を見開くモルデンカイネン。

 

「・・・それでかなり前提条件が変わるな。前の戦いの時は九層地獄(ナイン・ヘル)すら、アスモデウスのもとに一丸となってタリズダンと戦った。

 だからこの件に関してだけは何ら陰謀を企むことはない・・・とは言えん」

「アスモデウスですからね・・・ですが、あなたが動けばどのみちアスモデウスの耳にも入るでしょう。ここはシラを切って協力を要請するのがいいのでは?」

「そうだな・・・いや、そうするしかないか」

 

 僅かに苦々しさをにじませてモルデンカイネンが頷く。

 アスモデウスは秩序の悪魔デヴィルの本拠地である九層地獄(ナイン・ヘル)の支配者、即ち全デヴィルの頂点に立つ存在だ。

 魔王を越えた魔王と呼ぶ者もあれば、悪そのものを司る神だというものもいる。

 アスモデウス本人がそのことについて語る事はない。

 アスモデウスはアスモデウス。神々すら越える唯一無二の存在なのだと、そううそぶくばかりだ。

 

 

 

 驚くべきか、それとも当然のことか、ボカブとの謁見はその翌日すぐだった。

 モルデンカイネンの"次元門(ゲート)"呪文でイサミ達が足を踏み出した先は数多の次元界の交錯点にして中心点、大いなる転輪の車軸たる次元界アウトランズ。

 大地から垂直に数キロも突き出した塔のごとき岩山、大神ボカブの本拠地である"伝承図書館"のふもとだ。

 

(スリランカのシーギリヤ・ロックだっけ? あれみたいだよなあ)

 

 ボカブの図書館に続く岩山のふもとに広がる、森の中の広場。

 イサミと(ヘスティアの足として付いてきた)ベルを促し、モルデンカイネンが岩山に刻まれた階段に向かって歩き始めた。

 なおフェリスが行きたい行きたいとだだをこねたが、許可が下りずにぶーたれた事を記しておく。

 

 

 

(小さくなってて良かったかもしれない)

 

 相変わらずベルの肩の上にちょこんと座りながら、ヘスティアはしみじみと呟いた。

 階段があるとは言え、実質富士山をふもとから頂上まで登るようなものだ。

 普段通りのサイズだったら、間違いなく一合目にすら届かずへばったことだろう。

 

(・・・いや、違うだろボク! 普段通りのサイズならベルくんにおんぶして貰えたはずだ!

 ちくしょう、こんな千載一遇のチャンスを逃すなんて!)

 

「なんですか、神様?」

「い、いや、なんでもないよ! なんでもないからな!」

「は、はあ」

 

 騒ぐ紐神とベルに、先を行く二人が胡乱そうな顔で振り向く。

 モルデンカイネンはともかく、イサミが「ああ」と納得顔なのがむかついた。

 

「本当にどうしたんですか神様?」

「いやその・・・ほら、あれだよ。ボカブもなんでこんな高いところにねぐらを作ったのかなって!

 というか、えっちらおっちら昇るんじゃなくて、転移の呪文とかで一気にぱーっと行けないのかい?」

「伝承図書館の周囲ではボカブ様により転移は禁じられておりますし、飛行でも階段を通らずに頂上まで行くことはできません。

 全次元界の叡智を集めた場所であるだけに、やむを得ないことでしょう」

 

 律儀に答えるのはモルデンカイネン。

 飛行の呪文を使い、地面から僅かに浮いて階段を進んでいる。

 彼も魔術師としては極めてたくましい肉体をしているが、それでもイサミ達のように【恩恵】を持たない身でここを自力で昇るのはきついのだろう。

 

「ふーん。まあそういうものかな」

 

 壁のくぼみに無言で控える土の巨人を見上げながらヘスティアが気のない相槌を打つ。

 地球でベル達も戦ったエルダー・アース・エレメンタルだ。岩山の表面に刻まれた階段には、一定間隔を置いて地水火風のエルダー・エレメンタルが無数に配置されていた。

 

「じゃあこいつらも番人みたいなものなわけか」

「御意。そもそも伝承図書館にはボカブ様の許可がなければ入れませんが、それでも力づくで侵入しようとする者はまれにおりますので」

「・・・できれば時間がたっぷりある時に来たかったなあ」

 

 溜息をつくのはイサミだ。

 モルデンカイネンが「全次元界の叡智を集めた」と称するのは伊達ではない。

 ここには本当に全次元界の知識が集められているのだ。

 誰かが故意に、そしてよほど巧妙に隠そうとでもしていない限り、この図書館でわからないことはない。

 モルデンカイネンが、今度は苦笑しながらイサミの方に顔を向ける。

 

「気持ちはわかるよ。私も初めてここに来た時は心が浮き立ったものだ」

「図書館もそうですが、ここにはありとあらゆるマジックアイテムの複製が収められているというじゃないですか。

 眺めるだけで一月でも二月でも潰せますよ」

「それもあったな。だがあそこは特にボカブ様の許可が無くては入れないからな。まあ今回は諦めたまえ」

 

 苦笑の度合いを深くするモルデンカイネンに、イサミはいっそう大きな溜息をつくことで答えた。




 ちなみにモルデンカイネンへの紹介者がジャラージなのは、「八者の円(サークル・エイト)」のなかで数少ない定住者だからです。


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18-5 神々の大魔道士

 美しいが幾何学的で無機質さを感じさせる、静寂に満ちた大広間。

 その玉座に魔術と知識の大神ボカブは座していた。

 威厳のある顔立ちに長い白髪、同じく長く白いひげ。ゆったりした紫のローブに杖。世の人間が「賢者」とか「魔術師」と言われて思い浮かべる典型のような風貌だが、ただの魔術師ではないことは一目瞭然だ。

 

 杖の先端には"ボカブの五角形"――中央に目をあしらった、やや平べったい五角形の聖印が輝いている。

 これこそ"ボカブの杖"、多元宇宙で初めて産み出された、"大魔術師の杖(スタッフ・オブ・マギ)"のオリジナルなのだという。

 劣化コピーですらアーティファクトの域にある魔杖。文字通りの神器である。

 

 玉座の前に進み出て片膝をついた三人に、ボカブが声を掛ける。

 

「立つがよい。・・・久しいな、優しき炉の女神よ。息災であったか」

「えっ?」

 

 思わずすっとんきょうな声が出た。

 目を丸くしたヘスティアが驚いた声で問い返す。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。ボカブ、君ボクのこと覚えてるのかい?」

「無論だ」

 

 こともなげに頷く魔術と知識の大神。

 かつての戦いのおりには、地球――封印世界だけでも数百を数える神々がつどい、タリズダンに戦いを挑んだ。

 あまたの次元世界から集まった神々や魔王を合わせれば、その桁は二つ増える。

 ヘスティアは地球の神々のその他大勢だったし、ヘスティアにしてもボカブのことなどまったく覚えてはいなかった。

 言葉を重ねようとしたヘスティアから関心を失ったかのように視線を外し、ボカブはモルデンカイネンに説明を促す。

 

「はい、おおむねは先だってお伝えした通りですが・・・詳しいことはこちらの者からお聞きください」

 

 モルデンカイネンが自分を指すのに合わせ、恭しく一礼するイサミ。

 ボカブが頷いた。

 

「では話すが良い」

「かしこまりました、"神々の大魔道士"よ」

 

 もう一度、仰々しいほどに丁寧なお辞儀をしてからイサミは語り始めた。

 

 

 

 イサミが怪物達の跳梁跋扈やダンジョンの事々を語り終えると、僅かな間を置いてボカブがふたたび頷いた。

 

「よかろう。確かにタリズダン復活の時が近いと考えるだけの根拠はある。

 なれば我らも再び動かねばなるまい」

「・・・!」

 

 その言葉に目を見張ったのはモルデンカイネンだ。

 彼は自分の守護神が、どれだけ腰の重い神かよく知っている。

 

「それほどに状況は切羽詰まっておりますので?」

「その可能性は高いと言わざるをえんな」

 

 一方でやや首をかしげているのはイサミ。

 なおベルは緊張と理解が追いつかないのとで、ほぼ置物になっている。

 

「よろしいでしょうか、"神々の大魔道士"よ。怪人たちや緑の胎児の存在だけでそこまではっきりとわかるものなのでしょうか?」

 

 その問いにボカブはかえって意外そうな顔になり、ヘスティアの顔を見た。

 一瞬きょとんとしたヘスティアだったが、すぐに得心した顔になる。

 

「そうか、君たちには教えていなかったね。タリズダンを封印するために封印世界が作られたって言ったろう?

 それじゃタリズダンはどこに封印されていると思う?」

「・・・ダンジョンの奥底、とかでしょうか?」

 

 うすうす思っていた事を口に出すイサミ。

 いっひっひ、とこの神にしては珍しい、いたずらっぽい表情でヘスティアが笑った。

 

「惜しい、もうちょっと足りないね。いいかい、タリズダンは神ではなく別の形に変えられてこの世界に封印されたんだ。

 君たちがよーく知っているものにね」

「・・・・・・・・・!」

 

 正解に思い至ったのか、イサミが目を見張った。

 

「そうさ。世界で唯一オラリオにだけあるダンジョン。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「え・・・ええええええええええ!?」

 

 ベルの口から驚愕の絶叫が漏れる。

 衝撃の事実に一瞬固まったイサミが、その声で再起動した。

 

「そうか、魔法的なエネルギーである魔石や生物であるモンスターを無数に作り出し産み出すダンジョン、その力の元は何かとずっと不思議に思っていたが・・・タリズダンの神格としての力だったのか!それならばダンジョンが再生するのも全く不思議ではないし様々なモンスターや物品を産み出すのも不思議ではないつまりモンスターとは本質的にタリズダンの使徒であり、地上に侵攻しようとするのは封印を破ろうとするタリズダンの意志の現れだったわけだダンジョンの中に天然の武器庫があったりモンスターたちを養う機構が存在していることもそれなら不思議ではないなにせ意図してそうした存在として産み出しているんだからなリド達については本来ゴーレムと大差ない単なるOSであったモンスターの魂が使い回しで魂の経験を積むうちに自意識を獲得したと見るべきか・・・」

 

 ブツブツと早口でまくし立てるイサミにベルとモルデンカイネンは苦笑して、ボカブは無関心に、そしてヘスティアは胡乱な視線を向ける。

 

「ベルくん、なんだいこりゃ?」

「ああ・・・時々こうなるんです。しばらく放っておいたら直りますから」

「魔術師や賢者にはたまにいるタイプです。特に害があるわけでもないのでご寛恕ください」

 

 さすがに付き合いが長いベルは慣れたもので、モルデンカイネンも似たようなのを何人も知っているだけに悠然としている。

 ヘスティアが半目で見やる間にも、発音が思考に追いつかないのか、聞き取るのも苦労するような早口でイサミは言葉を紡ぎ続ける。

 高速詠唱技術の完全な無駄遣いだ。

 

「迷宮の中の様々な空間に関してはタリズダンの内面インナースペースが形になったものと考えるのが妥当だろうかだが異質に過ぎる彼方の存在にしてエントロピーの神にしては迷宮の楽園や闘技場など見慣れた景色がありすぎる封印や封印した神々の意識など様々な物に影響されたと考えた方が良いかもしれないそういえばダイダロス殿の人造迷宮で次元障壁を突破できたのもそのエネルギー源が迷宮の力即ちタリズダンの神力であったと考えるとうなずける待てよ迷宮から産出される様々な存在は全てタリズダンの神力を用いて作られたもののはずつまりそれを奪ってダンジョンの外に持ち出す冒険者たちの活動はタリズダンのエネルギーを削いでいるとも考えられるわけで千年前に復活の徴候があったことやそのタイミングで神々が降りて来てオラリオと冒険者という職業が生まれた事を考えると・・・」

 

 ベルが娼館から朝帰りでもしたら見せそうな表情のまま、ヘスティアの首がぐりん、とモルデンカイネンの方に向いた。

 

「なあ、モルデンカイネン君。電撃の呪文とか使えないかい? この妙ちくりんな全自動たわごと垂れ流し機に叩き込んでやったら動作が正常に戻るんじゃないかと思うんだが」

 

 半分くらい本気でのたまうヘスティアに、このオアースに知らぬ者とてない大魔術師は更に苦笑を深めるのだった。

 

 

 

 ボカブとの会見を終えての帰り道(結局焦ったベルが体を揺らすことでイサミは正気に戻った)。

 再び高さ数キロの階段を下りていく途中で、不意にヘスティアがイサミの方を見る。

 先ほどのようなじとっとした目で。

 

「・・・なんでしょう?」

「何か引っかかってたんだけどね。君、何でボカブに対してはあそこまで恭しい態度なんだい?

 主神たるボクにはめちゃくちゃぞんざいなくせに!」

 

 ああ、と頷いたイサミが無造作に答えた。

 

「そりゃボカブ様が敬うに値する存在だからに決まっているじゃあないですか」

「ボクには敬う価値がないっていうのかーっ!」

 

 うにょうにょと文字通り怒髪天を突くヘスティアに、ベルが慌ててフォローを入れる。

 

「そ、そうだよ兄さん! 神様は神様なんだから敬わないとだめじゃないか!」

「そうだベルくん! この不敬者にもっと言ってやれ! ボクがいかに敬うべき存在であるか!」

「ええとその・・・あの・・・神様だから!」

「ベルくぅーん!?」

 

 ベルは基本素朴な田舎者であり、神は敬うべきと言う人間だが・・・それでもヘスティアの敬うべき点を上げるのは難しかったらしい。

 調子に乗っていたヘスティアが、一転してムンクの『叫び』のような顔になる。

 

「俺は魔術師ですから魔術の神となったら敬わないわけにはいきませんし・・・神様の場合は親しみやすすぎるのがまずいんじゃないですかねえ。まあ威厳とかなくても、誰にでも愛されるのはいいことだと思いますよ」

「ほめるふりしてさらっとディスってるなよ君は!」

 

 うがー、と吼え猛る紐神ではあるが、なにぶん1/10サイズなので髪でぺしぺしひっぱたくことすらできず、地団駄(ベルの肩)を踏むばかりである。

 

「・・・・・・」

「あは、はははははは・・・」

 

 もはや呆れ顔を隠しもしなくなったモルデンカイネンに対し、ベルはこわばった愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 




 シーギリヤ・ロックはスリランカの世界遺産。
 昔の王様が作らせた、直方体の巨大岩の上に立つ空中宮殿です。
 もうね、ホントにジャングルからにょきっと岩山が突き出してるのw

 https://news.arukikata.co.jp/file_img/18020611374150066.5.jpg

 原作のイラストで一番お気に入りなのは第七巻第三章の扉絵(あれです、ベルくんの朝帰り直後のヘスティア)。
 マナのない封印外世界でも魔石灯が使えるのは、それがマナではなく魔石という、神の力を使った道具だからですね。


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18-6 死の国の大魔王

 属性、という概念がある。

 善と悪、あるいは秩序と混沌。

 地球においては「いい人」とか「気まぐれな人」程度の性格の傾向に過ぎないが、D&D世界において属性とは()()()()である。

 善であると言うこと、悪であると言うことそれ自体に力が宿るのだ。

 火龍が火の属性を帯びるように聖騎士は善なる属性を帯びる。モンクやサムライは秩序の属性を帯び、蛮族戦士(バーバリアン)吟遊詩人(バード)はしばしば混沌の属性を帯びる。

 

 それでも人間が住む物質界においては個人の問題に過ぎないのだが、神々が住む外方次元界――いわゆる神界や魔界と呼ばれるような世界だ――ではこれが問題になってくる。

 物質界やボカブのいた"属性入り乱れる異境"アウトランズは属性を持たない中立の世界であるが、例えば混沌の悪魔であるデーモンの故郷、奈落界アビスは悪と混沌の属性を持つし、"究極なる善の次元"と称される祝福の野エリュシオンは極めて重度の善属性を持つ、と言った具合だ。

 世界そのものが属性を帯びているため、その属性を持たない中立の者はそれなりに、相反する属性を持つものはかなりの圧を世界そのものから受ける。火の属性を持つものが氷の世界でダメージを受けるように、世界そのものからの反発を受けるのだ。

 

 たとえばイサミは「真なる中立(中立にして中立)」であり、ベルとヘスティアは「中立にして善」であるので、アビスではイサミは心持ち程度の、ベルとヘスティアはそれなりの圧を受ける。

 一方でエリュシオンにおいては、ベルとヘスティアは全く何も感じないが、イサミはそれなりの圧力を受けることになる。

 反発が肉体的なダメージではなく、精神的なプレッシャーであることだけが救いだろうか。

 

「い、一体これのどこが精神的なプレッシャーだって言うんだい・・・!?」

「これは世界の圧力じゃなく、"あいつ"の圧でしょうねえ・・・一応"次元適応形態(アチューン・フォーム)"の呪文は掛けてありますし」

「か、神様しっかり!」

「見た感じ、ダメージじゃなくて筋力を吸われているだけだ。動けなくはなるが死ぬことはないだろう」

「くそう、冷静だな君は・・・」

 

 ベルの手の上でぐったりしながらぼやくヘスティア。

 ぼやけるなら大丈夫だろうと、イサミは彼女から視線を外して正面を見る。

 

 ――邪悪の化身が、そこにいた。

 無数の骨を継ぎ合わせて作ったその玉座から立ち上がれば、身長は5m近くにもなるだろうか。

 牙の生えた獣の顔、山羊のようにねじくれた長い角、屈強な人型の体躯、山羊の蹄を持った足。

 背中には蝙蝠のような翼があり、先端の尖った尻尾がうねっている。

 

 見た百人が百人とも「悪魔」と表現するであろうそれこそは不死者の王、死の王国タナトスの支配者、《奈落》の魔王(デーモンロード)たちのうちでも三本の指に入る存在――あえて陳腐な表現をするならば、文字通りの大魔王。

 かつて神であったもの、死の秘密を握るデーモンロード、オルクス。

 

 謁見の大広間には邪悪と混沌が満ち、グールキングやロードヴァンパイア、リッチと言った強力なアンデッド、さらには魔族の将軍であるバロールなどが控えている。

 玉座の周囲には無数の影がたゆたい、その前に控えるイサミ達を闇の舌のようにちろちろと舐めている。

 さらにはオルクスのプレッシャーが物理的に作用しているのか、それともそう言う仕掛けか、玉座の周囲では体の重さが数倍にも感じられる。

 

 つまり、オルクスに謁見する者は影に筋力を奪われ、やがて力尽きて床に這いつくばるしかなくなるのだ。

 オルクスに対して服従の意志を示すかのように。

 

(・・・モルデンカイネンが「腕利きだけを連れてこい」と言った意味はこれか)

 

 今この場にいるのはモルデンカイネンとイサミ、シャーナ、レーテー、フェリス。椿、ティオナ、リド。死霊王ダイダロスと三人の従者たち。

 そして強引に付いてきたヘスティア(そのついでにベルも)。

 さすがというべきか、オルクスがモルデンカイネンの差し出した書状を読むのを待っている間にも揺らぐような者は一人もいない。

 突出してレベルの低いベルでさえ、オアースにおいては大概のクリーチャーを凌ぐ圧倒的な能力値を持っている。

 【神の恩恵】がいかに強力なバフであるかという証左であろう。

 更にベルについては背中の【幸運】スキルの文字が僅かに発光していたのだが、こればかりは兄にも本人にもわからないことである。

 

 やがてオルクスがモルデンカイネンの差し出した書状を読み終わり、山羊の頭がイサミ達をぐるりと見渡した。

 

「なるほど、無謀にもタリズダンに挑もうというだけはある。この程度で膝を屈するゴミはおらんか」

 

 彼なりにイサミ達を称賛するオルクスだったが、そこで目が嘲笑の形に歪む。

 

「まあ、一匹ばかり例外の小汚いペットがいるようだが」

「誰がペットだ・・・!」

 

 文句を言うヘスティアだったが、筋力を奪われへたっている状態ではその声にも力がない。

 その様子に、オルクスの目がさらに心地よさそうに細まる。

 混沌と悪の権化であるこの魔王からすれば、純粋に善であるこの女神は存在そのものが煩わしいのだろう。

 

「オルクス閣下。神ヘスティアはタリズダンの封印に力の大半を注いでおり、化身(アスペクト)にも僅かな力しか割けないのです。まして封印世界の外となると力も酷く限定されまして」

「ふん、そうだったな・・・だが貴様ら、本気でタリズダンに立ち向かう気か? かの神格は無数の多元世界を敵に回して戦った正真正銘の原初の怪物だぞ。まさか、我が影に数分耐えた程度で実力の証明になるとは思っておらんだろうな?」

「何がおっしゃりたいので?」

 

 用心深げなモルデンカイネンの言葉にオルクスの口が大きくめくれ上がり、無数の牙がむき出しになる。

 笑ったのだ。この上なく邪悪に。

 

「このオルクスに同盟を乞うのだ。しかも相手はタリズダン。実力の程を見せて貰わなくてはな」

「それはそうでございましょうが」

 

 そう言いつつもモルデンカイネンに動揺の色はない。

 

(・・・最初から予期してやがったな、このおっさん)

 

 イサミが軽い非難を込めて睨むと、この大魔術師はかすかに笑った。

 

 

 

「「オルクス! オルクス! オルクス!」」

 

 オルクスが髑髏のあしらわれた短杖――伝説に名高いワンド・オブ・オルクス――を振ると、イサミは巨大な闘技場の中央にいた。

 巨大な歓声に観客席を見やると、数十万に達しようかという無数のデーモンやアンデッドが席を埋めており、オルクスの座す貴賓席の脇に仲間達がいるのが見えた。

 心配そうにこちらを見ている者もいれば、のんきに干し肉をかじり始めるものもいる。

 

「「オルクス! オルクス! オルクス!」」

 

 悪魔王を讃える怒濤のような歓声。まるでロックスター・・・いや、意匠的にデスメタルかなとイサミはのんきに考える。

 仲間達に向かってイサミが手を振ると、オルクスが闘技場全体に轟く声で叫んだ。

 

「見よ我がしもべども! 必滅の神格に無謀にも挑もうとする愚者の姿を!

 身の程知らずにも我が力を借りうけんと頭を垂れてきた傲慢なる死すべき者(モータル)を!

 だが我が力は安くはなく、我が不死の軍勢の重みも軽くはない!

 この愚者どもは最低限、我にもの申すだけの力を証立てねばならぬ!」

「「「然り! 然り! 然り!」」」

 

 競技場に賛同の声が響き、波打つ。

 生ける者も死せる者も拳を――もしくは触手やかぎ爪を――振り上げ、叫び、イサミ達を罵倒する。

 並の冒険者なら心砕けてしまいそうな圧倒的アウェーで、イサミは一人静かにその時を待つ。

 

「出でよ我が闘士(チャンピオン)よ!」

 

 再びオルクスがその手の短杖を振る。

 イサミの前方30mほど。先触れもなく唐突に、それらが現れた。

 人型である。身長はオルクスと同じ5m弱ほど。それが十二体。

 濃い鉄灰色の肌に尖った耳、髪も鼻もない頭部。漆黒の重鎧。地面に立てているのは支えるのも苦労しそうな巨大な長柄戦斧。瞳のない黄色の目が自らに挑む愚かな有限寿命者(モータル)を見下ろしている。

 体の周囲にはおぼろげな霊気がたゆたい、時折人の顔の形を取ったり、苦しげなうめき声を上げたりしていた。

 

「・・・デス・ジャイアントか!」




巨人(ジャイアント)(イサミ)、伝統の一戦ですね!(ぉ


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18-7 魔術の虎と死の巨人

 観客席のヘスティアが、それを見た瞬間表情を一変させた。

 

「なんだい、あれは! 人の魂じゃないか!」

「その通り。デス・ジャイアントは殺した者の魂をああして捕らえるのだ。捕らえられた魂は、デス・ジャイアントを殺さぬ限り解放されず、蘇生させることもできぬ。あの者も、敗れればいずれかのジャイアントの霊気に囚われることになろう」

 

 何でもないことのように言うオルクスに、ヘスティアの顔が真っ赤になる。

 

「ふざけるな! 君たちは一体人の命を、魂をなんだと思ってるんだ!」

「きれい事を言うな、神よ。貴様らとて人の魂を管理するではないか。それに何の違いがある」

「大違いだ!」

「神ヘスティア。どうぞ抑えてください。譲れないものもおありでしょうが、だとしてもそれを乗り越えて我らはオルクスの力を借りねばならぬのです。全てはタリズダンを再び封印するため。なにとぞ」

「ぐぐぐぐぐぐ・・・」

 

 モルデンカイネンに諫められ、歯ぎしりするヘスティア。

 ぐっぐっぐ、とオルクスが愉快そうに喉を鳴らした。

 

「言っておくが蘇生ができないからと言って卑怯とは言うなよ? デス・ジャイアントどもはそもそも種族として蘇生を許されぬ。

 死の力に魂を売り渡した奴らは、力を得た代わりに死んだ瞬間魂が破壊されるようになった。

 奴らの魂は大いなる死の力の一部となるのだ。ゆえにこれは公平な戦いというものであろう」

「・・・どうしてそんなことに?」

「さてな。我も知らぬほど遠い昔のことよ」

 

 拳を握り、ヘスティアは祈るように闘技場のイサミを見つめた。

 

 

 

 オルクスが玉座から立ち上がり、大きく両腕を広げた。

 

「さあ、生と死を懸けた戦いを始めよ! 汝の力を示すがよい、身の程知らずの愚者よ!」

 

 戦闘開始の、それが合図。

 デス・ジャイアント達が咆哮を上げ、それと共に周囲の霊気に囚われた魂達が金切り声を上げる。

 巨人たちは一斉に左手を突き出し、自らの魂を売り渡して得た魔力をイサミに叩き付けた。

 

「・・・・・・・?」

「ふむ」

 

 何も起こらない。

 デス・ジャイアント達は明らかにたじろぎ、オルクスが僅かに称賛の声を上げるが、ヘスティアや他の者達には何が起こったのかまるでわからなかった。

 

「デス・ジャイアントは生まれつき解呪(ディスペル)の魔力を持っております。それなりの力を持つ解呪を十二も続けて受けて、イサミ殿の術は一つたりとも破られませんでした。大したものです」

「あ、ああ、なるほど・・・」

 

 イサミが常時自分にかけている強化術(バフ)のことである。モルデンカイネンの解説を受けて得心したヘスティア達だが、巨人たちが戦斧を構えたのを見て、再びその表情がこわばった。

 霊達の金切り声と共に、一斉に突進を始める巨人たち。

 霊気に囚われた魂達の叫びは生けとし生ける者に恐怖を呼び起こすが、そのようなものが無くても二階建ての家より高い巨人たちが一枚の壁となって突進してくるとなれば、それだけでも恐慌を巻き起こしかねない光景である。

 そのような圧倒的な光景を前に――イサミはただ、冷静に一言呟いた。

 

「"時間停止(タイムストップ)"」

 

 ギィンッ、と。耳を塞ぎたくなるような音が闘技場にいる全てのものの耳をつんざいた。

 それとともに戦斧を構えて突進していた巨人たちがバランスを崩し勢いよく倒れ込む。

 "時間停止(タイムストップ)"呪文からの、十連《呪文遅延》《非致傷化》"炎の泉(ファイアーブランド)"呪文。炎ではなく不可視の衝撃波として発動したがゆえに、魔力を見れないものは空気を軋ませる音を感じるのみ。

 土煙が上がり、それが収まった時に立っていたのはイサミ一人であった。

 

 

 

「やっ・・・」

「貴様ァ! 何をしておるか!」

 

 ヘスティア達が上げようとした歓声は、豪雷のごときオルクスの怒号によって遮られた。

 立ち上がり、右手のワンド・オブ・オルクスを握りしめてイサミを睨むオルクス。

 イサミはそれを正面から平然と受け止める。

 

「さて、わたくしは力を示せと言われたのでそうしただけですが」

「ここは生死を懸けた戦いの場ぞ! 殺せ! 勝者たるを望むなら殺せ!」

 

 オルクスの咆哮と共に、競技場の観客が一斉に拳を突き上げた。

 立てた親指を下に向け、奈落語で「殺せ!」「殺せ!」と闘技場をどよめかせる。

 その中でもイサミは泰然自若。

 

「御免蒙ります。それとも、呪文一つで彼らを昏倒させたのは力が足りぬと?」

「足りぬわ!」

「では言い方を変えましょう。敗者の命は勝者のもの。ならば奪うも捨て置くも自由ではありませぬか?」

「む・・・」

 

 僅かに眉をひそめるオルクス。

 機と見たか、イサミが声を張り上げてたたみかける。

 

「無様な敗北故、閣下がこの者たちの命を奪うというのであればそれは私ごときが口を差し挟むことではありません。

 しかし、闘技場では闘者たちがただあるのみ。観客の声も勝負の背景に過ぎませぬ。

 戦いは戦う者達のもの。戦いが終わっておらぬと言うのならば、たとえ閣下と言えども手出し口出しは無用に願いましょう。

 殺さねば戦いが終わらぬと言うのであれば、こやつらが立ち上がるたびに意識を刈り取るまで」

「・・・」

 

 視線をぶつけ合うオルクスとイサミ。

 平然とした風を装いつつ、少々押しすぎたか?とイサミが考えているうち、先に折れたのはオルクスの方だった。

 短杖を持たない方の手を振ると、「殺せ」の大合唱がぴたりと収まる。

 

「よかろう。見事な勝利に免じて特に許す。だがその大口、二度は許さんぞ」

「御意」

 

 見事な一礼をした後、イサミが昏倒したデス・ジャイアント達に向き直る。

 うん?とオルクスがいぶかしむ。

 

「なんだ」

「命を取るつもりはございませぬが、敗けは敗け。代価は払ってもらいましょう」

 

 短く呪文を唱えると、イサミの手から赤い光線が二度、三度と放たれる。

 それらは《連鎖》し、全てのデス・ジャイアント達に飛び移る。

 と、巨人たちを取り巻いていた霊気が消えた。それと共に金切り声を上げる魂達も消える。

 

「勝者の権利を行使いたしました。お気に障りましたか?」

「・・・よい。許す」

 

 仏頂面の(仏頂面の山羊というのも妙なものだが)オルクスが頷いたのを確認して、イサミは再び一礼する。

 "反魔法光線(アンチマジック・レイ)"。

 命中した対象を周囲の魔素(マナ)から断絶させ、"反魔法力場(アンチマジックフィールド)"内部のようにあらゆる呪文や超能力を使えなくしてしまう。

 デス・ジャイアントの霊気は呪文ではないが、やはり魔素(マナ)の力を借りた超常的な能力であるため反魔法力場(アンチマジックフィールド)の中では維持できず、捕らえられていた魂も解放されてしまう。

 イサミはそれを利用してデス・ジャイアントたちに囚われていた犠牲者たちを解放したのだった。

 

「・・・やったあ!」

 

 ようやっと、ヘスティア達が歓声を上げた。

 それと共に闘技場の観客たちから盛大なブーイングが上がる。

 今度はオルクスも止める気はないようで、ほおづえを突いて無言の仏頂面を貫いている。

 イサミは今度は観客席に向かって一礼。一層高くなるブーイングの中、ニヤリと笑った。



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18-8 九層地獄の大君主

 オルクスの不承不承の了承を取り付けた後も、善悪秩序混沌様々な勢力との接触は続いた。

 至光なる太陽神ペイロア。イスガルドの英雄神コード。高貴にして邪悪なる仮面の黒騎士神ヘクストア。エルフの守護神コアロン・ラレシアン。秩序の次元界メカヌスの機械生命体イネヴァタブル。無数の次元門を管理し、マインドフレイヤーを仇敵と定める混沌の種族ギスヤンキ。フェリスの守護神である盾の乙女マイアヘン。

 七つの層なす天界山セレスティアで白金の竜神バハムートとも会った。

 

(りゅーじんまるー)

 

 とかなんとか、イサミが心の中で呟いていたのは秘密だ。

 

 もっとも善ないし悪であっても秩序の勢力は大体において協力的であった。

 タリズダンという危機がそれだけ重いことの証左であろう。

 

 あっという間に一月ほどが経ち、イサミ達がオラリオに帰る日がやってきた。

 門を開くのは大神ボカブの本拠地である"伝承図書館"のふもと。イサミ達がボカブに謁見した時、次元門で現れたあの場所である。

 善と悪、秩序と混沌、本来なら顔を合わせただけで即座に戦争の引き金になるような存在を集められるのは、魔法以外に関心を抱かない孤立神、ボカブのお膝元しかない。

 

 そこに三々五々別れてぽつぽつと立っている人影は、全て神格かそれに準じる存在とその腹心・護衛達。

 一般人であれば、この場に充満する濃密な神気邪気だけで絶息しかねない。

 実際リリやヴェルフなどレベルの低い者達は顔が真っ青で、タケミカヅチ・ファミリアの千草や飛鳥などは横になってアスフィとベルに介抱されている。

 一方で眼をきらきらさせて周囲を見渡しているフェリスのようなものもいるが。

 

 それを見やって溜息をついた後、遥か彼方、次元界の中心にそびえる巨塔に視線を転じる。

 少なく見積もっても高さ1000マイル(1600km)、直径200マイル(320km)はある巨大な石の塔と、その上空に浮かぶ天使の環のようなもの。

 チューブ状の環の内側には重力が働き、そこにはあらゆる世界から来たあらゆる存在が一大都市を形成している。無限の世界の交差点、"扉の町"シギルだ。そこには無数の次元の門が存在し、あらゆる場所より来たり、あらゆる場所に行けると言う。

 

「行きたくてしかたがない、といった風情だね。どこの世界でも冒険者とはやはりそのような生き物なのかな」

「!」

 

 勢いよく振り向く。

 声の主はまあまあとでも言いたげに、鷹揚に手を上げてイサミを制した。

 

 赤と黒を基調にした装束を身にまとった壮年の紳士だ。手は巨大なルビーをあしらった鉄色の錫杖をもてあそんでいる。

 高貴さを帯びたハンサムな顔立ち。バランスの取れた長身。赤みのかった銅色の皮膚に、炎の色の髪。瞳には燃える石炭のような炎がゆらめいている。

 その後ろには大理石で出来たかのような美しさと無表情さを兼ね備えた従者が二人いたが、イサミは目の前の人物から目を離せない。

 本来の姿とはやや異なる上に実際に見るのは初めてだったが、絶対の確信があった。

 

「アスモ・・・デウス」

「ご存じでいてくれたとは嬉しい限りだ、異界の英雄よ」

 

 神々すら時として恐れはばかる九層地獄の主は、そう言って親しげな笑みを浮かべた。

 

 

 

 イサミが何かを言う前に、いつの間にかそばにいたモルデンカイネンが口を開く。

 

「アスモデウス閣下。このたびは不測の事態を避けるため、可能な限り互いに干渉しないことをお願いしておりましたはず。どうぞ御身の場所にお戻りください」

「いいじゃないかモルデンカイネン。彼はこちらの世界の争いには無関係の者。ならば多少話をするくらいは構うまい?」

「それは・・・」

 

 整った顔立ちに鷹揚な笑み。

 紳士的で、洗練されていて、それでいて親しみやすい。

 目の前の人物がどう言う存在であるか知っているイサミでさえ、引き込まれそうになる魅力がある。

 溜息を一つつき、イサミは意を決してこの魔王の中の魔王に話しかけた。

 

「お初にお目にかかります、九層地獄の支配者よ。・・・質問を一つよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 

 緊張するイサミとは対照的に、アスモデウスはにこやかな表情を崩さない。

 

「閣下は遠大な陰謀をいくつも同時に動かしていると聞き及んでおります」

「うんまあそうだね。君たちよりは長生きだから、進め方も自然とゆっくりになる」

「何のためにですか?」

「まあ第一には現状を維持するためだね。私は一つの世界の頂点に立った。とすれば自然、それを維持するのが主たる目的になるだろう」

「・・・上を目指せないのは、つまらなくはありませんか」

 

 アスモデウスは一瞬きょとんとした後、はじかれたように笑い出した。

 

「つまらない、つまらないか! なるほど、その通りかも知れないな! やはり常命の者の視点というのは面白い!」

「お気に障りましたなら失礼」

 

 頭を下げるイサミ。アスモデウスは笑いを収めて面白そうにその顔を見やる。

 

「いやいや、気にしないでくれ。こんなに笑ったのは久しぶりだよ。

 そうだな、楽しい会話の礼だ、一つ教授しよう――大いなる転輪、即ちこの宇宙は善と悪、秩序と混沌、あらゆる力がバランスを取るように出来ている。

 一つの力が多少優勢になることはあっても、全宇宙を覆い尽くすことはない。大いなる転輪の全てを私の秩序で染め上げることはできないのだ。

 もしそのようなことがあるとすれば、それは転輪そのものの崩壊を意味する。

 人為的にバランスを取ろうとするボカブとモルデンカイネンは、その意味で全く正しい。それをつまらないと言うなら、ああ、確かにつまらないだろうね」

 

 そこで言葉を切り、アスモデウスは満面の笑みでイサミを見た。

 

「しかし仮定の話だが・・・大いなる転輪の回らぬ場所に勢力を伸ばしたとしたらどうだろうか。その世界にも大いなる転輪があるならそれが許すだけ、ないのであれば可能な限り勢力を伸ばせば? 一つ一つは九層地獄の一階層程度のものだとしても、それが無数に連なればどうなると思うね?」

「・・・!」

 

 その結果を想像し、イサミが戦慄する。

 表情を含み笑いに変え、アスモデウスが言葉を繋いだ。

 

「仮定だよ。あくまで仮定の話だ。だがそうすれば、それらを合わせたものはやがてこの宇宙全てよりも広大な領土となることだろうね」

「無数の次元界の連なるこの宇宙に大いなる転輪があるとするなら、無数の宇宙が集まるところにもやはり更に大いなる転輪があり、一つの力で宇宙群を強く染め上げるのを許さないかも知れませんよ」

「そうかもしれない。だが、試してみなくてはそれもわかるまい?」

「それは、まあそうでしょうね」

 

 そこで再びはじかれたようにアスモデウスが笑い出す。

 

「素直だな、君は! ここは『そんな事は許されない』などと言い出す場面じゃないかね、世界を守る善の英雄としては!」

魔術師(ウィザード)ですから。実験しなくては結論が出ないのは当たり前の事です」

 

 気負う風でもなく言ったのがおかしかったのだろう、アスモデウスの笑いが更に大きくなる。

 モルデンカイネンとアスモデウスの従者二人が普段の鉄面皮を崩し、呆然とそれを見ていた。

 

 

 

 ひとしきり笑った後、アスモデウスはまじめな表情になった。唇の端には笑みを残したままだが。

 

「さて、そろそろ楽しい会話の時間も終わりだな。世界の"合"の時が近づいている。何か聞きたいことはあるかね」

「ではお言葉に甘えて一つ――オラリオで進む陰謀が失敗したとして、その陰謀を仕掛けた黒幕は計画を破綻させた者達に対して何を思うのでしょうか」

「さて、その黒幕が何者かによるとは思うが・・・優れた黒幕ならこうだ。『私の使える便利な駒が増える』」

「っ・・・」

 

 自信に満ちた表情でさらりと言い切るアスモデウスに、イサミは言葉を失った。

 その顔を見て、アスモデウスの顔に浮かぶ笑みが再び深くなる。

 

「覚えておきたまえ。駒が盤面に乗っている以上、何色であっても思い通りに動かす手段はある。

 そして優れた指し手であればあるほど、全ての計画が思い通りに進むなどとは思ってもいない。失敗も折り込んで計画を練るものなのだ。君だって、何もかも全てがうまくいく前提で計画を立てたりはすまい?」

 

 イサミがこわばった顔のまま頷く。

 アスモデウスはにこやかな顔でその肩を叩き、きびすを返す。

 

「さて、ではそろそろ位置につかねばな。話せて楽しかったよ」

「ご教授ありがとうございました」

 

 頭を下げるイサミに、振り向かないまま手を振ることでアスモデウスは応えた。




 ワタルの創界山の設定は明らかにD&Dからのイタダキだと思ってる。
 七つの階層があるし、竜神が住んでるしw


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18-9 蕩児たちの帰宅

 神々と魔王たちによる儀式が始まった。

 それぞれが一見バラバラに立っているように見える位置は、魔術の大神ボカブがそれぞれの神の属性や力量を計算した上ではじき出した精密な魔術回路の配置。

 アイテムや常動魔術で頭の回転を限界近くまで強化してるイサミをして、辛うじて理解出来る代物だ。

 

 だがそれでも、その後起こったことは神ではないイサミには直接認識できなかった。

 存在の階梯そのものが違う者達の起こす現象を、図抜けているとは言え未だ人間の域にあるイサミは、魔術という補助具無くしては理解することも認識することも出来ない。

 それは逆に言えば、人の身でも相応の手段をもってすれば、神の力による現象を理解できると言うことであるが。

 

 短いながらも息詰まる時間が過ぎ、ボカブが口を開いた。

 

「それではこれより君たちを封印世界の迷宮に繋ぐ門を開く。

 頼むぞ、封印世界の勇者よ」

「いささか面はゆい呼ばれ方ですが・・・微力を尽くしましょう。

 ボカブさまも例の件をお願いします」

「わかっている」

 

 頷き合う。

 次の瞬間、イサミ達は迷宮十八階層――『迷宮の楽園』にいた。

 

 

 

「ひゃっほう! ようやく元に戻ったぞ! ああ、長かったなあ!」

「わ、わわっ! 神様!?」

「何をしているんですかヘスティア様! いきなりベル様に抱きついたりして!」

「今は・・・"昼"か」

 

 傍らの騒ぎをさらりと無視しつつ、水晶の天井を見上げてイサミが呟く。

 もっともこの階層の昼夜と地上での昼夜は同期していないので、外が今何時くらいであるかはわからない。

 

「ええっと、一ヶ月くらいで一致したりするんだっけ? だとすると、一月ちょっとだからえーと・・・」

「いや、多分半年くらいだ。向こうとこっちじゃ時間の流れが違うからな」

「!?」

 

 イサミの言葉に、ヘスティアと死霊王を除く殆どの人間が目を白黒させる。

 恐らくは意味がわかっていないものの方が多いのだろう。

 

「兄さん? ええと、それってオシァンの妖精の国みたいな?」

「そんな感じだ。10年向こうにいたら、多分知ってる人間はエルフ以外老人になるか死ぬかしてただろうな」

 

 日本で言う浦島太郎のような童話を挙げた弟に頷いてみせ、視線を死霊王に転じる。

 死霊王――伝説の名工ダイダロスは瞑目し、過ぎ去った過去に思いを馳せているかのようだった。

 

『まずは情報収集というところか。半年も経っているのでは、ディックスやら闇派閥やらが何をしでかしているかわかったものではない』

「まずはギルド、ウラノス様に接触することにしたいと思いますが・・・どうでしょう、同盟関係をもう少し延長するというのは?

 あなたの目的がトリルへの帰還であれば、あの人造迷宮を破壊しかねないエニュオとの協力関係は微妙なのでは? 隠れ場所は提供致しますよ、無論太陽の光のない場所を」

『・・・よかろう』

 

 死霊王が頷く。

 後ろの吸血鬼達がざわめいたが、手を振って黙らせた。

 ダメ元で提案してみたイサミも、少々の意外さを感じつつ一礼する。

 

(ひょっとして俺にはシンパシー感じてくれてるのかな)

 

 ふとそんな思いがイサミの脳裏をよぎるが、干からびた肉と皮膚のへばりついた骨の顔からは、イサミと言えども何かを読み取ることは出来なかった。

 

 

 

 やはりというべきか何と言うべきか、ちゃっかり再建されている(そして看板の数字も増えている)リヴィラに、まずはイサミがひとりで足を踏み入れた。

 目撃される可能性も考えて、変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)で変装している。

 

(・・・ピリピリしているな?)

 

 それほど入り浸っていたわけでもないが、それでもどこか雰囲気が張り詰めているのがわかる。

 ティオナやアスフィがいたら人が少ないと言ったかもしれない。

 酒場で冒険者達の話に耳を傾け、酒をおごって話を聞き、記憶抽出の術まで使って手早く情報を集める。

 二時間ほどして、イサミは一行の待つ18階層の森に戻った。

 

 

 

「カーリー・ファミリア?」

「テルスキュラって国を作ってる国家系ファミリアだ。アマゾネスばかりの国で、戦士同士で殺し合いをしているらしい。団長と副団長のレベルは6」

「えっ!?」

「な、なんだいそれは!」

「レベル6!?」

 

 ざわつく面々の中、ぽつり、とティオナが漏らした。

 

「・・・よく知ってるね」

 

 常の彼女にない口調に、思わずイサミが彼女の顔を見る。

 

「ティオナ。まさかと思うが・・・」

 

 こくん、とティオナが首肯する。

 

「そうだよ。私とティオネはそこ出身」

「戦士同士で殺し合いをしてるってのも・・・」

「うん。立って歩けるようになると『恩恵』を授けられて、ゴブリンと戦わせられる。

 五歳になってからは、同じ年の子供達と殺し合いもした。

 今にして思えば、そうやって共食いをさせる事で、ダンジョン無しで高いレベルの戦士を産み出そうとしてたんだと思う。

 私たちは七つの時に国を出てそれっきり。

 ・・・ティオネ、大丈夫かな・・・」

 

 しん、と周囲が静まりかえる。

 死霊王や吸血鬼さえも無言だった。

 その空気を破るかのようにあえてイサミが口を開く。

 

「話を続けるぞ。どうやらイシュタル・ファミリアが呼んだらしくて、連中と共同歩調を取ってる。

 それからどうも大捕物というか、大がかりな戦闘があったらしい。

 らしい、って言うのはギルドが詳しいことを隠しているからなんだが、ガネーシャとロキに加えて、フレイヤ、イシュタル、カーリー、その他いくつものファミリアが参加したらしい。

 闇派閥は主神のタナトスが送還されて全滅したと公式発表、ディオニュソス・ファミリアも同じく主神が送還されて解散、その他にもかなりの被害が出たようだ。

 その功績か、カーリー・ファミリアはオラリオ滞在を公式に認められ、今じゃいっぱしの探索系ファミリアだ。

 ダイダロスどの、何か思い当たることは?」

『・・・恐らくは"精霊の分身(デミ・スピリット)"であろうな。緑色の宝玉の中の異形の胎児だ。

 他のモンスターと融合し、果てしなく巨大化していく』

「あれか・・・!」

 

 思い起こすのは24階の食料庫で対決した、怪人と怪物達が守っていた緑の宝玉。

 ロキ・ファミリアと協力してどうにか倒せたが、イサミ達とヘルメス・ファミリアだけでは危なかったのではないかと思う。

 

『あれを培養するのには我々も協力している。何に使う物なのかは言わなかったが・・・む』

「どうしました」

『思えばディックスには、あれをどう使うかを探らせておった。

 あるいは、奴があのような行動に出たのはそれが理由やもしれぬ』

 

 イサミ達と自身をハメたであろう男の名前を挙げる死霊王。

 

「そいつがギルドなりなんなりにタレ込んで、この事態を引き起こした・・・?」

『あるいはな。奴はわしの命令で迷宮を作り続けることに嫌気が差しておった節もある。自ら望んで我がしもべになったというのにな』

 

(不老不死や吸血鬼の力をエサにして迷宮作成に協力させていたと言うことか)

 

 口には出さず、死霊王をちらりと見やる。

 今は倫理を問題にしているときではない。

 大体それを言ったら『神の恩恵』とファミリアだって一種の取引だ。

 考えをまとめていたのか、ここまで口を開かなかったアスフィが眼鏡のつるを直す。

 

「ではこの先のことですが・・・まずはギルドかヘルメス様に接触するのがいいかと思います。

 私たちが帰ってきたことは、少なくとも当面は隠しておいた方がいいでしょうね。

 場合によってはそのディックス氏とギルドが密約を交わした可能性も否定はできません。

 イサミ君、人造迷宮のことは公表されているのですか?」

「少なくともリヴィラの冒険者達は知りませんでした。

 ただ捕り物の時にダイダロス通りが閉鎖されたりしているので、うすうす察している奴もいるんじゃないですか」

「ふーむ・・・」

 

 再び考え込むアスフィ。

 入れ替わりに椿が手を上げる。

 

「イサミどの。ぜいたくは言わんが、せめて手前どもの主神様にだけは我らが帰ってきたことを伝えるわけにはいかんかな」

「あーまあ確かに」

「ロキにも言っちゃダメ? というかティオネに話をしたいんだけど・・・ティオネ、きっと辛いだろうから」

 

 椿の言葉にヴェルフや他の鍛冶師達が追随し、ティオナやロキ・ファミリアのメンバーもそれに続く。

 

「どのみち神ロキやヘファイストス様には伝える事になるだろうから、そのついでにな。

 ただ、ゲドさんには申し訳ありませんが・・・」

「ああうん、しゃーねーよな。オグマ・ファミリア(うち)、レベル2しかいないもんな・・・」

 

 そう言う事ではないんだがと思いつつも、しゃがみ込んで地面にのの字を書くゲドに、イサミは何も言えなかった。



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18-10 タリズダン・ファミリア

 深夜のロキ・ファミリア。

 主神の部屋にフィン、リヴェリア、ガレスの三首領と、何故かティオネが呼び出された。

 部屋に籠もっていたティオネは、フィンが無理矢理連れてきた。

 仏頂面の主神を見て、顔を見合わせる三人。

 ティオネは無表情でうつむいたまま。

 

「それでなんだい、ロキ。よほどの話のようだけど」

 

 代表してフィンが話しかけると、ロキが複雑な表情で手を振る。

 

「おら、揃えたぞ。出てこいや」

「!」

 

 その言葉に応じるように、冬だというのに薄く開けていた窓から白い煙がすうっと入ってくる。

 同じものを既に知っている三人が「まさか」という顔になり、雰囲気の変化を察したティオネが顔を上げた。

 その顔が徐々に驚きの表情に彩られ、続けてくしゃくしゃにゆがんでいく。

 

「ティ・・・ティオナぁぁぁぁっ!」

 

 30秒後、"風歩き(ウィンドウォーク)"の呪文から完全に実体化したティオナに、ティオネは泣きじゃくりながらすがりついた。

 

 

 

 五分ほど経ったろうか、落ち着いたティオネが泣きはらした、それでも笑顔を浮かべてイサミに頭を下げた。

 

「ありがとうございます。あなたがティオナを連れ帰ってくれたんですね」

「俺だけの力じゃないけどね。あちこちの力を借りてのことだし」

「それでも、です。本当に・・・」

「ああもう泣かないの、みっともないんだから」

「うるさい、馬鹿ティオナ」

 

 にぱっと笑いながら姉の頭を撫でるティオナ。

 憎まれ口を叩くティオネは、涙をぬぐいながらもその手を払おうとはしなかった。

 

「はん、こんな事で恩を着せたと思うんやないで。

 借りは借りとして帳簿に載せといたるが、それを精算したらその内ドチビもろともボコにしたるからな」

「はいはい」

 

 何が気にくわないのかねちねちと絡んでくるロキを、イサミが妙に手慣れた様子でいなす。

 

(ああ)

 

 そこで首領三人はハタと思い至った。

 ロキが仏頂面なのはイサミ(と、その主神であるヘスティア)が気に入らないからだけではなく、そのイサミにティオナ達を助けられて嬉しいこと、またそれをイサミの前で顔に出したくないからであると言うことに。

 ロキというのはそう言う神だ。

 

「それはともかく僕からも礼を言おう、イサミ・クラネル。他の団員達も無事なんだね?」

「はい。フィンさんたちの所も大丈夫ですか? 随分と大騒ぎがあったようですが」

「無傷とはいかなかった。だが、彼らの死に報いることは出来たよ」

「そうですか・・・勇者たちの魂に安らぎあれ」

 

 顔を伏せて黙祷するイサミ。

 フィンやティオナ達もしばし瞑目した。

 

 

 

 フィン達の話は、先に接触していたフェルズたちのそれとほぼ同じだった。

 精霊の分身による大儀式、『精霊の六円環』。

 それに加えて同様に培養された太古の魔竜の模造品、邪竜精霊ニーズホッグ。

 精霊の六円環でオラリオを吹きとばし、あるいはニーズホッグでオラリオを破壊する。

 

 謎の神"都市の破壊者(エニュオ)"によって仕掛けられた二重の王手。

 数ヶ月後なら完全に詰んでいたろう。

 しかしある所からもたらされた情報によってオラリオ側は先手を取ることが出来た。

 

 ギルドからもたらされた情報により生育途中の"精霊の分身(デミ・スピリット)"の場所を強襲。

 オラリオ最強のロキ、フレイヤ両ファミリアに加え、オラリオ最多の第一級冒険者を擁するガネーシャファミリア、フリュネがいなくなってもレベル4をはじめ多くのアマゾネスを抱えるイシュタルファミリア。

 そして港町メランからいつの間にかオラリオに侵入してきた、レベル6二人を抱えるダークホース、カーリー・ファミリア。

 さらにディアン・ケヒトファミリアなどその他の中堅ファミリアも参加、ヘファイストス、ゴブニュ両鍛冶ファミリアの放出した魔剣や一級武装などを用い、どうにかそれらの全てを倒せたという。

 加えて闇派閥の主神タナトスも送還に成功した。

 

「・・・例の怪人の女は?」

「アイズと戦っていたが、撤退した。

 後一太刀で倒せると言うところで、白仮面の男――オリヴァス・アクトがフォローに入って姿をくらませたらしい」

「そいつはそれまでどこに?」

「アイズと赤毛の女の戦いを無言で見守っていたそうだ。まるで立会人のようにね」

「ふむ・・・」

 

 違和感に眉をひそめるものの、何らかの答えを出すには情報が足りない。

 

「ただ、アイズに言ったそうだよ。『私たちは、タリズダン・ファミリアである』とね」

「!」

「意味はわからないが宣戦布告、ということだろうな」

「・・・ですね」

 

 リヴェリアの言に頷くイサミ。とはいえ今考えてもどうにかなるものではない。

 取りあえず怪人のことは保留にしておいて話題を変える。

 

「そう言えばディオニュソス・ファミリアが壊滅したそうですが・・・?」

 

 探るようなイサミの眼差しに、フィンがうなずく。

 

「ああ、そうだ。ディオニュソスが・・・"都市の破壊者(エニュオ)"だった」

「フィルヴィスさんと、ファミリアの他の人たちはどうなりました?」

「彼女は・・・」

 

 一瞬言いよどむフィン。

 そこにリヴェリアが言葉を重ねた。

 

「彼女たち、ファミリアの構成員はディオニュソスの企みとは無関係だった。

 フィルヴィスは精神的ショックと、レフィーヤと親しかったこともあって、今はこのファミリアにいる。

 他の構成員は三々五々別のファミリアに吸収されたはずだ」

「ふむ」

 

 何か隠していることがあるとは見当が付いたが、さすがのイサミも魔法抜きで相手の心を読めるほどには交渉に長けているわけではない。

 なので、無難に流すことにする。

 

「まあリヴェリアさんがおっしゃるなら大丈夫そうですね。彼女とは多少縁もありますし、気になってたんですよ」

「今すぐと言うわけにはいかないが、伝えておこう」

「よろしくお願いします」

 

 頭を下げるイサミ。

 軽い釘差しにリヴェリアたちが苦笑をにじませ、同時にロキがへっ、と吐き捨てるがそちらは丁重に無視。

 

「そう言えば野営地を襲撃した連中はどうなりました」

「それだよ。襲ってきた奴は倒したけど、捕まった団員たちは蘇生したのはいいんだが、暴れ出して幽閉するしかなかった――君ならどうにか出来るかい?」

「もちろんです。今日ここに来たのはそのためもありますからね。しかしそうすると、何のために襲ってきたかはわからないと」

「ああ」

 

 僅かな刹那、互いに探り合う両者。

 フィンは恐らく迷宮都市でもトップクラスの交渉者だが、それでもまだイサミの方が上だ。

 手玉に取れるほどの差があるわけではないが、簡単に付け入られるような隙もない。

 

「そうそう、聞いてるとは思うけど、これも伝えておかなくてはね。

 例の怪人とはまた別の怪物ども――あいつらは全く姿を見せなかった。

 何か心当たりは?」

「それは正直わかりません。うすうす別の派閥というか勢力なのではないかと思っていましたが、ここで協力していればオラリオの戦力にかなりの打撃を与えられたはずです。

 それをしなかったのは、あえて動かなかったか、それとも動けなかったか」

「判断するには情報が足りないか」

 

 イサミが隠し事をしていないことを確信したか、溜息をつくフィン。

 

「まあ考えても仕方ないことでしょう。それじゃ、団員のみなさんの治療を・・・」

「待ちぃや」

 

 動こうとしたイサミを、これまで沈黙を保っていたロキの声が押しとどめる。

 振り向いたイサミを、剣呑な目つきでロキがねめつける。

 

「おどれ、ナニモンや? 何故『恩恵』と無関係に魔法が使える。何故そこまで早く成長できる。何故ウチらに心を読ません? 何が目的や」

「それは・・・」

「それは?」

 

 ぐぐっ、と身を乗り出したロキに、イサミは口元に指一本立てて悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「それは秘密です」

「このアホンダラ! そーゆーことをやってええのはかわいい女の子だけや! おんどれみたくごついブ男が許される仕草やない! あ、リヴェリアは許す!」

「え、そこ?」

「最重要や!」

 

 思わず真顔になるイサミにさらに食ってかかるロキ。その他の面々が苦笑した。

 

「まあ冗談はともかくですね・・・"タリズダンはダンジョンである"」

「!」

 

 他の五人に聞こえないよう耳元で呟いた言葉に、ロキが一瞬体を硬くする。

 大きく舌打ちすると、仏頂面を越えて苦虫をかみつぶしたような表情でしっしっ、とイサミを追い払う仕草をした。

 にやにや笑いを収めてイサミが肩をすくめる。

 

「それじゃフィンさん、行きましょうか」

「ああ・・・?」

 

 いぶかしむような目をするフィン達三首領。

 ティオネが首をかしげ、ティオナは気にせずにこにことしたまま。

 

「まあ、多分後で神ロキから話がありますよ。この件についてはあちらの方がお詳しいでしょうし」

「ふーむ」

 

 取りあえず納得したのか、フィンはちらりとロキを見ると、イサミを案内して歩き始めた。

 

 

 

 ――結論から言えば、ディックス一党の姿はどこにもなかった。

 彼らの(そしてダイダロスの)主神であるイケロスも知らない。

 フェルズもあの決戦以降については行方を把握していなかった。

 

 ダイダロスは改めてフェルズ、そしてウラノス及びイサミ達と不戦条約を結び、人造迷宮に籠もることになった。

 しばらくはこちらに取り残され、事情を知らないままディックスに従っていた眷属の吸血鬼たちと共に、何か妙な細工をされていないか、人造迷宮を調べておくとのことだった。

 イサミとアスフィが参加したそうにしていたのは余談である。

 

 タリズダンの復活が近いのではないか――という情報は、取りあえず伏せられた。

 ボカブやウラノスの危惧はそれとしても、一連の事件で大きく何かが変わったわけでもないこともある。

 それでもロキ、フレイヤ、ガネーシャには改めてこの件が伝えられ、いざというときの行動を促すことになった。

 

 状況が判明したことにより、ウラノスやロキ、ヘファイストス、ヘルメスやタケミカヅチとも協議の上、それぞれの構成員は元のファミリアに戻ることになった。

 これ以上帰還を隠していても余り意味がないだろうという判断からである。

 ちなみにファミリア全員が失踪していたタケミカヅチは、ジャガ丸くん屋台のアルバイトで辛うじて糊口を凌いでいたらしい。

 同じ貧乏仲間のミアハの半ば居候のような形になっていたというから、困窮ぶりは推して知るべしである。

 

 半年間行方不明だった一級冒険者たちの帰還はそれなりに驚きをもって迎えられたが、最終的には「まあダンジョンだしそう言う事もあるだろ」で大体落ち着いた。

 関係者が口を揃えて「ギルドに箝口令を敷かれているから」と口にしたのもある。直近で似たような大事件もあったし、それ絡みであると何となく納得されたのだろう。

 なお〈豊饒の女主人〉に顔を出したリューはシルに泣かれ、おかみにきついのを一発喰らったらしい。

 

 そして――ベルはLv.3になった。

 18階層への決死行と、圧倒的にレベルの高い吸血鬼たちとの戦いの連続がもたらしたものだろう。

 それにしても早すぎるとイサミなどは思ったが、〈憧憬一途〉自体が全く未知のスキルであるゆえに確かな事は何も言えない状態だ。

 

 一方でヴェルフもランクアップして、念願の鍛冶アビリティを手に入れている。

 リリやシャーナもランクアップこそしなかったものの、着実に偉業経験値とアビリティ上昇を得た。

 フェリスもどさくさに紛れてヘスティア・ファミリアに入団し、(しっかりステイタスを上昇させた上で)Lv.5の冒険者としてダンジョンに挑むことになった。

 ――ダンジョンに挑むよりもオラリオ見物や図書館ごもりのほうが多い気もするが、まあ"熱烈な好事家(アーデント・ディレッタント)"と言うのはそう言うものだ。

 

 更にイサミもランクアップした・・・"Lv.1++"にだが。エピックの壁に比べれば、それ以降のレベルキャップは制限が緩いのかも知れないし、精霊分体との戦いにおけるイサミの心境の変化のせいかもしれない。

 とは言え『恩恵』の上昇は例によって微妙なものだ。

 

「まあうん、しゃーないわな。新しく伝説級特技(エピックフィート)が取れるだけでも御の字だ・・・」

「イサミちゃんはまだいーよぉ。レーテーなんか、ステイタスの更新自体できないんだから・・・」

 

 黄昏れる大男と大女の間に、微妙なシンパシーが生まれたのはこれまた余談である。

 数日後。ベルとヴェルフのランクアップ及び、パーティ継続決定の祝いの席で事件は起きた。



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第十九話「魔術師に火球の巻物三枚と魔弾の短杖を支給するコストは騎士のフル装備一人分より安い」
19-1 〈神の宴〉


 

 

 

『島根にパソコンなんてあるわけないじゃん』

 

 ―― 『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』 ――

 

 

 

 数日後。ベルとヴェルフのランクアップ及びパーティ継続祝いの席で事件は起きた。

 

「【アポロン・ファミリア】の構成員を叩きのめしたぁ!?」

「す、すいません・・・」

 

 ベル、ヴェルフ、リリの三人でささやかながら祝いの宴を開いていたとき、アポロン・ファミリア十数人と喧嘩になり、ベルとヴェルフで全員叩きのめしてしまったのだ。

 首領のヒュアキントスはベルと同じLv.3。他にもLv.2が複数いたがヒュアキントスは激戦の末ベルに沈められ、残りもベルとヴェルフの敵ではなかったらしい。

 現在傷だらけになった二人が、イサミに治癒魔法を掛けて貰っている。

 

「いや、その状況ならブン殴っても間違いじゃない。あまり舐められるのも問題だからな」

「イ・サ・ミ・く・ん?」

「おっとヤブヘビヤブヘビ」

 

 ヘスティアのお説教が余計な事を言ったイサミにも飛んでくる。

 とは言えヘスティアも単に暴力を好まないからベルをたしなめているだけであるし、話を聞く限り完全にあちらから、それも執拗に喧嘩を売ってきた形だ。

 さほど気にすることもあるまいと、そう思っていた。この時は。

 

 

 

「〈神の宴〉の招待状・・・!?」

「ガネーシャ以来開催されてないみたいだし、そろそろ誰かが開催するだろうとは思ったけど・・・アポロンからかあ」

 

 ヘスティアがため息を漏らした。

 翌日の夕食前のひととき、封蝋に弓矢と太陽のエンブレムが刻印された招待状。

 ギルドでランクアップその他をエイナに報告してきたベルが、アポロン・ファミリアの使者である二人組の女性から受け取ったものである。

 

「なになに? 神の宴って?」

「ああまあ名前の通りさ。神だけを呼んで集まる催し物。大概はただの宴会かな」

 

 オラリオに来たばかりのフェリスが顔を輝かせて質問するのに、イサミが解説してやる。

 

「どうします?」

「まあ、もめ事を起こしたばかりだし無視は出来ないなあ」

「すいません、僕が手を出したばかりに・・・」

「ああ、大丈夫だよ。変な責任は感じないでくれ。というかボクもあいつは苦手なんだ」

 

 ああ、と訳知り顔で頷くイサミをじろりと紐神が睨む。「余計な事は言わないように」というサインだ。

 イサミが小耳に挟んだところでは、アポロンは所構わず求愛をするような神でヘスティアもその昔その被害にあったらしいが、この様子では当たらずといえども遠からずのようだ。

 はいはい、と両手を挙げて降参のゼスチャーをした後、表情をまじめなものに改める。

 

「でも昨日の今日ってのはなんかひっかかりますねえ・・・ベル、やっぱりお前に喧嘩を売ったのもわざとじゃないのか?」

「確かにな。今はあんまり無くなったが、先に手を出させてケチをつけるって派閥間抗争を起こすときの喧嘩の売り方でよくあった奴だぜ、それ」

 

 横から口を挟むのはちびちびと手酌で酒を飲んでいたシャーナだ。

 しぐさがおっさんくさい。

 

「・・・わからない。言われてみればしつこくこっちを怒らせようとしてたような気はするけど・・・」

「「「「うーむ」」」」

 

 くう、と音がした。

 我慢して話を聞いていたレーテーの腹の虫が耐えきれなくなったらしい。

 

「それじゃ取りあえず、話の続きは飯の後にしましょうか」

「ボク、今日は肉料理がいいなー!」

「おれは脂っこいのがいいな。酒の肴になる奴を頼むぜ」

「はいはい、献立は昨日から仕込んでるんですからわがまま言わない」

 

 主神とシャーナの軽口を軽く流しつつ、真っ赤になってうつむくレーテーの頭を軽く撫でてイサミは台所に向かった。

 ちなみにメニューは鶏の手羽元(ウイングスティック)を大量に投入したホワイトシチューである。鳥のダシが効いていてンマーイ!のである。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第十九話「魔術師に火球の巻物三枚と魔弾の短杖を支給するコストは騎士のフル装備一人分より安い」

 

 

 

 二日後。

 指定された会場の前で送迎の馬車を降りるヘスティアとベルの姿があった。どちらも正装である。

 かたわらにはヘスティアがやや強引に説き伏せて連れてきたミアハと、その眷族であるナァーザの姿もあった。

 

「済まぬな、ヘスティア、ベル。服から何から色々と世話になって」

「その、誘ってくれてありがとう・・・」

 

 無論二人とも正装だ。ヘスティアとナァーザはドレスの上から更に毛皮のコートを羽織っている。

 僅かに頬を染めたナァーザはいつになく美しい。

 

「それではそろそろ行くとするか?」

「ああ。ベルくん、エスコートは頼んだぜ」

「は、はい」

 

 今回の神の宴の、普段のそれとの最大の相違点がこれであった。

 つまり、自らの眷属を一人同行させるべしと。

 現に会場の前では次々到着する神々の横に、同様に着飾った眷族――多くは上級冒険者――が肩を並べ、あるいは付き従っている。

 自らの子を見せびらかしたい神々にとっては、中々粋な趣向であるのだろう。

 

 入ってすぐのところでタケミカヅチと命、ヘファイストスと合流する。

 ヘファイストスと一緒に来た椿はどこかへ行ってしまったようだった。

 直後にヘルメスが乱入して命を赤面させ、即座にタケミカヅチとアスフィの折檻を受けて轟沈する。

 

 そうこうしているうちに時間になり、正面の舞台に一人の男神が眷族たちと共に姿を現した。

 優雅な純白のトーガに月桂樹の冠、整った顔立ち。

 まさしく一般の人間がイメージする「神」そのものの姿なのだが、どこか浮ついた印象も与える。

 

「諸君! 今日はよく足を運んでくれた!

 今回は私の一存で趣向を変えてみたが、気に入って貰えただろうか?

 日々可愛がっている者達を着飾らせ、こうして我々の宴に連れ出すのもまた一興だろう!」

 

 アポロンの挨拶に、ノリのいい神たちがやんやの喝采をあげる。

 そのアポロンを見るともなしに見ていたベルと、アポロンの視線が一瞬だけ交錯し――ぞくり、とベルの背筋に悪寒が走った。

 

「どうしたい、ベルくん?」

「いや・・・多分気のせいです」

「そうかい? んー、アポロンは挨拶回りか。話をしたいけど後にした方がいいかな。その間はパーティを楽しもうぜ、ベルくん」

「あ、はい」

 

 それからしばらくベル達は、顔見知りの神や眷属たちとの歓談に興じた。

 18階層への道行きやその後の異世界へ渡った大冒険、アポロンがとかく色恋沙汰で問題を起こしがちな変な神であること。

 

「【悲恋(ファルス)】?」

「恋愛に熱い神ってことさ。なあヘスティア?」

「知らないね!」

 

 ニヤニヤと水を向けるヘルメスに、不機嫌なヘスティア。

 ひたすらパクパクと料理を詰め込む様は、頬にドングリを詰め込むリスのごとし。

 

「後はそうだな――執念深い」

「え?」

 

 ベルが聞き返そうとした瞬間、会場にざわりと波が走った。

 その波紋の中心にいるのは、巨漢の猪人を従えた銀髪の麗人。美の女神、フレイヤ。

 神、人、性別も種族も問わず多くの視線が集中する。ことに彼女を初めて見る眷属たちには衝撃的で、魂が抜けたかのように立ち尽くすものもいた。

 

「フレイヤを見るんじゃない、ベルくん! 魅了されてしまうぞ!」

「へあっ!?」

 

 こちらも例外ではなく、フレイヤに見惚れていたベルに飛びついてその視線を遮るヘスティア。

 

(何をやっているんだかなあ)

(いいじゃない、かわいくて)

 

 それらを見て、透明化して天井の暗がりに隠れ潜むイサミは溜息をついた。一方その隣で同じく天井にへばりついているフェリスはけらけらと笑っている。

 二人だけである。姿や音が見えず、聞こえずとも、一流の冒険者となれば気配だけで存在を察してしまうため、しっかりとした隠密の技能を持っていない他のメンバーは連れてこれなかったのだ。

 念のため、会場近くの酒場ではシャーナ、レーテー、リリが待機している。何かあれば精神感応リンクで即座に突入する手はずだ。

 ちなみに"上位透明化(スペリアー・インビジビリティ)"だと普通互いの顔は見えないが、両者とも"真実の目(トゥルー・シーイング)"を行使しているので問題なく相手を認識できている。

 魔法の効果で声も聞こえないのだが、互いに読唇術の心得があるし精神感応リンクもあらかじめ確立してある。二人だけなら問題はなかった。

 

(さすがにこの場で実力行使に及んでくるとは思えないが・・・さて)

 

「いいかい、この女神は男と見れば手当たり次第ぺろりと食べてしまうような、ドラゴンのような奴なんだ! (きみ)みたいな子がぼーっとしてると、一瞬で食われてしまうぞ!」

「は、はいっ!?」

 

 フレイヤの挨拶を受けてデレデレした男神どもがそれぞれの女性眷族の蹴りを食らい、ベルを一晩のお楽しみに誘おうとしたフレイヤをヘスティアが全力でガード。

 フレイヤが笑いながら去った後はロキが現れてまたヘスティアと角を突き合わせる。

 

「そもそもそっちのヴァレンなにがしより、ボクのベルくんの方がよっぽどかわいいね! 兎みたいで愛嬌がある!」

「笑わすなボケェ! ウチのアイズたんのほうが、実力もかっこよさも百万倍上や!」

 

 醜い眷族自慢からのとっくみあいが始まりそうになり、羞恥に顔を赤らめたベルとアイズがそれを引きはがす。

 

(何をやっているんだかなあ)

 

 イサミ、本日二度目の溜息である。





原作ではベルがオラリオに着いたのが「季節の変わり目」で多分これが春のはじめ、四月頭として、中層に挑んで18階層にたどり着いたのがそれから約60日後なので、そこから半年後とすると作中は12月始めくらいとなります。
ベルくんやミアハさまも、正装の上にコートやマントくらいは着けてたかも。


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19-2 ネイキッド・ダイブ

 二時間ほどヘスティアと挨拶回りをした後、休憩なのかヘスティアと別れてベルは外のバルコニーに出て行った。

 

(む・・・)

(弟君は私が見てるわ。あなたが必要なのはこっちでしょ)

 

 一瞬迷ったが、フェリスの言葉にイサミは頷いた。万が一の時に守らねばならないのはヘスティアの方だ。

 彼女が音もなく姿を消し、ややあって性懲りもなくとっくみあいを始めたヘスティアとロキにイサミが三度目の溜息をついた頃。

 ベルと共に会場に戻ってきたヘルメスがおろおろしていたアイズに素早く近づいて強引にダンスの約束を取り付け、急用と言ってベルにダンスの相手を押しつける。

 

(おお!)

 

 ミアハやタケミカヅチのそれとないフォローもあり、アイズをダンスに誘って踊り始めるベル。

 更にそれに気づいて乱入しようとするヘスティアとロキを、ヘルメスに命じられたアスフィが捕獲。

 

(今回はいい仕事してくれたなあ。気まぐれだとしてもありがたい)

 

 真っ赤になりながらもアイズと踊り続けるベルを見て、満足そうに笑みを浮かべる。

 フレイヤがミノタウロスの群れをけしかけるとかぶっそうな事を口走っていたが、さすがにそちらはイサミも気づいていなかった。

 そんなイサミをつんつん、とつつく指。

 振り向くとフェリスが満面の――ただしにやついた――笑みを浮かべている。

 

(ねえねえ、やっぱりベルの本命ってあの金髪の子?)

(・・・神様やリリの前では言うなよ、それ? 気にしてんだから)

(はいはい、私だって空気は読めますよーだ。でもロマンじゃない? 敵対派閥どうしの禁断の恋! リディアスとバロメみたい!)

(こっちとしちゃ笑い事じゃないんだがな・・・)

 

 憧れで済んでれば良かったが、レアスキルを得てこのままだと本当にアイズに追いつくかも知れない状況で、兄としては嬉しいやら不安やらである。

 取りあえずこいつに《憧憬一途》の事は教えられんな、と改めて心に決めた。

 

(ねえねえ、何がきっかけでこういうラヴい展開になったの? 劇的なエピソードとかない?)

(おまえはな・・・話してやってもいいが、見張りは忘れるなよ)

(はーい♪)

 

 溜息を一つついて、イサミはベルがミノタウロスに襲われた時のエピソードを話し始めた。

 

 

 

 たっぷり数曲を踊ったベルとアイズは壁際のミアハやタケミカヅチたちのもとへ戻り、手を離した。

 僅かに指先に未練を残しているのが見て取れて、語りを終えたイサミの口元が再び緩む。

 直後ヘスティアとロキに処刑されたヘルメスにそっと手を合わせ、その視線がふと正面舞台の方へ向いた。

 ベルとアイズのなれそめにニマニマしていたフェリスの表情も一転して真剣な物になる。

 

 従者を連れたアポロンが――明らかにベル達を目指して――歩いてくる。

 そばに控える黒髪の細身の美青年が団長のヒュアキントスであろう。

 互いの眷族に今度は自分が、とダンスを申し込んでいたヘスティア達の目も、自然そちらへ向いた。

 

「諸君、宴は楽しんでいるかな? 盛上がっているようならば何より。こちらとしても開いた甲斐があるというものだ――

 さて、ヘスティア。遅くなったが、先日は私の眷族が世話になったようだな」

「・・・ああ、ボクの方こそ」

 

 どう話をつけたものかと言葉を切るヘスティア、緊張した顔になるベル。

 だがヘスティアが何かを言う前に、アポロンが即座に言葉を被せてくる。

 

「私の眷族は君の眷族に重傷を負わされた。代償を貰い受けたい」

「何だとぉ!?」

 

 言いがかりだ、と食ってかかるヘスティアをものともせず、アポロンは胸を押さえ、天を仰いで大げさに嘆く。

 

「ああ、私の愛しいルアンは、あの日、目を背けたくなるような姿で帰って来た!

 私の心は悲しみで砕け散ってしまいそうだった!」

 

 それにあわせて周囲の従者たちもよよよ、と泣き崩れ、同時に人垣がさっと割れて小人族らしき全身包帯のミイラが現れる。

 

「ああ、ルアン!」

「痛ぇ、痛ぇですアポロン様・・・痛ぇですよぉ~~」

 

 主に比べても大根役者の演技ではあったが、その場にいた者達を騙すには十分であったらしい。

 

「ま、まさかベルくん!?」

「してません! してませんっ!」

 

 顔面蒼白になったヘスティアの問いかけに、ベルが必死で首を振る。

 

(ああ、こう来たか・・・)

 

 怒り半分、呆れ半分で取りあえず待機組に事情を伝える。動くのはまだ。

 とは言え、向こうが直接的な実力行使に出てくるのでなければ彼らの出番はあるまい。

 

「さらに、先に仕掛けてきたのはそちらだと聞いている! このとおり、証人もいるぞ!」

 

 アポロンが指をパチンと鳴らすと、周囲の人垣から複数の神とその従者らしき団員たちが歩みでる。

 従者たちはそろって無言だが神達は揃ってニヤニヤ笑いを浮かべており、口々にベルのしたという「乱暴狼藉」を言い立てた。

 

 やったやらないは水掛け論、更に神でも神の心は読めないため、ヘスティアやヘファイストスも有効な反論ができていない。

 直情漢のタケミカヅチや天然のミアハは言わずもがな、こう言う時頼りになりそうなヘルメスはたった今ロキとヘスティアによって処刑されボロクズのような姿をさらしている。

 それに意を強くしたか、アポロンが再び大げさな身振りで小人族のミイラを指し示す。

 

「見てくれみんな! このルアンの無惨な姿を! 私は怒りと悲しみの涙を禁じ得ない! 

 なにゆえに! なにゆえにヘスティアの眷族は罪もないこの子をここまで傷つける必要があったのか!」

「ああっ! 痛い! 痛いぃぃぃ!」

 

 ルアンが身をよじった瞬間、その全身を覆う包帯が一斉にはらりとほどけた。

 

「え」

「え?」

「あら」

「「うわあああああああああああああああ!?」」

 

 絶叫するのは顔を真っ赤にして手で覆ったヘスティアと、いきなり全裸になったルアン本人。

 慌てて手で股間を隠すその体は全身つやつやとしていて、大怪我どころかあざ一つない。

 

「ぷっ・・・」

「「「「「ブワハハハハハハハハ!」」」」」

 

 次の瞬間、会場が爆笑に包まれた。

 一番大笑いしているのはルアンを指さして笑い転げているロキだが、大半の神と眷族の半分くらいは笑っている。

 笑っていないのは顔を真っ赤にしているヘスティアや同じく赤い顔で目を背けているアイズなど、まともな羞恥心を持っている女性陣とベルくらいだ。

 ちなみにいつの間にか戻ってきた椿は、その他の男連中と並んで指さしながら笑っていた。フェリスについては言うまでもない。

 

「プギャー!」

「草生えるwwwww」

「ねえどんな気持ち? ヘスティアにいちゃもん付けようとしてばれちゃったの、どんな気持ち? NDK? NDK?」

「き・さ・ま・らーっ!」

 

 先ほどまでルアンに対するベルの狼藉を「証言」していた神々にさえ指さして笑われ、アポロンが――こちらは怒りで――顔を真っ赤にする。

 

「デュフフフwww 顔真っ赤にして机叩いておりますぞwww」

「ウケるーwwww」

「大草原不可避wwwww」

「~~~~~~~っ!」

 

 怒りの余り、もはや何を言っているかわからぬアポロンの姿が更に会場の笑いを誘った。

 もちろん偶然包帯がほどけたわけではない。イサミの仕業だ。

 

 "脱衣(ディスローブ)"。見ての通り相手の鎧や服を剥ぎ取り、全裸にする。

 実にろくでもない名前と効果だが、イサミのオリジナルではない。

 「ブック・オブ・エロティック・ファンタジー」というまんま過ぎるタイトルの、D&Dの亜流ながらも「 公 式 」のサプリメントに載っている呪文である。

 

 まあなんというか、名前通りの本で・・・ゴニョゴニョをD&Dで判定する方法とか、どの種族間であれば子供ができるかとかいったアレな設定や、性愛の力でパワーアップする魔術師クラスとか、ムニャムニャなマジックアイテムの山とか。

 とにかくそういう文章やデータが山盛りで載っている、頭の悪さここに極まれりとでも言うべき書物だ。

 もちろん呪文も目を覆わんばかりの惨状で、「ピロートーク」とか「オーガズム・バイブレーション」とか、名前を聞いただけで思わず頭を抱えたくなるような代物が満載である。

 

(奥が深すぎるだろD&D・・・)

 

 一応習得はしていたが正直使うとは思わなかった、むしろ使いたくなかったというのが本音だった。

 いや一応武装解除などに使えないこともないのだが・・・フェリスが生暖かい表情をしているのがむかつくイサミである。




ネイキッド・ダイブは「無彩限のファントム・ワールド」OP。
「フル・モンティ」とどっちにしようか迷ったw

正確に言うと「ブック・オブ・エロティックファンタジー」はD&Dではなく、D&Dから派生した「D20システム」というルールのサプリメントです。
まあ大して変わりゃしないだろうと言われればその通りですがw


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19-3 弾劾(インピーチメント)

 

「はーっはっはっは! 語るに落ちたなアポロン! そっちの子のどこが重傷だって言うのかな! い・う・の・か・な!」

「ええいうるさいうるさい! 治療しただけで、帰って来たときは重傷だったんだ!」

 

 顔を染めたままながらも勝ち誇るヘスティアにアポロンが反論するが、さすがに言葉に勢いがない。

 「証人」である神達もアポロンを指さして笑っている現状さすがにこれ以上事を荒立てることもできないだろうと、イサミが肩をすくめた時だった。

 

「それにだヘスティア! まだ終わりではないぞ!」

(ん?)

 

 いぶかるイサミの視線の先で、アポロンが両手を大きく広げて更なるアピールを始める。

 

「ヘスティア・ファミリアの悪行はこれだけではない! 

 他ファミリアの団員を誘拐し、脅迫して強制的に使役しているのだ!」

(!?)

 

 さすがのイサミが一瞬あっけにとられた。

 ヘスティア達も似たようなものというか、むしろ何のことだかわからずにきょとんとしている。

 そして再び人垣を割って現れたのは一人の女神とその従者らしき一人の眷属。そしてさらに二人の眷族らしき男。

 後者はわからないが、薄衣をまとった女神とその従者の方にイサミは見覚えがあった。

 

(・・・イシュタル!?)

 

 事情を察したヘスティアたちの顔色が変わる。イサミもその場にいたら動揺を隠し切れていたかどうかあやしいところだ。

 褐色の肌に黒髪、露出過多色気過多の淫蕩の女神が腰に手を当ててヘスティアに凄む。

 

「久しぶりだねえ、ヘスティア・・・私のかわいい団員、フリュネと春姫を返して貰おうかい?」

「なななななな何のことかな!? ボクは何にも知らないぞ!」

 

 一変した状況に動揺を隠すどころか全身全霊で私が犯人ですと主張する紐女神。

 

(神様、それじゃ・・・)

(図星と言ってるようなもんだ・・・)

 

 下と上で、兄弟が仲良く頭を抱えた。

 

 

 

「フリュネは私のファミリアの団長! 春姫はLv.1だがそれでも娼館では人気の稼ぎ頭だった!

 いたいけな二人をかどわかして脅迫した落とし前はきっちり付けて貰おうかねえ!」

「う、うう・・・」

 

 イシュタルが熱弁を振るい、ヘスティアがたじろぐ。

 春姫とやらはともかく「アレ」をどうやったら誘拐脅迫できるのかとか、そもそも「アレ」にいたいけなんて形容詞をつけていいのかとか、多くの神や眷族が思ってはいても口には出さない。

 一通りイシュタルが言いたい事を言い終わったタイミングを見計らい、嫌な笑みを浮かべたアポロンが更に口を開く。

 

「そしてヘスティア・ファミリアに団員を奪われたのはイシュタル・ファミリアだけではない!

 ソーマ・ファミリアもそうだ! そうだな、ザニス?」

「はい、アポロン様。こやつらは我が神ソーマ様が寛容なことにつけ込み、我がファミリアの優秀な団員をただ同然の額で引き抜き、酷使している極悪人なのです」

 

 アポロンと同じくらい嫌な笑みを浮かべている若い男を見て、イサミが瞠目する。

 まさかここで、今更ソーマ・ファミリアが出てくるとは思わなかった。

 

「馬鹿を言うなよ! リリはファミリアを抜けたがっていた! だからソーマ様にお願いして『改宗』させて貰ったんだ!」

「それはお前達が無理矢理リリに言わせていることだろう? ソーマ様もそんな事をするのではなかったと悔やんでおられたよ!」

「嘘だ!」

「何を根拠に嘘だというのかな、少年? むしろ君たちの方が大変な嘘つきだと私は思うがねえ?」

 

 珍しく怒りをあらわにしたベルがザニスに食ってかかるが、ザニスはいやらしい笑みを浮かべたまま鼻であしらう。

 まっすぐなベルには、この手の詭弁を弄する輩は相性が悪い。

 

「ともかく団員を傷つけられた以上、大人しく引き下がるわけにも行かない――どうあっても罪を認めないというならヘスティア、君に『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を申し込む!」

 

 おおっ!と周囲からどよめきが上がる。

 『戦争遊戯(ウォーゲーム)』。

 ルールを定めて行われる、いわば派閥同士の正式な決闘である。

 勝った派閥は負けた派閥から、団員を含む全てを奪う事ができる。

 

「ヘスティア・ファミリアと、私、イシュタル、ソーマファミリアの決闘だ!

 我々が勝ったら・・・私はベル・クラネルを貰う。イシュタルはフリュネ・ジャミールとサンジョウノ・春姫、ソーマはリリルカ・アーデの『返還』及び相応の賠償金だ!」

「ううむ、聞くとは無しに話を聞いていたが、これは黙ってはおれんのう。イシュタル・ファミリアは盟友でもあるし、わらわも義により合力せずばなるまいて!」

 

 いささかわざとらしい口上と共に一歩足を踏み出したのは、仮面を付けた褐色肌、黒髪、痩身の幼女神。

 後ろに控えるのは、どことなく蛇のごとき雰囲気をかもし出す獰猛にして妖艶な美女。

 

「おお、これは我が盟友カーリー! お前の助力を得られれば、万の味方を得たも同然!」

「任せておくがよい、盟友イシュタルよ。邪悪なる女神に正義の鉄槌を喰らわせてやろうではないか」

 

 わざとらしい会話を交わす様子を見ると、これが闘争国家テルスキュラの女神、カーリーなのだろう。

 後ろの麗人は団長姉妹のうち、姉のアルガナ・カリフか。

 

 

 

(・・・Lv.6か。噂は本当だったな)

 

 だが、イサミの目を見張らせたのは容姿よりもむしろその実力だ。

 レベルは間違いなく6。フリュネやシャーナをイサミ特製のマジックアイテムでフル武装させても、一対一で勝つのは難しいだろう。

 フェリスは技能系よりの万能タイプなので瞬殺すらありうる。

 

 ダンジョンという試練場無しにこの域に達するため、果たしてどれだけの血が流されたのか。想像するだに恐ろしい。

 アイズは既に面識があるためか反応は見せていないが、ベルが身をこわばらせているのが天井からでもわかった。

 

「ダメじゃないか、ヘスティアァァァ・・・こんなかわいい子を独り占めしちゃあ!」

 

 と、アポロンが端正な顔を豹変させて、満面の笑みを浮かべる。

 本人は気付いているのかいないのか、欲望を隠そうともしない変態の顔そのものだ。

 ベルが別の意味で体をこわばらせるのがわかり、イサミは苦笑する。

 

「それでヘスティア、どうなんだぁ? 受けるのか? 受けないのかぁ?」

「断る! 受ける義理なんてない!」

「後悔しないか?」

「するもんかっ! 行くぞベルくん!」

「は、はいっ!」

 

 憤懣やるかたないヘスティアがきびすを返し、ベルの手を引っ張って会場を後にする。

 それを見てアポロンとイシュタル、カーリー、そしてザニスとアルガナの顔に良く似た笑みが浮かんだ。

 

(っ!)

 

 天井のイサミが何となくいやな物を感じた瞬間、その脳裏に魔法の警報が鳴り響いた。

 ヘスティア・ファミリアのホームに仕掛けておいた、"警報(アラーム)"呪文からのそれだ。

 

(シャーナ! レーテー! リリ! ホームに侵入者だ! すぐに戻れ!)

 

 "レアリーの精神結合(レアリーズ・テレパシックボンド)"からの返答が即座に返ってこない。

 愕然とした瞬間、シャーナからの返答が頭の中に響く。

 

(すまん、動けねえ! カーリー・ファミリアだ! 妹の方がこっちにいる!)

(くっ!)

 

 歯がみする。

 カーリー・ファミリアの首領姉妹の一人、バーチェ・カリフはLv.6。

 Lv.5の、しかも軽武装しかしていないシャーナたちと、恐らくフル武装のバーチェでは二対一でもきつい。

 有象無象の――とは言っても恐らくLv.3には達しているだろうアマゾネスたちもいるとなれば、退却もままならないはずだ。

 

(―――――!)

 

 一瞬の間に無数の考えを脳裏に巡らせ――イサミは決断した。



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19-4 花火

「いやあ、このアポロン感服したぞ! このタイミングで始めるというのは考えが及ばなかった!」

「派閥抗争だかなにか知らぬが、要するに戦争じゃろう? なら相手が油断しておるときに始めるのが一番じゃて。奴らも多少は警戒しておったようじゃが、甘い甘い」

 

 ヘスティアとベルが去った宴の会場、からからと笑うのはカーリー。

 今回の襲撃の大方を計画したのはこの女神であった。

 

「確かにね。どうやらあたしも少々なまってしまっていたようだ」

 

 艶やかな、しかし獰猛な笑みを浮かべながらイシュタル。

 オラリオではまがりなりにも秩序を守ろうとするギルドやガネーシャ・ファミリアがあり、また闇派閥を含め過去の凄惨な抗争の記憶もあって、派閥抗争に踏み切るにも最低限の自重をする雰囲気がある。

 だが文明社会から隔離された密林で、ひたすらに殺し合いを重ねて来たカーリーにそんな配慮は微塵もない。

 

「奴らのうち厄介なのはLv.5の二人のみ。バーチェなら万が一にも逃す気遣いはない。ソーマの有象無象もおることじゃしな。

 後はアルガナとおぬしの子らがヘスティアを、イシュタルの子らが奴らのホームを抑えればそれで勝ちよ。白兎の小僧もアルガナには敵うものでもあるまい。ホームの方にいるのもLv.1の雑魚二人、気にかけることもなかろう」

 

 フェリスのことはまだ正式に届けていないため、さすがにカーリーたちも把握してない。

 とは言え現状でその言に間違いはなかった。

 

「いやはやまったく。しかしベルきゅんを差し置いてあんなウドの大木を団長にするなど、ヘスティアも見る目が・・・うん?」

 

 大きく頷いて言葉を継ごうとしたアポロンが、ふと顔を横に向ける。

 中庭に広がる庭園の奥でポンポンという軽い破裂音と、色とりどりの光がきらめいた。

 

「花火か? そんな物を用意していたっけかな?」

「いえ、アポロン様。少なくとも我々のものではありません」

「ふむ?」

 

 そばに控えていた団員の返答を聞き、首をかしげるアポロン。

 ぴくり、と仮面の下でカーリーの片眉が上がった。

 ややあって服は正装のまま、剣を下げたヒュアキントスが現れた。

 

「アポロン様、申し訳ありません。取り逃しました」

「何だと?!」

 

 大げさな身振りで驚くアポロンに、淡々と報告するヒュアキントス。

 

「通廊で襲撃を掛ける直前、いきなり花火(パイロテクニクス)が・・・いえ、火花と煙が通廊に充満しまして。光に目がくらんだその隙に姿を消しました」

「・・・アルガナはどうした」

 

 不機嫌そうなカーリーが問うのと同時に、その背後に蛇のごとき麗人の姿が音もなく現れる。

 

「その男に後詰めを頼まれ、通廊の出口を抑えていた。一瞬煙に紛れたと思ったら、次の瞬間には気配も残さず消えた」

「ほう」

 

 不機嫌そうな表情が、更に不機嫌の度を増した。

 もはや誰彼構わずのど笛に食らいつき、食いちぎりそうなほどの。

 イシュタルが表情を改め、考え込むような顔になる。

 

「どうやら奴らも多少の切り札は持っていたようだな――イサミ・クラネルか? Lv.1のくせに団長を務めているにはそれなりの理由があったというわけだ。

 【神秘】アビリティ持ちという話があったが、意外と本当かもしれんな」

「小細工に過ぎんわ。密林鼠のようにコソコソしおって」

 

 吐き捨てるカーリー。

 互いに命を削る殺し合いをこそ望む彼女にとって、そうした手練手管は唾棄すべき堕落に過ぎない。

 続けてバーチェたちが同様に相手を取り逃がしたという報告、更には春姫を奪還されたという報告が入り、いよいよその機嫌は最悪のものとなっていった。

 

 

 

 暗闇に明かりが灯り、周囲を昼間のように照らす。

 イサミの唱えた"太陽光(デイライト)"の呪文だ。

 

「・・・ようやく一息つけるな。みんな怪我は?」

「ボクは大丈夫」

「僕もだよ兄さん」

「俺とレーテーが少し。まあかすり傷だ」

「わ、わたくしもありません」

「リリは大丈夫です」

「私もないわね」

「お前にゃ聞いてない。大体パーティ会場からずっと一緒だったろうが」

「うーん、団長さまったらい・け・ず」

 

 いつぞやの、オラリオ市壁の詰め所であった。

 イサミ、シャーナ、ルルネがフェルズを問い詰め、そして逃げられた場所である。

 

 イサミ、ベル、ヘスティア、シャーナ、レーテー、リリ、春姫、フェリス。

 元兵士の詰め所なだけあってかなり広い空間で、これだけの人間がいても手狭感はない。

 取りあえずシャーナたちの傷を治癒すると、魔法で部屋を掃除して絨毯を敷き、一同は車座になって座った。

 イサミが口火を切る。

 

「で、どうします?」

「・・・どうするって、何がさ?」

 

 答えたのはヘスティア。

 パーティ会場から逃げてきたままのドレス姿。

 イサミを見上げるその表情からは内心を読み取ることができない。

 

「我々はイシュタル、カーリーというオラリオでも屈指の戦力を持つ派閥から喧嘩を売られました。

 派閥抗争ともなれば、専守防衛というわけにはいきません。市街でもダンジョンの中でも、時と場所を選ばず襲ってくるでしょう」

「だろうな。その程度の事はむしろ普通だったわ」

「だよねー」

 

 頷くのはシャーナとレーテー。

 彼女らは二人とも、そう言った派閥抗争を目の当たりに、あるいは当事者として参加してきた冒険者だ。

 

「結構ぶっそうなのねえ、オラリオって・・・」

「最近はそうでもなかったんだがなぁ」

 

 腕組みして唸るフェリスと、頭をボリボリかくシャーナ。

 

「アポロンとソーマだって、この二つには遠く及ばないにしても多くの上級冒険者と100を越える団員を抱えた中堅派閥です。

 質はそれなりでも零細中の零細である我々とは戦力が違いすぎる。

 今まで通りにダンジョンで魔石を稼いで暮らしていくのは不可能だ――となれば、腹をくくって戦うか、あるいは逃げるしかない」

「その通りだ」

 

 この場にいないはずの――間違っても存在しないはずの九人目の声が、入り口から響いた。

 ギョッとしたシャーナたちが瞬時に武器を取って立ち上がり、次にその声の正体に気がついて愕然とする。

 

「神ヘスティア。そしてイサミ・クラネル。我が神フレイヤからのお言葉を預かってきた」

「伺いましょう」

 

 その男一人が入ってきただけで、部屋の空間全てが押しつぶされるような錯覚。

 "猛者(おうじゃ)"オッタルを、イサミは悠然と立ち上がって迎えた。




"パイロテクニクス"はD&D2レベル魔術師呪文。
小技の類ではありますが、使いどころ次第では役に立つ典型みたいな呪文です。


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19-5 戦争遊戯(ウォーゲーム)

戦争遊戯(ウォーゲーム)だっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」

『ヒャッホォォォォォォォ!』

 

 神の宴の翌日、その報せは、文字通りオラリオを駆け巡った。

 主に物見高い神々の姿を取って。

 間を置かずそれはギルドも承認するところとなり、彼らは前準備に忙殺されることになる。

 

「ああもうどういう事なのよ! イシュタル・ファミリアとカーリー・ファミリア相手に戦争遊戯ですって!?

 やっぱりイサミ君にもっと太い釘を刺しておくんだった!」

「あああ、エイナ落ち着いてー!」

 

 そんなさなか才色兼備を絵に描いたような敏腕受付嬢が頭を抱えて絶叫し、周囲がギョッとした眼を向けたのも余談である。

 

 

 

 オラリオ中央、バベル三十階。

 "神会(デナトゥス)"の大広間に神々が集っていた。

 久方ぶりの戦争遊戯(ウォーゲーム)ということもあって、参加資格のある神々はほぼ全員が顔を揃えている。

 欲望の笑みを隠し切れないアポロン、別の欲望に笑みを浮かべるカーリー、二人に比べやや厳しい顔のイシュタル。ソーマはやはりいない。

 少なくとも見た目は落ち着いて時を待つヘファイストス。いつも通り曖昧な笑みを浮かべるヘルメス。

 頭の後ろでつまらなそうに腕を組み、卓に足をのせて椅子をユラユラさせるロキ。女王の如く多くの男神を従えるフレイヤもいる。

 

 最後に入場してきたのはタケミカヅチに付き添われたヘスティアだった。

 武神であるタケミカヅチはLv.2の冒険者を相手取ってすら、数合なら打ち合えるほどの技量を持つ。

 眷族が介入できないはずのこの場ですら何をやってくるかわからないと言うことで、万が一のために付き添いを頼んだのだ。

 

「よーやっと来おったかドチビめ。ほんじゃ、手続き始めんでー」

 

 進行役のロキのやる気のない声と共に、当事者たちによって必要書類が作られ、サインが記されていく。

 

「我々の要求は前に伝えた通り。私、アポロンはベル・クラネルを。イシュタルはフリュネ・ジャミールとサンジョウノ・春姫、ソーマはリリルカ・アーデの『返還』及び相応の賠償金。

 その点だけははっきりさせておきたい。後で聞き苦しい言い訳を並べられてもわずらわしいのでね!」

「ふん」

 

 短く吐き捨てるヘスティアを、アポロンは得意満面といった顔で見下ろす。

 

「まあまあ、そうむくれるな。美しい顔が台無しだよ。そうだな、もし君が勝ったら何でも要求は呑もうじゃないか」

「おい、アポロン?」

「構わないではないか。どうせ我々の勝ちは揺るがない。書記くん、その旨明記しておいてくれたまえ」

「ほーいほい」

 

 自分たちが負けるとは微塵も思っていないアポロンは、自信満々に書記官担当の神にそれを明文化させる。

 声を上げたイシュタルだが、それでも自分たちが負けるとは思っていないので、さほど強くは言わなかった。

 続けて細々とした決めごとを詰め、やがて勝負形式についての話になる。

 ヘスティアは代表者数人を出しての団体戦、アポロンたちは派閥全員での総力戦を提案する。

 ヘルメスがさりげなくヘスティアに有利なように誘導しようとするも議論は平行線になり、結局その場の神々全員が一人ずつ紙に勝負形式を書き込んで、代表者一人にくじを引かせることになった。

 

「ヘイ、そう言うと思って準備しておいたぜ!」

「さすがマウイ、おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!」

「そこにシビれる!」

「憧れるぅっ!」

「はいはい、紙配りやー。一人一枚なー」

 

 無意味にノッてる神々をよそ目に、ダルそうに進行を続けるロキ。

 全員が箱の中に紙を入れたのを確認して、さて誰に引かせようかとなったとき、双方の視線がヘルメスに集中した。

 

「え? 俺?」

「アポロンの息のかかった奴は信用できないからね」

「それはこちらも同じだ。ミアハやヘファイストスに引かせるわけにはいかない」

「と、言うわけで任せたよ、ヘルメス!」

「我が友よ、君に全てを委ねよう」

 

 元々アポロンヘスティアの双方とそれなりに付き合いがあり、かつ天界でも地上でも中立を気取っていたヘルメスは、全ての神々の(自称)友人である。カーリーは戦えれば何でもいいし、イシュタルも反対はしない。

 ある意味では確かに適任と言えた。

 

「どうかお手柔らかに・・・」

 

 苦笑しつつえいやっ、と引いた一枚の羊皮紙。

 それを見て顔をしかめると、ヘルメスはそれをその場の全員に見せた。

 書かれた文字は『攻城戦』。

 

「YEHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!」

「ひょおおおおおお! さすがヘルメス、持ってるじゃーん!」

「やっぱ派手に楽しめないとなー!」

「ぬるぽ」

「ガッ」

 

 無責任にはやし立てる神々。にまあ、と笑みを浮かべるアポロンたち。

 

「数人程度では城を守ることはできまい。攻め手は譲るよ、ヘスティア」

「わらわは攻めるほうでも良かったんじゃがのう?」

「まあまあ、カーリー。どちらにせよ戦うには変わらんさ。存分にその力振るえるだろうよ」

「だといいがのう、くっくっく」

「・・・・・・・・・」

 

 余裕たっぷりに攻め手を譲るアポロン。

 ヘスティアは無言のままそれを睨んでいたが、やがて口を開いた。

 

「本来この戦いは僕とアポロン、イシュタル、ソーマ・・・ソーマ本人の意志はどうだかわからないけど、とにかく君たち3ファミリアとの問題だ。そこにカーリーが絡んでくるのはおかしいと思わないかい?」

「じゃがのう、事の原因はおぬしが我が盟友たるイシュタルから構成員を奪ったことじゃ。であれば、義憤ゆえにわらわはそれに手を貸さねばならぬ」

「よく言う!」

 

 声を荒げるヘスティア。

 そこにまあまあと割って入ったのはヘルメスだった。

 

「主張なんてどっちが正しいかわからないんだから、それはおいておこうじゃないか。

 でも、直接関係ないファミリアが『友誼ゆえに』ってことで参戦できるなら、ヘスティアの側にも友誼ゆえの参戦があってもおかしくないよね?」

「ほう」

「まあ、道理ではあるな」

 

 その場にいた神々の視線がヘファイストスに集中した。

 ヘスティアの神友にしてLv.5の椿を有するれっきとした上位派閥。しかもオラリオの武具の最大手。

 上級冒険者の数も決して少なくはなく、ヘスティア・ファミリアに最も欠ける数の要素も補うことができる。

 

 とは言えアポロンたちの笑みは揺らがない。

 数であればアポロンたちのファミリアにはそれ以上の上級冒険者がいるし、質で言えばLv.5の椿が一人増えたところで、Lv.6のバーチェとアルガナを打ち負かすことはできない。

 

「じゃあ助っ人を認めるんだな?」

「1ファミリアに限るがね」

 

 どうせ勝負の天秤は動かない、と確信するアポロンはイシュタルとカーリーの顔を確認すると大きく頷く。

 そしてその言葉に答えて参戦を表明したのは眼帯の鍛冶女神・・・ではなかった。

 

「なら決まりね。フレイヤ・ファミリアはこの戦争遊戯(ウォーゲーム)においてヘスティア・ファミリアに助太刀するわ」

「「「「「「「ファーーーーーーッ?!」」」」」」」

 

 ヘスティアとフレイヤを除くその場にいた全ての神々が――アポロンたちは元より、ロキやヘファイストス、ミアハやタケミカヅチ、ヘルメスを含めて――盛大に吹き出した。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」

「ちょw、ちょまw」

「(ry」

「アポロンその他のご冥福をお祈りします」

「今神会でフレイヤさまがロリ巨乳に助太刀したんだけど何か質問ある・・・と」

「戦争遊戯は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、君も神生と向き合う時なんだ」

「そんな事よりロキよ、ちょいと聞いてくれよ。神会とあんま関係ないけどさ(ry」

「あ、ありのまま今起こったことを話すぜ! おれはヘスティアが絶対不利かと思ったらアポロン終了のお知らせだった・・・な、何を言ってるかわかんねーと思うが(ry」

 

 普段なら盛大に盛上がるはずの神々が混乱のどん底に陥ったのである。

 どれほどの衝撃だったかは想像に難くない。

 

「そうだこれは夢なんだ、私は今、夢を見ているんだ。目が醒めたとき隣には全裸のベルきゅんが寝ていて、初々しく恥じらいながらも私に微笑んでくれるんだ・・・」

「しっかりせんかこの阿呆が!」

 

 アポロンは錯乱してカーリーに平手打ちを喰らい、イシュタルは完全に固まり、ロキは椅子ごと後ろに倒れ込んで後頭部を強打し悶え苦しんでいる。

 例外である二人――ヘスティアはこわばった笑みを浮かべてフレイヤを見上げ、フレイヤは楽しげな笑みでその視線を受け止めていた。

 ロキがどうにか起き上がり、フレイヤを問い詰める。

 

「お、おどれ何考えとんのや!?」

「あら、アポロンの条件はどこでもいいから1ファミリアでしょ? なら私のところでもいいんじゃない?」

「なるほど、確かにそれなら問題ないわな・・・って、ンなわけあるかーい!」

 

 絶叫と共にノリツッコミするロキ。フレイヤはただ微笑むだけである。

 

「あ、あなたいつの間にフレイヤを味方につけてたの!?」

「まあ、色々あってね・・・はは、はははは・・・」

 

 驚愕する神友から問い詰められるも、ヘスティアは曖昧な笑みを浮かべるばかり。

 こめかみには一筋の汗が流れている。

 その脳裏では昨夜、オッタルが来てからの一幕が思い起こされていた。



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19-6 会見

「フレイヤ様は神ヘスティア及びイサミ・クラネルと話がしたいと仰せです。ご同道願えましょうか?」

 

 イサミがちらりとヘスティアを見、彼女は大きく頷いた。

 

「いいよ、一緒に行こう。今からかい?」

「はい。ご案内いたします」

 

 オッタルも頷き、ゆっくりときびすを返す。

 ヘスティアとイサミがそれに続いた。

 

「シャーナ、後は任せる。何かあったら地下に行け」

「ああ。そっちも気をつけろよ」

「大丈夫・・・とは思うがね。あっちがその気なら、ここは今頃【女神の戦車】やら【四兄弟】やら含めたオールスターで包囲されてるよ」

「そりゃまあそうか」

 

 互いに肩をすくめる。

 心配そうだが何も言えないベルの頭をくしゃりと撫で、イサミ達は闇の中に消えた。

 

 

 

 城壁の詰め所からほど近い路地の奥にフレイヤはいた。

 丁度名前の挙がった【女神の戦車】アレン・フローメルがそばに控えている。

 

「呼び立ててごめんなさいね、ヘスティア。あなたも忙しいときに」

「細かい事は優秀な眷属たちがやってくれるからそうでもないさ。で、何の用だい?」

 

 内心はともかく、胸を張ってフレイヤの謝罪を軽く流すヘスティア。

 それを見て美の女神はくすりと微笑む。

 

「そうね、単刀直入に言いましょう。もし〈戦争遊戯〉を行うなら、私はあなたのファミリアに手を貸す用意があるわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・はっ?」

 

 一瞬前までの取り繕った外見もどこへやら、大口を開けて呆然とするヘスティア。

 くすくすと、美の女神の笑顔が深くなる。

 

「な、何が目的だい!? 言っておくけどベルくんもイサミくんも渡さないぞ!」

「あら、言わなかったかしら? 私結構あなたの事が好きなのよ?」

「ふわっ!? ま、まさか君ってばそう言う趣味が・・・!?」

 

 顔を真っ赤にして自分の体をかき抱く紐女神。

 それを見て耐えきれなくなったか、ついにフレイヤは体を折って大笑いし始めた。

 

「あは、あははははは! 本当、あなたって最高!」

「な、何がおかしいんだよ!」

「だって・・・ふふっ、あはは、だめ、こらえきれない! あはははははは!」

 

 今度は怒りで顔を真っ赤にするヘスティアに、更に笑いが止まらなくなるフレイヤ。

 オッタルとアレンの二人も、心なしか憮然としているようにイサミには思えた。

 

「あーはいはい。このままじゃ話が進みませんので取りあえず戻しましょう。

 神フレイヤ、手を貸して頂けると言うことですが、交換条件は?」

 

 ぱんぱん、と手を打ってその場の雰囲気を変える。

 笑いの発作を収めたフレイヤが――笑みは変わらないが――姿勢を戻してイサミに向き直る。

 

「そうね、あなたたちのファミリアに対しては特にないわ。でもただ一つ・・・

 イサミ・クラネル。次の戦争遊戯ではあなた、全力を出しなさい」

「・・・それはどういう意味で?」

「そのままの意味よ。わからないって事は、無いでしょう?」

「・・・・・・・・・」

「? ? ?」

 

 謎めかすフレイヤ。唇を引き結んで表情を硬くするイサミ。クエスチョンマークを浮かべながら、二人の顔を交互に見るヘスティア。

 僅かな時間の後、イサミは頷いた。

 

「意味はわかりかねますが、それでお味方頂けるというのであれば」

「商談成立ね」

 

 今度は満足げに、艶然とフレイヤが微笑む。

 くらりと来そうな自分をイサミは必死に叱咤した。

 あらゆる精神干渉を防ぐ"空白の心(マインドブランク)"であっても、純粋な魅力を防ぐことはできない。

 

 その瞬間、唐突に――本当に唐突に――イサミの脳裏に確信が灯った。

 何かとベルに絡んできた謎のウェイトレス。怪物騒ぎ。魔導書。元フレイヤ・ファミリアの女将と構成員の運営する酒場。

 ミノタウロスとオッタルの剣技の共通点。目の前の女神にまつわるもろもろの噂。

 

「そうか・・・そう言う事でしたか」

「あら、なあに?」

 

 艶然たる笑みを浮かべつつ、フレイヤが問い返す。

 それをじっと睨んだ後、イサミは溜息をついて肩をすくめた。

 

「いえいえ。弟の件、あなたには感謝すればいいのか、恨み言を言えばいいのか」

「あらあら、何の事かしら。さっぱりわからないわ」

「そのままですよ。まあ聞き流して頂けると幸いです」

「???」

 

 ヘスティアがまたしてもクエスチョンマークを浮かべ、今度はフレイヤが興味津々の態で問いを投げかける。

 

「そう言えばこれは協力とは関係ないのだけれど、一ついいかしら?」

「なんでしょう?」

「どうして私はあなたの心が読めないのかしら?」

 

 今度はアレンとオッタルの顔にはっきりと驚愕が浮かぶ。

 だがそれも一瞬のことで、次の瞬間その顔には最大級の警戒の表情が現れた。

 それに気づいた紐神がびくりと震えるが、イサミは敢えて平静を装う。

 

「さてね――世の中にはわからない方が面白いことが沢山ありますよ」

「なるほど、確かにその通りだわね」

 

 くすり、と笑うフレイヤ。

 それがこの奇妙な会見の終わりだった。

 

 

 

 ヘスティアとイサミの二人が去った後、オッタルが口を開く。

 

「一つお尋ねしてよろしいでしょうか、フレイヤ様」

「何かしら?」

「なにゆえ、彼の者達を手助けすることにされたので? やはりベル・クラネルの?」

「ええ。最近ちょっと目立ち過ぎだし、お兄さんが目立てば多少は緩和されるでしょう」

 

 つまり、ベルに付く悪い虫を多少なりともイサミの方に向けようと言うことだ。

 この女神にとって、それこそが一番大事なこと。

 

「それにアポロンとイシュタルも気にくわないし・・・後はサンドイッチのお礼かしらね」

「・・・・・・・・・?」

 

 無言のまま、顔に疑問符を浮かべるオッタル。

 フレイヤは同じく無言のまま、だが楽しそうな笑みを浮かべた。

 



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19-7 虎の威を借る紐

 再び話は現在、神会に戻る。

 最初の混乱はひとまず収まったが、当然、それで事が終わるわけでもない。

 

「ふっざけんなぁぁぁぁ! 無効だ無効! 話になるか!」

「へへーん! ボクのファミリアを四対一で袋叩きにしようとしてた奴のいうことかい!

 自分が不利になったら手のひら返すとか、ちょーっとかっこわるいんじゃないかなイシュタル!」

 

 こんなのありかと食ってかかるイシュタルに、ここぞとばかりヘスティアが勝ち誇る。

 フレイヤの虎の威を借りてるのはどうかと自分でも思うが、それでも好き放題やってくれたこの女神にやり返すこの快感には代え難い。

 フレイヤはそんなヘスティアを愛でるように微笑むだけである。

 

「いくらなんでも勝負にならないだろうが! 取り消しを要求するぞ! 書記官!」

「つっても、今1ファミリアなら助っ人OKってお前らも言ったじゃーん」

「ちょっと待てアポロン! わらわたちがいて負けると言うか貴様!?」

「lv.6が二人いる程度で都市最強に勝てるなら苦労はせんわあ!」

 

 ぽろっと本音がこぼれたアポロンを締め上げるカーリーに、普段なら萎縮するであろう色ボケ神が逆ギレする。

 

「いやあ、参ったねえ。いつの間にフレイヤ様を味方につけてたんだい、ヘスティア?」

「この優男に同意するのは不愉快だが、まったくだ。・・・何か裏があるんじゃなかろうな?」

「とは言っても、フレイヤ相手に私たちが何かできるかどうかはなあ」

「うーん、イサミ君の様子を見る限り、それほど重いペナルティでもないとは思うんだけど・・・」

 

 はっはっはと笑いつつ、目の奥から冷徹に目の前の紐神を推し量るヘルメス。

 一方でタケミカヅチとミアハは真摯に悩んでいるが、実際彼らにできることはほぼない。

 

 そして円卓のまた一方。無責任な神々があれこれさえずる中で椅子に座り直したロキが片ひじを卓に、もう一方の手を膝において僅かに身を乗り出し、フレイヤをねめつけていた。

 その視線に気付いたフレイヤが、ほほえみを口の端に残したまま、それを真正面から受け止める。

 しばらくその均衡が続き、それに気付いた周囲が少しずつ静まっていく。

 やがて室内に沈黙が満ちるのを見計らったかのようにロキが口を開いた。

 

「・・・ドチビといいおんどれといい、何考えとんのや? 男か? それとも『例のあのこと』か? あの小僧を貰うのと引き替えに助けることにでもしたか?」

「なんだとぅ! ボクがそんな取引をするわけが・・・むぐぐっ!」

「黙ってなさい、この馬鹿!」

 

 ヘファイストスその他に押さえ込まれるヘスティアをちらりと見て、フレイヤが視線をロキに戻す。

 

「いやねえ、そんな下衆な取引を私がするわけないじゃない――欲しければ奪うわ」

「ふん」

 

 ロキが鼻を鳴らす。

 

「せやったらなんでや? そんな事をしておどれに何の得がある?」

 

 謎めかして流そうとして、ふとフレイヤの脳裏に虎頭の兄の顔がよぎる。

 とっておきの笑みと共にフレイヤはそのセリフを口にした。

 

「そうね――わからない方が面白いことが世の中には沢山あるわよ?」

「~~~~~~~~~~っ!」

 

 何かピンポイントに刺激してしまったのか、ロキが真っ赤な顔でギリギリと歯を鳴らす。

 

「ムカツクムカツクムカツクムカツクぅっ!」

「ああら、でもそうでしょう? 面白いってのは大事な事よ?」

「だから余計に腹が立つんじゃボケぇっ!」

 

 テーブルをひっくり返す仕草と共に絶叫するロキ。

 

「おお、見事なちゃぶ台返し」

「さすがロキ、ツッコミの神だな!」

「おどれらは後でボコる。・・・くそ、何がしたいんやおどれは」

「さあ? でもわかるでしょう? 私の子供達に対抗できる派閥があるとすれば、それは一つだけよ、ロキ」

「――――」

「――――」

 

 無言のままぶつかる視線。沈黙の中、誰かが飲み込んだ生唾の音がやけに大きく響いた。

 しばし息詰まる時間が流れ――ばん、とロキが円卓に平手を叩き付ける。

 

「ええい、やったるわい! ロキ・ファミリアも〈戦争遊戯〉に参戦やぁ!」

「「「「ウオオオオオオーッ!」」」」

 

 今度こそ、歓声に大広間が揺れた。

 都市の双璧、共に最強を冠する二つのファミリアが正面から激突するのだ。

 およそ考え得る中でもこれ以上の娯楽などあり得ない。

 

「劇場版戦争遊戯Z! この世で一番強い派閥!」

「オラリオ丸ごと大決戦!」

「とびっきりの美乳対無乳!」

「なんやとコラァー!?」

 

 色々な意味で盛上がる神々たちをよそに、本来の当事者であるヘスティア達とアポロン一党は何となく隅に追いやられたような気持ちでいる。

 

「ええい、あの貧乳ロキめ! いつもいつもなんでボクの邪魔をするんだよ!」

「これがフレイヤ様の狙いなのか・・・? ううん、読めん」

「参ったわね。ロキのところが参入するとなると、戦力の差が・・・」

 

「まったく、一体何なのさ、この展開・・・」

「というか、私たち置いてけぼりになってないか? ベルきゅんがそもそもの問題なんだぞ!?」

「まあわらわは命がけの戦いができればよいがのう」

 

 と、言いつつロキ・ファミリアと共闘になる時点でアルガナが役に立ちそうにない気がひしひしとするカーリーである。

 前の一件でアマゾネス特有の惚れスイッチが入ってしまっているので、ロキ・ファミリアの団長がいる時点でろくな事にならないのは目に見えていた。

 そしてロキはフレイヤを睨む。

 

「・・・満足か? おどれの思惑に乗ってやったで。今回の件、よっっっっっぽどオモロい事があるんやろうな?」

 

 さもなかったら承知せえへんど、と。怒りとも笑みともつかぬ表情で無言に語るロキ。

 そしてこの神会で初めて、フレイヤの笑みに楽以外の感情が交じる。

 それは喜び。これから起きる何かに対する、強い喜びだ。

 

「ええ、期待して貰っていいわ。とっても面白いことが起きるはずよ」

「ほーう。そら楽しみやな・・・くくく」

「ふふふ・・・」

 

 寒気のする笑みを浮かべる二人を、この時ばかりはほかの神々も遠巻きにして近づかないでいた。

 それはさておき、ロキ・ファミリアの参戦を前提にさらに条件詰めが行われる。

 あーだこーだ互いに条件を出し合った結果、細かい事はこうなった。

 

1.戦争形式は城攻め。互いの大将を倒せば勝利。大将はヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリアそれぞれの団長とする。

2.ヘスティア、アポロン、イシュタル、ソーマ各ファミリアはフルメンバーで参戦可能。

3.ロキ・ファミリアからはフィン、リヴェリア、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナ、ベート、レフィーヤが参加。カーリーからはアルガナとバーチェ。

4.ヘスティア側にもアポロン側と同数の助っ人を許す。ただし1ファミリアにつき一人のみ。

5.ヘスティアの【恩恵】を受けているリリと春姫は暫定的にヘスティア・ファミリアであるとする。

 

 もちろん、ヘスティア側は猛反発した。

 

「ボク達の助っ人は一ファミリアに一人だけだとーう!? なんだその不公平な条件! ロキやカーリーの所は事実上フルメンバーじゃないか! このルールだと"猛者(おうじゃ)"くんしか借りられないだろ!」

「「「「いや、オッタルさん一人おったら十分やろ」」」」

「むぐっ・・・」

 

 異口同音に口にする神々に、一瞬ちょっと納得してしまったヘスティアである。

 その一方ロキは「ウチの子供らがオッタル一人に負けるゆうんかー!」と暴れ出したい気持ちであったが、ぐっとこらえる。

 内心、賛同した連中は後で追加でボコると固く決心していたりするが。

 そして最終的には、

 

「そうね、確かにこっちからはオッタルだけの方が面白いかしら」

「フレイヤー!?」

 

 という貸し出し元の鶴の一声で決定した。

 悪戯っぽい微笑の奥で何を考えているのか、それをうかがい知れる神はいない。

 

 とは言えヘファイストスの椿などを考慮に入れても、オッタル一人でロキとカーリーのトップメンバー全員(Lv.6九人+レフィーヤ)に釣り合うかと言われればさすがに否である。

 そこで追加の条件が設定された。

 

6.開戦可能日は今から四日後とする。ヘスティア・ファミリアはこの日から一ヶ月以内の任意の日の夜明け以降日没前に告知を行い、それ以降は自由に攻めてよい。

7.戦闘期間は開戦から一ヶ月後の日没まで。その間に城が落ちなかったらアポロン側の勝利。ただし開戦可能日以降、外から補給は受けられない。守備側が城壁から50m以上離れたら失格。

8.アポロン側は魔剣を使わない。

 

 総合的にはまあまあ妥当な条件と言えるだろう。

 ヘスティア側にとっては暗に場外戦術を仕掛けて良いとする条件であり、かつアポロン側は最長二ヶ月の籠城を強いられる。

 いつ攻めてくるかがわからないので気が抜けず、最長一ヶ月の準備期間を取れるヘスティア・ファミリアに対し、四日以内に全ての準備を終える必要がある。

 しかも一ヶ月という長い戦闘期間が許されている以上、ヘスティア・ファミリアはダメージを受けたら撤退して、オラリオで補給休養の上再出撃すら可能なのだ。

 

 イシュタルの豊富な財力で魔剣を買い込み、火力で圧殺することも不可能だ。一方でヘスティア・ファミリアは友好派閥にしてオラリオ最大の鍛冶派閥、ヘファイストス・ファミリアから魔剣を揃えて火力で城攻めができる。

 もっとも高レベル冒険者が数人所属しているとは言え、新参かつ未だ零細の部類である紐神派閥に大量の魔剣を買い込む資金があるかというと微妙だ。

 (イサミがいなければという但し書きはつくが)

 

 かくして条件は整い、正式に戦争遊戯の開催が宣言される。

 三々五々帰り始めた神々の中、ヘスティアが席を立ったロキの前に立つ。

 

「何やドチビ」

「・・・何を考えてるんだい? キミらしくない気がするんだけど?」

 

 ヘスティアの言葉に、ロキがむすっとした顔になる。

 先ほど、フレイヤに誘導された時と同じ顔だ。

 

「知った風な口利くんやないわボケ。ウチにはウチの思惑があるっちゅうこっちゃ」

「その思惑がキミらしくないって話なんだけどね・・・」

「知るか。どうしても知りたきゃ〈戦争遊戯〉に勝ちゃええやろ。そしたら話したるわい」

 

 自分の言葉をにべもなくはねつけるロキを、ヘスティアは何とも言い難い顔で見上げる。

 

「・・・」

「ほれ、どけどけ。邪魔や無駄乳」

 

 紐神を軽く押しのけて去っていくロキ。

 その後ろ姿を、何とも言えない顔でヘスティアが見ていた。



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19-8 戦争とは準備が八割である

 神会終了後、すぐさまオラリオ中が動き出した。

 当事者派閥に属するものは〈戦争遊戯〉の準備に。ギルドは開催のあれこれに。無責任な神々は特等席の確保と騒ぐ用意に。

 ヘスティアを護衛してホームに帰ってくるなりイサミも動いた。

 

「取りあえず神様は協力してくれる神様を集めて、会議の段取りをつけてください。シャーナとレーテーは交代で神様の護衛。護衛をしてない時はベルを鍛えてやってくれ」

「ぼ、僕? でも、シャーナさんとレーテーさんにはほかにやって貰うことあるんじゃないの?」

 

 確かに特訓でもしようかとは思っていたが、この状況で二人がつきっきりとは思っていなかったらしい。

 

「お前は叩けば叩くだけ延びるからな。幸いLv.3になったばかりだ。ステイタスの延びもいいだろう」

「まあ・・・気にすんな。俺達はどのみちやれることも大してないしな」

「だよねー」

 

 コネを使って助っ人を呼ぼうにもシャーナの前の所属は厳正中立のガネーシャ、レーテーに至っては敵であるイシュタルである。

 基本純戦士でそれ以外の芸に乏しい彼らとしては、体を動かすくらいしかやることがない。

 

「わかりました。お願いします!」

 

 立ち上がったベルが、二人に強く頭を下げた。

 ベルには今回の一件を招いてしまったのが自分であるという自責の念がある。

 実際にはアポロンの理不尽な横恋慕も、酒場で喧嘩を売られたことも彼の責任というには程遠いが、それでもきっかけになってしまったのは自分だと強く感じている。

 

(・・・危ういか?)

 

 イサミは当然そうしたベルの堅苦しい部分を承知している。

 その後に自分を追い込んで暴走しがちであることも。

 

(しかし特訓となると、そうした負荷を掛けた方がいいかもしれないか)

 

 取りあえず見守ることにする兄である。

 それに今はやることがとにかく多い。開戦日の前に改めて話しておこうと考え、イサミはこの思考を打ち切った。

 

「リリとお春はまだ魔法スロットが残っていたな?」

「は、はい。リリは一つ残っています」

「春は三つです」

 

 『神の恩恵』を受けた冒険者はその素質により1から3つの魔法スロットを持つ。

 リリは小人族(パルゥム)としては多い二つ。既に変身魔法【シンダー・エラ】を発現させているので残り一つ。

 魔法に長けた狐人(ルナール)である春姫には未発現の三つのスロットがあった。

 

「二人には取りあえず魔道書(グリモア)を読んで貰いたい。お春には強要はしないが――」

「いいえ」

 

 きっぱりと、強い意志を持ったまなざしで春姫がイサミの言葉を遮った。

 

「イサミ様の、そしてベル様の助けになるのであれば、お春はできる事をしとうございます。

 たとえ"あの魔法"をもう一度発現することになろうと、それが皆様の助けになるのであれば、春は喜んで受け入れます」

 

 狐人の少女の固い決意とひたむきさに、居間にいた一同の顔がほころぶ。

 微笑ましく、そして尊い金剛石のような輝き。今ここにフレイヤがいたら、一も二もなく眷族に加えようとしていただろう。

 

「ああ、お春君。君のそう言う所、ボクは好きだよ」

「あ、ありがとうございます、神様」

 

 ヘスティアの、真っ向正面からの好意の言葉に頬を染める春姫。

 と、ほほえみの表情は全く変えないまま、ヘスティアのオーラが一転して威圧的なものになる。

 

「それで? なんでベルくんなのかな? 直接君を助けたイサミくんはともかく、何故そこでベルくんの名前が上がるのかな? あ・が・る・の・か・な?」

「ひいいっ? そ、それはっ!?」

 

 またしても赤くなるやら青くなるやらの顔になった春姫に、ヘスティアがずずいと顔を近づける。笑顔は変わらないまま。

 

「いやあ、君はやっぱり不埒ものだなあ・・・ボクを差し置いてベルくんを・・・へぶっ!?」

「話を続けるぞ。二冊読んでうまいこと使える魔法が出たら、お春には迷宮に潜って貰う。レベル上げというか、まあとにかく場慣れだけでもして貰わないとな。動ける奴がいないから、タケミカヅチの連中に頼もう」

 

 チョップでおのれの主神を沈めたイサミが、何事も無かったかのように話を続ける。

 こくこくと、人形のように頷いていた春姫がふと首をかしげた。

 

「は、はい・・・え。二冊でございますか?」

「スロットは三つしかないし、魔法の発現もそれまでの経験値が物を言うからな。経験を積んだ方が強力な魔法は発現しやすいはずだ。二つ読んで使えそうなのが出なかったら、今回は諦める」

「わかりました」

 

 こくこく頷く春姫と頭を抑えて唸る紐神、それを白い目で眺めるリリを見つつイサミは話を続ける。

 

「それで、リリだが・・・」

 

 

 

 翌日、イサミは西の大通りをファミリアのホームに向かって歩いていた。

 東北東第二区画のヘファイストス・ファミリアで椿と打ち合わせを済ませた帰りである。

 注文書と手付けを渡した時の椿のこれ以上ないほどの真顔を思い出し、少し笑う。

 

 取りあえず事が終わるまでバイトは休みと言うことで、ヘスティアはホームで大人しくしてもらっている。

 ベルはシャーナとレーテーの二人を相手に特訓。エリクサーの減り具合を見るに、かなり無茶をやっているようだ。

 狐人の面目躍如と言うべきか、見事に使えそうな魔法を発現させた春姫はタケミカヅチのパーティに同行してダンジョン。

 交渉ごとに長けたフェリスにはあちこち飛び回って貰っている。

 そして、リリは・・・

 

「よう、久しぶり。どこ行ってたんだ?」

「げっ」

 

 気さくに手を上げて挨拶してくるその人物を見た瞬間、イサミの喉から自然に声が出た。

 

「げっ、はねえだろう、久しぶりに会ったのに」

「自分の胸に手を当ててよく考えてみろよ」

 

 やれやれ若い者はこれだから、とでも言いたげに肩をすくめる髭の超戦士、ロビラーに冷たい視線を浴びせるイサミ。

 もちろん極めつけに高いアーマークラスを誇るこの男の面の皮を、その程度で貫けるはずもない。

 

「で、何か用か? 年寄りの世間話に付き合うには、今ちょっと忙しいんだが」

「だから人を年寄り呼ばわりするんじゃねえよ。俺はまだ若いんだ。それと年上なんだから敬語を使え、敬語を」

「うわー、うざーい。これだから老害はなー」

 

 肩を並べて歩きながらじゃれ合う二人。

 自分を斬り殺しかけた人物であるのに、どういう訳かロビラーの前では素になれるイサミである。

 ロビラーも物怖じせず自分を煽ってくるイサミを気に入っている節もある。

 戦場で会えば間違いなく命を取り合う仲であるが、どこか奇妙な友情がこの二人の間にはあった。

 

「そう言えば何でついてくるんだ? ホントに世間話がしたいのか」

「アホぬかせ。お前が俺と同じ方向に歩いてるだけだ」

「ふうん? お気に入りの店でもあるのか?」

 

 ここ西のメインストリートは飲食店や酒場の並ぶ区域である。

 ある意味ストイックではあるが、一般的な意味での禁欲とは程遠そうなこの黒ひげの戦士を僅かに見上げ、イサミは首をかしげた。

 

「おう、中々にいい店でな。最近のお気に入りだ」

「ほほう。急に用事を思い出した。その店の前までは一緒に付き合ってやろう」

「これほど下心が見え見えなセリフを聞いたのは久しぶりだな」

 

 相も変わらぬ調子で心温まる会話を続けていた二人が、同時にぴたりと足を止めた。

 特に殺気や闘気をぶつけられたわけではない。

 ただ、その男の存在感そのものが二人の会話に割って入った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 二人の向かう先10mほど。

 無言で立つ猪人(ボアズ)の偉丈夫。

 防具こそ付けていないが戦闘衣、背中には大剣。

 オラリオに知らぬ者とてないその男こそ、"猛者(おうじゃ)"オッタル。

 

 あからさまな戦闘態勢でこそないが、このレベルに達した戦士にとっては弛緩と脱力こそが戦闘の準備態勢だ。

 その準備態勢を崩さぬまま、オッタルが口を開く。

 

「お前を訪ねたが、不在だったので戻るところだった。・・・何故その男と一緒に歩いている?」

 

 一般人にはわからない程度、ごく僅かにではあるがオッタルが緊張を強める。

 イサミとロビラーが顔を見合わせ、示し合わせたかのように互いを指さした。

 

「「こいつが俺につきまとってくるから」」

 

 オッタルの眉間の皺が深くなった。

 

「いや、俺は最初からメインストリートを西に歩いてたんだぜ。そこにくっついてきたのがおっさんのほうだろう」

「俺が歩いてたらお前が近寄ってきたんじゃねえか」

「先に声かけたのそっちだし」

「後の先という奴だ。それがわからんようではまだまだ青いな」

「俺脳筋の戦士じゃなくて、インテリの魔術師だしー。筋肉語じゃなくて人間の言葉で喋ってくれますかぁー」

「もういい」

 

 更に眉間の皺を深くしたオッタルが、そこで二人の言葉を止めた。

 この二人と会話する愚かしさを理解したのだろう。

 

「まあ立ち話もなんです。適当に店に入りませんか」

「・・・よかろう」

 

 周囲から視線が集まりはじめている。取りあえずイサミはこの場から立ち去ることにした。

 オッタルの好感度というか自分への評価のようなものが下がる音がピロピロピロ、と鳴るのを幻聴しつつ。



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19-9 喫茶ウィーシェ

「あっ」

「あら」

 

 同じ頃、ベルも裏道で人とばったり会っていた。

 特訓の合間、休憩がてらポーションとエリクサーを買い足しにミアハの「青の薬補」まで行った帰りである。

 

 その姿を見た瞬間、ベルの体が固まった。

 フードを下ろし、マントに身をくるんだ若い女。マントの上からでも女性らしい体つきがわかる。

 フードの隅からは、赤銅色の巻き毛が一房、胸に垂れていた。

 

「・・・・・・」

「? ああそう、お兄さんから私のことを聞いたのね。ちょっと残念。種明かしして驚いた顔が見たかったのに」

 

 くすくすと笑うグラシアに、硬い表情のまま沈黙を保つベル。

 

「まあいいわ、それじゃあね」

 

 身を翻したグラシアに、意を決してベルが声を掛ける。

 

「あっ、あのっ!」

「あら、なに?」

 

 体は振り向かず、視線だけを僅かに後ろに流す。

 

(ああ、やっぱりこの子は素敵ね。きらきらしてる)

 

 なんとか自分の言いたい事を表現しようと、必死に言葉を探すベル。

 その不器用さもグラシアには愛おしい。

 

「その、助けて貰って、ありがとうございますって言いたくて、でも、その、前にリリや僕にキラーアントをけしかけたのもあなただって・・・」

「そうよ? それがどうかした?」

 

 あっさり言われて絶句するベル。

 

「で、でもグレイシアさん、じゃなかったグラシアさんは僕を助けてくれて、それだけじゃなくて、リリやヴェルフやタケミカヅチの人たちも、その、だから・・・」

「だから?」

「え、ええと・・・」

 

 困り切っているベルを楽しそうに見下ろすグラシア(身長はグラシアの方が頭半分ほど高い)。

 振り向いて、すっ、とベルの手をとった。

 

「え、ええっ!?」

「女の口説き方を知らないのね。こう言う時は、まず喫茶店にでも連れ込むものよ」

「い、いえっ! そういうことじゃなくて! あああああ!」

 

 真っ赤になりながらグラシアの手をふりほどこうとするが、意外にも強い力で振り払えない。

 ふわり、と甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。

 そのまま彼は手を引かれ、グラシアに連行されていった。

 もっともベルが女性の手を本気で振り払えるかと言われれば、はなはだ疑問符が付くところではある。

 

 

 

「意外ですね」

「よく言われるよ」

 

 店の前で何故か自慢げに胸を張るロビラー。

 一方オッタルは顔をわずかにこわばらせる。

 

「なにか?」

「・・・いや、なんでもない」

「三人様いらっしゃいませニャー!」

 

 そうして男達は夜は酒場、昼は喫茶店を営業している『豊饒の女主人』亭に入っていった。

 テーブルに着くと、イサミとも顔見知りの猫人のウェイトレスが注文を取りに来る。

 

「あ、ホールケーキのオッちゃんにゃー。いつもの日替わりニャ?」

「おう。それとナブレット葉の紅茶1ポットな」

「かしこまりましたニャー」

「「・・・・・」」

 

 明らかに手慣れた様子で注文するロビラーを凝視するイサミとオッタル。

 冒険者は桁外れの身体能力を誇る分、食事量もまた多い。

 二人前三人前食べるのは珍しくもないが、さすがにホールケーキ一気食いはそうそうない。というか胸焼けする。

 

「虎の兄ちゃんもホールケーキかにゃ?」

「普通のをお願いします。おすすめケーキセット一つ」

「だんち・・・猪人の人はどうなされますかにゃ?」

「・・・・・・・・」

 

 表情は余り変わらないが、明らかに困ったオーラを出しているオッタル。

 口を開こうとして、

 

「水は無しですにゃ。お酒も」

「・・・紅茶を一杯貰おう。そちらと同じのでいい」

 

 ウェイトレスに機先を制された都市最強の冒険者は、憮然としつつ注文を終えた。

 

 

 

 ケーキと茶がやってくると、ロビラーはモリモリと、イサミは普通にケーキをつつき始めた。

 オッタルは運ばれてきた茶にも手をつけず無言のまま。

 

 昼下がりの喫茶店、いずれも2m級の筋骨たくましい男達が額を寄せ合ってケーキを囲む光景は、いかにオラリオが冒険者の街だと言っても余りに異様というか微妙で、周囲の客の注目を集めずにはおかない。

 しかもその内一人はあの"猛者(おうじゃ)"なのである。

 ウェイトレスたちも肩を寄せ合ってヒソヒソ話に興じ、一方女将は苦虫をかみつぶしたような顔でそれを見ていた。

 

「・・・それで、何故お前はこの男と一緒にいたのだ、イサミ・クラネル?」

「いや本当にバッタリ会っただけなんですよね。敵同士で会話するなと言われればその通りですが」

「別に今度会った時に手心を加えてやったりはしないから安心しろよ」

「いらないしー。むしろ手心を加えてやろうか考えてるところだしー」

「おー、言う言う。前にやったときは泣いて這いつくばって許しを請うてたのになー」

「記憶を自分の都合の良いように改変するのは老化の徴候らしいぜ、おっさん」

「・・・」

 

 オッタルの仏頂面に、そろそろ潮時かなと見たイサミが話をまじめな方向に修正しようとしたが、その前にロビラーが口を開いた。口元のひげに生クリームが付いている。

 

「そう言えばオッタル殿、前に言った剣は見つかったか?」

「・・・いや。今日イサミ・クラネルを訪ねたのもその件だ。貴公の剣と打ち合える、かなうならば不壊属性武器(デュランダル)を鍛えてもらおうとな」

 

 一瞬言おうかどうか迷ったようであるがロビラーがそれでどうこうすることはないと思ったのだろう、結局オッタルは包み隠さずに目的を口にした。

 

「ああ。確かにな。こいつの作った武器は姫さんも評価してたぜ」

「姫ってグラシアが? それは意外だな」

「あれでも九層地獄の一つを統べる大公だ。そりゃ見る目もあるだろうさ」

「うーむ。しかし"あれ"と打ち合える武器か・・・」

 

 ロビラーの腰にちらりと視線を向ける。

 剣帯から下がっているのは邪神アイウーズが鍛えた黒き地獄の魔剣"ブレード・オブ・ブラックアイス"。単に強いだけの剣ならイサミも作れるが、さすがに相手が伝説中の伝説では即答はしかねた。

 腕を組んだイサミをオッタルが見やる。

 

「無理か?」

不壊属性武器(デュランダル)自体はできなくはありません。ただ、不壊属性を維持しつつ"あれ"と互角は保証しかねます」

 

 はっきりと断言するイサミにオッタルは頷く。

 

「打ち合えればいい。最後まで折れなければ」

 

 にやり、とロビラーが笑った。

 

「ご予算は?」

「言い値で」

「わかりました。不壊属性以外に何かご注文は? 火炎をまとう剣や守りを強化する剣もありますが」

「曲がらず、折れず、できるだけ切れ味がよければそれでいい」

 

 イサミが頷いた。いつの間にか職人の目になっている。

 

「承りました。形状は大剣(グレートソード)で?」

 

 オッタルが無言で頷く。

 

「ではこれからうちのホームにご足労願えますか。握りや太刀筋など、見せて頂きたいのですが」

「わかった」

 

 すっかり冷めた紅茶を一息に飲み干し、硬貨数枚を置いてオッタルが立ち上がる。残ったケーキを口の中に放り込んでイサミもそれに続いた。

 

「ではロビラー殿。いずれまた」

「じゃあそういうことでまたな、おっさん」

「おう。楽しみにしてるよオッタル殿――小僧、気合い入れて仕事しろよ。剣のせいでオッタル殿が負けるようなら、口には出せないような目に会わせてやるからな」

「やだー、こわーい。このおじさん変態ですぅー」

「気持ち悪いからやめるニャ」

 

 割とマジ顔で横からウェイトレスに突っ込まれ、イサミが居住まいを正す。

 

「勝つかどうかはわからんさ。俺は自分の全力を剣に込めるだけだ」

「・・・はっ」

 

 無言でその表情を見ていたロビラーが破顔する。

 これまでのからかい半分のそれではない、純粋な笑顔だ。

 

「結構! オッタル殿もだが、お前の剣も楽しみにしてるぜ、小僧」

「そいつはどうも」

 

 肩をすくめて猪人と一緒に立ち去るイサミの背中を楽しげに見つつ、ロビラーは紅茶とホールケーキのお代わりを注文した。

 後日、剣と同時に請求書を受け取ったオッタルの顔面がひどく愉快なことになったのはヘスティア・ファミリアの面々しか知らない秘密である。

 

 

 

 喫茶ウィーシェ。

 南西のメインストリートから北に入った所にある、ひっそりとした店だ。

 小洒落た店内にはエルフの店主が焙じる茶葉の香りが漂い、数組のカップルが静かに雰囲気を楽しんでいる。

 

 もっとも、グラシアに手を引かれて無理矢理連れてこられたベルは雰囲気を楽しむどころではなかった。

 「豊穣の女主人」亭やシルなどで多少慣れたとは言え、基本北の果ての田舎者である。

 いわゆる「おしゃれな喫茶店」などは鬼門と言えた。

 

 しかもシルやエイナは美人と言っても酒場やギルドの看板娘レベル。ヘスティアやリリ、下手をすると春姫も(ベルの認識では)「年下の女の子」であるのに対し、グラシアは大人の女性、しかも掛け値無しの絶世の美女である。

 これに並ぶレベルとなると美の女神か、女神より美しいと称されるハイエルフの王女あたりを連れてくるしかない。

 ガチガチに緊張するベルを、ほおづえを突いたグラシアが楽しげに眺めている。

 

「それで? 私と話したいことがあるんでしょう?」

「は、はい! その、助けてくれてありがとうございましたって・・・」

「馬鹿ねえ。だからそれはいいって言ってるでしょう。助けたのはこちらの思惑。それ以前に場合によってはあなたやあなたの仲間を殺していたかもしれないのよ?」

「そ、それはそれ、これはこれです!」

「まじめねえ・・・まあ嫌いじゃないけど」

「ひうっ・・・!?」

 

 つつっ、と。絹のようにきめこまやかな指がベルの顎をなぞる。

 奇声をあげようとして、場所柄を思い出して辛うじて耐えたベルは、真っ赤になってうつむいてしまった。

 うつむいた少年の鼻腔をほのかに甘い花の香りがくすぐる。

 17階層で助けられた時、先ほど手を引かれたときにも感じた、春に咲く花の香り。この女性が本当に悪魔だというのなら、全くそぐわない香りではないかとベルは思った。

 ベルが顔を上げ、改まった表情になる。

 

「・・・その」

「なにかしら?」

「あなたは本当に悪魔なんですか?」

「・・・・・・・・・・ぷっ。あは、あははははははははは!」

 

 いきなり笑い始めたグラシアに店内の目が集まるが、すぐに逸れた。

 ひとしきり笑った後、憮然とした顔のベルにグラシアが視線を戻す。

 

「・・・そんなに笑うことないじゃないですか」

「だって、笑うわよそりゃ。あなただって、『あなたは人間ですか』って言われたら何かと思うでしょ?」

「それは・・・そうですけど」

「私は紛れもなく悪魔よ。九層地獄を統べる悪魔の中の悪魔アスモデウスの娘にして第六階層の支配者グラシア・・・まあ、ここにいる私は分身だけどね」

「ええっと、"分体(アスペクト)"、でしたっけ」

「そうそう。本人はそう気軽に九層地獄を離れるわけにはいかないからね」

 

 ベルが黙り込む。

 

「何かしら?」

「でも・・・」

「でも?」

「グラシアさんは・・・いい人だと思います」

 

 今度のグラシアの笑い声は先ほどに倍する音量と、十倍するほどの音楽的な響きを伴っていた。

 周囲の人々――店主も客もそれに聞き惚れ、中には男女問わず頬を染めているものもいる。

 声の響きに聞き惚れたかそれとも羞恥か、同じく頬を染めつつベルが反論した。

 

「何がおかしいんですか!」

「馬鹿ねえ。私は悪者に決まってるじゃない。だって悪魔なんだもの!」

 

 グラシアが心底おかしそうに、そして楽しそうに断言するが、ベルは揺らがない。

 

「そんなの知りません! グラシアさんはグラシアさんです!」

「あのねえ。二回か三回会っただけの相手を、どうしてそこまで信用できるわけ? まして――女を相手に」

 

 男ならたまらないたぐいの、ぞくり、と来る笑みを浮かべるグラシア。

 背筋を駆け上り、とろかしてしまうような刺激。

 

「わ、わかりません! わかりませんけど――グラシアさんはいい人です!」

「・・・」

 

 顔を真っ赤にして、それでもきっぱりと言い切ったベルに、今度こそグラシアは沈黙した。

 純粋さ、まぶしさ、一本気。

 元より"秩序の悪魔(デヴィル)"であるグラシアは悪でこそあるが名誉や不変の誓い、誠実さと言った物を尊ぶ傾向がある。

 だが今のベルは、それらを越えてとてもまぶしく尊く――グラシア風に言うのであれば、美しかった。

 

「ふう・・・」

「ぐ、グラシアさん?」

「なんでもないわ」

 

 他人の目を引きつける美の悪魔であるはずの自分が、他人に見とれていては世話はない。

 心の中でグラシアは苦笑した。

 

「やっぱりあなたは素敵ね。でももう少し手練手管を覚えなさい――そうしたら、口説かれて上げてもいいわよ」

「え・・・ええっ!?」

 

 ちゃりん、と硬貨がテーブルに落ちる音がする。

 ベルが目をしばたたかせた次の瞬間、グラシアの姿は店内から消えていた。




うーん、グラシア様が単なる年上のエロいお姉さんになっている・・・
初期構想時は眼鏡ひっつめ髪の生真面目なやり手美人OL(ただし真性サディスト)がベルくんにほだされる感じだったはずなのに・・・



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19-10 麗傑(アンティアネイラ)

何かもういい加減長くなってますが、まだ序盤終わったくらいです。
色々なキャラの活躍盛り込もうと思ったらプロットが長くなりすぎた。


 何とも言えない心持ちのまま、ベルはホームに戻ってきた。既に日は傾き、夕方と言っていい時刻になっている。

 どこか心此処に在らずといった面持ちで、だからだろうか。

 声を掛けられるまで彼女に気付かなかったのは。

 

「ちょっといいかい、【リトル・ルーキー】?」

「!」

 

 美しいアマゾネスだった。

 170cmを越えるすらりとした長身にアマゾネス特有の黒髪褐色肌。

 発達した胸と尻を丈の短い布に押し込め、踊り子のような透ける薄衣のズボンらしきものを履いている。

 手には布包み。その他には宝石しか身につけていなかった。

 

「えっと・・・あなたは?」

「んー・・・」

 

 イシュタル・ファミリアと言えばアマゾネスである。しかも〈神の宴〉でいきなり襲われたばかりだ。

 更に言えば明らかにLv.3かそれ以上の実力者のたたずまい。

 自然警戒を深めるベルに、女は難しい顔で頭をかく。

 

「まあ、その、なんだ。あんたが警戒するのは当然だし、私は確かにイシュタル・ファミリアなんだが・・・変な事はしないさ。ばれたら〈戦争遊戯〉が一発でおじゃんだからね。ほら、武器も持ってないだろ?」

「・・・」

 

 布包みを足元に置き、両手を上げる女。それでもベルは警戒を解こうとはしない。

 最初にああも盛大にやらかされてしまっては、いくら純朴といっても限度がある。

 困り果てた顔になって、女が溜息をついた。

 

「えーと、だね。あたしは"麗傑(アンティアネイラ)"アイシャ・ベルカ。イシュタル・ファミリア所属のLv.4。春姫と話をさせてくれないかな。あたしの名前を伝えて、春姫が嫌だと言ったら素直に帰るよ」

「うーん・・・うん? アイシャさん?」

 

 どこかで聞いたような、と首をかしげるベル。

 その時、廃教会の玄関口から現れた人影があった。

 

「あれ? 遅いよぉ、ベルちゃーん。ミアハさまのとこまでどれだけ・・・アイシャちゃん!?」

「あっ」

 

 レーテーが顔色を変えたのを見て、ベルは思い出した。

 かつて春姫を救おうとして失敗し、レーテー、当時のフリュネに痛めつけられたアマゾネス――その名がアイシャであったことを。

 

 

 

「・・・あんた誰?」

 

 一方でアイシャは不審げな顔であった。

 まあ、かつてのフリュネと今のレーテーを見て、同一人物だと看破できる人間は多分いるまい。

 

「あ、変装してるからわからないんだ! ほら、これでわかるでしょ!」

「わかるか!」

 

 変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)を取って、狼耳の獣人からアマゾネスの姿になるレーテー。

 根本的なところでずれている。

 アイシャに二人が同一人物であると納得させるまで、十分くらいの時間がかかった。

 

「まさか本当にイシュタル様の言った通りとはねえ・・・あっ。

 そうか、あんたがいなくなる前に現れた、でかい変なアマゾネスってのはあんたのことか!」

「変ってひどぉい! 誰もレーテーのことフリュネだって信じてくれないんだもん!」

「だからわかんないって・・・」

 

 うーとすねるレーテーはそれはそれでかわいいのだが、何せ身長が2m30だ。イサミやオッタル、かつてのフリュネよりも頭一つ大きい。

 顔立ちはもちろん体型もすらりと均整の取れたものに変化していて、これで分かれというのはさすがに無理があるとベルですら思わずにはいられなかった。

 

「それで、あたしに何の用だい。春姫に会わせないつもりか? それとも・・・いや、そもそも何故春姫をさらった。あいつの妖術を使って成り上がろうって魂胆かい?」

「それは・・・」

「そんなことしません! 春姫さんは僕たちが絶対に守ります!」

「へえ」

 

 口ごもるレーテーに代わってベルが声を上げた。

 アイシャが、新たな興味をもってこの白髪の少年を見る。

 

「つまり、あんたたちは春姫を守る為にさらったと?」

「そうです! 少なくとも、兄さんとレーテーさんと僕はそのつもりです! 多分他の人たちも!」

 

 軽く驚いた表情になって、アイシャがレーテーに視線を移した。

 

「あんたが・・・?」

「うん・・・私たち春姫ちゃんにひどいことしちゃって・・・その時にアイシャちゃんにもひどいことしちゃったから・・・ずっと謝りたかったの。ごめんね、アイシャちゃん」

「・・・あんた、ほんとにフリュネなのかい?」

 

 目を丸くするアイシャ。

 確かにかつてのフリュネを知っていた者からすれば、今の彼女は外見以上に別人にしか思えないだろう。

 

「その、ですね。兄が魔法で心を治したときに副作用でこんな感じになったというか・・・僕にもよくわからないんですけど」

「はあ・・・」

「ううっ」

 

 まじまじと見られて縮こまるレーテー。

 ちょっとかわいいとベルもアイシャも思ったが、二人とも口には出さない。

 ややあって、アイシャが溜息をついて肩をすくめた。

 

「まあいいさ、済んだ事だ。それにあたしの代わりに春姫を逃がしてくれたんだ、それで帳消しにしてやるよ」

 

 レーテーの顔がぱあっと明るくなった。

 

「わーい! ありがとう、アイシャちゃん!」

「ふわっ!?」

 

 アイシャを抱きすくめて顔中にキスの雨を降らせるレーテー。

 目を白黒させてアイシャがもがくが、なにせ文字通り大人と子供くらいの体格差である。為すすべもなく口づけの嵐を受けて悲鳴を上げるしかできない。

 

「あ、それじゃ僕はこれで・・・」

「ちょっと待て! 逃げるな! これなんとかしておくれよ!

 あ、だめ、ふわぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「あーもうアイシャちゃんかわいいー!」

 

 自分にとばっちりが来たらかなわない、とばかりにそそくさとこの場から退散しようとするベル。

 必死でそれを押しとどめようと懇願するアイシャ。

 そんな事に気付かずにキス魔モードが暴走するレーテー。

 結局ベルが良心の呵責に耐えきれず、レーテーを必死で止めるまでハグとキスの嵐は続いた。

 

 

 

「それで、アイシャちゃんはどうしてウチに来たの?」

「最初からそう聞いてくれないかねえ・・・まあともかく、春姫に会いに来たんだよ。後忘れ物を届けにね」

 

 ひどく疲れた顔になり、最初から持っていた布包みを掲げるアイシャ。

 

「うん、わかった。それじゃ呼んで来るね」

「え、大丈夫なんですか?」

 

 あっさり頷くレーテーに驚くベル。

 

「アイシャちゃんなら大丈夫だと思うよぉ。回りに誰かいる感じもしないし」

「あーまあ、イシュタル様ならやりかねないか・・・【リトル・ルーキー】、あんたが呼んできてくれればいいんじゃないか?

 あたしと、他に多少伏せてるのがいても、こいつがいればどうにかなるだろ?」

「うーん・・・」

 

 ちらり、とレーテーを見上げるベル。

 笑顔のまま、レーテーがノータイムで頷く。

 

「最初にも言ったけど、春姫が嫌がったらこのまま帰るよ。ただ、こいつだけは渡しておいてくれないかな。

 あんたの兄貴は【神秘】アビリティ持ちだって聞いてるし、変な細工があるかどうかは調べりゃわかるだろ」

「・・・わかりました」

 

 頷くと、ベルは廃教会の中に入っていった。

 




ふと思ったけど、レーテーの意識の中ではかつてと今とで
自分自身で認識している「自分の姿」にさほど差がないのかもしれない(怖


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19-11 アイシャと春姫

 

 アイシャの名前を聞いた途端、春姫は飛び出した。

 慣れない迷宮探索で蓄積している疲労も忘れて、もつれる足で走り出す。

 慌てて追いついたベルが支え、一緒に階段を駆け上がって廃教会の外に出る。

 

「あ、アイシャさん!」

「え、あんた・・・?」

 

 飛び込んできた東洋系のヒューマンの少女をアマゾネスが抱き留める。

 声こそ春姫のものだが、外見はタケミカヅチ・ファミリアのヤマト・命。ちらりと視線を飛ばされたベルが頷く。

 そのまま泣き始めた春姫の頭を、アイシャは優しく撫でてやった。

 

 

 

「あ、ごめんなさい。この外見だとわからなかったですよね・・・」

「わかるさ。相変わらず泣き虫だからね」

「もう、アイシャ姐さんったら・・・」

 

 しばしのち、泣きやんだ春姫はようやくアイシャと顔を合わせた。

 今までからは想像もつかない優しい表情で、アイシャはその頭を撫でてやっている。

 いつの間にかイサミとシャーナ、ヘスティア、リリやフェリスも玄関口でその様子を見ていた。

 

「まあ元気そうで安心したよ。こっちの水があってるみたいだね」

「はい。みなさんよくしてくださいます」

 

 居並ぶヘスティア・ファミリアの面々を見渡し、にっこりと笑う春姫。

 そして白髪の少年に視線を飛ばした一瞬、表情が微妙に変化したのをこの百戦錬磨のアマゾネスは見逃さなかった。

 

「へーえ・・・で、春姫の本命は【リトル・ルーキー】ってわけかい」

「ファッ!?」

「そ、そんな・・・」

 

 悪戯っぽい表情のアイシャ。ベルと春姫が頬を染め、ヘスティアとリリがむっとした顔になる。フェリスはチェシャ猫のような表情。

 

「そーだよぉ。春ちゃんはベルちゃんが大好きなの。ねっ?」

「れ、レーテーさま!」

 

 顔を真っ赤にした春姫が抗議するが、レーテーはニコニコするばかり。紐女神などはこめかみをぴくぴくさせ始めたが、さすがに横やりは入れない。まあ入れようとしたら、叫ぶより早く横の大男が口を塞いでいただろうが。

 くっくっ、と喉を鳴らして笑っていたアイシャが、表情をまじめな物に戻した。

 

「まあ春姫を守ろうってのはいいさ。でも、守りきれるのかい?

 知ってるだろうがこいつの妖術は桁外れだ。"うち(イシュタル)でも都市最強(フレイヤ)に勝てるかも知れない"ってイシュタル様が夢見ちまうくらいにはね」

 

 アイシャの主神イシュタルは、同じ美の女神であるフレイヤにライバル意識を持っている。憎んでいると言ってもいい。

 理由は単純。他の女神が自分より称賛されているのが心底気にくわないのだ。

 

「もう春は・・・春姫はあの術は使えません。イシュタル様の【恩恵】に全て置いてきました」

「そうかい。でも『また発現するかも知れない』ってだけであんたを狙う理由になる、そう考える奴らはいるんだよ? イシュタル様に限らずね」

「それは・・・」

 

 居並ぶヘスティア・ファミリアの面々を見渡すアイシャ。イサミやレーテーはもちろん、シャーナやリリなど、そう言ったオラリオの裏も知る面々は厳しい表情になっている。

 

「つまりあんたたちは春姫を手元に置いておくだけで、そうした連中に延々と付け狙われる可能性があるってことさ。

 春姫が生きてる限りずっとだ。仮に今回守り切れたとして、今後もずっと守りきれる保証はあるのかい?

 まかり間違えば、ギルドやフレイヤが手を出してくることだって無いとは・・・」

「守ります!」

 

 アイシャの言葉を遮り、ベルが言い放った。

 

「ギルドが相手だって、オッタルさんたちやロキファミリアの人たちが相手だって、僕たちは戦います! 絶対に!」

 

 はっ、と。その言葉をアイシャが鼻で笑う。

 

「たかがLv.3の小僧が何を吼えてるんだか。ちやほやされて勘違いしてるんじゃないかい?」

「勘違いなんか・・・してません!」

 

 少年の脳裏によぎるのは憧憬であり、慕情である少女の姿。

 心の中に彼女を住まわせている限り。想いが途切れない限り。ベル・クラネルが慢心することはあり得ない。

 その目の光に覚えた喜びを押し隠して、アイシャは挑発を続ける。

 

「口だけなら何とでも言えるよ。あんたなんか"猛者(おうじゃ)"や"勇者(ブレイバー)"どころかあたしにだって勝てないさ」

「勝ちます!」

「じゃあ勝ってみな。《戦争遊戯(ウォーゲーム)》であたしのことを倒してごらんよ。そうしたら認めて上げるさ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 もはやベルに言葉はない。その瞳に燃える炎が何より雄弁に答えを返す。

 胸の鼓動が高鳴るのを感じつつ、アイシャは今度こそ獰猛な笑みを浮かべる。

 

「アイシャ姐さん・・・」

「ああ、そうそう。こいつがあったね。忘れ物だよ、春姫」

「これは・・・」

 

 布包みを渡すアイシャ。

 中身を確かめた春姫がそれを大事そうに胸に抱く。

 ちらりと見えた紋様に覚えがあるような気がして、春姫を助けだしたときに彼女が着ていた緋の打掛衣裳だとイサミは思い出した。確かあれは、春姫の本来の体にそのまま着せてきたのだったか。

 

「それじゃあね。あんたも出てくるかどうか知らないけど・・・ま、がんばりな」

 

 春姫の頭を優しく撫でてやり、アイシャはきびすを返した。

 最後にちらりとくれた視線に対し、女神は腕を組んで自慢そうに胸を張り。シャーナは肩をすくめ。レーテーはにこにこ笑い。そしてイサミはニヤリと笑った。

 ニヤリと笑い返し、こちらを睨むベルにも最後に一瞥くれると、アイシャはその場を立ち去った。

 後ろの面々に見えないところで満足げに笑いながら。

 

 

 

「乗せられたな、ベル」

 

 遠ざかっていくアイシャの後ろ姿を見つつ、イサミがベルの肩を叩いた。

 

「え?」

「ああもうそれでこそベルくんだけどそれがボクじゃなくてお春くんのためだっていうのがもう!」

「あ、いやその」

 

 嬉しいやら腹が立つやらで頭を抱えてがーっと吼える紐神、ぶすっとした表情を隠さないリリ、カナリヤを見つけた猫のような顔で春姫に絡んで顔を真っ赤にさせているフェリス。

 

「やれやれ、勝手に代弁してくれやがって・・・まあ、若いもんのケツを持ってやるのも年長者の役割だがな」

「いちいちおっさんくさいですねえ」

「うるせえよ」

 

 イサミのすねを蹴る(外見は)可憐なエルフの少女。

 そして全ての中心にいる少年は、たった今アイシャに啖呵を切ったのと同一人物だと思えないくらい、ぽかんとしたまぬけ面で棒立ちしていた。

 

「ええと、一体何が・・・」

「あーもう、ベルちゃんかわいーっ!」

「うわーっ!?」

 

 まあ、数秒後にはレーテーのハグとキスの嵐にもみくちゃにされることになるのだが。



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19-12 戦争初日

 オラリオ東南80km、シュリーム古城。神会(デナトゥス)から四日後の朝。

 アポロン、イシュタル、ソーマ各ファミリアと、ロキ、カーリーの助っ人たちは準備を終えて城の中に立てこもっていた。

 アポロン・ファミリアの女性団員の一人が何やら騒いでいたが、いつもの事と誰も気にも止めない。

 立ち会い人のガネーシャ・ファミリア団員の宣言のもと、曙光と共に門が閉ざされ、全員が戦闘態勢に入る。

 

 ――そして何事も起こらないまま日が暮れた。

 ヘスティア・ファミリアが宣戦を布告すれば、近くのアグリスの町から狼煙が上がることになっている。

 しかし、この城の中で誰より鋭い目を持つハイエルフのリヴェリアですら、煙のけの字も見つける事はできなかった。

 

 日没後、テーブルと椅子を持ち込んで食堂として使っている大広間の一角。

 「臆病者のヘスティア・ファミリア」を笑う他ファミリアの構成員たちに紛れてフィン達の姿があった。

 

「やはり、初日は外してきたか」

「だろうな。よほど自信があるのでなければ、相手の気力が一番充実しているタイミングで仕掛けはすまい」

 

 フィンの言葉に頷くのは対面に座るリヴェリア。

 その横で黙々と食事を口に運ぶガレスも頷く。

 

「まあ適当にダレて気が緩んだところでかかってくるか、それとも30日ギリギリになり、ワシらが疲弊したところを攻める算段か。

 どちらにせよ長期戦は覚悟しておいた方がよさそうじゃの」

「ああ。籠城で意外にきついのが精神的疲労だ。外に出られず、気晴らしもろくにない。鬱屈が溜まり、正常な判断ができなくなる。

 人間関係もぎくしゃくし、些細なことで喧嘩が起きるようにもなる。ましてや今回は寄り合い所帯かつ人も多い。イサミ・クラネルならその程度は考えているだろう」

 

 揃って頷くリヴェリアとガレス。

 

「ギルドの図書館の本を全て読破した、というのが事実なら彼はオラリオには勿体ない男かもしれんな。『学区』に籍を置けば、間違いなく当代有数の学士として名を残しただろう」

「まあやりたいことと才能が一致してるとは限らんからの。それにおまえさん(リヴェリア)を除けば、やっこさんは掛け値無しにオラリオ一の魔導士だ。それはそれで勿体ない」

 

 そうだね、と頷くフィンの右頬にやわらかいふくらみが当てられた。

 

「気晴らしナラ、やはり女ダナ。今夜お前の寝床で奉仕しよう。イイナ?」

 

 笑顔のまま固まるフィンの表情。

 それとともに、今度は左頬に同じようなやわらかいふくらみが当てられる。

 

「あら、団長はあなたみたいながさつな女は好みじゃないのよ? 都会の流儀を身につけてない田舎者は、そのへんの草むらでトカゲでも相手にしてなさいな」

「ホウ、ということはお前は随分とフィンの(ねや)に呼ばれているのだろうナア? 是非話を聞かせて貰いたいものだが」

「・・・この年増が」

「小娘ェ・・・」

 

 互いに胸にフィンの頭を抱え込んだまま、その頭上で火花を散らすアルガナとティオネ。

 二人の視線がぶつかる空間に、本当に火花が見えそうな一触即発の空気。

 威勢のいい話で盛上がっていたアポロンファミリアの団員たちが、ぎょっとして二人の方を振り向いた。

 

 笑顔で固まったままのフィンが、助けを求めるように視線を送る。

 それに対してガレスは露骨に視線を逸らして食事を詰め込み、リヴェリアは優雅に茶を口にした。

 

 

 

「はあ・・・」

「グギギギギギギギギ……」

 

 一方、遠くに逝ってしまった姉を隣のテーブルから眺めるのは、アルガナの妹バーチェ。

 フィンの頭を両側から挟み込む四つのふくらみを、人を殺せそうな視線で睨んでいるのはティオネの妹ティオナ。

 同じテーブルに着いているアイズとレフィーヤが一筋の冷や汗を浮かべていた。

 

 

 

「丁度いい。今度こそ決着付けてやろうじゃねえか。表へ出ろ!」

「イイダロウ。どちらがフィンにふさわしい雌か、思い知らせてヤル」

「二人とも、城壁からあまり離れたら失格だから気を付けろよ」

「何でそんなに冷静なんじゃおまえさん(リヴェリア)は」

「あー、二人とも。戦争遊戯が終わるまでは私闘禁止だ。僕たちは勝たなきゃならないからね。ここでエリクサーやらなんやらを消耗するわけにはいかない」

 

 今にも本当に外に出ていこうとしていた二人が、フィンの言葉でぴたりと止まった。

 

「・・・ヨシ、なら敵の一級冒険者をどれだけ倒したかで勝負ダ」

「・・・いいでしょう。一級冒険者の数が同じなら、二級の数で」

「決まりダ! これで私がフィンを独り占めする!」

「上等だァ! 団長の操は私が貰う!」

 

 チンピラのごとくメンチを切り合う二人のアマゾネスを見て、フィンは深い深い溜息をついた。

 

 

 

「アルガナは変わった・・・変わってしまった・・・だがそのおかげでもうアルガナと戦う事はない・・・

 私は喜べばいいのだろうか、それとも悲しめばいいのだろうか・・・」

「うんまあ、喜べばいいんじゃないかな・・・」

 

 隣のテーブルでは妹たちが遠い目をしている。

 最初はティオネもまだ大人しかったのだが、加減というものを知らないアルガナに対抗していくうちに本性が現れ、いまやご覧の有様であった。

 

「でも、こうしてバーチェとお茶を飲めるのは嬉しいかな。ずっと、こうしたかったんだ」

「・・・私もだよ」

 

 にっこりと笑うティオナにつられ、バーチェも僅かに微笑んだ。

 

 

 

「けっ、面白くもねえ」

 

 一人の狼人が何をするでもなく城内をうろついていた。

 差し渡し100mほどの城の中は500人も入ると一杯一杯で、あちこちのテントで雑魚寝している平団員も少なくない。

 そうした団員たちも手持ちぶさたにうろうろしていたが、二つ名の通りの凶相とその雰囲気から、出会う誰もがその男を避けていた。

 "凶狼(ヴァナルカンド)"ベート・ローガ。

 

「ねーねーベートー。何が面白くないのさー?」

「うるせえ。黙ってろまとわりつくな息をするな」

 

 回りをちょろちょろとつきまとう小柄なアマゾネスを拳でこづく。

 前は本気で殴り倒していたのだが、強く殴るほど喜んでいる気がして怖くなったのでやめた。

 

「えへへー」

 

 にへら、と表情を緩ませるアマゾネスの少女、レナ・タリー。

 その様子を見たら、確かにこづかれて喜んでるようにしか見えない。

 イシュタル・ファミリアの団員であるこの娘は先だっての事件の絡みでベートに殴り倒されて以来、こうしてベートにつきまとっているのだった。

 殴れば殴るほど喜ぶし、罵倒されてもけろりとしているし、挙げ句の果てには惚れた雄に殺されるなら本望とまで言い放つこの娘に、文字通り一匹狼を通してきたこの男はほとほと参っていた。

 まあ神々の言葉で言うなら「クソ狼爆発しろ」なのであるが。

 

「・・・ん」

「うん? どしたの?」

「黙ってろ」

 

 ベートが不意に足を止めた。横のレナがまとわりついてくるが無視。

 その視線の先には小姓のような(ベートから見れば「ひらひらした」)格好の小人族がいる。胸にはアポロン・ファミリアの紋章。

 くんくん、とベートが鼻を鳴らした。

 

「あ、あの。なんでしょうか?」

 

 自分が見られていることに気付いたのか、不安そうな顔で尋ねてくる小人族。名前は確かルアンとか呼ばれていたか。

 どこぞの酒場でアポロン・ファミリアがヘスティア・ファミリアに喧嘩を売ったとき、執拗にあのガキを挑発していたやつだと、ベートは思い出した。

 だが・・・

 

「っ・・・」

 

 じろり、と視線に力を込める。冷や汗を浮かべたルアンが一歩後ずさった。

 そのまま僅かに時が流れる。

 

「ふん」

「あ、ちょっと待ってよベートー!」

 

 ベートがきびすを返し歩み去る。

 肩を落として安堵の息をつくルアン。

 そのルアンをちらっと見やり、レナは狼人の後を追った。

 

「ねえねえ、あの小人族がどうしたのさベート?」

「どうもしねえよ。俺は弱っちい奴も、弱っちい奴がこすい事をやるのも嫌いなだけだ」

「あー。アポロン・ファミリアがヘスティア・ファミリアに因縁付けたときのこと?」

 

 その問いには答えず、ベートはむっつり顔で歩き続けた。




城のサイズと護り手側の人数ですが、原作で「100人で守るには広すぎる」とあり、とはいえ100人で守れないほど広すぎもしないようなので、色々勘案して差し渡し100m(これだと適正人数300人くらい)。
人数についてはソーマとアポロンが100人超程度、イシュタルは春姫の儀式の時に上級冒険者の「大半」を集めて100人。
(桜花とヴェルフの行く手を阻んでアレンに瞬殺されたやつとか、儀式場以外にもLv.3がいたりします)
ということでイシュタルの上級冒険者の数が150人、大体Lv.1とそれ以外の比率が半々なのでイシュタルが全部で300人。あわせて500人超くらい、という感じ。


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19-13 ヴェルフとゲド

 同じ夜、オラリオ。

 ヘスティア・ファミリアのホームに続く路地でばったりと顔を合わせた二人の男がいた。

 

「お? よう、しばらくぶりだな。元気だったか」

「・・・ああ」

 

 片手を上げて気さくに挨拶をしたのは、目つきは悪いが割と気はいいオグマ・ファミリアの上級冒険者、ゲド・ライッシュ。

 言葉少なに挨拶を返すのは着流しの鍛冶師、ヘファイストス・ファミリアのヴェルフ・クロッゾ。

 彼らは共に人造迷宮の暴走による封印外世界への転移に巻き込まれ(というか起動したのはゲドなのだが)、一月ほど同じ釜のメシを食った間柄である。

 ゲドがもっと記憶力が良ければ、ヴェルフの背中の長い布包みが封印外世界で彼が持っていた物と同じであると気付いたかもしれない。

 

「おまえさんもヘスティア・ファミリアのホームに行くところか? あれ、でもヘファイストスから出るなら"単眼の巨師(キュクロプス)"だよな。どうしたんだ?」

「戦争遊戯の助っ人に行く訳じゃねえよ。それよりお前こそ、まだLv.2なのにあいつらの助っ人に入るつもりか?」

「まあな。【勇者】だの【頂天】だのが暴れる戦場に俺程度が行ったところで何が変わるでもないだろうが、いないよりはまあ、ましなんじゃねえか?

 それにあの小僧(ベル)なら同じ状況でも間違いなく突っ込んでくだろうぜ。賭けてもいい」

「・・・そうだな」

 

 ヴェルフが溜息をつき、僅かに苦笑をにじませた。そのまま少し考え込むと、背中の布包みを下ろして投げ渡す。反射的にそれを受け取るゲド。

 

「っと、な、なんだよ?」

「ヘスティア・ファミリアのホームまで行くんだろう? 悪いけどそいつを持ってってくれ。好きに使ってもらっていい」

「え、おい」

「椿もいるんだろ? 顔を合わせたくないんだよ。んじゃな、その内どこかで飲もうぜ」

 

 いきなり押しつけられた荷物にゲドが目を白黒させている間に、ヴェルフはそのままきびすを返して立ち去ってしまった。

 どことなく吹っ切れた、さっぱりした表情をゲドの目に焼き付けて。

 

 

 

「・・・ってわけで、こいつをヴェルフから預かったんだが」

「ヴェルフが?」

 

 人で一杯になったヘスティア・ファミリアのホーム。

 卓の上に置かれた布包みを見てベルが首をかしげた。

 人が増えたこともあり、しばらく前にイサミが大きめのテーブルを作り直していたのだが、それでも今いる人数には足りないため、集まった助っ人たちは思い思いに適当な場所に立ったり座ったりしていた。

 (一応イサミの手によって椅子などは追加されている)

 春姫がぱたぱたと走り回って飲み物などを給仕しており、命もそれを手伝ったりしている。

 

「近くまで来たなら立ち寄ってくれればいいのに」

「まったくだのう。最近はこそこそしおって、手前の目の届く所に近づかん。顔を合わせれば力一杯可愛がってやるものを」

 

(職人的かわいがりですねわかります)

(そんなんだから顔を合わせたくないんじゃないかなあ・・・)

 

 イサミやヘスティアにそんなことを思われているとはつゆ知らず、不機嫌にすがめられていた椿の目が、布包みが開かれると同時に大きく開いた。

 

「これは・・・」

「魔剣だ! 魔剣だよ!」

 

 奇妙な形をした真紅の大剣。鍔はなく、柄と刀身の間に同じく紅の宝珠が輝いている。

 刀身や柄も含めた剣全体から燃えるような赤い光を放っていた。

 

「まさかこいつが・・・」

「"クロッゾの魔剣"・・・」

 

 誰もが恐れるようにそれを見つめる中、イサミが手を伸ばして柄を無造作に掴む。

 懐から青いレンズのはまった手持ちのルーペを取り出し、"魔力分析(アナライズ・ドゥエオマー)"呪文を唱えて仔細にそれを検分しはじめた。

 D&D世界でも滅多に見られない強大な魔力は、イサミをして戦慄すらさせる代物だ。

 

「凄まじいな・・・確かにこいつなら、リヴェリアさんの全力の魔法にも匹敵、あるいは凌駕するかもしれん」

「で、あろうな。それを『俺は魔剣は打たない』などとほざきおって。鍛冶師としてふぬけておるのだ・・・と言いたい所だが、さて、これはどういう心境の変化であろうの」

「よくはわからねえけど、なんかさっぱりした顔してましたよ"単眼の巨師(キュクロプス)"」

「ふむう・・・ああ、その二つ名はやめてくれ。好かんのだ」

「あ、はい、椿さん」

 

 上位者にはてきめんに腰が低くなるゲドである。

 

 

 

 しばらくああでもないこうでもないと話題にしていた彼らだが、やがてイサミが手を叩いて会話を終わらせる。

 本題――戦争遊戯における作戦を話しあうためだ。

 集まったそうそうたる助っ人たちを改めて見渡し、表情をあらためる。

 

「改めて本日はお集まり頂きありがとうございます。このたびの戦争遊戯、若輩ではありますがわたくしが指揮を執ることにさせていただきたく・・・皆様にはお思いのほどもおありでしょうが、どうぞよろしくお願いしたく思います」

「何、この戦いはお手前らの戦い、手前どもは助っ人に過ぎん。なあ"猛者(おうじゃ)"殿?」

 

 椿がひらひらと手を振り、隣に座っていたオッタルに視線を向ける。

 オッタルが無言で頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 心中で二人に感謝しつつ、もう一度頭を下げる。

 オラリオ最強の男とLv.5にして派閥首領の椿が納得してしまっては、他の人間がLv.1のイサミに従うことに内心不平を持っていても、それを表に漏らすのは中々に難しいだろう。

 そして壁際に立つ水色の髪の麗人に視線を向ける。

 

「アスフィさんも改めてありがとうございます。来てくれて嬉しいですよ」

「まあその、ヘルメス様の命令でしたし」

 

 視線を逸らすその頬が僅かに赤い。

 えっ、とゲドなどは思ったが、周囲は全く反応を見せずそのまま話は流れていく。

 

「リューさんたちも来てくださって助かりました」

「これくらいの恩返しはさせてください。まあ、女将さんには怒られましたが」

 

 苦笑するのはフードを下ろしたエルフ、リュー。

 後ろの二人、同じ〈豊穣の女主人〉のウェイトレスであるクロエとルノアも、それぞれ普段とは違う冒険者風の姿でここにいた。

 

「シルに"あの笑顔"で頼まれたら嫌とは言えないニャ・・・ぶっちゃけロキファミリアよりあの笑顔の方が怖い」

「カードの負け分を盾にされると・・・以下同文」

 

 何やらボソボソ呟いていたのをイサミの鋭い聴覚がキャッチしたが、聞こえないふりをしておく。

 哀れな二人の元暗殺者に見て見ぬふりをする情けがイサミにもあった。

 

 ちなみにリューは正義の女神アストレア、ルノアは大地母神デメテル、クロエは海神ニョルズの眷族なので一派閥一人という条件に抵触しない。

 アスフィも含めてそれぞれレベルは4、助っ人としては十分な戦力であった――相手がロキ・ファミリアでなければだが。

 

「そういえば命さん、『あれ』は大丈夫ですか?」

「ええ。うちの団員とミアハ様の所のナァーザさんが交替で見張ってます。万が一にも逃す気遣いはないでしょう」

 

 加えてタケミカヅチ・ファミリアのヤマト・命。

 団長であり実力で上回るカシマ・桜花が来ることも考えられたのだが、特に春姫と仲がよかったこと、集団戦向きの魔法を有していることから彼女が選ばれた。

 

(よかった・・・俺と同じLv.2がいる!)

 

 そして内心命の存在に喜んでいるのが最後に来たゲドであった。

 ヴェルフにはえらそうなことを言ったが、それでもLv.7だのLv.5だの、雲の上の人々に囲まれてるのは居心地が悪いに決まっている。

 何気に同じ〈神会(デナトゥス)〉で二つ名を賜った仲でもあり、命にはちょっぴり親近感を抱いていたりすることもある。

 まあ彼女の方では全くさっぱり、これっぽっちもそんな事に気付いてはいないが。

 

「・・・む」

「どうしました、オッタル殿」

「助っ人が八人しかいないが、これで全部か?」

 

 オッタル、椿、アスフィ、リュー、ルノア、クロエ、命、ゲド。

 確かに現在の助っ人枠は十人までなので、後二人追加する余地がある。

 

「うちのレーテーはまだイシュタル・ファミリア扱いなので彼女も助っ人枠ですね。残りの枠は交渉中というか調整中で・・・"向こう"に行ったメンツなら知っていると思いますが」

「そうか」

 

 やはり言葉少なにオッタルが頷く。

 首をかしげたアスフィが、ややあって納得顔になった。

 

「ああ、彼()ですか?」

「はい」

 

 そのまま誰とは明言せず、話は具体的な作戦に移った。



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19-14 開戦

「と、作戦はこんな所ですが、みなさん何かありますか」

 

 卓上の地図やコマ、時には幻影も交えた一通りの説明を終えて辺りを見回すイサミだが、誰一人言葉を発しない。

 内容の余りのデタラメさに呆けているのが半分、半信半疑なのがもう半分といったところか。

 

「疑うわけではないのだがのう・・・本当にできるのか、そんなことが?」

「まあイサミ君なら・・・できるんでしょうね」

「相手の数を封じるのがひとつ、相手の用意した物資を封じるのが一つ。後は何より相手の意表を突けるという点が大きいかと」

「まあそうなんだろうけどさあ・・・ホント、君ってデタラメだよね、イサミくん」

 

 溜息をつくヘスティアに、イサミは肩をすくめることで答える。

 

「恐らくLv.2くらいまでの敵は一掃できるでしょう。となると、後は純粋な質の勝負――運がよければロキやカーリーの一級冒険者にもなにがしかのダメージは与えられそうですね」

 

 リューの言葉に、ルノアが指折り数え始める。

 

「あっちはLv.6が九人、イシュタル暫定団長のタンムズと"麗傑(アンティアネイラ)"がLv.4、レフィーヤちゃんと"太陽神の寵童(ポエプス・アポロ)"がLv.3だったわね。後はイシュタルのアマゾネスにLv.3が50人ほどか」

「レフィーヤちゃんはこの前Lv.4に上がったわよ」

「そう言えばそうだったニャ。アポロンの平団員とソーマは全員Lv.2かそれ以下だから無視して構わないニャ」

「こちらはLv.7の"猛者(おうじゃ)"、Lv.5の俺とレーテー、フェリス、椿。おたくら四人がLv.4、ベルが一応Lv.3、よくわかんねえのが一人。まあ質でもちょいと負けてるわな」

「よくわからんってそりゃ俺の事か?」

「お前以外に誰がいるよ」

 

 きっぱり断言するシャーナに憮然とするイサミである。

 

「まあヒュアキントスは塔のてっぺんの玉座の間でふんぞり返ってるらしいから、うまくいけばそれだけで終わるだろう。アマゾネスもLv.3の連中なら一掃できる。問題はタンムズと"麗傑"、ロキとカーリーの連中だけと思っていい」

「さらっと内部情報口に出しやがるニャ、こいつ・・・」

 

 一方、"猛者(おうじゃ)"オッタルは腕を組んでテーブルの上の地図を見つめたまま無言だった。

 

「オッタル殿、なにか?」

「作戦自体に異論はない。お前がやれるというならやれるのだろう。

 俺が気になる事は一つだ――"奴"は出てくると思うか?」

 

 イサミが厳しい顔になる。

 奴――黒の超戦士ロビラー。

 一対一であれば恐らくいかなる相手にも勝利できるであろうオッタルだが、ロビラーだけは別だ。

 かつての戦いでは、ベルの支援魔法込みでかろうじて互角。

 武器の破損で水入りとなったが、それがなくても勝てたかどうかとなるとオッタルも口をつぐまざるを得ない。

 オラリオの【頂天】をして、ロビラーとはそう言う相手だ。

 

「正直わかりません。出てくるつもりなら先だっての時に何か言っただろうと思わなくもありませんが――あのおっさんのことだからなあ・・・」

 

 真剣だったイサミの顔が呆れるような、苦虫を噛み潰したようなものになって額を抑える。

 オッタルも〈豊穣の女主人亭〉でのことを思い出したのか、僅かに額に皺が寄った。

 騎士道に篤く、約定を違えない戦士の鑑でありながら、享楽的でふざけ屋でいたずらと人を驚かせるのが好き。ロビラーとはそう言う男であった。これで秩序属性なのだから世の中間違っている。

 

 

 

 それから二十日間ほどが過ぎた。

 最初の頃は毎日神会の間に集まっていた暇神たちも、10日を超えたあたりでぽつぽつ欠け始め、今は半分も席が埋まっていない。

 盛上がっていたオラリオの雰囲気もだれるというかゆるみはじめ、徹底して姿を現さないヘスティア・ファミリアのメンバーに代わってヘファイストスの団員が市民に難詰されたり、椿の詰めている鍛冶場が一部の暇人によって監視されるという事態まで起こり始めた。

 とは言え三十日の猶予期間も2/3を過ぎると「さすがにそろそろ」という心理が働くのか、神界の間に顔を出す神や特設会場で席取りをする暇人も少しずつ戻り始めて――

 そんなある日の夜明け。オラリオと、古城の最寄りの町であるアグリスに真紅の狼煙が上がった。

 

戦争遊戯(ウォーゲーム)だっ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」

『ヒャッホォォォォォォォ!』

 

 いつぞやの朝のごとく、たちまちの内に知らせはオラリオ中を駆け巡る。

 

「狼煙が上がったぞぉぉぉ!」

「こりゃ女房を質に入れてでも観に行かなあきまへんで!」

 

 冒険者たちは観戦場と化した酒場に詰めかけ、一般市民はギルド前庭の(勝手に設営された)特設会場に押し寄せた。

 そこ以外でもオラリオ各所の広場や大通りには人が溢れ、その時を今か今かと待ち構えている。

 

『あー、あー、あー、テステスマイクテス。

 ・・・それでは、みなさんお待ちかねぇ!

 今回の〈戦争遊戯〉実況を務めさせて頂きますガネーシャファミリア所属、喋る火炎魔法こと【火炎爆炎火炎(ファイアー・インフェルノ・フレイム)】イブリ・アチャーで御座います。以後お見知りおきを!』

「うるせえ!」

「早く始めろぉ!」

『と、申されましても戦端を切るのは神ヘスティアの胸先三寸乳八寸! 我らはそのありがたい乳と神徳をただ拝むのみで御座います!

 なお解説は我らが主神ガネーシャ様! ガネーシャ様、それでは一言!』

『――俺が、ガネーシャだ!』

『はいっ、ありがとうございましたー!』

 

 一転してやんやの喝采を送るオラリオ市民たち。

 ガネーシャほどオラリオの市民に愛される神は少ない。

 ややニュアンスは異なるが匹敵するのがフレイヤ、それに次ぐのがデメテル、更にはヘスティアだろうか。

 おっぱいの大きさが決め手という説もあるが気にしてはいけない。

 

「さて、いよいよだな――ベル・クラネルと別れは済ませてきたかい、ヘスティア?」

「ふん」

 

 そしてオラリオの中央に位置する白亜の巨塔の地上三十階。神会(デナトゥス)の間でアポロンがヘスティアに語りかける。顔を背けた彼女に、今度はヘルメスが視線を向けた。

 前の神会以来、神々の間では彼がこの一件を仕切るような形になっている。確かめるような視線に、ヘスティアがはっきりと頷いた。それを確認してヘルメスが虚空に語りかける。

 

「ウラノス、力の行使の許可を」

【――許可する】

 

 地の底から響くようなその声を合図に、観客で賑わうオラリオの各所、更には遠く離れた世界中の各地に無数の銀の鏡が浮かび上がった。

 『恩恵』と並び下界で行使が許されている唯一の『神の力(アルカナム)』――『神の鏡』。

 遠隔地の様子を細大漏らさず見ることのできる千里眼の力。下界の催しを神々が楽しむために認められた特例であった。

 

 さらに今回はオラリオのみならず、この知らせが届いた世界各地からも神の鏡が映像を現地に届けている。

 オラリオ最強、つまりゼウス、ヘラ両ファミリア亡き後の文字通り世界最強である二つの派閥の激突。

 これはその知らせを聞いたほとんど全ての神の関心を引くのに十分なカードであった。

 

『では神の鏡(えいぞう)も届きましたことですし、改めて説明をさせていただきます!

 今回の〈戦争遊戯〉はアポロン派とヘスティア派のいさかいに端を発するものでありますが、色々ありまして――』

 

 

 

「おーら、賭けを締め切るぞ! もうないか、もうないか!」

「オッズはアポロン3にヘスティア1か・・・意外と離れてねえな」

「いくら"猛者(おうじゃ)"でもロキ全員相手じゃあなあ。カーリーの二人もLv.6なんだろ? 10:1くらいでも・・・」

「どうせ神連中だろ。あいつらいつも大穴狙いだからな」

 

 呆れる胴元の視線の先では、「うおーっ!?」「来い来い!」「幸運の兎よー!」と、賭け札を握りしめて叫んでる神々(ばかども)の姿があった。

 どれくらいのファミリアの財務担当が今頃顔を真っ青にしているかは、知らない方が色々な意味で幸せである。

 

「それじゃこれで・・・」

「ヘスティア・ファミリアに20万だ」

 

 どさり、と卓の上に重い金袋が置かれる。

 

「ヒューッ!」

「よく賭けるなあ、モルド!」

「俺じゃねえよ。頼まれた分だ」

 

 ゲドの先輩であるモルド・ラトローは椅子にふんぞり返り、憮然としてエールのジョッキをあおった。

 



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19-15 初手(オープニングショット)

 

「はーっはっはっは! 臆病者(チキン)がようやっと来やがったか!」

「"猛者(おうじゃ)"以外は取るにたりねえ! 魔法の詠唱でもしようもんなら蜂の巣にしてやらあ!」

「けどあいつら、魔剣も使ってくるんじゃねえのか? あっちは使用制限ないだろ?」

「馬鹿言え、長弓相手に魔剣じゃ、どうやったって距離が足りねえよ。それこそロキの"九魔姫(ナイン・ヘル)"ならともかくな!」

 

 城壁の上は意気軒昂であった。

 鈴なりとまでは行かないが、アポロン、ソーマの団員に加え、肉弾戦を好むアマゾネスゆえに割合としては多くないがイシュタル団員もそれなりの数が長弓を構えて待機している。

 落ち着いて構えているのは、ロキ、カーリー両ファミリアの助っ人くらい。二十日間以上一つの城の中に閉じ込められていた鬱屈が爆発したような形だ。

 

 籠城戦では時折こう言うことが起きる。緊張感と閉じ込められた苦痛は確かに士気をくじくが、ひとたびそこからの出口を見つけたとき、今までの反動が暴走とも思える士気の上昇を招く。

 彼らにとっては、ヘスティア・ファミリアの宣戦布告こそがそれだった。

 

「おい、見ろよ!」

「あいつら馬鹿か! 正面から来やがったぜ!」

 

 

 

『おーっと、意外や意外! ヘスティア・ファミリア、正面から堂々と参戦だ!

 彼我距離は約2km! 悠然と前進してくるーっ!』

 

 既にイサミが【神秘】スキル持ち(ではないか)という噂は広く知れ渡っている。

 なにがしかの策を弄してくるのだろうと思われた大方の予想を覆し、ヘスティア・ファミリアは一団となって城の正面、北側から現れた。

 すかさず実況が拡声端末を握って唾を飛ばしはじめる。

 

『先頭は派閥首領、イサミ・クラネル! 嘘か真かLv.1ゆえに二つ名はなし! 【神秘】と【魔導】スキルを持つという噂もある! 何でこの人ギルドから罰金喰らってないの! 

 怪物祭では空飛ぶ馬で怪物を退治して回り、ロキ・ファミリアと共に59階層まで足を踏み入れた男! 深層で彼に助けられたと話す冒険者も少なくない! 全てが未知数!

 その横に並ぶのはその弟、復活の【リトル・ルーキー】ベル・クラネル! 冒険者登録一ヶ月半でランクアップ! その後半年の行方不明を経て更にランクアップ! 現在Lv.3!

 その驚くべきランクアップ速度には何か秘密があるのか! あるならちょっと分けて欲しい! 今オラリオで最も注目される若手の一人です!

 ちっちゃな子好きに大人気! ロリエルフパワーファイター、シャーナ・ダーサ!

 ちっちゃいがいればおっきいもいる! 2mの首領と並んですら頭一つ高い巨大狼人(ウェアウルフ)、レーテー!

 つい最近派閥に参加したヒューマン、フェリス! 美人だけど無難すぎてなんか実況のネタにしづらい!

 いずれも経歴不詳の謎の面々ですが、ギルドの登録情報ではなんと全員がLv.5! 本日はどのような戦いを見せてくれるのか! 今回の戦いの発端となった元イシュタルファミリアのサンジョウノ・春姫、Lv.1の姿も見えます!』

「「「ウオオオオーッ!」」」

 

 もう変装の必要もないため(そして普段の変装がまだ使えるように)、春姫は本来の姿に戻っている。

 Lv.5三人という意外な伏兵の登場に盛上がる観客の面々だが、それもまだ序の口だった。

 

『そしてこれらヘスティア・ファミリアの面々の後ろに続くのはみなさんご存じ、オラリオ最強の男【猛者(おうじゃ)】オッタル! 彼の燦然たる経歴は誰一人知らぬ者はないでしょう!

 更にはヘファイストス首領、椿・コルブランド! 正体不明の覆面女三人! その後に続く赤いフードにマントの影は、近頃噂の快男児、"赤い外套団(レッド・クローク)"か!

 そして前々回の神会(デナトゥス)で二つ名を授かったタケミカヅチの【絶†影】ヤマト・命と・・・なっ、なんだとぉーっ!

 水色の髪、白いマント、全身に巻き付けられたベルトポーチ、そして眼鏡愛好家(フェチ)のわたくしが見まごうはずもないシルバーフレームのスクエアフルリム眼鏡!

 ヘルメス・ファミリア首領、水色の麗人、全世界眼鏡愛好家の希望の星! 【万能者(ペルセウス)】アスフィ・アル・アンドロメダだーっ!』

「「「「ウオオオオオオーッ!?」」」」

『お前そんな趣味があったのか。ガネーシャびっくり』

 

 歓声とも驚愕とも付かない、観客たちの特大のざわめき。

 表向きはLv.2でしかないが、稀代の魔道具作成者である彼女の知名度は、下手をすればその辺の一級冒険者よりもよほど高い。

 純粋な戦闘力は低くとも、何が出てくるかわからない魔道具の恐ろしさは知れ渡っている。

 

 それより何より、ガネーシャと別の意味で絶対中立であるはずのヘルメス・ファミリアから助っ人が参戦したという事実が全オラリオを震撼させていた。

 当然、それは神々の集う神会(デナトゥス)の間でも変わらない。

 

「ヘルメスは中立を崩した! 実は奴は最初からロリ巨乳に肩入れしていたんだよ! いや、この〈戦争遊戯〉そのものが奴の仕込みだったんだ!(迫真)」

「「「「なっ、なんだってーっ!(迫真)」」」」

 

 芝居がかった仕草で叫ぶ(ばか)に、ノリ良く追随する(ばか)ども。

 ほおづえを突いたヘルメスは悠然といつもの笑みを浮かべたまま。

 

「おいおい、言いがかりは困るなあ。俺は最初からずっと中立だぜ?」

「ふざけるな! お前の所の団長を参加させておいて何が中立だ!」

 

 激昂するアポロンにも、その表情は髪の毛一本ほどにもゆらぎはしない。

 口汚くヘルメスをののしるアポロンと、それをのらりくらりとかわすヘルメスのやりとりがしばらく続いたが、やがてイシュタルが鋭くそれを止めた。

 

「そもそも貴様が・・・」

「その辺にしておけ、アポロン! ・・・所詮はLv.2だ。確かに魔道具の数々は侮れまいが、代わりに一級冒険者でも引きずり込まれるよりはまだしもだろう」

「わらわとしてはむしろそっちの方が良かったんじゃがのうー」

 

 どこか自分を納得させるように言葉を発するイシュタル。対してカーリーはふんと鼻を鳴らしてどうでもよさげ。この殺戮の女神にとっては、魔道具に頼った戦い方など邪道でしかない。

 アポロンも不承不承矛を収め、不機嫌な顔でどすんと勢いよく腰を下ろす。

 ヘルメスはへらへらと笑って肩をすくめ、視線をヘスティアに向けて素早くウィンクをして見せた。

 

「ふん」

 

 もっともアポロンやカーリーと同じ、胡散臭げな視線を返されただけではあったが。

 なお、ゲドについて【火炎(ry】が何かアナウンスしたが、神会(デナトゥス)の間でもオラリオ市街でも誰も聞いていなかった。

 

 

 

 城砦からの距離2kmを少し割り込んだところで、ヘスティア・ファミリア連合軍は歩みを止めた。

 一級冒険者がよほどの剛弓を引けば届かせる事自体は不可能ではないが、間違っても命中やダメージを期待できる距離ではない。

 当然魔剣や魔法など届くはずもない。

 

「ここでいいのか、イサミ・クラネル」

「ええ。オッタルさんの女神様からのリクエストです。派手にやってやろうじゃありませんか」

「む」

 

 そう言えばそうだった、と今更ながらに思い出すオッタル。

 まさかこんな作戦を考えついたのはそのせいか、だがそれで我が女神が喜ぶなら・・・とつらつら考える内に、杖を振り上げたイサミの詠唱が始まる。

 

 

 

『おーっと! イサミ・クラネル、魔法だ! ここで魔法を使い始めた! 何かの強化魔法(バフ)、あるいは射撃を避ける為の目くらましを準備するのでしょうか?

 ガネーシャ様、一言お願いします!』

『うむ! 俺がガネーシャだ!』

『解説してくださいよお願いですから!』

 

 オラリオでも大多数の人間は首をかしげ。

 

 

 

「なんだあ? 魔法の詠唱か?」

「ビビリめ! よほど俺達の弓が怖いと見えるぜ!」

「どうだい、リヴェリア?」

「・・・量自体はさほどでもないが、恐ろしく研ぎ澄まされた魔力だ。正直ここから何が来るのか・・・」

 

 古城の城壁の上でもほとんどの人間がそれを笑っていた。

 そして次の瞬間、その笑みが凍りつく。

 

「《距離延長》《元素体得:音波》《最大化》《威力強化》《二重化》"極北の風(ボレアル・ウィンド)"」

 

 超短文の詠唱を完了させたイサミから一直線に、幅6mの衝撃波が走る。

 それは2kmの距離を一瞬に超え、城の東側、守備側から見て右側を通り抜けて巨大な砂ぼこりの壁を作り上げた。

 

「・・・・・は、ははははは!」

「ハハハハ! ばかめ、外しやがった!」

「だからもっと近づけばいいのによ! 臆病者だからしゃーねーけどよぉ!」

 

 一瞬の驚愕から醒め、げたげたと笑う守備側。

 だがロキ・ファミリアの顔に笑みはない。そのようなミスをする男かどうか、彼らが一番よく知っている。

 そしてそれは事実だった。

 

 "極北の風(ボレアル・ウィンド)"呪文は本来高さ6m、幅6mの極寒の突風を術者の術力に応じた距離に吹き抜けさせ、範囲内に冷気によるダメージと風による行動阻害を与える術だ。

 並の術者でさえ、その射程距離は200mを軽く越える(この呪文が使える術者を「並」と言っていいかどうかは別として)。D&D世界の魔法としてはかなり規格外の効果範囲だが、この術の最大の恐ろしさはそこではない。

 この術の特徴は持続時間中ずっと風を吹かせていられること。そして風の方向を変えられること。つまり――

 

「薙ぁぁぁぁぁぁぎぃぃぃぃぃぃぃぃ払ぁぁぁぁぁらぁぁぁぁええええええええええぇっ!」

 

 属性を変化させ、音波――つまり純粋な衝撃波と化した刃渡り2kmの不可視の剣が横薙ぎに振り抜かれる。

 音波は物体を破壊するのに最も適した属性。衝撃波に触れた石造りの城壁が抵抗すら許されず破壊、いや粉々に分解されて塵に返る。

 

「うわああああああああああああああああああっ!?」

「ああああああああああ!?」

「ああもう、やっぱりあの人デタラメだーっ!」

 

 イサミを支点として半径2kmの扇形、地上の一切合切を薙ぎ払う不可視の剣。

 秒速250mで吹き抜けた破壊の突風は地上から6mまでの部分を綺麗に消失させ、古城と城壁は礎を抜かれた積み木細工のように脆くも崩れ落ちる。

 ロキ・ファミリアはともかく、それ以外の者達には驚く暇すらあったかどうか。

 数秒後、巨大な土ぼこりと共に古城は瓦礫の山と化した。




こういう隠し球があったので、実は派閥全員の総力戦でもさほど戦力差は変わらない罠。
Lv.3以下の連中は全滅でしょうし、上位の連中も(本人は耐えても)持ってるエリクサーなりポーションなりが多分全損なので、火力勝負ではちょっと勝目がないですね・・・状態。
なお今回一番確実に勝つ方法は、これで城を破壊した後三日ほど放っておくことだったりします。
最初の一撃で食料その他も全部吹っ飛んでる上に補給が出来ませんので。

そして作中ではかっこよく書いてますが、実のところこの呪文、方向は六秒(D&Dの1ラウンド)に45度しか変えられないので、イサミ本人は時計の秒針程度の速度でゆっくり杖を動かしてるだけだったりしますw
なにぶん射程2kmなので、末端では作中で書いたように秒速250m(時速900km)を越えるめちゃくちゃな速度になるのですが。


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19-16 これより真打ち

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・は! ははははははははは! はははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 オラリオでは誰もが呆然としていた。

 その中、たった一人笑い始めた男がいる。行きつけの酒場で鍛冶師仲間と〈戦争遊戯〉を見物していたヴェルフ・クロッゾだ。

 

「お、おい、ヴェルフ。何がそんなおかしいんだよ!?」

「そうだよ! なんだよ! なんだよあれ!?」

「おかしいさ! だって、そうじゃねえか! あんなの〈クロッゾの魔剣〉どころじゃねえ! あんなのを見せられたら・・・魔剣だの血筋だのにこだわってた自分がばかばかしく思えてくるぜ! ははははは! ははははははは!」

「・・・・・・・・・・」

 

 唖然とする同僚たちをよそに、ヴェルフの高笑いはしばらくやむことがなかった。

 

「お・・・」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「すげえ、すげえぜヘスティア・ファミリア! すげえぜイサミ・クラネル!」

 

 一方で、オラリオのほかの場所でもきっちり一分ほど遅れてどよめきが上がっていた。

 ついさっきまでの懐疑的な雰囲気はどこにもない。

 だが、これでもまだこの戦いのほんの序の口だったことを、彼らはすぐ思い知ることになる。

 

 

 

 "加速(ヘイスト)"呪文で強化された脚力で、ヘスティア・ファミリア連合軍が走る。

 春姫、命、ゲドなどレベルが低い面々は"幻馬(ファントム・スティード)"でそれに追随。

 イサミはまだしもLv.3のベルが馬に乗らずに追随できていることに、クロエとルノアなどは目を丸くしていたりする。

 2kmの距離をぐんぐん縮めていく面々に、オラリオの各所、そして神会(デナトゥス)の間でも歓声が上がる。

 

「はえええっ!」

「ちょっと待てあの馬どこから出した!?」

「・・・一番遅い奴に合わせている、そして多少の強化(バフ)がかかってるとしてもこの速度は・・・最低Lv.4相当か。思ったよりやるの、あの白兎め」

「ああ、やっぱり君は素敵だ! ああ、ベルきゅん! ベルきゅん! スーハースーハークンカクンカペロペロしたぁい!」

「ヘファイストス、今のうちにこいつ殺せないかな」

「やめときなさい、あなたには向いてないから」

 

 

 

 イシュタル・ファミリア所属のLv.3、"乱子(バイト)"サミラは瓦礫の中から抜け出そうと四苦八苦していた。

 射撃の心得はあまりないので他のアマゾネス達と一緒に城壁の下で待機していたのだが、運悪く崩れてきた主塔に巻き込まれてしまったのだ。

 さすがに第二級冒険者、潰されたくらいで死にはしないが、それでも身動きの取れない連中が沢山いる。

 しかし、そうこうしているうちに城壁のあたりで爆発音が連続して起こり、敵が来たのがわかった。とにかく這い出て他の連中を、と思った時点で瓦礫の山に重みがかかる。

 

「おい、何をやってる! 見ればわかるだろう、手、を・・・」

 

 途切れる声と視線の先にいたのは忍者のような装束の極東出身とわかる女。

 サミラのその声には答えず、命が詠唱を始める。

 

「掛けまくも畏きいかなるものを打ち破る我が武神(かみ)よ、尊き天よりの導きよ。卑小のこの身に巍然たる御身の神力を・・・」

(こいつは・・・タケミカヅチ・ファミリア所属ヤマト・命! 情報によれば確かこいつの魔法は・・・っ?!)

 

 命が何をやろうとしているか察したサミラの顔がひきつる。

 

「お、おい、ちょっと待てお前・・・!」

「すいません! 本当にすいません! でもこうしないと勝てないんです!」

 

 自分がこれからやることのえげつなさをよくわかっている命が、かなり本気でサミラに謝る。しかし、詠唱を止めはしない。

 

「・・・神武闘征! 【フツノミタマ】!」

「~~~~~~~~~~~~~!?」

 

 サミラが、声にならない絶叫を上げた。瓦礫の下のその他のアマゾネスもまた。

 光の剣が降り来たる、直径40mの超重力結界。ありったけの精神力を注ぎ込み、イサミ特製の魔道具によって一時的に範囲を増幅させたそれは、瓦礫とその下にいるアマゾネス達を恐るべき重みで圧迫する。

 

 腐っても二級冒険者、死ぬ人間はいないだろう。だがただでさえ身動き取れない瓦礫の下、そこに重みが数倍にもなる効果がかかったとしたら? たとえ救出されてもエリクサーなどで治療しない限り鬱血などで最低数時間、下手すれば数週間は動けまい。

 

 そしてエリクサーのたぐいがある倉庫は城塞の一階にあり、最初の攻撃で周囲の建物ごと粉々に粉砕されている。彼女たちが持っていたものも同様だ。石壁を粉砕する衝撃波に、冒険者本人はともかくガラスの瓶が耐えられるはずもない。

 イシュタル・ファミリアのアマゾネス達――戦闘不能(リタイア)

 

 

 

 雑兵(と言っても多くはLv.3だが)の抑えを命に任せ、イサミ達が主塔(だったもの)に近づいたとき、瓦礫の上に立つ10ほどの人影があった。

 

「まあ余り期待はしてませんでしたけどねえ・・・全員無傷かあ」

「そうでもないさ。エリクサーやらが結構やられたし、備蓄分もこの分じゃ全滅だ。他にいくらか用意してたものもまとめて吹き飛ばされたし、無傷だなんてとてもとても」

 

 ボリボリと頭をかくイサミに対し、肩をすくめるフィン・ディムナ。

 高さ5mほどの瓦礫の上に並ぶのは事実上彼を頭とするロキ・カーリー連合軍。

 ロキ・ファミリアの三首領、小人族の英雄【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。ハイエルフの王女【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・アルス・ヨールヴ。剛力無双のドワーフ戦士【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック。

 【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ。【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ。【凶狼(ヴァナルカンド)】ベート・ローガ。【千の妖精(サウザンド)】レフィーヤ・ウィリディス。

 カーリー・ファミリア団長【女神の分身(カーリマー)】アルガナ・カリフ。【紅の女闘士(レッドソニア)】バーチェ・カリフ。

 そして・・・

 

(【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン・・・!)

 

 緊張した面持ちで金髪の戦乙女を見上げるベル。

 憧憬であり恋慕であり師でもある少女は、感情を読み取れない、静かな眼で彼を見下ろしている。

 

 本来まともに機能しないはずのロキとカーリーの混成軍ではあるが、アルガナはフィンにぞっこん、バーチェは特に気にするたちでもなく、ほぼ一枚岩の連携を、しかもオラリオ最高の指揮官であるフィン・ディムナのもとで発揮してくるだろう。

 一方同じ混成軍、数がほぼ同数とは言えヘスティア側は本当の烏合の衆で、しかもレベルが圧倒的に低い。

 レフィーヤ以外Lv.6の彼ら十人に対して、Lv.7のオッタルはともかくそれ以外はリドを含めてもLv.5が五人、Lv.4が4人。Lv.3、2が一人ずつ、Lv.1が二人。

 

「正直勝負にならないニャ」

「よねぇ」

「二人とも黙っててください・・・」

 

 渋い顔になるリューだが否定はしない。

 個人差もあるが、レベルが1違えば1対5くらいでも何とかなってしまうのがランク差というものだ。

 彼女たち三人がかりでもLv.6相手では一蹴されてしまう、それほどの差がこちらと向こうの間にはある。

 

「ん」

 

 瓦礫を踏みしだき、凶悪な表情で前に出た男がいる。

 銀髪の狼人、ベート・ローガだ。

 

「いよう、虎刈り頭! ようやっとテメエを堂々とぶちのめせる機会がやってきたなあ!

 今度はオラリオ中が見ている前で叩きのめしてやるよ! 勿論てめえが必死に掻き集めた雑魚どももなあ!」

「面白い。それじゃあいっちょ一騎打ちと行こうじゃないか。降りてこいよ。ぶちのめしてやる」

「あ?」

「は?」

「「「はぁぁぁぁぁぁ!?」」」

 

 敵味方から一斉に驚愕の声が上がった。

 

「おいイサミ! 何考えてんだよ!?」

「そうだよぉ! いくらなんでもステイタスが違いすぎるよ!?」

「まあそう言うなよ。ちゃんと策はあるからさ」

 

 胸元・・・には届かないのでイサミのベルトをつかんでガタガタ揺らすシャーナ。

 こっちは肩を掴んでぐらぐら揺らすレーテー。

 しかしイサミは動じず、安心させるように二人の肩を叩く。

 クロエが(こいつ、ついにイカれたニャ)というゼスチャーをして、リューにはたかれていた。

 

「は・・・はははははは! 面白ェ! 面白ェよテメエ! そこだけは褒めてやらあ! いいよな、フィン!」

 

 驚愕からさめて大笑いするベート。許可を求められた小人族の勇者は、黙って肩をすくめた。「好きにしろ」というサインだ。

 

「はは! そうでなくちゃあな!」

「いいのか、フィン?」

「ンー、まあ〈戦争()()〉だしね。これくらいのお遊びはありだろう」

 

 言いつつ、フィンは右手の親指を口元に当てている。その目はあくまで冷静、そして冷徹。

 リヴェリアとガレスも、それ以上は何も言わない。




バーチェの二つ名は原作では存在しないのですが、ここでは正式にオラリオのファミリアになっているので、適当にでっち上げました。半年経ってるから神会(デナトゥス)も開催されてるでしょうし。
元ネタはわかる人はわかるでしょうが、シュワちゃんのコナンシリーズと微妙にリンクしてる映画「レッド・ソニア」からです。ヒリュテ姉妹の妹の方がネタに走った二つ名なので、こっちの妹もある程度ネタに走るべきだろうとw


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19-17 最強の呪文

『『『『『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』』』』』

『おーっと、これはまさかの展開だーっ! 城を丸ごと倒壊させる大大大魔法! イシュタル・ファミリアのアマゾネス達を丸ごと封じた重力魔法! そして両軍主力全面激突必死の展開から、まさかの一騎打ち!

 合意と見てよろしいですか? よろしいですねっ! ガネーシャ様、何かありますか!』

『うむ! 俺がガネーシャだ!』

 

 遠く離れたオラリオでも、歓声が渦巻いている。

 

「俺見たぜ! 半年くらい前、西のメインストリートで、あの二人がすげえ殴り合いしてたんだ! 最後には【凶狼(ヴァナルカンド)】が勝ったけどよ、顔面ボコボコでフラフラだったんだぜ!」

「Lv.1の魔導士がかよ! すげえな! やっぱレベル詐称してんじゃねえのか!?」

「俺ベート・ローガに2000ヴァリス!」

「こっちはあの虎縞頭に500だ!」

「はいはいないか他にないか! 賭け締め切るよー!」

 

 

 

 一方で古城でも、双方の大将が一騎打ちを決めてしまったので、早々に見物人モードに入ってしまうものもいる。

 

「行けー、お兄さん! クソ狼をやっちゃえ!」

「おいクソバカゾネス、どっちの応援してんだ」

「向こうに決まってるでしょ!」

「ティ、ティオナさん!」

「(汗)」

「・・・お前達どういう関係なんダ、ティオネ?」

「まあ色々あって・・・」

 

 珍しく素のアルガナの真顔の問いかけに、ティオネは眉間をもみほぐしつつ答えた。

 

 

 

「言っておくが俺は魔導士だ。術はバンバン使わせて貰うぜ」

「好きにしろよ見かけ倒しのモヤシ野郎。俺の前で詠唱なんざできるもんならなあ!」

「よく吠えた。降りてきやがれ!」

「おう、今ぶちのめしてやるぜ!」

 

 瓦礫から飛び降りるベート。

 きらり、とこのタイミングを待っていたイサミの目が光る。

 

「"滑性脂(グリース)"」

「「「「「「「「えっ」」」」」」」」

「のうぉわああっ!?」

 

 さしものLv.6、さしもの凶狼(ヴァナルカンド)といえども、5mの高さから飛び降りたその先が脂でつるつるの石畳ではたまらない。華麗に着地どころではなく、綺麗にひっくり返って後頭部を強打する。

 

「《高速化》《光線分枝化》《二重化》《最大化》"知力破壊光線(レイ・オブ・ストゥピディティ)"!」

 

 ぴっ、と。

 四本の赤い光線がイサミの指先からほとばしる。

 それは尻餅をついて回避もままならないベートの体に命中し、ベートは一瞬びくんと跳ねてから動かなくなった。

 

「ヴィクトリー!」

 

 その場の全ての人間が、余りと言えば余りの展開に唖然としている。

 勝ちどきを上げるイサミに、荒野を吹き抜ける風の音だけが応えた。

 

 

 

『『『『『ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁ!!!!!!』』』』』

 

 一方オラリオでは怒号が渦巻いていた。まあ当然である。

 

「ざっけんな! 金返せ!(※払ってません)」

「キンタマついてんのかてめえ!」

『何たる卑劣! 何たる卑怯! この魔導士は一騎打ちに応じた凶狼(ヴァナルカンド)の足元に罠を仕掛け、魔法で倒したのです! 許すまじヘスティア・ファミリア! 許すまじイサミ・クラネル!

 あれ、でも魔法使っていいって言ってるんだから問題なくね?』

『いや、あるだろ。ガネーシャ断言!』

 

 

 

 ベートは目を見開いたまま微動だにしない。

 イサミの魔法によって知力にダメージを受け、精神活動を停止してしまっているのだ。

 肉体は無傷でも、精神が活動しないのでは屍と変わらない。

 

「なんだよその反応?! 俺は魔導士なんだから魔法で勝って何が悪い! こいつだって認めてたろ!」

「いやまあ・・・それはそうなんだがな・・・」

 

 さすがにここまで拒否反応があるとは思わなかったのか、イサミが不機嫌な顔で抗議する。辛うじて言葉を返すリヴェリアは頭痛をこらえるような顔だ。

 

「ねーよ」

「兄さん、今のはさすがに・・・」

「レーテーもちょっとどうかと思うの・・・」

「ひきょうものー! キンタマついてんのかー!」

「フェ、フェリスさま! 女性がそのような・・・!」

「いやまあ実戦なら何でもありだとは思いますが・・・」

「そーだよイサミっち! 男と男の勝負だぜ!」

「お兄さん、さすがにそれはないと思う」

「・・・」

「お前らまで・・・」

 

 身内(+真顔のティオナ)からもやんわりと、あるいは直裁に否定され、憮然とするイサミ。

 

「ええい、くそ! しょうがないな、仕切り直しだ」

 

 転がって微動だにしないベートに近寄り、"滑性脂(グリース)"の呪文を解除してからドラゴンマークの"大治癒(ヒール)"を発動する。

 強力な治癒の魔力が停止していた思考力を回復させ、ベートはパチパチと目をまばたきさせた。

 

「よう、気がついたか?」

「・・・っ! このクソ野郎が!」

 

 跳ね起きて牙を剥くベート。イサミも軽くバックステップで飛びすさり、杖をベルに放り投げる。

 

「ベル、ちょいと持っててくれ」

「あ、うん」

 

 反射的に杖を受け取り、ベルが頷く。

 空になった両手で、イサミがファイティングポーズを取った。

 ちょいちょい、とベートを差し招くように指で挑発する。

 

「どうやらみなさんお気に召さないようだからな。仕切り直してやるよ。泣いて喜べ」

「この野郎・・・!」

 

 顔中に血管を浮き立たせ、もはや戦争遊戯など関係ない、こいつだけはブッ殺すとばかりに"凶狼"の二つ名そのものの面相になるベート。

 その殺気にさすがにプレッシャーを感じつつも、イサミは短く「力ある言葉」を呟いた。

 

 

「ヒャッホォォォォ!」

「やれ! ブッ殺せ!」

「男の勝負を舐めた奴に制裁を加えてやれー!」

 

 一方オラリオは大盛り上がりであった。イサミはすっかりヒール扱いで、普段なら間違いなく悪役の嫌われ者ベートを揃って応援するという珍しい状況になっている。

 

『おーっと、ここでまさかの仕切り直し! 卑怯卑劣の男にも一片の廉恥心、正々堂々と試合開始の冒険者魂があった! わたくしも魂のバーストオイルが沸騰しております!

 とはいえLv.1がLv.6に戦いを挑むのだからあれくらいは許される気がしないでもない! まあ本当に申告通りLv.1ならですが! ガネーシャ様、何か一言お願いします!』

『うむ! 俺がガネーシャだ!』

 

 

 

「!?」

「あ、あれ? リヴェリア様、今、クラネルさんが・・・? 私の気のせいでしょうか?」

「お前も感じたか・・・恐らく間違いではない。彼が魔法を発動した瞬間()()()()()()()()()。どういうからくりかはわからんが――ベート! 気を付けろ! ()()()()()()()()()!」

「はっ、もうろくしたか、ババア! 話は後で聞いてやるよ! こいつをブッ殺してからな!」

 

 ざわり、とベルの全身が総毛立った。Lv.6の本気の殺気の放射に、全身が拒否反応を示している。

 春姫がぐらり、と揺れてフェリスに支えられた。ゲドなど今にも泡を吹いて倒れそうなくらい顔色が悪い。

 Lv.5やLv.4の面々すら、緊張を強いられるプレッシャー。

 だがそれでも、イサミは悠然と拳を構えて立っている。

 

 今にも飛びかかりそうな態勢で、力を蓄えるかのように身をかがめるベート。

 半身で拳を軽く握り、左拳を僅かに前に出す構えのイサミ。

 誰もが無言で二人を注視している。

 そして、唐突に「機」が二人の間を通り過ぎた。

 

「死ねっ!」

 

 ベートの神速の踏み込み。

 蹴り出した足から腰、背中、肩、腕、拳への完璧な力の伝達。

 理想のフォーム、理想の速度、理想のタイミング。

 当たった、と誰もが思った。終わった、と何人かは思った。

 だが。

 

「!?」

 

 ベートの拳は、イサミの顔面1cm手前で止まっていた。

 ベートが止めたわけではない。ベートの拳が伸びきって自然に止まった。

 イサミは、ただ5cmほど後ろに上体を反らしただけ。

 

 ベートが拳を引き戻す。

 その間にあるはずの反撃が、ない。

 そもそもあの夜の殴り合いでは、しつこいほどにカウンター狙いに徹していたのに、それもない。

 

 「わざと」攻撃もカウンターもしなかったのだ、この男は。

 回避されたことへの驚愕で一瞬で冷静になっていたはずの頭に、再びカッと血が昇る。

 イサミが前に出していた左拳が、再びちょいちょい、と挑発の動きを取る。

 ぶちん、と何かが切れる音がした。




"滑性脂(グリース)"からの"知力破壊光線(レイ・オブ・ストゥピディティ)"はいっぺんやってみたかった(ぉ

なお"滑性脂(グリース)"の通称は「神をも殺す呪文」です。
(リプレイでオーク神の分体をこれですっ転がしたので)


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19-18 蝶のように舞い、蜂のように刺す

 嵐が吹く。

 ゆらりゆらり、とイサミが揺れる。

 ただそれだけでベート・ローガの、【凶狼(ヴァナルカンド)】、Lv.6冒険者の本気の拳がまるで当たらない。

 ある一撃は先ほど同様延びきって顔面前1cmで止まり、またある一撃は左右に揺れる頭をすれすれでかすめるが、かすめるだけ。皮の一枚切り裂くことすらできない。

 

「え・・・」

「なんだよあれ・・・」

「どう見ても当たってるだろ・・・!?」

『こ、これは・・・風にそよぐ花か、ひらひらと舞う蝶か、はたまた極東武術に柳の枝に雪折れ無しというそれか! 絢爛舞踏、天空宙心、東西南北中央不敗! 

 当たってない! ベート・ローガの拳が全く当たっていません! 一体どういう事なんだこれはー!』

『それこそ極東武術に言う"一寸の見切り"という奴だな。相手の動きを完全に見切ることによってその攻撃範囲の数cm外に自分を置く。口で言うのは簡単だが、【凶狼】相手にそれをやるのは至難の業であろう』

『が、ガネーシャ様が解説してくれてるー!?』

 

 オラリオもざわめいている。

 素人や冒険者でも低レベルの者にはベートが拳を寸止めしているか、わざと外しているようにしか見えまい。

 高レベルの冒険者、もしくはタケミカヅチやカーリーなど、武術や戦いに通じた神のみがひどく真剣な顔でそれを見ていた。

 

 

 

 嵐が吹き荒れる。

 それがどれほど荒れ続けたか。だがしかし、さしものベート・ローガも休み無く振るっていたその拳の勢いがほんの僅かに鈍った。

 ぱしん、とこの決闘が始まって初めての小気味いい音。

 ほぼ延びきったベートの右拳を、イサミの左手が受け止めている。

 ぬ、と眉をひそめたベートにイサミがにやりと笑った。

 

「気は済んだかな?」

「見下してんじゃ・・・ねえっ!」

 

 再び沸騰するベート。

 右拳を引き戻して放とうとした左拳。

 その左腕がまだ伸びきらないうちに、イサミの巨大な右拳がベートの顔面を粉砕した。

 

「・・・・・・!」

 

 それでも放たれた左拳はまたしても空を切り、続けてイサミの拳がみぞおちをえぐる。

 文字通り、拳が腹にめり込んだ。

 

 胃液を吐き出そうとするベートの胸に三発目の拳が打ち込まれる。嫌な音を立ててあばらが折れた。

 地から天に昇る龍のような、コンパクトで、しかし雄大なアッパーが顎に炸裂する。

 

 意識は飛び、大きく体をのけぞらせ、それでも体勢を立て直そうとするベート。

 その顔面に、一歩踏み込んだ打ち下ろしの右が刺さる。

 そのまま振り抜いた右腕はベートを地面に叩き付けてバウンドさせ、その意識を完全に刈り取った。

 

 

 

「・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「う・・・・」

『『『『『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』』』』』

 

 数瞬ほど、誰もが呆然としていた。

 文章にすれば長いが、ベートが左拳を放とうとしてから大地に沈むまで二秒と経ってはいない。

 誰もが――神も、一級冒険者も、【勇者】や【猛者】ですら――誰一人、Lv.6冒険者をここまで簡単に沈められるとは思っていなかった。

 

 その沈黙を破ったのは大歓声。

 先ほどまでのブーイングなどどこへ消えたか、誰もがイサミに称賛の声を上げている。

 突き上げた凱歌の拳に、今度こそ惜しみなく拍手と歓声が送られた。

 

 歓声を上げるヘスティア連合軍(と、ティオナ)。一番声が大きいのはベルだ。同じくらい声が大きいのはリドと、意外にもゲド。レーテーやシャーナ、椿などはイサミをもみくちゃにしている。

 

 冷静を通り越して冷酷なまでの目でそれを見つめるのはフィン・ディムナ。噛んだ親指からは血がにじまんばかり。

 フィンほどではないが残りの二首領とオッタルも厳しい目でイサミを見ている。

 ロキ・カーリー連合軍の残りは未だに呆然としているか、そうでなくてもショックが抜け切れていない。

 

 いや、一人例外がいる。アイズ・ヴァレンシュタインだ。

 瓦礫の山から無造作にひょい、と飛び降りる。

 

「あっ、おいアイズ?!」

「アイズさん!?」

 

 倒れたベートにちらりと視線をやった後、とことこと気負いのない歩みでもみくちゃにされていたイサミの前に立つ。

 じっ、とイサミを見上げる【剣姫】。

 じゃれていた連中もイサミから離れ、イサミがそれを見下ろし返す。

 

「なんだい?」

「あなたのその力は・・・なんなんです? 魔法ですか?」

「ノーコメント。ばれたらまずいからね」

 

 指を口元に当て、にんまりと笑うイサミ。

 軽く頷いて、それを追及することはなくアイズは再び口を開く。

 

「じゃあもう一つ。それは、弟さんと同じ力なんですか?」

「んー、まあいいか。そいつのとは別口だよ」

「・・・・・」

 

 アイズが視線をベルに向けた。

 びくっ、と。先ほどとは別の意味で身を固くするベル。

 

「じーっ」

「・・・・・・・」

「じーっ」

「・・・・・・・・・・・」

 

 

 

『おーっと、【剣姫】が両の眼で【リトル・ルーキー】をじっと見て(ビホルド)いる!

 その貫くような視線、まさにアイズ・オブ・ザ・ビホルダー! ちなみに名前(アイズ)両目(アイズ)という二つの意味をかけております!

 その美しき瞳が湛えるのは輝きの泉(プール・オブ・レイディアンス)謎めいた影(シャドーオーバーミステリー)か、はたまた冷たく暗い冬の夜(ネヴァーウィンターナイツ)かーっ!』

『お前の言っていることはよくわからんな。ガネーシャ困惑!』

 

 オラリオでもそんな会話が交わされていたが、ほとんどの者は実際困惑している。アイズが何をやっているのか、何のつもりなのか計りかねているからだ。

 もっともその視線に晒されて顔を真っ赤にしているベルの方は非常にわかりやすかった。

 

「じーっ」

「・・・」

 

 そむけた顔をさらに覗き込んでくるアイズに、嬉しさか恥ずかしさかベルの感情が限界を迎えようとしたとき、アイズが一歩下がった。

 

「?」

「強く・・・なったね」

「・・・はい!」

 

 ぱあっと顔を輝かせて答えるベル。

 アイズは少し嬉しそうに笑うと、身を翻して瓦礫の上に飛び上がった。

 

 

 

 それを微笑ましげに見やったイサミが、アイズの飛び上がった瓦礫の上――正確には自分を見つめる視線の一つと目を合わせる。

 【勇者】フィン・ディムナ。先ほど感じた冷たいものは今はもう感じないが、それが彼のものであったことは断言できる。

 危険視されているのは薄々察していた。見知らぬ魔法、見知らぬ魔道具、異常な攻略速度、異常なステイタス。

 しかもこれまでにない怪物達がダンジョンに現れ、怪人たちが暗躍している状況。更には同様に異常な成長を遂げているベルもいる。

 

 一つ一つだけならレアスキルや何らかの陰謀のせいと個別に分けて考えることもできたろうが、それらが同時に発現したせいで個々の事象が繋がってしまった。

 知らない人間にとっては、イサミもベルも怪人やD&D系のモンスターも、全てが一本の糸で繋がっているようにしか見えまい。

 まあイサミが色々と悪目立ちしてしまったのもあるが。

 

(本当に偶然なんだけどなあ)

 

 ぽりぽりと頬をかく。

 ロキがそのあたりのことを話してくれると思ったが、話していないのか、それとも話を聞いてなお疑っているのか。

 考えてみればロキもこの封印世界ができたいきさつやタリズダンのことについては知っているだろうが、何故今になって怪人や他世界の怪物が迷宮に現れたのかについてはイサミと同じく何も知らない。

 封印世界の事を知った上でイサミを怪しむ可能性は確かにあった。

 

 が、実際何の関係もないのだ。

 イサミのステイタスが急激に跳ね上がったのは、全身に仕込んだ能力強化の魔力と、それを(無理矢理に)統合した"願い(ウィッシュ)"呪文の力である。

 

 からくりはこうだ。

 まず、同じ能力値強化アイテムを能力値ごとにそれぞれ三十用意する(今回は肉体そのものに魔力を刻んだ)。

 ただし、これだけでは何の意味もない。同じ魔力は打ち消しあうからだ。

 電池の直列と並列を考えればわかりやすいだろう。同質の魔力は並列にしかならない。

 

 "魔具変化(アイテム・オルタレーション)"という術がある。魔道具(マジックアイテム)の専門家である魔法技師(アーティフィサー)の術だ。

 この術は魔道具を強化する術ではない。魔道具の働き方を変化させる術だ。

 

 例えば普通の筋力強化アイテムは筋肉に純粋な魔力による強化を施すことで効果を発揮する。

 この術はその働き方を変えて、例えば筋繊維を太くしたり、構造を変えたり、あるいは一時的に仮想の筋繊維を増やしたり、筋繊維(鞘に繊維が出入りするような構造をしている)の鞘に反発力を与えて結果的に発揮できる筋力を上昇させるようにしたりする。

 知力なら記憶容量を上げたり、脳内電流の伝達速度を上げたり、無意識における精神活動を効率化したり、と言った具合だ。

 

 これにどういう意味があるかというと、魔力がかぶって効果を発揮するようになる――つまり、()()()()()()()()のだ。

 ウィッシュによって"魔具変化(アイテム・オルタレーション)"同様の効果が施されたそれが三十。一つごとに能力値は六段階上昇するので合計180段階。

 それは平たく言えば極めたLv.9相当のステイタスに等しい。

 いかにLv.6のベートであれ、抗えるものではなかった。

 リヴェリア達が感じたのも、知力が上昇した事による魔術師(ウィザード)の魔力の連動的な上昇によるものだったのだ。

 

「今の俺ならロビラー卿にも勝てる!」

「ほう、それじゃいっちょやってみるか?」

 

 だからだろうか、イサミがうっかりろくでもないフラグを立てたのも、そのフラグが即座に回収されたのも。

 

「ファーッ!?」

「・・・!」

「あ・・・あああああーっ?!」

 

 盛大に吹き出すイサミ。表情を険しくするオッタル。絶叫するレーテー。

 瓦礫の脇からふらり、と現れたのは間違いなく推定Lv.9相当、黒の超戦士ロビラー卿(ロード・ロビラー)だった。




タイトルはかつてのボクシング世界チャンピオン、モハメド・アリの形容から。
本当にフラフラ揺れてるだけで敵のパンチが全然あたらないんだこれが。


【火炎(ry】が連呼してる訳のわからない単語は、昔のD&D(AD&D)のコンピューターゲームのタイトルです。


オールSのLv.9相当と書きましたが、恩恵や元々使ってた魔道具による強化などとはやっぱりかぶっている部分もありますので、元のステイタスから180段階上昇したと言うことではありません。
あくまでLv.9の冒険者と互角と言うことですね。


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19-19 ロビ来来

「説曹操、曹操就到!?」

「兄さん、落ち着いて!」

「何を言ってるのかはわからんが、何を言いたいのかはわかるな・・・」

 

 軽く錯乱するイサミを揺らして正気に戻そうとするベル。

 苦虫を噛みつぶしきったような顔のシャーナ。彼女もロビラーの力の一端は目の当たりにしている。

 レーテーは緊張しきった顔だ。記憶は曖昧だが、かつて無造作に腕を切り飛ばされた時の印象は簡単にはぬぐいされない。

 

「う、うわー! 本物! 本物のロビラー卿よ! 凄い! 生ロビラー! 写し絵よりよっぽどいい男じゃない! ねえ、頼んだらサインくれるかしら!」

「うん、ちょっと黙ってろなお前」

 

 なおイサミを正気に戻したのはベルの声ではなく、ミーハー丸出しのフェリスの反応であった(フェリスはロビラーと同じオアース世界の出身である)。

 自分より騒いでる人間を見ると落ち着くのは、人間の不思議な習性だ。

 

「お、なんだ嬢ちゃん、俺のファンか? 何か書く物持ってたら書いてやるぞ」

「キャー! 凄い! 本物! 本物のロビラーのサインよ! ああもう、モルデンカイネンのサインも貰っとくんだった!」

「はいそこのおっさんもちょっと黙ってような」

「だからおっさん扱いはやめろと言ってるじゃねえか」

「おっさん扱いをやめて欲しいならせめて髭を剃れ、この怪人モジャ公が」

 

 

 

「・・・・・・」

 

 一方でロキ・ファミリアの面々も目をみはっている。

 かつてベルがミノタウロスと戦った時、イサミを「人質」にとっていたロビラーと彼らは一悶着を起こしている。

 当時Lv.5だったティオナを一蹴したその実力は、彼らをしてオッタルと同等、あるいはそれ以上の難敵と認識させていた。

 アルガナとバーチェもまた、そのたたずまいだけで察するに余りある。

 

「それで何の御用かな。見ての通り僕たちは取り込み中なんだ。イサミ・クラネルとの因縁であれば後回しにしてほしいのだけれども」

「いや何ね。見物のつもりだったが、『俺に勝てる』なんて言われちゃあ黙ってるわけにもいかなくてな」

 

 フィンの問いかけにへっへ、と軽薄に笑うロビラー。

 

「・・・今この場でということかな?」

「もちろん。今でなけりゃ意味がないだろ。よくわからねえが魔法でどうにかしてるみてえだしな」

 

 ちらりとイサミに視線をやるロビラー。

 む、とイサミが口をへの字に曲げた。

 

「それは、こちらに立って戦うという意味かな?」

「いやいや、それだと〈戦争遊戯〉のルールに抵触するだろ? だから俺は勝手にあいつに殴りかかるのさ」

「ムウ・・・」

 

 渋い顔になるフィン。

 一応の理屈は立っているものの、ロビラーの言はもちろん詭弁である。神々、そしてギルドの裁定次第では十分反則になりうる。

 一方でこうした不慮の事態であれば、展開によっては〈戦争遊戯〉自体最初から仕切り直しになる可能性もある。ここまで完全にペースを握られているフィンとしてはそれに持ち込めないかと思わなくもないが、むしろ反則負けを取られるリスクの方が高い。

 

(やっかいな事に・・・)

「そんなのずるい! ただでさえこっちの方が有利じゃない! 決めた! 私【英雄譚(アルゴノゥト)】くんに助太刀する!」

「「「「ファーッ!?」」」」

 

 沈思黙考に入りかける、絶妙のタイミングで炸裂したティオナの爆弾発言。

 この日、ティオナは常に冷静沈着な【勇者】を盛大に吹き出させるという偉業を達成した。

 

「ティオナ?!」

「あんた何考えてんのよバカティオナ!」

「だってそうじゃん! 【美丈夫(アキレウス)】くんがオッタル並としたって、あのおっちゃんもオッタル並みに強いでしょ? だったらあたしが向こうについて丁度いいくらいじゃん!

 助っ人は1ファミリア一人ならいいんでしょ? だったらあたしがロキ・ファミリアから助っ人に入るよ!」

「そ、それはそうですが・・・! いやそう言う話じゃなくて!」

 

 本当にそう言う問題ではない。

 まさかの飛び入り助っ人と、まさかどころではないLv.6冒険者の離反。

 当のロキ・ファミリアだけでなく、ヘスティア連合軍やオラリオにもざわめきが広がる。

 

『おおっとここで謎の冒険者の飛び入りだ! 所属も経歴も全く不明だが、両陣営の反応からしてかなりの実力者なのは間違いない! というか今【猛者】並に強いって言ってなかった!?』

『うむ、言ってたな! それはそれとして、俺がガネーシャだ!』

『よかった聞き間違いじゃありませんでした! しかもあろうことか、【大切断】が離反! これも神々の策、全ては我が戯れ言なのかーっ!』

 

 

 

『ロキだってきっと認めてくれるよ! 凄く面白いって!』

「認めるかあほー! 何言っとんねんティオナー!?」

 

 神会(デナトゥス)の間でも当然、大盛り上がりであった。

 頭を抱えたロキが絶叫するが、悲しいかな《神の鏡》は一方通行、悲痛な叫びはティオナに届かない。

 

「これほどまでとは・・・読めなかった・・・このリセイの目をもってしても!」

「てめーの敗因は・・・たったひとつだぜ・・・ロキ・・・たったひとつの単純な答えだ・・・『てめーの子はお馬鹿すぎた』」

「ティオナのことは忘れろ。そうすればお前は強くなる」

「『表がえる』と心の中で思ったならッ! その時スデに行動は終わっているんだッ!」

「貧乳! 貧乳ゥ! PUTIYYYYYY!」

「ブッ殺すぞオドレらァッ!」

 

 ここぞとばかりにいじる神々と吠えるロキ。

 ヘスティアやヘファイストスは唖然とし、フレイヤが玉を転がすような声で笑い続けていた。

 

 

 

「あー、ティオナ。だがルール的には問題があるぞ」

 

 再び痛む頭を抱えつつ、リヴェリアがやんわりと指摘する。

 

「どうして!? こっちに一人増えて向こうに一人増えるんだからとんとんじゃない!」

「あのな。向こうの助っ人は10人、お前が加われば11人。こちらは一人増えて一人減るわけだから10人。

 あちらの助っ人の数はこちらの助っ人の数までだから、お前が抜けるまではいいとしてもお前が向こうについたら一人多くなるんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」

 

 気付いてなかったのか、リヴェリアの指摘にぽかんと口を開けるティオナ。

 ヘスティア側でもレーテーが同じような表情をしていたがそれはさておき。

 

「そうでもないですよ、リヴェリアさん」

「む?」

 

 イサミの意外な発言に、首をかしげる【九魔姫】。

 

「だがそちらの助っ人は今十人一杯だろう? 向こうにいる一人と、ここにいる九人と」

「いいえ。助っ人は今()()()()()()()()

「???」

 

(あ、そうか・・・そういうことかあ・・・)

 

 リヴェリアのみならずその場のほとんど全員がクエスチョンマークを浮かべる中、ゲドだけは納得したような顔になっていた。

 全てを理解した人間に特有の、あきらめとすがすがしさが入り交じった表情で何度も頷く。

 

(そうだよな。大した芸もないLv.2より、Lv.6の【大切断(アマゾン)】のほうが何百倍も戦力になるのは当然だよな。まあいいさ、役には立たなかったけど、それでもできる事はやったんだ。それが大切なんだ――ここは、言われる前に脱退を申し出るべきだよな)

 

 ゲドがキラキラ輝く笑顔で自ら一歩前に出ようとしたとき、イサミがアスフィに視線をやり、アスフィが頷きを返した。

 

「【九魔姫】。彼の言っている事は事実です。私は十日ほど前、ヘスティア・ファミリアに『改宗(コンバージョン)』いたしましたので」

「・・・何?」

 

 女神より美しいと称されるその美貌が、先ほどのティオナと同じようなぽかんとした表情を浮かべる。

 

「「「「「えええええええええええええええ!?」」」」」

 

 一瞬遅れて、今日何度目かの驚愕の叫びが古城とオラリオを揺るがした。

 

 

『なぁんてこったぁ! 我々は一体何度驚かされればいいのか! それとも全ては我が掌の上! 暗躍するへらへら仮面、信義無用のJ9、ヘルメス神の仕組んだことなのか!

 さて、ここでゲストに来て頂いております! シルバーリムレスツーポイントの、やわらかくも知性をかもし出すオーバルレンズ眼鏡がまぶしい! 

 アスフィ様と並び我ら眼鏡族の希望の星、受付人気はナンバーワン! 指導の苛烈さもナンバーワン! 登録GO眼鏡GO! 妖精美神エイナ・チュールさんです!』

『エイナ・チュールと申します。よろしくお願いします。・・・その紹介要りました?』

『おう! よろしく頼む! そして俺がガネーシャだ!』

 

 【火炎爆炎火炎(ファイアー・インフェルノ・フレイム)】(長い)の勢いに押されつつも、挨拶を返すエイナ。いつも通りの眼鏡にパンツスーツ姿である。

 

『極めて重要です! 個人的に! さて、アスフィ・アル・アンドロメダさんが実はヘスティア・ファミリアに移籍していたということですが!』

『は、はい、事実です。本日付でヘスティア・ファミリアへの『改宗』の届け出が出されました。なおレベルはランクアップして4とのことです』

『なんとぉーっ! このタイミングで都合良くランクアップしてるのはさておき、驚愕の事実! オラリオ最高の魔道具作成者(アイテムメーカー)がヘスティアファミリアに『改宗』していたとは!

 スキル複数持ちの謎のLv.1の兄と驚異的なランクアップを続ける弟の団長兄弟に加えてLv.5が3人、加えてさらに眼鏡の女神アスフィ・アル・アンドロメダが参入! 設立9ヶ月で恐るべき成長を遂げております、恐るべしヘスティア・ファミリア!』

『うむ、ヘスティアの神徳の賜物だな! そして俺がガネーシャだ!』

 

 

 

「「「「オオオオオオオオオオオオオッ!?」」」」

「ヘルメス、貴様ぁぁぁぁぁっ!?」

「言ったろう? ()()()()()()()()()()()()ってさ。うちの団長、いや元団長か、が勝手に『改宗』しちゃったからね。俺は一切関わってないよ、うんこれほんと」

 

 さすがに驚愕が爆発する神会(デナトゥス)の間。

 激昂しているんだか驚いているんだかわからないアポロンに、ヘルメスはここぞとばかりに最高の笑みを浮かべてやった。

 『改宗』に元の主神の許可が要ることは敢えて口にしない。

 

 硬直してしまったイシュタルは怒りよりも驚愕が勝っているようであり、元々アスフィに無関心なカーリーはつまらなそうにそれらを見やっている。

 それら全てを楽しげに見やりつつ、ヘルメスは二十日ほど前の事を思い出していた。

 




今回改めて原作チェックしてて気付きましたけど、アスフィさん本人はレベル偽ってるとも偽ってないとも書いてませんね。
まあトップがLv.4だと、他の団員のレベルが低くても派閥ランクはそう変わらないと思われるので、多分偽ってるとは思いますが。

なおロビラーのサインは貰いました。


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19-20 路地裏壁ドン同盟

 その日、アスフィと共に呼び出されたヘルメスは、裏路地でイサミに迫られていた。

 壁に背を付けたヘルメスに対し、壁に手をついて覆い被さるように顔を近づける。

 神々言うところの壁ドンの体勢だが、やってる方もやられている方も男だ。

 ついでに言うと牙を剥きだして笑うイサミからは、割と本気の怒気が発せられていた。

 

「いやあ、怖いなあ。どうしたのイサミ君。俺、君に怒られるようなことしたっけ? なあアスフィ?」

「うーん、どうなんでしょう。私の知らない所で何かやってた可能性は・・・」

「あっはっは、ひどいなあアスフィは。君、俺の派閥の団長だろう?」

「団長だから言えるんです」

 

 眼鏡をくいっと押し上げるアスフィ。はっはっはと笑うヘルメスだったが、イサミの笑みと怒気は全く揺るがない。

 揺るがないまま、イサミが口を開く。

 

「いやまあ簡単な話なんですよ。春姫のことをチクッたのあなたですよね、ヘルメス様?」

「!?」

 

 アスフィの顔が驚愕に歪む。ヘルメスはへらへらと笑い続けていた。

 

「いやあ、参ったね。どうして俺がそんなことをすると?」

「簡単です。あなた以外にそれが可能な人間がいないからですよ。いやあなたは神ですけど」

 

 イサミは春姫に、装着すれば命によく似た少女の姿になる変装用の魔道具を与えている。彼女はこの半年、寝る時も風呂に入るときもそれを決して外したことはない。

 1()8()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「タケミカヅチやロキの連中にそれを漏らす理由はない。それでイシュタルとアポロンの人間を洗ってみたらビンゴ。

 あなたとイシュタル、アポロン、カーリーがイシュタルのホームで密談していたのを突き止めましてね。

 ほれ、イシュタル様の寝室の隣の、獅子の毛皮が敷いてある部屋ですよ」

「・・・参ったなあ。どうやって突き止めたんだい?」

 

 しばしの沈黙の後、溜息をついて降参するヘルメス。

 

「逆に聞きますけどね、あなたが色々な取引のコネとかルートを教えてくれと言われたら教えます?」

「はっはっは、そりゃ無理だ」

 

 あはははは、と朗らかに笑い合う二人。ただしどちらも目は笑ってない。

 ひとしきり笑った後、みしりと空気が軋んだ。イサミから発せられる「圧」が倍加する。

 さすがのヘルメスも冷や汗を流しはじめ、先ほどから沈黙しているおのれの眷族の方を向く。

 

「ねえアスフィ、助けてくれないかな・・・」

 

 しかし既に逃げ道は残されていなかった。

 怒気を発するイサミに対し、どこまでも冷たい眼差しがヘルメスの希望を凍りつかせる。

 くいっ、と再び眼鏡が押し上げられた。

 

「イサミ・クラネルは我が派閥の恩人です。彼がいなければ我々は全滅していた。

 その身内を巻き込むなどと・・・かまいません、イサミくん。私は気にしませんから、殺す以外は好きにして下さい」

「ひどいよアスフィ! 君は俺の眷族じゃないか!」

 

 泣きが入り始めたヘルメスに対し、アスフィはわざとらしく眼鏡を外して懐から取り出した布で拭き始める。

 

「む、眼鏡が曇ってますね。私は目が悪いので暫く何も見えなくなります。その間は何が起きてもわかりません。いやあ、その間にヘルメス様が害されたらどうしましょう。まあ神を殺すような不届き者はいないでしょうから、死ななければ別にいいのですが」

「アスフィ!?」

 

 絶望に曇るヘルメスの肩を、怒気を収めたイサミがぽんぽんと叩く。笑顔で。

 

「なに、俺も鬼じゃありませんよ。そこまではしません」

「ほ、本当に?」

「ギルドに支払ったのと同じ額をウチに払うか、生き地獄を味わうか、好きな方を選んで下さい」

 

 ヘスティアとヘルメスは、例の一件の後「無断で神がダンジョンに入った」咎で、当時のファミリアの総資産の半分に当たる額を罰金として支払っている。つまり。

 

「それって今のうちのほぼ全財産・・・」

「それでは生き地獄の方で」

「アスフィィィィィ!?」

 

 即答したアスフィ(いつの間にか眼鏡を装着している)に今度こそマジ泣きしつつヘルメスが絶叫する。

 

「頼むよ、勘弁してくれ!」

「と、言われましても。私では逆立ちしてもイサミ君に勝てませんし、かといって今全財産を取られたらどうにもなりません。商談は全部おじゃん、ルートも構築し直し。なので尊い犠牲になってください。死ななきゃ大丈夫です」

「いやそれはそうだけど! イサミ君、何とか減額してよ! ローン組むとか!」

「そうですねえ、アスフィさんくれるなら考えないでも無いですよ」

「!?」

 

 軽い口調で放たれたイサミの言葉に、ぼんっ、と。水蒸気爆発でも起こりそうな勢いでアスフィの白皙が真っ赤になる。

 

「いやあ、さすがにそれは・・・え? アスフィ?」

 

 苦笑しつつそちらを向いたヘルメスが、眼をぱちくりさせた。

 

「いいいいいイサミくん! 言っていい冗談と悪い冗談がありますよ!」

「あはははは、すいません。でも赤面しているアスフィさんもかわいいなあ!」

「~~~~~~~~っ!」

 

 もはや日頃の才女の面影もなく、真っ赤になって訳のわからない言葉を発するアスフィに、心底楽しそうに笑うイサミ。

 目の前で繰り広げられている寸劇を見て、ヘルメスが大きく溜息をついた。

 

「・・・はあ、わかったよ。アスフィはあげよう」

「へっ?」

「ヘルメス様?!」

 

 ぽかんと口を開くイサミ。一転してアスフィは愕然とした顔になる。

 いつもの糸目笑いに戻り、一歩踏み出したヘルメスがその額をつん、と突く。

 

「だってアスフィ、行く気満々じゃない?」

「え?! そ、そんな・・・」

「神に嘘はつけないぜ」

「・・・」

 

 意外そうな表情でアスフィを見やるイサミ。その視線に気付き、再びアスフィの頬にかっと朱が差す。

 

「馬鹿を言わないで大人しく半殺し、いや全殺しになってください! わたしが抜けたらファミリアは・・・」

「アスフィ、これは提案じゃない。主神としての命令・・・いや、懲罰だ。

 他のファミリアに移りたいなんて思ってる奴は、俺のファミリアにはいらない。

 だから追放する。これまで尽くしてくれたことに鑑みてステイタスの封印はしないから、どこへなりとも好きに行けばいいさ。なあ、イサミ君?」

 

 ニヤリと笑うヘルメス。

 あ、これはありったけの高値で恩を売りつける気だと理解しつつ、イサミは首を縦に振った。

 

「いいでしょう。ではそれで」

 

 真顔のイサミに対し、アスフィは必死だ。すがるような顔になっている。

 

「わ、私はヘルメス様にご恩を・・・!」

「それはいいよ。もう十分に返して貰った。

 それにね、アスフィ。俺は楽しいのさ。今まで俺の命令を果たすのを頑張ってばかりだったお前が、自分の意志で俺の神意を覆そうとしたんだぜ? これを面白いと言わずして何というんだい」

「・・・・・・っ!」

 

 口元を抑えて、嗚咽をこらえるアスフィ。

 その目元には涙が浮かんでいる。

 彼女は元々ある海国の姫だった。そして、そのとらわれの籠の鳥を外の世界に解き放ったのがヘルメス。誰が何と言おうと、外からどう見えようと、彼女にとって彼は無二の恩人だったのだ。

 

「・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 しばらく、裏路地には沈黙とアスフィの無言の嗚咽だけが響いていた。

 

 

 

「そうそう。何か良い話でまとめようとしてますけど、今回ヘルメス様がしたことは忘れませんからね。もう一度やったら、百分の九十九殺し、いや、千分の九百九十九殺しの上でファミリアの全財産を頂きますので」

「・・・覚えておくよ」

 

 

 

 時間は現在に戻り、ヘルメス・ファミリアの談話室。

 テーブルやカウンターに酒とツマミを並べ、ファミリアの面々が銀の鏡を見ている。

 いつもアスフィの座っていたカウンターの隅の席に、今彼女はいない。

 

「なんか寂しくなったねー」

「ルルネなんか結構叱られてたし寂しいんじゃない?」

「ふん、うるさいのがいなくなってせいせいしたよ」

 

 憎まれ口を叩く猫人の盗賊も、どこか言葉に力がない。誰からともなく溜息が漏れる。

 

「というかアスフィいなくなってうちらやってけんのかねえ」

「まあ、新天地でお幸せにってとこかなー」

「ううっ、アスフィさぁん・・・」

「おい、誰かこれどうにかしろよ」

「こいつまだ諦めてなかったのか」

 

 




はい、犯人がヘルメスじゃないかと予想してた人、せーいかい。


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19-21 いつだって

 

 一方古城では、一歩踏み出そうとしたポーズのまま、ゲドが固まっていた。

 

「うん? どうしたんだ、ゲドっち?」

「い、いや、なんでもない。何でもないって、はははは。ははははは!(危ねえ・・・早まらなくてよかった・・・!)」

「???」

 

 笑って誤魔化すゲド、首をかしげるリド。気付いた者が他にいなかったのは、彼にとって僥倖であった。

 一番気付きそうなイサミが、精神リンクで第三者と話をしていたのも理由の一つだろう。

 

(・・・というわけで、あんたの出番はなくなっちまった。済まないな)

(まあしょうがありませんね。Lv.6と比べられてはさすがに分が悪いというものでしょう。ご武運を)

(ありがとう。取りあえず待機はそのままで。撤収するときに一緒に)

(わかりました)

 

 精神通話の相手は、"赤い外套団(レッド・クローク)"の一人、レイ。

 飛行能力と音波攻撃を持つ女性で、"上位透明化(スペリアー・インビジビリティ)"をかけて待機させてあったのだ。

 本来は彼女こそが十人目の助っ人であった――むろん、最高のタイミングで横から殴りつけるためである。

 結局不発に終わったが、レイの言う通りティオナの戦力とでは考えるまでもない。

 

「イサミくん? ・・・ああ、彼女とですか」

「ええ。申し訳ないですけど、この状況ですとね」

「まあしょうがありませんね。まさか【大切断】がこちらについてくれるとは思いませんでした――もっとも"あれ"が敵に回ったことを考えると痛し痒しですが――なんです、イサミくん?」

 

 イサミがじっと自分の顔を見つめてることに気付き、首をかしげるアスフィ。

 

「いや、アスフィさんやっぱり綺麗だなって」

「~~~~~~~~~~~~~!?」

 

 特に何と言うこともない、という表情から不意打ちで発せられたイサミの言葉に、十日前と同じく、その顔が水蒸気爆発を起こす。

 そして何となく、この青年に惹かれていた理由を理解した。

 

(ああそうか・・・この子はヘルメス様に似てるんだ、天然とわざとという違いはあっても)

 

 好意を持つポイントしては我ながらどうなんだと、軽い頭痛を感じるアスフィ。

 心配そうに覗き込んできたイサミに何となく腹が立ったので、みぞおちに肘を力一杯打ち込んでおいた。

 

 

 

「で、どうするよ?」

「無しに決まってるだろう! あの黒いのがイサミくんに手を出したら、その時点でアポロンたちの反則負けだ!」

「あんな奴など知らん! 我々には関係ない!」

「へん、どうだかな! いきなり襲いかかって来たくせに!」

 

 ヘスティア達とアポロン達とで侃々諤々の神会(デナトゥス)の間。

 いきなりの乱入者とティオナの暴挙にさすがの神々も戸惑って・・・いなかった。

 

「YEHHHHHHHH! これだよこれ! こう言うのがなくっちゃなあ!」

「かつて敗れた仇敵に対し、超ヒューマン人に覚醒して逆襲する主人公! 正義でも残虐でも悪魔でもない、最強の男に並ぶ力を持つ謎の第四勢力! 燃える展開じゃん!」

「ああ、地上に降りてきてよかった――!」

「いやそれ俺のセリフ」

 

 ヘルメスがぼそりと漏らした、神々の言語で言うところの「メタい」セリフも誰も聞いていない。

 そして、ルール変更を承認するかどうかはこのノリのいい連中にかかっているわけで・・・

 

「「「「 面 白 い か ら 全 部 承 認 ! 」」」」

「「ちくしょう、馬鹿ばっかりだ!」」

 

 ヘスティアとアポロンがこの時だけは仲良く頭を抱えた。

 

 

 

「へっへ、ともかくこれで十対十ってわけだ」

「そーだね!」

 

 神々の繰り広げる寸劇を知ってか知らずか、ニヤリと笑うロビラーに満面の笑みのティオナ。

 

「ティオナ、そーだねじゃなくてね・・・」

「諦めろ、フィン。こりゃもう止まらんじゃろ」

「まあティオナ一人の損失でオッタルを抑えられると思えば、戦力的には損はしていないだろう・・・多分」

 

 頭を抱えるフィンだがガレスとリヴェリアに言われるまでもなく、もうこれは止まらないと察してはいる。

 その雰囲気を察したかそれとも意にも介さないだけか、ティオナが巨大な得物(ウルガ)と共に瓦礫から飛び降りて軽やかに着地。そのままイサミ達に駆け寄った。

 

「【英雄譚(アルゴノゥト)】くん、【美丈夫(アキレウス)】くん、来たよー♪」

「まあ色々言いたい事はあるが、取りあえず感謝するよ」

「えへへー」

 

 肩をすくめるイサミに、照れ笑いするティオナ。

 が、それで収まらないのがその姉である。

 

「えへへー、じゃあないわよ馬鹿ティオナっ! ・・・団長、あれは私に任せてください。姉のけじめとして私のこの手で首を取って来ます」

「殺しちゃダメですよティオネさん!?」

「・・・(汗)」

「ほどほどに、ほどほどにね・・・」

 

 据わった目で物騒なことを言い出すティオナにレフィーヤが悲鳴を上げ、アイズとフィンが冷や汗を浮かべた。

 そしてロビラーが一歩踏み出す。

 

「で? 今のお前なら俺にも勝てるって?」

「いやあ・・・はははは・・・」

 

 笑顔を浮かべてはいるが、放たれるプレッシャーは一級冒険者すらすくませるものだ。

 まるで本気ではないにもかかわらず明らかにベートを上回るそれが、しかも正確にイサミ一人に集中している。そう言う点でも無差別にばらまいていたベートとは格が違う。

 こわばった笑みを浮かべるイサミ。アイズ達の浮かべているそれどころではない、大量の冷や汗がその頬を伝った。

 

 伝説の戦士(エピックファイター)ロビラー。

 加護で得た力を裏技的に用いて一朝一夕に強くなったイサミと違い、本当のLv.1から始めて数々の死地を踏破し、数多の『冒険』を乗り越えてその境地に達した大戦士。

 彼ならこの封印世界で【神の恩恵】を受けた冒険者だったとしても、容易にランクアップできるだけの"経験値(エクセリア)"を保有していたはずだ。

 いわば促成栽培のイサミと、本物中の本物であるロビラー。たとえステイタスで並んだとしても、その格の違いが明白に現れていた。

 

「・・・」

 

 そこまで凄みを利かせていたロビラーからの圧が、ふっと消えた。

 溜息をついて、どこか気の毒そうにイサミを見る。

 

「難儀だなあ、おまえも。まっとうに冒険を続けて経験を積んでいれば、俺相手でも多少はどうにかなったろうによ」

「時間がなかったもんでね・・・いつだって、配られたカードで勝負するしかないのさ」

 

 イサミが肩をすくめる。

 ロビラーとて一朝一夕で伝説の戦士になったわけではない。それは数十年の、それこそ伝説となるような冒険を無数に繰り返して達した境地だ。

 だがイサミにその時間はなかった。むしろいんちき(チート)であっても戦力を整え、(D&D的な意味での)レベルだけでも無理矢理に上げたからこそ辛うじて対抗できているとも言える。

 

「配られたカードで勝負するしかない、か。うまいことを言うな。お前のオリジナルか?」

「いいや、チャールズ・シュルツの剽窃さ」

「そうか。ふむ。そうだな、ふむ」

 

 感じるものがあったのか、何度も頷くロビラー。彼とて常に順風満帆であったわけではないだろう。常人の到底想像できないほどの栄光と、到底想像できないほどの挫折は常に隣り合わせだ。本物の栄光を手に入れた人間は必ず挫折も知っている。

 挫折が多ければそれだけ強くなるなどという甘い話はない。だが挫折を乗り越えて強くなった人間は、そうでない人間より確実に強い。何故なら挫折を乗り越えること、それそのものが『冒険』であるからだ。

 イサミとて『冒険』はした。だがただ一度の『冒険』では無数に積み重ねたこの英雄のそれには遠く及ばない。

 

 あるいはイサミはロビラーのステイタスすら上回ったかもしれない。

 だが、勝てない。

 ステイタスで上回っても、呪文で技量を高めても、ウィッシュで技を身につけていてさえ、「本物」の持つ経験に裏打ちされ、最適化された動きには太刀打ち出来ない。

 故に、この男と対峙できるものはこの世にただ一人。

 

「二人ともその辺にしておけ。それに、貴公の戦う相手は魔道士ではなかろう」

「俺に勝てるなんてホラ吹く奴が悪い。だがまあ、確かにその通りではある」

 

 歯をむき出しにして笑うロビラー。

 その全身から、再びプレッシャーが放射される。

 オラリオ最強の男はその圧を悠然と受け止めた。



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19-22 神に迫る剣

『おーっと、今度は謎の男ロビラーと【猛者(おうじゃ)】オッタルが対峙する!

 いかにもな強キャラ臭を漂わせるロビラーですが、果たしてその自信は本物か、はたまたただのハッタリ野郎なのか!

 マントにくるまれて装備は判然としませんが、黒の戦闘衣に防具らしい防具は腕甲(ブレイサー)くらいしか付けていない!

 腰に下げているのは柄が長めの片手半剣(バスタードソード)か! ゴーグルその他の小物も身につけてはいますが、悲しいかなただのアナウンサーのわたくしにはそれが魔道具かどうかは判別できません!

 アスフィ様がその辺解説してくださるとわたくし大感激なのですが!』

『まあ戦闘中に解説している暇は普通ないだろうな。そして俺がガネーシャだ!』

 

 

 

 ロビラーとオッタル。二人の超戦士が対峙する。

 イサミ達とフィン達、本来戦わねばならない両陣営が、互いの動きを注視しつつもこの二人の対峙から目をそらせない。

 この頃になると幸運にも生き埋めを免れた、あるいは瓦礫から這い出せたアポロン・イシュタル・ソーマの団員たちがちらほらと周囲に姿を見せていたが、彼らもまたこの状況を注視するしかできない。

 

 ロビラーが腰の剣の柄に手をかけた。オッタルもまた自らの背中のそれに。

 互いに僅かに身をよじり、刃渡り1mを越える大剣をすらりと抜く。

 並の冒険者がダガーを抜くよりも素早く、無駄なく、隙のない動作。

 

「・・・おお・・・!」

「・・・!」

 

 ロビラーが目を見張った。そして椿もまた。

 

「なっ!」

 

 オラリオでは、椅子を蹴倒して思わずヴェルフが立ち上がっている。

 その顔には愕然とした表情。彼の周囲にいる同僚の鍛冶師、いや、オラリオ全ての剣鍛冶師が同様の表情を浮かべていた。

 

「なにあれ・・・」

「すげえ・・・」

 

 驚愕の度合いでは彼らに劣るが前衛系の冒険者たち、特に高レベルの者も目を見張っている。

 この瞬間、オラリオの目の半ばがオッタルの剣に集中していた。

 

 作りに目を引くところはない。刃渡り1.2m、平均幅9cm、柄は40cm余りの直剣。鍔にも柄にも装飾は一切なく、柄には鹿皮が巻かれている。

 極々一般的な両手剣と言っていい。

 素人目でも唯一わかるのはその輝き。鋼色ではあるが、ただの鋼鉄ではあり得ないそれ。

 最硬精製金属(オリハルコン)、そして不壊属性武器(デュランダル)特有のそれだ。

 

 高レベルの前衛にはそれ以上のこともわかる。自分たちが振るっているそれとは格が違うとわかってしまう。

 オラリオ最高レベルの武器を持つフィンやガレス、あるいはイサミ製の武器を日常的に使っているシャーナやレーテーですらそれは同じだ。

 

 そして鍛冶師達にとって、それは羨望であり絶望であった。全体のバランス、刃紋、構えるオッタルとの完璧な調和。そしてなにより剣の放つオーラめいたものを、彼らは感じ取れる。

 ヘファイストスの鍛冶師達にとっては、それはより具体的なものとして迫ってくる。

 彼らはいずれも入団の際に神ヘファイストスが鍛えた剣を見ている。だからわかってしまう。()()()()()()()()()()と。

 

 

 

 ぱち、ぱち、ぱち。と。

 神会(デナトゥス)の間に拍手が響いた。

 神々の視線が一斉に集中する。

 ほほえみを浮かべて手を叩いているのはヘファイストス。

 

「素晴らしいわ。鍛冶神として断言する。今、子供達は私たちの技に並んだのよ」

 

 ゴブニュなど、数人の神が深く頷いた。いずれも鍛冶や工作を司る神々だ。

 ヘスティアは自慢げな笑みを抑えるのに必死である。イサミから余り公言しないようにと釘を刺されたので黙っているが、神友が自分の子に、それも専門分野で最大級の賛辞を送っているのが嬉しくないはずがない。

 なお神本人が鍛造したロビラーの"ブレード・オブ・ブラックアイス"であるが、そちらは一目見て人の手による物では無いとわかったのか、いずれの神も言及はしなかった。

 

「そうなのか! 何かすげえ剣なんだな!」

「へのつっぱりはいらんですよ!」

「言葉の意味はよくわからんが、何やら凄い自信だ!」

「あんたらね・・・」

 

 もっとも、大多数の神々(ばか)どもにはよくわからないことではあったのだが。

 まあ専門家にしか分からない事もある。素人にわかるのは値段くらいだ。

 

「ちなみにあれ、180億ヴァリスしたそうよ。その価値はあるとも言ってたけどね」

「「「「「ブーッ?!」」」」」

 

 そこにタイミングよく爆弾発言を叩き込むのがフレイヤ。

 フィン達トップクラスの武器でも大体一億ほどであるから、どれだけ法外な額かがわかるだろう。

 さすがのオッタルでも稼ぐのに何年かかるかわからないレベルであり、実はフレイヤが立て替えていたりする。

 この額をぽんと出してしまえる辺り、やはりフレイヤ・ファミリアの財力は凄まじいというべきか。

 

 

 

 ずんっ、と。

 椿が自らの得物である太刀を鞘ごと地面に突き立てた。

 うつむくその表情は影になって、上背のあるイサミからはうかがえない。

 

「・・・あれはお手前が打ったのか」

「はい」

 

 怒りと憎しみと悔しさをない交ぜにしたような、地の底から響くような声。

 普段の椿しか知らない面々が、その声の響きにギョッとして振り向く。

 イサミは表情を変えることなく、言葉少なに頷いた。

 

「先を、越されてしまったなあ」

 

 しばしの沈黙の後、悔しさを振り切るように背筋を伸ばし、椿がイサミを見上げた。

 歯を見せ、それでも男前に笑ってみせる。

 

「いずれ手前もあれに並ぶ・・・いや、あれを越える剣を打ってみせる。待っておれよ、イサミ殿」

「ええ、楽しみにしてます」

 

 イサミも男前に笑って返した。

 

 

 

 ロビラーもまた、惜しみない称賛をイサミに贈る。

 

「褒めてやるよ、小僧。こいつぁ、俺が今まで見た中でも一等すげえ剣だ」

「そりゃどうも。だがあんたの感想はいらんね。俺が感想を求めるのは、求めなきゃならないのはただ一人さ」

 

 彼なりの称賛を減らず口で返されても、ロビラーの笑顔は変わらない。むしろ深くなる。

 そしてオッタルが頷いた。

 

「最高だ、イサミ・クラネル。お前は最高の仕事をしてくれた」

「ありがとうございます。ですが、お褒めの言葉はそいつに勝った後で」

「そうしよう」

 

 珍しく、オッタルがはっきりと笑みを浮かべる。

 オラリオでそれを見ていたフレイヤもまた、楽しげに微笑んだ。




オッタルの剣 +24デュランダル・グレートソード 
術者レベル72;前提条件:《魔法の武器と鎧作成》特技&《伝説級魔法の武器と鎧作成》特技;市価:1800万gp(180億ヴァリス);コスト:900万gp+19万xp+オリハルコン

不壊属性(デュランダル):近接武器特殊能力 
この強化を持つ武器は決して壊れない。
強力・変成術;術者レベル13;前提条件:《魔法の武器と鎧作成》特技 〈武器鍛冶〉技能15ランク;市価:+6相当 特殊:要オリハルコン、非エピック


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19-23 戦闘開始

「さて、と」

 

 オッタルとロビラーが互いに剣を構えて微動だにしなくなる。

 申し合わせたように、両軍の首領が視線を合わせた。

 

「あちらはあちらで完結しているようだし、そろそろ僕たちも始めようか?」

「できれば決着まで見届けたいところではありますがねえ」

「まあね」

 

 ちらりと向こうに視線を飛ばすイサミの言葉に苦笑するフィン。

 彼としても叶うなら二人の決着を見届けたかった。

 しかしフィンはアポロン、イシュタル両ファミリアに組みする助っ人の首領であり、イサミはそれを打ち破るためにここにいる。

 春姫たちの身柄、主神の命令、派閥の名誉、戦士の意地。戦わずには済まされない。

 もっともロキもヘスティアも後者二つにこだわるような神ではないが、それでも実際に戦う者達はそれを意識せずにはおれない。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 戦場に沈黙が広がっていく。

 イサミたちが互いに僅かな目配せをする。

 ティオネやガレスが武器を構えた。

 しばしの沈黙。

 

「おおおおっ!」

「むんっ!」

 

 ロビラーの黒剣とオッタルの不壊剣が激しく激突する。

 激しく重い金属音が大気を震わせるものの、火花は散らない。

 つまり、どちらの剣もわずかにも欠けていないと言うことだ。

 そして同時に他のものたちも動く。

 

「ロキ、カーリー・ファミリア、突撃っ!」

「《高速化》《最大化》"時間停止(タイムストップ)"・・・《遅延》《最大化》《威力強化》《二重化》《エネルギー上乗せ・炎・冷気・電気・酸》"炎の泉(ファイヤーブランド)"!」

「!」

 

 瓦礫の上、動こうとしていたロキ・ファミリアを、イサミの呪文による11連続の猛炎が包み込んだ。

 だが次の瞬間、炎の嵐を突き抜けて次々と戦士たちが降ってくる。

 彼女らの体には例外なく、緑色のオーラが甲冑のように輝いていた。

 

「ちっ、リヴェリアさんの防護呪文か!」

「こんな短い時間で?!」

「瓦礫の上に出てきた時に既に詠唱は終えていたんだろうさ! 魔力もうまく隠してたってことだ! 都市最強の魔道士は伊達じゃないな! それよりベル!」

「う、うん、わかってる!」

 

 兄弟がそれ以上の言葉を交わすいとまはない。

 最強のドワーフ戦士ガレス、闘国(テルスキュラ)最強の戦士アルガナ、それに匹敵する力を持つバーチェ。三人が同時にイサミに襲いかかった。

 それら全てを長杖でいなし、時にはカウンターで痛撃を与えつつ、イサミは次の詠唱を始める。

 

「くそ、本当にオッタル並みか! わしら三人を相手に悠々と詠唱などしおってからに!」

「どうでもいい! こいつハ一級冒険者扱いでいいヨナ! よし! 私の愛ノため、贄となれ大男!」

「アルガナ・・・いや、もう何も言うまい・・・」

 

 戦場のもう一方では逆に【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに残りのヘスティア連合軍が総掛かりだ。

 シャーナ。レーテー。フェリス。アスフィ。助っ人の椿、リド、リュー、ルノア、クロエ。

 アスフィは何やら魔道具を、フェリスは魔法の巻物(スクロール)を取り出して発動のチャンスをうかがっている。残りの七人が周囲を囲んで袋叩きにしようとするが、囲めない。

 【疾風】の二つ名を持つリューが、しかも加速(ヘイスト)呪文のかかった状態ですらその動きを捉えきれないほどに、【剣姫】は(はや)い。

 むしろ七人がかりで戦っているシャーナ達の方が翻弄されている。

 

「これがっ、Lv.6、ですかっ!」

「みんな気をつけてー! アイズちゃん、まだ魔法使ってないから! 魔法使ったらもっと早いから!」

「これよりまだ上があるのー!?」

「弱音吐くんじゃないニャ、ルノア! この戦いの先に少年のプリプリしたお尻が待っていると信じて!」

「いらんわんなもん!」

 

 何を想像してるのかよだれを垂らす猫人の言葉に割とマジでキレながらも、元暗殺者は攻撃の手をゆるめはしない。

 だが2レベル分のステイタスの壁は分厚く、一瞬でもそれを埋めるためには武神と呼ばれるだけの技量が必要で。しかしルノアはその域には遠く達していない。

 

(少年・・・。・・・?)

 

 クロエの言葉にベルのことを思い出し、目をやろうとしたアイズがかすかに困惑する。

 激突する超戦士二人、瓦礫の上で指揮を執るフィン、詠唱するリヴェリアとレフィーヤ。自分とイサミ回りの一連の戦場。そしてこちらも詠唱を始めた狐人の魔道士とその護衛らしき三級(Lv.2)冒険者。

 

「あんたも一級冒険者よね! その命、(かみ)に返しなさい!」

「ティオネがアルガナになってるー!」

 

 たがいにバーサークして取っ組み合う姉妹は敢えて視界から外す。

 

(あの子が・・・いない?)

 

 僅かに眉をひそめるアイズ。

 この戦場のジョーカー、ある意味では最も注意するべき人物とフィンも言っていた白髪の少年の姿が、ない。

 そして。

 

「【声を奪われて、それでも私はあなたを慕い続ける】」

 

 戦場のどこかでひっそりと詠唱が完了した。

 

 

 

 戦闘は続く。一級冒険者やそれ以上、最低でもそれに準ずる力を持つ者達によるそれは、一般人やLv.2以下の冒険者にとってはまさしく超人同士の戦いであった。

 オラリオですら、半分くらいの者は歓声も上げずにただそれに見入っている。

 それが半ば目に映っていないかのように春姫が詠唱を続けているが、護衛のゲドは我知らずそれに見入っていた。

 だからだろうか。

 気がついたとき、周囲には百人近い冒険者たちがいた。

 

「げっ!?」

 

 慌てて剣を構え直すが既に緩やかな包囲を敷かれており、脱出は困難であるように思われた。

 恐らくは幸運にもイサミの呪文の直撃や崩落による生き埋めを免れた者達だろう。アポロンやイシュタル、ソーマのエンブレムを付けている。

 落下や瓦礫によるダメージなのだろう、無傷でこそないが重傷を負っているものもいない。

 Lv.1らしき者もいるが大半はLv.2、つまりゲドと同格以上。

 向こうもこちらがLv.2とLv.1一人ずつなのはわかっているようで、下卑た笑みを浮かべながら近づいてくる。

 

(あっちは・・・ダメだ、全然手が離せる状況じゃねえ!)

 

 シャーナ達は七人がかりで一人の【剣姫】に翻弄されているし、イサミもLv.6三人を相手にしていて全く余裕がない(ようにゲドには見える)。

 

(俺が・・・俺がやるしか!)

 

「【太古の言葉により命ず 冥府より来たれ死の影 汝にまことの名を与えん 我は汝、汝は我なり】」

 

 超短文詠唱が完成すると共に、どことなく影を帯びたもう一人のゲドが地面から立ち上がる。

 それを見た包囲側の冒険者たちが一瞬足を止めた。

 

「おっ!?」

「魔法か!」

「怯えるな! どうということはことない! Lv.2が二人に増えただけだ、数が違う」

 

 悪運強く生き残っていたソーマ・ファミリア団長ザニスがくい、と眼鏡を上げて鼻で笑う。周囲のものたちもそれはそうかと笑った。

 

「とりあえず、さっさとやっちまおうぜ。そっちの魔道士の詠唱が終わる前によ」

「ああ、そうだね」

「つってもしょせんLv.1だろ? 大したこたあねえさ」

 

 だっ、と冒険者たちが殺到して来た。

 十人ほどの上級冒険者が二人のゲドを、同じくらいの数が春姫を狙う。

 

「・・・あっ!」

 

 突然、ゲドが何かに気付いたような顔になった。

 

「げっ!?」

 

 同時に、走り寄ってきたアポロン・ファミリアの冒険者の顔が激しく引きつる。

 次の瞬間、瓦礫の中に巨大な火柱が立った。

 

 

 

「あっぶねえ・・・すっかり忘れてた・・・」

 

 冷や汗をかくゲドの手の中で、椿謹製の炎の魔剣がパリンと崩れて落ちた。

 突進してきた者達を含め三十人近くを一瞬で吹き飛ばされ、包囲側が呆然とする。

 その隙にゲドは腰の矢筒から、明らかに矢筒より長い白い大剣を取り出した。

 影も本体に駆け寄り、同様に青い短剣を取り出す。

 

 当然だが、レベルの低いゲドをそのまま参戦させるほどイサミも愚かではない。使えるなら何でも使う。

 ゲドに与えられた役割は武具やポーションなどを補充するサポーターであり――魔剣の発射装置であった。コマンドワードを唱えれば魔剣を振る、便利なアイテムだ。

 

 "ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディハヴァサック)"。"森神の矢筒(クイヴァー・オブ・アローナ)"。"収納の袋(バッグ・オブ・ホールディング)"。

 異空間に物体をしまい込むたぐいのアイテムをこれでもかと支給し、サポーター数十人分のアイテムを運搬する移動補給基地と化したのが今のゲドだ。

 そして振れさえすれば魔剣に使用者のレベルは関係ない。

 

「オラオラどんどん行くぞぉ!」

「ひぇぇぇぇぇっ!?」

 

 一転して調子に乗るゲドが、今度は影と二人がかりで魔剣を振り始める。

 ヘファイストスとゴブニュの倉庫を総ざらいした上で、椿を含めた両ファミリアの上級鍛冶師達が二十日間不眠不休で鍛えた最高品質の魔剣が百本以上。

 たかがLv.2程度の冒険者たちが耐えられるわけがなかった。

 

 アポロン、イシュタル、ソーマの残った平団員――ザニスを含めて全滅(リタイア)



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19-24 霧の中から

「あん? テメエも来るか!」

 

 高笑いしながら十何本目かの魔剣を振りかぶるゲド。

 最後の生き残りとおぼしき小人族が慌てて瓦礫の陰に姿を隠した。

 

「へ、臆病者め! まあLv.1だろうし、放っておいてもいーかあ!」

 

 完全に調子に乗っているゲド。

 

(それにしても一瞬だけだったけど、どっかで見たような・・・?)

 

 そんな思考がちらりと脳裏をよぎったりもしたが、ハイになっていた彼はそれをすぐ忘れた。

 

 

 

 全面衝突が始まって僅かな時間しか経っていないが、フィンは早くも指揮を放棄して自身が参戦することを考え始めていた。

 通常ロキファミリアの戦闘で彼自身が前線に立つことは殆どない。

 オラリオ随一の彼の指揮力は、個々の冒険者たちの能力を五倍にも十倍にも上げる。

 だが今、状況は彼の指揮を必要としないところまで来ていた。

 

 剣戟と言うよりは鉄塊を乱打しているような重低音を響かせ、激戦を繰り広げるロビラーとオッタル。少なくとも見た目には互角の勝負を演じているように見える。

 かつて戦ったときより格段に増しているオッタルの剣速は、フィンの目をもってしても捉えきれないほどに早かった。

 

(あの時は本気ではなかったと、そう言う事か)

 

 明らかに足止めが目的だった当時のオッタルの様子を思い出し、苦いものを覚える。

 実際の所はイサミの剣によるものが大きいのだが、それはさすがにフィンにもわからない。

 

 戦場のほかの場所に目を転じると、イサミ・クラネルはガレス達三人を悠々とあしらいつつ、味方に強化魔法(バフ)らしきものを連続して発動している。

 アイズは相変わらず九人相手に互角以上に戦っているが、彼らの連携のうまさから倒すには到っていない。加えてアイズが誰かを倒したと思った瞬間に体の直前で剣が弾かれる。

 

(【万能者(ペルセウス)】の魔道具か?)

 

 さらに強化魔法の蓄積か、徐々に差が縮まりつつある。【エアリアル】を発動するのも、そう先のことではないだろう。

 リヴェリアは回復魔法を、レフィーヤは必中魔法(アルクス・レイ)を詠唱中。

 ゲドとか言う三級冒険者が魔剣で雑魚を全滅させたが、一級冒険者の戦いに介入できるほどの実力はない。魔剣を打ち込もうものなら、味方ごと巻き込むことになるだろう。

 みにくい姉妹ゲンカをしているティオネとティオナは敢えて視界から外す。

 

 そして――この〈戦争遊戯〉の原因の一つでもある春姫とかいう狐人の魔道士。

 詠唱を続ける彼女を見た瞬間、フィンの親指が激しくうずいた。

 

(!?)

 

 根拠はない。あくまで春姫はLv.1の、ろくに実戦経験もない冒険者だ。登録もそのはずだし、見た目のステイタスも立ち居振る舞いもそれを裏付けている。が・・・

 

(何か、よほどの魔法を持っているということか・・・? イシュタルが固執しているのもそのため?)

 

 フィンは自分の勘を疑わない。それで生死の境をくぐり抜けた事は両手の指でも足りない。彼女はこの戦場のキーマンたり得る存在だと確信する。

 しかし、もう一つの不確定要素が直接春姫を排除しようとしたフィンの足を止めた。

 ()()()()()()()()()()

 気がついたときにはフィンにも気配を掴ませず、あの少年は消えていた。

 とはいえ、不思議に彼のことについては親指はそれほどうずかない。

 フィンが彼のことを振り切って行動しようとするまでに数秒の逡巡しか要さなかった。だがその数秒が致命的だったとすぐに彼は思い知る。

 

「リヴェリア! 指揮を!」

 

 詠唱を続けながらフィンの言葉に頷くリヴェリア。彼らの間ではこれだけで足りる。

 そして飛び降りようとした瞬間、周囲の全てがミルク色の霧に包まれた。

 

 

 

「「「「!?!?!」」」」

 

 古城で、オラリオで、神会(デナトゥス)の間で。

 全ての人々(と神)の間に困惑が走った。

 

「おーい、神の鏡(えいぞう)来てないぞぉ!」

「よし、こいつの頭を斜め45度にチョップだな! そうすりゃ直る! 俺は詳しいんだ!」

「お前の鏡だって映ってないだろうが!」

 

『おーっと、全ての鏡が突然映像が途切れてしまった! これは・・・霧でしょうか!? ショック! ショック! 実況ショック! 霧の中から鉄の王! 夜霧よ今夜もありがとうなんて言ってる場合じゃない!

 こんなんじゃ俺、これ以上実況を続けたくなくなっちまうよ・・・果たしてこれは【神の鏡】の不調なのか、それとも現地がいきなり霧で包まれたのか! どうなんでしょう、ガネーシャ様!』

『うむ、普通に向こうが霧で覆われているのだろう! そして俺がガネーシャだ!』

 

 

 

「アルガナ! 右前だ!」

「オウ、わが良人(オス)ヨ!」

 

 霧の中、聞こえてきたフィンの声にアルガナは瞬時に反応する。

 あちらも霧の中、相手がどこにいるかわからなかったのだろう。

 がら空きの脇の下、前後の肋骨を繋ぐ軟骨を突き破って、アルガナの手刀が手首まで深々とイサミの左肺に突き刺さった。

 

「!?」

 

 ()った、と思った瞬間違和感に気付いた。

 相手が縮んでいる。手刀を突き入れたときは間違いなくあの大男だった。だが今は自分と同じ位の身長、そして女の――

 

「バーチェ!?」

 

 信じられないような顔でこちらを見て、ごぼりと血を吐くバーチェ。

 アルガナは何かを言おうとして、だが次の瞬間大戦斧の斬撃がその背中を深々と断ち割った。

 

 

 

「ガレス! 左だ!」

 

 フィンの指示に反射的に体が動く。

 一歩踏み込み、見えたイサミとおぼしき影に全力の斧の一撃を見舞った。

 ただ、アルガナと違ったのは付き合いの長い彼がその声に僅かに違和感を感じていたこと。

 ガレス自身も気付いてないその違和感が斧を僅かに鈍らせ、それが結果としてアルガナの命を紙一重の所で救った。

 ガレスの渾身の斬撃を無防備に食らっては、アルガナといえども即死は免れなかっただろう。

 

「どういう事じゃこれ・・・ぐわっ!?」

 

 たった今自分が切り伏せたアルガナ。そのアルガナに貫かれたバーチェ。瀕死の二人を見てさすがに呆然とするガレス。

 だがその一瞬の隙を突いた攻撃に不完全ながらも対応してみせたのは、まさしくドワーフの大戦士の面目躍如だった。

 

 鎧から火花が散った。痛撃を受け、たたらを踏む。

 だが致命傷ではない。鎧の隙間を狙った杖の一撃を、体をひねって辛うじて肩当てで受け止めた。

 椿が鍛えた分厚い最硬金属(アダマンタイト)の肩当てが無惨にひしゃげる。肩と腕が軋んだ。骨にヒビは入っているだろう。が、許容できるダメージだ。

 Lv.9相当の打撃を受けてそれだけで済む頑強さを褒めるべきか、最上級鍛冶師の鎧と都市最強魔道士の防御術を貫いた攻撃側を褒めるべきか。

 

「今のを防ぎますか・・・さすが【重傑(エルガルム)】」

「ふん、魔道士の小僧が生意気をほざくでないわ。今ので仕留められん、それ自体が貴様が戦士でない証よ」

「ごもっとも」

 

 イサミが肩をすくめた。

 あわよくばと思ったが、さすがに都市最強の一角を謳われるこのドワーフはベートよりも一枚上手だ。加えてここまでガチガチに固められると、圧倒的なステイタスをもってしても一撃必殺は難しい。

 音も立てずに後退し、イサミが再び霧の中に消える。ガレスが舌打ちし、残った最後のエリクサーを取り出してアルガナとバーチェに半分ずつ振りかけた。

 

 

 

「アイズ! 風で霧を吹き飛ばせ!」

 

 瓦礫の上。一瞬の驚きの後、フィンが即座に指示を叫ぶが返事は帰ってこない。

 それどころかあらゆる音が聞こえない。

 唐突に世界が静寂に包まれてしまったかのようだ。

 すぐそばに立っているはずのリヴェリアとレフィーヤにも呼びかけるが、やはり答えはない。

 彼女らが続けているはずの詠唱の声すら聞こえなかった。

 

「きゃあっ!?」

「あ、ごめん」

 

 取りあえず合流しようと先ほどまでリヴェリア達がいた場所まで後退し、僅かに目測を誤ってレフィーヤのつつましい胸に突っ込んでしまったのはご愛敬である。



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19-25 総力戦

(この人たち・・・私が見えてる?)

 

 霧が視界をふさぎ、一瞬足が止まったところに集中攻撃が来た。

 が、風の流れと足音、武器が空気を切る音だけで察知し、ぎりぎりでかわす。

 

「化け物かこいつは?!」

「化け物だよぉ!」

(・・・化け物じゃないもん)

 

 シャーナとレーテーだろう言葉にこっそりむくれつつ、大きく跳躍して相手から距離を取ってみる。それにも瞬時に追随してくる九人。

 間違いなくこちらが見えている、と確信したところで他の戦いの音が全く聞こえなくなっているのに気付く。

 霧は音を吸うと聞いたことがあるが、イサミとガレス達はともかく、腹に響くほどの重い大音響を発していたロビラーとオッタルの剣戟音が聞こえなくなるのは明らかにあり得ない。

 考える。この状況を打破するにはどうすればいいか。追ってきた彼らをあしらいつつ、必死に普段使い慣れない頭を回転させる。不意に以前の記憶が甦った。人造迷宮で風を起こし、正規ルートを仲間に伝えた時のこと。

 

「――【風よ(テンペスト)】!」

 

 ありったけの魔力を込めて、無志向性の風を全方位に向けて放つ。周囲を囲んでいたシャーナたちが吹き飛ばされた。

 イサミの"風制御(コントロール・ウィンド)"の巨大竜巻にも匹敵する莫大な、爆発的気圧変化。一瞬こらえたかに思えた霧は、次の瞬間あえなく吹き散らされて消失した。

 

 

 

 強烈な風と共に霧が消失した。

 それに一瞬遅れて巨大な鐘を乱打するような、腹に響く強烈な剣戟の音が戻ってくる。ロビラーとオッタルが互いに叩き付ける剣がぶつかる音だ。

 

 その場にいる全ての人間が一瞬足を止め、周囲の状況を確認する。

 例外は霧も音の消失も関係なく切り結び続けていたロビラーとオッタル、そして互いにバーサークが発動しているヒリュテ姉妹くらいだ。

 

「くうっ」

「お、おい、大丈夫か!?」

 

 戦場のもう一方の端で、春姫ががくりと膝をついた。

 魔法を解除して一人に戻っていたゲドが慌ててそれを支え、回復のポーションを取り出す。

 

「ええと、マジックポーションも飲んだ方がいいのか?」

「お、お願いします・・・」

 

 力づくで術を破られたショックと精神力の消耗で荒く息をつく春姫。

 ゲドは慌ててもう一本のポーションを"ヒューワードの便利な背負い袋"から取り出した。

 

 

 

「・・・やはり、彼女の術か?」

「だろうな」

 

 詠唱を続けながら頷くリヴェリア。レフィーヤも全力を込めた【アルクス・レイ】の詠唱を続ける。

 

(ん?)

 

 ちらり、とフィンの視界の端に動くものがあった。

 すぐに隠れてしまったが、確かアポロン・ファミリアの団員の一人だったかと記憶から引っ張り出す。

 周囲からいじられていたのと、こちらの方を時々見ていたのでよく覚えている。確かルアンとか言ったか。

 小人族の英雄という立場上、同族から視線を向けられるのは慣れていたので特に気にもしなかったが・・・

 

(・・・?)

 

 フィンの親指がうずく。

 

(どういうことだ? 彼がこの状況を作っていたとでも? だが何故アポロン・ファミリアの彼が?)

 

 フィンの直感は当たっていた。だがさしもの彼にも、ルアンがルアンではなくリリの変身した姿で、本物のルアンがオラリオの貸倉庫の一つでタケミカヅチ・ファミリアの面々に幽閉されている事など推測しようもない。

 ましてや春姫の幻術にリリの音を操る魔法を組み合わせて同士討ちを誘発したなど、想像の外であった。

 

 魔導書を読んだ春姫とリリが発現した魔法。

 春姫の妖術「タマテバコ」は周囲を霧で包み、その中にあらゆる幻を産み出す魔法だ。他人に別人の姿をかぶせる事もいとたやすい。

 

 一方でリリの魔法「リレハァ・ヴィフルゥ」は周囲の音を操作する魔法だ。音が伝達しない無音の壁を作ったり、あるいは音を特定の人間にだけ聞かせる、逆に聞かせないこともできる。

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 リリの化けたルアンがちょくちょくフィンに目撃されたのも、彼の声をより正確にコピーするためだったのだ。

 

 精神リンクを介したイサミの指揮によって、アルガナやガレスに同士討ちを誘発させたのがこの二人の合わせ技であった。

 霧で視界を、リリの魔法で声を断絶させる。イサミ達は霧を見通す"真実の目(トゥルー・シーイング)"と"レアリーの精神感応(レアリーズ・テレパシックボンド)"による精神リンクでその影響を免れる。

 敵を分断し、指示も届かないようにしたところで、幻影と偽のフィンの指示で同士討ちを誘発する。その結果がカリフ姉妹の戦線離脱(リタイア)だ。

 

 本来なら次にガレスとアイズ、あるいはアイズをティオネにぶつけるつもりだったが、その前に春姫の術を破られてしまった。

 だがLv.1二人がLv.6二人を打ち倒したと考えれば、驚天動地の大戦果と言えよう。

 

 なお、同時に複数の対象に行わなかったのは、単に彼女たちの技量では不可能であったためである。

 魔法に熟達して高度な制御が可能になればあるいは違うであろうが・・・閑話休題。

 

 

 

「リヴェリア! 回復魔法を! 傷は塞いだがこいつらまだ動けるダメージではない!」

 

 ガレスの雷声が剣戟の轟音にも負けずに響き渡る。

 リヴェリアが頷き、詠唱していた呪文を発動した。

 

「ヴァン・アルヘイム!」

「我願う! かの魔法を打ち消さんことを!」

「っ!」

 

 妖精王の血筋にのみ許される膨大な魔力がロキ・カーリー両ファミリアの者達を癒さんとする刹那、イサミの"願い(ウィッシュ)"が割って入る。

 都市最強の回復魔法は効果を発することなく、膨大な魔力と共に宙に溶けて消えた。

 だが発動を待機していたのはイサミとリヴェリアだけではない。

 

「この・・・! アルクス・レイ!」

 

 全力全開の精神力を込めた極大の光芒がエルフの少女から放たれる。

 ()()()()に。

 

 【戦争遊戯】直前にレベルアップした(つまり外部にまだ知られていない)レフィーヤが獲得したスキル"二重追奏(ダブル・カノン)"。

 詠唱を終えて待機していた呪文を保持しておき、改めて詠唱したものと二つ同時に発動する事のできる唯一無二、前代未聞の希少スキルだ。

 ただし、「この世界では」という但し書きがつくが。

 

(あの魔法による呪文の"相殺"は超短文詠唱が必要になる! 59階層での戦いでは相手が長文詠唱ばかりだったから問題にならなかったけど、リヴェリア様の魔法に間髪を入れず、しかも二発同時に放てば――!)

 

 光が空を貫く。

 恐らく、今までで最高最速の、会心の呪文。

 音より早く飛び、逃げてもどこまでも追尾するそれ。

 イサミは回避しようともせず、棒立ちのままそれを受けて――

 

「えっ!?」

 

 何も起きなかった。

 爆発も、光芒がイサミを焼く事も、魔力を叩き付けてそれを弾く事すらしなかった。

 光芒はイサミに命中し、ただ消えた。

 イサミの正面からではなく横からそれを見ていれば、呪文の光がイサミに届く数cm前で水が砂地に吸い込まれるように光線が消えていくのが見えたことだろう。

 

 ベルやリリ、ゲドならそれがキラーアントクイーンの持っていた「呪文抵抗」と同種の力だと気付いたかもしれない。

 "呪文抵抗(スペルレジスタンス)"。

 名前そのままの呪文は、術者の術力に応じた呪文抵抗の力を与える。そして術力でイサミに勝てる存在は――死霊王やグラシアを含めて――オラリオには存在しない。

 

「嘘・・・何が・・・」

「しっかりしろレフィーヤ! 敵はまだ立っているんだぞ!」

「! は、はい!」

 

 呆然としかけた少女を、フィンの一喝が正気に戻す。

 それを横目にリヴェリアはじっとイサミを観察していた。

 正確にはイサミとその周囲から発する魔力の波動を、である。

 

(私の呪文を相殺する前後に、彼からは呪文が発動したときと同じ魔力の高まりが三回放たれた。

 呪文も口にせずに魔法を発動できるのか・・・それはさておくとしても、だがしかしタイミング的に考えてそれがレフィーヤの呪文を防いだかというと怪しい。

 魔力の高まりと同時に、アイズと戦っている連中の周囲にも連動して魔力の波動が感じられた。

 恐らくは三回とも、彼らに対する強化魔法(バフ)。ならばあれはあらかじめ掛けておいた防御魔法のたぐいか)

 

 そこまで思考が走った時点で、リヴェリアはイサミの視線が自分に向いている事に気付いた。

 そしてそうこうしている間にも、更に二度無言の呪文が発動している。

 

「随分と隠し玉の多い事だな――イサミ・クラネル」

「へっへ、リヴェリアさんも知らない取って置きがまだある、まだある」

 

 目は笑わず、しかしおどけるイサミを睨むリヴェリア。

 今度は極めつけの高速詠唱、それも手持ちの最低ランク回復魔法の詠唱を始める。

 威力を求めて長い詠唱を行う事は、この相手には手番を失う愚を犯す事に他ならない。

 フィンの指示でレフィーヤも同様に回復魔法の詠唱を始める。最初の攻撃で手持ちのポーション類をほぼ失った彼らには魔法以外に回復手段が無く、よしんば打ち消されたとしても相手の手番を消費させる事はできる。

 もはやリヴェリアはこの戦い、相手の方が格上であるとはっきり認識していた。ゆえに、自分は嫌がらせに徹する。

 

「リヴェリア、指揮を頼む」

「二度目だな」

「三度目はないよ――多分ね」

 

 軽口をかわし、フィンが愛槍を額に当てた。

 それまでは棒立ち――あるいは極東武術で言う自然体――のまま《高速化》した呪文を発動し続けていたイサミが、初めてはっきりと杖を構えた。

 彼はこの後に何がくるのかを知っている。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て――ヘル・フィネガス!】」

 

 フィンの碧眼が真紅に染まる。理性の大半と引き替えに狂化による圧倒的な力を引き出す狂戦士化の魔法。

 あるいは【エアリアル】を発動したアイズに匹敵するかと思われる爆発的な速度で、弾丸と化したフィンが飛び込んでくる。

 その突きを、イサミはそれでも余裕を持って受け流した。

 

(フィンのあれすら余裕か・・・っ!)

 

 恐らくはLv.7に迫るであろうフィンの息もつかせぬ連続攻撃を、それでも危なげなくさばいていくイサミ。

 続けて姉妹の応急処置を終えたガレスも躍り掛かるが、その二人の連続攻撃すらイサミはいなして見せた。

 イサミの圧倒的な経験不足を踏まえても、2レベルのステイタス差。楽勝ではないが、簡単に打ち崩される差でもない。

 加えてガレスの負傷、さらにかつてフィン本人が看破した通り、防御に徹しつつ呪文を発動するのはイサミの最も慣れた戦法だ。それが僅かではあれ、経験の差も埋めてくれていた。




リリの魔法「リレハァ・ヴィフルゥ(Lilleha Vfrue)」は元ネタ「リレ・ハゥフル(人魚姫、Lille Havfrue)」。
声を奪われた人魚姫、というイメージからとりました。
変身魔法のほうが「シンデレラ」のもじり(Cinder ella)なので。
後リリのポジション的にメッチャ声を失った人魚姫っぽいw

風を操って矢の軌道を操作する「ヴィリーアプフェル(ウィリアム・テルのリンゴ)」やアイテムの声を聞いて効果を増強する通訳魔法「聞き耳ずきん」なども考えたんですが、結局「単純に強くなる魔法じゃない」事と、この「報われない女」イメージが決め手でしたw

春姫の方も、「ウチデノコヅチ」同様昔話から取りました。
狐といえば人を化かす幻術だよなーと思ったんですが、メジャーな昔話で狐の出てくるのって意外と少ないんですよね。有名どころでいえば狸の方が多い。・・・春姫が狐人じゃなくて狸人だったら、新魔法は「ブンブクチャガマ」になってたかもw


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19-26 アイシャ・ベルカ

「【風よ(テンペスト)】!」

 

 フィン達の戦いを見ていたアイズがついに魔法を発動させた。人に使う魔法ではないと自らに戒めていたそれを。

 風がアイズを取り巻き、力と速度を倍加させる。だがその力をもってしても相手の防御を崩しきれない。促成の連携だろうに、指示もなしに互いをフォローして実にうまく戦っている。

 

 むろん、アイズは知らない。

 彼らの間に精神的なリンクがある事など。そしてそれを介して、タイムラグ無しに的確この上ない指揮をアスフィが執っていることなど。

 更に言えばイサミの強化魔法がこの瞬間にも次々と積み重なっている。彼らがアイズを捉えるには到らずとも、全力での対応を強要するレベルには達していた。

 

 イサミと三首領、レフィーヤ。アイズとシャーナ達。ティオネとティオナ。そして枠外の春姫、リリ、ゲド、命。

 状況は千日手であった。

 ただひとり、白兎と呼ばれる少年を除いては。

 

 

 

 主塔の崩壊跡。

 もはや主戦場と化した城の中庭(だった場所)を一人離れ、ベルはここに来ていた。

 潜入していたリリからの情報で、敵の大将であるヒュアキントスが主塔の頂上、かつての玉座の間に本陣を構えていた事はわかっている。

 ロキもカーリーもあくまで助っ人に過ぎない。この戦いの勝利条件はヒュアキントスを倒すこと。

 それを託され、あるいは譲ってもらい、今ベルはここに来ていた。

 

 がらり、と瓦礫の崩れる音がする。

 素早くナイフを構えて向き直る。

 瓦礫をかきわけてようよう脱出に成功したアポロン・ファミリアの男は、ベルの姿を見ると「ひっ」と悲鳴を漏らした。

 ベルが彼らの首領を含めた上級冒険者たちを叩きのめした事は知っているのだろう。それともあの場にいたのかかもしれない。

 そのまま男は恥も外聞もなく、よろめきながら逃げ出した。その様子からLv.1であろうと見当をつけ、放置する事にする。

 今のベルの目標はただ一つ、ヒュアキントスだけだ。

 

 注意深く主塔があったあたりを捜索して回る。春姫が発動した霧もここまではやってこない。

 ふとその足が止まった。

 

(これは・・・詠唱?)

 

 注意深く隠してはいるが、間違いなく魔力の波動と呪文の詠唱。

 それが感じられる瓦礫の影に向かって数歩歩いたとき、褐色の女傑が現れた。

 

「よう、【リトル・ルーキー】。やっぱりあんたが来たねえ」

「アイシャさん・・・!」

「来ると思って、あの馬鹿の横でずっと待ってた甲斐はあったよ・・・そうそう、ヒュアキントスならそこの瓦礫の影で治療を受けてるよ」

 

 自分の出てきた瓦礫を親指で指し示すアイシャ。

 ヒュアキントスの玉座の横でずっと待機していた彼女は主塔の崩落から彼を守り、ついでに何人かのアポロン・ファミリア団員も救っていた。

 今ヒュアキントスを治癒している黒い長髪の女性、治療師カサンドラもその一人だ。

 怒りを帯びたやや甲高い声がその影から響く。

 

「裏切ったか【麗傑(アンティアネイラ)】! 何故【リトル・ルーキー】に私の場所を教える!」

「だ、団長、動かないでください! 治療はまだ・・・」

 

 ヒステリックな怒声にもアイシャは動じず、溜息をつく。

 

「あのさ、ちょっと考えてごらんよ、【太陽神の寵童(ポエプス・アポロ)】。魔法持ちのLv.3相手に詠唱と魔力を隠せるはずないだろ。特にそっちの白兎はかなり敏感みたいだしね」

「・・・・・・」

 

 ヒュアキントスが黙り込んだ。彼とて普段ならこんな事は言わない。いきなり城が崩壊し、自身も負傷して動揺していたのだろう。

 

「ああ、そうそう。気になってるだろうから教えて上げるけど、タンムズは多分この瓦礫の下だよ。・・・主塔の根元にいたからねえ。Lv.4とは言え、さすがに自力で這い出ちゃこれないだろうさ。

 ロキとカーリーは足止めされてるみたいだし、あたしとヒュアキントスを倒せばそっちの勝ちってことだ」

「ちょっと待てぇー! それを教える必要は無いだろうがぁ!?」

「まあそうだけど、余計な事で気をそらされちゃ困るもんでね」

 

 今度は全く正論なヒュアキントスの悲鳴を、アイシャがどこ吹く風と受け流す。

 イシュタル・ファミリア暫定団長タンムズ――戦いもせずに戦闘不能(リタイア)

 

 

 

 やや呆れた表情を浮かべつつも油断無く構えたままのベルにアイシャが向き直った。

 その手には両手剣に1mほどの柄を付けたような武器。剣と槍の中間のような東方の武器、大朴刀だ。

 

「さて。約束したねえ、【リトル・ルーキー】」

「はい」

「ヒュアキントスを落としに来たんだろうけど、あたしと一対一でやり合う度胸はあるかい? Lv.3のあんたが、Lv.4のあたしを相手に?」

「そうでなくては、春姫さんを守れませんから」

 

 ナイフを順手に構え、静かに答えるベル。

 くはっ、とアイシャが破顔した。一笑と言うには余りにも獰猛な笑み。桿婦(かんぷ)の、正しくアマゾネスの笑みだ。

 

「いい答えだ。男なら、女は力ずくでものにしな!」

「おおおおっ!」

 

 咆哮が交錯する。雄を見つけた女戦士の歓喜の咆哮。守らねばならぬと猛る男の咆哮。

 轟、と風が猛る。アイズの起こした暴風の中、ベルの神のナイフと、アイシャの大朴刀が激突した。

 

 

 

(何っ!?)

 

 ベルのナイフと打ち合った瞬間、アイシャは心底からの驚愕に襲われた。

 疾い。そして重い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 力はまだ辛うじて勝負になるレベルだが、早さが圧倒的だ。

 

(この速度・・・Lv.5の域?!)

 

 フリュネに痛めつけられた時を思い出す。アイシャ自身ランクアップし、あの時よりも強く、速くなった。だがそれでもまだ、あの時のフリュネには及ばない。

 そして今目の前にいる少年は間違いなくあの時のフリュネに匹敵、あるいは凌駕する速度をものにしている。

 得物の重量で力の差は相殺できるが、逆にその分速度はこちらが圧倒的に不利。

 ここでようやくオラリオの神々もベルの行き先に気付き、いくつかの『鏡』が彼らを映し出した。

 

『おおーっとぉ?! これは凄い! Lv.3の【リトル・ルーキー】がLv.4の【麗傑】を圧倒している?! パワーは互角のようだが、スピードが圧倒的だぁ!

 ほんと何なんでしょうねこの人! ひょっとしてレベル詐称とかしてない!? いや詐称してたらそれはそれでランクアップ速度が更にとんでもない事になりますが!

 どっちにしろとんでもない【リトル・ルーキー】、翔んでベルたま! オラリオの千葉県、大陸のノースダコタ出身の兄弟は、どれだけ我々を驚愕させてくれるのかーっ!』

『【麗傑】ですらこの有様なら、このままではベル・クラネルが勝負を決めてしまうだろうな。

 この戦いはあくまで攻城戦、謎の黒い戦士がオッタルを打ち倒そうが、ロキ・ファミリアが優勢だろうが、その前に【太陽神の寵童】が討たれれば終わりだ。

 まあ、同じ事はイサミ・クラネルにも言えるのだが・・・それはともかく、俺がガネーシャだ!』




アイシャさんは公表されてるのがLv.4に成り立てのステータスしか無いため、能力値の傾向がさっぱりわかりません。
筋力=器用>敏捷>耐久>魔力 っぽいかんじではあるのですが。
ので、タイプが似てる(バランスタイプ、かつ魔法もあり)ティオネをLv.4にしたようなイメージで数値設定しています。


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19-27 桿婦

 

 なにゆえヘスティア・ファミリアが二十日間もの準備期間を要したか。

 魔剣の準備などもあったがつまるところ、それはベルのステイタスをLv.3の限界まで引き上げるためのものだった。

 

 37階層、『闘技場』と呼ばれる怪物が無限湧きする大空間。

 そこにシャーナやレーテーの監視付きでベルを放り込み、死ぬ寸前まで戦わせてから回収して治療。そしてまた闘技場に放り込む。

 地獄のような責め苦と死のリスク、ついでに山のようなエリクサーの経費を乗り越えて、ベルのステイタスは一月足らずでオールSS以上にまで達した。

 これまでの貯金の分を合わせれば敏捷はLv.5、その他のステイタスもLv.4中位から上位に匹敵する。

 Lv.4にランクアップしてさほど時が経っていないアイシャには明らかに手に余る相手だった。

 

(参ったね、力を試してやるどころじゃないじゃないのさ・・・)

 

 偉そうな態度を取った事を思い出し、羞恥に悶えるアイシャ。勿論顔には出さないが。

 だがそれでも、自分の全力で試さねば大事な妹分を預けるわけにはいかない。

 もはや女の意地だ。

 

「【来たれ、蛮勇の覇者! 雄々しき戦士よ、たくましき豪傑よ、欲深き非道の英傑よ!】」

「並行詠唱・・・くっ!?」

 

 驚いたベルの顔面に、砂混じりの瓦礫が命中する。アイシャが片足で蹴り上げたものだ。

 砂が目に入り、涙がにじむ。

 ぼんやりした視界の中アイシャの影が踏み込み、背筋に寒気の走ったベルが慌てて股間の前に両手を構えた。

 ほとんど同時にアイシャの金的蹴りが炸裂する。辛うじてガードが間に合ったが、そうでなければしばらく悶絶する事になっていただろう。

 

「【女帝(おう)帝帯(おび)が欲しくば証明せよ】!」

「このっ!」

 

 砂礫を蹴とばし、金的を蹴り上げて、なおよどみなく流れる詠唱。

 《神のナイフ》による鋭い突き。命中すればアイシャの左腕の腱は切断される。

 圧倒的な敏捷度による突きの速さにアイシャは反応できないかと思われた瞬間、僅かに動かした大朴刀の柄がナイフを弾く。

 ナイフはアイシャの左上腕を薄く削いだものの、腱や筋肉にはほとんど傷を付けずに軌道を逸れた。

 

(くっ!)

 

 鋭く連続攻撃を放つベル。アイシャはベルに比べてはるかに無駄のない動きで、辛うじてではあるが防御し続ける。

 圧倒的なステイタスの差があるのは間違いない。それなのに攻めきれない。経験の差、技量の差だ。動きの効率度、先読みのうまさが違う。

 ベルがアイシャの倍の速度で動けるとしても、ベルが攻撃を行う時に腕を30cm動かすとして、アイシャが防御に腕を15cm動かすだけで良いなら、実質的な速度の差はゼロになる。

 

「【我が身を満たし、我が身を貫き、我が身を殺し証明せよ】!」

 

 ベルの顔に焦りが浮かぶ。彼の兄は強いが、ロキやカーリーのLv.6冒険者たちもまた恐ろしく強い。兄たちがもたせている間に、自分が勝負を決めねばならない。

 そもそもこの戦いは自分が原因のようなものだ。兄には気にするなと何度も言われたが、だからといって割り切れるほどベルは器用ではない。

 その焦りが無理な攻めを選択させる。ギアをトップに上げ、遮二無二な連続攻撃。

 

「このおおおお!」

「くっ!」

 

 アイシャも必死だ。大朴刀を杖術のように扱って必死に致命傷だけを避けようと全力で防御に徹する。

 だがやはりステイタスの圧倒的な差の前に、アイシャの技量にも限界があった。防御がほころびたところに突き込まれるとどめの一撃。

 

「だっ!」

「がっ!?」

 

 だが、次の瞬間のけぞったのはベルの方だった。

 防げないと悟った瞬間、相打ち覚悟で踏み込んだアイシャの頭突き。

 目の前に星が散る。

 とどめになるはずだったナイフの一撃は大きく逸れて、アイシャの脇腹を削るにとどまった。

 

「っ!」

 

 ベルの視界の下方に大朴刀の刃が閃く。

 反射的にベルがナイフを下に構えた瞬間、上からの衝撃がベルを襲った。

 

 

 

「ベルくんっ!?」 

「ベルきゅんっ!?」

 

 神会(デナトゥス)の間に響く二つの悲鳴。一つは当然ヘスティアの、もう一つはアポロンのものだ。

 ベルからは何が何だかわからなかったが、俯瞰で見ている彼らにはアイシャが下向きに構えた大朴刀をくるりと回転させ、柄の方でベルの頭を強打したのがはっきり見えた。

 だがそれすらも反射的にかわしたのか、致命的な一打にはならなかったようだ。左のこめかみから浅く血を流しつつ、一歩下がる。同時にアイシャも一歩下がった。

 ヘファイストスやタケミカヅチなどは無言で鏡を睨み、一方で手を打って戦いに純粋に興じるものもいる。

 

「おお、やるではないかあのアマゾネス。あのカエル顔もなかなかだったが、いいのを揃えておるのうイシュタル」

「当然さ。しかし、ほんとに怪物かいあのガキは・・・まさか春姫の術か? にしては光がない・・・くそ、わからん」

 

 イシュタルの言葉の後半は盛上がる神々の喧噪に紛れ、隣にいたカーリーにも聞き取る事ができなかった。

 

 

 

(こいつもかわすかい! 本当にとっておきのフェイントだったのにねぇ・・・)

 

 そう頭で考えつつも、アイシャの唇は笑みの形を作っている。そして当然、並行詠唱もよどみはしない。

 

「【飢える我が()はヒッポリュテー】!!」

 

 互いに一歩下がった瞬間、アイシャの詠唱が完成した。

 周囲に竜巻のごとく吹き荒れる魔力。振りかざした大朴刀の刃が、渾身の精神力を込めて赤く輝く。

 それを振り下ろした瞬間、魔法は発動するのだと初見のベルにもわかった。

 

「・・・・・・・っ!」

 

 無意識にスキル【英雄願望(アルゴノゥト)】のチャージを開始する。

 それ以外の魔法は使わない。これは「試し」だからだ。春姫を愛するアイシャという一人の女性が、ベルに彼女を預けられるかの「試し」だからだ。

 

(だから・・・これが、僕の全力です!)

 

 右逆手に持っていたナイフ。

 左肩を前にした左半身から、体を一杯にねじる。ナイフが背中側に回るまで。

 ばちばちっ、と。【英雄願望(アルゴノゥト)】の白い光が雷光のようにナイフを走る。

 同時にナイフに注がれた精神力(マインド)が固形化し、紫色に輝く光の長剣を形成する。

 封印外世界で偶然に編み出したこの技。兄やシャーナ達に手伝って貰い更に洗練された形になった、無意識に出せるほどに鍛錬した技。

 その名は――

 

「【ヘル・カイオス】!!」

「【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】!!」

 

 振り下ろす大朴刀の巨大な赤い斬撃波。

 逆手横薙ぎに繰り出される紫と白の入り交じった光の長剣。

 一瞬火花を上げて両者が拮抗する。次の瞬間、赤い爆発が瓦礫の山を吹き飛ばした。

 

 数秒後、荒れ狂った魔力の爆発と土ぼこりが収まる。瓦礫が吹き飛ばされ、主塔だった瓦礫の山の中央部分がすり鉢状にへこんでいた。

 ナイフを振り抜いた姿勢で立っているのは白い髪の少年。

 大の字になって倒れているのは褐色黒肌の女戦士。

 その横には大朴刀の柄だけが転がっている。

 完全に意識を失った女戦士のくちびるには、それでも満足そうな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「「「「うおおおおおおおおおおおおお!」」」」

「なんだ?」

「どうなったんだ!?」

 

 歓声と共にオラリオの各所でざわめきが起きた。

 もちろん神会(デナトゥス)の間でも。

 ヘスティア達も、アポロンたちも、ベルが勝ち、アイシャが敗北した事以外何が起きたかわかっていない。

 多くの神が戸惑う中、口を開いたのはタケミカヅチであった。

 

「・・・ベルと【麗傑】、二人の魔力がぶつかった時、あの大朴刀と光の剣は一瞬だけ拮抗した。

 だが次の瞬間、ベルの光の剣は()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてベルの剣は【麗傑】を打ち据え、衝撃波が爆発した。それが全てだ」

「馬鹿な!? 同じ魔力の剣で、片方が一方的にもう片方を切り裂くなんて!」

 

 怒りの声を上げたのはイシュタル。だがそれで事実が変わるわけではない。

 

「だがそうなのだ、イシュタル。恐らく【麗傑】の魔法は衝撃波を放つ飛び道具。対してベルのそれは剣の形に集束された魔力。紫の剣の集束度が、放出される魔力のそれを圧倒的に上回っていたということであろう」

「・・・ぐぐぐぐ・・・」

 

 歯ぎしりするイシュタル。托塔天王李靖、オグマといった武神、戦神と呼ばれる者達が頷く。

 あの一瞬の出来事を正確に見て取れたのは、神会(デナトゥス)の間では彼らだけであった。

 イシュタル・ファミリア所属Lv.4、【麗傑(アンティアネイラ)】アイシャ・ベルカ――戦闘不能(リタイア)

 



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19-28 ヒュアキントスの覚悟

「どうなった、ダフネ! どうなったんだ!」

「・・・勝っちゃいましたよ、【リトル・ルーキー】」

 

 カサンドラの治療を受けながら、焦ったように尋ねるヒュアキントス。その表情に普段の怜悧な才子の面影はない。

 呆然と呟いたのはショートカットの女冒険者、アポロン・ファミリアの上級冒険者ダフネ・ラウロス。ベルに〈神の宴〉の招待状を渡し、同情めいた言葉を残した女性だ。

 「【麗傑】が負けた」ではなく「ベルが勝った」と口にしてしまったあたりに彼女の密かな内心がうかがえる。

 

「ば、馬鹿な! Lv.4だぞ! 【麗傑】は! それを・・・それを・・・!」

「そう言ってもね・・・」

 

 どこかひとごとのように肩をすくめるダフネ。今の派閥に無理に入団させられた彼女は、主神に対する忠誠心というものをほとんど持っていない。

 一方でアポロンに対する忠誠心と敬愛の塊のような男がヒュアキントスだ。

 ベル・クラネルを嫌いながらも彼を派閥に引き入れようとする主命に忠実であろうとしてきた彼は、今追い詰められていた。

 自分の失敗に。揺れ動く状況に。そして何より、今一歩一歩瓦礫を踏みしめてこちらに近づいてくるベル・クラネルに。

 

 Lv.3になったばかりの【リトル・ルーキー】があれほど強いとは思わなかった。

 フレイヤやロキが介入してくるとは夢にも思わなかった。

 まさか、まさか、城が崩壊し、団員が全滅し、ロキ・ファミリアやカーリー・ファミリアの迎撃すらすり抜けて自分の前に現れるとは思ってもみなかった――!

 

 

 

 ベルは注意深く歩みを進めていた。瓦礫の山を登り、ヒュアキントスが隠れている瓦礫の影に一歩一歩近づく。

 降伏を勧めようかという考えがちらりと脳裏をよぎるが、酒場での様子からしてそれを受け入れる事はないだろうと考え直す。

 今、ベルはヒュアキントスを敵とは思っていなかった。注意すべきは逃亡や奇襲、あるいは自分の知らない何らかの魔法だと。

 正確な戦力評価ではあったが、自分のスキル【憧憬一途】のような規格外を相手が持っていないと決めつけてしまったのはやはり油断と言うべきだろうか。

 

「どけ、カサンドラ!」

「団長、まだ治療は・・・」

「どけと言っているっ!」

「きゃあっ!」

「カサンドラ!」

 

 カサンドラを突き飛ばし、乱暴に起き上がるヒュアキントス。

 倒れ込んだカサンドラにダフネが駆け寄り、肩を支えて抱き起こす。

 

「何やってるんです! 八つ当たりですか、みっともない!」

「うるさい! 役立たずどもめ!」

 

 眉を吊り上げるダフネと怯えるカサンドラを怒鳴りつけると、荒々しい足取りでヒュアキントスは瓦礫の影を出た。

 ベルが一瞬驚いた表情を浮かべる。しかし、すぐに腰を沈めてナイフを逆手に構えた。

 ヒュアキントスは背中の波状剣(フランベルジュ)を抜くでもなく、そのベルを睨み付ける。

 

「勝ったと、そう思っているのだろうな、貴様」

「・・・?」

 

 いぶかしげな顔になるものの、構えを崩さないベル。

 ヒュアキントスの端正な容貌が憎々しげに歪む。

 

「ああ認めてやろう! 確かに貴様はアポロン様が興味をお持ちになるだけの人材だ!

 どのような魔法を使ったか、あるいはレアスキルのたぐいか、おまえは恐ろしい速度で成長している! このたった一月足らずですら!

 だが勝つのは私だ! 私のアポロン様への忠誠心、アポロン様の神意が勝利するのだ!」

 

 ヒュアキントスが腰のポーチから、赤、緑、茶、白の小指の爪ほどの大きさの四つの小薬包(カプセル)をつかみ取る。

 あの女がよこした小薬包(カプセル)。「二つ以上同時に飲むのは危険である」と言ったそのくちびるは、しかし笑みの形にゆがめられていた。

 ヒュアキントスがどうするか、わかっていたかのように。

 

(アポロン様の神意のためアポロン様の名誉のためそしてアポロン様の勝利のためなら、命も、あの方の寵愛すら惜しくはない!)

 

 迷い無く、ヒュアキントスは四つの小薬包(カプセル)を飲み下した。

 

 

 

「ええ、そうよ――美しいわ、あなた(ヒュアキントス)

 

 どこかの闇の中で、赤銅色の唇がほほえんだ。

 

 

 

「えっ」

「きゃああああ!?」

 

 悲鳴が上がった。

 古城の瓦礫でも、オラリオでも。

 

 中性的なヒュアキントスの美貌が歪む。頬に何かを含んでいるかのように、皮膚の下がうごめき、盛上がる。

 頬骨が広がり、鼻面が伸び、目は巨大化し、瞳が消えて金属質の光を放った。

 硬化したキチン質の口元は左右に広がり、四つに裂ける。上下左右に分かれ触角の生えたその口は、脊椎動物のものではありえない。

 

 肉体も変化している。

 細身ながら鍛え上げた肉体に太綱のような筋肉の束が盛上がる。骨格が巨大化し、みるみるうちに身長が2mを越えた。

 防具や戦闘衣ははじけ飛び、その下から赤銅色の毛深い肌が現れる。その赤銅色に、大理石のような白い光沢と、昆虫の甲殻のような外骨格が混じり、更に巨大化していく。

 額からは昆虫の触角と短い角のようなこぶ。側頭部からは牛のような、うねる巨大な角。顔の半分を占めるほどに巨大化した目は瞳のない緑色の複眼となっており、両脇からは見る見るうちに三本目と四本目の腕が生えてくる。

 

「あ・・・あ・・・」

 

 ベルが目を見開く。

 気付いてしまったのだ。これと同じものを前に見た事を。自身が初めてランクアップした、その時に戦った相手である事を。

 あの、ドラゴンの混じった異形のミノタウロスと同種の存在である事を。

 

 ハーフミノタウロス・ハーフオーガ・ミネラルウォリアー・スリクリーン。

 四種類の怪物の要素を取り込んだヒュアキントスは今や大理石の光沢を持つ白い外骨格に包まれ、4m近い身長とそれに劣らぬ横幅、カマキリの目と口と大鎌、牛の角、四本の腕を持った、ミノタウロスとカマキリと石人間の合成獣(キメラ)であった。

 

 

 

「あ・・・あああああああああ!? ヒュアキントス?!」

 

 絶叫するのはアポロン。神会(デナトゥス)の間にいる他の神々も愕然としている。

 ロキとヘルメス、そしてそれを一度見た事のあるフレイヤのみが鋭い目で鏡を見ていた。

 

「おいアポロン! あれはなんだ!」

「わ、わからん! わかるわけがない!」

 

 イシュタルがアポロンに詰め寄るが、アポロンも混乱している。どんな手を使ったのか、人間がモンスターに変異したのだ。彼らの今までの常識を根底から覆す出来事だ。

 一方でカーリーは当初こそ驚愕したものの、今はぎらぎらと欲望に輝く目で映像を注視していた。

 

「これはどうじゃ! アルガナもバーチェもあっさり倒されおって、果てはもう終わりかと思ったがまだ楽しめそうではないか! 面白いのう、面白いのう!」

「貴様!? 私の子供があのような事になって言う事がそれか!」

 

 大喜びするカーリーに、激怒するアポロン。

 

「おうとも! わらわにとって命がけの殺し合いこそが娯楽よ! 貴様の所の団長とて、負けられない理由があるからこそあのような外法に手を出したのではないかな、ん?」

「ぐ、ぐぐぐぐ・・・」

 

 カカカ、と歯をむき出しにして笑うカーリー。苦悩するアポロン。

 普段ならそれに茶々を入れる悪趣味な神々すら、今はその余裕がない。

 鏡の中で、白い巨大生物(ハルク)が人間を投げ飛ばした。



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19-29 翔んでベルたま

 "ヒュアキントス"が右の下の腕をカサンドラに伸ばした。

 

「きゃあっ!」

「カサンドラ! あんた何を・・・」

 

 子猫をつまみ上げるように、腕一本で軽々とカサンドラを持ち上げ、そのまま投げつける。

 

「~~~っ!?」

「ぐっ!」

 

 ベルが咄嗟にカサンドラの体を横抱きに抱き留める。5m近い距離を勢いよく飛んで来たその体は、今のベルの筋力をもってしても受け止めるのがやっとだ。

 ほとんど同時に、四本の腕を振りかざした"ヒュアキントス"が二人に躍り掛かった。

 速い。彼我の距離を一足で詰め、右上腕のかぎ爪を振り下ろす。

 ぱっと、赤い血が散った。

 

「カサンドラ!?」

 

 悲鳴のようなダフネの声。

 

「え・・・」

 

 思わず目をつぶってしまったカサンドラが、衝撃の無い事に恐る恐る目を開く。

 ベルの額から血が流れ、左目の上に流れ落ちていた。

 

「大丈夫ですか!」

「え、はい」

 

 ベルの問いに思わずコクコクと頷いてしまうカサンドラ。

 

「すいません、投げます!」

「ほわ?」

 

 先ほどヒュアキントスに投げられた時に続き、二度目の浮遊感。

 間の抜けた声を出してしまったものの、カサンドラもそこはLv.2の上級冒険者、どうにか受け身を取ってゴロゴロと瓦礫の上に落ちる。

 

「来い、ヒュアキントス! 僕はこっちだ!」

 

 一方ベルはカサンドラを投げたのとは逆方向に飛び、左手で素早く小さな瓦礫を拾って投げつける。

 素早く腕で防御したものの、ベルとカサンドラ双方に向いていたヒュアキントスの注意がベルに集中した。

 ベルがちらりと横目で見ると、駆けつけてきたダフネがカサンドラの手を取ってベルとヒュアキントスから離れていくところだった。

 それを確認し、右手に【神のナイフ】、左手に腰から抜いた【牛若丸】を構える。

 それとほとんど同時に攻撃が来た。

 

"シャアッ!"

 

 ヒュアキントスが「一歩」の踏み込みで4m近い距離を悠々と詰め、四本の腕を振り下ろす。

 四本の腕にはそれぞれ手らしきものもあるが、カマキリの鎌に似たトゲだらけの巨大なかぎ爪を備えている。

 四連撃をあるいは両手のナイフで弾き、あるいはかわす。

 

(疾い! ・・・っ!)

 

 鎌爪の四連撃を奇跡的にかわした直後、直上からの噛みつき攻撃。

 体が自然に沈み込み、頭上30cmで四つに分かれた大顎ががちんと鳴る。

 ベルが初見のそれを回避できたのは、異形に変じたミノタウロスが同様のコンビネーションを繰り出して来たからだろう。

 ステイタスだけではない。技量において経験において、ベルも着実に成長している。

 

"シャギャアァァァァァッ!"

 

 嵐のような連続攻撃。

 知性は獣並みに落ちて会話する事すらできなくなっても、Lv.3の技量は健在だ。

 そこにオーガとミノタウロスの相乗された膂力、岩の戦士(ミネラルウォリアー)の大理石のごとき表皮、カマキリ人間(スリクリーン)の外骨格と四本の腕によるラッシュが加わる。

 

 "あのとき(ミノタウロス)"ほどの圧倒的な差ではない。しかし足を止めての殴り合いでは明らかに不利。ベルが勝っているのは機動力(あし)だが、瓦礫の上という戦場がその利点を大きく奪う。

 さらに言えば4mの巨体が持つ歩幅とリーチは敏捷度の差を補って余りある。

 だがあえて自分に制限をかけなければ、ベルの持つ手札は無限に近い。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "飛行(フライ)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "風の翼(ウィングズ・オブ・エア)"!」

 

 

 

『『『『ウオオオオオオオッ!?』』』』

『とっ・・・飛んだぁぁぁぁぁあぁぁ! ベル・クラネル! 空を舞った! 舞った! 舞った! 舞って! リトルルーキー騎士(ナイト)! 

 ジェット気流か圧搾空気か十万馬力か、はたまたお姫様が信じてくれたから泥棒は空を飛べるのか! 翔んでベルたまとか言ってたらホントに飛んじゃったよこの人!

 矢よりも速く、力はミノタウロスより強く、バベルの塔もひとっ飛び! 鳥だ! ドラゴンだ! いいや、【リトル・ルーキー】だーっ!』

『もはや驚きすぎて言葉も見つからんな。それはそれとして俺がガネーシャだ!』

 

 

 

 高く空を舞うベル。

 速度は普段には遠く及ばないが、それでもイサミの掛けた加速(ヘイスト)がまだ効果を発揮しているので、この状態でもLv.3からLv.4相当の機動力は確保できる。

 足場の悪い瓦礫の上から跳躍してきても余裕を持ってかわせるはず、このまま遠距離から・・・そう考えていたベルの顔が引きつった。

 なんと、ベルが手の届かないところに行ったと見るや怪物と化したヒュアキントスは躊躇無く身を翻し、瓦礫の上を逃げ続けるダフネとカサンドラを追い始めたのだ。

 

「だ、ダフネちゃん、団長がぁ!」

「あのクソ野郎! 辞めてやる! こんな派閥、もう辞めてやる!」

 

 共に悲鳴を上げながらも、友人の手を引きつつ走るダフネ。

 だが彼女たちを遥かに上回るステイタスと巨体故の歩幅は瓦礫の影響をものともせず、あっという間に彼我の距離が詰まる。

 大きく最後の踏み込みをするとともにかぎ爪を振り上げたヒュアキントスにもうだめだと思った瞬間、震動を感じた。

 

「ふわっ?」

 

 こんな時でも気の抜けた反応をする友人にいささかいらつきながらも、ダフネが振り向く。

 横倒しに倒れたヒュアキントスから、ベルが飛び離れているところだった。恐らく横から体当たりして、巨獣を転倒させたのだろう。

 

「こいつは僕が倒しますから、早く逃げてください!」

「ありがたいね! 一つ借りとく・・・」

 

 掛け値無しの感謝の笑顔を向けたダフネだったが、背後から聞こえてきた詠唱にぎょっとして再び振り向いた。

 

「【一度は拒みし天の光。浅ましき我を救う慈悲の腕】――」

「カサンドラ?! 何考えてんの! 逃げるんだよ! ウチらが役に立てるレベルじゃないだろ!」

「【リトル・ルーキー】さんが負けたら、私たちも食べられちゃうよ! 階層主との戦いと同じだよ! 少しでもできる事をしないと!」

 

 滅多にないことに、きっ、と強い表情で反論してくる友人(カサンドラ)。そのままダフネの返事を待たず、治療呪文の詠唱を再開する。

 

「――【届かぬ我が言の葉の代わりに哀れなともがらを救え。陽光よ、願わくば破滅を退けよ】」

「・・・ああもうっ!」

 

 暗赤色の短髪を勢いよくかきむしりながら、ダフネがヒュアキントスを迂回するように走り出す。

 既に彼女らの目の前ではベルと階層主並みの怪物と化したヒュアキントスとの激しい戦闘が再開されていた。

 

 

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "竜力獲得(ドラコニックマイト)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "猫の敏捷(キャッツグレイス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級勇壮鼓舞(グレーター・ヒロイズム)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "石の肌(ストーンスキン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "酸の皮膜(アシッドシース)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "(シールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級鏡像分身(グレーター・ミラーイメージ)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波の盾(ソニックシールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "英雄のいさおし(ヒロイックス):《フェイント強化》"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "魔法の矢(マジックミサイル)"!」

 

 ヒュアキントスの一回の全力攻撃(フルアタック)の間に10以上の呪文を発動するベル。

 ベルの全身に力がみなぎり、表皮を硬化させ、魔法の盾を産み、衝撃波を両手の武器にまとわせ、音波と酸のバリアで全身を覆い、全く同じ姿の分身を出現させる。

 そして最後に発動したマジック・ミサイルがヒュアキントスの巨体に炸裂。しかし五本生み出された魔力の矢は、その内の三本までが相手に届く前に消失した。

 

(・・・キラーアント・クイーンと同じか!)

 

 兄に受けた魔法の使いこなし方のレクチャーに強敵には取りあえず魔法の矢(マジックミサイル)を撃ち、何らかの防御がないか試してみるというものがあった。

 以前の事からもしやと思ったのだが、ありがたくない事に大当たりだったようだ。

 呪文抵抗には確率も絡むが、五本中三本が無効化された事を考えると少なくとも五割ほどは無効化されると考えるべきだろう。

 

 イサミであれば反則的な術力の高さや無限とも思える使用回数でごり押しできるのだろうが、ベルにはどちらもない。

 呪文抵抗を無視できる呪文もあるが、そうした呪文は総じて効果がやや低めだ。

 後は足元を沼にする、油で滑りやすくする、周囲に壁や霧を産むなどのいわゆる戦場支配(フィールド・コントロール)呪文か。

 しかしそれも足元が瓦礫では壁を立てたり油を塗布することはできない。むしろ既に瓦礫で敵の機動力が削がれている現状を利用すべきだ、とベルは思った。

 

 

 

 ぎいんっ、ぎいんっ、と両手のナイフからひっきりなしに強化呪文による高い金属音が響く。

 相手の胸あたり、宙に浮きながら踊るようにベルは剣舞を演じる。

 剣速はややベルの方が上だが、相手のリーチと四本の腕、噛みつきによる手数の多さがそれをカバーしている。むしろ押されているのは彼の方だった。

 

 時折【ヘスティア・ナイフ】と【牛若丸】が相手の防御を貫いて体に届くが、強固な石英質の外骨格の前に全て弾かれてしまう。一方で鎌爪がベルの体に着実に傷を蓄積させていく。鏡像分身も当たる端から薙ぎ払われ、あっという間に消失した。

 鏡像分身は攻撃が命中すると消えてしまうので直線的な攻撃には強いが、数体まとめて薙ぎ払われると一気に消えてしまう弱点がある。

 両手剣の一種である波状剣(フランベルジュ)を使っていたヒュアキントスが元々そう言う戦い方を身につけていたということだろう。

 

("石の皮膚(ストーンスキン)"によるダメージ減少が思ったほど効いていない・・・こいつはそう言う能力があるのか?)

 

 ヒュアキントスが得た力の一つ"岩の戦士(ミネラルウォリアー)"は大地と石の力を得た変種の総称だが、彼らはベルが"石の皮膚(ストーンスキンン)"呪文で生成した最硬金属(アダマンタイト)のごとき硬い肌を生まれながらに持っている。

 そしてそれは、四本腕の鎌爪も同じだ。鉄の鎧を鉄の剣で貫けるように、最硬金属(アダマンタイト)の鎧は最硬金属(アダマンタイト)の爪で貫ける。この敵を相手に"石の皮膚(ストーンスキン)"呪文は完全な無駄であった。

 

「ギギッ!」

 

 しかし、ヒュアキントスも無傷ではない。"酸の皮膜(アシッド・シース)"と"音波の盾(ソニックシールド)"により、ベルの体に攻撃を届かせるたび、酸と衝撃波によるダメージを受けている。

 左下腕の指は一本欠け、四つの腕の鎌爪からは異臭を伴う煙がうっすらと上がっていた。




上を歩ける程度の瓦礫の山の上にウォール呪文を発動できるかどうかはちょっと議論のあるところかも知れませんが、
取りあえずこの作品では無理だろうという事で考えております。


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19-30 複合怪物

 死闘は続く。

 見る見るうちにベルの体と鎧に増えていく傷。

 呪文の詠唱を終えたカサンドラは、だが何故か発動せずベルとヒュアキントスの剣戟を見守っている。

 そして彼らが更に数合を交えたのち、カサンドラが叫んだ。

 

「【リトル・ルーキー】・・・いえ、クラネルさん! 怪物の左側に回り込んでください!」

「はいっ!」

 

 迷わずカサンドラの指示に従い、ヒュアキントスの左側に飛ぶベル。

 鎌爪の攻撃を弾きつつ視界の端に映ったものに、ベルはカサンドラの意図を理解した。

 

 

 

「――【ソールライト】!」

 

 一瞬間を置いてカサンドラが呪文を発動させた。

 中空から、雲間から射す陽光のような一筋の光がベルを照らし、その傷を回復させていく。

 同時にベルの近くにまで戻って来ていたダフネと、その背中に背負われたアイシャのそれも。

 

「くっ・・・うん・・・? なんだい、あいつは・・・!?」

「うちのクソ団長ですよ! 何をどうやったか知らないけど、変な薬飲んで怪物になっちまったんです!」

 

 よろめきながらも自分の足で瓦礫の山に降り立ったアイシャは顔をしかめたが、取りあえずダフネの言葉を信用する事にしたようだった。

 

「こぉぉぉぉぉ・・・!」

 

 ボロボロの体に活を入れ、素手格闘の構えを取る。大朴刀は失ったが【拳打】アビリティを持つLv.4の冒険者にとって、武器の喪失はさほどのハンデではない。

 武器を貸そうかというダフネの申し出も笑って断り、拳を握って深く息を吐く。

 

「ウチが言うのも何ですけどね、【リトル・ルーキー】の手助けしちゃっていいんですか? 一応あいつというかあれというかはウチらの側の総大将なんですけど」

「なぁに、あたしらは冒険者さ。だったら怪物を退治するのが仕事だろ?」

「・・・なるほど、そりゃそうか」

「じゃ、お先!」

 

 虚を突かれたような表情のダフネにニヤリと笑い、アイシャが瓦礫の地面を蹴った。

 不安定な足場ゆえに全力の踏み込みはできないが、それでもその速度は空を舞うベルとさほど遜色はない。

 

「アイシャさん!」

「ここは手を組んで討伐と行こうじゃないか! ドロップアイテムは折半な!」

 

 笑いながら強烈な蹴りをヒュアキントスの右膝に真横から打ち込むアイシャ。

 可動部に正確に、しかも本来動かない方向に与えられた打撃。膝が僅かに軋み、ヒュアキントスが複眼で(顔は動かさないまま)アイシャを睨んだように思えた。昆虫の外骨格じみた装甲板もこうした「関節技」から内部構造を守る事は難しい。

 

 アイテムをドロップするのかなあと苦笑しつつも、一方でベルの剣速も勢いを取り戻す。

 ヒット・アンド・アウェイでしつこく足を狙い続けるアイシャに対して、明らかにヒュアキントスも注意を削がれている。それはそのままベルに対する圧力が軽減される事を意味していた。

 カサンドラが再び回復呪文の詠唱をはじめ、ダフネもヒュアキントスから距離を取って呪文の詠唱を開始した。

 

 

 

 戦いは終わらない。

 手数の多さによる攻撃の圧と堅固すぎる外骨格の装甲がベルの攻撃を拒む。アイシャの打撃も、実質嫌がらせ以上のものにはなっていない。

 ろくに有効打を与えられないままベルのダメージが蓄積し、カサンドラの魔法で回復する。

 回復すると同時にダメージの蓄積が再開され、またカサンドラの魔法で回復する。

 それでも有効打を与えられず、更にダメージが蓄積してカサンドラの魔法で回復する。

 繰り返しだ。

 

 魔法を発動させて敏捷度を増加させたダフネはヒュアキントスの頭部に向けてナイフや瓦礫を投げつけているが、こちらもやはり嫌がらせでしかない。

 もっとも、Lv.2に過ぎない上に大した武器や魔法を持っているわけでもない彼女にそれ以上の事を期待するのは酷だろう。

 

(余り時間は掛けられない・・・【英雄願望】でチャージしている余裕もない・・・僕が手間取っている間に兄さんがやられてしまったら、全部終わりなんだ・・・!)

 

 焦りが思考を誘導する。

 カサンドラの精神力も無限ではない。このまま千日手を続けていては確かにじり貧だ。

 だがしかし、それでもベルの行動は性急に過ぎた。

 

 逆手に構えた〈神のナイフ〉が再び輝く紫色の光の剣を生成する。

 被弾覚悟で突貫し、顔の複眼を狙う。

 一撃目はかわした。

 二撃目は左手の【牛若丸】ではじいた。

 だが三撃目を受け損ない、右腕に決して浅くない傷を刻む。

 そして四撃目が、ヴェルフの打った胸当てにめり込んだ。

 

 とっさに吐瀉物を吐き出しそうになるのをこらえる。

 だがそれでもベルの勢いは衰えない。

 

(届いた!)

 

 そう思った瞬間、固い手応えが腕をしびれさせた。【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】が、全力の精神力と僅かながらもチャージを込めたそれが外骨格に止められている。僅かに傷を付けはしたが、それだけだ。

 

「そんな!?」

 

 今の自分にできる最大の攻撃ですら、届かない。絶望と共に首に激痛が走った。

 

「うあああああああ!?」

「【リトル・ルーキー】!」

「クラネルさん!?」

 

 焦りが、見えていたはずの物まで見えなくした。

 リーチの長い鎌爪の攻撃ばかりを繰り出してきたのに慣れて忘れていた、牙による攻撃。

 ベルの首筋に深々と牙を埋め、首を振り回す。

 激痛に身もだえするベルは抵抗も叶わず一緒に振り回され、唐突に宙に放り出された。

 

 鮮血が降り注ぐ。

 大きくえぐられた首から、噴水のように血が吹き出した。

 地面に叩き付けられたベルを追撃する事もせずヒュアキントスはベルの肉を咀嚼する。

 くちゃくちゃという音がやけに大きく響いた。

 

 

 

「うわああああああああ?!」

「キャアアア!」

「・・・・・・・・・・・!」

「ベルッ!」

 

 オラリオでは悲鳴が上がっている。

 〈豊穣の女主人〉亭で女将が唇を固く結んだ。

 別の酒場では顔色を変えたヴェルフが顔色を変えて身を乗り出している。

 

「ヴェルフ・・・」

「・・・くそっ!」

 

 同僚の鍛冶師が、心配そうにヴェルフに声を掛ける。

 その場にいないくやしさに顔を歪ませ、鍛冶師はテーブルに拳を打ち付けた。

 

 

 

 ぎろり、と睨まれた気がして身をすくませる。

 実際にはヒュアキントスが顔を動かしただけだ。

 複眼がどこを見ているのか、昆虫でもないカサンドラに知る術はない。

 

 ベルが首を食いちぎられ、叩き付けられると同時に彼女ら三人は動いた。

 アイシャがベルとヒュアキントスの間に割って入り。

 ダフネはベルに駆け寄って抱き起こす。

 カサンドラは詠唱を一時中断し、ヒュアキントスを迂回してベルの横に移動した。

 

 ヒュアキントスがベルの肉をゆっくりと咀嚼し終え、飲み込むのがわかった。

 動きを止めていた巨体が再び動き始める。

 

「カサンドラ! 毒だ! 解毒魔法を!」

「わ、わかった!」

 

 言いつつ、ベルのポーションベルトからエリクサーの管を抜き、ベルの首の傷に振りかけるダフネ。

 出血は止まったが頸動脈を大きく食いちぎられており、大量に出血している。Lv.4相当の耐久値があるとはいえ、即死していないのは奇跡だ。

 さらに傷口周囲が変色している。負傷はエリクサーで治せるが、毒を打ち消し意識を回復させるためにはカサンドラの魔法が必要だった。

 

 

 

「ベルくん!?」

「落ち着きなさいヘスティア! 彼女がエリクサーをかけているし、まだ望みはあるわ! 彼が死んだことは感じられないのでしょう!?」

「う、うう・・・」

「・・・・・・・・」

 

 神会(デナトゥス)の間、蒼白になって〈鏡〉を見上げるヘスティア。

 あまりに凄惨な光景に、さすがの神々も沈黙している。

 フレイヤも真剣この上ない表情で鏡を注視していた。

 

 この場にいる神でフレイヤのみが知っている。

 首を食いちぎられて、ベルが一度死んだであろうことを。

 そしてそれを救ったのがベルの胸元、服の下に隠れて今は砕けているであろう首飾り。

 行きつけの酒場のウェイトレスが渡した首飾りであったことを。




アイシャの大朴刀をベルの呪文で直せないかなあとちょっと思ったのですが、高レベル冒険者のメインウエポンなんですから当然【鍛冶】アビリティ持ちの上級鍛冶の打った品、つまり魔法の武器なわけで。
イサミならともかくベルくんじゃインスタントには直せないよなという事で諦めました。


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19-31 月影の遁走曲(フーガ)

 ダフネ・ラウロスは慎重だ。臆病と言ってもいい。

 勝てない戦いはしない。強そうな怪物からは逃げる。常に退路を考えて戦いに臨む。

 それ故に神々が付けた二つ名は【月桂の遁走者(ラウルス・フーガ)】。

 派閥においてしばしば部隊指揮を任せられていたのも、そうした性格によるところが大きい。

 

 慎重に、事故や不慮の死を避ける。生き延びる事が最優先。決して無理はしない。

 ポーションや精神力が半分になったらその日の探索は終わり。

 「冒険者は冒険をしてはいけない」。

 その言葉の体現のような冒険者が彼女だった。

 

 今回だってそうだ。

 こんな怪物(ヒュアキントス)の相手は同じ怪物(ベル)に任せ、とっとと逃げ出す気だった。

 ロキ・ファミリアや【リトル・ルーキー】の仲間がまだ戦っているだろうから、彼らに伝えれば何とかしてくれるだろう。

 35階層のウダイオスを単身討伐した【剣姫】もいる。だから・・・と思った。

 まさか、いつもおどおどしている親友(カサンドラ)が積極的に戦いに参加するとは思ってもみなかった。

 

 だが結果的に見ればそれが正解だった。

 【リトル・ルーキー】を単独で残せば、カサンドラの回復魔法もアイシャの援護もない彼は早晩倒されていただろう。

 ロキ・ファミリアや彼の兄の救援も間に合わなかったに違いない。

 

「ぐっ! がっ!」

「シャギャアアアアア!」

 

 耳障りな声が響くたびにアイシャの手足から血しぶきが上がる。

 限界まで強化したベルでも防ぎきれなかったラッシュだ、Lv.4になりたて、しかも愛用の大朴刀を失ったアイシャが対応できるものではない。

 既に肩から拳に掛けての両腕にはいくつもの深手を負い、頭部も額から側頭部にかけてごっそりえぐられ、出血している。

 

「どうした。それで終わりかクソ野郎!」

「シャギャアアアアア!」

 

 だがそれでもアイシャは不敵に笑っていた。

 Lv.4の耐久力・・・というだけでは説明が付かない。

 しかしダフネにはわかる。わかってしまう。

 彼女は【リトル・ルーキー】を守りたいのだ。

 ダフネがカサンドラを守ってやりたいと思っているように。

 

 五合。

 それが、アイシャが素手でヒュアキントスの全力攻撃(フルアタック)を凌いだ回数。

 気力は無限ではない。アマゾネスの生命力にも限界はある。

 

(次は凌ぎきれない・・・かな)

 

 アイシャは冷静にそう判断する。

 【リトル・ルーキー】が復活するための時間を稼ぐ事はできただろうか。

 彼の意識が戻れば、どうにかなるはずだ。

 根拠もないのにそう信じられる自分に気付き、苦笑する。

 

 全力攻撃の最後の一撃を終え、ヒュアキントスが鎌爪を鋭く引き戻す。

 カマキリと同じ関節構造を持つスリクリーンの鎌爪は、繰り出す時と同じくらいに引き戻すのも早い。

 間髪を入れずに六度目のラッシュが始まる。

 それをどうにか耐えられるかと身構えて。

 次の瞬間、後頭部に走った衝撃にアイシャが大きくつんのめった。

 

 

 

「シャギギィ!?」

 

 幸運は三つあった。

 アイシャもヒュアキントスも完全にダフネはノーマークだったこと。

 踏み台にされたアイシャが姿勢を大きく崩し、結果的に鎌爪の攻撃が全て外れたこと。

 そして敏捷度を上昇させていたとはいえ、Lv.2に過ぎないダフネが跳躍して振るった短刀が奇跡的にヒュアキントスの右目を貫いたことだ。

 

「シャギャァァァァァア!」

 

 右目から体液を流し、絶叫するヒュアキントス。

 ダフネは着地して素早くヒュアキントスから離れ、まだ体液のしたたる短刀を振りかざして怪物を挑発する。

 

「こっちだ! 来なさい、クソ団長!」

「・・・・・・・・・・!」

 

 怒りに燃える視線がダフネを貫く。

 キチキチキチ、と牙が鳴った。

 物も言わずにきびすを返し、ダフネが逃げ始める。

 ノータイムでそれを追い始めるヒュアキントス。

 膝をついたアイシャが一瞬目を丸くしたものの、すぐにその眼差しが敬意のこもったものに変わる。

 

 逃げるは月桂樹(ダフネ)。追うはアポロンの神意(ヒュアキントス)

 ベルの回復のための僅かな時間。それを稼ぎ出すために彼女は逃げる。

 Lv.2の彼女が、Lv.4ですら歯の立たない怪物から。

 

 「冒険者は冒険をしてはいけない」。

 その言葉の体現のような冒険者が彼女だ。

 けど、忘れてはいけない。

 冒険をするから。冒険をしたから彼女は冒険者なのだ。

 

 

 

「行けえ【遁走者】!」

「かっこいいぞー!」

 

 オラリオで盛上がっている観衆の応援を彼女が聞いたら、物も言わずに駆け寄ってぶん殴ったかもしれない。

 

(そう思うならあんたらがこいつと追いかけっこしてみろってぇの!)

 

 実際にそんなことを思ったわけでもないが、目の前にしていたら間違いなく口に出していたはずだ。

 もっとも、今の彼女にそんな余裕はない。あるわけがない。

 

「シャギャァァァァァァッ!」

「ひいいいいいいっ!」

 

(怒ってる、もの凄く怒ってる!)

 

 金色だった複眼は赤く染まり、ガチガチガチと牙を鳴らすヒュアキントス。

 こけつまろびつ、千年の恋も冷めそうなご面相で、涙と鼻水すら流しながらダフネは必死に駆ける。

 もっとも、グラシアならその様子を美しいと評したかも知れない。

 どれほど滑稽でも、どんなにみっともなくても、その行いには気高さと勇気があった。

 

「うわあああああああああああ!」

 

 彼女の持つスキルの一つ【鉛矢受難(エリオス・バスシオン)】は逃走時に限り移動速度を大幅に上昇させてくれる。

 だがそのスキルと魔法による敏捷度上昇を加えても、足場の悪さと4mの巨体から来る歩幅の差はそうそう覆せるものではない。

 一歩、二歩、三歩。

 それだけでスタートダッシュで開けた差を詰められた。

 

「シャアッ!」

「っ!」

 

 鎌爪が薙ぎ払われる。

 走りながらであるゆえに全力攻撃(ラッシュ)ではなく一撃のみだが、それで十分。

 速度は速くとも、ダフネにはそれをかわせない。

 オラリオの観衆から一斉に悲鳴が上がった。



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19-32 竜王参上

 革鎧と戦闘衣の切れ端がちぎれて舞った。

 右脇を薙ぎ払われ、ダフネが吹き飛ばされた。地面と平行に10m近くを飛び、瓦礫の上を転がって鐘楼だったとおぼしき大きな残骸に当たって止まる。

 

「ダフネちゃん!」

「くそっ!」

 

 呪文の詠唱を中断してダフネが悲鳴を上げる。アイシャが悔しげな声を漏らして顔をそむけた。

 キチキチキチ・・・と、目の攻撃色は変わらぬまま、ヒュアキントスがにじり寄る。確実にとどめを刺す気だとわかり、オラリオでもまた悲鳴が上がる。

 だがアイシャは動けない。ベルのポーションを(勝手に)分けて貰ってはいるが、脚の傷が深い。ベルも、カサンドラの解毒呪文が完成するまでに後十秒はかかる。

 

 と、そこで怪物は違和感に気付いた。

 自らの鎌爪を持ち上げ、無事な方の目でじっと見る。先ほどダフネを薙ぎ払った鎌爪だ。

 爪のトゲに、戦闘衣の切れ端が引っかかっている。

 だが血が一滴たりともついていない。

 

「「!」」

 

 アイシャがそれに気づくのと、怪物の顔がダフネに向き直るのと、気絶していたように見えたダフネがぱっと起き上がるのがほぼ同時。

 ダフネの右脇腹の「傷痕」からは、臓物がこぼれ落ちるどころか一滴の血も流れてはいない。

 大きく引き裂かれた戦闘服の裂け目からは、樹皮のような色と質感に変化した皮膚が見えていた。

 

 

 

『おーっとぉーっ! 無事だ! 無事だ【遁走者】! 脇腹をえぐられハラワタをぶちまけろ!されたのにぴんぴんしている! 何らかのスキルか、それとも魔法でしょうか! とにかく体の一部だけを硬化装甲化し身を守った模様!

 あえて自分に標的を移し、【リトル・ルーキー】の回復の間敵を引きつけることを選んだ【遁走者】! その名に恥じないタフさとしぶとさ! 死の追いかけっこはまだまだ続く!』

『このガネーシャ感動した! がんばれ、【遁走者】! がんばれ、ダフネ・ラウロス! そして俺がガネーシャだ!』

 

 【月桂輪廻(ラウルス・リース)】。ダフネの持つもう一つのスキルだ。任意の部分を樹皮化させることによって部分的に極めて高い防御力を得る。ただし、命の危険がある状況でないと事実上発動しない。

 バランス型で敏捷高めのステータス。逃走速度を上げる【鉛矢受難(エリオス・バスシオン)】、瀕死時の防御力を上げる【月桂輪廻(ラウルス・リース)】の両スキル。状態異常を防ぐ【耐異常】アビリティ。敏捷度を大幅強化する魔法。

 つまる所、ダフネ・ラウロスは生存力に特化した冒険者であった。

 

「はっは、ここまでおいで、クソ団長!」

「ギギギギギギギッ!」

 

 その生存力をフルに使い、挑発すらして、全力の逃走を再開するダフネ。

 だがその動きはやはり鈍っている。

 表皮を硬化させて一撃を防ぎはしたが、人一人を10m近く吹き飛ばすような一撃を受けて、Lv.2の彼女がその衝撃を耐えきれるわけがない。

 あばらが痛み、内臓が全力で悲鳴を上げている。

 

 今度は二歩で追いつかれた。

 薙ぎ払いではなく、振り下ろしの左。

 背中を袈裟懸けに切り裂かれ、スキルによる防御は間に合ったが、地面に叩き付けられた。

 破片が舞い、瓦礫の山の中に体がめり込む。

 すぐに立ち上がろうとして血を吐いた。

 

(あ、こりゃだめだわ)

 

 震える腕で体を支え起こす。だが四つん這いになるのが精一杯。

 親友(カサンドラ)がまた悲鳴を上げそうだなと頭の片隅で思った時、視界の端に見慣れた光が射した。

 

(そうか、ちゃんと呪文完成させたんだね。あたしに構わず。――立派になったもんだ)

 

 没落した家のお嬢様。浮世離れしていて、おどおどしていて。

 何かと危なっかしく目を離せない娘だった。

 その娘も、いつの間にかいっぱしの冒険者になっていたらしい。

 

「ダフネちゃん!」

 

 遅れて悲鳴が聞こえる。

 ああ、そんな声を出さないで。

 できればあちらを向いていて。

 次の瞬間、ウチは八つ裂きになるはずだから。

 それをあんたにだけは見せたくない――

 そう思った瞬間、周囲が真っ白な霧で満たされた。

 

 

 

「ダフネちゃん!」

 

 呼びかけてもダフネは遠く、自分の脚では何をどうしたって間に合わない。

 ベルは意識を取り戻したばかりだし、ベルのエリクサーで回復したアイシャが駆け出そうとするが、彼女の脚でも間に合う距離じゃない。

 そもそもダフネを助けに行くのではなく、呪文を完成させることを選んだのは自分。

 でも、だからって、親友が死ぬところなんか見たくはない――!

 そう思った次の瞬間、周囲がミルク色の霧に包まれた。

 

「ふぇっ!?」

 

 同時に脇を通り過ぎていく「何か」の風圧と冷気。

 直感的に氷雪系の魔法、それもかなり高レベルの物だとわかった。

 

「春姫さん! ゲドさん!」

「ま、間に合いました――!」

「あの女はこっちに任せろ! お前は回復を万全にしとけ!」

「はい!」

「え? え? え?」

 

 ミルク色の霧の中で動く気配と、交わされる会話。

 カサンドラは訳もわからず周囲を見渡すが、やはりミルク色の霧しか見えない。

 と、思ったら、いきなり目の前にベルの顔があった。

 

「カサンドラさん!」

「ひゃ、ひゃいっ!」

「こっちへ!」

 

 手を引かれ、足元すら定かではない濃霧の中を訳もわからずについていく。

 その間、怪物の雄叫びと地面を蹴る音が何度も聞こえる。

 霧の中に何人かの人影が見えたところで、話し声が聞こえた。

 

「えっ? あんたら双子?」

「ああいや、魔法でね・・・そっちもこっちも俺っていうか」

「はぁ・・・けったいな魔法ねえ・・・」

「ダフネちゃん!」

 

 足元が不確かにもかかわらず、親友の声に向かって走り出す。

 

「うあっと!」

「ご、ごめんなさい」

 

 目つきの悪い男にぶつかり、反射的に謝る。

 それとそっくりのもう一人の目つきの悪い男がボロボロの親友を背負っていた。

 

「ダフネちゃん・・・」

「はは、生き残ったよ・・・よくやったよ、あんた」

「うん・・・うん!」

「ほれ、これ飲め」

 

 涙ぐんで、何度も頷くカサンドラ。

 男がバックパックからエリクサーの瓶を取り出し、ダフネに飲ませる。

 ダフネが礼を言ってもう一人の背中から降りた。

 物も言わずカサンドラがダフネに抱きつく。

 ダフネはほほえみ、その背中を軽く叩いてやった。

 

「おいクラネル、もうそろそろ氷雪系の魔剣が打ち止めだ! つーかあいつ、半分くらい弾いてるぞ!」

「ベル様、あいつが幻影に惑わされなくなってきました。もう余り持ちません」

「ルアン!? あんた裏切ったのかい?!」

「それは後で。今は奴を倒す手立てを考えないと」

 

 いきなり自分の派閥の下っ端である金髪の小人族が出て来て【リトル・ルーキー】の仲間面をしているのに驚くダフネだったが、確かに今はそんな事を言っている場合ではない。

 

「手数も厄介だが、とにかくあの固いのをどうにかしないとね・・・目つきの悪いの、魔剣はまだあるのかい?」

「ゲドだ。魔剣は残ってる、山ほどな。ただ、さっきから撃ってるけど半分くらいは無効化されるし、取って置きのが一本あるがこれでもあいつを倒せるかどうかとなるとなあ・・・どう考えても階層主クラスだろ、あれ」

 

 アイシャの言葉にゲドが難しい顔をした。

 もちろん、"真実の目(トゥルー・シーイング)"がかかってない面々にはその表情は見えないが。

 

「手はないこともありませんけど・・・時間がかかります」

「魔法かい? それともあの紫の剣?」

「紫の剣です。でも多分、三分目一杯チャージしないと・・・」

「よし、じゃあそれで行こう」

 

 話を最後まで聞かず、アイシャが頷く。

 慌てたようにベルが言葉を継いだ。

 

「で、でも、三分チャージしても倒せるかどうかは・・・」

「他にないならしょうがないだろ。必要ならあたしらが時間を稼ぐ。囮にもなる。あんたはそいつをブチ込むことだけ考えな」

「・・・はいっ!」




うーん、ちょっぴりタイトル詐欺(ぉ


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19-33 ひとりはみんなのために みんなはひとつの勝利のために

 ヒュアキントスはきびすを返して、先ほどまで魔法攻撃が飛んで来ていた方に向き直った。

 氷雪系の攻撃が彼の呪文抵抗を何度か突き破り、それなりのダメージを負わせてはいたが、あくまでそれなりだ。

 体の一部が氷に覆われて動きが鈍ってもいたが、攻撃が途切れた今すぐに回復するだろう。

 

 首を食いちぎったのと同じ敵が先ほどから周囲に現れては攻撃を仕掛けてくるが、鎌爪で薙ぎ払うと消えてしまう。

 そんな事を十何度か繰り返した後、ヒュアキントスはそれらを無視することにした。

 消えてしまう敵は「におい」がしない。触角をうごめかせ、ゆっくりとヒュアキントスは歩き出した。

 「におい」のする方へと。

 

 

 

「ベル様! 来ました!」

「・・・うん、わかった。みなさん、お願いします」

「それじゃあたし達は時間稼ぎ・・・と言いたいけど、この霧の中じゃどうしようもないね。かといって霧がなきゃ・・・」

「アイシャ様、それでしたらこれを」

「ん?」

 

 ルアン(リリ)が差し出したのは宝石のはまった眼帯だった。

 

「それを目に付けて、『エクラシオ』と唱えてみてください」

「ふうん? 『エクラシオ』・・・おおっ?!」

 

 眼帯を左目に付けて合言葉を唱えたのと同時、アイシャの視界がぱっと晴れた。

 ミルク色の霧が左目の宝石を通して鮮明に見通せる。

 "看破の宝石(ジェム・オブ・シーイング)"。時間制限はあるものの、"真実の目"呪文と同じ効果を得られる魔道具。

 通常は手に持って使うが、それだと戦闘に使いづらいのでイサミが眼帯に仕込み、念のためにリリにも渡しておいたものだった。

 

「ゲド様は魔剣で援護を。あれだけ大きければ、味方を巻き込むこともないでしょう。カサンドラ様は回復を。範囲指定型のようですし、方向と距離をこちらで指定します」

「おう!」

「は、はい」

 

 普段とは打って変わってきびきびと指示を飛ばす「ルアン」に目を丸くしながらも、カサンドラはコクコクと頷く。

 勢いに押されたとも言う。

 

「ダフネ様はご負傷の所申し訳ありませんがベル様の直衛を。奴が近くに来たら囮になってください」

「・・・いいけどさ。あんたほんとにルアン?」

「ですからそれは後で」

 

 ある意味「死んで来い」と無造作に言われ、顔をひくつかせるダフネ。

 とは言えそれが合理的なことはわかっているので反論はしない。

 

「アイシャ様は前衛をお願いします。できれば奴をこちらから引き離すように。春姫様は霧を維持。適宜幻影で援護して下さい」

「ああ」

「はいっ!」

「では皆様、作戦開始です! 三分間持たせて下さい!」

 

 

 

 霧の中を慎重にヒュアキントスは進んでいく。

 野生の獣同様、知性を失っても判断力自体は衰えてはいない。先ほどから音が全くしなくなったのが慎重さに拍車を掛けていた。

 突然、左側から火炎が叩き付けられた。同時に電撃が下半身を焼く。

 それにワンテンポ遅れて、再び「ベル」が現れた。

 瓦礫を蹴散らして走ってくるそれを無視して霧を見透かそうとして、怪物はおのれの失策に気付く。

 この敵には「におい」がある!

 

「チェアアアアア!」

 

 後一歩で蹴りが届く間合いで、ベル――その幻影をかぶせられたアイシャは跳躍する。

 先ほどとは違う、跳躍の勢いに全体重を乗せた跳び蹴り。

 

「ギャギイイイ!」

 

 みしり、と。

 今度ははっきり、ヒュアキントスの右膝の関節が軋んだ。

 怒る怪物が鎌爪を薙ぎ払う。

 ブロックしたアイシャの右腕から、ぱっと血が散った。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちしつつ、素早く後退する。追おうとしたヒュアキントスの背後に、再び魔剣の攻撃が二連続で炸裂した。

 今度は両方とも呪文抵抗で防いだが、苛立たしげにきちきち、と牙を鳴らした。

 

 その後もアイシャたちの「いやがらせ」は続いた。

 最初の時のようにヒットアンドアウェイに徹し、執拗に関節を狙うアイシャ。

 位置を変えつつ、影と二人で魔剣を振るゲド。

 加えてリリが指揮と共に援護を始め、イサミ特製の火炎・冷気・酸・電撃など、矛盾するいくつものエネルギーをまとった矢が飛んでくる。

 リリとゲドは直接攻撃を受けないよう、1、2回攻撃をしたら位置を移動している念の入れ様だ。

 

 とはいえそれでもほとんどダメージは与えられていない。

 呪文抵抗を抜いても、強固な外骨格装甲は魔剣のダメージの大半を弾いてしまう。リリの矢も同じだ。

 アイシャもさすがに警戒され、最初のような大胆な攻撃はできなくなっている。

 だが足止めという目的はしっかり果たしている。

 後2分。このままいけば、と誰もが思った。

 

「?」

 

 ぴたり、とヒュアキントスが動きを止めた。

 口元と額の触角をぴくぴく動かし、霧の向こうに顔を向ける。

 その視線の先に、正確にベルの現在位置があった。

 

「!? 音は遮断しているはず、どうして・・・っ、そうか、魔力感知!」

 

 僅かな時間を経て、リリが正解にたどり着いた。

 ベルのスキル【英雄願望(アルゴノゥト)】は剣戟や魔法に時間を掛けて「力」を溜め、その威力を圧倒的に上昇させる。

 その際に鳴るチリンチリンという鈴のような音はリリも抜け目なく遮断していたが、魔力に近い波動を放つ"蓄力(チャージ)"は呪文同様、それなり以上の魔力を持つ冒険者には感知されてしまう。

 魔獣化し、感覚が鋭敏になっているヒュアキントスには尚更だったろう。

 

「止めて下さい!」

「シャギャアアアアッ!」

「ちいっ!」

 

 リリが叫んだのと、ヒュアキントスが走り始めたのが同時。

 ヒュアキントスの左斜め前にいたアイシャは咄嗟に膝にタックルし、僅かでも進行速度を遅らせようと試みる。

 彼女の胸ほどの高さにあるヒュアキントスの左膝。

 タックルを成功させて右膝に負担がかかればあるいは・・・

 

「なっ!?」

 

 そう思った瞬間、ヒュアキントスが消えた。

 

「跳んだぁっ!?」

 

 ゲドの驚愕の叫びに何が起こったかを理解し、空を見上げる。

 跳んでいた。

 怪物が自分の身長を超える高さを軽々と跳んでいた。

 

 スリクリーンはカマキリの性質を持った種族。

 ゆえに、種族として圧倒的な跳躍力を持つ。

 高さ5m、長さ20m近くの大跳躍を軽々とやってのけた。

 着地点には、チャージを続けるベル。

 

「ダフネ様、真っ直ぐ前にジャンプして体当たりを!」

「っ!」

 

 ルアン(リリ)の咄嗟の指示に、ダフネが即座に従う。

 

「ギッ!?」

「うわっ!?」

 

 空中で、互いに意図せず鉢合わせの形になる。

 ダフネ一人ではヒュアキントスの質量に遠く及ばないが、それでも空中でバランスを崩させるには十分だった。

 

 地響き。

 半回転したヒュアキントスが背中から地面に落ちた。

 抱きつくような形で一緒に落下したダフネが、ハッと気付いてヒュアキントスの左上腕を自分の身体全体で抱え込む。

 

「ギギッ!」

 

 苛立たしげに腕を地面に叩き付けるヒュアキントス。

 だが離れない。

 後頭部から背中にかけて、そして戦闘衣に隠れて見えないが、鎌爪のとげの刺さった体の前面が樹皮化している。

 

 二回、三回、四回。

 どんどん強くなっていく衝撃に、血を吐きながら必死でダフネが耐える。

 五回目。

 それでもダフネは離れない。

 既にヒュアキントスの複眼は怒りで真っ赤に染まっている。

 今度こそ。そう思って立ち上がろうとしたヒュアキントスの後頭部に、再び渾身の蹴りが炸裂した。

 

「シャギャアアアッ!」

 

 いくらカマキリのような魔獣といえど頭部には脳があり、脳は衝撃に弱い。

 立ち上がろうとしていたところにアイシャの痛撃を喰らい、ヒュアキントスは思わず尻餅をついた。

 それと同時に力尽きたのかダフネが地面に落ち、ぐったりとする彼女を無表情なゲドの影が慌てて回収する。

 同時に衝撃波の魔剣がヒュアキントスの頭部に命中し、更に怪物をぐらつかせた。

 チャージ、あと一分。

 




三銃士の有名な一節「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために(Un pour tous, tous pour un)」ですが、これ原語の「UN(英語のONE)」は「一人のために」ではなく「一つの勝利のために」を意味するという説がありまして、今回採用してみました。


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19-34 終幕(フィナーレ)

「ゲド様! ダフネ様の容態は!」

「今エリクサー飲ませてるけどかなりの深手だ! 頭もやられてるかもしれん!」

「くっ! カサンドラ! 回復魔法待機だよ!」

「は、はい!?」

 

 カサンドラに声を掛け、アイシャはヒュアキントスの正面に回り込む。

 立ち上がったヒュアキントスに、今度は正面から拳や蹴りを打ち込み始めた。

 ヒット・アンド・アウェイではなく、足を止めての打撃戦。

 それ故にヒュアキントスは跳躍するタイミングがつかめない。

 

 だがそれは、攻撃するのに何の支障もないと言うこと。

 四本腕の鎌爪が、先ほど同様アイシャの体に次々と傷痕を穿っていく。

 そして三度目の全力攻撃(フルアタック)を、アイシャは避けなかった。

 

「アイシャ様!?」

「今・・だ! カサンドラ! 私に回復魔法を!」

「え、・・・カサンドラ様! 右前15度、7mです!」

「は、はい!」

 

 僅かに言いよどんだリリの指示に従い、カサンドラが「ソール・ライト」を発動する。もしカサンドラが霧を見通せていたら、そうはいかなかったかもしれない。

 四本の鎌爪に体を貫かれたアイシャの姿を見ていれば。

 

 

 

 こいつは倒した、と思った瞬間、ヒュアキントスは驚愕に襲われた。

 抜けない。

 獲物の体を深々と貫いた鎌爪が抜けない。

 

「ギッ!?」

「おど、ろいたか・・・ばかめ。人間様を・・・なめんじゃないよ」

 

 口の端から一筋の血を流し、アイシャが不敵に笑う。

 右肺、左肩、右脇腹、左太もも。

 いずれも背面にまで貫通する傷に、鎌爪が突き刺さったまま回復呪文が掛けられた。

 つまり鎌爪を巻き込んで肉体が再生し、爪を完全に埋め込んでしまったのだ。

 

 これが剣や槍ならあるいは引き抜けたかも知れない。

 しかしスリクリーンの鎌爪は湾曲している上に、獲物を逃がさないための逆トゲが付いている。

 それが今は逆に、鎌爪を捕らえる抵抗となっていた。

 

「シギャアァァァァァ!」

 

 振り回し、叩き付け、四本の腕を乱暴に動かして、この生きた枷を破壊しようとする。

 だが壊れない。この人間の五体が、万力のように強い力で四本の腕をしっかりと拘束している。

 緩んだと思ったところにまた回復魔法が飛び、再び爪が肉に埋め込まれる。

 

「・・・春姫様! あの魔法を! ゲド様、マジックポーションの用意!」

「はい! 【タマテバコ】解除!」

 

 ここが勝負時と見たか、ルアン(リリ)が魔法の解除と、新たな魔法の発動を指示する。

 ふうっ、と春姫が粉末のような何かを飛ばした。

 黄金色のそれは、風に乗ってふわりと広がり、暴れ回るヒュアキントスとアイシャを包む。

 

(お願い、私の魔法・・・アイシャさんを・・・そしてベル様を助けるために!)

 

「【――枯れ木に花を、咲かせましょう】」

「【育ててくれたおじいさん。助けてくれたおばあさん。二人の恩に報いるために】」

「【――枯れ木に花を、咲かせましょう】」

「【たとえこの身が滅びても。たとえ姿が変わっても。あなたの恩は忘れない】」

「【――枯れ木に花を、咲かせましょう】」

「【ハナサキノオキナ】」

 

 

 

『ウオオオオオオオオオ!』

 

 霧が晴れた次の瞬間、オラリオで歓声が巻き起こった。

 戦っている。まだ【リトル・ルーキー】たちが戦っている。

 首を食いちぎられた【リトル・ルーキー】は白い雷光の走る剣を構えているし、とどめを刺される寸前だった女冒険者も、どうやら無事のようで――と、そこまで見て取った瞬間、一斉に驚愕の叫びが上がった。

 

『なっ!? なんだあ!? 怪物の全身を、緑色の何かが覆っていく・・・ツタだ! これはツタだ! どんどん大きく、捕まった冒険者ごと怪物を飲み込んでいくっ!

 いやもはやツタとは言えない! これは木! これはまさにジャッキーと豆の木! 天まで伸びよとばかりにそびえ立つその姿は勝利へのはしご段かーっ!

 あ、ああーっ! なんと、花が咲いた! 満面の花だ! 美しい! 美しすぎる!』

『なんと! 戦いのさなかとは思えんな・・・それはそれとして俺がガネーシャだ!』

 

 【火炎(ry】の実況通り、ツタは今や巨大な木となって一面の花を咲かせ、ヒュアキントス達を丸ごと飲み込んでいた。

 上は10m近くにも延び、下は瓦礫の奥深くにまで根を伸ばしている。

 こうなってはさすがのヒュアキントスも容易くは脱出できない。

 安堵したか力を使い果たしたか、アイシャががっくりとうなだれて意識を失う。

 それと同時に春姫もくずおれた。駆けつけたゲドが慌ててその口にマジックポーションを注ぎ込む。

 

 春姫が発動させたもう一つの魔法、【ハナサキノオキナ】。

 その力は生命の操作。

 最初に春姫がまいた花の種。【ハナサキノオキナ】はそれに力を与え、成長させる。

 しかしその分のエネルギーはどこからか持ってこなくてはならない。

 つまり、春姫の精神力だ。

 Lv.1としては破格の精神力と魔力を持つ春姫だが、それでもこの束縛には全精神力を要したのだ。

 

 リィン、リィンと鈴の音が鳴る。

 リリも【リレハァ・ヴィフルゥ】を解除していた。

 息詰まる数瞬。

 

 と、「豆の木」が枯れ始めた。

 余りに高速で成長させたこと、精神力の補給が途切れたことで枯死を始めたらしい。

 見る見るうちに茶色に染まり、しなびていく「豆の木」。

 それと共にバキバキ、ブチブチと音が響く。

 絡みつく無数のツタをちぎり、ヒュアキントスが幹の中から姿を現す。

 左上腕を振り、いまだ絡みついていたアイシャの体を放り捨てた。

 即座にカサンドラの「ソール・ライト」が飛び、ゲドの影がそれを回収する。

 担がれたアイシャがうめき声を上げたのを見て、春姫がほっと息をついた。

 

「シャギャアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 びりびりと大気が震える。

 これまでで一番の怒りを乗せた咆哮。

 もう許さぬ、お前達は全員死ぬのだとばかりに高みから睥睨する真紅の複眼。

 

 だがその前に待つのは白き髪の少年。

 後ろ手に回した剣は、英雄の光でまばゆく白く輝く。

 チャージ、完了。

 

 仲間達が脇に下がる。

 ここからは主役の出番。

 脇役は文字通り脇に下がるとばかりに。

 対峙する少年と怪物。それはまるで英雄物語の一幕のようで。

 

「・・・行きます。これで、おしまいにしましょう」

「シャギャアア!」

 

 再び怪物は跳躍した。

 四本の腕で哀れな獲物を貫くべく、背中に力を溜める。

 だが怪物は見誤っていた。

 あの紫の剣であれば、あれだけの力をまとっていても致命傷にはなるまいと。

 リーチの差で先に少年を屠ってしまえばよいと。

 

 後ろ手に構えていたがゆえに、白き稲妻が刀身を覆っていたがゆえに気付かなかった。

 ベルが構えていたのが【神のナイフ】ではなく、友が鍛えた真紅の魔剣であることを。

 

「魔力を集束した剣が【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】、火炎光線(スコーチング・レイ)を込めた一文字剣が【聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)】。ならヴェルフのくれたこの剣で放つのは――!」

 

 かっ、と目を見開く。

 落ちてくる。怪物が、ヒュアキントスが落ちてくる。

 ベルの視界に映る世界がゆっくりになり、ヒュアキントスの落下が止まったように見えた。その目に恐怖が宿り、【クロッゾの魔剣】に気付いたことがわかる。

 

 だがもう遅い。ベルの武器が魔力剣であれば鎌爪が先に届いた。怪物にならなければ、神より授かった魔法があった。

 だが魔剣より、それも絶大な威力を持つ【クロッゾの魔剣】よりも間合いの長い武器など、彼は持ってはいない――!

 ゆえにその結果は必定。

 

「【友情の大英斬(アルゴ・アミキティア・ペルグランデ)】!」

 

 

 

 白い稲妻をまとい、巨大な火柱が天を貫いた。

 イサミが、アイズが、アスフィが。シャーナとレーテー、狂戦士化したフィン、リヴェリアとガレス、ティオネとティオナ、フェリス命椿リュールノアクロエリド。

 オッタルとロビラーすらもが戦いを中断して空を見上げる。

 彼らは戦いが終わったことを知った。



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19-35 語らずとも思いは通じ合う

 そのまま大剣は崩れ去り、塵となって消えた。

 

「ありがとう、ヴェルフ・・・」

 

 万感の思いを込めて友に礼を言う。

 たとえ聞こえなくても届くだろうと思った。

 

 彼の目の前には、ヒュアキントスが横たわっている。

 人間に戻っていた。

 そして、奇跡的に生きていた。

 裸体のあちこちに変異の後遺症が見えるが、兄ならば治せるだろうかとぼんやり思った。

 

 顔を真っ赤にして手で目を覆うカサンドラを叱り飛ばし、回復呪文の詠唱を始めさせるダフネ。

 同じく顔を真っ赤にした春姫が目をそむけつつマントを差し出したのを受け取り、ヒュアキントスにかぶせる。

 ゆっくり近づくと、ダフネが振り向いた。

 

「おめでとさん、あんたの勝ちだよ――正直、勝てるとは思わなかったよ。すごいねあんた」

 

 一応負けた方ではあるが、晴れ晴れと笑うダフネ。

 〈戦争遊戯〉の勝敗など、もうどうでもいいのだろう。

 笑い返すとともに、腰からエリクサーの入った試験管を抜いて彼女に渡す。

 ちょっとびっくりした顔になったのが少しおかしくてまた笑った。

 

「いいのかい?」

「ええ。もう終わったんでしょう?」

「まあ、誰が見てもあんたの勝ちだろうね。一応礼は言っとくよ」

「どういたしま・・・ふわっ!?」

 

 言葉の途中で後から抱きすくめられた。

 血と汗の臭いの中にも香る、女の香りと柔らかい感触。一瞬で顔に血が昇る。

 

「ははははは! 良くやったよ【リトル・ルーキー】! まさか、まさかねえ!」

「ぼ、僕だけの力じゃないです! アイシャさんや、ヴェルフのくれた剣が・・・」

 

 背中からベルを抱きすくめ頬ずりするのは褐色の女傑。

 その表情はそれなりに長い付き合いの春姫でも見たことがないほどに喜色満面だった。

 

「謙遜も過ぎればイヤミさね! よくやった、ほんとよくやったよ! ほら、春姫(あんた)もこっち来な!」

「きゃっ!?」

「うわっ?!」

 

 近くに立っていた春姫を引き寄せ、ベルと抱き合わせるようにして二人纏めて抱きすくめる。

 ベルと春姫の顔が揃って赤くなり、リリがむすっとした顔になる。

 カサンドラがまたもや頬を染め、ダフネとゲドは何とも言えない顔でそれを見ていた。

 

 

 

『け、決着~~~~~~~っ!!!!!』

『『『『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!』』』』

 

 轟音のごとき歓声がオラリオを揺るがした。

 アポロン連合に賭けていた神々が絶叫し、賭け券が吹雪のように宙を舞う。

 

 三ファミリアによる一方的な蹂躙のはずだった。

 

 まさかのフレイヤ・ファミリア参戦とそれに呼応してのロキ・ファミリアの参戦。

 城を丸ごと打ち崩した大魔法。

 【万能者(ペルセウス)】の改宗。

 

 Lv.1(イサミ)によるLv.6(ベート)の瞬殺。

 ロキ・ファミリアとの全面激突。

 最強の男オッタルと謎の男との壮絶な一騎打ち。

 

 【リトル・ルーキー】と【麗傑】の全力の戦い。

 勝負がついたかと思ったところで起きた、ヒュアキントスの怪物化。

 敵味方無しに協力して怪物を討伐する冒険者たち。

 

 二転三転、最初から最後まで驚愕に満ちた戦い。

 それまでの全てが一気に爆発したような歓声であった。

 

 その歓声の中、ヴェルフは静かに蜂蜜酒のジョッキを掲げた。

 自らの打った魔剣が崩れ落ちる時、何かを呟いていたベル。

 それが自分への感謝だと言うことが、彼にはわかっていた。

 

「とんでもねえよ、ベル。礼を言うのは俺の方だ――ありがとうな」

 

 そしてヴェルフは、ひどくうまそうにジョッキを飲み干した。

 

 

 

「で、どっちが勝ったよ?」

 

 それまでの激闘が嘘であったかのように、黒剣を肩に担いでのんびりと尋ねるのはロビラー。

 オッタルも剣を納めこそしていないが、既に戦闘態勢は解いていた。

 

「決まってるでしょう・・・俺の弟ですよ」

 

 胸を張るイサミ。

 その横で槍にもたれかかったフィンが溜息をついた。既に狂化は解除されている。ベートやアルガナ達も治療を施され、目を覚ましていた。

 

「やれやれ、負けちゃったか。まあ今の彼相手に、【太陽神の寵童】じゃきついと思ったけどね」

「【麗傑】も倒しての堂々の勝利ですよ。というかあっちも色々ありまして・・・オラリオじゃこっちより盛上がってたかも」

「何? 一体何があったんじゃ? オッタルとそこの男の戦い以上に盛上がっておったと?」

「それがですね・・・まあ、歩きながら話しましょう」

 

 目を丸くするガレス。火柱の立った方角に向け、歩きながらイサミが語り始めた。

 



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19-36 女神たちの決着

「「「「ウオオオオオオオオオオ!!!!」」」

「ヒャッッホォオォォオオオオオ!」

「ちょっと、ヘスティア! やめなさい、はしたない!」

 

 神会(デナトゥス)の間は大騒ぎであった。

 爆発的に盛上がる神達。今日ばかりはそれに混じって盛上がるヘスティアは、椅子の上に立ち円卓に脚をかけてガッツポーズ。それをたしなめる神友も、笑みを隠し切れていない。

 

「ああ、ヒュアキントス! ヒュアキントス!」

「馬鹿な・・・そんな・・・」

「はー、堪能したわい。とどめを刺さないのが不満じゃがな」

 

 一方で呆然としているのはアポロン陣営だ。

 助っ人であるカーリーは純粋に戦いを楽しんでいられるが、アポロンとイシュタルはそうはいかなかった。

 どうやらヒュアキントスが生きていると知ってアポロンは胸をなで下ろしていたが、それで話は終わらない。

 

 どんっ、と円卓が叩かれる。

 アポロンとイシュタルがびくり、と震えて振り向いた。

 振り向いたその先には、腕組みをして仁王立ちする紐女神。

 

「覚悟はできているだろうなぁ、アポロォォォン?」

「ひいいいい!?」

 

 地獄の底から響くような低い声音に、アポロンは椅子から転げ落ちて盛大な尻餅をつく。

 イシュタルも思わず一歩下がり、カーリーも「おおう」と声を漏らす。

 ツインテールはひゅんひゅんと風を裂いて唸り、怒気と陰気をまとわせたその顔は冥府の女王の如し。

 

「イぃぃシュゥゥタァァアァル・・・よくもボクのホームを荒らしてお気に入りのカップを粉々に砕いてくれたな・・・?」

「あ、あれは団員どもが勝手にやったことであって・・・!」

「しゃらーっぷ! アポロン、イシュタル、カーリー・・・お前達全員、生半可な事じゃ済まさないからなぁ・・・」

「ちょっと待て、わらわもか!?」

 

 それまで他人事のような顔をしていたカーリーが初めて慌てふためく。

 

「あったりまえだ! そもそも最初にボクの子供たちを襲撃したのはお前達だろうがっ!」

「わ、わらわはあくまで助っ人じゃ! そう言う損得勘定は参加者で・・・」

 

 見苦しい言い訳を並べようとしたカーリーの前に、ぬっと紙が突き出される。

 

「ところが、この議定書には助っ人含めて『参加者』と記されてるんだなあ」

「なんじゃとーっ!?」

 

 野次馬がにまにましながら突き出した議定書のコピーを慌てて確認するカーリー。

 確かに負けた場合はカーリーも要求を呑むと明記されていた。

 戦えればいいと、ろくに内容を確認もしなかったカーリーのミスである。

 しばらくぷるぷると震えていたカーリーが、くるっと振り向いて笑顔を作る。

 

「あー、ヘスティア? のう、お主はわらわと違って慈悲溢れる女神。ひどいことはせんよな? お主のような心優しき女神が万が一にも天界送還など・・・」

「じ・ひ・は・な・い。ハイクを詠め!」

「のぉぉぉぉぉ!?」

 

 頭を抱えて絶叫するカーリー。

 

「ハイクって何?」

「極東のポエム。死ぬ時に詠む習慣があるらしい」

「そっかー、アポロンたち死ぬのかー。ご冥福をお祈りします」

「ナムー」

「おかしい人を亡くしたな・・・」

「いや俺ら神やん」

 

 背後で無責任な野次馬たちがやんややんやと盛上がるのを聞き、アポロンのこめかみに一筋の汗が流れる。

 意を決したアポロンががばり、と極東のドゲザを敢行する。

 

「あれは! ファーイースト・ドゲザ!」

「知っているのかトト!」

「気になる女の子を泣かせた男が開発した必殺の技! 巨人とともに決行したそれは人呼んで平身低頭・・・」

 

 またもや無駄に盛上がる野次馬をよそにアポロンが必死のアピールを始める。

 

「出来心なんだヘスティア! 君の子が余りにかわいかったから・・・!

 そうだ、ヘルメス! 全てはヘルメスの仕組んだことだったんだよ!

 奴がいなければ私だってこんな暴挙には出なかった! 信じてくれ! この通りだっ!」

「む」

 

 じろり、とヘルメスを睨む冥王(ヘスティア)

 動揺しまくるアポロンたちとは違い余裕でへらへらと笑うヘルメスを一瞥し、ふんと鼻息を漏らす。

 ここがつけいる隙と見たか、イシュタルも参戦した。

 

「そ、そうだよ! 元はと言えばこいつが持ち込んできた話さ! 私たちに罰を強要するなら、そのへんも勘案してほしいね!」

「まったくもってその通りだけど、ヘルメスについてはもう詫びは済んでいるんでね。そもそも、どうして【万能者(ペルセウス)】がボクのファミリアに改宗したと?」

 

 あっ、と声を漏らす神一同。

 

「ヘルメスも許せないけど、いきなり実力行使に出てきた君たちはもっと許せない! 三人とも財産没収、派閥解散の上でオラリオ永久追放だーっ!」

「ま、待ってくれ! 私がいなくなったら歓楽街や娼婦はどうするんだい! あんたが全部引き受けるとでも!?」

「そんなものギルドなりガネーシャなりにでも管理させればいいだろ! ガネーシャのとこはそう言うの好きみたいだしな!」

 

 もしガネーシャ・ファミリアの女性冒険者、特に団長のシャクティ・ヴァルマがこの場にいたら全力で異議を唱えていただろう。

 ただ、ヘスティアが知るガネーシャ・ファミリアはガネーシャ本人とシャーナ(ハシャーナ)だけであるため、そうしたイメージができるのもやむを得ないことではある。

 閑話休題(それはさておき)

 

「ねえ、ヘスティア? さっきからひとりで話を進めているけど、私たちにも請求の権利はあるのよ。忘れてないでしょうね?」

「む・・・そういえばそうだったね」

 

 鈴のような声がヘスティアの追及の嵐を中断させた。

 イシュタルが歯ぎしりをして声の主――フレイヤを睨む。

 そもそも彼女が春姫に執着していたのも、戦争遊戯をしかけたのも、フレイヤを倒すための鍵であればこそだ。イシュタルのフレイヤへの憎しみはそれほどまでに深い。

 

「今は平和だけど、これからオラリオに何があるかわからないでしょう? 闇派閥が復活するかも知れないし、戦力は残しておいた方がいいと思うのよ」

「それはまあ、確かに」

 

 ヘスティア達は体験していないが、オラリオでは数ヶ月前にディオニュソスやタリズダンの使徒たちによる大規模破壊作戦と、その阻止作戦が行われたばかりだ。

 暗にタリズダンの使徒たち――怪人レヴィスをはじめとする『タリズダン・ファミリア』に対抗する為の戦力が必要であるとほのめかされ、ヘスティアも語気を弱めざるを得ない。

 が、そのような事情を知らないイシュタルの目に、フレイヤの介入は別の意味に映る。

 

「ふざけるな! 情けを掛ける気か、フレイヤ!」

「あら? 言葉通りのつもりなのだけれど・・・あなたがその気なら恩に着てくれてもいいわよ?」

「ぐ・・・ががががっが!」

 

 微笑むフレイヤに飛びかかろうとして、辛うじて自制するイシュタル。

 タケミカヅチやオグマその他の武神が何人もこの場にいる以上、感情にはやっても結果は火を見るより明らかだ。

 

「まあしょうがないな。それじゃあアポロン、イシュタル、カーリーは財産の半分を没収、脱退を望む団員には無条件でそれを認める、今後一切の私闘禁止、それを破ったら今度こそ財産全没収の上でファミリア解散、オラリオ永久追放・・・これでどうだい?」

「そうね・・・まあそんな所でいいでしょう」

「やれやれだ。賠償金の分配は後で話すとして・・・アポロン、イシュタル、カーリー。フレイヤに感謝しろよ?」

 

 先ほどからずっと額を地面にこすりつけていたアポロンががばっと顔を上げる。

 

「じゃ、じゃあこれで許してくれるのかい!?」

「・・・まあ君も踊らされたところはあるしね・・・今回だけは勘弁してやる」

「それじゃ私とベルきゅんの愛も許して貰えるんだね!?」

「寝言は寝て言えーっ!」

 

 瞬間的に再沸騰したヘスティアの足の裏が、アポロンの顔面にクリーンヒットした。

 情けない悲鳴を上げて頭を抱えるアポロンに、さらに容赦のないストンピングの嵐を見舞う。

 一方的な蹂躙劇は、見かねたヘファイストスが実力行使で止めに入るまで続いた。

 

 その一方で、別の理由でブチ切れそうになっている女神もいる。

 こともあろうに殺してやりたいほど憎んでいる女に情けを掛けられる形になったイシュタルだ。

 

「・・・・!」

 

 顔を上げてフレイヤと目が合った。

 僅かに微笑んだその目は全てを見透かしているようで。

 

「あら、不満なの、イシュタル?」

「・・・・・・・・・」

 

 優雅に首をかしげるフレイヤ。無言のまま睨み続けるイシュタル。

 

「あなたのファミリアの戦力は惜しいんだけど・・・どうしてもというならこの案を蹴ってもいいのよ?

 もちろん、その場合は最初のヘスティアの案通りにさせてもらうけど」

「っ!」

 

 愕然とするイシュタル。

 つまりフレイヤはこう言っているのだ。

 私の情けを受けて生き延びるか、それともそれをつっぱねて誇り高く死ぬか。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 長い沈黙があった。

 

「どうなの? 私としてはどちらでもいいんだけど」

「・・・・・・・・・る」

「あらなに? 聞こえないわ」

「受け入れる! 受け入れると言ったんだ!」

 

 血を吐くように叫ぶイシュタル。

 女神のプライドが折られた瞬間だった。

 

「フレイヤ様こえー」

「相当怒ってるな・・・」

「くわばらくわばら」

 

 外野のつぶやきにも、フレイヤは微笑むのみだ。



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19-37 だが戦いは続く

「じゃあこれで終わりか・・・やれやれ、やっとだな」

「いや、それは公平ではないな」

 

 どこか陰気な声がヘスティアの声を遮った。

 振り向いた紐神が目を丸くする。

 

「ソーマ!? どうしてここに?」

「私のファミリアが・・・戦争遊戯に出ているのだろう。確かめようと思って当然だ」

 

 整った顔立ちではあるが、どこか陰気な長髪の青年がいつの間にかそこに立っていた。

 

「おお、超レアもののソーマさんだ!」

「俺、神会(デナトゥス)の時もあいつの顔見たことないぜ・・・」

 

 野次馬がざわつく中、タケミカヅチがいぶかしげに口を開く。

 

「公平ではないとはどういう意味だ、ソーマ?」

「言葉の通りだ。私のファミリアは負けたのだろう? なら私も賠償なり何なりの罰を受けて当然だ。財産没収、脱退許可、私闘禁止・・・でよかったな?」

「ああうん、まあそうなんだけど」

 

 困ったような顔になるヘスティア。

 確かにその通りなのだが、今回の件は明らかに団長であるザニスの暴走であり、ソーマに直接の責任は(ザニスの壟断を許していたことは別として)ない。

 フレイヤの方を見るが、肩をすくめられただけだった。

 

「じゃあこうしよう。団員脱退と私闘禁止はそのまま。財産没収は勘弁してやるから、その代わり自分の派閥をちゃんと管理しろ。ザニスみたいな奴がもう出てこないようにな」

「わかった・・・」

 

 無反応に頷くソーマ。

 本当に大丈夫かこいつと少なくない神が思ったが、ザニスは即日更迭・監禁され、ソーマ・ファミリアの運営は少しずつ正常化していくことになる。

 

 

 

「そういえばソーマで思いだしたけど、当然ロキの所にもペナルティがあるんだよな! 何にしようかな!」

「ちょい待てぇ!? 何でウチまで?!」

 

 目を剥く貧乳女神に、ニマニマした表情を向けるロリ巨乳。ご丁寧に胸の大きさを見せつける腕組みポーズつきだ。

 

「だってさー、助っ人にもペナルティないといけないしさー。ロキだけ埒外ってのはよくないんじゃないかな!」

「じょ、冗談やないで!」

 

 余裕の笑顔で攻めるヘスティアに、冷や汗を流して抗議するロキ。

 珍しい光景に笑みを浮かべていたフレイヤが、ややあって助け船を出した。

 

「まあまあ、いいじゃないのヘスティア。ロキは巻き込まれただけだし、これでペナルティまでって言うのは気の毒よ」

「巻き込んだのはオノレやけどな・・・」

 

 ジト目で睨むロキにも、フレイヤの微笑は微動だにしない。

 一方でヘスティアは不満そうに唇を尖らせる。いつもいじられているので、反撃のチャンスは逃したくないのだろう。

 

「えー、でもなー。ソーマだってペナルティを受けたのに・・・」

「そうねえ。それなら【剣姫】でも移籍させてみる?」

「「 絶 対 に ノ ウ ! 」」

 

 綺麗にハモる巨乳と貧乳。

 それでこの件はおしまいになった。

 

 

 

 ともかく、これが神々同士の一つの決着であった。

 後日「移籍自由」の話を聞いたアルガナ達が大挙ロキ・ファミリアに移籍しようとして、カーリーが泣き落としまで使って引き留める羽目になったが・・・まあ些細なことだ。

 

 

 

 がやがやという話し声、そして瓦礫を踏みしめる音にベルは振り返った。

 イサミをはじめとするヘスティア・ファミリア連合軍にロキ、カーリー。全員一団になって瓦礫の山を登ってきていた。

 兄がこちらに気付いて手を振る。

 手を振り返すが、視線は無意識にある人物を探してしまう。

 

 白金の剣姫。

 こちらの視線に気付いて、にこっと微笑む。

 それだけでベルは真っ赤になった。

 更に不機嫌な顔になるルアン(リリ)に、軽くショックを受けた顔の春姫とカサンドラ。アイシャは「おやま」という顔。

 微妙な雰囲気になりかけたところでイサミ達が到着する。

 

「いやはやお見事。随分と勇戦したようだね。【勇者(ブレイバー)】の二つ名も形無しだ」

「称賛しよう、ベル・クラネル。ヘスティア・ファミリアに手を貸した我が女神の判断は間違っていなかった」

「え、あ、・・・ありがとうございます!」

 

 フィン・ディムナとオッタル。

 事実上オラリオのトップ2とも言える冒険者に掛け値無しの称賛を受け、ベルはそれだけを言うのが精一杯だった。

 

「あっはー! すごいよ【英雄譚(アルゴノゥト)】くん!」

「ふわっ!?」

 

 飛びついてきたティオナを皮切りに、シャーナ、レーテー、フェリスや椿たちにもみくちゃにされるベル。

 イサミやアイズがその様を微笑ましそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

 唐突に、その場にいた全員が顔色を変えた。

 高レベルの者ほど厳しい顔をしている。

 

「な、なんだ? 何だこれ!?」

 

 慌てふためくゲドに、誰も説明ができない。彼らにも何が起きたのかわかっていないのだ。

 ただ、何か恐ろしい存在を感じた。オッタルやフィン達ですらそれだけしか言えない。

 

「・・・・・・・・・・・!」

「アイズ、さん?」

 

 だがただ一人。

 アイズだけが明白な感情をむき出しにしていた。

 憎悪。殺意。そうしたものが瞳の中で燃えている。

 ベルの声も聞こえないかのように剣に手をかけ、ゆっくりと東の方を向く。

 

「!?」

 

 その瞬間、日がかげった。

 地平線から指一本ほど離れた太陽を、巨大な影が遮ったのだ。

 

「ちょっと待てよ・・・どんだけでかいんだ・・・あれ・・・!?」

 

 太陽と彼らを隔てる影。

 それは、翼を広げた巨大な黒き竜の姿をしていた。

 

『Gwoooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!』

 

 魂を消し飛ばすがごとき咆哮が天地を揺るがす。

 戦いはまだ、終わらない。

 



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第二十話「ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか」
20-01 DRAGON


 

 

 

 

 

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか?』

 

―― 『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』 ――

 

 

 

 

 

 ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか?

 深く暗い迷宮の奥底、膨大な金銀財宝の上にトグロを巻いて眠る竜。

 ふとその目が開き、闇を透かし見る。

 

 ほら穴の一つから現れたのは剣と盾を構え鎧に身を包んだ戦士、短剣とクロスボウを持った俊敏そうな盗賊、大斧を構えたドワーフ、ローブをまとった魔術師、弓を引き絞るエルフと言った面々。

 いずれの防具も傷だらけで、しかしその目に燃える闘志はいささかも傷ついてはいない。

 

 王国に仇なす邪竜を倒すため、決死の覚悟で竜の洞窟に潜ってきた勇者の一団。

 竜は咆哮を上げ、勇敢なる戦士たちは国を救うべく最強のモンスターに挑む。

 誰もが憧れる英雄譚のひとこまだ。

 

 ――ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか?

 

 結論。考えるまでもなく間違ってなどいない。

 何故なら、屋外で空からブレス攻撃されると大抵の冒険者は手も足も出なくなるからだ――!

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第二十話「ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか」

 

 

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 魂を消し飛ばすがごとき咆哮が天地を揺るがす。

 単なる比喩ではない。畏怖。実際に魂をわしづかみにされるような。

 リリ、ゲド、ダフネなど、低レベルの人間が意識を刈り取られてばたばたと倒れていく。リューやレフィーヤと言ったLv.4の冒険者でさえ顔を青くしてふらついていた。

 

 宙に羽ばたき、日の光を遮る巨大な黒い影。

 いや、黒いのは影になっているからではない。

 その全身は光すら吸い込むような漆黒の鱗でくまなく覆われている。

 角の生えたは虫類のような頭部。鋭い牙。四肢の爪。コウモリのような皮膜の翼。

 その左目に白銀の剣が柄まで埋まっていることまで見て取ったのは、知覚に絶大な強化を付与するイサミと視力に優れたハイ・エルフのリヴェリア。そしてもう一人。

 

「・・・・・・・・・・・うわっ!?」

 

 轟、と黒い炎が吹き上がった。

 呆然としていたシャーナが慌てて一歩下がる。

 アイズの全身から吹き上がる黒い炎。

 スキル〈復讐姫(アヴェンジャー)〉。怪物に対し攻撃力高強化。竜種に対し攻撃力超強化。憎悪の丈により効果向上。

 

「アイズ!?」

「どうしたんじゃアイズ・・・まさか!」

「そのまさかだ! フィン、ガレス、あれは・・・!」

 

 親代わりのフィン達の声もアイズの耳には届いていない。

 憎悪。それだけが彼女を塗りつぶしている。

 アイズが剣に手をかけた。

 憎悪の炎を、自らの風と融合させるべく、呪文を口ずさむ。

 

「"風・・・(テンペ・・・)"」

「アイズさん!」

 

 呪文が止まった。

 目の前にあったのは、心配そうなベルの顔。

 剣を抜こうとした手をベルが握って止めている。

 いつの間にか、黒い炎が消えていた。

 

「あ、あの・・・その・・・大丈夫ですか?」

「あ・・・うん・・・大丈夫・・・」

 

 言葉少なに会話を交わし、見つめ合う。

 アイズは元より言葉の多い方ではない。ベルも思わず体が動きはしたが、憧れの存在を目の前にしてそれ以上の言葉が出てこない。

 騒然とする戦場の中で生まれた、奇跡的な沈黙の一瞬。

 

「あーっ、近い! 近いですよ! それにいつまでアイズさんの手を握ってるんですか!」

「あっ! ご、ごめんなさい!」

「・・・・・」

 

 それを破ったのはエルフの少女だった。

 憤怒の表情で両方の間に割って入り、両手で無理矢理引きはがす。

 一瞬でゆでだこのようになったベルが両手を上げて飛び下がり、アイズは意表を突かれるとともに僅かに名残惜しそうな表情になる。

 それに気付いたレフィーヤが更に沸騰する・・・かと思われた所で再び黒竜が咆哮した。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 今度は倒れるものも怯むものもいない。

 しかし、今やその場の誰もが相手の正体を察知していた。

 

「隻眼の――黒竜――!」

 

 それは古のおとぎ話。

 千年を遥かに超える昔、ダンジョンから飛び出した大魔獣の一匹。

 残りの二匹、陸の王者(ベヒモス)海の覇王(リヴァイアサン)を打ち倒したゼウスとヘラの両ファミリアすら勝てなかった、世界最強の怪物。

 

 ばさり、と黒竜が翼を羽ばたかせた。

 一つだけ残った右目がぎょろりと動き、イサミ達を見た。

 いや、正確にはその内のただ一人、風をまとう少女を見た。

 そのことにアイズ本人と、イサミのみが気付く。

 

「っ!」

 

 ぞくり、とイサミの背に凄まじい悪寒が走る。

 表情の変化を見るに、恐らくフィンも、度合いは違えその他の一級冒険者たちもそれを感じている。

 

「『我願う! 我に時間を!』」

 

 イサミが再び切り札の"願い(ウィッシュ)"呪文を切る。

 《高速化》《二重化》"願い(ウィッシュ)"を《二重化》《"上級呪文融合(グレーター・アーケイン・フュージョン)"》呪文二つに、それを更に《二重化》《"素早さ(セレリティ)"呪文8つに変換するというややこしい過程を経て、イサミの一瞬が一分半ほどに引き延ばされる。

 

「『我願う! 我が同輩たちを安寧の地に運びたまえ!』」

 

 その一分ほどの間に更に連発される"願い(ウィッシュ)"。

 最初の呪文で100人弱のアマゾネス達が瓦礫の下から姿を消した。

 同様に瓦礫に埋もれたもの、打ち倒されたものたちが更なる呪文発動に応じて姿を消す。

 最後の発動で、残っていたイサミ達もその場から消える。

 次の瞬間、黒い閃光のような黒竜の吐息が、土台ごと城の残骸を消し飛ばした。



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20-02 ガネーシャ・ザ・フール

 

「あぁーーっっ!?」

 

 オラリオ、バベルの塔。

 神会(デナトゥス)の間にヘスティアと、その他何人もの神の絶叫が響いた。

 一瞬遅れて荒事に慣れたタケミカヅチが彼らを一喝する。

 

「落ち着け、ヘスティア! 少なくとも命は生きている! ならお前やヘファイストスの子も無事である見込みが高い!」

「そ、そうか、【恩恵】の繋がりがあったか・・・!」

 

 あの場に団員たちを送り込んでいた各ファミリアの主神たちが【恩恵】によって繋がっている団員たちの生死を確かめ、それぞれ安堵に胸をなで下ろす。

 ロキやフレイヤですらそれは例外ではなかった。表情に出すかどうかはまた別の話だ。

 

「お、連中バベル前の広場にいるぞ!」

「すげーな、全員運んできたのか!」

 

 たまたま【神の鏡】でオラリオを見ていた神の一人がイサミ達を発見する。

 思わず飛び出そうとしたヘスティアの足が、次の瞬間ぴたりと止まった。

 

「どうしたの、ヘスティア?」

「イサミくんが・・・改めて『アレ』の偵察に行ってくるって・・・」

 

 ぎぎぎぎぎ、とちょうつがいのきしみ音が聞こえてきそうな動きで振り返るヘスティア。

 

「はあっ!?」

 

 思わず叫ぶヘファイストス。

 周囲の神々も似たり寄ったりの表情だ。

 

「ああもうなんであの子はーっ! こっちからじゃ話しかけることも出来ないし! もっと便利な魔法とかないのかよ!」

 

 頭をかきむしって叫ぶ紐神だが、"メッセージ送信(センディング)"の呪文は短いメッセージを一往復やり取りするだけの呪文なのでどうしようもない。

 その一回も反射的に返信してしまったので、もう呪文の効力は切れていた。

 

「話は聞かせて貰った!」

 

 その時、良く通る声と共に神会(デナトゥス)の間の大扉が開いた。

 神々の注目がそこに集中する。視線の先に立つのは象の仮面を身につけた神、ガネーシャ。ギルド前の会場から走ってきたのだろうか、息が荒い。

 しばし、気息を整えるガネーシャの呼吸音だけがその場を支配した。

 沈黙したまま、視線だけを送る神々を代表してロキが口を開く。

 

「話は聞かせて貰ったゆーたな。自分、なんぞ考えでもあるんか?」

「いやいっぺん言ってみたかったのだ」

「帰れボケェッ!」

「ぐぉあっ?!」

 

 殺気全開のゴブレット(銅製)がまともに命中し、中身のワインをぶちまけて馬鹿神(ガネーシャ)が崩れ落ちる。

 場の何人かは伝説の大魔獣が現れた緊張すら忘れ、気が抜けて円卓に突っ伏していた。

 ロキでさえ頭痛をこらえるような表情で額を抑えている。

 

「はーっ・・・こんのクッソ忙しい時にドアホが。ええからオラリオの治安維持でもおのれの子供達にゆーてこいや。下手すりゃ暴動起きんで」

「ま、待てロキ。まだ言うことが・・・」

 

 馬鹿特有のタフさで起き上がってくる馬鹿に、トイレのシミを見るような視線を向けるロキ。

 

「おう頑丈やな自分。今度は瓶の方行っとくか? ん?」

 

 本当にワインの瓶を振りかぶり、投擲の体勢を取るロキ。ワインまみれになった仮面をぶんぶんと左右に振ってガネーシャが必死でアピールする。

 

「いや待て! 待つのだロキ! 考えがあるのは本当だ! 既にギルドにも話は行っている!」

「む」

 

 ああいつもの馬鹿か、と弛緩していた神々の視線が再びガネーシャに集中した。

 ロキが黙って続きを促す――ただし酒瓶は振りかぶったままで。

 

 

 

「と、言うわけだ。最悪でも時間は稼げると思うから、お前達はその間に善後策を協議するなり、子供らを避難させるなりしてほしい」

「・・・本気で言っとんのか、自分?」

 

 しかめっ面で聞き返すロキ。既に瓶は円卓の上に戻していた。

 

「そもそもアレは最初からそのために作られたものだ。まさかこの俺が、伊達や酔狂だけであんなものを作らせると思ったか?」

「「「「「「うん、思ってた」」」」」」

「・・・」

 

 その場の全員が一糸乱れぬ首肯を返す。

 さすがに怯んだガネーシャだが、気を取り直してヘスティアに向き直った。

 

「そう言うわけだ、出来ればお前の子ともつなぎを取っておきたい」

「それはわかるけど、こっちからじゃなあ・・・」

「何か無いのか、魔道具とか?」

「うーん・・・あっ!」

 

 ヘスティアの脳裏に半年、体感時間では一ヶ月ほど前の会話が甦る。

 

「そうだ、あれがあった!」

 

 

 

「ベルくん!」

「神様!?」

 

 いきなり冒険者たちが現れたと大騒ぎになっているバベル周辺の広場。報告に現れたフィンとオッタルから話を聞き、ほどなくヘスティアはベル達を探し当てていた。

 ヘスティア連合軍とロキ・ファミリアの残りの面々、アルガナ、バーチェもいる。

 イサミの仕業か戦争遊戯(ウォーゲーム)参加者には治療が施され、自力で動ける程度には回復している。黒の超戦士、ロビラーはまたしてもいつの間にか姿を消していた。

 

「ああ、無事で良かった!」

「神様・・・」

 

 近づくなり、感極まってベルに抱きつくヘスティア。

 元の姿に戻ったリリがむっとした顔になるが、さすがに今は何も言わない。

 

「そうだ、イサミ君に連絡が取りたいんだよ! あの魔法の石、持ってないかい? あ、それともサポーター君かな?」

「あ、はい、それならリリが持っています」

 

 腰のベルト(これも魔道具)から握り拳ほどの自然石を取り出すリリ。

 "送信の石"という名前の通りの魔道具だ。一度失われたが、作り直した。

 返事ももどかしく女神は石を受け取り、目をつぶって僅かに念じる。

 しばらくそのままでいたヘスティアが、ややあって目を開いて溜息をついた。

 

「どうでした?」

「何か魔道具・・・水晶玉だかなんだかで連絡を維持するってさ。そんなのがあるなら最初から使ってくれればいいのにね」

「・・・僕たちはこれからどうしましょう? 兄さんは神様が戻ってきたらホームに帰って逃げる準備をしておけって言ってましたけど・・・」

「うん、ボクの方にもそう言ってたよ」

「そうですか・・・」

 

 やはり兄さんでもアレには敵わないのか、と肩を落とすベルに、慌てたようにヘスティアのフォローが入る。

 

「な、なあに、そのための偵察だろ! 案外弱点見つけて帰ってくるかも知れないよ!」

「・・・そうですね」

 

 まだ不安を抱えているのは丸わかりだが、それでもどうにかベルが笑顔を浮かべる。ヘスティアやリリ、レーテー達がほっとしたように表情をゆるめた。




ちなみに連絡に使っているのはテレパシー付きの水晶玉(クリスタルボール)です。
好きな人間を映し出して、対象とテレパシーで会話できるという超便利通信アイテム。


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20-03 銀(しろがね)の城

「・・・」

「うわっ!?」

 

 シャーナがギョッとして飛び退いた。

 いつの間にかその後ろにアイズが立っている。

 

「えーと、アイズさん?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 恐る恐るベルが話しかけるが、アイズは困ったように視線をさまよわせる。

 コミュニケーションの経験に乏しい少女は何を言うべきか戸惑っているようだった。

 

「あのね・・・その・・・」

 

 我慢強く言葉を待つベル。

 

「その、ありがとう」

「え? 何がですか?」

 

 憧れの少女の端的な言葉にきょとんとするベル。

 

「ああ、あの城からこっちまで来たことですか? それなら兄さんに・・・」

「違う」

「?」

 

 アイズの否定に再び首をかしげる。

 

「あの時、私を止めてくれた」

「ええっと・・・ひょっとして、あの黒い炎の?」

 

 こくり、とアイズが頷いた。

 〈復讐姫(アヴェンジャー)〉。

 文字通り復讐に狂う者のみが発動させられるスキル。

 黒竜が現れたあの時、文字通り復讐の炎に飲み込まれていたアイズを救ったあの手。

 育ての親であるロキや三首領でさえ押さえ込むのに多大な努力を要したそれを、ただそっと触れるだけで押さえ込んでくれたこの少年。

 

(何故だろう? この子に触れていると、炎が鎮まる・・・鎮まっちゃ、いけないのに。私は仇を討たなくちゃいけないのに)

 

「あ、アイズさん・・・?」

 

 いつの間にか二人の顔が近づいていた。

 無意識にだろうか、アイズがベルの頬に手をそえて赤い瞳を覗き込んでいる。

 その赤い瞳に負けないくらい、今のベルの顔は真っ赤だった。

 神秘的な深みを湛える金色の瞳が更に視界の中で大きくなって――

 

「はいストーップっ!」

「ふぁっ!?」

 

 二人の間に無遠慮に割り込んで両手で無理矢理引きはがしたのはヘスティアだった。

 実のところリリや春姫もこの二人の距離感にやきもきしていたのであるが、何しろ相手はLv.6。都市屈指の冒険者であるからLv.1の彼女らでは割って入りようがない。

 

 が、神であるヘスティアに冒険者同士の序列など関係ない。強引に割って入り、力づくで両者の距離を離す。

 もちろんヘスティアごときの力で動かせるアイズではないが、金と白銀の少女は特に逆らうこともなくベルから離れた。

 とはいえ少年の頬に当てていた手がやや未練がましく宙をさまよっているところに、少女の自分でも気付いていない本心が現れている。

 

「それで、まだ何か用かい? ないなら早いところ自分のファミリアに戻るべきじゃないかな?」

「か、神様」

 

 しっし、と露骨に追い払いモードを発動させるヘスティアに、困り顔になるアイズ。

 ベルと話したいのは山々だが、紐神の言う事ももっともなので反論できない。

 ちなみにリリは主神と同じような表情、春姫は余り顔に出さないながらも困り顔。

 シャーナは呆れ、レーテーは気の毒そうな、フェリスは露骨にがっかりした表情を浮かべていた。何にがっかりしているかは微妙にわからない。

 そこであ、という表情を浮かべたのはベルだった。

 

「あの、アイズさん?」

「っ。うん、なに?」

「むっ」

 

 ちょっと顔が明るくなるアイズと、眉間に皺の寄るヘスティア。

 だが続くベルの言葉で、再びアイズの顔が曇った。

 

「その、あの黒い炎・・・なんだったんですか?」

「それ・・・は・・・」

 

 言葉にも力がない。ベルも何かまずいことに触れてしまったと気付いたところでシャーナが割って入った。

 

「そのへんにしとけ、ベル。よそ様のスキルだのに探りを入れるのはマナー違反だぜ」

 

 おまえだってそうだろう、と言外に匂わせるシャーナ。

 

「悪いな【剣姫】。こいつそのへんはあまりよくわかっていなくてよ」

「いえ・・・」

 

 曖昧に答えるアイズにベルが頭を下げた。

 

「す、すいません」

「ううん、いいの」

 

 そう言葉では言われたものの、アイズの沈んだ表情が奇妙にベルの心に刺さる。

 

「あの・・・」

 

 自分でもよくわからない思いを言葉にしようとして、そのベルの声はヘスティアの声に遮られた。

 

「みんな! イサミ君から連絡だ!」

 

 

 

 時間はやや遡る。

 ウィッシュの連続使用で辛くも黒竜の面前から脱出したあと、怪我人たちに死なない程度の応急処置を施してイサミはポーチから一本の呪文杖(スタッフ)を取り出した。

 どう見ても小さなウェストポーチには収まりきらない長い杖がスルスルと出てくる様子に、周囲の人間がぎょっとする。

 意匠からして魔術師呪文を込めたものではないだろうそれを一振りすると、馬車ほどもある一塊の雲が現れ、とんぼを切ってイサミはそれに飛び乗った。

 

 "乗雲の術(クラウド・チャリオット)"。西洋の魔術師(ウィザード)ではなく東洋の仙人や道士の術を扱う術者、巫仙(ウーイァン)たちの使う高位の移動術である。

 日本人には筋斗雲といった方が通りがいいだろう。

 

「兄さん?」

「神様が降りて来たら一緒にホームに戻って荷造りしておけ。何があるかわからん、暴動も起きるかも知れない。出来るだけ外には出ないようにな」

「おい、待てよ!?」

「イサミちゃん!」

 

 シュッ、と指二本を振ってシャーナやレーテーの言葉に応えると、イサミの姿はあっという間に空の彼方に消え去った。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 景色が流れていく。

 地上数百メートルの高さにありながら、それでもはっきりとわかるくらい周囲の景色が、そして朝日に照らされた雲が素晴らしい速度で後方に流れていく。

 "乗雲の術(クラウド・チャリオット)"。伝説の筋斗雲に範を取るだけあってその速度はD&D世界でも群を抜く。持続時間が10分と短いのが難ではあるが、その移動速度は時速960km、マッハ0.8。

 竜も、大気の精霊も、人を超え超人の域にある武闘僧(モンク)ですら到底追いつかぬ。

 瞬間移動以外では間違いなくD&D世界最速の移動手段だ。

 

(すっげぇ・・・!)

 

 その速度を自ら制御して空を駆けているのである。初めて使ったイサミ本人が驚くのも、こんな時にもかかわらず心が浮き立つのも無理からぬ事であった。

 

 

 

 数分、東南東に100km余り飛んだ所でイサミは雲を止め"上位透明化"呪文を発動した。

 こちらの視線に気付かれないよう、気付かれたとしてもオラリオの方角に注意が向かないようにと言う用心だ。

 

 南西に十数km、かつて古城があったところに巨大な黒い影がうずくまっていた。

 可能な限り気配を消し、仔細に観察する。野生の獣とて視線を感じて逃げ去るのだ、世界最強の魔獣ともなればそれに数百倍する勘の良さを持っていても不思議ではない。 

 

 イサミの鋭い視覚に映るそれは、こうして見れば最初の印象ほど巨大ではない。だが100mを越える巨体は、先ほどまでそこに存在した城と比べても全く見劣りしないだろう。

 

 黒い。

 黒く、禍々しく光る鱗が1mmの隙間もなく全身を(よろ)っている。

 例外は爪と角、今は折りたたまれている背中の翼の被膜、そして両目くらいだ。

 

(・・・それだけに、否応なしに目立つな)

 

 白銀の剣。左目に深々と突き刺さったそれが見えるのは柄だけ、それでもこの距離から見てもわかる業物。黒き竜が「隻眼の黒竜」の名で呼ばれるようになった理由。

 立ち上がれば優に100mを越える巨竜の目に、一体何者がこれを突き刺し、この世界最強の魔獣に一矢報いたのか。

 

(伝説通りなら白銀の剣士・・・大英雄アルバート、またの名を傭兵王ヴァルトシュテイン)

 

 【神の恩恵】の無い時代、精霊の助けがあったとは言え人の力のみであの魔獣に挑み、倒せぬまでも撃退したという伝説の英雄。

 彼らはどれほどの覚悟を固め、どれほどの研鑽を重ねてその偉業を成し遂げたのかとわずかに感傷にひたって、イサミは頭を振ってそれを振り払う。

 

 10kmほど距離を置いて周囲をゆっくり回るように観察を続ける。

 黒竜の周囲を概ね一周した後、イサミは意を決して再び"乗雲の術(クラウド・チャリオット)"と"上位透明化(スペリアー・インヴィジビリティ)"を発動し、慎重に接近を始めた。




 この話のアイズは「精霊の六円環」の時にベルの大鐘音を聞いていないので、まだ黒い風のままです。


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20-04 魔獣英雄伝アルバート

「魔力が低いぃ?」

 

 なんじゃそら、と言いたげな表情のロキ。他の神々の表情も大体そんなものであった。バベル、神会(デナトゥス)の間である。円卓はほぼ満席であった。ソーマの顔すらある。

 

「年中引きこもりのソーマさんまで出てくるとは、黒竜パねぇ」

「さすが"怪物(バケ)"神だぜ・・・」

「はいそこうるさい」

 

 神々(ばかども)の漫才を横目にイサミは言葉を継ぐ。実のところは単に戦争遊戯の後帰っていなかっただけだが、それでも普通ならさっさといなくなっていただろう事は疑いない。

 今ここにはギルドの人間も何人かおり、その中には書記を務めるエイナの姿もあった。

 

「まず大前提として、モンスターは食事もしますが基本的には魔石の魔力で動いています。これはいいですね?」

「まぁせやな。ダンジョンの外に出たら魔石もちゃちなって、能力も落ちるんやろ?」

「はい。野生化したゴブリンとかそうですね」

 

 そうしたゴブリンに囲まれてベルが死にかけたことがあったなあ、と頭の隅を雑念がよぎるが取りあえず無視。

 

「私は魔力を見る事のできる魔道具を持っていまして」

 

 例によって取りあえずそう言う事にしておく。

 何でこの世界は魔法が三つまでしかないのかと何度だって愚痴りたくなるがそれも無視。

 

「モンスターの魔石が持つ魔力もある程度までは見えるんですよ。

 黒竜の魔力は、それはもちろん下手な階層主より遥かに高いんですがあの体のサイズを考えれば明らかに低い。

 古城の残骸を一撃で吹っ飛ばしたあのブレスを考えても、明らかにあんな魔力じゃないはずなんです」

「つまり・・・魔石の魔力が枯渇しかかっていると言う事かしら? 寿命が切れかかった魔石灯や魔剣みたいに?」

 

 ヘファイストスの質問に頷く。

 

「いくら三大魔獣だからって、魔石の魔力が無限なわけはありません。使ったエネルギーはどこからか補充しないといけない。

 ダンジョンの中ならダンジョンそれ自体から栄養補給も出来るでしょう。

 ですがあんな図体の、しかもLv.6や7じゃ利かないような高純度の魔石のエネルギーを食事で補充しようとしたら、多分世界中の生き物を食らいつくしてもまだ足りない。

 これはガネーシャ・ファミリアのモンスターテイマーから聞いたんですが、大雑把に言ってLv.1のモンスターだと、同じ体重の家畜の2倍、Lv.2だと4倍のエサを食うそうです。

 これが倍々ゲームで増えていくとして、黒竜が仮にLv.10相当とすると同じ体重の生物の約1000倍のエサを必要とすることになります。Lv.11相当なら2000倍ですか」

 

 かつて黒竜に挑んだゼウス、ヘラ両ファミリアには、オッタルをも越えるLv.9とLv.8の英雄がいた。それを退けたとなると、Lv.10でも低い見積もりではある。

 

「物の本によると、体長2mの普通の虎を飼うときは一日のエサが肉8kgほどだったそうです。一方で体長20cmのねずみのエサは一日50gほど。体重比からすれば本来1000倍ほどは必要ですが、実際には160倍ほどで済んでるのは体表面面積の増加はサイズ比の自乗であるのに対し体重増加は三乗で、従って体温を保つための栄養が・・・」

「イサミ君、お願いだから結論だけ言ってくれ」

「あ、はい」

 

 頭痛をこらえるような顔で説明を遮ったのはヘスティア。

 もっとも、他の神々もほぼ全員似たような表情だ。

 

「まあともかく、かなり少なめに見積もっても黒竜が腹を満たすには最低一日8000t、牛ならざっと八千から一万頭を食う必要があります。一日ですよ? 最低でも千年あいつが世界中をうろついて一日八千頭の牛を食う・・・大陸に動くものが残ると思いますか」

 

 円卓に沈黙が落ちた。

 現代地球で陸上の生物の合計は三千億トン、海の生物でも八千億トンと言われている。

 しかしこの大半はプランクトンや虫と言った小型生物で、黒竜が食うような大型生物となれば重量比ではせいぜい0.1%程度だろう。

 食料になる大型動物が三億トン、黒竜が喰らう重量が年に推定300万トン。丁度百年で大陸から黒竜のエサは消える計算だ。

 もちろん百年の間にエサとなる動物も増えるが、大型生物は当然成長も遅い。どう見積もっても絶滅に200年はかからないはずだ。

 

「うーん、つまりやな・・・あいつは普段は熊みたいに冬眠しとって、たまに出てくるだけっちゅうことか?」

「概ねそんな感じかと。実際"陸の王者(ベヒモス)"を倒した時は、動かない陸の王者(ベヒモス)に先制を仕掛けたようですし。

 そもそもあんな怪物が頻繁にエサを獲っていれば世界中のあちこちで目撃証言が残ってるはずですが、これがほとんどない。少なくともアルバートに撃退されてからゼウス・ヘラ両ファミリアと戦うまでろくに活動してなかったと考えるのが自然かと」

 

 それに、とイサミは真顔になって言葉を付け足す。

 

「奴の片目もそうですが、仔細に観察してみたら、奴の鱗にはムラがあるんですよ。所々――線状だったり一定範囲だったりしますが――そこの鱗が明らかに生え方が違う。

 恐らくは大英雄アルバート、ゼウス・ヘラ両ファミリアと戦った傷痕じゃあないでしょうか。討ち果たせこそしませんでしたが、彼らは伝説の魔獣に確かに爪痕を残したんです」

 

 おお、と感嘆の声が漏れる。

 軽薄な神々も、この時ばかりは伝説の英雄たちに敬意を払っているかのようだった。

 それが収まった頃を見計らい、再びロキが声をかける。

 

「つまり傷を癒すためにぐーすか寝てたっちゅー可能性もあるゆうことか・・・しかし危ないことすんなあ、自分。いきなりブレスられたらどないすんねん」

「実際生きた心地がしませんでしたよ。寝ているようにも見えましたが、いつ顔を上げるかわかったものじゃない」

 

 今更ながらにその時の緊張が甦ったのか、ぶるりと身を震わせるイサミ。

 "上位透明化"呪文をかけはしたものの、竜には透明化を見破る生来の感覚がある。通常の竜なら"上位透明化"は見破れないのだが、伝説中の伝説である黒竜ならひょっとして・・・という恐れはどうしてもぬぐえなかった。

 安全の上にも安全を取って2km以上近づかないようにして観察を続けたものの、無事に離脱できたときの安堵は言葉に尽くしがたかった。

 

「なるほど! いやあ、よくやってくれたイサミ・クラネル! おまえの持ち帰った貴重な情報は必ずや我々の生存に大きく貢献するだろう! この功績は忘れないぞ!」

「恐縮です」

 

 神々との質疑応答の後、立ち上がったのが着飾った豚・・・もといギルド長のロイマン・マルディール。お褒めの言葉にイサミが如才なく一礼する。

 「ギルドの豚」と公然とあだ名されるような人格と肉体の持ち主だが、その手腕とオラリオへの献身は本物だ。しいて覚えを悪くすることもない。

 ロイマンのお褒めの言葉はそれで終わり、代わってギルドのモンスターや迷宮の情報を管理する部門の実務担当者が立ち上がる。

 

「それではよろしいでしょうか、ギルドの方からも二、三質問が・・・」

 

 

 

 日は既に高くあった。臨時神会(デナトゥス)兼対策会議が終わり、イサミはようやく解放され、ヘスティア共々家路についている。

 はずなのだが・・・何故か今、ヘスティアの姿がガネーシャ・ファミリア根拠地の前にあった。常に連絡を取りたいというヘスティアの意向で、ヘスティアの頭の横にはイサミの映る【神の鏡】が浮いている。

 鏡の中のイサミは何やら作業をしているようで、ちょくちょく視点が動いていた。

 

「おら、荷馬車通るぞ! 道あけろー!」

「カルッタ商会が来たぞ! 担当誰だ!」

「モンスターが逃げないよう、檻や建物の鍵は二重三重にチェックしろ! この状況でしくじりをしやがったら大惨事だぞ!」

 

 ずんぐりむっくりした象頭の巨人像、「アイアム・ガネーシャ」の周囲は控えめに言っても修羅場であった。

 人員や荷馬車、派閥団員のみならず出入りの商会らしき人員までが大量に出入りし、祭りの準備でも始めているのかと思う程だ。

 

「はー、本当にやる気なんだねえ・・・」

『正直本当にできるのかどうかはわかりませんけど、本気でやろうとしてるのはわかりますね』

 

 ここまでの道中でガネーシャのプランを聞き、呆れ半分感心半分で修羅場の様子を眺めるイサミ。

 この状況にもかかわらず、どこか嬉しそうと言うか楽しそうにも見える。

 

『ですが本当にできるなら是非とも見てみたいですね。ロマンですよロマン!』

「ああ、忘れてたよ。君もあいつと同類の馬鹿だったってことをね」

 

 割と冷たい視線で己の眷族を見上げる紐神。

 イサミは肩をすくめてそれを受け流す。

 

「まったく、君といいガネーシャと言い、どこまで本気なんだか・・・」

「愚問だな、ヘスティア! 俺は常に本気! 本気と書いてマジ! マジ神! 何故なら、俺がガネーシャだからだ!」

「うわ出たよ」

 

 どこからともなく現れて、くるりと綺麗な回転からのポーズを決める象仮面の半裸男。

 どう見ても不審者だが、彼こそがオラリオ最大派閥主神、ガネーシャであった。

 

「なんでこんな所にいるんだい、君は」

「うむ、あなたがいると邪魔になるのでその辺でぶらぶらしててくださいと追い出された!」

「だよねえ・・・」

 

 鏡の中のイサミがちらりと脇に目をやると、護衛らしきガネーシャ・ファミリア団員が疲れたような表情で眉間をもみほぐしているのが見えた。

 軽い同情のまなざしを投げかけて、視線を馬鹿(ガネーシャ)のほうに戻す。

 ふと、記憶の底から情景が脳裏に浮かび上がる。

 少し真剣な顔になってイサミはガネーシャに向き直った。

 

『少しよろしいでしょうか、神ガネーシャ?』

「もちろんだ、イサミ・クラネル! 戦争遊戯といい、黒竜が現れた時に全員を救い出した手並みといい、大したものだったぞ! よくやった! ガネーシャ感動した!」

『ありがとうございます』

 

 またしてもインド舞踊のような奇妙なポーズでくるりと、無駄に綺麗に回転するガネーシャ。イサミはそれに呆れることもなく、まんざらでもない顔で神の称賛を受け取る。

 

「で、なんだ。あれのことか? 話はヘスティアから聞いたのだろう?」

『ええ。以前お伺いしたとき、御身の部屋の柱や梁に【神の恩恵】のそれに似た紋様が走っていたのを思い出しまして。もしやとは思いますが・・・』

「おお、そこに気付くか! ガネーシャびっくり! うむ正解である! 俺の大雑把なアイデアを、ヴィシュヴァカルマンとゴブニュが形にしてくれたのだ!」

『ではやはりあれを使って・・・』

「うむ! 正直ぶっつけ本番でうまく行くかどうかわからないが、それもまたロマン!」

『テストもせずに動かそうなんて頭おかしいと、もの作りをなりわいにするものとしては言わざるを得ませんが、そこにロマンがあるのもまた否定できませんな』

 

 大まじめな顔で深く頷き合う馬鹿二人。

 それに冷や水を浴びせたのは、意外なほどに厳しいヘスティアの声だった。

 

「違うだろう? テストをしないんじゃない・・・『できなかった』んだ。危険すぎるからね」

「・・・」

 

 会話の間もくるくる回っていた妙なポーズをやめ、真剣な顔でガネーシャがヘスティアに向き直る。

 イサミも、僅かに驚いた表情で己の主神に向き直った。

 

『そうなんですか?』

「ああ。前にボクたちが神の力を使わない本当の理由は話したと思うけど、天界に置いた『安全装置』の基準はかなり厳しめに設定してある。大した力もないこの分体(アスペクト)を蘇生させるだけで上限を超えてしまうほどにね。

 ガネーシャ、正直君のアイデアは凄いと思うよ。でも実用に足るかどうかは別問題だ。この問題に関してだけは試行錯誤が出来ない。試してしくじったら、君はいなくなってしまうからだ」

『・・・・・・・!』

「・・・」

 

 イサミが目を見張る。ガネーシャは無言、不動のまま。

 

『どうしてそこまでして・・・』

「わからぬか、イサミ・クラネル」

 

 頷くイサミ。

 ガネーシャが笑みを浮かべて腕を組む。

 

「何故なら俺はガネーシャだからだ。

 衆生の主、子らを守るもの。世界を守り、ひいては数多の多重次元世界を守る番人だからだ。

 だから俺はここにいるし、こうして子らとオラリオを守るために奔走している。

 お前もそうではないのか、イサミ・クラネル?」

『・・・・・はい!』

 

 晴れ晴れとした笑顔でイサミが頷いた。

 白い歯を光らせて親指を立てるガネーシャに、同じく歯を光らせて親指を立てて返す。

 虚を突かれて呆然としていたヘスティアの顔に、ゆっくりと苦笑が広がった。

 

「なんて言うか・・・君はやっぱりガネーシャだね」

「そうとも! 俺がガネーシャだ!」

 

 苦笑しながらも感心するヘスティアに、ガネーシャは最高のドヤ顔で応えた。




 「Lv.2のモンスターならエサ二倍」は当然オリジナル設定です。
 エサの量に関しては「大きな動物ほど、体重比でエサの量は減る」というのは事実です。動物は最低でも体表面から逃げる体温を補うだけのカロリーを摂取しないと死にますが、作中で述べたように体が大きい生き物ほど体表面(サイズ比二乗)と体重(サイズ比三乗)の差は開いていきますので。
 黒竜の一日八千頭は「黒竜の体躯は虎の50倍」「ネズミとの比で考えると、サイズ10倍ならエサは160倍(立方根だと5.4倍)なのでサイズ比10倍ごとに5.4倍、(5*0.54/√2)(10*0.54)の三乗で黒竜の必要とする食料は虎の1000倍、一日8000kg、魔石があるからその千倍で8000トン。大人の牛が一匹1100~700kgほどなのでまあ大雑把に八千から一万頭と。



イサミが黒竜から安全距離として2kmを取ったのはD&Dで最強のドラゴン(竜神)であるバハムートとティアマトの「非視覚感知」範囲が大体500m(1600フィート)で、それを参考にしたからです。


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20-05 この都市の明日のためのスクランブル

前回も述べましたが、この作品のアイアム・ガネーシャはガネーシャ本神ではなく地球のビジュアルに近いずんぐりむっくりの象人デザインです。


「ガネーシャ様!」

 

 ホームの中から、ガネーシャの団員がかなりの速度で駆けてきた。

 それを見やったガネーシャが静かに問う。

 

「動いたか」

「はい」

 

 息を切らせながらも、その団員ははっきりと答えた。

 頷いたガネーシャが声を張り上げる。

 

「皆のもの! 準備はここまでだ! 起動するぞ!」

「「「「!」」」」

 

 その場にいたガネーシャ・ファミリア全員の顔色が変わる。

 多くの者は荷物を放り出し、ホームの中へ。

 商会の人間を誘導して退去させたり、急いで最終チェックらしき事を始める者もあった。

 

『くそ、思ったより早かったな。神様もそろそろ・・・』

「うん、そうだね。それじゃガネーシャ、頑張れよ!」

「おう、俺がガネーシャだ!」

 

 どん、と胸を叩いて笑みを浮かべる象仮面神。

 良くも悪くもいつも通りの姿に、ヘスティアが苦笑を浮かべた。

 

「なんだろうね、いつものことだけど今日は・・・」

「なんだ、ヘスティア?」

「いや、何でもないよ。がんばってくれ」

 

 ヘスティアが苦笑して身を翻す。

 少しの間その背を見やりつつ、ガネーシャはうむと頷いてホームの中に姿を消した。

 

 

 

 神会(デナトゥス)の間。

 (そこにたむろする連中のことを考えなければ)神殿のごとき荘厳さをかもしだすこの大広間も、今日ばかりは神ならざる人間でごった返していた。

 円卓に座す神々はいつも通りだが、その周囲ではギルドの職員が忙しく走り回っている。

 一角には臨時に机も運び込まれ、ギルド長のノイマン他の幹部職員や、書類をめくる平職員たちも席に着いていた。

 

「知るか! 他はともかくウラノス様がお認めになったのだ、許可するしかあるまい!」

 

 まったく、まさかロキとフレイヤまで賛成するとは・・・と、苦虫を十匹位は噛みつぶしたような表情の豚もといロイマン。

 

「ああ待て! それだと第七区画に回す食料が足らん! 第六区画の倉庫に余剰があったはずだから、あらかじめそっちから回しておけ!」

『はい!』

 

 命令を受けた職員が【鏡】のなかでばたばたと駆けだしていく。

 

「失礼、そう言うわけだ、オラリオ行きの荷馬車や旅人にはそのむね事情を伝えて足止めをして欲しい。今のオラリオに来られたら命の保証は出来ない」

『わ、わかりました』

「ついては・・・」

 

 そしてオラリオ近辺の街の首長や領主たちとの会談に戻る。

 先ほどからずっとこのような調子であった。

 

(何だかんだで有能ではあるのよねえ・・・それにしてもイサミ君たち、大丈夫かしら・・・?)

 

 それを横目で眺めつつ、自らもてきぱきと書類をさばいていく眼鏡妖精エイナ。

 彼女もまた有能この上ない事務員である。

 書類をめくる手は止めないまま、眼鏡の奥の瞳をちらりと宙に向ける。

 

 そこに無数に浮かぶのは【神の鏡】。

 黒竜を映すものもあれば、オラリオ各所を映すもの、オラリオに来る途中であろうキャラバン(その大半は方向転換を始めている)を映したものもある。鏡に映った人物と会話しているギルド職員もいた。

 

(一体何をどうすればこんな発想にたどり着くのかしら・・・あのおかしな魔法のせい?)

 

 【神の鏡】同時発動による連絡ネットワーク及び監視体制の構築。

 これ「も」イサミの発案によるものであった。

 

 【神の鏡】は神一柱につき一枚しか発動できないかというとそうではない。

 戦争遊戯の時にはオラリオ中の酒場や広場に無数の鏡が生み出されている。

 

 同様に自分の目の届く所にしか発動させられないわけでもない。

 理由は上と同じだ。

 

 そして【神の鏡】は音声も届ける。

 音楽会を楽しみたいのに音が聞こえないでは本末転倒だから当然だ。

 

 つまり【神の鏡】は映す場所も出現させる場所も任意であり、出現させる枚数にも制限がない。音声を伝えることもでき、しかも効果範囲は全世界に及ぶ。

 一応限界はあるらしいが、黒竜やオラリオ周辺を監視すると同時にオラリオ各所との双方向の通信ネットワークを構築するには十分なスペックであった。

 ロイマンもこの【神の鏡】ネットワークを用いてギルド本部、およびオラリオ各区画の支部から報告を受け、また指示を飛ばしていたのである。

 

「いやー、まさか俺達の力をこんな風に利用するとは」

「下界の発想パねえ」

「待てよ、これを利用すれば凄い商売の種になるんじゃね?」

「タケミカヅチさんみたいな貧乏神も食いっぱぐれなくて済むなあ、ひひっ」

「余計なお世話だ!」

 

 神達のからかいに本気で怒るタケミカヅチ。

 まあ大して消耗がないとは言え【神の力(アルカナム)】には違いないので、実際に商売に使おうとしたらウラノスあたりから待ったがかかるであろう。

 ちなみに【神の鏡】当番は交代制だが、まだ多くの神々はこの場に残っている。

 オラリオの危機を見過ごせないのかも知れないし、単に物見高いのかも知れない。

 

「しかしまさかまさか黒竜が出てくるとはなあ」

「戦争遊戯にワクテカしてたら凄いエキシビジョンマッチキタコレ」

「でもよー、あれが相手だと俺らもまとめて吹っ飛ばされかねないぜ?」

「いやー、それだけの価値はあるでしょ。後千年地上にいたって、これ以上のビッグイベントは多分ないっしょ」

「今マグニさんがいいこと言った!」

 

 職員たちの冷たい視線をよそに、やんややんやと盛上がる神々(ばかども)

 ・・・まあ、まじめな神々もいる筈である。たぶん。

 

 

 

「なにかしら、妙に不愉快ね。誰かに酒の肴にされてるみたいな気分」

「日頃の行いが悪いからじゃないか?」

 

 ひっひっひ、とまるで神々のように軽薄に笑うロビラー。

 それをじろりと睨んだ後、グラシアは溜息をついた。

 

 どこかの暗い場所。

 常人ではろくにものも見えないほどの暗さだが、この場に闇を見通せない者はいない。

 

「よせよせ、溜息をつくと幸せが逃げるって言うぜ」

「誰のせいだと思っているのかしらね」

「俺のせいじゃないことは確かだなあ」

 

 素知らぬ顔ですっとぼけるロビラーを再び睨む。

 

「あなたが余計な介入をしなければ、オラリオの主力冒険者が食い合って弱ったところを一網打尽に出来たのよ?

 何も考えずにフラフラうろつき回るのはいい加減にして欲しいわね」

「けどよ、それだとお前さんのお気に入りの小僧も一緒に吹っ飛んでたんじゃねえか? ここはむしろ俺に感謝するところだろう」

「・・・そうなったらそうなったときの事よ」

「まあおまえさんがそれでいいならこっちも言わんがね。どのみちあの虎縞の兄貴がどうにかしてたと思うぜ」

 

 不機嫌な顔のグラシアにロビラーが肩をすくめる。

 

「けど、実際なんでこのタイミングで仕掛けた? あのどでかいドラゴンをもう少し回復させてからでも良かったんじゃあねえのか」

「タリズダンの従者どもの意向よ。寝ぼけた神様はよほどあの都市(ふた)がお気に召さないらしいわね」

「あー」

 

 合点がいった、というように頷くロビラー。

 何度か顔を合わせたあの赤毛の女は、ロビラーの語彙では邪神の狂信者としか表現しようのない女だった。

 それに忠実な従者のように付き従うあの白髑髏の男は少し違うようだが。

 

「しかしまああれだね。タリズダン・ファミリアで思いだしたが・・・」

「何よ?」

「あの髑髏かぶった蛸男いるだろ」

「ええ。あれがなにか?」

「ありゃ間違いなく赤毛の女に惚れてるね。賭けてもいい」

「はあ?」

 

 いきなり何を言い出すのだ、という顔のグラシア。まあこの状況で他人の色恋沙汰を聞かされても困る。

 

「最初に会った頃は神のことばっかり言ってたが、ここんとこめっきり口数が少なくなってなあ。そのくせかいがいしく働いて赤毛のフォローをしてるんだから、こりゃもう惚れてるとしか思えねえだろ」

「ばかばかしいわね。そんな惚れてるならさっさとくっつけばいいじゃないの」

「普通の女ならそれでいいだろうがね。あの赤毛は正真正銘のカルティストで神以外愛していない。となりゃあ男としては尽くす以外に出来ることはない訳だ」

「悲しいものね。とはいえ神しか愛していないというのは少し違うと思うけど」

「ほう?」

 

 頬杖をついてくっちゃべっていたロビラーが、興味を引かれたように片眉を上げた。

 

「確かに前はそんな感じだったんだけど、ここ一年位でちょっと変わってきてる気がするのよね。何と言うか・・・美しくなったわ」

「おまえさんが美しいと言うんだから、内面の話だよな」

 

 ロビラーの確認に微笑んで頷くグラシア。

 

「前はまるでメフィストフェレスの見苦しい自動機械(ヘルファイアー・エンジン)だったけど、少し変わったわ。完全人造(ゴーレム)が何と言ったかしら・・・そうそう、意志持つ人造生物(ウォーフォージド)に変わったくらいにはね」

「ふーむ」

 

 ロビラーには全くそうとは思えなかったが、目の前のデヴィルは人の心を惑わす専門家だ。ついでに言えば女でもある。強いて反論をしようとは思わなかった。

 

「しかしそうかぁ。そうなるとあの蛸野郎の恋はやっぱり実らないわけだな。人間になるならともかく戦造人間(ウォーフォージド)レベルじゃな」

「実るか実らないかは関係ないでしょう。尽くして満足できるならそれでもいいんじゃなくて」

「そりゃまあそうだがね」

 

 肩をすくめるロビラーに、艶然とグラシアは微笑む。

 

「覚えておきなさい、おひげの坊や。恋の醍醐味はね――片思いにこそあるのよ」



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20-06 こちらオラリオの何でも屋

予想はついてるでしょうが今回からしばらく作者の性癖全開になります。
「こんなのダンまちじゃねえよ!」って方はブラウザをそっ閉じしてください。


 ガネーシャ・ファミリアホーム「アイアム・ガネーシャ」最上階、神の居室。

 居間の奥、普段は使われない奇妙な玉座にガネーシャが座していた。

 床と壁に固定され、着席者を固定する革のベルトに加えて伝声管や肘掛けのレバー、ボタンなど様々な物が取り付けられている。

 この世界の人間なら拷問椅子に見えたかもしれないし、イサミが見たらコックピットシートのように見えたかも知れない。

 左右にも席がしつらえられており、万が一のときに主神を守るべく二人のLv.5冒険者が座っていた。

 

 差し渡し6,7mほどの部屋の中は、狭くはないがそこまで広くもない。大きめとは言え人型像の頭部にある都合上、そこまでスペースを確保できないためだ。

 正面の壁は鏡のように変化し、巨像の額の紋様から送られてくる映像を映し出すモニターとなっていた。

 部屋の中には正面の視界をなるべく遮らないように十を越える【神の鏡】が浮かんでおり、像の側面や後方、神会(デナトゥス)の間、そしてオラリオに向けゆっくりと(と言っても時速百km以上は出ているだろう)飛行する黒竜の姿が複数映し出されていた。

 

『おお、神ガネーシャ! 準備は整ったのですか!? 見ての通り黒竜が・・・!』

「わかっている」

 

 鏡の一つの中で、脂汗をダラダラ流したギルド長ロイマンが必死にもみ手をする。見かけによらず肝は座っている男だが、それでも伝説の大魔獣が近づいて来ているのを前に平静ではいられないらしい。

 それに短く頷き、視線を横の【鏡】に移す。

 そこに映っていたのはギルドの主神ウラノス。その厳しい表情は常に似て巌の如く、僅かたりともゆらぎはない。

 

『頼む、ガネーシャ』

「わかっている、ウラノス。後のことは頼むぞ」

『オラリオにはお前とお前の派閥が必要だ。命を無駄に捨ててはくれるな』

「無論だ! 俺は最後の最後まで諦めたりはしない。何故なら・・・俺がガネーシャだからだ!」

 

 ガネーシャの言葉に失笑することもなく、ウラノスは重々しく頷いた。

 その間にも【鏡】の中の黒竜は恐ろしい速度でオラリオに近づいている。

 最後にそれに一瞥をくれると、ガネーシャは頭部脇の伝声管を掴んでスイッチを入れ、ホームの中で待機している全ての団員たちに声を届ける。

 

「わが子らよ! ついにその時が来た! 敵は隻眼の黒竜! 白銀の剣士アルバートとその仲間たちを打ち倒し、ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアを壊滅させた伝説の魔獣だ!

 だが俺達は負けん! 負けるわけにはいかん! 何故なら俺達の後ろにはオラリオ五十万の人々がいるからだ! 世界全ての人々の未来があるからだ!

 だから子らよ、俺に力を貸してくれ! オラリオのために! 世界のために!」

「「「「「オオオオオオーッ!」」」」」

 

 怒号が巨像を揺らした。「アイアム・ガネーシャ」にすし詰めにされた、一千人を超える団員たちの咆哮だ。

 普段はクールな男装の麗人、ガネーシャ・ファミリア団長シャクティ・ヴァルマでさえも拳を突き上げ、吼えている。

 黒竜に対する恐れ、オラリオ存亡の危機、そしてそれらを吹き飛ばすほどの主神に対する信頼と使命感。

 今自分たちはまぎれもなく正しい場所にいるのだという確信がその闘志を赤々と燃やしている。

 

「お前達の意志に感謝する、わが子らよ! では行くぞ! 【アイアム・ガネーシャ】起動!

 起動コード"俺がガネーシャだ!(アイ・アム・ガネーシャ!)"」

 

 ぎんっ。

 巨像の目が赤く光った。

 それと共にガネーシャの座る玉座も赤く光った。まるで神のナイフに刻まれた【恩恵】が光るように。

 そこを起点としてガネーシャの部屋の、そしてホームの廊下や部屋の壁や床、天井の梁にびっしりと刻まれていた紋様を赤い光が伝わっていく。

 象頭の巨像が今度は目の錯覚ではなく、小刻みに揺れ始める。

 

「な、何だ!?」

「ガネーシャ様のホームが!」

 

 驚く通行人や周囲の住人の耳に、場違いなほど涼やかな声が響く。

 

"ご通行中の皆様、毎度お騒がせして申し訳ございません。ただいまよりアイアム・ガネーシャ、変形(トランスフォーム)いたします。危険ですから敷地の外までお下がりください。繰り返します・・・"

 

 

 

「うおおおおおお!?」

「ぬわあああーっ!」

 

 通行人たちが驚いているのと同様、いやそれ以上に中のガネーシャ・ファミリア団員たちも大騒ぎだった。

 待機していた部屋が揺れ、時には斜めになり、また元に戻る。「アイアム・ガネーシャ」内にある部屋が組み変わり、新たな形をなしていく。

 巨像が「立ち上がる」。

 

 三十秒ほどで変形は終わり、そこには今や巨大な立像となった「アイアム・ガネーシャ」があった。

 いや、ただの立像ではない。

 一歩足を踏み出し、歩いた。そしてもう一歩。その動きによどみはない。

 

「よし!」

 

 頭部でガネーシャが拳を握る。

 

「身長57m! 体重5500t! 巨体が唸って空を飛ぶ!」

「「飛ぶんですか?!」」

 

 ガネーシャの左右に控えていた二人が同時に叫んだ。

 

「飛ぶ! 行け、移動神像G(ジャイアント)・ガネーシャ!」

『了解! G(ジャイアント)・ガネーシャ、飛行します!』

 

 【鏡】の中、ガネーシャと同じような玉座に座るシャクティが答えた。

 シャクティが念じるとともに、G(ジャイアント)・ガネーシャが腰を沈め、全身、特に脚部を赤い光が覆う。

 次の瞬間巨像は跳躍し、白い雲の環と赤い光の残像を残して空の彼方に消えた。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 イサミが吼えていた。

 オラリオ外周を飛行していた彼は、「アイアム・ガネーシャ」、いやG(ジャイアント)・ガネーシャが立ち上がり、飛行するところをつぶさに目撃していたのだ。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 両手の拳を高々と掲げ、吼える。

 この衝撃と感動と畏怖と憧れと、様々なものが相まった感情を腹の底から吐き出す。

 ひょっとしたら涙すら浮かべていたかも知れない。

 

「ちくしょう、俺がやりたかった! 俺が作りたかった!」

 

 悔しさを顔に浮かべながらも、それを遥かに上回る喜びを浮かべる。

 イサミはこの世界では掛け値無しに最高の大魔術師だ。だがそれでも届かない、及ばない分野がある。憧れをいまだ形に出来ない領域がある。それ故の喜び、それ故の悔しさ。

 だからイサミは拳を掲げる。叫ぶ。

 名状しがたい思いのありったけを吐き出すように。

 

 やがてイサミは咆哮を止め、地平線の彼方を見る。

 黒竜との戦いを始めた巨像を。

 再び厳しい表情を取り戻し、イサミは飛び始める。

 彼にしかできない、彼のつとめを果たすために




座高が30mを越すくらいなら、身長が57mでも全くおかしくないと思います(真顔)


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20-07 紅の流星機

 黒竜は命令に従い、小さなものたちの作り上げた石積みの山を目指して飛び続けていた。

 ゆっくりとしか飛べない自分の体がもどかしい。

 かつては天の高みに舞い、空気の壁を切り裂いて飛ぶことすら出来たのに。

 

 体が重い。

 少し動かしただけでも息切れを感じる。

 小さなものたちにえぐられた体がまだ回復しきっていない。

 

 憎悪がたぎる。

 傷痕が痛むたびに燃えさかる憎しみに更に燃料がくべられる。

 小さなものたちを殺す事に躊躇もためらいもなかったが、傷が癒えていない状態でそれを強要されたことには怒りがあった。

 

 小さなものたちを殺し、喰らい、そやつらの積み上げた石積みを粉々に吹っ飛ばせば多少気分は晴れるだろうか。

 その様な事を考えていた黒竜が、ふと空を見上げた。

 

 

 

「黒竜視認! 現在の軌道だと奴の後方数百メートルを通過します!」

『方向を調整せよ! このまま奴にぶち当ててやれ!』

「はっ!」

 

 G(ジャイアント)・ガネーシャ胸部。

 【心臓の間】と名付けられた奇妙な部屋に軌道を計算していた団員の声が響き、続いて頭部からの主神の指示が届く。

 頭部同様正面の壁は映像を映すモニタになっており、左右に数枚の【神の鏡】が展開していた。

 玉座に座るシャクティが答えを返すのと同時、再びガネーシャが吼える。

 

『神力噴射全開! 総員気合いを入れるのだ!』

『『『『『おうっ!』』』』

 

 ガネーシャの号令に、再びガネーシャ・ファミリア総員が答える。

 彼らもまた、各所の部屋に体を革のベルトで固定して、これから起こる衝撃に備えていた。

 

『叫べ! ジャイアント!』

『『『『ジャイアント!』』』』

 

『イナズマ!』

『『『『イナズマ!』』』』

 

『『『『『『キィィィィーーーーーーーークッ!ッ!』』』』』

 

 赤いオーラをまとって落ちてきた人型の流星を黒竜は見る。

 完全にかわしきることは、できなかった。

 

 

 

 黒い影をかすめて赤い流星が大地に落ちた。

 一瞬遅れて巨大な土ぼこりが巻き上がり、衝撃波が大地を走る。

 

「お?」

「うん?」

 

 大地を伝播した衝撃波はオラリオをも軽く揺らした。

 神会(デナトゥス)の間の神々やギルド職員に緊張が走る。

 祭りの余韻を引きずる市民たちも空を仰ぎ、首をかしげた。

 

 幸か不幸か、戦争遊戯のために展開されていた【神の鏡】は決着と同時に消されており、彼らはわずか数十km先に伝説の大魔竜が存在するとは知らない。

 それがパニックを押さえ込んでいるのが救いだった。

 

 

 

 G(ジャイアント)・ガネーシャが落ちて出来た巨大なクレーター。

 巻き上がった土ぼこりの中からずしん、と音がした。

 ずしん、ずしんと地響きを立てて現れたのは象頭の巨神。

 大理石で出来ているはずのその巨体にはいささかの傷もひびわれもない。

 その体の表面を無数の細い紋様の帯が覆い、赤い光を放っている。

 

 その光の正体はガネーシャの【神の力(アルカナム)】。

 通常地上世界ではあり得ない量の【神の力(アルカナム)】がその体を動かし保護し、更に中の団員たちをも衝撃から守っている。

 だがそれほどの力を行使していながら、ガネーシャは天界に送還されていない。

 その秘密がG(ジャイアント)・ガネーシャに乗り込むガネーシャ・ファミリアの団員たち、そしてガネーシャ本人が【神の恩恵】を刻んだ石材や木材だった。

 

 物体に【恩恵】を刻めば、その物体はベルの【ヘスティア・ナイフ】と同じく【恩恵】の力を得る。だがそれだけではただの物体であることに変わりはない。そこでガネーシャは考えた。

 

「団員たちの【恩恵】も【神の力(アルカナム)】には変わりない。ならば団員たちの【恩恵】の力を集めれば、地上でも限定的に【神の力(アルカナム)】が振るえるのでは!?」

 

 ガネーシャのアイデアにもかかわらず、この考えは正鵠を得ていた。

 ガネーシャと団員一人一人の【恩恵】が【恩恵】を刻んだ石像のラインで繋がる。

 【恩恵】の力は巨像の全身にくまなく行き渡り、その体を動かす。

 ガネーシャは指揮官兼【神の鏡】によるセンサー兼【神の力(アルカナム)】制御装置。シャクティはパイロット。そしてガネーシャ・ファミリアの全団員が動力源。

 

 言ってみれば千人のベルが千本の【ヘスティア・ナイフ】を振るうようなもの。

 一本一本はモンスターを切り裂く程度の力だが、それを千本束ねればどうなるか。

 それが、G(ジャイアント)・ガネーシャだった。

 

 

 

 土ぼこりから姿を現したG(ジャイアント)・ガネーシャが悠然と歩みを進める。

 その先には同じ位の大きさの黒い塊。

 G(ジャイアント)・ガネーシャが作ったものほどではないが、クレーターの中からそれが身を起こす。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 咆哮が再び天地を揺るがす。

 隻眼の黒竜だった。

 ただしその体には新しい傷が出来ており、更に右側の翼が根元からぽっきりと折れている。G(ジャイアント)・ガネーシャとの接触によって破損したのだ。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 憎悪と怒りの咆哮が三度(みたび)轟く。

 大空の王者はついに空を奪われたのだ。

 

 隻眼に怒りをたぎらせて、自分に近づいてくる象頭の石像を見る。

 黒竜にとっても初めて相対するたぐいの存在ではあったが、それでもわかることはあった。

 

 こいつらは、自分を傷つけたちいさなものたちと同じにおいがする。

 ならば殺すしかない。喰らうしかない。

 一人たりとも残さない。みな、みな、無惨に殺してくれる――!

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 四度、黒竜は咆哮した。



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20-08 人を超え、獣を超え

 最初に仕掛けたのは巨像だった。

 ゆっくりした歩みを早め、あっという間にトップスピードに乗る。

 パン、と音がして音の壁を越えたのがわかった。

 地上であるにもかかわらず周囲にベイパーコーンが発生し、円形の雲を突き抜けて巨像が突進する。

 

 折れた翼の痛みをものともせず竜が立ち上がる。熊が両腕を広げて威嚇するように、両前足を大きく広げて巨像を迎え撃つ。

 両者の身長差は、黒竜の肩にG(ジャイアント)・ガネーシャの頭が来るくらい。

 超音速で、しかし愚直に突進してくる巨像の頭を砕こうと、渾身の力を込めて右前足を振り下ろす。

 

「?!」

 

 だが爪を振り下ろそうとしたその時、G(ジャイアント)・ガネーシャは既に空中にあった。

 突進してきたスピードは殺さないまま、だが自分の頭ほどの高さに跳躍し巨像は体をたわめる。

 次の瞬間、胸板に強烈な衝撃を喰らって黒竜は吹き飛ばされた。

 

 ドロップキック。

 左右500文、合計1000文のガネーシャの足の裏が炸裂した。

 肺の中の空気を全て吐き出し、黒竜は地響きを立てて転がる。

 運動エネルギーの全てを黒竜に叩き込んだG(ジャイアント)・ガネーシャもまた。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 咆哮。

 吹き飛ばされた竜と、落下した巨像が同時に立ち上がる。

 さしもの黒竜と言えども、【恩恵】と音速を超える運動エネルギー付きの巨大質量を喰らってただでは済まない。

 だが今は怒りが意識を塗りつぶしている。それが痛みも衝撃も忘れさせている。

 

 再びG(ジャイアント)・ガネーシャが突貫した。

 今度は黒竜も前に出る。蛇のような長い首をしならせ、勢いを付けて巨像の肩口に頭を叩き付けるようにして噛みつく。

 

 だが黒竜の目に驚愕が走る。

 牙が突き立たない。

 石どころか超硬金属(アダマンタイト)すら噛み砕く魔竜の牙が、僅かに大理石の表面を削るに留まっている。

 

 G(ジャイアント)・ガネーシャがお返しとばかりに右のハンマーパンチを竜の肩口に叩き付けようとする。

 それを掴んで止める黒竜の左前足。

 逆に竜の右前足は巨像の左手に掴んで止められていた。

 牙は浅くながらもG(ジャイアント)・ガネーシャの肩口に埋め込まれたままで、巨像と竜は四つに組んだまま互いに押し合う。

 力は拮抗している。

 

 と、思いきやいきなりG(ジャイアント)・ガネーシャが後ろに倒れ込んだ。

 そのまま右足で相手の腹を蹴り飛ばし、黒竜の体は再び宙に舞う。

 衝撃が走り、一瞬遅れて大きな土ぼこりが舞った。

 

 ドラゴンに綺麗な巴投げを決め、G(ジャイアント)・ガネーシャが素早く起き上がる。

 僅かに遅れて黒竜も。

 

 互いに構える。

 G(ジャイアント)・ガネーシャは両手を開き、舞踊にも似た拳法の構え。

 黒竜は身を低くして、今にも飛びかからんとする姿勢。

 今度はどちらも動かず、仕掛けない。

 

 両者、互いの力量は把握した。

 黒竜は易々と食らえる敵ではないことを理解した。

 元よりガネーシャ・ファミリアのほうにおごりや油断があろうはずがない。

 

 息詰まる時間が過ぎる。

 ガネーシャも、シャクティも、ガネーシャ・ファミリア団員も。

 オラリオでも神やロイマン達が手に汗を握って両者を注視していた。

 

 時間感覚の曖昧な数瞬が過ぎる。

 巨像と巨竜は同時に動いた。

 

 低い姿勢から黒竜が飛びかかる。

 G(ジャイアント)・ガネーシャは牙をかわして首根っこを脇に抱え込む。

 戦いが始まってこの方、G(ジャイアント)・ガネーシャは格闘の攻防で負けていない。

 「拳打」アビリティを持ち、格闘に長じるシャクティの面目躍如。

 

 そもそも黒竜は自分と同サイズの存在と格闘戦を演じた経験がない。そんな存在は同じ三大魔獣の陸の王者(ベヒモス)海の覇王(リヴァイアサン)しかいなかった。

 ぶっつけ本番でシャクティがG(ジャイアント)・ガネーシャの操作に不慣れな点を除いても、現状では彼女の方に軍配が上がる。

 

「はあああっ!」

 

 シャクティが叫ぶ。

 気合い一閃、黒竜の体が浮いた。

 首をかんぬきに極めつつ、引っこ抜くように持ち上げて投げを打つ。

 

「!?」

 

 天地が回転した。

 黒竜を投げる動きにねじれが加わり、G(ジャイアント)・ガネーシャが横向きに地面に叩き付けられる。

 衝撃で首のロックが外れ、体をひねって黒竜は素早く立ち上がる。

 バベルよりも太い足によるストンピングを、巨像は大地を転がって辛うじてかわした。

 

 左右の足によるストンピングの連打。

 大地を揺るがしながらゴロゴロ転がって、必死に避けるG(ジャイアント)・ガネーシャ。

 何とか立ち上がって体勢を整えるも、かなりの範囲が更地になった。

 

『シャクティ! 大丈夫か!』

「問題ありません、ガネーシャ様。いけます」

 

 正面モニターに映る黒竜を注視しながらシャクティが答える。

 ガネーシャが頷いた気配がした。

 

 ばさり、と黒竜の残った左側の翼がはためいた。

 完全に極まっていた投げが何故崩されたか。その答えがこれだった。

 投げられようとしていた黒竜は全力で左の翼を羽ばたかせ、その結果生じた推進力で体を入れ替えてG(ジャイアント)・ガネーシャを地面に叩き付けたのだ。

 

「侮っていたつもりはありませんが・・・不覚でした」

 

 シャクティは厳しい表情のまま、再びG(ジャイアント)・ガネーシャを構えさせる。

 戦いは、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 大地が揺れる。

 咆哮が轟く。

 戦いは続いている。

 

 石の拳が巨大な肉の塊を打つ音が響く。

 超硬金属(アダマンタイト)の剣より鋭い牙が大理石の肩口を削る。

 

 食料庫の大石柱ほどもある腕が唸りを上げて空を薙ぎ払う。

 のど首を刈り取られた黒竜が、それでも倒れずに踏ん張った。

 両腕で巨像を抱きすくめ、肩口に執拗な噛みつきを見舞う。

 もがくG(ジャイアント)・ガネーシャだが右腕が完全に封じられており、左のショートフックで竜の脇腹を叩くのが精一杯だ。

 

 格闘の達人であるシャクティは密着した状態からでも威力のある打撃を撃てるが、さすがに巨像の操作に不慣れな現状でそれを再現することは出来ない。

 ショートフックが効果が薄いと見るや、シャクティはすぐさま左の膝蹴りに切り替えた。

 左手で相手の右肩を抱え込み、石の膝を黒竜の足に連続して叩き込む。

 黒竜は僅かにうめき声を上げたものの、そのまま肩口に噛みつき続ける。

 

 細かい粉のような大理石の欠片が次々とG(ジャイアント)・ガネーシャの肩口から舞う。とは言っても両者のサイズと比べてそう見えるだけで、実際には握り拳位の破片がバラバラと落ちていた。

 何度も執拗に噛みつかれた肩口には、明らかな欠落ができはじめていた。【神の力】に守られた大理石の巨像と言えども、伝説の魔竜の前には限界がある。

 だがそれでも痛覚を持たない石の像だ。人間では肉をえぐられ大量出血不可避の重傷だが、それをものともせずに膝を叩き込み続ける。

 

 我慢比べだ。

 互いに意地を張り、ひたすら相手に攻撃を打ち込み続ける。

 

『■■■■■■■■■■■■■■――!』

 

 果たして先に音を上げたのは、痛覚を持つ生物である黒竜のほうだった。

 両手でG(ジャイアント)・ガネーシャを突き放し、後退する。

 膝を打ち込まれ続けた足が痛んだのか、ぐらりと体が揺れた。

 

(勝機!)

 

 その刹那、操縦席のシャクティの目が光った。

 黒竜の突き飛ばしに逆らわず、数歩下がって素早くしゃがむ。

 両手を地面に付けた、クラウチング・スタートのような姿勢。

 

「総員対ショック体勢!」

 

 叫びつつ、シャクティは猛然と巨像をダッシュさせた。

 低い体勢の、必要最小限の加速距離から繰り出されるタックル。

 ただでさえ相手より大柄な黒竜は、この低い攻撃に対応できない。

 

 いや、タックルではない。

 両手を伸ばさず、両脇を締める。

 頭から突っ込んでいく、人間同士の格闘にはまずない姿勢。

 

『!』

 

 巨竜が気付いた。

 これは人間のぶちかましではない。

 牛や鹿、あるいはサイが行う――

 

「喰らえ――"雲なる象の牙(アブフラ・マタンガ・タスク)"!」

 

『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 黒竜の絶叫が響いた。

 地球における伝承と異なり、ガネーシャの仮面の牙は折れていない。

 ゆえにG(ジャイアント)・ガネーシャにも二本、巨大な(タスク)が存在する。

 

 黒い血が滝のように流れ落ちる。

 突き上げられた二本の牙が深々と黒竜の腹、へその高さに突き刺さっていた。

 



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20-09 眷族の力を借りて、今必殺の

 

 

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」」

「「「「「「イエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」」」」」」

「今度金出しあってあれの武器作ろうぜ! ミサイルとかビームとか剣とか弓とかヨーヨーとか!」

 

 神会(デナトゥス)の間に歓声が響いた。

 口笛が鳴り響き、ノリのいい神が用意していた紙吹雪が舞う。

 

 ロイマンは思わず立ち上がっていたし、ロキでさえも「っしゃあっ!」とガッツポーズを取っている。

 フレイヤも微笑んでいたが、その後ろに控えている猪人は厳しい顔を崩さない。

 ロキの後ろに立っている小人族の英雄も同様だ。

 色が白くなるほどに親指を噛みしめ、【神の鏡】に視線を注いでいる。

 

 

 

『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 黒竜の絶叫が止まらない。

 苦痛と怒りの咆哮を上げて両腕を巨神の背中と頭部に叩き付けるが、G(ジャイアント)・ガネーシャは牙を突き刺したまま黒竜の胴体にしがみついて離れない。

 

『シャクティ、一気にとどめだ! ガネーシャビーム蓄力(チャージ)開始!』

「はい! ガネーシャビーム、蓄力(チャージ)開始します!」

 

 シャクティが操縦席のレバーの一つを引いた。G(ジャイアント)・ガネーシャの両目に赤い光が集まり始める。至近距離から放たれた神の眼光(ガネーシャビーム)は間違いなく黒竜の鱗を貫き、致命傷を与えるだろう。

 それまで保たせれば勝ちだと、主神(ガネーシャ)眷族(シャクティ)の思考が一致した瞬間。

 

「『何ッ!?』」

 

 背中に強烈な衝撃を受けて、G(ジャイアント)・ガネーシャは地面に叩き落とされた。

 両手は鱗の上を滑り、うつぶせに大の字になる。

 

『■■■■■■■■■■■■■■――!』

「くっ!」

 

 混乱しつつもシャクティは咄嗟に巨像を右に転がした。

 一瞬遅れて放たれた黒竜の蹴りが空を切る。

 先ほどの膝蹴りでダメージが蓄積していなければ命中していただろう。

 

 やはり足にダメージが残っているのか、黒竜は先ほどのように追撃はしてこない。

 数歩分の距離を取り、シャクティはG(ジャイアント)・ガネーシャを立ち上がらせた。

 

「一体何が・・・」

『シャクティ! これを見るのだ!』

「・・・・・・・!」

 

 ガネーシャの声と共に浮かび上がった銀色の円盤。

 正面から巨像を映した【神の鏡】には、二本の牙を根元から失い、傷口から白煙を上げるG(ジャイアント)・ガネーシャの姿があった。

 

 

 

「――――――――!」

 

 神会(デナトゥス)の間は痛いほどの沈黙に満ちていた。

 先ほどの熱狂ぶりから一転して、誰もが声もない。

 基本的に自分で自分を見れないG(ジャイアント)・ガネーシャと違い、神会(デナトゥス)の間からは神の鏡を通して状況を客観的に見て取ることが出来る。

 今、その【鏡】の中で巨神の牙の付け根と、そこから垂れた黒い血に触れた部分がしゅうしゅうと白い煙を上げていた。

 

「強酸性の血か・・・!」

 

 フィンがぎりりと親指を噛みしめる。

 オッタルが小人族に視線をやった。

 

勇者(ブレイバー)、あれは例の芋虫型の・・・?」

「いや、違う。けど同じ位厄介だ。ガネーシャ像が石で出来ていたのがまだしもだった。金属や木で出来ていれば、突き刺した瞬間にああなっていたろうね」

 

 言いつつも視線は【神の鏡】から外さない。

 

 

 

 ワンテンポ遅れて、神会(デナトゥス)の間からの連絡を受けたガネーシャたちも状況を把握した。

 

『どうするのだ、シャクティ?』

 

 主神の問いに答えが返ってくるまで僅かに間があった。

 

「・・・やりようは、あります。打撃でダメージを蓄積させ、動きが鈍った所でガネーシャビームでとどめを刺します。これならあの酸性体液を回避しつつ戦えるでしょう」

『わかった、任せる』

 

 伝声管を通してガネーシャが頷くのがわかった。

 シャクティも頷き、操縦席に沈黙が落ちる。

 

「ところでガネーシャ様」

『なんだ、シャクティ?』

「ガネーシャビームという名称はどうにかなりませんか。せめてこう何か・・・魔法っぽい名称にするとか」

『ならない! ガネーシャ信念!』

 

 シャクティは深く溜息をつくと、G(ジャイアント)・ガネーシャを再び構えさせた。

 

 

 

 巨像が僅かに構えを変えつつ、じりじりと横に移動する。

 それを警戒しつつ、黒竜も僅かに向きを変える。

 

 実のところG(ジャイアント)・ガネーシャは余り格闘戦に向いていない。

 ガネーシャ本神ではなく、地球の伝承に近いズングリしたフォルムのせいだ。

 手足も短く、殴る蹴るをするにも組み討ちをするにしても有利とは言い難い。

 シャクティの際だった格闘の技量を活かすにはかなり役不足と言わねばなるまい。

 

(ガネーシャ様ご自身のような均整の取れた体つきにしてくれればよかったものを)

 

 シャクティはひそかに溜息をつくが、口には出さない。強度の問題でこのデザインに落ち着いたことも理解しているからだ。

 G(ジャイアント)・ガネーシャは上質の超硬金属(アダマンタイト)の骨組みに木組みと大理石の外装で構成されている。

 手足を人間並みに長く細くすると、予想出力に耐えきれない恐れがあった。

 

 理想を言えば最硬精製金属(オリハルコン)の骨格なり、全身超硬金属(アダマンタイト)の外骨格構造なりにすべきだったのだが、さしもの都市最大派閥にもそこまでの資金はなかった。

 千年かけて営々と資金と資材を集めてきた死霊王一派ではあるまいし、むしろ骨格の分だけでも超硬金属(アダマンタイト)を用意できたのは驚嘆に値するだろう。

 

(ですが・・・やらねばなりません)

 

 ここを抜かれれば後がない。

 それがガネーシャ・ファミリアの共通認識だった。

 敵はLv.9の大英雄すら退けた伝説の大魔獣。

 主神は次善の策があるような事を言っていたが、"頂天"を始めとしたオラリオの冒険者が一丸となっても、G(ジャイアント)・ガネーシャ以上の戦力になろうとは思えない。

 

(ゆえにここで止める。たとえ相打ちになろうとも、差し違えてみせる)

 

 主神だけは何とか助けたいとも思うが、自ら戦場に出て来ているのだ、あの方も覚悟は決めているのだろうとシャクティは思う。

 ならば余計な事は考えるまい。今はあの黒竜を討ち、オラリオを救う。

 ただそれだけを念じて、シャクティはG(ジャイアント)・ガネーシャを走らせた。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」」」」

 

 シャクティとガネーシャ、そしてガネーシャ・ファミリア団員。

 【神の力】と【恩恵】で繋がる彼らは一個の生き物であるかのように声を揃えて咆哮する。

 何度目かになる巨像の突進を、黒竜は体を低くして迎え撃つ。

 その黒竜より更に体を低くして走るG(ジャイアント)・ガネーシャ。

 

 タックルを狙うように両手を構えて走るG(ジャイアント)・ガネーシャ。

 それを潰す、あるいは迎撃するかのように低い姿勢で構える黒竜。

 

 双方がぶつかり合うかと見えたその瞬間、G(ジャイアント)・ガネーシャが跳ねた。

 低い姿勢から体のバネを全力で使い、先ほどのドロップキックより更に高く跳ぶ。

 

 体操選手のように、空中で前回転。

 そのまま臀部を相手に叩き付ける。

 プロレス技で言えばトペ・コンヒーロ。

 あるいは・・・

 

『ウルトラ・ガネーシャ・ドロップ!』

「ガネーシャ様うるさい!」

 

 回転のエネルギーと重力を加えた大質量。

 それは迎撃しようと身を起こした黒竜に見事に命中する。

 そのまま巨像は巨竜を押しつぶし、大地に這いつくばらせ・・・はしなかった。

 

「『なにっ!?』」

 

 Lv.10を越える魔石の力か、半ばまで崩れた体勢を無理矢理にこらえる黒竜。

 気がつくとその胴体が黒竜の太い両前足でクラッチされている。

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』

 

 再びG(ジャイアント)・ガネーシャの天地が回転した。

 ただし、今度は黒竜の手で。

 両前足で胴体をがっちり固められ、そのまま地面に叩き付けられる。

 

「ぐっ!」

「「がっっ!」」

 

 ドラゴン・パワーボム。衝撃がG(ジャイアント)・ガネーシャを貫く。

 【神の力】に守られているとは言え、100mを超える高さから大魔獣の膂力で叩き付けられた。

 巨像本体のみならず、内部のガネーシャ・ファミリア団員たちにもかなりのダメージを与えている。

 

『まだだ、まだ終わらんよ!』

「行けぇ、お姉さま!」

「やっちまえ、団長!」

 

 だが団員の意気は衰えない。

 使命感と正義感、そして必死さが彼らを突き動かしている。

 

「言われずとも!」

 

 頭から叩き付けられたG(ジャイアント)・ガネーシャが逆立ちの姿勢で蹴りを放つ。

 それは巨像の足に牙を突き立てようとしていた黒竜の顎にクリーンヒットし、巨竜の体がぐらりと傾いた。巨像は素早くバク転し、三回ほどそれを繰り返したところで再び立ち上がって構えを取る。

 黒竜が意識をはっきりさせるかのように頭を振った。体勢を立て直し、再び低い姿勢から巨神を睨み付ける。仕切り直しだ。



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20-10 怒りの象神

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

『GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR………』

 

 にらみ合う。何度目かの僅かな膠着の時間。

 双方、ダメージは蓄積していた。

 

 G(ジャイアント)・ガネーシャは右の肩口が指の厚みほどにえぐられ、無惨な姿をさらしている。両の牙は溶け落ち、大理石を汚す黒いしみが胸まで垂れていた。上半身を中心に牙や爪で削られた無数の傷痕。

 

 黒竜はそれに比べれば目立った傷痕はない。

 腹に牙で貫かれた二つの穴。だが魔物特有の回復力で、既に血は止まっている。

 しかし腹を貫かれたダメージは黒竜と言えども軽いものではないし、執拗に攻められた右足はまだ回復していない。繰り返された打撃もノーダメージとは行かない。

 

「おおおおおおおおっ!」

『!』

 

 僅かな静寂を破り、先に動いたのはやはりG(ジャイアント)・ガネーシャだった。

 まがりなりにも生物である黒竜と違い、【神の力】で動かされる石像に疲労はないし、損傷はあっても痛覚はない。放っておけば疲労も負傷もある程度回復してしまう黒竜と戦うのであれば、速攻こそが取るべき戦術。

 これまで何度も繰り返してきたように低い姿勢で突進してくる巨像に対し、黒竜もまた身を低くして身構える。

 タックルか、体当たりか、それとも跳躍か。

 どれが来ても対応できるよう、この鬱陶しい石の塊を注視する。

 

 一瞬巨像の肩が沈んだ。

 跳躍か、と巨竜は身を起こす。

 それがシャクティのフェイントであるとも知らず。

 

 沈んだ肩が更に沈む。

 ほとんど地面すれすれのような高さで巨像が突っ込んでくる。

 狙いは痛めつけた右後ろ足。

 

 体を起こしてしまった巨竜は対応できない。

 反射的に痛めた右足で蹴りを放つ。

 左足でもよかったが、痛めた足を体重のかかる軸足に使うよりは、まだ蹴り足に使った方がマシ。

 そういう意味で黒竜の判断は間違っていない。

 間違っていないがゆえに、シャクティの術中だった。

 

『GYGAAAAAAA!?』

 

 蹴り出された足をダメージ覚悟で両腕で抱え込む。

 そこから流れるようなひねりを加えた側転。

 黒竜は苦痛の声を上げて倒れる。いや、倒れ込むしかない。

 無理に耐えれば足が折れる。

 竜と象神が一つの竜巻になり、回転しながら倒れ込む、まさしくドラゴンスクリュー。竜殺しの必殺技だ。

 

『GAAAA・・・』

 

 倒れ込んだ黒竜が苦悶のうめきを上げる。

 倒れたとしても、よほどうまくタイミングと方向を合わせない限り、足へのダメージは免れない。

 そもそも格闘自体が生まれて初めてである黒竜にそのような技術はなかった。

 

 その隙を突いて再びG(ジャイアント)・ガネーシャが仕掛ける。

 倒れたはずみで離していた黒竜の右足に再び飛びつき、今度は両手で足を取った上に両足で挟み込んで力一杯にひねる。

 人間ではないゆえに技のかけにくい黒竜ではあるが、関節の仕組み自体は変わらない。粗くはなるが、逆関節を取ったりひねったりすることは不可能ではなかった。

 

『GYGOOOOOOO!』

 

 苦痛と怒りの吠え声を上げながら、黒竜がG(ジャイアント)・ガネーシャを蹴る。

 離れない巨像を二度、三度と蹴り、何発目かが足を取っていた石の肘に命中。

 そのまま石像を蹴りはがすが、転がって素早く立ち上がったG(ジャイアント)・ガネーシャに比べて明らかに動きが鈍い。

 

『よし! よし! よぉぉぉぉしっ! でかしたぞシャクティ!』

「ありがとうございます、ガネーシャ様。ですがまだどうにか互角程度。油断は禁物です」

 

 戒めを口にするシャクティの口元も、僅かにほころんでいる。

 有史以前より数多の大英雄が挑んで勝てなかった黒竜を相手にここまで戦えている。

 その事実が、冷静沈着な彼女をして昂ぶらせている。

 

 だがそれでも油断はしない。相手はいかなるモンスターにも勝る伝説の大魔獣。

 魔石を砕くまで油断はならない。

 

「サハスララ、団員たちに被害は出ているか! ヴィンダーハナ! 各部の損傷は!」

「せいぜいたんこぶが出来たのと、馬車酔い・・・石像酔い?してる奴がいる位だ! 駆動に影響なし!」

「こちらも概ねかすり傷だが、表面の【恩恵】はかなり削られている! 特に肩口は後数度やられたら骨組が露出する恐れがある!」

 

 巨像各部との交信を担当する団員と、【神の鏡】で巨像各部をチェックする団員の返事にシャクティは頷く。

 G(ジャイアント)・ガネーシャを動かしているのは各団員の背中と構成材に刻まれた【恩恵】、そこから発せられる【神の力】だ。

 石材や木材、骨組に刻まれた【恩恵】は巨像の動力源であると同時に伝達経路でもある。損傷がひどくなればその分出力も伝達効率も低下する。

 そして内部の木材は【神の力】で強化されているとは言え、強度は大理石に比べれば格段に落ちるし、元々が建築物であるから内部には空洞も多い。

 表面の大理石が削りきられると、一気に崩壊する恐れもあった。

 

(かさにかかって攻め立てるのは危険だが、過度に慎重になれば回復の隙を与える。そうでなくても古城を吹き飛ばしたあの吐息(ブレス)を奴はまだ見せていない。

 つまり、今まで通りのペースで攻め続けるのが最良!)

 

 一瞬にして判断を下すとシャクティは巨像に大地を蹴らせる。

 

「行くぞお前達! 今日、我らガネーシャ・ファミリアは歴史に名を刻む!」

『「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおーーーーっ!」」」」」」」」』

 

 伝声管と【恩恵】を通じて伝える意志。返ってくるのは万雷の如き(とき)の声。

 神と人が一体となり、神の力が燃える炎となる。

 まばゆいほどの赤い輝きに包まれて突貫する巨神はまるで地上を流れる流星。

 それを迎え撃とうとする黒竜に今度こそ正面からぶつかり、赤い閃光が爆発する。

 

 黒竜が吹き飛ばされた。

 何の技もけれんもない、しかし最高のスピードとパワーとタイミングで放たれたショルダーアタック。それをまともに食らった黒竜は踏ん張りきれない。空中でバランスを取るための翼ももはや片翼のみ。

 

 一km近く吹き飛ばされた黒竜が山と森を削り、土煙と地響きとともに停止する。

 起き上がろうとする黒竜の視界に映ったのは両手足を一杯に広げて宙に舞う巨神の姿。

 跳躍して空中で一回転。

 全身の重量を存分に乗せて叩き付ける落下技。象神の流れ星。

 

『ガネーシャ・シューティングスタープレスッ!』

『GOHA――!』

 

 肺の中の空気が強制的に排気される。ゆえに悲鳴も上げられない。

 それでも落ちてきた石像の腕を掴んで取っ組み合いに持ち込もうとするが、相手は爪をするりと躱して立ち上がる。

 転がって、足の苦痛に耐えながら黒竜も立ち上がろうとする。

 

 だがそれと同時に巨神が跳んだ。

 黒竜の肩と同じ位の高さに飛び、後ろ回転蹴り。

 

『GB――ッ!』

 

 喉元に突き刺さる石のかかと。

 立ち上がろうとしていた黒竜はこれをかわせない。

 くぐもった音を立てて、再び後ろ向きに倒れ込んだ。

 

「まだまだっ!」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

 

 さらに追撃しようと踏み込んだG(ジャイアント)・ガネーシャに、しかし今度は黒竜が超反応を見せた。

 仰向けに寝転んだ状態から、無傷の左足による強烈な直蹴り。

 いかに【恩恵】があろうと、人間と獣では基本の反応速度が違う。

 

 痛めた右足を使わず、いわば背中を軸足にして放たれた蹴りにシャクティは反応できず、巨神は吹き飛ばされた。

 黒竜の巨体を支える強靱な脚力と背中のバネの力を込めた渾身のカウンター。

 受け身も取れず、G(ジャイアント)・ガネーシャは土煙と共に山肌に叩き付けられた。

 

 だが、吹き飛ばされた巨像は即座に立ち上がる。

 二歩の助走を付けて跳躍。

 放物線ではなく直線的な跳躍からの跳び蹴りが、立ち上がった黒竜の肩口に命中する。

 狙ったのは喉元だったが、それでもバランスを崩して黒竜は転倒した。

 

 膝を突いて着地したG(ジャイアント)・ガネーシャが素早く立ち上がり、黒竜の痛めた右膝にストンピングを見舞う。

 

『GYYY!』

 

 黒竜が苦悶の悲鳴を上げる。

 転がってうつぶせになり、三本の足で距離を取ろうとする。

 

『GA!?』

 

 が、その足が止まった。

 後ろに延びた尻尾をG(ジャイアント)・ガネーシャが掴んでいる。

 巨神はそのまま尻尾をたぐり寄せ(正確にはたぐりながら近づき)、半ばよりも根元に近いあたりを脇に抱える。

 

 僅かな拮抗。

 だが、足を痛めている黒竜には分が悪かった。

 四つ足で走る事もできるが本来は二足歩行、もっと言えば空中を舞うための肉体。

 ほぼ同じウェイトでも陸戦用の人型であるG(ジャイアント)・ガネーシャと比べれば無駄な部分が多すぎる。

 

「はあああっ!」

『!?』

 

 拮抗が破れて後ろに引きずられたかと思った次の瞬間、黒竜の体が引っこ抜かれる。

 ジャイアントスイング。

 ミスミスミス、と軋む音がする。

 黒竜は折れていない左の翼を広げて脱出しようとするが、その前に遠心力の勢いのまま山肌に叩き付けられる。

 

『GA!』

「たあっ!」

 

 またしても跳躍からの、今度はニードロップ。

 起き上がろうと転がった黒竜の、右胸脇にピンポイントで落下命中。

 急降下爆弾が致命的な箇所で爆発する。

 

『ッ!』

 

 黒竜が一瞬硬直した。

 右膝から伝わってくる手応えに、シャクティが確信する。

 今の一撃で黒竜の肋骨は折れた。

 少なくとも前後の肋骨を繋ぐ、肋軟骨が外れるか折れるかした。

 

 もがく黒竜が巨神をはじき飛ばす。

 逆らわずに後ろに飛び、転がって受け身。素早く立ち上がる。

 

 一方の黒竜は立ち上がったものの、咳き込んだかと思うと口から盛大に血を吐いた。

 酸性の黒い血が大地に落ち、白い煙を上げる。

 間違いない。折れた肋骨が肺に刺さった。それも恐らく複数。

 

(!)

 

 シャクティの目が光った。



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20-11 俺のこの手が真っ赤に燃える

 そこからは一方的な展開になった。

 残った左翼に飛びつき、翼ひしぎ逆十字。自分ごと大地に叩き付けると共に両手両足で翼をへし折る。これで黒竜は完全に飛行手段を失った。

 膝立ちになった黒竜の膝に右足をかけ、そのまま左膝で喉をかち上げる。黒竜の喉がつぶれ、再び鮮血を吐き出す。血しぶきを浴びたG(ジャイアント)・ガネーシャの表面が白煙を上げて溶解するが、もはや大理石の巨神は止まらない。

 

 地を這うような低空飛行のドロップキック。

 G(ジャイアント)・ガネーシャの全体重をかけたそれを受け、黒竜の右膝が完全に破壊された。

 

 それでも立ち上がろうとする黒竜の左腕を肩に担ぎ、容赦なく折る。

 黒竜の絶叫と共に折れた肘関節から骨が飛び出した。

 

 倒れ込んだ黒竜に、高い跳躍からのダイビングヘッドバット。

 G(ジャイアント)・ガネーシャ頭頂部の頭飾りが黒竜の胸にめり込み、更に数本の肋骨が折れる。

 

『よし、シャクティ! 今こそとどめを!』

「はい、ガネーシャ様! ガネーシャビーム、蓄力(チャージ)開始!」

 

 数歩下がったG(ジャイアント)・ガネーシャが胸の前で合掌した。

 胸から腕へ、逆の腕を回りまた胸へ。

 赤い輝き、【神の力】が稲妻を帯びて円環を描く。

 光が加速すると同時に、巨神の目が放つ赤い輝きもまばゆいほどに光を強める。

 

蓄力(チャージ)完了120%!』

「了解! 行くぞ黒竜、これで終わりだ! ガネーシャ・・・」

『「「「「「「ビィィィィィィイィィィィムッ!」」」」」』

 

 合掌していた両手を前に伸ばし、水泳の飛び込みのような形にする。

 目と、合わせた手刀から放たれる赤い輝きが合一し、一本の赤い光線が迸る。

 それはボロボロになりながらも立ち上がった黒竜の胸のあたりに命中し、次の瞬間そのまま貫通して胴体に巨大な穴を開けた。

 

 

 

 時間が止まっていた。

 手刀を合わせて突きだしたポーズのG(ジャイアント)・ガネーシャ。

 肺の下半分と腹部内臓の上半分は持って行かれたであろう、冗談のような大穴を胴体に開けたまま立ち尽くす黒竜。

 穴の向こうに遠くオラリオが見えた。

 

 黒竜の残った目から、ふっと光が消える。

 ゆっくりと、恐ろしくゆっくりとその体が前のめりに傾く。

 ズゥン・・・と。

 地面を揺らしはしたものの、それまでの激闘に比べれば余りにも静かに黒竜は大地に伏した。

 

 

 

「「「―――――――――――――――――――――――!!!!!」」」

 

 歓声が爆発した。

 神会(デナトゥス)の間が人と神の声で揺れる。

 エイナでさえ両腕を振り上げて、精一杯の声で叫んでいる。

 ロキが円卓に足を乗せてガッツポーズを取り、フレイヤが微笑んで椅子の背にもたれかかった。

 《勇者》と《猛者》が視線を交わす。小人族の勇者は笑みを含ませて、猪人の武人は重々しく頷いて。

 

 

 

 G(ジャイアント)・ガネーシャ内部も同様だった。

 大理石の巨像すら揺るがすほどの歓声が、G(ジャイアント)・ガネーシャ内部を満たす。

 シャクティも大きく息をついて力を抜く。狂ったように叫ぶ主神の声も今は遠い。

 心地よい虚脱と疲労感に身を任せる一瞬。

 誰もそれを責めることはできまい。

 

 実際シャクティは油断していなかった。

 気を抜いたのはほんの一瞬であるし、すぐに黒竜に近づいて、念のために胸の魔石を砕こうとしていたのだ。

 だがその一瞬を制するように、響いた声があった。

 

 

 

 ワ レ ヲ カ イ ホ ウ セ ヨ

 

 

 

「?!」

 

 弛緩していた精神が凍りついた。

 

「間に合えっ!」

 

 即座に巨神が走り出す。

 その前で黒竜の屍がびくん、と大きく震えた。

 巨神のかかとが背中から魔石の位置に踏み下ろされる。

 

 がしり、とそれが止まった。

 息絶えたはずの黒竜の右前足がそれを掴んでいる。

 その体勢のまま折れた左前足を地面に突いて立ち上がる。

 目の光は消えたまま。どことなくぎくしゃくとした動き。

 

「このっ!」

 

 取られたままの足を軸にして、巨神が宙に浮く。

 そのまま黒竜の首の付け根を狙っての回し蹴り。

 炸裂。

 蹴りのショックで取られていたかかとが離れる。

 地面に落ちた巨像が素早くバク転して距離を取った。

 

『これは・・・?』

 

 そこで初めて黒竜の全体像が目に入った。

 地面から生えた数十本の緑色の紐――サイズを考えれば恐らく太さ1mほどはあるだろう触手か何か――が、黒竜の体に突き刺さっている。

 まるで糸の切れた操り人形のようだが、本物の操り人形とは逆に、地面に繋がっているそれこそが黒竜を立たせ、操っているのだと直感的にわかる。

 

「ぐっ!?」

 

 そこで、シャクティの口から思わずうめき声が洩れた。

 黒竜の胴体に空いた巨大な穴が、高速で塞がっていく。

 ただしそこを塞いでいるのは鱗と肉ではなく、触手と同じであろう緑色の何かだ。

 良く見れば砕いた右膝とへし折った左腕にも緑色の何かが巻き付き、増殖して肉体を補修補強している。

 

 

 

「あれは!? フィン!」

「間違いない、ロキ! あの触手と同じものだ! 59階層の!」

 

 何人かの人間と神がそれを聞いて顔色を変えた。

 59階層に現れた「堕ちた精霊」。

 死にかけたそれを再生強化した緑色の「なにか」。

 "精霊の分身(デミ・スピリット)"と同種のそれ。

 

 おそらく「堕ちた精霊」より更に強大ななにか、ダンジョンの更なる下層に存在するなにかが今度も現れた。

 だがあそこはダンジョンではない。オラリオから50km以上は離れた荒野のただ中だ。

 まさかそんな場所にあの緑色の触手が現れようとは、ウラノスやロキですら想定外。

 

「おのれ・・・そこまでして自由になりたいか! 原初の混沌よ!」

 

 地下の祭壇でウラノスがうめいた。常にいかめしい顔を崩さないこの神をして、この状況は衝撃的なものだったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 そばに控えるフェルズは無言。握りしめられた銀色の籠手がかすかに震えている。

 

 

 

「・・・・・・・・・・!」

 

 見る見るうちに黒竜の損傷を補修していく緑の触手。

 拘束から脱出して距離を離したG(ジャイアント)・ガネーシャが立ち上がったときには、既に腹の大穴は塞がっていた。

 

「!?」

 

 最後の隙間が埋まったのと同時に、ぎょろりと。

 緑の触手で覆われた部分に無数の目が開いた。

 G(ジャイアント)・ガネーシャの操縦席と神会(デナトゥス)の間から悲鳴が上がる。

 強大な怪物と相対したときのそれとは違う恐怖。生物としての根源的な何かを刺激するそれ。言葉にするなれば・・・妖気。

 

 実際に見たものしかわからないそれ。生まれて初めて接したそれに、さすがの一級冒険者も一瞬足が止まる。

 黒竜の胸が大きく膨らんだ。

 

『防御せよシャクティ!』

「は、はいっ!」

 

 腐っても神ゆえに妖気に影響を受けなかったガネーシャの叱咤。

 我に返ったシャクティが【神の力】を絞り出し、腕を組んで顔面を守る。

 直後、黒い閃光が走った。

 




深夜アニメ見てたらクトゥルフTRPGのCMやってました。
TRPGのテレビCM! しかもクトゥルフ!

時代は変わったなあ・・・


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20-12 人、それを飛翔という

「――――!」

 

 神会(デナトゥス)の間に声にならない悲鳴が満ちる。

 古城を一撃で吹き飛ばした黒竜の吐息(ブレス)

 漆黒の閃光が赤い神像の姿を覆い隠す。

 

 心臓の停止するような一瞬が過ぎ、黒い閃光が途切れる。

 その中から巨神のシルエットが現れた時、思わず誰もが安堵のため息を漏らした。

 

 広範囲にわたって扇状に黒くえぐられた大地。

 その中央に立つ白い石像。

 ほぼ原形をとどめてはいるが、しかしその周囲を覆っていた赤いオーラはほぼ消えてしまっている。

 

「ぬう・・・」

 

 親指の爪を噛み、ロキが唸った。

 

 

 

『ここまで、だな』

「ガネーシャ様・・・」

 

 伝声管から聞こえてくる声に、シャクティがうなだれた。常日頃テンションの高い主神が冷静な声を出しているという事実そのものが、現状を物語っている。

 

 わかっている。G(ジャイアント)・ガネーシャが今原形をとどめていること自体が奇跡。

 【神の力】を全力で防御に回したせいであのブレスは防げたが、それで巨神はほぼ全ての力を使い尽くしてしまった。高レベルであるシャクティ自身はまだ余裕があるが、大半の一般団員は【神の力】と共に体力を搾り尽くし、もはや声を上げることもできない。

 

「! ガネーシャ様!」

『わかっている! ・・・願いの石よ、今再び我と我が子らを助けよ!』

 

 ガネーシャが懐のルーンを刻まれた小石を握りしめ、念じる。

 次の瞬間、再度漆黒の閃光が黒竜の口から放たれ、大理石の巨神は今度こそこの世から姿を消した。

 

 

 

「――――――――――――――――――」

 

 痛いほどの沈黙が神会(デナトゥス)の間を覆う。

 【神の鏡】の中、文字通り塵ひとつ残さず消失したG(ジャイアント)・ガネーシャの影を見つめている。

 そのまま誰も声を上げられず数分が経過した頃、大扉が開いた。

 

「待たせたな皆のもの! 失敗して正直すまなかった! そして――」

「わかっとるから言わんでもええがな。『俺がガネーシャだ』やろ?」

 

 この状況で余りと言えば余りにもいつも通りな馬鹿に、思わずロキが失笑した。

 

「うむその通り! だがあえて言わせて貰う―― 俺 が ガ ネ ー シ ャ だ ! 」

 

 神会(デナトゥス)の間に現れた象神は、そう言って胸を張った。

 

 

 

 タネを明かせば、彼らがG(ジャイアント)・ガネーシャから脱出できたのはイサミが古城から戦争遊戯参加者を救い出したのと同じ手段であった。

 つまり、イサミの"願い(ウィッシュ)"呪文だ。

 

 ガネーシャが使ったのはイサミが作り出した、"願い(ウィッシュ)"の力を込めたルーンを刻んだ石(ルーンストーン)

 上級クラス"秘文字鍛冶(ルーンスミス)"の力で作ったルーン石に"多次元念視者(コズミック・デスクライヤー)"の力で強力な術力を付与したそれ。

 それがガネーシャたちを瞬時にバベル前の広場にまで転移させ、ガネーシャ自身はこうして昇降機で神会(デナトゥス)の間に戻ってきたのだった。

 

「それにしてもこの男はつくづく便利なものを作る! そう言えばあの石を作る時に血を吐いていたが大丈夫か!」

「ええまあ呪文で治るような傷ですし。それにガネーシャ様以下、ファミリアの人たちを助けられるなら血の2Lや3Lはお釣りが来ますよ」

 

 肩をすくめて答えたのはガネーシャに続いて神会(デナトゥス)の間に現れたイサミだった。バベルの入り口で丁度かち合った二人は、目的地が同じ事もあり、こうして一緒に登ってきたのだった。

 

 なお吐血云々については"多次元念視者(コズミック・デスクライヤー)"の能力"コズミック・コネクション"の副作用である。

 生命力と引き替えに一時的に能力を高めるものだが、千人以上を脱出させる術力となると、タフネス強化に強化を重ねたイサミでもさすがに死にかけるレベルであった。

 レベルが足りないのでウィッシュで一時的に取得するという裏技を使ってのことだが、その甲斐はあった。

 

 それについて余り憎い巨乳(ヘスティア)の子をほめたくないのでこれまで黙っていたロキが口を開く。

 

「まあ、ガネーシャはホンマご苦労さんやったわ。そんで? ここに来るって事は準備が終わったゆうことやな?」

 

 ロキの言葉にイサミが頷いた。

 

「準備は終わりました。働くかどうかはぶっつけ本番です」

「なるほど! つまりG(ジャイアント)・ガネーシャと同じというわけだ!」

「ええまあ」

 

 苦笑するイサミ。

 この神(ガネーシャ)はいつだってぶれない。

 

 神会(デナトゥス)の間にさざめきが起きた。

 視線を転じると【神の鏡】の中の黒竜が翼を広げていた。既に折れた両翼も触手によって修復されており、前以上に力強く羽ばたいているように見える。

 

 ざわり、とひときわ強いさざめきと共に鏡の中の黒竜が体を浮かせた。

 翼を大きく羽ばたかせ、空へ空へと舞い上がる。既に地面から生えた緑色の触手はちぎれており、黒竜を大地に縛り付けるものは何もない。

 黒竜が、オラリオへの侵攻を再開した。

 

 

 

 わずか十分ほどの後、黒竜はオラリオを視認した。

 黒竜に潜り込み融合した「もの」もまた。

 

 既に光を失った黒竜の右目がぎょろりと動く。

 不自然で無機質な動きだったが、そこには明らかに何者かの意志があった。

 

 時速200kmで飛行しつつ「それ」は思う。

 まずはオラリオの建築物を外縁部から破壊しつくす。最後にあの目障りな塔を跡形もなく吹き飛ばし・・・

 そこまで考えて、「それ」は目をみはった。

 

 人間とはまったく違う思考形態を持つ「それ」が抱いた現状認識に関するノイズ・・・それを人間の言葉で表すならば、「驚き」が一番近かったろう。

 

 オラリオの周囲の地面が陥没を始めていた。

 違う。

  ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 黒竜に、あるいは黒竜に命令を下している存在に人間並みの感性があれば、恐らく力の限りに驚愕の叫びを発していた事だろう。

 迷宮都市が隆起している。

 見る見るうちにそれは限界を超え、大地と都市は切り離される。

 

 直径8km、50万人の住む巨大城塞都市が宙に浮く。

 見る見るうちに大地との距離は離れ、黒竜よりも高くなる。

 

 黒竜と融合した「それ」は考える。

 このままではこの肉体が飛べる高さを越えるかも知れない。その前に――

 

 

 

 ワ レ ヲ カ イ ホ ウ セ ヨ

 

 

 

 再び「声」が響いた。

 黒竜は上に向けた視線を大地に下ろす。

 オラリオの存在したそこには同じだけの直径のすり鉢状のクレーター。

 その中央に存在するドーム状の巨大な構造物と、それを囲む堀のような深いみぞ。

 

 黒竜が翼をはためかせ、クレーターの縁に降り立つ。

 うずくまり、頭を垂れる姿は、あたかも王にかしずく騎士のように見えた。

 

 戦いは、次のラウンドに移行する。




ラピュタは本当にあったんだ!
詳しいことはまた次回に。
ちなみに今エピソードのタイトル元ネタ一覧。

DRAGON … OVA「新ゲッターロボ」OP
ガネーシャ・ザ・フール … トンチキロボットアニメ「ノブナガ・ザ・フール」
銀(しろがね)の城 … マジンガーZの異名「鉄の城」
魔獣英雄伝アルバート … TVアニメ「魔神英雄伝ワタル」
この都市の明日のためのスクランブル … スーパーロボット大戦オリジナルソング「出撃スーパーロボット大戦」
こちらオラリオの何でも屋 … トライダーG7を運用する「竹尾ゼネラルカンパニー」のキャッチコピー
紅の流星機 … OVA「流星機ガクセイバー」主題歌
人を超え、獣を超え … 「超獣機神ダンクーガ」のキャッチフレーズ
眷族の力を借りて、今必殺の … 「無敵鋼人ダイターン3」必殺技の口上
怒りの象神 … 獣神ライガーOP「怒りの獣神」
俺のこの手が真っ赤に燃える … 「機動武闘伝Gガンダム」後期必殺技ゴッドフィンガーの口上
人、それを飛翔という … 「マシンロボ クロノスの大逆襲」ロム兄さんの名乗り口上の一つ


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第二十一話「ヒーローズ・オブ・ランス」
21-01 伝説級呪文(エピックスペル)


 

 

 

『100万パワー+100万パワーで200万パワー―――!!

 いつもの2倍のジャンプがくわわって200万x2の400万パワーっ!!

 そして、いつもの3倍の回転をくわえれば400万x3の、

 バッファローマン、おまえをうわまわる1200万パワーだ―――っ!!』

 

―― 『キン肉マン』 ――

 

 

 

 時間は黒竜がオラリオへの侵攻を再開した時点にさかのぼる。

 

「い、イサミ・クラネル! すぐにあれを発動するのだ! 黒竜がやって来てからでは遅い!」

 

 恐らくは前よりも数段早く飛行する黒竜を横目に、ギルド長ロイマン・マルディールが命令する。

 

「どうでしょう。確かに奴の侵攻速度は速いですが、まだそれなりに余裕は・・・」

「余裕を持つに越したことはないだろうが?!」

 

 冷静さをまだ失ってはいないが、声音の強さに焦りをにじませるロイマン。

 それを止めたのは、今まで沈黙を保っていた一枚の【神の鏡】だった。

 

『落ち着け、ロイマン』

「う、ウラノス様・・・!」

 

 たしなめるような穏やかな響きだったが、さすがにギルドの主神の前ではロイマンも口をつぐまざるを得ない。

 大人しくなったロイマンを横目で見やりつつ、ウラノスがイサミに視線を向ける。

 

『確認するがイサミ・クラネル。速度はどれくらいだ?』

「巡航速度で一時間に30km・・・普通の人間が全速で走るより少し早いくらいかと。短時間ならその四倍はいけます」

『立ち上がりにはどれほどかかる?』

「確言は出来ませんが、一分はかからないでしょう」

 

 ウラノスが頷いた。

 

『ではあれが30kmのラインを越えた時点でそれを発動せよ』

「かしこまりました」

 

 (自らの主神に対する態度とは違って)うやうやしくイサミが頭を下げた。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第二十一話「ヒーローズ・オブ・ランス」

 

 

 

 そして今、オラリオは上空2kmにあった。

 "プロクティヴの移動する山(プロクティヴ'ズ・ムーヴ・マウンテン)"。

 伝説級呪文(エピックスペル)と呼ばれる、通常の九の領域を越えた超呪文。

 それをコピー、アレンジして作り上げたイサミの大魔法であった。

 (通常必要な研究期間は例によってウィッシュ呪文を使用して短縮している)

 

 当然本来は一人で発動できるような術ではないのだが、戦争遊戯で使った直列強化に加えて、発動に必要な〈呪文学〉の技能を同様に直列強化することで呪文の処理能力をまかなっている。

 

「ヒューッ!」

「本当に飛んでるぜ!」

「下界SUGEEEEEEEEEEEEEEEEE!」

 

 のんきに大騒ぎする神ども。

 ロイマンを始め、ほとんどの人間組はあんぐりと口を開けているか呆然としている。

 ロキが「はーっ」と溜息をついて、窓際で印を結んで集中するイサミを見た。

 

「自分ホンマ何でもアリやな・・・一体どう言う世界で生きてりゃ、こんな事思いつくんや」

「俺のオリジナルじゃありませんよ。フェイルーンという世界ではこの呪文で山のてっぺんを切り取ってひっくり返して、何十何百もの空中都市が作られたと聞きます」

「なにそれこわい」

「まあ、たった一つの魔法の失敗によってほぼ全滅しましたけどね・・・」

 

 都市のコントロールに意志を集中しつつ、イサミは溜息をつく。

 呪文一つで人から神に成り上がり、それゆえに魔法の消滅と空中都市の墜落とネザリル帝国の滅亡を招いた大魔術師カーサス。史上最大の過ちを犯したと同時に史上最高の偉業を成し遂げた魔法使い。

 D&D世界で魔術師をなりわいとする者にとっては、戒めであると同時に憧れでもある人物であった。

 

 先だっての対策会議でG(ジャイアント)・ガネーシャによる迎撃と共にイサミから提案されたのが、このオラリオを浮遊都市にして黒竜から都市ごと退避する大技であった。

 当然会議は紛糾したのだが、最後にはウラノスの鶴の一声で決定した。

 (なおこのとき、ついでにイサミが異世界からの転生者であること、タリズダン関係についても(口止め込みで)その場の面々には伝達されている)

 

 イサミ版"プロクティヴの移動する山(プロクティヴ'ズ・ムーヴ・マウンテン)"呪文は範囲を広げた代わりに様々な制約がある。都市の周囲に特殊な触媒を埋め込む必要があるとか、経験値の消費が激しいとか、永続でないとかだ。

 特に触媒の制限は厳しく(そうしないと呪文設計が破綻するのでやむを得ないが)、黒竜が想定より随分と早く動き出したこともあって、余裕を見ていたつもりが作業は割とぎりぎりになったりしたが、何とか間に合った。

 

「・・・で、ここからどうするんや、ウラノス?」

「それは私も聞きたいわね。あの黒竜、倒せないとは言わないけど、飛ばれたらさすがに手の打ちようがないわよ?」

 

 ロキとフレイヤ、都市の両巨頭が揃ってウラノスの映る鏡を見た。

 騒いでいた神々や呆然としていたギルド職員たちの視線も集中する。

 

「何か考えがあるの、ウラノス? 正直タリズダンが復活しても私たちは何もできないのよ?」

「そ、そうなのですか!?」

 

 ヘファイストスの発言にぎょっとした顔になるロイマン。

 眼帯の女神は円卓に肘を突いて溜息をつく。

 

「私たちの力はほぼこの世界と次元結界の維持に注ぎ込まれてるわ。それを止めればもちろんある程度対応できるけど・・・止めた時点でこの世界が崩壊してもおかしくないのよ」

「・・・・・・」

 

 ロイマン始め、その場にいた人間たちが絶句した。

 この世界はそもそも自然に存在しない、タリズダンを封じ込めるためだけに特化して産み出された疑似次元界だ。

 無から作り上げられ、地球のマナと神々の力を吸い上げつつ維持されている不自然な世界。エネルギーの供給を断ってしまえば当然崩壊する。

 

『案ずるな。タリズダンが復活した場合の対策は既に考えてある』

「ホンマやろな、自分・・・? 頼むで・・・」

 

 疑い半分、信じたい気持ち半分と言った面持ちでボヤくロキ。

 フレイヤは無言。表情からその真意をうかがい知ることは出来ない。

 

『そちらの準備は出来ているな、イサミ・クラネル?』

「!?」

 

 視線が一斉に、今度はイサミに集中した。彼らに背中を向けたままイサミが頷く。

 

「ええまあ。正直今の呪文よりはよほど手間がかかりませんでしたので。それより私としては、この機に連中が何か仕掛けてこないかという事の方が心配ですが」

『アスモデウスの手のものか』

 

 イサミが再び頷いた。

 

「推測ですが、連中の目的は単純に勢力の拡大でしょう。

 つまり連中にとってベストの展開はこの世界や神々の勢力が大ダメージを受けつつもタリズダンの解放阻止、ないし再封印に成功して、その隙にこの世界に根を張って勢力を広げることです。

 細かいさじ加減は現場指揮官に任せてるでしょうけど、多分全力で妨害してくるんじゃないでしょうかねえ・・・」

 

 オアース世界から帰還するときに会話したアスモデウスの顔を思い浮かべる。

 タリズダンが万が一復活したときの対策は彼の魔王(アークデヴィル)も知っている。というよりそれをになう一員でもある。

 全力で妨害しても邪神の完全復活には到らないと踏んだところでおかしくはない。

 珍しく考え込む風のフレイヤが口を開く。

 

「本当にそれだけなのかしら? 策士と呼ばれるほどの魔王にしては単純だけど」

「多分それ以外にも複数の思惑が絡んでるでしょうが、さすがにあれの思考を読み切れる自信はありませんね。考えるだけ無駄です」

「そう」

 

 フレイヤが肩をすくめた。

 

「つまりダンジョンから物理的にも離れた今、我々が警戒すべきは飛行モンスターによる襲撃と街中に潜む・・・」

「お、お話し中失礼します! 街中に人型のモンスターたちが現れました! 第三区画、貧民街からこのバベルに向かって進行してきている模様!」

 

 その場の――ダラダラしてた神どもも含め――視線が一斉に一点を向く。

 そこに浮かぶ【神の鏡】には、確かにオラリオの街路を進軍するデヴィル達と、逃げ惑う市民たちの姿が映しだされていた。

 

「・・・街中に潜む連中によるゲリラ戦、というわけです」

「ちょい遅かったな、自分」

「賢者になるのは難しいもので」

 

 にひひと笑うロキのツッコミに、今度はイサミが肩をすくめて答えた。

 




「ヒーローズ・オブ・ランス」はD&Dの人気シリーズ、「ドラゴンランス」の世界を舞台にしたコンピューターゲーム。
「でも実際の所ドラゴンランスって大して役に立たなかったよね」とか言ってはいけない(ぉ


ざっと調べた限りではネザリルの空中都市の移動速度は判りませんでしたが、D&Dの常識を大きく覆す速度(時速300kmとか)ではないように思えました。
神や魔王、一部の呪文を除けば、D&Dにおける最速級の存在は最大級のドラゴンかエベロンのエレメンタル飛行船(共に巡航で時速20マイル=32km)ですので、まあそのへんかなと。

エピック呪文の開発過程はルール的にはほぼマジックアイテムの作成と同じですので、
ウィッシュによるマジックアイテム作成と同じ条件で開発できると、この作品では設定してます。
また省略しましたが、エピック呪文発動のために必要な《呪文学》技能判定は技能ボーナスアイテムを「直列」する事でクリアしています。

エピック呪文は効果を永続にするとコストが五倍に跳ね上がるので、ここでは元の呪文にあった永続要素を外して持続時間延長を長めにかけることでコストを抑えています。「移動」の基本要素は持続時間がないので20時間と仮定しました。



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21-02 流血(しない)戦争

『ロイマン、各派閥に命令を下しデヴィルとの戦いに当たらせよ。戦力に自信のない派閥は、主神をバベルで保護すると伝えるのだ』

「は、ははっ!」

 

 沈黙を最初に破ったのは【神の鏡】の中のウラノスだった。

 直立不動で答えたロイマンが、部下に矢継ぎ早に指示を飛ばし始めた。

 加えて【鏡】係の神どもに新しい【神の鏡】を何枚か出させる。

 

『ロキは街中のデヴィルを掃討してくれ。フレイヤはこのバベルの守りを頼みたい』

「あー、しゃーないなあ。モテる女は辛いっちゅーやつや」

「いいでしょう」

 

 都市の双璧派閥の主神たちがそれぞれ頷いた。

 そして視線がイサミの方を向く。

 

「そして俺はここでじっとしてろと?」

『無論だ。今お前はオラリオで最も重要な人間なのだからな』

 

 まあそうだろうな、とイサミは溜息をつく。

 大抵の相手ならイサミが出れば一掃できるのだが、万が一術者を失えば空中都市は制御を失う。幸い制御を失ってもすぐに墜落する事は無いが、気流に流されて最悪ひっくり返ることもないとは言えない。

 

「了解しました・・・が、ウチの神様の保護もお願いできれば」

『無論だ。今お前の【恩恵】が失われるのは何としても避けたい。ロイマン、最優先で迎えに行かせよ』

「かしこまりました!」

 

 指示を出す手を止めて、ロイマンが慇懃に頭を下げる。

 だがそれも一瞬の事で、ぶくぶく太ったエルフは再び矢継ぎ早に指示を出し始めた。

 それを興味深げに見やり、イサミもウラノスに頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

『必要な事だ。あれの派閥は手練れも多い。お前とこの塔の護衛もして貰うには十分だ』

 

 厳格な表情を崩さないまま、淡々と老神が答えた。

 

 

 

「デヴィル達、姿を消しました!」

「「「えっ?」」」

 

 緊迫した十数分の後、ギルド職員の報告が神会(デナトゥス)の間の空気を戸惑いめいたものに変えた。

 

「ちょ、ちょっと待て! どういう事だ!?」

「わかりません。ですが現地からの報告では姿を消したと・・・」

 

 訳がわからないと言う顔で【神の鏡】の何枚かを見やるロイマンだったが、確かに先ほどまでデヴィル達を映し出していた【鏡】には、今やいつも通りの街路と、こわごわ周囲をうかがう市民たちが映っているのみだった。

 

「ああいたいた、イサミ君!」

「神様」

 

 それから更に数分ほどして、神会(デナトゥス)の間にヘスティアが姿を現した。

 ベルだけを伴っているが、他の面々は階下で待機しているのだろう。

 

「一体どういう事なんだい?」

「さて、俺にもなんとも。もうすぐ報告が集まるらしいのでそれを聞いてましょう」

 

 その報告はまた更に数分後にやってきた。

 

「つまり、あの怪物・・・デヴィルどもは街路を練り歩いて、その後三々五々路地裏に姿を消したわけか」

「は、はい。その後姿が目撃されておりませんので、恐らくは下水道に逃げ込んだものと・・・」

 

 報告を聞いたロイマンが唸る。

 

「被害がなかったなら何よりだが・・・なんだ? 奴らは何がしたいのだ?」

 

 たるんだ顎に手をやって眉を寄せる豚。

 少し考えた後イサミが手を上げた。

 

「なんだ、イサミ・クラネル?」

「恐らくですが都市の混乱と、住民に不安を植え付けるのが目的ではないでしょうか」

「冒険者でもない一般市民をどれだけ不安がらせたところで、我々にとっても奴らにとっても、特に脅威ではなかろう? いや確かに経済活動に色々問題は起きるだろうが」

 

 露骨にだからなんだという表情を浮かべるロイマン。

 見ればこの場の大半の神や人も、ロイマンと同じような顔をしている。

 

 うーん、とイサミは内心唸った。

 イサミはロイマンの知性についてはかなり高い評価を与えているが、それでも経験のないこと、知識のないことについて想像するのは随分と難度の高いことらしい。

 

「確かに一般市民は戦力にはなりませんが、パニックで暴動でも起きればそれだけで都市には損害を与えられますし、冒険者も逃げ惑う一般市民がいたのでは充分に戦えないでしょう。

 奴らの目的が我々の弱体化にあるのか殲滅にあるのかわかりませんが、どちらにせよ都市の混乱は奴らに有利に働きます。一般市民の存在は我々にとって有利にはなりませんが、不利になることは充分有り得るんですよ」

 

 ここで一度言葉を切って場を見渡す。ロイマンを始め、いくらかの顔には理解の光が差していた。

 頷いて言葉を続ける。

 

「つまり連中は、一般市民を自分たちの武器として、また盾として活用しようとしてるんです。

 我々が奴らの目的を計りかねている、と言うことすら武器にしているのかもしれません。

 最悪、人間の姿に変身して市民に紛れ込んでる可能性すらあります。

 一般市民が、そして我々が疑心暗鬼にかられて動きが鈍くなり、あるいは内輪もめを始めたところで・・・」

 

 ぱん、と左の手のひらに右の拳を打ち付ける。

 神会(デナトゥス)の間のそこかしこからうなり声が上がった。

 説明されてようやくこうした戦い方、いわゆるゲリラ戦の恐ろしさが多少なりとも想像できたようだった。

 

「ふんふんふん、そーか、ふんふんふん」

 

 楽しげな声に振り向くと、先ほど疑問の表情を浮かべていなかった数少ない神――ロキが薄笑いを浮かべてイサミを見ていた。

 

「・・・なんです?」

「いやいや、中々食わせ者と思っとったけどな。まさかウチの同類とは思わんかったでな? ひょっとして外の世界ではそんな風に色々やってたんか?」

 

 イサミが凄く嫌そうな顔をした。

 同時に、目の前の女神が神々のトリックスターであることを改めて思い出す。

 「こちら」でも神々同士を殺し合わせて楽しもうとしていた、極めつけにタチの悪い扇動者であるという話も。

 なるほど経験者であれば、そうした策の恐ろしさにもすぐに思い至ることだろう。

 

「よして下さいよ。俺はそんな大それた真似はしません。ただ歴史に学んだだけです」

「なるほどなるほど、外の世界にもウチみたいなのがいたっちゅうことかぁ」

「いやってほどね」

 

 これ以上この話はしたくない、と言う調子でイサミは会話を打ち切る。

 

『長期戦になりそうだな』

 

 ウラノスが呟いた。




「流血戦争(ブラッドウォー)」は地獄の最下層で行われているデヴィルとデーモンの終わりなき戦い。
ちなみにここに善の勢力がくちばし突っ込むと、両者が手を組んで逆襲してくるので手出しできないらしいw


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21-03 冒険の合間はレベルアップとお買い物

 実際ウラノスの言葉通りになった。

 ちょくちょく昼間でも出没するデヴィルたちに人々は怯え、外出しなくなった。

 大通りの店も大半は戸を閉めきり、人々で賑わっていた街路や広場も見回りの冒険者以外にはめっきり人を見なくなっている。

 

 幸いなのは食糧の配給が滞っていないことで、怪物が迷宮から溢れてきたときのことを想定して大量の備蓄と配布計画が用意されていたおかげだった。

 ロイマンの計算によれば切り詰めれば二ヶ月は保つとのことで、この状況では数少ない安心要因だった。なお水は魔道具でまかなっている。

 

 ホームが消失してしまったガネーシャ・ファミリアだが、元々『アイアム・ガネーシャ』本体にはガネーシャと派閥上位メンバーの住居、執務室と催事場くらいしかなかった。

 大半の団員たちは台座と周囲の建物に住んでいたので、ファミリア全員が揃って寒空の下(しかも上空2000mだ)に放り出されるのは免れている。

 

 ヘスティア・ファミリアの面々は教会の地下室からバベルに移動。

 これで快適な暮らしが出来ればもう教会に帰りたくなーい!とだだをこねるところであったが、実際にはバベルに避難してきた神々(主に零細派閥の主神)が多数いるため、むしろ生活環境は教会地下にいたときより悪化していた。

 バベルでは収容しきれないので、ギルド本部にも振り分けて保護しているほどだ。

 

 そんな中で衆目を集めたのがベルのランクアップ。不安がオラリオを包んでいる折でもあり、若き英雄の誕生に全市が湧いた。

 それでもレベルの上では4にすぎないが、実質ステイタスではLv.5最上位からLv.6なりたての間ほど、恐らく敏捷のステータスだけなら既に他のLv.6に比して遜色ない、あるいは上回っているだろうというのがイサミの見立てだ。

 

 そして神々から与えられた新たなる二つ名は「三月兎(マーチ・ラビット)」。

 「こいつ頭おかしいぜHAHAHAHA」と取るべきか、「こいつサカってやがるぜHAHAHAHA」と取るべきか、微妙な所ではある。

 

 加えてイシュタルから正式に改宗したフリュネ改めレーテーがLv.6にランクアップ。

 10人ほどしかいないLv.6が一人増えたと、これまた市民の心を明るくするニュースとして大々的に喧伝された。

 

 イサミも【戦争遊戯】の大暴れで市民からは「実質Lv.7」のような扱いをされており、特例で"驚天動地(アスタウンディング)"なる二つ名まで付与されていた。

 無論神々がその場のノリで決めたことだが、一人でも多くの英雄を求めていたギルドによって追認されている。

 実際注目度はベル以上で、「全力を出しなさい=ベルに悪い虫が付かないように彼より目立ちなさい」と条件を付けたフレイヤの意図も達成された形だ。

 

 ヘスティア・ファミリアも今や押しも押されぬ上位派閥扱いで、主神たるヘスティアなどは情報紙を何度も読み返してはにまにまと頬をゆるめ、団員たちから苦笑されていたりする。

 団員の数こそ少ないがイサミとベルに加えてLv.6のレーテー、Lv.5のシャーナとフェリス、Lv.4のアスフィ、アイシャ(ヒュアキントス相手の共闘もあり、紐神も改宗を拒否しきれなかった)と粒ぞろい。

 ダフネとカサンドラもアポロン・ファミリアを抜けて改宗している。

 対抗できる派閥があるとすればロキとフレイヤの双璧及びガネーシャだけであろうというのが大方の見方だったし、実際そうでもあった。

 

 一方でダンジョンと黒竜は不気味な沈黙を保っている。

 戦争遊戯にもかかわらずダンジョンに潜っていた小数の冒険者たちはイサミが回収し、今ダンジョンに人はいない。

 路地裏や下水道をロキ・ファミリア、ガネーシャ・ファミリアをはじめとする上位派閥が巡回捜索し続けているものの、よほどうまく姿を隠しているのか尻尾を掴むことも出来なかった。

 

 そしてVIP扱いのイサミはほとんど軟禁状態で、変身してやってくる刺客の対策のためにヘスティア・ファミリアの面々ともそうそう会えない有様。

 ――と、言うことになっている。

 実際にはある目的のために"願い(ウィッシュ)"呪文の力を借りて世界中を飛び回っていた。時々ひそかにフェルズがやってきて、相談めいた愚痴を言い合っていたりする。

 

「しかしデヴィルどもの出没が厄介ですねえ。瞬間転移は無いでしょうが・・・幻影という可能性は?」

「グラシアは幻影の能力も持っているんだったか? しかし報告によると姿をくらますときには煙幕や闇の呪文なども用いてるようだからね。

 幻影ならば、ぱっと消すなり地面に潜るなりすれば済むことだし、やはり"不可視球(インヴィジビリティ・スフィア)"あたりを使っているのではないかと思うが」

 

 この二人が直接出張ることが出来れば問題はないのだが、現在イサミは都市の最重要人物だし、フェルズも余り表に出るわけにはいかない立場だ。

 

「見回りの冒険者全員に"不可視視認(シー・インヴィジビリティ)"と"きらめく塵(グリッターダスト)"のアイテムを配るわけにもいきませんし」

「勘弁してくれ。そんなことになったら私は干からびてしまうよ」

「今はダンジョンに入って経験値(エクセリア)を稼ぐこともドロップアイテムを集めることも出来ませんからねー」

 

 二人揃って溜息をつく。

 

 "不可視視認"は名前通りの、"きらめく塵"は輝く粉を相手にまとわりつかせて透明な敵の居場所を明らかにする呪文である。"不可視視認"で透明な敵を感知した人間が、"きらめく塵"でその姿を見えるようにすれば、他のメンバーも普通に戦える訳だ。

 ロキやガネーシャ、フレイヤなど一部の冒険者たちと"赤い外套団(レッドクローク)"にはそうしたアイテムを貸与しているが、それでも結果が出ていない。

 

 オッタルやフィン、アイズと言ったトップクラスであれば気配や呼吸音だけでも敵を斬ることは出来るが、オラリオ中を探してもそのレベルは十人ほどしかいない。

 そういう意味では絶対的にマンパワーが足りていない状況であった。

 

 

 

「しかし・・・混乱という意味ではもう十分混乱していると思うのだがね。

 そのなんだったか、ゲリラ戦か。それは混乱させて自壊を狙う戦術なのかね?」

「数が少ないときはそれしかない場合もありますが、基本的には小数で大軍と戦う為の戦術ですから、相手の急所を攻撃するのが普通ですね。補給物資とか、後方の拠点とか、分散した小部隊とか。

 自分で言っておいてなんですが、今回のは相手の混乱を狙って戦局を有利にするという目的も勿論ありますが、むしろ混乱の方が主軸かも知れないと思えてきました」

 

 フェルズがミスラルの指を同じミスラルの顔の顎に当てる。しぐさが微妙に女性的だなとイサミは思った。

 

「つまり・・・時間稼ぎか」

「はい」

 

 あれから半月ほどが経っているが、黒竜はうずくまったまま、ダンジョンもオラリオが浮き上がったときのままで何ら変化を見せていない。

 何をしているのかはイサミにもウラノスにもうかがい知れないが、このまま放置しておいていいものでないことだけは間違いなかった。

 

「しかし、かといって何が出来るわけでもないですしねえ・・・」

「それが問題なのだよな」

 

 再び、二人が揃って溜息をついた。

 G(ジャイアント)・ガネーシャによって一度は斃されたものの、緑色の触手によって再生した黒竜にG(ジャイアント)・ガネーシャは敗北。

 たとえオラリオの全戦力を集めても、今の黒竜を倒せるかどうかは未知数。

 これで敗北してしまえばオラリオ側は本当に詰む。

 最悪の事態に備えるためにも、イサミを投入するわけにはいかないから尚更だ。

 もう一度溜息をついてイサミが立ち上がった。

 

「まあ愚痴はこの辺にしておきましょう。ダイダロス殿の所に顔を出してきますのでこれで失礼」

「そう言う事なら私も行こう。面倒だが顔を繋いでおくに越したことはないからね」

 

 イサミに続いてフェルズも席を立った。

 死霊王たちも人造迷宮の上層2、3フロア分ごとオラリオの浮上に巻き込まれた(というか相談の上でイサミが巻き込んだ)ため、いまだに街の地下に隠れ住んでいる。

 現在はギルドの地下から地下水路を通じてこまめに連絡を保っていた。

 

「ではご一緒に。しかしフェルズさんも意外とまめですね」

「非常時に私が連絡役になることもあるだろうからね。その時普段から顔を合わせているかどうかは結構違う。それでプロジェクト自体が台無しになることもあるし・・・」

「色々ご経験がありそうですね」

「私は研究だけしていたかったんだがねえ」

 

 会社員というか中間管理職めいてぼやくフェルズに、ちょっとシンパシーを感じるイサミだった。

 




 現在のベルくんは敏捷度がLv.6トップクラス(多分アイズより高い)、その他の能力値がLv.6最低値くらいのイメージです。

 イサミが作中Lv.7扱いなのは砦をぶっ壊した件とLv.6のベート瞬殺、そしてガレス、アルガナ、バーチェの三人と狂戦士状態のフィンとガレスをそれぞれ同時に相手取ったあたりですね。

 二つ名ですが、「三月兎」には「頭がおかしい」の他に「繁殖期の兎が跳ね回る」というニュアンスがあります。
 昔は三月に活動が活発になることから三月が繁殖期と考えられていたようで。

 イサミの方の二つ名"アスタウンディング"は有名なSF小説雑誌。
 E・E・"ドク"・スミス、ロバート・ハインライン、アイザック・アシモフ、レイ・ブラッドベリ、HPラブクラフトと言った伝説的作家が名を連ねた、SF黄金時代を築いた雑誌として知られます。
 「宇宙英雄物語」でも宇宙船の名前として出て来てましたね。(仰天号でしたっけ? こっちはこっちで別の元ネタかもしれませんが)
 ファンタジー方面なんで「ウィアード(変な、おかしな)」(元ネタはウィアード・テイルズ、蛮人コナンとか載ってた奴)にしようかと思ったんですが、まあこっちの方が語感がいいなと。


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21-04 ニイタカヤマノボレ

 そして更に数日後。

 僅かに先んじて状況を動かしたのは敵側の方だった。

 

「ギルド長! デヴィル達が一斉に動きました!

 各地区の町屋の中から現れた模様! モンスターらしき姿もあります!」

「下水でなくてか!? ・・・イサミ・クラネルはどうした?」

 

 叫んだ後、小声でギルド職員に尋ねるロイマン。

 その答えは果たして、なけなしの期待を裏切るものだった。

 

「まだ戻っていません。今連絡中です」

「ぬぐぐぐ・・・今日で、今日で準備が終わったものを!」

 

 歯ぎしりするロイマンに、次々と凶報が伝えられる。

 

「モンスターです! ダンジョンから飛行モンスターが・・・すごい数です!」

「デヴィルとモンスターが各地区から一直線に大通りをバベルにやって来ます! いえ、一部はギルド本部にも!」

「全ての冒険者を動員しろ! 助っ人どもは本部に回せ! バベルもそうだがウラノス様も何としてでもお守りせねばならぬ!」

 

「オラリオ各所で戦闘が始まっています! 市民のパニックは何とか押さえ込んでいるとのこと!」

「どうせ下級冒険者などこの状況では役に立たん! 引き続き市民が街路に出ないようにさせておけ!」

 

「イサミ・クラネル氏と連絡がつきました! もう少しで全員終わるそうです!」

「ええい、報告は正確にしないか小僧め! 後何人とかあと何分だとかあるだろう!」

 

 状況やイサミに対して罵り声を上げながらも、的確に指示を出していくロイマン。

 神会(デナトゥス)の間の【神の鏡】には、既に無数の戦闘が映し出されていた。

 

 ギルド本部前でぶつかり合う高位らしきデヴィル、モンスターたちとガネーシャ・ファミリア。及びロイマンが「助っ人」と言っていた一級冒険者たち。

 大通りでデヴィル達を駆逐していくロキ・ファミリアとその他の上位派閥。

 オラリオ周囲の城壁で飛行モンスターを迎撃する弓手たち。

 

 それら直接戦闘を行う者達の他にも、街路を駆け巡って伝令するもの。

 バベル周囲の広場入り口に間に合わせのバリケードを作るもの。

 街を回り、外に出てこないよう市民たちに呼びかけるもの。

 裏路地や下水の出入り口を偵察して敵の姿がないか確かめるもの。

 矢玉やポーション、替えの武器を前線に運ぶもの。

 路地を進むデヴィルを発見して、上級冒険者が来るまで時間稼ぎをするもの。

 直接戦うには力不足の数千人の下級冒険者たちも、彼らなりに全力を尽くしていた。

 

「まだフレイヤ・ファミリアは動かさないんですか?」

「どう考えても敵の最大の狙いはバベルとギルド本部だろうが! フレイヤとガネーシャは動かせん!」

 

 オラリオ全体が戦闘状態になる中、フレイヤ・ファミリアの一級冒険者(と、ヘスティア・ファミリア一同)だけはバベルから動かなかった。

 フェルズがいたら「まあ、妥当な判断だろうね。彼自身の身の安全も入ってないとは言えないが」とでも言ったかもしれない。

 

 

 

 納屋のような粗末な小屋の中、老人が黙々と針を動かしている。

 長い白髯を垂らした好々爺だが、意外に筋骨はたくましい。

 

 老人はチュニックに空いた穴をつくろっていた。

 ここ数年作業着として使っていた古着で、既にあちこちに修復の跡がある。

 

「何、まだまだ使えるさ、こうして直してやればな・・・」

 

 破れた箇所の裏側から布を当て、ちくちくと針を使う。

 かつては多くの人を動かし大きな仕事もしてきたものだが、今はこのあばら屋が老人の城、鋤と鍬が老人の仕事道具だった。

 畑の作物を世話し、時々孫たちの活躍の便りを聞いて頬をゆるめる、そんな生活。

 孫たちが冒険者になったのはともかく、かなりの成功を収めていると聞いたときは大いに驚いたものだが、元気でやっているなら何よりだ。

 

「こんなものか。あれ、ハサミはどこにやったかな? 確かこのへんに・・・」

 

 繕いを終え、糸を結んで後は切るだけになったところでハサミが見あたらず、キョロキョロする老人。その動きがふと止まった。

 小屋の表から人の声が聞こえてきたのだ。それも一人や二人ではない。

 

(あやつからの定期連絡にはまだ早い。誰だ? 一体・・・)

 

 最悪の事態を考え、そろそろと裏口に移動しようとしていたとき、扉が勢いよく開かれた。

 つかつかと無遠慮に入って来た男の姿を見て、老人が硬直する。

 

「じいちゃん、非常事態だ。タリズダンが復活しつつある。一緒に来て貰うぞ」

「イサミ!? わ、わしは、その、これには事情が・・・え?」

「そのあたりは大体わかってるからとにかく来てくれ。時間が無いんだ」

 

 すっかり自分を追い越してしまった孫の巨体。大きな手で腕を掴まれて強引に連れ出された老人は、小屋の外で二度目を丸くする。

 

「おー、ゼウスじゃん!」

「天界に送還されてなかったのか!」

「いやあれだよ、きっとあのヤンデレに追いかけられて隠れてたんだぜきっと」

「違いないな、HAHAHAHAHA」

「おお・・・」

「あれがか・・・」

 

 小屋の外にいたのは数十人ほどの神どもと、その二、三倍ほどの従者らしき人間たちであった。

 それも老人の記憶が確かならオラリオにいた神々ではない。

 

「神を集めているのか? タリズダンと言ったな、イサミ」

「うん。ちょっと必要になってね」

 

 神どものたむろっているところに歩いて行く二人。

 老人が相手であるからか、イサミの口調も普段よりやわらかい。

 老人の表情が驚愕から沈思黙考のそれになる。

 

「そうか・・・ん? んんん!?」

 

 何かに気付いたのか、老人の足がぴたりと止まった。

 

「どしたの、じいちゃん」

 

 孫の問いかけに、ぎぎぎぎ、と音がしそうな動きでその顔を見上げる老人。

 

「神を集めていると言うことは・・・"あいつ"も来ているのか?」

「さあ? 言ってくれないと誰の事かわからないなあ」

 

 すっとぼけた顔の孫に、怒りと恐怖がない交ぜになった表情で老人が叫ぶ。

 

「嘘つけぇっ! そこまで知っててそれだけ知らんってことはあるまい!? い、いやじゃ! ワシは行かんぞ!」

「はいはいおじいちゃん、移動するんでじっとしててくださいねー。ちくっとしますよー」

「いやじゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 絶叫を上げつつ、イサミとベルの祖父――大神ゼウスの姿はイサミおよび他の神と人と共にその場から消えた。

 

 

 

「は~るばるきたぜオラリオ~」

「おー、これが・・・って、ここどこだ?」

「あら、なんかすげー音がしてるじゃない? なにかしらあれ」

「お気をつけを、カビリャカさま。あれは戦闘の音です。それもかなり高レベルの」

 

 イサミの転移用に用意されたスペースにイサミ達は移動していた。

 外からは戦いの音が響き、神々の従者たちのなかには臨戦態勢に入る者もいる。

 待機していた職員が、彼らを先導して安全な場所に連れて行こうとしていた。

 

「ここは・・・ギルドの中央ホールか。本当にオラリオに戻って来ちまったんじゃのう・・・」

 

 がっくりと肩を落とすゼウスを、イサミはいささか冷たい視線で見下ろす。

 

「あれこれ理由があるとは言え、ベルを泣かせた罰だぜ、じいちゃん」

 

 怨みがましい目で見上げてくるゼウスに、にべもなく言い放つイサミ。

 はあ、と溜息をついて再びゼウスが肩を落とした。

 

「それを言われると何も言えんのう。・・・お前は判っていたのか?」

「じいちゃんの遺体を探しに魔法を使って、全然反応がないのはおかしいと思ってたからね。川の下流も調べたけど全然だったし。

 確認したのはオラリオに来て魔法の腕を上げてからだけど」

 

 そうか、と頷いてゼウスが表情を真剣なものに改める。

 

「・・・イサミ、一つだけ聞かせてくれ。お前はともかくベルは・・・あれは、自らの意志で冒険者になったのか?」

「ああ。自分の意志でだよ、じいちゃん」

「そうか・・・うん、そうか」

 

 感慨深そうな表情で何度も頷くゼウス。

 イサミの視線が再び冷たいものになる。

 

「子供の頃からやれハーレムだの美女だの、さんざんベルを洗脳してきたのはじいちゃんだろ。それを何今更『孫が一人立ちしてうれしい』みたいなツラしてるんだよ。

 あいつってば何も知らないくせにハーレムハーレム言い出すんだから・・・」

「かっかっか、男なら美女を腕に抱くのは本能よ。それが沢山いればなおさらじゃい」

 

 全く悪びれることなく高笑いする祖父に、今度はイサミが溜息をついた。

 

「まあまじめな話に戻ろうか。ワシはあの連中と一緒に行けばいいのか?」

「いや、じいちゃんが来たら連れてくるようにウラノス様に言われてる。こっち来てくれ」

「うむ、わかった」

 

 頷き合うと、祖父と孫は足早に歩き出した。

 

 

 

「そういやじいちゃんさ」

「なんじゃ?」

 

 ん?とゼウスが孫を見上げる。

 

「ウチの主神様から『女神様の風呂に【神の力(アルカナム)】抜きでのぞきを成功させた神がいた』って話を聞いたけどまさか・・・」

「ああ、それワシじゃな」

「やっぱりかぁー」

 

 頭を抱えるイサミ。まあ薄々わかってはいたのでそこまでのショックではないが。

 

「なんじゃ、ワシの武勇伝を聞きたいのか。なら話さないわけにもいかないのう」

「聞きたくないって」

「まあそう言わずに。あれは30年くらい前の事だったか・・・」

「聞きたくないって言ってんだろ」

 

 イサミが肘で祖父の肩をこづき、老神はかっかっか、と楽しそうに笑った。



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21-05 フォージ・オブ・ウォー

 ギルドの地下、聖堂の間。

 松明に照らされた暗闇の中、巨神が玉座に座していた。傍らにはフェルズの姿もある。

 

「久しぶりじゃのぅ、ウラノス」

「ああ、久しいな、ゼウス」

 

 十数年ぶりとは思えない気さくさのゼウスに、いつも通り重々しく頷くウラノス。

 

「お主も久しぶりじゃな、フェルズ。相変わらずいい女じゃ」

「よしてくれゼウス。戦造人間(ウォーフォージド)の身で男も女もあるまい」

「なあに、ガワが何であろうと中身はいい女じゃよ」

「まったく・・・変わらないなあなたは」

 

 フェルズが天を仰いで溜息をつく。

 ああ、とイサミが納得したような顔になった。

 

「やっぱり女性だったんですね。まあ女性人格のウォーフォージドというのもそこそこいるようではありますし、別にいいんじゃないですか。私から見ても時々そう見えることがありましたし」

「む、そうか・・・中々隠せないものだな」

 

 むう、と唇?をへの字にするフェルズに表情をゆるめた後、ゼウスがまじめな顔になる。

 

「それで、ワシは何をすればいいんじゃ」

「詳しくはお前の孫から聞くがいい。今回の計画を立てたのはその男だからな」

「なんじゃと!?」

 

 振り向いて目を丸くするゼウス。

 

「まあ色々あってね」

 

 肩をすくめるとイサミは作戦の詳細を話し出した。

 

 

 

「まあ、何となくダイダロスやフェルズの同類ではないかと思っておったが・・・どんな世界から跳んできたんじゃ、お前(イサミ)は」

 

 話を聞いたゼウスが呆れ半分、感心半分で孫に問う。

 

「この封印のすぐ外の世界だよ。エルミンスターさんいわく、『色々試して芳しくなかったから、アプローチを変えてみた』ってさ。

 俺の世界ではトリルやオアース、エベロンを舞台にして冒険する盤上遊戯(ゲーム)があって、俺もよく遊んでたんだ。俺があちこちの世界に詳しかったり魔術を使いこなしてたりするのもそのせいが大きいと思うよ」

「ふーむ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ?!」

 

 顎髭をしごいて考え込むゼウス。その一方でフェルズが珍しく慌てていた。

 

「ゲームになってる? 私の世界が?!」

「ええ。エベロンを舞台に冒険者になって遊ぶゲームですが」

 

 考えてみると、他の世界の事がゲームで存在しているというのも妙な話ではある。

 ひょっとして「偉大なるG」も転生者、あるいは姿を変えたモルデンカイネン本人だったりしたのだろうかとふと思うイサミ。

 本当にそうかどうかは怖くて聞けないが。

 

「―――」

 

 その辺を詳しく説明され、フェルズが唖然とする。

 さすがの彼・・・もとい彼女にとっても、自分たちの世界が他の世界でゲーム化されているというのは想像の埒外であったらしい。

 

「・・・他の世界も知っているのかね」

「まあいくらかは。アサスとかレイブンロフトとかミスタラとかロクガンとかクリンとか」

「ロクガンというのは聞き覚えがあるな。六人目の転移者がそこから来たと言っていた。私の次だ」

 

 ロクガンというのはD&D世界における東洋風のワールドだ。ドラゴンではなく龍が、ゴブリンではなく鬼がいて、侍や忍者、二本足で歩く鼠人間の野伏せりが闊歩する世界である。

 

「貴族風の青年でね。自信満々にダンジョンに潜っていったが一年ほどで行方不明になってしまったよ」

「・・・術者でしたか?」

「? ああ。地図のような大きな巻物を帯にたばさんでいたな」

「シュゲンジャだったかー」

 

 頭痛をこらえるようにこめかみを押さえるイサミ。首をかしげるフェルズに何でもないと手を振って返す。

 

 

 

 シュゲンジャとはロクガン固有のクラス(本来は)であり、地水火風空の五大元素から力を得る信仰術者だ。名前は修験者だが、どちらかというとイメージは陰陽師に近い。

 ゲーム的に一言で言うと最低限の火力呪文と最低限の回復呪文と最低限の支援呪文と最低限の便利呪文とを組み合わせたクラスである。

 

 飛行呪文がない壁の呪文がない石化と呪いを解く呪文がない、攻撃呪文は(使えたとして)魔術師より弱くて覚えが遅い、何より致命的なのは、基本ルールに載ってる呪文以外使用できないことだ。

 D&Dは沢山の追加ルールで強力な呪文が追加されるのだが、シュゲンジャはそれらを事実上使用できないのだ(DMの判断次第、ということになってはいるが)。

 

 おまけに地水火風のいずれかを得意元素に指定しなくてはならないのだが、この時、得意元素の反対元素に属する呪文は使えなくなる。

 火力呪文を得意とする火のシュゲンジャは水属性の回復呪文が使えず、支援を得意とする地のシュゲンジャは風属性の便利呪文が使えない。

 

 そのくせ呪文習得にやたら面倒な制限があり、さらに他の信仰系術者のように物理的に戦ったりすることも出来ないし、それに代わる特殊能力があるわけでもない。

 背景世界であるロクガンがパワーバランス的に余り派手でないためだが、それゆえD&D3.5版で屈指の「使えない」烙印を押されてしまっている悲劇のクラスである。

 

 

 

「まあ過去のことは忘れて現在と未来に眼を向けましょう」

「ああいやその」

「何か?」

 

 気を取り直そうとしたイサミだが、やや済まなそうにフェルズが手を上げた。

 

「一つだけ聞かせて欲しい。君の知るエベロンの歴史では最終戦争と――ウォーフォージドの扱いはどうなった? 戦争は続いているのか? ウォーフォージド達はまだカニス氏族の奴隷なのか?」

「ええと、王国歴の、正確には忘れましたけど確か990年代に謎の魔法爆発が起こり、サイアリ一国が吹き飛びました。

 それをきっかけに和平が成立し、"五つ国"の残る四カ国にエルデンリーチ、ズィラーゴ、ムロール・ホールド、タレンタ、ヴァラナー、ダーグーン、クバーラ、ラザーと言ったあたりが互いの独立を承認して一応戦争は終わりました」

「サイアリが!? いやすまない、話を続けてくれ」

 

 頷いてイサミは話を続ける。

 

「ウォーフォージドは色々ありましたが、種族の一つとして認定されて人権を得ました。ウォーフォージドを作り出す創造炉は解体されて、新たなウォーフォージドは生まれなくなっています。

 ただ、中には肉の体を持つ生物を敵視して、ウォーフォージドだけの世界にしようと暗躍している連中もいます」

「そうか・・・いやそれでも奴隷兵士として消費され続けるよりはマシだな・・・」

 

 ふう、とフェルズが溜息をついた後、再びイサミに視線を向ける。

 

「ああ、もう一つ。カニス氏族はどうなった? 本拠地を動かしたりはしていなかったのだろう?」

 

 ぴくり、とイサミの眉が動いた。

 

「ご想像通りカニス氏族は、当時の当主と後継者が揃って死亡した上に本拠地も消滅したため、現在はアンデールとシャーンとカルナスで、後継者を争って分裂していますよ」

「そうか。いや、ありがとう。すっきりした」

 

 溜息をつくと、フェルズがイサミに頭を下げた。

 だがイサミはそれには反応せず、じっとフェルズを見つめる。

 

「何かね?」

「いや、間違ってたら申し訳ないんですが・・・あなた、アーロン・ド・カニスですか?」

「!?」

 

 無機質な金属と水晶で出来たフェルズの顔が、それでも目を丸くするのが傍目にも判った。

 アーロン・ド・カニス。少し出来の良いゴーレムに過ぎなかったウォーフォージドに本物の自我を与えた天才魔法技師(アーティフィサー)

 作っては戦場に送られる消耗品だったウォーフォージドたちを「道具」ではなく「人間」として扱うように主張したため、実の父親によってカニス氏族から追放された悲劇の人物だ。

 本来男性であるはずなのだが・・・まあそういう事もあるだろうと何となく納得するイサミである。

 

 しばしの沈黙の後、フェルズが首を縦に振った。

 

「よくわかったね。それともそのゲームでは私はよほどの有名人なのかな?」

「いえ、フレーバーテキストにちょっと名前が出てくるくらいです。

 ただエベロンというのは高レベルの人物の少ないところですからね。あなたほどの魔法技師(アーティフィサー)が他には思いつかなかったんですよ。

 ウォーフォージドに人権を与えようとしたとか、『ウォーフォージドに自分の意識を移す秘術を開発したのかも知れない』という記述があったりしたのもありますが」

 

 はあ、と再度溜息をつくフェルズ。今度の溜息には苦笑の色が濃い。

 

「やれやれ、困ったものだ。まさか異世界で私のプライベートが赤裸々に暴かれていようとは。これでは道化――いや、まさしく"愚者(フェルズ)"だな」

「まあ有名税という奴じゃあないですか」

 

 肩をすくめてイサミが笑った。




シャーナに続く二人目の女体化キャラです(真顔)
まあ特典とか読む限り、実際の所原作でも女性なんじゃないですかねえ、フェルズって。

フォージ・オブ・ウォーはD&Dのエベロン関係のサプリメント。
百年続いた「最終戦争」(これが終了したところからエベロンの冒険は始まります)に関する歴史設定集です。

「偉大なるG」は当然D&Dの原作者ゲイリー・ガイギャックス氏のことですね。
モルデンカイネンはもともと氏の持ちキャラでした。

シュゲンジャは貴族で高貴な階級で術のレパートリー以外はほぼ秘術魔法使いとなると、やっぱり日本における修験者のイメージじゃないよなあと。
ウィザードリィだと魔法使い系の敵だったりしますし、まあその辺は文化がちがーう!ということで。

話に出て来たシュゲンジャ、実は今の主人公と並んで始める前に主人公候補だったキャラです。
その場合ベルの代わりにオリ主として登場し、ボコボコにされながら少しずつ成長していく話になる予定でした。
(憧憬一途はないが、元が弱い&シュゲンジャはミストラに選ばれし者に(たぶん)なれない&チートしても大して強くないので、普通にステイタスが急上昇する予定だった)

なお

アサス=ダークサン(ファンタジー版Falloutみたいな砂漠だらけのエクストリームハード世界)
レイブンロフト、ミスタラ=同名のワールド(レイヴンロフトはホラー系、ミスタラは割とオーソドックスなファンタジー。電撃で展開されていたD&Dの舞台)
ロクガン=オリエンタル・アドベンチャー(東洋風)
クリン=ドラゴンランス(翻訳もされたあれ。次世代だと神も魔法も全部滅んで新しい魔法体系が立ち上がる)

の背景世界ですね。


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21-06 虎は舞い降りた

「!?」

 

 笑顔が凍りつく。突然、ぞくりと背筋に寒気が走った。

 フェルズも何かを感じたようで表情が変わっている。

 そしてゼウスは、孫のイサミが見たこともないような厳しい表情でウラノスと視線を交わしていた。

 

「ついに来たか・・・」

「私の祈祷も最早及ばぬ。局面は最終段階に入ったと言えよう」

「じいちゃん、それって」

 

 イサミの言葉にゼウスが頷いた。

 

「ああ。たった今、タリズダンは復活した」

「!」

 

 ウラノスが手を振ると、目の前に【神の鏡】が現れた。

 指示と共に盛大につばを飛ばしていたロイマンが映り、一瞬遅れて慌ててかしこまる。

 

『ウラノス様! いかがなされましたか』

「お前も感じたであろう、ロイマン。今タリズダンが復活した」

 

 ひぐっ、とガマガエルのしゃっくりのような音をロイマンの喉が立てた。

 

『そそそそそそれでは!?』

「案ずるな。今のタリズダンはダンジョンというサナギのカラに包まれた状態。

 脱皮まではまだ僅かに時間がある。その間に反撃の一手を打つのだ。指揮はお前に任せるが、イサミ・クラネルの作戦を最優先に考えよ」

『は、ははっ!』

 

 かしこまって一礼すると、ロイマンは再び指示を飛ばし始める。

 【神の鏡】はそのまま、ウラノスがイサミ達に向き直った。

 

「そう言うわけだ、ゼウス。ただちに儀式を始めてくれ。イサミ・クラネルも頼むぞ」

「わかった」

「かしこまりました」

「フェルズはここで待機だ。不慮の事態に備えよ」

「はっ」

 

 三者が三様に頷く。

 

「揃い次第すぐに開始します。ウラノス様もお力添えを」

「うむ」

 

 ウラノスが頷いたのを確認し、イサミが短く呪文を口ずさむ。

 "願い(ウィッシュ)"呪文により、イサミとゼウスの姿が地下聖堂から消えた。

 

 

 

「ひっ!?」

「ぬおっ!?」

「ヒューッ!?」

「ワオ、クール!」

 

 二人が姿を現したのはバベルの神会(デナトゥス)の間だった。

 その場の人間がぎょっとし、それと好対照に無責任に沸く神ども。盛上がる連中に白い目を向けつつ、イサミがぱんぱんと手を叩いて注目を集める。

 

「はいはい、クソッタレな神のみなさんちゅうもーく。ウラノス様から話は聞いてますね?」

「あー聞いてる聞いてる。タリズダンがついに復活したんだろー?」

 

 戦争遊戯の前にヘルメスが聖堂の間のウラノスに語りかけたように、神同士の間にはテレパシーにも似た意志疎通の手段がある。

 余り長距離には有効ではないようだが、ウラノスの神力であればオラリオ内ではほとんど問題なく繋がる。例の聖堂の間がアンプのような効果を発揮しているのかも知れないなどとイサミは思っていた。

 

「みなさん自分の飲み物を手に持ってください。今から面白いことしますからね」

「「「「了解!」」」」

 

 イサミの言葉に逆らわず、目の前にあるお茶や酒などを手に持つ神々。普通ならツッコミやら下らない質問やらで時間を取られるところだが、「面白いこと」の一言であっさりその辺がクリアされるのが実に神々である。

 

「~~~」

 

 イサミが呪文を唱え、円卓に手を当てる。

 と、円卓が見る見る間に縮み、直径10m以上はあった巨大なテーブルが差し渡し1m足らずのちゃぶ台か何かのようなサイズにまで小さくなった。

 

「おおおお!」

「ヒューッ!」

「これから他のみなさん()も詰めかけますので。私を中心に円を描くような位置に付いて下さい。じいちゃんもこっち来て」

「うむ」

 

 アンコール!アンコール!という無責任な声を無視し、必要な指示のみを伝達してイサミは踏み台のようになった円卓の場所――つまり、部屋の中央に進み出る。

 孫に続いてゼウスもその隣に並んだ。

 懐から巻物を取り出し、内容を確認し始めるイサミにロイマンから声が飛ぶ。

 

「イサミ・クラネル。ウラノス様の命令でお前に協力することになっているが、何か要望はあるか?」

「今のところはありません。バベルとギルド本部への敵勢力の突入を何としてでもとどめて頂く以外には」

「よかろう」

 

 鷹揚に(と本人は思っている)しぐさでロイマンが頷く。

 ややあって、神会(デナトゥス)の間にどやどやと人が流れ込んできた。

 従者らしき人間の姿もあるが、ほとんどは神だ。

 その中に緊張感を隠し切れないヘスティアと、不安げな顔のベルの姿もあった。

 

「あ、イサミくん!」

「兄さん! ・・・え? おじいちゃん!?」

「あ、ゼウスじゃないか! 久しぶり・・・え、おじいちゃん? え? え?」

 

 イサミを見つけて駆け寄ってこようとするふたりだったが、ゼウスの姿を見てベルが硬直した。ヘスティアが混乱して、ゼウスとベルを交互に見ている。

 ゼウスがひどくばつの悪そうな顔になり、イサミはまたしても冷たい眼差しで祖父を見下ろしていた。

 

 

 

「その、ワシはヤバい奴に追われておってな。死んだ振りをして逃げなきゃならなかったんじゃ。おまえたちには済まんことをしたと思うておる」

「おじいちゃん・・・」

 

 ひとしきり愁嘆場を演じた後、ゼウスの口から簡単に経緯が説明された。色々言いたい事はあるが言葉にならないベルの、目尻に涙が浮かんでいる。

 一方でヘスティアはイサミと同じような表情になっていた。

 

「ふんふん、つまりヤンデレから逃げたくてベルくんを。ぼ・く・の・ベルくんを! 泣かせたわけだねゼウス」

「こいつはメチャゆるせんよなぁ~っ!」

「外野は黙ってろ!」

 

 丁度良い暇つぶしとばかりに茶々を入れる周囲の神々をツインテールでぺしぺしと叩き、威嚇する紐神。

 一方でベルは紐神の言葉に目をしばたたかせ、ゼウスは冷や汗を浮かべている。

 

「え・・・ヤンデレってなんですか神様?」

「ああ、そこのくそじじい・・・ゼウスはヘラという女神にぞっこん惚れられててねえ。オラリオにいたときから逃げ回っていたんだ。ヘラが近くに来ていることに気付いて逃げ出したんだろうさ」

「・・・おじいちゃん?」

 

 イサミとヘスティアほどではないが、明らかに温度の低下した視線を祖父に投げかけるベル。老神の冷や汗が五割増しになった。わたわたと両手を振り回し、必死に釈明する。

 

「しょ、しょうがなかったんじゃ! だってあいつ怖いもん! 下手に出くわしてたらお前達どころか村もひどいことになってたぞ!? そのへんわかるじゃろヘスティア!」

「む・・・まあそれは」

「そんなに凄かったんですか?」

「まあ神々の間でもはばかられる程度にはね・・・」

 

 遠い目になるヘスティア。

 ベルは複雑な表情。色々事情があるのがわかっても、感情で納得が出来ないのだろう。

 それまで黙っていたイサミが神会(デナトゥス)の間の中と入り口を見渡し、ざっと神の数を数えてから口を開いた。

 

「まあ神の頭数も揃ったようだし、ベルも神様もそのへんに。今は何よりもまずこの危機を乗り切らないとな。家族会議はその後だ」

 

 イサミの言葉にぴくん、とヘスティアのツインテールが跳ねた。

 

「父さん妖気です」

「だから外野は黙ってろ! うんうん、そうだね、家族会議かあ。やっぱり一度はしておかないとね!」

「―――」

 

 笑顔で腕を組んで何度も頷くヘスティア。自分も出席する気満々の紐神に冷めた一瞥をくれた後、イサミはベルの方を振り向いた。親指で窓の外を指す。

 

「ともかく俺達はこれからタリズダンの復活に対抗する為の儀式を行う。お前には楽な仕事を任せてやろう」

「楽って・・・あれが?」

 

 窓の外、広場の入り口に築かれたバリケード。

 巨塔を侵さんと冒険者たちを相手に壮絶な戦いを繰り広げるデヴィルとモンスターの混成軍を見下ろし、ついで引きつった笑顔で兄を見上げるベル。

 

「あれがだよ、愚弟。なんせ俺は今からクソッタレの神と、それ以上にクソッタレな神どもを相手にしなきゃならないんだからな」

 

 ニヤリと笑って、イサミは弟の肩を叩く。

 それで取りあえず気持ちを切り替えたのか、ベルが真剣な顔で頷いた。ゼウスが成長した孫の姿に喜びと驚きの混じった顔で、ヘスティアは蕩けた表情で少年を見ていた。




「テレパシーみたいな通信手段」に関しては、原作の戦争遊戯の直前、【神の鏡】を出すときにヘルメスがウラノスに語りかけたところからの拡大解釈です。


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21-07 バベル戦線異状なし

 ぴくり、と黒竜が首を震わせた。

 オラリオが浮遊し、黒竜がその位置にうずくまってから半月ぶりに動いた。

 

「GRRRRRR・・・」

 

 黒竜を乗っ取った「もの」が黒竜の喉を介して不快感を表す。

 上空のオラリオを仰ぎ、視線をドームのように露出したダンジョンに移す。

 いつのまにか、次から次へと溢れ出ていたはずの飛行モンスターは途切れていた。

 

 

 ユ ケ

 

 

 声にならない声が響いた。

 ばさり、と黒竜が翼を広げる。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 咆哮と共に巨竜が飛び立つ。

 残されたダンジョンの構造物が、微細な稲妻を帯びて不気味に光っていた。

 

 

 

「こ・・・黒竜が動きました! 上昇してオラリオに向かってきています!」

 

 悲鳴のような監視員(ウォッチャー)の報告が神会(デナトゥス)の間に響く。

 ざわりと、戦慄を伴う緊張が走り抜けた。

 

「飛行モンスターは!」

「しばらく前から後続が途切れています!」

「・・・やむを得ん! 城壁の冒険者たちを退避させて市内の戦闘に投入! 入れ替わりにロキ・ファミリアの一級冒険者たちを城壁に送り、黒竜を迎撃させる!」

「ちょ、何考えとんねんロイマン!? ウチの子ら引っこ抜いたら、ここに敵が集中するやんけ! 大体うっとこだけであの黒竜にぶつける気か!?」

 

 イサミを囲む円陣に混じっていたロキが、思わず突っ込んだ。

 現在、どこからともなく次々と現れるデヴィルとモンスターたちの侵攻は広場の入り口を固める上級冒険者たちと、遊撃に回っているロキ・ファミリアの一級冒険者たちによって辛うじて食い止められている。

 ここでロキ・ファミリアの戦力を抽出して黒竜に当たらせれば、城壁から撤退してくる弓手達の戦力を考慮に入れても間違いなく均衡が崩れ、広場入り口のバリケードを突破されるのは、子供でも判る理屈だ。

 

「わかってます! ですが今足止めでも何でも黒竜に対抗できるのはあなたの派閥(ロキ・ファミリア)しかおらんのです!」

「ぬぬぬ・・・」

 

 どのみち戦局は圧倒的に不利。逆転のチャンスは、進行しつつある儀式を成就させる以外にないのだ。

 ロキが黙り込んだのを見て、ロイマンが後ろを振り向く。

 

「広場にはフレイヤ・ファミリアとへスティア・ファミリアを投入する! そう指示を出せ!」

「わ、わかりました・・・!」

 

 【神の鏡】を通じ、通信担当職員(オペレーター)が強ばった表情で指示を伝達する。

 顔一面に脂汗を浮かべ、ロイマンは食い入るように【鏡】を見た後、広間の中央に眼を向けた。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 二百人を超える神の人だかり、いや神だかりの中心、頭二つ突き出たイサミが朗々と呪文を唱えている。

 普段はふざけている神々も、今ばかりは無言でイサミに視線を集中させていた。

 目を閉じて集中し、複雑な印を次々と結び、ロイマンには理解も出来ない言語で詠唱を続けるイサミ。

 その額に僅かに汗が浮かんでいるのが見えた。

 

(頼むぞ小僧・・・!)

 

 ギルドに奉職してから一世紀。ギルド長になってから半世紀。

 ロイマンは初めて自分以外の何かに祈った。

 

 

 

「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!」

 

 バリケードの合間を縫って突き出されたグレイヴが、すぐ隣にいた冒険者の首を吹き飛ばした。

 

「うあああああああああああ!」

 

 噴水のように血を吹き出して倒れる死体。その血を浴び、悲鳴を上げ、涙を流しながらも武器を突き出す。

 だが体高3mほどの、二足歩行する白いアリのような怪物はゲドの突き出した槍を避けようともせず、甲羅であっさりと切っ先を弾く。銅色に光る複眼がぎろりとこちらを見た。

 

(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない)

 

 既に"戦いの影"は消えている。

 トゲだらけの悪魔につかみかかられ、全身を貫かれた上に首筋を食いちぎられて雲散霧消した。

 こうなるとしばらくは再召喚出来ない。

 

 "トゲ悪魔(バーブド・デヴィル)"はLv.3の、名前も知らない二級冒険者が倒してくれた。

 だがその二級冒険者もたった今首を吹き飛ばされて死んだ。

 その前にも隣にいたLv.2の上級冒険者が死んだ。その前も。その前の前も。

 

 人も悪魔も怪物も、殺されてはすぐさま後方の者がその隙間を埋める。

 殺して、殺されて、穴を埋めた者がまた殺される。

 最初からずっと最前列にいるゲドがまだ死んでいないのは、魔法のおかげもあるがただ運が良かったからに過ぎない。

 

 これでもまだ有利に戦えている方だ。

 最下級の者を除き、ほとんどのデヴィルは瞬間移動の魔力を持っている。

 封印世界の結界があればこそ転移を封じられているが、そうでなければバリケードの内側に実体化され、防衛線を崩されて容易に皆殺しになっていただろう。

 

 詠唱を終えた魔道士達の攻撃魔法が飛ぶ。

 炸裂した雷撃や氷の弾丸がデヴィルやダンジョンのモンスター達を吹き飛ばすがそれも僅かのこと、やはりすぐさま後続がその穴を埋めた。

 

 広場の彼らは知らされていないが、遊撃に回っていたロキ・ファミリアの主力は既に城壁に向かっている。城壁にいた射手や魔道士達である程度その穴は埋まるはずだったが、一級冒険者とただの上級冒険者の移動力の違いが、市中における力の空白を生んでいる。

 押しとどめる力が無くなれば、流れは滞りなく進む。つまりこの広場にだ。

 

「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!」

 

 白いアリ・・・アイス・デヴィルがグレイヴを薙ぎ払う。

 急ごしらえのバリケードの一部が吹っ飛び、二人の上級冒険者が首を吹き飛ばされた。

 

「止めろ! 奴に攻撃を集中するんだ!」

 

 誰かが叫ぶ。

 涙と鼻水を垂らしながらゲドも槍を突き出す。

 六本突き出されたうちの一本がアイス・デヴィルの甲羅を貫いて軽傷を負わせた。

 

「いいぞ、そのまま・・・」

 

 誰かの言葉が途中で途切れる。

 机やタンスなどを並べて作ったにわか作りのバリケードが、冒険者たちごと吹き飛んだ。

 

 

 

 全身の痛みをこらえつつ、反射的にもがき起き上がろうとするゲド。

 その目に映ったのは、3mほどの黒い悪魔だった。

 

 巨大な角、辛うじて人型と言えるシルエット、黒光りする鱗、翼と尻尾。右手に下げた鎖には、鋭いスパイクがびっしりと生えている。

 身長こそアイス・デヴィルに僅かに劣るものの、昆虫のような細身の同族とは違い、みっしりと肉が詰まったその体躯からはにじみ出るような暴力の気配が発散されている。

 

 ホーンド・デヴィル。()()L()v().()6()

 体当たりだけでバリケードを吹き飛ばしたそいつが、右手の鎖(スパイクト・チェイン)を力一杯振り回す。

 槍を構えて突撃してきた後列の冒険者たちが体をまとめて上下に引き裂かれ、湯気の立つはらわたと鮮血をまき散らした。

 

 続けて突撃しようとしていた更なる後列の冒険者たちの足が恐怖で止まる。

 巨体の悪魔が振るう鎖の間合いはゆうに7m。Lv.2程度が突っ込んでも死体を増やすだけだ。

 それを無感動に眺めた後、ホーンド・デヴィルは虹彩の無い目をぎょろりと動かした。

 

「ひっ・・・」

 

 見られた。

 ゲドの体が硬直する。

 今更ながらに周囲で生き残っているのは自分だけだと気付いた。

 左右のバリケードで戦っている冒険者たちは手が離せない。

 後方に控えている連中も割って入れない。

 

 ホーンド・デヴィルが無造作に鎖を振った。

 うるさい虫を追い払うかのように。

 

 避けなければ死ぬ。それがわかっていてゲドは動けない。

 ただ、一秒後に自らの命を奪うだろう鎖が振り上げられるのを見て――

 ぎんっ、と。鋭い金属音が響いた。

 

「へ?」

 

 まぬけな声を上げたゲドの横、30cmの距離にスパイクト・チェインが突き刺さった。

 地獄の金属から鍛え上げられたそれは半ばから断たれ、断面が鈍い輝きを放っている。

 紫色の剣閃と共にそれを切り裂いたのは――

 

「"リトル・ルーキー"・・・いや、"三月兎(マーチ・ラビット)"だーっ!」

 

 歓声が上がる。

 ベル・クラネルがそこにいた。



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21-08 退けない理由、負けられない理由

「大丈夫ですか、ゲドさん!」

「あ、ああ・・・」

 

 神速で戦列を駆け抜けホーンド・デヴィルの鎖を切り裂いてゲドを救った少年は、紫の輝きを放つナイフを逆手に構え、立っていた。

 Lv.6に達するであろうデヴィルと相対して、欠片ほどの怯えも見せてはいない。

 

 同時にゲドの視界を影が二つ、切り裂いた。

 思わず視線を動かすと、抵抗をものともせずバリケードを乗り越えてこようとしていたシロアリの怪物――アイス・デヴィルの首と右腕が吹っ飛んだところだった。

 二つの傷口から青い体液を吹き出し、白い巨体がバリケードの向こう側に落ちて見えなくなる。

 それを為したであろう二つの影が、奇妙なことに回転しつつその軌道を曲げ、防衛線のこちら側に戻ってくる。

 

「あっはー♪」

 

 屍山血河広がる戦場に不釣り合いなほど明るい声とともに、真紅の甲冑とマントをまとった巨体が戦列を飛び越して現れた。

 戻ってきた二つの影――巨大な戦斧を空中でキャッチし、ほとんど音も立てずに着地する。

 

「レーテー達が来たからには、もうやらせないよ!」

 

 見得を切ったそれに続いて大剣を担いだ小柄なエルフの少女、銀の胸当てを身につけた軽戦士、マントをまとった水色の髪の麗人、大朴刀を担いだ桿婦らが次々と現れる。

 

「ヘスティア・ファミリアだ!」

「うおおおおおおおおおおおお!」

 

 先ほどにも勝る大歓声が上がった。

 バベルを挟んで反対側からも、それに匹敵する歓声が聞こえる。

 オッタルらの名前が聞こえるところから見て、フレイヤ・ファミリアの面々もあちらに参戦したのだろう。

 

「行きましょう! ここから僕たちの手番(ターン)です!」

「「「オオオオオオオオオオ!」」」

 

 ベルの宣言に応えて上がる雄叫び(ウォー・クライ)

 前線で戦う者は雄叫びを上げ、後列に控える者はそれに加えて武器を振り上げる。

 若き英雄の登場に、全ての戦う者達が高揚する。

 

「GYYYYYYYYYYY!」

 

 だがその雄叫びと同時、ホーンド・デヴィルがベルに襲いかかった。

 得物の鎖を失おうと、爪もあれば牙もある。援軍が来ようともそれごと叩きつぶせばいい。

 速い判断と鋭い踏み込みは、地獄の軍団の最精鋭の名に相応しかった。

 

「GYッ・・・!?」

 

 しかし次の瞬間、紫の閃光が走った。

 胴を上下に切り裂かれてはらわたをぶちまけるホーンド・デヴィル。奇しくも先ほど自らが屠った上級冒険者たちと同じ死に様。

 ベルが叫んだ瞬間を狙った、そのタイミングは完璧。

 だがそれでもベルが上回った。

 

 一瞬にして神のナイフが紫の刃を形成し、鋭く振り抜かれたそれが悪魔の胴体をするりと切り抜ける。

 【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】。

 戦争遊戯の時から更に冴えを増したその剣が、ただの一太刀でLv.6モンスターを打ち倒した。

 

 更なる歓声が上がった。

 強敵を打ち倒し、意気上がる守備側。

 しかし、ベルの目は大通りの向こうから駆けてくる怪物達の姿を捉えている。

 

「・・・!」

 

 無言でベルがナイフを構え直し、気合いを入れる。

 まだ戦いは長く続きそうだった。

 

 

 

 鋭い剣戟の音が響く。

 【エアリアル】を発動させたアイズの全力。

 それでもなお倒しきれない相手が目の前にいた。

 

「アァァァァリィアァァァァアァ!」

「・・・!」

 

 颶風を伴う赤き凶剣の一撃。

 愛剣でそれを辛うじて払い、そのまま突き返し(リポスト)を狙う。

 払われた赤い大剣を力ずくで引き戻し、今度はレヴィスが大振りにそれを打ち払った。

 金の髪が数本切り払われ、宙に舞う。

 

 間合いを離し、息をつく。レヴィスは全くの平静だが、アイズの呼吸は既に荒くなりかけていた。

 オラリオの東側、大通りに面した第三区画の家屋の上。

 誰も入り込めない二人の世界を、アイズとレヴィスは形成していた。

 

 獣骨の面を付けた白の怪人が腕を組んでそれを見ている。

 アイズとレヴィスの戦いに割って入らない限り何もしない白の怪人(クリーチャー)――オリヴァス・アクトを、デヴィルたちを掃討するロキ・ファミリアの面々も放置していた。

 

 ロキ・ファミリアが遊撃を始めて間もなく、襲いかかって来たのが赤の怪人(クリーチャー)、レヴィスだった。フィンは即座にアイズを切り離し、その間に全力でデヴィル達の掃討に当たることを決断。

 結果、ロキ・ファミリア本隊とアイズ達の距離は1kmほども離れてしまっていた。

 

 再び剣戟の音が響き始める。

 技と速さでは辛うじて互角なものの、力が圧倒的。どれだけの魔石を食らったのか、全力で【エアリアル】を展開するアイズ相手に反撃を許さない、まさしく怪物。

 

「くっ・・・」

 

 アイズが焦りをにじませる。

 スキル【復讐姫(アヴェンジャー)】。

 黒い炎で身を包み、超絶的な強化を与えるアイズの切り札。

 

 ただし、怪物相手にしかこのスキルは発動しない。

 人語を解し、人の姿をし、あまつさえ彼女を何度も身を呈して守ろうとした白い怪人の存在もあり、アイズはレヴィスをモンスターと認識できない。

 

 アイズは強い。しかしその強さはモンスター相手のそれだ。技も経験も駆け引きも、そしてスキルも怪物を屠ることを願い、思い、想定し、発現したものだ。

 人でありながらモンスターの力を持つ相手に、全力を発揮しきれない。

 屋根の上を、徐々に押されていく。建物の切れ目がもうすぐそこ。

 

「「!」」

 

 アイズを押し切り、地面に叩き付けようとしていたレヴィスが後ろに跳んで下がる。一瞬遅れてアイズも。

 次の瞬間、炎の雨が一帯に降り注いだ。

 

 

 

「うひゃー! レフィーヤやるねえ!」

「街中であんな派手にやって大丈夫かしら・・・」

「だ、だってあれくらいしないとあの人相手には牽制にもなりませんよ!」

 

 ティオナ、ティオネ、レフィーヤの姿が、大通りを挟んだ北側の建物の上にあった。

 街中で火炎魔法、しかも範囲攻撃をぶちかましたレフィーヤが慌てて弁解する。幸い表通りは石造りの建物が多いので、延焼する危険性は低いだろう。

 

「おのれ、邪魔立てするか!」

「あんたらの都合に付き合う義理はないっての!」

「っ!」

 

 短剣を手に跳躍する白い怪人。次の瞬間鋭い金属音が鳴る。

 アマゾネス姉妹の姉、ティオネの手から鋭く投擲された狩猟ナイフを、オリヴァスが辛うじて弾いたのだ。

 精神衝撃(マインドブラスト)の有効範囲から僅かにそれて、オリヴァスが大通りに着地する。

 次いでアイズがティオネたちの隣に飛び移り、レヴィスもオリヴァスの隣に降りた。

 

「モンスターの掃討は?」

「城壁の上の人たちと交代だって。・・・黒竜が動いた」

「・・・!」

 

 アイズの瞳に暗い炎が灯る。

 それに物言いたげな表情を見せつつ、ティオネはフィンの指示を伝える。

 

「だからこいつらとのお遊びも終わり。逃げないようなら・・・私たち全員で潰す」

「みんな、残りのモンスター掃討したらこっちくるってさ! アルガナとバーチェも!」

 

 怪人たちに聞こえるように大声で言う姉妹。

 いかにこの二人が強力とは言え、ロキ・ファミリアとカーリー・ファミリアの主力全員相手には到底太刀打ち出来ない。イサミ達が不在だった『精霊の六円環』の時も同様の状況で退却している。

 

 だが。

 

「・・・オリヴァス」

「なんだ」

 

 歯をきつく食いしばり、言葉を絞り出すレヴィス。

 

「可能な限りでいい。あいつらを足止めしてくれ」

「承知した」

 

 死ねと言うにも等しい言葉に、無造作に頷く白の怪人。

 むしろ動揺したのは屋根の上のアイズ達だった。

 

「・・・!」

「ちょ、あんたら本気!? あたし達だけならともかく、団長やアルガナたちも加わって勝てると思ってるの? 10対2だよ!?」

 

 レヴィスが歯を食いしばったまま、屋根の上のロキ・ファミリアを見上げる。

 その顔には焦りにも似た感情が浮かんでいた。

 

「もうこれが最後のチャンスだ・・・アリア! 私が! お前を殺す(手に入れる)! 最後のチャンスなのだ!」

「な、何を言ってるんですかあなたは・・・!?」

 

 異様さに押されるレフィーヤ。無言のアイズ。レヴィスは憑かれたように言葉を続ける。

 

「黒竜が動いた! 我が神も間もなく本来の姿を取り戻す! そうなれば私もお前達も皆この世から消える! 今だ! 今しかないのだ!」

「・・・それでも」

 

 決意を固めた表情でアイズが口を開いた。騎士の誓いの如く顔の前に剣を立て、レヴィスを見据える。

 

「それでもあなたたちには負けない」

「アリアァァァァァァッ!」

 

 静かに宣言したアイズに、レヴィスが飛びかかる。

 アイズが構え、ティオネ・ティオナ・レフィーヤとオリヴァスが動こうとした瞬間。

 

「ガッ!?」

「!?」

 

 空中でレヴィスが叩き落とされた。

 同時に空中に姿を現したのは緑のマントを翻すエルフ。

 他の四人の足が驚愕で止まる。

 

 ふわりと着地するエルフ。街路に叩き付けられて素早く跳ね起きたレヴィスが、歯をむき出しにして闖入者を威嚇する。

 

「貴様・・・っ!」

「あなたを止めに来ました、アリーゼ」

 

 【疾風】リュー・リオンがそこにいた。



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21-09 疾風のように

 つかの間、その場に流れた沈黙と停滞を破ったのは赤毛の女だった。

 

「貴様など知らぬと言った」

()()()はそうでしょう。でもあなたの体は、その肉体はそうじゃない」

「・・・!」

 

 リューの言葉にレヴィスの眉がぴくりと動いた。

 

「え? どゆこと? ティオネ判る?」

「わ、わかるわけないでしょ!」

「・・・」

 

 戸惑うティオナ達。

 レヴィスとオリヴァス、そしてリューは無言のまま。

 

 僅かに時が流れた後、ティオネ達の後ろの屋根から足音がした。

 振り向くティオネ達の目に映ったのは家々の屋根を跳んでくるロキ・ファミリアの面々。

 

「どうした、何をぐずぐず・・・【疾風】?」

 

 リヴェリアの眉がいぶかしげにひそめられる。

 

「リヴェリア様、どうかここはお譲りください。この女は私の・・・親友の仇です」

「だがお前はまだLv.4だろう!」

「黒竜を相手になさるのでしょう。ならばここはお任せを。勝算がないわけではありません」

「・・・」

 

 口ごもるリヴェリア。フィンも咄嗟には判断がつかないようで親指を口元に運ぼうとする。

 

「リヴェリア、フィン」

 

 その動きを止めたのはアイズの言葉だった。

 

「相手にならない、と言うことはないと思う。勝てるかどうかは・・・わからないけど」

「ではここは任せるよ【疾風】。武運を祈る」

「フィン!」

 

 いっそ無情なほどに即断するフィン。リヴェリアが声を上げるが、その勢いは強くはない。

 彼女もわかっている。ここでリューを「捨て石」にするのがオラリオを守るためには最善の一手であることを。

 

「そちらも」

 

 そして当の本人はレヴィスから目をそらさないまま、短く答えを返した。

 

 

 

「行くぞ!」

 

 フィンの号令が響く。

 葛藤も未練も飲み込んで、ロキ・ファミリアの精鋭達が駆ける。

 リヴェリアとレフィーヤだけが一瞬振り向いた。

 

「・・・!」

 

 ぎりり、とレヴィスの奥歯が鳴った。

 それは自らに一瞥をもくれないアイズへの憤りか、それとも自らを邪魔する目の前のエルフに対する怒りか。

 

「ちっ」

「待て、オリヴァス」

 

 舌打ちして動こうとした骨仮面を、赤毛の女が制止する。

 

「追わずともいい。こうなればこの女の首を奴らの前に転がしてやるまでだ!」

「させません。少なくとも、あの方々がオラリオのために戦っている間は、決して」

 

 憤怒の炎に顔を歪ませるレヴィスに対し、リューは凪いだ湖面のごとく静か。

 

「ほざけっ!」

 

 レヴィスが街路を蹴った。

 踏み割られた敷石の破片が爆発のように後方に広がり、一つがオリヴァスの腕をえぐって血をにじませる。

 Lv.7にも匹敵する、馬鹿げたステイタスに支えられた踏み込み。

 一般人や並の冒険者には、それこそ彼女の姿が消えたようにしか思えまい。

 

 轟、と空気を引き裂いて赤い凶剣が唸る。

 受けるには力が足りない。回避するには敏捷が足りない。

 Lv.4とLv.7。単純にして圧倒的な能力値の前には、神技をもってしても埋めきれない差がある。

 

 そのはずだった。

 

「!?」

 

 レヴィスの大剣と、リューの構えた日本刀が触れあい、火花を散らした。

 受け止めてはいない。かわしきってもいない。

 

 レヴィスの圧倒的速度。

 踏み込んで剣を振り下ろすまでにリューは半歩動いただけ。

 だが斜めに担いだ刀を左肩で支え、振り下ろした凶剣を身体全体、刀全体で受け流す。

 

「っ」

 

 自分を断ち割る力をそらした代償に、横向けのベクトルがその身体にかかる。

 吹き飛ばされつつも、リューは「鍵となる言葉」を口ずさむ。

 

「なにっ?!」

 

 腕をえぐられても何一つ反応しなかったオリヴァスが、思わず声を漏らす。

 瞬間、リューの姿が消えていた。

 

「ちっ・・・そう言えば最初も透明化していたな。ステイタスの差をそれで補おうという魂胆か、小賢しい」

 

 だがレヴィスに焦りはない。彼女ほどにステイタスを高めていれば、呼吸音や剣の風切り音だけでも大体の位置はわかる。そして地面を蹴れば僅かに土煙や微細な塵が動くのは避けられない。怪人の目はそれも見逃さない。

 

 だがそれでも。

 

「ぐっ!」

 

 火花が散る。

 アイズと戦っていた時を含め、今日初めてレヴィスが焦りの表情を見せた。

 

 聞こえたのはほんの僅かな風切り音だけ。

 咄嗟に、それも本能的に動かした剣が見えない斬撃を防いだ。

 防いでいなかったら、一撃で首を切り落とされていただろう。

 

 同時にリューの姿が現れる。

 地上1mに浮かんで、いや、()()()()()()()()()()

 

「さすがに、そう簡単にはやらせてくれませんか」

 

 さして悔しげでもなく呟いて後方に跳び、またしても姿を消す。

 先ほどの一撃を無理な姿勢で防いだレヴィスはこれを追撃できない。

 

「おのれ羽虫がっ・・・!」

 

 格下と見下していた、本命の前のただの石ころに過ぎなかったはずの相手に翻弄された。最早アイズのことすら忘れたかのように怒り心頭に発する。

 オリヴァスが仮面の下で僅かに眉を寄せた。

 

 

 

 それから数度、攻防が繰り返された。

 空中から突然現れるリューの剣をギリギリの――本当にギリギリの所でレヴィスがかわし、受ける。

 首、腕、足首。いずれも当たれば落とされる。

 レヴィスをしてそう感じさせるだけの鋭い一撃。

 一撃離脱でその場を飛び退き、再び空中に溶け込むリュー。

 攻撃を待ち受けているにもかかわらず、一撃一撃ギリギリで防いでいるレヴィスはそれを追撃できない。

 

 リューの剣は高度を選ばない。同じ地面に立っていない。それどころか重力の方向にすら影響されていないかのように思えた。

 おそらく"空中歩行(エアウォーク)"の魔力を得ているのだろう。

 地面を、壁を、天井を蹴るように、彼女の足は空気を蹴ることが出来る。

 上下逆転していようと横倒しになっていようと、彼女ほどの体術とセンスの持ち主ならば関係ない。人間相手にはあり得ない、予期できない変幻自在の攻撃方向。

 レヴィスがそれを防ぎ続けていられるのは、ひとえに桁外れの敏捷性と知覚力、そして僅かな幸運があればこそ。

 

「ありえん!」

 

 攻防が二桁に達し、またしてもリューが姿を消したとき、不意にレヴィスが叫んだ。

 

「お前はLv.4のはずだ! ステイタスの更新もランクアップも出来ない!

 いかに姿を消そうと、いかにお前の隠形が優れていようと、私が感知できないはずがない!

 たとえお前の全力の斬撃であろうと、防ぐ必要すらないはずなのだ!

 どうやってランクアップした! あの男(イサミ)の仕業か!」

 

 我を忘れるぎりぎりにまでレヴィスが感情を高ぶらせる。

 だが実際その通りであった。

 

 リューがLv.4としていかに優れていたとしても、3lv分のステイタス差は圧倒的だ。

 本当にそれだけの差があれば、そもそもレヴィスはリューの剣を防ぐ必要すらない。

 レヴィスの首に全力の斬撃を見舞ったとしても、僅かに血がにじむ程度だろう。

 3lv、それも人類と怪人(クリーチャー)の間にはそれだけの差がある。

 

「・・・」

 

 一方リューは無言。

 レヴィスの詰問に答えずに攻撃を再開しようとして、ふと脳裏によぎったのはかつての赤髪の親友と、色々ろくでもないことを仕込んでくれた小人族の仲間。そして人の悪い笑みを浮かべる虎縞頭の巨漢。

 僅かに笑みを浮かべ、リューは口を開く。

 

「それは・・・」

「それは!?」

 

 空中から聞こえてきた声に、レヴィスが反応する。彼女にとっての「理不尽」によほど憤っているのか、声のした場所を攻撃することすらしない。

 それを見たリューは間をたっぷり置いて、その一言を放った。

 

「それは秘密です」

「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!」

 

 今度こそ我を忘れたレヴィスが声のした空中の一点に飛びかかった。

 だがその寸前、リューの方が動いている。

 笑みを消して、剣を振り下ろす。

 攻撃態勢に入った――つまり、先ほどまでと違って防御に専念していないレヴィスの首筋。そこを目がけて断頭の剣尖が迫る。

 だが首筋のうぶ毛に刃先が触れたかと見えた刹那、世界が軋む音がした。

 

「!」

「!?」

 

 ぎぃんっ、と音がした。

 無論錯覚だ。

 神経網を走った精神的な衝撃が、聴覚に誤情報をもたらしたに過ぎない。

 

 "精神衝撃(マインドブラスト)"。精神を揺らして朦朧とさせるオリヴァスの切り札。

 それ自体にはリューは耐えた。

 だが朦朧化は防げても、"空白の心(マインドブランク)"でもかかっていない限り、衝撃それ自体をなくすことは出来ない。

 剣は僅かにそれ、レヴィスの後頭部と髪を浅く切り裂くだけに留まる。

 "精神衝撃(マインドブラスト)"で揺れた剣では、怪人の頭蓋を断ち割るには遠く及ばない。

 

「くっ!」

 

 それでも素早くコマンドワードを唱えて再び透明化するリュー。

 一方レヴィスは"空白の心(マインドブランク)"か類似する効果を得ていたのだろう、頭部を打たれて僅かに体勢を崩したものの、よどみない足取りで着地し、振り返る。

 

「オリヴァス! 何のつもりだ! 手を出すなと・・・」

「落ち着け!」

 

 白仮面の男が一喝した。

 次の瞬間、リューの剣をまたしてもぎりぎりでレヴィスが防ぐ。

 

「・・・すまん」

 

 短くそれだけ言うと、レヴィスは再び先ほどと同じ体勢――リューの攻撃を待ち構え、あわよくばカウンターする構えに入る。

 その目は既に白い怪人を見ていない。

 オリヴァスは無言で、ただ僅かに頷いた。

 




レヴィス=アリーゼは本編でも構想はあったそうですが、ボツになった設定だとか。
まあ結構あからさまに伏線は張ってあったと思いますので、このSSでは流用させて頂きました。


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21-10 空閑瞳(クーカン・ドー)

 疑問を脇に置いたレヴィスであったが、その疑問自体は間違っていない。

 実際リューはランクアップしていた。

 

 何と言ってもイサミは現在地上に降りている神を()()集めたのだ。

 当然、その中にはリューの主神であるアストレアも含まれている。

 ブランクがあったとは言えアストレアと別れてからの復讐劇、そしてここ最近の冒険行はランクアップ、それも相当な潜在値(オーバーフロー)を上乗せして上昇するのに十分なものであった。

 

 加えて今のリューにはイサミの"おまじない(ウィッシュ)"による能力値上昇、"英雄のいさおし(ヒロイックス)"呪文による多くの戦技習得、守りの刀、防護の指輪、全能力値上昇のベルト、幸運の石といった無数の魔道具――イサミの装備の予備がある。

(装備部位が重なるものは、一つのアイテムに複数の魔力を付与して対応している)

 

 それらを合わせれば総合力はLv.6上位、防御力と機動力に限って言えばLv.7をも凌駕するだろう。隠密の技能も強化されているので、相乗効果で透明化の効果が更に上昇している。

 イサミと相談の末用意して貰った装備と対抗策、戦術だった。

 

(ですが――)

 

 それだけの強化をもってしても、現状は「何とか勝負になっている」程度だ。既に赤毛の怪人(クリーチャー)もこちらの攻撃に慣れつつある。

 

(このままの攻撃を続けてラッキーヒットを期待するか、あるいは切り札を使うか・・・)

 

 足止めとしてのリューはこの上なく有効に機能している。

 だがそれでオラリオは救えるかも知れないが、リューの目的は果たせない。

 

「おおっ!」

「!」

 

 リューが逡巡したその一瞬、レヴィスがその大剣を石畳に叩き付けた。

 叩き付けられた一点が爆発し、敷石の破片と砂礫が飛散する。

 リューの体にもパラパラと砂が当たった。

 

(しまった!)

「そこかあっ!」

 

 土煙を押しのけてレヴィスが奔った。

 反射的に回避するリューだが、それでも空中を舞う土ぼこりにその動きの軌跡が浮かび上がってしまうのは避けられない。

 

 激しい金属音が走り、空中に火花が散る。

 攻撃的行動を取ったわけではないので透明化は解除されないが、それでも刀での防御を強要された。

 咄嗟に空気を蹴り、土ぼこりとレヴィスの剣が届かない上空へ退避する。

 

(くっ)

 

 まだ晴れない土ぼこりを見下ろし、リューの額に僅かに汗がにじむ。

 前提を覆された。

 最早透明の指輪で姿を隠して攻撃するのは不可能に近い。

 イサミからはしばらくの間攻撃をしながら姿を隠し続けられる魔法の粉も借り受けていたが、それもこの状況では意味がない。

 同系統の呪文では最上位に位置する"上位不可視化(スペリア―・インヴィジビリティ)"ですら、実体がある以上この方法では無効化されてしまう。

 

 長期戦に持ち込むのも不可能だ。その気配を感じれば、レヴィスは躊躇無くこの場を離れてアイズのもとへと向かうだろう。

 オラリオを守るため、前以上の怪物と化した黒竜に挑む彼女ら。そこに怪人たちを向かわせるわけにはいかない。正義の女神の眷族として、それだけはできなかった。

 

(・・・)

 

 固く目を閉じ、再び開く。

 その時にはもう、覚悟は定まっていた。

 

 

 

「・・・ほう?」

 

 収まってきた土ぼこりの中で、赤髪の怪人が薄笑いを浮かべた。

 街路の上、片手に刀を提げたリューが姿を現したのだ。

 

 そのままゆっくりと、しかし確かな足取りでリューがレヴィスに近づく。

 笑みを浮かべたまま、片手で剣を街路に突き立て、レヴィスは待つように動かない。オリヴァスは元より腕を組んだまま不動。

 

 彼我の距離が6mほど、レヴィスならば一足一刀の間合いに入った所でリューは立ち止まった。赤い怪人を見つめる瞳は硬く、そして揺るぎない。

 レヴィスも笑みを浮かべたまま、いまだ動かない。

 対峙する二人。いつ、どちらが動くか読めない。

 それでもレヴィスの勝ちは揺るぎない。

 そうオリヴァスが思ったその瞬間、二人の姿はかき消えた。

 

「む・・・どこだ!? レヴィス! どこだ!」

 

 またしても透明化したか、と考えたオリヴァスが一瞬の後、己の過ちに気付く。

 まだ僅かに漂っている土ぼこりに動きはない。二人が石畳を蹴る音もない。

 つまり二人は、文字通り消えてしまったのだ。

 

「レヴィス! どこだ、レヴィース!」

 

 無人の街路に、白の怪人の声がむなしく響いた。

 

 

 

「・・・ここは!?」

 

 怪人として姿を現して、恐らく初めて見せた驚愕の表情。

 ダンジョンのもたらす多くの神秘を目の当たりにしてきたレヴィスにとっても、今目にする光景は異様であった。

 

 暗くも明るくもない空間。

 周囲には何もないようでありながら、見えない何かが全ての空間に満ち満ちているようにも思える。

 暗緑色から濃紺、暗紫色と色を変える波のような無数のゆらぎが視界の果てまで連なり、天にも地にもゆらぎ以外は何もない。

 そのくせ足元にはしっかりした地面の感触。

 

 その中で、刀を提げたエルフの戦士の姿だけがはっきりと見える・・・いや、感じられるといった方が正確かも知れない。全ての感覚が混乱し、本当に視覚で相手の姿を捉えているのかすら、今のレヴィスには自信がなかった。

 そもそも何がどうしてこうなったのか。

 相対したとき、リューの目が一瞬大きく見えて、次の瞬間にはここにいた。

 

(何をされた? 詠唱はしていなかったはず。幻覚か? 仲間が潜んでいたか?)

 

 さすがのレヴィスも一瞬混乱したその隙にリューが動いた。

 水の中を動くような動きで歩み寄り、ゆっくりと剣を振り上げる。

 

「何だそのノロノロした動きは! 私を・・・っ!?」

 

 いらだちと共に剣を振り抜こうとした瞬間、レヴィスは異常に気付いた。

 その驚愕の一瞬を切り裂き、リューの剣がレヴィスの肩口を断ち割る。

 

「がっ・・・」

 

 致命傷ではない。

 そのままならへそまで切り下げられていたところを、咄嗟に身を翻してレヴィスはリューの一太刀を逃れていた。

 肩口を割られ、左腕は動かせないだろうが致命傷には程遠い。

 だがしかし、普段ならすぐに塞がるはずの傷が塞がらない。そもそもあのような力も速度も乗っていない剣で断てるほど、レヴィスの皮と肉はやわくはない。

 

「まさか」

 

 右手で引きずる赤い大剣を見る。

 「引きずる」だ。

 「持ち上げる」でも、まして「構える」でもない。

 

 あの時リューの剣を自らの剣で払わなかったのは何故か。

 ()()()()()()()()()()()()

 いつもなら小ぶりのナイフほどにも重さを感じない、細枝の如く縦横無尽に振るえるはずの剣が持ち上げられなかった。まるで巨大な鉄塊ででもあるかのように。

 

 だが。

 だがそれが剣が重くなったのではなくレヴィスが非力になったせいなのだとしたら。

 愕然とした表情で目の前のエルフを見る。

 ことさらにゆっくり歩いてゆっくり剣を振ったように見えたが、それが「今の彼女」の全力なのだとしたら。

 

「その通りです、"怪人(レヴィス)"。詳しいことはわかりませんが、ここではあらゆる超常的な力が働きません。魔法も、魔道具も、【恩恵】も・・・そして魔石の力も。ここで頼れるのは自らの肉体と技のみ。

 クラネルさんは"空閑瞳(クーカン・ドー)"と言っていましたが」

 

 彼女の表情から内心を読んだのか、一撃を加えた後距離を取ったリューが口を開く。

 レヴィスが愕然とした表情のまま、自らの胸元を見下ろす。

 無数の魔石を食らい、はち切れんばかりの力を蓄えたはずの胸の魔石が、ほとんど何の力も伝えてこない。

 ダンジョン外に適応した一部のモンスターのように、生存に必要なごく僅かな分だけは本来の肉体の一部として扱われるのか、体が動かなくなったり崩壊したりするようなことはないが、今のレヴィスは怪人ではなく普通の人間とほぼ変わらない、ということだ。

 

 "空閑瞳(クーカン・ドー)"。

 己と敵をどこでもない場所、地水火風の四大元素の隙間である「空」すなわち虚無に置くことで、あらゆる霊的な力を封じる技。

 D&Dにおける東洋世界ロクガンにおいて、"真道(シンタオ)"すなわち墜ちたる神フー・レンを封じた伝説の哲人真星(シンセイ)の教えにその身を捧げ、己を鍛え上げた修道僧たち・・・"真の道の求道者(シンタオ・モンク)"たちに伝わる奥義だ。

 

 イサミはウィッシュ呪文によって自らを作り替え、一度シンタオ・モンクの奥義を究めた上でそれを魔術師の技術で魔道具として擬似的に再現したのである。

 エピックレベルに近い高度なものになってしまった上で一度きりの使い捨てだが、恐らくリューがレヴィスに勝てる、唯一の手だった。

 

 ただ、力を封印されるのはリューも変わらない。【恩恵】も、無数の魔道具も、イサミの施した強化魔法も、今は何の効果も発揮していない。ただの、刀を持った一人のエルフに過ぎない。

 

(ですがこれで条件は対等。イサミさんが作ってくれた一度きりのチャンス、けして無駄にはしません)

 

 刀を握り直す。

 施された魔法強化は効果を発揮していないが、それでも最硬金属(アダマンタイト)を鍛え上げた業物には違いない。

 【恩恵】が効果を発揮していないとは言え、鍛えた技と肉体も変わらない。

 人一人を斬るのに不足はない。

 

「ちっ」

「む」

 

 一方でレヴィスは思い切りよく、右手の大剣を手放した。音を立てず、「地面」に赤い凶剣が転がる。

 レヴィスの剣は刃渡り1.5m、刀身の幅が根元では50cm近く、それに応じた厚みも備えた超重量級の武器だ。重さは80kgにもなろうか。【恩恵】も魔石の力も持たない人型生物が振り回せる代物ではない。

 

「―――」

「っ―――」

 

 無言で、レヴィスが無手の構えを取る。左腕も構えを取るが、どこまで動かせるかはわからない。

 その構えを見てリューは僅かに眉を動かしたが、無言で刀を青眼に構えた。




クーカン・ドーとシンタオ・モンク、シンセイはD&D三版のサプリ「オリエンタル・アドベンチャー」に載っていたもの。
大体作中の説明通りですが、漢字は私が適当に当てはめたものだと言うことをお断りしておきます。

クーカン・ドーは多分向こうのデザイナーの意図としては「空間道」とかじゃないかなあと思うんですが、さすがにそれだと忍殺かい!ってツッコミが入るのと、視線による攻撃扱いなので、「瞳」の字を当てました。

後、書き終わった後で気付いたんですが、これ互いの呪文や超常能力は封じますけどマジックアイテムは封じませんねw
なので、クーカン・ドーっぽい効果を発揮するオリジナルアイテム、ってことでひとつ。


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21-11 友

「!」

「はっ!」

 

 意外にも、戦いは一方的な展開にはならなかった。

 五体満足で刀を持ったリューと、素手かつ手傷を負ったレヴィス。互いにあるのは自分の肉体の力のみ。だがその状態でもなお、レヴィスは抗ってみせた。

 

 何度目かの攻防の後、鋭く振り下ろしたリューの一刀をギリギリでかわして懐に入る。刃が頭をかすめ、赤毛と血が飛び散る。

 それを意に介さず理想的なフォームでリューの顔面に伸びる右の抜き手。狙うは碧の瞳。

 僅かに体をそらしてそれを避けつつ、リューは振り下ろした剣を燕返しに跳ね上げる。

 

 天に駆け上る刀身がレヴィスの右腕を断つかと見えた瞬間、怪人の赤い髪がリューの視界から消えた。

 ぞくり。

 リューの背筋を悪寒が走る。

 

 更に背筋を、ほとんど顔が真上を向くほどにそらす。

 その顔のすぐ上、フードの端をかすめてレヴィスの足刀が通り過ぎていった。

 そのままブリッジの姿勢からバク転し、後ろに下がる。

 マントの端をかすめて二太刀目の足刀が疾ったのがわかった。

 

 バク転を終えてリューの足が「地面」に着地したとき、レヴィスの足もまた着地するところだった。

 腕を切り落とされようとしたとき、レヴィスは拳を足元に打ち下ろし、その反動で左足を後ろに跳ね上げた。

 そのまま右足を軸にコマのように回転してリューの顔面を狙い、それが不発に終わると回転をそのまま宙に飛んで、右足で追撃を仕掛けたのだ。

 

「ちっ、これをかわすか」

 

 リューの剣をかわす動作がそのまま攻撃に繋がる攻防一体の動き。

 いや、間違いなくそこまで読んで攻防を組み立てていたとしか思えない。

 野獣のような今までの戦い方とはまるで違う、テクニカルなそれ。

 

(何より今の動きは・・・!)

 

 平静を装いつつも、リューは動揺を必死で抑えていた。

 剣に加えて格闘戦も得意としていた親友が切り札としていた動き。

 組み手で何度も見せられた、初めて見たときは綺麗にノックアウトされた技。

 見ていなければ、知っていなければ、恐らくは今もまともに食らっていたろう。

 

「・・・やはりあなたなのですね、アリーゼ」

 

 ぽつりと、リューの唇から言葉がこぼれる。

 苛立たしげだった怪人の表情が、一気に憤怒の相に変わる。

 

「違うと言ったぞ、リオン! 私はレヴィスだ! 貴様らの言う怪人(クリーチャー)だ!」

「覚えていないのですね、アリーゼ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「!」

 

 激昂するレヴィス。それと釣り合いを取るかのように、リューの心は冷静さを取り戻していく。

 

「黙れ! 黙れ! だまれぇぇぇぇっ!」

 

 吼える。飛びかかる。我を忘れるほどに激昂していてもその動きに乱れはない。

 積み重ねてきた厳しい鍛錬と実戦経験のたまものを、体が覚えている。

 だが。

 

「がっ!」

 

 ぱっと赤い血しぶきが散った。

 目の前にいる女性と積み重ねてきた鍛錬と実戦経験を体が覚えているのはリューも同じ事。そして体だけではなく、リューの心もそれを覚えている。ゆえに冷静さを取り戻した今のリューには、レヴィスの拳の筋が見える。

 

「このっ・・・!」

 

 拳。蹴り。回し蹴り。裏拳。足払い。倒立蹴り。動かないと見えた左腕を駆使してのフェイントと連続攻撃。

 だがどれも当たらない。そのたびにごく僅かに上を行かれる。浅くではあるが斬られる。

 深手は避けているが体力の消耗も失血も激しい。

 

(こうなれば)

 

 相打ちを覚悟で、打撃を装って組み付きに入る。この女(リュー)を絞め殺し、このわけの判らない空間から脱出すれば魔石の力が復活する。いざとなればオリヴァスもいる。どんな瀕死の重傷でも生き延びる自信はあった。

 

(胸の魔石さえ砕かれなければ!)

 

 そう思った次の瞬間、レヴィスは愕然とする。

 レヴィスの踏み込みに完璧に合わせたタイミングでの、カウンターの踏み込み。

 右拳の外側、パンチを繰り出しても当たらない、無理に当てても威力を発揮できない位置への踏み込み。

 だがリューがレヴィスの胴を薙ぐには理想的な位置。

 

 読まれた。いや、誘い込まれた。

 失血と消耗で力を失った体は、それに反応することもできない。

 魔石の力に任せて戦っていた怪人(クリーチャー)が忘れていた、人間の体のもろさ。 

 それが最後の最後で彼女の足を引っ張った。

 

「さよなら、怪人(レヴィス)

 

 鍛錬で何度も繰り返した動きをリューは覚えている。突き出された拳をすり抜けるように回避。繰り出す横薙ぎの一刀。

 鉄を豆腐のように断ち切る最硬金属(アダマンタイト)の刃はレヴィスのみぞおちに吸い込まれ、そのまま振り抜かれた。

 

 

 

「・・・」

 

 レヴィスは目を開いた。

 胸から下の感覚がない。目に映るのは、先ほどまでと同じ暗寒色の無限のゆらぎ。

 

「気付きましたか、アリーゼ」

「アリーゼでは・・・ない・・・私は・・・レヴィスだ」

 

 視線をそのまま上にやると、逆さになったリューの顔があった。

 頭の後ろに感じるやわらかい感触に今更ながらに気付く。

 どうやら自分はこのエルフに膝枕をされているらしい。

 

「何をしているリオン・・・早くとどめを刺せ」

「・・・」

「どうした。さもなくば・・・私がお前を・・・」

 

 ぽたり。

 レヴィスの言葉が途切れた。

 ぽたり、ぽたり。

 

「刺せるわけ・・・刺せるわけないじゃないですかっ! 私に、二度も・・・三度も親友を殺せと言うんですか!」

 

 ぽろぽろと、リューの瞳から涙がこぼれる。

 ふっ、とレヴィスの顔に笑みが浮かぶ。

 

「変わらないな、リオン・・・言っただろう。正義は背負うものではない。いつか押し潰されてしまうと」

「・・・アリーゼ!?」

 

 リューの目が驚愕に見開かれる。

 その言葉は、その表情は、変わってはいたものの、確かにかつて親友と呼んだ少女のものだった。

 

「お前の言う通りだ・・・私はアリーゼ・・・だが同時に怪人(レヴィス)でもある・・・」

「・・・はい。イサミさんもそう言っていました。他人の精神をあなたの精神に植え付けて変質させたのが今のあなたであると・・・」

 

 "精神の種子(マインドシード)"。

 他人の精神に自らの精神の種を植え付けるおぞましき超能力(サイオニック)

 植え付けられた種はやがて「発芽」し、精神に根を張って、発現者の意志を植え付けてしまう。

 

 ただ植え付けられた意志は「レヴィス」のものであっても、その精神自体はアリーゼのものだ。それ故に彼女にはアリーゼの記憶もあれば、人格も残っている。

 普段は押さえつけられていたそれが、肉体的なダメージとこの空間の霊的な抑圧によって表面に出て来たと言うことなのだろう。

 だが変質し融合しきってしまった今の「レヴィス」を完全に元のアリーゼに戻すことは、恐らく自分の力をもってしても不可能だとイサミは言った。

 

「アリーゼ・・・あなたに種を植え付けた本物の『レヴィス』は・・・」

「恐らくだが・・・もう存在しない。何となくわかる・・・『レヴィス』はそうして肉体を乗り継いで来た・・・体が滅びそうになるたびに新たな『レヴィス』を産みだし、植え付けて・・・

 だがそれももう終わる・・・この空間で『レヴィス』は消えるのだ・・・」

 

 霊的なもの全てを抑圧するこの空間は、当然超能力の発動も阻害する。たとえ宿主の死が発動の鍵だとしても、この空間にある限り他者に自らの種を植え付けることは出来ない。

 

「今なら判る・・・私は確かに『レヴィス』で、そして『アリーゼ』でもあった・・・」

「あなたは【剣姫】のことが大好きでしたものね。彼女に対する執着もそれゆえですか」

 

 頬に涙のあとを残しながらもリューは微笑む。その脳裏に浮かぶ、かつての光景。

 

「あ~、かわいいなー、【剣姫】! うちのファミリアに引き抜けないかなー!」

「こうやって、ぐわしって頭掴んで、あの髪の毛わしゃわしゃしてあげたい!」

 

 などと言い放って、周囲から呆れの目で見られていた赤毛の少女。

 奔放でいい加減で享楽的で、それでいて揺るぎなき正義の女神の使徒だった親友。

 それら全てが、今でもリューのかけがえのない宝物だ。

 

 それにつられて弱々しくほほえみを浮かべたレヴィスの表情が、ふと厳しいものになる。

 

「・・・アリーゼ?」

「それも・・・ある・・・だがそれ・・・だけでは・・・」

「アリーゼ!」

 

 最早生命の灯火が消える寸前なのだろう。

 切れ切れにレヴィスは言葉を紡ぐ。

 

あの娘(アイズ)は・・・鍵・・・タリズダンが・・・最後の・・・絶対に渡・・・それから・・・」

 

 見る見るうちに力を失い、かすれるような吐息にしか聞こえなくなるレヴィスの声。

 親友の唇に耳を近づけ、それを聞き漏らすまいとするリュー。

 

「・・・あああ! あああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 やがて、痛哭の叫びが異空間に響き渡った。



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21-12 漆黒の姫と漆黒の竜

 白の怪人、オリヴァス・アクトは待っていた。

 はやる心を抑え、いかなる事態にも対応できるように待っていた。

 

 そして消えたときと同様に、唐突に二人は現れた。

 ただし、オリヴァスが思っていた最悪とも違う、全く予想もしなかった姿で。

 

 消えた場所に座り込むリュー。リューは静かに泣いていた。

 女に膝枕されているのは目を閉じ、腹から下を失ったレヴィス。

 

 オリヴァスは混乱し、たたらを踏む。

 何かがおかしい。

 "怪人(クリーチャー)"であるレヴィスが下半身を失っただけで死ぬはずがない。

 だが現実にレヴィスは動かない。全く生気を感じない。

 

「レヴィス」

 

 名前を呼ぶ。

 赤毛の女は動かない。

 

「レヴィス」

 

 リューが顔を上げた。レヴィスはやはり動かない。

 

「レヴィス!」

 

 最早声は絶叫に近かった。

 レヴィスの頭を優しく街路に下ろし、リューが立ち上がる。

 

「オリヴァス・アクト。アリーゼ・・・レヴィスは死にました」

「嘘だ! 私たちは"怪人(クリーチャー)"だ! それしきの傷では死なない!」

「いいえ、死にました。"親友(アリーゼ)"も、"怪人(レヴィス)"も、もうここにはいません。確かめてみればいいでしょう」

 

 リューがレヴィスから数歩下がる。

 僅かに立ち尽くしていたオリヴァスがゆっくりとそれに近づく。

 かがみ込み、胸から上だけになったレヴィスを抱き上げる。

 やがて、仮面の下から嗚咽が漏れてきた。

 

 

 

 遠くから戦いの音がする。

 普段の喧騒とはかけ離れた無人の街路に、すすり泣きの声が響く。

 胸に手を当て、死者を悼むようにリューは静かに俯いて動かなかった。

 

 やがてすすり泣きの声が低くなっていく。

 それを見計らってリューが口を開いた。

 

「オリヴァス・アクト。彼女からあなたへ伝言です」

「・・・」

 

 すすり泣きの声が止まる。

 少し間を置いて、リューが再び口を開く。

 

「ありがとう、と。あなたには何も報いることが出来なかったが、せめて胸の魔石は自由にしてよいと。それはあなたがくれたものだから・・・だそうです」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 オリヴァスがレヴィスの体を強くかき抱く。俯いたその表情は、仮面に隠れてリューからは見えない。

 

 沈黙が流れた。

 かなり長い時間が経ち、オリヴァスが口を開く。

 

「レヴィスを殺したのはお前か」

「はい」

「レヴィスはお前の友だったのか」

「・・・はい」

 

 再び沈黙が落ちた。

 先ほどより長い時間が流れる。遠くから剣戟の音と怪物たちの咆哮が聞こえてくる。

 

「俺は・・・お前を殺すべきなのだろう。だが何故かその気になれん。だから行け。行ってしまえ」

 

 何の感情もこもってない声で、淡々と述べるオリヴァス。

 一瞬痛ましそうな顔をして、リューはその場から姿を消す。

 しばらくして、再び街路にすすり泣きの声が響き始めた。

 

 

 

 仲間と共にアイズが市街の屋根を駆ける。その意識の中に、既に赤毛の女の影はない。

 今から挑むであろう黒竜――あるいはそのなれの果ての事のみがその脳裏を占めている。

 

「アイズ。気負うな」

「リヴェリア」

 

 それに気づいたか、リヴェリアが声をかけた。アイズの親代わりである首領三人――残りのフィンとガレスも似たような表情でアイズを見ている。

 

「大丈夫。この日のために、私は『積んで』来た。技も駆け引きも知識も、実戦も」

「・・・」

 

 一見冷静そうなアイズの口調。

 だが長い付き合いの三人はそこに危うさを見いだしてもいる。

 幼い頃、復讐にはやるアイズに色々なものを「積め」と言ったフィンたち三人。

 

 アイズはそれに従い、鍛錬、勉強、実戦経験を「積んで」きた。

 この時のために。

 全ては、父と母と、その仲間達を奪った黒竜を屠るために!

 

「アイズさ・・・っ!」

「「「「!」」」」

 

 勇気を振り絞って声を掛けようとしたレフィーヤと、その他の仲間たちが息を呑む。

 黒い炎がアイズの全身から吹き出し、その体を覆う。

 身にまとう風がそれを巻き込み、マントが風にふくらむように黒炎がふくらむ。

 黒炎の風姫が疾る。城壁は、すぐそこだ。

 

 

 

 黒竜が舞う。

 螺旋を描いて上へ、上へと昇っていく。

 

 いかに黒竜、いかにLv.10を越える大魔獣といえど肉の体に縛られる身、しかも100mを越える巨体だ。

 水平に飛行するならいざ知らず、羽ばたいて直上に上昇し続ける事は出来ない。

 だがそれでも魔石によって得られる規格外の筋力が、物理法則を蹂躙して巨体を上へ上へと押し上げる。

 ダンジョンの直上2000m、そこに駆け上がるのに三分とかからない。

 

 だが、それを阻もうとする側もまた規格外。

 黒竜の上昇がロイマンに伝えられるのに10秒、フィン達に指令が伝わるのに20秒。

 レフィーヤ達がアイズの所に向かうまでに20秒、レヴィスとのやり取りで40秒。

 都市最強の冒険者達は、一分もあれば市街からすり鉢状の外壁の端までを余裕で駆け上がる。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」

 

 外壁から首を出し、咆哮する黒竜。

 その視線を見据え、微動だにしない黒炎の風姫と仲間達。

 最強の魔獣と最強の冒険者たちが、今邂逅した。

 

 

 

「で、でけぇ・・・」

 

 誰かがうめいた。

 身の丈100m、尻尾まで含めた全長は130mにも達する大魔獣だ。頭は比較的小さめとはいえ、それでも15mほどはある。

 頭だけで"迷宮の孤王(モンスターレックス)"ウダイオスに匹敵する巨大さ。

 人間の身の丈ほどもある眼窩。光を失った右の目がぎょろりとうごめく。

 視線が石組みの上に散らばる小さき者どもの上を流れ、一点で止まった。

 小さき者どもの中央、黒く燃える炎。大空の王者たるこの身を不遜にも見返してくる黄金の瞳。

 

『           』

 

 何かが記憶のふちをかすめた。

 遠い、遠い日の記憶。

 緑色の触手に融合された、かつて黒竜だったものの意識の奥底に眠るビジョン。

 

 白銀の剣。

 黄金の瞳。

 そしてその周囲を取り巻く小さな者ども。

 

『           』

 

 怒りがふつふつとたぎってくる。

 既に失われてしまった記憶が、それでも怒りに火を付ける。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 再び黒竜が咆哮する。

 殺さねばならぬ。

 潰さねばならぬ。

 そうだ、あの時のように。

 

 ソ ノ ム ス メ ヲ ― ― ― 

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 緑の触手の意志が、黒き破壊と怒りの意志に押しやられる。

 今このひととき、黒竜だったものは再び黒竜となっていた。

 



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21-13 暴威

「どうやら、あちらは僕たちを敵と認めたようだね」

「そのようじゃの」

 

 小人族の勇者が頷き、ドワーフの大戦士が大戦斧を握り直す。双方、少なくともその外見からは怯えも動揺も感じられない。

 

「ううっ、どうせなら見逃して欲しかったっすよー・・・別働隊の指揮をアキじゃなくて俺に任せてくれればなー・・・」

 

 一方でぼそぼそと情けないことを呟くのが【超凡夫(ハイノービス)】ラウル・ノールド。

 現在ロキ・ファミリアの別働隊を指揮している同僚を羨む発言が小物度を倍増させているが、いつものことなので誰も気にしない。

 

「アイズ! お前は一人で戦っているのではない! それを忘れるなよ!」

「・・・わかってる」

 

 リヴェリアに答えを返しつつも、アイズは黒竜の瞳から目をそらさない。

 黒い炎、白銀の剣、怒りに燃える黄金の瞳。

 

 ティオネ、ティオナ、ベート、レフィーヤ、アルガナ、バーチェ、そしてアリシアたちサポーター。

 それらの面々も黒き魔獣と黒炎の復讐姫を畏怖の目で、あるいは不安の目で見ている。

 

「来るぞ、よけろ!」

 

 フィンの号令を皮切りに、戦いは始まった。

 

 

 

 黒竜の右前足が城壁の上を薙ぎ払った。

 矢を射るためのでこぼこの矢狭間壁が10mはある指に削り取られる。

 ロキ・ファミリアとカーリー・ファミリアの精鋭達は一斉に跳躍して、あるいは後方の一段低い城壁に飛び降りてそれをかわす。

 本来は射手や術者を上下に並べ、迷宮から溢れてきた怪物に火力を集中させて撃破するためのすり鉢状の城壁だが、それが今は逆の意味で役に立っている。

 

「【風よ(テンペスト)】!」

「アイズ?!」

 

 いや、黒炎をまとったアイズのみが踏み込んだ。

 黒く尾を引く流星が城壁を蹴って黒竜に肉薄する。

 薙ぎ払った右前足の肘のあたりを蹴り、狙うは黒竜の喉元。

 

 だが黒竜もそのような攻撃をいきなり通すほど鈍くはない。

 巨体とはいえその反応速度は、むしろLv.6にすぎないアイズを遥かに上回る。

 

 黒竜からすれば文字通り豆粒のような敵を、無造作に左前足で払う。空中にあるアイズはこれをかわせない。

 辛うじて体をひねり、手のひらに「着地」するような形で衝撃を緩和する。

 そのまま払われた勢いに逆らわず、アイズははじき飛ばされた。

 

「アイズさん!」

 

 後方の城壁に退避していたレフィーヤが思わず詠唱を中断し、悲鳴を上げる。

 

「っ!」

 

 風がアイズの下方に向かって吹き出した。黒炎もそれに伴って下方に長く尾を引く。

 風の強烈な推進力によってアイズの体が上昇し、吹き飛ばされた側――ロキファミリア側から左方向、離れた城壁の上に着地する。

 何人かが思わず安堵のため息を漏らした。

 

 

 

「よし、アイズはそのまま跳躍して攻撃を続けろ! 飛び道具を持っているものは目を狙って撃て! その他のものは攻撃してきたところをカウンター!」

「「「「「了解!」」」」」

「リヴェリアは適宜支援、レフィーヤは"二重追奏(ダブル・カノン)"を待機! 僕の命令があるか、アイズが危ないと思ったときに撃て!」

「うむ」

「りょ、了解しました!」

 

 全員が頷く。

 つまるところフィンが取ったのは、アイズを囮にしての時間稼ぎである。

 城壁外の黒竜には基本前衛の攻撃が届かず、踏み込んで攻撃できるのは風で短時間なら飛行できるアイズだけ。

 加えて、黒竜の敵意がアイズに集中しているのも何とはなしにフィンは察している。

 

(正直現時点ではこれしかない、か。まさか勝てない戦いを強要されるとはね)

 

 ちらりと【バベル】のほうを見る。そこでは現在、あの大男が神々を集めて何やら儀式を行っているはずだった。

 

「これで勝ちに繋がるものじゃなかったら承知しないぞ、イサミ・クラネル」

「何か言ったかよ、フィン?」

「何でもないさ――ロキ・ファミリア、攻撃開始!」

「「「「「おおっ!」」」」」

 

 

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 それは戦いと言うには余りにも圧倒的すぎた。

 相手は生物ではない。最早天災だ。竜巻や地震を相手に戦うようなものだ。

 体高100mを越すというのは、30階建ての超高層ビルに手足が生えてこちらを殴りつけてきているにも等しい、そういうサイズだ。

 

 城壁が砕け、石材が飛び散る。それは散弾のように前衛達を襲い、下の城壁にいる後衛やサポーターにも大量の石の雨を降らせる。

 一抱えほどもある石が、矢のような速度で、無数に飛んでくる。

 

 上から前足を叩き付ければ、十数mに渡って城壁が崩壊する。

 横に薙ぎ払えばやはり足場である城壁を数十mに渡って削りとる。

 ただ前足を振り回しているだけでそれ。

 人間の太刀打ち出来ない、絶対的な力。

 

 幸いなのは黒竜の攻撃が徹底してアイズ狙いで、城壁に攻撃が着弾することは少ないと言うことだ。アイズもそれを理解しているから城壁への着地は最小限にとどめてはいるが、それでも限界はある。

 

 跳躍したアイズを、人間の感覚で言えば2、3cmしかない文字通り羽虫のような相手を、巨大な手で正確に、鋭く迎撃し続ける黒竜。

 空中を飛ぶ蠅を箸でつまんでみせたという、極東の伝説の剣豪の如き絶技。

 

 アイズからすれば音速の数倍で迫る五階建てのビルに何度も叩き付けられているようなもの。いかに受け身を取ってはいても、いかにLv.6かつ【エアリアル】の保護があろうとも、蓄積するダメージは馬鹿にはできない。

 叩き付けられる前足による前衛の、飛散する瓦礫による後衛への巻き添え(コラテラル)ダメージも然りだ。

 

 都市最強魔道士であるリヴェリアをして、防御と回復への専念を強要するだけの攻撃力。

 しかもブレスを使わず、アイズが囮になって主たる攻撃目標を一身に引き受けていてのこの結果だ。

 

「のわーっ!?」

「ラウル!」

 

 弓を撃っていたラウルが黒竜の爪の先に引っかけられた。

 必死ながらどこか間延びした悲鳴を上げて吹っ飛ばされ、二段下の城壁に落ちて100mほど先までゴロゴロ転がってから止まる。

 モゾモゾと動いているのを見て、アリシアが胸をなで下ろした。

 

「あぐっ!」

 

 一段下の城壁では飛来した大きめの瓦礫が、リヴェリアの防護魔法を貫いてレフィーヤのこめかみを打った。

 回復魔法の詠唱を続けながらリヴェリアがそちらに視線を向ける。こめかみから頬に血を一筋垂らしながらも、エルフの娘は気丈に頷く。

 その瞳に闘志は途切れない。待機していた魔法もしっかり保持し続けている。

 ふっとリヴェリアが笑みを浮かべた。そのまま、よし、と言う風に頷いてリヴェリアは再び視線を大魔獣と、その周囲を跳ね回る黒い流れ星――アイズに戻す。

 

 アイズが黒竜に向けて跳躍する。

 黒竜が手でそれを払う。

 アイズが城壁に着地する。

 黒竜がそこを叩きつぶし、あるいは薙ぎ払う。

 回避したアイズが再び跳躍する。

 その繰り返しだ。

 

 時折ガレスの大戦斧やベートの魔力をまとった蹴り、アマゾネス姉妹の攻撃がその前足を傷つけるが、いずれも骨を断つには至らない。

 指一本を半ばまで、骨までえぐる程度のダメージは与えられても、次の攻撃のチャンスまでには、ほぼ修復されてしまう。

 

「ちっ、こっちにもっと殴りかかってこいってんだ。アイズにばかり色目を使いやがって」

「舐められてるみたいでむかつくわよね、正直」

 

 普段は反目するベートとティオネが、今ばかりは一致して舌打ちする。

 

「くそ、毒を流し込んでやれれば・・・」

「馬鹿メ、相手が悪イ」

 

 歯ぎしりするカーリー・ファミリアの団長姉妹の妹、バーチェの右腕は白煙を上げ、ひどく焼けただれていた。

 毒を体内に流し込もうと傷口に腕を突き込んだ瞬間、強酸性の血に右腕を肘まで溶かされたのだ。

 Lv.6の耐久力と、即座にエリクサーを振りかけたアルガナの対応がなければ、骨までまとめて溶け落ちていただろう。

 アルガナがもう一本、エリクサーをバーチェの右腕に注ぐ。

 かつての姉なら決してしないだろう行為に、妹は僅かに眼を細めた。

 

「・・・」

「ガレス? どしたの、腰が痛いの?」

「馬鹿言え、まだそんなトシじゃないわい!」

 

 無言になったガレスの顔を、ティオナが覗き込む。

 それを一喝して、ガレスは再び不壊属性の大戦斧を握りしめた。

 

(無茶はするなよ、アイズ・・・)

 

 黒竜の前足が降ってこない限り、前衛の彼らに出来ることはない。

 今の黒竜にとって、彼らは敵ですらないのだ。

 その目に映るのは黒き炎を上げる少女のみ。

 

 彼らの周囲は既に城壁としての体を成していない。ひどいでこぼこの、ひょっとしたら山の中腹ではないかと思うほどに崩れた瓦礫の上。

 そこに踏ん張りつつ、彼らは黒い流星と巨大な黒竜との"空中戦"を見上げている。




ちなみにサンシャイン60が237m、新宿のビル群が100~200mくらいだそうです。
というか、大体「シン・ゴジラ(118m)くらい」で話が済みますねw

黒竜の腕が音速の数倍というのは、人間でプロボクサーのパンチが時速30キロ、黒竜のサイズが人間の60倍ほどなので時速1800キロ。
音速が大体時速1100~1200キロほどなので大体マッハ1.5という勘定です。
そこに魔石の力を加えれば二倍か三倍くらいにはなるだろうと。


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21-14 鮮烈の一瞬

 「音」が鳴った。

 いや腹に響くような、全身を揺さぶり脳をも揺らすようなそれを「音」と言っていいのか。

 だがそれが空気の振動の伝播である以上、確かにそれは「音」と分類すべきだった。

 

 いくらはね飛ばしても潰れず、叩きつぶそうとしても跳ね回るアイズに苛立った黒竜が、両前足で挟んで潰そうとした。

 人間が蚊を両手で挟んで潰すのと同じ。

 【エアリアル】による緊急回避でアイズはからくもそれを逃れるが、直後爆発した「音」が彼女を直撃した。

 

 人間が蚊を両手で挟んで叩く。当然蚊も逃げる。

 当たれば良いが両手から逃げられれば蚊はノーダメージ・・・というのは実は違う。

 勢いよく両手を叩けば、当然音が鳴る。

 人間からすればちょっといい音程度だが、蚊のサイズの生物からすれば、至近距離から爆風を受けるにも等しい衝撃なのだ。

 うまくかわすことができず、至近距離でそれを喰らった蚊は気絶し、床に落ちて潰される。

 今のアイズはまさにそれだった。

 

 

 

 巨大な両前足の激突から逃れたと思った瞬間、ぐらり、とアイズの頭が揺れた。

 目から光が消え、自由落下が始まる。

 

「レフィーヤ!」

「【アルクス・レイ】!」

「ちいっ!」

 

 フィンが叫ぶのと、レフィーヤが魔法を撃ち放つのと、ロキ・ファミリア最速の男が走り出すのがほぼ同時。

 追撃でもう一度、今度こそ完全にアイズを潰そうとしていた黒竜の隻眼を、"二重追奏(ダブル・カノン)"による二条の必中魔法が貫く。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 絶叫する黒竜。城壁の外を落ちるアイズ。

 黒竜に潰されずとも、このままでは2000m下に真っ逆さま。

 白髪の狼人、ベート・ローガはそのアイズに向かって、何のためらいもなく城壁の外に跳躍する。

 

 まだ痛覚は残っているのか、目を押さえて苦悶する黒竜。

 その隙を突いて、ベートは落下するアイズとランデブーする。

 次の瞬間、狼人は白銀の少女と体を入れ替え、両足で少女の体を城壁に向かって突き飛ばした。

 

 城壁に向かって飛んできたアイズを、近くにいたティオネがキャッチ。

 ほぼ同時に待機していたリヴェリアの術が飛び、ベートを除く城壁上の味方を全回復する。

 脳を揺らされて朦朧としていたアイズの目に光が戻った。

 

 その目に映ったのは、黒竜と城壁の間の空間を落下する狼人。

 自分を助けたのだと、アイズは直感する。

 

「ベートさん!」

 

 ニヤリと、一瞬の笑顔を残してベートが消えた。

 

「ベート!」

「クソ狼!」

 

 ティオナたちが思わず城壁際に駆け寄ると、次の瞬間その顔がにょっきりと、崩れた城壁の端から現れた。

 

「げっ、あんた何で生きてんの!?」

「《フロスヴィルト》に風系の魔法を充填してたんでな。勝算もなく飛び出すかよ、バーカ」

 

 風系の魔法を充填していたのは単なる偶然であることを隠しつつ、体を引っ張り上げたベートがせせら笑う。白けた顔でぽつりと、ティオナが言った。

 

「どうせならあのまま落ちちゃえば良かったのに」

「あんだとこのクソアマゾネス!」

「ま、まあまあ・・・っ!」

 

 降ってきた黒竜の前足が、一級冒険者たちの漫才を中断させる。

 目をやられた黒竜が、だだをこねる子供のように両手を連続で叩き付ける。

 城壁のみならずオラリオが揺れ、市民たちが悲鳴を上げた。

 崩れかけていた城壁が更に崩れ、外壁が大きく半円状にえぐられる。

 10mほど低い位置にあった二番目の城壁から外が見えるような破壊の爪痕。

 

 そこでようやく目が再生したのか、黒竜の乱打が終わった。

 その瞬間アイズが跳び、またしても前足で弾かれる。

 直撃だけは何とか避けたが、負傷した仲間も多い。ことさら派手に動き、囮になって時間を稼がねばならなかった。

 しかし彼らも歴戦の冒険者。二度ほどアイズが弾かれた時点で、既に態勢は立て直されていた。

 戦いはまだ続く。

 

 

 

 黒い流星が飛ぶ。

 何十度目かの攻防の末、アイズがまたもや左前足にはじき飛ばされた。そのままオラリオの外に放り出されそうになるのを、鋭角的に方向転換して仲間達から離れた所に着地する。

 間髪入れず黒竜の右前足が降ってきた。まだ無事だった石組みの城壁が10mに渡って泥のようにぐしゃりと潰れ、2m程陥没する。素早く――そして必死に――アイズが効果範囲から逃れ、またしても腕を足場にして黒竜目がけて跳躍しようとする。

 だが何度も見せれば黒竜も学習する。

 

(!)

 

 左前足ではじき飛ばす、右前足で潰す、そして引き戻した右前足の甲と左前足の平で羽虫(アイズ)を挟んで潰す――そこまでが最初からの狙い。

 反射的な動きではなく、意図して形作られたコンビネーション攻撃。

 まさか最強の大魔獣が仕掛けてくるとは思わなかったひっかけ(フェイント)

 ゆえにアイズが反応するには一手、間に合わない。

 

「アイズ!」

「レフィ・・・」

「アイズさぁぁぁぁぁん!」

 

 フィンの指示より早く、再び放たれるレフィーヤの"二重追奏(ダブル・カノン)"【アルクス・レイ】。

 だがそれも同様、アイズを救うには一手遅い。

 さすがのアイズも、音速で叩き付けられる数万トンの質量の前には、無惨に潰される哀れな羽虫でしかない。

 その場にいる全てのものが一秒後の惨劇を予想し絶望したその時、「それ」は鳴り響いた。

 

 ゴォン・・・ゴォォン・・・

 

「!」

「!?」

 

 無限に引き延ばされた一秒の中、その場にいる全ての人間、そして黒竜までもが「それ」を聞いた。

 大鐘楼(グランドベル)の音。荘厳な鐘の音。

 この世界ではまだ誰も聞いたことのない、だがその持つ意味ははっきりとわかる音。

 それは英雄に憧れる少年の胸の高鳴り。どんな挫折も乗り越える不屈の信念の足音。そして偉業を祝福する勝利の鐘の音。

 

「【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】!」

 

 無限の一秒が終わったその瞬間、膨大な光が黒竜の目を灼く。

 同時に黒竜の左前足が肘の上から切り飛ばされ、同じ光が黒竜の胸元を半ばまで切り裂いた。

 

 

 

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「―――」

 

 呆然と、その顔を見上げる。

 どうやら横抱き――いわゆるお姫様抱っこをされているらしい。

 白髪に赤い眼。いかにも純朴ですれてなさそうな顔には心配そうな表情。

 

 遠くで重いものが落下する音がした。

 恐らくは切り飛ばされた黒竜の左前足が内側の城壁に落ちたのだろう。

 

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 

 呆然としたままアイズ・ヴァレンシュタインは自分を助けてくれた冒険者――ベル・クラネルの顔を見上げていた。

 

 

 

 ――ベルの飛行能力を思いだしたロイマンが、ロキ・ファミリアへの指示に遅れてベルに援護を命令したこと、ベルの飛行呪文が通常あり得ないほどの速度を発揮したこと、背中の刻印が燃えるような光を放っていること、そのどれもがこの場では意味をなさない。

 ベルが間に合った。世界最強の大魔獣に一矢を報い、アイズ・ヴァレンシュタインを救った。ただそれだけが事実。

 

 かつて黄金と白銀の少女が駆けだし冒険者の少年をミノタウロスから救い、少年の心に強烈な印象を焼き付けた。

 今度はその逆。

 両親の仇、十年間追い求めた宿敵、そして一秒後に迫っていた絶対の死。

 それらを切り払った少年が、今少女の心に鮮烈に、永遠に焼き付けられた。




アイズはロキ・ファミリアのメインキャラは大体名前呼び捨てなのに、一人だけさん付けされてるベートは泣いていい。


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21-15 白き翼、白き勇者

「・・・おい、クソウサギ! いつまでアイズを汚い手で触ってやがんだ!」

「は、はい・・・っ!?」

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――――!』

 

 目つきが先ほど以上に凶悪になったベートが吼えるのと、今更ながらに状況を理解して真っ赤になったベルがあたふたするのと、下方から凶暴な咆哮が響くのがほぼ同時。

 ベルの【英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)】によって深手を負い、落ちていった黒竜が態勢を立て直した事を知らせる非常警報。

 

「と、とにかく下ろします!」

「――うん」

 

 真顔に戻り――それでも顔は赤いままだが――アイズを抱いたまま城壁の上に降下するベル。

 アイズも真顔に戻りはしたもののどこか茫洋と、そして残念そうに頷いた。

 

 降りた途端フィンを含むロキ・ファミリアの前衛達が、わっとその周囲に集まる。

 ティオネとティオナが同時にアイズに抱きつき、腕を組んだベートが鼻を鳴らす。

 下の城壁、と言ってもあちこち崩壊して高度差はもうあってないようなものだが、とにかくそこにいたリヴェリアをはじめとする後衛達も安堵の溜息をつく。エルフの少女だけは複雑な顔をしていたが。

 

「―――」

「・・・」

 

 そんなアイズをベルが見つめる。アイズもベルを見つめ返す。

 アイズが何かを言おうとしたとき、笑顔のガレスがベルの腰を思いっきり叩き、彼を軽くつんのめらせた。

 

「ワハハハハ、大したもんじゃ小僧! アイズをよく助けてくれた、礼を言うぞ!」

「あ、いえそんな・・・」

 

 戸惑っているところに槍を片手にフィンも歩み寄る。

 

「僕からも礼を言いたいところだけど、その時間は無さそうだね。やれるかい?」

「・・・はいっ!」

 

 右手の【神のナイフ】を強く握り直し、ベルが頷く。頼もしげに笑みを浮かべ、フィンも頷き返した。

 視線をアイズに向ける。

 

「アイズもやれるね?」

「ん」

 

 言葉少なに頷いたアイズが一歩踏み出す。

 その前にはベルの顔。

 

「え、ええっ?!」

「・・・」

 

 再び赤くなる少年に構わず、剣を左手に持って、右手で少年の左手を握る。

 

「ファッ!?」

「え!?」

 

 頭から湯気を噴く少年とざわつく周囲は気にも止めず、少女はただ一言呟いた。

 

「【白き風よ(テンペスト)】」

「!」

 

 アイズの体から風が吹き上がる。

 さっきまで体を覆っていた黒い炎ではなく、白い炎を巻き込んだ、白い風。

 それは衣のように、翼のようにアイズを包み込む。

 

 スキル【復讐姫(アヴェンジャー)】。

 アイズの復讐心が産みだした、アイズの心を反映するスキル。

 復讐の黒い炎が産み出す究極の破壊の力にして、竜殺しの剣。

 

 だが今アイズは変わった。永遠に変わってしまった。

 白い少年がアイズの心に打ち込んだくさびが、復讐心よりもなお強く、なおまばゆく光り輝く。

 だからこその白い風、白い炎、白い翼。

 

 少年と手を繋いだ少女の背に、純白の翼が開く。

 少年の中に消えない憧憬があるように、少女の中に宿った永遠の光輝。

 父親の剣、母親の風、少年の心。それらが一つになった少女の新たなる力。

 

「行こう――ベル」

「・・・はいっ!」

 

 手を繋いだまま、二人は宙に飛ぶ。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 遥か下方の空間から再び駆け上がってきたのは、怒りに燃える黒い竜。

 左腕と胸の傷口は既に塞がっているが、黒竜が主導権を得ているからか、緑の触手もそれ以上の修復は出来ていない。

 大いなる石像神との戦いでもなかった、生まれて初めての体の欠損に怒り狂う。

 黒き怒りの波動を前に輝くのは白き翼。そして白き少年。

 それは神話の一場面のようにも見えた。

 

 

 

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"飛行(フライ)"!」

「"加速(ヘイスト)"!」

「"集団猫の敏捷(マス・キャッツ・グレイス)"!」

「"集団雄牛の力(マス・ブルズ・ストレンクス)"!」

「"集団熊の耐久(マス・ベアズ・エンデュアランス)"!」

 

 手を取り合った少年少女が黒竜に挑みかかり――と思いきや、ベルの補助呪文から戦いは再開した。

 無詠唱呪文の本領発揮。兄の使う高速化呪文よりなお早い、一息に放たれる十を越える呪文。

 

 魔術師(ウィザード)とはパーティの中で最も多くの手札を持つもの。その判断一つがしばしば戦局を左右する――魔術師呪文が使えるようになって以来、リリと共に兄に叩き込まれた数々のレクチャー。

 

(魔法使いの武器は二つ! 呪文! そして呪文を使いこなす知恵だ!)

 

 何度も言われた兄の言葉。初手に攻撃呪文ではなく、防御呪文でもなく、補助呪文。その結果がどうなったか。

 

「うわー、すごい! すごい! 飛んでるよ! ねえティオネ、見て見て飛んでる!」

「見れば判るわよバカティオナ! ・・・すごい、本当に飛んでる」

「ちっ、微妙にすっとろいじゃねえか。まあねえよりはマシだな!」

「これはありがたいね。取れる作戦の幅が随分と広がる」

「ああ。今までの鬱憤、存分に返させて貰おうか!」

「行クゾバーチェ! わが良人(オス)にわが価値を存分ニあぴーるスルのだ!」

「・・・ああうん、わかった、アルガナ」

 

 フィン。ガレス。ティオネ。ティオナ。ベート。アルガナ。バーチェ。

 最強の前衛達が舞台に上がる。

 相手が空にいたゆえに遊兵と化していた戦力の有効化。

 たったそれだけで、自軍の戦力は五倍にも十倍にもなる。

 

「効果は十分くらいです! 切れたらかけ直しますので各自気を付けてください!」

「了解だ」

 

 Lv.6冒険者たちの全力疾走には劣るが、それでもLv.5のトップクラスに匹敵する空中での移動能力。

 加えてそれぞれ四段階分の筋力・耐久・敏捷・器用への強化。"加速(ヘイスト)"呪文の効果とも合わせて、普段の彼らより一段上の戦闘力がその体にみなぎっている。

 

 ちらり、とベルがアイズと視線を見交わす。

 にっこりと少女が微笑み、少年が再び僅かに頬を染めた。

 少年のような指揮官の声が再び、戦場に響き渡る。

 

「後衛はそのまま、前衛はアイズを中心として黒竜を攻める! 手すきのものは翼を狙え! ベル・クラネルは後方に待機してチャージしつつ適宜補助呪文! ロキ・ファミリア、攻撃開始っ!」

「「「「「「「了解ッ!」」」」」」」



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21-16 針の剣

 ごう、と空気を引き裂いて黒竜の腕が唸る。

 冒険者たちが一斉に散った。

 地上で重力に縛られていた時と違い、今の彼らは立体的に機動出来る。

 それは回避もまたしかり。いかに黒竜の振りが早かろうと、左右にしか避けられないのと前後左右上下に自在に機動出来るのではまるで違う。

 

「ヒャハハハハ、スッとろいぜ!」

「オラァ、いい声で鳴かせてやるよぉ!」

 

 そして黒竜の攻撃にも先ほどまでのキレがない。

 ベルの斬撃で片腕を失ったことによって体のバランスを著しく崩しているためだ。

 いかに黒竜に野性の戦闘本能があろうとも、この短時間で対応できる問題ではない。

 

 ましてや空中戦なのだ。

 ただ飛んでいるだけでも常にバランスを崩さないよう意識して飛行に集中する必要がある。

 その僅かの集中の強要が、更に大きく攻撃の鋭さを減じていた。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

「・・・・・・・・!」

 

 最初の一撃をかわし、一直線に顔面を狙って突っ込んでいくアイズ。不壊属性(デュランダル)斧槍(ハルバード)を構えたティオネと大剣を担いだティオナがそれに追随するが、飛行と加速の呪文を重ねがけした程度では真の力を発揮したアイズの風には到底及ばない。

 白き風と炎をまとう流星となった剣の姫を目がけて、竜の右腕が跳ね上がる。

 

「!?」

『■■■■■―――――!?』

 

 避けた。

 全力の速度はそのまま、優美とさえ言えそうな曲線を描いて白い流星が黒い鉄槌の軌道からそれる。

 転進で全くスピードを落とすことなく、それでいて次の瞬間にはS字を描いて元の軌道――黒竜の顔面を狙う軌道に復帰する。

 跳ね上げた右腕は、既にそれを止められる位置にない。

 白炎の風姫を止められるものは、もうない。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

「!」

 

 いや、あった。

 白き流星の目標、黒竜の頭部が、がばりと裂ける。

 G(ジャイアント)・ガネーシャの肩をも噛み砕いた竜のあぎと。

 最高純度の超硬金属(アダマンタイト)を凌ぐ硬度と人の背丈を超える長さを持つ無数の牙が、三重に列を成す。

 

 しなやかに動く長い首が生み出す速度と正確さ。

 意表を突かれたこともあり、アイズも完全にはかわしきれない。

 攻撃を諦める全力回避行動は取らず、腕一本、足一本はくれてやる覚悟で、ギリギリ交差する軌道を取る。

 

『■■■■■―――――!?』

「!?」

 

 がくん、と黒竜の頭部が高度を下げた。そのタイムラグがアイズに余裕を与え、先ほどの両手叩きにも勝る速度で閉じた竜のあぎとを回避させる。

 上下の顎で圧搾された空気が噴出し、軽く吹き飛ばされたのを一回転して体勢を整え再度加速。

 ちらりと視界の端に映ったのは自分を救ったであろうそれ。

 黒竜の巨大な翼に、一見してそれと判るほどの大きな穴が空いている。

 

「オラァ! 決めてやったぜ!」

 

 快哉を叫ぶのはロキ・ファミリア最速の男ベート・ローガ。

 銀の金属靴フロスヴィルトに込められた風の力を飛行呪文の速度に加え、一瞬だけだがアイズを上回る速度を発揮した彼はそのまま黒竜の翼に吶喊し、突き破ったのだ。

 

「・・・しかし、まーた、椿のヤツがうるせえな・・・」

 

 ただしその代償として、全力以上を発揮させられた上に酸性の体液が流れる黒竜の体組織を突き破ったフロスヴィルトは暴走と損傷により完全に使い物にならなくなっていた。

 

 数mほどの穴であれば黒竜はさほど時間も置かずに回復するだろう。武器も残るは不壊属性の双剣のみ。

 しかしそれによって得られた機会こそが値千金。

 

「いっけぇー、アイズ!」

「そのまま!」

「・・・・!」

 

 アイズの後方から追うアマゾネス姉妹が声を張り上げる。

 黒竜の眉間を目がけて飛ぶ白き流星。

 生きあがこうと、首を振って僅かでも急所をそらそうとする黒竜。

 アイズの剣は黒竜の眉間を僅かにそれて左目を眼窩ごと破砕し、黒い血が盛大に降り注いだ。

 

「うぉっ!」

「あちっ!」

 

 吹き出す黒い血をアイズの白い風がはじく。

 はじかれた血は周囲に広くまき散らされ、何滴かは周囲を飛行していた冒険者たちにも降りかかった。怪我と言うほどの怪我ではないが、それでも酸が皮膚を焼くのは痛い。

 

「!」

 

 そして何人かは、宙に舞う白銀のきらめきに気付いていた。

 光を反射してくるくると回転するそれを、一撃離脱で黒竜から離れていたアイズがキャッチする。

 

「・・・・・・・・・・・・!」

 

 アイズの左手に光るのは白銀の剣。

 愛用のサーベル《デスペレート》に比べるとやや長く、太い、ごく普通の片手長剣(ロングソード)

 不壊属性武器なのかオリハルコンの輝きを放つそれはどこか《デスペレート》に似ていた。

 だがアイズにはそれ以上に見慣れた、懐かしい武器。

 思い出の中であの人はこの剣をいつも手にしていた。黄金の髪の女性はそれを微笑んで見ていた。

 

「おとう、さん・・・」

 

 風にひとしずく、水滴が飛んだ。

 

 

 

 アイズが動きを止めたのは一瞬のみ。だがその一瞬の間にも戦局は動いている。

 散開した前衛達がそれぞれにランダムな軌道を取り、ベートの一撃で体勢を崩した黒竜に次々と襲いかかる。

 最高の指揮官が動かす最強の前衛達は、さながら鬼に挑む一寸法師の集団の如く。

 

 

 

「どっせいっっっっっっっっ!」

『GOAAAAAAAAA!?』

 

 ベート、アイズに続いたのは全身を超硬金属の塊でよろった超重量級のドワーフ。

 黒竜の腕を上昇して避けた後、全力で降下。落下の勢いも加味しての全力の斬り下ろしで、黒竜の胸元からへそ下までを一気に切り裂いた。

 G(ジャイアント)・ガネーシャの空けた腹の穴を埋めた緑色の触手。当然そこには黒竜の絶対的防御力を担っていた黒い鱗はない。

 生体組織として異物であっても既に融合しているのか、黒竜が苦痛の悲鳴を上げた。

 

 

 

「りゃああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 ティオナの雄叫びが尾を引く。二人一組でアマゾネス姉妹が突貫する。

 腰だめに構えたティオナの大剣が、僅かにではあるが黒竜の鱗を貫いてその肌に突き刺さった。

 

「やっ!」

 

 斧槍を構えていたティオネが膝を抱えてくるりと回転する。妹が握りしめたままの大剣の柄頭に、ドロップキックの要領で思い切り叩き付けられるかかと。

 

『GOA!?』

 

 大剣がほとんど柄元まで黒竜の脇腹に埋まった。

 

 

 

「ハハハ・・・ははははははははっ!」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 不壊属性武器を持たないアルガナとバーチェが攻撃するのは黒竜の翼を包帯のように補強する緑の触手。

 妹の血を舐め、狂乱しているかと思われるほどに高揚した表情で、素手で緑色の触手を切り裂き、引きちぎるのは姉のアルガナ。

 彼女をして闘国(テルスキュラ)最強たらしめているのは、肉体以上にその精神。

 たとえ男を知り、恋を知っても、一皮剥けばそこにあるのはひたすらに戦いを求める闘鬼の顔だ。

 

 一方で全身に毒魔法をまとい、次々と緑の触手の体組織を腐らせていくのは妹のバーチェ。

 姉のそれには劣るものの、緑色の触手を切り裂いていく手刀や足刀。傷口はあっという間に黒ずみ、壊死した組織が広がっていく。

 再生力が強いと言うことは生命の流れが強いと言うこと。つまりそれは、毒を運ぶ流れも強いと言うこと。ならば後は生命力と毒のどちらが強いかの勝負。

 広がり続ける黒ずんだ部分が、どちらが強いかを如実に示していた。



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21-17 黒竜の吐息(ドラゴンブレス)

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 黒竜が怒りの咆哮を上げる。

 遥かな古代、羽虫の如き小さき者どもに左目を潰された屈辱。

 十数年前、同じく小さき者どもにいくつもの傷を負わされた怒り。

 それを今、再び味わわされている。

 

 竜から見れば人間たちは一寸法師にしか過ぎない。

 持ってる武器もせいぜいが針の刀だ。

 だが針でも刺されば痛い。僅かとは言え血も流す。

 そしてその苦痛が最も危険な敵への集中を乱す。

 

「――――――!」

 

 白き風、白き炎、白銀の双剣、黄金の瞳の剣姫。

 黒竜の本能が警告している。

 こいつと、今は後ろで控えている白い光のやつだけは危険だと。

 だから、残った右前足と牙で、全力で対応する。しなくては死ぬ。

 それが全身を刺してくる羽虫たちに対する手段を奪い、その羽虫たちが与える痛みが主敵に対する集中力を削ぐ。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 ままならない怒りに吼える。理不尽さを憎む。

 最強の大魔獣である自分が小さき者どもに翻弄されている現実。

 それを認められない。

 

『!』

 

 その脳裏に閃くものがあった。

 戦闘生物としての本能か、緑の触手の細胞に刻まれていた指令か、あるいはただ単に憂さ晴らしがしたいと思ったのか。

 その右目が冒険者たちとオラリオの市街をすり抜け、都市の中心に立つ塔を見た。

 

「あ――」

「やばっ!」

 

 ひゅごう。

 黒竜の胸郭がハトのように膨らんだ。

 一万立方mの空気がその肺を満たす。

 

 黒き閃光の吐息。

 石像神(Gガネーシャ)を屠り、古城を一撃で消し飛ばした黒竜最大最強の切り札。

 狙うは数キロ先の白亜の巨塔。

 喉を絞る。必要なのは放射状(コーン)の広範囲攻撃ではなく、射程に優れた直線(ライン)のブレス。

 

 今『バベル』でイサミと多くの神々が行っているのは、この窮地をひっくり返すための回天の大儀式。そこには彼らの主神であるヘスティア、ロキ、カーリーもいる。都市の事実上の運営者であるギルドのトップも。

 最悪の状況を察し、これまでにも増して前衛達の攻撃が激しさを極めるが、彼らの攻撃は元より針の一刺しに過ぎない。皮を斬り、肉に届くとしても骨を断つことはできない。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 それが出来るはずの二人のうちの一人、アイズは攻撃の手を止めていた。

 黒竜の顔の前に立ち、剣を垂らして黒竜と視線をぶつけあっている。

 

「くっ!」

「動くな、ベル・クラネル! チャージに集中しろ!」

 

 一撃を加えようとしたベルの動きを止めたのはフィンの声。

 振り向いて叫ぶ。

 

「ですが!」

「アイズを信じてくれ! ヤツがブレスを吐き終わったときにこそ、チャンスは来る!」

「・・・!」

 

 フィンの親指がもたらす直感。

 それを知っているわけではなかったが、歯を噛みしめてベルは黒竜に向き直る。

 

「!」

 

 チリン…チリィン…と鳴っていた鈴の音が変わった。

 ゴォン・・・ゴォォン・・・と大きく雄大になったそれは、先ほども聞いた大鐘音。

 憧憬の人を助けるべく発動したそれが、兄の危機に再び鳴り響く。

 

 たっぷり三秒をかけて、黒竜が限界まで空気を吸い込んだ。

 高速化した戦場では決して短くないが、それでも冒険者たちが黒竜を屠るには余りにも足りない時間。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黒竜が改めて前方に意識を集中する。石の巨塔と自分を結ぶ一直線の上にいる白の剣姫。白銀の剣を両手に垂らし、黄金の瞳は真っ直ぐに自分を見つめている。

 先ほどまでのような憎悪ではなく、純粋な何かをぶつけてくるその視線がたまらなく苛立たしい。

 長らく自分の目に埋め込まれていた白銀の金属片の輝きもその怒りを増幅させる。

 

 邪魔だ。消え失せろ。

 

 憎悪に満ちた視線がアイズを貫通して白亜の巨塔にロックオンされる。

 体中に取り付く羽虫が与える苦痛も最早心地よい。

 奴らが守る白亜の巨塔は一秒後に消え失せる。

 その後叩き殺してやることを思い、黒竜の目が愉悦に歪む。

 

 ヤ メ ヨ

 

 禍々しい意志の波動が黒竜の脳裏に響く。

 その意志は怒りの圧力に満ちていたが、もはや黒竜の中に【バベル】とアイズを消滅させる事以外の思念はない。

 

 ソ ノ ム ス メ ヲ ・ ・ ・

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 再び響いた禍々しい波動を、咆哮と共に放たれた黒き閃光が霧散させた。

 

 

 

 黒竜の口が大きく開き、大量の空気を吸い込むのをアイズは見ていた。

 閃光の吐息の前準備だというのはすぐに判った。『バベル』を狙っていることも。

 心は自然と決まっていた。

 

「【白き風よ(テンペスト)】」

 

 これまでの攻防で消耗した風をもう一度まとい直す。

 

「【白き風よ(テンペスト)】」

 

 右手の【デスペレート】に風が渦を巻く。

 白き炎が流れて翼・・・あるいは旗のように刀身から吹き出し、なびく。

 

「【白き風よ(テンペスト)】!」

 

 左手の白銀の長剣が風を帯びる。右手の【デスペレート】同様、吹き出した風が白き炎をなびかせて広がる。

 白銀の剣士ヴァルトシュテインの伝説に謳われしその剣、【強き炎】、【不朽の刃】、あるいは【岩を(こぼ)すもの】の意味を持つその名こそ【デュランダル】。

 最初の不壊属性武器にして、その種の武器全ての総称として冠されるに至った、歴史にその名をとどめし剣。

 

 言わば【デスペレート】もその娘。父なる剣と娘なる剣は今アイズの手の中で白き光の双翼となる。

 白鳥を演じるプリマが両手を高く掲げるように、双翼の剣尖がアイズの頭上で合一する。

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!』

 

 黒き閃光が放たれた。

 一筋の閃光が人類の希望を打ち砕かんと白亜の巨塔を目がけて飛ぶ。

 それを阻むのは白き剣の天使。

 合わされた光の双翼が今、一つの刃として黒き閃光の束に振り下ろされる。

 

 次の瞬間アイズの姿が黒い閃光に飲み込まれ、同時に光の爆発が起きた。

 爆音も衝撃波もないそれではあるが、それは確かに爆発だった。

 目を開けていられない、余りにもまぶしすぎて何も見えない白き闇。

 冒険者たちが一斉に腕で目を覆う。

 

「――――――!」

「っっっ!」

 

 そんな中、フィン、ガレス、リヴェリア、そしてベルだけが冷静に次にくるであろうことを待っていた。



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21-18 邪神復活

 光の爆発は当然ながら神会(デナトゥス)の間からも見えていた。

 それと同時に『バベル』の周囲が黒い閃光に包まれる。

 

「な、なんだあっ!」

「なんやあらぁ?!」

『集中を乱すな!』

 

 慌てふためくロイマンや、思わず振り向く――半数くらいは面白いものを見つけた時の顔をしている――神どもをウラノスが一喝する。

 同じく神々で一杯になった祈祷の間から飛ばした大喝は、ギルド職員は元より浮つく神々をも鎮めるだけの威厳があった。

 

『~~~~~~~』

 

 イサミの詠唱だけが神会(デナトゥス)の間に響く。

 動揺していたものたちも、状況を面白がっていたものたちも、自然ときびすを返し、イサミの方を向いて集中を再開する。

 儀式の終わりはすぐそこだ。

 

 

 

 永遠と思われた数秒。

 光の爆発が途切れ、白い闇が晴れる。

 ようやく目を開いた冒険者たちが見たのは、徐々に細まる黒き閃光の奔流。

 そして。

 

「【白き風よ(テンペスト)】!」

「アイズ・・・」

「アイズッ!」

「アイズさん!」

 

 肩当てやブーツの端を焦がしながらも健在なる少女。

 ほとんど尽き欠けた白き風を再び呼び起こす超短文詠唱。

 再び白き翼が広がると共に、仲間達とベルの歓声が上がった。

 

 アイズは無事だった。

 そして『バベル』も。

 黒竜が閃光の吐息を放ったとき、アイズはそれに真っ向から切り込んだ。

 正確に言えば、風と炎をまとわせた両手の剣をブレスに()()()()()

 切り裂かれた黒き閃光はそれぞれ僅かに左右にずれ、数キロ先の『バベル』の位置においては左右に数百mもの距離を作っていた。

 ゆえに『バベル』も、巨塔の中程を狙って撃ったがゆえに街も無傷。

 

 もし黒竜が1km、せめて2kmの距離から範囲型の円錐形ブレスを吐いていればアイズにも打つ手はなかったろう。

 直線状のブレスを選択したゆえに、それをせざるを得なかった距離でロキ・ファミリアに足止めを喰らっていたがゆえに、黒竜の渾身の一撃は無力化されたのだ。

 そして、ピンチの後にはチャンスが来る。

 

 ゴォン・・・ゴォォン・・・

 

 ようやく黒竜は気付く。先ほどから鳴っていた巨大な大鐘楼(グランドベル)の鐘の音に。

 人間側にとっては勝利の鐘の音、彼にとっては葬送を意味する哀しみの鐘の音に。

 

 ベルが順手に握っていた【神のナイフ】を走る白い閃光。その芯になるのは【神のナイフ】を通して形成された紫の魔力剣。

 圧縮された紫の魔力によって強化されているがゆえに、本来耐えられないフルチャージの【英雄願望(アルゴノゥト)】にすら今の【神のナイフ】は耐えることが出来る。

 

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

「"スコーチング・レイ"ッ!」

 

 ありったけの魔力を込めた、火炎光線呪文の連打。

 それらの全てが白い光の剣に吸い込まれ、業火の刃を成していく。

 

『■■■■―――――!』

 

 焦る黒竜。だがもう遅い。その巨大さゆえに最強最大の名を欲しいままにしてきた三大魔獣。だが巨大であるがゆえに、最強であるがゆえに彼らに回避という選択肢は与えられていない。

 それでも黒竜が無敵だったのはその防御を貫ける攻撃が存在しなかったがゆえ。

 

 だがここにそれを越えるものが存在する。

 かつての最強の英雄をも越える、若き英雄。

 人間の可能性を、地上における未知を体現する奇跡の冒険者が。

 今や炎を上げる光の巨剣と化した【神のナイフ】を両手で掲げるその名はベル・クラネル。

 

 先ほど言った通り、黒竜に身をかわす軽やかさはない。せめてもの抵抗に右前足で白き少年を狙うのと、ベルが巨剣を振り下ろすのが同時。

 

「【聖火の大英斬(アルゴ・ウェスタ・ペルグランデ)】!」

 

 全てを切り裂く光と炎の剣が、一瞬にして巨竜の右前足を蒸発させ、次の瞬間爆発が起きる。その爆発の中、冒険者たちは黒竜の頭部が紅蓮の炎の中に消え去るのを見た。

 

 

 

 光が収まり、目が慣れた冒険者たちの視界に飛び込んできたのは、頭部と首を根元から失い、先ほどのそれと合わせて両前足をも失った黒竜の姿だった。

 

「うおおおおおおおおおおおお!」

「やったぁぁぁあ!」

 

 歓声が上がる。

 隣の仲間と抱き合って飛び跳ねるサポーターもいる。

 だがそれを遮って、鋭い叱咤が飛んだ。

 

「気を抜くな! 本当に死んだなら、何故あいつは宙に浮いている!」

 

 あっ、と声が漏れた。

 確かに、頭部を失ったというのに機械的に黒竜の翼は羽ばたき続けていた。

 うじゅる、と失った首の付け根が盛上がる。

 

「!」

 

 次の瞬間、緑の触手が無数に、爆発的に首の傷痕から吹き上がる。

 蒸発させられた右前足、切り飛ばされた左前足の傷口からも。

 頭部を失い、自我を失った黒竜の中の、黒竜の意志に押さえつけられていた緑の触手の意志が復活したのだ。

 

 

 

 ソ ノ ム ス メ ヲ ワ ガ テ ニ

 

 

 

 禍々しき意志の波動が今度こそ黒竜だったものの肉体に響く。

 腹の傷口を埋め尽くした緑の体組織に、一斉に無数の瞳がぎょろりと開いた。

 

「う・・・!?」

「ぐえっ・・・」

 

 それをまともに見てしまった、レベルの低い幾人かが膝を突いて倒れ、えずく。

 G(ジャイアント)・ガネーシャとの戦いでも、一瞬とは言えシャクティたち一級冒険者を犯した妖気。原初の混沌、彼方の神が孕む狂気。それは容易く心弱き人間の精神を破壊する。

 

 見開く瞳が見上げるは白き風の少女。

 首と両腕から吹き出す緑の触手は、本来の頭部や両前足とは似ても似つかない、強いて言えばイソギンチャクの触手や枝を広げた木々のような形を形成していく。

 大きく広がるそれは、敵を破壊するためではなく獲物を捕獲するための形。

 だがそれが使われることはない。

 先ほどのように両手の剣を天高く掲げる少女。

 双剣と少女を芯として渦巻く三つの風と炎は融合して、さながら白き竜巻。その頂点には白銀のオリハルコンの輝きを放つ双剣の鋭い切っ先。

 

「リル――」

 

 白き渦巻きが天に飛んだ。

 頭部と両前足の触手はまだ形成途中。仮に形成が完了していたとしても、【デスペレート】と【デュランダル】、そして少女自身のまとう炎と風を一点に集中したこの攻撃の前には、捕獲用のやわい触手など薄紙のようなもの。

 

 そして怪物、その中でも竜、さらに言えば黒竜ただ一匹を屠るために発現したのがアイズのスキル【復讐姫(アヴェンジャー)】。

 たとえベルのくれた光がその黒き炎を白に変えたとしても、その本質は変わらない。こと黒竜相手に限って言えばその攻撃力は、フルチャージしたベルの【聖火の大英斬(アルゴ・ウェスタ・ペルグランデ)】すら遥かに凌駕する。

 

 頂点に達した白き竜巻が方向を変え、一直線に降下する。

 かつて黒竜だったものに、これを防ぐ手立ては最早ない。

 

「ラファーガッ!」

 

 黒竜の胸中央を尾を引く白い竜巻が貫く。

 次の瞬間、魔石を砕かれた黒竜の肉体は塵となって消えた。

 後に残ったのは、黒竜の肉体にそってワイヤーフレームのように形を作っていた緑の触手。

 頭と両前足、腹部だけにまとまった塊がある。

 

 同時に触手の塊が落下し始める。

 翼はあくまでも黒竜の体に備わった機能。寄生生物に過ぎない触手集合体には飛行する機能はない。

 最後のあがきとばかりにオラリオに向けて数十本の触手が飛んだ。それは城壁や土台に突き刺さるが、あっという間に飛行する冒険者たちに切り払われていく。

 半数以上を切り払われた時点で自重を支えきれなくなり、残った触手もちぎれた。緑色の塊がゆっくりと落ちていく。

 スローモーションのようにゆっくりと、塊がオラリオから離れていく。

 20秒ほど経って、地表に巨大な土煙が立つ。

 

「お・・・」

「おおお・・・」

「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」

 

 大歓声が上がった。

 ティオナやティオネは元より、フィンやガレスまでもが拳を突き上げて吼えていた。

 落下した緑の触手を見ていたベルが顔を上げる。ふと、同様に顔を上げたアイズと視線があった。

 

「あ――」

 

 頬を染めるベル。

 にっこりとアイズが微笑む。

 この微笑みを、きっと生涯忘れることがないだろうとベルは思った。

 そしてゆっくりとアイズがベルに近づき――

 

「!?」

 

 その姿が消えた。

 ベルの目をもってしても、影しか捉えられないほど速く。

 その他の冒険者たちの目も、一斉に空の一点を凝視した。

 その視線の先にいるのはあかがね色の髪の女。その腕の中には気を失ったアイズ。

 

「・・・グラシアさん!」

「悪いわね、ぼうや。この娘は貰っていくわよ。"我願う、我を彼方へ"」

 

 グラシアが指にはめた金の指輪の赤い宝石が一つ砕ける。

 次の瞬間、二人の姿は消えていた。

 

 

 

 迷宮都市が飛び立った後の巨大なクレーター。

 その中に位置する巨大な構造物。ダンジョン。

 微細な稲妻を帯びていたそれは、今や極太の雷電を無数に発していた。

 赤。青。紫。緑。白。黒。茶。

 無数の色を帯びたそれは何故か美しくはなく、見ているものを不安にさせ、恐怖を抱かせる光彩を放っている。

 

 ぱちん、と音がした。

 

 決して大きくないその音は、だがオラリオでも、その周辺の町や村でも、あまつさえ大陸の全ての場所で、全ての種族、全ての動物、全てのモンスターの耳に届いた。

 すうっ、とダンジョンの構造物が色と存在感を失っていく。

 希薄に、希薄に、限りなく希薄に。

 

 やがてダンジョンは空気に溶け込むように消えた。

 後に残るのは底なしの大穴と、その周囲に存在していたダイダロスの人造迷宮。

 

 それと同時に出現したものがある。

 ダンジョンとは逆に空気中から溶け出すように、うっすらと空中に色彩がにじみ出す。

 最初おぼろげな影だったものが、急速に濃度を増し、はっきりとした形を取っていく。

 いや、はっきりとした形というのは語弊がある。空気と、「それ」との境界線が何度見ても認識できない。

 シルエットとしては判るのに、世界と「それ」との境界線がわからない。

 

 真っ黒なのっぺらぼうの巨人。

 真っ黒なのにあらゆる色の渦がその中に見える。

 のっぺらぼうなのに、あらゆる造形がその中に見える。

 あらゆる感情、あらゆる事象、あらゆる生命、あらゆる世界が見える。

 それが大地を足に付け、高度2000mを浮遊する迷宮都市を見下ろしている。

 

 

 

 ワ レ

 

 

 

 意志の波動が響いた。

 激しくもなく、轟きもせず、だがそれは全世界に響いた。

 

 

 

 ワ レ ト キ ハ ナ タ レ タ リ

 

 

 

 原初の混沌が、エントロピーの化身タリズダンが復活した。

 



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第二十二話「邪悪寺院、再び」
22-01 クリスタル・オブ・エボンフレイム


これより最終エピソードです。


 

 

 

『敵は多いな、滝……いや……たいしたことはないか……今夜はお前と俺でダブルライダーだからな』

 

―― 『仮面ライダーSPIRITS』 ――

 

 

 

 タリズダンが復活したその瞬間、神会(デナトゥス)の間は爆発的な喧騒に包まれた。

 

「「「「タリズダンキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 」」」」

「世界オワタ\(^o^)/」

「もう駄目ぽ」

「静まれ・・・俺の右腕よ・・・怒りを静めろ・・・」

「QTK(急にタリズダンが来たので)」

「二人は幸せなホモキッスをして世界は終了」

「ああ、機関が気付く前に逃亡を開始する。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」

「すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。風・・・なんだろう吹いてきてる確実に(ry」

「ぬるぽ」

「ガッ」

 

(こ・い・つ・ら・はぁぁぁぁぁぁ!)

 

 まじめに儀式を続けていた一部の神、そしてイサミが額に青筋を浮かべたとしても無理からぬところではあろう。

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

第二十二話「邪悪寺院、再び」

 

 

 

「っ!」

「うぐっ?!」

 

 イサミが詠唱を中断して馬鹿神どもを怒鳴りつけようかと思ったその瞬間、神会(デナトゥス)の間の喧騒がピタリと収まった。

 ロイマンやエイナなど、ギルド職員の中には口元を抑えてうずくまるものもいる。

 イサミもまた、今までに感じたことのない異質な感覚を味わっていた。

 

(・・・見られている)

 

 根拠はないが確信があった。

 神会(デナトゥス)の間の窓からも見える、巨大なヒトガタ。存在のスケールが違いすぎるそれ。

 恐らく今までイサミが出会ったいかなる神や魔王にも勝る巨大な存在感が神会(デナトゥス)の間を、正確にはイサミを覗き込んでいる。

 

(儀式に・・・気付かれたかっ!)

 

 汗が大量に噴き出す。

 今イサミ達が行っている儀式こそは、復活したタリズダンに対する唯一の対抗手段。それを潰されると言うことは、即ちイサミ達の敗北に等しい。

 全次元世界の超越者たちが再び結集すれば、あるいはもう一度タリズダンを封印することも可能かも知れない。だがその時にはこのオラリオと、オラリオを含む封印世界は砂粒一つも残ってはいないだろう。

 

(あと少し、後ほんのもう少しなんだ・・・何か、何か手が・・・)

 

 儀式のためにブーストされた知性を最大限回転させ、この窮地を乗り切る一手を探る。

 だがない。知恵の神さえ越える知性も、この状況を打開することは出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 苦し紛れに発動した"願い(ウィッシュ)"の十発や二十発でどうにかなるような相手ではないのだ。

 

(なにか・・・なにか・・・・・!?)

 

 それでも頭を回転させていたイサミの耳に、僅かな異音が飛び込んできた。

 一瞬遅れてそれが人が倒れた音ではないかと気付いた時、扉がガチャリと開く。

 

「よう、みなさんおそろいで。しばらくぶりだなあ、小僧」

「・・・・・・・・・・!」

 

 馴染みの店に入るような気安さで入って来たのは黒の剣士、ロビラー卿だった。

 

 

 

 沈黙が広がる。

 空気を読むスキルが決定的に欠けている神々や、あれで傑物の部類に入るロイマンですら一言も発せない、そうした雰囲気が神会(デナトゥス)の間を支配していた。

 それも剣も抜いていない、たった一人の男によってだ。

 進むロビラー、割れる神の群れ。詠唱を止めたイサミの手前で黒の剣士が立ち止まる。

 

「・・・今更何の用だ、おっさん」

「だからおっさんはやめろって」

 

 顔をしかめてひげをもさもさといじるロビラー。

 一見隙だらけではあるが、完全に弛緩しきった状況からでも致死の一刀を放てるのがこのレベルに達した戦士だ。

 儀式のために「直列」の強化を施しているとはいえ、軽々しくは動けない。

 

「まああれだ。持ってるんだろ? 例の像。お前らの元のアジトにもこの塔の部屋にも、ギルドの本部にもなかったらしいしな」

「・・・!」

 

 かつてデヴィル達が根城にしていたある商人の別宅で見つけ出した、黒いオリハルコンの塑像。

 渦巻くうねりのようにも、放射状にうねくる触手のようにも、風にふくらむローブを纏った何かのようにも見える、ただ見ているだけで不安になるような造形。

 

「やはり、あれは・・・」

「ああ。タリズダンの像らしい。趣味が悪いよな」

 

 肩をすくめてやれやれという風に首を振るロビラー。

 対するイサミは目の前の剣士と天空高くから覗き込むエントロピーの神の視線と、双方のプレッシャーで一筋汗を垂らす。

 

「と言うわけだ。よこしな」

 

 無造作に左手を差し出すロビラー。

 イサミの視線はその顔から離れない。

 

「そして渡した途端、俺達はこの世から消滅する訳か」

 

 ん? とロビラーが首をかしげた。

 一瞬遅れてああ、と頷く。

 

「一ついいことを教えてやろう。俺は『像を取り返してこい』と言われただけで、『儀式をぶち壊せ』とは言われてないんだぜ?」

「? どういうことだ?」

 

 イサミの片眉が怪訝そうに上がる。

 どこか愉快そうにロビラーが笑った。

 

「どういう事も何もそういうことさ。そいつはタリズダンに必要なものだ。そしてそれがなくなりゃ、『あれ』はおまえたちには何の興味も示さない。

 何も言われなかったって事は、多分姫さん(グラシア)も気づいてねえんじゃないかな。それとも、それがどうでもいいくらいに忙しいのか」

「・・・あんたはいいのか、それで」

「いいも何も、そう言われただけだからなあ。言われた事をちゃんとこなしてりゃあ不義理にはなるめえよ」

 

 ひっひっひ、と楽しそうに笑う黒の剣士。

 少し考えた後、イサミは短く呪文を口ずさみ、腰のベルトに大量にくくりつけられた小型ポーチに手をやった。

 差し渡し5cmほどの小さな革のポーチにイサミのラージサイズの手が手首、いや、肘の半ばまで埋まる。ずるりと引き出したのは、差し渡し30cmはありそうな麻の袋。

 

 口を閉じた鉛の封印に指で触れ、再び呪文を口ずさむ。

 パキン、と硝子の割れるような澄んだ音がして、鉛の封印が砕け散った。

 中に手を突っ込み、例の彫像を取り出す。そのまま放ると、ロビラーが突き出したままの左手で器用にキャッチした。

 

「おう、確かに。さてと」

「!?」

 

 ロビラーが像を軽く宙に放り上げた次の瞬間、閃光と鋭い金属音が走った。

 少なくとも、その場にいたほとんどの者にはそうとしか見えなかったに違いない。

 

 像を放り投げたのとほぼ同時、ロビラーが腰の剣を抜き、五回閃かせた。

 そうと確かに見て取れたのはイサミただ一人。 

 後はタケミカヅチら、武神と呼ばれるたぐいの神々が僅かに影を追えた程度。

 

 手加減をしたのか、切れ込みを五つ入れられた像が再びロビラーの手に落ちる。剣は既に鞘の中。

 不壊属性ではないとは言え最硬精製金属(オリハルコン)の像をいともたやすく、しかも手加減して切れる膂力と剣技。

 改めてイサミの背に冷や汗が流れた瞬間、像の切れ込みからひび割れが広がり、ロビラーの手の中でぴしりと砕けた。

 その中から現れたのは――

 

「おうわっ!?」

「きゃっ!」

 

 「それ」から走った閃光が一瞬周囲を照らす。

 それを浴びた神達は驚きはしたものの、何も起こらなかった。

 イサミはちらりとエイナのほうを見てギルド職員たちの無事を確かめると、鋭さを増した瞳をロビラーの手の上の「それ」に戻す。

 

「・・・"黒き炎の水晶(クリスタル・オブ・エボンフレイム)"・・・!」

「お、さすがだな。一目見て正体を見抜くか」

 

 黒い破片が白い大理石の床に落ち、ちりんちりんと鈴のような音を立てる。

 覆っていた外殻が砕けて出て来たものは、ブリリアントカットのような複雑なカッティングを施された、漆黒の鉱物質の物体であった。幾何学的な直線で構成されているにもかかわらず、歪んでいるようにも、曲線で構成されているようにも見える。

 そして間違いなく漆黒であるにもかかわらず、イサミの目にはその中でゆらめき踊る、やはり黒い炎のようなものが見える。

 

 "黒き炎の水晶(クリスタル・オブ・エボンフレイム)"。

 人の魂を喰らい、心を操るアーティファクト。

 最初の閃光を浴びたのが精神攻撃に耐性のあるイサミと神々だからこそ何も起きなかったが、ただの人間であるエイナ達は神々の人垣、もとい神垣の影に隠れていなかったら、ロビラーの思い通りに動く操り人形となっていただろう。

 

「で、それをどうする。まさかギルドのボスをいいように操ろうっていうんじゃないだろう」

「そりゃそうだ。今更そいつを操ってどうする。実際もう役目は果たしてくれたしな」

「な、なんだとっ!?」

 

 ロイマンが何事かわめき散らすが、誰もそれを聞いていない。

 

「まあ実際俺もどう使うかは聞いていない。聞いても理解出来ないだろうしな」

「・・・そりゃそうか」

 

 やや拍子抜けしたように肩を落とす。

 そう言えばタリズダンと関係あるアーティファクトのような設定もあったか?と脳裏をちらりとかすめるが、極限に強化した記憶力でもそれ以上は思い出せない。

 

「ああ、そう言えば【剣姫】のお嬢ちゃんがどうこうって話をしてたような気はするな? 俺には判らんことだがよ」

「・・・あんた、わかってないふりして全部わかった上で行動してないか?」

 

 イサミが呆れたように呟いた。

 

「さて、何の事やら。俺は面白ければそれでいいんでな」

「・・・」

 

 かかかと笑うロビラーをよそに、イサミは沈思黙考する。

 タリズダンに関係あるらしきアーティファクト、それに恐らくは特別な何かを持つアイズ。その二つをタリズダンが必要としていると言うことは・・・。

 と、イサミがそこまで考えたとき、ロビラーがくるりときびすを返した。イサミの方を振り向かずに右手を上げる。

 

「それじゃあな。もう会うこともあるまいが達者で暮らせよ」

「・・・おっさんもな」

「だからおっさんはやめろって」

 

 振り向かないまま、ロビラーがヒラヒラと手を振る。

 それが、二人の交わした最後の会話になった。

 




「邪悪寺院再び」はD&Dのシナリオの一つ。
タリズダンを祀る元素邪霊寺院に関する冒険です。

クリスタル・オブ・エボンフレイムは「武器防具ガイド」出典。
タリズダン云々はフレーバーレベルの話ですが、人を洗脳したり結構それっぽい能力があります。


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22-02 何でも屋(ファクトタム)の戦い方

 ばたん、と音を立てて扉が閉じる。

 恐らくドアの向こうにはもうロビラーの影も形もあるまい。

 

「・・・・・・」

 

 僅かな時間、イサミは物思いにふけった。

 神々もまだロビラーのショックから抜け切れていない。

 

『儀式を再開するのだ! ここが運命の分かれ道ぞ!』

「!」

 

 そこに響き渡った雷声はウラノスのものだった。

 【神の鏡】を通して見える顔はいつも通りにいかめしい。

 

「すまん、ウラノス。気が抜けておったわ」

 

 苦笑して謝罪するゼウス。頷くウラノスはイサミに視線を移す。

 

『できるな、イサミ・クラネル?』

「無論です。さあ、クソッタレな神様ども、儀式を再開しますよ! 集中して!」

 

 へっ何をえらそうにとロキなどはぶーたれるが、それでも神達は素直にイサミの言葉に従う。腹に響く詠唱が再び始まった。

 

 

 

 オラリオの街全体がざわめいていた。

 戦場になっているバベル周辺はもちろんだが、その他の人々もタリズダンの異様な姿、そうでなくてもタリズダンの発する異質な神気を感じている。

 

 もっとも、それはオラリオに限ったことでもなかった。

 不思議な事に、タリズダンの黒い巨大なシルエットは大陸のあらゆる場所から見えた。

 巨大とは言え、たかが3000mほどの高さしかないのにだ。

 それを見上げる誰もが不安を抱き、多くの者はひざまずいて神に祈った。

 だがこの世界に、本来の意味での神は既に存在しない。

 

 イサミ達への「視線」は既に外れていた。

 ロビラーの言った通り、タリズダンの興味は本当にあの像、その中の黒き炎の水晶(クリスタル・オブ・エボンフレイム)にしかなかったらしい。

 

(恐らく何かの儀式に使う、それもタリズダンの完全復活に繋がる何かだ。こうなれば時間との勝負――)

 

「なにぃ? 【剣姫】が!?」

「!?」

 

 ようやくそこに飛び込んできたのは、黒竜撃破とアイズがさらわれたという報せ。

 タリズダン復活の余波で神の鏡が打ち消され、更には向けられた「視線」やロビラーの登場で復旧が遅れたせいだ。

 

「・・・」

 

 弟のことを思う。

 それを振り切り詠唱に集中する。

 まずはとりあえずでも世界を救う。考えるのはその後だ。

 

 

 

 詠唱は続く。儀式が続く。

 バベル周辺の攻防戦が激しさを増す。

 城壁で飛行モンスターを食い止めていた射手、魔導師達が戦線に加わってはいたが、ベルの抜けた穴を塞ぐには至らない。

 

「壁よ!」

「壁よ!」

「壁よ!」

 

 コマンドワードを唱えながら、手が痛くなるほど、何度も何度も"氷の壁(ウォール・オブ・アイス)"呪文の短杖(ワンド)を振るのはフェリス。

 湧き立つ氷の壁によって氷の迷路が形作られ、モンスターたちは分断され、足が止まる。各個撃破や飛び道具、魔法のいい的になるモンスターたちだが、それでも後続が次々と現れる。

 生み出された氷の壁も攻撃の巻き添えを受けて砕けたり、あるいは上位モンスターに一撃の下に粉砕されたりして、次々と砕けていく。

 

「壁よ!」

「壁よ!」

「壁よ!」

 

 それでもフェリスはワンドを振り続ける。魔力を使い尽くして「燃え尽きた」ワンドを放り出し、新たな"氷の壁"のワンドを引き抜いて再び振り始める。

 Lv.5の上級冒険者ではあるが、"何でも屋(ファクトタム)"であるフェリスは、万能ゆえに術者としても戦士としても中途半端。ゆえにモンスターの進行速度を遅らせ、味方に余裕を生み出すのが現状で出来る最大の貢献であると認識している。

 

「壁よ!」

「壁よ!」

「壁よ!」

 

 だから、フェリスは杖を振る。たとえ手が痺れても。たとえ喉がかれても。

 

「てやーっ!」

「どりゃあっ!」

「おらおらぁっ!」

 

 一方でレーテー、シャーナ、アイシャの前衛組はやる事は変わらない。

 ひたすらに武器を叩き付け、モンスターを打ち砕く。

 

「ゲドちゃん、エリクサーかけて!」

「ゲド、替えの大剣だ!」

「ゲド、マジックポーションよこしなっ!」

「はははいただいまーっ!」

 

 その回りをチョロチョロ走り回って何故か彼女らの補給と治療をして回るゲド。

 【戦争遊戯】で使っていたサポート装備一式がその後のごたごたで放置されていたため、丁度良いとばかりに臨時のサポーターを仰せつかったのだ。

 復活した"戦いの影"と共に、三面六臂ならぬ二面四臂の大活躍である。

 

 Lv.2が何人いようと戦力としては当然計算外だが、この二人いるという特性がサポーターとしては非常に役に立った。文字通り手数が倍になるのだ、それは効率的に決まっている。

 同様にダフネとカサンドラもサポーターとして走り回っている。サポートが必要なのがレーテー達だけではないので、魔剣を振る暇すらないのが誤算と言えば誤算か。

 

 一方で本職のサポーターであるリリは、アスフィと共に空にあった。

 透明化で姿を隠し、魔法「リレハァ・ヴィフルゥ」によって空から指揮を執るアスフィの声を的確に各所に届け、デヴィル側の指揮を混乱させる。手が空いたときには魔剣も用い、アスフィの"爆炸薬(バースト・オイル)"と共に上から援護攻撃を仕掛ける。

 早期警戒管制機と爆撃機を組み合わせたような、恐るべき見えない脅威であった。

 

「・・・」

 

 無言で集中を続けるのは春姫。

 全員に霧を見通す手段を配れない以上「タマテバコ」はデメリットが大きすぎるので、「ハナサキノオキナ」で前衛の生命力を賦活することに集中している。

 この妖術の効果は生命力の操作。生命力の強化によって耐久力を底上げし、疲労を打ち消す。間接的に身体能力を上昇させる事もできた。

 

 ただし、この術は発動している間中精神力を消費し続ける。

 ヘスティアファミリアの前衛陣とその他何人かの上級冒険者、限界に近いところまで術を発動し続けている春姫の額には、精神集中の負荷か、玉のような汗がびっしり浮いている。

 最上級のマジックポーションをひっきりなしに飲み下し、時折疲労回復のヒールポーションも口にする。ただ立っているだけではあるが、これが春姫の戦いだった。

 

 

 

「壁よ・・・」

 

 もう百回は振ったであろうワンドをまたしても振ろうとして、腹に響く爆発音がフェリスの手を止めた。

 

「エッ!?」

 

 直径18mの大きな爆発。

 それが立て続けに街路で起きた。

 フェリスが何度もワンドを振って維持していた氷の迷路やバリケードが丸ごと吹っ飛び、大通り脇の建物もかなり損傷している。

 建物の屋根に並んでいた魔導師や射手、前線で肉の壁になっていた前衛達。巻き込まれた冒険者たちも多くはピクリとも動かない。

 

「なんだ!?」

「くたばったモンスターが爆発したみたいだ!」

「・・・ぐげっ」

 

 およそ年頃の乙女らしくない唸り声がフェリスの喉から洩れた。

 倒したモンスターが爆発する。

 そのシチュエーションと目の前で起きた現象に心当たりがあったからだ。

 

「"断末魔の爆発(デス・スロース)"とか、正気かいっ!?」

 

 思わず叫んでしまった彼女を、少なくともイサミは責めるまい。

 "断末魔の爆発(デス・スロース)"。

 「倒されたら自爆する」という特撮怪人のような能力を自分に付与する呪文だ。

 

 洒落にならないのは僧侶系なら死者蘇生、魔術師系なら瞬間転移を行えるほどの高位術者の命と引き替えにしてでないと発動しないこと、そしてその威力と範囲。

 至近距離で巻き込まれてはよほどのタフネス、最低Lv.3クラスでなくては生き延びるのも難しい。

 ましてや激しい戦闘のさなかで大なり小なり負傷している者が大半だ。バリケードと氷の壁がまとめて粉砕されたのもふくめ、こちらの前線は崩壊したと言っていい。

 

(特攻とかシャレにならないわよコンチクショー!)

 

 デヴィルの中でも貴重であろう高位術者を少なくとも二匹、使い潰して得た守りの穴。

 そこにデヴィルとモンスターたちが殺到する。

 

「来るぞっ!」

「今はレーテーが防ぐから! 二人は回復を!」

「す、すまねえ」

「ダフネ、早くエリクサーよこしな・・・っ!」

「は、はいっ!」

 

 大戦斧を両手に構え、レーテーがモンスターたちの怒濤の前に単身立ちふさがる。

 真紅の甲冑は大きく傷つき、隙間からは血がしたたり落ちている。

 それでも動けないアイシャや、大剣を支えに辛うじて立つシャーナよりはまし。

 

「壁よ!」

 

 フェリスが生み出す氷の壁も、生き残っていた射手による射撃もモンスターたちの蹂躙を止めるには至らない。

 

(あ、こりゃあかんわね)

 

 あっという間に砕かれた氷の壁を見つつ、フェリスは頭の片隅で冷静に判断する。

 温存していたのだろう、恐らくモンスターの大半はLv.5クラス。最深層のフォモールやブラッドサウルス・タイラントなどの姿すら見える。

 氷の壁をもう一枚張っても、恐らく一瞬もたせるのがせいぜい。

 それでもその一瞬を稼ごうとワンドを振りかざして・・・

 ちりんちりん、と鈴の音が聞こえた。

 

「!」

 

 フェリス、シャーナ、レーテー、アイシャ、春姫、ゲド。そして生き残った射手や魔導師、後ろに控えていた上級冒険者たちが一斉に空を仰ぐ。

 

「あ・・・・」

 

 そしてアスフィと共に空にあったリリは、正面から「それ」と目を合わせて破顔する。

 

「ベル様ーっ!」



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22-03 激闘みたび

 全身が燃えるようだ。

 背中の【恩恵】、【憧憬一途】と刻まれたそれがまばゆい光を放っている。

 そんな事を正確に把握しているわけではなかったが、黒竜と戦っていたときと同じ位、あるいはそれ以上の力がみなぎっているのがベル自身判った。

 

 突進するモンスターたちを軽々と追い越し、喜色満面のレーテーの前に着地する。

 城壁からここまで飛びながら意識もせずに鳴らしていた鈴の音、チャージを目一杯詰め込んだそれを、躊躇なく全力で解き放つ。

 

「"コーン・オブ・コールド"!」

 

 冷気の地獄が顕現した。

 ベルの手から円錐状(コーン)に放たれた冷気、本来なら18mほどの射程しか持たないそれが100m以上に渡って世界を凍てつかせる。

 疾走していたモンスターたちが瞬時に芯まで凍りつく。

 だが慣性の法則で動き続けるその肉体はそれでも前に進もうとして、大地の抵抗でその身を傾かせた。

 足が砕ける。体が落ちる。街路に落ちたモンスターの体が次々に砕けちり、大通りはモンスターだった無数の氷塊で埋め尽くされる。

 50m程先で金属の看板が付け根から折れ、街路に落ちて粉々に砕け散った。

 

『!?!?』

 

 街路の端を走っていたため、僅かに効果範囲からそれたフォモールが何が起きたか判らないと言うように周囲を見渡す。

 倒れた冒険者たちを巻き込まないために運良く効果範囲から外れた個体であったが、その幸運も二度は続かない。

 次の瞬間、神速で踏み込んだベルの魔力剣がその体を両断した。

 

 

 

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

「やったぁぁぁっぁぁあ!」

「イヤッホォォォォ!」

「【三月兎(マーチラビット)】!」

「ベル・クラネル!」

 

 一瞬沈黙した冒険者たちが、歓声を爆発させた。ベルの名前と二つ名を連呼する。

 

「んきゃーっ! 凄いよベルちゃん! ・・・ベルちゃん?」

 

 その連呼の中、状況も考えずハグとキスをしようとしたレーテーだったが、荒く息をつくベルを見て険しい顔になる。

 

「ゲドちゃん! マジックポーション沢山! それとエリクサー! ベルちゃん精神疲弊(マインドダウン)しかけてる!」

「大丈夫です・・・っ。僕は、アイズさんを・・・兄さんに、探してもらって・・・」

「だめだよ! そんなんじゃ・・・きょわわっ?!」

 

 レーテーの腕の中で暴れるベル。

 Lv.6のレーテーが抑えきれないほどに、その力は強い。

 

「うっそー!?」

「あの馬鹿・・・アイシャ、手を貸すぞ!」

「あいよっ!」

 

 回復したシャーナとアイシャも加わり、ようやっとベルは取り押さえられた。

 無理矢理開いた口の中にゲドがエリクサーとマジックポーションと、ついでに状態異常を解除するイサミ謹製の魔法薬を放り込む。

 それでようやく白髪の少年は大人しくなった。

 

「・・・どうしたの、ベルちゃん?」

 

 兜のひさしを上げて心配そうに覗き込むレーテーに、ベルが口を開こうとした瞬間。

 

「悪いが話は後だ。敵さんまだ隠し玉を持ってたらしいや」

「!」

 

 シャーナの声に含まれた真剣なものに、二人が振り向く。

 未だに冷気のもやが漂う街路を、かつて仲間だった氷塊を踏みしだきながら歩いてくるものがある。

 牙、角、コウモリの羽根、体を覆う赤い鱗。人間の二倍はあろうかという巨体。

 二足歩行のドラゴンのようなそれは九層地獄の将軍、ピット・フィーンド。

 ()()L()v().()7()

 

 Lv.6でも一対一では苦戦するであろうそれが七体、一直線に横に並んで大通りを歩いてくる。その後ろに続くのは、先ほどに勝るとも劣らぬ地獄の軍団の精鋭達。

 

「・・・・・・っ!」

「何かあったんだろうが、今はこらえろ。ここでお前に抜けられたら守りきれねえ」

 

 ベルが歯を食いしばり、それでも無言で神のナイフを構える。

 それを確認して、だが厳しい表情は崩さずにシャーナが前に向き直った。

 

 

 

「「「「「「「「!」」」」」」」」

 

 同じ頃、ベル達とバベルを挟んで反対側。

 フレイヤ・ファミリアが支える戦場でも同じ動揺が起こっていた。

 

「馬鹿な、私の魔法が・・・」

「お、俺の魔法なんか最初から効かない・・・」

 

 フレイヤ・ファミリアでもトップに位置する白黒妖精の魔法剣士たちが僅かながらも動揺を隠しきれない。

 白妖精が最大火力で放った雷撃魔法がことごとく無効化されたからだ。

 地獄の将軍と称されるだけあって、ピット・フィーンドの呪文抵抗(スペルレジスタンス)は最高級のもの。

 Lv.6である彼の術でさえ7割から8割は無効化されてしまう。

 そして黒妖精の魔法は火炎系なので、彼らの種族的に全く効かない。地獄の炎の中で生まれた悪魔が、炎によって傷つくだろうか?

 

「「「「・・・・・・・」」」」

 

 常日頃悪態の絶えないガリバー四兄弟や"女神の戦車"アレン・フローメルなども、この状況では一言もない。

 もっともそれは並び歩む魔将たちの前を、まるで彼らを率いるように悠然と歩いてくる黒い剣士の存在もあるだろう。

 

「いようオッタル殿、半月ぶり。どうだ、そろそろ決着をつけねえか? ・・・ここで決着をつけねえと、もうチャンスは無さそうだしな」

 

 黒剣を肩に担ぎ、からりと笑うロビラー。オッタルは無言。

 イサミの打った不壊属性剣、ここまで無数の敵を切り裂きながら刃こぼれも曇りもないそれを、だが改めて青眼に構える。

 ロビラーの笑みが獰猛なものに変わり、担いでいた剣をこちらも中段に構える。

 

「・・・ロビラー殿。一つだけ聞きたい」

「ん? なんだ?」

 

 この期に及んで言葉を交わすような相手とは思わなかったのか、きょとんとした表情でロビラーが聞き返す。オッタルは無表情のまま。

 

「イサミ・クラネルから聞いた。貴殿は様々な勢力に属してはそれを裏切り続けたと聞く・・・真実そうなのか? そうであれば貴殿ほどの戦士が何故」

 

 ああ、と納得したように頷くロビラー。左手でぼりぼりと頬ひげをかく。

 

「まあなんだ。連中の所にいるのがつまらんと思っちまった・・・とどのつまりはそっちの方が面白いと思ったからだな。

 それなりに義理は尽くして離れたつもりだが、裏切り続けたと言われれば返す言葉はねえなあ」

「魔神の女王に忠を尽くすのもそれ故か」

「一宿一飯の恩義って奴だ。義理は果たさなきゃなるめえよ。これで満足か?」

「十分だ」

 

 オッタルが頷いた次の瞬間、斬撃が来た。ロビラーもまた斬撃で応じる。

 黒い魔剣と鋼色の不壊剣がぶつかり合い、オラリオごと震わせるような、高密度の重低音が周囲に響く。

 

「Gwooooooooooooo!!!」

 

 それが合図だったかのように、地獄の軍団は怒濤の進撃を開始した。



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22-04 呪われし者たち

 短くも熾烈な戦闘の後、双方の戦線は脆くも突破された。

 全力で戻ってきたロキ・ファミリアも僅かに間に合わない。

 今まで以上の数と質を揃えた大群に加え、Lv.7相当であるピット・フィーンドが10体以上。単純にそれを止められるだけの高位冒険者が足りなかった。

 最強戦力であるオッタルはロビラーに抑えられ、最後の頼みの綱であるベルも大鐘音を立て続けに二度も鳴らしてその肉体が既に限界。アイズをさらわれた事による狂奔も収まった今、ピット・フィーンド一体を抑えるのがせいぜいだ。

 

「GDAY-GOHA!」

「OOOOOOOOOORRRRRRRRRRRRRRRR!」

「GYYYYYYYYYYYYY!」

「Wooooooooooooooooooo!」

 

 うなり声と吠え声の混合にしか聞こえない言語――デヴィルの使う地獄語でピット・フィーンドの一体が命令を下す。先ほどのホーンド・デヴィルやアイス・デヴィル、エネルギーで形成された象ほどもある獅子のような怪物ヘルキャットが一斉に吠え声で応える。

 堰を切った濁流のようなモンスターの群れは、前衛の高レベル冒険者たちとバリケードを貫き、バベル目指して一直線に突き進む。後ろに控えていた三級冒険者たちでは止めるべくもない。

 

 ベル達の護る東とほぼ同時に西のフレイヤ・ファミリアも抜かれていた。いかに最強を誇ろうと、その身は一つ、腕は二本。せき止められる数にはおよそ限界がある。

 ピット・フィーンド数体に率いられた異形の軍勢が東西から塔に迫る。

 世界を救うために儀式を続けるイサミを殺し、神々を天界に送還するために。

 

 だがそれでもイサミは儀式を成功させるだろう。多大な犠牲と共に。

 そしてその犠牲で空いた隙間にするりと彼らの勢力が入り込む。

 

 万が一イサミが死に、儀式が失敗してしまってもそれはそれでかまわない。

 彼らの主は状況がどう転んでも勝ち筋が繋がるように策を練っている。

 賽の目に関わらず彼らの勝ちは揺るがない。

 それでもどうせなら人間どもを踏みにじり、疎ましき神々の血で喉を潤したい――

 

 だが心せよ邪悪な者ども。

 神であろうと魔王であろうと、世界全てを読み切ることなど土台出来ぬ相談。

 神々の求める「未知」がこの世には満ち満ちているがゆえに。

 

 刮目せよ地獄の魔神。

 これなるは夜の使徒、死につばを吐く冒涜者、悪魔にも劣らぬ邪悪の化身。

 闇に魅入られし魔人たち、人界の最後の守りが今顕現する。

 

「!」

「Goa!?」

 

 不意に日がかげった。

 中天目指して空を駆けのぼっていた太陽が、唐突にその形を失う。

 真円に輝いていた太陽がその縁から欠損を始め、またたく間に三日月に、そして金環をまとう黒き円となる。

 

 オラリオ市街が闇に覆われ、そこにいる全ての存在が一瞬空に気を取られたその瞬間。バベルの根元、東西に分かれて黒い闇がわだかまっていた。

 それと同時にバベル全て――高さ数百mは下らないこの巨塔全てを――不可視の障壁(ウォール・オブ・フォース)が覆う。

 

「Ga・・・・・・!?」

 

 東側の先頭を駆けていたピット・フィーンドの一体が、そのドラゴンの如き顔でもはっきり判る、驚愕の表情を浮かべた。

 東の正面にわだかまっていた闇――漆黒の礼服を身にまとい、宝杖を構える生ける死者が、干からびた歯ぐきをむき出しにして笑う。

 

『ククク・・・』

「フフフフ・・・」

「はははは・・・」

 

 その傍らに控える影どもに、さざ波のように笑いは伝染していく。

 姿はいかにも冒険者といった風情だが、その目は赤く、肌は青白く、口元には牙。

 

『九層地獄の木っ端悪魔どもが。元よりこの世界に未練なぞないが、貴様らにやりたいほうだいやらせるのも業腹よ。

 何よりタリズダンの復活により我が畢生の大作(クノッソス)を損なったこと、貴様らに怒りをぶつけてやらでは気が晴れるものか!』

「Gy・・・・・・・・・・・!」

『我が名はダイダロス。死霊王ダイダロス! 我が怒りを魂に刻んで塵に帰れ!』

 

 "(エクリプス)"。日食を起こし世界を闇に閉ざす伝説級呪文(エピックスペル)

 太陽のもとでは活動できない吸血鬼たちをそのくびきから解き放つ死霊王の切り札。

 そしてあらかじめ用意していた"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"の魔杖をしもべたちに使わせて、地上のみならず空中からの進攻も封じた。

 

 高度の魔術を使えない限り、これを貫くことは出来ない――もしくはそれを維持する死霊王たちを全員排除するか。

 そしてデヴィル達のほとんどはわざわざ魔術を学ぶなどと言うことはしない。できない。技術ではなく、おのれに備わる力こそ地獄の支配者たるデヴィルの誇りであるから。

 

「タカガ干からびた死体(リッチ)風情ガ! 呪文ニ自信があルノなら、我らもソノ呪文で止めてみヨ! GDAY-GOHA!」

「「「VE-DA!」」」

 

 聞きづらい共通語でピット・フィーンドが吼え、再び地獄語で突撃命令を下す。

 配下がそれに応えて唱和するのを、死霊王が鼻で笑う。

 

『残念じゃが、わしは呪文はさほど得手ではなくての・・・構え!』

「「「はっ!」」」

 

 周囲に控えていた吸血鬼達の全て――東側だけでなく西側でも――が、ライフル銃を「捧げ(つつ)」するように魔杖を構え、怒濤の進撃を再開したデヴィル達の群れに向ける。

 

『撃てい!』

 

 剣林ならぬ杖林から、無数の白い光球が放たれた。

 集中的にピット・フィーンドを狙ったそれは着弾すると巨大な白い爆発を巻き起こす。

 熱も衝撃ももたらさないそれは、だが恐るべき冷気を周囲半径12mにまき散らし、その範囲内のあらゆるものを凍てつかせた。先ほどベルが作り出したそれに勝るとも劣らぬ氷の地獄が顕現する。

 一本の杖から放たれた光球が四つ、それが数十人分。数発なら耐えられたであろうピット・フィーンドたちも、それぞれが集中砲火で数十発を喰らっては敢えなく凍てつくより他はない。地獄の精鋭とは言え、それに劣る周囲の者達は言うまでもない。

 

『言ったであろう。わしは呪文はさほど得手ではなくてな・・・得意なのは作る方よ』

 

 ぐっぐっぐ、と喉で笑う死霊王。

 そう、彼こそは工匠ダイダロス。バベルを築き、オラリオを作り上げ、数多のマジックアイテムをこの世界にもたらし、そしてダンジョンのエネルギーを利用する超巨大魔法装置さえ作り上げた唯一無二の匠。

 相手が判っていれば、それに対抗しうる装備を作り上げるくらいは児戯にも等しい。

 

『惜しむらくは実用一辺倒のつまらん作品だと言うことだがな・・・続けて放てい!』

「HA-VE-BOYA!」

 

 死霊王の号令と、後方にいて生き残ったピット・フィーンドの咆哮が交錯する。

 再び放たれた数百の光球、だがその大半が屹立した氷の壁によって阻まれる。

 アイス・デヴィルなどが持つ"氷の壁(アイスウォール)"の魔力(呪文とはまた違う)だ。

 

『ふん、であろうな』

 

 だがそれをまたしても鼻で笑う死霊王。

 突撃してくればこそ脅威だが、壁を作って籠もるなら願ったり叶ったり。

 彼の仕事は時間稼ぎ。

 儀式が完成するまでいくらでもお見合いをしていればいい。

 

(さて、あの小僧め。やってくれるかの・・・)

 

 デヴィル達が築いた即席の氷の陣地を油断無く見やりつつ、死霊王はちらりとバベルの中段、神会(デナトゥス)の間があるあたりを見上げた。

 

 

 

 オラリオという盤面の上で繰り広げられるそれら全てを、無貌の巨人――狂える神タリズダンは無感情に見下ろしていた。この神に感情などと言うものがあればの話だが。

 小さきものの動向などそれにとっては興味の外。長らく封印された事に対してすら思う所はない。彼はただ、彼の存在意義を果たすために完全に力を取り戻そうとしているだけ。

 

 そのために必要な二つの鍵は揃った。神の力を秘めた、導線となるべき精霊の肉体と、かつて自らの魂の一部を封じた神器。その二つを繋げて儀式を行えば、眠れる天界の神々の本体から力を奪い、封印による磨耗で失われた分の力を取り戻せる。

 そしてまったき力を取り戻し、今度こそ世界をあるべき姿に・・・

 

 

 

 ナ ン ダ ?

 

 

 

 不意に無貌の巨人が顔を上げた。

 超存在の強大な意志の波動が、僅かに外部に漏れる。

 

 見上げた先、神にしか判らない波動が空間の一点から発せられているのが判る。

 空間が歪み、切り裂かれ、次元の壁が開いていく。

 

 

 

 オ 、 オ オ オ オ オ オ オ 

 

 

 

 歓喜の波動が洩れた。

 壁がスライドして隠し通路が現れるように、彼を閉じ込め続けた次元の檻、封印世界を外部から遮断していた障壁が開いていく。

 力を取り戻しても次元障壁、あるいは世界そのものを破壊するには大きく消耗せざるを得ない。それだけにタリズダンの喜びは望外のものであった。

 

 もう少し、後もう少しで彼の霊体、存在全てを通せるだけの穴が開く。

 そうすれば――

 次の瞬間、再びタリズダンは人間で言う驚愕に近いものを味わうこととなった。

 

 

 

「なんだ?」

「GGYO!?」

 

 タリズダンが最初に空を見上げ、不審の波動が洩れたところで、先ほどの日食ほどではないにしろ両軍で上空を見上げるものがある程度出た。

 だが彼らの目には何も映らない。すぐに戦いは再開される。

 タリズダンの歓喜の波動が洩れてもなお、彼らには何も感じ取れない。

 

 人類はもちろん、高位の悪魔ですら存在の尺度としては人族ら有限生命体(モータル)とそこまで差はない。

 一つの世界、あるいは一部とは言え次元世界の物理法則すら支配できる神やアスモデウスとはそこが違う。

 そして三度目にタリズダンが放った驚愕の意志の波動。

 そこで死すべき人の子らは、ようやく何が起きているのかを理解した。

 




死霊王が作ったのはエピックハンドブックに載っている「スタッフ・オブ・コスモス」の廉価版のイメージです。
本来は《最強化》(エピック呪文修正特技。期待値3.5のダメージが固定値12になる)したチェイン・ライトニング、メテオ・スウォーム、サンバーストを発射するスタッフですが、作中では《最強化》メテオ・スウォームのみ、かつエネルギータイプを冷気に変換しております。
(デヴィルの大半は火炎無効ですので)
一発の氷球のダメージは直撃すれば96点、魔石付きピットフィーンドのHPは1000くらいなので、冷気抵抗を抜いても十数発当たれば大体沈みますな。
なおヴァンパイア連中はウィザード呪文は使えませんので、全員〈魔法装置使用〉技能で無理矢理使ってます。


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22-05 アベンジャーズ・アッセンブル

 宙の一点に光がまたたく。

 そこを中心として巨大な――タリズダンにも匹敵するような人型の幻像(ヴィジョン)が宙に現れる。

 タリズダンが復活したときとは逆にあっという間にそれは実体を備え、確固たる質量を持った巨人として大地に降り立つ。

 

「お・・・」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 

 翼を持つ白銀の兜。同色の輝くチェインメイル。胸には銀の雷の紋章。黄金のバトルアックスを掲げ、そは高らかにおのれの名を謳う。

 

『我は無敵のハイローニアス! 全次元界のため、そこに住まう全てのもののため、義によって汝を討つ! 無貌の邪神よ、再びとこしえの封印の中に戻るがいい!』

 

 雷声が天地に轟いた。

 "無敵なるもの"。"神々の騎士"。"大パラディン"。

 フェリスの出身世界であるオアースにおける武勇と名誉の神、ハイローニアス。

 邪悪や混沌と闘う、秩序や善の神々の先鋒たる勇士の神。

 それが今、次元の壁を越えて封印世界に姿を現していた。

 

 

 

『兄者はいつもずるいのう。我とて一番乗りの名乗り上げをしたかったものを』

 

 続けて実体化した姿がある。

 全身を覆う黒い騎士甲冑。フルフェイスの兜で顔は見えない。六本の手には剣。胸には六本の赤い矢の紋章。腕の数を除けば「黒騎士」という単語をそのまま具現したかのような巨神。

 それと対を成すかのような白銀の巨神戦士が振り向き、快活に笑う。

 

『ははは、許せ、弟よ! 次があればお前に譲ろう!』

『前の時も同じような事を言っていたと思うがな』

 

 兜の下で、黒き殺戮の神がにやりと笑った。

 "戦もたらすもの"、"悪の勇者"、"地獄の旗手"。

 ハイローニアスの弟にして宿敵、悪の騎士道、黒き名誉を司る専制の神、ヘクストア。

 それが一歩踏み出し、兄の横に並ぶ。

 

『だが許そう。いくら憎んでも飽きたらぬ兄ではあるが、共に戦うとなればそれでも心が高鳴るのを抑えきれぬ』

『うむ。私も同じ気持ちだ、弟よ』

 

 たがいに不倶戴天の仇敵である兄弟神が武器を構えて並び立つ。

 全次元世界の危機に際し、今この時だけは手を取り合って共通の敵に挑む。

 それはまさしく神話のひとこま。

 だが見よ、死すべき人の子よ。

 その場に立つのは果たしてこの兄弟神だけであろうか?

 

 正視するのも叶わないほどまばゆき光に包まれた白い老人こそは至光なる太陽神ペイロア。あらゆる神の中でも最上位に位置する一人である、善と恵みを与え邪悪を滅ぼす神。

 

 黒さび色のローブに青さび色の髪を流す赤い骸骨、手には赤く輝くエネルギーの大鎌。『死神』以外に言い表す言葉もない、死の具現にして全ての生を憎むもの、死の大神ネルル。

 

 ピンク色の肌に巨大な角、ルビーの錫杖に豪奢なローブ。九層地獄の全てを統べるもの、魔神の王。アスモデウス。

 

 トカゲの下半身を持った巨大な双頭の猿、しかしその腕があるべき場所からは四本の触手が生えた異形。圧倒的な破壊と混沌のオーラを振りまくそれこそはデヴィルと相対する混沌の悪魔デーモンの頂点、デーモンの支配者(プリンス・オブ・デーモンズ)デモゴルゴン。

 

 甲冑に鎚矛を持った白髭の戦士は正義の護り手聖カスバート。

 粋に帽子を傾けた吟遊詩人風の男は狂える大魔道師、笑いとユーモアの神、かつて人間だったもの、ザギグ。

 青黒い馬にまたがり、オレンジで裏打ちされた黒いローブをまとう漆黒の騎手は苦痛と疫病の神インキャビュロス。

 

 平和の神ラオ。死の魔王オルクス。エルフの創造神コアロン・ラレシアン。ドワーフの守護神モラディン。白金の竜王バハムート。五色五つ首の邪竜神ティアマト。

 英雄神コード。大自然の具現オーバド・ハイ。片目のオーク神グルームシュ。黄昏の貴婦人ザン・ヤイ。盾の乙女マイアヘン。終わりなき旅人ファラングン。

 

 善悪を問わないあまたの大神小神に魔神、魔王。

 オアースそのものである世界の女神ベイオリーを除けば、ほとんど全てのオアースの超越存在がここに肩を並べていた。

 そして魔術の大神ボカブが神々の中から一歩踏み出す。

 

『今ここに約定は果たされた。我らの力、かつてのおおいくさには及ばねど、それでも力を封じられた今のお主であれば勝目もあろう。再び封印されるがよい、タリズダン』

 

 オ 、 オ 、 オ 、 オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ !

 

 タリズダンの怒りの波動が封印世界を揺るがした。

 

 

 

「・・・あー、何とか間に合ったか」

 

 神会(デナトゥス)の間で儀式を終えたイサミが息をついた。

 これこそイサミの仕組んだ最後の切り札、世界を越えた神々の招請(コール)であった。

 

 もちろん封印世界の神々が総力を上げて作り上げた次元障壁を貫通して神々を呼び寄せることなど、人間の魔術師に過ぎないイサミには手に余る仕事だ。

 神のような巨大な存在が通れる程の穴を、それも力ずくで開けるとなれば、本物の神々ですらその力の大半を消耗してしまうだろう。

 そこでイサミは、障壁を作る神々に自ら穴を開けさせることを思いついたのだ。

 

 地上にある全ての神々を集め、加えて天上にいる神々とも交信し、彼らの力の方向を制御誘導してやることで、積層的に作られている次元障壁のパーツを少しずつ「ずらし」て、障壁の薄い部分を人為的に作り出す。

 加えてオアースの神々とも交信し、タイミングを合わせて外から力を加えることで本来起こりえない巨大な隙間を発生させたのだ。

 

 その後に起こった神々の来訪は向こう側が自発的に移動してきたものであり、イサミの呪文とは関係ない。タイミングを見計らってこちらに攻め込むよう神々と魔王たちを説得し、束ね上げたボカブとモルデンカイネンの功績である。

 とは言え神々の力を律し、精密に組み上げられた次元障壁を限定的とは言え解析して間隙を作り出すのもまた、なまなかの大魔術師に成せる業ではない。

 

「よくやったぞ、イサミ。お前が孫でわしも鼻が高いわい」

 

 イサミの腕をポンポンと叩くのはゼウス。

 

「あの場に立って、タリズダンと再び打ち合えないのは残念じゃがの」

「もう歳なんだ、そう言うのは若い連中に任せておいたらどうだい?」

「ぬかせ、小僧ッ子めが!」

 

 呵々と笑い、今度は孫の背中をバシンと叩く。

 にやりと笑ってイサミが拳を作る。ゼウスもまた。

 互いの拳を軽く打ち合わせ、祖父と孫は気持ちよさそうに笑い合った。

 

「さて、それじゃ行ってくる。じいちゃんたちはここで待っててくれ」

「例の黒い剣士か」

 

 儀式に乱入してきたロビラーを思い出しつつ、ゼウス。

 イサミは頷いて更に言葉を続ける。

 

「それもあるけど、アイズ・ヴァレンシュタインってロキ・ファミリアの冒険者がね。

 多分だけど放っておいたらヤバいことになる。それに・・・」

「それに?」

「彼女、ベルの想い人でね。見捨てる訳にもいかないだろ」

 

 一瞬目を丸くした後、吼えるようにゼウスが笑った。

 

「ハハハハハハハハ! そうか、ベルも目覚めたか! 善きかな善きかな! これで後四、五人も引っかければ一人前じゃな!」

「現状それに結構近い状況ではあるんだけど・・・結局そんな器用な真似が出来るやつじゃあないんだよなあ」

 

 イサミが肩をすくめるのとほぼ同時に、祖父と孫の間に割って入ってきた者がいる。

 仏頂面のロキだ。

 

「・・・神ロキ、何か?」

「あー、ひょっとしたらウチの子らだけでは厳しいかもしれんし、オノレらがアイズたん救出に手を貸す分にはまあ大目に見といたる。けど、成功したからってアイズたんはやらんからな! アイズたんはウチの嫁や!」

 

 忌々しそうに吐き捨てるロキに、祖父と孫が顔を見合わせる。

 

「との事ですが、解説のゼウスさん。これは一体どう解釈すべきでしょうか?」

「そうですな実況のイサミさん。お気に入りの娘を助けに行きたいけど、ロキ・ファミリアの戦力ですら難しそうなので出来れば手を貸してほしい、ということを言いたかったのではないでしょうか。ロキちゃんってば素直じゃないんじゃからもうぉ~」

 

 ビキッ、とロキのこめかみに血管が浮かぶ。

 貧乳神が何かを言い出そうとするより一瞬早く、表情を柔らかくしたゼウスがロキに語りかけた。

 

「じゃがお主とフレイヤには感謝しておるぞ、ロキ。よくぞオラリオを支えてくれた」

「・・・ハァー? 何のことかいなー? そんな約束なんて全然知らんのやけどぉー?」

 

 一瞬言葉に詰まるが、次の瞬間ことさらにいやみったらしい表情を作ってゼウスとイサミをねめつけるロキ。

 

「ねえねえこれがツンデレって奴かな、じいちゃん。俺初めて見たよ」

「うむ。だが愛嬌も乳もない性悪の年増がやっても全く効果はないがの。やっぱこう言うのは青春真っ盛りのピチピチした美少女じゃないといかんの!

 後わし約束とか一言も言ってないんじゃけど。語るに落ちてるんじゃけど」

「マジでブッ殺すぞオドレら!?」

 

 わざとらしくひそひそ話のポーズを取る二人に、がーっとロキが吼えた。

 

 

 

 神魔の軍団とタリズダンが対峙する。

 オアースの神々と魔王が武器を構え、無貌の巨人が大きく両手を広げた。

 超越者同士の戦いが始まるのだと誰もが思った瞬間、それらの姿が一斉に消え失せる。

 

 一体何がと人々が戸惑う中、暗闇に覆われた天空に一筋、銀の光がきらめいた。

 それが合図だったかのように、赤、黄色、青、金、銀、黒、紫、橙、緑などの無数の、色とりどりの光が天空に次々とまたたく。

 闇の中で音もなく静かにきらめく光の洪水は、それが封印世界の運命を賭けた超越者達の死闘であることを知らなければ、たとえようもないほどに美しかった。




ハイローニアスはマイティ・ソー、ヘクストアはロキを脳筋にしたような感じで書いてます。
後スパロボWのテッカマンブレードとエビル。


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22-06 大海の勇者

 その美しい光景の下で、人と悪魔の死闘が続く。

 バベルの周辺にわだかまった吸血鬼達の群れを悪魔達は突破できず、冒険者側もバリケードを突破されてしまったために自然その周囲で乱戦になっていた。

 上位冒険者たちが手当たり次第に数を減らし、大多数を占めるLv.2の三級冒険者たちが槍ぶすまや臨時のバリケードで、なんとかモンスターたちを食い止めようとしている。

 

 一方もう一つの主戦場になっている北西のストリート、ギルド本部。

 ここを護っているのはガネーシャ・ファミリアとその他のオラリオ外から来たファミリアの精鋭達(と、言ってもレベルの高い者でせいぜい3だが)。

 

 そしてかつてゼウス・ヘラに続く大ファミリアであった大海原の守護者、ポセイドン・ファミリア。

 首領はいかにも海の漢と言った日に灼けた肌、たくましい体躯に短い髭を刈り込んだ壮年に見える男。

 その二つ名も【海神の三叉矛(トリアイナ)】クリュサオル。世界にたった二人しかいないLv.7の一人。

 実力でオッタルに匹敵し、経験では上回る大戦士の振るう黄金の三叉戟の前に、無限に続くかと思われるデヴィルやモンスターたちも突破口を見いだせない。

 ピット・フィーンド達でさえ、この場で生き残った六匹全員が集まってようやく勝負になる有様だ。

 

 ポセイドン・ファミリアはさらに四人のLv.6に加え、十人を超えるLv.5。

 それに"象神の杖(アンクーシャ)"シャクティ・ヴァルマを頭とするガネーシャのLv.5たち十一人を加えて、地獄の軍勢は着実にその数を減らしていく。

 『鏡』越しにその様子を見てロイマンが喜び、この様子ならギルド前の敵を殲滅してバベルに援軍を出せるかと思われたあたりで「それ」がやって来た。

 

「・・・なんだ?」

 

 目の前の角悪魔の頭を砕き、僅かに息をついたシャクティが、かすかな震動を感じて周囲を見渡す。

 

「どうした、お姉さま・・・お?」

 

 彼女と義姉妹のちぎりを(無理矢理)結んだアマゾネス、イルタがアイス・デヴィルの胴体をぶった切り、同様に怪訝な顔をした。

 震動。また震動。

 周囲の戦闘の喧騒が収まりつつあるのに反比例して、地面を揺らす震動は徐々に大きくなっていく。

 二人は周囲を見渡すが、この近辺はギルド本部やヘファイストス・ファミリア本店をはじめとして10mを越すような高い建物が多く、視界が悪い。

 

「え・・・?」

「お、おい・・・嘘だろ」

 

 次第に大きくなる震動に、二人以外にも気付く者が増え始める。

 

「おい、あそこ!?」

 

 冒険者の一人が、通りの両側に立ち並ぶ高層建築の向こう側を指さす。

 ずしん、と。

 六階建てのヘファイストス・ファミリア本店より高く、姿を現したものがある。

 

「・・・・・・・・・・!」

 

 指さした者をはじめ、上を見上げる余裕のあったほとんどの者が絶句した。

 「それ」が大通りに出てくるときに肩をぶつけられ、ヘファイストスの店が半ばから崩れ落ちる。幅8mほどの「狭い」通りから大通りに出てきたのは生ける肉の城の如き怪物。

 ぶくぶくに太った人間とティラノサウルスを掛け合わせ、巨大な口しかない頭を据えて尻尾の先に毒針を追加し、腹にも巨大な口をつければこのような感じになるだろうか。

 ざっと20mは軽く越える体躯。本来の三倍近い大きさに巨大化したそれは、当然相応の強大化を施されている。

 デヴィルの生体兵器、生ける城。強化種ガルガトゥラ(Ghargatula)。

 ()()L()v().()8()

 

「ちっ」

 

 舌打ちしながらもどこか不敵な表情を崩さないクリュサオル。

 大地を揺らしながら、大通りの中央を歩いてくる強化種ガルガトゥラとクリュサオルとの間の空間がさっと開いた。悪魔も人も踏みつぶされないように左右に分かれる中、クリュサオルただ一人のみがその前に立ちふさがる。

 

「悪いな、オッタル、フィン・・・援軍はちょいと遅れそうだ」

 

 大海の勇者が黄金の三叉戟を握りなおした。

 

 

 

 戦いは続く。

 バベル西側は変わらず乱戦状態。

 その中でロビラーとオッタルが誰も――同じフレイヤ・ファミリアの一級冒険者ですら――介入できない超絶の戦場を作り出している。剣戟のそれとは思えない重低音が、周囲に何者をもよせつけない。

 その周囲では"女神の戦車"アレン・フローメルをはじめとする他の一級冒険者がピット・フィーンドを抑え、フレイヤの勇士(エインヘリアル)たちがそれ以外のモンスターを少しずつ駆逐していく。

 ヴァンパイア達の砲撃で足が止まったデヴィル達は、フレイヤ・ファミリアとそれ以外の中級冒険者たちに甚大な被害を出しながらも、戦力をすり減らしていった。

 

 

 

 一方でバベル東側の戦闘は急激に収束しはじめていた。

 ロキ・ファミリアの到着である。

 レヴィスとの決着をつけたリューも一緒だ。

 

「そりゃそりゃそりゃそりゃそりゃーっ! 」

「くたばれクソ悪魔ども! こっちゃあ頭に来てんだ!」

「しゃっ!」

「ウオオオオオッ!」

「壁よ!」

「「ウィン・フィンブルヴェトル!」」

 

 大双刃(ウルガ)とアダマンタイトの大斧という超重武器がピット・フィーンドの一匹を左右から挟み込み、肉と骨が砕ける音と共に、バラバラの肉塊に変えた。

 ティオネのナイフが数本、別のピット・フィーンドの鱗を貫いて突き立ったところで、フィンの黄金の槍がその喉をえぐる。

 それでも踏みとどまって怒りの叫びを上げる魔将であったが、次の瞬間、同時に響いた厳冬の呪文が少なくないデヴィルやモンスターを氷像に変えたのを見て僅かに怯んだ。

 

「へっへー。やっぱり壁は火力呪文と併用してこそよね」

 

 ニヤリと笑うのは、そろそろ三本目のワンドを使い切ろうかというフェリス。

 氷の壁で敵と味方を分断し、大火力を叩き込むことで最大限の戦果を叩き出す。

 派手ではないが重要なサポートを果たし、大通り南側の屋根に並び立つエルフの師弟にウィンクを送る。

 リヴェリアが微笑みと共に一瞥を返した。

 

「あっ、貴様ベート! それがしの作ったフロスヴィルトをまたしてもぶっ壊しおったな!」

「相手はあの黒竜だぞ! 武器の一つや二つ壊れねえわけがねえだろうが!」

「おのれぇぇぇえ! 次は特別料金ふんだくるぞ!」

 

 まあ、こんなやり取りも交わされてはいたが。

 

 

 

 もちろんヘスティア・ファミリアの面々も奮戦を続けている。

 ベルが単身相手取っていたピット・フィーンドが、ダメージの蓄積に耐えられずについに倒れた。

 レーテーとシャーナが二人がかりで押さえ込んでいたピット・フィーンドも、シャーナの大盾に爪が刺さって抜けなくなったところをレーテーの大戦斧で片腕を落とされ、かなりの所まで押し込まれている。

 ロキ・ファミリアと共に合流したリューも前衛として駆け回りつつ、並行詠唱の大火力呪文を叩き付けて八面六臂の大立ち回りを演じている。

 

 指揮をするアスフィやリリ、支援をするゲドや春姫、雑魚(と言ってもLv.5相当が大半だが)を何とか食い止めるアイシャも、デヴィルの軍団に押されつつ、何とか生き残っていた。

 

「しかし俺オグマ様のところの団員なんだけど、なんかここんとこヘスティア・ファミリア扱いされてない?」

「言ってる場合か! 暇なら魔剣でも振れ!」

 

 割と本気で頭に血を昇らせてシャーナがゲドを怒鳴りつけた。

 

 

 

「・・・おかしいな」

 

 最後のピット・フィーンドの魔石を砕いた後、フィンがぼそりと呟いた。

 レーテーとシャーナが相手取っていた個体もベルによって倒されており、周囲は掃討戦に移行しつつある。

 

「何がですか、団長?」

「彼らの目的はイサミ・クラネルが進めている儀式の妨害だったはずだ。恐らくあの巨神たちの召喚がそれだったと思うんだが、だとしたら何故彼らは戦いをやめない?

 まだ儀式は終わっていないのか、それとも悪魔達には他の目的があるのか?」

「えーと・・・」

「まあ、今考えても仕方がないか」

 

 答えに窮するティオネから目をそらし、溜息をつく。

 再び槍を構え、自らも掃討戦に加わろうとしたところで、周囲に白い炎の柱が数十本立った。

 生き残りのデヴィル、モンスターたちを的確に捉えたそれは本日何度目かの極寒の地獄を生み出し、生き残っていた敵をほぼ一掃した。

 

「なるほど、どうやら儀式が終わってないという線はなくなったか」

 

 見上げるフィンの視線の先、神会(デナトゥス)の間とほぼ同じ高度の空中に虎縞髪の巨漢が浮いていた。

 

 

 

 バベルの北側、30階の高さに浮遊しながらイサミは周辺の戦況を素早く確認する。

 東西共に雑兵はほぼ片付けた。東側はもう生き残りはいない。西側はピット・フィーンドと一部の高位デヴィルが残っているだけ。この分であればさほどの時間もかからず掃討できるだろう。

 こちらの視線にめざとく気付いてニヤリと笑う黒ひげの中年は無視。

 

 北西のギルド本部周辺は巨大な悪魔と黄金の三叉戟を振りかざす戦士の壮絶な一騎打ちが繰り広げられている。周囲の戦況もさほど悪くはない。

 さすがに数km先ではイサミの術も・・・届かないではないが、巻き添えを出さずに敵だけ打ち倒すのは難しい。そもそもあのレベルのモンスターでは、イサミの術をもってしても倒すのにそれなりの時間がかかるだろう。

 加勢すべきかどうか僅かに悩み、イサミは決断した。




クリュサオルはあれだ、アクアマンと思えば大体間違ってない(ぉ


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22-07 地の底の神殿

 デヴィルを全滅させた東の戦場に、イサミが降り立った。

 歓声と共に周囲に人が群がる。

 その中にただ一人笑っていない顔を見つけ、歩み寄った。

 

「ベル」

「兄さん、アイズさんが・・・」

「わかってる。呪文で場所は既に突き止めた」

「本当に!?」

 

 ベルの顔がぱっと明るくなる。

 そして、それを聞いて表情を動かしたものたちもいた。

 

「聞かせてくれるかな、イサミ・クラネル。何と言ってもアイズは僕たちの仲間だ」

 

 真摯な顔で見上げてくるフィンを見下ろし、イサミは頷いた。

 

「ちょっと待ったあ!」

「神様!?」

 

 死霊王と吸血鬼と冒険者たちをかき分けて現れたのはヘスティアだった。

 

「よくわからないけどあの黒竜を倒したんだろう? 今すぐステイタスの更新だ! 話を聞きながらでもできるだろう?」

「それじゃお願いします。はい、マント」

「オッケー! レーテー君たち、ちょっと壁になってくれ」

「うん、わかったぁ」

 

 手早くベルが鎧を脱ぎ、イサミのマントとレーテー達が壁になってステイタスが見えないようにしつつ更新を始める。

 それを横目で見つつ、イサミが説明を始めた。

 

 

 

 イサミが"完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"で調べたアイズの位置は、オラリオの4000m直下。

 ダンジョン=タリズダンが存在していた巨大な大穴、その底だった。

 

「ただ、妙な感触がありまして・・・」

「妙とは?」

「"世界を越えた"感触があったんですよ」

「すまない、もっとわかりやすく」

 

 "完全位置同定(ディサーン・ロケーション)"の呪文は、一切の距離を問わない。

 それどころか封印世界の次元障壁とマインドブランク呪文を除けば、ほとんど全ての次元の壁や対探知結界を貫くことが出来る。

 そしてアイズを捉えたさい、イサミは次元の壁の向こうの対象を捉えたような感触を覚えていた。

 間違いなく同じ次元にあるというのにである。

 

「ただまあ、この世界の外には歩いて別の次元界に行ける場所ってのも結構ありますから、それ自体はそこまでおかしくないんです。神が封印されていた場所となればそう言う事もあるでしょうし」

 

 次元界の境目が陸続きで、次元ゲートやポータルと言った物を通らずに歩いて次元界の境界を越えられる場所はいくつか存在する。

 たとえばオアースの神界魔界は全て同じ大地で繋がっているし、複数の次元界を貫いて流れるスティクス河を船で旅することによって次元間を移動することもできる。

 

 それ以外では侍の世界ロクガンの鬼の領域"影の国(シャドウランド)"などがそれで、こちらは蟹の氏族が作り上げた"加重の長城(グレート・カジュ・ウォール)"の外に一歩踏み出せばそのまま別の世界という、文字通り陸続きの異界となっている。

 イメージ的には妖精境や隠れ里が近いだろうか。

 

「世界の外か・・・どのような光景が広がっているものやら」

「人間が住んでいるところは大体この世界と変わりませんよ。それに加えて神やら悪魔やら精霊やらが棲んでる世界もありますけどね」

 

 『世界の外の世界』に思いを馳せるリヴェリア。

 やや共感を覚えるイサミであったが、軽く流して説明を続ける。

 

「ここで重要なのはアイズと一緒にグラシアの反応があったこと。そしてグラシアは魔王と呼ばれる存在であり、そのレベルの存在は『世界を支配する』事ができると言うことです。むしろ一つの世界を支配できるからこそ魔王と呼ばれるんですが」

 

 有限生命体に過ぎない人間や並の悪魔と、神や魔王と呼ばれる超越存在(イモータル)の最大の差異がこれだった。

 彼らは一つの世界とリンクして完全に支配する。そこから力を引き出し、さらにはその世界の物理法則をある程度自由に操ることすらできる。大神や大魔王と呼ばれるような存在なら複数の世界を支配することもできる。

 さらに神であれば全宇宙の特定の物理法則を支配することすら可能だ。例えば死の神ネルルは死の法則(権能)を支配しているので死の神となっているが、まあこれは余談だ。

 

「つまり、今ダンジョンの底がどんな環境にあるか、グラシアがどれほどの化け物になっているかはわからないわけか」

「はい。少なくとも59階層での彼女よりは大幅に強化されてると考えていいと思います。今までの彼女は本来支配するべき世界から切り離された状態でしたからね」

「それは気の滅入る報せだね」

 

 フィンが苦笑して肩をすくめる。

 しかし、それで怯むような人間はこの場には一人もいなかった。

 まずベートが、そしてレーテーが吼える。

 

「なんでえ、結局敵が強いってだけのことだろ。そんなの、言われなくてもわかってるだろうが!」

「そうだよ! さーっと行って、さーっとやっつけて、ベルちゃんの好きな人を取り返してくるんだよ!」

 

 ぶっ、とベルが吹き出した。疲労の極みと悲壮な決意がない混じった顔が一瞬にして赤面し、わたわたといつもの頼りない表情が戻ってくる。

 ブチッ、と。血管が切れる音が複数聞こえた気がした。

 

「何だとこのアマ! あんな兎野郎にアイズを任せられるか!」

「そうです! こんな不埒な人とアイズさんが釣り合うわけがありません! 私が許しません!」

「ベル様の恋愛にとやかく申し上げるのはリリの分ではありませんが、常識的に考えて他の派閥のお嬢様とそうした関係になることは極めて不適切かと存じます」

「そうだとも! ボクは許さないぞ! 絶対に、絶対に、ぜ~~~~ったいに許さないからな!」

 

 ベート、レフィーヤ、リリ、ステイタス更新中のヘスティアに詰め寄られてもレーテーのにこにこ顔は変わらない。

 

「だってぇ、ほんとのことだしぃ。それにアイズちゃんもベルちゃんのことは大好きだよね?」

「ハイストップ! そこまで! 今はそういう事を言ってる場合じゃない! レーテーもそれ以上喋らないように! それと神様はさっさと更新作業を終える!」

「その通りだ。確認するが時間が無いんだね、イサミ・クラネル? 余裕があるようなら西やギルド前に援軍に行ってただろうしね」

 

 フィンの確認にイサミが頷く。

 

「フレイヤやガネーシャ、ポセイドンに任せておけば残りはどうにかなると思います。ただ、彼女を今助けないと・・・私たちは最終的に負ける。そんな気がします」

 

 イサミが天を仰ぐ。

 漆黒の闇の中には万色の光の洪水。

 まばゆい輝きの氾濫は、先ほどより勢いを増しているかに見える。

 親指を噛みつつ、フィンが頷いた。

 

 

 

 イサミの"願い(ウィッシュ)"で一行はダンジョンの存在した跡地、巨大な円錐台状の縦坑の底に転移した。

 10kmを超える高さと、底辺では30kmを越える広さを持つその空間は、天空に煌めく神々の光すら届かない漆黒の闇。

 地の底の祭壇、邪悪の寺院。

 

「"願い(ウィッシュ)"」

 

 イサミの「力ある言葉」と共に太陽の如き輝きが中空に現出する。

 昼の明るさに変わった地の底に照らされたのは・・・地獄だった。

 

 見渡す限りの黒曜石の平原。

 ウダイオスの逆杭(パイル)のような、最大で人の背丈の二倍ほどの、トゲとも剣ともつかないような鋭利な突起がそこかしこに生えている。

 だがそれらは冒険者たちの視界には入らない。

 入らないほどに、平原は悪魔とモンスターたちで埋め尽くされている。

 

 角悪魔ホーンド・デヴィルや白い昆虫悪魔アイス・デヴィルの群れ。

 炎のたてがみを持つ馬にまたがった地獄の騎兵、ナルズゴンがまるまる十数軍団、整然とくつわを並べていた。

 戦士の悪魔マレブランケが構える無数の槍が、イサミの作り出した陽光に煌めいている。

 

 兵士だけではない。悪魔の幹部、あるいは英雄クラスのものども。

 以前ベルを襲ったのと同じ、アイシャドウに口紅を塗った巨大な肉の塊、パエリリオン。

 紫色の巨大ななめくじの下半身に、筋骨たくましい3mほどの悪魔の上半身を持つゼルフィルスティクス。

 同じくらい巨大な鴉の獣人。地獄の魔法戦士クロノタイリン。

 地獄の将軍、ピット・フィーンド。

 

 地上にいた同族ほど強くはないようだが、それでも身の丈8mにもなる巨大な悪魔、ガルガトゥラも十数体姿が見える。

 恐らくはこの場を自らの世界としたグラシアが、世界そのものに産ませたか召喚したのがこの悪魔の軍団なのだろう。

 

 そして、その他名前もわからぬ悪魔や地獄の生き物の集団と同じくらいの存在感を放つのがドラゴン。怪物の王と呼ばれる種族。

 赤、黒、青、緑、白の五色の体色を持つ竜たち。

 ほとんどのものが人間に倍する体躯を持つ地獄の軍団からさらに頭一つ、あるいは二つ抜けた巨体を誇示する竜たちは"彩色の竜(クロマティック・ドラゴン)"と呼ばれる、D&Dにおける悪の竜族。

 

 いずれも種族の中では最強クラスかそれに準ずるだろう、数百年から千年を生きる歳ふりた竜たちだ。

 その足元には竜人ともガーゴイルとも付かない牙と爪と角、鱗と翼を持った同じく五色のいずれかの体色を持つ悪魔とおぼしき無数のクリーチャー。

 「ある神」に仕える地獄の竜魔族、アビシャイ。

 

 そしてそれらの奥、マヤのピラミッドの如き巨大な黒曜石の祭壇と、それに並び立つ50mを越える巨大な竜。

 赤黒青緑白の五色の首を持つ異形の体躯は、かつて天界山セレスティアで見た白金の竜神(プラチナム・ドラゴン)バハムートにも匹敵するだろう。

 そしてバハムートの清浄な神気に匹敵するそのドス黒い邪気も。

 善竜の頂点たるバハムートと対を成す邪竜の女神、地獄の門番なる五色の魔竜王、畏れをもって語られるファイブ=ヘッデッド・ドラゴン。

 

「ティアマト・・ッ!」

 

 うめくようなイサミの声が響いた。

 

 

 

 ティアマトはバハムートと並んで世界最古にして最強の竜であり、秩序にして悪の属性を持つ神格だ。デヴィルではないし、従ってアスモデウスの支配下にもない。

 しかし属性を同じくするデヴィル達とは同盟を結んでおり、彼らの領域である九層地獄の第一層に自らの領域を持ち、秩序の悪魔デヴィルと混沌の悪魔デーモンとの終わらぬ戦争において、言わば地獄の門番とも言える役目を果たしている。

 九層地獄に攻め込もうとするデーモンたちはまずこの邪竜神を突破せねばならず、そして永劫の戦争の中で彼女が自らの領域の突破を許したことはない。

 

「ティアマト・・・アスペクトではあるだろうが・・・大体本体はタリズダンと戦ってるしな」

 

 それが何故ここに分体(アスペクト)を置いたかと言えば、アスモデウスの娘であるグラシアがここにいるのと同じような理由だろう。だが今は理由(そんなこと)を考えている余裕はない。

 

 同じ分体であるはずのグラシアがあれほどの戦闘力を誇るのだ。

 魔王(アークデヴィル)としては"並"であるグラシアより格上の、神であるティアマトのアスペクトがそれより劣るとは思えない。

 イサミの記憶にあるティアマトのアスペクトはオラリオで言えばせいぜいLv.5だが、彼方に見えるそれは少なくともグラシアに匹敵する戦闘力を持つと考えるべきか。

 

 そしてその横にあるピラミッドの如き巨大な祭壇。その最上部に横たわっている金髪の少女の姿を、ベルの目は見て取っていた。

 アイズの横で微笑みを返すグラシアの姿もまた。

 

「・・・・・・・・っ!」

 

 瞬時に脳が沸騰する。

 《飛行》の呪文を発動しようとして辛うじて思いとどまった。

 優に数万を数える悪魔と竜の軍団に単身挑むなど、無謀に過ぎる。

 

 ぽん、と肩に載せられる手があった。

 見上げると、兄の顔。いつも通りの頼もしい顔だ。

 

 兄が頷く。

 弟が頷く。

 二人が同時に前を向く。

 今、初めて兄弟が同じ戦場に立った。



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22-08 水晶の繭

「それで? 策はあるんだろうね?」

 

 槍を担いで、この状況でのんびりとすら思える口調でイサミを見上げるフィン。

 

「無論ですとも。まず全力でぶっ放して、生き残った連中を皆殺しにして、そちらのお嬢さんを助け出してオラリオに帰るんですよ」

「なるほどわかりやすいね」

 

 フィンをはじめ、何人かの口元に苦笑が浮かんだ。

 もっとも、レーテーやティオナなど「そーだね!」といきり立つ者も中にはいる。

 

 くすくす、と涼やかな忍び笑いが聞こえた。

 ふわり、と花の匂いがする。

 地の底の地獄には似つかわしくない、野に咲く可憐な花の香り。

 

「・・・・グラシア!」

 

 その場の全員の目が数km先の巨大な祭壇の上に集中する。

 不思議な事に低レベルのリリたちにすらその姿ははっきり見えたし、鈴のような声は明瞭に響いた。

 

「こんにちは勇者たち。タリズダン完全復活の場へようこそ。

 来てくれなかったら寂しくて泣いてしまうところだったわ」

 

 艶やかな笑みと共に投げつけられる挑戦的な言葉。

 イサミもそれに軽口で返す。

 

「来て欲しいならちゃんと招待状を出してくれないとな。

 そうでなかったらもう少しわかりやすく目印を出しておいてくれ」

「あら、あれだけあれば十分だと思ったんだけどね。実際来てくれたわけだし?

 それに、ロビラーも使いに出しておいたでしょう?」

 

(・・・色々と漏らしたのはロビラーの意図だと思っていたが、グラシアの意志も働いていたと言うことか?)

 

 イサミが一瞬思考を走らせたその合間、ベルが叫んだ。

 

「そんなことはどうでもいいんです! アイズさんを返してくださいグラシアさん! 大体アイズさんをさらってどうするつもりですか!」

 

 くすり、とグラシアが再び微笑む。

 イサミなどに向けるのとは別種の、ほほえましさを含んだ笑みだ。

 

「馬鹿ねえ、悪いことに決まっているでしょう。私は悪人なんだもの!」

「・・・・・・・・・・け、けど」

 

 かつて自身が否定したその言葉を、今のベルは否定しきれない。

 それを楽しそうに見やりながらグラシアは言葉を続ける。

 

「私がここにいるのはタリズダンの完全復活のため。

 今のタリズダンは封印から解放はされたけれども、完全に力を取り戻した訳じゃない。だから、たかが一世界の神や魔王たちにすら押さえ込まれている。

 けど、タリズダンの魂を分けたこの"黒き炎の水晶(クリスタル・オブ・エボンフレイム)"と、原初の精霊の肉体があれば、眠れるこの世界の神々との導線が出来る。

 世界の維持に全力を注ぐ無力な神々から【神の力】を吸い取ってかつてのタリズダンが甦る!

 そうなれば、もはやオアースの神々だけでは抑えきれない!

 全次元世界を揺るがす大戦が再び始まるのよ!」

「「!!」」

「どうしてそれを!」

 

 フィン、リヴェリア、ガレスの顔色が一斉に変わった。

 怒りを含んだリヴェリアの声が地底に響く。

 その怒りを心地よさげに受け止め、グラシアは艶然と――そして邪悪に微笑む。

 

「馬鹿ねえ。私たちだってこの世界で百年以上は活動してるのよ? それなりの情報網は当然あるし――何より彼女は暴れすぎたわ。精霊の力を使いすぎた。

 これほどまでに純粋な精霊の力を持つ存在なんて――()()()()()()()()()()()()()()()なんて、よほどの馬鹿でもなければ正体は一目瞭然よ」

「「「・・・・・・・」」」

 

 黙り込むリヴェリア。唇を噛みしめるフィン。唸るガレス。

 一転して戸惑った表情になったベルが、兄と、三首領と、グラシアの顔を交互に見る。

 

「ど・・・どういうこと?」

「それは・・・」

 

 イサミの脳が高速回転し、59階層の堕ちた精霊の言葉から、答えを推測する。

 言いよどむフィンにかぶせて、イサミの言葉が続いた。

 

「恐らく彼女の母親――アリアが精霊だったということだろう。精霊は神の写し身。本来なら人との間に子供は生まれないはずだが、多分彼女の母親は自分の体を半分『ちぎって』アイズの体にしたんだ」

 

「だからアイズの体には極めて純粋な精霊の血が流れている・・・ほとんど精霊そのものと言っても過言ではないかも知れない。

 原初の精霊というのは今のその辺の街中の精霊のように肉体を持った、物質に縛られた存在ではなく。より霊的な、神に近い存在だ」

 

「そして神が似姿として自ら作った存在だとするなら、その性質はかなりの所まで神に似ている・・・恐らくは分体(アスペクト)に極めて近しい存在。

 だとするなら、その存在そのものが神とのリンクとして意味を持つ」

 

「恐らくタリズダンは、端末、あるいは分体である緑の触手が精霊を取り込んだときにそれに気づいたんだ。恐らくは堕ちた精霊がそのテストベッド。緑色の胎児はその副産物。

 確立した技術で今度こそタリズダンを完全再臨させる――そんなところか?」

 

 ぱち、ぱちとまばらな拍手が響いた。

 

「まあ大体正解ね。85点は上げてもいいわ」

「また85点か。答え合わせはしてくれないんだな」

 

 苦笑しながら見上げるイサミに、グラシアは楽しげな笑みで返す。

 

「甘ったれるんじゃないの。弟くんならともかく、あなたを甘やかして上げる理由はどこにもないわね」

「やれやれ、好かれたことだ」

 

 苦笑の度を深めながら肩をすくめる。

 その表情をふと変えて、イサミはフィン達を見やった。

 

「・・・まあ、抜けた所を自分なりに考えるとすれば、なぜ神の代理である原初の精霊などと言うものが神々の降臨する前はいざ知らず、この時代に存在しているのかという所ですが」

「・・・・・・」

「・・・」

 

 無言のリヴェリアとガレス。

 僅かに間を置いて口を開いたのはフィンだった。

 

「彼女は・・・ゼウスからロキが預かった子供なんだ」

「じいちゃんが?」

 

 ん? といぶかしげにフィンの眉がひそめられる。

 

「じいちゃん?」

「それは後で。それで、どういうことですか?」

「僕も詳しく知っている訳じゃあないが・・・彼女は千年前からやって来たんだ」

「千年!?」

 

 ゼウスがロキに語ったところによれば、アイズの父親は英雄譚に語られる大英雄アルバート。

 あの黒竜の片目を奪った銀の剣士その人だ。

 そして母はともに英雄譚に語られる原初の大精霊アリア。

 いかにして人間と精霊との間に子供が出来たかと言うことについては、ほぼイサミの推測通り。

 

 片目と引き替えに黒竜がアルバートのパーティを全滅させた時、アイズとその母アリアは黒竜に『食われた』。

 しかし精霊であるアリアは自らをアイズを守る為の「場」と変えた。

 その後千年間アイズは幼子のまま黒竜の腹の中で眠り続け、ゼウス、ヘラ両ファミリアが黒竜に挑んだときに『吐き出された』。

 ゼウス・ファミリアの生き残りがそれを見つけたとき、彼女は透き通った卵のような水晶の繭の中で昏々と眠り続けていたと言う。

 

 幸運だったのはそれを見つけた団員が「巫女」とも呼ぶべき体質の持ち主で、繭に触れたときに断片的ながらアリアの思念と記憶を読み取ることができたことだ。

 彼女はそれをゼウスに伝え、「繭」を残して死んだ。

 直後ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアに「追放」されたゼウスはそれらのいきさつと共に「繭」をロキに託し、そして数年後「繭」は開いてアイズは目を覚ました――

 

 

 

「うそっ! それじゃアイズって千歳のおばあちゃんなの!?」

「ティオナさん、問題はそこじゃないです!」

 

 話を聞いたティオナのはなはだズレた第一声に、自身も動揺しながらしっかりツッコミを入れるレフィーヤ。

 イサミと三首領を除くその他の面々は、驚きの余り声も出ない様子だった。

 ぱちぱちぱち、とグラシアの、今度は切れ間ない拍手が響く。

 

「大正解。百点を上げましょう。まあその辺を知ったのは私たちもごく最近のことだけれどもね」

「黒竜を手に入れて、か」

「そういうこと」

 

 恐らくは黒竜に直に何らかの占術を使い、そのへんの情報を引き出したのだろう。

 黒竜の体内に精霊の力を発する何らかの残留物が存在していたのかもしれない。

 そこまで考えて、グラシアを見上げるイサミの視線が厳しい物に変わる。

 

「それで? ご親切に種明かしをしてくださったお姫様は何をお考えなのかな?」

「簡単な事よ。想い人や仲間を取り戻すために戦うのもそれはそれで戦う理由としては十分だけど、いきさつを知っていた方がもっと戦いに身が入るでしょう?

 だから全力で戦って――美しく散りなさい」

 

 これまでで最高に艶っぽい笑みを浮かべ、グラシアは右手をさっと振り下ろした。

 

「■■■■■■■――――!」

 

 ドラゴンの咆哮が響き渡る。

 五色の邪竜たちが一斉に空に舞い上がった。

 

「GDAY-GOHA!」

「「「「「「VE-DA!」」」」」」

 

 地獄語の号令に、一斉に雄叫びを返す悪魔の戦士たち。

 槍を構えた魔性の騎兵が、槍衾を作る異形の歩兵たちが整然と、だが怒濤のように突撃してくる。

 鋼鉄の規律と血の秩序によって統制された地獄の軍団。

 秩序の悪魔たるデヴィルにしか成し得ない人外の統帥。

 それは、あたかも地平線が津波となって襲いかかって来たようにも見えた。

 

 圧倒的な物量。覆しようのない数の暴力。

 それも雑兵ではない、一体一体がLv.4からLv.5相当の力を持つ悪魔の精兵たち。

 いかに質が量を上回るのがこの世界の常識とは言え、数倍数十倍ならまだしも数千倍の差を覆せるだろうか?

 

 できる。

 悪魔に圧倒的な物量があるならば、それを上回る圧倒的な火力で押しつぶせる存在がいる。

 その男イサミがその圧倒的な火力を、ただの一言で発動させる。

 

「"神罰のまなざし(ヴェンジフル・ゲイズ・オブ・ゴッド)"」

 

 その一言で、地底の大空洞に滅びがもたらされた。

 目に見えない破壊の波動。

 それがイサミを、正確に言えばその双眸を中心に同心円状に広がっていく。

 

 その波動に触れたものは、ことごとくが消滅した。

 分子レベルで分解され、目に見えないほどの微細な塵しか残らない。

 さしわたし数kmに渡って密集布陣していた地獄の軍団が、半円状に広がる波動と共に消滅していく。

 

 それは空中でも変わらない。

 空に舞う五色の邪竜たちが次々と、抵抗すら叶わずに分解消滅していく。

 怪物の王でさえ、この滅びからは逃れられない。

 無慈悲に。淡々と。そして圧倒的に。

 

 滅びの波動が地底の地獄を覆い尽くしたとき、イサミ達以外でそこに残っていたのは、ピラミッドとアイズ、グラシアとティアマト、竜達の中でもひときわ巨大だった赤白黒青緑の五匹の竜と数体の悪魔だけだった。




"神罰のまなざし(ヴェンジフル・ゲイズ・オブ・ゴッド)"の威力は、味方側のネームドだとオッタルとクリュサオル、ガレスなら運が良ければ生き残れるかな?くらいです。他の連中だとセーブに成功しても無理。
死霊王とフェルズ? あいつら後衛職なので・・・


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22-09 クラネル兄弟、奔る

みなさま、よいお年を。


 ごぼり、とイサミの喉が鳴った。

 口元から血が吹きこぼれると同時に目、耳、鼻からも冗談のように大量の血が流れる。

 体中で毛細血管が破裂し、少なくない量の血が指先からしたたり落ちた。

 

「イサミちゃん!?」

「ゲド、エリクサーだ!」

「ははははいっ!」

 

 慌ててイサミの頭からエリクサーをかけ、また飲ませようとするレーテーとシャーナ。

 ダフネ、カサンドラ、リリ、ゲドが四人がかりでエリクサーを供給する。

 されるがままのイサミが、大丈夫だと言うように一本、親指を立てた。

 

 伝説級呪文"神罰のまなざし(ヴェンジフル・ゲイズ・オブ・ゴッド)"。

 正確に言えば、今イサミが使ったのはそれを範囲型――視界内の任意の対象に効果を及ぼせるようにした改良版だ。

 純粋な破壊の波動を放つそれは"物質分解(ディスインテグレイト)"の呪文にも似て、破壊の波動に耐えきれなかった全てを分子レベルにまで分解する。

 血を吐いたのは強力すぎる呪文の反動だが、イサミの馬鹿馬鹿しい耐久力からすればさほど致命的なものではない。

 

 

 

「やって・・・くれたわね」

 

 こらえはしたものの、さすがに効いたのかグラシアが苦悶の表情で身を折った。

 その横では五つ首の魔竜が手負いの獣めいた怒りの咆哮を上げている。

 

「"我願う! 回復を!"」

 

 グラシアの指の願いの指輪(リング・オブ・ウィッシュ)の二つめのルビーが光り、砕ける。

 生き残っていたグラシア達全員のダメージが見る見るうちに回復していった。

 

 

 

 ぱちん、とイサミが指を鳴らす。

 それとともに顔や服に付いていた血糊がすっと消えた。

 すうっ、と深呼吸して気息を整える。

 

「それじゃあ向こうさんも準備が出来たことだし、行きますか。

 ベル、グラシアは任せる。お姫様を助ける役目は譲ってやるよ」

 

 にやりと笑いかけるイサミに対して、顔をやや赤らめながらも真剣な表情でベルが頷いた。

 その背中で何かが猛烈に発光していたが、フィンとイサミ以外は誰もそれに気づかない。

 

「じゃあ兄さんは・・・」

「当然ティアマト、あの五つ首の竜のほうだな――死ぬなよ」

「うん」

 

 視線は前に向けたまま、イサミが右拳を横に突き出す。

 同じく視線を前に向け、ベルが左拳を同様に突き出す。

 二つの拳がコツン、と。空中でぶつかり合った。

 

 

 

「おい、俺達は置いてけぼりかよ?」

「アイズは僕たちの仲間なんだけどね?」

 

 にやにや笑うシャーナ。軽い口調ながらも僅かに挑発的なフィン。

 レーテーはぷっと頬を膨らませ、レフィーヤは何やらわめいているが無視。

 

「なぁに、冒険者の鉄則はご存じでしょう?」

「つまり――」

 

 隣のベルと視線を交わし、互いにニヤッと笑う。

 

「「早い者勝ち!」」

「あっ!」

 

 誰かが叫ぶ暇もあらばこそ、兄弟は同時に駆け出した。

 

 

 

 兄弟が駆ける。駆ける。駆ける。

 そのスピードはロキファミリア最速の【凶狼】も、オラリオ最速を謳われる【女神の戦車】も、【エアリアル】を発動したアイズすら凌駕している。

 おっとり刀で追いかけるヘスティア、ロキ両ファミリアの誰もがそれに追いつけない。

 

 その二人に前方から迫るものがある。

 ベルに迫るのはピット・フィーンド。だがオラリオで戦った同族と比べてその体躯は二回り以上も上回る。目測で1.5倍、5m近くにも達するか。

 加えて並の同族に比べ圧倒的に発達した筋肉と、禍々しく巨大化した角。

 右手にはその巨躯に相応しい巨大な戦棍(モール)が握られている。

 恐らくは"名有り(ネームド)"。オラリオの一級冒険者に匹敵するような、悪魔の英雄。それも先のイサミの伝説級呪文すら耐えた強靱な意志と肉体の持ち主。

 

 イサミ目がけて一直線に降下してくるのは、ティアマトには及ばぬものの30mの巨躯を誇る赤い竜。

 "偉大なる竜(グレートワーム)"と呼ばれる最強クラスの竜、それも竜族の中でゴールド・ドラゴンと並び最強を誇るレッド・ドラゴンの雄。

 恐らくはティアマトの愛人である赤白黒青緑の五匹の巨竜の一匹、あるいはその分体(アスペクト)

 急降下してくるそれは勢いも相まって城、あるいは山が降ってくるようにしか思えない。

 

 "名有り"のピット・フィーンドが3mの戦槌を振り下ろす。

 その速度はLv.6のフィンの目をもってして辛うじて捉えられるレベル。

 

 赤き巨竜(グレートワーム)が大きく口を開ける。

 グレートソードよりも長く太い牙がずらりと並ぶ上下のあぎとは一直線にイサミを狙っている。

 

 閃光が煌めいた。

 

 

 

 《ヘスティア・ナイフ》から迸った紫の閃光は巨魔を袈裟に切り上げ、その体を両断していた。

 頭部と胸の半分、左腕を失った体がどうと倒れ、次の瞬間砕かれた魔石と共に塵になる。

 "英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)"の一閃が5mの巨大悪魔をただの一撃で屠った。

 

 イサミの手から迸ったのは四条の白銀の輝き。

 それはグレートワーム・レッドドラゴンの巨躯にかわしようもなく吸い込まれると、瞬時に全身を凍結させた。

 《元素体得:冷気》を施した《最強化(インテンシファイ)》《高速化(クイッケン)》《分枝化(スプリット)》《二重化(ツイン)》《エネルギー(エナジー)上乗せ(アドミクスチャー)(ファイア)(エレクトリシティ)冷気(コールド)(アシッド)》《極天の光線(ポーラー・レイ)》呪文。

 最強の光線呪文にありったけの増強を乗せた絶対零度の青白き閃光。

 

 凍結した赤い鱗が真っ白な霜に覆われる。

 浮力を失ったその体がイサミの手前の地面に落下し、煌めくダイヤモンドダストを残して砕け散り、消滅した。

 そのきらめきの中、兄弟は再び走り始める。

 

 

 

 イサミがいきなり笑いだした。

 どうしたのかと驚く弟に、イサミはベルの記憶にもちょっとないような楽しそうな笑顔で笑いかける。

 

「どうしたのって、お前、考えてもみろ! 今俺達は初めて、兄弟揃って冒険をしてるんだぞ! しかも敵は異界の魔王と邪竜神!

 とらわれのお姫様を助け出すために先頭切って駆け出している!

 英雄譚にもそうそうないような、素晴らしいシチュエーションじゃないか、ベル!」

「・・・・・・・・・・うん!」

 

 ベルもまた、破顔一笑する。

 走る二人の前には五体の"名有り"の魔将達と青緑白黒四体のグレートワーム・ドラゴン。

 いずれも一撃で屠られた同族を目の当たりにして、最早油断の欠片もない。

 二人との接敵を待ち構え、それぞれが強化(バフ)を自らや仲間に施している。

 

 だがそれは二人も同じ事。

 高速化した呪文を、あるいは無詠唱の速射呪文を走りながら自らに施している。

 これまでの戦いで疲労と負傷を蓄積していたベルも、イサミのウィッシュで完全に癒され何も残っていない。

 

「待て待て待て待てー!」

「俺達を忘れんな!」

「!?」

 

 後ろからの声に、兄弟が思わず振り向く。

 見ればいつのまにか、ヘスティア、ロキ両ファミリアの冒険者たちが少し間を置いて追随してきていた。

 高レベルの走者たちについて行けないのかリリとアスフィは空を飛び、春姫やダフネたちはイサミの与えたアイテムで出した幻馬(ファントム・スティード)にまたがっている。

 

(あ、そういえば"加速(ヘイスト)"を忘れていたな)

 

 恐らくフェリスの"加速(ヘイスト)"呪文で移動速度を上げて追いついて来たのだろう。

 ピットフィーンドと赤竜を屠るために数秒立ち止まったさいに距離を詰められたのだ。

 

 取りあえず"加速(ヘイスト)"呪文を自分とベルにもかけ、再度振り向く。

 大剣を肩に担いで疾走するシャーナが、代表するかのように口を開く。

 

「よう、それでどうすんだ!」

「俺はあの五つ首のドラゴン、ベルはもちろん祭壇最上層のグラシアとアイズだな」

「じゃあレーテー達はあのドラゴンだね! ロキ・ファミリアの人たちはあの悪魔?」

 

 面頬を上げたレーテーが満面の笑みを浮かべる。

 実際レーテーとシャーナには『竜の壺』攻略用にイサミが作った対竜装備があるため、ヘスティア・ファミリアがドラゴンたちに当たるのは間違っていない。

 が、それで収まらないのがロキ・ファミリア(の一部)だ。

 

「ザッケんなコラァ! 俺達を差し置いて、てめえがアイズを助けるだとぉ?!」

 

 後続の中でもひときわイサミ達に肉薄するベートが吼える。【戦争遊戯】以来、クラネル兄弟への敵意が増したように見えるのは気のせいではあるまい。

 

「そう・・・です・・・! アイズ・・さん、は、私、たちが・・・!」

 

 一方でティオナに手を引かれて息も絶え絶えで追随しているレフィーヤ。

 レベルと敏捷度の差で、ほとんど空中に浮かぶ吹き流しのようになっている。

 槍を担いでベートに続くフィンが、これは流石に余裕を見せていた。

 

「まあ、そうだね。何と言ってもアイズは僕たちの仲間なんだから。とは言え・・・」

 

 と、走りながら器用に肩をすくめるロキ・ファミリア団長。

 にやっ、とイサミが笑った。

 

「冒険者は早い者勝ち、違いますか?」

「なんだよねえ」

 

 フィンが苦笑で返す。

 笑みを深くしたイサミの、視線が(ベル)に向く。

 

「だとさ」

「うん・・・ごめんなさい、フィンさん! "飛行(フライ)"!」

 

 謝罪を受けて更に苦笑を深めるフィンの目の前でベルが大地を蹴り、矢のように彼方へ飛び去る。

 同時にこちらは笑いながらも無言でイサミが黒曜石の大地を蹴る。

 

 通常の"飛行"の呪文ながら、背中でまばゆく光るスキルの力によってあり得ない速度を叩き出す弟と、無数の強化と"不死鳥の外套"の力によってこれもあり得ない速度で飛翔する兄。

 見る見るうちに離れていく二人を見て、狼人が歯がみをした。




モール持ちのピット・フィーンドの元ネタは悪魔系サプリ「Fiend Folio」のサンプルネームドモンスター、「BELSHAZAR(ベルシャザール)」です。
元データでは2.4mの通常サイズ(ぉのモール・オブ・ティタンを持っていましたが、強大化して大きくなったので、武器も巨大化させています。


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22-10 九層地獄の魔将達

明けましておめでとうございます。
この話ももうすぐ完結。
よろしくお付き合いのほどをお願い申し上げます。



「JE-ZhoG! Fo-GHa…」

「RE-Di! DeM-Vho-Li!」

「!」

 

 兄弟に対する反応は対照的だった。

 即座に反応してベルを迎撃しようとする魔将達を、グラシアが一喝。

 飛び上がった、あるいは飛び上がろうとしていた魔将達は視線を前に向け、上空を通過するベルを素通しする。

 彼らの視線の先には、全力で疾走しつつも戦闘陣形を整えて挑みかかるロキ・ファミリア。

 

『『『『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』』』』

 

 一方で四匹の巨竜たちは、一切の躊躇なくイサミに襲いかかった。

 残った中では青竜と並んで最大の体躯を誇る緑竜が正面上から、白竜がその下から、青竜と黒竜はそれぞれ直線状の雷撃と酸のブレスを吐きつける。

 

『!?』

 

 だが届かない。

 緑竜と白竜の牙、爪、翼、尾の全力攻撃(フルアタック)を全て流れるような飛行機動でかわし、拡散していないとは言え数mの直径と正確無比な狙いを兼ね備えた青竜と黒竜のブレスをも完全に回避する。

 四匹の巨竜をすり抜け、目の前にあるのは五首の魔竜ただ一匹。

 

「てやーっ!」

『VOA!?』

 

 身を翻してそれを追おうとした四匹。それをかすめるように回転する何かが二つ、鋭く飛来する。

 散開して飛来物をかわすものの、その時にはイサミとの距離は大きく離れてしまっていた。

 

「イサミちゃんの邪魔は・・・させないよっ!」

 

 回転する飛来物・・・レーテーの二丁大戦斧が軌道を変え、駆けつけた真紅の甲冑のアマゾネスの手元に戻る。

 

「ちっ、美味しいところ持って行きやがって」

「とにもかくにも、まずはこいつらを先に行かせないことです。みなさん、よろしいですね?」

「「「「応!」」」」

 

 アスフィの音頭に、ヘスティア・ファミリアの精鋭達が声を揃えて応じた。

 

 

 

「行くぞ! ロキ・ファミリア突撃っ!」

「「「「「おおおおーっ!」」」」」

「おーっ・・・」

 

 楔型の陣形で接敵するロキ・ファミリア。

 珍しく陣頭で吶喊する団長の号令に、息も絶え絶えの約一名を除いて喚声で返す。

 横に立つリヴェリアが、肩で息をする弟子を何とも言いがたい顔で見下ろしていた。

 なおヘスティア・ファミリアの低レベル組は別口で移動手段を持っているため、レフィーヤのような無様はさらしていない。

 

 そんな無様さとは無関係に、ロキ・ファミリア(+アルガナ、バーチェ、椿)対魔将五体、ヘスティア・ファミリア(+リュー、ゲド)対グレートワーム・ドラゴン四匹、そしてベル対グラシア、イサミ対ティアマトの構図が完成する。

 全ての戦線で、ほぼ同時に激突が起きた。

 

 

 

 ロキ・ファミリアの前に立ちはだかるのは"名有り"の魔将五体。

 見ようによってはベルとグラシアの間に邪魔が入らないようにしているようにも見える。

 

 3mほどの巨躯。四本の腕に鮮血のしたたり続ける二本のハルバード。角に牙、漆黒の甲冑に身を固め、口からだらりと垂らした腕ほどもある舌には無数の秘術的シンボルが刺青されている。真言の悪魔ロゴクロン。

 

 青白い肌に赤い翼、黒い騎士甲冑に剣と盾を携えた身長2mの美女。堕天使という言葉がぴったりくるそれはかつてのエンジェルを祖先に持つ種族、エリニュス。

 

 山羊髭を蓄え、上等な服を着た壮年の人間の紳士に見える何か。ただし小さな角、赤い尻尾、足には蹄。人を誘惑し堕落させる詐欺師にして策士、ファルズゴン。またの名を"魂を収穫するもの(ハーヴェスター・デヴィル)"。

 居並ぶ同族達と違い、今この時でも微笑みを絶やさず、ちょっと見にはただの人型生物でしかないその姿が、この大空洞の底においては逆に不気味さをかもしだしている。

 

 一方でこちらは完全に人間の女性にしか見えない何かもいる。

 グラシアに比しても遜色ない美しい顔立ちに、背中に流れる栗色の長髪。貴族のような服を着た男装の麗人だ。

 ファルズゴンと違うのは、吹き出す妖気を隠そうともしないところ。姿は完全に人間だが、どんな鈍い人間でも目の前の美女がただの人間だとは思うまい。

 

 そして最後の一匹。

 身長5m、つるりとした黒い皮膚で全身を覆い、背中に竜の翼を生やした人間型悪魔。

 シンプルでいかにもなその姿からは、しかし周囲の魔将達と比較してすら圧倒的なプレッシャーが放たれている。

 あのロビラーにも匹敵するほどの。

 

 神と悪魔の血を引く忌み子。

 魔界に追放され、その出自ゆえに同族の悪魔達にも忌み嫌われ、魔界の魔王たちの座すら脅かしかねないほどの強さを持つ"忌まわしきもの(アボミネーション)"。

 個体名すら持たないそれはただこう呼ばれる。"地獄なるもの(インファーナル)"と。

 

 

 

『vado-lug-nhoza!』

 

 インファーナルの繰り出した一発の呪文が戦闘の火ぶたを切った。

 突き出した両手から放たれた光球が宙を飛び、吶喊するロキ・ファミリア前衛達の中央で炸裂し、直径50m近い爆発が彼らを包み込んだ。

 

「あちっ!」

「冷たい!?」

「シビれる!」

「鎧が腐食するじゃと?!」

 

 いくつかの、全く矛盾する叫びが上がる。

 伝説級呪文"地獄の火球(ヘルボール)"。

 イサミが火・冷気・電撃・酸の各属性を呪文に付与するのに似ているが、こちらは最初からその様に構築された呪文だ。

 互いに相殺し合うはずの四つの属性が同時に犠牲者を責めさいなむ、地獄の炎。

 イサミの呪文ほどではないにしろ、魔石の力を乗せたそれはリヴェリアの防御呪文があってすら、相応のダメージを冒険者たちに与えていた。

 加えて他の魔将達の放つ"流星雨(メテオ・スウォーム)"や"邪気の雲(アンホーリィ・ブライト)"も降り注ぐ。

 

 だがそれで冒険者たちの足が止まることはない。

 くすぶる煙をたなびかせ、まとわりついた氷を払い落とし、痺れる手足に活を入れ、武具や皮膚から異臭が立ち上ってもなお、その勢いは止まらない。

 

「ロキ・ファミリア続け!」

 

 もはや悠長に後方で指揮を執れる相手ではない、最初から全力。

 突進する巌の如きドワーフ重戦士と共に、その刃の向かう先は相手の最強戦力たるインファーナル・・・ではない。

 男装の麗人にしか見えない謎の女悪魔だ。インファーナルにはガレスが単身向かっている。

 

 最強のコマに最強のコマを当てるのではなく、最強のコマを敵方で二番目に強いコマに、二番目に強いコマを敵方の三番目に・・・そうして局所的に有利を作り出す。

 それがフィンの策だった。

 その策を支えるのがオラリオ最強の耐久力を持つ超重戦士、ガレス・ランドロック。

 味方が敵の一角を崩すまで、恐らくは最強のドラゴンをも上回るその猛攻をたった一人で凌がねばならない。

 

「何、無茶は慣れておるわ」

 

 にやりと不敵な笑み。

 大戦斧と大盾を構え、魔王にも比すべき悪魔に単身向き合う。

 "忌まわしきもの"が天に向かって咆哮した。

 

 

 

 フィンと共に謎の女に向かうのはティオネティオナのアマゾネス姉妹。

 ティオナはいつも通り、愛しき雄と共に戦えるティオネの士気はうなぎ登りだ。

 

 それを忌々しげに横目で見て舌打ちするアルガナはエリニュスに。

 その頭の中にはもう、女堕天使の喉を一刻も早く食いちぎってフィンに合流することしかない。何となく察したバーチェがこっそり溜息をついた。

 

 四本の腕で二本の斧槍を構えるロゴクロンにはベートと椿。この状況では椿ですらやや力不足だが、Lv.5の冒険者を遊ばせておく余裕はない。

 悪魔紳士ファルズゴン、そしてリヴェリアとレフィーヤ、ラウルらサポーター達は一歩下がって後方支援。

 九層地獄の魔将達と、迷宮都市最強の一角が正面からぶつかり合う。



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22-11 堕落の魔性

「クサっ?!」

「うぷっ! 何これ!」

 

 女から9mの距離に踏み込んだとき、アマゾネスの姉妹が同時に顔をしかめた。

 甘ったるい、腐りかけの果実のような香り。あるいは魂を酔わせる甘い酒のような。

 一瞬くらっと来たのを、頭を振って気を取り直す。

 こちらは効いているのかいないのか、狂戦士化したわけでもないのに戦の狂騒に突き動かされるようにフィンが疾る。

 それに続いて二人のアマゾネス戦士は飛ぶように疾った。

 

 次の一歩で距離を半分に詰める。

 さらに次の一歩で武器が届く、一足一刀の間合い。

 その一歩を踏み出そうとしたところで、何かがティオネに囁いた。

 

『あなた、本当に団長と結ばれると思ってるの?』

 

 足が止まる。

 

『薄々自分でも判ってるんでしょう? 

 団長は凛々しくも華麗な小人族の英雄。あなたはがさつなアマゾネス。

 釣り合いが取れると思って?』

 

 耳元に囁かれるやわらかい女の声。

 そこからしたたる甘い毒が、ティオネの心に染みを広げていく。

 

「ティオネ?」

「どうした!」

 

 双子の妹の声も、自分を見やるフィンの視線も、今のティオネには届かない。

 完全に棒立ちになってしまっている。

 

『そもそも団長に必要なのは小人族(パルゥム)の花嫁なのよ。

 小人族の英雄の座を継いでいく、純血の小人族の子供を産むための女。

 アマゾネスとの混血なんてお呼びじゃないわ』

 

 アマゾネスは人間と同じく人の五族のいずれとも混血出来るが、生まれた子供は必ずアマゾネスになると言う特徴がある。

 一方でフィンが目指すのは小人族の復興。そのために小人族の誇りとなる英雄になること。ならばそれを次代に継ぐために、彼の子供は純血の小人族でなくてはならない。

 フィンがフィンである限り、フィンの望みが種族の復興である限り、ティオネは決してこの想い人と結ばれることはない。

 

「それは」

 

 弱々しく何かを言おうとしたところに、甘い声がたたみかける。

 

『だから、ね? 諦めちゃいましょ。大丈夫、いい男なんか沢山いるわ。

 手に入らない御馳走の回りをうろうろしているよりも、実際に口に入れられるものでおなか(こころ)を満たしましょう』

 

「―――」

 

 もはやティオネは無言。

 それに調子づき、声はますますその甘さを深めていく。

 

『ロキ・ファミリアで適当なのがいなければ他のファミリアでもいいのよ。

 恋に恋するあなたが作り上げた想像上の男じゃなくて、実際の男を知れば、空想のフィンなんて空気よりも価値のないものだとわかるでしょう』

 

「―――!」

 

 ティオネが身を震わせる。

 その表情はもう泣きそうだ。

 

『そうよ、男なんて星の数ほどいる。片っ端から喰い漁れば、本物のフィンだって実は大したことなかったってわかる・・・』

 

「 う っ せ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ! 」

 

 周囲の空気全てを震わせるような、ティオネの怒号が地の底に響いた。

 同時にその手から狩猟ナイフが同時に五本飛び、過たず女の胴体に突き刺さる。

 

「がっ・・・!?」

 

 吹き出す青い血が、高価なビロードの胴衣を汚していく。

 信じられない、といった顔の女に、ワンテンポ遅れてフィンの黄金の槍が突き出される。

 辛うじて身をかわしはするものの、左肩の肉を腕半分ほどえぐられた。

 その視線の先にいるのは、普段の快活な少女ではなく、完全にブチ切れた狂戦士。

 

「ベラベラベラベラと好き放題言いやがって!

 がさつ? アマゾネスだからだめ? ンなこたぁこっちだって先刻承知なんだよ!

 だがそれがどうしたってんだ! 団長は最高だ! あたしはフィンが大好きだ!

 こ い つ は あ た し の 雄 だ っ ! 」

 

 その一瞬、フィンの口元にひどく複雑な、ひきつった笑みがよぎった。

 同じタイミングでこっちはきょとんとして、次ににぱっと笑みを浮かべる妹。

 

「あはははは! 何だかわからないけど、そうだね! 行こうよ、ティオネ!」

「ああ、こいつはブッ殺す!」

 

 闘志と怒りと笑みを同時に乗せたようなそんな表情。

 止まっていた足を動かし斧槍を構えて躍り掛かる、その直前に男装の女の顔がぐにゃりと歪んだ。

 

「?!」

 

 何かを感じたのか、フィンが飛びすさった。

 それとほぼ同時に女が爆発する。

 まとっていた豪奢な衣服が引きちぎれて宙に舞った。

 

「・・・・・・・・」

「――」

 

 どんな攻撃が来るかと身構えていたフィンとアマゾネスの姉妹がその時浮かべた表情を一言で表すなら――唖然、だろうか。

 

『よくも・・・よくもこのシャイニーラさまの術を破ってくれたわネ! あなた生意気ヨ!』

 

 ひらひらと舞い落ちる高級布地の残骸の中、そこにいたのは縦横3mほどの肉塊だった。

 ぶくぶく太った巨大な体にアイシャドウと口紅、マニキュアをした肉の塊。

 地獄の参謀パエリリオン。

 

 かつてベルを襲い、オッタルに両断されたものと同族だが、漂わせる妖気はあの個体の比ではない。

 しかし甲高い声でキイキイわめく様は妙に見苦しい。九分九厘まで術中に落ちたと思っていたティオネが自力で術を破ったことがよほど腹に据えかねたらしかった。

 

「お、オカマの悪魔だ!?」

『失礼ネッ! ワタシは女ヨっ!』

 

 思わず、と言った感じで口に出したティオナをじろりと睨む。確かに悪魔にも性別はあるのだが――人間に見分けろと言うのはいささか以上に酷だろう。

 弛緩した空気が流れかけた中、最初に動いたのはフィンだった。

 

「ウオオオオッ!」

 

 身を低くしての突進。ただでさえ小さい目標が更に小さくなり、黄金の長槍が地面すれすれを走り抜ける。

 我に返ったアマゾネス二人がその左右に追随し、三方向からの時間差攻撃を狙う。

 地面から伸び上がったフィンの長槍が、シャイニーラの喉笛目指して正確に突き込まれる。

 その瞬間、赤い嵐が吹いた。

 

 

 

 無数の金属音。それに伴い、肉を裂く音。

 赤い鞭のような、それでいて硬質の何かが無数に空間を切り裂く。

 三人が一斉に後ろに飛んだ。

 

 9mまで間合いを離し、三人が構える。

 ティオネとティオナの体にいくらか手傷があるのに比べ、フィンの体にだけは一点の傷もない。

 二人を上回る圧倒的な敏捷性、そして技量、戦技のたまものだ。スキル抜きならフィンの戦闘技術は、あるいは【頂天】をも凌駕する。

 そしてこれだけ距離を離して、ようやく三人は敵の攻撃の正体を知った。

 

「・・・爪!?」

 

 パエリリオンの周囲を荒れ狂っていた嵐がしゅるっ、と音を立てて収まっていく。

 収まる先はパエリリオンの十本の指だった。

 赤いマニキュアを施した十本の長い爪。それが伸びて三人を切り裂こうとした。

 

 鞭の様なしなりと速度、鋼の硬度と剃刀の鋭さ、9mの間合い。

 それらを兼ね備えた十本の赤い刃のリボンが、吹き荒れた嵐の正体だった。

 

『やるわネ。小娘どもは喉をかき切ってやれると思ったけど』

 

 にまり、とパエリリオン――魔将シャイニーラが笑った。

 

「厄介だね」

 

 普段の笑みを消してフィンが長槍を構え直す。

 

「サポーターは間違っても奴から9m以内に入るな。ズタズタにされるぞ」

「・・・!」

 

 フィン達の後ろに控えていたクルスが蒼白になってこくこくと頷く。

 

「さて、仕切り直しだ。行くぞ二人とも」

「うんっ!」

「ええ! 私たちのバージンロードをこいつの血で舗装してやりますね!」

「・・・」

 

 フィンが何かを言おうとして、辛うじて思いとどまった。




 ちなみにデヴィル達のいくらかは透明化の魔力を持っていますが、フィン達が相手だとほぼ無意味なので使っていません。
 エピックレベルハンドブックでは動いてる透明クリーチャーの位置を知るための目標値はたったの20(原作の初期ベルでも半々くらいで達成できる数値)です。
 ダンまち原作で透明化を見破るときの描写を考え合わせると、フィン達ならほぼ無効化出来るでしょう。
 上位不可視化(スペリアー・インビジビリティ)なら音も聞こえなくなるのでかなり有効だったとは思いますが、これは追加呪文で、モンスターが生来の能力として持ってることはほぼありませんしね。


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22-12 悪魔騎士デロラス

「やるナァ」

 

 数度の攻防を終え、にやりとアルガナが笑う。

 好敵手を見つけた戦士の笑みだ。

 笑いこそしないが、バーチェもそれに近いものを覚えている。

 

 強敵であった。

 アルガナとバーチェ、どちらか一対一では恐らく負ける。

 逆に二人がかりなら僅かに上回っているだろう。

 だがしかし、この黒い騎士甲冑をまとった堕天使はとにかく「堅」かった。

 

 心臓を狙って突き込めば、僅かに身をひねって鎧の曲線で攻撃を滑らせる。

 ならばと鎧の薄い喉を狙えば、左手の盾が動いて攻撃を僅かに――しかし打撃を与えられない十分最小限に狙いをずらす。

 黒い甲冑と騎士盾の防御力もさることながら、恐ろしく防御がうまい。

 戦いが始まって以来、どちらかといえばむしろ押しているはずなのに、二人がかりで一度も有効打を与えられていなかった。

 

 アルガナ達が知るよしもないが、エリニュスは本来種族としてそう伸びしろのある悪魔ではない。

 デヴィルとしての力を磨くだけでは早晩頭打ちになる。

 ゆえにそれをよしとしないこのエリニュスは剣の道に活路を求めた。

 

 秩序にして悪、黒き騎士道の神なるヘクストアに帰依し、騎士(ナイト)の道を歩んだ。

 より力のあるデヴィルに仕えて偵察兵や従者、あるいは愛人として身を立てる同族を横目に、黙々と剣の腕を磨いた。

 今や彼女はピット・フィーンドすら打ち倒す地獄の騎士として名を馳せている。

 次元を越えて巡り会った好敵手たちに、兜の下の口元が緩んだ。

 

「?」

 

 エリニュスが背中の翼を広げて数歩分を飛び退る。

 いぶかしげに足を止めた姉妹の視線の先で、甲冑の堕天使は右手の剣を顔の前に垂直に構えた。

 

『異界の好敵手よ。仕える陣営を異にすると言えども同じ武の道に生きる同胞たちよ――汝らを我が敵と認めよう』

「喋っタ!?」

 

 流暢な共通語に目を丸くするアルガナとバーチェ。

 僅かに笑みをこぼし、堕天使は挑戦の口上を述べる。

 

『我は九層地獄の騎士、"地獄の旗手"に仕えるもの、"不壊"のデロラス! 

 これよりは全身全霊で貴公らを打ち倒す。貴公らもまた、全身全霊をもって打ち掛かって来るがよい!』

 

 挑戦の言葉と共に心地よい高揚感がデロラスの全身を包む。

 策も搦め手もなし、正々堂々の戦い。敵がそれらを使うとしても自分は使わない。

 ゆえに自分に一切の非はない。自分が正しいという確信が心と体に力を与える。

 

 これこそ名誉に生きる騎士の強さ。そこに善悪は関係ない。

 白であろうと黒であろうと、名誉を守り、秩序を奉じ、誇りに命をかける者が騎士。背負うもの、守るものがあるからこその強さだ。

 

「・・・・・・・・・・・・ハッ」

 

 アルガナが獰猛な笑みを浮かべる。

 流儀は違っても、同じ戦士の名誉に生きる闘国の戦士。

 オラリオに来て僅かに変化したとはいえ、幼い頃から叩き込まれてきたその魂はそうそう変わりはしない。

 

「我こそは闘国(テルスキュラ)最強ノ戦士! 【女神の化身(カーリマー)】アルガナ!

 覚えておくがイイ、これより貴様の喉笛を食いちぎる者の名ダッ!」

「同じくカーリー様に仕える【紅の女闘士(レッドソニア)】バーチェ。姉共々相手となろう」

 

 かすかに笑みを浮かべるバーチェ。

 ニヤリ、とデロラスもまた笑った。

 三者三様の獰猛な笑み。

 本気の激突が再開する。

 

 

 

「・・・ええい、うぜえっ! その図体は見かけ倒しか! 斧槍は飾りか! かかって来やがれ!」

「落ち着け【凶狼】。しかしこれでは埒が明かんな」

 

 デロラスとアルガナ達とは対照的に、ある意味「盛上がらない」展開になっているのがベート・椿とロゴクロンの組み合わせだった。

 3mのたくましい巨体に四本の腕、二本の斧槍を同時に操りながら、当初からロゴクロンは防御に徹している。

 

『Xenshenasha-prietokana’hazhulakhan!』

「ぐっ!?」

 

 人の腕ほどもある舌がうごめき、ベート達には全く意味不明の言葉を発する。

 すると肌が内側から裂け、血が吹き出す。傷は重くないが、治療しない限り出血が続くとなれば放ってはおけない。

 それがいくつも重なるとなれば尚更だ。

 

 あるいは他の魔将達に対して何らかの魔力が飛ぶ。

 そして自分からは決してベート達に仕掛けない。

 つまり、いかにも武闘派な外見に反しこの魔将はバッファー、そして長期戦を得意とするスリップダメージ使いであるのだった。

 

 "真言の術(トゥルースピーク)"。

 あらゆる存在が持つ「真の名前」を看破し、それに影響を与える「真の言葉」を用いて他者に影響を与える術だ。

 その最大の特徴は、魔力や精神力を消費しないこと。

 「真の言葉」を正確に発することが出来るかどうかという発動率の問題はあるが、ただ言葉を発するだけであるので集中力と喉が耐えうる限り、術を連発できる。

 

 一方で欠点は三つ。

 全般的に術の効果が低いこと、先に挙げた術自体に失敗の確率があること、そして対象が敵でも味方でも、高レベルの存在であるほどに発動が難しくなることだ。

 真の言葉を用いて世界を改変するのがこの術の要点だが、レベルの高い存在はつまりそれだけ存在の密度が高い。

 つまりそれだけ言葉を正確に、かつ強い意志を込めなければならないのだ。

 

 もっともベートや椿、それどころか他の魔将を相手に安定して術の効果を発現できているあたり、この個体にとって後者二つは実質弱点にはなっていない。

 効果の低さも同じだ。

 仲間へのバフとベート達への攻撃を両立させ、傷を回復しつつベート達を引きつけているとなれば、バッファー兼タンクとしては十分な仕事をしていると言えよう。

 

「うぜえうぜえうぜえうぜえうぜえーっ!」

 

 嵐のようなベートの乱撃がロゴクロンに襲いかかる。

 しかし術をメインにするとはいえ、この悪魔も決して見かけ倒しではない。

 ベートの攻撃の大半、椿の斬撃のほとんどを二丁斧槍と重甲冑で防ぎ止めている。

 

(くそっ、まるであの虎縞野郎だぜ!)

 

 「豊穣の女主人」の前の大通りでイサミと初めて戦った時の事を思い返す。

 あの時はカウンター狙いに徹されてひたすらうざい弱者の戦術と思ったものだったが、後で本質的には術者だったと聞かされて愕然としたのを覚えている。

 

 手加減されていた!

 舐められていた!

 何よりもロキ・ファミリア最速にして一番槍を任じる俺が、術者如きにあそこまで追い込まれた!

 

 そして戦争遊戯での再戦と、圧倒的な敗北。

 名誉挽回どころではない。遊ばれた上に、瞬殺された。

 死にたくなるほどの屈辱。

 今でも、思い出しては視界が真っ赤になる。

 

 視界の中で、真言の悪魔とあの時のイサミが重なった。

 殺す。こいつは殺す。絶対に殺すとベートは決めた。

 

 

 

『わたくしの人生は開かれた本のようなもの。この腹の底の底までお見せしましょう。

 わたくしグラシア様にお仕えします、ファルズゴンのファール。

 "睦言の"ファールなどと呼ばれております。

 あちらにおわす名高き"不壊"のデロラス殿の如く、互いに正々堂々と雌雄を決しようではありませんか』

 

 礼服を着たデヴィルがリヴェリア達に向かって深々と一礼した。

 

「丁寧な挨拶痛み入る。私はロキ・ファミリア副首領リヴェリア・リヨス・アールヴ。だが戦場ゆえ挨拶はこれまでとさせて頂こう」

 

 口上をそうそうに切り上げて、リヴェリアは詠唱を再開する。

 もちろん戦闘中と言うこともあるが、相手のぬたりとした語り口に、このまま会話を続けていては絡め取られると、そう言う直感が働いたせいでもあった。

 

『しかりしかり。誠に残念なことに、我々が敵同士なのは揺るがぬ事実。

 とは言えお美しいレディ、そしてお美しいお嬢さんがた。わたくしめがどうしてあなたがたと戦えましょうか。

 叶いますならば我々同士では戦わず、武器を取って戦う者達の勝負如何で――』

「レフィーヤ!」

「はいっ!」

 

 大げさな身振りと共に滔々と語り続けるファールを遮り、リヴェリアの指示が響く。

 いち早く詠唱を終えたレフィーヤが必中の光線魔法を放とうとして――

 

「どうした、レフィーヤ!」

「わ、わかりません・・・! 撃とうとしても、撃てないんです!」

 

 杖を構え、呪文の詠唱を終えていながらその最後のプロセス・・・力を解き放つことができない。

 素早くリヴェリアが振り返り、控えていたエルフのサポーターに命令する。

 

「アリシア! 弓であいつを撃て!」

「は、はい!」

 

 戸惑いながらも即座に反応する。

 手に持っていたポーションをしまい、素早く弓に矢をつがえて引き絞り・・・

 やはりそのままのポーズで停止した。

 

「どうした、アリシア!」

「わかりません! 撃てないんです! 本当です!」

「むう・・・?」

 

 再びこうべを巡らせたリヴェリアがファールを睨む。

 整った顔立ちに上品な笑みを浮かべ、悪魔紳士が一礼した。

 

『だから申し上げたのですよ。わたくし本来は人間の方々と契約を結ぶ商人にして代書人でございます。

 悪魔と見ると切りかかってくる方もいらっしゃいますが、我々が人と契約を結ぶことは、原初の契約によって神々も認めたもうた権利。

 よってわたくしどもは、神の力により自ら暴力を振るわない限り他者の暴力から守られているのです』

 

 教師のように、あるいは親切なセールスマンのようにファールが説明する。

 

「か、神がそんな事を認めるわけが・・・認めちゃいそうですね、その場のノリで」

「・・・」

『あ、そこ納得されるんですか。常命の方々はこの話をいたしますと大体反発を覚えられるようなのですが』

 

 眉を寄せるレフィーヤに、それに反論する言葉が思いつかないリヴェリア。

 サポーターの面々も似たようなものだ。

 ファールが意外そうな顔で首をかしげた。

 

 

 

『ともあれ、そういうわけでございます。

 私が手を出さない限りあなたがたが私に手を出すことは出来ません。

 我々が戦う必要はございませんし、前衛達の戦いが終わるまでは互いに不干渉と言うことでどうでございましょう?』

「・・・いいだろう」

 

 苦虫を噛みつぶしたような顔でリヴェリアが同意した。

 主戦場の方に向き直り、ファールがいなくなったかのように詠唱を再開する。

 悪魔紳士が微笑んで再度一礼した。

 

 ――実はファルズゴンのまとう不戦の結界は、意志力次第で打ち破ることができる。

 Lv.4どまりのレフィーヤたちでは抗うべくもないが、リヴェリアであればそれなり以上の確率で攻撃行為を行うことも出来ただろう。

 その疑問を感じさせなかったのは二人が不戦の結界の存在を実証してしまったこと、そしてそこを素早く突いたファールの話術の賜物だ。

 

 元よりファルズゴンは"魂を収穫するもの(ハーヴェスター・デヴィル)"の異名の通り、人間を甘言で惑わし契約を結ばせて魂を地獄に連れていく、ある意味最も悪魔らしい悪魔だ。

 当然話術には極めて長けている。

 

 加えてファールは盗賊系クラス"欺く者(ビガイラー)"の達人でもある。

 エリニュスと同じく種族的に伸びしろの低いファルズゴンは、しばしば盗賊系のクラスを習得して力を磨く。

 ビガイラーは虚言を弄して人を欺く専門家であり、ファールは中でも有数の達人だ。

 武力でもなく魔力でもなく磨き上げた言葉の力がリヴェリアを操り、オラリオ最強の魔導師をしてその力を自ら封じさせたのだ。




デロラスみたいなのも好きですが、ファール君みたいなキャラも割と好きです。
TRPGで出したらめっちゃヘイト集めると思いますがw

インファーナルはエピックハンドブック出典。シャイニーラは魔族サプリ「フィーンド・フォリオ」出典のネームド。
デロラスも名前だけそこから。(オリジナルのデロラスはシャイニーラと同じフィーンド・オブ・コラプションなので差別化)
ファルズゴンとロゴクロンの名前はオリジナルです。
どうでもいいですがデロラスってデラロスとしょっちゅう打ち間違います。本当にどうでもいいですが。

クラス構成等は以下の通り。
脅威度は大体の強さの目安(D&DPCのレベルと概ね対応、ダンまちでは3で割った数字が大体のレベルになる)ですが、フィーンド・オブ・コラプションは人間を堕落させるためのクラスなので、同じ脅威度でも純戦闘力はちょっと落ちたりします。ビガイラーも同様。
まあビガイラーは盗賊系のくせに限定的ながら最高レベルまでの秘術呪文が使える、ちょっとしたチートクラスなのでそこまで弱くもありませんけど。

インファーナル 脅威度26
鉄槌のベルシャザール 強大化ピット・フィーンド/フィーンド・オブ・ポゼッション3 脅威度23 ※死亡
水蜜桃のシャイニーラ パエリリオン/フィーンド・オブ・コラプション2 脅威度22
不壊のデロラス エリニュス/ナイト13 脅威度21
睦言のファール ファルズゴン/ビガイラー14 脅威度21
沈黙のベリオク ロゴクロン 強大化 脅威度20

グレートワーム・レッドドラゴン 脅威度26 ※死亡
グレートワーム・ブルードラゴン 脅威度25
グレートワーム・グリーンドラゴン 脅威度24
グレートワーム・ブラックドラゴン 脅威度22
グレートワーム・ホワイトドラゴン 脅威度21


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22-13 戦士の剣、魔道士の杖

「【アルクス・レイ】!」

 

 必中の閃光が地底の闇を切り裂いて飛ぶ。吹き荒れる赤い嵐と小刻みに跳ね回るフィン達を避けて、複雑なカーブを描く閃光の軌跡。

 気を取り直したレフィーヤの放った、渾身の光線呪文。

 パエリリオン・・・シャイニーラの回避行動を物ともせず、その体を貫いたかに見えた光の矢は、しかし何ら効果を発することもなくその体表で消えた。

 

「・・・こいつもっ!」

「"呪文抵抗(スペル・レジスタンス)"、だったな」

 

 戦争遊戯で己の会心の【アルクス・レイ】をやはりイサミの呪文無効化で防がれた事を思い出し、レフィーヤがほぞをかむ。

 リヴェリアもやはりその時のことを思い出していた。

 

「クフッ・・・クフフフフ!

 なぁに、凄い魔力だったからちょっとビビっちゃったジャない!

 でもダメねっ! その術力じゃワタシの膜は貫けないワヨッ!」

 

 一瞬怯えた表情になったシャイニーラが、一転して勝ち誇ったようにあざ笑う。

 その間にも十本の赤い爪は空を切り裂き、フィン達三人を攻撃し続けている。

 浮ついた言動や奇矯な外見とは裏腹に、この肉塊もやはり魔将と呼ぶに相応しい戦士のようだった。

 

 呪文抵抗(スペル・レジスタンス)

 上位の悪魔や竜、不死怪物のたぐいならほぼ必ず持っている能力だ。

 この能力を持っている対象に対して呪文をかけても、術者の術力が防御を突破できなければ、魔法は一切の効果を発揮しない。

 たとえ周囲を焼き尽くす炎の嵐であっても、抵抗を突破できなければその周囲だけは綺麗に焼け残る。そう言う能力だ。

 (なお友好的な呪文も自動で弾いてしまうので、そうした術の効果を受けたければ呪文抵抗の守りに一瞬「穴」を開ける必要があるが、イサミであってもそうした隙につけ込むのはほぼ不可能だ)

 

 そして術力と魔力の関係は、武器の鋭さとそれを振るう腕力にたとえられるだろう。

 腕力が強ければ強いほどダメージは大きくなるが、武器の切っ先が怪物の外皮を貫けなければそもそもダメージを与えられない。

 ベルがシルバーパックと戦った時、初心者用の鋼のナイフは外皮で砕け散った。

 だが能力値上昇があったとは言え【神のナイフ】は容易く胸を貫いて魔石を砕いた。

 

 今のレフィーヤも同じだ。

 呪文に込められた魔力それ自体は魔将に傷を与えるのに十分なもの。

 しかし呪文の強度、それを形成する力が足りない。魔力は一級冒険者並みといえども、レフィーヤの技量自体はLv.4の域を大きく越えるものではない。

 呪文という切っ先を十分鋭く鍛え上げるだけの技術が足りない。

 オラリオの魔道士達の表現で言えば「呪文の貫通力」が足りないのだ。

 

 この貫通力=呪文抵抗を貫く術力は、ほぼ術者のレベルに依存すると言っていい。

 D&D的な意味でも、オラリオ的な意味においてもだ。

 呪文自体の性質によってはそれがやや上下したり、杖や魔法石、スキルによって強化もされうるが、どのみち今すぐにどうにかなるものでもない。

 

 魔将とほぼ互角であろうピット・フィーンドの呪文抵抗は、Lv.6であるフレイヤ・ファミリア幹部、エルフの魔法戦士ヘディンの呪文の大半を弾いた。

 Lv.4であるレフィーヤには絶望的な壁だ。

 一方同じLv.6、しかもヘディンと違って専業魔道士であり、装備もスキルも術に特化したリヴェリアなら恐らく五分五分かそれ以上。

 

 だがリヴェリアの攻撃呪文はどれもこれも効果範囲が広すぎた。

 圧倒的な効果範囲を持つゆえに、こうして近接戦に入った状況ではそれが仇となる。

 極寒の氷雪の帯を三条打ち出す【ウィン・フィンブルヴェトル】であれば、今のようにフィン達とシャイニーラが間合いを取っている状況であればなんとか。

 それ以外の二つはどうやっても敵だけを攻撃することは不可能だ。

 

 ちらりと、最大の難敵(インファーナル)の方に視線を向ける。

 リヴェリアですら影を捉えることしかできないほど鋭い身のこなしと腕の振り、最硬金属の鎧や盾を容易く切り裂く牙と爪。

 防御側の判断を誤らせるフェイントの鮮やかさ、しばしばバランスを崩して引き倒そうとする動きも、オラリオ屈指の重戦士でなければ回避できないであろうほどに巧み。

 

 おそらくオッタルも、イサミの剣がなければ太刀打ち出来ない相手。

 ガレスでなくばとうに打ち倒されて、戦線も戦略も崩壊していただろう。

 

 だがそのガレスですら既に多くの傷を防具と、そして体に刻んでいる。

 自分でエリクサーを使う余裕など全くない。

 何事にも器用なラウルが投石紐(スリング)でエリクサーを投げつけて傷を癒すのがやっと。

 振りかけるほど近寄ってしまえば、その瞬間に肉塊と化すからだ。

 

 だがそこまでしてようやく、それも辛うじての現状維持。

 次の瞬間にガレスが倒れても不思議ではない。

 

 他の戦場にも素早く目を走らせる。

 アルガナ、バーチェと互角に打ち合う黒い女騎士。

 ベートと椿も四本腕の悪魔を攻めあぐねている。

 後方で呪文を飛ばしていたファルズゴンと目が合い、ウインクしてくる相手に舌打ちで返す。

 

(あのペテン師は論外としても、恐らく他の悪魔どもも同等の呪文抵抗とやらは持っているだろう。となれば・・・)

 

 リヴェリアがレフィーヤを呼び寄せた。

 

 

 

 戦いは続く。

 9mという一級冒険者からしても圧倒的な間合いを前に、フィン達は攻めあぐねていた。

 巨大な怪物相手ならばそれなりに経験はあるが、そうしたモンスターは大概において巨大ゆえに攻撃も動きも大振りだ。階層主であってもそれなりにはつけいる隙がある。

 

 だがこの化粧した肉塊の放つ攻撃は、フィン達等身大の冒険者の基準でも恐ろしく速く、そして正確で小回りが利く。

 しかも十本のそれが独立して、別の生き物であるかのように動く。

 半径9mの嵐、赤い刃の結界。

 フィンの速度と技量をもってしても、一度に対応できるのは三本が限度。

 ティオネは二本でもつらいし、得物が超重量級のティオナはどうしようもない。

 

 リヴェリアの回復呪文が飛び、全員の負傷を回復する。

 再び息詰まる攻防の時間。

 そしてまた、エルフの少女から放たれる膨大な魔力の波動。

 呪文の威力を解き放つ直前の徴候。

 杖の指す先は先ほどと同じ、パエリリオンのシャイニーラ。

 

『アラ、なぁに? また無駄な事を――』

「【アルクス・レイ】!」

 

 先ほどより更に太く、更にまばゆい光線。

 鋭く湾曲した軌跡を描いたそれが、シャイニーラの右腕を吹き飛ばした。

 

『え?』

 

 呆然と、付け根から失われた己の右腕を眺めるシャイニーラ。

 

『ひぎゃああああああああああああ!?』

 

 一瞬遅れて絶叫が響く。

 その時には既に、フィン達三人が動いていた。

 

『ッ!』

 

 咄嗟に左腕の爪で迎撃する。

 だが十本あればこそ防げていた攻撃を止めるには、五本では僅かに届かない。

 黄金の長槍が回転し、三本を弾く。

 ティオネが右手のハルバードで一本を引っかけて動きを封じ、もう一本を辛うじて左手のナイフでさばく。

 そして。

 

「うおりゃああああああああああああああああああああ!」

 

 全身全霊、文字通り捨て身の気迫を込めた大双刃(ウルガ)の一撃がシャイニーラの右肩口を断ち割った。

 紫色の油でてらてらと光る皮膚を切り裂き、分厚い刃の半ばまでを食い込ませる。

 

『ガァッ!』

 

 カエルのようにがばりと口が開く。

 これまでの気取ったものではない、痛みに狂う凶悪な悪魔の顔。

 

「ひえっ!?」

 

 無数の牙が並んだ巨大な口のかみつきを、ティオナが辛うじてかわす。

 フィン達をあしらっていた左腕の爪を一本飛ばし、追撃する。

 更に一歩ティオナが下がり、傷ついた魔将も一歩下がる。

 

 フィン達とも間合いが開き、一瞬の空白があいた。

 その一瞬でちらりと、レフィーヤの方に憎々しげな視線を飛ばす。

 

(クソッ! あの小娘、いきなり術力が・・・ン? ンンン?)

 

 先ほどは気付かなかった僅かな違和感。

 全集中力を注ぎ込んで呪文を唱えた張り詰めた顔のまま、杖を構えてこちらを睨む小娘の姿。

 こちらに向けた杖の先端からは、キラキラと光る粉のような物がこぼれていた。

 

(・・・杖! そうか、杖か!?)

 

 そう。

 レフィーヤが手にしているのは先ほどまでの花の意匠を施された白い杖ではなく、精緻な細工の施された白銀の、誰もが思い浮かべる「魔法の杖」のごときそれ。

 ミスリルと聖皇鉱石の合金を鍛え上げた封印世界が至高の五杖の一つ、【マグナ・アルヴス】。リヴェリアの愛杖だ。

 

「よくやったレフィーヤ――しかし、またレノアに怒られてしまうな」

 

 言葉と裏腹に満足げな笑みを浮かべるリヴェリアの視線は、杖の先端に注がれていた。

 そこに広がる流麗な白銀の花弁からは、はめ込まれていた魔法石九つの残滓がサラサラとこぼれ落ちている。

 

 魔道士の杖は術力を増幅する魔導装備だ。

 そしてかつてリヴェリアがイサミに言ったように、その増幅率は製作者の腕と魔宝石、材質、そして長さによって左右される。

 レフィーヤの杖より遥かに高い基本性能に加え、それをブーストする最上等の魔法石全てを一度に使い切る。それによってレフィーヤの術力を極限まで高め、シャイニーラの呪文抵抗を貫いたのだ。

 馴染みの魔術師(メイジ)レノアがぶつくさ言う様を想像して、リヴェリアが再び笑みを浮かべた。



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22-14 汚れなき白

 均衡が崩れた。

 片腕を失ったことによって、これまで完璧に防ぎ止めていたフィン達の攻撃が通るようになり、真言の悪魔の施していた高速治癒―― 一定時間の持続回復――では回復が追いつかなくなる。

 そして、悪魔達には元より回復の手段が乏しい。

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 たとえ邪神であっても神を信仰する悪魔はごく少ない。それは本質的に己の力のみを信じるからでもあり、また悪という力そのものに仕えているからでもある。

 治療の手段は僧侶の呪文だけではないが、だとしてもそれを持つ悪魔はごく少ない。

 

 ゆえに、恐るべき力を持ってはいても、悪魔達は崩されると脆い。

 冒険者たちのように不利を凌ぎ、崩れた態勢をリカバリーする手段に乏しいのだ。

 

 事実そこからは雪崩を打つように戦局が転がっていった。

 シャイニーラは三人がかりの攻撃を防ぎきれず、ティオナの大双刃で首をはねられた。

 フリーになったフィン達三人に加勢されては防ぎきれず、ロゴクロンは集中攻撃によって僅かな時間で屠られた。

 

 ロゴクロンの維持していた強化魔法(バフ)が切れた事により、堕天使の不壊の防御も僅かに緩む。

 妹の血を啜り、呪詛によって強化されたアルガナの拳が黒き鎧を穿った。

 致死の猛毒を込めたバーチェの手刀がそこに突き込まれる。

 事実上、そこで勝負は決した。

 

 だがその後もデロラスは戦い続けた。体が動かなくなる最後の瞬間まで。

 フィン達の加勢もはね除けて宣言通り自らの喉を食い破ったアルガナに、称賛の眼差しと笑みを送りながら。

 

「「―――汝こそ真の戦士(ゼ・ウィーガ)」」

 

 姉妹が僅かに瞑目し、この異界よりの好敵手に敬意を捧げた。

 

 

 

「遅いぞ」

「ごめん」

 

 シャイニーラとロゴクロンを屠ったフィン達が駆けつけたとき、ガレスはまさしく満身創痍であった。

 椿の鍛えたオラリオ最重最剛の甲冑がずたずたに引き裂かれ、最硬金属の盾も三枚目。

 裂傷だらけの甲冑も戦闘衣も、自身の血で真っ赤に染まっている。

 

 だがそれでもガレスは自らの足で立っていた。

 深層の階層主をも凌駕する魔王の攻撃を耐え抜いた。

 傷だらけの姿の中で、変わらず白銀の光を放つ右手の不壊属性大戦斧と同じように、その瞳の闘志だけは曇り一つない。

 

 駆けつけたフィン、ティオネ、ティオナ、ベート、椿らを前にして、インファーナルも警戒したのか一歩下がって様子を見る。

 (アルガナとバーチェは加勢を拒否してまだ戦闘中)

 そこでようやっと、このドワーフの鉄人は一息つくことが出来た。

 

「くぁーっ、手ひどくやられたのう。それがしもまだまだ未熟よ・・・どうだ、次は総最硬精製金属(オリハルコン)製の、不壊属性の鎧というのは! おお、いけるぞこれは!」

「いくらかかるんじゃ、大丈夫か?」

 

 僅かに出来た隙にエリクサーを数本まとめて飲み干し、盾も四枚目と交換する。

 椿とその様な会話を交わす余裕もあった。

 

 ちなみに第一等級武装や椿謹製の不壊属性武器が大体一本一億ヴァリス。

 単純な重量比で言うなら、ガレスの超重装甲冑(ドワーヴン・プレイト)は、そのおおよそ20倍。

 リヴェリアの杖ですら約三億であるから、イサミの打ったオッタルの剣を別とすれば恐らく下界史上空前絶後の高額装備となるだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 リヴェリアが先ほど詠唱を完了していた防御呪文を全員にかけ直す。

 それが第二ラウンドのゴングとなった。

 

『Ati-kot-nit!』

 

 小手調べとばかりにインファーナルが放った魔力で、周囲に炎の嵐が吹き荒れる。

 後衛のサポーター達には多少ダメージが入るが、それでも多少だ。

 主戦力である一級冒険者たちの耐久力とリヴェリアの護りの前に、ほとんどダメージを与えられていない。

 

「固っ!?」

「・・・もう! やっぱ斧槍じゃ軽すぎるわ! ティオナ、あんたの大剣貸りるわよ!」

「オッケー!」

 

 その一方で冒険者たちもこの魔王を攻めあぐねている。

 Lv.9相当のステータスに加え、恐ろしいほど硬い表皮がほとんどの攻撃を受け止めてしまうのだ。

 おまけに多少の手傷ならばあっという間に塞がってしまう。

 ロゴクロンの真言術(トゥルースピーク)の効果は既に途切れているはずなので、恐らくはこの魔王が自前で持っている再生能力なのだろう。

 

 戦いは長期戦になった。

 オラリオ最硬の男をずたずたにしたインファーナルの攻撃力はやはり圧倒的。

 椿ですら前衛に立つのは諦めて、サポーターに回っている。

 

 しかし今はガレス一人ではなく、同等の力を持つ前衛が五人揃っていた。

 仲間のフォローと牽制があれば一人一人に対する圧力は大幅に減じる。

 じりじりと、冒険者たちの攻撃が魔王の表皮を穿っていった。

 

 

 

「ああああ鬱陶しい! 死ねクソが!」

 

 武器が空を切り、聞くに耐えない悪態をつくのはベート。

 先ほどから魔王の体はユラユラとゆらぎ、狙いが僅かに定まらない。

 

 "かすみ(ブラー)"。

 自分の姿を僅かに霞ませることによって攻撃側の目測を見誤らせる防御呪文。

 初歩の術であり、攻撃数発ごとに一発がそれる程度の効果しかないが、長期戦かつ数で押す相手には確実に一定の効果が見込める。

 事実、先ほどまで増えては塞がるルーティンの中、それでも僅かずつ増えていた魔王の体の傷が、増えるそれと消えるそれで拮抗しつつあった。

 

「ちっ、面妖な術を。何か策はあるか、フィン?」

「難しい所だな。リヴェリアでさえ術を弾かれてしまってはね」

 

 インファーナルの体高は頭頂部で5mを軽く越える。

 一方で攻め手のフィン達は高くても2m弱。

 さしひき3mの的、後方にも巻き込む物が何もないとなればやりようはある。

 

 ――が、呪文は阻まれた。

 愛用の杖を使い放った極寒の冷気の束は、何ら効力を発することなく雲散霧消したのだ。

 もう一度試して同じ結果に終わった時点で、フィンは呪文攻撃という選択肢を捨てた。

 今はリヴェリアを支援に回し、自らは前衛の中で最も威力のあるガレスとティオナの超重武器の攻撃を確実に通すべく、ベートと共に二人のサポートに回っている。

 

 デロラスを討ち取り、駆けつけてきたアルガナとバーチェも同じだ。

 バーチェの毒でさえ、体内に注入できないのでは効果を発揮できない。

 

「杖の宝石を使い切ってなければね」

「あれがなきゃ、あの太っちょを倒せんかったんじゃろう? しょうがないわい」

 

 牽制攻撃をかけながら器用に肩をすくめるフィン。

 その隙にガレスが渾身の一撃を打ち込もうとして、やはり阻まれた。

 直後来た反撃の爪を大盾で滑らせて辛うじてかわし、一歩下がって溜息をつく。

 

 アイズを除くロキ・ファミリア、アルガナとバーチェも加えての総掛かり。

 それでもなお、この地獄の魔王は互角以上の戦いを演じている。

 むしろ押されているのはロキ・ファミリアの方だ。

 

 互いにフォローし合って致命傷を防ぎ、重傷者は即座に後退して治療を受ける。

 戦線が崩れることこそないものの、エリクサーやマジックポーション、予備の盾などが恐ろしい勢いで消費されていく。

 ラウルたちサポーターの表情も、加速度的に引きつり度合いを増していった。

 

 

 

「団長、これ!」

「ああ」

 

 手渡されたエリクサーを飲みながら、視線は戦場から離さない。

 一時後退して治療を受けながら、フィンはめまぐるしく頭を回転させていた。

 

(魔法を使って狂戦士化するか・・・? いや、それで押し切れる保証がない)

 

 飲み干した空瓶を捨て、右手の親指を口元に持っていく。

 フィンの癖だ。

 

 伝説の如く知恵を授ける魔法の親指なのか、それともフィンの直感をプッシュするスイッチなのか。

 迷った時、窮地に陥った時、常に突破口を開いてきたそれだったが、この時は全く関係のないところから突破口を開いた。

 否、()()()()()()()()()

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!」

 

 空を見た。星を見た。白き流星を見た。

 その場の全員が、遥か彼方の地上に通じる穴から洩れる星の光ではなく、そこから下りてきた一条の汚れなき白を見た。

 

『Vlo――』

 

 ぞぶり、と音がした。

 真の銀から鍛え上げられた妖精の刃が、上を向いたインファーナルの喉深くにまで突き刺さる。それを握る二本の繊手(せんしゅ)もまた、ほとんど付け根までインファーナルの口の中に入ってしまっていた。

 

「――フィル・・・」

「ディオ・テュルソス!」

 

 落下しながら詠唱は完了していたのであろう。

 魔王がその両腕を噛み砕くより一瞬早く、渾身の精神力を込めた魔法がその内から魔王の体を灼いた。

 びくんっ、と魔王の体が跳ね、さすがに一瞬動きが止まる。

 その隙に白い影は両手を引き抜き、魔王の肩を蹴って間合いを離す。

 

「ウオオオッ!」

「やああああああ!」

「死ねくそがぁっ!」

 

 余りのことに呆然としながらも、反射的に前衛達が斬りかかる。

 ガレスの大戦斧とティオナの大双刃以外はやはり分厚い外皮に弾かれるものの、妹から借りたティオネの不壊属性大剣は僅かに傷を残した。

 そしてガレスの攻撃に続き、彼と体を入れ替えてバーチェが毒の手刀を真新しい傷口に突き込む。

 

『■■■■■■■――――!!!』

 

 喉を潰され、毒を注入され、怒る魔王が嵐の如く荒れ狂う。

 両手の爪。刃のような翼。丸太のような尾。空間ごと薙ぎ払う暴力の嵐に、戦士たちはすばやく後退して難を逃れる。

 その後ろにふわり、と着地したものがある。

 

 白。どこまでも汚れなき純白の麗人。

 華やかな夜会服の如き白装束、白絹のようなつややかな肌、髪は鴉の濡れ羽色。

 右手に妖精の魔法剣、左手にはたった今引き抜いた白木の短杖。

 

「フィルヴィスさん!」

 

 喜色をみなぎらせたエルフの少女の叫びに、エルフの魔法剣士フィルヴィス・シャリアは僅かに振り返り、微笑んで応えた。



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22-15 フィルヴィス・シャリア

 

 ――実のところ、フィルヴィスは最初からロキ・ファミリアの奮戦を見ていた。

 かつての恩人である【疾風】の如くフードで素性を隠しつつはぐれた悪魔や怪物を狩り、いざというときには助太刀に入れるように黒竜との戦いもつぶさに観察していた。

 そしてエネルギーの盾の魔法【ディオ・グレイル】をグライダーのように扱い、Lv.7にも匹敵するその身体能力で無理矢理にそれを制御してこの場に落ちてきたのだ。

 

「いいのか、フィルヴィス」

 

 リヴェリアの問いに、今度は体ごと振り向いて胸に手を当て、王族に対する礼を取る。

 

「オラリオに危機が迫る今、我が身一人の安寧を願って何になりましょう。

 ましてや誇り高き同族が命を賭けて戦っているのに、隠れ潜むことなど・・・たとえこの身が汚れていようとも、そこを踏み外せば、私は本当に人ならざる者になってしまうでしょう」

「うむ」

 

 真剣な顔でその言葉を受け止め、ふっとリヴェリアは相好を崩した。

 

「お前が来てくれて私も嬉しいぞ、誇り高き同胞よ。美しく気高き森の戦士よ」

「・・・はいっ!」

 

 ひときわ深く腰を折り、フィルヴィスはこのハイ・エルフの王女にさっと背を向けた。

 その目に光るものがあったことに、リヴェリアは何も言わない。

 

 

 

 戦況が大きく傾いた。

 Lv.7に匹敵するフィルヴィスの戦闘力が、拮抗していた破壊と再生のバランスを崩す。

 

 その様は華麗にして神速。

 "都市を破壊する者(エニュオ)"アポロンのかつての腹心であり、レヴィス達と同じく胸に魔石を持つ【怪人】である彼女は、だがしかし美しかった。

 ロキ・ファミリアの面々との連携も完璧にこなし、魔王の攻撃を軽やかに回避する。

 超短文詠唱の魔法のバリアが自他を護る。

 そして細身の短剣にもかかわらず、その攻撃はガレスの大戦斧にも劣らぬ痛撃を与えていた。

 

「ここが・・・使いどころだね! 【魔槍よ、我が額を穿て! ヘル・フィネガス!】」

 

 続けてフィンが切り札を切った。

 真紅に染まるその双眸。

 魔王の外皮を貫く鋭鋒がまた一つ増える。

 

 フィルヴィスが加わって少しずつ増していた魔王の傷が、見る見るうちに増えていく。

 下半身に集中するその傷は、僅かずつではあるが魔王の機動力をも奪っていく。

 

『oyo-ris leud-io!』

 

 恐らくはののしり言葉であろう何かを叫び、魔王がフィンに向かって右手の爪を突き下ろした。

 

「おおおおおっ!」

 

 鋭く、一直線に、正確に突き下ろされる貫手。

 それに合わせて一直線に突き出される黄金の長槍。

 血しぶきが上がった。

 

『Whooooooooooooooooo!?』

 

 絶叫が響く。

 魔王の右手、中指と薬指の間から長槍の黄金の柄が生えていた。

 槍は魔王の手と前腕部を一直線に貫き、肘から切っ先が飛び出ている。

 魔王の爪は、フィンの目の前15cmで止まっていた。

 

 狂戦士化したフィンの膂力と突き下ろす魔王の力、そして狂戦士化してなお正確無比に相手の攻撃と軌道を一直線に合わせて正確にその一点を穿った戦闘技術。

 それがこの絶技を可能とした。

 

 フィンの手を振り払い、魔王が右腕を引っ込める。

 黄金の長槍に貫かれた手と前腕部は固定され、手首が動かない。

 フィンはそれに逆らわず、手を離して後方に飛ぶ。

 

「団長!」

 

 クルスの声と共に白銀の、不壊属性の長槍が飛んでくる。

 振り返りもせず、フィンが右手でそれをつかみ取った。

 

 

 

『ward-nrut onero!』

 

 魔王が右腕の長槍を抜こうとして、次の瞬間左の翼を薙ぎ払い、左腕を突き下ろした。

 打ち合わせも何も無しにタイミングを完璧に合わせて突撃したのは、左前方からガレス、左後方からフィルヴィス。

 その他の面々もほとんど同時に動いている。

 

 コウモリのような翼の先端のかぎ爪が、見てもいないのにフィルヴィスに対して正確に振り下ろされる。

 一瞬フィルヴィスが足を止めた。

 

「ふっ!」

 

 鋭く振り抜いた妖精の剣が、かぎ爪の付いた翼指をすり抜ける。

 次の瞬間、暗緑色の血しぶきとともに、翼指が根元から切り飛ばされた。

 

 骨の隙間を、しかもLv.9相当の攻撃の先端を見切って正確に刃を通す神技。

 今のフィルヴィスのステイタスと技術をもってしてもまさしく離れ業だ。

 一瞬で恐ろしいほどの集中力を発揮したエルフの娘が、僅かによろめいた。

 

「もう一度やれと言われても無理だなこれは・・・」

 

 会心の笑みとともに、フィルヴィスが額の汗をぬぐった。

 

 

 

 同時に仕掛けたガレスはそのような速度を持ってはいない。

 それどころか穴の開いた大盾を捨てて、両手で大戦斧を握る捨て身の構え。

 一撃喰らうのと引き替えに相手の足を断ち割る、必殺の覚悟。

 

『ag-madnug-onihsataw!』

「ウオオオオオオオッ!」

 

 ドワーフと思えぬ、タイミングを完全に支配した神速の踏み込み。

 不埒な小生物を貫かんとする魔王の爪。

 双方全くの同時。

 

 骨を砕く音が響いた。

 分厚い最硬金属(アダマンタイト)を引き裂く音がした。

 

 ガレスの大戦斧は魔王の左足、膝のすぐ上にめり込んでいた。

 骨にまで達したのか、魔王がたまらず膝を突く。

 そして魔王の爪はガレスの鎧の背中の部分を切り裂いていた。

 ()()()()()()()()()()()

 

 あの一瞬、ガレスは全力で斧を振り下ろした。

 当然姿勢は前屈みになり、爪は当初の攻撃目標からずれる。

 魔王の想像を超える踏み込みを見せたことにより、更に爪はずれる。

 そしてガレスの鎧の前面には無数の傷が付いていたが、鎧の背中は全くの無傷だった。

 

 つまり、ガレスは攻撃すると同時に敵の攻撃を背中の鎧で「滑らせた」のだ。

 滑らせ切れずに鎧の装甲板は裂かれたが、内部のガレスの肉体はかすり傷程度。

 

「ふんっ!」

 

 力を込めて、ドワーフの大戦士はめり込んだ斧を引っこ抜いた。

 

 

 

 ガレスが斧を引き抜くのと同時に、魔王が左腕の爪を戻す。

 

「ガレス、肩借りるよ!」

「応っ!」

 

 一瞬遅れてやって来たティオナがガレスの肩を踏み台に跳んだ。

 跳んだ先は片膝を突いて低くなったインファーナルの目の前。

 

「ふんぬぁっ!」

 

 渾身の大双刃の一撃がガードしようとした魔王の左腕の、手首から先を切り飛ばす。

 だが首には僅かに届かない。

 

「なんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 ティオナが竹とんぼのように空中で更に半回転する。

 大双刃のもう片方が、先ほどと全く同じ軌跡で魔王の首に迫る。

 

「seye-eulb・・・agutoknob!?」

 

 手首から先を失った左腕でそれでも防ごうとして、魔王の体が硬直した。

 右翼の攻撃をかわして吶喊したティオネの大剣の切っ先が脇腹にめり込み、跳んだアルガナがドロップキックでその柄を押し込んだのだ。

 黒竜戦でのティオネとティオナのコンビネーションの再現。

 半ばまで脇腹に突き刺さった大剣に、さすがの魔王も一瞬動きが止まった。

 

 僅かに下がった左腕のガード、その手首のすぐ上をティオナの大双刃が疾り抜ける。

 アマゾネスの全身全霊を込めた巨大な刃が、魔王の首を切り飛ばした。



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22-16 不死身の魔王

 ずしん、と。

 揺るがぬ山、荒れ狂う嵐のごとくだった魔王の巨体が地に伏した。

 一瞬遅れてはね飛ばされた首が、青黒い鮮血と共に地面に落ちる。

 

「「「「うおおおおおーっ!」」」」

 

 歓声が上がった。

 前衛は武器を掲げ、サポーター達は拳を突き上げる。

 小人族とドワーフの首領二人が軽く拳を打ち合わせ、リヴェリアは詠唱を中断してふうっと深呼吸する。

 喜色満面のレフィーヤがフィルヴィスの首根っこに飛びつき、微笑んだフィルヴィスがそっと頭を撫でてやった。

 支援呪文を飛ばしていた"睦言の"ファールは肩をすくめて姿を消した。恐らくは透明化の呪文を使ったのであろうが、リヴェリア達も最早追撃する気はない。

 

「のんびりしている暇はないぞ! 全員傷を治せ! 術者はマジックポーションもだ!

 武装も出来る限り新しいものに取り替えておけ!」

 

 それらを一通り見回した後、表情を改めたフィンの鋭い声が響いた。

 団員たちも厳しい表情を甦らせ、てきぱきと動き始める。

 その様子を一瞥し、視線を周囲に走らせる。

 

 ベルは祭壇の頂上でグラシアと対峙し、イサミはティアマトの周囲を飛び回りつつ攻撃をかけ、四匹の竜に囲まれたヘスティア・ファミリアの面々は辛うじてそれらの攻撃を凌いでいる。

 

(【リトル・ルーキー】・・・いや【三月兎(マーチ・ラビット)】だったか。こちらはにらみ合い・・・兄の方は互角、かな。

 ヘスティア・ファミリアはやや押され気味。いや、階層主クラス四体を相手に、Lv.6一人でよくやるというべきか)

 

 素早く戦況を見て取り、思考を走らせる。

 当然最優先はアイズの救出だが、ヘスティア・ファミリアが全滅してしまった場合はかなりまずい状況になりうる。

 とは言え優先順位は明確だ。そう割切って命令を出そうとしたとき。

 

「ひ、ひえええええええええ!?」

 

 情けなく響いたのはラウルの悲鳴だった。

 振り向いたフィンの視界の端で、巨大なものがゆっくりと起き上がる。

 治療を終えて胸の魔石を砕こうとしていたのだろう、大双刃(ウルガ)を構えたティオナが心底驚いた表情で後ずさった。

 

 首のない魔王が立ち上がる。

 いつの間にか接合した左手にはティオナが先ほど落とした自らの首。

 右腕の筋肉が人間ではあり得ない動きでモゾモゾと痙攣し、深く刺さった黄金の長槍が吐き出される。

 手に掴まれた首が、ぎょろりと目玉をこちらに向けた。

 

 

 

 ――確かに階層主クラスだと、首をはねても魔石を砕かなければ死なないということはある。

 しかしさすがに首をはねられて、なお平然と動き続ける怪物はオラリオにはいない。

 

 "再生(リジェネレーション)"。

 腕を落とされてもすぐくっつくトロール、首を落とされてもまた新たな首が生えてくるヒュドラなど、極めて生命力の強い一部のモンスターが持つ能力だ。

 

 例えばこの二体であれば、炎や雷で傷口を焼かれない限り決して再生は止まらない。

 あるいは"物質分解(ディスインテグレイト)"呪文などの分子レベルで肉体を破壊する手段でもなければ、たとえ肉片からでもいつか再生する無限の生命力。

 

 そして魔王の再生を阻害し、とどめを刺しうる唯一のものは――「聖なる武器」、つまり善属性を帯びた攻撃であった。

 この時不運だったのはイサミとベルがこちらに注意を向けられる状況ではなかったことだろう。

 イサミは本来僧侶魔法の領分である善属性の攻撃を擬似的に再現も出来れば武器への善属性付与もできたし、ベルのナイフは善神たるヘスティアの力を帯びている。

 

 ただ地上にいたピット・フィーンドなどもこうした再生能力を持ってはいたが、それでも彼らはベル達やロキ、フレイヤの冒険者たちによって魔石を砕かれ倒されている。

 魔石は怪物に強大な力を与えるが、同時に本来存在しない致死の弱点ともなる。

 ゆえにインファーナルの再生を阻む手段が無くともさほど問題にはならない――はずだった。

 

 

 

 ばさり、と魔王が翼を広げる。空中に舞い上がったその姿が唐突に消えた。

 

「なんだ?!」

「透明化の魔法というやつだ! リヴェリア、レフィーヤ、精神力は最小でいいから火炎範囲魔法を! 指示をしたら一人ずつ撃て!」

「! わかった!」

「了解です!」

 

 フィンが素早く指示を飛ばす。

 主要ギルドの中核メンバーは、ごく大雑把にではあるが、イサミからギルドを通じて封印外世界の魔法のレクチャーを受けていた。

 

 つまり範囲攻撃が避けて通る空間があれば、そこに透明な何かがいるということ。

 イサミやフェリスのような専門家がいないこの場では最適解と言えた。

 

 リヴェリアとレフィーヤの詠唱が響く。

 空中の魔王が発しているのだろう、時折小さな火の玉が降ってきて直径12mの爆発が起きるが、まともに巻き込まれてもエリクサー一本程度の威力でしかない。

 ほとんど影響を受けないままに二人の詠唱が完成する。

 

「よし、まずはリヴェリア!」

「応! 【レア・ラーヴァテイン!】」

 

 魔王がちまちまと撃ってきた火球のお返しとばかりに、直径100mを越す巨大な炎の嵐が周辺に巻き起こる。

 

「いたよ! そこ!」

 

 真っ先に見つけたのはエルフたちに次いで鋭い目を持つアマゾネスのティオナ。

 

「ディオ・テュルソス!」

 

 指さした僅かな炎のよどみと羽音を目がけて、フィルヴィスの雷撃呪文とラウル達の矢が放たれる。

 どれほどのダメージを与えたかは判らないが、矢と雷撃が空中で弾かれ、命中したことが判る。

 

「む?」

 

 ずしん、と地響き。

 主力メンバーがその音のした地点に一斉に眼を向けた。

 続けて、間を置かずに魔王が再び姿を現した。

 げっ、とティオナが年頃の娘の上げてはいけないたぐいのうめき声を上げる。

 

「見て! あいつ傷がほとんど治ってる!」

「!」

 

 ティオナの言う通り、魔王の全身に刻まれていた傷痕はほとんど消えていた。

 フィルヴィスが切り飛ばしたはずの、左の翼のかぎ爪も元通りに生えている。

 そして、魔王が立つのはロキ・ファミリアと祭壇を遮る位置。

 

「こいつ・・・回復の時間稼ぎをしていた!?」

「クッソせこい真似をしやがって・・・!」

 

 びきり、とベートのこめかみに血管が浮かぶ。

 アイズはともかくベルにいいところを持って行かれた黒竜との戦いといい、結局まともに戦わなかった真言の悪魔といい、どうやら彼にとって今日は神経を逆なでする出来事ばかりのようだった。

 

 

 

「【ディオ・テュルソス】!」

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

「【アルクス・レイ】!」

 

 戦闘は泥仕合となった。

 互いに全力を尽くした、再びの命の削り合い。

 負傷が重なり、またしても空に逃げた魔王に対し、フィルヴィスと待機していたリヴェリア、レフィーヤの呪文が飛ぶ。

 

「よし!」

「いけます!」

 

 リヴェリアとフィルヴィスが会心の手応えを感じて拳を握る。

 はたして、レフィーヤの放った光線は手前で打ち消されたものの、極寒の冷気の束と一条の雷撃は魔王の体をしかと捉えた。

 

「!」

「なに!?」

 

 魔王の左半身を巻き込んだ冷気の束は表面を凍結させ、左腕を凍りつかせた。

 しかし右半身に命中した雷撃は、完全に通ったにもかかわらずその体に吸い込まれ、なんらダメージを与えていないように見えた。

 

「呪文抵抗で防がれた?!」

「いや、消え方が違う! 呪文抵抗で止められるなら、レフィーヤの呪文みたいに手前で雲散霧消するはず!」

 

 ざわめく冒険者達を見下ろし、悠然と宙に浮かぶ魔王。

 その口元には嘲笑が浮かんでいるようにも見えた。

 

 "呪文学習耐性(ラーンド・スペル・イミュニティ)"。

 インファーナルのみが持つ能力の一つ。その効果は一度受けた呪文に対する完全耐性。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔王は空中で羽ばたき続ける。

 左半身を覆う氷が見る見るうちに融解していき、左腕が再び動き始める。

 ラウルたちの弓が飛ぶが、Lv.6の前衛でも苦戦した表皮の前には無駄弾でしかない。

 

 左半身の氷が溶けきり、再び魔王が大地に降り立つ。

 無論、冒険者たちと祭壇を遮る位置にだ。

 

「・・・・・・」

 

 それを見ていたフィンの眉がぴくりと動いた。




富士見の魔王・・・!(GA文庫です)


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22-17 魔王咆哮

 戦闘が再開する。

 だが戦力比が変わらない以上、結果も変わらない。

 フィン達が連携をもって致命傷を避ける中、魔王の体の傷はどんどん増えていく。

 

 傷が蓄積した下半身の動きが鈍くなったかと思われた瞬間、またしても魔王が宙に飛んだ。

 小人族の【勇者(ブレイバー)】はそのタイミングを見逃さない。

 

「一同、吶喊っ!」

「「「「オオッ!」」」」

「!」

 

 命令一下、冒険者たちが走り始めた。

 宙に浮く魔王を無視して、祭壇に向かって。

 

『ahirapput-oneh……』

 

 呟いた魔王の口元に浮かぶのは嘲笑か。

 インファーナルの目的はフィン達の祭壇到達を防ぐこと。

 ならば時間稼ぎを無視して祭壇に向かえば、魔王は下りてこざるを得ない。

 

 ――その程度の浅い策でどうにかなるとでも?

 魔王の嘲笑はそう言っているかのようだった。

 

『oyusednari!』

 

 魔王が急降下する。

 フィン達に続いて走るリヴェリア達を目がけて。

 攻撃呪文はどのみち通用しないが、防御と回復の呪文は中々厄介だ。

 一人二人は落とさせて貰う。

 

「【ヴィア・シルヘイム】!」

『onabotok!?』

 

 その皮算用は、突如出現した緑の障壁に止められた。

 魔王の攻撃に完璧にタイミングを合わせて出現したドーム状の緑のバリアは、最硬金属(アダマンタイト)の鎧を軽々切り裂く彼の爪を完璧に防ぎ止める。

 

『ahimi!』

 

 爪。牙。翼のかぎ爪。尾。

 全力の攻撃を叩き付けるが、その一撃たりとて障壁を揺るがすことは出来ない。

 

 【ヴィア・シルヘイム】。

 リヴェリア最強の防御結界呪文。

 あらゆる物理攻撃と魔法攻撃を遮断する絶対の護り。

 その強度はあるいはイサミの"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"すら上回る。

 

 そしてそれと同時に、全力疾走していたはずの前衛達がぴたりと止まり、輪を作った。

 その輪の中央にはカーリー・ファミリア首領姉妹の妹、バーチェ。

 その体を毒々しいオーラが覆い、周囲を囲んだ冒険者たちは素早く武器を振りかぶり――バーチェに一斉に叩き付ける。

 血しぶきが舞った。

 

 

 

「ひっ・・・!」

 

 結界の中のレフィーヤの顔が引きつった。

 

「落ち着け、レフィーヤ!」

「は、はい。申し訳ありません」

 

 それをたしなめるリヴェリアの顔も僅かにこわばっている。

 後ろで固まっている椿やサポーターたちも似たようなものだ。

 怒りにまかせて更に全力攻撃を叩き込んでいた魔王が、何かを感じてか振り向いた。

 

「オラァッ!」

 

 一番槍は最速の男、ベート。

 双剣による連続攻撃を、翼のカギ爪で撃ち落とす。

 

 フィン、ガレス、フィルヴィス、アルガナ、ティオネ、ティオナ、そしてバーチェ。

 次々と襲いかかる冒険者たちをあるいはさばき、あるいは表皮で弾き、そしていくらかは傷を受ける。

 

 更に数合の攻防を重ね、魔王は人間で言えば舌打ちに当たる動作をした。

 多少時間は稼いだものの、肉体が再生しきっていないまま戦闘継続するのは不利だ。もう一度仕切り直しが必要だろう。

 

 翼を広げ、羽ばたく。

 1トンを越える体重を軽々と宙に浮かせる揚力が、烈風となって冒険者たちに吹き付ける。

 そのまま空中高く飛び上がろうとして、がくん、と何かに引っ張られた。

 

 右足に鎖の付いた大戦斧が絡まっている。

 鎖の先には戦いの当初からずっと邪魔をし続けた、鬱陶しいドワーフ。

 再び舌打ちして、構わず翼を羽ばたかせる。

 いくら重いとは言え、たかが亜人一匹。

 一緒に飛び上がってしまえばいい。

 

『agmarakaw-ukoy!?』

 

 そこで愕然とした。

 いくら羽ばたいても、翼に力を入れても、それ以上高度を上げられない。

 この亜人ごと空に舞うことが出来ない。

 

 ようやっと気がつく。

 体の重さ。

 全身に走る痺れ。

 感覚の鈍化。

 これは――。

 

「バーチェ、もう一度!」

「了解だ」

 

 フィンの指令に応じて、バーチェが何かを迎えるように両手を広げる。

 その体を再び、ガレスを除く前衛達の武器が切り刻んだ。

 

『ukakinot・・・!』

 

 そこではっと気付いた。

 先ほどからこいつは自分では直接攻撃せず、他の冒険者のつけた傷口に毒をすり込んでいたはず。

 もしその毒が何かから抽出したものではなく、こいつ自身が分泌しているなら――!

 

 魔王の考えはほぼ正鵠を得ていた。

 正確に言えば毒を帯びるのはバーチェの全身を覆う魔法のオーラ。

 だが武器についた血、既に自分の一部ではないそれに毒を与える事はできる。

 結果として、彼女の血の付いた武器は伝説のヒドラの毒矢の如く、触れただけで命を奪う猛毒の武器と化したのだ。

 

 驚愕と共に、魔王が必死にもがく。

 脱出しようとする。

 だがもう遅い。

 毒の回りきった体は本来の性能を発揮せず、普段なら小指一本で振り回せる矮躯の亜人を振り切ることが出来ない。

 

 毒血のしたたる武器を手に、冒険者たちが彼に殺到する。

 最初のベートの一撃で翼を切り裂かれ、ドワーフの膂力で振り回され、魔王は地に墜ちて叩き付けられる。

 次々と突き出される刃が、動きの鈍った彼の肉体を穿っていく。

 毒血が更に体内に注ぎ込まれ、体が弱っていく。

 

『nisij! iogus!』

 

 やめろ。

 こんな事は認められない。

 俺は神と悪魔の忌み子、地獄そのものの力を授かりし魔王。

 無限の命と最強の力を持ち、いずれはグラシアなどを越え、アスモデウスに挑み、九層地獄を支配するもの。

 それがたかが人間に、たかが毒に、こんな風に殺されていいわけがない――!

 

『oyezad ―――!』

 

 ついに毒で動けなくなった魔王の胸を、狂戦士化したフィンの黄金の長槍が穿つ。

 塵と化した魔王の断末魔は、あたかも悲鳴のようだった。




 データ精査したらなんと毒に対する抵抗力を持ってなかったインファーナルくん。
 聖なる武器ぬきでどう倒そうか、フェリス助っ人に来させようかと思ってましたが、まさかの毒特効とはwww
 首をはねられても復活するけど、毒は有効なんですよねえ、D&Dの再生能力って・・・w
 本来なら毒が効いても死にはしません(動けなくはなる)が、胸に魔石があるのでそれを砕かれると死ぬわけで。

 ちなみに死んだらそれ以上再生しないのが高速治癒(ファスト・ヒーリング)、死んでも再生する(普通はそれを破る何らかの手段がある)のが再生(リジェネレーション)となっております。


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22-18 四色の巨竜たち

 敵はいずれも30mを越える巨躯の竜が四匹。

 Lv.5のリューがこちらに加わり、かつ58階層を攻略したときの対竜装備があるとは言え、イサミとベルの二人を欠いたヘスティア・ファミリアの不利は歴然。

 

 そこで指揮官であり、実質的な副団長でもあるアスフィが取った戦術は、戦争遊戯で使った【タマテバコ】と【リレハァ・ヴィフルゥ】のコンビネーションであった。

 春姫の幻影魔法【タマテバコ】で霧を発生させ、リリの音声操作魔法【リレハァ・ヴィフルゥ】で音を封じる。

 視界と声による意志疎通を封じた上で、霧を見通す"看破の宝石"とリリの音声操作で味方側はその影響を受けずに戦闘ができる。

 さすがに戦争遊戯の時のように同士討ちを誘発するのは難しいが、目と耳を封じられた相手であればやりようもある。そのはずだった。

 

『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

「ふえっっ!?」

「なんだ、全然影響受けてないぞ!?」

 

 シャーナの言う通り、四匹の巨竜は霧や音の遮断を物ともせず攻撃を続けていた。

 ブレス、呪文、物理攻撃。

 いずれも霧を見透かしているとしか思えない動きで、正確にこちらに狙いを定めてきている。

 

「ぐわぁぁぁーっ!?」

「ゲド!?」

「だ、大丈夫、やられたのは分身の方ッス!」

 

 青竜の吐いた雷の吐息が一直線に走り抜ける。右半身を焼かれた"戦いの影"がほどけて消えた。

 素早く回避したアイシャもそれなりのダメージを負っている。

 

「やっぱグレートワームのブレスはサポーターの子たちにはきつい・・・あっ」

「おい、『あっ』ってなんだ『あっ』って。この状況で言われるとすげえ気になるぞ!?」

 

 独り言の途中で、フェリスがはたと何かに気付いた。

 やや剣呑な口調で問い詰めるシャーナに、ごまかし笑いを浮かべる。

 

「いやね、ドラゴンって基本的に周囲・・・ええと20mくらいの範囲に何がいるか、何があるか、見えなくても大体わかるみたいなのよね」

「ちょっと待て! それじゃこの作戦全く意味がねーじゃねーか?!」

 

 絶句するシャーナ。

 フェリスのごまかし笑いが大きくなる。

 緑竜と黒竜の攻撃を単身凌いでいたレーテーが悲鳴を上げた。

 

「最初に言ってよー! こいつらすっごい強いんだよー!?」

「しょうがないじゃん! 私だってドラゴンに会ったの今日が初めてなんだから!」

 

 いいわけに聞こえるが、実際そんなものである。

 付け加えるなら、イサミのようなチートもない上にあれやこれやと色々かじっているフェリスは、知識の幅広さはともかく深さが絶対的に足りていない。

 

「はいそこまで! フェリス、それではこの作戦では相手の行動を全く掣肘できないのですね?」

 

 言いたい事をぐっと飲み込んで、アスフィが現状の打開を図る。

 問われたフェリスは表情を真剣な物に変え、数秒間考え込んだ。

 

「あいつらの感知能力は闇や霧の中でも全く影響を受けないってほどじゃなくて、この辺にこれくらいの大きさのものがいて動いている、くらいの大雑把な能力だったはず。

 白兵戦をやるならそれなりに意味はあるけど、範囲攻撃・・・ブレスや呪文を喰らったら余り意味がないわね」

「確かにそんな感じはします! 見えているにしては攻撃が荒い!」

 

 こちらは白竜相手に何とかしのいでいるリューが、振り向かないままに叫ぶ。

 冷気を漂わせた巨竜の爪や牙は確かに彼女に向けられているのだが、二回に一回ほどは間合いを計り損ねて黒曜石の大地を削ったり、空を切ったりしている。

 リューの動きが速いのと、巨大な怪物でたまにある小さい敵と戦うのが苦手なタイプかと思ったが、そうではないようだった。

 

「・・・」

 

 僅かな時間を置いてアスフィは決断した。

 

「霧は維持します! 各員は当初の方針通り、まずは青竜を倒して下さい!」

「「「「了解!」」」」

 

 アスフィの号令に、各員が返事を返す。

 

「やっぱりブレスですか、アスフィ様?」

「ええ。少なくとも情報を相手に与えないことはできますから」

 

 リリの問いかけにアスフィが短く頷いた。

 さほど長い付き合いでもないが、戦争遊戯以来アスフィはこの小人族の術と判断力、視野の意外な広さに一目を置いている。

 その彼女たちの会話の内容を詳しく解説するなら、以下のようになる。

 

 怪物の王。

 そう称されるだけあって、ドラゴンはあらゆる意味で「強い」。

 全モンスター中最強の物理攻撃力に圧倒的防御力とタフネス、種々の特殊能力、耐性、呪文まで自在に操る。

 

 中でも物理戦闘力と並んで恐れられ、竜の代名詞ともなっているのがその吐息――ドラゴンブレスだ。

 その威力は先に見たとおり。

 封印外世界の冒険者たちに比べて圧倒的なステイタスを誇るオラリオの冒険者にとっても、グレートワーム・ドラゴンのそれとなれば脅威の一言。

 一級二級の上位冒険者たちにとってはまだ脅威ですむが、Lv.2や1のサポーター達がまともに食らえば即死は間違いない。

 

 しかも竜によって吐き出すブレスの属性は違う。

 緑竜と黒竜とは酸(腐食性ガス)、青竜は電撃、白竜は冷気。

 D&Dのエネルギー防御呪文は属性ごとに特化しており、全ての属性を無効化ないし軽減するような便利な呪文はない。あったとしても伝説級呪文(エピックスペル)だろう。

 D&D世界全体の基準で見ても、リヴェリアの防御呪文は破格なのだ。

 

 現状、ヘスティア・ファミリアのバフデバフをほぼ一手に引き受けるフェリスは、自身の魔力とイサミから預かったマジックアイテムを大車輪に活用して対応していた。

 まず、切り札の願いの指輪(リング・オブ・スリーウィッシィズ)を(泣く泣く)使って全員に酸への完全耐性を付与。

 続いて準万能呪文"リミテッド・ウィッシュ"の巻物を二本読み上げて、自分とリューの周囲にそれぞれ対冷気結界(アンチ・コールド・スフィア)を張る。

 これで二人の周囲にいる限り、サポーター達も緑竜・黒竜・白竜のブレスからは完全に守られることになる。

 加えてこちらは自前の電撃への耐性呪文(マス・レジストエナジー・エレクトリック)で青竜のブレスのダメージも幾分かは軽減。

 

 後は青竜を倒してしまえば、少なくともブレスは気にせずに戦闘を進められる。

 加えて霧の中では物理攻撃も命中率が半減する。そうすれば自然、相手の攻撃はブレスや呪文に傾くだろう。

 

 ここで霧によって視覚を遮ったことが再び効いてくる。

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 加えて直接視認できないがゆえに、魔力視覚でどのようなバフが彼女たちに掛かっているかも確認できない。

 竜も愚かではないから時間が経てばおかしいと気付くだろうが、それまでの間は受けるダメージを大きく抑えられるはずであった。

 

(・・・とはいえ、イサミ君や【三月兎(マーチ・ラビット)】への援護は難しい所ですか)

 

 最強戦力であるレーテーは黒竜と緑竜を押さえ込むのに欠かせないし、それに次ぐシャーナとリューのどちらかには白竜を抑えていて貰わなくてはならない。

 リューがイサミから借りた装備で防御力と機動力が圧倒的に強化されているとなれば、青竜に当てるのは対竜大剣(ドラゴンスレイヤー)を持つシャーナ一択だ。

 もう一人のLv.5であるフェリスはサポートに手一杯だし、Lv.4であるアスフィとアイシャが支援するしかない。ちらり、と邪竜神を相手に単身飛び回るイサミに目をやる。

 

(まあ、やるしかありません。最悪でも負けなければ仕事は果たせます)

 

 イサミを助けたい気持ち、彼我の戦力差の判断、イサミならやってくれるという信頼が彼女の中でせめぎ合うが、それらをぐっと飲み込んで、彼女は命令を下す。

 それが出来るからこそ、彼女は優秀な指揮官なのだ。

 

「ちまちまでも青竜を削ります! 手すきの者は全力でシャーナを援護! 【男殺し】と【疾風】はその間何とか凌いで下さい!」

「「「「了解!」」」」

 

 再び全員が声を揃えて返事を返し、リリたちサポーターが全力で魔剣を振り始めた。

 ほとんどは呪文抵抗で弾かれるものの、青竜の注意を削ぐ役には立つ。

 

「わかったけど、【男殺し】はいい加減やめて欲しいのー!」

 

 巨竜二匹と壮絶な殴り合いを演じつつも、どこかのんきな悲鳴をレーテーが上げる。

 冷静で有能な指揮官らしく、アスフィは聞こえないふりをした。

 

 




 竜の知覚能力(非視覚感知)ってつまりあれです、ミノフスキーレーダー(ぉ


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22-19 万色の魔竜

「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」

「GYAAAAAAAAAAAAAAA!」

「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

「VOOOOOOOOOOOOM!」

「QEEEEEEEEEEEEEEE!」

 

 赤青緑黒白。

 五色の竜の口から一斉にエネルギーの吐息が放たれる。

 円錐形に拡散する炎、一直線に走る雷撃と強酸液、拡散する腐食ガスと冷気。

 九層地獄に名高きティアマトの五連ブレス。

 魔王や邪神でもない者がまともに食らえば魂も残らない。

 

「うおっ、と!」

 

 だがその致死のブレスを、イサミはひらりひらりとかわしてみせる。

 無数の魔法と魔道具による強化がもたらす、超絶的な体術と見切り。

 熱や冷気を肌に感じつつも、それらはイサミの髪の毛一本焦がすことはない。

 

「《最強化》《高速化》《分枝化》《二重化》《エネルギー上乗せ・炎・雷・冷気・酸》"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"!」

「《最強化》《高速化》《分枝化》《二重化》《エネルギー上乗せ・炎・雷・冷気・酸》"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"!」

「《最強化》《高速化》《分枝化》《二重化》《エネルギー上乗せ・炎・雷・冷気・酸》"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"!」

「《最強化》《高速化》《分枝化》《二重化》《エネルギー上乗せ・炎・雷・冷気・酸》"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"!」

「「「「「GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!?」」」」」

 

 《分枝化》《二重化》されて四本、《高速化》を合わせて合計十六本の虹色の光線が五色の龍神の体を貫く。

 五つの頭が揃って苦悶の悲鳴を上げると同時に、その目が語っていた。

 何故に、と。

 

 

 

 ティアマトは俗に五色の邪竜と呼ばれる赤竜、青竜、緑竜、黒竜、白竜の力を併せ持つ原初の竜王だ。当然それらの持つ耐性も全て併せ持っている。

 火も、酸も、冷気も、電撃もティアマトには効かない。

 効かないはずなのだ。

 

 D&D世界においてエネルギー攻撃と呼ばれるのは通常上の四つに加えて音波。

 これは純粋な物理攻撃であるために、大抵の存在はこれへの耐性を持っていない。

 強大な魔術師であり司祭でもあるティアマトは、当然音波属性に対する完全な防御を自らに施していた。

 

 だというのに。

 イサミは音波攻撃など最初からしてこなかった。

 その代わりに四属性を混ぜた"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"呪文をひっきりなしに放ち、そしてそれが何故か龍神の不可侵の肉体を傷つけている。

 

 不可解だった。

 ティアマトの抱いた未知への恐怖、だがそれは怒りに変わる。

 分体とは言え不滅の龍神たる我に、たかが常命の人の子が恐れを与えるなどあってはならない。

 恐れるべきは我。畏れられるべきも我。

 五色の魔竜神を傷つけた報いは、その魂を五つに引き裂いて喰らい尽くすことで思い知らせてやろう――!

 

 

 

 ティアマトの五つの頭が再び咆哮を上げた。

 今度はそれぞれの頭が矢継ぎ早に別の呪文を発動し始める。

 発動している呪文はいずれも自己強化。恐らくはこちらを魔術師と見て、肉弾戦に切り替えるつもりだろう。

 次の呪文の詠唱を始めながらイサミはニヤリと笑った。

 

(そりゃあ知るまいさ、お前は・・・いや世界の内にある限り誰も知ることはできない)

 

 炎で傷つけられない肉体を焼く炎、冷気を帯びた肉体を凍て付かせる冷気。

 それらを可能としたのが、イサミがウィッシュで呼び出した能力、【精霊の偉力(エレメンタル・パワー)】だった。

 

 これはD&Dの能力ではない。

 ルールブックに載っている能力でもない。

 D&D三版の後継として設計されたゲーム、「パスファインダー」。

 その試作版にのみ存在した、20レベルの力術専門魔術師のみが習得できる能力。

 全てのエネルギー抵抗を無効化出来るという、破格の、そして破格すぎて製品版では抹消された能力だ。

 だがそれでも魔術師の能力には違いない。

 ごく僅かな時間のみウィッシュで呼び出す事は不可能ではなかった。

 

 ウィッシュ呪文をもってしても数秒しか維持できないそれを連打し、持続時間の間に高速化された"《極天の光線(ポーラー・レイ)》"呪文を4回放つ。

 伝説級特技《呪文多重化(マルチスペル)》が可能にする連射と、呪文修正圧縮が可能にする桁外れの高ダメージ。

 だがそれでもなお竜神の生命は容易く削りきれない。

 イサミの無限の魔力が尽きるのが先か、魔石の力を得た竜神の無限の生命力が尽きるのが先か。

 これはそう言う泥仕合だった。

 

(さんざんチートを貰ってるのに、俺はこんなんばっかりだな・・・まあ、そのほうがらしいか)

 

 いつぞやの、ベートとの泥沼の殴り合いを思い出してイサミが苦笑する。

 だがそれでも負ける気はなかった。

 世界を、オラリオを、そして弟を救うために。

 

 

 

 黒曜石の巨大な祭壇を目指し、矢のような速度でベルは飛ぶ。

 ピラミッドの手前でちらりと下に目をやるが、魔将が襲いかかってくる様子はない。

 そのまま飛び続けたベルは、一瞬の後に祭壇ピラミッドの頂上、先端を切り取られた黒く四角い平面の端に着地した。

 

 それを迎えるのは魔姫グラシア。

 その後ろ、ピラミッドの中心には時折黒い稲妻を放つ黒曜石の祭壇。その上に横たわるのは金の【剣姫】。

 【剣姫】の胸元には黒い多面水晶が浮かび、時折やはり黒い稲妻を放っている。

 

「ようこそ坊や。この世界が滅びるか、私たちが滅びるか。最後の・・・」

「お願いです、グラシアさん! アイズさんを放して下さい!

 あなたとは戦いたくない! あなたが悪い人だとは、やっぱり思えないんです!」

「・・・」

 

 自分の言葉を遮られた怒りなどどこへやら、グラシアはぽかんと口を開けた。

 九層地獄での彼女を知るものがいれば、恐らくは目を丸くしただろう。

 

「あは・・・あはははは!」

「グラシアさん!」

 

 思わず、と言った風に笑い出すグラシアに、なおもベルが言いつのった。

 それでもなお笑い続けるグラシアをベルが睨み付ける。

 しばらくそのままにらみ合い?が続き、ようやく笑いを収めたグラシアが目じりの涙をぬぐいながらベルにほほえみかけた。

 

「あはは、ああ、あなたって本当に最高だわ。

 こんなに私を楽しませてくれる人間なんて初めてよ」

「・・・どいてはくれないんですね」

 

 グラシアを睨み付けつつも、悲しそうにベルはこうべを振る。

 

「ええ。それともあなた、私のものになる? そうしたら考えてあげてもいいわよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 本気かそれともからかいか、惑わすようなグラシアの言葉にベルがうつむく。

 僅かな時間の後ベルの視線が上がり、グラシアを真っ直ぐに見据えた。

 

「――少し前に、ある人に教わりました」

「?」

「『男なら、女は力づくでものにしろ』と。だから――アイズさんは、力づくで貰っていきます」

「!!」

 

 ぞくぞくっ、と。グラシアの背筋にしびれが走った。

 今までの真っ直ぐで純粋な、だがそれだけの美しさではない。

 

 雄の目。

 男の目。

 姫君のために戦う騎士の目。

 女を求めて戦う英雄(けもの)のまなざし。

 それがグラシアの女の部分をとろかす。

 

「・・・・・・・・・」

 

 無言のまま、ベルが構えた。

 右逆手に《神のナイフ》、同じく左逆手には兄から借りた《太陽剣(サンブレード)》。

 黄金に輝くこの長剣は、バスタードソードの形をしていながらショートソード並みの軽さと扱いやすさを持ち、邪悪な者に対する特攻効果を持つ。

 軽戦士であるベルに、そしてこの敵に対する最良の武器。

 

 グラシアの唇がつうっ、とつり上がる。

 微笑ましいものに対する好意の笑みから、純粋な歓喜の笑みへと。

 

「いいわ、来なさい、ベル・クラネル! 今のあなたは美しい!」

 

 その右手から鉄トゲを埋め込んだ多條鞭が奔り、階段ピラミッドの石床を打ってその表面を削り、黒曜石の破片が飛び散る。

 ベルの背中の【恩恵】が炎のように燃えさかり、光を放つ。

 戦いが始まった。

 




【悲報】主人公のラストバトル、ダイジェスト化【残当】

 しゃあないんや、エピック呪文使い切った上での勝ち筋がこれしかないんや!
 ひたすら火力呪文ブッパしてHP削り合うだけの戦闘を面白く書く技量がワイにはないんやぁ!


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22-20 多條鞭(スカージ)

「"スコーチング・レイ"!」

 

 三条の熱線が【神のナイフ】を介して迸る。

 それをかわそうともせず、悠然と立つグラシア。

 熱線はその体に命中するが、その直前で吸い込まれるように消滅した。

 

「くそっ!」

「私の護りを貫ける人間なんて、こっちの世界じゃあなたのお兄さんくらいよ。

 まあ、貫けたとしても私に炎は効かないけどね。勉強不足よ、ベル」

「くっ! 馬鹿にして!」

 

 悔しそうに顔を歪めるベル。

 それを楽しげに見やった後、グラシアはちらりとティアマトの方に視線を飛ばす。

 

「勉強は大事よ? 炎の効かない存在に炎で攻撃しても・・・っ!?」

 

 言葉が途切れ、その目が見開かれる。

 イサミが放った混合エネルギー呪文がティアマトの体を傷つけたのを見たせいだ。

 

「!」

 

 その機を逃さず、ベルが踏み込んだ。

 【憧憬一途】の力で今やLv.7を越えたその敏捷性は神速と呼ぶに相応しい。

 だが神速を遥かに超える怪物がグラシアだ。

 瞬間移動の如き速度で踏み込んできたベルを「見て」から、余裕を持って鉄棘の多條鞭を振るう。

 金属が激しく軋む音がした。

 

「くっ・・・」

 

 飛び退るベル。

 負傷こそしていないが、その鎧には幾筋かの傷がついていた。

 改めて神のナイフと黄金の長剣を両逆手に構え、いつでも飛び込めるように身をかがめる。

 

「あら」

 

 そのベルに一瞥もくれず、グラシアは僅かに意外そうな顔をした。

 その視線は自らの武器の先端に注がれている。

 

 地獄の炎で鍛え、酸の海で焼き入れをした己の武器の、先端が僅かに欠けている。

 迎撃されたあの瞬間、ベルのナイフがそれを払い、先端部を切り飛ばしたのだ。

 怒りも見せず、むしろ楽しげにグラシアがほほえむ。

 

「やっぱりそのナイフは侮れないわね。私以外の女とベルが繋がっている証なんてしゃくでもあるし・・・壊しちゃおうかしら?」

「壊せるものなら・・・壊してみろっ!」

 

 叫ぶベルの口から"力ある言葉"が連続して迸る。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "竜力獲得(ドラコニックマイト)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "猫の敏捷(キャッツグレイス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級勇壮鼓舞(グレーター・ヒロイズム)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "石の肌(ストーンスキン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "酸の皮膜(アシッドシース)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "(シールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波の盾(ソニックシールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "英雄のいさおし(ヒロイックス):《フェイント強化》"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級抵抗強化(スペリアー・レジスタンス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "限定願い(リミテッドウィッシュ)変換――聖なる剣(ホーリィソード)"!」

 

 一呼吸の間に十を越える呪文が発動され、ベルの全身を魔力による強化が覆う。

 それに加えて、この数週間で兄が作ってくれたいくつもの魔道具――防護の指輪や呪文の指輪の最上級バージョン、即死攻撃や急所攻撃を無効化する手甲などもある。

 鎧もヴェルフが作った兎鎧Mk-Vにイサミが最大限の強化を与えていた。

 (なおベルは瞬時に自己強化を行えるので、抵抗強化や能力値強化など呪文と効果がかぶる魔道具は避けている)

 たとえオッタルやロビラーでも、今のベルを容易く打ち倒すことは出来まい。

 

 

 

 だが、それでもその刃はグラシアには届かない。

 防御を強化する魔道具や呪文は複数存在するし、多くは同時に使えもする。

 打撃力を強化する魔道具や呪文もそれなりにある。

 が、攻撃の鋭さ、命中率を強化する魔道具や呪文は極めて少ない――と言わずとも多くはない。

 

 ゆえに、極まった地点においてはひとえに使い手の力量がそれを決める。

 かつてイサミが防御や打撃の重さにおいてはベートにそう劣っていなかったのに、攻撃がほとんど当たらなかったのと同じだ。

 そして力量においては、神のナイフと自己強化、【憧憬一途】の限界突破を加えてもなお、ベルはグラシアに及ばない。

 

 嵐のように荒れ狂うグラシアの鉄棘多條鞭(スカージ)

 今のベルの動体視力をもってしても捉えきれないそれが接近を許さない。

 

 襲いかかってくるそれを防御するにしても、見てからでは防ぎきれない。

 「このへん」と直感がささやく方角にナイフなり剣なりを振って、うまく弾ければ御喝采と言ったところだ。

 それでもいまだに直撃は受けていないが、楽しそうに微笑むグラシアの様子を見るに、手加減されているのではないかという疑いは脳裏から消えてくれない。

 

 ちらりとグラシアの後ろ、ピラミッドの中心に存在する祭壇を見る。

 まさしく生贄の祭壇のように人一人が横たわれるくらいの石の寝台。

 その上にアイズ・ヴァレンシュタインが、ベルの想い人が横たわっている。

 呼吸はしているようだが意識はない。

 

 兄に言われて永続化(パーマネンシィ)した魔力視覚(アーケイン・サイト)には、黒とも紫ともつかない、強いて言うなら不気味な魔力が祭壇とアイズ、そして宙に浮遊する黒い水晶を焦点中心として湧きだしているのが見える。

 そして、その魔力が少しずつアイズを浸食しているのも。

 知識に欠けるベルにはそれが何を意味しているのかわからないが、いいものでないことだけは確信できた。

 

「っ!」

 

 鋼鉄の烈風が吹き荒れる。

 辛うじて飛び退るのが間に合ったが、そうでなければ顔面や二の腕など、装甲に覆われてない部分がざくろのようにはぜていただろう。

 

「失礼よ、ベル。今ダンスの相手をしているのは私なんだから、私だけを見なさい。

 それともそんなにあの娘が気になるのかしら。ああ、妬けちゃうわね」

「・・・・・・」

 

 艶やかに笑うグラシアに、無言のベル。今更ながらに冷や汗がドッと吹き出す。

 少なくともよそ見をしていられるような相手ではないのは間違いない。

 あと0.1秒、我に返るのが遅ければそれで終わっていた。

 

 そう言う相手だと改めて自分を戒め、グラシアの視線を正面から受け止める。

 薄く微笑むその目が、彼女の期待通りの反応であることを教えてくれる。

 

 悔しいが完全に遊ばれている。

 少なくともロビラーと同等か、あるいはそれ以上。

 あの夜のロビラーと自分よりはまだ差が縮まっているだろうが、それでもまだまるで勝負にならない。

 

 だが諦めるつもりはない。

 相手が自分を侮っているのなら、むしろチャンスだ。

 

(どんな手を使ってでも、アイズさんを助け出す――!)

 

 決意を足に込め、何十度目かの踏み込みを発した。

 

 

 

(ああ、かわいいわねえ)

 

 とはいえ、そんな感情の動きでさえもグラシアの手のひらの中。

 いくら成長しようともベル・クラネルという少年は素直すぎるし、地獄広しといえど人間の心を読み操る事にかけてはグラシアほどの名人などそうはいない。

 ベルの内心など、一から十まで見透かされていた。

 

「ほら、ほら、ほらほらほら!」

「くっ!」

 

 右手の多條鞭を軽く左右に振る。

 それだけのことが、ベルにとっては致死の鋼鉄の嵐となって吹き荒れる。

 元は罪人を打つための先端の広がった鞭は、もはや面制圧攻撃となって、広範囲の空間を蹂躙する。

 体術では回避できない無差別攻撃。

 

(・・・なら!)

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "煙の壁(ウォール・オブ・スモーク)"!」

「あら」

 

 ベルの詠唱とともに、グラシアの周囲に煙が立ちこめた。

 視界を遮り、ベルがグラシアを迂回してアイズの元に行こうと床を蹴る。

 次の瞬間脳裏に最大限の警報が鳴り響き、ベルは自ら石床に倒れ込む。

 

 ほとんど同時に薙ぎ払われた多條鞭がベルのいた位置の煙を切り裂き、鎧の背中に傷をつけた。

 上から叩き付けるような追撃を転がって避け、飛び散る破片を浴びながらバク転して後退する。

 立ち上がったときには、走り出した位置よりさらにグラシアから遠ざかっていた。

 

 ベルとアイズの間にわだかまる煙が渦を巻いた。

 いや、多條鞭の生み出す渦に巻き込まれて内部から切り裂かれた。

 あっという間に煙の壁は引きちぎられ、文字通り雲散霧消する。

 先ほどと変わらぬ位置でたたずむグラシアが、にっこりとベルにほほえみかけた。



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22-21 神の歩み

「くっ・・・」

「馬鹿ねえ。あなた敏捷度は高くても気配を消す訓練なんて積んでないでしょ?

 視界を遮ってもそんなドタドタと足音をさせて走り抜けるんじゃ、それこそ(ベル)を鳴らしながら泥棒に入るようなものよ」

 

 呆れたように肩をすくめるグラシア。

 魔石や【恩恵】の力は身体能力のみならず知覚能力にも及ぶ。

 加えてグラシアは仮にも魔王(アークデヴィル)の端くれだ。人の限界を超えた超人が血を吐くような訓練と実践の末に身につけるような知覚力も、生まれながらに体得している。

 身体能力だけの素人であるベルの忍び足など問題にならなかった。

 

 ぐっ、とベルが歯を食いしばり、グラシアを再び睨み付ける。

 美しき魔王は微笑み、その視線を悠然と受け止める。

 ベルは両逆手の構えで動かず。グラシアも右手の鞭を床に垂らした自然体のまま。

 

 しばらくそのまま時間が過ぎる。

 周囲で起きる戦闘の音も、この二人の間には割って入れないかのようだった。

 

 グラシアが退屈して、こちらからちょっかいをかけてみようかと思い始めたところでベルの顔付きが――注意深く見ていないとわからない程度に――変わった。

 表情を変えないまま、今度は何をするのかとグラシアは胸を弾ませる。

 

 相手に「技の起こり」、つまり動く徴候を感じさせないのも戦闘技術の一端だ。

 が、ベルは生来素直なたちなのに加えて兄ほどではないにしろ実戦経験が足りない。

 大げさに動きを見せたつもりはないが、やはりグラシアからすれば何かするのはすぐにわかる――しかし、何をしたのか、それがこの時のグラシアにはわからなかった。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "限定願い(リミテッドウィッシュ)――《呪文持続時間延長》一時取得!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "限定願い(リミテッドウィッシュ)変換――《持続時間延長》"神の歩み(フットステップ・オブ・ザ・ディヴァイン)"!」

「? ――!」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけベルが何を意図しているのか、理解が遅れた。

 そしてその一瞬だけで、今のベルには十分だった。

 

「!」

 

 グラシアの目の前からベルが消えた。

 瞬間移動や透明化のたぐいではない。

 魔王たるグラシアでさえも捉えられない速度で駆けたのだ。

 

 驚愕に顔を染めてグラシアが振り向く。

 動きを捉えることはできなかったが、動きの「起こり」はわかった。

 その向かう先は自分ではなく――

 

 体を翻したグラシアの目に映るのは、魔力に包まれた祭壇とその上に横たわる生贄。

 そしてその傍らにたたずむ白の少年。

 

「・・・ああ」

 

 思わず吐息が漏れる。

 

(――やはりこの子は美しい)

 

 横たわるアイズを守るように立つ姿はまるで一幅の絵のようで。

 グラシアに感嘆を抱かせるのに十分な光景だった。

 とはいえそれも一瞬のこと、再び余裕の笑みがその唇を彩る。

 

「やるじゃない、ベル。あなた今、分体とは言え魔王に一杯食わせたのよ? 誇っていいわ」

「・・・・・・・・・」

 

 称賛の言葉にも答えを返さず、ベルは構えを崩さないまま、僅かに体を沈ませた。

 

 

 

 ベルはやろうと思って一杯食わせたわけではない。たまたまだ。

 兄が呪文レクチャーの中で何の気なしに「そういえば」と話してくれたことをベルが覚えていて、呪文の効用は知っていても呪文使いではなく、実際にそれを使うのを見たこともないグラシアが、裏技的な運用を思い出すのに僅かなタイムラグを要しただけ。

 

 "神の歩み"呪文は本来中級の信仰呪文で、僧侶が自らの神に願って、それに応じた移動能力――早く走れるようになったり、飛べるようになったり――を与えられるものだ。

 ただしこの呪文にはもう一つ効能がある。

 持続時間中に残った呪文の力全てを注ぎ込むことによって、一瞬だけ残り時間に応じた爆発的な加速力を得られるのだ。

 

 わざわざ《持続時間延長》の特技を取得したのもそのため。

 風船を普段より大きく膨らませて、その中の空気全てを使って高速移動した。

 敏捷度にして260段階分。グラシアでさえ到底追随できるレベルではない。

 爆発的な移動速度の上昇をもってグラシアの周囲を回り込み、一瞬で祭壇まで移動。

 常識外れの速度を語るかのように、ブーツの底からは僅かに煙が上がっていた。

 

 

 

「"魔力破り(ブレイク・エンチャントメント)"!」

 

 視線はグラシアから放さないまま、右手を後ろに向けてアイズに対して解呪の呪文を発動する。・・・が、アイズの方から感じる不気味な魔力は途切れない。

 

「"上級魔法解呪(グレーター・ディスペル・マジック)"!」

 

 再度、別種の解呪呪文を発動するが、これもアイズを包む魔力に変化を及ぼさない。

 

「舐められたものねえ。あなたのお兄さんならまだしも、あなたに解除できるわけないでしょう?」

 

 肩をすくめるグラシアを悔しそうに睨む。

 

「言っておくけど、だからって無理矢理祭壇から引きはがしたり、水晶に触れたりしない方がいいわよ。その娘本人はともかく、外からちょっかいを出したら魔力に浸食されてただじゃ済まないわ。腕が腐れて落ちちゃったら、私でも治療できないわよ?」

「・・・・・・・・」

 

 あっけらかんと述べるグラシアに歯がみするベル。

 今のベルなら手を触れずにアイズを動かす"念動力(テレキネシス)"と言った呪文も使えなくはないが、発動している間精神集中せねばならないそれらの呪文は、この魔王を前にして自殺行為以外の何物でもない。

 

「なら・・・!」

「!」

 

 ベルがまたもや呪文を発動する。

 ベルが編み上げた呪文構成を見たグラシアの目が軽い驚きに見開かれる。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"――"反魔法力場(アンティマジック・フィールド)"!」

 

 ふっ、と。ロウソクの炎を消すように、アイズと祭壇を包んでいた魔力が消えた。

 黒い水晶は浮遊し続けているが、祭壇からの魔力の放出は止まっている。

 "反魔法力場(アンティマジック・フィールド)"。

 59階層でイサミも使った、絶対魔法防御の場を生み出す魔法だ。

 ベルを中心に半径3mの内ではどんな魔法も、魔力も、魔道具も効果を発揮しない。

 

 例外は【神の恩恵】と魔石の力を含む神や一部の超越者の力、そしてアーティファクトと呼ばれる強力な魔道具だけだ。

 つまり、ベル本人も一切の魔法や【神のナイフ】を除く武具や魔道具、ポーションの恩恵を一切受けられない。

 そしてこの「場」は術者と共に移動するため、アイズの傍から動く事もできない。

 

「思い切ったわね。確かに儀式を止めるには有効だけど・・・お兄さん待ち? それとも、私を前にしてその娘をさらっていけると?」

「・・・」

 

 ベルは無言で構える。ナイフから紫光が伸び、魔力の刃を形作る。

 【神の力】を帯びた武器であるヘスティアナイフを介しているからこそ為せる技だが、この魔力剣も今は心許ない。

 グラシアが薄く笑い、手首を軽くうねらせる。

 九頭の鉄条鞭(スカージ)が命あるもののようにくねり、石畳を削り取った。




 ディヴァインフットステップについて。
 ベルは一応ヘスティアの信徒?で、ヘスティアに一番近い神はハーフリングの肝っ玉主婦ことヤンダーラだと思うのですが、与える移動能力が「壁を登攀する」なので、さすがにないかなあと思って普通に地上移動速度増強と言うことにしてあります。
 まあ信仰呪文ではなくリミテッド・ウィッシュで再現してるので信仰する神様は関係ないと言えばないのですがw


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22-22 魔王の業

「ほら! ほら! ほらほらほらほらほらほらほらほらぁっ!」

「・・・! っ! ・・・!」

 

 嵐の如く、グラシアの鉄条鞭が荒れ狂う。

 亀のように身を縮こまらせ、ベルがひたすらにそれを耐える。

 黄金の剣は魔力を失い、兄に作ってもらった数々の魔道具も今は頼りにできない。

 神のナイフと紫の魔力剣のみを頼りに、グラシアの攻撃をひたすらに切り払う。

 

 幸いにもグラシアの鉄条鞭はアーティファクトではなかったが、だとしても地獄の匠が鍛えた業物であり、それを振るうのは魔王たるグラシアだ。

 ロビラーに匹敵、あるいは凌駕するスペックで振り回しているだけで、ベルにはほとんど為すすべがない。

 

 避ければアイズに当たるようなギリギリの間合いで右に左に振り回される鉄条鞭。

 フットワークを封じられ、ベルは自分の身を盾とするしかない。

 それがまたグラシアの嗜虐心をうずかせる。

 

 ベルの鎧、そして肉体に見る見るうちに傷が増えていく。

 時折紫の光をまとったナイフの一閃が鉄条鞭の先端のひとつを切り飛ばすが、元よりグラシアの鞭には九つの頭がある。短くなったらなったで一歩踏み込めばいい。

 

 どちらにせよ、間合いが違いすぎてベルのナイフは到底届かない。

 ミノタウロスに使った"武器形態変化(ウェポンシフト)"呪文が使えればまだしもだが、ベルに反魔法力場の中で術を発動できるような器用な芸はない。

 

 鎧の肩当てがはじけ飛ぶ。

 鞭の一本をまともに受けた草摺が半ばで引き裂かれ、血しぶきと共に二つに分かれて腰からゆらゆらとぶら下がる。

 咄嗟に身をかがめたこめかみを鉄の棘がかすり、ぱっと血をまき散らす。

 

 それでもベルは耐える。

 背中で燃え立つ【憧憬一途】の神聖文字が、先ほどまでよりも更に強大な力をその四肢に与え、攻撃に耐える耐久力をその肉体に与えている。

 

「そうよ! いい! いいわベル! あなたって本当に素敵!」

 

 だがそれでも人の生命力は無限ではなく、思いの丈の全てをくべても魔王の力には及ばない。

 右足のすね当てが肉ごと切り裂かれ、ちぎれ飛ぶ。

 右足の肉をごっそりと持って行かれ、ついにベルが膝をついた。

 

「ぐ、ぐぐ・・・!」

 

 ゆっくりと、見せつけるようにグラシアが歩み寄る。

 太陽剣を杖代わりにして無理矢理立ち上がるベル。

 だが右足の足首から下は、もうほとんど動かない。

 右足以外もズタズタで、ヴェルフの打った鎧はもうほとんど鎧の体を成していない。

 

 数歩手前でグラシアが止まる。

 笑みをたたえた赤銅の瞳と、未だ折れない赤い瞳が正面からぶつかる。

 

「・・・・・・・・!」

 

 ぞくぞくと、グラシアの背筋を快感が駆けのぼる。

 圧倒的な格上に蹂躙されながら、なおくじけない鉄の意志。

 愛する少女を守ろうとする少年の強き心。

 

 そうした美しさを、グラシアは心底愛している。

 騎士の気高き忠節、純粋無垢な愛、身も知らぬ他人のために身を投げ出す無償の献身、そうしたものに心から敬意を抱いている。

 

 だが同時に、愛すれば愛するほどそれを砕きたくなる。

 忠誠の誓いが破られる無惨を、通わせた心が裏切られる悲劇を、献身が報われずにむなしく散っていく様を、見たくてしょうがないと思ってしまう。

 

 それが悪魔としてのグラシアの邪悪さなのだろう。

 "秩序の悪魔(デヴィル)"とは、堕ちた天使だ。

 かつては天使であった第一世代のデヴィルが持っていた善なるものへの敬意。

 あるいはそれを受け継ぎ、歪ませてしまったのが彼女の業であったのかもしれない。

 

 ベルの意志と勇気に感じる美しさ。

 それを今から砕く破壊の衝動。

 矛盾した二つの快感がグラシアの背筋を駆けのぼり、また駆け下りて子宮をとろかす。

 

 何度も繰り返したそれだが、今回のそれは過去にもそう覚えがないほどの大きな波。

 前兆だけでもそれなのだから、「その瞬間」にはどれほどの快感を味わえてしまうのだろうか。

 

「ああ・・・本当に残念だわ、ベル。あなたはとても・・・とても美しかった」

「・・・・・・・・・・」

 

 陶酔した目を向けてくるグラシアを、ベルが必死ににらみ返す。

 ベルがどんなアクションを取ろうとも、それよりグラシアの一振りの方が早い。

 アンティマジックフィールドを解除するにも、呪文を発動するのと同じ手間が掛かる。

 ましてや今は右足を傷つけられ、最大の武器である機動力を殺されていた。

 

(なにか・・・何かあるはず・・・!)

 

「さよなら、ベル。愛して・・・っ!?」

 

 右手の鉄条鞭を薙ぎ払おうとするその寸前、グラシアが飛び退いた。

 ほとんど同時に立っていた場所を巨大な金属の拳が粉砕し、それと共に巨大な震動がピラミッドを震わせる。

 

「あ・・・・・・・あ?」

「ベル・クラネル。反魔法力場を解除するのだ! 気合いを入れて魔法に抵抗しろ!」

「あ、はい!」

 

 上から振ってきた声。それに反射的に答えて、ベルはアンティマジックフィールドを解除する。

 

「"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"」

 

 視界の端に見えたのは、巨大な金属の柱が二本と、今のベルでは扱いきれない超高度な魔術師呪文の術式構成。

 それと同時にベルとアイズを圧倒的な魔力が包む。

 あらゆる魔力とマジックアイテムを分解する、暴力的なまでの解呪。

 全身にしみこんでバラバラにしてくるような魔力に、ベルは辛うじて抗した。

 

「そうだ、アイズさん・・・!」

 

 はっと気がついて、グラシアから視線を逸らさないままに後ろに意識を飛ばす。

 

「・・・・・・!」

 

 祭壇の魔力が復活していた。

 あらゆる魔力を分解消滅させる呪文に吹き飛ばされたかに見えた毒々しい魔力は、泉がわき出るように祭壇から溢れ、その上のアイズを再び濃密に犯していく。

 

「まさか"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"まで弾くとはね・・・通常の術儀式ではないか」

 

 ここで初めてベルが上を見上げた。

 二本の金属の柱と、その上に繋がる構造体。

 聞き慣れない声はその構造体の一番上から響いている。

 構造体は、ひどく大雑把な人の姿をしていた。

 

「はじめましてだね、【三月兎(マーチ・ラビット)】。私はフェルズ・・・"愚者(フェルズ)"だ」

 

 身長10mを越える金属製の人型・・・ウォーフォージド・タイタンの頭部に下半身を埋めたウォーフォージドのアーティフィサーは、どこか自嘲するように自己紹介をした。

 



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22-23 神話の巨人(タイタン)

 ベルが頭上を見上げてはっとした顔になる。

 

「フェルズ・・・あっ、兄さんが言っていたウラノス様の部下の怪しい人?!」

「・・・ああうん、否定はしないよ」

 

 ベルがフェルズの事を聞いたのは封印外世界に行くよりも前、ベルがパエリリオンに襲われてオッタルに助けて貰ったあの夜のことで、それ以降の動向や協力については全く聞いていない。ので、こう言う反応になる。

 フェルズは諦めたように溜息をついた。

 

 

 

「・・・・・・・・・!」

 

 一方で一瞬の驚愕からさめたグラシアは爆発寸前の火山のようだった。

 怒りと憎悪と破壊衝動が渾然一体となった悪魔の顔。

 この世の悪性を煮詰めたかのような、生理的嫌悪感と恐怖を誘う顔だ。

 

「これまで随分邪魔されてきたけど・・・今回はとびきりよ、アーロン・ド・カニス!」

「その名前で呼ばないで貰えるかな。私はフェルズだよ」

 

 怒りと憎悪の眼差しは変わらぬまま、グラシアの唇が高くつり上がる。

 紛れもない悪魔の笑み。だがそれでも美しいと、ベルは思った。

 

「いいわ、"愚者(フェルズ)"。今日こそは数々の愚行の精算をして貰いましょう。そう約束した事でもあるしね――!」

「さて、収支が君の思い通りであるならいいのだけどね。

 【三月兎(マーチ・ラビット)】、今は迂闊に【剣姫】を祭壇から離すのも危険だ。傷を治した後にもう一度反魔法力場を張って、儀式を妨害したまえ。精神力の消費が激しいだろうから、発動前にマインド・ポーションも忘れるなよ」

「は、はいっ!」

 

 こくこく頷いて試験管を口に運ぶベルを見やると、フェルズはウォーフォージド・タイタンを一歩前進させた。

 人型と言うよりは二足歩行する甲殻類に近い、ずんぐりべったりとしたフォルムの一種のゴーレムだ。足は短く、肩と背は広く、長い両腕には右にハンマーのような不自然に巨大な拳、左には斧のような刃物。

 

 フェルズの故郷であるエベロンにおいて、極々初期の意志を持つ破壊兵器として作られた、戦造人間(ウォーフォージド)の祖先。

 あたかも人の前に存在した神話の巨人族(タイタン)のごとき圧倒的な偉容。

 だがそんな巨大兵器をも、美しき魔姫は鼻で笑い飛ばす。

 

「私をそんな不格好な人形で相手どるつもり? たかが魔道具で? まだベルのほうが歯ごたえのある敵よ!」

「舐めないで頂きたいね。私は君を知った上でこれを出しているのだ。ただの人形だと思ったら大間違いだぞ」

 

 それも鼻で笑って、グラシアは鞭を鳴らした。

 二歩、三歩。

 巨体ならではの歩幅でウォーフォージド・タイタンがあっという間に距離を詰める。

 その動きは意外なほどに素早い――ただし、魔石の力を持たない存在としてはだ。

 

「ふんっ!」

 

 ウォーフォージド・タイタンの足が間合いに入った瞬間、鉄条鞭が振るわれた。

 直径1m程の金属柱のような足に、無数の棘が当たって火花を散らす。

 恐らくは魔法金属(ミスリル)か、あるいはそれに超硬金属(アダマンタイト)の装甲でもかぶせてあるのだろうが、その程度なら――

 

「えっ?」

 

 思わず声が漏れた。

 呆然とした一瞬にタイミングをあわせたかのように、左手の斧が頭上から降ってくる。

 反射的に横っ飛びに避けたが、驚愕の表情は張り付いたままだった。

 視線をもう一度タイタンの足――今自分が薙ぎ払った部分――に向けてから遥か上方、その頭部に向ける。

 口から出て来た声は僅かに震えていた。

 

「あなた――まさかこの人形全部――」

「ああ、そうだとも。この巨体の全てが最硬精製金属(オリハルコン)。この巨体の全てが――不壊属性武器(デュランダル)だ」

 

 ウォーフォージドの金属製の顔でもわかる、見事なドヤ顔でフェルズが言い放った。

 

 

 

「ばっ・・・馬鹿じゃないの?! この10mを越す巨体を全部オリハルコンで作る? どれだけ、いや、何百年つぎ込んだのよ?!」

「ざっと五百年以上だな。こちらに来てそれほど間もない時期に作り始めて、完成したのがようやっと数十年前だ」

 

 先ほどまでの余裕のあるそれではない、心底驚愕した声でグラシアが叫ぶ。

 魔姫のその顔がよほどに痛快だったのか、それとも秘めに秘めていた秘密兵器をお披露目した喜びからか、フェルズの声はいつもの淡々とした調子ではなく、傍から聞いていてわかるほどに弾んでいた。

 

 グラシアがウォーフォージド・タイタンの金属の足をもう一度見る。

 魔王たる自分が武器を全力で振ったにもかかわらず、やはりそこには傷一つ付いていない。

 

「五百年? 人造とは言え有限生命体(モータル)のあなたが?」

「いかにも」

「いつ使うかしれない、使い道があるかもわからないこんなものを? 五百年かけて?」

「いかにも」

伝説級魔道具(エピックアイテム)1ダースどころか1グロスは作れるだろう経験点を全部つぎ込んで?!」

「いかにも!」

 

 フェルズが鼻息荒く胸を張る。

 グラシアががっくりとうなだれた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・あなたは馬鹿よ。筋金入りの馬鹿だわ」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

 

 フェルズが恭しく礼をする。

 

(この人兄さんと気が合いそうだな)

 

 などと、ベルがこっそり考えていたりするのは知らぬが花であろう。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 コントめいた一幕が終わり、沈黙が降りる。

 気の抜けた空気が急速に闘争のそれへと置き換わっていく。

 漆黒のピラミッド頂上の広い空間。

 その中央の祭壇に寄り添うベル、その前に立ちはだかるように立つフェルズとウォーフォージド・タイタン、上り階段から数歩の位置にグラシア。

 不壊属性の巨躯を駆る伝説の魔法技師(アーティフィサー)と、魔石の力を得た魔王が静かににらみ合う。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"――"反魔法力場(アンティマジック・フィールド)"!」

 

 エリクサーとマジックポーションで回復を終え、ベルが反魔法力場を張り直す。

 

「!」

「っ!」

「!」

 

 それが合図だったかのように、巨人と魔姫が動いた。

 巨人の拳が打ち下ろされ、魔姫の立っていた場所の石組みを粉砕した。

 

 だが砕けたのは石だけ。

 グラシアは一瞬早く跳躍し、巨人の頭部、銀色のウォーフォージドが半身を埋めているその部位を狙う。

 巨人のガードは間に合わない。

 間合いに入った瞬間、右手の鉄条鞭を振り下ろす。

 

「!」

 

 フェルズの手前1mほど、何もない空間で鉄条鞭の棘が滑った。

 弾かれた鉄条鞭が巨人の胸の装甲に当たって火花を散らす。

 巨人が左腕の斧の、刃ではなく腹の部分で魔姫を狙う。

 ハエたたきのように使われたそれを空中を蹴ってかわし、グラシアが舌打ちした。

 

「"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"ね。まあ無防備にふんぞり返ってるとも思わなかったけど」

「もちろんだとも。折角無敵の巨人を作り上げたのに、弱点が丸出しでは意味がない」

 

 通常のそれと違い一見しては存在がわからないが、巨人の頭部、フェルズの周囲に半球型の力場の壁が展開されていた。

 イメージ的には戦闘機の風防、あるいは巨大ロボットのコクピットに近いだろうか。

 ウォーフォージド・タイタンの体内にコクピットを設置しなかったのは、【神の鏡】のような安全かつ確実に外部を知覚する手段がなかったからだと、イサミなら見当をつけただろう。

 そうした用途に使える魔道具がなくはないが、機体表面にそれらを設置して破壊されるリスクと、自らを露出させて不壊属性の装甲ではなく力場の壁で守るリスクを考えて後者を選んだ、ということだ。

 

 グラシアが着地する。巨人の右の拳が再び打ち込まれる。

 かわして、巨人の脇の下を打つ。巨人は無傷。

 横薙ぎの左の斧。

 これもかわして今度は膝の裏を打つ。これも無傷。

 

 その様な打ち合いが更に十数合続いた。

 巨人の腕は回避され、グラシアの鞭は巨人を傷つけられない。

 巨人も身のこなしこそ鈍いが腕の振りは意外なほどに早く、それなりの頻度で武器での防御を強いている。

 

 言ってみれば巨人は歩く保塁(トーチカ)。小回りは利かずとも、砲撃はできる。

 そして砲撃の命中率に本体の機動力は関係ない。

 正確な砲撃と攻撃を弾く装甲があれば仕事は出来る。

 

 フェルズの生まれたエベロンという世界は擬似的な産業革命を成し遂げた、D&Dの背景世界の中でも極めて異質な世界だ。

 そこにはトーチカがあり、塹壕があり、鉄道があり、飛行船と爆撃があり、火力戦という概念があり、大量殺戮兵器があり、使い捨てに出来る人造兵士があり、善と悪ではなく人間同士が争い合う、「戦争からきらめきと魔術的な美が奪い取られてしまった」世界。

 

 そしてその世界で最高の兵器製作者の一人として名を馳せたのがフェルズだ。

 どれほど戦争を忌み嫌おうとも彼女には間違いなく兵器製作者としての天才的なセンスがあり、そのセンスは今グラシアに対して遺憾なく発揮されていた。

 

 本来はドラゴンや階層主などの大型種、それこそ隻眼の黒竜のような巨大怪物に対する備えとして作っていたものだが、10mという「小さな」体ゆえに人間大のグラシアに対しても何とか通用している。

 そして史上最高の天才魔法技師(アーティフィサー)が数百年をかけて作り上げた最終兵器が、頑丈なだけのゴーレムであるはずもなかった。




 TRPGの方のウォーフォージド・タイタンは体高5mくらいですので、この話で出て来たのはそれを元にフェルズが作った新規設計品という扱いです。
 オリジナルの右腕は手じゃなくてハンマーだかモールだかみたいなブツですし。
 デザインに関してはアイアン・ジャイアントとデストロイド・モンスターのあいのこみたいな感じでイメージして下さい。もしくはMAモードのデストロイガンダム(ぉ


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22-24 巨人と魔王

「ふん、鬱陶しいわね・・・」

 

 むすっとした顔で溜息をつくグラシア。

 見苦しい機械人形(ウォーフォージド・タイタン)のどこにも弱点がないのがわかり、仕切り直しとばかりにピラミッドの頂上から30mばかりの高度に退避している。

 

 あかがね色の翼を広げ、ゆっくりとホバリングするグラシア。

 そんな彼女を見上げる銀色の巨人とフェルズ。

 その後ろには祭壇とアイズのそばに立ち、同じようにこちらを見上げるベルの姿。

 

 ちらりと空を仰ぎ見る。

 頭上遥か彼方にある大穴を通して、闇の中で時折まばゆい色彩が流れるのがここからでも見えた。

 視線をアイズとベルに戻す。

 彼女にもそれほど時間の余裕はない。

 

(あの人形の横をすり抜けてベルを・・・いや、そこまで甘い相手ではさすがにない。物理攻撃も大概の術も力場の壁は貫けないし・・・)

 

 グラシアは実のところ、直接戦闘が得意なタイプではない。

 もちろん相対的な話であって、魔王の名に恥じないだけの戦闘力はある。

 

 が、本来の得手は人の心を操り惑わせること。

 かつてフリュネだった頃のレーテーの心を壊したように、あるいはオラリオの闇に隠れて勢力を伸長させていったように。

 戦わずして目的を達するのが本来のグラシアのやり方なのだ。

 

 ほとんどの悪魔と同様彼女も魔術は使えないし、身に備わった魔力も直接戦闘に使えるものは少ない。

 力場の壁はそうした精神操作系の魔力もはじくし、そもそも魔道具製作を極めたフェルズがそうした方面への防御を怠っているわけがない。

 

(となると・・・)

 

 左手につけた、洗練されたデザインの女性用手袋を見る。

 イサミが使っているのと同じ"術者の手袋(キャスターズ・グラブ)"の中には"物質分解(ディスインテグレイト)"を込めた魔杖が装填されており、これを使えばフェルズを守る力場の壁を破壊することも出来る。

 かつてイサミとシャーナを相手に千日手に持ち込まれたときのようにだ。

 

(問題は壁を一枚破壊しただけで終わるかどうかだけど、さすがにそれはなさそう・・・うん?)

 

 銀色の巨人が両腕を自分の方に向けたのにグラシアは気付いた。

 両方の拳――右も左も拳とは言い難いが――の周囲に虹色に光る八個の光球が生まれ、ぶんぶんという音と共に拳の回りを回転し始める。

 見る間に回転は速くなり、目で追えないほどになる。

 そして次の瞬間、光球が続けざまに撃ち出された。

 

「!?」

 

 発射されるごとに新たな光球が生み出され、途切れない弾幕がグラシアを襲う。

 それは回避するグラシアの周囲で次々に爆発し、光の爆風が魔姫の体を翻弄する。

 

 "輝きの猛襲(レイディアント・アソールト)"。

 魔術師7レベルに属する範囲攻撃呪文。

 呪文レベルの割にダメージが低いという弱点はあるが、光という珍しい属性を持つそれはエネルギー耐性ではダメージを軽減できず、なおかつ体術では回避できないために「みかわしの指輪」で完全回避することも出来ない。

 

 しかも使っているのが以前のイサミと違って相応のステイタスを持つフェルズだ。

 可能性は低いがセーブに失敗したら虹の光の幻惑の魔力によって、十数秒間まともに動けなくなる。

 

「生意気な・・・っ!」

 

 憤るものの範囲呪文かつ連射されるそれは完全に面制圧のレベルに達しており、機動力で対応できる攻撃ではない。

 意を決して全力で降下する。狙うは巨人の頭部、フェルズのみ。

 

 

 

(やれやれ、回避に徹されたらどうしようかと思ったよ)

 

 そのフェルズは心の中で胸をなで下ろし、疑似神経繊維――ある種の植物から作られた、ウォーフォージドの体を動かすための情報伝達ケーブルで、フェルズは自身のそれと巨人のそれを結合させることによって直接操作を行っている――を通して躯体にコマンドを与える。

 巨人の腕の装甲が僅かに展開し、蓄えられた魔力をほぼ使い切った魔杖が十数本、まとめて排出される。石床に金属製の魔杖が落ちてがらんがらんとやかましい音を立てた。

 

 不壊巨人の腕に仕込まれた魔杖射出機構は、ウォーフォージドの腕に魔短杖(ワンド)を仕込む"魔短杖の鞘(ワンド・シース)"と複数のワンドを同時に発動させる"魔短杖連射の錫杖(ロッド・オブ・メニイワンズ)"と呼ばれる魔道具を組み合わせ、強化したものだ。

 巨人の腕に魔杖を複数仕込み、それを連続して発射する。魔力を使い切った魔杖は自動的に排出され、次の魔杖が装填される。

 その威力と効果範囲は見ての通り。装填する魔杖によっては、数万の大軍相手にも戦いうるだろう。

 

 極めて強力な装備だが、しかしフェルズの技術をもってしても、元の"魔短杖連射の錫杖(ロッド・オブ・メニイワンズ)"の燃費の悪さを改善することは出来ず、むしろ悪化していた。

 元の錫杖は高い連射性能と引き替えに通常の倍の速度で魔短杖の魔力を消耗するが、巨人の腕に仕込まれたそれは実に通常の四倍の速度で魔力を使い切ってしまう。

 

 たった今三斉射ほどで使い切った魔杖の価格は一本6800万ヴァリス。

 それが左右で十六本、11億ヴァリス弱。

 いくらフェルズが優秀な魔法技師だとしても、コストカットには限界がある。

 つまり近代戦における最大の問題点――弾薬の価格こそが巨人の弱点であった。

 

 既に搭載した魔杖の二割ほどは使い切ってしまっている。

 あのまま上空で逃げ回られたら、不向きな空中戦を強いられていただろう。

 "空中歩行(エアウォーク)"と"長距離飛行(オーヴァーランド・フライト)"の魔力は付与してあるが、飛行速度、機動性ともにグラシアのそれとは比べるべくもない。

 

 

 

 迫るグラシアに向けて、銀色の巨人が構える。

 次の瞬間砲弾のような・・・いや、文字通り破城槌のような右ストレートが放たれる。

 錐もみ軌道を取ってグラシアがそれをかわす。

 あかがね色の豊かな髪が数本、拳に触れて宙を舞った。

 

「"物質分解(ディスインテグレイト)"!」

 

 グラシアの左手からあらゆる物質を原子のチリと化す致死の光線が放たれた。

 ほとんど間を置かずに振り下ろされる鉄条鞭の一撃。

 光線が炸裂し、見えない何かが消失した次の瞬間に鋼鉄のトゲを埋め込んだ鞭がフェルズを襲った。

 

「ちっ」

「ふっ」

 

 軽く舌打ちしたのはグラシア、それを鼻で笑ったのはフェルズ。

 力場の壁が消失したところに振るわれたはずのグラシアの鉄条鞭は、しかし先ほどと同じく見えない壁によって阻まれていた。

 

「予想していなかったかね? いや、その反応からするとある程度は想定していたか。

 この無敵の巨人の唯一の弱点である私を、たった一枚の"力場の壁"だけで守るわけがないだろう?

 この防御壁発生装置は四重になっている。通常の解呪や"物質分解"では一度に一枚しか破壊できないし、破壊されてもすぐに再生する。"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"でも使わない限り貫くのは不可能だよ・・・む?」

 

 得意満面に話していたフェルズの言葉が途切れた。

 巨人の胸元に立ち、フェルズと顔を見合わせていたグラシアがにっこりと笑ったのだ。

 この場にはおよそふさわしくない、大輪の笑顔で。

 

「何を・・・」

「"物質分解(ディスインテグレイト)"」

 

 グラシアがしゃがみ込み、再生した"力場の壁"に左手で触れる。

 魔杖の力が発動し、再び力場の壁が分解される。

 

「何をしているんだ。私の話を・・・っ!」

 

 再び言葉を途切れさせるフェルズ。

 だが今度のそれには切羽詰まったものがありありと現れている。

 

「"物質分解(ディスインテグレイト)"」

「くっ!」

 

 一枚目が再生しないまま、二枚目の力場の壁が破壊された。

 同時に巨人の右腕が唸り、胸元にしゃがみ込むグラシアを殴り飛ばす。

 だがグラシアは僅かに揺れただけで動かない。

 

「・・・っ!」

「いやねえ、痛いじゃない・・・"物質分解(ディスインテグレイト)"」

 

 三枚目が破壊された。

 壁の呪文にはその素材――石、鉄、炎、氷、力場、その他――に関わらずほぼ共通する性質がある。

 その一つが「既に他の固体が存在する場所に壁を立てることは出来ない」こと。

 グラシアが力場の壁の表面に手を触れ続けているかぎり、巨人はグラシアの腕が邪魔になって力場の壁を張り直すことが出来ない。

 

 無機質な顔に焦りをありありと浮かべ、フェルズが巨人の両拳でグラシアを乱打する。

 だが揺らがない。

 ダメージは入っているのだろうが、その体は吹き飛ばず、剥がされず、巨人の胸元にへばりついている。

 

 理由は単純だ。

 グラシアが右手で胸元の力場壁発生装置につかまり、両足で踏ん張っているから。

 巨人が全力で殴る力よりも、彼女がしがみつく力の方が強い。それだけだ。

 

「化け物め・・・っ!」

「あなたに言われたくはないわね。私だっていやなのよ? こんなの美しくない・・・"物質分解(ディスインテグレイト)"」

 

 フェルズがコンソールの一部を叩くのと、最後の力場の壁が分解消失するのが同時。

 半球状のシャッターが高速でせり上がり、むき出しになった操者(フェルズ)を守ろうとする。

 が、その展開が途中で止まった。

 

「つ・か・ま・え・た・♪」

 

 両手でシャッターを無理矢理こじ開けつつ、グラシアは先ほどと同じ笑みを浮かべた。



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22-25 いとしさと切なさと心弱さと

 にっこりと、邪気のない笑顔で笑うグラシア。

 閉じようとする装甲板を、両手でジリジリと左右にこじ開けながら。

 

 その笑みを見て固まるフェルズ。

 生身の体なら、間違いなく無数の冷や汗が吹き出している。

 

「くっ!」

 

 だがそれも一瞬のことで、コンソールの別の場所に手を触れる。

 

「"ビグビーの砕く手(ビグビーズ・クラッシングハンド)"!」

「!」

 

 空中からにじみ出るように2mはあろうかという巨大な手が出現し、グラシアをわしづかみにする。

 普段なら難なくかわせていたであろうグラシアだが、力づくでシャッターをこじ開けている今はそれができない。

 

「この――」

 

 心底不愉快そうな顔で唸るグラシア。

 足をシャッターの間に割り入れてから一旦手を離し、魔法の手をふりほどこうとする――だが、コンソールを叩くだけでいいフェルズの方が一手早い。

 

「"ビグビーの砕く手(ビグビーズ・クラッシングハンド)"!」

「このっ?!」

 

 今度は後ろから魔法の手が現れ、拳の中に包み込むようにしてグラシアに組み付く。

 

「"力場の波(フォースウェイヴ)"!」

「!!!」

 

 フェルズが右手でコンソールを操作しつつ、銀色の左腕から不可視の衝撃波を放つ。

 いかに魔王、いかに破格の身体能力とは言え、両手を手掛かりから放した状態。

 まがりなりにも伝説級の魔法技師が生みだした魔法の手二つに組み付かれ、更に衝撃波までを喰らって耐えきれるものではない。

 たまらずグラシアは吹き飛ばされ、巨人の胸元から引きはがされる。

 空中で一回転して魔法の手をふりほどくが、その時既にシャッターは閉じ、操縦席は不壊属性の装甲で完全に覆われていた。

 

「ふん」

 

 むすっとした表情で、物質分解の光線を二度、無造作に放つ。

 与えられた指令に従い、再びグラシアに組み付こうとしていた魔法の手が破壊された。

 

 ぎしり、と音がして銀色の巨人が再起動する。

 動き始めるまでに要した時間は、恐らくフェルズが"透視(クレアヴォヤンス)"の呪文を発動、あるいはその機能を作動させるためのものだろう。

 不壊属性の装甲シャッターは完全に操縦席を密閉しており、物理魔法問わずあらゆる攻撃を通さないはずだ。無論光や音波もそこに含まれる。

 恐らくは空気も通さないから毒気の類も通用しないだろうと考えて、そう言えば戦造人間(ウォーフォージド)はそもそも呼吸をしなかったなとグラシアは思い出した。

 

 再起動したウォーフォージド・タイタンがグラシアの方に向き直る。

 黒いピラミッドの頂上に立つ銀の巨人。

 空中にホバリングするあかがね色の魔姫。

 50m程の距離を置いて両者がにらみ合う。

 

 巨人が両腕を持ち上げ、魔姫に向ける。

 が、先ほどのように光弾を発射や展開することはしない。

 グラシアの方も鉄条鞭をだらりと垂らし、ゆっくりとはばたくだけで、踏み込もうとはしない。

 

「・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・!」

 

 竜の咆哮、地獄語の罵り言葉、冒険者のときの声、武器で打ち合う剣戟の音。

 そうしたものが遠くから響いてくる。

 その中でこの場には奇妙な沈黙が漂っていた。

 

「・・・」

「・・・・・・」

 

 がしゃり、と巨人の腕が音を立てた。

 光球が発生すると同時にグラシアが動く。

 50mの距離を一瞬で潰す魔姫。

 ほとんど同時に発射された光弾がそれを迎撃する。

 

 光の爆発の中からあかがね色の影が突き抜けた。

 震動が巨人を揺るがす。

 

「なんだ・・・体当たり?」

 

 操縦席で戸惑うフェルズを、再びの衝撃が襲う。今度は後ろからだ。

 頭部シャッターの前面に設置した魔法の「視点」を上下左右に動かし、グラシアの姿を捉えようと試みる。

 あかがね色の影は視界の端をかすめるように動き、巨人の頭部、胴体、関節部を狙って体当たりを繰り返す。

 衝撃が操縦席を揺らし、フェルズの上半身も激しく揺れる。

 

「ぐっ・・・ぬっ。らしくないな、グラシア。このような・・・。っ! まさか!?」

 

 

 

「その、まさかだったりするのよねぇ。美しくはないけど・・・しょうがないわね!」

 

 高速での体当たりを繰り返しつつ、グラシアは苦笑していた。

 確かに不壊属性の装甲は傷つけることは出来ない。

 見事な設計で配置された装甲には死角もなく、隙間を狙うことも出来ない。

 

 だがどんな装甲も衝撃を防ぐことは出来ない。

 叩いて、揺らして、衝撃を与える。

 装甲では防げないダメージが内部に蓄積していく。

 

 「生きている人造」と称されるとおり、ウォーフォージドは完全に無機物で出来ているわけではない。

 人間で言えば筋肉や神経に当たる部分は植物から魔法的に生み出された生体組織であり、当然衝撃からダメージを受ける。

 

 どんな頑丈な鎧を着ていようと、巨大なハンマーで殴られ続ければ血を吐いて死ぬ。

 本来のウォーフォージド・タイタンは後代の完成された同族に比べて純粋なゴーレムに近い無機質な構造をしているが、フェルズが新規設計したそれには機動性と柔軟性、瞬間的な出力を確保するため、そうした有機物の構造がより多く取り入れられていた。

 

「誇りなさい、フェルズ・・・私に美しくない方法を敢えて取らせた、あなたの人形の見事さをね・・・!」

 

 それに気づいたグラシアの信念を捨てた、ある意味捨て身の攻撃。

 なりふり構わなくなった魔姫の攻撃に、無敵の巨人は追い詰められていた。

 

 

 

 ベルは眼前の戦いを呆然と見ていた。

 あのグラシアの攻撃をまったく意にも介さなかった銀の巨人が、今やその巨体に比べれば小鳥のようなグラシア一人に翻弄されている。

 時折巨大な腕に叩き落とされたり、体表面を覆った雷に触れてダメージを負ったりもしているが、魔姫の動きに衰えはない。

 それどころか、僅かずつではあるが巨人の動きが鈍くなっていった。

 

「うおおおおおお!?」

「ほほほほほ!」

 

 もう完全に吹っ切れたのか、グラシアが巨人の足の一本を抱えて豪快に振り回す。

 10mの巨人が人間サイズの生物、しかも女性によって小枝の如く振り回される光景は悪夢としか言いようがない。

 作用反作用の法則など無視して鋼鉄の巨人が振り上げられ、黒曜石のピラミッドの上面、あるいは側面や階段に叩き付けられる。

 震動がベルと祭壇の上のアイズを揺らし、時折黒曜石の破片が飛んでくる。

 

 やがてひときわ巨大な震動が足元から伝わると同時に、音がやんだ。

 銀色の巨人はピラミッドの正面、階段に仰向けに叩き付けられて動きを止める。

 掴まれた方の足は弾みで膝からもげ、2mほどあるそれをグラシアは無造作に投げ捨てた。

 

 ごとごとっ、と先ほどまでに比べると軽い震動が響く。

 それに意識を向ける余裕もなく、ベルは正面から目が放せない。

 満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと歩いてくるグラシアから。

 

 

 

 ゆっくりと、その時間を楽しむかのような足取りでグラシアが歩いてくる。

 ベルの背中一面に嫌な汗が噴き出す。

 

(反魔法力場を解除して、全力でグラシアさんに挑むか?

 でもそれだとアイズさんが・・・。

 かといって反魔法力場を維持したままじゃさっきの二の舞だ。

 どうすればいい、考えろ、考えろ・・・!)

 

 グラシアを睨みながらナイフを構える。

 体の傷は先ほど治療したが、鎧はほとんど残骸と言っていい有様。

 状況は先ほどよりなお悪い。

 と、グラシアが足を止めた。

 

「・・・・・・・・?」

 

 ベルがいぶかる。

 グラシアは笑みを消し、どこか困ったような表情。

 しばらくの間その沈黙が続いた。

 

 

 

「ねえ、ベル・・・まだ戦うつもり?」

 

 意を決して口を開いたグラシアから出て来たのはその様な言葉だった。

 

「・・・どういう意味です?」

 

 戸惑いながらもベルは構えを崩さない。

 

「そのままの意味よ。このまま戦っても結果は見えているわ。あなたは死ぬし、儀式は止められない。あなたの仲間やお兄さんだって助けには来られない」

 

 ちらりと周囲に目を走らせる。

 魔法とブレス、牙と爪が飛び交う壮絶な空中戦を演じるイサミとティアマト・アスペクト。

 魔将達を相手に何とか互角に戦っているロキ・ファミリア。

 霧の中でよくわからないがヘスティア・ファミリア連合軍も、四匹の巨竜相手に少なくとも戦闘を継続することは出来ている。

 だがそのいずれも目の前の敵に掛かりきりで、こちらに援軍に来ることなど思いもよらないだろうことはわかった。

 

「・・・」

 

 無言のベル。

 それを正面から見据えてグラシアが続ける。

 

「私のものになれとはもう言わないわ。でもあなたがここで生きても死んでも、状況は変わらないのよ。

 ここで負けても世界が終わる訳じゃない。だったら戦っても犬死にじゃなくて?」

 

 僅かにベルの眉がよる。困惑しているようだった。

 他ならぬグラシア自身が驚いている。

 先ほどまでベルの美しさを堪能し、それを破壊しようとしていたのは他ならぬ自分であるのに。

 

 興奮の極みにあったところでフェルズとあの見苦しい人形に邪魔され、醒めてしまったのかも知れない。

 だとしても自分らしからぬ事だ、と心の中で自嘲する。

 流れに任せて本来言うべきではないことまで口にしてしまっている。

 

 そして何より、と少年の目を見ながら思う。

 ここでいくら言葉を尽くしても、この少年は決して退くわけがないと。

 わかっているはずなのにこんな事を言ってしまう自分に嫌気が差す。

 

 そんな少年だからこそ愛おしいと、美しいと思って。

 それでも生きて欲しいと、そう思ってしまったことに。



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22-26 百万回やられても、負けない

 生かすべきか、いっそここで美しいまま死なせてしまうべきか。

 魔王と呼ばれる程の存在が一瞬だが真剣に逡巡する。

 

 シュンッ、とかすかな圧搾音がした。

 いぶかしげな顔でグラシアが振り向く。

 黒曜石の広場の奥、階段の降り口からノックアウトされたウォーフォージド・タイタンの足が見える。

 僅かに間を置いて、その足の横に人影が姿を現した。

 

「フェルズさん! ・・・!?」

 

 思わず叫んだベルの語尾が曖昧に途切れる。

 黒いローブの下半身が風に揺れ、そこに足がないのが見て取れたからだ。

 

「あなたも仕事熱心ねえ。そのまま寝ていればいいものを」

「世界が滅ぶかどうかの瀬戸際に、おちおち休んでもいられなくてね・・・」

 

 肩をすくめるグラシアに軽口で返すフェルズ。

 が、その有様は無惨なものだった。

 

 腰から下を操縦席に埋めていたせいか、下半身は丸ごと失われている。

 傷口から垂れ下がっているのは筋繊維と神経繊維を兼ねる生体組織だろうか。

 "飛行(フライ)"の呪文効果だろう、浮遊して移動しているため、一見すると足がないことには気がつかないかも知れない。

 

 身にまとう黒いローブはボロボロで、左腕はだらんと垂れ下がっている。

 顔面代わりの仮面にもひびが入り、水晶の目は片方が砕けている。

 体を覆うミスラル製の装甲にも無数の傷やへこみがついていた。

 

「・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと、グラシアの周囲を迂回してフェルズが祭壇に近づく。

 つまらなそうな顔で魔姫はそれを見送った。

 

「フェルズさん・・・」

「時間が無い。手短に話すから聞いてくれ」

 

 ボロボロの姿を見て、ベルが改めて絶句する。

 そのフェルズは自分の状態など些事であるとばかりに、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「えらそうに出て来てこのざまだ、すまない。しかしこうなってはもう君だけが頼りだ。

 "反魔法力場(アンチマジックフィールド)"は私が維持する。君は・・・なんとかグラシアを倒してくれ」

「!」

 

 ベルが目を見開いた。

 そのベルの様子も眼中にないかのように、フェルズは言葉を続ける。

 

「これは【剣姫】の体を通して邪神に力を送るための儀式だ。成功すればこの世界は消滅し、よくてもオラリオは壊滅する。そして【剣姫】は間違いなく死ぬ。

 恐らくは魂さえ消滅し、転生すら叶わないだろう。私は見ての通りの有様だ。頼む。君しかいないんだ・・・!」

「わかりました」

 

 きっぱりと、逡巡なく。

 ベルが頷いた。

 一瞬前にあった驚きや迷いは、その顔から綺麗にぬぐい去られている。

 言葉を続けようとしていたフェルズが、軽い驚きをにじませてその顔を見た。

 

「・・・正直、世界がどうとかは実感が湧きません。

 でも、アイズさんを守るためだっていうなら、僕は絶対に逃げません」

「そうか」

 

 最早言うべき事はないとばかりにフェルズが頷いた。

 それに、と言葉には出さずにベルが続ける。

 そのために兄も、ヘスティア・ファミリアの仲間達も、ロキ・ファミリアも、オラリオの冒険者たちも死力を尽くして戦っている。

 そして目の前の怪人物も。

 

 正直彼がどんな人物かは知らない。

 それでも、これだけ瀕死の重傷を負ってそれでも戦い続けようとするその意志だけは確信できた。そして恐らく、それだけの事態なのだと言うことも。

 最後に、アイズに一瞥を投げかける。

 振り向いて、ベルは一歩を踏み出した。

 

 ベルが数歩前進する。同時にベルの発生させていた反魔法力場が消失して祭壇からわき起こるおぞましい魔力の流れが復活した。

 それと入れ替わりにフェルズが後退し、祭壇にもたれかかるように床に降りる。

 巻物を取りだしたフェルズが新たな反魔法力場を発生させ、再び魔力の流れは途切れた。

 

 

 

「・・・・・・・・・ベル」

「・・・・・・・・」

 

 一瞬だけ、切なげなグラシアとベルの視線が交錯した。

 だがその瞬間はすぐに過ぎ、ベルの瞳に火が灯る。

 

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "竜力獲得(ドラコニックマイト)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "猫の敏捷(キャッツグレイス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級勇壮鼓舞(グレーター・ヒロイズム)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "石の肌(ストーンスキン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "酸の皮膜(アシッドシース)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "(シールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波武器(ソニックウェポン)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "音波の盾(ソニックシールド)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "英雄のいさおし(ヒロイックス):《フェイント強化》"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "上級抵抗強化(スペリアー・レジスタンス)"!」

「"秘術の枠(アーケイン・フレイム)"! "限定願い(リミテッドウィッシュ)変換――聖なる剣(ホーリィソード)"!」

 

 ベルが強化呪文を発動しなおした。その間も歩みは止めない。

 背中の【恩恵】がほとんど物理的な現象かと思えるほどに光を放って燃え上がる。

 紫のオーラを放つ神のナイフと、黄金に輝くサンブレードを両手に構え、体を沈める。

 表情を消したグラシアが軽く鞭を鳴らした。

 

 

 

英雄の一文字剣(アルゴ・ストラッシュ)!」

「そんな、いきなりの大技なんてっ!」

 

 紫の光剣の逆手斬りを、グラシアが大きく飛んでかわす。

 が、言うほどにはグラシアも余裕がない。

 

(何なのこの子?! さっきより更に剣が鋭い・・・っ!)

 

 グラシアの一瞬の思考の隙を突いて、ベルが左手のサンブレードで斬りつける。

 紫の剣の切っ先の外側、自分から見て右後ろに逃げたグラシアに対して最初からそのつもりだったのだろう、背中を向けた態勢から左に半回転して、バックハンドブローのように黄金の剣を繰り出す。

 悪属性に対して圧倒的な攻撃力を発揮する上に"聖なる剣(ホーリィソード)"呪文を付与されて、一時的ながら本物の聖剣に匹敵する威力を誇るそれは、いかなグラシアでもまともに受ければただでは済まない。

 

 僅かに焦りをにじませつつ、それでもグラシアは黄金の刃を回避した。

 バスタードソードながらショートソード並みの軽さを誇るそれは長剣の間合いとナイフの鋭い振りを兼ね備えて、グラシアの目測を僅かではあるが更に狂わせる。

 白磁のような皮膚を、黄金の切っ先が僅かにかすった。

 

 サンブレードを振った反動でグラシアに向き直り、体をたわめて間髪入れず間合いを詰めようとするベル。

 が、足を踏ん張って制動をかける。

 たわめた体のバネを全力で使い、前ではなく後ろに跳ぶ。

 鎧の残骸を止めていた革ひもが、グラシアの多條鞭に触れてちぎれ飛んだ。

 

 

 

「ふうっ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 5m程離れて改めてグラシアとベルは対峙する。

 体のところどころからぶらぶらと揺れて下がる金属片に気づき、ベルが顔をしかめる。

 肩当てや胸甲、草摺など、鎧だったもの。

 デッドウェイトになった金属片を素早く、そして思い切りよく切り離す。

 

 からんからん、と白銀の金属片が黒曜石の床に落ちる。

 残った防具は半分くらい破れている戦闘衣と、兄の作った最硬金属製の手甲のみ。

 だがそれでもその目に恐れはない。

 紫光のナイフと黄金の長剣を両逆手に構え、腰を落として次の攻防に備える。

 そんなベルを、感情のうかがえない目でグラシアが見ている。

 

 

 

 小手調べを終えてそのままにらみ合いに――かと思いきや、両者が同時に動いた。

 先ほどと同じく、【神のナイフ】に紫光の刃をまとわせて逆手斬りを狙うベル。

 それに対してグラシアは。

 

「!?」

 

 ふわり、とグラシアが宙に浮いた。

 紫の光剣が空を切る。

 考える前に体が動き、左斜め前に飛び込むようにして体をかわす。

 

「ぐっ!」

 

 間に合わず、鉄条鞭で右肩がえぐられた。

 前転して手を突き、間髪入れず右に直角に跳ぶ。

 追撃はブーツの表面を削ったのみで、更に放たれた三撃目は完全に回避した。

 

 そこで多條鞭の間合いの外に出たベルが素早く立ち上がる。

 ほとんど同時にグラシアに向かって跳んだ。

 振り抜いた多條鞭をグラシアが引き戻したばかりのタイミングで。

 

 反射的にグラシアが迎撃する。

 だが僅かに遅れたぶん、鋭さが足りない。

 ぱっと宙に血が舞った。



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22-27 悪魔に魅せられし者

 軽い音を立ててベルが着地した。

 よどみない動きで軽やかにバックステップし、多條鞭の間合いから離れる。

 ぽたりぽたりと血痕が床にひろがった。

 

「・・・・・・・」

「・・・・・」

 

 そう、手傷を負ったのはベル。

 先ほどの"神の歩み(フットステップ・オブ・ザ・ディヴァイン)"のような奇策を使わない限り、ベルがグラシア相手に間合いを詰められるはずがない。

 

 ベルの武器はナイフと長剣。

 その一方でグラシアの多條鞭は4mを越す間合いがある。

 グラシアが認識できないほどの速度をベルが発揮するか、多條鞭を全て迎撃できない限り、懐に入るのは不可能。

 

 だがしかし、今渋い顔をしているのはグラシアの方だった。

 その目は自らの武器と、そして自らの足元の床に注がれている。

 

 そこに落ちているのは、九本あった鞭の一本。

 半ばほどからバッサリと切り取られて床に落ちている。

 信じがたいことだが、今やあの紫の光剣の収束率は、グラシア愛用の九条鞭の強度すら大きく上回るらしい。

 

 剣技の冴えと剣の切れ味、双方が上昇したことによって不可能が不可能でなくなった。

 迂闊に攻撃を仕掛けることも、突進を無造作に迎撃することも、もう出来ない。

 グラシアが後退した少年を軽く睨む。

 

 そのベルはベルトから素早くエリクサーの管を抜き、一息に飲み干していた。

 試験管を投げ捨てるのと同時にぽたぽた垂れていた血が止まり、ナイフと剣を構え直す。

 その視線の先で、グラシアがゆっくりと床に降りた。

 ベル同様に腰を落とし、右手の鞭を油断無く構えて、ゆっくりとベルの外側を回り込もうとする。

 

 これまでの、ベルの挑戦を待ち受ける上位者のそれではない、相手を互角の戦闘者と認める態度。

 それに伴って吹き付けてくる、先ほどにも増して強烈なプレッシャー。

 ごくり、とベルがつばを飲み込んだ。

 

 じりじりと、すり足で右に移動して回り込もうとするグラシア。

 普通ならばベルも右側に回り込むところだが、今ベルの後ろにはアイズの横たわる祭壇がある。グラシアに回り込まれないよう、祭壇を背に守るようにして左側に動く。

 

 祭壇を中心にして、二人がゆっくりと同心円を描く。

 四分の一ほどの円を描いたところで、グラシアの右手がぴくりと動いた。

 

「!」

 

 グラシアの姿が霞んだ。

 一秒の、数十分の一ほどの時間を置いてベルの姿もまた。

 ベルに対してはなぶるか、迎撃ばかりだったグラシアが初めて見せた本気の踏み込み。

 やや遅れたとは言え、ベルはそれに何とか反応してみせる。

 

 火花が散った。

 グラシアの九条鞭に埋め込まれた地獄の鉄を鍛え上げた棘と、ベルのナイフ、そしてサンブレードがぶつかった結果。

 

 さしもの【神のナイフ】も、魔力剣なしで鞭を切り裂くほどの切れ味はない。

 強化されたサンブレードも、純粋な物理的破壊力においてはその域に達していない。

 

 耳障りな金属音と共に無数の火花が雨と降り注ぐ。

 互いの生死と一つの世界の運命をかけた戦いと知らなければ、それは夜空に咲く祭りの花火のように美しい光景だった。

 

「くっ!」

 

 ベルが僅かにうめく。

 九条鞭の攻撃を防ぎきれず、数カ所から血が飛び散る。

 わかってはいたが、魔力剣無しでの打ち合いは不利だ。

 

 しかし魔力剣を形成するには一瞬とは言え集中が必要で、間違っても打ち合いの最中に出来ることではない。

 さりとて魔力剣をずっと維持するというのは、その間精神力を垂れ流すのと同義だ。

 10分と持たず、精神疲弊(マインドダウン)で気絶してしまうだろう。

 

 左から切り返しの二撃目。

 あらゆるものをズタズタに引き裂く鋼の大波。

 

 顔面をかばうように構えたサンブレードの表面を九条鞭が舐める。

 またしても火花が雨となって降り注ぎ、戦闘衣とむき出しの肌を焼く。

 左手に伝わる衝撃と振動と、時折跳ねる鞭による裂傷に歯を食いしばって耐える。

 

 だが下がれない。

 後ろにはアイズがいる。

 ベルにとって世界と同じくらいの重みを持つ、憧憬の乙女がいる。

 ならばベル・クラネルは――絶対に、下がれない。

 

「うおおおおおおおおおおお!」

 

 吼える。

 自分を鼓舞して一歩前に出る。

 同時に右側から三撃目が来た。

 

 痺れた腕を鼓舞し、辛うじてサンブレードによるブロックを間に合わせる。

 また火花の雨。

 

 更に一歩進んだところにまたしても鋼の波。

 火花の雨。

 

 寄せては返す波のように、九条鞭の攻撃は途切れず続く。

 それでも少年は下がらない。

 ベル・クラネルは下がらない。

 

 途切れない圧を受けながら、血しぶきを上げながら、前へ。一歩ずつ前へ。

 思えばいつだってそうしてきた。

 憧れの人に追いつくために全力で走り続けてきた。

 ならここで、立ち止まるわけにはいかない。

 

 

 

(――――!)

 

 攻撃を途切れさせず、少年を打ちすえ続ける。

 そこに迷いも乱れもない。

 しかし内心でグラシアは戦慄していた。

 

 いくら能力が上がろうが、それでもグラシアとベルの間には歴然とした差がある。

 神技か、イカサマか、あるいは吸血鬼に対する日光のような、そのレベルの何かがなければ埋まらない差だ。

 

 だのに、少年は倒れない。

 何合、何十合と一方的に打ちすえてもそれを凌いで、あまつさえ一歩ずつ間合いを詰めてくる。

 それはグラシアにとって途方もなく――美しい光景だった。

 

(・・・ああ)

 

 心の中で溜息をつく。

 数ヶ月前まではシルバーパックに勝つのがせいぜいだった少年が、今やあらゆる魔の頂点である自分に肉薄している。

 おそらくは、背中にかばう少女を助けるというただ一念のために。

 それはまさしく英雄譚の中の英雄そのもの。

 グラシアの愛してやまない人界の奇跡。

 

 だが、グラシアも魔王だ。

 九層地獄の階層の一つを預かる九人の魔王(アークデヴィル)が一人、魔姫グラシア。

 その分体(アスペクト)であり、父である大魔王アスモデウスから授かった使命を果たすために封印世界にやってきたのが今の自分だ。

 誇りと忠誠にかけて、譲れないものがある。

 

 鋼の大波の中を一歩ずつ前進し続け、ついにベルが一足一刀の間合いに入る。

 二人が、同時に動いた。

 

「っ!?」

「・・・・・・・・」

 

 鞭の攻撃が、このタイミングで変わった。

 薙ぎ払う動きから、長剣を絡め取る動きへ。

 その一瞬に賭けて、魔力剣を形成しようとしていたベルが僅かに動揺する。

 魔王としての圧倒的な戦闘経験によって、機先を制した。

 その僅かな隙につけ込んで、ベルの右手のナイフを自らの左の手のひらに突き刺して貫通させ、拳ごと固く握る。

 ナイフと剣を、両方封じられたベルの耳に聞こえたのは涼やかな声。

 

「ごめんね、ベル」

「・・・!」

 

 一抹の寂しさをたたえた目。

 次の瞬間、素早く九条鞭を離したグラシアの右拳が、ベルのみぞおちにまともにめり込んだ。

 

「か、はっ・・・!」

 

 拳が背中まで貫通したかと思うほどの威力で横隔膜を強打され、呼吸が出来なくなる。視界が一瞬暗転し星が散った。

 それでも立ち上がろうと足に力を入れたタイミングで、上から大腿骨を踏み砕かれる。

 こめかみにだめ押しの一撃を受けて意識が遠のく。

 更に下腹部に回し蹴りの強烈な一撃を受け、ベルは吹き飛ばされた。



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22-28 君の望む永遠

「・・・・・・・・・・・・・!」

 

 10m以上吹き飛ばされたベルは最早微動だにしない。

 それを見やったフェルズが無言で俯いた。

 

 ベルを蹴り飛ばした拍子にナイフが抜けた左手の傷口。

 それが塞がったのを確かめて鞭を拾い、軽く振って絡まっていた剣を外す。

 かつん、と足音が響いた。

 

 かつん、かつん、かつん。

 等間隔で響く足音。

 ゆっくりと、気負いなく、だが確実に近づいてくる破滅の足音。

 

 祭壇を覆っていた反魔法力場が消える。

 フェルズが懐から何かを取り出そうとしたその時には、既にグラシアが目の前にいた。

 

「―――っ!」

「邪魔よ」

 

 ほうきで床を掃くような鞭の一振り。

 先ほどのベル同様、フェルズも吹き飛ばされた。

 

 がらんがらん、とフェルズの体が転がる。

 直撃を受けた右腕は半分ほど削られており、ミスリルの装甲の内側に大理石の骨と植物性の筋肉繊維がのぞいていた。

 

「ぐ、っぐ・・・」

「・・・」

 

 ぼんやりと、ベルが目を開いた。

 次の瞬間、折れた大腿骨の激痛が強制的に意識を覚醒させる。

 その目に飛び込んできたのは、濁った魔力を再び吹き出し始めた祭壇とアイズ。

 そして、それに歩み寄って手を伸ばすグラシア。

 

「ぐっ・・・! 何をするつもりです・・・やめて・・・やめて下さい! グラシアさん!」

 

 言いながら必死に立ち上がろうとするベルに無感情な一瞥をくれ、グラシアはベルにわからない言葉で何かを詠唱しつつ、左手をゆっくりとアイズに伸ばす。

 

「Mohran-xwsok-haq・・・」

「やめろーっ!」

 

 絶叫する。

 祭壇のそれとはまた違う禍々しい魔力がグラシアの左手に生まれ、それがアイズの胸元に落ちる――

 

「!」

「!?」

 

 グラシアの手が止まり、その体が痙攣した。

 次の瞬間魔姫が振り返り、右手の九条鞭で空を切り払う。

 

「がぁっ!」

 

 苦鳴と共に、空中から白い男が姿を現した。

 一瞬まで何もなかったそこに血しぶきが舞い、顔の下半分から蛸のような触手を生やした白い男が現れる。

 レヴィスと共に行動していた白い怪人、"白髪鬼(ヴェンデッタ)"オリヴァス・アクト。

 魔姫の左の肩口には巨大で禍々しい紅の刃が半ば程まで食い込んでいた。

 

「この雑魚がっ・・・いや、その力、レヴィスの魔石を・・・?」

「その娘はレヴィスのものだ・・・お前には、渡さん・・・!」

 

 右半身を九条鞭の鉄棘で削られ、無惨な姿のオリヴァス。

 レヴィスの魔石を取り込んで大幅に強化された耐久力と体中に埋め込んだキチン質の装甲がなければ、人の形をとどめていなかったろう。

 

 そして周囲に散らばる、砕けた青銅の兜の欠片。

 "漆黒兜(ハデス・ヘッド)"。"万能者(ペルセウス)"アスフィ・アル・アンドロメダが作った透明化の魔道具。

 二十四階層、食料庫の崩壊で紛失したものを回収していたオリヴァスの切り札。

 

 かつてのレヴィス以上に強化された身体能力と透明の兜で姿を隠し、グラシアに隙ができる瞬間をひたすら待っていた。

 高速で復元しつつはあるが、まだ欠損した体でもがきながら立ち上がろうとする白髪鬼。

 がらん、と音がしてレヴィスの大剣が床に落ちた。

 

「俺はレヴィスの魂を受け継いだ・・・ならば彼女の望みを――!」

「ええ、認めてあげる。美しいわあなた。だから――美しいまま散りなさい」

 

 びくん、とオリヴァスの体が震える。

 

(レ・・ヴィス・・・)

 

 胸元に突き込まれたグラシアの手刀が魔石を握りつぶし、次の瞬間オリヴァスはチリとなって消えた。

 

 

 

 胸の中程まで割られた傷に、さすがの魔姫が苦しそうに咳き込んだ。

 血の泡が口の端にこぼれ、あごを伝う。

 指に嵌めた願いの指輪の最後の一つを使おうか思案して。

 

「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 それに気付いたその瞬間、世界が止まった。

 振り向いたグラシアの視界に「それ」が入ってくる。

 

 両手で腰だめに構えるのは白銀の不壊剣。

 アイズが囚われたとき落としたそれを、反射的に拾っていたそれ。

 投げ捨てたとおぼしきエリクサーの瓶が、しずくをまき散らしながらまだ宙に浮いている。

 

 一瞬、ほんの一瞬だけグラシアの思考が止まった。

 何もかもかなぐり捨て、この一撃に賭けた決死の瞳。

 それは今まで何度も少年が見せた中でも飛びきりに美しくて。

 

 一瞬の永遠がグラシアの脳裏に深く焼き付けられる。

 その瞬間、【デュランダル】の白銀の切っ先がグラシアの胸中央を深く貫いていた。

 

 

 

 からん、とエリクサーの瓶が床に落ちた。

 ベルも、グラシアも、微動だにしない。

 

「・・・・・・・」

 

 むしろ呆然としていたのはベルだった。

 白銀の剣の柄を両手で握りつつ、信じられないと言ったように目を見開いている。

 そんなベルを、グラシアが愛おしそうに抱きしめる。

 この地の底にはふさわしくない、野に咲く花の香りがふわりと漂った。

 

「グラシアさん・・・まさかわざと・・・!」

「ばかね、そんなんじゃないわよ・・・ただ、余りにも美しかったから、見とれてしまっただけ・・・」

 

 ベルの頭をかき抱き、額にくちびるが触れた瞬間グラシアは――正確にはその分体(アスペクト)は――チリとなってこの世界から消失した。

 

 グラシアのはめていた金の指輪がちりん、と床に落ちて、その時ようやくベルは思い出す。その香りがどう言う花のそれだったか。

 野に咲く可憐な小さいスイートピー。

 花言葉は別離、門出、思い出、そして――「私を覚えていて」。

 

 

 

 グラシアが消滅してからしばし。

 ロキ・ファミリア総出でインファーナルが魔石を砕かれ討ち取られたのと、イサミの呪文がティアマト・アスペクトの体力を削りきったのがほぼ同時だった。

 黒曜石の地面に落ちるティアマト・アスペクト。その地響きがその場の全ての人間の目を引きつける。

 無論、ヘスティア・ファミリアと戦っていた四匹の巨竜もだ。

 

 弟が虚脱したように座り込んで、しかし周囲に敵影がないのを確認すると、イサミはすかさずその四匹に最大限まで強化した"極天の光線(ポーラー・レイ)"呪文を、それぞれ属性を変えて打ち込む。

 青竜と黒竜は凍て付き、白竜と緑竜は雷撃によって灼かれる。

 地に伏し動かなくなった巨竜にヘスティア・ファミリアから歓声が上がったのに手を振って応え、イサミはピラミッドの頂上に向かって飛んだ。

 

 

 

 地上、バベル西側。

 オッタルとロビラー、二人の剣戟は未だに続いている。

 既に周辺は完全に掃討されているが、この二人の間に割って入れる者はない。

 フレイヤ・ファミリアの一級冒険者たちはギルド本部に応援に向かったから尚更だ。

 

 宝石のような青、血のような赤、暗い紫、まばゆい白・・・漆黒の闇に覆われた空には無数の光が瞬き、人知の及ばない何かを否応なしに感じさせる。

 生存者の救護、遺体の回収、動かなくなったモンスターへのとどめなどで冒険者たちが忙しげに立ち回る中、少なくないものが無言で空を見上げている。

 バベルの周囲にたたずむ吸血鬼たちと死霊王もだ。

 

「・・・む」

 

 どれほどそうしていたろうか、空にきらめいていた万彩の光がふっと消えた。

 それでも多くのものは空を見上げ続けている。

 火に掛けた湯が沸くほどの時間が経ち、死霊王が視線を地上に戻した。

 

『西の方の者どもに伝えい。撤収じゃ』

「よろしいので」

『わしらの仕事は終わった。その後のことはその後のことよ』

「はっ」

 

 バベルの東西にわだかまっていた影達が消える。

 周囲の者達がそれに気づいたのは欠けた太陽が形を取り戻し、オラリオを再び日の光が照らしてからだった。

 



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22-29 帰還

 バベル西側。

 オッタルとロビラーの二人も天空の光が収まったのは気付いていた。

 どちらからともなく距離を取り、剣戟を中断する。

 

「・・・終わったようだな」

「そうだな。だが、こっちはまだ終わっちゃいない。違うか、オッタル殿?」

 

 にかっ、と人好きのする笑顔を見せるロビラー。

 頷こうとして、オッタルは目をしばたたかせた。

 

「どうした、オッタル殿?」

「いや・・・貴殿、足が薄れているように見えるのだが」

「あん?」

 

 きょとんとして黒の戦士が自らの足元に目をやる。

 先ほどタリズダンや神々が現れた時の逆のように、ブーツのつま先から徐々にロビラーの体は薄れてきていた。

 しばし考えた後、得心したように頷く。

 

「そうか、そう言う事か。悪いなオッタル殿。今ここにいるのは俺本人じゃなくて、どうやら俺の無念だったらしい」

「・・・?」

「まあ簡単に言えばいいようにされた俺の心が生み出した幻影、分身ってところだろうさ。本当の俺は一体どうなってんのやら」

 

 溜息をついて空を見上げる。

 そこにはもう星以外に輝くものはない。

 その間にもロビラーの体は足、腰、胸とどんどん希薄になっていく。

 

「それでは」

「ああ。済まないがオッタル殿、勝負なしだ。だがもしも、もしももう一度会うことが出来たならその時は――」

 

 最後まで言うことができず、男は空気に溶けて消えた。

 

「―――――」

 

 オッタルが剣を地面に突き立て、好敵手を悼むように瞑目する。

 ストリートに日の光が射すまで、彼はしばらくそうしていた。

 

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 黄金の三叉戟が宙を切り裂いて飛ぶ。

 渾身の一投が足を切り裂かれて擱座した強化種ガルガトゥラの胸中央を貫き、巨大な魔石をうがつ。

 階層主以上の巨躯を持つ巨大な悪魔のティラノサウルスがチリとなり、周囲から歓声が上がった。

 それを成した戦士は大きく息をつき、額の汗をぬぐう。

 

「ふう・・・やれやれ、手こずっちまったな。手助けにはいけなかったか。

 お前さんたちが来てくれなかったらやばいところだったぜ、ありがとうよ」

 

 駆けつけたフレイヤ・ファミリアの一級冒険者たちに礼を言うクリュサオル。

 彼らがいなければ、残りのピット・フィーンドと上位悪魔たちは押しきれなかった可能性も高い。

 が、礼を言われた当の本人たちは揃って仏頂面だった。

 副団長のアレンが代表するように口を開く。

 

「当然だ【海神の三叉矛(トリアイナ)】。我らフレイヤ様の従者は最強。助けを要する道理などない」

「はっはっは、変わらんな、おまえらは!」

 

 笑顔でばしばしと肩を叩いてくる大海の勇者に、不愉快そうに顔をしかめはするが振り払いはしない【女神の戦車】アレン。

 余人がそんなことをしたら、下手をすれば首が飛ぶだろう。言葉とは裏腹にこの男もクリュサオルの強さに一定の敬意と、そして嫉妬を抱いているらしかった。

 恐らくは仏頂面をしている他の面々もそうなのだろう。

 

「いやあ、どうやら色々片付いたようだし、これが終わったら宴会だな! どうだ、一献! 勇士と酒を酌み交わすのはいつでも誰とでも楽しいものだ!」

「ええい、馴れ馴れしい! いい加減肩を叩くのをやめろ!」

 

 とはいえ、それでも限界はあるようだったが。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 黒い祭壇の頂上。

 アイズを安置した祭壇から、再び魔力が吹き上がっている。

 冒険者たちが周囲を囲む中、イサミが膝をついてアイズと祭壇、その上に浮かぶ黒い多面結晶を調べていた。

 懐からルーペを取りだし、サファイアを削りだして作ったレンズを通して魔力の性質とその流れを精査する。

 

「・・・・」

「・・・・・・・・」

 

 それが三分ほど続き、気の短いものがじれてきたあたりでイサミが立ち上がり、ルーペを懐に戻す。

 呪文を詠唱しようとしてアイズの腰に下がった剣に気付き、指をつい、と動かす。

 アイズの腰から離れた剣が鞘ごとイサミの手に収まり、ベルが受け取った。

 

「"モルデンカイネンの魔法解体(モルデンカイネンズ・ディスジャンクション)"」

 

 宙に浮いていた黒い水晶、"クリスタル・オブ・エボンフレイム"が静かに砕け散った。

 同時に黒曜石の祭壇に幾筋かのひびが入り、吹き出す魔力が途切れる。

 

「む」

 

 魔力視覚は持たないながらそれを感じ取ったのだろう、リヴェリアを始め魔導に長じた幾人かが表情を変えた。

 

「アイズ!」

「これで大丈夫なんですか、クラネルさん!?」

 

 駆け寄ろうとしたティオナたちをイサミが制する。

 

「もうちょっと待て。儀式は中断できたと思うが、魔力による悪影響が・・・」

 

 言いつつ、再びルーペを取りだしてアイズの体を検分する。

 目立った異常がないことを確認し、"大治癒(ヒール)"と念のために"奇跡(ミラクル)"呪文をかけるとアイズが目を開けた。

 

「アイズさん!」

「アイズ!」

 

 レフィーヤやティオナ、ティオネが今度こそわっとアイズの周囲に群がる。

 フィン達が感謝の籠もった視線を投げ、イサミは笑みを浮かべて目礼した。

 

「・・・」

 

 上半身を起こし、アイズはぼんやりと周囲を見渡す。

 レフィーヤが涙を浮かべて抱きついてくる。ティオナとティオネが口々に声を上げるが耳に入ってこない。

 三人の後ろに顔が見えた。フィン、リヴェリア、ガレス、ベートに椿、アルガナ、バーチェ。そしてイサミを初めとするヘスティア・ファミリアの面々。

 どれも程度の差はあれ笑顔を浮かべている。

 

 最後にアイズはベルを見た。

 今まで視線を合わせれば、常に赤面して下を向いていた少年は、真っ直ぐにその視線を見返してくる。

 その視線に今までにないものを感じ、アイズの胸がざわつく。

 今まで感じたことのないその感覚に戸惑いつつ、アイズはふと、先ほど聞いた言葉を思い出した。

 夢うつつの中、それだけははっきりと聞こえて来た少年の声。

 頭がどこかまだぼんやりしたまま、アイズは口を開く。

 

「ベル・・・」

「は、はい!」

「私、君にえーと・・・力づくで奪われちゃったの?」

 

 その場の全員が吹き出した。

 

 

 

「クソ白髪貴様ぁーーーーーっ!?」

「殺す! 私の命と引き替えにしてでもあなたは殺します!」

「ベル様不潔です!」

「ああそんな・・・ベル様が・・・」

「ご、誤解! 誤解です!」

 

 ベルがまたたく間に周囲を囲まれ、詰め寄られる。

 頬を染めるもの、きゃーきゃー騒ぐもの、頭を抱えるもの、呆れた顔をするもの、ゲラゲラ笑うもの・・・その他の反応は様々だ。

 ゲラゲラ笑っている連中の筆頭が実兄だったのはさておく。

 

「ひー、ひー、腹が痛ぇ・・・」

「ひどいですね、イサミ君。お兄さんでしょうに」

「兄だから大笑いできるんですよ・・・ん?」

 

 言葉を途切れさせ、イサミが上を向く。

 つられて何人かが上を向いた。

 その視線の先にあるのは暗い闇の天井の中ぽつんと一点、間違いようのない青い空。

 

「わ、夜が明けてる!」

「日食と言うんだ、ティオナ。しかし術を解除したって事は・・・あっ!」

「え、どしたの? ・・・え?」

 

 遥か上方から差し込む日の光がにわかにかげった。

 慌てたようにイサミが高速化した"願い(ウィッシュ)"呪文を発動する。

 次の瞬間冒険者たちは地上、オラリオが飛び立った直径数キロの穴の縁にいた。巨大なガラクタと化したフェルズのウォーフォージド・タイタンもちゃっかり持って来ている。

 

「ここは・・・地上か」

「ねえみんな、あれ見て!」

 

 レーテーの声に一同が一斉に穴の中心部に目をやる。

 ダンジョンが消失して大穴が空いているはずの箇所に、おぼろげながら影のようなものが生まれつつあった。影は見る間に濃くなっていき、あっという間に実体を備えてドーム状の何かになる。

 それはタリズダンとしての姿を取り戻して消失したはずのダンジョンそのものだった。

 

「ダンジョンが・・・」

「戻った! ってことは勝ったって事だよね、【美丈夫(アキレウス)】くん!」

「ああ、そういうことだ。懐かしのダンジョン攻略の日々よ再びってわけさ」

 

 危なかった、と胸をなで下ろす。

 タリズダンが封印され、再び生成されたダンジョンに潰される危険性に気付いて急いで転移したが、どうにもギリギリだったようだ。

 ちらりと弟の方に目をやる。

 

「構えろクソ白髪! 体中の肉を切り刻んでついでに骨を踏み砕いてやらぁ!」

「待って下さいベートさん! こればかりは譲れませんよ!」

「やっちゃったんですか! どうなんですベル様!」

「そんな、わたくしがベル様のお世話をしなかったばかりに・・・!」

「助けてにいさーん!」

 

 悲鳴を上げる弟と、あれ?と首をかしげる少女を生暖かい目で見守りつつ、イサミは空高く浮かぶオラリオに視線をやり、そして再びダンジョンに向けた。

 またダンジョンにもぐり続ける日々が始まる。

 しかし、もうタリズダンの復活は、少なくともイサミが生きている間にはあるまい。

 何かに追われて必死に自分を鍛えるためではなく、純粋にダンジョンの攻略を楽しめるようになる。

 

 それを「楽しい」と思える感性がまだ自分に残っていた事に少し驚き、少し笑う。

 傍にいた水色の髪の女性が首をかしげて見上げてきたので、肩を抱いて抱き寄せた。

 彼女は少し驚いたようだったが、すぐに目を閉じて、体を預けてきた。

 

「にーさーーーーーーーーーん!」

 

 少年の悲鳴とその周囲で騒ぎ立てる声が荒野に響く。

 日常が戻ってきたことを感じながら、イサミはダンジョンを見つめていた。




 第三版のロビラーは裏切者としてレアリーにくっついたりまた離反しそうになったりしてるのですが、その後の版上げであれは偽物だったと言うことになった模様。
 なのでこう言う形で整合性を取りました。


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エピローグ 人生という冒険は続く

 その後のことを少し話そう。

 タリズダンが再封印され、オラリオは無事地上に帰還した。

 可能な限り元の位置に近づけはしたが、人造迷宮の破断部を修理するのが大変だと死霊王には文句を言われた。

 

 世界中から集まった神と助っ人たちは、イサミの手によって再びそれぞれの場所に帰った。

 ポセイドン・ファミリア首領クリュサオルはオッタルと酒を酌み交わすことを楽しみにしていたようだが、陽気な彼が普段にも似ずオッタルとは差しつ差されつで静かに飲んでいた、とガネーシャ・ファミリア首領シャクティの言である。

 

 ゼウスは兄弟との再会を約して逃げた。

 メンヘラ女神の相手はギルドに押しつけたので、兄弟は(多分祖父も)今のところ平和に過ごせている。

 

 正義の女神アストレアはオラリオに残留し、アストレア・ファミリアが復活した。

 新たな正義の派閥としてガネーシャ・ファミリア、赤外套達と共に悪と戦っている。

 今重点的に追っているのは姿を消した吸血鬼、ディックス一派だ。

 復帰したリューが団長を務めてはいるが、時々『豊饒の女主人』亭にも顔を出しているらしい。

 

 タリズダンの再封印と迷宮都市の地上への帰還は【神の鏡】とイサミが送っていった各地の神によってすかさず大陸中に伝えられ、文字通り全ての人類が胸をなで下ろした。

 流通への混乱は少ないものではなかったが、損を取り戻そうとする商人たちとギルドの豚の熱意は凄まじく、それほど間を置かずに回復するだろうと考えられている。

 デメテル・ファミリアを初めとする、オラリオ周囲に農地や牧草地を持っていた農林系派閥の眷族たちが盛大に愚痴をこぼす光景がしばらくは良く見られたが、それもいずれは消えていくはずだ。

 

 一番頭を抱えたのはギルドの探索関係の部署だった。

 ダンジョンの入口を再工事する程度ならまだ良かったのだがタリズダンの再封印、そしてそれに伴うダンジョンの再構築によって、ダンジョンの内部構造がまるっきり変わってしまっていたのだ。

 

 これまで蓄えたダンジョンの情報、下手をするとモンスターの情報までもが全く無意味になってしまい、愕然とする探索支援部。

 構造を再確認して、入り口をまた作り直さなければならない死霊王一派。

 今まで利用していたダンジョン内部の隠れ家が使えなくなり、いっそ全員で地上に出るかと額を寄せ合って相談するリドたち。

 

 その一方で一部の冒険者、特にマッパーを擁するヘルメス・ファミリアのような――は大いに盛上がっていた。

 何せギルドは新領域の地図に少なからざる報償金をかけている。

 これまでは最深層に降りられる極一握りにしか関係のない話だったが、中層までなら進出できる派閥はいくらでもいる。

 今なら濡れ手に粟の大もうけ、まさに世は大マッピング時代!とばかりに、上級冒険者を擁するほとんど全ての派閥が競い合うようにダンジョンの隅から隅まで探索の手を伸ばしていた。

 18階層まではあっという間に踏破され、前と変わらず安全階層であると判明した。リヴィラに代わる新しい街を作ろうという話が早くもボールスなどを中心に動いているらしい。

 

 むろん上位派閥も積極的にダンジョンに潜り、情報を集めると同時に新しい環境に自らを慣らそうとしている。

 今までからは考えられない事に、その中にはフレイヤ・ファミリアの一級冒険者たちの姿もあった。

 これについては一連の事件の中で犠牲も多かったものの多くのランクアップ者が生まれ、これまでの派閥間のバランスが崩れたことが一因とされている。

 

 端的に言えば黒竜と戦い、これを打ち倒したロキ・ファミリアの三首領とアイズがLv.7にランクアップし、単独最強派閥にのし上がったのだ。

 最強の双璧から明白な第二位に転落して、下手をすれば三番手につけるヘスティア・ファミリアに追いつかれかねない状況。

 フレイヤ・ファミリアの一級冒険者たち、特にLv.6の面々が必死に遠征を繰り返す様がたびたび目撃されている。

 一方でオッタルはイサミの打った剣を封印し、元の装備でダンジョンに挑んでいる。いつか、幾千幾万の確率を超えて再び剣を交える日のために。

 主神であるフレイヤはそれらの様子を見て微笑むのみだ。

 

 またヘファイストスの椿、ガネーシャのシャクティ他数名がLv.6に。

 ロキ・ファミリアのラウルたち数名がLv.5に。

 その他にも無数の冒険者たちがランクアップを達成し、ギルドは嬉しい悲鳴を上げている。

 

 なお晴れて一級冒険者になったラウルには、やはりスキルも魔法も発現しなかった。

 【超凡夫】の二つ名返上は遠そうである。

 

 無論ヘスティア・ファミリアでもランクアップの嵐が吹き荒れていた。

 リリがLv.1から2に。

 ダフネとカサンドラがLv.2から3に。

 フェリスがLv.5から6に。

 ベルがLv.4から5に。

 そしてイサミが――Lv.1++からLv.1+++へ。

 

「またかよぉ!?」

「今でももう十分に強いんだし、いーんじゃないのぉ?」

「まあそうだけどさあ・・・」

 

 頭を抱えるイサミがレーテーにいい子いい子と頭を撫でられていた。

 

 

 

「ようし、それじゃみんな準備はいいな!」

 

 おう、と一斉に答えが返ってくる。

 連日繰り返されているヘスティア・ファミリア総出+2の深層への遠征だ。

 

 イサミ、ベル、アスフィ、シャーナ、レーテー、フェリス、アイシャ。

 サポーターにリリ、ヴェルフ、春姫、ダフネ、カサンドラ、ゲド。

 

「なんかこーズブズブと付き合いが続いてて・・・いっそ改宗しようかなあ・・・」

「付き合わねえぞ。俺はあくまでヘファイストス様一筋だからな」

 

 ぼやくゲドとそれを相手してやるヴェルフが意外にいいコンビである。

 あれから後、さすがに大所帯になったこともあって新たに購入した豪邸のホーム。

 その玄関先でそれを見渡してうん、とヘスティアが頷く。

 

「それじゃみんな気を付けて、全員無事に帰ってきておくれよ!」

 

 はい、と返事して一行はホームを出た。

 朝のメインストリートは人で賑わっており、その中には彼らと同じダンジョンを目指す冒険者たちも少なくない。

 ぞろぞろと一塊になって歩く一行の先頭をイサミとベルが並んで歩いている。

 時々注目を浴びて照れくさそうに反応する弟に、イサミが眼を細めた。

 

「なあ、ベル」

「ん。なに、兄さん?」

「思えば遠くへ来たもんだな」

 

 笑う兄、はにかむように笑って返す弟。その弟が、ルビーの一つはまった金のリングを首から下げていることをイサミは知っている。

 諸行無常、生々流転。変わらぬものなど何もなく、終わらないものもまたない。

 だがこの「今」が出来る限り長く続いてくれるよう、イサミは祈っていた。

 

 やがて一行の前に巨大な塔――バベルが姿を現す。

 それを見上げてイサミは両手で頬を叩いた。

 

「さて、今日も潜りますか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~

 

 

 

 

                  ― 完 ―

 

 

 

 

 




 完結っ!
 閲覧感想評価、もろもろありがとうございました!

 いやあ、実はこれ書き始めたのアニメ第一期が始まった頃ですので、ほぼ八年がかりですね。
 最終話以外を書き終えたくらいで投下を開始して、それでも投下が八ヶ月。
 感想にへこんだり展開しくじったり色々ありましたが、それでも何とか完結に持って行けました。
 全ては読者の皆様のおかげでございます。
 改めてありがとうございました(深々)。

 後はいくつか本編の没ネタを投下する予定。

 さて、最終話書き終えた後にちびちび書きためていた新作を投下いたしましたので、よろしければそちらもご笑覧下さい。
 ファンタジー世界でスーパーマンが活躍する話です。

 毎日戦隊エブリンガー
 https://syosetu.org/novel/307464/


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余話「《エレメンタル招来》特技があると野営の時便利じゃね?」
23-01 「変身物語」


 事の始めは、買い出しに出たリリとヒリュテ姉妹がばったり出会ったことだった。

 

「あ、小人族(パルゥム)ちゃんだ、やほー」

「これはどうも。あれ以来ですね」

「そうね。そっちは変わりなかった? まあ、いきなりオラリオNo.3派閥に躍り出たわけだし、色々はあるか」

「そうですね。おかげさまで嬉しい悲鳴と言ったところです」

 

 敵対派閥(主にロキがヘスティアを敵視しているだけだが)ではあるが、共に異世界に飛ばされたり、世界の危機を救ったりした間柄。

 ヘスティア・ファミリア(というかベル)に敵意を燃やす約二名がいなかったこともあり、にこやかに話は弾んだ。

 そしてティオネもリリも年頃の乙女同士、話は自然と恋愛(コイバナ)の方に向かっていく。

 

「ダンジョンの底でやり合った悪魔が変な幻見せてきてね。その時団長とは気持ちが通じ合ったはずなんだけど、その後はやっぱりいつもの団長で・・・まだ何かが足りないのかしら・・・」

「そうですね・・・ベル様も私の事はまったく眼中にないようで、完全に妹分(こぶん)扱いなのはせめて脱却したいのですが・・・はあ、アスフィ様がうらやましいです」

「私は小人族(パルゥム)ちゃんがうらやましいかなぁ。

 私が小人族(パルゥム)だったらもう何の問題もなかったのに・・・」

「わたくしもせめてアマゾネスだったら・・・」

 

 ティオネとリリ、二人の恋する乙女が溜息をつく。

 ティオナがいつもの如く脳天気に笑った。

 

「あはは、二人の種族が逆だったら良かったのにねー・・・え、なに、小人族(パルゥム)ちゃん凄い顔してる・・・?」

 

 

 

「イサミ様っ! 一生のお願いです! リリを人間にして下さいましっ!」

「お願いします! 私は小人族(パルゥム)でっ!」

「ほわっ!?」

 

 ヘスティア・ファミリア旧本拠地である廃教会の地下。

 新本拠地に引っ越したことによって空き家となったここは、現在避難所兼非常倉庫兼イサミの作業スペースとなっていた。

 傍から見ても実際にもマッドサイエンティストの秘密研究所だがイサミは気にしていない(時々使っているアスフィはちょっと気にしている)。

 

 ともあれ、いきなり作業室に入って来るなりファーイースト・ドゲザを決めたリリとティオネにイサミが吹き出した。

 その後ろではティオナがあははー、と申し訳なさそうに笑っている。

 

「取りあえず最初から順序立てて話せ」

 

 居間のソファに闖入者たちを座らせ、旅の外套(トラヴェル・クローク)から取りだした紅茶のカップとクッキーの皿を並べる。

 

「実はかくかくしかじかで、イサミ様が他人を変身させる魔法を使えるのを思い出しまして・・・」

「それかあ」

 

 呆れと納得が半々くらいの顔で天井を見上げるイサミ。

 

「しかしこいつらとは言え、一応別派閥の人間を無断で案内するなよ」

「申し訳ありません。ですが放ってはおけませんで・・・」

「ごめんなさい・・・」

「まあ気持ちはわからんでもないが」

 

 心底申し訳なさそうなリリとティオネ。

 勢いでここまで来てしまったものの、反省はしているらしい。

 なおティオナは我関せずとばかりにクッキーと紅茶を堪能していた。

 

「お前も少しは済まなそうにしろ」

「あいたっ」

 

 ティオナの脳天に軽くチョップを落としてから少し考え込む。

 リリとティオネにとっては息詰まる数瞬が過ぎ、イサミが溜息をついた。

 

「まあいいか。灰かぶり姫(シンデレラ)にドレスと馬車を用意してやるのも魔法使いの役目だ」

「それでは!」

「ああ、変えてやる。ただ、いくつか条件があるぞ」

「私の操以外なら何でも差しあげます!」

「いらんわ」

 

 顔をしかめるイサミだが、すぐにまじめな顔に戻って話を続ける。

 

「まず一つは手間賃。まあ物質要素(触媒)の類はいらないから別にただでもいいが、技術料と後はケジメだな。そうだな・・・1200万ヴァリスだ」

 

 D&Dで魔法をかけて貰うときの基本料金が術者のレベルx呪文レベルx10gpである。

 使うつもりの呪文"万能変身(ポリモーフ・エニイ・オブジェクト)"は8レベル呪文で、使うためには最低15レベルが必要なので1200gp。

 オラリオの貨幣に直すと120万ヴァリスであるが、濫用されても困るのとほぼ独占市場なのでプレミアをつけてこの値段だ。

 それにLv.6のティオネにとってはこれでも大した額ではない。

 

「わかりました!」

「す、少しお待ち願えますでしょうか・・・」

「リリはつけといてやる。流石にぱっと用意できる金額じゃあるまい」

 

 盗賊めいた真似をしていたときの貯金は、ファミリアに入ったときに全部派閥に収めてある。その後も消耗品を自腹で補充していたりと、今のリリにはほとんど蓄えがない。

 

小人族(パルゥム)ちゃん・・・いえ、リリの分は私が支払います。紹介料ですわ」

「ティオネ様、それは・・・」

「いいの、払わせて。あなたがいなければそんな手段があることすらわからなかったんだから。私の感謝の気持ちよ」

「ティオネ様・・・!」

 

 手を取り合って何やら小芝居をやってる二人を放置して話を続ける。

 

「後は施術したのが俺だと誰にも言わないこと。

 それと、今までの装備は使えなくなるし、体のバランスも崩れて慣らすのに随分時間が必要になる。特に前衛のティオネにとって小人族(パルゥム)になるのは致命的だぞ。

 その覚悟があるか?」

「あります!」

「勿論です!」

 

 異口同音に叫ぶ二人。

 意志の固さを見てとって、イサミがふたたび溜息をついた。

 

「わかった。それじゃ取りあえずそこの部屋で服を脱いでこれを羽織れ」

 

 どこかの400年生きて転生の法で甦った大魔法使いよろしく、どこからか白いマントを取りだして二人に放り投げる。

 

「え・・・それはどういう?」

「人間からエルフならともかく、小人族が人間に、アマゾネスが小人族になったら服が破れるか脱げるかだろーが」

「あ、そりゃそうか」

 

 ティオナがうんうんと頷いた。

 

 

 

 白いマント・・・というか貫頭衣を着て二人が部屋から出てきた。

 だぼだぼだが、日本の病院で検査の時に着るようなそれが近い。

 

「で、これから二人を変えるわけだが・・・大体こんな感じか?」

 

 イサミが呪文を唱えると、人間と小人族の女性の幻影が宙に浮かび上がる。

 身長以外はほぼ今のリリとティオネそのままだ。

 

「おー」

「はい、これで」

「・・・」

「リリ?」

 

 ティオネは即答したが、リリは何やらじっと考え込んでいる。

 

「イサミ様、外見はある程度いじれるんですよね?」

「ああ。なんなら男にだってなれるぞ」

「それは遠慮させて下さい。そうですね、まず外見はベル様よりはっきり年上とわかって、しかも年上過ぎない感じ・・・16、出来れば17、8がベストでしょうか。

 髪は金髪で癖のないストレートロング、体型は細身が基本ですがある程度出る所が出ているほうがベル様の目を引きやすいので、下品にならない程度にグラマーにお願いします。

 ベル様は清楚系がお好みのようですが、それはそれとして色気も有効ですので、少し色気がにじみ出る感じで・・・」

 

 微に入り細に入り、リリの注文が続く。

 

(良く見てるなあ)

 

 呆れ半分感心半分でイサミがそれをメモしていた。

 

「・・・で。それで全部か?」

「はい、これで・・・いえ、どうしましょう。ベル様は担当受付にエルフという指定をするくらいのエルフフェチのようですし、いっそ人間ではなくエルフに・・・

 そうです! これはいいアイデアですね! エルフは元々スレンダーな種族ですし、そこにグラマラスという付加価値が加われば無敵・・・」

「言っておくが俺の魔法は種族ごと変えるからな。エルフになったらベルが寿命で死んだ後もずっと生き続けることになるぞ」

「!?」

 

 喜々として勝利の未来を思い描いていたリリが、"電撃(ライトニング)"の呪文に撃たれたように硬直した。

 

「で、どうするね」

 

 どうでもよさそうに訊ねるイサミ。長い時間が過ぎる。

 

「・・・・・・・・・・・人間でっ! お願いしますっ・・・!」

「リリ・・・!」

 

 血を吐くような言葉を発するリリ。

 ティオネが涙ぐんでその背中を抱きしめる。

 

「・・・」

「・・・」

 

 イサミとティオナが白けた表情でそれを見ていた。

 

 

 

 その日の午後。

 

「団長! 結婚して下さい!」

「ファーッ!?」

 

「どうです? ベ・ル・さ・ま?」

「りりりりりりりりりりりり、リリーっ!?」

 

 オラリオの二箇所で驚愕の声が同時に上がったが、その後どうなったかは神ですら知らない。

 なお。

 

「何で俺の仕業だって即座にばれるんだ!?」

「あれだけ滅茶苦茶やっていれば、それは第一容疑者はイサミ君になりますよ・・・」

 

 団長にして恋人のずれた認識に、実質的な副団長であるアスフィが大きく溜息をつくのはそう遠くない将来のことである。




 ちなみに《エレメンタル招来》とは召喚(サモン)呪文を準備しておくと、レベルに応じて1m~3mの地水火風のエレメンタルを2、3分ほど召喚出来る《特技》。
 ファイヤーなら火を起こす手間が省けるし、アースならテント設置とか穴掘りが楽だし、ウォーターなら水くみが不要になるんじゃないかなとw


ヘスティア・ファミリアが都市三番手派閥扱いなのはイサミ君がLv.7扱いだからです。
【恩恵】のシステム的に、数より質のほうが重視されるでしょう。
現在

一位:ロキ・ファミリア(Lv.7四人、Lv.6が三人、Lv.5一人) ※三首領とアイズ、ラウルがランクアップ
二位:フレイヤ・ファミリア(Lv.7一人、Lv.6三人、Lv.5四人)
三位:ヘスティア・ファミリア(Lv.7扱い一人、Lv.6二人、Lv.5二人) ※レーテー、フェリスがLv.6、シャーナとベルがLv.5
四位:ガネーシャ・ファミリア(Lv.6一人、Lv.5十一人) ※シャクティとモブLv.4がランクアップ

という感じですね。


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23-02 「大技術者イサミ」

瞬間作者の脳内に流れ出した「Baba Yetu」――!


「ファミリアの人員を、大々的に募集しようと思う!」

「えっ!?」

 

 オラリオが地上に帰還してから数日、まだ旧本拠地から引っ越しする前に夕食の席でヘスティアが宣言した。ベルを始めとする何人かは驚きの声を上げ、反対にイサミやアスフィなどは納得したように頷く。

 

「確かにいいタイミングですね。ここのところのあれこれで俺達も随分名を挙げましたし、実質ロキとフレイヤに次ぐ第三勢力と言っていいでしょう」

「ガネーシャは団長(シャクティ)がランクアップしたらしいが、それでもLv.6一人だからなあ」

 

 シャーナが現所属に抜かれてしまった古巣を嘆いて溜息をつく。

 

「できれば《戦争遊戯》の後に募集したかったんだけど、色々あっただろう?

 それで、だ」

「?」

 

 ヘスティアがイサミに視線をやる。

 

「イサミ君も今度こそは新しい本拠地(ホーム)に引っ越しするのに異は唱えないだろうね?」

「ああまあそれは」

 

 苦笑する。この紐女神は、以前イサミがこの廃教会地下の本拠地にこだわって引っ越しを拒んだのを随分と根に持っていたらしい。

 

「はいはい、今回は反対しませんよ。アスフィさん、リリ。神様とも相談して、商会を当たって手頃な土地を捜して下さい」

「わかりましたが、土地ですか?」

「建物はぼろかろうと何だろうとどうにでもなりますので」

「わかりました」

 

 アスフィとリリが頷く。

 新生ヘスティア・ファミリアで交渉ごとに長けているのはこの二人とイサミ。

 現状ではアスフィが番頭で、その助手がリリという具合だった。

 

「たぶん立て直す事になるでしょうけど、何か要望があるならどうぞ。みんなも何か言うなら今のうちだぞ」

 

 にやり、と笑みを浮かべて周囲を見渡すと、次々に周囲から声が上がる。

 

「お風呂が欲しいです! 大きくてゆったりつかれる奴!」

「レーテーはねえ、みんなでご飯食べられる大きな食堂が欲しいな!」

「水泳の練習が出来る池とか作れねえか? やっぱり水のエリアがあるみたいだし、覚えておく必要があるだろ。あと酒蔵とホームバー」

「贅沢は言いませんので書庫があれば・・・」

「あ、兄さんそれ僕も欲しい」

「遊戯室! バニー姿でスリードラゴン・アンティのディーラーとかやりたい!」

「男女別の大浴場と厨房と書庫、鍛冶場と作業室は言われなくても作るから安心しろ。

 しかしため池か、確かに必要になるかも知れないな」

 

 口々に要望を出す仲間達を見やり、イサミは楽しそうにメモをとった。

 

 

 

「ここですか」

「はい、ヘスティア様にはもうOKを頂いてます。いささか割高でしたが・・・」

「問題ありません。十分許容範囲でしょう」

 

 アスフィ達の見つけて来た物件は廃教会と同じ第七街区にあった。大通りからやや離れてはいるが、ほぼ真南に「豊穣の女主人」亭、北に五分か十分も歩けばギルド本部やヘファイストス・ファミリアの北西支店がある。

 しかもかなりバベルに近いとなれば紛れもなく高級地であった。

 

 広さもかなりのもので、アポロン・ファミリアの本拠地より一回り広かった。

 ただし建物は幽霊屋敷とは言わないまでもかなり朽ちており、そのままでは住めそうにない。

 

「問題ありませんよ。それじゃ支払いを済ませてきて下さい。その後ホームに」

「わかりました」

 

 

 

 アスフィ達がホームに戻ると、居間で団員たちが頭を寄せ合っていた。

 テーブルの上には何枚かの建築図面。それが明らかにたった今購入した土地に建てるためのものだと気付いて、アスフィとリリが目をみはる。

 

「・・・この短い時間でもう図面を引いたのですか!? 普通なら図面だけで数日はかかるでしょうに」

「大体は前もって考えておきましたからね。後は微調整だけですよ。取りあえずは二百人くらい収容できる箱を作りましょう。いいですよね、神様?」

「そこまでは来ないと思うけど・・・まあ大きめに作っておいて損はないね! それでオッケーだよ!」

「はぁ・・・」

 

 呆れたように眉を寄せるアスフィだったが、すぐにまだ認識が甘かったと知る事になる。

 

 

 

「"奇跡(ミラクル)""奇跡(ミラクル)""奇跡(ミラクル)""奇跡(ミラクル)"・・・」

「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

 

 一同は呆然としてその様を眺めていた。

 全員で新ホーム建設予定地に来ると、イサミの最初の「力ある言葉」でまず建築物が跡形もなく消えた。

 続けて地面からニョキニョキと新しい石壁が生え、柱が立ち、屋根になり、ひさしや玄関の階段が生まれる。

 更に荒れ放題だった庭園が綺麗に刈り込まれ、美しい庭の姿を取り戻す。

 ものの十分ほどでそこには美麗な装飾を施された白大理石の城館が姿を現していた。

 

「なんて言うか・・・ほんとでたらめだなあ、君は・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

 

 にやっ、とイサミが笑った。

 

 レベル1+++・・・D&Dでいえば29レベルに達したイサミはエピック特技《呪文容量強化(インプルーブド・スペルキャパシティ)》と特技《呪文疑似能力化》によって"奇跡(ミラクル)"の呪文を無制限に使用することが出来る。

 一言で言えば、最高位のそれ(ウィッシュとか完全蘇生とか)以外の呪文を無限に使用できるという事に等しい。

 化け物じみた知力と《ドラゴン譲りの知識》特技でスパコンによるCADなみの設計能力を持つイサミが"石壁(ウォール・オブ・ストーン)"などの呪文の応用を使えば、この程度の事はたやすかった。

 

 なお全次元世界を見てもトップクラスである死霊王ダイダロスの建築能力が数字で言えばおおよそ40。イサミのそれは実に800に達する。

 館一つくらいの設計は一分とかからなかった。

 

「でもドアとか窓ガラスとかないよ、兄さん」

「あ、ほんとですね」

「そこはぬかりはないさ。さて、取り出したるこの竪琴(ライアー)。これをつま弾くとどうなるか・・・さてさてごろうじろ」

 

 古代ギリシャの吟遊詩人が持っていそうな小型の竪琴をイサミがつま弾き始める。

 

「?」

 

 しばらく何事かと見ていた一同だが、イサミは竪琴を弾くだけで何も起こらない。

 数分程経ってそれに気付いたのは、飽きて周囲を見渡していたダフネだった。

 

「え、あれ?」

「なに、ダフネちゃん・・・あっ!?」

 

 カサンドラが続いてそれに気づき、他の者も驚きの声を上げる。

 石の塊だった白大理石の館の窓に窓枠が生まれ、窓ガラスがそこにはまる。

 玄関にはチャイムが備わり、分厚い木製の扉が生まれる。

 

「凄い! 壁紙とか部屋の中にもドアが出来てるよ!」

「あーそっか、"建築の竪琴(ライアー・オブ・ビルディング)"ね?」

「ご名答」

 

 正解にたどり着いたのは、やはりD&D世界からの来訪者であるフェリスだった。

 "建築の竪琴(ライアー・オブ・ビルディング)"。名前の通り弾き続けることで家や石壁、堀など、好きな建築物を生み出す事ができる。

 その速度は、(日本人の感覚で)そこそこ大きな一軒家を造るのに30分。

 それでこの規模の館を造ると少々時間がかかりすぎるので、石造り部分だけをまず他の呪文で作って内装を"建築の竪琴(ライアー・オブ・ビルディング)"で補ったというわけだ。

 竪琴を弾きながらイサミが楽しげに語る。

 

「後は引っ越しと、新しい家具を揃えましょう。シャンデリアとか他の内装含めてゴブニュ・ファミリアあたりに頼めばいいかな?」

「では私が行ってきましょう。私の分の引っ越し作業は・・・」

「荷造りだけしといてくりゃいいですよ。タンスとかはそのままで。こっちは一時間かからないと思うから、棚やまとめた荷物に"物体縮小(シュリンク・アイテム)"かけて、後は運び込んでから元の大きさに戻せばいい」

「つくづく便利な奴だなお前・・・」

魔術師(ウィザード)ですから」

「わかりました、頑張ります!」

「レーテーもがんばるよー!」

 

 うむ、と力強くヘスティアが頷いた。

 

「こんな凄いホームが出来たんだ、きっと沢山の入団希望者が来るぞー!」

 

 腕組みをして胸を張る紐女神。

 募集の結果がどうなるかはまだ誰も知らない。

 




このSSではパスファインダールールを適用しておりますので、キャラクターは2レベルに1個の特技を習得できます。(D&D3.5だと3レベルに一つ)
なので29レベルだとキャラクターレベルで5つ、クラスレベルで3つのエピック特技を得られるわけですね。
で、特技《呪文疑似能力化》は本来の呪文レベル+8レベルのスロットを用意できればその呪文を無制限に使える特技なので、エピック特技《呪文容量強化》(使用できる呪文レベルに+1)を8つ取れば、最高の9レベル呪文であるミラクルを無制限に使用することが可能と。


"建築の竪琴(ライアー・オブ・ビルディング)"で内装をカバーできるかどうかは議論もあるところでしょうが、家具でなく家の一部(壁紙とか備え付けのロウソク立てとか窓とかドアとか)はおkと言うことにしてあります。


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23-03 「新人さんいらっしゃい」

 

「うははははー! 何人来るかな! 楽しみだなー!」

「神様が壊れた・・・」

 

 あれから一週間。

 ゴブニュ・ファミリアに依頼した改装も済み、家具も揃えた新ホーム「竈火の館」。

 その広い大食堂で朝食をとりながら、ヘスティアが高笑いしていた。

 

 この一週間、アルバイトとダンジョン探索の合間を縫ってギルドの掲示板やヘファイストスの店、その他あちこちに張り出した新団員募集の張り紙。

 その日時がこの後、今日の朝九時だった。

 

「何人くらい来るかねえ。あ、ヴェルフ。そっちのショーユ取ってくれよ」

「ほいよ。まああれだけ大暴れしたうえに新興の派閥、しかも団長と副団長が両方ヒューマンだからな。あちこちのファミリアで断られがちなヒューマンの冒険者志望がドッと来る可能性もあるんじゃねえか」

 

 昨日の深層遠征が長引いたので、夕食を食べてついでに泊まっていったゲドとヴェルフがそんな会話を交わす。

 ちなみにランクでLv.5、四番手か五番手に過ぎないベルが何故副団長かと言えば結成当初からのメンバーであることに加え、実力は既にレーテーと互角以上であること、シャーナ、フェリスと言ったあたりが面倒くさがって押しつけたという事情もある。

 もっとも実質的な副団長はアスフィと言うことで全員の認識はほぼ一致していたが。

 それはさておきシャーナが溜息をついた。

 

「そう言う連中は大体ガネーシャで引き受けてたんだけどな。今後はそのへんもウチに来るかもしれないわけか。いや、悪いこっちゃないんだが・・・おい、やめろって」

「えー」

 

 いい子いい子と頭を撫でるレーテーの手をシャーナが振り払った。

 生暖かい目でそれを見ていたイサミだが、ふとカサンドラがゲドとヴェルフのほうをチラチラ見ている事に気付く。

 

「どうした、カサンドラ。何か不安そうだが・・・気になる事でも?」

「えっ、は、はいその・・・予知夢(ゆめ)を見たんです」

「夢?」

「はい、ヘスティア様が真っ青になって固まり、ベルさんが倒れて、入団しようとやって来た皆様が冷たい目をして帰っていくっていう・・・」

「あー、はいはい、いつもの悪夢ね」

 

 ダフネがうんざりした顔でカサンドラの言葉を遮った。ベルが首をかしげる。

 

「悪夢?ってなんですか?」

「いつもの事よ。悪い夢を見たって騒ぐの。団長もベルも気にしなくていいよ」

「ダフネちゃん! ほんとなんだってば!」

「うーん・・・」

 

 周囲を見渡してみると、他の面々もまともに取り合ってはいない。

 ヘスティアやレーテー、春姫あたりは困ったような顔をしているが、これは無碍にするのが気の毒だと思っているだけで、信じているわけでは無さそうだ。

 

「まあそう言う事もあるもんよ。マリッジブルーみたいなもんね!」

「あんた結婚した事あるの?」

「ない!」

 

 アイシャのツッコミにけらけら笑うフェリス。

 

(・・・ん?)

 

 少し違和感があった。

 好奇心の塊のような「あの」フェリスが、予知夢などと言う面白そうな話をてんから取り合わないと言うことがあるだろうか?

 兄と目が合う。二人が頷きあった。

 

「カサンドラ、もう少し詳しく話してくれるか?」

「し、信じてくれるんですか?」

「物好きやねえ、団長も」

「気になる事は確かめないと気が済まないタチでね――どうした、ベル?」

「ん? いや、背中のこの辺がちょっと」

 

 ちらり、とベルに目をやる。

 

(やっぱりステイタスの『幸運』アビリティか? カサンドラって名前も満更偶然じゃないみたいだな)

 

 神の呪いによって予言を信じて貰えなくなった悲劇の巫女。

 恐らくはそれに近い能力が発現しているのだろう。

 ベルは『幸運』アビリティ、イサミは山のような《特技》による桁外れの抵抗(セーブ)能力でそれを回避したに違いない。

 

 余談だがD&Dには抵抗(セーブ)を上昇させる《特技》が種類だけは山のようにある。

 もっとも一つ一つは例えば「技能一つとセーブ一つを+2」程度の貧弱な効果しかなく、"願い(ウィッシュ)"呪文で無制限に《特技》を取得できるイサミでもなければ、まあ滅多に取る物ではない。

 閑話休題(それはさておき)

 

「ええとその、大体それで全部です。後は重荷を背負うヘスティア様のイメージと、それを救うのが黄金の噴水と宝石の樹であると・・・それとその、服を着てないゲドさんが・・・」

「やーん、カサンドラさんのエッチー」

「そ、そんなんじゃ・・・!」

 

 真っ赤になったカサンドラを、同じく顔の赤いゲドがからかう。

 

「こいつ朝から飲んでやがる・・・」

「しかし随分豪華な話だな。どうだ、ため池(プール)も作った事だしついでに噴水も作るか?」

 

 からからと笑うシャーナ。

 

「うーん」

 

 一方でイサミとベルは首をひねったが、どうにも要領を得ない。

 とにかく気を付けると言うことで、入団希望者を迎える準備をする事にした。

 

 

 

「くぁーっ、たまんねえなあこれ・・・」

 

 かぽーん、と音が響きそうな総ヒノキ風呂。ちなみにもう一方の風呂は総大理石のローマ風で、日替わりで男風呂女風呂が入れ替わる。

 ここのところ連続での深層遠征であったが、流石に今日はお休みと言うことで、ゲドは飯ついでに朝から風呂を堪能していた。

 しかも風呂に酒を持ち込んで朝から飲んだくれている。

 

「やっぱり朝寝朝酒朝風呂は最高だぜ・・・!」

 

 ダメ人間一直線のセリフをほざき、くはあと酒臭い息を吐く。

 昨夜も風呂には入ったが、他人と一緒に入るのが苦手なゲドにとって、こうやって一人で広い風呂を独占できるのは滅多に出来ない贅沢であった。

 窓を開けて冬の冷たい空気を楽しみながら、温かい湯に浸かって酒を飲む。

 確かに好きな人間にとってはこたえられない快楽だろう。

 

「・・・ん?」

 

 その時、開いた窓からひらりひらりと一枚の紙が入り込んできた。

 近くに降りてきた紙切れを素早くキャッチし、酔眼を走らせる。

 

「ブフォォォォォッ!?」

 

 ゲドが口に含んでいた酒を盛大に吹き出した。

 

 

 

「うわあ・・・・!」

「おおう」

 

 ベルが感嘆の声を上げ、イサミも軽い驚きの声を漏らす。

 ふふん、と胸を張る紐神。

 九時の鐘が鳴るころには、ホームの前庭には200を超える人数が集まっていた。

 冒険者らしき姿、サポーターらしき姿、まだ冒険者になっていないであろう旅人姿の人々もいる。

 先ほどの予想通り、半分はヒューマンだった。

 嬉しいけどでもこれ以上ベルくんに色目を使う輩を増やすわけには・・・とかぶつぶつ呟く紐神の背中を軽く叩く。

 

「ほれ、神様。みんな神様のお言葉を待っていますよ。それとも俺が挨拶しますか?」

「馬鹿を言うなよ。こればかりはボクの仕事さ!」

「ではよろしく」

 

 にやっと笑顔を交わすと、ヘスティアが玄関の石段の最上段に登る。

 大きく息を吸って入団式の刻限を告げようとしたとき、後ろの玄関の扉が大きく開かれる。

 そこに立っていたのは全裸の、右手に何やら紙を手にしたゲド。

 

「おおおおおおおおい何だこりゃあ!? 借金二億ヴァリスの契約書だとぉーっ!?」

 

 その瞬間、時が止まった。

 

 

 

「うーん・・・」

「ベル様ーっ!?」

 

 ヘスティアが石化したように動きを止め、ベルが卒倒し、その他の面々も固まる。

 玄関の中では、全裸(ゲド)を止めようと追いかけて来たらしいヴェルフが呆然と立ち尽くしていた。

 前庭には阿鼻叫喚が響き、やがてそれが収まると共にきびすを返す者達が現れる。

 

(・・・やばい!)

 

「"力場の壁(ウォール・オブ・フォース)"!」

「なっ!?」

「なんだこれ、見えない壁があるぞ!?」

 

 Uターンしようとした入団希望者たちが門の前で騒ぎ出す。その彼らに向かってイサミが声を上げた。

 

「諸君! 俺がヘスティア・ファミリア団長、【驚天動地(アスタウンディング)】イサミ・クラネルだ!

 二億ヴァリスの借金など、我が派閥にとっては物の数ではない!

 しかしこの契約は我が神ヘスティアが神友たる神ヘファイストスと『自分の力だけで稼いだ金で返す』という約束の下に結ばれたもの!

 返せないのではない、敢えて返さないのだ!」

 

 イサミの対人能力は、演説一つで狂信者を生み出せるほどに高い。

 実際、帰ろうとしていた人々も取りあえず話は聞くかという雰囲気にはなっている。

 

 だがそれでも200人という人数と二億というインパクトを覆すのは困難事だ。

 そこでイサミの脳裏によぎったのは「黄金の噴水と宝石の樹」というフレーズ。

 

「今その証拠を見せよう――"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"!」

「???」

「!」

 

 疑似呪文能力を解放すると、玄関の脇に現れたのは10を越す穴。

 だが、前列にいたものはその中に何があるか気付いて絶句する。

 

「"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"!」

「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」」」」」」

 

 再度の魔力発動に続いて、絶叫が前庭を満たした。

 穴から吹き出したのは無数の金貨、白金貨。

 一枚一枚が千ヴァリス、一万ヴァリスあるそれがざっと数十万枚、庭に積もる。

 

「"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"!」

 

 更に前庭に現れたのは24階層の木竜が守っていた宝石樹。

 文字通り宝石の成る木だ。

 

「見たか! これが証拠だ! その気になれば二億などいつでも稼げる!

 それが我がヘスティア・ファミリアなのだ!」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」

 

 雄叫びが響き、入団希望者たちが拳を突き上げる。

 帰ろうとするものはもういなかった。

 

 

 

 その後、入団面接を経て小数の不合格者をはじき、200人近い大所帯としてヘスティア・ファミリアは新たに出発することになった。階下が新入団員で賑わうのを感じつつ、幹部用の談話室にヴェルフを含めたいつもの面子が集まる。

 

「やれやれ、どうなることかと思いましたよ・・・」

「うちのロゴがあるから誰の作かと思ってたが、まさかヘファイストス様のものとは」

「ごめん、出しっぱなしにしておいて、窓も開けっ放しにしてしまったから・・・」

「しかし今回はカサンドラがいなかったらやばかった。ありがとうな」

「本当だよ。ありがとう、カサンドラさん!」

「い、いえ・・・!」

「後神様は一ヶ月お小遣いカット」

「のぉぉぉぉぉ!」

 

 嬉しそうな顔のカサンドラ。ムンクになる駄女神。ダフネは複雑な顔だ。

 ――"限られた望み(リミテッド・ウィッシュ)"で呼び出したのは現金を収めた魔道具、携帯穴(ポータブル・ホール)であった。

 穴一つごとに硬貨が八万枚入るそれを12個。百万枚近い金貨・白金貨の総額は数十億ヴァリスに達する。宝石樹と並んで二億という額を覆すだけのインパクトがあった。

 そんな事を話していると、部屋の隅からか細い声が聞こえてきた。

 

「あの・・・申し訳ありませんでした。反省してますからほどいて頂けませんか・・・へっくしょい!」

 

 裸のまま簀巻きにされたゲドが、部屋の隅からてるてる坊主のように吊されていた。

 布で巻いているので見苦しいものは見えないが、寒さを防いでくれるほどではない。

 

「聞こえんな。しばらく反省してろ。夕方になったら下ろしてやる」

「そんなぁ!」

 

 哀れっぽい声を出すゲドに同情するものは、ベルや春姫を含めて誰もいなかった。

 なおこの一件はオラリオの伝説となり、後年Lv.3にランクアップしたゲドが【全裸大悟(ヘウレーカ)】なる二つ名を新たに授かるのは余談である。




ガネーシャ・ファミリアはオラリオのハッフルパフ。
真のガネーシャ団員もいるし、しょうがないから入った人もいる。
でも最後にはみんなガネーシャに染められる(ぉ


現時点のLv.5ベルくんはスペック的には力と耐久もレーテーより上、敏捷度で圧倒的に上回ってるくらいです。
スペックだけ見るなら完全に勝ってますが、経験でまだ互角という感じですね。


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23-04 「夢幻の財布」

 バイト帰りの紐女神がトボトボと北のメインストリートを歩いている。

 

「ちぇー、確かにボクが悪かったけどさー。主犯はゲドくんだよなー。

 イサミ君もなー。もうちょっと手心を加えてくれてもいいと思うんだけどなー」

 

 頬を膨らませてふてくされたようにぶつぶつと呟くが、流石にその語気は強くない。

 先だっての入団募集で大ポカをやらかしたせいで、今月はお小遣いを全カットされてしまったのだ。

 封印外世界に飛ばされる少し前くらいからは買い食いするくらいの余裕もあったのに。

 

 「ひもじい、寒い、もう死にたい」不幸はこの順番でやってくると言ったのは誰だったか。

 激動の一年が終わり、年も明けて今は真冬。さすがに食事抜きと言うことはないものの、ヘスティアの懐具合は凍えて死にそうであった。

 

「・・・ん?」

 

 何か声が聞こえたような気がしてヘスティアは道ばたに視線を落とした。

 

 

 

「何か最近神様が羽振り良くないか?」

「イサミ君もやっぱりそう思います?」

 

 幹部用談話室。ヘスティア以外いつもの面子が揃っているそこで、そんな会話が交わされている。

 

「ヴェルフから聞いたけど、北のメインストリートで揚げ菓子をかじりながら歩いてたって」

「新人団員がジャガ丸くんおごってもらったって言ってましたよ」

「高い喫茶店から出てくるの見たって話も」

「うーん」

 

 腕を組んで唸るイサミ。

 

「アスフィさん、リリ。神様にお小遣いの前借りとか許してないよな?」

「いいえ」

「許すわけないじゃないですか」

 

 アスフィが首を振り、例の件をまだ怒っているのかリリがむすっとして答える。

 

「ここにいる面子が神様にお金貸してるって事もないよな?」

 

 ベルやレーテー、春姫など食い下がられたら危うそうな連中の方を見るが、揃って首を振る。

 

「新入団員にそれとなく話を聞いてみたが、さすがにあいつらから借りてるって事もないみたいだしなあ」

 

 現在ヘスティア・ファミリアの新人団員は200人ほど。

 30ほどのパーティを組ませ、ここにいる面子と、数人だが入団してくれた上級冒険者とでローテーションで面倒を見ている。

 そもそもイサミ達のバックアップや装備・ポーション等の支援があるとは言え、冒険者を始めて半月足らずの人間が、他人に金を貸せるほど懐に余裕があるとも思えない。

 

「まあそういう事する人でもないだろ。・・・しかし、だとするとどっから金をひねり出してるんだ?」

「神様は悪い事なんかしませんよ!」

 

 そこは流石に譲れなかったのか、ベルが珍しく強い口調で口を出す。

 それを見ながらイサミが溜息をつく。

 

「まあそうだな。だが悪い事に巻き込まれてそうな気はするんだよなあ・・・」

「・・・」

 

 今度はベルも反論しなかった。

 

 

 

「うふ」

 

 翌朝。

 ぱちりと目を覚ましたヘスティアは、枕の下をゴソゴソと探る。

 

「うふふ」

 

 引っ張り出した革の小さなポーチの中には、ぴかぴかの1000ヴァリス金貨が25枚。

 合わせて25000ヴァリス。ジャガ丸くんが一個30ヴァリス、概ね1ヴァリス=10円くらいの感覚であるから結構な額だ。

 

「うふふふふふふふふふ」

 

 にまにまにまと、金貨を眺める紐神。

 サイドテーブルから取った自分の財布の中にも、同じ金貨がぎっしり詰まっている。

 

「うははははははは! 我が世の春が来たぁ!」

 

 どこかの月の御大将のようなことを言いつつ破顔するヘスティア。あの日道ばたでこの革ポーチを手に入れてから、ヘスティアには一足早い春がやってきていた。

 

『へへへ、どうです。あっしはお役に立ったでしょう』

 

 どこからともなく聞こえる声。

 かなりの広さがあるヘスティアの部屋だが、見渡してみても声の主の姿はない。

 

「うんうん、ありがとうティルくん! 何もかも君のおかげだよ!」

 

 満面の笑顔で手に持つ革のポーチに語りかけるヘスティア。どこから声が聞こえているかはともかく、紐神に語りかけているのはこのポーチであった。

 

 あの日「ティル」と名乗る革のポーチに話しかけられたヘスティアはそれを拾ってホームに戻り、ポーチの言うことを信じて取って置きの金貨をその中に入れて眠りについた。

 すると翌朝、中の金貨は25枚に増えていたのだ。

 

 中の金貨をいくら使っても、1枚残っていれば次の朝には25枚に戻っている。

 文字通り無限の財布を手に入れたヘスティアは毎日豪遊(買い食い)していた。

 

「いやー、ボカぁ幸せだなあ!」

『お役に立てて幸いですよご主人様』

 

 屋台の買い食いで幸せを感じる安い女神をヨイショしつつ、ティルはほくそ笑む。

 

(くっくっく、分体とは言え流石に神。欲望の波動は薄いが僅かながらに洩れる神気。これならば力を蓄えて現世に復活するのもそう遠いことではあるまい。

 そして復活した暁には今度こそ――!)

 

「そして復活した暁には今度こそこの地上を我がものとしてくれる、か。やっぱ変なのに絡まれてたな」

『!?』

「い、イサミ君!?」

 

 いつの間にかイサミがベッド脇に立っていた。手にはティルの宿った革ポーチ。

 

「いつの間に入って・・・いや、そのポーチを返したまえよ! ボクのだぞ!」

「お金に目がくらんでそのポーチにいいように操られかけてたのは誰ですか」

「う"っ。で、でもティルはそう悪い奴じゃ・・・」

「悪い奴なんですよ」

 

 "精神探査(プロウヴ・ソウツ)"呪文でティルの正体を知ったイサミが溜息をつく。

 

「そいつの正体はドラゴンの幽霊でしてね。他のドラゴンの体を乗っ取ってモンスター軍団を操って一つの町を滅ぼしかけた極悪人ですよ。最終的に肉体を失って逃走しましたが、このポーチに憑依して力を取り戻そうとしてたんでしょう」

 

 この革ポーチの本当の名前は"無限の財布(エヴァーフル・パース)"。なんと伝説級(エピック)超魔道具(アーティファクト)だ。

 文字通り伝説級の宝ではあるが効果は前述の通り毎日一枚の金貨を25枚に増やすだけという、伝説級(エピック)の冒険者にとっては実質何の役にも立たない代物だ。

 この財布が生み出す一年分の金貨より、イサミ達が30分で稼ぐ金額のほうが多い。

 

 そして「ティル」の本当の名前はティランスラサクス。トリル(フォーゴトン・レルム)のフランという町でイサミの言ったとおりのことをしていたドラゴンの幽霊。

 AD&Dのコンピューターゲーム「プール・オブ・レイディアンス」で事件の黒幕だった存在だ。

 

(恐らくはエルミンスターやグラシア達みたいにこの世界に干渉した奴がいたんだろうな。そのついでに、何億分の一って偶然でここにたどり着いたか。

 あるいは隻眼の黒竜と何か関係があったのかも知れないな)

 

 そんな事を考えているイサミをよそに、ヘスティアが愕然とした顔になる。

 

「そ・・・そうなのかいティル? ボクを騙していたのか?!」

『そ、そんな事はありませんよ! あっしは・・・』

「ええい、往生際が悪いぞこのクソ幽霊! ウチの神様をたぶらかしたことも許せんが、かつてのラスボスがここまで落ちぶれてるたぁ、とうちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」

『い、意味がわからんぞ人間! それに儂は誇り高き死龍王(ドラコリッチ)ティランスラサクス! 貴様如きにそこまで言われる筋合いは・・・』

 

 かつて何周もするほどはまったゲームのラスボスの情けない姿に怒りを示すイサミ。

 あっさり化けの皮が剥がれて地を露わにするティルことティランスラサクス。

 

「うるせえ! リング・オブ・ウィッシュ一発であっさりブッ殺された奴がえらそうに!」

『うわああああ! 言うな! それを言うなぁぁぁあ!』

 

 本人も気にしていたのか、うろたえるティランスラサクス。

 冷静、というよりは冷酷な目になってイサミは手の中の革財布を見る。

 

「まあいい。二度とこんなたわけた事をやらかさないよう、念入りにあの世に送ってやる。今の俺ならぶっ飛ばせるだろ」

『ひいいいいいいいい!?』

 

 自身も魔術に長けていた(過去形)だけあってそれが脅しでないことを理解したのか、ティランスラサクスが震え上がった。

 通常幽霊の類はその妄念を晴らすことでしか成仏させることは出来ないが、今のイサミには無理を通すだけの術力と手段(ウィッシュ)がある。

 無理矢理あの世に送り込むことも不可能ではなかった。

 

「それじゃ行くぞ。お前の罪を数えながらあの世に行け!」

『いやだぁぁぁぁ! まだ消えたくないぃぃぃ!』

 

 泣き声で命乞いをするティランスラサクス。

 そして、目の前でそんな真似をされて平気でいられるヘスティアではなかった。

 

「あーそのさ、イサミくん。命だけは何とか助けてやれないかな? 流石にちょっとかわいそうだしさ・・・」

「・・・放っておいたら誰かに憑依して使い潰しかねないやつですよ?」

「そうかもしれないけど、イサミ君なら何とかできるんじゃないかなーって・・・」

『姐御・・・!』

 

 上目遣いで嘆願するヘスティアに、イサミが溜息をついた。

 

「わかりましたよ。その辺含めて何とかしてみましょう」

「ありがとう、イサミ君!」

『ありがとうございやす、姐御と兄貴!』

「誰が兄貴だ」

 

 

 

『儂は偉大な死龍王(ドラコリッチ)じゃぞ? せめてなー、もうちょっとなー』

「まあいいじゃないかティルくん。その格好も悪くないよ?」

『・・・まあヘスティア様がそうおっしゃるならいいですがのう』

 

 バイト帰り、北のメインストリートを歩くヘスティア。

 溜息をつくのは、その肩に止まるカラスほどの金属の鳥、いや竜だ。

 リアルなそれではなく、丸くデフォルメしたぬいぐるみのような造形。端的に言ってデブったオウムのようにも見える。

 その中に宿っているのがかつてのドラコリッチ、ティランスラサクスだった。

 

 スパーク・ガーディアンと呼ばれる、人造使い魔の一種。デザインをやや変更した以外はオリジナルと変わらない。

 そこにティランスラサクスの霊体を宿らせ、同時に憑依などが出来ないよう封印したのがこれだ。

 今のティランスラサクスはイサミの使い魔であり、術者の能力に応じて強くなる。

 ことに打たれ強さに関しては術者のそれに正比例するので、今のティランスラサクスはオラリオで二番目の打たれ強さを誇る。

 

 そうした事があるのでヘスティアのボディガード兼見張り役兼連絡役として採用されたというわけだった。

 ジャガ丸くんの屋台では新たなマスコットとして子供達の人気者になっている。

 

「これであの財布も返して貰っていれば良かったんだけどなあ」

『それに関しては全面的にヘスティア様が悪いと、儂も思いますぞ』

「はあ・・・」

 

 例の財布については何だかんだ大ファミリアになったことでもあるしヘスティアの交際費にあてると言うことで話はついたが、それはそれとして一ヶ月はペナルティ期間と言うことで取り上げられてしまっている。

 つい数日前までの寒い懐具合に戻ったヘスティアと、不本意にも愛嬌のあるボディに押し込められてしまった元死龍王は、愚痴を言い合いつつ家路を辿っていった。

 




ティランスラサクスは作中で述べたとおりAD&Dコンピューターゲーム「プール・オブ・レイディアンス」のラスボス。
元が黒竜なので初期案では隻眼の黒竜の正体でしたが、流石に低レベルキャラ向け冒険のラスボスがあの大怪獣と同一というのはな・・・ってことでお蔵入りしました。


「ひもじい、寒い、もう死にたい、不幸はこの順番でやってきますのや」はじゃりン子チエのおバァはんの名セリフ。
これはほんと人生の真理だと思います。落ち込んでても取りあえずメシ食って部屋を暖かくしないとね。



>リング・オブ・ウィッシュ一発で~
小説版だとそれで肉体を破壊されて幽霊としてさまようことになってますw


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23-05 「オタク達の挽歌」

「だから・・・で、こう・・・」

「なるほど・・・やはり封印外世界の技術は・・・」

 

 新生ホームの作業室で、イサミがアスフィに"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"の作り方を教えていた。

 いわゆる四次元バッグの類で、12立方フィート(60センチx60センチx90センチ)までのものを収容することが出来る。大きさは小ぶりの背負い袋にもかかわらず、リリがヘスティア・ファミリア入団前に使っていた巨大バックパック以上のものを運ぶことが出来る。

 

 今までの面子には最低一人一つは配布していたが、新入団員達のために急遽大量生産する必要があり、ついでにアスフィにも製法を教えているところであった。

 もっともアスフィはイサミのように魔道具を作ることが出来ず、魔力を秘めたドロップアイテムを必要とするため、どちらかというと今やっているのは開発作業に近い。

 

「ブライトドッグのドロップアイテムを使ってみたらどうでしょう?」

「どうでしょう? 14階層で産出する蒼水晶(ブルークリスタル)のほうが」

「あれがありましたか。しかしそうなるとこっちの方の処理作業が・・・」

 

 額を寄せ合って話しあう二人。

 一見いちゃついてるようにも見えるが、二人とも真剣な顔で没入している。

 お互いを意識したりとか、頬を染めたりとか、甘い雰囲気を出したりとか、指先が触れあって慌てて手を引くとか、そうした通常の逢瀬にありそうなあれこれは全くない。

 アスフィの元主神が見たら「変わらないねえ」と溜息をついただろう。

 

 

 

『で、何かと思えばこの世界の素材で"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"を作る方法か・・・』

「す、すいません・・・」

 

 アスフィが怯えたように首をすくめる。

 突貫作業で修理が完了した人造迷宮15階層あたり。

 死霊王ダイダロスの個室で二人は部屋の主と顔を合わせていた。

 

「ダイダロスさんならその手の研究に手をつけたことがあるのでは?」

『まあ、無くはないがな』

 

 死霊王が椅子に座り直し、宙を仰ぐ。

 

『興味深い研究ではあったが当時は何かと忙しくてな。さして深入りも出来なかった。ダンジョンの探索自体も今に比べると全く進んでいなかったしな・・・』

 

 当時を振り返るように、遠い目をする死霊王。

 まあ彼の目は干からびた眼窩の奥であるから、本当にそうかどうかはわからないが。

 

「でしょうねえ」

 

 こちらも感慨を込めてイサミ。

 人間としての工匠ダイダロスの業績について述べた本はギルドの図書室に何冊もあったが、バベル、ギルド本部、ダイダロス通り、闘技場、冒険者墓地、そしてこのオラリオそのもののグランドデザインと、建築関係だけでも枚挙にいとまがない。

 

「とはいえ、さして深入りも出来なかった、はご謙遜だと思いますが」

 

 それらに加えて今一般に流通している《鍛冶》アビリティによる武具製作技術の大半、魔道具の四割ほどはダイダロスの考案になるものである。

 ポーション、エリクサーの製作技術の確立なども彼の業績であるとされていて、この方面でも不動の業績を打ち立てた偉人である事は間違いない。

 

『トリルの技法をこちらのそれに落とし込んだものが大半よ。こちらではマジックアイテムの技術がまったくと言っていいほど存在しなかったからな。つまらん仕事だったわ』

 

(割と芸術家肌だからなあ、この人・・・)

 

 新しいものを作ること、機能性と芸術性を併せ持つ一品を作る事に快感を感じる人間からすれば、既存の技術のフォーマット変更など本当にただの作業であったのだろう。

 

 逆に実用性一点張りで、そうした地道な作業を全く苦にしないのがフェルズだ。このあたりは元の世界(エベロン)で技術者として研究を重ねていた彼女らしい。

 その一方で己の魔道具技術を開陳することはなく、自分で使うだけしか作らなかったのは、開発した技術が戦争を激化させてしまった後悔によるものか。

 全てが試行錯誤だったオラリオ黎明期と現代とほぼ変わらない500年前という状況の違いはあるが、フェルズが一般の魔道具製作者として全く名を残していないのはそう言ったあれこれもあったかもしれない。

 

 内心で肩をすくめるが表に出すことはなく、イサミが言葉を重ねる。

 

「この機にもう一度本気で研究に打ち込んでみませんか?

 当時は発見されてなかったドロップアイテムや鉱石、植物。それに自分で言うのも何ですが腕利きの魔道具製作者(アイテムメイカー)二名。

 もう一度やり直してみるだけの価値はあると思いますが」

『ふむ・・・』

 

 顎をつまんだ死霊王が視線をアスフィにやった。

 

『確かにな。貴様はもちろんだが、その娘がいるのは大きい』

「え、私ですか!?」

 

 これまで死霊王の存在に萎縮していたアスフィがびっくりした顔になる。

 

「私などイサミ君やダイダロスさんに比べれば・・・」

『下手な謙遜はよせ。儂にせよそやつにせよ、元々ある技術を習得してそれを別の形に落とし込んでいるに過ぎん。だが貴様は全く新しいものを数多作り出してみせた。

 その閃き、発想、それらを実現する技術。こと魔道具製作のセンスに関してはわしらを遥かに凌ぐ天才と認めてやろう』

「あ、ありがとうございます・・・」

 

 伝説の大工匠から手放しの称賛を受け、ひたすら恐縮するアスフィ。イサミもうむうむと頷いている。

 現存のアイテムの四割を世に出したのが死霊王ダイダロスなら、五割を創造したのが【万能者(ペルセウス)】アスフィ・アル・アンドロメダだ。

 活躍分野の広い死霊王やイサミに比べて魔道具に集中しているとは言え、死霊王の称賛は掛け値なしの真実である。

 

『じゃがそう言う事なら少し待て』

 

 そう言うと、死霊王は手のひらの上に乗る程の水晶玉を取り出すと、何やら念じる。

 ややあって、扉をノックする音が聞こえた。

 

『入れ』

「失礼します、ダイダロス様」

 

 入って来たのはおよそこの場所には似つかわしくない男だった。

 血色の良い小太りの若いヒューマンで、にこにこと笑みを浮かべている。

 

『儂の眷族で二人しかいない【神秘】アビリティ持ちの一人じゃ。Lv.は3止まりじゃが、発想がいい。そう言う事であればこやつにも手伝わせるとしよう』

「コーカロスです、よろしくお願いします。いやあ、【万能者(ペルセウス)】アスフィ・アル・アンドロメダさんにお会いできるとは光栄だなあ!」

 

 人のよさげな笑みを浮かべつつ、頭を下げるコーカロス。

 戸惑ったようにアスフィが礼を返した。

 

「は、はい、よろしくお願いします。・・・吸血鬼の方ですか?」

「眷族と言うんだからそうでしょうね――スキンタイプの魔道具か? 外見を変えるのと同時に日光を遮る効果もあると見たが」

「凄い! 一目でわかるんだ! さすがは【驚天動地(アスタウンディング)】! ダイダロス様と同じ、世界の外からやって来た人だけはありますね!」

 

 コーカロスが子供のようにはしゃぐ。

 どうやら吸血鬼なのはともかく、外見通りの性格ではあるらしい。

 苦笑しつつ、握手を交わす。

 

『この四人であれば随分と研究もはかどるじゃろう――先に言っておくが、研究の産物が利益に繋がるようならそれは折半じゃからな』

「世知辛いですねえ」

『人造迷宮はもう少し拡張する必要がある。金はいくらあっても足りんのだ』

「おっしゃるとおりで」

 

 肩をすくめながらも三人の顔を見渡すイサミ。

 

(確かにこの面子なら随分と面白いことが出来そうだ)

 

 満足げにイサミは頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはそれとして、まずこの世界の素材で"ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)"を作る方法ですが」

「あ、それ昔やった事ありますよ。34階層の紫瑪瑙(パープル・アゲート)と27階層の粘液藻(スライム・アルジー)のコーティングを使えば・・・」

「「『何ーっ!?』」」

 



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23-06 「おじちゃんはおしまいっ!」

 

「おお、久しぶりだなシャーナ・・・しばらく会わないうちにメスの顔になったなー」

「!?」

 

 ギルド本部前。シャーナとばったり出くわしたガネーシャが開口一番言い放ったのがこの言葉であった。

 

「ふざけんなこのスットコ神ぃぃぃ!?」

「ぬおおおおおっ!? ギブギブ!」

 

 流れるような動きで足を払い、一回転してうつぶせに倒れたところに逆海老固め(ボストンクラブ)を極めるシャーナ。

 武神でも防げない技の入りに、武芸は素人のガネーシャが対応できるわけがない。

 苦痛の悲鳴を上げつつ地面を叩いて降参の意を示す馬鹿神。

 なお。

 

「ガネーシャ様がまた死んでおられるぞ!」

「死んでへん死んでへん」

「今度は何やらかしたんじゃろな」

「また失言かましたんだろ」

「いや、女絡みと見たね」

「かわいいけどあれ(ロリペタ)に欲情するのはどうかと思うの」

「おうちょっとお前表に出ろ」

「ここ表だよ」

 

 周囲の人垣の反応はこのようなもので、オラリオでも一番人通りの多い場所にもかかわらず、誰も助けに入ろうとするものはいない。

 ガネーシャがいかに人々に愛されているか、この一事をもっても察せられよう。

 

 ガネーシャの従者であろう、ガタイのいい中年男と若い女性の冒険者が、揃って頭痛をこらえるような顔で溜息をついた。

 彼らも手を出そうとしないのがガネーシャの人望のほどを良く表している。

 もっとも彼らの実力ではシャーナを止められないと判断しての事でもあるだろうが。

 中年男の方が腰をかがめて視線を合わせ、なだめるように話しかける。

 

「あーその、なんだ、お嬢さん。うちの神様の失言については謝るよ。

 けどさ、ここは人通りも多いしその辺で勘弁してやってくんないかなあ。

 本神も反省してるみたいだし・・・」

「反省ぃ~?」

 

 もっとも、振り向いたシャーナの表情はひどく疑わしげなものだった。

 

「こいつがこの程度で反省するなら、俺もお前らもこんな苦労してねえだろ」

「当然だ! ガネーシャ真実! 暴力で俺の信念を覆すことはあぎゃぎゃぎゃぎゃ!?」

 

 シャーナが思いっきり背をそらし、ガネーシャの背骨がミシミシと軋む。

 中年男がやるせない表情で天を仰いだ。

 

 

 

 ギルド本部の少し先にある、オラリオでもトップクラスのホテル。

 その一階の酒場兼喫茶店、ボックス席にシャーナとガネーシャ一行の姿があった。

 『豊穣の女主人亭』のそれにも劣らない見事なケーキをぱくつきながら、シャーナがこぼす。

 

「ったく、相変わらずだなあんたは。久しぶりに会った・・・あー、昔馴染みに開口一番言うセリフじゃねえだろ」

「何を言うか! 人の口に戸は立てられぬ! まして俺の口には!」

 

 必殺するめ固め寸前だったにも関わらず、ガネーシャは元気に胸を張る。

 馬鹿は無駄に回復が早い。

 

「大体俺のどこがメスだってんだよ、外見以外」

 

 溜息をつくシャーナに、従者二人はちらりと視線を交わす。

 ガネーシャはやれやれという風に首を振り、びしりとケーキの皿を指した。

 

「取りあえず、酒とつまみではなくケーキセットを頼んだところ」

「!?」

 

 愕然とした顔になるシャーナ。

 

「こ、これは女の体だと糖分が必要になるからであって・・・」

「にしては美味そうに食べていたではないか?」

「美味く感じるんだからしょうがないだろ!」

「とは言えごく自然にノンアルコールの方のメニューを手に取るあたり、女らしくなってきたと言わざるをえまいな。昔のお前なら昼間から蒸留酒と揚げ物でも頼んでいたはずだ」

「うぐぐぐぐぐ・・・」

 

 愉快に顔を引きつらせるシャーナ。従者二人がひそひそと囁き交わす。

 

(・・・どう見ても子供だよな?)

(昼間からお酒を、それも蒸留酒って・・・エルフでもそういう子いるんですね・・・)

(いやヒューマンでも滅多にいねえよ。ドワーフは知らんが)

 

「それに戦闘衣でも着た切り雀でもないし、髪飾りもつけていて、随分と女らしくなってるではないか?」

 

 ガネーシャの言葉に従者二人がうんうん、と頷く。

 今のシャーナの格好は前にレフィーヤに買って貰ったワンピースと髪留め。

 着こなしはややラフだが、元が上品な仕立てなのでエルフのお嬢様と言っても違和感がない。

 

「こ、これはお節介な女がプレゼントしてきて・・・今の派閥でも神様が結構うるさくて・・・」

「でもかわいいわよ、シャーナちゃん。素敵!」

「うぐっ」

 

 女従者の悪意なき致命的打撃(クリティカルヒット)が炸裂する。

 呻いて突っ伏すシャーナ。男の方が苦笑しながら割って入った。

 

「まあまあ、ガネーシャ様もトゥルティもその辺に。本人辛いみたいだし」

「うむまあ、そうするか」

 

 憐れみの表情でシャーナを見下ろすガネーシャ。女従者の方は残念そうな顔だが何も言わない。

 後は雑談になった。お互いのファミリアの近況とか「アイアム・ガネーシャ」の再建計画とか。

 

「止めろよ!? つっても止められたら苦労はしねえわなあ・・・」

「そうなのよねえ・・・」

「わかってくれるか・・・」

「ぬう、従者たちが何か意気投合している! ガネーシャ寂しい!」

 

 それから更にしばらく雑談が続き、ケーキとお茶が無くなったあたりで四人は席を立った。

 勘定を済ませて外に出ると、ガネーシャがシャーナの方を向く。

 

「まあ何にせよお前が元気そうで何よりだ。向こうの水もあっているようだしな」

「そうですねえ。どうにも居心地が良くなっちまいまして」

 

 頬をかいて苦笑するシャーナ。

 うむ、とガネーシャが頷く。

 

「しかし・・・だ。お前がその姿になったのは赤毛の女の襲撃を警戒したからであったな?

 一連の事件で赤毛の女が討ち取られた今、元に戻る気はないのか?」

「!?」

 

 ガネーシャ達がギルド本部に向かって歩み去った後も、シャーナはその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

「あ、シャーナちゃんだ!」

「久しぶり、シャーナちゃん!」

「?!」

 

 しばらくして我に返ったシャーナに声をかけてきたのは、レフィーヤ達ロキ・ファミリアの四人娘であった。

 

「あ・・・あ・・・」

「シャーナちゃん?」

 

 様子がおかしいのに気付いたか、レフィーヤがいぶかしげに声をかける。

 

「お・・・俺に近づくなぁぁぁぁぁ! 俺は、俺はぁぁぁぁぁ!」

「え!?」

 

 身を翻して駆け出すシャーナ。

 

「・・・」

 

 四人に出来たのは、それを呆然と見送ることだけであった。

 

 

 

「・・・で、その勢いで歓楽街に突入して、一晩弄ばれて帰ってきたと」

「お、俺汚れちまったよ・・・」

 

 しくしく泣きながらシーツにくるまるシャーナ。

 朝帰りした上部屋から出てこないので心配して来てみればこれである。イサミならずとも呆れようというものだ。

 

「前から思ってたけど、あんたアホだろ」

「うるせえっ! 意地があるんだよ、男には!」

 

 がばっと起き上がって吼えるシャーナ。

 ちんちんついてないくせにと言おうとしたが、さすがにそれは自重した。

 故意ではないにしろ、蘇生させた時に姿を変えてしまったイサミにも責任はある。

 

「それじゃ元に戻ります? レヴィスもオリヴァスもいなくなりましたし、もう障害はありませんよ。万が一レヴィス並みのがまだいたとしても、今ならハシャーナさんを守れますし」

「ハシャーナ、か・・・」

 

 舌の上でその名前を転がす。

 かつての自分の名前。

 体感時間で三ヶ月ほど前までは当然のものとして馴染んでいた名前。

 目の前に立つまぬけ面の大男を見る。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ハシャーナさん?」

「いや、いいわ。今の俺はシャーナだ。それでいいよ」

「・・・いいんですか?」

「いいんだよ! イサミのくせに生意気言ってんじゃねえ!」

「はいはい」

 

 ベッドの上に立ち上がり、苦笑するイサミの頭を脇に抱えて拳でグリグリとやるシャーナ。

 その顔はどこか晴れ晴れとしていた。

 




「おにまい」いいですよね。
毎回実に笑えるwww


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23-07 「【恩恵】とはなんぞや」

「ふー、終わった終わった・・・」

「お疲れさまでしたー」

 

 夕食後、ステイタスの更新を終えて談話室にやってきたヘスティアをイサミがねぎらった。

 200人近い数になったヘスティア・ファミリアであるから、全員のステイタスを毎日更新するというわけにもいかない。

 新人たちについては一週間に一回としていたのだが、それでも一日三十人近い人数を更新しなくてはならず、更新にはヘスティアの「神血(イコル)」を必要とする。

 結果としてヘスティアが貧血を起こしてしまい、現在は月一回に落ち着いていた。

 

「まさかこんな落とし穴があったとはねえ・・・他のでかいファミリアとかはどうしてるんだろうなあ」

「アポロン様のとこは遠征の後にまとめてやってましたねえ。後は申告制」

ヘファイストス(ウチ)もそんな感じですねえ。鍛冶師の集団ですから頻度も低いですし」

オグマ(うち)も。まあそんな大きなファミリアでもないっすけど」

 

 ダフネと、例によって遠征帰りでだべっているヴェルフ、ゲド。ヴェルフなどはあんまり良いことではないかなあと思うのだが、それでもうまいメシと酒、風呂の誘惑には勝てない。

 

「シャーナくん、レーテーくん、サポーターくん、君たちの所は?」

「ガネーシャさまのとこは何しろ千人以上の大所帯でしょう。月一で何とか回してますよ。

 遠征前には駆け込みで更新したがるのも多いですから、ポーションガブ飲みしながら必死に更新作業してましたわ」

「イシュタルさまのところは戦う団員は結構頻繁に更新してたかなぁ。そう言う所は結構マメだったよぉ、あのひと」

「ソーマ様の所は・・・今はわかりませんが、定期的な更新はありませんでした。100人くらいいたのもありますが、ほぼ申告制でしたね・・・」

「え、ちょっとリリ!?」

「こら、何をやってるんだサポーターくん!」

 

 ヘスティアの質問に答えつつ、ヒューマンになった体をベルに寄せるリリ。

 「豊満な年上の金髪お姉さん」というドラゴンスレイヤーならぬベルスレイヤーと化した容姿を早くも使いこなしつつある。

 イサミがそれを見て色々な意味で溜息をついた。

 

「まあガネーシャ様の所は都市最大派閥なのは伊達じゃないしな。イシュタルはあれ、フレイヤ・・・様にどれだけ敵意抱いてたんだって話だ」

 

 一瞬迷ってからフレイヤに敬称をつけるイサミ。

 色々思う所はあるが、彼女のおかげで弟が強くなり、何度か命を拾っているのも事実なので無碍には出来ない。

 

「まあ、これのおかげで凄く楽にはなったけどね。更新のたびに指を切らなくてもいいのが凄いよ」

「開発には結構苦労しましたけどね。喜んで頂ければ幸いです」

 

 嬉しそうに人差し指を振るヘスティアの、その指の先には白い指サックのようなもの。

 イサミの開発した"血の刃(ブレード・オブ・ブラッド)"呪文ならぬ魔道具「血の指サック(フィンガーコット・オブ・ブラッド)」だ。

 ぶっそうな名前とは裏腹にその効果は「指を傷つけずに指の先端から血を流す」だけのもの。ステイタスの更新以外では、アスフィの作った血をインクに出来る携帯用羽根ペンを使うときや、血判を押すときくらいにしか役に立つまい。

 

「何だかんだで痛いし汚れるしねえ。これ、もの凄い画期的なアイテムなんじゃないかな?

 そうでなくてもヘファイストスとかタケたちにプレゼントしたいんだけどどうかな」

「あー、いいですね。問題ないですよ、片手間で作れるレベルのものですし」

 

 実のところ「血の指サック(フィンガーコット・オブ・ブラッド)」の元になっているのは小魔術(キャントリップス)、つまりD&Dで最低ランクの魔法である"手品(プレスティディジテイション)"呪文である。

 当然魔道具にしたときの基本コストも安い。

 イサミが苦労した部分も手触りとか不快感軽減とかの部分であって、指から血を出すだけなら2秒で再現できる程度のものだ。

 

 なお"手品(プレスティディジテイション)"呪文は、最弱レベルと言いつつごく小規模であればほぼどんなことでも再現できるという、かなりのチート呪文である。

 風呂の代わりに体を綺麗にすることも出来るし、火打ち石や料理道具や化粧品や掃除機や洗濯機や乾燥機や筆記用具や調味料のかわりになるし、蚊やネズミを捕らえられるし、小さな花を咲かせられるし、魚を三枚にさばいて鱗を取ることも出来る。

 この呪文一つ使えるだけで、使用者の日常は随分と便利なものになるだろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「でもさー、そもそも【恩恵】って何なの? 他の世界を渡った人の話を聞いたこともあるけど、こんなとんでもない上にお手軽な強化(バフ)、見た事も聞いたことも無いわよ。

 Lv.1の【恩恵】でも、他の世界なら伝説級(エピック)の呪文かアイテムでもなきゃ再現できないわこんなの」

 

 発言したのは珍しくまじめな顔のフェリス。

 

「確かにな。他の世界でこんなのがあったら世界征服も夢じゃない」

「えぇ・・・」

「そんなすげえもんか・・・?」

 

 頷いてるのはイサミだけで、他の面子はぴんと来ない顔。

 彼らにとってはあって当然のものなので、このギャップも仕方あるまい。

 

「神様、【恩恵】について何か知ってます?」

「いやー、知らないなあ。ボクも知ったのは地上に降りてからだし」

「ふーむ」

 

 

 

「と言うわけでじいちゃん、何か知ってる?」

「うわああああああああああああああああああああああ!?」

 

 大陸某所。

 いきなり目の前に孫が現れたゼウスが絶叫した。

 

「お、脅かすな! びっくりして死んだらどうすんじゃ!」

「・・・神も心臓発作とか起こすの?」

「起こすわ! 本体ならともかく、この分体(アスペクト)じゃ人間と変わらんわい!」

「うーむ」

 

 確かにウチの神様とかびっくりしすぎたら死にそうだよなあと思いつつ、イサミは質問を繰り返した。

 

「で、どうなのじいちゃん?」

 

 言いつつ"下位創造(マイナー・クリエイション)"呪文でテーブルと椅子と食器を出し、毎度お馴染みの"旅人の外套"から紅茶とクッキーを出して自分も席に着く。ちなみにゼウスはベッドに腰掛けている。

 

「便利な奴じゃのうお前・・・」

「ウィザードだからね」

 

 ともかく茶をすすってクッキーをかじるとゼウスも落ち着いたようで、ぽつぽつ話し出す。

 

「そもそもわしらが何故地上に降りたかは聞いているか?」

「はっきりとは聞いてないけど、タリズダンの封印が緩んだからだよね?」

「まあそんなとこじゃな。降りるに際して問題だったのはわしら自身は地上では大した力を振るえないということじゃった。封印に支障が出るからの。

 なのでウラノスを中心にヘカテ、トート、オーディン、テスカトリポカ、オモイカネ、ナフー、その他の魔術に長けた神々を集めて、【恩恵】というシステムを作り出したんじゃ。

 それである程度形ができたところでわしらの分体として精霊達を地上に派遣し、システムが完成したところでわしら自身が地上に降りたという訳じゃ」

 

 あー、とイサミが手を打って納得した。

 

「そうか、精霊の加護ってのも今の恩恵と変わらない訳か」

「原理的にはの。神の分体が同じシステムを使って人間を強化するんじゃから」

 

「種族固有の魔術が使えなくなるのはなんで? もったいないと思うんだけど」

「詳しくは知らんが、単純に【恩恵】に魔術を組み込むときの交換条件じゃな。魔力の高い種族や個体はやはり術を発現しやすくなってるはずじゃよ。素のままだとエルフ以外はろくに術を使えんからの」

 

「それなんだけど、【恩恵】の魔法って俺の知ってる魔法と随分違うんだけど。

 どっちかというと"超能力(サイオニック)"に近いというか・・・」

「それは偶然というか苦肉の策じゃな。【恩恵】による魔法は原理的には魔素(マナ)を介する普通の魔法と変わらん。

 ただ、魔法の素養のないものにも術を使わせたり、ステイタスの伸長になるべく影響を与えずに魔法能力を付与したりする都合上、スロットが最大でも3つと言うことになってしまってな。

 通常の魔法のように扱いやすいかわり効果に上限があるものではなく、効果が精神力次第で無限大になるように設定したと」

「なるほど」

 

 頷くイサミ。

 

「それでじいちゃん・・・」

「まだあるのか! 勘弁してくれ!」

 

 ゼウスに悲鳴を上げさせつつ、イサミの質問は更に続いた。

 

 

 

「んじゃ今晩はこのくらいにしておこうか」

「もう今晩じゃないわい! 東の空がうっすらと白んでおるぞ!」

「孫の疑問に答えるのは祖父の仕事だろ。まあ手土産置いてくから勘弁してよ」

 

 残りのクッキーを詰めた袋と出る前に買ってきた蜂蜜酒(ネクタル)の瓶を一本。

 ゼウス・ファミリアの生き残りから聞き出してきた、かつての好物だ。

 

「むむむ、そつないやつめ」

「じいちゃんの薫陶の結果さ」

 

 にやっと笑うイサミにゼウスも苦笑するしかない。

 

「んじゃ帰るけど、ベルに何か伝言ある?」

「元気でやってるならそれでええわい――いや待て。『アレ』は今どこにおるかわかるか?」

「ここから5000kmは離れた所をウロウロしてるし、当分大丈夫じゃない?」

「そ、そうか」

 

 露骨にほっとした顔になるゼウス。今度はイサミが苦笑する番だ。

 

「んじゃまた。今度はベルも連れてくるよ」

「うむ」

 

 ゼウスが頷くと同時にイサミが姿を消した。

 イサミの座っていた椅子を見ながらゼウスが独りごちる。

 

「【恩恵】についてお前に言っていない事が一つある――いや、お前なら気付いているかの?」

 

 【恩恵】最大の秘密。それは神への道。

 D&D世界において、神と人との間の壁は絶対的なものではない。

 神を滅ぼしてその権能を奪うこともあれば、神によって低位の神に引き上げられるもの、修行の末にそこにたどり着くこともある。

 有限生命体(モータル)から不滅の存在(イモータル)へ、人から神への"昇華(アセンション)"。

 【恩恵】とは神によって用意された神へ至る道。

 

「この世界もわしらだけではいずれ維持していけなくなるだろう。

 少しでも神を増やし、この世界を維持発展させていかねばならん。

 さて、イサミよ、ベルよ。お前達はわしらと共にそれをやってくれるかの・・・?」

 

 微笑むと、ゼウスは蜂蜜酒をコップに注ぎ、ぐいっと一口にあおった。




念のためお断りしておきますが、今回の内容はダンドラにおける独自設定です。


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23-08 懐かしき地球の日々

 これはまだイサミ達が日本で暮らしていたときのお話。

 

「メシが出来たぞー。取りに来い欠食児童ども!」

 

 フロア丸ごとを貸し切って根城にしている短期賃貸のマンションの、各室のドアをゴンゴンと叩いて回る。

 六畳一間キッチントイレ付きの狭いマンションであるから、30人近い人数を一度に収納できる食堂スペースはない。

 もっともこの世界ではリド達の"変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)"が使えないので、そういう意味ではむしろありがたかった。

 

「おーう」

「はーい!」

「待ってました!」

 

 それぞれに返事が返ってきて扉が開く。

 リドや桜花、ヘファイストスの鍛冶師たちがうきうきと出て来た。

 

「いやあ、こっちに来てから飯がうまくて困らない!」

「ほんとにな!」

「クラネルさんが出してくれてた料理って、こっちの世界の料理だったんだなー」

 

 そんな会話を交わすのは桜花やヘファイストスの鍛冶師、ロキ・ファミリアのサポーターたち。

 イサミの料理スキルは現代日本の基準で見てもトップクラス、普通に店を出して大繁盛させられるレベルだ。

 材料も魔法で現代日本レベルのものを用意できるのだ、それはレベルが違って当然だろう。

 

「俺だけじゃなくてタケミカヅチの女衆や、うちのリリも頑張ってるんだからその辺感謝の念を忘れるなよー」

「「「うーっす」」」

 

 適当に気のない返事を返す野郎ども。

 丁度顔を出した千草が、顔を赤くしてすぐ引っ込んでしまった事に桜花は気付かなかった。

 タケミカヅチはそろそろ自分の派閥の首領に天罰を下すべきであろう。

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「ふー、食った食った」

「お、桜花、お行儀悪い・・・」

 

 寝る部屋は別々であるが、食事は同じ卓を囲んで食べるタケミカヅチ・ファミリアの面々。

 狭いと言っても六畳はあるし、寝るならともかく食事をとる分には問題ない。

 当番である桜花が洗い物を終えて戻ってくると、迷宮では鉢金を愛用しているサポーター・・・卜伝が熱心にスマホをいじっていた。

 

「飽きないな。そんなに面白いか?」

「男には退けない時があるんだよ、桜花・・・よっしゃキターっ!」

「なんだなんだ・・・えええええええええええええっ!?」

 

 

 

 一方こちらも同様に同じ部屋で食事をとっているヘスティア・ファミリア。

 人数は六人(+フィギュアサイズになった紐神)と変わらないながら、とにかくでかいのが二人いるので随分と狭苦しく感じる。

 それはそれとしてタケミカヅチの所と同様洗い物を終えて、食後のお茶を楽しんでいたところ。

 

「くくくくくくくくくくくクラネルッ! これはなんだっ!?」

「ぬおっ?!」

「あれー、桜花ちゃんだ。どうしたの?」

 

 顔色を変えて駆け込んできたのは桜花だった。後ろにはタケミカヅチの他の面々も続いている。

 

「どうしたもこうしたもない! これを見ろっ!」

 

 桜花が突きつけてきたのはスマートフォン。

 その画面に表示されているのは古代日本風の剣を持った、露出度の高い黒髪の麗人。

 表示は「SSR 雷剣烈姫タケミカヅチ」。

 

「え? ええええ!?」

「何これ、タケがかわいい女の子になってる?!」

「あー、こういうあれか・・・」

 

 イサミが苦笑する。

 

「知っているのかクラネル?!」

「まあなんだ、タケミカヅチ様の名前だけ借りて作ったキャラだよ。実質名前以外お前らの主神とは関係ない」

「・・・なんだとっ!」

 

 それで収まるかと思いきや、桜花が今度は憤怒の形相になる。

 

「ふざけるなっ! タケミカヅチ様の名前を勝手に使った上に女にするだと!? 無礼にもほどがある!」

「まあまあ・・・こっちに神様はいないから、架空の存在としか思われてないんだよ。

 目の前にいる人間にそう言う事をしたら確かにひどい話だが・・・」

 

 ナマモノと呼ばれるジャンルに生息する異星人達を思い浮かべつつイサミは遠い目になる。

 

「そうか、オラリオだと神様はナマモノジャンルなんだな・・・」

「ナマモノって何だい、イサミ君?」

「多分知らない方がいいと思いますよ神様・・・」

 

「まあまあ、こっちの世界じゃそう言うもんだからさ」

「そうだよ、世界が違えば流儀も違うんだし、悪意がある訳じゃないから・・・」

「うぬぬぬぬ」

 

 ソシャゲをいじっていた当人である卜伝を始め、タケミカヅチ・ファミリアの面々もフォローに回る。どうにか収まりそうだと苦笑したイサミだったが、ふとその目が女体化タケミカヅチの表示されたスマホに吸い寄せられた。

 ちょんちょんといじってから顔を上げる。

 

「・・・おい、これ回したの誰だ」

「俺ですけど、どうかしたんですかクラネルさん・・・あの、なんか目が怖いんすけど」

「これはこのタケミカヅチ目当てで回したのか?」

「ええまあ。中々出ずに苦労しまし――」

「チェストォォォォッ!」

「ぶぐっ!?」

 

 ナタのような手刀が卜伝を畳に沈めた。

 

「な、何するんすかクラネルさん!?」

「やかましい、そこに直れ! 天井なしピックアップなしのガチャを特定キャラ目当てで回すんじゃねえっ! 

 しかも有料石がクッソ高いじゃねーかっ!? 10連五千円って『源神』や『競馬娘』でもそこまでいかねえぞっ!

 いや競馬娘は単価以上に重ねなきゃ死ねる仕様の方が問題だが・・・ともかく10連1700円で一枚あれば仕事が出来る『運命大命』を見習えッ!!!!」

 

 調べたガチャ履歴には2000回近い結果が表示されていた。10連五千円、つまり一回500円のガチャを2000回であるから・・・

 

「ひゃ、ひゃくまんえん!?」

「え、これ金かかるんすか?!」

「かかるんだよっ! わからずに回してたのかおまえはっ!」

 

 頭を抱えるイサミ。

 ウィッシュで現代日本の基本的知識はインストールしたはずだが、細かいところで抜けがあったらしい。

 

「す、すんません・・・」

「いざとなったらウィッシュで資金調達も考えておかないとな・・・いやその前に、改めて注意事項の周知か・・・」

 

 溜息をつくイサミ、身を縮こまらせる卜伝。

 なお現代日本を離れた後、サーバに接続できない事に気付いた彼が絶望のズンドコに叩き落とされるまで後一週間。

 

「・・・一応聞くが、お前達もネットでバカスカ金使ったりしてないよな?」

「れ、レーテーはお菓子買ってるくらいだよぉ?」

「どんなお菓子だ?」

「えーと、『幸せの粉』ってやつ・・・二万円くらい使っちゃったけど・・・」

「あれかよ。まあそれくらいならいいけど・・・気に入ったのか?」

 

 レーテーの顔がぱあっと明るくなる。

 

「うん! アレ食べてるとね、ハッピーでハピハピ☆って気分になれるの!」

「そ、そうか・・・」

 

 満面の笑みでレーテー。ちょっと目が逝っちゃってる気がしたのでそれ以上は突っ込まないことにする。

 続いて命がおずおずと手を上げた。

 

「その、『はいしんさーびす』というので『れんあいどらま』というのをいくつか・・・」

「そっちか・・・いくつ見た?」

「二ヶ月無料というプランですので大丈夫かと思います」

「よし合格!」

 

 満足げに頷くイサミ。命がほっとした顔になった。

 取りあえずその場ではそれ以上問題は見つからず、お開きになった。

 エロサイトを巡回しててスマホをフリーズさせたヘファイストスの鍛冶師や、通販で高い酒を注文しまくったロキ・ファミリアのサポーター達とゲドの事を知って頭を抱えるのはまた別の話である。

 

 そして時は流れて現在、ヘスティア・ファミリア新ホーム「竈火の館」。

 

「あれ? コーカロスさん、どうしたんです?」

「いやあ、向こうの世界で手に入れてさ。騙し騙し使ってたんだけどついに動かなくなって・・・どうにかならないかな?」

 

 小太りで血色の良い吸血鬼が持って来たのはノートパソコンと発電機、どう見ても子供がプレイしちゃいけない絵柄がプリントされた銀色に光る円盤の山。

 

「おまえもかーっ!」

 

 思わず天を仰いで絶叫するイサミであった。




10連五千円というのは実在したガチャ価格だそうです。
なお特定ピックアップなしのガチャだと、有名どころでToLoveるソシャゲの最高レアが0.00083%(1/120481)という鬼畜の数字だったとか。


>ハピ粉
レーテーにハピハピ☆言わせたかっただけです。



なお部屋の割り振りは
イサミとベル(とフィギュア紐神)
シャーナとレーテー
リリ、春姫
桜花、景清、卜伝(タケミカヅチの男モブ)
命、千草、飛鳥(タケミカヅチの女モブ)
ロキのサポーター二人とゲド
ヴェルフとヘファイストスの上級鍛冶師二人
ティオネと椿
リューとアスフィ
リド達異端児五人
となっております。これで多分正しいはず。


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23-09 再生屋(リジェネレーター)

「うーぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 どすどすどす、と足音荒く調合室を歩き回るのは医療系派閥を率いる神、ディアンケヒト。

 作業中の団員たちが迷惑そうにしているが、本神は気にもしていない。

 

「許せん! 認めん! あってはならん! わしでさえ銀の腕しか作れなんだというのに、無くした腕を呪文一つで再生させるだと!? 冒涜じゃ、傲慢じゃ、神罰じゃぁっ!」

 

 彼が怒っているのはヘスティアの元貧乏神仲間、ミアハ・ファミリアのナァーザ・エリスィスの腕のことである。

 先だっての一連の騒乱の中で、イサミは重傷を負った冒険者達の手足を"四肢再生(リジェネレイト)"の呪文で再生させている。

 料金はギルド持ちだったが、事が事だけにイサミもサービス価格でご奉仕していた。

 

 問題はそれを見たディアンケヒトがナァーザの腕も再生していたことを知ったことだ。

 かつて自分がナァーザに施した銀の義手よりもはるかに高度な治療を、それも安価に施したことがこのプライドの高い老神の癇に障ったのである。

 

「許せん! 莫大な代価と引き替えに施すならばともかく、不要になった銀の腕(アガートラム)と引き替えじゃと!? 儂を馬鹿にしておるのかっ!」

「怒るところそこですか・・・?」

「当たり前じゃっ! 高度な治療にはそれ相応の対価があってしかるべき!

 まあ百歩譲って奴の技術には敬意を表してやってもいいが、そんな治療をぽんぽん安価に施されては、わしらのような真っ当な医療系ファミリアはやっていけんわいっ!」

「真っ当なつもりだったんですか!?」

 

 団員達の懇願の眼差しに負け、しょうことなしに無難な相槌を打っていた団長(アミッド)であったが、これには思わず叫び声を上げてしまった。

 じろり、とディアンケヒトが振り返る。

 

「なんじゃい、何か文句があるのか」

「い、いえ何も・・・」

 

 首をすくめるアミッド。

 ふん、と鼻息も荒く独演会を再開するディアンケヒト。

 

「だいたいわしらはきちんと話し合いで決めた価格のもとに治療を施しておる! それを乱されては迷惑千万!」

 

(どの医療ファミリアも、なくなった手足を再生するなんてできないし問題ないんじゃないでしょうか・・・というかそれ談合(カルテル)って言うんじゃ・・・)

 

 そんな事を考えているアミッドをよそに老神がぴたりと動きを止めた。

 

「くくくくく・・・そうじゃ、これは紛れもなき営業妨害! 医療系ファミリアをまとめて、ギルドにねじ込んでくれるわ! 奴をわしらの管理下に置いてやる!」

 

 それ他派閥への干渉じゃ・・・と言おうとしてアミッドは口を閉じた。

 今の主神に何を言っても無駄だろうから。

 

 

 

『ギルドより布告:

 これより毎月十日朝九時から十二時までの間、ギルド本部大ホールにおいてヘスティア・ファミリア団長イサミ・クラネルによって手足、目鼻などを失ったものの治療を行う。

 価格:一箇所につき100万ヴァリス 今すぐ払えないものはギルドからの貸付あり。

 ※初日は終日営業』

 

「ぬわんっじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 怒髪天を突く老医神(ディアンケヒト)

 

「あー、やっぱりこうなりましたか・・・でもまあ妥当なところですね」

 

 アミッドが安堵と納得半々くらいのためいきをこっそりとついた。

 

 

 

「治療の方はこちらです。足元の線に従い、一列にお並び下さい」

 

 治療初日。ギルドホールは大盛況であった。

 数百人は入る催事用の大広間が、患者だけで半分くらいは埋まっている。

 

「ほい、"奇跡(ミラクル)"変換"四肢再生(リジェネレイト)"・・・っと。そこに待機しててくださいね。1、2分で生えてきますから」

「あ、ありがとうございます【驚天動地(アスタウンディング)】! これで、これでまた探索にいける!」

「いえいえ。はい、次のひとー」

 

 冒険者や元冒険者に涙ながらに礼を言われれば、イサミとしても悪い気はしない。

 実際の所今回の話はイサミにとっても渡りに船であった。

 

 何せ治療の件を聞き及んだ人々がホームを訪れて懇願してくるのだ。

 そうした人々を見過ごせるヘスティアでもないし、イサミでもない。

 正直重荷であったのだが、今後は受付にしろ取り立てにしろ面倒なところは全てギルドに任せた上で、ただ治療をすればいい。

 気楽なものだった。

 

 なお、"万能変身(ポリモーフ・エニイ・オブジェクト)"の時に述べたが、D&Dで魔法をかけて貰うときの基本料金が術者のレベルx呪文レベルx10gpである。

 "再生(リジェネレイト)"は7レベル呪文で、使うためには最低13レベルが必要なので910gp、オラリオの価値に直して91万ヴァリス。手間賃を加えて切りよく100万ヴァリス。

 この金額が全てイサミ(ヘスティア・ファミリア)の懐に入るので、休養日の、しかも片手間の小遣い稼ぎとしてはまあそれなりだ。ギルドの方から日当も出る。

 無限使用可能な"奇跡(ミラクル)"もあるから呪文消費的にも何ら痛痒を感じるわけではない。

 

 逆にギルドの方は完全に持ち出しだが、体を欠損した冒険者達が再び迷宮に潜れるようになるのなら、その分魔石を稼いできてくれることにもなる。

 月一度のちょっとしたイベント設営など、それに比べれば大したコストでもなかった。

 

「お疲れさま、イサミ君」

「あ、どうも」

 

 数十分後、患者の途切れた合間を見計らって、エイナがハーブティーを持って来てくれた。

 砂糖たっぷりの茶が、呪文を連発して疲れた脳にすーっと効く。

 

「ふうっ」

「沢山いたのにすっかりはけちゃったねえ」

「呪文自体は一人数秒で済みますからね。300人いても三十分あれば」

「でも、今回は本当に感謝してるんだよ、イサミ君」

「エイナさんがですか?」

 

 うん、とエイナが笑顔で頷く。

 

「私が担当していた冒険者の人もね、手足をなくして冒険者を廃業した人が結構いたの。

 そう言う人たちがね、危険だけどもう一度ダンジョンに入れるからって嬉しそうな顔するの。

 だからイサミ君がしてくれたことがとても嬉しいのよ」

「―――――」

 

 照れくさそうな顔でイサミが頬をかく。

 

「お金貰って仕事をしてるだけですよ――あ、お代わり下さい、砂糖たっぷりで」

「はいはい」

 

 笑みを浮かべながら、エイナはこの図体のでかい治癒者にお代わりを注いでやった。

 

 

 

「初めましてっ! あなたがイサミ・クラネルね!? 私は美を与える女神・タマヨリビメ!

 あなたが行った『女性を美人にする魔法』に興味があるのだけれどっ!」

「ファッ!?」

 

 バンッ!と音を立ててホームに入って来たのは丸々と太った、古代日本風の色鮮やかな衣裳をまとった女神だった。

 

「女性を美人にする魔法って――あっ!?」

 

 レーテーの方を振り向くと、アマゾネスの巨女はさっと顔を背けた。

 

「れぇぇぇぇてぇぇぇぇ・・・?」

 

 顎をつまんで無理矢理こちらを向かせる。

 流れる汗一筋。いたずらを見つかった子供のようなごまかし笑い。

 

「え、えーとね? イシュタルの子たちに私がフリュネかって聞かれたからハイって答えて、どうやったんだって聞かれたから魔法でって・・・で、でもイサミちゃんのおかげだって言うのは言ってないよ!?」

「そこまで言ったら同じだこの馬鹿!」

「ごめんなふぁぁぁぁい!」

 

 ほっぺたを引っ張られて涙目になるレーテー。

 そこにタマヨリビメが割って入る。

 

「あのカエル顔をこんな美人さんに変えるなんて素晴らしいわっ!

 あ、今のは「カエル」と「変える」を引っかけたギャグよ。素晴らしいでしょう?」

「お帰りください。生まれつきの顔を変えるつもりはありませんので」

 

 女神の巨体を強引に外に押し出そうとするイサミ。断じてしょうもないダジャレに腹を立てたわけではない。

 タマヨリビメが焦った顔になる。

 

「ま、待って! 何も顔を別人に変えろとは言わないわ! でも大怪我をして、医療系ファミリアでも治せない傷が残ってしまう()もいるの!

 お願いしたいのは治療行為なのよ!」

 

 女神を玄関から押し出そうとしていたイサミの動きがぴたりと止まった。

 

「お願い・・・できないかしら?」

 

 自分を見上げて懇願してくる女神に、イサミはノーとは言えなかった。

 

「毎月十日のあれにねじ込めないか、ギルドと話してみます」

「ありがとう! これで沢山の子が助かるわ!」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべるタマヨリビメ。ヘスティアが眉を寄せる。

 

「・・・何かこの調子で、どんどん仕事が増えそうだね」

「言わないで下さい」

 

 イサミが深く溜息をついた。




玉依姫命(タマヨリビメノミコト)は神武天皇の母親で女性を守る女神。各地の神社で祀られています。
彼女を祀った神社の中でも京都の河合神社では「鏡絵馬」という人の顔が描かれた手鏡型の絵馬があり、それに自分で化粧を施して美しくなる祈願をするそうで。


取りあえずダンドラのおまけはこれでおしまいです。
また何か思いついたら追加するかも。
ではまた。


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