【プリコネ二次創作】クロエ勤労日誌番外/森の虜囚とエルフの小夜曲 (神田徳一郎)
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1話 穏やかな一時と、森のしじまを破るもの

※一部それっぽい名称でごまかしているところがあります。
 騎士くんが働いてる配達屋の名称・騎士くんからのリンちゃんの呼称、どこかに出てましたっけ……。
 判明次第訂正します。

※女の子のファッションがさっぱりわかりません。誰か教えてください……。


 穏やかな風が草原を吹き過ぎる。

 薄い雲が赤く染まり出していた。

 「リンリーン、ちゃんと働いてけろー!!」と叫ぶ声が奥の方から聞こえて来た。

 

(またサボってンのか、あの子……)

 

 長い金髪をツインテールに結わえたエルフ族の少女――クロエはバイト……有償ボランティアから帰る道すがら、【牧場(エリザベスパーク)】を訪ねていた。

 黒いシャツに灰色の薄い上着を羽織り、ベージュの綿製のズボンを穿いている。有償ボランティアをしていることが学院にバレるとまずいので、仕事のある時は地味な恰好で移動するようにしていた。

 【牧場】ではたまに仕事を募集することがあり、クロエは何度か働いてみたことがあった。温泉のリネンを洗濯したり、牧草を巻き転がしたり……あと謎の顔ハメ看板を磨いたりもした。知り合いの男子によるとここの温泉を掘り当てた人間が作ったものらしいが、ああいう自己顕示欲は理解に苦しむ。

 ともかく、ルピのもらいは少ないものの、おまけで牛乳やチーズも支給してくれるので家族が喜ぶ。単純ながら結構楽しい労働ができる場所だとクロエは思っていた。

 

 とはいえ、今日【牧場】に来たのはそのためではない。

 

「ちゃーす。シオリ、元気してる?」

 

 ベッドで小さくなっている獣人族(ビースト)の従妹――シオリに会うために来たのだ。

 

「あっ、クロエおね……さん……?」

「シオリ。うちの呼び方は何でもいいから。呼びたいように呼んでくれればそれで」

「は、はい……クロエ、さん」

「…………ま、いいけど」

 

 シオリは本を片手に、久しぶりに会う従姉の顔を見上げている。

 シオリが【自警団(カォン)】に入団して以来、クロエはシオリと会っていなかった。もらいの良い仕事に手を染めるようになってからは何となく気が重くなっていたのが原因だった。

 親戚付き合いのあった当時、クロエはシオリの持っている少年向け漫画の小説版(ノベライズ)を読ませてもらったり、たまに外に出られる時は身の安全を守ってやるために同伴したりもした。

 

(まあそれも父さんの蒸発で付き合いが無くなったんだけど)

 

「あ、あの……?」

「……あー、ごめ。なんかムショーに懐かしくなっただけ。ユウキからここで療養してるって聞いてさ。……もしか迷惑だった? だったらすぐにでも帰るけど……」

 

 顔のせいで怖がられることには慣れていたが、会わない期間が長かったのもあって、昔の、もう少し愛嬌のあった頃の顔付きよりもずっと怖くなってしまったのかもしれないという不安が頭を擡げていた。

 病弱な少女はわたわたと首を横に振って、

 

「いえ、そんなことはありませんよ。私もクロエさんと会うのを楽しみにしてました……」

「……そか、よかった。……そいや、ハツネは最近どうなん?」

「お姉ちゃんは……【フォレスティエ】で頑張ってます。たまに私のお見舞いにも来てくれて……。そうそう、こないだはユウキさんと一緒に三人でピクニックに行ったんです」

「ふーん……シオリも元気でやってけてンだね」

「はい。ユウキさんやお姉ちゃん、【牧場】のみんなのおかげで、毎日が楽しいんです」

 

 そう言うシオリの顔が眩しいのは夕日のせいだけではなかった。クロエはシオリの獣耳を撫でてやった。「撫でる」というにはちょっと荒っぽくなってしまったが、それはエモ散らかしたのをごまかすためだけではなかった。

 

「く、クロエさん……?」

「……あー、ごめ。この感触が懐かしくてつい」

 

 シオリの獣耳の触り心地は昔と同じだった。飛んで行った時間が改めて思い起こされる。とはいえ礼儀知らずな振る舞いだった。

 

「い、いえ……でもそういえば、昔クロエさんはこうやって私のことをからかってましたね?」

「それでハツネに怒られたっけなァー……よく覚えてるよ」

 

 「こらー! シオリンにイジワルしちゃダメなんだぞー!」とぷりぷり怒るシオリの姉――ハツネの顔を思い出す。決して苦手なわけではないのだが、過保護なくらいにシオリに甘いのにはちょっと辟易しないでもない。シオリに構っていると不機嫌になって、妹を抱えてどこかに行ってしまったこともあった。

 

「ふふっ、ちょっと渋い顔してますね?」

「あー、まぁ、あんまり仲良くやれてなかったなァー、って思ってさ。ほら、さっきみたいにイジり回したトキあったじゃん?」

「あぁ……その時のことなら大丈夫ですよ。お姉ちゃんもその後で『クロエちゃんに言いすぎちゃったよぉ~!』って落ち込んでたので……そうだ、今度みんなで一緒に――」

「こんにちはー、ランドソル郵便でーす!」

 

 二人に馴染みのある少年の声が、【牧場】のギルドハウスにこだました。

 

◆ ◆ ◆

 

 シオリの部屋の扉が開く。

 

「こんにちは、シオリ、クロエちゃん」

「こんにちは、ユウキさん。荷物の配達、いつもご苦労さまです」

「あんたもおつかれ」

「今日はシオリちゃんに荷物があるよ」

 

 軽鎧を身にまとい、配達員の帽子を被った少年――ユウキは郵便鞄から小包を取り出して、シオリのベッドのそばにある机に置いた。

 包装を解いたシオリの顔にぱあっと笑みが差す。

 

「これ、注文してた推理小説……それに少年向け漫画の新しい単行本……!」

「シオリちゃんはこういう本も読むんだっけ?」

「もちろん読みます……けど、これはむしろクロエさんに貸してあげたくて」

「え」

 

 クロエの口から声にならない声が漏れた。

 

「今日、久しぶりに会えるので、せっかくならクロエさんの好きな本を一緒に読みたいなぁ……って思ったんです。クロエさん、昔からこういう本が好きだったので、今もそうだったら……って」

「あー、まぁ……うん、今も……好き、だけど」

 

 絞り出すように出した言葉を、シオリの耳は聞き逃さなかった。

 

「それじゃあ一緒に読みましょう!」

 

 クロエの顔に漫画を突き付けて来る。

 

「や、今は――」

「読みましょう!!」

「えっ、何なんこの子……ちょっ、押しが……押しが強い!」

 

 シオリの圧の強さにすっかり気圧されてしまった。部活の面々のように力ずくで押し退けることも出来ないため、いつものツッコミが出来ない。

 

「よかったね、クロエちゃん」

 

 二人をにこやかな笑顔で見ながら、ユウキが言う。

 

「ハ? あんた、うちのこの顔が喜んでるように見えんの。どう見てもグイグイ来られて困惑してる顔でしょ」

「でもうれしそうだったよ?」

 

 まさか。

 

「……そんなわけないじゃん、きも」何故かユウキの顔を直視出来ない。

「さぁクロエさん、ここに来てください……!」

 

 シオリはベッドに面する壁に背をもたれると、自分の隣をぽんぽんと叩いた。躊躇っていると、だんだんシオリの頬がむくれて行く。

 

「……好きって言ってくれたのに」

 

 ユウキも物言いたげな表情でクロエを見詰めて来る。

 

「あーもう、わかったよ……よっと」

 

 呆れつつ、シオリの隣に腰を落ち着ける。

 久々に再会した顔の怖い従姉にもまるで怯まずにここまでさせる辺り、病弱じゃなかったらなかなかの暴君になっていたのかもしれない。

 

「えへへ……」

「何ニヤけてんの」

「クロエさん……ううん、クロエお姉ちゃんとこうやってお話しできるなんて思わなかったから」

「……ふーん。そう、なんだ」

 

 クロエは強いて本のページを見ようとした。耳は夕日よりも赤くなっていた。

 シオリの目は熱心にコマを追っている。クロエも感化されて段々と漫画にのめり込んで行く。話やキャラクターの感想を言い合って楽しむ二人の姿は、本物の姉妹のように仲睦まじかった。

 クロエの心配が杞憂だったと判り、ユウキは安心した。

 

「それじゃあ僕はこれで――」

 

 シオリの顔がいきなり持ち上がった。

 

「待ってください、今日はもうお仕事はおしまいですよね?」

「う、うん」

「でしたらユウキさんも一緒に読みましょう! あなたも私の隣に!」

「――は?」

 

 年頃の女子(シオリ)は異性との距離感が分からないのだろうか。いくら気安い関係だからと言って男子を自分のベッドに上げるのはいかがなものか。

 

「でも、ユウキさんにも楽しんでもらいたいなって思って……」

「わかった」

「いや、何あんたもしれっとベッドに乗ってんの。うら若き乙女が二人も乗ってるベッドに当然のように入って来ていいと思ってんの?」

「でも、私もお姉ちゃんもユウキさんと一緒にお昼寝したことありますよ?」

「え、最近の婦女子ってみんなこんな感じなの? オトコを平然と寝床に連れ込んで無防備な姿を見せてんの? はー、おばちゃんには理解できない感覚だわ……」

 

 クロエの慨嘆をよそに、ユウキも漫画を読み始める。ちょうど一回読み終わったところだったので、もう一度最初から読み出すことになった。

 

「これはなんて読むの?」

「これは、主人公の異名ですね……『はくぎんのはやて』って読むんですよ」

「や、ここは『しろがねのしっぷう』でしょ」

「いえ、ここは私の読み方の方が――」

「何言ってんの、うちのが雰囲気に合ってるし――」

 

 ユウキは二人の言い合いを困惑しながら眺めていた。

 

「続き、読みたいなあ……」

 

 この後も何度か繰り返されることになる呟きだった。

 

◆ ◆ ◆

 

 落日の輝きが山の陰に隠れようとしていた。

 クロエとユウキは、シオリに見送られて【牧場】の坂道を下って行く。

 ユウキの手にはシオリから借りた最新の単行本と既刊分全冊があった。クロエは自分で持てると言ったものの、ユウキが持つと言って聞かなかったので、袋詰めして持たせてやることにしたのであった。

 「全部持って行って、弟さんの感想も聞かせてください!」と熱っぽく言ったシオリの顔が忘れられない。

 

(シオリって好きなもののためならあんな元気になれンのな……チエルに言わせれば「早口オタク」なんだろーけど、意外な一面って感じ?)

 

「シオリのやつ、『これを読んで、また私と語り合いましょう!』だってさ……しゃーない、しっかり読み込んでやるか。〈妹〉のためだしね」

「楽しみ?」

「……まあね。新しい〈お姉ちゃん〉として期待に応えてやンなきゃなってなってる」

 

 坂道を下り終えて、ランドソルへと続く大通りを歩いていると、

 

「……今日はあんがとね」

 

 ぽつりとクロエが言った。人気がないからかやけに大きく響いた。ユウキが振り向いた。

 

「シオリがうちの話をしてるのを聞いて、会えるって教えてくれたんでしょ? うちとしても、妹分が今どうしてんのか知りたかったしさ」

 

 クロエの言葉にユウキは嬉しそうに微笑む。

 

「クロエちゃんが喜んでくれてよかった」

 

 まるでクロエの本心を見透かしているかのように。

 

「ハ? うちはシオリのために【牧場】まで来たんであって……べつにうちがあの子と会うのが楽しみだったなんて――や、まあ、たしかに、ちょっとはうちも楽しかったけどさ……」

「僕も楽しかった。またみんなで本を読みたい」

「……そだね」

 

 屈託のない笑顔に、知らず知らず顔が熱くなるのを感じた。

 

(……こいつといるといっつもこうなンだよなァ……まるでうちのことを何でも知ってるみたいで……なんかムカつくな)

 

「……あ、そだ、ユウキ、今からうちんち寄ってかない? こんな大荷物持ってもらってるし、お茶くらい出すよ。それに、あんたにもこの本を一緒に読んでもらいたいしさ。最初から読むつもりだけど、時間だいじょぶ?」

 

 「うん」と言いながらサムズアップする。断られるとは思っていないとはいえ、結構忙しい身の上だとは聞いていたのでほっとした。

 

「そか。んじゃうちまでさっそく――」

「あーっ、ユウキくん! こんなところにいたーっ!」

「あ?」

 

 声のする方を見上げると、ピンク髪の少女がこちらをめがけて飛んで来るのが見えた。

 星が落ちて来るような速度。

 

「あぶなっ――」

「ハツネちゃん、止まって!」

「あわわわ、力加減を間違えちゃったみたいで止まれないよぉ~!?」

「なら――はあああああっ!」

 

 ユウキは剣を構え、プリンセスナイトの権能――対象となるものの強化――を放つ。

 それは飛来する少女の周りを取り囲むと、優しい輝きとなって包み込んだ。

 

「――ありがとうユウキくん! ハツネちゃん☆急ストーップ!」

 

 桃色の長い髪の少女――ハツネは二人にぶつかるすんでの所で止まり、くるりと旋回して着地した。

 そしてそのまま土下座した。

 

「ううっ、ごめんなさーい! 私、全速力でユウキくんを捜してて――って、あれ……クロエちゃん?」

「……ども、おひさ」

「わーっ、会いたかったよぉ~!」

 

 むぎゅ~、という音が聞こえて来そうな抱き着き方だった。

 

「わぷっ、ちょっ、ウザっ……頬を擦り付けてくんなし……」妙な押しの強さは姉妹共通なのか。

「えへへ……つい嬉しくって」

「ほら、離れた離れた。……つか、こいつに用があったんじゃないの?」そう言って親指でユウキの方を指す。

「はっ、そうだったよ! ユウキくん、すぐに【フォレスティエ】のギルドハウスまで来て!」

「わかった!」瞬時に快諾。

「よーし、さっそく――」

 

 ユウキとハツネの間に手を割り込ませる。

 

「いや待て。何の用事で連れてくか言え。というかあんたも安請け合いすんなし」

「でも、ハツネちゃんも困ってるみたいだし……」

「そうなの、クロエちゃん。今エルフの森が大変なことになってて……」

 

 そう言うと、ハツネは数枚の森の絵を二人に差し出した。

 転写魔法で撮影した風景を紙に写したものだ。

 そこには、へし折られた木々や魔物に襲われるエルフ族の兵士の姿がまざまざと刻まれていた。

 地面には魔物のものと思しい無数の足跡が刻まれており、この量が里になだれ込んだ時のことは想像したくもない。

 

「何コレ……」

「何がなんだか私にもわからないの。【フォレスティエ】の人たちも原因を調べてるんだけど、全然わかんないし……。ミサト先生の焚いた魔物除けのお香も効かないから、【王宮騎士団(ナイトメア)】に支援を要請しに行ったりもしたの。だけどすぐには動けないみたいで、私、居ても立ってもいられなくて……」

「それでユウキの所に来たってワケね……ちょっと待った、ハツネ、アオイはどうしてる?」

「アオイちゃん? 【フォレスティエ】のギルドハウスにみんなを誘導してるよ」

「……そかそか」

 

 【聖テレサ女学院(なかよし部)】の後輩にして大切な友人の安否が判って、クロエはひとまずほっとした。

 とはいえ安堵していられる状況ではないことも解っていたので、努めてテンションを落としてうなずく。

 

(……ハツネは真剣だし、ユウキはやる気マンマンだし、こんなんほっとけるワケないじゃん……しゃーない、うちが手助けしてやるか……それに、こーゆーの、ちょっと憧れるし……)

 

 意を決してクロエは口を開く。

 

「あのさ、ハツネ、もしかうちの力が必要になるトキもあンだろーし――」

「それじゃユウキくん、今から【フォレスティエ】のギルドハウスまでひとっ飛びで行くよー!」

「行こう!」

「――待てや」

 

 クロエの手がハツネの手を掴んだ。

 

「わっ、とと……どうしたのクロエちゃん、危ないよー?」

「あのさ、あんたさ、うちの申し出ガン無視するのやめてくんない。それにユウキも、何うちをほっぽってどっかに行こうとしてんの」

「えっ、でもこんな危ない事にクロエちゃんを巻き込むわけにもいかないし……」

 

 クロエは鞘から自分の得物の短剣――フロムダスク・ティルドーンを抜き出して、ハツネに見せ付ける。

 研ぎ澄まされた刀身が残光に赤くきらめく。

 ハツネは息を呑んだ。

 

「安心しなよ、うちはハツネたちの足引っ張んないからさ。ユウキもうちが戦えンのはよく知ってるしね」

「……そうなの、ユウキくん?」

 

 ユウキは力強くうなずく。

 

「それに、アオイも危ないとこで頑張ってンでしょ。テレ女での縁もあるし、大変な時に助けてやんないのはダメでしょ」

 

 そう言うクロエの頭には、退学の危機を救ってくれたユウキのことがちらついていた。

 

「うーん……すごく心強いけど、いいのかな? 本当に危ないし、クロエちゃんのお母さんや弟くんたちにも心配させちゃうし……」

「いんだよ、こういう時はお互い様ってやつで」

 

 ユウキは「お互いさまさま!」とサムズアップした。

 

「あいつも何か言ってっけど、まぁとにかく、うちも着いてくってことで」

「……わかった。でもその前に、クロエちゃんの家に行ってからにするよ。ちゃんと出かけることを言っておかないと、家族が心配しちゃうからね」

「……ああ」

 

 ハツネの心配りが嬉しかった。

 

「それじゃ、頼んだ」

「行くよ! ハツネちゃん☆テレポート!」

 三人を不思議な光が包む。

 月の光に溶けてしまったかのように、三人の姿は消え失せていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 ――同刻、エルフの森の奥深く。

 腹を空かせた魔物が彷徨う地。

 人の手が入り込むことのない秘境――それを踏みしだく跫音があった。

 音に気付いた毛むくじゃらの魔物が一匹、のそのそと向かって行く。新たな餌を待ちわびていたのだ。

 魔物は木々の奥深くへと進む。跫音が止まる。油断したのか。魔物は喜び勇んで駆け出して――斃れた。

 魔物の胸には鋭い剣創が一筋。

 

「…………」

 

 跫音が森の奥へと消えた。

 静寂が再び森を支配する。

 

◆ ◆ ◆

 

 クロエの家。

 ハツネは家の外で待機していた。上がったらクロエの母親や弟たちと積もる話で盛り上がってしまいそうだった。

 諸々の支度を調えたクロエは、ユウキとともにリビングにいた。

 

「――そういうわけで、ねーちゃんちょっと泊まりで出かけなきゃなんなくなったんだよ。だからその間、いい子にしててな?」

 

 クロエは努めて明るい調子で弟たちに言った。

 ユウキが持ってくれた本の袋を指さして、

 

「この本はねーちゃんがいない間、好きに読んでて良い。ただし、これはねーちゃんの大切な友だちの本だから、大事に読むこと。わかった?」

「うん!」「わかった!」

「よし。――母さん、行ってくる」

「……クロエ、気を付けてね」

 

 クロエは優しい面持ちで母親を見て、

 

「当然。母さんはゆっくり休んでて。うちがいない時はチエルこき使っていいから」

「大丈夫よぉ、お母さんもまだまだ――こほっ、ごほっ……」

「あーあー、だーら言わんこっちゃない。弟ー、母さんをベッドまで運ぶぞー」

「ラジャー!」

 

 クロエと弟たちは簡易担架をこしらえて母親を連れて行く。

 何も言わずに担架に乗せられていたが、「クロエ、ちょっと待って」と言って制止させるとユウキの方を振り返り、意味深長な微笑みを見せて、

 

「……ユウキくん、クロエをよろしくお願いしますね」

 

 ユウキはその意味合いには気付かずに、

 

「任せてください」

 

 今回もノータイムで請け負った。

 

「ちょ、何言ってんだこの母……っ、行くぞ弟!」

「おーっ!」

 

 担架の上で、クロエの母親は力なくユウキに手を振っていた。

 

「……あんたも振り返さなくていいの」

 

◆ ◆ ◆

 

 支度鞄を持ったクロエとユウキが家の外に出て来た。

 星を見詰めていたハツネが扉の音に気付いて、顔をめぐらせる。

 

「……お待たせ、ハツネ」

「あっ、クロエちゃん。お家の中がちょっと騒がしかったみたいだけど、大丈夫だったの?」

「あははー……まぁ、いろいろあったんよ」

 

 クロエは脱力感に呑まれかけていたが、「――シッ!」頬を勢いよくはたいて気を張り直した。

 

(こっからはガチで行かなきゃダメだ)

 

 目に刃の鋭さが宿る。

 エルフの森の惨状を思うに、気を抜けば一瞬で殺られるはずだ。

 それでもアオイやエルフの里‪を助けたいと思った以上は、やれる限りは本気で戦わなければならない。

 

「……クロエちゃん」

「……どしたの」

「……ありがとね」

「……礼はまた家に帰ってから聞くよ」

「うん」

「そだ、帰ったらシオリの部屋で祝勝会やっぞ。ユウキと弟たちも連れてって、菓子でもつまみながらみんなで漫画読んだりすんの」

「何それー……でも楽しそう……絶対やろう!

 それじゃ、行くよ。ハツネちゃん☆テレポート!」

 

 三人の姿がふっと消え失せた。

 その光景を、二つの目が確かに見て取っていた。

 

「……ここ最近、いやに森のざわめく声が頭の中に聞こえていたけれど、今日やっとその理由がわかったわ。ハツネちゃんが来てたのは、エルフの森に危険なものが迫っていたから……」

 

 ベッドに横たわりながら、クロエの母親は手を組んで祈る。

 

「お父さん、どうか、あの子を、あの子たちを守って――」




一話目が完成しました。
クロエの口調とか独特のテンションとかがちゃんと模倣出来ているのか、甚だ不安です……。
誤字脱字等がありましたらご教示を賜りたく思います。


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2話 森のエルフたち

 クロエたちはハツネの部屋に降り立った。

 部屋の天井に据え付けられた魔石が、部屋の主の魔力に呼応して光を発する。

 

「……っとと。結構クラッと来んな……」

 

 トラの縫いぐるみやファンシーな小物の並んだ棚、ハツネのトレードマークである星の形の髪飾りなど、ハツネらしくまとまった内装が酔いかけた視界に飛び込んで来る。

 一瞬、何のために来たのかを忘れかけた。

 それでも、魔物の唸り声や地面を踏み荒らす音、逃げ惑う人々の声や応戦を呼びかける声――色々な音が、クロエの感覚をこの現実に引き戻す。

 

「……うし、三人とも揃ってんね。サンキュ、ハツネ」

「うん……どういたしまして~……ごめん、さすがにもうむりぃ……」

 

 ハツネは超能力を使いすぎると反動で強烈な眠気に襲われる。

 ユウキを探し回ったり、クロエの家に寄ったり、予定以上に力を使ってしまい、ハツネは既に限界だった。彼女の体は吸い込まれるように枕へ沈み込む。

 クロエは布団をかけてやると、荷物の中から何か取り出して、ユウキの方に放り投げた。

 中は温かい。葉っぱのようなものをめくると、ふっくらと炊き上がった米が現れた。

 

「おにぎり!」

「うちらメシ食ってなかったじゃん。戦の前の腹ごしらえに作っといた……って、あんままじまじ見んなし」

 

 普段から家に遊びに来たユウキに余り物をアレンジして食べさせてやってはいたが、こんな状況で食事を共にする日が来るとは思いもしなかった。

 

「いただきます」

 

 食前の挨拶をしてから、ユウキは勢い良くおにぎりを頬張った。

 

「おいしい!」

「そ? よかった。それじゃうちもさっそく――うま。我ながら褒めたたえたくなるわ」

「ごちそうさま!」

「ん。ごちそーさま。んじゃ、そろそろ――」

 

「ハツネさぁー-ん!! 大変ですうぅぅぅぅぅぅ!!」

「きゃああああああ!?」

 

 突然の闖入者に甲高い悲鳴を上げるクロエ。

 

「ぴゃああああああ!?」

 

 羽根付きの緑色の帽子を被った弓使いの少女も悲鳴の応酬をする。

 

「っ、あ……アオイ……?」

「く、クロエさん!? どうしてここに……!? ハツネさんはユウキさんを連れて来るって言ってましたけど……?」

 

 部屋に駆け込んで来たエルフ族の少女――アオイの様子は普段と変わらないように見えた。

 それでも普段と違ってどこかピリピリした空気を纏っているのを感じた。

 居るはずのない人間がここに居ることに強い困惑を覚えているようだった。

 

「僕もいるよ」

 

 能天気な返事が挟まる。

 

「や、あんたがいるのは当然じゃん。うちは……ハツネが大慌てでこいつを捜してるのを見かけて、事情を聞いて着いて来たってワケ。あ、あとハツネは力を使いすぎてベッドで寝てる」

「そうなんですか……わかりました。クロエさんはここでハツネさんを見守っていてください」

「あ?」

 

 記憶の中のぼっちエルフに相応しからぬ冷たい声音にクロエは神経を尖らせた。

 アオイはそれに臆することなく続ける。

 

「……今の森は本当に危ないんです。魔物の群れが湧き出るように現れて、兵士の方たちも大きな被害を受けています。それに森の草木さんも私の問いかけにまるで答えてくれません。今までに経験したことのない危機がこの森を襲っているんです……。クロエさんを巻き込むわけにはいきません」

 

 こちらを見据える目線こそ鋭いが、肩は震えて足も浮ついていて、懸命に気を張っているのはすぐにわかった。

 

(……ちょっとした義侠心のつもりだったのに、要らんことやっちゃったみたいじゃん。……なんか帰りたくなってきたな。や、帰れないんだけど。にしても――)

 

 横目で静かに待っている少年を見る。ユウキはアオイの切迫した雰囲気にもたじろがず、優しく彼女を見返していた。

 

(……こういう時、ユウキはナチュラルに巻き込んでもいいって思ってんのな。まぁ、確かにこいつなら頼りやすいんだろーけどさ……。さて、何て言うべきか……)

 

 考え事をするクロエに、アオイは言葉を重ねる。

 

「……それに、私、クロエさんに何かあったらと思うと怖くて仕方ないんです。……先輩に楯突くなんて、って思われるかもしれませんけど……」

 

 クロエは弁解の言葉を見失って、決まり悪そうに頭を搔いた。

 確かに今のクロエは、危険なところに面白半分で飛び込んで来たヨタ者と見られても仕方が無い。

 自分の振る舞いの軽率さや、アオイの精一杯の優しさに居たたまれなくなって来て、乙女みたいに顔を手で覆って逃げ出そうとすら考えてしまった。

 クロエが後ろを振り向きかけた時、

 

「――クロエちゃんなら大丈夫だよ」

 

 ユウキが突然口を開いた。

 クロエは足を止める。

 アオイは顔を上げてユウキをまじまじと見詰めている。

 

「クロエちゃんはアオイに危ない目にあって欲しくないって言ってた」

「……クロエさんが、ですか?」

「うん。ハツネちゃんから話を聞いた時、居ても立ってもいられないって感じだった」

「ちょ、あんた、何を――」

 

(別にうちはそこまで思ってなかったのに……)

 

「それに、僕もクロエちゃんがいてくれたほうが良いと思う。魔物の気配を察知するのが上手だし、魔物の討伐も得意なんだ。アオイやハツネちゃんたちの護衛にぴったりだと思うんだけど、どうかな?」

 

 ゆっくりと、引き込むような喋り方だった。

 最後に「もちろん、僕もみんなのために頑張る」と言い添えるとユウキはアオイににっこり微笑みかけた。

 クロエはユウキの説得をただ呆然と聞いていた。

 普段はチエルの駄弁りやユニの議論を一方的にぶちまけられているだけの男子が、きちんと自分の意見を言い出して、真剣に説得を試みている。

 今のユウキはテレ女にいる時の、言われるがままの頼りない男とはまるで違っていた。

 

(……なるほど。あの子らはユウキのこういうトコにも……)

 

 クロエの頭にある夏の日、たまたま知り合っただけの女子たちの顔が思い浮かんだ。大なり小なりユウキに思う所があったのは割とすぐに察せられたが、そうなる理由の一端が垣間見えたように思った。

 

「……あの、クロエさん」

「ひゃっ!?」

 

 声が裏返った。意識の外から突然言葉を投げかけられるのに弱い。

 

「こほん……どしたん」

「その、さっきの事なんですが……」

「あー……まぁ、やっぱり迷惑だったら、べつに……」

「い、いえ! その……く、クロエさんにも、ご協力をお願いしたいな、って……」

「――え、マジ? いいの?」

「は、はい……。確かに、私もハツネさんも近接戦闘があまり得意ではないので、クロエさんが護衛をしてくれるのでしたら心強いのです……」

 

 おどおどとクロエを見詰めるアオイの瞳には、それまでの張り詰めたものが霧消していた。

 ほどなくアオイがあわあわし始めた。殺し屋のような目に耐えられなかったのだ。

 

「で、ですが私なんかが生意気なことを言ったばっかりにやる気をなくさせてしまっていたらどうしようかと――」

 

 いつもの臆病なアオイが今は無性に懐かしかった。

 クロエは頬を緩めて、

 

「いーよ、それもアオイの責任感からの言葉なんだし、むしろ好ましげ。だーら気にすんなし。……むしろ、うちこそ心のどこかで浮かれてたんだ」

 

 そう言うと、クロエの顔が一段と引き締まる。

 アオイの肩にぽんと手を置いて、

 

「――うちに任しとき。この森のみんなも、アオイもハツネも、ユウキも……うちが守るよ」

 

 アオイは精神の限界を迎えて仰向けに倒れてしまった。

 

◆ ◆ ◆

 

 アオイの目を覚まして、三人は【フォレスティエ】のギルドマスターの部屋へと向かう。

 ハツネは布団を掴んで離さなかったので、また後で起こすことにした。

 木の匂いがする廊下を歩いていると、アオイが口を開いた。

 

「ここ数日見回りをして気付いたんですが、夜は魔物の動きが鈍るみたいなんです」

「ほーん。まぁこんな鬱蒼とした森じゃそもそも何も見えないだろーしね」

「その代わり、朝から昼には相当な数の魔物が襲い掛かってきます。兵士のみなさんが持ち堪えてくれてはいますが……みんなどんどん疲弊していってて。魔物たちがどこからやってくるのかもわからないから、みんなすごく辛そうなんです」

 

 声のトーンがどんどん暗くなって行く。

 神妙な面持ちになる二人に、アオイは急いで言葉を重ねる。

 

「そういうわけで、ユウキさんをここに連れて来たんです」

「僕を?」

「はい! 団長さんの不思議な力で兵士のみなさんを強化していただければ、守りが堅くなって見回りがしやすくなるということで、急遽お呼びしたんです」

「たしかにユウキの力があれば魔物くらいやっつけられそうだけど……」

「僕で力になれるならいつでも呼んでほしい」

「だーら安請け合いすんなっての。……お、ここかな」

 

 ギルドハウスの一階の中央の大部屋の前に、二人の兵士が立っていた。

 森に住むエルフ族は浮世離れしたところがあるとクロエは思っていたが、目元の隈とこけ出した頬のせいで仕事に苦しめられているランドソルの若者のように見えた。

 二人はアオイとユウキの姿を認めると駆け寄って来た。

 

「アオイ殿、心配しましたぞ。ユウキ殿もお久しゅう。ハツネ殿はお休みになったのですか?」

「ハツネちゃんは今ぐっすり眠ってます。僕を捜してあちこち飛び回ってくれてたみたいで」

「そうだったのですか。ともかくユウキさんが無事に参られたようで良かった。アオイさんは……あれ、アオイさん?」

 

 アオイの返事がない。

 振り返ると、アオイはユウキの背中に縋り付いて小さくなっていた。

 同胞とはいえ、駆け寄って来る人間を見ると怯えてしまうのはどうにもならないらしい。

 クロエはアオイたちと兵士たちの間に割って入る。

 

「ちょーちょー、この子が驚いてンじゃん、とりま落ち着いとき」

「む、あなたは……? 見たところエルフ族のようですが」

「うちは……アオイとハツネに依頼されて来たエルフ族の助っ人、クロエっす。シクヨロ……じゃなかった、よろしくお願いします」

 

 二人の男のクロエに向ける視線は当然ながら不審げだったが、ふと、一人がクロエをじっと見て、

 

「おや、あなたはいつぞやの……」

「え……すんません、どこかで会ったトキありましたっけ?」 

「ああ、私は森の門番だ。あなたが遠い先祖の御縁でエルフの森に参った時の……」

「あ、あぁー……サーセ、すいません。ちゃんと覚えてなくて」

「気にすることはない。それより、あなたはなぜここにいらしたのだ? 今この森を覆う重苦しい空気を御存じないとは思えないが」

 

 疲労の痕は見えるものの、依然としてその口振りには威厳があった。

 

(今度はちゃんと門番らしいことやってンじゃん……なんてさすがに言えないけども)

 

「……まぁ、なんというか……うちの先祖の遠縁の住む森が滅ぼされそうになってんのを黙って見過ごすわけにもいかないよなー……と、そう思って、ハツネに頼んで連れて来てもらいました。アオイとユウキはうちの実力を知ってるんで、その気があるならと仲間に入れてもらいました」

「……」

「……ど、どすか」

 

 門番の男性はしばらく何も言わずに考え事をしていたが、やがて得心が行ったようで、

 

「……見上げた心意気、深く感謝いたします。クロエ殿」

「……そっすか。なら、まあ、良かったっす」

 

 門番は照れくさそうにするクロエに深く頭を下げた。

 

「そろそろ中に入ろうか」

 

 ユウキの一言で、石のようになっていたアオイがようやく動き出した。

 

「そ、そうですね……! それじゃユウキさん、クロエさん、ミサト先生に――っ!?」

 

 アオイの言葉が凍り付いた。

 ギルドハウスの扉から、エルフの兵士が這うようにして入って来る。

 血の轍を作りながら、目の光はあくまで爛々と輝いていた。

 

「――大丈夫ですか!?」

 

 ユウキは兵士の方に駆け付けると、剣を構える。優しい光が血みどろの兵士を包み込んだ。

 プリンセスナイトの権能を応用すれば、生命の維持を図ることも可能かもしれない――無意識のうちにユウキの体は動いていた。

 クロエはユウキの行動の意図が判らず一瞬戸惑ったが、ユウキが目配せするとすぐにその意図を悟った。

 

「アオイ。すぐに回復魔法を使える人を呼んで来て」

「み、ミサト先生なら……急いで呼んで来ます!」

「頼むわ。二人はすぐにベッドの用意を頼みます」

「わかりました!」「急ぐぞ!」

 

 他の三人が離れたところで、クロエはギルドハウスの外の様子を窺うことにした。繃帯や薬を持っていなかったから、せめて更なる被害者が出ないように警戒するくらいはしておきたいと思った。

 物音はない。ギルドハウスの明かりを頼りに目視。血の痕を尾けて来ている物影もない。

 血を目印に獲物を探す魔物もいるかもしれない。クロエは血痕を足で搔き消した。

 その周りの土に目をやると、大小様々な足跡が刻まれていた。既に何度もギルドハウスまで襲撃されていたのだろう。胸が詰まる思いだった。

 

(こりゃあ確かに何が来てもおかしくないな……塩撒いて退散してくれるとも思えんし、せめてもーちょい見回っときたいけど、そろそろ戻ったほうが良さげかね……)

 

 ギルドハウスに戻ると、薄緑色のローブを着た、神々しい雰囲気の女性が治療の魔法をかけているのが見えた。手から柔らかな光を傷口に翳すと、少しずつ傷が塞がって行った。血糊も溶けるように消え失せて行く。

 

「痛かったでしょうね……よく頑張りました。今はゆっくりおやすみなさい……」

 

 光の放出が止まった。苦痛の呻きに代わって、穏やかな寝息が聞こえて来た。

 兵士たちにいくつか指示を出して患者を奥の部屋に運ばせると、彼女は残った二人に優しく微笑んだ。

 

「ありがとう、二人とも。あの人が一命を取り留めることができたのは、二人のおかげよ」

「助かってよかった」

「私も本当にそう思います、ミサト先生……」

「数日ゆっくり休めばきっと良くなるわ。……それと、あなたもありがとうね」

 

 こちらを振り返ることもなく呼びかけられて、クロエは飛び上がりそうになった。

 平静を装いつつ女性の前に出て行く。

 ローブを着た女性――ミサトは、柔和な笑みを絶やさず、ここにいるはずのなかった少女を見つめている。

 

「や、うちはべつになんもしてないっす、マジっす……ホントです」

「見張りの人から聞いたんだけど、あなたが病棟の手配をしてくれたんですってね? そのおかげであの人も早めに回復できるかもしれないの」

「……そー、ですか」

「私はあなたの行動にはすごく感謝しているわ」

「クロエちゃんはすごく優しい」

「ちょ、やめやめ、ハズいから……てかあんたは横槍入れんなし」

「……それでね、もしあなたが……クロエちゃんが【フォレスティエ】に協力してくれるというなら、どうか私たちに力を貸して欲しいと思っているの。……どうかしら?」

 

 【フォレスティエ】ギルドマスターの声は、それでもどこか心苦しそうに聞こえた。

 クロエにもその理由は察せられたが、だからこそ言ってやらずにはいられなかった。

 

「……当然、やってやりますよ。てか……そうしなきゃ気が済まないんで。やるなって言われてもやらせてもらうんで、ヨロタノっす」

 

 言い終わってから素っ気ない言い方になっていたのに気付いて、クロエは己の口の悪さに閉口した。三度も繰り返されると苛立ちを招かずにはおかないものではあるが、それにしてももう少し愛嬌の一つぐらいサービスしてやれないものか。

 少しの間。

 反省に走るクロエをよそに、ミサトの顔が喜びに染まって行く。

 

「そうなの……! ありがとうね、クロエちゃん!」

「……ハイ、任せてくださいっす」

 

 クロエは俯きがちにそう答えるのでいっぱいいっぱいだった。

 ここまで純粋な喜びを示されると却って思い悩むのが馬鹿らしくなってしまう。

 クロエは微笑んでいるユウキを見て、時が許せば拳を振り上げてやりたいと思った。

 

◆ ◆ ◆

 

 森がざわめく。

 彷徨う跫音は止まらない。

 魔物の臭いが濃くなって行くのを感じる。空気は重く、濁っていた。

 それゆえに、求めるものがこの先にあるのだという確信も強まって行った。

 精神の高揚と裏腹に、腕が鉛のように重くなっているのを感じる。一度気付くと脚の震えにも意識が向いた。

 森の発する瘴気が肉体の疲労を助長しているのか。

 魔力も決して潤沢とは言えないから、迂闊に回復するわけにも行かない。

 長い耳を澄まして、安らう場所を探す。川のせせらぎが遠くから飛び込んで来た。

 歩を進めることしばし。小川が木々の合間に忍ぶように流れていた。

 

 腰の鞄から古ぼけたランプを取り出すと、炎の魔法を唱えてランプに閉じ込める。小川の流れは急激で、川幅の狭さを思うと氾濫する可能性もあった。川もまた森の異常に巻き込まれているのかもしれない。

 魔法で細工した小瓶に水を掬い、呪文を唱えて手を翳す。甘い水になった。傍の大きな木の陰で腰を休める。魔物の鳥の声が木々の天井を劈いた。

 自身の肉体にかけていた強化魔法を解き、小瓶の水を飲み下す。魔力を帯びた水がすうっと沁みて行き、体の強張りをほどいた。疲労に誘われて舟を漕ぎかけたが、まだ眠っている場合ではない。

 立ち上がり、幹に背を預けて耳を澄ます。何かが強く脈打つ音がはっきりと響いた。

 ――やはり、何かが寄って来ている。

 強化魔法をかけ直し、感覚を研ぎ澄ますと、短剣を抜いて身構えた。

 

 茂みを破る音。魔物は無造作に現れた。黒々とした毛皮にくるまれた、精悍な怪物。白い牙の隙間から、鼻を覆いたくなるような血の臭いをしたたらせていた。

 今度は一筋縄では行くまい。

 魔物が身を踊らせて飛びかかる。鋭い爪が射掛けられた。辛うじて身を躱す。木が抉り取られるようにして倒れ、鈍い音を立てた。

 あまり事を荒立てると他の魔物も覚醒しかねない。

 ――やむを得んな。

 男は矢のごとく放たれる攻撃を避けつつ、じりじりと川の方へと進んで行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 無事にクロエが【フォレスティエ】と協力関係を結んだ後のこと。三人がハツネの部屋に戻る途中で、

 

「部屋割り、どうしましょうか……」

 

 アオイがぽつりと呟いた。突然やって来た義勇兵の部屋までは用意しておけなかった。

 

「うちはハツネの部屋で寝ようかと思ってる。ミサトさんにも言っといたよ。仮にもイトコだし、まさか嫌がりもしないでしょ」

「ああいえ、クロエさんがそうならそれでも良いのですが……ハツネさんの部屋にはユウキさんも泊まる予定だったんです」

「…………ハ?」

 

 凄い顔になってしまった。

 

「年頃の男女が? 同室で同衾? 何考えてんの? おばちゃんにはちょっと近年の異性交友のあり方が理解できないわー……」

「さすがに同衾まではしませんよ……多分。単純に部屋が足りてないんです」

「え、でも男の兵士と相部屋なら問題なくない? こいつが嫌がるとも思えないけど」

「うーん……エルフ族はどうも違う種族と共同で生活するのが苦手みたいなんです」

 

 曰く、聴覚に優れたエルフにとっては異種族の心音や脈動、些細な寝言も辛いことが多いらしい。慣れれば問題は無くなるとはいえ、根を詰めたい時に休息が十分に取れないのはまずいのだという。

 ユウキに深く感謝しているのは確かであって、これさえなければと悔しがる兵士たちも多かったのだとか。

 最後に「まあ、私もそうなんですけど」とボソリと呟いたのは聞かなかったことにしておいた。

 

「ハツネさんは妹のシオリさんとの生活で慣れていたので、ユウキさんと一緒の部屋で寝泊まりするのを了承してくれたんです」

「ふーん……なんか森のエルフも大変なんだね。あれ、てか、ハツネはどうだったん? めっちゃ恥ずかしがってそうだけど」

「ハツネさんは……『ユウキくんなら、良いかなぁ』って、すんなり認めてくれました。『も、もちろんベッドは別だよ!?』って慌てて付け加えてましたね」

「…………ふーん」

 

 アオイと別れて部屋に戻ると、ハツネのベッドとは別に、ユウキのベッドが部屋の隅に設えられていた。何の変哲もない、普通のベッドだった。

 眠っていた超能力少女は部屋に入った人影に気付くと布団を蹴上げて起きて来た。

 

「あっ、クロエちゃん。おはよう!」

 

 いかにも元気潑溂としていた。ぐっすり眠れたことに羨ましさを感じないでもなかった。

 

「や、うちらだいぶくたびれてンだけど。……そだ、ハツネ。うちもこの部屋に泊まるんで。よろしく」

「ええっ!? だ、ダメだよクロエちゃん……ユウキくんと同衾なんてしたら……」

 

 ハツネは顔を真っ赤にしてクロエとユウキを交互に見る。

 

「誰がするか。こちとら立派な乙女だわ。まだ不純異性交遊する気は無いわ。ハツネ、あんたと一緒に寝るの」

「な、なんだ……びっくりした。わかったよ、それじゃ一緒に寝よー!」

「無駄に元気だなこいつ……。寝るにしてもとりま風呂入ってからっしょ。ハツネもちょいちょい汚れてるし、うちと入っぞー」

「そうだね。それじゃユウキくん、また後でね」

「うん」

 

 クロエとハツネは着替えを準備して、風呂場へと向かった。ユウキはその後で風呂に入ることになっていた。

 ギルドハウスの浴槽は案外大きく、寛いで入ることが出来た。後がつかえるので体を清めるとすぐに出て行かなければならないのが残念だったが、それでもハツネとたわいもない事で喋れたのは結構楽しかった。

 

(森がこんな状況じゃなけりゃ、もっとくだらないことで盛り上がれたんだろーけど……。アオイも誘ってどっかでかい旅館に泊まって旅行するのも面白いかもね)

 

 そのためにも、森の平和を取り戻したいんだ。

 クロエが戦う理由がまた一つ増えた。




大分ぎこちない感じになってしまいましたが、顔見世が終わりました。
一万字も書いてないのに時間がかかりすぎていますが、次こそは早めに投稿したいと思います……。


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3話 出撃準備

仕事が始まって投稿が遅れました。申し訳ございません。



 日がカーテンの隙間から洩れ出して、クロエの顔を照らした。朝は普段と変わりなかった。

 

「スヤァ……」

「あーもう……離せし」

 

 枕代わりに抱き着いて来るハツネを剥がしてベッドを出る。

 食事が済んだらアオイたちと作戦のためにミサトの仕事部屋に向かうことになっているので、ユウキが眠っているうちに着替えを済ませておきたいと思った。素肌を晒すにはまだ早いし、不純異性交遊など以ての外だ。

 眠っていることに期待しつつ視線を部屋の隅にやる。ユウキのベッドは蛻の殻だった。ユウキの鞄の辺りを見ると、剣も無くなっている。

 

(普段のうちならバイト疲れでぐっすり寝てる時間だってのに、あいつ、どこほっつき歩いてんだ……? 修業してるとか聞いたこともあったけど、今はんな事やってる場合じゃないはずだし……。まいいや、とりま着替えっかね)

 

 クロエは鞄から真っ黒な服を引っ張り出すと、寝巻を脱ぎ捨てて着替えを始めた。以前、ちょっとやんちゃをやる可能性のある仕事をする時に支給された服だった。結局やんちゃをやる前にバ先が潰されたので、給与代わりに貰っておくことにしたのだった。

 腕を滑らせる。黒地の滑らかな肌触りで、体によく馴染んだ。胸にさらしをきつく巻き付けて、お腹までするりと下ろす。穿きなれた黒のショートパンツと合わせて、すぐにでも「仕事」に乗り出せそうだった。

 

(森を守るってよりも人を殺りに行くみたいなカッコだな……。ま、いいけど)

 

 しどけなく広がっている長い金髪を束ね、黒いヘアゴムで一本に纏める。

 ハツネの姿見で自分の姿を確かめてから部屋を出た。アオイの部屋にノックしてみる。「ひゃいっ!」今日もアオイはアオイのようだ。

 アオイは大きな羽根飾りの付いたベレー帽に緑色の上着を羽織っていた。ハープを象った弓と矢筒も綺麗に整えられている。戦いの支度は万全のようだ。

 

「はよっす。てかおどかしちゃって悪いね」

「は、ははははいぃ……! あの、クロエさん、その恰好は……?」

「あーこれ? テキトーに見つくろって来たの。まさか制服で来るわけにもいかないっしょ」

 

 何の気もなしにクロエは言った。

 アオイはクロエの方を見ては目を逸らし、しばらくするとまた顔を向けて来たが、クロエが身じろぎするとまた視線をあらぬ方向へと持って行った。

 変態不審者に間違われてもしょうがないほどに挙動不審だった。

 

「……どしたん?」

「そ、その……クロエさんの服装が、似合ってるなぁ……と思いまして」

「そ? ありがと。てかアオイも……あん時よりずっとカッコイイ感じになってンじゃん。イメチェン?」

 

 確か昏睡したユウキを奪還しに行く時のアオイは、白と薄緑のシャツを着た、目立たない服装だったはず。クロエがテレ女を離れた彼女を心配してちょっと様子を見に行った時も、同じ恰好をしていたのを思い出す。

 アオイはクロエの誉め言葉に耳まで赤くなって、少しの間うずくまっていたが、

 

「……この恰好は、BB団の……団長さんとの、絆の証なんです」

 

 照れくさそうにそう言って、アオイははにかんだ。悲鳴を上げないアオイはとことん顔が良い。年齢に似合わない綺麗な顔立ちが、不器用に笑うと一気に少女らしくなって、見る人に否応なしに可愛らしさを押し付けて来る。

 クロエは見ているだけで背中がくすぐったくなるような感じ……少年漫画に時々挟まれる恋愛パートを読んだ時と同じ感覚に襲われた。

 自虐も絡めて嫋々と続く甘い言葉に内心閉口しないでもないので、

 

「――あー。ごめ、アオイ。ユウキの居場所知んない?」

「え、ユウキさんですか? ええと、ごめんなさい、私も見掛けてなくて……」

「マジか……。どこうろついてんだあいつ」

「うーん……気にはなりますけど、そろそろ戦う準備もしないとですし……朝ごはん、食べに行きましょうか?」

 

 同意の相槌を打とうとする前に、クロエのお腹は急に大きな音を立てた。後輩の気まずそうな作り笑いが余計に堪えた。それからも何か同情の言葉を続けようとするので、クロエは半ば強引に手を引いて、食堂に向かった。

 

◆ ◆ ◆

 

 がらんとした大広間に丸太を切り出したテーブル、大きな木の枝から切り出したらしい丸い椅子。壁には保育園児たち力作の絵が何枚か飾られており、普段は老若男女を問わず、ここでのんびりと寛いでいる姿が想像された。

 だが今は、軽鎧を纏った男の兵士たちが、無表情のまま食事を口に運んでいた。ぽつぽつ混ざる繃帯の白さがいやに鮮明で、傷痕の深さを思い起こさないわけには行かなかった。

 

「……やっぱりみんな堪えてンね」

 

 アオイの細長い耳にひそひそ話しかける。

 

「……はい。ミサト先生にも抑えられないなんてこと、今までになくて……」

「……あの母性の凄そうな人、フツーにバチバチのやり手なのね」

「ええ、ミサト先生はすごい人です。……ただ、ミサト先生は魔物の闘争意欲を削ぐことで被害を抑えていたので、それが効かないとなるとどうしても魔物に立ち向かえるだけの力が足りなくなるんです」

「ふーん……なるほどね」

 

(そーいや、むかーし父さんから聞いたことがあったな……『エルフ族は魔物や敵襲といったものに対する備えがなっていない』とか何とか。まぁそれで修業が厳しくなってったんだけど……。門番の人もうちがエルフ族だからってすんなり通してたし、森エルフはその辺ユルユルなんかね……うちらんトコじゃ考えらんないな)

 

 そんなことを思いながら食堂の奥へと進む。厨房前の受付カウンターでは、妙齢のエルフ族の女性が一人、浮かない顔で注文をさばいていた。

 彼女はアオイを見付けると、

 

「あら、アオイちゃん……今日もいつもので良いかしら?」

「……はっ、はいっ……あっ、今日はまた他のものも頼みたいなぁ……と」

 

 そう言うと、震える指先でメニューをちょこちょこ指して行った。指につられてメニューに目をやると、緑黄色多めの献立がずらりと並んでいる。これを弟たちに見せたら泣いて逃げ出すかもしれない。

 メニューをしばらく眺めていると、隅の方に肉の乗った丼を発見した。野菜が嫌いなわけではないが、戦いの前には肉を食っておくのが良いと言われて来ていたので、折角ならこれを食べたいと思った。

 それに、これなら食べ盛りの男子も満足させてやれるはずだ。

 

「んじゃうちはこの肉の乗ったやつ。あ、二つ頼んでいいすか? 食わせたい奴がいるんで」

「ええ、わかったわ。――これお願いねー!」

 

 列から離れて数分も経つとカウンターにお盆が運ばれて来た。

 

「おまちどおさま」

 

 運んで来たのは場違いな笑顔を浮かべる少年だった。いつもの謎マントや肩当てを外し、代わりに白いシャツと鉢巻を身に付けていた。潑溂とした働きぶりが塞ぎ込んだ空気の中では浮いていた。

 心配がすっぽ抜けて一気に脱力する。

 

「いやあんたかよ。うちらの心配返してくんない。てかあんた、戦いに呼ばれてンのに何厨房に立ってんの」

「人手が足りてないみたいだったから」

 

 ユウキの病的なほどのお人好しを思えば十分想像できた答えではあった。

 あっけらかんと言い切られて呆気に取られたしたクロエは、「ま、らしいっちゃらしいしいんだけどさ」と呟いた。

 

「いんだけど、急にいなくなんのやめれ。せめてこう、一言くらい言ってからにしとき」

 

 クロエの言葉に無断ボランティア少年は頷いた。アオイには聞かん坊にお説教をする母親のように見えたが、口にはせずに黙っていた。

 ユウキはそのままテーブルまで二人分のお盆を持って行く。

 

「あそこの席で良いかな?」

「ありがとうございます……!」

「サンキュ。そだ、あんた朝メシは――」

「僕はまだ仕事があるからこれで」

「ちょっ、待て待て」

 

 戻ろうとするユウキの首根っこを捕まえる。勤労意欲が高いのは結構だが働き通しになっているのは見過ごせない。

 というわけで無理に引き止めたは良いものの、なかなか言葉が出て来ない。

 

「……あー、ほら、この肉丼さ、間違えて余計に取っちゃったんよ。だから……」

「それなら返して来る」

 

 急いでお盆を下げようとするユウキの肩を掴んで押し留める。

 

「そーゆうの、いいから……! ……とりまさっさと食えし」

「もうまかないを食べちゃったから……」

「あんたみたいな男子は食わないとやってらんないもんだし、ヨユーで入るっしょ。無理そうなら食えるだけ食って残りをうちが食べればいいし」

「それなら食べる」

「ん。そーしとき。おばちゃんの厚意は素直に受け取っとくのが礼儀ってもんよ」

 

 取り皿を受け取りに行って、ついでに受付の女性に「飛び込みバイト君借りてくんで」と許可を貰った。暗く淀んだ顔の中にかすかに笑みを浮かべていたが、クロエは気付かなかった。

 席に着いてめいめい食事を始める。慣れた手付きで小皿に取り分けてやると、ほとんど丼一杯分の山が出来上がった。ユウキの顔が少しだけ歪んだが、見ないふりをしておいた。

 

「そーいやあんた、ここの手伝いする前は何してたん?」

「あ、それ、私も気になります……」

 

 ユウキは目の前の小山を少しずつ崩しながら言う。

 

「魔物が来たからみんなでやっつけてた」

 

 危うく肉を落としかけた。

 隣からは果物を落として慌てる声。

 またしてもあっけらかんと言いながら、ユウキは肉を乗せたご飯を口に入れる。

 

「ま、魔物ですか?! 大丈夫だったんですか!?」

 

 アオイの声が頭の中で一段と大きく響いた。

 淡々と食べていた兵士たちの視線が一斉にアオイたちの机に注がれる。

 見た限りユウキの体には傷らしい傷はなかったが、既にミサトの回復魔法で治されたのかもしれない。

 この場の雰囲気にただならぬものを感じたのか、勝手に戦う少年は再度口を開いた。

 

「えっと……僕が兵士のみんなを強化して、倒したんだ。数は少なかったし、弓矢や槍で遠くから攻撃したから誰も怪我しなかったよ」

「……なんだ、脅かすなし」

 

 言いながら、クロエは自分がやけにほっとしていることに気付いた。仕事を終えた時のような安堵。

 気を張り直す。自分はクールで通しているのであって、決してチョロい女ではない。チョロいのはユニパイセンとチエルだけで十分なのだ。

 アオイは安心し切った顔でユウキを見つめていた。自分たちが知らないうちに大怪我をしていたと知ったら本気で悲しみかねない。

 

(……前々から思ってたけど、こいつ、絶対一人きりにはさせちゃダメなやつだな)

 

 残っていた肉丼をかっ込む。アオイの皿もお盆にきっちりと乗せて、ユウキは厨房の方に消えて行った。

 二人はしばらく待っていようかと思っていたが、待つまでもなくユウキが戻って来た。

 変わった装飾の剣を佩き、見慣れた軽鎧を纏って、「今日はもう上がっていいって言われた」と残念そうに言った。

 

◆ ◆ ◆

 

 後ろ髪を引かれているらしいユウキを引き摺って、クロエとアオイはギルドマスターの部屋へと向かった。

 ミサトは部屋の奥の大きな机に腰を落ち着けていた。机の周りには書類が山をなしており、緊急事態に忙殺されているのがすぐにわかった。

 ミサトは目を瞑り、両の手を組んでいる。アオイ曰くミサトは魔力を溜める時にはこうしているらしい。ルーティーンがいかにも聖母らしく見えて、クロエは感心しないではいられなかった。

 ゆっくりと目を見開いて、ミサトは三人を見た。隈が柔和な顔に陰を作っていた。

 

「ユウキ君、アオイちゃん、クロエちゃん、おはよう」

「おはようございます、ミサト先生」

「おはようございます……ミサト先生」

「……おはようございます」

 

 三人の顔を見て、優しい微笑を浮かべる。強い人だと思った。

 

「それじゃあ、さっそく作戦会議を始めましょう。ハツネちゃんが起きたらユウキ君が教えてあげてね。まずは……そうね。今朝、このギルドハウスに魔物さんが襲撃して来たわ。ユウキ君とみんなで撃退したから無事に済んだけれど……」

 

 ユウキは静かに頷く。二人とも前もって聞かされていなかったら大きな衝撃を受けていたに違いない。

 

「あら? あんまり驚かないのね」

 

 意外そうな顔をされた。

 

「あー、さっきユウキに聞かされたんで」

「あらあら……そうなのね。それじゃあ悪いお話はこれでおしまい。良いお話をしましょう。……昨日大怪我をした兵士の男の人なんだけどね、今朝、目覚めたの」

 

 アオイとユウキは胸を撫で下ろした。クロエは顔にこそ出さないが、何とか助かったことに安堵していた。

 

「みんなのおかげよ……本当にありがとうね。それにまだまだいい事がわかったわ」

「えっ、まだあるんですか?」

「ええ。彼が持ち帰って来てくれた情報のおかげで、もしかしたら魔物さんたちの暴走が止められるかもしれないの……」

「ほんと!?」

「本当ですか!?」

 

 二人の子供のはしゃぎぶりに少しだけミサトは苦笑したが、そんな彼女の声音は普段よりも上擦っていた。ミサトという女性の人となりをまだ詳しくは知らないが――人見知りするアオイをテレ女に編入させるというスパルタ教育を施したセンセイ、という印象の方が根強い――、それでも物静かでおっとりとした人だという感じを受けていた。

 そんな人が興奮を隠せずにいるということに、一刻も早く平和な森を取り戻したいという思いが強く感じられた。

 そしてその思いはクロエのものでもあった。

 

「……それで、その情報ってのはなんなんすか? うちら、何だってやりますケド」

 

 つい迂闊な事を口走ってしまうくらいには興奮していた。

 

「えっとね……エルフの森のとある場所に、魔物さんたちが湧き出る場所があるそうなの。真っ黒な穴みたいになってて、切っても、射ても、またその中からとめどなく出て来るらしいわ。それに一匹一匹がこの森で見られる魔物さんよりずっと大きくて強いんですって……」

「え、待って待って、一旦ストップ。あの、ミサトセンセ、さっきの希望ありげな前フリはどこ行ったんすか。どう見ても絶望まっしぐらじゃないっすか」

 

 敬語を使うのを忘れてしまった。元々あまり使えていなかった気もするのだが。

 ミサトはクロエの疑問に「確かに、私たちだけじゃどうしようもないわね……」と尤もらしく答えた。それからユウキとクロエに目を向けて、

 

「だけど今の【フォレスティエ(わたしたち)】にはユウキ君とクロエちゃんがいるわ。アオイちゃんやハツネちゃんたちに加えてこんなに頼もしい二人がいれば、きっと魔物さんたちも退けられるもの」

「「ミサト先生……」」

 

 ミサトの寄せる温かい信頼に、ユウキとアオイはすっかり感じ入っていた。クロエはツッコミの勢いを削がれて口を噤まされる。にこやかなご尊顔、溢れ出る信頼感に負けてミサトを母として崇めそうになり――慌てて頭を振った。

 

(……あっぶな、母性の過剰投与でママ堕ちするとこだった。なるほど、パイセンが欲しがってあちこちに恥と迷惑をかけ散らかすのもわかる……や、てかうちは堕ちてない、堕ちてないから……)

 

 しかし冷静になってみると、ミサトの言葉には解決の方途が無いのに気付く。魔物の入れ食い状態ではこちらの戦力を蕩尽してしまうばかりではないか。ユウキの力で一般兵たちも強化すれば魔物たちを狩り尽くすのもあるいは可能かもしれないが、そうなるとギルドハウスの守りが限りなく薄くなってしまうはずだ。傷病兵と非戦闘員だけでは彷徨い歩く暴力に為す術もない。

 

「もちろん、根本的な対策を打たないといけないわ。今はまず、その準備をするつもりよ。いけない魔物さんたちがおいたできないように、穴に蓋をするの」

「フタ、っすか……。話聞いたカンジずいぶんデカそうな穴っすけど、どうやるんすか」

「エルフ族の魔力を強固に練り固めて結界を作るのよ。昨日の治療で判ったんだけど、あの穴から出て来る魔物さんは普通の魔物さんじゃないみたいなの」

「どういうことですか?」

 

 ユウキに尋ねられたミサトは昨日の治療の際に気付いたことを話した。

 血まみれの兵士の傷痕の奥深くから、普段の魔物のものには無い禍々しい魔力が見付かったこと。それが傷口を蝕み、ミサトたち回復術士の治療を妨げていたこと。「今朝の魔物さんにも同じ魔力が見付かったの。みんなで研究したから色々とわかって来たけれど、治癒には時間がかかるし、普段よりも魔力を消耗するわ。だから……」と言いかけて、ミサトは人を庇いがちな少年を見詰める。その目線をエルフの少女たちも追い掛ける。

 当人は首を傾げていた。

 

「……こほん。他の人からも話を聞いたら、穴からは色んな魔物さんが出て来るんですって。エルフの結界で封じ込めるにしても、あんまり結界の魔力が効かない子がいるとそこから破られちゃうと思うの。

 逆に言えば、出て来る魔物さんを網羅して、その魔力に応じた結界を幾重にも張れれば封じ込めるのも決して不可能ではないわ。もちろん抜本的な対策をするに越したことはないけれど、それは【カルミナ】のチカちゃんや腕利きの魔法使いさんたちを呼んで、一緒に封印することにしようと思ってるの。

 それでね、ユウキ君、クロエちゃん、ハツネちゃん、アオイちゃんの四人には、なるべく色んな魔物さんたちを倒して、ギルドハウスまで持って来てもらいたいと思ってるわ。……あなたたちならきっと出来ると思うから」

 

 ミサトの依頼はクロエからすれば願ってもない、単純なものだった。人の護衛をするよりも気楽だ。ユウキをしっかり守ることも、手練のハツネとアオイがいれば容易だろう。今のエルフの森は決して予断を許さない状況ではあるが、活路があるならそれに乗っかって勝ちの目を作った方が良い。沈んだ空気を吹っ飛ばす好機でもある。

 ユウキとアオイも明快な目的にやる気がバチバチに湧いているようで、BB団とか何とか騒ぎながらバンザイしている。あちらの方からは目を逸らしつつ、

 

「……ま、うちらに任しといてもらって。ミサトセンセたちは結界とか治療のためにしっかり休んどいてもらえたらと思うっす」

「……ありがとね、クロエちゃん。実はね、先生は今とってもわくわくしてるの。ユウキ君とあなたが来てくれたことで、おかしくなった森がまた元通りになるかもしれないって思えているのよ。――どうか、お願いね」

 

 ミサトに手を握られた。不意に優しい温もりに包まれて、クロエは何も言えずに俯いていることしか出来なかった。

 ここでユウキが「僕も僕も!」と言い出さなければ、本当に母性を求める魔物と化してしまっていただろう。うちだけがなかよし部の良心なのだ――クロエは必死に耐えた。

 

◆ ◆ ◆

 

 森に朝が来た。

 腰を上げようとして不愉快な疲労感に一瞬ふらついた。昨日の魔力の消耗が激しかったこともあるが、森の瘴気の影響もあろうかと男は思った。

 本来エルフの森はエルフ族にとっての揺籃のようなものであり、例えば木に身を預けるだけでも森の霊力との繋がりが大きくなり、魔力や体力をそれだけ大きく回復することが出来る。

 ところが今は森とエルフとの絆が断ち切られたようになっている。木々に触れてもまるで言葉を返さない。この瘴気のせいだろうが、これがどうして発生したかは判らなかった。あまり重要なことでもなかった。

 ともかく、体を休めていた木の洞から出て、魔物の血と脂にまみれた短剣を取り出す。刀身に触れた時、こびり付いたものから微かに嫌な魔力を感じて手を止めた。それはエルフ族だからこそ感じ取れる、ごくごく些細なものだったが、それ故にエルフ族への満々たる憎悪を感ぜずにはいられなかった。

 木の葉を敷き、昨夜生成した魔法の水を短剣に振り掛ける。汚いものをこそげ落とすように砥石で擦ると、血の魔力が水の魔力に掻き消され、葉の上に赤い雫となって落ちた。それは葉を舐め、葉脈を蝕みながら広がって行く。獲物を貪るように。

 男は熾火の呪文を唱え、敷き葉を燃やした。

 魔法の水を啜り、自身に強化の魔法を掛けて、再度川まで汲みに行くことにした。

 目的の地はそう遠くはない。事に臨むために魔力を回復しておきたい。逸る心を抑えつつ、男は歩き出す。

 

◆ ◆ ◆

 

 ミーティングを済ませた三人は、人影の無い食堂の一隅でハツネの食事が終わるのを待っていた。「ユウキくんにバクバク食べてるとこを見られたくなくて……」とクロエの耳元で乙女らしい事を言っていたので、情けをかけてやることにしたのだった。

 戦場に赴く前の静かな時間を送ろうとしていたクロエだったが、震え出したアオイがユウキに話し掛けた。

 

「だだだだ団長さん……、私大丈夫でしょうか? みなさんの足を引っ張ってしまわないでしょうか?」

「アオイならきっと大丈夫。マイフレンドくんV4もアオイのことを見守ってくれてるはずだよ」

「……で、でも、いざってなると本当に怖いんです。昨日までも不安でしたけど、今日はユウキさんにクロエさんも一緒で、怪我の治療にも時間がかかるそうですし……もしも私の矢が届かなくてお二人に怪我をさせたりしたらと思うと……」

 

 そこまで言って、アオイは俯いてしまった。さっきまでのはしゃぎぶりが嘘のように弱気になっている。

 アオイは時々の感情に強く影響を受けやすい。本質的には臆病で気弱なのに、いきなり吹っ切れたようにめちゃくちゃに明るくなって、それが過ぎると一気に沈み込んでしまう。とはいえ、ここまで大きな揺り戻しが起こるのは信頼出来る友人が身近にいるからなのかもしれない。

 ユウキは彼女の震える肩に手を掛けて、「BB団の絆は裏切らない」アオイの目をまっすぐに見て言った。まっすぐな信頼が届いたのか、アオイの震えが少しずつ収まって行く。もう顔は上を向いていた。

 クロエはしばらく二人を眺めていたが、

 

(ふーん……あいつ、ああやって女子トモを籠絡してんのね。ま、あいつのことだし他意はないんだろーけど……アレどー見てもヒロインを落とす主人公のムーブなんだよなァー……。いいけど、なんでも……)

 

 二人の空間から目を離し、短剣を抜き取ってしげしげと眺める。戦闘に入る前にする精神統一のルーティーンだ。

 短剣は光を浴びて鋭く輝いた。いついかなる時も武器の手入れを怠るべからず。父親の遺訓みたいなものだが、クロエにとっては大切な指針となっていた。守らなければならない時はいつ来るか分からないのだから。

 

「みんなおまたせー☆ 朝ご飯を食べて元気いっぱいのハツネちゃん参上なのだ〜!」

 

 ルーティーンの終わる頃、ハツネの元気な声が耳に届いた。

 シオリお手製のリボン(ハツネがベッドで自慢していたのを思い出した)、星空のような色合いのコーデ、星をあしらったアクセサリーをごてごてと組み合わせたハツネらしい装い……要するにいつもの服だったが、よく見ると杖の意匠が変わっていた。アオイのように、特別なカスタマイズを施したのだろうか。

 

「お、やっと来た」

「ごめ〜ん、待たせちゃったね……って、ユウキくんとアオイちゃんは何をしてるの?」

「さあ……BB団? ってのの儀式か何かじゃないの、知んないけど」

 

 二人の話し声に気付いたアオイの顔から恍惚とした表情が消え失せ、いつもの顔に戻って行った。そしてユウキから身を離して机に突っ伏した。何かもごもご言っているような気がしたが、何を言っているのかはさっぱり聞き取れない。

 少しして「すみませんすみません……」という声が聞こえたものの、何に謝っているのかはわからない。

 

「うーん……? まあいいや、それじゃあアオイちゃんが行けるようになったら出発しよー!」

「おーっ!」

 

 浮かれているくらいに元気いっぱいな二人。

 

「すみませんすみません……」

 

 悶え苦しんで譫言を言っている少女。

 

「……ホントに大丈夫なんかコレ……?」

 

 クロエは前途が不安でならなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

 なんやかんやでエルフの精鋭たちが出発したのと同じ頃。

 

「あぁ〜……眠い、早く休みたいよぉ〜……」

 

 リスの獣人族の少女――リンは朝の見回りをしていた。【牧場】の周りをぐるりと見回して、何か怪しい物や事があればギルドマスターのマヒルに報告する仕事だった。【自警団】(カォン)の出向組として、最低限の仕事をこなす義務を負っているのだった。

 とはいえ、牧場は大抵の場合のどかなので、ぐるっと見回すだけでも良いのだが、サボリ癖がまた酷くなっていると毛むくじゃらのリマに言われてしまい、身の潔白を証明するべくしぶしぶ仕事に精を出していた。

 

「んん〜……っ。……今日も一日何事も無し、ヨシ! ドングリ拾いはまた今度にして早くゲームの続きしよ〜っと…………って、んん?」

 

 リンは森の方に何かの違和感を抱き、吸い込まれるようにそちらの方を見詰めていた。

 いつもの森なのに何かが違う。

 直後、強烈な臭気。腥い血と脂の臭いがリンの嗅覚を侵す。鋭敏な嗅覚が仇となって意識が飛びそうになり、立ちも敢えずうずくまる。

 

「げほっ、ごほっ……何この臭い!? めちゃくちゃクサい!」

 

 生命の危機を朧気ながら感じたのか、体が俊敏に動き、気付けば大きな樹上の洞穴にすっぽり入っていた。

 足元が揺らぐ感覚。恐る恐るそちらに目をやれば、巨大な一つ目の魔物が我が物顔で森を闊歩しているのが見えた。四本の腕は分厚い皮にありったけの肉を詰め込んだように膨れ上がっている。

 

(さ、サイクロプスだ……なんでこんな所に!? っていうかこれ、絶対ギルドハウスにまで来るよね!?)

 

 リンの視線に――あるいは獲物の臭いに気付いたか、魔物は歩みを止めた。

 息を潜めたがもう遅かった。

 

 ――グオオオオオッ!

 

 唸り声が耳を聾した。

 木が枯れ枝のようにへし折られた。

 

「うそ……っ!? わああああっ!」

 

 小柄な体は倒れる木の勢いのままに投げ出された。大きな尻尾をクッション代わりにして何とか着地の衝撃を和らげはしたが、痛みで少し足がふらついた。

 魔物は枝葉に遮られてリンの姿をしばらく探しているのか、腕をめちゃくちゃに振り回している。

 今しかない。

 痛みと恐怖に怯える足に鞭打つようにして、リンはその場を後にした。

 

 【牧場】に何度目かの危機が訪れようとしていた。




暇な時間を見付けて書き溜めたプロットが完成しましたが、なかなか手が動かなくて小説に出来ないのが悩みです。
描写が特に難しい……ゲームのようにセリフだけ書いてたら小説風にする必要がありませんし、かと言ってゴテゴテ書き過ぎるとテンポが悪くなりますし、常に悩み通しです。


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4話 【牧場】なりの戦い、そして

投稿が大幅に遅れてしまい本当に申し訳ありません。
通勤疲れに資格の勉強に加え、慣れない描写の執筆ということもあり、全然書き進めることが出来ませんでした。
お待たせしてしまったこと、深くお詫びいたします。


 澄んだ空の青さが目に眩しい。ギルドハウス前の木々の壁に開けた大きな穴から、昨日までと何一つ変わることなく太陽は照り輝いていた。悪くない日和。

 ユウキと人夫の男性たちは魔物の運搬に使う荷車を用意すると言っていたので、その間に軽く辺りを見て回ることにした。準備運動も兼ねて危ない魔物が出たら先んじて始末しておきたかったが、この周りには魔物の気配は感じられなかった。或いは森の奥から感じる濃密な気配に隠されているだけなのかもしれない。

 戦きを皮膚から感じて、気持ちが乱れかけた。腰に提げた小物入れから棒付き飴を探り出し、口に運ぶ。いつもの味が乱れ恐れる心に沁み渡った。

 

(飴がそろそろ無くなるな……帰還したら補充しとこ)

 

 ころころと舌で弄びつつ、短剣を鞘から抜き出す。湾曲した刃には刃こぼれ一つ無く、鋭利そのものだった。研ぎ栄えを見てにやりと笑う。父親から渡された無銘のククリナイフは、愛着が染み付いた逸物になっていた。時々仰々しい名称の短剣にも手を伸ばしてみるのだが――冥刃・鴉天狗とか天黒剣オブシウスとか――、やはり使い慣れたものが一番使いやすい。とはいえそういう武器のデザインの良さには惹かれるものがあるし、今度またユウキを誘って色々と見て回るのも良いかもしれない。

 

「クロエちゃんおまたせー!」

 

 弾けるような声がクロエの耳朶を打つ。目をやると、大きな荷車をユウキとエルフ族の人夫が曳いて来るのが見えた。ハツネが先導して、アオイが荷車の後ろに隠れるように付いて来る。車輪の両側には男性が一人ずつ。ユウキも含めた四人で交代で運搬するらしい。

 

「おつかれー。……いやデケぇなオイ。ゲートキーパー? だったかがすっぽり納まりそうなサイズじゃん」

 

 火を噴く扉型の魔物の大きさを思い出しながら口を出す。それを寝かせて五体分くらいは入りそうだった。一般的な魔物なら詰め込めば十体くらいは入れられそうだ。

 

「ミサト先生にたくさん魔物を持っていってあげたいからね〜。クロエちゃんにも期待してるよ!

「……まぁ、期待にゃ答えてやっけども」

 

 まっすぐ言われると面映ゆい。

 

「よーし、今日はがんばるよー!」

「おーっ!」

 

 いつの間にかここに来ていたユウキがハツネの掛け声に答えて腕を振り上げていた。

 

「テンション高ぇなこいつら……。ま、いいけど」

「お、おーっ……」

 

 クロエの傍でこっそりと腕を上げるアオイ。どうも普段接しない人がいるとあの異様なテンションが発動させられないらしい。ハツネもユウキも荷車の方に行ってしまったので、クロエは何も聞かなかったことにしておいた。

 少し間を置いてから飴を一本抜き取って、アオイの口に入れてやった。アオイは初め声にならない声を上げていたが、甘味に絆されてにこやかな笑顔になって行った。

 程なくクロエとアオイを呼ぶ声。

 

「んじゃまぁ行くか。……アオイ、アメちゃんは噛んでもいいから。あんま大事そうに口に入れとかんでも」

 

 人から貰ったものを大事にしたがるのは良いのだが、飴なんて後でいくらでも舐めさせてやれるのだから、あんまり感極まったかのような表情をされると落ち着かない。

 ――私なんかに下さったものを無下にはできません! みたいな事を思っているのだろうか。アオイのぼっちが酷いのはこの辺の大仰な態度にも理由がありそうだ。

 

(帰ったらアメちゃん十本くらい喰わせてみっかね……ウケるリアクションが見られそうじゃん)

 

 危険な遊びを考え付いたクロエは、アオイの手を引いて部隊へと混ざって行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 【牧場】近くの森。

 痛む足で必死に逃げるリン。

 巨大な魔物の視線が憐れな餌を捉えた。森を踏み鳴らす跫音が逃げる獲物を追い詰める。

 

「わああああああ! たすけてぇー!」

 

 声を限りに叫んでみても助けが入る道理が無い。それでも喚かずにはいられなかった。

 懸命に逃げながら、これを牧場に引き込んで大丈夫なのかという疑問が頭を過ぎった。【牧場】ギルドマスターのマヒルは小柄ながら魔物を吹っ飛ばす剛力の持ち主だが、それもこの巨体を相手にしては通用しないだろう。

 毛むくじゃらの獣人族のリマも巨体で力持ちではあるが、抑え込むには魔物の体はあまりにも強靭で、リマといえども押し返されてぺちゃんこにされてしまうかもしれない。

 守りに入ったら牧場が破壊されてしまうのは目に見えている。となるとあのサイクロプスを倒してしまうしかない。

 サイクロプスは大きな目がそのまま弱点になっており、それを貫くことで倒すことが出来る、と読書家のシオリが言っていたのを思い出した。そして今それが可能なのは弓使いの彼女しかいない。

 

(しおりんに何とかしてもらうしかないよね、これ……? でも……)

 

 昨日の夜、静かなギルドハウスに何度も咳き込む声が響いたのを思い出す。久し振りの来客に興奮したシオリが体力を使い過ぎたのだ。今朝は静かに寝入っていたとはいえ、戦えるだけの体調になっているとも考えにくい。

 こんな時にあいつがいてくれたら――リンの脳裏にある少年の顔がちらつく。――せめてあの強化の力があればあたしの槍で――

 

「――あっ」

 

 足元が疎かになって、落葉に隠れていた木の根にひっかかった。

 勢い良く転がって行き、その先にあった木に強かにぶつかった。息が出来なかった。

 巨大な目が動けなくなったリンを睨め付け、愉快そうに笑う。本当ならこんな目玉もたやすく潰してやれるのに――今は体を動かすこともままならない。

 不遜な視線に苛立ったか、魔物に尻尾を掴まれた。付け根に千切れるような痛みが走る。「あぐっ……!?」声にならない声が漏れる。直後、拳を腹めがけて捩じ込まれた。軟らかい地面に打ち据えられて、リンは気を失った。口から数条の赤い滴りを流していた。

 魔物からすれば動かなくなった丸っこい体を八つ裂きにするのはあまりにも容易い。口元を醜悪に歪めて、もう片方の手が伸びて行き――

 

「――リンちゃん! でええええい!」

 

 ――白い獣の突進が、魔物の脇腹に突き刺さった。油断していた魔物は足元をふらつかせ、リンの体を手放した。体はぼとりと地面に弾み、身動ぎ一つしない。

 突っ込んだ勢いのまま両腕で拾い上げて、強靭な足で駆け出す。苦痛に歪んだ表情に、流れ出る血に、心が傷んだ。もう少し早く気付けていたら、という思いを抑え込む。

 今はとにかくここから離れなければ。

 魔物の猛烈な怒りはすぐにやって来た。大きな物音が遠ざかろうとするのを見付けて、眼を血走らせながら追い掛ける。リボンを付けた獣――リマは地の利を活かして小回りを利かせることで魔物を出し抜いて、少しずつでも距離を開けて行った。

 木々がなぎ倒されて地響きが鳴る度に飛び上がりそうになる。【牧場】は今まで何度も災難に見舞われて、その度に跳ね返して来たとはいえ、本質的に戦うギルドではない。強大な暴力の前にはなす術が無い。巨大な魔物が出た場合、普段はリンの巨大な槍やシオリの弓矢で追い払っているが、リンが気絶しシオリの体調が思わしくない以上、【王宮騎士団】が来るまでの時間稼ぎが関の山だ。

 そして、マヒルが救援を呼んで戻って来るまでは一人で持ち堪えなければならない。力には自信があるけれど、どこまでやれるかは判らなかった。

 やがて木々の覆いが途切れ、のどかな牧場の景色が見えて来た。更に足を速める。刻々と迫り来る跫音を振り切って、リマは牧場に足を踏み入れた。

 森から飛び出したサイクロプスは不愉快な唸り声を上げてその場で地団駄を踏んでいた。朝の微弱な日光といえども、大きな一つ目にはかなりの刺激になるのだろう。

 何にしても、このチャンスを逃す手は無い。今のうちに――

 

 ――グルァアアアアアア!!!

 

 大音声。

 サイクロプスの苛立ち紛れの怒声がリマの耳朶を劈いた。

 

「ぐうぅぅ……っ!?」

 突然の轟音に意識を持って行かれ、蹴つまづいた。脳を直に揺すぶられる感覚と、耳の奥から響く激痛に、リンを庇うように倒れ込むのが精一杯だった。リンの大きな耳をリマの体毛が覆っていたおかげで、鼓膜を破られずにいたのは幸いだったかもしれない。

 平衡感覚を吹き飛ばされたリマの眼前に巨大な一つ目。柵が壊されたことにも気付けなかった。獲物を仕留めた歓びに、捕食者は笑う。その息が朝の日差しに煙る。

 いけない、せめてリンちゃんだけでも守らないと――

 

「――リマリマ!」

 

 魔物の横っ面を巨大な牛乳缶が張り飛ばした。死角からの強烈な一撃に魔物はたじろいだが、強靭な肉体に守られて気を失うには到らない。

 

「あれ食らって気絶しねぇなんて、どんな頭してんだべ……!?」

「マヒルちゃん……!?」

 

 牛のポンチョを着た小柄な女性――マヒルはリマをちらりと見ると、「リマリマ、立てるべか?」と声をかける。マヒルのおかげで感覚を取り戻す時間が稼げた。「……うん、大丈夫そうだな。リンリンを連れてってやってけろ。……ああ、痛かったろうなぁ」

 その声に強い怒りが滲んで来ているのを聞き逃すことは出来なかった。リマは頷いて、「きっとすぐに戻って来るわ」と言うとギルドハウスへと向かって行った。

 その後を追わんとするサイクロプスの足元に、背中に括ってあった三叉槍を投げ付ける。びいん、と槍の柄だけが揺れた。

 

「……どつきがいのある頭だべ。ツッコミの練習台にはちょうどよかんべな。今日はちょっとどつき漫才をやりたい気分だから、付き合ってもらうべよ。

 ――リンリンとリマリマにひでぇことしたの、オラは絶対に許さねぇど!」

 

 少女同然の小柄な体から憤怒が迸る。

 魔物もまた、再三の邪魔に苛立ちを隠していなかった。躍り掛かり、潰れよとばかりに拳を振り下ろす。飛び退ると草原に大きな穴が開けた。

 うかうかしていたら牧場がぼろぼろにされてしまう。

 力を込めて、再度牛乳缶で殴り付ける。身構えた筋肉に弾かれるが、その隙に槍を拾い上げた。

 すぐに身を引き離す。大きな穴がまた一つ増えた。以前の講習で叩いては逃げる戦法を学んでいたおかげでやられずにいるものの、決め手が無いのはいかんともしがたい。

 穴ばかりが増えて行く。自身の非力がもどかしかった。

 圧倒的な力の差を悟ってか、サイクロプスはにたにたと笑った。微弱な抵抗などすぐに捩じ伏せてやろう。言葉を解せばそう言ってのけただろう。

 事実、このままではすぐに叩き潰されるだけだ。

 にもかかわらず、マヒルは笑った。

 

「……確かに、オラだけでは勝てやしないべ。だからこそ――出でよ、エリザベス!」

 

 槍を振り上げて、相方の名前を呼び上げた。

 どこからともなく大きな牛が駆け出して来て、魔物の背中目掛けて突撃した。バランスを崩したサイクロプスの体がどうと倒れた。

 マヒルは傍に来た牛の頭を撫でてやった。尻尾をぶんぶんと振り回していたので、終わったら念入りに労ってやろう。

 立ち上がったサイクロプスは三度の屈辱に怒り狂った。

 地団駄を踏む姿に、却って恐怖心が薄らいだ。

 牧場を荒らす不届き者に槍を突き付ける。

 

「人牛一体のコンビネーション、とくと味わうべ!」

 

 重くなって行く体を強いて奮い立たせる。

 エリザベスに跨ると、マヒルはサイクロプスに向けて突っ込んで行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 リンの体をベッドに横たえる。苦痛に引き攣った顔が痛ましかった。

 【牧場】ギルドハウスには動物との触れ合いで怪我をした時に応急手当をするための部屋が造られており、繃帯や薬品もそこに集められていた。棚から一通りのものを持ち込んで、リマは手当を始めた。

 お腹を捲り上げると、拳のめり込んだ痕がありありと浮かんでいた。臓器に影響が無いことを祈ることしか出来ない。女の子の体にこんな大きな怪我を付けるなんて――改めてサイクロプスへの怒りを新たにした。

 

「尻尾の付け根に繃帯を巻いて……っと。……やれる事はやったけれど、ここの薬だけじゃどうにもならないわ。お医者さんが一番だけど、私のことを見たら逃げちゃいそうよね……うーん、それなら回復魔法を使える子……あっ、そうだわ、マホちゃん!」

 

 リマの頭に、独特な訛りで喋るメルヘンチックな狐耳少女の姿が浮かんだ。彼女は回復魔法が使えるし、彼女がリーダーを務める武闘派ギルド【自警団】ならこの強い魔物たちとも対等に戦えるはずだ。

 とはいえサイクロプスだけはどうにかしないと行けない。平地で走ればまず間違いなく追い付かれるし、こんな魔物をランドソルに連れて行ったら大惨事になる。何とかしなければならない。

 だけどどうすれば?

 窓の外を見ると、マヒルとエリザベスがサイクロプスの攻撃をちょこまかと避けつつ反撃を続けていた。しかし魔物には全く効いていない。

 次第に牛乳缶を振り下ろす速度が落ちて行く。

 拳を躱す動きがどんどん鈍くなって行く。

 力が尽きかけているのは明らかだった。

 ――考えている場合じゃないわ。行かなきゃ!

 部屋から飛び出して玄関に行くと、そこには朝から眠っているはずの少女が、弓矢を携えて待っていた。

 

「シオリちゃん……!? まさか、戦いに行く気なの!? ダメよ、寝てなくちゃ!」

 

 シオリは壁に凭れて辛うじて立っていた。血色が悪い。息が上がっている。昨日の疲れと病気がのしかかっているのはすぐに判った。

 こんな状態で戦闘なんてしても持つはずが無い。

 シオリはリマの心配を察していたが、それでも引こうとはしなかった。

 

「二階から、リマさんやマヒルさんが戦ってるのを見ていました。あのサイクロプスは凄く強い。ですけど、サイクロプスである以上、目を射抜けば倒せるはず。リンちゃんが倒れた今、私がやらないといけないんです……」

「だ、だけど……」

 

 リマにも、シオリの矢でならあの魔物をやっつけられるだろうということは判っていた。日差しだけであれだけもがき苦しんでいたのだから、矢でなら確実に倒せるはずだ。

 しかし、と咳き込むシオリを見て思う。今の彼女に弓を引くだけの力があるだろうか。真っ先に狙われたらなすすべも無く殺されてしまう。守り通せる自信もない。

 逡巡するリマを見て焦れったくなったのか、シオリはリマに歩み寄る。一歩一歩、病人の覚束無い足取りで、ようやくリマの胸元に辿り着いた。抱き留めてあげると、シオリが口を開く。

 

「……【牧場(私たち)】はみんなで戦うんです。吹けば飛ばされるような私たちですけど、みんなで団結すれば、きっと倒せますから……!」

「シオリちゃん……」

 

 陰謀と暴力に晒された牧場をみんなで守り抜いた、あの日々のことを思い出した。シオリの覚悟はあの時のように

 

「……わかったわ。でも、絶対に無理はしちゃダメだからね」

 

 あくまでもシオリを気遣う言葉に、「……はいっ」シオリは嬉しそうに言った。

 リマはシオリを背負うと、ギルドハウスの外へと飛び出した。

 

◆ ◆ ◆

 

 マヒルの槍が弾き飛ばされた。

 腕ごと持って行かれたかのような衝撃。

 

「ぐううっ……!」

 

 マヒルの小柄な体にはもうほとんど体力が残っていない。尋常ならざる速度の拳を避けるのはもちろんのこと、拳が跳ね上げる土の塊が、マヒルの動きを大きくさせ、反撃を許さなかった。

 牛乳缶は圧し潰されて鉄の板になっていた。白い染みがあちこちに飛び散っていた。

 エリザベスも疲弊し切って息が荒い。

 怒りだけではどうにもならなかった。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

(オラがもっと強ければ……こんな魔物くらい、けちょんけちょんにしてやれんのに……!)

 

 振り上げられる拳。

 疲労で浮きかけている足。

 避けられない――

 

「――エンチャントアロー!」

 

 一陣の風と見まがう矢の一閃が、サイクロプスの胴体に突き刺さった。

 ――ギャオオオオオッ!

 鼓膜破りの大声に慌てて耳を塞ぐ。

 

「マヒルちゃーーんっ!」

 

 勢い良くリマが駆け付けて、マヒルと魔物の間に立ち塞がる。その背中には、病んで眠っているはずの少女が懸命にしがみついていた。

 

「マヒルさん……っ!」

「シオシオ!? 体は大丈夫なんだべか!?」

「大丈夫……です……!」言いながらシオリは咳をした。「この魔物を倒したら、しばらくゆっくり休ませてもらいます……」

 

 言いたい事はたくさんあったが、マヒルは一旦飲み込んだ。ふらつきながらも立ち上がることを選んだのなら、野暮な事は言いたくなかった。

 弾き飛ばされた槍を拾い上げる。腕に再び力が籠って行くのを感じる。

 

「シオシオ……絶対にあいつを倒すべ!」

「行くわよ、マヒルちゃん、シオリちゃん!」

「はい……!」

 

 リマは剣を構えて、マヒルとシオリの盾になるように立った。特にシオリは死んでも守らなければ行けない。

 マヒルも同じ思いだった。エリザベスとシオリを更に下がらせながら言う。

 

「オラたちでどうにか隙を作っから、行けると思ったら射ってくれ!」

「シオリちゃんの準備が出来たら、思いっ切りやっちゃって!」

 

 二人の言葉にシオリは力強く頷いた。

 シオリの体調のこともある。すぐにでも終わらせないと行けない。二人は肚を括り、敵を見据える。

 魔物の呻き声が止んだ。再度の怒声が落雷のごとく鳴り響む。ちっぽけな反抗が積み重なって、魔物の苛立ちは最高潮を迎えていた。

 【牧場】の仲間たちは恐れない。大切な場所のため、傷付けられた仲間のために。

 

 拳がリマに飛んで来た。

 血走った瞳には獰悪な意志が充満していた。

 頑丈さには自信があるが、まともに受け止めることは出来そうにない。後ろに飛んで躱す。

 四本の腕から繰り出される拳の波をいなしては避けつつ、隙を見て懸命に攻撃をするが、剣は肉に弾かれる。恐ろしい硬さだった。

 

「くっ……逃げながらだと力が入らないわ……」

 

 木の伐採を涼しい顔でこなすリマだが、戦闘における剣の扱いには不慣れだった。大抵の魔物は剣を鈍器として振り回しているうちに倒せてしまうためでもあるが、蹄で挟んでいるために動くものを切り付けることは本来難しいのだ。

 まして果てることを知らぬ猛攻だ。回避を優先するために腰を浮かさざるを得ず、碌に力が入らない。

 じりじりと体力を削られて行くばかりだった。

 何とかして隙を作らなくては――何か、何か……。

 下がりながら目をあちこちに向けているうちに、リマは閃いた。

 下がる方向を少しずつずらして行く。

 

「さあ、私はこっちよ!」

 

 魔物は獲物の意のままに動いた。

 向かう先はマヒルとエリザベスが必死に戦っていた場所。輪を描くようにして、拳の痕が目立つ場所まで戻って来た。

 足元が不安定な場所に引き寄せても、リマが戦いやすくなる道理は無い。寧ろ防戦が難しくなるばかりだ。転ばせるにしてもあの浅さでは――

 

(……そうか、リマリマは……! なら、オラのするべき事は……)

 

 リマの行動の意図に勘付いたマヒルは、シオリに声をかける。

 

「シオシオ、リマリマの後ろで準備するべ。渾身の一発であいつを射抜いてけろ」

「……わかりました」

「オラは仕込みをしに行くべ。エリザベスはシオシオと待機だ」言いながら、近くに来ていたエリザベスの首元や耳元を掻いてやる。「オラが指示を出すから、あいつに思いっ切りぶつかってけろ。渾身のツッコミに期待してるべよ」威勢よく鳴いたのを聴いて、満足気に笑った。

 

 リマは攻撃をいなしながら、誘導を続ける。横に薙ぎ、縦に振り下ろされる一撃一撃は、命を粉砕する鎚のようだった。

 それももうすぐ終わる。

 

「――リマリマ、準備が出来たど!」

 

 マヒルの声を合図に、リマは急に大きく跳び退った。逃げる餌を追い掛けるべく、サイクロプスは足に力を入れようとして、つるつる滑る何かを踏んだ。前のめりに拳を振り下ろし続けるうちに腕が足元を隠してしまい、鉄の板――マヒルの牛乳缶だったものに気付かなかった。

 板は魔物の後方に勢い良く吹っ飛んで行く。

 重力に引っ張られ、サイクロプスは前方に倒れ込む。

 

「――エリザベス! 思いっ切り突っ込むべ!」

 

 その胸板に、エリザベスの渾身の突進が突き刺さった。

 その背後からリマの突進が続く。

 サイクロプスの巨体が浮き上がった。

 

「――今だべ、シオシオ!!」

「――行っけええええ!」

 

 無防備に見開かれた瞳目掛けて、鋭い風が突き抜けて行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 牧場には、巨大な亡骸、やるせない疲労感……そして大切な人と場所を守り抜いた達成感があった。

 死体の後片付けをしないと動物たちが嫌がるとは思いつつも、マヒルは体を動かす気にはなれなかった。草原に身を横たえ、茫然と空を見上げている。鼓動は激しいままだった。

 

「……はぁ、はぁ……朝からハードな稽古だべ……鍛え直さにゃならんべなぁ……わぷっ!? こらこらエリザベス、くすぐったいべや……」

 

 エリザベスがマヒルの傍に寄って来て、顎の辺りを舐め回した。汗や土埃で汚いので止めさせるべきだったが、親愛の気持ちを無下には出来なかった。

 続いてリマがマヒルのところにやって来た。背中からシオリの虎耳がぴょこんと顔を出している。

 

「お疲れさま〜マヒルちゃん」

「リマリマもお疲れ様だべ。シオシオは大丈夫だべか?」

「シオリちゃんは大丈夫よ」そう言うと、振り向いて背中にいる少女を見せた。リマの体毛に埋もれて顔は見えなかったが、かすかに寝息のような音が漏れている。「朝からすごく頑張ってくれたし、そろそろ寝かせてあげたいわね」

「そうだな……シオシオにはしっかり休んでもらわねぇと」

「マヒルちゃんも一緒にギルドハウスに戻る? 連れて行ってあげましょうか?」

 

 疲れ切った肉体にはリマの提案は魅力的だったが、今はまだぼうっと寝転んでいたかった。リンが今のマヒルを見たら「あたしもサボる〜」と一緒に寝転んでいたかもしれない。

 

「ありがてぇけんど、オラはもう少しここにいるべ。エリザベスの世話もしてやんねぇと」

「そう? それじゃあ私たちは先に戻るわね」

 

 リマがシオリの体を揺すって背負い直した。揺れにびくっと震えて、シオリがもぞもぞ動いた。

 

「あっ、ごめんなさいねシオリちゃん。揺すっちゃったから……」

「いえ……なんだかドキドキしてて、よく眠れなかったんです。みんなでやっつけたんだって思うと、達成感が凄くて……」

 

 マヒルはぽつぽつと喋る声を微笑みながら聴いていたが、シオリの淡黄色の瞳が赤くなっているのに気が付いた。緊張して目を使いすぎたのだろうか。

 

「おろ? シオシオ、目が赤くなってるべ」

「えっ、本当ですか?」

「ああ。このままだとリンゴみたいになっちまいそうだべ。弓使いは目が命、しっかり休んでもらいてぇ。牧場の片付けはオラたちで頑張っから、シオシオは休むのを頑張ってけろ」

「……はい」

 

 リンが聞いたら「あたしも頑張って休みたい〜!」と喚き散らしかねないセリフだ。病弱な身でありながらやれる事を精一杯やってくれるシオリだからこそ掛けてあげたくなる言葉だった。

 

「リンちゃんをマホちゃんの所まで連れて行ったら、私もすぐにお手伝いするわね」

「頼んだべ、リマリマ」

「それじゃあ、また――」

「――二人とも、待ってください! 向こうを見て!」

 

 シオリがいきなり叫んだ。

 震える指の先には、大量の魔物が湧き出るようにして牧場の柵を乗り越えて来ていた。

 

「……何なんだべありゃあ!?」

「嘘……!?」

 

 動揺するリマの背中から飛び降りて、シオリは言う。「リマさん、剣を取ってください……! 私も戦います……!」

「無茶よ、シオリちゃん!」シオリを抱えようとするものの、するりと避けられてしまう。

「平気です……今は、何だか、体がよく動かせそうなんです……!」そう言うと矢を次々に射ち出した。魔物はばたばたと倒れて行く。確かに体の調子は悪くなさそうだ。

「……シオリちゃんがやれるって言うなら、私も一緒に戦うわ」リマも再び剣を抜いた。「終わったら絶対安静なんだからね!」シオリは微笑んで「はい……!」と言った。

 

 二人の活躍で前方にいた魔物はあっさりと動かなくなって行くが、後続の魔物たちは斃れた同胞を踏み越えて牧場を侵食しようとする。シオリとリマは協力して押し留める。

 マヒルは一人、不可解な現状に戸惑っていた。

 

(どうしてシオシオは何度も矢が射てるようになってんだべか……? あんなに疲れてるってのに……)

 

 当然の疑問だった。兄ちゃん――ユウキの強化が無い状態では繊弱なシオリの体はすぐに息切れする。調子が良い時でもそう長くは戦い続けられない。

 だというのに、今のシオリはいかにも快活に、軽々と魔物を射抜いている。楽しくて仕方ないというようにさえ感じられる。

 矢を放つ時、シオリの体の周りを黒い風が吹き抜けた。

 何かがおかしくなっているのは明らかだった。

 

「大変よマヒルちゃん! 槍を取って!」

 

 声に呼ばれて見れば、広大な牧場を呑み尽くさんとするほどの魔物がこちらにやって来ていた。柵は完全に潰されていた。

 魔物たちの目は真っ赤に染まっていた。異常な昂奮を示しており、動くものならなんでも襲いかねないとすら思えた。

 ――今は考えてる場合じゃねえべな……!

 槍を持ってシオリとリマに加勢する。

 エリザベスもまた、助走を付けて魔物の群れに体当たりを始めた。

 

「でりゃあぁ!」

 ――ギャオオオオッ!

「助かったわマヒルちゃん! ――はっ、危ない!」振り向きざま剣を振り回してシオリの近くまで来ていた魔物を食い止める。「大丈夫!?」

「何とか……ですけど、数が多過ぎます……! 一匹一匹は弱いのに……!」

 

 魔物の一体一体はマヒルの突きだけでも倒せる程度だったものの、それが洪水のように押し寄せて来るとなると話が変わる。【牧場】の面々は疲れ切っている肉体を更に酷使して持ち堪えていたが、無理がいつまでも通せるはずもなく、どんどん押し返されて行く。

 シオリは攻撃の手こそ速いが、魔物が迫って来る速度には間に合わない。

 爪が太腿に飛ぶ。

 牙が腹を舐める。

 シオリはそれらを悠々といなしていたが、マヒルは気が気でない。

 

(シオシオ、攻撃に夢中になり過ぎだべ! 万が一のことがあったら……!)

 

 マヒルの危惧にも拘わらず、矢を射る手はなおも止まらない。

 迫り来る爪牙の雨を紙一重で躱しながら後退るうちに、サイクロプスの死体のところまで来ていた。【牧場】ギルドハウスまでもう後僅か。

 ――一か八か、みんなにも助力を頼むしかねぇか……!

 牧場の家族――牧場で飼育している牛や鶏たちをも引っ張り出して、みんなで突撃させようかと考えていた。リマとシオリの活躍で魔物の数もそれなりに減らせていた。全員で突っ込めばもしかしたら――

 急に魔物の進軍が止まった。

 魔物たちはサイクロプスの死体を見るや、その体を少しずつ貪り始めた。弛緩した筋肉は魔物の牙をすんなりと受け容れて、魔物たちの腹に納まって行く。

 

「ううっ、気持ち悪いわ……!」目を背けるリマ。

「サイクロプスの体は筋っこくて食べられたものじゃないって、どこかで見た覚えがありますけど……」

「……何にしても、今がチャンスだべ。シオシオ、オラは牧場の牛たちを連れて来るから――っ!? なんだ、あれ……!?」

 

 マヒルの目の前で、サイクロプスの肉を喰らった魔物たちが変態して行った。

 あるものは外甲殻が刺々しく、爪がより尖くなり、またあるものは筋肉が隆起し、肉体が巨大化した。

 瞬き一つ二つの出来事だった。

 明らかに道理を外れた成長を目の当たりにして、戦慄を禁じ得ない。

 

「――し、シオシオ、あいつらはすぐに倒さねぇと!」

 

 マヒルの叫び声にシオリは動揺したが、魔物を倒すのは望むところだった。

 弓を軽く引くだけでどんどん魔物が倒れて行く。巨体にはなったが強くなったわけではないらしい。

 一体、二体、三体……「――何この魔物、凄く強くなってるわ!」「リマリマ、無理すんな!」……十、二十、三十……今ならいくらでも射てそうだった。

 不思議な高揚感――サイクロプスを倒した直後から感じていた何か――に突き動かされるようにして、シオリは矢を放ち続ける。

 ――牧場のみンなのたメに、もっトもットタオサナキャ……!

 

「シオリちゃんの体が、赤く光って……!?」

 

 魔物の瞳と同じ赤が、シオリの体を包んでいた。

 それはシオリが魔物を倒す度に濃くなって行った。

 血を覚えた獣が新たな血を求めるような――こんな喩えが頭を過ぎった。赤く光る瞳は獲物を求めて輝いていた。

 シオリの顔は愉楽に歪んでいる。

 異変が起きているのは明らかで、なのに何が何だか解らない。

 怖気が止まらなかった。

 それでも取り押さえなければならない。

 

「も、もうやめるべシオシオ!」

 

 小柄な体がシオリの細腕に薙ぎ払われた。

 

「うわああぁっ!」

「マヒルちゃん!」転がって行ったマヒルを抱え上げる。胸を強く叩かれたのか息をするのも苦しそうだった。「シオリちゃん、一体どうしちゃったの……!?」

 

 リマの悲痛な問い掛けにも答えず、シオリはからくりのように矢を射続ける。体を包む赤い燐光は、今や血と見紛うばかりにどす黒くなっていた。

 

 リマの腕の中で、マヒルはシオリが魔物たちを狩り尽くすのを呆然と眺めていた。リマもまた、立ち尽くすことしか出来なかった。

 牧場の草原を魔物の死体で埋め尽くして、シオリはほうと息を吐いた。瞳だけが爛々と不吉な光を放っている。

 魔物がもういないことを悟ると、シオリは――シオリのようなものは、サイクロプスの亡骸の方へと歩んで行く。リマとマヒルには目もくれなかった。

 

「――」

 

 何かを呟いてサイクロプスの亡骸に触れると、そこから魔法陣が広がった。

 禍々しい光、毒々しい紋様――止むことの無い憎悪の感情が籠められているように思われてならなかった。

 魔法陣の線がシオリの体を這い回り、サイクロプスともども覆い尽くすと、赤い光が膨らんで行き――爆ぜた。

 光はほどなく熄んだ。そこにはサイクロプスの血痕だけが残されていた。

 悪い夢でも見ているのかと疑った――そう思いたかったが、疲労も痛苦も間違いなく二人のものだった。

 しばらくして、マヒルが沈黙を破る。

 

「……リマリマ。シオシオは最後、何て言ってたべか」

 

 聞きたくはなかったが、訊かずにはいられなかった。

 

「――エルフどもを殺せ、ですって……」

 

◆ ◆ ◆

 

 朝の瘴気が一段と深まった。目にはほとんど見えないはずのそれは、今は真っ白な霧のようになって森を覆っていた。

 白は純粋や無罪を象徴する色だが、ここにある白は紛い物でしかない。一面に広がるは脱色されただけの毒――それもかなり強い毒だ。

 男は口の中で何かを唱える。魔力を防護膜として纏い、歩を進める。要らぬ魔力を使わされることに少なからず苛立っていた。

 この森には何か不吉なものがある。それが何なのかについては興味が無い。目的を済ませたら速やかに脱出すべきだろう。

 ――……?

 進もうとする足を止めた。何かの違和感。

 森の何処かに、異質な気の流れが生まれた。それはあまりにも微弱だが、にも拘わらず魔力の膜を波立たせている。

 初めは気にせずに歩き続けていたが、やがて膜のあちこちに牙の痕のようなものが点々と出来始めた。

 みすみす放っておくと膜も男も食い破られる虞がある。

 ――魔力を浪費するのは避けたかったが……。

 男は魔法の瓶に入ったポーションを一本丸々飲み干し、膜の内側から魔力を放出した。波が止み、歯型が消えた。

 ――急がねば。

 白い毒の中を、男は駆け出した。




やれるだけの事はやりましたが、構成力も文章力もボロボロで情けない限りです。
勉強しなければ……


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5話 記憶のよすが

大変長らくお待たせしました。


 牧場から一人の少女が消え失せた頃。

 

「──シッ!」

 

 クロエは猿の魔物の喉笛を切り裂いていた。

 鮮血が噴き出し、土をどす黒く汚す。鼻が曲がりそうな悪臭が漂い出して、クロエは顔を顰めた。

 普段魔物を討伐した時の、血や獣臭さの入り混じった臭いとも違う、とにかく不愉快になる臭い。

 この森に起きている異常に改めて思いを致し、頭がくらくらした。

 

「あー、マジしんど……。──ほらユウキ、いつまで寝てんの」

 

 地面にぶっ倒れていた男子の腕を取って起こしてやる。魔物の攻撃を躱そうとして足を滑らせていたのだった。

 結果的に隙が生まれ、何とか最後の一匹を狩ることが出来たのだが。

 

「ありがとう」

 

 そう言うとユウキは魔物の死体に向かって歩み出す。転んだことなど気にもしていないようだったが、クロエは頬に走った赤い筋を見逃さなかった。猿の投石がかすっていたのか。

 

「ちょい待ち。あんた怪我してンじゃん……今バンソーコー貼ったげっから、そこで起立」

 

 弟たちと違い、ユウキは聞き分けが良かった。腰の鞄からポーションの小瓶と絆創膏を取り出して、傷口に薬液をかける。少し沁みたようで身震いをした。綺麗なタオルで拭いてやり、絆創膏を貼り付けた。

 

「っし、これでおけ」

「ごめんね、クロエちゃん」

「いいよ、こんぐらい。……まあでも、魔物の攻撃を無理に受けようとすんのはやめとき。あいつら目ぇ血走ってたし、明らかあんたじゃ受け切れないっしょ。無理はしないでうちに任せなよ」

「……うん」

 

 ユウキの口からはやや不服そうな返事。

 軽い調子で忠告したのも悪かったのかもしれないが、クロエの正直な意見だった。

 ユウキが人を助けたがるのはまあ立派な心意気だと言えるだろうが、それはあくまで普段の生活においてであって、死と隣り合わせの場所で自身の実力を弁えずにいては危険極まりない。

 ハツネたちが川の調査をしている間の見回りだけで、既に三体の魔物を斃していた。そのどれもが普段の魔物とは比べ物にならないほどに強く、堅く、狂暴だった。ユウキからの強化を受けて、一体一体に集中してようやく討伐出来たほどだった。

 アオイや人夫たちが言うには、この辺りはまだ魔物が少ない区画らしいが、この先には何が待ち構えているかはわからない。魔物に取り囲まれることくらいは想定しなければならないだろう。

 とはいえ。

 

「……んー、まぁ……なんつーか、あんま落ち込むこともないんじゃないの。うちらのどっちかが欠けてても魔物を狩れてなかっただろーしさ」

 

 頭を掻きながらフォローを入れる。これも正直な気持ちだった。

 ユウキのしょぼくれた顔が少しだけ明るくなったような気がした。

 

「……とにかく、」言いさして、クロエはユウキの眉間に指を突き付ける。「今はまずやれることをやるしかないっしょ」そのまま軽く押してやった。悪いことをした弟が反省した時に、こうして許してやっていた。それなりに大きくなってからはやることも少なくなったが、大きな弟のような少年を見ていて、ついやりたくなったのだった。

「うん……」つつかれた所を手で押さえて、まだどこか不機嫌そうなユウキ。

「ほら、不満そうな顔すんなし。とりま狩った魔物を持ってくぞー」

 

 口元に優しい笑みが浮かぶのを感じる。ユウキの姉にでもなったかのような錯覚を覚えた。悪くない気分を味わいながら、なおも不満げな弟の背中を押して行く。

 出立に際してミサトから渡された手袋をはめ、クロエたちは魔物の死体を抱え上げた。手が魔物に触れると、手袋から白い光が放たれ、体表から黒い粉のようなものがぱらぱらと落ちて行った。

 

「何かフケみたいなのが飛んでってンだけど……きったな」

「ハツネちゃんが何か言ってたような?」

「なんだっけ、『有害な魔力を無力化する魔法が掛けられてるのだー! どや☆』とか言ってたっけ」声真似でユウキが少し笑った。無反応じゃなくて良かった。「……まぁ、言われてみれば確かにそうなのかも、ってカンジね。うちは魔法の才能が無いからよくわかんないけど。あんたもわかんないっしょ?」

 

 訊くまでもなく、首を傾げていた。

 黒い粉は地面に落ちて消えて行った。由来を考えると払い落としていいものかどうか躊躇われたが、かと言って集める気にはもっとなれなかった。

 ミサトの魔法に感謝しつつ、クロエとユウキは魔物の手足を持ち上げて、荷車の方へと進んで行った。

 

◆ ◆ ◆

 

 荷車へと魔物の死体の運搬をすること三往復。袋詰めを終えたところで荷車付きの人夫に許可を貰い、しばしの休息を取ることにした。

 クロエはユウキに棒付き飴を投げて寄越した。

 ユウキの嗜好は把握していないが、【美食殿】とかいうギルドに所属するくらいだから好き嫌いもないだろうと思い、パイナップル味にした。水着の柄に選ぶくらいだし外れはすまい。

 クロエも苺味の飴を取り出して口に含んだ。緊張がわずかにほぐれるのを感じる。思っていた以上に過酷な戦いの連続で、腕も脚も強張っていた。

 気分転換も兼ねてククリナイフに砥石を当てる。刃こぼれこそないものの斬れ味はかなり落ちていた。岩のように強靱な毛皮、鉄のように硬い肉……この上骨まで斬ろうものなら刃の真ん中から吹き飛んでしまっていたに違いない。

 

「そーいやあんたの剣、研がなくて大丈夫なん? うちが研いだげてもいいけど」

 

 クロエが言うと、ユウキは鞘から剣を取り出して「うーん」と唸りながら点検していたが、「大丈夫!」いつものサムズアップで答えた。

 魔物の攻撃をいなすだけでも剣には相当の負担が掛かっているはずだと思ったが、持ち主が問題ないと言うなら、特に言うこともない。とはいえ見たこともない剣なので、せっかくなら少し見てみたいし触ってみたくもあった。

 

(……まあでも、うちのキャラじゃないよね、そーゆーの)

 

 昨日のシオリの押しの強さが思い出される。自分のやりたい事のためなら多少はしたないくらいにぐいぐい迫って行くことは、まだまだ出来そうにない。

 そんな事を思ううちに短剣が研ぎ終わった。日を受けて刃が輝いた。飴を舐め終わったユウキが棒を口から取り出して何やら弄んでいたが、クロエの短剣を見ると興味深そうに顔を近付けて来た。

 

「きれい」

「そ? あんがと。……あーほらほら、そんな近付くと危ないぞー」

「僕の剣もこれくらいピカピカになるかな?」

 

 鞘から剣が抜かれ、クロエの前に差し出された。戦闘においてはひ弱なユウキの持つ剣にしてはずいぶんと大きいものだ。

 鍔の装飾は見たことのないものだった。真ん中に菱形の青い宝石が埋め込まれており、そこを中心として左右に扇のように広がっている。黒い鍔の外側は黄色い。樋の部分を見ると地味な青色の地に宝石と同じ形の文様が三つ、小さいのが一つと大きいのが二つ、彫り込まれていた。鍔から剣を眺め渡すと、一本の剣が太陽の光のようにも見えた。儀礼用の剣だろうか。

 刃はちょっと見には手入れが行き届いているようだったが、よく見ると無数の細かい(きず)が付いている。いくら危険な戦場だとはいえ、昨日今日で付くものではあるまい。

 

「いやあんた、何見て『大丈夫!』なんて言ったの。もーちょい武器の様子ちゃんと見ろし」

「いつもは気付くと剣がきれいになってたから……」

 

 んなわきゃないっしょ、と突っ込みたくなったが、ユウキの周りにいる女たちの中には毎夜剣の手入れをしてくれるような奇特な人間もいるのかもしれない。ユニの言っていた、姉を名乗るサイコサスペンス女なら、あるいはそれくらいの事はやってのけるのではないだろうか。

 

「しゃーないな……うちがやったげるよ」

 

 クロエはユウキから剣を受け取った。両手剣を持ち慣れないせいだろうが、重みで一瞬体勢を崩しそうになった。すぐに持ち直し、何食わぬ顔で砥石を当てる。

 手入れがされていたのは確かなようで、少し研ぐだけで細かい疵は消えてなくなり、クロエの短剣と同じように綺麗な金属光沢を放つようになった。

 

「すごい……!」

 

 ユウキの目は剣と同じくらいキラキラ輝いていた。弟たちでもここまで純粋な瞳にはなりそうにない。

 

「ぷー、いっちょ上がり。……あんたもたまには武器の手入れしとき。今度教えたげっからさ」

「僕にも出来るかな?」

「言うてそんな難しいもんでもないし、不器用なあんたでもヨユーよ。うちも昔父さんに教わっただけだしね」

「それじゃあ、今度教えて欲しい」

「ん、任しとき」そう言って剣をユウキに渡す。ユウキはもう一度しげしげと剣を眺め、丁寧に鞘に納めた。

「そんじゃま、そろそろ行くかね……」

 

 たわいのないおしゃべりをしている内にいくらか気が軽くなったように思った。そのまま軽く伸びをして、体の緊張をほぐす。ユウキも真似をしていたが、気にせず放っておいた。

 そうして二人は荷車の方へと歩き出した。

 

◆ ◆ ◆

 

 人夫は荷車の牽き枠に入って腕組みをしていた。

 

「……すんません、遅くなりました」

 

 決められた休憩時間にはまだ余裕があったのだが、神妙な面持ちで待たれていてはこちらが悪いように思えてしまう。

 

「おや、クロエ殿にユウキ殿。ご休憩はもうよろしいのですか?」

 

 人夫の表情が柔和になった。声音から判断する限り、特に底意は無いようだった。普段門番として働いているから、何となくいかめしく見えてしまうのかもしれない。

 

「あー、まぁうちら助っ人なんで、あんまダラけてンのもカッコつかないよなーと思って。あんたもそう思うっしょ?」

 

 ちらと視線を向けるとユウキはコクコク頷いた。働きたがりだから心配はしていなかった。

 ユウキの間の抜けた反応のせいか、人夫の口角がいくらか上がったのが見えた。

 

「お二方が我々のために尽力してくださること、誠に心強う思います。……それでは、ハツネ殿たちの部隊に合流しましょうか」

 

 そう言って人夫は深々と頭を下げた。プライドが高いのかと思ったら案外腰が低い。

 ユウキは牽き枠に入り込み、人夫とともに荷車を牽き出した。クロエはその後ろに着いて、荷車の護衛をすることになっている。辺りに魔物の気配は感じられなかったが、魔物の死臭と生者の気配がまだ見ぬ魔物たちをおびき寄せるかもしれない。大きく息を吐いて気合いを入れ直す。

 荷車が滑り出した。

 

◆ ◆ ◆

 

 ここ、は……? 森の中?

 

「リマさん、マヒルさん……! え、あれ……?」

 

 見た事のない森……いや、ここに来たことがあるような気がする。木の植生、土の匂い……昔過ごした、エルフの森によく似ている。けれど空気は冷え切っているような……。

 それにしてもどうしてこんな所に……? 牧場が危ない、急いで戻らなくちゃ──

 

「――っつぅ……!」

 

 腕が痛い。戦いの後の怠さとも違う、割れるような痛み。弓を取り落としそうになった。弓を杖代わりにしてどうにか立ち上がると、後ろの方で何か物音がするのが聞こえた。

 木陰に身を潜めながら近付いてみると、黒々とした巨大な穴がぽっかりと口を開けていた。リマさんが五人くらい入りそうな穴だ……大のいたずら好きというミソギちゃんでも、ここまでのものは掘れないはず。

 

「……あれ?」

 

 よく見ると、穴の周りに沿って何かの線が描かれていた。辺りを見回してから、穴の傍に寄る。

 線が紫色に光った。何かの魔法陣だろうか。穴の中にも妖しい光が輝いていた。

 胸がざわめいた。触れてはいけないものに触れてしまった時のような──

 

「……目覚メタカ」

「!? 誰っ!?」

 

 ぐるりと見回しても、誰もいない。この声はどこから──キサマノ頭ノ中ダ──後頭部に強い痛みが走る──先刻ハ手勢ノ魔物ノ群レヲヨクモ倒シテクレタナ……マア、オカゲデキサマモ強クナレタノダ、ワレニ感謝シテ、ワレノタメニ尽クセ──尽くせ、だなんて、あなたは何を……それに強くなれたって……? ──フム、キサマハ何ガ起キタカ理解シテオラヌヨウダナ。ナラバ……──後頭部の痛みが嘘のように引いた。

 目の前で黒い霧が渦巻く。

 霧が晴れると小さな黒い獣が音もなくそこにいた。掌に乗るかどうかという大きさなのに、肌がビリビリと痺れるような威圧感。

 一歩、また一歩、それはこちらに近付いて来る。逃げないといけないのに、体が逃げることを許さない。まるで、体が服従させられているかのような──

 

「サア、ワレノ(モト)ヘ来イ」

 

 小さな瞳が紅い光を放つ。甘い匂いに脳が蕩ける。何かが体を這い上がる感覚──脚を、腕を、絡め取られる……。

 

「エルフドモヲ(ミナゴロシ)ニセヨ」

 

 ──ハイ……。

 

◆ ◆ ◆

 

 静かな森。車輪の音だけがいやによく響く。

 荷車の後方にあって、クロエは周りの気配を探りながら歩いていたが、魔物と遭遇することはなかった。

 

(ま、いないならいないでありがたみ……なんだけど、さぁ)

 

 それにもかかわらず、魔物が存在していることだけは鋭敏に感じ取れる。森の異変を考えれば居るのが当たり前なのだが、どこにどうやって隠れているのかがまるで掴めない。いつどこから急襲されてもいいように構えておくにしても、何が起こってもおかしくはないし、確実な対処は出来ないと思った。

 車輪の音、土を踏む音、三人の呼吸。木々のざわめきにも一々背筋が凍りそうになる。

 前方に回ってみる。二人は言葉もなく荷車を牽いていた。ユウキは話しかけられれば喋るが、そうでないなら置物のように静かなままでいる。隣の人夫も仕事柄口数が多いわけではないようで、ひたすら無言の状況が続く。

 雁首揃えて黙りこくっているのも気が詰まる。再び後方の見回りをするも、やはり魔物の影はない。

 

(ちょい不安だけど、もう少し探索範囲を広げてみンのも──)

「──大丈夫ですか?」

 

 突然のユウキの声。急いで向かうと、人夫が青い顔をしていた。脚がわなわなと震えていて、牽き枠で体を支えてようやく立っているという感じだった。

 

「あ、あぁ……私は平気ですよ、ユウキ殿……」

「どう見てもつらそうなんですケド……あの、お兄サン、ムリしないで少し休みましょ? うちらが見張ってますんで」

 

 クロエの提案に少しだけ顔を緩ませたように見えたが、すぐに険しい表情に戻った。

 

「ご提案、痛み入ります。しかし、私一人のためにこれ以上時間を使うわけにも行きますまい。先を急ぎましょう」

「でも、今は休まなきゃいけないと思います」

 

 先を急ぎたいという気持ちは無下には出来ないが、さりとて病人を駆り出すことはもっと出来なかった。

 

「……それに、そんな状態じゃロクに運搬もできないっすよ。荷台に腰かけられそうなトコあるんで、そこで休んでてください。……ワリと臭うんでキツいかもっすけど」

「荷車を牽くのは僕たちがやります」

 

 クロエは病人の手を引いて荷台に載せた。骨張った手は冷え切っていた。ユウキがマントを外し、人夫の足元にかける。気休め程度でも暖かい方が良い。

 荷車の牽き枠に入って、二人で牽き始める。短剣を鞘に仕舞った以上、のんびりとしてはいられない。多少の不快は我慢してもらうことにした。

 それにしても、とクロエは思う。ギルドハウスを出発した時点では体調は万全だったはずなのに、あの衰弱の仕方は異常としか思えない。魔物の襲撃があったわけでもないのに、大の男がああも急激に窶れるものだろうか。

 

(もしか、うちらじゃ気付けないような原因があんのか……?)

 

 街の塵埃に馴れたエルフとヒューマンでは感じ取れないような何かが、この森の中に起きている。直感でしかないが、訊ねてみたかった。

 

「すんません、門番のお兄サン。ちょっと聞かせて欲しいンですけど」

「……なんでしょうか、クロエ殿」病人は体を荷台に凭せかけながら言う。

「んーと……、お兄サンが急に体調を崩したのと、先を急ぎたがってたのって、なんか関係があんのかなと思って」

 

 人夫が息を呑むのが聞こえた。ちらと振り返ると苦渋の色が顔に現れていた。体調が悪くなったのか、それとも何かを隠しているのだろうか。

 

「うちらは森住みじゃないし、お兄サンたちじゃないとわからない事があるかもと思うンすよね」

「何か知ってたら教えてください」

 

 車輪の音が止んだ。

 人夫は躊躇いがちに口を開く。

 

「……前にお話ししたかと思いますが、我々森のエルフたちは、自然の中から生命力の源たるマナを受け取り、それを魔力に変換しながら暮らしております」

「そーいやそんなこと言ってたっすね。で、今は森がこんなことになってるんでマナを受け取れなくなってる、と」

「ええ、いかにも」人夫は少し息を吐いた。重い疲労を感じた。「そのため、我々はいつ尽きるとも知れないマナを慎重に扱わねばなりません。ミサト師やハツネ殿たちは実力もあり、気力体力ともに充実しておりますが、それもいつまでも持つか……」

「……確かに、あんまダラダラしてる時間はないっすね。……あれ? でも……」

 

 クロエはちらりとユウキの顔を見て、また人夫の方を向いた。

 

「えーっと、お兄サン、確か元々はこいつだけを連れて来るつもりだったんすよね?」

「ええ……。ユウキ殿の能力があれば、魔力の欠乏を補えますから。他のギルドに助力を乞うて魔物を狩り続けてもらえれば、その間に我々が魔物の穴の発生原因と魔力構造を突き止めることで、穴を封印できるはずです」

 

 クロエとユウキの顔が綻んだ。つまり、援軍がやって来るまで凌げば良いわけだ。

 クロエはハツネが【王宮騎士団】に援軍を頼んでいたのを思い出した。多少時間がかかることを割り引いても二、三日もあれば来てくれるだろう。異常事態と認識されていれば優先度はさらに上がるはずだ。

 

(今はうちもいるし、長めに見積もっても二日くらいなら何とかなるはず……あれこれ案外アッサリいけんじゃね?)

 

 だというのに、人夫の顔はますます曇って行った。

 

「……本来は、そのはず、だったのですがね……」伏し目がちに言い添える。

「……何か、あるんですか?」ユウキが暗く沈んだ顔を見据えながら言う。

 

 何かを観念したように、人夫は顔を上げた。

 

「私も、今日ここに来るまでは気付かなかったのですが……何か得体の知れないものが森の中を蠢いているようなのです」

「得体の知れないもの?」

「ええ……今までに感じたことの無い、異質な魔力を感じ取ったのです。私の魔力も少なくなっており、靄の中を探るような、曖昧なことしか申せないのですが……少なくとも、魔物たちの発するものよりもずっと、刺々しい魔力でした。それを探知した時、深淵を覗いたかのような気味の悪さを感じました……」

「……それでお兄サンも体調を崩してたんすね」

「はい……門番としてそれなりに過ごして来ましたが、あのような感覚は初めてでした。黒く、深い憎悪に呑まれるようでした……そのようなものと出会ったが最後、我々ではまず太刀打ちできますまい……必ず逃げなくてはなりません。たとえあなた方がいるとしても、です……」

 

 そこまで言って、人夫は身震いした。

 クロエとユウキは押し黙るばかりだった。

 何かを言おうと思ったが、寡黙な門番が恐怖とともに語る言葉は、とても軽い感じで否定出来そうにない。

 魔物の処理だけで苦戦しているところに、魔物よりも遥かに強い、新たな敵の襲撃に備えなければならなくなった──少し考えるだけでも気が遠くなりそうだった。

 隣を振り返ると、ユウキの顔が強張っていた。話の順番のせいとはいえ、落差で眩暈がする。

 

(おいおいこのお兄サンとんでもないフラグ立ててくれてンじゃん、ウケる。……いや笑えねぇんだわ)

 

 クロエのやる方ない思いを知ってか知らずか、人夫は手を組んで荷台に座り込み、目を瞑っていた。化け物を探知するために残りの魔力を集中させるつもりだと言う。

 クロエとユウキは荷車を無言で牽いて行く。車体が揺れるのもお構い無しだった。

 今はまず、すぐにでもハツネたちと合流したかった。

 

◆ ◆ ◆

 

 三人は水の流れる音を聞いた。下の方を見やると、木々に埋もれるようにして川が流れていた。緩やかな曲線を描いて流れる川の背に、大きな河原が広がっている。川の上流に、白い煙のようなものが吹き上がっているのが見えた。

 幸い、ハツネたちの姿はすぐに見付かった。

 河原に広げられた、巨大な黒い物体の傍にいた。

 

「……いや何なんアレ」

 

 河原へのなだらかな坂道を下りながら、クロエの口から言葉が漏れた。ピンク色の頭が黒いものの周りをきびきびと動いているのを見る限り、ともかくも無事なことは判った。

 川の臭いがする砂利道をなるべく静かに進みつつ、ようやくハツネたちのいる所へと辿り着く。

 

「あっ、クロエちゃん! お疲れさま!」

 

 こちらを見るなりハツネが飛びかかって来て、抱き着いた。普段なら暑苦しいと思っただろうが、今はただされるがままになっていた。

 

「……ハツネたちもおつ。……でさぁ、アレ何なワケ」

 

 そう言って黒いものを指さす。

 近付いてみると巨大なものは一層巨大だった。岩石のような頭部と、大きな丸太を思わせる巨大な腕と脚を力無く拡げて、河原に仰向けになっている。それらを振り回していたであろう胴体は強靭そのもので、子供一人分の体高に大の大人二人分の高さはあるとクロエは見て取った。

 立て膝の体勢の人夫が二人、その上で魔法陣を手に纏っていた。専門外なので何をしているのかは判らなかったが、何かの調査をしているのだろう。

 

「魔物の死体……だとは思うけど、こんな大きな魔物は初めて見たよ……今まではこんなの見たこと無かったのに」

 

 ハツネの表情が暗くくすんだ。定期的にエルフの森を警護している彼女が初めて出くわした異常な魔物。こんなものと戦うことになった時を想像して、クロエはぶるっと身を震わせた。

 

「それに、この臭い……クロエちゃんたちも気付いたと思うけど、この魔物は焼き殺されてるんだ」

「水の臭いに紛れてっけど、確かにかなりコゲ臭いね」

「……確か、この森には炎を吐く魔物はほとんどいなかったはず……」荷車に乗っていた人夫が口を挟んだ。「コドモオオトカゲたちの吐く炎は微弱ですし、そもそもほとんど棲息していません。たとえ今の異常の中で変質したとしても、これほどに屈強な魔物を斃せるものでしょうか……」

 

 ハツネは門番の言葉に頷いて、話を続ける。

 

「……だからおかしいんだ。こんな強そうな魔物を焼き殺せる魔物なんて、この森にいるはずがないの。もしかしたら──」

「は、ハツネさんっ!」アオイが青い顔でハツネたちの元へ駆け寄って来た。「あの焼死体から、無数の傷痕が見付かりました!」ハツネの顔が強張ったのが見えた。

「傷痕って……魔物たちの仲間割れとかじゃないの?」クロエが口を挟む。空虚な言葉でしかなかった。

「いえ、それが……その傷痕は全部魔物の腹部に集中していたんです。腹部の奥にまで食い込んだ傷があるのに、その上でさらに傷を増やしていて……残虐な魔物でもここまでするかどうか……」

 

 その上魔物を火にかけて川に捨てた──大した念の入れ方だ。明らかに魔物の所業ではない。

 クロエは再び頭がくらくらした。ただでさえ危険な魔物が徘徊しているというのに、それに匹敵する新たな敵がいる。魔物を屠っているから事によっては戦わずに済むのかもしれないが、わざわざこんな状況の中に飛び込んで来るくらいなのでとんでもない戦闘狂である可能性も考えられる。少なくとも無害な存在ではありえない。

 

(なんか無理ゲー感増しすぎじゃない? ゲームバランスどーなってんのよ。あれか、簡単そうなクエストで人を釣っといて乱入ボスで殺しに来るやつか。……頼むから、せめてゲームの中でだけやっててくんない)

 

「……私はもう少し魔力の探知をしてみるね。もしかしたらこの魔物を倒した人のことがわかるかもしれないから」

 

 二人の人夫から報告を受けたハツネはもう一度焼死体の方へと赴いた。ハツネと入れ替わりでこちらに来た二人の男は息が上がっていた。顔は蒼白で、門番と同じように魔力を使い果たしているのだろう。

 話に入っていなかったユウキは荷車の荷物を端に片付けて、どうにか二人がくつろげるだけのスペースを確保すると、二人を台に乗せる手伝いをした。それからハツネに付いて黒いものの方へと近付いて行く。興味をそそられたのだろうか。

 荷車に座っている門番がアオイを呼び、何やら話をしている。クロエたちに話した謎の存在についてのことだろうか。アオイの顔が引き締まるのが見えた。

 クロエはこれだけの魔物を斃した存在の実力を知りたいと思い、魔物の死体を見てみることにした。魔法の方は付け焼刃の知識ではさっぱり判らないが、魔物の全身が焼け焦げていて、並の魔力ではここまでやれるとは思えなかった。

 

「この巨体を火ダルマにするって……どんなバケモノだよ」

 

 ぽつりと感想が漏れた。

 だらりと広がった魔物の手に飛び乗って、アオイの言っていた傷痕のある腹部へと進む。歩く度に焦げた毛皮がぼろぼろと崩れたが、筋肉はまだしっかりと形を保っており、生々しい感触が足裏に伝わる。死んでいるはずなのに、蘇生魔法──クロエは無論、ヨタ話としか思っていないが──でも使えばすぐにでも動き出しそうな気がしてならなかった。

 腹部に着いた。傷痕は腹部の中央、内臓の収まっていそうな部分に執拗に刻まれていた。斧のようなものではなく、剣──それも短剣のような、鋭利なもので、抉るように切られている。傷痕の上を炎が巡ったようで、血の気は感じられなかった。

 

(魔物の腹を切って動けなくなったトコで炎の魔法で丸焼きにして川に流した……ってカンジか? 殺意エッグいわー……これやった奴確実に性格悪いっしょ……)

 

「よっ、と」

 

 一通り腹部を見終えたクロエは胴体から飛び降りた。ハツネが焼死体に手を当てて何やら唸っている。手には星型の魔法陣が浮かび上がっていた。クロエの気配に気付き、顔だけを向けて話し掛ける。

 

「クロエちゃん、何かわかった?」

「んー……」頭を掻きながら言う。「とりまわかったのは、この魔物を殺った奴は間違いなく強いし、間違いなく性格が終わってンな、ってことくらいかな。そっちは?」

「……この人はものすごい魔力を持ってるってことくらいしかわかんない……筋肉はあんまり焼けてないから、炎で怯んだ隙に川に突き落としたのかなって思うけど。……あ、あとね? ちょっと驚かないで聞いて欲しいなぁって思うんだけど……」

「どしたん?」

「私もありえないとは思うんだけど……この魔力、昔どこかで感じたことがあるような気がするんだよね……」

 

 いきなり恐ろしい事を言い出した。

 

「…………え、ハツネ、そんなやべーヤツと面識あんの? 割とガチめに怖いんだけど……あんたの体に塩撒いとくわ」そう言うとクロエは塩を取り出すべく鞄に手を突っ込んだ。

「うぅ〜っ、そういうのじゃないよぉ! ……私だって、何でかわかんなくて困ってるんだからねっ」

 

 ハツネの可愛らしい怒りがクロエに向かう。手を魔物から離していたらぽかぽか殴られていたに違いない。

 

「あーあー……悪かったから拗ねんなし。アメちゃんあげるから機嫌治しとき」

 

 棒付き飴の包装を剥いでハツネの口に突っ込む。自分のせいとはいえ残り少ない飴をくれてやるのは癪だったが、ご機嫌取りのためだと諦めた。

 ハツネの頬が緩んだ。怒りはどこかへ飛んで行ったらしい。飴を咥えたままお礼を言いさえした。いくらか気恥ずかしさを感じつつ、クロエは口を開く。

 

「……で、さっきはちょっと茶化しちゃったけど、マジなん? ハツネの知ってる魔力って……」

「うん。もちろん、私も色々な人と出会ってきたから、誰のものなのかっていうのはすぱっと言えないんだけど……、懐かしい、って感じがしたの」

「懐かしい?」

「……でもなんでかは全然わからないんだ」そう言うと気味悪そうに身震いした。シオリのこともあって、ハツネがガラの悪い人間とは付き合わないようにしていたことをクロエは思い出す。「少なくとも、ここまで残忍なことをする人のことなんて知らないはずなのに……」

 

 そして、そんな人間がこの森を徘徊している――確かに想像するだに悍ましい。ハツネの動揺は察するに余りある。まかり間違っても味方をしてくれるものとは考えるべきではない。

 まして、今朝突然現れたとかいう新たな敵がいるという時には。

 クロエが何と言葉をかけてやるべきか思案していた時、ユウキを呼ぶアオイの声が聞こえた。

 

「だ、団長さん、危ないですよ!」

 

 確かユウキは頭の方を見に行っていたはずだ。他の魔物と遭遇したのか。そう考えると居ても立ってもいられず、クロエは駆け出した。

 ユウキは無事だった。

 あんぐりと開いた魔物の口に体ごと突っ込んで何かを探していた。

 すーっ、と息を吸ってユウキのところへ駆け寄る。

 

「……あのさ、うち今わりとガチめに焦ってたんだけどさ、どうしてくれんのこの気持ち」

 

 殺し屋も逃げ出しそうなトーンになっていた。

 魔物の口内探索に熱を上げているのか、ユウキは何の返事もしない。こんな事態じゃなければすぐにでも拳を脳天にくれてやりたかった。

 

「てかアオイも。こいつの不思議ムーブなんて今さらじゃん。何もそこまでマジになんなくても」

「え、えっと……」アオイが挙動不審になっている。ユウキのマントを掴む手がぶるぶる震えていた。「団長さんが口の中に潜り込もうとしてたので、つつつついぃ……!」

「……なんたってんなアホなことやってんだこいつ。まぁいいや、うちも手伝うからこいつを引っ張り出すぞ」

 

 二人はユウキの脚を掴み、引き摺りだした。アオイは「すみません、団長さん……!」と一人言のように言ったが、クロエはむしろ乱暴に引っ張っていた。

 ユウキの体は煤っぽく汚れ、焦げ臭くなってはいたものの、魔物の唾液などは付着していなかった。念の為に口の中を見てみると、舌は炭になっており、頬の裏は触れただけでボロボロと崩れた。魔物は口に炎の魔法を撃ち込まれて絶命したのだろうか、とクロエは考えた。

 

「で、あんたはなんであんなことしてたん。言ってみ、ん? おばちゃん怒んないから」

 

 川の水で濡らしたタオルで汚れを拭ってやりながら、クロエはユウキに訊ねた。ふざけた理由だったらデコピンでもくれてやろう。

 ユウキはクロエに気圧されてしばらく目を逸らしていたが、やがて「魔物の口の中から変なものを見つけた」と言って、手の中にあるものを見せた。

 融けたガラスがこびり付いた、丸っこい小さな木。

 グーで殴るべきかどうか一瞬迷ったが、これをハツネに見せてやれば魔力の解析が進むのではないか、とクロエは思い直した。うろ覚えの知識だが、魔力というものは時間が経つと放散して行くものらしいので、口腔内という擬似的な密閉空間の中で術者の魔力をもろに浴びたものであれば、魔力の解析がかなり容易になるかもしれない。

 

「ふーん……やるじゃん。ちょっとそれ借りてっていい? ハツネに見せに行きたいから。あんたらはそろそろお兄サンたちのトコ戻っとき」

 

 二人は荷車の方へと歩き出した。

 ユウキから受け取ったそれは、黒く焦げてはいたものの、その割には炭化が進んではいなかった。魔物の舌に守られて燃え残ったのだろうとクロエは思った。

 ハツネのところに行くまでに見て判る程度の情報は集めておきたいとも思い、クロエはまじまじと木片だったものを見詰める。息を吹いて煤を払い除けた。三つの小さなくぼみがあり、綺麗な正三角形を描くように配置されていた。固まっているガラスのことを考え合わせると、元々は小さな簡易ランプのようなものだったのだろうか。

 ちょっと見るだけでもなかなか良い手掛かりが見付かった。裏面にも何かあるのかもしれないと思い、クロエは木片をひっくり返す。

 こちらも焼損を免れてはいなかったが、表側よりは被害が少なく、ところどころに木目まで見えた。

 

「……あれ、何コレ……」

 

 だから、彫られている文字がはっきりと見えた。

 

「なになに……『クロノおとうさんへ──クロエ』………………は?」

 

 読み返す。

 クロノおとうさんへ──クロエ。

 指でなぞる。

 クロノおとうさんへ──クロエ。

 頬を叩く。読み返す。

 クロノおとうさんへ──クロエ。

 思い出す。

 ナイフの訓練に明け暮れる日々に嫌気が差したこと。

 親に渡す小物を作る授業の時、好きな方法で名前を書くことになったので、部屋の片隅に蹲って小さなナイフで彫り付けたこと。

 先生には叱られたものの、当人は喜んで受け取ってくれたこと。そして訓練の厳しさが一段と増したこと。

 

 叫びそうになるのをすんでのところで押し留めた。

 何故、見も知らぬ森の奥で、自分の名前を、何より、蒸発したはずの父親の名前を見ることになるのか。

 脳が理解を拒む。脈動が速くなる。息が苦しい。悪い夢であってくれと願うのに、掌にあるものは存在感を増すばかりだった。

 

(……てか待てよ、ハツネが懐かしんでたのって……昔父さんに魔法を教わってたからなんじゃ……?)

 

 幼いハツネが父親に魔法の指導を受けていたのを思い出す。魔力を体に通わせる練習をする時に、ハツネはクロエの父親の魔力を間近で感じたはずだ。魔法を使うところもたくさん見ていたに違いない。

 

「クロエちゃん、そっちは……ってどうしたの!? 顔が真っ青だよ!?」

「え……? あれ、うち、なんで……?」

 

 知らないうちにハツネがこっちに来ていた。やけに顔が遠くに見える。

 ハツネに手を差し出されて、クロエはようやく自分がへたり込んでいたことに気付いた。

 氷を背負ったような冷たさが、今更のように体に沁み渡る。どうにか手を借りて立ち上がったが、ハツネの顔は戸惑いと不安で曇っていた。

 

「……ありがと、ハツネ」か細い声で礼を言う。

「ううん、大丈夫だよ……ね、クロエちゃん、体調悪いみたいだし、しばらく休む?」

 

 ハツネの気遣いが心苦しかった。

 手に持っているものを川にでも放り投げてしまえたらどんなに良かっただろう。

 それでも、森のためには見せなければならない。

 

「……あー、そっちはだいじょぶ、うん。……その、さ。コレ……魔物の口から出てきたンだけど、調べてみてくんない?」

 

 顔を俯けたまま、手に持っている木片を手渡す――裏面を上にして。

 ハツネは不思議そうに目を走らせ、――彫られた文字を見て目を見開いた。

 無言を貫くクロエに合わせるように、ハツネは何も言わずに魔力の解析を始める。

 魔法陣の光はあっという間に消えた。

 

「……クロエちゃん、これ……クロノおじさんの……」そこで言葉が途切れた。青ざめた顔。嫌な想像が完全に裏書きされてしまった。

「……マジかぁー……」思わず空を仰ぐ。

 

 幼い日々に共に過ごした大人が、異常な森を徘徊していて、クロエたち一行を襲撃するかもしれない。

 味方になってくれるかもしれないという妄想は、あの残虐な殺戮の前にはあまりにも無力だった。

 ──まして、戦うことになったら?

 二人は何かを言おうとして、何一つ言えないまま虚空を見詰めていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 何度となくふらつきそうになりながら、二人は荷車に戻って来た。

 さっきまで休息を取っていた二人の人夫がいなくなっていた。アオイに訊ねると「あの魔物の肉を採取してくると仰ってました」と言いながら、二人の顔をちらちらと見てはまた視線を逸らした。

 曖昧に頷くと、クロエとハツネは空いた荷車の台に腰を降ろす。体が石になってしまったようにすら感じる。

 あの魔物を殺したのはクロエの父親だということを一行に言うべきかどうか、二人は道すがら相談していた。言えば二人の気が休まるかもしれないが、仲間たちに生半可な希望──娘の危機に蒸発したはずの父が駆け付けるという出来過ぎた物語(おはなし)──を持たせる危険性もあり、言わずにおいた方が害が少ないだろうと判断したのだった。

 ──そして、もしもの時は、短剣を突き立ててでも止めなければならないとも。

 

(……ねぇ、なんでこんなコトになってんの。悪夢かよ……いや、もうこの際悪夢でもいいや、それでもいいから夢だって言えし。てか言え。言えよ。……うちも大概ろくなもんじゃないとはいえ、ここまでされるいわれはないはずなんですケド……)

 

 また大きな溜息が漏れた。

 ユウキがこちらをじっと見ているのには気付いていたが、ものを言うのも気怠かった。

 ハツネも血の気が引いた顔をしていたが、上辺はいつも通りの明るさを取り戻しているように見えた。門番と何かを話している。「撤退」とか「続行」とかの言葉が切れ切れに耳に響いた。

 鞄の中から飴を取り出そうとして、指が焦げた木片にぶつかった。鞄をこじ開けると飴がもうほとんど残っていない。どうにか一本だけ取り出して口に咥える。不思議なほどに甘味がない。

 

「──クロエちゃん」ユウキの声。

「……なに、どしたん」地を這うような声。自分の喉からここまで酷い声が出るとは思わなかった。

「……二人が戻ってきたら出発するって」

「……わかった」

 

 そう言って作り笑いを浮かべた。ユウキの目が露骨に心配を訴えていたが、クロエにはこれが精一杯だった。

 それでもどうにか立ち上がって、少しでも不安を払拭してやろうと考えた。

 悲鳴が上がった。

 魔物の死体のある方からだ。

 ユウキとアオイが駆け出すのが見えた。

 青い顔をしている門番をハツネは積荷で隠し、二人の後を追う。

 状況に呑み込まれるようにして、クロエも走り出した。

 

「──おい、なんだよコレ、おい……」

 

 重い足を懸命に動かして、悲鳴の上がった場所に着いたクロエの目の前には、黒い霧に包まれた人形(ひとがた)があった。

 頭部に付いている虎耳がまっすぐクロエたちの方を向いた。

 幼さの残る可愛らしい顔の上で、血の色をした瞳が妖しくきらめく。口角が吊り上がったのは、獲物を捉えた興奮ゆえか。

 その首元には、緑色に光る石が提げられていた。──控えめな笑顔を浮かべて姉のことを自慢していたのが、遠い過去のように思えてならなかった。

 

「なんで……なんで、シオリンがここにいるの……!?」

 

 ハツネの悲痛な声がクロエの耳で谺した。




一年待たせて溜め回です。誠に申し訳ございません。
次回は戦闘回。
読書と執筆にいくらか身を入れられるようになったので、次こそはもう少し早めに投稿したい所存。


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