【二次創作】白聖女と黒騎士【魔女狩り聖女】 (村人JJ)
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小話①
聖都の路地裏


 聖都グリフォネアの一角、煌びやかな大通りと対をなす薄汚れた路地裏、その片隅に目的の店は存在した。

 

「ようこそお越しくださいました。娼婦のご指名はおありでしょうか?」

「来るのは初めてだ。これで足りるなら相手は選ばない」

 

 相場の判断はつかなかったが、心許ない預金から崩した数枚の硬貨を受付に渡す。男は「用意が整うまでお待ちを」と言い残して店の奥へ消え、しばらく待つと案内係に通路の奥へと誘導された。いつぞやのような門前払いは避けられたようで、青年はひとまず安堵の息を吐く。

 ここは金で女を買える店——俗に言う娼館である。厳粛な聖都にはあるまじき娼館の存在、その経緯は二百年前に遡る。

 魔女禍の発生による混乱と混沌の時代、魔女狩りを名目に多くの女が娼館へと売り払われた。そこでは悪辣な虐待や拷問など茶飯事であり、数えきれない娼婦が老若を問わず、異常性癖の捌け口として連日使い潰される。この事態を重く見た教会により、一度は悪しき風習として一掃が図られたものの、ごく一部の運営者は賢しくも自分達こそ女の味方と名乗り出たのだ。

 『我々は女を道具扱いなどしない。無論、魔女ともみなさい』、『常に屈強な守衛を待機させており、悪質な来訪者は即刻排除する』、『彼女らには破格の報酬と待遇を約束しており、双方合意の上で契約を結び……』、などと口八丁で教会すらも煙に巻き、ついには法の厳守を条件に懲罰を免れたのだ。

 もっとも、いつの世も色を好むは男の性質であり、万が一にも女に飢えた騎士が己の聖女に蛮行を働くことのないよう、教会は最低限の捌け口を残したかったのかもしれない。斯くして、外道に手を染めていなかった数店のみが、暗黙の了承を得る形で各地に点在することとなった。

 この娼館も数少ない生き残りのひとつであり、長い歴史を誇る隠れた名店である——というのが聞き齧った話だ。案内された部屋はお世辞にも小綺麗とは言い難く、古風というより寂れた印象を拭えながったが。

 

「本日のお相手を務めさせていただきます。精一杯奉仕いたしますので、どうぞよろしくお願いします」

 

 とはいえ、流石は古来より引き継がれてきた老舗というべきか。寝台に座る娼婦は目を見張る美貌の持ち主であり、脳裏へ浮かんだ旧友にも劣らぬ肢体を扇情的な肌着で包んでいた。

 

「何だねその喋り方は。もう少し力を抜きたまえよ」

「ふふっ、お客様の方こそ。物語の騎士様のような喋り方」

「ほう、貴公には分かるのか」

「趣味なので。色々読みましたが愛読書はジャック・ドゥの英雄譚ですわ」

 

 流石に手慣れているなと嘆息する。騎士らしくあろうと長く続けた努力を見抜かれたのは初めてだった。しかも自分と同じ物好き——悪騎士ジャック・ドゥの愛好家という。語り合えばさぞ盛り上がるのだろうが、ここに来た目的はそれではない。話に花を咲かせたいなら娼館を訪ねる必要などないのだ。

 

「申し訳ないが経験豊富ではなくてな。今日は色々教えてもらえると助かる」

「畏まりました。初めてのお客様も多くお越しになられます。心配はご無用ですわ」

 

 青年の上着に手を掛け、娼婦はあら?と小首傾げた。不自然に垂れ下がっていた右腕に動く気配がなく、正常に機能していないことが見て取れたのだ。

 

「やはり、この身体では難しいだろうか」

「そのようなことはありませんわ。欠損こそ騎士の武勲にして誉れ……惚れ惚れしてしまいます」

 

「……そういう意味ではないのだがな」

 

 裸に剥かれた上半身に、肉感の豊かな乳房を押し当てられる。男の獣心に火を付けるには過剰なほどの破壊力、正に爆薬のような肉体による暴力だったが、

 

(……勃たないな)

 

 青年はどこまでも冷めきっている己の下半身に首を傾げた。自分は男色家ではなく、人並みの性欲は持ち合わせている。官能的な書物も嗜んでいたし、旧友と顔を合わせるたびに胸元や脚線美を注視する程度には助平だった。薬物の過剰摂取も長らく行っておらず、まさか彼女の聖性による副作用とでも——

 

「……様、困ります……」

「レー……のバ………」

 

 そこで至極単純な答えに思い至る。

 目の前の女性は真逆なのだ。豊満な双丘も、蠱惑的な仕草も、妖艶な誘い文句までーー何もかも、彼女と真逆すぎる。自分が惚れたのはもっと貧相な胸板と、常に暴力を伴う挙動と、こちらを見下すかのように傲慢で挑発的な——なぜ惚れたのか分からなくなり始めたので、青年はそこで思考を打ち切った。

 

「誰か……早く守衛を……」

「……カはどこに………」

 

 とにかく、確かなのは五体の自由のみならず、性衝動まで彼女に支配されていたことだ。早くも暗雲が垂れ込め始めたが、ここに来た目的は果たさなければならない。

 貴重な休日を潰し、なけなしの貯金を下ろし、重い右腕を引っ張りながら、彼女の目を掻い潜り聖都まで足を運んだのだ。この日を逃せば、次の好機がいつ訪れるかは分からない。

 先程から廊下が騒がしかったが、青年は行為に集中しようと片腕でぎこちなく娼婦を抱き寄せ、そのまま首筋に顔を埋めようともたれ掛かり——

 

 

「レェェエベェエエエエエン!!!」

 

 

 

 大気を震わす怒声。次いで轟音。

 扉の金具が粉々に吹き飛ばされ、そのまま乱暴に蹴破られる。

 現れたのは全身を武装した聖女だった。

 装束の上から巻かれたベルトには投擲用の短剣、焼夷弾、炸裂弾までもが無数に装備されており、これからひと魔女狩ってくると言わんばかりの様相である。右手に握られた短銃は通常の物より一回り大きく、扉の鍵を粉砕した反動で砲筒から白煙を上げている。左手には大型の長銃——片手で撃てば大男でも腕を痛める代物を、しかし聖女は躊躇なく二人へと向けた。

 ひっ、と短い悲鳴を漏らし、娼婦は咄嗟に青年の背に隠れる。聖女の全身を飾る凶器より、己に照準を定める銃口より、爛々と輝く瞳が恐ろしかった。漆黒の双眸は闇よりも暗く、泥よりも濁っており、こちらを射殺す様な眼光を放ち続けている。怒りに駆られて充血する眼球には一切の正気が伺えず、娼婦は思わず遭遇したことのない魔女を連想した。

 事実、聖女は既に正気ではなかった。魔女へと至る鍵が『怒り』であったならば、その身は疾うに崩れ落ち泥と化していただろう。思考回路を激情に支配され、すぐ目の前で呆然と佇む目当ての人物——レーベンの存在さえ認識することなく、突如として乱入した聖女、シスネレインは両手に銃を構えたまま咆哮を上げる。

 

 

 

「レーベンの馬鹿はどこ⁉︎ あの馬鹿はどこにいるの‼︎」

 

 

 

 



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悪巧み

「久しぶりの酒宴で羽目を外したんだろう。珍しく酒場で寝落ちしてしまった」

「で、ついにヤったんですかい?」

「この体で居住棟まで送るのは骨が折れるからな。近場の宿で部屋を借りることにした」

「そんで、その場でヤったんですね?」

「金を惜しんだわけじゃない、本当にひと部屋しか空いていなかった。寝台がひとつだったのも偶然だ」

「でもヤったんでしょう?」

「幸い十分な広さがあったからな、添い寝することにした。ついでに暑かったら上は脱いだ」

「……またヤれなかったようで?」

「殺されるかと思った」

 

 もう何連敗目か分からない戦果報告に、御者は呆れたように息を吐く。別段親身な間柄でもなく、当初は小気味良くさえあったが、こうまで続くと同じ男として同情を禁じ得ない。

 死にたがりの騎士擬きと再会したのは数ヶ月前のことだ。旧聖都の災厄が落ち着きを見せた頃、聖都に避難していた自分も帰還者の移送に日夜追われることとなった。そんな折に、あの男は失ったはずの騎士装束を纏い、相方の聖女——例の騎士殺しと揃って姿を現したのだ。

 最初は化けて出たのかと驚愕し、次いで他人の空似を疑った。聖都で死ぬはずではなかったのか。よしんば死に損なったとしても、旧聖都の地獄を生き延びたのか。なくした右腕は生え変わったのか、右目はどうした、何より——あの腐りきった眼差しはどこへ消えて失せた。

 こちらの当惑を知ってか知らずか、男は相変わらずの鉄仮面を引っ提げたまま、しかしどこか上擦った声音で話し始める。騎士殺しと契りを交わしたこと、騎士に返り咲いたこと、右腕を取り戻したこと——男はもはや騎士擬きでも死にたがりでもなく、名実共に今を生きぬく騎士であった。面白くない。全くもって笑えない。

 何より癪に触ったのは、傍に佇む騎士殺しの勝ち誇ったようなニヤけ面だ。最期を看取らせてやったつもりが、逆に揺るぎない絆を結ばれてしまった。これでは単なる手助けだ。胸を鷲掴んだ醜聞を暴露したところで、今や負け犬の遠吠えに過ぎない。この女、全て見越した上で笑ってやがる。紛れもない同類の高笑いに腑が煮え返る思いだった。

 

「それで、今日は何処へ向かうんですかい?」

 

 それでも、レーベンと御者の腐れ縁は未だに続いていた。数少ない常連客であり、醜男の自分を優先して選ぶ変人である。無碍に扱えるわけもなく、「また世話になるな」などとさも当然のように言われ、すっかり毒気を抜かれてしまった。絆されているようで不愉快ではあったが、写銀器の返礼を兼ねていると己に言い聞かせた。

 

「傷心を癒せる場所を頼む。貴公なら色々と詳しいだろう。ひと仕事を終えたばかりで今なら金もある」

「前から気になってましたが、アンタはあっしを何だと思って——」

 

 とはいえ、やはり相方の騎士殺しは気に入らない。何とか一泡吹かせてやりたいと考えた矢先に、名案を閃いた。

 

「いいでしょう。とっておき場所がありやすよ。アンタの傷を癒せて、聖女サマとの関係も進められる理想の場所が」

「本当か?」

「娼館でさあ」

 

 思わず好奇から身を乗り出したレーベンに、御者は意地悪な笑みを浮かべる。

 

「アンタ、女を抱いた経験は?」

「失敬な。手を繋いだことくらいある」

「ないんですね?」

「この騎士レーベン、助けた村娘は数知れず、だ。何度か食事にも誘われた」

「ないんですね?」

「シスネとも……口付けは済ませた。このまま段階を踏めば彼女もいつかは——」

「ないんですね?」

「…………ない」

 

 でしょうね、と御者は言い放つ。

 常に戦地ばかりを行き先に告げ、武装と傷跡を増やし続けた死にたがりである。快楽に耽る暇があったとは到底思えず、騎士の報酬も大方武器やら弾薬やらに費やしてきたのだろう。

 

「そいつはいけねえ。寝屋でオンナを先導するのは野郎の役目ですぜ。聖女サマもさぞ不安だったに違いねえ」

「そ、そうなのか……」

 

 レーベンは無表情を崩さなかったが、業者は鉄仮面のひび割れを確かに聞いた。

 

「オンナは大変らしいですぜ。男と違って痛みを伴う、血も出る。下手くそが加減を間違えれば快感どころか拷問の如し、と」

「…………」

「アンタが手を出す前で幸いだった。今なら経験を積めますぜ。無知が祟って初の色事が台無しに、なんてあっしも流石に見過ごせねえ」

 

 何も嘘は言っていない。不安を煽りはしているが。

 黙り込んで葛藤するレーベンを尻目に、御者は最後の一押しを口にする。

 

「そもそも、聖女サマの方は初めてなんですかい? 非の打ち所のない名騎士の相方だったようですが……『前の殿方がよかった』なんて扱き下ろされちゃ目も当てられねえ」

「————っ、案内を頼む」

 

 してやったり、と御者は思わずほくそ笑む。

 確かに悪巧みをしたが、悪事に手を染めたわけではない。年頃の男が娼館に通うのはありふれたことでしかなく、むしろ経験を積んでこいと嫁の手で放り込まれる恐妻家もいる。男に純潔さを求めるなど筋違いも甚だしく、好色の騎士コルネイユとまではいかずとも、抱いた女の数は時として雄々しさに直結するのだ。

 だが、あの騎士殺しはどうだろうか。胸を掴ませまで懇願してみせた時の、藁にも縋るような顔を思い出す。

 

「心配はいらねえ。連中なら一から手ほどきしてくれやすので……アンタは何も考えず、ただ身を任せていればいい」

 

 確実に、傷つく。

 どこぞの馬の骨が己の所有物に唾をつけた、と理不尽な嫉妬に怒り狂うだろう。脳裏にありありと浮かぶ惨状に御者は一層笑みを深めた。

 斯くして、御者の細やかな奸計により、馬車は聖都に向けて走り出す。その計画は二点の見落としさえなければ概ね完璧だったといえよう。当の騎士殺しが時を同じくして聖都に滞在していたこと。何より、

 

 

 

 彼女が相方の騎士へと向ける感情は、同類たる御者を持ってしても推し量れないほど常識を逸脱しているのだ。

 

 

 



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エイビスの受難

「あの馬鹿いったい何なのよ! 寝屋に連れ込む、服は脱ぐ、添い寝する、『寝起きも可愛いな』なんて澄まし顔で言い出す! と思ったら『涎は拭いた方がいい』、挙句は『貴公の重さでは居住棟まで運べない』ときたわ! あれでも騎士なの⁉︎」

「分かった。よく分かったから一度落ち着け。周りの視線が痛い」

 

 愚痴とも惚気ともつかないことを喚き立てるシスネに、エイビスは思わず眉を顰めた。この酒場は行きつけの店なのだ。出入り禁止にされては堪らない。

 

『話を聞いて欲しいの。お願い』

 

 仕事上がりに呼び止められたのが数刻前。任務で聖都を訪れていたのか、相変わらず物騒な兵器を身に付けた聖女は相方の騎士を連れていなかった。

 契りを交わし終えた聖女が単身で行動することは稀である。そこはかとなく重苦しい空気も相まって、つい「何事か」と絆されたのが運の尽き——何のとことはない、毎度の痴話喧嘩であった。

 

「私も勘違いして手を出しちゃったけど、治るのなら別にいいでしょう⁉︎ 毎日振り回されてるんだから二、三発撃っても許されるはずよ‼︎ ねえ、聞いてる?」

「ああ、すまない。聖女キノノスのことを考えていた」

 

 酔っ払いの戯言を適当に聞き流し、エイビスは果実酒を喉奥に流し込む。思いのほか酒の進みが早い。なかなかの出費となりそうだが、飲まねばやっていられない。

 

『エイビスっ、今日こそ仲直りしてもらうから!』

 

 肉体言語を交わして以来、シスネはエイビスのもとへ足繁く通い、事あるごとに和解を試みた。「見張りの邪魔だ、話しかけるな」と邪険にあしらわれようものなら、「終わるまで待つから」と片隅で座り込みを始め、対話の門が開くのを粘り強く待った。結果、いつまでも居座られては迷惑だ、とエイビスが折れる形で場所を移すこととなった。以降、シスネはこうして不定期にエイビスと酒を酌み交わしている。

 半ば根負けした形に落ち着いてはいるが、エイビスにシスネを許したつもりはない。聞くだけ聞いてやると態度を軟化させたのは、陰で頭を下げ続けたレーベンの尽力によるところが大きかった。

 

『不躾を承知で頼む。どうか、また話を聞いてやってくれないか』

『彼女の友人は死に絶えた。歳の近い女にしか語れないこともあるだろう。俺一人では——どうにもならないんだ』

 

 そんな相方の献身を知る由もないのか、目の前の聖女はやれ「穢い」だの、「あの男は獣」だの、己が騎士への罵倒を繰り広げている。——今回は酒に呑まれた貴様が原因だろう。偶には我が身を省みろ。

 元々苛立ちを禁じ得ない相手なのだ。少しくらい諌めてやるか、とエイビスは語気を強めた。

 

「確かに添い寝は配慮に欠ける。だが酔い潰れたお前を介抱したのではないか。手まで上げるのは如何なものか」

「だって、寝起きにいきなり裸で迫られて……それに治すのは私なんだから、少しくらい傷をつけたって……」

 

 この女、人の心がないのか。酔いどれとはいえ恐ろしいことを口にする。

 

「貴様、契りを何だと思っている……そんなことでは遠からず愛想を尽かされかねないぞ?」

「大丈夫、レーベンに付き合える聖女は私しかいないから」

 

 聖性だって合わないでしょ、とシスネは勝ち誇ったように笑ってみせる。どこまでも自分本位を突き進む聖女に、エイビスは冷めた目線を向けた。

 

「ならば、聖女以外はどうだ?」

「兄には聖女以外の伴侶がいた。忘れたわけではあるまい」

 

 ピタリ、とシスネの高笑いが止む。

 

「聖女と騎士は恋人ではない、生死を共にするのは魔女狩りの間のみだ」

「自分こそ唯一無二だと浮かれているようだが、契りを結んで心まで通わせたつもりか?」

 

 酒瓶を片手に言葉を失うシスネに、苛立ち混じりに吐き捨てた。

 

「どうやら何も反省していないようだな」

「————っ」

 

 ……今のは言い過ぎたか。

 沈黙がその場を支配し、エイビスは堪らず舌打ちする。

 お前たちの関係は単なる契りに過ぎない、などと部外者が決めつけることではない。婚姻関係を結ぶ聖女と騎士だって存在するのだ。契りは戦友以上の意味を持たない、と誰が断言できるのか。

 シスネは俯き加減に押し黙っていたが、ゆっくりと鎌首をもたげ、

 

「ごめん、なさい」

「……言葉をかける相手が違うだろう」

 

 しおらしく酒を啜る様子に、エイビスは呆れ半分、安堵半分で答えた。

 この女は確かに歪んでいるが、あの曲者の騎士なら喜んで受け入れるのだろう。何より、二人してあの旧聖都の災厄を乗り越えているのだ。心を通わせていない筈がないではないか。——だからこそ、

 

「そもそも、まだ寝所を共にしていなかったのか。レーベン殿とは恋仲ではないのか? お前が腹を括れば済む話だろう」

 

 添い寝程度で大袈裟に騒ぐな、色事くらい早く済ませてしまえ、と暗に告げてやる。効果は抜群だったようで、シスネは派手に咽返り、赤みの差していた頬を限界まで紅潮させた。

 

「そっ、そんなことできるわけないじゃない! あなただって処女でしょう⁉︎」

「なっ——大声で何を言う! 私は関係ないだろう⁉︎」

「経験なら私の方が豊富だし、手だって繋いで……く、口付けも済ませたから! 羨ましいでしょ‼︎」

「貴様ァ! そこに直れ、この場で決着をつけてやるぞ‼︎」

 

 思わぬ飛び火がエイビスの堪忍袋へ着火し、戦いの火蓋が切られかけた矢先に、扉に吊るされた鈴の音が酒場への訪客を告げた。

 

「店主、麦酒を一杯たのむ。ついでに……おっと、そこにおいでになるのは聖女サマですかい? こいつあ奇遇だ」

「その節はどうも」

 

 入って来たのは人相の悪い醜男だった。エイビスの直感が「関わるな」と警鐘を鳴らしたが、隣の聖女は顔見知りなのか、態度を翻して和かな笑顔を浮かべている。——額に青筋を浮かべながら。よく見ると男も憎々しげに顔を引き攣らせていた。

 

「こちらの方は旧聖都の教会に勤める御者様です。レーベンがいつもお世話になりますね」

「あの騎士サマは上客なもんで。今後も末永くお付き合いさせていただきやすぜ」

「ふふふ——」

「ははは——」

「「はははははははははは」」

(何が可笑しい……)

 

 相方の変人騎士といい、この女、もしやまともな交友関係を築けないのか。面倒ごとを避けられない予感にエイビスは胃が重くなった。

 

「御二方とも仕事上がりですかい? あっしもたった今ひと仕事終えたばかりでしてね。一杯楽しもうってわけです」

 

 酒瓶を受け取った醜男は睨み合いを打ち切り、どこか上機嫌な様子で麦酒を呷る。含みのある言い回しだったが、その企みは即座に明かされた。

 

「憐れな騎士サマがいやしてね。意中の聖女サマに背かれること数知らず、この前はようやく寝屋まで連れ込んだと思えば、こっぴどく叩きのめされたとか。いやはや、本当に痛ましい」

 

 聞き覚えのある騎士の話だった。それはつい先刻、目の前の聖女から語り聞かされたばかりの——

 

「何とは言いやせんが、男って生き物は規則的に発散させる必要がありやしてね。あの騎士サマも相当溜め込んでいたようで——本人たっての希望で娼館へ送ってやりやした」

 

 途端にシスネが能面と化し、御者は楽しそうに唇を歪める。エイビスは状況を追いきれずにいたものの、レーベンが娼館に足を運んだらしいことは理解できた。

 実のところ、娼館に通い詰める騎士は決して少なくない。無論、禁止事項でもない。しかしエイビスにとっての騎士像とは、清廉潔白の権化たるレグルスである。娼婦の尻を追い回すなど唾棄すべき騎士の恥晒しであり、彼女はレーベンに失望を禁じ得なかった。次会ったら容赦なく喝を入れてやる、と怒りに肩を震わせた直後、

 

「色を好むは英雄の性、騎士サマも今頃お楽しみの最中でしょうよ。酒池肉林の宴で何人の女を手篭めにするのや「黙れ」

 

 店内の空気が豹変した。

 シスネの手の中で酒瓶が砕け散り、ビシャリ、と葡萄酒が床に赤黒い染みを生む。その眼差しからは一切の光が失われ、どこまでも昏く、暗く濁っていく。彼女の全身から溢れ出す怒気が、殺気が、狂気が、無言の圧力となり酒場を蹂躙し始める。

 最初に意識を手放したのは店主だった。無防備にも眼前でシスネの威圧に晒され、ひとたまりもなく床へ崩れ落ちる。次いで嘔吐する者、泡を吹く者、悲鳴を上げる者まで現れ始め、何だ何事だ、誰か騎士を呼べ、と瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図が誕生する。

 

「……あの男」

 

 抑えきれない激情が言葉となりシスネの口から吐露される。この場にいない騎士を指しているのは明白だったが、騒動の元凶たる御者は生きた心地がしなかった。麦酒で潤した喉はカラカラに干上り、全身から滝のように脂汗が流れ落ちる。失禁せずに済んだのは奇跡だろう。

 調子に乗った。

 お遊びが過ぎた。

 知らずのうちに虎の尾を踏み抜いていた。

 聖女の双眸がこちらを射抜き、ベルトから大型の短銃が抜き放たれた。隣で飲んでいた女騎士は既に昏倒している。恐怖に震える両足は言うことを聞かない。

 ころ、され——

 

 

 

「案内しなさい——今、すぐに‼︎」

 

 

 

 

 

 

 




「何が始まるんです?」
「あとがk……魔女狩りの時間です」



「魔女狩り聖女はハーメルンで生まれました。二次創作じゃありません、甲乙氏のオリジナルです。しばし遅れをとりましたが、今や巻き返しの時です」
「聖女は好きだ」
「聖女がお好き? けっこう。ではますます好きになりますよ。さぁさぁ、どうぞ。ヒロインのシスネレインです。可愛いでしょう? んああぁ、仰らないで。胸がまな板。でも巨乳なんて見かけだけで、夏は暑いし肩は凝るわ、すぐ垂れるわ、ろくなことはない。属性もたっぷりありますよ、どんな性癖の方でも大丈夫。どうぞ読んでみてください。いい性格でしょう? 男も顔負けだ、ヒロイン力が違いますよ」
「一番気に入ってるのは——」
「誰です?」
「カーリヤだ」
「わーっ、何を! わぁ、待って! 67話は読んじゃ駄目ですよ、待って! 止まれ! うわーっ!!」



「ノール村は無事だシスネ。少なくとも今の所はな。この先どうなるかは貴公次第だ。無事助けたければ俺に聖性をくれ。OK?」
「OK!(ズドン!)」



「くたばれこの魔女が! くたばれってんだよ‼︎」
「この手(薬物)に限る」



「聖性なんて必要ねぇ! ——ふへ、聖性にはもう用はねぇ! 聖女も必要ねぇや。ふへへ……誰が魔女なんか。魔女なんか怖かねぇ‼︎」




「今度余計な後書きを書くと口を縫い合わすぞ(自戒)」




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聖女は繰り返す

 土壇場である。

 背水の陣である。

 絶対絶命の窮地である。

 

「まったく、私としたことが迂闊でした。見境なく女をけがす獣を放し飼いにしてしまうとは。私を睨め回すだけでは飽き足らず、群衆にまで好色の目を向けるとは何事ですか」

 

 愛用の短銃を手先で弄びながら、白髪の聖女は詰問を開始する。半身の自由程度では手綱を握れませんか、これでは首輪を特注するほかないですね、などと冗談とも本気ともつかない呟きを耳にして、哀れな罪人——レーベンは居竦まるほかなかった。

 シスネの乱入から数刻後、文字通り首根を掴まれたレーベンは半裸のまま街中を引き摺り回され、彼女が押さえていた宿屋へと連行された。受付の女将はあまりの絵面に目を見開いたが、全身に覇気を纏う聖女のひと睨みで慌てて店の奥へと逃げ去った。あの時の重圧は騎士長にも匹敵していた。

 

「ええ、もちろんわかってはいましたよ。穢い穢いあなたのことです、いつの日か過ちを犯すことは火を見るよりも明らかでした。何とか言えばどうですか、騎士レーベン……いえ、この色情狂」

 

 「なんとか」などと言葉遊びを図れる状況ではない。彼女の自決銃は今にも火を吹く勢いであり、ともすれば「自害せよ、レーベン」などと命じられかねない。いつになく饒舌に捲し立てるシスネに、レーベンは平伏して許しを請う。

 

「誠に申し訳ない」

「その決まり文句は聞き飽きました。頭を下げるしか能がないのですね……謝り倒せば許されると思っていますか?」

「本当に反省している。もう二度と通わないことを誓う。信用がなければ有金を貴公に預けても構わない。だから——」

「勘弁して欲しいと? なくした信用を金で買うことがあなたの誠意ですか。どこまでも見下げ果てた雄ですね」

 

 怒りで我を忘れているのか、聞く耳をなくしたシスネには弁明が届く気配もない。まずい、とレーベンは冷や汗を滲ませる。機嫌を損ねたことは幾度となくあったが、話が通じないのは初めての経験だった。

 

「コルネイユが〝好色の騎士〞なら、あなたは〝女狂い〞といったところでしょうか。まったく、騎士と呼ぶことも嘆かわしい」

「すまない、俺はコルネイユよりジャック・ドゥの方が「は?」……誠に申し訳ない」

 

 いったい何が、彼女をここまで駆り立てるのか。娼館に足を運んだことが原因なのは間違いない。それほど許されないことだろうか。自分ならばどうだ。ない知恵を振り絞り、双方の立場を置き換えて考える。

 

(……怒られるだけで済むはずもないか)

 

 耐えられない、と断言できた。シスネが見知らぬ男に抱かれる姿など思い描くこともおぞましい。目の当たりにしたその日にはあらゆる食事が喉を通らないだろう。事ここに至って、レーベンはようやく己の軽挙を悟る。幾度となく馬鹿呼ばわりされ続けてなお、考え足らずを貫いてきた過去の自分を呪った。

 同時に、ふと思い至る。想像するだけで心を乱されるのは、レーベンがシスネを好いているが故のことだ。それならば、目の前で憤りを隠さずにいるシスネは。彼女はもしかすると——

 

 

 妬んでなど、いない。

 

(————穢い)

 

 初めからわかっていたことだった。

 恥も外聞もなく聖女の写銀を売り捌き、カーリヤの生脚ばかり追いかけていた男である。純朴さなど期待していなかったし、新たに弱みを握れるのは歓迎すべき事だ。シスネが失ったものは何もない。——そのはずなのに、娼婦と抱擁を交わすレーベンの姿が、瞼の裏に焼きついた光景がシスネをどこまでも苛立たせた。

 

(穢い……穢い……穢い、穢い穢い穢いっ‼︎)

 

 込み上げる衝動の命じるままに罵詈雑言を並び立てる。けだもの、不埒者、好色漢——苛立ちを罵倒に変えて吐き出したところで、胸の奥に燻る不快感は尽きることがなく、より一層シスネの苛立ちに拍車を掛ける。明らかに異常が起きていた。エイビスと飲み過ぎてしまったのか。

 

『レーベン殿とは恋仲ではないのか?』

 

 的外れな邪推だった。シスネはレーベンと恋人になった覚えなどない。一方的に告白されただけであり、シスネの答えはいつだって「嫌い」だ。見当違いも甚だしい。

 だから、私は妬んでなんかいない。悔しくない、羨ましくない、憎らしくない、忌々しくない。私は、私は、私は私は私は——

 

『そんなことでは遠からず愛想を尽かされかねないぞ?』

 

 怖かった? レーベンが心の支えを見つけることが。

 不安だった? 自分以外の誰かを宿木にすることが。

 ——違う、違う。違う違う違う!

 愛想を尽かしたのはシスネの方だ。レーベンは身体を許そうとしないシスネに辟易して、股の緩い娼婦へと乗り換えたのだ。好いた惚れたと口説いたくせに所詮は男ということだ。

 

『ならば、聖女以外はどうだ?』

 

 先程の娼婦は美しかった。記憶の中のカーリヤと比べても遜色のない、恵まれた美貌と肢体の麗女だった。全てにおいて、何もかも自分より優れた相手。シスネに諦めを強いる絶対的な存在。その姿はまるで——

 

 

 

 

レグルスには聖女以外の伴侶がいた』

 

 

 

 途端に猛烈な吐き気に襲われ、シスネは口元を抑えながら両膝をついた。手から短銃が滑り落ち、室内に乾いた音を響かせる。だめだ、これ以上考えてはいけない。酒が回って混乱している。

 いっそのこと酔い潰れてしまえば楽なのに、酒瓶はどこにも見当たらなくて——

 

『自分こそ唯一無二だと浮かれているようだが、契りを結んで心まで通わせたつもりか?』

 

 何を自惚れていたのだろう。片目と片腕を支配したくらいで、唯一の拠り所になれたと思い上がっていたのか。契りは単なる契約に過ぎなくて、親愛の証でもなければ、不変の絆でもない。誰よりも身に染みていたはずなのに、それを履き違えた愚かな聖女は——

 

 

 

『何も反省していないようだな』

 

 

 

 私は、また、繰り返すの?

 

 

 

「貴公、大丈夫か?」

 

 自分を覗き込む灰色の瞳と目が合った。腰に回された腕の温もりが心地よい。騎士の雄々しい腕に抱かれて、聖女は一心不乱に願った。

 願ってしました。このまま時が止まればよいと。

 祈ってしまった。いつまでも傍にいて欲しいと。

 望んでしまった。他の誰にも奪われないようにと。

 恐ろしかった。もう別れを告げられるのは嫌だった。誰かを見送るのは沢山だった。

 娼館通いなど序の口に過ぎない。いつの日かレーベンも伴侶を探し当て、シスネは友人として祝辞を送るのだろう。聖女と騎士は決して恋人ではなく、その物語はいつだって悲劇なのだから。

 一度目でシスネは狂ってしまった。レグルスとの別離で心身に異常をきたして、今なお完治には至っていない。二度目があれば、今度こそ生きていられないだろう。絶望を纏って魔女へと身を堕とし、嫉妬に狂ったシスネは再び騎士殺しを遂げる。聖女キノノスも顔を背ける悲恋の物語が誕生するのだ。

 

 そんなこと、私がさせないけれど。

 

「今日はもう休みたまえ。俺は——」

 

 気付けば上体を縛るベルトを外していた。大量の武器が床に散らばり、焼夷弾や炸裂弾までもが転げ出す。慌てふためくレーベンを尻目に、拘束を解かれたシスネは聖女の象徴たる装束に手を掛けた。自分の穢さを思い出したから。こんなに穢くて穢くて仕方のない女が、聖女であるはずがないのだから。

 独占欲、支配欲、征服欲——人として当たり前の心の穢れが、「自身は異常者だから」とシスネに暗示をかけた。まるで羊皮紙に垂らした墨液のように、じわじわと理性を侵食し、心を真っ黒に塗り潰す。

 離れていくなら、手放さなければいい。

 拒絶されるなら、求めさせればいい。

 ずっと傍にいたいのならば、一人で生きられなくしてやればいい。

 契りなどでは生ぬるい。新しい縛りが必要だった。そして、その方法をシスネは既に知っている。

 

 

 

『男って生き物は規則的に発散させる必要がありやしてね』

 

 

 

 それは契りを結ぶより遥かに確実で、

 

 

 

『お前が腹を括れば済む話だろう』

 

 

 

 とても簡単なことだった。

 

 

 



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偽りの魔性

「貴公、大丈夫か?」

 

 前触れなく膝から崩れ落ちたシスネをレーベンは颯爽と抱き留めた。葡萄酒の香りが鼻につく。つい先日ひと悶着あったばかりなのに、立て続けに泥酔するとは彼女らしくもない。

 この場が宿屋で幸いした。寝台は目と鼻の先にあり、片腕でも支えて寝かせられる。もちろん添い寝は慎むつもりだ。口惜しいが背に腹はかえられない。

 

「今日はもう休みたまえ。俺は逃げも隠れも、言い訳もしない。罰なら何でも受け入れよう。だから、この場は抑えてくれないだろうか」

 

 武器が邪魔だな、とベルトに手を伸ばすと、シスネは自ら留め具を外した。焼夷弾や炸裂弾が床に転がり落ち、レーベンは慌てて片付けにかかる。一歩間違えれば暴発しかねず、彼女が正気ならまず犯さないであろう危険行為だ。やはり酔っていたのか、と思った矢先に衣擦れの音が耳に届いた。釣られて振り返る。

 

「何を——」

 

 シスネは装束の上衣を纏っていなかった。袖のない肌着は首回りが大きく開いており、鎖骨から胸元までが露わになる。思わず息を呑んだレーベンを畳み掛けるように、彼女は肌着の裾を掴み、捲り上げて上体から脱ぎ去った。

 懲罰に立ち会えなかったレーベンは初めてシスネの裸身を目の当たりにする。淡雪のような肌に残る無残な裂傷。赤黒い斜線が純白の雪原を穢し、見るに堪えない痛々しさを放っている。——それが、何だというのだろうか。

 美しかった。それ以外の言葉は不要だった。骨抜きにされた女の裸体である。レーベンは呼吸を忘れて釘付けになった。嫋やかな双丘と、その頂で膨らむ桜色の蕾。心臓が早鐘を打ち始め、下半身は急速に熱を帯び——左の拳を血が滲むまで握った。今にも獣欲に溺れてしまいそうだった。

 

「ま、待ってくれ、湯浴みがしたいのか? ならば浴室まで付き添うから服を……」

 

 くつくつ、と喉の鳴る音がした。白い女が笑っている。自分の動揺する様を目の当たりにして、満足そうに、可笑しくて仕方がないと嘲笑している。清らかな聖女の姿ではない。レーベンは魔性の女を幻視した。

 シスネは蠱惑的な笑みを崩さないまま、乱暴にスカートを下ろして長靴と共に足から抜き去った。次いで長靴下も脱ぎ捨て、生白い脚を惜しみなく披露する。

 

「シスネ⁉︎」

 

 飾り気のない白い下穿きは白磁の肌と同化しており、一糸纏わぬも同然の姿が晒されている。即座に脱いで捨てられた上衣を掴んで、彼女の肩にかけていた。本能による無意識の行動だった。あと数秒でも遅れたら押し倒していただろう。

 安堵したのも束の間、動かない右腕を掴まれて、剥き出しの乳房に添えられた。びくり、とシスネが身体を震わせる。

 そのまま聖性が体内へ流れ込み、死んでいた右腕の感覚が蘇る。掌に伝わる鼓動、熱。ふくよかな肉感と、その先端で隆起する——

 

「————っ⁉︎」

 

 脳が現状を認識するよりも早く、自由を取り戻した右腕でシスネを押しのけた。理解が追いついてしまえば最後、自制できる自信は欠片もなかった。

 咄嗟の行動には力加減が伴わず、突き飛ばされたシスネは床に尻餅をついた。慌てて駆け寄り、屈み込んで目線を合わせる。シスネは明らかに錯乱していた。宥めるように両肩に手を置き、努めて平静を装い話しかける。

 

「すまない……俺は馬鹿だから、貴公の行動の意味はわからない。だが、どうか今は服を着てもらえないだろうか。俺に原因があるのなら後で何度でも詫び——」

 

 言葉を紡ぎ終える前に口を塞がれた。乾いた唇に潤った唇が重なる。口内には粘膜の触れ合う感触。おずおずと差し込まれた舌が口腔を弄り始め——ガチリ、と歯と歯がぶつかり合った。

 行幸だった。痛みのお陰で我に返り、理性を総動員してシスネを突き離す。交わされた唾液が銀色の糸を引き、薄紅の口唇を艶やかに濡らしていた。齧り付かずに済んだのは泣きそうな彼女と目があったからだ。

 愕然と自分を見上げる黒曜石には輝きが宿っておらず、絶望が色濃く浮かんでいた。先刻までの妖艶さは見る影もなく、今にも砕け散りそうで——

 

 

 

「私は抱けないんですか⁉︎」

 

 

 

 羞恥と屈辱に肩を震わせ、恐怖と不安を綯い交ぜにした顔で叫んでいた。魔性など、初めからどこにもいなかったのだ。

 

 

 視線が苦手だった。人前で肌を晒すなど以ての外であり、大浴場で湯浴みをする時は同性同士でも抵抗を禁じ得ない。そんな自分が見せしめの刑罰を耐えられたのは、唯一人、見られたい相手がいたおかげ。だから、今回もきっと耐えられる。今度こそ、彼に見てもらうために。

 

「何を——」

 

 感情を押し殺して肌着を脱いだ。灰色の瞳がシスネを射抜く。視線が腹部から胸元を彷徨い、乳房から乳頭までじっくりと睨め回される。体の火照りが治まらない。全身の血液が沸騰するような恥辱、そして僅かな優越感と高揚感。その興奮がシスネの暴走に拍車を掛ける。スカートから靴下までを脱ぎ去るのに時間は要さなかった。

 

「シスネ⁉︎」

 

 下穿きに手を掛けるよりも早く、脱ぎ捨てたはずの上衣を羽織らされる。どこまでも冷静な対応が癪に触った。シスネは死に物狂いで辱めに耐えているのに、なぜレーベンには気遣いを見せる余裕があるのか。

 思わずレーベンの右腕を掴み、躊躇なく胸に押し当てていた。性感帯を直に刺激されて、痛みとも快感ともつかない感覚に脳が震える。びくりと身体が痙攣した。

 大丈夫、胸を触らせるのはニ度目、絶対に耐えられる。歯を食いしばりながら聖性を練り上げ、一心不乱で注ぎ込む。動き出した掌が乳首に擦れてシスネの口から嬌声が漏れた。淫らな声だった。恥ずかしさのあまり死んでしまいたくなった。それでも、必要なことだから。これでもうレーベンはシスネから——

 

 え?

 

 気づけば床に崩れ落ちていた。数秒遅れて突き飛ばされた事実を理解する。それはレーベンからの拒絶の意思表示に他ならない。視界が暗転、答えの出ない疑問が渦を巻く。

 

 うそ?

 なんで?

 どうして?

 レーベンはシスネが好きなのに?

 レーベンはシスネに惚れているのに?

 レーベンはシスネがいないと動けないのに、戦えないのに、生きていけないはずなのに!

 どうして? どうして⁉︎ どうしてどうしてどうして——

 

「すまない……俺は——」

 

 最後まで耳を傾ける余裕はなかった。謝罪の言葉など聞きたくもなかった。目の前の悪夢を払拭するために、シスネは無我夢中でレーベンの唇を奪う。

 接吻も二度目。既に経験済みのはずなのに、この期に及んで羞恥心は薄れてくれなくて。恐る恐る舌を伸ばした矢先に互いの歯が衝突した。無様だった。心底呆れ果てたのかレーベンは再び離れてしまう。唇を結ぶ銀糸がプツリと切れた。シスネの中で何かが弾けた。

 

 

 

「私は抱けないんですか⁉︎」

 

 

 

 叫んだ。

 感情を爆発させた。

 激情を抑え切れなかった。

 

「言いましたよね! あなたの望むことなら、何でもすると‼︎  抱けばいいじゃないですか⁉︎」

 

 まただ。レーベンはいつもそうだ。

 シスネは本当に苦しくて苦しくて、苦しくて今にも狂ってしまいそうなのに。レーベンは己を見失うこともなく、嫌になるほどの純粋さを見せつけてくる。その度に、シスネは自分の穢さを自覚する。穢いのは自分だけなのだと劣等感に苛まれる。

 

「貧相で失望しましたか? こんな体には欲情できませんか⁉︎」

 

 胸元を指でなぞるようにして訴えた。もっとも、傷痕の有無など些事に過ぎない。  

 肉付きの悪い尻。膨らみの乏しい胸。枯れ枝も同然の手足。起伏のない童女のような体型。そのくせ感度は人一倍で、脇腹に触れられる程度ではしたなく奇声を上げてしまう。誰がこんな体に興奮を覚えるだろうか。——ならば、使い潰せばいい。

 

 

「使い道ならありますよ! どんな激しい色事にも耐えてみせます! 貴方の好みに穢して、嬲って——」

 

 強姦させればいい。

 陵辱させればいい。

 道を踏み外させればいい。

 あとは脅しを掛けて、負い目に付け込んで、二度と自分から離れないように縛り付けて——

 

 

 

 なんて、全部真っ赤な嘘。

 

 

 

「あなたのものにしてくださいよ‼︎」

 

 

 

 涙が零れた。ずっと押さえ付けていた感情が溢れ出した。

 本当は抱きしめて欲しかった。激しく口付けして欲しかった。処女を奪って、滅茶苦茶に犯して、自分のものだと高らかに叫んで欲しかった。

 それなのに。裸も傷痕も曝け出して、痴女のような真似までしてみせたのに。全てはシスネの空回り。失笑さえ買えない彼女は道化ですらない。

 頬を伝う雫を指で拭った。透き通っている。魔女にもなれない。それはまるで、お前には悲劇すらもったいないとシスネをなじっているようで

 あまりにも惨めで、恥ずかしくて、情けなくて。苦しくて苦しくて仕方がなくて。シスネは泣いた。もう消えてしまいたかった。

 

 

 

 



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白聖女と黒騎士

 シスネの涙が濁っていないことに安堵した。次いで途方もない後悔に襲われる。きっと、取り返しのつかない過ちを犯した。どうやって償えばいいのだろうか。

 

「貴公……」

 

 レーベンは戦うこと以外何も知らない。騎士になることだけを考えて生きてきたから。そのことに不安は感じなかったし、破綻者には似合の生き様だと割り切っていた。どのみち選択の余地など無かったのだから。——その結果がご覧の有り様だ。人並み程度の常識や教養が備わっていれば、レーベンが少しでもまともであろうと努めてさえいれば、きっとこんな結末は回避できた。

 馬鹿を貫き、騎士になりきり、目の前に敷かれた道だけを進むのは楽だった。そうして魔女狩りにかまけて何一つ顧みず、最愛の聖女の心を狂わせた。本当に、他の道は無かったのだろうか。数多の分岐点から目を背け、人として真っ当に生きることから逃げ続けていたのではないか。

 

『無知が祟って、初の色事が台無しに——』

 

 無知の対価を支払うことからも逃げた。色事を穢さないように、なんて言い訳に過ぎない。ただレグルスと比べられることが、シスネに失望されるのが怖かっただけだ。学べず終いだった色事の作法も、取り繕いたかった男の矜持も、シスネの涙を止めるのには何の役にも立たないのに。あまりにも己が滑稽だった。

 

「誠に……申し訳ない……」

 

 聞き飽きたと言われたばかりなのに、レーベンには馬鹿の一つ覚えしかできなくて。薬物に汚染された脳味噌からは気の利いた言葉ひとつ浮かんで来ない。だから、咽び泣くシスネをそっと抱き締めた。旧聖都の災厄に幕が引かれた時に、彼女がそうしてくれたように。不幸中の幸いかシスネは抵抗しなかった。

 華奢な体だった。今にも折れてしまいそうだった。「シスネも自分を好いているのでは」などと淡い期待さえ抱いていた己に嫌気が差す。あれだけの苦難を共にしてなお、レーベンはシスネのことを何もわかっていなかったのだ。白状すれば、今この瞬間もわからずにいる。

 このまま謝り倒すのか? ——駄目だ。その場凌ぎでは元の関係に戻れない。

 それならなだすかすのか? ——無理だ。己には知識も経験も備わっていない。

 いっそのこと抱いてしまうか? ——論外だ。性欲が満たされるだけの結果に終わる。

 決断を強いられるたびに「馬鹿だから」と開き直り、強化剤に手を伸ばしていたツケが回ってきた。相手は魔女ではなく人間、それも愛する女である。思考を放棄することは許されない。時間も待ってくれない。正念場を迎え撃つには何もかもが足りていなかった。そんな状態のレーベンにも、たった一つだけ、わかることがあった。——他ならぬ彼自身の心だ。

 

「俺は、ずっと貴公に心を奪われている。貴公が——シスネが、好きだ」

 

 腕の中でシスネが身を強張らせるのを感じた。

 あまりにも場違いで、身勝手な告白だ。どの口が愛を囁くのかと呆れられることだろう。それでも、馬鹿である己が唯一断言できる真実だから。金輪際揺らぐことのないレーベンの本心だったから。みっともなく弁明や釈明に走るより、それだけは伝えておきたかった。

 嗚咽を漏らしていたシスネが顔を上げる。涙で潤んだ黒い瞳には様々な感情が渦巻き揺らいでいた。彼女は無言のままじっとレーベンを見ており、続きを促しているようだった。こうなれば、後は素直に白状する他ない。覚悟を決めて重い口を開く。

 

「娼館に通うのは今日が初めてだ。それも貴公のおかげで未遂で済んだ。誰にも手を出していない」

「貴公にはずっと黙っていたが、俺は——」

 

 

 

「童貞というやつなんだ」

 

 

 

 …………

 

 

 

 気まずい沈黙が場を支配する。シスネは唖然とした表情を浮かべており、レーベンは途端に居心地が悪くなった。

 順を追って説明するつもりが、もしや己はこの土壇場で言葉選びを間違えたのだろうか。得も言えぬ雰囲気まで漂い始め、レーベンは脳裏で今は亡き親友ライアーに助けを求めた。

 

「あぁ、その、なんだ」

「貴公に愛想を尽かされたくなかった」

「だから、隠れて経験を積むつもりだった」

 

 嘘偽りなく事実を述べるつもりが、尻窄みの言い訳のようになってしまった。シスネは俯き加減に肩を震わせている。どうやら本気で怒らせたようだ。これは平手打ちでは済まないな、とレーベンが身構えた直後だった。

 

「この馬鹿は、本当に……ふ、ふふふふっ」

「ふっ——く、ふふっ、あ、はははははっ」

 

 シスネが堰を切ったように笑い出した。いつもの冷笑や嘲笑ではない。体を折り曲げ、腹を抱え、顔を綻ばせて大爆笑している。

 

「何を言い出すかと思えば……くっ、『俺は童貞だ』なんて……ふっ、はっ、あははは、ははははは——」

 

 よほど笑壺に入ったのか、シスネはいつまでも笑うのを止めようとしない。目に涙まで浮かべて大笑いしている。しかも笑い方に全く可愛げがない。当初は呆然と立ち尽くしていたレーベンだったが、次第に沸々と苛立ちが募り始めた。

 

「貴公、元気になって何よりだが、話を聞いてもらえないだろうか」

「ふっ、ふひ、ひひ……ふっ、ふふふ——」

「もういいだろう。そろそろ笑うのは止めにして話を——」

「あははははははっ、はあっ、ははは……」

「いい加減にしたまえ」

「ぎにゃぁぁぁぁ!!」

 

 無防備に晒された弱点、素肌の脇腹を力強く揉んでやる。シスネはありったけの空気と悲鳴と吐き尽くして、ようやく馬鹿笑いを止めた。

 

「笑い過ぎだろう。俺も人並みには傷つくぞ」

「はっ、はぁっ……見苦しい姿を、見せしました……ですが、謝りませんよ」

「ああ、そうだ。俺が先に貴公を傷つけたんだ。誠に申し訳なかった」

「結局それですか……許すのは今回が最後ですよ。次までに新しい定常句を用意しておいてください」

 

 一時はどうなることかと思われたが、ようやく事態の収拾がついてレーベンは安堵の息を吐く。結局、男の矜持を保つどころか尊厳まで失ってしまった。しばらくはシスネに頭が上がらないし、今回の失態を盾に取られて弄ばれるに違いない。もう娼館など懲り懲りだ、とレーベンは内心で独り言つ。

 

「もっとも、また娼館に足を運ぶようなら次はありませんが」

「二度と通わない。貴公を随分と不安にさせてしまったな」

「……別に、私は不安になどなっていませんが?」

「なあ貴公、それは無理があると思うのだが」

「——っ不安になっていたのはあなたでしょう! いったい何を恐れていたんですか?」

 

 そっくりそのまま尋ね返したかったが、流石にレーベンも空気を読んだ。

 さっきまで笑っていたのに今度は怒り始め、喜怒哀楽が目まぐるしい。この聖女、情緒不安定にも程がある。レーベンにシスネの気持ちがわからないのは、彼女に原因があるのではないだろうか。

 

「官能書籍くらいしか嗜んでいなかったからな。本番で貴公に失望されたくなかった」

「あなたは色事の他に気にすることがあるでしょう。私を寝屋狂いとでも思っているのですか? これでも聖女の端くれですよ」

 

 聖女の端くれなら身体を投げ売るような真似は慎んで欲しい。というより、シスネは先程から自身が裸同然なのを忘れているのではないだろうか。スカートから足を覗かせるどころではない、下履き一枚に上衣を羽織っただけの姿は女騎士ヴァローナも顔負けである。

 レーベンは何としてでも記憶に残したかったが、下心を見抜かれれば命はないだろう。これが見納めにならないことを女神に祈りながら、泣く泣く視線を彷徨わせるのだった。

 

「私も表向きは潔癖な聖女で通っていましたからね。ふしだらと思われるのは心外です」

「なんだ、ということは貴公も処じ——」

「殴りますよっ」

「手を上げる前に警告してもらえないだろうか」

「女性に経験の有無を問うなど正気ですか⁉︎ 撃たなかっただけ感謝してください‼︎」

 

 人のことは気が済むまで笑い倒しておいて、自分の番になるとこれである。レーベンは腫れ上がった頬を抑えながら世の不条理を嘆くほかなかった。

 

「そもそも皮算用が過ぎるのでは? 私はあなたと恋仲になった覚えすらないのですが。色事の心配など……一年、早いです」

 

 一年でいいのか?と言いそうなったが、激昂されることは目に見えているので自重する。代わりに、自重し切れなかった想いが、ずっと内に秘め続けていた願いが無意識に口から漏れ出した。

 

 

 

「ならば、恋仲にならないか?」

 

 

 

 シスネが思わず息を呑んだ。驚愕に見開かれた黒い瞳は、レーベンに本気なのかと問いかけている。

 聖女と騎士には常に死別がつきまとう。その苦しみは親しみに比例して増大し、生き残った聖女を後追いへと導くことも少なくない。最悪、破戒魔女と化す恐れもある。聖女と騎士の恋愛が表立って容認されない所以だった。

 レーベンとて百も承知だが、それはシスネに二度目の死別を強いることと同義である。当人からは「そんなことはさせない」と一笑に付されたし、勿論レーベンも簡単に死んでやるつもりはない。それでも、真にシスネを思い遣るのであれば、今以上の関係は望むべきではない。——だから、これはレーベンの我儘だ。

 

「俺と、恋仲になってはくれないだろうか」

 

 初めて出会った日のように、シスネを真っ直ぐ見つめながら切り出した。漆黒の瞳が再び揺らぐ。彼女の頬を伝う一筋の涙は悲しみ故か、あるいは喜びだろうか。

 後者であることを切に願いながら、レーベンはじっと返事を待った。シスネが口を開くまでに数秒も掛からなかったが、無限に等しい時間を体感していた。

 

「もう一度、言っていただけますか?」

 

 「何を」とは言われなかったが、レーベンとて察せないほど愚かではない。今度こそ、本当の正念場だった。もう、言葉を間違えない。

 

「シスネが好きだ。——誰よりも、愛している」

 

 その時のシスネの表情をレーベンは生涯忘れないだろう。美しい、などという平凡な褒め言葉では形容できない。美の頂点として語り継がれる聖女シーニュの再来——否、名の無い女神の体現だった。直に触れることさえ躊躇われたが、レーベンは恐る恐るシスネの頬に手を添える。彼女の白い手がそっと重なった瞬間、否応なく悟ってしまった。——己はもう、シスネがいなければ生きていけないだろう。

 

「返事を、聞かせてくれないだろうか」

 

 一刻も早く声が聞きたかった。笑顔が見たかった。白銀の髪が、黒曜の瞳が、シスネの全てが恋しかった。愛おしかった。右目と右腕を抑えられたどころではない。レーベンの心は既にシスネの虜だった。

 そんな必死の懇願が伝わったのだろうか。シスネは涙の滲んだ双眸を細め、輝くような笑顔をレーベンに向けて、

 

 

 

「もちろん、お断りです」

 

 

 

 …………?

 

 

 

 ——⁉︎ …………?……⁇

 

 

 

「すまない、緊張のあまり正しく聞き取れなかったようだ」

「お断りします」

 

 二度目は即答だった。耳を疑う余地すら与えられなかった。狼狽えるレーベンを愉しげに見つめるシスネが、女神の仮面を外して嘲笑する天邪鬼が、これは現実だと無慈悲に告げている。レーベンは二度目の失恋を迎えた。一世一代の告白を完膚なきまでに粉砕されたのだ。

 

 いや、おかしいだろう。

 

「……貴公、あんまりではないか? 俺なりに精一杯やったつもりなんだが」

「元を辿れば元凶はあなたでしょう。これだけのことをしでかしておいて、受け入れられるとでも思ったのですか?」

 

 流石のレーベンもこれは堪えた。ガックリと肩を落として項垂うなだれる。何かの間違いであって欲しかったが、輝きを取り戻したシスネの瞳は揺らがない自信に満ちていた。恥じらいや動揺は微塵も感じられない。対するレーベンはその場にくずおれそうだった。

 

「その、なんだ。俺でも不安になることはあるんだが」

「はい? つい先程も聞きましたが……」

 

 それが何か?と言わんばかりにシスネは大袈裟に首を傾げている。——この聖女おんな、明らかに愉しんでいる。やはり彼女が立ち直る前に抱いてしまうべきだったのか。今更になって逃した魚の大きさが悔やまれる。

 つい先刻の、神々しさすら感じさせた聖女の面影はどこにも残っていない。すっかりいつもの調子を取り戻したシスネに、レーベンは……。

 

 ——元気になって何よりか。

 

 毎度の如く、惚れた弱みということにして締め括るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、そんなに、不安だというのなら」

 

 いつもの通りなら、これで物語は幕引きを迎えていただろう。

 

「私が……聖女として、正しく……」

 

 空振りに終わったかと思われたレーベンの告白が異例の事態を引き起こした。一貫してレーベンを「嫌い」と言い張り、まともな距離の詰め方を心得ないシスネが、自ら歩み寄る姿勢を見せたのだ。

 シスネは羞恥を噛み殺してレーベンを見つめ、鍛えられた胸板に辿々しく身を寄せて、

 

「操を立てていたのか——確かめてみては、いかがでしょうか?」

 

 盛大に挑発の匙加減を誤った。不慣れな真似に勇み足で踏み切った結果、一足飛びで一線を越えてしまったのだ。シスネの肩から羽織っていた上衣がずり落ち、数秒遅れて彼女はようやく自身の格好を思い出す。

 裸の女が胸を押し当て、己が処女か確かめてはどうだと誘っているのだ。もはや痴女の真似事では済まない。正真正銘、痴女そのものである。

 

「な、なんて言うとでも思いましたか? まさか本気になっていませんよね」

 

 慌てて失言を誤魔化そうとした時にはレーベンに拘束されていた。背中に回された両腕は万力のようにシスネを締め付け、逃げようともがいたところでびくともしない。

 レーベンに力を加減する余裕はなかった。強化剤の原液を一度に数本打ち込まれたような感覚だった。思考回路が焼き切れ、全身は炎のように燃え上がり、男性器がはち切れんばかりに屹立きつりつする。下穿き越しに伝わる力強い躍動にシスネは思わず身震いした。

 

「あのっ、先程から当たっているのですが……」

「先に謝らせてもらう。誠に申し訳ない。だが、今のは貴公が悪い。以上だ」

「待ってください、何を大きくしているんですか⁉︎ む、無理ですこんなの! 放しなさい——放してっ‼︎」

 

 あれだけ抱いてみせろと焚き付けられた手前、引き下がるようでは男が廃るというものだ。レーベンとて健全な男児である。二度も据え膳を見逃すほど腑抜けてはいない。——それでも、これ以上シスネを傷つけたくないから。例え照れ隠しだとしても、シスネが拒否するならレーベンは従うほかないのだから。

 

「……本当に嫌なら、どうか今すぐ聖性を解いてくれないだろうか」

 

 それがレーベンにできる精一杯の譲歩だった。

 

「俺はもう、貴公を放せない。——手放したくないんだ」

 

 腕の中で暴れていたシスネの抵抗が止んだ。「本当にずるい」と蚊の鳴くような声がする。顔を赤くしてはにかみを見せるシスネに「ずるいのは貴公だ」と嘆きたくなった。

 命懸けで昂りを抑えていたのに、俯き加減に恥らう仕草など見せつけられたのだ。ついに理性の堤防に亀裂が走り、力づくで組み伏せようとした刹那——視界からシスネの姿が消えた。否、視界そのものが半分消失した。

 

「そう、か……」

 

 聖性の流れが止まったのだ。レーベンは冷や水を浴びせられた心地だったが、おかげで冷静さを取り戻した。

 傷つけないと誓った矢先に、危うく実力行使に訴えるところだった。シスネが止めなければきっと滅茶苦茶に犯していただろう。だから、これでよかったのだ。そう言い聞かせないとやり切れなかった。

 右腕からも力が抜け落ち、胸板に凭れていたシスネの温もりが消える。それでも、剛直した竿は一向に萎える気配がなく、これはどう処理したものか、などと自嘲気味に考えた時だった。

 

「——レーベンっ」

 

 いきなり右目の死角からシスネが飛び込んできた。不意打ちも同然に体当たりを受け、二人でもつれるように寝台へなだれ込む。レーベンが仰向けから起き上がるより早く、シスネは胴体に馬乗りになり、視界を独占するように目一杯顔を近づけた。

 

「簡単に身体を許すとでも思いましたか?」

 

 顔を真っ赤に染め上げて、悪戯っぽく口の端を吊り上げて、

 

「あなたに許すのは——半分だけです!」

 

 それで十分でしょう?なんて言いながら、勝ち誇ったように微笑んで見せるものだから。レーベンも釣られて笑った。声を上げて笑った。長らく外し方を見失っていた鉄画面まで、気づけばシスネに取り払われてしまった。

 

 降参だ。とんでもない聖女おんなに惚れてしまった。

 

 白い細首に左腕を絡めて、三度目はレーベンから唇を重ねた。シスネはそっと目を閉じて、のし掛かるように身体を預けてくる。口吸いの心地に酔い痴れながら、レーベンは将来に思いを馳せた。

 自分はきっと、生涯に渡り彼女の尻に敷かれ続けるのだろう。そう確信できたが、悪くないと心の何処で受け入れている。もう手遅れだ。治療の施しようがない。だから、これはきっと——

 

 

 

「まったく、なんて——悲劇だ」

 

 

 

 聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わる。

 

 

 




続き(R18)はこちらへ。読み飛ばしても問題ありません。
https://syosetu.org/novel/292686/1.html


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エイビスの受難は続く

「昨日は本当にごめんね。今日はこの馬鹿が奢るから何でも頼んで」

「シスネが随分と迷惑をかけたようだな。俺からも謝らせてもらおう」

「元凶のくせに何様のつもりですか? あと二時間ほどそのままで反省してもらいましょうか」

「全部俺のせいだ。誠に申し訳ない」

 

 仕事上がりを見計らったようにシスネが現れ、既視感を禁じ得ないやり取りを交わしたのが数刻前。二日も続けて飲むのは如何なものかとエイビスは難色を示したのだが、昨日のお詫びがしたいと懇願するシスネと、何より変わり果てた姿で頭を下げるレーベンの様相に押し切られてしまったのだった。

 

「では果実酒を一杯……あとレーベン殿の顔を治してやれ。痛々しくて見るに耐えん」

「ごめんなさい。馬鹿面のせいでお酒が不味くなるよね」

「見るに耐えない馬鹿面で申し訳ない」

 

 大方シスネを怒らせて仕置きでも受けたのだろうが、その痕跡は目も当てられないものだった。レーベンは両頬に真っ赤な紅葉腫れを咲かせており、瞼の周りには青痣が浮かんでいた。鼻は不自然なほどに折れ曲がり、口から覗く歯は数本欠けている。側頭部のこぶは殴られた跡だろうか。よく見ると顎も若干ずれているようだ。

 惨憺たる有り様だったが、シスネがレーベンの頬に手を添えると、瞬く間に腫れや痣が引いて見知った顔立ちへと戻っていく。シスネとレーベンは聖性の相性が極めてよく、四肢の欠損さえ取り戻して見せたのだ。折れた鼻や顎を治す程度は朝飯前なのだろう。——だからといって、痴話喧嘩で骨格を歪めるなど正気の沙汰とは思えない。

 レーベンは当然のように治癒を受け入れているが、これ程の体罰も茶飯事に過ぎないのだろうか。あるいは、この騎士には被虐癖でも備わっているというのか。常軌を逸したやり取りを平然と見せつける二人にエイビスは思わず身震いした。

 

「そもそもいたずらに聖性を使うなと言ったばかりだろう。私の話を聞いていたのか?」

「すまない、この体は聖性がないと満足に動かせなくてな。シスネはそれに付け込んで好き放題しているが、あまり責めないでやってくれ」

「あなたはどちらの味方なんですか。擁護してくれるのなら真面目にやってください」

 

 とはいえ、かくいうエイビス自身も昨晩の記憶が曖昧だった。彼女はいつの間にか意識を失っており、目を覚ますとシスネは酒代と書き置きを残して立ち去っていたのだ。

 酔い潰れていた割には気怠さや吐き気を感じなかったが、エイビスは記憶を遡ろうとするたびに激しい頭痛に襲われた。何か恐ろしい光景でも目の当たりにして、脳が呼び覚ますことを拒否しているかのようだった。いったい昨晩に何が起きていたのか、エイビスは首を傾げるばかりだった。

 確か、この女が戯けたことを言い始めて、ケリをつけようとしたところに顔見知りらしい胡散臭い男が——

 

「——そうだ。レーベン殿、貴殿には失望したぞ!」

 

 思い出した途端に怒りが込み上げ、エイビスは酒杯で乱暴に机を叩く。

 

「聞けば隠れて娼館に通い詰めていたそうではないか。騎士たるものが色事に現を抜かすとは何事か!」

「その節は誠に申し訳ない。もう二度と通わないことをシスネにも誓った」

「当然だな。恋人を差し置いて娼婦に手を出すなど人として許されざる愚行だ。浮気に走るくらいならその女を寝屋に連れ込む方がマシというものではないか?」

「エイビス、私たちはまだ恋仲じゃないし、そのことはもう大丈夫だから……」

 

 彼女は勢いよく詰め寄るあまり、シスネが気まずそうに顔を引き攣らせたことに気がつかなかった。そんなエイビスの機嫌を伺うように、レーベンは差し出された酒杯に果実酒を注いでやりながら、

 

「心配ない。それなら昨晩に済ませた」

 

 ……

 

「そうか。ならば問題は——」

 

 ……?

 

 どこか自慢げに酒瓶を傾けるレーベンに対して、シスネは何も聞いてくれるなと言わんばかりに伏し見がちのまま黙り込んでいる。その顔色は伺えなかったが、横髪から飛び出した耳は赤く染まっており、装束の襟から覗く首筋にも虫刺されのような赤い斑点が——

 

 ……この女、まさか。

 

「貴殿、昨晩に何を?」

「シスネと寝所を共にしていた」

 

 直後、シスネの鉄拳がレーベンの頬に突き刺さる。そのまま振りぬかれた拳の勢いに吞まれ、レーベンの体躯は宙を舞い椅子から転げ落ちた。その手から離れた酒瓶が派手な音を立てて砕け散り、店内から好奇の視線が殺到する。

 

「貴公、最近容赦がなくなっていないか? 治るとはいえ痛いものは痛いのだが」

「こ……こ、の馬鹿は……いったい何を言い出すのよ!!」

「? エイビス殿に事情を説明するのではなかったのか」

「そこは話さなくてもいいでしょう! いちいち言わないとわからないの? 馬鹿なの!?」

 

 怒りと羞恥で己を見失ったのか、シスネは口調を取り繕いもせずレーベンに掴みかかる。そのまま取っ組み合いの乳繰り合いを繰り広げ始め、酔っ払いの野次馬共が「何だ、喧嘩か?」「いいぞ聖女様! もっとやれ!」などと囃し立てる。最高潮の盛り上がりを見せる酒場の空気に反して、特等席から二人を眺めていたエイビスは心底白け切っていた。

 確かに(面倒臭いから)さっさと抱かれてこいと突き放しはしたが、まさかその日の晩に実行してみせるとは。この聖女、とんでもない尻軽女ではないか。

 

「あなたはいい加減に常識を覚えなさい! 恥知らずにも程があるでしょう……さっきから何がおかしいの?」

「あぁ、その、貴公は怒るとそのような喋り方になるんだな」

 

 素の口調のまま怒り狂うシスネを他所に、レーベンは「新鮮だ」などと独り言ちる。この変人騎士も懲りないな、とエイビスは呆れながら酒杯に口を付け、

 

「はあ? こんな時に何を——」

「もっと罵ってくれないか?」

 

 盛大に咽せた。何度も咳き込みながら気管に入った果実酒を吐き出した。

 この男、前から変わり者だと思ってはいたが——馬鹿だ。本物の馬鹿がここにいた。なるほど、この女以外の騎士が務まるはずもない。聖女が聖女なら騎士も騎士だ。

 

「そんなにお望みなら何度でも言ってやりますよ、この馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿っ! ばーかっ‼︎」

「待ってくれ、何故そこで口調を戻すんだ?」

「あなたが喜んでしまうからでしょうが! 以前まえから思っていましたが、あなた、絶対に被虐嗜好ですよね? 変態ですよね⁉︎」

「いや、俺は攻められるより貴公を愛でる方が「は?」……性癖が歪んでいて申し訳ない」

 

 さっきから自分は何を見せつけられているんだろうか。兄の仇の乳繰り合いなど酒の肴にもなりはしないというのに。

 

「本当にあなたという人は、いつもいつも私の言うことは聞かずに余計なことばかり……昨日だって、あ、あんなに何度も無理やり……」

「すまない、だが昨晩は途中から貴公が——」

「~~~~っ忘れなさいと言いましたよね!? まだ記憶が飛ばないようなら手伝ってあげましょうか!!」

 

 取り返しのつかない醜態でも晒してしまったのか、シスネは馬乗りになってレーベンの口に酒瓶を突っ込み記憶の消却を試みている。酒場で乱痴気騒ぎを巻き起こす姿には清貧さなど欠片も伺えない。

 「白い髪の聖女は良い聖女」などいったい誰が言い出したのか。とんだまやかしではないか。この女が聖女の象徴など勘違いも甚だしい。エイビスは幼い日の思い出が崩れ落ちる音を確かに聞いた。

 

「辛いですか? 苦しいですか? 下戸のあなたにはちょうど良い仕置きですよ」

「薬をやめて随分経ちますからね。多少飲んだところで死にはしません」

「ああ、吐くなら横を向いてください。ついでに頭の中身まで全部空にしてください」

「あっはっはっは、ははははは——」

 

 狂喜乱舞するシスネの姿は、かつて憧憬の念を抱いた理想の聖女とは似ても似つかなくて——エイビスは考えることをやめた。

 もう疲れた。自分も好き勝手に振る舞うことにしよう。どうせ他人の奢りなのだ、贅沢をしても懐は痛まない。

 

「店主、この店で1番高い酒を頼む」

 

 記憶の中の白い聖女に別れを告げながら、エイビスは目一杯やけ酒に走るのだった。

 

 

 

 

 それが非常に不味かった。

 シスネの暴走による被害は暴れ回った酒場に留まらず、あちこち破壊された娼館にも及んでおり、二人の貯金を合わせても支払い切れる額ではなかったのだ。結局、半額以上を負担する羽目になり、揃って注意人物の烙印を押されたエイビスは二度とシスネとは飲まないことを誓った。




 これにてひとまずの完結となります。
 一次創作の二次創作という特殊なジャンルでの執筆となりましたが、最後まで読んでいただき、感想やお気に入り登録、評価までくださった方々、誠にありがとうございます。
何より「魔女狩り聖女」という名作を投稿され、主人公とヒロインの恋愛、それも告白という局面の執筆許可を下さった甲乙様に感謝いたします。

 他にも書きたいネタはいくつかあるので、アンケートを設置してみました。リアルの都合により次話の投稿はしばらく先になると思いますが、その際にはまたお付き合いいただけましたら幸いです。

追記
 甲乙様に許可をいただき、レーベンとシスネのイラストを描かせていただきました。二次創作といい、色々と自由に描かせていただきありがとうございます。
レーベン
【挿絵表示】

シスネ
【挿絵表示】



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お知らせ
アンケート結果と次話投稿


いつも稚作をお読みいただき誠にありがとうございます。

アンケートの結果は以下の通りとなりました(2022/7/16時点)

 

・レーベンとシスネのその後(今作の続き):16 / 34%

・レーベンとシスネの初体験(R18)    :19 / 40%

・ライアーとカーリヤの救済if     :8 / 17%

・アンケートの回答だけ見る      :4 / 9%

 

開始直後から「その後」と「初体験」が拮抗していましたが、基本的に「初体験」が僅差で上回っておりましたので、今回は「レーベンとシスネの初体験(R18)」を投稿させていただきました。小話①の「白聖女と黒騎士」直後のお話になります。

R18のため、以下の通り別作品として投稿しましたので、お手数ですが別途お気に入り登録等いただけましたら幸いです(今後はお知らせは投稿せず、随時R18を更新いたします)。

 

 

 

【R18二次】白聖女と黒騎士【魔女狩り聖女】

https://syosetu.org/novel/292686/

・主人公とヒロインのイチャイチャ、セックス描写を含みます。

 

 

 

元々稚作の執筆に至ったのも、私が魔女狩り聖女の感想にて「二人の初夜が気になる」と(恥知らずにも程がある)感想を書いたところ、甲乙様より「書いてもOK」と返信をいただいたのがきっかけになります。主人公とヒロインの初体験という告白以上に重要な局面を書かせていただき、誠にありがとうごさいます。

R18の執筆がひと段落ついたら小話の方も更新することを考えておりますので、引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

 

 

 

以下、文字数稼ぎに非R18の冒頭部分のみ掲載。

————————————————————————————————————————————

 

『だいっ嫌いです......あなたなんか————っ 』

 

 一度目は血を分け与えるように。

 

『私は抱けないんですか⁉︎』

 

 二度目は想いをぶつけるように。

 

『あなたに許すのは——半分だけです!』

 

 三度目は互いに愛を交わすように。

 

◆ ◇

 

 密室に唇の触れ合う音が響く。初めは数秒の口付けに過ぎなかったが、二回、三回と繰り返すに連れて、より深く、もっと熱くと互いを求め合う。レーベンは左手をシスネの頭に回して一際強く唇を押しつけた。絹糸のような髪の撫で心地を堪能しながら、彼女の唇を存分に味わう。

 

「レーベ……んっ」

 

 シスネが呼吸を求めて身を引くと、レーベンは少し間を置いてすぐに吸い付いた。息衝く時間さえ惜しかった。何度唇を重ねても飽きる微候はなく、男の獣心がその先を促してくる。

 




続きはこちらへ
https://syosetu.org/novel/292686/1.html


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