大空の影になりたい夜の子の話 (雪の細道)
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プロローグ

星が綺麗に瞬く夜、月明かりと街灯に照らされた一人の少女が住宅街にいた。

 

白と黒のセーラー服を揺らめかせながら急くように歩くその姿は、およそ学校帰りといったところだろうか。

 

春から夏に変わる節目なのか、スピードを落とさず歩く少女――影宮 桜の額にはうっすらと汗が滲み出ていた。

 

 

コツコツとローファー特有の重低音を鳴らし歩き続けていると、不意に右肩の学生鞄からバイブレーションが伝わる。

 

 

静まり返った住宅街に少しばかり響く音に若干驚きつつも桜はスマートフォンを取り出した。

 

 

親友から届いたメッセージに添付されたアニメ画像にクスッと笑みを漏らすと、桜は街灯の下で立ち止まり慣れた指使いで手早く返信し再び歩きはじめる。

 

 

しかし、その足は前方に怪しく光るものによって止められた。

 

 

「あれは……猫?」

 

 

上空では風が強く吹いているのか、先程まで自身を照らしていた月は雲に隠れてしまっていた。

 

 

猫好きの桜にとっては、猫の姿が見えなくなる原因は全て忌ま忌ましく感じてしまう。

 

 

雲に隠れた夜空を見上げて眉間にシワを刻んだ表情はいささか不良のようだった。

 

 

夜空に向けていた視線を前方の猫に戻すと、願いが届いたかのように再び月が顔を覗かせる。

 

 

綺麗な満月が明るく照らすと、そこには毛艶の良い漆黒の猫が佇んでいた。

 

 

「すごい……黒猫エースじゃないけどイケメンだわ~」

 

 

あまり猫好きでもない親友がその場にいたら「猫にイケメンもくそもあるか」とツッコミをいただきそうだ。

 

 

感嘆のため息を漏らす桜だったが、そこでふとしたことに気づく。

 

 

「あの黒猫、オッドアイだ……」

 

 

驚くように呟くのも無理はないだろう。

 

 

桜が知っている知識では、オッドアイはその特殊な病気ゆえに色素の抜けた白猫が圧倒的に多いからだ。

 

 

そうそうめったに出会えるものでもない出来事に、桜は内心で自分の好運に感謝する。

 

 

雲が風によって消えたおかげで煌々と月に照らされた黒猫を、桜は自身の目と記憶に焼き付けるかのようにジッと見つめた。

 

 

艶やかに輝くツヤツヤとした漆黒の毛並み、ピンと立つ形の良い耳、引き締まったようにしなやかなその肢体から優雅に揺らめく長めの尻尾――……

 

何より、月明かりに反射して宝石のように澄んで煌めく、綺麗な紺碧と碧緑のオッドアイ。夜特有の暗さで瞳孔は太くなり、いっそう猫特有の可愛さが引き立つ。

 

 

警戒しているのか定かではないが黒猫も桜と同じように相手を見つめていた。

 

 

そのうち、桜は黒猫に触れたい衝動に駆られる。

 

 

「触っても……大丈夫、かな」

 

 

誰に確かめるまでもなくポツリと呟いた言葉は静まり返る住宅街に響いた。

 

 

何処か遠くで興味深い音が聞こえるのだろうか、黒猫は時おり片耳を動かす。

 

 

自分の好きな黒猫か、それとも黒い毛並みにオッドアイという珍しい猫に出会えたからなのか。

 

桜はいつの間にか右手を握り締めていることに気づいた。

 

 

汗ばんだ右手の平を見つめ、桜は決心するように足を一歩踏み出す。

 

 

自身と黒猫の距離はおよそ3メートルほど。

 

 

その距離を少しずつ縮めていくが、黒猫はさして動じることもなく佇んでいた。

 

 

一度だけ砂利を踏んだために僅かな音が足元から漏れる。

 

しかし、それすら何でもないように目を閉じる黒猫に、桜は感服してうっとりとため息を零した。そしてついに桜は黒猫の元に辿り着く。

 

 

どうやら人なれしているらしい。

 

 

見上げる黒猫に出来るだけ近づこうと屈み込み見つめると、猫式挨拶である鼻キッスをお見舞いされる。

 

 

嬉しさで体を震わせる桜は端から見れば立派な猫馬鹿に見えることだろう。

 

 

幸いなことに、その恥態を目にする哀れな通行人は全く通らなかった。

 

 

しばらく悶えた後、桜は撫でくりまわしたい気持ちを抑えるように、おそるおそる右手を黒猫に差し出してみる。

 

 

フンフンと鼻を鳴らしながら自身の手を嗅ぐ仕草にさえ、桜には特上級の可愛さに見えてしまう。

 

 

一通り手の臭いを嗅いだ黒猫は、まるで興味が失せたように顔を別方向に逸らした。

 

 

(「これは撫でてもよろしいという合図だよね!」)

 

 

黒猫の反応を勝手に解釈し右手をそのまま頭に乗せる。

 

 

人なれしているゆえか、もしくは予想通りだったのか。

 

 

黒猫は驚くこともなく桜に大人しく撫でられていた。

 

 

そのうち気持ち良さそうに瞳を細め喉笛を鳴らし始める。

 

 

指先から伝わる温もりと、ゴロゴロと鳴らす小さな振動に桜は頬を染め愛しそうに見つめ撫で続けた。

 

しばらくそうして和んでいたが、不意に鳴らしていた喉をピタリと止め右手から離れる。

 

 

名残惜しげに右手を見つめる桜だが、黒猫と出会ってからずいぶん経ったはずだ。

 

 

スマートフォンを再び取り出して時間を確認すれば、すでに30分ほど経過していた。

 

 

アルバイトの帰りであったため、母親が心配することはないだろう。

 

 

しかしもうすぐで日付が変わる時刻。

 

過保護というほどではないが、日付が変わっても帰宅しなければきっと電話をかけてくる。

 

 

 

 

“そろそろ帰らなきゃ”

 

 

 

そう思って立ち上がり、別れを惜しむように黒猫をまた見つめた。

 

 

「にゃーぉ」

 

 

自身を見上げ、初めて鳴いた黒猫は僅かにハスキーがかった中性的な声だった。

 

 

声が聞けてよかった、と小さな笑みを浮かべたその時、やけに生温い風が住宅街を吹き抜ける。

 

 

もうすぐ夏だからだろう。

もしかしたらひと雨来るのかも──

 

 

そう思い特段気にすることもなく、何となしに空を見上げてみた。

 

 

やはり上空の方は強風のためか、満月が雲に隠れ明かりだけうっすらと見えていた。

 

 

流れる雲の中に分厚い部分があったらしく、月明かりさえ分からないほどに辺りを暗くしたあと再び満月が顔を出す。

 

 

「……んん?」

 

 

星が瞬く夜空に浮かんだ満月は、うっすらと赤みを帯びていた。

 

 

 

目の錯覚かと思い軽く目元を擦りもう一度空を仰ぎ見る。

 

 

しかし、錯覚かと思った赤みは先程よりも色濃くなっていた。

 

 

「異常現象、とか?」

 

 

ひとり呟く桜だったが、黒猫に続いて奇妙な満月に気をとられていることに気づき、右手に持ったままであったスマートフォンのディスプレイを明るくした。

 

 

“20XX.05.24(月)/23:58:46”

 

 

日付がまだ変わっていないことに安堵すると、スマートフォンをスリープモードに戻し学生鞄の内ポケットに滑らせるように仕舞う。

 

 

しかし、夜空を再び確認しても赤い満月は何も変化がない。

 

 

──否、変化は確かにあった。

 

ただ、その変化がひどくゆっくりとしたスピードだったために桜が気づけなかっただけである。

 

 

「にゃー」

 

 

突如聞こえた声に、桜はビクッと肩を震わせた。

 

 

未だに足元で佇む黒猫に、大丈夫だよと言うように目を向ける。

 

 

黒猫に目を向けたところで桜はとあることに気づいた。

 

目を向けた先──黒猫がいる自分の足元に、真っ白い霧が漂っているのだ。

 

 

不思議に思い顔を上げれば、先ほどまで何ともなかったはずの周りに一瞬で霧が立ち籠めた。

 

その霧の濃さは家の形がかろうじて分かる程度にまで深く、異常気象と言ってもおかしくないほどであった。

 

 

そしてその霧の出現と同時に、桜に突如として眠気が襲い掛かる。

 

 

視界がごく僅かに揺らいだ程度の眠気だったが、それが疲れによるものではないことは明確だった。

 

 

得体の知れない状況と眠気に困惑し不安になりつつも、桜はどうにか自身を落ち着けようとお守りとして首から下げていたネックレスのチャームをワイシャツの上から握りしめる。

 

 

が、どうやらこんな非常事態でも相変わらずの猫馬鹿なのか、そばにいる黒猫が心配になり足元に目線を落とした。

 

 

そして黒猫と目が合ったその瞬間、それが切っ掛けのように突如として眠気が最高潮に達する。

 

 

すさまじい勢いで迫ってきた地面と激突し倒れ込む桜には、それでも黒猫から目を逸らさない意識だけがぼんやりと残っていた。

 

 

 

ついに日付が変わったその時。

 

果てのない不安と黒猫への想いをないまぜにしながら、桜は霞みがかる視界をゆっくりと静かに閉ざすのだった。

 

 

一人の少女を見守るモノは、一匹の黒猫とミッドナイトブルーの夜空に浮かぶ赤い満月──……

 

 

 

 

 

 

__to be continued

 



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序章*幼少期編
01:転生


拝啓、XX年後の君へ


ゆっくりだったか、唐突だったか。

そんなことさえ分からないまま桜の意識は覚醒した。

 

しかしまぶたが開けられるような目覚めではない。

 

桜のいるところは人肌ほどの温かさを持ったぬるま湯の中で、ただ冬場の猫のように丸くなりながらたゆたっていた。

 

遠いのか近いのか、どこからか規則的な心拍音が聞こえている。

 

一定の速さで体内を刻むその音を感じとりながら桜は脳内で様々な思考を巡らせていた。

 

自分は家に帰る途中だったはずではないのか?ここはどこで今はいつなんだろうか?

あの黒猫と赤い月夜はなんだったんだろうか?

自分の母親は心配していないだろうか?

直前まで連絡のやり取りをしていた親友はどうしているだろう?

 

疑問は次々とあふれ脳内を満たし、それは明確な答えを見出せぬままかき消えていった。

 

時間を指し示す物が無いため、どれ程の時を費やしどれ程の時が流れたのか知る術は全く無い。

 

今の桜にとって、時間が分からないというのは最も不幸であり、また幸せでもあった。

 

とにかく時間を気にする日本人は大人に近づいても大人になっても、常に時間に追われ時間を気にしながら生活している。

通勤などで使用する電車でひとたび運転を止めるような事案が発生しようものなら、駅のあらゆるところから舌打ちが聞こえるほどだろう。

 

それほどまでに時間という概念は生活する上で絶対的に必要不可欠だった。

 

その「時間」が分からなくなり、この状況を一刻も早くどうにかしたい桜には、もどかしさを募らせる原因となるのは必然である。

 

しかしその必要であるはずのものとは裏腹に、束縛や足かせでもあった時間から解放され安心したのは紛れもなく自身の心が感じた証拠でもあった。

 

桜の焦る心に安定と平穏をもたらしたのはそれだけではない。

 

不定期に襲う眠気と規則的な心拍音で桜は幾度となく深い眠りに堕ちていたが、回を重ねるごとに焦燥と不安を帯びた心は落ち着きを取り戻していった。

 

それは一種の諦めかもしれない。

 

しかしどうにもならない状況で早急に答えを求めても結局何かが変わることなどまるで無かった。

 

ただその時が来るまで自分はここにいればいいのだと、半ば無理矢理のようにひとり納得した。

 

数えられぬほどの眠りと覚醒を何度も繰り返し、強張った体をほぐすように寝返りを打つのを暇つぶしに脳内で数えたのち、ついに変化が訪れる。

 

地震のように足元から重みのある振動が伝わり、釣り上げられるように体が上に移動し始めた。

 

自分を包み込む壁がまるで生き物のようにうねりながら脈打ち、だんだん足元から締めつけるように収縮し始めるその変化に、桜は言いようのない不安と小さな希望を胸に抱いた。

 

頭の割れるようなこの痛みに耐えれば、きっと何かが分かる。

 

そんなことをひたすらに信じ、桜はただ目蓋から通して見えるほのかな光だけを目指して苦しく狭い道を突き進んだ。

 

 

 

 

「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」

 

 

長かっただろうか、短かっただろうか。

 

時間の長さはやはり分からなかった。

 

しかし今の桜が理解したのは、ついさっきまで自身がいた場所は一人の女性の胎内だったということだった。

 

そしてたった今耳にした、特定の状況下でしか聞かないその台詞。

 

 

喉の奥から湧き出るこの鳴き声は誰のものだろう。

 

己の耳を澄ませても、それは赤ん坊が発する声だった。

 

けれど何をどう聞いてもそれはどことなく悲しみを帯びた泣き声でもあった。

 

 

たった一つの疑問に答えてくれる人はいない。

張り裂けそうな悲しみと絶望に応えてくれる人もいない。

 

何も知らないこの世界で、ひとりぼっちだと思いたくないがために手を伸ばした。

 

虚しく空を切るだけだったはずの左手を握ったのは誰だろうか。

 

温かく大きな手で頭を撫でてくれるのは誰だろうか。

 

その心地良さの名前を知るのはもうしばらく先のことである。

 

 

 

__to be continued



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02:新たな家族

桜が己の転生を自覚してから早くも七日が経つ。

 

時とは長いようで短く、一週間の間にありとあらゆる体験をした。

 

まず転生をしたのでもちろん最初は赤ん坊である。

 

普通の人間は赤ん坊の頃の記憶など無いわけで、その時何をするかは自らが親になるか、或いは高校などで保育の授業を受けねば知る由もない。

 

その知る由もない赤ん坊の体験を桜は追体験していた。

 

産湯に浸かり身長と体重を測り、ありとあらゆる必要な検査を受け実に様々な知識を得た。

 

産声を上げた当初は、記憶を持ったまま生まれ変わるという衝撃で半ば放心状態だった桜だが、ひと段落つき、いざ母乳を飲み始めたところでやっと我に返る。

 

(「私、本当に転生したんだ……」)

 

冷静さを取り戻し始めた思考回路をなんとか動かし、桜は自分の置かれた状況を考えた。

 

まずこの女性の胎内にいた頃も思っていたことだが、転生する前は学校終わりのバイトから帰る途中だったはず。

 

その際オッドアイの不思議な黒猫に出会い、奇妙な赤い月と霧に見舞われてから意識を失った。

 

そして目覚めればこの転生という状況。

 

この物理法則を超えた謎の現象に桜は何度考えても混乱を極めた。

 

おそらく某赤い蝶ネクタイをつけた探偵少年くんでもお手上げするだろう。

 

そんな中、思い悩む桜に追い討ちをかける出来事が起きる。

 

おそらくこの女性の旦那さんであろう男性が生まれた赤ん坊を見に訪れたのだ。

 

「奈々~!!」

 

病室に入るや否や上げたその名前に桜は目眩がしたような錯覚を感じた。

 

その聞き覚えのある名前は、転生する前まで自身が毎日のように愛読していた作品に登場するうちの一人のキャラクターと同じであった。

 

(「偶然……?いや偶然だよね、むしろそうであってほしい。もしかすると字が違うかも」)

 

「双子は元気に生まれたようだな!」

 

双子、という言葉にそういえばと思考回路を止める。

 

隣ですやすやと寝ている可愛らしい赤ん坊(姉か妹だろうか)に、どことなく安堵しつつ夫婦の会話が聞こえた。

 

「この子達の名前は決めてくれた?」

 

「ああバッチリだ!初七日まで楽しみにしてろよ!」

 

「ちゃんと男の子と女の子それぞれよ?」

 

姉だと思っていた片割れは男の子だったようだ。

 

こんな些細な見間違いをするとは転生について考えすぎだろうかと思い直すも、次に入ってきた看護師の声によりそれはあっけなく終わりを告げる。

 

「沢田さん、検診の時間です」

 

「じゃあまたな、奈々!」

 

「行ってらっしゃい」

 

(「沢田……いやいや、きっと字が違うはず」)

 

「沢田さんのご主人とっても嬉しそうでしたね、お子様方のお名前について話していらしたんですか?」

 

「えぇそうなんですよ~」

 

うふふ、と顔を綻ばす母を横目で見ながら嫌な予感が頭を掠めた。

 

「ご主人のお名前はなんていうんでしたっけ?……ああそうそう、家光さんでした?やっぱり由来もその辺からなんですかね~」

 

三度目の正直、いや三度目の衝撃といったところだろうか。

 

これでは考えすぎても足りないくらいだと、再び思い直した桜は新たに決意を胸にするも、しかし解決の糸口は結局見つからないまま無情にも日々は過ぎていき七日目となる今日まで至る。

 

 

日本では子供が生まれてから七日目の夜をお七夜と言い、その日までに考えておいた名前を命名し家族で祝い膳を囲んでお祝いする習わしである。

 

そして母子が退院するのもこの頃であり、桜が生まれたこの沢田家も例外ではなかった。

 

看護師達に見送られ家に着くと、心待ちにしていた家光が満面の笑みで出迎えた。

 

仲睦まじく寄り添いあって家に入る夫婦を見ながら、桜は複雑な気持ちを抱く。

 

話しているのを聞いただけなため字が合っているかどうかは分からない。

 

しかしこれほど一致しているとなると、やはり自分が生まれ変わった場所は──……

 

なるべくならそうあってほしくないと願う桜だったが、食事が終わり命名が近づくにつれ、その思いはいっそう強くなっていく。

 

しかし現実とは、かくも無情なものである。

 

家光が嬉々として半紙の中央に書き連ねた文字は、桜が生まれ変わる前によく見ていた名前だった。

 

「男の子の方は綱吉っていうのね!とても強そうだわ~」

 

名前の右側にはやや小さめに"沢田家光・奈々長男"と並んでおり、桜が予感した通りの結果になっていた。

 

「ねえあなた、早くこっちの子の名前も知りたいわ」

 

自身を抱く母を見上げながら桜は懐かしい母の顔を思い浮かべた。

 

次に自分の名が出れば自分は桜ではなくなる。

 

今の両親も嫌いではない。

 

生まれ変わる前はその作品を実によく読んだものだ。

 

家光の父としての強さも、奈々の母としての包容力も全く申し分ない。

 

この2人に育ててもらえば充分すぎるほど幸せになれる。

 

しかし、自分にとっての両親はこの二人ではなく元いた世界の二人だけしかいない。

 

名が変われば自分は両親がつけてくれた桜ではなくなり、記憶を持ちながら全く別の人間として生きねばならない。

 

果てのない悲しみが桜を絶望の淵へと誘い込む。

 

現実とはかくも無情である。

 

しかし無情なだけが現実ではなかった。

 

「桜」

 

聞き覚えのある名が桜の耳へと届く。

 

「桜ちゃん」

 

いつの間にか閉じていた目を開くと、そこには自分を覗き込む奈々と家光の顔があった。

 

「あなたの名前は桜よ。桜ちゃん」

 

強く温かみのある、心地よい響きの声で名を呼ぶ両親。

 

悲しみと絶望の淵からすくい上げるかのように、再び同じ名を与えられた桜は胸の内がじんわりと温まるのを感じ取る。

 

まだ絶望してはいけないよ、という誰かの意思でもあるのだろうか。

 

(「もっと知る必要があるんだろうな」)

 

生まれ変わった意味、そしてマフィアと隣り合わせの世界で生きる意味。

 

それらを知るために、桜はなるべく早く成長できるようにと小さく願いながら一時の眠りについたのだった。

 

 

__to be continued.



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03:初めての誕生日

ぽかぽかとした暖かな昼下がり。

 

食事を終え、沢田一家はのんびりと午後の昼寝をしていた。

 

「良い天気ねぇ……」

 

うとうとする桜を見ながら奈々は穏やかに微笑む。

 

「そうだなぁ……そういやもうすぐ二人の誕生日だよな」

 

すっかり寝入ってしまった綱吉を撫でつつ家光は呟いた。

 

(「誕生日……そういえばもうすぐ1歳か……」)

 

うららかな日差しにまどろみつつ桜はこの1年近くを振り返る。

 

産まれた当初は転生した時の衝撃にしばらく悩んだものだった。

 

その後、とにかく情報収集をしなければと意気込んだが如何せん肉体は産まれたばかりの赤子で、自力で起き上がるだけで四苦八苦する毎日。

 

努力のかいもあってか、桜は八ヶ月ほどで歩けるようになっていた。

 

拙い歩き方でも特に大きな怪我をすることも無く、気がつけばもうすぐで一歳になる。

 

転生した意味について悩むこともまだまだ多いが、一方でこの世界に馴染めるよう新たな人生を楽しむことも考え始めていた。

 

これからの誕生日に何があるかと、僅かばかりの期待に胸をふくらませつつ頭上で交わされる両親の会話に耳を傾ける。

 

「誕生日プレゼントは何がいいかしらね~、商店街のぬいぐるみとかどうかしら?」

 

「おっぬいぐるみか!奈々からのプレゼントはそれを買っておくとするか~」

 

(「ぬいぐるみか、昼寝のお供に良さそうだな……いや……うん?」)

 

のんびりとそんなことを思いつつ、何となく違和感を覚える。

 

家光は"奈々からの"と言った。

まるで自分の予定もあるかのような。

 

桜はてっきり、プレゼントは家光が二人兼用みたいなものでまとめて買ってくるものだと思っていた。

 

しかし家光の言い方だと奈々のプレゼントとは別に自分もプレゼントを用意すると捉えられる。

 

気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。

 

しかしそんな淡い期待も虚しく、その違和感は現実となってしまう。

 

「じゃあ奈々からのプレゼントはぬいぐるみに決まったことだし、ちょっくらオレもプレゼント買いに行ってくる!」

 

それだけ子供を愛してくれているということだろう。

原作と比べても遜色のない良き父親であった。

 

よっこいせ、と立ち上がる家光に奈々はのんきにもあら~と呟く。

 

「どこまで行くの?」

 

「ちょっとイタリアまでな!」

 

前言撤回だ。そこまで良くない。

 

どこの世界に子供の誕生日プレゼントを買いにわざわざ海外まで行く親がいるのか。

 

(「えぇ……イタリア?イタリアって言った?プレゼント買うだけでイタリア?」)

 

「とっても素敵ね!いってらっしゃい」

 

娘が衝撃を受けているとも知らずに、奈々は何の疑問もなく笑顔で見送る。

 

数日で帰ってくると思っていた家光が帰ってきたのは誕生日も目前に控えた前日になってからだった。

 

実に半月近くも不在にしていたにも関わらず、奈々は笑顔で家光を出迎える。

 

「良いお買い物はできた?」

 

「おぅ!明日まで楽しみにしててくれよ!」

 

わざわざイタリアまで行って買ったものとはなんだろうか。

 

桜はほのかに疑問を抱きつつ、そういえばマフィアっぽい情報がまだ出てきてないなと気づいた。

 

原作で奈々にはマフィアに関することは隠し通していたため、この時点でも分からないのは無理もない。

 

しかし転生したこの世界がどこまで原作通りなのか、桜にはまだ把握しきれていなかった。

 

マフィアとは縁遠い世界線なのか、それとも原作より血なまぐさい展開になるのか。

 

これから歳を重ねていけば情報もより収集しやすくなるだろう。

 

一抹の不安と期待を胸に桜は明日への眠りに落ちた。

 

───***───

 

 

この季節に相応しい快晴の今日、迎えた十月十四日。

 

沢田家に誕生した双子の一歳の誕生日であり、転生した桜の誕生日でもあった。

 

おめでたい日のせいか、普段の倍よりも賑やかになっている。

 

家光は朝から大張り切りで居間の飾り付けを行っており、かたや奈々も上機嫌で鼻歌を歌いながら料理を次々と作っていた。

 

忙しなく動き回る両親を不思議そうに眺める綱吉。

 

それを桜は微笑ましく見つめていた。

 

肉体的には一歳児でも中身は成人間近なのだから仕方ないだろう。

 

それにしても、と桜はふと考える。

 

視力が安定してから見えるものはそのほとんどが見知ったものだった。

 

目の前で可愛らしく毛布を被った綱吉は、原作通りの小麦色をしたツンツン頭に小麦色の瞳をしている。

 

家光も奈々も同じように原作通りの見た目と性格だ。

 

これで現在住んでいる地名も原作通りなら、やはりここは間違いなくREBORNの世界だろう。

 

現実世界にREBORNと同じ地名があったら聖地になるだろうし、横で眠たそうに船を漕いでいる兄はいずれ有名人になる。

 

しかし普通に考えていずれ世に出回る漫画と地名も人物も同じというのは考えにくい。

 

ぐるぐると思考を巡らせていると、やはり眠たいのか綱吉は頭を桜にぐりぐりと押しつけながらぐずり始めた。

 

一歳児の脳みそで考えられるキャパシティを超えたのか自分も眠気がきていることを感じ取る。

 

目が覚めたら夕ご飯かな、などとぼんやり考えながら桜は寄り添うように一時の眠りに落ちた。

 

 

───***───

 

予想していた通り、桜が目覚めた頃には夕ご飯の準備がほぼ滞りなく完了していた。

 

食卓の上には奈々が腕によりをかけた豪華な料理が並べられ、その真ん中辺りには今回のメインであるケーキが置いてある。

 

もちろん綱吉と桜が食べるのは離乳食なため量はだいぶ小さめだが、それでも愛情を込めたのがよく分かる品々だ。

 

いつの間にかリビングに登場していた家光が明かりを消し、ケーキの蝋燭に火を灯すと二人は並んで定番の曲を歌い始めた。

 

『誕生日おめでとう、綱吉、桜』

 

ケーキに飾られた一才のプレートをぼんやり眺め、やっと迎えた誕生日にしみじみとしていると頭を撫でられる。

 

「さぁさくちゃん、ケーキの火を消して、ふ~ってやるのよ」

 

「ふーっ」

 

これも定番だなぁ、と思いつつ息を吹きかける桜。

 

しかし。

 

「あら~まだ消えてないわよ、ほら、ふ~」

 

「ふーーっ」

 

悲しきかな、一歳児の肺活量では蝋燭の火さえ消せないらしい。

 

「やっぱりまだ難しいわね~、ママが消してあげましょうね」

 

奈々が出した代わりに消す、という案に小さな焦りを感じる。

 

こんなたかが1本の蝋燭の火さえ消せないようではダメだと考えたのだ。

 

「や!やー!」

 

思う通りに回らない舌っ足らずの口で懸命に訴える桜。

 

「嫌なの?じゃあ頑張って消しましょうか」

 

ふんす!と意気込む桜の隣から家光のおぉ~という声が聞こえる。

 

「すごいな~綱吉は自分で消せたのか」

 

「まあすごいわ!さすがお兄ちゃんね!」

 

(「双子なのに私だけできないだと……」)

 

二人に褒められて上機嫌の綱吉に癒されつつも、小さな闘争心がほんのりと芽生える。

 

しかしいくら息を吹きかけても火は消えない。

 

そこで桜はふと考える。

 

何も一歳児の足りない肺活量で無理に頑張らなくても良いのでは、と。

 

桜は思い出していた。

 

(「確か両手を合わせて……ちょっと真ん中をふくらませつつ……中指だけ開く」)

 

子供時代ならおよそ誰もがやったで有ろう、両手に空洞を開けて拍手のように音を鳴らす遊び。

 

それを応用しようと思いついたのだ。

 

実際その試みは成功した。

 

やや可愛らしい高めな音だったものの、目の前で発した拍手で蝋燭の火は見事に消えた。

 

できたよ、と意味を込めながら自信ありげに両親を見上げると、二人はぽかんとした顔で自分を見下ろしていた。

 

(「えっ、なんかまずかった……?一歳児が拍手って発想ありえない??異世界召喚されたなろう系主人公みたいなことした???」)

 

しばしの沈黙に心拍数が上がる。

 

しかし桜の心配とは裏腹に家光と奈々は感激していた。

 

「すごいわさくちゃん!」

 

「まさか拍手で消すとはな!これは頭がいい!」

 

思ったより好感度の高い反応でホッと胸を撫で下ろす。

 

「さぁ、ご飯が冷めないうちに食べましょ」

 

食卓につき、夕ご飯が終わるといよいよ誕生日プレゼントを貰う時を迎える。

 

「はい、ママからこれをあげるわね」

 

娘にプレゼント計画を聞かれていたとは露知らず、当初通り桜と綱吉には黒と白でお揃いのテディベアが渡された。

 

身の丈程のふわふわとしたテディベアをぎゅっと抱きしめると、奈々も嬉しそうに二人の頭を撫でる。

 

「嬉しそうで良かったわ~」

 

「ああ、夜寝る時にも使えそうだな!」

 

満足そうに笑いながら家光もプレゼントを取り出す。

 

それは漆黒の長方形をした箱だった。

 

「何が入ってるの?」

 

不思議そうに見つめる奈々を横目にそっと箱を開けると、そこには二本のチェーンネックレスが並んでいた。

 

「ネックレスね、でもデザインが同じだしどっちが誰のものか見分けがつきにくいんじゃない?」

 

さすが包容力のある奈々である、一歳児には全く不釣り合いで似つかわしくないプレゼントに見分けの差を疑問視するだけだ。

 

しかし桜も心の内で同じように疑問を抱く。

 

その反応を予想したらしい家光はまあまあと笑った。

 

チェーンネックレスをカーペットの上に置き、ネックレスが嵌っていた型紙をそっと外す。

 

普通ならば何も無いが、そこにはアンティークのようなチャームが二つあった。

 

「そういうことね」

 

奈々が理解を示したのを横目に家光は小さく頷く。

 

それぞれのチャームについた小さな輪っかにチェーンを通すと、幼児には不釣り合いで大きめのネックレスが完成した。

 

「これは二人で一つの特別なものだ。まあその意味が分かるのはずっと先だろうがな」

 

そう言いながら、家光は錠らしきチャームのついたネックレスを綱吉に、鍵らしきチャームのついたネックレスを桜の首にかけた。

 

綱吉はそれが何なのか分かっていない様子で不思議そうに見つめていたが、桜にはそれに見覚えがあった。

 

(「このチャーム…私が前世でお守りにつけてたネックレスのチャーム……!?なんで……!?」)

 

自身の転生に引き続き、この世界にあるはずのない存在に不安と衝撃を抱く。

 

 

原作での沢田綱吉は本来一人っ子のはずだ。

 

自分というイレギュラーが入り込んだこの世界がどこまで原作通りなのか。

 

それをいち早く探る為に、そしてこの下腹部まであるネックレスが相応しく理解できる歳になるまでにも、終わりのない努力をしなければ…と再び静かに決心し桜の誕生日は幕を閉じた。

 

 

 

__to be continued.

 



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04:九代目と傍観少女

「くしゅん」

 

ある日の朝。

 

いつもと変わらぬはずのその日は、ある少女のくしゃみで少し変わっていた。

 

 

「37度8分……やっぱり熱があるわね」

 

「さく、あついの?」

 

2歳を過ぎた半ば頃、それなりに成長していた桜はやたらと公園へと行きたがっていた。

 

傍目から見ればよく遊ぶ元気な子、という目で見られていたが当の桜はこの世界についてより多く情報を仕入れるためにも、体力をまずつけるべきと判断したのだ。

 

滑り台やブランコ、ジャングルジムからアスレチックなどそこにある遊具は片っ端から試していき、果ては朝早い時間に遠くから聞こえてくるラジオ体操まで家でこっそりと便乗していた。

 

その日々の努力が少々年齢に見合わなかったのか、あるいは免疫が足りていなかったのか。

 

桜はついに風邪をひいてしまうのだった。

 

普段の奈々はおっとりしているが、さすが母とも言うべきだろうか、桜の些細な変化にいち早く気づく。

 

いつもの公園遊びから帰り体温を計るとやはり熱があったようだ。

 

「さくちゃん、大丈夫?」

 

「うん、へーき……」

 

口では強がる素振りを見せ平気とは言ったものの、桜の目はとろんとした様子で反応が薄い。

 

「いま温かいミルク入れてきてあげるから、ちょっと待っててね」

 

桜を寝かせ、立ち上がった奈々が声をかける。

 

「あとツナは今晩ママと2人で寝ましょうね」

 

「えっ……」

 

心配そうに桜を覗き込んでいた綱吉がパッと顔を上げた。

 

「どうして?」

 

「どうしてって…だってさくちゃんの風邪が移っちゃうでしょう」

 

「えー…やだぁ……」

 

泣きそうな顔で駄々をこねる綱吉に、困ったわねーと呟く奈々。

 

「つな」

 

「なぁに、さく?」

 

「きょうだけだから。ね?」

 

布団から伸ばした手で撫でると、最初は渋っていた綱吉がこくりと頷く。

 

「あらあら、これじゃさくちゃんの方がお姉ちゃんねー」

 

惜しむように繋いでいた手を離すと綱吉は奈々に手を引かれ部屋を後にした。

 

 

 

 

「……はぁー」

 

静かになった部屋に桜のやや深めなため息が漏れる。

 

筋肉がつけばその分遠出もできると考えていたが、風邪に対抗できる力はついていなかったようだ。

 

この2年間ほぼ風邪をひいていなかっためタカをくくっていた桜。

 

他の子よりも早い成長を周りの大人に褒められ安心していたものの、肝心の体力が追いついていなかったことに落胆する。

 

「しばらくは大人しくしてるしかないか……まあ別に何か大きなイベントみたいなのもあるわけじゃないしね」

 

安心したように軽く伸びをし、桜は風邪を治すべくひと時の眠りに落ちた。

 

しかしこの翌日、桜の予想は大きく外れることになる。

 

 

───***───

 

 

脇から取り出した体温計を見ると、子供にしては高すぎた体温も平熱付近にまで下がっていた。

 

「さく、げんきになった??もうおそとでていい?」

 

ツナは2人一緒に遊べることを期待の眼差しで母を見つめるが、奈々はうーんと頬に右手を当てる。

 

「そうねー、だいぶ下がったけど念の為にあともう1日寝ていましょう」

 

「うん、わかった」

 

「えっ!まだだめなの~?」

 

素直に頷く桜とは対称的に、ショックを受けたように悲しげな顔をするツナ。

 

遊びたい盛りの我が子に苦笑しつつ、奈々は優しげに頭を撫でた。

 

「ごめんなさいね、でもあともう1日だけ我慢しましょう?さくちゃんが元気になったらたくさん遊んでもいいから、ね?」

 

「むー……」

 

やや納得いかなさそうな表情のツナに、奈々はあっと思いついたかのような声を上げる。

 

「それに今日はパパがおじいちゃん連れてくるのよ?そしたらおじいちゃんと遊びましょうよ」

 

「おじいちゃん!?くるの!?」

 

「そうよー、それならさくちゃんと遊ぶのは明日でも大丈夫よね?」

 

「えっ…?えー、うん……?」

 

調子良く言いくるめられたのを、少しばかり不審に感じつつ頷くツナに奈々は満足気に微笑む。

 

「さくちゃんもあと1日大丈夫よね?」

 

「うん、だいじょうぶだよ。えっと、あとおじいちゃんって……?」

 

原作を読んでいた頃も転生してからも、桜は祖父母らしき人は見たことも会ったことも無い。

 

そんな人達いたっけ……?と思う反面、おじいちゃんというもう片方の祖母だけを抜いた特徴的な単語にうっすらと記憶を蘇らせた。

 

なんとなく聞き覚えあるような気がしつつ母に尋ねると、奈々は歯切れの悪そうな顔になる。

 

「えーっと、そのね……ママちょっとよく聞いてなくて……なんて言ったかしら、テオさん?ってパパが言ってたと思うんだけど」

 

ふんわりと呑気に笑う母を見て、桜はあぁ……と静かに察する。

 

「わかった。じゃあわたしは寝てるからつなをよろしくね」

 

部屋を出ていく母と兄を見送ると、桜ははてと首をかしげた。

 

「テオさん……?うーん、どっかで聞いたことあるような……そんな人原作にいたっけ?」

 

やや出かかった記憶を掘り起こし原作のあらゆる場面を思い出そうとするが、すでに2年は経過しているため上手くピンポイントで出てこない。

 

「その人が来たら念の為見ておきたいけど……部屋からはあんまり出られないしなぁ……どうしよう」

 

しばらく思案していた桜だったが、何気なく見えたベランダで何となく対策を思いついた。

 

「そういえばここの部屋、原作と同じように確か居間の真上だったよね」

 

さすがに屋根まで下りるのはできないが、ベランダに出れば声くらいは聞けるかも、と淡い期待を抱く。

 

「まあとりあえず今のところは本でも読んで、そのテオさん?って人が来たらまた考えるか」

 

1人静かに結論を出し、桜は本棚にある本を適当に選んで読み始めた。

 

 

───***───

 

本を読み始めてからしばらくすると、外から車特有の機械音が桜の耳に届いた。

 

「来た……」

 

急いで読みかけていた本を閉じ、見上げられた時に悟られぬよう念の為身をかがめる。

 

そのままほふく前進で静かにベランダの窓を開け外を見ると、家の前に高級そうな黒塗りの外国車が停まっていることに気づく。

 

車の窓はスモーク加工が施されており、中に誰が何人いるのかは把握できないようだ。

 

その後やや間を置いて後部座席の扉が開くと中から家光が降り立ち、次に出てくる誰かをエスコートするかのように扉の横で頭を下げた。

 

淡い太陽の光に照らされ出てきた人物に桜はようやく合点がいく。

 

「あの人……九代目?」

 

桜の脳裏に蘇った記憶の原作よりはやや若いように見えるが、特徴的な口髭と大空を彷彿とさせる柔らかな笑みからその人がボンゴレファミリーをまとめ上げる九代目だと分かる。

 

そして母が言った“テオさん”という言葉も、それが九代目の名前である“ティモッテオ”のことだと思い出すのだった。

 

「そういえばリング争奪戦で九代目がツナの記憶を掘り起こした時もそんなのあったな……あれが今日のことだったのか」

 

それにしても、と桜は思案する。

 

「風邪ひいて部屋にこもってたの、ある意味タイミング良かったかもなー」

 

九代目が幼い子供を疑る性格ではないのは分かりきってることだが、それでも前世を記憶を持ち子供らしくない立ち回りができる自身が接触するのは不味いのでは、と危機を感じたのだ。

 

下手に何かを勘づかれるよりは、ここから静かに観察する方が賢明で安心だと考えた。

 

「この家に防音なんてないから声は聞こえるけど……できれば何やってるのかも見たいんだよね……」

 

今後を考え安全策を選んだ桜だったが、行動を目で確認する方においても不都合があることに気づく。

 

九代目を守るためなのか、家の周りには気付かれないように黒服の男達が取り囲んでいたのだ。

 

桜としてはできることなら玄関上の屋根まで降りてベランダ真下の部屋を観察するつもりだったが、これでは家の周りの男達に気づかれてしまう。

 

やはり諦めるしか……と肩を落としかけた桜だったが、急に男達の様子が変わる。

 

皆一様に無線か何かで連絡を取っているらしく、耳に手を当て神妙な面持ちになったかと思えばわずか数秒後には全員撤収して、家の周りは元の平穏な空気に戻った。

 

「……?なんでみんな帰ったのかな……」

 

それが一般人の奈々を気遣って家光が出した指示とは露ほども知らず、桜は予定通り窓から玄関上の屋根へ降り立った。

 

荷造り紐を代用し命綱を繋げると、真下から家族の楽しげな笑い声が聞こえる。

 

身をかがめて慎重にベランダ下を覗くと、縁側では九代目の膝上で遊んでもらう綱吉が見えた。

 

その両脇では家光と奈々が、やはり原作でのシーンと同じように笑って2人を見守っていた。

 

それからしばらくすると、おやつの時間でもあるのか4人は部屋の奥に姿を消す。

 

「これ以上は収穫なさそうかな。私も戻るか」

 

念の為窓を開けたまま、読みかけの本を開いて時間を潰すように再び読み始めた。

 

小春日和で暖かいためか、リビングの窓も開いているようで時折笑い声が聞こえるのを桜は複雑に感じていた。

 

 

本来であれば自分はここにいるはずがない存在だ。

 

おそらく綱吉に妹がいるのも九代目に伝わっていることだろう。

 

記憶を持ったままの転生という人智を超えた体験をしている上に、転生した先の世界は漫画の中という始末だ。

 

一体、誰が何の為に?なぜ自分が?

 

それはいくら考えても出てくることの無い答え。

 

さらに九代目が黒服の男達を連れて現れたとなれば、マフィアに関わることになるのは明らかだった。

 

「生きるか死ぬかの世界に落とされるなんて、私なにか前世でやらかしたかなぁ……」

 

読んでいた本を膝に置き、桜は疲れたようにため息を吐いた。

 

すでに2歳半ばもとうに過ぎ、早くも夏に差し掛かろうとしている。

 

季節が巡り幼稚園に入り、さらに小学生から中学生となれば、ほぼ間違いなく原作通りの展開になるだろう。

 

そうなるまでに、あるいはその後にでも自分が転生した意味と目的が分かるなら、と桜は考えを巡らせた。

 

「せめてそれまでは穏やかに生きたいなぁ……」

 

綱吉も中学1年生までは一般人として生きていたのだ。それなら自分も同じように生きられるかもしれない。

 

ささやかな期待を滲ませながら再び本に目を落とすと、階下で玄関の扉が開く音が響く。

 

どうやら九代目が帰るようで、奈々が挨拶する声も聞こえた。

 

「せっかく来て下さったのに、特におもてなしもできなくてすみません」

 

その言葉を暖かく包み込むように、九代目の朗らかな声が続く。

 

「いやいや、わしはあの子の楽しそうな顔が見れただけで満足です」

 

「えぇ、ツナも本当に喜んでたので……また機会があればいつでもいらっしゃってくださいね」

 

奈々の言葉に九代目は軽く微笑んだ後、迎えに来た車に乗り込み帰路についた。

 

見送りのためか、家光も同行して出たため家の中は朝と同じように静寂に包まれる。

 

「それにしても静かだな……ツナは疲れて寝ちゃったかな」

 

そう呟くとタイミング良く部屋がノックされた。

 

「さくちゃん?体調はどう?」

 

「うん、だいじょうぶだよ。つなは?」

 

「ツナは疲れたみたいで、下のソファで寝てるわ。テオさんにいただいたおやつあるんだけどさくちゃんも食べる?」

 

「うん、たべたい」

 

「じゃあツナも寝てることだし、下に降りて一緒に食べましょ」

 

にっこり笑い手を差し出す奈々に桜も同じように笑って応えてみせる。

 

その奈々の笑顔に底なしの暖かさを感じ、この人もマフィアに関わっていたらきっと大空なんだろうな、と桜は頭の片隅で考えるのだった。

 

 

───***───

 

 

帰路に揺られる車の中。

 

九代目──ティモッテオは窓の外を眺めながら隣の腹心に問いかけた。

 

「家光、今日会えなかった桜ちゃん……綱吉くんの妹という子はどんな子なのかな?」

 

「桜ですか?それはもう目に入れても痛くないほどに可愛いですよ。綱吉とも本当に仲が良いですし……せっかくなら会わせてあげたかったですがね」

 

振られた話題が我が子についてだったせいか、家光はやや締まりのない笑顔を浮かべながらそう答える。

 

「そうか。次に行く時にはぜひ会ってみたいものだね」

 

澄み渡る大空を瞳に映し、優しげな笑みを浮かべそう呟く。

 

 

 

 

運命という歯車は

 

回り──、そして巡っていく

 

ささやかな願いさえ

 

残酷に踏み潰す

 

聞こえぬ足音を忍ばせて

 

 

___to be continued.




*後書き的な一言*

夢小説あるある
>>>謎のポエム<<<


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05:幼稚園デビュー

再び季節が巡り、桜と綱吉が3歳を過ぎた頃──

 

幼い2人に新たなイベントが差し迫っていた。

 

とりわけ、桜には小さな運命の転換期ともいえるイベントが──……

 

 

───***───

 

 

「それでは、今日からみんなの新しいお友達になる沢田綱吉くんと沢田桜ちゃんです!」

 

この日、綱吉と桜はお揃いの制服に身を包み並盛幼稚園へ入園した。

 

同じ年頃の子供たちが集められた前で先生から紹介を受けつつ、桜は昨夜のことを思い返す。

 

 

 

「え?ようちえん?」

 

「そうよ~、2人共もう3歳になったでしょう?幼稚園に入ればお友達もできて、今より楽しくなるんじゃないかと思って!」

 

夕飯後のまったりとしていた矢先に出された提案に、やっとそんな時期かと納得する。

 

九代目が来訪したイベントの後、4月の年度初めの辺りで幼稚園に入るのではと、桜はうっすら予想していた。

 

だがその予想に反しそれらしきイベントはやってこず、しかし転生した身である桜としては「まぁ15年以上も前のことだし」と半ば気にしない方向で決めたのだ。

 

桜が幼稚園に入るイベントを待ち望んでいたのは情報収集のためでもあるが、それ以外にも実はもう一つあった。

 

それは見知ったキャラクターに会った場合を考えての対処法である。

 

桜としては、確実になりつつある漫画の世界へ転生したという事実をふまえて、できる限り中心に近いキャラクターへの接触は避けるべきだと考えた。

 

既に主人公である沢田綱吉に関わってしまった時点でやや手遅れとも言えそうだが、身内に転生してしまったのは不可抗力なので致し方無い。

 

しかしその後の幼稚園ならば予想できる可能性が大いにある故に、桜はそのイベントをささやかながら待ち望んでいたのだ。

 

そしてその待ちに待った提案を、見た目ごく普通の3歳児が断るわけがなかった。

 

「うん、いってみたい」

 

「良かったわ!さくちゃんならきっとそう言うと思ったのよ」

 

両手を合わせて喜ぶ奈々にやや苦笑しつつも、桜は隣の綱吉にも問いかける。

 

「つなは?どうする?」

 

「さくがいくならぼくも……」

 

早くも眠気に襲われているのか、うたた寝をしながら答えた綱吉に今度は桜が顔を綻ばせた。

 

「まぁ~!ツっくんは本当にさくちゃんにべったりね!それじゃあ早速明日から行くことにするわね!」

 

そうしてとんとん拍子に話が進み、2人はこうして並盛幼稚園へと入園したのだ。

 

話を聞く限り、桜と綱吉は3歳児から入るタイミングとして少々早かったらしく、1歳上の子達と同じクラスに振り分けられたらしい。

 

「じゃあ2人も自己紹介してみようか!」

 

エプロンを着けた先生に促され、桜は気持ち控えめに自己紹介をする。

 

「えっと、さわださくらです……よろしく」

 

ぎこちなさげにぺこりと頭を下げると、まばらに拍手が起きた。

 

子供らしさはちゃんと出たらしい、と安堵しつつ隣の綱吉をちらりと見やる。

 

そういえば原作では小さいツナは全く見なかったな、などと呑気に考えつつ眺めるが、綱吉のモジモジした様子に首を傾げる。

 

「つな?どうしたの?」

 

「あらあら、綱吉くんはちょっと緊張しちゃったかな?」

 

色んな子供を見慣れてるせいか、先生は特に気にした様子もなく、さくさくと事を進めた。

 

「綱吉くんはちょっと緊張しちゃったみたいなので、みんな後でゆっくり聞いてあげてね」

 

大丈夫だよ、というように頭を撫でる先生に安心したのか綱吉はくしゃりと笑みを浮かべた。

 

そこで桜はようやく「あぁ、」と気づく。

 

原作ではダメツナと呼ばれ、あらゆる事に消極的な部分を見せていたその主人公に幼少期の性格も何となく掴めてきたのだ。

 

中学生の時点で控えめな性格が丸出しだった彼は、つまるところ幼少期から人見知りに近い性分だったのかもしれない。

 

そして桜の予想通りとも言うべきか、綱吉は好奇心旺盛な子供たちに囲まれながら桜の後ろにくっついて怯えていた。

 

“なるべく関わらず”を考えた桜だったが、綱吉のその様子に対し、冷ややかな雰囲気を醸し始めた子供たちに桜は慌ててフォローを入れる。

 

「まだはじめてだから、ごめんね?きっとすぐおともだちになれるとおもうから!」

 

この子はつまらない、と思われてしまう先の結果を想像し、桜はとっさに兄を守る選択肢を選んだ。

 

純粋ゆえに、興味の外側に対する残酷さもある子供の特性を分かっているからこそ、そうせざるを得ないと判断したのだ。

 

昨夜自分に誓ったその決意さえ簡単に破ってしまったことに、桜は小さくため息を吐いたのだった。

 

 

───***───

 

 

「幼稚園どうだった?」

 

家に帰り、おやつも済ませたところで奈々は何となしに当たり前の感想を問いかけた。

 

桜は横ですやすやと寝る綱吉をちらりと横目で見ると、しばらく考える素振りを見せる。

 

「……わたしは、おともだちがちょっとできた。でもつなは……」

 

「ツっくん?」

 

やや不安げな表情を見せた桜に奈々は首をかしげる。

 

「えっと、なんていうか、ひとみしり?みたい」

 

「さくちゃん難しい言葉知ってるわねぇ、すごいわ!」

 

肝心の綱吉に関する内容よりも、奈々は3歳児が発するには少々不釣り合いな単語に目を丸くした。

 

「えっ、えっと……本!本でよんだから!」

 

慌てて訂正するように言うと奈々はにっこり笑って桜の頭を撫でた。

 

「そうよね、さくちゃんたくさんご本読んでるものね」

 

細かいことを気にしない広大な器を持つ母に、桜は密かに感謝しつつ綱吉の今後についてもどうするべきか悩む。

 

本来の目的通り、なるべく関わらずにいた方が無難だと判断したかった。

 

しかし桜の目的はあくまでも桜個人の事情であり、外側から見れば綱吉の妹であるため丸っきり放置というわけにもいかないだろう。

 

そんなことを真剣に考えすぎていたのか、眉間にシワが寄っていたらしく奈々に指で突かれハッと顔を上げる。

 

「そんなに難しく考えなくても大丈夫よ」

 

「でも……」

 

不安げに見上げる桜に奈々は優しげな笑みを浮かべる。

 

「無理してお友達作ろうとしなくてもいいのよ。今はお友達がいなくても、もしかしたら5年後とか10年後とかになって増えるかもしれないし、ツっくんも少しずつ前向きに変わっていけると思うわ」

 

まるで中学生の綱吉を予見するかのように、穏やかに柔らかく言葉を紡ぐ奈々に、桜もやっと安心したのか安堵の表情を見せた。

 

「うん、わかった」

 

「さくちゃんもそうよ」

 

「??」

 

話題の方向が唐突に自分に向けられ、桜は何のことか分からず首を傾げる。

 

「さくちゃんは物覚えも早いしとっても頭がいいわ、それはママやパパにとってはありがたいことだけど……」

 

慈しむかのような優しげな手つきで頭を撫でられるが、奈々の表情は笑っているように見えてどことなく寂しげに揺れている。

 

「そんなに頑張らなくても大丈夫なのよ」

 

身の内に秘めた事情を、まるで見透かしたかのような言葉に桜は僅かに目を見開いた。

 

「あぁ…いえ、決してさくちゃんを責めてるとかそういうわけじゃないのよ?ただ、あなたは本を読んでる時や一緒にお買い物に行ったりした時、とても難しい顔をしてることがあるのよ。きっと何か知りたいこととかやりたいことがあるのね……でも今はまだできなくて、それがとても歯がゆいと感じているのよね」

 

難しい顔、と言われ桜は思わず両頬に手をあてる。

 

「ふふっ、その顔だと全然分からなかったみたいね。……でもあなたはまだ3歳なんだもの、ちょっとくらいできなくてもしょうがないわ。大丈夫よ、あなたの人生はまだまだずっと長いんだから、ゆっくりやれば良いし分からないことは何でも聞いてちょうだいね」

 

小さくこくりと頷いた桜を見て、奈々の顔にはもう先ほどの寂しげな雰囲気は消えていた。

 

「さて、ずいぶん長くお話ししてたからすっかり日が暮れちゃったわねー。ツっくんもそろそろ起こさなきゃいけないけど、さくちゃんはお昼寝しなくて良かったのかしら?それとも何かやりたいことはある?」

 

「ん……本よみたいから、へやからとってくるね」

 

「分かったわ、じゃあ上は寒いからケープ羽織りましょ。今日は満月だし、お夕飯食べたらおやつにお月見団子も食べましょうね」

 

「うん」

 

笑顔の奈々に見送られ、リビングから部屋に戻ると桜は深いため息を吐いた。

 

思った以上に愛されていたことは良かったが、それ以上に誤算が予想外だったためだ。

 

「そこまで見透かされていたなんて……でもあの人そんな鋭くないよね……?」

 

原作で読んだ沢田奈々という人は、確かに器が大きく細かいことは気にしないおおらかな性格だ。

 

しかし、その最大のチャームポイントは何と言ってもあの天然さである。

 

原作ではその天然さ故に、家庭教師として契約したリボーンから始まる、ありとあらゆるマフィア絡みの話をごまかせた。

 

だが先ほどの奈々はどうだろうか。

 

穏やかに受け止めつつも、自らの内側を鋭く見透かしたその母親は原作で見たあの奈々とはややかけ離れている。

 

知っているままの原作とは違う──、とそこまで考え桜はとある単語を思い出す。

 

「パラレルワールド?」

 

その可能性が確かならば、やけに洞察力に長けた奈々にも納得ができる。

 

そしてその可能性はもう一つのイレギュラーにも合点がいくのだ。

 

「1歳の誕生日に貰ったネックレス……」

 

正確に言えばネックレスについたチャームだ。

 

元々このチャームは転生する前の桜が持っていたもの。

 

世界も肉体も全て変わってなお、チャームは変わらない形で桜の元へ舞い戻ってきた。

 

ベランダの外から差し込む月明かりに気づくと、ちょうど雲間から見える満月にかざすようにチャームを見つめる。

 

「たとえこの世界がパラレルワールドだとして母さんが原作とは違っても、綱吉がこの先マフィアに関わり翻弄される運命なら……家族だけは守りたい。できることは限られているかもしれないけど……異物の私でも、せめて家族を守るくらいは……」

 

静かに目を閉じ、願うように小さくそう呟くと不意に手の平から温かな何かを感じ取る。

 

唐突な違和感にハッと目を開くと、そこにはチャームから炎がゆらゆらと揺れていた。

 

「死ぬ気の炎……?」

 

チャームから死ぬ気の炎が出ていることにも驚くが、何よりも桜を混乱させたのはその炎の色だった。

 

桜が前世で読んだ限り、知っている炎は大空を始めとした天候になぞらえた属性の7色のみだ。

 

だが今目の前で揺れる炎の色は、黒に近い深みのある青色に見える。

 

しかもその炎は深い青色の中で星が瞬くように小さくキラキラと輝いていた。

 

吸い込まれるように煌めく、その炎はまるで──、

 

『夜空』

 

ポツリと思わず呟いた桜の声は重なるはずのない新たな声と交わった。

 

チャームから視線を外し前を見ると、外のベランダには見知らぬ女性が佇んでいた。

 

満月の明かりに照らされた黒く長い髪は艶やかに揺れ、ふっさりと長いまつ毛が縁取る瞳は、桜が今しがた出した炎の色とよく似ている。

 

色白の肌によく映える真っ赤なルージュは、シンプルながら軽やかに着崩したスーツによく似合い、ミステリアスに纏わせる雰囲気も相まってその女性が洗練された美人だというのが見て取れた。

 

「……誰?」

 

3歳児を演じることも忘れ素の声色で尋ねるが、女性はさして不思議がることもなく不敵に笑ってみせる。

 

「さっきママンにも言われたでしょ、大丈夫よって。気にしなくてもアタシが誰なのかはそのうち分かるわ」

 

腰掛けていたベランダの柵からふわりと降り立つと、律義にも履いていたパンプスを脱いでスタスタと部屋に入り込む。

 

不法侵入されているにもかかわらず、桜もそれを特に何とも思わず自然と受け入れた。

 

「じゃあさっきの続きを話すわね」

 

しれっとベッドに腰掛けると優雅に足を組みまた笑みを浮かべる。

 

「アンタが言った通り、それは夜空の炎よ」

 

未だチャームに灯る炎を指さし、桜が素直に感じ導き出した答えをそのまま繰り返した。

 

「ついでにもう一つの疑問にも答えてあげるわ。まぁアンタも薄々分かってるみたいだけどね、それは死ぬ気の炎でもあり覚悟の炎でもあるわ」

 

「覚悟の炎?でも炎はリングで、しかも指につけないと……」

 

そこまで言いかけて、桜は例外があるのを思い出す。

 

桜のその思考を読み取ったのかどうか定かではないが、彼女も同じように肯定してみせる。

 

「そう、炎を灯すのに別にリングを指につけなきゃいけないわけではないわ。10年後に飛ばされた沢田綱吉も、笹川京子を守る意思で首から下げたボンゴレリングにそのまま炎を灯したしね」

 

そして例外は一つだけではなかった。

 

「もう一つの例外があるのも……まぁその顔なら分かってるようね」

 

促されるように静かに頷き桜も続けて言葉を紡ぐ。

 

「リング争奪戦の終盤、7つ揃ったボンゴレリングがザンザスの氷を溶かす炎を出した時、だね」

 

「えぇ、つまり例外とは言ったものの、結局炎を灯す必須条件にリングの装着は特にないってことよ。じゃあ装着の必要性が無いって分かったところで次の条件」

 

「リングであるべきかどうか?でも……」

 

まだ分からない様子の桜に彼女は少々呆れた様子を見せた。

 

「バカね、じゃあ沢田綱吉は何に炎を灯して戦ってたのよ」

 

「……グローブ」

 

「九代目は?」

 

「……ステッキ」

 

女性の導きで記憶がやっと掘り起こされてきたのを、あまり納得のいかない桜はやや不貞腐れる。

 

「しかも九代目は雲戦のモスカから出た後、指先に炎を灯して沢田綱吉に記憶を見せてもいるわね。死炎印もその応用よ。つまり、死ぬ気の炎はなんにでも灯せるってこと。そもそもリングを装着した上での炎はあくまでも匣を開匣するための条件なわけだし、覚悟っていうのだって24歳の山本くんがヒントとしてそう言ったまでよ。……まだ何か聞きたいことはある?」

 

大方の疑問点はほとんど解決したと思われたが、桜には唯一かつ最大の謎が残っていた。

 

「じゃあこのチャームは?だってこのチャームは……、あっ」

 

転生する前の自分が、と言うつもりで桜はここでやっと今までで一番おかしい部分に気がつく。

 

何てことはない、桜はこの女性が現れてからただの一度も演じることなく自分が今3歳児だという事実をすっかり忘れていたのだ。

 

しかもたかが一般人には関係ないはずの、マフィアに関する話まで事細かに会話していた。

 

それどころか、現時点ではまだ起こり得てもいない、はるか先の未来の事まで話題に上げている。

 

一般人の3歳児には到底不釣り合いな話を、まるで関係あると言わんばかりに会話をしていたこの女性──……彼女は一体何者なのか。

 

今さら3歳児のフリをしても意味がないのを分かった上で、桜は今もベッドで優雅に寛ぐ彼女に問いかけた。

 

「貴女はそもそも何者なんですか?というか今さらだけど名前だって名乗ってない……」

 

そんな視線にも意に介さず、彼女は満月を眺め、そしてゆっくりとこちらを振り向く。

 

その顔は、やはり来た時と同じように唇は弧を描き不敵な笑みを見せていた。

 

「……残念ね、時間切れみたいだわ。また会いましょ?」

 

ようやく紡いだその言葉に桜は疑問符を浮かべた。

 

「時間切れ……?」

 

それって一体、と言いかけたところで部屋の外から奈々の声が響いた。

 

「さくちゃん?いくらケープがあるとはいえ、そんな寒いところでご本読んでるの?こっちの方が暖かいし、もうすぐお夕飯ができるわよ」

 

やや数秒送れてドアをノックする音が聞こえる。

 

「今いくから、だいじょうぶだよママ」

 

慌ててドアの方を振り向き、咄嗟に開けられぬように仕向けた言葉を紡ぐ。

 

「そう?じゃあママは先に行ってるわね」

 

遠ざかる足音に安堵しつつ再びベッドへ向き直ると、いつの間にか彼女の姿はなく、当然脱ぎ置かれたパンプスも消えていた。

 

「結局さっきまでやってたのって原作のおさらいじゃん……」

 

全く何も解決してないことにガックリと肩を落とすと、桜はとぼとぼと部屋を後にした。

 

 

___to be continued.




*後書き的な一言*

二次創作であんまり人気がないパターン、文章力とか起承転結とか見せ場とか色々あるけど、おそらく1番読者が萎えるのはオリキャラの出しすぎかなぁと推察しつつ辞められない
あと後半の原作おさらい部分、たぶん解釈違い起こすかもしれません(土下座)


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06:はじめてのおつかい

幼稚園に入り1ヶ月ほどが経った頃。

 

桜にとってはやや衝撃的でもある新しい情報が入ってきた。

 

 

「ねーねーさくらちゃん」

 

綱吉と2人きりで静かにお絵描きしていたところ、可愛らしい第三者の声が割り込む。

 

声がした方向を見ると、そこには桜が個人的に仲を深めた少女が控えめな様子で立ちすくんでいた。

 

「なーに?どうしたの??」

 

言おうか言うまいか悩んでいる様子の彼女に桜は脳内で疑問符を浮かべる。

 

比較的他の子達より親しい間柄のため、今さら何か言いにくいことがあることに少々違和感を覚えたのだ。

 

「どうしたの?なにかこまったことでもあった?」

 

桜がそう問いかけると、彼女は小さくふるふると首を横に振る。

 

「えっと、さくらちゃん、くろねこさんってしってる……?」

 

唐突な謎の単語に桜の脳内はさらに疑問符で埋め尽くされる。

 

ただの黒猫ならば毛の生えたあの動物と解釈すればいい。

 

しかし、わざわざご丁寧にもさん付けしているところが不自然で、さらに知ってるか否かを聞くのもまたおかしな話だ。

 

「くろねこさん……?なんのこと?」

 

「そ、そうだよね!あのこずっとやすんでるし!」

 

人間かよ、と静かに呟いてツッコミしたのも彼女は気づかなかったようで、お構いなく話を続ける。

 

「さくらちゃん、いつもつなくんといるから、くろねこさんがきたらきをつけてね」

 

突然の忠告に桜は面喰ってしまう。

 

こんな幼い子がわざわざ忠告しにくるとは、そのくろねこさんという子は何者だろうか。

 

得体の知れないうっすらとした悪予感に、桜は何とか対策を立てて回避せねばと質問を投げかける。

 

「えっと、そのくろねこさんってなに?どんなこなの?」

 

「くろねこさんはね、かみのけがまっくろで目がこーんなで」

 

こーんなで、と彼女は言いながら目尻を吊り上げてみせた。

 

要するにつり目ということだろう、桜の悪予感は加速していく。

 

「みんながいっしょにいると、むれるな!っていってはいってくるの」

 

「……えーっと、それで?」

 

「あと、うでのここらへんに、ふうきってかいたやつつけてるの!」

 

ここらへん、と指したのは二の腕部分だった。

 

「……あぁ、うん……ほかには……?」

 

「えっとねぇ……あっそうだ、むかつくひとに、かみころすっていってる!」

 

決定的とも言えるその特徴的な単語により、散りばめられたピースがまるでそれが必然かのようにぴったりと合わされた。

 

脳内の片隅では手足の生えた某太鼓が「フルコンボだドン!」などと高らかに告げたため、桜は思わず握りこぶしを作ってしまう。

 

複雑な感情が混じった顔を、忠告した彼女が心配そうに覗き込む。

 

「さくらちゃん?だいじょーぶ?」

 

「あ、うん!だいじょうぶ!それで、そのくろねこさんはいつくるの?」

 

「んーとね、なんか、みんなといると、じんま……?なんだっけ?からだわるくしちゃうから、たまにしかこれないんだって」

 

恐らく蕁麻疹のことだろうか。

 

あの人そんな小さい頃から人嫌いこじらせてるのか……と遠い目になるものの、たまにしか来れないという情報で桜はいくらか安堵した。

 

そんな頻度なら会う可能性は低そうだと考えるが、油断大敵ということもあるだろう。

 

「ありがとう、きたらきをつけるね!」

 

一応お礼を言えば、彼女は満足したのかにっこりと笑って元の遊びへ戻っていった。

 

しかし何故この教室に雲雀恭弥が?と桜は思案する。

 

原作では明記されていないものの、おそらく雲雀恭弥はツナ達とは1つ上の15歳であったはず。

 

しばらく考えたところで、そういえば・と幼稚園に来た日を思い出した。

 

一般的な幼稚園は満3歳になれば入れるらしいが、正式な学年としては4月からになるらしく、その前に入った子は一つ上の子達と3月まで一緒に過ごすらしい。

 

そんな説明を母と共に聞いた気がするな、と過去を振り返り、それならば雲雀恭弥が同じクラスにいても不思議ではないと1人納得するのだった。

 

(「まぁすでに今が2月も下旬だし、ちょっと頭の隅で覚えておくくらいでいいか」)

 

そう結論付け、それは桜の予想通り同い年の子達と合流する4月まで、雲雀恭弥とはただの一度も遭遇することなく穏やかに時は過ぎた。

 

その予想通りの結末が、自身を安心させたと同時に慢心でもあったのだと桜は後に知ることとなる。

 

 

―――***―――

 

 

梅雨も近づいてきた、5月の温かな休日の昼下がり。

 

昼ご飯を食べ終えた桜の目に飛び込んできたのは、テレビで放映されているとある番組だった。

 

《ご覧ください!小学3年生のお兄ちゃんに手を引かれ、1年生の女の子が懸命にお使いを頑張ってます!》

 

現地リポーターと思われる男性が紹介するのは、いわゆる“はじめてのおつかい”という大人の企画に挑戦する幼子の特別番組である。

 

1年生ならば丁度お金の数え方を学ぶ頃だろう、親が企画に参加させるのも最もということだ。

 

そしてそれを見た桜の脳裏にはとある計画が立てられていた。

 

これを口実に思う存分、外を観察しよう……と。

 

ここで桜はまたもや失念していることに気付かないのだった。

 

自分が花の高校生ではなく、転生しただけのまだ幼い3歳児だということに。

 

 

 

「うーん……それは流石にダメねぇ」

 

普通に承諾してもらえるとばかり思っていた桜の計画…もとい願望は、至極当然な奈々の返答によって未遂に終わった。

 

「それにさくちゃん、幼稚園じゃ数の数え方はまだそんなに教わってないでしょう?」

 

「え……まぁ……うん」

 

「そうよねぇ、幼稚園のカリキュラム読んでもまだだものね」

 

カリキュラム、という単語を聞いて軽く側頭部を押さえる。

 

(「そういえばそんなのがあったな……」)

 

幼稚園でまだ教わっていないなら、流石にできることがバレるのは不味いだろう。

 

本で読んだ、と以前通り誤魔化すことも一瞬考えるが、今のところ家でも金銭授受を学べる内容を含んだ本は見かけていない。

 

もちろん幼稚園にも年齢的に向いていないためそんなものは存在しない。

 

桜が現時点で幼稚園で教わった内容も、数の数え方はせいぜい1から5までだ。

 

やはり諦めるしかないだろうか。

 

そんなことを考えた桜の脳裏にあるアイデアが思い浮かんだ。

 

何も幼稚園で学べるタイミングを待つことはない。

 

教えてくれる大人ならまさに今目の前にいるのだからだ。

 

「じゃあママがおしえて?」

 

「えっ、えー……うーん……」

 

想定外の要求だったのか、それとも我が子の知識欲に驚いたのか。

 

おそらくその両方だろう、奈々はそこまで教えていいものか思い悩んだ。

 

しかしそれもまたほんの少しのことだった。

 

子供の好奇心に蓋をして押さえつけることほど、愚かで無駄なことはないと気づいたからだ。

 

「……分かったわ」

 

諦めたように小さくため息を一つこぼし了承した奈々に、桜はそれまでの不安げな表情を一変させパッと嬉しそうな顔を見せた。

 

「ただし!」

 

「?」

 

「お使いは3つまで、とりあえずママが後ろからついていくことにするわね」

 

「うん、わかった!」

 

出された条件に一瞬落胆するものの、今の年齢を考えたら妥当かと飲み込む。

 

「じゃあ後はお金の数え方ね」

 

そう言った奈々が財布を取り出すと、それまで見向きもせず遊んでいた綱吉が興味を示してきた。

 

「さく、どこいくの?」

 

「さくちゃん、ママのお使いに行きたいんですって」

 

「ぼくもいきたい」

 

予想外の発言に目を見開く桜。

 

しかし奈々はそれは名案だとばかりに笑顔を見せた。

 

「それがいいわ!流石にさくちゃん1人じゃ行かせられないし、ツナも1人でお留守番なんて嫌よね!」

 

「えっ……?つなもいくの?」

 

当然のように自分1人だけで行くつもりの桜は、完全に予想外だったようで面食らう。

 

だが一方の綱吉も綱吉で、桜のその反応が予想外なのか目に涙を浮かべた。

 

「だめなの……?」

 

潤んだ瞳の上目遣いで見つめられ、桜はその可愛さで僅かに身悶えする。

 

原作では常に人気投票のトップ3以内を独占した主人公だ。

 

その主人公の幼少期が当然可愛くないわけがなかろう。

 

数十秒ほど見つめられたのち、桜はついに白旗を上げ降参する。

 

あまりの可愛さに自分の精神が保てないと判断したのだ。

 

「わかったよ……つなもいっしょにいこうか」

 

桜がそう言えば、先ほどの半ベソ顔から途端に花が咲くような笑顔に変わるのだった。

 

 

―――***―――

 

 

翌日の日曜日。

 

天候に恵まれたこの日、賑やかな並盛商店街に小さな2人の影があった。

 

「おっ、沢田さんちの双子じゃねえか!」

 

「こんにちは!」

 

「偉いねぇ、2人でお使いかい?」

 

「うん!」

 

行く先々で店主や同じ買い物客に声をかけられ、桜と綱吉は上機嫌だった。

 

「いらっしゃい、さぁカゴの中身を見せてごらん」

 

奈々から預かった買い物のメモを見ながら、書いてある通りの商品を入れた買い物カゴを駄菓子屋のおばあちゃんに渡す。

 

同時に受け取ったメモを見比べカゴの商品をレジに通すと、にっこりと笑いメモだけ桜に返した。

 

「偉い偉い、ちゃあんとメモと同じものが選べたね」

 

「えへへ、ありがとう!」

 

たどたどしく財布を取り出し店主に向き直る。

 

「えっと、いくらになりますか?」

 

「あいよ。30円もらえるかい?」

 

奈々が密かに根回ししたと思われる買い物客からの温かい視線を感じながら、桜は拙い動きでがま口の財布を開いた。

 

10円玉を3枚取り出し、目の前に差し出された釣り銭トレイにお金を置くと、店の空気に合わせた控えめな拍手と歓声が湧き起こる。

 

頭に乗せられた温かい感触に桜が視線を戻すと、店主が2人の頭を優しげな目で撫でていた。

 

「よく頑張ったねぇ。また2人でおいで」

 

誇らしげに笑う綱吉を見て、やっぱり2人で来て良かったと桜は安堵した。

 

無事にお使いを済ませ店を出ると、背後でずっと見守ってくれていた奈々の姿が見当たらない。

 

もしや先に帰ったのだろうかと思案していると向かいで花屋を営む男性店主が見かねて声をかけてきた。

 

「奈々さんなら、今日はありがとうございましたって言って先に帰ったよ」

 

最後まで見てるわけではないのか、と思いつつも花屋の店主にぺこりと頭を下げる。

 

商店街の出入口に建つ時計台を見上げると時刻は4時過ぎを指し示していた。

 

普段ならおやつを食べ終え昼寝か遊んでいるような時間帯だ。

 

現に桜の肉体は年齢に見合うように疲労を感じ取っている。

 

まだ出かけてから1時間ほどしか経ってないのに、もうこんなに疲れてしまうものなのか……と、桜はままならない幼児の我が身に歯がゆい思いを抱く。

 

隣の綱吉に視線を移すと、やはり同じように疲労が溜まり始めているのだろうか立ったまま眠たそうに目をこすっていた。

 

奈々から預かった所持金も最低限の金額だったため、これからの選択肢に他の買い物で社会勉強なんてものはなく、残された道は帰るしかないようだ。

 

「つな、かえる?」

 

「うん……」

 

こっくりと頷いた綱吉の手を握り、桜は帰路へとついた。

 

こうして2人の初めてのお使いは平和に――……終わるはずがなかった。

 

 

 

 

油断は禁物だと、桜は自身に言い聞かせているつもりだった。

 

太陽が赤く染まり始め、終わりに近づくその油断し始めた時間にトラブルに見舞われる。

 

 

「そこのチビ2人、いいもん持ってんなぁ」

 

馴染みの公園を過ぎ、あと少しで我が家というところで桜と綱吉は第三者の声に呼び止められた。

 

振り向くとそこには小学3年生か4年生頃の少年2人が佇んでいる。

 

意地の悪そうなニヤニヤとした笑顔の2人に、桜は嫌な予感を抱く。

 

「オレらさぁ、小遣い少なくて困ってるんだよねぇ?キミ達のお菓子とさぁ~、お金も持ってるんでしょ?それ全部置いてってくんない?」

 

その予感は的中し、小学生2人はドラマでしか見かけなさそうなカツアゲを要求してきた。

 

めんどくさそうなのに絡まれたな……と桜は気づかれない程度にため息をこぼし、買い物袋から棒状のスナック菓子を2つ取り出し少年2人に差し出す。

 

「えと、おかねはもうないから、これあげるね」

 

あくまでも穏便に済ませようとするが、少年2人はその行為で舐められたと思ったのだろう、桜を突き飛ばし激昂した。

 

「ふざけんな!全部置いてけって言ったんだよ!!」

 

「オレ達の言ってること分かりまちゅか~??」

 

4歳にも満たない小さな体では衝撃は受け止められず、桜はそのまま住宅街の塀に打ち付けられてしまう。

 

「……けほっ、いったぁ……」

 

「さく……!だいじょうぶ……?」

 

すぐさま駆け寄ってきた綱吉に平気そうな顔を見せ取り繕うが、少年2人は幼児に手を上げたことも構わずに詰め寄ってくる。

 

「オレ達の言ってる意味分かった~?これ以上痛い思いしたくなかったら持ってるもの全部置いてけよ」

 

体格的にも常識的にも通用しない2人に、桜がどうするかと思案していたところに思いもかけないことが起きた。

 

なんと綱吉が桜を守るように立ちはだかったのだ。

 

「ぼ、ぼくは……さくのおにいちゃんだから……だから……っ」

 

恐怖で目に涙を溜めながらも、必死に妹を守ろうとする綱吉の後ろ姿に桜は申し訳なさでうなだれる。

 

自分が我儘を言って綱吉を連れ出さなければこんな目に遭うこともなかったのだ。

 

責任と落とし前は自分でつけなければ――

 

そう決心するも、意識は突然の笑い声に中断された。

 

「ギャハハ!!おにーちゃんだってよ!」

 

「ぼくちゃん偉いね~!でも手ぶらのお前なんかに用はねぇんだ…よっ!!」

 

「……っ!」

 

振りかぶった拳に成す術もなく、綱吉は殴られた勢いで後頭部を壁に打ちつけてしまった。

 

衝撃が強すぎたのか、それとも打ち所が悪かったのか、綱吉はそのまま意識を失ってしまう。

 

「お前ら……よくも……!!」

 

年下の幼児を傷つけてもなお下品な高笑いを続ける少年2人と、自身の対応が遅れたせいで招いてしまった不甲斐なさで桜の怒りは頂点に達していた。

 

服の下に隠し忍ばせていた鍵のチャームを取り出し、死ぬ気の炎を灯せば小学生と言えども多少は怯むだろうと考えたのだ。

 

しかし、いざチャームを取り出そうと少年達から視線を下げたところで桜はある違和感に気づく。

 

目の前に立つ少年2人の、その向こう側に別の誰かと思われる新たな足が見えていた。

 

そして高笑いをしていしていた少年2人も、やはり桜の表情に不自然さを感じたのか笑うのを止め問いかけようと声をかけたが――……

 

「おいお前、一体どこ見「ねぇ、通行の邪魔なんだけど」

 

誰もいないと思っていただけに、少年達は突如としてかけられた聞き慣れない声にギョッと振り向く。

 

そして桜もまた同様に、2人が振り向いた際の隙間からチラリと見えた腕章にギョッとした表情を浮かべた。

 

一瞬見てとれた“ふうき”という文字に嫌な汗が背中を伝う。

 

そんなまさか、とも思うが、今しがた聞こえた特徴的な口調と僅かに見えたその腕章が桜の緊張を加速させた。

 

「なんだよお前!邪魔すnう゛っ」

 

 

ここがあの並盛といえど、10数年前ではその名が知れ渡っていないのだろう。

 

唐突に現れたその邪魔者を排除しようとしたのか、少年の片方が目の前のその小さな肉食動物に掴み掛かる。

 

現実を知らない哀れな少年は、紡ぎ出した言葉を言い終わることも許されず一撃でその場に倒れ込んでしまった。

 

1人が倒れたことで桜の視界は半分ほど広くなり、残されている少年に未だ半分ほど隠れている肉食動物をその目で捉える。

 

丸い頭の黒髪に鋭い眼光を宿したつり目という姿は、やはり桜が前世でこれでもかと読み漁った作品のキャラクターだった。

 

原作では愛用の武器であるトンファーを使用していたが、さすがに幼稚園児の時点では持たされていないようで、しかし逆に言えば武器も無しにどうやって自分よりはるかに大きい少年を沈めたのか。

 

そんなことを一瞬気にする桜だったが、その思考は震える叫び声ですぐさまかき消される。

 

「お、お前よくもオレの友達を!それになんでオレ達の邪魔するんだよ!!」

 

横で無様にも地に伏す友人を見て恐怖を感じたのだろう、やや後ずさりながらも怯えを孕んだ声で問いかけると幼い肉食動物は不機嫌そうに口を開いた。

 

「さっき僕が言ったの聞こえなかった?通行の邪魔って言ったんだけど。……それから僕の前で群れたからその罰」

 

身長ははるかに彼の方が劣るが、それ故に下から突き刺すようなその双眸は少年を萎縮させるには充分であった。

 

その睨みで何もかも勝てないとようやく悟ったのだろう、ヒィ、と情けない声を漏らし恐怖で怖じ気つつも少年は友人を半ば引きずるように担いで走り去ってしまう。

 

(「何とか一難去った……かな」)

 

相手が自分でなくて良かったと安堵する一方、桜はそれまでの緊張が取れないのか身動きできずにいた。

 

どくどくと早打ちする心臓音に落ち着かねばと深呼吸しようとし、何故か立ち去らない彼に違和感を覚える。

 

まさか気絶した綱吉と2人でいるから群れているということだろうか。

 

未だ武器を持ち得ず攻撃力は原作の時点より劣るとはいえ、今さっき自身の目で見て分かる通り性格も凶暴性もあの雲雀恭弥そのままと言える。

 

幼い見た目には不釣り合いなほど冷め切った目で見下ろされ、桜に再び緊張が走る。

 

声をかけられてからかなり時間が経過したようで、赤い夕焼けはいつの間にか桃色を薄めた藍色へと変わっていた。

 

(「そろそろ帰らないと不味いのに……」)

 

そもそも彼は何の用でこの場に留まっているのか。

 

咬み殺すならさっさとやっているであろうし、興味が無ければわざわざ留まる理由などない。

 

雲雀恭弥とはそういう人間だと、作品の中で何度も描かれている。

 

そして、その血気盛んな肉食動物から、気を失ったままの綱吉を抱えていかにこの窮地を乗り越えるか。

 

高まる緊張で身をこわばらせる桜に雲雀恭弥は唐突に小さく笑みを漏らした。

 

「……なるほどね」

 

いや何がだよ、と密かにツッコミつつ次の言葉を待つ。

 

「君、小動物みたいな見た目してるのに子供を守るような獅子の目をしてるね」

 

「……え?」

 

「決めた、君を咬み殺すのは今度にしてあげる」

 

言われた意味がよく分からず、理解が追いつかないうちに雲雀恭弥はくるりと背を向け藍色の闇へ消えて行った。

 

しばらくポカンとする桜だったが腕に抱える綱吉がもぞもぞと動いたことでハッと我に返る。

 

「つな?」

 

「んー……さく……?」

 

脅威が立ち去り、綱吉も目覚めたことで桜はやっと一安心したかのように深いため息をこぼした。

 

「つな、だいじょうぶ?あるける?」

 

「うん」

 

心配する桜とは裏腹に何ともなさそうな顔の綱吉だが、殴られて気絶までしたのだ。何もないはずがない。

 

念のため頭を触ってみると僅かにたんこぶらしき膨らみが出来ている。

 

「さく、かえろ。おなかすいた」

 

食欲には勝てないのかグイグイと手を引っ張り強引に歩き出す綱吉に、桜は先ほどのトラブルと綱吉のたんこぶを奈々にどう説明すべきか悩んでいた。

 

一方で、偶然にも雲雀恭弥と接触できたのは収穫とも言えそうで、なるべくキャラクターとは非接触でいるつもりだったものの生身の美形に会えたことに桜は心なしか気が緩んでしまう。

 

帰宅後に何が待っているのかも予想し忘れるほどには。

 

 

 

そして案の定、帰りが遅かったことより桜にはお使い禁止令が言い渡された。

 

 

___ to be continued.




*後書き*
活動報告なるものを書いてみたのでそちらも興味あったらぜひ読んでみてください。
あと頭の出来が大変残念なレベルで弱いので、これまでもこれからも小説内に矛盾するところがないかビビり散らかしながら書いております。


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07:忙しすぎる夏祭り

「はい、これがさくちゃんの下駄ね」

 

「ありがとう、ママ」

 

目の前に揃えられた淡い桜色の下駄を履くと、視界の端に髪飾りの組紐が揺れる。

 

履き心地を試すようにその場でくるりと一回転すると同じように浴衣に身を包んだ綱吉がキラキラとした眼差しで見つめていた。

 

「ツナ、どうしたの?」

 

「ううん、さく、かわいいね」

 

普段あまり言われない単語に、桜は照れるように微笑む。

 

それもそうだろう。

 

可愛らしい浴衣を着た今日は並盛神社で行われる夏祭りに行くためだ。

 

暑さでやや汗ばんでいるものの、奈々の手で仕立てられた浴衣は大人のそれとはまた少し違う帯によって綿飴のような可愛さが際立っている。

 

幼児のままならない肉体に辟易していた桜だったが、ほのかに浴衣特有の甘い香りを漂わせるこの装いもまあ存外悪くないものだと満足げに笑みを浮かべた。

 

「ツナもにあってるよ」

 

兄の浴衣にも同じように褒めれば、綱吉はえへへと照れくさそうに肩をすくめる。

 

「さぁ、パパが先に待ってくれてるし行きましょうか」

 

「はーい!」

 

カラコロと下駄の音を響かせ、綱吉と桜は手を引かれ並盛神社への道を進む。

 

10分ほど歩いたところで、桜は並盛神社の鳥居に気づいたようにあ、と小さく声をあげた。

 

「ついたね」

 

お祭り特有のお囃子の音が賑やかに伝わり、色とりどりに飾り吊るされた提灯の鮮やかさに綱吉と桜はうっとりと見つめる。

 

「さくちゃん、楽しそうね」

 

「え?」

 

不思議そうに見上げる桜に奈々は柔らかな笑みを浮かべる。

 

「今年は浴衣を着たからかしらね?それとも、お家から見た花火だけじゃなくてここまで来たから?」

 

例年とは少し違う様子に見えたのだろうか。

 

楽しそう、と言われた桜はこれまでのことを静かに思い返す。

 

去年までは綱吉と桜がまだ幼すぎるためか、夏祭りといえば焼きそばや冷たいカットパインなどを買い込み、家族揃って縁側で花火を見るだけであった。

 

さらにここ2年ほどの間で家光の外出頻度は少しずつ増えており、夏祭りやクリスマスなど季節的なイベントに折り合いがつけられないことも何度かあったのだ。

 

そのためか、家光の都合が夏祭りに合わせられ、尚且つ2人揃って浴衣も着られたとなればそんな風に見えても何らおかしくはなかった。

 

「うん、たのしいよ」

 

奈々からの問いに合わせるようにそう頷いてみせると、綱吉がやや強めに手を引っ張っていることに気づく。

 

「ねーはやく、はやくいこ」

 

幼心ながら、年に一度の貴重なイベントを心待ちにしていたのだろう、その恍惚とした表情と引っ張る手の強さがそれを物語る。

 

兄をなだめる桜の脳裏には、奈々に見せたその様子とは裏腹に別のことを考えていた。

 

夏祭り、といえば桜が思い出すのは原作でのことだ。

 

あの中での夏祭りはツナ達が中学生の時に体験したものであり、自身が今いるこの夏祭りは原作で描かれていない全く無関係で未知のものである。

 

数ヶ月前のおつかい然り、何が起きるか分からない不安と期待が混ざったイベントでもあるのだ。

 

純粋に楽しむ気持ちだけでは臨めないのも含めて、桜は一種の高揚感を胸の内に秘めていた。

 

奈々が感じ取ったのはおそらくその高揚感だろうか、と桜は推測しつつも、自身の手を引き前を歩く兄の後ろ姿に頼もしさを感じるのだった。

 

 

────****────

 

 

境内の露店や屋台を眺めながら進むと、ふいにぽっかりと開けた場所へと辿り着く。

 

そこは、どうやら露店等で買った食品類を飲食できる会場のようで、各自治会の地区名が印字されたイベントテントが連なっていた。

 

整然と並べられたテーブルにつく人混みをかき分け、辺りを見回しながら進むと──……

 

「おーい!こっちだこっち!!」

 

「パパ!」

 

声がした方に目線を辿れば、そこには人数分の焼きそばやお菓子を置いた家光が手を振る。

 

「やっと合流できて良かったわ~」

 

「これだけの人混みだしな!」

 

やっとひと息つけたように奈々達も座るが、綱吉が唐突に鼻息を荒く立ち上がった。

 

「パパ!さくみて!かわいい!?」

 

予想外の変化球に桜は、奈々から受け取り飲んでいたぶどうジュースを危うく噴きかける。

 

「……ッけほっ、つな??」

 

一体急に何を、と言いかけて立っている綱吉を見上げるが、当の本人は"さぁ見て!"と言わんばかりに両手を縦にひらひらとさせ桜に向けていた。

 

そして言われた方の家光といえば、暑い暑いと連呼しながら団扇でバタバタと煽ぎつつ冷えたビールをぐびぐびと飲み干している。

 

「むー……パパ!!」

 

晴れ姿をなかなか見てくれない父にしびれを切らしたのか、綱吉は自分の手を伸ばして向かいに座る家光の手をビシバシと叩く。

 

「いてっ!いててっ、ゴメンって」

 

小さな息子の容赦ない平手打ちに成長ぶりを痛感しつつ、訴えかけるその目に降参するかのように両手を上げ応えた。

 

「わーかってるよ、桜の浴衣が可愛いんだろ?ツナは相変わらず桜が大好きだな!」

 

自身の望む反応をされ、綱吉は満足気な表情を浮かべ椅子に座り直した。

 

「だって、さくはせかいいちかわいいもんね!」

 

普段が特にツンというわけではないが、滅多に見せないデレを見せつけられ、桜は赤面顔を悟られないようそっぽを向く羽目になる。

 

その後ひとしきり幼稚園での出来事など雑談を交えながら夕食を済ませ時間を見ればもうすぐ花火が始まるところまで迫っていた。

 

「あら、もうこんな時間ね」

 

「神社の上の方に行けば花火も綺麗に見られるぞ!」

 

食後で眠気が迫りつつあったツナも"花火"という単語で目が覚めたのだろう。

 

「ん……はなび…!はやくいこ!」

 

パッと立ち上がり、やや残っていた眠気を漂わせながらも隣にいる桜の手を握りしめる。

 

「つな、あついよ~…」

 

「ふふ、じゃあ行きましょうか」

 

幼子2人の様子に笑いながら歩き始めるが、ふいに街灯に付けられた臨時スピーカーから特徴的な呼出音が流れた。

 

『並盛町夏祭り運営より、迷子のお知らせです。黄色の帯に水色の金魚の浴衣を着た4歳の女の子をご家族がお探しです。見かけた方は並盛町夏祭り運営までご連絡ください』

 

女性の声で告げられたそのお知らせに奈々は"まぁ…"、と声を漏らす。

 

「こんな人混みで、見つかるといいわねぇ……」

 

4歳という同じ年頃で心配なのか、顔をわずかに曇らせた母の顔を見て桜は察したように慌てて声をかけた。

 

「つなとわたしなら、ママたちとはぐれないよ?」

 

「……!そうね、2人共しっかり手を繋いでるものね」

 

前を並んで歩く双子は夏の暑さも構わず手を握り合っており、万が一迷子になるとしても2人一緒なのだろうと傍目に想像できた。

 

お互い信頼し合ってるかのように視線を交わす2人に奈々は静かに笑みをこぼす。

 

「あっ!ママ、あそこ?」

 

斜め上を指差す桜に合わせて目を向けると、低めの林から神社らしき社が見え始めた。

 

「おぉそこだな!もう少ししたら階段が見えて…?ん?」

 

「あら?あの子……」

 

徐々に姿を現す神社に沿って視線を下げると、階段の一番下で幼い少女が座り込んでいた。

 

「ねえママ、さっきの"きいろのおび"って、あのこかな?」

 

すすり泣く少女を先ほどの放送で思い出したのか、不安げな声で桜が聞いた。

 

「そうね、きっとあの子よ」

 

「じゃあわたし、こえかけてくるね!」

 

「ちょ、さくちゃん!?」

 

綱吉の手をするりと解き駆け出す桜に奈々は呼び止めかけるが、それを家光が制止する。

 

「まあ待て、少し様子を見よう」

 

 

────****────

 

 

「ひっく……ッおにいちゃん……どこぉ……」

 

駆け寄った桜の目に映ったのは、蜂蜜色の髪に良く似合う黄色の帯に映える水色の浴衣の女の子だった。

 

お兄ちゃん、と呟いたことで兄とはぐれたのが分かる。

 

泣いた顔を抑えた両手のすき間からはとめどなく涙が零れ、水色の中で泳ぐ金魚は色が変わっているのが見えるほどに染みを作っていた。

 

「ねえ、おにいちゃんとはぐれたの?」

 

近寄りすぎず離れすぎない距離で問いかける桜に、すすり泣く声を止めた少女が顔を上げる。

 

瞳に涙を溜めたその顔に、桜はどことなく見覚えがあることに首をかしげた。

 

(「はて、どこかで見たような……?」)

 

しかし今世での記憶では、名前も知らない同世代の子は知り合いに存在しない。

 

ぼんやりと出そうで出ない違和感にデジャブを感じながら、ひとまず桜は目の前の少女に手を差し伸べる方が先決だと考え、すぐにその違和感を振り払った。

 

「おにいちゃん、さがしてるんでしょ?わたしがいっしょにさがしてあげるよ」

 

「……ほんとう?」

 

「うん!」

 

差し伸べられた手を取った少女は涙を零しながらも安心したように微笑む。

 

カラコロと下駄の音を鳴らしつつ、夏祭りの運営本部を目指し来た道を戻る。

 

歩く間、少女は家族への再会まで不安が残るのか再び泣き出さないようにと口を閉ざしたままだ。

 

そんな少女を見兼ねてか、桜は少女に声をかけた。

 

「あの、あなたのおなまえは?」

 

とりあえず名前を聞くくらいは良いだろう、と判断し、引かれてやや後ろを歩く少女の顔を見遣る。

 

周りの喧騒に圧されつつも口を開きかけた少女に次の言葉を待つが───、

 

「おーい!!どこだー!!!」

 

一筋の光が差すように、喧騒のすき間を縫って少年の声が桜の耳を貫いた。

 

もしや、と思ったのと同時に、少女も花が咲くように走り出す。

 

「おにいちゃん!」

 

人混みをかき分けて現れた少年に飛び込んだ少女は安心したのか両の目からまたも涙を零した。

 

感動の再会という場面に桜も安心しかけたものの、少年の顔で雲が晴れたように違和感の正体を思い出す。

 

(「あの顔とあの女の子、まさか……」)

 

固まる桜に気づいたのか、お礼を言おうと兄妹は桜の目の前で立ち止まった。

 

「きょうこをつれてきてくれてありがとう!」

 

礼儀正しく頭を下げる少年に桜は言葉が出ない。

 

桜の目に映るその乳白色の芝生頭に、"きょうこ"という少女の名前。

 

どう聞いてもあの笹川兄妹だと薄れかけた記憶が告げる。

 

(「私のばか!なんですぐに思い出さないの……!」)

 

"必要以上に原作の登場人物と関わらない"という自らの制約を破ってしまったことに後悔するが、迷子だったとはいえ既に関わってしまっている。

 

後の祭りということもあり、桜は早々にその場を立ち去るべく別れの言葉を紡ごうと口を開きかけるが、それは少年の言葉によって遮られた。

 

「たすけてもらえたおれいがいいたいんだが、おまえのなまえはなんだ?」

 

まだ幼いながらも、原作での彼と変わらない勢いに圧される桜。

 

(「あっこれ答えない選択肢がないやつだ」)

 

やや悟りの境地に片足を突っ込みつつ、答えあぐねる桜を不思議そうに見つめる兄妹。

 

何とか名乗らずに済む方法はないかと考え込んでいると少年はあぁ、と何かを察した表情を浮かべた。

 

「そうか!さてはおまえ、ひとみしりだな!」

 

「えっ、あぁ……うん」

 

「そうか!それはすまなかった!」

 

再び頭を下げて謝る少年にたじろぎながらも、桜は振り絞るように言葉を紡ぐ。

 

「あっ、ううんだいじょうぶ……えっと、じゃあわたしはこれで!」

 

少年の勢いで後ろに下がれたのを良いことに、桜はそのままくるりと背を向け走り出した。

 

慣れない下駄を駆使して駆け出す桜の背後では、その背中を照らす日輪のように明るいお礼の声が響いていた。

 

 

────****────

 

 

「あっ、さく!」

 

「おかえりなさい、さくちゃん」

 

神社へと続く階段の下に着くと、地面に何かを書きながらつまらなそうに綱吉が座り込んでいた。

 

桜に気づくと途端にパッと立ち上がり笑う綱吉に、桜はどこか安堵したかのように笑みを零す。

 

まだ幼稚園児程度の年齢とはいえ、原作の登場人物に予想外な形で関わったことに疲れていたのだろうか。

 

しかしそれもすぐに主人公の身内であるということを思い出し、桜が浮かべた笑みは安堵から自嘲気味なものへと変わった。

 

そんな僅かな変化に気づいたのか、奈々が心配そうな声で桜の頭を撫でる。

 

「ママ?」

 

「疲れたでしょう?やっぱりさくちゃん1人で行かせない方が良かったかしら」

 

「ううん、そんなことないよ?」

 

「本当に?」

 

否定するものの、桜の様子にまだ納得いかない様子の奈々。

 

母ながら何か感じるものでもあるのか、腰を降ろし目線を合わせる奈々に桜の心臓がドキリと密かに跳ねる。

 

「だいじょうぶだよ、ママ。すぐにあのこのおにいちゃんにあえたし」

 

大丈夫だ。大したことじゃない。

 

自分に言い聞かせるように、目の前の母に訴えかけるように。

 

感情の揺れを悟られないように、桜はなるべく平静を装って奈々の瞳を見つめた。

 

そんな様子の桜に納得したのか、それともこれ以上は深入りできないと思ったのか。

 

奈々は困ったような笑顔で静かに頷いた。

 

「そうね、さくちゃんがそう言うなら大丈夫ね」

 

「そうだよ!ほら、はなび!はじまっちゃう!パパも、」

 

パパも行こう、と言いかけた桜だったが、見上げて目線を合わせた父の顔はどこなく険しい。

 

しかしそれも見間違いかと思う程の一瞬だったようだ。

 

「おっ!そうだな!ほらツナ、肩車しようか!」

 

「うん!」

 

いつものように豪快に笑いながら綱吉を肩車すると、2人は下駄の音を鳴らしながら階段を登って行った。

 

「さ、私たちも行きましょうか」

 

「……うん!」

 

ほんの一瞬見せた家光の様子に不審がりつつ、奈々から差し伸べられた手を取ると後に続いて神社へと歩を進めた。

 

 

……

…………

 

 

「わぁ……」

 

「綺麗ね~……」

 

階段を登る間に始まっていたのか、神社へ着く頃には夜空に大輪の花火が次々と上がっていた。

 

息を飲む美しさに、桜も綱吉もうっとりとした顔で色とりどりの華を見つめる。

 

(「まだ半日なのに色んなことがあったなぁ……」)

 

咲かせては消える花火に思いを馳せ、桜はぼんやりと思い出す。

 

例年とは違った夏祭りを楽しめたかと思いきや、助けた迷子が笹川京子という予想外の人物に出会ってしまう。

 

名前を聞かれもしたが、幸いにも名乗らずに済んだため原作への介入は最低限に留められただろうと花火から目を逸らした。

 

彷徨わせた視線の先では、風に吹かれて飛んできたと思われる短冊が落ちていた。

 

「そういえば、さっきの階段の近くで七夕の短冊書けるところ見つけたのよ」

 

「おっ、そういやあったな!2人も書いてみるか?」

 

たまたまだろうか、桜が短冊を見つけたのと同時に家光と奈々が思い出したように呟いた。

 

「うん!かきたい!」

 

無邪気に笑う綱吉を尻目に、桜は何を短冊に書くべきか思考を巡らせる。

 

そういえば短冊を書くのは何年ぶりだろうか。

 

幼稚園でもひらがなやカタカナの練習はするものの、七夕の短冊などはどうやら年長組でやるため、転生してからは一度も書いていない。

 

精神年齢に見合わず、どんなことを書こうか胸を踊らせる桜の視界の端で黒い影が動くのが見える。

 

神社の奥へと続く茂みに何かがいるのか、時おり不自然に揺れる影に桜の興味が向いた。

 

"猫かもしれない。"

 

転生してもなお拗らせたままの猫狂いに内心ため息を吐きつつも、横にいる奈々に一応問いかけた。

 

「ねぇママ、あそこのおくにねこちゃんいるの。みにいってもいい?」

 

「まぁ、さくちゃんは花火より猫ちゃんなの?良いけど、あんまり遠くまで行かないようにね」

 

「うん!」

 

花より団子、ならぬ華より猫という娘に苦笑いする奈々。

 

許しを得た桜は一目散に走り寄ると、やはり茂みの奥に何かいる気配を感じ取る。

 

(「やっぱりいる……!これは絶対に猫!」)

 

謎の自信で茂みをかけ分け、浴衣に引っかからないよう配慮も怠らず身体をねじ込む。

 

 

──なぜ桜は黒い影を猫だと思い込んだのか。

 

わずか数分前の自分に呆れと怒りを覚えつつ、目の前の存在にポカンと口を開けてしまう。

 

確かにそこには猫がいた。

 

(「いやまあ、猫はいたけど……ヒューマンタイプの猫もいたわ……」)

 

そこには小さな黒猫と一緒に黒猫呼ばわりされていた雲雀恭弥が優雅に寝そべっていた。

 

「ん……?あぁ、君か」

 

彼も彼で花火を楽しんでいたのだろうか。

 

木々の隙間から見える花火を黒猫と眺めるその少年は、わずか5歳ながら既に異様な美麗さを放っていた。

 

「なに?」

 

「あっ、ううん、ごめんね」

 

見とれる桜に苛立ちを覚えたのか、以前と違い敵と認識したように睨みつける雲雀恭弥に思わず頭を下げる桜。

 

(「群れるの嫌がってるけど、そういや原作でヒバードと群れてたなぁ……」)

 

原作での場面をうっすらと思い出しつつ綱吉の元へ戻ろうと背を向ける桜だったが──、

 

「ちょっと待ちなよ」

 

歩き出した足は雲雀恭弥の一声で止められた。

 

「えっ……?なに……?」

 

幼稚園では可愛らしく黒猫呼ばわりされるものの、その凶暴性からしてグリズリー並に危険な人物に引き止められ、桜の鼓動は緊張に跳ね上がる。

 

「君、いま1人でしょ。ここにいてもいいけど」

 

先ほどの迷子の一件から続いて予想外の出来事だが、追い討ちをかけるかのような、更に普通では考えられないその発言。

 

そのあまりの厄日ぶりに桜の思考は現実逃避を始めた。

 

"今日は何の日だったっけ"

"あぁそうそう、夏祭りだったな"

 

楽しいはずのイベントなのに、よりにもよってその夏祭りの締めに原作随一の要注意人物に引き止められるとは。

 

しかし彼の言葉に拒否の態度を見せれば何が起きるか分からない。

 

帰る方向に向きかけた身体を大人しく戻し、桜はすごすごと芝生の上に腰を下ろした。

 

「ちょっと、どうしてそんなに遠いの」

 

警戒して距離を置いたものの、彼は桜のその態度にすら訝しげな表情を見せる。

 

「え、えっと……その……」

 

「まあいいよ、それより気になってることあるんだけど」

 

「えっ、あっはい……?」

 

性格に見合わず饒舌に喋りかける少年に今度は桜が不審がる。

 

この少年はここまで口を動かすようなタイプだっただろうか。

 

脳内で首をかしげつつも、その一瞬の隙を突いて詰め寄られた距離感に息が止まる。

 

(「……!??いや近っ!」)

 

「君は、」

 

幼児特有のくりくりとした愛らしい双眸で見つめられ、桜に謎の緊張感が走る。

 

「つよいのか、よわいのか、よく分からないね」

 

「はぁ……」

 

この少年は何を言っているのか。

 

訳の分からない発言に気の抜けた返しをする桜に、少年はくすりと笑みを浮かべた。

 

(「この人、本当にあの雲雀恭弥なのかな」)

 

想定していた事態からややかけ離れていることに戸惑う桜。

 

またも自分の世界に入り考え込む桜に雲雀恭弥が再び声をかけた。

 

「ねえ、もう終わってるんだけど」

 

「え?」

 

何が、と言いかけるが、立ち上がった少年を見上げて周りがやけに静かなことに思考が引き戻される。

 

花火はとうに終わっていたらしく、遠くからは自身の名を呼ぶ声が耳に届いていた。

 

「……!ごめん、かえるね」

 

「うん。次はつよくなってね」

 

最後の最後まで意味の分からない発言が飛び出す少年に、桜は茂みから出しかけた足を思わず止める。

 

「……なんて?」

 

感情の読み取れない無表情に内心ため息を吐きつつ静かに首を振る。

 

「なんでもないよ、また今度」

 

その言葉をやや気にしつつも家族の元へ駆け出した桜の背に、少年が何かを小さく呟いたのを黒猫が目を細めて見つめていた。

 

 

 

そして、幼い2人が交わした言葉がこれで最後になることを誰も知る由もない。

 

 

 

___to be continued.




*後書き*
まずはお礼をば
アンケートにお答えくださった皆さま、ありがとうございました。しばらくはまだ締め切らずに置いておくのでまだの方おりましたらぜひよろしくお願いします。
サイトの方では感想は全く来ないしアンケートも完全無反応という有り様だったので、こっちでもせいぜいまあ2票か3票入れば儲けもんかなぁなどと思っておりました。数日経って見てみたらそもそも桁が違ったもので大変にびっくりしました。
皆さまこういう印象?なんだなと改めて参考になりました。
本当に改めてありがとうございました。
また、アンケートに関してちょっとした懺悔があるので、それについては(どえらく長いので)活動報告として後日上げさせていただきます。

また今回の話についても何か感想や批評などあればお待ちしております。


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08:霧の邂逅

淡い夕焼けに染まる街。

 

レンガ造りの建物が並ぶ住宅街に、桜は1人佇んでいた。

 

(「これ……あぁ、夢か……」)

 

地に足を着けた感覚がないのと、薄ぼんやりと霞がかる視界に直感が自然と働く。

 

どこか外国の風景なのか遥か遠くに見える運河には日本で見かけない大型船が停泊している。

 

建物のガラス窓にふと目を移すとそこにいたのは不思議なことに転生する前の自分自身だった。

 

(「へんな夢だなー……」)

 

海外にも行ったことないのに、と首をかしげる。

 

それとも最近そんなテレビでも見ただろうか、と思ったところで、背後から幼い子どもの笑い声が聞こえた。

 

「はやくはやく~!」

 

「まってよ~!!」

 

無邪気に笑いながら横を走り抜けた2人を凝視するが、夕焼けの眩しさで顔がうまく見えない。

 

太陽の逆光に思わず右手をかざしながら目を細める。

 

(「さっきの子達、どこ行ったのかな」)

 

視線を彷徨わせるものの、わずかに逸らした一瞬で見失ってしまったようだ。

 

すでに付近には人影は無く桜の周辺は再び静寂に包まれた。

 

そのうち夕焼けは徐々に紫色から夜の色へと変わり、桜の視界も暗闇に飲み込まれて意識を手放した。

 

 

「……へんなゆめ」

 

真っ白い天井を見つめ、桜は夢の中と同じようにポツリと呟く。

 

もっぱら見る夢と言えば家族のことや幼稚園の出来事がほとんどだ。

 

どこか現実味を帯びたような、そうでも無いような夢を見るのは初めてのことで、桜は胸の内がざわめくのを不審に感じた。

 

「ん~……?さく……?」

 

「おはよう、つな」

 

ただの夢を不審がっていても仕方ない。

 

すぐに思考を切り替え、桜は隣で未だ寝ぼけ眼の片割れに微笑んだ。

 

「2人とも起きた?」

 

話し声で気づいたのか奈々が部屋のドアから顔を覗かせる。

 

「おはよう、ママ」

 

「朝ごはんもうできてるわよ。下に降りていらっしゃい」

 

ドアのすき間からは香ばしいパンの香りがただよう。

 

今日のジャムはなんだろうか、などと考えながらベッドから下りると何かが物足りないことに気づいた。

 

「……?」

 

起きたばかりでいまいち働かない脳味噌でぼんやりと部屋を眺めていると、綱吉も気づいたのか桜の服を引っ張る。

 

「さく、こっち」

 

「あぁ、そうだったね」

 

今までは寝る時もネックレスを首から下げていたが、寝返りで危ないだろうと起きた時に着替える服に置いていたのを失念していたようだ。

 

いつも通りに制服に着替えて姿見で確認する。

 

「つな、だいじょうぶ?」

 

「うん!」

 

首元のネックレスも服の上から触り問題ないことを認識し、いつものように朝食へと向かった。

 

 

────***────

 

 

普段と変わらない朝のルーティーンを済ませ幼稚園に着くと、何やら浮き足立つような雰囲気が漂っていた。

 

桜が感じ取った直感が当たったのか、2人が教室内に入ると途端に囲み取材のようなものが出来上がる。

 

「さくらちゃん、すごいね!」

 

「なんかもらえたの!?」

 

訳が分からないまま賞賛の言葉を浴びせかける女の子達に桜は理解が追いつかない。

 

「まってまって!なんのこと??」

 

「え~!しらないの!?」

 

ちんぷんかんぷんの桜と綱吉の手を引き、女の子達が連れてきたのは職員室に面する廊下の壁だ。

 

「ほら!あれ!」

 

1人の女の子が指さした先には、並盛幼稚園の名前と桜の名前が記載された表彰状と思わしき紙と記念写真が貼られていた。

 

幼稚園児には読めないような難しい漢字で並んだ言葉には、どうやら2ヶ月ほど前の七夕祭りで帰りに書いた短冊がコンテストで選ばれたということらしい。

 

(「あぁ、うん。そういやそんなことやったなぁ」)

 

 

雲雀恭弥と別れた後、合流した両親と綱吉で帰る途中で七夕の願い事を短冊に書くコーナーがあった。

 

大人はあまりやらないのだろうか、豪勢な笹の葉飾りで揺れる短冊には、下は桜達と同年代の子から上は高校生ほどまでの年齢が見て取れる。

 

それとは別に、未就学児限定で短冊に込めた願い事を自身が通う幼稚園の名前と共に提出する支援があるらしい。

 

桜と綱吉が書いたものはどうやらそれに応募されたそうで、支援団体と町長から数ある幼稚園の中の1人として選ばれたということだそうだ。

 

選ばれた、とは言っても未就学児の短冊なので、表彰状も"とても良い願い事ですね"や、"これからに期待しています"等の、子どもの健やかな成長を願うような内容だった。

 

桜にとっては中身の精神年齢なだけにわざわざ気にかけるほどのことでもない些事だが、並盛幼稚園での中の1人として選ばれ表彰されたというのは相当な影響なのだろう。

 

幼稚園児にしてみれば同年代の子が何やらすごいことをして褒められた、くらいのインパクトがあるらしい。

 

教室内はしばらくその話題で賑わっていた。

 

(「まあそのおかげでツナも他の子と距離縮まったし」)

 

意図的に何かをしたわけではないものの、人見知りの兄が何かしらのきっかけで馴染めると思えば話題にされる気恥ずかしさも和らぐものだ。

 

かけっこでビリだった、程度の理由でも笑いものにする様子を見てきたためか。

 

桜の心配も相まってだろうか、孤立しかけている綱吉へのフォローにも使える手段は何でもいいくらいにはなっていた。

 

今までの園生活より幾らか穏やかに過ごせたことに、桜はほっと胸を撫で下ろした。

 

「ねぇねぇ!」

 

他の子と気後れしつつも楽しげに話す綱吉を眺めていると、不意に背後から声をかけられる。

 

「うん?なーに?」

 

「さくらちゃんとつなくんって、たんじょうびおなじなんだよね?」

 

「そうだよ~」

 

「じゃあはっぴーばーすでーできるね!」

 

謎の台詞に思わず首をかしげる桜。

 

予想していたのか、その子は?こっち?、と桜の右手を引いて教室の隅にかけてあるカレンダーの場所へ案内した。

 

「あっ、やっぱりふたりのたんじょうびかいてあるね!」

 

見上げるとそこには10月14日の欄に自身の名前と綱吉の名前が、可愛らしい文字で手書きされている。

 

「おたんじょうびがきたらね、みんなではっぴーばーすでーうたうんだよ!」

 

成程、と桜は静かに納得した。

 

桜と綱吉が幼稚園に入ったのは同じ年の初春頃だ。

ここで迎える誕生日が初めてなため、そのようなイベントがあるとは全く知らされていなかったのだ。

 

「おたんじょうび、たのしみだね!」

 

「うん!」

 

嬉しそうに笑うその子に釣られて桜も自然と笑みをこぼした。

 

 

────***────

 

 

「──っていうことがあってね」

 

「そうなのね~」

 

帰宅後、夕食を作る奈々の傍らで桜は今日の出来事を話していた。

 

「じゃあお誕生日会する時はきっと何か貰えるのね」

 

「ほんとう!?プレゼント?」

 

驚く桜に奈々は微笑みながら頷く。

 

「お歌うたうだけじゃないと思うわよ、やっぱりクラスのみんなで何か作ってるんじゃない?」

 

「そうだといいな~」

 

頬を染めて嬉しげに笑う桜の隣で不意にタイマーの音が小さく鳴り響いた。

 

「さくちゃん、ちょっとそこのグリル見てくれる?」

 

「はーい」

 

奈々がいる右隣とは逆の、左隣で香ばしい匂いのする魚焼きグリルをそっと開ける。

 

蓋を開けるとそこには美味しそうにじゅわじゅわと音を立てるチーズグラタンがこんがりと焼けていた。

 

「これで完成ね!」

 

桜の背後から覗き込んだ奈々が満足そうに頷く。

 

「じゃあわたし、おさらならべるね!」

 

「ありがとう、さくちゃん。ツナは何してるのかしら?」

 

やけに静かね、と首をかしげる奈々だったがすぐ後にあっと声を上げる。

 

「あらあら、テレビ見ながら寝ちゃったのね~あれじゃ風邪引いちゃうわ」

 

グラタンの受け皿を並べるために椅子の上に立つと、その向こうのカーペットですやすやと眠る綱吉が見えた。

 

1歳の誕生日プレゼントに貰った黒い等身大テディベアを子犬のように抱きしめる姿にほわほわと癒されつつ、桜はハッと我に返った。

 

先ほど奈々も言っていたが、そんなところで何も羽織らず寝ていては風邪を引いてしまう可能性がある。

 

いや熱に浮かされる綱吉もきっと可愛いが、等とやや余計な雑念に振り回されるものの、目に入れても痛くないほどに可愛い可愛い兄が風邪を引いてしまうのはとてもよろしくない。

 

つい湧き出る性癖を頭の片隅に追いやりつつ、桜はすぐさま椅子から降りた。

 

「ママ、わたしうえから毛布とってくるね」

 

「ありがとう、せっかくだからさくちゃんも好きなご本持っていらっしゃい」

 

「うん!」

 

リビングを出て階段を上がると、下の階と比べてやや温度が下がるのがうっすらと涼し気な空気が漂う。

 

(「もう10月入ったもんなぁ……ん?」)

 

部屋の前に立ったところで桜はふと違和感を覚えた。

 

いくら10月に入り気温が下がっているとはいえ、ドア下の隙間から漏れる空気は他とは違う冷ややかさを感じる。

 

(「ベランダの窓開けてたっけ?でもママは洗濯物取り込んだら鍵閉めるし」)

 

拭いきれぬ不信感とうっすら漂う悪予感に首をかしげつつ、桜はそのまま部屋のドアを開けた。

 

「……え」

 

部屋の中で待っていたのは、何か当然のように不法侵入を決め込んで鎮座する2人がこちらを見据えていた。

 

だが桜の動揺はそこではなかった。

 

 

今まで、桜が出逢った原作キャラクターは主人公を始めとしたいずれも味方といえる存在ばかりだった。

 

雲雀恭弥という、場合によっては警戒が必要な人間も含めて、である。

 

しかし、桜の目の前に今いる人間は作中においても敵側の傍にいる存在だった。

 

 

”なぜ” ”ここに” ”あの2人が”

 

跳ね上がる警戒心を最大限に抑えつつ、桜は平静を保つように自身の表情筋に集中する。

 

ベランダから吹き込む爽やかな風に吹かれ、2人のピンク髪がそよそよと揺れた。

 

「えっと……どちらさまですか?ようじがあるならしたからですよ」

 

幼稚園児らしくチャーミングに微笑みつつ、桜は玄関のある下を指さす。

 

傍目から見れば、そんないたいけな幼稚園児がその2人をあらかじめ知った上で警戒しているなど、夢にも思わないことだろう。

 

桜の何ら変哲もない問いかけに、黒いアイマスクで顔半分を覆い隠した2人がわずかに口角を上げる。

 

「そんなに警戒なさらずとも大丈夫ですよ」

「我々は貴女に用事があったので、失礼ながら表を通さず上がらせていただきました」

 

湧き上がる警戒心を最大限に抑えて取り繕った笑みを見抜かれ、桜は内心驚きつつもやはり身構えたままその場から動かない。

 

一体この2人が桜に何の用事があるのか。

そもそも何故こんなにも早い段階で一方的に遭遇するのか。

 

警戒心だけでなく、当たり前の疑問が桜の脳内を支配する。

 

「先ほども申しましたが、我々は貴女に用事があって参りました」

「こちらに敵意はないので警戒心を解いていただけませんか」

 

にこやかに微笑むその顔と声色に嘘は感じられない。

 

そして何より桜が抱くその違和感には、原作において常に敵側にいたあのおぞましい怪しさが目の前の2人にはまるでなかった。

 

自身の直感を信じひとまずその場に座り込むと、ピンク髪の2人 ──チェルベッロはゆっくりとお互いの顔を見合わせる。

 

 

「今日、我々がここに来たのは貴方にある忠告をするためです」

 

「忠告?」

 

謎の台詞を言葉にしたチェルベッロにオウム返しをする。

 

「そうです。これは忠告であり、確定事項……言わば予言です」

「確定事項なので貴方がそれを避けることはできません。しかし我々の忠告で少なからず警戒することは可能です」

 

淡々とした口調に潜む、どこかあまり良くないような空気に桜は顔を強ばらせた。

 

しかし忠告と言うものの、確定事項で避けることができないならば警戒しても意味がないのでは、と桜は考える。

 

その疑問をそのまま目の前の2人に問いかけると、チェルベッロはうっすらと顔に影を落とした。

 

「そうですね。我々による忠告で貴方がどう対策をしても、その未来は遅かれ早かれ来ることでしょう」

「しかし……例えばですが、沢田綱吉に身の危険が迫り貴方がその危機を自分に向かわせることだけでもできる可能性があったら、貴方はどう選択されますか」

 

「それが確定事項?」

 

「いえ、これはあくまでも一例でしかありません」

「我々から正確な情報を伝えることはできません。そういう可能性があったら、というだけの話です」

 

「そう……なら、さっきの例えで言うならもちろん私は綱吉を助けるために私が犠牲になるよ」

 

桜がこの世に生を受けた理由は未だに不明だ。

しかしこの世でマフィアという裏社会に関わる上で、身を守るに必要な力が備わっていたことは以前のことで分かっている。

 

その力を正しく誰かを守ることに使えるなら、桜は喜んでその身を捧げるつもりであった。

 

決意を秘めた表情の桜に、チェルベッロはふっと笑みを浮かべる。

 

「そうですか。貴方ならきっとそのように答えると思いました」

「我々の忠告……”蛇のようなモノ”にも、気をつけていただけますね」

 

「”蛇のようなモノ”?……え、それが忠告?」

 

あっさりとした何の情報量もない忠告に面食らう。

 

もっと具体的に言われるものだと身構えていただけに、たった一言しかなかったことで桜は体から力が抜けるのを感じた。

 

「そうですね。忠告とは言っても、せいぜい占い師がやるようなことと同じようなものです」

「頭の片隅にそっと置いて覚えていてくれればそれで構いません」

 

目的を果たしたかのように立ち上がると、チェルベッロはベランダの外へと歩き出す。

 

「では、我々はこれにて」

「次に会う時は貴方の敵となるかもしれませんが」

 

「何、を」

 

意味深な言葉を放ち2人はベランダの縁に立ち上がった。

 

呆気に取られ声が続かないうちに、チェルベッロは怪しげに笑みを浮かべる。

 

「「”また、会いましょう”」」

 

以前に来た謎の女性と同じ言葉を別れ際に残し、2人はふわりとベランダから飛び降りた。

 

「ま、待って!」

 

思わず追いかけた桜がベランダの柵から顔を覗かせるも、まるで霧に包まれるかのように2人の姿は既に消えていた。

 

夜闇に溶けるようにいなくなり、桜はまるで白昼夢でも見たかのような感覚で虚空を見つめる。

 

 

 

夢か、現か。

 

部屋に未だ漂う2人の残り香とヒントを脳内で反芻しながら、桜はその空間を後にした。

 

 

 

___to be continued.




*後書き*
約1週間ぶりの更新です。
REBORNのアニソンメドレー聞きながら書いてます。

天野先生がキャラブックかどこかで、気をつけていることは何かという質問に”矛盾がないようにする”と答えていました。
作品を作るという上で矛盾がないようにって本当に難しいですね。
この話が後々に矛盾とならないように引き締めて頑張りたいです。

また、今回の更新をもってアンケートを終了とさせていただきます。お答えくださった皆さま、本当にありがとうございました。いずれまた新たにアンケートをしようかと思いますのでその時はまたよろしくお願い致します。
追加の余談ではありますが、今回からサブタイトルにナンバリングをつけることにしました。


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09:クリスマスと疑惑の少女

「"蛇らしきモノ"、ねぇ……」

 

夕方に差し掛かるオレンジ色の部屋で、桜は1人ぽつりと呟く。

 

4歳の誕生日が来る少し前、桜は自分の部屋でチェルベッロと思いもよらない邂逅を果たした。

 

原作では敵側にいたはずの2人は、忠告という目的のためまるで味方かのような顔つきと空気で桜に接触したのだ。

 

その2人が残した言葉、"蛇らしきモノに気をつけろ"。

 

「あんなあっさりした忠告をされてもなぁ……」

 

2人は”確定事項”としつつ、近い将来起こりうるトラブルの可能性を考慮し最大限伝えられる言葉として授けたと思われる。

 

 

「それにしても、"蛇らしきモノ"ってなんだろう?」

 

チェルベッロの残したヒントに桜は小首をかしげる。

 

蛇、なら大概の人は分かるだろう。

まあ蛇に出くわすこともそうそうないだろうが。

 

「らしき、って言ったくらいだから、蛇じゃなくて蛇に近いものか蛇を連想させる何かなのかな」

 

ヒントがあまりにも大雑把すぎるため、何をどう気をつけたらいいのか分からず桜はうーんと唸る。

 

そもそも、だ。

 

「変に抽象的な言い方だし確定事項って言ってたってことは、あの人たち既に何が起きるのか知ってて忠告したんじゃ……?」

 

この世で忠告をする側は、一般的に知られているのは天気予報士など科学と文明によってある程度知らせる仕事に就く者だ。

 

逆に科学が関係しない、忠告を受ける側の信心に左右されるのが占い師とも言う。

 

「そういえばあの忠告に"占い師がやるようなことと同じ"って言ってたよな」

 

何かを思い出しそうで思い出せないモヤモヤにぐるぐると首をかしげ続ける。

 

こめかみの辺りをツボ押しするようにぐりぐりこねくり回し数分、桜はあっ、と気づいたように声を漏らした。

 

「リング争奪戦でなんか預言?とかあったよね」

 

ザンザス率いるヴァリアーが正当後継者を決めるためにけしかけたリング争奪戦は、重傷者こそ出したもののツナ達の勝利を持って解決する話だ。

 

その最終戦、ツナとその仲間による攻防の末に負けたザンザスの元で、審判を務めたチェルベッロは預言と呼ばれる何かに従ったことが描かれている。

 

「あの2人が言ったことも預言って意味なら抽象的になるのも当然か」

 

ようやく繋がりかけた事実に桜は深いため息を零す。

 

「それにしても、チェルベッロって一体何者なんだろう……帰る時も"次に会う時は敵となるかも"って言うし。もしかしてリング争奪戦のこと?……まさかね」

 

ずいぶん時間が経っていたのだろう、部屋はほとんど薄暗くなっている。

 

頭を使いすぎて糖分が足りなくなってることに気づいた桜はおやつ欲しさにリビングへと戻った。

 

「あら、おかえりなさいさくちゃん。寒いのに、またお部屋でご本読んでいたわね?」

 

「えへへ、えらぶのがたのしくてそのままよんじゃった」

 

3冊ほどの本を両手に抱え、娘の満足そうな顔で見透かしたように奈々が笑った。

 

「1時間くらい上にいたものねぇ。お腹空いてない?チョコチップクッキー作ったから食べましょ?」

 

「うん!たべる!……あれ、つなは?」

 

兄がリビングに見当たらないことに気づいてキョロキョロと見回すと、隣接する部屋でかじりつくようにテレビを見ている綱吉が見える。

 

「つーなー、いっしょにおやつたべよ?」

 

「うーん……」

 

特撮ヒーロー番組を見る綱吉の隣に座るが、よほど面白いのか桜の方を見向きもしない。

 

「なんかねぇ、新しいシリーズが始まったとかでそれがすごい面白いみたいなのよね~。さくちゃんが上でご本読んでたみたいにツナも真剣に見てたわよ」

 

「へぇ~……」

 

普段なら自身の名を呼び、べったりと隣にくっついてくる兄が今は特撮ヒーロー番組にお熱なことに桜はちょっぴりジェラシーを感じてしまう。

 

「ねぇママ、クッキーたべるのここでいい?」

 

「それはまぁいいけど、こぼしたらちゃんとお掃除するのよ?」

 

「うん!」

 

奈々からクッキーを数枚ほど乗せた皿を受け取り、いそいそと綱吉の隣に座ると桜はクッキーを1枚つまみ上げた。

 

「つな、クッキーたべる?」

 

「んー……」

 

「じゃあ、はいあーん」

 

「あー……ん」

 

バカップルよろしく、幼稚園でよく見るおままごとのように桜は綱吉にクッキーを食べさせる。

 

我ながらこんな嫉妬するとは、などと思いながらも桜はもぐもぐとクッキーを咀嚼する綱吉を満足気な笑みで見つめた。

 

「あらあらまあまあ、そんな可愛いことをまあ……」

 

2人の微笑ましい姿に奈々がにまにまと笑いつつカメラを構える。

 

「(恥ずかしいけどまあいいか)はい、もういちまいあーん」

 

「……ん」

 

カシャリと小気味良く鳴らしたシャッター音に綱吉はハッとした顔で振り返った。

 

「えっ」

 

「あれ、どうしたのつな?」

 

テレビにかじりつきすぎて無意識だったのだろう、まさか妹にあーんをされその上さらに一部始終を写真に収められているのをやっと気づいたようだ。

 

耳まで真っ赤に照れた綱吉は隠れるようにテディベアに顔を埋もれさせた。

 

「さくのばかぁ……」

 

「どういたしまして。あークッキーおいしい」

 

綱吉を振り向かせた達成感でクッキーを味わいつつ、次同じことがあったら何をしようかと思案を巡らせる。

 

「さくちゃんも思ったより嫉妬深いのねぇ。それなら今度のクリスマスは2人でプレゼント贈りあったらどう?」

 

「なにそれ!たのしそう!」

 

カメラを片付けたのと同時にどこからかファイルに挟んであるチラシを引っ張り出した。

 

奈々が差し出したチラシには、色とりどりの色彩で鮮やかに描かれたクリスマス抽選会のお知らせが書かれている。

 

特賞の部分には"超豪華プレゼント贈呈!乞うご期待!"とだけ記載があるものの、1等以下の数種類にはゲームセットやお菓子の詰め合わせ・ステーキセットなどクリスマスに向けた大盤振る舞いの景品が並んでいた。

 

「これにさくちゃんやツナもできるビンゴ大会もあるし、2人でそれぞれ参加して何か当てたらそれをプレゼントってことにしましょ?どう?」

 

「やる!つなは?」

 

「ん、やりたい!」

 

目を輝かせて詰め寄る2人に奈々はニッコリと笑みを浮かべた。

 

「そうと決まれば先にクリスマスの飾りつけするわよ~!」

 

「「お~!!」」

 

 

───***───

 

 

肌を刺すような寒さが沁みる12月中旬、桜たちは並盛商店街へとくり出していた。

 

街灯に備えつけられたスピーカーからはクリスマスの定番曲が流れ、あちこちで赤い服を着込んだ店員が宣伝に勤しむ。

 

浮き足立つ楽しげな雰囲気に、綱吉も興味津々な顔で辺りを見回していた。

 

「さくみて!トナカイさん!」

 

ぐいぐいと手を引っ張りながらトナカイの着ぐるみを指差す綱吉に桜はうんうんと頷いた。

 

「わかったわかった、そんなにひっぱるとあぶないよ」

 

「そうよーツナ。楽しいのは分かるけど、さくちゃん引っ張ったら転んじゃうわ」

 

「むぅ……」

 

これだけ楽しそうなイベントだ、走り出しそうなくらい気分が上がるのも仕方ないだろう。

 

とはいえ妹と母2人にたしなめられたせいか、ふてくされた顔をする綱吉。

 

「ママ、おかいものはもうこれでおわり?」

 

奈々の持つ買い物袋を軽く覗き込みながら問いかけると、そうねぇと奈々が思案するように虚空を見つめる。

 

「クリスマスケーキは予約が済んだし、保存の効く食材と残りのクリスマス飾りは買ったから後はさくちゃんとツナのガラポンだけね」

 

ひぃふぅみぃと指折り確かめた様子に綱吉がぐいと左手を引いた。

 

「そんならはやくいこ!」

 

「はいはい、ツナはあわてんぼうさんねぇ」

 

彩り良く飾られたクリスマスのイルミネーションを何度かくぐり抜け、桜たち一行はとある一角に辿り着いた。

 

「さぁ着いたわよ」

 

ひときわ大きいクリスマスツリーと赤い絨毯で作られたそこには、長い行列と時おり響く鐘の音で何かしらのイベントがやってるのだとひと目で気づく様子だった。

 

「ハァーイ!ソコのオチビサン!グルグル、マワシテカナイ?」

 

ガラポンの方を見やると、そこには金髪碧眼の高校生らしき少女がこちらを見つめていた。

 

他に子連れがいないため声をかけた相手が桜なのだと気づくのにそう時間はかからない。

 

「ありがとうございます。ちょうど今回しに来たところで──「おっ!沢田さんじゃねえかい!?」

 

言いかけた奈々を遮るように第三者の大きめの声が響く。

 

景品を置いていると思われる仕切りの奥からねじり鉢巻をした老年の男性が威勢よく出てきた。

 

「まあ町会長さん、お久しぶりです。お元気にしてました?」

 

「そりゃぁもう!まだまだ現役よ!ん、沢田さんはチビちゃん達と買い物かい?」

 

町会長、と呼ばれた男性と奈々が談笑していると、先ほどの少女が近づいて腰を屈めた。

 

「オジョーサン!グルグル、マワストイイヨー!オカシ、タクサンアタルネ!」

 

「う、うん……」

 

海外の人は距離感が近いという話を聞いたことがある。

 

ややびっくりした桜だったが、それを思い出しつつ振り絞って何とか頷いて見せた。

 

「ねぇママ、まわすの、まだぁ?」

 

長々と大人の井戸端会議に待たされ痺れを切らした綱吉がぐいぐいと奈々の服を引っ張る。

 

「あらやだ!ごめんなさいね~」

 

「わりぃな、ボウズ!早く回したいもんな!」

 

引き換えに使う抽選券を出すため財布を漁りつつ、奈々はチラと少女へ視線を流した。

 

「……ところでそこの方は?あまり見かけない顔よね」

 

「あぁ、なんでもここら辺の学校に留学しに来てるそうだ。バイトに入ってくれてるんだがよく働いてくれてなぁ、ロシア人だったかな?なぁ!?」

 

荒らげた声でかけられた少女はニッコリと笑みを浮かべた。

 

Дa(はい)(ダー )!ニポンダイスキ!オベンキョー、ガンバルタメにキタネ!」

 

渡された抽選券を確認しながら、少女はころころと表情を変えながら日本への愛を語る。

 

「もういい?まわしていい?」

 

よほど楽しみなのかそわそわと手を伸ばす綱吉。

 

「もう、つなってば……そんなにやりたかったの?」

 

苦笑する桜にえへへ、と気恥しそうに綱吉が笑う。

 

Хорошо(いいですよ)(ハラショー  )!オボッチャンドウゾー!」

 

「わぁい!」

 

奈々に抱き抱えられ綱吉がガラポンを回すとガラガラと音を鳴らしながらピンク色の玉がコロンと出てきた。

 

「あら!可愛らしい色が出てきたわねぇ」

 

「んー、ねぇこれなに?」

 

綱吉から手渡しされた玉を確認する少女。

 

後ろの仕切り板に貼られた景品一覧を順繰りに眺めた後、少女はウンと頷き足元の袋を漁った。

 

「オメデトー!オカシ、ツメアワセネ!」

 

「おかし!やったぁ!」

 

差し出されたお菓子の詰め合わせに綱吉は飛び跳ねて喜ぶ。

 

「良かったわねぇツナ。さぁ次はさくちゃんね」

 

「うん!」

 

同じように抱き抱えられると、同じ目線で少女と瞳がぶつかる。

 

「……?」

 

口角を上げ浮かべた少女の笑みに、桜はどことなく言いようのない不安を抱いた。

 

思わず奈々の袖を握りしめるとその様子に頭上の奈々がさくちゃん?と声をかけた。

 

「どうしたの?回さないの?」

 

「ううん、なんでもない」

 

きっと慣れない海外の人だから気のせいだろう。

 

自身にそう言い聞かせ、桜は目の前のハンドルを握りしめる。

 

先ほどと同じように音を鳴らしながら回しつつ、2周3周と回るガラポンの出口を静かに見つめた。

 

「(うーん、この人なんかなぁ……まあすぐ終わるし……)」

 

ぼんやりしながらぐるぐると回し続け、桜はふと周りの変な空気で我に返った。

 

「……あれ?」

 

「あらぁ~……?」

 

6周目ほど回したところで、どうやらガラポンの調子が悪いことに気づく。

 

「オー!ゴメンナサーイ!チョーシワルイミタイデース!チョット、マッテテネ!」

 

調整のためか、少女がガラポンを持って仕切り板の向こうへと消えると奈々は腕の中の桜に話しかけた。

 

「きっと色んな人が回すから詰まっちゃったのね。もう少し待ちましょうか?」

 

「うん、わたしはだいじょうぶだよ」

 

綱吉は大丈夫だろうか、と横を見下ろすが、お菓子の詰め合わせでだいぶ満足したのか綱吉は一言も話さず大事そうに袋を抱き締めていた。

 

「ハァイ!オマタセヨ!サァドーゾ!」

 

再び目の前のガラポンを回すと、3周目ほどで黄色みがかった玉が転がり出てきた。

 

「えっと、きいろだからニャンテンドーのゲーム?」

 

仕切り板の景品を読み上げる桜だったが、何故か反応のない奈々に訝しむように見上げる。

 

「……ママ?」

 

「違うわさくちゃん、それ黄色じゃないわ」

 

「?ちがうの?」

 

「ほら、よく見て」

 

チラ見しただけの皿に転がる玉を拾い上げ、もう一度よく見るとそれは黄色ではなく鈍い輝きを見せる金色だった。

 

「なにこれ、どこ?」

 

貼り紙を下からひとつずつ見直す桜。

 

「みどり、あお、ぴんく、きいろ、あか……んん?」

 

黄色の2等、赤の1等のさらに上には金色の表示で特賞の文字を見つける。

 

チラシには超豪華プレゼント、としか書かれていなかったそれは商店街の景品には到底似合わない内容だった。

 

「……と、特賞~!!大当たりのイタリア旅行でぇ!!!!」

 

少女の隣で様子を見てるだけだった町会長が思わず鐘をガランガランと派手に振り回す。

 

「すごいわさくちゃん!イタリア2泊3日の旅行ですって!!」

 

「えぇ……」

 

派手に鐘を鳴らしたためか、聞きつけた他の客もわらわらと集まってきて大歓声の拍手が巻き起こる。

 

その歓声に応えるようにぺこぺこと頭を下げる奈々が、やけに静かな桜の様子に心配そうな顔で覗き込んだ。

 

「どうしたの?やっぱりニャンテンドーの方が良かったかしら?」

 

「ううん、そんなことないよ。ちょっとびっくりしただけ」

 

それを聞き安心した奈々に降ろされると、ちょうど奥から景品を持ってきたのか少女が目線を合わせて桜に歩み寄った。

 

「ハァーイ!オマタセ!コレ、オジョーサンのプレゼントヨ!」

 

差し出された紅白の水引き封筒の表書きには、”並盛商店街・代表一同”の文字とイタリア2泊3日旅行と書かれている。

 

いまいち実感が掴めないまま受け取ろうとする桜だったが、再び合わさった視線に謎の緊張感を覚えた。

 

にこやかに笑顔を浮かべているにも関わらず、その目は全く笑っていない。

 

それどころか、外の光が差し込む青い瞳にはどこか怪しげで薄気味悪い影を宿していた。

 

背中を走る寒気に桜は思わず一歩引いてしまう。

 

「?ドウシタノー?コレ、オジョーサンノケイヒンネ!」

 

首筋を伝う嫌な汗で身震いしながら咄嗟に桜は奈々にしがみついた。

 

「さくちゃん、どうしたの?変ねぇ、人見知りなんかしない子なのに……ごめんなさいね、それ私がいただいてもよろしいかしら?」

 

先ほどとは打って変わって様子の違う桜に奈々はさりげなく守るように前に進んだ。

 

「ママサンネ!ハイ、コレケーヒンネ!アリガトゴザイマス!」

 

「いえいえ、こちらこそありがとうございます」

 

ぺこりと軽く頭を下げ、桜と綱吉の手を引き町会長の方にも視線を送る。

 

「じゃあな沢田さん!また買い物来てくれよ!」

 

「えぇ、また」

 

遠くで手を振る少女をひっそり見ながら、桜は謎の気持ち悪さに顔を歪めた。

 

急変した様子を察してくれたのか声をかけない奈々に内心感謝しつつ、道中では少女への不審感に思考を巡らせる。

 

「(なんであんなに気持ち悪いんだろう、何かがたぶんおかしいんだろうけど、なんだろう……何が変に感じるのかな)」

 

言いようのない疑念を晴らすため、抽選会が始まったあたりから順を追ってひとつずつ思い出す。

 

「(あの人、見た感じはただの海外留学生だし変なところとか……あるような、ないような)」

 

「さく、あのひと、がいこくからきたんだったよね」

 

桜のおかしな様子も気づかず、綱吉は冷めやらぬ興奮のまま話しかけた。

 

「そうだね~。にほんご、すごいじょうずだ、った……あ」

 

綱吉の何気ない一言から始まった会話に、桜はようやく合点がいく。

 

所々イントネーションがおかしかったものの、あの少女が話す日本語にはまるで不自然さがなかった。

 

文法や単語の使い方は合っていたことで、桜の疑念はやっと終着点へと向かう。

 

「(あの人、もしかして日本語普通に話せるんじゃ……?)」

 

日本語が話せるのに、わざと分からないフリをしてイントネーションを狂わせていたのだとしたら──。

 

唐突に示されたその事実に桜はまたも悪寒に震える。

 

何故、何のためなのか。

 

 

桜の生活圏はほとんどが家から幼稚園、もしくは公園くらいだ。

 

商店街には大抵奈々が行くため、おそらくあの少女に会うことはないだろう。

 

しかし、前触れもなく日常に放り込まれた一抹の不安は結局イタリア旅行に行くまでの数ヶ月、桜を密かに悩ませることとなった。

 

 

 

___to be continued.



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10:イタリア旅行編-前夜祭

春──。

 

3月半ばも過ぎた暖かなその日、桜たち一家は国際線もある空港のロビーへと向かっていた。

 

約3ヶ月ほど前、クリスマスの準備のために商店街へと買い物に行った際、抽選会で桜が見事イタリア旅行の宿泊券を手に入れたためだ。

 

そのきっかけとも言えるような、不審な動きを見せた留学生の少女が桜にとって唯一の気がかりでもあったが、その後トラブルになるようなことも特に起きなかった。

 

やはり気にしすぎだっただろうか……等と桜が考える間もなく、世間では正月やバレンタインなどのイベントを幼稚園でも催し物として触れ合い、何事もなく平和的にひとつの季節が過ぎた。

 

そんな穏やかな生活に慣れたためか、桜の不審感はやがて薄れ、イタリア旅行に行く3月にはすっかり影も形もなく記憶から抜け落ちていたのだ。

 

「はいさくちゃん、ミルクティー持ってきたわよ」

 

「ありがとう、ママ」

 

「ツナはこっちのホットミルクね、熱いからふーふーするのよ」

 

「うん!」

 

搭乗時間までの間、桜たちはロビーでまったりと寛いでいた。

 

「あら?」

 

イタリア観光の案内雑誌を眺めながら奈々が何かに気づいたように呟く。

 

「見てさくちゃん、イタリアにはこっちと同じように桜の木が植えてあるみたいよ」

 

「ほんとだ~、さくらたくさんみられるんだね!」

 

「さくのなまえとおなじのだね!」

 

奈々の脇から覗いた雑誌の説明欄には"日本の散歩道"と呼ばれる桜並木があるようで、写真には綺麗な湖の青に映える桜が咲いていた。

 

「(桜といえば……雲雀さん、結局会わなかったな)」

 

転生してもなお前世で読み漁った作品は変わらず好きなようだ。

 

Dr.シャマルによってかけられた桜クラ病で戦闘不能にされた雲雀恭弥を思い出し、不干渉と己で定めながらも桜は七夕祭りで会ったその少年を思い出す。

 

原作では年齢不詳としつつも恐らく1つ歳上という説が有力なため、幼稚園かその近くで1度くらいまた会えるのではと桜はほのかに期待していたのだ。

 

「(まぁ、会えたところでなるべく関わらないようにしなきゃいけないし、3日後にはまた並盛に戻ってるしね)」

 

ふっ、とやや自嘲気味に笑ったところで、搭乗時間を知らせるアナウンスが静かに鼓膜を震わせた。

 

「そろそろ飛行機に乗る時間ね」

 

電光掲示板の表示を確かめてこちらに視線を送った奈々に、同意するように頷き残りのミルクティーを飲み干す。

 

「パパ、ちゃんとむこうでまってるかな」

 

「大丈夫よ、遅れる時は連絡するって言ってあるし。さくちゃんってば心配さんねぇ」

 

笑いながらぽんぽんと桜の頭を軽く撫でると、奈々は搭乗前の最終チェックを始めた。

 

「つなはだいじょうぶ?」

 

心配さん、と笑われたそばから早くも兄の心配をする桜。

 

「むぅ、だいじょうぶだよ!ぼくはさくのおにいちゃんなんだもん!」

 

ふてくされた顔で意気込みを見せる綱吉に桜は安心したように頬を緩める。

 

「そうね~頼りにしてるわよ、”お兄ちゃん”」

 

傍らで2人のやりとりを聞いていた奈々が悪戯っぽく笑みを見せた。

 

双子であるためか普段から兄や妹などの関係性をあまり見せない2人だが、この時ばかりは頼もしさをアピールする綱吉。

 

「さて、もうすぐゲートが開く時間だしそっちの方へ行きましょうか」

 

「「は~い」」

 

 

──……

───……

────……

 

 

静まり返った機内に、2人分の寝息が微かに響く。

 

桜の両隣ではお昼寝と称して眠り込んだ奈々と綱吉が座っていた。

 

「イタリアと日本は8時間差だから時差ボケに注意、って観光雑誌にも書いてあるんだけどなぁ……大丈夫かな」

 

イタリアは治安の悪いところもあるため、雑誌の最初の方に注意を促す案内ページが作られていた。

 

その中にも時差ボケに注意するようにと案内書きがあったが──。

 

「まあ1時間くらいって言ってたし平気か」

 

暇つぶしにと奈々から渡された観光雑誌を眺めつつ、桜は今回のイタリア旅行が決まってからとあることを考えていた。

 

この世界に転生してから、幾度となくその意味について悩んではその度に諦めようと振り払ってきた。

 

主人公の妹として生まれたからには原作の流れに逆らえないのだと思いつつ、それでも自分という異物がその流れになるべく沿うようにと静かな生活を目標としてきたのだ。

 

元々自身の存在自体が有り得ないのに、それがあろうことか原作には存在しないイタリア旅行という過去に桜はこれまで以上に衝撃があった。

 

「(原作は中学生のツナ達が主軸だし、過去編なんてワンシーンくらいしかなかったけど……いくらなんでもこんなのあるか?)」

 

ある程度道筋が変わるのは仕方なしとしつつも、これ程大幅に変化を与えそうな未知のイベントに桜は平常を装うのが精一杯になっていた。

 

過去という名の現在、現在という名の未来──

 

桜の理想とする原作の流れに余計な一石とならないか。

 

「(そういえば、未来編ではパラレルワールドの存在があったな。リング争奪戦で呼び出された20年後のランボが懐かしいって言ったのは、白蘭が滅ぼした後の世界でツナ達がもういなくなっていたからっていう説が濃厚らしいけど)」

 

果たしてこの世界は原作での時間軸なのか、それとも似て非なるパラレルワールドなのか。

 

桜の密かな悩みは尽きないまま時間はゆっくりと過ぎていった。

 

 

───***───

 

 

「到~着!」

 

「ついた~!」

 

約12時間の長旅の末、ようやくイタリアの地に降り立つ3人。

 

新鮮な空気を肺にたっぷりと吸い込み、桜は大きめのため息をついた。

 

「お疲れ様、2人とも。疲れたでしょう?先にホテル入りましょうか」

 

「そうする~……」

 

「ぼくもつかれた……」

 

狭い座席に考慮して時おり歩くなどしたものの、やはり体の節々が痛むようで桜と綱吉は伸びをしたりとなんとか体がほぐれるように回していた。

 

「お~い!3人ともお疲れ!迎えに来たぞ!」

 

空港の出口付近でウロウロしていたところへ、遠くから家光が満面の笑みで走り寄る。

 

「パパ!」

 

抱きついた勢いのまま首元にかじりつくと桜と綱吉がそのまま抱き抱えられた。

 

「2人とも、しばらく見ないうちにまた大きくなったな!こりゃいっぺんに抱っこできるのも今だけだな~」

 

ん~!と周りにハートを飛ばさんばかりに頬擦りしようと迫る父の顔をさりげなく避けつつ、桜はふと家光の背後に立つ女性に気づいた。

 

「パパ、そのひとだれ?」

 

「おっと、すまんな!これから3人の観光に付き添ってくれる、ガイド兼通訳のディアナさんだ!」

 

「まあ、パパったら通訳の方まで手配してくれたのね!助かるわ~」

 

「イタリア旅行するって聞いたからな!困るだろうと思って仕事仲間だから頼んだんだ」

 

「そうなのね!いつもうちの主人がお世話になっております」

 

家光の視線に促され、前に一歩出てきたディアナに軽く会釈する奈々。

 

「初めまして、ディアナと申します。沢田さん達ご一家が安心して観光できるように尽力しますね」

 

ややウェーブがかったストレートの金髪をゆるく斜めにまとめ、青い双眸を煌めかせたディアナが慎ましげに微笑んだ。

 

「まあ……なんて丁寧な方なの!それにとっても日本語がお上手ね!」

 

うっとりとした顔で褒めちぎる奈々にディアナは恐縮です、と頭を下げる。

 

大人3人がそんなやり取りを交わす傍ら、桜はディアナを横目で見つつ訝しげに眉をひそめた。

 

奈々も綱吉も気づいていないようだが、ディアナのその見た目や顔立ちはクリスマス前の商店街で出会ったあの留学生の少女によく似ているのだ。

 

身長も髪型も、どころか流暢に喋る日本語も違うためにどうやら違和感なく溶け込んでいるようだが、どうにも桜の目にはあの日の少女を彷彿とさせる。

 

金髪碧眼というよくある容姿で奈々たちには別人のように見えているのだろうか。

 

何より桜が混乱しているのは、ディアナが纏うその雰囲気だ。

 

商店街で出会ったあの少女は口元こそ笑っていたものの、目は冷ややかで全く笑っておらず、まるで首筋に牙を立てる蛇のような空気を放っていた。

 

しかし目の前にいるこのよく似た女性は、その少女とは打って変わって穏やかそのものだ。

 

凪いだ海のような静けさと、金髪碧眼がまるで夜空に浮かぶ月のように洗練された美しさが見て取れた。

 

怪しげに見つめる桜の視線に気づいたのか、ディアナの方も桜の方に顔を向け会釈しながら軽く微笑む。

 

「(やば、うっかり見すぎた……でも、)」

 

その微笑みですら、やはりあの時の少女とは似ても似つかない。

 

「(ただの勘違い?それならそれでいいけど……)」

 

己の心配がただの杞憂であるようにと願いながら、桜たち一行は宿泊先のホテルへと向かった。

 

 

───***───

 

 

ホテルに着きチェックインを済ませると、一行は手配された部屋に向かった。

 

ドアを開けるとすぐさまジャスミンのほのかな香りが漂い、桜はつとめて気分を落ち着けるように深呼吸する。

 

「良い香りね~……ベッドもふかふかだし良さそうなホテルね!」

 

一通りのチェックを済ませ奈々もベッドへ静かに座る。

 

「ここら辺じゃなかなか評判の良いホテルだからな!……ただまぁ、風呂事情は日本と違うからそこだけは気をつけてくれ」

 

「そういえば旅行の話した時に言ってたわねぇ、イタリアにはバスタブがないって」

 

「あぁ、一応桜とツナが不便しないようになるべく広いシャワールームがあるホテルにしたが……」

 

「いいのよ、気にしないで?こっちはこっちでなんとか工夫するわ」

 

持ってきた観光雑誌の情報を見つつ話す2人に、ディアナが恐る恐るといった様子で近寄ってきた。

 

「あの家光さん、仕事の話でちょっと……」

 

「あぁ悪い、ちょっと仕事の話してくるからみんなはゆっくり寛いでてくれ」

 

すまんな、とジェスチャーをしながら部屋の外に出ていく2人の背中を見送り奈々と綱吉は軽やかに手を振る。

 

その一方で、桜はドアへと続く通路の影に消える直前で家光の顔つきが変わったことに気づき何かを察したように目の色を変えた。

 

「(原作でも門外顧問としてマフィア絡みのことしてたし……もしかして今回も……?)」

 

考えてみれば綱吉もボンゴレの後継者候補である。

 

原作ではまだ幼いからという理由であまり話題にならなかったらしいが、それでも狙われる可能性も十二分にありえるのだ。

 

家光が仕事の話で顔つきが変わるのも納得がいくだろう。

 

「(もしかしてディアナさんもただの通訳者じゃなくて私たちの護衛を兼ねてたりするのかな?)」

 

怪しいところはまだあるものの、家光を介して手配された人間ならばそこまで悪い人ではない可能性もある。

 

「(何を話してるんだろう?……うーん、気になるな……)」

 

すすす……とドアへ続く通路へと顔を覗かせると、ふいにつんつんと背中に軽い衝撃が走った。

 

「……ママ」

 

「こーら、パパの邪魔しちゃだめでしょう」

 

困ったような呆れたような顔つきの奈々に桜の思考は一瞬で冷静に働いた。

 

「ううん、ディアナさんがきれいだったからついきになっちゃっただけだよ?」

 

嘘はついていないものの、思惑をずらして咄嗟に飛び出た発言で桜はちょっぴりとした罪悪感を覚える。

 

「そう、それならいいけど……」

 

「うん!……あっ、ちょっとトイレいってくるね」

 

「早めに戻ってくるのよ」

 

「はーい」

 

未だ怪しまれているのか釘を刺してくる奈々に桜は間の抜けた返事ですぐさまドア横まで小走りに抜けた。

 

念の為トイレへと入るドアをガチャリと開け、桜は静かにドアの前に腹這いになる。

 

空気循環のためにあえて作られたドア下の隙間からは、うっすら吹き抜ける風と共に2人分の声が漏れ聞こえていた。

 

「ではルートはここの通りからこっちの通りまでで」

 

「ああ、運河の方へは近づくな。いいか?九代目から直々の命令だ、絶対にしくじるなよ」

 

「えぇ、分かっておりますよ。失敗したら私のボスが首と胴体お別れで消されてしまいますものね」

 

「いやそこまではしないが……温厚な九代目のことだ、せいぜい厳罰程度のものだろう」

 

思った以上にはっきりと聞こえる会話に桜はやはりといった顔で表情を曇らせる。

 

会話から察するに予想通りディアナは護衛も兼ねていたようだ。

 

そして"私のボス"という発言から考えるとどうやらディアナはボンゴレの人間ではないことも分かる。

 

「(でも九代目直々、ってことはそれなりに信頼されているのかな)」

 

途中から聞いたために会話の全容が分からない。

 

収穫があるようでないような結果にうーんと首をかしげる。

 

その桜の肩に唐突にポンと手が置かれた。

 

柔らかいカーペットのために近づく気配に気づかなかった桜は声にならない雄叫びを上げる。

 

「さく?」

 

振り向くとそこにはポカンとした顔の綱吉が同じ体勢で座っていた。

 

「なんだ、つなか……(危うく心臓が口からまろび出るところだった)」

 

「さくがトイレからもどってこないから、ママがちょっとみてきてって」

 

「そ、そうなんだ……わたしはだいじょうぶだから、さきにママのところもどってて?」

 

「うん、わかった」

 

バクバクと打ち鳴らす心臓を落ち着けつつ綱吉を誘導すると、桜は深いため息をついた。

 

そして同時にひとつの緊急事態にも思い当たる。

 

「(こっちが聞こえるってことは、向こうにも今のが聞こえてたんだよね……?)」

 

そんな大きい声で喋っていたわけでもないが、子供の声は高くて響きやすい性質がある。

 

ドアの向こうで交わされる会話がほとんど聞こえていたならばこちらの声などダダ漏れ同然だ。

 

一瞬の逡巡ののち、桜は開けておいたトイレに滑り込むように入りなるべく自然な風を装い呟いた。

 

「えーっと、流すのはこっち?でいいのかな~……あっできた!」

 

向こう側の会話が消えたことに冷や汗をかきつつ、桜はトイレから出ると何食わぬ顔で颯爽と奈々の元に戻るのだった。

 

 

 

盗み聞きしていた様子をばっちり見られて大目玉を食らうとも知らずに──。

 

 

 

___to be continued.



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11:イタリア旅行編-後夜祭

「さて、今日はどこに行きましょうか」

 

「どこにするー?」

 

「どこにしよう?」

 

観光雑誌を開いた奈々の両脇から桜と綱吉が覗き込む。

 

時間が経つのは早いもので、電車やバスを乗り継ぎ色々な場所へ巡り、気づけば最終日の3日目になっていた。

 

1日目、ホテルに到着後はディアナの提案で、宿泊地のローマを中心とした周辺を探索した記憶が真新しい。

 

世界最大級とされるバチカン美術館、憩いの場として知られるナヴォーナ広場、名作映画でのワンシーンで有名なスペイン広場など──。

 

「色んなところ行って楽しかったわねぇ~」

 

「わたし、あの泉がよかったなぁ」

 

瞼を閉じると、桜の脳裏には透き通ったトレヴィの泉が蘇る。

 

涼し気な水音と多くの観光客で賑わうそのスポットでは、後ろを向いて肩越しにコインを1枚投げるといつか必ずまたローマに戻れるという言い伝えがあるそうだ。

 

「あれも懐かしいわねぇ、あんまりそういうのに興味なさそうなさくちゃんがやりたいって言い出して……ママちょっとびっくりしちゃったわ」

 

「えへへ……」

 

照れくさそうに笑う桜はちらりと手元の雑誌に目を落とした。

 

実はこっそりと観光雑誌を読破しており、その中に載っていたトレヴィの泉の言い伝えで密かに願掛けをしたのだ。

 

コインを1枚投げた場合はいつか必ずまたローマに戻れる、しかし投げる枚数が2枚の場合は"大切な人とずっと一緒にいられる"という意味もあるのだとか。

 

前世ではあまり言い伝えやジンクスなど非科学的な類いは信じないタイプの桜だったが、記憶を持ったまま見知った世界に転生するという異質な体験をした上に、ここ最近になり予想外のことが起きたため藁にもすがる思いで願掛けに頼ったのだ。

 

「昨日のナポリ観光も楽しかったわね!下町だからか、町の人達も温かいし、ご飯も美味しかったわ~」

 

「さすがパパのおすすめだったね!」

 

2日目は家光の提案により、おすすめのレストランに行く目的で当初の予定であったベネチアからナポリ観光に変更となった。

 

 

───***───

 

 

電車で約1時間ほど揺られ、降り立った桜たちの目に入ったのは息を飲むほどに青く美しいティレニア海が広がっていた。

 

「まぁ……綺麗ね~」

 

「すご~い……」

 

うっとりと海を眺める3人を見て家光は満足そうに目を細める。

 

「すごいだろ?ベネチアもなかなかだがナポリだって引けないくらいイチオシだからな!なんてったって、イタリアには"ナポリを見てから死ね"ってことわざがあるくらいだ」

 

「本当ね。これは1回見ておかないともったいないわ」

 

「おねーさんのめのいろににてるね!」

 

傍に立つディアナの顔を見上げた綱吉にやや気恥しそうに笑うディアナ。

 

「そうですか?ありがとうございます」

 

海からほのかに漂う潮の香りを全身に浴び一呼吸すると、家光は手招きしながら背を向けた。

 

「そろそろ腹減っただろ?知り合いの店が近くにあるからそこに行こう」

 

「そうね!さくちゃんとツナもお腹空いたでしょ?どんなのが食べたい?」

 

「わたしパスタ!」

 

「ぼくハンバーグたべたい!」

 

「は、ハンバーグ?それはあるかしら……」

 

イタリアだしね、と苦笑いする奈々に傍らで聞いていた家光は豪快に笑う。

 

「大丈夫さ!馴染みの店だからな、頼めばきっと作ってくれるぞ」

 

最寄りのバス停からバスに乗り込み10分ほど経つと、"カフェ・ベルトリーノ"という看板を掲げたオシャレなカフェに到着した。

 

「ここは親父さんとその一人息子が2人で切り盛りしててな。日本人の口にも合うくらい美味いんだ」

 

木製でナチュラルに作られたA型看板には手描きのイラスト付きでパスタやピザなどのメニューが書かれている。

 

コロンコロンとドアチャイムを鳴らしながら入ると、お昼のピーク時も過ぎているというのに席のほとんどが客で埋まっていた。

 

「お、カウンター近くのテーブルがちょうど空いてるな!あそこ座るか」

 

「ん?家光じゃねえか!なぁおい!久しぶりだなぁ!」

 

テーブル席に座ろうと近寄ると、カウンター内でコップを磨いていた髭面の男がこちらに気づいたようで大声を張り上げる。

 

「親父ぃ!久しぶりじゃねえか!息子は元気か?」

 

「シルヴィオか?あいつもまあまあやってるよ。今買い出しに行ってるがそろそろ帰ってくるんじゃねえかな」

 

仲良さげに会話する店主と家光に奈々達4人がポカンとした顔をしていた。

 

「パパ、その人イタリアの方よね?」

 

「にほんごだ~」

 

流暢に交わされるその会話はイタリア語かと思いきや、よく聞き慣れた日本語だったのだ。

 

「あー、イタリア人ではあるんだがな、息子の嫁が親日家で2人してよく日本に行くんだと」

 

「それで日本語がお上手なのね!」

 

挨拶を、と思ったのかカウンターから店主が軽く頭を下げながら出てくる。

 

「家光の嫁さんか!いやぁびっくりしたよな、オレもこんなジャッポーネに嵌るとは思わなくてよぅ」

 

「なんだかんだ父さんも日本が好きになったよな」

 

突如割り込んできた第三者の声に一同が振り向くとそこには高校生ほどの男性が顔を赤らめながら立っていた。

 

「おう帰ったな。買い出しは済んだか?」

 

「あぁ、ちゃんと買ってきたよ。……それと!家光さん!」

 

「おぅなんだシルヴィオ」

 

シルヴィオ、と呼ばれた男性がそっぽを向きつつ絞り出すように声を出す。

 

「あの、ノエルはまだ嫁じゃねえんで、一応」

 

「はぁ?おめーまぁだプロポーズしてねえのかよ!イタリアは18歳からだろ?」

 

「それはそうですけど……まだ経済的にも自立してないし、あいつにはちゃんと幸せになってほしいから20歳までにはどうにかするって決めてるんすよ」

 

「相変わらずしっかりしてんなぁ……まあ頑張れよ!」

 

はいはい、と手をひらひら振ってシルヴィオは買い物袋を片手に奥階段へと姿を消した。

 

「さて、そんじゃメニュー頼むとするか」

 

「おぅよ!なんでも作るから言ってくれ!何ならハンバーグとかもいいぞ!!」

 

ガハハハと高笑いする店主のセリフに桜がくすりと笑みを浮かべる。

 

「パパのいったとおりだね、ほんとにハンバーグつくってくれるんだ」

 

「やったぁ!ハンバーグたべたい!」

 

興奮気味にはしゃぐ綱吉を奈々がなだめつつ、各々は食べたい品を注文しその日の昼ごはんを満足げに味わった。

 

その後食事を終えた5人は店主も交えひとしきり談笑すると、一行は店を後にし探索へと歩を進めた。

 

「あとはどこ回れるかしら?」

 

「そうだな、ここから行ける距離だとポンペイ遺跡なんかいいんじゃないか?」

 

「いいわね!そこにしましょうか。さくちゃんとツナは大丈夫?まだ歩けそう?」

 

奈々が心配そうに見下ろすが、綱吉はうとうとと船を漕ぎ眠たげのようだ。

 

「わたしはへいきだけど、つなはどうだろう」

 

「メシ食った後だもんな!オレが抱っこしてやるから、ほらおいで」

 

両手を広げた家光にとてとてと歩み寄った綱吉がすぐさま腕に抱かれた。

 

涼しい潮風と温かい腕に包まれ寝落ちした綱吉に奈々がふふと笑いながら頭を撫でる。

 

「いっぱい歩いたものねぇ、仕方ないわ」

 

さぁ行くか、と歩き出したところでふいにディアナのポケットから着信音が鳴り響いた。

 

「すみません、ちょっと電話が……」

 

「仕事か。先に歩いてるから終わったら追いついてくれ」

 

「ありがとうございます」

 

ぺこりと頭を下げ、進行方向とは逆の方へ小走りで去るディアナの背を見つめ桜はまたも首をかしげた。

 

一瞬だけ変わった家光の様子からしておそらくマフィア絡みだとは察しつつ、反対のディアナはうっすら冷たい雰囲気が出ていたのだ。

 

その冷ややかな空気に、以前のクリスマス前のことを思い出した桜は気の所為だと思いつつも警戒心を募らせる。

 

「(やっぱりまだ気をつけた方がいいのかな……もう2日目だけど今のところ何もないし、あんまり敵視するのも失礼だよな~)」

 

遠ざかる横顔をちらりと見つめ、静かにため息をつきつつも桜はそのまま不安を振り切るように前を向いた。

 

 

───***───

 

 

「あの後、遺跡に着く頃にはツナもすっかり目覚めてはしゃぎ回ってたわね」

 

「でもガイコツのひとみて泣いてたもんね」

 

「だって~……すごいこわかったんだもん」

 

遺跡を巡るうち、石膏で忠実に再現された石像の遺体を見て綱吉は直前のテンションもどこへやら、あっという間に涙目になっていた。

 

「(まあ石像とはいえ結構リアリティあったもんなぁ……)」

 

中身が既に大人の桜でさえ、石像が再現するその苦悶の表情に少々びっくりしたほどだ。

 

リアルな4歳児からしてみれば多少なりともショックではあるだろう。

 

「つぎいくとこ、もうないよね」

 

「だいじょうぶだよつな、もうないからあんしんして」

 

やや涙目になる綱吉にすぐさま察した桜が素早くフォローに入った。

 

「どうしたの?ツナは何に不安になったのかしら」

 

「きのうみた、いしのにんぎょうでしょ。ふえぇ[D:12316]ってないてたし」

 

「そんなにアレが怖かったのか!可愛いな~ツナ!」

 

豪快に笑いながらわしゃわしゃと頭を撫でる家光に綱吉はだってぇ~と小さく呟く。

 

「泣かなかったけどさくちゃんもちょっとびっくりしてたものね。中身が無くなって石膏になったとはいえ元々はご遺体だったんだもの、仕方ないわ」

 

奈々の台詞に昨日見た映像が蘇ったのか、綱吉は隣の桜にぴったりと身を寄せた。

 

「しっかし、そうなるとあとはどこ行くかな」

 

「そうね~、飛行機の時間考えたらあんまり遠くまで行けないものねぇ」

 

それならいっそお土産でも、と思いついた桜の思考を遮るように壁際のディアナが手を控えめに上げる。

 

「あの、それでしたらエウルに行かれてはいかがでしょう?今の時期なら桜並木が見頃かと思いますが」

 

「エウルか!そりゃいいな!」

 

エウルの桜といえば、イタリアに発つ前に観光雑誌で見た"日本の散歩道"と呼ばれる有名な観光スポットである。

 

「ここにも地下鉄で20分って書いてあるし、確かに最終日の探索にはちょうどいいわね!」

 

付箋まで貼っておいた以前も見たページを見返し奈々も満足げに頷く。

 

「はやくいこ!」

 

前世から好きだった桜の木が見られることに思わず気分が高まる桜。

 

「あらあら、珍しいわねぇ」

 

袖を引っ張るほど急かす娘につられて行く奈々に、家光は綱吉に満面の笑みで向き直った。

 

「じゃあツナはパパが抱っこしようか!」

 

「いい。ママ、さく、まって~」

 

奈々と桜が2人仲良く先に出たことに嫉妬でもしたのか、綱吉は家光のお迎え待機姿勢を非情にもスルーして部屋を出ていく。

 

行き場を失った自身の両腕を呆然と見つめ、一部始終を眺めていたディアナをちらりと見やる。

 

「……反抗期じゃないんですか」

 

何のフォローにもならない一言を投げかけディアナも部屋を出ると家光はその背中を恨めしそうに一瞥した。

 

「お前もそういうこと言うんだな……パパはショックだぞ」

 

 

──……

───………

────…………

 

「つな、はなびらついてるよ」

 

「ん」

 

ひらひらと舞い散る桜並木の中、桜は隣に並ぶ兄の頭に触れる。

 

「綺麗ねぇ~……」

 

「そうだな。日本もところどころ咲いてるが、ここまで桜が揃ってるところはなかなか見かけないな」

 

エウル湖を囲むようにずらりと植えられた桜の木は満開の花を咲かせ優雅に舞っている。

 

幻想的とも言えるその景色にうっとりと目を細め、ほのかに漂う桜のかぐわしい香りと風に揺られた。

 

イタリアでも日本と同じようにお花見をするのだろうか。

 

老夫婦や若いカップルもそこかしこでお弁当を広げ舌鼓を打っている。

 

「こういうところ、日本とほんと変わらないわね」

 

日本から離れてまだ3日しか経っていないが、異国の地で見慣れた同じ風景に奈々は懐かしむように目を閉じる。

 

「やっぱり綺麗なものには人種関係なく心惹かれるんだろうな!」

 

楽しそうに食事を楽しむ人達に触発されたのか、綱吉が奈々の袖をくい、と引っ張った。

 

「ねえ、のどかわいた~。なんかなーい?」

 

「喉乾いたの?ちょっと待っててね、確か麦茶を持ってきたはずだから……」

 

子供達用にと色々な物を入れたリュックをゴソゴソと漁る奈々だったが、しばらくして困ったように声を上げた。

 

「あらぁ……?入れてきたと思ったのに、2人の飲み物がないわ」

 

「もしかして間違えてスーツケースに入れたんじゃないか?部屋に戻ったらすぐチェックアウトできるようにって急ぎめに帰り支度したからな」

 

「そうかもしれないわね。それならちょっと自販機探して買ってくるわ」

 

リュックの口を締め背負い直すと奈々は肩掛けカバンの中の財布をチェックし始める。

 

「1人でか?それはさすがに危ないだろう。オレも行く」

 

「でもディアナさんに子供2人も任せるのもどうかしら」

 

昼間で人通りも多いとはいえ、ローマは日本ほど治安は良くない。

 

奈々を1人にしても子供2人を任せるのもリスクが残る。

 

そんなことを心配してか疑問の声を上げる奈々にディアナは軽く首を振った。

 

「ご心配には及びませんよ。これでも護身術を心得ておりますし、この辺なら何かあるとしてもスリ程度です。この子達は私が面倒見るのでおふたりでどうぞ」

 

「そう?そこまで言うなら……なるべくすぐ戻るけどその間頼むわね」

 

「はい、行ってらっしゃいませ」

 

心配そうな顔をしつつも、奈々は家光と連れ立って湖向こう側の橋へと渡って行った。

 

「さぁ、私たちはのんびり歩いてましょうか。……おや、どうされました?」

 

遠ざかる2人の背中を不安げに見送る桜の様子に気づいたのかディアナが不思議そうに首をかしげる。

 

「やはりご両親がいなくなると不安ですか?」

 

「ううん、だいじょうぶだよ」

 

「そうですか、それは良かった」

 

意味深な台詞に桜が思わず見上げると、彼女は赤いルージュをひいたその唇を不気味にゆがめて薄らと笑みを浮かべていた。

 

背筋を冷や汗が伝う空気を感じたのも一瞬、ディアナは再びいつもの柔らかい雰囲気に変わり、たった今起きたことが嘘のように明るい声に戻っている。

 

「なんでもありませんよ?ほら、綱吉さんが先に行っちゃってますよ」

 

「えっ!?」

 

謎の空気に圧され固まっている間に、綱吉は興味の赴くまま湖のほとりまで歩いていた。

 

「もう、つなってば……なにしてるのー!?」

 

追いかける桜の背中を一瞥するとディアナは何かを探すようにポケットの中をまさぐる。

 

一方、綱吉は何かを見つけたのか散歩道から少しばかり外れた湖のほとりで1人ぽつんと立っていた。

 

「はやくはやく~!」

 

「まってよ~!もう、ひとりでかってにいっちゃだめでしょ」

 

「さくみて!しろいとりいた!」

 

キラキラと太陽の光を反射する湖には2羽の白鳥が優雅にゆったりと泳いでいた。

 

「かわいい~!」

 

先ほどのこともすぐに忘れ、桜はうっとりと白鳥に見とれる。

 

「さく、あそこにボートがあるよ」

 

「ほんとだ……なんだろうね?」

 

10メートル先の方には誰かの物なのか、大半をカバーで覆われたエンジンボートが一艘浮かんでいた。

 

遊覧船みたいに使うのだろうか、などと考えるうち桜は周りが何となく暗いことに気づく。

 

上を見上げるとついさっきまで晴れていた空には薄く濁ったような色の雲が太陽を隠していた。

 

もうそろそろ奈々と家光が戻ってくる頃だろう。

 

そう考えた桜は、早くも飽きたのか傍を離れた綱吉を探すため視線をさ迷わせた。

 

「つなー?そろそろ……えっ」

 

斜め後ろから抱きつくように出てきた綱吉を視認すると同時に、辺りには怪しげな男達が自分達を囲んでいた。

 

「さく……なにこれぇ……」

 

「(まずい……こんなの並盛での買い物の比じゃない)」

 

初めて2人で買い物に行った帰りの出来事を思い出すが、あの時は小学生ほどの少年2人だけだ。

 

対して今自分たちを囲むのは、子供では到底かなわない大の男が10人ほど。

 

窮地に追い込まれた桜は先ほど見送った際のディアナを思い出した。

 

「(そもそもあの人は何やってるの?護身術があるからってパパとママを行かせたのに……!)」

 

周りを警戒しつつディアナの姿を探すと、やや離れた先の坂を上がった散歩道で佇んでこちらを見ている。

 

一体何を、と思った矢先、ディアナは耳元に当てた電話でひと言唇を動かした。

 

冷えきったようなその目に気を取られたその一瞬を突かれ、桜と綱吉はあっという間に男達によって組み伏せられてしまう。

 

「痛った!なにするの!?」

 

気丈に振る舞うも、隣の綱吉は既に泣き始めており1人がうざったそうに舌打ちをした。

 

「うるせえガキだな」

 

バチッと音がした直後うめき声と共に、スタンガンで眠らされた目の前の綱吉に桜の怒りが頂点に達する。

 

塞がれた両手にほのかな温かみを感じたと同時に、重みをかけて取り囲んでいた男達が危険を察知したのか瞬時に飛び退いた。

 

「おまえら……!よくも私の兄を傷つけたな!」

 

「お前、死ぬ気の炎を!?」

 

ミッドナイトブルーの炎を右手にゆらめかせ、片腕に綱吉を抱えると桜は威嚇するように睨みつけた。

 

「(守らなきゃ!私が!)」

 

その思いに呼応するように服の内側に仕舞われたネックレスがじんわりと熱くなる。

 

まだほんの小さな子供が死ぬ気の炎を出せば怯むだろう、と桜は思っていたのだ。

 

しかしその予想に反し、リーダーらしき服装の違う男がくつくつと笑い声を上げた。

 

「素晴らしい!まだ見ぬ色の炎があるとは……!」

 

「おまえ、何を言って……?」

 

意味の分からない発言をする男に眉をひそめると、男は高らかに命令を下す。

 

「お前ら!ボンゴレ10代目なぞどうでもいい!こいつを連れていけ!」

 

「("ボンゴレ、10代目"……!?)」

 

その単語に呆気に取られるうち、男達は桜の両手に灯る炎をものともせず一斉に襲いかかった。

 

瞬く間に片腕の綱吉を引き剥がされ必死に手を伸ばすも、後頭部に走る衝撃に桜の視界は一瞬で暗転へと落ちてしまう。

 

「やはり炎は消えてしまったか……まあいい、お前らすぐにズラかるぞ!」

 

麻袋に桜を乱暴に押し入れると、男達はすぐそばの湖に停泊させていたエンジンボートに乗り込み数分と経たずその場から姿を消した。

 

 

 

斯くして、桜は並盛に戻ることなく遠い異国のイタリアから消息を絶つこととなったのだった。

 

 

 

 

___to be continued.




*後書き*
予約の投稿だけして忘れてたので追記のお知らせです。
プロフィール情報にも書きましたが、Twitterで創作垢を始めました。
浮上率は低めですが進捗情報や小ネタ裏話、あと夢創作オンラインイベントのジュゲムにも参加してみたいのでぷらいべったーを使った短編など上げられたらと予定しています。


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12:這い寄る絶望

ずきり、と後頭部に走る鈍い痛みに桜は目を開けた。

 

定まらない思考と何処からか聞こえる水音に、ぼんやりと暗い視界を見つめる。

 

「(何も見えない……ここはどこ……?)」

 

両手と両足をきつく縛られ肌触りから麻袋と思われる

 

が、その特有の臭いでいまいち判断材料が足りないようだ。

 

静かに目を閉じ周りの音に耳をすませると、周りからはボートのような軋む音に跳ね返る水の音が聞こえた。

 

わずかな体の傾きから推測するとどうやらこのボートは下っていることから、海ではなく川らしいという想像ができる。

 

「(確か、ママ達と一旦別れたあと変な男達に襲われたんだっけ……綱吉は無事かな、怪我してないかな?)」

 

自分の状況をひとまず冷静に考え、桜は最後に見た兄の姿を思い浮かべた。

 

リーダーらしき男の発言から、そのままの通りならば身の危険が迫っているのは自分のみで綱吉は気絶させられただけのはずだ。

 

奈々と家光は飲み物を買いに5分ほど離れただけなので、タイミングが良ければあの後すぐに綱吉を保護しているはず。

 

そこまで推測するものの、桜の脳裏には最後に裏切りを見せたあの女についてだ。

 

「(嫌な予感はしてたしパパの紹介だから信じたかったけど、やっぱりあのディアナとかいう人ろくでもないことしてくれたな)」

 

襲われたあの時、姿を確認した際に見せた唇の動きは"行け"と指示を出したように見えた。

 

自分の目で見た通りのままならば、ディアナという女はボンゴレから命令される立場にありながらボンゴレの後継者である綱吉を拉致しようと画策していたわけだ。

 

しかしそのディアナの計画も、リーダーらしき男の発言から当初の予定から外れてしまうことになる。

 

それが桜の宿した死ぬ気の炎だ。

 

ただの子供だと思っていたのが、大人でもどれほどの数が出せるか不明の死ぬ気の炎をあっさり出したことにより、綱吉を拉致するはずが標的は桜に移ってしまう。

 

計画を阻止できた、という意味では結果的に良かったと言えるが──。

 

「(私が拉致られちゃうんじゃ、みんなに心配かけるだろうなぁ……)」

 

気づかれないように小さくため息をつくものの、いや、と桜はすぐさま思考を切り替えた。

 

「(でも考えてみれば、私という存在は本来原作にはなかったはず。道筋を修正するという意味があるとすれば、原作にない存在の私が死んで元通りになることも……あったりするのかな)」

 

その点で見ればボンゴレ後継者である綱吉を守って自身が犠牲になれたのはある意味本望であり自然の摂理とも言える。

 

そこまで考えたところで、桜はふと以前にチェルベッロと邂逅した時を思い出した。

 

あの2人は忠告という体で”蛇らしきモノに気をつけろ”と言った。

 

そしてその際に例えとして出した可能性の話。

 

どちらも今回の件に限りなく近い上に、後者の可能性の話では全くその通りになってしまった。

 

「(蛇らしきモノっていうのがちょっとよく分からないけど、私が感じた違和感が間違っていないなら、確かにあのディアナという女は獲物を捕らえようとする蛇に似てたな)」

 

それにしても、と桜は思考を深めるように目を閉じる。

 

「(九代目から護衛を頼まれてたみたいなのに、どこぞのマフィアらしき人間と組んで綱吉を狙うなんて一体どういうつもりなんだろう?そもそもイタリア旅行に行く話がなければ難しい計画だったはずなのに……え?)」

 

イタリア旅行に行くきっかけを思い出し桜は思わず目を見開く。

 

クリスマスのガラポンで引き当てた賞品と、その場に立ち会ったあの女子留学生。

 

桜がイタリアに着いてすぐ引き合わされたディアナをひと目見て同じ人間だと勘違いしたほどだったが、それが勘違いでないとするならば。

 

「(まさか、あのクリスマスの時からすでに仕組まれてた?)」

 

徐々に繋がる点と点が線となり、あらゆるところに真実を浮かび上がらせる。

 

しかし全てが判明したわけでもなく、綱吉への危機が未だ残っている可能性に桜の緊張感は少しずつ高まりつつあった。

 

「(どうしよう、綱吉を守れて一安心してたけどまだ何か危なそうだし、悠長にこんなところいる場合じゃないよね!?)」

 

桜の早る気持ちと加速する思考を遮るかのように、突然ボート全体へと大きな音が鳴り響く。

 

ガタン、という音と共に動きの止まったボートに、バタバタと忙しなく行き来する複数人の足音が振動として伝わった。

 

衝撃によってぶつ切りにされた桜の思考はまるで夜が開けるかのように明確に目覚めていく。

 

「(いや……もしかするとこの流れで私が死んだりすれば、原作への流れが元通りになって綱吉への危機がなくなったりとかするのかな?それとも、ここからマフィアの世界に介入することになって私が綱吉を守る立場になれるならそれで結果オーライとも……)」

 

そんな思惑がこの世界で簡単に通るわけもなく、その上生易しいものではないことを未だ知りもせず、我ながら名案とばかりに桜は猿轡をかまされた口をニヤリと歪ませた。

 

それがいかに見通しも甘く、何の意味も成さないことだと桜は後々思い知らされることとなる。

 

 

そうこうしてる間に、桜は何者かによって抱えられどこかに運び込まれた。

 

音を頼りに探っている間にも船から徒歩、徒歩からトラックへと渡されどうやら最後の目的地へと着いたようだ。

 

ドサリと乱暴に下ろされ麻袋から出されると、開かれた桜の視界に入ったのは無機質な真っ白い部屋だった。

 

周りを見渡せば、白衣を着た複数人の怪しげな大人が揃う。

 

カルテらしき資料や本を眺め口々に喋るその言葉は紛れもない異国の言葉だ。

 

日本人の両親と通訳に囲まれ都合よく日本語ばかりを聞いてきた今までと違い、話せる言葉も聞こえる言語も違う環境に身を置かれ桜は緊張と恐怖で身震いした。

 

「(何されるのか分からないけど、とりあえずなるべく逆らわずにしておこう……コミュニケーション取れないけど……)」

 

数十分ほど白衣の大人たちが代わる代わる何かを取り交わしたあと、1人の女が布切れを持ってこちらへ近寄った。

 

はい、と差し出されたそれをおずおずと受け取り広げるとそれはどうやら病院でよく見る患者用の服らしい。

 

両手足の紐を切られ指差しで着替えろという意思が取れる。

 

指示されるまま桜が大人しく着替えていると、先ほど服を渡してきた女がじろじろとこちらを見ていることに気づいた。

 

「(なんだろう……?幼女に興味ある……って顔じゃないな、うん)」

 

その表情の指す意味が分かったのは、桜が肌着まで脱いだ時になる。

 

つかつかと歩み寄り女が伸ばした手に掴んだのは桜が大事に首から下げていたネックレスだった。

 

そんなものは邪魔だ、と言わんばかりに無理やり引っ張る女に桜は全身の力を振り絞り拒否の姿勢を見せる。

 

「……だめ!これはだめ!」

 

思わず日本語のまま叫んだ桜の右頬に激痛が走った。

 

ぶちりと切れる衝撃と床に叩きつけられたことで、どうやら握り拳で殴られたのだと自覚できる。

 

胸元の空虚感でネックレスが奪われたことに気づくと、桜は目の前から去ろうとする女の背中にしがみついた。

 

「ッ返して!それは私のものなの!返してよ!」

 

抵抗を見せる桜に苛ついたのか、女は舌打ちと共に振り向きざま手に持った物を眼前に突きつける。

 

鈍い色で鋭く光るメスに桜は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 

《ここで抵抗するなら今すぐ殺す》

 

口調からしてそんな言葉だろうか。

 

忌々しげに吐き捨てられたイタリア語と表情に、ここではどんな拒否も叶わないと静かに悟る。

 

何も言わなくなった桜にメスを下げると女は再び舌打ちをして部屋から出ていった。

 

《おい、早くしろ》

 

急かされるように落ちた服を押しつけられ、桜はまたもどこか別の場所に連れられる。

 

移動した先の部屋では、自分と同じ年頃の子供たちが十数人ほどが何かに怯えるように待ち構えていた。

 

開かれた部屋の目的が桜ただ1人だったためか、閉められた自動ドアの音に子供たちは緊張の糸が切れたように次々とため息をつく。

 

それがどうやら悪い意味なのだと察した桜の脳裏に、ふと読み漁った原作の記憶が蘇った。

 

イタリア、白い部屋、白衣の大人、そして同じように集められた子供たち。

 

怯えた表情に臨戦態勢を取るかのようなほとばしる緊張した空気に、桜は"あ、"と声を小さく上げた。

 

「(もしかして……ここはあの骸たちがいたエストラーネオファミリーなのかな)」

 

つまり、ここにいる子供たちは皆その実験の犠牲となるモルモットということだ。

 

「(そして、ここに連れ込まれた私も……)」

 

原作では非人道的な所業をしていたファミリーはエストラーネオ以外では特に描写されていない。

 

他にそのようなマフィアがいなかったと仮定すれば、桜の連れ込まれたここはその実験施設で間違いなさそうだ。

 

何の運命か、それとも何かの罰なのか。

 

思いもよらぬ形で原作の一端に関わりそうになることに、桜は天窓の夜空を見上げて小さくため息をこぼすのだった。

 

 

────***────

 

 

「さて、ここに呼ばれた理由は分かるだろう?何か言うことはあるかい」

 

真剣な面持ちで椅子に座る老人──九代目が、目の前の女性に問いかける。

 

部屋のカーテンは全て閉め切られ、外の光や音を拒絶した空間に重苦しい雰囲気が漂う。

 

「弁解の余地もございません。この度は申し訳ありませんでした」

 

片膝立ちで頭を垂れる金髪碧眼の女、ディアナは無表情で謝意を述べる。

 

言い訳などしようとすることもない空気を感じ取り、九代目は静かに首を横に振った。

 

「……もういい。済んでしまったことは仕方ないし、君1人に護衛を任せたわしにも非がある。下がってくれ」

 

九代目の言葉を受け一礼するとディアナは足早に部屋を後にした。

 

しばらくその場に沈黙が流れると、九代目は後ろに控えていた男に視線を送る。

 

「……家光」

 

「はい」

 

暗がりから歩み寄る家光を見るが、その九代目の顔は悲しみに満ちている。

 

「もう少し護衛をつけるべきだったよ。本当に申し訳ない」

 

「謝らないでください。オレも別行動はすべきじゃなかったんです……戻れるならあの時に戻りたいですよ」

 

悔しげに拳を握りしめる家光に声をかけようとするが、かけるべき言葉も見つからず九代目は開けかけた口を再び閉ざした。

 

「その後、調査と捜索の方は進展あったかい?」

 

「はい。部下数人と調査したところ、当時あの場所の付近で一部始終を見ていた者が1人だけいました」

 

後悔の念を振り払い、家光は手に持っていた資料を九代目の前に置いた。

 

広げたその資料には聞き込みした日時や範囲、さらに現場周辺の防犯カメラから怪しげな人間がいないかの調査過程がまとめられている。

 

「なるほど……あの橋のたもとで小物売りをしていた老人がいたのか」

 

「普段は毎週金曜日にそこで店を広げるらしいんですが、たまたま不備があってオレたち一家がそこを通った日曜日に予定を変更したそうです」

 

運良く目撃した人がいたためか、調査に進展があったようで家光の表情は先ほどより幾分か和らいでいる。

 

「そして目撃証言から見るに、やはり九代目が直感した通りディアナは警戒するべき人間だったようです」

 

資料の1番最後のページをめくるとそこにはディアナの顔写真を含め所属するファミリーについて詳細な情報が綴られていた。

 

「初代からの傘下だから信頼できるはずだと、直感が外れていてほしいと思ったが……なかなか理想通りにはいかないものだね」

 

印刷された紋章──ピエロの仮面と百合を瞳に写し、九代目は言いようのない不安と予感にひっそりを眉を寄せるのだった。

 

 

───***───

 

 

桜がこの部屋に連れ込まれ数時間が経った頃──……。

 

原作の記憶を辿るように考え込んでしばらく経ち、桜はふと周りの様子に目が留まった。

 

自分のことばかり気にするあまり、その状況を把握できてない己の配慮の甘さに気づいたのだ。

 

そして蛍光灯の切れかかった薄暗いその部屋をよくよく見渡してみれば、部屋の隅の方で横たわる子が数人確認できる。

 

具合でも悪いのか、それとも寝てるだけなのか。

 

確かめてみようと近寄る桜に1人の子が肩に手をかけた。

 

振り向いた子の顔を見ると、その子は眉を下げて首を横に振る。

 

悲しげなその表情からおそらく横たわる子達は既に事切れているということだろう。

 

色濃く漂う薬品の臭いで気づかなかったが、意識を向けて嗅いでみるとその方向から生ゴミの腐ったような匂いが混じっていた。

 

「(なるほど……そういうことね……)」

 

原作ではあまり詳しく言及されていなかったものの、切り取られたその一部の描写では生きてる人間と死んで使えなくなった人間が次々と入れ替わるような、劣悪に劣悪を重ねた環境が描かれていた。

 

生き残った子は実験を続けられ、耐えられず絶命した子は捨てられるように放り込まれたのだろう。

 

「(可哀想に……こんなところで雑に命を扱われるなんて)」

 

所どころ蛆の湧きかけた遺体に静かに手を合わせると、桜は短く息を吐いて立ち上がった。

 

ここがエストラーネオファミリーの場所なら骸や犬、千種もいるだろうと予想する。

 

しかし他にも子供が集められた部屋でもあるのか、桜のいるこの部屋には知ってる顔が見当たらない。

 

もしくは時系列的にまだで、これから骸たち3人が来るのか。

 

はたまた既に実験体として別の場所で拷問にも等しい悲惨な実験をされているのか。

 

誰かに話を聞こうにも、この場にいる子供たちは誰も日本語が分かりそうにない。

 

髪色や顔立ちから見るに色んな国から攫われたらしいが、桜自身は世界共通語の英語すら挨拶程度にしか喋ることもできず、また他の子達が英語を喋るとも限らないためだ。

 

意志の疎通が身振り手振りしかない以上、特定の人間を見つけ出すのは偶然以外に不可能だろう。

 

「(まあ、会えたところで何かできるわけでもないしな……そういや骸ってこの頃から日本語話せたんだっけ?作中では分かりやすく日本語にしてるだけで実際はイタリア語なのかな)」

 

うーん?と首をかしげる桜。

 

そもそも、六道骸という名前ですら実験によって得られた六道の力になぞらえたものだ。

 

おそらくは生まれた時からその名前だった可能性は低い。

 

「(ファンブックとか巻末のハルハルインタビューに本名かどうかの情報あったっけ?……だめだ、さすがに細かいところは古すぎて記憶が無いな)」

 

転生して早くも4年半近く経つ。

 

その間にも新しい記憶と知識が次々と上書きされ、はるか昔に読んだ原作の記憶は薄れつつあった。

 

本筋となる原作の流れは大半覚えているものの、桜の記憶からは既にファンブックやおまけページほどの情報はまるでない。

 

「(とりあえず骸たちに会えるかどうかは後回しだな。ひとまず、これから間違いなく私の身にも起きる実験のことを考えなきゃ)」

 

雑念を振り払うかのように軽く首を振り、桜は来たる事態に備えて部屋を見回した。

 

部屋の角には小さな洗面台と仕切り板も何も無い丸見えのトイレが備えつけられている。

 

床にはぼろきれ同然に汚くなったリネンとクッションがいくつか転がっており、どうやら子供たちはそれに縋るように眠っているらしい。

 

警戒するようにちらりとドアを見ると、その右下に小さな引き戸がついた出入り口らしきものを見つける。

 

子供でも通れなさそうな意味のない小さな出入り口に疑問符を浮かべていると、桜の意思を読み取ったかのようにタイミングよく引き戸が開かれた。

 

「(えっ、あれって……パン?)」

 

ゴミのような扱いで雑に投げ入れられたそれは2つのクロワッサンだった。

 

そのうち1人の少女が警戒するようにそろりと近寄り、手に取ったパンをすんすんと嗅ぐ。

 

特別に嗅覚でも発達している方なのか、その子は嗅いだパンを安全と見なし頷くとまた別の子に手渡した。

 

手渡された少年は周りの子に視線を移すと、サイズを計るような手つきで手際よく等分にちぎっていく。

 

たった2個しかないそのクロワッサンを十数人分に切り分け少女と手分けしながら他の子達に配って行った。

 

「(生き残った子達でどうにか永らえる術を編み出したのか、すごいなぁ)」

 

はい、と少女がパンを差し出す。

 

その場に定められた運命の共同体、とでも見なしたのか。

 

優しく微笑み気丈に振る舞う少女に桜も同じように笑ってパンを受け取った。

 

こっちにおいで、と言わんばかりに手を引いて輪の中に入れる少女と少年に、桜はぺこりと頭を下げ、わずかひと口にもならないパンを頬張る。

 

それが、いつ誰にとっての最後の晩餐になるかは誰にも分からなかった。

 

 

──……

───………

────…………

 

 

1週間ほどが経過し、部屋には数人の遺体が増え10人が残った。

 

実験によって命を閉ざされた者や過酷な環境に耐えられず衰弱死した者も出たのだ。

 

最初こそ1日1回のパンと洗面台から出る水でつなぎ止めていたものの、長くこの環境に身を置いていた子ほど衰弱も早かった。

 

逃げ出すための術を持たない桜たちは、刻一刻と迫る己の期限に身を寄せ合い恐怖に耐え忍ぶ。

 

「(そうだ、遺体が丸見えでこの子達もキツいだろうし、布で何かできないかな)」

 

人数が減ってほんのわずかに余裕ができたリネンを一瞥し、桜は部屋の隅に寝かされた遺体に思いを馳せた。

 

亡くなった子達やまだ生きてるこちらのためにも、日々悪くなる一方の環境だけでもどうにかせねばならない。

 

何とか頭をひねり編み出したのは、リネンを数枚繋ぎ合わせ残った分を遺体にかけてあげることだけだった。

 

「……できた!」

 

髪の下の方で留めていたピンを外し割いたり穴を開けたりと四苦八苦しつつリネンを大きな2枚にすると、桜は残った何枚かをそれぞれ数ヶ所に寄せられた遺体にかけていった。

 

「ごめんなさい。これしかできなくて」

 

静かに呟いて再び手を合わせると、嗅覚の良い少女がいつの間にか隣で同じように手を合わせていた。

 

「ありがとう。君も同じ気持ちだよね」

 

ん?と首をかしげる少女に桜はあっ、と気づく。

 

会話もなく最低限のコミュニケーションで続けてきたせいか、言葉が通じないのを軽く忘れていたのだ。

 

通じるかな、と思いつつ桜は小さな願いを込めてその言葉を紡ぎ出す。

 

「えっと、Thank you.」

 

思いが通じたのか少女は花が咲いたようにぱっと笑顔を向けた。

 

初めて会話でのコミュニケーションに成立したことに、少女は嬉しそうに桜に抱きつき喜びを露わにする。

 

不安と恐怖に染まったこの部屋で、桜はやっと心から安心感を得られたのだ。

 

 

──しかしそんな喜びも束の間だった。

 

わずかその数時間後、開いた自動ドアから今までにない人数の大人が入り込み地獄の幕開けかのように一気に6人を引きずり出した。

 

恐怖に慄いて暴れ回る子や泣き出す子には、鬼のように情け容赦なくスタンガンによる電撃が打ち込まれ、残された桜たちには手出しもできず見つめることしかできない。

 

連れ出されたその中には、先ほどの少女やパンの切り分けが得意な少年も含まれていた。

 

全てを悟って覚悟をしたのだろう。

 

2人は抵抗もせず閉じていくドアの向こうでこちらを見ながら小さく手を振った。

 

名前を知ることすらなく、協力して助け合った仲間とすら呼べる2人も消えてしまったのだ。

 

何度も子供達を見送りその度に絶望感に耐えてきた桜だったが、ついに堰を切ったように泣き出し大粒の涙を零す。

 

「どうして…?あの子達が何をしたの……?この子達も、私だって!なんの罪もない子供にするようなことじゃない……!」

 

ドアの向こうに消えていった子供たちの安否が分かるのは、実験で見るに堪えない状態にされ命の灯火が消えた時だけだ。

 

悲鳴すら聞こえないどこかの部屋で凄惨な人体実験が行われていることに、桜は知りつつも何も出来ない己の無力さに打ちひしがれた。

 

「こんなこともうやめてよ……骸はまだなの?この地獄を終わらせてくれるのはいつなの?」

 

とめどなく涙を流して泣く桜を見兼ねたのか、身を寄せ合っていた別の少女が袖口で桜の顔を拭いてくれる。

 

「ありがとう、こんなことで泣いてちゃだめだよね。怖いのも不安なのもみんな同じだよね」

 

桜たちが地獄を味わうのが先になるか。

 

それとも骸か、他の誰かが終わらせてくれるのか。

 

 

 

まるで誰かの命が終わったのを示すかのように、切れかかった蛍光灯がぷつりと一つ光を消した。

 

 

 

___to be continued.



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13:襲い来る地獄

「もうすぐ1ヶ月か……」

 

桜が攫われて最初の1週間ほどは、いくらか多少の波はあったものの毎日のように次々と実験に連れ出され、20人以上いた子供は4人まで減ってしまっていた。

 

しかしその後しばらくすると計画に何かあったのか、連れ出される頻度はパッタリと途絶えた。

 

ドアの向こう側からわずかに聞こえる話し声から骸の下克上はまだなのだろうと想像はつくものの、依然としていつ来るか分からない恐怖は薄れることを知らない。

 

「(というか、おそらくエストラーネオファミリーの施設だろうなって思っただけで、もしかすると他にも似たような実験施設があってエストラーネオファミリーじゃない可能性もあるのかな?)」

 

自分の見立てた予想に食い違いがある可能性に桜は呆れたような表情でため息を零す。

 

「(自分でなるべく関わらないって決めたくせに、都合のいい時だけ助けに来てほしいなんてずいぶん身勝手だね)」

 

自嘲気味にふっと小さく笑い、この現状が予定調和かのように桜は諦めた。

 

どんな運命になろうと受け入れると、ここに来た時覚悟したはずなのに。

 

待ち構える実験に恐怖し震えたことに桜は自分がまだ生きたいのだとそこで気づく。

 

「そうか……そんな簡単に死ぬわけにはいかないよね。沢田桜として育ててくれたママやパパ、妹として大事にしてくれた綱吉のためにも……何があっても生きて、また会って恩返ししなきゃ」

 

うぅん、と唸りながら寝返りを打った隣の少女からリネンがずれ落ちた。

 

ふふ、と笑いリネンをかけ直す桜の横顔に、天井付近の窓から射し込む月の光が淡く照らす。

 

「あのネックレス、捨てられてないといいなぁ……何とか頑張ってネックレスも探し出さないと」

 

来るべきその時に備え、桜は溶けるように眠りに落ちた。

 

 

──……

───………

────…………

 

 

それから3日目の朝。

 

地獄へと通じる自動ドアが開き、1人の男が右手に引きずった少女を放り込んだ。

 

唇は紫色に変色し綺麗だったアンバーの瞳は薄く濁り、顔面は真っ青に変わり果てていたがその姿は紛れもなくあの嗅覚の良かった少女だった。

 

「そんな……この子まで……」

 

3週間以上も耐え続けた果てに儚く散ってしまった少女に、桜はせめてもと抱き寄せようと手を伸ばした。

 

しかし、そんな願いも虚しく突如現れた大きな手に阻まれてしまう。

 

自身の右手首をがっちりと掴んだ男に桜はまるで見知らぬものを見るかのような目で呆然と見つめる。

 

ついに桜の順番が来てしまったようだ。

 

来いと言わんばかりに肩を脱臼しそうな勢いで引っ張られ、虚ろな目でこちらを見つめる少女の手を握ることはついに叶わなくなった。

 

 

いくつもの角を曲がりいくつもの部屋を通りすぎたあと辿り着いたその部屋は、今までいた部屋とは比べ物にならないほどの異臭が充満していた。

 

周辺の部屋から聞こえる悲鳴と雄叫び、隅に捨てられた欠損死体に桜の鼓動はどくどくと徐々にスピードを上げていく。

 

脳内を埋めつくす恐怖の感情と未だに足りない覚悟が相反し、それはまるで衝撃波のように心身を蝕んでいった。

 

「おめでとう、あなたは特別な子よ」

 

唐突に投げられた聞き馴染みのある日本語に桜はやっとの思いでそちらを見上げる。

 

「とく、べつ……?」

 

声のした方には、プラチナブロンドに深みのある赤い縁の眼鏡をかけた女性が佇んでいた。

 

怪しげに歪められた口元に笑みを浮かべ、女性は白衣を揺らしながら桜の背後からぬるりと顔を寄せる。

 

「そう、特別。今までたくさんの実験をして、それらはほとんど実を結ばなかった。でもそれももう今日で終わり。もう少しすれば、私たちエストラーネオは新たな力を手に入れて神になるのよ!あなたはその生け贄、特別な子として選ばれたの」

 

エストラーネオ、と言った単語すら霞むほどにその狂った目的に、桜はふっと笑みを零す。

 

「神になるなんてバカバカしい。どうせなら潔く悪魔になればいいのに」

 

神などと崇高な精神などはなく、ただ己の欲するがままに突き進み、腹心に悪魔と呼ばれながら白い翼で堕ちたあの白蘭のように。

 

挑発されたのが気に食わなかったのか、それとも理解されなかったのが頭に来たのか。

 

ブスリと容赦なく首筋に刺された注射器に桜は苦痛に顔を歪めた。

 

「口は達者みたいだけど立場が分かってないようね。生け贄は黙って身体を差し出しなさい」

 

「う……あ゙っ」

 

痺れ薬でも入れられたのか体を自分で動かすこともできず、意識を保ったまま桜は手術台の上に寝かされる。

 

麻酔もなく次々と大小様々な針と管を刺され苦痛に視界が歪むものの、暴れ回らないようにするためか両手足を頑丈なベルトで拘束されてしまう。

 

「良い顔をしてきたわね。それよ、それ!痛みと憎しみに満ちたその顔!それでこそ生け贄よ!」

 

楽しげにけたけたと笑う女の顔に、かろうじてまだ動く口で桜はペッと唾を吐き捨てた。

 

「悪いけど、私にはまだ大事な用事があるの。こんな下らない茶番はさっさと終わらせて解放してね」

 

虚勢で煽るように笑った桜に、ぎろりと睨みつけた女がダンッと勢いよく打ちつけるように2回目の注射器を二の腕に突き刺す。

 

そんな2人の様子にも動じることなく、周りは淡々と管やメスを手に桜を見下ろした。

 

「舐めた口利きやがって、クソガキが……!ぶっ殺してやる。サンプルは取れたわ、好きにしていいわよ」

 

その科白を皮切りに、その日から壮絶な実験が開始された。

 

 

ろくな麻酔もされず胴体や四肢には管が繋がれ、果ては頭蓋まで生きたまま切り開き怪しげな薬を入れては、逆に何かを吸い出したりと想像を絶するほどのありとあらゆる手が入れられる。

 

その間、桜はひたすら痛みに耐え悲鳴ひとつ上げず拳を握りしめた。

 

何日何ヶ月と分からないほどに続く耐え難いほどの痛みはやがて慣れに変わり、それは握りしめた拳に滲んだ血も乾ききるほどであった。

 

他の子供に見られないその様子に白衣の大人たちは感嘆の声を上げた。

 

「素晴らしいね……さすがカルラの選んだ子だよ。雄叫びひとつ上げずに耐えるとは、私ならとっくにショック死しているところだ」

 

「本当だな。実験をするのは楽しいが、される側ならひとたまりもないだろうに」

 

親切そうな言葉とは裏腹に、男達はまた新たな注射器を手にする。

 

光を失い虚ろな目で虚空を見つめる桜の隣に男がいくつかの小瓶を置いた。

 

「今までの苦痛と恐怖に見事耐えた君へ、ひとつ贈り物をやろう。見えるかい?」

 

遠くにも近くにも聞こえる不快な声に首をわずかに動かすと、置かれた小瓶には何か文字の書かれたラベルが貼ってあるようだ。

 

「これは1度絶滅しかけたバーバリーライオンと、既にこの世にいないケーブライオンの2つを混ぜた遺伝子薬だ」

 

「ケーブライオンの遺伝子抽出には特に苦労したものだよ。博物館にある化石標本からこっそり骨の一部を盗み出した時は人生で最も冷や冷やしたものだ」

 

HAHAHAと部屋に複数の笑い声が反響する。

 

犯罪に犯罪を重ね、醜く歪んだ顔と倫理観に桜は罵ってやりたい気持ちをぐっと堪えた。

 

「さて、2つ目以降を話すか。隣のこっちはヤギ、その隣がアフリカゾウにこれがハーピーイーグルだ」

 

「これらもなかなかの逸材だが、さっきのライオンに匹敵するほど貴重なのが世界一の猛毒を持った毒蛇とされるインランドタイパンと、毒の中和能力を持つラーテルだ」

 

「いやぁ、この2体を調べた時は歓喜で思わず震えたね。最強の毒と逆にそれを中和できる能力、かけ合わせたら一体どんなことになるんだろうか」

 

愉悦の笑みを浮かべ頭上で楽しげに交わされる会話に桜は思わずため息を零しそうになる。

 

実際は未だ強く残る痛みで呼吸が精一杯だが。

 

あっちが強い、いやこっちの方が強い、と白熱気味に加速する議論に桜はもううんざりだった。

 

「(やるなら早くして欲しいなぁ……何回か痛すぎて意識飛んだから何日経ったのかも分からないや)」

 

「おっといかんいかん、うっかり熱が入ってしまったね。まあそういうわけで、私たちはこの複数ある遺伝子薬を投与して人造キメラを作る予定なんだ」

 

カチャカチャと器具同士の触れ合う音を静かに響かせ、男達は着々と最終段階へと準備を進める。

 

「キメラ、知ってるかい?君くらいの子供だと絵本か何かで読んだこともあるだろう」

 

「頭はライオン、体は羊、尾は蛇という怪物でギリシャ神話ではキマイラとも呼ばれるんだ。そして現代の生物学では一個体の中で別々の親に由来する組織が共に存在する定義でキメラとされる」

 

「まあ定義なんかどうでもいいんだがね。手っ取り早く言えば普通の人間を超える運動能力を持つ人間らしきモノを作る、というだけの話さ」

 

順番に代わる代わる丁寧に説明されるが、今の桜にそれを理解できるほどの余裕はない。

 

かろうじて話が頭に入ってくるというだけで、その肝心の頭すら一部が開頭されてしまっている。

 

外気に晒され意図的に改造を施された脳味噌で果たしてどこまで情報として吸収できているのか、手を下した研究者達すら分かっていないだろう。

 

準備が終わったのか、それらの遺伝子薬を混ぜた注射器を男達が高々と掲げる。

 

「我らが神よ、崇高なるこの実験と生け贄に祝福を与えたまえ。そして我らにその地位を…………アーメン」

 

偽善と狂気に固められた偽物の祈りを捧げ、男達は興奮を露わにその凶器を桜に突き刺した。

 

 

──……

───………

────…………

 

 

「さて、理想の結果が出るまでもう少しだな」

 

「どんな風になるか楽しみだねぇ」

 

「私としては耳と尻尾が生えるくらいがちょうど好みだな」

 

「相変わらずお前のロリコンは気持ち悪いな。まあいい、首の裏に入れる焼きごてを準備しなければ。そうだな、検体ナンバーはChimeraの頭文字から取ってCにして……後ろの番号はどうするか。そういえばそこの棚に……」

 

ブツブツと呟きながら傍にあったガラス棚に近寄り、ぶ厚い辞書のような本や何かの薄く古めいた冊子をいくつか取り出した。

 

真剣な表情で何冊も読み漁るその姿に、周りの男達はやれやれと肩をすくめる。

 

「お前はお前で変な凝り性があるな全く。まあいい好きにしろ」

 

呆れたような声も耳に入らないのか、5分か10分ほどページをめくり熟考を重ねたのち、何かを見つけたようにマーカーでサインをすると満足したように冊子を閉じた。

 

「やっと決まったようだな?一体何を参考に読んでいたんだ?」

 

ロリコン呼ばわりされていた男が問いかけると凝り性らしき男は得意げに口角を上げた。

 

「各国の暗号解読書さ。その中にジャッポーネのあるシステムを使った暗号があってね、パターンに応じた数字を組み合わせて単語を作るというのを採用してみることにしたよ」

 

「ほう?で、どんな数字にするんだ」

 

「単純そうに見えてやや複雑でな、22文字とあまりに長すぎるから少々足して3桁まで短くしたよ」

 

よほどこの実験に思い入れでもあるのか、肝心の質問には答えず暗号に関するルーツや説明などに熱を入れた男に周りはため息を零す。

 

「分かった分かった、だから結局どんな数字にするんだ?早く決めてくれ」

 

「まあそう焦るな……数字は398だよ。これを逆に分解して何の単語にしていたかなどまるで予想も「こっち準備始めるぞ」

 

再び白熱しそうになる男の言葉を遮り、他の男達はどうでもいいと言わんばかりに準備を進めた。

 

戸棚から焼きごてやバーナーを出し手術台の付近に置くと、ロリコン性癖を漏らした男にやや神経質そうな男が眼鏡をかけ直し指で指し示す。

 

「しかし……少々散らかりすぎだろうなこれは。メスとかもう使わんだろ、端に寄せて片付けておけ」

 

「そうだな、焼き印入れる時にまた暴れ回りそうだし」

 

ガラガラとカートを壁際に寄せようと押すが、数歩進んだところで何かに引っかかったようだ。

 

急に止まったカートに首をかしげる男。

 

「ん〜??何に引っかかったんだ……?くそッ!」

 

苛立たしげに無理やり押したところ、反動が強かったのかカートはガシャンと派手に音を立て横倒しになってしまう。

 

メスを始めとした鉗子やピンセットなどをそこらじゅうにばら撒き、男はやれやれと頭を振った。

 

「全く何をしてるんだお前は」

 

「幼女にうつつを抜かしてボーッとしてるんじゃないのか?」

 

ドッとその場に笑い声が響き、その不快極まりない不協和音は深く眠っていた桜の目覚めを呼び起こす。

 

まだかなりの痛みが残るものの実験中の耐え難いほどの痛みに比べたら軽い方なのだろう、うっすらと瞼を開け左右に視線を送る桜に男達がようやく気づいた。

 

「おぉ!目覚めたぞ!」

 

「気分はどうだい?何かこう、爪や牙とか角を生やしたりなんてできるかい?いやできないわけがないだろうよ。拒絶反応の数値もないし、実験は成功してるはずなんだから」

 

ペンライトで眼球を覗き込んだり頭や耳のあたりをまさぐるものの、目に見えるような変化は依然として見られない。

 

毛が生えたり鱗が生えたりといった変化も期待していたようだが、その兆候すらない桜に男達はやがて落胆の表情を浮かべた。

 

「なんということだ……ここまで来て失敗のようだ」

 

「我らがこうして話してる間にも30分は経過したぞ。今まで拒絶反応がなかったから今度こそと思ったのに」

 

「残念でなるまいねえ……いやしかし、こうなっては仕方ないだろう、この子供は破棄してまた新たな人間を調達せねば」

 

「地下で研究してるカルラには何と伝える?そうだ、それに成功した時の血液サンプルを毒薬と引き換えに渡す手筈だっただろう。あのヴィペリーノファミリーが納得すると思うか?」

 

新たに聞く見知らぬマフィアの名前に桜はピクリと眉を動かす。

 

まるで草木の中でジリジリと蛇が獲物を求めて彷徨うように、知らないどこかで何かが蠢く気持ち悪さに焦燥感が募り始めた。

 

「(失敗だからここで殺される?頑張って耐えたのに、今ここで?冗談でしょ)」

 

何も知らないまま家族にも再会できず殺されるなど真っ平御免だ。

 

たとえこの男達が崇める神とやらが許したとしても、理不尽に巻き込まれた桜自身には到底許しようもないことだった。

 

歯がゆい思いで右手を握りしめたその時、不意に研究室内にけたたましく警報音が鳴り響く。

 

「なんだ?何が起きてる?」

 

部屋の壁に設置された内線電話が音を鳴らし1人がそれを取ると、忌々しげに舌打ちを零した。

 

「第5研究室で反乱者が1人出たようだ。全員で至急応援に来いだとさ」

 

「全員で?ガキ1人に呼びすぎだろう」

 

「仕方ないだろう。こういう仕事だ、何があるか分からんしここには1人置いて残った我々で向かおう」

 

「では私が残るとしよう。戻る頃には処分も終わってるだろうよ」

 

「あぁ、任せた」

 

ロリ性癖の男を残し他の男達がバタバタと慌ただしく出ていくと、残された男は桜をちらりと見下ろし恍惚の表情を浮かべた。

 

「さて、君には残念だが死んでもらうとするよ。なに、失敗作だからと言って苦しませるつもりはないさ。むしろ我々に協力してくれた礼として、特別な毒薬で眠るように逝かせてやるとしよう」

 

双頭の蛇と散りばめられた百合を模した紋章の、剥がれかけたラベルの小瓶を取り出しそれを注射器の中に吸い込ませた。

 

一見すると毒薬とは思えない透明な液体は、注射器を伝って流し込まれた二の腕から焼けつくような痛みに変わり皮膚の下を通り全身に巡る。

 

じりじりとした鋭い痛みは、やがてあの実験にも匹敵するほどの激痛へと変わり桜の肉体を蝕む。

 

「ゔっ…あ゙ぁ゙っ……」

 

10分、20分、30分と全身を駆け巡ったその痛みはしばらくして徐々に引いていき、1時間近くが経つ頃には刺された部分の痛みを除き我慢できる程度になりを潜めた。

 

「ん……?なんだ?何故死なない?あのヴィペリーノが作った特別製だぞ。そんな、まさか……!」

 

すぐさまデスクのパソコンに飛びつき、男は画面に映し出されるデータを次々と読み取っていく。

 

「は、ははは!!なんだ!実験は成功してるじゃないか!目に見える変化がないだけで!!なんてことだ!……そうだ、カルラに連絡せねば」

 

内線電話の受話器を取りどこかへ電話をかけると、男は嬉々とした様子で自分の見たものや取れたデータの話をまくし立てるように話した。

 

一通り説明を終え受話器を元に戻し、男は興奮醒めやらぬといった顔で桜を見つめる。

 

「成功の焼き印を入れたいところだが……まあこれはあいつらが戻って来てからでも良さそうだな。せっかくだ、見られてないうちにまずは私の趣味を優先としよう」

 

ようやく全身の感覚が戻り、痛みも残るままやっとの思いで起き上がる桜に、男が鼻息荒々しくゆっくりと近づいてくる。

 

白衣の隙間から見え隠れする下腹部の膨らみに桜はうげぇと顔をしかめた。

 

「そんな顔してどうしたんだい?私は幼女が好きというだけだぞ?そもそも、全裸を晒してる時点で今さら嫌がるなんておかしいじゃないか!」

 

先ほどの電話とは別の興奮を露わにしながら徐々に距離を詰める男に、身の危険を感じ桜は思わず手術台から滑り落ちてしまう。

 

感覚の戻りきらない身体を必死に動かし、這いずるように逃げ惑うが大人と子供の差は歴然だったのだろう。

 

あっという間に部屋の隅に追い詰められた桜は、すぐ目の前にまで迫った男から後ずさるように両手で床をまさぐった。

 

「怖くない……怖くないよ~……?くひひ……」

 

「あ……や、やだ……!」

 

涎を垂らし顔を赤く上気させた男に恐れおののくあまり、桜は後ろ手にひたりと触れた冷たい棒状の何かを握りしめた。

 

手にしたものが何かもろくに見ず、男から顔を背け目を固く閉じたまま”それ”を勢いよく振り切った。

 

手を払いのけさえすればそれで良いと思っていた結果は、ピチャリと床に響かせた水音で反転した。

 

「……あ……?」

 

桜が必死で思わず握りしめたのは、ほんの少し前に男がカートを倒してまき散らしたメスの1本だった。

 

切れ味抜群のそれは手を払い退けるよりも向こう側の、男の首を鮮やかに切り裂いていた。

 

軟骨をも超えて真一文字にぱっくりと割れた首からは、始めは数滴程度からやがて洪水のようにボタボタとあふれ出した鮮血で真っ赤に満たしてしまう。

 

ドサリとその場に倒れ伏した男は呼吸もままならずピクピクと痙攣し、恐怖に震える桜の目の前でやがて静かに事切れた。

 

「殺、した……?私が……こいつを……?」

 

真っ赤な血に濡れた右手のメスと動かなくなった男を交互に見つめ、思わずメスを投げ捨てた。

 

カチャンと音を立て滑るように倒れたカートにメスが当たる。

 

不可抗力とはいえ、見ず知らずの人間を殺してしまったことで桜の目からはボロボロと涙が零れ落ちた。

 

罪悪感で押しつぶされそうになりながら、それでも呼吸を整えるように必死に酸素を取り込み濡れた頬をぬぐう。

 

「殺した……けど、今まで殺された子供たちの数を考えれば……」

 

まるで正当防衛だったかのような言い訳を虚ろな目で呟き、壁に手をつきながらもどうにか立ち上がった。

 

震えが止まらないのか、がくがくと膝を震わせやっと出入口の扉に手をかけふと考え込む。

 

他の男達が出て行ってからすでに1時間以上はすぎた。

 

すぐにでも戻ってくるような口振りだったが、未だに戻ってこないところを見るに、もしや反乱者というのは骸のことではなかろうか。

 

いずれにしても、いつまでもここにいるわけにはいかない。

 

開かれた自動ドアを抜け冷たい廊下に立つと、静まり返ったように物音ひとつしない薄暗い闇が広がっていた。

 

「何も聞こえない……?いや、なんか遠くで……」

 

誰かの喋り声が遠くの方で聞こえることに気づく。

 

それがどれほどの距離なのか掴めず、桜は未だ残る痛みに耐えつつそちらへ進んだ。

 

しばらく歩いた廊下の先で窓を見つけ目線よりやや高い窓枠によじ登ると、格子のついたガラスの向こう側で別棟と思われる建物が目に入った。

 

窓越しに見える向こう側の廊下では、見覚えのある3人の少年が話し込んでいる。

 

話の内容までは分からないものの、その存在が分かったところで桜はふと窓枠から手を離した。

 

あの少年はおそらく予想にあった六道骸だと思われる。

 

しかしその場に行ったところで特に何もできるはずがない。

 

何より、自ら不干渉と定めた己のルールに反してしまう。

 

「やめておくか……なにより、ここまで歩いてきただけで疲れた……」

 

壁にもたれかかりずるずるとその場に座り込むと、頭から血が垂れていたようで検査衣に赤く染みを作っていた。

 

閉じきっていない頭の傷に触れ、ほのかな痛みに顔をしかめるがどうすることもできない。

 

「うっ……だめだ……また痛みが……」

 

拒絶反応か副反応か、どちらとも分からない鈍痛が全身をゆるく巡り、倒れるようにその場にうずくまる。

 

浅い呼吸を繰り返し痛みでボーッとする桜の前に、まるで霧が晴れるように1人の女性が立っていた。

 

「……?だれ……?」

 

横半分の視界に映るのは黒いパンプスのみで、眼球を動かすものの下半身から上がどうにも見えにくい。

 

「これ、ここに置いておくわね。ちゃんと大事にしなさいよ」

 

チャリ、と目の前に置かれたそれは、ここに連れてこられた際に奪われたネックレスだった。

 

「な、んで……」

 

「なんで、って。これは貴女の物でしょう。使う時にないと困るじゃない」

 

もう無くしちゃダメよ、と出血で汚くなっている桜の頭を気にもせず優しく撫でると、その女性は再び霧に包まれるように姿を消した。

 

何が何だか分からぬまま、桜は眠気と痛みでそのまま意識を手放すのだった。

 

 

 

 

___to be continued.




*後書き*
久しぶりの更新です。夢創作オンラインイベントのジュゲムジュゲ夢に参加してみたいなーと思って短編をちまちま書いていたらこちらが疎かになっていました。

短編が出来上がって参加が出来れば、そちらで先行公開の後こちらでも専用ページを作って公開できたらと思っています。
内容的には、原作の時間軸で雲雀さんと桜のifストーリーが1つ、とあるボカロ曲をオマージュパロにした雲雀さんと桜の和風ストーリーと考えています。
まだプロット段階で参加期限までに書き上がるかどうかは分かりませんが()

予定通りになったらこちらでも本編更新と一緒に告知したいと思います。
本日更新分についても批評感想お待ちしておりますのでぜひともよろしくどうぞ。

それではまた次回


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14:往く者、待つ者

ぴちょん、とどこかで雫の落ちる音が静かに響く。

 

水音以外の一切が止まったその中で、桜はゆっくりと静かに瞼を開いた。

 

「ん……」

 

目に入った景色は、意識を手放す前と全く同じ無機質で真っ白い廊下の壁が映る。

 

一体どれほどの時間眠っていたのか。

 

硬い床の上で眠っていたせいか、体の節々が痛むものの実験による痛みはすっかり治まっていた。

 

「すごい静か……本当に誰もいないのか」

 

どこかで雨漏りでもしているのか、規則的に響く水音を除きそれ以外の音がまるで聞こえない。

 

もしかしたらどこかに生きている人が……と淡い期待を抱くものの、身体をよろめかせながら見回った部屋にはどこも生きた人間は無く、あるのは血だらけで息絶えた死体だけだった。

 

1番最後に辿り着いた部屋、第5研究室とプレートの掲げられた部屋に入ると、そこは一際状態が酷く白衣の大人達はどれも凄惨な死に方をしている。

 

「第5研究室……反乱者……ここに骸が」

 

毒殺にかけられる前、かかってきた電話で聞いた内容を思い出しながら照らし合わせる。

 

おそらく、この研究室で骸は能力に目覚め、その力で憎きエストラーネオファミリーの大人達を殺害したのだろう。

 

窓越しに垣間見たその子供に思いを馳せ、桜は重い足取りでその部屋を後にした。

 

ほとんど窓のない薄暗い廊下を歩き続け、迷子のように研究所内を彷徨い数十分後ようやく桜は外への扉を見つける。

 

ギイィィ……と重量感のある扉を開けると、そこにはおそらく数ヶ月ぶりに見る晴れ渡った空が広がっていた。

 

拐われた春頃からすっかり季節は夏に移り変わり、ジリジリと焦がすような太陽が肌を照りつける。

 

「これからどうしたらいいかな……ここがどこなのか全然分からない」

 

周りには民家らしき影も見当たらず、途方に暮れ桜は盛大なため息を漏らす。

 

太陽の高さから推測しておそらく日の入りまでまだ時間があると考え、桜はひとまず研究所からまっすぐ伸びる一本道を進むことに決めるのだった。

 

 

──……

───………

────…………

 

何個目かの畑と小さな林を過ぎた頃、歩みを止める桜の目にはその状況にやや不釣り合いな存在が映っていた。

 

「なんで……ここに……」

 

唐突に穀物畑からゆるりと姿を現したのは、かつて桜が前世で最後に見たオッドアイの黒猫だ。

 

自らを現実から引き離しフィクションの世界へと転生させたと思われるその存在に、桜は混乱と衝撃でうずくまる。

 

「こんな時になんでよ……」

 

聞きたいことは山ほどあった。

 

実験直後の体力の衰えがなければ、言葉が通じるかどうか分からなくとも掴みかかって問いかけていただろう。

 

しかし桜の身に起きたイレギュラーな今、その問いかけすら難しいほどに余裕がなかった。

 

そして何より、桜の目の前にいるその黒猫が、何となくあの時の黒猫とはやや違うように見えたのだ。

 

あの時の怪しげな黒猫と違い、今目の前に佇むそれは周りが穀物畑ということもあり他の猫と何ら変わりない普通の猫に見えた。

 

「変なの……私どうかしちゃってるよね……」

 

自嘲気味に笑う桜を黒猫はしばらく見つめると、小さくにゃあとひと鳴きし桜の前をゆったりと歩き出した。

 

まるで"ついてこい"と言わんばかりに数歩先で立ち止まり、こちらを宝石のような綺麗な双眸で射抜く。

 

黒猫に導かれるようにして小高い丘や畑と林をいくつも抜け、太陽がオレンジから薄紫色に変わり始めてしばらく経った頃。

 

ようやくひとつの村らしき家々が見えてくる。

 

「やっと着いたぁ……あれ?」

 

ふと周辺を見渡すと、ここまで道案内をしてくれた黒猫はいつの間にか姿を消していた。

 

まるで桜の求めるものが分かるように村まで導いてくれた黒猫は一体何だったのか。

 

「なんか、変わった黒猫だったなー……それにしてもお腹空いた……」

 

1日にたったひとつのパンしか出てこなかった研究所にいたためか、桜の身体は当初よりすっかり痩せ細っていた。

 

せめて食べ物でも物色してから出れば良かったな、などとぼんやり考えながら村へと目指す一方、桜はふと己の姿をしげしげと見返す。

 

身体は肋骨や肩の骨がうっすら浮き出るほどに痩せ、肌のいたるところには注射痕や管を刺していた痕が残っている。

 

頭の一部を開かれたために数ヶ所は剃られ、洗ってない髪はフケと脂で見るに堪えない様子に変わっていた。

 

「これは……なんというか、だいぶまずいな」

 

薄汚れ、などと生易しい表現では済まないほどに汚れた自らの姿に顔をしかめ、せめて洗い流せるところでもないかと桜は遠目に辺りを見回す。

 

その時ふと桜の目に入ったのは、村から程なく離れた対角線上にポツンと建つ教会だった。

 

あそこなら、と桜はわずかな願いを胸にその教会へと足を進める。

 

 

 

目に見える距離にあったのに、教会に着く頃には太陽はとっぷりと丘の向こうに隠れ周辺は薄暗くなっていた。

 

「うーん……」

 

やっとの思いで辿り着いたその教会は、廃墟といってもおかしくない程に寂れている。

 

勝手に入っていいものか、と思案するが既に歩く体力も残っていない。

 

何とか現状を乗り切るべく教会に入ると、外の見た目同様、中は完全に荒れ果てた状態のようだ。

 

椅子は倒れたり壊れたりと砂ぼこりにまみれ、正面に置かれた十字架とマリア像は雨のためか青鈍色に変色し一部が欠けている。

 

隅にひっそりと佇むグランドピアノは、昔の軽やかな音色も忘れられたかのように色褪せ、シックな色合いのピアノカバーはかろうじて布の形を保っているもの、その姿は長年の劣化によりカバーの体を成していない。

 

両脇のステンドグラスや屋根もほとんどが抜け落ち、もはやちょっとした雨宿りすら向かないほどに朽ち果てていた。

 

人の気配が全くない屋内に桜はやや安堵し、どこかに水場はないものかと周辺を見渡す。

 

「そういえば、教会って神父さんとかが仕事をするような部屋があるはずだよね。そこら辺にシャワー室とかないかな」

 

虚空を見つめしばし思案した後、桜は次々と扉という扉を開けて回った。

 

その内のひとつに、やはり想像した通りの仕事部屋らしき空間を見つける。

 

もちろんそこも礼拝堂同様にホコリまみれで荒れていたが。

 

そしてシャワー室こそないものの、仕事部屋の奥に通じる扉の向こうにはトイレと洗面台が備え付けられていた。

 

おそるおそる水道の蛇口をひねると幸運なことにちょろちょろと水が流れ出す。

 

「……っよかった~……」

 

相当長い間使われていなかったためか、錆が混じっているような赤茶色ではあるもののやっと手に入れた水に桜はホッとため息を零した。

 

なんとか透明にならないものかと数十分待ち続け、徐々に色が薄くなる水にそっと口をつける。

 

「うわまっず!飲むにはちょっとだめだな……身体洗う程度かな」

 

飲み水にするのを諦め、着ていた検査衣を脱ぐと桜は少しずつ手のひらに水を貯めては体にかけていく。

 

あまり清潔とは言い難い水が治りきらない傷口に触れた瞬間、ビリビリと突き刺すような痛みが一瞬で全身をかけ巡った。

 

「ッ~~~~!!!いっったぁ……」

 

水を新たにかける度にズキズキと痛む手術痕に声にならない雄叫びを上げた。

 

何度かそれを繰り返し、目立った汚れをようやく落とせたかと言う時ふと桜は目の前の鏡に気づく。

 

半分近くが割れており途切れているものの、残った一部の鏡に映る自身の姿に桜は驚愕の表情を浮かべた。

 

「……えっ!?なに、これ……」

 

驚きに見開いたその目に入った姿は、半獣に近いような獣の耳が頭からひょっこりと出している。

 

ハッと気づき身体を捻って後ろの下半身を見ると尻からはふっさりとした黒い尻尾が生えているではないか。

 

あまりの驚きように逆立ったそれはまるでタヌキのようだ。

 

「まさかこれ、実験の影響……?」

 

もう一度鏡をよくよく見れば、虹彩は赤く変色し瞳孔はまるで猫のように縦に細長く変形している。

 

割れて見えない部分を映そうと立ち位置を変えると、首筋から頬の一部にかけて鱗のようなものも見て取れる。

 

「あぁ……これじゃ、本当に化け物って感じ……」

 

何となく見下ろした胸から下も、鱗やら羽毛やら動物らしき体毛まで覗かせていた。

 

何が発端か分からぬまま変わり果てた自身に、桜はフッと自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「こんなんじゃ、あの村に行って助けを求めるなんてこともできないな」

 

帰る方法も分からず誰かに助けを求めることも叶わず、まるで出口の見えない迷路に迷い込んだように桜はがっくりとうなだれた。

 

温暖な気候のためか、水をかけた身体は何をすることもなくすっかり乾ききっている。

 

それに気づき再び検査衣を羽織るも、既に桜には何かをしようという気力も底を尽きた。

 

重い足取りで礼拝堂に戻り、朽ちて柔らかさを失った布地の長椅子に寝転んでピアノカバーにくるまると、桜はそのままゆっくりと眠りに落ちるのだった。

 

 

──……

 

ボンゴレファミリー本部、その九代目が使う執務室にて。

 

そこでは2人の男がテーブルを挟んで向かい合っていた。

 

部屋中のカーテンは閉め切られ、最低限の明かりのみで外部を拒絶したその空間には以前よりもやや穏やかに変化した静かな空気で満たされていた。

 

「やっと……見つかったようだね」

 

長い沈黙を破った九代目がそう呟く。

 

その視線の先には、テーブルに置かれた最新の調査資料へと向けられていた。

 

「だいぶ骨が折れましたが、これも九代目のおかげです」

 

「いいや、家光が頑張った結果だろう」

 

調査資料には目撃情報や考えられる複数の逃走経路、潜伏に使われそうな建物などが事細かにまとめられている。

 

あちらこちらに追加で貼られた小さなメモ書きなど、その膨大な情報量から窺い知れる努力は相当なものだ。

 

「テベレ川から海へ出たところまでは掴んだものの、そこから先に繋がる情報が全く途絶えた時は本当にどうなることかと思いましたが──……」

 

厳しい表情から僅かに安らいだ様子に変わるのを見て、九代目も労うように笑みを浮かべる。

 

「そんな絶望的な状況でも諦めずに探したんだろう。あの子のために」

 

「……ええ」

 

気持ちに比例するように、右手の書類にはぐしゃりと握りしめた跡が残る。

 

「では、早急に部下を手配して向かわせようか。この北イタリアの片田舎へと」

 

書類の1番最後に確認のサインを書くと九代目はテーブル下の引き出しから別の真新しい紙を取り出した。

 

「すみません、その件についてなんですが……」

 

「?」

 

「向かわせるのは男の部下じゃなくて、なるべく同性で歳の近い人間にしていただけますか」

 

家光のやや変わった要望に、九代目は一瞬驚いた顔をしたものの──、しかしすぐさまその意図を読み取り静かに頷いた。

 

「いいだろう。それならヴァリアーのあの子を向かわせよう」

 

「ヴァリアー……?あそこにそんな幼い子いたでしょうか」

 

聞き覚えのない情報に首を傾げる家光。

 

「家光はまだ知らないだろう。つい先日入隊したばかりでね、まだ歳も10歳とのことだ」

 

「……!そんなに若いなら、確かに適任ですね」

 

「ああ。後は連絡兼補佐役としてガナッシュにも同行してもらう」

 

その後、日程やルートの予定を手短にまとめると、2人はようやく安堵するように深く息を吐いた。

 

「本当に、桜のためにここまでありがとうございます」

 

「ああ……しかし保護するまでは油断するなよ家光」

 

「ええ、承知しております」

 

僅かに流れたピリつく空気を受けるように、ろうそくの灯りが静かに揺れる。

 

 

───………

────…………

 

 

夜が明けたのだろうか。

 

射し込む光で眩しさに桜はうっすらと目を開けた。

 

木々のかすれる音に鳥のさえずりがどこからか聞こえ、教会の中は初夏の暖かさに包まれている。

 

「これからどうしようかな……ん?」

 

己の行くべき道を考えあぐねていると、遠くからかすかに複数人の匂いと話し声を感じ取る。

 

それが実験によって手に入れた嗅覚と聴覚によるものだとは知らず、桜は予想外の展開に思わず警戒するように窓際へと静かに走り寄る。

 

外の様子を伺おうと窓からそっと顔を覗かせると、教会の出入口付近で複数人の男女が何やら会話をしていた。

 

一方はこの村の住人だろう、畑仕事でもしているような服装にナタや斧を手にしている。

 

«だから言ってるだろう!昨日の夜ここに痩せこけた熊が入ったんだって!»

 

«人を食う前に退治してくれよ!»

 

«オレ達を疑うのか!?»

 

険しい表情と荒々しいイタリア語が飛び交う。

 

その様子から自身が怪しい人間として追われているのだと気づき、桜の緊張に比例するかのようにその姿も徐々に変わっていく。

 

一方、村の通報で呼ばれたであろう警察らしきスーツ姿の若い男が、村人達をどうにか落ち着かせようと穏やかな口調で話しかけていた。

 

«まあまあ落ち着いてください、疑ってるわけじゃありませんし、熊だったら気配で分かりますから。それにほら、ちゃんと猟銃もあるのであなた方はしっかりお守りしますよ»

 

スーツの男からやや離れた場所には、同じスーツ姿で桜よりやや年上ほどと思われる少女がしかめっ面でそっぽを向いている。

 

村人達から漂う肥料の臭いが気に食わないのだろうか、苛々した様子の彼女は時たま村人達をチラリと見やっていた。

 

«ねえガナッシュさん、まだなの?早く帰りたいんだからさっさとそいつら黙らせてくれない?»

 

一向に状況が変わらないことに我慢の限界が来たのか、少女は苛立たしげに拳銃を取り出した。

 

«なんだお前は!こっちは命がかかってるんだぞ!»

 

«まあ落ち着いてくださいよ、ひとまずそのナタを下ろして……»

 

割って入るガナッシュに村人はキッと睨みつける。

 

«大体お前も何なんだ!どうしてこんな何の役にも立たん子供を連れてくるんだ!オレ達は熊が出たって通報したんだぞ!»

 

«……へー、あっそう。だったらあんた達が自分で熊退治すれば?こんな”子供”じゃ頼りにならないんでしょ»

 

さぁどうぞ、と言わんばかりに教会へと手を差し向ける少女に、村人達も触発されるように苛立たしげに教会へと足を踏み入れる。

 

«お前らじゃ話にならん!»

 

«あたしらだってイノシシくらい仕留めたことあるんだからね!どこよ!出てきなさい!»

 

しかし、その村人達を迎えたのは痩せこけた熊などではなく、恐怖と緊張で小さな獣へと変貌した桜だった。

 

鋭く尖った牙と爪に加え、ピンと立った耳と人間らしき手足という狼人間を思わせる出で立ちに村人達は一瞬怯むものの、元より培っていたその結束力で一斉に飛びかかった。

 

«熊じゃなくて狼人間よ!»

 

«死ね化け物が!»

 

手にしていた棍棒やナタを振り回し村人達は勇ましく応戦するものの、しかし熊と同じくらい獰猛な桜に太刀打ちできないと判断したのだろう。

 

村人達は徐々に追い込まれ、椅子を盾にしながら扉の向こう側へ命からがら逃げ出した。

 

そして桜といえば、我を忘れ獣へと変貌したためか反動で襲いかかる痛みで苦痛にのたうち回っていた。

 

しばらく転げ回ったのち、勢い余って椅子の足に後頭部を強打し再び桜の意識は暗闇へと投げ込まれてしまうのだった。

 

«派手に暴れ回ったなぁ……»

 

«あれが例の保護対象ですか?臭くて汚いし、まるでスラムのドブネズミだわ»

 

村人達と入れ替わるように入ってきた2人は各々思ったままの感想を吐露する。

 

«それが九代目からの指示だからな。帰ったら報告後回しでシャワーでも何でもいいから、とにかくこの子を担いで先に車に戻っててくれ。オレは村人達へ駆除したことを伝えてくるから»

 

少女を宥めつつ手短に指示を出すと、ガナッシュはすぐに踵を返して教会を出ていった。

 

«はぁ……全く、こんなクソガキの面倒見るなんてこれっきりにしてほしいわね»

 

ぶつくさと文句を垂れるその10歳の少女が、クソガキ呼ばわりをしたこの少女と長い付き合いになるとはこの時誰も知る由もないことだ。

 

 

___to be continued.






*後書き*

イベント用の短編を更新し早くも1ヶ月半経ちました。近々更新すると言っておきながらとんでもなく無様ですね。
いただいた感想で恐れ多くも私の体調を気遣ってくださった方もいたのに、まさかの体調不良が2回ほど続いてました。咳のしすぎでまた肋骨折れるかもしれませんが、私の執筆欲は折れないので次話も楽しみにお待ちくだされば幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございました!


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15:進む道

桜の意識がゆるりと浮上し、瞼を開いたその目に映ったのはどこかの保護施設らしき部屋の天井だった。

 

確かめるように右手を見ると、治療されたのかガーゼを貼られたり包帯を巻かれたりしている。

 

ひた、と頬に触れるが鱗や羽毛らしき肌触りもなく、頭をまさぐってみるものの耳は人間の時と同じ状態に戻っていた。

 

「よかった…私……まだ人間になれたんだね……」

 

ふかふかのベッドで横たわったまま静かに泣いていると、ふいにガチャリと部屋の扉が開かれる。

 

パリンと音を立てコップが床に落ちる音にそちらを見やると、扉から入った光を背に立っていたのはずっとまた会いたいと願ってやまなかった家族だった。

 

「……パパ?」

 

「……~っ桜!」

 

悲痛そうな面持ちで駆け寄る父親に桜は待ち焦がれていたように両手を伸ばした。

 

ぎゅっと抱き締めた温もりと嗅ぎなれた懐かしい香りに桜は思わず涙が溢れる。

 

「パパ……!会いたかった……」

 

「本当に無事で良かった……!痛いところはないか?怪我してるようだったから治療してもらったが、一体何があったんだ?」

 

愛おしそうに涙を浮かべ頬を撫でる父に、桜は気まずそうに目線を下げた。

 

「そ、それは……」

 

「いやパパが悪かった、まだ思い出したくないこともあるもんな。大丈夫だ、ゆっくりでいい。怪我が治って落ち着いたら話そうな」

 

とにかく無事で良かった、と言い再び優しく抱き締めた父に、桜はふと拐われた時のことを思い出す。

 

「それよりパパ、ツナは大丈夫?ママはどうしてるの?」

 

スタンガンで気絶させられただけとはいえ、目の前で起きたショッキングな出来事は4歳児にはきついものがあるだろう。

 

自分の知らない後のことを心配し父に問いかけると、家光はバツが悪そうに顔を背けた。

 

「その……綱吉はなぁ……」

 

「なに?もしかして大怪我したの!?」

 

「いやいやそんなことはない!怪我もしてないし大丈夫だ!そういうんじゃなくてだな……」

 

歯切れの悪い言葉で濁す家光に桜は不安そうに見つめる。

 

「どうしたの?私は何を聞かされても平気だよ?」

 

「本当か?かなりショックなことになるぞ?」

 

「大丈夫だよ。あんなことがあったんだもん、どんなことになっててもおかしくないよ」

 

幼い娘の揺るがない瞳に根負けし、家光は絞り出すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「その、な……目の前で桜を奪われたショックか……夜も寝られずに泣きじゃくってご飯も食えなくなったんだ」

 

「……それで?」

 

「あまりにも精神が不安定になって、医者にもこのままじゃ危ないって言われたんで……綱吉とお前には悪いと思ったが、綱吉の今後の生活を考えて……その、ちょっとした知り合いに頼んで、全部の記憶を封じてもらったんだ。つまり、今の綱吉には桜に関する記憶はない状態にある」

 

苦しげな表情で告げられた事実に、桜はゆっくりと息を吐いた。

 

何となく予想していたそれに驚くことも無く、やけに冷静な桜に家光は不思議そうな顔で首をかしげる。

 

「あんまり驚かないんだな?」

 

「まあ、何となく分かってたことだしね……ママは?」

 

「母さんも似たような状態だったが……綱吉ほどじゃない。一時期は自分に責任があったと責めていたが、それも治療と周りからのフォローで何とかなった」

 

「そう、良かった……」

 

安心したように静かに笑い、決意するように目を閉じた。

 

「その、ツナの記憶を封じた知り合いって今この屋内にいるんでしょ?」

 

「……桜?」

 

様子の変わった娘に家光が眉を寄せる。

 

「パパもきっと、私が何に巻き込まれて何を見たのかもう知ってるんじゃない?」

 

それが自らに課せられた道なのだと、受け入れるように悲しげに笑う桜に家光は観念するように両手を上げた。

 

「全く、この短い間でえらい成長したもんだな。

……そうだ、こちらでおおよそのことは調べてある。後で詳しく検査もすることになってる」

 

「それは私も知りたいところだよ。わりとしっかりした施設みたいだし、どういう身体にされたのか明らかにしてほしいね」

 

いつの間にか手にしていた資料らしきファイルを眺め話す家光に桜がそう返すと、家光は変な物を見るかのような目でこちらを見つめる。

 

「お前、なんか口調が変わってないか?まるで10年くらい年取ったみたいじゃないか」

 

十年というほどではないものの、転生前の元の年齢に今の肉体年齢を足せば桜の精神年齢はとっくに二十歳を超えている。

 

やけに大人びた雰囲気にツッコミをされ、桜は平静を装うようにあらぬ方向に視線を向けた。

 

「そ、そんなことないよ?色々あって大変だったからじゃないかな」

 

「そうか……まあそれならいいんだが。ともかく、桜はまず治療に専念してもらう。治ったらあの方……テオさんに会おうな」

 

九代目、とは言わず親しみのある名前で呼ぶその人物に桜はとうとうか……と思いつつ静かに頷くのだった。

 

 

転生後の人生、第二幕を告げるように温もりを帯びたイタリアの風がカーテンを揺らす。

 

 

───…………

────…………

 

 

「初めまして、君が桜ちゃんだね」

 

傷がだいぶ癒え暑さも本格的になった七月、一人の初老程の男性が部屋を訪ねてきた。

 

口髭をたくわえ優しげな目付きのその人に桜はすぐに誰なのか察した。

 

「もしかして……テオさん?」

 

二歳をすぎた頃、あの時会うはずだったその老人の名を呟くと、九代目は嬉しくもどこか悲しげに目を細めた。

 

「やっと会えたね……こんな形になってしまって申し訳なかった」

 

ベッド脇の椅子に腰掛け頭を下げた九代目に桜は慌てて両手を振る。

 

「そんな、顔を上げてください!これは誰のせいでもありません」

 

「いいや……本来なら君たち二人を守るのは我々の役目だったのだ。いずれ後継者を決めるために巻き込むことになるとはいえ、幼い一般人でもある君たちをちゃんと守れなかったのは紛れもなく私の責任だよ」

 

ゆっくりと首を左右に振り、すまなさそうに項垂れるその老人に桜は左手を握る九代目の手に己の手をそっと重ねた。

 

「それでも……それでも、これは誰の責任でもありません。強いて言えば、私を巻き込んでこんな身体にしたあの人達です」

 

醜悪な笑みを浮かべる白衣の大人たちを思い出し、桜は唇をきつく閉じる。

 

「ありがとう。君もやはり大空の子だね」

 

「大空ですか?……大空なのは綱吉の方ですよ。なんていうか、私は大空というより……それを影から支える夜空になりたいです」

 

澄んだ瞳で優しく微笑む桜に九代目はそうか、とだけ言い小さく頷いた。

 

「さて、そんな夜空になりたい桜ちゃんにひとつ大事な話がある。まだ幼い君にはかなり酷な話だが……聞いてくれるね?」

 

「わかりました」

 

顔つきが変わった桜の決意を宿す瞳を九代目は静かに受け取り、そして自身の仕事から始まる全ての顛末を話した。

 

イタリア最大のマフィア、ボンゴレファミリーの九代目であること。

綱吉と桜が初代の直系にあたり、九代目の後継者であること。

 

そしてやはりと言うべきか、桜が拐われた実験施設がエストラーネオファミリーだということ。

 

最後に、裏社会へと巻き込まれ否応なく実験体にされた桜の生きる道についても。

 

「検査は1ヶ月ほど前に受けてもらっただろうが、君の身体は急激な変化でずいぶんと悪い状態にある」

 

桜を傷つけないためか慎重に言葉を選んでくれているのだろう、九代目はゆっくりと穏やかに説明を進めてくれた。

 

「ある程度回復したら我々マフィアの子供達が通う学校に進んでもいいし、桜ちゃんのリハビリ次第ではこちらのサポートで日本の生活に戻ることも十分可能だ。君はどうしたい?」

 

最大限の配慮と優しさで最適な道を示してくれる九代目に対し、桜はかつて自身が思い描いたこの世界のあるべき姿を脳裏に浮かべて目を閉じる。

 

自身にまつわる記憶を消され、原作にほど近い状態へと変化した沢田綱吉。

そして否応なしに裏社会へと引きずり込まれ、やむを得ずそうなったとはいえ人を殺してしまった自分自身。

 

もはや表社会へと戻る道理もなく、桜はむしろこのまま裏社会へと身を置くのがあらゆる意味で好都合なのではと考えた。

 

己の犯した罪をどうするべきか、いつどのタイミングで話すべきかと密かに悩んでいた桜だったが、九代目が道を示してくれたおかげでどうやらその心残りも解消できそうだ。

 

「九代目は本当に……お優しいんですね」

 

この優しい人に、せっかく配慮をしてくれた行為に報えないことを後悔しながら桜は悲しげに微笑む。

 

その桜の表情に九代目は一瞬驚きで目を見開くが、すぐに何かを察したのだろう、大空を彷彿とさせる温かい目で桜を見つめ返した。

 

「いいんだよ、桜ちゃんの思った通りに言っていい」

 

「ごめんなさい……やっぱり私、表社会には戻れません。九代目と同じ道に行かせてください」

 

「それはやはり……あの実験施設であったことかい?」

 

桜の並々ならぬ様子に九代目は優しく桜の肩に手を置く。

 

その九代目の優しさを感じながら、桜はあの日の出来事を努めて冷静に説明した。

 

科学者の1人に襲われたこと、手を払い除けるつもりが握ったメスでその首を割いて人一人の命を終わらせてしまったこと。

 

「だから人を殺めてしまった私はもう表社会になんて戻れないんです。罪と向かい合って、罪を洗い流すにはその道しかないんです」

 

まるで教会の懺悔室にいるかのように、祈るように己の罪を告白した桜に九代目はゆっくりと肩から手を下ろす。

 

「そうか……すまない、まさかそんなことがあったとは」

 

「……さっき、私は大空を影から支える夜空になりたいと言いました。あれは、いずれ血に染まった道を歩むことになる綱吉のためでもあるんです。同時期にマフィアとなる友人は必ずいます、でも先を歩いて安心させてあげる人も必要だと思うんです」

 

「それが君ということかい?」

 

こくりと頷いた桜が続けて言葉を紡ぎ出す。

 

「大丈夫、私も一緒だよって、手を繋いであげたいんです。優しすぎるあの子には、一人でも多く支えられる人間がいた方がいいですから」

 

遥か先を見通し、全てを兄のためにと覚悟をその目に湛えた桜に九代目は観念するかのようにそっと小さく笑った。

 

「君はまるで、夜空を照らす月のようだね」

 

闇に覆われし大空を、柔らかな光で照らす月に喩える九代目。

 

「……反対しないんですか?」

 

「ここまで覚悟を決めた顔を見せられては反対なんぞできまいよ。全く、まだたったの四歳だというのに……」

 

慈しむように頭を撫でる九代目の言葉に、桜はふと前世のことについてはどうしようかと気を留めた。

 

自分が前世からの転生者であることは誰にも話していない。

というより、話したら何が起こるか分からないためだ。

 

まだ4年とはいえ、未だに桜の前には転生について説明してくれる人間が現れない。

 

非科学的なことは信じないタイプなため、何者かの意思によって何らかの方法で転生されたと、そう説明されないと桜の根本にある不安は拭えなかった。

 

そして何者かによる説明がされないということは自分の意思で介入した場合どういった影響が出るのか全く予想がつかないのだ。

 

最悪の場合、転生と原作について話した途端に分かりやすく悪影響が出るとも限らない。

 

しかしそれとは別に、今目の前で惜しみなく協力をしようとしてくれる九代目に隠し事をしたままでいいのかという気持ちもあった。

 

兄である綱吉のためではあるものの、忠誠を捧げて仕える相手は九代目この人しかいない。

 

何が起きるか覚悟して明かすか、それとも悪影響を考慮して隠しておくか。

 

気づかれないようにしていた桜だったか、やはり九代目の目はごまかせないのだろう。

 

頭を撫でる手がピタリと止まる。

 

「まだ、何か気にかかることでもあるのかい?」

 

「それは……その……」

 

話すべきか話さざるべきか。

 

どうにも決められない桜の手を九代目の温かな両手が包み込む。

 

「もし誰かに聞かれたくない内容なら、この部屋は完全防音だし盗聴器なんかの類いも気にする事はない。話すことそのものを悩んでるなら、いつか話せる時が来たら話してくれたらいい」

 

悩んでいる原因すら見通すその瞳に圧され、桜は諦めたように小さく息を吐いた。

 

「この秘密は……まだ誰にも話したことがありません。だから同じように九代目も他言無用でお願いします。お仕えする九代目への、忠誠の証として聞いてください」

 

四歳児には到底似合わない小難しい言葉を並べ、それが伏線かのように紡ぎ出された信じ難い非科学的な話を、九代目はまるで最初から分かっていたようにただ静かに耳を傾けていた。

 

 

「……話してくれてありがとう。これでようやく、桜ちゃんから感じていた不思議な感覚の正体を掴めたよ。安心するといい、これは誰にも話さないし、これからのことについて深く聞くこともしない」

 

「聞かないんですか?聞けば回避できる不幸もあるのに?」

 

「そうだね、きっとそうかもしれない。でも桜ちゃんが心配してる不幸はそれぞれ誰かのものであって君の不幸ではないんだよ。君が無闇やたらに入り込んで解決していいものではない。賢い君なら分かってくれるね?」

 

その真剣な瞳に気圧され、桜はついに何も言えなくなってしまう。

 

一年か二年後に起こることも、リング争奪戦で何があるのかも桜は話していない。

 

その展開を心配し九代目に言ったところで、おそらく自分の責任として受け入れてしまうのだろう。

 

桜の想いを汲み取るように九代目は朗らかに笑った。

 

「なに、桜ちゃんが心配することはない。その時が来たらそれはそれでどうにかすればいいさ。君は自分の人生を大事に生きなさい」

 

「ありがとうございます。それから、私が殺し屋になるに当たってもう一つお願いがあるんですが……」

 

恐る恐るという表情で伺うように言った桜に九代目は次の言葉を待つように見つめ返す。

 

九代目の優しい心に感謝しつつも、さすがに反対されそうかなと逡巡した後、桜は決心したように言葉を紡いだ。

 

「もし、私の生死に関することをまだ何も外部へ知らせていないなら、周りには私が死んだことにしてくれませんか」

 

自らの存在を否定するかのような突拍子もないその願いに、九代目は面食らったように目を見開いた。

 

「どうしてそんなことを……」

 

「先ほど話したことにも関係するんですが、私は本来なら存在しない人間です。私が知りうる流れに、私というあるはずのない人間が介入して何が起こるか分かりません。それなら、あの実験を逆手に取って"沢田桜"という人間は死んだことにしてもらって、私は綱吉の影として生きる方が色々やりやすいかと思うんです」

 

桜の自罰的とも言える説明に九代目は深いため息をつく。

 

歴代でも最高と言われるほど穏健派である九代目ならば、桜の願いは到底聞き入れられない内容のものだ。

 

しかし、桜自身がメリットとデメリットを最も理解しておりそれに見合う対処を導き出している。

 

はるか先のことを考え、己の存在を消してでも守りたいものがあるのだと見せつけられては穏健派と言われる九代目でも、その願いを否定する気持ちにはなれなかった。

 

「本当なら、君の願いは受け入れてはならないんだがね」

 

「そう、ですよね……」

 

当然そういう反応になることも見越していたものの、落ち込むように表情を暗くする桜。

 

「それでも、綱吉くんや家族を守りたいと思ってそこまでする君を拒否するほど私は厳しくもなれない」

 

「……! それじゃあ」

 

「あぁ……こんなことあまり賛成はしないがね。でも桜ちゃんの覚悟を無下にはしないよ。家光にも伝えてなるべく根回しをしておく」

 

「本当にありがとうございます。心苦しいことをさせてごめんなさい」

 

「いいんだよ。それで君の憂いが少しでも晴れるなら私がサポートしよう」

 

感謝するように項垂れる桜の頭を優しく撫で、九代目はよっこらしょと立ち上がる。

 

「さて、君が殺し屋になると決めたんなら準備が必要だね。それについてはこちらで手配しておくから、桜ちゃんはまずリハビリに専念しなさい」

 

「リハビリ?」

 

「そうだ。実験で身体を作り変えられてしまった以上、それは殺し屋としては最大の武器になるだろう。しっかり自分の意思でコントロールできるようにするのが君の課題だよ」

 

そう言うと九代目はまた来るよ、と言い残し扉の向こうへと姿を消した。

 

 

 

──……

───…………

 

肌を焦がすイタリアの夏も半ば近く、実験により受けた桜の傷も大部分が回復の兆しを見せていた。

 

熱を帯びた風を感じつつ、桜の手元には誕生日プレゼントとして貰ったネックレスのチャームが控えめに光る。

 

「実験やる時に取られちゃったけど、あの後抜け出す時に誰かが置いてってくれたんだよね……誰だったのかな」

 

謎の女性を思い出そうとするが、脳裏には霧がかかるように曖昧で上手く思い出せないでいた。

 

うーんと唸る桜がふと気配を感じ顔を上げると、風に吹かれて揺れるカーテンの向こう側のバルコニーに小さな影が映る。

 

艶やかな黒い毛並みに紺碧と深緑の瞳を湛えたその生き物は、桜を真っ直ぐと見つめ控えめに”にゃあ”と鳴いた。

 

「えっ……!?あの時の……?」

 

未だ痛みの残る身体を何とか動かしつつ、バルコニーへと歩み寄ると黒猫は何の警戒心もなく桜に近寄る。

 

幾度となく目の前に現れ桜の心を乱しては謎に消え失せる黒猫に、桜は小さくため息を零した。

 

「もう、本当にそろそろ教えてほしいんだからね。一体君は何なの?」

 

傍から見れば黒猫に話しかける怪しい人間だが、桜にとってはそれなりに重要なことだ。

 

この際、この場に誰が入ってこようと形振りかまっていられるほど余裕はなかった。

 

「私は何のためにこの世界に連れてこられたの?」

 

核心を突いたその質問に、黒猫は答えるわけもなく、はたまた小首を傾げるなどということもなくゆっくりと瞬きをする。

 

至極当然の結果に唖然とする桜の背後で、唐突にノック音と共にガチャリと扉が開かれた。

 

「おや?起きて大丈夫なのかい?」

 

「……九代目」

 

桜の様子にやや驚くものの、九代目はすぐさまソファに座り付き添いのメイドへ指示を出す。

 

「君もそんなところにいないでこっちへおいで。紹介したい人がいるんだ」

 

「……!あの今ここに黒猫が」

 

「猫?どこにそんな子が……?」

 

九代目の不思議そうな顔で元の方へ慌てて向き直るものの、そこに黒猫の姿は影も形も見当たらない。

 

今まで桜が見ていたものは一体なんだったのか。

 

九代目に誘われるままソファに座る桜だったが、まるで白昼夢でも見ていたかのような錯覚に軽く目眩を覚えた。

 

(「そう、そうだよね……考えてみたらここ3階だし……」)

 

外壁には侵入者が容易く入ってこれないようにと凸凹の少ない作りになっているため、とても猫が通れそうな道はない。

 

きっと幻か何かを見たのだろうと桜は半ば無理やりに納得し、出されたハーブティーの香りで忘れることにしたのだった。

 

 

 

___to be continued.




*後書き*
1ヶ月ぶりの更新です。
ついこの前投稿したと思っていたのに早くも1ヶ月経ちました。
2024年の幕開けは地震やら火事やらで大波乱でしたね。被災された方々が1日でも早く元の生活に戻れるようお祈り申し上げます。

そして3月という先の話にはなりますが、夢小説イベントにまた参加してみたいなーと密かに計画中であります。実際できるかどうかは別として。
本編と並行しつつイベント参加用の短編も書きたいと思っていますので、参加できた暁にはそちらもぜひ読んで貰えたら嬉しいです。

最近の話をします。ハーメルンを使ってて気づいたんですが、小説の最後にいつもつける「___to be continued.」を手打ちするのが面倒でここからコピペしよう!とコピー選択したら、なんと「ここ好き」がでてきました。いつどこで使えるものなのか全く知らず、ハーメルンなかなかに面白い機能を備えているのだなとひとつ賢くなりました。実際に使うかどうかは別として。

本編の展開がなかなか進まず申し訳ないところですが、読者の皆さまに読みやすく楽しんでいただけるよう尽力しますのでよろしくお願いします。
無駄に長い後書きとなりましたがここまで読んでいただきありがとうございました!
次回は2月末に更新予定となります。


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16:痛みを超えたその先へ

「はぁ……時間が経つのって早いなー……」

 

口元からふわりと漂う真っ白い吐息で桜は呟く。

 

エストラーネオファミリーの実験施設から抜け出し、ボンゴレに保護された夏の日。

 

殺し屋になると決めてから、早くも半年が経過する。

 

季節はあっという間に夏から秋へと変わり、気づけば寒さも厳しい12月後半へと差し掛かっていた。

 

「それにしてもまずいな、こんなはずじゃなかったのに」

 

むむ、と眉間に皺を寄せて考え込む桜の脳裏には、理想とはかけ離れた過去の現実が蘇る。

 

───……

 

あの日、九代目と話し合いをし裏社会へと進む道を決め、桜にはリハビリと体力作りが課せられた。

 

実験による怪我も順調に回復し、予定通りに事が進むと思われた桜の体調は何の前触れもなく突然に暗転する。

 

「くっ……!!~~~~ッッ!」

 

桜の身体で起きた異変、それは細胞の生成と崩壊という実験の副作用らしき症状だった。

 

意図せず勝手に生えてはボロボロと崩れるそれらには、わずか4歳という未成熟な肉体には耐え難いほどの激痛が走る。

 

その激痛から逃れたいがために、無意識から両手で掻きむしってしまう有様は九代目が思わず目を逸らしてしまうほどであった。

 

「九代目、これ以上は手の施しようがありません。何か他に手立てはないんでしょうか」

 

「看護師長がそこまで言うほどか……ならば残る手は──」

 

──……

─……

 

 

九代目が下した決断によほど最善手が含まれていたのだろう。

 

意識も途切れ途切れだった桜には知る由もないが、九代目によるその一手が下されると桜の症状は徐々に落ち着きを見せた。

 

「なんか途中で誰かに頭を撫でられていたような……?パパだったのかな」

 

薄らと残る朧気な記憶に浸りつつも、予定外に起きてしまった不調で回復のために時間を取られてしまったことに桜は不貞腐れたようにため息をこぼした。

 

「やっと意識が戻って起きてみたら雪が降ってるし、まさか半年もすぎてたなんてね……」

 

ベッドで寄り添うように寝転がる黒猫を撫でると、桜のぼやきに合わせるかのように小さく”にゃあ”とひと鳴き。

 

この黒猫もやはり桜が1人でいる時だけ現れるらしく、先日見舞いにきた家光にそれとなくこの存在を聞いても首を傾げるばかりだ。

 

窓の外でひらひらと舞い落ちる雪を眺め、暇をつぶすように再び過去の記憶を思い起こす。

 

「やっと目が覚めた時が確か11月だっけ。いつの間にやら今の人生も5年目ということか」

 

───……

 

 

「……?」

 

未だ残る痛みに顔をしかめつつまぶたを開くと、そこには心配そうにこちらを覗き込む家光と目が合う。

 

「桜……オレが分かるか?」

 

「……ふふ、大好きなパパでしょう」

 

うっすらと残る目の下のクマに、よほど心配させてしまったのだろうと察した桜が笑いかけた。

 

両手で患部を掻きむしることがないようにと手首を拘束されているために、この半泣き状態の父を抱きしめられないことに唇を噛み締めるが、そんな心情を汲み取った家光は優しく頭を撫でる。

 

「もう11月になったが……5歳の誕生日おめでとう、桜」

 

「ありがとうパパ。来年は寝坊しないように頑張るね」

 

冗談交じりに笑みを浮かべると、家光は安心したように部屋を後にした。

 

一人残された部屋で桜は憂鬱そうに無機質な天井を見つめる。

 

誕生日が来て5歳になったということは、予想ではゆりかご事件まであと1年前後しか残っていない。

 

事情を話した九代目には自分のことだけを考えなさいと言われたものの、やはり桜としては自分のやれる範囲で小さなことから防いでおきたいのだ。

 

「何もできずに後悔なんて、もうしたくないからね……」

 

誰に聞かれるでもなく誓った言葉を心に押し込め、桜は祈るように目を閉じた。

 

 

──……

─……

 

 

それから1ヶ月半、何とか治療のかいもあり桜の痛々しい傷跡はやっと元の状態に戻りつつあった。

 

「半年前に殺し屋になるための先生を紹介してもらったし、これでようやくスタートラインってところかなぁ……」

 

桜の体調が悪化する少し前、紹介したい人がいると九代目が部屋を訪れた。

 

殺し屋になりたいという桜の指南をするために、世界でもごくわずかなトップレベルの殺し屋だという謳い文句を聞かされた時は、てっきりあのリボーンが来るものだと期待に胸を踊らせたものだ。

 

そんな桜の(かなり)一方的な期待も虚しく、部屋に招き入れられたのは名前も顔も原作では知らない人間であった。

 

九代目によればリボーンの弟子というらしく、殺し屋としての腕も相当なものらしい。

 

その他にも桜の世話役とサポートをするためという名目で専属メイドなる人間も紹介され、その場では快く挨拶を済ませた桜だったが──。

 

「やっぱり、リボーンさんが良かったなぁ……」

 

わがままだと分かりきっているのでその気持ちにはしっかりと蓋をしたものの、1人になればやはり原作へ関わることへの未練らしき感情が拭いきれない。

 

以前の桜ならば原作の登場人物への関わりはなるべく避けるように努めていたが、否応なく巻き込まれ裏社会へと進んでしまってはどうしようもないだろう。

 

それならばいっそのこと、桜が知る限りでは最も最強といえるリボーンに指南してもらった方が──と思ったものの。

 

そう上手く原作の人間に関われるわけではないということが現実として見せつけられていた。

 

「しかしリボーンさんに弟子なんかいたんだねー。原作とは違う流れなのか、それとも私が前世で見れなかったあの後の原作なのか」

 

自身の知らない流れに密かな不安を抱くも、しかし九代目お墨付きの腕前というその人に教えを受ける日を桜は心躍らせ待ち望んだ。

 

ふと見ると膝元の黒猫がいないことに気づき、合点がいったように目線をドアへと滑らせる。

 

黒猫の動向を観察するうち気づいたのは、桜が1人でいる時に来るということと、黒猫が消えた後は必ず誰かが部屋を訪ねてくるということだった。

 

”コンコン”

 

見計らったようにノック音が軽やかに響く。

 

一瞬の後に現れたのは九代目と家光だった。

 

「桜、調子はどうだ?」

 

「おはようパパ。皆さんの治療のおかげでだいぶ良くなったよ」

 

自然な流れで顔色と脈拍を確認し、桜の言葉が無理をしてるものではないと知ると安心したように眉尻が下がる。

 

「傷も癒えたことだし、午後からは晴れて気温が上がるみたいだからここから本館へ移動することにしたよ」

 

準備できたらまた来るよ、と言い残し九代目はチャーミングに手を振りながら部屋を出ていった。

 

「もらった薬は飲んでるのか?」

 

「症状が出たら飲むっていうアレでしょ、痛いの嫌だから飲んでるけどすごい効き目だね?どうやってあんな特効薬が作れたの?」

 

桜の症状はそこら辺の流行病とは違い、人の手によって仕組まれた人工物の副作用だ。

 

そんな簡単にどうにかなるものではないはず、と桜は思っていたが、やはりボンゴレファミリーともなれば最新の医療機器も揃っているのだろうか。

 

「実を言うとな、あの後エストラーネオファミリーの施設に入ってデータが残ってないか探したんだ。その成果からあの薬ができたんだよ」

 

だから心配するな、と桜の頭を撫でる家光。

 

それが家光の嘘とも思わず、桜は嬉しそうに微笑む。

 

「じゃあボンゴレの皆さんに感謝してこれから頑張らないとね」

 

「ああ、パパもなるべくフォローできるようにするよ」

 

しばらく他愛のない会話を続けたあと、家光は仕事を片付けると言い再び部屋は静寂に包まれた。

 

「ゆりかごまであと1年……できる限り頑張らなきゃ」

 

密かな決意を胸に秘め、桜は小さく呟いた。

 

 

──……

───……

 

 

「桜、寒くないか?」

 

「うん!ひざ掛けも肩掛けもあるし平気だよ」

 

車椅子を押す背後の家光に声をかけられ、桜は肩掛けをひらひらとひらめかせた。

 

「防寒は足りているようだけど、もう本格的な冬だからね。本館に着くまでもうしばらくだからね」

 

隣を歩く九代目も心配そうに呟く。

 

桜が今までいた別館は主に医療関係の建物だそうで、これから向かう本館とは役割が異なるそうだ。

 

有事の際にはそれぞれで別の機能があるそうだが、外部からの敵が簡単に入り込めないように2つの建物を繋ぐ道も複雑になっている。

 

「すぐ目の前に見える距離にあるのに、本当に考えて作り込まれてるんですね」

 

「天下のボンゴレ、ましてやその本拠地を狙うマフィアなんて早々いないだろうがな!」

 

豪快に笑う家光に苦笑していると、膝上に置かれた手荷物にひらりと黄色い枯葉が舞い落ちる。

 

「イチョウだ……イタリアにもイチョウの木があるんですね」

 

見慣れた枯葉に笑みを浮かべると九代目もにっこりと笑った。

 

「イタリアは日本と似て四季もあるからね。春には桜が咲くし、秋から冬はイチョウやそれ以外の落葉樹から冬までの移り変わりを楽しめると思うよ」

 

拾い上げたイチョウの枯葉をすんすんと嗅ぐ桜に後ろの家光が興味深そうに見つめる。

 

「それ、匂いとかするのか?」

 

「何となく。実験の影響か副作用か分からないけど、嗅覚がちょっと過敏になってるんだよね。でもイチョウってこんな匂いだったかなぁ?」

 

記憶にあるイチョウとやや違う匂いに首を傾げる。

 

もう1枚を九代目が拾い上げ同じように嗅いでみるが、さほど嗅覚が鋭いわけでもないようで苦笑いを浮かべた。

 

「私にはちょっと分からないな……具体的にはどんな匂いなんだい?」

 

「うーん……あ、イタリアって花火あります?ああいう感じのちょっと火薬っぽい匂い?それに近いかもです」

 

まだ並盛幼稚園に通っていた頃、花火を楽しんだ時の古い記憶を懐かしむように思い出し再びイチョウの匂いを吸い込む。

 

「……桜ちゃん、その匂いどこからするか分かるかい?」

 

何か悪予感を察知したのか、それとも桜の能力を試したいだけなのか。

 

厳しい表情に変わった九代目にも気づかず、桜は空気の流れを追うように鼻先に集中した。

 

さらさらと吹きつける冷たい風が頬を撫でた瞬間、桜はある方向を見つめた。

 

「そんなに慣れてるわけじゃないから確信が持てないんですけど……」

 

「構わないよ。気になったことは何でも言ってくれ」

 

「ここから見えるあの正門、あそこから少し離れたところに停まってる車からこのイチョウと同じ匂いがしますね」

 

ボンゴレアジトの敷地からわずかに離れた、正門に連なる鉄柵にぴたりと寄せられた車を指差す。

 

滅多に見かけないそのワゴン車を訝しむように見つめ、九代目は素早く横に立つ家光に目配せした。

 

「九代目……?」

 

様子の違う2人を心配そうに見上げた桜の頭を家光は優しく撫でる。

 

「なに心配するな、念の為にちょっと警戒してるだけだ。さっ、早く本館に移動するぞ」

 

いつの間にか取り出した無線で会話をする九代目を置いて家光は足早に車椅子を押す。

 

「九代目は置いてって大丈夫なの?」

 

「ああ大丈夫だ。それより、本館で桜のメイドさんが美味しい紅茶を入れて待ってるからな。着いたらすぐにでも、」

 

桜を安心させようと家光がすぐに話題を切り替えたその時──。

 

ズドン、と重苦しい音が響き建物の窓ガラスはビリビリと震え、数秒も経たずに砂や破片を含んだ突風が吹き抜けた。

 

「っ!」

 

「大丈夫か桜!」

 

やはり場馴れしているためか、爆発音とほぼ同時に自身の上着を桜に被せ、家光は慌てることもなく状況を把握しつつ桜の身を心配する。

 

「大丈夫……じゃないかも、臭いと音が……」

 

振動と強烈な火薬臭に、まるで乗り物酔いをしているかのような気持ち悪さを覚える。

 

被せたスーツの上着からチラリと見え隠れする桜の異変に家光はすぐさま桜を抱きかかえた。

 

(「皮膚の鱗に獣特有の耳……これが実験の……」)

 

ハンカチで口元を押さえるその手の甲にも分かりやすく変化した見た目に、実験による影響がどれほどか察するには難しくない。

 

「九代目はご無事ですか!」

 

「私は無傷だから問題ない。今コヨーテが向かってきてくれるそうだ。それより桜ちゃんを早く建物へ」

 

「ありがとうございます、それでは後を頼みます」

 

九代目の心遣いに頭を下げ、家光は足早に建物へと向かった。

 

部屋に着くなり桜をベッドに寝かせ脈拍と呼吸を確認する。

 

ハンカチ越しに荒い息づかいを繰り返す桜の様子に、持っていた荷物から薬の入ったケースを桜に見えるよう差し出した。

 

「ほら薬だ、飲めるか?」

 

家光の問いかけに何とか反応を見せようとする桜だったが、落ち着こうとすればするほどに桜の思考速度は鈍く落ちていく。

 

あとほんの数秒で意識が無くなるかと思われたその時、桜の身をふわりと何かの温もりで包まれた。

 

それが目の前の父によるものだと気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「パパ……」

 

「大丈夫、大丈夫だ」

 

側頭部から伝わる心臓音と背中を優しく撫でる温かい手に、桜の乱れた意識はゆっくりと緩やかに落ち着きを取り戻す。

 

安定を見せ始めた呼吸に合わせ、変化していた見た目も徐々に元の姿へと変わっていく。

 

「パパ、ありがとう」

 

「もう大丈夫そうだな。いや~!それにしても良い成長っぷりでパパは嬉しいぞ!!」

 

髭面でヤスリのように頬擦りをする家光にややうざったそうに手で押しのけるが、桜自身もほんのわずかな変化で嬉しそうな表情を見せる。

 

「それより薬は飲まなくていいのか?まだ痛みとか苦しさはあるんだろう?」

 

すぐに表情を切り替え、右手に握りしめられたケースを控えめに見せられた。

 

「そうだね……一応飲んでおこうかな」

 

備えつけのキッチンにコップを取ろうと立ち上がる桜に、家光は安心したように微笑む。

 

「よし、じゃあオレは九代目に報告してくるよ。落ち着いた頃にこれからの予定を話そうな」

 

獣耳も無くなったハニーブラウンの頭を軽く撫で、家光は扉の向こうへと消える。

 

「ん、気をつけてね」

 

ひらひらと振った手をぽふりとベッドへと落とし、桜は小さくため息を吐いた。

 

「それにしてもトラブル続きだな……早く修行を始めて1人前になりたいのに、ちっとも進まない」

 

ぶつくさと不満げに1人文句を垂れるが、それで宥めすかしてくれる者もいない。

 

何の手応えもない無意味な行為に桜は再びため息を零す。

 

「はぁ……疲れた。薬も飲んだことだし、パパが来るまでちょっと寝てよ」

 

ホテルのようなふかふかのベッドに身を投げ出すと、ほどなくして桜の意識はゆるりと沈み込んでいった。

 

 

…………

………………

 

 

春先のような暖かい風に頬を撫でられ、桜は唐突に目を開けた。

 

広くどこまでも続く草原に1人ぽつんと立ち尽くし、それが夢だと認識できるまでに幾分か要した。

 

「ゆ、め……?いや夢か」

 

豊かに生い茂る草木に、まるで日向ぼっこをしているかのような暖かな陽射しが自身に降り注ぐ。

 

風が揺らす草のサラサラとした音にまぎれ、重たげに踏み込む足音と気配に後ろを振り向くと、そこには体長をはるか2mを超える雄ライオンが気高く佇んでいた。

 

突然目の前に現れた猛獣に、普段の桜ならきっと怯えて腰を抜かしていたことだろう。

 

しかし不思議と恐怖はなく、その百獣の王が自分の中に実験として入れられた存在なのだと桜は感じ取った。

 

しばしの沈黙と見つめ合いをしたのち、桜は静かに歩み寄り、まるでそこら辺の街中で野良猫に会った時のように右手を差し出す。

 

その桜の脳内では、いつ聞いたかも全く覚えのない誰かの言葉が朧げに蘇っていた。

 

”仲良くしなさいね。きっと助けになるから”

 

女性か男性かも分からない、ただ文字として記憶に残されたそのセリフを思い浮かべ、それがこのライオンに関するものだと何となく察していたのだ。

 

ライオンも小さなこの少女に気を許しているのだろうか、差し出された手をやや勢いのある鼻息で嗅いだあと顔をすり寄せ、まるで懐いているかのような仕草を見せた。

 

それが王たる彼との、友好と共生の証なのだと桜は目覚めた時知ることとなる。

 

 

 

 

___to be continued.





*後書き*
約1ヶ月ぶりの更新です。
なんだかまとまりのない内容のせいでサブタイトルに悩みました。
最近はイベントのおかげもあってかほとんど毎日書けるようになり、頑張って上手く行けば月に2回か3回くらいは更新増やせたらなと思ってます。

話が変わりますが、前述の通りオンラインイベントに参加することになりました。ジュゲムジュゲ夢という夢創作オンラインイベントでして、今回は本編の番外編にあたるショートストーリーをメインに展示する予定です。
展示場所はハーメルンで載せてるものをリンク形式でイベント会場に繋げるので、読者の方はこちらが用意したURLに飛んでいただくだけのシンプルなものになります。
そのURLをどこに載せるかという問題はありますが、とりあえず作品詳細の部分と告知用として活動報告の2ヶ所載せれば見てもらいやすいかな、と想定しています。
イベント期間は3月23日土曜日10:00から、翌24日日曜日22:00までとなります。
もし良かったら読んでみてください( ꈍᴗꈍ)

いつもよりちょっと長めな後書きでしたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!良かったらご感想もぜひどうぞ!


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17:邂逅、交わる道

四月──。

 

初春の暖かな温もりに包まれる季節が再び巡る。

 

そんなうららかなある日の午後、桜はちょっとした窮地に立たされていた。

 

目の前で自身を睨みつけるその人に、桜は今世で二度目くらいの死亡フラグを感じつつ生まれたての小鹿のように身を震わせた。

 

(「なんでこんなことに……」)

 

それは遡ること数時間前のことだ。

 

 

──……

───…………

 

 

「──……そこまで!」

 

「はぁ……」

 

ストップウォッチを止める音と共に桜の小さなため息が漏れる。

 

リハビリと並行した修行は順調に進み、桜は覚えたばかりの拳銃を時間制限で組み立てていた。

 

「十分でこれほどとは物覚えがいいな」

 

最後まで完成していないそれを家光は満足げに笑みを浮かべる。

 

「でも十分でこれだけ。目標は一分以内……それも目隠しもした状態で、でしょ?」

 

一方で自分の理想値に届かない現実を桜は歯がゆく思っていた。

 

「そうだ。これが敵地のど真ん中なら奴さんは呑気に待っててはくれん。いかに素早く、どんな状況であっても窮地を突破する方法は身につけて損は無い」

 

「それを説明しながら速攻で組み立てちゃうパパさすがだね……」

 

目にも留まらぬ速さで完成されていく拳銃を前に、桜は先程とは違う感嘆のため息を漏らす。

 

「ところで、今日は風邪をひいた桜の先生の代わりとして来たわけだが……」

 

「?うん」

 

やや訝しげな表情を浮かべる家光に桜は小首をかしげる。

 

「久しぶりに会って気づいたが、桜、お前髪の色ちょっと変わってないか?」

 

綱吉に似てふわふわと重力に反した髪の毛は、同じく綱吉に似てハニーブラウンの色合いをしていた。

 

しかしここ数週間をかけて、そのハニーブラウンの髪の毛は徐々に暗い色へと変化を遂げていた。

 

「そうなんだよね……私も気づいたらいつの間にか黒っぽくなってきてプリンみたいになってるの」

 

「なんだか心配だなぁ……実験の影響かもしれないし、とりあえず九代目に頼んで検査してもらおう」

 

「えっ!?いやいいよ!髪の色変わってるだけで別に痛いとかじゃないし!」

 

ぶんぶんと両手を振る桜に家光はしかめっ面で見つめる。

 

「…………」

 

「う……あーもう分かったよ!心配してくれてるんだよね、ちゃんとやるからそんな顔しないで」

 

無言の圧力に耐えかね、降参した桜は嬉しそうな家光に抱っこされて医務室へと向かうのだった。

 

 

───***───

 

 

「はぁ……パパってば本当に心配性なんだから」

 

以前より簡素なものになったとはいえ、桜個人としてはやや面倒な検査を終えて疲れたようにベッドに座った。

 

家光としては可愛い娘を思うが故の行動だろう。

 

そして実験により変わってしまった我が子へ親としてできるのは、ボンゴレの持つ医療サポートと体調面への心配くらいなのだ。

 

もちろんメンタル的なケアも気遣ってくれていることに桜は気づいている。

 

「それにしてもちょっと心配しすぎなような……」

 

本来ならば沢田家にいるはずのない人間であるがゆえに、桜は申し訳ないような気持ちの反面、少しばかり気恥ずかしい気持ちも抱いていた。

 

「まあ、このボンゴレの中にいればそれ以上の心配をかけることもないよね。めちゃめちゃヤバい人がいたら話は別だけど……」

 

ボンゴレという安全地帯の中ならば家光に過度な心配をかけさせてしまうこともないだろうと、桜は半ば安心したように昼寝に勤しむのだった。

 

まさかそれが、数時間後に家光をまたもや心配させる火種になろうとは思いもせず──。

 

 

…………

……...

 

 

「ん……いま何時だ……?」

 

十五分ほど眠っただけと思っていた桜は、壁にかかった時計を見つめしばし固まる。

 

検査が急遽入ったとはいえ、午後からは別のスケジュールが組み込まれていた。

 

予定の時刻は14:00からだ。

 

しかし桜の見つめる時計は14:10を指している。

 

「えっ……遅刻!!?」

 

慌てて飛び起き部屋を出ると桜は脳内でアジト内の最短ルートを組み立て、一刻も早く目的の部屋へと辿り着くべく足を早めた。

 

「まさかこんな昼寝しちゃうなんて……!」

 

階段を端折って手すりからそのまま飛び降りると、そのまま駆け足で目の前の丁字の通路まで差し迫った。

 

あとはそこを左に曲がればすぐ──といったところで、桜は急ぐあまり左右の確認もせずに飛び出してしまう。

 

ドンッ

 

「あびゃっ」

 

曲がり角で誰かとぶつかるという少女漫画的な展開に一瞬惚けるものの、桜はすぐさま立ち上がった。

 

「あたた……ごめん、じゃないな、Scusa.(すみません)」

 

軽く打ち付けた顔面をさすりつつ咄嗟に謝るが、目の前に立つ人物はうんともすんとも言わない。

 

"イタリア語間違えたかな?"と思いつつ訝しむ桜が見上げると、そこには前世で何度もよく見た赤い瞳の男が立っていた。

 

「なんだてめぇ」

 

「(あれ?もしかしてこれ死亡フラグ??)」

 

 

───…………

──……

 

そして今に至り、桜は原作でもトップレベルの強さを誇るそのキャラに見下ろされていた。

 

「なんでこんなところにガキがいやがる」

 

獣のような低い唸り声でぶっきらぼうに放たれた台詞に、その姿に見惚れつつも静かに死期を悟る。

 

「(おわ~……リアル生ザンザス様だ……じゃないわ、めちゃくちゃ死亡フラグだよこれ……そして怖い)」

 

うっかりチビりそうになるのをぐっと堪え、桜はセルフツッコミをしつつこの先の展開に心の中で静かに祈った。

 

周りの人間を全て殺さんと言わんばかりに憎むこの男から無事に生きて目的地に行けるのだろうか、と。

 

そんな桜の様子に興味が湧いたのか、ザンザスは桜の首根っこをつまみ上げた。

 

「オレを見て泣かねえガキは初めてだ、肝が座ってるじゃねえか」

 

フッと笑みを見せるザンザスに桜はあれ?と疑念を抱く。

 

「(夢小説とかでよくある"おもしれー女"認定されたのかな?でもなんかイメージと違うような……?)」

 

桜が知る限りでは、ザンザスは自らの出生にまつわる秘密を知り、ゆりかご事件というボンゴレ史上最大のクーデターをもたらすほどに激昂、九代目に反逆を起こしてしまう。

 

その憎悪と怒りは原作の中でもはっきり描かれている。

 

しかし桜の目の前に立つその男は眼力こそ鋭いものの、とてもあの憤怒を体現したかのような雰囲気は感じられない。

 

「(もしかして……まだ秘密を知る前?)」

 

己が九代目の後継者なのだと思い込んでいれば、この漂う余裕さも納得できる。

 

何も言わず黙り込むその少女を肯定的に捉えたのか、ザンザスはおもむろにひょいと桜を抱きかかえた。

 

「えっ」

 

「あ?」

 

うっかり考え込みすぎたために、不意を突かれた桜が声をあげると有無を言わさない眼光が鋭く光る。

 

抱き上げられたことにより一層距離が近くなったことで桜の心臓は違う意味で早く打ち鳴らしていた。

 

「(やばいめっちゃ怖い!あーでもかっこいい!)」

 

人気投票でも上位にいたイケメンに浮かれるものの、しばらくして桜はふと我に返った。

 

自身を腕に抱えたこの男は一体どこへ向かってるのかと。

 

「あの……これどこに行くんですか?」

 

「オレの部屋だ」

 

聞き慣れない単語に桜はポカンと口を開ける。

 

この男は何と言ったか。

 

日本語の聞き間違いでなければ、"オレの部屋"とザンザスはそう口にしたのだ。

 

「(傲岸不遜なこの人が?なんで私を?)」

 

幸いなことに目的地まであとひと曲がりというところだったため、帰り道の心配をする必要はなさそうだったが、回避したと思われる死亡フラグがまた建ってしまったことに桜は静かに虚空を見つめた。

 

「(私、やっぱり生きて帰れるかな……)」

 

そしてそんな心配とは余所に、二人の後ろ姿を目撃した人間がいたことを桜は後に知ることとなる。

 

───***───

 

 

薄暗い部屋に、ハーバルスパイスのような刺激的で重厚感のある香りが漂う。

 

まだ夕方には程遠い時間であるにも関わらず、部屋のカーテンは全て閉め切られ、所々に備え付けられた間接照明だけが二人の姿をほのかに照らしていた。

 

「(あー、めっちゃ帰りたい……ていうか色々キツい)」

 

上質なソファーに座らされ、テーブルを挟んだ向かい側に座るザンザスに見つめられた桜は心の内で静かにため息をついた。

 

「おい」

 

「えっ、はい」

 

数分か、それとも数十分か。

 

時間の感覚が狂いそうなほどに続けられた沈黙を破り、ザンザスが桜に声をかける。

 

緊張で声が上擦りそうになるのを静かに抑えつつ桜が返事をすると、またもや数十秒ほどの沈黙で部屋が静まり返った。

 

「(なんなのもう……)」

 

「てめえ、ジジイが連れてきたガキか」

 

「……?そう、ですね」

 

唐突に投げかけられた質問に桜は不思議そうに答えた。

 

いまいち何を考えているのか掴めず、質問の意図も汲めないまま刻々と時は流れる。

 

重苦しい空気に少しずつ慣れてきた頃、ザンザスは再び口を開いた。

 

「……殺し屋になりたいそうだな」

 

「そうですけど……それは誰から……?」

 

思ってもみない問いかけに驚きつつ返すが、何かが神経に触ったのかザンザスは寝るような体勢に崩し荒々しく足をテーブルにかけた。

 

「チッ……日本人のクソガキが、簡単に殺し屋になれるとでも思ってんのか」

 

返された質問には答えず、不機嫌そうな声色で吐くように捨てられた台詞に桜は分かっていたことながら小さくため息を吐く。

 

確かに桜は安全の保障された平和な日本で育ち、裏社会とは全く無縁の環境で過ごしてきた。

 

クソガキと呼ばれた点においても、まだ四歳の甘えたい盛りの時期をそう指したのだろう。

 

最も、ザンザスから見れば歳の離れた子供など全てクソガキと吐き捨てそうではあるが。

 

殺し屋を目指すには不釣り合いで不似合いなその人生に、裏社会で生まれ育ったその男は到底無理なことだろうと容易に想像していた。

 

「そうですね。確かにそんな簡単に殺し屋になれるとは思っていません」

 

全てを捻じ伏さんとばかりに傲岸不遜でふてぶてしい態度のその男を真っ直ぐ見つめ、桜は静かに立ち上がった。

 

 

ザンザスが否定した言葉の意味は全て想像でしかない。

 

先ほどの台詞から察するに、おそらく九代目が誰かと話していたのをせいぜい小耳に挟んだ程度のものと思われる。

 

自身のこれまで痛みを伴った体験を知らないであろう目の前の男に、桜の心の内でふつふつと何かが静かに煮え滾る。

 

静かに目を閉じれば、脳裏にはハッキリとエストラーネオにいた頃の記憶が鮮やかに蘇る。

 

「殺し屋になるには、本当に死に物狂いで頑張らないといけないのは分かります。もしそれでどうしようもないくらい耐えられないことがあったとしても、私はそこから逃げるわけにはいきません。それだけの痛みと罰を背負っていますから」

 

「あぁ……?」

 

桜の噛みつくような反抗的な態度にザンザスは怒りを瞳に宿し首をもたげた。

 

気に食わない者は自らの手で捻じ伏せ、盾突く者にはその凄まじい力で息の根を止めてきた自身に、目の前の少女は臆することなく射抜くような瞳で見つめる。

 

「いい度胸じゃねえか、殺される覚悟があるみてえだな」

 

激情に赴くまま右手に憤怒の炎を宿し、威嚇するように桜の目の前につきつけるが──,

 

一瞬閉じ、スッと再び開いたその赤い獣の瞳に、ザンザスの右手がぴたりと寸前で止まる。

 

「殺される覚悟も殺す覚悟もきっと足りないでしょうが……私のこの身と心に打たれた楔はそれでも殺し屋には足りないでしょうか?」

 

貴方になら分かるでしょう?と告げる桜の、いびつに変化したその姿にザンザスはある程度の過程を悟った。

 

「それなら見せてもらおうじゃねえか。どこで音を上げるか楽しみだ」

 

ドカリと座り直し、目を閉じて満足気に口角を上げたザンザスに、桜は未だ冷めぬ仄かな怒りを冷静に塗り替えつつ見つめ返す。

 

「もちろんですよ。しっかり見ていてくださいね、お兄様」

 

「あ?」

 

挑発するように桜が紡いだ単語に驚いたようにザンザスが片目を開いた。

 

「てめえに兄なんぞと呼ばれたかねえよ。第一、その呼び方はうるせえのと被るからやめろ」

 

「”うるせえの”……?誰かいるんですか?」

 

ザンザスの返答に桜は思わず首をかしげる。

 

ボス、と呼び慕う人間ならば数人いたが、この男を兄と呼ぶ人間など原作にいただろうか。

 

考え込む桜をよそにザンザスが再び舌打ちをした。

 

「口にした途端に来やがったか、目ざとい野郎だ……おいクソガキ、こっち来い」

 

「え……?えっ、ちょ」

 

特定の人物を指すような物言いに桜が顔を上げると、返事をする間もなく首根っこを掴まれザンザスが座っていたソファーの後ろに降ろされる。

 

「殺されたくなきゃ物音立てるなよ。息も殺して気配を消せ」

 

ドスの利いた低い声と赤い双眸で見つめられ、桜はこくこくと頷く。

 

予想もしない展開に胸を高鳴らし空気のように固まっていると、ふいに扉をノックする音が響いた。

 

《お兄様、よろしいでしょうか》

 

《なんだ》

 

ザンザスの許可を受け重い扉を開けると、コツコツとパンプスの音を鳴らし立ち止まった。

 

靴の音と声からして女性と思われるが、お兄様と呼ぶその人物に心当たりもなく桜は耳をそばだてる。

 

《……?お兄様、今ここで誰かとお話されていましたか?》

 

《誰もいねえよ。てめえの気のせいだ》

 

《それは失礼しました。任務の報告書はお兄様の書斎に置いてありますので後ほど確認をお願いします》

 

イタリア語で交わされる会話に聞き取れない単語があるものの、おおよそのやり取りを修行で学んだコツで掴み桜は思案するように視線をずらした。

 

未だ姿も見えぬその人物の見当はつかないが、おそらくザンザスの部下と思われる女性にどこなく親近感を覚えたのだ。

 

「(なんかこの声、聞いたことあるようなないような……気のせいなのかな)」

 

凛としたよく通る声に頭をひねっている内、何度か交わされた会話は早くも終わりを告げる。

 

《これで報告は以上になります。次の任務は長期になりますので、その間お兄様もお身体に気をつけてください》

 

《うるせえな、余計な世話焼くんじゃねえ。終わったなら出てけ》

 

《全てはお兄様のためです。それでは失礼します》

 

冷たい返事にも臆することなくうやうやしく返し、女性は満足そうな声色で部屋から出ていった。

 

遠ざかるヒールの音に桜がほっとため息をつくと、ザンザスも糸が切れたようにぼすりと背もたれに頭を預けた。

 

「言われた通りにできたな。やるじゃねえかクソガキ」

 

「理不尽に殺されるなんてまっぴらごめんですから」

 

椅子の向こうから投げられた言葉にやれやれと返しつつ這い出ると、桜は再びソファーに座り込む。

 

「というかそのクソガキ呼びそろそろやめてもらえませんか。私にはちゃんと桜って名前があるんですけど」

 

むすりとした表情でザンザスの顔を見つめるとハッと軽く笑みをこぼし赤い瞳をゆっくり閉じた。

 

「このオレに反抗するやつなんざクソガキで十分だ」

 

「あっそーですか。じゃあ私も勝手に呼びますね。なんて呼ぼうかなー?お兄様が嫌なら兄さん?」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

先ほどとはまるで違い殺気もない静かな雰囲気に安堵しつつ、桜はふと名前を聞いてないなと気づく。

 

「ところで貴方の名前はなんていうんですか?」

 

危うくそのまま呼びそうになるのを堪え、さも初見かのような目でザンザスを見やる。

 

名を問われたザンザスは閉じていた深紅の瞳をうっすらと開き、遥か先の未来でも放ったその言葉を同じままに呟いた。

 

「オレか……?オレはX("10")の称号を2つ持つ男、XANXUS。いずれこのボンゴレの十代目となる」

 

哀れにも未だ真実を知らない傲岸不遜なこの男に、さほど遠くない来たる時を想像し桜は悲しげに目を伏せる。

 

たとえこの先に待ち受ける残酷な運命に打ちひしがれ、枯れることのない憎しみに身を焦がすとしても──,

 

 

せめて今だけは穏やかな時をすごせるようにと、祈るように思考を振り払い閉じていた目を開けた。

 

「そうですか……覚えておきますね、その名前」

 

満更でもなさそうに口角を上げるザンザスに頃合いと判断し桜はソファーから立ち上がる。

 

「そろそろ戻りますね。また来てもいいですか?」

 

「勝手にしろ……悪かったら殺すだけだ」

 

相変わらずの態度に原作と変わりないな、と思いつつ扉を慎重に開けた。

 

来た時と変わらない外の様子にホッとする桜に、何を思ったかザンザスが寝そべったまま声をかけた。

 

「おい」

 

「? はい」

 

「来るなら菓子くらい持ってこい。暇つぶしの相手くらいはしてやる」

 

「……! はい!」

 

そのまま寝る体勢に入ったザンザスを尻目に、聞いていないと分かりつつも返事をし桜は部屋を後にした。

 

 

 

___to be continued.

 

 




*後書き*
またもや1ヶ月ぶりの更新です。なんか更新頻度上げられるみたいなこと言ってた気がしますが気のせいかもしれません。
先日開催されたジュゲムジュゲ夢オンリーイベントではありがとうございました!次回は7月中旬頃に開催予定の復活夢創作イベントに参加できたらなと思って鋭意制作中です。
本編の方も執筆中ではあるので気長に更新をお待ちください。

それではここまで読んでいただきありがとうございました!
感想や誤字脱字など受け付けてるのでぜひどうぞ


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