富と名声のためにトレセン学園の門戸をくぐったら同期が王族と気性難な件について (RKC)
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1話 入学早々面子が濃い

アプリに実装されておらず、ドトウやファインのストーリーに顔を出すぐらいしか出番の無いシャカールのキャラについては作者の偏見の影響が大きいかもしれません。ご容赦ください。


 小学校の一室。そこでは作文の授業が行われていた。作文のテーマは「将来の夢」。

 

「じゃあ次は〇〇ちゃん!」

 

「はい!」

 

 呼ばれて立ち上がった女の子はウマ娘。

 

「私の将来の夢は、トレセン学園に入ってダービーウマ娘になる事です!」

 

 ダービーウマ娘。その栄誉は一年に一人しか(たまわ)れず、加えて一生に一度しか挑戦できない狭き門だ。

 そんな夢を声高々に語る彼女の将来。現実に絶望し諦めてしまうのか、それとも挫折と苦悩を乗り越え栄光を手にするのか。今はまだ分からない。しかし、無垢な子供らしい希望に溢れる作文は100点満点と言えるだろう。

 

「良い作文だったわよ。じゃあ次はグリードちゃん!」

 

「はい!」

 

 続いて立ち上がった女の子もウマ娘。彼女の名前はスーパーグリード。

 グリードは長い栗毛の髪をツインテールに纏めている。前髪は短く、おでこが出ているので、見る者に活発な印象を与える。

 

「私の夢はトレセン学園に入って日本一のウマ娘になる事です!」

 

 日本一のウマ娘。やや抽象的だが、ダービーウマ娘よりも敷居の高い夢と言えるだろう。彼女も子供らしく大きな夢を作文にしたようだ。

 

「日本一のウマ娘になってお金もたくさん、賞賛もたくさん! ガッポガッポのウッハウッハになりたいです! この世は富! 名声! 力です!」

 

 …………その動機はいささか子供らしさに欠けていたが。

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

 まだ日が昇りかけの頃。私はトレセン学園の校門前に立っていた。

 

 ここが中央トレセン学園……。うぅ~、興奮しすぎて早くに目が覚めちゃったよ……。

 

 今日が入学式の日だというのに辺りには誰もいない。まぁ、今の時刻は5時半なので当然と言えば当然か。

 

 無人の校門という非日常感。加えてトレセン学園は私の夢を叶えるためにどうしても入りたかった学園。瞳をキラキラ、胸を高鳴らせながら大きな一歩で校門をくぐる。

 

「……っしゃー! ここから私のスター街道が始まるってわけ!」

 

 なんて言いながら歩みを進めると、大きな女神像の前まで来た。

 

 三女神像。う~ん、信心深い方ではないけど今はテンションブチアゲだし、ここは一発祈っときますか。

 

「三女神様! どうか私をレースで勝たせてください! レースで勝ってチヤホヤされて、SNSのフォロワーも10万人突破して、道を歩くだけで通行人に声を掛けられるぐらい有名になりたいです! ついでに賞金で一生働かなくても良いぐらいお金を稼ぎたいです! 税金はくたばれ!!」

 

「あ“ァ”!? うっせェぞ!!」

 

 私が学園中に響き渡ろうかという大声で祈りを捧げていると、近くにあるベンチに座っていた黒髪のウマ娘が、ドスの利いた声で文句を言ってきた。浮かれていた私は彼女の存在に今まで気づけなかったようだ。

 

「あ、ごめんごめん。ちょっと騒がしかった?」

 

「ちょっとどころじゃねェ。耳栓が役に立たなかったのは今日が初めてだぞ……。とにかく、朝ッぱらからやかましいンだよ! 静かにしやがれ!」

 

 目つきの悪い黒髪のウマ娘は再びウマ娘用の耳栓をして、液晶タブレットを触り始める。

 

 制服が新品っぽい……新入生かな? なら仲良くなっておかなくちゃ。もしかしたら同じクラスになるかもしれないんだし。

 

 そう思った私は黒髪のウマ娘から耳栓を抜き取り、挨拶をする。

 

「君も多分新入生だよね? 名前は? 私、スーパーグリードって言うんだけど。あ、スーパーでもグリードでも好きな方で呼んで良いよ」

 

「ンだよ! 俺に関わるな! めんどくせェ……!」

 

 黒髪のウマ娘は私から耳栓を取り返そうとするが、今この場にはこの娘しか話し相手がいない。だから付き合ってもらおう。私はこうと決めたらかなり強引なのだ。

 

「名前は?」

 

「――チッ、……エアシャカール」

 

 頑なな私の態度に根負けしたのか、舌打ちをしながらも黒髪のウマ娘は名乗ってくれた。そして“これで良いだろ”と言わんばかりの顔で私に手を伸ばす。

 しかし、耳栓を返すつもりはまだない。

 

「エアシャカールか……じゃあシャカだね」

 

 シャカール、シャカ、釈迦。うん、なんだかとても高尚な響きになった。

 

「シャカはどうしてこんな朝早くからトレセン学園に来てんの?」

 

「……はぁ~~~……、チームの朝練見に来たんだよ。どこに所属するかを決めるのにトレセン学園のホームページだけじゃデータが足りねぇ」

 

 シャカは大きなため息をかました後、ようやく私と話してくれる気になったらしい。

 

「へぇ~、シャカは真面目なんだね。私は手持ち無沙汰で来ちゃっただけだからなぁ……。ん? 何その荷物?」

 

 シャカの横に置いてある鞄。チャックが空いており、そこからはノートパソコンが顔をのぞかせていた。

 

「あ、ノートパソコン! タブレット持ってるのにどうしてパソコンまで持ってるの? しかもステッカーいっぱい。小学生のゲーム機みたい」

 

「う、うるせェ!! 人のセンスにケチつけんじゃねェよ! というか勝手に漁ンじゃねェ!!」

 

 シャカは私の言葉に急いで鞄のチャックを閉め、脚で私を追い払おうとする。蹴りを喰らいたくない私は距離を取った。

 

「それで? どうしてノーパソとタブレットの二刀流なの?」

 

「タブレットは情報を見るには良いが作業するのには向かねェ。ノートパソコンは作業するには良いが情報を見るにはデケェ。そンだけだ」

 

「適材適所ってやつだね」

 

 私が相槌を打つと、シャカは荷物を持って立ち上がる。

 

「朝練見に行くの? じゃあ私も同行しようかな」

 

「あ“ァ”!? 相手してやッただろうが! もうついてくンな!」

 

 シャカは額に青筋を浮かべながら私にガンを飛ばしてくるが、それぐらいで怯むような私ではない。

 

「分かったよ、ついていかない。ついていかないから。ただ行く先が一緒ってだけだよね」

 

「ついてくる気満々じゃねぇか! お前マジで〆てやろうか!?」

 

 朝っぱらからそんな漫才を繰り広げていると、

 

「もし、そこのお二方」

 

 透き通るような美声が聞こえてきた。声の主を見ていないにもかかわらず、声音、発音、口調から勝手に育ちの良さを感じ取ってしまう程。

 振り返ると予想通りというべきか、高貴な雰囲気を纏ったウマ娘が立っていた。私達と同じ学生服を着ているのにも関わらず、オーラがまったく違う。

 彼女ならドレスコードの厳しい高級レストランであっても、学生服のまま入店が許されそうだ。

 

 確かこのウマ娘は……

 

「ファインモーション殿下?」

 

 少し前に話題になっていた。アイルランドから王族の留学生が日本トレセン学園に来ると。その時、テレビに映っていたウマ娘が今目の前に。

 

「私のことを知ってくれているんだね。嬉しいな」

 

 そう言ってにっこりと笑う殿下。その笑みだけで卒倒する人も出てくるのでは、というほど美しい。ハンバーガーショップでスマイルを頼んでこんなものが出てきた日にはお得過ぎてその後の注文は実質100%OFFみたいなものだろう。……自分でも何を考えているのかよく分からなくなってきた。

 

「色々手続きがあって理事長室に行く必要があるのだけれど……よろしければエスコートしてくださる?」

 

「はい! 喜んで!」

 

 殿下のお願いに、つい反射的に答えてしまった。

 

「お前、理事長室がどこにあるか知ってンのか?」

 

 すぐに冷静な突っ込みが。当然、新入生の私が知る訳もない。

 

「あ~……、ご、ごめんなさ……いえ! 申し訳ありません! 卑賎で矮小な新入生の私共ではあなた様のような高貴なお方を理事長室まで導く力はございません! 加えて虚言まで! どうか平にご容赦を!」

 

「いえいえ。私の力になろうとしてくれた事、嬉しく思います」

 

 テンパってしまった私にもこの対応。う~ん……神かな?

 

「そちらのお方は?」

 

「見て分からねェか? 俺も新入生だ、他を当たれ」

 

「ちょっとシャカ! 殿下に対してその口の利き方! 不敬罪になるよ?」

 

 王族に対して乱暴な口調で話すシャカを(たしな)める。奥の方で控えているSPの目つきが心なしか厳しくなったような気が……。

 

「現代社会に不敬罪は無ェだろうが。それに相手が王族の生まれだからってどうして敬語使わなきゃいけねェんだよ。俺が敬うのは生まれじゃなく能力だ。まだ勉強中の殿下を敬う気は毛頭無い」

 

「またそんなこと言って! あぁ、もうすみませんうちのシャカが……よく言って聞かせますのでどうか打ち首だけは! 市中引き回しぐらいで勘弁してあげてください!」

 

「お前は俺のなんなんだよ! それに市中引き回しは死罪の前に罪人を辱めるために行われる処罰だろ!? 死罪と同義じゃねぇか!」

 

「えぇ~、じゃあ(エンコ)詰める?」

 

「それ王族をヤクザ扱いしてるからな? お前のほうがよっぽど不敬罪だぞ」

 

「ん~、まぁ王族も領地(シマ)を管理した税金(みかじめ料)で食べてるわけだし、広義では間違ってないんじゃない?」

 

「お前ちょっと黙れ」

 

「む、むぐぐ……」

 

 シャカが私の顎を掴んできた。頬に指がめり込み、まともに喋れない。

 

「ふふっ、二人はとっても仲良しなんだね」

 

 そんなやり取りを見て、笑う殿下。

 

「ほーはほ(そーだよ)」

「どこが!?」

 

 満足に喋れないまま肯定する私と、大変不本意そうなシャカ。それを見て殿下はさらに笑う。

 

「あはは……! こほん。とりあえず、不敬罪については気にしなくて良いよ。二人も新入生なら一緒に学ぶ学友になるわけだしね。普通に接してくれて大丈夫。それとそちらの……シャカ、さん?」

 

「エアシャカールだ」

 

「私、スーパーグリード!」

 

 シャカの手から逃れた私もどさくさに紛れて自己紹介する。

 

「じゃあシャカールにグリードって呼んでも良いかな? 私の事はファインと気軽に呼んで良いから」

 

「分かったよファイン!」

 

「おい。さっきの(うやうや)しい態度はどこに行った」

 

「ふっ、ふっ、ふっ……。殿下を呼び捨てに出来る程の仲ともなれば、SNSに乗せる絶好のネタが出来るってもんよ」

 

「俗人の鑑だな、お前」

 

 殿下のネタともなれば1000いいね500リツイートは堅いだろう。フォロワー数も伸びるはず。しかも彼女と友達になればしばらくはネタにも困らない。

 

「シャカールも私の名前、呼んでくれないかな?」

 

 ファインがシャカールに対して無垢な笑顔を浮かべながら迫る。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ファインはキラキラした目でシャカールを見続ける。

 

「……分かったよ! ファイン……これで良いんだろ!」

 

「うん! これからよろしくね、二人とも」

 

「ったく……、入学早々めんどくせェのが二人も……」

 

 ぶつくさと言いながら頭を掻くシャカ。

 

「お話ありがとう。私はここらでお(いとま)するね」

 

 話に一段落が付き、ファインが綺麗なお辞儀を残して去っていく。理事長室の場所を誰かに聞きに行くのだろう。その背中を見送っていると、彼女はふと振り返る。

 

「私、シャカールにも敬われるように精進するからね!」

 

 そう言い残し、今度こそファインは去っていった。

 

「だってさ、シャカ」

 

「チッ……あの様子だと定期的に絡まれそうだ。めんどくせぇ……」

 

 シャカはトレーニングコースの方に足を進める。

 

「あ、待ってよ! 今あった事ツイートするから!」

 

「るせェ! 誰が待つか!」

 

 ポケットからスマホを取り出しSNSを開く。歩きスマホは危ないので立った状態のまま急いで操作する。

 

「“今日、トレセン学園に入学したよ♪ 朝からなんとファイン殿下と……”」

 

 そこで肩を叩かれた。振り向くとウマ耳を生やした黒づくめのSPが。

 

「殿下の現在位置が特定できるようなツイートを無造作に行うのは控えてください」

 

「…………ひゃい」

 

 簡素な言葉だが、有無を言わさぬ迫力があった。人生で一番冷や汗かいた。

 



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2話 人当たりの良さは往々にして便利

(スーパーグリード)

 

 ファインと別れた後、シャカと一緒に先輩たちの朝練を見にきた。隣のシャカは地べたに座り込み、膝の上のカタカタとノートパソコンを叩いて忙しそうにしている。しかし、私は見ているだけではまったく面白くない。

 

「すいませ~ん! 私も走らせてもらえませんか!」

 

 大きな声を出すと、コースにいる先輩達やトレーナーと思しき人が一斉にこちらに視線を向けてくる。私は人好きのする笑顔を浮かべ、大きく手を振った。

 寝る前のスマイル練習が功を奏したのか、トレーナーが“仕方ないな”と言う顔で手招きをしてくれる。私は超特急でコースに乗り込んだ。

 

「走っても良いんですか!?」

 

「君は新入生だよね? 本当はまだ走らせちゃいけない決まりなんだけど……朝早くからきてくれたみたいだし、特別だからね?」

 

「よっしゃーー!!」

 

 コースで走る許可を貰った私は、その場で制服のスカートを脱ぐ。こんな展開もあろうかとスカートの下に体操服を着ていたのだ。靴も入学祝いに買って貰ったおニューの奴を鞄から取り出して履く。二日かけてしっかりと慣らしておいたので、ぴったりフィット。

 上は学生服、下は体操服と言うちぐはぐな格好のまま、準備運動を始める。

 

「シャカは走んないの?」

 

「俺はいい。運動着が手元にない」

 

 ちぇっ。一緒に併走して私の走りを見せつけようと思ったのに。

 

「なら私のデータ、しっかり取っとけよぉ! シャカが私に挑む事もあるだろうからね!」

 

 シャカは萎えた表情をした後、ノートパソコンを閉じかけたが、カタカタとキーボードを打ち始めた。

 私の方も準備運動を終え、ターフに立つ。一面、芝、芝、芝。地元の砂のコースとは大違い。

 

 うお~……すっげぇ広い。これが中央の設備か。どれだけ金がかかってるんだろ。

 

 なんて俗っぽい事を考えながらスタート体勢に入った。周りからの視線を感じる。先輩達やトレーナー、加えてシャカの視線だろう。

 心地よい注目を浴びながら、私はスタートを切った。

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

「…………中の上だな」

 

 それがグリードの走りを見た感想だった。フォームは発展途上、俺の目でも粗が分かる。加速力は並。最高速度は少し速め。スタミナはそこそこ。

 

 ま、成長しても重賞で入着できるかどうかってレベルか。

 

 単独で走っているためレース運びの上手さなどは推し量れないが、走りにおいてはその評価でおおむね間違ってないはず。

 

「…………チッ」

 

 舌打ちが漏れる。俺は昔からこうだ。人の走り(データ)を見て分析をすれば、どれくらいの実力なのかが分かってしまう。それ自体は有用な能力だ。トレーナーにでもなれば役に立つだろう。

 しかし、この分析力は時に毒にもなる。成長の限界だって分かってしまうのだから。

 

「くそ……ッ!」

 

 頭をガリガリと掻く。

 

 ……探さねェと。日本ダービーを乗り越える(すべ)を。

 

 平凡なグリードの走り。役に立つ事は無いだろうが、一応データを取っておく。どこにヒントがあるか分からないから。

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

「あれは……」

 

 理事長室で手続きを終えた後、始業式まで手持ち無沙汰だった私は校内を見回っていた。すると、今朝出会った子がコースで走っている姿を目にする。

 

 彼女――グリードはとても楽しそうに芝の上を駆けていた。ただ走るだけであんなにキラキラ出来るなんて。

 ウマ娘と言う種族は本能的に走る事を求め、楽しむ傾向があると言われている。だから彼女の楽しそうな様子も頭では理解できる。

 

 しかし、心からの納得はできない。だって私は本気で走った事が無いから。王族として生まれ、危険だからと全力で走る事を禁止されていた。今も同じ、「絶対安全」を条件に留学している身。走る事は当然禁止されている。

 

 私も走ればあんな風に……。

 

 無意識に足踏みをしていた。いけない。足を落ち着かせる。

 

 私が日本のトレセン学園に来たのは海外の文化を学ぶため。そして私と同じくらいの年齢で本気の夢に向かって努力する子達と友達になるため。きっとそれらは私の財産になって、これから成すべき事の糧になるはず。

 決して走るために留学しに来たわけではない。

 

 しかし、時折考えてしまう。あの芝の上で走る事が出来たら、レースで走る事が出来たらどれだけ気持ち良いのだろう、と。

 

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

「ふー……」

 

 ひとっ走りを終えた私は一息つく。

 

「良い走りだったね」

 

 いつの間にか隣に来ていたトレーナーが水筒を渡してくれる。ストロー付きだったので、そこから水を吸い上げた。

 

「どうでしたか!? 私の走り!」

 

 水分補給を終えた後、自信満々に聞く。

 

 地元じゃ敵無しだった私の走り。どれくらいのもんかなぁ……。もしかしたら、私のすんばらしい走りを見て “すごい! 君ならクラシック三冠も取れる!” な~んて、この場でスカウトされちゃうかも……。

 

「へへへ……」

 

「うん。良かったと思うよ。努力次第で重賞への入賞も夢じゃない」

 

 妄想する私に非常に客観的な評価が下される。

 

 …………あっれ~~? 何というかすっごい微妙な評価いただいちゃいました……。

 

 冷や水を浴びせられたように気持ちが冷める。

 

「そ、そうですか……」

 

「僕のチームに空きがあれば、この場でスカウトしても良かったんだけどね。ちょっとタイミングが悪かったかな」

 

 なんてフォローの言葉を貰ったが、今の私には本音では無く建前にしか聞こえなかった。

 

 へへへ……私みたいな微妙なウマ娘をスカウトだなんてまたまた。どうせ空きがあっても声はかからないんでしょう?

 

 ……ダメだ、思考が悪い方に流れてしまっている。ペチペチと頬を叩いて気合を入れ直した。

 

 どうやら今の私は井の中の蛙だったようだ。楽してガッポガポのウッハウハとはいかないか。しかし、井の中の蛙という事を知れた。天狗になったまま無為な時間を過ごすのは防げたのだ。今はそれだけで儲けものと思おう。

 

 何事もポジティブに、ってね。それが私の人生哲学。

 

「それより汗だくだけど……入学式、大丈夫?」

 

「え?」

 

 自分の体に意識を向けると、シャツがべったりと肌に張り付いていた。

 

「…………タオル、あるだけ貸してもらえませんか?」

 

 入学式までに必死で汗を(ぬぐ)った。

 



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3話 ダメだよ? トレーナーがウマ娘を困らせたらさ

(スーパーグリード)

 

 先輩方の朝練にまぎれてから、入学式や入寮など様々なイベントがあったが、簡単に結果だけをまとめる。

 

 入学式ではファインが新入生総代として挨拶をしていた。流石王族、人前で喋るのはお手の物だったね。

 寮は相部屋と聞いていたが、私は一人部屋だった。まぁ、一人の方が好き勝手出来て良いかもしれない。人肌恋しくなったらシャカとかファインの部屋にお邪魔させてもらおう。とはいえ、トレセン学園はレースで勝てないなどの理由や、中途編入、地方からの転入など出入りが激しい。新しい娘が入ってくれば年度の途中で相部屋になるかもしれない。

 

 

 

 カレンダーはそこそこ進み、選抜レースが開催される時期に。選抜レースはウマ娘が己の力を示し、トレーナーにスカウトされる場。ここでより良いトレーナーに見初められる事が成功への近道と言えるだろう。

 しかし私は更に上を目指す! G1ウマ娘を多数輩出する有名なチームの選抜試験を受ける事にした。有名チームはスカウトでは無く、試験を設けての採用制にしている所が多い。

 

 ……結果? 聞く? ダメだったよ。

 

 まぁ、入学式の日の朝にトレーナーから微妙な評価を貰った私が受かる可能性はかなり低い。それは分かっていたが、試験を受けるだけならタダだ。無料の宝くじに外れただけと考えれば、しょうがないと思える。

 

 なので、大人しく選抜レースに出る事にした。ひとまず1600mの芝のレースに出走。しかし、そこで思わぬ事態が。シャカが同じレースに出走する事になってしまったのだ。

 

「まさかこんなに早くシャカっちと戦う事になるとはねぇ」

 

 声を掛けるが、彼女は無言のまま準備運動を続けている。

 

「あれ? 緊張してる? もしかして未来のG1バに気圧されちゃった?」

 

「あ“ァ”!? どこに未来のG1バがいンだよ!」

 

 私が煽ると、やっと返事してくれる。今となっては「あ“ァ”?」も聞きなれたものだ。クラスメイトには不評の様だが。もう少し愛想よくすれば良いのに。

 

「今声掛けてもらってるでしょ?」

 

「今俺が声を掛けられてるのは選抜試験にことごとく落ちたパッとしねェウマ娘だけどな」

 

「いや~、あの時はちょっと調子悪かったからね~。でも今日は万全、オールオッケーよ」

 

 私が両手でサムズアップすると、シャカが立ち上がった。準備運動を終えたようだ。

 

「チッ、ビッグマウスが。……このレースで見せてやるよ、本物の未来のGIバの走りをな」

 

「え、それってシャカが~? マジ~?」

 

 茶化したように声を掛けるが無視されてしまった。シャカはそのままゲートの方に向かっていく。

 あの様子だと冗談で言ったわけでは無いようだ。私もおふざけオーラを引っ込め、ゲートに向かった。

 

 

 

 

 

 

 選抜レースの結果。もうね、凄かったね。

 シャカっち? ノンノン。ありゃ釈迦っちだよ。格が違うね、速すぎる。シャカは大差で一着。一方で私は三着。

 

 シャカだけに負けるならともかく、他の子にも負けちゃったかぁ……。

 

 顔を上げると、圧倒的勝者のシャカの元に多くのトレーナーが詰めかけているが見える。

 

 私があの立場だったらなぁ。ウッハウハだったのに……。

 

 チヤホヤされるシャカに背を向け、トボトボとコースを去ろうとする。そこに一人のトレーナーが声を掛けに来てくれた。

 

「待って! 君をスカウトさせて欲しい!」

 

 なんと、三着の私にもありがたい事にスカウトの声がかかったのだ。

 

「その~……少し生意気かもしれませんけど、私のどこに魅力を感じましたか?」

 

 卑屈になっていた私はめんどくさい台詞を吐いてみる。

 

「スタミナかな。君は最高速を維持できる距離が普通の娘より長い。そこを鍛えれば重賞で勝つ事も夢じゃないよ!」

 

 ほえ~……トレーナーってそんな所まで見てるのか。

 

 感心しながらも、一つ質問をぶつけてみる。

 

「重賞ですか……。その、とんでもないスパルタでも良いので私をGIで勝たせてもらう事って出来ますかね?」

 

 どうやら私はシャカのように才能に溢れるウマ娘ではないようだ。選抜レースの結果もそうだし、二人のトレーナーから「頑張れば重賞を取れる」「重賞も夢じゃない」と言われてしまった。

 しかし、私はGIで勝ちたい。GIを勝ったという名声が欲しい。非常に欲しい。喉から手が出る程欲しい。

 あわよくばクラシック三冠を全部取って「wining soul? 三回もセンターで踊ったのでちょっと飽きちゃいましたね!」なんて問題発言をして炎上してみたい。

 

 そういう意図での質問。

 

「スパルタでGIか……私には無理かな」

 

「……私だとGIで勝つのは無理ですか?」

 

「あぁ、勘違いしないでね。そこまでは断言できないよ。私が無理だと言ったのはスパルタの部分。昔、教え子がハードトレーニングで怪我しちゃってからは、スパルタはしない様にしているんだ」

 

「そうですか……」

 

 気まずい事を話させてしまった。流石の私も少し気が引ける。

 

「そういう事だから君と私の相性は悪そうだ。ごめんね、時間取らせてしまって」

 

「あ、いえ……声を掛けてくれてありがとうございました」

 

 それきりトレーナーは私から離れていった。取り残された私はこめかみに指を当て、一休さんのポーズ。

 

 う~ん、中々上手くいかないなぁ……。選抜試験もダメ、選抜レースもダメか……。

 

 ふと、シャカの方を見ると、トレーナーの人だかりは消え、彼女一人だけが居た。

 

「あら? どうしたん、そっちは。えらいぎょうさんトレーナーに囲まれてはりましたけど」

 

「なンでいきなり京都弁なンだよ」

 

「気分。……真面目な話、あれだけいたトレーナーはどうしたの? 全員断ったとか?」

 

「そうだ」

 

「えぇ! そんなもったいない! あれだけいれば選び放題だろうに」

 

 私がそう言うと心なしか、シャカの眉間にしわが寄った。

 

「……全員、普通なンだよ。優秀な奴は山ほどいたが、俺の限界を超えさせてくれそうなトレーナーがいなかった」

 

「限界……う~ん、つまりスパルタ調教施してくれるトレーナーがいなかったって事?」

 

「違ェ。スパルタで限界が超えられるか。努力量に比例して能力が伸び続けるなら誰も苦労しねェよ」

 

 そう言ってシャカはコースを出ていく。彼女の様子からすると、どうやら「限界」を超える事を目標としているようだ。なぜそこにこだわるのかは今の私には分からない。

 

 別に限界を超えなくったってシャカぐらいの実力者ならG1レースでも勝てそうだけどなぁ……。

 

 そこまで考えて、私はシャカの後を追った。

 

「どこのチームもそうだ。日本ダービーを超えさせてくれそうなトレーナーはいなかった。どうする……? 名義だけ借りて最低限レースに出られるようにするか……? そうすりゃトレーナーに拘束されなくて済むが、指導を受けれられないのは流石にマイナスか……?」

 

 シャカは一人でいると思い込んでいる時、考えている事がたまに声に出る。普段は愛想が無いが、こういう所は少しかわいい。

 彼女の独り言を聞きながら後を付けていると、柵の外で誰かと話しているファインを見つけた。

 

「あ、シャカール! それにグリードも。ちょうど二人の話をしてたんだよ」

 

 ファインは私達を見つけると、嬉しそうに声を掛けてくる。シャカはめんどくさそうな表情を浮かべて口を歪ませているので、私が返事をした。

 

「私たちの話?」

 

「そう! さっきの選抜レースを見てたんだけど、凄かったね! 特にシャカール! 最後方からの鬼気迫る追い込み!」

 

 ファインは興奮冷めやらぬと言った様子で話す。私にはほとんど触れられてないのにちょっとガックリ来た。

 

「確か最初は抑えて……!」

 

 しゃべりの勢いそのままに、ファインは柵を超えてコースを走り始める。

 

「っ! 殿下!? お待ちください!」

 

 SPの人が大層慌て始める。それもそうだろう。ファインは王族、走る最中に転んで怪我をしたら一大事だ。

 始めは心配が勝ったが、ファインの走りを見ているとすぐに別の思いが。

 

「すごい走りっぷり……」

 

 呟いたのはファインと話していた女性。彼女の胸にはトレーナーの身分を示す蹄鉄型のバッジが。

 

「確かに。箱入りのお嬢様とはとても思えないね」

 

 トレーナーが言った通り、ファインの走りは私から見ても上手に見える。

 

 コースで走るのはこれが初めてだろうに。……王族の才能ってやつ? とんでもないなぁ。それに走りの上手さだけじゃない。

 

「とても楽しそう……」

 

 再びトレーナーが呟く。

 

「うん。いつも楽しそうな顔してるけど、今は特に楽しそう。目なんかキラキラさせちゃって……。って、さっきからトレーナーさんの補足ばっかりなんだけど! 私もそう思ってたのに先に言われて後出しになるせいでなんか同調しただけに聞こえちゃうでしょ!?」

 

「あ、ご、ごめんね?」

 

 なんてやり取りをしながら、ファインが一周してくるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殿下! 全力疾走は堅く禁じておられる旨、お忘れですか!?」

 

 ファインが戻って来るなり、SPの人が注意する。

 

「えっ? ……あっ! ごめんあそばせ! 私ったらつい……」

 

 ファインの様子から察するに、選抜レースを見て興奮しすぎて、つい暴走してしまったのだろう。

 

「貴方、走っちゃダメなの?」

 

 女性のトレーナーがファインに聞く。

 

「あはは……うん、実はそうなのでした」

 

 ファインはバツの悪そうな表情を浮かべる。

 

「怪我の危険があるような事……レースも、走る事も禁止されているの」

 

「走る事が禁止って……ならどうしてトレセン学園に留学しに来たの? 普通の学校でもよかったんじゃ……」

 

 トレーナーの疑問は(もっと)もだ。

 

「それはね、私と同じくらいの年で本気の夢に向かって努力する子達。そんなみんなとお話して友達になってみたかったの。その経験はきっと私の財産になって、私がこれから成すべき事のためにも大切な経験になると思ったから」

 

 ファインは斜め上を見上げる。そして遠くに思いを馳せるような表情に。

 成すべき事、おそらく王族としての責務の事を言っているのだろう。

 

 ……なんか重いなぁ。王族に生まれた責任か……。小市民の私にはとても想像できないや。

 

「ふふっ、日本がとびきり安全な国で良かった! お父様達を説得できたのはきっとそれが大きかったもの」

 

 ファインは場の雰囲気が重くなったのを感じたのか、殊更(ことさら)楽しい様子で話を続ける。

 

「まだ少しの留学体験しかしてないけど、お友達もできて、楽しみにしていたラーメンも食べに行けて、レースの観戦もできて。きっと満足して国に帰れるよ!」

 

「…………本当に?」

 

 トレーナーの言葉にファインが驚いた表情をする。

 

「本当にそれだけで満足?」

 

「えっ、と……」

 

 さらに問い詰められて困ったような顔をするファイン。そこに私が割って入る。

 

「ちょっと何言ってるのトレーナー? ファインが困ってますー」

 

 楽しそうに語るファインからは嘘を付いているような雰囲気を感じなかった。だからファインをかばい、トレーナーを責める。

 

「いや、それは……」

 

「殿下、お体が冷えてしまいます。寮へとお戻りください」

 

 トレーナーが私の問いに言葉を詰まらせている間に、SPの人がファインを連れて寮の方へと戻っていく。それを見送った後、私は再びトレーナーに忠告する。

 

「トレーナーはトレーナーなんだからさ、もうちょっとウマ娘に対して気を使わないとダメじゃない? さっきみたいにウマ娘を困らせるなんてのはもってのほかで……ぁ(いて)っ!」

 

 なぜかシャカにデコピンされた。

 

「なんでデコピン!?」

 

「うるせェ。お前もさっさと寮に帰ってろ」

 

「うぅ……選抜レースもダメだったし、理不尽な暴力受けたし……。今日はさんざん、もう帰って寝る……」

 

 痛む額をなでなでしながら私は寮へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(トレーナー)

 

 ファインモーション。きっとあの子は……

 

「おい。……てめェ分かってて首突っ込ンでやがンのか?」

 

「えっ?」

 

 思考の最中に声を掛けられ、素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「え、じゃねェ!! 間抜け面しやがッて!」

 

 声を掛けてきた黒髪のウマ娘――エアシャカールは真剣な表情で言う。

 

「覚悟もねェのに半端に手ェ出すンじゃねェよ」

 

 覚悟……。

 

 彼女の忠告は、鋭く胸を刺したのだった。

 




基本的にはアプリ版の内容を踏襲しています。


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4話 あれ? 私、必要? 要らないよねこれねぇ!

(ファインモーション)

 

 日中の授業も終わり、今は放課後。トレセン学園の敷地を歩いていると、昨日のトレーナーの言葉を思い出す。

 

(本当にそれで満足……?)

 

 満足……。

 

 昨日、全力疾走して走る事の楽しさに触れてしまった。芝の上を走っている最中は心の底からワクワクした。どうしてあれほどワクワクしたのか……理由付けは難しい。きっとあれがウマ娘としての本能なのだろう。

 

 走る事の楽しさを知った以上、レースで走らずに帰国してしまえばきっと後悔する。

 

 ……けれど私はファインモーション。王族としての責務を放棄する事は出来ない。

 

「ファイン!!」

 

「わっ!」

 

 いきなりの大声に耳と尻尾をピンと立ててしまった。振り向くと、昨日のトレーナーが立っている。

 

「えっと……どうしたの? 少し怖い顔だね」

 

「昨日は聞きそびれたけど、貴方の気持ちが聞きたくて」

 

「私の気持ち? っていうと、この間話した“走らずに国に帰って満足か”という事?」

 

 それならば私の答えは決まっている。

 

「答えは“変わらない”かな。私を気に掛けてくれるキミの気持ちはとっても嬉しいよ! ……でも私はね? 走るために生まれてきたわけではないの。一族と守るべき民達の永き繁栄と安寧のために尽くす……それが私の使命。私の誇り。私が今、ここにいる理由」

 

 私がそう語るとトレーナーは神妙な顔つきに。

 

「それは貴方に夢を諦めさせていい理由にはならない」

 

 そう言われた私は深く考え込む。

 

「夢…………私の、夢……」

 

 想像した事も無かった。夢――将来実現させたい事。私の場合は王族としての責務を果たし、自国に尽くす事になるのだろうか? 

 いや、ここで聞かれている夢には当てはまらない気がする。トレーナーが尋ねる私の夢。それは私の望み? だったら……でも……

 

 結局、その場ではトレーナーに返事をできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(トレーナー)

 

 ファインモーション。彼女には自分の気持ちと向き合うためのきっかけが必要なのだろう。そこで彼女と親しそうだった二人のウマ娘――エアシャカールとスーパーグリードにお願いをすることにした。

 

「ンだと? ファインと模擬レースしろだァ?」

 

「なんでそんな事を私達に……」

 

「てめェの記憶容量は0バイトか!? 二度言わすなクソが! 半端に首突っ込むなッつッてんだよ!!」

 

「いや、ちょっと待って待って……なんでシャカはそんなに怒ってんの?」

 

 グリードの方は事態を把握できていないようなので説明する。

 

「ふむふむ。つまりファインは走りたがっているけど、怪我は危ないし王族としての使命もあるから板挟みになっていると。……えぇ~、じゃああの時の満足そうな顔は演技? 流石王族だわ……」

 

 感心しているグリードを他所に、シャカールは私を睨みつけてくる。

 

「王族の身を預かる……その意味、分かってンのか?」

 

 私はシャカールの目をまっすぐ見返す。

 

「分かっているし、覚悟もあるよ」

 

「……」

 

 シャカールの目つきがさらに厳しくなった。

 

「軽々におっしゃるのはおやめくださいませ、トレーナー様」

 

 突然現れたのは黒のスーツに身を包んだウマ娘。ファインのSP。

 

「失礼ながら、事の重大さをお分かりで無いようです。殿下をレースの道に誘うという事は尊き御方を貴方の手で危険に晒すという事……」

 

 SPの声に迫力が増す。

 

「貴方自身が全てを失う事にさえなり得ます」

 

 SPが言う事は(もっと)もだ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。私はトレーナー。ウマ娘のためならどんな事でもすると心に決めた身。

 

「ですから、全て覚悟の上です」

 

 私がそう言うとSPは当てが外れたような表情に。しかし、すぐに言い返してくる。

 

「っ……いいや! あなたは何もお分かりでない! 殿下の御身をお守りする者として、私は断固――」

 

「全てを懸けてウマ娘の夢を支えるのが私の仕事です!」

 

 SPの仕事はファインの身を守る事。その立場からすれば彼女を走らせる事に賛同できないのは当然だ。

 けれど私は引かない。彼女――ファインに後悔してほしくないから。

 

「……っ」

 

 全く引かない私に言葉を詰まらせるSP。

 

「……そういうことなら私、やるよ。ファインと模擬レース」

 

 話を聞いていたグリードが小さく手を上げてくれた。

 

「SPさんもウマ娘だから走る事の楽しさは分かるんじゃないですか? だったらファインにも走らせてあげた方が良いと思います。怪我を心配するのは分かりますけど……」

 

「……」

 

 SPは沈黙したまま。場の雰囲気がファインに走ってもらう側に流れたその時、シャカールが声を上げた。

 

「チッ……、心配するのは怪我の方じゃねェだろ!」

 

「えっ? 他に何か心配する事ある?」

 

「仮にだ。ファインがレースで走る事を望み、許されたとする。だがその期限は? あいつは王族、ずっと走ってるわけにはいかねェだろ。1年か2年か3年か……とにかく期限付きだ。期限が来りゃあ楽しい楽しいレースとはお別れ。――そン時あいつはどう思う?」

 

 シャカールの指摘に私はハッとさせられた。ファインがレースと別れる時。あれだけ目を輝かせて楽しんでいた彼女が走る事を止めなければいけなくなった時。彼女は……。

 

「滅茶苦茶がっかりするよね……。少なくとも私だったらそう。というかシャカ、そんな事にまで良く気が回るね」

 

「けッ、少し考えりゃ分かる事だろうが。……ンで? どうすんだよお前は?」

 

 シャカールが再び私を睨んでくる。

 

「お前はファインにレースを走らせてやりてェンだろうが、それは本当にアイツのためになンのか? どうせ失う楽しみならいっその事知らねェ方が……」

 

「それは違うよ」

 

「……あ“ァ“?」

 

 シャカールの目つきが更に鋭くなったが、私は気圧されず自分の考えを説明していく。

 

「確かに彼女は期限付きでしかレースに関われない、私もそう思うよ。けどそれは他のウマ娘だって一緒。どんなウマ娘でも全盛期が終わればいつかは引退する。レースで勝てなくて引退する子もいる。……怪我で引退する子もいる。期限は皆にあるものだよ。ファインの場合はそれがはっきりと分かるってだけで」

 

「……」

 

 私が話すと、シャカールは無言のまま続きを促してくる。

 

「だからウマ娘達は悔いが残らないように全力を尽くす。自分のレース人生が納得いくものになるよう懸命に走るんだ。――短い期間かもしれないけど、ファインに悔いは残させない」

 

「……チッ」

 

 私の言葉を聞いたシャカールは舌打ちをした。

 

 ……説得できなかったかな。選抜レースの時にファインが特別気に掛けてたシャカールには模擬レースに参加してほしかったけど……。

 

「――で? いつやンだよ? その模擬レースとやらは」

 

 シャカールは仏頂面でそう言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

「隊長……本当に見逃してくださるのですか? 模擬レースだなんて」

 

 隊長から模擬レースをすると聞いたときは本当に驚いた。彼女の立場を考えると、私が走る事に一番反対しそうなのに。

 

「トレーナー様は己の全てを賭してでも殿下を後押しするつもりでいらっしゃいます。その上で、殿下ご自身も望まれるのならば……ずっとお傍で殿下のお働きを見守ってきた者として、これ以上お止めする事はできません。――どうぞ御心のままに」

 

 御心のままに。そうは言われても私の心はまだ決まっていない。

 

「私は……」

 

「オイ! いつまでンなとこにいやがるつもりだ!? それとも、ここに来てまだ“走らなくても満足“だなんてフザけたこと言いやがるのか?」

 

 コース上からシャカールが大声を出して私を誘う。

 

「ほらほら。殿下、コースまでエスコートいたしますよ」

 

「え、あっ……」

 

 グリードに手を引かれてコースへと続く階段を下りる。

 

「シャカール、グリード、二人とも……」

 

「観客として見ていたぐれェでレースを知った気になってンなよ、殿下様。役者の“熱”は、“狂気”は、ンなもんじゃねェからな。来いよファイン。――知りたくねェとは、言わせねェぞ」

 

 そう言うシャカールの瞳を見ていると、吸い込まれるように彼女の隣に歩を進めていた。

 

「私がペースメーカーになるから気楽にね」

 

 私の外側にグリードが並ぶ。そうして私たちの模擬レースはスタートを迎えた。

 

 

 

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……!」

 

 前を走るグリードについていく形で芝の上を駆ける。それだけで私の心は震えていた。

 地面を蹴った時に感じる反発力。自動車に乗っている時のように、後ろに飛んでいく景色。肌に風が当たる感覚。

 

 私、今走ってる……!!

 

 走っている感動に加えて、心の中にはある衝動が。

 

 前を走るグリードを……競争相手を抜かしたい……!

 

 衝動のままに加速すると、前との距離がグングン詰まる。

 

「む、むり~!」

 

 グリードの声が後ろから聞こえるようになった。――抜かしたのだ。すると、私の前には誰もいない。

 その瞬間、えも言えぬ快感に包まれ、体が軽くなった。更に加速する。

 

 すごい……。走るだけじゃなくて、ターフの上で競う事がこんなに楽しいなんて……!

 

「ハッ!! オイオイ、そンなもんかよ殿下様ァッ!!」

 

 その声の直後、後ろからシャカールが私を追い抜いて前に。力強く走る彼女からは「抜けるもンなら抜いてみな」と幻聴が聞こえてきそうだ。

 

 何てプレッシャー……肌が粟立ってる! このまま持っていかれそう!

 

 慣れない全力疾走。鼓動がうるさい上に、足にも疲労が溜まっている。

 

 でも……でも……っ! なぜかしら……!?

 

「私、まだ……まだまだ走れるみたい!! ――はぁああああああーっ!!」

 

 全力疾走だと思っていたが、更に加速できた。シャカールに並ぶ。

 

「ヘッ、少しはやりやがる……! けど、させッかよ! オラァアアアッ!!」

 

 けれどシャカールは更に速度を上げ、私の前に。私も再び加速する。

 

 ああ……すごい! 心が震えてる、魂が叫んでる! 「もっと早く」「さらに前へ」「走れ、走れ」って!!

 

 けれど限界はあるようで、シャカールに追いつく程の加速は出来なかった。彼女の背中を見続けていると、悔しさが湧いてくる。

 

 これがレース……。

 

「っ……、私は――私も……!!」

 

 自分の心の叫びを自覚してまもなく、模擬レースは終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

「――ヘッ、俺の勝ち」

 

 そう言って得意そうに笑うシャカール。彼女の珍しい表情を見れたおかしさと、レースの余韻の心地よさが混じった笑みがこぼれる。

 

「ふふっ……うん。とっても悔しい!」

 

 そこにトレーナーが駆け寄ってくる。

 

「ファイン……」

 

「トレーナー! ……ありがとう。私に、自分と向き合うチャンスをくれて」

 

 トレーナーがSP隊長を説得してくれたからこそ、今がある。感謝の思いでいっぱいだ。

 

「……それからごめんなさい。一つ嘘をついてしまいました。私――まだ国には帰りたくありません。ここで、もっともっと走っていたいから……!!」

 

 そして心のままに言葉を紡いだ。身勝手な願いなのは分かっている。しかし、ここまではっきりと自覚してしまっては、もう抑え込む事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「あの……ちょっと……私……忘れられてる……気が……。でも、まぁ、何か……良い感じにまとまったみたいで……良かった……」

 

 遅れて戻ってきたグリードは、息も絶え絶えに倒れ込んでいた。

 



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5話 まぁ私の器量を持ってすればデビュー戦ぐらい余裕よ

誤字・脱字報告をしてくださった方、ありがとうございます。

過去作でも報告をしてくださった方が本作にも報告をしているのを見て、すごいエモい気分になった……。
改めてありがとうございます。


(スーパーグリード)

 

 ファインと模擬レースをしてから、数週間が経った。彼女はレースで走る許可を貰うために、お父さんと話し合ったり、選抜レースで実力を示したりと大変そうだった。しかし、努力の甲斐あってか、彼女は3年間レースで走る許可を貰えたそうだ。

 

 そしてシャカはファインと同じトレーナーに逆スカウトを仕掛けてOKを貰っていた。その場には私もいた。彼女の逆スカウトの文言はよく覚えている。

 

「トレーナー。てめェは期限までにファインを満足させてみせると言ったな? ――だったら俺も満足させてみやがれ」

 

 そのすぐ後に、

 

「私も満足させて下さい!!」

 

 便乗したら私もOKを貰えた。

 

 どうやらトレーナーは今年から3人のウマ娘を持てと言われていたようで、ファイン、シャカ、私がその三枠に収まった形。ファインやシャカと比べて微妙な実力の私を担当して貰えてありがたい限りだ。

 

 同期でトップクラスのファインやシャカと同じトレーナーに担当してもらえたのは都合が良い。普段の練習で二人の実力に迫ることができれば、私も同期の中ではトップクラスという証明になるからだ。分かりやすくて良い。いつかは二人とG1の大舞台で戦う事にもなるだろう。

 

 とはいえそれは先の話。今は6月のデビュー戦が目下の目標。

 ちなみにファインは今まで走っていなかった事を考慮し、12月あたりまで調整をするようだ。シャカも10月辺りまで調整を続けるらしい。

 

 ファインはともかく、シャカは今の段階で私より速いんだから、デビューしても良いと思うんだけどな……。いや、速いからこそ焦る必要がないのか? 

 

「いつでも勝てる自信があるから念入りに調整をする、って事かな……?」

 

「どうしたの? いきなり独り言呟いて」

 

「ケッ、どうせどうでも良い事考えてたンだろうよ」

 

 ファインとシャカの声に、意識が現実に引き戻される。今、私達がいるのはトレセン学園の食堂。三人でお昼を食べている所だ。

 

「どうでも良い事ってのは流石にひどくない? 私にしては珍しく有意義な事考えてたけど」

 

「自分で珍しく、って言うのかよ……」

 

 呆れ顔のシャカの方に目をやると、たくさんの皿が見える。対して私の元には数皿しかない。ファインも同様だ。

 

「シャカは相変わらず良く食べるね。どうしてそんなにお腹に入るの?」

 

 ウマ娘は普通の人に比べれば大食らいが多い。しかし、シャカールの食事量はウマ娘の中でもかなり多い方と言えるだろう。

 

「訓練したからな。アスリートにとって食べられるってのは一つの能力だ。データを見ても、多く食べるウマ娘は身体能力に優れる傾向があンだよ」

 

 へぇ~、大食らいもデータの内か……。シャカはいつもそうなんだよね。データ、データ。それが彼女の速さの秘訣なのかもしれない。

 漫画とかだとデータキャラって大抵噛ませ犬なのに。シニア期に入る頃にはデータを捨ててそう。

 

「たくさん食べるウマ娘ほど強いんだね。だからオグリキャップさんやスペシャルウィークさんも強いのかな」

 

 そう言うファインの視線の先には、数十人前の料理を平らげている途中のオグリキャップ先輩とスペシャルウィーク先輩が。

 

 オグリキャップ先輩と言えば、地方から来た怪物として実力、人気共に伝説クラスのスターウマ娘だ。スペシャルウィーク先輩は黄金世代と百花繚乱の時代でGIをいくつも勝ち取ったスターウマ娘。

 

 どちらも無限の胃袋を持っているという噂だったが、空皿が山のように積み重なっていく場面を目の当たりにすると、凄いというよりはドン引きの感情が勝る。

 それはシャカも一緒のようで呆れた顔をしていた。

 

「いや、あれは例外だろ……。つーか、自分の体積以上の飯が体のどこに入ッてんだ……?」

 

「そこは深く考えない方が良いんじゃない? ウマ娘の不思議の一つって事にしておいた方がね?」

 

 そもそもウマ娘は体の造りが人間と大差ないのに時速60kmで走れる謎種族だ。科学で理屈をつけるには相手が悪い。

 

「シャカールもあれぐらい食べてみたら? もしかしたら今以上に早くなれるかも……ほら、あ~ん」

 

 ファインがシャカに料理を食べさせようとする。

 

「現代の殿下様ってのは随分とマナーが悪ぃンだな」

 

「む~。ちゃんとファイン、って名前で呼んでよ」

 

 ファインは頬を膨らませながら続ける。

 

「それにレストランとかの公式の場ではこんなことしないよ。今いるのは学校の食堂。時と場所によって振る舞いを変えるのは普通でしょ? 一度、こういうのをやってみたかったの」

 

 キラキラとした目でシャカを見つめるファイン。こうなると大体シャカの方が先に折れる。今回もそうだった。シャカは渋々差し出された料理を口に含む。

 

「ふふっ。昔、故郷で羊に牧草を食べさせてあげたのを思い出すな」

 

「っ……」

 

 羊扱いされるシャカだが、口の中に料理があるため反論できない。ファインに便乗して私もシャカをからかう事にする。

 

「私も餌付けしよ。腹パンパンになるまで食わせてシャカの肝臓でフォアグラ作ろう~」

 

 料理をフォークで刺し、シャカの方に差し出すが、手を掴まれた。かなり力がこもっている。あっ、痛い痛い、すんません、本当にすんませんっした!

 

「お返しにてめェの臓物で腸詰め作ってやろうか?」

 

「うぅ……。シャカ、私にだけ当たりがキツくない? いや、ファインにだけ優しいのかな?」

 

「本当? 嬉しいな、特別扱いだなんて」

 

「るせェ! ……そういうお前はさっさと飯を食べろ。さっきから料理をつつき回してるだけじゃねェか」

 

 若干話をずらされた感じがあるが、シャカの指摘通り私はさっきから食べ物を口に運んでいない。

 

「う~ん、どうにも食欲が湧かないというか……」

 

 デビュー前で知らず知らずの内に緊張しているのだろうか。お腹は減っているが、料理を口に運びたくない気分。

 

「エネルギー不足になると、体は真っ先に筋肉を分解してエネルギーを(まかな)う。食わねェと筋肉量が落ちるぞ」

 

「それは分かってるんだけどね……あむ」

 

 気が進まないが、無理やり料理を口に押し込む。

 美味しい。一口食べると、その後は抵抗なく食事を進められた。

 

 

 

 

 

 

 私のデビュー戦。結論から言うと勝った。逃げたらそのまま一着。

 後ろからの追い込みが弱い事に拍子抜けしたが、シャカとかいうバケモンと並走していたせいで感覚がマヒしていたのだろう。

 

 何はともあれ、まず一勝! メイクデビューで勝ってSNSのフォロワー数も増えたし、賞金も貰えた。このままの調子で行けばフォロワー数10万人突破、この先働かなくても生活できるぐらいの貯金、どちらの目標も達成で出来そうだ。

 

 あぁ、それにしても良かったなぁ……ライブ。私がセンター、主人公。たくさんの人が私に注目し、応援してくれる……たまんねぇ~! 過去一番、自己顕示欲が満たされた瞬間だったなぁ……。もう一回味わいてぇ。

 

 そのためにはもう一度レースで勝つ必要がある。しかし、そうポンポンレースに出れるわけでは無い。脚がおしゃかになってしまう。レースに出場するなら多くとも一か月に一、二回が限界だろうか。それでもかなりのオーバーペースだが。

 

 ま、それまではSNSのイイねで我慢するか……。

 

「と、いうわけで! ファイン殿下のお写真を私めのSNSに乗せてもよろしいでしょうか、隊長!?」

 

「いえ、私に言われましても……。それより何が“というわけで”、なのですか……?」

 

「それはもちろん、殿下のお写真を載せた方がイイねが伸びるからですよ! 殿下を貶めたり、危険に晒すような投稿はいっさいしません! 投稿内容を事前に校閲していただきますから! どうか、どうか!」

 

 デビューで勝っただけの私と比べれば、王族で留学生の殿下の方がイイねを稼げる事は明白だ。

 

「ファイン殿下は王族として顔見せの執務もあるでしょうし、宣伝代わりに使っていただいても構いませんから! ほら、ファイン殿下は一見すると非常に気品あふれるお姿なので手の届かない存在だと思われがちですが、学内では意外と気さくなのでそういう部分をあえて見せる事でさらなる人気が見込めるかと!」

 

「SPに何を力説してんだおめェは」

 

 いつの間にかシャカがいた。

 

「ンで? ファインの写真を自分のSNSに載せてイイね稼ごうとしてんのか?」

 

「そうだけど?」

 

 シャカはガリガリと頭を掻く。

 

「……“イイね”が欲しいのは承認欲求を満たしてェからだろ? 他人の写真でイイね貰って満足か、おめェは?」

 

「それは……」

 

 言われて考える。

 

「…………あの~、殿下とのツーショットを載せるのって駄目ですかね?」

 

 そこが私の妥協点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三人称)

 

「結局、グリードのSNSに写真を載せる件はOK出したのか?」

 

「うん。とはいっても色々あったけどね。私を窓口に本国と色々やり取りしてようやく許可がでたかな」

 

「たかがSNSのイイねのためにそこまで面倒な事をすンのかよ、アイツ……。お前も良く付き合ったな」

 

「きっと彼女にとっては“たかが”じゃないんだと思うの。困難も気にせず一生懸命やるほどにはね。それはとても美しくて素晴らしい事だよ。だから私にできる範囲でその手伝いをしただけ」

 

「……ま、行動力だけは認めてやっても良いか」

 

 シャカールはスマホを取り出し、グリードのSNSを確認する。最新の投稿内容はグリードとファインのツーショット写真だった。コメント欄を見る。

 

(殿下可愛い)

(写真一枚からオーラが伝わってくる)

(隣のウマ娘いる?)

(次はワンショットを投稿しろ)

(王族と庶民の対比が良く出来てる)

(王族の威を借りるな)

 

「メチャクチャ言われてんな」

 

「はぁ~!? 私を褒めるコメントが無いんだが!? これが合コンで引き立て役に連れていかれる地味子の気持ち……!?」

 

 近くにいたグリードが悶えながらスマホを操作する。すると、新たな投稿がSNSに書き込まれた。

 

(は? 庶民じゃないが? これからレースで勝って賞金ガッポガポの金持ちになるが? オーラもビンビンだが?)

 

 その投稿に対して様々な反応が。

 

(この投稿がもう庶民)

(オーラ(成金))

(品性は金で買えないよ、グリード)

 

「こんのやろ……!」

 

 顔を真っ赤にして反論を書き込もうとするグリード。しかし、SPに肩を叩かれて顔を青くしていた。ファインの写真も投稿してしまった今、炎上沙汰になるのは不味いと仲裁が入ったようだ。

 

「……あれが、とても美しくて素晴らしい事か?」

 

「あはは……」

 

 後日、グリードのアカウントとは別にファインの公式アカウントが作られたそうな。

 



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6話 血統よりは環境の問題が大きい

(スーパーグリード)

 

 どうも。ファイン殿下の写真を載っけて一時的にフォロワー数を増やしたけど、アカウントを分離した瞬間、元に……いや、フォロワーが減ったクソ雑魚インフルエンサーことスーパーグリードです。

 殿下のアカウントにフォロワー吸われちゃった……。

 

 まぁ、SNSに関しては地道にフォロワーを増やす事にしよう。レースで勝っていけば、知名度は上がるし、GIレースの勝者ともなれば競バに興味のない層に対しても名前を覚えてもらえる場合もある。

 

 レースで勝てば名声が手に入り、加えて賞金――富も得られる。勝つのが非常に難しい事を除けばレースは素晴らしい物だ。

 と言うわけで、レースに勝つため今日も今日とて練習に励んでいる。

 

「坂路終わったよ~、トレーナ~……」

 

「なら10分休憩。次はシャカールと並走してくれる?」

 

「へ~い……」

 

 水を飲んだ後、ベンチの上で横になる。

 

 シャカと並走――そういえば、彼女はもうすぐデビュー戦だったっけか。

 

 後ろからの追い込みを得意とする彼女。逃げが得意な私、先行脚質のファインと並走し、仕掛ける位置取りやタイミングの練習をしようという事なのだろう。

 

「気が進まないなぁ……」

 

 ファインとシャカ、二人は私より速い。併走すればまず負ける。負けるのは好きじゃない。しかも、間近で完成度の高い走りを見せつけられる事になるので、自分の実力の無さを思い知る事になってしまう。

 

 まぁ、自分より速い子と走るのは良い練習になるんだろうけどね……。

 

 理屈と心は別なのであった。

 

 

 

 

 

 

「よーい……スタート!」

 

 トレーナーの合図を機に、三人が一斉に駆けだした。

 私とファインが並んで前に。シャカはずっと後ろの方に。その位置取りのまま、走り続ける。

 

(ファインとグリードはシャカールの前について、追い込みの進路を出来るだけブロックして欲しい。彼女にはそれを躱す練習をしてもらいたいから)

 

 トレーナーの言葉を頭の中で思い出す。

 

 追い込みの進路をブロック……。内側から差させず大外を回らせるようにすれば、普通より長い距離を走らせられる。そこを意識して――とはいえ、最後のスパートまでは暇だな。

 

 私の横を走るファインの様子を(うかが)った。彼女はたまに後ろのシャカの様子を確認しながら、目をキラキラさせて走っている。

 

 おー……相変わらず楽しそうで。

 

 彼女は練習中いつもこうだ。併走中の今ならともかく、坂路やタイヤ引きなど、自由に走れるわけでも誰かと競い合うわけでもない、ただ辛いだけの練習でも目を輝かせながら全うしている。

 

 彼女の心には走る事だけではなく、走りに繋がる事すべてが新鮮で楽しい物に感じられるのだろう。

 

「すー……ふー……」

 

 自分の呼吸音に意識を集中させる。すると心臓の鼓動、体温、発汗、筋肉の熱を全身で感じられた。筋肉で発生した熱が肌の表面を()ぐ風と、乾く汗の気化熱で冷やされていく。サウナ→外気浴のループを一瞬で繰り返しているかの様だ。

 

 異常な事態に私の脳は興奮(ハイ)状態に。

 

 ――来た。これよこれ、ウマ娘が“走り”を大好きな理由は。

 

 SNSでの投稿がバズった*1時、レースの賞金が振り込まれた残高たっぷりの預金通帳を見ている時――所謂(いわゆる)、“脳汁が出ている”状態になれる。もう、ガンギマリよ。

 

 運動すれば脳内ホルモンが分泌され、高揚するというのは今や有名な話だが、ウマ娘に至っては規格外の速度、運動量から、それに匹敵する規格外の脳内ホルモンが分泌されているのではと私は密かに思っている。

 

 レース中、ペースを見失い暴走するウマ娘の事を“いや、そうはならんやろ”と言う人がいるかもしれないが、そういう奴は一回ウマ娘の体で走ってみて欲しい。初回は確実に暴走するから。

 加えて公式のレースともなれば、緊張や期待など諸々の感情のごった煮。そんな状態ではさらに自分を見失う可能性が高いと言える。

 

 そういう観点から見ると、興奮状態を適正範囲に抑える事もレースで勝つには必要なポイントと言えるだろう。

 

 話題がズレたので話を戻そう。とにかく、ウマ娘は走る事自体を楽しんでいると言う事が言いたかったのだ。ファインは幼い頃走れなかった分、それを強く感じているのだろう。

 

 練習をしていると、“レースで勝利するために我慢しなきゃ”という思考になりがちだ。しかし、ファインと一緒に練習すると、走る事自体の楽しさを思い出せるので、辛い練習のモチベーションを保てる。そういう点で密かに助けてもらっているのだった。

 

 

 

 私がトリップしている間に、最後のコーナーが近づいて来ていた。

 

(シャカールの前について、追い込みの進路を出来るだけブロックして欲しい)

 

 トレーナーの指示を思い出し、慌てて後ろを確認する。するとシャカがかなり外に位置付けているのが見えた。

 

 外から抜かそうって魂胆かな。

 

 視線を隣に移すと、ファインと目が合った。言葉を交わさなくとも、お互いの意図を察する。

 

 コーナーに入った私たちは、遠心力に逆らわず、外に膨らむ。そうすれば、後ろのシャカは更に外に膨らまざるを得ない。コーナーで膨らめば、走る距離が伸び、最後までスパートが持たなくなるはず。

 

 あれ……? このままいけばシャカに勝てちゃったりする?

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

 とか、浅ェ事考えてンだろうなァ、あのバカは。

 

 コーナーで膨らむ前の二人。だが俺はコーナーの入り口で減速し、一気に内側に切り込んだ。再び俺の姿を確認した二人の表情が驚きに染まる。

 

 この展開になる事は確定してんだ。わざと外から行くように見せかけたんだっつーの!

 

 幾度も重ねたシミュレーションがこの模擬レースにおける「式」を導き、そして――

 

「証明終了だ、バァカ」

 

 誰よりも早くゴールラインを割った。

 

 

 

 

 

 

「お疲れシャカール。最終コーナー、凄かったよ」

 

 トレーナーの手から水筒を受け取る。

 

「前が二人だけ、それも俺をブロックしに来るって分かってんだからこンぐらい楽勝だ。本番のデビュー戦は8人同時。もう少し骨が折れる。グレードが上がってもっと人数が増えりゃ詰む事だってある。前につける練習もしとかねェと」

 

「そこはおいおいだね。さっきの調子ならデビュー戦は追い込みでいいかな」

 

「あァ」

 

 一通り会話を終え、水筒から水を飲む。そうしていると、ファインが目をシイタケみたいにしながら詰め寄って来た。

 

「凄かったね! 最後のコーナー! 少し目を離した隙に一瞬で内側に入ってきて! それに最後の直線も! 全身全霊のスパート!」

 

「へッ、そうかよ」

 

「うん! 私も最後まで頑張ったけど抜かされちゃった! やっぱりシャカールは凄いね」

 

「……ンな事ねェよ。こンぐらい普通だ」

 

「そんな事無いよ。シャカールが毎日頑張ってるのを私、知ってるから。君の努力の積み重ねが今日の結果に繋がった――それはとっても素晴らしい事だよ!」

 

「……あァ」

 

 俺は生来のはねっ返りな性格のせいで、誰に対しても口が悪くなりがちだ。そのせいで誰かと仲良くした経験がほとんどない。

 だから俺に執拗に絡んでくるファインに対してどう対応すれば良いのか分からない。曖昧な返事を返すだけに終わった。

 

 ……苦手だ。

 

 そういえば、執拗に絡んでくると言えば“あいつ”も……。

 

「あ~、ダメだぁ……私には才能がねぇんだぁ……。追い込みのブロックすら満足に出来ないなんて……」

 

 “あいつ”はベンチの上でアイスクリームみたいに溶けていた。

 

「そんな事ないよ、グリード。デビュー戦、一勝クラスでは勝てたし、この前のレースだって入着した実績があるじゃない」

 

「今だけだよ~……。もっとグレードが上がって、ファインやシャカみたいなのと当たったらズタズタに負けちまうんだぁ~……」

 

 トレーナーが慰めの言葉を掛けるが、グリードは相変わらず溶けたまま。

 

「初めて全力疾走するファインと並走した時も負けたしさぁ~……。初心者に負けるって、それはもう才能じゃん……。王の血筋には勝てねぇんだ~……。かなりブラッドスポーツだよこれぇ……」

 

 グリードがそう愚痴るのを聞いて、無性に腹が立った。――いや、無性にではない。どうして腹が立ったかの見当は付いている。

 しかし、その考えを巡らせる前に口が動いていた。

 

「チッ、ウマ娘の走力に遺伝子が大きく影響する事は今に始まった事じゃねェだろ。短距離が得意な奴の子供は短距離が得意、長距離が得意な奴の子供は長距離が得意。そういう傾向があるのは常識だ。じゃなきゃメジロなんかの名門は出来ねぇよ。才能の如何(いかん)は大きい」

 

「やっぱり……」

 

「だが、生まれついたモンで全部決まっちまうのか? 決まったレールの上をなぞるだけなのか? ――ンなのは、ぜんッぜん面白くねェ。……そうだ、面白くねェよ」

 

「……シャカ?」

 

 俺の異変を察したのかグリードが怪訝そうな表情に。

 

「……なンでもねェよ。とにかく、お前みたいな寒門の奴が名門の奴らをぶッ倒す――そっちの筋書きの方が人気は出るんじゃねェか? お前の大好きなフォロワー数もさぞ増えるだろうよ」

 

「それはそうかも……。でも勝てなきゃ意味無いからなぁ……」

 

「へッ、それにファインを素人扱いしてたが王族だぞ。スポーツ系の習い事をやっててもおかしくねェ」

 

 ファインの方に視線を向ける。察して答えてくれた。

 

「そうだね。テニスにスキーにダンス、体操もやってたかな」

 

「へー、体操か。道理で体幹が優れてると思った」

 

 感心するトレーナーを他所にグリードに声を掛ける。

 

「ほら見ろ。お偉いコーチに指導してもらってたわけだ。対してお前は?」

 

「……近所のレース教室にたまに通ってたぐらい」

 

「お前の方がよっぽど素人じゃねェか。基礎が違ってンだよ、基礎が」

 

「…………」

 

 俺がそう言うと、グリードは黙って俯いた。

 

「あー……ほ、ほら! それにウマ娘によって成長の速度にも違いがあるから。早熟の子、平均的な子、大器晩成の子。グリードは大器晩成型だよ、きっと!」

 

 重くなった雰囲気を和らげる為にトレーナーがフォローする。

 

 データもねェのに良く言う……。俺の個人的なデータによる見立てじゃあ、こいつの成長タイプはいたって平均的。平凡も良い所だ。

 

 とはいえ、グリードにとっては気休めになったようだ。

 

「晩成……大器晩成、かぁ……。そう、そうだよ! 大器晩成の私はクラシック、シニア期で無双する予定! 今は準備段階だよね、トレーナー!」

 

「うんうん!」

 

「晩成過ぎて、芽の出ないまま終わらないと良いけどな」

 

「「シャカール!」」

 

 つい出た悪態に、トレーナーとファインとからお叱りを受けた。しかし、グリードは俺の嫌味で落ち込む様子はない。

 

「私もファインみたいに他のスポーツやってみようかなぁ。テニスかスキーか体操か……トレーナーはどれが良いと思う!?」

 

「え、普通に走りの練習をした方が――いや、待てよ。もしかしたらこの発想は皆の練習に使えるかも……」

 

 トレーナーはぶつぶつと何事かを呟きながら考え込んでしまった。あいつはたまにああなる。

 

「もー! トレーナーはまた自分の世界に入ってからに!」

 

 がやがやと騒ぐグリードと顎をさするトレーナー。二人を他所にファインは俺の方に寄ってきた。

 

「ねぇ、シャカール」

 

「あァ“? なンだよ?」

 

「どうしてさっきは怒ってたの?」

 

 さっき。グリードに講釈垂れていた時か。

 

「ふン、殿下様は察しの良い事で」

 

「やっぱり怒ってたんだ。――良ければ聞かせて欲しいな」

 

 俺が怒っていた理由。それは俺が抱えている悩みに直結する事。

 

「――俺はデータ信者だ。データってのは正直で嘘を付かねぇ。だから俺はデータを利用する。数値を見て、傾向を見て、展開を予想し、レースで勝つ。今までそうしてきた」

 

「だが、データは見たくもねェモンまで見せてくンだよ。――決められた天井、自分の限界もな。だが、(あらかじ)め定められている道に(のっと)るだけなんてクソくらえだ」

 

「予測を覆すには材料が必要だ。いくらあっても足りねェ。だからファイン、お前の走りは興味深い。他の奴とは明らかに違う”ゆらぎ”が見える。そいつを利用すれば日本ダービーもあるいは……」

 

 そこまで言って口を(つぐ)む。

 

「シャカール?」

 

「――クソッ、喋りすぎた」

 

 頭を乱暴に掻く。

 

「俺はもう上がる。今日の練習は終わったしな」

 

 俺はファイン達に背を向け、その場を去った。

 

 

 

 

*1
短期間に多くの人の耳目や注目を集める事




シャカール構文のキレの良さは異常。

ここら辺からはシャカールの描写が増えていきます。
今まであらすじ詐欺(シャカールメイン)で本当にすみませんでした。


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7話 高温の油って怖いよね。天ぷら職人を尊敬します

(スーパーグリード)

 

 シャカと並走してからしばらくが経った。彼女は無事デビュー戦を勝利で終え、その後も調子よく勝ちを重ねている。12月に開催されたジュニア級GIレース”ホープフルステークス”でも彼女は一着だった。

 

 ……私? 参加すら出来なかったけど文句ある? GIの壁はやっぱり高かった。まぁ、いうてジュニアのGIだしね? 大器晩成の私にとっては時期が速すぎたというか。

 

 話を変えよう。12月といえばファインのデビュー時期でもある。彼女も無事デビューを勝利で終えていた。しかし、幼い頃に走っていないせいなのか、脚部不安がぬぐえないという事でしばらくはレースに出ない予定らしい。

 

 その決定にファインは悲しそうにしていたが、翌日にはいつもの笑顔に戻っていた。それだけを見ると気を持ち直したとも取れるが、彼女は演技が上手いようなので様子と内心が一致しているとは言いきれない。人知れず落ち込んでいるかもしれないのだ。

 

「というわけで、これより年越し串カツパーティーを始めます!」

 

「何が“というわけで”、なんだよ……」

 

 私、シャカ、ファイン、トレーナーの四人がいるのはトレーナーの家。そのキッチンを借りて、今日の夕飯予定である串カツを揚げようとしている所だ。

 

「なんで串カツなんだよ」

 

「それは私が食べてみたかったからかな。日本に来てからは、ラーメンばっかりで他の物を食べてなかったな、と思って」

 

 シャカの疑問にファインが答える。

 

「じゃあ何で俺らの手で揚げンだよ。そこら辺の店に行けば良いだろ」

 

「それは皆で一緒に料理してみたかったから。ほら、楽しそうでしょ?」

 

「……自分の手で料理する理由は分かった――が、なんでSPまでいンだよ」

 

 シャカールの視線の先にはSPの隊長さんが。つまり、隊長も含めれば4人の人物がキッチンに押し掛けていた。(私、ファイン、シャカ、隊長の四人。トレーナーは居間の方に引っ込んでいる)。

 

「私の仕事は殿下の身をお守りする事ですから」

 

 それは分かるが、流石に身内の集まりにまで同行してくるとは思わなかった。ファインにプライベートってあるのかな? ……王族も大変そう。

 

「まぁ、とにかく始めよっか! 油も温まったし。後は買ってきた具材を適当に切って揚げれば完成するから皆の好きなようにやろう!」

 

「はーい!」

 

「チッ、随分簡単に言う……そういう奴に限って焦がしたりすンだよな」

 

 ファインはノリノリで、シャカは“仕方ない”という風に調理に取り掛かった。

 

「食材は……肉は豚、牛、鳥。海鮮はエビ、ホタテ、タコ、ゲソ。野菜はレンコン、ジャガイモ、ナスに玉ねぎ、ししとう、カボチャ、トマト。その他にウズラの卵にチーズ、餅まであンのか」

 

「あ、エビは残しといてよ! エビ天、年越しそばに入れるんだから!」

 

「年越しまでここにいんのか!? 帰りはどうすんだよ!?」

 

「? ここに泊まるに決まってるでしょ? あ、シャカの分の日用品はちゃんと持ってきてるから」

 

「そういう事は早く言え!! ……ファインも了承してんのか? 王族が外泊なんて良いのかよ」

 

「ちゃんと許可は貰ってるよ。隊長もいるし」

 

 隊長も泊まるつもりなのか。仕事の範疇超えてない?

 

「SPってのは労基に喧嘩売るのが仕事なのか……?」

 

 シャカールも私と同じ感想を抱いたようだ。そんな事を話している間にファインが一人で揚げ物の準備を終えていた。

 

「衣ってこれくらい付けたら良いの?」

 

「あー……うん、いいんじゃない?」

 

「おいちょっと待て! 手で押さえてもっとしっかり衣を付けねェと油の中で剥がれちまうぞ」

 

「へぇー、そうなんだ」

 

「手で押さえて、それじゃあ油に入れるね?」

 

 バチバチパチパチ……

 

「…………これっていつ引き上げたら良いのかな?」

 

「衣付けると揚げ具合が全然わかんないね。ちょっとつついてみれば……」

 

「止めろ。無駄につつくと衣が剥がれる。泡を見ろ泡を。泡の出が悪くなってきたらひとまず引き上げて、足りなきゃまた沈めれば良い」

 

「二度揚げ、その手があったか……」

 

「泡の出……そろそろ大丈夫かな。――そのままお皿に移して良いの? 油が滴ってて、このままだとお皿が油で浸りそうだけど……」

 

「それはキッチンペーパーで拭いて……」

 

「おい、網があるんだから先にこれを使えよ! 余分な油を落とさねェといくらキッチンペーパーがあっても足りやしねェぞ!」

 

「あぁ、そんなのあったんだ」

 

「なんで巻き込まれた俺が一番世話焼いてんだよ!」

 

 シャカにおんぶに抱っこ状態だったが、何とか調理を進めていく。ほとんどの材料を揚げ終え、残りはほんの少しとなった時、事件は起こった。

 

「後はナスだけか」

 

「野菜に衣は付けんなよ」

 

「分かってるって。素揚げにすれば良いんでしょ」

 

 後片付けをしているシャカに忠告を貰いながら、ナスを輪切りにする。

 

「隊長。出来たお皿、運んでくれる?」

 

「分かりました」

 

 ファインとSPが私の後ろを通って居間へ料理を運んでいく。私は水でナスを洗い、キッチンペーパーで水気を取ろうとした。――が、ない。キッチンペーパーがもうない。

 

 今から買いに行く? いや、ナスを揚げるだけにわざわざ買いに行くのは面倒だなぁ……。

 

 そう思った私はナスをそのまま、まな板の上にまとめて置いた。

 

 その時、居間の方から一足先にファインが戻って来た。私の背後を通る。それと同時に、私は濡れたナスを油の中に放り込んだ。

 

「――ッ! おい!!」

 

 私は理解していなかった。油に食材を入れる前に水気を拭き取る理由を。“そうするものだ”という一つの手順としてしか認識していなかった。

 

 ――瞬間、油が爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

 ナスが油の中にダイブする瞬間、フライヤーのそばにいたファインとグリードを押しのけた。エプロンをひっ掴み、顔をガードする。ほんの少し遅れて、油が盛大な音を立てて飛び散る。

 

 バチバチバチバチバチッ!

 

 クソッ! 思ったより激しい……!

 

 コンロの火を消そうと、袖の中に手を引っ込める。そんな事をしていると、

 

「何事ですか!?」

 

 SPが音を聞いてすぐに駆けつけてきた。状況を即座に把握した彼女は素早くコンロに近付き、火を止める。少しすると、油跳ねが収まった。

 

「殿下! 大丈夫ですか!?」

 

「う、うん、私は大丈夫。それよりシャカールが……」

 

「俺も大丈夫だ。服が油で汚れちまったが――チッ、やっぱり少し熱ィ」

 

 油の跳ねた袖が熱い。エプロンごと服を脱ぎ、シャツ一枚になる。一応、腕を流水で冷やしておく。

 

「みんな、大丈夫!? シャカール、火傷した!?」

 

 遅れてトレーナーもキッチンに出張ってきた。

 

「火傷って程じゃねェよ。俺よりSPだ。コンロの火を消す時、油が皮膚に散らなかったか?」

 

「手と顔に少々。ですが問題ありません。それより殿下、本当にお怪我はありませんか?」

 

「うん、シャカールがかばってくれたから。それより“手に油が散った”って……大丈夫なの?」

 

 ファインがSPの手を取り、状態を確かめる。

 

「先ほども言いましたが問題ありません。少し冷やせばすぐに治る程度です」

 

「そっか……」

 

 ファインは安堵の表情を浮かべた後、眉を引き締めて真面目に言う。

 

「その身を傷付けてまで私を守っていただき、ありがとうございました」

 

「いえ、それが私の使命ですから」

 

 ファインが礼を述べ、SPが謙遜する。いつもやっているのか慣れた様子だ。

 

「ンな茶番してる暇があったらさっさと手を冷やせよ」

 

「あっ! そうだね。ほら、隊長。早く手を冷やして!」

 

 俺と入れ替わるように隊長が流し台で手を冷やし始める。俺はタオルで腕を拭き、この事態を引き起こした元凶に詰め寄った。

 

「バカかお前は!? 脳の回路がどっか焼き切れてんのか!? 高温の油の中に水を放り込んだら一瞬で膨張して爆発すンのも分かんねェのか!?」

 

「……ご、ご、ごめん、なさい……」

 

 グリードは顔を真っ青にして、床を見つめている。かなりの罪悪感を覚えているようだ。

 

 クソ……ッ! 調子狂うな……! 普段は“怖い物なし”と言わんばかりに傲慢な態度の癖に、こういう時だけはきっちり反省しやがる。

 

「チッ。大方めんどくせェからって水気を拭きとる手順を飛ばしたンだろうが……全ての手順には理論に基づいた意味があンだよ。お前の勝手な判断で省略すンじゃねェ」

 

「はい……」

 

「……ケッ、分かったなら良い。さっさと飯食うぞ、揚げ物はただでさえ寿命が短けェんだ」

 

 グリードを立たせて居間に向かわせるが、相変わらず(うつむ)いたまま。

 

 このままだと雰囲気が悪いままだな……。

 

「――うずらと鶏唐(とりから)

 

「え?」

 

「その二つ、お前の分を俺によこせ。そいつで今回の件はチャラにしてやる」

 

「……う、うん。分かった」

 

 この罰でグリードの罪悪感が多少薄れる。恐らくこの対応が一番合理的だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 山盛りの串カツを全員で平らげ、場も静まってきた。時計を見ると時刻は23:30。

 

「“年越しそば“って年をまたぎながら食べないといけないんだよね? そろそろ作った方が良いんじゃないのかな」

 

「そうだね。そろそろ作ろうか」

 

 ファインの台詞を受けて、トレーナーが立ち上がる。すると、グリードが慌てた様子でトレーナーを制止する。

 

「わ、私が作るよ! い、色々騒がせちゃったしさ……」

 

「そう? じゃあ、任せようかな」

 

 グリードが立ち上がり、キッチンの方に向かう。それをファインが目で追った後、俺に話しかけて来た。

 

「大丈夫かな? 自分のした事を悔いて、何かをしようとする気持ちは分かるんだけど……こういう時、慌てて失敗を重ねてしまう事もあるから」

 

 ファインは心配そうな表情を浮かべ、再びキッチンの方に目線をやる。

 

「それなら心配ねェよ。あいつはバカだが舌の根も乾かねェ内に同じ失敗はしねェ。さっきも蕎麦(そば)のゆで方をスマホで調べてたみてェだったしな」

 

「そっか……。よく見てるんだね、彼女の事」

 

 ファインが優しい瞳で俺を見つめてくる。

 

「――ふン、嫌でも目に入ってくンだよ」

 

 気まずい雰囲気に、俺は誤魔化すように返事した。

 

「ふふふ……」

 

 そんな俺の様子にファインが手を口に当てて笑う。

 

 ……クソッ。調子狂うぜ……。

 

 ファインから目を逸らし頬杖をつく。すると、隣でファインが居ずまいを正し、俺の方に体を向けてきた。

 

「さっき言いそびれたから今言うね。――先ほどは私を守ってくださりありがとうございます、シャカール。君がかばってくれなかったら、きっと火傷していました」

 

「そうかよ。殿下の御身を守る事が出来て大変に光栄なこッた」

 

 さっきまでファインの手のひらで弄ばれていたように感じているせいで、少し拗ねたような口調になってしまった。言ってから後悔する。

 

 何をガキみてェなマネしてんだ俺は……。

 

 グリードに対してだといくらでも悪態を付けるのだが、ファインに対しては何故か悪態を付きにくい。代わりに不貞腐(ふてくさ)れた態度を取ってしまう。

 こいつの流麗な所作と独特な言葉遣いに知らず知らずの内、飲まれているのかもしれない。

 

「本当に感謝してるんだよ。さっきの事もそうだけど、君は模擬レースで私に走る事、競う事の楽しさを教えてくれたから」

 

 ファインは居住まいと言葉を崩し、もう一度お礼を言ってくる。さっきの勿体(もったい)ぶった態度と比べ、親しみを感じられる態度に心のガードが緩む。

 

 チッ、全部計算してやってんのかこいつは……?

 

 気ままに振舞った結果そうなったのか、それともすべてを計算づくでコミュニケーションを取っているのか。一見すると前者、王族という生い立ちを考慮すると後者か。

 

「俺は一緒に走っただけだ。模擬レースの場を設けたトレーナーに感謝すンだな」

 

「それはもちろんだよ。トレーナーには感謝してるし、初めに私を先導してくれたグリードにも。

 けどね、シャカール。私は君の選抜レースを見て走りたいと思ったし、君に負ける事で自分の心に気づけたの。君は特別なんだよ」

 

「…………」

 

 言葉を返せない。いつもなら “特別ねェ。口が上手い奴の常套句だな。誰に対してもンな事言ってんじゃねェのか?” とか悪態が口をついて出てくるのだが。

 

「……そうかよ」

 

 やはり、曖昧な返事しかできなかった。




国際問題回避


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8話 まるでインフルエンサーのバーゲンセールだな

(スーパーグリード)

 

 油を爆発させるという年内最後の大ポカをやらかした私にも新学期は訪れる。短い冬休みが終わり、トレセン学園の食堂は学友との再会を喜ぶウマ娘たちでいつもより盛り上がっていた。

 いや、盛り上がっていたと言うよりは私が騒いで盛り上がったと言うべきか。発端は私の独り言。

 

「はぁ~、どうすればもっとフォロワー伸びるんだろ……」

 

「お前はまたそれか。暇人が」

 

「またそれだよ。練習がオフの日はそれぐらいしか考える事無いし」

 

 隣のシャカを適当にあしらいながら、スマホを操作する。

 

「う~ん、私より後にできたファインのアカウントの方がフォロワー数多いんだよなぁ……。同じような投稿してるにも関わらず」

 

「当然だ。お前とファインじゃ話題性が違う。ただのウマ娘と王族の留学生。同じ事をしてもどっちに注目が集まるかは火を見るより明らかだ」

 

「それはそうなんだけどぉ……。なら別の投稿を、とは言っても何を投稿すれば良いんだろ……」

 

「料理写真を投稿してみるのはどうかな~?」

 

 頭を抱える私に隣から声を掛けてくれたのはヒシアケボノ先輩だった。

 彼女は料理が非常に上手。寮では後輩、同期、先輩問わず夜食を振る舞っており、何か集会があればこれまた料理係を担っているので、皆から慕われている先輩だ。

 

「料理の写真ですか?」

 

「そう。私も料理を作ったらSNSに載せるんだけど、そうすると皆が喜んでくれるんだ~」

 

「なるほど。三大欲求の内の一つ、食欲に訴えかけるのかぁ。なら、お腹のすく深夜手前に料理の写真を投稿すれば……」

 

「飯テロ*1扱いでフォロワーが増えるどころが減る可能性すらあるぞ。アホか」

 

「何? 飯テロ? 大規模なのやっちゃう? 面白そうだしウチも混ぜてよ♪」

 

 シャカから冷静なツッコミが入った所で、会話に乱入してきたのはダイタクヘリオス先輩。彼女は所謂“パリピ”*2と呼ばれるタイプのウマ娘で、その社交性から非常に顔が広い。

 私とは二、三度しか顔を合わせていないはずなのに、こうして会話に混ざって来る辺り、とんでもない人懐っこさだ。

 

「あ、いえ、飯テロをするわけでは無いんですけど……。それよりヘリオス先輩! 先輩はSNSに普段どういう投稿をしてるんですか?」

 

 “パリピ”ならSNSにも慣れ親しんでいるはず。先輩にもコツを聞いてみる。

 

「SNS? ん~……とりま、良さそうな写真撮ってストーリー*3にとか? ()えるの撮れたらイイカンジに加工して即上げ! って感じで、まぁ適当にその場のノリで臨機応変に?」

 

「なるほど。なら私も適当に写真を投稿すれば……」

 

「アホ。お前みたいな凡人が感覚派のマネをしても失敗するだけだぞ」

 

 確かに。今まで適当に投稿してフォロワー数が伸びなかったわけだし。

 

「ありゃ、ちょっち力にはなれなかった感じ? う~ん……他にSNSやってるのは……。あ、シチー!」

 

 ヘリオス先輩が呼び止めたのはゴールドシチー先輩。彼女は尾花栗毛の非常に美しい髪と尻尾を持っており、レースだけでなくモデルとしても活躍しているウマ娘だ。

 

「何?」

 

「この子がSNSになに投稿すれば良いのか分かんないらしくって。シチーは普段どういう投稿してるん?」

 

 モデルは人気商売、SNSも上手く活用している事だろう。いったいどんな投稿をしているのだろうか?

 

「アタシはあんまりSNSやらないよ? マネジとかトレーナーが写真撮って投稿してくれてるだけ」

 

「なるほど。つまりシャカやファインやトレーナーに写真を撮ってもらえば……」

 

「お前が撮るよりはましな写真になるだろうな」

 

「だよね! ……って誰の撮影センスが0だって!?」

 

「おー! キレッキレのノリツッコミ!」

 

 とりあえず、茶番は置いておいて。気になる事を聞いてみる。

 

「すごい先輩方ばっかり集まったんですけど……皆さんフォロワー数ってどれくらいいるんですか?」

 

 レースでも活躍し、SNSの扱いも上手い先輩方のフォロワーを聞いてみる。私もいつかはトレセン学園の頂点(フォロワー数)に立ちたいと考えている。ここらではっきりとさせておくのも悪くないだろう。

 

「お前のフォロワー数は?」

 

 シャカに聞かれたので答える。

 

「4万」

 

「……全体から見れば上位10%以上じゃねェか。それで満足しとけよ」

 

「4万でトップに立てるのならばそれで満足する! しかし、上には上がいるのだよ! それで皆さんのフォロワー数は!?」

 

 まずはヒシアケボノ先輩に目線を向ける。

 

「う~ん……気にした事なかったけど、確か10万人ぐらいはいたかな~?」

 

 ガタッ!

 

 椅子を後ろに跳ねながら立ち上がる。

 

「じ、じうまん……?」

 

 バカな。私が入学時に目標としていた数だぞ。それを容易く……!

 

「ヘ、ヘリオス先輩は!」

 

「ウチは確か30万ぐらいだっけ?」

 

「さ、さんじう……!?」

 

 とんでもないフォロワー数の差に足に来た。机に手を付く。

 

「なんでよろめいてんだよ」

 

「知らないの、シャカ? 私みたいなフォロワー数を気にして止まない自称インフルエンサー*4は自分よりフォロワー数の多い人を目の当たりにすると、精神的ダメージを受けるんだよ?」

 

「知らねェよ。つーか、SNSを良く触るお前が何で有名なこいつらのフォロワー数を知らねェんだよ」

 

「へへっ、自分よりフォロワーの多いアカウントを見ると、みじめな気分になるから出来るだけ目に入れない様にしてるのさ……」

 

「……そんなんだからフォロワーが伸びねェンだろ」

 

 正論パンチは止めて欲しい。

 

「続けてヒアリング! シチー先輩は!?」

 

「私は……76万」

 

「かは、っ……!」

 

 床に膝をつく。恐ろしいまでの戦力差(フォロワー数差)。ひれ伏さざるを得ない。

 

「こ、こんな……こんな魔物の巣窟に私は迷い込んでいた……?」

 

 これほどの群雄割拠の中で愚かにも私は一番を狙っていたというのか……!

 

「そういや、フォロワー300万、超有名インフルエンサーの”Curren”がトレセン学園に入学してくるって噂もあったっけ」

 

「あ、……あ、あ……!」

 

 300。文字通り桁が違う。圧倒的な差に口から出てくるのは掠れた唸り声だけ。

 

 私は生まれて初めて心の底から震え上がった。真の恐怖と決定的な挫折に。恐ろしさと絶望に腰すら抜かした。これも初めての事だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

「ごめんね、遅れて。少しトレーナーに呼び出されちゃって……って、いつもより騒がしいけど、何かあったの?」

 

 いつの間にか食堂に来ていたファインが俺の隣に座る。

 

「別に。バカがいつも通りバカやってるだけだ」

 

「グリード、すごい絶望的な表情しているけど……本当に大丈夫?」

 

「明日になりゃ、ケロッとしてんだろ。にしてもクラシック期に入ったッてのに呑気なヤツだ。悩みがなさそうで羨ましい限りだよ」

 

「う~ん、彼女には彼女なりの悩みがありそうだけどね。それより……」

 

 ファインは言葉を区切り、俺の瞳を覗き込んでくる。

 

「“悩みがなさそうで羨ましい限り“って事は、シャカールは今、悩みを抱えてるって事だよね?」

 

「……チッ、耳聡いヤツだ」

 

 ファインから目を逸らす。

 

「シャカール、練習中たまに苦しそうな顔してるから。良ければ聞かせて欲しいな」

 

 横から優しい声音が鼓膜を打つ。

 

「…………俺は」

 

 入学前から悩み続け、いつの間にか精神が弱っていたのか。それともファインの穏やかな雰囲気に流されたのか。

 とにかく、普段ならはぐらかす所だったが俺はバカ正直に語ってしまう。

 

「昔から分析が得意だった。サンプル数の多いデータを解析して傾向や特徴を見つけるのが得意だった。例えば、ウマ娘の走行データから脚質、距離適性、馬バ適正を見分けるとかな。

 もちろん自分の分析もした。俺自身だ、いくらでも好きなデータが取れた。だから俺の脚の事は俺が一番分かっていると思っている。……俺の脚の限界もな」

 

「……限界?」

 

「あァ。少し話が逸れるが……皐月賞は“最も速いウマ娘が勝つ“、って聞いたことねェか?」

 

「うん、聞いたことあるよ。クラシック三冠の内、最も距離が短い皐月賞は速さが勝ちに直結する、ってことだよね?」

 

「そうだ。だが、この言葉には裏の意味もあンだよ。最も“速い”ではなく、最も“早い“ウマ娘が勝つ、ってな」

 

 机に指で文字を書き、漢字違いであることをファインに示す。

 

「皐月賞はクラシック三冠の内で一番初めに開催される。だから“早熟”なウマ娘が勝ちやすいんだよ。だから最も“早い”ウマ娘が勝つ、って事だ」

 

「次に日本ダービー。皐月賞から400m距離が伸びてスタミナが必要になる。皐月賞から1か月半、その短い間にスタミナをつけた奴が勝つ」

 

「最後に菊花賞。3000mを走り切るスタミナとヘタレないパワーが求められる。最後に開催されるから、晩成型で成長限界の高いウマ娘が勝ちやすい」

 

「クラシック三冠といっても、各レースに求められる素質は違う。だからこそ三冠ウマ娘ってのはそうそう現れない」

 

 

「なるほど……。でも、その話がシャカールの限界とどう繋がるの?」

 

 

「……俺はある程度早熟だ、皐月賞は勝てる。だが、日本ダービーは無理だ。俺じゃあ、一か月半という短い間では400m余剰に走るスタミナがつかない。――だがダービーが終わった後、夏ごろから急激に伸びて菊花賞は勝てる。そして菊花賞が終われば後は緩やかに衰えるだけ……。

 そういう成長曲線を描くんだよ俺の脚は。何度自分のデータと睨めっこしても、その結論に至る」

 

 無意識の内に手に力が入っていた。拳を緩める。

 

「――つまりクラシック二冠止まり。そこが俺の限界だ」

 

 努めて平静を装うが、眉間にしわが寄り、口が歪むのを止められない。

 

「…………そっか、君は自分の限界に苦しんでたんだね」

 

 俺の悩みを復唱するファイン。

 

「シャカールの予想はどれぐらい正確なの?」

 

「9割強」

 

「そんなに……」

 

 最近は胸が締め付けられるような違和感が日に日に強くなっている。さっき話した内容が具体的な理由だろう。

 

 悩みはこれで全て。全部話した。しかし、気分は晴れない。

 

 ……クソッ。カタルシス効果*5はどうした? これじゃ話し損だ。

 

「――そういうわけだ。長々と語って悪かったな」

 

 会話を切り上げ椅子を立ち上がろうとした。その瞬間、ファインの手が俺に(もも)の上に乗せられる。

 

「どうして君は頑張るの?」

 

「……あ“ァ“?」

 

 ファインの質問内容が要領を得ないため、つい聞き返す。

 

「自分の限界が決まっているのなら、頑張る必要は無いと思うの。どれだけ頑張っても越えられない壁、それが限界だから。でも君は限界を超える方法を探している。それはどうしてなの?」

 

「…………」

 

 俺がなぜ限界を超えようとしているのか。

 

「――生まれついての限界、神サマから与えられた限界にどうして俺が縛られないといけねェ? どうして俺の限界を他の奴に決められなきゃいけねェ!? 俺の限界は――俺が諦めた時だ」

 

 その言葉は自分でも驚くほど勝手に口から出てきた。

 

「……そっか。君はとても強くて、気高いんだね」

 

「あァ? どういう意味だよ?」

 

 ファインが訳の分からない事を言う。聞き返すとファインは居住まいを正し、真っすぐに俺の目を見つめてきた。

 

「希望に向かって進める人は多くいるよ。けど、絶望の中で前を向いて進める人は少ないから」

 

 ファインのあまりに純な瞳に、思わず目を逸らしてしまった。

 

「……そうかよ」

 

 今度こそ席を立つ。教室に戻る道中、胸の違和感が少しだけ軽くなった。

 

 

*1
腹の減る時間帯に美味しそうな料理の写真を投稿する事。特に深夜に行われる“飯テロ“は嫌われる傾向にある

*2
party people → パーティーピーポー → パーリーピーポー → パリピ

  パーティーに率先して参加するような陽気な人

*3
投稿後24時間で消える投稿機能の事

*4
世間や人の思考・行動に大きな影響を与える人物の事

*5
不安や不満などネガティブな感情を口にすると苦痛が緩和され、安心感を得られる効果




作者の偏見によって描かれた小学生時代のシャカール

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この気性難、自分以上の変人が跋扈するトレセン学園に入学する前は絶対友達少ない……いや、いない(確信)。
けど、孤独が好きってわけでもないから、向こうからガンガンアプローチしてくるファインには何だかんだ優しく対応する。グリードは言動がウザいから雑に対応する。
偏見だけど小学生時代の私服はヤバそう。



加えて、作者の偏見によって描かれた転校生ファイン

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ファインが日本の小学校にいたら絶対ブタメン食べてる。


ついでにグリード

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9話 私、乙女なもので小食です

面白い小説無いかな~、と日刊ランキングを漁っていたら私の小説のタイトルがあって我が目を疑いました。

三回ほど確認しなおして見間違いじゃないと分かった瞬間脳が溶けました。涎が垂れるのにも気づかずトリップトリップトリップ。
エルデンリングで初めてマルギット倒した時よりも脳汁出ました。

見てくださっている皆様の期待に応えられるよう更新を頑張りたいと思います。

喜びのあまり自分語りをしてしまった事、ここに謝罪致します。


 

(スーパーグリード)

 

 年も新しくなり、学校も始まった。となるとジュニア期も終わりを迎え、いざクラシック期。クラシック期と言えばクラシック三冠。

 という事で皐月賞に向けて頑張る訳だけど……1つ問題が発生していた。それはトレーナーに師事する私とシャカールが同じレースに出るという事。

 

 レースは脚力がモノをいう事が多いが、前の方に抜け出すか、後ろに控えるか、など作戦が勝敗を左右する事もある。つまり、同じトレーナーに指導を受けている二人が同じレースに出てしまうと、お互いの作戦が筒抜けになってしまう点が問題となるのだ。

 

 対策として、トレーナーは作戦の指示はせずトレーニング指導だけする、などが挙げられる。しかし、今回の場合はもっと単純にケリがついた。

 

「本当に良かったの、シャカ? 皐月賞まではトレーナーから指導を受けないなんて……」

 

 シャカが一時的にトレーナーから指導を受けないと言い出したのだ。そうすれば、作戦云々は関係なくなる。私だけが作戦の指示を受けるわけだ。

 

「完全に指導を受けねェわけじゃねェ。たまに質問しに行く。が、それだけだ。俺の分までお前が指導を受ければ良い」

 

「そんな余裕ぶってて良いの~? 流石にその条件じゃあ、私が勝っちゃうんじゃないかな~?」

 

 今の時点では私より速いシャカ。とはいえ、皐月賞までは3か月もある。それまでの間、トレーナーからみっちり指導を受ければ私もかなり伸びるはず。

 

「そういう減らず口は重賞を一つでも勝ってからほざくンだな」

 

「うぐっ……」

 

 痛い所を突いてくる。確かにシャカの言う通り、私はまだ重賞レースにおいて勝てていない。入着は何度もしているのだが。

 

「べ、別に出走条件さえ満たせばレースには参加できるし!? 重賞の勝利数で皐月賞が有利になるわけじゃないんだがぁ!?」

 

「狼狽えすぎだアホ。……とにかく、皐月賞まではお前がトレーナーに徹底指導してもらう。その代わり、皐月賞が終わった後は俺がトレーナーを借りるからな」

 

「分かってるって。日本ダービーまででしょ?」

 

 そう。シャカは皐月賞まで指導を受けない代わりに、皐月賞から日本ダービーまで重点的に指導を受けるようにしたのだ。

 

 日本ダービーに何か思い入れでもあるのかな……。

 

 とはいえ、皐月賞までは3か月。皐月賞から日本ダービーまでは1か月半。私の方が得なので文句はない。

 

「分かってるなら良い。じゃあな」

 

 そう言い残してシャカはどこかに行ってしまった。彼女と入れ替わるようにしてトレーナーがやってくる。

 

「グリード、これから練習でしょ? 一緒にコース行こうか」

 

「りょーかい」

 

 間延びした言葉を返しながら、トレーナーと並んで歩く。道中、聞きたい事をトレーナーに聞いてみた。

 

「これから三か月はみっちり指導してもらうわけだけど……食事ってどうなるの?」

 

「食事?」

 

「私がレース前に食欲が無くなるって話は知ってるよね?」

 

「うん。デビュー戦の時からずっとそうなんだよね? グリードも意外と神経質な所あるな、って思った」

 

 “意外と”神経質とは心外だ。私だって年頃の年齢には変わりない。

 

「意外と、って……私は見ての通り全身神経まみれ。国宝のごとく丁重に扱って欲しいもんだね」

 

 軽く抗議しておいて話を戻す。

 

「で、最近また食欲が無くなってきてさ」

 

「そうなの? ……次のレースまでは結構間があるけど」

 

「そう、次のレースまで間があるのに」

 

 トレーナーが“う~ん”と唸り、考え始めた。

 今までの傾向には当てはまらない食欲減退。いったいどういうメカニズムで私の食欲は減っていくのだろうか?

 

「ま、今は何が原因かは置いといて」

 

 前置きをして話を続ける。トレーナーも私の方を向いてくれた。

 

「とにかく、今は食欲が無いと。それで……まぁ……その気になれば食べる事はできるんだけど……その……」

 

「食事のたびに憂鬱?」

 

「いぐざくとりー」

 

 トレーナーが気持ちを代弁してくれた。

 

「だから出来ればジュニア期みたいにバカスカ食べなきゃいけない、ってのは止めて欲しいなー……なんて」

 

 ジュニア期の頃は食べなければ頑丈な体が出来ないからと、食事量を多くするように言われていた。レース前は太りすぎないように食事量が減らすので、レース前の食欲減退はそれほど問題にはならなかった。

 しかし今は普段から食欲が減退している。多い食事量に対応できないだろう。いや、“したくない”が正しいか。詰め込もうと思えば詰め込めるのだから。

 

「その点に関しては心配しなくて良いよ。ジュニア期で体の基礎は出来上がったから食事量は普通に戻して大丈夫」

 

「そっか」

 

 簡素に、だが安堵を込めて呟く。普通の食事量なら対応できそうだ。

 

「食欲減退の原因については考える必要がありそうだけど……」

 

「確かに。ん~、ホント何で食欲無くなったんだろ……」

 

「レース前に食欲が無くなるのは無意識の緊張とかストレスのせいかもしれなかったけど……」

 

「その延長とか? どえらい神経質な私は皐月賞という大舞台を控えて知らず知らずの内にその心を病んでしまったのです。それが食欲減退として目に見える形に……よよよ」

 

 大げさに顔を手で覆ってみせる。

 

「……うん、皐月賞。一生に一回しか挑戦できない舞台だからね。緊張するのは無理ないよ。次のレースの結果次第では出走できない可能性もある訳だし」

 

 するとトレーナーが真面目な顔をして話し始める。あ、冗談が通じてない奴だこれ。

 

「す、ストップ、トレーナー! じょーだん! 冗談だって! 緊張してるなら、焦りがあったり、寝つきが悪くなったりとかするもんでしょ? 私はそういうの無いから。少し食欲が無くなってるだけ。だから大丈夫だって。体質よ、体質」

 

 私がそう弁明すると、トレーナーは少し考えてから口を開く。

 

「……皐月賞の事を考えると?」

 

「レースは先頭、ライブはセンター。フォロワー爆増」

 

 間髪入れずに答えると、トレーナー少し笑った。

 

「虚勢でもなさそうだし、大丈夫そうかな。……自信過剰感は否めないけど」

 

「若いのは威勢が良くなくっちゃ」

 

「若いのが言うセリフではないね」

 

 なんていつものようにやり取りをしながら、練習コースへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

「一着は二番! 二着は大きく開いて六番!」

 

 パソコンのスピーカーからはレースの実況の声が聞こえる。

 

 カチ、カチッ

 

 マウスを操作して動画の再生を止めた。続けて他の動画を再生する。

 その動画は先のレースとは別の映像だが、一つだけ共通点がある。一人だけ同じウマ娘が出場しているのだ。

 俺は画面のそいつをじっと睨み続けた。

 

 

 

 程なくして映像のレースは終わりをむかえる。俺は椅子の背もたれに体を預けた。キィ、とバネがきしむ音が。

 

「あ、あの~……」

 

 椅子の音に続いておっかなびっくりといった声が鼓膜を打つ。

 

「なんだ? ドトウ」

 

 声の主は寮の同室相手。名前はメイショウドトウ。俺より一年先輩にも関わらず、なぜか敬語、そして俺の方がタメ口で喋る始末だ。

 

「その~、お茶を入れたんですけど……飲みますか?」

 

 弱気な印象を受ける声色でドトウはそう話す。

 “怒涛”という名前なのに小心者のような態度。“名は体を表す”に反するウマ娘だ。

 

「あァ」

 

「机に置いておきますね……」

 

 ドトウが持っているお盆の上にはお茶が入った水筒が二つある。彼女は一つを掴み、自分の机の上へ置く。そしてもう一つの水筒を掴み、俺の方へ近づいてくる――瞬間、つまづいた。床に障害物があるわけでもないのに。

 

「ひぅっ!」

 

 ずっこけたドトウ。彼女が持っていた水筒は宙を舞い、倒れた彼女の頭の上へ――

 

「よ、っと」

 

 水筒がドトウの後頭部に衝突する前に、俺は空中でキャッチした。

 

「大丈夫か?」

 

「は、はい……。す、すみません~……」

 

 ドトウはよろよろと立ち上がり、申し訳なさそうな顔をする。

 

「すみません、すみません……。何もないのにつまづいてコケてすみません~……。こんな私なんかがお茶を飲むなんておこがましいですよね……。私みたいなドジは味の無いぬるい白湯(さゆ)でも飲んで水分補給します~……!」

 

 過剰に謝罪の言葉を口にするドトウ。こいつはよくドジをするせいか、自己肯定感がかなり低い気質だ。

 

「別にお前のドジは今に始まった事じゃねェだろ。少し前にもお茶をこぼしたが、今日は水筒でお茶を運んできた。そのおかげでカーペットが濡れずにすんだじゃねェか。

 自分のドジを予想した対策。合理的だ。自分を卑下する必要はねェよ」

 

 俺がそうフォローすると、ドトウは少しだけ喜色を取り戻す。

 

「そ、そうですね……。自分なりに対策を考えてみたんですけど、上手くいったのなら私、少しは成長してるって事ですよね……」

 

 嬉しそうに水筒からお茶を飲み始めるドトウ。

 

 “カーペットの代わりにお前の頭が危なかったがな“と思ったが、ここでは言わない方が合理的だろう。こいつにそういう悪態をつくと、数時間は凹んでしまう。一年、一緒に暮らした積み重ねが俺の口にチャックをしてくれた。

 

「そういえばシャカールさんは何を見てたんですか……?」

 

 事態にひと段落つくと、ドトウがそう聞いてきた。

 

「シニア級、オープン戦の映像」

 

「……?」

 

 ドトウの納得いかない表情。

 “クラシック期のライバルの映像を見て研究したり、GIの有名レースの映像を見て勉強するのではなく、どうしてシニアの、それもオープン戦の映像を……?”とでも言いたげだ。

 

「気になる奴がいンだよ。こいつだ」

 

 ドトウが何か言う前に先んじて答える。パソコンの画面を指さした。

 

「有名な人なんですか……?」

 

「いや、別に。パッとしない普通のウマ娘だ。ただこいつは自分の限界を超えている様な走りをしてンだよ。――これを見ろ。三か月前のレースだ」

 

 パソコンに移るレースの映像。2分もせずにレースは終わり、例のウマ娘は5着に終わっていた。

 

「どう思った?」

 

「えっと……」

 

 聞き方が抽象的過ぎたか。

 

「さっきのレース、このウマ娘はベストを尽くせていた。前を塞がれる事も無く、ペースを乱す事もなかった。自分のタイミングで完璧に仕掛けていた。……お前もそう思うか?」

 

「はい……。良い走りだったと思います……。あ、ごめんなさいごめんなさい! 私みたいなのが他の人の走りを評価なんておこがましいですよね、ごめんなさい~……!」

 

「自虐は後にしてくれ。次はこっち、最近のレースだ」

 

 パソコンに移るレースの映像。例のウマ娘は1着で終わっていた。

 

「三か月前のレースと比べてどう思った?」

 

「そうですね……。たった三か月の間ですごい成長してたと思います……。最後の直線、末脚がとんでもなかったですし……」

 

「あァ、俺もそう思う。だがそれはおかしい。こいつが“成長”しているのはおかしいンだよ……」

 

 不可解な事実に自然と眉間にしわが寄ってしまう。

 

「どういう事ですか……?」

 

「こいつの過去のレースをすべて見た。そのデータでの分析になるが、こいつの肉体的成長期はとっくに終わってんだよ。シニア二年目の今、これだけの成長を見せるのはどう考えてもおかしい」

 

「なるほど……。それでこの人は“自分の限界を超えた走りをしている“と……?」

 

「あァ、限界を超えるキッカケ。それさえ掴めれば俺も限界を越えられる。だから目を皿にしてレースの映像を見てたンだよ」

 

「そうだったんですね……。頑張ってください……」

 

 ドトウは納得したのか自分の机に戻っていく。俺は頬杖をついて、思考にふけった。

 

 このウマ娘、全盛期(ピーク)はとっくに過ぎているにもかかわらず、驚異的な成長を見せた。こいつだけじゃない。他にも限界を超えたような走りをするウマ娘を何人か調べた。

 

 こいつらに共通する事項はなんだ? どうやって限界を超えている?

 

 しかしいくら考えても答えは出ない。レースの映像だけでは情報不足だ。

 

 ……直接データを集めに行くか。

 

 そう結論付けた。今後に備えて、限界を超えたウマ娘のリストを纏める。今日はこれで終わりにしよう。伸びをしながら背もたれに体重を乗せる。

 

「うひぃあぁぁ~~!!」

 

「っ! ぃでっ!」

 

 瞬間、隣から聞こえてきた大音声に驚き、椅子ごと後ろに倒れてしまった。

 

「いきなり何大声出してンだよ!」

 

 逆さの視界のまま、ドトウの方を向く。すると、蓋の空いた水筒が倒れ、机とカーペットを盛大に濡らしている映像が目に入ってきた。

 

「すみませんすみませんすみません~……! 水筒の蓋を完全に閉めてないのに、蓋を持っちゃってすみません~……!! 」

 

「…………分かりやすい解説どうも」

 

 ドトウのドジはこれに始まった事じゃない。彼女をフォローしながら、後片付けを進めた。

 

 グリードといい、ドトウといい……ファインといい。なんだって、俺の周りにはキワモノばっか集まってくンだよ……。

 

 心中で愚痴る。ファインをキワモノに含めるかどうか悩んだが、結局入れる事にした。

 




キワモノブーメラン刺さってますよ、シャカールさん。

ドトウはまだお迎えしていないので、キャラの解像度が低いと感じられたら申し訳ありません。ドトウのトレーナーは鬼畜で眼鏡かけてそう、って言われているのだけは知っています。


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10話 実力なさ過ぎてつらたん

 

(エアシャカール)

 

 ドトウがお茶をぶちまけた日からしばらくが経った。俺は学園の中庭を歩いていた。その足取りは苛立ちからか、いつもより歩幅が大きくなっていた。

 

 クソッ……。共通点が見えねェ……!

 

 あの日、目星をつけたウマ娘に直接質問しに行った。どうやって限界を超えたのか、それを探るために。しかし、期待していた結果は得られなかった。

 全員が全員、特別な事は何もしていないと口をそろえて言う。勝つためにハードなトレーニングをしてはいたが、内容はいたって普通だった。

 それでも彼女らは限界を超えていたのだから、何かしらあるはずだ。あるはずなのだが……

 

「チッ……!」

 

 そばにあった空き缶を蹴り飛ばす。カランカランと音を立てて転がった。

 

「――クソッ……」

 

 目をつむり、再度悪態をつく。

 

 やっと見えた光明。限界を超えたウマ娘を発見できたにも関わらず、そいつらに共通する何かを見つける事が出来なかった。俺が限界を超える為に必要な何かを掴む事が出来なかった。

 

 閉塞感、圧迫感、鬱屈感。内臓が重い。気分が悪い。

 一度は見えた目的地を見失う感覚。これまで幾度となく体験したにも関わらず、一向に慣れない。近くにあったベンチに座り込む。

 

「ふー……」

 

 重たい体を少しでも軽くしようと息を吐き出す。当然、体調は何も変わらなかった。じくじくと疼く腹を抑えながら頭を再始動させる。

 

 共通点――そういえばなかったわけじゃない。レース本番の日は胸が騒ぐような感覚があったとほとんどのウマ娘が言っていたっけか。

 ……けどそれが何になる? 仮にその事象が限界を超える事と関係があったとしても、原因・理由が分からなきゃ意味ねェだろうが。

 

 結局、収穫は無かったに等しい。重たい腰を上げようとしたその時、俺の前を人影が通った。

 

「あれ、シャカール?」

 

「……トレーナーかよ」

 

「こんな所で偶然。最近はファインとグリードにかかりっきりだけど、そっちは大丈夫?」

 

 トレーナーは心配の言葉を口から響かせ、俺の隣に座る。

 

「別に。練習メニューに間違いがないか、たまに聞きに行ってンだろ。心配される謂れはねェはずだが?」

 

「それはそうだけど……」

 

 トレーナーは一度目線を明後日の方向に流し、再びこっちを見る。

 

「練習とは別の事で悩んでそうな顔してたから」

 

「チッ……」

 

 顔に出ていたか。ファインといいトレーナーといい、察しが良い奴らばかりで面倒だ。

 

「トレーナー、一つ言っておくぞ。俺は皐月賞の後、日本ダービーまでは暴走する」

 

「えっ」

 

 俺の突然の宣言に、トレーナーは驚いた表情を浮かべる。少し気分がスッとした。

 最近は内心を悟られてばかりだったからな。ここらでやり返しても文句は言われないだろう。

 

「自分をギリギリまで……いや、限界以上に追い込む。端から見れば常軌を逸したトレーニング量をこなすつもりだ」

 

「それじゃあシャカールが……」

 

「分かってるよ。そんなオーバーワークをすりゃあ、ぶっ壊れる事ぐらいはな。だからお前が俺のハンドルを握れ、トレーナー。

 俺に余裕があればアクセルべた踏み、俺が壊れそうならブレーキをかけろ。俺の心情なんかは一つも慮る必要はねェ。俺はそれだけをトレーナーに求める」

 

 俺がそう言うと、トレーナーの表情がみるみる曇っていく。

 

「……そんなチキンレースみたいな事、危険すぎるよ」

 

 至極当然な意見。だが、その忠告は俺の耳には入らない。ここで大人しく耳を傾ける性格ならば、そもそもトレセン学園には入学していない。自分の限界を諦めて普通の学校に通った方がどれだけ効率的か。

 

「ファインをスカウトする時に言ったよな、トレーナー。“満足させてみせる”、“レース人生に悔いが無いようにしてみせる”って。俺はその枠外か?」

 

「枠外じゃないよ、シャカールも私の担当なんだから。……けど、無理なトレーニングで体を壊せば満足するはずは無いし、悔いしか残らない。シャカールも嫌でしょう? そんな終わり方は……」

 

「あァ、そんな終わり方は願い下げだね」

 

「なら……」

 

「だが、このまま日本ダービーを諦めるほうが真っ平御免だ」

 

 俺を説得にかかるトレーナー。しかし、俺は(がん)として聞き入れない。

 

「……」「……」

 

 しばしの静寂が訪れる。すると、会話に割いていた脳のリソースが暇を持て余し、勝手にトレーナーの言葉を回顧し始めた。

 

“無理なトレーニングで体を壊せば満足するはずは無いし、悔いしか残らない。シャカールも嫌でしょう? そんな終わり方は……”

 

「…………それはそれで、幸せなのかもな」

 

「えっ?」

 

 俺の独り言にトレーナーが反応する。彼女の瞳は続きを聞きたそうにしていた。

 

「体を壊せば――それこそ二度と走れないようになれば、往生際の悪い俺でも走る事を諦めざるを得ない。そうなりゃ、思うように成長できなくてイライラする事もねェ、パソコンの前で唸る必要もねェ、脱出口の無い迷路に閉じ込められたような圧迫感に悩む必要もねェ。……ハハッ」

 

 自分自身の限界を超える。それに固執してきた俺だが、諦めた時の事を考えてみるとビックリ、メリットだらけだ。

 合理性を重んじる俺が、この選択肢を思い付かなかった事に自嘲気味の笑いが漏れてしまった。

 

「って事だ。バカみてェなハードトレーニングで日本ダービーを取れれば良し、体がぶっ壊れても、それはそれで良し。どっちに転んでも問題ねェってわけだ」

 

 “だから、俺の説得は諦めてお前の方が折れろ”と、言外の意を込めてトレーナーの方を向く。

 すると、彼女は観念したような表情でもなく、かといって俺に反発するような表情でもなく、疑問の表情を顔に浮かべ、“う~ん”と唸っていた。

 

「さっきまでの話の流れで、どうなったらそんな表情になンだよ……!」

 

 気勢を削がれた俺は、げんなりとした顔と口調でツッコミを入れた。ファインやグリードと出会ってからはこの対応を迫られる事が多くなった気がする。

 

「いや、シャカールは“二度と走れないようになれば、諦めざるを得ないだろ?”って言ったでしょ? けど、実際に走れなくなったら諦めるんじゃなくて、まずは走れるようになる方法を見つけそうだなって思ってさ。

 それこそ医者とか研究者になって。それで足を治して走れるようになってから、何食わぬ顔でレースの世界に戻ってきそう。うん、そうに違いないよ」

 

 トレーナーは得意顔。自分の事でも無いのに、よくもまぁこれだけの確信的な語りが出来るものだ。

 

「勝手に俺の事を推し量るんじゃねェよ」

 

「うーん、シャカールならやりそうだけどな。今日の様子を見てると、貴方が諦めてる場面が想像できないんだよね。こう、筋金入りって感じ?」

 

「それ、褒めてるつもりか?」

 

 トレーナーに対して非難の目を向ける。しかし、内心は怒ってもいなかったし、不満にも思っていなかった。むしろ、トレーナーの言葉に対して妙な納得感を得ていた。

 

 そう、俺は限界を超えるという身の程知らずな夢想を抱いた筋金入りのクソバカ。合理だの効率だのを振りかざす癖に、目標そのものが非合理、非効率的な矛盾野郎。

 

 “理性は感情の奴隷である”

 

 誰の言葉だったか。俺の合理という理性は、決められた限界の枠に従うのが嫌な跳ねっ返り精神の奴隷。感情に依った目標に向かって、合理という理性を奉仕させているわけだ。すると、目標が非合理にも関わらず、合理性を重んじるというのは一応矛盾していない。

 

「どうしたの、シャカール? いきなり得心顔を浮かべて」

 

「……いや、何でもねェよ」

 

 自己分析の結果が顔に出ていたか。普段から分析ばかりしているせいか、どうにも癖になっているらしい。

 

「で? 結局どうなんだ?」

 

 話を本筋に戻す。俺がぶっ壊れるギリギリでブレーキをかける役目をトレーナーが請け負うかどうか。その答えを求めた。

 

「ダメ……と言いたい所だけど、私が何をしても――それこそシャカールの担当を辞めたとしても貴方は一人で無茶しちゃうんだろうな」

 

 そう言うトレーナーの顔には諦観がにじみ出ていた。

 

「だったら私の目の届く所で無茶して欲しい。ブレーキ役、請け負うよ」

 

「……そうか」

 

 トレーナーの了承を受けて、初めに浮かんだのは安堵だった。次いでトレーナーに対する感謝。跳ねっ返りの俺は“ありがとう”なんて口が裂けても言わないが。

 

「日本ダービーに向けて不安があるかもしれないけど、大丈夫。私、こう見えてもゴールド免許だから。特にブレーキは上手いんだよ? 停止線を超えた事、一度も無いしね」

 

「……俺をキッカケにゴールドを剥奪されなきゃ良いけどな」

 

「シャカール! そういう所だよ!」

 

 照れ隠しの憎まれ口を割と本気で怒られた。流石に軽はずみだったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

 どうも。皐月賞で一着どころか、そもそも出走資格すら満たせなかったクソ雑魚ビッグマウス娘のスーパーグリードです。

 

 …………正直マジでヘコんだ。勝負の舞台にすら立てないってのは、えげつない能力不足感に襲われるものだ。流石の私も1時間は放心してしまった。

 

「まぁ、私は大器晩成型だし? 皐月賞を逃したくらいでクヨクヨする必要ないよね! これからの日本ダービー、菊花賞を取れば問題無し」

 

「……お前のそのポジティブさだけは尊敬するよ。いや、本当」

 

 隣のシャカが呟く。

 

「でしょ? ……ハッ! 皐月賞ウマ娘に尊敬されてるって事は、実質私は一冠取っているという事では……?」

 

「前言撤回。お前のそのアホさ加減だけは尊敬するよ」

 

「ヘッ、よせやい。照れるぜ」

 

 シャカは無言で私から目を逸らした。

 

 先ほどの茶番から分かるだろうが、皐月賞を勝ったのはシャカだ。物凄い末脚で前の集団をごぼう抜き。見ていて気持ちの良い勝利だった。

 

「シャカール! 休憩終わりだよ!」

 

「おう」

 

 トレーナーに呼ばれたシャカは、練習に戻っていく。その足取りはいつもより鈍く感じられた。

 

 最近、ハードな練習ばっかりしてるみたいだからなぁ……。皐月賞を勝ったにも関わらず、油断のないこって。日本ダービーも本気で取りに来てるね、あれは。

 

 彼女の走りに対する真摯な態度に舌を巻きながらも、自分の事に考えをシフト。

 

 日本ダービー、私はどうしようか。冷静に客観視すると、今のままじゃあ勝てそうにないんだよな。そもそも、出られるかどうかも分かんないし。

 

 直近のレースで自分の基礎能力の足りなさを実感していた。“惜しかったなー”という負け方ではなく、“まぁ、そりゃ負けるよね”って感じの負け方。例えるならママチャリと競技用自転車じゃあ、当然“競技用の方が速いよね”って感じ。

 

 ママチャリ乗りが今から一か月半練習しただけで競技用自転車に勝てるだろうか? いや、勝てるはずもない(反語)。つまり基礎能力を徹底的に高め、競技用自転車になる事がまず最優先なのではないかと個人的に思っている。

 

 そう考えると今の状況は都合が良い。シャカにかかりきりのトレーナーからはどうせ指示を受けられないのだ。基礎練習の反復に時間を費やすには絶好の機会。

 

 一つ問題なのは、基礎練習は死ぬ程つまらない、という点だ。

 

 マジでつまらん。死ぬ程つまらん。だって考えてみて欲しい。野球をしたいからと野球部に入った人が、素振りだけの基礎練習を毎日やって“楽しい”と思うだろうか? いや、思うはずもない(反語二回目)。素振りよりはバッティング練習、バッティング練習よりは試合の方が楽しいに決まっている。

 

 とはいえ、楽しくない基礎練習を(おろそ)かにすれば、楽しい試合で勝てないという落とし穴にハマってしまうわけだが。ままならないね、勝負事ってのは。

 

 話を戻す。つまらない基礎練習、それをどうやって毎日続けるか? 今から答えの一つをお見せしよう。

 

「ファインー! 今から走り込み行かない?」

 

 秘儀、“誰かと一緒にやる”。一人でやる苦行よりかは、二人でやる苦行のがまし。それに、ファインに至ってはクソつまらん基礎練習でも楽しそうにこなすから、こっちの気も楽になって来る。

 

「うん、良いよ。私も今からやろうと思っていたから」

 

「そんじゃ、早速しゅっぱ~つ!」

 

 殿下のお供をさせていただくという栄誉を(たまわ)った私は、意気揚々と駆けていった。

 



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11話 最近シャカが怖い

 

(エアシャカール)

 

 気づけば俺は、ゲートの中にいた。

 

『さぁ、今年もやって来ました日本ダービー。今日、日の本一の優駿が決定いたします』

 

 実況の声が耳を打つ。その内容を聞いて、これは夢だと確信した。日本ダービーは一ヶ月も後。ならばこれは夢に違いない。

 

『各ウマ娘、ゲートインを終了しました』

 

 それを聞くと、体が勝手にスタート体勢に入る。夢だと分かっているにも関わらず、俺の体は働き者な事だ。目の前のゲートが開くと同時に駆け出す。

 

 

 

 

 

 

 レースは終盤。後ろで足を溜めていた俺は、第四コーナーで膨らみ、大外から捲り上げにかかる。一人、二人と抜き去っていき、後は先頭のみ。残りは200m。

 思い切り地面を踏み込み、残りの一人も抜きにいく。足の筋線維が収縮、伸長する音を幻聴しながらの最終スパート。

 しかし、俺の体は前に行ってくれない。ゴール板は近づいてくるくせに、前のウマ娘が近づいてこない。刻一刻と迫るレースの終わりに、汗腺から冷や汗が浮かび出てくる。歯が折れる程、噛みしめた後、先頭はゴール板を割った。

 

『一バ身の差で○○○が一着! エアシャカールは二着! 二冠には及びませんでした!』

 

 なぜか、ウイニングライブが終わるまで夢は続いた。敗北の余韻をたっぷりと味わえるようにという悪夢の粋な計らいには、血の涙が出そうな程感謝した。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ました瞬間まず感じたのは不快感。寝汗のせいでシャツがべったりだ。

 (まぶた)を開けた瞬間、まず目に入ってきたのはルームメイトの顔。

 

「だ、大丈夫ですか……? ものすごくうなされていたようですけど……?」

 

 気弱なドトウはだいたい眉がハの字に曲がっているが、今日はその角度が更に鋭かった。かなり心配をかけたようだ。

 

「別に。柄にもなく嫌な夢を見ただけだ」

 

「そ、そうですか……。“一バ身、一バ身”……と、憑りつかれた様に言っていたので、エクソシストを呼んだ方が良いかと勘違いしてしまいました……」

 

 ドトウの片手にはスマホが握られていた。

 

「お前は気弱なのに、変な所でアグレッシブだよな……」

 

 完全には目覚めていない頭を手で押さえながら脱衣所に向かう。

 

(“一バ身、一バ身”……と、憑りつかれた様に言っていたので)

 

「チッ……、クソがっ……!」

 

 ベタベタの肌着を着替える最中、舌打ちと悪態が漏れた。

 

 

 

 

 

 

「シャカール、そこまで! ……シャカール!!」

 

 悪夢のせいで溜まった鬱憤を晴らすように、練習に打ち込んでいると、トレーナーの声が鋭く耳を刺した。

 

「……チッ、分かったよ!!」

 

 練習を中断し、トレーナーの元へ戻る。手渡されたタオルで汗を拭うと、カラカラに乾燥していた布地がベットリと濡れた。随分と汗をかいていたようだ。

 

「はい、水と塩タブレット」

 

 タブレットを乱暴に噛み砕き、水で流し込む。その後、すぐに練習に戻ろうとすると、肩を掴まれて無理やりベンチに座らされた。

 

「……ンだよ」

 

 とげとげしい口調でトレーナーを睨む。

 

「ストップ。これ以上はダメ」

 

 しかし、トレーナーは俺の眼光に怯む事は無かった。毅然とした態度で練習を止めさせにかかる。構わず立ち上がろうとする……が、俺の尻はベンチから離れてくれなかった。

 

「ほら。ヒトミミに抑え込まれるぐらい疲労してる」

 

「…………クソッ……」

 

 今日何回目になるか分からない悪態をつき、体から力を抜いた。すると、トレーナーも肩から手を退けてくれる。

 

「こんなんじゃ全然足りねェのに……」

 

「どの口が言うのやら。誰よりも早く練習を始めて、誰よりも遅く練習を終えてるのに」

 

 空を見上げると、夜間用の照明が眩しかった。目を細めて視線を下げると、辺りには俺達以外誰もいない。

 

「ほら、クールダウン」

 

 (だる)い体を何とか動かし、酷使した足の筋を伸ばす。筋肉に溜まった熱が放出される様な解放感に快感を覚えた。

 

 

 

 そのままストレッチを終えた俺はトレーナーに背を向ける。

 

「ちゃんと寮に直帰するように。間違っても追加で練習したらダメだからね」

 

「分かってるよ」

 

 トレーナーに釘を刺されながらも寮に帰った。シャワーと遅めの夕食を終えて、部屋に戻る。胃袋が夕食を消化し終えてから、その日は寝た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば俺は、またゲートの中にいた。

 

『さぁ、今年もやって来ました日本ダービー。今日、日の本一の優駿が決定いたします』

 

 実況の声が耳を打つ。その内容を聞いてデジャヴを感じた。またこの夢か。練習で疲れ切っているのに俺の脳は随分と勝手しやがる。

 

『各ウマ娘、ゲートインを終了しました』

 

 それを聞くと体が無意識にスタート体勢に入る。二度目の夢にも関わらず、俺の体は勤勉な事だ。目の前のゲートが開くと同時に駆け出した。

 

 

 

『3/4バ身の差で○○○が一着! エアシャカールは二着! 二冠には及びませんでした!』

 

 

 

 目を覚ました瞬間、まず感じたのは胸の圧迫感。寝ていたにも関わらず心臓がうるさい。

 (まぶた)を開けた瞬間、まず目に入ってきたのはルームメイトの顔。

 

「だ、大丈夫ですか……? 今日もうなされていたようですけど……?」

 

 気弱なドトウはだいたい眉がハの字に曲がっているが、今は“ハ”を通り越して “い” ぐらいになっている。二日連続の悪夢。随分心配されたらしい。

 

「……別に。たまたまだ、たまたま」

 

「そ、そうですか……。“3/4、3/4”……と、憑りつかれた様に言っていたので……。き、昨日より数字が減ってるんですけど、ゼ、ゼロになった時何か良くない事が起きたりするんじゃあ……。や、やっぱりエクソシストを呼んだ方が……!」

 

「やめろ、大丈夫だ。だからスマホをしまえ」

 

 完全には目覚めていない頭を手で押さえながら、脱衣所に向かう。

 

 昨日は1バ身……そして今日は3/4バ身、か。……ハッ、バカバカしい。ただの夢だろうが……。

 

 そうは否定するものの、脱衣所に向かう足取りは昨日より少しだけ軽かった。

 

 日本ダービーまで残り28日。

 

 

 

 

 

 

「シャカール、ストップ!! 練習はもう終わり!」

 

「……分かったよ」

 

 一歩を踏み出すのも億劫な鉛の体をベンチに落ち着ける。水分補給と塩分補給を終え、クールダウンを始める。

 

「間に合うのか……?」

 

 ストレッチ中に漏れた俺の独り言。

 

「きっと間に合う。……いや、間に合わせて見せる。だからオーバーワークはダメ。良い?」

 

 トレーナーは耳聡く反応してくる。

 

「分かってるよ」

 

 今日も遅めの夕食が消化されるのを待ってから、床についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またゲートの中。

 

『各ウマ娘、ゲートインを終了しました』

 

 うんざりする口上の後、目の前のゲートが開くと同時に俺は駆け出した。

 

 

 

『3/4バ身の差で○○○が一着! エアシャカールは二着! 二冠には及びませんでした!』

 

 

 

 目を覚ました瞬間、まず感じたのは息苦しさ。寝ていたにも関わらず呼吸が荒い。

 (まぶた)を開けた瞬間、まず目に入ってきたのはルームメイトの顔。

 

「だ、だ、大丈夫ですか……? い、息切れが激しいですけど……?」

 

 ドトウは目をぐるぐると回してパニック一歩寸前に見える。

 

「……大丈夫だ」

 

「で、でもここの所ずっとうなされてますし……。あ、でも最近は“3/4、3/4”……って、数字は減らなくなっているので、エクソシストは呼ばなくても大丈夫ですかね……?」

 

「……」

 

 ドトウに返事を返さずに、脱衣所に向かう。歯がギシギシと音を立てていた。

 

 日本ダービーまで残り20日。

 

 

 

 

 

 

「シャカール! 今日はそこまで!」

 

「…………」

 

「……シャカール!!」

 

 トレーナーの声を無視して練習を続けていたが、再三の呼びかけに仕方なく足を止める。タオルで汗を拭い、水分補給をした後、再び練習に戻ろうとすると、肩を掴まれた。

 

「……ッ! 離せ!」

 

 腕を振って、トレーナーの手を払う。その際、彼女の心配そうな顔を見てしまった。

 

「……~~~~~~!」

 

 五十音ではとても表せない奇音を喉から発しながら、頭を掻きむしる。思うままに行動すると、少しはムカつきが収まった。

 

 その日は大人しく練習を止め、寮に戻った。

 

 

 

 

 

 

『1/2バ身の差で○○○が一着! エアシャカールは二着!』

 

 

 

「シャカール! ……シャカール!!」

 

 トレーナーの声を無視して走り続ける。ウマ娘の速度で走っていれば、トレーナーに無理やり止められる事は無い。重たい足を追い使っていると、俺に併走する影が。

 

「はーい、ドクターストップ執行係ですよー」

 

 ピィー!!

 

「っ……!」

 

 聞きなれた声の後、すぐ隣で笛の大音声が鳴った。いきなりの騒音に驚いて足を止める。グリードはその隙を見逃さず、俺の体を肩に抱えてトレーナーの方へと歩き始める。

 

「おい、グリード! テメェッ! 離しやがれ!!」

 

「あぁもう! 暴れないでよ! こっちも練習終わりで疲れてんだから!」

 

 担がれながらも抵抗するが、体勢の不利を覆す事はできなかった。そのまま、コースから連れ出される。

 

「グリード二等兵、これより乱心したシャカ伍長をお部屋まで連行してまいります!」

 

「ごめんね、練習終わりに頼んじゃって」

 

 グリードに対して申し訳なさそうな顔をするトレーナー。トレーナーの顔を思い切り睨みつけてやると、

 

「ブレーキはちゃんと踏むよ。それが私の役割だから」

 

 そう返ってきた。結局その日は米俵のように部屋まで運搬された。

 

 日本ダービーまであと7日。

 

 

 

 

 

 

『クビの差で○○○が一着! エアシャカールは二着に終わりました!』

 

 

 

 

 

 

「退けッ!! こんな練習で足りッかよ!」

 

「いやいやいや! 明日レースでしょ!? 今日は足休めとかないと! そっちの方が合理的だって! シャカの大好きな合理!」

 

「うるせェ!! 事、ここに至って合理なんてものはクソの役にも立ちゃしねェンだ!!」

 

 俺に練習をさせまいとするグリードとがっぷり四つに組んで力比べ。

 

「ぐぬぬ……! 力負けしてる……! スペック差出てるって!! 本部(HQ)! 援軍を要請します!!」

 

 グリードがそう叫んだ後、背中に誰かの手が当たる。

 

「シャカール」

 

 後ろから殿下様の声が聞こえてきた。いやに羞恥心を感じる。こんな荒れた姿を見られたくなかった。

 憂さ晴らしとして体に込める力を増す。グリードのうめき声が大きくなった。

 

「君の焦る気持ちは……」

 

 そこまで聞こえて、背中の手が思い惑うように動く。

 

「……私は、シャカールに怪我してほしくないな」

 

 ファインの困ったような声色。

 

 ……卑怯だ。あァ卑怯だよ、その声は。

 

 正面から受け止めていたグリードの体を右へ打ちやる。勢いそのままにグリードは芝の上をすべった。受け身は取っているようなので心配する必要はないだろう。

 

「帰る。寮で大人しくしてりゃあいいンだろ」

 

「えぇ……急に冷静じゃん」

 

 地に伏せて文句を言うグリードの横を通って部屋へ戻る。ベッドに腰かけるなり、膝に肘を付いた前傾姿勢に。そのまま目を閉じてレースで走る自分の姿を想像し始めた。

 

 集中して行うイメージトレーニングは一般に想像されるそれとは一線を画する。アスリート数人に実験を行った所、イメージトレーニング中、対応した筋肉が実際に働いていたという結果が出たらしい。ただ大人しくしているよりかは、こうして少しでも足掻いている方が精神的にましだ。

 

 練習時間としては短く、明日を待つ時間としては長く感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば俺はゲートの中にいた。

 

『さぁ、今年もやって来ました、日本ダービー。今日、日の本一の優駿が決定いたします』

 

 実況の声が耳を打つ。その内容を聞いてうんざりする。これで何度目のリハだ、ここまでくると何かの怪異に巻き込まれているのかと勘違いしそうになる。

 

『各ウマ娘、ゲートインを終了しました』

 

 それを聞くと体が勝手にスタート体勢に入る。夢だと分かっているにも関わらず、俺の体は働き者を通り越して社畜だ。

 

 まぁいい、それも今日で終わりだ。

 

 目の前のゲートが開くと同時に駆け出した。

 

 

 

 レースは終盤。後ろで足を溜めていた俺は、第四コーナーで膨らみ、大外から捲り上げにかかる。一人、二人と抜き去っていき、後は先頭のみ。残りは200m。

 

 思い切り地面を踏み込み、残りの一人も抜きにいく。足の筋線維がブチブチと収縮、伸長、断裂する音を幻聴しながらの最終スパート。どうせ夢だ、脚を使い捨てにするつもりで走る。

 

 前の奴の尻尾を掴めそうな所まで位置が詰まった。しかし、ゴール板も近づいてくる。間に合うかどうか、今はその思考を頭の外に追い出し、ただ全力で走る。やがて俺はゴール板を割った。

 

『○○○が一着! 二着はエアシャカール! 7センチ! 僅か7センチの差が栄光を分けた!!』

 

 俺はその場に佇んでいた。

 

「……ハハッ」

 

 滝のように流れる汗も、纏わりつく熱気も、酸素不足でクラクラする頭も。全てがリアルそのもののくせに、たった7センチ差でついた勝敗が審議も無しに決着している。ひどいご都合主義だ。

 見ろ、掲示板にも“7センチ”とランプで表示されてやがる。このためだけにLEDランプの配列を変えたとすれば、本当にご苦労な事だ。

 

 内心でおどけるものの、本来掲示板に表示されるはずの無い“7センチ”という文字はいつまでも網膜に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 半透明の意識の中、体が揺さぶられた。遅れて目覚まし時計の音がやかましさを脳が認識する。

 

「シャ、シャカールさ~ん……、ずっと目覚まし鳴ってますよ……」

 

「……あァ」

 

 目覚まし時計を黙らせ、ベッドの上で胡坐をかくと、さっきの最悪な夢が想起される。眉間にしわが寄った。

 

 いつまでも退かない影を疑問に思い、顔を上げる。すると、いつものように困り眉のドトウが立ち尽くしているが目に入ってきた。

 

「なンだよ」

 

「……あ、い、いえ! す、すみませんすみません……! のべーっ、と突っ立ってて、す、すみません……!」

 

 お得意の謝罪を述べるドトウ。しかし、彼女の“すみません“にはいつものキレがなかった。気弱を極めた彼女にしか出せないドトウ節とも呼ぶべきキレが。

 

 日本ダービーまで後0日。



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12話 不完全燃焼だったかな

 

(トレーナー)

 

 レース前の控室。そこは様々な雰囲気に包まれる場所。これからのレースに意気込む熱い高揚感、勝つか負けるか分からない先行き不透明な緊張感、勝って当たり前だという油断から生じる倦怠感。私の短いトレーナー人生のでも色々な雰囲気を体感してきた。

 

 しかし、今は経験のどれにも当てはまらない雰囲気に控室が包まれている。

 

「…………」

 

 部屋の中心には目を閉じて瞑想するシャカールが。彼女は諦観にひとつまみの意地を混ぜたような薄く、それでいて少しだけ粘りのある空気を纏っていた。まるで湿気の多い梅雨の大気のような。

 

「……ンだよ」

 

 突然開かれたシャカールの瞳がこっちを向いた。ずっと見ていたのを感づかれたようだ。

 

「あー……、いや、緊張してないかなと思って」

 

 少し気まずくて、その場しのぎの返事が口から出てくる。

 

「緊張、か……。してねェよ。今までの積み重ね、その結果が出るだけだ」

 

 “多分、ダメだろうけどな”

 

「えっ?」

 

「まだ何かあンのか?」

 

「今、多分ダメって……」

 

「? 何の話だ?」

 

「あ、いや、何でもない」

 

 シャカールの様子からするとさっきのは幻聴か。どうしてそんな聞き違いをしたのだろう。

 

 じっとシャカールを見つめていると謎が解けた。今の彼女の雰囲気は、大学合否発表日の兄に似ていた。受験当日に体調を崩し、ほとんど絶望的だと分かっていながらも一縷の望みをかけて合否確認をしにいった兄に。

 

「邪魔するぜぇ!」

 

 突然、扉が乱暴に開かれる。

 

「お邪魔するね」

 

 ずかずかと部屋に入って来るグリード、その後ろにはファインが連れ添っている。

 

「……あーもう、しなしな! 今朝もそうだったけどレース前でもこんなにシケてるとは思わなかった!」

 

 グリードがシャカールの前まで歩み寄る。

 

「もしかして昨日お風呂で寝た? それともシンクの中? そんな火ィついてない状態じゃ勝てるレースも勝てないでしょ?」

 

 額を突き合わせる程の距離でシャカールを煽るグリード。

 

「今の俺は防水マッチだから良いんだよ。そんなに心配されなくてもキッチリ走る」

 

 だが、煽られた本人は平然としていた。

 

「そういうとこなんだよなぁ、いつもより言葉にキレが無いっていうか……ツンとしないっていうか……やさしいお酢っていうか……」

 

 グリードは(いぶか)しみつつ、シャカールから離れる。代わりにファインがシャカールのそばに寄った。

 

「……」

 

 しかし、ファインは悲しそうに目を伏せるだけで言葉を発そうとはしない。(まぶた)を閉じ、再び開く。尻尾を所在なさげに揺らしてから、ようやく口を開いた。

 

「怪我はしないでね、シャカール」

 

「……あァ」

 

 短いやり取りだったが、そのなかに幾億万(いくおくまん)の意味が込められているような気がした。

 

「そろそろ時間だ。行ってくる」

 

 立ち上がったシャカールは、ドアノブに手を掛ける。

 

「シャカール。……今までの練習の成果を全部出すようにね」

 

 何か声を掛けるべきだと思っての発言だったが、今のシャカールには気休めにもならないだろう。レース当日となると、ウマ娘に対して何もできないのがトレーナーをやっていて一番もどかしい瞬間だ。

 

「非常に抽象的だが非常に適切なアドバイスをどうも」

 

 それきりシャカールは控室を出ていった。

 

 

 

「ホントに大丈夫かなぁ……散歩に行くみたいなテンションだった――」

 

「……よ、よしっ、勇気出して……えいっ!」

 

 バンッ!

 

「けどォゥ!!」

 

 部屋から出ていこうとしたグリードがドアに挽かれた。

 

「すっ、すみませんすみません! 柄にもなく意気込んですみません! 勢いよくドア開けてすみません! こんな私がシャカールさんの激励だなんておこがましいですよね、迷惑ですよね! 大人しく観客席の最後方で腕だけ振っておきます~~!!」

 

 この事態を引き起こしたであろうウマ娘が、物凄い勢いで謝りながらグリードに駆け寄る。

 

「あいてて……」

 

「だ、大丈夫ですか……!?」

 

「あー、うん。鼻じゃなくて咄嗟(とっさ)にデコで受けたから軽傷軽傷」

 

 “何とも無い”という顔で、赤くなった額をさするグリードだが、あの一瞬で額受けの判断が出来るのは流石ウマ娘の身体能力といったところか。

 

「それで、貴方は? さっきシャカールの激励とか言ってたけど……」

 

「あ、はい……! その、私はメイショウドトウって言って、シャカールさんと同じ部屋に住まわせていただいています……。それで、シャカールさんはどこに……?」

 

「あの子ならもう、パドックの方に行っちゃったけど」

 

「えぇぇぇぇ~~……!? そんなぁ~~……」

 

 尻尾がピンと伸びた後、へなへなと垂れ下がる。彼女は俯き、“ここに来るまでに7回転んだのがいけなかったのかな……”とか“それとも控室に来るまでに4回道を間違えたのがいけなかったのかな……”などと呟いていた。かなりおっちょこちょいの様だ。

 

「今朝のシャカールさん、様子が変だったのでお声がけしたかったのに……」

 

「様子が変?」

 

 呟きの中に気になる発言が。深堀りする。

 

「はい……。シャカールさん、寝覚めが悪くて、“七センチ、七センチ”ってうわ言みたいに呟いていて……。あ、それだけなら最近は珍しくなかったんですけど、今日は顔を真っ青にして、シーツを掻きむしる様にうなされていたので、流石におかしいなと思って……」

 

「それ本当!」

 

「ひぇぇぇ~~……! ほ、本当に本当です~……!!」

 

 思わずメイショウドトウに詰め寄ってしまい、彼女を怯えさせてしまった。

 

「ご、ごめん」

 

 彼女に対して居心地の悪さを感じるが、シャカールに対してはそれ以上の決まりの悪さを感じていた。

 

 彼女の異変に気づけなかった事。彼女が自分の弱さを表に出すタイプでない、というのは言い訳にしかならないだろう。それを押しても打ち明けてくれる関係性になれなかったのは私の責任。そうでなくてもメイショウドトウのような同室相手の子と関係を築いて、普段の様子を聞くとか、やりようはあったはず。

 

 シャカールの行き過ぎた練習を止めるばかりで、その背景にまで気を回せなかった。初めて三人のウマ娘を担当した、というのも言い訳にしかならない。

 

「はぁ……」

 

 息苦しさを紛らわすためにネクタイを緩めた。胸に詰まっていた重たいため息が塊として排出される。

 

 私がシャカールに干渉できる時間はもう終わってしまった。後は見守る事しか出来ない。それを思うと、更に気が重くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 シャカールが控室から出たのに合わせて、私達は観客席へと移動する。ターフに一番近い最前列に位置取る。

 これから始まるレースに胸を躍らせる観客達の熱気は凄まじい。しかし、私の心はどこか強張ったまま。

 

 最近、シャカールは私を避ける様になっていた。学校で顔を合わせれば、気のない返事でのらりくらりと躱され、練習の時間になれば一人でアップを終えてさっさとトレーニングを始めてしまう。私だけでなく誰に対してもそう振舞うようになった。

 

 その理由は恐らく日本ダービー。シャカールが新年に語ってくれた、“自分の限界を超える”という旨の話。

 

 ……きっと彼女には余裕が無かったのだろう。思うようにいかず内心は荒れていた。しかし、誇り高い彼女の事だ。自分の弱い姿を見せたくなくて人と距離を置いていた。そう考えるのが(もっと)もに思える。

 

 控室で見た彼女の様子。前に見たギラギラとした闘争心は影も無く、達観したような雰囲気だった。

 

「…………っ」

 

 ついスカートの裾を握ってしまった。

 

 シャカールには未来予知にも近い分析予測能力がある。そして諦めの悪い彼女が勝負を投げたような(たたずま)まいをしていた――それは彼女の予測が自身の敗北という結果を導きだしたからではないだろうか。

 

 あれほど熱く、強く、そして苦しそうに語っていた“日本ダービーを勝って限界を覆す”という目標。それを彼女は達成できないと感じてしまっている。

 

 シャカールは今、どんな気持ちでターフに立っているのだろうか。恐る恐る顔を上げ、ゲートインを待つウマ娘達の方を見る。

 

 

 

 そこには犬歯をむき出しにして、苦々しく前を睨みつけるシャカールがいた。

 

 

 

 ――そうだよね。君は強くて、高潔で、決して諦めない人だから……。

 

 スカートを掴んでいた手を胸の前で組む。

 

 もう少しだけ頑張って、シャカール。両面裏のコインだって側面で直立する事もある。勝負は終わるまで分からないから……。

 

 固く目を閉じて祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『残りは400m直線コース、生涯一度の夢舞台が残り400m 栄光まで400! 外からエアシャカールが上がってきた! 先頭まで二馬身の位置まで上がってきている! しかし、最後尾からアグネスフライトもきた! アグネスフライトが飛んできた! 先頭はすでにエアシャカール! エアシャカール粘る! 皐月賞ウマ娘の意地か!? アグネスフライトの夢か!? どっちだぁ!!?』

 

 

 

 

 

 

 アグネスフライトとほぼ同体でゴール板を過ぎたエアシャカール。彼女は肩で息をしながら、目を閉じている。

 掲示板の一着と二着の部分は空。写真判定にしては長い間、審議のランプが灯り続けていた。

 

 

 

 観客から歓声が上がる。

 

「……予測は覆せなかった、ってわけだ」

 

 シャカールは掲示板を一瞥した後、静かにターフを去る。

 

『一着と二着の差は僅か“7センチ”! たった“7センチ”が雌雄を分けた!!』

 

 実況の声をBGMにしながら。

 



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13話 私は8時間寝て快眠だけれども

 

(トレーナー)

 

 私はあの子を勝たせて上げられなかった。

 

 日本ダービーから一日。私は重たい瞼を何とかこじ開けながら仕事をこなす。しかし、仕事中も隙があれば、どうやったらシャカールを勝たせる事が出来たかを考えてしまっていた。目の下の隈もそのせい。

 

「……眠い」

 

 このままでは仕事にならない。眠気覚ましのためにコーヒーでも飲もうと、自動販売機に向かった。

 

 

 

 

 

 

 ピッ、ガコン

 

 自販機には先客がいた。隈のせいでいつにも増して目つきの悪い教え子が、エナジードリンクを受け取り口から引っ張り出している。

 

「ん……? トレーナーか、朝から奇遇だな。……そっちもカフェイン摂取に来たのか?」

 

 シャカールは私の目元を見ながら言う。

 

「あ……うん。まぁ、そんなところ」

 

 気まずさを感じながらも返事をすると、シャカールは追加で硬貨を自販機に投入し始める。

 

 ピッ、ガコン

 

「ほら」

 

 私は放られた缶コーヒーをキャッチする。

 

「あ、いや、教え子に奢ってもらうわけには……」

 

「奢りじゃねェよ。これから俺に付き合ってもらう対価だ」

 

 シャカールは顎をしゃくって近くのベンチを指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の下の隈二人組は、しばらく缶の中身を啜っていた。私の缶の中身が半分を切った所でシャカールが口を開く。

 

「別に俺の事で気を病む必要はない。基本的には不可能な事だったんだ」

 

「それは……どういう意味?」

 

「トレーナーは日本ダービーで俺を勝たせられなかった事を随分気にしているようだが、それがナンセンス、無意味だって言ってンだよ」

 

「無意味、ってそんな訳……。私がもっとしっかりしてれば、それこそベテランのトレーナーが貴方を担当してれば!」

 

「俺は勝てた、そう言いたいのか?」

 

 声を荒らげる私とは対称的に、シャカールは横目で冷静に私を見つめるだけ。いつの間にか浮いていた腰を下ろす。

 

「……昨日は僅差だった。それは私の実力不足が問題で……」

 

「違う。俺の才能不足だ」

 

 シャカールの発言に目を丸くする。

 

「才能不足って……シャカールは凄いウマ娘だよ。ホープフルステークスだって皐月賞だって勝った。不足どころか過剰といっても差し支えない」

 

「ホープフルステークスと皐月賞は勝ったか……。確かに早熟という才能はあった。けど、日本ダービー向けの才能が俺にはなかった。皐月賞から停滞気味だったのはトレーナーも知ってるだろ? その間に他の奴らに抜かされたんだよ。で、わずかな期間で成長出来た他の奴らが日本ダービー向けの才能を持ってたってわけだ。

 例えベテランだったとしても短距離ウマ娘を長距離で勝たせるのは不可能に近いだろ? この件はそういう話だ。適性が無かったんだよ、俺には。だからトレーナーが自分の実力不足を嘆く必要はねェ」

 

「……」

 

 シャカールは私が黙り込んでいるのを確認すると、“分かったら今日はさっさと寝るン

だな”と言って、立ち上がろうとする。

 

「けれど、貴方は勝とうとしていた」

 

 私がそう言うと、シャカールは動きを止める。

 ギリギリで考えが纏まった。続きを話す。

 

「無理だと分かっていながらも頑張ってきた。合理的な貴方が無茶な練習をするぐらいには勝利を求めていた。貴方のルームメイトからも聞いたよ、毎晩うなされてたって」

 

「……だから?」

 

「その願いを叶えられなかった私は、やっぱりトレーナーとして落第だよ。ごめん、シャカール。私は貴方を満足させて上げられなかった。謝って済む問題じゃないけど……ごめん」

 

 

 

 そのまま(うつむ)いていると、大きなため息が聞こえてきた。

 

「わざわざ人を呼び止めて、何を言うかと思えば自虐。何だ? もしかしてマゾか?」

 

「い、いや、そういうわけじゃないけど……」

 

「真面目過ぎンだよ、トレーナーは」

 

 シャカールは空き缶を放り投げる。缶はゴミ箱のふちに当たり、地面に転がった。

 

「俺がこのまま知らぬ顔で帰っても、お前は律儀に片付けンだろうな」

 

 その通りだった。というか今まさに腰を浮かしかけた所。

 

「生きづらい性格だな。お前も……俺も」

 

 シャカールは今度こそ本当に立ち上がる。

 

「俺の事を負い目に思うンなら、ファインの面倒を見てろ。アイツには俺の予測を上回る何かがある。そのデータを出来るだけ集めたい」

 

「うん、分かった」

 

 返事を聞いたシャカールは、地面に転がった空き缶をゴミ箱に捨て直してから去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

 日本ダービーから一日。あれからシャカールと話をできていない。学校の休み時間に会いに行こうとしたが、間が悪いのか出会う事はできなかった。とはいえ、彼女との話は長くなりそうなので、休み時間の短い間では足りないかもしれない。それを考えると、今の昼休みの時間まで彼女と出会えなかったのは、むしろ良かったと言えるだろう。

 

「シャカール」

 

 彼女は中庭の外れにあるベンチに座り、パンを食べていた。

 

「わざわざこんな所まで来てどうした。お前はいつも食堂だろ」

 

「それはシャカールもでしょ。あては無かったけど見つかって良かった」

 

 シャカールの隣に腰を下ろす。改めて彼女の横顔を見ると、目の下には深い隈が刻まれていた。第一声を決めていたのに、口にするのを逡巡してしまう。

 

「ほら」

 

「えっ、と」

 

 私が怯んでいる隙に、シャカールはパンを手渡してきた。

 

「昼飯、食ってねェんだろ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 不調のシャカールに気遣われ、忸怩(じくじ)たる思いを抱く。私は彼女を元気づけに来たというのに。パンを頬張り、咀嚼する間に気持ちを落ち着けた。

 

「シャカール、私に何か出来る事はないかな?」

 

「何の話だ?」

 

「君が限界を超えるお手伝い。今までは何にも出来なかったから」

 

 私がそう言うと、シャカールはパンを食べようと口を開けたまま固まる。彼女の口はパンを含む代わりに、大きなため息を吐き出した。

 

「……当然の様に俺が諦めない、って前提なンだな」

 

「うん。“菊花賞の後は衰えるだけ“、って言ってたから次の限界はきっとそこでしょ? 今から私にできることはないかな?」

 

 シャカールの方に少しだけ間合いを詰めると、彼女は再びため息を付いた。

 

「……今はなンにも。しばらくは休暇だ。何をするにも手がつかねェ」

 

「手がつかない?」

 

「あァ。ダービーの振り返り、これからのトレーニングメニュー、データに不自然な揺らぎの見えるウマ娘の分析、いくらでもやる事はある。けど、昨日は何をする気にもならなかった。燃え尽き症候群ってやつかもな」

 

「そっか」

 

 それを聞いて安心する。しばらくずっと張り詰めっぱなしだったシャカール。日本ダービーでの負けを気にして更に無茶をするようだと、本当に壊れてしまいかねない。どんな形であれ休んでくれて一安心だ。

 

「それじゃあエンジンが掛かったらいつでも呼んでね! できる事なら何でもするから!」

 

「……やっぱり、俺が諦めるとは思わねェのな。燃え尽きたまま終わっちまうかもしンねェぞ?」

 

「あ、それ! “燃え尽きたぜ……真っ白にな……”って奴だよね!」

 

「留学生が良くご存じで」

 

 寝不足のせいか、返事がいつもよりやるせなく聞こえる。その雰囲気をかき消すように私はおどけた口調で言う。

 

「彼はリングの上で燃え尽きた。シャカールならターフの上でしょう?」

 

「……あァ。そうだな」

 

 シャカールの眉が緩やかな曲線を描く。彼女がめったにしない柔和な顔。これが見れれば一段落だ。

 

「ンじゃ、またな」

 

「あ、待って」

 

 シャカールには“今する事は無い”と言われたが、そんな事はない。今だからこそ出来る事を一つ思いついた。

 呼び止められたシャカールは怪訝そうな表情。私は得意げな顔で自分の(もも)を叩いた。

 

「シャカール、寝不足でしょ。余の膝を使うが良い、許してつかわす!」

 

「……膝はいい、止めとく」

 

 しかし、すげなく断られた。

 

「むー、余の膝枕が気に入らぬと申すか、貴様~!」

 

 頬を膨らませて怒った素振りを見せる。こうすれば渋々了承してくれると思ったから。

 

「勘違いすンな。膝は止めとくって言ったんだ、商売道具だろ。代わりに肩貸せ」

 

 しかし、私の思惑とは別に、シャカールが私の肩にこてんと頭を預けてくる。

 

「え、あ……!?」

 

「予鈴が鳴ったら起こしてくれ」

 

「う、うん……」

 

 いきなりの事に少し動転してしまった。膝枕をする準備は出来ていたが、こういう形での接触は予想外。結構ドキドキしてる。頬にウマ耳当たってるし。あ、産毛がふわふわして……動くとくすぐったい……。

 

 今日の昼休みはシャカールが身じろぎするたびにぐるぐると目を回す憂き目に……いや、良き目に遭ってしまった。

 

 

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14話 スクール水着ってのはクソダセェのよ

 

(スーパーグリード)

 

 日本ダービーが終わってから2か月。トレーニングの化身となり、荒れていたシャカは驚くほど落ち着いた。ダービーで二着だったから、更にひどくなるものと思い込んでいたけど……。まぁ、私が人の心を推し量ろうとするだけ無駄、と考えて現状を受け入れる事にした。こちとら鈍感なもんでね、ちゃんと言葉と態度にしてくれないと分からんのよ。

 

 そんな事より、5/23に開催された日本ダービーから2か月経っているという事実の方が今は大事。現在の日付は7/23。つまり明日から夏休み。待ちに待った夏休み。待望の夏休みだ。

 

 トレセン学園の夏休みと言えば夏合宿。煩わしい授業から解放され、普段の環境とは違う新天地で走る事だけに専念できる。

 

と、いうわけで海にやって来ました。

 

 

 

 ファイン、シャカ、トレーナー、私の四人がやってきたのはトレセン学園が所有する合宿所、その近くにある海水浴場。

 

 “おいおい、夏合宿に来たんじゃねぇのかよ。海水浴場でなに油売ってんだ“という幻聴が聞こえてきそうだが、初日ぐらいは海で遊んでも良いとトレーナーが言ってくれたので、ハメを外そうとしている所だ。

 

「……というか私だけ学校指定の水着?」

 

 まずはファインを見る。彼女が身に纏っているのは露出の少ないパレオタイプの水着。ベースは赤で、クローバー意匠の緑色が良い塩梅だと思う。

 

 次にシャカ。彼女は胸の左サイドにデカい髑髏(ドクロ)があるパーカーを着ているので水着の全体像は見えない。しかし、パーカーから少しだけ覗く水着は学校指定の物では無かった。

 

「逆にどうして学校指定の水着を着てンだよ。自前の持ってねェのか?」

 

「一応持ってるけど」

 

「ならなんでそのクソだせェ水着を着てンだよ」

 

「ちっちっ、分かってないなぁシャカは。スクール水着、確かにデザインはありきたり、色は紺、可愛さの“か”の字もない武骨な水着かもしれない。しかし! スクール水着は希少性が高い! 小、中、高校生しか着る事を許されない神聖な装具! 大学生が着れるか? 社会人が着れるか!? 答えは否! いい年した女では着られない! 若さに守られた学生の内でしか装備出来ない! 何より、普通の水着よりこっちの方が“いいね”が付きやすい! という事で私は数字のために恥を忍んで着ました!」

 

 スマホで自撮りをし、「海水浴なう」とSNSに上げる。

 

「恥を忍んでって、自分で言っちまったじゃねェか。前半の勢いはどうした」

 

「それに普通の水着よりスクール水着に“いいね”付けるのは結構特殊な人だと思うけど」

 

 シャカとトレーナーから鋭いツッコミをくらった。シャカに関しては何も言えない。しかし、トレーナーの意見に対しては反論する。

 

「え、でも大多数の人がスクール水着の方が良い、って言ってたけど」

 

「ちなみにどこで聞いたの?」

 

「ネット掲示板で」

 

「うん、そこはまさに特殊な人が集まる場所だね」

 

「なん、だと……!? そ、そんなバカな……!」

 

 つまりあれか? 私は勘違いしていたと言うのか……?

 

 あまりのショックに天を仰ぐ。太陽は私の気持ちなど知った事か、とギラギラ輝いていた。

 

「そ、そんなに落ち込まないで。ほら、今から私用の水着に着替えれば良いだけでしょ? そっちでも写真を取れば……」

 

 落胆する私に優しい声を掛けてくれるファインだが、その内容は間抜けな私に追い打ちをかける物だった。

 

 私用の水着を別に持ってくる。……その手があったかァ~~……ッ。

 

「あ、あれ? グリード、大丈夫? 何か凄い顔で動かなくなっちゃったけれど……」

 

「そいつのメモリ8ビット脳のこった、替えの水着持ってきてねェンだろ」

 

「うぅ……せめて上着があれば……。シャカのパーカー貸してくれぇ……」

 

 私を罵倒しながらパラソルやビーチチェアを設置しているシャカに、縋るような目線を送った。

 

「しゃあねェな」

 

 思わずため息が聞こえてきそうな表情のシャカが、パーカーのジッパーを降ろす。すると、彼女が着ている水着が露わになった。

 

 上はホルターネック型、胸の部分が蜘蛛の巣のようなデザインになっている。下の方はタイサイド――所謂紐ビキニと呼ばれるもの。色は上下共に黒。

 

 総評を述べると、私のスクール水着やファインのパレオ水着に比べて露出が多いのでなんかエッチです。

 

 

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「……」

 

 パシャ

 

「おいファインどうして無言で写真撮った?」

 

「あ、ごめん。撮るね?」

 

パシャ

 

「いや声掛ければ良いってもんじゃねェだろ!? 許可取れよ!! 何か知能下がってねェか!?」

 

 “別に減るもんじゃねェから構わねェけどよ”とシャカールが呟き、私の方にパーカーを放って来る。

 

「ほら、着とけ」

 

「あ、ありがと」

 

 受け取ったパーカーに袖を通すと少し暖かかった。太陽の熱を吸収したのか、それともシャカールの体温か。あれだけの露出だ、彼女の素肌から伝わった体温が残っていてもおかしくは……うん、これ以上考えるのは止めよう。

 

 妙な気恥ずかしさを覚え始めた頃、私は思考を停止した。そこから遊びの方向に考えを急発進させる。

 

「じゃあ早速ビーチフラッグやろっか! ちゃんと旗も持ってきたから」

 

 砂場に旗を突き刺し、10mほど距離を取る。

 

「ほらシャカール、一対一。レースじゃいつも負けてるけど、これなら多分勝てるからリベンジさせてもらおっかな」

 

「黒星増やしたいンなら相手してやンよ」

 

 シャカールが不敵に歩いて来るのを見て、私は砂の上に伏せる。

 

「アッッツ!!」

 

 それと同時に脚を焼かれた。太陽熱をたっぷり吸った砂に焼かれた。無防備な下半身を焼かれた。

 

「アホか。お前は何のためにサンダル履いてンだよ」

 

「いやいや! ちょっと待って! え、何!? だったら他の人はどうやってビーチフラッグやってんの!? みんな我慢してんの!? この砂の上で!? 焼き肉志願者ですかい!?」

 

「熱いのは表面だけだ。数センチも掘れば事足りる。俺のパーカー使っていいから掘れ」

 

 言われるがままにパーカーで肌を防護しながら砂を掘る。ザクザクと4、5回掘ると、随分と砂がひんやりしてきた。

 

「ヨシ! これなら問題無し!」

 

 少しくぼんだ砂地に伏せる。

 

「ほらシャカールも」

 

「……そこだけで良いのか?」

 

 私の方は準備万端だというのに、シャカールは意味の分からない問いを投げかけてくる。

 

「何の話? とにかく早く始める!」

 

「……了解」

 

 私が催促すると、ようやく構えの体勢に入った。お互い地面に寝そべり、腕立て伏せのような体勢に。

 

「合図はトレーナーがお願い!」

 

「うん。それは分かったけど、フラッグの方も……」

 

 そこで、不自然に言葉が途切れた。隣のシャカールが少しだけ体を起こして、口元に一本指のジェスチャーをトレーナーに送っている。トレーナーの方を見ると口元を手で隠していた。口元を隠す一瞬、笑いをこらえるような表情をしていたのが気になったが、今は目先の勝負に集中集中。

 

「それじゃあ、よーい……ドン!」

 

 合図と同時に腕で地面を押し、上体を起こす。次いで膝を上体の方に折り曲げ、サンダルの裏で大地を踏みしめる。座りこんだ体勢から体をコマのように回転させ、旗の方に向き合う。そこからは速かった。地面を蹴り、体を加速させ、一歩、二歩。もう旗が目の前に。勢いそのままに旗をダイビングキャッチ。

 

 勝った……!

 

 旗を握る確かな感触に、勝ちを確信する。

 

「アッッツァ!!」

 

 直後、足を焼かれた。また焼かれた。再度焼かれた。

 

「旗の周辺も砂を掘らねェからそうなンだよ」

 

 飛び跳ねながら悶える私を尻目にシャカールは悠々と歩き、私が手放した旗を拾い上げる。

 

「俺の勝ち」

 

 無慈悲な勝利宣言が降ってきた。

 

 

 

 

 

 

「うぅ……ひどいや……。みんなして私をバカにして……」

 

 シャカールはもちろん口止めされたトレーナーも、おそらくファインも私の見落としには気づいていたはず。にもかかわらず、誰もそれを口にしなかった。私は道化にされたのだ。

 

「ご、ごめん。グリードがいいリアクションするからもう一回見てみたくってさ……」

 

「ごめんね。ちょっと魔が差しちゃって……」

 

「お前が不注意なのが悪いんだろ」

 

 パラソルの下、体育座りでしょげていると、トレーナーとファインが申し訳なさそうな表情を浮かべるが、シャカだけはブレずに私のアホさ加減を責めてくる。

 

「シャカールはさ! 口止めしてまで私の脚を焼きたかったの!?」

 

「勝つためにそうしただけだ」

 

 私の文句もどこ吹く風、シャカは大きなバッグを漁っている。

 

「この論理屋! 頭でっかち! お前のパソコンステッカーだらけ! 勝負服の露出が……」

 

「スイカ割り、どっちやる?」

 

「割る方で!!」

 

 私は迷わず目隠しと棒を受け取った。

 

 

 

 ちなみにスイカは爆発四散した。私の叩く力が強すぎたせいです、はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

 日よけのパラソルが役に立たないぐらい太陽が傾いた頃。海から上がった私は陸地で休んでいるトレーナーの横に座る。

 

「あれ、ファインもギブアップ?」

 

「うん。流石に疲れちゃったな」

 

 沖の方を見ると、グリードとシャカールが泳いでいるのが見える。

 

「ビーチフラッグからスイカ割り、シュノーケリングにスキムボード、加えて遠泳まで。よくやるなぁ……。若いのにはついていけないよ、まったく」

 

「グリード、遊びとなると無尽蔵のスタミナを発揮するからね」

 

 そうこう話している間にグリードとシャカールが沖から戻って来る。

 

「シャカ、泳ぐの速すぎない!? 10本やって1本も勝てなかったんだけど!?」

 

「そういうお前は……もうちょっと疲れた素振りを見せやがれ……」

 

 珍しく疲労困憊のシャカール。さしもの彼女もグリードに付き合いきれなかった様子。

 

「もうバテたの? 体力無いなぁ。これから潮干狩りでもしようと思ってたんだけど……トレーナーかファイン、一緒にやらない?」

 

 朝から遊び通しなのにまだ遊ぶ気力があるのか。驚きを通り越して畏怖の念を覚える。

 

「私は十分遊んだから止めておこうかな」

 

「私も……というかグリードも止めときなよ、日も沈みかけだし。それに貝を取ってどうするつもり?」

 

「宿泊所で料理してもらえたりしない?」

 

「しない」

 

「ちぇー……」

 

 口を尖らせ、しぶしぶといった様子で熊手を片付けるグリード。トレーナーに止められなければ、一人でも実行していたに違いない。

 

「そのスタミナをレースでも発揮できれば言う事無しなんだけどなぁ……」

 

「遊びとレースのスタミナは別タンクよ。……トレーナー、その二つを連結してくんない? そうすれば私、ステイヤーとして生まれ変われそうなんだけど」

 

「う、う~ん……流石に難しいかな」

 

 グリードの無茶振りにトレーナーが困り顔で受け流す。よく見る一連の流れも、トレーナーの方が疲弊しているせいか、少しぎこちない。

 

「まぁ、海ではしゃぐのはこれぐらいで良いかな。じゃ、夕飯食べたら皆で肝試し行こっか」

 

「あ“ァ”!?」

 

 肝試し。グリードがそう口にした瞬間、シャカールが突然大声を出した。

 

「お前に付き合ってクソ疲れてンのに肝試しなンか行けるかよ!」

 

「疲れてるって言っても歩くだけだよ? ここら辺は有名な心霊スポットがあるから、巡回ルートも確立されてるらしいし」

 

「巡回ルートが確立されてるのは心霊スポットって言えンのか……? そもそも何を目的として肝試しなんか行くんだよ!? あ“ァ”!?」

 

「そりゃ、みんなで歩き回りながら肝試しを話のタネに盛り上がるのが目的でしょ。ウィンドウショッピングと同じ」

 

「だったら明日の朝イチにでも都市部に帰ってやってろやァ“……!」

 

 きつい言葉でグリードに反論するシャカール。その光景は見慣れたものであるのだが、シャカールの言葉にはいつもと違うニュアンスが含まれているような気がする。

 

「あれ? もしかしてビビってる?」

 

 シャカールが一瞬、言葉に詰まった。

 

「誰が何にビビッてるってェ……!」

 

 グリードを睨むシャカールだが、少しだけ頬が引きつっているように見える。

 

「ならいいじゃん。私も暗いのとか怪談話が苦手な奴に強制したりはしないけどさ~。そうじゃないなら一緒に行くよね?」

 

 グリードの言い回しは“肝試しに来ない奴はビビりだ”と暗に意味している風に聞こえる。事実、彼女の話し方からはそのような意図を感じた。

 それを受けてシャカールは必死で肝試しを回避するための言い訳を考えている様子。

 

「……よ、夜に出歩くのは危険だろ……! 別に俺やお前やトレーナーは良いかもしれねェが、ファインに関してはSPがどう言うか……」

 

「それについては心配ございません。海水浴の時と同じ警備体制でかかれば十分に安全は確保できます。灯りの方もここに」

 

「うわ、めっちゃ明るい。軍用の奴とかじゃないこれ?」

 

 撤退を試みたシャカールだが、退路はSPの隊長によって塞がれた。

 

「……分かったよ!! 参加すりゃいいンだろ!!」

 

 果たしてシャカールは観念せざるを得なかった。

 




エアシャカール実装!
やっとこさの公式供給、たまりませんわ。

私服がターボ師匠の勝負服みたいで笑っちゃいました。
「Parcae」が導き出した、正しくロジカルな私服。良いと思います。

4話までのキャラストーリー、声優さんの演技も相まって神。
俺もシャカールのケツ追っかけて職質されてぇ……。





……まぁ引けなかったんですけどね。

提供割合見たら、ピックアップなのに0.75%で乾いた笑いが漏れました。
いつのまにそんなに星3キャラ増えてたんや……

ジュエルを天井分まで溜めていなかった私が全面的に悪かった……。




アプリにシャカールが追加され、いよいよ存在意義が危ぶまれるこの作品ですが、完結まで書いているので最後まで投稿しようと思います。
解釈違いは勘弁してください……。まさか投稿中に実装されるとは思ってもみませんでした……。



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15話 普段データキャラ気取ってるのに、肝試しに日和ってる奴いる? いねぇよなぁ!!?

 

(ファインモーション)

 

 時刻は午後8時半。日が長い夏にも関わらず、辺りはすっかり影の支配領域。

 

「これだけ暗いと雰囲気出るなぁ」

 

 懐中電灯の灯りを揺らしながら、いつもよりローテンションなグリードが言う。

 

「なんだよ、ビビってんのか? いつものバカ高いテンションはどこにいった? あァ“?」

 

 そう言うシャカールの声も、いつもよりローテンションである。言葉のブーメランが突き刺さったままの彼女を見ると、姿勢こそ普段通りだが、ウマ耳が周囲を探る様に動いている。顔色も若干青い。

 

「流石に肝試しではしゃぐのはご法度(はっと)でしょ。ちゃんと雰囲気楽しまないとね」

 

 グリードが林の方に懐中電灯を向けると、光に驚いた鳥が葉の音を鳴らしながら飛び立つ。

 

 バサバサッ

 

「キャッ!」「クキッ……!」

 

 驚いたトレーナーが可愛い悲鳴を上げた。

 

「ベタな展開だけど驚く人は驚くんだね。トレーナー、こういうの苦手?」

 

「いや、怖いのが苦手というよりビックリ系がダメなんだよね……。もちろん雰囲気がビックリ度合いを高めてるのは否定しないんだけど」

 

「まぁ、何がいるか分からない夜の暗さは不気味だからね。敏感になるのもしょうがないって」

 

 二人が話している間に私はシャカールの方を見る。トレーナーの悲鳴に紛れていたため近くにいた私にしか聞こえなかったようだが、彼女も奇妙な声を上げていたはず。

 

「鳥……そう、鳥だ。道が整備された人工林なんかで幽霊が出るわけねェだろ……! へ、へへへ……!」

 

 目の焦点が合っていないシャカールが自分を納得させるように呟いていた。普段とのギャップについ、口元が緩んでしまう。

 

「それで、これからどんな心霊スポットに向かうの?」

 

「廃棄されたトンネル。昔、工事中に落盤事故があって人死にが出たんだって。詳しい話、聞きたい?」

 

 私は隣のシャカールを見る。さっきまで周囲を窺うようにせわしなく動いていた耳が、今は何も聞きたくないと言わんばかりに伏せていた。

 

「気になるな」

 

 この発言は、もちろん悪戯心から出たものである。

 

「昔々、ある所に天涯孤独のサラリーマンがおったそうな……」

 

 語り始めたグリードはなぜか昔話風の口調だ。

 

「彼は気まぐれで受けた健康診断で不治の病を宣告されたんだと。寿命はもって3年、“このままでは誰からも看取ってもらえず、一人で死んじまう……” そう悲観した彼はある計画を立てたそうな。

 彼は建設会社で働いておって、今度開通するトンネルの責任者を任されとった。そこで故意に崩落事故を起こして他の人と無理心中しようとしたんだってよぉ。

 ほんで運命の計画当日。労働者達がトンネルに詰めかけ朝の挨拶をするわけ。“ご安全に“、1日の無事を願うはずの言葉の後さ、支柱の一本が突然崩れ、辺りは一瞬で崩落。首謀者含む、十数名が生き埋めになったんだと。

 今でも巻き込まれた人の助けを呼ぶ声や、首謀者の無理心中を誘う声が聞こえるとか聞こえないとか……」

 

 グリードが話を終えると、トレーナーやグリード自身が感想を述べ始める。

 

「無理心中のために崩落事故を起こすっていうのは……何と言うか派手だね」

 

「そもそも死ぬなら一人で死ねよって感じかなぁ、私は。それに現場の責任者がわざと崩落事故起こすって言うのもねぇ……責任感無いよね。もう一人の方を見習ってほしいもんだよ」

 

「もう一人?」

 

「現場にはもう一人責任者が居たの。崩落の原因を自分の安全確認不足と勘違いした彼は責任を感じて負傷者の救助に向かったんだって」

 

「へぇー、責任感の強い人だったんだ」

 

「まぁ、二度目の崩落に巻き込まれて彼も死んじゃったらしいんだけど」

 

「えぇ……、その人の評価が責任感の強い人から、二次災害に巻き込まれたおっちょこちょいに格下げされたんだけど……」

 

「隊長さんはこの話どう思う?」

 

「なぜ自分に……? いきなり感想を求められましても……」

 

「いや、SPの隊長さんなら幽霊に会ったりした事あるのかなぁって。ほら、偉い人って恨みを買いやすそうだし、幽霊から対象を護衛した経験とかない?」

 

「いえ、ございません。……そういえば、本日の護衛ローテーションから外れていますが、同僚に一人だけ“怨霊と戦った“と話していた者がいました」

 

「え、マジで?」

 

「酒の席だったので、恐らくは与太話でしょうが」

 

 三人が話している間、私はシャカールの方を見る。彼女は体を丸め、腕を組んでいた。体を丸めるのも、腕を組むのも防衛本能の表れだと聞いたことがある。

 カーブを描く彼女の背中に指で触れてみる。

 

「―――――!」

 

 一瞬で背中を逸らしたシャカールは、勢いそのままに隊列の前に出ていく。

 

「あれ? なんで前に来たの、シャカ?」

 

「お、お前らが邪魔で前の景色が見えねェんだよ……! 現代には緑が少なェからな、こういう所で補給しとかねェと体に悪いんだよ……!」

 

「なんか急に訳分かんない事言い始めた……」

 

 そんなシャカールの様子を見ていると、自然と口角が上がってしまう。誰に見られているわけでもないが口元を隠した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分程歩くと、廃トンネルにたどり着いた。外は月明りで少しだけ明るいが、トンネルの中は明かりが一切灯っていない。トンネルの入り口を境に別の空間が広がっているかのような、異質な闇が存在していた。

 

「じゃ、入ろっか」

 

「ほ、ホントにここに入るの……? これは流石に尻込みしそう……」

 

 トレーナーがそう言うのもしょうがない。圧倒的な闇に進んで入ろうとする者は少ないだろう。

 

「地面を照らせばそんなに怖くないでしょ?」

 

 グリードが光を下に向ける。無限の暗闇が広がっていると思われたトンネルだが、私たちが立っている部分と地続きになっているのが分かると、幾分か恐怖心が薄れた。

 

「ぅぉ……っ! じ、自分の髪かよ……、そうだ、何もいねェ……俺たち以外には何もいねェ……いるわけがねェ……」

 

 自分の前髪に奇声を上げかけていたシャカールはその限りではないようだが。

 

「それじゃあ出発。ご安全に」

 

 前方に手を伸ばし、歩き出すグリードに続く。動き出しそうにないシャカールには“置いて行かれるよ、そしたら一人だね”と声を掛けておいた。すると、彼女は私の横に密着してくる。

 私よりシャカールの方が背が高いのだけど、今は体を丸めているせいで、私の方が目線が高い。今の彼女は小動物のように思えた。可愛い。

 

シャカールの珍しい一面が十分に見られてホクホク顔をしていると、急に変な感覚が。何か膜を通り抜けたような違和感。皮膚にべっとりと闇が張り付く嫌な感じ。

 

「ぅぇぃ……!」

 

 シャカールが蚊の鳴くような悲鳴を上げる。

 

「シャカールも感じた? 今の変な感覚」

 

「いやべつに全然一切そんなわけはねェ」

 

 対外的には強がりの姿勢を崩さないシャカールを微笑ましく思いながら、前へと視線を戻す。そこには誰もいなかった。

 

「……あれ? グリード達は?」

 

 少し足を止めてしまったので、先に行ってしまったのだろうか。いや、それにしても懐中電灯の光が見えないのはおかしい。

 

「光……?」

 

 そこで気づいた。一切明かりの無い廃トンネル、にもかかわらず辺りがぼんやりと明るい。私とシャカールの周囲だけを把握できる明るさ。しかし、少し距離の離れた場所には重たい闇が充満していた。

 それに音が聞こえない。グリードやトレーナーの足音が。

 

「お、おい、グリード……? トレーナー……?」

 

 シャカールがか細い声で呟く。しかし返事はない。こちら側の音が闇に吸収され、外には漏れないかの様だった。

 

「隊長?」

 

 今度は私。殿(しんがり)を務めていたSPの隊長に声を掛けるが、やはり返事がない。

 

「皆どうしちゃったんだろう……?」

 

「あ、あ、あれだろ? ど、どうせ俺らをビビらそうと仕組んでんだろ? あ、明かりを消してどっかにうずくまってるな? 音もしねェし、そうに違いねェ……!」

 

 言葉だけを聞くと冷静な分析を行えているシャカールだが、その目は正気を失っているように見えた。現にかろうじて足元が見える明るさにも関わらず、彼女は駆け出す。

 

「うぉぁっ!!」

 

 やはりと言うべきか、彼女は転んだ。

 

「だいじょう……」「……けて」

 

 “大丈夫?” と声を掛けようとしたが、他の誰かの声が聞こえた。非常に小さいが、妙に通る声だった。

 シャカールの声かと思って、彼女の顔を見る。しかし、彼女は口を(つぐ)んだまま自分の足首へと視線を向けている。彼女の目線を追うと――そこには半透明の手首が。

 

「……は?」

 

 地面から生えた腕がシャカールの足首を掴んでいた。

 

 一拍おいて、シャカールは大暴れし始める。掴まれている足を振り回し、地べたをはいずるようにして、何とか半透明の手から逃れようと必死だ。真に恐怖した時は言葉も出ないらしい。

 超自然的現象の腕も、ウマ娘の膂力には勝てなかったらしく、シャカールの足首を離す。その瞬間、腕は完全に色を失い、見えなくなった。

 

「今、のは……? くそ……ッ、わけわかンねェ……」

 

 肩で息をするシャカール。彼女が立ち上がり、服についた汚れを払い落としていると、肩に半透明の手が乗った。

 

「……ふぁ、ファイン? 別にこれぐらい、手伝う、必要……?」

 

 離れた所にいる私が手伝えるはずもない。私は首を横に振る。

 

「……す……けて……」

 

呻くような声が聞こえた瞬間、シャカールは弾かれた様に上半身を振った。手を振り切った彼女は、倒れ込むようにしてトンネルの壁に背中を預ける。正体不明の腕に対し、死角を減らそうという試みか。

 

「たす……けて……」

 

 しかし、シャカールの抵抗をあざ笑うかのように、トンネルの壁から腕が生えてきた。

 一つ、シャカールの口を塞ぐ。二つ、彼女の腕を掴む。三つ、彼女の脚を掴む。四つ、五つと彼女の体にしがみつく。

 無数の手がシャカールに絡みつき、彼女は物理的に動けない状況に(おちい)った。

 

「シャカール!」

 

 私は急いで駆け寄る。シャカールは口を掴まれながらも首を振る。“近寄るな”と目線で訴えかけられたが、まさか見捨てる事など出来るはずもない。

 

 シャカールの口を抑えている手を剝がそうと、半透明のそれを掴んだ。透過してもおかしくない薄さだったので、(さわ)れた事に少しだけ驚く。その一瞬の隙に、半透明の手は私の手を掴んできた。その力はかなり強い。

 

「バカがッ! 速く逃げろッ!」

 

 叫ぶシャカールを他所(よそ)に、私は半透明の手に集中していた。掴まれて初めて分かる、この手は私達を害そうとしているわけでは無い。何かに(すが)るような手つきに感じられる。“溺れる者は藁をも掴む”という日本のことわざが、なぜか頭に浮かんできた。

 

「たす……けて……」

 

「……」

 

 私は半透明の手を両手で包む。そうしていると半透明の手から力が抜けていき、霧散していった。

 それを皮切りにシャカールを掴んでいた腕が一斉にこちらへと伸びてくる。所かまわず体を掴まれ、少しだけ体勢を崩してしまった。

 

「ファイン!」

 

「大丈夫」

 

 私に纏わりつく手を払おうとしたシャカールを制止する。私に縋って来る半透明の手、その一つに手を重ねる。

 

「君達も大丈夫だからね」

 

 再び半透明の手が霧散する。その後も一つずつ丁重に(とむら)っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の手が成仏した後、糸が切れたようにシャカールが地べたに座り込んだ。

 

「なんなんだここは……悪い冗談だぜクソッ……」

 

「本当にいるんだね、幽霊って」

 

 “幽霊”と私が口にした瞬間、シャカールは身震いした。

 

「い、いるわけねェだろ、幽霊なんか……。非科学的だ」

 

「さっきから非科学の連続だったけど……」

 

 半透明の手が地面を透過したり、壁を透過したり、霧のように消えたりと、どれも科学では説明できない現象だった。

 

「と、とにかくだ! こんな薄気味悪い所にいられるか、さっさと外に出るぞ」

 

「それには賛成だけど、先にみんなと合流しないと」

 

 二人で辺りを見回すが、暗すぎるせいでどっちの方向から来たのか、どこにみんながいるのかがさっぱり分からない。

 

「「……」」

 

 さっきまでは異常事態の真っただ中で気にする余裕が無かったが、冷静になると明かりの無い空間の不気味さが心を侵食してくる。

 

「け、携帯で連絡取りゃあ……」

 

「やっと見つけた!」

 

「うおぉぉぉぉっ!!」

 

 突然の声にシャカールが大声を上げ、携帯を取りこぼした。それだけに留まらず地面を転がるようにして声の方向から距離を取る。

 地面に落ちたスマホの光が、シャカールを驚かした正体をぼんやりと照らす。

 

「あ、グリード」

 

「二人ともどこ行ってたの? 急に姿が見えなくなってもー、探した探した。ほら、付いて来て」

 

 グリードの軽い態度が今はありがたい。不気味なトンネルの中だが、幾分か気が紛れる。

 

「…………」

 

 安堵する私とは対称的に、シャカールは(いぶか)しむような表情を浮かべていた。

 

「シャカール、どうかした?」

 

「……いや、何でもねェ。今はあいつに付いていく。ただし手ェ繋ぐぞ」

 

 シャカールは私の手を握り、歩き出す。私も引っ張られるように足を進めた。

 

 

 

 トンネルを歩く道中、誰も言葉を発しない。変な緊張を感じながらもグリードの背中を追っていた。

 ふと気づく。どうしてグリードは満足な光源が無い中、迷いなく歩みを進められるのだろうか。トンネルに入る時は懐中電灯を持っていたはずなのに、今は持っていないのだろうか。

 

「ねぇ、グリー……」

 

「昼間食ったスイカは美味かったよなァ、グリード?」

 

 私がグリードに疑問をぶつける前にシャカールが口を開いた。

 

「え、スイカ? 急に何? どしたん?」

 

 足を止め、怪訝そうな顔で振り向くグリード。が、それも当然の反応だ。私もシャカールの問いかけの真意を理解できず、首を傾げる。

 

「スイカ割りの時のだよ、美味かったか?」

 

「まぁ、そりゃ美味しかったけど……」

 

 その返事を聞いた瞬間、シャカールの意図に気づいた。

 

「今する話? それ? 今はトンネルを抜けるのが先でしょ」

 

 グリードは呆れた顔を見せた後、再び先導を始める。しかし、私達が彼女について行く事は無い。

 

「……どうしたの二人とも? 忘れ物?」

 

「お前、誰だ?」

 

 振り返ったグリードに、シャカールが厳しい目を向ける。

 

「誰って、グリードだけど」

 

「フルネームだ、言ってみろ」

 

「…………」

 

 答えない。それが答えだった。

 

 

 

「シャカール、どうして気づいたの? あの子がグリードじゃ無いって」

 

「不審な点は色々あったが……1番は俺がアイツの声にビビッて明らかな醜態をさらした時。本物のグリードだったら他の何を差し置いても俺を揶揄(からか)うに違いねェからな」

 

「それは……確かに」

 

 そんな所から偽物疑惑が掛けられた目の前の人が、少しだけ不憫(ふびん)に思えた。

 

「そンでカマかけたって訳だ。グリードがブッ叩いたせいでスイカは爆発四散したからな」

 

 誰も食べていないはずのスイカを美味しいと言ったため偽物だ、という論理。

 

 “初めからフルネームを聞いていれば、カマを掛ける必要はなかったんじゃないかな?“ その疑問は心の奥底に封じ込めておいた。多分シャカールがカマをかけてみたかったのだろうし、今はそれを聞くような場面では無い。

 

「とはいえ、ここからどうするか。た、多分あいつもあれか……? あ、あの半透明の手と同じ手合いか……?」

 

 さっきまでは探偵の様な推理を披露し、頼もしく見えたシャカールだが、相手が幽霊の類かと疑った瞬間に冷や汗をかき始めた。繋いだ手も若干震えている。

 

「…………」

 

 “グリードの姿をした誰か”は沈黙を貫いていた。いつもは表情豊かなグリードの顔が、今は無表情に脱色されている。それが何よりおどろおどろしい。

 

「このまま下がるのはどうかな? あの人、私達を向こうに連れて行こうとしてたから、その逆に行けば逃げ……」

 

 ピシッ!

 

「ぅお……っ!」

 

 突然のラップ音。私もシャカールもつい振り向いてしまった。急いで視線を前に戻すが後の祭り。“グリードの姿をした誰か”は目の前まで迫ってきていた。

 

 ペチ

 

 今度は間の抜けた音が響く。シャカールの眼前で猫だましが繰り出された音。彼女は怯み、目を閉じてしまう。“グリードの姿をした誰か”はそのままシャカールにぶつかり、姿を消した。

 まるで、幽霊がシャカールに乗り移ってしまったかのような光景だった。

 

「……シャカール?」

 

 不安を隠し切れない声で呼びかけるが、返事はない。シャカールはゆっくりと歩き出した。幽霊が私達を連れて行こうとした方向に。

 

「だめっ……!」

 

 咄嗟にシャカールの腕を掴む。しかし、単純な膂力はシャカールの体の方が上。次第に体が引っ張られる。

 

「つれてく……ひとりは、さびしい……」

 

 シャカールの体から男性の声が聞こえた。恐らくは幽霊の声だろうか。話せるなら交渉の余地がある。

 

「連れて行かないで欲しいな。大事な友達なの」

 

 返事はない。徐々に体が引っ張られる。

 

「……お願い、シャカールを返して」

 

 返事はない。しかし力が拮抗する。私とシャカールの体、双方が動きを止めた。

 

「つれてく……ひとりは、さびしい……」

 

 先ほどと変わらない文言。だが、言葉には続きがあった。

 

「けど、つれてくのは……ひとりでいい……。だから……えらんで……」

 

 その意味はすぐに理解できた。

 

 

 

「わかった……。いっしょに……きてほしい……」

 

 シャカールの手が私を掴む。返事は口にしていない。しかし、無意識化では決めていたらしい。そのまま何かが体に入って来る感覚と共に気が遠くなっていく。

 王族としての使命を果たせない、レースに出られなくなる、しばらく顔を合わせていない家族。大切な事が頭をよぎるが、それも次第に薄れて―――。

 

 

 

 パチン

 

 良く響く指鳴りの直後、意識が明瞭に。力を失い、重力に従うシャカールの体を咄嗟に受け止めた。

 

「一体何が……」

 

「生存良し」

 

 また別の声が聞こえてきた。声のした方に急いで視線を送る。そこには作業服を着た人が立っていた。ただし、首から上が存在していない。

 首なしの幽霊はシャカールを指差している。

 

「生存良し」

 

 今度は私の方を指差した。

 

「退路良し」

 

 次にトンネルの向こう側を指差した。退路、あちらに行けば帰れると言う事だろうか。

 

「君が助けてくれたの?」

 

「照明良し」

 

 私の問いかけに対しては何も答えてくれない。代わりにトンネルの照明がぼんやりと灯る。

 

「……助けていただき、感謝致します。貴方のおかげで無事に済みました」

 

 厳粛にお辞儀をするが、やはり返事はない。気絶したシャカールを背負い、首なしの幽霊が指した方向に歩いていく。

 

「ご安全に」

 

 背中からはそれだけが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 自分の足音だけが響くこと数十秒。一人の時間に押しつぶされそうになる。首なしの幽霊と一緒にいた時の方が安心できるとは、何とも奇妙な事だ。

 シャカールを背負い直し、また一歩進む。すると何かを通り抜けるような感覚がした。それをキッカケにトンネルの照明が落ちる。突然の暗闇に足を止めていると、視界に一条の光が。

 

「あー! やっと追いついた!」

 

 遅れて、底抜けに明るい声が聞こえてきた。

 

「二人とも速すぎ……、というかこのトンネル意外と長いな……」

 

 私の目にはグリードが膝に手をつき、一息入れている光景が映っている。

 

「……ねぇ、グリード」

 

「何?」

 

「自分のフルネーム、言ってみてくれる?」

 

「スーパーグリードだけど……え、何? 何の本人確認?」

 

「う、ううん、何でもないの。気にしないで」

 

 内心胸をなでおろす。グリードは首を傾げていた。

 

「それよりさ、ファインもシャカもいきなり走りだしてどうしたの? まぁ、追いつけたから良いけど。……というか、この暗闇の中で良く走れたね?」

 

 私達があの非日常を体験していた間、グリード達の方では私達がいきなり走り出した事になっているらしい。

 

「殿下! ご無事ですか!?」

 

 そこに隊長も駆けつけてくる。

 

「えっと……それは……」

 

「そりゃ、“あんなの”が追ってきたら誰だって逃げンだろ」

 

 どう説明したものかと思い悩んでいると、シャカールの声が。彼女はいつの間にか私の背中から降りていた。懐中電灯の光で目覚めたのだろうか。暗いせいで、シャカールが気絶していた事はグリード達には気づかれていない様子だ。

 

「“あんなの”って?」

 

「半透明の化けモンだよ。今思えば、あれは幽霊だったかもな」

 

「幽霊~?」

 

 怪しい、といった表情を浮かべるグリード。

 

「私は見てないけど? それに追ってきたって……隊長さんが一番後ろにいたでしょ? 見た?」

 

「いえ、私は見ていませんが……」

 

「私も見てない、隊長さんも見てない、多分トレーナーも見てない。と、いう事は……?」

 

 グリードは顎に手を当て、ニヤニヤと口角を歪めた。

 

「シャカがビビりすぎて幻覚でも見ちゃったとか?」

 

「俺だけならそうかもな。だが、ファインも見たぞ。……なァ?」

 

「うん」

 

 この場はシャカールに合わせる。すると、グリードは頭に疑問符を浮かべ始めた。

 

「うーん……。シャカだけならともかく、ファインまでも……」

 

「殿下。その、疑う様で申し訳ないのですが……本当に見たのですか?」

 

「はい。この目でしかと」

 

 完全な嘘ではない。幽霊自体は本当に見た。私の返事を聞いた隊長は誰かに電話をかけ始める。

 

「……分かった! シャカがビビッて逃げ出したのをかばうため、心優しい殿下が口裏合わせてる、とか!」

 

「アホか。口裏合わせる暇がどこにあったんだよ」

 

「そんな暇は……無かったな、うん。だったら……ファインがテレパシーで全ての事情を察した、とか!」

 

「テレパシーの存在を前提にすンなら、幽霊の存在の方を前提にしろよ」

 

「ダメダメダメ! すぐ引き上げて!」

 

 グリードとシャカがいつものやり取りを繰り広げていると、突然大きな声が鳴り響く。発生源は隊長の携帯からだ。どうやらスピーカーモードになっている様子。

 

「どうしたの?」

 

「も、申し訳ありません。幽霊という事で怨霊と戦った経験があるという同僚に電話したのですが……」

 

「あ、殿下! お聞きしていますでしょうか!? 聞かれているのならすぐに引き上げてください! 幽霊は本当にいるんです!」

 

「幽霊の危険性は?」

 

 電話口のSPはかなり慌てている様子。隊長が冷静に問いかけると、幾分か声のトーンを落ち着ける。

 

「……あいつら、生物には基本干渉できないので、そこまで危険ではありません。しかし、驚いたり、恐怖の感情を抱いた生物に対しては干渉してきます。そうなると金縛りにしたり、体を乗っ取ったりと、向こうの思うがままです。ですので、何かある前にその場を離れた方が賢明かと」

 

 分かりやすく簡潔に幽霊の危険性を伝えてくれた。その内容は私の体験と照らし合わせても大きなズレが無かったので、あれらは本当に幽霊だったのだなと再認識する。

 

「殿下、お手を失礼します。私について来て下さい」

 

 隊長は私の手を握り、先導してくれる。

 

「え~マジでいるんだ、幽霊って」

 

「言ってる場合か。さっさと出るぞ」

 

 遅れてシャカールとグリードも私たちの後に続く。

 

「は、速すぎ……とても……追いつけない……。 あれ……? みんなどうして、ぇぇぇぇぇ……!」

 

 道中、息を切らしていたトレーナーを回収し、私達は一目散にトンネルを抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は夜の11時。無事、宿泊所に戻ってこられた私達は各々の部屋で眠りにつこうとしていた。

 

「……シャカール、起きてる?」

 

 シャカール、グリード、私の学生三人は同じ大部屋。そのうちの一人に呼び掛ける。

 

「……一応な」

 

 ぶっきらぼうな返事に少し気分が高揚した。夜に同年代の友達と秘密の話をする。それも普段と違う環境であれば尚更。

 

「何だか眠れなくって」

 

「そうだろうよ。グースカ寝てるこいつの方が異常だ」

 

「ウリが……ウリ科の野菜が襲ってくる……! 昼間割ったスイカの事は謝るからぁ……!」

 

 愉快な寝言を呟くグリードに、二人で笑った。

 

「まぁ、こいつは実際に体験したわけじゃないか」

 

「うん。今になって思い返すと本当に非現実的な体験だったね」

 

「これ以上深堀りは止めろ。思い出したくもねェ……」

 

 声だけでも“うんざり”という感情が良く伝わってきた。

 

「そうだね。これ以上話しちゃうとシャカールが一人でトイレに行けなくなっちゃうもんね」

 

「っ……! ……付き合わねェぞ。今日は色々あって疲れた。トンネルでは事実のすり合わせが面倒だったから適当に誤魔化したンだ。ここでも面倒はゴメンだね」

 

 ごそごそと擦れる音が聞こえる。恐らくシャカールが私に背中を向けた音。

 

「お休み、シャカール」

 

「……あァ、お休み」

 

 それでも“お休み”の一言を返してくれるのは、優しいなと思った。

 



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16話 カラオケ大会の景品は「全国ラーメン味比べ」だった

 

(スーパーグリード)

 

 シャカの水着が派手だったり。スイカが爆裂四散したり、幽霊が出たりと忙しかった夏合宿初日。しかし、初日が過ぎれば合宿らしく練習漬けの日々が始まった。練習する環境が変わっため、始めこそ新鮮な気持ちで練習出来ていたが……まぁ、3日もすれば慣れるよね。練習内容が地味な基礎練習と言うのも相まって、今の私は合宿に来ているとは思えない程テンションが下がっていた。

 

「やっと練習終わった~~……」

 

 合宿所の部屋に戻るなり、布団にダイブする。

 

「疲れた……疲れた疲れたぁ~……。今日はもう立ちたくない……」

 

 寝そべりながらスマホを起動する。

 

「来る日も来る日もおんなじ練習……。ファインみたくレースに出~た~い~!」

 

 夏合宿の途中にファインの復帰戦があった。元々、怪我が心配されていただけで実力十分の彼女は、悠々と一着を(さら)った。

 

「出たいなら出ればいいだろうが」

 

 手足をジタバタさせる私の上からシャカの声が降ってくる。

 

「いや、レースには出たいけどさぁ……今のまま出ても勝てないし。勝てないとレースは楽しくないし。けど、基礎練習は死ぬ程楽しくないし。とはいえ、練習しないと勝てないし……あれ? 詰んでない?」

 

「まったく詰んでねぇだろうが。勝てるまで練習すりゃあ突破口が(ひら)けるだろうが」

 

「それじゃあ、勝てるまでつまらないじゃん!!」

 

「“つまる”“つまらない”で練習するもんじゃねぇだろ……」

 

「私の楽しみはこの時間だけだよ……」

 

 スマホの表計算アプリを立ち上げ、そこに今日行った練習を書き込んでいく。すると、アプリが自動で計算を行い、今まで行った練習量の合計を算出してくれる。

 

「あ~、数字が増えてく増えてく……」

 

 こうして自分がどれだけ頑張ったかを視覚的に確認する事が、今の私の楽しみだ。こうする事で、明日も頑張ろうという気になれる。

 

「あ、スクワットの項目が四桁の大台に乗ったぁ……。ふっひひひひ……」

 

 布団に頬をこすり付けながら、悦楽に浸る。この時間がたまんねぇんだわ。

 

「またやってるね、グリード」

 

「絵面は最低だがやってる事は結構合理的なンだよな……」

 

「意味も無く分散だしちゃお~……。走行距離の分散は小さいけど、筋トレの項目は大きいや。そりゃそうだよね~、筋トレは2,3日おきにしかやってないし~……」

 

 トランス状態の私はどんな事でも面白く感じられる。気ままに表計算ソフトをいじくり回して遊んでいると、部屋にトレーナーが入って来た。

 

「良かった、全員いるね」

 

「……あー、何か用か? トレーナー」

 

 こういう時、いつもなら私が真っ先に応対するのだが、疲れ切った私は寝そべったまま。代わりにシャカが受け答えをしてくれた。

 

「さっき耳に挟んだんだけどね。この近くで夏祭りが開催されているみたいなんだけど、よかったらみんなで行こうかな、と思って。練習の後だし、疲れてたら部屋で休んでいても良いけど」

 

「お祭り! 私は行ってみたいな!」

 

 真っ先に参加表明をしたのはファイン。

 

「シャカールも一緒に行こうよ! ね?」

 

「しょうがねェなァ」

 

 シャカールはファインに誘われて参加を決定する。

 

「グリードはどうする? 随分疲れてる様子だから、嫌なら休んでても……」

 

「やはり夏祭りか……いつ出発する? 私も同行しよう」

 

 対して私は、すでに寝間着から浴衣に着替えていた。

 

「行く気満々だね」

 

「どこから持ってきたんだ、その浴衣」

 

「部屋のクローゼットに置いてあったよ。旅館みたいだよね、この合宿所」

 

 合宿初日に部屋の中を色々と調べておいたのが、ここに来て役に立った。

 

「というか、“今日はもう立ちたくない”って言ってなかったか?」

 

「遊びと練習のスタミナは別よ、別。 ほら! みんなも着替えてさっさと行く!」

 

 この私が祭りと聞いて床に伏せているわけにはいかない。みんなの尻を叩くようにして会場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

 祭りの会場に来た俺ら一行。とはいえ、グリードが雄たけびを上げながら単独行動を始めた上に、それをトレーナーが追いかけたため、今は俺とファインの二人きりだ。

 

「わぁー……! すごい灯りの数!」

 

 祭り会場にたくさん並べられた提灯が殿下様の琴線に触れたご様子。

 

「それに屋台もたくさん! ファン感謝祭の時よりも多いよ! ラーメンの屋台は無いのかな!?」

 

「流石にねェよ」

 

「それは残念……」

 

 少しだけ残念な顔をするファインだが、すぐに気を取り直す。

 

「この服……浴衣だっけ? 日本の民族衣装なんだよね。柄が繊細でとっても素敵! 左右非対称のデザインも珍しいよね」

 

「確かに。アシンメトリーの美意識が優位の国は少ねェからな」

 

 そこで改めてファインを見た。

 彼女の浴衣は緑の下地に赤いアジサイの花が柄としてあしらわれている。帯は白色。いつものリボンではなく(かんざし)で髪を留めているため、和装としてのまとまりも良い。履物(はきもの)草履(ぞうり)鼻緒(はなお)が柔らかい素材なので指の間を痛める事もないだろう。

 

 ちなみに俺達と比べて、ファインの浴衣だけはかなり豪華だ。部屋に備え付けてあった安物の浴衣では無く、合宿所の受付で上等な奴をわざわざ借りた。

 

「それに体のラインを隠しているのに綺麗に見えるのが良いかな。ドレスは体のラインがはっきり出るからスタイルを良く見せる必要があるんだけど、コルセットで無理やり引き締めるのがキツくてどうもね……」

 

「十分スタイル良かったと思うが?」

 

 合宿初日にファインの水着姿を見たが、太っているとか、貧乳とかいうわけでは無かった。その疑問を聞いてみる。

 

「……サイキン、チョット、フトリギミデ……」

 

 すると、ファインは目線を逸らしながらギクシャクと答えてくれた。

 ……そういえば、直近のレースが終わってからファインの喰う量が増えてたっけか。

 

 ウマ娘は体重の増減が激しい。一度のレースで数キロ体重が減少する場合もあれば、一週間たたずに10キロ増える奴もいる。

 そんな体質で常に良いスタイルを保つのは至難に等しい。トレセン学園に入る前のファインは王族として、季節を問わず社交界に出ずっぱりだっただろう。コルセットの必要性が理解できた。

 

「とはいえ、帯の締め付けがあるだろ? ……ったく、違和感で気持ち悪ィ」

 

 ファインに問いかけながら、自分の帯を直す。

 

「全然緩い方だよ。コルセットは本当にキツくてキツくて……。体がちぎれるかと思った時もあったな……」

 

 遠い目をしながら語るファイン。どうやら俺の想像以上に苦労したご様子。

 

「まぁなンだ……大変だったンだな」

 

 ファインにとっては珍しく、苦々しい微笑を浮かべていたので、俺にしては珍しく同情の姿勢を見せておいた。

 

「あれ? ファインとシャカじゃん? こんな入り口付近で突っ立って何やってんの?」

 

 すると、グリードが突然話しかけてくる。彼女は頭にきつねの面、背中には特大ぬいぐるみ、右手には水風船のヨーヨー、左手にはハンドスピナー、そして手首足首にはサイリウム装着のフルアーマーだった。

 ……グリードの装備に少し違和感を覚えたが、判然とはしない。そのまま返事をする。

 

「逆にお前は何やってンだよ。別れてから20分も経ってねェぞ」

 

「凄い装備だね! それが夏祭りでの正装なの?」

 

「ふっふっふ、その通り! ささ、殿下も同じ装いに……」

 

「このアホ。留学生に間違った知識を植え付けてンじゃねェよ」

 

 平然と嘘を吐くグリードの口に目掛けて、ヨーヨーを弾いた。

 

「っでぇ……! 口だけで注意してくれないかなぁ!? ……ったくもうシャカは本当に……」

 

 グリードがブツブツと文句を言う間に、さっきの違和感の正体に気づいた。こいつの装備は祭りの屋台で買ったものだろうが、物品ばかりで食べ物が無い。焼き鳥、イカ焼き、綿あめ等、食べ歩ける料理がいくらでもあるだろうに。

 

「……詫びにタコ焼きでも奢ってやろうか」

 

「う~ん、タコ焼きかぁ~……」

 

 俺がそう言うと、グリードは渋い顔をする。

 

「なンだ? イカ焼きの方が良かったか?」

 

「あー、いや、そういうわけじゃなくてね……」

 

「やっと……見つけた……!」

 

 グリードが頭に装備したお面の位置を直しながら言い淀んでいると、掠れるようなトレーナーの声が聞こえてくる。

 

「勝手に……行動しないで……お願いだから……!」

 

「あ、ごめんごめんトレーナー。ついテンション上がっちゃってさ」

 

 トレーナーは人ごみに揉まれたのか、服が随分と着崩れていた。それをグリードが最低限直す。

 

『これより、予定されていたカラオケ大会が開催されます。飛び入り参加も可能ですので、奮ってご参加ください』

 

「はいはーい! 参加してきまーす!」

 

「あ、ちょっと! グリード!」

 

 トレーナーはグリードの背中を追って駆け出す。今日は散々振り回される羽目になりそうだ。再びファインと二人きりに。

 

「どうする? 俺らも行くか?」

 

「私は提灯通りをもう少し歩いてみたいかな。それにSPを携えたまま人ごみに向かうのも迷惑になるだろうしね」

 

 ファインが視線を送った先にはSPの隊長が。他にも数人の護衛が遠巻きにこちらの様子を(うかが)っていた。

 

「シャカールが良ければ、もう少し私に付き合ってくださるかしら?」

 

「へいへい……、殿下の仰せのままに」

 

「うむ。共に来る事を許してつかわす!」

 

 俺が大仰にお辞儀を返すと、ファインは満足そうに歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋台やら何やらに目移りするファインを抑えながら、散策すること十数分。食事場として設置されているテーブルに座り、買い込んだ屋台の料理を頬張っていた。

 グリードが参加しに行ったカラオケ大会の方に人が集まっているのか、こっちの方は閑散としている。

 

「シャカール、タコ焼き食べる?」

 

「あぁ」

 

「はい、あーん」

 

 当然の様にたこ焼きを手ずから食べさせようとするファイン。俺はそれを無視し、もう一本ある楊枝(ようじ)でたこ焼きを喰らう。

 ソースとマヨネーズの味を堪能した後、顔を上げるとファインの頬が膨れていた。

 

「ほっぺたタコ焼きにしてどうした? カツオ節かけてやろうか?」

 

「もう! 分かってる癖に!」

 

「あいにく俺は故郷の羊じゃないンでね」

 

 昔、似たようなシチュエーションで“故郷の羊に牧草を食べさせてあげたのを思い出すね”とファインに言われたのを俺は忘れてない。

 

「むー……一年以上前の事なのに」

 

 ファインは拗ねたようにたこ焼きを口に放り込む。最近はこういう子供っぽいファインを見るのも慣れてきた。初めの頃はもう少し真面目な奴という印象だったのだが。

 

 その変化は、禁じられていた“レースで走る事”を解禁されたから生じたのか。それとも、単純に長い時間を一緒に過ごして俺に気を許しているのか。……できれば後者の方が良い。

 

「……っ」

 

 そこまで考えて、楊枝をたこ焼きにぶっ刺す。同時にボキ、と折れる音が聞こえた。

 

 何ウェットになってンだ俺は……。

 

 感傷的になってしまったのを恥ずかしく思いながら、もう一つたこ焼きを喰らう。

 

「あ、この声。グリードじゃない?」

 

 耳を澄ませてみると、確かにグリードの声が聞こえてくる。カラオケ大会であいつの番になったのだろう。

 ……今思ったが、レースに出ているウマ娘はウイニングライブ出演するため、アイドル的な側面を持ち合わせているとも言える。そんなアイドルがアマチュアのカラオケ大会に出ても良いのか? いや、トレセン学園の合宿所の近くで開催している以上はそういう事態も想定している……のか?

 

 グリードの歌声をBGMに、どうでも良い思考が頭をよぎっていく。こういう時はえてして考えなくても良い事を考えてしまうものだ。

 

 対面にいるファインを視界の端に捉えながら思いを馳せる。

 

 八月の初旬。ファインは函館のレースで一着を取った。この結果は今のファインなら当然。そしてファインは今年の目標として秋華賞やエリザベス女王杯を目指している。私見だが恐らくこれにも勝つだろう。間近でファインの走りを分析しているため、予想がつく。

 脚部不安こそあったものの、ファインは走り始めて一年ぐらいしか経っていないのに、ポンポンと一足飛びで成長してきた。まるで限界など無いと言わんばかりに。

 

 ……だが、そこまでだ。ファインのピークはエリザベス女王杯。そこからは緩やかに衰えていく。そういう成長曲線を描くタイプだ、こいつは。

 

 エリザベス女王杯が今年の11月。その時にはファインがレースで走り始めてから約一年半になる。そしてファインの貰った期限は3年。

 残り半分の時間、こいつは思うように勝てないまま――衰えながら帰国することになる。

 

 俺はテーブルに目線を落とした。

 

 ……残酷なモンだな。お前には走りの才能なンか無かった方が良かった。それかピークが終わる前に期限が切れれば。

 

 俺のように絶望を味わわずに済むのに。

 

 

 

「? 何か顔に付いてる?」

 

 いつの間にかファインを注視してしまっていたらしい。ファインが首を傾げて聞いてくる。

 

「……ソースがな」

 

 ファインの綺麗な肌には何も付いていない。しかし、俺は抱えていた思いを悟られまいと、誤魔化すようにティッシュでファインの頬を拭いた。

 

「気づかなかった……。ありがとね、シャカール」

 

 ファイン再び食事に戻り、満足そうな顔で舌鼓(したつづみ)を打っている。

 

 ……それとも、お前が俺の光になってくれるのか? 俺の想像している限界なンか無いものみてぇに飛び越えて行ってくれンのか……?

 

 ファインの楽しそうな顔を見てそんな願望を抱いた。

 



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17話 私以外はすこぶる順調

誤字脱字報告をくださった読者の方々、大変ありがとうございます。
わざわざ労力を割いてくださる事に頭が上がりません。


 

(ファインモーション)

 

 今日は8月27日、一か月余りの合宿の最終日。私はトレセン学園へと帰るバスの前にいた。バスの窓からは、グリードが口をパクパクと動かしているのが見える。

 声は聞こえないが、口の動きと彼女の性格から“ファイン~! 速く乗ったら?“などと言っているのではないだろうか。

 

 想像の言葉に従うようにしてバスに搭乗する。バスの席は中央の通路を境に、右に二列、左に二列の構成。左の二列にはグリードとシャカールが座っている。私は右列の通路側、トレーナーの隣に座った。

 

「合宿ももう終わりかぁ。……いや、それにしても私は練習の辛さに耐えてよく頑張った、感動した……!」

 

 グリードがスマホを操作しながら呟く。

 

「何いきなり自画自賛してンだおめェは」

 

「だって見てよ、この記録! コツコツ練習してきた集大成が数字としてこのファイルに……って、あれ? データどこに保存したっけ? あー……え? ちょっと待って、ヤバいヤバいヤバい」

 

「保存のし忘れか、間違って削除したか」

 

「終わった~……! え? いや、これダメでしょ……! 私の一か月、全部消えたんだけど……!」

 

「記録だけだろ。体の方には残ってンだからいいじゃねェか」

 

「いーや、これもう終わった。終了のお知らせ。レース引退します。それと今後一切コンピュータを信用しません。やっぱ紙だよ。データとかいう目に見えないものを信用してはいけない」

 

「……はぁ。おら、スマホ貸せ。

 携帯の契約内容によってはバックアップが……いや、アプリのデータまでは残ってないか。それならクラウドにバックアップしてたり……ほら、あったぞ」

 

「データ最強! 技術の進歩最高!!」

 

 左列の賑やかさが、欠員の有無を確認しに来た運転手によって収まる。それからややもせず、バスが出発した。

 合宿所から遠のいていくと、楽しかった合宿も終わってしまうんだな、と少しだけ感傷的な気持ちになった。

 

「ねぇ、トレーナー」

 

「どうしたの、ファイン」

 

「次のレースは秋華賞だったよね?」

 

「うん、そうだけど……急にどうしたの?」

 

「ううん、確認したかっただけ。GIのレースって初めてだから今からちょっとソワソワしちゃってるの」

 

 私が今までに走ったレースは最高でもGIIのグレード。それでも沢山の観客と速い競争相手に囲まれて、その中でコンマ一秒単位を競い合う。とても楽しかった記憶だと今でも鮮明に思い出せる。

 GIIでもあれほど凄かった、ならばGIともなるとどれ程凄いレースになるのか……。

 

「ふふっ」

 

 それを思うと、どうしても笑みを止められなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋華賞当日。京都レース場は満員の観客で溢れていた。

 

「ファインモーションーー! 期待してるぞー!! 頑張れー!」

「今回のレースも勝ってねーー!!」

 

 そのうちの大多数の方が私に期待を寄せてくれている。すさまじい熱気、この内側で走れる。

 

 そう考えると、思わず頬が締まりを失いかける。

 

「……ごめんなさいっ!」

 

「ファイン!?」

 

 最低限の断りを残し、人気のない所まで移動する。口元を抑えてなんとか凛々しい表情を形作ろうとしていると、遅れてトレーナーが追いついてくる。

 

「だ、大丈夫……? 観客の多さに緊張した?」

 

 心配そうな顔で話しかけてくるトレーナーに、未だに決まりの悪い顔で答える。

 

「緊張ではないよ。でもさっきからにやけが収まらないの! ほら、今も!」

 

「に、にやけ?」

 

「そう! あれほどの熱狂の中で走れると思うと、どうしても楽しみで!」

 

 GIIのレースとは観客の数も、熱も、雰囲気も全く違う。私の奥底からグツグツと走りたい、競争欲が湧きだしてきて止まらない。

 

「けど、観客の皆は私の優雅に走る姿を期待しているはずだから、あんまりはしゃいで走らない様にしないと……」

 

 ぐにぐにと頬を揉んで、顔を整える。

 

「どう? 凛々しくなったかな?」

 

「……っぷ、くく……」

 

 トレーナーは私の顔を見て笑いを堪えきれていなかった。

 

「うーん……やっぱりまだにやけてるかなぁ……」

 

「あ、いやそうじゃなくてね……。普通はこういう大舞台じゃあ緊張するものなんだけど、ファインは心配するところがズレてるな、って思っただけなの」

 

「そうなの? じゃあ私の顔、にやけてない?」

 

「うん、今はにやけてないよ。……というより、観客はファインの優雅な姿よりも、全力で走っている姿を期待してると思うよ。だから、にやけながらでも何でもいいから全力で楽しんでおいで」

 

「そっか……うん、それならそうするよ!」

 

 大義名分を得た私は、頬を緩ませたまま競技場へと戻る。心身共に絶好調の私は誰にも負ける気がしなかった。

 

 

 

 

 

 

『ファインモーション抜け出した! 残りは200! 後続は追いつけない! 差をどんどんと広げていき――今ゴールイン!!』

 

 

 

「はぁっ……はぁっ…………ふふふっ」

 

 一番にゴール板を駆け抜ける気持ち良さに笑みがこぼれる。

 

 いけない。ターフの上で歯を見せるのは良くないよね……?

 

「うおおおおおぉぉぉ!!」

 

「わっ!?」

 

 自分の行いを制していると、突然観客から歓声が上がる。

 

「すげー……! 鳥肌立った!」

「あの顔見てたら私まで走りたくなってきちゃった……!」

「俺もウマ娘に生まれてればなぁ~……!」

 

 観客達はそれぞれの笑顔を浮かべて、口々に感想を言っている。それを見て、私も我慢せずにとびきりの笑みを浮かべた。

 

 皆は本当に私の凛々しい姿じゃなくて、全力で走る姿を期待してくれていたんだ……。

 

 少しだけ安堵しながら、空を見上げる。

 

 ――なんて綺麗な秋空。本当にレースって素敵……!

 

 私はGIの舞台で、人生最大ともいえる喜びを嚙みしめた。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様」

 

「お疲れさまー! いやー、凄い人気だったね!」

 

 秋華賞のウイニングライブを終えた私を真っ先に迎えてくれたのはトレーナー。次いでグリード。シャカールは腕を組んで、遠巻きにこちらを見ている。それに少し寂しさを覚えたが、今はトレーナーに確認するのが先だ。

 

「トレーナー、次のレースだけど……!」

 

「き、気が早いね……足に問題が無いようなら、一か月後だけどエリザベス女王杯になるかな」

 

 次走もGI。また、今日の様な熱気の中でレースができる。そう考えると、無意識に足が動いてしまう。レースとライブの疲労も感じない程に精神が高揚する。

 

「今から楽しみ……! あ、でもその前にシャカールの菊花賞があるんだっけ?」

 

「一応な」

 

 出走するシャカール本人は気の無い返事を返してくる。

 

「なーんか気合足りないぞ? そんなんで本当に菊花賞勝てんの? 勝算は?」

 

「九割九分」

 

「データキャラの99%は信用できないんだよなぁ。大体裏目引くじゃん」

 

「まぁまぁ……、今の時点でもシャカールの仕上がりは完璧だから、このまま調子を崩さなければ見込み大だよ」

 

 怪訝な顔をするグリードにトレーナーが補足を入れてこの話には区切りがついた。グリードが別の話題を持ち上げる。

 

「それにしても、今日でファインもGIバかぁ~……。こりゃ、同じチームとして私も早いとこGIとっとかないと」

 

「GIつってもどれ取るつもりだよ」

 

「う~ん、手近な所で出走条件を満たせそうなのは……有記念とか?」

 

「今のお前の状態でどうやったらファン投票で選ばれると思いこめンだ? どういう思考回路してンのか開示してくれ」

 

「いやー、最近オープンクラスで一勝したし? 加えて私の溢れて隠し切れないスターオーラをもってすれば、滑りこみギリギリくらいで選ばれたりするんじゃない?」

 

 グリードの大げさに見積もった発言に対して、シャカールは大きくため息をついた。

 

「まぁ、滑り込みギリギリって表現をした所にほんの僅かの成長を感じてやる」

 

 いつものように憎まれ口を叩くシャカールだが、どことなく元気が無いように感じる。

 

「……やっぱりな~んか元気ないんだよなぁ」

 

 鈍感なグリードでも気づくぐらいには。

 

「別に俺の事はどうでもいいだろ。ほら、これからファインの祝勝会だ。先行ってるからな」

 

 ひらひらと後ろ手に手を振りながら、シャカールは行ってしまう。

 

「うーん、あんな調子で大丈夫かなぁ。日本ダービーの二の舞にならなきゃいいけど……。トレーナーから喝入れた?」

 

「喝は入れてないけど、それとなく探ってはみたかな。そしたら“負けたら負けたでそっちの方が都合が良い”って言ってた……」

 

「負けても良い!? そりゃまたどうして!?」

 

「そこまでは分からない。シャカール、あんまり語るタイプじゃないから。……いや、それとも私、信用されてないのかなぁ……」

 

「まぁ、シャカールもお年頃だからね。繊細な時期なんだって。トレーナーのせいじゃない、ない」

 

 グリードがガックリと肩を落とすトレーナーの背中をさする。

 

「学生に慰められる私って……」

 

「あら、地雷踏んじゃった……?」

 

 しかし、逆効果だった様子。少し経ってからトレーナーはシャキッと背中を伸ばす。無理やり気持ちを切り替えたようだ。

 

「シャカール、あんな調子だけど体の仕上がりは過去一番なんだよね。贔屓(ひいき)目込みでも彼女が負けるとは思えないんだ」

 

「そっかぁ……わざと負ける、ってのもシャカっぽくないしねぇ」

 

「そもそもわざと負けるならあれだけ体を仕上げたりしないだろうし」

 

「つまり“敗北を知りたい”……ってコト!? ……もう知ってるのに」

 

 トレーナーやグリードが色々と想像を広げているが、私はシャカールが負けたがっている理由が多分だけど分かる。

 

 きっと彼女は自分の予想を覆す存在の出現を望んでいる。そうなれば、予測を覆した人を起点として自分の限界を超える方法を探すのだろう。

 

 シャカールはデータ屋さんだから、自分を負かした人を隅から隅まで調べて何か法則を見つけて……

 

 そこまで考えて、何故か胸がモヤモヤした。シャカールを負かした人を見ず知らずの誰かから自分に置き換える。するとモヤモヤが晴れた。

 

 私も長距離を走れたら良かったな。流石に菊花賞の3000mだとシャカールに勝てる自信はないし……。でも、もし私がシャカールを負かしたら、彼女は私を特別意識して……。

 

 思考がイケない方向に流れているの気づく。頭を振って思考をリセットしようとするが、浮かんでくるのはシャカールの事ばかり。

 

 そういえばシャカール、私には何にも言ってこないっけ。“出来る事があれば手伝う”、って言ったのに……。

 

 結局、その後もじっとりとした思考がキノコみたいに次々生えてきてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菊花賞当日。結果から言うと、シャカールは勝った。しかし、GIで勝利を上げたのにも関わらず彼女は終始仏頂面だったのと、

 

「……やっぱり予測は覆らねぇか」

 

 そう吐き捨てていたのを良く覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 菊花賞の後に、シャカールと二人で会う機会があった。珍しくシャカールの方から呼び出されて、だ。

 

「シャカール、どうしたの? 急に呼び出して」

 

「とりあえず横、座れよ」

 

 言われるままに、シャカールの隣に腰かける。

 

「……エリザベス女王杯の後は、有に出ンだろ?」

 

「ファン投票次第だけどそうだね。シャカールも出るんでしょ? 公式戦じゃあ初めてシャカールとレースするわけだね。……ふふっ、今からすごく楽しみ!」

 

「ケッ、二つ先のレースより一つ先のレースの心配をしやがれ。エリ女は秋華賞と違って、シニアの奴らもレースに参加すんだぞ?」

 

 呆れた顔のシャカールに対して、私は勢いそのままに答える。

 

「その点は大丈夫! 今の私、誰にも負ける気がしないから! もちろんシャカールにもだよ?」

 

「……ハハッ、そうかよ」

 

 私が威勢よく宣言すると、シャカールは根拠のなさを指摘するでも、対抗心をむき出しにするでもなく、どこか安心した様子で笑っていた。

 その様子に違和感を覚えた私が少しの間黙っていると、続けてシャカールが発言する。

 

「一つだけ良いか、ファイン?」

 

「なぁに?」

 

「……有で一着を取ってくれねェか?」

 

 

 シャカールの突然のお願い事。私の頬がみるみる緩んでいく。

 

 シャカールが私を頼ってくれた。有マでシャカールを負かし、一着を取る事で彼女の予想を覆す事が出来る。すなわち、私が彼女の特別な存在になり、彼女の心に(くさび)のように居続ける事が出来る。そして同時に、行き詰まっている彼女の道しるべともなれるのだ。

 

 そう考えると、興奮と喜悦を抑えられなかった。

 

「分かった! 一緒に走ってるシャカールが見惚れるぐらいの走りをするから!」

 

 私は嬉しさのあまり、ベンチから立ち上がりながら快諾する。

 

「あぁ……頼んだ」

 

 そう言うシャカールの声には、どこか縋るようなニュアンスが含まれている気がした。

 

「うん……頼まれたよ」

 

 私の深読みかもしれないけれど、使命感に燃えずにはいられなかった。

 



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18話 もしかしてGIに出てる奴全員幻覚見てる?

 

(ファインモーション)

 

 エリザベス女王杯当日。秋華賞の時と同じように、京都レース場は満員だった。

 

「ファインーー!! 今日も頼むぜー!!」

「きゃー! 女王様―!!」

 

 私がパドックで手を振ると観客のみんなが私を応援してくれる。その声を聞くと、どんどん頬が緩んでしまう。

 “みんなの期待を背負ってターフで競い合う“その事を考えるだけで、嬉しさや楽しさがとめどなく溢れてくる。今の私はきっと締まりのない顔をしているに違いない。

 けれどそのままで良い。“優雅に走る”なんて考えなくても良い。ターフの上では衝動の(おもむ)くままに走って良いのだ。私は表情そのままに控室へと戻った。

 

 

 

「おかえり、ファイン……って、すごいニコニコしてるけど大丈夫? その顔は学校が台風で臨時休校になった時ぐらいしかしちゃ駄目じゃない?」

 

 控室へ戻るなり、グリードが私の顔を見て驚く。

 

「どうかな。レースが楽しみすぎて、もしかしたらゲートが開く前にフライングしちゃうかも?」

 

「それは危ないよ! ファイン、一旦深呼吸して! それで落ち着こう!」

 

 私が冗談を言うと、トレーナーが真に受けたようで大真面目にアドバイスしてくれる。実際に走る私よりもトレーナーの方が緊張しているのではないだろうか。

 トレーナーを落ち着ける為に、目を閉じて深呼吸する。

 

「……うん。もう大丈夫」

 

「良かった……。けど、顔はにやけたままだね」

 

「ふふ、それも大丈夫。今の私はレースを楽しみにすればするほど力が湧いてくる感じがするから。顔が緩んでいるほど強くなれるんだよ?」

 

 私がそう言うと、強張っていたトレーナーの顔も緩む。

 

「そうだね。レース、目一杯楽しんできて!」

 

「うん!」

 

 トレーナーに激を貰った私はバ場へと向かおうとする。控室を出る際、ドアの横にもたれかかっていたシャカールに声をかけた。

 

「勝ってくるからね」

 

「今日は心配してねぇよ。お前なら勝つさ」

 

 シャカール予想のお墨付きも貰った私は意気揚々と控室を後にした。

 

 

 

 

 

 

『さぁ、各ウマ娘ゲートインしました。…………そして今スタート!!』

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 凄い。同じGIでも秋華賞の時とは違う。歴戦のシニアが混ざった今日のレースは確実に一段上のレベルにある。

 そんな中でも私は一番人気。その期待に応えるため怯むわけにはいかない。慌てず自分の走りを続けていると、戸惑いは次第に消えていく。代わりに勝つか負けるか分からないというワクワクと興奮が相混じった感情に。

 思わずスパートをかけてしまいそうな自らを何とか抑えながら、好位につけてレースを進めていく。

 

 

 

 レースは終盤、第四コーナー。私は前から4番目。残りは600m。

 

 うん、ここからなら……っ!

 

 自分の脚と相談した結果、イケると判断した私はグンと加速する。最終直線に向けてギアを上げていく私だが、外から迫る影が私を抜かした。

 

 速い……!

 

 更に速度を上げようとするが、コーナーでは思うような加速が出来ない。ズルズルと差を広げられ、フラストレーションが溜まっていく。

 

 ダメ、このままだと負けちゃう……!

 

 この時の私は初めて走った時を思い出していた。シャカールが私を抜かし、それに対して私がカウンターを仕掛けるが、追いつく事は出来なかった。

 前を走る子にシャカールの姿が重なる。

 

 今度は……絶対に負けない!

 

 負けん気をむき出しにしたその時、私の視界を蝶々がよぎった。約60kmで走るウマ娘と蝶々が併走できるわけは無い。そんな理屈を頭に浮かべている間にも、蝶々はふわりふわりと前に躍り出る。私はその蝶々から目が離せず、視界の真ん中に収めようと頭を動かす。

 すると、上がり気味だったアゴが下がり、体の中心に一本の芯が通った感覚が。地面を踏みしめる左足からは、今までにない反発力を感じる。ともすれば足を壊しかねないその反作用を足首、膝、腰、上半身をクッションに体全体で受け止める事が出来た。

 

 その瞬間、体に纏わりつく空気を引きちぎるような音を幻聴した。

 

 

 

 

 

 

『第四コーナー、ファインモーションがどんどんと速度を上げていく! すさまじいコーナリングだ!!』

 

 

 

「っ……! ファイン、お前……!」

 

 

 

 

 

 

 凄い……! 私が私じゃないみたい……!

 

 絶好調、それですら控えめな表現だ。今の私は自分が想像すら出来なかった理想以上の走りを実現できている。

 異常な好調も視界の中に蝶々が現れてから。今も蝶々は私を先導するように飛翔している。私はそれについて行くだけで良いのだ。

 

 レースの終盤。一番苦しい最終直線にも関わらず、私の表情筋は笑顔を生み出していた。

 

 凄い……! 凄い凄い凄い……! これが本当のレース……! ターフの上でだけ味わえる感覚……!

 

 全身が混然一体となり、各部分の存在が希薄になっていく。頭、腕、足、胴体、の区切りが曖昧になった今の私は一人の“ウマ娘”。それ以外の表現はできなかった。

 

 ずっと……ずっとこのままターフの上で……!

 

 

 

 そう願った瞬間、体がバラバラになる感覚が襲ってきた。一体化していた全身が分離してしまったのだ。腕は腕、脚は脚、頭は頭に戻っている。

 

 今、私……“ファインモーション”である事を忘れていた……?

 

 独立した私の頭は、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 私が正気を取り戻した頃には、すでにゴール板を通過していた。掲示板を見ると、私が一着である事を確認できる。再び前を向くと、もう蝶々は見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

「ファイン!」

 

 控室に戻るなり、シャカールが掴みかからんばかりの勢いで迫って来る。

 

「第四コーナーから最終直線! いったい何がありやがッた!?」

 

「え、えっと……」

 

「隠してねェで吐けッ! 明らかにあの走りは異常だッただろうが!!」

 

「ちょ、ちょっとシャカール! 落ち着いて! ファイン走ったばっかりで疲れてるから! ビークール! カームダウン!」

 

 グリードがシャカールを羽交い絞めにして、私から引き剥がす。しばらくして、シャカールはようやく落ち着いた。

 

「……興奮しすぎたのは認める。だがこれだけは意地でも聞かせてもらうぞ。終盤、何があった? どうやったらあの走りが出来る? あれは明らかにお前の限界を超えた走りだった」

 

 シャカールの発言と共にグリードとトレーナーの目線も私の方に向く。口には出さないが気になっている様子だ。

 

「う~ん、理屈は説明できないんだけど、何を感じて何を見たのかを話すことは出来るよ。それでも良い?」

 

 シャカールは神妙に頷いた。

 

 

 

 

 

 

「蝶々……ねェ」

 

 私が見た事、感じた事を素直に話すと、シャカールは怪訝そうな顔をして考え込んでしまった。

 

「ハイになりすぎて幻覚見たとか?」

 

「興奮しすぎたかどうかはともかく……あの蝶々は多分私の見た幻覚だと思う。レースが終わったら消えちゃったし、そもそも蝶々がウマ娘についてこれるはずは無いからね」

 

「う~ん、さっぱり分からん。トレーナーは?」

 

「私もお手上げかな。でも、レース中に幻覚を見た事があるってウマ娘の話は何人か聞いたことがある。その子達はみんな一様に“過去一番の走りが出来た”って言ってたらしいけど……」

 

「えぇ……もしかしてトレセン学園ってヤバい奴の巣窟だったりする? ……あ! 別にファインがヤバい奴って言ってるわけじゃないよ!? マジで! 本当に!」

 

「うるせェ! こっちは考え事してんだ! 少しは静かにしろ!」

 

「えぇ……シャカールの当たりがいつもより強い……。沸点下がってない?」

 

 グリードの言う通り、今のシャカールは余裕がないように見える。

 

「……とにかく、ファインはこの後ライブ。ここで論じている暇はないか。休養明けの日、俺に時間をくれ。一日中付き合ってもらうぞ」

 

「うん。役に立てるかどうかは分からないけど付き合うよ」

 

「あァ。……ファインが蝶々を見始めてから一気に走りが良くなった。幻覚というよりは無意識が生み出したガイドみたいなもンか……? それとも……」

 

 私が約束をした後、シャカールは再び自分の世界に閉じこもってしまった。時計を見るとそろそろウイニングライブの時間。

 

「それじゃあ行ってくるね」

 

「振付け、間違えないようにね!」

 

「……」

 

「ほらトレーナーもちゃんと声掛けてあげないと!」

 

「あ、う、うん。頑張って来てね」

 

 グリードは快く私を送り出してくれたが、トレーナーはどこか歯切れが悪い。

 

 ……やっぱり鋭いな、トレーナーは。

 

 私の心のもやに気づいたのだろう。

 

「トレーナー、ライブが終わった後でちょっと良いかな? 話しておきたい事があるから」

 

「……分かった」

 

 私の言葉にトレーナーは不安そうな顔をする。

 

 あんまり心配かけたくはなかったんだけどね。私のポーカーフェイスもまだまだだなぁ……。

 

「今度こそ、行ってくるね」

 

 控室のドアに手をかける。

 

「ファイン!」

 

 するとトレーナーに再び声を掛けられる。

 

「今は楽しんできてね」

 

「……うん!」

 

 今の声はどうだっただろうか。ちゃんと明るく返事ができただろうか。

 

 ごめんねトレーナー。今はちょっと……難しいかな。

 

 頭の隅にはゴール間際での気付きがいつまでも巣食っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はファインモーション。王族として生まれたこの身は、故郷の発展と民の安寧のために消費されるべき存在だ。私もそうあるべきだと思っているし、そうでありたいと思っている。

 けれど、私も使命を果たすための機械ではない。感情のあるウマ娘として使命だけでなく、もっといろいろな体験もしてみたいと思っている。例えば留学したり、ラーメンを食べて見たり、友達とお泊り会をしてみたり……レースで走ってみたり。

 それ自体は悪い事では無いと思う。今は脱線していても、時期が来れば本来の線路……王族としてするべき事を果たすようになるだろうから。

 

 ……けれど私はターフの上で願ってしまった。ほんの少しだけとはいえ、渇望してしまった。“全部を忘れて、ずっとターフの上で走っていたい”……と。

 それはファインモーションとしてあるまじき思考。滅私奉公を理想とするべき王族にとってはタブーな思考。

 

 “ただ走っていたい”、“王族として正しくありたい”。二つの相反する思いはお互いに拮抗してどちらも譲らない。感情では決着がつきそうにない。

 だから、決め手は感情以外の要因だった。前者を達成するために必要な犠牲と困難さ、後者に流れる簡単さ。

 すぐには納得できないけれど、私の心は決まった。

 

 ……シャカールなら、どんな艱難辛苦でも走る事を諦めないんだろうな……。

 

 けれど私はファインモーション。高潔なウマ娘ではいられない。ただ賢明なだけの王族でなければ。

 

 

 

 

 

 

 ウイニングライブの後、私はこのレースで生じた心の動きについてトレーナーに話した。すると彼女は予想通り、苦虫をかみつぶしたような表情に。

 

「そんな顔しないでトレーナー。これは私がわがままを言おうとしただけなの。だからトレーナーは“メッ”って叱ってくれないと」

 

「……そんな事ないよ。ファインが走りたいって思うのは普通の事で……わがままとかそんなのじゃ絶対ない!」

 

「普通のウマ娘だったらそうかもしれない。でも私はファインモーションなの。普通の事がわがままになっちゃう立場だから」

 

「でも……!」

 

「それにもう決めた事だから。……ううん、決まっている事かな? 私は生まれた時から祖国の礎となるべき存在。その使命を放棄はできないの」

 

 トレーナーはまだ何かを言いたそうだったが、口を固く閉じ、その上から手で押さえて黙り込んでしまう。

 しばらくして、彼女は頭を下げた。

 

「ごめん……! 期限がある事は私も知ってたのに深入りしちゃって」

 

 トレーナーは謝罪の言葉を口にした後、顔を上げる。

 

「だから私は期限までにファインを絶対満足させてみせる! 必ず笑顔で帰国させてみせるから!」

 

 強く言い放つトレーナー。彼女の強気な態度は、今の私にとってはとても頼もしいものに映った。

 

「……うん! 私も悔いの残らない様に全力で楽しんじゃうから!」

 

 

 

 

 

 

 そうして私の口から出た言葉は、ただの空元気に終わる事となる。

 

 



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19話 何か不穏

 

(スーパーグリード)

 

 エリザベス女王杯が終わってから、少し日にちが経った。最近はシャカ、ファイン、トレーナーの三人で色々とやっているみたいだ。

 

「エリ女でファインが見せたあの走りを再現するためにはどうするか、だが……」

 

「やっぱりあの時の状況を再現してみるのが一番良さそうかな。ファイン、蝶々が見えた時ってどんな状況だった?」

 

「あの時は確か第四コーナー、自分より速い子に負けたくないって思ってたかな……?」

 

「なら早速やるぞ。さっさとスタート位置に立ちやがれ」

 

 何でも、再びファインに幻覚を見せようとしているらしい。この説明だけだと何かヤバい集まりみたいになっちゃうな……。まぁ、間違ってはいないので問題ない。

 

 三人組でわちゃわちゃやっている一方で、私は気配を消していた。いつもなら余計なお世話になる勢いで三人の方に絡みに行くのだが、今は一人で寂しく練習中。

 これには理由がある。何でも試してみたい事があるからだ。そのためには三人……特にトレーナーとは出来るだけ距離を置く必要がある。

 

 今の私はターフの芝を啜るコガネムシ……取るに足らない存在でごぜぇます。

 

 そんな心持ちで目立たないようにしていた。

 

「おいグリード!」

 

 しかし、そんな頑張りの甲斐も空しく、シャカに呼ばれてしまう。

 

「何~! いまからタイム計ろうとしてたんだけど!」

 

「うるせェ! いいからこっちこい!」

 

「もー……しょうがないなぁ」

 

 暴君と化したシャカの元へと向かう。

 

「何の用?」

 

「ファインの前走れ。俺は後ろからケツを追ッかける。すぐに抜かされたりすンじゃねェぞ」

 

「えー? そう言われてもファイン相手じゃすぐに抜かされそうだけど」

 

「俺とファインはすでに何本か走ってる。疲労のハンデで良い勝負になるはずだ」

 

「そゆ事ね。了解、了解」

 

 私は今から走り始めようとしたので万全の状態。それなら何とか前を張れるだろう。

 

 

 

「じゃあ……よーい、ドン!」

 

 ファイン、シャカ、私で横並びになり、トレーナーの合図で一斉にスタートを切った。

 私が一気に加速して前に躍り出る反面、シャカは抑え気味に後ろに位置付けている。ファインはその中間。

 

 終盤まで三人の位置関係は維持されたまま。勝負は最後の第四コーナーに。

 道が曲がっているコーナーでは後ろの様子が確認しやすい。かなり後ろからはシャカが一気に迫ってきている。やや後ろからはファインがスパートをかけ始めていた。

 

 私の役割はファインの前を走り続ける事。ファインに合わせて私もスパートをかける。すると、ファインとの差が少しずつ開き始めた。

 

 あれ……? 私の方が速い?

 

 シャカールも随分と伸びてこない。結局、シャカもファインも私に追いつく事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 二人よりも先に走り終えた私は、流しで走りながらトレーナーの元へと戻る。

 

 さっきのレース、抜かされなかったのはファインやシャカが疲れているのもあると思うけど……私自身よく走れてたのもある。やはり私の試みは間違ってなかったな!

 

 確かな手ごたえを感じながら、ベンチに置いてある水筒を掴む。しかし手に力が入らず、水筒を取りこぼしてしまった。

 

 っとと……速くはなれたけど、流石に体力無くなってるなぁ。こりゃ食事制限の塩梅が難しそうだ。

 

 そう。私が現在試みている事は食事制限。一日に食べる量を5分の1程度に減らしたのだ。

 一般的には食事量を減らすと、体は足りないエネルギーを筋肉を分解する事で補おうとする。そのため過度な食事制限はパフォーマンスの低下につながる……はずなのだが、私の場合はなぜかその逆。効果は今日体感した通りだ。

 

 いやー、デビュー前からあった食欲不振。最近ひどくなってきたから、“いっそのこと身を任せちゃえ!“ ってのがまさか本当に成功するとは……。

 

 とはいえ完全な無策というわけでもなかった。食事を控え、飢えれば飢えるほど自分の中で何かが研ぎ澄まされていく感覚。そのオカルト的第六感が無ければ、流石に食事制限にまでは踏み切らなかったと思う。

 

「ファイン、どうだった?」

 

「……ううん、何も見えなかった」

 

 私が考え事をしている間に、シャカやファインも戻って来る。トレーナーも含めた三人がどんよりとした空気を纏う。ファインは蝶々を幻視しなかったようだ。

 

「グリード、もう一回お願いできるかな?」

 

 ファインが私に併走を頼みにくるが、シャカがその肩を掴んだ。

 

「今日はもう止めとけ、走りすぎた。グリードにも追いつけないようじゃあいよいよだぞ」

 

「ちょっと! その言われようは不本意なんだけど!?」

 

「そうだね……」

 

「トレーナーまで!?」

 

「あ、いや、グリードを(おとし)めたわけじゃなくてね!? ファインもシャカールも限界、ってことに同意しただけ! ……そういうわけだから今日はもう終わりにしよう、ファイン」

 

「……うん。併走してくれてありがとね、グリード」

 

 私にお礼を言ったファインは汗を拭いた後、クールダウンに取り掛かる。その隣でシャカもクールダウンを始めた。トレーナーは二人に背中を向け、器具の片づけを始める。

 

 うーん、みんな余裕が無い雰囲気かな……?

 

 私が普段より実力を発揮したのに気づいていない事、私への対応がおざなり気味な事、雑談が少ない事。それらの事実から何となくきな臭さを感じ取った。

 

「あー……まぁ、いくら疲れていたとはいえね? GI取ってる二人に勝っちゃった私ってば、事実上のGIバと言っても差し支えないんじゃなかろうかね? ん?」

 

 シャカと肩を組み、挑発するように喋る……が、普段から悪い目つきを更に悪くして睨まれるだけだった。悪態や皮肉の一つも言ってこない、非常に省エネな対応。

 ファインやトレーナーも苦笑いするだけで何も言ってこなかった。

 

 こりゃ結構重症かもなぁ……。

 

 とはいえ、どうして余裕をなくしているのだろうか。シャカール、ファイン共に直近のGIレースでは勝利を収めているのに。

 

 こっちは重賞で勝てるかどうか、ってラインで悩んでるのにねぇ。そういえば、ここ半年以上はセンターに立ってないっけか……。

 

 ぐるるる……

 

 そう考えると、食事制限で空っぽのお腹が唸り声を上げた。まるで勝利への飢えと連動するかの様に。(はや)るお腹をさすってなだめる。

 

 おーよしよし……。今に勝ち星上げて、祝勝会でたらふく食わせてやるからな~。

 

 私はそんな独り相撲を繰り広げつつ、チームに蔓延する良くない雰囲気を払拭する方法を色々と考え始めた。

 

 

 

 

 

 

「へい、シャカ! 最近イライラしてるみたいだけど、アロマでもキメてく? ラベンダーでもオレンジでもベルガモットでも何でもござれだけど……」

 

「一人でやってろ」

 

 失敗。

 

 

 

「ファイン! 明日は練習休みでしょ? 美容室にでも行かない? それでいつもと髪型変えてみたら? レース前に気分一新してみたらどう?」

 

「ごめんね? つい最近切ったばかりで……」

 

「そ、そっか……。じゃあ、髪飾りでも一緒に見に行く? ファインのは三つ葉のクローバーだけど、この前十六葉のどうみてもやりすぎなヘアアクセを見つけたからそれの試着とか……」

 

「気持ちは嬉しいけど、やっぱりごめんね。明日はシャカールと走りについて話し合う予定だから」

 

 これも失敗。

 

 手を変え品を変え色々と試してみたが、どうにもうまくいかない。今の二人は走り以外の事に目を向けようとしない節がある。

 

 レース前で減量が必要じゃなければ、ラーメンを引き合いにファインだけでも釣れるんだけどなぁ……。いや、今は私も食事制限してるんだったか。

 

 ともかく、私が何を画策しようと門前払いされてしまえばどうにもならないと言う事だ。

 

「どうしたもんかねぇ……」

 

「何がどうしたものなの?」

 

「うおわぁっ!!」

 

 私がうんうん(うな)っていると、いつの間にかトレーナーが傍に近寄ってきていた。今の私にとって、いきなり出現するトレーナーは心臓に悪い。

 

「あ、ご、ごめん……すごい驚かせちゃったみたいで」

 

「い、いや私も過剰に反応しすぎた所もあるし、そんなに気にしないで、うん」

 

 私がトレーナーに対して過剰に反応したのには理由がある。かなり無理めな食事制限をしている事がトレーナーに知られれば、必ず止めるように言われるだろう。しかし、今の私がレースで勝つには食事制限が一番の近道に思えてしょうがないのだ。実際に成果も出たわけだし。

 そのため、不意にトレーナーに接近されるのは心臓に悪いというわけ。痩せた事がバレないよう、体のラインが出ない緩めのジャージを着ているものの、触られてしまえば気づかれる可能性が高い。

 

 もし気づかれて反対されるようだったら……チームを抜けるしかないかなぁ。みんなと一緒にいられる時間が少なくなるのは寂しいけど、レースで勝つためにはしょうがないか。

 

「それで何の話だっけ?」

 

「グリード、何か悩んでたみたいだから」

 

「あ、そうそう。最近なーんかチームの雰囲気悪いじゃん? 余裕が無いって言うのかな? それをどうにかしたいんだけど……ファインとシャカ、気分転換に誘っても応じてくれないんだよねぇ。レース控えてるせいかなぁ?」

 

「……やっぱりグリードも“余裕が無い”って思う?」

 

「も、ってことはトレーナーも?」

 

「私は……」

 

 そこまで話して、トレーナーは口をつぐむ。言うべきか言わないべきかと目線を泳がせた後、最終的には口を開いた。

 

「……私は原因まで知ってるの、少なくともファインについては」

 

「原因?」

 

「ファイン、後一年と少しで帰国しなきゃいけないでしょう? そうなればレースの世界から身を引かないといけない。その事を気にしているみたいで……」

 

「それでかぁ」

 

 トレーナーに言われて思い出した。そういえばファインは留学生で、一年後には故郷に帰ってしまう事を。

 それともう一つ思い出した。シャカールが今の状況を予想していたっけか。“期限がくれば、楽しいレースとはお別れ”って。

 

「……グリードは、どうすれば良いと思う?」

 

 私が回想している間にトレーナーが意見を求めてくる。その立ち姿はひどく頼りなく見えた。

 

「う~ん、留学の延長……は多分できないんだよね? だったら……勝つ事。うん、レースで勝つ事。何か節目になるようなレースでちゃんと勝てれば、満足して引退できると思うけど」

 

 言ってから思う。かなり偏った答えになっちゃったな、と。

 

「レースで勝つ、か……」

 

「ほら、最近のファインは特に練習に熱を上げてるみたいだし。余裕の無さも次のレースは今のままじゃ勝てないって思ってるのもあるんじゃないかな?」

 

「……うん、そうかもしれない……」

 

 私の言葉に対して、同調するトレーナー。

 

「いやごめんトレーナー。言っておいてなんだけど、間違ってる可能性も十分あるからね? というか九割方間違ってると思う。私の思想がえげつないくらい反映された答えだし」

 

「え、あ、そ、それもそうだね……。前のレースでは勝ったわけだけど、それでも満足できてないわけだし……」

 

 私が訂正すれば、トレーナーは再びそれに同調する。その様子を見ると、今のトレーナーはどこか芯を失っているように思えて仕方がない。

 

「トレーナーはさ、どうすれば良いと思ってるの?」

 

「…………分からないの」

 

 心底困ったという表情のトレーナー。

 

「どうしたらファインを満足させてあげられるのかな……」

 

 私の意見は参考程度に聞いたのかと思っていたが、トレーナー自身は何も考えがない様だ。いや、色々と考えてはいるが、答えが見つかっていないのだろうか。

 

 とにかくファインやシャカールだけじゃなくて、トレーナーも相当(こじ)らせてそうだな……。

 

「と、とりあえずさ、有までは様子を見たらどうかな? 時間が経てばファインが自分で折り合いを付けるかもしれないし、レースの結果次第で気持ちが変わるかもしれないし」

 

「…………」

 

 とりあえずの引き延ばし提案には賛同してくれない。深刻そうな顔で地面を見つめるばかり。

 

「大丈夫だって。きっと何とかなるなる。ファインも今までの人生どうにかこうにか上手くやってこれたんだから。ほら、笑顔笑顔! トレーナーがそんな顔じゃ、ファインも余計に落ち込むってもんよ!」

 

 トレーナーの顔を触り、無理やり笑顔を作らせる。

 

「……そうだね。ファインを心配させちゃダメだよね」

 

 私が手を離してもトレーナーの表情は笑顔のまま。しかし、無理に保っているせいなのか、その笑顔はどこか(いびつ)だった。

 



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20話 私じゃダメなんだよね

わざわざ感想をくださる方、いつもありがとうございます。
感想は全て拝見していますが、今後の展開に触れているものについては感想返信が難しいのでスルーさせていただいてます。ご容赦ください。


 

(ファインモーション)

 

 走る事。それは私にとって楽しい事だった。ターフの上で、他のウマ娘達と全力で競い合い、抜かし抜かされるあの感覚は何物にも代えがたい心弾む体験だった。

 

 ――そう、“だった”。

 今はどうだろうか? ただ走るだけで楽しいなどという感覚を覚える事はもはや無い。私に競う事の興奮を教えてくれたシャカールと並走する事すら、今は楽しむことができない。走れば走るだけ、……シャカールと一緒にいればいるだけ、頭に嫌なノイズが走って目の前の事に集中することができない。

 

 全ては過去の物になってしまった。

 

 

 

 

 

 

「おい、ファイン」

 

 今日の練習が終了し、寮に帰る途中、シャカールに呼び止められた。

 

「……その、ごめんね?」

 

「――待て、なんで初手謝罪から入った?」

 

 面食らっているシャカールに理由を説明する。

 

「蝶々、あれから全然見えてないから。有もすぐ迫ってるのに」

 

 シャカールは私に何かを見出して、それを手がかりに自分の限界を超えようとしていた。私は未だ、その期待に答えられていない。

 

「ンな事かよ。今はそんなのどうでも良いだろ」

 

「良くないよ!」

 

 シャカールの言葉に、少しだけムキになってしまった。すぐに声を落ち着ける。

 

「……私、シャカールの役に立ってみせるって言ったのに。ようやく君のために何かできるって思ったのに。結局は何もできてないから」

 

 自分の限界にずっと苦しんでいたシャカール。一年以上、蚊帳(かや)の外に居続けた私がようやくチャンスをつかんだ。にも関わらず私は何もできていない。シャカールに何も返せていない。

 彼女は私に走る事、競う事の楽しさを教えてくれたのに。

 

 こんな無力な私が故郷に帰ったとしても、立派に使命を果たす事ができるのだろうか? 一人の親友の手伝いすらしてあげられない私が、百万単位の民がいる故郷の礎となる事なんて……。

 

「~~~ッ! ンな事どうだって良いンだよ!!」

 

 自尊心をズタズタに引き裂かれ、負の感情に憑りつかれた意識を引き上げてくれたのは、シャカールの怒声。

 

「てめェの面倒も見切れねェ奴に心配される謂れはねェ! 他人の前にまずは自分だろうが!!」

 

「自分の、って……」

 

「期限、気にしてないとは言わせねェぞ。バカみたいにニコニコしながらやってた練習も、最近はシケた面ぶら下げて義務のようにやってやがる」

 

「……」

 

 できるだけ顔には出さない様にはしていたのだけれど、バレていたようだ。

 

「今はお前の方が大変な時期だろうが。……もっと周りを頼れよ。何も言ってくれねェとこっちも手の打ちようがねェんだ」

 

 珍しく、困ったような顔をしているシャカール。彼女の発言に対して強く思った事は一つ。

 

「……シャカールも一緒だよ」

 

「あァ?」

 

 ズルいよ、シャカール。

 

「自分が大変なのはシャカールも一緒だよ。限界にぶつかったまま有効な手段を見つけてられてない君も! ……ならどうして君は私の心配をするの? 君だけは自分より人の事を優先しても良いの!?」

 

 いけない。今の私は一種の錯乱状態にある。頭の冷静な部分ではそう分かっていても、口は止まってくれない。

 

「そりゃあ…………お前だか……ら……

 

 シャカールはそこまで言って口ごもる。

 

「俺の事情は後回しでも間に合う事で……」

 

 今度はそこまで言って、ギリギリと歯ぎしり。

 

「――お前だからだよ!! 今は自分よりテメェの世話を焼きたいからそうしてンだ!! 文句あるか!?」

 

 最後にはそう告白してくれた。

 

 目の奥から湧いて出てくる物が零れない様に上を向く。

 

「私……わたし……」

 

 その続きは言えなかった。言ってしまえばもっと辛くなるから。

 

「ごめんなさい……!」

 

「おい!」

 

 痛む胸を抑えながら、その場から逃げだす。その日は自分の部屋でずっと(うずくま)っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

 12月21日の行われた年末の大一番、有記念。結果から言うと、ファインが5着でシャカールが8着。

 今までほとんど無敗だった二人が3着以内にすら入らない。それは少なくないショックを私に与えた。これからはクラシック期も終わりを迎え、シニア期に入る。そうなれば同年代の子だけでなく、先輩とも競わなければならない。当然、その分選手層が厚くなり、勝つ事は難しくなるだろう。

 

 ――いや、そんな事は関係ない。来年こそ重賞で白星を挙げてみせる。

 

 センターでライブを踊る子を眺めながら、静かに決意する。

 

 密かに気合を入れる私とは裏腹に、チームの雰囲気は過去最悪だった。有の前も結構などんよりムードだったけれど、今はそれ以上。

 特にトレーナーがヤバい。有の翌日は特大の隈を目の下に作ってきた上に、お腹に手を当てている事が多くなっていた。どこか猫背気味にもなっていたし。

 心配になった私は病院に行くように言ってみた。その翌日、顔色が多少はましになっていたので、何とかなったのだとは思う。

 今まで負けてこなかった二人が負けちゃった責任を感じているのだろうか? それにファインの帰国の件についても、まだ悩んでいるのかもしれない。あんまり無理はしないで欲しいな。

 

 そしてファインとシャカールの方。こっちは有の前からどこか関係がおかしくなっていた。一緒に練習していても、どこか余所余所しい。いつもは仲良さそうにしていたのに。喧嘩でもしたのかな?

 

 それに加えて、ファインはレース引退の件についてもまだ解決していない様子。有では勝てなかったし、帰国しなければならない期限は刻一刻と迫っている。気に病むのは仕方が無いと思う。

 

 バラバラなチーム。それを立て直すためにはどうすれば良いか? できる事なら、まずはファインを立て直したい。私には及ばないものの、彼女も我がチームのムードメーカーの一人。そこを持ち直せば、一気にチーム全体も立て直せるはず。

 

 さて、ファインを立ち直らせるためにはどうすれば良いのか。その謎を解明するべく、調査隊(わたし)アマゾンの奥地(殿下の元)へと向かった――。

 

 

 

 

 

 

 

「でーんか!!」

 

「きゃっ!?」

 

 こっそりとファインの後ろに忍び寄り、肩を叩いた。すると大層驚いてくれる。

 

「グ、グリード、どうかしたの?」

 

「最近、悩んでる事について聞いても良いかな?」

 

 ここは単刀直入に行く。遠回しに聞くと、多分誤魔化されるから。腹を割って話そうという態度を示せば、ファインはそれに対応してくれると思った。

 

「……やっぱりグリードも気づいちゃうか」

 

「ここまで雰囲気が悪いと流石にね? 一年後には帰国しないといけない事について気にしてる、って事で良いのかな?」

 

「…………」

 

 私が切り込んだ瞬間、ファインの顔が見たこと無いほど曇った。聞いたこっちが罪悪感を覚えるぐらいだ。

 

「――その、私は医者でもないし、カウンセラーでもないけど話ぐらいは聞けるからさ。思ってる事好きにぶちまけてくれて良いんだよ? 私も色々溜まっている時は駄々こねて、愚痴こぼして発散して……」

 

「ありがとう」

 

 ファインにしては珍しく私の話を遮って口を開いた。

 

「でも、大丈夫だから」

 

 昔、ファインのポーカーフェイスに騙された事がある。しかし、今回はどう頑張っても騙されようがない。それぐらいファインの顔からはメッキが剥げていた。

 

「シャカと喧嘩してる?」

 

「……!」

 

 私に背中を向けて去ろうとするファインに、もう一つの実弾を打ち込む。

 

「ごめんなさい……」

 

 結果は震えた声が帰ってくるだけ。けれど、その反応だけでも成果は得られた。

 

「……私じゃダメ、か」

 

 遠ざかるファインの姿を見ながら、次の一手を考え始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

「あ“ァ“? ファインと二人きりで話せだと?」

 

「そうそう。ホントこれ! この通り! 一生のお願い! 一年後に帰国しなきゃいけない事についてズバッと聞いて欲しい!」

 

 グリードが俺を呼び出して、何の用かと思えばとんでもない事を頼んできやがった。

 

「バカか!? 今のアイツにそんな話しても傷口を広げるだけだ! そんな事も分かンねェのか!?」

 

 丁度良い発散相手を見つけてしまった事で、最近溜まっていた鬱憤がドロドロと溢れてしまう。その結果、グリードの胸倉をつかんで怒鳴るという対応に。

 

「分かってるよ」

 

「テメェ……!」

 

 分かっていながらなおファインを傷つけようとするグリードを目の前にして、ドンドン力がこもっていく。ついにはグリードの足が地面から浮いた。

 

「ぐ、ぅ……っ。でも……()むよりはマシだから……」

 

「あ“ァ”!?」

 

 言い訳をしようとするグリードに、腹の内が煮え返る。また数センチ、グリードを持ち上げた。

 

「怪我したら……傷口を切開して治療する事もあるでしょ……? そうしないと膿んで腐るから……。ファインも……今のままだと、多分……腐っちゃう……」

 

「…………」

 

 そう言われて、少しだけ頭から血が下った。

 

 俺はファインを傷つけたくないばかりに放置していた。しかし、それは本当にアイツのためになっていたのか? ただ孤独に追いやって爆弾を育てていただけだったってのか……?

 

「シャカ……そろそろ限界……」

 

 俺の腕をタップする感触と、細い声に反応して手を離した。ボス、と軽い音が響く。

 

「げほ、げほ……っ。――胸倉掴まれただけで、意外と締まるもんなんだね、首って」

 

 グリードは喉をさすりながら、フラフラと立ち上がる。

 

「……どうして俺に頼む? お前が聞けば良いだろうが」

 

 自分の心情だけを優先していた俺に、ファインと会う資格は無いように感じた。そのためグリードに役目を押し付けようとする。

 すると、グリードは眉をひそませて、

 

「私じゃダメなんだよね」

 

 そう言った。

 後にも先にも、グリードの悲しそうな表情を見たのはこの時だけだった。

 

「いたずらに傷口を広げるだけ。多分シャカならイケると思う」

 

「……根拠は?」

 

「ファインにシャカの話題を振ったら泣きそうになってたから。ファインの心を大きく動かせるのはシャカだけかな、って」

 

 俺の話題で泣きそうに。

 

 最後にファインと二人きりで話した時を思い出す。

 

 あの時も上を見上げて泣かない様にしていた。いや、そもそもどうして俺の話題で……? 何の関係がある……?

 

 考えていても答えは出ない。

 

「……分かった。ファインと話をすりゃあいいンだろ?」

 

「そうこなきゃあ!」

 

 大きく指を鳴らしながら、テンションを上げるグリード。

 

「だがどうやって俺とファインを二人きりにする? 今のファインじゃあ、密室でもない限り逃げちまいそうだぞ」

 

「そこはもう考えてあります! カモン!」

 

「失礼します」

 

 グリードが再び指を鳴らすと、どこからともなくSPの隊長が現れた。

 

「隊長にも協力してもらって、空き教室に二人を閉じ込めようかなと」

 

「シャカール様。殿下の事、よろしくお願いします」

 

 綺麗な姿勢で頭を下げる隊長。今の彼女の声には特別重い感情が込められているように聞こえた。

 

「よせ! 俺はそんなンじゃねェよ。頭を下げられるようなもンじゃあ……」

 

 今の俺には隊長の期待は重すぎた。ファインの事をただ放置していたも同然の俺には。

 

「シャカール様……」

 

「――だがやる事はきっちりやってやる。結果は分からねェがな」

 

 それだけが贖罪の道だ。

 



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21話 ……バレたかな

 

(エアシャカール)

 

 グリードに諭された翌日。俺はとある空き教室の机に尻を乗っけていた。

 

 ザザ……

 

 手に持っているトランシーバーがノイズを吐き出した後、グリードの声に似た機械音声がさえずる。

 

『こちらエージェントG。聞こえていたら応答を頼む』

 

「別に携帯で連絡とれば良くねェか?」

 

『良くない! こういう時ぐらいしか無線ごっこ出来ないんだから! ほら、もうすぐファインがそっち行くよ!』

 

 ザザ……ピ

 

 結局、エージェントらしい言葉遣いはどこへやら。やかましいノイズを黙らせるためにトランシーバーの電源を切った。

 途端に緊張が襲ってくる。ファインにどう声を掛けるかシミュレーションしていたのだが、それも頭から飛んでいきそうだ。

 カラカラの喉を水で潤していると、ついに教室の扉が開かれた。

 

「「っ……!」」

 

 お互いに体を震わせてフリーズ。俺の方は事前に知っていたにも関わらず情けない事だ。

 

「ごめんなさい……!」

 

 先に動いたのはファイン。6文字を(つづ)った後、教室から出ていこうとする。しかし、彼女が廊下のしきいを跨ぐ前に扉が閉じられた。次いで鍵の締まる音。

 

「えっ……? その、た、隊長? これはいったい!?」

 

 ファインが困惑するのも無理ない。人のいる場所では話せない事がある、とここまでファインを連れてきたSP隊長本人がファインを教室に閉じ込めたのだから。

 

「申し訳ありません殿下。しかし今はお許しください。どうかシャカール様とお話を」

 

 扉の向こう側から気配が遠ざかっていく。それはファインも感じ取ったのか、観念したように恐る恐るこっちを向いてくれた。

 

「……よう、こうして話すのは、久しぶりだな」

 

 潤していたはずの喉がいつの間にか乾燥していたせいで、つっかえながらもなんとか言葉を絞り出す。

 

「……前の続きを話したいの?」

 

「あァ」

 

 机から降りて、ファインの目の前まで歩いていく。

 

「“お前だから”だ。お前だからこそ、俺は自分を後回しにしてでもお前の世話をしてェと思ってる。今もそうだ。……そこまでだったよな、前回は」

 

「…………」

 

 ファインは前と同じように上を向く。

 

「続きを聞かせろ。“私……”の続きだ。お前は何て言おうとした?」

 

「…………」

 

 ファインは天井を見つめたまま、何も言わない。

 

「ファイン!」

 

「――言葉にすると、もっと辛くなるから」

 

 酷く弱弱しい声。普段の快活で明朗だったファインからは予想もできない声。

 しかし、ここで引くわけにはいかない。ファインの心にメスを突き立てて、膿を排出する事は俺にしかできないらしいから。

 

「頼む。俺のためだと思って言葉にしてくれ。お前の心の内を全部聞かせてくれ。そうじゃねェと俺は……気になって夜も眠れそうにない」

 

 卑怯な物言いだ。ファインの優しさにつけ込んで、アイツの心を引きずり出そうとしている。こんな事はしたくなかったが仕方ない。俺にはやるべき事をやる責任がある。

 

「………………も……」

 

 微かに聞こえた。ファインの目じりから雫が落ちる。

 

「……わた……も……」

 

 今度はもう少し大きな声で。音量に比例するように涙量が増える。

 

「私もシャカールだから……! シャカールだから自分より優先して君の事を心配したの……!」

 

 言い切ったファインは、膝から崩れ落ちる。俺は急いで彼女を支える。

 

「レースで走れなくなるとか! 自分の使命とか! ……そんな事じゃないの! 嫌なの! トレセン学園のみんなや、グリード、トレーナー、なによりシャカールと離れるのが!」

 

 背中に回されたファインの手は強く、強く俺の服を掴んでいる。とてもシンプルで簡単な事に気づかなかった俺を戒めるように、余りを失った服が締め付けてくる。

 俺も当事者だったというのに、分かりやすく示された煙幕に誤魔化されて気づけなかった。

 

「嫌だよ……! やだよぉ……!」

 

 ファインだけじゃない。認識してしまえば後は早かった。自分でも驚くぐらい大量の涙が出てきて、ファインの服を濡らす。

 

「俺も、なんだな……俺もだ……」

 

 目つきと口の悪さのせいで人付き合いが希薄だった俺にとっては、今までに抱いた事のない感情。戸惑いながらも徐々に自覚していく。

 

「俺も離れたくねェよ……ファインと……」

 

 壊れた二人の涙腺は膿を流し切った後でも、しばらくは止まらなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……悪ぃな。服、濡らしちまって」

 

 涙に含まれる塩分で炎症を起こした目をこすりながら、ファインに謝る。

 

「自分でも良くわかンねェ内に涙出てきて……抑えられなかった」

 

 最近の俺は変だ。怒りに任せてグリードに手を上げるわ、ガキみてェに大泣きするわ。それもこれもファインのせいに違いない。こいつが絡むと自制が利かなくなる。

 

「ううん、私もシャカールの服濡らしちゃったし。おあいこだよ」

 

 俺の胸に顔を(うず)めていたファインが顔を上げる。その声はいつものトーンだった。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「完全に、とまではいかないけど……うん。きっと言葉にするのが大切だったんだね。少し気が楽になったかな」

 

 ファインは立ち上がりスカートの裾を払う。続いて俺も立ち上がる。

 

「お前は皆と別れるのが嫌って言ってたけどよ。別に今生の別れってわけでもねェンだ。その気になれば会える。だからそんなに気に病むな」

 

 俺がそう言うと、ファインは困ったような顔に。

 

「でも日本とアイルランドだよ? ……会いに行くにも会いに来てもらうのにも、ちょっと遠いかな、って」

 

「別に遠くねぇだろ。直線距離で約10000km。飛行機に乗りゃあ一日足らずだ。気が向けばいつでも会いに行ってやるよ」

 

「本当?」

 

 一転、ファインの表情が華開く。

 

「レースで稼いだ賞金があるしな。旅費も時間も確保できる。なんならお前のSPとして働くのも悪くねェかもな」

 

 何気なく呟いた最後の一言。ファインはそこに、異様に喰いついてくる。

 

「SPかぁ……ふふふ、よいぞ! 私に仕える事、許してつかわす!!」

 

「給金は弾ンでもらうからな」

 

「シャカール手当を弾んで進ぜよう!」

 

「はは、そりゃひでェ公私混同だ」

 

 冗談を言い合う間に、スマホで隊長に連絡を送る。少しすれば鍵を空けに来てくれるだろう。

 

「――シャカールは、私に会いに来てくれるって言ったけど……それは私のためにそうしてくれるの?」

 

 スマホをスリープモードにしてポケットにしまう間、ファインがそんな事を訪ねてきた。

 

「…………」

 

 俺は少しだけ返答に困った。しかし、さっき大泣きしている間浮かんできた想いの断片を集めて纏めると、答えはすぐに見つかった。

 

「俺のためだ。俺がお前と離れたくないから。一緒にいたいから会いに行く。多分、そうなンだろうな」

 

「多分?」

 

「――自分でもまだ良く分かンねェんだよ。全寮制のトレセン学園に来た時も、親と離れたくねェなんて女々しい事は思わなかった。卒業式でも学校の奴らと別れるわけだが、別に何とも思わなかった。だからこんなのはお前が初めてで……」

 

 そこまで言って、ようやく途轍もない程恥ずかしい事を口にしていると気づいた。

 

「待て! 今のは……っ」

 

 急いで誤魔化そうとするが、少し遅い。ファインが今まで見たこと無い見事な恵比寿(えびす)顔で佇んでいた。

 

「……」

 

「お、おい……」

 

「…………」

 

「何か言ってくれ……」

 

「あ、ごめんね? ちょっと、筆舌に尽くしがたい感情だったから。それにしても照れちゃうな、そこまで特別に思われてると」

 

 頬に手を当てて顔を赤らめるファイン。しかし、顔の赤さで言えば俺の圧勝だった。

 

「聞かなかった事にしろ……!」

 

 ガシガシと頭を掻きむしり、無性に襲ってくる(かゆ)みから逃れようとする。

 

「“俺のためだ。俺がお前と離れたくないから――、一緒にいたいから会いに行く”……とっても情熱的だったよ」

 

「蒸し返すンじゃねェよ!!?」

 

 肌をかきむしる手が首にまで伸びる。

 しかし、グリードに揶揄(からか)われる時と違って、不快感は少なかった。それどころか、奇妙な心地よさすら感じる。

 

 これまた未体験の感覚を味わいながら、隊長が来るのを待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインとシャカールを空き教室に閉じ込めた少し後)

 

「上手くいってるかなぁ……」

 

「シャカール様なら恐らくは」

 

「だといいんだけどね」

 

 空き教室から少し離れた所。そこでグリードと隊長が待機していた。

 

「ま、事の結果は隊長だけでも確認できるでしょ? 私は練習行ってくるね」

 

「はい。色々とありがとうございました、グリード様」

 

「やだなぁ、そんなかしこまって。それに様付けだなんて……もっと言っても良いのよ? っと、おわわぁ……っ!」

 

 クネクネと体を動かして照れるグリード。彼女は足をもつれさせて転びそうに。苦笑していた隊長だが流石はSP、すぐに反応してグリードを抱き止めた。

 

「大丈夫……ですか?」

 

 なぜか隊長の言葉尻には疑問符がついていた。グリードは弾かれた様に自立歩行へと移行する。

 

「大丈夫大丈夫! 隊長が受け止めてくれたし! それじゃあ私はこれで!」

 

 隊長は急いで遠ざかるグリードを眺めながら、彼女を抱きとめた腕を上下させる。

 

(あの軽さはいったい……ウマ娘一人の体重とはとても……。それにグリード様は一年前の冬、あれほど厚着をしていただろうか?)

 

 彼女は学生服の上からパーカーを羽織っていた。今日はかなり暖かいにも関わらず。

 

(それにスカート、少し前から異様に丈を長くしていらっしゃる。室内なのに手袋まで。まるで肌を見せたくないかのように……)

 

 その考察は、隊長の心の中だけにとどめられた。

 



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22話 最近冷えるなぁ

 

(トレーナー)

 

 私はクズだ。トレーナーという肩書をのうのうと名乗ってはいるが、なんて事は無い。その実態はウマ娘の望みを叶える事すらできない無能。交わした約束すら守れない始末。何たる不道徳、何たる不誠実、何たる無責任か。

 そんな存在を表現するには? クズ、ゴミ……いや、私が持ちうる語彙で表現することなどできない。とにかく“最低最悪の何か”とだけは言える。

 

 酷く痛むお腹を手で押さえた。まだ胃に穴は開いていないと思う。

 

 シャカールに三冠を取らせてあげられなかった。無理なトレーニングをセーブするだけなら誰でもできる。私は誰でもできる事をやっただけだ。プラスアルファの勝利をもたらす事、(あた)わなかった。

 

 ぐにゃりと視界が歪んだ。――いつものめまいだ。

 

 ファインを笑顔のまま走らせてあげられなかった。スカウトした時に“満足させてみせる”などと大言壮語を吐いておきながら、その実は虚構。帰国が控えているファインは、いつもの溌溂(はつらつ)さが見る影もない。苦しそうな顔で毎日を過ごしている。一人の教え子を笑顔にする事すら(あた)わなかった。

 

 頭痛がする。嫌な事を考えない様に痛み出す、私の頭は何と都合良くできているのだろうか。

 

 グリードを勝たせてあげられていない。シャカールやファインの対処に夢中で、一人で練習する彼女に十分な気を回せていなかった。トレーナーとして最低限の仕事すら(あた)わなかった。

 

 能わない。能わナい。能わ無い。まさしく無能。

 

 吐き気を覚えるが昼食を抜いたのが幸いした。

 フラフラと幽霊のように彷徨(さまよ)っていると、廊下の曲がり角から口笛が聞こえてきた。反射的に胃が縮み上がる。

 聞きなじみのあるメロディーがどんどん近づいて来て、避ける間もなく曲がり角で出会った。

 

「うえっ!? トレーナー!?」

 

 私の教え子――グリードは目を丸くして驚いている。ばったりと出会っただけにしてはオーバーな反応だ。

 

「……大丈夫? お腹抑えてるけど。まだ治ってない? もう一回病院行く?」

 

 私の不格好な立ち姿を見て、心配そうな表情を浮かべるグリード。

 

 あぁ、彼女は何て優しいんだろうか。自分をまともに勝たせてくれない私に対しても気を回してくれるのだから。

 

 そんな考えが浮かぶと同時にひどく情けなくなる。本来なら私が生徒の心配をする立場にも関わらず、逆に心配される始末。

 

 ギリギリと胃がさらに痛んだ。

 

「大丈夫、薬飲んだからじきに良くなるよ」

 

「そう? なら良いけど……あんまり無理しちゃダメだよ?」

 

 無理、か。私の様な無能が無理をせずしてどう責務を果たせば良いのだろう。

 痛みが一段とひどくなる。

 

「グリードはこんなところで何してたの?」

 

 ここはあまり使われる事のない校舎棟の一つ。私は上の空でうろついている内にたどり着いていたが、グリードは何の用があってここにいるのだろうか。

 

「んー……まぁ端的に言うと、ファインとシャカを一緒の部屋に閉じ込めてた。ファイン、色々とため込んでるみたいだから、シャカに受け皿になってもらってる所」

 

 その言葉を聞いた途端、頭から血の気が引いていく。思わずその場に座り込んでしまった。

 

「ちょ! 本当に大丈夫、トレーナー?」

 

 しゃがみ込んで、心配してくれるグリードの声も耳に入ってこない。

 

 本来ならファインのメンタルケアは私の仕事。にもかかわらずグリードがその仕事を果たしている。無能な私に代わって。

 ……本当に私の存在意義は何なのだろうか? 何もしていないならまだ良い。しかし、現在進行形で担当に余計な心配をかけてしまっている。もう……ホントに……もう……。

 

 そんな事を考えながら立ち上がると、視界が白く染まった。

 

「ちょっと……! あぶなっ!」

 

 立ち眩みを起こした私をグリードが支えてくれる。それがまた、私の胃痛を大きくさせた。

 

「ごめんね、もう大丈夫だから……」

 

 グリードの腕を掴み、自分の足で立とうとしたその時。私の小さな手がグリードの前腕部分を一周した。

 

「……え?」

 

 あり得ない。手首ならともかくだ。ある程度の太さがある前腕部分を掴んでいるにも関わらず、親指と中指がくっついてしまっている。服の厚みもあるのに。

 あまりに細い手ごたえに、間抜けな声が口から漏れた。

 

「やっぱりもう一回病院行った方が良いんじゃない? ヤバそうなら私もついてくよ?」

 

 グリードはそう言いながら、急いで私の手を振りほどく。その不自然な動きに私は確信を強めた。

 払われた手で再び彼女の腕を握る。

 

「な、何? そんなに腕掴んじゃって? 支えがいるなら肩……あー、私か弱い女の子だからSPの隊長でも呼んでくるね! ここで待ってて?」

 

「グリード」

 

 腕を振って私の手から逃げようとする彼女の名前を呼ぶ。彼女は隠し事がバレた子供の様な表情を浮かべた後、観念したように力を抜いた。

 

「……何、トレーナー?」

 

「袖、(まく)って。手袋も」

 

 私がそう言うと、グリードは素直に手袋を外し両袖を捲る。その瞬間、息を呑んだ。

 

 彼女の前腕と手首は肉がこそげており、ひどく細い。普段は肉に包まれていて忘れそうになるが、体の芯は骨という事を嫌でも分からせられるこけた腕だ。

 手の指も骨と皮が優位で、関節部分が痛々しい程に目立っている。肉が少ないせいで掘りの深い手の甲はとても女の子のそれではない。

 そして最も特徴的なのが皮下脂肪という隠れ蓑を失った静脈。前腕、手首、手のひら、手の甲、指の先――所かまわず縦横無尽に走っている。そのどれもが酸素を失った血液の色で、自分の存在をこれ見よがしに主張していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「グリード……これ、いつから……」

 

「ん~、ドンドン痩せていったから具体的にいつからっていうのは難しいけど……食事制限始めたのは1か月ぐらい前かな」

 

 気が遠くなりそうだった。過度なストレスで心臓が仕事を放棄して、脳まで血流を回してくれない。血行不良で指先が痺れる。

 

 私はどれだけ無能を晒せば気が済む?

 

「あー……そんなに深刻に考えなくても大丈夫だよ? 見かけは悪いけど不調は無いし。それより浮いた血管触ってみる? ぷにぷにしてて意外と心地いいから。ほら」

 

 私の顔色を(うかが)ったグリードが重ね重ね気を使ってくれる。親指をずらして彼女の血管に触ると、弾力と暖かさ、そして生々しい脈の息遣いが伝わってきた。

 しかし、それはとても弱弱しい。痺れた私の手では全ての感覚が減退して感じられる。

 

「ご飯、食べてないの……?」

 

「あんまり。でもそっちの方が走りの調子良いからさ。えっと……」

 

 グリードはポケットからストップウォッチを取り出して、私に見せてくる。

 

「ほら、このタイム。昨日出したんだよ。凄いでしょ?」

 

 自慢げな顔をするだけあって、そこに表示されていたタイムは私が知る彼女の自己ベストを大きく更新していた。

 

「そんな体で走ったの……?」

 

 絞り出すような金切り声。

 

「うん。何回も走るのは流石に無理だけど一回ぐらいなら平気だよ」

 

 そうじゃない。そうじゃないよ、グリード。

 

「なんで……?」

 

「なんでって……こっちの方が速く走れるから。理屈は分かんないけどね」

 

 ダメ……もう……わかんなくなってきた……。

 

「病院行こう……? 拒食症なのか消化器官が弱ってるのか、何が原因かは私なんかじゃ全然分かんないけど……とにかく早く治さないと……」

 

 私がグリードの腕を引くと、驚くほど簡単に彼女はよろける。引いた手からも重さを感じない。質量が足りない。

 

 感情がぐちゃぐちゃになって涙が出そうになる。

 

「病気じゃないよ。私が好きでやってる事だから」

 

 よろけて私に寄り掛かったグリードが離れながら言う。

 

「信じてもらえないかもしれないけどご飯を抜いてると、この……ね? この……あ~! 何て言えば良いのかな!? とにかくここ! ここにあるのね? 何かがね!? 体の中にね!?」

 

 グリードは自分の胸を指差す。

 

「それが活性化して不思議と好戦的な気持ちになるわけですよ。レースで勝って、富、名声、力、この世の全てを手に入れろ、って感じに。そうするといつもより速く走れて、やったー! 万歳! ってなるんだけどさ。

 ここでご飯食べちゃうと、心臓の当たりにある何かが満足しちゃってさ。お腹いっぱいでサボり始めちゃうの」

 

「何それ……? ハングリー精神とでも言いたいの……?」

 

「そうそれ! まさに文字通り! 肉体的に飢えてる時は精神的に満足しようと天秤が傾くのかな? 何があろうと絶対レースに勝つぞ、って気分になれるんだ」

 

 だからといってこんなガリガリになるまで……

 

 私の反論は続くグリードの言葉によって黙らせられた。

 

「食事制限は辛いけど、このまま行けば重賞制覇も夢じゃなさそうだしね。もうひと踏ん張りかな」

 

 それを言われてしまうと、私はもう何も言えなくなってしまう。

 

 彼女を勝たせて上げられなかった私が彼女の努力に口出しできるのか? でもこのままだとグリードが倒れて……。いや、そもそも私の指導力が足りていればこんな危険な行為を彼女にさせなくて済んだ?

 

「……へくしっ!!」

 

 私が考え込んでいる間にグリードが大きなくしゃみをかました。脂肪が落ちたせいで体温維持能力が低下しているのだろう。厚着をしているのもそのせいか。

 

「……大丈夫?」

 

 捲られていた彼女の袖を元に戻す。そして、両手で彼女の手を包み、ゆっくりと擦る。

 彼女の手は外気と変わらないくらいに冷えていた。

 

「最近いつもより冷えるんだよね。ご飯抜いてるせいかな……あ、そうそう! ご飯抜いたせいといえば!」

 

 思い出した、という風にウマ耳を立てるグリード。

 

「ご飯抜きだとやっぱり体力足りなくてさ。食事制限が行き過ぎるとゴール前にガス欠起こしちゃうんだよねぇ……」

 

 当然だ。レースでは60km/hで2kmほども走る。それには相応のエネルギーが必要で、そのエネルギーは食事から摂取しているのだから。

 

「――だからさ、トレーナーが調整してくれない?」

 

「……え?」

 

 現実逃避気味にぼんやりとしていた私は、冷や水を掛けられた気持ちだった。

 

「だからトレーナーが私の調整してくんない? レースを走り切れるギリギリの食事量を見積もってさ。私そういうの苦手だから」

 

 ここにきて、グリードは私に(さい)を預けてきた。

 私は賽を手にただ立ち尽くす。

 

「……トレーナー?」

 

 グリードは勝ちたがってて、それを支えるのがトレーナーの役目。彼女を満足させてあげるのがトレーナーの役目? だから彼女の調整をする義務が私にはあって……あって……? あって? あって? だから彼女の頼みは断れなくて?

 

「…………分かった。出来る限りやってみる……」

 

 散々無能を晒してとっくに限界を迎えていた精神は支離滅裂な結論を導き出す。

 賽は指の隙間から零れ落ちた。

 

「ホント? てっきり反対されるかと思ったけど、言ってみるもんだね!」

 

 グリードの嬉しそうな声も遠くに聞こえる。

 

 彼女を怪我させない、レースで勝たせる。その両立を今度こそ果たさなければいけない。

 ――それまで体が持ってくれれば良いけど。

 

 痛むお腹に手を持っていこうとして、止めた。目の前の教え子をこれ以上心配させるわけにはいかないから。

 



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23話 ここに来てみんなが私に力を貸してくれる主人公展開キタコレ!

 

(エアシャカール)

 

 ファインと腹を割って話した翌日。レース後の休養は明けていないが、何となく練習コースに足を運んでいた。

 

「あれ? シャカールも来てたんだ」

 

 昨日までとは打って変わってスッキリした顔のファインが遅れてやって来る。

 

「何となく、な」

 

「ふふ、おそろいだね。私も何となく来ちゃった」

 

 そんな事を言いながら隣まで歩いてくるファイン。俺と同じくコースの外ラチに肘をつく。距離が近いせいでファインと俺の肘は触れ合っていた。

 パーソナルスペースで言えば密接距離。しかし不快感は感じない。

 

「あれ? 何で二人がいるの? まだ休養明けてないんじゃない?」

 

 後ろから呑気な声が聞こえてくる。振り返ると、案の定グリードの姿が見えた。

 

「おはよう、グリード」

 

「おはよう、ファイン。……その様子だと、昨日は上手くいったみたいだね」

 

「昨日、って……どうしてグリードが知ってるの?」

 

「え、あー、まぁ、そこんところはシャカールの口からどうぞ!」

 

「なンで俺に振るんだよ」

 

「こういうのは本人が言っちゃあ野暮ってもんよ。第三者が伝えるから粋になるんじゃあねぇか」

 

 また良くわからない事をぬかすグリード。仕方なく俺は顛末(てんまつ)をファインに話した。

 

「そうだったんだ。ありがとね……いや、褒めてつかわす!」

 

「ははぁー! もったいなきお言葉!」

 

 大げさな茶番を繰り広げる二人を横目に考える。

 

 ……俺もちゃんと礼を言っといたほうが良いのか?

 

 一応はこいつのおかげでファインを助ける事ができた。その事については不本意ながら感謝はしてるし、一般的には謝意の意を示す言葉をかけた方が良いというのも分かる。

 

 ……あ?

 

 突然、嫌な感じがした。

 

 いやどこにそんな要素があった? ……落ち着け。もう一度思考をなぞれば原因が分かるはずだ。

 

 さっきは確かグリードのおかげでファインを助ける事ができたと考えていた。グリードは俺とファインが二人で話せるように図らってくれた。その時、俺が思い込みでキレてグリードの胸倉をつかんで持ち上げて……。

 

 (俺の腕をタップする感触と、細い声に反応して手を離した。ボス、と軽い音が響く)

 

 軽い音。そうだ、軽い音。グリードが尻もちを着いたあの時、明らかに軽い音が響いていた。まるで体内ががらんどうだと言わんばかりに。

 

 その気づきと同時に、俺の記憶が恐ろしく軽い手ごたえを再現した。

 

「……」

 

 俺は無言でグリードに近付き、膝と背中を抱えて持ち上げる。

 

「えぇ!? なんでいきなりお姫様抱っこ!?」

 

 腕の中で驚くグリードは驚くほど軽い。加えて肉よりも固い骨の感触が服越しに伝わってきた。

 

「お前……!」

 

「あぁこれ? 最近食事制限してるから」

 

 腕の中からするりと抜け出したグリードが平然とさえずる。

 

「その軽さ!! 明らかにやりすぎだろうが!?」

 

 グリードの腕を掴み、ジャージの袖を捲る。

 

「……っ」

 

 ファインが息を呑む音が聞こえた。

 少し力を入れるだけで折れそうな前腕。肉が削げた細い手首。絡まったイヤホンコードのごとくうねる、皮一枚だけに守られた血管。

 

 予想以上の惨状に、俺も言葉を失ってしまった。

 

「大丈夫だって。こっちの方が走りの調子は良いからさ」

 

 俺の手を払い、淡々と語るグリード。

 

「そんな体で走って……ううん、そもそもそんな体で大丈夫なの?」

 

「うん。日常生活に支障はないよ。疲れやすくはなったけどね」

 

「……」

 

 ファインがおずおずとグリードの腕を取る。

 

「浮いた血管触ってみる? ぷにぷにしてて気持ち良いよ」

 

「……ううん、遠慮しとく」

 

 その代わりに、浮いた骨を優しくなでていた。割れ物を扱うように優しく。ファインの表情を(うかが)うと、一瞬だけ恥じるような悔いるような顔つきをしていた。

 

「……っ、ちょっとファイン、くすぐったい……」

 

「あ、ごめんね?」

 

 ファインがグリードから手を離した時には、もう笑顔に戻っていた。こそばゆさに口角を上げるグリードとは比べるべくもない硬さだが。

 

 ファインの心情は良くわかる。ひどく痩せた体にも関わらず、俺たちの心配をしてくれたグリードに恥じ入る気持ち。自分達に手いっぱいでこんなになるまで気づけなかったという後悔。

 

 ……待て、どうしてこんなになるまで俺たちは気づけなかった?

 

 ファインの件に気を取られていたのも確かにあるが、それだけでは説明がつかない事がある。これだけ痩せていれば、どれだけ余裕が無くても普通は気づくはずだ。どれだけ厚着をして肌を隠していようとも、顔が外に出ている限りは頬がこけたり、肌が荒れていたり、目が落ちくぼんでいたり等、何かしらの症状が出る。

 

 しかし今のこいつは顔だけ見れば以前と変わりない。

 

「顔見せろ!」

 

 グリードの後頭部を支え、自分の方に引き寄せた。パッと見は、やはり健康そうに見える。

 試しに指で肌をつまんだ。

 

「見せるどころか触られてる……」

 

 厚く、なめらかで弾力がある健康肌。次は髪を引っ張ってみる。

 

「いで! いでで……! 何すんのさ!?」

 

 太く、さらさらで引っ張っても抜けない。健康そのもの。次は手の爪。手袋をはぎ取って放り捨てた。

 

「ちょっと!? 私の声聞こえてる!?」

 

 血色が良い。欠けたりひび割れたりもしてない。

 

「靴脱げ! 足の爪も見せろ!」

 

「もう好きにして……」

 

 手の爪と同様。健康、いたって健康だ。

 

「おかしい。お前の体は明らかにおかしい」

 

「おかしいのはシャカールの行動じゃないかなぁ!?」

 

 こんなに痩せるほどの食事制限。普通なら栄養不足で爪や髪の毛、肌に異常が現れるはずだ。にもかかわらず、そこに関しては全くの健康体。

 しかもこいつの腕。浮いた血管が異様に膨張している。より沢山の血液を全身に送るために発達したかのようで……。

 

「グリード、ちょっと走ってみろ」

 

「シャカール!?」

 

 ファインが信じられないと言う顔で肩を掴んでくる。

 

「大丈夫だ。グリード、昨日も一昨日も走ってんだろ?」

 

「まぁね。ちゃんと2000mは走っとります!」

 

「なら良い。走ってみろ」

 

「言われなくてもそのつもりだよ。準備運動するのと、トレーナーもまだ来てないからちょっと待ってて」

 

 グリードが準備体操を始めるのと時を同じくしてトレーナーがやってきた。

 

「あれ、ファインとシャカール? 久しぶり、けどまだ休んでないとダメだよ?」

 

「別に走りにきたわけじゃねェよ。たまたま会ったグリードの走りを見よう、って話だ」

 

「そうなんだ、なら良いんだけど。……グリード、今日の朝と昼、何食べたかちゃんと書いてる?」

 

「もっちろん。こいつにしかと記してますぜ?」

 

 グリードがメモ帳を放ってトレーナーに渡す。

 

「……うん。今日の走りを見て食事量は調整していこうか」

 

「了解、了解」

 

 この様子だとトレーナーもグリードの状態は知っているようだ。

 

「おい、トレーナー」

 

「何、シャカール?」

 

「グリード、走らせるつもりなンだな?」

 

「……うん」

 

 少しだけ躊躇した後、肯定が返って来る。

 

「そうか。なら良い」

 

 トレーナーも覚悟を決めてるのなら、俺も手伝おう。

 

 グリードの異常状態も気になるしな。

 

 トレーナーの横に立ちウォーミングアップするグリードを眺めていると、ファインが間に割って入って来る。

 

「待って! トレーナーもシャカールも本当に良いの?」

 

「……グリードがそう望んでるから」

 

「だからって……」

 

「あいつは俺らが何を言ったところで止めやしねェよ」

 

 トレーナーの返事を聞いても、渋るファインに声を掛ける。

 

「あいつはお前とは違う。自分がやりたい事は何があっても――例えこのチームを離れてでもやり通す。多分そういう性格だ」

 

 不本意だがあいつの本質は俺に似てる。俺が限界を超える事を決して諦めない様に、あいつも自分のやりたい事は絶対に諦めないだろう。

 

「なら放っておくよりは目の届く所に置いておく方が良い。違うか?」

 

「…………」

 

 長い沈黙。

 

「……分かったよ。私も出来る限り手伝う」

 

 ファインも納得してくれた。

 

 今度は俺たちがグリードを支える番……なんて青臭い事は思いたくねェが、それに近い形になったのは否定しない。

 

「良し! 準備終わり! じゃあ今から走るから、よく見とけよ?」

 

 当の本人は呑気そうにターフに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうよ? 速かったでしょ?」

 

「うん、確かに早かったよ。けど……」

 

「一回走っただけでフラフラだな」

 

 ファインに肩を借りているグリード。息はもう切れていないが、サムズアップする左手がかすかに震えていた。

 

「なーに、レースで走れる距離だけ持てば良いのよ。もう少し絞っても大丈夫かもね」

 

「なら、明日は少しだけ食事量を減らそうか」

 

「待て、最低限のタンパク質とカルシウムはとらねェと流石にヤバいだろ。食事内容は入念に吟味するべきだ」

 

「ピーマン入ってなければ献立は好きに決めて良いよ」

 

「テメェの食事内容考えてンだよ! もう少し当事者意識を持ちやがれ!」

 

「って言われてもねぇ……。私が献立考えると、クルミと小魚を()むだけになっちゃうけど」

 

「お前マジでぶっ倒れるぞ」

 

 危機意識が欠如しすぎだ。自分だけは何とかなるとでも思っているのか?

 

「とにかく、次のレースまでは俺とトレーナーの指示に従ってもらう。絶対順守だ。泣き言ぬかすンじゃねェぞ」

 

「もち。もとからそのつもりだし」

 

 限界まで体を絞っているグリードは長時間練習できない。結局、この日は夕飯の指示をして解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三人称)

 

 コツ、コツ、コツ……

 

 トレーナー居室が並ぶ校舎棟に靴音が響く。

 

 ズル、ズルズル……

 

 音が変わった。壁に服がこすれるような音。人影がどんどん下に沈んでいく。

 

「……ぅ……ぅぅぅぅ“ぅ”……」

 

 人影は両手をお腹に当ててうずくまる。

 

「痛み止め切れてきた……。今朝より痛い……流石にチャンポン*1したのは、まずかったかな……」

 

 それでも痛みに慣れてきたのか、人影はゆっくりと立ち上がる。

 

「けど昼間は何とかまともに活動できる……。なら、良いか……。グリードが勝つまで持てば……」

 

 人影は頼りない足取りで再び歩き始めた。

 

 偶然にもその姿を誰にも見られなかったのは、はたして幸か不幸か。

 

 

 

 

 

*1
さまざまなものを混ぜること。ここでは鎮痛剤を二種以上併用したことを指す。



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24話 悪い。やっぱつれぇわ、減量

感想を拝見した所、前話の最後の描写をグリードのものだと捉えていた方がいらっしゃいました。
本当はトレーナーの描写でございます。

勘違いをしてしまうような描写になってしまい、申し訳ありません。
また、分かりやすいように前話を加筆修正しております。


 

 日記

 スーパーグリード

 

 1月10日(火)

 冬休みも終わり新学期が始まった。

 

 ――あー! もう何書きゃいいの!? トレーナーに日記付けろって言われたからこうして付けてるけど。何でも自律神経が整うだとか、ストレスが減るだとかメリットがあるらしい。とはいえ初めてで何を書けば良いのかわからない。

 

 ――なんて書いている内に結構埋まってるじゃん。今日はこれぐらいにしとこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1月17日(火)

 日記を書き始めて一週間。最近小さな物音にも敏感に反応するようになった。後ろの子が教科書をめくる音とか、衣擦れの音とか。遠くの音もすぐ近くで鳴っているように聞こえるのが何とも面白い。

 

 ――日記書くのにも慣れてきたんじゃない? 初日と比べると雲泥の差じゃん。ちゃんと日記になってるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1月24日(火)

 今日、私が出るレースが決まった。2月26日の中山記念。ここで勝てば、GI大阪杯の優先出走権が貰える。きちんと体を仕上げて一着を取ろうと思う。

 

 ――真面目に書いている部分を見直すと、なんか恥ずかしくなってくるなぁ……。まぁこれはこれでホラーゲームに出てくる手記感があって良いかもしれない。

 

かゆい

うま   

 

なんてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1月31日(火)

 最近、お腹が鳴る事が増えた。食事制限しているので当たり前と言えば当たり前なのだが、それにしても良く鳴る。小テスト中に三回鳴った時はとても恥ずかしかった。

 

 ――なんでよりにもよってテスト中に……orz*1 あ、今も鳴った。

 おーよちよち。ごめんねぇ、ご飯食べさせてあげられなくて。お願いだからレースまでもうちょっと我慢しておくれ……。

 

 

 

 

 

 なんで自分の胃袋の機嫌とってんだ、私? アホくさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月7日(火)

 今日はSPの隊長に威圧されてしまった。私がファインに話しかけると、急に間に割ってきて今にも掴みかからんばかりに。その後、気まずそうな顔で謝ってくれた。

 

 ――なんで?

 普通に話しかけただけなのになぁ。“すごい敵意を感じたので”なんて言ってたけど……もしかして目つき悪かったかな?

 

 ――うん、鏡で見てきたけど目つき悪かったわ。自分で自分の顔に驚いちゃったよ。前髪、切らずに伸ばそっかな。陰気になるけど、見る人見る人全員に睨みを効かせるよりはマシでしょ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月14日(火)

 いつもは夜に日記を書くが、今日は朝に書いている。寝起きに鏡を見ると、頬が少しこけていた。頬に空気を溜めると、普段通りに見える。しかし、日中ずっとそうしているわけにもいかない。

 結局、学校は休むことにした。クラスのみんなに心配をかけるのも気が引ける。幸いにしてトレセン学園はレース関係で理由を付ければ、学校を休むのは難しくない。

 練習も夜に行おう。

 

 

 

 ――レースまで結構休むことになっちゃうけど、出席日数足りるかな……? 確認、めんどくさいなぁ……。まぁ、多分足りるでしょ。

 でも、もし足りなかったら……いや、そんな事ないよね? 今まで休んだことほとんどないし。けど……あーもうめんどくさい! 大丈夫でしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月17日(金)

 お腹がずっと変な感じ。体は食べ物を欲しているのに、心は食事を受け入れようとしない。お腹の異物感の原因が、腹ペコだからなのか、満腹だからなのか分からなくなってくる。水を飲むとお腹が空腹を思い出してくれて、夢の中にいるような浮遊感が無くなるから重宝している。

 

 ――ニンジンハンバーグ食べたいなぁ。でもなんでか食べたくない、って気持ちもある。心がふたつあるる~。……誤字った。あーでも消すのめんどいし、そのまま書こ。

 ファインが部屋に来てくれて、雑談してくれるのが最近の救いだなぁ……。気が紛れて

 

「……あ、ペン落とした。…………めんど、今日はここまで良いか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月21日(火)

 エアコンの音がうるさく聞こえる。誰かの話し声がうるさく聞こえる。時計の針がうるさく聞こえる。

 耳を塞ぐ。それでも筋肉の音がうるさく聞こえる。鋭くなりすぎた聴覚が仇になっているようだ。

 

 

 

 削ぎ落としたい。

 

 ――物騒なこと書いちゃった。削ぎ落としたいだなんて私、異常者じゃん…ヤバいですね☆ 

 もっと他のこと書かなきゃ。他のこと、他のこと……

 

「……ねぇよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月23日(木)

 お腹が空いた。空腹感が凄い。今まで感じなかったのがおかしかったのだろうか。あぁ、にしてもお腹が空いた。なんでこんなに腹減ってんだ? 誰のせいだよこんなに腹減ってんのは、バカか私のせいだったわ、ははははは何笑ってんだふざけてんじゃねぇよわたしのせいだろうがわたしがこんなに苦しんでんのは!―~#!R#W縺オ縺ス難谿コ縺呎ュサ縺ュ縺上◆縺ー繧後縺谿コ縺呎ュサ縺ュ縺上◆縺ー繧後縺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや

 

 お前らのせいだ

 

   私の前を走る

     

       お前らのせいだ

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月24日(金)

 日記を読み返すと昨日の私は随分と荒れていたみたいだ。一晩経って、客観的に振り返ると幾分か落ち着きを取り戻せた。レースまで後2日、もう少し頑張る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

 2月26日。中山記念当日。パドックにはぶかぶかのジャージを着たグリードが、目を閉じて立っている。

 

『6番人気、この評価は少し不満か。スーパーグリード、仏頂面で仁王立ちだ。前髪も前より長いですね。イメチェンしたのでしょうか』

 

 パドックは自分の仕上がりを観客に見せる為、脚を晒す場だ。例に漏れずグリードもジャージを一気に脱ぎ捨てる。

 

 

『勢いよくジャージを脱ぎ飛ばし……? いえ、これは……ジャージの下にジャージを着ている! ウケを狙いに行ったのでしょうか』

 

 観客席からは結構な笑い声が上がる。それが収まるのを待たず、グリードは舞台から(きびす)を返した。

 

「しかも、二枚目は脱ぎません! ジャージマトリョーシカの中にいったいどんな肉体を隠しているのか。手袋もして顔以外まったく肌が見えません。

 その正体は本バ場で確認いたしましょう。もしかしたら調整に失敗して太り気味の可能性もありえます」

 

 実況がグリードの行動をイジると、観客席からは再び笑いの声が上がった。

 

「さぁ、続きまして……」

 

 グリードとすれ違いで、次の子がパドックの上に姿を現す。遠目からでも良くわかる。その子はひどく緊張していた。

 

 

 

 

 

 

 パドックを見終えた後、シャカールと隊長と一緒にグリードの控室へ向かった。控室の扉をノックする。

 

「どうぞ」

 

 トレーナーの声。グリードと一緒に中で待機しているのだろう。

 

 部屋に入るべく扉を開いたその時、無意識にドアノブから手を離してしまった。体が後ろに引かれ、隊長が私の前に踊り出る。遅れて鼓動が加速し始めた。

 

 扉の隙間からは、形容しがたい“気”が漏れていた。それでも言葉にするのなら……敵意、が近いだろうか。

 

「き、急に申し訳ありません。殿下」

 

「いいえ、大丈夫です」

 

 謝罪を述べる隊長を後ろに下げる。

 意を決して、今度こそ扉を開いた。部屋の中でグリードが椅子に座り、膝の上に肘を置いて前かがみの姿勢でいるのが見える。

 

「二人とも来てくれたんだ。それに隊長まで」

 

 そのセリフの間に口から覗いたグリードの八重歯が、やけに鋭く見えた。

 

「ごめん、へち向いたままだけど。……今、目を合わせると多分怖がらせちゃうから」

 

 グリードは自分の前髪をいじる。

 

「ううん、大丈夫。そのままで良いよ」

 

 部屋の中に一歩踏み入れる。ひどく落ち着かない。空腹の狼と同じ檻に入れられれば、こんな心持ちになるのだろうか。

 

 隊長は私の後に続いて、シャカールは少し躊躇(ちゅうちょ)した後に部屋に踏み入れる。

 

「……そういえばパドックではこけた頬、どうしてたの?」

 

「こう」

 

 グリードの頬がぷくっ、と膨れた。そこから少しづつ空気が抜け、丁度良い塩梅の顔つきに。

 

「結構物理的に対処したんだね」

 

「ここまで来ると流石に化粧じゃ誤魔化せなくってね」

 

 アイスブレイクと思っての会話だったが、私の緊張はまったく取れなかった。それでもグリードに近寄り彼女の腕を取る。

 パドックとは違い、今のグリードは半そで姿。二か月前よりも少しだけ細い腕。脚は腕ほどでないがそれでもかなり細い。半ズボンの裾がダブダブだ。

 

「……お願い、怪我しないで帰ってきてね」

 

「ん、大丈夫」

 

 グリードは軽い口調で答える。

 

「トレーナーやファイン、シャカには色々助けてもらったからね。怪我して恩を仇で返すような真似はしないよ。無事に帰って来るし、勝つから」

 

 口調とは対照的に、グリードの目にはほの暗い陽炎(かげろう)が宿っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三人称)

 

『さぁ、本バ入場の時間と相成りました』

 

 次々と入場する子達は、ほとんどが健康的な肉体に闘志をたぎらせてレースに臨もうとしていた。

 

『次は………………? え、っと……?』

 

 そこに明らかな異物が。ターフに姿を現したのは、枯れた肉体に敵愾心(てきがいしん)だけを搭載したウマ娘。間延びした実況の声が響く。

 

「おいおい、あんな体で走れんのかよ……?」

「体を絞ったってレベルじゃねぇし……ヤバいんじゃねぇのか? 」

「出走、止めさせた方が良いんじゃ……」

 

 次第に観客席が動揺で埋まっていく。中にはグリードを心配し、走るのを止めさせようという声も上がっている。

 

 しかし、ゲートの前まで歩いて来たグリードが観客席を一睨みすると、喧騒は一瞬で静まった。ゲートインを待つウマ娘達も、できるだけグリードから距離を置こうとしていた。

 

『ゲートインがなかなか進みません。普段ゲート難ではない子達も、今日ばかりは渋っています』

 

 

 

 かなりの時間を要して、ようやくすべてのウマ娘がゲートに収まった。ここからは早い。一分と立たず、レースが始まる事だろう。

 

 

 

『……今スタート! かなりのウマ娘が出遅れました! 5枠のスーパーグリードに近い子ほど出遅れがひどい、綺麗に凹んでいる!』

 

 グリードは逃げウマ娘。横に競り合う相手がいなければやりたい放題。彼女はそのまま先頭を突き進む。

 

『スーパーグリード、一人だけ独走状態! 力強さはないが、速い走り! まるで亡霊が一人、タイムアタックをしているかのようだ!』

 

 グリードの力走に観客達がにわかに盛り上がる。しかし、彼女が前を通った瞬間にその顔を曇らせていく。

 時速60kmで走るウマ娘が目の前を通る。普通であれば、かなりの振動と音が響くのだが、彼女に限ってはそうでなかった。

 

 揺れがない。音がしない。風を感じない。目を閉じれば光の届かない深海にいると勘違いするほど彼女から気配を感じないのだ。

 

 代わりに残すのは見る者の背筋を凍らせる“怖気”。半袖の観客は身震いするほど。

 

 

 

『レースは終盤! 先頭は相変わらずスーパーグリード! 後ろは追いつけないか? いや、一人だけ来ている! 一人だけ来ているぞ! 内からフォルテシオン! 6バ身、5バ身と差を詰めていく!』

 

 第四コーナーを抜けた所で二人はついに並ぶ。グリードの方は序盤から飛ばしたせいで、フォルテシオンのほうは早めにスパートを掛けたせいで、どちらも垂れかけていた。

 

 互いのスタミナは限界、そうなると勝負の決め手は何に委ねられる? 根性か、気合か、精神か。

 

 フォルテシオンがグリードを睨む。グリードも睨み返す。

 

『ここで、フォルテシオンがついに顔を上げた! ずるずると失速! 一着は、スーパーグリードだ!! その体でよく頑張った!!』

 

 

 

 

 

 

 ゴール板を割った瞬間、グリードが一気に減速する。そのまま地面に転がった。

 

「最後、引いてくれて助かったなぁ……。あのまま張り合われてたら、ファインとの約束守れなかったかも……」

 

 シリアスな事を呟いたのも束の間、グリードの顔がだらしなく緩む。

 

「へへへへ……これで私も重賞バ、と……。はー、笑うのも一苦労だわこれは。トレーナー、ファイン、シャカ、早く来てくれー……」

 

 大の字でピクリともせずに、助けを待つグリード。その顔はとても満足そうなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

「グリード、勝っちゃったね!」

 

「ケッ、脚の消耗を嫌ったフォルテシオンが減速しただけじゃねぇか。アイツの目標は大阪杯だからな、賢明なこった。

 もしアイツが全力で行けばグリードは負けてたか……ただでは済んでなかっただろうよ」

 

「でも、結果はグリードの勝ち。勝負に“もし”は禁句でしょ?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 シャカールは仰向けに転がるグリードを見つめている。その目はどこか羨ましそうに見える。

 

「最後、グリードが貪欲に勝ちを譲らなかったからフォルテシオンが先に折れて譲ったんだよね。“怪我をしない”“一着も取る”……すごいなぁ、どっちも達成しちゃった」

 

 グリード。彼女は私とは正反対だ。私は諦めが良くて見切りが早い方だけど、彼女は決めた事は何があろうとやり抜こうとする。今回はその姿勢が功を奏したのだ。

 

 ……グリードが私と同じ立場だったらどうするんだろう。王族としての使命も、レースで走る事も、シャカールと離れたくないのも、全部諦めないのかな……?

 でも、いくら彼女とはいえ、両立が不可能な事は達成できないんじゃ……待って、本当に両立は不可能なの?

 

 閃き一閃。

 

 “使命も果たす”、“レースも走る”、“シャカールと一緒にいる”、全部果たしてみせよう。それでこそ、私は真にファインモーション足り得るような気がした。

 

「いいんだよね、私もグリードみたいにおバカになっちゃっても」

 

 賢明なままではダメだ。合理的で簡単な“諦める”という方向に流れてしまう。だからこそ愚鈍で、貪欲で、傲慢に行こう。 我、王族ぞ? 

 

 そうすることで初めて見える道が確かにあった。

 

 

 

『おっとスーパーグリード、倒れたまままったく動きません。トレーナーが駆け寄って肩を貸していますが、ちょっと厳しそうです』

 

「……私達も行こっか」

 

「レース後まで世話のかかる奴だな」

 

 二人でコース上へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

「しゃあっ、一着!!」

 

 無事に勝利を収めた私は、トレーナーとファインに肩を借りながら、控室まで戻ってきた。

 

「次はライブ、早く衣装着替えない……っとと……」

 

 用意しておいた衣装に手を伸ばした途端、バランスを失い床に倒れてしまう。

 

「グリード! 流石にその体じゃあライブなんて……」

 

 ファインが心配してくれるが、その点はノープロブレム。

 

「トレーナー、呼んでおいてくれた?」

 

「うん。すぐに来てくれると思う」

 

 そのやり取りのすぐ後に、控室の扉が開かれた。

 

「グリード、持ってきたぞ」

 

「ビワハヤヒデ先輩!」

 

 過度な食事制限をしていたため、例えレースで勝つ事ができてもウイニングライブで踊り切れる体力は残っていないだろうと予想していた。その対策としてビワハヤヒデ先輩に即効性のあるエネルギー食を用意してもらっていたのだ。先輩、その手の事に詳しいらしいから。

 

「いただきます!」

 

「えっと、その黒い液体は……」

 

 私が飲み始めた液体の正体をファインが尋ねる。その問いにはビワハヤヒデ先輩が答えてくれた。

 

「炭酸抜きコーラ。炭酸を抜いたコーラはエネルギーの効率が極めて高い。レース直前に愛飲するマラソンランナーもいるくらいだ。――そして特大タッパのおじやとバナナ。これも即効性のエネルギー食。さらにウメボシも添えて栄養バランスも良い」

 

 コーラを流し込みながら、ビワハヤヒデ先輩のうんちくを聞く。

 

「それにしても極度の食事制限、そしてレース直後だというのにこれだけ一気に補給できるのは超人的な消化力と言う他無いな」

 

 褒められた私は気分を良くしながら、飲み干したコーラから口を離す。

 

「よし、と……」

 

 ペットボトルを空にした後、タッパのおじやとバナナに取り掛かる。

 味は薄いが空きっ腹には何でもおいしく感じられる。スプーンを動かす手を止めずに、どんどん食べ進める。

 

「……ふむ。それだけ強靭な胃袋をもっているのなら……」

 

 ビワハヤヒデ先輩はこれまた特大サイズのシェイカー*2を取り出した。

 

「まずは水。汗がほとんど出ていなかったのを見るところ、水分もギリギリまで絞っていたのだろう。今のグリードに最低限必要な10キロ」

 

「うえぇ!? ぜ、全部は無理ですよ! 水ばっかり10キロも!」

 

 ビワハヤヒデ先輩は慌てる私に笑いながらも続きを話してくれる。

 

「そのままでは無理だろう。こいつを混ぜる」

 

 今度は白い物が詰まったビニール袋が出てきた。この場で封が開かれる。

 

「果糖。果実を精成した純粋な甘味料。ちょうど4キロ……量は多いが吸収率は無類だ」

 

 水の入っているシェイカーの中に、果糖がどんどん流し込まれていく。

 

「炭酸抜きコーラ、おじやにバナナで最低限の栄養は確保したが……グリード、君はまだまだ、まるで完全ではない」

 

 大きなシェイカーが目の前で豪快にシェイクされる。

 

「本来はタンパク質やデンプンが望ましいが……ライブまで時間がない」

 

 果糖が溶け切り、一見するとただの水が入っているだけのシェイカーを手渡された。

 

「14キロの……砂糖水」

 

「奇跡が起こる」

 

 私は意を決して、口を付けた。膨大な量の水を胃に流し込んでいく。

 

 

 

(ナレーション)

 

 過度な食事制限で極限まで衰弱しきったウマ娘の肉体。そこへ、レースによるさらなる負担が加わり、ウマ体最後のエネルギー貯蔵庫である肝臓のグリコーゲンすら底をついた。

 酷使に次ぐ酷使、もはや破壊されつくしたウマ娘の筋肉細胞たち。彼女らは復讐を誓っていた。次なる酷使に対する復讐。今後もし同じ事態が起こったなら、必ずライブまで踊り切ってみせる。補給など受けずとも独力で乗り切ってみせる。ウマソウルに誓いし復讐にミスはありえない。

 今、少女の肉体に空前の超回復が起ころうとしていた!

 

 

 

「おっ……? おっ? おっ!?」

 

 体から吹き上げる蒸気。14キロの砂糖水を飲み干してから、突然の異変に私はシェイカーを床に落としてしまう。その瞬間、一際大きく蒸気が噴き出した。

 

「わっ……!」

 

 ファインが驚いたのも束の間、湯気が消えた中から現れたのは当然私。しかも完璧な肉体を取り戻した私だ。

 

「…………てェ~……」

 

 絶好調の体に思わず声が漏れる。

 

「復、活!! スーパーグリード!! 復ッ活!!!」

 

「ライブしてェ~~……!」

 

 ビワハヤヒデ先輩が喜んでくれる横で力強く呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三人称)

 

 超回復を経て、無事にウイニングライブをやり終えたグリードはファイン、シャカール、トレーナーと一緒にトレセン学園へと帰る途中。グリードはファインの送迎用リムジンに同乗しながら大喜びしていた。

 

「いやー、勝った勝った! 初めての重賞一着あざッス!! ギリギリだったけど、勝てたのは皆の手伝いあってこそだよ! まぁ、当然私という国士無双*3の才女が本気出したってのが一番大きいけどね!!」

 

「お前が国士無双だったらこの国は終わりだぞ」

 

「まぁまぁ、今は素直にお祝いしてあげようよ。改めておめでとう、グリード!」

 

「どうもどうも、いや、どうもどうも。アイルランドの国士無双に褒められてダブル役満だねこりゃ」

 

 久しぶりの一着で調子に乗っているのか、舌も良く回るグリード。そんな彼女にシャカールが話しかける。

 

「おい」

 

「ん? 何かね、シャカール君?」

 

 こめかみに青筋を浮かべたシャカール。しかし、何とか冷静さを取り戻し、口を開く。

 

「レース中、何か見えたりはしなかったか?」

 

「いや別に? ほとんど先頭で芝ばっかり見てたけど」

 

「ならいつもと違った感覚はしなかったか? 何でも良い、言ってみろ」

 

「う~ん、そもそも激やせ状態でレース出るのがいつもと違ってるからなぁ……。違った感覚と言われると難しいね、覚えてないや」

 

「……そうか」

 

 シャカールはそれきり口を閉じ、窓の外を眺め始めた。

 

「トレーナーもホントありがと……って寝ちゃってるや」

 

 グリードが改めてお礼を言おうとした相手は、リムジンのドアと背もたれに寄り掛かり目を閉じていた。

 

「……?」

 

 しかし、その表情はどこか苦しそう。ひどい悪夢でも見ているようだ。

 

「トレーナー?」

 

 グリードがトレーナーに近寄ろうとすると、彼女の腕がお腹を抑えた。

 

「大丈夫? また腹痛?」

 

 ファインとグリードは心配そうな表情を浮かべ、窓の外を見ていたシャカールも何事かと車内に視線を戻している。

 

「…………ぅぅぅ“ぅ“、ぐ……ぅ”……」

 

「トレーナー?」

 

 口からうめき声を漏らすトレーナーに、グリードの声から余裕が無くなった。トレーナーの額には大量の冷や汗がにじみ出ている。

 

「な、何これシャカ!? お腹抑えてるし盲腸とか!?」

 

「知るかよ! 俺は医者じゃねェんだぞ!」

 

「病院に向かって!」

 

 リムジンは急遽進路を変える。

 

「……ちゃん、と、みんなを、満足……させない、と……」

 

 その呟きは車内の喧騒にかき消された。

 

 

*1
手をついてうなだれる様子を表す。“o”が頭、“r”が上半身、“z”が下半身

*2
プロテインを溶かす用のあれを想像してください

*3
国に二人といない人材の事



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25話 わかんないよ

 

(三人称)

 

「結論から言うと、ストレス性の胃炎ですね」

 

 病院特有の白い診察室で医者がそう告げた。

 

「それって急に痛みが生じるものなんですか?」

 

「いえ、普段からしっかり痛かったと思いますよ」

 

「そんな素振りはなかったんだけど……二人は?」

 

 説明を受けていたグリードが振り返る。視線の先にいたファインとシャカールは首を横に振った。

 

「私の予想にはなりますが、痛み止めを常用していたのではないかと。腹痛を抑える為に薬を飲んで、副作用で胃が荒れて、また痛み止めを飲む悪循環に陥っていた可能性もあります」

 

「それで普段は何ともないように振舞ってたっつーのかよ……クソ真面目野郎が」

 

「今日はレースとライブでいつもより遅くなっちゃったから、薬の効果がちょうど切れたのかな……」

 

 ファインとシャカールが浮かない顔つきに。

 

「もう少し遅ければ胃に穴が空いて手術が必要だったかもしれませんが、ギリギリセーフでした。それを考えると今発覚したのは幸運ですよ。安静にしていれば大丈夫でしょう」

 

 医者は腕時計を見る。

 

「彼女の姿を見たいのは山々でしょうが、あいにくと診療終了時間です。今日の所はお引き取りください」

 

 そう言われてしまえば帰らざるを得ない。三人は立ち上がり、病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 病院の外には夜の(とばり)が下りてきている。ファインとシャカールがリムジンに乗り込む中、グリードだけは病院の入り口付近で仁王立ちしていた。

 

「グリード、乗らないの?」

 

「……私はいいや、電車で帰るよ。ちょっと一人になりたくてさ」

 

「……気をつけてね」

 

 彼女がそれだけ言うと、ファインは察して引き下がった。

 

「おい」

 

 代わりにシャカールが釘を刺す。

 

「今の状況、別にお前のせいとかじゃねェからな」

 

「……? それはそうでしょ? 何当たり前の事言ってんの?」

 

 想像していた返事とは乖離(かいり)していたため、シャカールは肩透かしを食らった。

 

「分かってンなら良いんだよ!」

 

「うわ、なんでちょっとキレてんの……?」

 

「それじゃあ、また明日ね」

 

「うん、バイバイ」

 

 病院の前にはグリードが一人、取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が寝静まり、月が活動を始めてからしばらく。ちょうど日付を(また)いだ頃。

 

「見回り、行ってきます」

 

 トレーナーが入院した病院において見回りが行われる時間だ。担当の看護婦が各病室を見て回る。普通の人なら消灯された病院を不気味に思うだろうが、夜勤に慣れた看護婦にとっては庭のようなもの。臆せず歩みを進めている。

 

 しかし、今日は彼女の庭にある異変が。

 

 ……ガタガタッ!

 

 看護婦が次に見て回ろうという病室から大きな物音が。これも普通の人であれば夜の病院という雰囲気も手伝い、幽霊か何かかと怯える所だ。しかし、看護婦にとっては患者がベッドから転げ落ちたのかもしれないという心配が先に立つ。

 彼女が急いで病室の扉を開け、光量を絞った懐中電灯を部屋の中に向けた。――が、中には誰もいない。正確には患者全員がベッドの上に寝ている。つまり正常な状態。

 

 看護婦が首をひねりつつも、部屋を詳しく見て回る。すると、椅子が一つ倒れているのを発見した。

 

 あぁこれが倒れたのか、と納得しかける看護婦だが、違和感はぬぐえない。

 

(勝手に椅子が倒れた? 誰かが倒したとかならともかく……)

 

 そこまで考えて看護婦に緊張が走る。患者以外の誰かがいるかもしれない。その可能性に気づくと、嫌でも警戒せざるを得なかった。

 

 看護婦は応援を呼ぶことはせず、部屋の死角にライトの光を次々向けていく。人を呼ばなかったのは、もし自分の気のせいだった場合、周りに迷惑をかけてしまうのを嫌っての事。

 

 果たして彼女が探したところに不審者はいなかった。安堵のため息を吐きつつ、何の気無しに照らしたのはベッドの足。

 

「……まさかね」

 

 それでも一応、とベッドの下を覗き込む。すると光に照らされた二つの瞳と目が合った。

 

「あー……見つかっちゃいました?」

 

 ウマ耳と尻尾を生やした不審者は困ったように笑った。

 

 

 

 

 

 

「あなた名前は……って、聞かなくても良いわね。今日のレース、とんでもない体で走ってたし」

 

「あ、見てくれていましたか?」

 

「夜勤のシフトに入る前に一応ね、スーパーグリードさん。……で、どうやって忍び込んだの?」

 

 侵入者を椅子に座らせ、尋問を始める看護婦。忍び込んだことに多少罪悪感を感じているのか、グリードは背中を丸めて答える。

 

「一般用トイレの個室にずっと隠れてました」

 

「ずっと中にいたわけか……。いったい何が目的で?」

 

「トレーナーの側に居たかったからです」

 

 グリードが見つめる先には、今日入院したトレーナーが。彼女の症状に加え、レースの様子を見ていた看護婦はグリードの心情を推し量り、優しく声をかける。

 

「彼女の事が心配なのは分かるけど、忍び込んじゃダメよ?」

 

「あ、いや、別に心配したわけじゃ……お医者さんが大丈夫って言ってたのでそこは信じてます」

 

「じゃあどうして?」

 

 意外そうな顔をしながら看護婦が問うた。

 

「トレーナーが目を覚ましたらすぐにお礼を言いたくって」

 

「お礼?」

 

「はい。……その、まぁ、冷静に、客観的に考えると私って、あんまり足速くなくってですね。勝ちあぐねてたんですけど、トレーナーのおかげで割と無茶出来て、そしたら勝てたので、そのお礼を」

 

「お礼を言えるのは目を覚ましてからでしょう? 朝まで待ってれば……」

 

「一秒でも早く」

 

 看護婦の台詞を遮ってグリードが口を開く。

 

「その……新しくオープンするお店とかって行列に並んででも速く行きたいじゃないですか。2週間ぐらい待って客足が落ち着いてからの方が効率的、っていうのが分かってても。そんな感じなんです。あんまり上手く言えないんですけど」

 

「だからずっと様子を見ていたの?」

 

「はい」

 

 こうして看護婦と会話している間も、グリードはずっとトレーナーの方を向いている。

 

「……これは私の興味本位だから、答えたくなかったら答えなくても良いんだけどね」

 

 そう前置きをして看護婦が続ける。

 

「あなた、かなり無理な体でレースに出ていたでしょう? それをトレーナーがストレスに感じていたと思う?」

 

「こうして倒れちゃったからにはそうなんだと思います」

 

「その事に罪悪感を抱いたりはしていないの?」

 

「……?」

 

 そこでグリードは首を傾げた。

 

「それ、友人にも言われたんですけど……。その、意味が良くわからないっていうか……」

 

 グリードはしばらく口をもごもごさせた後、考えが纏まったのか話を再開する。

 

「えっと、まず初めにですね。私が無茶したいってトレーナーに言ったんですよ。そしたらトレーナーはOKしてくれてですね、熱心に指導してくれたんです。

 で、まぁ結果としてはこうして倒れちゃったわけですけど……トレーナーがOKした結果こうなったんだからそれはトレーナーの自己責任というか……まぁ、何というか……そんな感じじゃないんですか?」

 

 説明が十分でないと感じたのかグリードは更に続ける。

 

「私がトレーナーより強い立場にあって、“やれっ!”って命令したなら私が悪いのは分かるんですけど。結局はトレーナーが自分の意志で決めたんだから、それは……そういう事じゃないんですかね?」

 

 かなり曖昧なグリードの言い分だが、言わんとする事は理解した看護婦。彼女はグリードの考えが視野の狭い物だと感じ、口を開いた。

 

「確かに最終的には彼女が決めた事だから責任は彼女に帰着する、っていうのは間違ってないと思うわ。でもね、人間、選択肢があるようで無い時、っていうのが往々にしてあるものなのよ」

 

「……どういうことですか?」

 

 そこでグリードはようやく看護婦の方を見た。

 

「例えばあなたの家族が1時間後に死んじゃうとして、それを止めるためにはあなたが全財産を支払わなければいけない。そうなったらどうする?」

 

「それはまぁ全財産払いますけど」

 

「かなり極端だけど、さっきの質問は選択肢があるようで無かったでしょう?」

 

「それと今回の件も同じって言いたいんですか? でも今回の件はトレーナーが断ったって別に大事にはならないじゃないですか」

 

「それはあなたの視点から見て、よ。トレーナーは実際以上に重くとらえていたかもしれない。それこそこんなになっちゃうまでね」

 

 グリードはトレーナーに視線を戻しながら首を捻った。まだ納得いかない様子だ。

 

「……私がトレーナーに対して間接的に強制していたかもしれないのは分かりました。そうだとしてもですよ。どうして倒れる前に何も言ってくれなかったんですかね? ヤバい状態だったなら言ってくれれば良いのに」

 

「体調が悪いとトレーナーが申告してくれば、あなたはトレーナーに頼るのを止めたでしょう?」

 

「当たり前じゃないですか」

 

「彼女は多分、それが嫌だったのよ。あなたの力になり続けたかったから、あなたに心配をかけるのが嫌だったから何も言わなかった」

 

「…………分かんないですよ」

 

 グリードは困ったように顔を伏せる。

 

「看護婦さんの例は命とお金を天秤に掛けてました。私は命の方が大事だと思ってるので、全財産払う方を選びましたけど……今回トレーナーが天秤に掛けたのは自分の体と私の勝利じゃないですか。

 だったら普通、自分の体の方を優先するはずですよ。誰だって自分の事が一番大切じゃないですか。自分が危なくて余裕が無かったら、人の心配なんかせずに態度で周りに示す。赤ちゃんだってやる事じゃないですか、所かまわず泣きわめいて。なのになんでここまで無茶して……」

 

「大人はね、その赤ちゃんでも出来る事が出来なくなる時があるのよ」

 

「……なにそれ、バカみたいじゃないですか」

 

 心底信じられない風に吐き捨てるグリード。

 

「……私は、自分のために身を削りました。あんなキツイ減量、誰かのためにやれって言われたって絶対お断りで……だからそれはトレーナーも同じなはずで……」

 

 グリードは乱暴に首筋を掻く。

 

「…………やっぱり分かんないよ」

 

 その言葉は看護婦にではなく、トレーナーに向けられたもの。

 

「言葉にしてくれなきゃ……何にも分かんないよ……」

 

 その瞳から、一滴だけ涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリードの目元が光ってからしばらく。

 椅子に座る彼女はこっくり、こっくりと船をこぎ始めていた。看護婦が肩を叩く。

 

「っ……あ……その、すみませんでした……勝手に忍び込んじゃって……すぐに帰ります……」

 

「いいわよ、もう夜も遅いし。空いてるベッド使っていいから泊っていきなさい」

 

「……ありがとうございます」

 

 ベッドを使っても良いと言われたグリードだが、椅子を離れようとしない。少しして、また船をこぎ始めた。

 看護婦はグリードの肩に布団を掛ける。その重さに、再び目を覚ますグリード。しかし、やはり眠そうだ。

 重たい(まぶた)の下に備えた無垢な瞳でトレーナーを見つめるグリード。

 

“ウマ娘は一途で入れ込みやすい“

 

 看護婦はどこかで聞いた一文をぼんやりと思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(スーパーグリード)

 

 カーテンから差す僅かな光で目を覚ます。椅子で寝ていたわりには、結構な目覚め。大きく伸びて体をほぐした後、トイレの鏡と水で最低限の身支度を整える。

 

 椅子に座ってトレーナーが起きるのを待つか……。

 

 そう思って部屋に戻ると、トレーナーが体を起こして辺りを見回していた。

 

「トレーナー! 起きたんだ!」

 

 私が急いで駆け寄ると、ビックリしたようにこっちをみるトレーナー。

 

「あ、あれ? グリード? 待って、ここどこ? えっと……どういう状況?」

 

 頭を抑えて混乱するトレーナーに、説明する。

 

「ライブ終わってトレセン学園に戻る途中、トレーナーがぶっ倒れちゃってさ。現在youは入院中」

 

「あ、あぁ……思い出してきた」

 

 事態を把握したトレーナーはしばらく目を閉じた後、申し訳なさそうな顔でこちらに向き直る。

 

「その、ごめんね? 心配かけたみたいで……」

 

「本当だよ! 体調悪いんだったらちゃんと言ってくれないと! 私鈍いし、ただでさえ減量中で余裕が無かったんだから気づけないでしょ?」

 

「う、うん……ごめんね」

 

 暗い顔がぬぐえないトレーナー。それを払拭するべく、話題を正のものに切り替える。

 

「そんな事よりさ……ありがとうね、トレーナー」

 

「え……?」

 

「ほら、昨日レースで勝てたのは、トレーナーの助けが大きかったじゃん。“食事制限する!“、なんて私のわがままにも付き合ってくれたし。だから、そのお礼。ありがとね」

 

「あ、あぁ……」

 

 トレーナーは判然としない顔で私を見つめている。その時、突然トレーナーの瞳から涙があふれ始めた。

 ワ、泣いちゃった……。

 

「え? え? ちょちょちょ!? 今の流れで泣く所あった!?」

 

「い、いや……? 別に無かったと思うけど……。あれ……? なんで……?」

 

 初めは困惑した顔で目から水を垂れ流すトレーナーだったが、次第に横隔膜の痙攣が始まり、しゃくりあげるように。

 

「ぐす……っ、ぅぐ……っ……、うぅぅ“ぅ”……っ……」

 

「とととトレーナー! 大丈夫!?」

 

 今日日(きょうび)見る事のない大泣き。それが大の大人の所業となればなおさらだ。慌てる私を他所に、トレーナーは大量の涙を手で拭いている。

 

「あ……っ“、あり、がとう”……っ……グリー、ド……ホントに“……ありっ”……、ありがとっ“……!」

 

「う、うんうん! どういたしまして! だから泣き止んで、ねっ!?」

 

 わけの分からないまま感謝されてもどう対応すれば良いか分からない。トレーナーの背中を撫でて、慰めてみるけど収まる気配はなかった。それどころか私の体を縋る様に掴んできて、密着してくる。

 

「わたしっ“……、なんにもできてなかったけど……! グリードのおかげでっ”……!」

 

 トレーナーは言葉にしてくれているものの、内容は支離滅裂で良く分からない。しかし、今のトレーナーにはとにかく優しくしてあげる必要があると思った。

 

 その時、頭に浮かんだのはスーパークリーク先輩。前におしゃぶりを咥えさせられて1時間可愛がられた事がある。あの時の全てを忘れて、ただ甘える行為の心地よさたるや。今、それをトレーナーにさせてあげる必要がある。

 今の私には先輩のような母性と包容力が求められていた。

 

 思い出せ、あの時のスーパークリーク先輩の姿を。名前もたった二文字しか違わない。私にもできるはずだ。クリーク、インストール!!

 

「よしよし……。何にもしてないなんて、そんなことないよ。私を勝たせてくれたじゃん。トレーナーはすっごく頑張ってるから……」

 

 トレーナーのぼさぼさ髪を撫でながら、自分でもビックリするぐらいのお姉さん声でトレーナーをあやす。

 

「でもっ“……! シャカールとファインに”は……っ、何にも出来てなくっ“、てっ“……!」

 

「……かもしれない。けど、これから取り戻していけば良いから、ね? だから今はいくらでも泣いて良いんだよ……」

 

 私がそう言うと、トレーナーはぐりぐりと頭を胸に押し付けてくる。

 

「ぐず……っ……、~~っ“ずず……ひ、っく……」

 

 子供のように泣くトレーナー。その姿に安心しながら、毛束をほぐすようにトレーナーの頭を撫で続けた。

 



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26話 入学時と比べると丸くなったよなぁ

二つしか点がない馬のフォントに情報をくださった方、大変ありがとうございます。
あんなフォントが存在するとは露知らず、カタカナを用いていましたが、やはり漢字の方が引き締まりますね。


(ファインモーション)

 

 トレーナーが倒れてから数週間が経つ。今はすっかり元気――とまではいかないが、トレーナー業務を行えるぐらいには回復している様子だ。

 

 それにしても、朝になってお見舞いに行った時にグリードがトレーナーをあやしてたのには驚いたな……。

 

 周りに居る他の患者さんも気にせず、いつになく優しい顔でトレーナーを撫でていたのは印象に深い。トレーナーの方は生徒に甘えて慰められたという事実に、再び胃を痛めていたが。

 

 ガラッ

 

 椅子を引く音によって、回顧にふけっていた私の意識が現実に引き戻された。トレセン学園の食堂。私の対面に座ったのはシャカール。彼女がテーブルに置いたトレイには大量の料理が乗っている。

 

「今日はご飯抜かなくても良いの? 断食してるんじゃなかったっけ?」

 

 私はシャカールにそう声をかけた。

 

「止めだ止め。体が衰えて足が遅くなる一方だ」

 

 シャカールが断食し始めたのは、グリードがレースで勝ってから。彼女のマネをしてみたが、結果としては空振りに終わったようだ。

 

「うーん……グリードはどうして痩せた体であれだけ早く走れたんだろうね?」

 

「知るか。科学的に考えても無駄って事だけは確かだがな」

 

「精神的な話になって来るのかな……? 体を不満足状態にして、レースでの勝利をより強く望む様にした、とか」

 

「――精神で勝てるなら俺だって……!」

 

 声が大きくなりそうだったのを自覚したのか、シャカールはそこで一区切り。

 

「……こんなに苦労してねェよ。仮に精神論でカタがつくンなら俺の今までの合理性は全否定だ」

 

 言葉にはしなかったが、そんなことは認められないというシャカールの想いがひしひしと伝わってくる。

 

「でも、精神の状態が体に影響を与える事は科学的で合理的な話じゃない? 楽しければ体も良く動くし、逆に辛ければ動くのだってしんどいよね?」

 

「精神さえ良けりゃ、あんなガリガリの体でも良いってのか? ――心身、両方あってこそだろうが……!」

 

 憂さ晴らしのように頭を掻くシャカール。未だに彼女は自分の限界を超える方法を見つけられていないようだ。

 

「……お前の方は大丈夫なのか?」

 

「ん? 何の事?」

 

「いや……その……帰国の件だよ」

 

 少し冷静になったシャカールが私の心配をしてくれる。 

 

「その事なら大丈夫だよ。心配しないで」

 

 私は力強く答えた。

 

「そうか……。あんまり無理はすンなよ」

 

 断食を試みていたシャカールがそれを言うのかと、少し面白く思ってしまった。

 

 私はシャカールの力になってあげたい。その気持ちは未だ健在だが、今は自分の案件の方を優先しようと思っている。使命も、レースも、トレセン学園への残留も、全てを満たす欲張りな方法を今実現しようとしている最中。シャカールの手伝いはそれを終えてからの方が、私にとっても心配性の彼女にとっても、きっと良い事なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えた私たちはトレーニングコースに場所を移していた。

 トレセン学園は午前が一般のカリキュラム、午後がレース関係のカリキュラムと別れている。今日の午後はまるまる走りの練習に当てて良い事になっていた。

 

 ターフの上で深呼吸をすると、緑の香りが鼻を満たす。少し前の思い悩んでいた時はくどく感じられたが、今は果物の様な芝の匂いを素直に堪能することができる。

 口から鋭く息を吐き、地面を蹴った。10歩とかからず最高速付近まで加速。風切り音が耳を包む。

 

 楽しい。走る事が楽しい。生身の体で60kmを出している緊張感。生身の体で60kmに迫る速度を出せる万能感。歯を食いしばりながらも、口角が上がるのを禁じ得ない。

 

 あぁ、こんな風に感じるのは久しぶりだ。ここ最近は色々な事があって、純粋に走る事を楽しめなかった。今は全ての負債を洗い流し、未来に向かって歩みを進められている。何の憂いも無い。

 

 忘れかけていた享楽を取り戻した私は、更に加速しようと足を踏み込む。すると目の前をよぎる影が。

 蝶々。あの時以来、見かける事の無かった胡蝶が今私の眼前に。頬から力が抜け、自然な笑みになる。

 

 ……ふふ、また私を導いてくれるんだね。

 

 レースの最中で余裕のなかった時と比べ、今は落ち着いて蝶々に身を任せることが出来る。地面を蹴った次の瞬間、重力と空気抵抗から解放された。

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

「…………」

 

 トレーナーが口を開けたままファインの走りを見ている。ファインはコーナーを曲がり、あっという間に俺たちの前を通りすぎた。

 

「ふぅ……トレーナー! 今の走り、タイムどうだった!?」

 

 ファインはいつもの笑顔を5割増しにしてこちらに寄って来る。

 

「あ……その、ごめん。ストップウォッチ押すの忘れてた……」

 

「あら!? さっきはかなり良く走れたんだけど、少し残念だな」

 

「ほ、本当にごめんね? 余りにもファインの走りが良くて……うぅ」

 

「だ、大丈夫だから! また走れば良いだけだし。だからお腹を痛めないで、ね?」

 

 最近は少しのミスでお腹を抑えるようになったトレーナーをファインが慰める。俺はそれを見ながら考えていた。

 

 ……正直やりたくは無いが、アイツに相談しに行くか……。

 

 先ほどのファインの走り。明らかに彼女の――いや、ウマ娘という種族の括りすら逸脱した走りだった。エリザベス女王杯で見せた走りは、片鱗でしかなかったというのか。

 

 驚愕と同時に歓喜を覚える。限界を超えるためのヒントが、再び目の前にあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁやぁやぁ! 久しぶり! 君の方から出向いてくるとは珍しい事もあったものだねぇ」

 

 ハロゲンヒーターみたいな目をしたウマ娘が、余らせた白衣の袖を振り回しながら俺を出迎えてくれる。

 

「聞きたいことがあンだよ。今、時間良いか?」

 

「問題無いさ、ちょうど休憩しようとしていた所でね。紅茶でも淹れよう」

 

 俺が尋ねたのは、アグネスタキオンというウマ娘の研究室。こいつはウマ娘の肉体の限界を追及している研究者肌のウマ娘。俺の目的と被る所があったため、一時は一緒に活動していた。しかし、限界に迫るアプローチが俺とは違いすぎたため、次第に疎遠に。こうして二人きりで話すのは久しぶりだ。

 

「角砂糖は何個入れる? 5個かい? それとも6個かい?」

 

「1個で良い。お前その内糖尿病になるぞ」

 

「その前に生活習慣病が先かもしれないねぇ。昨日は徹夜で作業していたから何も食べて無いし、寝ても無い。……あぁ、安心してくれたまえ。きちんとシャワーは浴びているよ」

 

「そこの心配はしてねェよ! ……ったく、ンなことだろうと思ったぜ」

 

 俺は食堂で買っておいた弁当を机に置く。

 

「おぉ! 流石だねぇ、シャカール君! 私の事を良くわかっているじゃないか! 君は気が利く上にデータ解析も得意ときた。私の助手に欲しいくらいだよ」

 

「月100万貰っても嫌だね」

 

「つれないねぇ」

 

 雑談を終えた瞬間、タキオンは速攻で弁当を食し始めた。3分とかからず全てを平らげ、お腹をさする。

 

「ふぅ……、一心地着いたよ。それで? 何の用だったかな?」

 

「昔お前が話していた速度限界の理論だ。それについて話してくれ」

 

「ふぅん……。君は昔、私の理論を“与太話”と断じたはずだが。どういう心境の変化だい?」

 

 タキオンの目に火が灯った。こいつが何かに興味を持ったとき特有の目の輝き。

 

「俺のチームにいるグリードとファインのせいだ。グリードは科学をあざ笑うみてェに無茶して結果を出しやがる。ファインは蝶の幻覚見て加速しやがる。……もう俺だけの視点じゃどうにもならねェんだよ」

 

「ふぅん……。確かにグリード君とファイン君、どちらも興味深い対象だねぇ」

 

 ニヤニヤと愉快そうな表情を浮かべるタキオン。なにやらスイッチが入ったらしい。

 

「グリード君は……」

 

「ちょっと待て。話が脱線しそうだ、本題に戻せ」

 

「悪いねぇ、興味深い話題の連続で少々興奮してしまったよ。……さて、本題は私の持論についてだったかな」

 

 タキオンは砂糖たっぷりの紅茶で喉を潤した後、続ける。

 

「ウマ娘が速度の限界に迫るためには“感情”や“想い”といった精神面が重要だと私は考えている。ここまでは前も話したが、覚えているかな」

 

「あァ」

 

「次は、なぜ“感情”や“想い”といった精神面が重要なのか、についてだ。これを説明するためには“ウマソウル”という概念を理解してもらう必要がある……けれど、昔の君はここで脱落してしまったんだっけねぇ」

 

「脱落って言うんじゃねェよ。あまりにもバカらしいから聞く価値が無いと判断しただけだ」

 

「とはいえ、こうして私を訪ねてきてくれているのだから、今回は最後まで聞くつもりなんだろう? それならたっぷりと語ってあげようか」

 

 両手を広げてご機嫌そうなタキオン。普段、こういう話を聞いてくれる相手がいないのだろうか。邪推をしている間にも彼女は続ける。

 

「“ウマソウル”とは、我々ウマ娘の中に宿ると噂されている別次元の生物の魂。一般的な認識はこんなものかな」

 

「だがよ、そんなのはあくまで噂だろ? 観測できない物を信じろと言われてもにわかには納得できねェ」

 

「確かに“ウマソウル”を物理的に観測する方法はまだ無い。しかし、“ウマソウル”が存在するという根拠ならいくつかある。まずは一つ目」

 

 そう言ってタキオンは紅茶に角砂糖を一つ入れた。

 

「ウマ娘の名前だよ。君の名前はエアシャカールだが……その名前はいったいどこから来たのかな? まさか、「山田・エアシャカール・花子」なんてエキセントリックなミドルネームを付けているわけじゃあないだろう?」

 

 ウマ娘の名前。それはウマ娘が生誕した時に、母親の頭に突然降ってくるものらしい。俺の場合はエアシャカール。親の苗字+名前という風にはならない。

 

「……おや? 納得いかないと言う顔だね?」

 

「当たり前だろ。俺達ウマ娘には別次元の生物の魂が宿ってるなんて話だったが、そいつの名前が母親の頭に降ってくるって? 信じろって言う方がどうかしてる。俺の頭に天啓が降りてきたんならともかくな」

 

「ふぅん……なら子供でもつくってみたらどうだい? ウマ娘を産めば君にも天啓が降りてくるかもしれないねぇ」

 

「茶化すな。他の根拠は?」

 

「それじゃあ、二つ目だ」

 

 タキオンは紅茶に角砂糖をもう一つ入れた。

 

「ウマ娘が時速60kmで走れている事だよ。ウマ娘の体は人間と大差ない。骨格や筋肉など全てにおいてね。にも関わらず超人的な速度で走るウマ娘……何か別の力が働いていると考える他ないんじゃあないかな?」

 

「……それが“ウマソウル”ってか?」

 

「その通り! 他にも科学では説明できない現象はあるよ? 例えば、ウマ娘はGIのレースにおいて体操着でなく勝負服を着る。私の場合は今着ている白衣だねぇ。

 この(そで)(すそ)の余った、空気抵抗を一切考慮していない服。しかし、この勝負服の方が普段より速く走る事ができる。これも科学では説明できない事だろう?」

 

「まぁな」

 

「他にもある。思い切り体を起こして走るメジロパーマー君やツインターボ君も空気抵抗に喧嘩を売っているわけだが、二人とも結果を残している。まぁ、例を挙げればキリが無いからこの辺にしようか。

 この不合理を引き起こしているもの。それを“ウマソウル”と定義したいのだが、納得してもらえるかな?」

 

「……分かったよ。その前提で話を進めろ」

 

 俺がしぶしぶそう言うと、タキオンは意外そうな表情を浮かべた。

 

「ふぅん……。やけに聞き分けが良いねぇ。君はお化けや幽霊なんかの非科学的な単語を聞くだけで拒否反応を示すぐらいだ。まさか“ウマソウル”の前提を納得してもらえるとは思わなかったよ」

 

「うるせェほっとけ。……それに幽霊ってンならそれらしいのに遭遇した事もある。だから、ひとまずは信じてやるって言ってんだ」

 

「ほう! 幽霊らしいものに出会ったって!? それはまた興味深い! カフェの“お友達”という幽霊らしい存在が身近にいるのだが、どうにも私は観測できない体質の様でねぇ。 よければ話を……」

 

「また脱線してんじゃねェよ!! さっさと続きを話しやがれ!!」

 

 目を輝かせるタキオンを怒鳴りつけ、続きを促す。

 

「コホン、では本題に戻ろう。科学に喧嘩を売りながらウマ娘をウマ娘たらしめている“ウマソウル”という要素。これをいかに活性化させるかが、ウマ娘の限界に迫る鍵と私は考えている」

 

 しゃべりすぎて喉が渇いたのか、タキオンは紅茶を口にする。追加で入れた角砂糖が紅茶の中で飽和したのか、ザリザリと粒っぽい音が聞こえてきた。タキオンは気にせず話し続ける。

 

「勝負服を着ると速く走れる。勝負服がどれだけ厚手で走りにくそうでも。

 体を起こしたフォームにすると速く走れる。力学的にはどれだけ不利なフォームだとしても。

 これは勝負服や走行フォームで“ウマソウル”を活性化させる事で、科学的には不利でもそれを補って余りある有利を手に入れていると私は考えている。そしてその活性化の手段として最も有効なのが……」

 

「“感情”と“想い”、か?」

 

「その通り! ここで私が初めに言った結論に戻って来るわけだね!

 君に身近な例を挙げると、ファイン君が分かりやすいかな? エリザベス女王杯、ファイン君は観客の期待を一身に背負い、レースを楽しみながら走っていた。その感情が彼女の“ウマソウル”を極限まで活性化させたんだよ!! 結果、蝶々の幻覚を見たというわけさ」

 

 正直、納得は出来ない。しかしエリザベス女王杯の後、ファインが帰国を意識して塞ぎがちになってからは走りが悪くなっていたのも事実。もし、レースを楽しむ事がファインの“ウマソウル”を活性化させていたのならば、塞ぎがちになってから走りが衰えたことに説明がつく。

 

「グリード君についても語ろうか。彼女は“飢え”をトリガーとして、“ウマソウル”を活性化していたようだねぇ。あの細い体でよく勝てたものだ。とはいえ貧相な体とは裏腹に恐ろしい気配を纏っていたよ。君も同じチームなら体験したのだろう?」

 

「一応な」

 

「ちなみに私はグリード君と目が合って泣いた。彼女のデータを取ろうと思って声を掛けた時にね」

 

 泣き虫が、とは言えなかった。あの時のあいつと目を合わせていれば、俺もどう思っていたか分からない。

 

「……とにかく、その“ウマソウル”を活性化するって話。試してみてやる。他に方法も無いしな」

 

「ひどい上から目線だが……まぁ、前向きになってくれたのなら何よりだよ」

 

 タキオンは紅茶の残りを飲み干した。俺もカップに口を付けて水分補給をする。その後、疑問を口にした。

 

「試してやるが――俺は何をすりゃあ良い? 何をすれば“ウマソウル”とやらを活性化できる?」

 

「それは私に聞かれても困るねぇ。君の“ウマソウル”がどうやったら活性化するのか。君すら分からないのなら、他人の私に分かるはずはないだろう?」

 

「なら意味ねェじゃねェかよ!! クソ……っ!!」

 

 結局、具体的な行動に移す事ができなければどんな画期的な案も机上の空論。俺が乱暴に頭を掻いていると、タキオンはこっちをまじまじと見つめてきた。

 

「――ンだよ?」

 

「いやなに、君の“ウマソウル”を活性化する方法だが……心当たりがないわけじゃない」

 

「本当か!?」

 

 ガチャ、とカップが音を立てた。俺が机を叩くように身を乗り出したせいだ。

 

「けど、タダで教えてあげるってわけにはいかないねぇ」

 

「データ分析ぐらいならいくらでも手伝ってやる」

 

「それはお呼びじゃないかな。……そうだねぇ」

 

 タキオンはもったいぶったように目線をズラした後、挑発的な瞳を向けてくる。

 

「新しい薬を開発したんだが、それを殿下様に飲ませてみてはくれないかな? 興味深いデータが取れそう……んぐ……っ!」

 

 気づけば、乗り出した勢いのままタキオンの胸倉を掴んでいた。

 

「――売れって言いたいのか? 俺に、ファインを」

 

「おや? そうは聞こえなかったかな?」

 

 フリーな左手に力がこもる。握りこぶしを作り、しばらくして手を緩めた。タキオンをソファに突き飛ばす。

 

「ふぅん……意外と優しいんだね。殴られるのも覚悟していたんだが」

 

 気分が悪い。この場に居たくない。タキオンに背を向け、ドアノブに手を掛けたその時。

 

「今の君はまったく怖くないよ」

 

 タキオンのその一言がやけに気になった。

 

「凄まれても飄々(ひょうひょう)としていられた。グリード君の時は目が合っただけで泣いてしまったんだがね」

 

「……何が言いたい」

 

「入学直後の君はもう少し尖っていたと記憶しているよ。君の奥底には……言葉を選ばなくて悪いが、“気狂(キチガイ)”と表現する他無い何かを感じた。

 私が“感情”や“想い”といった曖昧なモノを扱うのに対して、君は数字とデータだけを信じ、不確定要素を全て排除しようとしていた。君は私を“ロマンチスト”と称し、私は君を“数字の信奉者”と称した。

 しかし、今の君はどうだい? 性格も丸くなり、数字すら裏切り……何が君を変えてしまったんだろうねぇ?」

 

 タキオンはバカにした様子でもなく、ただ淡々と告げる。

 

「君は昔、走行中に右へとモタれる癖があったが、今は癖のないフォームに矯正されている。――本能のままに走ってみる事だね、騙されたと思って」

 

「…………」

 

 俺は返事をせず、ドアノブを回した。

 




史実のエアシャカール

・右へ切れ込む癖がひどく、癖馬と付き合うのも上手な天才“武豊”騎手でも御しきれなかった。加えて、あまりの癖馬っぷりに「頭の中を見てみたい」と発言される。

・放牧中、柵に突進して外に逃げ出した際に骨折。その後予後不良で安楽死処分。

・上記に挙げた様に、非常に気性が荒く、その日の世話や調教係をくじ引きで決めていたらしい。


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27話 丸くなったと思ったらこれだよ

 

(トレーナー)

 

 最近シャカールの走り方が変わった。綺麗に磨き上げられたフォームから、私が彼女を担当し始めたころの粗削りなフォームに。

 シャカール自身、右にもたれる癖を矯正するために長い時間を費やしていたのにどうして……?

 

 ピッ

 

 その疑問には手元のストップウォッチが答えてくれる。フォームは悪化しているにもかかわらず、タイムは以前より速い。

 

「すごい……癖さえどうにかできれば、更に速くなれるんじゃない!?」

 

 私が素直にそう言うと、シャカールはギロリ、という擬音がぴったりな睨み方をしてくる。

 

「アホか。癖丸出しのフォームで走ってっからタイムが出てンだろうが。それを直せば元通りに決まってんだろ」

 

 そして最近のシャカールはかなりトゲトゲしい。悪態を通り越して、暴言に近いセリフが多い気がする。初めて彼女と出会った頃も、良く罵倒されてたっけか……。

 

「いや、フォームを戻すんじゃなくてさ、他の方法で癖を抑制できないかなと思って。例えば、右回りのコースで最内を走るとか。右側に柵があれば嫌でも右にもたれないで済む。まさか柵を飛び越えたりはしないでしょ?」

 

「……なるほどな、試してみるか」

 

 論理的な提案をすれば、受け入れる辺りは私の良く知っているシャカールだなと思う。

 

「……ンだよ。何ジロジロみてやがる?」

 

 耳を引き絞り、尻尾を乱暴に振るシャカール。割と怖い。とはいえ、超人的な膂力を持つウマ娘に敵意を向けられてそれぐらいの感想で済むのは、かなり図太い方なのではないだろうか。

 四方八方に覇気をまき散らしていた断食中のグリードを指導していたせいで、敵意に慣れてしまったのかもしれない。

 

「ううん、何でもない」

 

「……チッ。次もタイム計っとけよ」

 

 私が合図を出すと、スタート体勢を取ったシャカールが走り出す。

 

 シャカールの競争人生を満足の行くものにする。菊花賞で果たせなかったトレーナーとしての責務を、次こそ果たさなければいけない。

 

 最近調子の良いファインと、殻を破れそうなシャカールを頭に思い浮かべながら、再び決心を固める。

 

 ……けど、私は何にもしてないよなぁ。ファインはグリードが立ち直らせてくれたみたいだし、シャカールは一人でヒントを見つけたみたいだし。うぅ……胃が……。

 

 痛んだお腹を密かに手で抑えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

「最近さー、シャカが変じゃない?」

 

 私の柔軟を手伝ってくれているグリードが突然口を開く。その内容は私も同意できるものだった。

 

「あんまり顔会わせてくれないし、会えたとしても態度がキツいし。なんかセリフにも濁点多めな気がするんだよねぇ……。 「あァ“!?」が「ア”ァ“!?」って感じ」

 

 シャカールの声真似をするグリード。結構似ていたので少しだけ笑ってしまった。

 

「最近のシャカは……そうそう、入学時の頃に似てるかなぁ。基本大声の濁点付き」

 

「そうなの? 入学式の日にシャカールとグリード、私の三人で話したと思うけど、そんなにキツくなかった記憶だけどな」

 

「あの時は私が暴走気味で、尖り気味のシャカとはいえツッコミに回るしかなかったからね。早朝に私と二人っきりの時は、額に青筋浮かべながらブチブチにキレてたよ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 口が悪いところはあるが、なんだかんだで面倒見が良いシャカール。彼女がそれほどまでに激昂する場面を想像できず、困惑してしまう。

 

「シャカ、ファインにだけは三割増しぐらいで優しいけど、今はどうなの?」

 

「う~ん……最近は忙しかったから、シャカールと全然顔を合わせて無いの。だから分からないかな」

 

 使命もレースもトレセン学園への残留も、全てを満たす欲張りな方法。その実現の大詰めで忙しかった私は、こうしてグリードと落ち着いて話すのも久しぶりだったりする。シャカールとも同様だ。

 

「そういえばシャカールは今どこにいるの? いつもなら一緒に練習してると思うんだけど」

 

「シャカなら向こうだよ」

 

 グリードが指した先にトレーナーとシャカールが見える。

 

「一緒に併走しようとしても、睨まれて追い払われるだけなんだよね。今は基本一人で練習してるみたい」

 

 遠目からでもシャカールの目つきがいつもより鋭いように感じられる。今の彼女は食事制限を行っていたグリードのような近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 

「少し声を掛けてくるね」

 

「行ってらー」

 

 雑談をしている間に柔軟を終えた私は、シャカールの元へと向かった。少し会わない間に何があったのかを確かめる為に。

 

 

 

 

 

 

「久しぶり、シャカール!」

 

 私が笑顔で話しかけるも、肝心のシャカールは苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた。

 

「……なンの用だ?」

 

 一度目を閉じた後、ギロリと睨まれる。それは照れ隠しとか、目つきが悪くてそう見えるとかではなく、明らかな敵意を持った瞳。シャカールからの向けられるその目に、少しひるんでしまった。

 

「えっ、と……、シャカールと並走しようかなと思って声を掛けたんだけど……」

 

「やらねェ。とっととテメェの練習に戻りやがれ」

 

 取り付く島が無いほど、バッサリと断ち切られる。

 

「けど……」

 

 このまま引き下がっては何か決定的な亀裂が生まれてしまうような気がして、掛ける言葉を探す。

 

「――邪魔なンだよ。俺に構うな」

 

 シャカールは思い悩む私を押しのけ、コースへと向かってしまった。疑いようもない拒絶の言葉に、上下が逆さまになったような錯覚を覚える。

 

「大丈夫、ファイン?」

 

「……トレーナー」

 

 トレーナーの声にゆっくり振り返る。

 

「あんまり気にしない方が良いと思うよ。今のシャカール、すごい気が立ってるみたいだから。私やグリードにも喧嘩腰だしね」

 

「そうなの?」

 

「うん。思うように実績を残せなくてイラついているんだと思う。……まぁそれは私の責任に依る所が大きいんだけど……うぅ……」

 

 体を丸めてお腹を抑えるトレーナー。私は彼女の背中をさすりながら、走っているシャカールを眺める。

 彼女の走りは鋭さと重さを兼ね備えており、まるで(なた)の様。以前とはまったく別種の走りから、悩みを振り切った時の私に似た印象を覚える。

 

 ……今が本来の君なのかな。私がファインモーションとして走る事で理外の走りができたように、君もエアシャカールとして走る事で限界を超えようとしている。

 結局、私は何にも出来ていないままだ。シャカールは一人で限界の壁を壊す方法を見つけちゃった。

 

 彼女の力になれなかった事に胸を痛めながらも、トレーナーに聞く。

 

「ねぇ、トレーナー」

 

「どうしたの、ファイン?」

 

「シャカールが出るレース、私も参加したいな」

 

 今は何もできない。手伝う事はおろか話し合う事すらも。だからその分ターフの上では誰よりも雄弁に君と語ってみせるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(エアシャカール)

 

 練習を終えて自分の部屋へと戻ると、まずはパソコンを開いた。さっき食べた夜飯のメニュー、カロリー、栄養素を打ち込んでいく。今日の食事内容が基準内であることを確認した後、今度はスケジュール表を開く。

 明日の予定を分刻みで入力していく。普通に考えれば、分刻みの細かすぎるスケジュールは逆効果になりかねない。が、今の俺にとってはその無意味にも思える行為が調子を上げてくれる一要因となっていた。事前に決めた計算通りにのみ行動する、データ厨らしい末路だ。

 日程調整が終わると、ベッドの上で胡坐(あぐら)をかく。目をつむり、今日の練習内容を回顧する。

 

 腕の振りはどうだったか。脚の回転は、歩幅は、体の倒し具合は、息の入れ方は。

 

 ただひたすらに自分の走りと向き合う。以前までの俺だったらこんなことはしない。ライバルの走りを研究する方が、レースで勝つためにはより効率的と考えていたから。

 しかし、今の俺は自分の走り以外眼中に入れていなかった。ライバルの走り、などという推定する事しかできない曖昧な要素は考えるに値しないから。当日のレース展開も考えるだけ無駄。

 

 考えるのは俺だけで良い。俺の走り、俺の体調、俺の精神。いつでも観測できる指標だけを考えることで、不確定性を最小まで減らせる。自分とだけ向き合い、ストップウォッチの数字を減らしていけば良い。その考えは驚くほど俺の性に合っていた。

 

 ――この考えも“ウマソウル”とやらを活性化させてやがるのか?

 

 癖丸出しのフォームに変えてからタイムが縮まった。そして、スケジュール通りに行動し始めてからタイムが縮まった。ライバルの研究を止めてからもタイムが縮まった。タキオンの理論に則るなら、前述の三つの要因によってウマソウルが活性化されているということになる。

 

「ただいま帰りました~……」

 

「……チッ」

 

 その声とドアの開く音に思考を乱された。舌打ちが漏れる。

 

「す、すいませんすいません……。瞑想の邪魔しちゃってすいません~……」

 

 俺の態度に怯えて声を潜めるドトウ。本来なら同じ部屋に住む対等な関係にもかかわらず、まるで居候のよう。

 

 ――こうして態度が一層悪くなったのもウマソウルのせいか?

 

 最近はイライラすることが多くなった。以前の俺なら思考の邪魔をされたぐらいで舌打ちはしない。そもそも相部屋に相方が帰って来るだけで舌打ちをするのは客観的に考えて頭がおかしい行動だ。

 

 グリードやトレーナーに対しても突き放すような態度を取るようになった。……ファインに対しても、つっけんどんな態度を取ってしまった。

 

「――クソッ!!」

 

 ベッドのヘッドボードに頭を打ち付ける。

 

「ひえぇぇぇぇ~~!?」

 

「うるせェ!!」

 

「えぇぇぇぇ~~??!」

 

 俺の奇行を見て驚愕するドトウを一喝しながらも、頭を打ち付け続ける。

 

 俺の選択は本当に正しかったのか……?

 

 ファイン。

 涙を流すほどに深く関わった初めての親友。疑いようもない拒絶の言葉を彼女に吐き捨ててしまった。そうしろと、本能が囁いたから。彼女を拒絶しなければ、今まで順調に縮んできたタイムを失ってしまうという強迫観念に駆られたから。

 

 どうやら、俺のウマソウル活性化のトリガーは“気性難”と“孤独”らしい。

 

「ふざけンなッッッ!!!!」

 

 ベキッ!

 

 一際強く頭を打ち付けると、ベッドのヘッドボードが破損した。同時に額から暖かい物が流れる感覚が。頭を打ち付けた反動のままに後方へと倒れる。

 薄れゆく意識の中、トレセン学園での記憶が想起される。

 

 ファインに悩みを聞いてもらった事。

 ダービーで負ける悪夢を見続けた事。

 ファインと肝試しで奇妙な体験をした事。

 限界を超える方法を暗中模索していた事。

 ファインの帰国に涙を流した事。

 わずか七センチで敗北を喫した事。

 どれだけ努力を重ねても予想を覆せなかった事。

 閉塞感に押しつぶされ、気が狂いそうだった事。

 菊花賞を境に走力が衰え始めた事。

 

 選手としての俺は緩やかに死ぬ? ……そんな予想はクソくらえだ。もともと俺は勝つためにトレセン学園へ来た。俺の限界を勝手に決めやがった神に中指を立てる為だけにここへ来た。――迷う必要は無い。

 

 心の天秤が一気に傾く感覚を最後に、気を失った。

 



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28話 危 の一文字を幻視した

 

(エアシャカール)

 

『以上、今日の天気予報でした。続きまして速報です。現在、日本に留学されております、アイルランド王族のファインモーション殿下が日本親善大使として任命される予定との事です。昨日、アイルランド時刻における15時27分、アイルランド政府は――』

 

 部屋にどうでも良いニュースの声が響き渡る。

 

「凄いんですねぇ、親善大使だなんて……。あ、でもこれでファインモーションさんはトレセン学園に居られるんじゃないですか? レースを通じてアイルランドと日本の架け橋になる、みたいなことをニュースで言ってますし……」

 

「それがどうした」

 

 いつの間にか貼られていた額の絆創膏に触れる。うっとおしかったが、昨日の傷が悪化

 

「えぇぇ~……!? で、でも、シャカールさんってファインモーションさんと仲がよろしかったんじゃ……? それに今度の宝塚記念でも一緒に走るんですよね……?」

 

「そうだ、あいつとは次の宝塚で一緒に走る。――だから敵だ」

 

 朝の支度を終えて部屋を後にする。乱暴に閉められた扉が大きな音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ファインモーション)

 

 いつもの時間、いつものように私は登校する。廊下ですれ違った友人に挨拶をすると、私を認めた周りの皆が一斉に詰め寄せてきた。

 

「今朝のニュースって本当!?」

「ニュースが嘘つくわけないじゃない!」

「これからもトレセン学園に居られるの?」

「よ“か”っ“た”よ“ぉ”~~~~~!! こ“れ”で“は”な“れ”ば“な”れ“に”な“ら”な“く”て“す”む“ん”だ“ね”ぇ“~~~~~!!!」

「レース、引退しなくても大丈夫なんだって!?」

 

「え、えっと……」

 

 皆の勢いに気圧されてしまう。私が言葉に詰まっていると、見かねたSP隊長が助け舟を出して――

 

「はい、みんなストップストップ!! 殿下にお声を掛ける際はきちんと列に並ぶように!」

 

 くれる前にグリードがみんなを制止してくれた。

 

「ありがとね、グリード」

 

「いいのいいの、これぐらい。それより親善大使って! いやーお偉い役職に就いたもんだね! もしかして最近忙しかったのはそのせい?」

 

「そうなの。ごめんね? 事が事だから事前に伝える事も出来なくて」

 

「確かに、私の耳に入れた瞬間SNSから大拡散しちゃうからね。当然の判断よ」

 

 自信満々にそう言うグリードに対して周りの子達が失笑する中、聞きなれた声が響き渡った。

 

「邪魔だ!! 廊下塞いでんじゃねェよ!!」

 

 声の主はエアシャカール。私を目当てに集まってきたウマ娘に対して睨みを聞かせている。彼女の形相は、柔らかな雰囲気を一瞬で氷点下に変えてしまった。

 

「あ、シャカ! 今朝のニュース見た!? ファインが日本親善大使になってトレセン学園に残れるんだよ!」

 

 しかし、グリードは不機嫌そうなシャカールなどお構いなしにグイグイと迫る。

 

「知ってる。いちいち報告してくンじゃねェよ」

 

「ならもうちょっと喜んだら? これからもファインと一緒にいられるわけだし。シャカも嬉しいでしょ?」

 

「別に」

 

「もー、照れちゃって。本当は嬉しい癖に~」

 

「うぜェ。止めろ」

 

「このこの~」

 

 グリードがシャカールを肘でつついたその時、シャカールの腕が動いた。グリードの顔めがけてアイアンクローが飛ぶ。

 

「っ!」

 

 グリードが腕を避けた。いつもなら行き過ぎた揶揄いの代償は甘んじて受けているのだが。

 

「……馴れ馴れしくすんじゃねェよ」

 

 心底苛立たし気に吐き捨てるシャカール。その場の皆が彼女に尻込みする中、今度は私が彼女に話しかける。

 

「シャカール、これでまだまだ君といられるよ」

 

「――テメェもだ、ファイン」

 

 シャカールの瞳がこっちを向いた。それだけで僅かに呼吸が止まる。生理機能が停止してしまう程の敵意。少し遅れてSP隊長が私とシャカールの間に割って入る。

 

「馴れ馴れしくするな。宝塚記念、お前は敵だ」

 

 シャカールはそれだけ言ってこの場を後にする。廊下に集まっていた子達は雰囲気の悪さに耐え兼ねたのか、解散してしまっている。グリードと私の隊長の三人だけが取り残された。

 

「……さっきのシャカール、断食中の私に似てたなぁ。鏡で良く見たあの目。思わず手ぇ避けちゃったよ。隊長も感じた?」

 

「はい。二月頃のグリード様にとても良く似ていました。思わず殿下をかばってしまう程に」

 

「だよねぇ、怖い怖い。……って、なんでファインは笑ってるの? 睨まれたのに」

 

「んー……内緒」

 

 グリードの言う通り、私の口角はこらえきれずに持ち上がっていた。だって、シャカールが私に本気の敵意を向けてくれたから。

 そのことが、私を本当のライバルとして認めてくれたようで、筆舌に尽くしがたい嬉しさを覚えてしまう。

 

 初めて君と走った日。あの時は負けちゃったけど今度は負けないからね。

 

 教室へと向かう間、私の姿勢がいつもより前傾気味だと隊長に注意された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月日はやけに遅く流れ、カレンダーの日付は宝塚当日、6月26日に。シャカールとの対戦を首を長くして待っていたせいだろうか。楽しい事を待つ時間はどんな時も長く感じられるのがじれったい。

 

 会場は阪神競技場。現地には前日入りしており、今はリムジンで会場まで移動中だ。

 

「シャカも一緒に来ればよかったのにね。わざわざ一人で移動なんてさ」

 

 シャカールがいないため一人分のスペースが空いている。グリードはその空間を贅沢に使い、シートに寝そべっていた。

 

 シャカールがわざわざ単独行動をしているのは、きっと今の彼女に必要な事だからなのだろう。私が使命のため、声援をくれる観客のために走ると好調なように、グリードが行き過ぎた食事制限を乗り越えて勝利を収めたように、彼女にもなにかしらのトリガーがあるんだと思う。

 

 ふと隣を見ると、トレーナーがお腹を押さえているのが目に入ってきた。

 

「大丈夫、トレーナー?」

 

「う、うん……いや、やっぱり大丈夫じゃないかも……。ファインとシャカール、どっちが勝つにしろ、どっちかは絶対負けるんだよね……。それを考えると腹痛が……」

 

「またお腹痛めてる。よしよししてあげよっか?」

 

 グリードが虚空を撫でながら言う。

 

「い、いや、遠慮しとく……。癒されるのは確かだけど、背徳感で余計にお腹痛くなりそうだから」

 

「そっか、それは残念」

 

「ざ、残念って……まさかそっちに目覚めたとか……」

 

「やだなぁトレーナー、本気にしちゃって。冗談よ冗談」

 

 冗談と言う割には本当に残念そうな顔をしていた。

 

 ……本当に冗談なのかな。知らない所で(ただ)れた関係になっていないかちょっと心配。

 

 などと雑談している間にも車は目的地に到着したらしい。緩やかなブレーキングによって体が少しだけ傾く。

 

「うぅ、いよいよか……。あ、シャカールがちゃんと到着してるかも確認しに行かないと……」

 

「さてと、どっちが勝つか高みの見物させて貰おっかな!」

 

 緩慢に降車するトレーナーと、一息に降車するグリード。

 

 ――感じる、シャカールの気配。

 

 今日の好敵手が先に会場入りしているのを察しながら私も降車する。カツン、と靴底が爽快な音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(三人称)

 

 宝塚記念はファン投票で選ばれたウマ娘が走れる。自分たちの選んだ一推しの選手達が走るレース、当然会場は満員。無数の人間に囲まれた本バ場へと、ついに出場ウマ娘が姿を現す。

 

 色とりどりの勝負服を纏った選手たちに、会場は大盛り上がり。彼女らは観客に手を振ったり、パフォーマンスをしたりと応援してくれるファンに答えている。

 しかし、その中でも特異なウマ娘が一人。耳を伏せ、喧騒に顔を(しか)めながら入場を果たしているのはエアシャカール。彼女はゲートの前にたどり着くと、不機嫌そうに地面を蹴っていた。

 そんな彼女にもファンはいる。そうでなければ彼女はこの宝塚の場には立てていない。彼女のファンが歓声を上げると、シャカールの靴を用いた穴掘りにガサツさが増した。

 

「――チッ……チッ……チッ……!」

 

 舌打ちを隠そうともしないシャカール。舌打ちの音は観客席まで届いていないが、彼女の尋常ならざる顔つきにファンは口をつぐむ。とはいえ、彼女のファンがこの件で抱いた感想は、“いつもより5割増しで機嫌悪いな”ぐらいだ。そのぐらいの感想で済まないのならば、彼女のファンにはなっていないだろう。

 

 そんな様子のシャカールに対して、他のウマ娘達はチラチラと様子を窺っていた。GIに出場するウマ娘達だけあって、露骨に怯えるような真似はしないが、完全に意識から外すことはできないようだ。

 

 しかし、一人だけシャカールを凝視するウマ娘が。顔の前で手を合わせ、集中しているフリを装って薄目を開けているのはファインモーション。

 

 日本親善大使のニュースの影響も相まってか、彼女の人気は凄まじく高い。そのため入場からひっきりなしに声援が掛けられていた。

 彼女もその声援に応えるべく、観客席の方に手を振り続けていたが、ゲートインが近付くと観客が静まり返る。選手が集中できるようにという配慮であり、今のファインにとっては非常にありがたいことであった。

 静寂の中、彼女の視線は現在進行形で芝をめくり続けているエアシャカールに固定されていた。

 

(数分もせずにレースが始まる。君との真剣勝負が……)

 

 ファインは以前にトレーナーから言われたことがある。ターフの上では感情を抑えずに走っても良い。観客は、ファインのその姿を楽しみにしていると。

 だから彼女は笑みを隠さなかった。獲物を狙う肉食獣の様な笑みを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てのウマ娘がゲートインを終えた。人知を超えたパワーと人並み外れた勝利への想いを狭いゲートの中の押し込める。

 押し込め、蓄え、凝縮し――――今解き放つ。

 

 矢の如く放たれたウマ娘達。先頭を欲する者は前へ、後塵を拝す屈辱に耐え、反逆を狙う者は後ろへ。それぞれ意志を持った18の個がしのぎを削り合った結果として、二つの群れと一つの個に分かれた。

 先頭集団、第二集団、そして最後方にエアシャカール。

 

 

 

 第二コーナーを抜けるころになると、レースに大きな変化はない。それぞれが己の信じる最速を実践する。ウマ娘にとって走ることは存在証明に近い。そんな彼女たちの信じる最速、それはアイデンティティと呼んでも差支えないだろう。

 しかし、レースではそのアイデンティティを否定しようとする輩がいる。その不届き者はあろうことか己のアイデンティティを拒絶するくせ、自分のアイデンティティは押し通そうとしてくるのだ。むろんそんなことは許さない。許すはずもない。

 排除だ。自分の人格を否定するような大罪人など当然排除。位置取り、目線、フェイント、使えるものを全て利用してお引き取り願う。

 

 

 

 向こう正面。観客達はそんなウマ娘たちの心情を知ってか知らずか、歓声という名の燃料を大量投下。ウマ娘たちは自分のアイデンティティを肯定してくれるファンの声を薪に情熱の火を燃やす。

 バランスを崩して転んでしまえば、死にかねない速度で走る彼女たち。自身を焼き付くす炎に身を任せ、全力疾走する姿を愚かだと言う者もいるだろう。だが、愚か者でなければこの舞台には立っていない。観客にすら飛び火させ、燃料ATMに変えてしまうほどの異常者でなければこの舞台には立てない。

 

 

 

 第三コーナー。情熱の火で身を焼き、ようやくウマ娘達の体が温まってくる頃。アイドリングの済んだ暴走機関車たちがそれぞれのタイミングでスパートをかけ始める。

 その中で一人だけ導火線に火を付ける者がいた。チリチリと縮まる導火線、その先には俗に“ウマソウル”と呼ばれる異世界の生物の魂が。

 導火線がウマソウルの尻を突っついた瞬間、ファインの体は重力と空気抵抗から解放された。ブチリ、と世界の物理法則から完全に切り離された彼女は、常人の想像だに及ばない速度でコーナーを抜けていく。同時に、後方から急速に迫って来る好敵手の気配を感じ取っていた。

 

 

 

 第四コーナー。ファインが先頭集団を捉えている頃、第二集団の後方では複数のウマ娘がもつれ合っていた。それぞれが理想のラインで走ろうとした結果の混雑。

 コーナーで速度を出すと遠心力も強くなるため、ある程度膨らんだラインが理想となる。しかし、混雑でやむを得ずイン側のラインを走らざるを得ないウマ娘がいた。その子が自分の位置取りの甘さを呪い、歯噛みをしていると、さらに内側から黒い影が迫る。

 

 ――内側? 一人分のスペースすら空いていないのに?

 

 その子が疑問に思ったのも束の間、ずっと後ろで控えていたエアシャカールがその子と内柵の間に無理やり体をねじ込んだ。

 

 ジュザリ

 

 鈍い音の後、一瞬でその子を抜き去ったシャカールは先頭を目指してひた走る。デッドスペースを駆け抜けた代償として右腕の皮と肉を柵に置いて来たが。

 体の一部がこそげた当の本人は、痛みではなく殺意に顔を歪めていた。自分の前を走る奴は全員(かたき)だと言わんばかりに。

 彼女の腕から遅れて血が噴き出る。勝負は最終直線へ。

 

 誰が見てもこのレースの勝者は二人に絞れる展開だった。ファインモーションかエアシャカールか。

 先頭を突き進むファイン。勘の鋭い者が見れば、彼女の周りに光る蝶々を幻視したことだろう。ふわりと華麗に、しかし時速65kmに迫る速度でファインを先導する蝶々を。

 そして彼女の通り過ぎた後にはアイルランドの国花であるシャムロックが芽吹く。芝がみるみるうちにクローバーで埋め尽くされ、彼女の背後には無限に広がる高原すら見える。

 

 そのシロツメグサたちを踏み荒らすウマ娘が一人、エアシャカールだ。これまた勘の鋭い者が見れば、彼女の周囲が脱色されモノクロに染まっていくを幻視したことだろう。

 色をデジタルで表すと、0~255までのRGB値の組み合わせ。しかし、16777216通りの色相など贅沢だと言わんばかりに(0)(1)に世界が変化していくのだ。

 

 

 

 残り200m。ついにシャカールがファインに追いついた。やはり勘の鋭い者が見れば、二人の世界が喰い合っているのが見えることだろう。

 ファインの蝶々がシャカールの世界に侵入しようものならば、一瞬でモノクロに脱色され、ついには01に分解され消滅。反対にシャカールの世界がファインの世界に浸蝕しようものならば、白黒の背景は華やかに侵され、メルヘンチェンジを果たしていた。

 ファインは大きな瞳を収縮させ、獰猛さを帯びた笑顔でラストスパート。シャカールは腕から血をまき散らし、犬歯をむき出しにしながらラストスパート。

 

 ついに二人はゴール板を割った。

 

 

 

 

 

 

 二人とも掲示板を睨みつけていた。シャカールの腕からは、心臓のビートに合わせて血が漏れる。100回ほど血を漏らした後、ようやく掲示板の1着、2着の欄が灯った。

 

「………」

 

 シャカールが静かに膝をつく。

 

「……ぉ、ぉ………」

 

 うめき声と涙が零れる。

 

 

 

 

 

 

「おおオオオォォォォッッッッ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 およそ一人の声帯から発せられたとは思えない、勝者の咆哮が響き渡った。

 



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29話 翌日、雨は降った

 

(エアシャカール)

 

 自然と目が覚めた。目覚ましが鳴った訳でも、太陽光が顔を照らしたわけでもない。ベッドから体を起こし、朝の支度をする。

 

「あ、シャカールさん! おはようございます~」

 

「……あぁ」

 

 同じ部屋に住んでいるドトウが挨拶をしてくるが、そぞろな気のない返事をする。

 

 ……どうしてこいつは昨日までしっちゃかめっちゃかな態度を取っていた俺に未だに構ってくる?

 

 そんな疑問が拭えない。俺が考え込む間にドトウは制服に着替え、いつもの自身なさげな顔を珍しく引き締めていた。

 

「シャカールさんに怒られないよう挨拶ができました……。今日はなんだかいけそうな気がします~……! ドジをしないように一日頑張ります~……!」

 

 気合を入れて部屋を出ていくドトウ。しかし、彼女はさっそくカバンを忘れるというドジをやらかしていた。

 

「……」

 

 いつもなら“カバン忘れてんぞ”の一言で終わるのだが、今はその一言が喉につっかえて出てこない。

 しばらくその場に立ち尽くした後、自分のカバンとドトウのカバンを手に部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は昨日、待望の瞬間を迎えた。シニア期に入ってからは衰えるだけだった自分の運命を覆した。生まれた瞬間に決まる肉体的な限界を超え、勝利を収めることができたのだ。

 

 右腕の包帯に触れる。刺すような痛みと共に昨日の光景が蘇った。

 掲示板のトップに表示された俺の番号。怒号のような歓声。頭痛がするほどの高揚感。

 

 思い出すだけで口角が上がる。昨日の結果に文句はない。かねてからの念願を叶え、人生最高潮の時だったと間違いなく言える。

 

 しかし、その代償は少なくなかった。ウマソウルとやらの機嫌を取るために俺は人間関係を捨てた。拒絶と排斥と孤独。それを生贄に昨日の勝利を手に入れたわけだ。

 

 自分のカバンに手を突っ込み、退学届と書かれた封筒を取り出す。

 

 ……もうここにいる意味は無い、か。

 

 願いを果たしたため、無理にレースに出ようとは思わない。加えて人間関係を失ったコミュニティに留まる必要もない。レース関係の授業が無い普通の高校に転入して高卒資格を得るのが合理的だ。

 そこから、レースの賞金でニートするなり、大学に行くなり、就職するなり、起業するなりいくらでも自由にできる。そう、この選択が正しいはず。

 

「……チッ」

 

 しかし、頭では納得していても心は拒否反応を示す。この学園から離れたくないと。自ら人間関係を断ち切ったくせして未練タラタラだ。

 こういうバカが投資で損切りできずに沈んでいくんだろうな、と他人事のように考えていると、

 

「おっはよー!シャカぁ!」

 

 バカのデリバリーが来た。大声に振り返ると、グリードと一緒にファインもいるのが確認できる。

 

「おはよう、シャカール」

 

「……あぁ」

 

 やはり気のない返事が口から洩れる。

 

 訳が分からない。あれだけ決定的に突き放した態度を取ったのに、どうしてこいつらは俺にからんでくる? 確実な拒絶の言葉を吐き捨てたはずなのに。

 

「あれ、どうしたの? 元気ないじゃん。まぁ、昨日あれだけハッスルしたんだからしょうがないよね。ゴール後に叫びすぎて、ウイニングライブじゃ声カッスカスだったし」

 

 ニヤニヤとムカつく表情を浮かべながら俺をからかってくるグリードだが、今は言い返せるような精神状態ではない。

 

「……あれ? ホントに元気ないね。もしかして腕、結構痛む? カバン持とうか?」

 

 俺が黙っていると、グリードは眉をひそめて俺の心配をしてくる。

 

 なぜ俺の心配をする? あからさまにつっけんどんな態度で接したにもかかわらず。

 

「……持たなくて良い。そこまで痛くねェよ」

 

 理解の及ばないグリードを遠ざける様に、包帯を巻いた方の腕を振る。そのせいで昨日の傷が痛み、僅かに顔をしかめた。

 

「ダメだよ。無理したら」

 

 その表情の変化を殿下様は見逃してくれなかったご様子。ファインは俺からカバンを取り上げる。その際ファインと目が合った。気まずさに耐えられず、すぐに視線を逸らす。

 

「むー……。貴様~、我と目を合わせられぬと言うか~?」

 

 ファインは大げさに頬を膨らませ、俺の顔を覗き込んでくる。その声に含まれている感情は不満。決して怒りや恐れなどでは無かった。

 どう対応すれば良いか分からないままファインと見つめ合う。そうしていると、ふいにファインが切ない顔で笑った。

 

「……レースは楽しかったけど、それまでは少し寂しかったんだよ?」

 

 ”お前は敵だ”と吐き捨てた俺に対して、”怖い”でも”怒っていた”でもなく”寂しい”、か。――本当にわけ分かんねェ奴だ。

 

 拒絶の意志を持って接すれば、向こうも拒絶する。人の心なんてただでさえ複雑で曖昧なもの、俺の乏しい対人経験で勝手な予想を立てるにはデータが足りなすぎたのかもしれない。

 

 そう言えば、こいつらは入学当初の尖ってた俺にも臆せず接してきたっけか……。

 

 そう考えると、喉に引っ掛かっていた何かがストンと落ちていったような気分になった。

 

 パサッ

 

 ファインが持っている俺のカバンから封筒が落ちる。

 

「あ、何か落としちゃった。ごめんね?」

 

 落ちた封筒を拾い上げようとするファインより先に、俺は急いで封筒を拾い上げた。

 

「別に謝る必要はねェよ。こいつはちょうど捨てようと思ってたところだ」

 

 拾い上げた封筒をゴミ箱に突っ込む。

 

「本当に捨てて良かったのシャカ? 封筒に入っててなんか大事そうだったけど」

 

「あぁ。今となってはただのゴミだからな」

 

 ゴミ箱に手を突っ込んだまま目を閉じると、後ろにいるグリードとファインの存在を強く感じる。

 

「ファイン、グリード。悪かったな、最近は不愛想にしちまって」

 

 謝罪の言葉は、驚くほど素直に俺の口をついて出てきた。

 

「うむ、許してつかわそう!」

 

「私も別に気にしてないよ。シャカが不愛想なのは最近に始まった事じゃないしね」

 

「そうか。ありがとな」

 

 謝罪に引き続き、感謝の言葉も口をついて出てくる。

 

「うわぁ……。シャカがお礼の言葉を……明日は槍降るでしょこれぇ……」

 

「……良かったらもう一回言ってくれないかな? 撮影……いや、録音だけで我慢するから」

 

 こいつら……

 

 グリードだけならまだしも、ファインまでもが俺をからかうような言葉を投げかけてくる。少しだけこめかみをひくつかせながらも、不満を無理やり飲み込んだ。

 

「さっさと教室行くぞ」

 

 少しだけ荒い歩調で歩みを進める。

 

「あ、待ってよ~。槍は言い過ぎたって! 矢! 矢が降るなら良いでしょ!?」

 

「音声がダメならさっきの微笑み! 写真撮りたいからもう一回お願いできるかな!?」

 

 後ろから(やかま)しい二人がついてくる。その声をBGMに、ドトウに届けようと持ってきたカバンに意識を向けた。

 

 ――あいつにも謝っとかねェとな。それとトレーナーにも。

 

 これから頭を下げる必要があるにも関わらず、俺の心は晴れ晴れとした気分だった。

 




これにて本作は終了です。
最後まで私の妄想にお付き合いくださった読者の方、本当にありがとうございます。


描いたは良いけど話の流れ上、没になった絵をここに供養しておきます。

【挿絵表示】




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