よう実に転生した雑魚 (トラウトサーモン)
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第1話

 有栖ちゃんかわいいよね。
 今更?よう実のアニメを見たのですが、ビジュアルが私のドンピシャでした。

 書いた理由はそれだけです。


 桜舞う季節。

 行くつもりのなかった、決して行きたくのない場所へ向かうバスの中で、俺は頭を抱えていた。

 

 高度育成高等学校。つい噛みそうな名前のついたこの学校は、今日から俺が通う……否、生活することになった場所である。

 

「やっぱり辞めたい。俺は普通の高校に行きたい。今からでも入学拒否はできないか?」

「入学式の日から、そんなことを言うものではありませんよ」

 

 隣に座るのは、銀髪の美少女。

 坂柳有栖という名の彼女こそ、見た目とかけ離れた攻撃的な思想と天才的な頭脳を持つ、()()でもメイン中のメインキャラである。

 

 平凡で何の取り柄もない俺が、なぜここにいるのだろうか。

 どうして原作に関わることになってしまったのか。

 帰りたい。当分帰れないけど。

 半ば諦めにも似た感情を抱きながら、俺はバスの窓から桜吹雪を眺めた。

 

 

 俺こと、高城晴翔は転生者である。

 簡単にいうと、俺には前世の記憶がある。

 あると言っても大したものではなく、地元の底辺高校を卒業してなんとか会社員になり、それなりに仕事をしていた……程度のものである。なぜ死んだのかも覚えていない。

 とはいえ、一応人生二週目ということで、中学時代は周りの生徒に対して「やっぱり子供だなぁ」などと偉そうな感想を持ったものだ。

 

 あぁ、もちろん一人を除いてだが。

 

 俺は転生者だからと言ってチート的な能力があるわけではない。残念ながら、全体的なスペックは前世とほぼ変わらない。前世で社会人まで人生を進めたという経験的なものはあるが、これも今のところ大して役に立った記憶はない。紛うことなき凡人である。

 

 さて、「よう実」とは前世で人気のあったライトノベルである。俺もアニメを嗜んでいたから、ある程度のエピソードは覚えている。

 この世界がよう実の舞台であると知ったタイミングは、かなり早かった。何せ、有栖ちゃんとは家族ぐるみの関係。この辺りの説明は今は省くとして、とにかく小学校入学前には作品の世界にいると理解していた。

 

 その上で、俺は高度育成高等学校に入る気などまったく無かった。

 むしろ受験を回避する方向で動いていたはずだったのだが。

 

 俺は適当な中堅高校で、ダラダラ過ごしたかったのだ。俺の性格を一言で表すと「めんどくさがり」だ。痺れるような戦いなど望んでいないのである。

 また、前世では極貧のため学校生活はバイト漬け。大学も行けず、働き続けるしかなかった。今思うとあれも悪くはなかったが、今世ではそれなりに裕福な家庭に生まれた。だから、俺は普通の高校でしっかり勉強して大学へ進学し、普通に就職するつもりでいた。

 さらに言えば、原作には暴力的なキャラクターもいるし、チキンな俺は怖くてあまり関わりたくなかった。それに、高度育成の特殊すぎる高校生活は、俺のような普通の人間にはそぐわないと感じていた。

 正直、優秀な実力のある人間同士で勝手にやってくれという思いしか持っていなかった。

 

 いくらでもこの学校を拒否する理由が思いつくのだが、そんな俺の計画を崩壊させたのは、隣で微笑みを浮かべている有栖ちゃんである。

 今に至るまで、俺の新しい人生は彼女に振り回され続けている。

 

「晴翔くん、どうしたんですか?あなたの頭でそんなに考えこんだところで、大したインスピレーションは得られないと思いますが」

 

 こういう事を平然と言ってのける人間だ。

 なんだかんだ長い付き合いだから全く気にもしないが、未だに人間性は疑い続けている。

 

(やっぱ天才って、頭のネジが2、3本飛んでるんだろうな……)

 

 こんなことをいつも思っているが、これを口に出してしまうと拗ねるのだ。

 有栖ちゃんが拗ねると相当めんどくさい。ネチネチと小言を言われ続けるうえに、俺の発言は全て理詰めで否定される。

 既に実証済みなので、頭の中に留めておくのがベターである。だから……

 

「はいはい、どうせ俺は凡人ですよ。有栖ちゃんと違ってな」

「ふふっ、わかっているのなら問題ありません」

 

 こうやって煽てておけばいいのだが、その笑顔はやめてほしい。可愛いから。

 ムカつくことを言われても、この顔をされると大体許してしまう。どちらかというと、俺は知性的な部分よりもこっちに弱かった。可愛いというのはずるい。

 

 話しているうちに、校舎が見えてきた。

 

 そもそも、俺がなぜこの学校に合格できたのか未だにわからない。年始から有栖ちゃんの個別学習指導を強制的に受けさせられて、学力が底上げされていたのは事実だが……

 入試はさっぱりわからない問題もあったし、落ちただろうと思っていた。あのお父さんの工作だって、試験の点数にまでは及ばないだろうと聞いていたから、不合格を受けて有栖ちゃんにどう謝ろうか?と考えていたぐらいだ。

 ただ、あの人のことだ。結局いろいろと裏で動いたのかもしれないな。なんだかんだ娘にゾッコンだし。

 そこまで執着するほどの価値は俺にはありませんよ、と言ってやりたい。

 

「さて、『私が退屈しない場所』とは、どんなところなのでしょう」

「さぁな。その言葉通りなんじゃないか」

「知ってるかのような言い方をされるのですね」

「それは思い込みってやつだ。さて、もう着くぞ」

 

 話を切り上げて、バスを降りる準備をする。

 有栖ちゃんは段差でよくつまづくし、杖を引っかけて転ぶこともある。バスの乗降は扉付近など危険が多いので、手を引いてやらなければならない。

 足元をよく確認して立ち上がり、俺たちは手をつないだままバスを降りた。

 

「そこ、アスファルトが段になってる。杖つくの気をつけろよ」

「ありがとうございます。このまま、一緒に行きましょう」

「いいのか?」

「大丈夫ですよ。そもそも、周りに隠すような関係ではありません」

 

 それこそ、俺の思い込みでなければ、俺はそれなりに信頼されている。

 これがどう影響するか。有栖ちゃんにとって、本来俺はここにいなくても問題ない存在のはずだった。

 俺がいなければ原作通りに進むだけで、この役割は「神室真澄」さんあたりが引き継いでくれただろうし、何よりこの学校にはあの最強主人公様が来る。

 有栖ちゃんがホワイトルームの最高傑作と勝負をしたがっているのは、他でもない俺がよく知っている。

 

「晴翔くん。改めて、これからもよろしくお願いします。私についてきてください」

「今さら気にするなよ。何年やってると思ってるんだ」

 

 俺は答えを知りつつも、ずっと何も知らないふりをしていた。

 俺は世界の異物。そう認識できるのは、俺自身だけ。

 この学園に立ち入ってしまった以上、確実に物語の流れに影響を与えてしまうだろう。

 

「私は天才です。しかし、晴翔くんという支えがなければ、普通の生活すらままならない。私が実力を発揮するためには、あなたが必要なんです」

 

 元々、ここまで言わせるほどの関係ではなかった。

 有栖ちゃんが俺との縁を切ろうとした、あの冬のこと。

 あの行動は、何度考えてもきっと正解だったと思っている。原作という正しい世界に回帰させる、良い方向に向かって進んでいったはずだったのだが。

 

 でも、できなかった。決別の道を選べなかった。最終的に、俺を切り捨てるのは惜しいと判断したのだ。

 有栖ちゃんは自分の身体へのコンプレックスが強い。それを補う役割を担い続けてきた俺に対する負い目もあるだろう。

 俺の存在が必須であるという結論。これが正解とは今でも思えない。

 

「あの日のことも、きっとこの結論を得るための条件だったのでしょう」

 

 しかし、有栖ちゃんは自分の判断力に自信があるから、一度出した答えを疑わない。

 俺の助けがなければ、普通の生活を送ることができない。俺以外では、誰も助けとなることができない……と、思い込んでいる。

 この二つの錯覚こそ、俺がこの学校へ来ることになった理由である。

 

「まぁ、来た以上は最後まで付き合う。もう引き返せないからな。今まで通り、召使いになってやるから安心しろ」

「どちらが主人なんでしょうね?」

 

 意味深なことを言う有栖ちゃん。

 本来の「召使い」である神室さんのことは今のところ原作知識しかないが、100%俺よりは優秀だ。神室さんと同じ働きなど絶対に無理だ。そもそも、俺は本来Aクラスに配置されうる能力を持たないのだから。その枠を俺が取ってしまうなど、許されざることではないだろうか。

 

 校舎の前に来た。貼ってあるクラス割を見ると、Aクラスに俺の名前がある。

 わかっていたことだが、やはり違和感しかない。頭が痛くなる。

 

「本当に入学するんだなぁ」

「えぇ、何が起きるか楽しみです」

 

 これで有栖ちゃんとは12年間同じクラスなのが確定した。比喩的な意味でなく、本当に親の顔より見た存在になるだろう。

 

 クラスといえば……クラス間闘争。

 この学校に来た以上、これは避けて通れない。

 俺にとってAクラスでの卒業などチンケな特典があったところでどうでもいい。興味もない。高卒の資格が得られれば十分だし、退学を食らっても定時制などに編入すればいい。幸い、高度育成は世間的な評価が高く、よほどの進学校以外なら退学した学年のまま転校という形を取ることができるので、実力が至らなくとも大したダメージはない。

 

 だから、別に俺のことはどうでもいいんだ。どうとでもなる。

 問題は有栖ちゃん。彼女はどう思っているのだろうか?

 そこが一番大事なポイントである。

 

 個人的な予想だが、あまりやる気になるようには思えないのだ。有栖ちゃんの価値観は独特なので、わからない部分もあるが、長年付き合ってきた俺の直感だ。さすがに興味を持たないということはないだろうが……

 この時点で、原作通りにはいかなくなってしまう。

 しかし、完全に不参加とはいかないだろう。退学をかけた試験だってあるのだから。

 

 今後の方針を考えなければならない。 

 俺の唯一の武器は、転生者としての知識。細部は異なるだろうが、未来を予測できる。

 これを使うか否かが、一つの分かれ目。

 使えば当然、各種試験でアドバンテージを得られる。カンニングのようなものだ。

 使わなければ、無能の謗りは免れない。

 ここは「実力至上主義」。何の取り柄もない奴がトップ集団のAクラスでできることなどあるはずがないし、あってはならない。

 

 だからといって、なかなかその武器を使う気にはならない。

 チートツールのように原作知識を振り翳すのは、悪目立ちしすぎる。そんなことをすれば、我らが主人公の綾小路や、龍園など各クラスのリーダーに目をつけられかねない。そうなれば詰みだ。

 凡人が多少カンニングしてきたところで、学内に潜む猛者たちから総攻撃を受けたらどうしようもできない。

 例えば他クラスの戦略を予め知っていたとして、俺がそれを察知している事を相手が理解すれば、当然変えてくる。そこで応用的な対処ができる実力があるなら話は別だが、俺には無い。その瞬間、俺のアドバンテージは全て失われるだろう。

 つまり、原作知識とは使えば使うほど価値が下がる武器であるといえる。

 

 頭の中でメリットデメリットを整理するが、結局いい案は思いつかなかった。

 

 ……有栖ちゃんに相談できればなぁ。

 いっそ、適切なタイミングで全て言ってしまうのもアリだろうか。いや、論理的思考に長けた有栖ちゃんが、前世の記憶などというオカルト話を信用するわけがないか?

 

 じっと見ていたのがばれたのか、有栖ちゃんは不意にこちらを見つめ返してきた。

 

「何を考えているのかわかりませんが、悪いようにはしませんよ。あまり、私を見くびらないでください」

 

 どうやら、俺の心配を察していたらしい。

 これが、能力に裏打ちされた自信というやつか。

 

「あぁ、そうだよな。有栖ちゃんは天才だからな」

「その通りです。少なくとも、知能面においてあなたに遅れを取ることはありません。晴翔くんが何を心配しているのかは不明ですが、間違いなく杞憂でしょう」

「……はっはっは」

 

 ナチュラルに俺を見下している発言が出た。

 あまりの傲慢さに、笑いがこぼれてしまった。

 つい忘れていた。こいつはそういう奴だった。

 

 不思議と心は落ち着いていた。




 妄想と思いつきをぶちまける。これぞハーメルン?

 こんな駄文をここまで読んでくれてありがとうございます。
 一応7話ぐらいまでは書き進めてます。


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第2話

 どうも、Aクラス最大の弱点(予定)こと高城晴翔です。

 

 俺がAクラスであることにまだ納得がいかない。不正に対して抵抗のある教師が俺をDクラス行きにするとか、そんなことはなかったんだな。所詮、教師達も雇われてるだけの存在ってことか。権力に弱いのはそこらへんのサラリーマンと何も変わらない。

 ……そういえば、原作で一人退学させるためだけに変な特別試験を作るような人がいたのを思い出した。それが許されるぐらいだから、理事長権限なら一人Aクラスにねじ込む程度なんてことないのかもしれない。

 

 俺はゆっくりと教室の扉を開けた。

 

 

 

 教室に入ると、すでに多くの生徒たちがいた。

 アニメでしか見たことのない面々。

 葛城、戸塚、橋本……そして、神室さん。

 こいつらと、これからクラスメイトになるのか。

 

 そうか。

 

 やっぱり、どいつも俺とは違うオーラがある。平均的に賢そうだし、原作でいろいろやらかしていた戸塚ですら俺からすると相当優秀に見える。まだ何もしていないのに、アウェー感がすごい。有栖ちゃんはともかく、俺は完全に場違いって感じだ。

 

 この感じ、中学と全然変わんねーわ。

 やりづらい。あまり仲良くする気も起きなかった。帰りたい気持ちがより強くなった。

 きっと、自分の成績を自慢したりするんだろうな。

 意識高い系の勉強会とかするんだろうな。

 ……今後、俺が能力的に劣ることを知ったらマウントを取ってくる人間もいるだろうな。

 もちろん人格的に優れている者もいるだろうが、全員そうだとは思えない。

 勘違いしている奴ってのは、決まって偉そうにするものだ。

 

 あぁ、急にダルくなってきた。やっぱりこのクラス、俺には合わんわ。

 クラス移動って2000万だっけ?有栖ちゃんも一緒なら4000万か。無理無理、終わった。

 せめてDクラスだったら、多少は親近感というか、溶け込みたいという意欲や仲間意識も湧いたのかもしれないが、ここでは無理だ。

 身の丈に合わない環境というのは、居心地が悪い。学力の高低で行ける高校が変わる受験システムは、レベルの高い生徒だけでなく、低い生徒にもメリットがあると痛感した。

 

 有栖ちゃんとは隣の席になっていた。理事長様、こんなところまで細やかな配慮ありがとう。

 もちろん皮肉だけど。

 

「……みなさん、お元気ですね」

「そうだな」

 

 クラスメイト達が歓談する様子を見つめる。

 有栖ちゃんはどう思っているんだろう?原作のように、支配欲みたいなものを出してきてるんだろうか。どうもそんな感じには見えないが。

 

 着席してしばらくぼーっとしていると、Aクラスの担任である真嶋先生が入室してきた。なるほど、なかなかカッコの良いオッサンだ。

 

「おはよう。今日からこのクラスの担任を務める、真嶋智也だ」

 

 先生の自己紹介から始まり、あとはこの学校のシステムについての説明があった。大体知っていることだが、細かい違いがあるかもしれないので、一応真面目に聞いておく。Sシステム、10万ポイント支給、外部からの遮断などなど。来月以降のポイントに言及しないことも含めて全て予想というか、原作知識通りだった。

 

 隣の有栖ちゃんを見ると、何やら考え込んでいる様子。

 この段階でどこまで察しているのだろうか?

 正解に近い推測ぐらいは、既に立てていそうな気もする。

 その他寮生活についてなど細かい説明が入り、真嶋先生は入学式の準備もあるからか、そそくさと退室していった。

 

 入学式までまとまった時間がある。何もすることはないし、どうしようか?

 原作はどうだったかなぁと考えながら座っていると、葛城が前に出てきた。

 そのポジションを取るのは、やっぱりお前だよな。それもなんとなくわかってた。

 

「皆、聞いてくれ。俺は葛城康平という。皆との親睦を深めるため、今から簡単な自己紹介を行いたいと思う」

 

 葛城が有栖ちゃんと対立することになるかは、わからない。でも、有栖ちゃんの人格をこいつが受け入れるパターンというのは、ちょっと想像ができない。逆もまた然り。

 リーダー争いになるかは微妙だが、うまくはいかないだろうな。

 

 葛城はさっそくクラスをリードしようと動いてきた。

 俺としては、すでに正直息苦しいというか、めんどくさいと思ってしまった。

 

 ここでもう一度自分に問い直す。どうしようか?

 

 結論が出ないので、隣を見てみる。

 すると、有栖ちゃんはとてもつまらなさそうにしていた。

 

「ははっ」

 

 小さな笑い声が抑えられなかった。

 そうだろう。俺もそう思うよ。

 この辺の感性は、昔からばっちり合うよな。

 

 すかさず俺は立ち上がり、壇上の葛城に向かって声を上げた。

 

「悪い、葛城。有栖ちゃん……この子のことなんだが、生まれつき身体が弱いんだ。長いことバスに乗って、休憩もせずここまで来たから、疲れてしまっている。入学式までの時間、休ませてはもらえないだろうか?」

 

 適当に話をでっちあげると、俺を見て有栖ちゃんが微笑んだ。

 

 返答も待たず、そのまま俺たちは退室した。

 俺は、興味がないことに対してはドライなのさ。

 

 

 

「やはり、晴翔くんは私の感情を読むのが上手ですね」

「あからさまにダルそうだったからな。まぁ、自己紹介ぐらいバックれても大丈夫だろ。そもそも正当な理由だし」

 

 教室を後にした俺たちは、校舎内をぶらぶらと歩き回っていた。

 原作通りというか、監視カメラが多いな。死角とか、どこにあるのかさっぱりわからん。

 有栖ちゃんも勘付いているのか、視線を散らしながら俺の隣を歩いている。それはいいけど前を向いてくれ。転ぶぞ。

 

「今月は、10万ポイントもらえるみたいですね。とりあえず、今日の夕方に必要なものを買いに行きましょうか」

 

 あえて今月と限定する言い方で、俺を買い物に誘ってきた。

 まさか、Sシステムに対してもう違和感があるのか。

 やっぱこの人おかしいわ。ノーヒントでここまで行くか?普通。

 

「ところで、今からどうしましょう?さすがにご飯には早い時間ですし、暇を持て余してしまいました」

「そのことなんだが、実は俺に考えがあるんだ」

 

 これから、ちょっとしたイベントを起こそうと思っていた。

 自己紹介をキャンセルしたのと同時に、俺は一つの案を考えたのだ。おそらくあからさまな原作介入となるが、これには大きな目的がある。

 

 俺が向かったのは、Dクラスの教室。

 有栖ちゃんの手を引いていく。

 行動の意味が理解できないのか、流石に戸惑っている様子だ。

 

「1年Dクラス、ですか。何があるのですか?」

「有栖ちゃんが、確実に興味を持つもの」

 

 俺の言葉に、少し驚いたような顔をした。

 有栖ちゃんがクラスに興味を持つパターンも考えてはいたが、そうじゃなかった。それが分かった以上、あんな退屈な場所にいさせておくのも可哀想だからな。

 次の策がある。これは、悪いことじゃないはずだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Dクラスでは、今まさに自己紹介が行われていた。すでに何人か出ていった後のようで、雰囲気は微妙だが、俺の中では悪くない。やっぱりこっちの方が良かったなぁ。

 あれが平田で、あれが櫛田か。なるほど、美男美女だからすぐにわかった。

 そんな中に、パッと見目立たない生徒が一人。

 

 綾小路清隆。

 

 

「あ……」

 

 

 ちょうどよく、彼の自己紹介の番が回ってきていた。

 有栖ちゃんはこの一瞬で全てを理解したのか、食い入るように見つめている。

 

「当然、覚えているだろ?ホワイトルームのアイツ」

「忘れるわけがありません」

「だろうな」

 

 アイツこそが、有栖ちゃんの真の幼馴染といえる男。影響されてチェスを始める程度には、大きな衝撃を与えた存在だ。俺は入学当初のこの段階で、存在を知らせたかった。

 

 一瞬、綾小路と目が合った。俺たちが観察していることに気づいたようだ。綾小路なら、気配ぐらい察知するのは当然だとわかっているが、不気味ではある。

 この時期の綾小路は、完全事なかれ主義。原作通り微妙な自己紹介を終えて、席に戻った。しかし、視線はこちらを向いたまま。怪訝な顔をして俺たちの方を見続けている。

 

「とりあえず、場所を変えるか」

 

 有栖ちゃんが一息ついたのを確認してから、俺たちは校舎の外へと向かった。

 これだけ怪しんでいるんだし、きっとあちらから来てくれるだろう。

 

 

 

 今日は天気も良く、気温も快適。

 外の世界から完全に切り離されるという刑務所のような場所だが、広さからかあまり閉塞感は感じない。

 

「やっぱ、好きなんだろ?彼のこと」

「……冗談にしても悪質ですよ。それは」

 

 ベンチに腰掛けて、俺たちは会話を始めた。

 さすがに入学式当日というのもあって、外をうろついている生徒はほとんどいない。

 

「いいや至って真面目だ」

「そんなわけ、」

「あるぞ。有栖ちゃんらしくないな、根拠もないのに断言するなんて」

 

 珍しく、俺は強気に出ていた。

 本当に冗談ではなく、長年温め続けてきた話だからだ。

 俺はずっと前から、小学校の頃からいつか綾小路とくっついてほしいと思っていたのだ。それこそが最終目標とすら考えていた。

 いや、モテ小路くんのことだから、違う人と成立するかもしれないが……とにかく、彼との関係性は原作通りであってほしかった。

 ホワイトルームの彼が有栖ちゃんに与えた衝撃。これからの学校生活では、さらに彼のことをよく知ることになるだろう。それを邪魔したくない。

 そうするためには、関係の深い俺が入学しないこと、つまり原作に回帰させることが最適だったのだが、それは他でもない有栖ちゃんに阻止されてしまった。

 こうなった以上、俺はキューピッドというほどでもないが、仲良くさせる方向に動く方がいいと判断した。

 

「確かに、彼に執着しているのは認めます。彼との勝ち負けは、私の矜持に関わってきますから」

「その執着が恋か、憎悪か、憐憫か、憧れか、何から来てるのかは知らん。つーか、有栖ちゃんもわかってないんだろ?」

 

 自覚していないのは知っている。今の段階では、むしろ敵意とかそういったものに近いと思われる。しかし、その芽は出ているはずだ。

 

「それは、そうですが」

「俺が言いたいのは、奴は有栖ちゃんを楽しませることができる存在だってことだ。有栖ちゃんの世界と近いところに位置する存在だ。俺とは違ってな」

 

 天才は、天才同士で付き合ってほしい。

 俺みたいなただの凡人じゃあ、有栖ちゃんとは釣り合わないんだ。

 綾小路なら、将来国を支えるような人材になりつつ、有栖ちゃんの世話をすることぐらい何の問題もないだろう。長年仕えてきた姫様を任せるには最適な人材だ。

 

 そして、見届けたら俺は静かに退場すればいい。

 

「違います、分かってない、本当に晴翔くんは何も……」

 

 言い合いをしているうちに、待っていた人物が現れた。

 急に現れたように見えたのでびっくりした。おそらく、気配を消していたのだろう。

 綾小路は警戒を切らすことなく、俺たちから1メートルほどの場所で立ち止まった。

 

「初めまして、でいいのかな?綾小路清隆くん」

「……お前たちか、オレの自己紹介を覗いていたのは」

 

 綾小路清隆。

 一見普通の生徒に見えるが、俺はこいつが普通からはかけ離れた存在であることを知っている。

 




 綾小路(刺客来るの早くないか?)


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第3話

 お気に入り登録が増えていて驚いています。ありがとうございます。
 こんなに見てくれる人がいるなんて、思ってもみませんでした。


「お久しぶりです。綾小路くん」

「オレはお前のことを知らないのだが」

 

 有栖ちゃんは、唐突に現れた綾小路にも動じることなく、普段の調子で話し始めた。

 

「ホワイトルーム」

 

 瞬間、強烈な殺気。

 綾小路のかつての居場所。有栖ちゃんがその単語を口にした瞬間、空気が変わった。

 初手でぶっこんでくるのか……

 

(これが、綾小路清隆か)

 

 俺のような凡人は身震いして、その場から動くことができない。さながら金縛りのよう。

 鳥肌が立って収まらない。全身の筋肉が言うことを聞かず、痛みすら感じる。

 綾小路の放つ圧倒的なプレッシャーに委縮させられているのだ。

 知ってはいたが、実際に相対すると理不尽極まりない。

 こいつ、イカれてやがる。こんな男と誰が敵対するものか。

 

「あぁ、私から特にあなたへ何かをするつもりはありません。ただ、あなたを知っているということを伝えたかったのです」

 

 だが、うちの有栖ちゃんも大概である。

 一切臆することなく、薄笑いを浮かべたまま話を続ける。

 

「……聞こう。要求は何だ」

 

 今のところ敵意がないとわかったのか、綾小路からの殺気が霧散した。

 ようやく身体が動く。一度深呼吸をして、肩の力を抜いた。

 殺気こそなくなったものの、まだ警戒を解くつもりがないようで、両目で鋭く俺を睨みつけたまま話の続きを促してきた。これだけでも結構しんどい。

 

 有栖ちゃんは意外にもここで黙り込み、俺の方を向いて回答を促してきた。

 あまりの圧力につい忘れていたが、引き合わせたのは俺だった。

 少し考えてから、俺は口を開いた。

 

「そうだな、俺らと友達になってくれ」

「なんだって?」

 

 俺の答えはさすがの綾小路も想定外だったのか、聞き返してきた。有栖ちゃんも驚いている。

 綾小路は恐ろしいが、別に悪い奴じゃない。友好を示せば大丈夫なはずだ。

 特に言葉を選ばず、意図を説明することにした。

 

「ここにいる有栖ちゃん、既に学校生活がダルくなり始めてるんだよ。ちなみに俺も同じだ」

「入学初日にダルくなるって、お前……」

「そんな中で、トップクラスの実力者たる綾小路清隆がこの学校にいると知った。お前と友達関係になれば、有栖ちゃんも退屈しないと思った。理由は以上だ」

「……あぁ、知ってるんだったな。ただ、いいのか?オレはあまり目立つつもりはない。退屈しのぎになるかは分からないぞ?」

「大丈夫だ。とにかく、お前の敵になるつもりはないってことはわかってほしい。それに、目立たなくたっていい。何なら、有栖ちゃんのチェスの相手にでもなってくれれば十分だ。俺じゃ相手にならんからな」

 

 ちなみに、俺も多少はチェスをすることができる。

 俺が有栖ちゃんと指すときは、まず有栖ちゃんがプロの棋譜の投了図を最初に並べる。もちろんチェックメイト直前まで指し込んだものではなく、プロが絶対に逆転不可能と判断して、早い段階で投げたものをいい感じで探してくるのだ。

 その勝った側を俺が持ち、負けた側を有栖ちゃんが持つ。そこから続きを指すというルールだ。当然、圧倒的有利な状況からのスタートとなる。

 しかし、俺はそれでも九割負ける程度の実力しかない。きっとつまらなかっただろうと思う。

 

 有栖ちゃんは俺の回答に満足したようで、何度か頷いていた。

 

「昔から、あなたに一局お願いしたいと思っていました。今からよろしいでしょうか?」

「ここでか?まぁ、まだ入学式までは時間もあるし、一局だけな」

「ええ。私と綾小路くんなら、頭の中にチェス盤があるでしょう?先手は譲ります」

 

 そう言って、有栖ちゃんと綾小路は脳内チェスを始めた。

 すらすらと駒の名前と移動先を言い合う。彼らの頭の中では現在進行形でバトルしているのだ。俺のような雑魚には盤面がどうなってるかさっぱり見えないが、二人には楽しいんだろう。

 

 完全に蚊帳の外。

 しかし、有栖ちゃんがこんなに楽しそうなのは久しぶりに見た。頭が熱くなっているのを見るに、思考をフル稼働させて考えている。全力を出し切らないと勝負にならない相手。

 俺では、こういうワクワクを与えられないからな。

 やっぱり、有栖ちゃんを任せられるのは綾小路しかいないと感じた。

 

 

 

 決着までは二十分程度かかった。

 

「リザインです。私の負けですね」

 

 軍配は、先手の綾小路に上がったようだ。

 

「……すごいな、お前は。途中からは完全に本気になっていた。それでも一手違いだ。先後が逆ならわからなかった」

「引き分けにもなりませんでしたね。どうやら、あなたと私には実力差があるようです。認めざるをえません」

 

 チェスは先手有利なゲームだ。有栖ちゃんが先手を譲ったのは余裕の表れと思ったし、綾小路も逆ならわからなかったと言っているが、本人はそう思っていないようだ。

 実力が高いからこそ、わかることもあるのだろう。

 

「そうか」

「ですが、いい勝負でした」

 

 ……意外だ。

 想像よりも立ち直りが早い。有栖ちゃんは負けというものを知らないから、もっと落ち込むものだと思っていた。これはまるで、過去にも打ち負かされた経験があるような反応だ。俺の知っている限り、そんなことはなかったはずなのだが。

 単純に、精神的に強いということなのだろう。失礼なことを考えたと思い、俺は心の中で反省した。

 

「綾小路さえよかったら、また有栖ちゃんと勝負してくれないか」

「勿論。友達だからな」

 

 そう言って、綾小路は握手を求めた。有栖ちゃんが応じて、固く手が結ばれた。

 

 そろそろ、いい感じに入学式の時間が近づいてきた。

 綾小路もそれを察したのか、手を振って去ろうとしたため、最後に先ほどもらったばかりの端末で連絡先を交換した。

 

「はい。これで、正式に友達だ。今後ともよろしくな」

「こちらこそ、よろしく頼む」

 

 綾小路の感情の変化は見えにくいが、どこか嬉しそうにも見える。

 

「次は負けません」

「そうか。また、そのうちな……心配しなくても、お前は強い。オレの知ってる誰よりも」

 

 背中を向けたまま、最後に綾小路はそう呟いた。

 最強の怪物との邂逅を終えて、俺は深く息を吐いた。

 

 

 

 何はともあれ、うまくいって良かった。

 この段階で綾小路と良好な関係を築くことは、メリットが大きいはずだ。将来的に綾小路に攻撃されるという、あまりにも巨大なリスクを予め潰すことができるからな。もっとも、その可能性はまだ完全に無くなったわけじゃないが、敵対姿勢を見せなければ大丈夫だろう。

 

「どうだった?有栖ちゃん」

 

 有栖ちゃんをもう一度ベンチに座らせて、俺も隣に座った。

 

「……彼は、作られた天才。それはご存じですよね?」

「勿論。そして、有栖ちゃんのそれが先天的なものだってことも」

 

 よくわかっている。

 綾小路は、言わば努力の天才。ホワイトルームという異常な環境で徹底的な教育を施されて、遺伝的性質に頼らず実力を手に入れた。

 生まれながらの天才である有栖ちゃんは、それに負けたくはなかったのだ。

 

「その通りです。悔しいというよりも、どうしていいかわからないのです。こんなに呆気なく、こんなに圧倒的に、私の理論を否定されることになるなんて」

「自分の優生を証明できなかったということだろう?まぁ、いいじゃないか。これからいくらでも勝負する機会はある」

「……また彼と勝負すれば、見えてくるものもあるかもしれません」

「そうだな」

 

 俺の率直な気持ちを話した。わかってくれたのだろうか。

 まぁ、真剣勝負で負けたんだ。しかも、何年も宿敵だと考えてきた相手だ。突然出会って、いきなり勝負して負けるなんて展開は絶対に予想していなかったと思う。

 それにしても、すんなりと敗北を受け入れている。元々ここまで割り切れるタイプではなかったと思うんだけどなぁ……やめよう、俺の勝手な憶測にすぎない。

 

「ちょっとだけ、いいですか」

「おう」

 

 少し疲れたのか、有栖ちゃんは俺の方にもたれかかってきた。

 

「……負けてしまった私でも、あなたは付いてきてくれるのですね」

「当然。勝とうが負けようが、有栖ちゃんは有栖ちゃんだろ?ゲームの結果ごときで揺らぐほどの絆ではないと思ってたんだが、違うのか?」

「ふふ、それもそうです。これからもずっと、変わりませんよ」

 

 小さな身体を抱き寄せて、しばらくベンチで休んでいた。

 

 

 

 その後の入学式は特に面白いこともなく、普通に終わった。

 

(ついに始まる。ここでの生活が)

 

 今後のことを、馬鹿な頭で少し考察してみる。

 最高の遊び相手を見つけてしまった有栖ちゃんは、クラス間闘争とその結果にはさほど興味を持たないだろう。元からそんな気はしてたが、ほとんど確実になった。

 かなりのインドア派(身体のことを考えたら当然だが)である有栖ちゃん。同格のプレイヤーとマインドスポーツをする以上に楽しいものがあるとは思えない。綾小路なら何をやらせてもどんなコンピュータより強いだろうし、仮にチェスに飽きたとしても違う勝負ができる。

 その点、この学校の特別試験は運動能力が求められるようなものも多く、そういうのは元からNGだ。知力だって綾小路相手のゲーム以上に使うものなんか、どこを探しても無い。

 

 Aクラスはどうなるのか?

 一瞬そう思ったが、俺にとっては最早どうでもいいことだと気づいた。あのクラスは好きになれないし、何の思い入れもない。無事にAクラスを守るか、落ちていくのか。全く関心がないことに自分でも驚く。

 俺は有栖ちゃんが楽しそうな表情を見せてくれれば、それでいい。

 重ねて言うが、興味のないことに対してはドライなのさ。




 綾小路(まさか、初日で友達ができるとは)


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第4話

 ここまで期待していただいて、大変ありがたく思うと同時に大きな不安が……
 一番の雑魚は作者なので、引き続き生暖かく見守っていただけたら幸いです。

 ※感想や誤字報告などありがとうございます。


 入学式を終えた後、軽いホームルームとして学校敷地内の地理関係などの説明を受け、正午には解散となった。

 しかし、俺は連絡事項があるということで真嶋先生に呼び出されていた。

 

「なんでしょうか、真嶋先生」

「わざわざ悪いな。ある程度は理事長から聞いているだろうが、高城と坂柳については人道的配慮が必要という判断が下された。そこで、いくつか特例措置が取られることになった。今からその内容について説明するから、よく聞きなさい」

 

 人道的配慮という名の親族優遇ではないかと思うが、ここの教師たちはそんなことを言ったらひどい目に遭うのかもしれない。少し不憫に思えてきた。

 

 まずは寮生活について。

 前提としてあるのは、有栖ちゃんは身体が弱いので、旧知の仲である俺が支えるということ。

 それを達成するため、隣同士の部屋を与えられることになったらしい。

 本来、この学校の学生寮はフロアごとに男子と女子のエリアが分かれている。

 上層の女子側エリアは原則20時以降立ち入り禁止だが、俺は特例として、女子エリアのうち一番下の階に部屋が与えられ、その階のみ時間制限なく入ることができるという。

 

「無論、坂柳以外の生徒の部屋に出入りするようなことは禁止だ」

「当然ですね、それは」

 

 なるほど、毎朝迎えに行くのにラッシュと思われるエレベーターを使うのは地味にしんどい。隣の部屋ならその点は問題ないし、体調が急変したり日常生活で怪我を負ったりした場合も、連絡さえあればすぐ助けに行くことができる。

 ……といっても、わざわざ部屋を出るのも面倒な上、そのような緊急事態に連絡を取り合う余裕があるか不透明だ。そんな素直な使い方をするつもりはない。

 

 最も楽で確実な方法、それは同居してしまうことである。

 風呂場で転んだりしていないか?急に発作が出たりしていないか?なんてことを考えて毎晩ソワソワするぐらいなら、一緒に住めばいいと思っていたし、許されるならそうするつもりだった。

 隣同士の部屋が貰えるというのは、その生活をする上で非常に効率が良い。二部屋を二人で使う形を取れるからだ。

 これらのことは当然織り込んだ上での措置なんだろうし、ありがたく使わせていただこう。

 

 実際のところ、今年の一月以降はほとんど同居に近い状態が続いていた。有栖ちゃんの部屋に泊まりこみで受験勉強していたからである。

 これが結構うまくいっていたため、今さら以前の形に戻すのもなぁ……と考えていたから、非常にありがたく感じる。

 

「また、今後の学校生活において、坂柳の体調不良やサポートが必要な場合など、何らかの事情がある際は遠慮なく教師に伝えなさい。それによる授業中の離席や欠席は、評価の対象外とするよう全ての教員に通達されている。また、その旨は後日ホームルームで全員に話す予定だ」

 

 微妙にわかりづらい言い方で、更なる特例を伝えられた。

 ……わざわざ後日に話す理由は、間違いなくクラスポイントのことが絡んでいるだろう。

 本来そんなこと、全員に向けて言う必要はないはず。俺と有栖ちゃんの評価なんてほかの生徒には関係ないからだ。

 つまり、ここでいう評価とは「クラス評価」のことである。そして、その事実を真嶋先生はまだ伏せておかなければならない。だからこういう言い回しになるのだ。

 

「お前も当然知っているだろうが、理事長の娘さんだからな……あえて多くは聞かないが、あまり無理をするなよ。我々教師陣からすると、坂柳よりむしろ高城の方が心配だ」

「俺は大丈夫ですよ。まさか、こうやって学校側から配慮していただけるとは思いませんでした。感謝します」

 

 どうやら俺を心配してくれているようだが、全く問題はない。長年にわたって続けてきていることを継続するだけだし、そもそも有栖ちゃんを負担だなんて思ったことは一度もない。

 

「話は以上だ。よろしく頼むぞ」

「はい。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」

 

 なんにせよ、真嶋先生はいい人だな。

 担任教師に限って言えば、俺はAクラスでよかったと思う。

 

 

 

 職員室を後にして、玄関で待っていた有栖ちゃんと再会した。

 

「怪我とかしてない?」

「大丈夫です。たった8分ですから、問題ありません」

 

 おいおい、細かいな。確かに8分ぐらい経ってるような気もする。

 この程度の時間で、無事であったか心配するのは些か過保護かもしれない。しかし、少し目を離しただけで怪我をしてしまうこともある。

 有栖ちゃんが頭を使う問題で「大丈夫」と言ったら絶対大丈夫だが、身体面の「大丈夫」は全く信用できないのだ。

 

「俺も心配なんだよ。離れてる間は、何が起こってるか見えないから」

「……ありがとうございます。本当に、とても助かっています」

 

 お、おう。

 ストレートにお礼を言われるとは思っていなかったため、言葉に詰まる。

 最近、こういう感謝の言葉が増えた。かつてはほとんどなかったのだが……やっぱり、あの件が俺に対する負い目になっているのだろうか。別に気にしてないのに。

 とりあえず、普通に照れるわ。勘弁してくれ。

 照れていることを悟られないよう、話題を変えることにした。

 

「それじゃあ一旦部屋の中を見てから、どっかで適当に飯を食って、買い物にでも行くか。有栖ちゃんが疲れたら、その時点で終了ってことで」

「いいですね、そうしましょう」

 

 しっかりと手を握って、俺たちは歩き出した。

 

 ふと、頭に浮かんだことがある。

 俺が入学しなかった場合、本当に原作の展開へ回帰したのだろうか?

 原作において、Aクラスの取り巻き連中はここまでしていただろうか?

 

 俺が有栖ちゃんにしていることって、本当に俺以外の人間でもできるのか?

 

 一つの可能性に行き着く。

 まさかそんなはずはないと思いつつも、恐ろしい仮説が浮かび上がりそうになった。

 だとすれば、俺は……

 答えを知るのが怖くなって、考えるのをやめた。

 

「……」

 

 そんな俺を、有栖ちゃんは観察していた。

 表情を変えないまま、黙ってこちらを見ている。

 

 綺麗な瞳が、少し潤んでいた。

 

 

 

 数時間後。

 俺たちは寮の確認をした後、ショッピングモールへやってきた。

 コンビニでも日用品含め大体のものは買えるのだが、有栖ちゃんは「人が多く集まる場所」を希望したため、こちらに来ることにした。

 こうして買い物に来ると、無料コーナーの充実に驚かされる。スーパーやコンビニだけでなく、数多くある専門店にもそれぞれ用意されている。一ヶ月に何点限定などと数が制限されていても、全ての店を回ればとんでもない量になるだろう。

 原作通り、ポイントが尽きても最低限以上の生活が送れるようになっている。

 これも新入生の立場からすれば、派手に使いすぎて金欠になった生徒用にしか見えないんだろう。それにしては充実しすぎているのだが、変だと思うのはかなり難しいと思う。

 答えをカンニングしている俺が言うのもおかしいが、決してノーヒントではない。

 しかし、入学で気持ちが浮かれている状態ではそこまで頭が回らなくて当然だ。

 そして、そこで回るのが有栖ちゃんだということ。

 

「これも、あれも無料なのか」

「安物ばかりですが、すごいですね」

 

 俺たちは併設のドラッグストアに入って、洗剤などの必需品を探していた。

 俺がカゴに物を入れていく中、有栖ちゃんは無料コーナーにある物を取っていく人たちをじっと眺めていた。持っていく人の傾向でも調べているのだろうか?

 その後数分間にわたって周囲を観察してから、上級生と思われる女子生徒に声をかけた。

 

「すみません、少しよろしいでしょうか」

「ん、新入生?あまり話さないように言われてるんだけど……」

「申し訳ありません。初めてきたもので、商品の置き場所がわからなくて困っているのです」

「そんなの、店員に聞けばいいじゃない」

「それが、今探しているのは生理用品なのです。見ての通り、今日の店員さんは男性の方しかいませんから……」

「聞きづらいってことね。いいよ、こっち」

 

 自然な感じで取り入っていく。まったく不信感を抱かせないまま、話に引き込んでいく。

 このあたりが有栖ちゃんのすごいところであり、怖いところでもある。

 女の子とはいえ、よくそんな話を思いつくな……

 名前も知らない先輩は、生理用品のある場所まで案内してくれた。

 

「ありがとうございます。ところで、先ほど先輩はあのコーナーから石鹸を取っていましたが、節約されているのですか?」

「……そうね」

「気分を害されたのなら、申し訳ございません。ただ、失礼を承知で申し上げますと、先輩は毎月のポイントを浪費するような方に見えなかったのです。何かポイントが減少する要因でもあったのでしょうか?」

 

 確かに、この生徒は真面目そうな雰囲気だ。

 毎月10万ポイントを使い果たしそうかと言われると、大いに疑問が残る。

 

「……それは答えられない」

 

 それはほとんど答えだよな?

 

「なるほど、ありがとうございます。最後にもう一つよろしいでしょうか?」

「はぁ、何?」

 

 ここぞとばかりに、有栖ちゃんが畳み掛ける。もう、裏を取る作業に入っている。

 すでに答えは出ているだろうから、それを確定させるための質問だ。

 

「差し支えなければ、三月中に使用したポイントの総数を教えていただけますか?」

 

 答えやすい質問。新入生へクラスポイントの話をするのは禁じられているようだが、先月使ったポイントの数を言外禁止にしているわけがない。そんなのは雑談レベルの話だし、貰えるポイントが変動する可能性に行きついていなければ、浪費癖をチェックできる程度の話題にすぎない。

 

「……別に答える義務はないんだけどね。いいよ、あんたの凄さをリスペクトして教えてあげる。2万ちょいってところかな」

「わかりました。ありがとうございました」

「本当に、とんでもない子が入ってきたわね。入学初日でここまでやる奴なんか、どこにもいないわよ」

「ふふっ、細かいことが気になってしまうもので」

「いずれ生徒会長になるかもねぇ。今のうちに仲良くしておいて損はなさそうだし、うん。悪くはなかったと思っておくわ」

 

 そう言って、先輩は苦笑いしながら去っていった。

 

「恐れ入りました」

「まぁ、こんなものですよ」

 

 なんというか、いかにも有栖ちゃんらしいやり方だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 風呂に入った後、有栖ちゃんの髪をドライヤーで乾かしながら、今日のことを振り返る。これは最近、俺たちにとっての日課のようになっている。まったく嫌ではないので、やめようと言われるまでは続けるつもりだ。

 

「なんか、盛りだくさんの一日だったな」

「そうですね。当然といえば当然なのでしょうが、特に綾小路くんのことは全く予期しない出来事でしたから、余計にそう感じます」

 

 白い肌。さらさらの銀髪。こうして見ると、本当にお人形さんみたいだ。手入れするモチベーションも上がる。

 

「さっきの話、どうするんだ?」

「ポイントのことですね。せっかく得た情報ですから、黙っていても面白くありません。もちろん、伝える相手は選びますが」

「そうか。そうすると、来月の答え合わせ以降は有栖ちゃんを意識する奴が出てくることになりそうだ」

「これを知ったことで何らかの利益を得る人間は、そうなりますね」

 

 貰えるポイントが変動するということ。

 有栖ちゃんは、あくまでも謎解きゲームとして遊んでいるのだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。

 全然構想が見えてこない。原作知識を持っているのに何一つ目的がわからない。有栖ちゃんは、どうやってこの学校を楽しむつもりなんだろう?

 

「明日からはどうするんだ?」

「いくつか推測はしていますが、まだ確証が得られないものばかりです。これらの裏を取ってから、いろいろと行動します」

「了解。よしっ、終わったぞ」

 

 肌のケアも終わり、あとは寝るだけだ。

 結局、有栖ちゃんが何を考えてるのかさっぱりわからなかった。

 

「ありがとうございます……晴翔くんは、何も考えなくていいのですよ?」

「馬鹿で申し訳ない」

「大丈夫です。私のそばにいてもらえたら、それだけで」

 

 そう言って笑った顔が可愛すぎて、いろいろどうでもよくなってしまった。

 まぁ、なるようになるか。




 綾小路(坂柳からメールが来ている。内容は……)


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第5話

 最初に書き始めたときは、せっかくだし何人かには読んでもらえたら嬉しいな、ぐらいのイメージだったのですが……皆さんありがとうございます。


 翌日の昼休み、俺は有栖ちゃんと食堂で昼飯を食べていた。

 今日から授業が始まっている。さすがにAクラスなので、全員が真面目に授業を受けていた。

 しかし、監視されてることを知ってるとダメだな。俺はカメラが気になって、なかなか集中できなかった。

 

「晴翔くん、そんなにカメラが気になりましたか?」

「ああ。誰かに見られてるって思うと落ち着かなくて」

「ふふっ、言いたいことはわかります」

 

 授業中の俺は、まずチラッとカメラを見る。そしてノートに字を書いて、またチラッとカメラを見る。その繰り返しだった。我ながら挙動不審だと思う。

 有栖ちゃんはそんな俺を見てくすくす笑っていた。

 

 さて、俺は貰えるポイントが変動することを知っているが、それでもスペシャル定食を食べることにした。うまいものは、食えるうちに食っておく。前世からのモットーである。

 

「豪華ですね」

「今日はうまいのを食いたい気分なんだ。いずれは自炊しようかと思ってるが、最初だからスペシャルってことで」

「今まで料理しているところを見たことがないのですが……」

 

 言われてみれば、料理経験は前世まで遡る。

 それでも、下手ではないはず。ド貧乏だったし、その上片親だったから俺も料理ぐらいしないと生きていけなかった。品質の低い食材をごまかす調理はお手のものだ。

 ……いくらタダでも山菜定食は食べたいと思わない。そこで、金欠になったら自炊しようというわけだ。店には無料の食材もあったし、そういう機会があるかはわからんが、必要となればやってみようと思う。

 

 しばらく二人でいると、綾小路が俺たちの姿を見つけてやってきた。

 こうして見ると、普通の目立たない生徒なんだけどなぁ。昨日の悪魔のような威圧感を思い出すと、身体が危険信号を発して一瞬ビクッとしてしまう。これを克服するまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

 

「よう、どうだ?そっちは」

「……残念ながら、クラスで友達はできていない」

 

 本当に残念そうな顔をする綾小路。

 俺も、クラスに溶け込めない気持ちはよくわかる。

 

「そういえば、いかがでしたか?私の見解は」

 

 次に有栖ちゃんが話を振った。

 綾小路は一瞬考える素振りをした後、周囲を見回してから小声で話し始めた。

 

「あぁ、あれで正解だろうな。こっちもあの後少し気になって調べたが、どれも坂柳の主張を裏付ける結果ばかりだった」

「その様子でしたら、綾小路くんも早晩気づいたかもしれませんね」

「いや、オレがやったのは証明だ。解が出ている問題の途中式を考えただけだから、坂柳のように何もないところから導き出せたかはわからない。本当にお前はすごいやつだと思う」

 

 ……ポイントのこと、綾小路に共有してたのか。

 相変わらず、有栖ちゃんの行動指針がわからん。Aクラスに貢献とかいう気持ちが一切ないのははっきりしたけど。

 

 二人のやりとりを聞きながら、スペシャル定食を食べる。

 高いだけあって味は良いが、毎日食べたいとは思わない代物だなぁ。

 

 

 

 俺たちのところへ、黒髪の女子が近づいてきた。

 テーブルの前で俺と有栖ちゃんを一瞥した後、綾小路に向けて一言。

 

「まさか、本当に友達ができたなんてね」

 

 ツンとした態度を崩さないこの少女は、堀北鈴音だ。

 知っての通り、原作のメインキャラであり、準主人公的存在である。

 俺はこの時期の堀北の性格を知っているので、めんどくさいから関わりたくなかったのだが、なぜかあちら側から来てしまった。綾小路目当てだろうか?

 

 綾小路も、有栖ちゃんも話を止めた。

 しばしの沈黙。急に空気が重くなる。

 ……ずっと黙っていると、堀北を無視しているみたいになって嫌な感じだ。

 しぶしぶ俺が口を開くことにした。

 

「ええっと、初めまして?」

「何?別に仲良くしようと思って来たわけじゃないわ」

 

 刺々しく言い返された。

 うざっ。知識はあったが、直接話すとこれは相当だな……

 挨拶しただけでこんな態度を取られたら、仲良くしようだなんて思わない。

 俺は話を打ち切って、目をそらした。

 

 あっ、有栖ちゃんがお怒りモードだ。長年の付き合いだから、目を見ればわかる。

 自分の話を止められたのが気に食わなかったのだろうか?

 堀北め、地雷を踏んだな。

 

「仲良くするつもりがないのなら、こちらに来る必要はないでしょう。私は、綾小路くんとお話ししていました。お引き取りください」

「……あなたは、何者?」

「相手が何者か聞く前に、まず自分から名乗ってはいかがですか?」

 

 有栖ちゃんは薄笑いを浮かべながら、そう突き放した。

 

「……はぁ、もういいわ」

「奇遇ですね。私も会話を継続する意思がありません」

 

 こうなった有栖ちゃんは誰にも止められない。何か言い返せば言い返すだけ、精神的ダメージが蓄積していくだけだ。

 謝罪して矛を収めてもらうか、コミュニケーションを打ち切るしかない。

 堀北もそれを悟ったようで、身を翻して教室の方へ去っていった。

 

 有栖ちゃんと堀北のファーストコンタクトは最悪なものになってしまった。非常にうまくいった綾小路とは対照的に、こうなっては関係の修復は難しいだろう。何もそこまで怒らなくてもとは思ったが、俺もあの態度に若干ムカついていたので、あえて黙っていた。

 しかし、有栖ちゃんが感情を出して怒るのは結構レアなケースだ。

 よっぽど今の堀北に不愉快な部分があったんだろう。細かいことはわからないけど。

 

 とりあえず、綾小路が少し焦っていたのが面白かった。お前にも、一応そういう感情は備わっているのか。

 

「お前も災難だな、綾小路」

「やめてくれ……まさか入学二日目にして、教室へ行くのが嫌になるとは」

 

 やれやれといった様子で、綾小路は飯を食い始めた。

 

 

 

 またしても、俺たちの方へ近寄ってくる女子が一人。

 正直、飯ぐらいゆっくり食わせてくれよ……と思った。

 

「あの〜、ちょっといいかな?」

 

 櫛田桔梗。これまたDクラスの女子がお出ましだ。

 何だ、今日はメインキャラクター紹介の日なのか?

 

「どうしたんだ?」

「ええっと、みんなは堀北さんと仲がいいのかなって思って」

 

 櫛田は、静かな声でそっと問いかけてきた。

 

 とりあえず、頭の中で原作知識を辿らせてもらう。言うのはダメだが、思うのは勝手だからな。

 

 櫛田は、自分の過去を知る堀北のことをかなり嫌っている。

 表面上は取り繕っているが、裏ではひどいもの。退学させることすら企んでいたはずだ。それで、堀北と会話(?)していた俺たちグループにアプローチをかけてきたと思われる。

 

「私は仲良くないですが、綾小路くんはいかがですか?」

「オレに振るなよ……一応会話が成立するって意味では、他の二人よりはマシかもな」

「そ、そうなんだ……」

 

 真顔で仲良くないと断言する有栖ちゃん。これは、完全に敵扱いになったパターンだ。あーあ、やっちまったな堀北。今後苦労するぜ?

 二人の答えを聞いた櫛田は黙り込み、綾小路に向き直る。

 

「私、クラスの全員と仲良くなりたいんだけど、堀北さんはあまり私と仲良くしたくないみたい」

「堀北は常にあんな態度だから、そう思うのも当然だ。本人がどう考えてるのかは知らないが」

「そっか……でも、私は堀北さんにもクラスの輪の中に入ってほしい。教えてくれてありがとう。また、いろいろ考えるね」

 

 うーん、この優しそうなキャラが全部演技だと思うとかなり怖い。俺に火の粉がかかるのは御免だし、距離感は間違えないようにしよう。

 

「そういえば、そっちの二人は初めましてだね。私は1年Dクラスの櫛田桔梗です」

「ご丁寧にありがとうございます。私は、坂柳有栖と申します」

「高城晴翔だ。よろしくな」

 

 櫛田は堀北が言われた内容を聞いていたからか、先に名乗ってきた。

 有栖ちゃんも、堀北と比べたら随分マイルドな対応である。

 

「櫛田さんは、積極的な方なのですね」

「そうだよ!最終的には全員と友達になるのが、目標だから」

「なるほど……うまくいくと、いいですね」

 

 そう言って、有栖ちゃんはじっくりと櫛田の目を見る。

 まさか、もう何か察したのか?

 

 少しお互いのクラスのことを話したりして、最後に連絡先を交換した。

 飯を食べ終えるのは、ギリギリの時間になってしまった。

 せっかくのスペシャル定食、もっと味わいたかった……

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺たちの部屋。いつもの日課。

 気になったのは当然、昼休みの出来事。

 

「今日の二人のこと、どう思った?」

「櫛田さんはとても面白いです。彼女は、確実に何かありますね」

 

 やっぱり何か気づいていたようだ。

 

「と、いうと?」

「彼女は友達作りを急いでいるようですが、それを周囲に公言して憚らないあたり、強迫観念のようなものを感じます。初対面の私に対しても言うのですから、相当なものです」

 

 確かに、と俺は思った。

 全員と友達になりたいとか、全員の連絡先を知りたいとか、言葉だけ聞くと良いことのように思える。実際、自分の中の目標として設定するのは悪くないだろう。

 しかし、それを他人に言ってしまえば話は別だ。「あなたは多数の友達のうちの一人で、私にとって特別な存在ではない」と言っているのと同義である。

 

「あれは、自己の目標達成というよりも、『目標に向けて頑張る自分』や『努力の末に目標をクリアした自分』に対するレスポンスを期待しているのかもしれません」

 

 相変わらずの洞察力だ。

 俺が頷いたのを確認してから、有栖ちゃんは話を続ける。

 

「しかし、承認欲求というのは強弱の差はあれど全ての人間が持っているものです。私は彼女を批判するつもりはありません。むしろ、私と近い部分もあるように感じていますから」

「近い部分?」

「はい。それについては、まだ直感的なところが大きいです。いずれにしても、彼女は使()()()()。どうやって使えるようにするかが、今後の課題ですね」

 

 有栖ちゃんの雰囲気からすると、櫛田のことはかなり気に入っている様子。

 綾小路には到底及ばないが、ある程度の興味を持っているのは間違いなさそうだ。

 

 俺が櫛田の「裏の顔」を見る日も近いかもしれないな。

 イヤだなぁ。俺のことボロクソ言われてたらどうしよう?

 なんて、呑気に考えられるぐらいには安心していた。

 

 その理由は、櫛田では絶対に有栖ちゃんに勝てないからだ。

 能力的なことを言っているのではなく、相性の問題である。

 

 前提として、有栖ちゃんに勝つには精神的な部分でキズがあってはならない。それに加えて、自分の弱み・欠点を突かれても問題ない精神力や、最悪の場合物理的な暴力へ切り替えるような理不尽さがなければならない。

 ……その条件を完璧に満たす男こそ、綾小路清隆なのだが。

 

 話を戻す。

 櫛田という生徒は、過去の行いという秘密がある上に、ストレス耐性も決して高い方ではない。そのあたりを有栖ちゃんに読まれ始めている以上、もう天地がひっくり返っても勝てないのだ。

 もっとも、有栖ちゃん自身が櫛田に対して何らかのシンパシーを感じているようなので、()()ようなことはしないと思うが……

 

「よしっ、終わり」

「はい。今日もありがとうございます」

 

 考えているうちに、今日のお手入れが終わった。

 帰りにコンビニでいい感じの化粧水を買っていたので、早速使ってみたところ、非常にいい感じに仕上がった。本当に、元が良いからケアするのも楽しい。

 

「しっかし、櫛田も罪なやつだよな。あの容姿と、あの距離感で友達になりたいって迫られたら、断れる男子なんてそうはいないだろう」

「そんなものでしょうか?」

「男なんてそんなもんさ。まぁ、俺は有栖ちゃんの方が可愛いと思うけど」

「……急に何を言ってるんですか?もう寝ますよ」

 

 ちょっとからかってみた。

 隠れるように布団へ潜ったが、照れているのはバレバレだ。恐ろしく抜け目がないくせに、こういうのはわかりやすい有栖ちゃんである。

 

 最後にひとつ。

 

「そういえば、堀北は?」

「嫌いです。聞かないでください」

 

 あーあ。




 綾小路(まさか、堀北にその言葉をぶつけるとは……)


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第6話

 こんなにも読んでくれる方がいるとは思わず、まだ本当にこの作品が面白いのか?まったく自信を持てないのですが、ありがとうございます。
 多数の感想や評価もいただいて、とても光栄に思っております。皆さんに感謝します。


 5月。

 

 今日は答え合わせの日。

 クラスポイントという制度に、各クラスの生徒が衝撃を受ける日だ。

 真嶋先生が、さっそく各クラスのポイント数が書かれたプリントを張り出した。

 

 Aクラス - 900ポイント

 Bクラス - 820ポイント

 Cクラス - 490ポイント

 Dクラス - 0ポイント

 

 クラスがざわめき立つ。落ち着いているのは、俺と有栖ちゃんのみだった。

 その後、クラスポイント制度の概要及び、毎月振り込まれる個人用のポイント……プライベートポイントはクラスポイントの100倍となることについて、詳しい説明が下された。

 さらに、卒業特典はAクラスのみであること、毎月ポイントが増減すること、そしてAクラスは優秀であったことなどが話された。

 

 いずれも、俺の知識通りの内容であった。

 また、入学式の日にあった俺たちに対する特例措置の件も、今まで連絡できなかった理由(クラスポイント制度の秘匿のため)と合わせて、正式に話があった。

 

「今から小テストの結果を掲示する。各自、確認しなさい」

 

 一通りの説明が終わった後、真嶋先生はそう言って新たなプリントを掲示した。

 結果を見ると、俺はどの教科も60点程度の平凡な点数だった。わからない問題がちらほらあった上に、最後の方の難しい問題はノータッチだ。俺の実力ではこんなものだろう。

 

 有栖ちゃんは、()()()()8()0()()()という優秀な成績だった。

 

 そう、80点台である。

 露骨に手を抜いたのだ。

 

 数学のテストが終わった時、答案回収の際に最初の計算問題を全て空白にしているのが見えていたため、こうなるだろうとは思っていたが……全教科でそういうことをしていたらしい。

 その意図はまた今度、聞いてみようかと思う。

 

「学力優秀な諸君には縁がないかもしれないが、今後のテストにおいては、一教科でも赤点を取った場合は即退学となる。他人事とは思わず、肝に銘じておきなさい」

 

 真嶋先生はそう締めくくり、教室から出ていった。

 

 

 

 ホームルーム後の反応は様々だった。

 Aクラスの優秀さを鼻にかける奴、0ポイントとなったDクラスを嘲笑する奴……

 そして最も大きかったのが、Bクラス強しの声。

 当然だろう。クラス間の差はたった80ポイント。一発逆転すらありうる差だ。リーダーの地位を固めつつある葛城は、当面のライバルはBクラスになるだろうという結論を出した。

 

 俺は、これは「違う」ことを知っている。

 5月時点で、このような僅差ではなかったはずだ。明らかに、何かおかしなことが起きている。しかし、Aクラスの生徒たちはそんなことを知る由もない。単純に、Bクラスは最も自分たちに近いライバルだという受け取り方をした。

 

 Bは優秀。負けたくない宿敵。

 Cは眼中にない。

 Dは不良品だから論外。

 

 そのため、こんな空気が漂っている。一致団結という意味では、原作のAクラスよりも成功しているのかもしれないが……いかにも足を掬われそうな集団だ。

 

 また、Bクラスが異常に高いポイントであることは置いておくとしても、Aクラスのポイント自体、思ったより低いように感じる。

 特に授業態度において、月の後半は結構微妙だった。さすがに遅刻などはなかったが、教師が見ていない間に携帯をいじったり、午後の眠い時間にうとうとしている生徒が増えてきていた。

 

 これはもしかすると、ワンマン化していることによる副作用なのかもしれない。

 葛城は良くも悪くも情に厚い男だが、これをめんどくさく思っている連中もいる。

 戸塚のようなコバンザメみたいにくっついてる奴とは対照的な、冷めた生徒たち。

 

 ……簡単に言うと、主にそいつらの態度が悪い。そして、葛城も表立って注意するようなことはしない。おそらく、彼らの支持を失うのが怖いのだろう。葛城に対する不満を力にするような、対立するリーダー候補が出てくるのを恐れているのだ。

 

 それこそ、俺の隣にいるような子が。

 もし有栖ちゃんがリーダー争いに名乗りを上げたとすれば、そういう者たちは葛城の元を離れていき、坂柳派のメンバーとして活動するはずだった。

 しかし、それもここではIFの話にすぎない。

 

 葛城以外に統率する者がいないから、アンチ葛城派の受け皿がない。

 この事実は、今後のクラスに大きな影響を与えるだろう。

 

 そして、これが全て有栖ちゃんの思い通りの結果であることは、俺と綾小路……それに加えて、もう一人の生徒のみが知っている。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「……以上のことから、毎月支給されるポイントは、各クラスの評価に応じて増減します。また、その評価の中には授業態度も含まれていることが予想されます」

「はぇ〜」

 

 入学から二週間が経った休日のこと。

 人気のないカフェに、俺たちは三人で来ていた。

 わざわざここを選んだ理由は、内密な話をするためである。

 

「帆波さんはお友達なので、特別ですよ?」

「ありがとう、有栖ちゃん」

 

 彼女の名は一之瀬帆波。

 Bクラスのリーダー格となる女子だ。

 

 ここ最近、俺たちは彼女と親交を深めていた。

 最初は自己紹介のためと言ってBクラスを訪れ、会話を通じて仲良くなっていった。友達として綾小路も紹介し、それなりに親密な関係を築いている。

 神崎という生徒は、他クラスの生徒がどんどんBクラスに入ってくる光景に怪訝な顔をしていたが、こちらに害意がないのは明らかなので、特に何も言ってくることはなかった。

 ……だが、俺はあいつが優秀な男だと知っている。おそらく、有栖ちゃんに対して何かしらの違和感を覚えたのだと思う。

 しかし、帆波さんがとびきり人当たりの良い性格をしていることと、不信感を持たせない有栖ちゃんの話術が合わさり、その疑念を潰してしまったのだ。

 今では神崎の方から俺たちに話しかけてくることもあるぐらいで、こちらについても知人程度の関係は構築したと言える。

 

 そういえば、当たり前のように帆波さんと呼んでいるが、こうなったのは有栖ちゃんが俺も含めて互いを名前呼びしようと提案したからだ。

 有栖ちゃんのことを長年見てきたが、これは初めて見る行動だったので驚いた。

 いや、他人を名前で呼ぶこと自体、俺以外では初めてではないだろうか?

 何かしらの意図があるのは明らかである。

 おそらく、目的を達成するためには彼女とできる限り仲良くする必要があるのだろう。

 

 有栖ちゃんは今、クラスポイントについて持っている知識を伝えてしまった。

 その結論に至った理由、綾小路が独自に調べていた内容も含めて、全てだ。

 Aクラスでは誰にも言っていないのに、帆波さんには惜しげもなく教えたのだ。

 

「クラスの授業態度改善のため、今のお話は広めていただいて構いません。ただし、私が教えたということは伏せておいてください。あくまでも、帆波さんがご自分で結論を導き出したという体でお願いします」

「なんだか、申し訳なくなっちゃうな……来月、私の功績!ってことになるんだよね?」

「ふふ、それでいいんです」

 

 有栖ちゃんはココアを一口飲んでから、微笑んだ。

 

 これにより、来月以降は帆波さんがBクラスにとって絶対的な存在となることが確定した。

 理由は語るまでもない。他生徒からすれば、元から人望がある上に、有栖ちゃんレベルの思考力を持っているように見えるのだ。とてつもない人物だと錯覚するのが普通である。ある意味、龍園以上の独裁政治となるかもしれない。

 

 問題は、相変わらず有栖ちゃんが何をしたいのかさっぱりわからないということ。

 

「……有栖ちゃんの目的。それは、教えてもらえないかな?」

 

 帆波さんもさすがに怖くなったのか、おそるおそるといった感じだ。心の中は見えないが、彼女の中で有栖ちゃんは「敵に回してはいけない相手」ぐらいにはなっているだろう。

 

「そうですね。いずれはお話しする予定ですが、今は伏せさせてください。ですが、帆波さんが有利となる情報があれば、今日のような形で可能な限りお伝えします」

「……私は、何をお返しすればいいの?」

「何も求めません。私と晴翔くんと、今後も仲良くしていただければ結構です」

「仲良くなんて、何も貰えなくてもするのに……」

 

 こんなことをして、有栖ちゃんに何の得があるのか分からない。

 帆波さんはそこに疑問を持って、質問した。相手へのリターンが分からないことを気にするあたり、彼女は優秀といえる。あまりにも人が良すぎるだけなのだ。

 煙に巻いた有栖ちゃんに対して、それ以上問い詰めない。これこそが帆波さんの弱点である。

 

 ……実は、俺は帆波さんのことを少し贔屓目に見てしまうところがある。

 彼女の境遇が、前世の俺と被るからだ。どうしても自分と重なる。

 妹のためとはいえ、万引きに手を染めて、罪の意識に耐えられず部屋から出られなくなってしまった過去。根本的な原因が貧乏生活にあるとすれば、他人事として割り切るのは難しい。

 しかし、他人は他人。知識として知っているだけで、実際は最近できた友達の一人にすぎない。

 俺でもその程度の分別はつく。有栖ちゃんが帆波さんをどうしたいかはわからないが、戦略に口出しするつもりは全くない。

 

 正直、帆波さんはAクラスで卒業して一発逆転なんてのは難しいかもしれない。彼女の性格は、この学校の方針と全く合っていないからだ。

 あくまで第三者としての無責任な意見であるが、お金のことさえなければ絶対に普通の高校へ行くべきだった人間だろう。

 でも、貧乏だから選択肢がなかった……だからこそ、退学だけは。

 できるのなら、退学だけは回避してほしいと思うのだ。

 

 俺はこの学校に入るつもりもなかったぐらいの、何か動かせるような力もない凡人だ。

 きっと何もできないだろうし、リスクを背負って何かするほどのやる気は無い。

 

 できるのは、有栖ちゃんだけだ。

 全ては有栖ちゃんの匙加減にかかっている。

 

 無責任だとは思いつつも、俺は帆波さんの前途が少しでもマシなものであるよう祈った。

 

 

 

 話を終え、俺たちは席を立った。

 帆波さんは何も言わず、伝票を店員に渡した。

 

「ここのお代は、私が払うね。さすがに申し訳ないよ」

 

 そりゃあ、この情報は飲食代の何倍もの価値になるからな。

 タダでくれるって言うなら、俺が逆の立場でも奢るぐらいはするだろう。

 

「俺の分は払うぞ?俺は何もしてないから、奢ってもらうのは筋違いだ」

「ううん、気にしないで」

 

 そう言って、帆波さんはそそくさと会計を済ませてしまった。

 

「ありがとうございます、帆波さん」

「それはこっちのセリフだよ……本当に、何も渡さなくていいの?」

「はい。ぜひ、有効活用してください」

「わかった……もし、もし何か困ったことがあったら、なんでも言ってね?」

 

 複雑な表情の帆波さん。

 善人すぎる彼女にとって、何もせずに施しを受けるということは、意外とキツいみたいだ。俺にはそういう感性はないし、貰えるものは貰っておけと思ってしまうのだが、良い人ならではのストレスを感じているのだろう。

 

 タダというのも、人によっては対価を求められる以上に重く感じるのかもしれない。

 有栖ちゃんの狙いは、そこにあるのだろうか?



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第7話

 有栖ちゃん可愛い。
 妄想を書き殴りたいだけなのですが、これが結構難しい。

 みなさんに評価いただけるほどきれいな文章ではないかもしれませんが、今後もお付き合いいただけたらと思います。


 中間テストが近づいてきた。

 

 Aクラスでは、葛城が主催して毎日のように勉強会が開かれていたが、俺と有栖ちゃんは当然不参加であった。

 参加を拒否することにより揉めると予想していたため、めんどくさいなぁと思っていた。

 しかし、有栖ちゃんの身体を考えればやむを得ないという雰囲気で、意外と何も言われなかった。月の初めに、真嶋先生が特例措置の話をしてくれたのが効いているのだろう。

 

 面白いのは、不参加が俺たちだけではないという点だ。参加率は6割ぐらいだろうか?結構な割合の生徒たちが参加を拒否したのだ。

 原因の一つとして、葛城がクラスを取り仕切っていることに対する反発心が考えられる。勉強のことまであれこれ言われるのは腹が立つというわけだ。

 また、Aクラスはベースとなる学力が極めて高い集団だし、そもそも自分で勉強する方が効率が良いと思った者も多かったのかもしれない。

 

 まぁ、俺たちにとってはどうでもいいのだが。

 有栖ちゃんは、テストの一週間前には過去問を入手していた。

 俺はこれを読み漁るだけで、赤点を回避することができるだろう。

 

 過去問の入手先は、入学式の日にドラッグストアで話した先輩だ。

 当然のように過去問を買おうとする有栖ちゃんに呆れた表情をしていたが、ポイントに困窮しているということもあり、すんなり5万ポイントで購入することができた。

 

 正直、5万は高い。なかなかの大盤振る舞いといえる。

 それを先輩も感じたのか、取引の際に一昨年と昨年が同じ問題であったことを自ら話してくれた。元から有栖ちゃんはそう予想していたようだが、証明の手間が省けた形だ。

 有栖ちゃんは「快く売っていただける額を検討した結果です」と言っていたから、きっと正解なんだろう。

 

 

 

 さらなる動きを見せたのは、テスト三日前のことだった。

 放課後、俺は有栖ちゃんに連れられてBクラスの教室を訪れていた。

 

「あ、坂柳さんと高城くんだ!」

「ここ何日か来てなかったけど、どうしてたの?」

 

 さっそく、Bクラスの女子に絡まれた。

 なぜか、俺たちはBクラスで人気になっていた。聞いたところによると、「身体の弱い美少女とそれを守る男子」という構図が良いらしい。知らんがな。

 

「帆波さんは、いらっしゃいますか?」

「あっ、一之瀬さんはお花を摘みに行ってるよ〜」

 

 また、先月に帆波さんがクラスポイント制度を先読みした(と思われている)こともあり、Bクラスは有栖ちゃんの予想を上回るレベルで「帆波さん至上主義」となっている。何かに例えるなら、現人神という単語が一番近いだろうか。

 

「いいなぁ、私も一之瀬さんのことを名前で呼びたい〜」

「そんなの恐れ多いよ!」

 

 ええい、どいつもこいつも騒がしい!

 ……とにかく、帆波さんはBクラスの生徒たちからとてつもなく慕われている。

 そんな帆波さんに親友認定されている俺たちは、ここで悪い扱いを受けるわけがないのだ。

 

「ごめんごめん!」

「こんにちは、帆波さん」

 

 帆波さんが、手をハンカチで拭きながらやってきた。

 女子軍団をあしらうのも限界が近かったので、助かる。

 

「あ、有栖ちゃん……今日はどうしたの?」

「今日は帆波さんと『お勉強』しようかと思いまして。例のカフェに行きませんか?」

 

 有栖ちゃんの言葉に、帆波さんの表情が変わる。何かを察したらしい。

 

「わかった。準備するね」

 

 群衆を押しのけて、帆波さんはカバンを準備する。

 まるで王様に群がる平民みたいだ。これぞ王者?の風格かと思ったが、帆波さん自身はタジタジといった様子だった。

 

 

 

 そして、今に至る。

 前回と同じカフェに、俺たち三人は来ていた。

 

「……というわけで、こちらがその過去問です」

「ふぇ〜」

 

 有栖ちゃんがどさっとテーブルの上に置いたのは、先輩から購入した過去問……のコピー。

 

「入手した経緯と、過去問を使用するメリットは先ほどお話しした通りです。こちらを、帆波さんに差し上げます」

「ええっ!?」

 

 そう言って、当たり前のように過去問を提供してしまった。先月に引き続き、今回も対価を求めずに与えたのだ。もちろん、Aクラスには存在を秘匿している。

 肝心の帆波さんだが、明らかに焦っている。

 

「どうなさいましたか?」

「いや、でも、これ……5万ポイントで買ったんだよね?」

「お気になさらず。もちろん、ポイントなどは不要ですよ。このまま受け取ってください」

「そんなぁ……そんなのって、おかしいよ!」

 

 そう思うのも無理はない。

 テストの結果を左右する切り札をいきなりプレゼントされたら、嬉しいというより焦るだろう。しかも、前回と違って有栖ちゃんはこれを入手するために安くないポイントを支払っている。有栖ちゃん以外にとって、この行動は意味不明だ。

 

「そうでしょうか?」

「そうだよ!もう、絶対ポイントは払うからね!」

 

 帆波さんは血相を変えて、無理矢理にでもポイントを送ろうとしてきた。

 しかし、有栖ちゃんは断固としてそれを受け取らなかった。

 これもまた同様に、あくまでも無料提供にこだわるようだ。

 ポイントを押しつけ合うという、普通では考えられない光景がしばらく続いた。

 

 何分か押し問答を繰り返した後、結果的に帆波さんが折れた。

 

「なんで?どうしてここまでしてくれるの?」

 

 大きな得をするはずの帆波さんが、なぜか追い込まれたような顔をしている。

 有栖ちゃんはコーヒーを飲んで余裕を振りまいており、対照的だ。

 

「お友達だからです」

「でも、私たちは違うクラスで、それで……」

「帆波さんは、友達関係よりクラス間の争いを優先するのですか?」

「そんなわけない!そんなわけない、けど……うん、わかった」

 

 何を言っても、丸め込まれてしまう帆波さん。

 まだ納得はいかないようだが、これ以上続けても無駄と判断したのか、静かに過去問を自分のバッグにしまった。

 

「有効活用してくださいね?」

「もちろんだよ、有栖ちゃん。ありがとう」

 

 帆波さんの目が泳いでいる。

 おいおい、大丈夫か?

 

「それと、今回も私が提供したということは伏せておいてください。あくまでも、帆波さんが入手したという体でお願いします」

「わかったよ、うぅ〜……」

 

 落ち着かないようで、そわそわと足を揺らしている。

 やはり、無料で手に入ってラッキーとは思えないものだろうか?

 いや、違う。帆波さんがそういう考えをしない人とわかっているからこそ、有栖ちゃんはこんなことをしているのだ。

 

 帰るまでの間、帆波さんはどこか上の空といった感じだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その日の夜。

 テスト週間ということで、俺たちは風呂を上がってから軽く勉強していた。

 有栖ちゃんが入手した過去問をフル活用するのはもちろん、基礎力アップのため通常の内容も教えてもらっていた。

 多分ないけど、万が一過去問通りじゃなかったときの保険は欲しいからな。

 

「晴翔くん、今日はそろそろ終わりにしましょう」

「そうだな。少し疲れてきた」

 

 一時間ほどしたタイミングで切り上げて、今日の出来事を振り返ることにした。

 

「それにしても、今日の帆波さんは焦ってたな」

「彼女の性格なら、焦るでしょう」

 

 カフェでの一件。

 過去問をタダで渡してしまったこと。

 ちょっと様子がおかしかったこと。

 

「どうして帆波さんをプッシュしているか、そろそろ聞いてもいいのか?」

 

 俺は、有栖ちゃんに問いかけた。

 

 前提として、帆波さんは疑いようもない善人である。

 何もしていない相手ですら気遣うような彼女が、ここまで無償の施しを受け続けている。

 そのストレスがどれくらいかというと、それはわからない。ある意味、有栖ちゃんでも測れないのではなかろうか。あそこまで純粋な善人は、日本中探してもなかなかいないレベルだ。

 

 有栖ちゃんは少し考えた後、ゆっくりと話し始めた。

 

「……彼女が私を絶対に裏切れないようにすることが、最初の目的でした。彼女の人を惹きつける力は、利用価値が高いと思ったからです」

 

 一つ目の目的。

 これぐらいなら、俺でもなんとなく予想できた。

 そして、すでに達成されていると思う。

 

 帆波さんが有栖ちゃんを裏切る?

 ここまで全てを与えてくれた恩人と、敵対する?

 ……絶対に無理だ。もしそのようなことをしたら、彼女は罪の意識に苛まれ、やがて後悔で押し潰されるだろう。

 

 悪を演じ切れるというのは、一つの才能だ。

 綾小路や龍園のように、裏切りを戦術の一つにできるような人間は限られている。

 その点、帆波さんは優しさの権化のような人だ。裏切るどころか、自分を裏切った相手を攻撃することすら躊躇するかもしれない。

 だからあり得ない。こちらから今の関係を変えるようなことをしなければ、彼女は卒業までずっと有栖ちゃんの味方であり続けるだろう。

 

 俺が理解したことを確認してから、有栖ちゃんは次の言葉を紡ぐ。

 

「二つ目の理由は、興味があるからです。リーダーに向かない性格の帆波さんが、クラスポイントの奪い合いで独走したらどうなるのか」

 

 クラス間闘争での勝利。やはり、勝たせるつもりだったようだ。

 このままいけば、BクラスがAクラスを叩き落とす日は近い。有栖ちゃんの中では、それはもう決定事項になっているらしい。

 

 確かに、他のクラスからすれば、帆波さんは簡単に倒せそうな相手に見えるかもしれない。性格的に温厚すぎて、いくらでも罠にひっかかりそうなタイプだ。

 しかし、いつまでやるのかはわからないが、当分は有栖ちゃんが後方支援を行う。こうすると、一見カモにできそうなのに、なぜか自分がカモにされる魔性の女が出来上がる。

 全く策謀家には見えないのに、深謀遠慮を巡らせてくる相手。裏側を何も知らなければ、帆波さんは得体の知れない怪物に見えるだろう。

 

 短期的な目標はわかった。

 そして、その先はどうなるのだろうか?

 そこまで手を尽くして、結局のところ有栖ちゃんは何がしたいのか。

 この目には、何が見えているのか?

 

 ……ダメだ、全然わからん。点と点が結びつかない。

 有栖ちゃんは、頭を悩ませている俺をニコニコしながら眺めている。

 

「晴翔くん。今、楽しいですか?」

「えっ?」

 

 不意の一言。

 今、楽しい?

 

 このとき、俺は気づいた。

 有栖ちゃんが次に何をするのか、ものすごく楽しみにしている自分がいる。

 いつの間にか、学校を退屈と感じなくなっている。

 ……もしかして。

 

「有栖ちゃんは、俺を楽しませようとしてるのか?」

「ふふ、そうですね……」

 

 俺の顔を覗き込み、目線を合わせてきた。

 こうやって見られると、長年の付き合いであってもドキドキしてしまう。

 

 一瞬、間が空いた。

 珍しいことに、言葉を選ぶのに時間がかかっているようだ。

 数秒間思考を巡らせた後、有栖ちゃんは俺の耳元で呟いた。

 

「あなたに退屈な人だと思われたら、私は死んでしまうかもしれません。それも一つの答えです」

 

 そして、いたずらっぽく笑った。

 

 

 

 座っている有栖ちゃんを抱え、ベッドに運ぶ。

 俺も隣に入って、布団をかぶろうとしたその時。

 突然、有栖ちゃんの携帯が鳴った。

 メールである。

 

「なんだ、こんな夜に」

「……もしかして」

 

 有栖ちゃんははっとした顔をした。

 パスワードを入力し、メールの中身をしばらく読んでから、俺の方を向いた。

 

「晴翔くん。今から外に出たいのですが、ついてきていただけますか?」

「もちろん」

 

 明らかに急いでいる様子で、有栖ちゃんは立ち上がった。

 そんな急に動いたら、転んでしまう。

 俺も立ち上がって有栖ちゃんの手を握る。

 

「面白いものが見られますよ」

「なるほど、それは楽しみだ」

 

 寝巻きに上着を一枚羽織らせてから、部屋を出た。

 今日は長い一日になりそうだ。



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第8話

 

 不気味な夜の道を、俺たちは歩く。

 足元が暗いので、有栖ちゃんの安全確保には普段より気を遣っていた。

 

 しばらく歩いていると、どこからか大きな女性の声が聞こえた。

 有栖ちゃんと頷き合い、俺たちは声の方向へ向かった。

 

 

 

「あのクソッタレ!死ねばいいのに!」

 

 薄暗い公園。

 そこでは、櫛田が我を忘れて暴れていた。柵やベンチを蹴り、暴言を吐き、奇声を上げる。

 あぁ、これはひどい。放送禁止ワードが次々と飛び出す光景に、俺はドン引きしていた。

 有栖ちゃんは笑みを浮かべたまま、櫛田の方へ向かっていく。

 

「どうも、こんばんは」

「……あ、ああっ………はぁ。何?」

「櫛田さんですよね?まぁ、わかっているのですが」

「あはは、こんなところでバレちゃうかぁ……で、どうしたいわけ?」

 

 突然の声掛けに驚いたのか、櫛田は一瞬身体を震わせた。

 そして、俺たちを威圧的に睨みつけてきた。

 その眼光にも有栖ちゃんは全く動じず、どんどん距離を詰めていく。

 

「そうですね、櫛田さんの過去でもお聞かせいただけますでしょうか」

「それを言って、何の得になるの?」

 

 公園には俺たちを除いて誰もおらず、驚くほど静かだ。

 カツッ、カツッ、と杖の音のみが聞こえる。

 

「今のお話を録音していた、とでも言えばよろしいですか?」

「……そう、そうやって脅すんだ」

 

 一メートルほどの距離まで接近し、有栖ちゃんは足を止めた。

 

「いえ、脅すつもりは全くありません。では、私が『堀北鈴音を退学させることに協力する』のはいかがでしょう?私も、彼女は気に入らないので」

 

 衝撃的な発言。

 その言葉に、櫛田は目を見開いた。

 風が吹く。

 

「……わかった。話す」

 

 そうして、櫛田は自分の過去を話し始めたのだ。

 

 

 

 櫛田桔梗という人間は、承認欲求が強い。しかし、彼女は容姿こそ優れているものの、能力的には突出したものがない。俺からすると、見た目の良さでチヤホヤされるだけでも十分ではないかと思うが、櫛田にとっては全然足りなかったらしい。

 それを補うため、櫛田は誰とでも仲良くして、自分を中心として歯車が回る環境を作り上げようとした。コミュニケーションの分野ならトップになれると考えたのだ。

 

 容姿・性格ともに優れた櫛田は中学時代も人気者だった。しかし、本来の性格と全く異なる自分を演じ続けた結果、ストレスがどんどん精神を蝕んでいった。

 そのはけ口として、櫛田は自らのブログに嫌いな人間の悪口を書き込むという手段を選んだ。

 結果的にそれがまずかった。特定されて、立場を失う結果となったのだ。

 その後、クラスの人間たちの集中砲火を受けるようになると、櫛田は握っていた秘密を全て現実で暴露した。そして、学級崩壊へ向かった……

 

 まぁ、ちょっと規模が大きかっただけで内容自体はよくある話だ。

 ネットリテラシーが無さすぎるのも含めて、中学生が起こす事件としては取り立てて珍しいものではないと思う。

 ある意味、こうやって一人で暴れるのはその反省を生かしてるともいえる。

 人間そんなもんだろ?と思っていたのだが。

 

「櫛田さん、よく頑張りましたね」

「はぁ?」

「あなたは何も悪くないのに、罪の意識に苛まれていたのですね」

「……何を言ってるの?」

 

 話を一通り聞いた後、有栖ちゃんは深く頷き、櫛田を称賛し始めた。

 

「逆に考えてみましょう。櫛田さんは、何か悪いことをしましたか?」

「……そういえば」

「櫛田さんはありのままの事実を述べただけで、そこには嘘も偽りもありません。それを受け入れられない、周囲の人間が全て悪いのです。ブログの件も、周りがもっとあなたのことを尊重していれば防げたはずです。優しいあなたに過度なストレスをかけてしまうような環境。それが最大の原因であると、私は考えます」

 

 有栖ちゃんの語りを聞きながら、俺は傍観者に徹する。

 いろいろと言いたいことも頭に浮かぶが、今は有栖ちゃんの時間だ。

 

「私は、悪くないの?」

「悪くありません。嫌いな人間を煽てるのは、かなりの苦痛が伴ったでしょう。自らの目的のために感情を押し殺したあなたは、もっと認められるべきです」

 

 櫛田は悪くないと断言した。

 衝撃を受けたのか、櫛田は有栖ちゃんを見つめたまま固まってしまった。

 有栖ちゃんはそんな櫛田に歩み寄り、手を取った。

 

「よく考えてみてください。周りの不良品のような生徒を引き上げるため、あなたは勉強会まで行っている。今も櫛田さんは頑張っています」

 

 それをなぜ有栖ちゃんが知っているのかは、俺にはわからない。

 

「私は、悪くない。頑張ってる」

「そうです。全てはあなた自身の問題ではなく、あなたを取り巻く環境が悪いのです」

「そっか、そうだよね。私頑張ってるよね!」

 

 櫛田の過去の行いは、全て周りの人間に責任があるという。

 全てを肯定する有栖ちゃんは、きっと櫛田の心の傷を癒しているだろう。

 これでいいのだろうか?

 

「堀北さんのこと、気に入らないでしょう。当然です。あのようにお高く止まった態度を取られては、周りの人間も不愉快になります。きっと、櫛田さんの秘密を握っているからいい気になっているのです」

「……本当にね。堀北のやつ、マジで救えない」

「比べてみてください。周囲の人間に冷たく当たった結果、堀北さんは誰にも相手にされず孤立しています。櫛田さんはどうでしょう。嫌いな人間であっても歩み寄る努力を怠らないことで、既にDクラスの生徒たちから信頼を得ています。これはすごいことだと思いますよ?」

「私、すごい?」

「すごいですよ、誰にでもできることではありません。堀北さん如きでは一生かかってもできないことを、あなたは成し遂げているのです」

「堀北ではできないこと、そっかぁ……ふふっ」

 

 櫛田は黒い笑みを浮かべる。

 堀北と比較された上で褒められる。彼女にとって、どれくらいの快感なのだろうか。

 

「櫛田さんは、頑張りすぎていると思います。ですから、もし今後もストレスを感じたら私のところへ来てください。いつでも受け止めます。私は、あなたの味方ですから」

「坂柳さんが、私の味方?」

「ふふ、下の名前でお呼びください。桔梗さん?」

「あ、有栖ちゃん。有栖ちゃんのことは、私は信じていいの?」

「もちろんです。あなたのことを、私は救いたいんです。私と共に来ませんか?」

「……有栖ちゃん!」

 

 二人のやりとりに、俺はぞわっとしたものを感じた。

 感極まって涙を流す櫛田を、有栖ちゃんは服が濡れることも厭わず抱きしめていた。

 

 

 

 俺は、少し離れて二人の様子を見守っていた。

 

 夜中だというのに、遠くに綾小路の姿が見えた。

 俺と目が合うと、右手を挙げてから去っていった。

 

 あぁ、そういうことかよ。

 つい忘れていた。綾小路がどういう人間だったか。

 

 お前、櫛田を売ったな?

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 そのまま櫛田を部屋に連れ帰り、俺たちはテーブルを囲んだ。

 

「……というわけで、こちらが過去問です。これを配布することで、さらに桔梗さんの立場が上がるでしょう。もちろん、出すタイミングは考えた方がいいと思いますが」

「すごい。うちのクラスの馬鹿共では絶対に思いつかない。これがAクラスなんだ……」

「いや、Aクラスというより有栖ちゃん個人の話だ。あいつら誰も気づいてないぞ?」

 

 馬鹿共には思いつかないが、そっちにも一人思いつくやつがいるけどな。

 なんにせよ、これでBクラスとDクラスに過去問が回ったことになる。

 もはや、Aクラスを最短で陥落させようとしている風にしか見えない。

 

「そういえば、あんたもいたんだった」

 

 櫛田が俺を睨みつけてきた。

 ちょっと驚いたが、残念。綾小路で耐性がついているから、これぐらいではビビらない。

 

「俺に口止めはしなくていいのか?」

「いらない。だって、あんたは有栖ちゃんの意に反することはしないだろうし」

 

 これは意外。胸を触らせるぐらいしてくるかと思っていたが。

 

「まぁ、元より言うつもりもない。お前が有栖ちゃんを大事にしてくれるなら、俺がお前の不都合なことをする理由は全くないからな」

「……そういうこと。なら安心」

 

 経緯はどうであれ、今の彼女をどうこうするメリットは一つもない。

 有栖ちゃんもそんなことは望んでないだろう。

 

「池や山内と違って、あんたは私をそういう目で見ないから、嫌いじゃない」

「そうかい」

 

 実は俺の評価は高かったようだ。ボロクソに言われているものだと思っていたが、塩対応が逆に良かったらしい。女の子って難しいなぁ。

 

「おや、そろそろ十二時になってしまいます。明日もありますし、お開きにしましょうか」

「はぁ……明日もダルいな。自分を作らなくていいって、こんなに居心地が良いんだ。ずっとこうしていたいぐらいかも」

「ふふ、いつでもいらしてください」

「ありがと。これからもよろしくね、有栖ちゃん?」

 

 そう言って笑う櫛田。

 表も裏もないこの笑顔が、彼女の本当の姿なのかもしれない。



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第9話

 中間テストの結果が発表された。

 当然のことだが、俺の名前はかなり上の方にある。満点2教科、平均9割を超える点数なんて、こういうズルをしなければ一生拝めないものだ。なかなか嬉しい。

 また、有栖ちゃんも同じくらいの位置だった。

 全教科満点にしないあたり、やはり目立ちたくはないのだろうか。

 

 過去問を使ってるとも知らず、Aクラスの連中は意外そうな目で俺を見た。

 

「高城、意外とできる奴だったのか。Aクラスに入ってる以上当然ではあるが……小テストは手を抜いていたんだな?」

 

 戸塚が絡んできた。煽ってんのかこいつ?

 だいぶうざい。ぶっちゃけ不愉快だ。そっちが実力で悪かったな?

 他にも何か言ってきそうだったが、有栖ちゃんがじーっと見つめていることに気づいて、気まずくなったのか去っていった。

 

 Aクラスはかなりの点数を誇った。正直、過去問無しでこの平均点はすごいと思う。

 しかし、他クラスが満点続出という噂が既に流れ始めていたので、クラスの雰囲気は悪かった。

 葛城も危機感を覚えたのか、今後の対策などを練るクラス会を開こうとしていた。そんなものに参加する気はないので、俺たちはそそくさと教室から出ていった。

 ……他にも、何人か黙って帰るのを見てしまった。すでに崩壊し始めてるのかもしれない。

 

 

 

 で、なんでこうなったんだ?

 

「坂柳。テメェ、何のつもりだ?」

 

 Cクラスの教室。

 俺たちはクラスの王こと龍園翔に呼び出され、尋問されていた。

 

「何のつもりとは、何でしょう」

「面倒くせぇな。今さらしらばっくれるんじゃねぇ、過去問のことだ」

「なるほど、2万は高かったですか?」

「チッ……食えねぇ女だ」

 

 有栖ちゃんは、Cクラスに過去問を売った。

 その際は直接渡すのではなく、櫛田にお願いしていた。コピー品の作成、龍園との交渉、ポイントの受け取りまで今回は全て櫛田が行った。

 龍園とやり取りするリスクを代わりに背負ってもらった形だ。

 その後、有栖ちゃんは指示通りの仕事をした櫛田をこれでもかというほど褒めちぎった。櫛田に対する見返りとして、売値の半額……1万ポイントを渡す予定だったようだが、本人が受け取りを拒んだ。褒めてもらえればそれでいいらしい。

 

 最終的に、過去問はAクラス以外の全員と共有したことになる。

 そして、さすがの龍園でも有栖ちゃんの行動の意味はわからなかったようで、こうして呼び出されているわけだ。

 

「中間試験の結果。アレを見る限り、Aクラスは過去問の存在を知らなかったと見て間違いねぇ。ククッ、1学期の頭からいきなり裏切るってのは、さすがにやりすぎじゃねえか?」

 

 龍園は眉間に皺を寄せつつ、理解できないといった態度で迫る。

 うわぁ、有栖ちゃんってあの龍園が引くようなことをしてるのか。

 ずっと隣にいるから、今まで自覚はなかったが……

 

 龍園翔という男は、なんだかんだ言ってクラス想いの人間だ。

 暴力で成り上がってはいるものの、個ではなくクラスとしての最終的な勝利にこだわる、ある意味最もリーダーらしいリーダーといえる。

 こう考えてみると、有栖ちゃんとは真逆の存在かもしれない。

 

「ふふっ、面白いことを言いますね。私は裏切ってなんかいませんよ?」

「じゃあ何だ?」

「私はただ、Aクラスのクラスポイントを減少させる方法を考え、実行しているだけです。そのため、各クラスにご協力いただいています」

「それを裏切りと言わねぇのなら、何が裏切りなんだ?」

 

 あーコイツ意味わかんねぇ、と龍園は頭をくしゃくしゃに搔く。

 有栖ちゃんの得意技の一つが、このように相手を煙に巻くことだ。

 露骨にイラつく龍園。それを見て、周りのCクラスの生徒たちがビビっている。

 

「ご用件はそれだけですか?」

「ケッ、坂柳みてぇな女がいるとは、Aクラスも哀れなもんだ。こんなこと、奴らが知ったら発狂するだろ」

「それはわかりません。私はまだ、クラスでは晴翔くん以外の生徒と会話したことすらありませんので……あまり、興味がないものですから」

「……そうかよ」

 

 そうだったっけ?

 言われてみたらそんな気がしてきた。

 

 ……なるほど、だから有栖ちゃんは裏切っていないと言うのか。

 裏切りとは、味方が敵に寝返ることをいう。

 有栖ちゃんは一度たりともAクラスの味方をしたことがないので、それを裏切ったと言うのは厳密には違うのかもしれない。

 

「まぁいい。坂柳、テメェをどうするかは保留だ。ただ、俺とは絶対に相容れない存在なのは間違いねぇ。最後の最後、クラス間の争いを制した後に、潰してやる」

「そう興奮しないでください。私はきっと、あなたに利益を齎しますよ?」

「お前のようなクソ女を頼る奴の気が知れん。もういいから、さっさと帰れ」

「おや、呼び出したのは龍園くんの方ではありませんか」

 

 煽る煽る。

 

「帰れっつってんだ!次出ていかなかったら殺す」

「ふふっ、怖いですね。それではまた」

「二度と来るんじゃねえぞ」

 

 そういうわけで、俺たちはCクラスから追い出されてしまった。

 

 龍園とのファーストコンタクトは、俺としては拍子抜けなものだった。

 むしろ、龍園は意外とマトモな奴かもしれないと思った。

 これが相対評価というものだろうか。俺の基準が有栖ちゃんや綾小路になっているので、感性的な部分で驚かされることがほとんどない。

 ただ一つ気になったのは、龍園が……なんだろう?

 二度と来るなと言い放った時、少し寂しそうな顔に見えたのだ。まさか、有栖ちゃんがクラス間闘争に手を出さないことを、本気で残念がっているのだろうか?

 

 そうか、だから俺は「マトモ」だと思ったのかもしれないな、と勝手に納得した。

 

 

 

「龍園くんは、最初から過去問の可能性に気づいていましたね。もしかすると、少し余計なことをしたかもしれません」

「まぁ、アイツの性格的にそれは間違いないだろうな」

 

 有栖ちゃんはぽつりとつぶやいた。

 確かに龍園なら気づくだろう。

 いや、それどころか龍園はすでに過去問を持っていたのかもしれない。その上で、唐突に過去問を売るなどと言ってきた櫛田のことを不審に思い、裏にいる存在……有栖ちゃんを誘き出すべく、あえて話に乗った可能性もある。

 

 有栖ちゃんと龍園。

 価値観は百八十度違うのかもしれないが、思考ロジックは結構近いものがある。

 

「あっ、有栖ちゃん!」

 

 寮のエレベーターを上がると、部屋の前で櫛田が待っていた。

 

「こんにちは、桔梗さん」

「早く部屋に入ろう!」

 

 その姿は、さながら親の帰りを待っていた子供のようだった。

 

 

 

 櫛田は三日に一回のペースで俺たちの部屋を訪れるようになった。

 愚痴を言ったり、暴言を吐いたり……精神状態が悪い時は、必ず来ている。

 その度に有栖ちゃんは櫛田のことを受け止めて、心を癒してあげていた。

 

「……なによ」

 

 ベッドの上に座って、ぎゅうっと有栖ちゃんを抱きしめる櫛田。

 

「今日はやけに激しいなと思って」

「うるさいな。あんたは四六時中有栖ちゃんを独占してるんだから、今ぐらい良いじゃない」

 

 俺は苦笑いしながら、二人の様子を見ていた。

 しかし、櫛田の有栖ちゃんに対する忠誠心はかなりのものだ。

 有栖ちゃんの言うことなら、なんでも聞くのではないかと思うほど。

 

「桔梗さん、そんなに晴翔くんに強く当たってはいけませんよ」

「あっ……ごめん、ごめんね。私が悪かった」

 

 有栖ちゃんに注意され、櫛田は俺に平謝りしてきた。

 そう、こんな感じなのだ。善悪の基準が有栖ちゃんになりつつあるように見える。

 飴を与えられすぎて、依存しているのかもしれない。

 

「いや、全然気にしてないぞ」

 

 いつまでも頭を下げられても困るので、俺は返答した。

 

「ふふっ、ちゃんと謝れましたね。そういうところ、とても良いと思いますよ」

「有栖ちゃん、私のこと嫌いになってない?」

「そんなわけないじゃないですか」

 

 よしよし、と頭を撫でられている櫛田。一体俺は何を見せられているんだ。

 有栖ちゃんのことをいつか誰かに任せようと思っていたが、櫛田はさすがに想定外だぞ。

 

 こいつ、無人島試験の間どうするつもりだ?一週間会えないぞ?

 原作知識があるからか、ふとそう思った。

 

 いや、そもそも俺はどうしようか。有栖ちゃんと出会ってから、一週間も会わなかったことは一度もない。しかし、さすがに二人不参加のペナルティはクラスの連中が受け入れてくれないだろう。ただでさえBクラスに逆転されそうで、葛城も焦っている。めんどくさいなぁ。

 

 とにかく、有栖ちゃんが心配だ。

 部屋でどこかぶつけたりしないだろうか?あの日のように、発作は起きないだろうか?

 過去の記憶が、次々とフラッシュバックする。

 もう二度とあの涙は見たくない。そう思っていたのに……

 

「晴翔くん、大丈夫ですか?」

 

 考え込んでいた俺を、有栖ちゃんが心配そうに覗き込んできた。

 

 ……だが、参加せざるを得ない。

 俺はそう結論づけて、いったん思考を打ち切った。

 

「あぁ、すまんすまん」

「……晴翔くん、体調は気をつけて。有栖ちゃんを守れるのは、あんたしかいないんだから」

 

 櫛田にも心配されてしまった。

 ん?

 

「あ、名前で呼んでくれるんだな」

「……三人いて、私たちだけ呼び方違うのも変じゃない?」

「そういうことか。じゃあ、桔梗ちゃんでいい?」

「好きにすれば」

 

 下の名前呼び捨ては少し抵抗があるので、そう呼ぶことにした。

 櫛田改め桔梗ちゃん。口は悪いがいい奴だ。

 

 

 

 桔梗ちゃんが帰った後、俺は無人島試験について再検討していた。

 

 何度考えても、納得がいかない。

 そもそも身体的な問題という不可抗力での不参加に対して、通常リタイアと同様の失点が発生するルールはかなりムカつく。実際の企業の研修がどうとかいうご大層な名目があった気もするが、その企業は身体が不自由な社員の不参加にペナルティを科すだろうか。

 

 だんだんと腹が立ってきた。

 俺がリタイアを求めても、クラスのポイントがどうとか言われて却下される光景が今から想像できる。30ポイントとか、俺にとってはクソくらえなんだけどな。有栖ちゃんの方針的にも、むしろ失ってくれたほうがいいぐらいだ。あーダルい。

 参加はするが、当日の俺はぶち切れているかもしれない。

 

 ……あれ?

 待てよ?

 

 リタイアという単語から、一つのひらめきを得た。

 思いつきだが、これは名案だ。

 

 なんだ、簡単なことじゃないか。

 

 A()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺のリタイアによってポイントが減るのを嫌がるなら、リタイアしてもポイントが減らない状態にしてしまえばいい。

 そうすれば、誰も文句を言わないだろう。我ながら素晴らしい発想の転換。

 

 俺のような雑魚に勝利は難しいかもしれないが、めちゃくちゃにすることはできる。

 テロリストとは、基本的に弱者の側から生まれるものなのだ。

 

 まずは龍園と密約を結ぶか。

 そして、ああやって……こうして……

 楽しくなってきたじゃないか。

 

 普段、有栖ちゃんには存分に楽しませてもらっている。

 その恩返しだ。俺の思い通りにいけば、なかなか面白い結果になるかもしれない。

 

 最後に勝とうが負けようがどうでもいい。

 有栖ちゃんが笑っていればそれでいい。

 

 世界一可愛い不敵な笑みを、有栖ちゃんから奪うというのだ。

 俺はただ、それを絶対に許さないというだけだ。報いを受けてもらおう。

 

 まだ先のことだが、腹は決まった。

 有栖ちゃんがいない状況で、失うものなど何もない。

 そういう人間の怖さを思い知らせてやる。




 無人島試験のオチまで考えて書き始めたので、その先の展開が……

 みなさん、いつもありがとうございます。


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第10話

 7月1日は、新たなクラスポイントが発表される日。

 真嶋先生が、ホワイトボードに結果を書き始めた。

 

 Aクラス - 954 ポイント

 Bクラス - 915 ポイント

 Cクラス - 600 ポイント

 Dクラス - 87 ポイント

 

 誰かのヤバいという声が、教室内に小さく響く。

 ポイントは上がっているはずなのに、まるでお通夜みたいな雰囲気だ。

 39ポイント差。ここまで来ると、特別試験どころか授業態度でもひっくり返るだろう。

 

 中でも一番動揺しているのが、葛城だった。

 表情は変えないが、身体は震えており、焦りを隠せない。

 

 これはもう、仕方がない。このクラスで一番優秀な人間が、わざわざ負けさせようと動いてるんだ。葛城が悪いとかじゃなくて、どうしようもないように思える。

 でも、そうと知らない葛城は自分の責任だと考えるのだろう。

 その点については、正直可哀そうに思えてしまう。

 

 夏休み明けには逆転かな。これは、俺だからそう思うというわけではなく、クラスの多くの生徒が感じていることだろう。全体的に諦めムードが充満している。

 

 そして、ポイントが振り込まれていない。

 間違いなく例の事件の影響と思われる。

 俺も有栖ちゃんもポイントには余裕があるので、特に問題はないが……

 

「うちのクラスの生徒ではないが、他クラスでトラブルが発生している。それによってポイントの振り込みが遅れているが、トラブルの決着がつき次第、支給されるだろう」

 

 真嶋先生の話で、クラスがざわめく。

 どうせCクラスだろ!と戸塚が騒いだ。誰も聞いてないけど。

 

 俺と有栖ちゃんは被害を受けていないが、最近AクラスはCクラスの生徒に因縁をつけられたり、嫌がらせを受けているらしい。「史上最弱のAクラス」なんて言われているとか。

 

 そう、龍園はすでにAクラスをターゲットとしているのだ。

 おそらく、簡単に潰せそうだと思ったのだろう。

 Bクラスとは勢いの差が大きすぎる。落ち目であることは明白だ。

 揺さぶる相手として選ぶのは、当然といえば当然の判断である。

 

 

 

 次の日以降、Cクラスの生徒とDクラスの須藤が起こした暴力事件について知っていることはないかと、綾小路や桔梗ちゃんが聞きに来るようになった。

 しかし、いくら有栖ちゃんでも見ていないものを見たことにはできない。

 また、俺が原作知識で話すと余計ややこしくなるのは目に見えているため、この件に関してはあくまでも無関係を貫かせてもらった。

 ただ全く力になれないのも申し訳ないので、帆波さんを頼ってはどうかと勧めた。

 こうすれば、原作の展開に回帰していくのではなかろうか。

 実際、生徒会を巻き込んで審議されると聞いたので、解決は近いと思われる。

 

 それに、今回は綾小路の見せ場だ。

 俺みたいな雑魚が主人公の出番を取るなど、烏滸がましいというものだろう?

 

 というわけで。

 

「有栖ちゃん、美味しい?」

「食べますか?とても美味しいのですが、私には少し多いかもしれません」

「じゃあ、もらおうかな……うまい」

 

 今日はレストランでランチと洒落込んでいた。

 この後は買い物に行って、それからカフェでコーヒーと甘いものでも楽しもうか。

 

「入学する前を思い出しますね」

「そうだな。あの頃は、ずっと二人きりだったからなぁ」

 

 4月に入学した当初と比べると、俺たちの交友関係は大きく広がった。

 綾小路は最初から狙っていたが、帆波さんや桔梗ちゃんと友達になれるとは思いもしなかった。

 これからも、この三人は変わらず仲良くしてくれるような気がする。

 

 最初は気が進まなかったけど、今では入学してよかったと思える。

 それもこれも、全部有栖ちゃんのおかげだ。

 

「どれだけ友人が増えたとしても、私はあなたが一番ですよ?」

「ありがとう。いつまでそう言ってくれるかはわからんが、本当に嬉しいぞ」

「……いつまでも、です」

 

 今の答えがお気に召さなかったようで、有栖ちゃんは少し頬を膨らませた。

 

 言うまでもなく、俺はこんな有栖ちゃんが大好きだ。

 ぜひ幸せになってほしいが、それができる人間は数少ないとわかっている。

 ……冷静に考えると、綾小路はモテすぎてダメかもな。

 それこそ、今起きている件で佐倉と仲良くなるだろうし、彼女候補がいっぱいいる。

 いい奴なのだが、あいつが有栖ちゃんを第一に考える光景は、なかなか想像しづらい。

 

 そうなると、俺しかいないのか?

 いやいや、こんな可能性の塊みたいな子を俺に縛り付けるのは違うだろ。

 でも、釣り合わない釣り合わないといっても、有栖ちゃんにとってベストな相手がどこにもいなかったら、最終的には俺しかいなくなる。

 

 ……そのときは、ずっと一緒にいようかな。

 もちろん有栖ちゃんの意思が最優先だが、そんな未来もいいかもしれない。

 

「そういえば、夏休みは客船でバカンスがあるみたいですね」

「あぁ、先生が言ってたな」

「おそらく、ただのバカンスではないでしょうが……」

 

 なかなか言葉を発さない俺を気遣ってくれたのか、有栖ちゃんが話を振ってきた。

 真嶋先生がHRで言っていた、あのクソ試験の話だ。

 

 あぁ、有栖ちゃんとしばしの間お別れになるのか。

 一緒に乗船拒否はさすがに無理だろう。やっぱり辛いなぁ。

 

 もっとも、俺は可能な限り早くリタイアするつもりだが。

 頭の中にはすでに作戦がある。

 そんなに上手くいくかはわからない。しかし、最低限リタイアさえできればそれでいい。

 有栖ちゃんのお世話をすることは、試験なんかより大事なことなのだ。

 

 その後、事件が解決したと桔梗ちゃんからメールが来た。

 近いうちに詳しく聞いてみたいものだ。

 

 

 

 買い物からの帰り道。学生寮の近くで綾小路の後ろ姿が見えたので、俺は事の顛末でも聞こうかと思い、ついつい追っかけてしまった。

 そのとき、何を思ったのか有栖ちゃんは俺についてこようと走り出して、思いっきり転んだ。

 運良く顔からは行かなかったようだが、右手を負傷してしまった。

 

「大丈夫か?」

「痛いです。晴翔くんのせいです」

「ごめん、俺が悪いな」

 

 有栖ちゃんはとにかく目が離せない。

 ……今回は、一人で走ろうとしたという原因があるからまだ理解できる。

 しかし、ただ歩いているだけでも、杖を何かに引っかけて転んだりするのだ。

 ぬかるみ、落とし物や砂利、段差など、常に足元の安全には気をつけなければならない。

 今のように俺が油断すると、すぐ怪我につながる事態になってしまう。

 

「急に走ったりすると危ないって、前も言っただろ?」

「……あなたはとんでもない馬鹿です」

「そこまで言うか」

 

 有栖ちゃんの行動を読めなかったのは俺の落ち度だ。とんでもない馬鹿は言い過ぎだろうと思うが、仕方ない。とはいえ、俺はちょっと落ち込んだ。

 

「私から急に離れないでください。こちらこそ、前にも言ったはずですよ?」

「だって、そこに綾小路が」

「言い訳無用です。言うことを聞かない人には罰が必要です」

 

 ぷんぷんモードだった。

 これは相当ムキになっている。かなり怒ってるみたいだ。

 とりあえず機嫌を直してほしいので、俺は両手を上げて降参する。

 

「はいはい、わかったよ。なんでも言ってくれ」

 

 たまにこうやって、子供っぽい部分が見え隠れするのだ。

 この辺りは小学生の頃から何にも変わっていない。

 

 有栖ちゃんは一つため息をついた後、茶目っ気のある微笑みを浮かべた。

 ゆっくり顔を近づけてから、俺にだけ聞こえるよう小さく呟く。

 

「今日はずっと、手を離さないでくださいね」

 

 ……なるほど。

 これなら馬鹿な俺でもわかりやすい。

 というか、顔が真っ赤だぞ。自分で言っといて照れるなよ。

 

「わかったよ、ほら」

「ふふっ、それでいいんです」

 

 可愛いなぁこいつは。

 馬鹿と言われてモヤっとした気持ちが、一瞬でどこかへ行ってしまった。

 

 お姫様の命令通り、手を繋いだまま帰った。

 怪我は幸いにも大事に至らず、夜には痛みも引いたようだ。

 もしかして、かまって欲しくてちょっと大袈裟にしたのか?

 

 それからの有栖ちゃんは、寝る瞬間までずっとご機嫌だった。




 次から無人島です。
 何かイキってますが、有栖ちゃんのいない話に大した価値はないと思うので、この男の活躍(笑)は番外編で書きます。
 本編は待ってる側の視点です。まぁ、大して待たないのですが。


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第11話

 自分一人の客室で、私はべッドに横たわっていました。

 退屈しのぎに持ってきた本も、まったく読む気になりません。

 彼がいなければ、私は退廃していく。そのことを改めて自覚しました。

 

 無人島試験。

 担任教師からその話を聞いたとき、私は参加を検討しました。

 一週間もの間、彼と離れる。そんなことをしたら、私の精神はどこかおかしくなってしまうのではないか。そう考えました。

 

 しかし、それはかないませんでした。嘱託医によるドクターストップがかかったのです。

 それどころか、この客船に乗ることすら反対される始末でした。

 

 船で行われる試験は、無人島試験のみではないといいます。

 そのため、乗船を回避した場合、彼と会えない期間は倍以上。

 私に死ねと言いたいのでしょうか?

 

 最終的に、船には嘱託医も同乗するということから、乗船は認められることになりました。 

 

 これから七日という期間を、拷問に近い状況で過ごさなければなりません。

 今日はその一日目。

 今ごろ彼は炎天下に放り出されて、試験の概要を聞かされていると思います。

 私のことを心配してくれているのが、目に浮かびます。

 

 今の私は、誰よりも弱い。

 頭の中を絶望感が支配し、身体を動かす気が起きません。

 

 孤独。

 

 私は少しでも気持ちを紛らわせるため、彼との過去を想起したのでした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 彼との出会いは、幼児の頃まで遡ります。

 

 彼の父は、所謂キャリア官僚と呼ばれる人間です。しかも学校の許認可に関わる部署の課長というものですから、私の父に何かしらの打算が働いたのでしょう。

 父は私を連れて、彼の家に行きました。そして、家族ぐるみで親睦を深めました。

 父の狙い通り、私たちは同じ幼稚園に通い、同じ学校へ進学しました。

 大人たちに仕組まれた結果、私たちは幼馴染となったのです。 

 

 最初の頃は、私は彼についてさほど興味がありませんでした。せいぜい、他の子達よりは大人びている子供という程度の認識です。

 彼は平均より優秀ではありますが、突出している才能は一つもありませんでした。

 出会った頃から、私に対して執着があることは感じていましたが、長期間観察しても能力的に光るものはありませんでした。

 

 時折優れた観察力を発揮することはありました。しかし、天才の域には到達していません。

 優れた凡人。それが、幼少期の彼に対する私の評価でした。

 

 ですが、彼はあまりにも、過剰といえるほど献身的でした。

 何が彼をそうさせたのか、理由は今でもはっきりとわかっていないのですが、とにかく彼は私のことを大事に扱ってくれます。そして、その対象は私に限定されています。あくまでも、私にとって都合のいい人間であり続けようとするのです。

 他の子より歩くのが遅い私の手を引いて、周囲に歩行の障害となるものがあれば予め取り除き、身体の調子が悪い時はおぶって長距離を歩いてくれたこともありました。

 ここまで私に尽くしてくれる人間は、世界中探しても彼しかいないでしょう。

 

 とはいえ、凡人は凡人です。

 かつての私は彼の存在を軽視しており、身の回りの事を彼が行ってくれることに違和感も問題意識も持っていませんでした。なんとも傲慢な話ですが、それを当然と思っていたのです。今では後悔していますが、当時そう考えていたのは紛れもない事実です。

 

 私が彼を見下していたことは、本人にも気づかれていたと思います。

 そして、普通の人間なら私のような者は見捨てるのが当然です。誠心誠意サポートしているのに、感謝するどころか蔑視してくるような存在など、付き合うことに何の価値もありません。その上、私は彼の側から絶縁を求めるならそれでも構わないとすら思っていました。

 所詮は有象無象の一部にすぎない存在。

 優秀な駒、程度にしか考えていなかったのです。一体何様のつもりなんでしょう?

 

 しかし、彼は弱みを握られているわけでもないのに、私の元から決して離れませんでした。

 

 だんだん懺悔のようになってきましたが、とにかく私は自分の才能に驕っていました。

 ……私を蝕む「毒」に気づかないまま、年齢を重ねていきました。

 

 私は、もっと早く知る必要がありました。

 彼の行動が当たり前ではないこと。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分が哺乳瓶を離せない赤子のようになっていたことを、当時の私は知らなかったのです。

 結果的に、とてつもなく大きな代償を払うことになりました。

 

 

 

 あれは、卒業を控えた今年一月のこと。

 このタイミングで、私は彼との縁を切ろうとしました。

 これからは私に関わらなくてもいいと言い放ち、距離を遠ざけました。

 その理由は、高度育成高等学校に入学を予定していたからです。私の父が運営するこの学校は、実力至上主義を掲げています。結果が全てとなるこの場所で、凡人の枠を出ない彼は生き残ることができない。彼がついてきても足を引っ張り、私の実力を十分に発揮できない可能性がある。

 卒業を契機とした決別は、彼のためでもあると思っていました。

 全てが上から目線。今思えば、何と浅はかな考えでしょうか?

 

 その結果は散々でした。

 私は自分がどれだけ悲惨なことになっているか、身をもって理解させられます。

 彼はそう思っていないでしょうが、ある意味私に対する復讐劇のようなものです。

 あの日、私は人生の汚点ともいえるような醜態を晒しました。

 

 まず、一人で満足に外を歩くことができません。

 幼少期より、彼が常に安全を確保してくれることが当然であったため、周囲の危険に対する注意力が著しく欠陥していました。私は、心疾患による先天的な弱さのみならず、本来成長の過程で得られるはずであった能力すらも得られなかったのです。

 

 家の近くで、小さな段差につまづきました。道端の小石に気づかず、杖で踏みつけバランスを崩し、転倒しました。反射の反応が弱く、手をつくことができなかったため、右腕を打撲しました。

 体育の授業では、見学中に飛んできたボールを避けられませんでした。

 学校の階段を最後まで降りることができず、転げ落ちました。

 

 低レベルすぎて、恥ずかしいという言葉しか出てきません。

 歩き出したばかりの赤子や、走ることを覚えた幼児はよく転びます。

 私は、そのレベルから上がれないまま成長期を終えようとしていることに気がつきました。

 生まれて初めて、本気で死にたいと思った瞬間でした。

 

 そして、かつてない疲労と、常に神経を張り巡らせなければならないストレスに身体が耐えきれなかったのか、最後は数年間出ていなかった心臓の発作を起こして倒れました。

 そのときに救急車を呼んでくれたのは、彼だったそうです。

 

 病院で目を覚ました時、私は泣いてしまいました。

 そんな私を、彼は何も言わずに抱きしめてくれました。

 

 この出来事で、私は「自信」という大きな武器を失いました。

 強烈な劣等感と、彼に対する依存。

 それを自覚するためには、十分すぎるものでした。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 いつの間にか寝てしまっていたようです。

 時計を見ると、すでに夜八時を回っていました。

 

 何も食べる気になりません。

 お風呂に入ることすら億劫です。

 

 今日気づいたこともあります。

 私は身体的な問題を抜きにしても、彼から離れられないということ。

 あと六日間も、耐えきれる自信がありません。

 

 彼のことですから、私の身を案じてリタイアを希望しているのは間違いありません。

 自惚れでなく、これについては自信があります。

 しかし、それもあの者たちに却下されているでしょう。

 

 もっと早く、潰しておけばよかった。

 なぜ徹底的にやらなかったのか?

 自分を呪っても仕方ないとは思いつつも、腹が立ちます。

 

(早く、帰ってきてください……)

 

 頬に一粒の涙が流れました。




 実は1話より前に書いた話です。


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第12話

 私の気持ちは沈んでいます。

 

 彼が帰ってくるまでの間、ずっと眠っていたいとすら思ってしまいます。

 しかし、身体がそれを許してくれません。

 睡眠負債を全て返し終わったのか、眠気が全く来ないのです。

 覚醒した頭で、地獄のような時間を過ごすことを強いられます。

 

 時計の針の音が、やけに大きく聞こえます。

 一秒一秒、孤独をじっくりと味わわされているような感覚になります。

 

 今日も私は彼のことを想い、現実から逃避するのでした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 病院から彼が帰った後、私は涙でぐちゃぐちゃな顔を洗いました。

 十分な時間をかけて落ち着きを取り戻してから、ベッドの上で自分の考えをまとめました。

 

 私は彼の庇護のもとでなければ、通常の日常生活を送ることができない。

 つまり、彼の伴侶として生涯を共にするか、人間的な死を迎えるか。この二択しかないのです。

 

 あまりにも不利な条件に、苦笑いしてしまいました。

 天才と持て囃され、無限の可能性があったはずの私が、一人の平凡な男の子に縛りつけられることになったという事実。

 彼はいつでも私を捨てることができますが、私にはできません。彼に捨てられたら最後、私は外にも出られず家に引きこもっているだけの社会不適合者に成り下がります。

 なんと滑稽なことでしょう。私は彼を見下し、替えが利くなどと考えていたのですよ?

 驕れる者久しからず、ということでしょうか。

 

 被害者意識を持ってはならないということは、愚かな私でも理解していました。

 全ては私の選択の結果であり、彼は何も悪くないのですから。

 

 むしろ、彼は私と出会わない方が良かったのではないかと、今でも思うことがあります。

 天才でなくとも、人が生きるカタチというのは十人十色です。それを私一色に染め上げてしまったのは、間違いなく私の罪です。ですから、この結果は私への天罰ともいえるかもしれません。

 かつての私は、彼の人生を滅茶苦茶にしているという自覚が足りませんでした。

 彼は、かけがえのない時間を犠牲にしてくれた人間なのです。

 私に無償の愛を与え続けてくれた、世界でたった一人の存在なのです。

 最大の悪人は、それを利用した挙句に感謝すらしなかった私です。

 

 私は自嘲的になりつつも、状況を受け入れました。

 その後、冷静に考えると私は幸運だったのではないかと思えるようになりました。

 なぜなら、私の身体のことは、この件がなくともいずれ発覚したことだからです。

 もっと手遅れになってから……それこそ、彼が私を捨てた後に気づいた場合はどうでしょう。

 もう、死ぬしかないかもしれません。

 

 ここまで考えて、私は眠りにつきました。

 苦しいことばかりだったはずですが、不思議とよく眠れました。

 

 こうして、私は人生最悪の一日を終えました。

 

 

 

 その翌日、彼は当然のように学校を休みました。

 朝から晩まで、私に付き添うためです。

 彼は面会時間の最後まで、私の手を握ってくれました。

 私が最低の行為をしたことを一瞬忘れてしまうぐらい、彼は優しかったのです。

 

 そんな彼のことが、途端に愛おしく感じるようになりました。

 この温かい手を失わないためなら、私はどんなことでもしようと思いました。

 

 しかし、発現したのはそのような甘酸っぱい感情だけではありません。

 私は、彼が隣にいなくなった瞬間、大きな不安と焦燥感に襲われるようになりました。

 一時的なものとはいえ、これは耐え難いものです。

 

 二度と帰ってこなかったらどうしよう。私のことを嫌いになったのかもしれない。私より好きな人がいるのかもしれない。このまま捨てられたらどうしよう。

 

 そんな言葉たちが、頭の中を支配します。

 私の思考とは関係なく、マイナスの感情が湧き出し続けるのです。

 

 目を瞑ると、荒唐無稽な被害妄想が延々と私を襲ってきます。

 結局、この時は翌日の面会時間までベッドで呻き続けることになりました。

 

 一を聞いて十を知る、という言葉があります。

 私という人間は、そういう存在だと思っています。

 

 私は元々、何かが起きた場合に先回りして推測する癖がありました。

 ……彼がいなくなった際に「どうして?」と考えてしまうのは、これと無関係ではありません。

 ごく僅かな可能性まで行きつく思考力が、仇となったのです。

 自分の性質が、自分に刃を向けている。

 知能の高さに溺れて致命的な失敗をした私には、お似合いの末路かもしれません。

 

 やがて、私の心に一つのちっぽけな夢が生まれました。

 将来のイメージを膨らませた時、私が目指していた形……私にできなかったことを実現させるためには、この方法しか思いつきませんでした。

 思い通りに行くかわかりませんが、私はその夢を追うことにしました。

 そのためにも、彼と添い遂げなければならないのです。

 

 

 

 肝心の彼ですが、おそらくこれらの事実に殆ど気づいていません。

 こうやって私が悩んでいたこと自体、未だに理解していないのではないでしょうか。

 

 ですが、もし仮に全てを知ったとしても、彼は変わらないと思います。

 すぐに切り替えて、いつものように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのでしょう。

 

 そんなあなたのことが、大好きです。 

 

 ベッドの側でうとうとしている彼の頭を撫でながら、私はそう呟きました。

 

 

 

 退院の日、私は父に全てを打ち明けました。過去の経緯から、なぜこうなったかの考察も含めて、全てです。これは、私の気持ちを整理する意味もありました。

 そして、高度育成高等学校に彼を入学させること、私と同じクラスにすることを要求しました。

 それを聞いた父の表情は、今も忘れられません。なんともいえない、複雑な顔でした。

 おそらくは天才でも何でもない彼に私を取られるのが悔しいのでしょうが、父も聡明な人です。彼の代わりとなるような人間が他に存在しないこと、もう引き返せないところまで来ていることを察したのかもしれません。

 

 父の胸中はよく理解できます。もし、自分の子供が同じ状況で同じことを言ったとしたら、きっと私も同じような感情を持つでしょうから。

 私の話は、実質的に「結婚相手を決めた」と言っているようなものです。親として、並々ならぬ思いがあるのは間違いありません。

 私としては、この会話中に取り乱さなかった父は、やはり只者ではないと感じました。

 

 父は数秒考えた後、こう言いました。

 

「システム上、一般入試の点数に工作はできない。ただし、クラス配属は最終的に理事長の判断に委ねられるのが通例だ」

 

 ……それからというもの、彼を合格ラインに引き上げるため、毎日寝るまで付きっきりで勉強させました。非常に大変な作業でしたが、最終的に彼は合格を勝ち取ったのです。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 今日もまた、何もしないまま夜になってしまいました。

 何か食べないといけないとは思いつつも、身体が動きません。

 さすがにお風呂は入りましょうか、と考えた時のことでした。

 

 部屋のドアを、誰かがノックしています。

 

 まさか。

 

「坂柳、起きてる?」

「はい?」

 

 残念ながら、その声は女性のものでした。

 期待を裏切られて、思わずため息が出ます。

 しかし、誰でしょう?試験はまだまだ終わっていないはずですが。

 

「高城から、坂柳がこの部屋にいるって聞いて来たの」

「すみません。失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「……神室真澄。ちゃんと話したことはないと思うけど、一応同じクラスの人間よ」

 

 神室さんと名乗るその女性は、晴翔くんの指示でここに来たようです。

 重い身体を起こし、私はドアを開けました。

 

「どのようなご用件でしょう?」

「ご用件も何も、高城にあんたの世話を頼まれてんのよ。こんなメモまで用意して」

 

 神室さんはA4のノートを持ち、ペラペラとめくります。

 表紙には彼の字で、「有栖ちゃんメモ」と書いてありました。

 ……なかなか恥ずかしいです。

 

「わかりました。ちなみに、その対価は何ですか?」

「この学校で対価なんて言ったら、ポイントに決まってるでしょ。私は5万もいらないって言ったんだけど、アイツ聞かなくて。ほんとに意味わかんない」

 

 その瞬間、神室さんが目線を逸らしたことを私は見逃しませんでした。

 きっとそれだけではありませんね。何か、確実に何かがあります。

 そもそも、なぜ彼女が今ここにいるのでしょう?

 全てにおいて彼が絡んでいるのは間違いないのですが、まだ読み切れません。

 

 一瞬、はっとしました。

 私とずっと一緒にいたこと。そして、彼は常に私の行動に対して疑問を持ち、考え方を理解しようとしていたことを思い出します。ということは……

 

 まさか、彼女を自分の駒にしたのでしょうか。

 彼がそこまで攻撃的な行動を取ったとすれば、私の想像を遥かに上回ります。

 

 ……こうやって私を楽しませてくれるなんて、彼は本当に素晴らしいご主人様ですね。

 願わくば、すぐにでも帰ってきてほしいのですが。

 

 強く興味をそそられた私は、神室さんを部屋に招き入れました。

 




 待つのもあと一日です。長かったですね?


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第13話


 名前 :高城晴翔
 クラス:1年A組

 『評価』
 学力   C
 知性   B
 判断力  B+
 身体能力 D+
 協調性  A−

 『面接官からのコメント』
 身体的ハンデを抱えた生徒を長年にわたってサポートし続けてきた実績は、協調性という面で高く評価できる。また、面接において社会人と見間違うほどの論理的な受け答えをしたことも特筆に値する。学力についても入学試験で平均以上の得点を記録したことから、努力次第で好成績を狙える可能性がある。能力・人格とも比較的優秀であり、今後に期待が持てる人物である。
 以上のことから、Bクラスへの配属が適当であると判断した。


 特記事項1:理事長の意向を反映し、当初の予定とは異なるAクラス配属とした。この変更措置は高城氏との関係などを考慮した結果であり、今後の前例としないことをここに明記する。


 ルームサービスを呼び、私は二日ぶりの食事をしました。

 その後は神室さんとお風呂に入り、ドライヤーで髪を乾かしてもらっています。

 

「アイツ、こんなことまでしてたのね。よっぽどの関係だとは思ってたけど」

「……そうですね、感謝しなければいけません」

 

 彼と比べて手つきはぎこちないものですが、思ったほど悪くありません。

 なんと、作業の手順が普段の彼と全く同じです。これだけで、かなりの安心感があります。

 「有栖ちゃんメモ」がよくできているのでしょうか?

 

「うちのクラス、あんたのいない間にとんでもないことになってるから」

「はい。こうして神室さんがここにいることが、何よりの証明ですね」

 

 私の髪を梳かしながら、神室さんは無人島での出来事を話し始めました。

 

 無人島試験は、各クラスにSポイントと呼ばれる試験専用のポイントが300与えられるところから始まります。このSポイントを使用して、必要な物資を購入することになります。

 試験の肝要は、残ったSポイントが最終的にクラスポイントに加算されるという点です。そこに戦略性が生まれるというわけですね。

 

「葛城は少しでも多くSポイントを残そうとして、龍園と契約を結んだ」

 

 葛城くんは、Cクラスの龍園くんから物資を援助してもらう契約を結びました。

 その対価は、毎月のプライベートポイント。Aクラスの全員が龍園くんに卒業まで月2万ポイントを支払うことを条件として、200Sポイント相当の物資を得ました。

 

「なかなか迂闊なことをしますね」

「まぁ、余裕がなかったんじゃない?」

 

 そして、物資を運び込んだ直後に事件が起きます。

 Cクラスから送られてきた物のうち、飲食物に毒が混入していたのです。

 一人の女子生徒が下痢を訴えたことで、それが判明しました。

 

「なるほど、その契約には『援助した物資に不備があった場合』の扱いが盛り込まれていなかったというわけですね」

「そう。しかも、どれに毒が盛られてたのかなんてわからない。そもそも、毒が入ってたことを無人島でどうやって証明するのかって話。一応最初にボディチェックがあったけど、それも下着の中とかに隠されてたらわかんないだろうし」

 

 Aクラスの絶望感たるや、計り知れないものでしょう。

 毎月のポイントを奪われるというダメージを受けてまで得た物資が、使い物にならないかもしれない。考えるだけでゾクゾクします。

 あぁ、面白いですね。私は元から龍園くんのことは高く評価していましたが、やはりそれを裏切らない才能の持ち主のようです。

 ……龍園くんの行動としては、少し違和感がありますが。

 

「被害者の女子生徒は?」

「体調不良によるリタイアを求めた。ずっとトイレに入りっぱなしの状態だったから、やむを得ないと思う。でも、ここで葛城がやらかした」

 

 生徒のリタイアには、一人につき30Sポイントのペナルティが伴います。

 葛城くんは、私の不参加により元から減っているSポイントがさらに失われることを良しとしませんでした。どうにか試験を続けてもらえないかと、本人を説得しようとしたのです。

 気持ちは理解できます。そもそも、龍園くんと結んだ契約はSポイントの減少を抑えることが目的です。リタイアによって失点しているようではお話になりません。無駄に龍園くんへプライベートポイントを与えるだけの結果となります。

 

 これを受け入れるのは、難しいでしょう。

 しかし、葛城くんの行動は、考えうる限り最悪なものです。

 

「なるほど、それで完全に求心力を失って、リタイア者が続出したのですね」

「その通り……やっぱ、あんたって頭いいのね」

 

 女子を中心に、葛城くんに対する反乱が起きました。

 当然です。体調不良で苦しむ女子に無理をさせるというのは、周囲からすると非常に心証が悪いものです。そういう正常な考えができないほど、葛城くんは追い込まれていたのでしょう。

 結果的に、下痢になった生徒は真嶋先生によって試験の続行が難しいと判断され、強制リタイアとなりました。それをきっかけとして、元から葛城くんを良く思っていなかった生徒たちが、次々と自己判断でリタイアし始めたのです。もはや、統率は不可能。

 

「クラスの全員が、龍園がここまでえげつないやり方をするとは思ってなかった」

「甘いですね。彼ならやりかねません」

 

 そうは言ったものの、やはり違和感があります。これだけでは、龍園くんのメリットが少ないように思えるのです。嫌がらせとしては最高のやり方ですが……

 

 いずれにしても、バラバラになり始めていたクラスに止めを刺した出来事です。

 もう、Aクラスは終わりです。来週にはAクラスですらなくなっているでしょう。

 

 この試験終了をもって、帆波さんのクラスは確実に逆転します。

 彼女も晴れてAクラスの王になるのですね。

 島から帰ってきたら、おめでとうございますとでも言っておきましょうか。

 

「神室さんが去った時点で何人ほどリタイアしていたか、わかりますか?」

「正確にはわからないけど、二十人ぐらいはいなくなってたと思う。五、六人リタイアした段階で、葛城が諦めて全ポイントを物資購入に使ったから、そこからなだれ込むように、って感じ」

 

 私にとって最も重要な点は、ここでした。

 Aクラスはこれ以上失うポイントが無いということ。

 そして、今さらリタイアを止められるような人間もいない。

 晴翔くんは、堂々とこの船に帰ってもいい状況になったのです。

 

 ……まさか、最初からこれを狙っていたのでしょうか?

 一瞬のひらめき。久しぶりに、私は全力で思考します。

 彼との記憶を呼び起こし、龍園くんの性格にスコープを当てつつ、考察を続けます。

 

 そういえば、彼はドラッグストアで何かを……しかし、龍園くんのメリットは……もしや、リーダー当ての50ポイントが……実際は龍園くんではない?……

 

 

 

 なるほど、そういうことですか。

 私の中で点と点が結びつき、線となりました。

 

 あぁ、あなたは……私のために、そこまでしてくれる人なのですね。

 やっぱり大好きです。もう一生離れたくありません。

 

 この仮説が正しければ、彼をただの凡人と評した私の目は節穴ということになります。

 そして、おそらく戦利品としてプライベートポイントを持ち帰ってくるでしょう。

 

「そういえば、高城も明日にはリタイアするって言ってた。良かったじゃない」

 

 神室さんの言葉を聞き、急に心が明るくなりました。

 明日、彼に会える。そう思うだけで気持ちが昂り、身体が熱くなります。

 

「ふふっ、興奮がおさまりません。どうしましょう?」

「……あんた、そんな顔もするのね」

 

 ため息をつく神室さん。呆れ果てたといった様子です。

 仕方ないじゃないですか。私は今、最高に嬉しいのですから。

 

 

 

 一通りのルーティンが終わった後、私と神室さんは同じベッドで横になりました。

 

「あの、ここまでしなくてもいいのですよ?」

「だって、これにそう書いてあるし。私はこのメモ通りに動くって契約だから」

 

 二人きりで添い寝するのは、いくら同性であってもなかなかハードルが高いです。

 彼は、こういった心の機微に疎すぎるのが玉に瑕です。

 

「……晴翔くんの代わりなんて、どこにもいないのですが」

 

 世話をしてくれている神室さんに失礼と思いつつも、こんな言葉がこぼれます。

 

「知ってるけど」

 

 私の言葉に対して、彼女は意外な反応を見せました。

 

「知っている、とは?」

「そのままの意味。高城のやつ、多分私なら自分の代わりができるって思い込んでるのよ。坂柳に関してアイツと同じことをするのは不可能だってことを、本人だけが気づいてない」

 

 おや、そこまで察しているとは。これは驚きました。

 神室さんは、かなり優秀な方だったようです。

 

「そうですね、彼が帰ってきたらそのあたりのことは説明する必要があります」

「神室なんかじゃ高城の代わりにはならないよって、あんたが言ってくれればそれでいい」

「ふふっ、わかってますよ。私もあなたのことが気に入りました」

「あっそ」

 

 ぶっきらぼうな態度の中に、優しさが見えました。

 どうして晴翔くんの言うことを聞くようになったのかは、今後聞き出す必要がありますが……

 彼があえて神室さんを選んだ理由は、なんとなくわかるような気がしました。

 

 明日帰ってくるという喜びと、誰かが隣にいるという安心感。

 おかげさまで、昨日よりは落ち着いて過ごすことができました。

 




 次は少し間隔が空きます。
 といっても、一週間以内には投稿できると思います。

 追記:意外と早いかも。


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第14話

 あれは、入学を控えた三月のことです。

 私は、父と二人で車に乗っていました。

 彼が風邪で寝込んでしまった日、お見舞いの帰りでした。

 彼の元を離れたくはありませんでしたが、私に風邪がうつってしまった場合、他ならぬ彼に迷惑をかけることになります。そのため、ぐっと堪えて帰ることにしたのです。

 

「お父様、ありがとうございました。私と彼を、同じクラスにしてくれて」

「礼には及ばないさ」

 

 私は、父に感謝していました。

 彼の入学に際して、様々な手を尽くしてくれたことを知っているからです。

 

「すまなかった」

「……え?」

 

 突然の謝罪に、私は面食らってしまいます。

 

「僕は、有栖のことをちゃんと見ていなかったのかもしれない」

「お父様が?」

「そうだ。僕は教育者としての視点で、君の才能ばかりに目をやって、肝心なことが何一つ見えていなかった。親として、これ以上の不覚はない」

 

 私は、父が何に対して謝っているのかを察しました。私の身体のことです。

 父が気に病む理由は何一つないはずなのですが、それでも心苦しいのでしょう。

 

「彼がすごかった。私は、もうそれでいいと思います」

「それについては同感だ。天才としての有栖ではなく、常に一人の女の子として扱い続けた彼のことを、僕は誰よりも尊敬している」

「彼のことを、気に入っているのですか?」

「もちろん。こうなったからには、必ず捕まえなさい」

「……はい」

 

 あの日以降、父は彼を私のパートナーとして認めました。かつては毎日のように一緒にいることを窘められたぐらいなのですが、今ではこんな調子です。

 私が幸せになる道は、この一本しかない。それを理解してくれているのです。私は、この方が自分の父親で本当に良かったと思います。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 海の光が窓ガラスで反射して、私の目に入ります。

 まどろみながら隣を見ると、そこには彼……ではなく、神室さんがいました。

 

 私の身体に右腕と右足を絡ませています。どうやら、抱き枕にされているようです。

 こんなところまで、彼の真似をする必要はありません。

 「有栖ちゃんメモ」には寝相まで記載されているのでしょうか?

 

 身体を揺らしてどかそうとした時、昨晩は深夜まで起きていたことを思い出しました。

 神室さんは、日中に寝過ぎてなかなか眠りにつけなかった私の話し相手になってくれたのです。

 

(それでいて無理に起こすのは、あまりにも酷いですね)

 

 私は再び横になり、目を瞑りました。

 

 

 

 夜中に神室さんと話した内容が、頭に残っています。

 

「そういえば、坂柳はAクラスでの卒業にこだわりはないの?」

「全くありません」

「そっか。そうやって割り切るのも、それはそれでいいかもね」

 

 Aクラス……トップであることに対するこだわり。

 かつての私を思うと、それを捨て去ったということは自分でも信じられません。

 自らの天才性を証明しようとしていた、あの頃。

 あのままの状態であれば、今ごろはAクラスのリーダーとして戦っていたのでしょう。

 

 人間の能力というものは、生まれた時には全て決まっている。

 いかなる努力を重ねたとしても、その結果が出るのはあくまでも優秀なDNAを持っているからであり、DNAに刻まれている能力以上のことはできない。

 この考え方自体は、今でもさほど変わっていません。

 

 しかし、私はすでに、自分という人間に対して失望してしまいました。

 遺伝子で設定されている能力にさえ、到達できなかった存在。それが私だからです。

 

 例えば、DNAに100という能力が刻まれている子供がいるとしましょう。

 私の見解では、その子供が120や150になることは絶対にあり得ません。 

 ……ですが、50や20になることはあり得るのです。

 身体能力という面において、そうなってしまったのが私だと思います。

 

 遺伝子的にも弱者として生まれ、それに加えて追いつこうとする努力も怠った結果、私は弱者以下の存在になってしまった。この事実を突き付けられて、私の心は折れてしまいました。

 

 だからこそ、夢を持ったのです。

 私はそれを実現するためにも、彼をずっと捕まえておかなければなりません。

 

 

 

 一つ、いまだ不可解に思っていることがあります。

 

 晴翔くんはなぜ、普通の男の子なのでしょう?

 

 人格面はともかく、能力的に突出したものはありません。

 地頭が良いということは、今回の無人島試験での策略などからもわかるのですが、天才かと言われると違います。また、これは長年見てきた私の評価ですから、大きな間違いはないと思います。

 しかし、彼のDNAは……

 

 彼の父は、紛うことなき天才なのです。

 

 私も、何度かお会いしたことがあります。お忙しい方なので、なかなか家にいらっしゃる機会は少ないのですが……あの方は、私でさえも到底及ばない、天才の中の天才と言える人です。

 日本で最高の大学に入学し、非常に高い成績で卒業した後、キャリア官僚として入庁。その後も出世街道を突き進み、今では将来の事務次官と言われる逸材です。国を動かす人物という評価に対して、異論を挟む余地はないでしょう。

 

『あまり晴翔をいじめてやるなよ』という言葉が頭に残っています。

 頭の中を見られているような、異様な圧力がありました。

 

 幼少期、私の方から彼を捨てるような真似は、しないのではなく出来なかったのです。

 中学卒業というキリのいいタイミングまで彼をどうにかする行動を起こさなかった理由は、ほとんどがあの方に対する恐怖によるものでした。

 あの方の逆鱗に触れた時、私は無事で済むとは思えませんでした。 

 

 そんな父親の遺伝子を引き継いだ彼が、凡人の枠を出られなかったことについて、私はずっと疑問に思っていました。本当に、どうしてなのでしょう?

 

「うにゃ」

 

 そう考え込んでいたのですが、神室さんの寝言で思考が打ち切られました。

 それにしても、気持ちよさそうに大口を開けて寝ています。

 

 私は端末を取り出して、カメラを起動しました。

 パシャ。というシャッター音で、彼女は目覚めます。

 

「おはようございます」

「……撮ったでしょ」

「ふふ、可愛らしいお顔でしたよ?」

「信じらんない。何がしたいのよあんた……」

 

 これは何ポイントぐらいで売れるでしょうか、と思いつつ私は立ち上がります。

 

「お腹がすきました。ついてきていただいても、よろしいですか?」

「はいはい」

 

 神室さんに手を引かれながら、私は遅い朝食へ向かいました。

 

 

 

 レストランには、Aクラスの人間が多数押し寄せていました。

 周りを意識せず大声ではしゃぐ姿は、とても体調不良と言ってリタイアした者には見えません。

 

「あいつが、下痢したやつ」

 

 神室さんが指差した女子。大きな声で、唾を飛ばしながら会話しています。

 下痢はもう回復したのか、次から次へとスイーツを口に放り込んでいます。

 自分のリタイアのおかげで皆が楽しめている、といった主旨の発言をされています。

 周囲もそれを止めることなく、談笑しています。

 

 ……私が言うのもなんですが、完全にAクラスは腐ったようです。

 Bクラスへの転落が濃厚で、クラスの雰囲気も悪い。

 もう、どうでもよくなってしまったのでしょう。

 これでは、今後どんな試験があっても勝利は望めませんね。

 

 まぁ、私には関係のないことですが。

 

「もう少し、静かにしてほしいものですね」

「ほんとに。これなら、Dクラスの連中の方がよっぽどマシなんじゃない?」

 

 長居する気にはならなかったので、私は黙って食事を済ませました。

 

 食事を終えてから、私と神室さんは停泊している船のデッキに立ちました。

 弱い風を浴びながら、私は島の方を眺め彼の帰りを待ちます。

 

「多分、こんな早い時間には帰ってこないでしょ」

「わかりません。ですが、あそこに彼がいると思うと……」

 

 早く顔が見たい。抱きしめてほしい。

 ……このような俗っぽい欲求が、私にもあったのですね。

 

 あともう少しの我慢です。




 ようやく会えます。

 いろいろカットしたり順番を変えたりした結果、早くできましたが短くなってしまいました。

 奴の視点より、こちらの方が圧倒的に書きやすかったです。
 おとーさまの話も作ってあるんですけど誰得だと思うので、たぶん設定資料で終わります。
 有栖ちゃんの出ない話に、大した価値はないのです。


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第15話

 夕陽が空を茜色に照らします。

 デッキから彼の姿を確認した瞬間、気持ちの昂りを感じました。

 しかし、彼は体調不良という建前があるため、これから診察を受けなければならないようです。

 一秒が一時間に感じるような、もどかしい時間でした。

 

 そして、ついに彼がこちらへやってきました。

 

「有栖ちゃん」

 

 その声を聞いた時、私は言葉が出なくなってしまいました。

 本当は何か言ってあげたかったのですが、涙が止まりません。

 

「ごめん、遅くなった」

 

 彼の両腕で、私の身体が包み込まれます。

 ほっとするような安心感と、私の元に帰ってきてくれた喜び。

 やはり、彼がいなければ私は生きていけません。

 

 彼の顔をもっと近くで見たい。

 少し背伸びをして、至近距離で目と目を合わせます。

 

 やがて私は我慢ができなくなり……唇を重ねました。

 彼は一瞬驚いた素振りを見せましたが、抵抗せず受け入れてくれました。

 幸せな感触が、私の脳を支配します。

 ……この味を知ったら、もう元には戻れませんね。

 

 何秒くらい触れていたでしょうか?

 お互いの息遣いが聞こえる距離はそのままに、私は言葉を発します。

 

「おかえりなさい」

「ただいま」

 

 あぁ、やっと言えました。

 もう二度と離れませんからね?

 

 

 

「あのさ、一応私もいるんだよね」

「ごめんなさい」

 

 神室さんに怒られてしまいました。

 少し冷静になった頭で、私が今何をしていたか自覚します。

 ……急に恥ずかしくなってきました。

 

「高城も、ここが公共の場ってわかってる?」

「返す言葉もないな」

 

 私たちの言葉を聞いて、神室さんは呆れたような顔をしました。

 そして、船内の方へ向かってゆっくりと歩き出します。

 

「お邪魔虫は退散するから、ごゆっくり。今はその方がいいんでしょ?」

 

 どうやら、気を遣って二人にしてくれるようです。

 私はこのままではいけないと思い、彼女の方へ向き直ります。

 

「この二日間、ありがとうございました」

「別に、礼を言われるほどじゃない。報酬もらってるんだし」

「それでもです。真澄さん、私とお友達になってくれませんか?」

「……いいけど。有栖って呼べばいい?」

「はい。あなたはすでに、私にとって親友ですから」

 

 私の言葉に照れたのか、真澄さんは顔を赤くしてしまいました。

 こういうところも、なかなか可愛いです。

 

「高城、約束は守ってよ?」

「もちろん。本当にありがとう」

 

 最後に晴翔くんと言葉を交わし、真澄さんは去っていきました。

 今度、無人島で何があったのか聞かせてもらいましょう。

 

 

 

 客室に戻り、私たちは久しぶりに二人きりとなりました。

 

「たった三日間だってのに、すごい離れてたような気がする」

「そうですね……長かったです」

 

 彼と引き離された時間。

 この三日間のことは、非常に辛かった思い出として私の中にずっと刻まれるでしょう。

 

 ベッドに座ったまま胸に飛び込むと、あらためて彼の匂いを感じます。

 心に安らぎを与えてくれる、私に必要な匂いです。

 

「やっぱり、俺も有栖ちゃんにずっと会えないのはしんどいわ。また似たような試験があったら、最初から不参加にしようかな」

「……そうしてほしいです。これからは、晴翔くんが試験に参加しなくても文句を言われない環境を作りたいものですね」

 

 結局のところ、私たちが離れることになってしまった根本的な原因は、彼のリタイアに抵抗する者がいたことです。私は、今後そういった者たちに対して容赦しないことを誓いました。

 

「しかし、次から次へとリタイアするのは驚いた。九人いなくなればいいと思っていたんだが」

 

 晴翔くんも、リタイアを選んだ人数の多さには驚いたようです。

 まぁ、すでに結束力を失っていたクラスでは、そんなものなのでしょう。

 彼の行動は、崩壊への最後のピースを埋めただけなのかもしれません。

 葛城くんがリーダーである以上、遅かれ早かれこうなっていたような気もします。

 

 ですが、葛城くんには一つだけ大きな感謝をしています。

 Cクラスとの契約。圧倒的にAクラスが不利となるポイント譲渡契約は、まさに私が欲していたものです。こういう状況を作り上げるため、龍園くんを唆し、葛城くんを罠にはめるよう工作することも検討していたほどです。この契約を労せずして得られたことは、本当に僥倖でした。

 

 あとは、タイミングを見て帆波さんを動かすだけです。

 元Aクラスが毎月支払うことになった合計78万ポイントは、全て帆波さんが肩代わりする。それと引き換えに、元Aクラスは今後の特別試験で新Aクラスの指示通りに動く。そう遠くないうちに、こういう内容の契約を結んでいただきます。

 これは、帆波さんの気分次第でいつでも打ち切れるという、かなり不平等なものです。しかし、私はこの契約をクラスの生徒が受け入れることを確信しています。

 Aクラスに対する諦めムードと、自己中心的な思想が蔓延るこの状況ならば、試験の勝利より自分の2万ポイントを優先することは間違いないからです。

 

 『毒を盛るなどという、龍園くんの卑劣すぎるやり方を許せない』

 

 帆波さんがこう言って手を差し伸べれば、聞こえもいいでしょう。

 彼女からは、悪意というものが一切見えません。クラスの全員が、これは慈善活動としてやっていると思い込むはずです。

 また、この話を受ければ龍園くんに対する敗北感も緩和されます。帆波さんという正義の味方が、悪党である龍園くんと対立する構図が出来上がるからです。龍園翔の姑息な戦法により敗北を喫したが、これからは正義のために協力する……と、勝手に解釈していただけると思います。

 いずれにせよ、なかなか面白い方向に進みそうです。龍園くんに「勝利のためなら、いかなる手段でも用いる人間」というレッテルを貼れたことも含めて、大成功といえるでしょう。

 

 あとは、帆波さんのクラスとは絶望的な差があると思わせることが重要です。

 そのため、無人島試験では可能な限り大差で負けてほしいのです。

 Aクラスの0ポイントは確定的なので、問題はBクラスですが……

 

「そういえば、Aクラスのリーダーを帆波さんに教えといたよ」

「……それは、本当ですか?」

「もちろん。もし有栖ちゃんがいれば、そうしてくれって言うと思ったから」

 

 百点満点の完璧な動きです。

 彼は私の指示を受けることもなく、最善手を打っていました。

 

「ちなみに、綾小路にはもっと早い段階で教えてある。リーダーは戸塚だから、葛城がいる限りリタイアもしないだろうし。その代わり、Cクラスのリーダー……多分龍園だと思うけど、それを掴めた時は帆波さんに売るなりして、Bクラスと共有するようお願いした」

 

 なんだか、頭がくらくらしてきました。

 私をこれ以上惚れさせて、どうするつもりなのでしょうか?

 

「ちょ」

 

 問答無用で唇を塞いでしまいました。

 これはもうダメです。いろいろと抑えきれなくなってきました。

 

「あの、有栖ちゃん?」

「大好きです、晴翔くん。これから私たちは恋人です。いいですね?」

「……本当にいいのか?」

「当たり前でしょう。あなたの代わりになる人間なんて、今までもこれからも存在しません。綾小路くん?真澄さん?無理です。私と共に生きられるのは、あなたしかいないのです」

 

 あぁ、やってしまいました。

 決してこんな風に告白するつもりはなかったのですが、言ってしまったものは仕方ありません。

 

「でも、俺はただの凡人で」

「いいえ、もう認めます。()()()()()()()()。ただし、私を支えるという一点に限っての話です。身体的なサポートという意味でも、今回のような判断力という意味でも、あなたは他の誰にも出来ないことを出来ています。それを天才と呼ばずして、何と呼べばいいのですか?」

 

 私の思いの丈をすべて打ち明けて、息が切れてしまいます。

 ここまで彼に多くの言葉をぶつけるのは、初めてのことかもしれません。

 

「俺は、有栖ちゃんと一緒にいてもいいのか?」

「何度も言わせないでください。私は、あなたのことが大好きなんです。お願いですから、私を捨てないでください……」

 

 なぜか、また涙が溢れてきてしまいました。

 いけませんね。彼の前では、私は強くなければならないのに。

 三日間のストレス、彼に対する親愛……それらが入り混じった複雑な感情が、私の心を強く揺さぶります。彼は縋り付く私の姿を見て、何を思うのでしょうか。

 

「……ごめん、俺って全然ダメだな」

「そんなこと」

「いや、大事な女の子にここまで言わせて何もできないとか、恥ずかしいを通り越して呆れるわ。悪い有栖ちゃん。俺はやっぱ凡人だ」

 

 彼は一つ、大きなため息をつきました。

 

「だから、凡人は凡人らしく、愚直に考えを伝えよう。馬鹿が難しく考えると、かえってややこしくなるんだ」

 

 そう言って、かつてないほど真剣な表情で、私の顔を見るのです。

 それは、私が今まで見た中で一番かっこいいと思えるものでした。

 

「……有栖ちゃん。俺は有栖ちゃんのことが大好きです。だから、これからもずっと一緒にいたいです。付き合ってください!」

 

 きっと、今日は私の人生で最高の日なのでしょう。




 これで一段落です。他の人たちは絶賛サバイバル中ですが。

 次回から視点も戻ります。


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第16話

 有栖ちゃんが恋人になった。

 

 あそこまではっきりと好意を示されれば、俺のような奴でもさすがに理解する。

 俺の代わりがいないということは、結構前から薄々感じていた。それをストレートに言葉に乗せてくれたおかげで、ようやく思い切ることができたのだ。

 もう迷わない。有栖ちゃんのお世話係は、俺にしかできないのだから。

 

 俺のこと、ずっと好きでいてくれたんだな。

 入学してからの俺はかなり酷いことをしていたと、今さらながら反省した。有栖ちゃんからすれば、俺は自分を誰かに押し付けようとしているように見えただろう。そりゃあ不安にもなる。

 

 有栖ちゃんを悲しませていたのは、俺だった。

 それでもめげず、一途に想い続けてくれた。

 そんな子を好きにならないわけがない。

 

 すやすやと安心して眠る有栖ちゃん。

 可愛いのは昔から。守りたい気持ちも、ずっと持っている。

 この子の笑顔のためなら、俺はどんなことでもするだろう。

 

(しかし、眠いな)

 

 俺は有栖ちゃんを抱きしめて、二度寝に入った。

 こんなに落ち着いて寝ることができるのも、三日ぶりだ。

 有栖ちゃんが隣にいるかどうかで、眠りの質が全然違うことを実感した。

 

 

 

 次に目覚めたのは、昼近くのことだった。

 

「……ん?」

「おはようございます、晴翔くん」

 

 有栖ちゃんはすでに起きていたようで、笑いかけてくれた。

 本当に、綺麗な顔をしている。いまだに彼氏彼女の関係になったことを信じられない。

 

「おはよう。悪いな、ずっと寝てて。腹減ったろ?」

「いえ、私はあなたの身体が一番大事ですから」

「ありがとう、もう大丈夫だ。おかげで無人島の疲れも取れた」

 

 さて、準備するか。

 俺は自分のルーティンを手早く済ませ、有栖ちゃんのメイクセットとヘアアイロンを手にした。

 そういえば、朝の準備は「有栖ちゃんメモ」に書いていなかったな。これも、まだまだアップデートする余地がありそうだ。

 

 神室さんに有栖ちゃんの世話を依頼する時、悪いと思いつつも原作知識を使わせてもらった。

 万引きの瞬間を録画していたというウソまでついて、俺は神室さんに首輪をつけた。

 これは、ズルをしてでも絶対に通したい話だった。有栖ちゃんが一人ぼっちになっているという状況下では、常にそれが頭につきまとう。第一にそれを解決しなければ、話にならない。

 俺と有栖ちゃんの精神面を考えたら、神室さんに払った報酬は全然高くないと思う。

 ちなみにこのやり方は、桔梗ちゃんを落としたときの手法を大いに参考にさせてもらった。あの日、有栖ちゃんはレコーダーなんて持っていなかったからな。大っぴらにされたら困ることをしている人間に対しては、ブラフにも効果があると学んだのだ。

 

 そんなことを考えているうちに、髪のセットが終わった。

 この辺はもう、無意識でも完璧にできる域まで到達している。

 

「ありがとうございます……やはり、すごいですね」

「そうか?」

 

 乳液を肌に浸透させて……

 お、そうだ。一応日焼け止めも塗っておかないと。

 このもちもちすべすべの白い素肌は宝物だから、荒れてもらっては困る。

 あとは下地をうすーく伸ばして、ファンデーションをつけていく。

 ……有栖ちゃんはとにかく元が良すぎるので、メイクなんて超ナチュラルで十分だ。

 

「よし、できた。今日も可愛いな。これでうまくできてるのかはわからんが」

「晴翔くんが可愛いと思うなら、なんでも正解ですよ。私にとってはそれが最も大事なことです。他の人がどう思うかなんて、二の次です」

 

 笑顔でそんなことを言われると、こっぱずかしい。

 以前の有栖ちゃんなら、もう少し婉曲的な表現を使っていたと思う。

 やっぱり、恋人になったからだろうか。

 

 一通りの作業を終えて、俺は早速有栖ちゃんメモに追加する。

 スキンケアは必須……晴れた日は日焼け止め……

 

「そのメモ、今後も使うことはあるのですか?」

 

 有栖ちゃんは、ペンを走らせる俺の顔を覗き込む。

 これは、有栖ちゃんを誰かに任せるときのことを考えて最近作っていたものだ。

 確かに出番は少なくなるかもしれない。

 

「うーん、まぁ使わないといえば使わないか。備忘録として使おうにも、毎日やってて忘れるわけないし。出番があるとすれば、俺が死んだ時……」

 

 言った瞬間に迂闊だったと悟ったが、もう遅かった。

 頭を有栖ちゃんの両手で押さえられてしまって、動けない。

 そのまま顔が近づいてきて、唇同士が触れ合う……かなり深いキスだった。

 

 心が有栖ちゃんに染め上げられていく。

 唇の温かさを直に感じて、心臓のドキドキが止まらない。

 

 二十秒ぐらい、掴んだまま離してもらえなかった。

 ようやく解放されると、目と目が合う。

 

 そこには、深い闇が見えた。

 絶望という言葉がぴったり合うような、重く暗い瞳。

 背筋が凍り、冷や汗が額に垂れてきた。

 

「自分が死んだ場合にどうするか、そんな仮定は必要はありません。あなたが死ぬ時は、私が死ぬ時だからです。必ず後を追いますよ?」

「ご、ごめん。不謹慎なこと言った」

 

 申し訳なさと恐怖を感じて、俺は平謝りした。

 冗談でもタチの悪い、酷いものだった自覚はある。

 ……俺が死ぬ、ということ。おそらく、それを意識させたのがまずかったんだろう。

 

 俺の謝罪を聞いた後、はっと我に返ったような顔をした。

 その後少し考える素振りをしてから、優しく笑った。

 

「ふふっ、これはもらっておきます」

「あぁ、悪かった。ちょっと恥ずかしいけど、もらってくれ」

 

 俺はメモを差し出した。

 いろいろ書いてるから本気で恥ずかしいが、やむを得ない。

 

「……ずっと大好き、ですからね。死ぬまで一緒にいましょう?」

 

 有栖ちゃんはお互いの指を絡ませて、そう耳元で囁いた。

 俺は、黙って頷くしかなかった。

 

 今のは何だったんだろう。完全に俺が悪いとはいえ、どうしてそこまで……

 まだまだ、有栖ちゃんの全てを理解しきれていないのかもしれない。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺たちは、レストランで朝昼兼用の食事を終えた。

 そのままデッキ近くの席を陣取って、外の風景を見ながらコーヒーを飲むことにした。

 

 隣に座る有栖ちゃん。肩を寄せて、片手は常に繋いだままだ。

 どうやら、恋人になったことで遠慮がなくなったらしい。

 ここに来るまでも腕を絡ませて歩いたり、急に抱きついたりしてきた。

 明らかに、以前よりもスキンシップが激しくなった。

 俺としてもこの上なく嬉しいことなので、何の問題もないが。

 

「それにしても、意外と人が多いなぁ。貸切状態を期待してたんだけど」

「確かにそうですね。Aクラスだけでなく、Cクラスの方もちらほらと見えます」

 

 有栖ちゃんは周囲を見回して、鬱陶しそうな顔をした。二人きりがいいのだろう。

 

 そういえば、龍園自身とその側近連中以外は、無人島を楽しむだけ楽しんでさっさとリタイアする方針だったことを思い出した。

 ……Aクラスの過半数とCクラスのほぼ全員がリタイア済みで、船に帰ってやりたい放題しているという現状。間違いなく、前代未聞だろう。無人島試験のあり方が問われそうだ。

 そんな感じでまったり過ごしていると、一人の女子生徒がこちらへやって来た。

 

「こんにちは。少し、お話してもよろしいですか?」

 

 彼女は確か……

 

「そっち座りなよ」

「ありがとうございます」

 

 とりあえず、俺たちが座っているソファの対面側に誘導した。

 有栖ちゃんは意外にも興味があるようで、鋭い視線で彼女の動きを観察し続けている。

 

 彼女はソファに座って、片手に持っていた本を鞄にしまった。

 それから落ち着いた口調で店員を呼び、一杯の紅茶を注文した。

 

「私は、1年C組の椎名ひよりと申します。お二人は、Aクラスの坂柳さんと高城くんですよね?」

 

 椎名ひより。Cクラスの女子であり、いつも図書館で読書をしている子だ。

 

「その通り。もっとも、Aクラスという肩書きがつくのは今週までかもしれないが」

「ふふっ、面白いです。それをジョークにできるのは、きっとお二人しかいないでしょう」

 

 ……鋭い。

 俺と有栖ちゃんがAクラス争いに興味がないことを、すでに察している。

 

 早くも理解した。

 椎名さんは、有栖ちゃんと同じタイプの人間である。

 そして彼女は……それをわかっていて話しかけてきたのだ。

 

「……椎名さんは、なぜ私たちに興味を持たれたのですか?」

 

 有栖ちゃんが質問をする。

 こちらも、大体のことは察してそうな感じだ。

 

「正直に申し上げますと、直感的なものという表現になってしまいます。ご覧の通り、私たちだけでなくAクラスの方も多くリタイアされています。その中でも、お二人からは明らかに違う雰囲気を感じましたので、つい声をかけてしまいました」

 

 そういうことか。

 椎名さんはCクラスの中でも異端と言える生徒だ。少し浮いているといってもいい。

 そんな彼女が、明らかにAクラスの中で浮いている俺たちを見つけた。そこに興味が生まれたらしい。ある意味、同族といえば同族だからな。

 

 そんな話をしているうちに、椎名さんの紅茶が来た。

 

「……船内では、こういったものも無料で楽しめるのがありがたいですね。私も決してポイントに余裕はありませんから」

「龍園がカツアゲしてるんだっけ」

「そこまでは言いませんが、龍園くんが各生徒のポイントを回収しているのは事実です」

 

 ちなみに、帆波さんも同じようなことをしている。

 あのクラスは「五公五民」。入手したポイントのうち半分を帆波さんに献上するルールだ。

 これを知った時、さすがに酷くないかと思った。しかしクラス内では不満が出るどころか、六割、七割とより多くのポイントを渡している生徒もいた。神に供物を捧げるのは当然、というような認識だ。帆波さんが言い出した話ではないが、俺は少し気持ち悪さを感じてしまった。

 現状、帆波さんはこれ以上ない結果を残している。二つの特別試験で逆転、大差のAクラスとなれば話が余計にエスカレートすることは必至だ。

 ……まぁ、本人たちで決めたことだし、当事者が幸せそうならいいのかな。

 

「そっか、龍園ならそういうやり方もするよな」

「おや、特に驚かれないのですね」

 

 以上のことから、俺は椎名さんの話を聞いても全く驚かなかった。

 何なら、力で言うことを聞かせる龍園の方がまだ健全ではないかと思ってしまうぐらいだ。

 

「椎名さんは、Aクラスを目指す気持ちはありますか?」

「そう、ですね……はい」

 

 有栖ちゃんの唐突な問いに、椎名さんは肯定的な返答をした。

 なるほど、そこは俺たちと百八十度違う部分だ。

 

「ふふっ、そうですか。頑張ってくださいね。私たちと違って、帆波さんは強いですよ?」

 

 強くしているのは有栖ちゃんなのだが。

 

「……そういう空気を出さないのも、一之瀬さんの強さなのでしょうか」

「帆波さんは、唯一無二の才能を持っていますから。一度彼女のクラスに行けば、その異常性は理解できると思います」

 

 有栖ちゃんの説明で、俺は勝手に納得した。

 確かに、帆波さんのカリスマ性というか、人を惹きつける力は恐ろしい。いくらすごい結果を残したとしても、クラス全員が喜んでポイントの半分を差し出す状態はなかなか作れない。

 例えば俺が同じことをしても、全員をそういう状態に持っていくのは無理だ。有栖ちゃんでも簡単ではないだろうし、綾小路でも難しいと思う。帆波さんのルックスと性格、それに結果が合わさることで、今の状況が生まれているのだ。

 

 逆に、帆波さんの弱点として、人が良すぎるあまり、相手をねじ伏せるような戦術とか絡め手に引っかかりやすいというものがある。

 現状、それは有栖ちゃんが手助けすることで補われている。

 しかし、その助力によって独裁政治を可能にしているのは帆波さん自身の才能であり、実力であることに変わりはない。

 集団を団結させるという点においては、彼女は天才である。

 有栖ちゃんがやっていることは、その天才性が最大限生きるようにする作業。主演女優に対する、映画監督のようなものなのだ。

 

 つまり、有栖ちゃんの構想は……

 

 

 

「大変楽しいお話をありがとうございました。今後とも、よろしくお願いしますね」

「おう、図書館とかで見かけたら声かけるよ」

「ぜひお願いします。その際は、おすすめの本でもご紹介します」

 

 しばらく雑談をしてから、椎名さんは客室へ帰っていった。

 知らないうちに他の客も帰っており、有栖ちゃんと二人になった。

 

「……彼女は、面白いですね。この争いのジョーカーになりうる存在です」

「観察力というか、人を見る目はすごいと思った」

「はい。ああいった方が本気を出すと、きっと楽しくなりますよ」

 

 どこまでも他人事な発言。

 それがあまりにも有栖ちゃんらしくって、俺は吹き出してしまった。

 

「あははっ、面白い。椎名さんも、キャストの一人ってことか」

「そうですね。晴翔くんも面白いと感じますか?」

「そりゃあもちろん。有栖ちゃんにはいつも楽しませてもらってるよ」

 

 よかったです、と有栖ちゃんは一言。

 それから少し残ったコーヒーを飲み干して、微笑みを浮かべた。

 

「私にとっての最重要課題は、あなたにこの学校を楽しんでもらうことです。そのためなら、他はどうなろうと構いません」

 

 あんまりな言いっぷりに、俺は再び笑いが止まらなくなった。

 ……やっぱり、この子にはかなわないなぁ。

 サバイバルが続く無人島を眺めながら、俺はそんなことを思った。



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第17話

 無人島試験、最終日。

 

 俺たちは、結果発表をレストランの中で待っていた。

 一応、モニターで様子が見られるらしい。

 アナウンスが聞こえ始めたので、俺は映像を凝視した。

 

『それでは結果を発表する。最下位、Aクラス及びCクラス。0ポイント』

 

 でしょうね。

 

『2位、Dクラス。225ポイント』

 

 かなりの高得点。どうやら、綾小路はリーダー当てに成功したようだ。

 さらに、原作通り堀北がリタイアしたことにより、当てられるのも回避したと見ていい。

 ……ということは、つまり。

 

『1位、Bクラス。240ポイント』

 

 この瞬間、Aクラスの陥落が確定した。

 葛城の表情からは絶望感というより、諦めのようなものが見えた。

 それを取り巻く生徒たちの表情は、地獄のように暗い。

 

 翻って、Bクラスの生徒たちの表情は明るい。

 帆波さんだけが少し複雑な顔をしているのは気になるが、雰囲気の差は歴然としている。

 

「全て、あなたの思惑通りですね」

 

 ニコリと笑う有栖ちゃん。世界一可愛い。

 葛城には悪いが、俺は有栖ちゃんのこの笑顔が見れただけで満足である。

 有栖ちゃんより優先されるものなど、どこにも存在しないのだ。

 

 

 

 そのまま客室に戻り、俺はルーズリーフを取り出した。

 無人島試験の結果を有栖ちゃんと共有しようと思ったからだ。

 

 自分がやったことを含め、島でのイベントを書き起こしていく。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1,クラスポイント

 Aクラス 0cl → 954cl

 Bクラス +240cl → 1155cl

 Cクラス 0cl → 600cl

 Dクラス +225cl → 312cl

 

2,結ばれた契約、約束事など

・Aクラス→龍園

 全員(有栖ちゃん以外)が卒業まで毎月2万pr払う。下の契約により高城も支払い回避。

・龍園⇆高城

 Aクラスのリーダーを教える。龍園がリーダー当てに成功した場合は、高城に100万prを払う。失敗した場合は無効。当てたことにより契約は成立したが、BクラスとDクラスに当てられたので結局Cクラスは0ポイントとなった。全額を引き渡すのではなく、龍園が上の契約で得たprの権利(2万×卒業までの31ヶ月)を放棄して、差し引き38万prが送られることとなっている。

・一之瀬←高城

 Aクラスのリーダーを無償で教える。条件はこの話を綾小路以外には秘匿すること。

・綾小路⇆高城

 Aクラスのリーダーを無償で教える。その代わりに綾小路はCのリーダーを調査し、分かった時点で一之瀬に売る。ついでに友人として、茶柱の件で悩む綾小路に一つの助言をした。

・綾小路⇆一之瀬

 約束通りCクラスのリーダー情報を売った。どういう条件を出したのかは不明。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「こんなもんか」

 

 記憶が新しいこともあり、すらすらと書くことができた。

 これで、起きたイベントは概ね網羅できているはずだ。

 

 そのまま有栖ちゃんに渡すと、頷きながら目を通してくれた。

 

「龍園くんとの契約に、リーダーを当てられなかった場合の取り決めを盛り込んだのですね」

「そうだな。俺は葛城との契約の穴に気づいてるということを、龍園にアピールしたかったから」

 

 やはりそこに目が行くか。相変わらず鋭いなぁ。

 契約の穴に気づいていたのに、その場で明かさなかったという事実。これは、本当にAクラスの利益を求めていないという証拠にもなる。

 この契約を持ちかけた時、龍園はかなり驚いていた。俺がここまで露骨な裏切りをするとは思っていなかったのか、他に予想外なことがあったのかはわからない。しかし、あの龍園をびっくりさせられたというだけで、俺にはちょっとした満足感があった。

 

 ……たった三日間とはいえ、結構動いたなぁ。

 そう思うと、なんだかんだ俺も無人島を楽しんでいたのかもしれない。

 

「わかりました。綾小路くんとは、どういったお話をしたのですか?」

「あぁ、それは……」

 

 有栖ちゃんの二つ目の質問は、綾小路との一件だった。

 

 前提として、綾小路は担任の茶柱先生から脅迫されている。

 退学させることを仄めかし、強制的にAクラスを目指させようとしている……はず。父親がうんたらかんたらというのは全部嘘だったような気もするが。

 そのあたりの話を俺に打ち明かした後、アイツはこんなことを聞いてきた。

 

 『高城。お前がオレの立場なら、どうする?』

 

 俺はその場で、いくつか思いついたことを述べた。いずれも、俺なんかでは絶対に無理だが綾小路ならできそうなことだ。

 綾小路は俺の話を聞いた後に、感心したような態度を示した。

 最終的にどうしたのかはわからないが、今回の結果を見ると約束は守ってくれたようだ。

 

「……なるほど。今後の綾小路くんとの付き合い方を考える上で、非常に重要なファクターとなりそうですね」

「結局、あいつがAクラスを目指すのかはわからん。それでも、俺たちと敵対することはないはずだ。確証があるわけじゃないけど、なんとなくそう思う」

 

 理由は知らないが、綾小路は俺のことを高く買ってくれている。

 夜の闇の中、別れる直前に残した言葉が頭に浮かぶ。

 

 『もしお前がオレと同じ教育を受けていたら、今ごろオレを超えていたかもな』

 

 本当に惜しい、と言っていたのが忘れられない。

 さすがに買い被りすぎだろと思いつつも、俺を認めてくれたようで嬉しかった。

 人間離れした一面も持つが、やっぱり綾小路は俺の友達だ。

 アイツにとって納得のいく「勝利」を、ぜひとも掴んでほしいものだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 見事Aクラスとなった帆波さん。

 有栖ちゃんがお祝いの言葉をかけたいということで、俺たちは彼女の姿を探していた。

 

 客室エリアの外へ出ると、ちょうどDクラスの生徒が乗り込んできたところだった。

 桔梗ちゃんが俺たちの姿を見つけて、こちらに走り寄ってきた。

 

「有栖ちゃん!会いたかった……」

 

 彼女は多くの生徒がいる中で、思いっきり有栖ちゃんに抱きついた。

 もはや、周囲の目などどうでもいいといった感じだ。

 

「お疲れ様です」

「私、一週間頑張ったよ?」

「はい。桔梗さんはよく頑張りました」

 

 ……仮面をつけている余裕もないのだろうか、縋るような目つきで有栖ちゃんを見ている。

 Dクラスの生徒たちは、みんな驚きを隠せないといった様子。

 

「ごめん、晴翔くん。今だけは有栖ちゃんを……」

「わかってるから大丈夫。俺も、桔梗ちゃんはよくやったと思うし」

「ありがとう。あなたのそういうところ、私本当に好きだから」

 

 有栖ちゃん成分が不足しすぎて、禁断症状が出ているのだろう。

 俺だって、有栖ちゃんと一週間も会えなかったらそうなるかもしれない。

 少し距離を取って、俺は二人の様子を眺めていた。

 

「えっ、桔梗ちゃんって、そういうことだったの?」

「俺に聞かれてもな」

 

 突然、誰か知らない奴が俺に声をかけてきた。

 誰だっけこいつ。池とか言ったか。

 

「しかし、お前はあの可愛い彼女といっつも一緒にいるよな。それだけでも罪深いのに、なんで俺らの桔梗ちゃんにまで気に入られてるんだ。好きとか言われやがって、一人にしとけよ……」

 

 お前の桔梗ちゃんではないし、間違ってもお前以下の評価にはならない自信があるぞ。

 

「有栖ちゃん。後で、お部屋に行ってもいい?」

「もちろんです」

「嬉しい、ありがとう。大好き!」

 

 満面の笑みを浮かべて、桔梗ちゃんは喜ぶ。

 優しい表情で、有栖ちゃんはその頭を撫でている。

 ……まぁ、確かに何も知らない人が見たら勘違いするか。

 

「では晴翔くん、そろそろ行きましょうか。桔梗さんも、また後ほどいらしてください」

「うん、また後でね!」

 

 俺たちはその場を立ち去り、再び帆波さんを探し始めた。

 

 

 

 船内を歩き回っていると、偶然にも会いたくない奴らと遭遇してしまった。

 元Aクラスの葛城派。意地になって無人島に残っていた、約十名の生徒たちだ。

 リタイア組と何か口論をしているのが聞こえる。

 

「お前たちがどうしようもないから、Bクラスに落ちたんだ!」

「あんな無謀な契約を結ぶ方が悪いでしょう?葛城くんにはついていけない!」

 

 あぁ、めんどくさい。

 戸塚弥彦。数少なくなった葛城派の先鋭だ。

 さっきから、敗北の原因を他者のせいにしようとしているようにしか見えない。

 自分や葛城の責任とされるのが怖いのだろう。

 

「お前ら二人も、全然やる気なかったもんな」

「……だからなんだよ」

 

 俺は黙って通り過ぎようとしたが、突っかかってきた。

 

「恥ずかしくないのか?Aクラスに入っておいて、こんな屈辱」

「別に。どうでもいいが」

 

 これは完全に本心だ。

 ここまで言い切られるのは想定外だったようで、戸塚は黙った。

 そして、俺に言っても無駄と悟ったのか、その矛先を有栖ちゃんに向けた。

 

「大体、270ポイントからのスタートで勝てるわけがない。初っ端からリタイアするような軟弱者が、なんでAクラスなんだろうな?」

 

 ……そのやかましい口を塞げ、と言いそうになった。

 しかし、争いを起こさぬようあえて黙っていた。

 

 有栖ちゃんも何も言わず、無表情で様子を見ている。

 それを戸塚は図星だからだと誤認したのか、さらに言葉を続けた。

 

「坂柳みたいなやつは、高城も含めてDクラスぐらいがお似合いなんだよ。身体が不自由?それも実力のうち。お前らは、このクラスに不必要だ」

 

 それ以上の侮辱は……

 

「お前のせいで負けたんだ、この〇〇〇……」

 

 その瞬間、俺の中の何かが切れた。

 ぶっ殺してやる。

 

 身体が熱くなる。頭は意外にも冷え切っている。

 その言葉を聞いてから戸塚の胸ぐらを掴むまで、一秒もかからなかった。

 こいつは消さなければならない。

 

 そのまま右手に力を入れて、横っ面を……

 

 

 

「そこまで!」

 

 大きな、女の子の声。

 瞬間、我に返った俺は後ろを振り返る。

 

「黙っていようかと思ったけど、見てられない。よくも、そんな酷いことを……」

 

 新たなるAクラスの王。

 一之瀬帆波が、そこにいた。

 

「あなたたちが有栖ちゃんをいらないと言うのなら、私のクラスが引き受ける。私たちはさっきのような発言を許さないし、有栖ちゃんのことを大事にできる自信がある」

 

 高らかに、まっすぐ戸塚の方を向いて宣言した。

 俺が振るおうとしていた暴力より、何倍も説得力があるように感じる。

 

 素直にかっこいいと思った。

 俺には、今の帆波さんは誰よりも強く見えた。

 

「そんなこと、できるわけ」

「これを見ても、まだそう言える?」

 

 帆波さんが見せたのは、自分の端末だ。場の全員から驚きの声が上がる。

 8,142,580prとは、帆波さんの持つプライベートポイントに他ならない。まだ入学から半年も経っていないうちに、これだけのポイントを所持しているという、信じられない現実。

 

 途轍もない人物であると理解したのか、誰も口を開かなくなった。

 短い沈黙の後、帆波さんは言葉を続けた。

 

「戸塚くん。私は、あなたのことが本気で嫌いになった。私の大切な人にああいう言葉をかけたこと、絶対に後悔させるから」

 

 帆波さんはそう言い残し、客室の方へ帰っていった。

 居心地が悪くなったのか、戸塚も苦虫を噛み潰したような顔をして去っていく。

 俺は有栖ちゃんとアイコンタクトを取り、帆波さんの後を追うことにした。

 

 帆波さんに嫌われること。お前はすぐにでも、その意味を知るはずだ。

 俺に殴られていた方がマシだった。きっと、そう思うことになるだろう。

 

「あれが、一之瀬帆波か。道理で……勝てないわけだ」

 

 葛城の嘆きが、小さく船内に響いた。




 この男の本質を一番正確に理解しているのは、有栖ちゃんではなかったりします。


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第18話

 感想や評価などいつもありがとうございます。読ませていただいています。
 皆さん、鋭くて驚きます。大体展開を先読みされてる気がする……有栖ちゃんを敵にするとこんな感じなのでしょうか。

 前話の後編みたいなものなので、短めです。


 帆波さんに追いついた俺たちは、内容が内容ということもあり、客室で話すことにした。

 

「有栖ちゃん、ごめんね。私がもっと早く割り込んでいれば……」

「全く気にしていませんよ」

 

 申し訳なさそうな帆波さん。

 ポイントで有栖ちゃんを移籍させるという話は、本気なのだろうか。

 

 俺は、帆波さんがまさか800万もポイントを持っているとは思わなかった。

 800万というのは、五月以降に五公五民ルールを全員が忠実に守っていても、まだ到達しない額である。これは、相当額の「寄付」があると見ていい。

 

「あと3200万、かぁ……」

 

 帆波さんがポツリと呟いた。

 ん?3200万?

 

「えっ、もしかして俺もって話?」

「もちろん。晴翔くんも一緒じゃなければ、意味がないよ!」

 

 俺が一緒でなければ意味がない。その言葉を、有栖ちゃんは頷いて肯定した。

 だとすると、結構ハードルは高いな。

 

「3200万ポイントは難しいでしょう。移籍がかなわなくとも、問題ありませんよ?」

「ううん、そうするって決めたんだ。だって、そうじゃなきゃ……今まで二人が私にしてくれたこと、何も返せないまま終わっちゃう。そんなの、私は……」

 

 先ほどの威勢の良さとは打って変わって、不安そうな顔をする。

 ……こっちが本来の帆波さんかな。

 

「そんなこと、私は気にしません。帆波さんはよく頑張っています」

「私が気にするの。それに、私はやっぱり戸塚くんが許せないから。あんな発言、絶対に受け入れられない。大事な有栖ちゃんを傷つけるようなクラスに、いてほしくないもん」

 

 戸塚がクソなのは間違いない。俺もいまだにムカついている。

 とはいえ、奴は性格がアレなだけで、嘘はついていないと思う。実際、俺らのせいで負けた……負けさせたのは事実だ。有栖ちゃんリタイアの30ポイントがきつかったという話だって、試験のルール自体は甚だ許しがたいものだが、一個人の意見としてそこまで不自然なものでもない。

 あいつの気持ちも、わずかながら理解できる部分があった。そこで、最初は黙ってやり過ごそうと思ったが……有栖ちゃんへの暴言を聞いた瞬間、俺は俺でなくなってしまったのだ。

 

 自分のことだから正直に認めよう。俺は、あの時戸塚に対して殺意を持っていた。

 頭の中に、戸塚を殺すことが選択肢の一つとして浮かんでいた。

 帆波さんの声を聞かなければ、冷静な思考のまま淡々と奴の顔面を殴り続けていただろう。

 それこそ、機械のように。

 

 綾小路の言葉が、再びフラッシュバックする。

 

 『もしお前がオレと同じ教育を受けていたら、今ごろオレを超えていたかもな』

 

 アイツは、俺から何を感じたのだろうか?

 

 戸塚の有栖ちゃんに対する発言は最低なものだし、何度思い返しても許せない。

 しかし、俺は……俺の行動は、本当に戸塚への怒りによるものなのだろうか?

 

 有栖ちゃんが笑ってさえいれば、それでいい。

 いつの間にか、そんなことを本気で考えるようになっていた。

 

 あの日の一件があるまで、有栖ちゃんは俺のことをあまり気にかけていなかった。

 使い捨ての雑用ぐらいにしか思われていない、そう理解していた。

 理不尽な扱いを受けている自覚はあったし、決して嫌ではなかったとはいえ、有栖ちゃんの冷たい態度にやるせなさを感じたことも一度や二度ではない。

 

 だが、切ろうと思えばいつでも縁は切れたはず。

 蔑ろにされても、馬鹿にするようなことを言われても、頑として離れなかったのはなぜだ?

 

 そこまで考えた時、急に過去の記憶が蘇った。

 ……あぁ、思い出した。十年以上前のこと。何で忘れてたのかな?

 本当は有栖ちゃんが俺を欲しているのではなく、俺が……

 

 ようやく、全てを理解した。

 

 だから、笑顔が奪われるのを許せない。

 遠い昔に守れなかった人を、思い起こしてしまうから。

 だから、彼女のためなら手段を選ばない。

 行動を起こさずにいるとどうなるかを、知っているから。

 

 誰かを守るという、自分のエゴを押し付けるため。

 転生しても断ち切れなかった未練を、忘れ去るため。

 この世界に来てからずっと、有栖ちゃんを利用し続けていたのだ。

 

 俺は、最低な奴だ。

 

「晴翔くん?」

「大丈夫?」

 

 二人の声で、現実に戻ってきた。

 

「あぁ、ごめん。戸塚を殴らずに済んだのは、帆波さんのおかげだなと思って」

「そんなこと……でも、さっきの晴翔くん、すっごくかっこよかったよ」

 

 かっこいい?俺が?

 

「あなたをそんなに苦しませてしまうなんて、思っていませんでした。あの程度の侮辱は想定内であると考えていましたが、私の判断が間違っていました。ごめんなさい……」

 

 なんで有栖ちゃんが謝ってるんだ?

 

 俺は()()()()()()()()()()()()

 こんな奴が、愛情をかけてもらってもいいのか?

 

「有栖ちゃん、俺……」

「もう大丈夫です。私を守ろうとしてくれて、ありがとうございます。だから、そんなに……悲しい顔をしないでください」

 

 有栖ちゃんは、ずっと俺の手を握ってくれている。

 守るべき存在は、同時に守ってもらえる存在でもあるのだろうか。

 

「あなたに違う一面があったとしても、私はそれを全て受け入れます。その暴力性が抑えきれないものであるならば、私に振るっていただいても構いません。それくらいの覚悟はあります」

 

 どうして、俺なんかにそこまで言ってくれるんだ。

 こんなどうしようもないクズに付き合って、もったいないと思わないのか。

 

 ……でも、何を言ってもこの子は俺と一緒にいてくれるのだろう。

 仮に俺が全てを失うようなことをしても、必ず最後までそばにいてくれる安心感。

 その心地よさは、麻薬のようなものだ。

 

「晴翔くんがどれだけ優しい子か、私もよく知ってる。だから、もう自分を責めるのはやめよっか。有栖ちゃんだって、私だって、晴翔くんのことが大好きなんだから」

 

 帆波さんも、そこまで……二人とも優しいなぁ。

 なんだか心の中が温かくなってきて、やっと俺は自分を取り戻した。

 

 落ち着くと、途端に涙が出てきてしまった。

 有栖ちゃんに抱きしめてもらいながら、俺はしばらく泣き続けていた。




 前世の死因は自殺です。
 メンタルがおかしくなる条件は、有栖ちゃんに何かがあった時です。入学するまでは有栖ちゃんを奪われたり貶されたりすることがなかったので、安定していました。


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第19話

 ここまで無人島。
 蛇足かと思って一瞬投稿を迷いましたが、この話が無いと次以降に矛盾が出そうなので……
 短いです。


 帆波さんはクラスで打ち上げをするらしく、俺のことを心配しつつも去っていった。

 それと入れ替わりで、次のお客さんがやってきた。

 

「えっ、殺したい」

 

 とんでもない過激派がここにいた。直球すぎて惚れ惚れする。

 一体、俺は何を悩んでいたんだ……

 

「桔梗さん。気持ちは嬉しいですが、殺すのはやめてくださいね?」

「うーん、そんな男は死んだ方がいいと思う」

 

 俺もようやく心の整理ができて、戸塚とのエピソードを普通に話せるようになった。

 終始半笑いで、俺の話を聞き続けていた桔梗ちゃん。目が笑ってない。怖い。

 一週間も会えなかったことで、依存がさらに強くなってしまったのかもしれない。

 レイプ犯に仕立てあげるのもアリかな……なんて口走っている。

 

「あー、それにしても早く死なないかな堀北。戸塚と一緒に地獄へ落ちろ〜」

 

 有栖ちゃんに頬擦りしながら、危険な発言を繰り返す。

 あまりにも言いたい放題すぎて、逆に面白く感じる。

 

 俺たち三人でいるとき、桔梗ちゃんはこんな感じだ。

 思ったことに一切フィルターをかけず、そのまま言葉にして吐き出している。

 普段から人の何倍も取り繕って生活している彼女には、これが落ち着くのだろう。

 

「晴翔くん、喉かわいた!」

「はいはい」

 

 俺は冷蔵庫からジュースを取り出し、コップに注いでやる。

 例えば、ここで俺が桔梗ちゃんの不興を買うようなことをすれば、容赦なく「うざい、死ね」などの言葉が飛んでくる。何なら経験済みだ。

 ……そのあと有栖ちゃんに怒られてシュンとするのも、なかなか可愛いものだが。

 

 桔梗ちゃんにとってありのままの自分でいられる、唯一の時間なのだ。

 これを一週間奪われたのは、想像以上にキツかったはずだ。

 

「はい、ジュース。桔梗ちゃん、一週間もよく我慢したよな」

「本当にね……ありがと、いつも気遣わせてごめん」

「いいよ、俺もお前のこと結構好きだし」

「有栖ちゃんにはかなわないけど?」

「当たり前だろ、何言ってんだ。つーか、それはお互い様だろ」

 

 このやり取りが心地よい。

 きっと、桔梗ちゃんもそう思っているだろう。

 お互いに素を出せる関係。親友といって差し支えないと、俺は思っている。

 

「私、二人に会えてよかった。もし会えてなかったら、今ごろ退学してたか、精神やられておかしくなってたかも」

「桔梗さんは、頑張り屋さんですからね」

「私すごい?」

「すごいですよ。リタイアせずに頑張ったなんて、信じられないぐらいです」

「有栖ちゃん……好き」

 

 さらに、こうやって甘々にしてもらえる。

 こんなことをされたら、有栖ちゃん中毒になるのも仕方がないというものだ。

 

 

 

 風呂を上がったあと、三人でベッドに寝転んだ。

 真ん中に有栖ちゃんを寝かせて、俺たちがそれを挟み込む。

 桔梗ちゃんがお泊まりする時の恒例となっている寝方だ。

 俗に言う川の字だが、有栖ちゃんが娘みたいだって言うと拗ねる。

 

「桔梗ちゃんは、Dクラスの打ち上げとか大丈夫だったの?」

「そもそもやらない。Dクラスだって、一枚岩じゃない」

「そうか、そんなもんだよな」

「もしやってたら、その場で誰かが堀北を叩いたかも。それは、ちょっと見てみたかった」

 

 ……ん?

 そんな結末だったっけ?

 

「あれ、なんで叩かれるの?」

「あいつがリタイアしなければ、Dクラスが一位だったから……まぁ、堀北自身は打ち上げなんかに参加するとは思えないけど。体調悪いのは事実みたいだし」

 

 待て待て待て。どうしてそうなる?

 頭がこんがらがってきた。

 225+30で255ポイント。240ポイントより多いから、それは事実なように見える。

 だけど、俺が知っている話はそんな終わり方ではなかったはず。

 そもそも、堀北がリタイアしなかったらAクラスとCクラスにリーダーを当てられていたから、255-100で155ポイント。その上、一クラスでもリーダーを当てられたらボーナスポイントを失うというルールがあったと記憶している。その分も差し引かれることで、ゼロではないにしろかなり低いポイントになったと思われる。

 Dクラスの大多数は、堀北のリタイアが最善手だったという事実を知らないのだろう。

 

「うーん、軽井沢が持ち上げられるのも不快。やっぱり無くていいかも」

 

 ……軽井沢!?

 意味がわからない。一体何が起きたんだ?

 

「なるほど、綾小路くんはそちらの方向で進めるのですね」

 

 ずっと黙って聞いていた有栖ちゃんが、話に参加してきた。

 状況を把握してそうな口ぶりだが、俺には何もわからない。

 いやいや、そちらの方向ってどちらの方向だよ。

 この全くついていけない感覚。これもなんだか久しぶりだ。

 

「そっか、あいつ実はすごい奴?なんだよね」

「はい。おそらく、綾小路くんがリーダーを当てた上で、その功績を軽井沢さんのものとしたのでしょう。ここで飴を与えるのは少し意外でしたが」

「あー……なんかいい雰囲気になっててウザかったけど、そういうこと」

 

 どうやら、有栖ちゃんは綾小路がした行動の意味を読み切っているようだ。

 今聞いた話を整理すると、綾小路は俺の教えたAクラスのリーダーと、独自で調査したCクラスのリーダーを予定通り当てた。そして、何かしらのエピソードを捏造して、軽井沢の活躍によりリーダーがわかったということにした。

 なぜそんなことを?そもそも、軽井沢には……

 

「平田はどうした、平田は」

「それいつ情報?とっくの昔に別れてた気がするけど」

 

 同じクラスの人間、しかも桔梗ちゃんが言うのなら間違いはないだろう。

 綾小路が、クラス内でも既に動いているということか……全然知らなかった。

 

「手が早いなあ」

「あの尻軽、とっかえひっかえしやがって。あーやだやだ。どいつもこいつも、ムカつく!」

 

 つい口から出てしまったが、微妙に危険な発言だったと気づいた。

 これでは原作に比べて、という意味になってしまう。

 どうやら、軽井沢の手が早いと解釈してくれたようだ。助かった。

 

 頬を膨らませて、足をじたばたさせる桔梗ちゃん。

 相変わらず、人に可愛いと思わせる才能がすごいな。

 

 

 

 しばらく桔梗ちゃんにDクラスの話を聞かせてもらった。

 なかなかあっちに行く機会がないので、新鮮で面白かった。

 ふと、首を下に向けると……

 

「……すぅ」

 

 有栖ちゃんが眠っていた。

 

(何これ?可愛すぎるんだけど)

(可愛いよなぁ)

 

 俺たちは起こさないよう、小声で話す。

 

(寝てるだけでこんなに可愛いなんて……反則でしょ)

(この顔は、小さい頃から全然変わらないんだ)

 

 有栖ちゃんの寝顔に、俺はいつも癒されてきた。

 ほっぺたにキスをしたり、抱きしめたりすると、とても幸せな気分になれる。

 隣にいることが許される者の特権である。

 

(はぁ、一週間疲れた……私も寝る。おやすみ)

(よく頑張ったな。おやすみ)

 

 疲れが出たのか、桔梗ちゃんもすぐに寝息を立て始めた。

 なんだか、子供を寝かしつけた夫婦みたいだなぁと思った。

 怒られること必至なので、有栖ちゃんには内緒だ。




 堀北さんはただ単に体調不良でリタイアした人みたいになってます。


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第20話

 予定の半分の長さになってしまいました。
 後半を書き終わってから、過去の話との矛盾に気がついてしまったのです……悲しみ。
 そちらも修正次第投稿します。二日ぐらい、かかってしまうかもしれません。


 翌日、俺は客船のデッキで有栖ちゃんと過ごしていた。

 周りはカップルばかりなので、俺たちも目立たない。

 

「海がきれいですね」

「そうだなぁ」

 

 穏やかな海。こうやって二人で見るだけでも、幸せを感じられるというものだ。

 ふと向こうを見ると、綾小路の姿が見えた。

 

「おーい、綾小路……」

 

 その隣には、軽井沢がいた。

 何やら二人きりで話し込んでいたようだ。

 これは邪魔してしまったかと思いつつ、俺たちは二人の元へと向かった。

 

 

 

「二人とも、来てたのか」

 

 綾小路は俺たちの姿を見つけると、歩み寄ってきてくれた。

 それを見て、横にいる軽井沢はなんだか不服そうな顔をしている。

 

 軽井沢恵という人間について、少し振り返っておく。

 彼女は、Dクラスの女子カースト上位に位置する存在だ。

 自分勝手で高圧的な言動が目につく、嫌われやすいタイプの人間である。

 

 しかし、それは軽井沢なりの防御策であった。

 彼女は中学時代、えげつないいじめに遭っていたのだ。

 暴力は当然として、思いつく限りの嫌がらせ、屈辱的な行為の強要など、かなり酷いものを受けていたと記憶している。

 

 この学校に入学してから、彼女はいじめる側の言動を真似ることにした。自分は強い存在であると周囲に思い込ませ、いじめの対象となることを未然に防ごうとしたのだ。

 さらに、立場の強い男……平田洋介と恋愛関係にあるように振る舞うことで、自分が上位の存在であるとアピールしていた。

 

 そんな感じだったかな?

 一通り整理した後、俺は目線を戻す。

 軽井沢は、俺たちを値踏みするような目で見ている。

 

「……何?あたしは清隆と話してたんだけど」

 

 まるで俺たちには興味がないといった感じの態度。

 こいつ、綾小路のことを名前で呼んでるな?

 

 大方、告白が成立して舞い上がっているといったところだろう。

 自分ではなく俺たちの方を優先したから、腹が立ったのだと思われる。

 こういう性格だとは知っていたが、せめて表向きは取り繕ってくれ。ぶりっ子でもいいから。

 そう思いつつ、俺は有栖ちゃんの言葉を待つ。

 

「ふふっ、これは失礼しました。お二人はお付き合いされているのですか?」

「いきなり何よ、何でそんなこと答えないといけないわけ?」

 

 うぜぇ、まあまあうぜぇ。お前は堀北か?

 有栖ちゃんに対してもそれか。この時点で、俺の中では嫌いな奴になる。

 その対応が綾小路の評判を落とすことにもつながると、理解してるのだろうか?

 

 この女調子に乗ってるな。俺は、その程度にしか思わなかった。

 だから、綾小路と本当はどういう関係であるのか考えもしなかったのだ。

 

 

 

 綾小路は、無表情のまま軽井沢の身体を触った。

 カップルであれば、さほど不自然な行動でもないように見える。

 

 しかし、俺は……

 軽井沢の()()()()()()()という行為の意味を、知っていた。

 たちまち顔からは表情が消え、恐怖で身体を震わせている。

 

 『もう一度同じ目に遭いたいか?』

 

 綾小路の目は、そう言っているように見えた。

 あぁ、お前はそこまで……

 

 

 

「ご、ごめんなさい」

「どうなさいましたか?」

 

 有栖ちゃんは面白かったのか、笑いを堪えるのに精いっぱいといった様子だ。

 ぞわぞわっと寒気が襲う。この二人は本当に恐ろしい。

 どちらも絶対に敵に回してはならない相手だと、再確認した。

 

「……本当に、ごめんなさい。あたしは軽井沢恵です」

「はい、私は坂柳有栖です。今後とも、よろしくお願いしますね?」

 

 謝っているのは、有栖ちゃんに対してではないだろう。

 あまりにも空気が重いので、俺が話を振ってみることにする。

 

「そうだ、綾小路。俺たちも結構付き合いが長いのに、いまだに苗字で呼び合っていたな。お前さえよければ、ここらで名前呼びに変えてみないか?」

「いいのか?」

「もちろん。俺たちは友達だろう、清隆?」

「あぁ、わかった。晴翔」

 

 嬉しそうな清隆は、意外と可愛げがある。

 さっきのアレと同一人物とはとても思えない。

 

「それでは、私も清隆くんと呼ばせていただきますね?」

「ありがとう、有栖」

 

 これで、さらに距離が縮まったような気がする。

 

 有栖ちゃんは、再度軽井沢の方を見つめた。

 じっくりと、その闇を暴くように。

 たった数秒だが、有栖ちゃんが読みを入れるには十分な時間だ。

 軽井沢は怯えたような態度で、清隆の後ろに隠れてしまった。

 こちらも逆らってはいけない存在だと理解したようだ。

 ……完全に、いじめられっ子のメンタルに戻っている。

 

 ちょっと可哀そうに思えてきた。

 有栖ちゃんがプラスの支配とすれば、清隆のこれはマイナスの支配だ。

 煽てたりするのではなく、恐怖で屈服させるようなやり方。

 おそらく、軽井沢にはこちらの方が有効だと判断したのだろう。

 

 清隆が、不意に頭を撫でた。

 軽井沢も嬉しかったようで、驚きつつもはにかむように笑った。

 そういう顔は可愛い。

 

 ……軽井沢はもう、何をされても離れられないのかもしれない。

 平田も切っちゃったみたいだし、後がないからな。

 

 

 

 二人の関係について、俺は少し考察した。

 

 この試験より前の段階で、清隆は何らかの手段を用いて軽井沢の心を折ったものと思われる。

 そして、最後の拠り所を自分へと仕向けるため、甘い飴を与えた。

 無人島試験のMVPに仕立て上げたのは、あまりにもわかりやすい。

 周囲からの称賛という快感を与えることで、ボロボロにした自尊心を取り戻させつつ、自分には清隆しかいないと思わせた。

 それだけではない。清隆が本気を出せば、他クラスにも勝利できるという強さも見せつける形になった。

 

 軽井沢の性格からして、ここまでくれば裏切りはない。

 あとは、綾小路清隆という人間にどこまでもハマっていくだけだ。

 

 ……彼女になれたということで、天狗になっていたのが今の状態だったのかもしれない。

 増長されると困るから、ここでムチを振るったというわけだ。

 

 考えれば考えるほど、有栖ちゃんとはまた違った狡猾さを感じる。

 清隆よ、やっぱりお前は天才だ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 『さっきは悪かったな。まだ教育ができていないんだ』

 

 二人と別れた後、そんなメッセージが俺たちの携帯に届いていた。

 なかなか怖い内容だが、あまりにも清隆らしいものだったので俺は笑ってしまった。

 

「清隆くんは、軽井沢さんを持ち駒にしたようですね」

「あぁ。確実にぶっ壊されたな、あれは」

 

 有栖ちゃんとそんな話をしながら、昼食のためレストランへ向かう。

 いつの間にか、軽井沢に対する嫌悪はなくなっていた。

 どちらかというと、憐憫?

 

 話をするうちに、俺は一つの疑問を持った。

 清隆は、原作通りこの船で軽井沢を追い詰めるのだろうか?

 おそらく、あのイベントに相当することは清隆自身の手でやってしまっている。既に巨大な精神的ダメージを与えている上、過去も全て把握している。さらに追い討ちをかける必要があるのか。

 

 しかし、なんとなく清隆は「やる」気がしている。

 目的は少し異なるかもしれないが、そんな予感がする。

 まぁ、気づいたところで止めるつもりもないが。




 『軽井沢さんという方は、なかなか面白いですね。狙う価値はあるかもしれません』

 坂柳との議論の末、オレは行動を起こすことにした。
 早急に、自分の思い通り動く道具を手に入れなければならない。

 坂柳からメールを貰った三日後、オレは軽井沢を特別棟に呼び出した。


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第21話

 レストランは各クラスの生徒で混雑していた。

 どこか空いている席はないか、俺は店内を確認する。

 そこで、帆波さんをはじめとする新Aクラスの集団を見つけた。

 

「あっ、有栖ちゃん!こっちこっち!」

 

 帆波さんに近くの席へ誘導され、ちょうど空いていた二席を使うことにした。

 メニューを開くと、すぐ女子軍団が俺たちの周りを取り囲んだ。

 相変わらず、ここの女子たちのパワーはすごい。

 

「有栖ちゃん、昨日のこと聞いたよ?酷すぎるよね」

「前から戸塚って変なやつだと思ってたけど、間違ってなかったかも」

「早くうちにおいでよ~」

 

 ええい、やかましい!

 ……とにかく、有栖ちゃんはこのクラスの生徒に慕われている。

 入学してから四か月。自分たちのクラスを除けば、最も多く行ったのは間違いなく帆波さんのクラスだ。特に最近は雰囲気が悪かったので、俺たちは毎日のように彼女たちの教室を訪ねていた。

 有栖ちゃんは見た目も良く、こちらでは穏やかな態度で振る舞っているため、男女問わず人気が高い。男はちょっと困るが。

 

 なんだかんだ、俺もこの女子軍団には好感を持っている。

 有栖ちゃんを尊重してくれる人たちを、俺が嫌いになることはあり得ない。

 例えば、もし俺たちがこのクラスのメンバーだったとして、俺が有栖ちゃんのために試験をリタイアしたいと言ったとする。その時は間違いなく背中を押してくれるだろう。

 そこがあいつらとは違うのだ。

 

「晴翔くんのことも聞いたよ!かっこいいね!」

「そうだよね、二人は一つだもん。許せないよね」

「戸塚死すべし」

 

 俺を持ち上げる声が聞こえてきて、少々くすぐったい気持ちになる。

 何より、昨日のような出来事があった場合、彼女たちは確実に味方になってくれる。

 ……それは大変ありがたいことなのだが、そろそろ料理を選ばせてくれ。

 

「皆さんありがとうございます。今日は、帆波さんに伝えたいことがあるのです」

「えっ、何かな?」

 

 有栖ちゃんは、突然改まった雰囲気で話を切り出した。

 可愛く首をひねる帆波さん。

 

「Aクラス昇格おめでとうございます。帆波さん、よく頑張りましたね」

 

 贈られたのは、シンプルなお祝いの言葉。

 帆波さんは口を抑えて、驚きを示した。

 そうだった。元はと言えば、このために探してたんだった。

 

「ありがとう、有栖ちゃん!」

「ふふっ、本当は昨日言うつもりだったのですが、言いそびれてしまいました」

 

 満面の笑み。

 その美しさに、俺も含めた全員が魅了された。

 ついつい、見とれてぼーっとしてしまう。

 皆がこの人のために頑張りたいと思う気持ちも、少し理解できた。

 

 周囲から拍手が沸き起こった。

 立ち上がって涙ぐんでいる者もいる。

 俺も……ん?

 

 あっ、さすがにそれは違うわ。マジで宗教かよ……

 危ない危ない。帆波さん教に染められるところだった。

 

 

 

 さほど腹は減っていないので、俺は軽めのパスタを注文した。

 料理が届くまでの間、周りを観察してみる。

 

 窓際の席に、堀北が一人で座っているのを見つけた。

 相変わらず孤高を貫いてるんだな。いつまでそうしているんだろう?

 清隆ともうまくいっていないようで、最近は一緒にいる所もほとんど見かけない。 

 こういう姿を見ると助け船を出したくなるが、本人がそれを望まないことは知っている。

 変につついて、逆鱗に触れると面倒だ。誰だって罵倒されるのは好まない。

 一瞬目が合ったような気もするが、俺は特に意識することもなく視線を戻した。

 

「そういえば、さっき綾小路くんたちと話してたよね?」

 

 帆波さんが、思い出したように言った。

 どうやら、さっきのやり取りは見られていたらしい。

 

「話してた。まぁ、軽井沢にとっては邪魔だったかもしれないが」

「そっか。私も声をかけようか悩んだんだけど、みんな真剣な顔して話してたから、かけづらかったんだよね……軽井沢さんと綾小路くん、あんなに距離が近いんだ」

 

 そりゃあ一応付き合ってるからな。

 でも、それを言い触らすのは清隆が望んでないと思うので、伏せておく。

 あれ?

 

「帆波さんって、軽井沢と面識あったっけ?」

「うん。勘違いされやすいけど、根はいい子だよ〜」

「……どうしてそう思ったか、聞いてもいい?」

「あっ、そっか。二人はあの件に関係なかったもんね」

 

 そう言って、帆波さんは俺に軽井沢のことを教えてくれた。

 

 初めて知り合ったのは、先月初頭のことだった。

 Dクラスの須藤と、Cクラスの生徒の間でいざこざがあった事件。

 その調査を行っていたのが、清隆と軽井沢だったという。

 

「他の人にはあんな感じなのに、綾小路くんの言うことには黙って従っていたから、二人はどういう関係なんだろうって気になってたの」

 

 二人はDクラスの生徒全員に聞き取り調査を行い、どうにか佐倉が現場を目撃しているということを突き止めた。軽井沢のことを良く思っていない生徒が多数を占めていたこともあり、結構大変だったらしい。

 苦労の末、最終的にはCクラス側から訴えを取り下げさせることに成功した。

 

「すっごく暗い顔になる瞬間があって、大丈夫かな?って思ってたんだけど……でも、須藤くんのためにあそこまで頑張れたんだし、絶対に悪い子じゃないよ」

 

 清隆と「何か」があってから、間もない時期だったのだと思われる。

 優しい帆波さんには悪いが、それは軽井沢を買い被りすぎだ。絶対に、須藤のためと思って動いてはいないと思う。クラスメイトからポイントをたかるような奴だぞ?

 素直に従ったのは、弱みを握られている以上仕方ないと思ったのだろうか。

 それとも……その時点で既に清隆の手中に収められていたか。

 

 どちらにしろ、清隆がかなり前から軽井沢に目をつけていたことが分かった。

 有栖ちゃんとの時間を優先したことに後悔はないが、須藤の件は俺があまりにも無関心すぎたのかもしれない。そういう違いが発生していたことすら、今まで気づかなかった。

 

「ありがとう。全然知らなかった」

「……二人はこれから、どういう関係になっていくのかな?」

「さぁ、どうだろう?」

 

 今日、正式な恋人関係になったであろう二人。

 しかし、これは俺の男としての勘だが、多分あいつらはとっくに()()()()()()()()

 そういうのは、意外とわかりやすいものだ。軽井沢の清隆に対する距離の取り方、邪魔した俺たちに対する敵愾心、独占欲……とてもプラトニックな関係であるとは思えない。

 清隆のことだから、それすらも戦略の一部なんだろうけど。

 

「ところで、帆波さん。もう一つお話があるのですが」

 

 有栖ちゃんは続けて、話を持ちかけた。

 帆波さんも何かを察したのか、真剣な表情に切り替わる。

 

「……わかった。後でお部屋に行くね」

 

 パスタはわりと重かった。次はサンドイッチとかにしよう。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 昨日に引き続き、帆波さんが俺たちの客室へとやってきた。

 腹を満たした後の気だるい時間だが、有栖ちゃんの話は眠気をぶっ飛ばすものであった。

 

「帆波さんには、Bクラスを支配していただきたいのです」

 

 葛城と龍園が結んだ、ポイント譲渡契約。

 これを肩代わりする引き換えに、今後Bクラスの生徒は帆波さんの指示に従う。

 こういう契約を結ぶことを勧めたのだ。

 

 直感的に、ほとんどの奴は従うだろうと思った。

 Bクラスというのもまだ違和感があるが、このクラスはもう崩壊している。

 それこそ昨日揉めた戸塚と、葛城派に残っている頑固な連中以外は2万に釣られるだろう。

 さらに、有栖ちゃんはこの契約を署名型にすることを推奨した。

 書面に名前が記載されている生徒には毎月2万ポイントを支給する。帆波さんの指示に従わなかった者は、名前を消される。こういった契約書を、有栖ちゃんがいつの間にか作り上げていた。

 

 恐ろしいのは、こんな契約が履行可能であると、帆波さんは既に示しているということ。

 800万以上のポイントが表示されている画面。あれ以上に信頼できるものはない。

 

 ……今日は二人の天才に驚かされるばかりの一日だ。

 こうして正常な環境に戻ると、自分が凡人だと再認識できる。

 

「きっと、みんな喜ぶよね?」

「戸塚くん以外は、最終的に全員契約すると思っています」

「……これって、ある意味プライベートポイントでクラスポイントを買うような契約だよね」

 

 これは鋭い。やるな帆波さん。

 立場が人を作るというが、ここ最近の成長は著しい。

 

「おっしゃる通りです。さすが帆波さんですね。クラスポイントで大差をつけた後は、全ての契約を破棄してしまうのも一興かもしれません。きっと面白いものが見られますよ」

「にゃ、そこまで酷いことはできないよ!」

「ふふっ、そうですよね。帆波さんはそういう方です」

 

 こうなると、あとはタイミングの問題か。

 そして、もう一つ。この船で行われる、あと一つの試験の結果も大事だ。

 ここでさらに大きな差をつけることで、Bクラスの生徒の絶望がより一層深まる。

 

 ……さっきからずっと、考えていることがある。

 Aクラスの帆波さんとDクラスの桔梗ちゃんが完全な味方になっている状態で、有栖ちゃんがあの試験の法則を導き出せないなんてことはあり得るのだろうか?

 

 いや、あり得ない。これはとんでもないことになるぞ。

 試験自体が、有栖ちゃんのおもちゃになってしまう。

 

(一年生のみんな、すまない)

 

 俺は心の中で、阿鼻叫喚となるであろう生徒たちに向けて謝った。




 堀北のいるはずだった場所には彼女がおさまっています。


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第22話

 翌日。

 

 俺は有栖ちゃんと二人で、だらだらしていた。

 明日ぐらいから、もう一つの試験があることはわかっている。あれは特に体力を使うものではないが、一時間も有栖ちゃんと離れることになる可能性があるというクソ要素がある。

 しかも一日二回。それが何日も続くのは、是非ともお断りしたい。

 

 有栖ちゃん、初日で終わらせてくれたりしないかな。

 今の状況なら、不可能ではないような気もするが……どうだろう。

 

 そもそも、同じグループだったらいい話ではある。

 グループ分けはランダムではなかったはず。配慮してくれていないだろうか?

 あまり期待はできないが、一応祈っておく。

 

 とにかく、俺は今のうちに有栖ちゃん成分を摂取しておかなければならない。

 ぎゅっと抱きしめると、柔らかさと温かさを感じる。

 いい匂い。ずっとこうしていたいぐらいだ。

 

「……私はどこにも行きませんよ?」

「そうか?」

「はい。私の定位置はずっと、あなたの隣です」

 

 言ってから少し恥ずかしくなったのか、顔を埋めてきた。

 あー可愛すぎる。こんな子と引き離されるとか、ストレスでしかない。

 今回の無人島だけでなく、有栖ちゃんと別行動となる試験は今後いくつもある。

 だんだん学校のシステムが憎くなってきた。

 

 ……いっそのこと、退学してしまうのもアリか?

 桔梗ちゃんも一緒に、三人でどこかへ転校するのもいいかもな。

 クラスの争いなどにはもう興味もなさそうだし、最近は堀北に対する感情も嫌悪から無関心へ変わってきているように見える。もはや、俺たちについてくるのは確実だ。

 

「有栖ちゃんは、もし俺が学校を辞めるって言ったらどうする?」

「一緒に辞めます。あなたの選択は、私の選択ですから」

 

 即答だった。

 まだそのつもりはないが、今後どうしても納得がいかないようなことがあれば……一つの選択肢としておきたい。

 

 

 

 俺がベッドに横たわると、有栖ちゃんも隣にくっついてきた。

 さっきからずっと密着している気がする。

 

「ところで、有栖ちゃんも軽井沢のこと知ってたんだ?」

「そうですね、何からお話ししましょうか……」

 

 昨日の軽井沢に対する反応が、気になっていた。明らかに何か知っているような感じだったし、今後の対応を考える上でも聞いておきたい。

 有栖ちゃんは一つ一つ思い出すように、俺に説明してくれた。

 

 中間テストが終わった次の日、有栖ちゃんと俺はDクラスの教室を訪れた。

 前日の夜に、清隆から有栖ちゃんの携帯へメールが来ていたからだ。

 しかし、行ってみると用件はそう大したものではなかった。

 来週買い物に付き合ってほしい。それだけのこと。

 あまりにも些細なものだったので、俺はそんな出来事があったということすら忘れていた。だがよく考えてみると、それだけのために俺たちを教室へ呼ぶというのは不自然だ。

 

「Dクラスに面白い人間がいないか、私に見てほしかったようです」

 

 そういえば、有栖ちゃんが携帯をいじっていたのを思い出した。

 あれはそのあたりの打ち合わせをしていたのか。

 

 なるほど。そこで、有栖ちゃんの目に留まったのが軽井沢だったというわけだ。

 その理由は……?

 

「一つは、恋人である平田くんに対する態度です」

 

 有栖ちゃんは指を立て、説明を始めた。

 

 当時、平田と軽井沢は恋人関係にあった。しかし、有栖ちゃんからはお互いが恋愛感情を持っているようには見えなかった。そのくせ軽井沢が見せつけているかのように振舞っていたのが、極めて不自然に感じたらしい。まるで自分が平田の庇護下にいることをアピールするかの如く、平田が好きであるということを周囲に言いふらしていたのだ。

 

「二つ目は、自分への悪口に対する反応です」

 

 軽井沢は、Dクラスの人間からあまり好かれていない。

 あの強気な振舞いからは、嫌われても問題ないと割り切っているような印象を受ける。

 ……しかし、有栖ちゃんは見逃さなかった。女子グループがコソコソと悪口を言っているとき、軽井沢はそれを複雑な表情で見ていたという。

 少なくとも、嫌われることを何とも思っていない人間の反応ではない。

 

「彼女は、対立を覚悟したような態度を取っているのにもかかわらず、自分の行動に対する周囲の反応を気にしていました。これは、明らかに矛盾していますね。そこから連想していくと、過去に人間関係で何かあったという結論に至りました」

 

 俺の記憶が正しければ、あの日Dクラスの教室にいた時間はせいぜい五分程度だ。

 たったそれだけで、ここまで読み切ることができる。理解不能としかいえない。

 

 有栖ちゃんは、清隆に自分の意見を伝えた。

 今思うと、桔梗ちゃんの情報への対価がこれだったのかもしれないな。

 

「清隆くんは、軽井沢さんをとある場所へ呼び出したようです。カメラが設置されておらず、人が滅多に来ない場所……ふふっ、そこで何をしたのかは聞いていません」

 

 俺も怖くて聞きたくない。

 清隆は軽井沢に、人目のつかない場所で「何か」をしたということだ。

 仮面を剥がし、その内面もぶっ壊し、思い通りに作り直してしまった。

 

 この二人に興味を持たれた以上、駒にされてしまうのは仕方がない。

 桔梗ちゃんのように、楽しく過ごせるかは……彼女次第だ。

 

 

 

 その日の午後。そろそろ、あいつが来る時間だ。

 客室の扉が乱暴に叩かれているのを聞いて、俺は立ち上がった。

 

「よう、龍園……当たってただろ?」

「チッ、このクソ野郎。当たってないのと変わらないだろうが」

 

 俺たちが結んだ契約。それを履行するためにやってきたのだ。

 ポイントの支払い期限として、俺は試験終了二日後を設定していた。

 

「言っておくが、お前がリーダーであることを当てたのは俺じゃないぞ」

「黙れ、異常者が」

「おいおい、そこまでヤバいことをしたつもりはないが」

「……女一人のために味方を壊滅させるような奴が、正常だと言い張る気か?笑わせるな」

 

 悪態をついているものの、その表情は愉快そうだ。

 会話しながらも、龍園は手早くポイントを送ってきた。38万ポイント。

 

 実は、俺はリタイア直前に龍園と二人で会話していた。

 自分の行動の意味、有栖ちゃんの目的、お互いの価値観……いろんなことを話した。

 結論として、俺はこいつのことが嫌いではない。むしろ、好感を持っている。

 どうしてそう思うかは分からないのだが、なんとなく感じるのだ。

 

「おい、坂柳。俺と一之瀬の対立構造を作ること。それが目的だな?」

 

 龍園はそう言って、有栖ちゃんを鋭く睨みつけた。

 

「ふふっ、どうでしょう?」

「ここまで分かりやすく動いておいて、今更とぼけるな。テメェは何がしたいんだ?」

 

 眉間にしわを寄せたまま、有栖ちゃんに迫る。

 目的はわかったが、そうする意図が理解できないらしい。

 

 有栖ちゃんは少し首をかしげたが、落ち着いた態度を崩さない。

 龍園はそれと対照的に、いら立ちを隠せない。 

 ……こうやって有栖ちゃんのいいようにされる感じも、ちょっと俺と似ているな。

 

「その方が、面白いと思いませんか?」

 

 少し間をおいてから、有栖ちゃんは質問に答えた。

 急に回答が来ると思わなかったのか、龍園は一瞬黙り込む。

 

「……はぁ?意味がわかんねぇぞ」

「一之瀬帆波という正義の味方に、龍園くんのような大悪党が挑む。その構図が面白いのです」

「ふざけるな。本気で言ってるのか?」

「全くもって真剣です。私は、たった一つの判断基準で動いています。面白いか、つまらないか。帆波さんがこのまま絶対王者として最後まで君臨するのも良いでしょう。逆に、あなたの策略によりその座を失い、絶望に打ちひしがれる姿を見るのも悪くありません」

 

 どこまでも上から目線の言葉に、龍園も言葉を失う。

 しばらく沈黙した後、一度舌打ちをして、背中を向けた。

 

「チッ……坂柳、お前のような人間とまともに会話しようと思ったのが間違いだった」

「おや、そうですか?」

 

 これ以上の会話をするつもりはないらしく、扉を開けて客室を出る。

 そのまま帰るのかと思いきや、何か言い忘れたことがあったのか、こちらを振り返った。

 

「せいぜい主人に捨てられないよう、尻尾を振り続けるんだな。テメェにはそれがお似合いだ」

 

 龍園は、()()()()()()()()()そう言った。

 

「……今の会話で、そこまで読み取られるとは思いませんでした」

 

 素直に驚いたといった様子。

 それを見た龍園は、最後の最後に彼らしい悪い笑みを見せてから去っていった。




 『ねぇ、綾小路……どうしてそんなに、優しいの?』

 とある日のこと。事が終わった後、軽井沢はオレにそう問いかけた。
 それは、お前がオレの所有物だからだ……と口に出すことはなかった。

 オレは、特別棟で軽井沢の心をへし折った。
 いじめの過去を暴き、彼女の人格を否定し、暴行を加えた。
 肉体的にも、精神的にも一人では立ち直れないほどのダメージを与えた。

 それ以降は、徹底的に甘やかした。
 ポイントの許す限り欲しい物を買い与え、思いつく限りの美辞麗句を並べ立て、少しでもオレにとって得になることをした時はこれ以上ないほど褒めちぎった。
 須藤の一件もオレと佐倉さえいれば十分解決可能なものであったが、達成感を与えるべく主体的に動かせた。当然、解決した際には全て軽井沢の功績であると称えた。

 このように他人を持ち上げるような行動は、オレにとって初めての経験であった。
 しかし、その苦労に見合った成果は得られた。
 八月に入る頃には、オレの言うことに対して一切の反抗をしなくなっていた。

 無人島試験の中で、オレは軽井沢の身勝手な行いを強く叱責した。
 彼女がどういった反応をするか、実験するためだ。
 特別棟での一件以来、オレが彼女に対して声を荒げたのは初めてのことだった。

 軽井沢はその場では取り繕ったものの、その夜に二人きりの場所へオレを呼び出し、涙を流しながら謝ってきた。
 何度も謝罪の言葉を繰り返す姿を見て、全てが成功したことを確信した。
 
 中学時代、軽井沢は悪意に晒され続けた。
 そんな彼女は、自己を肯定される喜びから逃れる事ができない。
 愛という名の快感を求めて、ひたすらオレに従い続ける駒となった。
 
 実際にやってみると、この手法は非常に効果的だということがわかった。
 一度打ちのめしてから、無償の愛を与え続ける。
 絶対に裏切らない駒を作るためには、最高のやり方だ。
 さすが坂柳であると、オレは大いに感心した。

 だが……あくまでも、それは軽井沢のように心のキズを持っている相手の話だ。
 坂柳ほどの精神力を持つ人間の心を、あいつはどうやって壊したのか。
 何をすれば、あそこまで従順にすることができるのか。
 今の段階では、オレをもってしても理解することはかなわなかった。

 やはり、お前は天才だ。


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番外編1

 この作品で一番最初に書いた話です。
 長いことお蔵入りとなっていましたが、この時から設定を変えたわけではないですし、せっかく書いたものなので少し修正して載せることにしました。


 ある日の夕方、二人きりの教室。

 

「私は天才で、あなたは凡人。他の生徒たちと同じ、有象無象にすぎません。私との能力差を目の前で見せつけられるのも、あなたにとっては苦痛だったでしょう」

 

 彼女は俺を見つめたまま、冷たい口調でそう言い放った。

 

「……ここでお別れです、晴翔くん」

 

 一応、幼馴染という関係になるだろうか。

 しかし、俺に対して情が芽生えるようなことはついぞなかったようだ。

 本当の本当に、感謝の言葉の一つもなかったな。まぁいいけどさ……

 

「今後一切、私と関わらないでください。それでは」

 

 彼女はそう言い残して、去っていった。

 静かな教室に、俺は一人残される。

 

(ついに、召使いからジョブチェンジか)

 

 思ったほど、嫌な気持ちにはならなかった。

 守るべきものと思って動いてきたが、その対象が俺を拒絶するなら仕方がない。

 

 彼女を支え続けたのは、俺の意思だ。

 幼少の頃より、できる限りの手を尽くしてきた。

 使い捨ての道具と思われている自覚もあった。

 それでも、最後まで俺の方から離れるようなことはしなかった。

 ……前世の記憶。忘れるべき暗い過去を思い出してしまうから。

 あちら側から別れを切り出してくれなければ、俺はいつまで経っても離れられなかっただろう。

 

 十年以上支えた相手に、血も涙もないような言葉をかけられた。

 さすがに思うところはあるが、状況的にはむしろ助けられたのだと感じる。

 これは、お互いが一歩踏み出すための別れである。決して悪いものではないのだ。

 

 残念ながら、俺はただの雑魚である。雑魚は雑魚らしく、普通の人生を楽しく送ろう。

 あぁ、ただ大学には行きたいな。前世は家が貧乏で行けなかったから、大学生活というものに興味はある。その目的のため、勉強は前世より真面目にやっていきたい。

 俺は今後のことを考えながら、一人残された教室をウロウロしていた。不審者か。

 

「さらば、有栖ちゃん」

 

 坂柳有栖。今日まで仕えてきた主人の名を呟き、俺は気持ちを整理した。

 

 

 

 さて、俺は有栖ちゃんの世話係だった。さっきまで。

 彼女は紛れもない天才だが、生まれつき身体が弱く、普通に生活するには身の回りの世話が必要だった。

 俺は何でもやった。さながら奴隷のような生活だった。

 平日休日問わず、有栖ちゃんの家まで行って身の回りの世話をしていた。毎朝五時起きだ。

 こんな生活は前世ならともかく、子供の身体には厳しいものがあった。睡眠を補うため、学校の授業は俺にとってのオアシスとなっていた。

 しかし、テストは前世の知識でどうにか乗り切ってきたが、居眠りばかりしていては内申点がさっぱり伸びず、常に成績は微妙だった。

 

 また、俺はいかなる時も常に有栖ちゃんのペースに合わせて歩き、周囲を警戒し、彼女の身の安全を守り続けてきた。

 心臓の発作が出そうな時はおぶってやり、場合によっては病院へ連れて行った。

 雨が降ったら自分が濡れることも厭わず傘を差し出し、身体が冷えないようにした。

 この手のエピソードは枚挙に暇がない。

 

 俺はこんなことを、十年以上もずっと続けていたのだ。

 だが、もうその必要はない。有栖ちゃん自身が、自立の道を選んだからだ。

 中堅レベルの公立高校。俺はその一般入試に向けて、受験勉強を始めることを決意した。

 

 ここで、今世における俺の家庭環境を説明しておく。

 俺の父は、国家公務員である。母親も元同僚ということで、公務員一家だ。

 父は学校の許認可に関わる部署に長く勤めているらしい。そして、有栖ちゃんのお父さんとは旧知の仲である。おそらく、あちら側が取り入ろうとアプローチしてきたのが最初だろう。

 ……いや、そういうやり方で公務員は揺らいでほしくないんだけどな。

 さすがにそれだけじゃないだろうが、とりあえず家族ぐるみの関係である。

 

 でも、それも今日までだ。

 じっくり考えると、有栖ちゃんがああ言ってきたのも理解できる。

 俺なんかでは、あまりにも釣り合わなさすぎた。あの学校でAクラスに分類されるような優秀な生徒を、自分の駒にできるほどの存在だ。俺なんかが関わっていい相手ではなかったと思う。

 

 有栖ちゃんが超絶美少女なのは事実だし、今まで一緒にいられたのはラッキーだった。

 奴隷と言っても、俺はさほど今までの生活が嫌だったわけではない。あんな可愛い子は前世含めても見たことがないし、そういう子に頼られるのは、男として素直に嬉しかった。

 さっき俺が差を見せつけられるとかなんとか言っていたけど、一度も劣等感など抱いたことはなかった。むしろ、差がありすぎるから逆に何も思わなかった。

 

 俺は、彼女の歩む道と反対方向に進むのだ。

 有栖ちゃんは俺を引き離した。ならば、俺は有栖ちゃんと違う場所へ行く。進路を決めるタイミングで、この行動は正解としか言いようがない。やはり、天才なのだろう。

 

 いずれにせよ、これで俺の手を離れる。

 高校では、原作通りならそれこそ神室真澄さんあたりが支えてくれるはず。つーか、こんな苦労してたんだな神室さん。未来のことだが、彼女の幸運を祈っておこう。

 

 

 

 翌日。

 

「朝七時……だが、遅刻ではない」

 

 何年ぶりだろうか。有栖ちゃんの準備を考えないで起床できるのは。

 たっぷり睡眠時間を取って、清々しい朝だ。

 

「晴翔、時間大丈夫!?」

「大丈夫だよ、お母さん」

 

 いつもの時間に起きてこなかったからか、心配した母が俺の部屋に来た。

 特に焦ることもなく出る準備をしてから、ゆっくり朝食を摂り、学校へと出発した。

 

 

 

 教室へ到着した俺は、驚きをもって迎えられた。

 

「あれ、坂柳さんと一緒じゃないの?」

 

 クラスの女子が、一人で登校してきた俺に声をかけてきた。

 よっぽど珍しく思ったようだ。何せ、入学以来初めてのことだからな。

 

「そうだ。生憎嫌われちまったみたいだからな」

「め、めずらしい……」

 

 厳密には違うが、そういうことにしておく。余計な面倒も起きないだろうし。

 

「有栖ちゃんは、まだ来てないんだ?」

「うん、まだ見てないよ。遅いねえ」

 

 雑談をしているうちに、朝のチャイムが鳴る。どうしたんだろうか?まさか寝坊?

 もう俺には関係ないのだが、気にはなる。

 

 結局有栖ちゃんは現れず、他の全員が着席してHRとなった。

 担任がファイルを持って入室し、一通り教室内を確認してから一言。

 

「坂柳さんは、登校時に怪我をしてしまったようで、今は保健室にいます。応急処置が済んでから、1限には出るみたいです」

 

 少しクラスがざわめいた。

 ……たぶん、どっかで転んだんだろうな。

 校門までは家の人が送ってくれるから、その先のどこか。

 校庭の段差か階段か、はたまた何もないところで転んだか。

 

 昔から、有栖ちゃんは歩行がいまいち安定しない。すぐに転んでしまうので、杖で石や点字ブロックを引っ掛けたりしないよう、俺が足元を確認していた。それでもつまづきそうな段差や障害物があれば、先回りした上で手を引いて通過した。

 急に一人になったことで、何かしらの問題が起きたのだろう。

 

 トラブルを未然に防ぐためにも、基本的に外を歩く際は俺が車道側を歩き、自転車などの接近を防いでいた。転ばないにしても、突然の出来事というのは心臓に悪い。発作につながるようなイベントはあらかじめ潰しておくのが、俺のやり方だった。

 

 でも、今思えばあれは過剰だったような気もする。

 前世のこともあって完璧を目指していたとはいえ、やりすぎだったかもしれない。

 

 有栖ちゃんも最初は転んだりして大変かもしれないが、そのうち慣れるだろう。

 彼女は、すでに俺が守る相手ではなくなったのだ。

 今さら気にしても仕方ないし、そんなことを考えるのも失礼だと思う。

 

 ……いや、本当に大丈夫か?

 若干心配になりつつも、昨日の有栖ちゃんの言いっぷりを思い出すと、余計なことをして神経を逆撫でする方が面倒だという結論に至る。とりあえず、何もしないのが正解だ。

 

 

 

 1限は体育。有栖ちゃんは、当然見学だった。

 よく見ると、右腕に擦り傷があった。それだけでなく、綺麗な顔にも打撲痕?のようなものもあった。痛そうだし、一度コケただけであんな風にはならない。何回かやっちゃったみたいだ。

 じろじろ見てたら目が合ってしまった。有栖ちゃんを敵に回すのが怖いことはよく承知しているため、俺は見て見ぬふりをして準備運動に取り掛かった。

 

「晴翔、今日は打つからな」

「そんな簡単には打てねーよ」

 

 今日はソフトボールだ。下手の横好きとはいえ、好きな種目である。

 腕を大きく一周させて、力をこめて、投げる!

 ホームベース上のいいところに球がいった。タイミングをずらされた打者のバットを掠めて、ファウルボールが……見学していた有栖ちゃんのところに飛んだ。

 

「おい!避けろ!」

 

 打者の叫びも虚しく、ボールは有栖ちゃんの身体に直撃した。

 どうやら朝に怪我した方とは逆の腕に当たったようで、幸い大事には至らなさそうだが、それでもかなり痛そうだ。

 ……えっ、マジで大丈夫?

 

「ったく、どんくせえなぁ」

 

 ボールを打った生徒が頭をかきながら、そう言った。

 わざとじゃないとはいえ、当てといてそれは理不尽だろうと思ったが、俺は黙っていた。

 

 

 

 それ以降も、今日の有栖ちゃんは不運が重なっているように見えた。

 教室では机の足に杖を引っ掛けて転んでいた。廊下でも生徒とぶつかってこけていた。数えきれないぐらい、転んでいるシーンを見た気がする。

 

 ちなみに、有栖ちゃんはクラスの生徒たちから異質な扱いを受けている。

 入学以来満点しか取ったことない天才なんだから、当たり前といえば当たり前だ。

 少なくとも嫌われてはないだろうし、最低限コミュニケーションも取れているが、一定以上に仲の良い友達はいない。明らかに特別な子供である有栖ちゃんに対し、みんな遠慮してしまってるのが大きい。また、当の本人も仲良くする気があまりないようだ。

 

 そういう状況なので、普段から会話の九割以上は俺が相手であった。

 有栖ちゃんは知性が同世代の生徒とは比べ物にならないから、そもそも気の合う生徒がいない。超ハイレベル校のトップ層で、ようやく話を合わせられるかといったところだ。

 この中学校に来たのは、俺と同じ学校に行かせようと親たちが動いたからだ。有栖ちゃんならどこへ行っても一緒だろうが、それでもさらにレベルの高いところへ行けば、コミュニケーションという面では多少マシだったかもしれない。

 今思うと、俺は馬鹿とはいえ元大人だから、フツーの中学生よりは話しやすかったのかもな。

 

 本来、有栖ちゃんは好戦的な性格だ。何か競争できるようなものもなく、並び立つ可能性がある人間すらいない環境では……本当につまらないんだと思う。

 チェス一つとっても、マトモに相手になる人間は誰一人いない。百回やって百回勝てる相手とのゲームなんて、すぐ飽きるだけで何も楽しくないだろう。

 

 とはいえ、それも卒業までの辛抱だ。

 あの高校で退屈することはないと、転生者である俺はよく知っている。

 

 有栖ちゃんは満身創痍といった感じで、ふらふらとした動きで帰り支度をしていた。

 明らかに顔色が悪いのがわかった。嫌な予感がしたので、俺は有栖ちゃんの後をつけた。

 別に、俺の方から嫌いになったわけではないからな。

 ここで何かあっては後味が悪い。捨てられた側の態度としては甘すぎるかもしれないが、なんだかんだ俺は有栖ちゃんを捨てきれなかった。

 

 結果的に、この判断は大正解だった。




 彼女の判断自体は大正解です。もう手遅れだっただけです。

 実は、最初の構想ではこのイベント無しで原作突入でした。
 主人公は無勉で受験して、入試は通る(そもそも入試の点数は入学可否に関係ない。本人は忘れてる)が、生徒評価がかなり微妙なのでDクラス配属。学校へ向かうバスを最後にAクラスの有栖ちゃんと別れたものの、知らないうちにあっちはどんどんボロボロになっていって……みたいな。
 マンネリ化してきたら、それもIFルート的に書いてみようかなぁと思っています。
 ボロ雑巾のようになってメンヘラ化する有栖ちゃんに需要があればですが。

 こんなに応援していただけるなんて、本当に思ってもみませんでした。
 皆さんありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。


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番外編2

 後編です。番外編は、一旦ここまでにします。
 いくつか書き溜めがあるので、またどこかで出すかもです。


 病院の待合室。

 俺は一人、考えていた。

 

 結果から言うと、有栖ちゃんは倒れた。

 帰る際、校舎の階段を降り切れずに転げ落ちた。

 その後足を引き摺りながら校門へ向かっている途中、身体に限界が来て倒れ伏した。

 

 階段から落ちたのを見た段階で、なんとなく察しがついた。

 最悪のパターンとして想定できていたので、それからの行動は頗る早かった。

 いつでも119をコールできる状態にしていたスマホを操作し、救急車を呼んだ。

 

 有栖ちゃんのお父さんにも連絡を入れた上で、俺は病院へついて行った。

 坂柳父はひどく焦った様子でやってきて、病院の先生と話すため奥の方へ入っていった。

 俺はここで待機するよう言われたので、特に何をすることもなく待っていた。

 

 治療は無事に終わった。

 看護師さんからそう聞いた直後、再び坂柳父がやってきた。

 とても疲れた顔をしていたが、俺を見て少し安心しているようにも見えた。

 『あの子のことを頼んだ。悔しいが、君にしかできないことなんだ』

 俺にかけた言葉。その意味は、いまいちよくわからなかった。

 そして看護師さんにお礼を言った後、急いでタクシーに乗っていった。

 まだ仕事が終わってないのか……ご苦労様です。

 

 そして、今に至る。

 命に別状はなく、落ち着いていると聞いた。

 ホッとすると同時に、俺はこれからどうすればいいのか悩むことになった。

 一応、会いに行った方がいいのだろうか。

 

 

 

 広い病棟に、俺の足音が響く。

 有栖ちゃんは、今日からしばらく入院することになったらしい。

 この行動が正しいのか自問自答しながら、俺は彼女の病室を目指す。

 受付の女性に聞いた場所へ向かって、足早に歩き続けた。

 

 入院用の個室の前で、俺の足がピタッと止まった。

 ……この中に有栖ちゃんがいる。

 

 俺は再考する。ここは黙って去るのが正解か?

 出しゃばるような行動をするのは、有栖ちゃんの意に反する。

 

 そもそも、喜ぶどころか罵倒される可能性だってあるのだ。

 身を翻して、やはり引き返そうかと思い直す。

 

 その時、声が聞こえた、

 

「ま、待ってください……」

 

 えっ?

 突然のことに、つい間抜けな声が出てしまった。

 俺を引き止めたのは……

 

「有栖ちゃん?」

 

 こうなっては、もはや隠れる意味もない。

 俺は病室に入って、有栖ちゃんの姿を見る。

 

 真っ赤に充血した目と、流れ落ちる涙。

 まさか、意識が戻ってからずっと泣き続けていたのだろうか。

 怪我だらけの身体が、余計に痛々しさを際立たせている。

 いつもの自信ありげな雰囲気は、微塵も感じられない。別人と言われても疑わないほどだ。

 

「……悪いな、様子なんか見に来られても不愉快だろう」

 

 有栖ちゃんは俺と縁を切った。

 こうやって、俺が現れては迷惑なはずだ。無事は確認できたし、帰ろうと思う。

 しかし、そんな俺を有栖ちゃんは引き留めた。

 

「行かないで……」

「急にどうしたんだ?」

「私が全て悪かったです。許してもらえるなら、どんなことでもします。ですから……」

 

 お願いだから、見捨てないでほしい。

 涙声で懇願されて、俺の心が動く。

 

「わかったよ、有栖ちゃん。求められる限りは、そばにいるから」

 

 有栖ちゃんの意図を理解して、俺は大きなため息をついた。転職ならず、か。

 その選択は尊重するが……それでいいのだろうか。

 

「あ、ありがとうございます。晴翔くん……今までのこと、もう取り返しがつかないとわかっていますが、謝らせてください。本当にごめんなさい」

 

 ベッドに座ったまま頭を下げる姿は辛そうで、逆に申し訳なくなってくる。

 ……こんな風に泣いてるところは、見たくないな。

 可愛らしくて憎たらしい、あの不敵な笑みを浮かべていてほしい。

 

 有栖ちゃんのことは、何があっても嫌いにはなれないとわかった。

 冷たく突き放されてもなお、様子を気にかけている自分がいたからだ。

 ここまで足が動いたということが、何よりの証明だと思う。

 

 強い不安を覚えているのか、有栖ちゃんの身体が震えている。

 ぎゅっと抱きしめて背中をさすってやると、すぐに泣き止んだ。

 言葉を並べるよりも、俺の意思を伝えるにはこちらの方がいいと思った。

 

「よしよし、もう大丈夫だ」

「……何度振り返っても、私の行動は最低です。それでも、許していただけるのですか?」

「もちろん」

 

 いいだろう。こうなったら、どこまでも付き合ってやる。

 本当の意味で俺から卒業する日……有栖ちゃんにふさわしい人間が見つかるまで、こういう涙は二度と流させない。お互い笑ってお別れできるように、もっと頑張ろう。

 

「ありがとう、ございます……今日のことは一生忘れません」

 

 少し落ち着いたようで、有栖ちゃんの目に生気が戻った。

 涙も止まり、顔色も良くなってきた。

 

「なんか、有栖ちゃんにありがとうって言われるのくすぐったいわ」

「……あぁ。本当に、私は酷い人間ですね」

 

 そう言って、苦笑いする有栖ちゃん。

 いや、気づいてなかったのかよ。俺に対して、初めてありがとうって言ったこと。

 それにしても、突然の変化にびっくりする。そんなに一人がキツかったのだろうか?

 

 しばらく、俺は何も言わずに抱きしめ続けていた。

 安心しきった様子で顔を埋める有栖ちゃんは、とても可愛かった。

 

 

 

 時計を見ると、すでに退出しなければならない時間になっていた。

 看護師さんに迷惑をかけるわけにはいかないので、帰る準備をする。

 

「また明日、来るから」

「学校はいいのですか?」

「休む。大事な姫様がくたばってるのに、学校なんか行けるかよ」

 

 この時、俺は有栖ちゃんがだいぶ自分を取り戻してきたと思い込んでいた。

 心にどれだけのダメージを負ったのか、間違った見積もりを立てていた。

 

「ありがとうございます、本当に優しいのですね。そんなあなたを、私は……」

「もう気にするなって。俺の中では、すでに終わった話だ」

 

 次の日、まだ立ち直れていなかったことを知る。

 

 

 

 帰った後、珍しく家にいた父にいろんな話を聞かれた。

 進路はどうするのか。有栖ちゃんとどうなりたいのか。

 俺は父の真剣な態度に応えるべく、正直なことを包み隠さず話した。

 

 高度育成高等学校。とにかく、この学校には行きたくなかった。

 バイト漬けでまともな青春を送ったことのない俺には、普通の高校生活に憧れがあった。

 普通とかけ離れたこの高校に、俺はあまり魅力を感じていなかった。

 実力至上主義なんて求めていない。全国に多数いる高校生と、同じ生活をしてみたかった。

 

 しかし、有栖ちゃんと関係を修復した以上、残念ながらそれはかなわない。

 彼女を普通の高校に行かせては、今と同じ状況がさらに三年続くことになる。

 それがどれくらいの苦痛であるか俺にはわからないが、しんどいのは間違いないだろう。

 『お前の意志を曲げてまで、有栖ちゃんに合わせる必要があるのか?』と父は俺に尋ねた。

 俺は、彼女が俺にとって守るべき人間である以上、やむを得ないと答えた。

 

 俺の話を聞いた父は、珍しく怒ったような素振りを見せた。

 今までの有栖ちゃんの態度を、あまりよく思っていなかったのは知っている。

 ……それでも、引き離そうとはしなかったのだが。

 

 怒った父は結構頑固だ。この人は、自分がこうだと思うとなかなか意見を変えてくれない。

 最悪有栖ちゃんとお別れするか、俺の本当の志望校へ一緒に通うか。

 それしかないかなぁ……と思っていた。

 

 しかし、その態度は急転直下、有栖ちゃんのお父さんと電話した直後に百八十度変わった。

 『晴翔、俺はお前のことを見くびっていた。いつかこうなるだろうとは思っていたが、まさかこんな形で……あぁ面白い。あちらからすれば、まさに青天の霹靂だな』

 何が面白かったのかはわからないが、腹を抱えて大笑いし始めたのだ。

 結局、父は俺と有栖ちゃんが同じ高校に行くことを認めた。

 

 意外な結果というか、なんというか。これはもう仕方がない。

 ダルくなったら中退してもいいという言質も取ったし、諦めよう。

 俺は意識を切り替えて、進路を決めた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 翌日。

 俺は朝から、病院へやってきていた。

 昨日の段階では午後からでいいかと思っていたのだが、有栖ちゃんのことが気になってしまい、結局は面会時間の最初から来ることにした。

 

 病室へ入ると、そこには虚ろな表情を浮かべた有栖ちゃんがいた。

 おいおい、大丈夫か?

 

「あっ」

 

 俺の姿を確認した直後、有栖ちゃんの目から涙があふれ出る。

 これでは、俺が泣かせたみたいじゃないか。

 

 ベッドの横に座ると、上半身を俺に絡ませてきた。

 こんな恋人みたいなことをされるのも、初めてだ。

 

「おはよう」

「……晴翔くん、来てくれたのですね」

 

 右手をつないだまま、俺をじっと見る。涙に濡れたその顔があまりにも可愛くて、つい見とれてしまった。こんなことをされては、心がドキドキしてしょうがない。

 本当に、どうしちゃったんだろうか?

 

「手は、握ったままの方がいいか」

 

 こくりと頷く有栖ちゃん。離そうとすると暗い顔になるから、そんな気はしてた。

 どうやら、このお姫様は人の温かさをご所望らしい。

 

「ありがとうございます」

 

 大したことでもないのに、感謝の言葉をもらった。

 昨日の俺の言葉、まだ気にしているのだろうか?

 

 それからずっと、有栖ちゃんと話をしていた。

 意外と言えば意外だが、今まで俺たちは昔のことを振り返ったりする機会がなかった。

 そう思って、あの時あんなことあったなぁなんて話題を出したのだが……

 

「すみませんでした。そうですね、私はそんな酷いことを……」

 

 こんな感じなのだ。俺が過去の態度を責め立てているみたいになってしまう。

 あの対応が嫌だったとか、そういう話をしているわけではないんだけど……有栖ちゃんにとっては、全てが謝らなければならないことになっているようだ。

 これはダメだな。病人の負担となってはお見舞いとはいえない。

 

 それと、話題を変える前に一つ言っておかなければ。

 

「有栖ちゃん。俺は過去の有栖ちゃんが嫌いだったとか、そういうことは全くないんだ。だから、今まで通りにしてくれ。感謝してくれているってことはもうわかったし、かつての振る舞いで反省すべき点があったとしても、それは有栖ちゃんの中で理解してくれれば大丈夫だから」

 

 頼むから、そんなに気を遣わないでくれ。

 こうも謝られてばかりだと、こっちも調子が狂って変な感じになる。

 

「今まで通り、ですか……わかりました」

 

 やっと理解してもらえた。

 それ以降は今まで通りとは言わずとも、本来の有栖ちゃんに戻った。

 ようやく、このギクシャクした雰囲気を終わらせることができた。

 

 

 

 ……ん?

 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

 頭の上に、温かい何かが置かれている感覚がある。

 

「起きましたか。おはようございます」

 

 有栖ちゃんが、ずっと俺を撫でていてくれたようだ。

 ちょっと恥ずかしいが、こういうのはかなり嬉しい。

 ……本当に、変わったなぁ。

 

「ごめんごめん、これじゃあ何しに来たかわからんな」

「私はあなたが来てくれたというだけで、何よりも助かっています」

 

 また嬉しいことを言ってくれる。これはまずい。

 こんなに可愛いと、いつか俺の手から離れるのが悔しくなってしまう。

 

 外を見ると、もう暗くなっていた。

 時間は……面会終了の二十時まで、あと十分もない。

 ここらでお開きだ。また明日も来るし、大丈夫だろう。

 

 帰る前、最後に聞いておきたいことがあった。

 

「最終確認だ。有栖ちゃんは、俺を切り捨てる選択をしなかった。つまり、この先も俺という召使いが必要だと判断した。本当にそれでいいんだな?」

「もちろんです。召使いなんて、そのような扱いはもう二度としませんが。私には、絶対に晴翔くんが必要です。あなたの支えなくしては生きられない、弱い生き物なのです」

 

 ……自分のことを弱い生き物だなんて、一生言わないと思っていた。

 心が折れてしまうほど、有栖ちゃんにとってはキツい出来事だったのだろう。

 

 いずれ立ち直るその時まで、俺は今まで以上にしっかりサポートすることを決意した。

 坂柳有栖。この子は、俺にとって守り抜くべき少女なのだから。




 ここで番外編を出した理由は、続きを書いている途中に4巻を再読したところ、私があの試験のルールを誤認していたことが発覚して、書き直すはめになったからです。
 なんとか明後日ぐらいに一つ出せると思います。
 それにしても、ああいうゲームを考案して運用できる原作者は偉大ですね。

 有栖ちゃんは軽井沢のことが結構好きです。


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第23話

 無人島試験が終了して三日が経った。

 生徒たちの気が緩み切っているこのタイミングで、新たな特別試験が始まる。

 

 この三日というインターバルがずるいと思う。無人島試験直後の、何かもう一発来るんじゃないかという気持ちが薄れてきたころに、再び不意打ちのような形で始まるのだ。

 

 俺と有栖ちゃんは、なぜか軽井沢と一緒にいた。

 客室エリアで偶然鉢合わせて、顔見知りである手前無視するわけにもいかなかった。

 しかし、こうして軽井沢が単独行動をしていること自体珍しい気がする。

 いつもはグループの女子とつるんでいるイメージしかないのだが、これも清隆の指示なのか?

 

「お前の清隆は、多分こっちには来ないぞ?」

 

 さっきDクラスの連中とデッキにいるのを見たからな。

 

「大きな声で言わないで。今はまだ関係を隠しておいてほしいって、清隆にお願いされてるから。そうじゃないと……」

 

 そうじゃないと、何だろう?

 

「清隆のこと好きじゃないの?」

「うるさいな。好きに決まってるでしょ」

「どれくらい?」

「そんなの世界で一番……ちょっと、言わせないでよ!」

 

 顔が真っ赤だ。その様子で関係を隠すのは無理がありそうだが……こいつ、面白いな。

 こうやって話してみると、意外に嫌いじゃないタイプかもしれない。

 

「あいつ……」

 

 突然、軽井沢が俺から視線を外して遠くを見つめ始めた。

 俺も同じ方向を見ると、その先に女性の姿が見えた。

 あれは、確か佐倉愛里という生徒だ。須藤の一件でキーパーソンになった人。

 

「佐倉って、清隆とどういう関係だっけ?」

「……あたしに聞かないでよ、性格悪い。片思いってところじゃない?」

 

 小声で聞くと、少し不満そうに答えた。どうやら意識しているらしい。

 おいおい、三角関係か。あいつモテモテだな?

 そう茶化すのは簡単だが、佐倉は今後かわいそうな役回りになってしまいそうで心が痛む。

 清隆と彼女の関係を知れば、大なり小なりダメージを負うのは間違いない。

 

(せめて、傷が浅く済めばいいが)

 

 時間が経てば経つほど、悪い結果になるだろう。

 少しでも早く諦めてもらう方が、佐倉のためにもなる。

 強く言うつもりはないが、今度清隆にお願いしてみようと思った。

 

 

 

 軽井沢は、さっきからずっとソワソワしている。

 会いに行きたいけど会いに行けないって感じだろうか。

 

 あくまでも予想だが、清隆はしばらくデッキに来ないよう指示したのではないか?

 何をするのかは知らないけど、今は軽井沢がいない方が都合がいいのかもしれない。

 

「はぁ、つらい」

「どうした?」

「うーん、なんでもない。一人だな~……って思っただけ」

 

 そう言って、大きなため息をついた。残念ながら、俺たちは人数にカウントされないらしい。

 特に嫌われてはいないだろうが、そう思うほど清隆がいない状況が不安なのだろう。

 ここまで好かれるなんて、どういうやり方をしたのか教えてほしいぐらいだ。

 

「軽井沢さん」

「……どうしたの、急に」

 

 不意に、今まで黙っていた有栖ちゃんが軽井沢との距離を詰めた。

 急に動くと思っていなかったから、俺も驚いてしまった。

 軽井沢は有栖ちゃんに対して苦手意識があるのか、びくっと身体を震わせた。

 それを全く気にせず、有栖ちゃんは耳元まで顔を近づけていく。

 そして、極めて小さな声で何かを呟いた。二言、三言ぐらいだろうか。

 

「……えっ」

 

 ショックを受けて固まってしまった。

 有栖ちゃんが何を言ったのか、俺にも聞き取ることはできなかった。

 ただ一つ言えることは……

 

「ふふっ、そういうことです。恵さんとお呼びしても、よろしいですか?」

「わかった。有栖って呼べばいい?」

「はい。きっと、あなたと私は分かり合えると思います」

「……もしそうだったら、嬉しいかも」

 

 その内容は、一瞬で二人を仲良くするほどのものだったということだ。

 

 

 

 突如、その場にいた全員の携帯から甲高い音が響き渡った。

 これは、ついに……

 

『生徒の皆さんに連絡いたします。先ほど全ての生徒宛に学校から連絡事項を記載したメールを送信いたしました』

 

 ……来たか。

 アナウンスが流れ、俺は特別試験が始まることを理解した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺は有栖ちゃんと同じグループに入っていた。

 これだけで、全ての不安が解消された。驚いたが、とても素晴らしいことだ。

 誰が決めたのか知らないが、感謝せずにはいられないな。

 

 有栖ちゃんと二人、18時に指定された部屋へと向かう。

 定刻前に到着すると、そこにいたのは……

 

「あっ、あんたたちもこの部屋だったんだ」

 

 神室さんだった。おいおい、最高すぎて笑えてくるぞ。

 これでは、まるで好きな人を任意に選ばせてもらったかのようだ。

 もしかして、あれが効いたのか?

 

 無人島試験初日、ルール説明がされた際のことだ。

 身体的ハンデによるリタイアにも30ポイントのペナルティが発生するシステム。

 これが理不尽極まりないものであると、俺は自主退学を匂わせつつ徹底的に批判した。

 教師陣も俺がここまで言うとは思っていなかったのか、とても驚いていた。

 

 最終的には、気持ちはわかるがルール上仕方ないということで、丸めこまれてしまった。

 しかし、それを受けて今回は配慮してくれたのだろうか。身体を使う試験ではないので、正直全く期待していなかったのだが、事実としてそうとしか思えない割り振りだ。

 

 まさか、俺と有栖ちゃんを分断するとめんどくさいって思われたのか?

 だったら面白いけど、さすがにそんなわけないか。

 

 とりあえず、ゴネた方が得だということがわかった。

 今後も似たような話があったら、暴れることにしよう。

 

 

 

 しばらく神室さんと雑談していると、Dクラスの茶柱先生が部屋に入ってきた。

 俺たちの説明担当か。清隆のこともあるし、ちょっと気まずいかも。

 

「全員揃っているようだな。只今から、特別試験の概要を説明する。一度しか話さないので、よく覚えておくように。なお、試験内容については一切の質問を受け付けない」

 

 そう言って、茶柱先生は俺たちにプリントを配った。

 結果1、結果2……あぁ、やっぱりこれだよね。

 

 この試験は、簡単に言うと各グループに一人ずつ潜む優待者を見つけ出すゲームだ。

 生徒の行動によって、4つのうちいずれかの結果が得られることになっている。

 

 結果1と2は、要は試験終了まで誰も裏切らなかった場合の結果だ。

 プライベートポイントはドカンと出るが、クラスポイントは動かない。

 結果2って微妙だよなぁと思いながら、俺は適当に流し読みした。

 

 とどのつまり、大事なのはそれ以外である。

 プリントを裏返して、俺は中身を確認した。

 

 試験終了を待たずして、優待者以外のクラスの者が、優待者と思われる者の名前を学校へメールした場合は結果3か4になる。

 

 結果3は、それが正解であった場合の結果だ。

 正解者に+50万pr、正解者のクラスに+50cl、当てられた優待者のクラスは-50clとなる。

 結果4は、上記の状況で逆に不正解だった場合の結果だ。

 優待者自身に+50万pr、不正解者のクラスは-50cl、優待者のクラスには+50cl。

 

 うーん、ルールを読むだけで頭がこんがらがってくる。

 やっぱり、俺は今回何もできないかもしれない。

 

 有栖ちゃんは「ふ~ん」って感じの顔をしていた。

 あれ、意外とつまらなさそう?

 

「お前たちが配属されたグループは『卯』。干支をグループ名に用いているため、兎グループとも呼ぶ。ここにそのメンバーのリストがあるから、よく見ておけ」

 

 茶柱先生から、グループのメンバーが記された紙を見せてもらった。

 退出時に回収するので覚えておけと言ってるが、有栖ちゃんがいるし覚えなくていいや。

 

 Aクラス:神崎隆二、浜口哲也、別府良太

 Bクラス:神室真澄、坂柳有栖、高城晴翔

 Cクラス:伊吹澪、真鍋志保、藪菜々美、山下沙希

 Dクラス:綾小路清隆、軽井沢恵、外村秀雄、幸村輝彦

 

 兎と聞いた時点で察してたけど、まさかの主人公グループだ。

 隣を見ると、有栖ちゃんが紙を見ながら何やら考え込んでいた。

 

「……なるほど。晴翔くんっ、面白いですね」

「そりゃよかった」

 

 少し間を置いてから、俺の方を向いて楽しそうに説明を始めた。

 

「メンバーが14人。十二支を用いているということで、おそらく12グループでしょうから、168人ですか。13人のグループと混在していれば、157から167人。学年全体で160人なので、辻褄が合いますね」

「うん」

 

 いや、うんとしか言えないけど。

 計算はやっ。あとニコニコしてて可愛い。

 

「各グループの最小構成人数が13人。これを何らかのルールで並び替え、十二支に従って優待者を割り当てる方式かもしれません。例えば鼠なら1番目、猪なら12番目というイメージです。ここは『卯』グループということで、何かの4番目でしょうか?」

「なんだろうね」

 

 えっ、ヤバくない?

 神室さんもドン引きしている。

 

「あとはその法則ですが、今の情報だけで導き出すのは不可能です。これは後の楽しみとしておきましょう。とりあえず、今は五十音順と仮定しておきます。お二人ともいかがでしょうか?」

「お、おう」

「……うん。全然わからないけど、あんたがとんでもない奴なのはわかった」

 

 うわぁ、やっぱりこの子おかしいよ。どんな頭してるんだろう?

 凄すぎてもはや意味がわからない。どうしよう、始まる前に答えを出しちゃった。

 

 茶柱先生が一瞬目を見開いた。そりゃあ、そうなるよね。

 おそらく、今の有栖ちゃんはノーマーク。ちょっと頭がいい少女ぐらいにしか認識されてない可能性だってある。この人にとって、これは完全に想定外なはずだ。

 

 もう一つわかったことがある。

 有栖ちゃんは、人狼ゲームもどきより単純な謎解きの方が楽しいみたい。

 集団というものに全く興味がないから、そうなるのかな?

 

 

 

 よく考えてみれば、法則自体は結構シンプルである。

 ……だが、外したときは結果4というペナルティが待っている。

 そのリスクを考えると、確信が持てなければそうそう動けない。

 そこに、このゲームの面白さがあるのだ。

 

 しかし、こちらには帆波さんと桔梗ちゃんがいるので、答えが6人分わかってしまう。

 半分の優待者がわかった上で、それが仮定した法則と一致していれば証明は十分だろう。

 

 さて、有栖ちゃんはどういう結果を望むのだろうか?

 この試験の楽しみは、それだけになりつつある。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 説明が終わった後、俺たちは船のデッキで休んでいた。

 そこで、聞き捨てならない会話が耳に入ってきた。

 

「それにしても、先ほどの綾小路殿は傑作でござったな。あの女の悪態に、ついに堪忍袋の緒が切れたと。コポォ」

 

 変な語尾で話す男は、確かDクラスの外村。

 

「普通に話せと言っているだろう……俺には、少し言い過ぎに見えたがな」

 

 隣にいるのは、同じくDクラスの幸村。

 いずれも俺たちと同じグループになる人間だ。

 

「その話、ちょっと詳しく聞かせてもらえないか?」

 

 なんだか面白そうだったので、俺は二人に話しかけた。

 

 

 

「……と、いうわけだ」

「なるほど。話を聞く限りでは、完全に軽井沢が悪いな」

 

 説明を受けている間、軽井沢は彼らに対して露骨な嫌悪感を示したらしい。

 キモいとか何とか、なかなか言いたい放題だったようだ。

 

 それを、清隆はずっと冷たい目で見ていた。

 この二人は清隆が静かな怒りを示しているのを察したが、あいつは止まらなかった。

 ……口が達者な軽井沢のことだ。黙認されたと思い込んだら、そうなるとは思う。

 

 斯くして、恐怖の瞬間は訪れた。

 説明担当の星之宮先生が退室した後、清隆は……

 軽井沢を思いっきり、叱りつけたのだ。

 

「正直、あの時の綾小路は言葉だけで人を殺せるんじゃないかと思った。普段怒らない分、余計に怖く見えた。怒らせてはいけない人間を怒らせたというか」

「恐ろしかったでござるなぁ」

 

 自分がやられたわけでもないのに、怖さを感じたという。

 軽井沢の恐怖は相当なものだったはずだ。

 

「情報ありがとう。清隆の友人として、気になる話題だったんだ。申し遅れたが、俺は高城晴翔。こっちの有栖ちゃんと一緒に、兎グループになった」

「なるほど。俺たちと同じグループというわけか」

「よろしくお願いいたす」

 

 また知り合いが増えた。

 ……二人が付き合っていると知ったら、どういう反応をするんだろうな。

 

「だが、お前たちのことは自己紹介するまでもなく知っていたぞ」

「何だって?」

 

 これは驚いた。全く面識はなかったはずだが。

 Dクラスにまで俺たちの名前が知れ渡るようなイベント、あったっけ?

 戸惑う俺を見て、幸村は呆れたような顔をした。

 

「高城と坂柳は、この学年で最も有名な二人だと思うが……いつどこで見てもイチャついてるんだから、当たり前だ。まさか自覚ないのか?」

 

 ま、まじか。

 自分を客観的に見たことがなかったので、意識していなかった。

 そうか、そうなのか……

 

 急に恥ずかしくなって、俺たちは足早にその場を去った。



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第24話

 堀北さんお久しぶり。


 翌日の朝、俺たちは部屋でだらだらしていた。

 最初のグループディスカッションは、午後1時から始まる。

 それまでの間、特にすることはない。

 

「有栖ちゃん……」

「おはようございます、晴翔くん」

 

 二人向かい合って寝転んで、身体を密着させる体勢。

 お互いがお互いを縛り付けているような、謎の背徳感がある。

 これがあまりにも心地よくて、最近なかなかベッドから出られないのだ。

 

 入学してからというもの、この子はとにかく俺を寝かせようとする。

 休日に昼過ぎまで寝ていても何も言わないし、もし有栖ちゃんが先に目を覚ましていても、俺が自然に起きるタイミングまでずっと待ってくれる。

 今日のような姿勢だったり、無意識に抱き枕のようにしてしまっていても、俺を起こさないようその場でじっとしていてくれる。

 普通の女の子だったら、嫌だと思う。休日は早く起きてデートでもするのがモテる男というもの。相手が起きてるのに一人で午後まで寝ているなんて、そんなつまらない男はなかなかいない。俺が女性であれば、俺のような奴にはさっさと別れを告げるだろう。

 しかし、有栖ちゃんはそれを非難するどころか、推奨してくれるのだ。こんなに優しい子はいないと思うし、どうしてそこまで睡眠に対して寛容なのかわからない。

 

「俺はもう、有栖ちゃん無しでは生きていけないな」

「……それは、私にとって最も嬉しい言葉です。ありがとうございます、大好きです」

 

 そ、そんなに?

 本当に嬉しそうに笑っている。

 

「愛してるよ」

「はい、私も愛してます。ずっと一緒にいましょうね」

 

 うーん、可愛い。

 何も難しいことを考えず、こうしてずっと有栖ちゃんに溺れていたい欲求がある。

 ……このままでは、どんどん自分がダメになっていく気がする。

 しかし、最近はそれもいいんじゃないかと思ってしまうようになった。

 

 昨日の夜、試験の仕組みを解き明かした時のような、天才としての有栖ちゃん。

 今みたいに、俺をとことん甘やかしてくれる有栖ちゃん。

 どちらが素なのか、どちらも素なのか、それはわからない。

 

 間違いなく言えるのは、俺の恋人はあまりにも魅力的すぎるということだ。

 

 

 

 11時ごろ、清隆が軽井沢とともに俺たちの客室へやってきた。

 わざわざこっちまで来たのは、やはり関係を隠しておきたいからだろうか。

 

「こんにちは、清隆くん。優待者の件ですね?」

「あぁ……有栖のことだから、ある程度察しはついているだろ?」

「ふふっ、そうですね」

 

 隣を見ると、軽井沢がぽかーんと口を開けてアホ面を晒していた。

 さては何もわかってないなこいつ。おバカちゃんめ。

 あまり人のことは言えないが、これは俺が今まで交友を持ったことがないタイプだ。

 ある意味新鮮で、個人的に好感度は高い。

 

「あらかじめ言っておく。恵がこのグループの優待者だ」

「えっ、ちょっと……言っていいの!?」

 

 唐突すぎるカミングアウト。突然のことに驚く軽井沢。

 俺はこの二人に驚かされ続けてきたから、この程度では反応しない。

 感覚が麻痺してるからな……お前も、そのうちこうなるよ。

 

「わかりました。それでは、結果4にしてしまいましょうか」

「あぁ、オレもそれがベストだと思う」

 

 有栖ちゃんが意見を述べて、清隆が賛同する。すごいスピードで話が進んでいく。

 天才同士の会話は、答えしか出てこないらしい。途中式は自分で考えろというスタイル。

 えっ?えっ?と軽井沢が戸惑っているが、二人は気にせず話を進める。

 

「詳しい話は、また午後にでも。その際は帆波さんもお呼びした方がいいですね」

「そうだな。こちらでも優待者を調べた方がいいか?」

「いえ、桔梗さんがいるので大丈夫でしょう。清隆くんは、恵さんのことを考えてください」

「もちろん、オレはいつも恵のことを考えてるさ」

「あ、あたしのことをいつも……」

 

 言葉だけ取れば、なかなか恥ずかしいセリフだ。軽井沢は顔を真っ赤にさせている。

 いや、たぶん言葉通りの意味じゃないぞ。お前に読み取るのは無理だろうけど。

 

「今回の試験、オレは完全にフリーで動けるってことか」

「そうなりますね。Dクラスに何ポイント入れるかも含めて、配分はお任せします」

「一応考えておくが、このグループだけでも問題ない。その方が好都合な面もある」

「……確かに、言われてみればそうかもしれませんね」

 

 雑魚二人を置いてきぼりにして、議論がまとまり始めた。

 俺は黙って話を聞くばかりだった。ちょっと、君たち悪いことしすぎじゃない?

 これはもう、試験を私物化してるといっても過言ではない。

 

 やはり、有栖ちゃんと清隆が組むというのは恐ろしい。

 楽しそうに話す二人を見ながら、そんなことを考えていたのだが……

 

「ふぁあああ~」

 

 ……おい。

 

「眠いのか?」

「ごめんごめん。二人の声を聞いてたら、つい……」

 

 巨大なあくびで話の腰を折られた清隆は、苦笑いしながら軽井沢の頭を撫でた。

 えへへ~じゃねえよ、満更でもない顔しやがって。まったく、こいつはもう……

 

 不覚にも少しキュンとしてしまった。それぐらい、今のは可愛かった。

 見た目は十二分に整ってるんだし、変に取り繕ったり、強気なキャラを作ったりしない方が良いと思った。ああいう過去がある以上、仕方ないのかもしれないけど……もったいないなぁ。

 

 しかし、こいつを教育するのはホワイトルームの最高傑作でも簡単ではないようだ。

 こうして清隆が振り回されている光景なんて、なかなか見られない。正直面白いと思う。

 有栖ちゃんはそんな二人の様子を、意外そうな顔で見つめていた。

 

 ふと時計を見ると、正午が近づいていた。

 ディスカッションの前に、昼食は食べておかなければならない。そろそろお開きとしよう。

 

「そろそろ昼だな」

「もうそんな時間か。また、ディスカッションで会おう」

「ばいば〜い」

 

 俺たちはやや急ぎ気味に、出る準備を始めた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 客室を出たはいいものの、船内はどこも混雑していて嫌になってくる。

 耳に入ってくる話題は、優待者のことばかり。

 みんな熱心だなぁと思いながら、俺たちは歩き回る。

 

 カフェの中に、一つだけ空いているテーブル席を見つけた。

 とりあえずそこに座ろうと思ったのだが……

 

「「あっ」」

 

 まったく同じタイミングで、席を取ろうとした者が一人。

 堀北鈴音である。

 

「……いいよ、譲るから座りなよ」

 

 俺はそう言って、別の席を探すことにした。揉めると面倒なのが目に見えるからな。

 有栖ちゃんも表情を変えず、こちらへついてきた。

 

「待ちなさい」

 

 無視して行こうとすると、有栖ちゃんの手を引っ張ってきた。これはいただけない。

 マジでやめてくれよ、痛めたらどうするんだ。

 

「待ちなさいって言ってるでしょう?」

 

 今日の堀北は、やけに食い下がってくるな。何か焦ってるのか?

 これを振り払っていくのは、後ほど余計に面倒な事態を招くかもしれない。

 俺たちは諦めて、対面に座った。まさか堀北と相席する日が来るとは思わなかった。

 

「はぁ……どうなさいましたか?」

 

 有栖ちゃんは堀北の手を払いのけて、俺の隣に座った。

 深いため息から、本当に絡みたくないという思いがにじみ出ている。

 

「坂柳さん。あなたはどうして……」

「彼に執着するのか。お答えしても、堀北さんには理解できないと思いますが」

 

 堀北が質問する前に回答してしまった。

 明らかに驚いている。おそらく、言おうとしていた内容と合っていたのだろう。

 他人の思考を読み切って、割り込んで答える。こんなの有栖ちゃんにしかできないと思う。

 そういうのを見せつけられるというのも、彼女の心を傷つけそうな気がする。

 

「そう。それなら、なぜ」

「櫛田さんと仲良くするのか、ですね。私は彼女の本来の性格も、暗い部分も全て理解しています。その上で、彼女に好感を持ったのです。あなたにどうこう言われる筋合いはありません」

 

 堀北は唇を噛んだ。言いたいことを言わせてもらえないというのは、きっと結構辛い。

 有栖ちゃんが興味のない相手に対して冷たいのは、今に始まったことではない。

 しかし、ここまで遣り込めてしまうのは珍しい。何か別の意図があるのかもしれない。

 

「有栖ちゃん!晴翔くん!」

 

 暗い雰囲気になったところで、明るい声が聞こえた。

 振り向くと、そこには桔梗ちゃんがいた。

 

「桔梗さん、こちらに来ていたのですね」

「うん、ちょうど二人を見かけたから。こっちのテーブルも空いてるし、一緒にご飯しよっ!」

 

 はじける笑顔。その可愛らしさに、周囲の視線が集まる。

 これ以上ないほど嬉しそうにしている。今の話を聞いていたのだろうか?

 

「そうですね、行きましょう」

 

 有栖ちゃんは立ち上がり、桔梗ちゃんの手を取った。

 横取りされる形になった堀北から睨みつけられるが、二人は全く意に介さない。

 

「最後に聞かせて。坂柳さんは、私の何が気に入らないの?」

「……自らの力に驕る傲慢さ。敗北を知らないことによる甘さ。そして、自分なら孤独に耐えられるという、根拠のない自信。ふふっ、一体誰のことでしょう?」

 

 精神的なダメージが大きかったのか、堀北は固まってしまった。

 さて、これをどう受け止めるのだろうか。

 有栖ちゃんの言葉の意味を考えながら、俺は席を移動した。



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第25話

 一回目のグループディスカッションは、酷いものだった。

 とりあえず自己紹介して、神崎たちと適当に雑談しながら時間を潰した。余裕のあるAクラスと、試験に興味のない俺たちBクラス。何か起きるという方がおかしな話だ。

 そのため、俺たちは何事もなく終わったのだが……問題はあと2つのクラスだ。

 

 終了直前に、その事件は起きた。

 軽井沢に対して、Cクラスの真鍋が「友人を突き飛ばした」などと言い、メンバー全員の前で喧嘩を売ったのだ。公然と謝罪を要求する光景に、場の雰囲気は最悪なものとなった。

 それを目の当たりにした清隆は、極めて攻撃的な対応を取った。

 真鍋と軽井沢の間に割り込んだ上で、証拠が無いことを強く主張し、それは言いがかりであると突っぱねた。6月末に起きた事件のように、教師や生徒会に介入させてもいいとまで言い放ち、絶対に軽井沢の責任を認めない立場を強く示した。

 

 俺は、この行動を意外だと思った。その理由は二つある。

 一つ目は、誰にでもわかるような形で軽井沢を守ろうとした点だ。

 今まで二人の関係を隠していたのにもかかわらず、ここまで目立つ行動を取ったのは予想外だった。守るにしても、もっと違うやり方をすると思っていた。幸村と外村もかなり驚いた様子を見せていたし、もしかすると近いうちに交際していることを公表するつもりなのかもしれない。

 二つ目は、相手を煽るような言い方だったこと。

 あれは事なかれ主義とは真逆の、対立を招きやすい反論の仕方だった。実際、言われた真鍋の方は顔を真っ赤にして怒っていた。これでは話が沈静化するどころか、さらに過激な方向へエスカレートしかねない。軽井沢は大喜びというか、もう一生離れないぐらいの勢いだったが……どうも、本気で解決する気があるようには見えなかったのだ。

 清隆のことだ。こういうイベントを一つの教育材料と考えていても、全く不思議ではない。解決どころか、あえて事態を悪化させようとしている可能性すらある。

 

 そんなことを考えながら、俺たちは客室へ戻った。

 

 

 

 しばらくしてから、帆波さんがやってきた。

 彼女は龍園や葛城など、各クラスの主力が集まる龍グループに配置されたらしい。目立ちまくってるし、とんでもない結果を残しているからな……先生もここに置くべきと判断したのだろう。

 

「うちのクラスの優待者は、この三人だよ」

 

 帆波さんは何の躊躇いもなく、俺たちにAクラスの優待者を公開した。

 まったく、どれだけ信用されてるんだか。人がいいのか何なのか。

 

「わかりました。やはり、法則通りですね」

「法則?」

 

 はてなマークな帆波さんに、有栖ちゃんは試験の解説を始めた。

 五十音順という仮定が正しかったことも、証明されつつある。

 もはやゴールはすぐそこだ。次の機会に桔梗ちゃんと会えば、クリアかな。

 帆波さんは驚きつつも、これらの話を理解した。

 

「……もう、勝利は目前だね」

「ふふっ、ちなみに私たちのグループも例外ではありませんでした。ここで一つ、帆波さんにお願いがあるのです」

「有栖ちゃんのお願いなら何でも聞くけど、何かな?」

「ありがとうございます。内容としては、非常に簡単なものです。兎グループのどなたかに、『優待者は綾小路清隆』と送信するよう指示していただけませんか?」

「い、いいけど……」

 

 このやり取りで、二人の意図が少しずつ見えてきた。

 兎グループにおいては、Aクラスの生徒から間違いメールを送らせる。

 するとどうなるか。Dクラスのクラスポイントが50増加し、Aクラスは50減少する。

 そして、優待者は軽井沢だ。これが意味するところは……ディスカッションを誘導すれば、まるでうまく敵を欺いたかのように演出できる。彼女のクラス内での立場はさらに上がるだろう。

 こう考えると、朝の清隆の発言とも辻褄が合う。

『このグループだけでも問題ない。その方が好都合な面もある』

 思惑通りいけば、Dクラスは負けとなり、Aクラスの圧勝だ。何も知らない生徒がこれを見たら……軽井沢の兎グループが、最強のAクラスに一矢報いたという結果に見える。

 クラス全体で勝つよりも、軽井沢が目立つことを優先させる。

 これが、今回の清隆の目的だと思われる。

 

 清隆のことは理解した。あとは、有栖ちゃんがどう考えているか。

 俺はそれを予想しながら、これからの数日間を楽しむことにしよう。

 

「……私が、有栖ちゃんの想像を上回れる日なんて来るのかな?」

「ふふっ、楽しみにしていますよ。帆波さんなら、きっとできます」

 

 少し憂鬱な顔で、帆波さんは大きなため息をついた。

 こういう表情を見ると、この人も決して完璧な人間ではないと再確認する。

 帆波さんが勝ちまくっている理由は、有栖ちゃんに期待されているからに他ならない。あくまでも、龍園に対抗する存在として楽しみにしているから、手を貸しているのだ。別の人間の方が適していると判断すれば、そちらに乗り換える可能性だってある……まぁ、そこまでしたら彼女が自主退学しかねないし、さすがに止めるけど。

 

 いずれにせよ、有栖ちゃんはそろそろ帆波さんに対する支援を弱めるだろう。

 その後どうなるかは、誰もわからない。

 この試験で圧倒的な大差をつけて、龍園の心に敗北感を刻ませる。そこからが本番だ。

 俺としても、あの男が力ずくで上がってくる光景は楽しみでしかない。

 励まされる帆波さんを眺めながら、俺は今後の期待に胸をふくらませた。

 

 

 帆波さんが帰った一時間後ぐらいに、再び清隆たちが来た。

 今回は帆波さんと接触しないよう、あえて時間をずらして来たらしい。

 清隆にとって、今の彼女と繋がりがあると思われるのはデメリットの方が大きいからだ。

 

「清隆、キスしよ〜」

「……一応言っておくが、この二人が友達だからといって、目の前で何をしてもいいということにはならないぞ?」

「えーいいじゃん!」

 

 いや、清隆が完全に正しいぞ。頼むから、ここを『休憩』場所にするのはやめてくれ。

 しかし、今の軽井沢はそんな言葉で止まる状態ではなかった。

 

「ちゅー」

 

 結局、俺たちは深いキスを見せつけられることになった。ラブラブモードのこいつは相当ウザいことがわかったが、勢いに押し負ける清隆が面白かったので、俺は許すことにした。

 

「……はぁ、大好き。愛してる。これからも守ってくれる?」

「……あぁ」

 

 顔を引き攣らせながら、清隆は軽井沢をあしらう。

 こんな表情もできるのか。ここ最近、清隆の新たな一面をたくさん見つけてしまっている。

 ある意味このバカ女のおかげだな。若干ムカつくけど。

 

「あの、そろそろよろしいですか?」

「すまない、有栖。なんて謝ったらいいのか……」

「謝罪は結構なので、話を進めましょう?」

 

 有栖ちゃんの言葉も、少し棘がある。この状況はあまりにも面白い。

 この二人をイラつかせて無事でいられるなんて、これは一つのスキルといっていい。

 認めよう、お前は天才だ。何の天才かは知らんが。

 

 気を取り直して、二人は議論を始めた。

 兎グループについては、Aクラスに間違えさせて結果4とすることで合意した。

 今日の夜10時ごろ、神崎の手で実行させることを既に帆波さんと調整している。

 また、軽井沢が優待者だったことと、帆波さんからもらったAクラスの優待者情報を合わせた結果、清隆も有栖ちゃんの仮定がほぼ確実に正しいと判断した。

 そして、桔梗ちゃんがリサーチ中の優待者がわかり次第、なるべくAクラス有利な形で決着させることになった。こちらも早ければ今日か、遅くとも明日には動くようだ。

 この試験の結果を占う重要な決定が、たった30分ほどの間になされた。

 

 俺は圧倒されつつ、ぐーすかと居眠りを始めた軽井沢に呆れ果てていた。

 いや、やっぱりお前はすげーよ。




 有栖ちゃんは、このアホの子を意外と高く評価してたりします。


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第26話

 有栖ちゃんの想像を上回ったのは……


 二回目のディスカッションは、何も起きなかった。

 正確に言うと、雰囲気が悪すぎて誰も発言しなかった。

 真鍋が軽井沢の方をずっと睨みつけていて、みんな話す気にもならなかったのだ。

 前回の件が相当頭に来ているようだが、軽井沢は清隆という盾を持っていい気になっているのか、終始余裕そうな態度を示していた。こんな調子では、そのうち痛い目に遭いそうだ。

 

 終了後、俺たちの客室に桔梗ちゃんが訪ねてきた。

 彼女も龍グループに配属されたらしい。残念ながら堀北と一緒だ。

 

「ほんっと、変な人ばかりで嫌になっちゃう」

 

 ソファに座って、大きなため息をついた。

 あからさまに疲れた様子。部屋に備え付けのお茶を淹れてやると、少し表情が和らいだ。

 

「お疲れさま。帆波さんも変な人認定なんだ?」

「ありがと……あの人以上に変な人なんて、いないと思うけど。あれが全部素なんて、信じられない。無理無理、絶対頭おかしいよ」

 

 もうこりごりといった感じで、首を横に振る。なるほど、ここは相性が良くないのか。

 言われてみれば、苦手意識を持つのは当然かもしれない。

 帆波さんは優しさとカリスマ性で人をまとめ上げ、誰にでも裏表なく接して、いつの間にか彼女の虜になっている。リーダーではなく、もはや教祖といっていい存在だ。

 八方美人を演じる桔梗ちゃんからすれば、とてつもなく気持ち悪い相手なのだろう。

 素か演技かという話になるのだが……

 

「俺は、桔梗ちゃんもすごいと思うよ」

「えっ?」

「人なんて誰しも、多少は取り繕って生きてくものだろ。ああいうキャラクターで裏が無いというのは、どこか人間っぽくないと思う」

「……そうだよね。あんなの、普通じゃない」

「お前は毎日自分を作って、学校という社会に溶け込もうとしている。こうやって、ため込んだものを吐き出しながらも頑張ってる。それは本当にすごいことだと思うし、俺はそういうお前のことが大好きだから……あんまり、劣等感持つなよ」

 

 俺は自分の率直な思いを伝えて、桔梗ちゃんをフォローすることにした。ディスカッションで帆波さんと相対して、コンプレックスが刺激されないか心配になったからだ。

 帆波さんは自分には出来ないことができる。自分は相手よりも価値が低い。そんな風に思ってほしくない。桔梗ちゃんにしかできないことだって、たくさんあるのだから。

 

「晴翔くん、私のことをそこまで……」

「大事な人には、傷ついてほしくないのさ」

 

 もちろん、帆波さんを嫌いか好きかと問われれば、間違いなく好きな部類に入る。

 俺は彼女の過去も知ってしまっているし、不幸になってほしくはない。

 ただ、ある意味誰よりも強烈な個性を持つ彼女は、理想的な生徒ではあるものの、凡人には受け入れられない部分もある。

 あれは全て、帆波さんだからできることだ。俺にも有栖ちゃんにも、桔梗ちゃんにもできない。真似しようと思っても真似できないし、そんなところで劣等感を持つのは無意味である。

 桔梗ちゃんにはまた違った魅力がある。何も、同じ土俵で勝負する必要はない。

 こういう人間臭い一面も、メンタルの弱い部分も、意外と優しいところも、全て櫛田桔梗という存在の一部だ。決して天才ではないが、一生懸命に生きている一人の女の子なのだ。

 

「そっか……うん、本当に嬉しい。私もあなたのこと、大好きだよ」

「そりゃ光栄だ。お前がそんなことを言ったと知られたら、各方面から怒られそうだが」

「なにそれ?意味わかんない」

 

 ケラケラと笑う様子を見て、ほっとした。もう大丈夫だろう。

 悲しそうだったり、辛そうな顔をしている時は、これからも手を差し伸べたい。

 本気でそう思うぐらい、俺は桔梗ちゃんのことが好きなのだ。

 

 

 

 それから、しばらく三人で雑談をした。

 桔梗ちゃん自身が優待者であることに加えて、他のDクラスの優待者も教えてくれた。

 有栖ちゃんはそれを聞いてから、即座にメールを送った。相手はおそらく帆波さん。GOサインを出したと思われる。早くも、この試験の決着がつきそうだ。

 

 そして、午後10時になった。俺は携帯を取り出し、メールを見る。

 『兎グループの試験が終了いたしました。兎グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動して下さい』

 これで、俺たちはグループディスカッションから解放された。

 一息ついてから、考える。明日からずっと自由行動か……何をしようかな?

 この二人はあまり結果に興味がないらしく、仲良く話を続けている。

 

「桔梗さんは、今日はこちらで?」

「二人が大丈夫なら、一緒がいいな。やっぱり、私にはこっちの方が居心地良いし」

 

 有栖ちゃんが頷くと、とても嬉しそうに微笑んだ。

 その表情を見て、俺はふと思った。

 俺はこの学校に来た当初、有栖ちゃんを誰かに任せたいと思っていた。

 しかし、そんな相手はどこにも存在しないことを理解した。

 俺の代わりは誰にもできないし、一生を捧げる覚悟はできている。

 ……有栖ちゃんにとっては、ほとんどの人間が路傍の石に過ぎないことも知っている。

 

 でも、桔梗ちゃんはどうだろう。

 有栖ちゃんからすれば、何でも言うことを聞いてくれる、可愛くて優秀なお友達。

 俺からすれば、お互いのことを包み隠さず話せる、かけがえのない親友。

 それどころか、今では有栖ちゃんに次ぐ()()()()()とさえ思える。この子なら……

 

「晴翔くん?」

「大丈夫ですか?」

 

 二人が俺の顔を心配そうに見つめている。

 おっと、つい考え込んでしまった。俺の悪い癖だ。

 

「ごめんごめん、もう寝ようか」

 

 とっくに風呂は入ったし、あとは寝るだけだ。

 有栖ちゃんをベッドの真ん中に配置して、いつもの川の字。

 二人きりもいいが、また違った幸せを感じる。

 

 さあ寝ようと思ったその時、再び俺たちの携帯が鳴った。大量のメールが来ている。

 何度か通知音が流れた後、ピタッと鳴り止む。間違いなくアレだ。

 ……帆波さん、行動が早いな。あとは引き金を引くだけの状態にして待っていたのか。

 今ごろ、多数の生徒が驚倒しているだろう。一部の人間を除いては、何が起きたのかさえ理解できないと思う。何もできないまま終わってしまったと、責任を感じる者もいるかもしれない。

 

 まぁ、いずれも俺たちには関係のない話だ。

 有栖ちゃんは一切反応せず、携帯を触ることすらしなかった。桔梗ちゃんも同様だ。

 俺は一応ロックを解除し、メールが全て試験終了のお知らせであることを確認した。

 見たからといって、話題に出すつもりもない。そのまま、ベッドの端に携帯を置いた。

 

 試験の結果より、この心地よい時間の方が大事である。

 俺たち三人は、そんな共通認識を持っていた。





 有栖ちゃんと晴翔くんは、私にとって最も大切な存在だ。
 彼らは私の負けず嫌いな部分も、誰かに褒めてほしい欲求も、全て理解し受け止めてくれる。
 二人の前では、私は感情を押し殺す必要もなく、ありのままの自分でいることができる。

 こんな人たちは、もう二度と現れない。
 今まで誰よりも多くの人間と関わってきたからこそ、私はそうであると思う。

 だから、絶対に失うわけにはいかない。
 私はずっと、二人と一緒に歩み続けていきたい。
 有栖ちゃんの包み込むような優しさと、晴翔くんの純粋で真っ直ぐな好意。
 これらが無くなるなんて、考えたくもない。

 きっと二人は結婚するだろう。
 それでも、私は一緒にいることが許されるのだろうか?
 数年先の未来を心配するなんて、おかしなことだ。今考えてもしょうがない。
 そうやって自分に言い聞かせても、一度生じた不安が消えることはなかった。

 そんな時、晴翔くんがディスカッションでへとへとになった私を労ってくれた。
 あの言葉は一生忘れないと思うし、彼に有栖ちゃんという恋人がいなかったら……間違いなく、本気で惚れてしまっていた。深夜になった今でも、ドキドキがおさまらない。

 熱い想いで胸がいっぱいになるのと同時に、ある疑問が生まれた。
 どうして、二人はあそこまで強く結びついたんだろう?
 晴翔くんの中に、有栖ちゃんがいる。あの夜の有栖ちゃんが、今の晴翔くんと重なる。

 ……あっ。
 
 その瞬間、全てがつながった。
 晴翔くんの献身と、有栖ちゃんの依存。

 きっと、有栖ちゃんは……晴翔くんの優しさに負けたんだ。
 この子の考え方は、今の私と同じ。ずっと好きでいてもらうために、頑張っている。

 そう気づいたら、有栖ちゃんのことがもっと好きになった。
 世界一可愛らしい寝顔。その額にキスをして、私は幸福感に浸る。

 真実に辿り着いた後、頭の中に幸せな将来像が浮かんできた。
 そっか、私も一緒に有栖ちゃんを支えればいいんだ。
 彼と同じようにはできないけれど、やってみる価値はある。
 テーブルに置かれた『有栖ちゃんメモ』というノートを見て、私は一つの決意をした。


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第27話

 朝が来た。

 桔梗ちゃんは今日も一緒に過ごしたかったようだが、別行動を取ることにしたらしい。

 さっき携帯を見て嫌そうな顔をしていた。クラスで、何かしらのイベントがあるのだろう。

 

「あー……ほんっと、全員死ねばいいのに。平田とかさぁ、何様のつもりなんだろ?」

 

 大きな舌打ちを一つしてから、桔梗ちゃんは準備を始めた。

 いつも思っているのだが、イライラを撒き散らしながらもいたって丁寧にメイクできるのは、地味に凄いスキルである。ボケとかカスとか、暴言を吐いている間に容姿がバッチリ決まっていく光景は、いろんな意味で圧倒される。

 

「また、いつでも来いよ。あんまり溜め込まないうちに」

「ありがと。晴翔くんは優しいね」

 

 そんな風にしみじみと言われると、照れる。

 有栖ちゃんはその様子に少し違和感を覚えたのか、首を傾げる。

 

「桔梗さん、もしや何かありましたか?」

「……ないと言えば、嘘になるかな。また今度、必ず話すから」

「わかりました。お待ちしています」

「ありがとう、有栖ちゃん。大好きだよ」

 

 ぎゅっと有栖ちゃんを抱きしめて、にっこりと笑った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 午後一時ごろ、帆波さんが客室へやってきた。

 彼女はすでにこの試験の勝利を確実なものとしているが、複雑な表情をしていた。

 

「さすがにやりすぎたかな……」

 

 Aクラスの生徒が優待者になっている3グループを除いた、合計9グループの試験が終了している。大半の生徒が、今日からの三日間暇を持て余すことになった。

 この結果を導いた自分が怖くなったのかもしれない。なんというか、帆波さんらしいな。

 

 結果3か4になってから他クラスの生徒と試験内容を話し合うのは、一応禁止行為にあたる。

 とはいえ、お互いのグループがどちらも試験を終了しているし、大量の生徒が同時に解放されている以上、クラス間の関わりを全て制御することなんてできないだろうから、さほど問題にはならないだろうが……そこまでして俺たちと話したかったのだろうか?

 

「いえ、帆波さんはベストを尽くしただけです。自分を責める必要はありませんよ」

「そ、そうだよね。私は悪くない……」

 

 有栖ちゃんの言葉を受けて、帆波さんは自己暗示するように呟いた。

 濁った目。一応作り笑いを浮かべているが、どこか辛そうに見える。大丈夫だろうか?

 

「当然です。それに、他のクラスも全くチャンスが無かったわけではありません。負ける方が悪いのです。実際、先に回答されたグループもあったのでしょう?」

「猿グループだけは、メールを送る前に終わっちゃったみたい。誰か気づいたのかな?」

「法則を理解したのか、ディスカッションの中で優待者を見抜いたのかは定かではありませんが、間違いなくそうだと思います」

 

 多分、Dクラスの高円寺の仕業だ。次々と終了メールが流れてくるのを見て、自分も回答してやろうと思ったのだろう。あの男も、とっくに優待者はわかっていたということか……

 能力値だけで言えば、とんでもない奴だ。性格はアレだけど。

 今のところ面識はないが、高円寺には俺も少し興味がある。今度話しかけてみようかな。

 

 こういう時に「負ける方が悪い」と断言するのが有栖ちゃんという子である。優しくて可愛い普段の振る舞いに慣れてしまって、本来は違う性格だということをつい忘れてしまう。

 過剰なほど優しい帆波さんとは全く違う、好戦的な考え方をする人間。

 あまり意識してこなかったが、深い部分で二人は相性が悪いのだ。

 

 そんな有栖ちゃんから、無償で次々と提示される最善手。これを享受し続けている今の状況は、帆波さんのメンタルに良くない影響を与えている可能性がある。

 その内容についても、今まではクラスポイント情報の先取りとか、中間テスト過去問の横流しとか、あくまでも自分たちを高める方向性のものだった。

 しかし、今回は違う。速攻で法則を証明し、他クラスの優待者を暴き指名する。これは本来の帆波さんなら絶対に取らないであろう、超攻撃的な戦略だ。有栖ちゃんの指示とはいえ、自分自身の手でBクラスとCクラスにマイナス150ポイントを突きつけたことになる。

 

 勝負だから当然のことだと、彼女は割り切れるだろうか。

 こういったモヤモヤを積み重ねた結果が、今の表情に現れているのかもしれない。

 

「うちのクラスの優待者は、どうしよっか?」

 

 わかりやすく話を変えてきた。

 その胸中を知ることはできないが、帆波さんは努めて笑顔で振る舞う。

 ……痛々しい。彼女は、桔梗ちゃんと違って取り繕うことに慣れていない。だから、本当は辛いということが俺でもわかってしまう。今の様子を見ていると、こっちまでしんどくなってくる。

 

「そうですね。帆波さんがよろしければ、清隆くんに使ってもらいたいところです」

 

 有栖ちゃんは、話を続けることを選んだ。すると、帆波さんの雰囲気が少し柔らかくなる。俺たちと会話することで、多少は心の痛みを和らげることができるようだ。

 

「いいけど、理由を聞いてもいい?」

「このまま何も手を打たないと、清隆くんの目的が達成できなくなるからです。特に、猿グループの動きは彼にとって想定外だったでしょうから」

 

 俺は感心した。なるほど……そういうことか。

 今回は、軽井沢を目立たせるのが目的だ。そのためには、軽井沢だけが作戦に成功したという印象を与えたい。しかし、高円寺が優待者を見抜いていたとなれば、目立つのはそっちになってしまう可能性がある。結果4というのは、いわば相手のエラーだ。それを誘うのも実力のうちではあるが、能動的な勝利である結果3と比べるとわかりやすさに欠ける。

 

 また、真鍋のせいでディスカッションがほとんど不成立に近い状態になってしまった。

 兎グループで獲得した50ポイントを軽井沢の功績とするためには、神崎に一芝居打ってもらうなど、何かしらの工作を行わなければならない。

 

「つまり、清隆くんをフォローするためってこと?」

「おっしゃる通りです」

「わかった、ありがとう」

 

 帆波さんも、なんとなく理解したようだ。

 この話を前提として、これから清隆はどう動くか推理してみる。

 

 清隆の目的を考えると、おそらく……Dクラスの生徒たちに向けて、軽井沢の口から優待者の法則を説明させるだろう。そして、早急にAクラスの優待者を指名させる。そうすれば、彼女の力で残り3グループの優待者を当てて、クラスの敗北を回避したという結果になる。

 

 これは、兎グループの結果4より遥かに大きなインパクトを与えるはずだ。

 『軽井沢はとんでもないバカのように見えるが、実はものすごく頭が切れる女である』

 そんな風に周囲を錯覚させる。一人で敗色濃厚の戦いを立て直したとなれば、彼女こそがDクラスのリーダーになるべき存在だと認めざるを得ない。これで目的達成だ。

 ……普段の行動が軽井沢で中身が清隆な人間なんて、実在したらものすごく恐ろしい。

 バカみたいな大あくびや居眠りさえ、計算なんじゃないかと勘繰ってしまうかもしれない。

 

 軽井沢は、これからDクラスを取り仕切ることになる。

 しかし、その全ては清隆によって作られた虚像にすぎない。

 真実を知るのは、俺たちを含めたほんの一部の人間のみ。

 

 今後どうなるのか、見当もつかない。なんだ、こっちも面白くなってきたじゃないか。

 有栖ちゃんが携帯を取り出し、清隆の番号に電話をかけてワン切りした。

 きっと、行動開始の合図だ。もうすぐ全ての決着がつく。

 

 

 

 今回の試験について、これ以上やることはない。

 ディスカッションもないので、今日はこのまま雑談タイムだ。

 

「聞いてよ有栖ちゃん!」

「何でしょうか、帆波さん?」

 

 とても楽しそうに、近況を話す帆波さん。

 クラス内では高尚な存在になりすぎて、こういう話もなかなかできないのかもしれない。

 

「千尋ちゃんが、『一之瀬さんの銅像を建てるには、何ポイント必要ですか?』なんて先生に聞いたの。もう意味わからないよ!こんなに恥ずかしいことってある?」

「なるほど、それはすごいですね」

 

 恥ずかしいというか、そんな質問を受ける星之宮先生の気持ちも考えてあげてほしい。

 白波千尋という女子は、Aクラスの中でも最も忠誠心が高い生徒の一人だ。帆波さん教過激派とでも言っておこうか。恋愛的な意味で好きなのもあって、他の生徒とは明らかに目つきが違う。

 彼女はいろいろと拗らせている……実は、有栖ちゃんが嫉妬の対象になったこともある。

 あの時は俺たちと一悶着あったのだが、とりあえず置いておく。

 今はそれなりに仲のいい友達ぐらいにはなっているし、蒸し返す必要はない。

 

「ほんっとにやめてほしいんだけど、どうすればいいかな?」

「支配を強める手段としては悪くありませんが、費用対効果が低そうです」

「……そういう問題!?」

 

 冗談か本気かわからない有栖ちゃん。

 実際、何ポイント必要なのか気になる。ポイントで買えないものはないと言っていたよな。

 

 できないわけではない……のか?

 いやいや、本当にそういう問題じゃないな。とても危ない方向に進んでいる。

 

 今のAクラスは、帆波さんの命令であればどんなものでも受け入れる怖さがある。

 あり得ない仮定だが、例えば帆波さんが誰かを「退学に追い込め」と言ったとしよう。

 その時彼らはどうするだろうか。

 きっと、追い詰めるために必要なことを考えた上で、本当に退学させてしまうと思う。

 あくまでも俺の個人的な意見だが、今後彼らがギリギリの勝負を強いられるような状況となった場合、Cクラス以上に汚い手段も平気で使うと考えている。

 帆波さんを守るという大義が、彼らにとっては何をしても許される免罪符になる。

 

 過熱した信仰。これは、将来的に彼らの温厚さを奪ってしまう気がしてならない。

 ……もしかしたら、それも有栖ちゃんの目的の一つなのかもしれないが。

 

 

 

 夕方ごろ。帆波さんは、クラスの打ち合わせに出る予定があるらしい。

 雑談をしていた時とは打って変わって、暗い表情で立ち上がった。

 

「もう戻らなきゃ。またね」

「おう。少しは休めよ?」

「あはは、そうだね。ちょっと……疲れちゃったな」

 

 そう言い残して、ゆっくりと部屋の外へ出ていった。

 帆波さんは多くの人に慕われているから、それに応えなければならない。

 その心労がいかほどのものか、俺には理解することができない。

 彼女のチャームポイントでもある大きく美しい瞳は、最後まで濁ったままだった。

 

 

 

 静かになった客室で、俺たちの携帯が鳴り響く。

 届いた三通のメールは、残りのグループの試験が終了したことを通知するものだった。

 同時に、全グループの試験が終了したことに伴い、結果発表を今日の夜に繰り上げて実施する旨が船内にアナウンスされた。明日と明後日は、完全自由行動となった。

 

 誰もが何もできないうちに、全てが天才たちの思いのまま終わってしまった。

 有栖ちゃんの可愛らしい微笑みを、久しぶりに怖く感じた。




 ちょっとおかしい帆波ちゃん。


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第28話

 次の日。俺と有栖ちゃんは、試験結果を考察していた。

 大方は予想通りだったのだが、一つだけ意外なポイントがあった。

 

 ルーズリーフに書き出した内容を整理する。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 1,クラスポイント/プライベートポイント

 

 Aクラス +150cl → 1305cl / +350万pr

 

 Bクラス -150cl → 804cl

 

 Cクラス -150cl → 450cl

 

 Dクラス +150cl → 462cl / +250万pr

 

 

 2,この結果になった理由

 

 Aクラス……7グル-プの優待者を当てて、+350cl。兎グループの優待者を外して、-50cl。自クラスの優待者を3人ともDクラスに当てられたので、-150cl。

 よって合計は+150cl。

 

 B、Cクラス……Aクラスと高円寺に全ての優待者を当てられて、-150cl。

 

 Dクラス……Aクラスに2人の優待者を当てられて、-100cl。高円寺が猿グループの優待者を当てたことで、+50cl。兎グループの結果で、+50cl。Aクラスの優待者を3人当てたので、+150cl。

 よって合計は+150cl。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 なんと、龍園がDクラスに落ちてしまった。超僅差とはいえ、これは驚きの結果だ。

 

「まさか、CクラスとDクラスが入れ替わるとは」

「これについては、私がコントロールしようと思っていた部分ではありません。私と清隆くんがそれぞれ調整した結果、偶然生まれたものです。彼にとっては嬉しい誤算となったでしょう」

 

 どうやら、有栖ちゃんが仕組んだわけではないらしい。

 ……龍園は、今ごろどう思っているんだろうな。

 この程度で心が折れることはないと思うが、死ぬほど悔しいはずだ。

 あいつは、敗北の経験を糧にできる人間だと思う。ここからの奮起に期待したい。

 

 俺はそんなことを思っていたのだが、有栖ちゃんは全く違う感想を持っていた。

 

「きっと、今一番辛い思いをしているのは堀北さんですね」

「堀北が?」

「はい。彼女は、この勝利に対して何も貢献していませんから」

 

 貢献していない。言われてみれば、その通りだ。

 クラスの主役に躍り出た軽井沢とは対照的に、堀北は影が薄かった。

 

 150ポイントの上積みと、Cクラスへの昇格。これ以上ないほど素晴らしい結果である。

 生徒たちも、茶柱先生も大満足だろう。

 周りに持ち上げられて、いい気になっている軽井沢の姿が目に浮かぶ。

 

 そして、そんな光景を見せつけられるのは、堀北にとってかなり辛いものだと思う。

 自分がいなくても勝てる。このクラスのリーダーにはなれない。

 厳しい現実を目の当たりにして、彼女は何を思うのだろうか。

 その答えを知る機会は、すぐに訪れた。

 

 

 

 昼食に混雑したレストランを選んだのは、失敗だったかもしれない。

 元Dクラス……今はCクラスになった集団が、どんちゃん騒ぎしている。

 俺たちは少し離れた場所で席を取り、静かに過ごしていた。

 

「うーん。嬉しいのはわかるが、もう少し静かにならないものか?」

「ごめんね~……みんな、試験の結果に浮かれちゃったみたいで」

 

 営業スマイルを浮かべる桔梗ちゃん。今は演技中なので、俺も普段のような絡み方は控える。

 俺のせいでボロが出てしまうような事態は、絶対に避けなければならない。

 

「気持ちは理解できます。彼らも、まさかこんなに早くDクラスを脱出できるとは思っていなかったでしょう」

「本当にね。茶柱先生も、過去に例のないことだって言ってた」

「しかも、スタート地点は0ポイントです。3ヶ月少々で462ポイントまで戻したとあれば、その喜びは計り知れないものでしょう。私も騒々しい環境は好みませんが、彼らは素晴らしい成果を挙げたのですから、今回は仕方ないと思います」

 

 有栖ちゃんは少し大きな声で、新Cクラスを称賛する言葉を発した。

 まぁ、確かにすごい結果ではある。俺も我慢することにしよう。

 誰がすごいかと聞かれたら、清隆がすごいとしか言えないが。

 

 軽井沢を中心として、大声をあげながら飲食する生徒たち。

 俺たちと同様に、その輪に入らないまま過ごす女子を見つけた。

 

 堀北鈴音。

 彼女がこちらをじっと見ているのを、俺は遅れて気づいた。

 ずんずんと歩み寄ってくる堀北。来るなとも言えず、俺は身を硬直させる。

 

「堀北さん、どうしたの?」

 

 桔梗ちゃんは微笑みを崩さないまま、堀北に牽制を入れる。

 それを受けた堀北は、鋭い視線で応じる。

 ……ここで、直接対決になるのか。

 

「櫛田さん、あなたは誰とでも分け隔てなく接する。私はそう思っていたのだけれど、彼らは特別なのかしら?」

「どういうことかな?」

「言葉通りの意味よ。そこの二人が、あなたにとって例外的な存在だという事実が気になっただけ。扱いが違うという点では、私も似たようなものかもしれないわね」

「……堀北さんとこの二人は、全然違うよ」

「もちろん、分かっているわ。だってあなたは……あなたの過去を知っている私を、退学させたいと思っているのでしょう?」

 

 その言葉を聞いて、桔梗ちゃんの顔から笑みが消える。

 せっかく忘れかけていた過去を、わざわざ引っ張り出してきた。

 今まで安定していたのに、台無しにしてくれたな。

 俺は感情を表に出さないようにしつつも、内心では堀北に対して強く憤っていた。

 

「絶対ここで話す内容じゃないよね。前から思ってたけど、もう少し常識を考えたら?」

 

 桔梗ちゃんは立ち上がり、クラスの集団へ飛び込んでいく。

 手を振って注目を集め、大きな声でこう言った。

 

『みんな〜、ごめん。ちょっと体調が悪くって……少し休んできてもいいかな?』

 

 両手を合わせてお願いする姿に、クラスの生徒たちは少し心配そうな顔をした。

 堀北め、何を考えている?

 これから話す内容にもよるが、場合によっては……お前は、俺の敵だ。

 

 

 

 俺たちはレストランを出て、人気のない場所へやって来た。

 本来は、船舶関係者以外立ち入り禁止の業務用エリア。無数の分電盤が並ぶこの部屋は、今のタイミングではまず誰も来ないと言っていい。

 

「櫛田さんと私は同じ中学だった。そこまでは、いいでしょう?」

「聞くまでもないよね?」

「……中学の頃も、私は友達がいなかった。あなたが何をしでかしたのか、わからない部分の方が多い」

「ふ〜ん、そうなんだ。堀北さんが嘘をついている可能性も、否定できないけどね」

「そればかりは、信じてもらうほかないわね」

 

 中学時代のエピソードは、俺と有栖ちゃんはとっくの昔に聞いている。

 俺にとっては、今さら掘り返すことでもない。ただ、そういうことがあったというだけの話。

 それによって何か変わるわけでもないし、有り体に言えばどうでもいい。

 過去に何があったとか関係ない。今の桔梗ちゃんが好きなのだから。

 

 そして、問題はこの話をつついてきた堀北だ。

 こいつは桔梗ちゃんをどうしたいんだ?

 

 もし桔梗ちゃんを貶めたりするような狙いがあるのなら、俺は許さない。

 有栖ちゃんと一緒に、全力をもってお前を叩き潰してやる。

 あえて一切の言葉を発しないようにしていたが、俺の心はすでに熱くなっていた。

 

「堀北さん。一つだけ勘違いしているみたいだから、訂正しておくね。私、今のあなたにあんまり興味がないの。退学させたかったのは事実だけど、もうそこまで拘ってないかも」

「それは、どういうこと?」

「正直、哀れな人としか思えない。お高く止まっていい気になってたら、いつの間にかクラスが結果を残し始めて、一人だけ置いてきぼり。そんな人に、わざわざ貴重な時間を使って退学させようとする価値も無い。それに、今の堀北さんが秘密を晒し上げたところで、誰も相手にしないよ」

「……言ってくれるわね」

 

 別に、もうバレたっていいし……と桔梗ちゃんは小さく付け加える。

 そもそも、堀北はなぜ絡んできたのだろうか?

 単純な疑問が消えない。現状、ただ喧嘩を売りにきたようにしか見えないが……

 さすがにそこまで頭の悪い奴ではないはずだ。

 

「堀北さんがいなくたって、このクラスは勝てる。みんなそう思ってるんじゃないかな」

「それはわからないわ。一つ聞かせてほしいのだけれど、櫛田さんは軽井沢さんについてどう思ってるのかしら?」

「別に何も。綾小路くんとは仲良さそうだなぁってぐらい」

「今後彼女の言いなりになっていくことに対して、何も感じないの?」

「だから何もないって。まさか、堀北さんはそれで話しかけてきたの?」

 

 なるほど、そういうことか。意外すぎて全く読めなかった。

 堀北は、桔梗ちゃんと手を組みたがっているんだ。だったら挑発的なことを言うなよと思うが、コミュニケーション能力が低いこいつのことだから、接し方がわからないのかもしれない。

 

 事情を理解した途端に、身体の力が抜けた。まさに拍子抜けだ。

 それなら、最初からストレートにそう言えばいいのに。意図が分かりづらいんだよ……

 シリアスな感情は霧散して、わりとどうでもよくなってきた。

 まぁ、桔梗ちゃんに害がなさそうならいいよ。つーか、さっきまでの俺の思考を返せ。

 

「櫛田さんは、彼女の支配下でAクラスを目指せると思う?」

「さあね、わかんない。私は元から、Aクラスなんてどうでもいいし」

「……そう。私は、無理だと思っているわ」

 

 軽井沢を良く思っていないことを、隠そうともしない。

 こんな態度では、集団に溶け込むなど到底不可能だと言わざるを得ない。

 きっと、なぜあんな能力の低い人が?なんて思ってるんだろうなぁ。

 

 確かに軽井沢はバカだが、今の堀北よりはよっぽどリーダーに向いていると思う。

 それに何より、彼女の支配下でAクラスを目指せるかはわからないが、彼女の隣にいる男の支配下でAクラスを目指すのは簡単だ。目指してるのかは知らんけど。

 

 そういえば、堀北は清隆の実力をどこまで把握しているのだろうか?

 最近は、ほとんど会話しているシーンを見たことがないが……

 この様子を見る限り、あまり深いところまではわかってなさそうだ。

 

 堀北はそれ以上何も言わず、引き返していった。

 おそらく、まだ諦めてはいない。

 

「二人とも、ごめん。変なことに付き合わせて」

「桔梗さんが気にする必要はありません。しかし、堀北さんはかなり追い込まれているようですね。私としても、この行動は予想外でした」

 

 桔梗ちゃんは愛おしそうに、有栖ちゃんを抱きしめる。

 きっと、この子は……この関係さえ守ることができれば、それでいいのだろう。

 堀北の後ろ姿が、少し寂しそうに見えた。




 少し大きな声がポイントだったり。
 近くで見てる人に聞こえるように、ということです。
 気持ちは理解できるとか素晴らしいとか、一ミリも思ってません。


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第29話

 桔梗ちゃんを連れて、俺たちは客室へ戻った。

 入ってすぐに、有栖ちゃんがこちらを向いて話し始めた。

 

「晴翔くん。私から、一つお願いがあります。聞いていただけますか?」

「どうした?」

「今から一時間程度、私と桔梗さんを二人きりにしてほしいのです」

 

 これは驚いた。二人だけで何かを話したい、ということか。

 真剣な顔をしている。有栖ちゃんのお願いを断る理由もないため、俺は首を縦に振った。

 

「ちょっと寂しいが、一時間ぐらいなら大丈夫だ」

「ありがとうございます。私も晴翔くんと離れるのは、非常に辛いのですが……今からお話しする内容は、おそらく桔梗さんの人生を左右するものです」

 

 そこまで言われて、拒否できるわけがなかろう。

 人生を賭けた話って、重すぎるぞ。そりゃあ、第三者が盗み聞きするのはダメだよな。

 

「じゃあ、終わったらメッセージでも寄越してくれ」

 

 俺は携帯をポケットにしまい、立ち上がる。今から何しようかな?

 有栖ちゃんは深く頷いた後、視線を桔梗ちゃんに向けた。

 

「桔梗さん。あなたは本当に、私と『あの話』をする意味を理解されていますか?」

 

 冷たくそう言った。

 ……いや、違う。冷たく見せかけているだけだ。

 有栖ちゃんは、試しているのかもしれない。

 

「もちろん。それだけじゃなくて、二人きりで話す意味も理解してるよ。さっき堀北と話して、有栖ちゃんと一緒にいたいって気持ちがもっと強くなった。私の心は……あなたに会えたその日から、ずっと決まってる。今さら迷いはないよ」

「ふふ、わかりました。ならば、私もその気持ちに応えましょう」

 

 二人の会話内容は、断片的にしか理解することができなかった。

 男子禁制の、ガールズトークってやつだろうか?

 俺は呑気に構えたまま、部屋の外へ出た。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 船内は、どこも多くの生徒たちでにぎわっている。

 みんな楽しそうなのだが、人によってそのレベルが違うように見える。

 今回の試験は、はっきりと勝ち負けが分かれる結果であった。

 勝ったクラスと負けたクラスのメンバーでは、遊ぶテンションも違うということだろうか。

 しかし、俺の所属するBクラスはどうかというと、一部の生徒を除いてみんな大はしゃぎ。

 あまりにも悪い結果が続きすぎて、本当にどうでもよくなってしまったのかもしれない。

 

「あれ、晴翔くん。今日は一人なの?」

 

 デッキを適当にぶらついていたところ、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、そこには帆波さんがいた。5人の取り巻きが、護衛としてついている。

 最初はどこの王様だよとツッコミそうになったが、すぐにその意図を理解した。

 帆波さんは、いろんな意味で目立ちすぎている。あまりにも強いAクラスの長として、本人の知らないところで恨みを買っている可能性も高い。

 クラスの中で、この人が一人で出歩くのは危険であると判断されたのだろう。

 

 ……こんな様子では、今までみたいに三人で会うのも難しくなりそうだ。

 周囲からは守られるかもしれないが、内側から壊れたりしないか心配である。

 

「おーい、晴翔くん?」

「あぁ、ごめん。一人といっても、一時間やそこらの話だけどな」

 

 おっと、つい考えることに耽ってしまった。

 声が聞こえなかったと思ったのか、帆波さんは少し声量を上げて話し始めた。

 

 こうは言ったものの、その一時間が結構しんどい。

 無人島にいたときもそうだったが、有栖ちゃんが隣にくっついていないシチュエーションは、全く落ち着かない。あるはずのものがない感覚は、慣れろという方が無理というもの。

 やっぱり俺には、有栖ちゃんがいないとダメだ。

 このように一人で動く機会を与えられると、その事実を再確認できる。

 俺が勝手に納得していると、いくつかの人影が近づいてきた。

 

「くく、大物揃いじゃねえか」

 

 一人の男が、話に横槍を入れてきた。龍園だ。

 これまた、ぞろぞろと手下を連れてやって来た。ヤクザの抗争かな?

 

 龍園は一度俺と目を合わせた後、ギロリと帆波さんを睨みつける。

 帆波さんもそれに萎縮することなく、睨み返した。

 

「一之瀬。いずれテメェとは決着をつける必要がある。坂柳の手のひらで転がされるのは癪だが……首を洗って待っていろ」

 

 その言葉に、周囲の生徒たちがざわめき立つ。

 

「ふーん。有栖ちゃんと面識があるんだ?」

「答える義務はねぇな。しかし、Aクラスの連中はどいつもこいつもイカれた信者ばかりだ。一之瀬のためにとか、一之瀬が言うならとか、虫酸が走るようなことばかり言ってやがる。今後のために、どうやったか教えてくれよ?」

 

 龍園は煽るように、帆波さんに迫った。当然、本気で聞くつもりなどないだろう。

 この男は敵を観察する技術が高い。帆波さんがこういう挑発にどういう反応をするか、うっかり口を滑らせたりしたりしないか、ずっと見ている。

 どんなに小さな弱点でも利用してやろうという、強い執念を持っている。

 周囲の人間には粗暴な印象を与えるが、その内面はかなりの努力家なのだ。そうでなければ、無人島で一人サバイバルなどできるわけがない。

 

「それこそ、答える義務がないんじゃないかな?」

「そうか、まあいい。その支配力は認めてやろう……俺がこれで終わると思うな。何度負けようが、最後に立っている奴が勝者だ」

「……そっか、わかった」

「まずは失った地位を取り戻す。テメェらを潰すのは、それからだ」

 

 そう言い残し、去っていった。

 うーん、やっぱお前は格好いい奴だな。

 

 

 

 帆波さんたちと別れた後も、特に目的を定めずぶらぶらしていた。

 本当に、何をしていいかわからない。有栖ちゃんがいないと退屈でしょうがない。

 そんな中、近くに清隆の姿が見えたので、声をかけることにした。

 

「よう、調子はどうだ?」

「晴翔か。まぁ、ぼちぼちといったところか」

「なるほど。ところで、軽井沢とはうまく行っているのか?」

「実は、さっきクラスの連中に関係を公表した。だから、今後は隠す必要もないし、オレもそれを念頭に置いた振る舞いをするつもりだ。晴翔には今まで気を遣わせていたようで、すまなかった」

 

 ペコリと頭を下げる清隆。気づかれていたのか……

 しかし、軽井沢との恋仲を公開するタイミングを、ここに持ってくるとは思わなかった。

 少し早すぎるような気もするが、メリットデメリットを検討した上でのことだろう。

 

 それはなぜだろうかと、少し考察してみることにする。

 付き合っていることが知れ渡ると、どうなる?

 

「……今後、クラスに対する干渉を強めるのか」

「察しがいいな。概ねその通りだ。もっとも、全てをあいつの功績として積み上げていく方針を変えるつもりはない。あくまでも、オレが今後サポートするような行動を取ったとき、周囲に不自然と思われないようにするための措置だ」

 

 ポロっと吐いた言葉に対して、普通に答えてくれた。なんだか、少し嬉しそうだ。

 最近の清隆は、以前よりも饒舌になったような気がする。前に二人で話した時もそうだったが、今のように俺が何か意見を言うと、事細かに説明してくれるのだ。

 その理由はよくわかっていない。俺の発想を参考にしてくれているのかもしれないし、単純に彼なりに友達としての会話を楽しんでいるのかもしれない。 

 お互いの話が途切れた直後、清隆は何か思いついたような顔をした。

 

「今から、ちょっとしたイベントが起きる。晴翔も来るか?」

 

 楽しそうな話に、俺を誘ってくれた。いい友人を持ったと感謝する。

 このタイミングで、願ってもない申し出だ。そういうのが欲しかった。

 何が起きるかはわからないが、暇つぶしにはもってこいだろう。

 

 俺は、その誘いを二つ返事で受けた。



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第30話

 清隆が俺を案内した場所は、さっき堀北と会話した部屋だった。

 近づくと、人の話し声が聞こえる。俺と清隆はアイコンタクトを取り、携帯の電源を切った。

 ……誰も来ないと思っていたが、少しタイミングが悪ければ鉢合わせていた可能性もあるのか。

 俺たちも堀北も、結構危ない橋を渡っていたことを知った。

 

 ここへ来るのにあたって、清隆から一つ依頼された。

 内容は単純なもので、合図と同時に部屋の中へ乱入してほしいというもの。

 清隆が先に入って、しばらくの間は俺が身を隠す展開になるようだ。おそらく、部屋の中で何かしらのやり取りをした後に、それを部外者である俺が「発見」した構図を作り上げたいのだろう。

 ただ見ているだけでなく、参加型のイベントということだ。これはワクワクする。

 

 

 

 部屋の前に到着した。

 扉が開いた状態になっているので、見つからないよう細心の注意を払う必要がある。

 

『今なら、土下座したら許してあげてもいいけど?』

 

 女の声が耳に入った。侮蔑的な感情がたっぷり込められた、不愉快なものである。

 その他にも、何人かのヒソヒソ声が聞こえた。いずれも女性のものだ。

 

『そんなこと、するわけないでしょ……』

 

 一番大きい声は、元Cクラスの真鍋志保のものであるとわかった。 

 涙声で抵抗しているのは、軽井沢だろうか。

 この瞬間、大方の事情を把握できた。今からここで、集団暴行が始まる。

 

 そして、このイベントを仕組んだのは間違いなく清隆である。

 簡単に言うと、俺はこの出来事の一部始終を見る権利をもらったというわけだ。

 話はすでにクライマックスというか、暴力をふるう直前の段階である。

 俺と清隆は外側の壁にもたれかかって、聞き耳を立てる。

 

『いたっ、痛い!離しなさいよ!』

 

 音でしか判断できないが、真鍋は軽井沢の髪を引っ張ったのだろう。

 大きな悲鳴が、俺の耳をつんざく。たまらず清隆の顔を見た。

 

(まだ早い)

 

 清隆は言葉を発さず、口の動きでそう伝えてきた。

 全て想定内だと言わんばかりの、余裕のある顔だった。

 

 少し間をおいてから、叩いたような音が聞こえた。それに続いて、軽井沢の泣き声。

 殴られたか、もしくは蹴られたか。リンチが始まったようだ。

 

『志保、今の膝蹴りはやりすぎじゃない?アハハ』

 

 エスカレートしていく暴力も、清隆を動かす材料にはならない。

 目を瞑ったまま、無表情でその場に立ち続けている。

 

『あんたみたいな女は、死ねばいいのよ!』

 

 パチンと平手で引っぱたいた音。女たちの歓声と軽井沢の嗚咽が響き渡る。突き飛ばされて、何かにぶつかったような音も聞こえる。その姿は見えないが、すでに満身創痍だろう。

 ……そろそろいいんじゃないか。いくら他人とはいえ、不憫になってきた。

 そして、ついに眠れる獅子を起こす言葉が出た。

 

『清隆、助けて……』

 

 その発言を受けて、清隆は目を開けた。一度俺に目配せをしてから部屋の中へと入っていく。

 突然の侵入者に、中にいた集団の動きが止まる。視線がこちらの方向へ集まることを察知して、俺は慌てて息を潜める。もし見つかったら台無しだ。

 ピッ、と電子音が鳴る。何かの機器を操作したのか?

 

『……さて、どうしたものか』

 

 直後、今までとは比べ物にならないほど重い打撃音がした。

 

『ぐっ、が……』

『今の蹴りは、ギリギリ肋骨が折れない強さに調整した。あまり抵抗すると、折るぞ?』

 

 どうやら、真鍋を蹴り飛ばしたらしい。

 息ができなくなったのか、何も言うことができないようだ。

 

 清隆が話し終えた後、さらに何回か音がした。今度は殴ったか?全く容赦がない。

 軽井沢とは違って、あまり大きな悲鳴は聞こえなかった。

 

 しばらく清隆による暴行が続いた後、急にシーンと静まり返った。

 真鍋たち全員が一時的に呼吸困難となり、誰も話せる人間がいなくなったからだ。

 

『女にここまでやって、ただで済むと』

 

 数秒間の沈黙の後、少しだけ回復した真鍋が泣きながらそう言った。

 清隆は返答しないまま、さらにもう一発。まるで単純作業を行っているかのように、無機質な暴力を加えていく。

 

 俺は物音を立てないよう慎重に、体勢を変える。

 一度うつ伏せの姿勢を取ってから、首を動かしてゆっくりと部屋の入り口から顔を出した。

 中には清隆と軽井沢、それとボロボロになって倒れ伏す女子たちの姿が見えた。

 

『そう思うなら、龍園にでも訴えればいい。ただで済まないのは、どちらだろうな?』

『そ、そんな……』

 

 全員をねじ伏せた後、龍園の存在をチラつかせた。そして、清隆は無表情で真鍋の背中を踏みつけた。動けなくなった彼女たちに、さらなる追い討ちをかけるようだ。

 恐ろしい。この男は、抵抗する気が失せるまで延々と甚振り続ける気だ。

 ドキドキが止まらない心臓を押さえながら、俺は黙ってその光景を見ていた。

 

 

 

 数分間にわたる残虐ショーは、真鍋の完全降伏によって終止符が打たれた。

 

『ごめんなさい。私たちが、悪かったです。だからもうやめて……』

『恵に今後一切手を出さないと、約束するか?』

『はい、もうこんなことはしません』

 

 かすれた声で、真鍋が謝った。取り巻きたちもそれに合わせて、謝罪の言葉を述べる。

 リカという生徒だけは少し手心が加えられたのか、スムーズに言葉を発していた。

 

 ここで清隆が俺の方を向いて、手首をクイっと動かした。

 多分、入って来いということだろう。俺はあらかじめ考えておいたセリフを思い起こす。

 

「おい、お前ら何やってんだ。ここは立ち入り禁止って書いてあっただろ。今から真嶋先生を呼んでくるから、そこで待ってろよ」

 

 なるべく大きな声でそう言うと、真鍋たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 その表情は、悪いことをしたというよりも、助かったという感じに見えた。

 

 軽井沢は一目でわかるぐらいボロボロだ。

 髪は乱れ、身体にはいくつもの傷があり、平手打ちされた顔は赤く腫れている。

 しかし彼女は、笑っていた。どこか晴れやかさを感じる表情だった。

 

「清隆、ほんっとにありがとう」

「恋人なんだから、当然だ」

「嬉しい。あたしはもう、清隆から離れられなくなっちゃった」

 

 そう言って、お互い抱きしめ合う。

 もはや、俺は彼女の視界に入っていないらしい。

 

 そんな二人を見ながら、いろいろと考えた。

 軽井沢の清隆に対する愛情は、以前からかなり深いものであった。今さら、ヒーローのような行動を見せて好感度を高める必要はないと思う。

 今回の目的は違うところにある。清隆がいない状況に対して、大きな不安を持たせること。

 一度心を折ってから、手を差し伸べる。自分がいないと生きていけない状態にする。

 そうすれば、軽井沢はこれまで以上に清隆の思い通り動くようになるだろう。

 彼女が今一番恐れているのは……捨てられることだ。

 

「これからずっと、一生そばにいてくれる?」

「お前がオレを必要とする限りは、そばにいるさ」

「ありがとう、大好きだよ。あたしは……清隆がいないと生きられない、弱い生き物なの。もし見捨てられたら、きっと死んじゃうと思う」

 

 同じような言葉を、どこかで聞いたことがある気がした。

 そう、あれは……

 

「そこの晴翔も、オレと一緒に来てくれたんだ」

「あっ、そうなんだ」

 

 二人から急に話を振られて、思考が止まる。なるほど、そういうことにしておくのか。

 

「別に、俺は何もしてないぞ」

「それでも、晴翔があたしを気にしてくれたのは変わらない。ありがと!」

 

 名前で呼ばれた。いつの間にか、こいつの中では友達判定になったのか。

 じゃあ俺は何と呼べばいいのだろう。うーん。

 

「恵ちゃん?」

「なに?」

 

 呼んでみてしっくりきた。なんか、呼び捨ては違う気がした。

 そこは清隆との聖域というか……

 

「……だが、身体を張ってお前を助けたのは清隆だ。良い彼氏を持ったな」

「ふふ〜、そうでしょ?」

 

 自慢げに笑うその姿は、いつもの彼女と変わらなかった。

 清隆が隣にいれば、精神的にも余裕ができるらしい。

 

 携帯の電源を入れ直すと、有栖ちゃんからのメッセージが来ていた。

 約一時間、良い感じに時間を使えたようだ。

 

「さて、そろそろ戻るか?」

「そうだな。あまり長居して、本当に教師に来られても困る」

「違いない」

 

 俺たちはゆっくりとその場を去った。

 

 ……そして、もう一つ。

 俺は清隆のポケットに、小型のICレコーダーがしまわれているのを見逃さなかった。これは、ここに到着した時点では持っていなかったものだ。部屋のどこかに、あらかじめ仕掛けていたと見て間違いない。電子機器が並ぶラックの裏側、分電盤の内部……隠せそうな場所はいくらでもある。

 恵ちゃんと真鍋たちのやり取りは、最初から全て録音されていたのである。

 あの時のピッという音は、清隆がレコーダーを停止した際のものだったというわけだ。

 

 彼女を依存させるというメインの目的もさることながら、今後役立つであろう「ネタ」を獲得することも忘れない。

 それが俺の友人、綾小路清隆という男なのだ。



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第31話

 客室に戻ると、二人が笑顔で迎えてくれた。

 

「あっ、おかえり」

「ありがとうございました」

 

 楽しく話せたようで良かった。

 早速有栖ちゃんが俺の隣に来て、腕を絡ませてきた。

 その感触で、ほっとしたような気持ちになる。やっぱり、俺たちは一緒じゃないとダメだ。

 

「……そっか、そういう意味なんだ」

「ご理解いただけましたか?」

 

 意味深なやりとりも、特に詮索しない。

 女の子の秘密を探るなんて、野暮というものだ。

 

 桔梗ちゃんもとても機嫌がよさそうだ。

 そう思っていたのだが、少し様子が変だ。今まで見たことのない、どこか恥じらうような表情を浮かべている。落ち着かないまま有栖ちゃんの反対側に座って、一つ深呼吸をした。

 そして、俺の耳元で小さく囁いた。

 

「……有栖ちゃんは、私たちが『親友』なんかじゃ困るんだって」

「えっ?」

「だから、許してね?」

 

 目を瞑り、顔を近づけて……

 

 えっ?

 

 柔らかいものが触れる。自分が今何をしているのか、思考が追い付かない。

 どうして、俺が桔梗ちゃんと?なぜこのタイミングで?

 頭に浮かぶ疑問は唇の温かさで全て打ち消されてしまい、何も考えられなくなる。

 

 桔梗ちゃんと、キスをしている。その事実は、俺から冷静さを奪うには十分すぎるものだ。

 もちろん嬉しい。彼女のことは大好きだし、俺の中では親友以上の存在といっていい。

 しかし、突然かつ過激すぎるアプローチに戸惑いを隠すことができない。

 過程を全て省いて、いきなり結論を突き付けられたような感じを受ける。

 

「ふふっ、やはり予想通りですね」

 

 そんな俺たちの様子を、有栖ちゃんは面白そうに見つめる。

 間違いなく、この子の差し金だ。一体、どのように思ってこの行為に至ったのか。

 有栖ちゃんの考え方はある程度理解したつもりでいたが、まだわからなかった。

 しかし、後でゆっくり考えればわかるような気もした。そういった根拠のない自信が出てくる程度には、俺は有栖ちゃんの思考を読むことに慣れ始めていた。

 

「桔梗さん。私のあなたに対する感情は、先ほど申し上げた通りです。最高に愛おしくて、最高に妬ましい。そんなあなたのことが、私は大好きです……末永く、よろしくお願いしますね」

「うん。有栖ちゃんのこと、ずっと大事にするから」

 

 桔梗ちゃんのカバンに、一冊のノートが入っている。

 これは俺が書いた『有栖ちゃんメモ』。彼女の元に渡ったらしい。

 その意味は、鈍い俺でも理解することができた。

 

 ……桔梗ちゃんとは、一生の付き合いになるだろう。

 でも、そんな相手がこの子でよかった。俺と有栖ちゃんを好きでいてくれる、優しい女の子。

 彼女と出会えたことは、この学校に入って一番の幸運だったと思う。

 

「あなたは、いずれ私たちの家族になるでしょう。その日を楽しみにしていますね」

 

 最後にそう言った有栖ちゃんは、心の底から嬉しそうだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その夜は、なかなか寝付くことができなかった。

 俺は有栖ちゃんと二人で、デッキの先に立ち海風を浴びていた。

 

「今日はいろいろとありすぎて、興奮が冷めないな」

「ふふっ、清隆くんとの件はいかがでしたか?」

「やっぱりアイツはヤバい。でも、恵ちゃんが割と幸せそうだった印象が強い」

 

 そうですか、と有栖ちゃんは一つ返して、黙り込む。

 他に誰もいない、二人きりの夜。不気味ですらある静けさが、俺の心を揺らす。

 

「……桔梗さんとのこと、聞かないのですね」

「聞かない。有栖ちゃんのことだから、どうせ俺を最優先で考えてくれてるんだろ?」

 

 ポツリと呟いた言葉に、俺は即答した。

 絶対的な信頼。俺と有栖ちゃんの関係を一言で表現するとすれば、そんな感じだろう。

 何があろうとも裏切ることはないし、お互いがお互いを必要としている。

 自分の半身といっても過言ではないと思う。

 

 確かに桔梗ちゃんとのキスは驚いた。しかし、きっとこれも何か考えがあってのこと。

 俺たちの絆が揺らぐようなことは、今後いかなる事象が発生しようともあり得ない。

 

「ありがとうございます。とても嬉しいのですが……ふふ、実はそれが原因なのです」

「えっ?」

 

 有栖ちゃんは一旦俺の手を離し、デッキの先端に立つ。

 転んだら危ないと反射的に足が動いたが、彼女はそれを手で制した。

 

「……私のこと、女の子だと思っていないでしょう?」

 

 ざぶーん、と船が揺れた。

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 有栖ちゃんは確信を持っている様子で、微笑みを崩さない。

 

「俺が、有栖ちゃんを?」

「私とあなたは、異性の関係となるには距離が近すぎるのです。親よりも大切な存在を、他人の延長たる恋人などと位置付けるのは、違和感がありますね」

 

 少し間をおいて、ようやく言っていることを理解した。

 俺にとって、有栖ちゃんはどういう存在であるかということ。

 

 そう、全ては彼女の言う通りなのだ。過去のことを思い起こすと納得がいく。

 一日のほとんど全てを共に過ごし、一緒に風呂に入って、一緒に寝る。

 それが特別なことではなく、当たり前のこととなっている。確かに、恋人とは少し違う。

 

 俺たちは二人で一つなのだ。俺は有栖ちゃんが幸せならそれでいいし、逆もまた然り。

 基本的に、恋というものは他人に対してのみ成立する。親子や兄弟の恋を否定するわけではないが、俺たちの感性はその点において普遍的なものであった。

 近すぎるというのは、そういう意味なのだろう。

 

「どうしよっか、これから」

「晴翔くんは、どうして欲しいですか?」

 

 俺がどうしたいか。これは、きっと非常に大事な質問だ。

 おそらく、有栖ちゃんはここで俺が回答した通りに動く。

 一度夜空を見上げて、心を落ち着かせる。大海原の中の、綺麗な星空。

 俺たちにとって、何がベストなんだろう?

 

「……少し、保留させてほしい。衝撃が大きくて、すぐに答えが出ない」

「わかりました。真剣に考えていただいて、ありがとうございます」

 

 結局、すぐには思いつかなかった。

 とはいえ、今はまだこれでいいのかもしれない。

 高校生活は長い。結論を急ぐ必要はないと、俺は判断した。

 

「でも、俺は有栖ちゃんのことが大好きだ。他の誰よりも」

「私も晴翔くんのことが、大好きです」

 

 キスをして、お互いの存在を確かめ合う。この瞬間、またしても俺は理解してしまった。

 この感情は……男女のロマンスというよりも、家族に対する親愛だ。

 

「……親以上の関係と思っていたが、それすらも違うかもな」

「はい。私も全く同じことを思いました。あなたは、もはや『もう一人の自分』です」

 

 有栖ちゃんがどうしてほしいのか。俺は、それをなんとなく理解することができる。

 この能力は、長年にわたるサポートの経験により身についたものだ。

 かつて特別な感情も持っていなかった時期も、有栖ちゃんの心を読むことは自分の作業を楽にすることに繋がったため、最優先事項として努力していた。

 それが発展して、いつしか俺は有栖ちゃんの思考や感情を読めるようになっていた。

 今ではちょっとした仕草や、表情の変化から有栖ちゃんの心の動きを察知することさえ可能だ。

 

 ……有栖ちゃんも、同じことができるようになってきたのかもしれない。

 つい忘れてしまいがちだが、彼女は超のつく天才だ。その能力を全て俺のためだけに使ってくれているとすれば、その程度のことは簡単に習得できるだろう。

 

 そして、本来こんな芸当ができるのは何十年も一緒にいた熟年夫婦ぐらいのものだ。

 俺たちの特殊な環境が、その時計をめちゃくちゃに早めてしまった。

 

 自分の意志を読み取って、先回りして動いてくれる存在。

 それは、もう一人の自分といっても差し支えない。

 

「桔梗ちゃんにあんなことをさせた理由は、あの子が俺を異性として好きだからだろう?」

 

 俺は直球で、有栖ちゃんに質問した。

 ここまでわかった以上、わからないふりをする意味もない。

 今までこういうことは確信がなければ言わないようにしていたが、今後はそれを取りやめることにした。有栖ちゃんに対する俺の予想は、きっと正解なのだから。

 

「正解です。ふふっ、青春ですね」

「言っておくが、多分まだそこまで深いものじゃないぞ?」

「わかっています。だから、試してみたくなったのです」

「桔梗ちゃんの反応からして、自覚もなさそうだが」

 

 他人だからできること。俺と桔梗ちゃんは、まだその域を出ていない。

 しかし、特に高校時代の恋人などというものは、その程度の関係だからこそ成立する。

 

 ここまで理解すると、有栖ちゃんが最後にかけた言葉の意味も通る。

 いずれはそこを超えて、俺たちと同じ場所に来てほしい。そういう願いがあるのだ。

 有栖ちゃんに対するサポートを練習させるのも、その一環というわけか。

 

「……愛情というものは、難しいですね。最近、つくづくそう思ってしまうのです」

「有栖ちゃんでも難しいなら、俺には解決不能だ。でも、それでいいんじゃない?」

 

 そろそろ眠気が来たので、俺たちは手をつないだまま客室へと戻る。

 デッキから船内へ入る直前、俺は今の議論をこう結んだ。

 

「こうやって、馬鹿みたいにお互いのことを考えている。この行動こそが、愛情だと思うんだ」

 

 相変わらず、空が綺麗だった。




 次は土曜か日曜ぐらいになります。
 久しぶりの有栖ちゃん視点かもです。

 有栖ちゃんは櫛田にかなり嫉妬してます。


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第32話

 お待たせしました。
 船は次ぐらいで最後になります。



 

 早朝に目覚めてしまいました。

 彼を起こさないよう注意を払いながら、私は体勢を変えます。

 

 彼には、できるだけ多く睡眠をとってもらうことにしています。

 幼少の頃から、彼は私の世話をするため毎日のように早起きしていました。子供は大人より長い睡眠が必要なのですが、それを我慢してまで私を優先していたのです。

 中学時代に至っては朝五時に起きていたようですが、当時の私は気にも留めていませんでした。彼が無理をして、倒れたら困るのは私なのですが……今さらながら、己の浅慮に腹が立ちます。

 その贖罪というのは少し違うかもしれませんが、やはり負担を強いるようなことはできません。

 

 彼には私を抱き枕のようにして寝る癖があるので、いつも身体は痛いです。

 しかし、この痛みも彼に与えられていると思えば悪くないものです。

 

 すでに頭が冴えてしまっていて、二度寝は出来そうにありません。

 彼が起きるまで、私は昨日の件を整理することにしました。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 彼が私を異性として見ていないことは、とうの昔に気づいていました。

 誤算だったのは、それが一時的なものではなく、変えることが難しいという点です。

 正直なところ、少しアプローチの仕方を変えれば変化するのではないか……と、甘い考えを持っていました。ですが、話はそんなに簡単ではありません。

 私たちの近すぎる関係が、異性としての意識を阻害しているのです。

 しかし、私が彼と適度な距離を取るなどということは、まったくもって無理な話です。

 

 昨日あえて言わなかったことが、一つあります。

 彼は最初から、私を家族のように思っていたのだろうということです。

 一人っ子の彼には存在しない、「妹」の代わりとして扱われたのが私と彼の原点なのです。

 こう考えると、全てにおいて辻褄が合います。私の冷たい態度に耐えたことも、その一つです。妹に冷たくあしらわれる兄など、どこにでも見られるものですから。

 ……そして、こんな単純なことに最近まで気づかなかった時点で、彼には絶対に勝てないのです。今思うと、私は彼と出会った瞬間にはこうなる運命にあったのかもしれません。

 

 私は一生彼のために動きます。また、彼も私のことを第一に考えてくれると思います。

 この関係は大変心地良いものなのですが、一つ大きな問題があります。

 私の夢をかなえるためには、私を女性として扱ってもらう必要があるのです。

 このままでは、それを達成することができません。

 決して急ぐ必要はありませんが、必ず解決しなければならないのです。

 

 遠ざけるのではなく、むしろもっともっと近づいていけば……

 

(……いつかは、もらってくださいね?)

 

 彼の身体に触れながら、私は将来に思いを馳せました。

 

 

 

 櫛田桔梗さんは、私の愛するペットです。

 私が彼女を欲しくなった理由は、彼とは関係ないものです。

 もちろん、彼がこの学校を楽しむ上でのスパイスになればいいとは思いますが、それは副次的なものにすぎません。

 

 彼女はとにかく承認欲求が強く、褒められるためならどんな苦痛でも乗り越えようとします。

 入学直後に初めて彼女と会った時、その姿がとても愛くるしく映りました。

 私が彼女の一番となった時、どのような顔を見せてくれるのでしょうか?

 そう思ったのが、全ての始まりでした。

 

 彼女が中学時代に残した「実績」はなかなか素晴らしいものです。

 私は集団を統率することができないので、彼女や帆波さんのような才能は味方に引き入れておいて損はありません。きっと、今後も良い働きをしてくれると思います。

 

 それだけなら、よかったのですが……

 彼女は彼にわかりやすい好意を抱き、彼もまたそれを受け入れています。

 本人は自覚していないかもしれませんが、間違いなく恋といっていいものでしょう。

 

 私と比べて圧倒的に浅い関係の二人が、ああいった雰囲気を醸し出す。 

 恥ずかしながら、ここ最近はその光景に少しイライラすることもありました。

 

 今の私には引き出せない感情を、彼から引き出してしまう。

 そんな彼女に感心しつつも、嫉妬していました。

 逆に言えば、そこで引き離そうとは思わないぐらい私も彼女のことが好きなのです。もっとも、そのような行為は彼が絶対に望まないので、考えるまでもありませんが。

 

 私が行動を起こすきっかけは、単純なものでした。

 ふとした時に、最悪のパターンが頭に浮かんでしまったのです。

 

 彼ら二人が夫婦になって、私が不要になる。

 

 身の毛のよだつほど、恐ろしい未来です。

 そんなことはありえない。何があっても、彼が私を捨てるわけがない。わかっているのですが、その可能性がゼロで無い限り、どんどん悪い方向へ想像が膨らんでいきます。

 どうしようもなく彼に依存した精神は、簡単にコントロールできるものではありません。

 

 また、彼女が異性としての好意を自覚する瞬間は、遅かれ早かれやってきます。

 それは日々の態度や表情を観察することで、簡単に理解することができました。

 

 ……回避不可能ならば、私が介入して可能な限り制御する方が良い。そう考えたのです。

 捨てられなければ、それで十分です。最終的に彼の隣という場所さえ奪われなければ、他は全て捨ててしまってもいいのです。彼が彼女を好意的に思っている以上、仕方ありません。

 

 私の手で彼女に恋心を自覚させるという方法を思いついたのと同時に、彼女は私という人間の根本を理解し始めました。これは、完全に私の想像を超える出来事です。

 昨日二人で話した際には、心からの尊敬を込めてその鋭さを褒め称えました。

 あの時の嬉しそうな表情を見て、彼女ならこのやり方で進めても大丈夫だと確信しました。

 

 私の目的は二つあります。

 

 一つ目は、彼女を私たち二人から離れられないほど依存させること。

 今まで以上に、私は彼女に優しく接するつもりです。ペットを愛でるような感覚で、彼女の全てを受け入れ続けます。それはきっと、甘い毒のようなものです。

 他者を依存させる上で「優しさ」がどれほど効果的であるか、私はよく知っています。

 

 二つ目は、彼と私の結びつきを理解させること。

 無人島試験の際、真澄さんとの二日間を過ごして一つわかったことがありました。

 彼の私に対するサポート。これは誰にも真似できるものではありません。しかし、その作業の一部……ルーチンワークについては、ある程度模倣することができるようです。

 

 それを可能にするのが、『有栖ちゃんメモ』という恥ずかしい名前のついた一冊です。この中には、彼が日々行っている作業の手順が事細かに記されています。

 彼は自分の作業をマニュアル化して、他人を教育することもできるのです。

 本当に、私のサポートという一点においては恐ろしいまでの天才です。

 彼のようになるとは思っていません。彼女の中で、少しでも私という存在が大きくなれば……そんな淡い期待を込めて、これを託しました。

 私の弱点を渡しているようなものですから、心理的抵抗が無かったと言えば噓になります。

 しかし、彼がいなければ生きていけないということを理解していただくためには必要な行動です。いずれ通る道ならば、早く通過しておいたほうが良いでしょう。

 ……ここまで弱い部分を見せたのですから、もう逃がしませんよ?

 

 問題の彼ですが、今現在でも彼女を過剰なほど甘やかしています。彼女にとって最も嬉しい言葉をかけてみたり、ちょっとした気遣いをしてみたり、自分が味方であることをアピールしてみたり……やはり、こうして考えてみるとかなり妬ましいですね。

 

 これらをまとめると、言いたいことは一つです。

 

(桔梗さんばかり、ずるいです)

 

 結局のところ、私はやきもちを焼いているのです。

 彼が私には見せない一面を、彼女に見せているという事実が気に入らないのです。

 だから家族などという言葉を使って、自分と同じ扱いになるよう仕向けることにしました。

 

 ……私は結構、子供っぽいのかもしれませんね。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「おはよう、有栖ちゃん」

「おはようございます」

 

 朝十時過ぎに、彼は目覚めました。

 

「……今日も可愛いね」

「ありがとうございます」

 

 自分の容姿がどれぐらい優れているかはわかりませんが、毎日こうやって褒められるのは嬉しいものです。しかし、その言葉に乗っている感情は、恋人に対するものというよりも……妹や娘、という表現が近いような気がします。

 

 家族としてはもちろん、私はあなたのことが男性としても好きなのです。

 いつわかってくれるのでしょうか。先が思いやられます。

 

「よし、準備しちゃおうか」

 

 彼は立ち上がり、毎朝のルーチンワークに取り掛かります。

 

(贅沢な悩み、かもしれませんね)

 

 このぎこちない恋人関係も、幸せなことに変わりはありません。

 それに満足せず、さらなる深い関係へ進もうとするのは貪欲なのかもしれません。

 ですが、私は……一生をかけて、一つの夢をかなえると決めたのです。 

 その意志は、彼にも桔梗さんにも曲げることはできません。

 

 私にとってこれは最後の望みであり、命を懸ける価値がある唯一のイベントなのです。

 桔梗さんには、いずれそのお手伝いをしてもらいたいとも考えています。

 全てはたった一つの目的のため、今後も私は動き続けなければなりません。

 

 小さくため息をついてから、ゆっくりと身体を起こしました。




 二人きりでいたいのなら、余計な駒など持つべきではありませんでした。
 最大の誤算は、この男が彼女にも好意を持ってしまったことです。
 でも、捨てられるよりは何倍もマシなので妥協案に切り替えられたという話です。


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第33話

 試験最終日。

 とっくに終わっているのでそんな感じはしないが、一応最終日だ。

 この船にもいい加減飽きてきたし、今は早く帰りたいという思いが強い。

 

 俺たちはレストランの隅の席を取って、退屈な時間を潰していた。

 お昼はとっくに過ぎているからか、店内はガラガラで過ごしやすい。

 少し離れた席に清隆たちの姿が見えたが、二人きりの世界に浸っているようだ。

 空気を読んで、声をかけるのは自重することにした。

 

「恵ちゃん、幸せそうだな」

「そうですね。彼女からあれほど良い笑顔を引き出せるのは、清隆くんしかいないでしょう」

 

 ニコニコと笑う姿からは、可愛いという印象を強く受ける。

 あれが普通になれば、モテるだろうなぁ……もう、清隆のことしか見えていないだろうけど。

 清隆も、今後はクラスの男子から嫉妬されることになりそうだ。

 

 ふいに思い出した。清隆のことが好きなのは、恵ちゃんだけではないということ。

 佐倉愛里。彼女は大丈夫なのだろうか?

 嫉妬に狂うというタイプではないから、どこかでめそめそ泣いているのかもしれない。

 ……誰も悪くないとはいえ、気づいてしまうと可哀想に思えてくる。

 だが、佐倉のことは清隆も想定しているはずだし、俺がどうこうする問題ではない。

 恵ちゃんの教育の一環として、その感情を利用する可能性すらある。 

 清隆がそういう男であることは、とっくに理解している。だからこそ強いのだ。

 

 腹が減っていたので、ステーキセットを注文した。

 それなりに美味い肉を噛み締めながら、俺は二人の様子を眺めていた。

 

 

 

 神室さんがやって来たのは、200グラムの肉を食べ終えた直後のことだった。

 彼女は微妙にむっとした顔で、対面の座席に座った。

 

「あんたたちって、本当にクラスに興味が無いんだ……」

「まぁ、そうだな」

 

 無関心なのは入学してからずっとのことだし、何を今さらという話ではある。

 俺たちが独自に行動している間、葛城派の連中はいろいろ頑張っていたらしい。

 ……まぁ、それも有栖ちゃんと清隆が一瞬で全部無駄にしちゃったんだけど。

 戸塚との一件があってから、俺はより一層あいつらのことがどうでもよくなっていた。

 

「葛城がリーダーを降りたがってる話、聞いてない?」

「何それ、今知ったわ」

 

 初耳だったが、不自然とは思わない。

 自分が不振の責任を取るしかないと考えるのは、葛城の性格上当然であると言える。

 そして、降りたがっているということは、まだ辞めさせてもらえないということだ。

 それもなんとなく理解できる。あいつが責任を取ったところで、代役なんていないのだから。

 戸塚を筆頭に、たった数人であっても熱心なシンパがいれば、彼の政権は続くだろう。

 沈むとわかっていても、降りられない泥船。クラスとしてはもう詰んでしまっている状況だ。

 

 つれない俺たちの反応を見て、神室さんは大きなため息をつく。

 店員を呼んでオレンジジュースを注文してから、再び俺の方へ向き直った。

 

「ところで、あんたは私をどうしたいわけ?」

「……ん?」

「あんな酷い脅しをかけておいて、命令してきたことと言ったら有栖のお世話だけ。何もなさすぎて、逆に気持ち悪いのよ。他になんかないの?」

 

 急に話を変えてきたが、そう言われても困る。

 あそこで万引きネタという切り札を切ったのは、有栖ちゃんを孤独にしないため。それ以上でもそれ以下でもない。無事に目的を達成した以上、もはや彼女を縛る理由はどこにもない。

 だが、命令と聞いていいことを思いついた。

 

「そこまで言うなら、一つ命令させてもらおう」

「……何よ、急に改まって」

「これからは、真澄さんって呼ばせてよ」

 

 俺はずっと、真澄さんって呼んでみたかった。

 そう思って言ったのだが、彼女はジトっとした目で俺を睨みつけてきた。

 口をとがらせて、納得がいかない様子だ。

 

「今の結構気持ち悪い。自覚ある?」

「えっ、そうか。ごめん」

 

 どうも不快感を与えていたらしい。ストレートに苦言を呈されてしまった。

 言われてみると、確かにキモいかもしれない。俺はちょっと反省した。

 

「……あぁ、もう。わかった。私も晴翔って呼ぶから、好きにして」

 

 やや落ち込んだ俺を見て、すぐに真澄さんは許してくれた。

 嬉しい。やっぱり、真澄さんというのがしっくりくる。

 

「ありがとう、真澄さん」

「私が悪いみたいになるのも嫌だし、それが命令だって言うなら仕方ないじゃない」

 

 そっぽを向きつつも、少し照れている。可愛い。

 なんだかんだ言っても、この子は優しいところを隠しきれない。

 

 こんないい子を縛り付けるのは、俺の本意ではない。

 彼女の万引き行為は決して褒められたものではないし、必ずいつかはバレてしまうことだ。しかし、俺にこうやって脅しのネタにされた以上、もう一度やろうとはなかなか思わないはず。窃盗の再犯率は高いと聞くが……そこは彼女を信じたい。

 もう、いいだろう。ここらで解放しよう。

 

「ねぇ、真澄さん」

「認められたからって、ここぞとばかりに連呼しないでよ……何?」

「俺が真澄さんの行動を撮ってたって話、実は全部嘘なんだよね」

「……はぁ!?」

 

 レストラン中に響き渡る声で、真澄さんは驚く。

 周囲の視線が集まったのを見て、少し恥ずかしそうにした。

 

「だから、ごめん。嘘をついてでも、有栖ちゃんのところに行ってほしかったんだ」

「嘘でしょ、本当にそれだけのために、あんなことを言ったの……?」

 

 そう言って、真澄さんは有栖ちゃんを見つめる。まだ信じられないらしい。

 うーん、あの時はそこまで変なことをしたつもりじゃなかったんだけど、今思うと目的に対しての行動が過激すぎたかもしれない。

 どうしても有栖ちゃんのことが絡むと、判断基準がブレる。

 守るためなら何をしてもいい。そのような考え方が生まれてしまうのだ。

 

「信じられないかもしれませんが、晴翔くんとはそういう人なのです」

 

 しみじみと話す有栖ちゃん。その通り、俺はそういう奴なんだ。

 

「まさかカマをかけられていたなんて、ほんっと……馬鹿みたい」

「あー、まぁ……騙すようなことをしたのは、悪かった。今回は許してほしい」

 

 カマをかけた、というのも厳密に言うと違うんだけどな。

 前世の知識がどうだなんて話をするわけにもいかず、俺は黙り込んだ。

 

 ぐったりした様子で机に突っ伏している真澄さん。

 しばらくダウンした後、むくりと顔を起こした。

 

「……余計に、あんたが私をどうしたいのかわかんなくなった。嘘だとしても、今それを明かすメリットが一つも見当たらない。何がしたいの?」

「なんとなく、かな」

 

 そうとしか言えない。わかってくれないかもしれないが、本当に深い意味はない。

 俺の行動原理を理解してもらえるまでは、この水掛け論が続くだろう。

 

「意味わかんない。私はこの学校でどうすればいいのか、何をして生きていけばいいのか、それさえもわからない。クラスの雰囲気は終わってるし、あんたの命令だけ聞いていくようになるのかと思ったら、急に捨てられるし。もう、学校辞めたくなってきた……」

 

 捨てられるとは人聞きの悪い。直前の発言に、そういう意図は全くなかった。

 だが、現に彼女は弱音を吐いて、悲しそうな顔をしている。一体なぜだ?

 俺の支配下から脱する。ただそれだけのことのはずなのに、どうしてこうなっている?

 

 ……これは選択をミスったかもしれないと、ようやく気づいた。

 真澄さん自身が、俺から命令を受けて動くという関係に期待を持っていたことがわかった。

 堀北ほどではないが、彼女も孤高タイプの人間だ。孤独に負けたとは言わないが、俺の方からアプローチをかけてきたことに対して、悪くないと思っていたのかもしれない。もしくは、崩壊していくクラスの惨状を目の当たりにして、精神的なダメージを受けていたのかもしれない。

 

 脅しによる主従関係を強制終了させたのは、彼女のために良かれと思ってしたことだ。

 それがあまり良い影響を与えなかったという結果に、俺も頭を抱えた。

 

「……ごめん、有栖ちゃん。助けてくれ」

「あぁ、そういうことだったのですね、私もやっと理解しました」

 

 事情を把握した有栖ちゃんは、腕を組んで考える。

 数秒間、その優れた頭脳を稼働させる。じっと真澄さんを見つめながら、深く思考する。

 

「……わかりました、真澄さん。あなたは今後私たちに協力してください」

「協力?」

 

 さっそく何か思いついたみたいだ。相変わらず頭の回転が速い。

 

「私は、この学校で楽しく過ごすためにクラスの垣根を越えて行動しています。そのため、各クラスに一人は私の思惑を理解していただける人が欲しいのです。他のクラスであれば、Aクラスの一之瀬帆波さんや、Cクラスの櫛田桔梗さんなどが挙げられます」

「つまり、Bクラスでの協力者としての役割を、私に担えってこと?」

「ご明察の通りです。もちろん、私からのお願いを聞いていただいた際には、報酬をお支払いします……要は、あなたも退屈なのでしょう?」

 

 微笑を浮かべる有栖ちゃんに、鋭く視線を向ける真澄さん。

 こういうむすっとした顔が、勘違いされやすいんだよな。決して冷たい人じゃないのに。

 

「わかった、それでいい。全部言うこと聞くって約束はできないけど」

「構いません。真澄さんの暇つぶしにでもなればと思って、話を持ち掛けているのです。そんな簡単に退学されては、私も困ってしまいます。あなたは私の大切なお友達ですから」

 

 返答する代わりに一度深く頷いてから、真澄さんは席を立った。

 いい感じに話がまとまったようだ。このあたりは、さすが有栖ちゃんである。

 

「……また、用があったら話しかけてよ」

「用が無かったら、話しかけちゃダメなのか?」

「うっさい馬鹿」

 

 そう言って、真澄さんは去っていった。

 怒ったような態度を取りつつも、少し緩んだ口元が機嫌の良さを表現している。

 まったく、可愛いやつだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 クルージングの終わりが近づいてきた。

 俺たちは最後の記念として、デッキから海を見渡す。

 

 地上に戻れば、二学期まで束の間の休息が約束される。

 今のところ夏休みに予定はないが、幸い仲のいいメンバーも増えてきた。

 彼らから、そのうち何かしらのお誘いが来るだろう。

 

(こんな良い学校生活になるとは、思わなかったな)

 

 俺は、予想以上に楽しい日々を送らせてもらっている。

 入学したての頃には、思いもよらなかった未来だ。

 

 ……ダルくなったら辞めてやると言い放ち、嫌々入学してきた人間が随分変わったもんだ。

 この環境を与えてくれた有栖ちゃんには、最大限の感謝をしたい。

 

「いつもありがとう、有栖ちゃん」

「……こちらこそ、です」

 

 俺の言葉に、少し目を伏せて恥ずかしそうにした。

 ぎゅっと手を握り、肩を寄せたまま眼前の絶景を眺める。

 

 卒業できるのか、退学になるのか。卒業ならば、俺は最後どのクラスにいるのか。

 そんなことはわからないし、有栖ちゃんもまだエンディングまでは考えていないと思う。

 

 しかし、これだけは言える。

 俺はきっと、この学校を去る時……

 

 『あぁ、面白かった!』

 

 そんなことを言いながら、有栖ちゃんと笑い合って校庭を後にするのだろう。




 船を降りました。

 夏休みの話をいくつか挟んで、次は体育祭です。
 今書いていますが、そこはかなりさらっとした感じで進めてしまうかもしれません。
 有栖ちゃんが活躍しない試験なので……


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第34話

 この男の本質を、一番正確に理解している人間とは?


 夏休みの真っただ中、俺と有栖ちゃんはとある人物に話しかけられていた。

 

「このクソ暑い中、なんすか?」

「俺にそんな当たり方をする奴は、お前ぐらいだろうな。相変わらず面白い男だ」

 

 気味の悪い笑みを浮かべるこの男の名は、南雲雅という。

 こうやって会うのは、今日が初めてのことではない。

 

 それは、一学期が終わる直前のことだ。

 南雲は突然、俺たちとコンタクトを取ってきた。

 

 『おい、高城晴翔と言ったな。俺に潰されたくなければ、黙ってついてこい』

 

 無理やり連れて行かれた先は、二年の教室だった。王様気分の南雲と、それを受け入れる周囲になんとも言えない気持ち悪さを感じたのを覚えている。

 特に女。その扱い方で、この男がろくでもない人間であると一瞬で理解できた。

 

 南雲はその場で、俺と有栖ちゃんが一学期に取った行動を次々と言い当ててみせた。

 知らないうちに、複数の生徒を使って俺たちを監視していたようだ。気持ち悪い。

 ……なぜかはわからないが、結構前から俺に興味を持っていたらしい。

 

「改めて言おう。高城、生徒会に来い。お前のような人間を、俺は迎え入れたいと考えている」

「だから、つまんなそうだから嫌だって何度も言ってるじゃないっすか。南雲さんだって、やる気ない奴は嫌でしょう?」

 

 それ以降、顔を合わせる度に生徒会へ勧誘してくるのだ。

 俺はつまらないことと面倒なことが大嫌いなので、その両方を満たすであろう生徒会などという組織には一ミリも興味がない。どうぞ勝手にやってくれって感じだ。

 

 

 

 さすがに、暑い中で立ち話はしたくない。

 パレットという喫茶店で、俺たちは話を続けることになった。超帰りたい。

 

「坂柳もセットでいいと言っているのに、なぜ断るんだ?」

「ダルいから、ですね……」

「……」

「じゃあ、逆に質問いいっすか。おそらく次の選挙で生徒会長になるであろう南雲さんは、この学校をどう変化させたいと思いますか?」

 

 逆質問が来るのは予想できなかったのか、南雲は一瞬面食らったような顔をした。

 

「究極の実力主義。できる生徒はどんどん上に、できない生徒はどんどん下に。今の生温い環境はすべてぶっ壊して、作り変えるつもりだ」

 

 そう言い切った南雲。その構想自体は、悪くないというか面白そうだと思う。

 

「なるほど、スリリングで楽しそうではありますね。どんどん退学者が出るでしょうけど、それは弱肉強食だから仕方ない。そういう認識でいいですか?」

「相違ない」

「まぁ、そうなったら俺みたいな凡人はそのうち退学でしょうね」

「……本気で言っているのか?」

 

 南雲は首をかしげながら、ガサゴソとカバンを漁って何枚か写真を取り出した。

 俺と一緒に写っているのは、帆波さんと桔梗ちゃん。盗撮かよ、趣味わるっ!

 

「お前を絶対に退学させまいと、動く人間がいる。そこの坂柳も含めて、これだけの女を操っている男が言うセリフではない。俺がお前を買っている一番の要因……『コレクター』か『ブリーダー』かの違いはあるが、他者を支配する能力の高さ。それを成長させれば、お前は俺のように学年を丸ごと掌握することすら可能だ」

 

 何やら早口でごちゃごちゃ言って悦に浸っているが、その分析はよくわからない。

 俺が学年を掌握するって、さすがに買い被りすぎじゃない?

 

「……やろうと思うかは別として、できるかできないかで言えば、できてしまうでしょうね」

「だろ?お前みたいな女が完全に落とされてる時点で、こいつは異常だわ」

 

 なぜか、有栖ちゃんが援護射撃を加えた。

 それに対して、つーか普通にお前も欲しいんだよな……と南雲は呟く。

 

 南雲が俺に執着している理由は、有栖ちゃんにあるのかもしれない。

 詳しくはわからないが、俺たちの関係性を見て前述したような感想を持った可能性が高い。 

 

 

 

「よし、一つシミュレーションをしてやろう」

 

 突然、南雲は腕組みをして思考を始めた。

 俺は周囲の様子を見る。この男はかなりの有名人だから、変な噂が立たないといいが。

 近くの席に、帆波さんたちがいた。こっちを向いて手を振ってきたので、振り返した。

 

 そうしている間に、考えがまとまったようだ。

 次に飛び出てきた質問は、とんでもないものだった。

 

「そうだな、高城。例えば……堀北生徒会長が、坂柳を攫ったらどうする?」

「最悪殺してでも奪い返しますね」

 

 俺は即答した。

 

「くくっ……じゃあ、具体的にどうやって奪い返すんだ?」

「うーん。パッと思いつくのは、会長の大事そうな人を人質にすることですかね。あの、いるじゃないですか。名前出てこないけど、よく一緒にいる」

「橘先輩のことか?」

「そう、それです。その人をとっつかまえて、解放しないとこっちもやることやるぞ、と脅しをかけます。場合によっては本当にやっちゃうかもしれませんけど」

「あっはっはっ、面白い。やっぱお前最高だわ」

 

 俺の回答に満足したのか、南雲は笑い始めた。

 そんなに面白いこと言ったか?直接対決じゃ勝てないだろうし、と考えただけだ。

 

「もうわかった。お前の本質的な部分は、俺とかなり似ているな。お前、自分の目的達成のためならば、周りが如何なる被害を受けようとも大した問題ではないと思っているだろう?」

「……目的のレベルによりますが、今の話みたいな前提があればそうですね」

「そうだよな、俺もそう思う。会長を攻略するのに、まず橘先輩を潰せばいいって考える精神性なんかそっくりだ。やっぱ、俺の眼力ってすげー」

 

 自画自賛する南雲に、俺はちょっと引いてしまった。

 こいつと俺が同類なのかよ……マジでやめてほしいのだが。

 でも、そう思いつつも意外と嫌悪感を持っていない自分がいるのがムカつく。

 

 

 

 その後も、いろいろ話していたら夕方になってしまった。

 パレットを出た俺たちは、連絡先の交換を強制されたので、しぶしぶ南雲の番号を登録した。

 

「最後の話、守ってくれよ?」

「……まぁ、わかりました。俺がこの学校に飽きた時は、有栖ちゃんと二人で生徒会に入りましょう。めんどくさそうですが、退屈しのぎにはなるでしょうから」

 

 帰る直前に、南雲が俺に問いかけた。

 ダルいダルいと言うが、学校自体に飽きたらどうするのか?というものだ。

 俺は即座に退学すると答えた。さすがに驚いたようで、しばらく固まっていた。

 有栖ちゃんは想定していたらしく、落ち着いて聞いていたのが対照的だった。

 

 そこで、南雲は一つの口約束を持ち掛けてきた。

 俺が自主退学したいと思った時、必ず南雲に連絡をするということ。

 そうすれば、生徒会長としての権力をふるって、俺を楽しませてくれるらしい。

 その引き換えとして、俺と有栖ちゃんが生徒会に入ってやる。特にデメリットのない話だ。

 

「おいおい、生徒会を暇つぶしの道具みたいに言うなよ。ここまで上から目線な一年生、初めて見たぞ。現会長サマが聞いたら発狂するだろうな」

「でも、南雲さんは違うんだろ?」

「当然だ。それぐらいイカれた奴じゃなきゃ、つまんねーからな」

 

 最後にそう言い残し、南雲は去っていった。

 

 いなくなってから、一つ気がついた。

 生徒会に興味を持たされて、口約束とはいえいつか入ることにされてしまっている。

 つまんなそうだからどうでもいい、そう思っていたのに。

 いつの間にか、かなり近いところまで距離を縮められていた。

 

 ……やられたなぁ。これが南雲の真骨頂というわけだ。

 あいつはこんな感じで、女も籠絡してきたのか。クソ野郎め。

 

「……生徒会、ですか」

「有栖ちゃんは興味ある?」

「多少は。ふふっ、晴翔くんが生徒会長になる可能性もあるかもしれませんね」

「えー、さすがにそれはないでしょ?」

 

 そんな冗談を、有栖ちゃんは微笑みながら言った。

 南雲が俺のことを、手間をかけてまで引き入れたい理由はよくわからない。

 しかし、あの男は……確かに俺と似ている部分もある。認めたくはないが。

 

 とはいえ、まだ考えなくてもいいだろう。

 今は有栖ちゃんや、楽しい友人たちとの時間を大事にしたい。

 35度を超える炎天下にあっても、俺の頭は冷静なままだった。




 体育祭が想像以上に書きづらく、頭を悩ませています。
 やっぱり、この作品は有栖ちゃんで持っていると痛感しました。


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第35話

 

 夏休みも残すところ、あと三日となった。

 

「つかれたぁ〜」

 

 大きな声をあげて、寝転がる桔梗ちゃん。

 船上試験が終わってからは、こうして毎晩うちに来るようになった。

 

 彼女は友達が多いので、多忙な夏休みを過ごしている。

 今日はクラスメイトとプールに行っていたらしく、疲労が溜まっているようだ。以前ほど徹底しなくなったとはいえ、丸一日自分を作り続けるという行為にはかなりの負担が伴うのだろう。

 

 基本的に日中は家でゆっくりしている、俺と有栖ちゃんとは全く違う生活である。

 ……念のため説明すると、別にダラダラしようと思っているわけではない。炎天下の外出は有栖ちゃんの身体に悪影響があるから、なるべく控えているというだけの話である。夕方以降、暑さがマシになってから散歩するのが俺たちの過ごし方だ。

 

「もう、そこまで頑張る必要はないんじゃないか。ありのままの桔梗ちゃんが、一番魅力的だ」

「うーん……そう言ってくれるのは嬉しいけど、きっとそんな風に思うのは少数派だよ」

 

 外で仮面を取ることに、まだ抵抗がある様子。

 

「桔梗ちゃん自身がそれでいいのなら、強くは言えないけどな。毎日疲れて帰ってくるのを見ていて、少し心配になっただけ。お節介なら悪かった」

「気持ちは嬉しいよ。私だって本当は二人と一緒にいたいし、この部屋の中でずっとゆっくりしていられればいいなって思う。だけど、周りがそうさせてくれないから……」

 

 と、いうことだ。

 嫌々付き合う友達なんて、俺の中では絶対に不要なものだ。即捨ててしまうだろう。

 しかし、彼女はまだ拘りを持ち続けている。人気者、誰とでも仲良くなれる人、クラスの癒し系キャラ……作り上げた自分のポジションを維持するために、頑張ることをやめない。

 これは社会人としても通用する、素晴らしい姿勢だ。俺には一生できない。

 

「そういえば、気持ちの整理はつきましたか?」

 

 寝転がったまま、俺たちのやり取りを見ていた有栖ちゃん。ようやく喋ったな。

 この子は最近夏バテしてしまったのか、毎日ぐったり気味だ。

 

「いくら考えても、これが恋なのかはわからない。でも、晴翔くん以上に好きになれる男がどこにもいないってことはわかる。私の中で、異性に求める基準が上がってるから……仮に誰かと付き合ったとしても、『晴翔くんの方が良かった〜』とか言って別れるだけかも」

「ふふっ、なるほど。それは私もわかります」

 

 こくこくと頷きながら、有栖ちゃんは姿勢を変えず話を聞く。

 今日はどうしても動きたくないらしい。可愛いからいいけどさ。

 

 当初、この話を俺の前でするのはタブーなのかと思っていた。

 しかし、今のように話題に上がる光景を見て、実はそうではないと理解した。

 二人の秘密かと思いきや、特に隠すつもりはないみたいだ。俺からすると恥ずかしいことこの上ないが、お互い何を考えているのかわからないまま付き合うよりはよっぽど気が楽である。

 それにしても、どいつもこいつも俺のことを買い被りすぎだ。そんなすごい男じゃないって。

 

「まったく、なんてことしてくれたのよ。あんたのせいで、私は一生独身だ」

 

 笑いながら、むにむにと両手でほっぺたを引っ張られる。痛い痛い。

 

「それぐらいにしてあげてください。あなたをそうさせてしまった責任は、私も一緒に取ります。幸せになりましょう?」

「有栖ちゃん……ありがと。けど、いいの?」

「いいのです。桔梗さんなら、という前提はありますが。あなたは特別ですから」

 

 今の言葉が嬉しかったのか、桔梗ちゃんは有栖ちゃんが寝転がるベッドに入った。

 むにむに攻撃の対象が移ったことに安堵する。俺に対するものよりだいぶ優しいが。

 

 桔梗ちゃんにされるがままの有栖ちゃんを見ながら、俺は考える。

 俺たち三人の関係は、どんな形で決着するのだろうか?

 

 

 

「そろそろ、お風呂入ろっか」

「わかりました」

 

 二人の言葉を聞いて、俺はバスタオルを用意した。

 すでに掃除とお湯張りを済ませているので、これ以上やることはない。

 ……楽になりすぎてびっくりだ。

 

 最近、桔梗ちゃんは俺の手伝いをしてくれるようになった。

 特に風呂なんかは、すでに一人で任せられるレベルまで上がっている。

 やっぱり、本来こういうのは女の子同士の方が効率がいい。髪や身体を洗うという行為に対して、男子とは気合いの入れ方が違うからな。

 

 ここ数日、俺は外でタオルを持って待っているだけだった。上がった有栖ちゃんの身体を拭いて、寝巻きを着せて、ドライヤーで乾かす。この作業はそう難しいものではないので、桔梗ちゃん一人でも可能だと思う。単純に、俺が何もしないとウズウズするから手伝っているだけだ。

 この辺は、完全に奴隷根性が染み付いている。十年選手は伊達じゃない。

 

 これは真澄さんに頼んだ時にも思ったが、身だしなみについても女子に軍配が上がる。特に、桔梗ちゃんのメイク技術はすごい。彼女の性格上、見た目に関して相当気を遣っているというのもあるだろうが……その分野は俺より圧倒的に上級者だ。早くて丁寧で、とても真似できそうにない。

 

 ただし、外を連れ回すのは俺以外だと難しいかもしれない。

 有栖ちゃんは思ってもみないところでつまづいたり、足を滑らせたりする。階段を登るのもちょっとしたテクニックが必要で、下手なやり方をすると転んでしまう。

 コツとしては、足元から一メートル先までの範囲を常に視界の端に入れておくことと、有栖ちゃんの一挙手一投足を見逃さないこと。危険予測は起きる事象を予想するところから始まるのだ。

 他にも体調の良し悪しなど、考えることはそれなりにある。あまり身体の状態が良くない日はそもそも外に出ないとか、そういう判断も重要である。

 俺としては特に難しいことではないのだが、これは長年の経験がものを言う部分だ。一応メモにも書いているけど、真澄さんも桔梗ちゃんも揃って「意味がわからない」と言っていたから、きっと簡単に覚えられるものではないのだろう。

 

 屋内のルーチンワークを手伝ってもらえるだけでも、相当ありがたいことだ。

 一度楽を覚えると戻れないというか、とにかく桔梗ちゃんは優秀すぎる。彼女は俺たちに捨てられることを恐れているようだが、この短い間に必要不可欠な存在と化している。何年経とうとも、こちらから縁を切るようなことは百パーセントありえないと断言できる。

 

 何より、桔梗ちゃんはこれらの作業に対して嫌な顔一つしないどころか、むしろ楽しそうにしている。有栖ちゃんと一緒にいるために、当たり前のこととして捉えてくれている。

 

 微笑みながら有栖ちゃんの世話をする姿を見て、俺の人生が肯定されたように感じた。

 ……あまりにも嬉しくて、この前風呂でちょっと泣いてしまったのは内緒だ。

 

 

 

 そんなことを考えている間に、有栖ちゃんが出てきた。

 足を滑らせないよう気をつけながら、タオルで身体を拭いていく。

 

「この流れも、だんだん定着してきたな」

「そうですね……お二人とも、ありがとうございます」

 

 上半身から下半身まで終わったら、髪の毛は力を入れず優しく水分を取っていく。

 ここで雑にやると、綺麗に仕上がらない。有栖ちゃんの髪は芸術作品みたいなものだから、毎日のケアは最初から最後まで本気でやると決めている。

 

「これも、桔梗ちゃんの方が上手いかもしれないけど……」

「いや、そんなことないよ」

 

 下着だけ着けた状態で、桔梗ちゃんがこちらに来た。いいのかそれは?

 ……こいつも俺のこと男だって思ってないだろ。

 目のやり場に困るが、今は作業優先。会話をしつつも集中力は切らさない。

 

「私の髪はとても綺麗だと、いろんな方から言われます。ですが、これは私というより、晴翔くんの努力によるものです」

「もちろん、有栖ちゃんっていう素材が良すぎるのもあるんだけど……すごいよね、美容師でも目指せばいいんじゃない?」

 

 めちゃくちゃ褒められているが、残念ながら有栖ちゃん以外にやるつもりはない。

 あくまでも、この綺麗な銀髪を良い状態にしておきたいからやっているだけだ。誰にでもやりたいかと言われると違うし、お金を取れるようなものでもないと思っている。

 それに、何年やっても美容室でカットしてもらった時の仕上がりには敵わない。餅は餅屋というが、その道のプロの技には絶対に勝てないのだ。

 

 目指すといえば、俺は将来何をすればいいのだろうか。

 いつも有栖ちゃんのことばかり考えて、自分がどうするか意識する機会がなかった。

 二週目の人生は平凡に。かつてはそう思っていたが……普通に働けるのかな?

 髪をドライヤーで乾かしている間、軽い不安を覚えた。

 

 

 

 夜中になっても、一度頭に浮かんだものは消えなかった。

 すやすやと眠る有栖ちゃんを見ながら、思考を巡らせる。

 

 この学校にいるとつい忘れてしまうが、生きるためには金が必要である。

 ずっと二人でくっついていては、仕事をすることができない。

 一時的にでも有栖ちゃんを任せられる人がいなければ、生活が成立しないことに気づいた。

 

 そういう意味でも、やはり桔梗ちゃんは俺たちにとって必要な存在だ。

 こんないい子、他にはいない。離れないように捕まえておかないと……

 

 あっ。

 もしかして、有栖ちゃんはそこまで考えて動いているのか?

 

 入学から今に至るまで、この子は何かしらの目的を持って行動している。

 具体的にはわからないが、卒業後どうしたいかというビジョンがある可能性は高い。

 桔梗ちゃんに対する動きも全部、それに基づくものだと考えれば納得がいく。

 

 そのうち聞いてみようか、と思ったところで睡魔が来た。

 ……有栖ちゃんが考え抜いた結果なら、きっとそれが最適解だ。

 

 勝手に不安に思って、勝手に解決した。

 悩みって、案外そういうものなのかもしれないな。




 次から二学期です。ここまで長かった……


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第36話

 二学期が始まった。

 今日から授業もスタートしているのだが、Bクラスの雰囲気は弛緩しきっている。

 どこでどう遊んだ、あそこのレストランが美味しい……みんな、夏休み気分のままだ。

 

 とても実力至上主義とは思えぬ状態だが、これはこれでいいような気もする。

 本来、高校生とはこういうものだ。終わってしまった長期休暇を惜しみながら登校して、教師に怒られることで少し気持ちが変わり、なんとか授業に入る。何も不思議なことではない。

 

 彼らは、ある意味「普通」に戻っただけなのかもしれない。

 しかし、そんなBクラスであってもクラス間の争い……特別試験は平等にやってくる。

 この特殊な学校にいる以上、いくらやる気がなくとも逃れることはできない。

 午後に二時間も設定されたホームルームが、その現実を突きつけることになる。

 

 

 

 真嶋先生が一度ため息をついてから、プリントを配布する。

 さすがに彼らも全く興味がないわけではないのか、一時的に教室は静かになった。

 

「各自、内容をよく読むように。この体育祭に向けて、来月初めまでは体育の授業の割合が増えることになる。細かいルールについては、今から説明する」

 

 一枚目のプリントは、新しい時間割表だった。

 確かに体育が多い。有栖ちゃんの見学が増えることになるな……

 

「今回の体育祭は、全学年を二つの組に分けることになる。われわれBクラスは白組だ」

 

 二枚目以降のプリントは、体育祭のルールが記載されたものだった。

 BクラスとCクラス……わかりづらいが、清隆たちのクラスが同じ白組となる。

 帆波さんと龍園が赤組というわけだ。合っているよな?

 

 本当にややこしい。誰がどのクラスなのか、一瞬こんがらがってしまう。

 すでに全クラスが入学当初の配置と異なるクラスになっているから、当然のことではある。

 この短期間でここまで変動するなんて、誰も予想できなかったはずだ。

 ……一部の天才を除いては。

 

 桔梗ちゃんが味方チームなのは、俺たちにとって非常にありがたいことである。男女別の競技に出ている間、有栖ちゃんを任せることができるからだ。偶然とはいえ、都合の良い形となった。

 

「また、坂柳については『不戦敗』ではなく『不参加』となる。具体的には、全競技において得点計算の対象としない」

 

 プリントに目を落としている最中に、急に有栖ちゃんの話が出たので驚いた。

 今なんて言った?不参加となる?

 

「質問してよろしいでしょうか」

「何だ?」

 

 葛城が挙手して、立ち上がった。

 

「得点計算の対象としないというのは、このプリントに記載されている各種のペナルティを受けないということでしょうか?」

「その認識で問題ない。心疾患というやむを得ない事情を踏まえ、人道的配慮としてこの措置を取ることになった」

 

 この特別試験は、生徒たちにとってはマイナスが大きいものだ。各競技で最下位を取るとその度にポイントを徴収されたり、合計点数の下位10名に筆記試験の減点が入ったり、言っちゃ悪いがクソみたいなイベントだ。

 これに全て不参加でもノーダメージというのは、恐ろしいまでの優遇措置である。

 

「それって不公平じゃないですか。身体が弱いからって」

「戸塚、俺はお前の質問を許可したつもりはないぞ。そして、その考え方は社会人としては許されない。将来命取りになるから気をつけろ」

 

 戸塚はムカつくが、今回ばかりはそう思ってしまうのも仕方がないと感じた。

 有栖ちゃん一人のために、ルールを捻じ曲げた?

 こうなった理由がわからず、俺は戸惑う。さすがにこれは異常事態といっていい。

 

 だが、クラスの生徒たちの反応は……白い目。

 おそらく、本当に有栖ちゃんを尊重してくれているのはごく少数の生徒だけだ。どちらかというと、面倒事が起きるのを嫌がっているように見える。

 失笑とため息が、大きな圧力となって戸塚を襲う。

 

「……すいません」

 

 本人もそれを感じ取ったのか、俯きながら真嶋先生へ謝罪した。

 再び椅子へと座り、ばつの悪そうな表情を浮かべている。

 

「説明を続けるぞ」

 

 以降の話は、頭に入ってこなかった。

 ……こんな大それたことをする人間は、かなり絞られる。試験内容をいじることができる者など、ごく少数に限られるからだ。生徒会か、教師か。あるいはもっと上の存在か。

 

 一体誰の仕業だろう?

 俺はまだ、答えにたどり着くことができなかった。

 

 

 

 一通りの説明が終了し、残りの授業時間は自由に使っていいことになった。

 そこで葛城が作戦を立てようと言い始めたが、なかなかまとまらない。

 さすがに授業中ということで勝手に退出するような生徒はいなかったが、その態度は酷いもの。話を全く聞かず、明日の小テストの勉強をする女子。しけた顔で、ぼーっと窓の外を見る男子。自信過剰なエリート集団はどこかへ行ってしまったようだ。気だるい雰囲気のみが場を支配する。

 

「……推薦参加の種目に出たい者は、俺に言ってきてくれ」

 

 肩を落とした葛城が、小さな声でそう言った。

 数少なくなった葛城派の人間のみ反応する光景は、このクラスの現状を表している。

 好きの反対は無関心というが、その通りであると実感した。

 

 大した議論がされることもなく、いつの間にか二十分が経過していた。

 なんというか、ものすごく無駄な時間だった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 それから休憩時間を挟んで、俺たちは体育館に集められた。全学年の顔合わせということで、数多くの上級生がいる。近くに南雲の姿も見えたが、こちらから声をかけるのは遠慮しておいた。

 有栖ちゃんと隅っこの方に立っていると、一人の男が近寄ってきた。

 

「おっ、『アイドルキラー』がいるぞ」

「何だって?」

 

 ふざけた口調で声をかけてきたこいつは、確か……

 

「寛治くん、どうしたの?……あっ」

 

 直後に、桔梗ちゃんがやって来た。

 その名前を聞いて思い出した。そうそう、池寛治。山内・須藤とセットで、クラスの三馬鹿とか言われている男だ。

 

「アイドルキラーって何だよ。変なあだ名をつけないでくれ」

「いやー、お前は実績がありすぎるからな……あの一之瀬様に接近できる、数少ない男子の一人だろ?隣の坂柳さんはもちろん、それから……」

「晴翔くんっ!」

 

 池が話し終わる前に、桔梗ちゃんは俺の腕に抱きついてきた。

 急すぎる行動に、俺も池も呆気に取られてしまった。

 

「えっと、桔梗ちゃん?」

「晴翔くんと同じ白組になれて、私すっごく嬉しい」

 

 営業モードのまま、めちゃくちゃ甘えてきた。一体どういうことだろう?

 ……有栖ちゃんは無表情に見えるが、これは笑いを堪えている。俺にはわかる。

 つまり、二人の中では計算済みというわけだ。それなら俺は、流されておけばいい。

 

「ああ、俺も嬉しいぞ」

「本当?やったー!」

 

 本当に嬉しそうな表情で、胸を押し当ててきた。おいおい、そこまでやるのか?

 それに対して、不機嫌そうな演技をする有栖ちゃん。愕然とする池。

 

「……彼は渡しませんよ?」

「ふーん。まぁ、それは晴翔くんが決めることだよね」

 

 少し声を大きくして、二人は火花を散らす……ように見せかける。

 周りに関係性をアピールするかの如く、睨み合ったまま話を続ける。

 俺でさえ、一瞬本気なのかと疑ってしまうぐらいの名演技だ。

 自分を作るのは桔梗ちゃんの得意分野とはいえ、これはすごい。

 

「お、お前……マジかよ」

 

 池は顔を引き攣らせたまま、後ずさりした。

 こいつにとっては、今の桔梗ちゃんがかなりショックだったようだ。

 

「晴翔くんは譲れないよ。その相手が、親友の有栖ちゃんだとしても」

「ふふっ、そうですか。奪えると思うなら、どうぞ奪ってみてください」

 

 宣戦布告。ここまで聞けば、馬鹿な俺でもさすがにわかる。

 この二人は、ライバル関係を演出したいのだと思う。今までのように、距離が近すぎると不都合なんだろう。表向きは別クラスの生徒という立場もあるし、スパイ行為を疑われては面倒だ。どちらかというと、桔梗ちゃんが動きづらくなるのを防止する意味合いが強いのかな。

 うーん、体育祭の動きは考え直した方がいいか……俺が離れてる時のことは、真澄さんに頼む方が正解かもしれない。

 

「羨ましい。どうやったらそんな状況を作れるんだ……負けたぜ」

 

 池は両手を挙げて、降参ポーズを取った。

 いや、何の勝負だよ。勝手に負けてろ。

 

「えっ、晴翔くんたちってそういう関係だったの!?」

 

 そして帆波さん、いつからそこにいたんだ。

 頼むからあなたは騙されないでくれ。話が大きくなる上に、俺の株が下がりまくる未来が見える。つーか、やる前にこの人には説明しておこうよ……

 

「帆波さん、しばらくぶりですね」

「うん……私も立候補!なーんて言ったら、どうなるかな?」

 

 どうなるかって?俺が袋叩きに遭う。変死体となって発見されるかもしれない。

 マジでやめてください、お願いします。帆波さんだけは冗談抜きでヤバいって。

 ほら、周りからの視線が突き刺さってる。物理的には痛くないのに痛い。

 

 ……まさか、手遅れなのか。アイドルキラーってそういうことかよ。

 友人関係を楽しむばかりで、その他大勢からどう思われているか意識したことがなかった。

 

 その後、この不名誉な異名が学校中に広まっていることを知った。

 清隆と恵ちゃんはもちろん、龍園や神崎でさえも知っていたから相当なものだ。

 しかも、馬鹿にするようなニュアンスではなく、わりと恐れられているらしい。例の戸塚との一件もあって、高城の女に手を出すと半殺しにされるとかいう噂まで流れている。

 話に尾ひれがつきまくっていて、もう収拾がつかない状況だ。

 

 急に胃が痛くなってきた。個人的には、すでに体育祭どころではない。

 俺は各クラスの「アイドル」たちに囲まれながら、頭を抱えた。



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第37話

 体育祭に対する俺のモチベーションは、すこぶる低い。

 有栖ちゃんは完全不参加で、今回は特に何をするつもりもないようだ。そんな状況でやる気を出すなど、無理な相談である。

 全競技最下位でもいい。プライベートポイントぐらい払うし、筆記試験がマイナス10点されても困らない。赤点ギリギリにならないようにすればいいだけの話だ。

 

 俺としては適当に流していくつもりだが、他のクラスがどうしているかは興味がある。

 そこで、同じ白組であるCクラスの様子を見に行くことにした。

 有栖ちゃんと二人で、グラウンド近くのベンチに腰かける。

 

「晴翔、こっちに来ていたのか」

 

 さっそく清隆が俺たちを見つけて、声をかけてきた。

 見た感じ、リレーの練習をしているようだ。

 

 汗をぬぐいながら、ダッシュを繰り返している男が一人。須藤健だ。

 速い速い。あの筋力で足も速いとくれば、無敵だな。

 とにかく目立っている。やはり、身体能力に関しては学校随一の存在だ。

 

「そういえば、堀北はどうしたんだ?」

 

 多くの生徒が練習しているが、その中に堀北の姿はなかった。

 

「あいつは、今のクラスにかなり不満を感じている。恵がリーダーであることに納得がいかないらしい。好きにやらせてもらうと言って、どこかへ行ってしまった」

 

 清隆は感情のこもっていない声で、そう説明した。

 ……やはり、まだ諦めていなかった。いまだに恵ちゃんのことを認めず、独自で行動しようとしている。彼女の思考に集団へ溶け込むという意識は全く無いのだろう。ここまで突き抜けると、逆に清々しいとも言える。良く言えば、本当に裏表のない人間なのだと思う。

 

「やっとクラスがまとまってきたっつーのに、勝手なことしやがって」

 

 須藤が練習を切り上げて、こちらへやって来た。苦虫を嚙み潰したような顔だ。

 どうやら、堀北と何かあったらしい。

 

「須藤くんは、堀北さんと意見が合わないのですか?」

 

 探るような視線で、有栖ちゃんが問う。

 

「ああ。どっちかというと、あいつが一方的に俺を敵視しているような感じだが」

 

 この口ぶりからして、おそらく堀北が須藤を怒らせるようなことを言ったのが発端だ。

 ……そして、他の生徒はみんな須藤の肩を持ったのだろうな。

 自分を責める空気に耐えられず、飛び出していったというところか。

 

 体育祭は須藤の晴れ舞台だ。間違いなく勝利に貢献するし、なくてはならない存在である。

 Cクラスの人間からすると、彼がやる気を失うようなことをされては困るのだ。

 逆に、堀北のことを尊重したところでメリットは薄い。能力的な意味では力になるとはいえ、チームプレイのかけらもない今の彼女はクラスの和を乱す。

 

 最大戦力の須藤がへそを曲げるぐらいなら、堀北に退場してもらう方がいくらかマシだ。非情ともいえるが、勝利を求めるのであればやむを得ない選択である。

 そして、おそらく全てをコントロールしているであろうこの男……綾小路清隆は、そういった決断をすることに一切の躊躇をしない。

 清隆は恵ちゃんを選んだ。選ばれなかった堀北が不遇な立場に追いやられるのは、必然なのかもしれない。少し可哀そうではあるが、もう取り返しはつかない。

 何より、これは堀北自身の行動による結果でもあるのだ。冷たいようだが、自己責任である。

 

 

 

「あっ、須藤。ここにいたんだ」

「……軽井沢か」

 

 しばらく雑談していると、恵ちゃんが須藤を探して来た。

 

「さっき言った通り、須藤には全部の競技に出てもらいたいと思ってる。やる方は大変かもしれないけど、うちが勝つための近道だから」

「もちろんオッケーだ。言われるまでもなく、最初からそのつもりだぜ」

「ありがと。ほんと、このクラスに須藤がいてよかった」

「おい、恥ずかしいこと言うなよ!」

 

 自分の存在を肯定されて、須藤は満更でもない様子だ。

 今の会話を聞いて、俺の中で彼女の評価が大きく変わった。

 まさか、こんなにうまくやっているなんて思ってもみなかった……いつの間にか、良いリーダーになっている。これならクラスメイトもついてくるだろう。

 

「まだ自分勝手なことを言う人もいるけど、どうにか説得するから」

「……悪いな、そういうことだけやらせちまって」

「ううん、全然大丈夫。それがあたしの存在意義だと思うし」

 

 そう言って微笑む姿は、非常に魅力的だ。須藤も少し遠慮がちに照れている。

 一応、彼氏がいるからという気遣いをしているのだろうか?

 

 ……6月末の暴力騒動で、恵ちゃんが大活躍したという話を思い出した。

 帆波さんによれば、苦労しながらクラス全員に聞き込み調査を行ったとのこと。

 多分、その経験が生きている。あのイベントは、彼女がクラスのために本気で頑張っているというイメージを作り上げるとともに、かつて自らが起こした不和を打ち消した。

 須藤との仲が良くなったのは当然だが、「信頼」という武器を得ることができたのも大きい。

 

 何よりもすごいのが清隆だ。この短期間でここまで成長させるなんて……

 恵ちゃんもまだまだ甘いというか、ダメな部分もあるだろう。学力や運動能力などの基本的なスペックはそう高くないだろうし、本人が調子に乗りやすいタイプなのもまた事実。

 しかし、そのあたりはそこまで大事なことじゃない。最も必要な能力……集団を統率する力を、彼女は獲得しつつある。

 

 このまとめ方は、今の堀北では絶対にできない。

 あいつがそれに気づくまでは、リーダーの座を奪うことなど夢のまた夢だろう。

 

「清隆、やっぱりお前はすごい男だな」

「ありがとう。だが、オレはようやくスタートラインに立った程度だと思っている」

 

 俺にとっても、恵ちゃんがどこまで成長するか楽しみになってきた。最終的に帆波さんや龍園と渡り合うほどの存在になれば、めちゃくちゃ面白い。

 こうやって、清隆はいつも俺をワクワクさせてくれる。出会えて本当に良かったと思う。

 

「……ふふっ、そうですか。清隆くんが目指すものは、そこにあるのですね」

 

 突然、有栖ちゃんが意味深なことを言った。

 

「もう理解したのか。相変わらず、大した洞察力だ……一応言っておくが、決して有栖を傷つけようとする意図はない。そこに恵がいたとしても、お前がオレにとって唯一無二の存在であることに変わりはないからな」

「当然、理解しています。あなたの最終目標が達成された時、結果として私の主張が崩される形になる。たったそれだけの話です。そこには、善意も悪意もありません」

「……流石だ。有栖と会話をすればするほど、ゴールがどれだけ遠いか思い知らされる」

 

 二人の話に、全くついていくことができない。

 俺は視線を動かして、Cクラスの生徒たちと楽しそうに話す恵ちゃんを見る。たった一つわかるのは、彼女が二人にとってのキーパーソンであることだ。

 清隆と有栖ちゃん。俺の理解できない領域で繋がっている二人は、いったい彼女に何を求めているのか。彼が目的地に到着した後も、彼女は今のように笑っていられるのだろうか。

 

 日が落ちてきて、少し涼しくなってきた。相変わらず暑さの厳しい毎日が続くが、夕方以降になると秋が来ていることを実感する。

 練習を終える生徒も増えてきたので、俺たちは部屋へ戻ることにした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 桔梗ちゃんは友達と予定があるらしく、今日は来ないようだ。

 久しぶりに俺たち二人で入る風呂も、これはこれでいいものである。

 ゆっくりと湯船に浸かりながら、夕方のことを話し始めた。

 

「有栖ちゃんは、清隆と恵ちゃんの関係をどう思ってるの?」

「……難しい質問です。恵さんにとっては最高の恋人、清隆くんにとっては大事な所有物。今の段階では、見た通りのことしか言えません」

 

 そのうち変わるかもしれませんが、と有栖ちゃんは付け加える。

 

「あの恵ちゃんの動きも、全部清隆の思い通りなんだよな?」

「そうですね。しかし、清隆くんは一つだけ見落としていることがあります。それは彼が優秀すぎるが故の落とし穴。盲点のようなものです」

 

 また難しいことを言う。清隆が何かを見落とすなんて、そんなことあり得るのか。

 でも、有栖ちゃんが言うならそうなのだろう。

 

 ……知ってても教えてあげないというのが、またこの子っぽい。どうやら、清隆の最大の理解者はアドバイザーではないらしい。独特だが、これもまた悪くない友人関係だと思う。

 

「それに気づかないと、清隆はどうなるんだ?」

「どうなるかと言われると、なかなか表現が難しいですが……」

 

 そう言ってから、有栖ちゃんは俺の腕に絡みつく。これは上がりたいときのサインだ。

 おっと、意外に時間が経ってしまっていた。長風呂は心臓に負担をかけるので厳禁だ。

 その小柄な身体を支えつつ、俺たちは一緒に風呂場から出る。転ばないよう細心の注意を払いながら、タオルを持って身体を拭く。

 

 自分を拭くのはそこそこに、手早く下着を着せていく。その間も有栖ちゃんは思考を巡らせていた。俺の質問の回答を、真剣に考えてくれているようだ。

 

 次に言葉を発したのは、風呂上がりの飲み物を用意した時だった。

 

「清隆くんが、恵さんの尻に敷かれる。ふふっ、そんなところでしょうか?」

 

 主従逆転ということか。なぜそういう結論に至ったのかはわからないが、非常に面白い。

 人差し指を口元に当てて、有栖ちゃんは微笑んだ。これは内緒にしておきたいらしい。

 あと、そのポーズはめちゃくちゃ可愛いからやめてくれ。悶える。

 

「それは楽しそうだ。でも、清隆にとっては不本意だろうな」

「私としては、清隆くんならそうなる前に気づくと思います。ですが、気づいた上で……彼はどうするのでしょうか。今はまだ、使い勝手の良い道具程度にしか考えていないと思いますが」

 

 ストローでジュースを飲みながら、有栖ちゃんは考えに耽る。

 

「恵ちゃんに対して、いつか情がわくかもしれないってことか」

「ほんの僅かな変化ですが、清隆くんの中に何かが芽生え始めているような気がします。また、そうさせたのは晴翔くん。あなただと思います」

 

 えっ、俺?

 

「俺の行動が、清隆に影響を与えたのか?」

 

 特に心当たりがないので、びっくりする。

 そんな俺の様子を見て、くすくすと笑い始めた。

 

「やはり、自覚はないのですね。だからこそ、誰も気づかないうちに他者を変化させることができるのでしょう。ある意味においては、清隆くんも私と同じかもしれません」

 

 入学式から今日までの、清隆とのエピソードを想起する。

 俺からお願いして、友達になってもらったこと。無人島で、茶柱や父親の対策を一緒に考えたこと。船の上で、恵ちゃんと真鍋たちの諍いを観察したこと。

 その他些細なことも含めて、たった半年弱で濃密な関係を築くことができた。

 

 無機質な空間から逃れ、綾小路清隆という人間が定まっていない状態でこの学校へ来た。最初に友人となった俺たちは、彼の人格を固定するための要素になっていたのかもしれない。

 今日の会話で、清隆は有栖ちゃんを唯一無二の存在と評した。その意味を考えると……

 

「ああ、ちょっとわかってきたかも」

「良かったです。なかなか、可愛いものでしょう?」

「そうだな」

 

 彼の内面の一部を理解したことで、さらに距離が近づいたような気がした。

 

 清隆の最終目標が何かはわからないが……よし、決めた。あいつの父親の邪魔をしてやろう。

 直接倒すのは凡人の俺には難しいし、それは清隆自身がやるべきことだ。

 そこで、何かいい感じの嫌がらせはできないだろうかと考える。

 

 ……大した事ではないかもしれないが、一つひらめいた。

 手間がかからない上に、それなりにダメージを負わせる方法。

 しかし、その機会がすぐに訪れるわけではなさそうなので、とりあえず頭の隅に留めておく。

 

 納得がいくまで、この学校に居続けること。

 その手伝いをしてやりたいと思うぐらいには、俺は清隆の人間としての魅力に惹かれていた。



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番外編3

 ダークサイド雑魚。出すタイミングを失いそうなので、ここで投稿します。
 この男の本質を正確に理解できるのは、この人でしょう。


 暗い闇の中、波の音が大きく聞こえる。

 ここには、オレとその友人……高城晴翔の二人だけが立っている。

 

 無人島試験、二日目の夜。オレたちは秘密裏に会って話をしていた。

 この男はリタイアを決意している。オレのもう一人の友人、坂柳有栖の世話をするためだ。

 

 まず初めに、高城はAクラスのリーダーが戸塚弥彦という男子生徒であることを明かした。その上で、Cクラスのリーダーを調査して得た情報を一之瀬に売ってほしいと打診してきた。

 今回、オレたちは完全に利害が一致している。Aクラスを引き摺り下ろすという結果は、今後オレが行動する上でもメリットが大きい。断る理由もないため、二つ返事で承諾した。

 

 正直なところ、オレはこれからどうすればいいか悩んでいた。

 Dクラスの担任教師、茶柱佐枝から脅迫を受けていること。あの男……自分の父親が、オレをこの学校から退学させようと目論んでいること。

 これといった答えを出せないまま、こちらの事情を打ち明けた。数少ない友達である高城なら、オレの道標になってくれるかもしれないと思ったからだ。

 

 また、高城の特殊な精神性には以前より強い興味があった。

 それはこの件と何ら関係ないが、試す意味も含めて一つの質問をした。

 

「高城。お前がオレの立場なら、どうする?」

「父親を殺す」

 

 まるであらかじめ答えを用意していたかのように、即答した。

 ……高城は、殺人を行動の選択肢に入れることができる人間だった。

 普段の言動から想定はしていたものの、実際に聞いてみるとやはり驚きが勝る。

 

 しばらく沈黙が続いた後、高城は自らその意図を説明し始めた。

 曰く、殺人に対する刑罰というのは、どの国においても非常に重く設定されている。これは加害者を制裁する意味もあるが、一番の目的は殺人という行為を抑制するためだ。

 裏返すと、これは邪魔な人間を消し去る最も効率の良い方法が殺人であることを意味する。

 手っ取り早い方法だからこそ、大きな代償を払わせる。この意見は賛同できるものだった。

 

「俺のような凡人には、証拠を残さず殺すことなどできない。でも、綾小路ならできるだろ?」

 

 ホワイトルームでお前が受けた教育も、その助けとなるはずだ。

 そう断言する高城は、普段の調子と全く変わらない。

 一瞬、自分の身体が震えた。生まれて初めて得たこの感情が何であるか、わからなかった。

 

「父親がお前の退学を目的としているならば、必ずこの学校に一度はやってくる。その時こそ千載一遇のチャンスだ。俺は、綾小路ほどの人間が自由を得るのに『翼』など必要ないと思う。圧倒的な力をもって、全てを破壊すればいいだけのこと」

 

 茶柱が用いたイカロスの喩えを流用し、真剣な顔で語りかけてくる。

 完全にその通りであると、オレは感心してしまった。

 

「前向きに考えておこう。とても興味深い話だった」

「それは良かった。真に解放される日が、早く来るといいな」

「ああ、オレもそれを待ち望んでいる。ありがとう、高城」

 

 闇を持つ者は、惹かれ合う。そして、より深い闇が飲み込んでいく。

 高城が心の奥底に抱えている闇は、おそらく……オレを上回る。

 

 その後、直近の問題……茶柱への対応を話し合った。

 高城の出す案はいずれも攻撃的で、中には突拍子もないようなものもあった。

 実現可能性があるかはともかく、面白いと思わせてくれるものばかりだった。

 

 話しているうちに、オレははっとした。内容よりも、「いくらでも案が出ること」こそが重要であると理解したからだ。考えることをやめなければ、アイデアは必ず出てくる。茶柱ごときの脅しで思考を止めてしまうのは、戦う前から降参することに等しい。それこそ敵の思う壺である。

 

 ……こんな簡単なことに気づかないほど、オレの視野は狭くなっていたのか。

 まさかこいつは、そこまで考えて……?

 

 

 

 高城との会話は、時間を忘れてしまうほど濃密なものであった。

 しかし、夜明けが近づいてきた。ここで会っていたと発覚することが、お互いにとって不都合であるのは明白だ。そろそろお開きとしなければならない。

 

「有栖ちゃんに会いたい……あいつら全員、殺せたらよかったのに」

 

 高城はふいに立ち上がり、Aクラスの拠点がある方向を睨みつけた。

 

「下剤程度に留めたのは、お前が凡人であるからか?」

「そうだ。いくら威勢のいいことを言ったところで、実力が伴わなければ大言壮語にすぎない。俺みたいな雑魚には、小狡いテロリストぐらいがお似合いなのさ」

 

 その昏い眼は、十六年しか生きていない人間がしていいものではない。

 高城は表情を変えぬまま、洞窟がある場所へ向けて歩き始めた。

 

「あっちに戻るのか」

「ああ、バレたら面倒だからな。さっきも言ったが、帆波さんに求める対価をどうするかは任せる。あまり深く考えず、ふわっとした条件でも大丈夫だと思う。あの人の性格的に、むしろその方がリターンが大きくなるかもしれない」

「同感だ。しかし、次に会うのは試験明けか……寂しくなるな」

 

 寂しいなどという感情が、オレに備わっていることを初めて知った。

 この男と過ごしていると、本当にそういう機会が多い。綾小路清隆という人間は、高城と坂柳によって固定されたといっても過言ではない。

 

「綾小路にそんなことを言われるなんて、明日は雨かもしれないな。しばらくのお別れだが、必ずまた会えるさ……お互いに生きてさえいれば、絶対に。どうか怪我には気をつけて、船へと帰ってきてくれ。俺は、俺の大事な人たちが楽しそうならそれでいい。もちろん、お前も含めてだ」

「……ありがとう、また会おう」

 

 高城の過去に何があったのか、まだ知ることはできなかった。

 それでも、たった一つだが確信に近い推測を得ることができた。

 

(高城は、己の目的のために人を殺したことがある)

 

 あらゆる意味で、底の知れない男だ。

 高城とこういう関係になれたことは、これ以上ない幸運だったのかもしれない。

 ゆっくりと遠ざかっていく背中を眺めながら、オレはそんなことを思った。

 

 

 

 高城と別れた後も、Dクラスの生徒たちが寝入っている中で思考を続けた。

 脳が興奮しているからか、まったく眠気は来ない。

 

 頭に浮かぶのは、高城が執着してやまない少女……坂柳有栖の存在だ。

 彼女は高城に依存し、絶対に裏切らない最強の駒として死ぬまで動き続けるだろう。そして、本人もそれを自覚した上で、高城のものとして扱われることに幸福感を覚えている。

 素晴らしい服従関係であり、如何なる手段を用いても断ち切ることはできない。

 

 ここまではオレによるかつての評価だ。

 今日、これは大きな間違いであったのではないかと疑い始めた。

 

 真の主人は、坂柳の方なのかもしれない。

 高城は、自分のことをただの凡人と評する癖がある。とてもそうは思えないのだが、本人はそう信じ切っている。坂柳こそが「天才」であると定義しているからだ。

 坂柳はあいつに「凡人」という名の首輪をつけて、その圧倒的な才能を自分の介護のみに向けさせている。決して意図的ではないだろうが、高城晴翔という人間の制御に成功している。

 身体能力が著しく低いことですら、その結果を得るための要素となる。彼らが出会ったのは幼少期であると聞いたが、これはもはや奇跡としか言えない。

 

 高城が何らかの手段を用いて、坂柳の心を圧し折ったのは間違いない。そうでなければ、あそこまで従順になることなどあり得ない。その部分に関しては、オレであっても理解不能な領域だ。

 あの二人の謎は深まるばかりだが、重要なのはあくまでもその「結果」……坂柳もまた、高城の能力を縛りつけることに成功しているという点だ。

 

 お互いがお互いに絡みつき、離れられなくなっている。

 この完成された関係こそ、彼らの全てである。オレはそう結論を出した。

 

(あの男を殺す、か)

 

 それにしても、考えれば考えるほどシンプルかつ効果的な解決法である。

 むしろ、なぜ今まで思いつかなかったのか疑問だ。知らず知らずのうちに、オレは自分の行動の選択肢を狭めていたのかもしれない。もしくは、ホワイトルームの外での生活が長くなり、人を殺してはならないという一般論に染まってしまったのだろうか。

 

 高城の言う通り、必ずあの男はオレに接触してくる。常に護衛を連れていることを考慮すると、殺害は達成できないかもしれないが……それでも、攻撃を仕掛ける価値はある。

 

(ああ、本当にお前と会えてよかった)

 

 去っていく親友の姿を思い返した時、オレの頬は自然と緩んでいた。



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第38話

 感想など、いつもありがとうございます。だいぶ長い連載になってきましたが、今後ともよろしくお願いいたします。


 体育祭まであと二週間となった。

 放課後、俺と有栖ちゃんは人気のないカフェでゆったりとした時間を過ごしていた。

 

「そのケーキ、美味しい?」

「美味しいですよ。食べますか?」

 

 あーん。うん、甘さひかえめの生クリームがいい感じ。

 このやり取りは定番だ。人が食べているのを見ると、俺も食べたくなる。

 あと、有栖ちゃんはこうやって俺に食べさせるのが好きらしい。普段、何か「してあげる」ということがあまりないから……と言っていた。そんなこともないと思うんだけど。

 

「なかなかうまいな。今度は俺も頼もう」

「ふふっ、また来ましょうね。こういうデートも良いものです」

 

 有栖ちゃんの言う通り、心地良いひとときだ。俺にとっては、これこそが理想的な高校生活と言ってもいい。好きな女の子とだらだら過ごす夕方なんて、最高じゃないか。

 

 それにしても、最近はとにかく暇だ。体育祭の練習には参加していないし、参加競技を決める打ち合わせなど顔を出したことさえない。そして、残念ながらBクラスではそういう人間が多数派なのだ。HR後に直帰しても全く目立たない、素晴らしい環境である。

 ……推薦参加種目は葛城派の生徒が全て出ることになるだろうが、全員参加種目をどういう順番にするのか疑問ではある。勝手に決めたら、クラスが大荒れになるのは必至だ。

 

「まぁ、俺には関係ないんだけど」

 

 俺も含めて、今のBクラスはとにかく自己中な集団である。舵取りを間違えれば、今まで無関心を貫いていた層が激しいアンチに変貌する可能性は高い。

 だからといって、非葛城派を立てるようなことをすると、今度は自分の足元が揺らぐ。ここまでずっと葛城を支持してきたのに、なぜ?という意見が出るのは間違いない。

 

 完全に詰んでいるように見えるが、どうするつもりだろうか?

 だが、そう思ったところで何をするわけでもない。どうでもいいや……という感想しか出てこないからだ。結局のところ、どこまでいっても他人事である。

 

「そろそろ、頃合いかもしれません」

 

 有栖ちゃんがフォークを置いて、ぽつりと呟いた。

 

「頃合い?」

「帆波さんが、Bクラスの生徒たちの負債を肩代わりする件です。覚えていますか?」

 

 そういえば、そんな話もあったな。言われて思い出した。

 帆波さんが持っているポイントは、既に一千万を超えているだろう。もはや、龍園に払うポイントなど端金だ。

 

「クラスとしてその話を拒絶することは、絶対にあり得ない。確実に賛成多数だ」

「はい。拒絶どころか、契約後は生徒たちのモチベーションが上がると思います」

「今まで黙っていた奴らが『帆波派』になるわけだから、当然だな」

「その通りです。彼女の優しさと温かい言葉は、崩壊した集団を動かすには十分すぎる力を持ちます。クラス同士の協力はもちろん、一定数の『信者』を獲得する結果になるでしょう」

 

 負け続けてボロボロになったBクラスに、救いの手を差し伸べる。するとどうなるか?

 帆波さんというメシアに従って動く、狂信的な集団が生まれる……かもしれない。

 ……さすがにそこまでは行かないか。でも、今の葛城より求心力が高くなるのは確実だ。

 また、Bクラスの生徒には龍園に対する潜在的な憎悪がある。あいつに一泡吹かせてやろうという方向に話を持っていけば、一定の団結力も生まれるだろう。

 

 その辺りも踏まえつつ、有栖ちゃんが考えた言葉を帆波さんが話す。悪意の見えない態度と、持って生まれたカリスマ性。集団を洗脳するために必要なものを、彼女はいくつも持っている。

 まず失敗はない。それでも落ちない生徒が何人いるか?程度の問題だ。

 

「帆波教の勢力がどんどん拡大していくな。最終的に、学年を支配させるつもり?」

「最後は帆波さん次第ですが、それも面白いかもしれませんね。私としては、龍園くんにその牙城を崩してほしいと思いますが……返り討ちに遭うのを見るのも、また楽しいものです」

 

 そう言って、有栖ちゃんは笑った。とりあえず可愛い。

 この笑顔が見られるなら、俺は何でもオッケーだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 午後六時を回った頃、特に意味もなく清隆の部屋を訪ねた。

 

「よう、遊びにきたぞ。迷惑だったら帰るけど」

「お、おう。迷惑なんてことはないが……」

 

 珍しく歯切れの悪い清隆。

 靴を脱いで部屋の中へ入ると、すぐにその理由が分かった。

 

 そこには、何かの景品だと思われるファンシーなぬいぐるみや、可愛らしい雑貨類が置かれていた。もちろん恵ちゃんの趣向だとわかっているが、清隆のイメージとは大きくかけ離れていて、なんだか笑ってしまいそうになる。ぬいぐるみと一緒に生活する清隆なんて、想像するだけで面白すぎる。反則だ。

 有栖ちゃんも隣でニコニコしている。微笑むというよりは、大笑いするのを抑制している感じがする。楽しそうで何より。

 

「なんつーか、その」

「晴翔の言いたいことはわかる。勘弁してくれ……」

 

 清隆は首を横に振って、ため息をついた。俺たちの反応は予想できていたらしい。

 

「いや、決して馬鹿にする意図はない。むしろ、ちゃんと見るとなかなか良いと思うぞ。普段の清隆とのギャップが大きくて、驚いてしまっただけだ」

「元々はこんな部屋じゃなかったのだが……」

「それはわかる。恵ちゃんだろ?」

「そうだ。可愛い部屋じゃなきゃ嫌だと、譲らなくてな……」

 

 いかにもあいつが言いそうなセリフだ。

 

「ただいま〜!」

 

 噂をすればなんとやら、恵ちゃんが帰ってきた。

 珍しく、今日は別行動を取っていたらしい……それって結構すごいことじゃない?

 いつの間にか、依存しつつも離れることを許容できるようになっている。

 

「おかえり」

「ちゅー」

 

 部屋に入ってきた直後、いきなりキスをかました。熱いなぁ……

 清隆ももう慣れっこといった様子で、当然のことのように受け入れている。

 

「……女子たちも、納得してくれたか?」

「なんとかね。あとは、あいつだけかな」

「堀北のことは、放っておいてもいい。むしろ、()()()()()()()のが最善策だ」

 

 体育祭の方針について、二人は真剣に話し始めた。恵ちゃんが何をどうしたと報告して、それに清隆が反応するスタイルだ。そのやり取りは、まるで仲の良い親子のようだ。

 意外だったのは、褒めて伸ばすタイプの教育であること。今日のエピソードを包み隠さず語る恵ちゃんに対して、その場面ごとに良かった点と直したほうがいい部分を挙げていく。こいつ、こんな才能もあるのか……ホワイトルームとは真逆の方針に思えるが、あえてやってるんだろうな。

 

「今日もよく頑張ったな」

「うん、あたし頑張ったよ。清隆のために」

 

 ご褒美は?とねだる恵ちゃんを、清隆は静かに抱きしめた。とろんとした目で甘えるその姿は、外で見かけるものとは別人のように違う。

 ……どうも、人格に裏表が出てきた気がする。桔梗ちゃんほどはっきりしていないが、「クラスのリーダーとしての軽井沢」と「清隆の彼女としての恵ちゃん」を使い分け始めている。

 そんな二人を、有栖ちゃんはとても愉快そうに見つめていた。

 

 少し雑談をしてから、俺たちは帰ることにした。清隆はまだいてもいいと言ってくれたが、あまり長居してお邪魔虫になるのは望まない。

 変なところで恵ちゃんの恨みを買いたくないし、さっさと引き上げるのが正解だ。

 

「あっ、おかえり!」

「ごめんごめん、ちょっと清隆のところに行ってたんだ」

 

 エレベーターを降りると、部屋の前に少しそわそわした様子の桔梗ちゃんがいた。どうやら、俺たちが帰るまで待っていてくれたようだ。

 これは申し訳ないと思い、急いで鍵を開ける。

 

「……何かありましたね?」

「うん、そうなんだ。今日はちょっと相談したいことがあって」

 

 有栖ちゃんも、普段と違うことに気づいたらしい。

 どんな相談だろうかと考えながら、俺は部屋に入った。




 途中で切ってしまい申し訳ありません。この話の後半部分が結構大事なので、文字起こしにちょっと時間がかかってます。
 間があくよりはマシかと思い、前後編で区切って投稿させていただきました。


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第39話

 飲み物とお菓子を用意して、三人で一息ついた。

 やっぱり自分の部屋が落ち着くなあと思いながら、桔梗ちゃんの方を見る。すると、外にいた時と変わらずそわそわした様子で目を合わせてきた。

 

「最近の私、どう?」

「どうと言われても、いつも通り可愛いとしか言えんが」

「……すっごく嬉しい。でも、そうじゃなくて。外での晴翔くんに対するアプローチが、不自然な感じになってないか心配なんだよね。こういう演技はしたことないから」

「不自然どころか、自然すぎて胃が痛くなるのが問題だな」

 

 彼女たちの目論見通り、二人で俺を取り合っているという噂はすぐに知れ渡った。こういう色恋沙汰は高校生の大好物だから、当然のことである。

 おかげで、三人で外を歩いていても『ああ、またやってるわ』みたいな目で見てもらえるようになった。俺の株が暴落し続けている気もするけど、それはもう諦めた。

 

「なら良かった」

 

 桔梗ちゃんは、ほっとしたような顔でコップに口をつけた。

 前から気になっていたことがあったので、ここで聞いてみることにした。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、クラスでの恵ちゃんってどんな感じ?」

 

 桔梗ちゃんという第三者の目に、あいつがどう映っているのか興味がある。

 俺や清隆ではダメなのだ。浅い友達関係を続けているからこそ、見えるものもある。

 

「……私個人としては、急に仕切り始めてウザいって思うことが多い。でも、Cクラスの生徒という視点で見れば、きっと必要な存在なんだろうね。私はAクラスに上がることなんてどうでもいいけど、勝ちたいって思ってる連中からすればありがたいんじゃない?」

「なるほど、さすが桔梗ちゃんだ」

 

 一番欲しかった答えというか、知りたかったことを教えてくれた。

 勝つために必要だと思われているのなら、もう余程のことが無い限りリーダーの座は揺るがないだろう。残念ながら、堀北が先頭に立つ未来はとっくに消えていたらしい。

 

 それにしても、桔梗ちゃんは本当に観察力が高い。自分の主観と集団の一部としての視点を別に持っているから、非常に参考になる。

 ウザいという意見だって貴重なのだ。きっと、そう思っている人間は他にもいるだろう。

 堀北なんかは最も嫌っている部類に入る……なんて、考えていたのだが。

 

「今の話ともちょっと関係してるんだけど、ここからが私の相談」

「ついに本題か。関係してるってことはつまり、クラス絡みってことだな?」

「うん、あのね……堀北がクラスを裏切る気がする。潰しておいた方がいいのかなって」

 

 このタイミングで明かされた相談内容は、かなり衝撃的なものだった。

 堀北による裏切り。一瞬、信じられなかった。

 

「……えっ、マジで?」

「マジだよ。最近、参加種目の話が出るたびに変なメモを取ってる。授業中もどこか上の空だし、かなり怪しい。参加表を他クラスにバラすぐらいのことは、やってもおかしくない」

 

 驚きのあまり、俺は一度天井を見上げた。そうか、もうそこまで来ているのか。

 堀北は、恵ちゃんがリーダーの座を失うような「余程のこと」を自ら起こそうとしている。

 単純な裏切りと違うのは、たぶん本人はクラスのためだと思っていること。きっと、Aクラスを目指すという初心は全く揺らいでいないのだろう。

 

「概ね予想通りです。おそらく、龍園くんに唆されたのでしょう」

 

 俺とは全く違う反応を見せた有栖ちゃん。

 断定はしないが、その口調からは確信めいたものを感じる。

 

「……龍園?」

「はい。堀北さんが正常な状態であれば、そのような奸計に陥ることはありません。ですが、今の彼女は追い込まれています。例えば、『軽井沢を引きずりおろせ。リーダーの座を奪った後は、試験で協力してやる』などと言われたらどうでしょう。信用してしまう可能性は、十分にあります」

 

 なるほど、確かにその通りだ。

 龍園の人を見る眼力というのは、なかなか凄まじいものがある。今の堀北のような「綻び」を見つけるのはお手のもの。また、それを利用するための知恵や経験もある。口も上手いし、落ちぶれた人間を裏切らせることぐらい楽勝なはずだ。

 特に堀北は兄に対するコンプレックスという火種を抱えている上、リーダーの座を恵ちゃんに固められてしまった焦りもある。ここまで条件が揃っている以上、裏切りという行動に帰結するのは当然のことなのかもしれない。

 

「私はどうすればいいかな?」

「ふふっ、そうですね。この件は桔梗さんにお任せします。彼女の行動を白日の下に晒しても、逆に知らなかったことにしても問題ありません。どうされますか?」

 

 有栖ちゃんは、ノータイムで答えた。

 なんと、全てを委ねてしまった。今回何もしないというのは、こういう意味もあったのだと理解した。かなり思い切ったやり方である。

 難しい課題を与えられた桔梗ちゃん。頬に手を当てながら、一生懸命考えている。

 この二択で悩んでいること自体が、考え方の変化を示している。

 

 内容が内容なだけに、答えを出すまでには少し時間がかかる。

 しばしの沈黙の後、桔梗ちゃんは顔を上げた。

 

「決めた。見逃すことにする」

 

 有栖ちゃんにまっすぐな目を向けて、きっぱりそう答えた。

 

「わかりました。理由を伺ってもよろしいですか?」

「……晒し上げたところで、堀北を潰せること以外のメリットが無い。それどころか、私が龍園に目をつけられたら、私とつながってる晴翔くんを攻撃されてしまうかもしれない」

 

 かつての桔梗ちゃんであれば、堀北を潰すことができるのであれば喜んで事を起こしたはずだ。

 しかし今は違う。行動によって発生するであろう弊害を、冷静に検討した上で回答した。

 感情論ではなく、理性に基づいて考える。これが出来る人間はそう多くないと思う。この子は想像以上に強いと、俺は元々高かった評価をさらに上げた。

 

「堀北さんの退学は、もはや第一目標ではない。そういうことですね?」

「うん。船で話した時も思ったけど、今は堀北なんてどうでもいい。中学時代の話で、もし万が一のことがあっても……二人は味方でいてくれる。それだけで十分」

 

 もちろん、俺たちはいつまでも味方だ。

 以前より強くそう思っていたが、今その気持ちがしっかり伝わっていたことを知った。

 ここまで信頼してくれているなんて……俺にとって、言葉に出来ないほど嬉しい。

 

「わかりました。しかし、私はあの夜に交わした約束を忘れたわけではありません。あなたが堀北さんの存在を不愉快に思い、退学させることを望むのであれば、可能な限り協力します」

「ありがとう有栖ちゃん。でも、もう大丈夫。堀北の退学なんかに時間と労力を費やすより、あなたたちと一緒に過ごしたい。私の幸せは、ここにあるから」

 

 強い意志のこもった言葉。桔梗ちゃんは、とっくに吹っ切れていた。

 最近、暴言を吐く回数がかなり減ってきている。部屋で暴れたり、不機嫌な態度を取ったりすることもほとんど無くなった。

 裏の顔という存在が、その役割を終えようとしている。俺たちとの時間に幸せを感じることで、吐き出す必要があるほどストレスを溜める機会が無くなってきたからだ。

 ずっと俺たちの近くにいてほしいという願いが、どんどん膨らんでいく。この優しい少女を失うようなことは、絶対にあってはならない。必ず守るべき存在であると、俺は強く意識した。

 

「……桔梗さんと出会えたことは、この学校に入って最大の幸運でした」

 

 有栖ちゃんは肩の力を抜いて、穏やかに微笑んだ。

 ちょうど、俺も全く同じことを思っていた。

 

「私の方こそ、有栖ちゃんと会えてなかったら今ごろどうなってたか……本当に、ありがとう」

 

 一度座り直して、はにかみながら俺と有栖ちゃんを見つめる。

 次に出てくる言葉こそ、おそらく今日の桔梗ちゃんが最も伝えたかったことである。

 

「二人とも、大好きだよっ!」

 

 はっきりと、元気な声で言い切った。

 少し恥ずかしそうな顔が可愛すぎて、俺たち二人の顔が赤くなる。

 しばらく見惚れてしまったため、急に部屋が静かになった。

 

 そんな俺たちの反応が面白かったのか、やがて声を上げて笑い始めた。

 有栖ちゃんは照れ隠しに、そのほっぺたをむにむにと触る。いつもと逆の光景だ。

 

「やーめーて!ちょっと有栖ちゃん、痛い痛い!」

「やめません。これはおしおきです」

 

 普通の可愛らしい女子高生の姿が、そこにあった。

 幸せだなあと思いながら、俺はじゃれ合う二人を見つめていた。




 クラスの勝利はメリットのうちに入りません。


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第40話

 少し遅くなってしまい、申し訳ないです。


 体育祭まで、あと一週間となった。

 参加表の提出可能期間に入ったこともあり、学校全体で緊張感が高まった。

 しかし、俺たち二人は特に意識することもなく、普通の日常を過ごしていた。

 

 相変わらずクラスはまとまっていないようだが、全く興味が湧かない。

 思っていた以上にやる気が起きない。もはや競技に参加することすらダルくなってしまい、全種目の不戦敗を真剣に検討している段階だ。

 結局のところ、俺の学校生活は有栖ちゃんのおかげで成り立っているのだと理解した。

 有栖ちゃんが参加できないような試験は……無価値だ。だから、俺は何もしない。

 

 というわけで、今日も今日とて暇である。

 最近あまり帆波さんと話していないと感じたため、Aクラスの教室に来てみた。

 

「……えーっと、すごいな」

「うわぁ、これは本当にすごいですね。驚きました」

 

 頭の痛くなるような光景に、有栖ちゃんでさえも若干引き気味だ。

 いつの間にか、帆波さんのポスターが教室内の壁に張られていたのだ。しかも一枚ではなく、五枚。一学期の時点でこのようなものは無かったので、クラスの誰かが夏休み中に製作したと考えていい。その是非はともかく、それぞれ構図の違う写真を使っており、出来栄え自体は非常に良いものである。ポイントで何でも買えるとは聞いていたが……

 

「神崎、これをどう思う?」

「……ノーコメントだ」

 

 俺の質問には答えず、苦笑いを浮かべたまま黙り込んだ。

 神崎だけは、Aクラスでただ一人帆波さんに「染まって」いない。クラスが異常な状態になっていることも、きちんと認識できている。

 こういう、味方でありながら一歩引いた目線で見ることのできる存在は貴重だ。このクラスで最も大事な存在は帆波さんだが、二番目は間違いなくこの男だ。

 

「俺は『穏健派』だからな。なあ白波?」

「……人聞きの悪い。そんな、人を過激派みたいに言わないで」

 

 神崎の揶揄うような言葉を受けて、白波はぷくっと頬をふくらませた。

 いや、お前が過激派じゃなかったら一体何なんだよ。ポスターの犯人も絶対お前だろ。

 

 Aクラスの二番手というべき存在は、二人いる。そのもう一人が白波千尋である。

 この集団の権力構造はわかりやすい。帆波さんを頂点として、その下に神崎と白波が位置する。そして、彼らの指示で残りの生徒たちが動くという、三層のピラミッドだ。

 ……より宗教化が進んできているような気もするが、今回は置いておく。

 

 神崎が男子、白波が女子をそれぞれ取りまとめている。

 二人の方針の違いもあって、帆波さん信仰は女子の方が深くて重い傾向にある。男子は信者というより、どちらかというと推しのアイドルをプッシュしているような感じである。

 

「はぁ、一之瀬さん。24時間365日、ずっと一之瀬さんに溺れたい。私の全てを捧げたい。全てを奪われたい。はしたない私を蹂躙してほしい……」

 

 何の前触れもなく、いきなり早口になって変な妄想を始めた。これは白波の癖なのだが、本当に怖いからやめてほしい。帆波さんが絡まなければ、すごく良い子なんだけどなぁ……

 こんな感じの女子がそこらじゅうにいると言えば、その恐ろしさも理解できるだろう。白波の危険度は群を抜いているが、Aクラス女子は基本的に狂信者の集団である。

 

「坂柳さん、高城くん。いつもありがとね」

「……おう、礼を言われるほどのことをした記憶はないが。特に俺はな」

「ううん。一之瀬さんの笑顔を影で支えてくれてるんだから、感謝しなきゃ」

 

 この二人が他の生徒と違うのは、有栖ちゃんの影の活躍をある程度知っているという点だ。もちろん完全にではないが、このクラスに多大な貢献をした事実は凡そ理解されている。

 そうなったきっかけは、船上試験だった。夏休み明けに白波と会った時、俺たちが何かしていないかと聞かれてしまったのだ。あの試験の勝ちっぷりはさすがに異常すぎたし、俺たちと帆波さんがコソコソ会っていたことは知られていたので、当然といえば当然である。

 一度違和感が生じた以上、隠し続けるのは難しい。そこで有栖ちゃんは方針を変えて、帆波さん立ち会いのもとで二人だけにはタネを明かした。

 その反応は対照的だった。やっぱりなという感じの神崎と、本気で驚いた様子の白波。

 ただ、それによって帆波さんに対する忠誠心が変わるわけではなかった。他の生徒たちならわからないが、神崎と白波は方向性こそ違うものの、帆波さんのことをとても大事に思っている人間だ。勝利のためだけについてくるような、ビジネス的な部下とは違うのだ。

 

 それ以降、白波は有栖ちゃんと俺に対して恩義を感じたらしく、会うたびにお礼を言ってくるようになった。どうやら、帆波さん単独でクラスポイント争いを制するのは難しいとわかっているらしい。これだけ心酔しながらも、そこの認識を間違えないところはなかなか優秀である。

 ……ちょっとばかり、俺たちの動機を勘違いしているようだが。俺も有栖ちゃんも帆波教の信者ではないんだけど、最高の同志みたいな目で見てくる。

 

「ごめんごめん!ちょっと参加表のことで話してたんだ」

 

 そんなことを話しているうちに、ボスのお出ましだ。

 帆波さんは頭を掻きながら、申し訳なさそうな顔をしてこちらへやってきた。

 

「いや、白波たちと話してたから全然問題ないぞ。そもそも暇つぶしに来ただけだし」

「嬉しいな。用事もないのに来てくれたんだ」

 

 本当に嬉しいのか、帆波さんの表情が急に明るくなる。

 隣に立つ白波が、それをじっと見て頬を赤らめる。

 そして、ドロドロした感情が混ざり合ったような、なんとも言えない表情を浮かべた。これも白波の特徴だ。鋭い目つきも合わさって、周りから見ると恐怖でしかない。

 

「千尋ちゃん、またお顔が怖くなってるよ?」

「……はっ、ごめんなさい。私ったら」

「あはは……ところで有栖ちゃん。ちょっと話したいことがあるんだけど、今日の放課後お部屋に行ってもいいかな?」

「構いませんよ」

 

 話したいことってなんだろう?

 普通に考えれば体育祭のことだが、帆波さんの顔には疲れが見える。

 これは何かあるなと思いつつ、俺たちは教室を後にした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 部屋に入るなり、帆波さんは静かに涙を流し始めた。

 急な変化に戸惑いながらも、俺はなんとなく彼女の胸の内を察した。

 

「有栖ちゃん、ごめん……ちょっとだけ、こうしててもいい?」

「……わかりました」

 

 有栖ちゃんの胸に顔を埋めて、すすり泣く。

 こんな弱いところ、クラスのみんなには見せられない。本人は本気でそう思っているだろう。

 

「私は、みんなが思うほど強い人間じゃないし、完璧でもない……もっと会いたいよ。私の話を聞いてほしい。本当の私を、誰もわかってくれないんだ」

「……本当の帆波さん、ですか?」

「そう。私は……有栖ちゃんが思っている以上に、ダメな子だよ?」

 

 そして、帆波さんは……自分の過去のことを話し始めた。

 愛する妹にプレゼントを贈るため、デパートで万引きを行ったこと。母親とともに謝罪したこと。それ以降は長期にわたって学校を欠席し、部屋に引きこもっていたこと……

 外では絶対にしないような暗い顔で、ゆっくりと語り続ける。聞き手の有栖ちゃんはときどき頷きながらも、少し困惑気味だ。

 

「それで、この学校ならやり直せる。もう一度立ち上がれるかもしれないと思ったんだ」

 

 前世の知識としてある程度把握していたが、実際に聞くことになるとは思わなかった。

 なぜ今ここで自分の過去を明かしたのか、俺にはわからなかった。多分、有栖ちゃんも同じことを思っているだろう。何の脈絡もなく弱みを晒してくるなんて、正直理解不能な行動だ。

 

「……そうですか、わかりました。晴翔くんはいかがでしょうか?」

 

 俺に振ってきた。コメントに困ったのだと思われる。うーん……

 

「そんなエピソード、なんてことない。有罪判決を受けたとか言われたら、さすがにちょっとビビるけど。今の帆波さんが優しい良い子なのは紛れもない事実だから、過去がどうとか気にする必要はないと思う。この学校に来て頑張ってる、それで十分だよ」

 

 真剣であることは伝わってきたので、努めて誠実に答えた。

 

「こうやって祭り上げられるほどの価値が、私なんかにあるのかな?」

「あるから、今こんな状況になってるんだろ。可愛くて優しくて、他に誰がいるんだ?」

 

 そう答えると、帆波さんは嬉しそうに笑った。それを見た有栖ちゃんは……表情こそ変えないが、「めんどくさっ」とでも言いたそうな雰囲気だ。なかなか冷たいな。

 

「帆波さん。もしかしてあなたは、桔梗さんのようになりたいのですか?」

 

 言いたかったことを言ってくれた。今日は、よく有栖ちゃんと考えがシンクロする。

 

「……もっと二人と仲良くしたいなって、思うことはあるよ」

 

 この一言で、話の真意がある程度掴めた。

 俺たちと桔梗ちゃんの関係が、帆波さんにとっては理想的な形に見えているのだ。

 しかし、この人は表面的な部分だけしか見ないで話をしている。あの子がどういう覚悟を持っているのか、なぜここまで深い関係になったのか、それらの過程を理解できていない。有栖ちゃんが少々イラついているのは、そういったところだろう。

 

「帆波さん、一つ例え話をしましょう」

「何かな?」

 

 有栖ちゃんの顔から表情が消えた。

 

「もし晴翔くんがAクラス……自分のクラスを潰せと言った場合、実行できますか?」

 

 質問の意味が一瞬わからなかったようで、帆波さんは固まる。

 やがてその恐ろしい内容を理解して、焦り始めた。

 

「そ、そんなこと……」

「できませんよね。わかっています、それが帆波さんですから。ですが、桔梗さんに同じことを言った場合、彼女は確実に命令通りの動きをします」

「……」

「彼以外の何もかもを捨てられる覚悟が無い方と、友達を超えた関係を築くことは難しいのです。私にとって彼は絶対的な存在なので、その意思を全てにおいて優先していただく必要があります」

 

 何も、敵に回ると言っているわけではない。しかし、明確な線引きをした。

 有栖ちゃんの帆波さんに対する考え方の一端が見えた。普段の接し方は似ていても、この子の中で桔梗ちゃんとは圧倒的な差があることもわかった。

 

「クラスのみんなを、捨てなければいけないの?」

「あくまでも仮定の話ですが、価値観としてはその通りです」

 

 そう断言されてしまい、帆波さんは目を伏せた。

 さすがに追い込みすぎじゃないかと、少し心配になった。

 

 

 

 それ以降は、暗い雰囲気のまま時間ばかりが経過した。

 夜六時。帆波さんは立ち上がり、ふらふらとした足取りで玄関の方へ向かっていく。

 元気な笑顔はどこへやら、虚ろな目で靴を履いた。

 

 なんだか、今一人にするのは危ない気がする。ここまで状態が悪いのは想定外だ。せいぜい、リーダーの重圧に苦しんでいる程度だと認識していた。

 これはまずいことをしたかもしれないと、ようやく気づいた。帆波さんは今に至るまで、精神が壊れかけていることを隠していたようだ。船上試験の折に弱音を吐いていたことも、いつもの彼女ならあり得ない、「かまってちゃん」な言動をしたことも、全て……危険信号だったのだ。

 

 彼女には、ストレスを吐き出すことのできる場所が無い。桔梗ちゃんとの大きな違いだ。

 クラスの生徒が護衛につくようになってから、気軽に三人で話すことさえも難しくなっていた。有栖ちゃんのように、対等な目線で話をしてくれる生徒は他にいないだろう。その救いを奪われたことが、想像以上のダメージとなったのだと思われる。

 そして今日、ようやく得た機会で突き放されてしまった……ああ、これはやばいぞ。

 

 帆波さんは扉を重そうに開けて、部屋を出て行った。

 

「有栖ちゃん」

「ふふっ、さすがの晴翔くんでも焦るのですね。大丈夫です、想定内なので」

 

 余裕の笑みを崩さない有栖ちゃんは、紅茶を一口飲んだ。

 一つため息をついてから、俺の手を取って立ち上がる。

 

「……追っかける?」

「ええ、そうしましょう。ここで何もしないのも、また一興ですが……万が一飛び降りられたら困ります。何より、それはあなたが許さないでしょう?」

「無論だ。桔梗ちゃんと違うからといって、見捨てていいわけではない。友達だからな」

 

 そう、友達だ。桔梗ちゃんは例外中の例外だが、帆波さんだって大事な友達であることに変わりはない。有栖ちゃんほど、他人に対して冷たくはなれなかった。

 

 有栖ちゃんがどれだけ怖い人間であるかということを、忘れかけていた。

 俺や桔梗ちゃん、清隆などは身内である。俺が享受し続けている優しさは、万人に向けたものではない。近すぎる関係だからこそ見えないものもあると、改めてそう思った。

 

 俺たちは部屋を飛び出した。



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第41話

 中編です。


 外に出た俺たちは、まず帆波さんの部屋へ向かった。

 しかし、予想通り誰もいなかった。自分の部屋には戻らず、どこかへ行ってしまったようだ。

 

 エレベーターのボタンを押した。

 昇ってくるまでの時間を非常に長く感じるが、はやる気持ちを抑えて待つ。

 

「……来た」

 

 一階まで降りる。焦っているからか、この時間さえもったいないように感じてしまう。

 

「あれ、二人ともどうしたの?」

 

 扉が開いたところで、ちょうど桔梗ちゃんと鉢合わせた。

 時間的に、いつも俺たちの部屋へ来るタイミングだ。どうしようかと思い、隣を見る。

 

「……桔梗さん、今から私とお部屋へ行きましょう」

 

 エレベーターから降りないまま、有栖ちゃんは俺の手を離した。

 どうやら、一緒に来るつもりは無いらしい。何か考えがあるようだが……

 

「有栖ちゃん、一緒に来なくていいのか?」

「はい。帆波さんのことは、晴翔くんにお任せします。きっと、今回はその方が良い結果を生むと思います。私は桔梗さんと待っているので、終わったら連絡いただけますか?」

 

 かなり冷たい対応に感じる。でも、有栖ちゃんが言うならそれがベストなのだろう。

 しかし、あまりゆっくり考察している時間はない。深く頷くことで、俺は肯定の意を示した。

 ……一人になれば走って追いかけることができるので、結果的には時短となった。俺の慌てっぷりを見た上で、そのあたりを考慮してくれている可能性もある。だから、一概に冷たいとは言えないかもしれない。興味が薄いのは間違いないが、俺の意思を尊重してくれていることは感じた。

 

「わかった、ありがとう。場所の目星はついてる?」

「正直、見当もつきません。あの表情を見るに、商業施設などの可能性は低いですが」

「……了解」

 

 会話が終わった瞬間、俺は走り出した。

 目撃者がいることを期待し、学校の方へ向かってみることにした。

 

 走りながら、考える。有栖ちゃんと帆波さんの相性の悪さ。

 良いように見せかけていただけで、実はかなり悪かったのかもしれない。むしろ、その方が納得できる。どこまでも利他的に振舞い、行き過ぎたそれが八方美人に見えることもある帆波さんは、身内のみの幸せを願う有栖ちゃんとは大きく価値観が違う。

 そんな二人が仲良くできていたのは、表面上は帆波さんの考え方に歩み寄って、今まで一切の批判をしてこなかったからだ。逆に言うと、優しかった有栖ちゃんが突然「本来の姿」を見せたものだから、帆波さんのショックが余計に大きくなってしまったのだ。

 

「晴翔、こんなところにいたのか」

 

 すれ違いざまに声をかけられた。突然のことにびっくりして振り向くと、清隆だった。

 こんな時間にどうしたのだろうか。体育祭の練習をしていたというわけでもなさそうだが……

 

「ちょっと急いでる。帆波さんの姿を見なかったか?」

「……そういえば、さっき校舎に入っていくところを見た」

「おっ、それは今一番欲しかった情報だ。ところで、清隆はどうしたんだ?」

「色々あって、堀北会長と話をしていた。一之瀬を探しているなら、オレも手伝おうか?」

 

 ここで、清隆の口から生徒会長の名前が出てくるとは思わなかった。

 大きな疑問が生まれたが、今はそれどころではない。

 

「願ってもない申し出だ。清隆さえよければ、協力してほしい」

「もちろん、友達だからな……代わりと言ってはなんだが、オレも晴翔に頼みたいことがある。明日の昼休みにでも、聞いてくれないか?」

「ああ、何でも言ってくれ」

 

 一人か二人かでは大違いだ。ましてや、捜索範囲は校舎内全てという膨大さ。見つけられるか心配になっていたところに、最も頼りになる助っ人が加わった。

 ……本当にいい友達を持った。今後俺にできることであれば、どんなことでも協力してやりたいと思った。

 

 校舎の玄関に着いた時には、すでに彼女の姿はなかった。

 俺は気合を入れ直し、階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。

 どこにいるか全くわからないので、手分けしてしらみつぶしに探していくことにした。

 

 激しい運動をすること自体が久しぶりだからか、体力がなくなってきた。

 まさか、こんな形で体育祭の練習をすることになるとは思わなかった。

 ……そういう冗談が思い浮かぶなら、まだ大丈夫だ。一度深呼吸をして、再び走り始めた。

 

 薄暗い校舎の中は、かなり不気味に感じる。

 各クラスの教室、特別教室、生徒会室……

 

「そっちはどうだ?」

「いや、見当たらない。いる気配もない」

 

 十五分ほど探しただろうか?

 帆波さんが、どこにもいない。俺の疲労もピークに近づいてきた。

 

「マジで、どこに行ったんだよ……」

 

 普段使われていない部屋やトイレでさえ探したのに、いない。

 ここまで見つからないとなると、探す場所自体を間違えている可能性に行きつく。

 

「他の場所も見てみるか?」

「一度変えた方がいいかもな。もう校舎外に出てしまったパターンも、否定できない」

「わかった。オレは特別棟の方を見てくる」

「ありがとう、恩に着る」

 

 再び玄関から出て、俺は校庭を探し回ることにした。

 ただ、なんとなく……外にはいないような気がする。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その後どれだけ探しても、見つけることができなかった。

 すでに辺りは真っ暗になっており、俺たち以外の生徒の姿はない。

 一旦清隆と連絡を取り、再び校舎前に集合した。

 

「すまない、晴翔。こちらでも一之瀬は見つからなかった」

「ああ、これは困ったな」

 

 桔梗ちゃんにメールをして、部屋に戻っていないことは確認してもらっている。そのため、部屋の外にいるのは確実だ。いつの間にか立ち直っていて、ケヤキモールに行っていたとか、そういうオチならいいのだが……彼女はそんなタイプじゃない。

 

 ……完全に詰んだ。思い当たる場所は全て行ったし、もうどうしようもない。

 体力の限界が近いこともあり、メンタル的にもきつくなってきた。

 そんな時、清隆がはっと何かに気づいたような顔をした。

 

「あと一つだけ、探していない場所がある」

「……行ってみよう。どこだ?」

 

 この口ぶりからして、かなり可能性は高そうだ。

 一体どこに行ったんだ、あと残す場所などといったら……

 

「この校舎の、屋上だ。正直に言うと、オレが今ここに戻ってきた時……一瞬何かが動いたように見えた。探す価値は高い」

「でも、なんで屋上なんか……あっ」

 

 最悪のケースが頭によぎる。これは、本当にまずいかもしれない。

 清隆も俺の焦りを感じ取ったのか、走り始めた。

 

 

 

 最後の力を振り絞り、屋上に出る階段の前まで来た。

 流れ落ちる汗を拭いつつ、清隆と顔を見合わせる。

 

「やはり、奥から人の気配がする。ここで間違いないだろう」

「ありがとう、さすが清隆だ」

「オレはここまでだ。あまり深く関わっていない人間が出ていくと、話がややこしくなる」

 

 清隆は息切れ一つしていない。とんでもない体力だ。

 

「……しかし、お前と有栖の考え方が合わないこともあるんだな」

 

 感心したような態度で、そう話した。俺と有栖ちゃんが合わない。

 言われてみれば、全くその通りだ。確かに今回の俺たちはどこかすれ違っていた。

 

「有栖ちゃんは、そこまで帆波さんのことを好きではなさそうだ」

「以前から、オレもそれを感じていた。一之瀬の能力自体は、買っているようだが……」

 

 人間的な相性はもちろん、さっきの有栖ちゃんからは何か別の意思も感じた。

 本当は、俺に追いかけて欲しくなかったのかもしれない。 

 

 まぁ、そこは大丈夫だ。後で謝っておけば、許してもらえるはず。

 有栖ちゃんと俺は、意見の衝突とか利害関係とか、そんなものは超越した関係にある。

 一つうまくいかなかったぐらいで、揺らぐ程度のものではない。だからこそ多少不満であっても送り出してくれたし、何より有栖ちゃんは一人じゃない。隣には、もう一人の家族……桔梗ちゃんがいる。最近は彼女の存在に助けられてばかりだから、何かお礼をしないといけないと思う。

 

 そして、帆波さんは孤独なのだ。誰にも助けてもらえず、抱え込んでいる。屋上でたった一人、何を思っているのか。この学校に、自分に絶望してはいないだろうか。

 ……時間がない。万が一の事態を避けるため、話はここまでにしよう。

 

「それでも、帆波さんは助けなきゃいけない。俺はあの子の友達だから」

「……そうか。お前が行けばあいつは『救われる』だろう。オレとしては、一之瀬がお前の駒となれば非常に動きやすい。有栖からすれば複雑だろうが、悪い判断ではないと思うぞ」

 

 相変わらず無表情のまま、清隆は頷いた。

 顔には出ないが、少し興奮している?ような気がした。

 

「よし、行ってくる。今日はありがとう。お前が友達で、本当によかったよ」

 

 俺は最後にお礼の言葉を述べてから、階段を駆け上がった。

 待ってろ、今助けてやる。




 有栖ちゃんは拗ねているのです。清隆くんはワクワク。


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第42話

 後編です。爆弾処理に失敗?する話です。


 学校の屋上。佇む人影を見て、俺は一心不乱に柵の方へ走った。

 

「やめろっ、帆波!」

 

 彼女は俺の大声に反応して、こちらに顔を向けた。

 立っている場所は、柵を乗り越えた向こう側だ。危ない。

 

「晴翔くん……」

 

 彼女のもとへ到達し、俺は全力でその身体を引き寄せた。

 反射的な行動。もはや頭は回らず、危険だという本能のみで身体を動かしていた。

 

「何考えてるんだ、お前!」

「あはは、ごめんね……死ぬつもりはないよ」

 

 その言葉を聞いて、少しだけ安心した。

 ここまで長い距離を走った上に、今の全力疾走だ。呼吸が苦しくて、なかなか言葉を継ぐことができない。抱き合ったままゼエゼエと息を吐き、なんとか調子を整えていく。

 彼女は頬を染めて、そんな俺の様子を見つめていた。

 

 

 

 少し時間を置くことで、だいぶ息苦しさが解消された。

 

「お前の死によって発生する悲しみの総量は、お前が今抱えているものより何倍も大きい。まずはそれを理解してくれ。お前のことを慕ってる人間が、どれだけいると思ってるんだ」

「……うん」

「まったくもう……なんで、こんなことするんだよ」

 

 話しているうちに、俺の方が泣けてきてしまった。

 対等な友人を欲する気持ちもわかるし、有栖ちゃんの対応がかなりキツかったのは事実。今のクラスに違和感を覚えるのだって、よく理解できる。

 それでも、こんな真似をするのはやめてほしい。これを続けていくと、最終的な結論が「死」になってしまうかもしれない。想像するだけで悲しくなってくる。

 

「死ねば楽になるのかなって、思ってしまうこともある。だけど、私はそれを実行する勇気すらないんだ。ここに立つと、そんな弱い自分と向き合うことができるから……」

 

 そう言いながら、柵を跨いでこちらへと戻ってきた。その姿に安堵したところで、彼女は俺の身体にぎゅっと抱きついてきた。こういった状況であっても不思議と落ち着いてしまうのは、彼女が持つ底抜けの優しさによるものだろうか。

 

「帆波さん、その」

「『さん』なんて言わないで。あなただけには、呼び捨てしてほしい。さっきみたいに」

「……帆波」

「ふふ、ありがとう。晴翔くんが私を見つけてくれて、最高に嬉しかったよ」

 

 ようやく笑顔が見られた。やっぱり、この人には明るい表情がよく似合う。

 

「そりゃ、あんな顔して出ていったら心配にもなるさ」

「……実は来てくれることを期待してたって言ったら、軽蔑する?」

「するわけないだろ。辛い時、他人の気を引こうとするのは不自然でもなんでもない」

 

 おそらく、万引きのエピソードを明かした理由は、共感したり慰めてほしかったからではない。そのぐらいの出来事で引きこもってしまうほど、弱い人間だと伝えたかったのだ。

 

「晴翔くんって、本当に優しいんだね!」

 

 俺は優しいのかどうか。以前より、それは疑問に思っていた。

 自己評価というのは難しいもので、言われてみて「そうなのか」となる場合がほとんどだ。有栖ちゃんと桔梗ちゃんも含めて、みんながそう言ってくれるということは、合っているのだろうか?

 ……俺にとってはその程度の認識でしかなく、なんだか自分のことのように思えない。

 

 ずっと立ち話を続けるのも疲れるからと、彼女は階段に座った。そして、隣をポンポンっと叩き、俺にも座るよう促してきた。すでに足が棒になってしまっているので、素直に従った。

 屋上への扉が開いているため、涼しい風が通り抜ける。気温も下がってきており、暑いどころか肌寒さを感じるほど。また、ここまで密着すると自分が汗臭くないか少し心配になってくる。

 何を思ったのか、彼女は俺の手と自らの手を重ね合わせてきた。

 

「ふふっ、晴翔くん?」

「どうした?」

「うーん、なんでもない。呼んでみただけ」

 

 今のすっごく女の子っぽい。

 

「……帆波が無事でよかった。今日は、それだけだ」

「ありがと。私にそんなことを言ってくれるのは、きっと晴翔くんだけだよ」

 

 Aクラスの生徒たちは、真の友達とは思えないのだろうか。今の一言が、隠されていた本音だとすると……俺にとっては、かなり衝撃的な事実だった。

 

 ふと後ろを向くと、空には星が煌めいていた。

 しばらく何も話さないまま、俺たちは二人きりで夜空を見上げていた。

 

 

 

 次に口を開いたのは、帆波の方だった。

 

「ねえ、晴翔くん。うちのクラスのこと、どう思う?」

 

 軽い感じで聞いてきたが、これはなかなか難しい質問だ。

 宗教のようになっているとは言いづらいが、他にどう表現していいかわからない。

 悩む俺を見るなり、彼女は笑った。

 

「あははっ、ごめんごめん。こんなの答えにくいよね。気持ち悪いって思うのも当然だけど、優しいあなたはそんなこと言えないだろうし」

 

 どうやら答えようとしていた内容を察したらしい。しかし、それだけではない。

 俺はAクラスに対して前々から疑問に思っていたことを、逆にぶつけてみることにした。

 

「帆波は、なんでクラスの奴らに合わせてるんだ?」

「……えっ?」

 

 全く意味がわからないといった様子で、首を傾げた。俺の予想通りの反応が返ってきたことを確認して、話を続ける。

 

「そんなに遠慮してる理由が、よくわからないんだよ。思うがままに動けばいいのに」

「でも、クラスのみんなが決めたこともあるし」

「みんなが決めたこと?お前がルールだろ、なぜ従う必要がある?」

 

 煮え切らない帆波に対して、俺は強い言葉をぶつけた。

 一之瀬帆波という少女は、Aクラスの絶対神とでも言うべき存在である。彼らにとって彼女の意思は最優先事項であり、縛りつけるものなんて存在しないはずだ。

 万が一抵抗するような者がいたら、異端者として吊るし上げ、潰してしまえばいい。白波なんか喜んで協力するだろう。それが統率力を高めることにもつながってくる。

 龍園のやり方を完全に肯定するわけじゃないが、彼女は気を遣いすぎていると思う。

 ……だからこうやって追い込まれるんだ。自分で自分の首を絞めているようにしか見えない。

 

「私はもっと、好きにしてもいいってこと?」

「それは間違いない。例えば、そうだな……お前がクラスのみんなから集めたポイントで豪遊したとしても、批判する奴は一人も出てこないだろうな。これは百パーセント自信があるぞ」

 

 かなり極端な例だが、それぐらいしなきゃダメだ。

 帆波は今に至っても自分が「神」であるという認識が薄い。神は傲慢に振舞うぐらいがちょうどいいし、彼女一人にかかる負担を考えればそれは相応の対価であるとさえ言える。

 

「そんな、そんなことできないよぉ……」

 

 あーもう、ほんとにこいつは!

 可愛いといえば可愛いのだが、善人すぎて逆にイライラしてきた。

 

「じゃあこうしてやる」

「ひゃっ!」

 

 頭を無理やり掴んで、強制的に俺と向き合わさせる。

 至近距離で見つめ合い、俺はその綺麗な顔に向けて囁く。

 

「命令だ。明日から体育祭までに、五十万以上のポイントを使え。ただし、他人への譲渡及びクラス間の契約に用いることは許さない。あくまで帆波が自分自身のために、好きなように使うこと」

「は、はい。聞かなかったら、どうなるの?」

「そうだな……お前が中学時代にやったことを、学校中にバラしてやる」

 

 嘘だ。そんなこと一切思っていない。でも、これは彼女にとって必要な嘘なのだ。

 本人もそれを理解したのか、顔を近づけたまま笑い始めた。

 

「ふふっ……それをやられたら、私の学校生活が終わっちゃうね」

「そこまで行くかはわからないが、とんでもないことになるだろう」

「あーあ。私、弱みを握られたんだ」

 

 わざとらしく、帆波は頭を下げてきた。

 

「……こうでも言わないと、お前は動かないだろ?」

「ほんっと、私のことよくわかってる……」

 

 脅されて仕方なくやった。この逃げ道が、こういう流されやすい子には必要である。

 これは、部屋の中で有栖ちゃんが突き付けた「俺のためにクラスを捨てられるか?」という質問に対する反応を見て感じたことでもある。

 結局のところ、彼女はあまりにも優しすぎるのだ。もう少し自分勝手になった方が楽だろう。

 どうやってその方向に持っていけばいいか、話しながら考えた結果がこのやり方だった。

 

 

 

 うまくいったと頭の中で自画自賛していたのが、隙になってしまった。

 ふにゃっと唇に柔らかい感触があった。

 

「やっちゃった……」

 

 自分でやっておいて、申し訳なさそうな顔をするのはやめてくれ。

 

「おいおい。今のは無かったことにしてやるから、有栖ちゃんには黙っといてくれよ?」

「ご、ごめん」

 

 俺は浮気するために来たわけじゃない。さすがにそれは……ダメだよな。

 しゅんとした顔を見ると、とてつもない罪悪感に襲われる。もしかして、今のが初めて?

 

「何でやろうと思ったんだ?」

「そこにお顔があったから……」

 

 そこに山があるからみたいな言い方をするな。

 

「あー、今のはちょっとしか触れてないしノーカンだ。偶然当たっちゃっただけ!」

「……あははっ、何それ。面白い」

「最初は、本当に好きな人にやれよ?」

 

 苦しい言い訳のようになってしまったが、そういうことにしておこう。

 これで解決かと思ったのだが、帆波はとても悲しそうな表情をしていた。

 

「本当に好きだもん。晴翔くんのこと」

「……えっ」

「だから、好きになっちゃったの。でも、それは絶対にかなわないよね?」

 

 身体を震わせながら、問いかけてきた。

 ここで首を縦に振ると、彼女が泣いてしまうことはわかった。だけど、この質問に対して嘘の回答をするのは「優しさ」ではない。それぐらいのことは、俺のような凡人であっても理解できる。

 

「……うん」

「ああ、一瞬で初恋が終わっちゃった。始まる前から負けてるなんて、酷い話だよね」

「ごめん、でも……」

 

 俺の答えを聞き終わる前に、泣き始めた。縋りついて涙を流す彼女を見て、心が痛む。

 こんなことになるなんて、完全に想定外だった。リーダーとしての負担を軽減することばかり意識して、彼女の俺に対する気持ちを考慮できていなかった。わかったような気になっていた自分が恥ずかしいし、これからどうすればいいのかわからない。

 もし隣に有栖ちゃんがいたら、間違いなく助けを求めている場面である。だが今日の俺は一人だ。こうして独断で行動した以上、その尻ぬぐいは俺の責任で行わなければならない。

 

「どうしよう、諦めたくない。私の弱さを理解して、支えてくれようとする人を、手放さなければならないの?どうして?そんなに私って、ダメかなぁ?」

 

 全然ダメじゃない。帆波は見た目も性格もパーフェクトに近い女性だ。今後の長い人生の間に、俺なんかより何倍もいい男がいくらでも来ると断言できる。

 しかし、彼女の視野にそんな未来は入ってこない。学校という狭い範囲でしか人を見ることができないため、俺という理解者が全てのように感じてしまっているのだろう。

 だから簡単に切ることができない。スパッと諦めて次に進むことができない。

 敷地の外に出られず、外部の人間とほとんど交流できないこの学校を憎く思った。

 

 

 

 どう答えるのが正解なのか全くわからないまま、静かに時間は過ぎていく。

 帆波の顔を見ると、部屋を出ていったときと同じぐらい絶望的な表情を浮かべていた。

 ダメだ、このまま放っておいたら……首を吊りかねない。諦めさせることを、諦めよう。

 

「……別に、今すぐ離れたいとか言ってるわけじゃない。そもそも、お前とこんな形で縁を切ったら、何か命令することもできないだろ?」

「あっ……」

「俺がお前を必要とする限り、距離を置くつもりはない」

 

 最終手段として、俺はあえて悪役を引き受けることにした。万引きの過去という弱みを利用して、仮初の主従関係を継続する。卒業までの時限的な措置としては、悪くないはずだ。

 決して最善手ではないだろうが、今の俺にはこれしか思いつかなかった。

 

「そ、それなら。あなたの言うことを聞いている間は、一緒にいてもいいの?」

「どう解釈してもらってもいい。ただ、恋人は有栖ちゃんだけどな」

 

 言ってから気づいたが、もし俺が帆波を振ったなどという話が知れ渡ったら、学校にいられなくなるのはこちらの方だ。本人は気づいてないだろうが、俺の弱みも握られてしまった形になっている。確実に隠し事はできないタイプだし、事故のような形で噂が広まってしまう可能性もある。

 ……退学上等とはいえ、そんな理由で消えるのはダサすぎる。それを防ぐ意味でも、関係を続けていくのは有効だ。この学校にいる間は、振られたと思わせない方が良いだろう。

 

「ありがとう、私頑張るからっ!」

「あんまり深く考えすぎるなよ。使う側の人間がこんなことを言うのもおかしいが、俺は帆波の精神が無事に保たれればそれでいい。なんなら、今まで通りに振舞ってもいいぞ?」

 

 これでフォローになっているのか、自分でもよくわからない。

 助けるなんて豪語した割には、曖昧すぎる決着……情けない男がここにいた。

 

「ううん、今まで通りなんかじゃ全然ダメ。もっと、あなたのために……」

 

 こんな体たらくでは、どこかで見ている清隆も呆れてしまっているだろう。

 有栖ちゃんには「微妙だった」とだけ書いたメールを送って、終わったことを伝えた。

 

「まあ、好きにしてくれ」

 

 俺は立ち上がって、ズボンに付いた砂を払う。もう遅いし、そろそろ帰ろう。

 はあ……失敗したなあ。やはり俺は雑魚というか、有栖ちゃんのようにはできないらしい。

 

 

 

「さっきのキスは一生忘れないよ。これからもずっと……よろしくね、私のご主人様?」

 

 別れる直前、帆波は上目遣いで甘えてきた。あまりの破壊力に一瞬クラッと来てしまう。

 ……その美しい笑顔が、今までのものとは大きく変わってしまったように感じた。

 

 思っていた以上に、俺は大きな間違いを犯してしまったのかもしれない。




 こいつの中では大失敗。第三者から見ると?

 この展開はかなり序盤から考えていたものだったので、すでに細かいメモがありました。
 早く投稿できたのはそういう理由です。次こそ、水曜日ごろになりそうです。


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第43話

 目覚ましのアラームが鳴り響く。

 俺はゆっくりと上半身を起こして、眠い目を擦った。

 

 身体が重い。昨日の疲れは一晩では抜けなかったようだ。休みたいという欲求が出てきたが、今日は清隆と約束があった事を思い出して、気持ちを切り替えた。

 

「あっ……おはようございます。昨日は本当に、申し訳ありませんでした」

「……んー、何のことだか」

 

 有栖ちゃんは先に目覚めていた。起き上がった俺を見ていきなり謝ってきたのだが、その理由がわからず困惑してしまう。昨日何かあったっけ……?

 

 ……思い出した。帰ってきた時、有栖ちゃんが拗ねていたんだ。

 普段ならそれも可愛いなと思えるのだが、何しろ昨日の俺は満身創痍。慣れない長距離ランニングと、帆波との気を抜けないやり取りによって、肉体と精神がともに限界を通り越していた。単純に、相手をする余力が残されていなかったのだ。

 そのため、昨日は不満そうな有栖ちゃんを無視して、シャワーを浴びてから泥のように眠ってしまった。どうやら、それを俺が怒っているからだと解釈しているようだ。

 

「私があなたの行動に不満を持つなんて、あってはならないのに……最近甘えさせてもらってばかりで、そんな基本的なことを忘れてしまっていました。酷い恋人でごめんなさい」

「えーっと、うん。全然怒ってないというか、最初から気にしてないというか」

 

 よく見ると、頬に涙の跡がある。目も少し充血気味だし、眠れなかったようだ。

 俺のぶっきらぼうな態度に、相当傷ついていたらしい。これは本当に悪いことをした。

 

「もう二度と、あんな態度は取りません。どうか私を許してくれませんか?」

「……昨日は疲れてたから、余裕がなかったんだ。許すどころか、むしろ悪いのはこちらの方だ。あんなに長いこと待たせておいて、ごめんの一言ぐらい必要だよな?」

 

 次回からは改善しよう。有栖ちゃんの相手は俺にとって最も優先すべき事項であり、疲れや眠気を言い訳にするのは許されない。そもそも、毎朝五時に起きて準備していた頃に比べればなんてことはない。自分の怠慢を反省した。

 

「そ、そんな。晴翔くんが謝ることなんて、何もありません」

 

 まだ少し気にしているようだが、おかげで気合いを入れ直すことができた。

 一つ大きく息を吐いてから、俺は立ち上がった。朝のルーチンを始めようかな。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Aクラスの教室に立ち寄った時、帆波が学校を休んだことを知った。

 体調不良ということで生徒たちからかなり心配されていたが、「明日は出られそう」というメールが神崎宛に届いたらしく、午前中には騒動が収束していた。

 ……確実に体調不良なんかではなさそうだが。もしかして、早速豪遊してるのかな?

 

 そして、昼休み。約束通り俺たちは清隆のもとへと向かった。教室で話すのは憚られる内容なのか、人のいない場所……昨日帆波と話した屋上へと案内された。

 

「昨日は助かった。今度は、俺が清隆の話を聞く番だ」

「それはありがたい。オレがお前に頼みたいことは、たった一つ。今日の放課後、教師と生徒会による審議に参加してほしい。証人がいる方が有利なんだ」

「……審議?」

「ああ。恵が真鍋たちに暴行を受けた件だ。あの話をいじめ問題として、オレは立件した。証拠となる音声データと、撮影した画像は提出済みだ」

「俺の知らないうちに、かなり話が進んでいたわけか」

「そうだ。あいつらに何らかの処分が下ること自体は、すでに決まっている。今日行われるのは、その内容を確定させるためのものだ。お前にはとどめの一撃を入れてもらいたい」

 

 ……そんな感じなら、アドリブで話せば大丈夫そうだ。さほど難易度は高くない。

 

「了解だ。いい感じに証言させてもらおう」

「それは助かる。ちなみに、暴力事件の相場は軽くて停学一週間、重くて退学らしい。だが、集団暴行という悪質性を考えると軽くはならないだろう」

 

 つまり、現状でも最低一週間の停学は確実である。清隆にとってはそれでも十分なのだ。なぜなら、たった一週間の停学でもあいつら四人は体育祭に参加することができなくなるからだ。

 一人や二人ならともかく、四人の欠員は相当重い。推薦参加種目は代わりを用意すれば済むが、全員参加種目での圧倒的な不利は免れない。

 四人とも女子というのが余計に痛い。女子に限れば、クラス全体のうち二十パーセントが失われたことになる。大半の競技が男女別である以上、かなり厳しい結果になることが予想される。

 龍園には悪いが、もはや策略でどうにかできるレベルを超えている気がする。堀北を泳がせているのも、これがあったからなのか。すごく納得した。

 戦う前に終わらせる。それがあまりにも清隆らしくて、笑みがこぼれてしまった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「只今より、八月に発生した集団暴行事件について、最終審議を行います」

 

 生徒会書記・橘茜の言葉で、審議が始まった。

 始まる前に、この件ではすでに二回の審議が行われていると聞いた。今回は本当に詰めの作業というか、「判決」をどうするかの議論となるらしい。

 

 橘によって、真鍋たちの罪状が読み上げられていく。

 あの日起きたことが頭の中にフラッシュバックするほど、非常に正確な状況が示されていく。話が進むにつれて、加害者の四人はどんどん顔色が悪くなる。過去の審議でもコテンパンに言われたと思うが、こうして自分の罪を一つ一つ晒し上げられるのはさぞかし苦痛だろう。

 最後の一文まで読み終わった後、橘は俺の方を向いた。

 

「加害者四名の処分を検討するにあたり、今回は1年B組の高城晴翔くんに来ていただきました。彼は直接的な暴行現場こそ見ていないものの、当時の状況を知る唯一の第三者であり、その証言には一定の価値があると判断されました」

 

 見てるというか、聞いてるんだけどね。まあ、その方が都合がいいということだろう。

 ご紹介いただいたので、俺はその場で立ち上がった。

 

「高城晴翔です、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。早速ではありますが、事件当日のことをお話しください」

「はい。あの日の私は、特に用もなく客船内を歩いていました。そんな中で、立ち入り禁止エリアの方から女性の声がするのを聞き取ったのです。それには悲鳴のようなものも混じっており、私としてはかなり気になるものでした」

 

 立ち入り禁止の業務エリアに突入する時、清隆が先に人目のつかない場所へ移動してから、数分後に俺が合流するやり方をした。あれがアリバイ工作であると、俺は理解できていた。

 

「わかりました、続けてください」

「……声の方向へ歩いていくうち、無数の電子機器が立ち並ぶ部屋に到着しました。その中には怪我を負ってボロボロになった軽井沢さんと、それを守るように立つ綾小路くん。そして、そちらに並んでいる四名……ええ、間違いありません。その合計六名がいました」

「証拠と一致している状況ですね。ここで一つ質問させていただきます。加害者の四名は、軽井沢さんに対する暴力行為を行った後に、そちらの綾小路くんから酷い暴行を受けたと主張しています。その件について、高城くんは何かご存知でしょうか?」

 

 なるほど、そういう反論をしたのか。罪を認めた上で相手の落ち度を指摘する。

 かなり苦しい抵抗であるように思えるが、他に手立てがなかったのだろう。

 

「……私が到着した時の状況は、先ほど申し上げた通りです。綾小路くんによる暴力があったかどうかはわかりませんが、そこの四人は私の姿を見るなり、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていきました。少なくとも、重い怪我を負った人間の反応ではなかったように思います」

「綾小路くんは集団暴行の現場に割って入ったのですから、加害者がある程度の怪我を負うのは当然です。それが過剰だったのではないかという主張でしたが、高城くんの証言を聞く限りその可能性も低そうですね」

 

 橘は俺の話に頷きながら、しっかりとメモを取った。

 ……真鍋たちのことはどうでもいいのだが、この女はさっきから清隆側に肩入れしているような感じを受ける。生徒会の人間として、それはどうなんだ?

 

「ご協力ありがとうございました。どうぞご着席ください」

 

 促されて、俺は席に着いた。審議の行く末より、橘の態度が気になってしょうがない。

 好き嫌いで仕事をするようなタイプには見えない。だからこそ、強い違和感を覚える。

 普段は冷静な彼女を動かすほどの、何かがあったのだろうか?

 

「会長、昨日新たに提出された証拠は……」

「被害者保護の観点から、公開することはできない。もちろん、重要な証拠として取り扱うが」

 

 明らかに動揺した様子で、橘は堀北会長と話した。

 その証拠というのが原因か。やっぱり、絶対におかしいと思っていた。

 

「公開できないとは、どういうことか説明していただけますか?」

 

 Dクラスの担任教師、坂上数馬が質問した。当然の疑問だ。

 橘はそれを睨みつけて、怒りの表情を浮かべる。

 

「刃物で抉られたような、大きな傷跡でした。場所はお腹のあたりです。あれは一生残ってしまうかもしれません。女の子の大事な身体に、あまりにも酷い……」

 

 ……えっ。

 

「橘、ここは審議の場だ。感情的になるのは控えろ」

「申し訳ありません」

 

 ちょっと待て、恵ちゃんの脇腹の傷って……ええっ。

 マジかこいつと、俺は清隆の顔を見る。相変わらずの無表情だ。

 

 お前、恵ちゃんの古傷を真鍋たちがやったことにしたな?

 全てがつながった。昨日わざわざ生徒会室に行っていたのは、そういうことだったのか。

 俺はとんでもない勘違いをしていた。一か月半も立件するのを待ったのは、特別試験に合わせるためではない。遠い過去の傷を、あたかも今回の事件で負ったかのように装うためだ。

 

「そ、そんなことやってない!刃物なんて使ってないって!」

 

 真鍋が必死に反論するが、周囲の反応は冷ややかだ。すでに彼女のイメージは地に落ちているから、全員が真実であると疑わない。後出しで提出することにはこういう効果もあるのだ。

 さすが清隆であると、俺はその狡猾さに舌を巻いた。

 

「ほら、あの録音にも入ってなかったじゃない。それは絶対に嘘だ!」

「……音声データは、途中で切れてしまっていた。録音は一つの証拠になるが、録音されていなかったからといって潔白が証明されるわけではない。そこに縋るのは無意味だ」

 

 今まで黙っていたCクラスの担任、茶柱佐枝が冷たくそう言った。

 真鍋は絶望したような顔をして、へなへなと椅子に座った。

 

 長い時間をかけてじっくりと精査すれば、最近の傷でないことはわかるかもしれない。しかし早急に結論を出さなければならない以上、あまり現実的ではない。

 万が一それが発覚したとしても、だから何だという話だ。今回の事件の性質からして、身体にある傷の画像を提出するのは当然のことである。事件当日に撮影した無数の傷はすでに証拠として認められているし、処分が多少軽くなる程度のことだ。

 

 まあ、そうはならないだろうけど。今の真鍋には「やってない」ことの証明が難しい。

 あくまでも生徒会の審議であり、ここは司法の場ではないのだ。

 

 ……ここまで理解すれば、清隆の目的は簡単に見えてくる。

 それは決して、体育祭に勝つことなどではない。

 真鍋たちの一斉退学。これこそが、真の狙いである。

 

 

 

 その後は特に目立った発言もなく、審議は意外なほど静かに終了した。

 加害者四人の処分だが、三日以内に決定されると会長から説明があった。

 

「ありがとう、完璧な受け答えだった」

「それならよかった」

 

 帰る直前、清隆にお礼を言われた。昨日の恩は返せただろうか?

 

「あたしからもお礼言っとく。ありがとね」

「おう、恵ちゃんもよく頑張ったな」

 

 恵ちゃんは一度も発言しなかったが、正解だ。普段は明るい人物が黙り込んでいることで、傷ついているような雰囲気が演出された。それによって周りの同情を引くことができた。

 ……こんな形で脇腹の傷を利用するのは、かなり抵抗があったはずだ。清隆との深い信頼関係があるからこそできる芸当である。

 

「あいつらは退学かな?」

「諸藤リカ。あいつだけは直接的な暴力行為が認められなかったから、停学止まりかもしれない。だが、他の三人はその可能性も十分にあるだろう」

 

 俺の質問に対して、清隆はいつも通り表情を変えないまま答えた。

 四人の末路については何とも思っていないような態度だ。まあ、俺も同じなのだが。

 

「清隆があたしの彼氏で、本当に良かったと思う。ずっと一緒にいようね!」

 

 そう言って、恵ちゃんは嬉しそうに笑った。ここで笑えるということは、俺たちと同じ考え方を持っているのか。元々自分勝手な性格だし、他人の退学なんてどうでもいいのだろうが……

 

「最近のお前、かなり清隆に染まってきたな」

 

 自分の過去でさえ、敵を打ち倒すための道具として利用する。

 勝利のために使えるものはなんでも使うという、清隆のポリシー通りの動きだ。

 

「えへへっ、ありがと。なんだかすっごく良い気分。早く夫婦になりたいなー」

 

 彼女に自分の哲学を植え付けることも、目的の一つだったのかもしれない。

 やはり清隆は只者ではないと、再確認した一日だった。



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第44話

 翌日の夕方ごろ、俺たちの部屋に帆波が来た。

 

「晴翔くんっ、ケーキ買ってきたよ!」

「お、おう」

 

 練習はいいのかと思ったのだが、今日は体力の回復に充てる……ということにしたらしい。

 さっそく行動の変化が見られたことに、俺は満足した。少なくとも、以前の帆波はそのような「サボり方」はできなかったと思う。体育祭の練習など、必ず皆勤していたはずだ。

 ……さほど重要なことでなければ、手抜きしてもいい。そう思うことで、精神的な負荷というのは軽減されていく。彼女にとって良い変化であると感じた。

 

「……驚きました」

 

 有栖ちゃんは口に手を当てて驚いている。いやしかし、俺もびっくりだよ。

 

「うっわぁ、すごいね」

 

 今日は桔梗ちゃんも来ているが、似たような反応をしている。

 何をそんなに驚いているのかというと……

 

「ふふっ。言われた通り、五十万ポイント使ってきたよ。かなりオーバーしちゃったけど……自由なお買い物って、気持ちいいね。これでいいんだよね、ご主人様?」

 

 自然な感じでご主人様とか言うな。

 俺たちが驚いている理由は、彼女の服装にある。明らかに高級感が漂っているのだ。

 清楚系のコーディネートに加えて、首にはキラキラと白く光るペンダント。いずれも彼女のイメージを崩さないもので、正直めちゃくちゃ可愛い。

 

「それ、すごく綺麗だね」

 

 俺と桔梗ちゃんが近づいて、ペンダントを観察する。プラチナで構成されているように見えるチェーンに、鍵を模した形のチャームがぶら下がっている。そこには小さな宝石がいくつかセットされていて……うわっ、まさかこれダイヤモンドか。

 非常によく似合っているが、どう考えても普通の高校生が身に着けているものではない。何かに例えるなら、名家のお嬢様といったところか。

 

「これもブランド物だし、ええっ……」

 

 俺は全くファッションに詳しくないので、ペンダント以外はどれがどうすごいのかわからない。桔梗ちゃんは理解できるらしく、一つ一つのアイテムに驚きを隠せないでいる。

 

「にゃ、そんなに見られたら恥ずかしいよ!」

 

 帆波は顔を真っ赤にしているが、実際すごいんだから仕方ない。

 元々の容姿がものすごく整っているから、着ているものの美しさが一層際立っている。あまりにも綺麗すぎて、一種の神々しさを感じるほどだ。本当の女神になっちゃったんじゃないか?

 これで外を歩いたら、とんでもないことになる。目を引くなんて程度では済まない。

 

「そういえば、オーバーしたって言ってたけど」

「結局、百万ぐらい使っちゃったんだ……最初に服を見てた時はまだ抵抗があったんだけど、一つ買っちゃうと止まらなくなって」

 

 すげえ超えてた。百万って。てっきり、使い切れないかと思っていたのだが……わりと欲望に弱かった。リミッターを外されると止まらなくなるタイプだ。

 

「……了解。今後しばらく、ポイントの消費は抑え気味でいこう。使いすぎるのはさすがに良くないからな。ストレス解消にはなったと思うし、またキツくなってきたら爆買いしようぜ」

「ありがとう。本当に、気持ちがスッキリしたよ」

 

 いい笑顔だった。しかし、それを見ている有栖ちゃんは……なぜか怯えていた。

 

「あ、あの。帆波さんは、晴翔くんのこと……」

「私のご主人様だよ。それ以上でも、それ以下でもない。有栖ちゃんならわかるよね?」

 

 少し圧力を感じる言い方で、帆波は有栖ちゃんの話を切った。

 昨日も忙しく、この辺りの事情を説明できていなかった。今日寝る前にでも話そう。

 

「そうですか……私は間違っていたのでしょうか」

「私に聞かれても困るよ。でも、有栖ちゃんは晴翔くんにとってたった一人の恋人だよね。私よりもずっと近いところにいるのに、そんな顔はしてほしくないなぁ」

 

 結構言うようになった。こうやって本音を出せるようになってきたのも、良いことだと思う。

 

「一昨日の意趣返しですか?」

「ううん、そんなつもりはないよ。有栖ちゃんが私よりずっと賢くて凄い子なのはわかってる。有栖ちゃんの助けがなかったら、私は今ごろ……負けてばっかりで、クラスのリーダーとしての立場を失っていたかもしれない。何か他の意図があったとしても、その事実は変わらないから」

 

 自分のことを良くわかっている。決して帆波のためを思っていたわけではないが、今までの有栖ちゃんの行動がとてつもないサポートになっていたことは間違いない。

 有栖ちゃんの動き次第では、今苦しんでいるであろう龍園や葛城と逆の立場になっていた可能性だってある。その理由が善意に基づくものではなかったとしても、感謝せねばなるまい。帆波はAクラスの王として、それだけのものを与えられているのだ。

 

「あなたは今後、私に何を望みますか?」

 

 有栖ちゃんは弱弱しい声で、そう問いかけた。どうも自信を失っているというか、精神的に辛そうな感じを受ける。今日の夜は二人きりで、ゆっくり話そうと思った。

 

「私と、本当の友達になってほしい」

「……いいのですか?それは」

「大丈夫。有栖ちゃんが、晴翔くんのためだけに動いていることは理解してるから」

 

 常に、帆波が話の主導権を握っている。昨日の間に自分の中で整理してきたのだろうが、見違えるほどに強くなった。やはり、彼女の最大のウィークポイントはメンタル面だ。その状態さえ良ければ、こうして有栖ちゃんと対峙することだってできる。

 

 そして、今日心配すべき相手は彼女ではない。

 有栖ちゃんは目を潤ませて、俺の服の袖を握った。決して離すまいと、精いっぱい力強く。

 

「わかりました。友達関係はもちろんですが、今後帆波さんを害するような行動を取らないことをお約束します。ですから、彼を奪わないでほしいのです。私は、彼がいなければ……」

「有栖ちゃんは、本当に……あはは、やっぱりかなわないね。今さらそんなことしないよ」

 

 首を垂れて懇願する姿から、何かを感じ取ったようだ。帆波は優しい笑顔を浮かべて、その頭を撫でた。有栖ちゃんも抵抗することなく受け入れて、一粒の涙を流した。

 相性の悪かった二人が、ようやく友達になれたのかもしれない。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 落ち着いてから、帆波が買ってきたケーキを食べ始めた。

 これもなかなかいい値段だったようで、実際とても美味い。

 

「このケーキ、すっごくおいしいね」

 

 コーヒーを飲みながら、桔梗ちゃんが呟いた。二人に対する気遣いからか、今まで沈黙を貫いていた。言いたいこともあっただろうに……俺は、この子のそういうところが大好きだ。

 でも、うちにいる間は自分を作ってほしくない。誰が来ようが、そこは譲れない。

 

「桔梗ちゃん、素でいいよ」

「……いいの?」

「帆波なら大丈夫。万が一桔梗ちゃんにとって不都合なことをしたら……俺が縁を切るから」

 

 自分で関係を構築した以上、もし失敗したら自分が責任を取る。その覚悟はできている。

 俺の言葉に帆波はビクッと身体を震わせた。脅すような形になって悪いとは思うが、これは大事なことだ。桔梗ちゃんが帆波をあまり良く思っていないことも知っている。

 これぐらい言わなければ信用されないし、そこの線引きはしっかりしておく必要がある。

 

「や、やだ。そんなことしないから、捨てないで?」

 

 首を左右に振りながら、俺に縋りついてきた。

 これで桔梗ちゃんも察したのか、肩の力が抜けた。

 

「あー、わかった。帆波ちゃんってそんな感じなんだね。なんか、ちょっと残念かも」

「……好きになっちゃったんだから、仕方ないもん」

「完璧な善人だと思ってたら、想像より情けない人だった」

「ひ、ひどい……」

 

 早速の毒舌に、帆波がショックを受けた。グサッという音が聞こえそうなぐらい。

 本来の桔梗ちゃんと付き合っていく上では、これぐらいの発言は当然出てくる。

 ……キャラを作ってない方が魅力的だし、慣れてくれば可愛いと思えるはず。多少は時間がかかるだろうが、そこに関しては心配していない。関係が変わってしまっても、帆波がものすごく良い人であることは変わらないからだ。

 

「帆波ちゃんが実は結構ダメな子だなんて、クラスのみんなが知ったら大変だろうね」

「そんなこと言わないでよぉ……」

「あははっ、やだよ。私、あんたのこと大嫌いだったし」

 

 言いたい放題の桔梗ちゃん。帆波がしゅんとしたのを見て、楽しそうに笑う。

 彼女なりに溜まっていたものがあるようだ。これも、吐き出しておく方がいいだろう。

 

「ごめんなさい。何か嫌なことしちゃってたかな?」

「そういうところが嫌いだって、多分言ってもわかんないよね」

「そんな……」

 

 だんだん気分が晴れてきたのか、言い方がマイルドになってきた。

 泣きそうな顔の帆波に寄り添いながら、桔梗ちゃんは言葉を継いだ。

 

「誰にでもいい顔をして、みんなからチヤホヤされて生きてきたけど、実は誰かに縋りつかなければ壊れちゃうほど弱かった。バカみたいだよね。でも、そんなあなたとなら私は仲良くできる」

「えっ?」

 

 貶し続けてから、いきなり優しい言葉が出てきた。俺が大丈夫だと思った理由はここにある。

 なんだかんだ、桔梗ちゃんはとても優しい子だ。ただし、その優しさを感じられるのは、彼女の「本性」に耐えられる人間に限る。例えば堀北などは絶対にダメだ。あいつの性格上、今のような言葉を受けたら徹底的に反論するだろう。その結果、言い争いとなり関係は修復不可能なほど悪化する。また、その性質を桔梗ちゃん自身も理解しているからこそ「仮面」が存在するのだ。

 その点帆波は違う。心にダメージを受けながらも素直に話を聞いて、なんとか自分の中で飲み込んでいく。これができれば、桔梗ちゃんも素を出していい相手だと認識してくれる。

 

「今の帆波ちゃんは嫌いじゃないって言ってるの。私にここまで言われても一切悪意を見せないところとか、正直すごいなって思うし。まぁ、私から晴翔くんたちを取らないなら……たまには一緒に遊んでもいいよ。神様じゃなくて、普通の人間としてのあなたとね」

「き、桔梗ちゃん!ありがとう!」

 

 ぱあっと帆波の表情が明るくなり、桔梗ちゃんを抱きしめた。ウザそうにしながらもそれを受け止めてあげるあたり、やっぱり優しい。

 相性が悪そうに見えて、意外と良かった二人である。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その後も話は盛り上がり、仲良く四人で過ごすことができた。

 しかし、今日はお泊まりなどはせずに帰ってもらった。二人は俺たちの事情を察してくれたらしく、何も言わず従ってくれた。

 

 夜のルーチンをこなしながら、一昨日有栖ちゃんと別れた後に起きたことを話した。

 お風呂に入る前から話し始めて、寝る頃には説明することがなくなっていた。

 一つ一つのエピソードに深く頷きながら、有栖ちゃんは理解していった。

 

「有栖ちゃんのことは何があっても大好きだから、心配しないで大丈夫だよ」

 

 二人が会話していた時の反応を見て、きっと有栖ちゃんは何か誤解をしていると思った。それを解くため、お互いの認識を合わせる作業が必要だった。

 

「すみません、頭では理解しているのですが……あなたに捨てられる恐怖がつきまとうのです。私のせいで嫌な思いをしていないかと、常に気になってしまうのです」

 

 やっぱり、そんなことだろうと思っていた。恋人を帆波に乗り換えて、いなくなってしまうのではないかという恐怖。心配性な有栖ちゃんである。

 

「そんなことは絶対にない。死の瞬間まで俺たちは離れない」

「ああ、ありがとうございます。ずっと一緒にいてくださいね」

 

 俺の両頬をなぞるように触って、有栖ちゃんは笑う。少しは楽になっただろうか。

 この関係は変わらない。何があっても、誰が来ようとも。

 俺たちの世界は、どちらが欠けても成立しないのだ。



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第45話

 ついに体育祭前日となったが、全くやる気が起きない。

 結局、参加表は決めきれなかったらしい。推薦参加種目のみ葛城派の生徒で埋めて、あとは白紙で提出したようだ。これによって、参加順は完全にランダムとなる。

 運任せなのだから、文句も出ないだろう。こう言ってはなんだが、今までに葛城が取った戦略の中で最も良いものであるように感じた。

 

 Dクラスの三人が退学、諸藤リカは一ヶ月の停学処分になったことを知った。清隆から聞いた話によると、恵ちゃんには50万ポイントが賠償されるとのこと。退学する者達のポイントを全て受け取った上で、足りない分を諸藤が支払っていく流れになるようだ。

 退学者の発生によるクラスポイントの減少に加え、体育祭での圧倒的不利。さらに停学中は全ての授業を無断欠席した扱いになるらしく、そこでも相当な減点が入るものと思われる。体育祭の結果にもよるが、十一月のDクラスのポイントはかなり厳しいものになりそうだ。

 

 昼休み、俺たちはAクラスの教室に来ていた。

 

「帆波いる?」

「い、いつの間にそんな呼び方……ちょっと待ってて」

 

 扉の近くに立っていた白波に声をかけて、帆波を探してもらった。

 ……いた。教壇の近くで他の生徒と話をしていた。体育祭絡みの話題になっているようだし、そのやり取りが終わってからになるかなあ……と、思っていたのだが。

 

「来てくれたんだね。ありがとう!」

 

 帆波は途中で話を打ち切り、こちらへやってきた。

 

「おう。特に用があるわけじゃないし、そっち優先でも良かったのに」

「ううん、ごしゅ……晴翔くんたちを待たせるわけにはいかないから」

 

 今かなり危なかったぞ。そんな言葉をここで発したら、袋叩きどころでは済まない。

 

「ところで、Dクラスの話聞いた?」

「……退学者のことだよね。いじめなんてしてたら、そうなるのも仕方ないよ」

 

 三名の退学というのは、他のクラスの生徒達にも衝撃的なニュースだったようだ。どこに行っても噂話が聞こえる。ある意味、体育祭以上にホットな話題かもしれない。

 龍園のクラスからということで、またあいつが汚いことをしたのか……という論調であるのは少し不憫に思う。その程度で折れる男ではないだろうが。

 この件は真鍋たちの勝手な行動によるものであり、完全に自業自得である。当然龍園は何もしていない。普段の行いから発生したダーティなイメージが独り歩きして、濡れ衣を着せられた形だ。

 ……俺は無人島でそれを利用させてもらっているし、あまり人のことを言えない立場である。

 

 龍園とは対照的に、被害者の恵ちゃんは株が急上昇している。いじめ被害から立ち直ったリーダーとして、クラスが彼女を中心に強く結びつき始めたのだ。

 これも清隆の狙い通りであるとすれば、一石二鳥どころの話ではない。あいつは真鍋たちの暴行というイベントを利用して、最大限の利益を得ている。なんとも恐ろしいことだ。

 

「明日の体育祭、よろしくねっ!」

 

 帆波はそう言って、手を差し出してきた。

 俺はそれを取ったのだが……まだやる気にならない。

 

 有栖ちゃんはそんな俺の様子を見て、申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 寝る前、俺たちは二人きりで横になって会話をしていた。

 体育祭前夜ということもあり、今日は桔梗ちゃんなどの来訪者も無かった。みんな各々で英気を養って、明日に備えているようだ。

 

「どうされましたか?」

 

 じっと見つめられているのが気になったのか、有栖ちゃんは小首をかしげた。

 

「いや、有栖ちゃんは可愛いなあと思って」

「ありがとうございます」

 

 柔らかな笑顔は、見ているだけで安心できる。ずっとこの顔を見ていたい。

 ……有栖ちゃんが何もできないイベントなんて、無くなってしまえばいいのに。

 

「あーもう、マジで体育祭がうざい。明日休んでやろうかな?」

 

 有栖ちゃんの心臓の状態が悪いから付き添いたいとか、適当な理由をつけて休む。

 そういった手段を半分本気で検討しているほど、俺は体育祭が嫌だった。

 

「……嫌になってしまったのですね」

「ごめん。ちょっと……つまんなくなっちゃったんだ」

 

 つい本音が出てしまった。つまんない、全てはこの一言に尽きる。

 今回に関しては、もうどうしようもない。有栖ちゃんの身体のこともあるし、最初から期待していない。駄々をこね続けるほど子供ではないが、退屈な上に疲労を強いられるであろう一日を思うと、どうしても憂鬱な気持ちになってしまう。

 

「晴翔くんは何も悪くありません。悪いのは全部、あなたを退屈させている私です。本当にごめんなさい。お願いですから、嫌いにならないで……」

 

 有栖ちゃんの表情が曇り、瞳が潤んできた。俺の意思がうまく伝わっていない。

 これはいけないと思い、慌てて言葉を紡ぐ。

 

「謝らないでくれ。俺は今までずっと有栖ちゃんに楽しませてもらってきたんだ。嫌いになんて、なるわけがないだろう。大好きだから……大丈夫」

 

 時折顔を見せる、弱気モードの有栖ちゃん。これはこれで可愛いのだが、対応が難しい。

 目尻に溜まった涙を払ってから、唇を重ねた。好きだと理解してもらうためには、最も手っ取り早い方法である。

 

「んっ……」

 

 俺の顔に両手を添えて、なるべく深くつながるように体重をかけてきた。

 こちらも応じて、身体を重ねつつ唇の感触を味わう。

 やや息が苦しくなってきたところで、目を開けて顔を離した。

 

「好きだって、わかってくれた?」

「はい……愛してます」

 

 涙で頬を濡らしながらも、再び笑顔が見えた。安心してくれたかな?

 

 

 

 気を取り直して、明日の動きを考えることにした。可能な限り効率的に、体力を消耗しない方法がいいのだが……これがなかなか難しい。

 

「休んでしまっても構いません。私は一生、あなたに付き従うと決めています」

「うーん。それが最高ではあるのだが、そうすると周りがうるさいんだよなあ……」

 

 勝敗などは至極どうでもいいが、休んだことに対してクラスの奴らにとやかく言われるのがめんどくさい。全員参加種目を適当に流して参加する労力と、周囲の雑音を受け入れる労力。これらを天秤にかけたとき、まだ参加する方がマシであるような気がした。

 葛城派の連中は追い込まれすぎておかしくなりつつあるし、あまり目立ったことをすると恵ちゃんのように集団で殴られたりしそうで怖い。清隆みたいな身体能力があるわけではないから、そうなった時に対抗できない。何より、俺は隣に守らなければならない女の子がいる。

 それによって相手が退学になるとしても、学校内で集団と戦うのは避けたい。

 

「わかりました。我慢させてしまうような形になり、申し訳ありません。あなたの思い通りにいかないなんて、決して許されないことなのですが……私の力不足です」

「気にしないでくれ。重ね重ね言うが、有栖ちゃんが謝る必要はない」

 

 最近、この子は自己評価がとてつもなく低くなっている。このように、日常的に自分を下げるような発言をするようになった。今は先ほどのやり取りもあって極端な弱気になっているが、そうでないときも「私なんて……」という趣旨の言葉がよく出てくる。

 ……実は今まで言ってなかっただけで、心の中ではそう思っていたのかもしれない。

 

 あっ。

 

「ねえ、有栖ちゃん。もしかして、この学校に入ってから強気に振る舞っていたのって……結構無理してた?」

 

 ふと思い出したのは、『あの日』二人で話した内容だった。

 あの時俺は、有栖ちゃんに「今まで通りにしてくれ」と言わなかっただろうか?

 最近の態度が……病室に入った時の様子と重なった。些細なこととして忘れかけていたのだが、この子にとっては重要だった可能性がある。

 

「ふふっ、お気づきになりましたか。それも仕方ないかもしれません」

 

 そう言って、諦めたようにため息をついた。残念ながら推測通りだったらしい。

 本当に申し訳ない。謝罪を続けていた有栖ちゃんの心理的負担を、少しでも軽減しようと思っていたのだが……まさか、心を縛り付ける鎖になっていたなんて。自分の浅はかさが恥ずかしい。

 

「ごめん、俺が悪かった。楽になってほしかったのに、逆効果だったんだな」

「……すみません。私はもう、自信を失ってしまったのです。あなたという人間が居なければ、生きることさえできない。そんな自分に絶望しているのです」

「わかったから、もう大丈夫だ。これからは強い自分を演じなくてもいい。俺はどんな有栖ちゃんでも大好きだし、離れないって約束する。だからもう……そんな悲しい顔をしないでくれ」

 

 その身体を、ぎゅっと抱きしめた。あまり強い力を加えると壊れてしまいそうなほど弱く、大事に扱わなければならないと再認識した。

 

「ありがとうございます。私はいつも、あなたの優しさに救われています。ああ、それでも一つだけ。天才を自らの手で壊してしまった私にも、たった一つの夢があるのです」

「……夢?」

 

 何か思い出したように、顔を上げた。辛そうだった顔が明るくなった。

 きっとそれは、絶望の中に生まれた唯一の希望なのだ。その光を掴み取るための手助けをすることが、俺という凡人を好きになってくれた有栖ちゃんに対する誠意である。

 

 有栖ちゃんは少し悩んだ後、俺の耳に口をつけた。

 そして、囁くような声で恥じらいながらこう言った。

 

 ……いつか、あなたとの子供がほしい。

 

 俺は目を見開いてしまうほど、大きなショックを受けた。

 しかし、なんとなく……今までの行動全てが、結びついたような気がした。

 この子は、自分に成し遂げられなかった夢を次の世代に託そうとしている。人生の目標を達成するためのパートナーとして、俺を選ぼうとしている。

 

 簡単な道のりでないことは、もちろん本人もわかっているだろう。

 でも……叶えてあげたい。

 

「いいね。その先にある未来を、俺も見てみたいな」

 

 そう呟いた直後、有栖ちゃんは最高に嬉しそうな顔をした。

 明日は体育祭だというのに、なかなか寝つくことができなかった。



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第46話

 体育祭が開幕した。

 ダラダラと行進しながら、早く終われと心の中で言い続ける。

 

「……めんどくさいって顔に出てる」

「そう?でも、事実だからなあ」

 

 真澄さんに呆れられてしまった。

 マジで帰りたい。俺は深くため息をつき、これから始まる一日を嘆いた。

 

 

 

 第一種目の100メートル走は、なんと一組目で走ることになった。

 うちのクラスが参加順を決めなかったことは、学年どころか学校全体に知れ渡っている。

 これはルールの範囲内とはいえ、さすがに前代未聞だったようだ。しかし、誰が出るかを決める必要のある推薦参加種目はともかく、全員参加種目はどう並べ替えたところで戦力の合計は同じだ。ならば、全てを運に任せて出たとこ勝負にするのも悪い選択ではない。「運+身体能力」のみで決着がつく、真の実力勝負ができるということだ。

 まあ葛城自身はそんなことを考えているはずもなく、相変わらず辛気臭い顔をしている。集団をまとめられなかった自分を責めているのだろう。律儀というか、頭が固いというか。

 

 そもそも今のBクラスを統率することなんて、有栖ちゃんでも無理だ。彼らは集団としての勝利は諦めており、個人の利益のみを追求する。そのため、何か他の目的やポイントなどの報酬でもない限り動かない。クラスのリーダーなどという肩書さえ、もはや名ばかりのものになっている。

 好き勝手に楽しむことを主眼に置いた連中に、勝つことの喜びとか名誉を説いたところで無意味なのだ。

 

 そんなことを考えているうちに、走る時間が来た。

 隣のレーンには、気合い十分の須藤がいる。こいつがぶっちぎると見て間違いない。

 

 スタートの号砲が鳴り、足を動かした。体育の授業自体は普通に参加しているので、別に全く走れないというわけではない。ただ怪我をするのは馬鹿らしいため、決して全力は出さずに八割~九割程度の力を心がける。

 ゴール。概ね十六秒ぐらいであり、全然速くはないが確実に最下位は免れた。

 

「はぁ……だるかった」

「晴翔くん、すごいすごい!よく頑張ったね!」

 

 桔梗ちゃんが近づいてきて、俺の手を取った。

 この程度でそんなに褒められてもなあ、と思ったのだが。

 

 掲示板を見ると、俺の順位は「二位」と記録されていた。

 このタイムで二位?非常に疑問である。脇見することなく走ったので他の生徒の動きがわからず、四位か五位には入っているかな……ぐらいの気持ちだった。二位なんて、信じられない。

 

 ここで思い出したのが、堀北の不審な行動だ。

 須藤の出走順を知った者が、なるべく大差で負けるように配置した可能性がある。

 しかし、有栖ちゃんの見立てではスパイ行為の依頼者は龍園だったはず。だが結果を見る限り、Aクラスも須藤に雑魚を当てる戦略を取ったとしか思えない。これはどういうことだろうか?

 ……今の情報だけでは、考えたところで答えにはたどり着かない。あとで帆波にでも聞こう。

 

「はいっ、お水!」

 

 そうしているうちに、桔梗ちゃんが水を持ってきた。可愛い。

 俺はありがたく受け取って、飲んだ。営業モードもこれはこれで良いなぁ……

 

「汗かいてる。拭いてあげるね〜」

 

 いつの間にか用意されていたタオルで、頭と顔を拭いてくれた。至れり尽くせりである。

 

「勝ったのは俺だろ。なのに何だよこの敗北感!ふざけんじゃねえぞ」

「須藤、諦めろ。桔梗ちゃんはもう……」

 

 周りが何か言っているが、俺は無視した。

 

(有栖ちゃんは、あっちのコテージで待機してるみたい)

 

 桔梗ちゃんは俺の耳に口を近づけて、静かに囁いた。

 ああ、それを伝えにきてくれたのか。今日は入場行進の前から別行動となっていて、どこにいるかも教えてもらっていなかった。ちょうど教師を探そうと考えていたところだった。

 本当に気が利くというか、俺たちのことを大事に思ってくれていると感じた。

 ニコニコと笑う顔が、いつも以上に愛おしかった。

 

 

 

 俺は様子を見るため、急いで有栖ちゃんの待つコテージへと向かった。

 

「おーい、元気にしてるか?心配だから来たぞ」

「あっ、晴翔くん。来てくれてありがとうございます」

 

 嬉しそうな有栖ちゃん。体調は悪くなさそうで、ほっと一安心した。

 そして、コテージにはもう一人……キザな男がいた。

 

「ほう、君が噂の……」

 

 こいつはCクラスの高円寺だ。どうやら体育祭には不参加を決め込んでいるらしい。今すぐ俺もそうしたいぐらいだが、なかなか難しい。

 

「俺は高城晴翔だ。高円寺のことは元から知っていた。何せ、有名な男だからな」

「ならば、自己紹介の必要もなかろう。私は以前から、君と会話してみたかったのだよ」

「そうか、俺も同じことを思っていた。周囲の雑音をものともせぬその態度、尊敬に値する。参加の価値無しと判断しても、実際に不参加という行動に移すのは簡単ではない」

 

 高円寺は日和らない。自分の意志にのみ従い、行動できる。そして、それが許されるだけの実力を持っている。俺のような雑魚とは違う、正真正銘の大物である。

 羨ましいと思える生き方を実現しているこの男を、俺は素直にリスペクトしていた。

 

「……なるほど、やはり他の有象無象とは違うようだね。リトルガール?」

「なんですかその呼び方。ですが、高円寺くんの認識は合っていると思います」

 

 有栖ちゃんとは結構気が合うみたいだ。これなら、もしかすると……

 

「高円寺。体育祭の間有栖ちゃんを見ていてほしいって頼んだら、引き受けてくれるか?」

「聞くまでもない。弱き者を守るのは、上に立つ者として当然の責務だ」

 

 すっげー上から目線だけど、とりあえず守ってくれるらしい。こいつ以上のボディーガードなんてどこにも存在しない。俺は頭を下げて、右手を差し出した。

 

「ありがとう、感謝する」

「礼には及ばないさ」

 

 固い握手をして、お互いに笑顔を見せた。

 この態度を見る限り、高円寺はそれなりに俺のことを買ってくれているようだ。

 

「私が弱き者、ですか……」

 

 有栖ちゃんは一瞬複雑な顔をしたが、深く頷いた。納得はできたらしい。

 最大の心配事が解決した俺は、安心してテントへと戻った。

 ……須藤が怒りながらコテージへ入っていくのを見た。怒っても無駄だと思うがな。

 

 

 

 二つ目の競技、ハードル競走。

 今回は漁夫の利を得られなかったためか、俺は六位という結果に終わった。

 ……ここまでの展開で、一つ思ったことがある。

 

 Aクラスが強すぎる。

 

 明らかに異常と言っていいレベルで勝ちまくっている。

 足の遅い生徒が七位や八位で大敗し、他の生徒が僅差で勝つ光景を延々と見せられている。

 あまりにも強すぎるため、他クラス全ての参加表を入手した上で参加順を決めたのではないかと疑い始めた。俺だけでなく、みんな同じことを思っているのではないだろうか?

 ちなみにBクラスは健闘しており、今のところはAクラスに次ぐ二位であると思われる。また、この結果は参加表が流出しているという仮説を補強する形にもなっている。

 一体何が起きているのかわからず、興奮が高まる。体育祭がなかなか面白いことになっている。競技に対するモチベーションは上がらないが、俺はこのイベントが楽しくなりつつあった。

 

 三つ目の競技、棒倒しまでの短いインターバルを使って、帆波のもとへとやってきた。

 内密な話をするつもりがあるらしく、一旦トイレに行くと言ってから俺を手招きして、人目のつかない場所……校舎の中へと連れてきた。

 

「……帆波、何かした?」

 

 俺に会えて嬉しいようで、帆波は満面の笑みを浮かべた。

 そして、誰もいないことをもう一度確認してから、小さな声でこう言った。

 

「晴翔くんに体育祭を楽しんでもらえるよう、頑張ったよ」

 

 私がルールだから、と付け加えた。

 なるほど、そういうことだったのか。

 

 一之瀬帆波という人間は、本来は参謀などに向いているタイプであると思う。頭の回転が早く、人の考えを読むのがうまいからだ。しかし彼女の突出した才能……お人好しとも言える、底知れぬ優しさ。これが良くも悪くも強すぎるため、その本来の実力を打ち消してしまう形になっていたのかもしれない。要は、性格と能力が合っていないということだ。

 この前の一件は、彼女のポテンシャルを少しだけ引き出す結果になった。

 

「ふふっ、諸藤さんはポイントに困ってるだろうと思って。助ける代わりに、ちょっとしたお手伝いをお願いしたら……引き受けてくれたんだ」

 

 ああ、やりやがったこいつ。

 ……つまんなそうにしている俺を楽しませる。そんな自分勝手な動機で、体育祭をめちゃくちゃにするような行動を起こしてしまった。俺のためだけに、自分のやりたいようにやったのだ。

 それがクラスにとっても最善の策になっているのは、なんという皮肉だろうか。

 

「帆波、強くなったな。今のお前は最高だよ」

「ありがとう、ご主人様」

 

 物欲しそうな顔でじっと見てくるので、抱きしめてやった。微かに香水の匂いがする。

 ……あっ、首筋を甘噛みされた。くすぐったくて背筋がぞわっとした。

 

「犬じゃないんだから、やめとけ」

「わんわんっ!」

 

 思わず身体を引き離した。可愛いけど、これはなんだかダメな気がする。

 帆波もさすがに恥ずかしかったのか、頬を赤らめた。目がとろんとしている。

 

「よしっ、そろそろ棒倒しだ。やる気にはならんが、行ってくるよ」

「怪我だけは気をつけてね。もし、私のご主人様を傷つけるような人がいたら……」

 

 そこから先は言わなかったが、容赦しないということはわかった。

 この時、俺は初めて帆波に対して恐怖を覚えた。

 

 ……有栖ちゃんが怯えていた意味が、少し理解できた。

 優しさの中に見える狂気。俺はもしかしたら、怪物を生み出してしまったのかもしれない。




 諸藤さんは入信済みです。


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第47話

 棒倒しが始まった。こればかりは団体戦なので、一切のまとまりがないBクラスは不利であり、またCクラスの生徒たちからもあまり期待されていない。

 淡々と負けるのだろうと思っていたのだが……その予想は大きく外れた。

 

「オラァ!死ね!」

 

 Bクラスの男子が、棒を守るDクラスの生徒に肘打ちを食らわせた。反則スレスレの行為だが、棒をつかみに行くときに当たったと言えば……まあ、多分許されそうだ。

 

「クソッ、汚ねえぞ!」

 

 こちら側の棒を倒そうと攻める生徒に対して、振り落とすふりをして蹴りを放った者がいた。グラウンドの砂を握り、目潰しに使う者もいた。いずれもうちのクラスの人間だ。

 

 堕ちたエリート軍団の姿は、どこにもなかった。ここにいるのは、日常のストレスを暴力行為によって発散するならず者集団である。ある意味、龍園以上にタチの悪い存在と化していた。 

 自分たちのプライドを傷つけた龍園に対する潜在的な恨みと、評判の悪いDクラス相手ならどれだけ汚い手を使っても許されるという、自分勝手な判断。それを戒める役割を持つ葛城は求心力を失っており、もう誰にも止められない。

 

 しばらくすると、お互いに反則行為で退場となる生徒が出始めた。棒を倒すという大義名分すら忘れ、露骨な直接攻撃に走ったからだ。これはもはや競技ではなく、喧嘩である。

 骨折の疑いがある者もいるようで、救護班がストレッチャーに乗せて運んでいった。

 

 BクラスとDクラスの生徒が、少しずつ減っていく。

 教師による警告のアナウンスが流れた後、ようやく棒倒しの形式に則ったものに近づいてきた。

 しかし、もみくちゃになった中で殴ったり足を踏みつけたり、暴力をふるうことがメインの目的になっている野郎どもがまだまだ残っている。

 俺はこの抗争に巻き込まれないことを第一に考え、立ち回っていた。

 

 棒が倒れた。一本目はA・Dクラスの勝利となった。

 これで終わるといいのだが、残念ながら二本先取だ。

 

「てめえら、何やってんだよ!」

 

 須藤が俺たちに向けて怒鳴った。

 

「ケッ。龍園とそれに付き従う蛆虫どもがムカつくから、ぶん殴ってやっただけだ」

「どっちの棒が倒れるかなんて、知らねーし」

「そっちはそっちで、勝手にやってろ」

「それより石崎の顔見たか?ボコボコになって、いい気味だ」

「あれは傑作だったな。フラフラしてやがったし、次は俺が後ろから蹴っ飛ばしてやるぜ」

「ハハッ、最高だ。どいつもこいつも、俺たちを舐めてやがるからこうなるんだ」

 

「……クソ野郎共が」

 

 勝つ気などなく、個人的に気に入らない奴を殴ることしか考えていない。

 あまりにも酷すぎて、少し須藤のことが不憫になった。

 

 Cクラスの生徒たちは諦めムードになっているが、ここで俺は遠目にDクラスの方を見た。

 ……退場者と負傷者の合計数は、あちらの方が多いように見える。

 

 殴り合いとなって退場になったパターンが大半だが、吹っ掛けたのは全てBクラス側だ。

 しかし、それにやり返した生徒もまとめて退場になっているのだ。暴力行為に対する規制としてルール化されている以上、どちらが先に手を出そうが関係ないということである。

 ……相手を殴った人間は、競技から退場させられる。ただそれだけのこと。喧嘩を売られたDクラス側にとっては不公平に感じるだろうが、こういうルールなのだから仕方ない。

 

 龍園たちは一応棒倒しという建前を守っているためか、あからさまな先制攻撃は仕掛けてこない。その点Bクラスは何も失うものがなく、退場の可能性など気にせず動く人間ばかり。この状況では、負傷者が増えるのはどうしようもないと言える。

 棒倒しは人数が多い方が有利なのは間違いないが、さてどうなるか?

 

 

 

 二本目はかなり違う展開になった。

 Cクラスは棒を守ることに主眼を置いたらしく、こちら側の陣地からあまり出ていかない。棒ではなく生徒に向かって突撃していく軍団がいるため、こうするしかなかったのだろう。

 また、Aクラスの生徒は危険回避のためかこちらに干渉しない方針となったようで、一本目に比べて非常に動きが鈍い。そして、その判断はBクラスにとっては追い風となる。

 

 思った通り、人数差というのは結構大きい。喧嘩となればなおさらだ。

 Dクラスの中でも特に屈強な男……アルベルトという名の生徒が、自クラスを守るべく次々とBクラスの生徒を投げ飛ばしている。しかし、それを意に介さず他の生徒への暴力は続く。さすがに十人以上の相手を同時に対応することはできないようだ。

 Cクラスは自陣を守り、Aクラスが救援を行わなくなったため、相手側の棒の周りは戦争状態だ。みんな正常な感性を失っているのか、倒れている生徒に対する追い討ち行為も目立ち始めた。戸塚などは、それをメインに行っているようにさえ見える。

 

 足を引っかけられて転んだ上に、頭をわざと踏みつけられた生徒が視界に入った。後頭部に強い衝撃を受けたことで脳震盪を起こしてしまったのか、青い顔でふらふらと立ち上がり棒から離れていった。Dクラスでは珍しく優しそうな顔つきだったので、とても可哀想に思えた。

 ……さっきから見ていて思うのは、強い相手から逃げて弱そうな奴を狙っている者が多い。石崎はすでに手負いということもあり、集団リンチのような目に遭っているが、その他は気弱そうな生徒がターゲットにされている。アルベルトや龍園がほぼ無傷なのが良い証拠だ。

 ここまで荒らしておきながら、強者による逆襲は怖いらしい。自分よりも弱そうで、ボコボコにしても後が怖くない生徒を選び、それを一方的に虐げることで快感を得たいというわけだ。

 考え方としてはいじめに近いものがある。しかし、その非道徳的な行為が成果を挙げた。

 

 いつの間にかあちらの棒が倒れていて、二本目はB・Cクラスの勝利となった。

 今回は退場者がおらず、数名の負傷者が運ばれていくのみだった。いや退場にしろよ。

 

 

 

 そのまま三本目も制して、なんと俺たちは勝利してしまった。

 

「……こんなことってある?」

「統率された集団は強いが、失うものがない個人もまた強い。オレはそう思う」

 

 清隆が俺のところにやって来て、そう言った。

 ボロボロになったBクラスの生徒たちは、わりと良い表情をしていた。溜まりに溜まった鬱憤を晴らして、一種の達成感に近いものを得たのかもしれない。最低すぎて笑ってしまった。

 五名が反則により退場、六名が負傷により退場。クラスの半分以上が退場になった。

 肘打ちなどのグレーな行為も含めると、Bクラスで全く暴力行為をしなかったと言い切れる生徒は俺と葛城ぐらいのものだと思う。一本目で大人しくしていた葛城派の者たちも、時間が経つごとに暴力的になっていった。むしろ、最も汚いやり方をしていたのはあいつらだ……偶然を装って倒れた生徒を踏むなど、反則ギリギリを攻めるような陰湿な行動が悪目立ちしていた。

 

「これは、勝ったと言えるのか?」

 

 葛城は戸惑っている。最後に棒を倒したのは、この男だった。

 そして、おそらく彼にとって初めてこの学校で「勝った」瞬間だ。

 

「まあ、喜んでおけばいいんじゃねえの?」

 

 俺は葛城にそう伝えてから、その場を去った。

 とりあえず、怪我をせずに済んで良かったと思う。巻き込まれなかったのは幸運でしかない。

 ……高城を攻撃するな、なんて指令が出てたりして。さすがにそんなことはないか。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 テントに戻り、ゆっくりと身体を休める。

 強い疲労感により、元々低いモチベーションがゼロに近づいてきた。帰りたいという欲求に襲われる。そもそも、全員参加種目が多すぎなんだよ……あといくつだ?

 俺は水をがぶ飲みしながら、どうにもならない現状を嘆いた。

 

「棒倒し競技中に行われた多数の反則行為。これを重く見て、1年B組及びD組にはペナルティが与えられる。具体的には、体育祭終了後に30クラスポイントが没収されることになる。原因の生徒はしっかり反省するように」

 

 テントに入ってきた真嶋先生がそう言って、俺たちを一瞥した。

 

「競技結果に変更はないでしょうか?」

「それは当然だ。あくまでも、『生徒による多数の反則行為があった場合』の規定に従って決められた罰だ。競技の勝敗をひっくり返すようなものではない」

 

 葛城の質問に対して、無表情で答えた。

 決定が恐ろしく早いのは、元々ルール化されているからだろう。ここまで大規模なケースはあまりないかもしれないが、棒倒し自体荒れやすい競技だし、反則は想定内というわけだ。それにしても軽い気がするけど……反則行為と一まとめにしている以上、仕方がないのかもしれない。

 

 大した罰が下らなかったことに対して、多くの生徒がニヤニヤしている。

 ……もう、こいつらはさっさとAクラスに支配させた方がいいだろう。今回の棒倒しは正直楽しかったが、毎度こんなことをされては俺が疲れる。早いところ、帆波教に入信させてしまおう。

 個人の利益を第一に考えている者が大半である以上、ポイントで釣れるのは確実だ。多数決を取ってしまえば、葛城だって納得せざるを得ない。それでも聞かない頑固な奴は……退学させるよう、俺が帆波に命令してしまうのも悪くない。

 

 この崩壊したクラスをまとめることができる人間など、帆波ぐらいしかいない。

 荒廃した精神を「正しい」方向へ導けるかどうか、神様の手腕に期待したいと思う。

 

 

 

 直後に行われた女子玉入れも、B・Cクラスの勝利となった。

 かなりの僅差だったため、真鍋たち四人がいたら結果は違っていたと思われる。

 

 ここまでを通して言えるのは、意外とBクラスが強いということだ。棒倒しの勝ち方はともかく、各種目の成績はいずれも悪くないものばかり。白組には十分貢献できている。

 まともに練習していない上に、参加表は白紙。生徒たちは自分がいつ出場するのかさえ知らなかった。それにも関わらず、こうして一定の結果を残しているのは大したものである。

 

 腐っても元Aクラスの集団だから、各々が持っている能力はかなり高い。つまり、飴とムチを使ってうまく制御すれば……大きな力を発揮できる可能性がある。

 他人事ではあるが、俺はそんなことを感じていた。

 

 ……なお、綱引きにはほとんどの者がやる気を見せず、ウソのようにボロ負けした。



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第48話

 障害物競走と二人三脚は、どちらも最下位に終わった。

 俺だけがダメというわけではなく、Bクラスの生徒はみんなダメだった。

 いずれも練習がモノを言う種目なので、これは仕方のない結果だと思う。

 

 女子の騎馬戦はA・Dクラスの辛勝となった……Dクラスの人員減をカバーする、帆波たちAクラスの実力が素晴らしかった。

 今から男子の部が行われるが、Bクラスは先ほどの棒倒しで六人の負傷者が出ている。そのうち二人は軽い打撲程度で済んだものの、あとの四人は結構な重傷であるという。

 

「……四人なら、無くなる騎馬は一つで済む。無理はやめておけ」

 

 葛城はそう言って、負傷者たちを気遣った。

 彼らは四人とも、ここで体育祭終了となる。200メートル走はさすがに厳しいだろうし、推薦競技にはエントリーしていない。

 では、Dクラスはどうだろうか。あちらの負傷者は六人程度では済んでいない。その上、石崎などはきっと推薦競技に出てくる予定だったはずだ。出場不可となれば、ここからポイントを払って選手変更するか、競技を捨てるかの選択を強いられることになる。

 

(……龍園、きついだろうな)

 

 不敵な笑みを崩さない龍園を、遠目に見つめる。

 心がまだ折れていないことに感嘆した。いや、折れていないというより……

 

(もしかして、体育祭での勝利にこだわっていない?)

 

 勝ち負けよりも、他の人間がどう動くかを見ているような感じがする。

 体育祭は勝負どころではないと判断しているのだろうか?

 

 

 

 四人で集まって、騎馬を作り始める。

 誰が上に乗るかというのは当然決まってないので、ジャンケンで決めることにした。

 ……残念ながら?俺は負けたので、馬の方をやることになった。

 

「えっと、橋本だっけ。よろしく」

「おう、まあ程々にやろうや。怪我なんかしたらバカみたいだからな」

「同感だ」

 

 ジャンケン勝った橋本は、適当な調子でそう言った。こう見えて意外と冷静なタイプであるらしく、棒倒しの際も足を引っかける程度の嫌がらせに留めていたのを覚えている。

 

「……高城は、最初の最初から見切ってたよな。葛城のこと」

「見切ってたというのはちょっと違うな。有栖ちゃんが興味なさそうだったから、無視してたって言う方が近い。そういうお前こそ、一貫してあいつの言うことは聞いてないだろ」

 

 こいつは、葛城とはかなり初期の段階から距離を置いている。勉強会などのイベントに参加している姿を見たことがない。ほぼ毎回、俺たちと同じタイミングでさっさと帰るイメージだ。

 

「ハハッ、その通りだ。俺は無能な上司には付かないと決めてるのさ。ただ、このクラスの不運……俺にとっての誤算は、無能ではないリーダー候補がそもそも存在しなかったことだ」

 

 諦めたような顔で、橋本は葛城の姿を見つめた。

 やる気なさげな態度を示しつつも、Aクラスで卒業したいという気持ち自体は持っている。俺と同じタイプかと思いきや、どうもそういうわけではなさそうだ。

 

 

 

 騎馬戦が始まった。

 担ぎ上げられた橋本は、早速ぶつかり合ったBクラスとDクラスの戦況を眺めている。

 ……Dクラスの騎馬が二つ少ない。やはり、相当な数のけが人が出ていたようだ。

 

「あっ、あれは反則だろ」

 

 敵の騎馬に飛び移り、乗っている生徒を殴り始めた者がいた。二人分の体重が乗ったことでバランスが崩れ、全員まとめて落下した。その際上から踏みつけるような形となったため、やられた側はかなり痛がっている。捻挫で済んだだろうか?

 相変わらずBクラスはやりたい放題であり、完全に棒倒しと同じ流れだ。

 

 ……当該生徒及び、その者を乗せていた三名が反則退場になるというアナウンスが流れた。

 さすがにNGだったらしい。まあ、あんな行為を許したら騎馬戦が成立しないからな。

 薄笑いを浮かべながら、反則者たちはグラウンドの外へ去っていった。

 

「汚ねえな、あれが葛城派だったなんて……信じられるか?」

 

 橋本は蔑むような目で、その四人を見ていた。こいつの言う通り、奴らは数少ない葛城派だったはず。本来であれば、こんな反則行為に走る連中ではない。

 あの棒倒しでタガが外れてしまったようだ。葛城に近い人間ほど、多くのストレスが溜まっているだろうから……理解できる部分もある。

 そして、これは清廉潔白な葛城との決別宣言でもある。卑怯な行為を控えるよう、葛城は競技前にクラス全員へ話していたからだ。反則退場はそれを無視したことに他ならない。

 この体育祭は、葛城体制が完全に終了するきっかけとなるかもしれない。

 

 敵の反則による落下はノーカウントであるため、崩れたDクラスの騎馬はもう一度組み直す権利が与えられる。しかし、落下した生徒とその下敷きになった生徒がいずれも負傷したため、騎馬を作ることができずにリタイアとなった。

 結果だけ見ると「相打ち」である。騎馬の絶対数で勝るB・Cクラスは、より有利な形となった。ここでも、ダーティープレイが効果を上げた。

 

 その後も体当たりを仕掛けて強引に騎馬を崩したり、ハチマキを取る手で目潰しを試みるなど、悪質すぎる行為がそこらじゅうで発生していた。

 

「……こりゃ、巻き込まれないようにするのが正解だな」

「ああ、俺もそう思う」

 

 意見が一致した。なるべく接触を避けながら……俺たちはAクラスの生徒に接近し、ハチマキを奪われた。これで終了となる。一緒に組んだ他の二人はやや不満そうだったが、特に文句は言わなかった。こいつらも、内心この流れがダルくなっていたのかもしれないな。

 何にせよ、今回も怪我なく終わることができて良かった。

 

 

 

 騎馬戦はB・Cクラスの勝利となった。最後の龍園の粘りは凄かったが、須藤とタイマンを張っている背後から戸塚の騎馬が突撃した。足を支えている生徒に飛びかかったことで龍園は転落し、ゲームセットとなった。せっかく熱い展開になっていたのに、何とも後味の悪い終わり方だった。

 

「あの時の龍園、凄かったな」

「そうね。戸塚に対する殺意が、見ているこっちにも伝わってきた」

 

 最後の全員参加種目……200メートル走までの間、俺は真澄さんと雑談していた。

 あとちょっとで、俺の体育祭が終わる。そう思うと少しテンションが上がってくる。

 

「……あいつら、何やってんだ?」

 

 グラウンドでは、現在3年生の騎馬戦が行われている。

 そこから離れたところに、女子たちが集まっていた。その中心にいるのは……白波千尋。

 何やら怪しい感じがするので、俺たちは距離を詰めて聞き耳を立てた。

 

「……つまり、一之瀬さんは学校全体の幸福を願っているのです。あなたたちは、負けたわけじゃない。これからは悪に立ち向かう正義の味方として、一緒に戦いませんか?」

 

 白波は真剣な表情で、生徒たちに訴えかけている。

 どうやら、いかに帆波が優れた存在かを説明しているようだ。

 

「私たちのクラスは、一之瀬さんによって幸せになりました。私は、それを他のクラスの人たちにお裾分けしたいのです。心優しい皆さんが、破滅へと向かう姿を見ていられません。私たちと共に……栄光の道を歩みましょう!」

 

 小さな歓声が上がった。そのうち何人かは拍手もしている。

 聴いている生徒は全員がBクラスの女子だ。これはついに動き出したということか。

 

 白波が俺の姿を見つけて、にっこりと笑った。俺は目を合わせて、笑い返した。

 あいつの考えていることを概ね理解できた。今回は、さすが白波と言っておこうか。

 ……今、俺たちの利害は完全に一致している。止める理由など、あるはずがない。

 

(あいつら、放っておいても大丈夫なの?)

(大丈夫だが、真澄さんは『飲まれるな』。自分を強く持ってくれ)

(……わかった)

 

 Aクラスにおける神崎のように、集団を俯瞰的に見ることのできる存在は必要だ。

 今後、真澄さんにはそういう役割を担ってもらいたい。その方が有栖ちゃんも帆波も動きやすいだろうし……全てを話すつもりはないが、ある程度のタネは明かす気でいる。

 

 それにしても、白波は大したものだ。集団を操作するという目的において、モノで釣るより何倍も効果的な方法を理解している。今度会った時は、称賛の言葉をかけたいと思う。

 ……本人は帆波が話を持ちかける上での布石と考えているのだろうが、聴衆の大半はすでに帆波教へ引き込まれているように見える。時間さえかければ、白波の力だけでBクラスの女子全員を落とせるのではないかと感じた。

 

 Aクラス女子の強烈な信仰心は、彼女の手で作り上げられたといっても過言ではない。

 この女がいる限り、帆波の絶対的な支配体制は揺るがない。俺はそう確信した。



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第49話

 200メートル走を終えて、昼休憩に入った。やる気もスタミナも失っていた中でこの距離を走るのは難しく、なんとか最下位を回避するのが精いっぱいであった。

 支給される仕出し弁当を二つ受け取り、有栖ちゃんが待つコテージへと向かった。

 

「おーい、弁当持ってきたぞ」

「ありがとうございますっ、どうぞこちらへ」

 

 心なしか、有栖ちゃんの声が弾んでいる気がする。

 俺に会えて嬉しいと思ってくれているのだろうか?

 

「おお、うまそうだな」

「そうですね。外部から高級なものを取り寄せたと聞いています」

 

 さっそく弁当を開けて、食べ始めた。身体を動かしたのでお腹はペコペコだ。体育祭を乗り切った達成感もあり、非常に美味しく感じる。

 とにかく、怪我をせずに終えられてよかった。有栖ちゃんの世話に影響が出るような事態だけは避けたいと思っていた。身体が無事だったというだけで、俺の中では百点満点だ。

 

「午後は、私と一緒にいてくれますか?」

「もちろん。参加する競技も無いし、離れる必要性が見当たらない」

 

 そういえば高円寺はどこに行ったのだろうか?

 礼を言おうと思っていたのだが、姿が見えない。

 

「高円寺くんは、晴翔くんが来る直前に『礼は不要だ』と言ってどこかへ行ってしまいました」

 

 うわぁ、高円寺っぽい。

 やっぱ変わってるなあと思いつつも、今日の件は本当に感謝している。あいつが俺に何かお願いしてくるとは考えづらいが、もしそういう機会があったら協力しよう。

 

 グラウンドや校舎など、みんな思い思いの場所に陣取って弁当を食べている。しかし、さすがにこのコテージに来る者はいないようだ。暑さを回避できるし、居心地も悪くない。有栖ちゃんと二人、今日はこのままここで過ごすのもいいかもな。そう考えていたのだが……

 その時、一人の生徒が隣に座った。予想外の人物の登場に、俺は驚いた。

 

「私もご一緒しても、よろしいですか?」

 

 柔らかな微笑みが可愛らしい少女は、椎名ひより。船で会話して以来、久しぶりの接触だ。

 ……なぜ、このタイミングで俺たちのもとへ来たのだろうか?

 どういう意図があるのかわからない。有栖ちゃんもそう思ったのか、警戒を強めている。

 

「ふふっ、警戒されなくても大丈夫ですよ。私はお二人と仲良くなりたいのです」

「俺たちと?」

「はい……」

 

 そう言って、俯いた。もしかしたら、クラスの内部で何かがあったのかもしれない。

 椎名ひよりという少女は、独自路線を貫く印象がある。もちろん堀北のようなタイプではないが、自分の世界を持っているイメージだ。龍園とどういう関係なのかはわからないものの、少なくともこうやって単独で俺の後をつけてくる程度の自由は与えられている。あいつのやり方を考えると、それだけでも特別扱いされていることがわかる。

 

「椎名さんが、孤独に耐えられないような弱い人間とは思えません。何か他の目的があるのなら、教えてください。手の内を明かせない方と仲良くするのは……私には難しいです」

 

 有栖ちゃんはじっと彼女を見つめながら、行動の真意を探っている。

 

「それは過大評価です。私はそんな、強い人間などではありません。ですが私を信用できないというのなら……お話ししましょう。今、何が起きているのか」

 

 話しているうちに弁当を食べ終わったので、俺はゴミを集めて周りを整理した。

 一口水を飲んでから、彼女の話を聞く態勢に入った。

 

 

 

「龍園くんは、今回の体育祭でどれだけ負けてもいいと考えています」

 

 俺の予想通り、龍園は勝ちにこだわっていなかったようだ。

 頷くことで続きを促すと、椎名さんは驚いた顔をした。

 

「わかっていたのですね。すごい……」

「いや、これは直感的なものだ。読んでたわけじゃなくて、なんとなくそう思っただけ」

 

 むしろ、それを読まれたことにびっくりだよ。思考が外に漏れているような感覚だ。

 

「そうだとしても、すごいと思いますが……続けます。龍園くんの目的は、勝利とは別のところにあるのです。しかし、それを全員が理解できるわけではありません」

 

 当たり前のことだ。一を聞いて十を知るような、天才ばっかりじゃない。集団をまとめるというのは、言い換えれば一番ダメな奴を引っ張っていくということだ。

 龍園なら、それぐらいのことは理解していると思うが……

 

「特に彼は、説明を好まないところがあるので……普段から彼の近くにいる生徒以外には、ただ負けが込んでいるリーダーとしか認識されていません」

「……つまり、あいつの実力が張りぼてなんじゃないかと疑われているのか」

「おっしゃる通りです。最近は、『裸の王様』などという言葉も聞こえるようになりました。暴君が支配することで落ち着いていた火種が、再燃しようとしているのです」

 

 彼女の言いたいことがわかった。

 暴力による支配というのは、当然ながら本人が強くなければならない。負けが続いていることで、その「強さ」に対して疑念が生じているというわけだ。

 体育祭において、龍園は彼女が言うような意図をもった上で負けた。しかし、周囲の人間はそう思ってくれない。船上試験に続いて、Aクラスのいいようにされている印象を受ける。

 何より、三人の生徒が退学にされるような事件を未然に防げなかったという事実。支配力を疑われてしまうのは、当然であるといえる。

 

 何度負けても立ち上がり、最終的に勝つ。それはある意味天才的な考え方であり、龍園だからできることだ。一般的な生徒に、そこまで強靭な精神力を求めるのは難しい。

 懇切丁寧に説明すれば理解してもらえるのかもしれないが……

 

「本当のことを話すにしても、ああいう支配をしていると素直に受け入れてもらえるかわからないよな。だからといって、今さら仲良しクラスになるのは無理だろうし……難しい問題だ」

「ふふっ」

 

 突然、笑い始めた。どうしてこのタイミングで?

 ……なかなかの不思議ちゃんだなあ。あまり関わったことのないタイプの子だ。

 

「どうした?」

「あっ、すみません。ほとんど交友のなかった私の話を、真剣に聞いてもらえたことが嬉しくなってしまったのです。あなたには……『優しさ』があるのですね。だから多くの人が惹きつけられるのでしょうか?」

 

 なぜかテンションが高くなった椎名さん。それを見て、考え込む有栖ちゃん。

 彼女の透き通った瞳は、どこまで俺たちのことを見通しているのだろう?

 

 

 

 気軽に呼んでいいということだったので、ひよりと呼ぶことにした。

 

「ひよりさんは、どのような本を読むのですか?」

「そうですね……」

 

 女子二人で読書談義が始まった。博識な有栖ちゃんとは話が合うらしく、楽しそうだ。

 中学時代の有栖ちゃんは、授業中ずっと何かの本を読んでいた。そのジャンルはバラバラで、毎日違うものを選んでいた。おそらく退屈しのぎだったとは思うが、かなりの数を読破していた。

 ……記憶力が高く、流し読みで内容を暗記してしまうのは驚きだった。

 

「晴翔くんは、読書に興味はありませんか?」

「うーん。興味自体はあるけど、機会がなかったというのが正直なところかな。中学の頃は、趣味に割ける時間なんて全くといっていいほど無かったし」

 

 ひよりの問いに、あまり深く考えず答えた。

 あっ、ちょっと失言だったかも。気づいた時にはもう遅い。

 

「ご、ごめんなさい。私のせいです。長年にわたって、私が酷い扱いをしていたから……何と謝っていいのかわかりません。どうすれば償えるでしょうか?」

「ああいや、皮肉ったつもりはないんだ」

 

 うるうると目を潤ませる有栖ちゃん。最近は打たれ弱すぎて、傷つけないようにするのが大変だ。ぎゅっと抱きしめて頭を撫でると、少し落ち着いて顔を上げてくれた。

 そんな俺たちの様子を、ひよりは興味深そうに見ていた。

 

「有栖さんと晴翔くんは、本当に二人で一つなのですね。羨ましい関係です」

「……私は、彼がいなければ生きていくことができませんから」

 

 俺の服を両手で掴んだまま、有栖ちゃんは呟いた。

 いつも通りの表情に戻っている。やっぱり……この子には俺がいないとダメなんだな。

 

 

 

 いつの間にか昼休憩の時間が終わっていた。だが、俺たちの休憩は閉会まで終わらない。

 クラスを応援する気など一切無いので、コテージから出ないで話を続けることにした。

 

「……なるほど、ひよりまで批判されるようになってしまったのか」

 

 ひよりと仲良くなった俺たちは、彼女が本当に話したかったことを聞き出した。

 争いを好まない温厚な性格と、趣味に没頭するその姿。Dクラスへと陥落した者たちには、彼女がやる気のない人間として映ったらしい。その超然とした雰囲気から、以前は表立って批判を受けることはなかったようだが、余裕を失った集団はスケープゴートを求め始めたのだ。

 ……もっとも、諸藤が停学から戻ってきたら袋叩きになるのは確実だ。それまでの辛抱だということは本人も理解してるだろうし、何か我慢できない事情があるのだろう。

 

「教室では昼食を取ることさえ難しい雰囲気で……二学期が始まってからは、図書室についてきて私の悪口を言う人まで現れました。あえて聞こえるように話しているのを感じてしまい、とても悲しい気持ちになります」

「ひでえ話だな」

「そのため、最近はあそこへ行くことも嫌になってしまいました」

 

 ひよりは沈痛な面持ちで語った。

 大好きな図書室が使えない。本の虫である彼女にはあまりにも辛い状況だ。それをどうにかできないかと、藁にもすがる思いで俺たちに助けを求めてきたのだ。

 

「ひよりさんにとって、本を読めないというのは辛いものですよね」

「買ってしまうのが一番良いのですが、好きな本を好きなだけ買えるほどの余裕も無く……正直、どうしていいかわからないのです。すみません、こんな愚痴を聞かせてしまって」

 

 全ての疑問が解けて、俺は完全に納得した。そりゃあしんどいよな。

 ここまでされて怒らないなんて、ひよりは素晴らしい人格の持ち主だと思う。だからこそ、こういう人を困らせる奴らには義憤を覚える。絶対に図書室へ行けるようにしてやろうと、俺は鈍い頭をフル回転して対策を考える。

 

「……最低でも週二回、放課後を読書タイムとする」

「えっ?」

 

 意外と早く思いついた。根本的な解決ではないが、悪くはない方法だ。

 

「場所はもちろん図書室だ。そこで、一緒に本の世界を楽しもうじゃないか。俺がいれば、ひよりの邪魔をする奴も減ると思う。学内での評判の悪さには自信があるぞ?」

 

 ここに来て、変なあだ名と尾ひれのついた噂が役に立ちそうだ。

 俺に関わってくる人間は友人を除くとごく少数であり、大半の生徒からは避けられている。

 そんな俺が急にひよりと読書を始めたとなれば、周りの奴らは勝手に離れていく可能性が高い。恐れられているということもあり、悪口に対しても一定の抑止効果が見込めるだろう。

 また、読書という習慣にも興味が湧いてきた。ゆっくり本を読むなんて、よく考えなくても最高だ。慌ただしい生活を強いられる中、彼女との時間が一つのオアシスになるかもしれない。

 

「あ、ありがとうございます。どうして、そこまでしていただけるのですか?」

「ひよりが俺の友達だから。困っている友達を助けるのに、理由なんて必要ない」

 

 俺の言葉を聞いたひよりは、嬉しそうに笑った。

 

「はいっ、晴翔くんと有栖さんは私のお友達です。今後とも、よろしくお願いしますね」

 

 初めて見せてくれた、弾けるような笑顔。それはとても魅力的で、いつまでも見ていたいと思った。ちょっとした行動でこの笑顔が見られるなら安いものだ。

 俺たちの交友関係に、個性的なメンバーがまた一人追加された。



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第50話

 外に出てグラウンドを見ると、ちょうど借り物競争が行われているところだった。

 

「あいつが、綾小路清隆だ」

「はい、知っています。Cクラスの方ですよね」

 

 ひよりも含めた三人で、日陰に座って観戦することにした。

 

「あの男は確か本好きだったし、ひよりと仲良くなれる気がするぞ」

 

 清隆も有栖ちゃんに負けないぐらい博識だ。さらに読書の趣味もある。

 合わないわけがない二人であると思ったのだが、彼女の反応は意外なものだった。

 

「……えっと、すみません。それは冗談でしょうか?」

 

 そういうつもりは一切無かったので、戸惑ってしまう。

 俺の様子を見てから、ひよりは有栖ちゃんの方を向いた。説明を促しているようだ。

 

「……晴翔くん。そんなことをしては、恵さんの嫉妬を買います。ひよりさんはそれを理解しているのです。私が清隆くんとの関係を許されているのは、あなたという恋人がいるからです」

「えー、恵ちゃんって今でもそういうの気にするんだ?」

「彼女の独占欲はすさまじいものです。独り身の美少女と仲良く話すのを認めることは、まずあり得ないでしょう」

 

 独占欲。確かに恵ちゃんは深く清隆に依存しているし、離れたくない気持ちが強いことはよく知っている。実際、付き合った初期の頃はかなりドロドロとした想いが見え隠れしていた。

 とはいえ、最近の恵ちゃんは精神面でかなり安定している。そのため、清隆に女友達ができることぐらいは大丈夫だろうと思い込んでいた。

 でも、有栖ちゃんがここまで言うのだから間違いはない。今に至ってもなお、濁った感情を持っているのだろう。俺たちは特例的に許されていた……真相はそういうことなのかもしれない。

 

「晴翔くんは優しいですね。しかし、その優しさが無意識のうちに毒となることもあります」

 

 ひよりにも窘められてしまった。やっぱり、よく考えずに発言するのはダメだな。

 恵ちゃんの地雷を踏んでしまっては、友達を増やすどころではない。それだけではなく、今まで築いてきた関係に亀裂を入れる危険性さえあった。自分の迂闊さを反省した。

 

「ああ、二人の言う通りだ。良かれと思って言ったのだが、軽率だった」

「あっ……言い方が悪かったかもしれません。晴翔くんを責めるつもりは、全くないのです。むしろ、私の方こそごめんなさい。せっかくお友達を紹介してくれたというのに……」

「いやいや、ひよりが謝る必要はない。間違いを正してくれてありがとう」

 

 まさか謝られてしまうとは思わなかったので、驚いてフォローした。俺が傷ついたのではないかと、心配してくれている。はっきり言うわりにその辺は優しいんだな……

 ひよりは、清隆や恵ちゃんとは面識が無いはずだ。もちろんどこかで見かけてはいるだろうが、それだけであの二人の関係を完全に理解してしまうのは驚異的である。その上で俺たちのことを考えて、俺のミスを注意してくれたのだ。これによって俺と有栖ちゃんの認識のズレ……恵ちゃんの想いを過小評価していたことにも気がついた。

 何より、友達になったばかりの俺たちのことを真剣に考えてくれているのが嬉しかった。

 

 清隆は借り物が書かれた紙を取った後、一直線に恵ちゃんのもとへ走っていった。そして、お姫様抱っこの状態でゴールインとなった。もちろん一着だ。借り物は「好きな人」といったところだろう。顔を真っ赤にした恵ちゃんが、とても幸せそうに見えた。

 

「あのお二人の関係が、私には奇妙なものに映ります」

「奇妙?」

「一方的な恋慕に見えて、そうでもないような……表現が難しいですね」

 

 とりあえず、ひよりの洞察力がすごいのはわかった。

 本当に友達になれてよかったと思う。彼女が敵に回ることはあまり考えたくない。

 

「……ひよりさんはすごいです。私にはできません」

 

 有栖ちゃんにも思うところがあったようで、何かを考えながら見つめている。

 ただ、すごいという言葉の意味が俺の感じているものとは違う気がした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺たちが一緒にいるのを珍しく思ったのか、龍園がこちらへやってきた。

 

「おう龍園、どうした?」

「どうしたもこうしたもねえだろ……次はひよりか?」

 

 汗が流れる頭を掻き上げて、龍園は俺の方を睨みつけた。

 残念ながら、その程度ではビビらないんだよなあ。 

 

「ふふっ、大丈夫です。晴翔くんの『特性』は理解しています。その上で、お友達として付き合っていきたいと思ったのです。龍園くんが危惧しているようなことは起きませんよ」

 

 ひよりは龍園に近寄って、そう話した。

 俺の特性というのはよくわからない。そんな自分にすらわからないことを、彼女はわかっているというのだろうか。

 

「珍しく動き出したと思ったら、そういうことかよ。勝利の二文字をゴミとしか思っていない精神……テメェもそいつらに染まっちまったのかと思ったぜ」

「さあ、どうでしょう?」

 

 相変わらず掴みどころがない。ひよりは誰が相手でも変わらないらしい。

 だからこそ、龍園も一目置いている……置かざるを得ないのかもしれない。

 

「ところで龍園。お前は体育祭に負けてもいいと思っているようだな」

「……だったら何だよ」

「いや、その理由が気になったんだ。本気で勝とうと思えば勝てただろうに」

「それを他クラスのお前に、俺がわざわざ教えてやると思っているのか?」

 

 龍園が顔を近づけてきた。その眼光は鋭く、なかなか迫力のあるものだった。

 

「クラスなんて、学校側が勝手に振り分けたものだろ。AとかDとか……どうでもよくないか?」

「はぁ?」

「俺は、仲良くしてくれる人たちと楽しく遊べたらそれでいい。逆に言うと、俺にとってどうでもいい奴であれば、同じクラスの者であろうが仲間とは思わない」

 

 俺は今のクラスに何の愛着もない。真澄さんのことは気に入っているが、あくまでもそれは個人的なもの。今後負け続けてクラスポイントがゼロになったとしても、小遣いが無くなって困るとしか思わないだろう。とにかく興味がない。

 勝利に執着する龍園からすると、俺のような存在は異質に見えるのかもしれないな。

 

 

 

「チッ……各クラスのキーパーソンを炙り出す。俺の目的はそれだけだ。特に軽井沢……あのバカ女が、偽の参加表を掴ませるなんて真似をできるとは思えねえ」

 

 何だかんだ言いながらも、結局教えてくれた。これがツンデレというやつか?

 どうやら龍園はハメられていたらしい。九分九厘清隆の仕業だと思われるが、あえて黙っておく。この話から察するに、堀北は清隆の思い通り利用されていたようだ。何だか悲しい。

 

「でも、お前はもうわかってるんだろ。誰があのクラスの実質的な支配者なのか」

「当然だ、あまり俺を舐めるな……だが、奴の真の実力がまだ見えねえ。ギリギリ尻尾を掴ませない、気持ち悪い動きをしてやがる。軽井沢の恋人なんて肩書も、罠なんじゃねえかと思わせる立ち回りだ。そういえば高城とは仲が良かったか?」

 

 やはり、もうたどり着いていた。龍園の観察力があれば当たり前と言える。

 俺が思うに、最近の清隆は結構派手に動いている。実力を隠し続けるという目的の優先度が下がってきたらしく、真鍋たちを退学させた件でも表に出て堂々と行動していた。あれは一応、恵ちゃんが告発したという建前になっていたが……実際に「裁いた」者が誰であるか、あの審議の場にいた全員が理解していただろう。

 そして龍園がその情報を持っていないはずもなく……確信に近い推測ができている状態だ。

 

 それにしても、第三者からはそんな感じに見えるのか。そこは少し意外だった。

 清隆は、恵ちゃんの育成に全力を注いでいるだけだと思う。これまで全ての功績を恵ちゃんに譲り渡してきたのも、あの子に自信と達成感を与えるという目的しかないだろう。

 しかし、事情を知らない多くの者はそう思えない。恵ちゃんの裏で、清隆が参謀として動いているような印象を受ける。実力不詳の暗躍者とは、確かに不気味な存在である。

 

 ここまでの流れで理解した。龍園は、クラスというより清隆の動きを観察するために体育祭を捨てたのだ。最初にCクラスを引きずり降ろそうと考える過程で、あいつの存在に気づいたのだろう。だからBクラスがめちゃくちゃなことをしても無視できる。そもそも眼中に無いからだ。

 おそらく、偽の参加表に騙されることも想定のうちだ。これぐらいはやってくる相手だという情報が得られた時点で、龍園の目的は達成されている。

 

「お前があいつと戦いたいなら、好きに動けばいいんじゃねえの。俺は止めないよ」

「どこまでも他人事か。腐った野郎だ」

 

 そう吐き捨てて、龍園は去っていった。

 一つ言い忘れていたことがあったが、その言葉を出す前に彼は遠くへ行ってしまった。

 

 清隆を無理やり動かすために、恵ちゃんを狙うこと。

 次に龍園が取るであろう行動の危険性を、忠告しておこうかと思っていた。しかし、言ったところで聞き入れられる可能性は低い。

 

 だけど、龍園……それは清隆の進んでいる道を妨げる行為だ。

 自分の目的を暴力で崩そうとしてくる人間に、あいつは容赦するだろうか?

 ……先ほどからずっと悩んでいる有栖ちゃんも、同じ結論に行き着いたのかもしれない。

 

 最悪、再起不能になる恐れがある。

 そう遠くないうちに起きるであろうイベントを想像すると、背筋が寒くなった。



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第51話

 最後の種目……3学年合同リレーも恙無く終わり、体育祭の結果が発表された。

 全体では赤組が勝利した。学年別得点は1位のAクラスにCクラスが続き、あとはB、Dの順となった。Bクラスも最初は飛ばしていたが、最終的には微妙な結果に終わった。

 

「まあ、思ったよりは楽しめたよ」

「それならよかったです。今度は私があなたを笑わせられるように、頑張りますね」

 

 有栖ちゃんとそんなことを話しながら、俺は興奮さめやらぬ学校を後にした。

 

 

 

 その翌日、帆波が部屋にやってきた。

 

「ご主人さま〜」

 

 膝に顔を擦り付けている。日を追うごとに、甘え方が激しくなっている気がする。

 

「うわっ、きも……」

「ひ、ひどい!」

 

 氷のような冷たい視線でそれを見ているのは、桔梗ちゃんだ。

 同じ女性には、気持ち悪いと思われても仕方がないかもしれない。異性の俺からすると、これでもまだ可愛らしいと思えるが……

 その直後、桔梗ちゃんが身体を震わせた。帆波から何かを感じ取ったのか?

 

「それぐらいにしておこう。ほら、撫でてやるから」

「わぁ……気持ちいい。優しくてあったかい」

「そ、そうか」

「晴翔くん、愛してるよ。たとえ振り向いてもらえなくても、私はずっと大好きだからね」

 

 当惑してしまった。そこまで言い切られるのは想定外だ。あまり意識してこなかったが、絶世の美少女である。愛しているなどと囁かれて、男として動揺しないわけがない。

 

「体育祭のお話、昨日の続きをしよっか」

「……了解。一番興味がある部分だったし、いずれ聞こうと思ってたんだ」

 

 固まった俺を見て、帆波の方から話を変えてくれた。正直助かったと思う。

 あんな歯の浮くようなセリフを続けられていたら、俺はどうなっていた?

 

 ……帆波が持つ特殊能力。それを全力で俺に向けてきた場合、耐えられるのだろうか。自分だけは帆波に染まらない。そんな甘ったれた思考は、驕り以外の何物でもない。常に洗脳されるリスク、「帆波教」に引きずり込まれる可能性を考慮する必要がある。

 ようやく気づいた。こいつは、本気で俺を落とそうとしている。もちろん嫌いなわけではないし、好かれて悪い気分になるはずもない。無下にするつもりはないが……自分の心を強く持つことが肝要である。あくまでも最優先は有栖ちゃんであることを、忘れずにいようと思った。

 

 

 

「じゃあ質問するけど、どうやって諸藤に参加表を記録させたんだ?」

 

 諸藤は、参加表提出前に停学処分となった。それをどのように使って体育祭に活かしたのかということ。競技の合間にも考え続けたが、結局答えは出なかった。

 

「ふふっ、それはね……参加表自体は記録させてない。これでいいかな?」

「なんだと?」

「なら、答え合わせをしようか」

 

 唇に人差し指を当てて、帆波はウインクした。

 あざとい。でも、こいつがやると絵になるから美少女というのはずるいものだ。

 

「停学の効力が発生する直前の日、諸藤さんは放課後にひっそりと学校へ行ったの。置きっぱなしにしている教科書や参考書の類を、寮に持ち帰るためにね」

 

 最初からはっとさせられた。確かに、諸藤にとっては必要な作業だ。停学だろうが何だろうが、テストで赤点なら退学だ。休みの一か月間、自習をしなければ生き残れないだろう。

 また放課後であれば、ほとんどの生徒は体育祭の練習で教室には残っていない……今の諸藤の状況であれば、誰にも会わないで済む時間帯を慎重に選ぶはずだ。あいつは針の筵だからな。

 

「ああ、本人に記録させてないってことは……つまり、そのタイミングで諸藤に何かを仕掛けさせたってわけだ。だんだん理解できてきたぞ」

「せいかいっ。私が諸藤さんにお願いしたのはたった一つ。予め渡しておいた満充電のボイスレコーダーを起動させた状態で、自分の机の中……なるべく奥の方に入れて帰ってもらうこと。そして、次の日の放課後に回収させた。こっちはうちのクラスの子だけどね」

 

 ……こいつ、やるな。

 画像でなかったのは驚きだが、音声だけでもかなりのものを得られたはずだ。ただでさえ、三人もの退学者が出て大幅に参加表を練り直さなければならないという異常な状況だ。その最中に自分の教室が盗聴されているなんて、誰も思わない。

 雑談レベルで話される内容……クラスの戦略なども含めれば、単純に参加表の画像を貰うのとは違う利益もあるだろう。それが真であることは、他でもない体育祭の結果が証明している。

 ただ、一つ疑問が残った。

 

「Dの攻略法はわかった。でも、Cクラスはどうやったの?」

「それは……堀北さんが教えてくれたんだ」

 

 俺は驚き、桔梗ちゃんの方を向いた。

 

「……やっぱあいつ、裏切ってたよね」

「そうだね。何日か前に龍園くんと取引をしていたことは、諸藤さんが教えてくれた。それを聞いた私は、堀北さんのところへ行って『説得』したの。思ったよりも早く心変わりしてくれたよ」

「ああ、もしかして」

「さすが桔梗ちゃん、すごいね。多分想像通りだと思うけど、お兄さんの話を使わせてもらったんだ。『堀北会長は、龍園くんのような人を好むかな?』ってこと。実際どんな人かはよく知らないけど、堀北さんはお兄さんのことを相当美化して見ているからね」

 

 帆波の言う通り、堀北は会長のことを正義のヒーローのように見ている節がある。

 会長と龍園の気が合わないなんて、勝手な決めつけでしかない。むしろ、龍園のような勝利至上主義タイプとは合いそうな気さえする。清隆とも合うんだし、相性は悪くないはずだ。

 しかし、今の堀北は視野が狭い。龍園の評判が物凄く悪いことも重なり、兄の認めないやり方だと糾弾された時に否定できない。もっとも、言い方が悪ければいつものようにツンケンして終わりだろうが、そこは神様・一之瀬帆波である。きっと、甘くて優しい言葉をかけたのだろう。

 ……あいつが帆波教に入信してしまう日も、いつか来るのかもしれない。

 

「おかげで全部わかったよ、ありがとう」

 

 それにしても、面白い話だった。帆波がよくやったのは事実なので、礼を言っておく。

 

「ご主人様、すき……」

 

 また、あのとろんとした目だ。見ていると変な気持ちになるような……

 そんな帆波に対して、有栖ちゃんは終始怯えていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 帆波を帰らせた後、俺たち三人は部屋で晩ごはんを食べることにした。

 体育祭も終わったので、今日からはほぼ毎日桔梗ちゃんが泊まっていってくれるらしい。

 

「ぐすっ……どこにも行かないでください」

 

 半泣きで有栖ちゃんが抱きしめてきた。奪われるんじゃないかと心配になったのだろう。

 

「あいつ、超やばいね。もう晴翔くんのことしか見えてないんじゃない?」

「やっぱりそう思う?」

 

 げんなりした顔で、桔梗ちゃんがそう言った。

 帆波とやり取りするうちに、何か感じるものがあったのだろう。

 

「善意の塊みたいな女だし、それは変わってないんだろうけど……なんだろ、その対象があなたに限定されちゃったみたい。多分、私のことも友達と思ってないよ」

「えっ、マジで?」

「そうそう。以前は、有栖ちゃんにもあんな無関心じゃなかったよね?」

 

 確かに、と思う。そもそも俺たちの関係は、有栖ちゃんが帆波で遊んだ……自分の代わりに俺を楽しませてくれる「出演者」にしようとしたのが始まりだ。必然的に、帆波は俺より有栖ちゃんとコミュニケーションを取ることが多く、ある意味俺は脇役的存在に徹していた。

 しかし今はどうだろう。さっき、帆波は一度も有栖ちゃんに話しかけなかった。

 

「帆波さんの世界は、晴翔くんが中心になってしまいました。善悪の判断基準が、あなたに好かれるかどうかに書き換わったのです。それに影響を及ぼさない私は、彼女にとっては用済みなのでしょう。ふふっ、皮肉なものですね。私への関心を失った途端に、私と目的が一致するなんて」

 

 帆波がいなくなって、有栖ちゃんに少し元気が戻ってきた。もう苦手意識を持つレベルになってしまったようだ。初期の頃とは完全に立場が逆転した形だ。

 ……用済み、か。そこまで酷いことを考える子じゃないと思うんだけどなあ。心の深い部分の話なので、無自覚にそう思っていると言われたら否定できないが。

 

 

 

「それにしても、美味しいな」

「ほんと~?よかった……最近練習してるといっても、少し心配だったから」

 

 今日は桔梗ちゃんが手料理を振る舞ってくれた。この子は本当に最高の女の子だと思う。体育祭の時も感じたが、世話焼きスキルが高すぎる。桔梗ちゃんがいない生活なんて、想像できない。好きすぎて戻れないところまで来ている。これはもう、一生付き合ってもらうしかない。

 有栖ちゃんの補助だって慣れたものだ。俺の知らないうちに洗濯まで終わってたりする。最初は「来てもいいよ」ぐらいの態度だった有栖ちゃんも、今では離れたいと言っても離さないんじゃないかと思うぐらい気にかけている。

 そして今、俺たちは胃袋まで掴まれそうになっている。いつの間にか、この部屋におけるトップカーストは桔梗ちゃんになっていた。

 

「……有栖ちゃん、あんまり帆波を気にしすぎないように。俺にとって一番大事なものは、この三人の時間だ。大好きな家族と一緒に食卓を囲む。これ以上の幸せはない」

「はい、ごめんなさい。何事も気にしすぎるのは、私の悪い癖ですね」

 

 食べ終わった俺は、皿をシンクへ持っていき洗い物に取り掛かる。

 作ってもらった以上これぐらいのことは行わなければ、俺の気が済まないからだ。

 

 スポンジを片手に持ち、食器類を洗いながら俺は思う。

 俺にとって、桔梗ちゃんという女の子は別格の存在になりつつある。もし有栖ちゃんが恋人になっていなければ、確実に告白して男女の関係を求めていただろう。それぐらい好きだし、それぐらい好かれている自覚がある。いや、そこも通り越して……「家族」としての愛情を感じている。

 

 『あなたは、いずれ私たちの家族になるでしょう』

 

 船上試験の折に、有栖ちゃんが語りかけていた言葉がフラッシュバックした。

 桔梗ちゃんはあの日提示された道のりを、ものすごい速さで駆けている。もうゴールは近いというか、俺と有栖ちゃんがメロメロになっている以上、勢い余ってその先へオーバーランしているような状況かもしれない。

 

 では、帆波はどうだろう。俺はあいつに、どういう道を提示すればいいのだろうか?

 言い方は悪いが、振った時に発生する面倒ごとを嫌ってどっちつかずな態度を取っているだけだ。「飼うかどうか悩んでいる、ペットショップの犬」ぐらいの存在でしかない。 

 ……しかし、帆波は俺のことを「心に決めた相手」だと思っている。あの日助けたことを後悔しているわけではないが、ここまで困った展開になるのは想像できなかった。

 

(ああ、俺ってダメな奴だなあ)

 

 今さら確認するまでもない事実であるが、改めてそう思った。



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第52話

 体育祭も終わり、いつもの日常が戻ってきた。

 今日は生徒会の交代式が行われるということで、俺たちは体育館に集められた。

 しかし、全く興味がないイベントである。時間の無駄なので早く帰りたい。そう思っているのは俺だけではないらしく、退屈そうにしている生徒が多くいた。

 

 堀北会長……いや、前会長の挨拶が終わり、南雲が前に立った。

 話の内容は特に新鮮なものではなく、全て知っていることだった。本人と話してるからな。

 実力のあるやつは上に、無いやつは下に……ただそれだけのこと。

 

「……真に実力があるのにも関わらず、今までのシステムのせいで埋もれてきた生徒もいるでしょう。そういった人材を発掘した上で、伸び伸びと活動できる環境を整備する。私はこれも、目標の一つとして掲げたいと思います」

 

 南雲がそう熱弁した時、俺の方を向いていたような気がした。

 演説が終わると、主に2年生から歓喜の声が上がった。俺たち1年生は、どこか白けたムードで話を聞いていたが……Aクラスの生徒たちは、ほぼ全員が南雲を鋭い視線で睨みつけていた。まるで、「お前はそこに立つのに相応しくない」と言わんばかりのものであった。

 そして、堀北鈴音だ。彼女は前会長の挨拶を、どんな思いで聞いていたのだろうか。

 

 

 

 放課後。

 俺たちはひよりとの読書タイムのため、図書室を訪れた。俺の中では、この時間が日々の楽しみになりつつある。やはり落ち着いた趣味の時間というのは貴重だ。

 有栖ちゃんも悪くないと思ってくれているのか、難しそうな本をじっくり読み耽っている。

 

「『雪国』、ですか。名作中の名作ですね」

「一昨日の短編集が面白かったから、今度は長いのに挑戦してみようかと思って」

「ふふっ、短編はさらっと読めていいですよね。純文学がお好きですか?」

「……男女関係のいざこざは、創作物としてなら面白いんだけどな」

「それを晴翔くんが言うと、何だか深い意味を感じますね……」

 

 ひよりと軽く読書談義をしてから、本の世界に没頭する。

 予想通り、俺たちが同伴するのは大きな抑止効果があったようだ。すでに三回目を数える読書会だが、陰口を言っているような者は今のところ現れていない。実際にちょっかいをかける生徒がいたらどうしようかと思っていたので、未然に防ぐことができて安心した。

 

 ページから一度目を外して、ひよりの様子を見る。

 リラックスした表情で、活字を追っている。嬉しそうな気持ちがこちらにも伝わってくる。

 ……良かったなあ。自画自賛するわけではないが、今回に関しては成功だったと思う。

 

「……珍しいわね。ここで会うのは初めてかしら」

「ん?」

 

 声の方向を見上げると、そこにいたのは堀北だった。ひよりと有栖ちゃんも本から視線を移し、物珍しそうに見つめている。

 いかにも一人で本を読んでいそうなタイプではあるから、彼女がここにいること自体に違和感はない。俺が驚いたのは、この一匹狼がわざわざこちらに来て話しかけてきたという事実だ。

 

「どのようなご用件でしょうか?」

 

 ひよりが少し不機嫌そうに、堀北へ質問した。今いいところだったのかもしれない。

 

「いえ、特に用があったわけじゃないわ。あなたはよく見かけるけど……この二人が図書室で過ごしている姿を初めて見たから、何を読んでいるのか気になっただけ」

 

 その瞬間、ひよりの雰囲気が百八十度変わった。読書を邪魔された不機嫌が、同類を発見した喜びで塗り変わっていく。この子も結構わかりやすいところがある。

 

「……私は椎名ひよりと申します」

「堀北鈴音よ」

「はい、堀北さんはどんなジャンルを読まれるのですか?」

 

 堀北が本好きだと理解したのか、テンションが高くなってきた。

 これはもしかして、もしかするかもしれない。

 

 

 

 二人の会話は、図書室を後にしてからも続いた。

 好きなジャンル・作家から始まり、最近読んだ本など……堀北の知識の深さに感心しながら、ひよりは次々と聞き出していく。その光景はまるで、仲の良い友達のようだった。

 

「そういえば、椎名さんは最近あまり図書室に来ていなかったわね。以前は頻繁に通っているのを知ってたから、急にどうしたのかと気になっていたのよ」

「いろいろとありまして……晴翔くんたちは、私のために付き合ってくれているのです」

 

 そう切り出して、俺たちと読書するに至った経緯を説明した。

 

「……意外と優しいのね。そういうことをする人たちとは思っていなかった」

 

 堀北は一瞬目を丸くして、俺たち二人の顔を見た。心なしか、前より態度がマイルドになった気がする。特に打ち解けたというわけではないが……ひより効果だろうか。

 それにしても、今日は風が強い。堀北の長く綺麗な黒髪が靡いている。

 結局、いきなり話しかけてきた意図はわからなかった。ただ一つ言えるのは……

 

「今度、お互いの本を貸し合いませんか?」

「いいわよ。椎名さんが持ってる本なら、面白そうだし」

 

 やっと、このツンツン女に手を差し伸べる者が出てきたということだ。

 もちろん、クラス内での立場が厳しいことは変わらない。体育祭で裏切った事実が消えるわけでもない。しかし、堀北にとって……初めて堀北鈴音という存在を認めてくれる生徒が現れた瞬間であった。プライベートに限った話とはいえ、これは彼女にとって大きな転換点だと思われる。

 

「今日はありがとう……坂柳さんと、高城くんも」

 

 俺は、この学校に入って初めて堀北の笑顔を見た。

 一人で完結していた世界を、明るく照らしたのは……椎名ひよりだった。彼女は読書という共通の趣味をきっかけに、恐ろしく気難しい堀北の心を開かせたのだ。

 そして、この出来事は俺たちが読書タイムに付き合わなければ起きなかったはずだ。たった一つの行動でも、思わぬところに影響を及ぼす可能性があることを実感した。

 

「ふふっ、堀北さん」

「何かしら」

 

 ずっと黙っていた有栖ちゃんが、最後の最後に話しかけた。

 

「……人の温かさというのも、悪くないでしょう?」

「……どういうこと?」

「どう解釈していただいても構いません。ただ、堀北さんは手遅れではありません。私とは違い、飛躍するチャンスをまだ残しています。それはとても、とても羨ましいものです」

 

 やや影のある微笑みを浮かべながら、堀北を諭す。

 その声色は優しく、今までの有栖ちゃんとは大きく異なるものであった。

 

「好意的に受け取っておくわ」

「そうしてください。私がずっと、あなたに伝えたかったメッセージです」

 

 その時、ぶわっと強い風が吹いた。肌寒さを感じて、俺は一瞬身を縮こまらせる。

 

「それでは皆さん、風邪をひかないよう」

 

 ひよりは平然とそう言って、去っていった。堀北も身を翻しそれに続く。

 俺と有栖ちゃんは顔を見合わせて、笑った。

 

「あははっ、なんかおかしいね。堀北のぎこちなさときたら」

「そうですね。コミュニケーションに慣れていない様子が、ありありと見えました」

 

 うーん、それにしても寒い。急に気温が下がったな。

 人の温かさ、かぁ……

 

 ふと思い立ち、俺は有栖ちゃんの身体を思い切り抱き寄せた。

 三十六度の温もりを感じる……こういう意味じゃないのは、わかった上でのことだ。

 

「あったかいねえ」

「もう、急にどうされたんですか?」

 

 口ではそう言いながらも、満更でもなさそうだ。

 赤くなった頬に軽くキスをして、顔に手をやった。風を受けて耳が冷たくなってしまっている。

 

「よしっ、俺たちも帰るか。今日は先に風呂がいいな」

「そうしましょう」

 

 離れないように手をしっかりと握り、ゆっくりと歩き出す。

 幸せそうな有栖ちゃん。それを見ると、こちらの気持ちまで明るくなってくる。

 

 堀北鈴音。寒くて暗かったその心には、ひよりの温かさが沁みたことだろう。

 しかし、お前の道は前途多難だ。行き先を間違えていたことに気づいたところで、今さら修正するのは決して簡単なことではない。

 ……知らないはずだった、ずっと見て見ぬ振りをしてきた「人の温もり」を知ってしまったことで、より一層惨めな気持ちにはならないだろうか?

 季節はすでに秋である。春先から育てた人間関係は、成熟し始める時分だ。そんな中に割って入ることは、彼女の性質からすると非常に難しいのではないかと思う。

 

 与えられた「優しさ」は彼女にとって毒となるか、薬となるか。

 体育祭の日にひよりが発した言葉を思い返したところで、部屋に到着した。



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第53話

「……私は、みんなと一緒に進みたいんだ。この学年を、学校を幸せにするために」

 

 静まり返った教室に、帆波の声が響き渡った。

 すでに女子は白波の支配下となっている。あとは男子だが、先ほど提示されたメリット……龍園に対する負債を肩代わりするという条件を受けて、概ね好意的な反応を示した。

 

 Aクラスが動きを見せたのは、十月半ばのことだった。

 そろそろ次の特別試験が来るというタイミングで、このクラスにアプローチをかけてきた。

 葛城も最初は渋っていたが、主に女子からの圧力もあり受け入れざるを得なくなった。

 ……もっとも、最早リーダーの座を失った彼がどうこう言ったところで、クラスを構成する一人の意見としか受け止められないのだが。集団をまとめる者など、もうどこにもいない。

 

「賛同してくれる人は、今からうちの教室へ来てほしい……契約書にサインしてもらった後に、二万ポイントを振り込むよ。きっと、悪い話じゃないはず」

 

 そう話を切られた後、俺たちはゾロゾロと彼らの教室へ向かっていった。

 

 あらかじめ用意されていた契約書へ、順番に名前を書いていく。Aクラスの生徒たちが周りを取り囲み、物々しい雰囲気だ。

 ……戸塚が最後まで抵抗していた。しかし、全員の署名が確認されない限りポイントを振り込まないと神崎が発言したことで、他の生徒たちは彼を睨みつけた。その後観念したのか、結局はボールペンを取り端っこの方へ名前を書いた。

 たった数分で、賛同者のみという条件がひっくり返されている。おそらくは俺たちの様子を見ていて、一押しすれば全員いけると判断したのだろう。まあ正解なのだが、葛城の渋い顔を見ていると少し可哀想になってくる。こんなの、降伏文書に調印しているようなものだからな。

 これにより、このクラスは帆波たちの手に落ちた。ここまで来ても、既にAクラスを諦めている生徒たちの顔には、悔しさというものが見られなかった。

 

 

 

 その放課後。相変わらず人気のないカフェに、俺たちは三人で来ていた。

 

「はいっ、ご主人様……今月のポイントだよ」

「俺たちは龍園の契約から逃れてるから、この書きっぷりだと貰えないはずなんだけど」

「そんなの誰も気づいてないし、いいのっ」

 

 端末を見て、ポイントが入っていることを確認する……

 

「あれ、20万ポイント入ってるぞ。ゼロ一つ間違えてない?」

「そ、そんなことないよ〜だ」

 

 こいつやりやがった。まさか、これから毎月俺に20万送りつけてくるつもりか。

 とはいえ、思うがままに動けと言った手前やめろとも言えない。自分の発言に縛り付けられている形だが、ここまで依存されるとは誰が予想できるだろうか。

 

「……まったくお前は」

「えへへ。本当はポイントなんかじゃなくて、私の全てを捧げたいぐらいなんだけど……がまんがまん。もし足りなかったら、いつでも言ってね?」

「そ、そうか」

「私の心も身体も、全部あなたのものだよ……?」

 

 そういうことを外で言うなと思いつつも、その言葉には背徳的な快感を覚えてしまう。征服欲や支配欲と表現されるそれを、帆波は的確に刺激してくる。

 ……きっと、わかっててやってるんだろうな。今の過激な発言で俺がどう思うか、ある程度計算されている感じがする。怖い怖い。

 ドン引きしている有栖ちゃんをよそに、俺はバッグへと端末をしまった。

 

「話変わるけど、あの契約書は有栖ちゃんが考えたの?」

「はい。以前から考えていたものを、帆波さんへお送りしました」

 

 あれは良くできた不平等条約というか、今のクラスの力関係を表しているものだった。

 特筆すべき点は、Bクラスの生徒による裏切り行為が認められた場合、その者に対してそれまでに肩代わりしたポイントの総額を請求できるという部分だ。一月あたり76万の「賠償」は、個人では到底不可能なものである。

 サインした生徒たちの中には、この条項に違和感を覚えた者もいるかもしれないが……感覚を麻痺させる帆波のカリスマ性と、予め根回しを行った白波の努力がそれを潰した。

 Bクラスは今日、完全なる奴隷と化した。今後の逆転勝利を少しでも考えているなら、戸塚の行動は正しかったのだ。しかし、あいつも最後は同調圧力に屈してサインさせられてしまった。こうなった以上、もう取り返しはつかない。帆波教の支部として、細々とやっていくしかない。

 

「……やっぱり、このあたりは有栖ちゃんにかなわないかな。最後のポイント給付なんて、よく考えたなって思う。私には思いつかないやり方かも」

「裏切らないことのメリットを感じさせるのは、植民地化する上で重要なポイントです」

 

 帆波が言っているのは、契約書の後半に記載されたものである。これは先ほどの説明でも丁寧に話されていた部分なので、よく覚えている。

 内容としては、毎月一日に(Aクラスのクラスポイント-Bクラスのクラスポイント)×10ポイントが全員に支給されるというものだ。

 額としてはそう大したものではないが、見捨てないというアピールには最適である。

 他にもポイント絡みで細かい規定があり、一つの「システム」と言ってもいいほど良くできた契約となっている。もしかすると、これは……

 

 

 

 話を終え、俺たちは席を立った。

 帆波は当然のごとく伝票を手にして、そそくさと支払いを済ませてしまった。

 

「俺は何もしていないが、いいのか?」

「もちろん。晴翔くんのためなら、いくら払っても安いぐらい」

「……そっか、ありがとう」

 

 本人がそう言うなら、ありがたく奢ってもらうことにする。

 先ほどの20万もそうだが、貰えるものは貰っておくのが俺のポリシーだ。

 

「帆波さん、最後に一つだけ」

「何かな?」

 

 有栖ちゃんの言葉に、帆波は首をかしげる。

 

「当初の構想では、帆波さんに対する支援は今回を最後とする予定でした。しかし、あなたは……私の予想とは異なる動きをしました」

「うん、きっとそうだよね」

「その上で問いたいのです。あなたは、どうなりたいのですか?」

 

 かなり勇気を出して、質問したという印象を受ける。

 ……有栖ちゃんが怯えていたのは、帆波の真の目的が掴めないからだったのか。

 

「それは、晴翔くんとどうなりたいかって意味?」

「その認識で結構です。帆波さんは、恋人になるのは難しいという前提で行動しているように見えます。この関係のまま進み続けるのは不可能ということも……わかっているのでしょう?」

 

 恐る恐る、確認しながら帆波を問い詰める。それは地雷な気もするが、俺はあえて黙っておく。有栖ちゃんにいつまでもビクビクされるのは困るから、一度お互いに溜まっている想いを吐き出したほうがいい。ギクシャクした関係を修復するには、荒療治も必要だ。

 ……そう、思っていた。

 

「ふふっ、わかってるよ。それでも、もうどうにもならないぐらい好きになっちゃった。もし晴翔くんに捨てられたら、私は……耐えきれなくなって、死んでしまうかもしれない」

 

 帆波はじっと俺の方を見つめてきた。

 壊れたような笑みに、心を大きく揺さぶられる。

 

「おいおい、そんな物騒なこと言うなよ」

「でも、そうすればあなたの心には私という存在が永久に刻まれるよね。つまり、本当の意味で一緒になれる。だからきっと、私は死にたいんだと思う」

 

 語られたのは、あまりにも破滅的な考え方だった。俺は愕然とした。

 どうして気づかなかったのだろう。よく考えなくとも、屋上の柵の外側に立つような人間が、まともな精神状態であるはずがない。その根本となる原因を解消することなく、依存させることで塗り替えたのが俺だ。俺は彼女を助けていない。成功とか失敗とか、そういう次元の話ではない。

 これが俺を縛りつけるための、計算ずくの発言である可能性もある。しかし事実として、俺は今後帆波を切ることができなくなった。彼女が死ぬかもしれない。そんな恐ろしいことを示唆されて、見放せるわけがないだろう。

 

「帆波、お前は……いや、もういい。お前は俺のために動く。そして、俺はお前のために動く。決して一人ぼっちじゃないんだ。それだけは、どうかわかってくれ」

「ありがとう。やっぱりあなたは、とても優しい人なんだね」

 

 これは優しさなんかじゃない。最低な男が、自分の立場を失わないように振舞っているだけ。

 帆波からの一方的な信頼が、罪悪感という形で精神を深く傷つけていく。胸が痛い。

 

「言いたいことはわかりました。ここまでにしましょう」

 

 有栖ちゃんが半ば強引に話を打ち切った。助けられた形だ。

 俺の恋人はこの子しかいない。でも、帆波と離れることもできない。

 どうすれば全員にとっていい形になるのか、見当もつかない。

 

 ……俺がこいつとくっついてやれば、解決するのだろうか?

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 喫茶店の外。帆波が立ち去った後も、俺はぼーっとしていた。

 正解の存在しない問題である。考えても仕方がないのだが、頭から切ることができない。

 

「有栖ちゃん、俺はどうすればいいんだろうね」

「……今回の件、大元となっているのは私の行動です。全ては、私があの日に迂闊なことを言ってしまったのが原因です。本当にごめんなさい」

 

 あの日とは、俺が帆波を学校まで探しに行った日のことだ。部屋で帆波にかけた言葉を、有栖ちゃんは本気で後悔しているように見える。

 

「その瞬間までは、彼女のあなたに対する想いはそこまで強くなかったと思います。実は私が味方ではなかった。そう知った時の絶望感が、彼女を爆発させてしまいました」

 

 有栖ちゃんの分析は、多分正しい。

 帆波の中では、この学校で味方と言える存在は俺しかいないことになっている。俺だけが帆波を理解し、俺だけが帆波を助けられる。そう思い込んでいる。

 

「帆波が変わったきっかけが有栖ちゃんの言葉だったとしても、直接の原因は俺にある。逆に言うと、俺たちがあいつと決別しようとすれば……遅かれ早かれこうなっていたような気もする」

「おっしゃる通りです。元々はあなたを楽しませようと思っていたのですが、やり方が最初から間違っていたと考えざるを得ません」

「まぁ、他人事として楽しませてもらっていたのも事実だ。そこは共犯関係として、俺も含まれて然るべきだと思う」

 

 話し合っているうちに、熱くなった頭がだんだんと冷えてきた。

 

「……結局は、あなたがどうしたいかということです。私にとっては、それが一番大切なことですから。桔梗さんのように家族として迎え入れるも良し。いつか限界が来るまで、今の微妙な関係を継続するのも良しです。私はあなたの決定に従います」

「わかった、考えておこう」

 

 俺が決めた方針に沿って、有栖ちゃんは動いてくれるようだ。

 ……少し冷静になって考えてみると、今はまだそこまで悪い状況ではない。

 何も急ぐ必要はないのだ。高校生活はまだまだ長い。これからの数年間で、変わってくるものもある……もしかしたら、時間が解決してくれる部分もあるかもしれない。

 帆波の圧に押されて、まるで喫緊の課題であるかのように錯覚していたが、全然そんなことはない。あえて傷つけるような行動を取らなければ、あいつは可愛いペットのままでいてくれる。当分の間は「ご主人様」として飴と鞭を与えておくのが正解だろう。

 また有栖ちゃんに助けられた。シンプルな意見こそ、今の俺が最も欲していたものだ。事実を淡々と述べてくれたことで、精神的な落ち着きを取り戻すことができた。

 

「……さすがにあれが全て計算とは思えませんが、彼女は『どうすればあなたが離れないか』を直感的に理解している可能性があります」

「死を匂わせたのも、そうすれば俺に捨てられないってわかってるから?」

「全ては憶測です。ただ万が一あなたに見捨てられた場合、本当に実行してしまいそうな怖さがあります。いえ、それすらも彼女の狙いなのかもしれませんね」

 

 一つ頷いてから、有栖ちゃんは帆波が歩いていった方向を見つめた。

 如何なる場合においても、俺が優先するのはこの子だ。それだけは絶対に忘れてはならない。

 

 ようやく、思考を誘導されていたことに気づいた。

 自らの頬を数回強く叩くことで、俺は帆波に染められつつあった自分を引き戻した。




 洗脳系女子。


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第54話

 気づけば、十月も終わりが近づいていた。

 ある日の放課後、俺と有栖ちゃんは清隆の部屋を訪れていた。

 

「……で、モテすぎて困っちゃうという話か?」

「いや、そういうわけではないのだが」

 

 気まずそうに答えた清隆の隣には、頬をふくらませた恵ちゃんがいた。

 この部屋におけるヒエラルキーはどちらが上なのだろうか。

 

「そうなのよ。あたしっていう彼女がいるのにさぁ、どいつもこいつも色目使ってきて困っちゃう。清隆は体育祭で頑張りすぎたんだって」

「クラスに貢献しつつも、目立たない程度に調整したつもりだったのだがな」

 

 清隆の体育祭は、借り物競争が一位。他全ての個人競技が二位というものだった。

 どう考えてもエース級の成績だ。こいつは、これで目立たないと本気で思っていたのか?

 

「でも、恵ちゃんはクラスの中でもトップカーストに位置するはずだ。そんな奴から彼氏奪おうなんて、度胸のある女はそういないと思うが?」

「意外とそうでもないのよ……まあ、元々嫌われてたからね。特に同性間では結構バチバチだったから、まだ心の底では嫌ってる連中もいると思う。それもあたしが悪いんだけどさ」

 

 Cクラスの女子を何人か思い浮かべる。

 ……確かに、濃いキャラをしてそうな女が多い。あいつらを一つにまとめるのはなかなか難しいのだろう。逆に言うと、清隆の強力な援護を受けているとはいえ、あの環境でどうにか結果を残してる恵ちゃんは凄いのかもしれない。

 

「恵ちゃんも大変なんだな」

「何よ他人事だからって。あんただって……うーん、あたしは有栖みたいに寛容にはなれないかも。何年付き合ってんの?ってレベルの信頼関係よね」

 

 急に話を振られた有栖ちゃんは、驚いたように顔を上げた。

 

「私が、寛容ですか?」

「自覚ないんだ……うん、すごいと思う。櫛田さんとか一之瀬さんとか、よりによってアイドルみたいな見た目してる女ばっか近寄ってきてるじゃない。もしあたしが同じ状況になったら、嫉妬と恐怖でおかしくなっちゃいそう」

「そうですか……」

「まあ有栖自体がめちゃくちゃ可愛いし、幼馴染としての余裕もあるかもしれないけど。晴翔も、この子を悲しませるようなことをしたらダメよ?」

 

 釘を刺されてしまった。正論なのでぐうの音も出ない。

 

「わかった」

「それならよし」

 

 いやー、これは清隆も尻に敷かれるわ。

 会ったばかりの頃を思うと、いろんな意味で成長している。日々リーダーとして振舞っていることで、自信が生まれたのもあるかもしれない。

 もちろん、彼女の幸せは清隆のおかげである。本人もその認識は必ずあるだろう。だからこそ、僅かでも奪われる可能性を感じると、今日のように気を揉んでしまうことになる。

 ……二人きりの時の恵ちゃんって、どんな感じなんだろう。俺たちがいても甘々なのだから、相当なものであると予想される。今度、内緒で清隆に聞いてみようかな?

 

「清隆も、他の女に乗り換えたりしないでね?」

「……あまり心配するな。オレは恵としか付き合うつもりはない」

「ありがとう。ずっとそう思い続けてもらえるように、頑張るから。あたしはもう、清隆がいないとダメなの。別れ話なんてされたら……」

 

 そこから先は、言うことができなかった。

 目に涙を溜めた恵ちゃんの唇を、清隆が塞いだからだ。

 

 二人のラブシーンを見せつけられる形になった俺たちは、さっさと部屋から立ち去った。

 はいはい、仲がよろしいようで何よりです。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺たちの部屋に戻ると、扉の前に桔梗ちゃんがいた。

 いつもよりも早い時間なので、まだ来ないかと思っていたが……これは申し訳ない。

 ……ポイントで合鍵を作ることはできないだろうか?

 これから寒くなってくるし、帰りが遅れた時に待たせるようなことをしたくない。今度真嶋先生に聞いてみようかと思いつつ、部屋の中へと入った。

 

 三人分のお茶と、棚から適当に見繕ったお菓子をテーブルに置いていく。この間、普段は待っている二人で雑談をしているのだが、今日は沈黙が続いていた。

 

「……」

「もしかして、何か悩んでる?」

 

 桔梗ちゃんは難しい顔で、何やら考え込んでいる。

 

「いや、ちょっと……さっき綾小路くんの部屋へ行ってたんだよね?」

「そうだな。恵ちゃんもいたぞ」

「そっちはいいんだけど、今日あいつが何やったか知ってる?」

「全然知らない。イチャイチャしているところを見せつけられただけだ」

 

 文脈的に、あいつとは清隆のことだろう。

 特にいつもと違うところは見られなかったが、クラスの中で何かが起きていたのだろうか。

 

「堀北が体育祭で裏切ったこと、バラしちゃったの。みんなの前ってわけじゃないんだけど、放課後の教室で堂々と話してたから、私も含めてほとんど全員が知ってると思う」

「おいおいマジか。全く予想できなかったぞ」

「特に証拠があるわけではなさそうだった。でも、参加表の画像を撮ってたりとか、そういう怪しい行動を冷たく問いただしてた。堀北の反応も図星って感じだったし、話の途中で逃げるように帰っていったから……みんな本当のことだと思ってる。あいつ、もう無理かもね」

 

 さすがの桔梗ちゃんも、唐突すぎる出来事に困惑したというわけだ。

 二人とも全くそういう雰囲気を出していなかったから、一切気づかなかった。清隆はともかく、恵ちゃんだって……オンとオフを使い分けているということか。そう考えると少し納得した。

 

「堀北さんは厳しい立場になりましたね。裏切り者というレッテルは、容易に剥がせるものではありません。今まで以上にクラスで孤立するでしょう」

 

 有栖ちゃんが腕を組みながら、意見を述べた。

 

「……そこで、追い込まれた堀北が何をするかって考えたの」

「こうなったらもう、利敵行為も平気でやるようになるかもな」

 

 桔梗ちゃんの表情が暗くなった。どうやら、悩みの種は堀北にあるらしい。

 堀北と龍園がつながっているのは、今回の件ではっきりした。最後は帆波に唆されてそっちも裏切ったようだが、自クラスの情報を流すぐらいのことは今後もやると見ていいだろう。もっとも、恵ちゃんたちはその前提で動くようになるから、そう簡単にはいかない……そんなあいつが次に取る行動を、考えてみる。

 

「堀北が持ってる情報の中に、うちのクラスを混乱させるのにぴったりなものがある」

 

 あっ、わかった。

 

「桔梗ちゃんの過去を、悪意のある人間に話すかもしれないってことか」

「うん。今の堀北が何を言ったところで大した影響力は無いけど、第三者にそれを伝えることはできる。他クラスに私の情報を流すことが、あいつにとってメリットのあるものであれば……私も終わりだね。例えば龍園なら、学校全体に広めるぐらいのことはするだろうし」

 

 かつての堀北なら絶対にやらないと言える、卑怯な行為だ。

 しかし今はどうだろう。先の体育祭では、恵ちゃんを追い落とすため龍園や帆波に参加表を流した。かつて協力を拒んだ桔梗ちゃんを従わせるため、過去を脅しの材料として使う可能性は十分にある。実際にやらなくとも、「やるかもしれない」という状況は誰にとっても怖いものだ。

 

 この前の一件でちょっとは仲良くなったかと思ったが、やはり友好路線は難しそうだ。

 大事な大事な桔梗ちゃんを傷つけるなら、容赦することはできない。

 

「もちろんその前にどうにかするのが一番だが、万が一そうなった時は……俺と退学しよう」

「……本当にいいの?」

「当然だ。この学校をやめて、どこか遠くで一緒に暮らそうぜ。幸いここは世間的な評判がいいし、毎年何人も退学者が出ているから前例も豊富だ。きっと簡単に転校できる」

 

 有栖ちゃんはちょっと複雑そうだが、ここは譲れない。俺は学校と桔梗ちゃんなら後者を選ぶ。実際にその選択を迫られたとしても、決めるのには一秒もかからないだろう。

 

「そこまで私を優先してくれるんだ……ありがとう。ふふっ、なんだか嬉しくなっちゃった」

「そりゃあもう、大好きだから」

「うん、私も大好きだよ。今からご飯作るね!」

 

 先ほどまでとは打って変わって、上機嫌になった桔梗ちゃん。

 嬉しそうにニコニコしながら、キッチンの方へと歩いて行った。

 今日の晩御飯は何だろう。とても楽しみである。

 

「……あなたがいなければ、私は生きられません。以前にも言いましたが、あなたの選択は私の選択です。どこまでも一緒に行きましょう」

「まあ、退学まで行かないのがベストではあるけどな。あくまでも最悪の場合だ」

「わかりました。それにしても、桔梗さんが最も欲しかったであろう言葉を与えましたね」

「そうか?」

 

 呆れ顔の有栖ちゃんが、じっと俺を見つめてきた。

 やがて深いため息をついて、目線を窓の外へと向けた。

 

(どうも『先を越される』気がしてきました)

 

 最後のつぶやきは、よく聞き取ることができなかった。



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第55話

 今日は、今月のクラスポイントが発表される日だ。

 真嶋先生が、いつもと同じようにホワイトボードへプリントを張り出した。

 

 Aクラス 1355cl

 

 Bクラス  524cl

 

 Cクラス  362cl

 

 Dクラス  0cl

 

 Dクラス……龍園たちのポイントがゼロになってしまった。他クラスとはいえ、あまりの悲惨さに多くの者が愕然としている。だが、冷静に考えてみると無理もない。

 三人が退学処分となり、一人は停学だ。そして体育祭は最下位で、さらに(Bクラスもだが)数々の違反行為による減点も反映されているはずだ。これだけ一か月に重なってしまえば、全ポイントが消し飛んでしまうのも止む無しだろう。

 

 そちらが衝撃的過ぎてインパクトは薄れたが、Bクラスの減少率もかなり高い。

 想像以上に削られている。どうやら、体育祭でめちゃくちゃなことをしたのはかなり大きなダメージとなったようだ。他に減点される要素がないので、消去法でそういうことになる。

 

 思い返すと、棒倒しでは30ポイントの没収と説明があったが、それ以外の競技のペナルティが30ポイントとは誰も言っていない。反則行為による危険度を考慮すると、騎馬戦などは棒倒し以上に重い罰が設定されていても全く違和感がない。

 ……普通に考えれば、棒倒しの直後に真嶋先生が来たのは「警告」の意味が大きかったと理解できる。それを察せず、何をしても30ポイントで済むと勝手に判断したのがBクラスの連中だ。

 また、複数種目にわたって違反行為があった場合の規定も聞いていない。そのあたりのことを誰も質問しなかったため、真相は闇の中である。

 いずれにせよ、制裁が下ったことに関しては何ら不思議ではない。後悔してももう遅いのだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 数日後、先週行われた中間テストの結果が発表された。

 俺は勉強不足もあり50点台をうろうろしていたが、今回気になったのはそこではない。

 

「有栖ちゃん、もしかして本気出した?」

「本気と言われると微妙ですが……もはや、目立たないよう調整する意味もありませんから」

 

 有栖ちゃんが全教科満点を取っていた。これは、この学校に入って初めてのことである。

 当然学年一位だ。クラスの生徒たちは驚きを隠せず、ざわめいている。

 

 この変化は、Bクラスが帆波たちの軍門に下ったことが影響しているのだろう。

 有栖ちゃんは、自分がリーダーに担ぎ上げられるようなことは絶対に避けたかった。だが、天才的な頭脳を持っていると知られてしまえば、入学当初から一定数存在していたアンチ葛城が「坂柳派」になりかねない。そのため適度に手を抜いていたのだ。

 しかし、すでにその必要はなくなった。クラスごと植民地にされてしまった以上、今さら周りが有栖ちゃんの優秀さに気づいたとしても、何もできることはない。

 

「退学者はゼロ人だった。今後も気を抜かず、勉学に取り組むように。そして本題だが、只今から今度の特別試験……通称ペーパーシャッフルについての説明を行う。よく聞きなさい」

 

 特別試験という言葉に、Bクラスの生徒たちはめんどくさそうな顔をした。

 真嶋先生は苦笑いした後、その概要を説明し始めた。

 

「来週小テストが行われるが、その結果は成績に一切反映されない。その代わり、テストの結果を用いて二人一組のペアが組まれる……退学に関するボーダーなどは、ペアの合計点で決定される」

 

 簡単に言うと、馬鹿と一緒に組むと大変だということだ。

 これだけだと特別試験の要素が少ない、ただの介護イベントである。

 

「期末試験のポイントは、その特殊な実施方式にある。各クラスの生徒が問題を作成し、それを他クラスに出題する。そして、受けた側のクラスと総合点で勝負することになる。勝ったクラスは50クラスポイントを獲得し、負けたクラスはそれを失う。出題という『攻撃』を行うイメージだ」

 

 ……この学校がそんな単純な試験を行うわけもない。生徒たちの表情が歪む。

 つまり、誰かが問題を考えなければならない。めちゃくちゃダルいと思ってしまった。

 俺はすでに逃げ出す気マンマンであった。合計400問の問題を作るなんて、ありえない。

 

「なお、クラスポイントがゼロの相手を攻撃し、成功した場合も問題なくポイントは加算される。その時相手クラスのポイントは変動しないが、内部的に50ポイントの減算が実施される。具体的には、ポイントが増加するイベントが発生した際に50ポイントが差し引かれる形となる。従って、最終的には合計100ポイントの差が開く。Dクラスを攻撃対象に選択しても損をすることはない」

 

 真嶋先生の説明はわかりやすいものの、若干のぎこちなさを感じた。あくまでも予想だが、ペーパーシャッフルの時点で全てのポイントを失っていたクラスが今まで存在しなかったのかもしれない。前例がないとすれば、まるでマニュアルを読み上げているような感じになるのも頷ける。

 そんなことはどうでもいい。俺は面倒な作業が大嫌いなので、問題作成者に選ばれないようにしなければならない。終わった瞬間に、誰とも話さず速攻で帰ろう。

 

 話の最後に、全ての問題を完成させられなかった場合、学校が作った低レベルな問題を出題することになると補足が入った。知らんがな。むしろ俺にその問題を出してくれって感じだ。

 黙って有栖ちゃんの方を向いたところ、笑顔を見せてくれた。相変わらず今日も可愛いな。

 

 

 

 ホームルームが終了してすぐに、俺は有栖ちゃんを連れて教室から退出しようとした。

 葛城などに話しかけられたら面倒だ。可能な限り素早く動く必要がある。

 

「にゃっ!」

「うわっ」

 

 扉を勢いよく開けた瞬間、目の前に帆波がいた。びっくりした……

 その背後には神崎の姿もある。早速Bクラスへ指示を出しにきたのだろうか?

 

「あっ……」

 

 帆波は一瞬恍惚とした表情を浮かべたが、すぐに首を振って正気を取り戻した。

 そのまま教室の中へと入り、教壇に立った。女子の大半はキラキラした目で帆波を見る。男子も雑談を止めて、話が始まるのを待っている。真嶋先生の時とはえらい違いだ。

 俺は有栖ちゃんの手を引いて、しぶしぶ自席に戻った。

 

「はいはーい、みんなありがとう!」

 

 全体に向けて手を振ると、男女問わずその美しさに見惚れてしまう。

 何しろ今の帆波は私服なのだ。もちろん、俺の命令で買った100万の装いである。こうして多くの人の前でお披露目するのは、きっと初めてのことだろう。

 ……その破壊力はとてつもない。すでに一度見たことのある俺ですら、目を離せなくなってしまうほどだ。初見の者、特に男子の心を奪うには十分すぎる。

 

「今日はお話があって来たんだ。ペーパーシャッフルのルールは聞いたかな?」

 

 結論、見た目が可愛いというのは得である。

 こうして普通に話すだけでも、みんなの意識をぐっと引き寄せることができる。さらに帆波には人徳をベースとしたカリスマ性もある。これほど独裁者に相応しい存在は他にいないだろう。

 

 話の内容は、出題する相手にAクラスを選べというシンプルなものだった。それは協力体制を敷いた以上当たり前のことなので、他の生徒も驚いた様子はなかった。

 

「被ったらくじ引きになっちゃうから、うまくいくとは限らないけど……もし思い通りの組み合わせになったら、作戦を考えてくる。それに協力してほしいの」

 

 どこかふわふわとした雰囲気。帆波の容姿と優しい話し方が、生徒たちの感覚を麻痺させる。

 ここで私のために死ねと言われたら、何人か死ぬような気がする。そんなことを本気で考えてしまうほど、今日の彼女は圧倒的なオーラを放っていた。

 

「でも、これだけは約束するよ。私は絶対にみんなを苦しませない、みんなにとってもメリットのある戦い方をする。私の目的は、この学校の人たちを幸せにすることだから」

 

 有栖ちゃんは、そんな帆波を愉快そうに眺めていた。表情からして、何か考えがありそうだ。

 ……今回は、この子が得意そうなタイプの試験である。本領発揮となるだろうか?

 

 

 

 俺たちの部屋に帰った後、さっそく有栖ちゃんは誰かとメールを始めた。

 ……すでに桔梗ちゃんからは、今日は来れないと連絡を受けている。あちらはあちらで、作戦会議でもするのだろう。きっと行きたくないだろうに、人気者の立場を守るのは大変だ。

 ストレスが溜まりすぎないよう、また今度話を聞こうと思う。

 

「晴翔くん、後で帆波さんのお部屋に行きましょう」

「了解。どんな話になるのか、楽しみにしてるぜ」

 

 不参加だった体育祭と比べると、かなり楽しそうにしているのがわかる。

 それに影響されて、俺もワクワクしてきた。やっぱり、有栖ちゃんが動かないと始まらない。

 問題を作るのは面倒なものの、悪くはない気分だった。

 

 ……いや、それでもめんどくさい!

 怠惰すぎる考えを心の内に抱きながら、俺と有栖ちゃんは帆波の部屋へ向かった。




 後半部分をいろいろ修正しているため、また分割になってしまいました。
 明後日までには出せる……と思います。


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第56話

 夜六時。俺と有栖ちゃんは、帆波の部屋を訪れた。

 そこにはすでに先客がいた。柔和な笑みを浮かべる、普通にしていたら人畜無害な女の子。

 

「千尋ちゃんも一緒だったのか」

「うん、メールで有栖ちゃんに呼ばれたんだ」

 

 学校内では有名人となりつつある、白波千尋である。

 ちなみに、体育祭以降はお互いを名前で呼ぶようになった。どうもあちらからは親友認定されているようだが、それはそれで結構怖いものだ。

 

「さて、さっそく本題に入りましょう」

「わかった。じゃあ、有栖ちゃんの構想を聞かせてくれるかな?」

 

 帆波は姿勢を正して、問いかけた。こういうところを見ると少し安心する。

 二人の関係性は大きく変わってしまったが、決して敵になったわけではない。

 

「今回のポイントはたった一つ。『問題を作成しないこと』です」

「……なんだって?」

 

 つい横槍を入れてしまった。俺としては願ったり叶ったりの提案だが、どういうことだろう?

 

「ルール説明の際に話があったと思いますが、もし問題を提出しなかった場合……攻撃相手に出題されるのは、学校側が考えた非常に簡単な問題となります。AクラスとBクラスはお互いに、それを解けばいいのです」

 

 説明を受けて納得した。ものすごい発想の転換だ。

 お互いのクラスを指名し合って、双方とも問題を作成しなかった場合はどうなるか?

 ……全員が低レベルな問題を解くだけで、期末テストをクリアすることができる。

 

「その上で、Bクラスの生徒には各教科の点数が90点を超えないように調整させましょう。100クラスポイントを譲らせる形になりますが、文句は出ないと思います。それでも心配なら、毎月1万ポイントを振り込むなど『補償』を提示するのも一つの手です」

 

 全教科を90点以下にするとなれば、平均点はそれよりだいぶ低くなる。わざわざ簡単だと先生が言うぐらいだし、本来は問題作成に失敗したクラスに対するペナルティのようなものだ。この程度でも、Aクラスを勝たせるには十分すぎる縛りである。

 そして、このやり方なら誰もがラクに特別試験を乗り切れる。勉強の必要すらないかもしれない。すでにやる気を失い、遊ぶことを第一に考えるBクラスの連中には美味しすぎる条件だ。

 

 ああ、これぞ有栖ちゃんだと思った。

 ルール説明からの短時間で、ここまで考えたのか……

 

「ね、すごいでしょ?」

「本当にすごい……よくそんなこと思いつくね」

 

 千尋ちゃんは感嘆の声を漏らしつつ、有栖ちゃんを尊敬のまなざしで見つめた。

 あっ、ちょっと嬉しそうだ。こういうところは、昔から単純なんだよな……可愛いなあ。

 

 

 

 今日はうちに桔梗ちゃんが来ないので、この四人で飯を食べることにした。

 個室のある和食店に移動して、俺たちは話を続ける。

 

「そういえば、攻撃クラスが被ったりしないのか?」

「その可能性は低いです。Bクラスは元Aクラスですから、学力が非常に高いことはよく知られています。また、今の状況でいきなりAクラスを狙うのはあまりにもハイリスク・ローリターンです。CクラスとDクラスは、お互いを攻撃し合うと見て間違いないでしょう」

 

 有栖ちゃんは、指名が重複しないと確信しているようだ。

 まあ、余程の自信がなければ学力の低い相手を選ぶとは思う。それに、龍園が清隆のいるCクラスを避ける理由もなさそうだ……そうなれば、もう終わってしまうのではないか?

 

「えっ、まさかこれでゲームセットか。無事に指名できたら終了ってことだろ?」

「私たちはそうなりますね」

 

 船上試験と同様に、すごい早さで終わらせてしまった。

 しかし、どこからこういう発想が生まれたのだろう……もしかして。

 

「ホームルームの時、俺がめんどくさそうにしてたのを見てた?」

「ふふっ、よく気づきましたね。晴翔くんのことは、常に観察していますよ」

 

 思った通り、この戦術は教室での俺の様子から着想を得たらしい。

 俺が問題を作りたくなさそうにしている。ならば、誰も作らなければいい。

 ……うーん、天才としか言いようがないな。やっぱり有栖ちゃんはいろいろ飛び抜けている。

 

 

 

 帆波が奢ってくれるということで、俺は天ぷら定食をいただくことにした。

 全体的に値段が高いが、味はかなり良い。内密な話をする時は今後も活用したい店だ。

 

「有栖ちゃん、私からも一つ聞いていい?」

「なんでしょう?」

 

 しばらく口数が少なかった帆波だが、このタイミングで質問をした。だんだんとギクシャクした感じがなくなってきた。この二人の関係改善という意味でも、良い方向に行っている気がする。

 

「Bクラスの中で、誰か裏切ったりする人はいないかな。そういう人にはポイントを払わせる契約になってるけど、それだけで言うことを聞くお利口さんばかりじゃないよね?」

 

 それは、組織のリーダーが持ってしまいがちな猜疑心というものだ。お人好しの帆波とはいえ、Bクラスの連中はまだ信用できないのだろう。体育祭での行動も見てただろうし、当然ではある。

 有栖ちゃんはその言葉を受けて、千尋ちゃんに目配せをした。想定問答に入っていたようだ。

 

「帆波さん、心配しなくても大丈夫だよ。Bクラスの生徒は、裏切る兆候のある人を見かけたら私たちに連絡してくれるよ。背信行為の証拠を発見して、私に提出した人には50万ポイントの報酬を与える仕組みになってるから……絶対にあなたを陥れるようなことはできない。私がさせない」

「そ、それは安心……でいいのかな?」

 

 微笑みながら、自分が作り上げたシステムを語った。

 顔は笑っているのに目が笑ってない。さっきまでの千尋ちゃんとはもはや別人である。

 狂気的な信仰心を感じる。これは、帆波モードとでもいうべきだろうか?

 

「集団を構成する者たちを、相互に監視させる。とても効果的な方法だと思います」

 

 ビビっている俺とは対照的に、楽しそうな有栖ちゃん。パチパチと軽く手を叩いて、千尋ちゃんを称賛した。意外と、この二人は相性が良いのかもしれない。

 

「そのうち周りが全員敵に見えてきそうだな」

「そうですね。帆波さんに対する忠誠心が低い者は、揃って疑心暗鬼になるでしょう」

 

 有栖ちゃんの言葉、その意味を考えてみることにした。

 まず、帆波を信奉する者たちは嬉々として裏切り者を告発するだろう。そこに関しては間違いないが、問題はその他大勢の人間がどう動くかだ。

 ……信者とはいかなくとも、体制に不満の無い連中。今のBクラスの大半を占める生徒たちだって、50万ポイントのために密告するかもしれない。いや、自己の利益を最優先する彼らなら間違いなくやる。ほぼノーリスクで多額のポイントを獲得できるなんて、こんなにラッキーな話はない。

 逆に、裏切ろうとする人間からすればこの状況は恐怖でしかない。尻尾を掴まれたら最後、Aクラスによって吊し上げられて、莫大な賠償金を支払うことになる。そして、その密告者は自分の隣に座っている生徒かもしれないのだ。

 

「未然に裏切りを防ぐという意味でも、素晴らしい戦略であるといえます。完璧です」

「えへへ……ありがとう、有栖ちゃん」

 

 照れる千尋ちゃんの姿と、やっていることのギャップが大きすぎて戸惑う。

 とはいえ、有栖ちゃんがここまでストレートに褒めるのは珍しい。何か理由でもあるのか?

 

「統治能力が高く、絶対に裏切らないお友達がいるのです。体制の維持は彼女に任せて、帆波さんはクラス間闘争に重きを置くのが最善かと思われます」

「……そうみたいだね」

 

 帆波は一度目を瞑ってから、千尋ちゃんの頭を撫でた。それを嬉しそうに受け入れた彼女の表情は、恋する乙女そのものであった。

 

 俺はふと思った。もしかしたら、有栖ちゃんが自分でやろうとしていたことを、千尋ちゃんが先回りして行っていたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。不安や恐怖といった人の感情を利用するやり方は、有栖ちゃんの最も得意とするところだ。

 一部とはいえ、天才である自分と同じ考えに至ったこと。それを有栖ちゃんは嬉しく思ったのだろうか。そうであれば、千尋ちゃんは今後も「お気に入り」になる可能性が高い。

 

 ……帆波が絡むと有栖ちゃんレベルの思考力になるって、どういう理屈だよ。愛の力?

 学生寮へ帰るまでの間、彼女の微笑んだ顔が俺の頭から離れなかった。



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第57話

 二日連続投稿です。


 小テスト当日。

 真嶋先生がプリントを配る前に、一つ話を始めた。

 

「先に伝えておく。Aクラスに対する指名は他のクラスと重複しなかったため、無事承認された。また、このクラスに問題を出すことになったクラスは、Aクラスで決定した。こちらも指名が被ることはなかった」

 

 先日有栖ちゃんが考えた戦略は、すでに帆波の口から説明されている。

 クラスの生徒たちは好意的な反応を示し、その案を受け入れることになった。

 そして、無事にお互いを指名できたことがわかった……これで、俺たちのペーパーシャッフルは終了だ。あとはCクラスとDクラスがどうなるか。俺の興味は、すでにそちらへ移っていた。

 

「始め」

 

 小テストが始まった。成績に反映されないと知っているので、俺は……名前のみ記入して、あとは寝ることにした。今日は朝から眠かったし、無駄な作業はしたくないのさ。

 それじゃあ、おやすみなさい。

 

 

 

「やめ」

 

 終了の合図で目が覚めた。解答用紙が回収されている間、隣の有栖ちゃんを見た。

 びっしりと書き込まれている用紙がチラッと見えた。どうやら、全ての問題を解いたようだ。つまり満点か、それに近い結果が予想される。

 成績に関係ないことはわかっているはずだ。この行動にどんな意図があるのだろう?

 

 他の科目も居眠りや考え事で時間を潰し、俺は結局一つも問題を解かずに終わった。

 そんな俺とは異なり、有栖ちゃんは最後まで真剣に向き合っていた。

 テスト終了後、気になった俺はその理由を聞いてみることにした。

 

「有栖ちゃん、真面目にやったんだ?」

「はい。晴翔くんの様子を見て、そうすることにしました」

 

 俺の様子?

 

「何も書いてないから確実に0点だけど、それが関係あるの?」

「ふふっ。結果を見れば、すぐにわかると思います。実は、この行動にはあまり大きな意味があるわけではないのですが……私のちょっとした『こだわり』です」

 

 いたずらっぽく笑う有栖ちゃんが、とても可愛かった。

 本当に、体育祭とは違ってすごく楽しそうだ。いや、特別試験が楽しいというより……俺と離れないで済むことが嬉しいのかもしれない。そう感じてしまうのは、俺の自惚れだろうか?

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Aクラスの作戦を受け入れたことで、生徒たちの気持ちは弛緩しきっていた。

 週末にどこへ遊びに行くかとか、教室はいつも通りの話題ばかりだ。

 先生は頭が痛いかもしれないけれど、やる気のない俺としては居心地の良いものだ。入学当初のピリピリした環境と比べたら、圧倒的に今の方が過ごしやすい。

 

 放課後、俺と有栖ちゃんは図書室を訪れた。

 ひよりとの読書タイムは継続できるのか。そう思っていたのだが、メールで確認したところ「行きます」とのことだった。ペーパーシャッフルよりも、こちらの方が優先度は高いらしい。

 

 いつも陣取っている椅子には、すでにひよりの姿があった。俺たちの顔を見ると、途端に申し訳なさそうな表情をした。

 

「すみません、お二人ともお忙しいですよね。私のために無理しなくても、いいのですよ?」

「いや、全然忙しくないから大丈夫」

 

 どうも、俺たちが勉強会などをキャンセルして来ていると思い込んでいるらしい。決してそんなことはないのだが、外の人間からはそう見えるのだろう。

 

「……こうして一緒に本を読む時間は、学校における唯一の楽しみになっています。私の中では、もう絶対に欠かすことのできない習慣なのです。特別試験が近づいていても優先していただけたということは、これ以上ないほど嬉しいです。本当にありがとうございます」

 

 そう言って、ぺこりと頭を下げた。そこまで感謝されるとは思わなかったので、こちらとしても恐縮してしまう。

 

「頭を上げてくれ。俺はひよりのおかげで読書の楽しさを感じられるようになった。有栖ちゃんも楽しそうにしてる。今まで負担だと思ったことは無いし、これからも無い」

「晴翔くん……」

「特別試験なんかより何倍も有意義な時間だ。俺としては、卒業まで続けてもいいと思ってる」

 

 ひよりは立ち上がり、俺の手を弱弱しく握った。かなり精神的に参っているようだ。あえて聞くつもりはないが、クラスの中でいろいろとあったのかもしれない。

 何しろ、クラスポイントがゼロになってしまったのだ。雰囲気が悪いことは容易に想像がつく。もうすぐ諸藤の停学が明けるとはいえ、ひよりの立場が弱い状況は当面続いてしまうだろう。うまいことヘイトがあっちに向くといいが……どうなるかは不透明だ。

 

 終始、有栖ちゃんは俺たちのやりとりを黙って聞いていた。

 もしかして、何かいい案でもあるのだろうか?

 

 

 

 この日は二時間ほど読書した後、解散となった。

 来週もまた来ることを約束してから、ひよりと別れた。

 

「晴翔くん、今からついてきてほしい場所があります」

「なんだ?」

 

 有栖ちゃんはそう言って、服の袖をつかんだ。この癖は小さいころから変わらない。

 どこか行きたい場所がある時、この子は自分一人では行けないからと服を引っ張ってアピールしてくる。小学生時代と全く同じ動きをしたことが、俺のツボにはまってしまった。

 

「くくっ……あはは、可愛いなあ有栖ちゃんは」

「えっ?」

 

 俺が笑っている意味がわからないらしく、有栖ちゃんは困惑気味だ。

 ダメだ、大好きすぎる。我慢ならなくなった俺は、周囲の目を意に介さず有栖ちゃんを抱き寄せた。華奢な身体を包み込むように、壊れないように……

 

「急にごめんよ、なんだかくっつきたくなっちゃって」

「とても嬉しいです。私でよければ、いつでも……」

 

 特に意味もなく、ただ単に俺がこうしたいだけ。しかし有栖ちゃんは迷惑に思うどころか、優しい微笑みを向けてくれた。図書室を出発するまで、しばらく俺たちは抱き合っていた。

 

 ……今日は図書室の利用者が多く、結構な人数に見られてしまったことに気づいた。

 冷静になって恥ずかしさを感じた俺は、そそくさとその場から離れた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 有栖ちゃんに連れられてきたのは、先日帆波たちと話した和食店。

 個室の扉を開けると、そこに待っていたのは……

 

「ええっ、何でお前がいるんだよ」

「……チッ、呼び出したのはそっちだろうが」

 

 なんと龍園だった。意外すぎる相手に、俺は本気で驚いた。

 

「あっ、アイドルキラーだ」

 

 その隣にいるのは……誰だっけこいつ。どこかで会ったことがあるような気がするのだが、名前を思い出せない。

 

「誰だよお前は、いきなり失礼な奴だな」

「はあ?船上試験の時に同じグループにいたでしょ、覚えてないの?」

「……あっ、思い出した。伊吹か」

 

 伊吹澪。あの試験では今は亡き真鍋たちがうるさすぎたのもあり、かなり影が薄かった。

 イメージが湧かないのも仕方ない。おそらく、自己紹介でしか声を聞いていないのだから。

 

「ほら、やっぱりこんな感じじゃない。なんであたしを連れてきたのさ」

「テメェは相変わらずうるせえな」

 

 こいつらは有栖ちゃんに呼び出されていたらしい。そういえば、図書室で何回か端末をいじっていたような気がする。龍園とメールでもしてたのだろうか。

 集まった理由もわからないまま、俺は席に座った。メニューを開いて目を通す。

 ……今日は割り勘になるだろうが、だからといって安いものを食うつもりはない。

 俺は迷わず、2500ポイントの和牛すき焼きセットを注文した。

 

「うわっ、めっちゃ良さげなやつ選んだ。0ポイントになったあたしらへの当てつけ?」

「そんなわけないだろ。単にうまそうだったから注文しただけだ」

 

 だが、俺がかなりのポイントを持っているのは事実だ。無人島試験で龍園から貰った分もあるし、そこに帆波の毎月20万が加わってくる。

 だからといってこいつに奢ってやる義理はない、ないのだが……

 

「ううー……お腹すいたなぁ」

 

 悲しそうな目でメニューを見る伊吹。本当に余裕がないのかもしれない。

 しかしこの女は所詮他人だし、いきなり変なあだ名で呼んできたような奴だ。

 

「やっぱ、すき焼き美味しそう。でも……」

 

 チラチラとこちらを見ながら、伊吹はため息をつく。すっげえやりづらい。

 

「……あー、もうわかったよ。俺が払ってやるから、同じやつを頼めばいいじゃん」

「マジで言ってるの?」

「早く注文しろ。俺の気が変わらないうちにな」

 

 その言葉を受けて、伊吹は急いで店員を呼んだ。

 

「あ、ありがとう。あんたって、結構優しいんだね」

 

 俺と同じすき焼きセットを注文してから、お礼を言ってきた。

 今の態度を見る限り、悪い人間ではなさそうだ。たまにはこうやって誰かに奢ってやるのも、いいかもしれない。呆れている有栖ちゃんを尻目に、俺は料理が届くのを待った。

 

 

 

 卵を割って、小皿に落とす。適当に箸でかき混ぜたのち、柔らかい牛肉をそこにダイブさせる。そして飯と一緒に食えば、最高の気分になる。

 

「いやー、やっぱり美味いわ」

 

 帆波ありがとう。この店、めっちゃ良い。

 伊吹も最初は恐る恐る食べていたが、やがて食欲に負けてがっつき始めた。

 

「……で、用件は何なんだよ。まさか俺らと飯を食いたかったとか、言わねえよな?」

 

 箸を止めて、龍園が有栖ちゃんに問いかけた。

 すき焼きが美味すぎて忘れていたが、これは単なる食事会ではないのだ。

 

「私が聞きたいのは、ひよりさんのことです」

「ああ、そっちの話かよ。残念ながら俺は何も知らねえな。これは嘘でもなんでもなく、紛れもない事実だ。女子どもが勝手に、あいつをハブってるだけのこと」

「それでも、止めていないのでしょう?」

「馬鹿を言え、無理やり止めるメリットが無いだろうが。出来ないこともないが……いや、逆になんでお前がひよりに肩入れしてんだよ。意味わかんねぇ」

 

 龍園からすると意外だったのか、理解できないといった様子だ。

 こうして会うたびに思うが、有栖ちゃんは龍園のことを結構気に入っている。だがそれは一方的なもので、龍園はかなり有栖ちゃんを苦手としている。この子は話の展開の仕方が独特だから、常に主導権を握りたい龍園からするとめんどくさい相手なのかもしれない。

 

「ひよりさんを贔屓する意図はありません。しかし、あなたはそれでいいのですか?」

「……何だと?」

「ならば、こう言い換えましょう。このまま何も手を打たないと、()()()()()()()()()()()()()

 

 有栖ちゃんはそう言って、試すように龍園を睨みつけた。

 龍園は一瞬ぎょっとした顔をしたが、しばらく考え込んだ後に笑い始めた。

 

「くく、そういうことかよ……そりゃあ、めんどくせえことになるな」

「先ほどお会いしましたが、すでに態度が変わりつつありました」

「あいつ自分はわかってるとか言っておきながら、全然ダメじゃねえか」

「事実として理解していたとしても、当事者になってみると抗えないものです」

 

 とんとん拍子に話が進んでいる中、俺はデザートのあんみつとお茶を楽しんでいた。

 伊吹は一足先に食べ終わり、満足気な顔をしている。

 

「おい伊吹。ひよりにちょっかいかけてた女ども、覚えてるだろ。明日の放課後に、そいつらを全員呼び出しておけ。こんなダルい話は一瞬で終わらせてやる」

「……わかった」

 

 龍園が指示を出した。犯人たちをシメることにしたようだ。

 これで解決となるかはわからない。ただ、有栖ちゃんがひよりを助ける行動を取ったことは驚きだった。そこまで好きって感じでもなさそうに見えたが、何を思ったのだろう?

 

 

 

 帰り道、有栖ちゃんは普段より強く密着してきた。

 腕を絡ませるというか、ほとんど寄りかかってきている状態だ。

 

「どうしたんだ」

「嫌ですか?」

「いいや、全然そんなことない」

 

 きっと甘えたい気分なんだと解釈して、それを受け入れた。

 まあ、こうして急にくっつきたくなる時もあるよな。まさに図書室での俺がそうだった。

 

「……大好きですよ、あなたのこと」

「ありがとう。俺も大好きだ」

 

 お互いの想いを確認しながら、俺たちは歩みを進める。

 寮のエレベーターまで歩いた時、有栖ちゃんが思い出したように話し始めた。

 

「小テストの時に話した『こだわり』とは何であるか、わかりますか?」

 

 今日の小テスト。有栖ちゃんが全力で取り組んでいた理由は、結局理解できないままだった。『こだわり』の内容こそが、大きなヒントである。しかしそれは……何だろう。

 

「ごめん、馬鹿な俺にはわからなかった」

 

 察しの悪い自分を恥じつつ、俺は謝った。つまらない奴だと思われないか心配だ。

 その言葉に対する返答はなく、しばし沈黙が続いた。エレベーターを降りて部屋の前へと到着すると、そこで有栖ちゃんが手を離した。黙ったまま、上目遣いで何かを訴えている。

 ……キスを求められていることがわかった。少し腰をかがめると、有栖ちゃんは嬉しそうに唇を重ねてきた。それはいつもより深く、長いものだった。

 息が苦しくなるギリギリまで続けた後、俺たちは至近距離で顔を見合わせた。

 

「たとえ形式的なものであっても、あなた以外の人間とペアになるのは嫌なのです」

「えっ?」

 

 示された答え。その意味が一瞬わからず、俺は戸惑ってしまった。

 ペアとはなんだ。確かそれは、ペーパーシャッフルのルールにあった……

 

 ……ああ、そういうことか。

 全てを理解すると同時に、あまりにも可愛らしい『こだわり』を知って胸がきゅんとした。

 

「こうして話してみると、とても恥ずかしいですね。これは想定外でした」

 

 有栖ちゃんは真っ赤になった顔を隠すように、俺の胸へ頭を埋めてきた。

 俺はさらさらの銀髪を撫でながら、しばらくその場から動かずに抱きしめ続けていた。

 

 これからもずっと、俺の『ペア』はこの子しかいない。




 自分が助けないとどうなるか、身をもって知ったようです。


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第58話

 翌日、小テストの結果が発表された。

 問題を解いていない俺は当然0点で、有栖ちゃんは満点であった。

 難易度としては非常に簡単なものだった……と有栖ちゃんが言っていた。

 もっとも、成績に反映されないことはアナウンスされていたため、Bクラスで真面目に取り組んだ者はさほど多くなかったようだ。

 

 そして、俺と有栖ちゃんは無事ペアになった。

 ペアを決める法則は簡単だ。まず小テストで最も点数が高い生徒と低い生徒を組み合わせ、次に二番目、三番目……と成立させていく。最後は中央値に近い二人がペアとなる形だ。これが何を示すかというと、余程のことがなければ退学にはならないということ。例えば俺が本当に0点しか取れない学力だとしても、有栖ちゃんが全教科満点を取れば余裕でクリア。勉強のできる生徒が多いA・Bクラスにおいては、正攻法であっても退学になる方が難しいぐらいだ。

 

 

 

 その日の放課後。

 部屋で有栖ちゃんとゆっくりしていたところ、呼び鈴が鳴った。

 

「……清隆か」

「突然すまないな。今から少し、時間をくれないか?」

 

 隣に恵ちゃんの姿はなく、単独行動であった。これは珍しい。

 そのまま部屋の中へ招き入れて、三人分の湯呑みを用意した。

 

 入学当初のことを、つい思い出してしまった。

 もし有栖ちゃんが「遊び」に走らず、淡々と過ごしていたらどうなっていただろうか?

 ……それはあまりにも味気なく、つまらない生活であっただろう。退屈に耐えられず、自主退学の道を選んでいた可能性が高い。帆波との関係など難しい部分もあるが、やはり有栖ちゃんの方針は間違っていない。結局のところ、学校なんて楽しんだもん勝ちだ。

 

 そんなことを考えている間に、お湯が沸いた。

 急須に茶葉を入れて、注いでいく。今日は緑茶の気分なのだ。

 

「悪いな、手間をかけさせて」

「気にするな。俺が好きでやっているだけだ」

 

 好きでやっている。俺の行動は全て、その言葉に集約されると言ってもいい。

 幼少期からの有栖ちゃんのお世話だって、誰に頼まれるわけでもなくやっていた。

 

「……今日は、堀北についてちょっとした頼み事がある」

「そうか。体育祭のことは桔梗ちゃんから聞いたが、何か理由があると思ってたよ」

 

 話をしつつ、俺は湯呑みに茶を注ぎ分けていく。急須の中に湯を残さないよう、最後まで注ぎ切るのがポイントだ。これは小さい頃有栖ちゃんに教わった。

 

「清隆くんは、堀北さんに可能な限り大きな屈辱を与えようとしている。私はそのように解釈していましたが、いかがでしょう?」

 

 最初に反応したのは、有栖ちゃんだった。相変わらず話についていけないが、この子の中ではすでに清隆の思考がイメージできているようだ。

 

「……さすがと言っておこうか」

「ふふっ、そうですよね。彼女のようなタイプには、一番効く方法ですから」

 

 それを聞いて思い出した。清隆は体育祭の前に、意味深なことを言っていた。

 今は放っておくのが最善策……あれは多分、堀北の動きを把握した上での発言だ。

 わかっていたのに、止めなかった。そして全てが終わってから、自分にはお見通しであったと伝えられた。完全に雑魚として扱われているのは、あいつの性格的に結構辛いかもしれない。

 

 でも、どうしてこのタイミングなんだ?

 そんなこと、いつだってできるはず。急かされるように動いた理由がわからなかった。そもそも、堀北に屈辱を味わわせたところで何になるのか。

 

「堀北を潰すことが目的……じゃあないんだよな」

 

 気になった俺は、拙い質問とは理解しつつも聞かずにはいられなかった。

 この二人の間では当然のことであっても、天才でない俺には説明が必要だ。

 

「いや、半分正解だ。オレがあいつの心を圧し折ろうとしているのは間違いない」

「堀北の心を、折る?」

「そうだ。何をすれば、ああいう強情な人間を従順な駒にすることができるのか……証明したい。オレをもってしても、まだ答えが出せていない問題だからな」

 

 俺の質問に対して、清隆は丁寧に答えてくれた。

 堀北鈴音という人間は、心が強い。恵ちゃんのような「キズ」もない。そんな相手の心を折るということ。清隆が手間をかけてまで行う理由はわからないが……

 その時、有栖ちゃんが少し複雑な表情を浮かべた。

 

「堀北さんがあなたの所有物となった時、きっと恵さんとは違った面白さを感じさせてくれると思います。彼女がどう変化するのか、期待しています」

「ありがとう。だが、堀北程度ではオレの目標に遠く及ばないということも、感覚的に理解している……『晴翔に勝つこと』はなかなか難しいな」

 

 俺に、勝つこと?

 今の発言は、よく意味がわからなかった。何か一つでも、俺が清隆を上回っている部分があるというのだろうか。そんなこと、あり得ない……少なくとも俺はそう思っている。

 

 

 

 しばらく雑談を挟んだ後、今日の本題に入った。

 

「二人に頼みたいことは一つ。堀北の動きに対して、見て見ぬ振りをしてほしい。具体的には、今回あいつは問題作成メンバーの中に入っているが、期間中はなるべく接触を避けてほしいと思っている。オレはあいつの様子をじっくりと観察して、それに応じた行動を取るつもりだ」

 

 清隆の依頼は、実にシンプルなものだった。要は、堀北絡みのことで俺たちに動いてほしくないということだ。今思うと、図書室での一件は清隆の行動を邪魔してしまっていたのかもしれない。まあ、あちらから来たのでどうしようもなかったのだが。

 

「……体育祭で裏切った奴を、よく問題作成メンバーにねじ込めたな」

「一応、あの件はグレーということになっている。今回は恵が堀北を説得する形で、半ば強引に参加させたんだ。結果によっては、リーダーを譲ってもいい……そうオレが言わせた。堀北に断る理由はないだろうし、周りは恵の優しさだと受け取っている。今のところ問題は発生していない」

 

 なかなか思い切ったことをする。

 つまり、清隆はペーパーシャッフルで勝つ気がないということだ。堀北は自信があるかもしれないが、今のあいつが龍園に勝てないことは俺でもわかる。裏切ろうとする動きは全て看破されて、自分が味方すると負ける……堀北の精神がどんどん削られていく。少し可哀想になってきた。

 

 有栖ちゃんは一度頷いてから、考えごとを始めた。

 

「最終的な着地点は、晴翔くんと帆波さんの関係でしょうか?」

「……あいつのそんな姿は想像できないが、一つの可能性としてはあり得る。とはいえ、本来の性格を完全に破壊するのは来年以降に回したい。堀北兄との約束を反故にすることになる」

 

 そこにつながるとは思わなかった。俺と帆波の関係……か。

 また、いつの間にか清隆は前会長様と何か約束していたらしい。正確な事情は全くつかめないが、そのタイミングには心当たりがある。

 それは帆波を探し回っていた日のことだ。俺と会う前、清隆は生徒会室に行っていた。その際に審議の決定打になる証拠……例の古傷の画像を提出したのだろう。

 しかし清隆は、『色々あって、堀北会長と話をしていた』と言っていたはずだ。ただ画像データを渡すだけのことで、そんな言い回しをするだろうか?

 事件のことだけでなく、堀北鈴音に関して何らかの会話をした。今の話を知った上で考えると、そう捉えるのが最も自然である。

 

「わかった。今後、基本的に堀北関係のことは傍観者を貫くことにするよ」

「助かる。破壊からの再構築……そのために、あいつには一度絶望してもらう必要がある」

 

 怖いことを言っているような気もするが、特に止めるつもりはない。

 絶望というと聞こえが良くないけれど、堀北がこのまま進むよりは清隆の駒になる方がよっぽどマシだと思う。恵ちゃんもそれで幸せになったし、こいつはやっぱり「主人公」なのだ。

 

 ……ただ一つ、俺は疑問に思ったことがある。

 堀北の精神を破壊するのはまだいい。問題はその後、再構築……清隆が堀北を「救う」フェーズに入った時だ。恵ちゃんは二人の関係を見て、どう思うのだろうか?

 有栖ちゃんが言っていた通り、あの子は独占欲が強い。堀北に手を差し伸べる清隆を見たら、傷つくのは間違いない。耐えることができるのか、その点だけが気がかりだ。

 

 

 

 その後、清隆はもう一度お礼の言葉を述べてから帰っていった。

 有栖ちゃんと一緒に後ろ姿を見送った後、顔を見合わせる。

 

「あいつも、楽しむことを重視するようになったんだな」

「そうですね。あなたに影響されたのでしょう」

 

 清隆の様子について、俺たちは共通認識を持っていた。

 なんだか、愉快そうに見えたのだ。誰かを自らの手で飼いならすこと……その過程が、あいつにとって面白いものとして認識されたのかもしれない。もちろん最終目的は別のところにあるだろうが、ゴールまでの道のりを楽しんでいるように感じた。

 

 閉じた世界……ホワイトルームから脱出した後、巡り巡って俺たちと出会った。

 有栖ちゃんの考えが正しければ、俺の思想・行動が清隆に何らかの影響を及ぼしたのだろう。

 そして、それはきっと良い変化だったのだ。あいつの感情に「楽しい」という項目を加えることができたとすれば、これ以上に嬉しいことはない。

 饒舌に自分の戦略を語っていた姿を思い出し、俺はにんまりとした。



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第59話

 もう一つの作品も応援いただきまして、ありがとうございます。
 メインはこちらとなりますが、今話はなかなか難産でした。


 その数日後、夕方の図書室でひよりに頭を下げられた。

 

「ありがとうございました。本当に……」

「嫌がらせは、なくなりそう?」

「はい。おかげさまで、今後は普通の生活が送れそうです」

 

 言っていた通り、龍園がやってくれた。これでもう変な行動を起こされることはないだろう。

 また、噂によると明日から諸藤が復学するらしい。ヘイトを移すには丁度良いタイミングだ。

 

「それなら、この読書タイムも一段落ってとこか」

「あっ、その……そのことなのですが」

 

 ひよりにしては珍しく、落ち着かない様子だ。

 

「どうしたんだ?」

「お二人さえよろしければ、これからも……ご一緒できないかと思いまして」

 

 有栖ちゃんは俺に判断を委ねるつもりなのか、ずっと黙ったままだ。

 俺はひよりの言葉の意味を考えて、咀嚼していく。

 まず、俺が読書に興味を持ったのは事実だ。この静かな空間と穏やかな時間は心地良いもので、仮にここで断ったとしても俺が図書室に来なくなることはないだろう。

 だがひよりが言いたいのはそういうことではない。これは「俺たちと一緒に」読書したいという話だ。一人で本の世界に没頭するよりも、俺たちと共に過ごしたいと言っている。

 俺の答えは……

 

「オッケーだ。本を読むことが楽しくなってきたのはもちろん、この図書室でひよりと一緒にいるのもすでに俺の中でルーティン化しつつあるからな。嫌なわけがないだろう。前にも言ったけど、卒業まで続けてもいいと思っている」

「ああ、晴翔くん……とても嬉しいです」

 

 満面の笑みを浮かべたひよりは、とても魅力的だった。

 それを見て、良いことをしたと俺は充実感に浸った。

 

 

 

 今日の図書室は少し騒がしい。

 空いている席の数が、目に見えて少ない。テストが近いということで、みんな勉強場所として図書室を使っているようだ。淡々と学問に打ち込むだけならいいのだが、多くの生徒はそれなりのボリュームで雑談をしており、いつもと違う雰囲気になっている。

 俺は通常通り読書を始めたが、集中できない。普段来ないくせにこういう時だけ来る連中は、うるさくて困る。静かな場所を望む人間の気持ちも考えるべきだろう。

 

「今日は何冊か借りていって、帰ろうか?」

「残念ですが、その方がいいかもしれません」

 

 諦めた俺たちは席を立ち、貸出カウンターへと向かった。

 その時、入口の近くに恵ちゃんたちCクラスの集団を見つけた。須藤や池など成績の悪いメンバーが多いが、勉強会でもしているのだろうか?

 また、その中に堀北の姿はなかった。清隆の話だと、今回はあいつが仕切るということになっていたはずだ。何かアクシデントでもあったのかもしれない。

 

「あっ、晴翔じゃない。どうしたの?」

 

 恵ちゃんに話しかけられた。見ているのがバレてしまったようだ。

 

「ああいや、珍しいメンバーだなと思って。気になったならごめん」

「オレたちは、堀北から追い出された組だ」

「……いるとは思わなかった」

 

 地味に清隆もいた。少し離れた席に座っていたから気づかなかった。目立ちたくないという意思が伝わってきたので、特に詮索はしなかった。

 

「あの女、マジでふざけてやがる。イライラが収まんねえ」

「落ち着いて、須藤。あたしは、あんたのこと見捨てたりしないから」

 

 明らかに機嫌の悪い須藤を、恵ちゃんが宥めている。

 何となく察した。きっと、堀北にこき下ろされてムカついているのだろう。

 

「学力の低い人たちは、低い人同士で勉強した方がいい……堀北はそう言った」

 

 清隆が小声で、俺に教えてくれた。いかにも堀北が言いそうなことだ。

 理屈としてはわからないこともない。問題作成のメンバーは学力優秀である必要があるのは疑いようもないし、その数少ない生徒たちが足を引っ張られるような事態が起きれば、敗北は免れないだろう。勉強が苦手な生徒からしても、問題作成の片手間で付き合ってもらうよりは、メンバーから外れた者同士で勉強会を行う方がマシというわけだ。

 

 しかし、言葉が悪すぎる。そんな言い回しでは煽ってるようにしか聞こえない。

 そもそも、ベストな選択であるとも言い難い。間違ってはいないかもしれないが、頭の悪い人を見捨てること……その結果として失われるものを、堀北は軽視している。

 

「あたしもあんまり頭良くないし、みんなで頑張ろう。ここまでやってきたのに、こんなところで退学したくないでしょ?」

 

 恵ちゃんの言葉。それを聞いて、周りの生徒たちは納得したように頷いた。

 どんどん地盤が固まっていく。このクラスのリーダーはこいつしかいないと、少なくともここにいるメンバーは全員思っているだろう。

 邪魔をする気もないので、俺は清隆に目配せをしてから立ち去った。

 

 

 

 その夜、桔梗ちゃんが部屋に来た。

 ここ数日は会えていなかったが……大丈夫だろうか。

 

「ああ、うざい!」

「わかった、話を聞こう」

「ほんとに死ねばいいのに。やっぱりあいつだけは無理!」

 

 俺の言葉も聞き入れず、桔梗ちゃんは床にあるクッションを蹴飛ばした。

 ぼすっ、とベッドに腰掛けていた有栖ちゃんの顔に当たった。

 

「……こちらへ来てください」

「あっ……ごめん、ごめんね。有栖ちゃん」

 

 こてんと後ろに倒れた姿を見て、我に返ったようだ。

 桔梗ちゃんは申し訳なさそうにして、有栖ちゃんの小さな身体を起こした。

 

「とりあえず、落ち着きましょう。私はいつでも、あなたの味方ですよ」

「ありがとう。晴翔くんも、ごめんね。私イライラしちゃってた……今さら堀北が仕切ることになるなんて、思わなかったんだ」

「そうですよね。おそらく今回だけになるとはいえ、桔梗さんからすればたまったものではありません。そこに関しては、清隆くんも考慮してくれませんから……」

 

 確かに、と俺は思った。桔梗ちゃんが安定していた要因として、堀北が落ちぶれていたことはかなり大きなウェイトを占める。ここに来てリーダー面されるなんて、思ってもみなかっただろう。

 また、桔梗ちゃんの学力はCクラスの中で相当上位に位置すると思われる。以前より堀北に目をつけられていたことも考えると、問題作成メンバーに指名されたであろうことは想像に難くない。最近忙しかった理由は、きっとそれだ。

 クラスの連中の前で裏の顔を出すわけにもいかず、堀北の態度に対して我慢を続けたのだろう。そして耐えられなくなって、爆発してしまったのだ。

 

 有栖ちゃんは優しく微笑み、桔梗ちゃんに軽く口づけをした。

 ……泣いている。無理矢理にでも会いに行けばよかったと、少し後悔した。

 

「ぐすっ……やだよ、もうあんな奴と会いたくない。私はこの三人で過ごしたい」

 

 夏以降、桔梗ちゃんに過重なストレスがかかるイベントは皆無だった。突然の事態に、精神がパンクしているのかもしれない。

 俺も二人の隣に座って、目線の高さを合わせて話をすることにした。上から声をかけられると、圧迫的に感じるかもしれないと思ったからだ。こういう気遣いは結構重要である。

 

「桔梗ちゃんはよく頑張ったよ、だからもう手を引け」

「晴翔くん、私……」

「言わなくてもわかる。死ぬほど嫌いな奴がいる中で、どうにか踏ん張ってきたんだろ。お前は本当にすげえよ。俺にはそんなことできない」

 

 これは本心だ。あくまでも自分の意思を優先する俺の性格上、桔梗ちゃんの生き方は絶対に真似できない。人に合わせるということがいかに難しいか、俺はよくわかっている。

 

「もう諦めても、いいのかな?」

「いいんだ。これ以上の頑張りは必要ない。堀北なんか見捨ててしまえばいい」

「でもそうしたら、クラスでの立場が」

「大丈夫。恵ちゃんがリタイア組である以上、お前がケンカ別れしたところで誰も何とも思わない。須藤たちなんかは、むしろ好印象を持つんじゃないか?」

 

 桔梗ちゃんは多分、問題作成メンバー以外がどうなっているかの実態を知らない。確実に、あいつらの方が仲良く楽しそうにしている。この子がここで逃げ出したとしても、「堀北が悪い」と庇ってくれるのは間違いないだろう。

 

「それなら私は、逃げていい?」

「当然だ。桔梗ちゃんが苦しむ姿は見たくない」

 

 俺たちの説得を受け入れて、桔梗ちゃんはこくりと頷いた。

 

「ありがと。また助けられちゃった」

 

 いつもの可愛らしい笑顔が戻った。

 ほっと一安心した俺は、ベッドへ横たわった。

 

 それから、桔梗ちゃんは問題作成メンバーを脱退して、恵ちゃん主催の勉強会に参加するようになった。貴重な教師役として歓迎されたこともあり、彼女にかかるストレスは大きく軽減した。

 清隆からしてもこの展開は理想的だったようで、「助かる」とだけ書かれたメールが届いた。桔梗ちゃんと堀北に組まれるのは面倒だと思っていたのだろう。

 そして、堀北はどんどん孤立していく。あいつにまとめるのは無理だ、あいつはリーダーとして不適格である。クラスの生徒にそう認識される屈辱は、いかほどのものか。

 ……堀北が壊れる日は、そう遠くないかもしれない。



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第60話

 お待たせしてしまい、申し訳ございません。
 そこまで深く考えずに書いているあちらの方が、納得できる仕上がりになるのです……


 Cクラスの幸村という生徒が、何者かに襲われたらしい。その際に自分の作った問題や、他のメンバーが出した意見に対するメモなどをまとめたノートが奪われてしまった。

 

「……で、全部やり直しってわけか」

「みたいだね。本当に、早めに辞めておいてよかったよ」

 

 そのことを教えてくれたのは、すでにメンバーから外れた桔梗ちゃんだった。

 作り直しになったことはもちろん大変だが、今回問題になったのは違うポイントだ。

 堀北は、襲われた幸村のことをこっぴどく罵倒したらしい。うまくいかないイライラをぶつけるかのごとく、あらゆる言葉を使って批判したとのこと。可哀想な話だ。

 その身勝手な行動には幸村本人はもちろん、周りの生徒たちもカチンと来たようだ。ついには総スカンとなり、問題作成は全て堀北が一人で行うことになった。

 ……テスト当日まで残り一週間を切っている。直前に土日を挟むため、問題の提出期間としてはあと三日しかない。今から400問もの問題を作るのは、クラス全員が協力しても至難の業だといえるだろう。あまりにも時間がなさすぎる。

 それに、ただ作ればいいというものではない。難易度の高さはもちろん、教師によるチェックを通り抜ける必要がある。一人では不可能といっていいレベルだ。

 

「見事に崩壊してるな……」

「そうそう。私もさんざん言われたから、気分良い!ざまーみろっ!」

 

 ご機嫌な桔梗ちゃん。

 犯人がDクラスであることは明白だが、桔梗ちゃんの話によると監視カメラが無い場所での出来事だったらしい。ならば、立証するにしても時間がかかることは必至。試験には間に合わないように、うまく仕組まれた襲撃であるということだ。龍園の狡猾さが光っている。

 まあ、どう考えても今回は負けだろう。大して事情を知らない俺ですらそう思うのだから、Cクラスの面々はとっくの昔に諦めているはずだ。ただ一人頑張ってるのは……

 

「堀北さんは、完全にクラス内での立場を失ったことになりますね」

 

 寝転がっていた有栖ちゃんが上半身を起こし、そう言った。

 周囲の信頼を失い、一人だけで戦って敗北する。そんな悲惨な未来が見えていても、今の堀北は退くことができず、僅かな可能性を信じて進むしかない。

 

「全ては清隆の思い通り、そんな感じだな」

「そうですね。あえて今回の勝者を挙げるとすれば、それは彼しかいないでしょう」

 

 俺はお茶を一口飲んでから、ため息をついた。やっぱりあいつはすごいなあ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 そして、テスト当日がやってきた。

 予想通り、その内容は非常に簡単なものであった。公式にあてはめるだけのものや、教科書の文章をそのまま抜き出した穴埋め問題など……調整しないと俺でも九割を超えてしまいそうだ。

 周囲の生徒たちも、揃って余裕そうな態度を示している。

 

(これでまた、帆波の支持率が上がる)

 

 結局、勝利を譲ることに対する補償を求める者はいなかった。従ってAクラスにとっては最も理想的な終わり方となるが、そうなった理由は帆波のカリスマ性だけではない。

 テストの三日前、帆波はBクラス全員に向かって「一万ポイントを希望する人は、私のところに来てほしい」と言った。これは恐ろしい発言で、実質的な踏み絵のようなものである。

 帆波を狂信的に信仰する人間は、すでにBクラスの中にもいる。ポイントを要求した場合、確実にその連中の不信を買う。それだけならまだしも、本家本元……Aクラスの過激派から目をつけられる可能性もある。どう考えても、一万程度のポイントとは釣り合わないリスクだ。

 ……同調圧力に加えて、現状のクラスの力関係もある。これらを全て考慮した上で、ポイントを寄越せと言い出せる人間などいるはずがない。

 

 帆波は無自覚なのか、はたまた計算ずくなのか。それは本人にしかわからない。

 解答用紙が集められている間、あいつの輝くような笑顔が脳裏によぎった。

 

 

 

 そして、全教科のテストが終了した。俺たちは部屋へ戻り、疲れた脳と身体を休めていた。

 

「退学者が出ることはなさそう?」

「そうですね。私たちは当然ですが、他二つのクラスも酷い結果にはなっていないと思います」

 

 Cクラスは、全員が堀北のもとから離れたことにより団結していた。皮肉なものである。

 ここでも恵ちゃんが素晴らしいリーダーシップを発揮した。39名をうまく班分けして、なるべく不満の少ない形で勉強会を行ったのだ。須藤なども思ったより真面目に取り組んでいたため、あの中から退学者が出ることは非常に考えづらい。

 

 では、Dクラスはどうだろうか?

 先ほどチャットでひよりに聞いたところによると、いくつか難易度の高い問題があったものの、全体的に平易なテストだったらしい。赤点になるようなペアは出なさそうだ。

 ……だが、堀北が400問を作り上げたことには驚いた。その根性は素直にすごいと思う。

 時間的に何度も改版することなど不可能であるから、教師チェックにひっかかった問題は簡単なものに差し替える形で妥協したのだと思われる。そのため問題同士で難易度の差が生まれたのだ。

 やはり、幸村を襲撃したことが大きかった。その件に関して今後どうなるかはわからないが、こと特別試験においては龍園の作戦勝ちといえる。

 

「龍園も内心ホッとしてるかもしれないな」

「……ポイントがゼロの状態が長期間続けば、間違いなく足元が揺らいでいたでしょう。今回は、彼の命運を分けた勝負だったといえます。後がないギリギリのところで勝ちを拾ったのは、ある意味彼らしいですね」

 

 まあ、その勝ちも一部は清隆に与えられたものだ。ホッとしつつも、本当に勝ったとは思っていないだろうと思う。むしろ、清隆のことをより一層不気味に感じている可能性もある。

 真の勝負はまだ先……そんなところだろうか。

 

 ピンポーン、と呼び鈴が鳴った。

 誰だろうと思いつつ、扉の鍵を開ける。

 

「……ごめん、こんな時間に」

「恵ちゃん、どうしたんだ?」

「いろいろあって、誰かに話を聞いてほしくなっちゃった。いい?」

 

 少し落ち込んだ様子。また、その隣に清隆の姿はなかった。

 なんとなく理由を察しながらも、俺はあえて何も言わず部屋へと招き入れた。

 

 

 

 有栖ちゃんも、最初は俺と同様に意外そうな顔をした。しかしすぐに理解したようで、恵ちゃんが座るまでの間にはいつもの微笑みが戻っていた。

 

「どうされたのですか?」

「……清隆が、あたしを置いて堀北の部屋へ行ったの。楽しそうな顔をしてね」

 

 予想通りの動きと、予想通りの反応。

 ただ、さすがに助けを求めるのが早すぎる。もっと堀北と接近して、もっと関係が深くなってから来るものだと思っていた。

 

「なるほど。恵さんは、彼の浮気を疑っているのですか?」

「そういうわけじゃない。だけど、露骨にあたし以外を優先されたのは初めてだったから……焦っちゃって、居ても立っても居られなくなった。このまま捨てられるのかなって」

「……大袈裟ですよ、それは。ですが、あなたの気持ちはよくわかります」

「有栖はわかってくれるの?」

「ふふっ、以前にも言ったでしょう。私とあなたは似たもの同士です」

 

 辛そうな恵ちゃんと対照的に、なんだか嬉しそうな有栖ちゃん。

 今日は、俺の出る幕はなさそうだ。黙って二人のやり取りを見守ることにする。

 

「堀北さんは、学校でどんな様子でしたか?」

「死んだ魚みたいな目をしてた。別にあいつのことは好きでも嫌いでもないけど、それでも心配になるぐらいだった。だから、清隆の行動自体は間違ってないと思う」

「わかりました、そこまで理解されているのですね。ならば、彼の真意をお話しします」

 

 そう言って、有栖ちゃんは先日清隆と会話した内容を話し始めた。

 清隆が堀北の心を破壊して、従順な駒にしようとしていること。そのためにいろいろな手を打っていること、決して恵ちゃんと別れるような意図はないこと……

 恵ちゃんは多少驚きながらも、それを受け入れていった。かなり複雑そうだが……そこまで大きな反応ではない。ある程度、予測できていたのかもしれない。

 

「やっぱり、清隆ってそういう一面もあるんだ……なんか納得かも」

「その部分こそ、彼の最大の魅力だと思いますよ?」

 

 有栖ちゃんの言う通りだ。清隆の持つ、一般的なものとはズレた感性……その危なさの中には、非常に大きな魅力がある。

 恵ちゃんは、着々と清隆のことを理解しつつある。そもそも、清隆の顔から「楽しそう」だとわかった時点でなかなかのものだ。言葉には出さないが、堀北が恵ちゃんの立場を脅かすことはあり得ないと思う。どこまで行っても、あいつは駒止まり……恋人になれるのは、やはりこの子をおいて他にいないのだ。

 

「まだ壊し切っていない。今ごろ、彼はそう思っていることでしょう」

「じゃあ、つまり清隆は……堀北を助けるわけじゃなくて」

「追い討ちです。心の傷を抉るために、彼女の部屋を訪れたのです」

 

 背筋がぞくっとした。それは、ヒーローの皮を被った死神とでも言うべきか。

 追い込むことが重要であるとは理解しつつも、そのえげつなさに畏怖の念を覚えた。

 

 

 

 落ち着きを取り戻した恵ちゃんは、清隆の部屋へと帰っていった。

 有栖ちゃんは俺に対して、一つ問いかけてきた。

 

「彼女も強くなりました。そう思いませんか?」

「そうだな。全体的に、すごい成長だと思う」

「……私が清隆くんとの勝負に負ける日も、いずれやってくるかもしれません」

「勝負?」

 

 突然出てきたワードにはてなを浮かべる俺を、有栖ちゃんは笑顔で見つめてきた。

 

「ふふっ、そんなに戸惑うことはありませんよ。まだお話ししていませんでしたね。清隆くんの最終目標……それは、『軽井沢恵が私を超えること』なのです」

「……マジか、あいつはそんなことを考えていたのか」

 

 凡人の力のみで、天才に負けを認めさせること。それはつまり、才能の敗北を意味する。

 今まで有栖ちゃんと清隆が話していた内容が、どんどん結びついてきた。

 

「清隆くんは、その結果こそが私たち二人に対する勝利であると思っているようです。もちろん、晴翔くんを害するような意図はありません……ある種の育成ゲームとして、彼は楽しんでいるみたいですね。少し羨ましくも思います」

「なんか、いろいろとわかってきたよ」

 

 自分の浅はかな考えが打ち砕かれた。堀北を駒にする過程で、恵ちゃんが傷つくことなど心配する必要もない。それ自体が、清隆による「課題」なのだ。趣味と実益を兼ねた行動である。

 俺は、手段と目的を逆転して捉えていた。浮気なんてとんでもない、全ては恋人に対する彼氏のプレゼントのようなものだ。堀北の末路は、おそらく恵ちゃんの踏み台だ。

 

 何が起きても、うまく立ち回れば恵ちゃんの経験値稼ぎにつながる。そりゃあ楽しいだろう。

 あいつがこの学校に求めるものは、彼女の成長のみ。龍園も帆波も、もしかしたら俺たちだってそのために利用されていくのかもしれない。

 

(だけど、それって)

 

 一人の少女を一人前にするために、行動を続けること。清隆の中にその言葉があるかはわからないが……それはまさに、「愛」というものである。

 

 ゴールまで走り切った後、あいつはどうするつもりなのだろう?

 新たに発生した疑問に頭を悩ませながら、俺は夜のルーチンワークに入った。




 そろそろ七巻です。次はまた週半ばごろに出来たらと思います。


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第61話

 お待たせして申し訳ありません。


 初めて有栖ちゃんと出会った日、父は俺に向かってこう言った。

 

 『あの子は、晴翔が人間性を保つための支えとなる。だから、まずはお前が支えてやれ』

 

 前世の記憶のせいで、俺は普通の幼児になることができなかった。それに加えて、毎晩のように「死の感覚」が悪夢という形で現れ、自分の精神を蝕み続けていた。

 幼稚園では周りに溶け込めず、夜はまともに眠ることさえできない日々。過度のストレスがたたり、俺は3歳にして一種の鬱状態に陥っていた。

 

 そんな時、うちに連れて来られたのが有栖ちゃんだった。

 その姿を見た瞬間、俺は彼女を守らなければならないような気がした。

 

「はじめまして、坂柳有栖です」

 

 幼少期において、俺とまともに会話してくれるのは両親以外では彼女しかいなかった。意地悪く攻撃的な性格に辟易しつつも、俺は間違いなく彼女とのやり取りに救われていた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 十二月も半ばとなり、テストを終えた生徒たちは冬休みモードに突入していた。すでにペーパーシャッフルのことなど頭から消え失せているのか、教室の雰囲気は緩みに緩み切っている。

 

「ねえねえ、クリスマスどこ行く?」

「ポイントは余裕だし、おいしいもの食べたいよね~」

 

 女子たちの調子のいい会話が耳に入ってくる。

 実力至上主義という言葉の意味を再考したくなるような光景であるが、ある意味この学校を一番楽しんでいるのは彼らなのかもしれない。

 衣食住が保証され、学費も不要で、お小遣いが毎月振り込まれる。Aクラスでの卒業さえ諦めれば、高度育成高等学校は生徒にとって都合の良いパラダイスへと変貌するようだ。

 ふと、南雲の顔が思い浮かんだ。あいつが嫌っているのは、まさにこのクラスの大半を占める生徒たちのことだろう。赤点という極めて低いハードルのみ乗り越えればいいと考えている、一切の向上心を持たない集団。あの男は、こいつらに危機感を持たせることができるのだろうか?

 

 

 

 放課後、俺と有栖ちゃんは真嶋先生に呼び出された。

 誰かが俺たちのことを呼んでいるらしい。あまり乗り気ではないが、俺はそれに応じた。

 

「……というわけで、こちらへ来なさい」

 

 校舎の中を歩いていく。教師の指示である以上、この学校にいる限りは従わざるを得ない。沈黙による気まずさを感じながら、先生の背中からはやや距離を置いて歩いた。

 

 目的地は意外と近く、到着までにさほど時間はかからなかった。

 部屋の扉は閉められており、いかにも偉い人が居そうな雰囲気を醸し出していた。

 

「……ここだ。この中に校長先生がいる」

 

 そう言い残してから、真嶋先生はそそくさと去っていった。意外と、自分の仕事以外で上司の顔を見たくないタイプなのかもしれないな。その気持ちはよくわかる。

 念のため、三度ノックした後に扉を開けた。俺たちを待っていたのは、有栖ちゃんのお父さん……坂柳理事長である。このタイミングで会うことはあまり予想していなかったが、個人的な用件で一度話したいと思っていた相手でもある。

 

「久しぶりだね。とりあえず、二人ともそこに座ってくれ」

 

 促されて、俺たちは黒く高級そうなソファーに着座した。

 隣を見ると、有栖ちゃんが少し嬉しそうにしていた。この子は昔からご両親のことが大好きだったから、納得だ。

 

「……二人は、付き合うことにしたのかな?」

「そうですね。無人島試験の時期からなので、もう五か月になるでしょうか」

「良かった。この子を任せられるのは、もはや君しかいないんだ。今後とも頼むよ」

 

 最初の話は、理事長の側から振ってきたものだった。

 ……あの日の病院でも、こんな会話があったような気がする。なんだか懐かしい。

 

「俺なんかで良ければ、お任せください」

「ははっ、君は相変わらずだね。そうやって遜るところは、お父さんとは全く違う部分だ」

「それは間違いないですね。あの人は、いつだって自信満々ですから」

 

 入学以来会っていない父の姿を思い出して、俺は一口お茶を飲んだ。

 元気にしているだろうか?酒を飲みすぎていないか心配だ。

 

「その、お父様……彼のことは」

「……もちろん、わかっているさ」

 

 話が途切れた直後、有栖ちゃんはそわそわした様子で理事長に話しかけた。

 その言葉の意味は不明だ。二人の、親子の関係でしかわからないこともあるのだろう。

 微妙な居心地の悪さを感じつつ、しばらく父と娘の会話に聞き入っていた。

 

 

 

 近況を聞かれた後、理事長は改まった態度で俺の顔を見た。

 

「では、本題に入ろう。晴翔くんにお願いしたいのはたった一つ。君たちの学年のAクラス……その動きを注視して、もし怪しいものがあれば報告してほしい」

 

 理事長は前傾姿勢で両手の指を組み、俺を諭すようにそう言った。

 正直、よくわからない要望だった。Aクラスが気になっているのはわかるが、あまりにも曖昧であり、結局どうしてほしいのかがわかりづらい。すかさず俺は聞き返した。

 

「怪しい動きとは、具体的に?」

「わかりやすいところで言うと、集団による脅迫行為や破壊活動などが該当するかな」

 

 挙げられた二つの例を聞いて、俺は理事長の意図を察した。

 例えば、帆波が「革命を起こす」とでも言ったらどうなるのかということだ。

 ……想像に難くない。最悪の場合、閉校に追い込まれるような事態すら起きかねない。

 

「君もすでに知っているとは思うが、彼らは一之瀬帆波という生徒のもとに集い、ある種のカルト宗教に近いまとまり方をしている。このような現象は、過去に例を見ないものだ」

「まあ、そうでしょうね」

「生徒がルールの範囲内で行うものであれば、僕たちが止めるようなことはしない。だが……それを逸脱する傾向が見られる以上、校長として何もしないわけにはいかないからね」

 

 苦笑いの理事長。わざわざ俺に依頼してきたということは、帆波との関係もある程度把握されていると考えていいだろう。

 

「わかりました。俺にできる範囲で協力します。ただし、知っているとは思いますが、俺たちもどちらかといえばAクラス寄りの立ち回りをしてきました。それはご理解いただきたい」

「了解した。あくまでも、学校側の調査に協力するというスタンスで問題ない」

 

 少し悩んだが、俺はこの話を引き受けることにした。

 これは一人の生徒としてではなく、有栖ちゃんの恋人としての行動だ。言ってきたのがこの子のお父さんでさえなければ、確実に断っていただろう。

 今後長い付き合いになることがほぼ確定している以上、ここで恩を売る利益は大きい。

 

 

 

「最後に何か、話しておきたいことがあれば……聞くよ」

 

 理事長は俺に問いかけた。これはある意味、協力への報酬といえるものだと理解した。

 学校のルールをいくらでも変えられる人間に対して、何でもお願いすることができる。その権利は、生徒にとって何ポイント払ってでも欲しいものであるはずだ。

 俺はかねてより考えていたことを、この場で伝えることにした。

 

「では、聞かせてください。理事長は、近いうちに俺の父親と会う機会がありますか?」

 

 俺の言葉を受けて、驚いたような顔をした。想定外の質問だったのかもしれない。

 理事長は数秒間の思考の後、再び俺と目を合わせてきた。

 

「ちょうど来週、ある件の報告のために伺うことになっていた。伝言でもあるのかい?」

「おっしゃる通りです。一つ、父にメッセージを……『綾小路清隆は俺の友人だ』とだけ伝えていただきたい」

「そのぐらいなら、全く問題ない。承った」

 

 すんなりと要望を受け入れてくれた。これこそが、俺の考えていた「嫌がらせ」である。

 知っての通り、この学校は日本政府が直接運営している。従ってその運営資金には多額の血税が投入されているため、学校にどれだけ影響力のある人間であったとしても、最終的には父の顔色を窺わざるを得ない状況にある。血のつながりを利用するのは非常に汚いやり方であるが、相手が相手なので俺も遠慮するつもりはなかった。

 

「説明しなくとも、きっと俺の意図はわかってもらえると思います」

()()()()。そういうことだね」

 

 さすが有栖ちゃんの父親だ。理解するまでが早い。

 清隆を手助けするというよりも、彼が動きやすい状況を作ることが目的だ。

 

(あとは、お前自身の問題だ。頑張れよ)

 

 己の手で真の自由を勝ち取った時、清隆はどんな表情をするのだろうか。笑うのか、それともいつもの無表情を貫くのか。俺はそこに大きな興味があった。

 常にクールな親友に対して、心の中でエールを送った。

 

 ……しかし、この男を将来的な義父として認めるのは未だに抵抗がある。

 複雑な感情を表に出さないよう努めながら、俺は有栖ちゃんを連れて部屋を後にした。



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第62話

 時が経つのは早いもので、終業式まであと一日となった。

 放課後、俺は有栖ちゃんとともにいつものカフェで時間をつぶしていた。

 

「今年も、もうすぐ終わりか」

「そうですね、なんだかあっという間に感じます」

 

 クリスマスが近いこともあり、スペシャルメニューが用意されていた。一人用にカットされたブッシュドノエル。その写真が美味しそうに見えたので、迷わず俺はそれを注文した。

 先に出てきたコーヒーに口をつける。この味も慣れたものだ。

 

「……明日、晴翔くんのお父様が『視察』に来られるらしいですよ」

「えっ、マジで?」

 

 有栖ちゃんがぽつりと言った。それを受けて、俺は思考に入る。

 あの人が動くところには、必ず嵐が起きる。そんなことを職場で噂されるような人物が、わざわざこの学校を訪れるという。きっと何か大きな出来事があったに違いない。

 とはいえ、俺には関係のないことだ。気にせず普通に過ごしていればいいのかな、と思った。

 

「それは理事長に聞いたの?」

「はい。昨日、その内容が書かれたメールが来ていました」

「意味深だなあ……」

「……私の予想ですが、この前晴翔くんが言ったことが関係しているのでは?」

 

 有栖ちゃんはコーヒーに砂糖を入れながら、そう問いかけてきた。

 はっとした。あまり強く意識していなかったため、普通に忘れていた。

 理事長に向けて言ったこと。父に対するメッセージが、何かを動かしたということだろうか?

 

「あの発言は、清隆への援護射撃をしてやりたいという思いから生まれたものだ。きっとそのあたりは理解してくれてるだろうし、大丈夫だよ」

「わかりました」

 

 俺が答えると、それ以上聞いてくることはなかった。

 温かいコーヒーが、いつもより苦く感じた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 そして、終業式の当日となった。

 今日は午前中で一斉に下校となり、部活も行われないらしい。スムーズに式が終了した後、俺たちは二学期最後のホームルームのため教室へと戻ることになった。

 廊下を吹き抜ける風が寒い。ふと外を見たとき、久しぶりに見た顔……父の姿を見つけた。

 

(……何やってるんだろ?)

 

 周りを部下と思われる中年男性が取り囲んでいる。何やら物々しい雰囲気で、とても声をかけられるような感じではないが、有栖ちゃんを連れて少しだけ距離を詰めてみた。

 しばらく様子を見ているうちに、理事長が向こう側から歩いてきた。

 理事長は一度頭を下げてから父と握手をした。その後、二人横並びになって歩き始めた。少し下がって部下たちもそれに続く。どうやら、父を応接室へ案内するようだ。

 俺たちは一定の距離を置いて、動きを観察していた。有栖ちゃんも興味深そうに見ている。

 

 ……一瞬だけ、ほんの一瞬だけ父がこちらを向いた。

 

 『処理した』

 

 目が合った瞬間、父は口の動きでそう俺に伝えてきた。俺たちにだけわかるよう、声は発さなかった。それ以降は何事もなかったかのように、理事長との会話へ戻った。

 有栖ちゃんがぶるぶると震えている理由は、よくわからなかった。

 

 

 

 ホームルームでは、真嶋先生が強い口調で冬休みの注意事項を説明していた。

 

「冬休みの間、校内の一部は改修工事のため立ち入り禁止となる。また、長期休暇となるが、学生としての立場を忘れないように。一人が問題行動を起こせば、それはクラス全体の責任となる。そのことを肝に銘じて行動しなさい」

 

 こんなこと、言われなくても……とはいかないのが今のBクラスである。

 この話を真面目に聞いている生徒はごくわずかであり、多くの生徒はとっくの昔に冬休みモードへと突入している。頭が痛いだろうな。

 真嶋先生は一度ため息をついてから、ホームルームを終了すると述べた。

 

「あ、あのさ」

 

 置き勉していた教科書を鞄へ詰め込んでいると、真澄さんが声をかけてきた。

 

「どうしたの?」

「冬休みなんだけどさ……いや、なんでもない」

 

 照れている様子からして、俺たちを遊びに誘おうとしたのだと思われる。他に友達がいそうな感じもしないし、正月明けまでずっと一人で過ごすのは抵抗があったのだろうか。なんというか、めちゃくちゃ可愛い。

 

「ふふっ、いつでも連絡してください。一緒にお買い物でもしましょう」

「……もう、仕方ないわね」

 

 有栖ちゃんの言葉を受けて、ぷいっと横を向いた真澄さん。しかしその口角は上がっており、嬉しい気持ちを全然隠せていない。ヤバい、あまりにも可愛すぎる。

 隣を見ると、有栖ちゃんも顔を赤くして興奮していた。

 

「何よ、二人して」

 

 両手の人差し指をつんつんしている姿がまた可愛い。普段つっけんどんな態度をしているだけに、ギャップがすごい。今後はもっと絡んで、こういう姿を引き出していきたい。

 

 その時、パチパチと大きな手拍子の音がした。

 音の方向に目をやると、真嶋先生が戻ってきていた。

 

「一つ言い忘れていたことがある。今日の午後だが、来賓の方が校舎内を見学することになっている。その対応のため、十四時までに全ての生徒を校舎から退出させるよう指示があった」

 

 教室にいる全員に聞こえるよう、大きな声でそう言った。

 ……来賓の方というのは、間違いなくあの人のことだろうな。

 静かになった俺たちの様子を確認してから、真嶋先生は言葉を続ける。

 

「部活も休みである以上、残る理由もないとは思うが……もし残っていたことが発覚した場合、当該生徒は一か月の停学処分となる。お前たちもお喋りしていないで、早く帰りなさい」

 

 停学という言葉に驚きの声が上がった。校舎の中にいただけで、一か月……俺はあまりにも厳しすぎるのではないかと思ったが、特に意見を言う者はいなかった。

 まあ、さっさと帰ればいいだけの話だ。自分の時間を使ってまで問い質そうと思う人間など、この教室には存在しない。生徒たちは雑談に戻りながらも、各々帰り支度を始めた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 先生の指示通り、俺たちは大人しく帰った。

 外は寒い。何か予定があるわけでもないので、部屋でゆっくりすることにした。有栖ちゃんの心臓のこともあるし、用事でもない限りわざわざ寒空の下を出歩く意味がない。

 

「……どうも、変な感じがする」

「私も同じです。私たちの知らないところで、何か起きているような気がしてなりません」

 

 知りたくても手が届かない、ムズムズした感覚。中心に父がいることは間違いない。思い切って話を聞けば良かっただろうか……いや、俺にはあの雰囲気に割って入る度胸はない。そもそも、それを望んでいないからこそ、ああいう形で俺にメッセージを送ってきたのだ。気になるとはいえ、父の考えを踏みにじってまで聞くようなことでもないだろう。

 

 突然、俺の端末が鳴った。内容を確認すると、清隆からメールが届いていた。

 

 『ありがとう』

 

 たった一文ではあるが、彼の思いが詰まったメール。俺が礼を言われるようなことといえば、何だろう。心当たりなんて……あった。昨日有栖ちゃんと話した内容だ。

 俺からの、清隆に対する援護射撃。それが成功したとすれば、父が学校に来た理由は……

 

「もしかしたら、全てはもう終わっているのかもしれないな」

 

 先ほどの父の言葉を思い出す。『処理した』という、過去形の一言。

 清隆はすでに、自分の戦いに決着をつけていたのかもしれない。そして、今日の動きを見ることで、俺が父に根回しをしていることを理解した。そう考えると辻褄が合ってくる。

 俺たちが日常生活を送る裏で、何が起きていたのか。少しわかってきたような気がした。

 

「晴翔くんは、清隆くんが起こした行動に関与したのですか?」

「いいや、大したことはしてないよ。結構前……無人島試験の時に、軽くアドバイスしただけ」

 

 父親に追われて困っていると語る清隆に対して、俺が思ったことを述べただけだ。当然あいつの頭の中にもあっただろうし、関与というほどのことでもないだろう。

 自由を掴みたいのなら、自由を奪おうとする者を排除すればいい。ただそれだけのことだ。

 

「あ、ああ……そういうことだったのですね」

 

 しかし有栖ちゃんは極めて驚いた様子で、俺の目をじっくりと見つめてきた。

 

「ん?」

「……受け入れないと」

 

 抱きしめられた。そして、キスを求めてきた。軽く唇が触れ合う程度のものだ。

 俺が求められるままに応じると、有栖ちゃんは笑顔になった。

 

「どうしたの?」

「私は、一生あなただけの味方です。どんな一面があっても、どれほど深い闇を抱えていても……全てを受け入れて愛し続けます。ですから、安心してくださいね」

「そっか、ありがとう。俺も愛してるよ」

 

 俺を安心させようと、優しい言葉をかけてくれた。特に不安になっていたわけではないが、その気持ちは嬉しいものだった。何か勘違いしているような気もするが……まあいいか。

 

 イカロスは自らを閉じ込めていた迷宮を破壊して、ついに解き放たれた。

 その瞬間、彼は何を思ったのだろうか。歓喜のあまり笑顔となったのか、それともいつもの無表情を貫いたのか。見られなかったことが残念でならない。

 

「清隆くんが退学するようなことは、今後起きないと思います」

「そうだな、俺もそう思う」

 

 清隆は今、どこで何をしているのだろう?

 そんな疑問が浮かんだが、それはあいつの「自由」である。何をしようが勝手だし、誰にも止められることはない。そういった当たり前のことを、あの部屋では得ることができなかった。

 だから、これはゴールではなくスタートである。綾小路清隆という一人の高校生は、八か月遅れでようやくデビューを迎えたのだ。彼の生活はもっと楽しくなるはずだ。

 清々しい気持ちで年末を迎えられることを、嬉しく思った。




 林間学校の展開にかなり悩んでいました。


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第63話

 お待たせして申し訳ございません。
 ここから林間学校です。


 新年を迎えて、高度育成高等学校は三学期となった。

 始業式を無事に終えた後、さっそく授業が始まる。

 

「……はあ、帰りたい」

 

 授業といっても、ただの授業ではない。特別試験である。

 

 一月上旬の木曜日、俺たちはバスに揺られていた。これから何が起きるかはさておき、有栖ちゃんが体調を崩さないか心配だ。

 何しろ、三時間の長旅である。話を聞いた時点で辞退を希望したが、許可を得ることはできなかった。彼女のお父さんは、頭が良さそうに見えて実はバカなのではないかと本気で疑っている。

 バスの席は基本的には名簿順だが、俺たちは例外的に隣り合わせの席へ配置してくれた。あまりにもささやかすぎる配慮に、涙が出るような思いだ。

 

 Bクラスの生徒たちは、遠足気分で騒ぎまくっている。彼らもこれから特別試験があることは察しているが、本気で取り組む気がない以上レクリエーションと変わらないのだろう。

 ……だが、それは自分の身の安全が保障されている場合の話だ。退学へのハードルが低いこの学校が、ペーパーシャッフルのような「甘い」試験ばかりであると思わない方がいい。

 

「これから特別試験の概要を説明する。楽しむのもいいが、今は話を聞きなさい」

 

 真嶋先生がマイクを持ち、良く通る声で話し始めた。しばらくしてから、生徒たちの騒がしい声が止んだ。すぐに雑談をやめないあたり、Bクラスらしくていいと思う。

 隣に座る有栖ちゃんは、少し気持ちが悪そうだ。酔ってしまったのかもしれない。背中をさすってやりつつ、俺は先生の話に耳を傾けた。何でもいいからとりあえず早く到着してほしい。

 

「あと一時間もしないうちに到着する。今お前たちが向かっている場所は、山中の林間学校だ。夏に行われるのが一般的ではあるが、当校においては例年正月明けに行うこととなっている」

 

 そりゃあそうだ。誰が好き好んで、クソ寒い中で林間学校などやりたいものか。

 ダルそうな顔をする俺たちを見回してから、先生は「しおり」を配り始めた。それをパラパラとめくると、特別試験が男女別の行動を強要されるものであることがわかった。この時点で、俺のやる気ゲージはゼロになった。最低最悪の気分だ。

 

「林間学校では、学年を超えての集団行動を7泊8日で行ってもらう。その試験の名は『混合合宿』という。ある意味、体育祭をより大きくしたものといっていい」

 

 掲載されている写真を見る限り、無人島よりは大幅にマシな環境が用意されているようだが、そんなことはどうでもいい。また有栖ちゃんと離れ離れになってしまう。俺はどうすればいい?

 

「……リタイアという選択肢がない以上、参加せざるを得ませんね」

「そうだな、控えめに言ってクソだと思う」

 

 有栖ちゃんはため息をついて、窓の外の景色に目をやった。

 それ以降の話は、あまり頭に入ってこなかった。六つのグループに分かれること、他のクラスと混合しなければならないことなど、試験的には極めて重要な説明がなされているはずだ。しかし、その全てが俺にとっては些細な事にすぎない。有栖ちゃんと長期間一緒にいられないとわかった以上、頑張ろうなどという気にはならないのだ。

 

 ……だんだんとムカついてきた。

 イライラが頂点に達したタイミングで、最下位になったグループへのペナルティが説明された。退学という単語に生徒たちはざわめく。

 

 話を聞いていなかった俺はしおりをめくり、一旦心を落ち着かせる。

 学年ごとのグループを、この試験においては「小グループ」と称するらしい。そのグループを三学年組み合わせたもの、それを「大グループ」という。

 大グループ単位で試験が行われ、その結果最下位となったグループが処分の対象となるが、全員が退学になるわけではない。実際に退学させられるのは、最下位の大グループの中でも、学校側が定めたボーダーを下回った小グループ……その中の「責任者」である。

 死ぬほどわかりづらいが、ダメな集団のリーダーが責任を取って退学しろという話である。そして、退学となる「責任者」は他の生徒を一人指名して、道連れに退学させることができるようだ。

 

 ……なるほど、面白い。俺はここに活路を見出した。

 説明が終了した直後、質疑応答が始まったタイミングで勢いよく挙手した。

 

「先生。俺が『責任者』となってわざと平均点を下げた後、気に入らない生徒を指名すれば、退学させることができるということですね?」

 

 その質問に対して、先生を含めた周囲が驚愕する。

 

「……もちろん、その通りだ。だが、当然ながらお前自身も退学になるぞ」

「ああ、それは大したことじゃないので大丈夫です。ありがとうございました」

 

 これは一度説明されたことを、きつい言葉で言い換えているにすぎない。しかし、今回はその行動にこそ意味がある。俺を責任者に指名すれば、敗退行為の末に誰かを退学させる……まずは周りにそう理解してもらう。危険人物としてマークされれば成功だ。

 

「……坂柳に関しては、最大限の配慮がなされることになっている。あまり心配するな」

「そうですか。まあ、よかったです」

 

 先生のフォローを適当に受け流した。そういう問題じゃねえんだよ。

 ふと思い立った俺は、端末を手にして素早くチャットを打つ。

 

『帆波、頼みたいことがある』

『ご主人さま、なあに?』

 

 十秒で返信が来た。さすがに早すぎてちょっと怖い。

 

『同じグループに、桔梗ちゃんと有栖ちゃんを混ぜてほしい。できれば真澄さんも』

『わかった。有栖ちゃんを助けてほしいんだね』

 

 理解が早くて助かる。彼女たちが守ってくれるというだけで、安心感は全然違ってくる。

 帆波が絶対的リーダーでよかったと、心の底から思った。やっぱり、こいつは俺にとって必要な人間だ。この学校にいる間は、多少のリスクを背負ってでも従わせておくべきだろう。

 

『それともう一つ。お前が今持っているポイントを確認させてほしい』

『えーっと……これでいいかな』

 

 一分ほど待った後に、端末のスクリーンショットが送られてきた。

 21,173,950prと表示されている。予想はしていたが、こうして実際に見ると衝撃が大きい。

 とりあえず、知りたかった部分を知ることができた。これだけのポイントがあれば、最悪のケースであってもどうにかなりそうだ。

 ……そのうち、帆波とクラスメイトになるかもな。

 

 チャットのやり取りをしているうちに、バスは高速道路を降りて山道へと入った。有栖ちゃんの車酔いが悪化しているようで、泣きそうな顔をしながら遠くの方を眺めている。

 ……可哀想だ。今すぐ降ろしてあげたい。念のためエチケット袋を用意してあるとはいえ、学校に対する憤りが増してきた。理事長のバーカ。娘一人守れないのかよ。

 

 

 

 それからしばらくして、ようやく目的地に到着した。

 なんとか有栖ちゃんは持ち堪えてくれたが、かなりギリギリだった。

 バスが停車すると、真嶋先生は前の座席の生徒から順に点呼し、各自の端末を回収し始めた。

 

「よく頑張ったな、有栖ちゃん」

「……帰りもこれがあると思うと、気が滅入ってしまいます」

「無理もない」

 

 降車すると同時に、強烈な寒さに襲われる。俺は軟弱者なので、寒いのも暑いのも嫌いだ。

 ダメだ、体育祭以上にやる気がなくなってきた。ある程度の手を打ったとはいえ、面倒なイベントに参加させられることに変わりはない。

 有栖ちゃんも俺と離れるのが嫌なのか、先ほどからずっと服の袖を掴んでいる。

 とにかく気が重い。聳え立つ二つの建物を見上げながら、俺は苦笑いをした。

 

「ああ、帰りたい!」

 

 俺の心からの叫びが、山の中にこだました。



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第64話

 ついに、有栖ちゃんと別行動になる時間が来てしまった。

 

 木造の古臭い校舎を通り抜けて、男子は全員が体育館のような場所へ集められた。

 しばらくそこで待機していると、教師から各学年で6つの小グループを作成するよう指示が入った。グループ決めには教師陣が一切関与しないという補足があった後、学年ごとに分かれて話し合いが始まった。やる気もないので、俺は静観を決め込んでいた。

 早速、龍園率いるDクラスと俺たちBクラスの間で小競り合いが発生した。

 

「試験なんかどうでもいいが、Dクラスの人間とは組めねえなぁ。あいつらは人間以下だ」

「なんだとこの野郎!」

 

 戸塚の暴言に、一人の男子生徒が激怒した。こいつらは小学生かと思うほどの低レベルな煽り合いだ。頭の悪い二人に、俺を含めた大多数の生徒が白い目を向ける。

 

(大丈夫かなあ……)

 

 バカどもの言い争いが加速している中、頭に浮かぶのは有栖ちゃんのことばかり。

 寒くないだろうか?怪我はしていないだろうか?

 携帯で連絡を取ることもできない現状が、さらに不安を増幅させる。

 

「晴翔、どうした?」

 

 そんな俺に話しかけてくる生徒が一人。清隆だ。

 

「……ああ、有栖ちゃんのことが心配で仕方ないんだ」

「そうか。オレとしても、お前がそういった懸念を抱くことは想定していたが……今回の試験の性質上、あまり力になれそうにない。だが一応、恵には有栖を同じグループに引き入れるよう指示しておいた。当然そこに櫛田も入ってくるはずだ」

「えっ、本当に?」

 

 清隆は残念そうにしているが、それはかなり大きい。昔の恵ちゃんならともかく、今の彼女はかなり信頼できる人物だ。有栖ちゃんのこともフォローしてくれるだろうし、心強い味方である。

 さらに帆波が俺の言った通り動くとすれば、俺と仲の良い女子が同じグループに固まることになる。俺自身が手を出せないのはどうしようもないが、それを除けば最高の組み合わせである。

 

「良い対応ができず、申し訳ない」

「いや、謝る必要はない。それどころか、礼を言いたいぐらいだ。ありがとう清隆」

 

 周囲がうるさくなってきたのを意に介さず、俺は清隆に握手を求めた。

 その瞬間、衝撃的なことが起きる。

 

「……ふっ、お前は変わらないな」

 

 ほんの僅かに、清隆が笑った。驚きのあまり目を見開いてしまった。この男のことはそれなりに長い期間観察してきたが、こんな風に笑うところを見たのは初めてだ。

 清隆の言う通り、俺は何も変わっていない。むしろ変わり始めているのは清隆の方だと思う。自分の勝利のみを求める、無機質な存在から進化しようとしている。

 やはり、父親の件を解決したことが大きいのかもしれない。自由になった清隆は、今後どうするのだろうか……状況が変わっても、彼に対する興味が尽きることはない。本当に面白い男である。

 

「持つべきものは友達だ。最近、つくづくそう思うよ」

「違いない」

 

 おかげで、だいぶ気持ちが楽になった。これが一人ぼっちであったなら、落ち着いてはいられなかっただろう。悩んでいる時に話を聞いてくれる存在は、大変貴重なものであると実感した。

 

 

 

 俺たちが雑談をしている間も、話し合いは全く進んでいなかった。

 あまりにも何も決まらない状況を見かねて、Cクラスの平田が提案をした。

 

「みんな、このままグループを分けられなかったら全員退学だよ。一度、僕の話を聞いてほしい。受けるかどうかはその後に決めてもらって大丈夫だから」

「……そうだな、話してくれ」

 

 葛城がそれに同調する。他の連中もさすがにマズいと思ったのか、ようやく静かになった。

 

「ありがとう。まず、僕は4つのクラスがなるべく均等になるように振り分けるべきだと考えているんだ。先生から聞いたと思うけど、同じグループに参加しているクラスの数が多いほど、報酬が増加する。逆に、順位が悪くてもペナルティは増加しない。こういうルールである以上、4クラス混合のグループにした方が圧倒的に得だよね」

 

 平田の言っていることは正しい。プラスの報酬だけ増えるという仕組みは、間違いなく生徒にとって有利なものだ。しかもその倍率は、4クラス混合であれば3倍という破格さである。全体の利益を考えれば、可能な限りグループあたりの参加クラス数を増やす方が良い。

 しかし、それは理論上そうであるというだけの話だ。こういう議論においては、人間の持つ感情……非論理的な要素を抜きにして考えることはできない。

 

「お前の話も分からないわけじゃないが、俺たちはDクラスの猿共と共同生活なんてまっぴらごめんだ。ポイントが増えるとか、そういう問題ではないな」

 

 今日は戸塚が調子に乗っている。リーダー面するなよという周りからの視線は、彼には感じ取れないらしい。視野が広いタイプではないから仕方がないか。

 ……よくもまあ、偉そうなことを言えたものだ。クラス全体が帆波の奴隷になっていることを、忘れているのだろうか?

 

「わかった。だったら、Bクラスは希望者のみという形にするよ。1つか2つのグループはDクラスの生徒を含まないようにして、そこにDクラスとの共存を望まない生徒たちを集めていく。これぐらいの妥協で話が進むなら、僕はそれを受け入れたいと思う」

 

 すぐさま折衷案を出した平田に対して、俺は素直に感心した。あまりこいつと関わる機会はなかったが、非常に優秀な人間であるようだ。

 戸塚が黙り込んだことで、全体的にそれでいいのではないかという空気が流れ始めた。

 

「ああ、俺は平田の案に乗るぜ。戸塚ちゃまのワガママも、今回は特別に聞いてやろう」

 

 今までおとなしくしていた龍園が、ついに声を上げた。馬鹿にしたような口調で戸塚を煽ると、彼は顔を真っ赤にして怒り始めた。

 

「ふざけるな。どうせまた、卑怯なことを考えているんだろう?」

「黙れ。てめえらはAクラスの傀儡となった、生ける屍のようなもんだ。雑魚は雑魚らしく、隅っこのほうで静かにしてろ。それとも、今ここでその口を開けなくしてやろうか?」

 

 威圧的な眼光を受けて、次の言葉を発せなくなった戸塚。とてもダサい。明らかに格が違うと、そこにいる生徒全員が認識した。まあ、こいつ如きが龍園をどうこうできるわけがない。

 方針は決まった。あとはどこに誰を入れるかというだけの話だから、そう時間はかからないだろう。これら全てが平田の功績と言っていい。間違いなく、彼こそが今日のMVPだと思う。

 

 

 

 俺は、とりあえず清隆と同じグループに入ることにした。

 Cクラスはすでに分け方を決めているらしく、平田と高円寺がこちらに寄ってきた。

 ……これまた、いろんな意味で目立つ生徒ばかりだ。とはいえ、退屈しないという意味では良さそうだと感じた。一週間もの共同生活。メンバーは濃ければ濃いほどいいだろう。

 AクラスとDクラスも3人ずつ来て、均等に分かれた形だ。Bクラスから入ってくるのは……俺だけだった。これは少し意外であった。いくら体育祭で揉めたとはいえ、Bクラスの生徒は戸塚のようにDクラス全員を拒否するような人間ばかりではない。橋本を筆頭として、冷静に物事を考えられる生徒も一定数存在している。

 

「龍園くんとだけは組めない、そういうことだろうね」

 

 平田はBクラスの集団を見つめながら、納得したように呟く。

 こうなった原因人物に、俺は目をやった。相変わらず不敵な笑みを浮かべていて清々しい。

 そう、このグループには龍園が入るのだ。その時点で多くの生徒はNGとなる。これに関しては、もはやどこのクラスとかいう問題ではない。嫌われすぎだろこいつ……

 

「僕としては、それよりもAクラスから3人も来たことに驚いたよ」

「うちのボスの指示だからな」

 

 次に平田が話しかけたのは、Aクラスの神崎だ。彼らのクラスにおいて、帆波の指示は絶対的なものである。龍園を嫌っている生徒も多いとはいえ、王の勅命に反することはできない。

 

「……一之瀬さんはすごいね」

 

 何か思うところがあったのか、平田は少し複雑な表情をした。

 

 その後、責任者はスムーズに決まった。平田が立候補して、それを他の全員が承認したからだ。

 結果的に俺がバスの中でアピールした行動は空振りとなったが、責任者にならないという目的が労せずして達成されたことになるので、何の問題もない。押し付け合いになる展開もあり得た以上、リスクヘッジとして布石を打っておいたのは悪くなかったといえる。

 

 

 

 真嶋先生に報告を終えた後、俺は速攻で立ち去ろうとした。しかし、とある生徒の一声で引き止められてしまった。

 

「一年生に提案がある。今から、すぐに大グループを作らないか?」

 

 声の主は、南雲雅だった。めんどくせえなあと思いながら、俺は平田たちの元へと戻る。

 教師たちにとっても意外な動きだったのか、焦って準備を始めている。いや、それぐらい想定しておけよ……わりとマニュアル人間が多いらしい。

 南雲の提案は、至極シンプルなものであった。一年生の小グループから代表者6名がじゃんけんを行い、勝った順で先輩グループを指名していくというもの。

 

「一年の持つ情報量は少ない。公平性に欠けている」

 

 その話を、三年生の男が妨げた。堀北前会長である。

 さっさと引き揚げたい俺は、無駄に議論を引き延ばす行為にイラっと来てしまった。

 

「いや、別に不公平でもよくないっすか。そもそも、何をもって公平とするかよくわからないんですけど。仮にじゃんけんをやめたとして、各グループの責任者が個人的な人間関係を基に大グループを決めていく作業は、堀北さんにとって不公平ではないってことですか?」

 

 俺が口を挟んでくるとは思わなかったのか、堀北兄はぎょっとした顔をした。

 南雲はニヤリと笑って、楽しそうに俺を見つめてきた。体育館がシーンと静まり返る。

 早急に終わらせたいので、イライラしながらも言葉を続ける。

 

「いいから早く決めましょうよ、南雲さん。あと、一年生が二年と三年のグループを同時に一つずつ指名する方式にしませんか。二巡するのはめんどくさいです」

 

 南雲の目をまっすぐ見て、俺は自分の意思を伝えた。

 

「はあ……お前って、マジでとんでもない奴だな。わかった、高城がそう言うならそれで進めてやろう。他の一年生たちも異論はないか?」

 

 異論があったらぶっ殺してやる。そう思ったが、幸いなことに意見する者は出なかった。

 あー、有栖ちゃんの顔が見たい。心臓の調子は大丈夫かな。どこかで転んでないかな。

 俺の頭は、すでに愛しい恋人のことでいっぱいだ。いつ会えるのだろうか?

 

 じゃんけんによるグループ決めは円滑に進んでいった。

 平田は2位となり、二年生は南雲のグループ、三年生は南雲がおすすめしてきた優秀そうなグループをそれぞれ選択した。堀北兄のグループは、1位を取った須藤が指名していた。

 俺はようやく終わったと思い、足早にその場から去ろうとする。

 

「先輩たちは帰ったが、少し時間を貰おうか」

「えっ、嫌です」

 

 南雲が呼びかけていたが、そんなことはどうでもいい。冷たく断って体育館を後にした。

 教師の目も無視して、先ほど女子たちが連れられて行った方向へと走っていく。

 

(はあ、やっと会える……)

 

 寝泊りする部屋をまだ見ていないものの、それも俺にとっては優先度の低い話だ。

 こんな試験に大した価値はない。有栖ちゃんのお世話こそ、俺のライフワークなのだ。



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第65話

 俺が到着した時、ちょうど女子たちはグループ決めを終了したところだった。

 部屋の確認に向かっているところを発見して、すぐに声をかけた。

 

「よかった、有栖ちゃん……」

「来てくれたのですね。嬉しいですっ」

 

 有栖ちゃんは特にケガをした様子もなく、まずは一安心だ。

 

「もう、晴翔くん心配しすぎだって。私がいるから大丈夫だよ」

 

 桔梗ちゃんの頼りになる言葉を受けて、さらに心が落ち着いた。どうやら、二人は無事に同じグループとなれたようだ。明日からはスケジュールがタイトになるため、さらに会える時間が減ってしまう。対策を練る上でも、女子のグループ分けの結果は最速で確認する必要があった。

 

 しばらく三人で雑談をしてから、食事の時間となった。

 会場に清隆の姿を見つけて、嬉しそうに駆け寄っていくのは恵ちゃんだ。微笑ましい光景を横目に見ながら、俺は席に着いた。当然、隣には有栖ちゃんが座っている。

 

「いろいろと揉め事は起きましたが、概ね晴翔くんの狙い通りに分かれました」

 

 有栖ちゃんがお茶を飲みつつ、女子グループについて説明を始めた。

 

 まず、帆波が有栖ちゃんと桔梗ちゃん、それから真澄さんを指名して自分のグループに引き込んだのが最初の動きだった。その後、恵ちゃんが清隆の指示通りグループに合流した。

 しかし、揉めたのはここからだった。Aクラスの千尋ちゃんは、帆波が参加するグループにDクラスの生徒を入れさせない方針を取ったのだ。

 

「……龍園が指揮する集団を引き入れたくはないよな。クラスの動きとしては正解だ」

 

 一之瀬帆波という存在は、Aクラスの全てといっていい。

 そのため、限りなくゼロに近い確率であっても退学になるリスクは避けなければならない。龍園の指示の下、俺がバスで話したような自爆テロ……道連れ退学を狙ってくる可能性が否定できない以上、Dクラスを参加させるわけにはいかないという判断だろう。

 

「そうですね。千尋さんは最善の手を打ったと思います」

 

 ……龍園は、ある意味ジョーカーとなる人間であると感じた。ああいう手段を選ばないタイプの人間が、最下位に沈んでいる状況。これは誰にとっても不気味なものだ。

 逆に、帆波はトップとして重要視されすぎているため、どうしてもフットワークが重くなる。周りも彼女の安全を第一に考えて、保守的な策を取らざるを得ない。

 今のAクラスにつけ入る隙があるとすれば、そのあたりなのかもしれない。

 

「最終的に、私たちのグループはDクラス以外の三クラスがそれぞれ4人ずつ参加して、合計12人で構成されることになりました」

「まあ、千尋ちゃんの要求を通さないってことは不可能だからな」

 

 有栖ちゃんなど他クラスの生徒が含まれている以上、グループの構成条件は余裕で満たしている。あとはAクラスが何人出すかというだけの話になってくる上に、このグループには優秀な生徒が集まっている。報酬の倍率も上昇するため、黙っていてはAクラスだけがポイントを荒稼ぎする結果になりかねない。Dクラスをハブって均等に4人ずつ参加させるのは、とても現実的な落としどころである。

 

「それだけ手を打ったのなら、退学はまずあり得ない。が……」

 

 俺はふと横を向いた。遠くの方のテーブルに、Dクラスのひよりがいる。

 寂しそうに一人で食事を摂っている。彼女はAクラスの方針によって、有栖ちゃんと分断されてしまった形となった。なんだか可哀想に思えたので、一度声をかけようかと考えた。

 しかし、それは帆波と千尋ちゃんがこちらへやって来たことでかなわなくなった。

 

「あっ、ごしゅ……晴翔くんっ!」

 

 また危なかった。その二人称は本気でやめてほしい。

 千尋ちゃんの隣で言うとか、半分殺害予告みたいなものだぞ。

 

「帆波さん、お気遣いいただきありがとうございました」

「ううん、気にしないで。他でもない晴翔くんのお願いだし、何より……私は、有栖ちゃんを嫌いになったわけじゃないから。困っているのなら、必ず助けるよ」

 

 ぺこりと頭を下げた有栖ちゃんに、帆波は笑顔でそう答えた。こういう性格だからこそ、彼女はリーダーであり教祖なんだろう。

 俺との関係で価値観が変わってしまったものの、その善人性は健在であることを確認した。

 

「俺からも礼を言っておこう。今回は助かった。ありがとう、帆波」

「……ああ、幸せ」

 

 強い感情のこもった言葉を返されて、背筋がぞくっとした。 

 

 やがて清隆と恵ちゃんも合流し、みんなで仲良く飯を食った。こうやって大所帯で集まる機会は少なかったため、とても楽しいひとときだった。ただ……さっきから何かがひっかかる。

 話を聞く限りはうまくいっているように思えるが、どうも一つ見落としている気がする。

 

(ひよりは、何を焦っているんだろう?)

 

 普段は絶対に見せないような、焦燥した様子。それに強い違和感を覚える。

 しかし、俺が話しかける前に彼女は食事会場から去ってしまった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 夜、俺は二段ベッドの下段に横たわった。

 部屋へ戻った時には、すでに誰がどのベッドを使うかが決まっていた。決める場に不在であったので、これは当然のことである。さすがに文句は言えないだろう。

 というわけで、俺は余ったベッド……人気のない、龍園と同じベッドで寝ることになった。

 

「龍園くんは、どこへ行ったのだろうか?」

 

 平田がぽつりと呟いた。消灯時間が近づいているが、未だに龍園の姿はない。

 あの男は適当に部屋を確認してから、すぐどこかへ行ってしまったらしい。最初からいなかった俺よりはマシかもしれないが、それでも相変わらずの独自路線だ。

 

「うぜえ。人がどこに行こうが勝手だろうが」

「おっ、戻ってきた」

 

 そんなことを言っている間に、龍園がダルそうに部屋へと入ってきた。

 手に持っていた荷物を投げ捨てて、ベッドの上段へと登る。

 

「……龍園。お前、今回は『勝つ』気だな?」

「いちいちうるせえな。テメェには関係ないことだろ」

 

 俺の言葉に、至極めんどくさそうな顔でそう返してきた。

 これはビンゴかもしれないと思い、気になっていたことをぶつけてみる。

 

「椎名ひより」

「……」

 

 その名前を出した瞬間、わずかに頬がひきつったのを見逃さなかった。

 思った通りだ。こいつが絡んでいると、食事会場を出た段階で俺は確信していた。

 

「ほら、やっぱり何か企んでるだろ。まあ、知ったところで止めるつもりもないが」

「……けっ、食えねえ奴だ」

「一応聞いておくが、お前の作戦で有栖ちゃんが傷つくことはないよな?」

「Bクラスは眼中にねえよ。俺のターゲットは……」

 

 そこで龍園は言葉を切って、神崎の顔を睨みつけた。その行動の意味は明白だ。

 こいつは、今回Aクラスを潰しに来ている。帆波教に対して、ついに戦いを挑むのだ。

 

「やるじゃないか、龍園。そういうお前を、俺は待ち望んでいたぞ」

「……くくっ。俺がテメェの『性質』を利用するとしても、同じことが言えるか?」

 

 意味深な表現で、龍園は俺を挑発してきた。なるほど、面白い。

 俺の「性質」とやらはよくわからないが、だんだんとワクワクしてきた。

 

「もちろん。俺という人間をどう利用するのか、楽しませてもらうぜ」

 

 その言葉を最後に、会話が止まった。龍園もなんだかんだ疲れていたのか、すぐに寝息を立て始めた。だが、謎解きが面白くなってしまったため、俺は全く寝付けなかった。

 ああ、楽しい。こんな機会を与えてくれた龍園には感謝せねばなるまい。

 

 一晩頭を悩ませて、徹夜状態で朝を迎えることになった。体力を使うカリキュラムが組まれている中、これはかなりキツい。しかし、結果的に俺は一つの答えを導き出すことができた。まだ推測の域を出ないとはいえ、その達成感は素晴らしいものであった。

 俺の出した答えが正しいとすれば、もうすでに勝負は決まっている。うっかり俺にヒントを与えてしまうほどの余裕も、そこから来ているとすれば辻褄が合う。

 

 龍園の計画を裏付けるべく、早朝5時に見回りをしていた真嶋先生に声をかけて、いくつか質問をした。そこで概ね満足できる回答を得られたため、俺は部屋に戻り起床時間を待った。

 体育祭では帆波が楽しませてくれた。ペーパーシャッフルでは、有栖ちゃんの頭の回転の早さを再確認した。林間学校は……龍園翔。この男のずる賢さを、見せつけられることになるだろう。



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第66話

 翌日。俺はふらふらする身体をどうにか動かして、一日の授業をこなしていた。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

 心配する清隆の声。頭痛と眠気を我慢しながら、今日最後の授業である座禅に臨む。

 ……でも、中学のころは毎日こんな感じだったな。少し懐かしさを感じる。

 逆に言うと、あれを三年間続けても大丈夫だったのだ。一週間ぐらいどうってことない。

 

「ぐぅ……性に合わねえ」

 

 想像以上に、真面目に取り組んでいるのが龍園だ。男子の部では目立った行動をとるつもりはないらしく、驚くほど大人しい。ある意味メリハリがしっかりしているというか……この場においては、普通に頑張ることが最もクラスの得になるという判断だろう。

 

 長い座禅の時間が終わり、足のしびれをこらえつつ俺たちは立ち上がった。

 明らかにフラフラになっているのに、何ともない演技をしている龍園が面白かった。

 

 

 

 夕食の時間が来たので、俺は再び有栖ちゃんの元へと向かった。

 

「あっ、晴翔くん。会いたかったです」

「俺も会いたかった。まずは、今日も無事でよかった」

 

 お互い抱き合って、再会を喜ぶ。たった一日なのだが、俺たちにとっては長い。まるでずっと離れ離れになっていたかのような感覚があった。

 できるなら、このまま楽しい雑談といきたいところ。しかし、今しか聞けないことがある。トレーに並べた料理に口をつけながら、俺は有栖ちゃんに一つ質問をした。

 

「突然で申し訳ないが、ひよりのグループについて教えてほしい」

「……ひよりさんですか?」

「そう、ちょっと調べてることがあるんだ。といっても、ほとんど確定であとは裏を取るだけって感じ。正しく言えば、質問というより確認だな」

「わかりました、私の覚えている範囲でお話しします」

 

 有栖ちゃんは食器を置いて、少し思考を巡らせた。

 

「彼女のグループは13人構成で、そのうち8人がDクラスという歪なものです。5人はCクラスの生徒ですが、彼女たちも『責任を負わない』という条件付きで渋々入ったにすぎません。普段大人しい方々が貧乏くじを引いたような形です」

 

 つまり、ひよりを除けば12分の7がDクラスということ。これだけで過半数に到達している。

 ……ここまでは俺の思っていた通り。もう少し掘り下げてみよう。

 

「ありがとう。それで、そのグループの責任者は?」

「ひよりさんです。多数決の結果、そうなったようです……ああ、そういうことですか」

 

 納得したような顔で頷いた。どうやら、有栖ちゃんも俺と同じ結論に至ったようだ。

 それにしても早い。俺が問いかけた意図を読み取って、全てを理解してしまうとは……

 

「やっぱり、天才には敵わないな」

「そんなことはありません。現に、私は今とても驚いています。あなたが私の恋人でよかったと、強く思いました……成長しているのですね。なんだか、自分のことのように嬉しいです」

 

 とびきりの笑顔を向けてくれた。日常のサポートに感謝してもらえることはあっても、俺が出した成果を褒めてもらえることはあまり多くない。慣れていないため、ちょっとくすぐったかった。

 

 

 

 その事故が起きたのは、夕食が終わった直後のことだった。

 有栖ちゃんと離れ、部屋に戻ろうとしたその時。廊下で大きな声がした。

 これはまずいと直感的に判断し、俺はその場へ駆けつけた。

 

「痛い、です……」

 

 そこにいたのは、転んで軽いけがを負った有栖ちゃんだった。これは失敗した。桔梗ちゃんや帆波がクラスの生徒に囲まれていたのを見ていたのに、一人で部屋へ帰してしまった。

 手を差し伸べる男が一人。状況的にこいつが犯人か。

 

「悪い悪い、大丈夫か?」

 

 大丈夫じゃねえんだよと思いながら、有栖ちゃんの肩を支えて身体を起こす。

 つーかこいつ誰だっけ。確か清隆と同じクラスの……

 

「山内、もっと気をつけろ」

 

 そこに清隆が急に現れて、山内と呼ばれた生徒の背中をポンと叩いた。そうそう、山内だ。あまりキャラが濃くないので忘れていたが、池や須藤と並んで三バカと言われていたはず。

 

「だけど、ここまでどんくさいとは思わないじゃん」 

 

 手を引っ込めてから、山内は口をとがらせる。自分が悪いとは思っていないのか、悪口ともとれる不満の言葉を述べる。清隆もその態度には閉口して、視線を外した。

 ……なんだこいつ。ムカつく奴だな。お前にどんくさいとか言われる筋合いはないぞ。

 周囲には野次馬が集まっている。注目を浴びた有栖ちゃんは、すかさずこう返した。

 

「ごめんなさい。おっしゃる通り、私はどんくさいです」

 

 やや落ち込んだ表情。それを受けて、野次馬たちは山内へと非難の目を向ける。

 

「ぐっ……」

 

 その場に居づらくなった山内は、ばつの悪そうな顔をして去っていった。

 慌てて来た桔梗ちゃんに有栖ちゃんを預けてから、俺も踵を返した。

 

「悪いな。だが、あの男の先は長くない。今回ばかりは許してくれ」

 

 背中にかけられた、清隆の言葉。その意味を理解できないほど、俺は鈍くない。

 ああ、そういえばあいつは……「責任者」だったな。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 消灯時刻の午後十時までは、あと一時間ほどだ。強い眠気にも負けず、俺は昨日に引き続き考え事をしていた。これは、明日やることを整理するためでもある。

 すでに龍園の狙いは看破した。あいつがやろうとしていること、それは……

 

 椎名ひよりに、退学処分を下すこと。

 

 まず前提として、AクラスがDクラスを排除する方針を取ることが肝要だ。とはいえ、この流れは誰でも容易に想像がつく。憶測だが、龍園はここから着想を得たと思われる。

 A~Cクラスだけで構成されるグループが現れた結果、多くのDクラス女子が余る。そこでひより以外を能力の低い女子たちで固めた、負け確定グループを作成させるのが最初の布石だ。

 ……あの子は洞察力が高い。この段階で違和感を覚えていてもおかしくはないが、クラス内でのカーストの低い彼女が周囲に抵抗することは難しかっただろう。

 そして、多数決という形でひよりを責任者にさせる。前述のグループ決め段階で過半数のDクラス女子を送り込んでいるため、彼女はそれを回避できない。

 あとは適当に、生徒たちがとことん不真面目に取り組めば終わりだ。すでに、女子のとあるグループが座禅をボイコットしたという噂も流れてきている。教師が定めたボーダーを大幅に下回り、責任者は退学となるのだ。

 

 龍園から与えられたヒントがあれば、ここまでは簡単に到達できる。

 では、そうなったら俺はどうするのか?という話になる。責任者であるひよりに退学処分が下った際、俺がどういう行動を取るのかが今回の最重要ポイントだ。

 

 答えはたった一つ。どんな形であれ、ひよりを助けるよう帆波に指示するだろう。

 それがあいつの狙いであり、俺の「性質」……身内を放っておけない性格だ。

 思った以上に、あいつは俺のことをよく見ているらしい。それは少し嬉しかった。

 

 そこにたどり着いた俺は、真嶋先生にいくつかの質問をぶつけた。そのうち一つは、「林間学校において、他クラスの生徒の退学処分を取り消すことができるか?」というものであった。

 ……その答えは、ノーである。そんなことはできないらしい。クラスに対する露骨な裏切り行為であるから、これが認められないのは当然ともいえる。

 

 ここでもう一つポイントがある。龍園たちDクラスは、現在400クラスポイントを持っていないということだ。退学の取り消しに必要な要件は、2000万プライベートポイントと300クラスポイント+ペナルティの100クラスポイントである。それを満たしていないのだ。

 しかし、このルールには抜け道がある。しおりにも書いてあったが、林間学校においてクラスポイントが不足した場合、一旦0ポイントとして取り扱われた後、以降加算されたタイミングで精算される。文面の解釈は難しいが、クラスポイントの「借金」が認められると思っていいだろう。

 つまり、400ポイントを下回っているクラスでも退学者の救済が可能である。

 

 この仮説を裏付けるために、俺は先ほど清隆にこう尋ねた。

 『茶柱は、退学処分の救済措置についてどう話していたか?』

 現在262クラスポイントのCクラスの担任が、どのように説明したのかを確認したのだ。

 

 ……予想通り、『ポイントを支払えば可能である』と話していたらしい。また、Cクラス以下には不可能だという補足もなかったようだ。これでほぼ確定だ。

 そうなると、龍園は2000万のプライベートポイントに加えて、無人島で葛城と結んだような契約……退学の取り消しによって失われる300クラスポイントと、回避できないペナルティの100ポイントを補填するようなものを俺と帆波に持ちかけてくる可能性が高い。

 昨日の、神崎に対する「Aクラスを潰す」匂わせも一種のブラフ。龍園の真の目的は、クラスポイントを捨てることで莫大なプライベートポイントを獲得することなのだ。

 

 素晴らしい。最高だ。この短時間でここまで練り込んだ策を立ててくるなんて、やっぱり龍園は面白い奴だと思う。自分のクラスの生徒を人質にするという、全貌を知ってもなお対策することが不可能である作戦。俺に対するメタとしては最適なものであると感心した。

 

 面白いことをしてくれたお礼として、負けてやるのもいいが……もうタネは割れてしまった。

 答えを知った推理小説は面白くない。こうなってしまうと、林間学校がまたつまらなくなる。

 そこで俺は、ワクワクする戦術を考えてくれた龍園への返礼も兼ねて、最後の最後にちょっとした騒動を起こすことにした。一粒で二度おいしいというやつだ。

 

「高城、朝の件で話がある。こちらへ来い」

 

 ちょうどいいタイミングで、真嶋先生からお呼びがかかった。

 俺はニヤリと笑い、ベッドから身体を起こした。

 

 

 

 消灯時刻まであと30分となった。肌寒い廊下で、俺は真嶋先生に一つの封筒を手渡した。

 

「……これを受け取っても、いいんだな?」

「はい、お願いします」

 

 これらは必ずしも必要なものではないのだが、話を面白くするために提出した。

 俺の中には、有栖ちゃんにも楽しんでもらいたいという思いがある。それを考えると、こういうサプライズ演出は結構重要である。いくらあの子でも、まさか俺がこんなものを出してくるとは思わないだろう。びっくりする顔が目に浮かぶ。今から当日が楽しみだ。

 

「了解した。それと、あのとき答えられなかった質問に正式に回答しておこう。『退学は、退学届を理事長が承認した段階で処理される』。これで大丈夫か?」

「オッケーです。やはり、試験で退学処分が決まった瞬間ではないんですね」

「その通りだ……昨日の話と合わせて、お前のやりたいことが少し見えてきた。間違いなく、史上初の出来事が起きるだろう」

「そうですか?誰か思いつきそうなものですけど」

「いや、そもそも他クラスの生徒を退学から救う……そういう行動自体、俺は今までの教師生活で見たことがない。その上でシステムの穴を突いてくる生徒など、お前を除いて他にはいない」

 

 時間があまりないので、矢継ぎ早に言葉を交わす。

 ……真嶋先生の楽しそうな顔は、入学以来初めて見たかもしれない。

 

「ナンバーワンではなく、オンリーワン。この学校の校風には全くそぐわない言葉だが、高城にはそれが一番似合っていると思う。じゃあ、おやすみ」

 

 そう言って、真嶋先生は暗闇の中へと消えていった。




 次回は週半ばぐらいになります。介護の負担が軽減されたので、成長が始まりました。


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第67話

 土曜日がやってきた。通常であれば休みだが、残念なことに林間学校の間は授業がある。

 俺は適度にサボりながら道徳の授業を受けつつ、ひよりのグループを観察していた。

 

(……ひどいな、あれは)

 

 ひよりに対する他生徒の態度は、いじめに近いものであった。話しかける者は誰もおらず、まるでそこに居ないかのように扱われている。

 

 その様子を見ていて、ふと思い出した。

 ひよりへの嫌がらせを止めるべく、有栖ちゃんの発案で龍園たちと食事をした時のことだ。

 ……今思うと、龍園はハナから助ける気などなかったのかもしれない。伊吹への指示は、ひよりを嫌っている人間を炙り出すために行われた可能性が高い。

 もちろん、その場ではポーズとして該当生徒に制裁を加えただろう。それは、嫌がらせが無くなったという事実が証明している。しかし、あいつの本当の目的は違うところにあったようだ。

 龍園は、ひよりを退学まで追い込むための「刺客」を用意していた。さすがに林間学校を予測していたわけではないだろうが、グループ形式での特別試験……そこに照準を合わせて、あらかじめ策を練っていたのは明白。これは、俺を利用するという発想が昨日今日で生まれたものではないということを意味する。

 

 おそらく、この林間学校でグループに集められた生徒は、かつて陰湿な嫌がらせを行っていた者たちと同一人物だ。ひよりが退学になることを何とも思わない、敵対的な連中で周りを固められたことになる。そう考えるとあまりにも可哀想で、俺の心が揺らぐ。

 

 視線を教室内へ移し、龍園の顔を見る。

 ……そこまでするのか、こいつは。俺を叩くためなら、ひよりの精神を壊してもいいと考えているのか。勝負にかける想いの強さは認めるが、さすがにやりすぎだと思う。

 

 だが、焦る必要はない。俺の用意しているサプライズが上手くいけば、結果的にひよりを救うことになる。今は余計な行動を取らず、自分の計画に向けて準備を進めていくのがベストである。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その夜。

 そっと部屋を抜け出して、真っ暗な夕食会場に忍び込んだ。

 

「夜中に悪いな、帆波」

「ご主人さま……二人きりで会えるなんて、嬉しいっ」

 

 俺は帆波と密会していた。夕食の際に、場所と時間を書いた紙きれを渡していたのだ。

 ……嬉しそうに身体を動かす様子を見ると、何だか変な気持ちになってくる。正直可愛い。

 

「俺が考えている作戦について、今から説明させてもらう」

 

 今回のキーパーソンは帆波である。そのため、彼女だけには全てを話しておく必要がある。

 一つ一つ、認識の違いが発生しないよう丁寧に説明する。龍園の計画を完遂させないための妨害工作。今まで誰も気づかなかった、システムの欠陥を利用するものである。

 帆波は俺の話に驚きながらも、いたって真剣に聞き入っている。

 

「……ただし、Aクラスへのダメージは免れない。悪いけど、これはどうやっても避けることができないと思う。今回はあくまでも『圧勝』させないための戦略だ」

「そうだね。そこに関しては、私が龍園くんの企みを全く読めてなかったのが悪い。椎名さんをグループに引き込めば、こんなことは起きなかったわけだから……ごめんなさい」

 

 帆波の立場で何か対策するのは、不可能に近かった。安全という意味では千尋ちゃんの手法だって正解だし、Aクラスが違う動きをした場合の妥協案も龍園にはあったはずだ。帆波の退学を狙ってくる可能性も考えると、Dクラスを排除したことが失敗だったとは言えない。

 

「大丈夫だ、謝る必要はない。お前は全然悪くないよ。ほら、おいで」

「ありがとう。大好き……」

 

 優しく頭を撫でる。ちょっと落ち込んでしまったので、慰めてやることにした。

 すると帆波は顔を真っ赤にして、ぎゅっと強く抱きついてきた。お互いの頬を擦り合わせてから、軽くキスをする。そのまま、柔らかい右手を俺の下半身の一部分に持っていって……

 

「それはダメ。手癖悪すぎ」

「わんっ」

 

 俺がぺちっとお尻を叩くと、舌を出していたずらっぽく笑った。

 ……調子が狂う。二人きりだからって、思い切りが良いにも程がある。

 Tレックスが火を噴いたらどうしてくれるんだ。まあ、そんなサイズはないけど。

 

「とにかく、俺が帆波に頼みたいことは一つ。龍園から持ち掛けられた契約を受けないことだ」

「わかった……話を聞いてて思ったんだけど、もし私たちが椎名さんを退学させることにしたら、龍園くんはどうするつもりだったんだろ?」

 

 鋭い。さすが帆波、よくぞ気づいた。

 その通りである。龍園がやっていることは、一種のバクチだ。俺がひよりを必ず助けるという、俺の性格に対する賭けである。万が一失敗すれば、100クラスポイントと一人の生徒を無駄に失うだけで終わってしまう。結果的に俺が助けるつもりでいる以上、判断としては間違ってはいなかったことになるが、あまりにもリスクが大きすぎる。

 

「負ける怖さを無視できる精神力は、龍園の強みだ。でも、それは無謀ともいう」

 

 俺たちの「答え」を見て、龍園はどんな反応をするのだろう?

 Aクラスへ打撃を与えることだけでも達成できたと、痛み分けの結果に満足するのか。それとも、裏をかかれた悔しさに悶えるのだろうか。

 ……おそらく後者だ。そして、失敗を受け入れることであいつはまた強くなる。

 

「なんか、すごいなって思う。龍園くんの執念も、戦うことを楽しんでる晴翔くんも」

「俺にとって、すべてはレジャーだ。面白いか面白くないか、ただそれだけのこと」

 

 どちらかというと、すごいのは帆波の方だ。人徳だけで2000万ポイント集めるような人間がすごくないわけがない。やはり、人を惹きつける天才といっても過言ではない存在である。

 

「そっか。うちのクラスには、何か指示を出した方がいい?」

「千尋ちゃんに、『ひよりを帆波の力で救う』とでも伝えておいてくれれば十分だ」

「ちょっと恥ずかしいけど、わかった」

 

 詳しいことを説明しなくとも、今の千尋ちゃんならこれだけである程度察してくれるだろう。

 ひよりを助けた功績は、全て帆波のものにしたいと思う。俺のこの動きは、彼女にとってもありがたいものであるはず。「信じる者は救われる」なんて、布教する上では最高の宣伝材料だ。

 

「やっぱり、お前はすごい女だよ。可愛くて優しくて、カリスマ性があって。周りが神様扱いするのも、結局のところお前に魅力があるからだ」

「そんなことないもん……むぅ。それなら、その神様をペットにしてるご主人様は何者?」

 

 帆波は口をとがらせて、俺に迫る。

 お互いが触れ合うと同時に手首を掴まれた。誘導されて、俺の手のひらが大きくて柔らかい胸に当たる。むにゅっとした感触はこの上なく気持ちが良いもので……さらに赤く火照った彼女の顔を見て、俺の心が大きく揺さぶられる。

 微笑みながら、再び唇を重ねてきた。抵抗なくそれを受け入れると、お互いが異性であることを強く感じる。自分の身体が反応してしまう。ああ、このまま彼女に全てを委ねてしまいたい……

 

 ん?

 

「だからダメだって!」

「あっ……おしい」

 

 本当に危なかった。最後に残った理性が、俺をギリギリのところで踏みとどまらせた。

 ここまで全力で誘惑してくるとは思わなかった。人目のつかないところで会うのは、あまりにも危険すぎる行為であると理解した。こんなことを毎回されていては、おかしくなってしまう。

 

「頑張ったら、ご褒美くれる?」

 

 そう言って、帆波は唇を指でなぞった。名残惜しそうなその仕草も、俺をドキドキさせる。

 うっかり、自分に恋人がいるということを忘れそうになる。

 

「……ああ」

 

 軽く返事をしてから、俺は帆波の手を引いた。

 夕食会場から撤収する。このまま長く一緒にいると、欲望に負けてしまう気がした。

 

 部屋に戻っても、興奮してなかなか眠ることができなかった。身体は疲れているのに、いつまでも頭から帆波の姿が離れない。俺は諦めてトイレの中に籠り……密かに処理した。

 有栖ちゃんごめん。あの場で襲うのを我慢するのが、俺の精一杯だったんだ。言い訳がましいかもしれないが、俺だって健全な男子だ。あんな風に迫られたら……抑え込むことは難しい。

 

 魔性の女。今の帆波には、その言葉がよく似合う。

 自分の貞操を守るべく、今後はもっと気をつけようと決意した。



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第68話

 日曜日は、林間学校において一日だけ与えられた休日である。

 大グループでの朝食を食べ終えた後、俺はとある男に呼び出されていた。

 

「……何でしょう」

「分かってるくせに、知らないふりをするな」

 

 南雲雅。現生徒会長が俺に接触してきた。こいつのことは特に好きでも嫌いでもないが、今呼び出された理由はなんとなく理解していた。

 

「そうですか。でも、それを大声で話しても大丈夫なんですか?」

「心配無用。人払いは済ませてある」

 

 人払い、という割には周囲に生徒が多く集まっている。だが……それはいずれも、二年生ばかりであった。俺を得体の知れないもののように見る視線は、なかなか気持ちの悪いものだ。

 南雲にとってこいつらは、自分の道具なのだろう。「払う」べき存在ですらないということだ。

 

「わかりましたよ。橘さんを退学させる邪魔をするなってことでしょ?」

「……結論だけ言えばそうなる」

「はいはい。で、南雲さんは俺に何をしてくれるんですか」

 

 帆波と深夜に会っていたため、寝不足で機嫌が悪い。前置きはいいからさっさと話を進めろ……そう言葉には出さないまでも、必然的に態度はきつくなる。

 

「お前の邪魔をしない。これでどうだ?」

「えっ、何言ってるんですか。俺は南雲さんに邪魔されても何も困りません。むしろ、邪魔してくれた方がトータルではプラスになりますよ……さっきの言葉をそのままお返しします。分かってるくせに、知らないふりをしないでください」

 

 南雲が邪魔をする……すなわち、ある程度読んでいるであろう俺の計画を、龍園にバラしてしまうということ。しかし、その場合でもあいつが取れる選択肢は二つしかない。

 一つは何もしないこと。もう一つは、ひよりを退学させる方針を撤回すること。

 あいつがどちらを選ぶかは五分五分といったところだが、もし後者であれば実質俺の勝ちだ。ノーダメージで退学を阻止したという時点で、目的は完全に達成されたことになる。

 ただし、そんな終わり方は全く面白くない。その点だけが問題だ。

 

「くくっ……あっはっは、本当にお前は変わった奴だな」

「自覚はありますが、南雲さんだけには言われたくないです」

「違いない。だが、面白い。俺が龍園とつながっていることも、読んでるんだろ?」

「まあ、そうですね」

 

 小グループの成績がいくら悪くても、大グループが最下位にならなければ退学処分へもっていくことはできない。そういう意味で、今回の試験では龍園と南雲の利害が一致している。

 南雲の方がより高度な戦術ではあるが、狙いとしては全く同様なものである。この二人に何のつながりもないというのは、さすがに無理がある話だ。

 

「だろうな。じゃあ、どうするか……口止め料として、300万でどうだ?」

「ポイントなんていらないです」

「……そうか。ならば逆に問おう。ポイントが不要だというのなら、お前は何を望む?」

 

 南雲は本気で疑問に思ったのか、じっと俺の目を見つめてきた。俺が何を望むか、それはなかなか難しい質問だ。自分の計画に利用するにしても、こいつは使いづらい……

 ああ、一つ良いことを思いついた。より話を大きく、且つスムーズに進めるための演出。

 

「試験での退学者が発表された直後に、一芝居打ってもらえませんか?」

「……なんだって?」

「『この場で全ての処分を確定してほしい』。生徒会長として、そう意見してほしいのです。道連れ退学者も含めて、結果発表の場で全部決まってしまうのが理想的です」

 

 俺の話に、一瞬戸惑ったような顔をした。南雲のこういう表情は初めて見た。

 きっと求められている行動の意味が理解できないのだろう。これはなかなか気分がいい。

 

「クソッ、わかんねえ。それでお前に何の得があるんだ」

「得はないです。帰りのバスに乗る直前にひっくり返すより、全校生徒が注目している状況で話をめちゃくちゃにする方が、楽しそうだと思っただけです。別に受けなくてもいいですよ」

 

 このあたりが、俺とこの男の違っている部分だ。なんだかんだ言って、南雲はとことん勝ちにこだわるタイプである。どちらかというと龍園に近いかもしれない。

 その点、俺は勝つことなんてどうでもいい。何なら全部失敗してボロ負けしてもいいと思っているほど、勝負に対するこだわりが薄い。楽しかったらそれでいいのだ。

 

「……わかった、高城の言うとおりにしてやろう。理由は適当にこじつけておけばいいか?」

「大丈夫です。橘さんをいじめて堀北さんを曇らせるという意味でも、なかなか面白いと思いますよ。書類にサインすることを迫られたときの表情とか、見たくないですか?」

「お前って、そこまで性格悪かったっけ?」

「いや、俺が見たいわけじゃないんですけど……まあいいです。この話が成立した時点で、南雲さんの邪魔をする可能性はなくなりました」

「そうだな。高城があの大グループに干渉したら、今の約束が無意味なものになる」

 

 とても理解が早い。そこはさすが生徒会長様だと言っておこうか。

 話に決着がついたということで、俺は南雲に背を向けた。ああ、だんだん眠気が増してきた。さっさと部屋に戻って寝ようと思ったのだが、後ろから言葉をかけられた。

 

「……この学校で、高城よりも実力のある人間はいくらでもいる。だが、俺の行動を読むことができるのはお前だけだ。あの退学届は、必ず取り下げろ」

 

 おっと、これは驚いた。俺が真嶋先生に出した書類の内容を知っていたらしい。他の誰にも言ってないから、漏れるはずはないのだが……多分、生徒会長の権限で汚いことをしたんだろう。

 

「作戦がうまくいったら、みんなの前で破り捨てますよ。なかなかエキサイティングでしょう?」

 

 俺は笑いながらそう言って、その場を後にした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「ふぁ〜」

 

 次に目を覚ました時、すでに昼過ぎだった。

 

「起きたか」

「おっ、清隆じゃん」

 

 二つ隣のベッドを見ると、下段に清隆が座っていた。

 こうやって二人で話すのは久しぶりだ。

 

「晴翔もいろいろと動いているようだな」

「ああ、そっちもな……場所を移すか」

 

 今からする話題を考えると、できるだけ人目につかない場所の方がいい。

 俺は立ち上がり、背伸びをした。窓を開けると綺麗な空気が舞い込んでくる。

 うーん、たまにはこういう場所に来るのもいいかもしれない。最初はクソだと思っていたが、ずっと学校の敷地内に詰め込まれているよりはマシだ。あんなの、環境がいいだけで状況的には受刑者と変わらない。自然いっぱいの林間学校の方が性に合っている。

 

 そのまま俺たちは山の方へ赴き、森の中で腰を下ろした。木々のざわめきが聞こえる。

 ここなら誰も来ないだろう。俺は森林浴を楽しみながら、清隆に話を振る。

 

「山内を、どうやって消すつもりなんだ?」

「オレは特に何もしない。一之瀬との約束、今回はそれを使った」

 

 約束とは取り決め。それはほとんどの人間にとって大した信頼度のない、不確定なものだ。

 しかし、交わした相手が帆波であれば例外だ。彼女はその手の話で絶対に裏切らない。

 ……だが、その約束に至った過程がわからなかった。自分で言うのもなんだが、今の帆波は俺以外の指示にはそうそう従わないはず。清隆はどうやったのだろう?

 

「……無人島試験での契約だ」

「あっ!」

「思い出したか。オレは晴翔に勧められた通り、リーダー情報を教える代わりに『ふわっとした』要求をした……具体的には、『一度だけ言うことを聞く』というものだ」

 

 清隆の話を聞いて、やっと思い出した。そういえば、そんな話もあったなあ。

 無人島試験において、清隆は龍園がリーダーであるという情報を帆波に売った。その条件がいかなるものであったか、ずっと謎のままだった。

 

「状況は理解できた……帆波の立場からすると、Aクラスの人間が道連れにされる危険性は無視できない。それも含めての契約だろうが、そこはケアしたのか?」

「恵を使って、クラスに『一之瀬が2000万ポイントを集めた』噂を流してある。自分が退学になったとき、回避されるとわかっている人間を道連れに選ぶ可能性は低い。計画に問題はない」

 

 自信を持って断言した。清隆がここまで言う以上は、万全な体制が整っていると見て間違いない。残念ながら、山内はもう助からないようだ。まあ、あいつがどうなろうと興味はないが。

 どうして退学に追い込む必要があるのか、どんなメリットがあるのか……いろいろ気になるポイントはあるが、それをこの場で聞き出すことは野暮だと思う。何より面白くない。

 

「わかった。清隆のおかげで、男子の部も楽しみがありそうだな」

「ああ。オレは、お前に楽しんでもらいたい気持ちもあるんだ。友人であるお前に」

 

 清隆はとても楽しそうだ。生き生きとしているというか……人間らしくなった。

 ……父親の件について、真相を知りたい気持ちもある。だが、これは俺が自分から首を突っ込むべき話ではないことも理解していた。あくまで受動的に、清隆の方から切り出してくるタイミングを待つ。彼の友達としてどうするのが正しいかを考えた時、それが最適であるような気がした。

 俺の父が、何かしらの動きを見せたことは明白である。だからこそ、それを台無しにするような真似は控えなければならない。今の状況で下手に嗅ぎ回ることなど、言語道断である。

 

「よしっ、そろそろ戻るか。この学校で清隆に会えてよかったよ」

「……全く同じ気持ちだ。多分、オレはお前のことが好きなんだろうな」

 

 あまりにも「らしくない」発言に、俺は飛び上がって驚いた。かつての清隆なら、絶対に言わないであろうセリフ。想像以上にすごい変わりっぷりだ。

 

「そんなワードを、清隆の口から聞ける日が来るとは思わなかった。ありがとう」

「……変なことを言っただろうか?」

「いやいや、最高だよ。本当に、お前は最高だ」

 

 なんだか急に照れ臭くなったので、俺は勢いよく走り出した。

 夕日が差し込む森の中を、全力で駆け抜ける。身体に当たる冷たい風が気持ちいい。

 すぐに清隆も追いかけてきて、さながらマッチレースのようになった。

 

「清隆、足はえーな!」

「そうか?」

 

 たまには、こういう日があってもいいだろう。

 新鮮な空気をたっぷり吸いながら、俺は「青春」を感じていた。



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第69話

 林間学校のカリキュラムを順調に消化し、ついに最終日がやってきた。

 本番の試験は、それなりの成績で終わることができた。大グループとしても、上位の結果を残せたものと思う。とりあえず最も面倒な部分は完了したので、あとはお楽しみの結果発表だ。

 

 夕方ごろ、俺たちは体育館に集合した。駅伝で1.2キロ走ったこともあり、身体が重い。スピーチといい、無駄に消耗させられる試験ばかり続けられるのは困ったものだ。

 男女ともここで発表されるらしく、女子たちも続々と集まってきている。

 有栖ちゃんの無事を確認してから、俺は先生の言葉を待った。

 

 結果発表の担当者は、どうやら真嶋先生になったようだ。もしかしたら、俺からの質問を教師陣が共有して、回答のためにルールを調べた真嶋先生が適任と判断されたのかもしれない。

 

「集まったようだな。まずは、8日間よく頑張ったと言っておこう。各自、慣れない環境で色々と苦労することもあっただろう。ここにいる生徒一人一人がこの経験を活かし、今後の成長につなげてもらえればと思っている」

 

 まずは当たり障りのない、全体的な話から入った。だが、こんな話題は誰一人として興味がないし、聞いてもいない。みんなの心の中にあるのはただ一つ、退学者が出るかどうかだ。

 

「では結果発表に入る。平均的には、前回と比較して高い評価であるという印象だ。しかし、今回は残念ながら男女とも退学者が出ることになった。この点について、教師として遺憾にたえない」

 

 生徒たちがざわめく。特に責任者は気が気でないだろう。

 ……近くにひよりの姿が見えた。すでに泣いてしまっており、可哀想なことになっている。

 

 第一位のグループから順に、次々と発表されていく。報酬のポイントを受け取れるということで、上位グループの生徒たちはホクホク顔だ。四位、五位と結果が伝えられ、ついに最下位。

 名前を呼ばれた三年生の責任者は、「やっぱりな」とでも言いたげな表情だった。

 

「……以上で男子大グループの結果発表を終了する。そして、定められたボーダーを下回ってしまった小グループは……責任者、『山内春樹』のグループだ」

 

 絶望的な宣告があっても、体育館は静かなままだった。1年Cクラスがざわめく程度だ。

 ……山内たちのグループは酷いものだった。同じグループに池や須藤などCクラスの問題児が含まれているだけでなく、大半を占めるAクラスとBクラスの生徒たちもやる気に欠けていた。

 それも多分帆波の指示なのだが、今は置いておく。いずれにせよ、ほとんどの生徒がこの結果に納得して、山内の退学もやむを得ないと思っていることだろう。

 

 

 

「クソッ……ああ、わかってたさ!てめえらのせいで、俺が退学になるってな!」

 

 怒声を発したのは、もちろん山内である。

 この男にとって、一番痛かったのが駅伝の結果だろう。須藤が圧倒的なパフォーマンスを見せたのにもかかわらず、大差の最下位に終わっていた。

 それは、彼らのグループが最大人数である15人で構成されていたからだ。その場合、全員が同じ距離を走らなければならなくなる。そしてAクラスの生徒はいずれも、運動能力がお世辞にも高いとはいえない生徒ばかりであった……ように見えた。もしかしたら手を抜いていただけかもしれないが、そのあたりは判別が難しい。

 喚き散らす山内。少し離れたところで、恵ちゃんが身体を震わせている。おそらく、彼女には清隆の意思が伝わっているはずだ。あいつの恐ろしさを、身に染みて感じていることだろう。

 

「……山内には、これから退学に関する書類を記入してもらうことになる。それに先立って、グループ内の誰かに連帯責任を命じることができる。必要であれば、今から五分以内に決めなさい」

 

 真嶋先生は無表情のまま、そう突きつけた。

 うまく話が進んでいる。南雲の方に視線を向けると、こちらを向いてニヤリと笑った。

 

 ああ、やっぱり南雲は結構すごい奴だ。まさか俺の意図を完全に理解するとは……

 誰かに読まれたことは少し悔しいけれど、全てを知った上でも俺に協力する意思を見せてきたのは大きい。この男は俺の予想もしない一手、それを打ってくる可能性もある相手だ。自分の目的を達成する上では、敵にならないに越したことはない。

 

 五分というリミットを提示された山内は、はっとした顔を浮かべる。

 数秒間思考を巡らせたのち、憤怒の表情でその名を宣言した。

 

「Bクラスの戸塚。あいつだけは絶対に許さねえ、ぶっ殺してやる!」

 

 大きく開けた目には、深い絶望と狂気が見える。よほど強い憎しみがあるのか、そのまま戸塚に向かって殴りかかろうとした。それを周囲の生徒に止められると、山内は嗚咽を漏らす。

 

「なんにもしねえクセに、俺たちのことを見下しやがって。ふざけんじゃねえ、一番の『不良品』はてめえだろうが」

「おいおい、それは違うぞ。こっちは座禅だって駅伝だって、それなりの結果を出してきた」

 

 戸塚は悪びれもせずにそう言った。このやり取りだけでも、何があったのかが見えてくる。

 Dクラスという「クズ」の集団と組まなかった戸塚は、元Dクラスである三バカにターゲットを移したのだろう。人を見下すことでしか、自分のプライドを守れない……Aクラスに屈服した敗北者という現実から逃れるため、「不良品」たる彼らをサンドバッグにした。

 この一週間で、山内グループの様子も何度か見ることができた。そのすべてに共通していたのは、山内たち三バカが全員からハブられているような形になっていたことだ。AクラスとBクラスの生徒が、みんなして戸塚に同調する態度を取ったのだと思われる。そして、肯定されることに気を良くした結果、差別的な行動がどんどんエスカレートする……そんな感じだったのだろう。

 その全てが自分を退学へ追い込むための、刺客であることも知らずに。

 

「最終確認だ。1年Bクラスの戸塚弥彦を、連帯責任として退学させる。相違ないか?」

「当たり前だ!」

「……承認した。では、今の時刻をもって戸塚は退学処分となる」

 

 真嶋先生は淡々と、戸塚に告げた。自クラスの生徒が退学になるというのに、一切表情を変えることはなかった。その凄みに圧倒され、体育館にいる全員が息を呑んだ。

 

「はあ?どうして自分が退学になるんですか?成績は平均以上のものだったはずです」

 

 しばらくして、戸塚は怒りながら真嶋先生に詰め寄った。

 彼の言っていることは理解できる。退学となった責任者が道連れにできるのは、ボーダーを下回った「一因」だと学校側に認められた生徒のみだ。戸塚の口ぶりからして、個人としてはそれなりに高い得点が見込めると思っていたのだろう。実際、彼は山内の退学が決まってからも余裕そうな顔をしていた。全てをひっくり返されたような状況になったから、ここまで動揺しているのだ。

 しかし真嶋先生は毅然とした態度を崩さず、迫る戸塚を制した。

 

「……今回の特別試験のテーマは『チームワーク』だ。お前が傲岸不遜な態度を取っているところを、各授業の担当講師たちはしっかりと把握している。いくら個人の成績が高かろうと、それは関係ない。自分勝手な行動で、グループの足を引っ張っていたという事実は重い。責任者から成績不振の原因として糾弾されたとしても、妥当であると言わざるを得ない」

 

 冷静な説明で抗議を切り捨てた。ぐうの音も出ない戸塚は、一歩後ずさりした。勝負ありだ。

 シーンと静まり返った体育館。三年生の担任と思われる教師が、退学届などの書類一式を持ってきた。退学者の二人は、あらかじめ用意されていた机に向かうよう促される。

 

「ふ、ふざけるな。なんで俺が退学しなきゃなんねえんだよ。悪いのは全部、戸塚だろうが」

 

 とことん退学を拒み、荒ぶる山内。動こうとすらしない態度で、時間ばかりが過ぎていく。

 往生際の悪さに生徒たちが白け始めたところで、一人の男性教師がストップをかけた。

 

「ひとまず、二人は別室に連れていきます。真嶋先生は続けてください」

「……わかりました。よろしくお願いします」

 

 山内たちの対応は他の教師に任せ、女子の結果発表へと移るようだ。

 思い描いていた展開になったことで、俺はニンマリとした。ここからがクライマックスだ。




 オレが一之瀬と二人きりで会ったのは、金曜日の深夜のことだった。

「話は理解できたか?」
「うん。それは、私にとってもありがたい提案だよ」

 にこやかな表情は、普段の彼女と同じように見えた。だからこそ気味が悪い。

「戸塚くんには、ずっと前から退学してもらいたいなって思ってたの」
「……なぜだ?」
「私、あの人のこと嫌いなんだ!」

 満面の笑みを浮かべて、一之瀬はそう言った。
 彼女は変わってしまった。とうの昔に人格は壊れており、もはや取り返しはつかないだろう。

(……やはり、お前は天才だ)

 オレは大親友の姿を思い描きながら、真っ暗な夜空を見上げた。


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第70話

 男子と同様に、女子も一位のグループから順に次々と結果が発表されていく。

 

「……以上で、女子大グループの結果発表を終了する。そして平均点のボーダーを割ってしまった小グループだが、二つ存在する。一つは3年B組の猪狩桃子が責任者のグループ、もう一つは……1年D組、椎名ひよりが責任者であるグループだ」

 

 真嶋先生が宣告すると、体育館がざわめく。男子の時とは対照的な反応だ。

 南雲の愉快そうな顔。苦虫を嚙み潰したような顔の堀北兄。三年から退学者が出ることは予想されてなかったらしく、ほとんどの生徒が戸惑っている。

 やがて、事態を理解した三年生が南雲に食ってかかる。作戦にはめられてしまった橘は、焦点の合わない目でぼーっと虚空を見つめる。多くの者が、その光景に目を奪われた。

 

 そして……体育館の隅っこの方で、たった一人泣いている子がいる。

 

「大丈夫だ、ひより。お前は一人じゃない」

 

 俺はひよりの元に歩み寄って、肩をポンと叩いた。彼女の退学は、もはや既定路線として扱われている。龍園のやり方は、南雲のそれと比べると随分露骨なものであったからだ。授業のボイコットを始めとしたDクラス女子の悪行の数々は、他グループの生徒にも強い印象を与えていた。

 

「晴翔くん……ごめんなさい。私はもう」

「そんなことを言うな。俺は絶対に、ひよりのことを見捨てないから」

 

 身体を抱きしめると、力なくもたれかかってきた。肉体的にも精神的にも、限界なのだろう。

 そんな俺たちの様子を見て、龍園がニヤニヤとした表情を浮かべている。完全に成功した、そう思い込んでいるようだ。腕を組んで、こちらへと近づいてきた。

 ひよりは怯えて縮こまってしまったが、無理もない。こいつが自分を陥れた犯人だということは、とっくに気づいているだろう。わかりやすい悪意に晒されれば、普通の人間は委縮する。

 

「高城。今の反応からして、答えにはたどり着けたようだな……そして、知ったところで何もできないと悟ったか。俺の言いたいことはわかるだろ?」

 

 龍園は腕を組みながら、俺に話しかけてきた。

 契約を結べということだろう。しかし俺は首を横に振って、笑った。

 

「悪いけどお断りだ。真嶋先生、あれをお願いします」

 

 なるべく大きな声で言った。俺の予想外の一手に、龍園は困惑している。

 それを聞いた真嶋先生は頷いて、一つの封筒を取り出した。その中に入っているのは、三つ折りの紙。高城晴翔と記名されているA4のプリントは、紛うことなき退学届であった。

 

「なっ、てめえ……」

「まずは、見事だと言っておこう。一度仲良くなった人間に甘いという、俺の性質を読み切った上での作戦。まさかこんなことをする奴がいるとは思わなかった。称賛に値する」

 

 俺はパチパチと手を叩きながら、龍園との距離を詰める。ひよりはまだ状況を理解できないのか、目を白黒させている。

 

「だが、お前は一つ勘違いをしている。俺にとって……退学なんか、大したことじゃない!」

 

 はっきりと、叫ぶように宣言した。

 揉めていた上級生たちも言葉を止めて、俺の方を見る。全校生徒が俺に注目している。

 驚愕してるのはひよりだけではない。計画を知っているわずかな生徒を除いて、全員が唖然とした顔をしている。望み通りの反応に心の中でほくそ笑む。俺はこういうことをしたかったんだ。

 ……楽しい。やっぱり人を驚かすのは面白い。最高な気分のまま、言葉を続ける。

 

「ひよりが一人にならないよう、一緒に退学してやる。龍園の作戦を見破った時から、そう決めていた。退学は全ての終わりではなく、新たな人生のスタートなんだ。そのために必要なのが、この退学届……だから、ひよりも胸を張って書けばいい。何も恥じることはない」

 

 考えていたセリフをはっきりと話す。少し演技っぽくなってしまっただろうか?

 全体を見回すと、有栖ちゃんが口をぽかんと開けているのが目に入った。サプライズが成功したようで、嬉しく思う。だが、お楽しみタイムはまだ続く。

 

「だ、だめです。私のために、晴翔くんの人生を狂わせるなんて」

「狂うんじゃない。正しい方向に進むだけだ」

「ああ、どうしてあなたはそこまで……」

 

 意図を理解したのか、ひよりは俺の服を掴んだ。温かい手で、ぎゅっと力強く握られている。

 再び静寂が訪れる。ほとんどの生徒は、未だに起きていることを処理し切れていない。

 

「……各自思うところがあるのはわかる。しかし、まだ話は終わっていない」

 

 全体が落ち着いたと判断した真嶋先生が、再び口を開いた。

 

「すでに理解しているとは思うが、二人にも退学に関する書類を作成してもらうことになる。なお、男子と同様にグループの生徒へ連帯責任を命じることもできる。五分以内に決めるように」

 

 二人はこくりと頷いて、すぐに返答した。

 

「諸藤リカさん。彼女でお願いします」

「私も決まってる。もちろん、Aクラスの橘茜さんよ」

 

 おおっ、という声が聞こえた。まったく、どいつもこいつも自分が無事だと思えばレジャー感覚かよ。安全圏から見物するのは、さぞかし楽しいだろうな……まあ、俺が言えたことではないが。

 ひよりは、かつて停学処分を受けた諸藤を指名した。それはなんとなく、彼女なりの優しさであるような気がした。クラス内に居場所のなくなった彼女であれば、退学処分によって受けるダメージも最小限で済む。そういう考えを持っている可能性が高い。

 ……自分が死ぬほどつらい思いをしているのに、そんなことにまで気が回るのか。本当にすごいというか、彼女の尊敬できる部分だ。

 

「俺の手を読める人間なんて、一人も……ああいや、ほとんどいません。堀北先輩、今のお気持ちはいかがでしょうか?」

 

 南雲は堀北兄に近づいて、ここぞとばかりに煽った。うーん、楽しそうだなあ。

 二年と三年の争いを、俺はしばしの間見つめていた。

 

 

 

 それから、堀北兄は橘を救済することを迅速に決定した。3年Aクラスの団結力は高く、批判的な意見を述べる者は誰一人としていなかった。

 すでに泣き止んでいるひよりと、わんわん泣き始めた橘。その対比が結構面白い。

 南雲はケラケラと笑いながら、自分の戦略を饒舌に語り始めた。

 その後3年Bクラスも猪狩の救済を決めて、ここで上級生たちの戦いは終結した。

 

 そして、ひよりは一人で用意された机の方へと向かった。ペンを取り、退学に関する書類に次々とサインしていく。吹っ切れたような態度には、どこか清々しさを感じる。

 

「私は、あなたさえいれば……ふふっ」

 

 頬を染めた顔には、絶望感というものが一切見られなかった。彼女がここまで割り切れるのは想定外であったが、計画に影響はない。あとは、最後のどんでん返しを待つのみだ。

 龍園と帆波が向かい合って、何か言い争っている。

 

「一之瀬よ。てめぇが血も涙もない女だとは思わなかったぜ」

「にゃー、何を言ってるかよくわかんない。他クラスの生徒を助けるために、貴重なポイントを使うわけがないよ。私に助けを求めるなんて、龍園くんの頭の中はお花畑なのかな?」

 

 ……帆波は、たくましく成長しているようだ。輝く笑顔の中に闇がある。

 対する龍園の顔はひどく歪んでおり、二人の余裕の差は明白である。

 

 ()()()()()()()()()のが、龍園にとって最もダメージの大きい結果となる。

 Aクラスは無傷で、自分のクラスは2人の生徒と200クラスポイントを失う。最悪の中の最悪といっていいほど、どうしようもない終わり方だ。

 

 俺がやろうとしていること……それは、龍園の決定的な敗北を覆す行為でもある。

 しかし、抵抗はなかった。こちらの目的は、Aクラスを勝たせることではないからだ。

 特別試験を面白くして、有栖ちゃんたちに楽しんでもらう。ひよりの退学を阻止して、穏やかな学校生活を取り戻してやる。もとより、俺の望みはこの二つだけである。

 

 ひよりが書類を書き終えると、事務担当と思われる職員がチェックに入った。問題ないことを確認された後、封筒に戻してから真嶋先生へ渡される。さあ、ここからは神様にお任せしようか。

 

(帆波、あとは頼んだぞ)

 

 最後に、女神が救いの手を差し伸べる。そういうストーリーも悪くないだろう?



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第71話

 真嶋先生は担当の職員から説明を受けて、一度大きく頷いた。

 それから神妙な顔をして、全員に聞こえる声で話し始めた。

 

「確かに受け取った。これを以て、椎名ひよりの退学処分が確定した。退学になる者について、今から帰りのバスのことで案内がある。対象者は、しばらく体育館で待機していなさい」

 

 退学処分となった生徒は、クラスの生徒たちとは別のバスで帰ることになるらしい。あまりにも気まずいだろうし、当然といえば当然の措置だ。

 

 ……まあ、そのバスには乗らないのだが。

 体育館のざわめきが収まった。全ては終わったと、みんなが思っていることだろう。

 

「それでは、これにて特別試験の結果発表を終了する」

 

 真嶋先生はそう言った後、ひよりの退学届の入った封筒を見てニヤリと笑った。

 さあ、決着の時だ。

 

「先生!椎名ひよりさんの退学を、取り消してください!」

 

 よく通る、女子の声が体育館に響き渡った。なんだなんだと、再びざわつき始める。

 その声の主……帆波が明るく笑いながら、真嶋先生の前に立った。

 

「……了解した。2000万プライベートポイントを支払うことになるが、大丈夫だな?」

「はい。300クラスポイントも含めて、全て承知の上です」

 

 ほとんどの生徒は、今何が起きているのかすら理解できていないだろう。 

 聞かれていないことには答えない、というのはこの学校の一貫したルールだ。したがって、なぜそんなことが可能なのかと説明されることはない。

 

「わかった。それでは処理を進めよう」

「……真嶋先生。起きている事象の説明を求めても、よろしいでしょうか」

 

 堀北兄が、生徒を代表して質問した。そんなのはおかしい、などと言い出さないあたりは流石だと思う。今回は屈辱的なイベントとなったが、そこは元生徒会長だ。

 

「説明も何も、ルール通りやっているだけだ」

「他のクラスの生徒を救済することは、できないと聞いていましたが」

「当然その通りだが、今の椎名はいかなるクラスにも在籍していない……そうだろう?」

 

 真嶋先生は途中まで話してから、俺の方を向いた。あとは俺が話せということだろう。

 

「そうですね。退学処分が確定した瞬間、その者は現所属クラスの生徒としての資格を失います」

 

 流暢に説明し始めた俺を見て、ぎょっとする堀北兄。こちらの意図を把握したようだ。

 素晴らしく理解が早い。心の中でニヤリと笑ってから、俺は言葉を続ける。

 

「したがって、彼女は今どのクラスにも在籍していません。しかし、退学は本人が記入した退学届を理事長が承認するまで処理されません。つまり彼女のステータスはまだ在学中のまま。クラスの名簿からは消えましたが、無所属の生徒『椎名ひより』としては学校に存在する状態です」

 

 退学届を出してから、実際に退学が発効されるまでの空白の時間。そのタイムラグを利用した。

 このルールは、一見複雑に思えるが自然なものだ。退学者が出た際、速やかにクラスから存在を抹消しなければどうなるか、考えてみればいい。

 ……自暴自棄になった退学者が、教師や生徒に危害を加えるような事件を起こした場合、退学者を出したクラスもその行為の連帯責任を問われることになる。そんな酷い話はないと思う。

 また、林間学校のルールで『他クラスの生徒を救済することはできない』と定められているが、『自クラス以外の生徒を救済できない』というルールはどこにもない。俺はそこを突いたのだ。

 

「ということだ。理解できたか?」

「……拙い質問にご回答いただき、ありがとうございました」

 

 堀北兄は納得した様子で、体育館から出ていった。

 真嶋先生はその背中を見送った後、残っている一年生全員に向かって話し始めた。

 

「他に質問があれば受け付ける。また、もし一之瀬の他に椎名ひよりの退学を取り消したいという生徒がいれば、この場で申し出なさい。処理が終わってからの異論は、一切認めない」

 

 そんなことは誰にもできないし、できたとしても実行する者など帆波以外には存在しない。とはいえ、これは必要な作業だ。ひよりがどのクラスにも所属していない以上、救う権利は誰もが持っている。「学校側が不公平だった」などと、後から言われないための呼び掛けといえる。

 

「……いないようだな。たった今、一之瀬の所有ポイントから2000万を差し引いたことが確認できた。さらにAクラスのクラスポイントを300減算して、ポイントの処理を完了する」

 

 体育館が騒がしくなってきた。みんな楽しんでくれているようで何より。

 俺は、退学阻止という目標を達成できたことにほっとした。残すは最後の締め、最も大事なオチの部分である。先生を質問攻めにした効果が出てくる場面に突入した。

 

「では、これより椎名ひよりのクラス再配属を行う」

「何だと……おいっ!」

 

 ここに至って、龍園はようやく状況を理解したようだ。慌てて声を荒げて真嶋先生に詰め寄るが、もう遅い。他の教師たちも一切動じることなく、書類などの準備が進められていく。

 

「先ほど異論は認めないと言ったはずだ。新たに配属されるクラスを決定する権利は、退学を取り消すためのポイントを支払ったクラスの代表者に与えられる」

 

 これこそが、今回の最大のポイントだった。クラスに在籍する資格を失った者が、復活してきた場合はどうなるのか。何でも前例が全くなかったらしく、理事長に裁定を下してもらったようだ。

 

「一之瀬が代表者ということでいいな?であれば、再配属するクラスを宣言しなさい」

「もちろん……1年A組ですっ!」

 

 帆波はそう言って、会心の笑顔を見せた。

 歓声が上がるのはAクラスの集団だ。男女入り混じった喜びの声が、体育館にこだまする。

 これにて一件落着といったところか。達成感を覚えた俺は、大きく背伸びをした。

 

「よーし、終わった終わった」

 

 そんな俺を、ひよりがじっと見つめていた。

 

「晴翔くん……ありがとうございました」

「助かってよかった。でも、感謝の対象は2000万払った帆波にしておきな」

「もちろん、一之瀬さんには恩を返さなければなりません。しかし……」

 

 ひよりにしては珍しく、言い淀んだ様子。少し頬を染めて、くるっと後ろを向いた。

 

「この温かい感情は、間違いなくあなたへと向いたものです」

 

 そう言い残して、Aクラスの集団の方へと歩いて行った。すぐに千尋ちゃんをはじめとした女子たちが、ひよりの周りを囲む。和やかな雰囲気は、彼女の性格とマッチしているように感じた。

 彼女の高校生活は、今日から始まる。決して蔑ろにされることなく、一人の生徒(教徒かもしれないが)として大切に扱ってもらえる環境。そこで本来の実力を十分発揮して、本人なりに毎日を楽しく過ごしてもらえれば、俺と帆波の努力も報われるというものだ。

 

「……てめえ、メチャクチャしてくれたな」

 

 龍園が俺の方にゆっくりと歩いてきた。その表情は、思ったより悪くないものだった。

 

「おう、お前のおかげで楽しかったぜ」

「そうかよ……」

 

 俺の言葉に苦笑いを浮かべつつ、目を細めてひよりの方を見つめる。意外と、こいつもこれで良かったと思っているのかもしれない。

 ……ここまでやった以上、今さらDクラスに帰ったところでひよりが不幸になるだけだ。

 

「ケッ、くそったれ。戻るぞ」

 

 悪態をつきながら、手下たちを連れて去っていった。

 忘れてはならないのは、龍園たちの完全なる負けではないということ。Aクラスは300のクラスポイントと2000万のプライベートポイントを失った。BクラスとCクラスにもそれぞれ退学者が出た。Dクラスは諸藤が退学した上に再び0ポイントとなってしまったが、Aクラスとの差だけ見ると縮まっている。総じて、一年生は全体的にキツい結果となった。

 

「ふふっ、晴翔くん。やっぱりあなたは最高の同志だよ」

「……千尋ちゃんか」

 

 千尋ちゃんが話しかけてきた。ニコニコと機嫌よく笑っている。

 ……300クラスポイントでひよりを買ったような形になることに対して、内心良く思っていない生徒もきっといるだろう。しかし、その部分についてはさほど心配していない。Aクラスにおいて、帆波の決定に反対することなどあってはならないからだ。仮に不満があったとしても、それを口に出したら最後、目の前にいる怖い幹部の異端審問が待っている。

 何より、今後のひよりは本気を出す。莫大な費用に見合った価値があることを証明するため、Aクラスの勝利に貢献し続けるはずだ。そうすれば確実に、300ポイントなんて安かったと言われるようになるだろう。尋常ではない洞察力……あの才能の価値は非常に高い。

 

「ポイントのことは大丈夫。帆波さんに、私が500万ぐらい振り込んでおくから」

「マジで?」

 

 とんでもない発言。どうやって手に入れたのか、怖くて聞けない。寄付関係は千尋ちゃんが担当していると聞いてはいるが……うーん、相変わらずヤバい女だ。 

 

 

 

 帆波と軽く話した後、俺は再び真嶋先生の元へと向かった。

 最後に一つだけ残された作業、それを行うためだ。

 

「よし、真嶋先生……ああ、もうわかってますよね」

「もちろん。こんなもの、受けてたまるか」

 

 真嶋先生は笑って、提出した退学届を突き返してきた。

 生徒たちの視線が集まる中、俺はその封筒を両手で強く握って……

 

「退学は、撤回だ!」

 

 ビリビリと、勢いよく破いた。瞬間、強い疲労感に襲われる。ちょっと頑張りすぎたか。

 それにしても、今回は素晴らしい特別試験であった。龍園のずる賢さ、清隆の裏工作、そして帆波の大活躍。その全てが俺を楽しませてくれた。良き友人たちに、感謝してもしきれない。

 弾む気持ちを胸に抱いたまま、俺は帰りのバスに乗り込んだ。




 有栖ちゃんの心臓に悪そうな話でした。
 もう一話、エピローグがあります。


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第72話

 エピローグ。短いです。


 片側一車線の山道を、お世辞にも乗り心地が良いとは言えないバスが走り抜ける。

 乗ってからというもの、有栖ちゃんは俺の腕を掴んで離してくれない。先ほどのサプライズは、あまりにも驚きすぎて心臓に悪かったらしい。少しやり過ぎたと反省する。

 

「きっと大丈夫だろうと、わかってはいました。しかし、実際に言葉を聞くと……落ち着いていられなかったのです。やはり、私はあなたがいないとダメなようです」

 

 定期的に顔を合わせられるとはいえ、一週間も離れることになったのは初めてのことだ。それでも傷一つなく、元気に林間学校を終えることができた。桔梗ちゃんたち女子陣が努力した結果だとはいえ、まさかここまでうまくやってくれるとは思わなかった。

 それにしても、俺がいないとダメ……か。

 

「桔梗ちゃんや真澄さんでも、代わりにはならない?」

「ならないに決まってるでしょ」

 

 俺の質問に答えたのは、前列の席に座る真澄さんだった。

 頬をぷくっと膨らませている。怒っているようだが、その顔は可愛いとしか思えない。

 

「あんたがいなくて、こっちは大変だったんだから……逆に言うと、今までよく一人でやってたなって思った。さっきのことを抜きにしても、晴翔は十分すごい奴よ」

 

 そう言って、真澄さんは大きなため息をついた。どうやら相当な苦労があったようだ。深く感謝するとともに、桔梗ちゃんや恵ちゃんも含めて何かお礼をしなければならないと思った。

 

「大変な思いをさせてしまい、申し訳ないです」

「あっ……有栖のことをどうこう言うつもりはなかった。気を悪くしたならごめん」

 

 焦った様子で謝る真澄さん。そういう意図がないのは明白なのに、本当に優しい子だ。

 それを受けた有栖ちゃんの表情は不快というより、むしろ嬉しそうに見えた。

 

「いえいえ、事実ですから……ふふっ」

 

 その言葉を最後に、話が途切れた。

 バスは険しい山道を抜けて、高速道路に入った。行きに乗っていたのと同じ集団とは思えないほど、車内は静かだった。寝ている者も多く、みんな疲れているのだと感じた。

 

 

 

 もうすぐ学校に到着するというアナウンスがあった。渋滞もなく、スムーズに帰れそうだ。

 眠っていた生徒も目を覚まし、周囲の者と雑談を始めた。しかし、葛城康平だけはバスに乗ってから一度も言葉を発することなく、ずっと目をつむって何か考え事をしている。

 彼は体育祭以降、クラスで孤立していた。悪行の限りを尽くしていた周囲の人間とは同調せず、正々堂々を信条とする自分を貫き通したからだ。それは素晴らしいことであるのだが、かつて葛城派として活動していた生徒たちと一定の距離を置くきっかけとなった。

 葛城は、戸塚が退学したことをどう感じているのだろうか。入学以来、忠実な部下としてコバンザメのようにくっついていたものだが、体育祭後はお互いに見切りをつけたような印象だった。

 

(まあ、俺には関係ないか)

 

 そこまで考えたところで、意識を戻した。有栖ちゃんはまたも車酔いを起こしてしまったのか、顔色を悪くして俺にもたれかかってきている。

 優しく頭を撫でてやると、嬉しそうに身体を震わせる。可愛らしい反応に心が温かくなった。

 

「ひよりさんは、どうなるでしょうか」

「きっとうまくいくと思う。あいつは『染まらない』だろうし……」

 

 ふと思い出したかのように、ひよりのことを問いかけてきた。

 その答えを聞いて、有栖ちゃんは少し複雑そうな表情を浮かべる。そして窓の外に一度視線を移した後、再び俺の目をじっと見つめてきた。今日も変わらず、きれいな瞳だった。

 

「彼女がAクラスに新しい風を吹かせるのは間違いありません。その結果がどうなるか、私も少し興味があります……さらに言うと、それぐらいしか面白そうなものはなくなってしまいました」

「Dクラスは?」

「ああ、龍園くんはもうダメかもしれません。せいぜい、最後の輝きを放ってくれることを期待する程度です。こう言っては何ですが、彼は『私たち』の想定以下でした」

 

 冷たく言い放つ有栖ちゃん。もう興味はないと言わんばかりの態度だ。

 私たち、とは誰のことだろうか。俺か、それとも清隆か。

 ……この子がここまで言う以上は、相当厳しい状況なのだろう。

 

 そうしているうちに、見慣れた風景が目に入ってきた。残念だが、また刑務所生活が始まる。

 バスは学校の敷地へと進入し、校舎近くの駐車場でエンジンを止めた。荷物を確認した後、有栖ちゃんの手を握って俺は立ち上がる。なんだか、入学した日を思い出すシチュエーションだ。

 

 非日常は終わりを告げて、束の間の日常が帰ってくる。

 安心して微笑む有栖ちゃんを見ると、俺は幸せな気持ちに包まれた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「くそっ、くそぉ……」

 

 帰りのバス。須藤は前の席に拳を打ちつけて、悔しそうに唸っていた。

 なんて声をかけていいかもわからず、あたしは清隆の肩へもたれかかった。

 

「どうしよう、あたし……」

「何も言うな。今の須藤には、何もしないことが正解だ」

 

 山内が退学になったのは、あたしにとって想定外のことだった。クラスの全員が無事に乗り切れること。できるだけ多くのポイントを持ち帰ること。今回の目標は、それだけだと思っていた。

 でも、違った。清隆は最初から山内を退学させるために行動していた。Aクラスの人間をグループに多く巻き込んだこと、戸塚弥彦……山内の道連れで退学となった、自分勝手な性格の生徒を参加させたこと。その全てが、清隆ともう一人の手によって張り巡らされた罠だった。

 ……そう、動いたのは清隆だけじゃない。Aクラスの絶対的リーダー、一之瀬帆波も作戦に絡んでいた。戸塚が山内のグループに入ったのは、おそらく指示があってのこと。Aクラス総出で山内を煽てて、気分良く責任者を引き受けさせたのも、きっと彼女の策略の一部だった。

 

(あんな人、絶対に倒せない)

 

 あたしと一之瀬さんの差は、果てしなく大きい。人を惹きつける性格と、生まれ持ったルックス。清隆と渡り合える策謀家としての顔が加わったら、誰も敵うわけがない。

 ……あたしには無理。どこを取っても完璧な、一生かかっても勝てない相手だ。一緒にグループ活動を行ったことで、彼女を倒すのは不可能であることを理解してしまった。

 

 そもそもあたしは、一人では何もできない寄生虫なのだ。清隆におんぶに抱っこの状態でリーダーとして振る舞ってきたけれど、決して強い人間ではない。

 退学者を出してしまい、最悪な雰囲気となったクラスで何ができるのか。これからどう引っ張っていけばいいのか。いくら考えても、その答えは見つからなかった。

 

「ここ最近の恵は、本当によく頑張ってると思う。そんなお前のことが大好きだ」

「清隆……」

 

 優しい言葉が、落ち込んでいた心に響く。

 Aクラスになれなくても、この人さえいてくれれば……清隆があたしを捨てずに、ずっとずっと可愛がってくれたらそれでいい。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなる。

 清隆はあたしに結果を求めない。うまくいってもいかなくても、清隆のために動いたという過程を評価する。失敗したり調子に乗ったりして叱られることもあるけど、その後は必ず優しくケアしてくれる。そして、どんなときもあたしの全てを受け入れてくれる。

 この人に怖い一面があることは、とっくの昔にわかってる。でも、そんな印象をかき消してしまうほど、彼はあたしにとって魅力的な男の子なのだ。

 ……帰ったらデートしよう。仲良く楽しく、一週間得られなかった二人の時間を謳歌するんだ。世間知らずな彼だけど、あたしが引っ張っていけば大丈夫。

 

「……よしっ」

「すごいな、もう立ち直ったのか」

「ふふん、だって……あたしは清隆の彼女だから」

 

 あたしがそう言った瞬間、とんでもないことが起きた。

 清隆はわずかに口角を上げて、笑っていた。初めて見るその表情に、ハートが撃ち抜かれた。

 

「どうかしたか?」

 

 どうやら、笑顔になっている自覚はないようだ。そういうところも可愛くて、うずうずしてくる。何でもしてあげたくなってくる。好きすぎて困るとは、このことだろう。

 

「……すき」

 

 胸板に顔を擦り付けてみた。匂いを嗅ぐと落ち着く……なんて、変態みたいだと思うけどやめられない。優しい手つきで頭を撫でられると、こちらまで笑顔になってしまう。

 いつの間にか、心のモヤモヤはどこかへ吹き飛んでいた。




 原作にある程度沿って書けるのは、林間学校までだと以前より考えていました。
 これからの展開も構想はありますが、多少筆が遅くなってしまうかもしれません。
 一応学年末まではイメージできているので、今後ともよろしくお願いいたします。


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第73話

 特別試験が終わり、今日から通常の授業が始まる。

 俺がむくりと身体を起こすと、隣で眠っている二人も目を覚ました。

 

「ふわぁ~」

 

 あくびをする桔梗ちゃん。林間学校中のメンタル面を心配していたが、完全に杞憂だった。俺とは別行動であったものの、有栖ちゃんとほとんど一緒にいたため、非常に安定していたようだ。

 ……有栖ちゃんは一方的に「お世話してもらっていた」という認識をしているが、それは違うと思う。お互いがお互いを必要とする関係。これは、俺と有栖ちゃんにも言えることだ。

 

「よし、準備するか」

 

 俺はよいしょと立ち上がり、平日朝のルーチンを始めた。

 日常が戻ってきたのだと、強く実感する瞬間であった。

 

 

 

 その日の昼休み、俺と有栖ちゃんはAクラスの教室を訪れた。

 

「あっ、お二人ともこんにちは」

 

 出迎えてくれたのは、ひよりだった。早くもクラスに溶け込み始めている。

 41人目のメンバーとして、帆波たちは温かく受け入れてくれたようだ。感謝したい。

 

「なんだか、楽しそうだな」

「はいっ、晴翔くんのおかげです」

 

 俺の手を取って、嬉しそうに笑った。Dクラスの教室では、こんな笑顔になれることなんてなかっただろうし……本当によかったなあと思う。

 

「……ひよりの目から見て、Aクラスはどうだ?」

「そうですね……大変居心地のいい、素晴らしいクラスだと思います。しかし、一つ大きな課題があるとも感じています。それはまた今度、三人でゆっくりお話ししましょう」

 

 そう言い残し、ひよりは女子たちの輪の中に戻っていった。もっと長く話すのかと思ったが、今はAクラス内でのコミュニケーションを優先したいようだ。好ましい流れになっているのを見て、俺は満足した。自分の行動は間違っていなかった。

 

「……ふふっ、流石はひよりさんですね。これはこれで、いいかもしれません」

 

 有栖ちゃんはなぜか驚いた顔をしていたものの、すぐに優しい微笑みへと変わった。考えていることは読めなかったが、今の状況を好意的に受け入れていることは明らかだ。

 この子がひよりのことをどう思っているのか少し心配だったので、気持ちがほっとした。

 

 

 

「晴翔くんに有栖ちゃん。来てくれたんだ!」

「よう、千尋ちゃん。遊びに来たぞ……それは何を持ってるんだ?」

 

 次に話しかけてきたのは、千尋ちゃんだった。

 彼女が持つA4サイズのノートが気になる。表紙には「寄付管理台帳」と記されている。

 

「これはね、みんなが帆波さんに寄付してくれたポイントをメモしてるの」

 

 中身を広げて、見せてくれた。

 まず、AクラスとBクラスの生徒が概ね名簿順に記されているのが目に入った。

 ……ひよりの名前は、やむを得ず末尾に追加したようだ。まあ、クラスの生徒が増えることは想定できないから仕方ないか。

 パラパラとページをめくって、各個人ごとに用意されたデータを見てみる。

 そこには各生徒が何月何日にいくら寄付したか等、関連事項が細かく書き込まれていた。また、通算30万ポイント以上の寄付者のページは赤の付箋でチェックされており、帆波に対する「貢献度」が一目でわかるようになっている。

 

「すげえ、全部管理してるのか」

 

 ……マジでとんでもない奴だな。組織を支配する能力が高すぎる。

 

「そうだよ〜。晴翔くんも、試しに寄付してみない?」

「いいよ、ポイントなんかたくさん持ってても使わないし」

「ありがと。寄付してくれたポイントごとに、帆波さんグッズをプレゼントしてるんだ」

「よし、やってみよう」

 

 面白いと思った俺は、さっそく端末を取り出して千尋ちゃんへとポイントを振り込む。

 いくらがいいかな?うーん……

 

「振り込んだぞ」

「はーい。どれどれ……えっ」

 

 千尋ちゃんは目を見開いて、端末に表示されているポイントを確認する。

 

「どうかしたか?」

「ひゃ、100万!?これはちょっと、ほんとにいいの?」

「もちろん。遠慮せず受け取ってくれ」

 

 そのポイントの出処は帆波だからな、とは言わないでおいた。

 びっくりした様子の千尋ちゃんは、なんだか愛くるしい。帆波さえ絡まなければ、癒し系の可愛い女の子なのだと再確認した。

 

「わかった……グッズを用意してくるね」

 

 そう言って、千尋ちゃんは自席へと走っていった。台帳に記された俺の名前が、蛍光ペンで目立つように装飾されている。どうやら、俺は寄付ランキング一位になったらしい。

 

「おまたせ。まずはこれが、10万の『L判写真』。30万の『握手券』と50万の『ポスター』も。100万はまだ考えてなかったんだけど、何がいいと思う?」

「……ハグとか?」

「いいねっ、それ採用で。じゃあ、帆波さんを呼んでくるよ」

 

 適当に言った案が即決で採用されてしまった。本当にいいのだろうか?

 また、特典の品は累積するらしく、それぞれ構図の違う10枚の写真と3枚の握手券、2種類のポスターを手提げ袋に詰め込んで渡された。

 ……今の俺の姿は、アイドルのライブ物販でグッズを買い込んだオタクのようだ。

 

「晴翔くんっ!」

 

 帆波が駆け寄ってきて、ぎゅーっと思い切り抱きしめられた。

 温かく柔らかい感触。視線が集まることを気にもせず、熱烈すぎるハグをしてくれた。

 ……いや、これも戦略か。こうしてほしいという欲求を刺激することが重要なのだろう。

 

「う、羨ましい……」

 

 千尋ちゃんは指をくわえて、とても羨ましそうに俺を見てくる。

 周りの生徒たちも同様の反応で、抜群の宣伝効果があったことを理解した。

 

 このシステムは、あまりにも恐ろしいものだ。きっと、生活を切り詰めて寄付している者も数多くいるだろう。千尋ちゃんが500万などという莫大なポイントを持っていたのも頷ける。

 薄ら寒いものを感じながら、俺と有栖ちゃんは教室を後にした。

 

『寄付なんてしなくても、私は一生ご主人さまのものだよ!』

 

 その直後、俺は自分の端末に送られてきたメッセージを見て苦笑いした。

 ……みんな、寄付したところで報われないぞ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 放課後には生徒会室を訪れた。なんだかんだ忙しい一日だ。

 

「よく来たな、まあ座れよ」

 

 南雲に促されて、椅子に腰かける。

 俺たちは、メールで呼び出しを食らっていた。理由を教えてくれなかったので、見なかったことにしようかと思っていたのだが、帰ろうとする直前に電話で呼び止められてしまった。

 さすがに、そこまでされると無視することは難しい。変なところで南雲の恨みを買いたくなかったというのもあり、こうして渋々やってきたのだ。

 

「で、何の用です?」

「ああ、林間学校での高城の動きを見て、一つ思いついたことがあったんだ。黙って進めてもいいのだが、お前らはいずれ生徒会に入る人間だから、共有してやろうと思ったのさ」

 

 一切入る気はないが、この男の中では決定事項らしい。なんともまあ、王様気分のクソ野郎だ。しかし、自分の意見は絶対であるという傲慢さ加減には、ある種の清々しさがある。

 

「ふーん、そうですか」

「……相変わらずの態度だな。わざわざ、俺はお前が退屈しないように考えてやってるんだ。もう少し感謝されてもいい気はするが……まあいい、さっそく本題に入るぞ」

 

 驚くべきことに、俺のご機嫌取りも兼ねているらしい。

 そんなに俺を生徒会に入れたいのか。ここまで評価が高い理由は、よくわからないが……

 こちらが難しい顔をしているのを見て、南雲はフッと軽く笑った。

 

「今月末、俺たちはちょっとした『イベント』を催す予定だ。卒業間近の三年生は対象外として、一年と二年のみでやろうと思う」

 

 そう言って立ち上がり、机上に置いてある数枚のプリントを持ってきた。

 企画書のように見えるそれは、南雲が作成したものと考えて間違いないだろう。

 

「3月の特別試験まで暇なので、ちょうど良いタイミングですね。何か増やすとか?」

「……特別試験を追加するのは、色々な意味でハードルが高い。教師や理事を説き伏せられるだけの理由がなければ、認められることはないだろう。だがイベントという形式であれば、生徒会の権限である程度コントロールすることができる。もちろん、強制参加にはしないつもりだ」

 

 どうやら強制ではなく、自由参加型であるようだ。これは、参加するメリットが大きい企画であるということを意味する。デメリットばかりのイベントなど、誰も見向きもしないからな。

 俺たちが理解したのを確認して、南雲は手に持ったプリントのうち一枚を手渡してきた。

 有栖ちゃんにも見えるよう意識しつつ、俺はその内容に目を通した。

 

 『クラス移動チケット』

 ・このチケットを使用した者は、同じ学年の他クラスに所属変更することができる。

 ・使用方法:今年3月31日までに、移動を希望するクラスの担任へ使用の意思を伝える。この期限が守られなかった場合、チケットは無効となる。

 ・同じ学年の生徒に対してのみ、チケットを譲渡・売買することができる。

 

「イベントで学年一位の結果を収めた生徒には、そこに書いてあるようなチケットを進呈する予定だ。なかなか面白いだろ?」

「……確かに」

 

 南雲の自慢げな顔がウザいとはいえ、正直めちゃくちゃ面白いと思ってしまった。

 なるほど、このルールならAクラスの生徒であっても獲得する意味がある。

 他人に売れるというのは大きい。帆波のクラスに行きたい一年や、南雲のクラスに行きたい二年など、数えきれないほどいるだろう。高額なポイントで取引されるのはほぼ確実だ。

 

「肝心のイベント内容だが、時間や労力を費やすようなものにはしない。今回の目的は、移動チケットに生徒がどういう反応を示すか実験することだからな」

 

 足を組んで、南雲は自分の意図を明かした。

 退学やクラス移動など、生徒たちの「動き」を活発化させたいという思いを感じるが、もちろんそれだけではないだろう。ある意味、このイベントは今後の布石になりそうだと思った。

 

「……会長は、2000万ポイントでのクラス移動についてどうお考えですか?」

 

 黙っていた有栖ちゃんが、口を開いた。

 

「あまり好んではいない。所持しているポイントというのは、必ずしも個人の実力に比例するものではないからだ。俺の考え方にはそぐわない制度だと思っている」

「わかりました、ありがとうございます」

 

 納得した様子で、有栖ちゃんは立ち上がった。手を差し出してきたので、俺も立ち上がってドアの方へと引いていく。長居は無用ってところか。

 

「……最後に聞かせろ。高城は自分が退学することになったとしても、何も感じないのか?」

「感じなくはないですが、特に傷ついたりはしませんね。それはそれで、ってことです」

 

 処分を受けて消えるよりは、めちゃくちゃにしてから自主退学する方が面白いだろうとは思う。しかし、その程度のものだ。しがみつくほどの価値を、俺はこの学校に見出していない。

 俺の答えを聞いた南雲は、顔を引きつらせてから有栖ちゃんの方を向いた。

 

「坂柳、お前も大変なんだな」

「最近は慣れてきました」

 

 二人が言葉を交わしたのを見てから、俺は生徒会室を後にした。

 慌てて寄り添ってくる有栖ちゃん。さらさらの銀髪が、一度大きく靡いた。



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第74話

「恵ちゃんが狙われてる?」

「2月には決行されるはずだ。いや、もっと早くなる可能性もある」

 

 その話を聞いたのは、休日に清隆の部屋を訪れた時のことだった。恵ちゃんは桔梗ちゃんを含めた女子グループでカラオケに出かけており、清隆が暇だというので遊びに来たのだ。

 龍園たちDクラスが、恵ちゃんを狙っているという。すでに退学した真鍋たち四人組から仕入れた、いじめられていた過去の話……それを悪用して、潰しにかかる案が浮上しているらしい。

 

「龍園くんも、終わりが見えてきましたね」

 

 温かいコーヒーを飲みながら、有栖ちゃんがつぶやいた。

 あまりにも冷淡すぎる発言に驚く。もう、興味の対象からは外れてしまったようだ。

 

「追い込まれた者ほど、過激かつ無謀な行動を取ろうとするものだ」

「ええ、私もそう思います。過激なことは結構ですが、リスクとリターンも考えられないのはいただけません。恵さん一人を潰したところで、具体的にどのような利益があるのでしょう?『結果を出す』ことにこだわりすぎて、進むべき道を見失っているとしか思えませんね」

 

 二人とも本当に厳しい。特に面白いわけでもないようで、有栖ちゃんの表情は冷たい。

 ……林間学校が終わってからというもの、Dクラスは完全にまとまりを失っている。つい先日も、クラス内でいざこざが起きたという噂が流れてきた。

 龍園のリーダーとしての座はぐらついており、クラス内部に裏切り者がいてもおかしくない状況となっている。清隆に計画をリークしてきたのは、おそらくそのあたりの勢力だろう。

 

「とはいえ、龍園が恵を暴力で屈服させようとする計画自体は以前にもあった。しかしそれは、一つのアクシデントにより頓挫した。奴にとっては、あれも誤算だったのだろうな」

 

 清隆はいつもの無表情で、そう言った。

 

「どうしてダメだったんだ?」

「……タイミングだ。龍園は終業式が終わった後、校舎の屋上に恵を呼び出そうとしていた」

「そこでボコるつもりだったんだな」

「そうだ。だが予想外なことに、当日の学校には過去最大級の厳戒態勢が敷かれてしまった。お前の父親が来るという、職員たちにとっての一大イベントがあったからだ」

 

 ……思い出した。終業式の日は、校舎内に残ることが禁止されたのだった。ホームルームの後、真嶋先生から唐突に伝えられたことをわずかに覚えている。

 俺には関係ない話だったし、言われるまで忘れていたようなことである。しかし、龍園にとっては大打撃。めちゃくちゃムカつく出来事だったのかもしれない。

 

「なるほどなあ……何がどう影響するかってのは、なかなか予想できないものだな」

「ああ、その通りだと思う」

 

 清隆は頷いてから、口をつぐんだ。

 ……この流れで彼の父親のことを聞こうかと悩んだが、やめた。

 あの日の話題が出てもなお語らないということは、そうしたい理由があるからだ。

 あくまでも受動的なスタイルを貫くことが、友人として最適な行動であるという判断。築き上げた信頼関係にヒビを入れないためにも、それは変えるべきではないだろう。

 

 しばらく沈黙が続いた後、清隆が俺の隣を凝視し始めた。

 

「……何だ、それは?」

「欲しい?」

「いや、必要はないが……」

 

 あえて触れないようにしていたが、気になりすぎたというところだろうか。

 俺が横に置いていたのは、この前千尋ちゃんから貰った帆波グッズだ。まさか自分の部屋に飾るわけもなく、手提げ袋に入れられたまま放置していたものを、今日はここに持ってきている。

 

「だったらさ、誰か欲しいやつを見つけて渡してやってくれないか?」

 

 とりあえず処理に困っているので、欲しい人にあげようと思っていた。しかしAクラスやBクラスでそういう行動を起こすと、波風が立ってしまう。そこでCクラスの誰かに渡すなり売るなりしてもらう前提で、清隆へプレゼントしようと考えたのだ。

 ポスターなんか50万の寄付が必要だし、希少価値は高いはず。欲しい人もいそうだが……?

 

「いや、やめておく」

 

 しかし清隆に受け取る気は無いのか、差し出した袋を突き返された。

 仕方ないかと思いながら、俺はおもむろに袋からポスターを取り出してみる。

 

「でも、よく出来てると思わない?」

「……確かに、完成度は高い。プロが作ったと言われても違和感が無いほどだ」

 

 清隆も全く興味がないわけではないらしく、まじまじと見つめている。

 俺たちが次々と手提げ袋から中身を取り出している、その時だった。

 ガチャリと、扉の開く音がした。

 

「ただいまー!」

 

 恵ちゃんが最悪のタイミングで帰ってきてしまった。

 場がしーんと静まり返る。有栖ちゃんは苦笑いを浮かべてから、目を伏せた。

 

「えっ……」

 

 部屋に入ってきてすぐに、恵ちゃんは言葉を失った。

 清隆の状態としては、両手に帆波の水着写真を持ちながら、机に広げられているポスターを見ているという感じだ。これは、やっちまったな。

 

「や、やっぱり一之瀬さんがいいんだ……ううっ」

 

 持っていた荷物を落として、へなへなと座り込む。

 その絶望的な表情は、彼女の過去を思い起こさせるものだった。

 

「待て待て、それは大いなる勘違いだ」

「ぐすっ、ごめんね。あたしなんか、一之瀬さんと比べたら魅力ないよね」

「大丈夫だから、落ち着いてくれ」

「でも、別れたくないよ……もっと頑張るから、捨てないで………うわああああん」

「オレはお前を見捨てない。今後如何なることが起きても、それは変わらない」

 

 泣き崩れてしまった恵ちゃん。それを見た清隆は焦った様子で、一生懸命に宥めている。

 これは悪いことをしたと思いつつも、その動きには驚いた。この男が、そんな「普通の彼氏」みたいな反応をするなんて……意外だった。少なくとも、駒としか思っていない相手にするような態度には見えない。まさか、恵ちゃんを欺くための演技なのか?

 いや、それは違うような気がする。今の清隆から、そういう冷たさを感じることはできない。この行動は本心からのものであると、今までの付き合いから推察した。

 

 もしかすると、清隆は本当に恵ちゃんのことが……?

 有栖ちゃんと顔を見合わせた。付き合っていくうちに彼の感情が変化していくと予想していたのは、結構前の話だ。そして、ここまでその通りに進んでいる。

 ……相変わらずすごい洞察力だなあ。と、俺は感心しきっていた。

 

 清隆による必死の慰めもあり、なんとか泣き止んでくれた。

 その後三人がかりで事情を説明して、やっと理解してもらうことができた。

 

「ごめんみんな。あたしったら、とんでもない早とちりを……」

「いや、俺が悪かったよ」

 

 カップルの部屋で出すようなものではなかったと、自分の非常識を反省した。

 謝った俺に、有栖ちゃんは「じとーっ」とした目を向けてくる。ごめんって。

 

「……だけど、一之瀬さんってマジで可愛いよね。あたしが男だったら、絶対惚れてると思う」

「まあ可愛いのは事実だ。けれど、あいつだって完璧じゃないぞ?」

「うそ。あたしには、何の欠点も無いように見えるよ。見た目だけじゃなくて、性格も良いし」

 

 帆波を称えるような言葉が続く。どうも、恵ちゃんはコンプレックスを感じているらしい。

 そういえば、二人は林間学校で同じグループとなっていた。共同生活を送るうちに、能力や人望という点で自分と大きな差があることを感じて、自信を失ってしまったのかもしれない。

 

「だとしても、恵ちゃんには恵ちゃんの良さがある。劣等感を持つのではなく、帆波とは違う自分の持ち味を出していけばいいんだ。そうだろう、清隆?」

「……ああ、オレも同意見だ」

 

 清隆が肯定したことで、恵ちゃんに笑顔が戻る。やっぱり彼氏様じゃないとダメなようだ。

 

「ありがとう、大好きだよ。きよたかぁ……」

 

 二人は見つめ合い、やがて熱いキスをした。

 はいはい、仲が良いようで何よりです。

 

 

 

 ラブラブな二人の邪魔をしたくないので、俺たちはそそくさと引き上げた。

 今日は気温が低いため、あまり出歩いては有栖ちゃんの心臓に悪い。そのまま部屋へと戻り、エアコンのスイッチを入れた。しばらくして、暖房が効き始めたのを確認してから上着を脱がせる。

 ベッドに腰かけて、ほっと一息ついた。有栖ちゃんと過ごす、この時間が落ち着く。

 

「結局、清隆はどうしたいんだろう?」

「わかりません。かつての彼であれば、間違いなく恵さんを餌にする方向に進むのでしょうが……『感情』を持った清隆くんは、以前よりむしろ読みにくくなりました」

 

 見事に龍園の計画を掴んだ後、どんな行動を起こすのか。これからの展開が予測できない。

 何か対策を打つことで、事件を未然に防ぐのだろうか。若しくはあえて実行させた上で決定的な証拠を握って、龍園をとことん追い詰めるつもりなのか。

 

「……少しだけ、恵さんを羨ましく思いました」

「えっ?」

「ふふっ、なんでもありません。私のことも、どうか捨てないでくださいね?」

 

 上目遣い。

 

「か、かわいい」

 

 思わずストレートな感想が口をついてしまった。たまに見せる、小動物的な一面の破壊力はすさまじい。その愛らしさに俺は衝動を抑えられなくなり、小さな身体を思い切り抱きしめた。

 

「……好きです」

 

 有栖ちゃんは目を閉じて、俺に身を任せてきた。

 なんだかむずむずしてくる。刺激されているのは庇護欲か、それとも……?

 華奢ながらも柔らかい肉体は、か弱い乙女という言葉そのものである。首周りが少し汗ばんでいるのは、暖房が効きすぎているからだろうか。

 そして人形のように整った顔は紅潮しており、艶やかな髪もどこか扇情的で……

 

(そうか、そうなんだよな)

 

 有栖ちゃんは、俺が守るべき存在である。常にそのことを意識しながら、十三年にもわたる日々を過ごしてきた。そのため俺たちの関係はほとんど家族と言っていいもので、恋人という立場でありつつもどこか妹のように考えている自分がいた。

 しかし、この子も一人の女の子なのだ。異性として意識されたい時もあるだろう。

 

「キスしていい?」

「ええ、もちろんです……あっ」

 

 いつもよりも強引に、唇を奪ってみる。

 長年の関係性を変化させるというのは、そう簡単ではない。だが、有栖ちゃんがそれを望むのであれば……とも思う。さらに言うと、彼女が持つ夢は俺の意識改革無しでは成立しない。

 

「……あのさ」

「ふふっ、今すぐに『それ』は難しいですよね。これまでの積み重ねもありますから。ですが、あなたが本当に私のことを欲しくなった時は……いつでも捧げますよ?」

 

 何を示唆しているのかわからないほど、鈍くはなかった。

 この日、俺は生まれて初めて「異性として」有栖ちゃんを見たのかもしれない。

 

 ……その時が来たら、絶対に優しくしよう。

 少しだけ関係がステップアップした、そんな夜だった。



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第75話

 いつも応援ありがとうございます。お待たせしました。
 ここからの構想を練るのに、時間がかかってしまいました。


 その男が俺の前に現れたのは、寒さが厳しい日のことだった。

 

「……高城晴翔。お前は、南雲という男のことをどう捉えている?」

 

 堀北学。前生徒会長が、夕方の校舎で問いかけてきた。

 答えるのが難しい質問だ。好きとか嫌いとか、そういう話がしたいわけではないだろう。「どうでもいい」という回答に納得しそうな感じでもない。ぶっちゃけダルい。

 

「うーん……」

「奴の危険性は、理解できているのだろう?」

 

 ちらりと有栖ちゃんの方を見る。堀北兄を観察することに力を入れているのか、俺とは視線が合わない。これは自分でどうにかするしかなさそうだ。

 

「まあ、実力の無い人間を退学させたいという意志は見えますね。しかも徹底的に」

「だからといって、敵対するつもりはないのか」

「そうですね。あえて対立しようとは思いません」

 

 微妙な答えを続ける。嘘をついているわけではないが……

 さっきから、この男が何を言いたいのかが理解できない。とはいえ、怒らせてお得意の物理攻撃を受けることは避けたい。ここでは下手に刺激したくないというのが本音だ。

 

「では、南雲が次にやろうとしている『イベント』とやらも見過ごすつもりか?」

 

 少し雰囲気が変わった。質問の内容にも具体性がでてきて、本題に入ったというところか。

 さて、どう答えたものか……

 

「見過ごすも何も、そのイベントの詳しい内容を知らないのでなんとも言えません」

「そうか。だが、あの男が主催するものだ。確実に退学者が出るぞ」

 

 これは……知ってるな。今月末に行われる企画を知った上で、俺の意見を聞こうとしている。その上、情報公開をするつもりもないと来た。なかなかムカつくことをしてくれるじゃないか。

 

「……自由参加と言っていた気がしますが」

「勝者に対する莫大な報酬をエサにして、『自主的に』参加させるに決まっている。むしろ、建前上は自由参加であることを免罪符とするだろう。甘い条件で釣るのは、奴の常套手段だ」

 

 ああ言えばこう言う。正直しつこいと思ってしまった。

 ……もしかして、こいつは俺に南雲を止めてほしいのだろうか。だとすればお断りだ。

 俺は、上級生同士の争いには干渉したくない。その立場を明確にしておく必要がある。

 

「堀北さんが何と言おうとも、俺はこの件に深入りする気はありませんよ。そもそも、メリットもないのに生徒会と対立するわけがないでしょう。無駄に生徒会長の不興を買うのは、百害あって一利なしです。それはあなたが一番ご存じなのでは?」

 

 自分の考えを強く主張して、話を終わらせた。取り付く島もないと判断したのか、堀北兄は無言で立ち去っていった。プレッシャーから解放されて、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 できれば二度と会話したくない。ただ、清隆と何かしらの取引をしているのは知っているので、あっちに悪影響を及ぼさないことを祈る。それだけが懸念事項として残った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その夜、ひよりがうちに遊びに来た。

 

「Aクラスには慣れましたか?」

「おかげさまで、溶け込めています」

 

 有栖ちゃんと二人、世間話をしている。

 その間に俺はマグカップを用意して、ティーバッグのコーヒーにお湯を注ぐ。普段は緑茶好きなのだが、今日はこっちの気分だった。ひよりも好きそうだし、ちょうどいい。

 

「味は微妙かもしれないが、どうぞ」

「あっ、ごめんなさい。こんなことをさせてしまって……ご主人さま?」

 

 コーヒーに口をつけた後、優しい笑顔から強烈な言葉が放たれた。

 その衝撃は大きく、俺はぶーっと吹き出してしまった。

 

「や、やめろ。そういうことを言う奴は、一人で十分だ」

「ふふ、冗談です。私とそのような関係を望んでいないことは、わかっていますよ」

 

 ……望んでいたらどうするつもりだったんだ?

 相変わらずつかみどころがない。それも彼女の魅力ではあるのだが、やはり調子が狂う。

 

「ところで、前に言ってた『Aクラスの課題』ってのは、どんなものなんだ?」

「そうですね……」

 

 彼女が以前言っていたことを問いかけてみると、何やら考え始めた。

 数秒間の沈黙。少し躊躇った様子を見せてから、再び口を開く。

 

「……考え方の甘い人が多いです。帆波さんの言うことだけ聞いていれば何も問題ないという発想が、クラス全体に蔓延しています」

 

 ひよりの考察は、的を射たものだった。客観的に見れば、確かに良い状態ではない。

 だが、4月からずっといたメンバーからすれば、帆波に従ってさえいれば安泰だという考え方が生まれるのは当然ともいえる。実際素晴らしい結果が出ているし、無理もないだろう。

 

「危機感がないといえば、よりわかりやすいでしょうか。しかし、私はその『甘さ』に救われた部分もあるので……難しいところですね。ただ、帆波さんの指示がなければ動けないという状況は、結構ハイリスクだと思います」

 

 彼らが甘くなければ、この学校には残れなかった……ひよりはそう思っているようだ。明確な弱点と理解しつつも、それがあったから今の自分がいる。だから言い出しづらいし、悩ましいのだ。

 そもそも、生徒一人を助けるために300ものクラスポイントを支払うなどという行動は、余裕があるからできることだ。例えばBクラスとの差が300未満だった場合、同じ選択をできたかというと……微妙なところである。

 無論、帆波の指示であれば無条件で通るだろうが、ここまで穏やかに終わったとは思えない。

 俺は納得したが、ここで一つ思ったことがあった。

 

「……千尋ちゃんのことは、どう思う?」

 

 Aクラスの中でも特別な生徒。ある意味帆波以上に異質なのが、千尋ちゃんである。

 少なくとも、彼女は甘い考え方を持っていない。ひよりとは上手くいきそうだが……?

 

「千尋さんは、このクラスに必要不可欠な方です。万が一彼女が退学するようなことが起きれば、現体制が崩壊してしまうかもしれません」

「同感だ。あの子って、もはや帆波と同レベルの存在だよな」

「はい。しかし、今の雰囲気を作り上げてしまった元凶でもあります。クラス全体が帆波さんのイエスマン化している状態。これは、まさに彼女の望んでいる形ですから」

 

 是々非々といったところか。

 それにしても、たった一週間程度でここまで内情を把握するとは……そのリサーチ力と観察力には敬服するばかりだ。龍園は惜しい存在を失ったな。

 黙って聞いていた有栖ちゃんが、嬉しそうに微笑んだ。可愛い。

 

「ふふっ、やはりひよりさんは素晴らしいですね」

「……有栖さんに、そこまで言っていただける程ではありませんよ」

「いえいえ、そんなことはありません。ですが、一つだけ訂正させていただきます……あのクラスの現状は、決して千尋さんだけの手で作り上げたものではありません。元を辿ると、私たちの行動から生まれたものです」

 

 これは驚いた。まさか、全ての種を明かすつもりだろうか。

 有栖ちゃんの言葉を受けて、俺は聞く態勢に入る。

 

「少し、過去のことをお話ししましょう」

 

 そう前置きをしてから、俺たちと帆波の間で起きた出来事を包み隠さず話し始めた。

 入学間もないころの話から始まり、1学期の中間テストや船上試験、そして心が折れてしまったあの日のこと。一之瀬帆波という人間をめぐるイベントを、一つ一つ説明していく……

 

 

 

 そして、数分間かけて話し終えた。その間、俺は何とも言えない懐かしさを感じていた。こうして過去のエピソードを振り返ってみるのも、たまにはいいかもしれない。

 

「ありがとうございました。まだまだ、把握し切れていない部分も多かったようです」

 

 ひよりは突然のことに驚きながらも、内容はしっかりと理解している。

 急な展開についていけないが、俺にも一つだけわかったことがある。

 

 有栖ちゃんは、ひよりのことをものすごく気に入っている。

 

 これを前提とすれば、最近の行動や考え方の変容についても合点がいく。

 ひよりを評価しているからこそ、それを潰すような方針を取った龍園に失望したのだ。

 自分の目は節穴だった。そこまで好んでいない?とんでもない。

 ……かつて言っていたじゃないか。「ジョーカーになりうる」存在だって。

 

「ずっと前から、ひよりさんに本気を出してほしいと思っていました。この際、正直に言いましょう……私は、あなたなら帆波さんのクラスを叩き潰せると考えていたのです」

 

 さすがにこれは予想外だったのか、ひよりは驚きを隠せない。

 つーか、俺もびっくりだよ。それはそれで面白かったかもなあ……

 

「そのプランは、あなたを正当に評価できなかった愚か者のせいで消滅してしまいました」

「……さすがに過大評価ですよ」

「過大ではありません。もしあなたがDクラスのリーダーとして活動していれば、今ごろ彼女たちはAクラスから陥落していたと思います。本当に、龍園くんはつまらない人間です。彼に少しでも期待した自分の見る目がなかったと、私は後悔しています」

 

 かなり過激なことを言っている。表に出していなかっただけで、相当怒っていたみたいだ。

 よしよしと撫でてやると、ぷうっと膨らませていた頬がしぼんだ。怒り方も可愛いな。

 

「有栖さんの考え方は、わかりました。ですが……」

「ええ、わかっていますよ。今のひよりさんは、大きく立場が変わってしまいました」

 

 残念そうに、とても残念そうに有栖ちゃんはため息をついた。

 今さらどうしようもできないと理解して、ひよりも黙ってしまう。

 しばらくの間、やや気まずい時間が続いた。

 

 

 

 次に言葉を発したのは、有栖ちゃんだった。

 

「ここまで言っておいてなんですが、今の状況はそう悪くないとも思えるのです。Dクラスにいる限り、ひよりさんが日の目を見ることはなかったでしょうから」

 

 それは間違いない。ひよりがカースト最下位であるという状態は、環境を変えない限り脱出が難しいものであったからだ。彼女にあそこに溶け込むことは、非現実的であった。

 

「これも全て、晴翔くんのおかげです。返しきれないほどの恩であると思っています」

「……私の考えの中から、『ひよりさん自身がどう感じるか』という視点が抜け落ちていたことを、林間学校では理解させられました。ですから、これはこれでよかったのです」

 

 そう言って、有栖ちゃんはひよりとの距離を詰めた。

 

「どうぞ活躍してください。私も晴翔くんも、もうAクラスを止める理由はありません。逆に、どこまで独走するか……その先で何が起きるのか、私は興味があります。今の2年生のようなディストピアが出来上がるのか、学校全体を巻き込んだカルトが生まれるのか。想像もつきません」

 

 やや興奮気味に語る。純粋に、楽しいと思っているのだろう。

 ひよりは気圧されながらも、深く頷いた。

 

(……マジで、帆波の銅像が建つかもしれないな)

 

 帆波教の行く末に興味があるのは、俺も同じだ。理事長には悪いが、今後も特に介入することなく、傍観者として楽しませてもらおうと思う。

 こうなったら、もう止められそうにない。帆波に言うことを聞かせることはできても、千尋ちゃんを筆頭とする狂信者の集団をコントロールすることはできない。一つの行動を帆波の勅命で止めたところで、神として扱われている現状を覆すには至らないのだ。いわば、何をやっても対症療法にしかならない状態。

 ひよりはきっと活躍するだろう。しかし、彼女の類稀なる洞察力で見つけた「病巣」を治療することは、もはや不可能だと感じた。

 

「……あんまり、張り切りすぎるなよ」

「えっ?」

「俺は、ひよりが快適な学校生活を送れればそれでいい。多分お前は帆波に染まらないだろうし、あの集団に対して違和感を覚えることもあるだろうが……無理はしないでほしい」

「晴翔くん……」

 

 救われた手前、クラスへ貢献するために頑張ろうと思うのは仕方がないことだ。しかし、そのプレッシャーに押し潰されるようでは、助けた意味がなくなってしまう。

 ……これは、帆波に釘を刺しておいた方がいいかもしれない。そう俺は思ったのだった。

 




 満場一致試験ぐらいまで行けば、また原作に沿えるかもしれませんが……
 しばらくは、ある程度エピソードを拾いながらという形になると思います。


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第76話

「よし、これでいいや」

 

 俺は教室に、二枚のポスターを貼った。帆波の可愛らしい微笑みが輝いている。

 部屋に飾る気は起きないが、だからといって埃を被らせておくのは忍びない。このクラスはAクラスの植民地ということもあるし、ポスターの処理としては最も都合がいいと思った。

 何より教室に掲示するのはAクラスでもやっていることだから、ここに貼ったことを批判などすれば異端審問は免れない。誰からも文句は出ないだろう。

 

 ガラガラ、と教室の扉が開いた。今から行われるホームルームのため、真嶋先生が中へ入ってきた。帆波ポスターを見てぎょっとした後、ため息をついてから口を開く。

 

「……今日は、今月末に行われるイベントについて説明する。これは生徒会が主体となって企画したものだが、学校側としても報酬などの面で協力している」

 

 やはり、南雲が言っていた件のようだ。

 イベントという軽い感じの単語に、生徒たちが疑問の声を上げる。

 

「特別試験とは違うんですか?」

「違う。もちろんこの学校で行われるものである以上、参加者同士で優劣をつける形式となるが……大きく違うのは、自由参加であるという点だ。ルールを聞いた上で納得のいかないものであれば、参加を拒否する権利が与えられている」

 

 これに関しても聞いていた通りの内容であったため、俺と有栖ちゃんに驚きはない。

 教室が静かになったのを確認してから、真嶋先生はイベントのルールが記載された冊子を配っていく。おそらく、あの時に南雲が持っていたものの完成版だろう。

 それを受け取った俺は、ペラペラとめくりながら内容を読んでいく。

 

 『お年玉イベント』

 ・各生徒に、3票の賞賛票と1票の批判票を投票する権利が与えられる。

 ・イベントに参加する意思のある生徒は、規定の投票用紙にそれぞれの投票対象とする生徒の名前を記入し、1月31日までに担任教師へ提出する。

 ・複数回の投票を行うことはできず、他人の投票用紙を利用することもできない。

 ・賞賛票・批判票のいずれも自分が所属しているクラスの生徒に投票することはできない。

 ・不参加者に対する投票は全て無効となる。

 

 要は、好きな生徒3人と嫌いな生徒1人を見つけなさいということだ。

 そして後ろの方に、最も大事な部分……イベント報酬が記載されている。

 

 ・自分に投じられた賞賛票1つにつき、10万プライベートポイントが報酬として与えられる。

 

 ……これはすごい。批判票の数に関わらず、ポイントが支給されるのか。このルールであれば、他クラスの生徒1人と組めば確実に10万は保証されるし、違うクラスの生徒を複数人引き込めばどんどん報酬が増加していく。極端な話、A~Dクラスの生徒1人ずつで4人チームを作れば全員が30万を受け取れる計算になる。お年玉の名に違わぬ大盤振る舞いだ。

 これだけでも興味深いイベントだが、今回のメイン報酬は違うところにある。

 

 ・さらに、賞賛票から批判票を差し引いた数値(以降、『得点』と記載)に応じて、以下の報酬が与えられる。

 

 ①各学年上位10名の『得点』を記録した生徒には、上記とは別に20万プライベートポイントが与えられる。

 ②学年で最も高い『得点』を記録した生徒には、クラス移動チケットが贈呈される。

 

 南雲が以前語っていた、クラス移動チケットが目を引く。やはり報酬に入れてきた。

 チケットの概要が別ページに記されているが、それは俺があの日に見たプリントと同じ内容であった。特に変更を強いられるようなことはなかったらしい。

 ここまでは予想通りだが、南雲はただ甘いだけのイベントを企画するような人間ではない。

 問題となるのは、最終ページに書かれている内容だ。

 

 ・『得点』が学年最下位となった生徒は、2000万プライベートポイントを失う。

 

 たった一行で記された、唯一のペナルティが目に入った。最も嫌われている生徒に課される、シンプルかつ凄まじく重い罰。これをどう捉えるかが、参加の意思に大きく関わってくるだろう。

 冊子を読み終わった生徒が増えてきて、雑談の声が大きくなる。それを見た真嶋先生は一度パンと手を叩き、注目を集めた。

 

「一通り目を通せただろうか。いくつか重要な補足事項があるから、まだ読み終わっていない生徒もいったん話を聞きなさい」

 

 場合によっては莫大なポイントを獲得できるイベントとあって、Bクラスでも関心は高い。珍しく真剣に、真嶋先生の話に聞き入っている。

 

「このイベントの結果により、クラスポイントおよび個人の生徒評価に影響を及ぼすことは一切無い。当然不参加でもペナルティは発生しないし、成績が芳しくなくともそこに書かれている以上のことは起きない。今から投票用紙を一人一枚配るが、不参加を決めた者は遠慮なく破棄してくれ」

 

 学校側の立場を明確にした。あくまでも生徒が決めたこと、というスタンスなのだろう。

 

「もし最下位の生徒が2000万ポイントを支払えなかった場合、どうなるのでしょう?」

「それは主催者の判断に委ねられる……おそらく、生徒会長が決定権を持つことになるだろう」

 

 葛城の質問に、真嶋先生はすかさず答えた。

 ……南雲の考え方として、実力の無い者はこの学校から去るべきだというものがある。最下位になった生徒は、その思想を知らしめるための「生け贄」とさせられる可能性が高い。

 つまり、わずかな確率とはいえ退学がかかっているということだ。それをどれだけの生徒が理解しているかはさておき、俺にとっては強烈なインパクトのあるものであった。

 

 何にせよ面白い。こんな楽しそうなイベント、妨害するわけがない。

 堀北兄には悪いが、先日の話は聞かなかったことにさせてもらう。

 投票用紙をカバンにしまって、俺は席を立った。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 俺たちはさっそく帆波の部屋で、作戦会議を始めることにした。

 

「とりあえず、俺は参加するつもりだ」

「ほとんどの生徒には、得しかないもんね。私はどうすればいいかな?」

 

 帆波は賞賛票を多く集めるだろうが、組織的な批判票のターゲットにされる可能性が高い生徒でもある。万が一退学にでもなったら、とんでもないジャイアントキリングになるからだ。

 ……林間学校で2000万ポイントを使用した以上、最下位のペナルティを払えるはずがない。そういう風に、他クラスの生徒は見ているだろう。

 

「参加するのであれば、Bクラスの生徒を活用して帆波さん自身に賞賛票を集めたほうがいいでしょう。さらに、CクラスとDクラスを結託させない工作も必須です」

 

 有栖ちゃんも、概ね俺と同じ意見を持っているようだ。

 

「……俺も『アイドルキラー』なんて言われるぐらいだから、知らないうちに恨みを買ってそうな気がする。案外俺が退学になったりしてな」

「そんなことは絶対に起きないから、大丈夫だよ」

 

 半分冗談だったのだが、食い気味に帆波が反応した。圧が強くてちょっと怖い。

 

「お、おう」

「うちのクラスは、全員が晴翔くんと有栖ちゃんに投票する。もう決めてるの」

 

 そうなると、プラス41点は確定か。仮に俺が誰かから嫌われていたとしても、さすがにそんな大人数ではないだろうし……心配はなさそうだ。

 その上、410万ものポイントを獲得できる。100万寄付したのがはした金みたいに思えてくる。

 

「では、問題は誰に批判票を投じるか……ですね。私としては、CまたはDクラスの生徒一人に集中砲火すべきだと思います。AクラスとBクラスでマイナス80点ですから、受けた生徒がペナルティの対象になる確率は極めて高くなります」

 

 その生徒がイベントに参加している前提ですが、と有栖ちゃんは付け加えた。

 この策は、Aクラス連合の生徒たちを守ることにもつながってくる。誰かにマイナスを集めるということは、自分が最下位になる可能性がほぼ無くなるのと同義だ。

 

「にゃるほど……でも、選ぶのが難しそう。龍園くんみたいな、あからさまに批判票を受けそうな生徒はきっと参加しないよね?」

「そうですね。期限までに、誰が参加するのかを見極めることがポイントかもしれません」

 

 自由参加であること。それ自体にゲーム性があるというわけだ。

 リスクがあるとはいえ、得られる報酬はかかる手間に対して破格すぎるもので、誰にとっても魅力的なものである。下位のクラスの生徒であれば、特にそう思うだろう。

 Cクラスの戦略も気になるところではある。明日以降、清隆にも話を聞いてみよう。

 

 それにしても、楽しいイベントを企画してくれたと思う。南雲への好感度が少し上がった。

 ……だからといって、生徒会に入るつもりはないが。



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第77話

 次の休日、俺は清隆の部屋を訪れていた。

 

「そっちのクラスは、どんな感じ?」

「……龍園から契約を持ち掛けられている。それを受けるか否か、意見が分かれている状況だ」

 

 清隆は表情を変えずにそう言った。

 このイベントの特徴として、投票が匿名ではないというものがある。提出する際、投票用紙には必ず自分の名前を書かなければならないことになっているのだ。

 その理由は、不参加者の投票用紙を利用するような行為を防ぐためだと思われる。もし無記名であれば、投票する権利の売買ができないというルールが有名無実化しかねない。

 ……したがって、誰が誰に投票したか、後で調べればわかるようになっている。それはつまり、投票内容をめぐって契約などを結んだ場合、反故にすることができないということだ。

 

「あたしは受けちゃってもいいと思う。損は無さそうだし」

 

 恵ちゃんが意見を言った。

 この子個人としては、龍園の契約に対して悪い印象を持っていない様子。

 

「……結構前のことだけど、龍園は無人島で葛城をハメた過去があるんだ。本当に穴がないか、一度精査した方がいいと思うよ」

 

 念のため、注意しておいた。

 清隆がいる以上、そうそうおかしなことにはならないと思うが……

 

「あー、龍園ってそういう奴よね。清隆はどう思う?」

「オレは、正直どちらでもいいと思っている。今回は恵の判断に委ねたい」

 

 これは驚いた。清隆自身は、今のところ傍観する方向で考えているらしい。

 この態度から察するに、少なくとも致命的な結果を招くような契約ではないのだろう。

 

 2000万ポイントを失うのが誰になるか。このイベントの面白さは、その一点に尽きる。

 帆波が誰を批判票のターゲットとして選択するか、そしてそのターゲットとなった生徒はイベントに参加してくれるのか。Aクラス連合にとっては、そこが大きなポイントとなる。もし不参加生徒を選んでしまった場合、Aクラスに被害が及ぶ可能性もあるからだ。

 そのため、威力が下がることを承知でAクラスとBクラスで違う生徒を攻撃することも選択肢に入ってくる。ただし、そうした場合はCクラスとDクラスが結託した場合に負けてしまう。

 

 ……うーん、わからない。

 いろいろ考えつつ話し合いを続けたが、あえて契約の内容は聞かなかった。

 ヒントを得るのは、もう少し後でもいいと思ったのだ。

 今はまだ、考えることを楽しみたい。せっかくのゲームは遊ばなければ損だからな。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 部屋に帰ってから、有栖ちゃんがつぶやいた。

 

「……南雲雅が何をしたいのか、見えそうで見えません。そこが少し気持ち悪いです」

 

 南雲の目的、か……

 きっと、あの男はイベントで莫大なポイントを手にするだろう。おそらく、クラス移動チケットも自分自身が獲得する結果となる。そんなことは簡単に予想できるが……ただポイントが欲しいだなんて、単純な目的で動くような人間ではないのは明白。  

 もっと奇抜なことを企んでいてもおかしくないし、俺もそれを期待している。

 

「邪魔な人間を退学させるとか?」

「それも無くはないですが……誰かを退学へ追い込むためだけに行うものとしては、微妙なイベントです。もちろん、複数ある狙いのうちの一つである可能性は十分にあります」

 

 有栖ちゃんの言う通りだ。そもそも、『2000万ポイントを払えなかった場合は退学』とはどこにも書いていない。退学者を出したいのであれば、あえて抜け道を作るようなルールを制定する理由はないだろう。では、どうするつもりなのか……まだわからなかった。

 そうこうしているうちに、俺の端末から通知音が鳴った。

 

「……おっ、帆波だ」

 

 相談したいことがある、との一文。おそらくイベント絡みで何か起きたのだろう。

 俺と有栖ちゃんは、帆波の部屋へと向かった。

 

 

 

 外では雪が降り始めていた。このまま降り続ければ、明日の朝は積もっているかもしれない。

 寮のエレベーターの中で、かじかむ手を擦り合わせてみる。今日は本当に寒い。

 吐く息は白く、身体がぶるぶると震える。この気温で歩き回るのは有栖ちゃんの身体にも負担だろうし、今日の夜は桔梗ちゃんと一緒に料理でも作ろうかな。

 

 インターホンを鳴らし、帆波が出てくるのを待つ。

 

「あっ、寒いのにごめんね」

 

 扉を開けて、帆波は申し訳なさそうに頭を下げる。

 部屋へ入ると、マグカップに温かいコーヒーを用意してくれていた。一口飲むと、温度と香りが冷えた身体に染み渡っていく。熱いカップに触れた手には、感覚が戻ってくる。

 

「お気遣いありがとう。今日はどうしたんだ?」

「あのね、実は……」

 

 帆波は困惑した様子で、端末の画面を見せてきた。

 そこにはAクラス内のグループチャットが表示されている。千尋ちゃんと神崎が主体となって、議論を交わしているようだった。

 その議題は、龍園から持ち掛けられた契約について。あの男はCクラスのみならず、Aクラスにまで手を伸ばしていたらしい。思った以上に積極的な行動を見せている。

 

「……龍園くんが、今度のイベントで自分と伊吹さんに賞賛票を入れろって言ってきたの」

「おおっ、それは面白い。あいつが参加するとは……」

 

 絶対に参加しないと思われていた男が、参加するということだけでも驚きだ。そして奴は、Aクラス41人分の賞賛票まで要求してきたという。伊吹にも投票することになれば、合計820万ものプライベートポイントを獲得できる。直接的な負担ではないとはいえ、相応の対価は必須だ。

 

「その代わり、無人島であの時のAクラスと結んだ契約……まあ私たちが払っているようなものなんだけど、それを私に譲渡してくれるんだって。ポイントだけ考えたら、かなり得だよね」

 

 元Aクラス……もとい帆波が毎月支払うポイントは、戸塚の分を差し引いても合計74万に及ぶ。卒業までそれが続くと考えれば、820万で権利を貰えるのは破格と言っていい。1年で元が取れてしまう計算だ。これは、龍園にとってもかなりの妥協であるといえる。

 

「そこまでして、今現在のプライベートポイントが欲しいのか」

「そう。それがものすごく不気味で、どうしよっかなって」

 

 帆波は頬に手をやって、悩んでいる。

 

「……3票のうち2票がDクラスに取られるということは、自由に投票できる賞賛票は1票になってしまいますね。つまり、私と晴翔くんの両方を保護することはかなわなくなります」

 

 有栖ちゃんが述べた意見は、俺の頭に浮かんでいないものだった。

 Aクラスの賞賛票無しでDクラス35人の批判票を受ければ、最下位を取る確率はかなり高くなる。奴がそれを狙うかはともかく、俺たちの参加リスクが大幅に上がるのは間違いない。

 

「確かにそうだね。私たちがポイントを支払うわけじゃないと思ってたけど、そういうリスクもあったんだ……うーん、難しい」

「はい。ただし、それがあるからといって話を蹴るべきではありません。契約を結んだからといって、一人の生徒へ批判票を集める方針に影響を及ぼさないのです。お互いがぶつかった時、勝利するのは人数で上回るAクラスですから。私なら迷いなく受けます」

 

 どう動いたところで、Aクラスから最下位の生徒が出る可能性をゼロにすることはできない。ならば何かしらのトラップがあることを承知の上で、龍園の契約を受けるのも一興だ。有栖ちゃんは、そういう考えをもっているらしい。なかなかアグレッシブでいいと思う。

 

「結局、誰が参加するかを見極めないことには始まらないってことだよね。もし私がこの契約を結ばなければ、きっと龍園くんは参加してこないだろうし……」

「ふふ。何よりも、結んだ方が面白い。そうですよね?」

 

 ここで有栖ちゃんは俺の方を向いて、問いかけてきた。

 本当に俺のことをよく見ているし、わかっている。さすがだな、と思いながら頷いた。

 俺の反応で決心がついたのか、帆波は端末を操作し始めた。神が意思を示すのだろう。

 

「わかった。受けることにするよ」

「それがベストです。今後の戦略はいったん棚上げして、また後日話し合えばいいのです。行動に制限がかかるような契約は気を付けなければなりませんが、そういう類のものではありません」

 

 話は決まった。

 最悪、批判票を避けるために俺と有栖ちゃんのどちらかが参加しないという選択肢もある。そんなことはDクラスもわかっているだろうし、俺たちの片方に票を集めるというのは、考えてみればかなり勇気がいる作戦だ。あいつのことだから、やってこないとも言えないが……

 ……まあ、結局のところ有栖ちゃんの言葉が全てである。

 

「これから楽しくなりそうだ」

 

 俺がそう結ぶと、二人はにっこりと笑った。



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第78話

 翌日の放課後。

 Bクラスの教室は、沸いていた。

 

「じゃあ、みんなの名前を書いてもらえたところで……決まりだね」

 

 帆波はかわいらしく笑い、総勢39人の名前が書かれた契約書を手にした。

 生徒たちが盛り上がっている理由はただ一つ。夏以降長い間このクラスを蝕み続けてきた、龍園との契約がついに無効となったからだ。

 たった今、Bクラスが結んだ契約の内容はいたってシンプル。イベントで全員が帆波へ賞賛票を入れる代わりに、Aクラスが毎月2万ポイントを全員へ支給するというものだ。これが権利を譲渡された無人島の契約を打ち消す結果となり、プライベートポイントのやり取りが終了する。

 まあ、元から負債のない俺と有栖ちゃんは、単純に2万を貰えるだけの契約になるのだが……それは今さら感が強い。

 

「これで、龍園くんの呪いからは解放された。だけど……私は、Bクラス全員にポイントを贈ることは、今後も続けたいと思うんだ。私を支えてくれるみんなの想いに、報いたいから」

 

 帆波の温かい言葉。優しい声色と、その美貌。

 それらが絡み合って、教室にいる生徒たちの心を掴む。ここまでしてもらったからには、忠誠を尽くさなければならない……Bクラスは、命令がなくとも自主的に帆波へ従う集団と化した。

 その後千尋ちゃんが入ってきて、詳しい説明がなされた。帆波の「善意」により、今後はAクラスのクラスポイント×10ポイントが毎月与えられることになるらしい。

 

「さすが一之瀬さん!」

「ありがとう!」

 

 帆波を称える言葉が飛び交う。その光景はどこか宗教的で、少々不気味なものだった。

 俺と有栖ちゃんは席を立ち、そそくさと教室を退出した。

 

 

 

 学生寮までの帰り道、有栖ちゃんは自分の端末とにらめっこしていた。

 ただでさえ危なっかしいのに歩きスマホなんて、心臓に悪いからやめてほしい。

 しかし、一度興味を惹かれたら突き詰めるまでやめないのがこの子の性格だ。俺はがっちりと肩を抱いて、危険がないように努めた。

 

「……おや?」

 

 有栖ちゃんが呟く。見ているのは、Aクラスのグループチャットだ。

 昨日の夜に帆波から招待されたため、他クラスではあるが俺たちも参加している。

 

「どうしたの?」

「龍園くんと帆波さんの契約なのですが、条項が追加されていたようです」

 

 下の方を見てください、と有栖ちゃんは俺に端末を手渡した。一度立ち止まり、画面をスクロールする。アップされた契約書の画像の下部に目をやると……

 

 ・Aクラスの生徒は、Dクラスの生徒に批判票を投じない。

 ・Dクラスの生徒は、Aクラス及びBクラスの生徒に批判票を投じない。

 

「なんぞこれ」

 

 表現が難しいが、なんとも「帆波っぽい」内容だと感じた。どちらから持ちかけたのかはわからないが、最終的な話し合いの場で決まったことは間違いなさそうだ。

 

「帆波さんは恐ろしい人です。本当に、晴翔くんのことしか見ていない……」

 

 こんな縛りをつけた理由は、非常にわかりやすい。俺たちの安全を確保するためだ。

 その目的は達成できるだろう。Dクラスの批判票さえ回避できれば、あとはCクラスのみ。彼らの動きに関しては、清隆や桔梗ちゃんがある程度コントロールしてくれる。

 龍園からしても、クラス全体がAクラスの攻撃から守られるというのはメリットが大きいはず。これはもう、実質的な停戦協定のようなものだ。

 ……しかし、Bクラスまで批判票の対象から外してくれるとは思わなかった。

 

「だけどこれって、遠回しにCクラスを攻撃するって言ってないか?」

「そうですね。私の中では、少しずつ全体像が見えてきました」

 

 有栖ちゃんは答えに近づいているようだが、俺は今のところさっぱりである。

 いろいろと話しているうちに、寮のエントランスへ到着した。

 ちょっと頭がこんがらがっている。一度ゆっくりして、考えを整理したいところだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ベッドに寝転がりながら、俺は思考に耽る。

 行動に制限がかかるような契約には気をつけろ。これは昨日の有栖ちゃんの言葉だが、帆波と龍園はまさにそんな契約を結んだことになった。しかも、若干龍園の方が不利なものである。

 そこまでポイントが欲しかったのか、もしくは別の目的があるのか……

 考えながらしばらくゴロゴロしていると、桔梗ちゃんと清隆が一緒に部屋を訪ねてきた。

 

「晴翔くん、会いたかったよ!」

「桔梗ちゃん。これまた、珍しい組み合わせだな」

「そうかな?エレベーターで偶然会ったんだ」

 

 特に仲が悪いわけではないようだが、あまり絡んでいるところを見かけない。

 お互いにあまり興味を持っていない……俺は、そんな風に感じていた。

 

「オレは、今後のことを話し合うために来た。櫛田にも関わる話だから、丁度よかった」

 

 清隆は無表情で話を切り出した。

 とりあえず二人に座るよう促して、飲み物の準備をする。

 

「昨日の話の続きですね?」

「ああ、そうだ。恵は龍園との契約を結ぶことを選択した」

 

 有栖ちゃんの問いに、清隆は淡々と答えた。

 やはりと言ってはなんだが、そのことに関して特に何も思っていない様子。

 四人分のお茶をテーブルに置いた後、俺も座った。暖房が効いてきて暖かい。

 ……なんだか落ち着く。俺と仲のいいメンバーで集まっているからだろうか?

 桔梗ちゃんが買ってきてくれたお菓子を食べつつ、しばらく和やかに過ごしていた。

 

 

 

 次に清隆が発した言葉は、驚くべきものだった。

 

「あの契約を受け入れてしまったことは、Cクラスからすれば大失策だろう」

 

 お茶を飲もうとした手が止まる。

 大失策。そう断言できるほどの罠が、契約の中に仕組まれているというのか。

 この男が言っている以上、冗談ではないだろう。恵ちゃんは致命的な失敗をしてしまった。

 

「契約内容を見ていませんが、なんとなく私もそうだろうと思っていました」

「有栖なら当然気づくだろうな……クラスの生徒を守り切るためには、あれを突っぱねる必要があった。残念ながら、龍園の策略を打ち破るレベルには到達していなかったようだ」

 

 つまり清隆は、ダメだとわかっていたのに止めなかったということ。なんという冷酷さ。

 ……つい忘れていた。彼はあくまでも恵ちゃんを気にかけているのであり、Cクラスの行く末などには一切興味がない。彼女に得るものがあればそれでいいのだ。

 大きな失敗を経験することが、後の成長につながる。きっと、今回の件もそのぐらいの認識でしかないだろう。彼にとって、他の連中がどうなろうと知ったことではない。

 

「ふふっ、仕方ありませんね。それにしても、清隆くんが龍園くんに利用価値を見出しているとは思いませんでした。彼が退学するのはもう少し先になりそうです」

「あの男には、恵がステップアップするための踏み台となってもらおうと考えている。存在する意味がないと判断するのは、もう少し利用してからでもいいと思う。まだ、面白くできる」

 

 二人の話が盛り上がっている。

 天才同士のやり取りに、俺はついていくことができない。

 

「有栖ちゃんと綾小路くんって、こんなに相性がいいんだ……」

 

 意外そうな桔梗ちゃん。

 正直なところ、俺より清隆の方が有栖ちゃんに相応しいという感覚は、まだ抜けきっていない。もちろん恵ちゃんという恋人がいる以上、今さら関係が変わることはないが……

 

「本当に、仲良しだよな」

 

 能力的な面とか、話が合うという観点では絶対に清隆の方がいいと思う。ただし、有栖ちゃんが必要とする生活介助……その一点のみで言えば、俺に軍配が上がる。

 もちろん、やる気にさえなれば俺以上のサポートだって可能だろう。けれど、「できる」と「やる」は違うのだ。有栖ちゃんに対してここまで「やる」人間は、俺しかいない。

 

「そうですね。私は、清隆くんのことも大好きです。ただ勘違いしてほしくないのは……」

 

 有栖ちゃんは俺に肩を寄せて、頬に口付けをした。

 それを見た清隆は、うん、うんと二回頷いた。

 

「オレたちは最高の『親友』だ。そういうことだろう?」

「はい。今の関係が、最も心地よいのです。これ以上の関係に発展することはありません。そもそも、そんなことをしたら私は恵さんに刺されてしまいます」

 

 冗談っぽく言っているが、それもまた事実なのだろう。

 恵ちゃんの内面を見ることはできない。清隆に対する依存と、強い独占欲……

 

 ブルルッ。

 

「ん?」

 

 突然の音に思考が中断された。清隆の端末が鳴っているようだ。

 

「……ああ、恵から電話が来ている」

 

 清隆は立ち上がり、部屋の隅で通話を開始した。

 ぐすっ、とすすり泣くような声が彼の端末から聞こえる。

 

「悪い、連絡をしていなかったな。今日は晴翔の部屋に来ているんだ」

 

 電話口で弁解する清隆。俺たち三人は顔を見合わせて、小さく笑った。

 

「……あいつ、可愛いところあるのね。学校での姿ばかり見てるから、不思議な感じ」

 

 桔梗ちゃんは愉快そうに、清隆の後ろ姿を眺めている。

 大方、部屋に清隆がいなくて、悲しくなってしまったというところだろう。一人の時間が辛すぎて、怒られるかもしれないと心配しながら電話をかけてきたというわけだ。

 ……それ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか。胸がきゅんとした。

 

「帰ったらすぐ抱きしめてやるから、泣かないでくれ」

 

 清隆が話している内容は、恋人への優しさに溢れている。

 どちらかというと、俺はそっちに驚いた。そういうことを言えるようになったんだな。

 数分間話した後、清隆は端末をタップして通話を切った。

 

「……というわけだ」

「了解、早く帰ってあげなよ。そこまで愛してくれる人間なんて、多分他にはいないぞ?」

「そうだな。今日はもう少し突き詰めた話をしようと思っていたが、日を改めることにする」

 

 率直に思ったことを言った。恵ちゃんの持つ一途で重い愛情は、確実に清隆が生み出したものだ。それを受け止められるのは、当然ながら彼以外に存在しない。

 清隆はすまない、と一言述べてから急いで部屋を出ていった。

 

「恵さんには、清隆くんが必要です。では……その逆は、どうなのでしょう?」

 

 有栖ちゃんは笑う。その様子はまるで、弟の成長を見た姉のようだ。

 今の恵ちゃんに対して、めんどくさい女だと思う男もいるかもしれない。だが、愛を知らない、機械のようだった人間の心を動かすには、それぐらい強い感情が必要なのだ。

 清隆にとって、もはや恵ちゃんは唯一無二の存在である。俺はそう結論を出した。

 

 翌日、清隆は両目の下に大きなクマを作っていた。

 表情に出なくとも、寝不足であることが容易にわかる状態だった。

 ……いやあ、お熱いことで。




 感想や評価などありがとうございます。
 鋭い読みをされている方もいて、いつも驚かされております。また、そうやって皆さんに考察していただけるなんて、幸せな作品だと思います。
 今後ともよろしくお願いします。


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第79話

 1月31日がやってきた。

 イベントの投票は今日までに行わなければならない。すでに投票を終えた生徒が大半を占めている中、俺と有栖ちゃんはホームルーム後に用紙へ書き込んでいた。

 

「……よし」

 

 頭の中で、票を入れる生徒を誰にするか考える。これがなかなか決まらなかった。

 CクラスとDクラスが結んだ契約の内容については、すでに恵ちゃんから聞いている。それを踏まえてどうするか……というところであった。

 

 氏名:高城晴翔

 

 賞賛票

 ・一之瀬帆波

 ・櫛田桔梗

 ・綾小路清隆

 

 ここまではいい。問題は、批判票を投じる相手だ。

 他のクラスは投票内容の多くを契約で縛られているため、1年生は組織票だらけとなるだろう。したがって、俺一人が誰に入れたとしても大して影響がない。

 ……だったら、思いつきで適当に書いてしまってもいいのではないか?

 一つ、俺は気になっていることがあった。このイベントのルールについてのことだ。

 その「裏技」が成立するのかどうか、答え合わせをしないまま終わるのはつまらない。

 そこで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()こう記入した。

 

 批判票

 ・南雲雅

 

 学年をまたいだ投票。これが禁止されているといった記述は存在しなかった。

 あくまで個人的な推測だが、南雲はこの穴を利用する可能性を考慮して、あえてこんな甘い書きっぷりにしたのではないかと思う。実際にやるメリットがあるのかは不明だが……この投票用紙を見たときに、あの男が驚くイメージは湧かない。きっと、すべては想定通りであるはずだ。

 書き終えた俺は、最終受付のために待っている真嶋先生へ手渡した。

 

「さて、どうなるでしょうか」

「わっかんねーな。でも、面白くなりそう」

「ふふふ、よかったです。晴翔くんが楽しければ、私はそれで」

 

 先に提出していた有栖ちゃんと、笑い合う。

 不思議なことに、Aクラスの下僕となっているBクラスが最も自由度の高い投票を行うことができた。求められているのは、帆波に賛成票を入れることのみ。残り2票の賞賛票と、批判票の対象は各個人に委ねられることになっていた。

 他クラスを見れば、どこもガチガチに制限されている。Cクラスにいたっては、全ての投票内容を決められてしまったと言っても過言ではない状況。もちろん、相応の対価はあるが……楽しくないだろうなあ。そういう意味でも、恵ちゃんの選択は失敗だった気がする。

 有栖ちゃんと手をつなぎ、夕方の教室を後にした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 家に飲み物が無かったので、寮に戻る前にコンビニへ立ち寄ることにした。

 この時期は日が短く、すでに辺りは真っ暗となっていた。

 そんな中、俺と有栖ちゃんは、帰り道の公園で不可解な光景を目撃した。

 

(何やってんだ?あいつ)

 

 ふらふらとした足取りで、同じところを行ったり来たりしている女子がいる。

 きれいな黒髪と、整った容貌。それが堀北鈴音であることは間違いない。

 だが、どうも様子がおかしいぞ?

 

「……どうすればいいの?」

 

 何やら、ぶつぶつと呟いている。普段のツンツンした雰囲気はどこへやら、明らかに焦っているのがわかる。見つかって面倒ごとに巻き込まれるのは困るので、俺は少し距離を取った。

 あいつに悩みがあったとしても、俺の知ったことではない。無暗に首を突っ込んだところで、俺たちには何のメリットもない。何が起きたのか興味はあるが、見なかったことにしよう。

 

「……なるほど」

 

 有栖ちゃんは、そんな堀北を遠目でじっと見つめている。

 ここに長居するのはよろしくないと思い、その肩を軽く叩くと、はっとこちらを向き直す。

 なるべく目立たないよう、俺たちはそそくさと立ち去った。

 

 十分に距離を取った後、有栖ちゃんは俺に向かってぺこりと頭を下げた。

 ……それによって、被っていた帽子が頭から地面に落ちてしまう。おっちょこちょいだなあ。

 俺が拾ってもう一度頭に乗せてやると、恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「ごめんなさい。私ったら……相変わらずどんくさくて」

「全然大丈夫。あと、謝らなくてもいい。堀北に気づかれたとしても、別にいいんだろうけど……今あいつと絡むのは、ちょっとめんどくさいって思っただけ。気になるのは俺も一緒だよ」

 

 堀北の性格はある程度理解している。そして、強引なタイプであることも知っている。

 あいつがおかしくなるとすれば、それは高確率で堀北兄……俺の苦手な存在が出てくる話だろうと思う。そんな案件に強制参加させられるのは、正直ダルい。 

 

「興味を惹かれると、周りが見えなくなってしまう性分なもので……」

「いいよ、可愛いから」

 

 話しているうちに、寒さがどんどん厳しくなっていく。

 ぶるぶるっと有栖ちゃんが身体を震わせたのを見て、俺は歩くペースを早めた。

 

 

 

 部屋に戻るなり、有栖ちゃんは再び口を開いた。

 

「ふふっ、そういうことですか」

 

 冷たい笑顔。それが、先ほど出くわした堀北に対するものであることは明白だった。

 暖房をつけて、扉をばたんと閉める。今日は特に寒いから、鍋にでもしようかな?

 

「堀北はもう……ってこと?」

「そこまではわかりませんが、堀北さんが最下位になることを恐れていたのは確実です。その上で、そうなる可能性が高いという情報を得てしまったのでしょう。もう手遅れですが」

「ほうほう」

 

 淡々と話す有栖ちゃんに返事をしつつ、俺は鍋の準備を始める。

 白菜が残っていたか、冷蔵庫を確認する。あったあった、豆腐もあるし良い感じだ。

 桔梗ちゃんが来るまであと一時間ぐらいあるから、野菜は先に切っておこう。

 

「……その興味のなさが、晴翔くんらしいです」

「そうか?」

「はい。そういうところも、大好きですよ」

 

 俺がドライになっている理由は、今さらどうしようもないからだ。有栖ちゃんの言う通り、理解したところでもう遅い。きっと投票用紙は提出済みだろうし、票数に工作するのはあまりにも非現実的である。そもそも、堀北鈴音という生徒に対して、大きなリスクを背負ってまで救う価値があると思っていない。危ないと知ったところで、何かしてやるほどの気持ちにはならなかった。

 多分、退学にはならないと思う。2000万払えなかったら即退学とは書いてないし、確か清隆はあいつのことを意識していた。もっとも、バッサリ切り捨てる可能性も無くはないが……

 

「あ、わかった。ここで南雲が出てくるわけか」

「……すごいですね。今の会話だけで、答えに辿りつくとは」

 

 有栖ちゃんは驚いているが、「今の会話だけ」というのはちょっと違う。あの日の堀北学とのやり取りがなければ、このタイミングで気づくことはなかっただろう。彼はなぜ、このイベントを止めて欲しそうだったのか……そこから連想を始めることで、結論を得たのだ。

 とどのつまり、南雲は堀北兄のことが好きで好きで仕方ないということだ。好きな子の嫌がることをしてしまう、その辺の小学生と似たような感性を持っている。

 

「じゃあ、最初から南雲と龍園がグルってわけだな」

「はい。おそらく、龍園くんは南雲サイドからも莫大な報酬……プライベートポイントを獲得することになるでしょう。今回は、彼の今後の方針が垣間見えるイベントでしたね」

 

 ざくざくと白菜に包丁を入れながら、俺は頷く。

 クラスポイントに期待できなくなった今、龍園が目指すべき道として設定するのは……

 

「クラスの全員を、2000万ポイントで移籍させる」

 

 野菜を切る手を止めて、有栖ちゃんの方を向いた。

 俺の顔を見て、嬉しそうに笑っている。それは龍園の行動というよりも、俺がその答えに行きついたことに対する喜びであるように感じた。

 ……元から知っていたことなので、そこで評価されるのは少し罪悪感があるが、仕方ない。

 そう、それは龍園が入学当初から持っていた夢。ひよりを奪われたことが、彼の背中を押したとすれば……俺はあいつにとっても良いことをしたのかもしれない。

 

 その後桔梗ちゃんがやってきて、一緒に寄せ鍋を作った。

 張り切りすぎてものすごい量になってしまったため、清隆カップルと帆波を呼んでみんなで鍋パーティーを行った。寒い夜にふさわしい、楽しい「イベント」であった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 そして、ついに結果発表の日が来た。

 ホームルームが終了すると同時に、生徒会役員が各所にA2サイズの大きな紙を掲示していく。

 そこには、学年全員の得点が高い順に記載されている。

 群がる生徒たちをかき分けて、俺はその内容を確認した。

 

 第1位 伊吹澪 45点

 第2位 櫛田桔梗 31点

  ・

  ・

  ・

  ・

 第154位 堀北鈴音 -30点

 

 参加者は154名。結果的に、1年生全員がこのイベントに参加することとなった。各クラスを契約が縛り付けることで、不参加という行動を誰一人取れなくなったのだ。

 

(……すべて、南雲の手のひらの上だったな)

 

 きっと今ごろ、あの男はほくそ笑んでいることだろう。

 この結果の考察をすべく、俺と有栖ちゃんは急いで帰る準備をした。

 すでに、清隆は呼び出してある。そろそろネタバレといこうか。




 今なら7億でいけそうです。


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第80話

「よし、始めるか」

「そうですね」

 

 部屋に戻った俺は、有栖ちゃんと共にイベントを振り返る……といっても、動きが活発化するのはここからだ。結果発表は、せいぜい折り返し地点。まだまだお楽しみは終わらない。

 

 まずは、AクラスとDクラスの契約について。

 

「最後に出てきた項目。それが、龍園くんの最も通したかった条件です」

「だよな、俺もそう思った」

 

 お互いの批判票を封じる、あの条項。一見なんとも「帆波っぽい」ように感じたが、あれは龍園側からの提案だったのではないかと考えていた。

 龍園が最も避けたかったのは、自クラスから最下位の生徒が出ること。億単位のポイントを集めようというのに、2000万の罰金など絶対に許容できない。相手に有利な契約で釣ってでも、確実に防ぎたかったということがわかる。

 今回に限れば、AクラスとDクラスはウィンウィンの関係であったようだ。

 

「伊吹さんと龍園くんという、賞賛票の縛り……これは自分が最下位になるリスクを低減しつつ、伊吹さんにチケットを取らせる戦略ですね」

「間違いない。というより、他に考えられない」

「……全員を2000万で移動させることのみを意識するのなら、理にかなっています」

 

 龍園は、林間学校の件で吹っ切れたのかもしれない。2000万×人数分のポイントを入手し、全員でAクラスに上がる。学校での目標をこれ一本に絞ったのだ。

 その前提で考えると、伊吹がチケットを使ってクラスを出ていくとすれば、龍園にとっては実質2000万が浮くということになる。なんというか、恐ろしいまでの思い切りの良さだ。

 

「見方を変えれば、あの契約もさほど不利なものじゃないってことだな」

「それでも、最善手ではないような気がしますが……損得勘定ではなく、目先の結果が欲しかったというところでしょう。彼にはクラスの内紛など、頭の痛い問題が山積していますから」

 

 王としての地盤が崩れ始めていることも、判断に影響を及ぼしたのかもしれない。

 

 次に考えるのは、問題のCクラスだ。

 恵ちゃんが結んでしまった契約は、以下のようなものである。

 

 ・CクラスとDクラスは、お互いのクラスの生徒に全ての賞賛票を投票し合う。

 ・Cクラスの生徒は、39名全員が一之瀬帆波に批判票を投じる。

 ・龍園翔は、3月31日までに軽井沢恵へ1000万プライベートポイントを支払う。

 

 これが何を意味していたのか、考えてみる。

 おそらく、帆波に対する集中攻撃も、CクラスとDクラスの間で利益を最大化することも、龍園の本当の目的ではなかったのだ。Cクラスの全員参加が強要される上に、Dクラスは批判票の宛先を縛られない。これこそが策略であり、ここに恵ちゃんが気づけなかったのが全てである。

 帆波への批判票は、真の狙いから目をそらすためのダミー。「こんな要求をしてくるのだから、きっとDクラスも帆波を攻撃するだろう」……そう思い込ませるための罠である。

 しかし、ここまで露骨なAクラス潰しを示唆しつつ、その裏ではAクラスとの和平交渉をするのだから大したもの。正直、龍園がここまでやるとは思わなかった。こんなに面白いことをしてくれるなら、まだまだ退学するのは早い。

 

「それにしても、伊吹がクラス移動チケットを手に入れるとはな」

「本人が一番驚いているかもしれませんね」

 

 今度、会うことがあればいろいろと聞いてみようかと思う。

 彼女がどうするのか、わからないが……高額なポイントで誰かに売ってしまう選択肢もある。

 ただ、龍園がそれを良しとするかは微妙だ。高いと言っても2000万にはならないだろうし、彼の計画が成し遂げられる前提なら、行使してもらう方が双方ともに得である。

 

 ピンポン、とインターホンが鳴った。

 扉を開けると、清隆と恵ちゃんが来ていた。

 

 とりあえず部屋に入ってもらう。

 二人は上着を脱いで、ベッドの脇に座った。

 ……恵ちゃんは意外と元気そう。てっきり落ち込んでしまっているかと思っていたが、それは杞憂だったようだ。無表情の清隆に目を向けると、彼は一言呟いた。

 

「『慰め』は終わっている」

 

 あ、そうですか。

 

 恵ちゃんは相変わらず、清隆にべったりだ。俺と有栖ちゃんのことも、仲の良い友達としては認識してくれているようだが……本質的には、清隆のことしか見ていない。

 極端な話、清隆が俺たちを切り捨てるような選択をした場合、迷いなく敵に回るタイプである。まあそんなことはあり得ないのだが、彼女の想いの強さは尋常ではない。

 今回のイベントは、清隆のスタンス的には「どうでもいい」ものだ。堀北もおそらく退学まではいかない上に、彼自身には何の被害もない。一切の干渉をしなかったのがその証拠だ。

 恵ちゃんについても、堀北が最下位に追い込まれたことに対して一定の責任は感じているかもしれないが、清隆の機嫌さえ害さなければそれでいいと思っているだろう。

 ……彼女もまた、堀北のことは「どうでもいい」のだ。

 

「さて、今後のことを聞いてもいいのか?」

 

 みんなが静かになったのを見て、俺はそう切り出した。

 

「堀北を救済するかどうか、がポイントだろう」

 

 清隆はそう返し、恵ちゃんの方を見た。

 ここで意見を求められると思っていなかったのか、彼女は一瞬驚いた顔をした。

 

「……うーん。ポイント自体は、クラスのみんなからかき集めればギリギリ足りるのよ。ただ一番の問題は、堀北さんのために自分のポイントを使ってもいい、なんて思っている人がほとんどいないこと。あたしは正直、助けるのは厳しいと思ってる」

「そうだな、正しい分析だ。今の堀北は、落ちぶれた裏切り者に過ぎない。自らの『お年玉』をはたいてまで助けようと思う者など、皆無と言っていい」

 

 厳しい一言。堀北に対して特に思い入れもなければ、助けたいという意思もない。それがCクラス全員の共通認識である。しかし、その状況を招いたのは堀北自身の言動だ。

 

「自業自得といってしまえば、それまでの話だな」

「ああ。個人的には、堀北が追い込まれるのは好都合ですらある。ここで手を差し伸べる必要は無い。南雲の判断にもよるが、奴の目的からして退学にはしないだろう」

 

 おっと、これはびっくり。清隆も南雲の目的を知っていたとは。

 俺と比べれば、あいつと話した回数は大幅に少ないはずなのに……やっぱりすごい男だ。

 

「まさか、堀北を『私物』にする考えがあるとは思わなかったよ」

 

 俺はそう言ってから、お茶を一口飲んだ。

 卒業していく堀北兄への、これ以上ない嫌がらせ。自分の妹が南雲の手に落ちるのを見せつけられて、何もできないまま学校を去る。きっと最悪の気分だろうな。

 このイベントは、「全てのポイントのやりとりは2月末までに行われる」と規定されている。

 つまり、契約による1000万の受け渡しが3月なのは、恵ちゃんが個人的な付き合い……俺たちなどを頼って、少ない人数分のポイントで救ってしまう選択肢を奪うためだ。おそらくこの部分は、南雲が龍園に追記させたのだと思われる。

 そもそも、「39名全員の票」などとしているのは堀北を強制的にイベントへ参加させるためだ。飛んで火にいる夏の虫、とでもいうべきだろうか?

 また、Aクラスと契約を結んだことも、きっと南雲が絡んでいる。Dクラスの評判がすこぶる悪いことは把握しているだろうし、あそこから最下位が出るのは南雲としても避けたかったのだ。

 ……何から何まで、堀北鈴音を陥れるための罠だったというわけだ。

 

 

 

 また近いうちに集まることを約束してから、二人は帰っていった。

 

「どうするんだろうな、堀北は」

「現実的には、南雲との援助交際……奴隷となることと引き換えに、2000万の支払いを肩代わりしてもらう。今の堀北さんに、それ以外の選択肢はなさそうです」

 

 あーあ、可哀想に。まあ、面白かったから何でもいい。

 投票までの間に、南雲の最終目的を理解することができなかった。ヒントといえば堀北兄の行動ぐらいのもので、かなり難易度が高いものだったと思う。

 俺も有栖ちゃんも一本取られた形になったとはいえ、なかなか楽しめたイベントだった。

 次に会った時、南雲に礼でも言ってやるか……と、思っていたのだが。

 

「ふふっ、明日は生徒会室に行きましょう。きっとそこには、堀北さんも来ます」

 

 その落ち着いた態度は、全てが自分の思い通りに進んでいるかのようだった。

 じっと目を見つめていると、有栖ちゃんはこちらにもたれかかってきた。そして顔を近づけて、唇を重ねる。ついばむようなキスに、深い愛情を感じる。

 こんなに甘々で優しいから、うっかり忘れてしまう。この子が天才だってことを。

 

「彼女を救うつもりはありませんが、全て南雲の思い通り……では、つまらないですよね?」

 

 意地の悪い、攻撃的な笑みを浮かべた。

 ……俺はまだ、有栖ちゃんを見くびっていたのかもしれない。



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第81話

 翌日の昼休み、俺と有栖ちゃんはAクラスの教室へ向かった。

 

「まずはお疲れさま、かな?」

 

 帆波が俺に向けてウインクする。千尋ちゃんに睨まれるからやめてくれ。

 

「お疲れさま。しかし、帆波の得点がプラマイゼロになるとは」

「にゃ……結構、いろんな人に嫌われちゃったみたいだね」

 

 人気という点では間違いなく学年トップの生徒だ。しかし、Cクラスからの組織票……龍園との契約で決められた39もの批判票を受けた結果、それが俺たちBクラスのものを相殺して0点という結果となった。

 ここに来て感じるのは、A・Bクラス連合の結びつきが強くなるにつれ、Cクラスの生徒たちが帆波を嫌い始めているということだ。そうでもなければ、そもそもあの契約を受けようなどという結論には至らない。最終的な判断は恵ちゃんに委ねられたようだが、帆波……および、彼女の率いるAクラスを落としてやろうという意思があったのは、間違いないと思う。

 無理もない。彼女は圧倒的な結果を残しているクラスのリーダーだ。本来、そういう生徒はどこか「ヒール」のようになるものである。南雲のように学年全体を掌握し、支配してしまえばいいのだが……今のところ、Cクラスにまでその手を伸ばすという話は出ていない。

 

「まあ、どうでもいいよ。私の『味方』はここにいるもんっ!」

 

 そう言って、有栖ちゃんがいるというのに腕を絡ませてきた。全然気にしてなさそうな様子。

 ……かつての帆波であれば、へこんでいたような気がする。

 

「強くなったなあ」

「ふふっ、あなたのおかげだよ」

 

 精神的に追い込まれて、屋上で一人泣いていたのを思い出す。あの時と比べれば、ものすごくメンタルが成長したと感じる。最近ちょっと怖いぐらいだ。

 周囲からの羨ましそうな視線を受けながら、俺たちは教室を後にした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 放課後。カフェでケーキを食べながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 当初は生徒会室へ行くことを予定していたが、リスケすることになった。

 

「別の用事って、なんだろうな」

 

 南雲から「今日は別の用事があるため、時間を取ることが難しい」というメールが来たのは、帰りのホームルーム中のことだった。特に急いでいないので、週明けにまたアポを取るつもりだ。

 それ自体は別にいいのだが、その用事とやらの内容が気になって仕方がない。

 

「十中八九、堀北さんのことだと思いますよ?」

「鈴音の方?」

「ええ、そうです。もう六時になりますし、もしかすると今ごろ……奪われてるかもしれませんね。何がとは言いませんが。ふふふ」

 

 有栖ちゃんは大方の事情を理解できていた。その生々しい発言を聞いて、俺は身震いする。

 にやにやと笑いながら、堀北の今を予想している姿。そこに心配だとか、かわいそうだという気持ちは微塵も見られない。ある意味、その部分はちょっと南雲に似ているのかもしれない。

 

「あいつが南雲のおもちゃになっちまうとはなあ……」

 

 入学当初では想像すらできなかった末路。それが彼女の振る舞いに起因するものだとしても、少しばかり心の痛む結果となってしまった。

 だからといって、俺がリスクを背負ってまで助けるかといえば……違う。

 俺は俺の好きな人たち、仲良くしてくれる人たちを常に優先する。残念ながら、堀北は顔見知りでこそあれ、「大事な人」のカテゴリーに入ってくるような存在ではない。

 これが桔梗ちゃんなどであれば、最悪南雲をぶち殺してでも救っただろう。自分の中で守りたいと思えるような相手でなければ、俺は基本的にドライなのだ。

 

「まだまだ、面白くなるのはこれからです。今のところは、南雲の欲望のはけ口として、思い切り傷ついてもらいましょう。堀北さんがどんな顔をするのか、想像するだけで面白いです」

 

 うわぁ、怖い。

 いつになく攻撃的で、とても楽しそうな有栖ちゃん。その様子を見ながら、俺はコーヒーに口をつける。今日は砂糖をたっぷりと入れて、甘くしてある。

 ……なんだかんだ、堀北に興味はあるんだろうな。もし南雲が堀北のことを心底嫌っていて、容赦なく退学させるような方針をとった場合は、また違った対応になったのだと思う。

 

 そんな話をしていると、一人の生徒がこちらへ歩いてきた。

 

「ククッ、相変わらず磁石のようにくっついてやがるな。てめえらは」

 

 肩をいからせているのは、龍園だった。ただのヤンキーにしか見えない。

 ……堀北を潰した実行犯のお出ましである。

 

「褒め言葉と受け取っておきます」

「バカ言え、皮肉だ」

「そうですか。それにしても、あなたが南雲の言いなりに動くとは思いませんでした」

「あのクズ野郎もいつかは潰す。が、今はまだその時じゃねえってことだ」

 

 チッと舌打ちをしてから、龍園は対面に座った。

 

「利益のために自分のプライドを捨てられるのは、あなたの強みですね。ただ、今回の動きはリスク管理が不十分であると思います。南雲が裏切ったらどうするつもりだったのですか?」

「アイツは今、『堀北』にご執心だ。俺は眼中にもねえだろうさ」

「はぁ……人の感情を根拠として動くのは、ただのギャンブルに過ぎません。あの男はそういう演技を得意としていますから、なおさらです」

「さあ、どうだか」

 

 有栖ちゃんのお説教に、龍園は押され気味だ。

 俺としては、かなり意外な光景であった。完全に興味を失ったわけではなかったのか。

 ……元の期待値が高いからこそ、というのもあるかもしれないな。

 

「さっきから、ごちゃごちゃうるせーな。お前は何が言いたいんだ?」

「あまり私をがっかりさせないでください、ということです。南雲の戦法をトレースしたところで、劣化にしかなりませんよ。本来のあなたであれば、他クラスの生徒の弱みを握って無理やり賞賛票を入れさせるなど、もっと汚い戦法を取れたはずです」

「知らねえ。お前は俺の教師かっての」

 

 悪態をつく龍園を一瞥した後、有栖ちゃんは伝票を持って席を立った。

 俺もあわてて立ち上がり、白いモコモコの上着を着せてやる。これ似合うんだよなあ……

 

「ひよりさんを奪われたことも含めて、あなたには何度も失望させられています。ですが、その目を見る限りでは、まだ死んではいないようですね」

 

 もっと成長してください、と言い残してから背を向ける。

 転ばないように手をつないであげると、有栖ちゃんは嬉しそうに笑った。

 

「……ケッ。おててつないで言ったところで、カッコつかねえよ」

 

 振り返ると、龍園も笑っていた。その悪い笑顔は、野性的な魅力にあふれている。

 どんな手を使ってでも勝つというのが、龍園の信条だ。どれだけ負けても、どれだけプライドを傷つけられてもいい。最後に上に立てばいい、というシンプルな理論。それは俺のような傍観者からすれば痛快なもので、今後も期待している。

 

 

 

「今のやり取りで、次の一手を見直してくれるといいのですが」

 

 喫茶店の外に出てから、有栖ちゃんが一つ呟いた。

 楽しみにはしているものの、今後の龍園は前途多難である。

 今回のイベントで、龍園は確実に堀北へ批判票を入れることを指示したはずだ。それにもかかわらず、彼女の点数はマイナス30にとどまったという事実。

 ……堀北の性格からして、他クラスからの批判票がゼロということはないだろうから、この結果はDクラス内部に「裏切り者」がかなりの数いることを示唆している。

 言うことを聞かない連中を、あいつはどう処理するのだろう。かつてクラスを支配した時のように暴力をもって制すのか、それとも……この学校から退場させるのか。

 

 ふと、思い出した。CクラスとDクラスの契約だ。

 

・龍園翔は、3月31日までに軽井沢恵へ1000万プライベートポイントを支払う。

 

 おそらく恵ちゃん含むCクラスのメンバーは、これを全体で配分しようと考えている。恵ちゃん自身も、あくまでも代表者として、自分と龍園がやり取りするという認識を持っているはず。

 それ自体は間違っていないと思うし、だからこそ契約する方向へ進んだのだろうが……

 恵ちゃんが3月までに退学するとすれば、この条項はどうなる?

 

「龍園くんは、恐怖というものを知らないのです」

 

 その一言には、いろいろな意味が込められている。

 有栖ちゃんが何を危惧しているのか、少しわかったような気がした。




 不穏な展開。
 次話以降、何人かひどい目に遭うかもしれません。案外堀北さんはマシな方?
 多分、今年最後の更新です。連載を続けたまま年越しを迎えるなんて、始める時には考えもしませんでした。そもそも原案では半年退学だったので……応援してくださるみなさんが書かせてくれた作品といえます。ありがとうございます。

 それではみなさん、よいお年を……


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第82話

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。


 次の休日、俺たちは外を歩いていた。

 ケヤキモールで買い物を終え、学生寮へ戻ってくる道の途中。

 びゅうっと寒い風が吹き抜ける公園で、俺は渦中の人物を目撃した。

 

「あれって、堀北か?」

 

 ぼーっと虚空を見つめる姿は痛々しい。さすがに無視できず、俺は距離を詰める。

 俺たちの足音に気づいた彼女はこちらへ目をやるが、焦点が合わない。見ているのか見ていないのかわからないまま、隣に立つ有栖ちゃんの方へ顔を向けると……

 

「あっ、坂柳さん」

「ご機嫌よう、堀北さん」

 

 ぱあっと堀北の表情が明るくなる。意外すぎる反応に身体が硬直してしまう。

 何が起きているのかさっぱりわからず、困惑する。そんな俺を見ることもなく、堀北はそのまま有栖ちゃんの目の前まで歩み寄って、いきなり抱きしめた。

 

「あなただけは……あなただけは、他の人と違うのかしら?」

「ふふっ、そうですね。私は、堀北さんのことを嫌いではありません」

 

 一体どうしたのかわからない。有栖ちゃんは、何をした?

 

「嬉しい。私にはもう、坂柳さんしかいないみたいだから」

 

 相当メンタルに来ているようだ。現に、俺に対してもビクビクしているのがわかる。

 ……あー、南雲にやられちゃってるな。心を折る過程で、徹底的に人格を否定されたか?

 これが一時的な男性恐怖症なのか、人間不信なのかはわからない。ただ、今の堀北には有栖ちゃんしか見えていない。逆に言えば、そのおかげでギリギリ壊れずに済んでいる感じだ。

 もし突き放されたら、死んでしまうのではないかと思うほどの執着が見える。

 

「よく頑張りましたね。大丈夫ですよ、もう少しの辛抱です」

 

 有栖ちゃんは背伸びをして、堀北の頭を撫でる。

 

「ありがとう……ごめんなさい……」

「どうぞ安心してください。私は、あなたの味方ですから」

 

 あまりにも薄っぺらい言葉を並べていく有栖ちゃんに、俺はドン引きした。

 以前説明していた内容と、実際の行動が違いすぎる。本音と建前なんてレベルではない。味方だからいいものの、こんな恐ろしい人間が敵に回ったら勝てる気がしない。

 

「ああ、坂柳さん……この学校でたった一人、私のことを『賞賛』してくれた………」

 

 堀北のその言葉で、俺は状況を理解した。

 

(有栖ちゃんは、堀北に賞賛票を入れたのか)

 

 たった、それだけのこと。

 この子は一枚の紙切れだけで、堀北の心をわしづかみにしたらしい。

 

「あなたは、この学校に必要な人間です。今は傷ついているかもしれませんが、これを耐えれば明るい未来が待っています。退学、しないでくださいね?」

「その言葉を励みにして、頑張るわ」

 

 優しさを顔に貼り付けて、偽りの励ましを続ける。

 有栖ちゃんは、この安っぽい激励が堀北を狂わせる麻薬となるとわかっているのだろう。彼女が正常な状態であれば、違和感を覚えるかもしれないが……

 精神に多大なダメージを負ってしまった現状、判断力が鈍るのは当然のことだ。

 

「ふふっ、頑張ってください。私はあなたに期待しています」

 

 よく言うよマジで。この子が本気になれば、誰でも駒にできてしまうのではないかと思う。

 細かい部分は想像になってしまうが、一つ予想をしてみることにした。

 最下位という結果を受けた堀北は、生徒会室で南雲に投票用紙の開示を要求したのだと思われる。そこで自分の得点の内訳……31の批判票と、たった1つの賞賛票を確認した。

 残酷な批判票の海の中にあっては、有栖ちゃんの投票用紙がキラリと輝いて見えたことだろう。落ちぶれた自分を見捨てない人がいると、深く感謝したはずだ。

 それを心の拠り所にして、ギリギリのところで自分を守っているのかもしれない。

 

「今思い返すと、坂柳さんはずっと私のことを気にかけてくれていた」

 

 大して気にかけていたようには感じられなかったが、堀北には違うものが見えているらしい。いや、絶対勘違いだと思うけど……ここは言わないでおいてあげるのが優しさか。

 微笑みながら首肯する有栖ちゃんに心の中でツッコミを入れつつ、俺は二人の様子を眺める。そういえば、桔梗ちゃんの時もこの公園だったなあ。懐かしい思い出だ。

 

「これから、鈴音さんとお呼びしてもよろしいですか?」

「あっ……もちろん。あなたはかけがえのない存在だから」

「ありがとうございます。私の呼び方は、鈴音さんにお任せします。お望みであれば、呼び捨てや『有栖ちゃん』でも問題ありません」

「そ、そんなことはできないわ。有栖……さん」

 

 呼び慣れていないからか、ぎこちない。なんだ、意外と可愛いじゃないか。

 しかし、まさか堀北が有栖ちゃんに落とされるとは思わなかった。この状況は南雲にとっては大誤算だろう。こんな結果になることを予め知っていたとすれば、余裕綽々だったのも頷ける。

 

「今後ともよろしくお願いしますね、鈴音さん。私の連絡先を教えておくので、悩みがあればいつでも相談してください。ああ、たわいもない雑談も歓迎しますよ?」

「ありがとう。本当に、本当に嬉しい。こんな気持ちになったのは、生まれて初めて。もしかしたら、あなたと出会うために私はこの学校へ入ったのかもしれないわね」

 

(えぇー……)

 

 予想外すぎる展開に、俺は置いてきぼりとなっている。

 ただ間違いないのは、堀北鈴音という駒を有栖ちゃんが獲得したということ。清隆の言っていた「堀北の心を圧し折る」ミッションは、南雲によって実行された。

 有栖ちゃんは、美味しいところだけを掠め取ったわけだ。一生懸命ついていた餅を、一人で食べてしまう……どこかの戦国武将みたいだな。

 

 

 

 堀北と別れ、二人で帰り道を歩く。

 個人的に面白い方向へ行ってはいるが、懸念事項が一つ。

 

「……桔梗ちゃん、大丈夫かな?」

 

 例えばうちで堀北と対面した時、桔梗ちゃんは嫌な思いをしないだろうか。有栖ちゃんに熱視線を向ける堀北に、不快感を持つのではないか。それが心配でならない。

 

「大丈夫です。というより、私が絆されることはありませんよ?」

 

 有栖ちゃんは微笑んで、俺の頰にキスをする。

 この口ぶりからして、あいつのことは新しいオモチャ程度にしか意識していないようだ。助けることではなく、それにより南雲の計画を狂わせることが目的らしい。

 しかし、俺にとってそこはさほど重要なポイントではない。そうやって飼いならす様子を、あの子が見たときにどう感じるかが大事なのだ。

 

「彼女の依存対象が南雲になってしまうのは、今後動く上でなかなか面倒なのです。そこで、あらかじめ私が賞賛票を入れるという話を清隆くんと共有していました」

 

 堀北が南雲に依存する。その状況は、確かにダルそうだ。

 彼女はコミュニケーション力が絶望的なだけで、持っている能力は高い。

 盲目的な南雲信者となれば相当な戦力になってしまうだろう。

 今回はそれを防ぐための「ホワイトナイト」を買って出たわけだが、あまり納得がいかない。

 

「だけど、清隆的には自分で落としたかったんだよな」

 

 堀北に関しては、清隆が動くだろうと思って静観していた。

 俺があいつのことを気にも留めていなかったのは、その前提があったからだ。

 それが崩れてしまったことになる。

 

「私も以前に聞いた話以上のことは知らないので、実際のところはわかりませんが……おそらくはそうだと思います」

「そこは妥協した感じ?」

「妥協というより、転換ですね。私としては、もし彼が望むのであれば、いつか鈴音さんのことを裏切るのもアリだと考えています。私の策略によりボロボロに傷ついてしまった彼女を、スーパーヒーローの清隆くんが救う……そんなプロレスをするのも一興です」

 

 どうやら、堀北はもう一度絶望の淵に叩き落とされる可能性があるらしい。

 それは気の毒なことだが、正直どうでもいい。

 

「だとしても、なんだかんだ有栖ちゃんは優しい……気がするよ」

「ふふっ、どうでしょう?」

 

 どんな思惑があったとしても、有栖ちゃんの行動が堀北を救ったのは事実だ。

 本来であれば、プライドの高い彼女が南雲の私物となることを耐えられるわけがない。2月末、2000万を肩代わりしてもらうまでの我慢だ……なんて、割り切れる性格はしていないと思う。

 有栖ちゃんだけは味方であると思い込むことで、なんとか踏みとどまっている状態だ。

 どんな酷い目に遭っても、心は自分の「神」に向いているから、救われる日までなら耐えられるという論理。それはまさに宗教の始まりであり、絶対的な主従関係の成立でもある。

 帆波教が支配するこの学年において、堀北はただ一人有栖ちゃんを神として信奉する者となったのだ。こうなってしまえば、あちら側から裏切ることはない。

 

 ただ、俺が危惧しているのはそこではない。

 清隆も含め、みんなが俺を楽しませてくれているのはありがたいが……

 

(いろんな意味で、堀北を救ってほしくはなかったな)

 

 とはいえ、有栖ちゃんがそうしたいと思ったのなら仕方ない。

 実際、これによって南雲絡みのイベントがより面白くなるのも事実。

 

(大事なものの優先順位が、違う?)

 

 お互いの価値観に、僅かなすれ違いを感じた一日だった。



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第83話

 遅くなってしまいました。最近、ちょっとしたスランプで……申し訳ありません。


 翌週、予定通り俺たちは生徒会室を訪れる。南雲には事前に連絡を入れてあるため、今日来ることは認識済みであるはずだ。電話の声がやけに嬉しそうでウザかったけど、まあいい。

 

「よく来たな。イベントは楽しめたか?」

「……おかげさまで」

 

 南雲は得意げな顔をして、椅子に座ったまま足を組む。

 

「しかし、今回もお前には驚かされた。あの『仕組み』に気づく奴がいるとは……」

「ああ、南雲さんに批判票を入れた話っすね。まあわかってるとは思いますが、別に嫌いとかそういうわけじゃありません。これが通るのか、検証したくなっただけです」

 

 俺の返答に、もちろんわかっていると言わんばかりの笑顔で頷く。この反応からして、学年をまたいだ投票は有効であったようだ。予想通りではあるが、なんかムカつく。

 当然ながら、2年生の「クラス移動チケット」獲得者は南雲になった。受けた批判票は、俺の1票のみ……支配がA・Bクラスに限定されている帆波とは、対照的な結果といえる。

 

「そうか。俺が龍園を使ったことも、理解しているようだな?」

「はい、少し遅かったかもですが」

「素晴らしい。ならば、種明かしをしてやろう……学年間の投票は、龍園が契約に失敗したときの保険として用意していたのさ。堀北鈴音に、2年生全ての批判票を投じるプランだ」

 

 やはり、そういうことだった。ルールの抜け穴だって、結局は堀北潰しの一部なのだ。

 それを本線とせず、妥協策にしていたのも理解できる。あまりにも目立ちすぎるからだ……南雲自身が派手に動くと、堀北はハメられた被害者であるという印象を周囲が持ってしまう。

 南雲としては、あくまでも嫌われていたから最下位になったと思わせておきたい。Cクラスの生徒たちに救う意思を持たせないためにも、可能であれば使いたくない手段だったということだ。

 

「あなたが鈴音さんを陥れた理由は、やはり前会長に対する嫌がらせですか?」

 

 有栖ちゃんは落ち着いた様子で、そう問いかけた。

 

「正解だ。しかし、それだけじゃない」

 

 そこで南雲は言葉を切って、窓の外を見つめる。

 相変わらず、何を考えているのかよくわからない男だ。

 

「質問タイムは終わりだ。今日は、このあたりで帰ってもらおうか。生徒会の仕事ってのは、お前らが想像している以上に山ほどあるんだ」

「あっ、そうですか。じゃあ帰ります」

 

 こちらとしても、聞きたいことは聞けた。これ以上居る意味もないので、撤収でいいだろう。

 有栖ちゃんと目を合わせてから、俺たちは立ち上がる。

 

「……まったく、嵐のような奴らだな」

 

 投げかけられた言葉に、俺は手を挙げて応じた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 週末がやってきた。

 南雲のもとを訪れて以降、大きな動きは起きていない。変化といえば頻繁に堀北が話しかけてくるようになった程度のもので、俺の周囲はいたって平和である。嵐の前の静けさだろうか?

 

「ほら、好きなの食べなって」

「うーん、特にポイントには困ってないのだが」

 

 そして、俺たちはなぜか伊吹と一緒に食事をしていた。

 場所は以前行った和食店。「奢ってあげるから」と言われ、半ば強制的に連れてこられた。

 

「そういう問題じゃないの。あたしは、あんたに借りがある。返せるようになった以上、あの時の恩を返さないのは自分の気が済まない。だから、早く注文して」

 

 頬を膨らませて、注文を催促する伊吹。以前、俺が気まぐれですき焼きをご馳走してやったことを覚えていたらしい。今回のイベントで多額の臨時収入を得たため、そのお返しをしようというわけだ。律儀というかなんというか……気にしなくていいのに。

 

「じゃあ、このうどんセットで……」

「はあ、ふざけたこと言わないで。もういい!」

 

 うどんは安すぎてダメだったようだ。伊吹は俺からメニューを奪い取り、勝手に「和牛すき焼きセット」を2つ注文してしまう。

 

「ええー、しかも有栖ちゃんの分まで入ってるじゃないか。それは悪いって」

「坂柳だけ自腹で払わせたら、あんたも気分悪いでしょ。前に食べさせてもらったお礼をしたいってのに、それじゃ意味ない」

 

 やばい、いい子過ぎる。ちょっと感動してしまった。

 大して親しくもない相手に、ここまで気遣ってくれるとは……

 

「伊吹、一体どうしたんだ?」

「だーかーら、あたしはあんたに感謝してるんだって」

「でも……」

「いちいちうるさいな。全然ポイント貰えなくって苦しい時に、美味しいご飯を食べさせてくれたのが嬉しかったの!いいから黙って食え!」

 

 やたらとテンションが高い。怒っているのではなく、恥ずかしがっているのかもしれない。

 それを見て、「ふふっ」と有栖ちゃんが笑った。俺としても微笑ましい光景である。

 

 そうやって話しているうちに、すき焼きが配膳される。

 相変わらず美味い。同じ料理であるはずなのに、以前食べた時よりもさらにおいしく感じる。

 対面を見ると、伊吹が前回と同じようにがつがつと食べている。なんともまあ、可愛らしい姿である。写真に撮っておきたいぐらい……そんなことをしたら、怒られるだろうけど。

 

(……至福のひととき)

 

 友人と共に、和牛の味に舌鼓を打つ。

 また、こういう機会があればいいなと思った。

 

 

 

 約二十分後に食べ終わった。俺にはちょうどよかったが、有栖ちゃんには量が多かったようで、食べきれなかった肉を俺と伊吹で分けることになった。

 少し多く食べたからか、超満腹だ。お腹も心も満たされて、俺たちは気分良く席を立つ。

 

「ごちそうさま、美味かったよ」

「ふん」

 

 口をとがらせながら、伊吹は手早く会計を済ませてきた。

 店の外に出た後、俺は改めてお礼を言う。

 

「本当にありがとう。今日のこと、話してもいい?」

 

 つんけんした態度の中に秘めた優しさ。龍園の側近というイメージからか、他クラスの生徒からはあまり良く思われていないが……こいつは間違いなく良い奴だ。周りに勘違いされたままでいるのは、ちょっともどかしい。

 

「やめて。そんなことされたら、毎日むずむずしながら生活しないといけなくなるでしょ。今のは、あたしとあんたたちだけの秘密。変に言い触らしたら……ただで済むと思うな」

 

 そう言って、俺を睨みつけてから後ろを向いた。良い人として扱われるのは、本人が望んでいないらしい。残念だが、その気持ちはなんとなく理解できる気がする。

 なお、顔が真っ赤になっているのを全く隠せていない。いくら言葉が強くても、これでは照れているのが丸わかりだ。おそらく、お礼を言われ慣れていないのだろう。

 

「お前、可愛いな」

「うるさいっ、もう帰る!」

 

 ぷんぷんと怒りながら、伊吹は去っていった。

 本当に面白い。今まで俺の周りにはいなかったタイプの人間だから、すごく新鮮に感じる。

 

「伊吹さんは、意外と義理堅い方のようですね」

「ああ、そうだな……」

 

 有栖ちゃんも興味深そうに、伊吹の後ろ姿を眺めている。

 ここで思い出した。そういえば、あいつはクラス移動チケットを手に入れていたはず。

 さて、どういう選択をするのか。あの性格を考えると、何も言わなければ行使せず終わらせてしまいそうな気もするけど……龍園はどういう指示を出すのだろう?

 イベントは終わったが、その余波はまだまだ収まりそうにない。恵ちゃんの件も含め、今後のDクラスの動きには注目しておいた方がいいかもしれない。

 

「……さすがに寒い。帰るか」

「ええ、そうしましょう。そろそろ雨が降ってきそうです」

 

 伊吹の背中が見えなくなった後、俺たちは学生寮に向かって歩き始めた。

 雲がかかった灰色の空を、少し不気味に感じた。



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番外編4

 お久しぶりです。生存報告です。
 言い訳は長々と活動報告に記載させていただきました。
 あちらに書いた通り全く見通しが立たない状況ですが、なんとか復活できたら……とは思ってます。
 この話はpcに残っていたメモから書き起こしたものです。短いです。

 連載を待っていた皆様、本当にすみませんでした。


 それは、中学2年の夏休みのことだった。

 俺たちは二人で、外を歩いていた。

 うちのご主人様は身体が弱いくせに、クソ暑い中散歩したいなどと言い出したのだ。

 そこで日傘を用意して、彼女にだけ差してやっていた。それによって俺は35度の炎天下であってもノーガード。倒れてしまいそうな灼熱に耐えながら、付き合っている。

 

「歩くのが速いです。もっと私に合わせてください」

「……わかった」

 

 クーラーの効いた部屋に帰りたいと思っていたためか、無意識に歩く速度が上がっていた。

 彼女は人の気持ちを一切考えず、そのことを指摘してきた。冷たすぎる態度にむっとしながらも、歩調を合わせた。

 

「それにしても、暑いですね」

「そうだな」

 

 俺はお前の何倍も暑いけどな、とは言わないでおいた。少しでも反抗的なことを言うと、このプリンセスは熱くなって反論してくる。その方が圧倒的にめんどくさい。

 ……まったく、困った主人だ。

 

「あなたが私の隣にいることを許されているのは、身体面で支えることができるからです。しかし、いずれあなたは私にとって不要な人間になると思います。その時が来れば、お別れです」

 

 何を言い出すかと思えば、お得意の天才マウントだ。また始まったよと辟易しながらも、俺は適当に相槌を打ってやる。特にイラつくこともない。所詮はガキの相手だ。

 

「有栖ちゃんは天才で、俺は凡人。否定はしないさ」

「そうですね。本来あなたは、私から意識されるような人間ではありません。あなたの父と、私のお父さま……その良好な関係を維持するために使われているのです」

「ああ、わかってる」

 

 思うところが無いわけではないが、言っていることは事実だ。

 俺がいなくても、有栖ちゃんは大して困らない。せいぜい世話係がいなくなる程度のもので、こいつの父親の財力を考えればその道のプロを雇うことなど容易である。

 

「可愛くって頭がいい。そんなお前と俺が、釣り合うわけがないだろ」

「ふふふ……」

 

 不愉快な発言も多いが、可愛いところもある。こんな風に煽てたら、いい気になってしまうぐらいには子供なのだ。元大人の俺が、わざわざ目くじらを立てるものではない。

 

 いずれ縁を切られるだろう、と覚悟していた。

 まさか同じ高校に行くことになるなんて、考えもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 それから月日が経ち、卒業式の日がやってきた。

 式典の後、俺たちはいつものように手をつないで校舎から出る。

 あの夏の日から俺は、有栖ちゃんのペースに合わせて歩くことをより意識するようになった。

 

「……歩く速さとか、大丈夫?」

「問題ありませんが……あっ」

 

 俺の質問を受けて、有栖ちゃんもあのエピソードを思い出したらしい。

 一瞬はっとした顔をした後、途端に表情が曇り、目には涙が溜まっていく。

 

「ちょっ、そんなつもりじゃなくて」

「ご、ごめんなさい。あの夏のことですね。全て思い出しました」

「いいって!頼むから普通にしてくれ!」

 

 病院での一件以降、有栖ちゃんは過去のことを思い出す度に謝罪するようになってしまった。

 迂闊に思い出話もできないのでとても困っているのだが、この子の中では全てが黒歴史になってしまっているため、どうしようもない。

 思わず、「はあ」とため息をついてしまう。そんな俺の様子を見て、有栖ちゃんはびくっと身体を震わせる。

 

「ああ、別に不機嫌とかじゃないから。今のため息は……なんだろうな?」

 

 そこまで怯えなくてもいいのに、と思う。

 

「ふふ……」

 

 揺らぐ瞳で、遠くを見つめる有栖ちゃん。

 自信無さげな姿は、かつての彼女からは全く想像できないものである。

 どうしてこうなったのか、なぜ変貌してしまったのか……この時の俺は、その原因が自分にあることをまだ理解していなかった。




 自分が過去に書いたものを読み返すというのは、なかなか恥ずかしい気持ちになりますね。

(追記)前半の内容は、R-18の20話ですでに投稿したものだったので消しました。
 こちらは、雑魚君の身の上話はなるべく出さないというスタンスで書いていたことを思い出しました。


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番外編5

 なんとか設定を思い出すべく、少し先の原作を読みつつ過去作を見返しています。

 こちらは過去の遺物第二弾です。
 あまり面白いものではないかもしれませんが、暇つぶしにでもなれば幸いです。


 真夜中のこと。

 私はベッドの上で端末を触りながら、最愛の人を頭に思い浮かべていた。

 画面に映し出しているのは、内緒で撮った彼の姿。

 

「ふふふ……あっ」

 

 夢中になるあまり、画面から指を離していることに気づかなかった。

 設定された時間が経過し、端末にロックがかかってしまう。

 

(……みんな、私の何を見ているのかな)

 

 ブラックアウトした液晶に映るのは、口角を上げて笑う私の素顔。

 一気に現実に引き戻されて、気持ちが萎える。

 

 醜い。

 今見ているのは、自ら立候補してクラスのリーダーになっておきながら、そのストレスに負けて放棄しようとした無責任な女である。全てを自分の手で作り上げておいて、「こんなはずじゃなかった」と周囲に責任を押し付ける卑怯者だ。

 宗教のように過熱した信仰だって、原因は全て私にある。それをわかっているのに、被害者面するのをやめられない弱く汚い人間がここにいる。

 かつての私が今の私を見たら、一体どう思うのだろう?

 

 ……こんなどうしようもない人間が、勝ち続けている。

 一部の天才の余興として、嘘に塗れた勝利を手にし続けている。

 そして、私が勝つたびに周囲の「仲間」たちは私という存在をさらに担ぎ上げ、偽りの体制をより強固なものにしていく。

 

 誰も私を理解してくれない。私の弱さをわかってくれない。

 死にたくなってきた。ああ……

 

「ううっ……だめ」

 

 はっとして、私は再び端末を操作する。

 体育祭の時に撮った彼の体操着姿を見て、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 

 彼だけは、他と違う。

 彼は私のことを、こんなにダメな私の本質を知ってもなお、優しさで受け止めてくれる。

 

「だいすき……」

 

 だから私は、彼のためだけに戦う。そうやって、彼の心に私という存在を留めてもらうのだ。

 私は聖人君子ではない。……ましてや、神様なんかじゃない。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 全ては、有栖ちゃんの計画通りに動かされていた。

 初めて出会った段階で、彼女はクラスポイントの仕組みを全て理解していた。

 ……あそこまで優秀な子が、自分でクラスを統治しないということ。これが何を意味するか、当時の私は理解することができなかった。

 有栖ちゃんによるサポートを受け、私は本来なら得られるはずのない勝利を重ね続けた。その結果、クラスの生徒たちは全てを私に捧げる「教徒」ばかりとなった。

 

 教祖としての毎日は不自由ばかりで、私が思い描いていた高校生活とは大きくかけ離れたものだった。何をするにも護衛がつくし、誰かと友達になりたいと思っても話しかけることすら憚られる。私は周囲から畏れられてしまい、クラス外での友好関係は極めて狭いものとなった。

 

『普通の楽しい学校生活を送りたい』

 

 何度、そう嘆いたことだろうか。

 こんなことなら、リーダーになんかならなければよかったとさえ思った。

 しかし、私には逃れられない「枷」があった。

 半年間引きこもることになった、あの出来事だ。

 過去の罪が、私から逃げるという選択肢を奪っていた。

 

 そんな私の心が折れたのは、夏休み明けのことだった。

 千尋ちゃん……私のクラスの中でも最も狂信的な女子が、勝手に作った私のポスターを教室内の至るところに貼り付けて、悦に浸っていた。

 そこらじゅうに私の笑顔がある光景と、それを違和感なく受け入れている周囲の人間たちに私は恐怖を覚えた。

 

 この日、私はクラスが自分の味方ではないように感じてしまった。

 一度は誰も退学させずに戦おうと誓った、39人の仲間たち。

 それらが全て、私の前から消え去ってしまったのだ。

 ここにいるのはもう、頭のおかしい信者たちだ。

 

 自分の顔が、晒されている。

 祀られている。

 崇められている。

 

 急に吐き気を催した。

 私の容姿が優れているかどうかなんてわからない。しかし生徒たちはそれを見て、そこに神様がいるかのように奉っている。なんでなんでなんで、気持ち悪い!!!

 

 しにたい。

 

 取り繕いながら我慢を続けたものの、吐き気はどんどん悪化していく。

 今ここにいる全員が、遠回しに私を虐めているのではないかとさえ思う。

 

「……えーっと、すごいな」

「うわぁ、これは本当にすごいですね。驚きました」

 

 その時に教室へ来てくれたのが、彼らだった。

 私、一之瀬帆波という人間と対等に向き合ってくれる数少ない友人。

 当時準備していたイベント……体育祭の話を無理に打ち切って、彼らの元へ向かった。

 

 私は縋るような思いで、その日の放課後に会う約束を取り付けた。

 今までに蓄積していたストレスも合わさって、私の精神はもう限界だった。

 

 客観的に見れば、私は大成功だ。

 実力至上主義の教室でトップを取り続けている。

 現状、Aクラスの特典を受けられる確率が最も高いのは間違いなく私たちだ。

 

「おえっ、うええ……」

 

 気持ちが悪い。

 思い出したくない中学時代の記憶がフラッシュバックして、心を抉っていく。

 ああ、こんなにうまくいっているのに、どうしてあの頃と同じぐらい……いや、それ以上に辛いんだろう?

 

 わからない。

 自分の心がわからない。

 私は一体、何のためにこの学校に来たの?

 

 どれくらい泣いたかもわからないまま、彼らの部屋を訪れた。

 頭の中は既にぐちゃぐちゃで、冷静になんてなれそうもない。

 だけど、あの二人なら……

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その扉を開けると、有栖ちゃんと彼の姿が目に入った。

 いつもと変わらない二人を見て、少しだけ心が落ち着いた。

 けれども、ここで私はさらに残酷な現実を思い知ることとなる。

 

 二人の部屋に入った私は、耐えられずに泣き続けた。

 自分の弱さをわかってほしくて、隠し続けていた中学時代のエピソードを吐露した。

 本当の私を誰も知らない。知ろうとしてくれない。

 どうか助けてほしい。その一心で、全てを話した。

 

 しかし、そんな私を有栖ちゃんは冷めたような目で見つめた。

 私の顔を一瞥した後、興味なさげな態度を取った。

 

 拒絶。

 

 この瞬間、私は彼女からの助けは期待できないことと、嫌われていたことをようやく理解した。

 あれほど私を贔屓していた有栖ちゃんは……決して、本当の友達などではなかった。薄々感じつつも目を背けてきた事実を突きつけられた。

 

 そんな中、心配そうに見つめてくれる彼の顔だけが救いだった。

 柔らかく包み込むような優しい感情が、激しいストレスを少しだけ緩和してくれる。

 でもその中心は、常に隣の銀髪に注がれていて……

 

 しかし、彼女はそんな優しささえも私から奪い去っていった。

 私を試すように、さらに追い込むように残酷な選択を迫る。

 ……彼以外の全てを捨てなければ、仲良くなれないと言い放ったのだ。

 

 この段階では、確かに私の覚悟は足りていなかったのだと思う。それでも、友達だと思っていた相手にそこまで言われるのは悲しい。私はその場にいることが辛くなった。

 ただただ冷たい有栖ちゃんとは対照的に、彼はどこまでも優しかった。終始、私をこれ以上傷つけないよう優しい言葉を選んでくれているのを感じた。

 

 何があっても、彼だけは味方でいてくれるかもしれない。

 沈み切った心を支える、最後の砦だった。

 

 どうして?

 あなたはいつだって、愛されてるよね?

 私は、縋り付くことさえ許されないのかな?

 

 ……そう有栖ちゃんに言い返したかった。

 しかし、それすらもできない自分が本当に惨めだった。

 以降は会話もなく、時間だけが過ぎていった。

 ただただ無駄で意味のない、どうしようもないひとときだった。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 夜になると、あの場所……学校の屋上に立ちたい気分になって、私はフラフラと部屋を出た。

 

 マンションのエレベーターを降りて、校舎へ向かう。

 足取りは重い。

 もしかして、彼がついてきてくれたりしないだろうか。

 いや、そんなことはあり得ない。彼はいつだって、有栖ちゃんを第一に考えて行動していた。あの子があんな態度である以上、こちらへやって来るはずがない。

 それでも、彼なら……わずかな期待を胸に秘めつつ、私は階段を登った。

 

「……もう、やだよ。全部やだ。いやなのに…………」

 

 屋上に立った私は、グラウンドを見下ろしながら独りごちた。

 一時間ぐらいここにいたが、誰も来なかった。変な期待をした自分が恥ずかしかった。

 いっそのこと、この場所から飛び降りてしまいたいぐらいだ。

 死は、人類に対する最大の救いであると聞いたことがある。一歩踏み出せば全てが終わる……しかし私には、その勇気さえもない。あまりにも矮小な自分が嫌になった。

 

 日が落ちていくにつれて、諦めが心を埋め尽くしていく。

 ギリギリのところに足を出して、体重をかけると……ああ、あと一歩。

 ここで身体を前に倒せば、私の人生が終わるんだ。

 

「死ぬ瞬間って、苦しいのかなあ?」

 

 風が吹いた。

 危ない危ない、うっかり落ちるところだった。でも、もしここで落ちて死んだとしたら……彼は私を、一生覚えていてくれるだろうか?

 それも悪くないかもしれない。

 

 そんな時だった。誰よりも優しい、大好きな男の子が現れたのは。

 

「やめろっ、帆波!」

 

 大きな声に振り向くと、彼がいた。

 私が自殺をするのではないかと、勘違いして焦っていた。

 ……完全な勘違いというわけではないが。

 

 強く身体を引き寄せられて、ドキッとする。

 顔が近い。急に見せた男らしさに、心が熱くなる。やっぱり私はこの人のことが……

 

「何考えてるんだ、お前!」

「あはは、ごめんね……死ぬつもりはないよ」

 

 半分嘘だ。あのまま誰も来なかったら、私は……どうしていただろう?

 息を切らしている姿が、今までになくかっこよく見える。ああ、あの子はこんな人を恋人にしてるんだ……ずるい。妬ましい。

 頭の中をグルグルと渦巻く、黒く染まった感情。彼に助けられた状況も合わさって、私の心はこれ以上ないほど昂っていた。

 

 きっとこの時、私はもう……

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 気づけばもう、朝になっていた。

 良い夢を見ることができた。

 

「大好き」

 

 彼への想いを口にして、私はベッドから立ち上がる。

 どうしようもなく憂鬱な気持ちを振り払い、学校へ行く準備を始める。

 

 ……どれだけ頑張ったところで、私があの子の場所に立てる可能性はゼロに等しい。

 本当の意味で愛されることは、きっと無いのだろう。

 でも、後悔だけはしないようにしよう。

 精一杯の愛情を向けて、それでもダメなら……

 

 一歩、踏み出せる。

 あの日に踏み出せなかった一歩。

 そうすればきっと、彼にとって私は永遠になる。

 それって、とても幸せじゃないかな?

 

「ふふっ」

 

 いつの間にか、私の心には勇気が生まれていた。

 今日の私、結構可愛い気がする!





 もっと前のどこかで出そうと思っていたのですが、メンヘラの夢日記みたいでうーんと思い、お蔵入りさせていた記憶です。

 43話以降の有栖ちゃんは、この人の対応に苦慮しています。


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第84話

 久しぶりすぎる更新です。
 それに先立って、ちょっとだけ82話を直しました。
 矛盾というほどではないですが、話の流れ的に微妙な部分を見つけました。


 次の日。

 俺と有栖ちゃんは、清隆の部屋にお邪魔していた。

 

「堀北さんのことは残念でしたね」

 

 開口一番、有栖ちゃんは堀北の話を振った。

 清隆は動じることなく、一度頷く。

 

「南雲がここまで干渉してくるとは思わなかったが、このイベントで堀北が折れることは予測していた。だから、恵に全て委ねたことが失敗だったとは思っていない」

「……そう?」

 

 隣に座る恵ちゃんの表情は浮かない。

 龍園にまんまとやられたことを気にしているようだ。

 

「あまり気にするな。有栖の介入もあって、あいつが完全な傀儡となる事態は避けられた。こちらとしては何の問題もない」

「私もそう思います。どうせ役には立たないのですから、害をなす存在とならなければ十分です」

「どちらかというと、面倒なのは兄の方かもしれないな……どうしたものか」

「前会長と、何か契約でも?」

「契約というほどのものではないが、オレはあの男との約束を守らなかったことになる」

 

 そういえば、清隆はだいぶ前から堀北兄と何かあるような感じだった。

 だが今その内容を話すつもりは無いようで、黙り込んでしまう。

 少し気まずくなったので、俺から話を切り出すことにした。

 

「つっても、あと一か月もしないうちにあの人は部外者になるだろ。何かしでかすにしても、卒業まで時間が無さすぎる。もう警戒する必要もないんじゃないか」

「そういうものか?」

「ああ。むしろ、今回のイベントで清隆が動かなかったことは、面倒ごとを避けるという意味では最善手だったと思う」

 

 清隆が堀北をどうにかしようとして動いていた場合、それは確実に南雲に察知されただろう。目的が堀北の「私物化」だった以上、直接的に邪魔をしてくる者に対して容赦はしないはずだ。

 もちろん清隆が南雲如きに負けるとは思っていない。しかし、そういった面倒くさい事態を引き起こしてまで救うほどの価値が、今の堀北には無い……と、清隆自身も思っていることだろう。

 

「お前がそう言ってくれてよかった。飛んで火にいる夏の虫、になってやる必要もないからな」

 

 恵ちゃんの頭を撫でながら、清隆はそう言った。

 その後も有栖ちゃんと清隆は、仲良さそうにいろんな話をしていた。

 龍園と手を結ぶ機会が増えそうだということ、恵ちゃんの今後の動き方。

 本当にいろんなことを考えていると、尊敬してしまう。

 なんだかんだ話についていってる恵ちゃんの地頭の良さにも感心した。

 

 しかし、先ほどから俺の頭にずっと浮かんでいるのは全く違うものだった。

 今この場にいない、大切な人……

 

(きっと、避けては通れないだろう)

 

 おそらく堀北鈴音と最も相性が悪いといえる、あの子のことだ。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 その夜。

 今日は外食にしようと思い、俺たちは桔梗ちゃんを連れてレストランに来ていた。

 

「たまには、こういうのもいいかも」

 

 メニューを広げる桔梗ちゃんを眺めていると、一人の男がこちらのテーブルに向けてまっすぐ歩いてきた。そのガタイとどこのチンピラだよと突っ込みたくなるような歩き方から、それが龍園翔であることはすぐにわかった。

 

「けっ、相変わらずテメェはいつも女を連れてやがるな」

「どうしたんだ、龍園。俺たちと飯でも食いたくなったのか?」

「馬鹿言え、そんなわけねえだろ。くくっ……店の前を通ったときに、お前らがイチャイチャしてやがるのが見えたからな」

「やっぱり一緒に飯を……」

「いい加減にしろ、殺すぞ。話があるのは坂柳の方だ」

「私ですか?」

 

 きょとんとする有栖ちゃん。

 龍園は当然のごとく桔梗ちゃんの隣に座り、タブレットでステーキを注文した。

 結局食うのかよ。このツンデレめ。

 

「知ってると思うが、前のイベントで伊吹はクラスを移動する権利を得た」

「ええ、そうですね」

「あの女をAクラスに迎え入れてやれ」

 

 そう言い放って、龍園は乱暴にタブレットを隣に投げ渡す。

 その態度に桔梗ちゃんは一瞬イラっとした顔をしたが、黙って自分の注文を入力した。

 

「何もせずとも本人が望めばそうなると思いますが、わざわざ私にそのようなお願いをするということは、伊吹さん自身が首を縦に振らないのですね」

「ケッ、あいつが何考えてるのか全くわかんねえ。雑魚は勝ち馬に乗るのが基本だろうがよ」

 

 使う言葉は汚いが、言っていることは結構優しい気がする。

 龍園って、そういうところあるんだよなあ。

 そう思ってニヤニヤしていたら睨まれた。

 

「私が彼女を説得したとして、彼女の意志が変わることはあるのでしょうか?」

「何かごちゃごちゃ言って来たら、俺の名前を使え。龍園が『テメェは俺のクラスに不要』だと言っていたと伝えればいい。実際間違っちゃいねーよ」

「あなたがご自分でお伝えすればいいと思いますが……まあ、わかりました。今度会ったときにでも話しておきましょう」

 

 ……何だろう。

 今日の龍園は歯切れが悪いというか、彼らしくない。

 何か迷いがあるのだろうか?

 

「龍園って、クラスの全員をAクラスに移動させようとしてるんだろ?」

「……さぁな」

 

 やはり、間違いなさそうだ。

 思い出すのは、林間学校での龍園の様子。あの日の龍園は、俺との戦いに負けた悔しさを見せつつも、ひよりに対してどこか「良かったな」と言いたげな雰囲気があった。

 策の張り合いという、小さなゲームには俺が勝った。しかし勝負としてはどうだろう?

 ひよりがAクラスのポイントを使って移籍した。龍園からすれば、この結果はどうだ?

 俺はもしかしたら、あの時こいつの望み通りの動きをさせられたのかもしれない。

 ……それを踏まえて、先日のイベントだ。なんだかんだ、この男は凄い。

 

「ふふ、晴翔くんはあなたを褒めているのですよ」

「そうかよ。随分と上から目線なことで」

 

 案外、伊吹を突き放す決心がつかないだけなのかもしれないと思った。

 だったら本当に面白いけど。

 

「ったく、どいつもこいつもムカつくぜ」

 

 料理が到着した後、龍園は勢いよく肉と飯をかきこんだ。

 すぐに平らげてしまった光景が、なんだか照れ隠しのように感じた。

 

 

 

 龍園はレジで自分の会計を済ませた後、さっさと帰っていった。

 面白い話を聞かせてもらったお礼に払ってやろうと思っていたから、拍子抜けだった。

 レストランを出て、俺たちは帰り道を歩く。

 

「龍園のやつ、本当に全員をAクラスに移籍させるつもりなの?」

「多分ね」

 

 桔梗ちゃんは初耳だったからか、興味津々といった様子。

 

「間接的に、帆波さんのクラスがさらに強固なものとなりますね」

 

 有栖ちゃんは面白いのかつまらないのかわからない、何とも言えない表情をしている。

 全員移籍計画を実行する過程で、龍園がクラス間闘争においてAクラスを叩くメリットは一切ない。帆波たちがその地位を守れなければ、すべての前提が崩れるからだ。叩くどころか、クラスポイントに関してはBクラス以下とさらに大きな差をつけることを望んでいるだろう。

 つまり、今この学年でAクラスの支配を打ち破る可能性があるのはCクラスのみということになる。清隆がAクラスに興味のない現状で、そんなことが可能かと言われると……

 

「恵ちゃん次第?」

「おそらく、逆転は無理だと思いますが……でも、その中で彼女の成長につながればそれでいい。きっと清隆くんはそう考えていることでしょう」

 

 そこで言葉を切った。

 Aクラス争いが、一年生の間にほぼ終結する。

 こんなことになるとは、入学当初の俺に伝えても絶対に信じないだろう。

 

 あの頃の俺は、ただ穏やかで平和な普通の生活を楽しむことを求めていた。

 今はどうだろう?

 もちろん、退屈しないのに越したことはないが……

 

「ん?」

 

 ぽつぽつと、コートを濡らす水滴。どうやら雨が降るらしい。

 風邪をひいては困ると、俺たちは寮への道を急いだ。

 

 

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 なんとか本降りになる前に戻ってくることができた。

 多少早く歩いたからか、有栖ちゃんが息を切らしている。

 

 夜中の学生寮は薄暗く、なかなか不気味な雰囲気を醸し出す。

 エレベーターを降りると、もう夜八時だというのに部屋の扉の前に人影があった。

 遠目では誰か分からないので、少し警戒しながら距離を詰める。

 

「誰だ?」

「あっ」

 

 あまり来てほしくない人間だった。

 その黒髪を見て、桔梗ちゃんが露骨に嫌そうな顔をした。

 

「……うざ。こんな時間に、なんであいつの顔を見なきゃならないのよ」

 

 嫌いであることを隠そうともしない。

 平和だった空間が、一瞬で修羅場と化してしまった。

 二人の関係を考えれば、こうなることは時間の問題だった。

 これが日中で、桔梗ちゃんが営業モードであればまだ良かったのだろうが……

 

「とりあえず、上がれよ。こんなところで突っ立ってたら寒いだろ」

 

 俺は扉の鍵を開け、女を部屋の中へ通した。

 ぜひともお引き取りいただきたいところだったが、やむを得ない。

 

(まずいことになったかも)

 

 桔梗ちゃんには、まだ先日のイベントの顛末を伝えていない。有栖ちゃんがこの女に対して何をしたか知った時、心中穏やかなままでいられるとは到底思えない。

 

「鈴音さん、どうしたのですか?」

「……南雲が、私のことを」

 

 何やら有栖ちゃんに相談を持ちかけているが、そんなことはどうでもいい。

 俺は隣に座る桔梗ちゃんの背中をさすって、精神の安定を図る。

 有栖ちゃんが名前呼びしたことで、一瞬顔をこわばらせたからだ。

 

 さて。

 そもそも、俺はこの女……堀北に対して一切の情はない。

 桔梗ちゃんとどちらが大事かと聞かれたら、100対0で桔梗ちゃんを選ぶだろう。

 

 俺は、堀北は()()()()()()()()()()()()と考えていた。

 

 もちろん有栖ちゃんと清隆の間で何らかのやり取りがあったことは知っていたし、南雲に依存されては面倒だという判断もよく理解できる。

 しかし、それらの事情はすべて桔梗ちゃんに過大なストレスがかかることを考えれば些事に過ぎない。堀北の末路など、俺の知ったことではない。

 

 堀北鈴音の扱いについて、俺と有栖ちゃんの考え方は相当食い違っていると見ている。

 俺にとって、桔梗ちゃんの平穏無事より優先することなんて存在しない。

 たとえどれだけ面白くなるとしても、この子に嫌な思いをさせていい理由にはならない。

 もちろん有栖ちゃんの意見は尊重してあげたいし、そういう結論に至ったことに対して文句を言うつもりはないが、堀北の心を救って依存させるという戦略は俺が逆の立場だった場合には絶対に選ばないものである。もう遅いかもしれないが、これだけは後で伝えたいと思った。

 

「……あんたにだけは、この場所に踏み入ってほしくなかった」

 

 淀んだ目で堀北を睨む桔梗ちゃんを、俺は抱き寄せる。

 この二人が今どういう関係になっているか、ある程度察してしまったのかもしれない。

 

(大丈夫だから)

(ありがとう。あいつが帰るまで、こうしててもいい?)

(もちろん)

 

 桔梗ちゃんに耳打ちをして、落ち着いてもらう。

 柔らかい手をぎゅっと握りしめると、少し震えていることがわかった。

 

 有栖ちゃんはいつも、俺を楽しませてくれる。

 俺のことをよく理解して、俺が喜ぶような行動を選んでくれる。

 しかし、今回ばかりは一つ大きな読み違いをしていると思う。

 

 桔梗ちゃんにとって、俺たちとこの部屋で過ごす時間は侵されたくない聖域になっている。大幅に弱体化したとはいえ、自分の黒歴史の象徴ともいえる堀北が立ち入っていい部分ではない。

 心が折れたとか、改心したとか、そういう問題ではないのだ。

 もし有栖ちゃんが俺を楽しませることを優先し、桔梗ちゃんにかかるストレスを軽視したとすれば、「それは違う」と言わせてもらいたい。

 

(やっぱり、あの時潰しておけばよかった)

 

 俺にだけ聞こえるよう、耳元でそう呟いた。

 俺は、俺の家族が傷つくことを許せない。

 今から行われるであろう彼女たちの会話に、介入することを決めた。



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第85話

 復活からだいぶ塩漬けにしてしまいましたが、やっと流れができてきたので投稿します。
 お付き合いいただける方は、どうぞよろしくお願いします。


 それから堀北の独白が始まった。

 機嫌の悪い桔梗ちゃんを尻目に、自分がいかにクラスで孤立していったか、そしてその結果どうなったか……俺たちはそんな話を延々と聞かされたのだった。感情的になっているためか内容に支離滅裂な部分があり、要点がわかりづらかったというのが正直なところだ。

 

「状況はわかりました。大変だったのですね」

 

 話を一通り聞き終えた有栖ちゃんは、同情するように言った。

 内心どう思ってるかはわからないけれど、少なくとも表面上は寄り添う姿勢を見せている。

 

「要は、南雲に『そういう関係』を求められたってことだろ?」

「……ええ」

 

 堀北は暗い顔で、俺の言葉に同意した。

 今の堀北には、例のイベントによって課せられた2000万ポイントを支払うアテがない。そのことを主催者たる南雲に伝えたところ、堀北の債務を肩代わりする条件として、「私物」に加わることを要求されたらしい。プライドの高い彼女にとっては屈辱以外の何物でもない提案だろうが、退学だけは回避しようと思いやむなく承諾したようだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。別に堀北がどうなろうが俺の知ったことではない。それよりも、隣に座る桔梗ちゃんが不安定になっていることの方がよっぽど問題だ。

 

(大丈夫?)

(うん、なんとか……早く帰らないかなあ)

 

 俺の手を強く握っている。本当に、早くお引き取り願いたい。

 

「放課後、あの男の部屋に呼び出された。そうしたら、急に迫ってきて……」

 

 堀北が今日泣きついてきたのは、南雲に肉体関係を求められたからだ。あの男の性質を考えれば容易に想像できる流れだが……あまり同情はできない。そうなるに至った原因の多くが自身の行動や態度にある以上、自分でどうにかしてくれとしか思えない。

 

「……そうか。で、お前は俺たちに何を求めているんだ?」

 

 出ていってほしいという気持ちからか、語気が強くなってしまう。

 何てことはない。いかにも南雲のやりそうなことだし、特に驚くような話じゃない。

 冷め切った心のまま、テーブルのお茶に口をつけた。

 

「何って……あなたは冷たいのね」

「そうかもしれないが、お前にだけは言われたくないな。つーか、嫌なら全てを拒否して退学すればいいだろ。今さらこんな学校に残って何になる?」

 

 黙り込む堀北。

 ……俺がこいつの立場なら、とっくに全てを投げ出して退学しているだろう。自分を売ってまでしがみつくほどの価値を、この学校に対して見出せないからだ。

 おそらく、兄が生徒会長として立派に三年間をまっとうしたということが枷になっているのだろう。特に助けてやりたいとは思わないが、そのあたりの事情は少し気の毒ではある。

 

「あと、有栖ちゃん……俺が今考えてること、わかる?」

 

 有栖ちゃんが頷く。先ほどからずっと、この子は桔梗ちゃんの様子を観察していた。言わずとも俺の意図を理解してくれたようだ。長年の付き合いが成せる技というか、そのあたりはさすがだと思う。

 

「鈴音さん。私は友達として、あなたの助けになりたいと思っています。しかし、課せられた2000万ポイントを私たちが用意することは現実的ではありません」

 

 わりと現実的なんだけどな。やらないだけで。

 

「ええ、さすがにそれはわかっているわ。そんな虫のいい話があるわけないもの」

「力になれず申し訳ありません。その代わりと言っては何ですが、あなたに対して酷い扱いをしないよう南雲会長に伝えておきましょう。それで少しは改善されるといいのですが」

「……ありがとう、有栖」

 

 表情が少し明るくなった。有栖ちゃんがわざわざ南雲にお願いするとは思えないが、メンタルをやられている堀北には沁みる言葉だろう。この学校に入学してからというもの、他人からここまで優しい対応をされたことは無いはずだ。

 本来の堀北であれば疑ってかかったのだろうが、有栖ちゃんの口八丁を「嘘くさい」だなんて感じられる余裕があるなら、そもそも今日ここに来ていないだろう。

 

 答えに満足したのか、堀北は一呼吸置いてから立ち上がり、俺たちに背を向けた。

 帰る直前、その後ろ姿に向けて桔梗ちゃんが言葉を発した。

 

「ねえ、一ついい?」

「……何?」

 

 堀北をまっすぐ射抜く視線。それを受けて、追い詰められた彼女は何を思うのか。

 

「二人がどう思ってるかはわからないけど、私はあなたのことが嫌い。これから先、何があってもこの気持ちが変わることはないと思う。今この部屋にあなたの姿があること自体、許せないぐらいだから。きっと、私たちはどうしようもなく相性が悪い」

「そう。それは残念ね」

 

 口では残念と言っているものの、特に残念そうな態度には見えない。堀北としても、桔梗ちゃんを味方につけることはもう諦めたようだ。

 

「……全てを嘘で塗り固めた私と、馬鹿みたいに正直な堀北さん。私たちの立場が逆になってた未来も、あるかもしれない」

 

 だから、二人には感謝しないと……と言葉をつなぐ。

 一瞬、堀北の鉄仮面が揺らいだ。感情を含んだ目で桔梗ちゃんを見つめる。

 

「あなたは何が言いたいの?」

 

 最後の問いに対して、桔梗ちゃんからの返答はなかった。

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 堀北が去ってから、有栖ちゃんはまず俺たちに頭を下げた。

 

「いや、いいんだ。桔梗ちゃんの気持ちをわかってくれたなら、俺はそれだけでいい」

「本当に申し訳なかったと思います。配慮が足りていませんでした」

 

 おそらく、有栖ちゃんはこのタイミングで堀北を落とす算段を立てていたのだろう。好感度がいい具合に上がった今、甘い言葉を続けて従順な駒を作る予定だったのだ。少なくとも、「2000万は用意できない、何もできないが善処する」という毒にも薬にもならぬ宥め方をするようなプランではなかったと思う。もっと深く、自分に心酔させる方向で考えていたはずだ。

 桔梗ちゃんのことが盲点だったというわけではないだろう。俺たち三人の関係はそんな浅いものではない。単純に、有栖ちゃんにとってはそれが受容できるリスクであり、堀北を駒にするというリターンに釣り合うものであったと判断しただけだ。

 だからこそ、俺がストップをかけなければならなかった。桔梗ちゃんを傷つけてまで欲しいモノなど存在しない。今後のためにも、それは違うぞとはっきりさせておく必要がある。

 

「俺は二人のことが大好きだ。ほとんど家族といっていい存在だと思ってる。だから、この関係にヒビが入るようなことは起きてほしくない」

「……はい」

「有栖ちゃんが、俺のために動いてくれていることはよくわかってる。それで楽しませてもらってる立場だし、実際ありがたいと思ってる。けれど……」

 

 ちらっと桔梗ちゃんを見る。先ほどとはうってかわって、穏やかな微笑みを浮かべている。

 ずっとこういう顔をしていてほしい。もっと突き詰めて言えば、もう自分の過去のことなんか忘れてほしい。この子が自分を作り上げる必要なんてない環境を整えてやりたい。

 

「そう、ですね。何を第一優先とするか、認識に齟齬があったのかもしれません」

 

 かつての俺なら、有栖ちゃんがいろんな人を踏み台にして遊ぶことを何も考えず楽しんでいただろう。しかし今は違う。もう一つ優先すべきものができたのだ。

 とはいえ、その価値観を明確に伝えておかなかったのは完全に俺のミスである。

 

「……いや、悪いのは俺だな。堀北を退学させない方向に進んでいる段階で、一度確認をしておくべきだったんだ。いきなり首を突っ込むような真似をしてごめん」

「い、いえ。悪いのは私のほうで……」

 

 どちらも自分が悪い、となってしまった。少し気まずくなって言葉に詰まる。

 そんな俺たちの様子を見て、桔梗ちゃんが笑った。

 

「あはは、二人とも私のことで争わないでよ。ほんっとにもう……」

 

 とても嬉しそうだった。その様子を見るだけで、心がほっこりとする。

 ……やっぱり、俺はこの空間を守りたい。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 真夜中のことだった。

 ふと目覚めた俺は、ベッドを抜け出して立ち上がった。

 すると、一緒に寝ていたはずの桔梗ちゃんの姿が無いことに気づいた。

 

 ……どうしたんだろう?

 

 急に用事を思い出して帰った、なんて時間ではなかったはずだ。

 あれからいろいろと話が弾んで、寝るときには夜一時を回っていた。

 俺はスマホのライトで足元を照らしながら、少し歩いてみる。

 

 玄関に、桔梗ちゃんの靴がなかった。それを見て急に焦りが生じた。

 こんな遅くに女の子が一人で外に出るなんて、万が一のことがあったら大変だ。

 慌てて靴を履いて扉を開き、エレベーターの方へ走っていく。

 

「あっ……」

 

 聞き慣れた声が耳に入る。

 エレベーターのすぐ近くで、桔梗ちゃんは夜空を見上げていた。

 

「……心配したよ。どうしてこんなところに?」

「ごめんね。ちょっと、眠れなくって」

 

 俺は冷や汗を拭い、桔梗ちゃんの隣に立つ。

 

「やっぱり、堀北のこと?」

「うん。ほんっと、馬鹿な女だよね……自分を売るなんて、できっこない性格のくせにさ」

 

 その表情は嘲笑といった類のものではなかった。

 同情、もしくは憐憫か。

 

「それに関しては、自業自得な部分も大きいと思うが」

「ふふっ、意外と晴翔くんって厳しいよね。でも……私は、あいつが退学したら満足するのかなって。それが正解なのか、今ごろになってわかんなくなっちゃった」

 

 堀北の退学は、かなり現実味を帯びているといっていい。俺の考えを聞いたことで、有栖ちゃんがあいつに直接手を差し伸べる可能性はなくなった。

 しかし、南雲に媚を売ってご機嫌を取りながら生き延びるなんて、堀北には不可能な行動だ。そんな立ち回りができるような人間であれば、そもそも周りから嫌われることはなかっただろう。

 このまま誰も何もしなければ退学。これは避けられない流れだ。

 

「……だったら、有栖ちゃんに任せる?」

「それは嫌。あんな奴が私の大切な場所に入ってくるなんて、我慢できない。だから、晴翔くんが有栖ちゃんを止めてくれたことには感謝してる。ありがとう」

 

 難しい。桔梗ちゃん自身も、自分の気持ちが整理できていないようだ。

 眠気がすっかり飛んでしまった頭を回転させて、考えてみる。

 ……2000万を工面すること自体は、簡単だ。帆波に言えばすぐ用意してくれるだろう。

 ここで第三の選択肢を思いついた。

 

「例えば、俺が2000万を用意して桔梗ちゃんに渡す。それを使ってあいつを助けてやるなんて手段は、どうだろう?」

「表面上、私が堀北を救った形にするってこと?」

「ああ。正直なところ、俺はあいつにはこのまま退学してもらってもいいと思っている。しかし、それはあくまでも桔梗ちゃんが望んでのこと。桔梗ちゃん自身が堀北鈴音という人間に何らかの価値を見出し、必要と思うのであれば話は変わってくる。そういう意味では、表面上というのはちょっと違うかもな」

 

 あくまでも、俺は桔梗ちゃんに頼まれなければ動くつもりはない。重要なポイントだ。

 

「あいつを救うかどうかは、私次第?」

「その通りだ」

「わかった、ありがとう。少し考えさせて」

 

 桔梗ちゃんの動きを見て、俺はさっそく帆波にメッセージを送った。

 俺のために2000万ポイントをくれないか?という内容だ。

 ……深夜三時だというのに、すぐ返信が来た。

 少し気味は悪かったが、すぐ準備するということだった。相変わらずとんでもない。

 

「とりあえず、こっちはオッケーだ。近いうちにポイントを送るから、受け取ってくれ」

 

 2000万は貸すのではなく、「あげる」方がいいと思っている。

 あくまで使途は限定しない。全てを桔梗ちゃんに委ねたい。

 じっくりと考えて、堀北のために使うか自分のために使うか判断してほしい。そのポイントで、好きなクラスに移籍することだってできるのだから。

 

「……私、今この学校で最強なのは晴翔くんなんじゃないかって思う」

「いやいや、そんなことはないだろ」

 

 メッセージ一つで2000万ポイントを用意してくれる女には負けるよ。

 

 

 

 話しているうちに眠気が来たので、俺と桔梗ちゃんは部屋へと戻った。

 電気をつけると、目が覚めてしまったらしい有栖ちゃんがベッドの上に座っていた。

 

「一人で置いてきぼりにされるぐらい、私はひどいことをしましたか?」

「ごめん!」

 

 心配していたのか寂しかったのかはわからないが、半泣きになっていた。

 それを見て、俺たちは二人そろって平謝りしたのだった。



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