第4.5次聖杯戦争 (慶天)
しおりを挟む

1話 ウリエ=ヌァザレ=ソフィアリ

 ロンドンとは非常に面白い街である。多くの歴史的建造物にあふれ、世界中から観光客やビジネスマンが訪れる。

 

 その目的は様々である。

 ある者は世界初の公的博物館である大英博物館を訪れ人類の文化、芸術を堪能する。

 ある者は数多くの歴史的建造物を見て回り、ヨーロッパ文明の歴史に触れる。

 またある者はヨーロッパ経済の中心地のひとつであるこの街を拠点に世界を股に掛ける商活動を行うだろう。

 

 

 

 そんなロンドンの郊外に中世と近代の入り混じったような非常に趣のあるエリアがある。ゴシック調の建造物の隣に近代的なビルがあるかと思えば、レンガ造りの建物がいくつも並ぶ。

 

 そこは「時計塔」と呼ばれていた。

 

 魔術協会における三大部門の一角であり、四十を超える学生寮(カレッジ)、百を超える学術棟とそこに住む人々を潤す商業で成り立つというロンドンと、ロンドンを囲む様に作られた複数の都市で構成されている巨大な学園都市である。

 

 

 

 やや大きめの講堂のような場所。キラキラと輝く煙が立ち込めておりその中心に一人の赤い長髪の少女が立っていた。

 何かの装置が設置されており、その装置には拳銃が銃口を少女の方を向けてセットされている。その装置は一定時間後に拳銃の引き金を引くような仕組みになっていた。

『ドン!』

 数秒後、拳銃は雷鳴と共に少女に向けて凶弾を発射した。

 

 目を覆いたくなるような惨劇が待ち構えているかと思われた。

 しかし少女に向かった弾丸は空中で動きを止めるや180度方向を変更し、発射された時以上の速度でかつ正確に元の拳銃の銃口に飛び込んだ。そして当の拳銃は、正に銃口に弾丸を撃ち込まれバラバラに四散した。

 

 瞬時の出来事で、人の目には何が起こったのかさえ理解できなかっただろうが、ストップモーションのようにコマ割りで今の出来事を見ることが可能ならば、方向を変更した後の銃弾が鉛色ではなく金色の弾丸に変化していたことが分かっただろう。

 

「パチパチパチ」

 振り返ると渇いた拍手と共に一人の男性が立っていた。

「風と地の二重属性を活用し、砂金を使った防御術式か」

 男は真鍮色の髪をかき上げ少し気障な仕草で少女に話しかけた。

 

「ウリエ、まったく見事だと言わせてもらおう。代々魔術師の力を引き継いできたソフィアリ家の血もさることながら、キミの努力とセンスによるところも大きいのだろう」

「時計塔随一の天才魔術師と呼ばれる、お兄様にそんな賛辞をいただけるなんて光栄ですわ」

「いやいや私の教え子にもその若さでこれほどの魔術を使えるものは居ない。もしキミの兄ブラムが居なければ、ソフィアリ家の家督を継いでいたのは姉のソラウではなくキミだったかも知れないな」

 

 少女は話しかけてきた男が極めて優秀な魔術師であることを知っている。そんな男に褒められてつい口元も緩んでしまいがちになる。

 

「でも今のは、弾丸が飛んでくる方角が予め分かっていたというのもありますのよ。今の私では予期せぬ方角からの飛翔体に対しては、あそこまで正確な反応はできませんの。マギシェス・ゴルド(魔力を帯びた砂金)全てに均等に魔力を伝達するコツが未だに掴めていないのです」

 

 少女ウリエにお兄様と呼ばれた男、ケイネス=エルメロイ=アーチボルトは、正しくはウリエの兄ではない。ウリエの姉にあたるソラウは、ケイネスの婚約者であり、将来的にはケイネスはウリエの義理の兄となるのだ。

 

「フム、なるほど」

 ウリエの話を聞いたケイネスは、懐から試験管を取り出すと呪言を唱えながら中身である銀色の液体を一滴床に垂らす。するとその液体は膨張し、みるみるサッカーボールほどの大きさとなり足元に静止した。

 

「私のヴォールメン・ハイドラグラムをキミの魔力で制御できるように調整した上で少し貸してあげよう。これを球体ではない形状で維持できるように練習してみなさい。通常液体は放っておけば球状になろうとする。それを別の形状で維持できるようになれば、魔力伝達のコツは掴めるだろう。液体は砂よりも魔力伝達がスムーズに行える。練習には持ってこいだろう」

 ヴォールメン・ハイドラグラム。それは風と水の魔術属性を持っている故か流体操作を一番の得手とするケイネスが編み出した戦闘魔術である。

 

「うわぁ、良いのですか。ありがとうございます、お兄様」

「明日にはキミの手元に届くよう手配しよう。私はもう少ししたら暫く海外に行く野暮用がある。一か月もすれば戻るだろうから、その間に練習に励むといい」

「聖杯……戦争? ですか。戦争って大丈夫ですか」

 

「イスカンダルの聖遺物を盗まれたせいで、少し予定が狂ったが、些事に過ぎん。なに、聖杯戦争のシステムは十分研究し理解している。ソラウにサーヴァントの魔力供給を分担してもらうことで、既に他の魔術師に対して我々は大きなアドバンテージを得ているのだ。負けることなど万に一つもあり得ない。あとはサーヴァントという駒をいかに効率よく運用できるかだけだ」

「行き先は日本でしたっけ。何か東洋の甘味をお土産にお願いしてもよろしいでしょうか。帰国後は挙式も控えていますし、色々楽しみですね」

 

 しかし、ケイネスとソラウは、そのまま帰国することはなかった。

 

 

 

 現在……

 

 第四次聖杯戦争を生き残ったウェイバー=ベルベットは、イスカンダルと共に戦い得た様々な経験を胸に秘め、人として大きく成長した。

 その後、時計塔に戻った彼は、ケイネスの死後に零落し見捨てられていたエルメロイ教室を受け継ぎ、講師となる。彼の分かりやすく実践的な授業は時計塔で居場所のなかった新世代たちの間でたちまち話題となり、今では誰からも一目置かれる存在となっていた。

 教室を三年間存続させたウェイバーは、エルメロイ家の次期当主ライネス=エルメロイ=アーチゾルテよりロード・エルメロイⅡ世の名を贈られていた。

 

 時計塔内某所。

「ウェイバーさん。いえ、今はロード・エルメロイⅡ世でしたか」

 ベンチでタバコと紙コップに入ったコーヒーを手に物思いにふけっていたエルメロイⅡ世に見知らぬ女性が声を掛けてきた。

「君は?」

「初めまして。突然すみません。私はケイネス=エルメロイ=アーチボルトの許嫁だったソラウ=ヌァザレ=ソフィアリの妹、ウリエ=ヌァザレ=ソフィアリと申します」

「ケイネス師の……」

 

「貴方は5年前の聖杯戦争に参加し、生きて帰って来られたそうですね。姉と兄が聖杯戦争でどうやって亡くなったのか、もし知っているなら教えていただけませんか。稀代の天才魔術師であった兄が誰にどうやって殺されたのか。まさか貴方が……」

「いや、申し訳ないが、ボクもケイネス=エルメロイ=アーチボルトがどうやって殺されたのかまでは知らない。ただ、あの人を殺したのはセイバーとそのマスターだ」

 

「どうして兄が……、貴方は生き残れたのに……。あ、ごめんなさい」

「いや、君の言わんとすることは正しいよ。あの戦争をボクが生き残れたのは、すべてサーヴァントだったイスカンダルのおかげだ。彼が居なければ、今ここで君がボクに会うことはなかっただろう」

 その言葉にウリエは劇的に反応した。

 

「ちょっと待って、イスカンダルを召喚するための聖遺物は兄が盗まれたと言っていた記憶があるのだけれど、貴方が盗んだってことなの!?」

 兄はイスカンダルの聖遺物を盗まれた為、別のサーヴァントで戦わざるを得なかった。それが敗北の原因だったのだとしたら兄を殺したのは、聖遺物を盗んだこの男も同然ではないか。ウリエは激高した。

 

「確かに、ロード・エルメロイを死に追いやったのはボクの愚かな暴走によるものだ」

 

「酷い……! だったら貴方がその聖遺物を盗まなければ、イスカンダルをサーヴァントにしたお姉様たちは死ななくて済んだのじゃないの!」

「……」

「何でお兄様が敗れたのかが、やっと分かったわ。一級のサーヴァントを貴方に盗まれて、外れサーヴァントで戦う羽目になったのが原因だったのね」

 

「ボクはあの戦いの中でイスカンダルから十分な栄誉を受け取った。ボクはこれからの人生でそれを返していかなくてはならない。ボクの罪は認める……、君はボクを殺したいほど恨んでいるかも知れないが、どうかそれだけは勘弁して欲しい。ボクにはまだやらなくてはいけないことがある」

「もういいわ。ここで貴方を殺しても何も得られないわ。それよりもこれを見て」

 手袋を外したウリエの右手の甲にはしっかりと令呪が刻まれていた。

 

「それは、令呪!」

「近々日本の冬木で新たな聖杯戦争が始まるの。私はそのマスターの一人に選ばれたのよ。前の聖杯戦争からの間隔が短すぎるらしいけど、きっとお兄様のお導きね。とにかく私はこの聖杯戦争に勝ち残り、お姉様とお兄様の無念を晴らしてみせるわ。もう、既に一級の聖遺物も手に入れているのよ」

 

「君は魔術師同士の闘争というのがどういうものか理解しているのか? 死ぬよりも悲惨な目にあった挙げ句、何を成すこともできぬまま惨たらしく殺されるかもしれないのだぞ? 聖杯戦争は辞退するべきだ。君には無理だ」

「貴方は生き残ったけど、勝利したわけではないのでしょう。私は必ず勝利を手に凱旋するのよ。もう、貴方と話すことは何もないわね、お兄様にも褒めていただいた秘術を尽くして他の6人の魔術師を完膚無きまで叩きのめしてあげるわ」

 

 鼻息荒くまくし立てた後、踵を返すと大股で去っていくウリエの後ろ姿を見送りながら、

「……聖杯戦争はキミが思っているような真っ当な戦いじゃない」

 エルメロイⅡ世は5年前の記憶をたどりつつそう呟いた。

 

 

 

 ソフィアリ家に戻ったウリエは早速取り寄せたどす黒い木の破片を触媒に英霊召喚を執り行った。

「この聖遺物なら間違いなく一級のあのサーヴァントが召喚されるはず。でも、サーヴァントの性能が勝敗にそこまで影響を及ぼすなんて想定外だったわ。サーヴァントには最初から能力を底上げできるバーサーカーというクラスがあるらしいし、このサーヴァントはバーサーカーとして召喚しましょう」

 

 召喚の儀式は無事完了し、彼女の目の前には赤い目に狂気を浮かべた長身の男が立っていた。

「貴様が余のマスターか……」

「そうよ、だけど立場をわきまえなさい。サーヴァントに貴様呼ばわりされる覚えはないわ」

「貴様ごとき若輩に王である余が首を垂れるとでも思ったのか……」

 現れたサーヴァントは尊大に小娘にしか過ぎないウリエに仕えるなどありえないという態度をとった。

 

「令呪を以て命ずる。今後私のことはウリエ様と呼びなさい。その様な尊大な態度は許さない。私のことを若輩者扱いすることも禁じます。跪きなさい」

 ウリエは躊躇なく貴重な令呪の一つを使用した。

 

「うぐおおおおお……小娘ェェェ……」

 時間にして2,3分、その程度であったがウリエにとってはとてつもなく長い時間に感じられた。このサーヴァントにとってこの命令は、余程耐えがたいものであったのだろう。

 いまだ終わらない魔力の強制にウリエが令呪をもう一度重ねたほうが良いのかと思案し始めた頃、そのサーヴァントは突然静かになった。

「ぬうう……し、承知しました……ウリエ様……」

 

「それでいいわ。あなたが王だったのは生前の話でしょ。今は私に仕えるサーヴァントなのだから。一応名前を聞いておくわ。名乗りなさい」

「私は────―……。一つだけ教えていただきたい。私をこの姿で呼び出したのはウリエ様の意思によるものなのか……」

「そうよ、狂化することで能力が向上するなら当然の選択でしょう。あなたのその姿、生前の逸話に基づくものなのだろうけど、私に対して不埒な行動は許さないわよ」

「承知しております……」

 

「よろしい、これから日本の冬木に向かいます。あなたのようなサーヴァントを従えた6人の魔術師と戦うことになるわ。その力、存分に発揮しなさい」

「仰せのままに……」

 

 

 

※※※

 

 

 

 こんな小娘にこのような姿で使役されるのは耐えがたいが……。サーヴァントとして召喚されたからには仕方あるまい。

 我にとっての悲願である「かの吸血王としてのイメージを払拭する」ためにも今次の聖杯戦争はあの小娘の令呪をうまく消費させさっさと退散するのが最良であろうな。

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。

毎週水曜日、土曜日の2回更新していきたいと思います。

感想などいただけましたら筆者大層喜びます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 劉 久垓(リュウ クガイ)

 1999年、香港。

 

 今より2年前にその統治はイギリスから中国に返還された。しかしその経済規模は世界有数であり、富と享楽、そして破滅と絶望が共存する街であるといえる。

 華やかな昼間の繁栄の裏側、夜には世界の闇を牛耳る多くの組織がひしめき合う非合法と暴力の支配する、まさに魔都と呼ぶにふさわしい巨大都市だ。

 香港の夜はありとあらゆる反社会的組織、ギャング、シンジケート、マフィア、ヤクザの抗争に彩られていた。

 

 香港に根を張る最大の闇組織は「死合会」と呼ばれるチャイニーズマフィアである。世界にギャング、マフィアが数ある中チャイニーズマフィア「死合会」の残虐性、偏執性は群を抜いており特に裏切り者はまさに地の果てまででも追いかけて始末するほどの徹底ぶりであった。

 

 そんな香港最大の繁華街、繁栄と享楽の巨額な金銭が動き回る巨大なビルの最上階。今そこはまさに戦場と化していた。

 

 マシンガンが火を噴き辺りにいた高級なスーツに身を包んだ男たちがはじけ飛ぶ。

「ここにあっしの探しているお宝があると聞いてやって来たんですが、お兄さんご存知ですかい?」

 トレンチコートに身を包んだ痩せた男がマフィアの幹部と思しき男にマシンガンを突きつけ質問する。

「んー? だんまりですかい? って、こりゃいけねぇ。もう死んでやがりますか」

 

 トレンチコートの男はまるでゴミのように掴んでいた小太りの男を投げ捨て、再びマシンガンを肩に担ぎまるで何事もなかったかのように歩き出す。

 

「貴様! どこのモンだ!」

 言うや否やマフィアの男たちが銃弾の嵐を男に浴びせかける。

「そりゃ言えねぇですなぁ」

 10人以上の男たちが放った何十何百という銃弾が男に殺到するが一発たりとて男に命中することはなかった。

 そもそも銃弾が集中するところに男はすでにいなかったのだ。

 

「魔術師か!」

 果たして魔術師なるものが存在するのか? 普通の人に聞いたのならそんなファンタジーのような存在はおとぎ話の中だけだと答えるであろう。

 しかしここには確かに魔術師が存在していた。

「ご明察。うちのボスがねぇ、あんたらが余計なものを手に入れたって言うんでさぁ。大人しく渡してくれないかなあ?」

「クソが! 死ねやぁああ!!」

 

 魔術師に銃器がどれほどの効果があるだろうか。ここにいる男たちは幸運にも、または不幸にも魔術師の恐ろしさを知る者ばかりであった。

 ここは死合会の中でも『黒房』と呼ばれる魔術を研究する部署であり、その知識を有する者たちが集まるところであったのだ。

 

「魔術師は普通の人間が戦って勝てる相手ではない」そのように組織の者は教え込まれている。

 しかしだからといってこの場にいるこの男を放置することはできない。結果としてマフィアの男たちは半狂乱になってマシンガンを乱射するしかなかったのだ。

 

「いけないねぇ。命を粗末にしちゃダメだって教わらなかったのかねぇ」

 トレンチコートの男はまるで揺れるように体をゆすると銃弾はすべて彼の体をすり抜けていった。

 そしてマフィアの男の隣にフッと現れると「ざんねーん」と耳元で呟いた。

「う、うわあああああ!!」

 男は慌てて銃口を向けようとするがそれよりもトレンチの男が引き金を引くほうが早かった。

 

 ヘッドショット一発。

 

 それだけでマシンガンを部屋中に乱射しながらマフィアの男は絶命する。

 巻き添えを食って今の乱射で胸部に弾丸を受けた別の男が血を吐きながら倒れ込んだ。

 

 次々と倒れていく男たち。全く一方的な蹂躙劇といえた。

 時間にしてわずか1分足らずでその場には12人の死体が並ぶこととなった。

「さてさて、この奥ですかねぇ」

 トレンチコートの男はにやにやと笑いながら死体の中を進んでいく。もはやこの場にはそれを阻むものはいなかった。

 

 一番奥の部屋の前には屈強な男が二人並んで待ち構えていた。

「そこですかね? ちょーっと通してくださいませんかね?」

 そういうトレンチコート男に二人は問答無用と襲い掛かった。先ほどから銃器が一切役に立っていないことを見ていたため、ナイフ、というよりその刃渡りは刀というべきか、を引き抜き斬り掛かった。

 

「なかなかに使える様じゃありませんか。しかしまあ、功夫が足りませんなあ」

 二人の攻撃をかわしながら同じように体術で攻撃を加える。突き出してきた右腕を外側によけると肘を胸に打ち付ける。肋骨が折れた手ごたえがあった。

「あっしはこう見えて北派やってたんでさ」

 

 肋骨を折られても二人の男は果敢に攻めかかる。

「元気ですなあ」

 しかし二人掛かりでも男には指一本触れることができなかった。そして気が付くといつの間にか襲い掛かった二人の男の延髄付近にナイフが突き立っている。

 声もなくその場に倒れた男たちはもちろん絶命していた。

 

「ちょっと時間喰いましたかね?」

 鍵がかかっているドアを蹴破ると男は部屋の中に悠々と歩いて入っていった。

 

 部屋の中では今まさに何かの儀式が行われようとしていた。

「んーぎりぎり間に合ったってとこですかい? なんて言うんでしたっけ……? そうそう! 『聖遺物』とやらを渡してくださいませんかね?」

「ふざけるな! 儀式の前にやってしまえ!」

 部屋の中にはローブを頭からかぶった魔術師と思しき男と本の表紙のようなものを持った幹部らしき男が殺気をみなぎらせ睨んでいた。

 

 魔術師はすかさず何かつぶやくと両手にソフトボール大の黒い球体を生み出した。

「……」

 ものも言わずに魔術師はその球体を投げつける。それは魔力を凝縮して作られた必殺の弾丸である。

 トレンチコートの男はうすら笑いを浮かべその球体をよけるとあざ笑うかのように言い放った。

「遅いですなあ。そんなんじゃあっしには100年経っても当たらんですぜ」

 

「馬鹿め! 死ぬがいいわ!」

 幹部の男は勝利を確信したように喚いた。

 侵入者を殺そうと撃ち出された黒い魔力弾は確かにかわされ、男の後ろに飛んでいった。しかし攻撃はそれで終わったわけではなかったのだ。

 魔力弾はまるで意志を持っているかのように空中で180度方向を変え、侵入者に襲い掛かった。

 

「だから遅いって」

 侵入者はまるで後ろに目が付いているかのように振り返ることもなく両手を後ろに伸ばし二つの魔力弾を掴み取ってしまったのだ。異常に肩の関節が柔らかい。

「ば、ばかな! そんなこと出来るはずがない!」

「出来るはずがないって、出来てるんすけどね」

 そう言って男はその魔力弾を目の前にもってきてはそのまま握りつぶしてしまった。

 

「魔術ってのは見せたら最後、絶対に相手を殺さなきゃダメなんでさ。あんたよくそんなぬるい魔術で生き残ってこれたモンですな」

「く、くおお!!」

 幹部の男は懐から拳銃を取り出すと、問答無用でぶっ放した。

「はあ。あんたもわからんお人ですな。そんなおもちゃ無駄ですぜ」

 

 トレンチコートのポケットに手を入れながら男は続ける。

「あっしの魔術をお見せしましょうかい? もっとも誰にも自慢もできやせんがね」

 ポケットから出された手には古銭が握られていた。

 男はその古銭を両手の親指ではじき出すように2枚撃ちだした。

 

 キーンという硬質な音と共に古銭は飛び出し、すぐに見えなくなった。

「お、ぐ、おあ」

 古銭が見えなくなった次の瞬間には魔術師と幹部の男が床に倒れていた。

「どうですかい? あっしの魔術は。結構苦しいでやしょ?」

 

 古銭を受けた男たちには恐ろしいことが起きていた。古銭が当たったと思しき場所からドロドロと体が腐り始めたのだ。

「ひ、ひいいいいい、た、たすけ、たすけてくれ! これがいるならくれてやる! た、助けろおおお!」

 幹部の男は涎と涙を撒き散らせて命乞いを始めた。古銭が当たったのはどうやら脇腹であったらしくすでに脇腹は腐り落ち始めていた。

 魔術師の方はと見ればどうやら胸に古銭が当たったようでとっくに絶命しているようであった。運が良いともいえるかもしれない。

 

「んじゃちょっと教えてくれませんかね? 『聖杯戦争』って何なんですかい? なんでもその『聖遺物』とやらがいるらしいんですが?」

「く、詳しくは知らん! それに勝ったら何でも願いが叶うらしいんだ! は、早く術を止めろおおお!」

「ほー。そいつは面白い話ですな。あと一つ。どうやったら参加できるんで?」

「その聖遺物を使って召喚の儀式をすりゃいいらしい! そんなことより、おい! 早くしろ!! あぐぁ、痛ててて!」

 

 トレンチの男は少し考えこんだように指を顎に当てる。

「ふーっむ。こりゃやっぱり潮時ですかね……」

「お、おいいいい!」

 既に胸の辺りまで黒く変色してきた男は必死に命乞いをする。

 

「ああ、忘れてましたわ。悪いんですけどそれ、あっしにも止められないんですわ」

 そう言ってトレンチの男はニヤァと獰猛な笑みを見せた。

 既に胸まで腐り始めたマフィア幹部の男はすでに言葉も出せなくなっていた。ただ絶望的な目をして死を待つのみであった。

 

 

 

「あー隠れているところ悪いですが、あっしの魔術見られちまったんであんたも死んでもらいますわ」

 そう言って男は遮光カーテンに向かってハンドガンの引き金を引いた。銃弾は1発だけであったが、その一発がきちんと隠れていた男の頭部を捉えていた。

 

「さてどうしますかね」

 部屋の中に一人残った男は胸ポケットに手を入れ一枚の写真を取り出す。

 その写真の中では少女が微笑んでいた。

「やっぱ潮時ですわなぁ。あっしにも時間が残されていないことですし」

 写真をポケットに戻すと決意したようにそう呟いた。

 

 そう呟いて部屋の中を見渡し、アタッシュケースと幹部の男が持っていた『聖遺物』らしき紙片を見つけた。

 アタッシュケースには札束が詰まっていた。どうやらこの『聖遺物』の取引代金のようであった。

 どうやらカーテンに隠れていた男は今回の聖遺物の取引のために来ていた人物だったのだろう。

「まあ、あっしに殺されなくてもあんたが明日の太陽を拝むことはなかったと思いますがね」

 男は死合会という組織を良く知っていた。

 

「結構入ってますな。全部米ドルですなあ。これだと100万ドルはありそうですねぇ。お金は大事ですね、あっしが頂いときましょう。それにしても……」

 男はアタッシュケースを左手に持ち、右手で再びポケットの中の写真に触れた。

 

「これだけあっても花琳(ファリン)の命を少しだけ永らえることしかできないというのは何ともやるせないですなあ」

 

 呟きながら『聖遺物』とやらに目をやる。どうやら何らかの本の裏表紙の様だ。摘まみ上げてみると紙片というか何の素材でできているのかいまいち判別できない不思議な手触りだった。

 

「んで、これが魔法陣ですかい。マジでギリギリって感じですな」

 

 既に起動状態の魔法陣に踏み込むと突然右腕に激痛が走った。

「うお! なんなんですかい?」

 左手で右手首を掴み目の位置までもってくると不思議な紋様が右腕に徐々に浮かび上がってきた。

「いってぇですなぁ……」

 激痛ではあったが耐えられない程ではない。

 

 そしてその紋様が完全に浮かび上がると今度は魔法陣が発光を始めた。すでに魔法陣の中に入っていた男はそうなることを知っていたように落ち着いて事態を見守る。

 そして魔法陣の光は次第に収束していった。

 

「ほー。なんか起こるだろうとは思ってやしたが、こんなことが起こるとは想定外でしたわ」

 

 男の目の前にはまるで高級娼婦の様に異様に露出度が高いが、どこか貴品を感じさせる衣装を着た少女がまさに傲岸不遜といった態度でこちらを睥睨していた。

 

「あなたがあたしの召喚者なのね。……────の力は特に感じないようだけど」

 少女はそう言うと男の前に進み出てきた。

「あなた、お名前はなんていうのかしら?」

「ちょっと待ってくだせぇ。あっしがあんたの召喚者って言うなら順番が逆じゃありませんかね?」

 

「……あら、うん、そうね。あたしは──────────―。キャスターよ。これでいい? で、あなたは?」

 少女はそう名乗ると男に名乗りを求めた。

「あー、あっしはクガイっていうもんでさ。ケチな殺し屋ですわ」

「へぇ。殺し屋……。まあ何でもいいわ。聖杯戦争に参加するのならここにいても仕方ないわよね。すぐに日本に向かうのでしょ」

 

 クガイはさすがに事態が飲み込めなかった。聖杯戦争という言葉は聞いていたし、望みが何でも叶うとかいう話は先ほど幹部の男から聞いていた。しかしなぜ日本なのか? 

「その聖杯戦争ってのは日本で行われるんで?」

「えっ、そんなことも知らないの? 日本の冬木という街が戦場なのよ。……あなた本当に何も知らないの?」

 

「すんませんなぁ。知識不足ですわ。何でも願いが叶うとか聞いたんですがね?」

「ええ、その通りよ。聖杯戦争に参加するマスターは7人。そのすべてを倒し、聖杯を手に入れたものには望むものが何でも与えられるの。例えば……そうね、巨万の富とか……不老不死とか」

「へぇ……不老不死ですかい。そいつは魅力的ですなぁ」

「ふぅん。あなたは不老不死になりたいの?」

「んー叶う望みが一つなら不老不死は遠慮しますわ。……こりゃあっしにもツキが回ってきましたかね」

 

「まぁ、何も知らない人からすれば荒唐無稽な話かもしれないわね。あなたはあたしの弟子みたいなものだし、聖杯戦争についてあたしが一から十まで教えてあげてもいいのだけれど」

「!? あっしが弟子なんですかい」

「でも、そうね、先ずは冬木に行き今回の聖杯戦争の監督役に会ったほうが良いかしらね」

「監督役……? そいつに会えば色々教えてくれるってんですかい?」

「そうよ。聖杯戦争には監督役が必ずいるものだわ。たしか脱落したマスターの保護もしてくれるのよね。聖堂教会の関係者がその役目を担っているのだったかしら」

「そいつはお優しいシステムですねぇ。頼らせてもらいますかね」

 

「それと。あたしのことは今後『キャスター』とお呼びなさいな。真名を他のマスターやサーヴァントに知られると損はしても得することはないのよね」

「はあ。そういうモンですかい。んじゃキャスターさんよ、この聖杯戦争とやらよろしく頼んますぜ」

「よくってよ。このキャスターがあなたを勝利に導いてあげる!」

 

 なんだか子供かと思えば妙に落ち着いてたり不思議な感じがしやがりますなこの『キャスター』さんは。

 それにしても、面白くなってきやがりましたぜ。

 

 クガイは胸に納めた写真に手を当て、またあの不吉な笑みを浮かべるのだった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 李 星、李 月(リ ジン、リ ユェ)

「クガイの野郎が裏切っただと?」

 シンガポールにある高層ビルの最上階にあるペントハウス。そのプライベートバーでグラスを傾けていた李将司(リ・ジアンユー)は不機嫌を隠そうともせずに声を出した。

 

「はっ! 香港にて死合会のアジトを襲撃後、聖遺物と共に行方をくらましました」

「あの野郎……。目をかけてやった恩を忘れやがって……」

 ジアンユーの目はまさに怒りで真っ赤に染まるがごとく険悪な色を浮かべていた。報告をした部下の顔色はそれに反比例するように青くなって行く。

 

「それで、手は打ってあるのだろうな?」

 ジアンユーの言葉に部下は生唾を飲み込み、報告を続ける。

「はい! 聖遺物を奪ったとなると奴の狙いは聖杯戦争と思われます。何人か腕の立つものを日本に差し向けました」

 

 ジアンユーはグラスの中身を一気に飲み干し忌々しげにつぶやいた。

「無駄だろうな……。奴がすでに英霊を召還していたならその辺の殺し屋など何人向かわせても歯が立たん。……クソッ!」

 

 魔術師の力は強力である。特にクガイは永年365党の殺し屋として魔術を行使し続けた腕利きの魔術師である。

 聖杯戦争まであと2か月、ここで死合会から聖遺物を奪えなかったのは大誤算だ。

 

「ボス、そうカリカリするもんじゃなくてよ? ほら、報告に来た彼、今にも死にそうな顔してるじゃない」

 そうジアンユーに声をかけたのはこのプライベートバーでバーテンダーをしている女性だ。彼女の名は王雪麗(ワン・シュェリー)。バーテンダー兼ボディガードの一人である。

 

 シュェリーはバーテンダーの制服を着用しているが、そのスタイルの良さを隠すには全く不十分であった。蝶ネクタイで襟元は詰められているが、逆にそれゆえ豊かなバストは強調され男たちの視線を集めるには十分すぎる存在感を放っていた。

 足元はといえばタイトなスカートのスリットは深く切れ込んでおり、普段そういった女性を見慣れているジアンユーでさえ時に目を奪われるほどの妖艶さを醸し出している。

 もっともそういった女であるからこそ彼のボディガードなどという役職にいられるのであり、言うまでもなく愛人を兼ねている。

 

「シュェリー、しかしこれは許せんぞ。よりによって聖遺物を持って逃げやがるとは完全にこちらと事を構えるつもりじゃねぇか。100回殺しても気が済まねぇ」

「ふふふ。じゃ捕まえて凌遅刑にでもしちゃいましょうか」

 シュェリーはきれいな顔にそれはそれは無垢な笑みを浮かべ恐ろしい事を言い放った。

 

 凌遅刑とは存命中の人間の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である。清の時代の中国や朝鮮半島で行われていた残虐な処刑方法である。

 もっとも365党に限らず華僑系のマフィアでは今でも好んで続けられている。

 

「当然だ。俺自らが奴の面の皮剥いでやる」

 ジアンユーは右の拳を左手で包みバキバキと関節を鳴らしてそう言った。

「でもそれなら早い目にあの子らを行かせた方がいいんじゃなくて?」

 シュェリーの言葉にジアンユーはニヤリと笑い「そうだな」と答えた。

 

「おい! 今から召喚の儀式をやる! ここにあの二人を呼べ!」

 

 

 

 シンガポールの華僑系企業、その中の一つ、多くの商社を系列に持つ財閥が「十二色旗」である。そしてその会頭が李将司(リ・ジアンユー)でありシンガポール上流階級のなかで最も影響力のある人物の一人として知られていた。

 

 リ・ジアンユーは年齢にして56歳、筋肉質な体に明晰な頭脳を持つ実業家であり、表向き「十二色旗」の会頭として辣腕を振るっているがその実裏社会に大きな勢力を持つマフィア「365党」の首領であることはあまり知られていない。

 

 もともとシンガポールには華僑系のコミュニティが多く、彼らは相互扶助を目的とした組織を幾つも作っていた。

 同族間の連帯意識が高い彼らはそれゆえに裏切りに対しては情け容赦なく報復を行う。そんな彼らがそう時間をかけずにマフィアにまで成長したのは驚くようなことではなかった。

 

 365党がその他の華僑系マフィアと大きく異なっている点は魔術を行使するという事である。当然のことだが一般的に魔術の存在など信じられていない。

 そしてジアンユーも彼本人が魔術の素養を持っているわけではなかった。しかしそんな彼が底辺時代を過ごしたのはそうした魔術師を積極的に狩りに行く集団だった。「イマジンキラー」と名乗るシンガポールにおける魔術師がらみの事件を追いかける暗殺者集団である。

 

 そんな組織でジアンユーは育ち、頭角を現していくことになる。気が付けば彼は表の世界では実業家として成功し、裏の世界では「イマジンキラー」を母体とした闇組織365党の頭領となっていたのだ。

 

 365党の頭領となってからは今まで狩る対象であった魔術師を積極的に採用し、その強力な暗殺能力を武器に次々と同じような闇組織を併合していった。

 365党がシンガポール最大の闇組織になるのにそう時間はかからなかった。

 

 ジアンユーは自らが365党を支配してから魔術師の強化を人工的に出来ないかと考えていた。

「強化魔術師計画」

 そのプロジェクトはそう呼ばれていた。世界中から魔術師の才能がある子供を「調達」して徹底的に魔術訓練を行う。時には外科手術を利用した魔術回路の強化まで行われた。

 

 そんなジアンユーの耳に聖杯戦争の話が聞こえてくるのは決して偶然ではなかったはずである。

 日本のとある街で60年に一度「なんでも願いの叶う」聖杯をめぐって魔術師同士による戦いが行われる。

 何とも魅力的な響きであった。「なんでも願いが叶う」という部分は眉唾だとしても、世界最古の魔術三家が参加している時点でその時代の魔術師世界一決定戦である。

 

 そんな中ジアンユーは日本の冬木市で起こった大災害について調べているうちにそれが「第四次聖杯戦争」の結果であることを知ることとなった。

 ジアンユーは非常に悔しがった。聖杯戦争は60年に一度と聞く。これでは自分が聖杯戦争に参加することは生きているうちには適わないではないか。

 

 それでも彼は過去に召喚された英霊についてあらゆる資料をあさり、その宝具、霊装、スキルを調べ上げた。中には神の領域ではないかと思われるような強烈なスキルの発現も確認された。

 いくらなんでもこれは誇張されているのだろうとジアンユーはそれについてはそう結論付けた。いかに英霊とはいえ元は人間である。神のごとき御業を使用することはできぬと考えた。

 

 そしてジアンユーが次に行ったのはそんなサーヴァントに勝てるような魔術師の育成である。

 世界中から集められた子供の数は100人を超える。そんな子供たちの中から「対英霊魔術師」の育成を始めたのである。

 しかし年端もゆかぬ子供たちがそのような無茶な訓練と外科手術に耐えることなどできるはずがなかった。

 

 次々と死んでゆく仲間を目にした子供たちは次第にその心も壊れていった。まともな神経ではこの世の地獄ともいえるようなこの施設で生きていけなかったのだ。発狂するものが絶えない中、心を閉ざす技術を身に付けたものだけが生き残っていった。

 しかもそんな状況の中でジアンユーをまるで神と崇めるような洗脳教育も施されていった。

 

 そんな中に二人の日本人がいた。試験体65号と66号である。この二人は年子の兄妹であるが、あまりにも小さいころに攫われてきたため、妹の方にはその記憶は残っていなかった。

 兄の方も日々の過酷な訓練を生き残ることで精いっぱいであり、常に妹を気には掛けていたがだからといってどうすることも出来なかった。せいぜい夕食のパンをひとかけら分ける事くらいしか出来なかった。

 

 やがて二人も生き残るため次第に心を閉ざしていった。完璧な魔術師、そして誰にも心を許さない鉄の心を持った戦士が出来上がっていった。

 

 そして二人がそれぞれ12歳、11歳になった時ついに施設にいる子供は彼ら二人だけになってしまった。いったいどれだけの資金がこの研究に費やされたのだろう。たった二人を育成するために費やされた資金は莫大な金額になっているはずである。

 そしてここまでたどり着けなかった人命の如何に多い事か。

 

 ところがそんな時ジアンユーに朗報がもたらされる。今より1年後に「聖杯戦争」が行われるというのだ。

 ジアンユーは狂喜した。この「聖杯戦争」に自分の傑作である65号と66号を参加させることができるではないか。

 

 そして最後の調整が行われる。サイバネティック手術である。魔術師として魔術回路を強化し、さらに強化骨格により身体能力の向上を図る。

 左腕と鎖骨がチタン合金に取り替えられ、さらにその左腕には火器を内蔵するというまるで「ぼくのかんがえたさいきょうのへいし」を地で行く人体改造が施された。

 

 もちろんそんな歪な人体改造を施された人間が天寿を全うできるはずがない。

 前例がないので彼らが果たして何歳まで生きることができるのかはもちろん不明ではある。公式に記録はされていないが、間違いなく通常の人間に比べ短命なものとなるだろうという事は彼らを改造した科学者全員の一致した意見である。

 

 サイバネティック手術が成功して後約半年は改造された体に順応するために比較的緩やかな調整が行われた。この期間が二人にとってこれまでの人生で最も穏やかな日々であったかもしれない。

 

 そしてこの半年という期間は彼ら二人にとって特別なものとなっていた。

 

 彼らに再びよみがえった人としての心に気が付いた者は誰もいなかった。

 

 

 

 現実的に考えるとこの二人に掛けた金額は天文学的な額になっており、単純に強力な戦闘部隊を育成するほうが安上がりである上、使い勝手が良いはずである。

 にもかかわらずここまで徹底した人体改造が行われたのはひとえにリ・ジアンユーの情熱であったといえる。

 

 ジアンユーは極めて現実的な人間である。そのため聖杯が「なんでも望みをかなえる」願望機であるという事を眉唾だと考えていた。

 彼がこの聖杯戦争に望むことは「自分の用意した戦士が最強であることを証明する事」である。聖杯を手に入れたのならそれは今後の活動で有利になるのではないかという程度にしか考えていなかった。そういう意味では正しく聖杯について理解していなかったという事になる。

 

 

 

 その日、李星(リ・ジン)と李月(リ・ユェ)はジアンユーに365党の本拠である高層ビルに呼び出された。その地下で今日召喚の儀式が行われるという。

 二人はともに中性的な顔立ちをしており、その姿はとても良く似ていた。意図的にそういう風にされているといえる。過酷な訓練のせいか二人の顔立ちはとても12,3歳の子供とは思えないくらいに大人びたものになっていた。

 

 二人ともに黒のスーツ姿で髪型も同じである。身長は男であるジンの方が若干高いが、この姿で動き回られると二人を見分けることは困難であろう。

 

 ジンとユェはすでに聖杯戦争の知識を教え込まれていたため、特に混乱することもなく召喚の儀式を受けることになる。

 呼び出された二人はまるで人形のようにおとなしく、また従順にしていた。

 

「いよいよ聖杯戦争が始まることになった。お前たちはそのために存在する。今こそこの父の願いをかなえるのだ」

 ジアンユーは二人の子供を前に尊大に言い放った。

「はい父さま」

 

「ユェ、こっちに来い」

 ジアンユーはユェを呼ぶと右手に何か糸のようなものを巻きつけた。

「父さま、これは?」

「聖遺物だ」

「……はい」

 ジアンユーは聖遺物をユェの右手に巻き付け、ジンを振り返った。

「ジン、お前はユェの影だ。二人で必ず聖杯を手に入れろ。俺の望みをかなえろ」

「……ああ」

 

 ジンは鋭い目つきでジアンユーを見返している。そんな時ユェに異変が起きた。

 ユェの右手に紋様が浮かび上がり始めたのだ。ユェは一瞬苦しそうに顔をしかめたがそれ以降は姿勢を崩すことも、表情を変えることもなく耐えていた。

「ふむ。やはり相性は良いようだな。ユェこれよりお前は英霊を授かる。ジンと共にその英霊と協力して聖杯戦争に勝利しろ」

 そして召喚の儀式が開始された。

 

 

 

「あなたの真名を述べなさい」

 召喚陣に現れた英霊にユェが訊く。

「俺の名は────―。お前が俺のマスターかい」

 現れた英霊はアーチャーである。萌黄色の胸甲を纏った精悍な青年はユェを見つめて答える。

 

「そうよ。私があなたのマスター。これより日本に向かいます。あなたは私たちと共に聖杯戦争に参加し、聖杯を手に入れ父さまの願いをかなえます」

「父さまの願い、ね。で、それがお前の願いなのか?」

「そうよ。父さまの願いこそ私たちの願い」

「……。まあいいだろう。お前の本当の気持ちはおいおい聞かせてもらうとしよう」

「……本当も何もないわ」

 そんなユェとアーチャーの会話にジンが割り込む。

「ユェ、そんなことはどうでもいい。さっさと行こうぜ」

「ジン、お前はユェと同じ紋様を右手に刺青しておけ。今からすぐだ」

「……わかったよ」

 

 そんな二人と英霊に向かってジアンユーは言う。

「それとな……。クガイの奴が裏切った。しかもジン、お前に使う予定だった聖遺物を持ち逃げしやがった。間違いなく奴も聖杯戦争に出てくる。絶対に殺せ。奴は厄介だ」

「クガイなんざ俺たちの敵じゃねーよ。安心しろ、親父」

 ジンはぶっきらぼうに言い放ち、ユェを連れてこの場から立ち去ろうとした。

 

 その振る舞いはまるでジアンユーの前からユェを一時でも早く連れ去りたい、そんな風にも見えた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 俺の戦いはもう終わったんだと思っていたんだがな……

 久しぶりに現世に出てみれば今の戦争はあんな子供まで戦士として繰り出すのか。

 今回の戦いは正義を成すための戦いじゃ無いようだが、望まぬ戦いをする子供を助けることも一つの正義だと思う事としよう。

 ま、あの状況じゃ二人とも本音を言う事なんてできないだろうしな。

 

 特にあのジンという少年は……

 

 アーチャーには単独行動という便利なスキルがある。俺なりに少し状況を調べさせてもらおうか。

 

 

 

※※※

 

 

 

 ジンとユェはアーチャーが召喚された次の日には日本に発つこととなっていた。

 ところがそんな時に限ってトラブルとは起こるものである。

 

 シンガポール空港に致命的な管制システムエラーが発生したのだ。復旧には丸一日を要し、アジアのハブ空港であるシンガポール空港が機能しなくなった事は世界的なニュースとなった。

 結局ジンとユェはその翌日に日本に向かうことになったのだが、このトラブルが自分のサーヴァントであるアーチャーの仕業であることを知る由もなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。

感想等頂けましたら当方大層喜びます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 ツヴァイ

 冬木の街で再び聖杯戦争が行われるその1年前……ドイツ。

 その地は常冬で寒さが厳しく、そのせいもあり基本的に明かりが落とされる事のない不夜城があった。

 

 その城はアインツベルン城。

 

 アインツベルン家現当主はユーブスタクハイト=フォン=アインツベルンである。アインツベルン家の八代目当主であるため通称「アハト翁」とも呼ばれている。

 その彼の前に一人の女性が跪いている。女性はアインツベルン家製のホムンクルスで名前を「リセ」といった。

 

 4年前の聖杯戦争にアインツベルン家が送り出したホムンクルス、アイリスフィールと見た目は酷似しているがメガネを掛けている点が異なっている。

 彼女は、アインツベルン当主宛てに届いた書簡をアハト翁に手渡し、役目を果たしたはずが、差出人を見た当主から内容を確認し終えるまで留まるよう命じられたのだ。

 

 アインツベルン家。それはドイツのとある川近くの山岳地帯に居を構える錬金術を修めた家系で、中でもホムンクルスの製造では他の追随を許さない技術を有していた。

 現当主であるユーブスタクハイト自身が第三魔法の魔法使いの弟子によって作られたアインツベルン城の中枢制御用人工知能「ゴーレム・ユーブスタクハイト」である。

 

 そして「聖杯戦争」においては遠坂、間桐と並び、御三家の一つと数えられる古い魔術師の家系であった。

 

 険しい顔で書簡の内容を確認していたユーブスタクハイトが口を開いた。

「前回の第四次聖杯戦争から4年しか経っておらんのに、どうやら1年後にまた冬木で聖杯戦争が開催されるらしい。通常は60年程の周期で行われるはずなのだが、よほど前回の聖杯戦争の結果が歪だったということなのかの。ただ、此度の聖杯戦争は正式な儀式たり得ないとのことらしい、どこまであやつを信用して良いものかは悩ましいところではあるが……。霊脈の管理者に確認しようにも後見人がアレでは信用ならぬ。まあ、あやつにしてもこの短期間では完全な準備など出来てはおるまい。さて、どうしたものか……、ふむ……、そうさな」

 

 ユーブスタクハイトはため息とともに今回行われる聖杯戦争がいかに特殊な事例であるのかを語った。そもそも前回の聖杯戦争からわずか5年などという短期間で再び行われるなど前代未聞なのだ。

 

「当アインツベルン家は過去の4回の聖杯戦争にすべて参戦してきたが、今までの失敗から学んだ知識の集大成がアイリスフィールと衛宮切嗣めをかけ合わせて作ったイリヤスフィールであることは分かっておろう。当家の切り札と言うべきイリヤスフィールをこのような番外戦に参戦させるわけにはいかん。ただ、仮にも聖杯戦争と名の付く祭りを何もしないで見送るつもりもない」

 

 事実アインツベルン家はここまでの聖杯戦争で芳しい成果を上げていない。特に第三次聖杯戦争においては必勝を期し「復讐者」のサーヴァントを召喚するもあっさりと敗退している。

 しかも敗れた「復讐者」と聖杯が干渉した事で「この世全ての悪」が誕生し、聖杯が汚染されてしまうといった大失態を演じている。

 

「そこでじゃ、当家のホムンクルス製造技術を応用し、イリヤスフィールの細胞を急速培養したホムンクルス、つまりはクローンを作って参戦させることとする。ただし、時間が限られておるので、完成したクローンの能力は精々イリヤスフィールの2割程度にしかならんじゃろう。ともすれば茶番で終わるやも知れぬ聖杯戦争にどのような魔術師が出てくるのかは知らぬが、流石にこんな出来損ないが勝てるほど甘くはないことくらいは予想できる。よって今回はイリヤスフィールをより完璧なものにするための情報収集という位置づけと考えよ」

 

 つまりは負けても構わないのでできるだけ多くのマスター、サーヴァントと戦わせイリヤスフィールの問題点を洗い出し、次の聖杯戦争への布石にしようというのである。

 

「この捨て駒によって次回の聖杯戦争におけるアインツベルン家の勝利は盤石となろう」

 果たして「負けても良い」という部分はアハトの本心だろうか。アインツベルン家の当主としていかなる状態でも聖杯戦争と名のつくものに負けたくはないであろうに。

 リセは心の中でそう思ったが、口に出して言うほど愚かでもなかった。

 

「クローンは約半年後には培養液から出すことができる。残りの半年でそれなりに戦えるレベルまでお前が教育を施せ。本物のイリヤスフィールの調整があるので、クローンに手間をかけることはできん。すべてお前に一任する。聖遺物はこちらで適当なものを準備しよう」

「承知いたしました。アハト様」

 俯き跪いたままリセはそう返事した。

 

 

 

 培養室、大きなケースの中心にまだ人の形を成さないモノが浮かんでいる。この子にはツヴァイという名が与えられた。

 アインツベルンの名前すら名乗らせてもらえない番号で呼ばれる試験体。まだ耳は聞こえないが、数週間後には聴覚が形成される。そうなれば音声情報による教育は可能となるとのこと。

 

 2か月後、本当にすべてが私に一任されているようだ。特に育成方針についての指示もない。もちろん私には育児の経験などないが、音声情報だけでは魔術や戦闘についての技術習得は無理なため、それらは残りの半年で行うこととし、生活に必要な最低限の知識を教えよう。

 

 3か月後、まだ目は見えていないようだが、普通の子どもは親に絵本というものを読んでもらうらしい。日本の冬木が戦場となるため、日本語の習得も兼ねて日本から絵本をいくつか取り寄せた。

 

 5か月が経過し、もう見た目はイリヤ様と変わらない。目ももう見えているため視覚情報も加えた教育を施している。何故か特定の絵本に対して強い反応を示すことが分かった。

 

 半年後、培養ケースから出されたツヴァイは、第一声で、私を「ママ」と呼んだ。そう言えばツヴァイが特別な反応を示していた絵本は「家族」や「友達」といったテーマを取り扱ったものだった気がする。理由は分からないが、何故か私は心臓のあたりが締め付けられる様な感覚を覚えた。

 

 残りの半年は主に魔術の行使や戦闘に関するものの訓練に費やされ、一般知識や学問に関しては培養ケースの中で学んだところからは大きく進展はできなかった。最終検査でツヴァイの能力はイリヤ様の魔力や能力の3割程度であることが判明。これでも一般の魔術師よりは数段優れている。

 

 現在……

 

 ツヴァイの右手の甲には無事令呪が刻まれた。ツヴァイの能力は一流の魔術師には劣るものではあるが、はじまりの御三家には聖杯戦争に参戦する意思さえあれば、優先的に参戦権が与えられるという特権が存在するのだ。

 

 その後、アインツベルン城の祭壇の前においてアハト翁立ち合いの下、英霊召喚が行われた。アハト翁がツヴァイの前に姿を現したのはこれが初めてだった。ツヴァイは初見のアハト翁を「お爺ちゃま」と呼び腰の辺りに抱き着いたが、アハト翁は眉ひとつ動かさなかった。私はまた胸の辺りが痛くなる感覚を覚えた。

 

「それでは召喚の儀式を執り行います」

 私の指示で魔法陣が描かれ魔力が注がれていく。アハト翁が用意した聖遺物は一本のナイフだった。

「始めよ」

 アハト翁は冷たくそう指示を出した。

 

 魔法陣に魔力が満ち、輝きを増していく。その中心に置かれたナイフに魔力が集中していく様子がよく理解できた。

 そして魔力の光が収まった時、そこには小さな女の子がたたずんでいた。

「ふむ、予想通りか。アサシンだな」

 アハト翁はそう呟いた。

 

「わぁ~、この子があたしたちと一緒に戦ってくれるの?」

 魔法陣に現れた女の子を見てツヴァイは嬉しそうに目を輝かせた。

「そうよ、ツヴァイ。あなたにとっては妹みたいなものかしら」

 本当に姉妹のように見えるほど歳が近い見た目をしている。

 

「あなたがわたしたちのおかあさん?」

 召喚された少女は上目使いに私を見上げてそういった。

「私はお母さんで構わないわ、でもマスターはこの子。名前はツヴァイよ」

「よろしくねっ! あたしたち家族だね」

 ツヴァイは無邪気に新たに出来た妹を喜んでいる。

 

「うん、わかった。わたしたちは──────────! 一生けんめいおかあさんとツヴァイの為に戦うね」

「────。ツヴァイのことをよろしく頼むわね」

 情報を集めるという意味においてはアサシンというサーヴァントは極めてその任務に向いている。アハト翁……狙ったのだろうか。

 

 

 

 日本の冬木市に到着した我々は、アハト翁が用意した隠れ家に移動するため迎えを待っていた。

 その日はちょうど日曜日で街では多くの人々が行きかっていた。

 様々なファッションに身を包んだ若者がクレープだろうか、包み紙に包まれた菓子を食べながら嬌声を上げている。

 ツヴァイと同じ年の頃の女の子は両親に手を引かれ、あれが欲しいこれが欲しいと母親を困らせていた。そんな光景を見ていると私自身何とも複雑な気持ちになるのだった。

 

 ツヴァイは目に入るすべてのものに興味津々で、あっちにフラフラこっちにフラフラと全く目が離せない。ついには少し離れたところにあるブックストアを見つけるとそちらに向かって一目散に駆け出した。

 いったい何を見つけたというの……。先ほどの母親の気持ちが少しわかったわ、などと考えながら追いかけるが、私が後を追うよりも早くツヴァイは歩いていた男性に後ろからぶつかってしまった。

 

「ごめんなさぁい」

 謝るツヴァイに振り返った男性は目を見開き彼女の肩を両手で掴みかかった。

「イ、イリヤスフィール、イリヤじゃないか、どうして冬木に!」

「あたしはツヴァイだよ。おじさん、だあれ?」

 男の顔を確認した私は、驚愕した。ま、まさか! 

「衛宮切嗣!」

 私はほぼ無意識に駆け出しツヴァイの手を掴むと切嗣から引き離し彼女を自分の後ろに隠した。どうしてこの男がこんなところにいるのか。

 

 衛宮切嗣は私を見るとさらに驚いた顔で声を荒げた。

「アイリ! アイリなのかっ! いや、そんなはずはない。アイリはもういないんだ」

 なんだその言い草は! 私は彼のその言葉に頭の中が急に沸騰したように熱くなるのを感じた。

 

「そう、アイリスフィールは死んだ。あなたの自分勝手な正義の犠牲になったの」

 誰かに意識を乗っ取られたかのように、次々と言葉が口から溢れ出た。

「違う! アイリは僕を理解してくれていた。僕たちは共通の目的を達成するために冬木の聖杯に希望を託すことを選択した」

 その結果が5年前の惨劇じゃないの。

 

「あなたは正義を語る異常者よ。普通の人間の正義は自分が大切に思う人を守るために執行される。だがあなたはどうなの、常に命の重さを数字でしか量れない。その結果特別な人でさえ平気で切り捨てる。あなたは正義に呪われた人格破綻者だわ。あなたが本当に自分の正義を守りたいなら、聖杯戦争になど関わらず、私とイリヤを連れてアインツベルンから逃げるべきだったのよ」

 私の口から紡がれる言葉は容赦なく切嗣を追い詰めていった。

「うわああああああああ!!!」

 頭を抱えてその場に崩れ落ちる切嗣。

 

「行きましょう。あの人は私たちとは関係のない人よ」

 私はツヴァイの手を引っ張って足早にその場を離れた。あの場に居続けてはいけない。きっととんでもないことをしてしまう。私にはそんな予感があった。

 

「ねえ、ママ……。あの人泣いてたよ。可哀そうだね。ツヴァイお友達になれなかったかな」

 私は更に足を速めた。決して振り返ってはいけない。

 

 ──―何故か頬を一筋の涙が流れ落ちた。

 

 

 

 その日の夜。切嗣は士郎に「僕はね、正義の味方になりたかったんだ」と語った。

 

「じいさんの願いは俺が引き継いでやるよ」

 

 彼はそう言う士郎の言葉に安心した様に微笑み、アンリマユの呪いによって静かに息を引き取った。享年34歳だった。

 

 

 

 衛宮切嗣。その生涯は波乱に富んだものだった。

 

 アリマゴ島の惨劇を引き起こした直接の原因であり、後年もそのトラウマが彼を苦しめた。自らの父を殺害後、魔術師ハンターであったナタリアに育てられるがナタリア一人と他の大勢の命を天秤にかけねばならない場面に直面し、彼は再び苦悩の末ナタリアを手にかける。

 

 第四次聖杯戦争を機にアイリスフィールと夫婦になり、娘のイリヤスフィールを儲けている。

 皮肉にもそのイリヤスフィールこそが現在のアインツベルンの切り札である。

 

 そして第四次聖杯戦争にてセイバーのマスターとして戦うが、冬木の大災害を引き起こした。

 その後イリヤスフィールを迎えにアインツベルンに向かうがアハト翁が彼を迎え入れるはずもなく彼はこの冬木で大災害唯一の生き残りである士郎と暮らしていた。

 

 衛宮切嗣の死。それはまさにこれから始まる混沌とした聖杯戦争を占う出来事であったのかもしれない。

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 桐生空

 私立穂群原学園。冬木市に存在する学園で初等部から高等部まで一貫教育を行う私立学校である。比較的歴史の浅い学校で地元との交流を積極的に取り入れており、毎年の文化祭では食材の調達などで地元商店会とは良好な関係を結んでいた。

 

 しかし冬木大災害からまだ街は復興途中のところも多く、商店会も完全復旧とは言えない状態である。

 毎日工事にかかわる重機がたてる大きな音がこの街の新たな名物となっていた。

 

 そんな穂群原学園高等部2年に一人の転校生がやって来たのは、世界的に話題となったその冬木市大災害から5年後のことであった。

 

 桐生空17歳。

 黒髪をボブカットにした彼女はいわゆる大和なでしこ的な清楚な美少女であったため、転校当初はクラスの話題となった。しかし本人の引っ込み思案な性格もあり、どうにもクラスに馴染めず次第に一人でいることが多くなっていた。

 

 空の名誉のために補足するが、彼女は決して根暗や人嫌いなわけではない。事実一度気を許した相手に対しては、驚くほど饒舌になるのであるが、山奥育ちの娘が地方都市とはいえ誰一人知った顔のいない都会に出てきたのだ、すぐに環境に馴染めないのも仕方がないことである。

 クラスから浮いていると感じた彼女はもともと剣道に入れ込んでいたこともあり剣道場に入り浸るようになっていく。そんな彼女が剣道部でも有力な戦力になるのにそんなに時間はかからなかった。

 

「おーい! 空ちゃん! 元気かーい!!」

 そんな穂群原学園剣道場にひときわ明るく大きな声が響く。

「あ、藤村先輩! こんにちは!」

 剣道場に現れたのはこの学園のOGであり冬木市の重鎮藤村雷画の孫娘、藤村大河である。剣道四段という相当な腕前で、剣道界では「冬木の虎」の異名で恐れられていた。

 ところでこの藤村家、簡単に言うとヤクザである。

 

 空が剣道場に通い始めた頃、なんだかんだ理由を付けて後輩の指導をしていた大河は黙々と素振りをしていた空に興味を持って一度立会稽古をしたことがあった。前述の通り大河は20歳にして四段の腕前を持つ剣豪である。そんな大河と互角ともいえるほどに善戦した空を大河はいたく気に入っていたのだ。

 

「ねね! 今日うちにいらっしゃい! おじいちゃんがあなたにあげたいものがあるんだって!」

 道場でひとしきり汗を流してこれから衛宮家の道場にお邪魔しようとしていた道すがら、大河が空にそう提案した。

「渡したいもの?」

 なんだろう? そう思って空が大河に聞き直す。

「この間おじいちゃんと幕末談議で盛り上がってたでしょ? おじいちゃんそれがすごく楽しかったみたいでね。『空ちゃんにこれをあげるんじゃあ!』とか言って張り切っちゃってるのよ」

 

 藤村雷画、いい年こいてJKに何をしようというのか。

 

「は、はあ。いったい何をくれるんだろ?」

「なんだかわからないけど維新の志士所縁の物らしいわよ。私はあんまりそういうのに興味ないし、空ちゃん貰ってあげて」

 大河はこれでも教師を目指して勉強中だという。目指しているのは英語教師だというけれど歴史にももうちょっと興味を持ってもいいのに。と、空は何となく思った。

 

 衛宮邸に着くと士郎と切嗣は家にはいなかった。しかしそこは藤村大河、勝手知ったるなんとやらである。

 早速道場に上がり込むとろくに防具もつけずに稽古を始める二人。時間にして一時間も稽古をしていたが、どうにもこの家の主が帰ってくる気配がなかった。

「士郎も切嗣さんも帰らないのかな?」

 大河はそう言って竹刀を置いた。

「そうですね。もう6時ですしそろそろ雷画さんに会いに行かないといけませんね」

「おお! そうだった! いや忘れてたわ。おじいちゃん拗ねると面倒くさいから早く行こう!」

 手早く道場の掃除を済ませ、二人は藤村邸に向かうのであった。

 

 藤村雷画は冬木市の重鎮であると同時に古くからこのあたり一帯に根を張る極道一家のドンであり、歴史的な物品の収集家でもあった。

 そんな雷画が桐生空に渡したものとは、それはおそらくカタナの鍔であると思われた。

 カタナの鍔というものは相手の攻撃から手を守るものというよりは、突いたとき刀身側に自らの手が滑らないようにすることが目的に付けられたものである。

 実はカタナの鍔の収集家というのは日本全国に結構存在する。

 

 空はそもそも歴史オタクなところもあり幕末の動乱期はもっとも彼女の好きな時代であった。赤報隊、白虎隊、そして新選組。この年頃の少女があこがれるのも無理はない。

 そしてこの時代が好きだという女子中高生にはいわゆる「腐女子」といわれる層が存在するのだが、ご多分に漏れず彼女も若干腐り気味である。しかし彼女は必死にそれを隠していたので知る者はいなかった。

 おそらくそんなことが周りに知られたなら彼女は登校拒否になるだろう

 

 腐女子とかそういったことは別として彼女の幕末に対する知識は相当なものであり、そういった話が雷画と意気投合するきっかけになった。しかしさすがに貰ったこのカタナの鍔はどういういわれのある物なのか想像もつかなかった。

 

 渡した雷画自身どういった経緯でこれがコレクションに加わっていたのかよくわかっておらず、ただ維新の志士所縁の物だという事しか知らなかったのだ。

 もっともそういうものだからこそ気軽に空にプレゼントしたのではあるのだが。

 

 そしてこの正体不明の「カタナの鍔」が桐生空の運命を大きく変えていく事となる。

 

「それにしてもいったいこれ誰が使っていたものなんだろう?」

 自宅アパートに戻った空はベッドに寝ころび貰った鍔を玩びながら歴史ロマンに想像を膨らませていた。そして空自身幕末好きであるため、そんなロマンあふれる物品を貰ったことが実はかなりうれしかった。

「よく見ると結構使い込まれてるわよね。しかもこれ刀傷じゃないのかなあ。実際これって戦いに使われた物なんじゃない?」

 

 ゴロゴロとベッドで寝ころびながら鍔を眺めていた空に異変が起きたのはそんな時である。

 突然右手に凄まじい痛みが走った。

「い、いったあああ!!」

 まさに激痛というべき衝撃が右手に発生し思わず左手で右手を押さえ体を丸めてその痛みに耐えた。

「な、何なのよ──―!」

 痛みは3分程続いただろうか。空には1時間とも2時間とも感じられたのではあるが、額に脂汗を浮かべて耐えていると不意にその痛みが消えてなくなった。

 

 息を荒くして痛みの走った右手を見た空は再びショックを受けた。

「な、なんか変な模様が浮き出てる!」

 こんなイレズミみたいなもの学校にばれたら停学とかになっちゃうんじゃないの? 

 実際はそれどころではない騒動に巻き込まれることが確定した瞬間だったのだが、普通の女子高生の空にとっては聖杯戦争などまったく想像の外の事である。

 学校にばれないようにどうしようかとその夜は遅くまで考えていた。

 

 こういうのって誰に相談したらいいんだろ? とりあえず大河先輩かなあ……。

 

 

 

 次の日空は何とか右手に浮かび上がった紋様を隠しながら授業を切り抜け、放課後剣道場に駆け込んだ。剣道の練習をしている間は籠手を着けているため無事に隠し通せたのだが、残念なことにこの日は大河が剣道場に現れることはなかった。

「むー。こんな時に限って大河先輩来ないし」

 大河にすれば言いがかりも甚だしいのだが、空はほとほと困っていた。

 

「衛宮さんのところに行けばわかるかな」

 本来なら病院にでも行くべきなのではないかと空も考えたが、なんだかそういう問題ではないような気がしていた。

「だってこれなんだかオカルトっぽくない?」

 明らかに普通に出来た痣ではない。何らかの紋様であることは明らかであり、オカルトについて自分が知る限り一番詳しそうなのは衛宮家でもあるのだ。

 

 かつて空は衛宮家の養子である士郎から蔵の中にはそういったオカルトめいたものが数多く置かれていると聞いたことがあった。なんだか魔法陣のようなものまであるという。

 しかもその蔵であるが、士郎が秘密基地として遊び場にしていることもあり鍵もかけられていないことが多かった。

 

 衛宮邸に空が着いたとき確かに大河や士郎も在宅はしているようであったが、どうにも雰囲気がおかしかった。特に大河はずいぶんと焦ったような雰囲気を出していたので空はそっと母屋を離れ蔵へと向かった。

「何かあったのかな?」

 まさか衛宮切嗣が臨終の床にいようとは空には考えもつかなかったのだ。

 

 衛宮家の蔵は普段から士郎が魔術の訓練に使っている。後に聖杯戦争に参加することとなる士郎は切嗣から魔術の指南を受けていた。切嗣自身は士郎が魔術師を目指すことをあまりよくは思っていなかったようであったが、士郎は一風変わった才能も秘めていた。

 後に彼は魔術師として大きく成長し、聖杯戦争史において重要な役を演じることとなる。

 

 さて我らが桐生空であるが、驚くべきことにこの一見普通の女子高生も魔術的な才能を秘めていた。実のところ桐生家は魔術師の家系であり、空には魔術師としての才能が当然のごとく受け継がれていたのだ。

 だからこそ聖遺物を手にしただけで令呪が現れるような事態になったのであるが、今の彼女はそんなことは全く知らなかった。

 聖遺物とは言うまでもなく藤村雷画から渡されたカタナの鍔である。

 

 この屋敷の住人がいないのをいいことに空は蔵の中でオカルトに絡みそうな書物を探していた。後に考えるとこの行いはまさに令呪に導かれたとしか思えないものである。

 穂群原学園の女子高生、桐生空は魔術などとはまったく縁のない生活を送っていたのだ。

 

 そしてついに空は一冊の書物を手に取る。見た事もない文字で書かれた書物なのだが、なぜか空にはそれがよく知るようなもののように思え、内容を口に出して読んでみた。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ

 閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 ──―何でこんな文字読めるのだろう。これは白昼夢ではなかろうか。自分が知らないはずの文字を読んでいる。しかもこうするのが当然だと私は思っている。

 

 この右手の紋様が原因なのかしら? 頭のどこかではそんなことも考えていたが、口からは自然と呪文が紡ぎ出される。

 

「────告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──―!」

 

 自然と詠唱が終わった。自分がこんな詠唱を行ったことが信じられない。

「っていうか、いったい今の何?」

 空は自分が行ったことの意味が全く分かっていなかった。

 

 その時、蔵の中に描かれていた魔法陣が光を放ちだした。

 魔法陣に書かれた様々な記号は明るいピンク色の光を放ち地面から光を天井にまで反射させていた。

 

「え、なに? 今度は何?」

 焦った空はバタバタと魔法陣に近づいてしまう。普通こういう時は後退ったり逃げ出したりするものなのだが、この桐生空という少女、若干普通の人間とは思考回路が違ったようである。

 

 そして一段と魔法陣の光が強くなったと思うと魔法陣の中から一陣のつむじ風と共に桜の花びらが舞い散った。

 思わず顔を庇い、目を閉じた空であったが、再び目を開いたときそこにありえないものを目撃した。

 

「……女の子のお侍さん?」

 空の最初の印象はそれである。

「問おう。あなたが私のマスターか?」

「……はい?」

「……え?」

 

 空は全く事態が呑み込めていない。

「マスター? って何? あなたどこから現れたの?」

「ええっ!? う~ん、と……」

 現れた少女剣士はそう首をひねって考え込んだ。

「ぐぼっ」

 そしていきなり吐血した。

「ちょ! あ、あなた大丈夫?」

「だ、大丈夫。というか、本当に何もわかってないのですか?」

「何がわからないのかもわからないよ! いきなり変な紋様が手に現れたと思ったら今度は変なお侍さんが突然湧き出てきて! あなたいったい何なの?」

「変なサムライ……う、ぐぼっ」

 

 再び吐血する少女剣士。

「きゃー!」

 狼狽える空。全く話が前に進まない。

 

 その後何とか落ち着いた二人は蔵の中でお互いに正座で向かい合い自己紹介を行った。

 

 そして空は今起こっていることと聖杯戦争についての説明を「地面から湧き出てきた変なサムライ」から受けたのであった。

 

「っていうかあの人女性だったの? びっくりだよ。そりゃ美少年剣士って言われてたし、そこは百歩譲って良しとして」

 空は手元にあるカタナの鍔を見る。

「これはあなたが使っていたものなの?」

「ええ、それは確かに私が使っていたものに違いないです」

 とたんに空の表情がにやーと崩れる。まさかこの正体不明の鍔が幕末の超有名人のものであったとは! 

 

「か、返さないわよ……? これ私がもらったものなんだからね?」

「あ? え? それは別にかまわないというか……?」

「げ、言質取ったからね? うへへ」

 むしろ返さなければいけない相手は藤村雷画であると思われるのだが、歴史オタクの本領発揮といった空であった。

 

「はあ。それで信じてもらえましたか?」

「うーん。うん。信じられないし、そりゃ幕末の人に興味はあるけど、聖杯戦争? 私そんなの興味ないよ?」

「ぐばっ」

「ちょっとー。一々吐血しないでよ」

 空ももう慣れてきたのか吐血如きでは動じなくなってきた。

 

「申し訳ありません。この吐血は呪いともいうべきものなのです。後世の私に対する認識は病弱で薄幸という印象が強いようで、こればかりは英霊となっても、むしろ英霊だからこそ治しようがないものなのです」

「はあ。なんかあなたも大変なのね?」

 確かにかの剣豪は吐血と病弱のイメージだわね。空もなんとなく納得してしまった。

 

「と、とりあえず聖杯戦争には監督役がいるはず。この街の古い教会とかお寺がそうだと思うのですが、心当たりはありますか?」

「いえ、まったく」

 切嗣さんや士郎君なら何か知ってるかもと思いながらも、母屋の方は何か近づきがたい雰囲気である。

「う~ん……、古い教会って言うなら冬木教会が歴史あるって聞いたけど……」

「そ、そうですか。では、そこに行ってみましょうか」

 そう言うと少女剣士はスゥっと姿を消した。

 

「え、ええ? どこ行ったの? 消えた?」

 慌てる空に少女剣士の声が聞こえる。

「私たちサーヴァントはいわば霊体です。姿を消すことなど造作もない事です」

「そ、そうなのね。あなたが普通の人じゃないってことだけは理解したわ」

 そんな少女サムライの言葉に空はため息をつきながらとりあえず冬木教会に行くことにした。

 

 

「ほう。それでは君が今回の聖杯戦争のマスターのうちの一人という訳だ。いやはや、これはこれは」

 そう言っておかしそうに笑ったのは冬木教会の神父「言峰綺礼」である。

「あの、その聖杯戦争って私絶対出ないといけないのですか?」

 空は当たり前ではあるが人殺しなどしたことがない。もちろん武道をしているため戦いというものに対してある程度の理解はある。だからといって武道は人殺しをするためのものではない。

 

「もちろん君は棄権する権利がある。その場合は当教会で責任をもって保護しよう。その場合は君のサーヴァントは消失し令呪は私が管理することとなる」

 サーヴァントは消失する? それはこの(今は姿を消しているが)少女サムライが消えてしまうという事だろうか。

「あの、サーヴァントって人じゃないの?」

「過去の英霊が聖杯の力で顕在化したものだよ。君が聖杯を望むのならその力は大いに助けになるだろう。ただし、君も命を懸ける必要がある」

 そういって綺礼はカップに紅茶を入れ空に勧めた。

 

 聖杯戦争って、なんで私がそんなものに参加しないといけないの? 殺し合いなんて他でやってよ。何でも望みが叶うっていうのは魅力的だけど、そういうのって大体物語じゃ何かとんでもないオチが付くのよね。

 

「はあ……」

 ため息をつきながら空は淹れられた紅茶に口を付けようとした。

 

「だめよ!」突然、空の頭の中に声が響いた。

「え??」

 

 空が一瞬動きを止めた。その時

 

 カップは突然二つに割れ空の手から滑り落ちていった。

 

 床に落ち陶器が割れる嫌な音を響かせながら紅茶が空のスカートを濡らす。

 頭に響いた謎の声に疑問はあったが、それどころではない状況になってしまった。

「きゃっ、何をするのよ!?」

「ほう……。サーヴァントはセイバーか」

「マスター、帰りましょう」

 そう言って少女剣士は実体化したまま強引に空の手を引いて部屋を出て行こうとした。

「やれやれ。残念なことだ。セイバー。精々そのお花畑な少女と話し合うのだな」

 綺礼はさして残念でもなさそうな素振りでセイバーの後姿に声をかけた。

 

「ちょ、ちょっと! 痛い! いたい! イタイ!!」

 空の苦情を一切聞かないでセイバーは教会の中を大股で歩いてゆく。

「なんなのよ! 事情くらい話してよ!」

 それでも何も言わずに歩き続け、教会の敷地を出たところでようやくセイバーは空の手を離した。

 

「いったいどうしたのよ! 神父さん紳士的でいいヒトっぽかったじゃない」

 この少女はどれだけ平和ボケしているのか。セイバーは眩暈がした。

「マスター、今、殺されかけたのですよ? あの言峰綺礼という男に」

 セイバーの言葉に空はきょとんとした顔をして首を傾げた。

「あのお茶、毒が入ってました。教会は信用できません。あんな男が監督役だなんて」

「え」

「聖杯戦争はもう始まっているのです。マスター、覚悟を決めてください。マスターが覚悟を決めたのならこの────、命尽きるまでマスターの力になりましょう。……今度こそ最後まで戦って見せます……」

 

 そういったセイバーの顔は何か悲壮な決意を漲らせているように見えて空には何も言う事が出来なかった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 ジャンマリオ

「よく来てくれた、ジャンマリオ。先ずはかけたまえ」

 イタリアのシトー修道院。その奥の司祭室にジャンマリオは呼び出されていた。

 ジャンマリオを呼び出したのはシトー司教と「代行者」サンクレイド・ファーンの二人である。

 

 聖堂教会。それは世界最大宗教の暗部として活動している団体であり教義に反したモノを熱狂的に排斥する者たちによって設立された、「異端狩り」に特化した巨大な部門である。

 死徒を始めとする吸血種、悪霊、異端などの排除を目的としておりヨーロッパはもちろん日本やアメリカなどでも活動している。

 

 そんな中に第八秘蹟会という組織がある。

 聖遺物の管理・回収などを行うことを目的とした組織であり聖杯戦争の監督役なども務める。ある意味最も聖杯戦争とかかわりのある組織であるといえる。

 

 その組織員の一部は「代行者」と呼ばれる教会の異端審問員であり、教義に存在しない「異端」を力ずくで排除するモノたちだ。

 法王を支える百二十の枢機卿たちによって立案された、武装した戦闘信徒。聖堂教会においても一際血なまぐさい部署であり異端討伐の任を負う修羅の巣窟と例えられる役職とも言われている。

 

 そんな代行者の中でも最凶の男として知られるサンクレイドがなぜかシトー司教と共に部屋に入ってきたジャンマリオに席を勧めた。

「あなたを呼び出したのは他でもありまセーン。ちょっと日本まで行ってクダサーイ」

 胡散臭い話し方ではあるが、異常者ぞろいの代行者の中でも群を抜いた実力を誇る魔術師サンクレイドの言葉にジャンマリオは素直に席に着いた。どうやらサンクレイドが主に用があるらしい。

 

「日本ですか」

 ジャンマリオはその青い瞳をわずかに伏せ、訝し気に尋ねた。

「ワタシが行っても良いのですが、前回の聖杯戦争の結果がどうにも疑問で仕方ありまセーン。しかも……」

 サンクレイドはそこで一旦言葉を切り、ジャンマリオを射すくめるような目で見つめながら続きを話し出した。

「マタしても聖杯戦争が始まるのデース」

 

「聖杯戦争……ですか? いったいそれは……。しかも日本には言峰綺礼が居たはずだと思うのですが」

 ジャンマリオはかつて代行者として綺礼と共に任務に就いたことがある。なかなか実力のある人物であったがそれ以外にジャンマリオは綺礼に思うところがある。

「オゥ、良く知ってマスネー。言峰綺礼は今回の聖杯戦争の監督役を務めるコトになってマース。今まで60年周期で行われてきた聖杯戦争、5年前に第四次聖杯戦争が行われたばかりだと言うのに期間が短すぎマース。しかも前回の聖杯戦争がどうにもおかしな決着をしているようなのデース。そのあたりも含めて前回の参加者でもある言峰の事をスコーシ調べて欲しいデース」

 代行者の中でも実力者であるこの男がそう言うという事は綺礼に何らかの疑惑がかかっているという事であろう。ジャンマリオはそう判断した。

 

「それで君にはこれを用意した」

 そう言ってシトー司教がぼろきれの様なものを取り出した。司教がそれをジャンマリオに渡したのを確認してからサンクレイドが話を続ける。

「聖遺物デース。今回の聖杯戦争、言峰綺礼は魔術協会のツテを使って遠坂家の代理マスターを要請しているようなのデース。あなたもこれを使いマスターとして聖杯戦争に参加してクダサーイ」

 

「! ……待ってください。聖杯戦争は魔術師同士の戦いと聞いています。我々聖堂教会はあくまで彼らの暴走の抑制、秘蹟の隠匿のため監督役として関わっているだけのはず。私がマスターとして参加するというのは聊か無理があるのでは……」

 さらに異議を唱えようとしたジャンマリオをサンクレイドが指を立てて制す。

 

「チッチッチ。話は最後まで聞いてクダサーイ」

 その後を受け、シトー司教が話を続ける。

「前回の時に言峰綺礼が行ったのと同様に君には一時的に聖堂教会の所属を外れ、魔術協会の関係者ということになってもらう。聖杯戦争が終われば聖堂教会に復帰する。もちろん何の力もない者は魔術協会の関係者にはなれないが、君なら話は別だ」

「なるほど、それで私に白羽の矢が立ったというわけですか」

「そうだ。聖堂教会に所属し魔術回路を有している君にしか頼めない仕事だ」

 

 そう、ジャンマリオの体には生まれつき魔術刻印がある。彼は孤児だったためどういういきさつで自分が魔術の素養を持って生まれてきたのかは知らなかった。しかし、聖堂教会シトー修道院付属の孤児院に魔術回路保持者がいる。この事実を知った聖堂教会が彼を放っておくわけがなかった。彼は幼少の頃より異端審問者としての戦闘訓練を受け、30歳そこそこにしてすでにベテランの代行者として日々の任務にあたっていた。

 

「君には魔術協会の天文課、アニムスフィア卿の推薦した魔術師という肩書で聖杯戦争に参戦してもらうことになる。これがその紹介状だ」

 書簡をジャンマリオに渡す司教。

「先方には紹介状にある依頼を君に託すことを条件に後ろ盾になってもらっている」

「『聖杯戦争における大聖杯は万能の願望器足りえるか』を調査すること。とありますが」

「聖杯戦争に勝ち進み聖杯を手にしないと具体的なことは判明しないだろうが、戦っていく内に気づく情報もあるだろう。その辺りを先方に報告してもらえればよい。これは聖杯戦争に参加するための建前の依頼だ」

「と申されますと……」

 

 本題と見て、再びサンクレイドが言を繋ぐ。

「我々の本意は聖遺物の管理・回収デース。しかしナガラ、前回の第四次聖杯戦争の言峰の報告にはどうも疑問があるのデス。何やら不都合なことが欠落しているような、そんな感じナノデース」

 

「つまり今回の聖杯戦争の参加者の立場から言峰を調査せよ、という事でしょうか」

「まあそういう事ですネ。東洋のサルどもにあなたが後れを取るとは思えませんが、ワタシには言峰が裏で何か企んでいる様に思えて仕方がありまセーン。最悪でも生きて帰り事の次第を報告しなサーイ」

 

 聖杯戦争への参加、しかも言峰綺礼が監督役としての立場以外でも関わっているとなればそれは困難な任務となるであろうことはすぐに想像できた。だからこそわざわざサンクレイドなどといった大物がこの場に現れたのだろう。

 

「それとだな。もう一つ君には任務、というか依頼がある」

 サンクレイドの話はそれで終わりとばかりにシトー司教がもう一つの任務を話しだした。

「カレン・オルテンシアは知っていよう?」

 カレン・オルテンシア、現在12歳の少女である。少々特殊な能力を持ち10歳の時に聖痕を発現させた。現在はこの修道院に保護されている。

 

「カレンについてはもちろん存じております」

 ジャンマリオは個人的にカレンの存在をよく知っており、その特殊な能力は極めて聖堂教会にとって有益であることも知っていた。

「カレンの母クラウディアはすでに亡くなっているが、その父親を捜してほしいのだ」

「カレンの父親は日本人らしいのデース」

 

 シトー司教とサンクレイドは、カレン自身の話からもその父親は日本人で尚且つ聖堂教会とも少なからず関係がある人物らしいという。

 ここまでの情報からジャンマリオはこの二人がカレンの父親は言峰綺礼ではないかと疑っていることを簡単に察することができた。だが、そんなこと今更言われるまでもなくジャンマリオは知っている。

 

「これは別に聖堂教会からの任務ではないが、私とサンクレイド氏からの依頼だと思っていただければよい」

 ジャンマリオはますます言峰綺礼と敵対する可能性が高まったと直感的に理解した。

 

 

 

 言峰綺礼。由緒正しき聖職者の息子として生を受けるが、持って生まれた己の「悪」の異常性に気付いた彼は、それを正そうと厳しい信仰に明け暮れ、自傷と呼べるほどの鍛錬を重ねた。

 その後聖イグナチオ神学校を2年飛び級・主席で卒業。同年、代行者としての洗礼を受け、聖堂教会入りしている。

 

 ジャンマリオはかつて綺礼が代行者としてヨーロッパで活動していた時期に共に作戦に参加したことがあった。

 

 また彼は幼い頃をシトー修道院付属の孤児院で過ごした。今、話に上がったクラウディア・オルテンシアは、共に幼き日を同じ施設で過ごした、彼にとってはいわば幼馴染なのである。彼女は、病弱でありながら心が綺麗なまさに聖女というべき女性であった。

 

 ジャンマリオが、クラウディアに対して幼馴染以上の感情を抱いていることは明らかであり、修道院の関係者からは微笑ましく見られていたのだが、当のジャンマリオにはそんなことに気が付く余裕などなかった。

 その後、ジャンマリオは聖堂教会に入り代行者となったため、修道院とは距離を置くこととなったが、それでもクラウディアに会うために年に数回は修道院に顔を出していた。

 

 しかし、ある時を境にクラウディアは修道院から姿を消した。

 

 修道院関係者も誰も詳しい事情を知らなかった。

 ジャンマリオは彼女が行き先も告げず自分の前から姿を消したことにショックを受けたが、彼女にも何か特別な事情があったのだろう。今は陰ながら彼女の幸せを祈るとしようと考えた。しかしそんな彼の想いは最悪の形で裏切られることとなった。

 

 クラウディアが生まれて間もない娘を残して自殺した。そんな情報がジャンマリオの耳に入ったのはその二年後のことだった。

 聖堂教会においても自殺は禁忌とされる。それ以前にジャンマリオにはどうして自分が心惹かれていた女性が子を儲け、あまつさえその子を残して自ら命を絶つなどという事態になったのか理解できなかった。その子の父親は一体何をしていたのか。

 

 ジャンマリオは代行者としての実績を積む傍らクラウディアの行方が分からなかった時期の事を独自に調べていった。

 

 クラウディアの娘の名はカレンという。現在は聖堂教会内で代行者見習いとされているが、その特異体質の為主にシトー修道院で保護されている。そしてカレンの父でありクラウディアの夫であった人物は日本人であったらしい。

 また、代行者になる前の言峰綺礼がクラウディアと何らかの形で接触していたらしきことも突き止めた。

 

 ジャンマリオの捜査はクラウディアの夫は言峰綺礼であると結論付けていた。

 同時にクラウディアの死の原因も綺礼であると確信していた。

 

 そして今回の依頼である。教会内ではクラウディアは行きずりの男に身ごもらされたと言われているが、明らかにシトー司教とサンクレイドは言峰綺礼こそカレンの父親ではないかと疑っているのだ。

 教会がそれを確信したところでどうするつもりなのかジャンマリオにはわからなかったが、個人的になぜクラウディアがカレンを残し自殺をしなければならなかったのか、その理由を綺礼自身に問い詰めたいところではあった。

 

 そしてなぜ聖堂教会はこの突発的な今回の聖杯戦争にジャンマリオをマスターとして選んだのか。もちろん魔術師としての素養の件はあるが、ジャンマリオはその本来の理由こそがクラウディアとカレンにあると睨んでいた。

 つまり聖堂教会はジャンマリオの個人的事情を知っているという事になる。

「どう捉えたらいいのだろうな」

 ジャンマリオは考える。

 

 もし言峰綺礼とクラウディアの間に決定的な糾弾されるべき事情があるなら、そして第四次聖杯戦争にマスターとして参加した綺礼に何らかの落ち度があったなら教会はどうするだろうか。

「つまりはそういう事か」

 これは天啓かも知れないとジャンマリオは思った。クラウディアを自殺にまで追いやったのが綺礼であるなら、自分は彼を許すことはできない。

 

 そして今回この任務を与えられたという事は最悪の時には綺礼の抹殺も教会は視野に入れているという事である。綺礼の優秀さはジャンマリオも知っているがサーヴァントの力をもってすればそれも問題にならないだろう。ジャンマリオは決意も新たに召喚の儀式に望むのだった。

 

 

 

 そんな決意の中、聖遺物を渡されたジャンマリオは無事召喚の儀式を終えることができた。聖遺物は布のようなものであったが、現れたサーヴァントはランサーである。

「ふむ、槍の英霊か。私がお前のマスターとなるジャンマリオだ。よろしく頼む」

 ジャンマリオは魔法陣に現れたランサーに自分の名を名乗るとランサーに自己紹介を求めた。

 

「──────。個体名──────です。まさか人間に召喚されるなんて……。しかしご安心ください。契約は正式に結ばれました。以後あなたをマスターとして従います」

 現れたランサーはどこか機械的な雰囲気を漂わせた美女である。

 

「これより私は日本に飛ぶ。そこで行われる聖杯戦争に勝利することが目的だ。ランサー、お前の力に期待する」

「はい。仰せのままに。日本ですか……。訪れたことはありませんが、まだ見ぬ英雄に会う事が楽しみです」

 

 ジャンマリオは召喚の儀式が終わるとすぐに教会に報告を行い、その後、カレンに会いに行った。

「やあカレン、久しぶりだな」

「あらジャンマリオ。ごきげんよう」

 普通に話している分には上品なお嬢さんなんだがな。ジャンマリオはそう思いながら日本に行くことをカレンに告げた。

「そうなの? じゃあ、私のお父さんを探しに?」

「……そうだな。そういう事もあるかもしれないな」

 相変わらず鋭い子だな。

「そう……。私とお母さんを捨てたお父さんなんて大っ嫌い! ガツンとやっちゃって!」

 こっちが本性なんだよな……。ジャンマリオはふんすと小さな胸を張るカレンをみて苦笑

 するのだった。

 

 そして、次の日には彼は機上の人となっていた。

 

 

 

 冬木教会

 

「これはジャンマリオ、久しぶりだね。今回の聖杯戦争には君がマスターとして参加すると聞いている。残念ながら私は監督役故手助けをすることはできないが、君の健闘を期待しているよ」

 よく言う……。ジャンマリオは表向き穏やかな表情を崩すことなく言峰綺礼との会談に臨んでいた。

 

「あなたにそう言ってもらえると私としても心強い。その期待に応えられるよう、恥ずかしくない戦いをお見せしよう」

 ジャンマリオは暫く社交辞令を交えながらお互いの代行者時代の話に興じていたが、頃合いを見計らい本題を切り出した。

「実は冬木に発つ前にシト―修道院でカレン・オルテンシアという少女に会ってきたのだが、あなたはカレンのことをご存知だったかな」

「ふむ、名前程度なら耳にしたことはあるな」

 特に興味を示すでもなく綺礼はジャンマリオの問いかけを受け流した。

 

「カレンの母親は、クラウディアというのだが、彼女は私とは旧知の仲でね。残念ながらカレンを生んで間もなく自ら命を絶ってしまったらしいのだが、私は未だにそれが信じられないのだよ」

 

「ほう、自殺などと。なんとも愚かな女であると言わざるを得ないな」

 何なのだこの反応は。仮にも自分の元妻をそんな風に言うなんて……。綺礼に揺さぶりをかけるつもりで話題を振ったのだが、逆にジャンマリオの心は激しく動揺した。何とかそれをこらえ、今は情報を聞き出すべきと話を続ける。

 

「自殺は禁忌とされている。生前、聖女とまで言われた彼女がなぜそのような行動に出てしまったのか……。残されたカレンのことも不憫でね。私は彼女が保護されているシトー修道院にもよく顔を出しているのだよ」

「さて……ね。私にはわかりかねるな。一つ言えることはすでに私には関係のない話だ、という事か。違うかな?」

 

「……そう……だな。これは失礼した」

 カレンとクラウディアの名を出せば少しは反応すると思っていたが、綺礼の表情は揺るぐこともなかった。

 やはりこの男はクラウディアに何の感情も持っていない。クラウディアの事を「愚かな女」の一言で片づけたことをジャンマリオは許すことができなかった。綺礼に対する殺意が心の底からふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。

 

「それと参考までに前回の聖杯戦争の経緯をもう一度教えてもらえるか。報告書の方は私も目を通したが、やはり当事者から話を聞ける機会というのは貴重なものだからな」

 それでもジャンマリオはよく言えばまじめで仕事熱心なタイプである。最低限聖堂教会に報告できるだけの仕事はこなしていった。

 

「ああ、そう言えば、今回の聖杯戦争、御三家からはアインツベルンと遠坂の参加があるらしいね。何でも遠坂は代理マスターを立てているようだが、魔術協会へその要望を出したのはあなただとか」

「遠坂家とは浅からぬ縁があってね。現当主である遠坂凜の後見役を仰せつかっているのだが、何分まだ子どもなのでね。当人からの強い希望もあって魔術協会に代理マスターを要請させてもらったのだ」

 

「(当主とはいえ子どもがそんな要望をするのか?)なるほど、では、そのマスターも既に冬木に到着しているのかな」

「ああ、到着はしたのだが、不幸な事故に遭ってしまってね。既に脱落してしまっているのだよ」

「!」(馬鹿な、あり得ない)

 

 協会を立ち去る間際に不意にジャンマリオは立ち止まり、振り向きざまに綺礼に尋ねた。

「最後にひとつだけ聖杯について聞きたい。聖杯は万能の願望器と呼ばれているそうだが、例えば……死者を蘇らせることは出来ると思うかい」

「!」

 ジャンマリオは一瞬綺礼の表情が険しくなったのを見逃さなかった。

「ああ、もちろん可能だろうね。実際、過去にそういう事例があると聞き及んでいる」

 

 

 

「ランサー。居るか」

「はい、ここに」

 冬木教会を離れ市街地のビジネスホテルに向かう道すがらジャンマリオはランサーに話しかけた。

「やはり私は言峰綺礼を許すことはできそうにない。この聖杯戦争に紛れて始末しなければならない」

「了解しました。そして報告します。あの教会からはサーヴァントの魔力を感じました」

「やはりそうか。本来、監督役である綺礼にサーヴァントがいるはずがないと考えるのが普通だろう、だが綺礼の奴……」

 

 その想像は教会の聖杯戦争監督役として最もやってはいけないことのはずである。しかし今の綺礼であるなら……

 綺礼は間違いなくサーヴァントを使役している。しかし、それはジャンマリオにとっては逆に好都合といえた。ジャンマリオは自分の中でシナリオを組み始めた。

 奴がサーヴァントを持っているなら中立の監督役ではなくマスターの一人として始末することができる。

「ランサー、聖堂教会に一旦報告書を提出後、綺礼とそのサーヴァントについてもう少し情報を集めよう。機を見て冬木教会を襲撃するぞ」

「はい。了解いたしました」

 

 相変わらず従順なのはいいのだが、まるで自我の無い機械と会話しているようだ。他のサーヴァントを知らないので比較のしようがないが、サーヴァントとはこういうものなのか。もう少し自分の意見を言ってくれる方が私としては助かるのだがな。

 ジャンマリオはランサーについてもう少し自己主張してほしいと感じていた。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話1 7人目

 今回の聖杯戦争には想定外のマスターが多いようだな。

 聖杯戦争監督役に就任している言峰綺礼は色々とイレギュラーが続く今回の聖杯戦争がとても楽しくなってきていた。

 

「それにしてもあんななにも事情を分かっていない小娘がセイバーのマスターとは」

 桐生空が綺礼の前から立ち去ってからしばらくしてそんな呟きを洩らした。

 

 セイバーは最優という言われ方をすることがある通り、最も勝者に近いと考えられることがある。しかし今回に至ってはセイバーはあまり強力な陣営になりえないのではないか? 綺礼は顎に指を当てしばし考えに沈んだ。

 

 さて、その他の陣営はいったいどのようなサーヴァントを召喚したのだろうか。またどのようなマスターが今回のこの歪な聖杯戦争に名乗りを上げているのか……。今の段階では何もわかることはないが、聖堂教会から代行者の一人がマスターとして参加するという連絡は受けている。

 

「おいおい、俺一人じゃ足らないっていうのか? あんたも強欲が過ぎるんじゃねーか?」

 姿を現せた男は立派な顎ひげを蓄えた精悍な海の男といえばしっくりくるような風貌をしていた。

「手駒は多いに越したことはないだろう?」

「やれやれ。あんたが何を考えてるのか俺にはわからんが、少なくともさっきの小娘やあの当て馬マスターよりはあんたの方が勝てそうだしな」

 

 そう言いながらひげの男はドアの向こうに放置されている魔術師の死体をどうしたものかと首を振った。

「あいつの死体はどうすんだ? えーと、ゲゲイー・ベントーンだったか? 魔術協会とかうるさくねーのか?」

 

「そのあたりは問題ない。適当に処理しておいてくれたまえ。彼は日本に来てすぐに不慮の事故で命を落としたのだ。

 しかしその男、昔、遠坂時臣氏に世話になったとかで、代理マスターを率先して引き受け、こんな遠方の冬木までわざわざ死にに来るとは……随分張り切ってはいたようだったが、ああ、なんてついてないのだろうね」

 さも残念だという素振りで綺礼は肩をすくめた。しかしその表情は全く心が籠っておらず、むしろ笑っているように見えた。

 

 顎ひげをしごきながらサーヴァントと思しき男は、こいつはやはり油断ならねぇ。と心の中で警戒ランクを一段上げた。

 自分とて善人であるとは言えないが、少なくともこの男ほどイカレてはいないと自信をもって言う事が出来る。

 ま、少なくともあの当て馬くんよりは楽しませてくれるだろうよ。

 

 顎ひげの男の新たなマスター、言峰綺礼の右手には新たな令呪が刻まれていた。

 




お読みいただきありがとうございます。

今回で参加マスター、サーヴァントが出そろいました。

この小説はリプレイであり、結末はすでに決定しておりストーリーは完結しております。

さてどの陣営が勝者となるでしょうか?

また、感想などいただけましたらうれしいです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 開戦前夜

今話から本格的な聖杯戦争がはじまります。

さて、どの陣営が勝者となるのでしょうか。


「なぁ、キャスターさんよ。あんたの周りに浮かんでいるその人形みたいなのはなんなんですかい」

「ああ、これ。オルコットよ、まぁ分かり易く言えば使い魔みたいなものかしら、あなたは大佐と呼びなさい」

「大佐? ……ですかい。見た目相応にキャスターさんは人形遊びが好きなのかと思いやしたが、そういう訳でもないんですな」

「別にお人形が好きなわけじゃないわ、オルコットの人形だから好きなの。生前のあたしと関わりが深かった人を模して作ったのよ」

「へぇ、そうなんですかい。ところで冬木に入る前にちょっと行きたいところがあるんだが構わないかい?」

「いいけど、どこに行くのかしら?」

「ちょっと野暮用なんでさ。なに寄り道程度のことなんで時間はとらせませんぜ」

 香港から日本に渡ったクガイは空港から冬木市に入るまでに陸路で移動することになった。その途中に少しだけ顔を出したい所があるとクガイはキャスターに持ちかけた。

 

「まあよくってよ。あたしもついて行っていいの?」

「んー。別にかまいませんぜ。楽しいものじゃないですけどね」

「そう。じゃ行くわよ」

 そういったキャスターに少しだけ肩をすくめたクガイは愛用のトレンチコートの襟を軽く引き寄せた。

 

 

 

「あ! クガイのおじちゃん! 久しぶりだね!」

「花琳(ファリン)ちゃん元気にしてたかい?」

 ベッドの上で本を読んでいた少女は病室に入ってきたクガイを見てまさに花を咲かせたような可憐な笑顔を見せた。

「今日は香港のお土産を持ってきたんだ。気に入ってくれると嬉しいんだけどな」

「わあ、ありがとう! いつも海外でのお仕事大変だね。開けていい?」

「ああ、見てくれるかい?」

 

 今ここで話をしているこの男は本当にクガイなのか? 姿を消した状態で少女の病室に付いてきていたキャスターはクガイの豹変ぶりに目を丸くしていた。

 

 体中に何本ものチューブが取り付けられたファリンと呼ばれた少女はうまく手が動かないのか箱にかけられたリボンをほどくのにも苦労していた。しかしクガイはそれを手伝おうとはしなかった。

 やがて苦労の甲斐があって無事箱からパンダのぬいぐるみを取り出した少女は眼を輝かせて喜んだ。

「かわいい! ねぇ! この子なんていう名前なの?」

「うーん、ファリンちゃんがつけたらいいんじゃないかな?」

「そうねぇ……。じゃ、くーちゃん! クガイおじちゃんから貰ったものなんだからね!」

 

「そうか、くーちゃんか。可愛がってあげて欲しいな」

「もちろんだよ! ……ねぇおじちゃん、ちょっとちょっと」

 そう言ってファリンはクガイに内緒話があるかのように耳を貸してと手招きした。

 

 そして彼女はそっとクガイの頬にキスをした。

 ちょっと驚いた顔をしたクガイだったが、すぐに笑顔になりファリンの頭を撫でる。

「クガイおじちゃんありがとう! 大切にするね!」

「そうだな。元気になったらおじちゃんが遊園地に連れていってあげるよ。早く良くなるんだよ」

「うん! わかった! 約束だからね!」

 

 穏やかな日が差し込む昼下がり、開け放たれた窓からさわやかな風がカーテンを揺らす。まるで一枚の絵画のようなシルエットの二人をキャスターはまぶしげに眺めていた。

 

 キャスターにはこの少女とクガイの関係は知らされていない。ただ、彼女は思った。

 

 この少女はクガイにとってたぶん何よりも大切な存在なのだろう、と。

 

 

 

「見苦しいところをお見せしちまいやしたね」

「ううん。そんなことないわ」

「……娘なんでさ。他人って事にしてやすけどね」

「そう」

 きっと何か深い事情があるのだろう。そう思ったキャスターはそれ以上聞くことはしなかった。ただ、その時のクガイの表情に普段の飄々とした雰囲気はなく、確かに父親が持つ強さを感じたのだった。

 

 

 

 それから約半日でクガイたちは冬木に到着した。実は今回の聖杯戦争において彼らが冬木に着いたのはかなり早い段階であった。

 もともとキャスターは陣地構築を得意とすることもあり、拠点を「工房」とする必要があったのだ。もっとも時間さえかければ彼女は「神殿」の域まで陣地を強化することができるのではあるが。

 

 彼らが陣地として選んだのは遊園地である。ドリームランド冬木という名の遊園地は土日になるとそれなりに賑わう。そこは市内の親子連れやデートスポットとしてカップルなども多く訪れる身近な娯楽施設として認知されていた。

 

 日中は多くの人で賑わい、夜になると全く無人となるその特殊性が魔術を行う上に置いて重要なファクターとなったのだ。

 

 

 

 ──―

 

 

 

 冬木ニューハイアットホテルの三一階、展望レストランで食事を終えたウリエは、夜景を眺めながら、デザートが来るのを待っていた。

 

 このホテルの前身である冬木ハイアットホテルは、5年前の聖杯戦争の際、大災害以前の段階で火災に見舞われ倒壊している。

 当然その事故は表向きに用意されたもので、真実は聖杯戦争に参加していた何れかの勢力の攻撃により破壊されたのであろうことは容易に想像がつく。まぁ、お陰で新装間もない豪華な宿を拠点にできたのだから、彼女としてはラッキーだったのかも知れない。ウリエはこのホテルの最上階スイートルームフロアを一か月間借り切っていた。

 

 そして今、ウリエの前の席には、今回の聖杯戦争の為に祖国から連れてきたオートマトンの「メラヘル」が座っている。普通に考えれば特殊な金属でできた機械人形が人間と同じように食事の席に着いているのは異様な光景であるが、メラヘルには常に周囲に外見的暗示を放つ術式を施してあるため、魔術師でもない一般人には、彼女はウリエと同年代の女性にしか見えないのだ。

 

 また、当然彼女は食事も摂らないが、その点についても誰一人疑問に感じないような暗示をかけてある。この女性は食事を摂らない人で、それが当たり前なのだと。それでも何故かテーブルの上にはコップに入った水だけはしっかり二人分置かれていた。

 目の前に全身銀色で、メイド服を纏ったオートマトンが座っているというのに誰一人気付いてはいない。ホテルの従業員には、さながらお金持ちの姉妹程度に認識されているのだろうと思うと、少し可笑しくなり自然に「くすっ」と笑いが口から漏れた。

 

 ウリエは時計塔の降霊科の長であり、ケイネスの師でもあったソフィアリ学部長の二女として生まれた。超一流の魔術師の家系の血を引く彼女は、幼い頃からそのずば抜けた才能をいかんなく発揮してきた。

 

 彼女にとって魔術とは、ある意味特別な者だけが行使を許された特権であり、魔術を使うことでクリアできる問題は、例え法を逸脱していても、さして問題は無いとすら考えていた。

 例えばもうすぐ食べ終わるこのフルコースの代金でさえも、彼女が満足すれば正規の金額を支払うが、そうでないなら、暗示で支払ったことにすることくらいは何の罪悪感もなくやってしまう。

 そんな彼女ゆえ、優秀な魔術師に対しては心の底から敬意を以て接するが、そうではない輩に対しては自然と見下した様な態度を取ってしまう。ある意味自分に正直な裏表のない人物であった。

 

 やがて運ばれてきたスイーツを頬張り、想像していた以上に美味だったことで、ウリエは一層気分が良くなった。

「ケイネスお兄様は日本のことがお嫌いだったみたいだけれど、食べ物については多少評価すべきだと思うわ。ここの食事代はチップを付けてお支払いしましょう」

 

「ところで他の6人の魔術師も既に冬木に居るはずなのに、中々有力な情報が得られないわね。いずれ戦うのだから、最初から場所と相手を監督役が決めてくれれば良いのじゃないかしら。何とも効率の悪いシステムね。それにバーサーカーが夜だけしか動けないのも不便だわ。バーサーカーじゃなければ、昼間も普通に活動できたのかしら」

 

 彼女は、バーサーカーに他の勢力の調査を命じているが、特性上夜間しか行動ができないため、中々思うような成果が上がっていない。昼間は小鳥を使い魔として放っているのだが、こちらも同様である。

「すぐに戦いが始まるのかと思っていたけど、最初はかくれんぼからなんて面倒ね。私がここにいることを他の魔術師たちは知っているのかしら。敵の懐に堂々と乗り込んで来る様な人は、そうそういないとは思うけど、備えはしておくべきよね」

 

 ウリエは現在、借り切っているスイートルームフロア全体を魔術工房化するための改装に取り掛かっているところである。拠点が整えば、バーサーカーを囮に他のマスターやサーヴァントを誘い出すのも悪くない。最初は尊大な態度だったバーサーカーも今ではすっかり従順で、ウリエの言いつけに素直に従っている。

 

「令呪の力は大したものね。3つしかない貴重なものだけれど、バーサーカーの態度が余りにも度し難かったから、早速1つ使ってしまったわ。でも、サーヴァントにずっとあんな態度を取られ続けたら、怒りで冷静な判断力を欠いてしまうし、美容にも悪いわ。使うだけの価値はあったかしら。ところで、サーヴァントには他にキャスターという魔術師のクラスがあるようだけど、英霊の魔術師ってどんなのかしら、少し興味があるわね」

 

 ウリエは、そもそもサーヴァントのことを、聖杯戦争を有利に戦うための道具程度にしか考えていなかったが、それが過去に英雄と呼ばれるレベルの痕跡を残した魔術師となれば話は別である。キャスターが一体どんな戦い方をするのか、実は少しどころか大いに関心があった。

 

 

 

 ──―

 

 

 

「ちょっと! ジン! それ私のタマゴ! 取らないでよ!」

「へっへー。いただきぃ! おっちゃんこれうまいな! 初めて食ったよ!」

 ユェのどんぶりから煮卵を奪ったジンはユェの苦情を一切受け付けず一口でそれを頬張った。

「ぎゃああ! 食べた! ジンが私のタマゴ食べた!」

 ぎゃーぎゃーと騒ぎながらもどこか楽しそうな子供たちに一緒に居たアーチャーは思わず噴き出した。

「わかった! ユェ、俺のをやるから落ち着け! おやじ、このタマゴ追加頼めるか?」

 

 こんな顔も出来るんだな……。アーチャーはきっとこれが本来の二人の姿なのかもしれないと煮卵をユェのどんぶりに移しながら自分の想いを再確認していた。

 

「あいよ。この子たちは中国人みたいだけど、お兄さんは別の国の人かい。随分日本語が上手だね」

「俺はペルシャ……いや、今で言うとイラン人だが、この子らはれっきとした日本人だぜ。外国暮らしが長かったから日本語はあまり得意じゃないがね」

「そうかい、中国語で騒いでいるから中国の方かと思ったが、日本人なんだ。帰国子女ってやつだね」

 帰国子女……か。彼らの辿ってきた人生を考えるととてもそんなもんじゃないんだがな。アーチャーは彼らの生きてきたシンガポールでの暮らしを思いだしていた。

 

「うまいか?」

「ああ! うめぇ! なんだこれは! マジうめぇぞ! なあユェ!」

「そうね。本当に美味しいわ」

「そうか良かったな。俺も初めて食ったんだがこれはうまいもんだな」

 煮卵入りチャーシュー麺。それはジンとユェにとって連れ去られて以来人として食べた初めての食事だったかもしれない。

 

 結局スープまできれいに飲み干した3人は当てもなくそのあたりを散歩していた。日本の街中では100mも歩くとコンビニに遭遇する。

 深夜のコンビニ駐車場。

 走り屋グループっぽい若い連中十数名がたむろしていた。うち数名がトイレやタバコを買うために店内に入っているようで、そうではない者はタバコを吸ったり雑談したりしながら待っているようだ。

 

 ブオン! ブオゥン!! 

 唐突に一番外側に停めてあったサイドカー付きのバイクがエンジンを吹かす。バイクにはアーチャーとジン・ユェが跨っていた。

「お兄さん方、ちょっとこの乗り物借りるぜ。夜が明けるまでには返すからさ、じゃあな」

「ちょ! 待てやコラァ!!」

 慌てて叫ぶ走り屋たちを無視してサイドカーがスピードを上げる。

 

「この兜、2つしか無いからお前らが被っておけ。道が分からないから適当に走るぞ」

「うぉお、速え」

 二人にヘルメットを被せ豪快に走り出すアーチャー。ろくに交通ルールも知らない彼が制限速度など守るはずもなくまさに勝手気ままにバイクを走らす。

「あははは! 楽しい!」

 思わず嬌声を上げるユェにジンは先ほど屋敷で聞かされたアーチャーの話を思い出す。

 こいつがこんなに笑ったのは初めてじゃねーか? ユェがこんな顔してくれるならこのおっさんを信用してもいいかもしれないな。

 

 途中追いかけて来た走り屋連中を振り切ったり、パトカーに追われたりと色々あったが、最終的にアーチャーは峠道の半ばにある、丁度街を見下ろすことができる車道の脇にバイクを停めた。

 空は漆黒から濃藍へと色を変えつつあり、深夜と比べると数は減ったのだろうが未だ散りばめられた宝石の様な輝きを放つ街の明かりを眺めながら彼は満足げに話し出した。

 

「結構スピードの出る乗り物だったな。どうだ、少しは気が晴れたか。お前らは今まで辛い目にしか遭ってないんだ。これからは今までの分を取り戻すくらい人生を楽しめばいいさ。その為にも少しでも早くクガイの奴を倒さなきゃな。三人で力を合わせてやり遂げようぜ」

 今日一日二人の都合も聞かずに彼らを振り回した青年サーヴァントは、両手を差し出すとジンとユェに握手を求めた。戸惑いながらも差し出された左手をジン、右手をユェが握り返す。

 

 アーチャーの手はとても暖かかった。

 

 李月は思う。もしかしたら。もしかしたら……

 

 

 

 李月の回想

 

 私たちが召喚した英霊は古代ペルシャの大英雄でした。もちろん私の知識の中にそんな英雄の逸話はなかったのですが、今は便利な世の中です。少しネットを調べれば恐ろしいほどの情報が手に入ります。

「ジン、私たちの英霊は『神代最後の英雄』と呼ばれた古代ペルシャの傑物らしいわ」

 ジンはあまりそう言ったことに興味はないようなのよね。その英霊と自分ではどちらが強いのか、といった事ばかり考えているみたい。

 でも私にはわかるわ。比べられるレベルじゃないのよ。

 

「伝承を読む限りとても人間とは思えないような偉業を成し遂げた人物ね。まさに『神代最後の英雄』と言わざるを得ないわ。またその最期もまさに英雄にふさわしいものね」

 ジンにそう説明したけど、どうにもうまく伝わっていない気がするわ。

 

 そんな英霊が私たちに言いました。「お前たちは幸せになる権利がある」と。

 

 

 

 それは私たちが冬木に拠点として用意された洋館についてすぐのことでした。

 

「ここならお前らの大切な父さまは居ないわけだが、改めてお前らの願望を聞かせてくれないか」

 私たちにそんな風に話しかけてきました。

 

 シンガポールで1日足止めを食ったとき、私はこの英霊について調べてありました。伝承ではその正義感溢れる人柄や世界を平和に導く戦士としての絶対的能力が詳しく語られていました。

 だからといって簡単に信用して良いとは言えません。彼が父さまの腹心である可能性も捨てられないのですから。

 私はジンと顔を見合わせ口をつぐむこととしました。

 

「そうか……、ここからは俺の独り言だが、聞いてくれ」

 彼は少し残念な顔をしましたが背を向けて話し始めました。

 

「薄々気付いているとは思うが、お前らの父さまはこの聖杯戦争をゲームの様にしか考えていない。同様にお前らの事も少しお金を掛けた玩具程度の認識だ。俺がもう少し早く現界できていれば、こんな非道は許さなかったんだが、救えなかったたくさんの子どもたちの為にもお前らには生き残って欲しいと俺は思っている」

 

 あれ? この人どこでそんな情報を手に入れたのだろう。ついこの間魔法陣から現れた英霊が私たちの事情を知っているはずがありません。

 ましてや彼は小アジアの英雄であり、シンガポールなど来たことがないはずです。

 いったい何時そんなことを調べたのだろう。シンガポール空港の管制トラブルで一日出発が伸びたけど私と同じでそのときかしら。……管制トラブル……まさか、え? まさかそんな事が出来ちゃうの? 

 

 しかし彼の言う事は正鵠を得ていました。まさにその通りです。父さまは私たちを「自慢の玩具」程度にしか考えていないでしょう。あの地獄のような施設で虫けらの様に死んでいった多くの仲間たちの事を思えば今すぐにでも父さまを殺したい気になります。

 

「こんな戦争に好んで参加する必要はないんだ。お前たちは幸せになる権利がある」

 アーチャーの言葉はあまりにも意外なものでした。そもそも英霊とはこの「聖杯戦争」に勝利するために呼び出されるものと聞いていました。その英霊が「聖杯戦争」を否定するとはどういうことなのでしょうか。

 

「聖杯戦争のために呼び出された英霊がそれを否定するの? 私はあなたを令呪で従えることができるのよ」

 そう言うと彼は肩をすくめてこちらを振り返りました。

「どうやらやっと口をきいてもらえそうだな」

 考えてみれば召喚時に自己紹介をしたきりまともに話したことはありませんでした。避けていたわけではありませんが、父さまの用意した聖遺物に魔法陣です。どうしても信用できませんでした。

 

「お前たちがお父さまに従っている理由はなんだ? 悪いが俺はお前たちにかけられていた洗脳が既に解けていることを知っている。その上でこの戦いに身を投じようというのだから聖杯にかける望みがあるのだろう? しかしそれは聖杯に望まなくても叶うものだとしたら?」

 

「な! どうしてそれを! 貴様何を知っている!」

 ジンが英霊に掴みかかります。

「ジン、落ち着いて。アーチャー、なぜあなたがそれを知っているのかわかりませんが、聖杯を手に入れれば解決することです」

 

「まあ聞け。俺の見立てではこの戦いで排除すべきはクガイだけだ。奴は俺の調べた限り最悪の殺し屋だ。お前らの父さまの言いつけを守るようで癪に障るが、奴もジアンユーと同じ非道の輩であり、死んで当然の人間だ。向こうも当然お前らのことを狙っているし、放置すればお前らが危険に晒されることになる」

 

 劉九垓。365党最強の殺し屋。その実力は父さまが私たちに必ず殺せといった事からもわかる通り父さまが警戒するレベルだという事。

 彼の使う魔術を見たものはほとんどいない。彼はほとんど単独で行動する上、彼と戦って生き残った者はいないから。ただ古銭を媒介とした魔術だという事は割と知られていた。

 

 彼が何のために殺し屋をしているのかそんなことに興味はないけど、高額の報酬を父さまに要求しているという事は知っている。金のために殺人を請け負う最悪の人間だわ。

 

「クガイさえ排除すればあとは俺に任せておけ。悪いようにはしない。ああ、ただ一つだけ頼みがあるとしたら令呪を一つは残しておいてくれないか。俺の言うことを令呪で実行して欲しい」

 

 令呪は英霊に絶対服従を強要したり、英霊の回復速度をあげたりとあらゆる局面で役に立つものです。その貴重な令呪を一つ要求するとは、いったい彼は何を考えているのだろう。

 彼の言う事を鵜呑みにすることはできないわ。本当に伝承通りの英霊ならこの上なく心強い味方になってくれるのでしょうけれど、今はまだ信用しきれません。

 私は曖昧に頷くことしかできませんでした。

 

 私が頷くと彼は「まあしかたないか」といった表情をして突然砕けた態度で提案してきました。

「難しい話はこれくらいにして、なぁお前ら腹減ってないか。さっきこの近くで旨そうな食い物屋を見つけたんだが、一緒に食いに行かないか。ただ、俺は金を持ってないからな。お前らのおごりで頼むぞ」

「何だよ、それ」

 あっさり話題を変えた英霊にジンが思わず突っ込みました。ジンってこのあたり単純なのよね。そういったところもかわいいのだけど。

 

 彼が私たちを連れて行ったのはいくつもの屋台が軒を連ねる露店の集まりのような場所でした。

 シンガポールにもこんなところあったけど、ここは貧民街といった雰囲気ではないわね。多くの観光客と思しき人々が好みの店に入っていき楽しそうに談笑している。

 

「おおーなんかうまそうだな! アーチャーお前これ食ったことあるのか?」

「食った事なんかあるわけないだろう。どれ! そこの屋台でいいか?」

 ジンが美味しそうな匂いにつられてテンションを上げています。そんなジンを見ているとなんだか幸せな気持ちが湧き上がってくるわ。

 

「おい、ユェ! 何ぼーっとしてるんだ? 車にはねられるぞ」

 いけないわ。ついジンに見入ってしまっていました。彼に手を引かれ歩道に連れ戻されました。

「ご、ごめん」

「気を付けよーぜ。この期に及んで車にはねられて死んじまうとか笑えんぜ」

 そう言ってジンはケラケラと声をあげて笑いました。

 

 もう。さすがに私もそんなにトロくはないのだけれど? 

 ジンは時々こうやって私を妹扱いするのよね。

 

 ──―でもね。私が気が付いていないと思ってるの? 本当にジンってお調子者でバカで……愛おしいお兄様ね。

 

 

 

 そんな私たちのもとに1通の手紙が届いたのは冬木に到着してから二日後のことでした。

 

 それはクガイから私たちに宛てられたもので、中には招待状と書かれた手紙と遊園地の入場券が入っていました。

 クガイは私たちの拠点を既に割り出していたのです。

 手紙には「親愛なる李星様、李月様。ようやくお父様からの外出許可が出たようでよかったですな。初めての自由な時間を少しでも楽しく過ごしていただくために、遊園地にご招待いたしましょう。そちらの都合の良い時にいつでもいらしてください。様々な趣向を凝らしてお迎えいたします」と書かれていました。

 

 アーチャーは、この招待状が罠なのは見え見えだが、奴がこちらの拠点を知っている以上無視はできない。何れ倒さなければならない相手なのだから、あえて誘いに乗ってみよう。ただし、相手にとって有利な場所で戦うことになることを肝に銘じ、絶対に油断しないように。危険を感じたら令呪を使え、と言い。私たちもそれに賛同しました。

 とても危険な行動に思えましたが、アーチャーと一緒ならなんとかなる。不思議とそんな安心も感じていました。

 




お読みいただきありがとうございます。

感想等ございましたらよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 真夜中のメリーゴーランド

 アーチャー陣営がキャスター陣営の招待状を受けっとった同じ日の夕刻、ウリエの魔術工房は完成した。二十層に至る魔術結界、自身専用の魔力炉、魔力を帯びたものが触れると作動する致死性のトラップ等、ここに踏み込んで来た愚か者に彼女の実力を思い知らせるには十分な備えができた。

 

「準備は整ったわ。今夜にでもバーサーカーを囮にして、他のマスターとサーヴァントの顔を拝みに行きましょうか」

 

 ウリエがバーサーカーを呼び戻そうとしたのと、バーサーカーの放ったコウモリから、キャスター陣営の拠点を発見したという知らせが届いたのはほぼ同時であった。早速ウリエは、メラヘルを従えてバーサーカーの元に向かった。

 

 

 

 深夜、キャスター陣営の拠点である遊園地でクガイは365党が放ったと思しき殺し屋をまた一人処分していた。

 今回襲ってきた殺し屋は魔術師だったようでクガイも古銭を使用せざるを得なかった。

「やれやれ、あんまりこれ使っていると大事な時に貯金が無くなってしまうんですがねぇ」

 ドロドロと腐り落ちていく魔術師を眺めながらクガイは肩をすくめた。

 

「なんというか、醜悪な魔術なのね。気持ち悪いし、あたしの趣味じゃないわ」

 そんなクガイに半ば呆れたような顔をしたキャスターが声をかける。

「あっしの知ってる魔術はこれしかないんですわ。あまり連発したくはないんですがね。実はこれ使うたびになぜかあっしのリアル貯金が減っていくんですわ」

「お、面白い代償ね。ちょっとその仕組みには興味あるわ。減ったお金は誰に支払われているのかしら」

 それはむしろ呪いなのでは。キャスターはあまりにも不吉なクガイの魔術にそんな印象を持った。

「あっしにはあんまり面白くないんですがね。それより今回の相手は魔術師だったんでひょっとしたら聖杯戦争の相手かと思ったんですが違ったようですな」

「そうね。聖杯戦争のマスターならサーヴァントも連れずにのこのこ姿を現すとは思えないし、こんなに簡単には倒せないわよ。差し詰めあなたに怨みを持つ誰かが雇った殺し屋ってとこかしら。何かしらの心当たりはあるんじゃなくって。でも、あなたにとっても本命はわざわざ招待状を送ったあの二人組の子供なのでしょ?」

 

 クガイはそれなりに情報網を持っている。彼のキャリアはそういった情報屋を駆使して事前にすべてを調べ上げることで積み上げてきたものなのだ。

「まぁ、そうですな。あの二人、あっしも知ってるんでさぁ。ついこの間まであっしが所属していた365党というマフィアのボス、ジアンユーの秘蔵っ子ってとこですな。さっきの魔術師も奴の配下の者で間違いないですわ、なんせ奴の命令で回収するはずだった聖遺物をあっしが使っちまってるんですから、明け方あたりには本命の奴らが乗り込んでくると思っているんですがね」

 

「……あたしの召喚が原因だったのね。何だか複雑な気分だわ。ん? 明け方どころじゃないみたいね。たった今、結界に侵入者よ」

「っと、来やがりましたか。あの二人、どっちがマスターなんでしょうねぇ」

「あたしはサーヴァントの相手をするから危なくなったらお呼びなさいな。あなたの貯金が尽きないことを祈っているわね」

「それはありがたいこって。頼りにしてますぜ、キャスターさんよ」

 

 

 

「ようこそおいでくだせぇました。チンケな遊園地ですがゲストをもてなすために色々用意させていただきましたんで、お楽しみくだせぇ……。やっぱ気取った挨拶はあっしには向かないですなぁ」

 ボウアンドスクレイプで気取って挨拶をしようとしたクガイであったが、もともとそんな挨拶など彼には無理な注文だった。

「クガイ、お前がなぜ聖杯戦争に出てきたかなんて興味はねぇ! 俺達のためにお前はぶっ潰す!」

 

「威勢がいいですなあ。しかしここはあっしのサーヴァントであるキャスターの工房ですぜ? 飛んで火に入るなんとやらってね、勝てると思っているんですかねぇ?」

「そんなことは百も承知です。クガイ、覚悟しなさい」

 そう言ってユェは袖口に隠していた釵(サイ)を両手に握りしめた。同じようにジンも釵を取り出していた。

 

「なるほどねぇ。二人がかりでならあっしに勝てるとでも……じゃあ……かかってきな!」

 そう言ってクガイは中指を突き立て挑発した。

 クガイの言葉を合図にジンとユェは左右に分かれてクガイを襲う。まさに疾風のように飛びかかる二人の動きは常人を完全に凌駕してた。

「やるもんですなぁ」

 

 しかし二人はクガイに肉薄した瞬間まるで何か危険なものに気が付いたかのように飛び退いた。

 直後、二人がいたその場所に炎が立ち上る。

「よく気がつきやしたねぇ。ま、そんなもんにあっさり引っかかってくれるとは思ってなかったですがね」

 クガイはニヤニヤとイヤな笑みを浮かべて両手を広げる。その両手の動きに合わせるように遊園地の施設のライトが明滅し始めた。

 

 

 

 一方その頃英霊たちの戦いもまた始まろうとしていた。

「どうやら始まったみたいね。初めましてアーチャーさん」

 いい加減な礼をしたクガイとは違い、優雅に貴婦人の礼をとるキャスターにその育ちの良さがアーチャーにも理解できた。

「あんたに恨みとかは全くないんだが、俺が正しいと信じる筋を通すにはあんたが障害になっちまうんだ。すまないが倒させてもらうぜ」

 

「あたしの陣地に乗り込んできてそのセリフ? あなた自信家なのね。でもあたしもクガイちゃんのためにここで引くわけにはいかないの。あたしたちの邪魔しないでよね」

 アーチャーはクガイが聖杯に何を望んでいるのかを知ることはない。これだけの陣地作成をすることができるキャスターが信頼を置くほどの人物があのクガイなのかとアーチャーは不思議に思ったが、今はそれを考えている場合ではない。

 

「フッ、こんなところで相まみえたんじゃなきゃ酒の一杯でも酌み交わせたかも知れないがな。あぁ、あんたにはジュースとかの方がお似合いかもな?」

「……随分失礼な男ね。でも真っ直ぐな男、あたし嫌いじゃなくってよ」

 英霊同士の戦いもここに火ぶたが切って落とされた。

 

 

 

「せっかくの遊園地なんでさ。おたくらこんなところ来たことないんじゃないですかい? 楽しんでいってくだせぇよ」

 事実、ジン、ユェは遊園地など知識として知っているだけで実際見た事はもちろん初めてであった。ここにあるすべてのものが何をするものかわからず、今が戦いの場でなければ彼らは興味津々ではしゃぎまわっただろう。

 

 そしてクガイの言葉に反応するかのようにウサギやタヌキを模した着ぐるみ達が鉄パイプを持ってジンとユェににじり寄ってきた。

「ほら、スタッフさんも歓迎してくれるようですぜ?」

「うわぁ……。気色悪いな、おい!」

 ジンは心底イヤそうな顔をして鉄パイプを持ったウサギの着ぐるみに廻し蹴りを放つ。ウサギの着ぐるみは吹っ飛び、人が乗り込めるように大きくしたコーヒーカップに激突して動かなくなった。

 その激突の衝撃の為かコーヒーカップはアニメソングを流しながら回転を始めた。

 

「趣味が悪いとしか言いようがないわね」

 ユェは着ぐるみ軍団を無視してクガイに斬り掛かった。

「おっと! さすがにジアンユーの秘蔵っ子。お父さまの言いつけは絶対ってとこですかね?」

「うるさい! その名を出すな!」

 ユェはクガイの言葉を遮り、右の袖の中に隠し持っていた木の葉を投げつけた。

 

 ユェの魔術は地と水の二重属性である。通常の魔術師は1つしか属性を持たないことがほとんどであり、ユェの魔術適正の高さがここでも証明されていた。

 木の葉にまとわせたユェの魔力は魔術師とはいえ軽く見てよいものではない。下手な銃弾などよりはるかに破壊力が大きいのだ。しかもその木の葉はホーミングする。

 

「チッ!」

 さすがにクガイも余裕でかわすといった事はできず、トレンチコートの中から取り出したやたらと大きなナイフでその木の葉を迎撃した。

「おっと、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ?」

 木の葉を打ち落としているクガイの背後からジンが釵を振るう。

 しかしその釵がクガイの体に触れた瞬間、ジンはまるで電気に撃たれたかのように弾け飛んだ。

 

「ジン!」

「おおお! ユェ! 大丈夫だ! ちょっと痺れただけだ!」

 しかしそんな隙を見逃すようなクガイではない。まるで瞬間移動したのではないかというような速度でジンに斬り掛かるクガイ。

 ユェは咄嗟に左手に隠していた木の葉を投げつけた。

 

 木の葉に気が付いたクガイはジンの体を盾にする位置に体をずらし、さらにジンに斬り掛かる。

 

「こ、こんのやろおお!」

 ジンは釵に魔力を纏わせ風を起こす。ジンの周りにはいくつもの真空の刃が生まれて近づくものに襲い掛かった。

「やるもんですな」

 クガイは呟くと一度大きく距離を取った。

 

 3人の戦いは双方にとってなかなかに決め手に欠けるものだった。もちろんクガイは古銭による魔術をまだ使っていなかったし、ジンとユェにしても奥の手はまだいくつか隠していた。

 戦いはまだ始まったばかりである。

 

 

 

 ウリエが到着したその場所は、ドリームランド冬木というこぢんまりとした遊園地だった。バーサーカーの話では、先ほど現れた別の勢力のマスターとキャスターのマスターが現在交戦中とのこと。

 

「これはツイているわ。他のマスターの実力がどの程度のものか、じっくり観察させてもらいましょう。バーサーカー、あなたはコウモリの姿でサーヴァント同士の戦いを最後まで監視なさい。私は使い魔を使って、マスター同士の戦いを観察させてもらうわ。状況次第では、勝った方のマスターにそのまま戦闘を仕掛けることも視野に入れておきなさい。サーヴァントの真名、特にキャスターの真名を確認できるような会話があれば聞き逃さないようにね。行きなさい!」

 

 遊園地を戦場とした戦闘は、マスター対マスター、サーヴァント対サーヴァントといった形で展開した。

 

 ウリエはマスター同士の戦闘に注目する。キャスターのマスターと相対するのは見た目がそっくりで中性的な顔立ちから性別も判別がつかない年端のいかない二人組だった。

「あの双子はどちらがマスターなのかしら、まさか、ケイネスお兄様とソラウお姉様のようにマスターとサーヴァントへの魔力供給役を分担しているの? いいえ、そんなはずないわ、あれは天才だったお兄様だからこそできた秘策。現に私ですらどんな仕組みによるものなのか、解析できなかったんですもの」

 

 鍛え抜かれた身のこなしからも、かなりの戦闘訓練を積んだと思われる二人組の子どもたちだった、対するトレンチコートの男は魔術の行使はほとんどせず、その場に仕掛けられた罠に二人を陥れようと立ち回っているようだった。

 

「あの双子は連携されるとやっかいだけど、個々はそこまでずば抜けた魔術師ではないわね。相対する気味の悪い男は何なのかしら、魔術師と言うよりは魔術をかじった殺し屋? あんな輩に魔術師を名乗って欲しくないわ」

 その後も双方決め手に欠け、一進一退の攻防が続いた。

「どちらが勝っても、対応できる範疇ね。後は、バーサーカーに敵サーヴァントを抑えさせさえすれば。さぁ、精々切り札を晒しなさいな」

 

 

 

 クガイとジン、ユェの戦いは遊園地を移動しながら激しさを増していく。

 気が付くと3人は舞台の上で闘っていた。きっとそこは普段ヒーローショーなどが行われている舞台なのだろう。舞台の袖から黒づくめの下っ端戦闘員が奇声を上げユェとジンに襲い掛かる。

「な、なんだこいつら! 鬱陶しい!」

 アクロバティックな動きで二人を翻弄する戦闘員集団。一人一人の戦闘力は決して強いものではなかったが、ちょこまかと動き回る戦闘員集団はその場にジンとユェを足止めするという役目をきちんと果たすことに成功していた。

 

 ようやく二人が戦闘員を蹴散らした時、クガイはすでに舞台を降りていた。

「クガイ! 待ちなさい!」

 ユェが叫ぶ。

「いやあ、まさに悪の組織の幹部の気分ですなぁ。さあ来い! イカ魔人」

 どこか芝居がかったクガイのポーズに合わせて舞台の袖からイカを模したと思われる怪人が触手を振り回しながら現れた。

 

「全く次から次へと……。クガイ! お前遊んでるだろ!」

 ジンが思わずクガイに突っ込んだ。

「ええ、楽しく遊んでますよ。くはははは! やってしまえイカ魔人!」

 

 この時のクガイの気持ちなどジンとユェにわかるはずがない。

 

 実際クガイは楽しかった。ただ残念にも思っていた。もしここにいるのがこの二人ではなくファリンだったならどれだけ楽しいだろう。

 

 ──―絶対に次はファリンを遊園地に連れて行ってやらないといけませんなぁ。

 

 クガイの頭の中で生まれてこのかた満足に外に出たことがない愛娘が微笑みかける。

 

「おっといけねぇ。その為にもやることはやらねぇとですな」

 

 イカ魔人はそれなりに善戦した。一時などユェの体に触手をまとわりつかせるという非常に期待を裏切らない活躍を見せた。

 とは言っても所詮は魔術で作られたまがい物である。これだけのトラップを作成できるキャスターの工房の効果がいかに優れているかという事でもあるのはあるが、ジンとユェの連携の前についにイカ魔人も触手をすべて切り取られたうえでジンの飛び蹴りを喰らい爆発炎上して消え去った。

 

「クガイ! どこだ!」

 イカ魔人との戦いでクガイを見失った二人は慌てて声を上げ彼を探す。

「ここですぜ。逃げも隠れもしませんぜ」

 返事をしたクガイは一頭の馬にまたがり多くの馬を引き連れてジンとユェの周りを回り始めた。

 それに合わせて優雅なワルツが響き渡る。

 

「メリーゴーランドっていうんでさ。あんた方は知らんでしょうが遊園地の定番遊具なんですわ」

 クガイに引き連れられて走る馬の群れはよく見ると足は動いていない。上下に揺れるよう、滑るようにジンとユェの周りを回り始めた。

「お子様には大変喜ばれるんですがねぇ。気に入ってもらえましたかい?」

 

「ふざけないで! こんな薄気味悪い木馬に囲まれて気に入るわけないでしょ!」

 クガイの言葉にユェは木の葉を投げつけ応える。ユェのイライラは限界であった。

 ユェはこの遊園地という場所がどういった目的で作られたものなのかという知識はあった。しかしもちろん連れて行ってくれる人もいない彼女が遊びに行ったことなどあるはずがない。

 私たちが子供だと思ってバカにして! ユェはクガイが自分たちをここに誘い込んだのは子供だとバカにしたジョークなのだと考えたのだ。

 

 木馬には時折騎士が乗っており、その騎士たちは一斉に弓矢を彼らに射かけた。

「チッ!」

 ジンは舌打ちをすると二人の周りに風を纏わせ一斉に飛来した矢をまとめて上空に吹き飛ばした。

 

 その時優雅なワルツの調べは一段と大きくなり力強い調べと共に幾人もの着飾った貴婦人と紳士が現れた。そしてペアになった貴人たちはジンとユェの周りを踊り始めた。

 現れた人物は全員鳥や蝶をかたどった仮面をつけておりその表情をうかがうことはできない。ただ、その群舞は一糸乱れぬ見事な舞踏であった。

 

「これはいったい何の冗談だ……」

 ジンは呆れたようにあたりを見渡しクガイの姿を探す。

 クガイはすでに木馬を降り、ジンとユェを囲むように走る木馬の外側でまるでオーケストラの指揮者のように指揮棒を振っている。

 

 ジンの視線に気が付いたクガイはニヤッと笑って言った。

「いやね? これ決してあっしの趣味という訳じゃないんですがね? こういう魔術だと言われちゃ仕方ないでしょう?」

 どうやらキャスターの趣味らしい。もっともここはキャスターの工房なのだからここに仕掛けられているトラップや魔術の数々はすべてキャスターの仕掛けたものである。

 

「そろそろ頃合いですかね」

 クガイはそう言うと指揮棒を大きく振りかぶり、そして力強く振り下ろした。

 その瞬間、大きなシンバルの音を最後にワルツは鳴りやんだ。そしてその場にいた木馬や貴人たちは煙のように消え失せた。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 金星神・火炎天主(サナト・クマラ)

「囚禁(チォウ・ヂィン)!」

 

 クガイの言葉はまさにコマンドワードであった。いつの間にかその場には魔法陣が敷かれており、囚禁の言葉でその魔法陣は光を放ちその効力を発揮した。

「う、動けねぇ! てめぇ! クガイ何をしやがった!」

 

「いやぁあんたがた、すばしっこくていけねぇ。あっしの貴重な古銭無駄撃ちしたくないんでね。ここはキャスターの工房だって言ったでやしょ? そりゃこれくらいのトラップはありますわなぁ」

「ぬううおおおお! 動け動けぇええ!」

「無駄ですわ。さてあんたがたどっちがマスターなんでしょうかね? んーまあいいですか、二人とも始末すればいい事ですしねぇ」

 そう言って凶悪な笑みを浮かべるとクガイは懐から古銭を取り出す。

「じゃ、まあお嬢ちゃんから逝きましょうかね」

 

 そしてクガイはユェにとって致命の一撃を放った。

 キーンという硬質な金属の音を残し最悪の呪文を秘めたクガイの古銭がユェに迫る。

 

 ジンは吠えた。

「俺は最強だ! 届け! 半歩でいい! 前に進め!」

 誰に祈ったのかはわからない。ただひたすらに古銭とユェの間に自分の体をねじ込むことだけを考え、祈り、そして叫んだ。

「うおおおおお! 届けええええ! 今度こそ! 今度こそ俺は妹を守るって決めたんだ!!」

 

 神がその思いを聞き届けたかどうかはわからない。単純にジンの精神力がキャスターのトラップを上回ったのかもしれない。

 ジンはわずかに左手を動かすことに成功した。そしてその左手をユェと古銭の間に滑り込ませたとき、古銭はジンの左腕にめり込んだ。

 

「ほっほー。さすがですなぁ、あのキャスターのトラップの中少しでも動けるとは見上げたモンですわ。まあ、殺す順番が変わっただけですけどねぇ」

 クガイの魔術は当たりさえすれば確実に対象者の命を奪う。例え腕に当たっただけだとしてもいずれその腐蝕は全身に及ぶ。

 

 しかしここでクガイにとって予想外のことが起きた。ジンの左腕にめり込んだ古銭は金属と接触したようなカキンという音を残し、その場に落ちて砕けた。

 そしてジンの左腕は金属のフレームがむき出しとなり、その金属を覆っていた皮膚だけが崩れ落ちていた。

「しまった! こいつらサイバネ野郎だった!」

 

「ジン!」

 ユェがジンの名を呼び目配せをする。まだ体は動かない。

「「令呪を持って命ずる! アーチャー! 我らを守れ!」」

 二人の声が揃った命令に無数の矢と共に風を纏い遥か上空からアーチャーが舞い降りた。

 アーチャーと共に降り注いだ魔力を帯びた矢は二人を縛り付けていた魔法陣の一部を破壊する。

「アーチャー! 時間を稼いで!」

「了解だ! 任せておけ!」

 

 アーチャーは、弓矢での攻撃とは思えないほどの速射で、クガイに攻撃を仕掛ける。

 そもそもアーチャーの放つ矢は、女神アールマティの加護による弓矢作成スキルにより生成された魔力の矢であり、一矢放った瞬間にはもう次の矢が自動的に装填されている。

 加えて、その一つひとつの威力も馬鹿にならず一撃で致命傷となり得る代物なのだ。さすがのクガイもこの攻撃を全て躱すことは困難と思われた。

 

「うわぁお! こりゃいけねぇ!」

「セラピスの智慧よ!」

 しかしそれで簡単にクガイが倒れるくらいなら苦労はない。すかさずキャスターが間に入り目に見えない何かで矢をすべて払いのけた。

 

 キャスターが参戦したことによりアーチャーもジンとユェの盾となるべく二人の前に立った。

 

 その間ジンとユェは極大魔術の詠唱に入っていた。

 

「「我使之吹風(吹けよ風)

 我降下雨(降れよ雨)

 我稱呼暴風雨(呼べよ嵐)

 我招待雷雲(来たれ雷雲)

 閃電切撕開(斬り裂け稲妻)

 請響應(応えよ)! 霹靂神(ハタタガミ)!!」」

 

 ジンとユェの切り札、超魔術「霹靂神」

 それは二人の特性を合わせた上で発動するジンとユェの合わせ技である。

 晴天にわかに掻き曇り雷雲から雷光が爆音と共に降り注いだ。

 

 最初の一撃は狙いがそれたのか近くのテントに直撃し、炎上どころかその場にクレーターを残してテントとその内容物をもろともに爆散させた。

「うわ、マジですかいこいつは」

 この場にいたクガイのみならずキャスターとアーチャーの二人のサーヴァントもそのあまりの破壊力に唖然とする。

 

「へえ……。これほどの魔術を操るとはこの時代の魔術師もなかなかやるじゃない。でも、これは少しまずいわね。よくってよ、とっておきを見せてあげる」

 キャスターはなぜか嬉しそうに目を輝かせて天を仰いだ。

 

「海にレムリア! 空にハイアラキ! そして地にはこの私! 

 来たれ金星神・火炎天主(サナト・クマラ)!」

 

 今度唖然とするのはキャスター以外の全員である。

 

 上空に突如現れたその巨大な「物体」は眩い七色の光を放ち金属か何かわからない不思議な光沢をもっていた。そして脳に直接響くような不思議な音を伴って上空に浮遊している。

 

 何なのだこれは。

 

 その「物体」はまるでレーザー光線の様な光を放ちながら落雷を迎撃していく。

 レーザー光線と落雷が接触するたびに大爆発が巻き起こり、衝撃で飛ばされないようにクガイは低い態勢をとりその常識外の光景を見つめた。

「ひ、ひぇええええ。な、なんなんですかい。これもキャスターさんの魔術なんですかい? っていうか、こりゃあまるで……」

 

 ジンとユェにとっても必殺の超魔術を防いで浮遊する想像を絶する存在が信じられなかった。

「な、何なのよアレは……」

 あれも宝具だというの? ユェはこの聖杯戦争というものがいかに人知を超越した者たちの戦いであるかをこの瞬間に理解した。

 どう考えても人の身でどうにかできる代物には思えなかった。いかに自信過剰なジンでもこれを見ればさすがにもう少し慎重になるんじゃないかしら。

 

 その時ジンに異変が起きた。膝をつき体をガタガタと震わせ引きつった笑みを見せたのだ。空を睨んでいるようにも見えたが、その目は焦点を合わせていなかった。

「ジン! どうしたの!? ジン!」

 それを見たアーチャーは即座にジンとユェを両脇に抱えてまさに矢のようなスピードでこの場から離れていった。

 

 クガイは何となく「ここが遊園地で良かったですなぁ。違和感ないですし」と場違いな感想を持っていたが、アーチャーが二人を抱えて離脱したのを見てどうやらこの戦いも終わったのだろうと一息ついた。結局逃げられたってことですかいねぇ。

「どうやら連中逃げたみたいですねぇ」

 クガイの言葉にキャスターは

「ま、当然そうなるわよね」

 と薄い胸を反り返した。

「まさかこの序盤でマハトマに頼ることになるとは思っていなかったのだけれど……。そういえばあなた、貯金は大丈夫? いきなり無一文とか勘弁してよね」

 

 キャスターの冗談とも何とも判別し難い気遣いにクガイは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。

 しかし、子供を殺すのは……やっぱ嫌なモンですな。

 クガイはそう独りごちた。

 

 

 

 一方、少し離れた場所から使い魔を使ってマスター同士の戦いを観察していたウリエは、現れたキャスターの宝具に唖然とするとともに、心の奥から湧き出す衝動を抑えきれなくなっていた。

 

 

 

 ウリエの視点

 

 キャスターのマスターの罠に嵌った二人組が、令呪でサーヴァントを呼び寄せた。どうやらアーチャーらしい。アーチャーの攻撃を突如現れた少女が防ぐ。

「あの少女がキャスターのサーヴァントなのね。英霊となった魔術師とはどんなものなのか、お手並み拝見よ」

 二人組のアーチャーのマスターが、大規模な招雷魔術を発動。この魔術も想像を超えた大魔術だったが、それに対応するようにキャスターが信じられないような魔術を行使した。

 

「何なの、この魔力! 複数の魔術基盤を同時に使用しているというの? 彼女は英霊だからこんなことができるの? それとも、こんなことができる魔術師だからこそ英霊に名を連ねているというの? 凄い! 素晴らしいわ! 彼女は生前一体どんな魔術師だったのかしら。彼女の話を聞いてみたい。あぁ、私が彼女のマスターだったら良かったのに……」

 

 キャスターとアーチャーの戦闘が終了した後、ウリエは人語を発声できるよう声帯に改造を加えた使い魔のフェレットを放ち、それを通じてキャスターに語り掛けた。ちなみに趣味なのか、彼女の使い魔はすべて可愛い小動物である。

「魔術師の英霊さん、今の戦いお見事でした。さぞや高名な魔術師とお見受けしますが、お名前は何と言うのかしら。あら、失礼、人に名前を尋ねる時はまず自分からですわね。私はウリエ・ヌァザレ・ソフィアリ。今回の聖杯戦争に選ばれたマスターの一人ですわ」

 

「あなたが先ほど使用した魔術。種類の異なる複数の魔力を感じたのだけれど、あなたもしかして魔術回路を複数保有しているの? あぁ、色々聞きたいことが多過ぎて、もどかしいわ、敵味方という枠を超えて一度ゆっくりお話しする機会を設けることはできないのかしら」

 

 ズトン! 

 

 ウリエの使い魔のフェレットが銃に撃たれて吹っ飛んだ。

「やれやれ、ウリルだかウリコだか知りやせんが、チィチィ五月蠅い小動物ですねぇ。人様のツレに色目を使うとか、一体どんな尻軽マスターなのやら。育ちが知れますなぁ」

 クガイがにやにや笑いながら構えていた銃をしまう。

「聖杯もそうだと思いやすが、欲しいものがあるってんなら実力で手に入れればいいだけなんじゃないんですかねぇ。聖杯戦争ってそういうモノなんでしょ」

 

「きぃいぃっっ! 何なのアイツ! 私のことを尻軽ですってっ!! 何であんなガラの悪い男に私の育ちをとやかく言われなきゃならないのよ! あいつだけは許せない! 絶対に私の手で倒してやるわ。覚えてなさい!!」

 

 ウリエは早口で捲し立て、さながら漫画の様に地団駄踏んで悔しがった。

 

 この場にバーサーカーがいたなら「小娘ェェェ……」と呻いたに違いなかっただろうが、幸いなことにその姿を見ていたのはオートマトンのメラヘルだけだった。

 

 

 

 ウリエの他にもこの戦いは、三人のサーヴァントが観察していた。

 

 その内の一人はウリエにキャスターの陣地を発見したことと他陣営との戦闘に入ったことを報告したバーサーカーであった。

 バーサーカーはマスターである(彼自身は決して認めたくはなかったのだが)ウリエの命令により、コウモリに姿を変えこの戦いを監視していた。

 

 バーサーカーは自らをこの姿で召喚したウリエの事を決して認めてはいなかったが、聖杯により自身の悲願がかなうのであればと無理やり自身を納得させていた。

 しかも令呪をもって隷属を強いられたという事もあり、今は彼女のサーヴァントとして忠実にその命令を実行していた。

 

「あんな小娘に従うのは業腹この上ないがこれも仕方あるまい。この戦いで勝った方と戦うことになるのであろうから、どの程度の使い手であるかくらいは見極めてやろうぞ。もっとも闇夜で闘う以上余に敗北はないがな……」

 

 しかしバーサーカーにとって今この場で闘っている東洋人の事は全く知らない人物である。ではサーヴァントの事を知っているかといえばアーチャー、キャスターともに彼の知識にある人物ではなかった。

「ふむ……。余の既知なる英霊ではなさそうであるな……。これは困った」

 バーサーカーはウリエによりキャスターの真名を優先的に探るように命令を受けていた。確かにサーヴァントの真名を知ることは相手の得意武器やスキル、宝具について知ることができる上、作戦の立案にも極めて有利に働くのだが……

 

「サーヴァントの真名を探れ、と命じられたが7つのクラス中最も格下のキャスターの真名を重視するとは……やはりあの小娘、何を考えておるのかわからぬ」

 バーサーカーはウリエの事が未だ理解できなかった。

 

 その時戦いに大きな変化が起こった。アーチャー陣営が放った落雷の魔術を防ぐべくキャスターが宝具を使用したのだ。

 

「海にレムリア! 空にハイアラキ! そして地にはこの私! 

 来たれ金星神・火炎天主(サナト・クマラ)」

 

 キャスターの召喚した宝具にさしもバーサーカーも度肝を抜かれた。

「な、何なのだこれは……。これは神代の魔術なのか……? このような魔術、さすがの余も心当たりがない。これでは真名もわからぬか……」

 

 どうやら戦いは例の宝具の出現でアーチャー陣営が撤退したようでキャスター側の勝利といってよかった。しかし相手サーヴァントもマスターも健在であることから陣地に大きな被害を負ったキャスター陣営も勝ったとは言いがたいであろう。

 

「ふむ、これほどの魔術を展開したのであればキャスター陣営の消耗も相当なものであろう。ここは我が力を見せてやろうではないか」

 バーサーカーはそう呟きながらコウモリの姿を解き、スキルを展開しようとする。

 

「我は闇に在って闇に非ず……」

 

 ぬ? 小娘? 何をしておる? 

 しかしその行動は予想外のウリエの振る舞いで中断することとなった。

 

 ……やはりこの小娘の考えていることはわからぬ。

 

「やれやれ、この道化が余のマスターでなければ余も心から笑う事が出来たのだが……」

 バーサーカーはそう呟くと肩をすくめ、再びコウモリとなって飛び去って行った。

 

 

 

 そして、この戦いを観察していた残りの二人のサーヴァントは……

 




お読みいただきありがとうございます。

ようやく物語も動き始めました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 リセの願い

 暗闇とは本能的に人の心の負の部分を増殖させるものである。それが恐怖と狂気を生みだし、やがて様々な怪異を創造することになる。

 

 時代、そして洋の東西を問わず暗闇に潜む化け物の伝説は枚挙にいとまがない。例えばそれは妖獣「鵺」であり、怪人「口裂け女」であり、ベッドの下やクローゼットに潜む怪物だったりするわけだ。

 そして19世紀、ロンドンを震撼させた連続殺人鬼もまたそんな暗闇が生み出した幻想の産物かもしれなかった。

 

 

 

 冬木の外れにある怪しげな洋館。ここが、アインツベルンが用意した今回の拠点だ。朝方から降り始めた雨はやむ気配もなく、どこか陰鬱とした空気を洋館に漂わせていた。

 その一室で雨に濡れる窓の外の景色を見ながらリセが静かに呼びかけた。

「ジャック」

「なぁに? おかあさん」

 今までリセ以外誰も居なかった部屋の中に、一人の少女の姿が現れる。

 

「いよいよ聖杯戦争が始まったわ。一人目のサーヴァントが倒される前に、あなたにやってもらわなければならないことがあるのよ」

「何をすればいいの」

 リセはかつてより考えていた計画をジャックことアサシンに打ち明ける。

「薬の効果で眠っているツヴァイの体内から、あなたの外科手術で取り出して欲しい物があるの。正確な形状は分からないのだけれど。人体の構造上あり得ないものがツヴァイの身体の中にあるはずなの」

 あり得ないもの? 何のことだろう。疑問には思ったがアサシンはリセの言う事に間違いがないことを知っている。

「うん、わかった。やってみるね」

 

 体内から異物を取り出す。現代医学をもってしてもそれは簡単な事ではない。ましてや病院ですらなくこんな設備も整っていない部屋で行えることではないはずである。

 しかしアサシンは気負った様子もなく淡々と作業を行う。結果、手術は意外なほど短時間で終わった。魔力によるものなのか術後の傷は縫合したわけでもないのに自然に塞がった。残念ながら専門家ではないアサシンの手術によりツヴァイの胸には大きな傷痕が残ってしまったが、これは仕方がないと思うしかない。

 

 ツヴァイの体内からは黄金でできたリンゴのような物が取り出された。それが何なのかはリセだけが知っていた。これは今回の小聖杯に当たるものなのだと。

 前回の聖杯戦争において小聖杯は、アイリスフィールの体内に収められ、英霊が一人倒される度に彼女は人間としての機能を失っていった。

 アインツベルンの切り札であるイリヤスフィールも彼女の母親同様に小聖杯を体内に収めているが、彼女はマスターとして戦わなければならないため、英霊の脱落により身体機能を失うことが無いよう、彼女の小聖杯は改良が施されている。

 

 イリヤのクローンであるツヴァイも同様なら良いのだが、それを確かめる術がないのである。もし、アイリのように身体機能を失うようなことがあれば、ツヴァイの聖杯獲得は絶望的となる。アハト翁はその辺りに関してもツヴァイを用いた実験で確認するつもりなのだ。

 これを取り出すことはアハト翁の思惑に反することになるのでしょうけれど、私の、いえ、私たちの願望を叶えるためにはこれを放置しておく訳にはいかない。リセにとってはとっくにアハト翁よりツヴァイの命の方が大切な存在なのだ。

 

「いい、ジャック。私には願いがあるわ」

 リセはそう言うとアサシンに向き直りその胸の内を明かした。

「クローンとして急造されたツヴァイの身体は培養ケースから出した後は一年程しかもたないの。私たちは他のマスターを全員倒し、普通の人間の親子として生まれ変わるという願望を叶えるのよ。その暁には3人で一緒に暮らしましょうね」

 

「本当、おかあさん。みんなの願いが叶ったらわたしたちもちゃんと生まれてこれる?」

「もちろんよ。あなたもかけがえのない家族ですもの」

「わぁい、わたしたち頑張るよ」

 ……ただ、アハト翁が仰っていた、今回の聖杯戦争は正式な儀式たり得ないという言葉が気がかりだわ、でも、どのみち私たちの願いは聖杯に求めるしかないもの……今はこれ以上考えても仕方ないわ。

 

 ホムンクルスとして生み出されたリセの願い。そして

 

 生まれることができなかった子供たちの魂の集合体。その望むものは……

 

「ところで、ツヴァイの体力が回復するまでにはもう少し日にちがかかるわ、その間、あなたには調査をお願いできるかしら。他の勢力のマスターのことを徹底的に調べて欲しいの。私たちが狙うのは、サーヴァントじゃないわ。マスターよ」

「わかった」

 少女は再び姿を消した。

 

 

 

 ツヴァイの体から黄金のリンゴが摘出されてから6日後、または冬木ドリームランドで大規模な戦いが終わった朝。衛宮邸の道場。

 

 早朝から竹刀の打ち合う激しい音と共に気合の入った声が響いている。

「ありがとうございました!!」

 防具の面を外した二人は共に若い女性だった。

「いや~、総司さん強すぎるよ。私が今まで積み上げてきた練習や努力は何だったのかって、正直へこんじゃうレベル」

 

「いえ、マスターは基本がしっかりしていますから。研鑽を積めばどんどん高みを目指せると思います。私は何となく直感で動いてしまうところがあるので、あまり上手く教えることはできないとは思いますが、練習相手くらいなら幾らでも務めさせていただきます。それと人前では私の事はセイバーと呼んでください。誰が聞いているかわかりませんので」

 

「はぁーい。うーん、直感か~。それが天才剣士と後世に語り継がれている所以なのかな。真似できないなぁ」

「ところで、マスター。聖杯に託す望みは決まりましたか。私の望みにも大きく関係するところなので、できれば早く知っておきたいのですが」

「剣で天下をとる! とかじゃ駄目かなぁ」

「それは己の力で成し遂げるものでは。何かに頼んで達成しても空しいだけだと思いますよ」

「だよねー」

 

 衛宮邸の道場を後にした空は、歩いて10分ほどの位置にある自宅アパートに戻った。比較的新しい物件であり、二階建てで部屋数は四部屋。二階に上がる階段が真ん中にあるタイプの賃貸アパートで空の部屋は一階の左側である。ちなみに何故か他の三部屋は空き部屋のままだった。

 

 アパートの敷地に入ると「にゃ~ぉ」と小さな鳴き声と共に真っ黒な子猫が空の方に駈け寄って来た。冬木に引っ越してきて直ぐの頃、知り合いもおらず寂しい思いをしていた彼女が下校中に拾った捨て猫で、空はクロスケと名前を付け、他に住人が居ないのをいいことに階段の下に段ボールで簡易寝床とトイレをこしらえ、そのまま餌をあげたりして世話をしていた。衛宮邸に朝練に向かった時はまだ眠っていたが、目を覚ましてご飯の催促にきたようだ。

 

「おはようクロスケ。直ぐにご飯あげるからね」

 そう言いながら子猫の頭と喉を左右の手で同時に撫でる空。ゴロゴロと喉を鳴らして目を細める子猫は気持ちよさそうだ。

「マスター。私も猫は好きですし、あまりこんなことは言いたくないですが、賃貸アパートで動物を飼うのはルール違反では?」

 セイバーに正論を言われた空は口を尖らせて反論する。

 

「私、一度しか会ったことないんだけど、ここのアパートの大家さんはウチの遠い親戚なんだよね。冬木に着いた時、最初にご挨拶に伺ったんだけど、すごく立派なお屋敷に住んでて、初対面の私に今まで食べたことがない様な豪勢な夕ご飯をご馳走してくれたんだよ。おじいさんで見た目はちょっと怖かったけどね。だからここの家賃も格安にしてくれてるし、今は他に誰も住んでないんだから、これくらい許してくれるよ、きっと。流石に部屋の中で飼うのはマズイと思ったから、外で餌あげてるだけだし」

 

 そう言いながら部屋の中に餌を取りに行く空。空が居なくなったのを見て実体化したセイバーは、彼女と同じように左右の手で子猫の頭と喉を撫でてみた。綿毛のようなふわふわした感触が指先から伝わってくる。

「う~ん。いつの時代も猫は癒されますね」セイバーは小声でそう呟いた。

 

 慌ただしく朝食を終えた二人。

「本当に一緒に行かないと駄目なんですか」

「だってこの街には私の命を狙っている人が最低でも6人、いや、この前の教会の神父を入れたら7人はいるんだよ。天才剣士が身辺警護してくれたら、これ以上の安心はないよね」

「私は姿を消したままでも、一緒に行動することが可能なんですよ」

「まぁ、そこは、ほら、私ひとりっ子だからさ、昔からお姉ちゃんと並んで一緒に散歩したかったっていうのもあるにはあるかな」

 空は姉妹に強いあこがれのようなものを持っていた。いつ頃からなのかははっきり覚えていないのだが、ずっと昔からそうだったような気がする。

 

「だったらせめてこの衣装は何とかならないのでしょうか。着慣れない格好で正直落ち着かないのですが」

「セイバーさんが最初に着ていた服は目立ちすぎるし、ちょっと間違えば完全にコスプレだし、まさか剣道着で街中を歩く訳にもいかないでしょ。私の予備の制服だけど中々似合っていると思うよ。でも、セイバーさん、そんなにぎゅうぎゅうに胸にさらしを巻かなくてもいいんじゃない」

 

「胸が出ていると剣を振る時邪魔になるんです。私もマスターくらいの大きさなら良かったんですが……って、あれ? マスター? マスター??」

 がふぅ辛辣ゥ……(吐血)、言葉の切れ味も抜群だわ、嫌味とか、悪意とか全くないから、反論もできない……。白目で膝をつく空であった。

 

 その後、二人は無事学校に到着したが、凛とした制服姿のセイバーは学生たちの耳目を集めることとなり、途中出会ったクラスメイトや部活仲間からは誰なのかと尋ねられ、普段はそれほど目立たない空が大注目を浴びることとなってしまった。

 結局周りに人目が無い場所で霊体化するセイバー。

「やっぱり次からは姿を隠したままで、お供することにします」

「そうだね、残念だけど仕方ないよね」

「それでは、また放課後に」

 

 昨日の夜、遊園地で爆発騒ぎがあったらしいけど、十中八九聖杯戦争に関連するものじゃないのだろうか。私のマスターはどうにも危機感が足りてないから、夜一人にするのは危険だと判断したが、私も確認に出向くべきだったのだろうか。それどころか、逆にここ数日妙な視線を感じるのだけど、誰かに見張られているのか? セイバーは最近感じる視線がサーヴァントの偵察行為ではないかと考えていた。

 

 

 

 放課後剣道部の部活を終え帰路につく空とセイバー。

「ごめん、道具の片付けとかしてたら遅くなっちゃった」

「何も問題はありません。さぁ、帰りましょうか」

 少し薄暗くなってきた頃、公園の横を通りかかったところで、セイバーは妙な気配を感じた。

(これは……、僅かだがサーヴァントらしい気配を感じる。しかし、何だ。位置や距離感は全く掴めないな)

 

 一方、桐生空は、何か独り言を言いながら公園のブランコを揺らす少女と、誰も座っていないのに少し揺れているブランコという不思議な光景に目を奪われた。

「マスター。近くではないと思いますが、微かにサーヴァントの気配がします。注意してくださいって、あれ?」

 セイバーの警告が聞こえているのか聞こえてないのか、空は無防備に公園の中に入って行き、中にいた銀髪の少女と話を始めた。

「やれやれ、でも、サーヴァントの気配は無くなったみたいだ」

 

「こんな時間に独りでどうしたの? お母さんは? もしかしてはぐれちゃった?」

「ママがここで待ってなさいって。それに独りじゃないよ」

(どう見ても独りなんだけど……、それに誰かと話していたっぽいし、もしかしてそっち系の危ない子なのかしら)

 

「そう、何かお喋りしていたみたいだけど誰かいたのかな」

「うん、妹とお話ししてたの。お姉さんはだあれ」

(私には見えないけど妹とお話し? なんだろ……ぞわぞわする……、これちょっと私の苦手な心霊関係の子かも)

 

「あ、うん。私は桐生空。未来の大剣豪よ、って意味わからないよね」

「ううん、分かるよ。お姉さんとっても強いんだね」

「いや~照れるな~って、初対面の女の子に気を遣わせてしまった……」

「あたしはツヴァイ。あたし生まれてそんなに経ってないから、まだお友達が居ないの。空お姉さん。よかったら、あたしとお友達になってくれませんか?」

(ん? 生まれてそんなに経ってないってどういう意味??)

 

「うん、いいよ。もちろん。よろこんで。ところで、本当に迷子じゃないの?」

「あたしとお友達になってくれるの。やったあ、凄く嬉しい。初めての友達……うふふ」

 少女は本当に嬉しそうに微笑んだ。

「空お姉さん、心配してくれてありがとう。でも、もうすぐママが帰ってくるから大丈夫」

「そう、じゃあ、今日は遅いし、私もう行くね。この公園にはよく来るのかな。私も時々ランニングの途中にこの公園に寄るから、今度また会ったらゆっくりお話ししましょうね」

「ホント、楽しみにしてるね。ばいばい」

 公園の出口まで戻った空の心に怖い考えが浮かんできた。

(これ振り返ったら誰も居ないとかいうパターンじゃないよね)

 

 恐る恐る振り返る空。そこには微笑みながら未だ小さく手を振るツヴァイの姿があった。

 手を振り返しながら、

「はぁ~、私何やってんだろ……。でも何か不思議な子だったな」

 

 

 

 アサシンの視点

 

 日が傾きかけた頃にリセ、ツヴァイは冬木市民会館跡地を目指していた。姿は見えないがアサシンももちろん同行している。

 五年前の冬木大災害で、冬木市民会館を中心としたこの一帯は一面の焼け野原となった。今は概ね復興しているが、災害の中心だった市民会館跡地は未だに立ち入り禁止区域となっており、復興の手が追い付いていない状態であった。

 

「いい、ツヴァイ。私はこれからやらなくてはいけないことがあるから、少しの間居なくなるけど、ジャックと一緒にそこの公園で待っていてくれる?」

(前回の聖杯戦争で、聖杯が召喚されたこの場所に黄金の果実を納めておきましょう。未だに一般人が近寄れない状態なのは助かるわ。これで聖杯戦争の間、小聖杯のことは気にせずに思いきり戦える)

「遅くなるの?」

「すぐに戻るから、どこにも行かずに待っていてね。ジャック、ツヴァイを頼むわね」

「「うん、ママ/おかあさん」」

 

 薄暗くなりつつある公園のブランコを揺らしながら、ツヴァイは隣のブランコに腰掛けているのであろう妹のような存在の少女に問いかけた。

「ねぇ、ジャック。ジャックには何か聖杯で叶えたい望みがあるの?」

「わたしたちは生まれることができなかったから、おかあさんの中に帰りたい……、おかあさんは今度こそわたしたちを生んでくれるって約束してくれたよ……」

 

 ツヴァイの隣の誰も乗っていないブランコが小さく前後に揺れた。

「それって、ジャックは居なくなって赤ちゃんとしてもう一度生まれ変わるってことなの?」

「うん」

「そうかぁ、でも、あたしはジャックの事を覚えてるけど、生まれ変わったジャックはあたしの事覚えていてくれるのかな」

 

「忘れないよっ! おかあさんのことも、ツヴァイのこともっ! 

 わたしたち今までにも何回か呼ばれたことがあると思うんだけど、いつもいつも途中で訳がわからなくなっちゃって、最後にはぐちゃぐちゃな気持ちだけしか残らないの……

 こんなに普通に過ごせているのは今回が初めてなんだ。それにこれから先ももう二度とないかもしれない。

 おかあさんとわたしたちの願いが叶って三人でずっと一緒に暮らせるのなら、わたしたちにできることは何でもするよ。それにどんな結果になっても、おかあさんとツヴァイのことはぜったいに忘れないよっ!」

 

「ジャックはママのこと、大好きなんだね。あたしもママのことが大好き。一緒に戦ってくれる人がジャックで本当によかった」

「おかあさんだけじゃないよ、ツヴァイのことも大好きだよ」

「ありがとう……」

 

 その時、公園の入り口の方から女子高生が一人、こちらに近づいて来る。その女子高生は一人でブランコに揺られている明らかに外国人の少女を不審に思ったのか、穏やかな笑みを浮かべながらツヴァイに話しかけてきた。

 

(あれは! セイバーのマスターだ。セイバーも近くにいるみたい。しまった、気付くのが遅れちゃった)

 気配遮断スキルによって気配を完全に絶つアサシン。

 アサシンは7騎のサーヴァントの中では最も諜報活動や隠密行動に長けたクラスであり、すでに桐生空がセイバーのマスターであるという事を含め、ランサー、アーチャー、キャスターについてはマスターが誰か調査し把握していた。

 また、当然昨晩の遊園地の戦闘を監視していたサーヴァントの一人でもあり、その場に居合わせた者たちの戦闘後の行動により、不明だったバーサーカーのマスター名とライダーの拠点らしき場所を新たに突き止めていた。

(どうしよう、今ここで殺っちゃおうか。でも、条件が整ってないし、おかあさんも居ない。絶対に失敗はできないから、今はやめておいた方がいいかな)

 アサシンはすぐ近くで息を潜めて様子を伺っていたが、セイバーのマスターはツヴァイと暫く世間話をすると、特に何もせず去って行った。

 

 そして、十数分後リセが戻って来た。

「お待たせ。さあ、帰りましょうか」

「ママ、ツヴァイ初めてのお友達ができたんだよ」

「どういうこと?」

「空お姉ちゃんって言うの。今度またこの公園でお話ししましょって約束したんだ」

 ツヴァイは一所懸命に初めてできた友達を自慢するようにリセに説明した。

 

(おかあさん、そいつセイバーのマスターだよ。さっきたまたまここで出会ったの。近くにセイバーが居たようだけど、わたしたちには気付いてなかったみたいだし、条件が悪かったから攻撃はしなかったよ)

 アサシンはリセにだけ聞こえるように念話で話しかけた。

「そう、良かったわね」

 そしてツヴァイに聞こえないようにリセはアサシンにそっと伝えた。

「いい判断よ、屋敷に着いたら私の部屋に来て」

 帰り道、ツヴァイは初めて友達ができたことについての感想や、次、何時あの公園に行っても良いかといったことを終始嬉しそうに話していた。

 

 帰宅後、屋敷の一室。

「ジャック。今夜あなたの宝具を使ってセイバーのマスターを殺して。この戦いにツヴァイを連れていくことはできないわ。可哀想だけど、ツヴァイがセイバーのマスターに会うことはもうないの。あなたには手間をかけさせるけど、セイバーのマスターが殺されたことがニュースにならないよう、死体は誰の目にも触れない形で処分して頂戴。セイバーのマスターには行方不明になってもらいましょう」

 

 初めてできた友達を嬉しそうに話すツヴァイの姿を思い出し、リセは胸が苦しくなったが敵マスターである以上排除しなければならない。

 せめてツヴァイの知らないところで終わらせてしまいたい。願わくはその後もツヴァイの知るところとならないようにとリセは祈るしかなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 霧夜の殺人者

「すっかり遅くなっちゃったね」

「そうですね。出来るなら夜に街中に出ることは控えていただきたいです」

「そうは言っても理由もなく泊めてもらうわけにいかないし……」

「理由なら私には山ほどあるのですけれどね」

 セイバーはいまだに危機感の乏しいこのマスターのことを思うと不安でしかたなかった。

 不思議な少女と別れた後、たまたま出会った大河に誘われて藤村邸を訪れた空は、そこで雷画の茶飲み話に付き合わされ、流れで夕ご飯をご馳走になった。泊まっていきなさいと何度も誘われたが丁重にお断りして今に至っているという状況である。

 

「そういえば昨日の夜、遊園地で爆発騒ぎがあったらしいわね……」

 今日学校ではその話題で持ちきりだった。噂によれば誰もいないはずの深夜に遊園地の遊具が勝手に動き出したかと思うと激しく暴れ出し、最後には爆発してしまったという。

 噂が噂を呼び、なかにはUFOを目撃しただとかいうトンデモなものまで含まれていた。

 

「さすがにUFOはないんじゃないかなあ」

 空は冬木大災害の直前にもガス爆発やら大事故やらが多発していたという話も今日聞いていた。

「おそらくですが、サーヴァント同士の戦いがあったのではないかと思います。英霊によってはそれくらいのことはやってのけるかもしれません」

「ええー? 爆発だよ? 今も立ち入り禁止になってるみたいだけど、相当な規模の爆発が何回もあったっていう話だよ? うーん、でも確かに、普通遊園地にそんなに爆発するものないよね」

 空は知らなかった。遊園地どころか街一つ当たり前のように吹き飛ばしてしまえるような英霊が確かに存在していることを。

 

「あ、そういえば公園で出会った女の子! かわいかったよね」

 空はそれ以上遊園地の事件については話したくないのか話題を変えるように今日であった外国人の少女について話し始めた。

「ツヴァイちゃんっていうんだって。ドイツから来たらしいんだけどびっくりするほど日本語が上手だったのよね。迷子かなって思ったんだけど、お母さんと待ち合わせしてるって言ってたよ」

 その少女はプラチナブロンドの髪をしたどこか儚げなまさに妖精のような少女だった。

 

「日本語が上手でしたか……」

 セイバーはその部分に引っかかりを覚えた。

「どうしたの?」

「いえ、サーヴァントは聖杯の力で聖杯戦争が行われる地域の言語を知識として得ることができます。その少女がいずれかの陣営のサーヴァントかも知れないと」

 

 セイバーのその想像に空は眼を見開いて反論した。

「そ、それはないんじゃないかな。いくら何でもあんな小さな子供が考えられないよ。それにもし敵なんだったら襲って来るはずでしょ? 楽しくおしゃべりしただけなんだから!」

 空はそう言ってセイバーの考え過ぎだと捲し立てた。しかし口には出さなかったが、ツヴァイの座っていた隣のブランコが風もないのに揺れていたのを思い出していた。

 そういった心霊番組を間違って観ちゃったことあるのよね……わ、忘れよう……

 

 

 

 かつて見た心霊番組の事を忘れようとすればするほどその情景がより鮮明に思い出される。今が夜であるという事もあり、空は一刻も早く家に帰りたかった。

「なんか暗いと思ったら霧が出てきたみたいね。ここの街灯、切れかけてるみたいでチカチカして目が痛いしさっさと帰りましょう」

 空はそう言って少し速足でその街灯を通り過ぎようとした。

「ええ、それが良いと思います。……むっ、マスター、この霧には魔力が含まれています。もしかすると敵サーヴァントの攻撃かも知れません。気を付けてください」

 

 その時、空にすすり泣くような女の子の声が聞こえてきた。いったいどこから? あたりを見渡した空は街灯の下に蹲って震えている女の子に気が付く。

 ひえ! って生きてる人よね? よ、良かった……。ほんと幽霊とか勘弁してほしいよね。でもこんな時間にどうしたのかしら。迷子なのかな? 今日は小さな女の子に縁がある日だわね。

 かわいそうに女の子は両手で顔を覆いその隙間から涙を流してる。すすり泣くその声は空の庇護欲を刺激してやまなかった。

 

「いったいどうしたの? 迷子になっちゃったの?」

「ちょっ、待っ……!」

 明らかにおかしいと気が付いたセイバーが止める間もなく空は女の子に話しかけていた。

 女の子は顔を上げ空に話しかけた。

「あのね、あのね。……死んで?」

 その瞬間少女は腰に吊るしてあったナイフを引き抜き空に斬り掛かった。

 

 驚く空。まさかこんな少女がナイフを持っているとか、ましてや襲い掛かってくるなどとは想像もしていなかった。

 思わず目を瞑ってしまった空を救ったのはセイバーである。

「く、間に合ったか!」

 セイバーはスキルを駆使し、少女の凶刃から空を守ることに成功した。

「おねえさんはわたしたちの邪魔をするの? じゃあ、一緒に死んでね?」

 

「総、セイバーさん? いったい何が起こったの?」

「マスター! この少女は敵です。おそらくアサシン!」

 驚きで目を見開き硬直する空。こんな少女が? 聖杯戦争っていったいなんなの? 

「だ、だって! こんな小さな女の子が!」

 あたりの霧はますます濃くなっており、息苦しさすら感じるほどであった。

「見た目に騙されてはいけません。サーヴァントとはそういうものです!」

 

 小さな体躯から繰り出されるナイフの太刀筋は変幻自在にして確実に急所を狙ってくる。ここにいるのが剣の達人として名高いセイバーでなければあっという間に首を落とされていただろう。

 セイバーはアサシンと剣戟を繰り返しながら空を背に庇うような位置をとろうと移動する。

「おねえさんはセイバーなんでしょ? やっぱりまともに斬り合うと強いなあ」

 

 アサシンは太腿に隠していたナイフを引き抜きざまに投擲する。セイバーにとってはそのようなナイフを叩き落とすことは容易い事であったが、その隙にアサシンに距離をとられてしまった。

 斬り合いを旨とするセイバーにとって遠距離からの攻撃には分が悪い。

 

「わたしたちはそういうのあまり得意じゃないからね」

 そういうとアサシンはフッと大きく距離を取り、そのまま霧の中に紛れて姿が見えなくなってしまった。

「マスター! 気を付けて! 逃げ去ったわけじゃない!」

 

 ―心眼……

 セイバーのスキルである。この視界の効かない濃い霧の中でも心眼をもってすれば視界は確保することができる。

 そして何よりセイバーには一つの考えがあった。

 この霧の結界の中に必ずアサシンのマスターがいる―

 アサシンを倒すことが困難な状態であるならマスターを何とかすればよい。アサシンのマスターは自分がこの霧を見通せるとは思っていないはず。

 

 ―どこだ……

 居合の姿勢のまま虚空を睨むセイバー。

 

 しかしその時セイバーの耳にアサシンの声が聞こえた。

 

「此よりは地獄。わたしたちは炎、雨、力──殺戮を此処に」

 

 瞬間、アサシンが空の目の前に「現れた」

 アサシンの狙いはずっとマスターである空だったのだ。

 まるでずっとそこにいたかのように、当たり前のように空の目の前に存在していた。

「ひっ!」

 あまりのことに硬直する空。

 

「解体しちゃうよ? マリア・ザ・リッパー!」

 まさに天使のような無邪気な笑顔で恐ろしいことを言い放つアサシン。

 しかもその効果はまさに狂気の殺人鬼にふさわしいものである。

 

 マリア・ザ・リッパー。それはアサシンの宝具である。

「時間帯が夜」「対象が女性」「霧が出ている」その三つの条件を満たすとき対象を問答無用で「解体された死体」にするという凶悪な性能を持つ。

 かつてロンドンを恐怖の底に沈めたその凶刃が空に襲い掛かる。

 

「縮地!」

 セイバーが縮地のスキルを使用して空とアサシンの間に割り込む。攻撃を防ぎマスターを庇おうとするが、セイバーは何とも言えない嫌な胸騒ぎを拭えないでいた。

「これは……いけないっ! 礼装開放っ!」

 かつて新選組一番隊隊長を務めた彼女にとって、本気を発揮する意思の表れでもある正装、袖口をだんだらに白く染め抜いた浅葱色の宝具「誓いの羽織」を纏うセイバーこと沖田総司。

 礼装開放と同時に、ほぼ瞬間移動と言っても過言ではない、縮地と呼ばれる移動法で一気に間合いを詰め、アサシンとマスターの間に割って入る。

 

 羽織を纏ったセイバーにアサシンの凶刃が四方八方から襲い掛かる。もはやセイバーにそれをかわすことはできない。ならば! 

「そこっ!」

 流れるような連続の体捌きで、秘剣「無明三段突き」をアサシンに向け放つ。無明三段突き、それはかつてこの世に並ぶもの無しとまで称えられた剣豪が編み出した必殺の剣。

 放たれた三つの突きが“同じ位置”に“同時に存在”しており、この『壱の突きを防いでも同じ位置を弐の突き、参の突きが貫いている』という矛盾によって、剣先は局所的に事象崩壊現象を引き起こす事実上防御不可能な攻撃である。

「なにっ!!」

 セイバーにとっても必殺の攻撃であったのだが、アサシンは紙一重でその攻撃を躱した。

 

「うっ、ぐっ! ぐぼっ」

 直後に内臓をかき回されたような衝撃が走り、口から鮮血が飛び散った。

(これがアサシンの攻撃……防ぎきれなかった……これは物理攻撃じゃない、呪いの類なのか? ……礼装を纏っていなければ即死していた……でも……駄目だ、力が入らない……目がかすむ……アサシンは? ……多少のダメージは与えたよう……だけど……)

 

「ジャック。もういいわ、下がりなさい!」

「大丈夫、おかあさん、わたしたちはまだ戦えるよ。セイバーはもう動けないから、あのマスター殺しちゃうね。すぐに終わらせるから」

 

(今の声は……アサシンのマスターか? ……アサシンは私のマスターを襲うつもりだ……私はまた最後まで戦えずに終わるのか……頼む……あと少しでいいから、動け、動けっ、アサシンのマスターを……斬るっ! そこだっ!!)

 

 とすっ! 

 

 次の瞬間、縮地でアサシンのマスターの前まで移動したセイバーの突き出した刀が、敵マスターの胸を貫く。そこで、彼女は意識を失った。

 

 

 

 どれくらい経ったのだろう、セイバーは誰かにゆり起こされて目が覚めた。すごく気持ちが悪い。

 

「セイバーさん。セイバーさんっ!」

 うっすらと開けたセイバーの目にほっとした表情の空の顔が映る。

「あぁ、マスター、ご無事でしたか。敵の撃退には成功したのですね。って、あれ? 敵? 何に襲われたのでしたっけ?」

「私も思い出せないの。すごく怖かったのと聖母とか解体とか変なワードばかり記憶にあるのだけど……」

「そうですか、多分私の攻撃は間に合ったのですね。マスターが無事でよかった」

 

「あの……セイバーさん、あなた、その……相手を……殺したの?」

「はい。死亡の確認まではできませんでしたが、急所を突きましたので、その可能性は高いと思います。敵に指示を出していましたので、多分敵のマスターでしょう。どんな攻撃を受けたのかは覚えていませんが、敵から凄まじいダメージを受けました。もう、サーヴァントと戦うだけの力は残っていませんでしたので、一か八か敵マスターを狙いました。でも、上手くいって本当に良かった」

 

「ねぇ、それって、殺人だよ。どうしてそんなこと普通に話せるの」

「えっ!?」

「私、普通の高校生だよ。目の前で人が殺されるところを見せられて、どうしたらいいのか分からないよ。何であなたは平気なの」

 このときセイバー沖田総司はようやく空との認識の違いが単に彼女自身の平和ボケのせいだけではないと理解できた。

 時代が違うのだ。命の重さが違うのだ。

 

「マスター、私が生きた時代はこれが当たり前だったんです。今の時代にどの様に語り継がれているのかは存じませんが、甘い考えの人間は死ぬ。そして、人間死ねば終わり、敵に情けを掛ければ今度は自分が死の危険に晒される。正々堂々なんて馬鹿のすること。これが私の死生観です」

 セイバーはどこか遠くを見るような懐かしいものを見るような目をして話を続ける。

 

「当時の私にはかけがえのない仲間が居ました。でも、私は病の床に伏し、最後の最後に仲間と共に戦えなかった。私は、仲間の最期も看取れず、畳の上で病に敗れて死にました。本当に自分が不甲斐ない……」

 唇を噛み締めるセイバーの口元から、いつもの吐血とは違う血がぽとりと地面に落ちた。

 

「私はとても英雄などとは呼べない存在ですが、どんな手を使ってでも今度は最後まで誰かのために戦いたい。この強い願望が、私をこの聖杯戦争という舞台に呼び出したのでしょう。今の私にとっての主人(マスター)はあなたなのです。もし、私の存在があなたを苦しめると言うなら、今すぐにでも教会に行き、令呪を放棄すべきなのでしょうが、あの監督役は駄目です。恐らくマスターを殺して私を使役しようとするでしょう。それならば、いっそ令呪を使って私を自害させてください。私はそれを裏切りだとは思いませんから」

 

 動乱の時代の戦いの中を駆け抜けた剣士としての彼女の一面と覚悟を空は思い知らされた気がした。

 

 私、どうしてマスターになってしまったのかな? 聖杯戦争のマスターとして戦いに身を投じることも、全てを放棄してセイバーさんを切り捨てることもできない。私の覚悟って……

 

 私は一体どうすればいいの? 

 聖杯戦争、

 魔術師同士の戦い、殺し合い、

 殺し合い、……人を殺す? …………人を殺したの? 

 殺す、殺す、殺す。

 殺した、殺した、殺した。

 人が死んだ。死んだ。死んだ。

 コ・ロ・シ・タ。

 ……………………

「そう。殺すの。でなければ生き残れない!!」

 空の心に突然響く叫び。

 空の中で何かが弾けた! 

 …………………………ドサッ

 突然倒れる空。

 

「え?」

 驚くセイバー。

「マスター、どうされたのですか。マスター!」

 なんとか体を起こし空の様子を見る。

「駄目だ。意識が無い。それにすごい熱だ」

 このままではいつ敵に再び襲われるかもしれない。

 セイバーは自身の負傷も顧みず、空を抱えその場を去っていった。

 

 

 

 セイバーと空が立ち去った後、しばらくして──―

 

 街灯によってできた影から何かが立ち昇るようにして現れた。

「ようやく目覚めたか。どうやらこの茶番も退屈せずに済みそうよな」

 現れたのは老人のように見えるが……

「傍観するのもここまでよ。さて、楽しくなりそうだのう」

 そう漏らすと、その何かは霧散するように夜の闇に溶け込んでいった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話 ツヴァイの願い

 殺った! アサシンは確信する。「マリア・ザ・リッパー」はまず解体された死体という「殺人」が発生し、その次に標的の「死亡」が起こり、最後に大きく遅れて解体に至るまでの「理屈」がやってくる。

 

 使えば相手を確実に絶命させるため「一撃必殺」。

 標的がどれだけ逃げようとも霧の中にいれば確実に命中するため「回避不能」。

 守りを固め耐えようとしても物理攻撃ではなく極大級の呪いであるため「防御不能」。

 

 発動した以上いかに魔術師といえど普通の人間である限り絶対に死は免れない。

 

 そう、普通の人間であれば。

 その時ジャックの目の前に飛び込んできたのは浅葱色の羽織を纏ったセイバーだった。通常なら間に合うはずがないタイミングでセイバーはスキルを使用しマスターである空の前に飛び出した。

「だったら、おまえから死んじゃえ!」

 アサシンは邪魔に入ったセイバーに吠える。いかなサーヴァントといえど女性である以上「マリア・ザ・リッパー」の前には死しかないのだ。

 

「そこ!」

 セイバーは割り込んだ体制のまま必殺の剣を放つ。

「無明三段突き」

 放たれた必殺の突きはそれでも無理な態勢から放たれたものだったためだろうかわずかに狙いが甘かった。

 

 無明三段突きを放った直後「マリア・ザ・リッパー」がセイバーに炸裂する。

「うっ、ぐっ! あぁっげぼっ!」

 絶叫を上げセイバーは血の海に沈む。

 あれ?! 宝具で防いだ?! あいつまだ死んでない! 

 一方セイバーの反撃を、身体を捻って紙一重で躱したアサシン。しかし……

「あうっ」

 左の二の腕を僅かに刀が掠っただけなのに、腕の肉が切り裂かれ激痛が走った。左腕は肩の少し下のところでぱっくりと割け力が全く入らない状態となり、今やだらりと垂れ下がっている。これでは左腕は使い物にならないだろう。

「ちゃんとかわしたはずなのに、こんな……でもっ!」

 マリア・ザ・リッパーをまともに喰らったセイバーは口から大量に血を吐き、刀を杖代わりに片膝をついている。これならセイバーに戦う力は残っていない。マスターを確殺できる! 

 

「ジャック。もういいわ、下がりなさい!」

 後方で戦闘を見守っていたリセから、ダメージを負ったアサシンに向けて、撤退の指示が出された。

「大丈夫、おかあさん、わたしたちはまだ戦えるよ。セイバーはもう動けないから、あのマスター殺しちゃうね。すぐに終わらせるから」

「ダメです、引きなさい! あのセイバーの目はまだ死んでいません!」

 

 しかし、次の瞬間信じられないことが起こった。

「う、ぐっ?」

 蹲っていたセイバーの姿が消え、後方からリセの血を吐くような声が聞こえた。

「えっ?! おかあさんっ?!」

 アサシンの後方でリセの胸をセイバーが突き出した刀が貫いている。

 どうして! あのセイバーはもう闘う力なんて残っていなかったはず! 

 

「うわああああああああああぁぁぁっ!」

 小さな体からは想像もできないほどの力でセイバーを体当たりで弾き飛ばし、右腕でリセを支えるアサシン。

「嘘だ、こんなっ! おかあさんしっかりしてっ!」

 リセの肩を掴み必死に呼びかけるアサシン。しかしリセの傷は深い。スキルがあるアサシンだからこそわかる。わかってしまう。致命傷だ。

「よくも! よくもおかあさんを! 許さない! ぜったいに許さないから!」

 リセに肩を貸し、泣きながら霧の中に消えていくアサシン。

 

 やがてあれほど濃密に立ち込めていた霧は徐々に晴れていった。

 

 

 

「おかあさん、おうちに着いたらすぐにわたしたちが治すから、しっかりして」

 泣きながらもリセを励ましつつジャックは拠点である洋館に急ぐ。

「ジ、ジャック……、ごめんなさい、ね」

「どうしておかあさんが謝るの、うっ、うぅっ、おかあさんごめんなさい、あの時おかあさんの言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったのに……」

 ジャックには後悔しかなかった。なぜあの時リセの言う事を素直に聞かなかったのだろう。いやだ、いやだ! あの優しいおかあさんがいなくなってしまうなんて嫌だ。

 

「あなたとの約束は、果たせそうにないわ、私はもう……だ、駄目みたい……、ジャック、ツヴァイのこと……お願いね。聖杯を使って……あ……あの子を……ふ……普通の……」

 リセの呼吸が徐々に弱まっていき、身体から力が抜けていく。

「嘘だ、こんなの嫌だよ、おかぁさん……うぅぅ……」

 

 リセの亡骸に覆いかぶさってアサシンは涙が枯れるまで泣いた。いつまでもいつまでも。

 

 

 

 屋敷の一室。アサシンからの知らせを受け、魔術を使いリセの亡骸を回収したツヴァイとアサシンがリセを寝かせたベッドの傍らに佇んでいた。

 いまだにジャックは目を赤くはらしており、ぐすぐすと鼻をすすっていた。

 

 事の顛末をアサシンから聞かされたツヴァイは、虚ろな表情だったが意外にもアサシンの様に取り乱すことは無かった。

 

「ねぇ、ジャック。ママはあたしに色んな絵本を読んで聞かせてくれたんだけど、絵本に出てくる動物やお魚にだって家族やお友達がいるのよ。そしてみんなとっても仲良しなの。あたし本当は戦うのは嫌だったんだけど、この聖杯戦争のおかげでママやジャックと家族になれてとっても嬉しかったのよ」

 

「あたしね、聖杯に託す望みなんかないの。だって家族が欲しいって望みはもう叶っちゃったから。それに、聖杯を手に入れる為には他のマスターを殺さなきゃいけないんでしょ。だけど、他のマスターにもきっと家族やお友達がいるよね」

 

「でも、ママはどうしても聖杯を手に入れて叶えたい望みがあったみたい。あたしね、ママが笑った顔を見たことがないの。あたしを見る時のママはいつも悲しそうな顔か困ったような顔をしているのよ。だから、聖杯を手に入れてママの願いが叶ったら笑ってくれたのかなって。だったらあたしも、もう少し頑張らないといけなかったんだね」

 

「でもね、あたし家族だけじゃなくてお友達も欲しかったんだ。ちょっと欲張り過ぎちゃったのかな。だって、ママを殺したのは、空お姉ちゃんのサーヴァントなんだよね。

 ねぇ、ジャック。聖杯ってどんな望みも叶えてくれるんだよね。だったらママを生き返らせてもらおうよ。あたし、もう友達なんか要らない。ママとジャックが居てくれればそれでいい。一番大切なものを取り戻すために命を懸けて戦うよ。ジャックも手伝ってくれるよね」

 

 ジャックは泣きはらした赤い眼で見上げる。ツヴァイの顔はとても綺麗だった。しかしそこに悲しみを隠していることはジャックでなくても見て取れただろう。

 でも、それじゃツヴァイはどうなっちゃうの……? おかあさんの最期の願いは?

 ツヴァイは自分の命の事を知らないのだろうか。ジャックにはわからない。

 

 ツヴァイは後1年しか生きられない。リセの言葉がジャックの頭に反響する。

 じゃ、じゃあもし聖杯戦争に勝っても一年後にはツヴァイは死んでしまうの? 

 

 ジャック・ザ・リッパ―は一瞬そう考えたが、ツヴァイの思いつめた顔を見ると何も言えなくなり、黙って頷いた。

 ツヴァイはリセの亡骸を魔力で作った氷の棺に納め、屋敷を後にした。

「ママ、すぐ戻るから、少しだけそこで待っててね」

 

 

 

 アインツベルン製のホムンクルス「リセ」はホムンクルスとしては特殊な存在であったかもしれない。姉ともいえる同じアインツベルン製のホムンクルス、アイリスフィールも人を愛しそれゆえに死ななければならなかったという点では姉妹揃って特殊個体だったのだろう。

 

 リセは真にツヴァイの身を案じ、聖杯にその望みを託そうとしていた。

 彼女が本当に欲しかったもの、それは奇しくもツヴァイと同じ「家族」だったのかもしれない。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話 サンタマリア・ドロップアンカー

 冬木ドリームランドの戦いは多くの関係者の耳目をひきつけていた。

 今回の聖杯戦争で初めての大規模戦闘であり、まだマスターや呼び出されたサーヴァントの実力が未知数であるため、偵察を行っていたものが何人かいたのである。

 

 戦いはキャスターの工房と化した遊園地が舞台であり、様々な仕掛けが施されていた。実際数多くのトラップを掻い潜りマスターであるクガイに大魔術を仕掛け、最終的にはキャスターの宝具まで使用させたジンとユェは十分に健闘したといえるだろう。

 

 しかし、傍観していたものの度肝を抜いたのはまさにキャスターが解放した宝具であった。サーヴァントは過去の英雄であり、英霊によっては神話の時代に生きた者もいる。そういった英霊程人知を超越した力に対し耐性があるものなのだ。

 

 しかし近世に近い英霊程超常現象にしか思えない存在に対しての理解は低い。例えば沖田総司の「無明三段突き」は1の突きが貫いた場所を2の突き、3の突きが既に貫いているという事象崩壊を起こすことで実質防御不可能な技となっているし、ジャック・ザ・リッパーの「マリア・ザ・リッパー」は対象の死亡の前に解体された死体が出来上がっているという回避不能の強力な呪いであるが、共にあくまで個人を対象とした戦闘技術である。

 

 ところがキャスターの見せた宝具はそのような対人の戦闘技術ではとても説明のできない明らかな超常現象だと言えた。むしろ現代人の方が正しくその正体に近づくことができたであろう。

 

「UFOを見た」

 そんな市井の噂話が事の本質を一番正確に表しているなどと誰が想像しただろう。

 

 覗き見をしていた英霊やマスターはあの「サナト・クマラ」の常識外れな存在感に驚嘆し、狼狽せずにはいられなかった。

 もっとも中にはその特殊な魔術体系に大いに魅せられた、まさに「魔術バカ」ともいうべきマスターもいたのだが。

 

 

 

 そんな戦いを覗いていたサーヴァントの一人がライダーである。

 元々は魔術協会から派遣されたゲゲイーという男のサーヴァントとして召喚されたのだが、ゲゲイーはすでに言峰綺礼の言うところの「不幸な事故」でこの世を去っている。

 

 言峰綺礼は聖堂教会により指定された今回の聖杯戦争の監督役である。監督役の役割はサーヴァントを失ったマスターの保護や令呪の管理であるはずなのだが、この言峰綺礼という男は本来のマスターであるゲゲイーを亡き者とし、その令呪とサーヴァントを奪い取ってしまったのだ。

 

 もちろん絶対に許されることではないし、聖杯戦争というルールを根本からひっくり返す暴挙である。

 この男が何を考え何を求めているのか、それを知る者は誰もいない。もちろん新しいマスターとして仕えることになったライダーにとっても油断のならない危険な男として認識されていた。

 

「やれやれ、聖杯戦争ってのはルールのある戦争だって聞いてたんだがな。うちのマスターもたいがいヤバい男だが、あの宝具も反則だろ」

 

「もっとも、そんなもんは頭使えばなんとでもできるってもんだ。ヤバい相手とは直接闘わなければいいって話だぜ」

 ライダーは最初のターゲットを今回の戦いで疲弊したと思われるアーチャー陣営に定めた。

 それに合わせて言峰綺礼より聖堂教会出身のマスターを始末するように言われていたこともあり、どのように「うまく戦う」かを考えていた。

 

「戦いってモンは直接やり合うだけが方法じゃないんだぜ。俺様みたいに腕っぷしだけじゃなく頭も切れる奴もいるってことを教えてやるぜ」

 ライダーはニヤリと嗤うと立派な顎髭をしごいて夜の街に消えていった。

 

 

 

 クガイとジン、ユェが戦った次の日の夜、舞台となった冬木ドリームランドで原因不明の大爆発が起こった。(ちょうど桐生空がアサシンによる襲撃を受けていた時間と一致する)

 その爆発の規模は大きく冬木市のどこにいてもその轟音は聞き取ることができただろう。一帯は騒然とし数多くの緊急車両が殺到し巻き添えを食った人々の救出作業が行われることになった。

 幸いなことに先日の騒ぎで付近には侵入規制が敷かれていたため犠牲となった人はほとんどなかったが、すわテロ事件かと警察や消防の動きは慌ただしくなっていた。

 

 そんな騒ぎの中、同様に駆け付けていたものがいた。先日の戦いの一方の主役、アーチャーである。

 冬木ドリームランドはキャスターの工房と化していた。そんな場所での爆発事件に再びクガイとキャスターが関わっているのではないかとアーチャーが考えるのは当然であった。そして今回、マスターを拠点に残し単独で調査に踏み切ったのだ。

 

 アーチャーがマスターを残して調査を行うことにしたのは先日の戦いの後のジンの様子が明らかにおかしかったことからジンの魔術回路を調査したことに起因する。

 あの時、普段は自信に満ち溢れ常に前向きなジンの様子は普通ではなかった。ユェにしてもそんなジンの様子は初めてであり、あの地獄のような訓練期間であってもそのような姿を見た事がなかったのだ。

 

 拠点に戻ってからも放心したように焦点を合わせることがない目をしたジンをアーチャーは千里眼を駆使して魔術回路と外科的な手術痕を調べ上げた。

 その結果、ユェにはない手術痕が発見され、それと共に彼自身の魔術回路とは別の魔術装置も発見されるに至った。

 

 しかしその魔術装置は回路に括り付けられる形で埋め込まれていたため専門の知識がないものに解除することはできない代物であった。

 そして更にもう一つの外科手術痕がユェの右手に刻まれてる令呪と同じ位置に施されたイレズミの下にあった。そしてそれもまた取り外すことができない非常に厄介な「しかけ」であった。

 

 それらは放置するには危険なものではあったが、取り外す手段が無い以上対応策を考える程度しか今は方法が無かった。ただ、普通に生活をする分には全く支障がなさそうということが唯一の救いと言えた。

 

 もう一つ、アーチャーはジンとユェには言わなかったが、どうしてもこの場所をもう一度調べる必要を感じていた。今朝がた拠点としている洋館のポストに紙片が一枚入れられていた。その紙片には以下の事が書かれていた。

 

「遊園地の地下には霊脈がある。お前たちが気付いていない秘密が隠されている」

 

 それを見たアーチャーはこの手紙を入れたものの意図が計りかねると同時にもう一度あの場所を調べる必要に駆られたのだ。

 

「随分派手な爆発があったようだが、特に戦闘が行われたような形跡は見当たらないな。クガイたちが別の陣営と戦ったのかとも思ったが、冷静に考えると奴らがここに留まり続けるとは考えにくい。例の手紙にあった秘密とやらが関係しているのだろうか……確かにこの場所意識を集中すると霊脈の気配が感じられるが……」

 遊園地には既にキャスターの魔力を感じることができなかった。しかしそのかわりに誰か別のサーヴァントの気配が残っていたのと地下に確かに霊脈を感じることができた。

 

「しかし、あのジアンユーという男……許せんっ! あれが人のやることなのかっ!」

 爆発の起きた遊園地を見て回りながらアーチャーはジアンユーの非道ぶりに激しく憤りを覚えていた。

 

 

 

 その頃、拠点で休んでいるジンとユェの元に来客が訪れていた。

 ジンもようやく落ち着きを取り戻し、今はユェとアーチャーの帰りを待ちながらジャスミンティーを飲んでいた。

 ちなみにアーチャーの発見した「魔術装置」と手術痕はジンには知らされていない。ユェはアーチャーからその危険性を知らされてはいたが、それが発動しないで済ます方法をすでに相談済みであった。

 

 ジンとユェを訪ねてきたのは初老の紳士であった。

「私はゲゲイー・ベントーンと申します。あなた方と同じく今回の聖杯戦争に参加しているマスターといえばよろしいでしょうか」

 ジンとユェは即座に戦闘態勢に入る。懐から釵を取り出しいつでも飛び掛かれる体勢をとる。

 

「まあまあ落ち着いてください。私はあなた方と争うつもりはありません。実のところ私は聖杯に用はないのですよ。ただ、そうですね『敵』というべき男が今回の聖杯戦争に参加していましてね」

 そこまで話して紳士はジンとユェの反応を見る。

 ジンとユェ自身にしてもすでに聖杯に用はなくなっており、クガイを倒すことだけがこの戦いの目標となっているため、この紳士の言う事も理解できる話であった。

 

 目配せをしてからジンとユェは釵を下ろす。そんな二人を見て安心したように紳士は話を続けた。

「その男実は聖堂教会の関係者でその中でも『代行者』という非常に強力な戦闘員でもあり、名をジャンマリオといいます。聖堂教会は御存じかと思いますが、かの教会に恨みを持つ魔術師は多くおります。かくいう私も友人を連中に殺されましてね。しかもその直接の下手人ジャンマリオが今回の聖杯戦争に参加しているというではありませんか。なんとしても敵を討ち友の無念を晴らしたいのです」

 

 聖堂教会の代行者とは世界中の怪異や魔術師を敵として排除する直接攻撃部隊である。

「当然私も無策ではありません。対抗策はいくつも用意してあります。しかし代行者という存在はなかなかに侮りがたく、完璧を期すためにこうしてお願いに上がったという訳です」

 

 ジンとユェはこの紳士の話を果たしてどこまで信じていいのか懐疑的であった。

「ああ、それと言い忘れましたが私のサーヴァントはライダーです。信頼を得るために真名を明かしましょう。サーヴァントの真名はかの冒険家クリストファー・コロンブスです」

 

 クリストファー・コロンブス、アメリカ大陸に初めて到達した白人として知られる冒険家である。コロンブスの卵といった有名な逸話も残されている。

「かつては偉大な冒険家、また船長として多くの手下を従えた人物ではありますが、サーヴァントである以上令呪の支配から逃れることはできません。英霊と考えると優秀な男ですよ」

 ゲゲイーと名乗った男はジンとユェに更なる提案をする。

 

「実は今夜は、非常に都合がよいのです。先ほど昨晩に続いて遊園地の方で大きな戦闘があったようでサーヴァントやマスターの注目はそちらに集まっています。私はこの機を衝いて今からサーヴァントと共に怨敵ジャンマリオに襲撃を仕掛けます。あなた方にはその際に少しだけお手伝いをしてもらいたいのです」

 それならアーチャーが戻ってからの方が良いのではないかとジンとユェは思ったが、次のゲゲイーのセリフにその言葉を飲み込んだ。

 

「私は怨敵ジャンマリオが拠点としているビジネスホテルをサーヴァントに監視させていたのですが、つい先ほどジャンマリオのサーヴァントであるランサーが飛び出していったという知らせを受けました。つまり、ランサーが戻るまでのこの僅かな時間が最大の勝機なのです」

 

 そしてゲゲイーは二人に見返りを提案した。

「実を申しますと私は昨日の遊園地でのあなた方の戦いを拝見しておりました。どうやらあなた方はあのキャスターのマスターに何か因縁がおありとお見受けしました。違いますか?」

 このゲゲイーという男はどこまで知っているのか。ジンとユェは訝しくは思いながらゲゲイーの「わたしたちの目的は同じようなもの」という言葉に納得もしてしまった。

 

「先ほども言いましたが、私の目的はあくまで怨敵ジャンマリオを亡き者にすることです。その目的が達成されたなら今回の聖杯戦争は棄権するつもりです。ですが、あなた方が今回手伝っていただけるのであれば、同じような目的を持つあなた方をお手伝いすることも吝かではありません」

 そこまで話してからゲゲイーはにっこりと微笑みさらに話し続けた。

 

「あの戦いではキャスターの宝具が非常に厄介であると思われました。しかし私にはあの宝具の弱点と対処法が分かりました。私、というより我がサーヴァント、コロンブスが知っていたのですが。どうでしょうこれは取引材料になりませんか?」

 

「おい、それは間違いないのか? 本当にあの宝具を何とか出来るのか?」

 それまでこのような交渉事はユェに任せることが多かったジンが乗り出し気味にゲゲイーに聞いた。

「ちょ、ちょっとジン!」

「どうなんだ、ゲゲイーさんよ?」

 ユェの制止を聞かずにジンはゲゲイーに詰め寄る。

 

「ええ、間違いないですとも。かの宝具は使用するにあたって……、おっとここから先は私に協力していただいた後、とさせていただきたいのですが」

「ああ、わかった。協力してやる。俺達に何をさせるつもりだ」

 ジンがあまりにも性急に事を進めていく事にユェは不安を覚えたが、ジンの身体を調べたアーチャーの言葉がユェを黙らせてしまった。

 

 ―ジンには自爆装置が組み込まれている―

 

 ユェはジアンユーの悪辣さに今さらながら猛烈な殺意を覚えていた。

 アーチャーの説明によると、ジンには戦闘対象に対して敵わないという恐怖を感じると自分の意志とは関係なく、その対象に対して自爆攻撃を仕掛けるように強要する暗示装置が組み込まれているという。恐らくマスターになれなかったジンをユェの捨て駒にするためにジアンユーが仕掛けさせたものだろう。

 

 ジンは先日の戦闘でキャスターの宝具に恐怖を感じたため、装置が発動しかけたと思われる。次にクガイと戦う時はキャスターにあの宝具を絶対に使わせてはならないとのことだった。

 あの宝具を使わせない方法があるのならば……。ユェは藁にもすがりたい気持ちだった。

 

 

 

 ゲゲイーの手伝ってほしい内容とはそれほど困難な依頼ではなかった。彼は遊園地の戦いでジンとユェの招雷の魔術を見ていたため、その魔術でジャンマリオの泊まっているホテルの屋上に雷を落としてほしいというのだ。

「それだけでいいのか?」

 ジンの質問にゲゲイーはにっこりと笑い髭をしごきながら答える。

「ええ、奴はホテルの屋上に展開した魔法陣で建物全体に結界を張っているのですが、それさえ破壊してもらえれば、後は私と私のサーヴァントが始末をつけますとも。万が一奴を取り逃がした時には奴の逃亡した方角だけ確認していただければ結構です。戦う必要はありません。彼を倒すのは私の仕事ですので」

 

「さて時間がありません。今すぐ行きますよ」

 ジャンマリオが泊まっているというホテルにタクシーで急行するとゲゲイーは雷が落ちたタイミングで突入する旨を二人に告げ、ホテルの入り口から少し離れた場所に身を潜めた。

 

「ジン、本当にやるの? あの人どうにも胡散臭いんだけど?」

 ゲゲイーから指定された目標のビジネスホテルから道を挟んで前にあるビルの屋上でジンとユェは準備を行う。

 ユェは紳士的な態度ではあったがあのゲゲイーという男はどこか信用しきれないと感じていた。

「いいじゃねーか。どっちにしろ俺達にデメリットはねーだろ? あいつが手伝ってくれなかったとしてもそれは最初から変わらないことだし、うまくいけばラッキーくらいでいいんじゃねーか?」

 

 ジンらしいお気楽さだとはユェは思ったが、何かとてつもなく危険な陰謀に巻き込まれている気がしないでもなかったのだ。アーチャーに相談してからの方がよかったんじゃないかな。

 ユェはそう思って令呪の使用も視野に入れていた。しかしアーチャーから私たちの願いをかなえるためには最低でも1つ令呪を残しておいてほしいと言われていることもあり、出来るならこんなところで使用することは避けたかった。

 

 

 

「時間だユェ、やるぞ」

 ジンに急かされ招雷の魔術を二人は行った。

 突然起こった落雷がビジネスホテルの屋上を穿つ、ここからはよく見えないが屋上全体に魔法陣が展開しているのでその一部を破壊するだけで良いという話だった。

「こんなもんだろ。後はもしそのジャンマリオとかいうイタリア人が逃げ出したのを確認すれば、その方角に向けてこの信号弾を上げる簡単なお仕事だ……」

 ジンのその言葉が終わらないうちに事態はとんでもない方向に動いていく。

 

 突然地面の中からホテルの真横に巨大な帆船が現れたのだ。

「な、なにあれ!? 帆船?」

 ユェが呆気にとられたようにつぶやく。

 

 そしてその帆船はホテルに向かって本来錨を繋ぎとめるためのものであろう巨大な鎖を無数に発射した。

 

 正に想像を絶するとしか言いようがない光景だった。昨日のサナト・クマラに比べるとまだ見た事のある物体であっただけ理解がしやすかったが、それでも突然地中から帆船が現れるなど誰が想像できただろう。

 

 その攻撃もまたすさまじいものであった。撃ちだされた巨大な鎖は建物の壁をさながら発砲スチロールの様にぶち抜き、恐ろしい破壊力をもってホテルをみるみる瓦礫に変えていった。

 

「ちょっ! これホテルの中にいた人たちはどうなるの? 無茶苦茶だわ!」

 ユェが悲鳴を上げる。あまりにも非人道的な行いと言わざるを得ない。

「くっそ! やっぱあのじいさん悪人か!」

 ジンもまさかの無差別攻撃にゲゲイーを悪人だと断じた。

 

 

 

 崩壊していくホテルを前に唖然とする二人。

「貴様たちがあの悪鬼ライダーの同盟者か! 非道な行い! 許さんぞ!」

 そう叫びながら羽の生えた女性に抱えられた男が降り立った。

「如何に聖杯戦争とはいえ、無関係の一般人をこのように巻き込みあまつさえ無差別に攻撃するなど許されるものではない! 貴様らを断罪する!」

 

 おそらく例のジャンマリオというマスターなのであろう男性とそのサーヴァントらしき羽の生えた女性がジン、ユェに襲い掛かる。

「ちょ、ちょっと待て! 俺たちは無関係だ!」

「今さら言い逃れなど見苦しいにも程がある!」

 男は懐から黒鍵を取り出しジンに向かって投擲した。

 

「まずい! ユェ! 逃げるぞ!」

 ジンとユェは突然の攻撃により廃墟と化したホテルの隣のビルの屋上にいた。彼らは猛然と襲い掛かるランサーのマスターから逃げるためビルの中に走り込む。

「ちっ! ランサー! 俺は奴らを地上まで追い込む。お前の戦い方では狭いところはやりにくいだろう。奴らのサーヴァントであるアーチャーと例のライダーに注意しつつ奴らが出てきたところを仕留めるんだ」

「はい、マスター」

 

 ビルの中を走り回りながらのジャンマリオの攻撃は苛烈を極めた。鋭く投擲される黒鍵は時にジンの腕を掠め、ユェの髪を一筋斬り飛ばした。

「ジン、私たちやっぱりあのゲゲイーとかいう男にはめられたのよね?」

「ああ、間違いねぇ。あの野郎とんでもない食わせ物だぜ。アーチャーは呼べるか?」

「令呪を使えばすぐやってくるけど……。でもここの事態にアーチャーも気が付いているはず。しばらく逃げ切ればやってくるわ」

「そうか。サーヴァントは追ってきていないようだから何とかなるか」

 二人は魔術と体術を駆使し男からの攻撃を何とかかわしていた。

 

「というかあいつもマスターなら俺たちが倒しちまってもいいんじゃないのか?」

 ジンが思いついたようにユェに言う。

「それはそうなんだけど、危険が伴うわ。ましてや今はアーチャーがいないんだから撤退すべきよ」

「まあ、そうだな……。ちっ」

 ジンは戦いたいようなそぶりを見せつつもユェを危険に巻き込みたくないという気持ちから素直に撤退に同意した。

 

 そして二人が瓦礫と化した地上に降り立った時、駆け付けたアーチャーとランサーが高所で戦いを繰り広げていることに気が付いたのだった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話 最弱にして最強

 時間は少し戻り、ホテルの一室でニュース報道を見ているジャンマリオ。テレビでは冬木ドリームランドの爆発事故が報じられていた。

「昨日といい今日といいあの場所はそれほどまでに重要な場所だったのか?」

 ジャンマリオは間違いなくこの一連の騒動はサーヴァント同士の戦いによるものだと考えていた。

 

「マスター、調査しましょうか?」

 傍らに姿を現したランサーが彼に尋ねた。

「いや。昨日の段階なら偵察の意味もあっただろうが、今さら必要ないだろう」

「差し出がましいことを申し上げ失礼しました」

 ジャンマリオの言葉にランサーは大人しく引き下がった。

「いや、ランサー自分の考えがあれば気にせず言ってくれ。私としてはその方がありがたい」

「了解しました」

(やれやれ、どうにも堅苦しいな)口にはしなかったがジャンマリオは心の中でそう思う。

 

 聖堂教会に提出する報告書を作成しながらジャンマリオは言峰綺礼について考えていた。このところの調査により綺礼の使役しているサーヴァントはライダーで間違いなさそうだ。聖堂教会から得ていた今回の聖杯戦争に関する情報に加え、時計塔の派遣したゲゲイーという男を調べることで何とかそこまではたどり着くことができた。

 言峰綺礼はすでに聖杯戦争の監督役などとは絶対に言えず、何らかの意図をもって聖杯戦争に介入していることは間違いない。

 

 この聖杯戦争に参加が決まった時点ではジャンマリオには聖杯に託す願いなどなかった。しかし、冬木教会で言峰綺礼と会談し、クラウディアのことを想ううちにひとつの考えが芽生えていた。「聖杯を使って彼女を生き返らせることができるのではないか」

 

 クラウディアが自殺した原因については全く見当が付かない。その原因がわからないまま彼女を蘇らせても、さらに彼女を苦しめることになってしまうかも知れない。そのような結果は私にとっても望むところではなく、むしろ私のエゴとすら言える。

 だが、綺礼が彼女の自殺に関わっているとすればどうだ、奴を倒し真実を暴くことで何か希望が見いだせるかも知れない。もし、奴を排除することで彼女が死を選んだ理由も取り除けるなら、こんなに素晴らしいことはない。やはり、まずは言峰綺礼を倒さなければ。

 

 ただ、綺礼と戦うという事は奴のサーヴァントを避けて通ることはできない。問題は綺礼が使役しているライダーがどのような英霊であるかという事だ。しかもあの男は前回の聖杯戦争を生き残ったという実績があり、さらに八極拳の使い手である。決して侮ることはできない。

 

 綺礼と万全の状態で戦えるように、出来る事なら他のマスターとは事を構えたくはない。しかし私自身から他の陣営に攻撃を仕掛けるつもりはなくとも聖杯戦争に参加している以上向こうから仕掛けられる可能性は高い。もし、クラウディアの死と綺礼に何も繋がるところがなかったのならば、私は聖杯に全く興味はない。

 

 勝ち残ったマスターの願望が叶えられるのか、その結果さえ見届けられれば、少なくともアニムスフィア卿への報告義務が果たせるのだが……

 ジャンマリオは「そう都合よくはいかないだろうな」と軽くため息をついた。

 

 その時突然落雷が彼の泊まっているホテルに直撃した。

「なんだ? 雷か?」

「申し上げます、向かいのビルの屋上より魔力反応が感知されました。攻撃を受けたものと判断します。今の攻撃でこのビルに掛けてあった結界が一部破壊されました」

「ばかな! こんな人の多いところで攻撃を仕掛けてくるのか?」

 ランサーの言葉にジャンマリオはすかさず戦闘態勢に入る。

 

 さらにジャンマリオには理解しがたいことが起こった。

 突然ホテル前の地面から帆船が現れ、無数の巨大な鎖がホテルに撃ち込まれたのだ。

 その破壊力は砲撃に匹敵する物であり、ビルの壁はあっという間に崩れ去りビル自体も倒壊を始めたのだ。

 

「なんだと! このビルごと破壊する気か! 正気なのか!」

「マスター、敵の宝具による攻撃だと思われます。攻撃の規模からおそらく対軍宝具と予想されます」

「明らかに私を標的とした攻撃だ! くそ! このままでは崩落に巻き込まれる」

 その時崩壊するホテルの窓から見える巨大な帆船に一人の男を確認した。その男もこちらに気が付いたのか、大声でジャンマリオに語り掛けた。

 

「これはこれは、お初にお目にかかりますなあ! ところで、出会ってすぐで残念だがおまえさんとはここでお別れだぜ」

「貴様、綺礼のライダーだな!」

「ほほぉ、よく調べてるじゃねぇか! 俺のマスターはアーチャー陣営と同盟を組んだ! おまえには勝ち目はねーよ! じゃあな!」

 そう言うとライダーは高笑いを響かせながら帆船と共に霊体化して姿を消した。

 

「同盟だと! なんという事だ。そんな可能性は考えていなかった……」

「マスターこれ以上此処にとどまるのは危険です。緊急避難を推奨します」

「くそ! わかった。この場から脱出だ! 頼んだぞ、オルトリンデ」

「了解しました」

 

 ジャンマリオの目的はあくまで聖堂教会からの指令でもある第四次聖杯戦争について調べることである。また個人的な目的として言峰綺礼を抹殺し、クラウディアの自殺の真相を確かめたいという事がある。

 そのため綺礼以外のマスターと事を構える必要はほとんどないのであるが、まさか綺礼と同盟を結ぶ輩がいるとは想像していなかった。

 

 そんな事を考えながら緊急措置でランサーに保護されながら(いわゆるお姫様抱っこである)上空に逃れたジャンマリオは隣のビルの屋上に二人の人影を発見する。

「マスター、あの二人から最初にあった雷撃と同じ魔力を感知しました」

「つまりあいつらがライダーの言う同盟者、アーチャー陣営という事か。……今の攻撃で何の罪もない人々がどれほど犠牲になったのか……」

 ジャンマリオは怒りで指が白くなるほど拳を握りしめた。

「ランサー! あいつらは許せん! やるぞ!」

「了解しましたマスター」

 

「貴様たちがあの悪鬼ライダーの同盟者か! 非道な行い! 許さんぞ!」

 ジャンマリオはどこか呆然とした顔をした二人の前にランサーを伴い降り立つ。

「如何に聖杯戦争とはいえ、無関係の一般人をこのように巻き込みあまつさえ無差別に攻撃するなど許されるものではない! 貴様らを断罪する!」

 

「ちょ、ちょっと待て! 俺たちは無関係だ!」

 二人はこの期に及んで呆けたことを言い出したが、魔術を使用したのはこの二人に間違いない。無関係なはずがないのだ。

「今さら言い逃れなど見苦しいにも程がある!」

 ジャンマリオは懐から黒鍵を取り出し二人に向かって投擲した。

 黒鍵から逃げるように二人はビルの中に駆け込んだ。それを追うジャンマリオ。しかしここでジャンマリオは二人の身体能力に驚愕することになる。

 

「なんだこの二人の動きは。魔術だけじゃ説明つかないぞ」

 ジャンマリオはジンとユェがサイバネ手術で身体能力が強化されていることなど知る由もない。正確無比なジャンマリオの投擲を紙一重でかわしながらビルの中を飛び回るように走る二人に驚きを隠せずにいた。

 

 ジャンマリオと二人の追走劇は三人がビルの一階に辿り着くまで行われた。隣のビジネスホテルの倒壊はその間も続いており、怒号と悲鳴が絶え間なく聞こえてくる。

 無関係な人間を無差別に攻撃するその非道さにジャンマリオの怒りは頂点に達していた。

 

 地上に辿り着いたとき、三人はそのあまりも凄惨な惨劇の舞台に絶句した。

「こ、こんなことって……!」

 少女は残骸の間から見える人の体の一部とみられる「モノ」を見て目をそらせる。

「これがお前たちのやったことだ! いかに聖杯戦争が魔術師同士の殺し合いとはいえ、決して許されることではない!」

 ジャンマリオは正に誰もいなくなった廃墟ともいうべき瓦礫の山を指さし二人に怒りをぶつけた。

 

 その言葉に二人の少年と少女は俯いて唇をかみしめた。

 すぐに消防や警察が駆けつけるだろう。しかし今は戦場痕ともいうべきこの場に動くものは三人以外になかった。

 

 

 

 ジャンマリオとジン、ユェが地上に辿り着いた時、その遥か上ではアーチャーとランサーが戦いを繰り広げていた。

 

 アーチャーは遊園地の爆発の調査に赴いていたが、巨大な魔力の放出を感じ取りマスターであるユェのもとに急行していた。

 

 アーチャーは弓の速射で牽制しつつ、徐々にランサーとの間合いを詰めていく。元来、中、長距離戦闘特化のアーチャーが、近距離戦闘を得意とするであろう敵との間合いを自ら詰めるなど、不可解な行動であるが、アーチャーにはそうする理由があった。

 十分声の届く距離まで近づいたところで、アーチャーは敵サーヴァントに話しかける。

「槍の英霊とお見受けするが、相違ないか?」

 

「戦いの最中余裕がおありですね。いかにも私たちはランサー、槍の英霊として召喚されたものです」

「話の通じぬ狂戦士などではなくて助かった。俺は見ての通りのアーチャーだ。先ほどからの槍捌き、さぞや名のある英霊だとおもんばかるが、ランサー、もし、お前が自分の栄誉や武勲のために槍を振るっているわけではないのなら、己が主に伝えて欲しい。今回のこの戦闘、我々の望むところではない」

 

「サーヴァントはマスターの命に従うもの。しかし今回ばかりはこのような見過ごすことのできない暴挙に私たちも怒りが抑えられません。いかに英霊の言葉とはいえ聞き届けるわけにはまいりません」

 

「確かにこの惨状はどうしたことだ。少なくとも俺のマスターはこんなことをする人物ではない。そもそもこんなことをできるのは英霊以外いないだろう? 知っての通り俺は今ここに来たばかりだ」

「そうでしょうね。これを行ったのは言峰綺礼のサーヴァント、ライダーです。しかしその言峰綺礼の同盟者であるあなた方も同罪」

 

「ちょっと待て、同盟ってなんだ? そんな話は初めて聞いたぞ? 俺達はそもそも同盟者など必要としていない」

「その言葉に私たちを信用させる根拠があるなら聞きましょう。しかしその根拠無しと判断したなら私たちはあなたとそのマスターを決して許すわけにはまいりません」

 ランサーの言葉にアーチャーは何か大きな陰謀に巻き込まれていると確信しながらこの無用な殺し合いを止めるべく思考をフル回転させた。

 

「この聖杯戦争の目的がマスターとサーヴァント自らの願望を聖杯に託す権利を競わせるもので、戦闘はそこに到達する最後の一騎を決めるための手段だと言うならば、そもそも俺と主の願望は、聖杯の力になど頼らなくても達成可能だ」

 アーチャーにはジンとユェの願いをかなえる手段はすでに構築できていた。

 

「そういう意味では俺たちは最強だ」

 

「ただ、ある因縁から、キャスターのマスターの討伐だけは達成しなければならない。それ以外のマスターとは戦うつもりもないし、加えて、我々の望みを叶える為には、俺の退場が必須条件となる。そういう意味では聖杯を狙う他のマスターから見れば、俺たちは最弱とも言えるよな。信用してもらえるかは分からないが、俺は誓って嘘は言っていない。お前を信頼に足る英霊だと俺が判断したからこそ、敢えて名乗ろう。俺の名は、アーラシュ。アーラシュ・カマンガーだ」

 

 さすがに自らの真名を名乗ることにランサーは驚いたが、それゆえにこの英霊の言葉は重かった。

「……アーラシュ・カマンガー……。それがあなたの真名なのですか」

 このランサーは基本的に自ら判断し行動を起こすタイプではない。すべてはマスターの意思に従う。それが行動理念なのだ。

 しかしここにきてこのアーチャーの言葉は確かにランサーの心に一石を投じた。

 

「……え、姉さま? ここでですか?」

 ランサーは何か突然独り言をつぶやき始めた。

「ええ、わかりました。はい、代わります。……アーラシュといいましたね。これよりは私の姉が話を聞きます」

「姉? 何のことだ?」

 アーラシュの言葉が終わらないうちにランサーの姿はその場から消え失せ、また直ちに同じような姿をしているが、明らかな別人がその場に現れた。

「よいしょっと。えへへ、驚いた? あたしたちは普通の英霊とは少々作りが異なっているんだ」

 

「なんとも驚いたな……。別人なのか?」

「いいえ! あたしたちは同一個体ですからね! でもそんなことは後でいいわ。あたしたちはあなたの言葉を信じるよ。あなたは正に英雄ね。この戦いの後ヴァルハラに来る気はない? というか、確定ね! 連れて行くから!」

「なんだかよくわからないが信じてくれるなら助かる。では悪いがあそこで闘っているマスターを止めてくれないか。俺はちょっとやらないといけないことができた」

 

「ああー。うちのマスターも思い込んだら一直線なところあるからなー。あいつやっつけんでしょ。すぐ止めてくるから無理はしないでね。ほら、妹ちゃん交代よ、いきなりあたしがマスターの前に現れたらマスターが混乱して話が長くなるでしょ。あなたが自分の言葉でマスターにあたしたちの考えを伝えるのよ」

 

 ところで姿を消したライダーだが、実は立ち去ったわけではなく、ランサー陣営とアーチャー陣営の潰し合いを物陰から高みの見物を決め込んでいた。

 しかし、アーラシュは最初から物陰に隠れてこちらをうかがっていたライダーの存在に気が付いていた。もちろんそれはランサーにとっても同じことであり、ライダーに逃げられない立ち位置をお互いに取りながら戦っていたのだ。

 

「さて、他のマスターとは戦わないとは言ったが、こんな悪辣な手段を講じる悪漢を見逃すほど、俺も性根が腐ってないのでね。覚悟しろ、髭野郎」

 

 泡を喰ったのは髭野郎ことライダーである。すでに宝具を発動してしまっており魔力的な戦闘力は非常に不味い状態になっている。

「冗談じゃねぇ。この状態でアーチャーとランサーの二人を相手になんざできる訳ねぇ」

 しかもこのままではアーチャーとランサーのマスターまで戦いに加わってくるだろう。いかにライダーが狡猾で力があろうとも最大級のピンチといってよかった。

 

「おいおい、アーチャーさんよ。俺は確かにあんたの所のマスターと同盟したんだぜ? その証拠にあの二人には招雷の魔術を使用した残滓が残ってるだろう?」

 ライダーは確かに嘘を言っていない。だがしかしそれは一方的な解釈によるいわゆる詐欺師の論法である。

 

「おまえさんにうまく丸め込まれたんだろうなってことは想像に難くない。……だからどうした? 俺がお前をぶっ倒すのには関係のない話だ」

 そう言ってアーラシュは真っ赤な弓を構えた。つがえられた矢は魔力を帯びた輝きを纏っており、その輝きは時間を経るごとに増しているようにも見える。半端ではない威力が込められていることは想像に難くないし、弓の英霊がこの距離で狙いを外すとも思えない。あんな矢がまともに命中すればいかな英霊だとて無事では済まないだろう。

 

 ──―まずいまずいまずい! どうする? くそ! あきらめるな! 俺ならどんな困難だって笑って切り抜けられるはずだ! 

 ライダーは必死に逃げ道を探す。しかし彼にとって状況は悪くなる一方である。アーチャーと話しているうちにマスターを説得したらしいランサーまでこちらに向かってきたのだ。

 

 しかしここで幸運がライダーに起こる。アーチャーが渾身の矢を放ったのと、倒壊していたビルの壁がライダーとアーチャーの間に崩落し一瞬射線が遮られたのと、ライダーが一か八かの回避行動に出たのと、足を滑らせたユェが「きゃ」と小さな声を出したのが全て同じタイミングで起こった。

 

 アーチャーはスキル千里眼で、例え視線が通っていなくても正確無比な射撃が行える。例えライダーがどんな回避行動を取ろうとも、間に障害物があろうとも、一旦狙いを定めたライダーから目を離さなければ射撃直前の微調整で確実に相手の急所を捉えられていたのだが、ユェの声が気になり、一瞬対象から目を切ってしまったのだ。

 

 放たれた矢は落ちてきたビルの壁を粉砕し、ライダーがさっきまでいた場所を抉った。

 粉砕されたコンクリート片数個の直撃は受けたが、アーチャーの渾身の一撃を凌ぎ切ったライダーは血まみれになりながらも巻き上がった砂塵に紛れて脱出を試みる。

 

「くそ! 逃がすか!」

 アーチャーは砂塵くらいではライダーの気配を見失う事はなかったが、またしてもここで幸運がライダーを助ける。

 ホテルの倒壊という大惨事に際してようやく警察、消防などの緊急車両がサイレンを響かせて大量に到着したのである。さすがにこの状況で戦闘を継続させることは難しい。

 

「アーラシュさん、ここはいったん引きましょう」

 ランサーの言葉にアーラシュは渋々弓を納めた。

「仕方ないな。いったん引くか」

 その後、アーラシュの提案でジャンマリオとランサーは一度ジンとユェが拠点としている洋館に向かったのであった。

 

 

 

「で、お前は私のサーヴァントってことで間違いないのだな」

「そうよ、私の個体名はヒルド。マスター、私たちは複数の存在が1つのサーヴァントとして登録されているの。代替召喚ってことで、途中で入れ替わることができるのよ。記憶や認識は同期されているから、入れ替わったら前のことは覚えてないとかはないので、安心してね」

 

「しかし、見た目だけではなく、性格や話し方まで全く違うではないか。果たしてこんな別個体を同じサーヴァントと言って良いのだろうか……」

「ちょちょちょ、違う違う、私たちはあくまで同一個体なの。そこだけは間違えないでね」

「全く理解できん。頭が痛くなってきた……先ほどは突然、アーチャーさんはアーラシュさんで悪い英霊さんじゃありませーん。戦いを即刻中止してくださーい。とか叫びながら戻って来たので、正直驚いたが、でもまぁ普通に会話もできるんだな。それについては良かったかも知れん。覚えておこう、ヒルド」

 

「オルトは人見知りだし、色々余裕がないのよ。でも、頑張り屋さんだから、大目に見てあげてね」

 洋館に着くやいなや、ランサーは再び先ほどの姉さまに入れ替わり、マスターであるジャンマリオに自分たちの特性を説明した。

 

 その後、ジャンマリオとジン、ユェそしてサーヴァントたちの話し合いがもたれた。

「つまり君たちはそのゲゲイーという男に俺を倒す手伝いを持ちかけられて結界を壊すために魔術を使ったと。そういう事か?」

「はい……あまりにも迂闊でした……」

 ジンとユェは正座で反省中である。

 

「だってよう! まさかあんな無茶苦茶するなんて思ってなかったし!」

「ジン!」

 ユェに一喝されてシュンとなるジン。もとはといえばジンがあっさりゲゲイーに乗せられたのがまずかったのだ。

「まずいくつか情報を共有しておこうか」

 ジャンマリオはため息をつきながら話し始めた。

 

「ゲゲイーという男は今回の聖杯戦争のために時計塔が派遣した魔術師だが、聖堂教会の立てた監督役『言峰綺礼』にすでに暗殺されている。そして彼のサーヴァントだったはずのライダーが未だ健在ということは、すなわち綺礼がゲゲイーのサーヴァントを奪い取ったということだ」

 その言葉に驚いたのはアーラシュである。

「ばかな! そんなことが許されるのか? 聖杯戦争の根底を覆す事態じゃないのか?」

 

「その通りだ。俺はその言峰綺礼を倒すことを目的にこの聖杯戦争に参加している。つまりは私も聖杯自体に用はないのだ(今のところはだが……)。そしてこのランサー、もうこちらも真名を明かしておこう、ワルキューレだ。彼女……たちも聖杯自体に望みはない」

「あたしはヒルド、妹ちゃんはオルトリンデね。あたしたちの目的は英雄を集める事なのよねー。アーラシュさん是非ヴァルハラにいらしてね」

「それについては何とも答えられんが……つまり俺たちは元々戦う理由が全くないという事になるのか」

 

「あと、さっきの話で一つだけ分からなかったんだけど、我々の望みを叶える為にはあなたのたいじょ……」

 ヒルドが戦闘中のアーラシュのセリフで一つだけ引っかかっていたことについて質問しようとした瞬間、隣にいたアーラシュに手をぎゅっと握られた。

「えっ?!」

 

 ヒルドの方を見て小さく首を横に振るアーラシュの仕草に、

 えっ? 何コレどういう意味?? もしかしてあたしモテ期来ちゃった? もしかしてあたしの方がアーラシュさんにどっか連れて行かれちゃうの?? 

 激しい勘違いに顔を真っ赤にするヒルドにアーラシュは全く気付いていなかった。

 

 ジャンマリオの話す内容は聖杯戦争が単なる魔術師の腕比べではなく、もっとどろどろとした陰謀が渦巻くキナ臭いものであることを示していた。

 ただ、アーラシュやジン、ユェにしてもジャンマリオにしても戦わなくてはいけない敵が少なくとも1陣営減ったことは確かであり、それだけでもありがたい話であった。

 

「なぁ、なぁ、だったらよぅ、あの髭のおっさんがその「言峰」って奴なのか?」

 ジンが思いついた疑問を口にする。

「言峰綺礼は髭など生やしていない。髭と言えば、ホテルの前に現れた帆船に乗っていたライダーが丁度そんな感じだったな」

 ジャンマリオは帆船の上から話しかけてきたサーヴァントを思い出していた。

「じゃあ、サーヴァント自らがマスターを名乗り接触を謀って来たってのか。何てふざけた野郎だ」

 アーラシュは髭野郎の大胆さに驚きを通り越して呆れかえっていた。

「だとすると、今回の遊園地爆発事故も今朝の紙きれも全部俺をおびき出すためのライダーの仕業って可能性が高いな」

「紙きれって?」

 ユェの問いかけにアーラシュが答える。

「今朝方郵便受けに遊園地に霊脈があるとか書かれた紙きれが入ってたんだ、わざわざお前らの手を煩わすこともないと思って伝えなかった。黙っててすまん」

 

「なんだかよくわかんないんだけどさ、俺たちがクガイをぶっ殺すことには変わりないんだろ?」

 ジンの空気を読まない言葉にユェはまた怒鳴ろうかと思ったが、それをぐっと堪え代わりにジャンマリオに尋ねた。

「私たちはあくまでクガイという暗殺者を倒すことが目的です。今後は情報の共有など協力できませんでしょうか」

「それは歓迎ですねお嬢さん。特にあのライダーはあまりにも危険です。使用した宝具からかつての大航海時代に活躍した人物だと思うのですが、あそこまで悪辣な英霊となると……海賊王エドワード・ティーチ、もしくは海賊冒険者クリストファー・コロンブス……」

 

「ああ、そういえばあの髭のおっさん自分のサーヴァントはコロンブスだって言ってたぜ! でもよ、コロンブスってアメリカ大陸を発見したカッコいい英雄だろ? あんな鬼畜な奴だとは思えないんだけど」

 ジンのイメージするコロンブス像はあくまで冒険家であり新大陸発見の立役者である大英雄である。

 しかし、これはあくまでも「航海の理由」を新航路発見に絞った場合であり、当時の世相として新天地での略奪と侵攻は、未開の地を開拓するという大義名分で黙認されている。

 コロンブスも当時の倣いに従い、これを過剰なレベルで行った

 

「一般的なコロンブスのイメージはそうだが、実際の奴は冒険家というより海賊に近いぞ。むしろ新大陸で行った奴隷狩りや虐殺行為は本国スペインでも問題になったほどだ」

「え、そうなの? 私も世界的偉人だと思ってたわ」

 

 ジンとユェは実年齢で言うと13歳12歳である。通常であるなら中学生というところなのだが、戦闘技術や魔術知識を中心に教育を受けていたためいわゆる一般常識に疎い面がある。しかしそれでもコロンブスの名くらいは聞いたことがあった。逆に言うとコロンブスとはそれほどまでに有名な人物だということだ。

 しかしジャンマリオの語るコロンブス像に世界的偉人のイメージがガラガラと音を立てて崩れていくジンとユェであった。

 

「しかし相手のサーヴァントの真名が分かったことは大きな情報だ。こちらも君たちの役に立つような情報があれば連絡するようにしよう。差し当たってはそのクガイのサーヴァントであるキャスターについては俺の方でも調べてみよう。話に聞く限りずいぶんと特殊な魔術を使用したという事だから比較的簡単に絞り込めるかもしれないしな」

 

 アーチャー陣営とランサー陣営の間に少なくとも不戦協定の上、情報交換もするという極めて良好な関係が成立した瞬間であった(なお、会談後アーラシュはユェにジャンマリオは聖杯に託す願望についてのみ、嘘と言う程ではないが真実をぼかして語っていた気がするので注意するようにと忠告している)。

 

 

 

 ビジネスホテル冬木倒壊事故

 

 落雷で屋上の発電機が発火。たまたま最上階で発生していたガス漏れに引火、爆発し壁の一部が崩れたことによりホテル全体が連鎖倒壊した。

 

 死者25名、重軽傷者8名、行方不明1名という5年前の冬木大災害を彷彿とさせる大事故として記録されている。

 

 聖堂教会の隠蔽工作は迅速だった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話2 それぞれの物語

 side 桐生空

 

 空はよく藤村大河の家にお邪魔してその祖父であり藤村組の組長、雷画ともよく話をしていた。

 藤村雷画もお互いの幕末好きから空の事を気に入っており、コレクションの中から刀の鍔を送ったりしている。その刀の鍔が問題であったのだが。

 

 セイバーが空のサーヴァントとして召喚されて間もないころ、空は雷画に新選組について話を聞いていた。

「そうじゃの、沖田総司については謎が多くての。一般には色白の美青年としてイメージされとるが、実際は陽気でヒラメ顔の愛嬌ある顔立ち、色黒、猫背、肩の張り上がった長身、などといった話も伝わっておる」

 雷画の話に空は「へぇー」と隣にいるはずのセイバーに目を向けた。もちろんセイバーは姿を消しており空には見えていないが、ぶんぶんと音が聞こえそうな勢いで首を横に振っていた。

 

「あとは晩年、といってもまだ20代じゃが、迷い込んできた黒猫を斬ろうとしてそれが出来ずに『ああ、斬れない。婆さん、俺は斬れないよ』と己の衰弱ぶりを嘆いたとかいう逸話も残っておるの。事実かどうかはわからんがの」

 

 藤村家からの帰り道、空はセイバーに聞いてみた。

「猫を斬ろうとしたの?」

「何を言っているんですか! なぜ私がクロを斬らなくちゃいけないのですか。クロは婆さんの飼い猫で私にもよく懐いていたんですよ」

 そっか、よかった。そう思って空は少し笑顔になった。

 

 

 

 side ツヴァイ

 

 冬木市に着いてすぐの事だった。絵本を読んでいたツヴァイは不意に顔を上げリセに言った。

「ねぇママ。ジャックに何かお料理を振舞ってあげたい! やっぱり家族ってみんなでお食事をするものよ! この絵本のクマさんとトラさんとブタさんもみんなでお料理作ってるわ」

 

 いきなり何を言い出すのかとリセは戸惑った。ツヴァイは培養ケースの中で学んだ知識しか持ち合わせていないはずであり、料理の知識などは特に教育されていない。

「ツヴァイはジャックにお料理を振舞ってあげたいのね? 何を作りたいの?」

「これ!」

 そう言ってツヴァイはその絵本の動物達が食べているハンバーグらしきものを指さした。

 

「これはハンブルグ……かしら?」

 リセにも料理の知識は乏しい。しかしハンブルグ位ならこの屋敷にある食材で作れるのでは? そう思ってしまった。リセもツヴァイと二人で料理を作るというシチュエーションにちょっとあこがれてしまったのだ。

 ジャックは現在偵察に出かけており、帰りにはまだ時間がかかるはずである。

 

 二人は台所に立ち悪戦苦闘する。背の低いツヴァイは適当な台に乗って一所懸命合い挽きミンチをこねていた。

 そんなツヴァイの事をいとおしく思いながらもリセは乏しい知識を総動員してソースを作る。

 

 まあしかし、ろくに知識がない二人が頑張ったところで出来上がったものは所詮物体Xまたはダーク・マターである。

「むー。なんでかなー」

 首をひねるツヴァイとリセ。そこにジャックが帰ってきた。

「ただいま。あのね、おかあさんとツヴァイのために夕ごはんを買ってきたんだ」

「お帰りジャック! 何を買ってきてくれたの?」

「うん! わたしたちは普通の食事はあまりとらないからよくわからないけど、お魚とお芋を揚げたやつ! みんなこれ好きでしょ!」

 

 ああ、そういえばジャックってイギリス出身だっけ。そう納得して二人は項垂れた。

 

 

 

 side ウリエ=ヌァザレ=ソフィアリ

 

 私は、小さな頃から変わった子だとよく言われたわ。

 全くもって納得はいかないのだけれど、何故そう言われたのかについて心当たりはあるわ。私は価値観が他人とはちょっと違うみたいね。

 

 例え話は得意じゃないけど、あえて絵画で言えば、世間一般に高い評価を得ている作品が、すべて価値があるのかと問われると私はそうは思えない。確かに私から見ても素晴らしい作品もあるけれど、どこが素晴らしいのか理解できない作品もあるわ。そんな作品は誰が何と言おうと私にとってはガラクタなのよ。

 

 晩年素晴らしい作品を輩出した画家が、若い頃に作成した未熟な作品を作者が同じだと言うだけで、素晴らしいと言うなんて論外だと思う。

 ヒトであれモノであれ、他人や世間が下した評価を自分では何も考えずにそのまま受け入れ、そういうものだと納得している人を見ると馬鹿じゃないのと言ってしまうわ。

 

 こんな性格だから、私はあまり人付き合いは得意な方じゃない。そもそも、私にとって何の価値もない人とうわべだけ仲良くすることなんてできないし、する必要もないと思ってる。

 

 でも、勘違いしないでね。私は決して「ぼっち」じゃない。ありのままの私を理解してくれている大親友と呼べるような友人も片手くらいは居るのよ。

 ちなみに私は人間が嫌いなわけじゃないわ。素晴らしい才能を持っている人には素直に賛辞を贈るし、お近づきになってその人から何かを学びたいとも思う。例えその人が一般的には評価されていなかったり、変人などと呼ばれたりして世間から排除されているような人であろうと、そんなのは私には関係ないわ。

 

 きっと私も世間から見れば、立派な変人なのでしょうね。

 

 

 

 side ジャンマリオ

 

 コロンブスによる今回の襲撃後ジャンマリオは精力的にキャスターの正体とアーラシュと名乗ったアーチャーについて調べていた。

「オルトリンデ、アーラシュという英霊については大体わかったぞ」

 ジャンマリオは傍らにいるランサーに話しかけた。

 

「アーラシュ・カマンガーは神代最後といわれるペルシャの大英雄だな。お前たちは正に神代の英雄だが、彼は実にヴァルハラに迎えるにふさわしい英霊だぞ」

 そう言ってジャンマリオはアーラシュの功績について詳しく説明した。

「それは是非ともヴァルハラにお迎えしなくては……」

 オルトリンデはそう呟き黙り込んだ。

 

 ヒルド「第1回ワルキューレ会議ー! ぱふぱふー」

 オルトリンデ「という訳でかの英霊をヴァルハラに迎えることを推奨します!」

 スルーズ「それについて異論はないわ。それよりもヒルド。あなたちょっとイイ感じだった?」

 ヒルド「えーだって、突然手とか握られちゃったしー? ヒルドさんモテ期到来!」

 オルトリンデ「お姉さまズルい! 頑張ったのあたしなのに!」

 スルーズ「いやズルいとかそれは良いから。私たちは同一個体なんだから」

 ヒルド「そうそう! オルトリンデは真面目過ぎダヨー」

 スルーズ「しかし、そういうシチュエーションには憧れるわね……。ねえ今度は私が出るからあのアーラシュという英霊とデートしてきていい?」

 オルトリンデ「ダメに決まってるでしょ! お姉さまたちは何を考えてるのですか!」

 ヒルド「そうそう。あのお方は『あ・た・し』に興味があるのよ?」

 オルトリンデ・スルーズ「「やっぱりズルいー!!」」

 

 ワルキューレたちは実はけっこう乙女だった。

 

 

 

 Side 言峰綺礼

 

 冬木市の中華料理屋「泰山」は綺礼が足しげく通う中華料理の名店である。なかでもこの店の名物料理「泰山麻婆」は綺礼のお気に入りであった。

 

「唐辛子はお前が新大陸から持ち帰った物の中で最も優れたものだ」

「って、旦那、これ滅茶苦茶辛い奴じゃねーんですかい? 俺はちょっと遠慮したいですぜ」

「安心しろ。ちゃんと料理として旨味を追求した素晴らしい逸品だ。特にこの店の麻婆豆腐は絶品といえる」

「そう……なんですかい?」

 そう言ってコロンブスは綺礼にならい豪快にレンゲを口の中に運んだ。

 コロンブスは熱さにハフハフしながらそれを味わう。

 

 唐辛子の辛さは少し遅れてやってくるものである。

 

「ほごおおおおお!!! くぁwせdrftgyふじこlp!!!」

 店内に野性味あふれる絶叫が響き渡る。それを見ていた他の客は「あー」と絶叫するスペイン人をかわいそうなものを見るような目で見ていた。

 

「くああああ! 店主! 貴様俺を殺す気か!」

 そう言ってコロンブスはラッパ銃を懐から取り出し店主に向けた。

 

「やめないかバカ者」

「だ、だってよう! これおかしいだろ!」

「ほう、貴様この私がお勧めする料理がおかしいというわけか。

 よかろう、令呪をもって命ずる、ライダーその料理を5分以内に完食せよ!」

「えええっ!! ち、ちょ、おまっ!!」

 

 結局涙を流しながら激辛麻婆を完食したコロンブスは綺礼に引きずられるように帰っていった。

 

 後にこの店を訪れた衛宮士郎は「ラー油と唐辛子を百年間ぐらい煮込んで合体事故のあげく、『オレ外道マーボー今後トモヨロシク』みたいな料理」と評した。とても常人が食える代物ではないとのことである。

 

 ―こいつ絶対頭おかしい……。コロンブスは心の中の警戒ランクを更に一段上げた。

 

 

 

 side 李星、李月

 

 ジンは眠っている。遊園地の戦いからアーチャーに連れられ拠点に戻ってからもジンの異変はしばらく収まらなかった。しかし1時間もしたころジンは急に意識を失うように眠りについた。

 

 それを機にアーチャーのスキルによりジンの体が調べられ、衝撃的な事実が浮かび上がった。

 ―ジンには自爆術式が組み込まれている―

 

 ねぇお兄様。さっきは恰好よかったよ。「今度こそ俺は妹を守るって決めたんだ!」ですか? ときめいちゃったよ? でもそんなこと私の前で言っちゃったら、私これからお兄様とどう接したらいいの。今までジンは私があなたの妹だって気が付いてないと思ってたんでしょ。……バカだから。

 

 目を覚ましたらなんて言ってあげよう。「おにーさまー♪」とか言って抱きついたら面白いかな? 

 うーん、それはないな。恥ずかしいし。「あんたの事なんかこれっぽっちの心配してなかったんだからね! これおかゆ! 勝手に食べて!」とかどーかな。……あはは、私も結構バカかも。

 そう言ってユェはクスクスと一人で笑った。

 

 結局ジンが目を覚ました時、想定外の言葉にユェはため息をついた。

「なんか遊園地での記憶がところどころ曖昧なんだよな。俺の左手何で皮膚がなくなってんだ?」

「そう。あなたってやっぱりそうなのね。まぁ、いいわ、体調はどう? ジャスミンティーよ。リラックス効果があるらしいわ」

 

 このバカジン! 心の中でジンを罵りながらもユェは色々悩んでいた自分が馬鹿らしくなると共に、ただいつも通りの「冷静なユェ」を演じることしかできなかった。

 

 ジンに対する愛情とジアンユーに対する殺意で心の中はぐちゃぐちゃであったのだが。

 

 

 

 side 劉九垓

 

 劉花琳(リュウ・ファリン) 7歳

 

 生まれついて心臓に欠陥がありまた、原因不明の奇病で長くは生きられないと生まれた時から宣告されていた。

 そんな彼女がここまで生きながらえてきたのはひとえに「親戚のおじさん」の経済的援助により最高の医療が受けられていたからに他ならない。

 

 彼女の母親はファリンを生むと同時に亡くなった。同時にその父親も失踪し、身内といえるのはクガイと名乗る「親戚のおじさん」一人であるとされている。

 

「ファリンちゃんお薬の時間よ」

 設備の整ったファリン専用の病室に看護師の女性が入ってくる。

「昨日は急にお休みしちゃってごめんなさいね」

「うん……。ねぇ、クガイのおじちゃんは次いつ来てくれるのかな?」

 ファリンはパンダのぬいぐるみを抱きしめながら顔なじみの看護師に尋ねる。

「そうね、早ければ来月には来てくれるらしいわよ」

「来月かぁ。早く会いたいなー」

 ファリンはどこか疲れたような寂し気な笑顔を見せた。

「……クガイのおじちゃんがお父さんだったらいいのに……ねぇ、クーちゃんあなたもそう思うよね」

 

 そこまで口にした時ファリンは大きくせき込み、ひゅーひゅーと笛を鳴らすような荒い呼吸を始め激しく体を痙攣させた。

「ドクター! ドクター! ファリンちゃんの容体が急変しました!」

 すかさず看護師は内線電話でドクターに連絡を入れる。

 慌ただしくなる病室。すでにファリンに意識はなく、すぐに緊急手術が行われることになった。

 

 ファリンは意識がないにもかかわらず抱きしめたパンダのぬいぐるみを手放そうとはしなかった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。

閑話2は各々のキャラクターをもう少し掘り下げてみました。

この先はいよいよ物語も佳境に入っていきます。
お楽しみいただければ幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話 桐生空という少女

 意識を失った空を背負い、セイバーはアパートまで歩いて帰った。セイバー自身正体不明の敵から負った傷は深く、彼女をベッドに寝かせた後は、霊体化し回復に努める以外の選択肢はなかった。

 本当ならば自分が召喚された衛宮家の土蔵が回復には最も適した場所なのだが、もちろん高熱を発し意識のないマスターをそんなところに連れて行くわけにはいかない。だが、幸いにもこのアパートの下にも小さな霊脈が通っているようで、多少なりとも回復には役立ちそうであった。

 

 誰かに後をつけられていなかったか……細心の注意は払ったつもりではあったが、満身創痍の自分では気づけないことがあったかも知れない……一抹の不安を覚えつつもセイバーは眠るように意識を失った。

 

 マスターを背負ったセイバーが満身創痍でアパートへ向かう道すがら、桐生空の中では変化が起こっていた。

 

 ……醒……覚醒……

 ……条件成立による術式……自動起動…………

 …………主導交代、客人就床……記憶……同期……正常……

 …………交代完了…………記憶同期……異常なし……

 

「ん……」

 セイバーが意識を失ったしばらく後に彼女は目覚めた。

「……そう。目覚めてしまったのね、私……」

 誰に言うでもなく呟く。

 

「想定通り、やはりこうなった。戦いが始まる。覚悟を決めて臨まないと……」

 そして、現在の自分の状況を確認する。

(セイバーは相当ダメージを受けてしまったようね。でも、霊基自体に問題はなさそう。魔力供給の経路(パス)を全て回復に)

 薄暗い中、空の体が朧げに光を帯びる。

 自らの意思で自分の魔術回路を活性化させている。倒れる前とは全くの別人である。

 

 

 

「私は桐生空。桐生家の魔術師……」

 

 確かめるようにそうつぶやく。

(そう。私が本当の桐生空。本当は目覚めない方が良かったのかもしれない。私が目覚めたということは、あの娘が戦いに巻き込まれたということ。聖杯戦争という魔術師同士の争いに)

 桐生空は自分の体を預けていた『あの娘』に思いを巡らせながら、自分の過去を振り返った。

 

 

 

 十数年前、関東の山奥の村にある神社に一人の娘が誕生した。桐生空である。桐生家は神社の守り人という表向きの顔と代々魔術刻印を受け継ぐ魔術師の家という魔術の存在を知るもの以外には理解できない裏の顔をもっていた。桐生家はそれに加え、複雑な事情を抱える家系でもあった。

 

 魔術師の家系としては珍しく、他の魔術師家系の分家であり、その歴史は比較的浅く二百年にも満たない。大本である魔術師本家の開祖の名はマキリ・ゾォルケン、日本名は間桐臓硯。今から二百年ほど前、この冬木市に大聖杯を設置し聖杯戦争を開始させた魔術師御三家の一つ間桐家の当主である。

 

 本来、魔術師の家系というものは魔術の秘匿性、研究の特殊性、魔術刻印の継承等の事情があるため分家することはほぼあり得ない。通常その家から出奔する者は魔術刻印を継承することはできず、魔術師としての未来を絶たれてしまうためである。しかし、桐生家の初代はそうはならなかった。

 

 桐生家初代、間桐勇夜は魔術に対する考え方の決定的な相違から開祖臓硯と袂を分かった(初代の自伝によると「あまりの邪悪さに嫌気がさした」らしい)。ここで魔術師としての将来どころか死をも覚悟していた初代ではあったが、何の気まぐれか間桐臓硯は魔術刻印の一部を彼に移植し分家を許したのである。流石に無条件ではなく、分家には条件があった。

 

「桐生姓を名乗ること」と「間桐本家から要請があった場合、必ず生命を賭して助力すること」の二つである。

 

 一つ目の条件は間桐と同じ「桐」という文字を姓に刻むことで何かしらの魔術的な意味合いがあると考えられる。もう一つの条件はそのままであろうが『生命を賭して』という部分が問題だ。魔術刻印はある意味呪いともとれる魔術師の家系に課された宿命。この二条件は間違いなく引き継ぐ魔術刻印に刻み付けられるだろう。桐生家初代は迷った果てにこの条件を承諾し間桐家の分家となったのである。

 

 初代の研究が解呪に特化したものであり将来的に呪詛を解除できると楽観視していたのか、はたまた他の理由なのかは定かではないが、ともかくこの時桐生家は始まったのである。しかし、これが悲劇の始まりとなってしまった。

 

 呪いだ。正しくそれは呪いであった。桐生家が引き継いだ魔術刻印には継承時に条件とされた二条件以外にさらに強力な呪詛が刻みこまれていた。桐生家の人間は異常に短命となってしまったのである。

 最も長命とされる初代でも四十代の若さで亡くなっている。嫡子以外の兄弟、すなわち魔術刻印を継承していない者は特に顕著であり病や不慮の事故等、原因は様々だが早期に急逝している。この理に例外は無く、外からやってきた配偶者であっても、桐生姓となり桐生家に名を連ねた時点で影響を受ける。

 魔術刻印を継承している者でも、刻印を受け継ぐべき次の世代が一定の年齢となった時点で急速に衰弱する。魔術刻印が家の人々の精気あるいは運気を吸収しているとしか考えられない状況、刻印に組み込まれた恐るべき呪詛である。

 

 桐生家の歴史は呪いとの戦いであった。呪いから逃れるために刻印の継承を放棄すれば刻印に命を奪われてしまう。刻印を継承し、呪詛を魔術的に研究し解析し続け解呪するしか、この悪夢の連鎖を断ち切れない。

 苦難の連続であった。桐生家は多数の犠牲を払いながら、刻印の解呪方法に到達するための「解呪」、呪いの影響に対抗するための「身体強化」、呪いの影響下での魔術行使を補助するための「術式による自立自動詠唱」などの研究を代々文字通り命を懸けて続けていった。

 もちろん、呪詛の大元である間桐家を含む御三家や聖杯戦争についての情報も蓄積していった。

 

 

 

 十数年前、空の父親となる桐生蒼賢は悩んでいた。妊娠している自分の妻に解呪の術式を使うか否か。彼は桐生家の嫡子ではあるが一人っ子ではなかった。

 彼の母は彼の妹を流産した後、彼の弟を生んだが小学校に上がる前に交通事故で亡くなった。それを追う様に彼の母も病でこの世を去った。彼の父親は彼に刻印を継承した後、1年も経たぬ内に衰弱死した。

 

 彼は桐生家の魔術刻印の呪いの脅威を経験から痛感していた。百数十年の歳月をかけた研究でも刻印の呪詛の完全な解呪方法は完成していない。

 ただ、彼は呪いの影響を軽減する理論にまでは到達していた。しかし、理論のみでこの術式を実際に試した者はいない。副次効果で何が起こるかわからない上に成功するかどうかもわからない。そんな不完全な術式を愛する妻、そして生まれてくる我が子に使うなど……

 

 病院の検査によると彼の妻は双子を妊娠している。生まれてきた双子の内どちらかは……いや、もしかしたら片方の子供は流産ということも……。もう身近な者の死は見たくない。ましてや妻や我が子の死など、絶対に。彼は悩みぬいた末、身重の妻に先祖代々の研究成果を使う決心をした。

 

 そして数日後、一人の女の子が誕生した。

 

 桐生空である。いや正確には双子の女の子が誕生したのだが、一人は初めから息をしていなかった。片方の娘は死産であった。桐生蒼賢は術式を行使した自分自身を責めた。何も……何も変わらなかった。

 あなたのせいではないと彼を励まし続けた妻は、出産後体調を崩しがちになり空が小学校に通うようになるのを目前にして静かに息を引き取った。

 

 蒼賢はすべてに絶望し、自らの代で刻印の継承を止めることを決意した。それは彼と彼の娘の代で桐生家が潰えることを意味しているのだが、当時の彼はそのような大事にさえ考えが及ばぬ程、心の余裕を失っていた。

 

 

 

 月日は流れ、桐生空姉妹は成長していった。

 

 姉妹……そう姉妹なのである。桐生空と宙(ちう)の双子姉妹。姉の空と妹の宙、二人とも健在だ。ただ、妹の宙は少々特殊な存在である。

 

 彼女には自分の身体が無い、魂だけの存在なのだ。魔術的には幽体(アストラルボディ)のみでこの世界に存在しており、いわゆる幽霊とは違い存在自体は非常に安定している。魔術界における第三魔法『魂の物質化』の具現に最も近い存在ともいえる。

 

 もちろん彼女には自分の意思があり、姉の空とは念話で意思の疎通ができる。また、双子であるが故か姉の空と幽体を交換することにより、姉の身体を通じて通常の生活をすることも可能だ。

 その間、姉の空が幽体のみの存在となるので、幽体の交換は姉の同意が無ければできないが。

 

 宙の存在が判明したのは空が小学校に入学してしばらくしたころ、幽体の交換に初めて成功した宙が空の身体を通して父親の蒼賢に訴えかけたからである。

 蒼賢ははじめ空の悪戯かと思ったようだが、空が知るはずのないことを宙が言い当てたため魔術的に調査し、その存在を認識した。

 

 蒼賢は自分の双子の娘が特殊な状態とはいえ二人とも健在であることに涙した。もっとも空と宙の二人にとっては生まれたときからこの状態であり、それが自分たちにとって普通な日常だったわけで、むしろ妹の身体が無いことが不自然であることを後から周りの環境に気づかされたという感じであった。

 

 この姉妹がこのように存在している状況は、魔術刻印の呪詛と父蒼賢の行使した解呪の術式が干渉し合って起こったたぐい稀なる奇跡であろう。

 

 成長していく二人。

 

 空は父蒼賢が封印していた書斎にたまたま入り込んでしまった際に目にした魔術書を機に桐生家が魔術師の家系であることを知り、父の教えを受けながら魔術師としての知識と経験を積み重ね、魔術の研究に傾倒していった。

 

 その過程で桐生家に伝わる魔術刻印の呪詛や本家の間桐家や聖杯戦争に関する知識も得ることとなる。もともと頭が良かった空であるが、こと魔術に関しては天才的であった。高校に進学するころには、桐生家が積み重ねてきた魔術術式のほぼ全てをマスターし自らのオリジナル術式を組み込むことすら可能としていた。

 

 ただ、元来社交性に乏しく人付き合いが苦手で、体を動かすこともあまり好きではなかったため、煩わしい学校生活中はほとんど妹に身体を預けており、学校より自宅の魔術工房で研究している記憶の方が多いという日々を送っていた。

 

 一方宙は事情が異なり、姉同様自らすすんで人付き合いを行うことはない人見知りする物静かな性格ではあったが、学校で仲良くなった数人の友人とは親密に交流していたため、おそらく自分には身体が無い(姉の借り物)という認識が、彼女から積極性を奪っていたものと思われた。

 

 そんな宙に転機が訪れたのは、小学四年生の夏休みに家の神社の裏手で父蒼賢が御神刀で悪霊の類を切り祓っているところを目撃した時だ。

 

 実は宙は、自らが幽体であるにもかかわらず幽霊の類が大の苦手であった。空には見えないらしいのだが、宙は稀に幽霊を目撃することがあり、最初の頃自分と同様の存在だと思い接触を図ったことがあった。ところが、彼らは思考の大半を怨みや後悔の念に囚われており、言葉が通じず意思疎通ができないのである。意味不明な呪いの言葉を浴びせられ、宙は、幽霊は恐ろしい存在であるという認識を持つようになった。

 

 ところが、その日父は御神刀を用いてその恐ろしい存在を浄化させていたのである。

「宙。これもうちの家に伝わる神職としての大事な仕事のひとつなんだ。悪霊は存在し続けることで周りに悪い影響を与えるのみならず、自らも苦しんでいるのだ。彼らを祓ってあげるのも桐生家の務めなんだよ」

 

 父は優しく微笑みながら宙にそう語った。

 蒼賢は剣道と居合の有段者でもあり、御神刀を振るう父の姿を目撃した宙に力強さと美しさという強烈な印象を刻んだ。その翌日から、宙は竹刀を手に剣の道に邁進していったのである。

 

 中学校からは部活動も剣道を続けており、今では剣道三段、居合道初段の腕前である。また剣の道に傾倒する中、剣を使う時代である日本の近現代史にも興味を覚え、今や一端の歴女である。

 

 姉妹の身体と幽体についてだが、一人が空の身体を使っている時、もう一人は幽体の状態であり常に空の身体の近くにいる。幽体の存在が空の身体に依存しているため、空の身体から2mほどの距離までしか離れることはできない。身体は二人のどちらが使ったかに関係なく鍛錬されてゆくので、空の身体は宙の7年近くに及ぶ剣の修行の成果で見かけによらず強靭かつ俊敏である。

 

 空は妹の宙に身体を貸すことにまったく抵抗を感じておらず、むしろ自分では不可能だったレベルまで自分の身体を鍛え上げてくれたこと、そして学校ではまじめな優等生を演じてくれている妹に感謝している。

 また、煩わしい人間関係を妹に押し付けてしまっている自分に罪悪感を抱いている。通常の姉妹の感覚以上に妹のことが大好きであり、妹が幸せになるためなら何でもする覚悟を持っている。身体が一つしかないため、妹を自分の手で撫でることができないのが不満。

 

 宙はいつも自分のために身体を貸してくれる姉に感謝している。自分には理解できない複雑な魔術を次々と取得していく姉を誇らしく思っている。

 また、本来なら生まれた時には既に死んでいたはずの自分にはあり得なかった生活をする機会を与えてくれた姉が大好きである。姉の幸せのためなら自分はどうなってもいいという考えを持っている。

 

 姉妹が中学生になるころから、徐々に変化が起こりだした。空の身体と幽体の距離があまり離れられなくなってきたのだ。はじめは2m程度は離れられていた距離が1m、50cmと徐々に縮んでいき、高校2年となる今年にはその距離はほぼゼロ。身体に幽体が抱きついているというか少し重なっているような状態になってきていた。

 

 また、距離がほぼゼロになった頃から幽体になっている方は意識が徐々に失われるという現象が起き始めた。以前の様に幽体との距離がある程度離れていた頃は二人とも意識がある状態だったのだが、今は身体を支配している方は意識があるが、幽体になっている方は無意識(寝ているような状態)になってしまう。

 

 この現象はおそらく魔術刻印の呪詛によるもので本来失われるはずだった命を、呪いを軽減することで繋ぎとめている今の状態を維持し続けるのに限界が近づいているのではないか、というのが父蒼賢と空の共通の見解であった。

 つまり、このまま放置すれば宙は幽体を維持することができなくなり消滅してしまうのだ。

 

 姉妹が高校2年生になり、宙が消滅してしまう危機が明らかになって半月ほどたったある日。ついに運命の時がやってきた。物陰から染み出るように桐生家に現れた漆黒の羽蟲のような使い魔はこう告げた。

 

「間桐本家より要請。聖杯を得んがため、助力を請う」

 

 

 

「だめだ。私は反対だ。私が行く」

「何言ってるの。そんな身体じゃ無理よ」

 現桐生家当主、桐生蒼賢。空を刻印の後継者と認識した呪詛は、ついに彼の身体を蝕み始めていた。2年ほど前から玉手箱を開けたかのように老衰が進み、今や宙を魅了した剣技を披露した姿は見る影もない。

 

「私たちが行くわ」

 空は決意を秘めた眼差しで父を見据えた。

「宙はどうする。宙はこんなことを望んでは-」

「父様。このままじっとしていては宙が消えてしまう。そんなこと絶対に許せない」

「しかし、この計画では私はともかく空、お前も……」

「いいの。私は負けない! 抗って、抗って、最悪の呪詛に打ち勝ってみせるわ」

 

 空の考えた計画とはこうである。

 まず、父蒼賢より桐生の魔術刻印を空の身体に継承する。これにより、空は魔術刻印の所有者、すなわち桐生家の当主となり短命の呪詛から次の継承者候補が現れるまで解放される。

 

 次に、空の身体の所有権を(一時的に)宙に書き換える。(幽体と身体の繋がりの主導権を一時的に移し替える) そうすることで宙が魔術刻印の所有者であると呪詛が認識し、宙は短命の呪いの影響を受けなくなる。つまり、消滅の危機を回避できる。

 しかし、それを行った代償として、父蒼賢の衰弱は更に進み。宙の代わりに空が消滅の危機に直面することになるのだが。

 

 結論として、空の計画は実行されることになった。宙には、宙自身が消滅の危機に瀕していること、空が宙の身代わりになること、父の余命が極わずかになることは伏せられていた。

 冬木市へ行って、間桐本家の手伝いをしなければならなくなった。だから近い内に冬木市に引っ越しして、学校も転校になる。移動の間は、姉に代わって宙が空の身体を使う。という感じに伝えられていた。

 

 

 

 空は鍛錬に励んでいた。記憶と体力は妹同様に引き継いでいるとはいえ、自分で剣を扱ったことはほぼ無い。魔術師同士の戦いでサーヴァントを使役するとはいえ、実際に魔術と身体を行使して戦うこともあるのだ。魔術刻印の移植と身体の所有権の書き換えを行う出発数日前まで鍛錬は続いた。

 

 目標である人間大の木の人形まで3mほど、空が自分の身体に魔力を込める。

「身体強化、最速!」

 一瞬の内に人形の寸前まで肉薄した空は裂帛の気合と共に人形に打ち掛かる。

「はあーっ!」

 瞬時に三度、人形が揺れる。

 

 三度目の打撃の後、空の使っていた木刀の先端が衝撃に耐えきれずへし折れ飛んで行った。

 そのまま弧を描き、少し離れた地面に突き刺さる。

「お見事」

 父、蒼賢が声をかける。

 

「身体強化による底上げで経験による宙との差は十分埋められているな。剣筋は宙のものとそっくり、というのも同じ身体なのだから少し妙だがほぼ同列まで馴染んだか。身体強化魔術は相変わらず大したものだ。流石は我が娘、といいたいところだが武器の強度までは気が回らなかったようだな」

 

 と言いながら、右手に携えていた木刀が入っているであろう布製の鞘袋を空へ手渡す。

「私が長年魔力を込めてきた木刀だ。お前の魔力を込めれば武器としての強度はおそらく鋼鉄以上になるだろう。持っていきなさい」

「ありがとう、父様」

「礼を言うのは私の方だよ、空」

「え?」

 

「お前たちのお母さんが亡くなった時、私はすべてに絶望し私の代で桐生家に終止符を打つつもりでいた。それはお前たちも巻き込んで桐生家全員が死に絶えるということ。今思えば愚かな考えに取りつかれていたものだ。そんな時、お前は宙の存在を私に指し示してくれた。一族の、いや私の呪詛への抵抗は無駄ではなかったと教えてくれたのだ。お前たち姉妹は私にとって希望そのものだ。本当に生まれてきてくれてありがとう、空、宙」

 

「父様……」

「だからこそ、本当はお前たちを送り出したくはない」

「私だって……私だって本当は……、あ、あれ? おかしいな」

 空の頬を一筋の涙が伝って落ちた。

 

「我慢しなくていい」

 父親に促され、空の押し込めていた感情が爆発する。

 

「私だって本当は父様や宙と平穏に暮らしていたい。宙と二人で楽しく高校生活を送りたい。でも、どうして! どうして父様はそんなに弱っているの? 宙には何故自分の身体が無いの? どうして私たち一族はこんなに早く死んじゃうの? 何で? どうして? こんなに普通のことを望んでいるだけなのに、なぜ私たちにはそれが手に入らないのよ。特別な力なんていらない。魔術なんて使えなくても良い。訳のわからない本家の呪いなんて知らない。私達のささやかな暮らしを返して! 宙の身体を返して! 私は、私は、私は……! うわあああああああああ」

 

 父に縋り付いて、空は泣いた。泣いた。泣いた。これまで溜まっていたものすべてを吐き出すように号泣した。

 父は泣きじゃくる娘をやさしく抱きしめ、その頭を撫でた。

 

 

 

 しばらくして────―

「ごめんなさい父様。でも、これですっきりした。私、聖杯を手に入れて桐生にかけられた忌まわしい呪いを打ち破る。そして、宙の消滅を必ず阻止して見せる」

「空、お前は本当に強い娘だな。もう止めはしない。思う通りにやってみなさい」

 父は成長した我が娘たちにすべてを託した。

 

 魔術刻印の移植をする冬木市への出発2日前の晩、空は自室で宙の手紙を見つけた。

 最近は片方が活動している間、もう片方は寝ているような状態のため、姉妹の連絡方法は交代する前に相手に対して手紙を書いておく方法をとっていた。

 

『いよいよ出発の日が近づいてきましたね。私は昨日友達とのお別れを済ませました。うちの親戚に当たる間桐さん? のお手伝いのため、暫くここには戻れないという話ですが、今年中には帰って来られます、よね? お別れの時、小雪ちゃんが大泣きするので、私もつられて一緒に泣いてしまいました。

 最近、手の平に身に覚えのない豆ができているなと思っていたのですが、姉さまは魔術だけでなく、剣道の鍛錬もされていると父様から聞きました。流石は私の尊敬する空姉さまです。私は、魔術のことはさっぱり理解できませんが、いつか剣の技について姉さまと語り合いたいです。でも、冬木までの行き方が覚えられないって(笑)少しはそういうことも身につけないと駄目ですよ。  大好きな空姉さまへ 宙より』

 

「宙……、私も頑張るから」

 空はかみしめるようにつぶやくと、大好きな妹に思いを馳せ自分の身体を包み込むように抱きしめた。

 

 出発前日の晩、魔術刻印の移植は問題なく成功した。あとは空の身体の所有権を宙に差し替える施術を行うのみである。

「今更だが、本当に良いのだな」

「ええ、父様。大丈夫」

 

「確認するが、幽体の経路を宙に移し替えると同時に呪詛は空、お前の方に強く影響を及ぼすようになるだろう。正確にはわからないが、お前たち二人のうちどちらかを消し去ろうという力は日に日に強力になっているように感じる。

 

 時間はあまり残されてはいないようだ。宙を保護するために今回の措置を講じ、空、お前は魔術刻印の所有者でなくなる。そのように呪詛を欺くのだ。しかし、刻印所有者で無くなったお前が自分の身体を使えば呪詛はお前の命を短期間で奪ってしまうだろう。

 よって、聖杯戦争が始まるまでお前は表に出るべきではない。それまでの過程は宙に担ってもらうしかない。

 

 そこで、お前たち二人に強力な暗示をかける。

 

 宙には、『自分は桐生空であり、自分は一人っ子で姉妹はいない。此度は進学の都合で親戚の間桐家のお世話になるために冬木市に向かう。間桐家や自分の家が魔術師の家系だということはまったく知らない』と思い込ませる。

 

 こうすることにより、宙の記憶だけでなく、意識からもお前の存在を消し呪詛の影響を最小限に抑える。一方、お前の幽体は精神体として宙の中で深い眠りにつく。まるではじめから存在していなかったが如く、深い深い眠りに。

 

 そして聖杯戦争という魔術師同士の戦いに巻き込まれ、宙が自身の生命の危機を強く感じた時、真の桐生空が深い眠りから目覚め、逆に宙は精神体として深い眠りにつく。ここからが空、お前の戦いが始まる時だ」

 

「わかってはいるのだけれど、一時的でも宙が私のことを忘れてしまうのはつらいわね」

「それともう一つ。ほぼ可能性のない万が一の話だが、間桐本家が戦力にならないと判断し、宙に聖杯戦争への参戦を強いなかった場合、空、お前はおそらく永遠に目覚めることなく宙の精神体の一部となる。宙は一生、桐生空として生きていくことになる」

「それは宙が普通の女子高生として平穏に暮らし続けていけているということでしょう。それならそれで私は構わない。宙が幸せなら、それで」

「空……」

 

「でも、その可能性はほぼ無い。こんな忌々しい呪詛をかけた間桐本家が聖杯戦争という大一番に臨むのに、わざわざ呼び寄せた桐生の人間をみすみす見逃すはずないわ」

「おそらくその通りだろう。今回の聖杯戦争は桐生家の命運をかけた大いなる賭けだ。宙、そして空、私の愛しい娘たち。お前たちにすべてを託そう。この無力な父を許せ」

 魂の経路を入れ替えるという極めて特殊な降霊魔術に属する施術が今始まった。

 

 

 

 数時間後、

「じゃあ、お父さん。私そろそろ行くね」

「気を付けて行ってきなさい。私は神主としての務めがあるから付いて行ってやれないが、向こうでも弱音を吐かずに頑張るんだぞ、空」

「うん、大丈夫だよ。心配しないで。お父さんも体には気をつけて。行ってきます」

 こうして、桐生空は故郷を後にして冬木市に旅立った。

 

 見送る父、蒼賢の姿はまるで年老いた翁のようであった。

 

 

 

 そして、宙は聖杯戦争に巻き込まれ、私が目覚めた。

 これが何を意味するかは明白。

 私、桐生空はこの戦いに負けるわけにはいかない。聖杯を手にし、呪われた鎖を断ち切るまでは────。

 

 

 

 今までとは違う、潤沢な魔力供給を受けセイバーの回復は順調のようだ。

(これでよし。後は……本家の御爺様にご挨拶しなければいけないわね)

 忌々し気にそう考えていると、空はアパートの外にただならぬ気配を感じた。

「お出ましのようね」

 空はほんの少し緊張した面持ちでアパートの部屋から出て行った。

 

「ほう。汝(うぬ)があの桐生空か。わしの想定とは少し違う、まるで別人よな。一体どういうからくりか。申し開きがあればするがよい」

 影から染み出てきたような不気味な老人がアパートの外に佇んでいた。

 

「間桐臓硯様。はじめてお目にかかります。桐生家の魔術師、桐生空にございます。これまでにあなた様と相対しておりましたのは私とは別の人格であり、本来の私ではありませんでした。おそらく私の父親が私にかけた暗示により別人格が表に出ていたものと」

「ふぅむ」

「父は浅はかにも私が魔術の素人であり聖杯戦争では使い物にならないと臓硯様に誤認させることにより、私を戦いから遠ざけようと考えたのでしょう。大変失礼をいたしました。わが父に成り代わりお詫び申し上げます」

 

 臓硯を前に深く跪きながら空は、父様ごめんなさいと心の中でつぶやいた。

「まあよい。この後はわしの指示に従い、間桐のマスターとして此度の聖杯戦争に改めて挑め。さすれば、今宵迄の無礼は許そう」

「ありがとうございます。改めてマスターとして聖杯戦争に臨みます」

「よし。では今後の方針だが、対戦相手のマスターと契約しているサーヴァントを悉く撃破せよ。よいか。マスターよりサーヴァントを倒すことを優先するのだ」

「マスターの排除ではなく、サーヴァントの撃破を優先、ですか?」

「うむ。そう言った。今回の聖杯戦争は通常とは少し毛色が違っておる。そうすることにより聖杯はより力を増すであろう」

 

 正直、空は臓硯の指示の意味するところを図りかねていた。しかし、ここは素直に指示に従う風を装うことにした。何より聖杯の力が増すなら自身にとっても都合の良い話だ。

「仰せの通りに」

「よろしい。しかし、蟲の力で目覚めたものと思っておったが、どうやら違うようじゃな。これが汝の本当の魔力か。思いの外たのもしいの。以前にくれてやった施しの刻印蟲は無駄になるやもしれんな」

 

「!」

 今、何を言ったのかこの老人は。刻印蟲……蟲??? ──。

 間桐家の魔術体系に特殊な蟲を使ったものがあることは桐生の先祖が記した書物で読んで知識としてはある。その使途は──―

 

「汝が初めて間桐を訪れた際の晩餐を覚えておるか? ……美味だったであろう。うん? クカカカカカカ」

 臓硯はしわがれた喉を不快な音で震わせた。

 

 やられた! 既に私の体内に!! 無防備な宙に何ということを!!! 

 

「まあそう嫌うでない。素直に受け入れれば更なる魔力の増強となる。励むが良い」

 驚きと怒りが綯交ぜとなった感情が空にふつふつと湧きあがる。が、ぐっと堪える。

「そうそう、汝のサーヴァントは未だ回復中であろう。今、他の陣営に戦いを挑まれては少々まずいことになるが-」

 

 間桐臓硯は空の住まいのアパートを一瞥し、続けた。

「汝のサーヴァントはなかなか良い働きをした。汝が住まうこの建物は間桐家の所有物であり、魔術工房としての機能を果たしておる。サーヴァントと汝の魔力の経路はここではより強固になる。更にこの場所に結界を張っておいてやった。他陣営のサーヴァントやマスターもそう簡単には侵入できまい。サーヴァントが回復するまでの時間稼ぎ程度にはなるであろう、安心するが良い」

 

 その時、上空から一羽のカラスが臓硯の方に舞い降りた。いや、カラスの様に見えるがよく見るとカラスではない。蟲、蟲の群体だ。漆黒の羽蟲の群れがカラスの形をしていたのだ。羽蟲の群れは臓硯に何事かを伝達すると溶けるように彼の影の中に消えていった。

「この後、情報のやり取りは使い魔を通して行う。物影に留意せよ」

「畏まりました」

「くれぐれも、わしの言いつけを守って戦うのだ。心せよ」

 間桐家当主、間桐臓硯は、文字通りその影の中に溶けるように消えた。

 

 

 

 とりあえず、空は自室に戻った。これからの戦いは間違いなく過酷なものになるだろう。特に先刻襲撃をしかけてきた陣営が気がかりだ。セイバーは敵のマスターを倒したとは言っていたが確認はできていない。もし、相手がまだ健在ならどうするか──。

「時を開けずにまた襲撃に来るわね」

 

 考えをまとめる間もなく、空のアパートの周りに張られた結界に違和感、そして衝撃! 

(まずい。まだセイバーは回復中だ。サーヴァントがいるなら私一人では勝ち目がない。どうすれば……)

 空は相手の姿を確かめようと、アパートの窓から気づかれぬよう外を伺った。

 そこにいたのは、宙が公園で出会ったあの少女だった。

 

「あの娘は……」

 その時、空の部屋の物影から形容しがたいおぞましい形をした黒い物体が這い出てきた。先ほどの話が無ければ、思わず声を上げてしまいそうな醜悪さ。おそらく間桐臓硯の使い魔の蟲だ。なんとか無言を保った空の頭に念話が届く。

『予測通り。汝を襲った陣営がここまで追ってきたようだ。しかし、この間桐臓硯が張り巡らせた結界はそう甘くはない。しばらくすれば撤退するであろう。ここに籠っておれば問題あるまい。ただ、敵にこの場所が知られておるのは良くない。まずは、この陣営から叩くしかあるまい』

 

 前言通り、しばらくすると結界の違和感は消え、結界外の気配も何処かへ立ち去ったようだ。

『あのマスターはホムンクルスか、おそらく、敵陣営はアインツベルンだな』

 アインツベルン。聖杯戦争の始まりの御三家の一つ。

『アインツベルンのホムンクルスは強力な魔術の使い手。姿形に惑わされるでない。敵は結界の外の何処かで汝が出て来るのを待っておる。心当たりがあるのなら気を付けるが良い。こちらから襲撃をかける心づもりならば……』

 

 使い魔の蟲が少し動くと、どこから現れたのかぼろきれのようなものが床に落ちている。

 空がぼろきれ(?)を拾い上げると印がついた地図のようなものが浮かんできた。

『奴らの拠点はそこにある洋館ぞ』

 そこまで告げると、使い魔は元の影に戻っていった。

 

「あの娘がアインツベルンのマスター……」

 心してかからないとだめだ。相手は魔術師。しかも、間桐家に匹敵する御三家の魔術師なのだ。いくら宙が友達になった娘とはいえ、油断すれば殺されるのはこちらの方だ。

「ごめんなさい。私たちは負けるわけにはいかないの」

 自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。

 

「精神抑制。モード《狂戦士》」

 

 空は自分の精神を魔術で無理やり押さえつけた。

 戦いに余計な感情は不要……これで、躊躇なく戦える。

「後は身体の方を仕上げないと」

 旅立ちの前夜以来だ。空は自分の精神と宙が鍛え上げた身体を同調すべく、部屋の外へ出て竹刀の素振りを始めた。

「ずいぶん久しぶりに感じるわね。少し体が重い」

 

 空が自分の思う通りに身体が動かせると感じ始めたのは東の空が薄明るくなる頃であった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。

ここから後半戦です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話 ツヴァイの友達

 どれくらい意識を失っていたのだろう、意識が戻ると空を寝かせたベッドが空っぽになっていたためセイバーは焦った。実体化し「マスター!」と呼びかける。

 ガチャッ。部屋のドアが開き、空が入って来た。

「脅かさないでください、マスター。熱は大丈夫ですか、お身体の具合は?」

「ええ、もう大丈夫よ」

 妙に落ち着いた声で空が答える。時計を見ると朝の5時半だった。部屋に戻ってから5,6時間は経っていた。不覚にも随分長い間意識を失っていたようだ。

 とはいえ十分な回復ができる程の時間でもない。しかし、自身のことだけいえばかなり回復しているのが感じられた。そもそもマスターから供給される魔力量が、以前よりも格段に増している気がする。

 

「さすがに今日は、学校はお休みされますか?」

「ええ、今日は色々やらなくてはいけないことができたから……。後で付き合って頂戴」

「えっ!? 身体を休めるのじゃなくて、何かするために学校を休むのですか?」

「そうよ、私には学校よりも優先すべきことがある。セイバーにも当然心当たりはあるでしょう」

 何だこの違和感は。目の前のこの人は本当にあのマスターなのか? セイバーは何とも言い表しようのない疑念を感じていた。

 

 午前10時を回った頃、空は普段ジョギングやトレーニングの時に着る白いジャージに着替えた。いつもは使っていない木刀を持ち出し鞘袋に納めるとジョギングシューズを履き、「そろそろ行くわよ、ついて来て」と振り向きもせず呟いた。

 

 意識を取り戻してから今まで空とセイバーは殆ど会話を交わしていない。

 空からセイバーに話しかけてくることは全くなく、セイバーが重苦しい雰囲気を払拭したくて他愛もない話題を振っても、最小限の相槌が返ってくるだけで、会話が全く成立しない。耐え切れなくなったセイバーは途中から霊体化し姿を消していた。

 学校を休んでいるのに、そんな恰好でどこに行くのですか? と聞こうかと思ったが、天性の第六感がそんな質問は無意味だと告げていたので、セイバーは「わかりました」と短く返事をした。

 

 玄関を出るとお腹を空かせた「クロスケ」が、空の足元に纏わりつき「にゃ~ん」と甘えた声で鳴いた。セイバーにしてみればいつもの光景である。

 

 その子猫を、空は、蹴飛ばした! 

 

 厳密に言うと蹴飛ばした、は正しくない。空はその小さな生き物の存在を全く認識しておらず、踏み出した足の途中にそれが存在したため勢いを緩めないつま先が子猫の横っ腹に当たっただけというのが正確な表現である。

 子猫は悲鳴をあげ、階段の下の住処に逃げ込むと、毛を逆立てて「フ~ッ!!」と怒りの声をあげた。

 

 ここまでのことならば、以前でも起こり得た出来事である。どちらかと言えば、オッチョコチョイというカテゴリーに分類される空なので、慌てていたなら同じようなことはあり得ただろう。だが、ここから先の反応にセイバーは驚きを隠せなかった。

 マスターはそれこそ猫なで声で子猫に謝るだろうと思っていたのだが、子猫の存在がすっぽり抜けてしまったかのように、猫の方には視線もやらずに足早にその場から立ち去って行ってしまった。

「マスター……」

 実体化し声を懸けたが、空は振り返らずに歩いて行く。

「ごめんな、クロスケ。今日はマスター少し調子が悪いみたいだ」

 子猫の頭をそっと撫で、セイバーは呟いた。

 

 そんな事をしている間も空は歩みを緩めずどんどん先に進んで行った。

 慌てて霊体化し、マスターの後を追うセイバー。アパートの敷地を出る際、この場所に強力な防御結界が張られていることに気付いた。

 昨晩はこんな結界無かったはずだけど……

 そして、前を歩く空は何やら呪文のような言葉を呟いている。

 

 マスターもやっぱり魔術師の家系なのだろうけど、術を行使しているのは初めて見るな。当たり前の様に呪文を唱える空を見て、セイバーは少し驚く。

 詠唱が終わったのか、空自身に術式が施された。どうやら周囲からの認識を阻害する魔術のようだ。これで、よほど感覚の鋭い者でもない限り、殆どの人は空とすれ違っても彼女に気が付かないだろう。

 

「マスターも魔術が使えたのですね。アパートの周りの結界もマスターが?」

「あれは、私じゃないわ……。この術は言葉を発すると効果が薄くなるから。目的地に着くまで、もう話しかけないでくれる」

「わかりました……」

 だったら、あの結界は誰が? もやもやした気持ちを抱えたままセイバーは黙って空の後に付き従った。

 

 空の歩む足取りはいつもの通学路だった。

 目的地って学校なのか? 疑問を感じつつ話しかけるなと言われたので、黙って後をついていくセイバー。

 

 やがて、通学路の途中にある公園の横まで来ると、空は認識阻害の術式を解除し、公園に入って行った。

 ここは……、昨日銀髪の少女と出会った場所だな。

 公園とは言うものの、遊具と呼べるものは少なく、ブランコとジャングルジムと滑り台くらいしかない。滑り台は一般的な階段を登るようなものではなく、コンクリートで造られた小山に備え付けられていて、山のてっぺんから滑り降りるようになっている。小山には子供が少し屈んで入れるくらいのトンネルが造られており、四方にその出入り口があった。他には砂場と芝生の敷かれた広場があるくらいである。

 

 敷地自体はそこそこ広く、休日ともなると球蹴りやキャッチボールをして遊ぶ子どもたち、ペットを連れた親子連れなどでそれなりに賑わっていた。だが、今は平日の昼間なのもあってか人の姿は見当たらない。

 

 公園に入ると空は鞘袋から木刀を出し、おもむろに素振りを始めた。

「マスター、よく分からないのですが、鍛錬なら衛宮邸の道場に行った方が良いのではないでしょうか?」

 術式も解除されたし、もう話しかけても良いだろうと思い、霊体化したまま空に話しかけるセイバー。

「しっ! もう少しそのまま待機してて」

 むぅ、今日はマスターに話しかけてはいけない日なのだろうか。と、言うか、それ以前に今日のマスターはいつもと違い過ぎる。別人と相対していると考えた方がまだ納得できる気がする……

 

 セイバーがそんなことを考えていると、

「空お姉さん!」

 小山の方から昨日の少女が駈け寄って来た。

 この子、一体どこから現れたのだろう。昨日の今日で随分タイミングがいいな。セイバーは不思議に思う。

 駈け寄る少女に気付いた空は、素振りを止め、少女の方に身体を向けた。

 少女はにこにこ微笑みながら空に話しかけてきた。

 

「こんなにすぐにまた会えるなんて、すごい偶然だね。嬉しいな。ねぇ、もし良かったらあそこのブランコに座って少しお話ししませんか」

「ええ、そうしましょう。ツヴァイちゃん」

 空は木刀を左手に持ち替え少女、ツヴァイと並んでブランコの方に歩いて行く。そして、二人は隣同士のブランコに腰を下ろした。

 

「あたしの名前覚えていてくれたんだね。ありがとう」

「もちろんよ。だって、私たち友達なのでしょう?」

「…………」

 その言葉を聞いたツヴァイは、少し伏し目がちになり唇をぎゅっと噛み締めた。ブランコの鎖を握る小さな掌にも力が入る。

 が、すぐに顔を上げると、

「そ、そうだよね……お友達だもんね」

 そう言って足で地面を蹴り軽くブランコを揺らした。

 

「ところで、今日はお母さんは一緒じゃないの?」

 空のその言葉に、今度は足を地面に着きブランコを止めた。少し上半身を捻って若干空の方に背中を向けるような姿勢となり、顔を俯けた。

「うん、ママは……、いないよ……」

 声が少し震えている。

「ふ~ん、じゃあやっぱり、あの後死んじゃったんだ」

「えっ!?」

 ツヴァイの顔から血の気が引く。驚いてブランコから飛び退き、二、三歩後ずさった。

「あなたたちはアインツベルンのマスターなのよね。差し詰めツヴァイ・フォン・アインツベルンってところかしら。今日ここで会ったのも偶然じゃない。

 あなたは昨晩サーヴァントを連れて私のアパートに来たわよね。でも、結界があって入れなかった。

 だから、昨日の夜からあの小山のトンネルの中で私が来るのを待っていた。違う? あなた最初から私を騙し討ちするつもりで、友達になろうなんて言ったんでしょ」

 ブランコから立ち上がった空は、ツヴァイに向けて言い放った。

「もう、友達ごっこは終わりよ」

「…………」

 ツヴァイは目を大きく見開き、瞳からは大粒の涙が一つ二つと地面に落ちた。

 

「おまえ! おまえっ!! おまえなんかにツヴァイの何が分かるんだ!!」

 突如実体化したアサシンが空に斬りかかる。

 キンッ! 実体化したセイバーの刀がそれを防いだ。

「おまえらっ! ぜったいに許さないぞっ!! 跡形も残らないくらいに解体してやるっ!!!」

 アサシンの瞳は、見た目の幼さとは全く釣り合わない異常なほどの殺意に満ちていた。

 

 当然ではあるが、昨日の出来事以来、いつもにこにこしていたツヴァイから笑顔が消えていた。

 ずっと俯きがちで、手が震えている。

 これから6人の敵マスターと戦わなければならない。中でもツヴァイにとって空と戦うことがどんなに辛い事なのか、しかし彼女の願いは、空を含めた他のマスター全員が倒されなければ達成できないのだ。

 

 思いつめた表情の少女にジャックは何と声をかけていいのか分からず。隣に寄り添い、震える手に自分の手を重ねることしかできなかった。

 今日のこの戦いに、ツヴァイがどんな気持ちで臨んでいるのか。こいつはぜんぜんわかっていない。もうこれ以上ツヴァイに悲しい想いをさせたくない。わたしたちがこいつを殺すんだ! 

 

「ザ・ミスト(暗黒霧都)!」

 アサシン、ジャック・ザ・リッパ―がそう叫ぶと辺りに霧が立ち込める。ジャックの出身地ロンドンにおいて、産業革命以降大量に排出されるようになった膨大な石炭の煤煙が、1950年代に硫酸の霧となって大災害を引き起こした。ジャックの「ザ・ミスト」はその「死の霧」を再現する宝具である。

 

「あのサーヴァントは直接私を狙ってくるはず。感覚を研ぎ澄まし、絶対に奴を私に近づけないで。アインツベルンのマスターは私が倒すわ」

「承知しました、マスター。しかし、大丈夫ですか」

 子どもとは言え敵性魔術師である。今までの空を基準に考えるとセイバーの心配は当然と言えた。

「何も問題ないわ。あなたは自分の役目を果たしなさい」

「分かりました。では、ご武運を」

 ここまで言われてはマスターを信じて任せるしかない。意識を霧の中に消えた敵サーヴァントに集中させる。

 

 これとよく似た状況に遭遇したことがある気がする。生前のことなのか、最近のことなのかは思い出せないが……不思議な既視感に捕らわれながらもセイバー、沖田総司は心眼により辺りの気配を感じ取った。マスターからの魔力供給が増えているせいなのか、今までにないくらい感覚が鋭くなっている。これなら! 

 

「そこだっ!」

 沖田総司の放った鋭い突きの勢いにより、周囲の霧が剣先の方に流れ一瞬その部分だけ霧が晴れた。

「ちっ!!」

 ジャックは確かにそこに居た。だが、総司の刀は後、数センチ届かなかった。

「どうしてっ! 昼間だから? どこにいるのかバレちゃってる。敵のマスターに近づけないよ。ツヴァイは本当にあいつと友達になりたかったのに、あんなひどいこと言うなんて、あの女だけは許さない! ぜったいにこの手で解体してやる!! だけど、おかあさんを殺したのはあのセイバーなんだ。あいつ昨日わたしたちの宝具をまともに喰らって死にそうになってたのに、どうしてあんなに回復しているの。あぁ、あいつもこの手で切り裂いてやりたいっ!」

 ジャック自身気付いていなかったが、彼女の精神は怒りに蝕まれ徐々に退廃しつつあった。

 

 キンッ キンッ カッ シャリッ

 

 霧の中から刃と刃がぶつかる鋭い剣戟の音が響く、常人ではありえない程の速さでの斬り合いが繰り返されていることが伺えた。

 

「さぁ、私たちも決着を付けましょうか。アインツベルンのマスターさん」

 木刀を構える空、魔力によるものか刀身は青いオーラの様なものを纏っていた。

「うん……そうだね……もう友達ごっこはお終いだもんね……」

 潤んだ瞳を袖で拭い、ツヴァイは空に向かって構えを取る。

 

 彼女の右手から冷気が迸りたちまち氷の剣が生成された。その氷の剣を両手で握ると、腕を真上に伸ばし、時計の針の様に360度ぐるりと回転させた。氷の剣の通った後に残された冷気の粒が大きくなり、無数の氷柱が先端を空の方に向けた状態で出来上がる。

「えいっ!」

 ツヴァイの掛け声と共にその無数の氷柱が一斉に空めがけて発射された。

 次々と飛来する氷柱を空は木刀一本で右に左に叩き落していく。かの天才剣士を彷彿とさせる剣捌きだった。

 

 ツヴァイが左の掌を空の方に向けて差し出すと、そこにさっきの物より大きな氷柱が造られ撃ち出される。即座に木刀では捌けないと判断したのか、右に転がりそれを躱す。立ち上がりざまに短距離走のスタートの様な体勢を取ると、踏ん張った足に力を込め一気にツヴァイに向かって距離を詰めた。同時に下から振り上げられた木刀がツヴァイを襲う。

「!!」

 咄嗟に氷の剣で受け止めたが、体格からくる力の差か、弾き飛ばされごろごろと後ろに転がるツヴァイ。

「お姉ちゃん本当に強いんだね。その刀、木でできてるんでしょ。あたしの氷は鉄より硬いはずなのに」

 立ち上がりながらツヴァイが呟いた。

 

 さっきから散々氷柱を叩き落したりしているのに、空の木刀には傷やへこみが全くなく、加えて空自身も呼吸一つ乱していない。

 

 ツヴァイは剣を地面に突き刺すと、首から下げていた袋を取り出し、中に入っていた氷でできたビー玉の様なものを右手に握れるだけ握り、それらを空の方に向けて投げつけた。

「フリーレンライスッ!」

 ツヴァイが叫ぶと、玉から氷が樹木の様に枝分かれしながら生えてくる。それらは鋭く錐の様に尖っており、全ての切っ先が空に向かって正確に枝を伸ばす。

 その瞬間、「身体強化! 最速!!」

 空がその場から消えた、と思ったらツヴァイの目に前に現れた。驚いて剣に手を伸ばすツヴァイ、だが氷の剣は空の木刀に弾かれくるくると回りながら数メートル先に突き刺さる。尻もちをつき地面に手を着くツヴァイの喉元に木刀を突きつけ、「これで終わりね」と空が言った。

 

 ジャックは焦っていた。ザ・ミストを発動しているのに、殆ど居場所が隠せていない。本来自分たちの戦闘スタイルは不意打ちがメインなのに、まるで霧など無いかの如く全て正確に対処されてしまっている。ならば手数で押し込もうとしたが、敵サーヴァントはスピードでさえも互角以上といえる状況だ。

「どうして!? こいつ、明らかに昨日より強くなってる。昨日のダメージは残ってないの。あぁ、早くあいつを虐殺したいのにっ!」

 

 恐らくこのサーヴァントを無視してツヴァイたちのところに行くのは不可能だ。かと言って倒す糸口が見つからない。焦りと苛立ちで頭の中に熱が貯まっていくような感覚を覚える。出口が見えないまま両手に握ったナイフを振るい続けた。

「あ、痛っ!」

 左手に痛みが走った。昨日セイバーに斬られた傷口が開いた。

 ツヴァイと聖杯に託す願望について話をした後、右手で応急措置の外科手術は施したのだが、まだ完全に治ってはいなかった。

 

「わたしたちはこんなに痛くて、苦しいのに、どうしてこいつはこんなに平気なの? 狡い、ズルい、ずるい、ズルい、ずるいよっ!! 

 わたしたちはおかあさんにツヴァイのことを任されたんだ、こんなところで足止めされてるわけにはいかないのにっ!」

 

 集中が途切れたせいか霧が薄まる。

 ツヴァイ達の方に目を向けると、倒れたツヴァイに空が木刀を突きつけていた。

「ああっ! ツヴァイっ!!」

 

 それは正に一瞬の出来事だった。沖田総司の放った三連の突きが正確にジャックの急所を捉えた。

「隙ありっ!! 絶刀! 秘剣無明三段突きっ!」

 ジャックの小さな身体から大量の血液が吹き上がる。ジャックはツヴァイの方に手を伸ばしたままもんどりうって転がった。

 

「ジャック!!」

 その光景を目撃したツヴァイが叫ぶ。

 すぐさま空を睨むと、握った右こぶしを口に着け、親指と人差し指の間の隙間に「フッ」と息を吹き込んだ。空に向けられた小指側の隙間から、20センチはあろう太い氷の針が彼女の眉間めがけて飛び出す。

 

 しかし、ここで空は人間離れした反応を見せた。

 驚くべきことに左手で飛んでくるその針を掴み、反射的にツヴァイの方に投げ返したのだ。

 至近距離から投げ返された氷の針はツヴァイの胸部に深々と突き刺さった。

 

「かはっ!」

 口から血を吐き、後ろに倒れるツヴァイ。そのまま暫く仰向けのまま倒れていたが。ゆっくりと立ち上がり、よろよろと数歩ジャックの方に歩くと今度はうつ伏せに倒れる。

「ジャック……ママが待ってるよ……お家に……帰ろう……」

 這うようにずるずると進むと、倒れているジャックの方に手を伸ばす。倒れたジャックが握っているナイフに手が触れた瞬間。ジャックは金色の光の粒子となり消滅した。

「そんな……ジャック……あぁ……ママのところ……に……」

「ぐほっ、ごぼっ!」

 針は致命的な場所に命中していたのだろう、口から大量に血を吐くと、ツヴァイはそのまま動かなくなった。

 

 その光景を黙って見ていた空は、

「最後にあんな攻撃を仕掛けてこなければ……マスターであるあなたまで殺せとは言われてなかったのに……」

 と誰にも聞き取れないような小声で呟いた。

 

 そして、

「終わったわ。さぁ、帰りましょう」

 ちょっとした野暮用が片付いた、そんな感じの口調でセイバーに声をかける。

「この子はどうするのですか?」

 目の前に倒れている少女を見つめながらセイバーが問う。

「放っておけばいいわ、すぐに聖堂教会が遺体を片付けにくるでしょう」

 空の言う事は恐らく間違ってはいない、でも……

 

「あの、マスター……私がこんなことを言うのはおかしいのかも知れませんが、本当にそれでいいのですか? 以前のあなたならそんな事絶対言わなかったと思うのですが……」

 空が冷めた目線をセイバーの方に向け言う。

「ええ、おかしいわね。昨日あなたは人間死ねば終わり、敵に情けをかけるな、とか私に言わなかったかしら?」

「それは私の死生観ですが、マスターにまでそれを押し付けるつもりはありません。捨て猫の世話をしたり、迷子の心配をしたり、マスターは本当に優しくて心の綺麗な方だと思っていました。でも今日のマスターの言動からはそれが一切感じられない」

「結局どうしろと言いたいの?」

 イライラした感じで空が問う。

 

「あのサーヴァント……恐らくアサシンでしょう。アサシンが消滅した時、少し思い出したのですが、昨晩もこのアサシンとは戦ったような気がします。

 その際に一緒に居た大人の女性を敵マスターだと思って倒しましたが、彼女がこの子の母親だったのではないでしょうか。

 この子は母親の所に帰りたいと言っていました。末期の願いを聞き入れてこの遺体を家まで運んであげてはいかがですか」

「馬鹿馬鹿しい。何でそんなことを、ホムンクルスに親も子もないわ。うっ(ズキッ!)」

 突如空を頭痛が襲う(駄目だよ……)頭の中に声が響く。

 

「マスター、どうされました?」

 苦しそうな表情の空を心配してセイバーが話しかけた。

「何でもない……」

 空はポケットからぼろきれのようなものを取り出すとセイバーに渡し、

「その印の処にある洋館がアインツベルンの今回の拠点よ。連れて行ってあげたいなら好きにすればいい。私は先に帰るわ」

 そう言い残すと、セイバーに背を向け去って行った。

 

 セイバーは半開きのまま輝きを失ったツヴァイの瞳を閉じさせ、胸に刺さった針を丁寧に抜いてあげた。その際、少女の胸に手術痕のような大きな傷痕が残されていることに気付く。

「こんな幼子にも命を懸けて戦わなければならない理由があったのだろうか。そう言えば今まで敵の事情とか考えたことは無かったかもしれないな……」

 最後に涙と血で汚れたツヴァイの顔を綺麗に拭いてあげると、彼女を背負い、教えられた場所に向かって歩いていった。周囲からは眠った子どもを背負っているように見えるだろう。そうであって欲しい。

 

「どうして私はこんなことをしているのだろう……」

 マスターの言っていることは正しい。聖杯戦争のマスターとしては……

 最初から今日のような態度のマスターに召喚されていたのなら、私は何の疑問も感じず命令に従っていただろう。

 だが、桐生空というマスターは、優しくて、お人好しで、どこか抜けていて、でも一生懸命で、一本芯が通っている。

 

 私にとっては、放っておけないかけがえのない人物だった。最後までマスターのために戦いたいという私の願いは変わらない。が、そのマスターの願い自体が、誰かの手によって本人の望まないものに捻じ曲げられているのだとしたら……

 あぁ、近藤さん、土方さん。私は一体どうすればいいんですか。

 頭の中がぐちゃぐちゃで考えが全くまとまらない。そうこうするうちに、教えられた洋館に到着した。

 

 建物全体を西洋木蔦が覆っている。季節なのかところどころに花が咲いていた。一見すると長く人が住んでいないような建物に見える。門にも玄関の扉にも鍵はかかっていなかった。

 

 中に入るとひんやりとした空気が漂ってくる。そちらに向かうと寝室らしきところに氷でできた棺が置かれており、中には昨晩の女性が横たわっていた。

 蓋を開け、母親と思しきその女性の隣に少女を寝かせた。アサシンが使っていたナイフと屋敷を覆う蔦に咲いていた花を少し摘み、それも一緒に棺に納めた。

 花言葉なんて気の利いたものは知らないけど、良い意味だったらいいのにと思う。

 静かに棺の蓋を閉め、手を合わせた。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話 オートマトン・メラヘル

 遊園地での戦闘があった日、ウリエはすこぶる機嫌が悪かった。

 バーサーカーは、本心ではウリエの元に向かいたくはなかったが、召喚時に令呪をもって服従を強制されたことが影響しているのか、ある意味強迫観念にも似た感情に従い、彼女が宿泊する冬木ニューハイアットホテル最上階に姿を現した。

「あのキャスターのマスターは一体何なの。魔術師は本来高貴であり、優雅に振る舞うべきもの。選ばれた魔術師が己の技量を競い合うこの聖杯戦争に、どうしてあんな粗野で粗暴な男がマスターとして選ばれているのよ」

 

 貴様も優雅とは言えんだろう……と心の中では思いながらも、バーサーカーは少し頷くような仕草をしながら、黙ってウリエの独白を聴いていた。ここで、余計な事でも言おうものなら、この苦痛な時間が数倍に延長されることは明白である。

 ヴラド三世は、ウリエが何を考えているのかは未だに理解できなかったが、このヒス気味の女マスターの取り扱い方だけは徐々に理解しつつあった。

 

「私はこれから急いで調べたいことがあるの。あなたは引き続きキャスターとそのマスターの拠点を探して頂戴。私たちのターゲットは決まったわ。あの失礼な男に誅罰を与えるのよ」

 やれやれ、まったく人遣いの荒い小娘だ……と思いながら

「仰せのままに」

 と恭しく礼をし、バーサーカーは姿を消した。

 

 一応最初に戦闘の行われた遊園地を確認したが、当然キャスター陣営は拠点を移しており、何の手がかりも得ることはできなかった。

 簡単に拠点を探せと言ってくれるが、キャスターも新たな陣地が完成するまではそうそう居場所を特定されるようなへまはしないだろう。地方都市とは言え冬木市は広い。また地道に霊脈などを手掛かりに、怪しい場所を探っていくしかないのか、まったくこんな雑事は王の仕事ではないわ、とバーサーカーはひとりごちた。

 

 翌日は例の遊園地で爆発が起こったり、ビジネスホテルが倒壊したりと冬木市は天地がひっくり返った様な大騒ぎだったが、あのキャスターの独特な魔力は感じられず、何れも他の陣営の手によるもののようだった。こうしている間に他のマスター同士が潰し合って減ってくれれば、この忌々しい聖杯戦争の終結が近づくのだがな……

 実際にはこの日の翌日アサシン陣営が敗退したのだが、昼間は活動できないバーサーカーがすぐにそのことを知ることは無かった。

 

 探索を開始した二日後、不意にバーサーカーは廃工場跡地にキャスター陣営の新たな拠点を発見した。意外なことに特に隠蔽されているふうでもなく、逆に前回の遊園地同様居場所を示して敵を誘い込もうという意図すら感じられる。バーサーカーがこの場所を発見したのも全くの偶然だった。

「たった二日足らずで新たな陣地を完成させたというのか? 罠かも知れんが、それならそれでもよかろう。今宵こそ余の力示す時。あの小娘のお手並みも拝見といこうではないか」

 バーサーカーはにやりと笑い、急ぎウリエの元へと戻って行った。

 

 ウリエにキャスター陣営の新たな拠点を発見したことを報告しに戻ると、二日前とは打って変わって彼女はご機嫌だった。

 何か甘い物でも食して浮かれているのか? とも思ったが、さすがにそんな単純な理由でも無いようだ。

「ご苦労だったわね、バーサーカー。丁度良い頃合いよ。この二日間で色んなことが分かったわ。早速その廃工場跡に乗り込み、あの男を仕留めるわよ。メラヘル!」

 銀色のメイド型オートマトンがウリエに付き従う。

「沸き立て、我が血潮」

 ウリエがそう呟くと、オートマトンの表面がザワザワと震え微かに波打った。

「さぁ、いよいよ私たちの初戦よ。バーサーカー、貴方にも存分に働いてもらうわよ」

「お任せあれ」

 ほほぉ、この小娘、いざ戦闘となると雰囲気が変わりおったな。これは思っていたよりは期待できるかも知れんな……

 

 

 

 廃工場跡地に月明かりに照らされながら独り佇んでいるクガイ。

 カツン……カツン……、静寂の中、今は何も生産することが無くなった工場の壁に反響して足音が響き渡る。

 クガイに向かってゆっくりと歩を進める女性は、暗闇の中から月に照らされた場所へスラリとした足元から腰、胸元、最後に精悍な顔立ちと目の覚めるように鮮やかな紅い長髪を明らかにすると、彼に向かって語りかけた。

「前とは打って変わって随分と寂しい場所を隠れ家に選んだものね。さながら都を追われた落ち武者といった風情じゃないの」

 今まで目を閉じていたクガイは、切れ長の細い目を開き、鋭い眼光で現れた女性を睨んだ。

 

「…………」

 

「先日は私の可愛い使い魔に随分なことをしてくれましたわね」

 

「ふう……、あんたですかい。わざわざ居場所を見つけやすくしてやってるってのに、ようやくのお出ましですかい。遅いですわ……。もう少し早く来るかと思っていたのですけどね。使い魔? ああ、あの小動物ですかい。おまえさんもあの小動物位かわいらしければねぇ」

 そう言ってクガイは挑発的な目でウリエを見据えた。

 

「あの時確かあなたは、欲しい物があるなら実力で奪えば良いと私に言いましたわよね。お望み通り、あなたからすべてを奪って差し上げますわ。メラヘル!」

 ウリエが呼びかけると、後方の暗闇からメイド服を着た銀色の機械人形がスッと姿を現した。間髪入れずにメラヘルと呼ばれたオートマトンの両肩からは筒の様な物が現れ、空中にキラキラ輝く粉末を射出する。

「私の名前は、ウリエ・ヌァザレ・ソフィアリ。稀代の天才魔術師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに師事し、ソフィアリ家に名を連ねるもの」

 堂々と胸を張り、ウリエは名乗りを上げた。

「あなたも魔術師の端くれなら、求める聖杯に命と誇りを賭して、いざ尋常に立ち合いなさい!」

 

 

 

 クガイは決してウリエの事を侮ってはいない。

 あくまで第六感ではあるが、この拠点に真っ先に乗り込んで来るのはウリエのような予感はしていた。そして実際前回に引き続き確実にキャスターの陣地を発見し彼女は現れた。恐らく彼女には自信に裏付けられた勝算があるのだろう。奇行が目立つが、明らかに今まで自分が倒してきた殺し屋の魔術師とは格が違う。

 

 クガイは対ウリエに備え彼の持つ唯一の魔術である古銭を確実にヒットさせるためにいくつものシミュレーションを頭の中で繰り返していた。

 結果、魔術合戦ではやはり分が悪いと結論付けた彼は体術を主体とした戦闘を挑むつもりだった。

 

 彼が学んだ拳法は心意六合拳(しんいろくごうけん)であり、強力な内気発勁と外気功による物理破壊を得意とする。さらに彼は自らの魔力を気功に乗せているため一般人がもろに喰らうとその部位が爆散するレベルのダメージを負う。

 クガイの考えとしては魔術師であること以前にマスターはすべからく人間であり、身体的な構造は変わらないはずである。もちろん魔術的な結界で衝撃の緩和などの障壁を作っていることが予想されたが、内気功である発勁を完全に無効化できることはないと計算していた。

 

 つまり自分の勝機は如何に敵性魔術師の懐に入り込み物理的に破壊するか、もしくは至近距離から古銭を直撃させるかという事になる。前回の戦いで得た知識により、サーヴァントはサーヴァントでしか相手できないため、どうしても人間は人間と戦う必要があると理解したのだ。

 ……敵さんも同じ考えですからねぇ。そうやすやすとやられてくれるようなら、こんなところにまで出てきませんわな。

 

「キャスターさんよ。もうマジで時間がありませんや。多少無理をしてでも決着つけに行きやすぜ」

「ええ、わかったわ」

 キャスター・エレナは昨日クガイの携帯電話に入った連絡を思い出す。

 

 ―ファリンが危篤状態に陥った。

 

 その時のクガイの取り乱しようは普段の彼をよく見ているエレナにしても尋常ではないものだった。そんな彼を諫め、確実に勝利を得るためにエレナは陣地の構築を急いだ。

「マスター同士の戦いは任せてもらいやしょう。お前さんには相手のサーヴァントをなんとかしてもらいたいところですな」

 クガイはすでにサーヴァントというものがどういった存在であるかおおよそ理解していた。あのエレナの宝具を見せられればいやでも理解できるというものである。

 

 

 

 しかしさすがは時計塔でも有数の名門家系出の魔術師ですな。その辺の有象無象とはプレッシャーが違いますわ。

 それに先ほどから後ろの変な人形が巻き散らかしているあのキラキラが気になるな……。あの人形はオートマトンですかね。

 

 魔術師は懐に入られると脆い。それゆえに熟練のものほど身の回りにトラップを置くことを彼は良く知っている。

 

「そう言えばおまえさんのおねぇさんですかねぇ? 前回の聖杯戦争で旦那もろとも無様にくたばったってのは。なんでもその旦那さん、時計塔でロードとか呼ばれるお偉いさんだったとか? 時計塔ってのも案外大したことないんですな」

 

「なっ!?」

 にわかにウリエは耳まで紅潮させ、殺意を込めた鋭い視線をクガイに向けた。元々人に馬鹿にされることが我慢できない性格ではあるのだが、近しい人を馬鹿にされるのはもっと許せない。

 

「それで、おまえさんはそのよわーい義兄の敵討ちのつもりですかい? 流行りませんなあ。大方あんたの魔術もその義兄の受け売りなんでやしょ? 底が知れますな」

 

 血液が沸騰するかと思うほど怒りが込み上げてきたが、心の深層に一片の冷静さが残っていた。

 

「あなたは優れた魔術師だけど、まず感情のコントロールを学ぶべきよね」

 これは幼馴染で一番の親友と姉から度々言われてきた苦言である。

 落ち着きなさい、ウリエ。そもそもこの男は何故お姉様とお兄様のことを知っているの? あいつも私を倒すつもりで私のことを調べていたのね。前回名乗りを上げているのだから、ある程度の情報網を持つ者なら、これくらいの情報は調べがついてもおかしくない。

 それを敢えて戦闘開始時に私に言う意図は何? 私を動揺させるため? あのお兄様を殺したマスターは魔術師殺しと呼ばれた暗殺者だったとか……聖杯戦争、そう、これは競技じゃない、戦争なのよ。あの男は舌戦でアドバンテージを得るつもりなのだわ。

 

「そうね、時計塔の魔術師もピンきりですもの。ロードと呼ばれる人の中にもクズの様な人が混じっているかも知れないですわね。でも、お兄様は間違いなく一流だった。私の望みは地に落ちたお兄様の名誉を取り戻すこと。あなたの様な輩に邪魔はさせない」

 僅かの間にウリエは冷静さを取り戻していた。

 

「バーサーカー! あなたはキャスターの相手をなさい。夜間の戦闘で負けることは万に一つもないと言うけれど、あの宝具には警戒しなさい。私はこの男を仕留めるわ」

 さすがに自分にあのサーヴァントの相手ができるとは思えない。今こそこちらもサーヴァントという手駒を有効に使う時。私があの男を倒すまでの時間稼ぎをしてくれれば十分なのだ。その時が来ればやりたいことがある。

 

「しからばマスター、我の宝具に令呪による強化を願いたい。その暁には必ずやあのキャスターめを串刺しにしてごらんに入れましょう」

 ウリエの後ろの闇から不意に現れたバーサーカーはウリエに令呪によるパワーアップを願った。ウリエに残された令呪は2つ、少しでも早く令呪を使い切らせこの聖杯戦争から身を引きたい。この提案には少なからずバーサーカーの思惑が絡んでいた。

 

「はぁ? あなた何言っているの? まだ戦ってもいない状況で? そもそもあなたにそんなこと求めていないわ。あなたは足止めだけしていればいいのよ」

 ウリエには一つ考えがあった。そんなウリエの都合を全く考えていないバーサーカーの提案に苛立ちを隠すこともなくそう吐き捨てる様に言い放った。

「ぐ、ぬ……。承知……」

 バーサーカーはそう言うと再び闇に溶け込むように消え失せた。

 

「あんたら仲悪いんですかい? サーヴァントと意思の疎通ができてないってのは致命的なんじゃないんですかい? あんた人望なさそうですもん。友達とかいないんじゃねぇですかい」

 今のやり取りを見ていたクガイは呆れつつ、ここぞとばかりにウリエを煽る。

「私のサーヴァントにどんな命令を下そうが、それを他人にとやかく言われる筋合いはないわ」

 ウリエは即座にそう言い返した。

 

 前回の遊園地での戦いを観察し、ウリエはクガイに勝てる自信があった。この男の切り札は恐らくコインの投擲。相手の双子マスターの動きを拘束してまで放っていたのだから間違いはないだろう。しかも指で弾き出す射出方法なら条件としては最高である。残念ながら、彼からすれば私との相性は最悪なのだ。マギシェス・ゴルドは飛び道具に対する絶対防御。

 既に周囲には術砂による結界が張られている。彼が必勝を懸けて放ったコインが、そのまま彼に致命傷を与えることになる。このことを気付かせないためにも、その時が来るまではこのからくりを明かしたくはなかった。

 

 チッ、気の短いお嬢様だと思っていましたが、挑発にはのってきやがりませんか……、まずは小手調べと行きますかね。そうクガイは結論付けると素早く一本のナイフを彼女に向け投擲した。

 

「斬!」

 ウリエがそう叫ぶと、彼女の横に控えていたメラヘルの左手首から先が、細長い帯状に変化して伸び、投げられたナイフを真っ二つに切り落とした。

「これが、お兄様受け売りの月霊髄液(ヴォールメンハイドラグラム)ですわ。大したことないかどうかは、あなた自身の身体で味わってみるといいわ」

 

 

 

 ウリエとクガイの戦闘が始まったのと時を同じくしてエレナとヴラドの戦いも幕を開けた。

「今宵は実に良い夜である」

 漆黒のマントを翻しヴラドは静かに告げる。

「闇夜において余は無敵。貴公の宝具はすでに一度見せて戴いたゆえ、すでに勝負は決したものとご理解ただこう」

 ヴラドの言葉にエレナも応える。

 

「あなたが闇ならあたしは光。マハトマの英知の光を味わいなさいな。第一の光!」

 魔法書を掲げたエレナは光線をヴラドに向け放つ。

「ふん。こざかしい。余は血を求める!」

 エレナの放った魔術の光がヴラドに突き刺さると思われたその時、ヴラドの体は闇に溶け込むように霧散した。

 

 エレナは身構える。確かにバーサーカー自身が言う通り夜の戦闘に特化したサーヴァントであるのは間違いないと思われた。

「そこ! 第二の光!」

 エレナは掛け声とともに魔術を放つ。その光線はエレナの後ろから首筋に噛みつこうとしていたヴラドの額に直撃し彼を弾き飛ばした。

 

「ほう……。よくぞ見破った」

 額から煙を立ち上らせながらヴラドは余裕があるような素振りでエレナを煽る。実のところ結構痛かったのではあるが。

 

「ならばこれはどうかな?」

 闇が凝縮したような錯覚をエレナは覚える。それにしてもこのバーサーカー、本当にバーサーカーなのか? バーサーカーというにしては知性的すぎる。

 エレナの疑問はもっともである。通常バーサーカーとは会話さえ困難なレベルで狂化していることが多い。しかるに目の前のこの男はバーサーカーであることは間違いないのではあろうが、明らかに知性的でありあまつさえ魔術さえ行使してくるのである。

 

 その時、闇がはじけたかと思うとその場から無数のコウモリが飛び出してきた。

 コウモリはエレナの周りを飛び回り耳障りな音をかき鳴らした。

「痛っ!」

 エレナの周りを飛び回っていたコウモリがエレナの脚に噛みついた。そして恐ろしいことに血を吸いだし始めたのだ。

 

「もう! うっとうしいわね!」

 エレナはそのコウモリを叩き落すと魔力を纏う。

「セラピスの智慧を!」

 エレナの纏った光を嫌ったコウモリは一斉に彼女から離れ一カ所に集まる。そしてやがて人の形になりヴラドの姿が再び現れた。

 

「なるほど……。わかったわ。闇に溶け込むように霧になる。コウモリに変身する。そして血をすする……。あなたさては吸血鬼ね!!」

「それよ!! そのような物言いは余に対する最大の侮辱! 死をもってあがなうがよい!」

「だって血が! 血が! って言ってるじゃない」

「う、うぬ! やかましい! 最後の一滴まですすりつくしてくれるわ!」

「きゃー! やっぱり吸血鬼じゃない!」

「違うと言っておろうが!」

 

 どこかずれたサーヴァント同士の戦いは激しさを増していった。

 

 

 

 ウリエが従えているオートマトン・メラヘルは、近接戦闘に特化した機械人形である。あらゆる武術のデータを蓄積しており、骨格は超硬質の形状記憶合金で形成されている。ただ左腕の肘から先の部分にはウリエがケイネスから預かったヴォールメンハイドラグラムが装着されており、骨格が存在しない。加えて全身の表面部分も薄い皮膜状の月霊髄液に覆われていた。ちなみに胸部にはマギシェス・ゴルドが収納されている。この聖杯戦争に必勝を期す、彼女にとっての正に切り札的存在だった。

 

「メラヘル、近接戦闘に備えなさい。自律攻撃、自律防御」

 ウリエの言葉が終わらないうちに、メラヘルはウリエとクガイの間に進み出て蟷螂拳の様な構えをとった。

 

「あなたの様な魔術師くずれが、聖杯に何を望むというの。どうせ、億万長者になりたいだとか、世界を裏から牛耳りたいだとか、不老不死になりたいとか、くっだらない望みしかないのでしょ。それこそ底が知れるわね」

 クガイが聖杯に何を望むのかなど、正直なところウリエは全く興味がなかった。ただ、先ほど一方的に師を辱めた失礼な輩に一言言い返したかっただけなのだ。

 

 それを聞いてクガイはため息を漏らす。

「聖杯に願う事ね。そんなもんは人それぞれでやしょ。あっしにはもう時間がないんでね。こんな下らん会話も本当はどうでもいいんですわ。マジなところ早く死んでほしいだけでね。と、いうか、その機械人形さん、それ形意拳ですかい? そっちの方が興味ありますわ」

 

 クガイはあの挑発に意外にも冷静に対処してきたウリエを実は少々見直していた。

 プライドの塊のようなお嬢様なら激高して何も考えずに突っ込んできそうだと思ったのですがね。クガイはそう思いながらまずはこのオートマトンを始末するために構えをとった。

 

 蟷螂手ですかい……。機械人形が拳法とかちょっと興味がありますなあ。しかし先ほどの左手の変形は厄介ですな。左手だけの機能ならいいんですがねぇ。ヴォールメンハイドラグラムですか? 全く時計塔ってのは何でもありですかい。

 クガイは馬歩の姿勢から弓歩に移行し右手に気を巡らせた。メラヘルの左手を警戒した構えである。

 

「んじゃあまずはその機械人形さんをぶっ飛ばせばいいのですかい? 時間がないっていうのに面倒臭いですな」

 クガイはそう言うと長息を行い気を練る。どう考えても機械仕掛けのオートマトンに古銭の魔術は効果が見込めないのだ。力技で排除するしかない。

 

「把!」

 短い気合と共にクガイは無拍子でそのまま右手を突き出す。予備動作のない無拍子の動きは素人にはほぼ対処ができない攻撃であるのだが、メラヘルにとっては人の体の構造などそもそも関係ない。

 そしてほぼ同時に左手の蟷螂手を突き出された右手に絡めそのまま切断しようと変形した。

 

 クガイはその動きは予想していたため、すかさず右手をさげ右肩から体当たりを仕掛ける。

 心意六合拳・弓歩大劈(きゅうほたいへき)。そもそも心意六合拳とは全身を武器とする武術である。特に頭、肩を使用した体当たりを得意としており突きからタックルに至る動きは套路(とうろ)の中にも頻繁に登場する。

 

 突然のタックルにメラヘルはたららを踏んで一歩下がる。

 普通の人間でしたらここで終わってるんですがね。クガイは頑丈なオートマトンに舌打ちしながら追撃を仕掛ける。

 

 クガイは大きく振りかぶった右手を打ち下ろし、メラヘルに打ちかかる。劈掛拳(ひかけん)である。

 元より八極拳や心意六合拳など短距離打撃を得意とする武術を学ぶものは長拳や劈掛拳などの長距離を得意とする武術を合わせて学ぶものが多い。

 

 正に達人の拳法家同士の戦いを思わせる攻防が繰り広げられた。メラヘルは巧みに蟷螂手を操り、クガイの攻撃を絡め取り的確に急所に突きを入れてくる。

 蟷螂拳の厄介なところは頻繁に目を狙ってくるところなんですよねぇ。クガイは左手以外に変形する部位がないかという事を確認しながらメラヘルの攻撃をかわしていく。

 

 しかしクガイはヴォールメンハイドラグラムがどれほど自在に変形できるかという事をまだ良く理解していなかった。

 一瞬機械人形の左手が消失したとクガイが錯覚する。

 それは左手から垂れ下がるように地面に落ち、そして急速に地面から針のように伸びあがった。

 次の瞬間激痛がクガイに襲い掛かる。それはクガイの右太ももに突き刺ささり、しかも貫通していた。

 

「くっ! マジかよっ!」

 クガイは想定外の場所から攻撃を受けたことに驚き、突然の痛みに顔をしかめる。

 

 これはまずいっすねぇ。ちょっと仕掛けてみますか。一度距離を取ったクガイは劈掛で一気に距離を詰める。

 少し足を引きながら放ったクガイの振り下ろし劈手にメラヘルは即座に反応した。右手の蟷螂手で絡め取り、その威力を外に逃そうとしたのだ。

 

 ニヤリとクガイの口元が歪む。

 通常の拳法家同士の戦いであるなら、その方法は正解である。メラヘルにプログラミングされた格闘術は最適解を即座に導き出す。

 

 しかしこの戦いにおいてそれは悪手と言わざるを得なかった。クガイはこう見えて魔術師である。この時クガイは一気に魔力を発勁に乗せた。

 クガイが放った右手の単劈手(たんへきしゅ)にまとわされた魔力の通った発勁は絡めとろうとしたメラヘルの右手を弾き飛ばしたのだ。

 

 金属がはじけるような硬質な音が響き渡る。

「ち、頑丈すぎるでしょ」

 クガイは折れ曲がったメラヘルの右腕を見てそう呟いた。クガイ的には完全に斬り飛ばした手ごたえだったのだ。

 しかもメラヘルは折れ曲がった自身の右腕を一瞥すると無造作に左手で右手を引っ張り、強引に元の形に戻してしまったのだ。

 

 なるほどねぇ。右腕はあの液体金属じゃないのは確定ですな。しかしあの状態から元の状態に戻すとかありえないね。こりゃ本体に直接ぶち込むしかないですな。

 再び弓歩の姿勢で態勢を立て直すとクガイは右手を突き出した。太もももの傷は貫通するほどの深手であるが、気で一時的に止血する。

 

「お嬢さんも見てないで入ってきていいんですぜ?」

 クガイはこのオートマトンの動きは拳法家の動きを完全にコピーしているが、あくまで機械であることから内気功は使用不可であることに気が付いた。となると今度はウリエの格闘能力が気になるところである。ここで喜んで参戦してくるようであるなら、こちらのペースに乗せやすいのだが……

 

 ウリエは隙あらば魔術でメラヘルを援護しようと考えていたが、双方の動きが速すぎて戦闘に介入する機を掴めないでいた。

 まさかメラヘル相手にここまでやるとは……やはりこの男は純粋な魔術師などではなく、殺しを生業とする暗殺者なのだと改めて確信していた。

 

「何を言っているのかしら? 今あなたメラヘルに押されているんじゃなくって? 私の出る幕がどこにあると言うの」

 予想通りの返事にクガイはやはりこのお嬢様は魔術特化であると結論付けた。

「残念ですなあ。んじゃお待たせするのも悪いんでケリつけますかねえ」

 

 とは言ってもメラヘルの左手はクガイにとっても脅威である。金属のナイフを両断し、己が太ももを貫通したあの変幻自在の左腕だけには注意を払わないといけない。

 メラヘルもそれがわかったのか左手を鞭のようにしならせながらクガイに打ちかかってきた。

 

「っと! こりゃ危ないですな」

 クガイは上段から振り下ろされたヴォールメンハイドラグラムを掻い潜りメラヘルの肩を内側に押しこんだ。そしてその軌道をずらせて懐に入り込み胸に肘を打ち付けた。

 八極拳でいうところの裡門頂肘である。

 カウンター気味に入ったその頂肘は人間であるならクガイの魔力発勁により文字通り胸に穴が開くほどの威力であるはずだ。さすがのメラヘルも今の一撃は効いたようで胸は大きくへこみ一瞬動きを止めた。

 

 足の痛みに力が抜けそうになったクガイだが、メラヘルが大きく体勢を崩している今が最大のチャンスである。うかうかしているとまた回復されてしまう恐れがある。

 

 今しかない! クガイはそのまま流れるような動きでメラヘルの正面に立ち上段から両掌をメラヘルの胸に打ち付けた。

 そして内気功を最大限に込める。

 

「絶招! 虎撲掌(ぜっしょう・こぼくしょう)!!」

 

 クガイは自身の持つ最大の技、絶招をメラヘルに叩きつけた。両手に魔力発勁を最大限にまとわせ、金属のボディよりも中の器官を破壊することを優先したのだ。

 クガイの発勁は確かにその効果を発揮した。人間なら上半身が吹き飛んでしまうほどの破壊力を誇る攻撃である。これでダメージが通らないようならお手上げだ。

 

 クガイの一撃によりメラヘルは胸部が身体に半分以上めり込み、後背部が破裂した。人間なら内臓がぶちまけられたのであろうが、後方の破裂部分からは空中に大量の金粉が撒き散らされた。メラヘルの胸部にはウリエのマギシェス・ゴルドの格納スペースがあり、その部分が衝撃で内部から爆裂したのだ。

 

 メラヘルは完全に機能を停止したように思えたが、先ほどクガイはメラヘルの自己修復力を見ている。

「これ、ほっといたら復活するんですかね?」

 惚けたようにウリエに聞いてみるが、ウリエもまさかメラヘルが倒されるとは思っていなかったのか、信じられないものを見たような顔でクガイを見返した。

 

「んー。復活されたらイヤなんでもうちょっとやっときますわ」

 そう言うとクガイはメラヘルに馬乗りになり何度も何度もメラヘルの胸部に発勁を打ち込み、ようやく納得したかのように立ち上がった。右足からかなりの出血が見られたが、それによって動きが落ちたようには見えなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話 月霊髄液(ヴォールメンハイドラグラム)

「形態解除、再集結」

 ウリエはメラヘルを倒せる人間がいたことに動揺を隠せなかったが、今は驚いている場合ではない。すぐさま冷静に新たなコマンドワードを唱えた。

 メラヘルの左手と全身を覆っていたヴォールメンハイドラグラムがどろりと銀色の液体状になり、流れるようにウリエの足元に集まりサッカーボールほどの大きさの半球体状に再形成された。

 

「あなたごときがメラヘルを倒すとは、正直驚きましたわ。一応名前くらいは聞いてあげてもよろしくてよ。そちらは色々調べていたみたいですし、私の名前はもうご存知ですわよね」

 

「そういや名乗りもしてなかったんですかね。こりゃ失礼しやした。あっしの名は劉九垓といいやす。ま、ケチな殺し屋でさあ」

 そう言いながらおどけた礼をするクガイにウリエは激しく嫌悪感を覚えたが、同時に妙に納得もしていた。やはりこの男は暗殺者だったのだ、と。

 

 ウリエにとってクガイという男は今まで関わった事がない人種といえた。基本的にお嬢様育ちであり、クガイのような粗野な人間とは無縁の世界で育ってきたのだ。

 もちろん時計塔内部での抗争や派閥間の問題など幾つも経験しているが、あくまでも上流な人々の中であったためここまで粗野で粗暴な人間など見た事がなかったし、そもそも人として許せなかった。

 

 しかし、実際には人間離れした能力を持つこの男に、今までに感じたことがないような恐怖心すら覚えていた。そんなことはおくびにも出さず虚勢を張ってみたものの、メラヘルを破壊され、状況が非常にマズイことになっているのは事実である。

 

 様々な思いが頭の中でぐるぐると渦巻く。まさかメラヘルが倒されるなんて……。私は何のためにこんな辺境の島国までやって来たの……。こんな魔術師くずれの暗殺者に私が敗れるというの……。今までの鍛錬は無駄だったの……。お兄様とお姉様に合わせる顔が無い……。お兄様たちを殺したマスターもこいつの様な暗殺者だったのかしら……

 

 突然もつれていた糸が解けたような感覚を覚えた。もしこの暗殺者に私が自分の力で勝利することができたなら、姉と義兄への手向けになるのではないか。私はその為にマスターになったのではなかったのか。そう考えると、頭の中がクリアになったような気がした。目に前のこの男にだけは負ける訳にはいかない。やってやるという気力が湧きあがってきた。経験したことが無い何とも不思議な感覚だった。

 

「本当にあなたを見ているとイライラするわ。今名前を聞いたことを即座に後悔するくらいにね」

「おやそうですかい? こちらとしてはお嬢様に合わせたエレガントな礼をしたつもりなんですがね? えーっとウリルさん?」

「自律攻撃、近接防御」

 命令を受け、ヴォールメンハイドラグラムの表面が細かく波打つ。

 ウリエは回収した月霊髄液に命令を与え目の前の失礼な男に言い放った。

 

「これから自分を倒す相手の名前すら覚えられないなんて可哀想な男ね。劉九垓、さっさとかかってきなさい!」

 

 かかってきなさいと言われましてもねぇ。クガイはウリエの足元で転がるヴォールメンハイドラグラムを見ながら思案を巡らす。

 どう考えても迂闊に踏み込むとあの液体金属の餌食になる事は明白なのだ。さらに先ほどのオートマトンとの戦いでクガイは相当手の内を晒している上結構な怪我を負っている。近接攻撃に対してトラップを仕掛けていることは大いに予想できるだけに慎重にならざるを得なかった。

 

 しかしクガイにとっては必殺の古銭を当てさえすれば勝ちであるという事は間違いなかった。遊園地で見られている可能性は高かったが、その効果までは正確に知られていないはずである。

 とはいえ……簡単に当たっちゃくれないでしょうな……

 クガイは肩を揺らせながらポケットに手を入れ数枚の古銭を左拳の中に握り込んだ。

 

 このままじゃどうしようもないですな。クガイはそう覚悟すると右手を突き出し気を巡らせ始めた。

 

 

 

 ウリエには必勝の作戦があった。

 そもそもウリエには飛び道具は効果がないどころか最悪のカウンターを引き出すことになるのだ。

 ウリエは瞬間湯沸かし器と周りの人間に揶揄されることも多いが、地頭の良さは時計塔の中でも上から数えたほうが早い人物である。

 そんな彼女にここまでの戦いでいくつもの手の内を晒しているクガイは圧倒的に不利な立場に立たされていた。

 逆にウリエは今回の聖杯戦争で実際に戦闘を行うのは初めてであり、誰も彼女の戦い方を知る者はいない。

 

 ウリエの切り札は決してヴォールメンハイドラグラムではない。義兄より譲り受けたこの液体金属は便利ではあるが、ウリエ本来の魔術とは別の存在である。

 

 マギシェス・ゴルド。これこそがウリエの切り札である。あらゆる飛び道具を封殺し即座にカウンター攻撃となる金色の微粒子。銃弾すら反射するその攻防一体の金色の霧。

 メラヘルの体内にはマギシェス・ゴルドの格納スペースがあり、既に戦闘開始時に必要な量の散布は完了、ウリエを中心に結界が展開されていた。加えて先ほど破壊された際、クガイの必殺の一撃により、メラヘルの体内の格納スペースが爆散、後背部が吹き飛び、収納されていたマギシェス・ゴルドが高濃度で飛びちっている。通常は若干彼女の周りがキラキラしている様に見える程度なのだが、今は一目で目視確認できる程の微粒子がウリエを中心に漂っていた。まさにメラヘルの置き土産とも言える。加えてこの術砂には、この五年間で飛び道具反射以外のある効果が付加されていた。

 ウリエはそれを身に纏いながら同時に風の魔法陣を幾つも自分の周りに設置していく。

 

「さあ踏み込んでいらっしゃい! あなたがどれほどの魔力を持っているのかまではわからないけれど、このトラップを破れるものなら破ってみなさいな!」

 不敵な笑みを浮かべながらウリエはクガイを睨んでいた。

 

 

 

 しばしのにらみ合いの後先に動いたのクガイであった。クガイにはウリエの設置した魔法陣が見えていた。いや見えていたというわけではない。わずかに揺らぐマナの歪みを感じ取れたというべきか。

 

 クガイは箭疾歩(せんしっぽ)で急速に間合いを詰める。絶招歩法ともいえるこの技は馴染みのないものにとっては瞬間移動したように見えただろう。実際ウリエも突然目の前に現れたクガイに驚愕の表情を浮かべ身構える。

 しかしそんなクガイに反応したのがヴォールメンハイドラグラムである。ウリエによって自律行動の命令を与えられたそれはウリエがどのような状態であろうと彼女を守り、敵を排除する。

 

 だがクガイにとってはそれも予想の内であり、狙いは最初からヴォールメンハイドラグラムと周りに浮かぶ魔法陣であったのだ。

 ヴォールメンハイドラグラムはクガイの掌底に対し威力を相殺すべく正面から同様の打撃をクガイの掌にぶち当てる。ただの水銀ではない高密度の液体金属による打撃により掌を破壊する意図をもった攻撃である。そして同時にいくつもの魔法陣が起動しようと輝きを放った。

 

 クガイはヴォールメンハイドラグラムにそのまま掌底を打ち込み、発勁を放つ。

 一瞬波打ったかと思うとヴォールメンハイドラグラムは水風船が破裂したかの様に辺りに飛び散った。月霊髄液の飛沫は仕切り直しとばかりに即座にウリエの足元に再集結する。それに対して、突き出されたクガイの掌底には傷一つなく、月霊髄液が飛び散ったことにより、掌底を間に挟んでクガイとウリエの目が合った。

 

 ニヤァ。

 

 目が合うとクガイはその獰猛な笑顔のままウリエに対してさらに口角を上げた。

 

 ―殺される! ―

 

 ウリエはまるで背筋が凍ったかのような悪寒に襲われるが、体は硬直したかのように動かなかった。

 

 死、一瞬そのイメージが頭に浮かぶ。しかしウリエを救ったのは起動したトラップ群である。クガイは飛び込むと同時にいくつかの魔法陣を破壊していたが、足元に見逃したものがあったのか風の刃をクガイに向けて吹き上げたのだ。

 

 クガイの狙いは最初からトラップを空発動させることであったのだが、クガイも自身が右足に深手を負っていることを失念していた。わずかに身を引くタイミングが遅れたのだ。

 風の刃はまるでつむじ風のようにクガイに襲い掛かる。あたりに散らばっているメラヘルの破片なども巻き込んでクガイの体に無数の傷をつけた。

 

 しかしそれでも傷は決して深くはなかった。金属片により切り傷を幾つかつけられたが、本命である風刃はすべて躱せたからである。

 

「おお、こわいこわい。お嬢さんの属性は風ってところですかね。……知ってましたけどね」

 クガイにも情報網は存在する。遊園地で名乗られたことから時計塔でウリエという魔術師を探すことはそれほど難しい事ではなかった。

 

「戦いってのはこうじゃなくてはねえ」

 不吉な笑顔を張り付けたクガイにウリエは改めて恐怖を覚えた。

 

 今日この男と相対するまでウリエにとって聖杯戦争は魔術師の世界一決定戦であり、殺し合いであることは承知していてもどこかゲームのような感覚を捨てきれずにいた。

 ―義兄と姉もこのような感覚を持ったのだろうか―

 ウリエの義兄ケイネスは前回の聖杯戦争でセイバー陣営に破れて命を落としている。あれほどの才能と頭脳を持った義兄が魔術合戦で破れるとは敵はどのような魔術師であったのかと考えたこともあった。

 

 しかしロード・エルメロイⅡ世から得た情報を基にしたその後の調査で、義兄を殺したのは魔術師殺しと呼ばれた、魔術師専門の暗殺者だったことが判明した。そうなってくると何故そんな人物が聖杯戦争のマスターとして選ばれたのかが理解できなくなり、ずっともやもやした気分が晴れずにいた。だが、ここにきてウリエは理解した。

 

 ―これはそんな綺麗な戦いじゃないんだ―

 

 聖杯戦争とは競技会ではない。下手すると魔術師同士の戦いですらないのかも知れない。どのような手段を使ってでも相手を殺し、生き残った者が勝者なのだ。

 

 今ウリエは初めて殺し合いという事の意味を正しく理解した。

 ロード・エルメロイⅡ世が言っていた「死ぬよりも悲惨な目にあった挙げ句、何を成すこともできぬまま惨たらしく殺されるかもしれない」という言葉の意味も今なら分かる気がした。

 

「参ったわね……。まさかあんたみたいなやつから学ぶことがあるとはね」

 蒼白な顔をしたウリエはクガイを見据え、ため息を一つ吐いた。

「でも喜びなさい。このウリエ=ヌァザレ=ソフィアリがあなたに感謝をするのだから。あなたのことはずっと覚えておいてあげるわ」

「さいですか。そりゃよござんしたね」

 

 クガイにとっても今の流れでウリエに古銭を投げられなかったのは失敗であったのだ。

 このお嬢さん戦いに対する心構えってもんがなっちゃいないですな。しかしそれにしても厄介な魔術師であることは間違いないですなあ。まったく聖杯になんぞ関わらずに大人しく時計塔に籠っていればいいものを。クガイは心の中でそう毒づいた。

 

 

 

 仕切り直しか、クガイはそう思って再び構えをとるが今度はウリエが主に防御の為に使っていたヴォールメンハイドラグラムを薄い刃の様な形状に変化させ今までに無かったような速度の斬撃を繰り出しながらこちらに突っ込ませ、しかも驚いたことに自らもその後に続いて飛び出してきた。

 クガイは、ウリエは魔術師であり格闘能力に自信があるわけではなく、自ら好んで格闘戦を行うはずはないとタカをくくっていただけに驚いて回避を行ってしまった。

 

 ウリエの格闘技術はあくまでも素人であり、クガイにとっては逆に大きな隙になるはずであったのにそれを生かせなかったことにクガイは歯ぎしりをした。まさか突撃してくるなどとは思いもしなかったのだ。

 

 またウリエもただ無策で飛び込んだのではない。ウリエが通り過ぎた後には激流ともいうべき風の流れが残されていた。渦巻く風の壁にクガイは身を低くして耐える。そこに間髪入れずに槍状に形を変えたヴォールメンハイドラグラムが突っ込んできた。

「うおっ!」

 お嬢さん動き変わったんじゃないですかい? クガイは先ほどまでのどこか魔術大会に出場しているような雰囲気だったウリエとは明らかに違う彼女を見て警戒を強めることになった。

 

 ドン! という震脚の大きな音と共にクガイは突き出された槍を叩き落すが、すぐに槍は液体状となりウリエの足元に戻っていってしまった。

 すると今度はまるで鞭の様なしなりをもってヴォールメンハイドラグラムがクガイに襲い掛かってきた。

 鞭ならばそれを操っているものがいるのだが、この液体金属は完全に自律で行動している。いうなれば生きたワイヤーが空中から襲い掛かってくる様なものである。

 

 しかもその間隙を縫ってウリエは魔術をクガイに向けて行使する。もはや先ほどまでのウリエとは完全に別人であると言えた。

「な、何があったんですかね?」

 クガイは答えが返ってくることなど全く期待してなかったのだが、意外にもウリエはそれに律儀に返事をよこした。

 

「本当に感謝するわ。そう、これは戦争なのよ。おかげで義兄が敗れた理由がわかったわ」

 いったい何のことを言っているのかクガイにはわからなかったが、ただ彼女の覚悟の度合いが大きく変化したのであろうことは理解できた。

 まいった、こりゃ難易度爆上がりじゃないですかい。

 クガイはやれやれとこっそりため息をついた。

 

 ただ単にウリエが近接戦を挑んできただけであるならクガイにとっては非常にやりやすくなったのだが、ウリエは常にヴォールメンハイドラグラムに守られている上に幾つのも魔法陣を同時展開している。さらには彼女を包み込む金色の霧がクガイを警戒させていた。

 いったいあれがどういったものなのか未だにクガイにはわからなかったのだ。

 

 おそらく何らかの防御機能を持ったものなんでしょうがね。クガイはそうあたりをつけていた。その考えは半分正解である。

 それが恐ろしいカウンター攻撃を備えていることまではクガイにはわからない。

 

 再び槍状と化したヴォールメンハイドラグラムを突き出しながらウリエが突っ込んでくる。同時に展開される魔法陣は容赦なく風の刃を作り出しクガイを切り刻もうと舞い踊る。体捌きと発勁でクガイはそれを躱し、また叩き落しながらヴォールメンハイドラグラムを弾き飛ばす。

 

 そしてその刹那、クガイは切り札を切った。

 

 クガイの切り札、それは自身のサーヴァントであるエレナから譲り受けたペンダント型の護符である。

 

「これはマハトマの力を込めた護符よ」

 エレナは古銭の魔術一つでこの聖杯戦争を乗り切ろうとしているクガイに危うさを覚えていた。

 生来、情に脆いところのあるエレナはクガイの聖杯を求める理由に本当の意味で力を貸そうと心を決めていたのだ。

 

 クガイは六芒星に蛇をあしらったそのペンダントに魔力を込めウリエの足元に転がした。

 

 瞬間、爆発的な閃光と共にマナの奔流が吹き荒れる。

 金色の霧の正体がわからなければ吹き飛ばせばいい。単純ではあるが最も効果的といえる力技である。

 さすがマハトマ様のご利益ですな! クガイ自身の魔力も大きく吸い取られる結果となったが、古銭一発分の魔力は十分に残っている。

 クガイは金色の霧が吹き飛んだのを見るとエレナに感謝をしながら必殺の古銭を弾き出した。

 

 古銭はウリエの胸に直撃する。

 ―勝った! ―

 勝利を確信したクガイ。しかしその瞬間左手に激痛が走った。

「な、なにぃ!」

 慌てて自分の左手を見てクガイは驚愕する。

 

 クガイの左手の指はすべて折れ、手のひらは手首まで切り裂かれその傷口には一枚の金貨が埋まっていた。しかも、その硬貨の表面を覆っていた金色の物質はみるみる傷口に吸収されていき、金貨だと思ったそれが元は先ほどクガイが放った古銭だったということが分かった。

 

 さらに悪い事に、突然呼吸が苦しくなり、吐血する。左手も痛みに加えて徐々に痺れてきていた。

 ―な、何が起こって……

 クガイは知らなかった。マギシェス・ゴルドはウリエ以外の者にとっては極めて有毒な物質なのだ。彼女はここ数年間ヴォールメンハイドラグラムの効果的運用方法とマギシェス・ゴルドへの毒性付加の研究に時間を費やしていた。

 

 メラヘルから爆散したマギシェス・ゴルドの量はかなりのもので、通常ウリエが身にまとっているものよりも圧倒的に濃い濃度で周囲に浮遊しており、クガイが吸い込んだ量は相当なものになっていた。加えて今まで気が付かなかったが、戦闘中クガイが負った切り傷にも大量の金粉が付着していた。

 

 そして間髪入れずにヴォールメンハイドラグラムがクガイに追撃を加える。

 刃物のように変形したそれはクガイの腹部に深く突き刺さっていた。

 

 ウリエは動いていない。完全に自律して攻撃を効率的に加えるヴォールメンハイドラグラムの性能はさすがロード・エルメロイの作である。クガイが負った傷は確かに致命傷といえるほどに深かった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話 もしかしたら友人になれたかもしれなかった

「下がって!」

 突然聞こえてきたエレナの声にクガイは即座に反応した。その場を飛びのくとクガイとウリエの間に電撃のカーテンが降り注ぎ、ヴォールメンハイドラグラムの刃を地面に叩き落とした。

 

 クガイの危険を察知したエレナが、クガイとウリエの間に割り込む。

「マスター! ここは撤退するべきよ!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! おまえさんはサーヴァントの相手をしろ! 時間がないって言っただろ!」

 突然割り込んできたエレナにクガイは激高する。

 あまりのクガイの剣幕に一瞬たじろぐエレナだが、このままでは戦闘で勝利してもクガイの命が持たない。

「あなたが死んじゃったらファリンちゃんが生き残っても意味がないでしょ!」

 エレナは病室で微笑むファリンを思い出し苦しげな顔をした。

 

 

 

 クガイとエレナがそんなやり取りをしているのを見たウリエは、首から下げていた宝石のペンダントをキャスターと自分の間に投げつける。

 投げつけられたペンダントを中心に半径5mほどの空間にひずみが生じ、その空間以外の時の流れが極端に遅くなった。

 

 種を明かすとペンダントを中心とした、空間内の時の流れが一時的に早くなっているだけで、それ以外の時間は通常通りに流れているのだが、特殊な空間内に捕らわれた二人からは、周囲の動きが止まったようにすら感じられた。そんな周りの喧騒から切り離された空間でウリエはキャスターに語りかけた。

 

「突然割り込んでごめんなさいね。前回は要らぬ邪魔が入りましたから、これで少しの間だけですがあなたと二人きりでお話ができますわね」

 時間干渉系の魔術? エレナは何が起こったのかとあたりを見渡し、それが敵マスターの仕掛けた魔術であると理解する。敵サーヴァントと1対1の状態を作るなどこの娘正気なのかしら? エレナはそう思ったがウリエの丁寧な態度に何か意図があるのだろうと話を聞くことにした。

 

「キャスターさん、あなたのことは独自に調べさせていただきましたわ。

 あなたの宝具サナト・クマラは近代神智学において人類進化を導く存在を表すもの、そこから導き出されるあなたの真名は、神智学の祖にしてオカルト研究の第一人者でもあるブラヴァツキ―夫人ではないのかしら」

 

 ウリエの問いかけにエレナは少し驚いたような顔をして答える。

「ええ、そうよ。あたしの名前はエレナ・ぺトロヴナ・ブラヴァツキー。神智学の提唱者であり、マハトマの叡智を授かりし者よ」

 神智学に理解があるのだろうか? エレナは今まで出会った多くの魔術師やかつての時計塔について記憶をたどる。

 

「あなたのことがもっと知りたくて、ソフィアリ家に頼んであなたの著書シークレット・ドクトリンを探させたのだけれど、さすがに希少で通常ルートでの入手は不可能なのですって。残念ですがこの短期間で手に入れることは叶わなかったわ」

 

 ウリエは事、魔術に関してであるなら極めて公平であり、今まで考えられてこなかった理論等に対する知的好奇心は貪欲といえるほどに高い。

 

「でもね、私なりにあなたのことは調べましたの。

 改めてあなたは本当に規格外の凄い魔術師なのね。

 あなたが提唱した、人間は普遍的な魂の現身であり、その至高の神霊と同一の本質を共有しているがために初めから永遠で不滅である、という思想はアインツベルンの唱える第三魔法の概念と一致するし、人間は輪廻の連鎖を通して起源へ旅する神性の輝きが具現化したもの、全宇宙の根底には、絶対的で人智を超えた至高の神霊や無限の霊力が存在しており、見えるものも見えないものも含めた万物の根源になっている、という思想は全ての魔術師が求める根源の渦のことよね。

 あなたは独自にこれらの真理に到達し、先達であるマハトマの叡智を得ることですべてのことを理解し、あんな凄い魔術が行使できるのでしょうね。

 真理にまさる宗教はない、というあなたの残した言葉には凄く重みを感じるわ」

 

 エレナは正直驚いていた。自分が存命中についぞ理解されなかった神智学の深奥をこの年若い娘が理解しかけているという事実に。そしてこの魔術師とならば魔術の根源について話せるのではないか? そんな期待すら持てる気がした。気が付くとエレナは身を乗り出さんばかりにウリエの話を聞いていた。

 

「ただ、あなたにとっての不幸は、あなたの思考が高次元過ぎて、一般人に理解させるのが困難だったってことなのかしら。あなたは別にマハトマからのメッセージを物理的に受け取っていた訳ではないのでしょうけれど、手紙として受け取ったと示すことで周りに理解させ易いと考えたんじゃないのかしら? そこをSPRのホジソンに衝かれてインチキだと糾弾された……

 でも、私はあなたの主張を全面的に信じるわ。だって、あなたはあんなに凄い魔術を行使できるじゃない。マハトマの叡智を具現化させたあんな魔術、他の誰にも行使できない。あれは紛れもなく本物ですわ。

 ああ、ちなみにSPRは13年前にホジソンレポートを彼の先入観に基づいてなされた不徹底なものだったとして、内容を否定しているのよ。ご存知だったかしら」

 

 ホジソンの名が出たところでエレナは苦虫を噛み潰したような渋い表情をしたが、その後のことを聞き嬉しそうな顔をして、くすっと笑った。

 

「そのクガイって男は欲しいものがあるなら実力で手に入れろと私に言いましたわ。あなたにその気があるのならば、私はバーサーカーとの契約を破棄してあなたと再契約したいと思っているのだけれど。いかがかしら」

 

「……そうなの。そこまで神智学について勉強して理解を示してくれたことについては素直に嬉しいし感謝を示すわ、ありがとう。魔術協会にも見所のある魔術師がいるのね」

 エレナは何かを懐かしむような遠くを見るような目をしてからウリエに向き直る。

「あたしもあなたに少し興味が湧いてきたわ。ねぇ、あなたは聖杯って何だと思う? んー、ちょっと質問がアレかしら、そうね、あなたは聖杯に何を望むの? ……いえ、それはいいわ。さっきあたしのマスターが言った通り人の望みなんてまさに人それぞれだから。……そうね『聖杯戦争』ってなにかしら?」

 

 聖杯戦争、それは願いをかなえる願望機である大聖杯をめぐる魔術師たちによる儀式。聖杯を求める七人のマスターと、彼らと契約した七騎のサーヴァントがその覇権を競う。

 他の六組が排除された結果、最後に残った一組にのみ、聖杯を手にし、願いを叶える権利が与えられる。そんな今さらな質問をなぜこの英霊はしてくるのだろう。ウリエは質問の意図がわからず困惑する。

 

「聖杯戦争に参加するマスターはどうしてサーヴァントなんていう過去の英霊をあえて呼び出さなければならないのかって考えた事あるかしら?」

 ウリエにとっては考えた事もない質問だった。なぜサーヴァントを呼び出さないと聖杯戦争に参加できないのか? そもそもそれが前提条件だったため、その理由など考えた事もなかったのだ。

 

「サーヴァントはかつて人だったもの。ちょっと人とは思えないような英霊も混じっているけどね。聖杯戦争とはサーヴァントを召喚させる事自体に意味があるような気がするのよね」

 ウリエは考える。そもそも聖杯戦争とは御三家といわれる魔術の大家がシステムを構築して始められたと言われている。ならなぜその御三家はこのような面倒な儀式を用意したのか。そこには何か隠された意味が存在していると考えるほうが自然だと思われた。

 

「たぶんだけどね、聖杯戦争におけるサーヴァントは使い捨ての駒のようなものだと思うの。おそらくこの大掛かりな儀式にはその霊基こそが必要なのじゃないかしら。でもね、理解はできても納得できないこともあるのよ。あたしたちサーヴァントは例えこの戦いの中で殺されたとしても、存在そのものが消滅するわけじゃない。また別の場所で召喚されれば、そこに顕現することになるでしょう。

 じゃあ今ここに居るあたしはまがい物なのかと言われると、決してそんな事は無いわ。生前のことも覚えているし、生前に抱いていた夢や叶えたい願望も何も変わってはいない。そしてこれは多分あたしだけじゃない。あなたのサーヴァントにもきっと叶えたい願望があるんじゃないかしら」

 

 エレナは先ほど闇の中から不意に現れるように襲い掛かってきたバーサーカーを思い出す。バーサーカーという割には知性を感じられるサーヴァントだった。

「今回あたしはクガイというマスターに召喚され、今まで一緒に戦ってきたわ。この戦いの中で彼は一度たりともあたしを駒として扱ったことはなかったの。マスターは令呪がある限りサーヴァントを好きなように扱える。でも、彼とあたしは常に『相棒』だったわ。あんな見た目で態度も悪いけど、なかなかにいい男なのよ、マハトマは感じないけどね」

 

「で、でも、私のマギシェス・ゴルドは有毒なのよ。既にその男が体内に取り込んだ量は致死量を超えていますわ。放っておいてもあと数日も経たずにあなたのマスターは命を落としますわよ、そうなったらあなたも……」

「例えそうなのだとしても最後まであたしは彼の願望を叶えるお手伝いをしてあげたい。そう心から思っているの……これ以上話すことはないわね」

 

 ──―断られた。どうして? この英霊は私ではなく、あの男を選んだ。にわかには信じられなかったが、これが現実なのだ。

 

「ちょっと待って、ブラヴァツキ―夫人。最後に一つだけ確認させて。もし、もしいつか私が貴方を召喚したなら。その時は私の気が済むまで魔術やそれ以外のことについてもお話しに付き合ってくれるかしら?」

「よくってよ、その日を楽しみにしているわね。

 あ、それとあたしの事はエレナでいいわ。ブラヴァツキ―夫人って呼ばれるの、あまり好きじゃないのよね」

 

 そう言うとエレナはパチンと指を鳴らす。その音でウリエが放った魔術具はパキンという音と共に砕け散った。

「あたしの神智学にそこまで理解を示してくれたことには本当に感謝します。ウリエ=ヌァザレ=ソフィアリ。あなたにはマハトマを感じるわ、出来れば生前に会いたかった……。もしかしたら……」

 その言葉の先を口にする前にエレナは小さく首を振りウリエに背を向けた。

 

 そしてエレナはぐったりとしてはいるがまだ何か言おうとしているクガイを担いでその場を離れていった。

 

 

 

 ウリエはエレナとの会話を頭の中で繰り返していた。聖杯戦争っていったい何なのだろう。魔術師世界一決定戦という考えは先ほどの戦いの中で捨て去った。だが、ではなぜこのような大儀式が当たり前のように行われているのだ? いったい誰がこの聖杯戦争で「得」をするのだ? ウリエにはその答えを得るためにはまだ知識が足りていなかった。

 

 思考の海に沈みそうになったところでふとウリエは自分の胸元を見る。そしてエレナとの話から一気に現実に引き戻された。

 自分の胸元はマギシェス・ゴルドで金色に染まっていた。

 ドレスの胸元と胸を覆っていたお気に入りのフリフリの下着までもが大きく破れて素肌が見えている。そしてその衣服、そして素肌には金粉が異常に付着していた。

「あ、危なかった……のね」

 クガイの古銭が命中したあの一瞬、ウリエは完全に死を覚悟した。

 

 ウリエはメラヘルに収納している分以外に携帯用のマギシェス・ゴルドを別の用途も兼ねてある場所に入れていた。クガイの攻撃は唯一当ててはいけない場所に命中したのだ。ウリエにとっては正に九死に一生を得たかたちとなった。

 

 エレナの護符は浮遊するマギシェス・ゴルドを吹き飛ばすことには成功したが、ウリエが身に付けているものまで吹き飛ばすことはできなかった。

 

「止めは刺せなかったけど、彼が私の前に立つことはもうないでしょうね……」

 ふう、と息を吐き出し考えを切り替えるように大きく首を振り破壊され横たわるメラヘルに目を向け呟いた。

 

「あなたが頑張ってくれたおかげであの男に勝つことができたわ。ありがとう、メラヘル。ロンドンに戻らないと私ではあなたを直してあげることはできないの。ごめんなさいね」

 ウリエはそう言えばバーサーカーは何をしていたのかとヴラドの姿を探した。

 

 そんなウリエのもとに頭を振りながらバーサーカーがふらふらとやって来た。

「うぬ……あのキャスターめは余と全く相性が良くない。まだ目がチカチカしよるわ……。あのキャスターめ珍妙な魔術を使用しよって」

 ウリエはバーサーカーを見て先ほどのエレナの言葉がよみがえった。

 バーサーカーにも聖杯に掛ける願いがある……ね。

 

「バーサーカー」

「う、うぬ? 少々遅れはとったがあの宝具は使わせなんだぞ? あやつは太陽の光の加護を持っておるようでな。少々余とは相性が良くないようだな。しかし余の攻撃は確かに効果があったようだぞ? 十分に足止めはできていたであろう」

 

 まるで子供が母親にするような言い訳を聞きながらウリエはため息を一つ吐いた。

「ふう。まぁ、勝てたのだからいいわ。ヴラド・ツェペシュ、ご苦労さま。メラヘルを回収するのを手伝って頂戴。……ねぇ、今まで聞いていなかったけど、あなたが聖杯に託す望みって何なのか聞かせてくれるかしら……私にできることがあるなら手伝ってあげるわよ」

 

 むぅ、絶対罵られると思っておったのだが、急に優しくなって気色悪いわ。改めてこの小娘だけは全く理解できぬな。

 ヴラドはキャスターのみならず、ウリエとも相性が良くないようだった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話 遊園地再び

「どういうつもりだ! 奴との決着はまだ付いてねぇだろうが!」

 強引に戦闘エリアから離脱した後、二人は現在閉鎖中の冬木ドリームランドに戻っていた。そこでクガイはエレナに食って掛かった。

「落ち着いて! あなた重傷なのよ? それに少しマズイことになりそう」

 エレナとてクガイが焦っている事は承知している。しかし彼が負った傷は深い。

 

 廃工場から冬木ドリームランドの距離はそれほど遠くなく、怪我を負ったクガイでも十分に辿り着くことが出来る。それに他陣営もまさか私たちが一度放棄した陣地に戻るとは思わないだろう。エレナはそう考え、ここに霊脈があることを利用しクガイの治癒と自らの魔力の回復を図るつもりだったのだ。ところが、十分に休む間もなくこの場所を目指して近づく者がいることに気付いた。

 

「先ほど結界内に侵入者があったわ。まさかこんなに早く見つかるなんて……。簡易結界なので詳細はわからないけどおそらくはアーチャーね。マスターも一緒みたいだわ」

「ちっ、あいつらか。なら都合いいじゃねーか。というか計算通りだろう? まとめてやっちまえば時間も無駄にならねーじゃねーか」

「そうね。あの二人組のマスターについては問題ないと思うわ。でもそれ以外のサーヴァントも来るかもしれないわ」

「ますます都合がいいじゃねぇか」

 

 エレナはクガイの様子が明らかに普段と違っていることに違和感を覚えた。

 クガイは相当なピンチになっても取り乱して判断を誤るような男ではないと彼女は評価していた。実際、先ほどの戦いにおいてもエレナの言葉に咄嗟に引くことを判断できるほどの冷静さを持っていた。

 

 しかしここにきてのこの焦り方はエレナの想像を超えていたのだ。

「ファリン……。ジアンユーの野郎絶対許せん……」

 エレナはクガイの様子を見てはっとする。出血が多すぎる。クガイは想像以上に憔悴しているのかうわごとのようなことを言い始めた。

 

 エレナに医療の知識は薄い。一般的な知識は有しているが、それよりも魔力同調でクガイのマナを活性化させ治癒速度を上げることがむしろ彼女的に出来る治療行為といえた。

 もっともそのおかげがあってか、次第にクガイの出血も少なくなりとりあえずの危機は脱したといえる。ただ、通常の人間なら即座に入院間違いなしの重傷であり絶対安静とされる状態ではあるのだが。

 

「っ……ふう……。すいやせんね。ちょっと取り乱しましたわ……」

「いいのよ。それにしてもその左手。かなり酷いわ。なにがあったの?」

「んー。あのウリエって魔術師にやられたんでさ。まさかあっしの古銭を撥ね返してくるとは思いませんでしたわ。まるで金メッキされたみたいになっていやしたが、逆にそうでなければあっしは腐り落ちていたでしょうね」

 クガイの左手に包帯を巻きながらエレナは先ほどウリエが話した内容を思い出す。

「マギシェス・ゴルドは有毒、クガイはあと数日で命を落とす……」

 エレナは首を左右に振り、纏まらない考えを振り払う。今は目の前の事に集中するしかないわ。

 

「それでここに来たってのはアーチャー陣営ってことで間違いないんで?」

「ええ、どうやらあたしの作った簡易オートマタじゃ足止めにもならなかったみたいね」

 サーヴァントであるアーラシュが同行しているのだ。簡易オートマタの2,3体で倒せるなどとはエレナも思っていない。

 

「いずれにせよ急いで聖杯を手に入れないといけないのは間違いないし、向こうから来てくれるって言うなら都合いいじゃありやせんか。ぐほっ」

 そう言ってクガイは大きく咳き込んだ。口元からは血がしたたり落ちる。

 それはそうなのだけれど……。エレナはクガイの様子を見て「本来なら一度態勢を整えたいところなのだけどね」と心の中で呟いた。

 

「わかったわ。ではもう一度あなたとマナ同調しておくわ。言っておくけどかなり危険な行為よ? とりあえず動けるようにはなるけどおそらく反動であなたは明日一日意識を失う事になるわ。いえ、下手するとそのまま死んでしまうかもしれない。それでもよくって?」

 

「望むところでさ。今ここでやられちまったらそんな心配も出来ねーんですから」

「わかったわ。あなたのその決断の速さは嫌いじゃなくってよ。恐らく左手は使い物にならないと思う……。連戦になるけど、しっかりね」

 エレナなりの精一杯の励ましにクガイはちょっと困ったような照れたような、しかしどこか嬉しそうな笑顔を向けた。

 

 

 

 ジン、ユェ、アーラシュは遊園地の中を進んでいた。

「まさかまたここに来ることになるとはな……」

 ジンとユェはジャンマリオのサーヴァントであるワルキューレ・ヒルドからクガイたちが再びこの遊園地に戻ってきたという情報を得ていたのだ。

 

 時間は少し戻る。

 ワルキューレ・ヒルドはジャンマリオより冬木教会にいる言峰綺礼の動向を見張るように指示を与えられていた。

 ランサー陣営とアーチャー陣営は不戦と情報共有を行うという事で同盟関係を結んでいる。ジャンマリオの当面の目的はあくまで言峰綺礼の抹殺であるのだが、情報を交換できるだけでも大きなメリットをお互いにもたらしていたといえる。

 

 そんな単独行動中のヒルドは冬木教会に向け移動中に大きな魔力爆発の波動を感じ取った。

「近くでサーヴァント同士が戦っている……? 命令は冬木教会の監視なんだけどな……」

 そう思いながらも聖杯戦争における戦いは如何に相手の情報を多く持っているかという事が生死を分ける。それを理解していないヒルドではない。

 

「見に行くべきよね……」

 そう呟くとヒルドは進路を変更し、本人的にはほんの少しだけの修正をして魔力爆発のあった廃工場に向け飛んでいった。

 

 ヒルドがその近くに来た時には既にクガイたちは撤退した後であったのだが、魔力の残滓が色濃く残っていたため後を追うのは難しい事ではなかった。

 かなりの上空を飛翔しながらの追跡であるため対象に発見される可能性は低かったが、それでも彼女は慎重にその後を追いかけていった。

 

 やがてヒルドは重傷を負いキャスターに介助され遊園地に入っていくクガイを発見した。

 ワルキューレたちはクガイとキャスターの姿を直接見た事があるわけではなかったが、アーラシュより大体の特徴を聞いている。垂れ流される魔力とその風貌で彼女は彼らが間違いなくキャスター陣営であると判断した。

 

「これは……怪我をしているようね。ふふふ。好感度アップのチャーンス! アーラシュさんに知らせねば!」

 乙女脳のヒルドはすっかりジャンマリオの命令などどこかに飛んでしまい、すぐにアーラシュたちの拠点としている洋館に急行した。

 

 本来ならまず自らのマスターであるジャンマリオに伝えるべき案件であるのだが、彼女はアーラシュが喜んでくれるかと思うとマスターに伝えるのはその後でもよいと判断したのだ。

 自らの判断で動くことが少ないワルキューレとしては極めて異例な事だったといえるだろう。これがオルトリンデやスルーズであったなら間違いなくマスターの命令を最優先し、さっさと冬木教会に向かっていたに違いなかった。

 

 ヒルドはアーラシュに知らせた後自分の使命をようやく思い出し冬木教会に戻るのだった。

 アーラシュの「貴重な情報感謝する。このお返しは必ずさせてもらうよ」という言葉を思い出し「えへへ、お返しって何かな。これはいよいよアーラシュさんにデートに誘われちゃうかな。聖杯戦争中だけど、半日くらいならマスターも大目に見てくれるよね、きっと」などと呟きながら。

 

 

 

「ち、またこいつらかよ!」

 連続的に発せられる爆音と共に襲い掛かる機械人形に向けてジンとユェは発砲を繰り返す。

 彼らはすでに左腕のガトリングガンを解放していた。回転式の多砲身が軽快な音を立て廻り始めると毎分500発に及ぶ魔弾が撃ち出される。

 

 二人の左腕には可変式のガトリングガンが組み込まれていた。そのため彼らの左腕と鎖骨、さらにいくつかの骨格はチタンを中心とした金属に取り換えられている。何処にそんな大きな銃器が内蔵されていたのかと疑うような武骨なガトリングガンを二人は軽々と振り回し襲い掛かるオートマタに乱射する。

 

 二人の凄まじい火力の前にオートマタはまた一体破壊され地に転がる。

「お前らすさまじいな。その火力だとサーヴァントですら上手くすりゃ討ち取れるぞ」

「皮肉なものです。ジアンユーの作った装備だと思うと素直には喜べないのですが今は役に立ちます」

 

 アーラシュはそれでもこの二人が人間という器からはみ出しているという事実に内心苦い思いをしながらもそれは口にしなかった。

「アーラシュ、こっちであっていますか?」

 ユェの問いにアーラシュは一度精神を集中すると頷いた。

「ああ、間違いない。あのキャスターの魔力を感じる」

 そうしてユェに小さく囁く。

「わかっているとは思うが、絶対にあの宝具は使わせるな」

 

 そして3人はクガイとキャスターが待ち構えるかつては資材置き場であっただろう広場に到着する。大きな月が二人のシルエットをはっきりと浮かび上がらせていた。

「お待ちしておりましたぜ。色々邪魔が入りそうなんで速攻でやらせてもらいやすか」

 そういうや否やクガイはユェに向かってナイフを投擲する。

 

「いきなりご挨拶ね」

 ユェはあっさりとナイフを木の葉で撃ち落とす。

「クガイ! お前の命運もここまでだ! 何を思って聖杯戦争に出てきやがったのかは知らねぇが俺達にとっちゃお前は存在してはいけない人間なんだ!」

 ジンはそう言ってガトリングガンをクガイに向けた。

 

「く、くはははは! お前確かジンて言ったな? ジアンユーの手下が良く吠える。奴の自慢の玩具らしいぜ!」

 クガイの挑発にあっさりと激高するジン。

「やかましい! おまえこそジアンユーの犬じゃねーか! お前が死んだところで困る奴も悲しむ奴もいねぇ! ここで死ね!」

 

「ちょっと今のは酷すぎないかしら! あなたたちにどんな事情があるのか知らないけど、こっちの事情だってそっちには分からないでしょう。なのにそんな事よく言えたわよね!」

 エレナは今のジンの言葉を聞いて黙っていられなかった。そこで言葉を切りエレナはアーラシュを見る。

「アーチャー! あなたこの子たちに何を教えてきたの?」

 

「あー。うん確かに事情はそれぞれだ。俺から見ればなんであんたがこんな男のことをそこまで買っているのか、さっぱり理解できないんだが、きっとそっちにはそっちの事情があるんだろうさ。俺と同じであんたにもこのマスターに仕える義ってものがあるんだろ。その姿勢は嫌いじゃないぜ。キャスター、あんた良い奴なんだな。こういう状況じゃなきゃきっと仲良くやれたかもな」

「ちょ! アーチャー!? 何を言ってるんだ?」

 アーラシュが敵キャスターの言葉に同意を示したことにジンは不満を表す。

「事情はお互いさまってことだ。しかしまあやることは変わらんよ」

 

「そうね。クガイ! あなたの命、此処でもらい受けるわ!」

 そういうや否やユェはガトリングガンの砲身を回転させ弾丸を撒き散らせた。

 

 クガイに向けて殺到した弾丸はエレナの腕の一振りにより発生した電撃にすべて撃ち落とされる。

「そんじゃこっちからも行きますぜ!」

 クガイは右手に大型のナイフを持ちユェに切り込む。

 

 ここにアーチャー陣営とキャスター陣営の第2回戦が開始された。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話 幸せな夢

 劉九垓 35歳

 

 1964年 河北省にて生まれる

 幼少の頃に孤児となりあらゆる悪事を重ねながら成長

 少年時代に見様見真似で心意六合拳を体得する

 青年時心意六合拳の門派に殴り込みをかけるが返り討ちにあい、生死の境をさまよう

 その後その門派に住み込みとして下働きをしながら修業を積む

 街で同門のものが起こした諍いに介入し、警官を殺してしまい破門される

 

 その後どこで何をしていたのか不明な時期が10年続くが、再び現れた時は魔術を体得しており殺し屋として裏社会で名をはせていく

 

 1992年香港にてショーガールであった晨曦(チェンシー)との間に娘、花琳(ファリン)をもうけるが、チェンシーは既に死亡

 同年ジアンユー自身がスカウトし、高額の契約金で365党所属となる

 

 李将司(リ ジアンユー)はクガイの資料をデスクに放り投げニヤリと嗤った。

「ご機嫌がよろしいのですね?」

 話しかけたのは秘書の姿をした王雪麗(ワン・シュェリー)である。

「ああ、ちょいと時間かかったがいい知らせがきたもんでな」

 そう言ってジアンユーは一通の手紙をシュェリーに見せた。

「これは?」

「クガイの資金の経路を押さえた。資産凍結ってやつだな。加えて奴が必死に隠していた娘の所在も突き止めた。なんと日本だったよ」

 

 ジアンユーにもクガイの魔術の秘密はわからない。魔術師にとってそれは守らなければならない最大の秘密であるからだ。

 しかしジアンユーはこれまでのクガイの戦いのレポートを研究し、一つの仮説を立てていた。

 ―クガイの魔術には異常に金がかかるのではないか―

 事実クガイが大きな仕事をした日には、必ずといって良いほど高額の預金が引き出されている。しかも実際奴が仕事に就いていた時間帯にである。どういう仕組みなのかはまったく理解できないが、ジアンユーが導き出した結論はそれである。また、クガイは預金を数十個の口座に分けて管理している上に中にはいかなる理由があろうとも介入することができないという某国家の秘密口座まで含まれていた。

 

「万が一にも俺の玩具が負けるなんてことがあっちゃいけないだろ?」

「資金を押さえることができたとして、例の秘密口座だけは凍結できないのではなくて?」

 シュェリーの問いにジアンユーはニヤリとして答える。

「だから娘の居場所を探したのさ。それでその病院の看護師の女を買収してちょいとばかし投薬と治療費の請求額を細工させてもらった」

 

「つまり、他の口座が押さえられた状態ではその秘密口座から資金が流れると?」

「まあそういう事だ。冬木の情報は逐一送られてくるが、あの二人一回負けてやがるからな。父親からのささやかなプレゼントってところかね」

 

 

 

 エレナはアーラシュと向き合い魔法書を掲げた。

「マハトマよ!」

 エレナの魔術がアーラシュに降り注ぐ。アーラシュは正に無限に撃ち出されるように矢を放ちそのすべてを撃墜していった。

 

 エレナは正直かなり焦っていた。クガイの傷はそれほどまでに深かったのだ。さらに先のウリエ戦で吸い込んだ、または傷口から侵入した例の金粉が深刻な健康被害をもたらしていることがエレナには理解できたのだ。

 クガイは実際戦いなど出来る状態ではないといえた。

 

 何とか隙を作って宝具を解放したい。エレナはその一心でアーラシュと対峙していた。

 

 対するアーラシュは全くその逆である。絶対にあの宝具を撃たすわけにはいかない。あれはジンの狂化のトリガーになってしまう。

 二人の戦いは荒れ果てた遊園地を縦横無尽に駆け回る激しいものとなっていった。

 

 

 

 ジン、ユェとクガイの戦いもまた激しさを増していった。いかなクガイといえガトリングガンを乱射しながら魔術を放ってくる二人を相手に苦戦を強いられる。

「ちっ弾切れとかないんですかい!」

 無限に射出される弾丸を巨大なナイフで防ぎながらクガイは走り回る。

 

 ジンとユェのガトリングガンにも弾切れは存在する。ただし通常の弾丸よりはるかに小さく、魔術を纏う事で強化されている弾丸の装填数は実際の火器に比べてはるかに多い。

 しかしクガイもまた普通ではない。通常ならここまでこの攻撃を防ぎきることなど出来るはずがないのだ。当たり前のように弾丸の嵐の中を動き回って攻撃を仕掛けるクガイの体術が異常なのである。

 

 クガイとエレナはユェたちが広場にたどり着くまでの短い間で簡単な打ち合わせをしてあった。すでにクガイは満身創痍であり、ここで戦闘になった場合エレナの宝具をいかに解放させるかが勝負の分かれ目になるからだ。

 

 しかも相手がアーチャー陣営であった場合すでに一度見ているだけにあの宝具の解放だけは絶対に阻止してくることが予想される。

 いかに早くサナト・クマラに必要な魔力を集中させるか。それが課題だったのだ。

 

 クガイはジンとユェの攻撃を避けながらエレナの姿を探す。すでに避けきれずに体中に喰らった弾丸は数えることも出来ないほどの数になっている。

「どうしてこの男は倒れないの!」

 ユェは鬼気迫る表情のクガイに恐怖を覚えた。

 そしてエレナもまたアーラシュと撃ち合いながらクガイの姿を探していた。

 

 雲の切れ間から月明りが差し込んだ一瞬、エレナとクガイの目が合った。

 エレナはニッと微笑むとスキルを発動させる。

「魔力同調!」

 すでに何回目の同調だろうか、クガイの魔術回路はすでに悲鳴を上げていたが、そんなことはクガイも百も承知だ。

 

 血を吐きながらクガイは魔力を右腕に集中させる。すでに彼の魔力は枯渇寸前だ。

「令呪を持って命ずる! キャスター・エレナ! 宝具を発動せよ!」

 最初、令呪の使用をクガイは躊躇していた。

「あっしは人に行動を制限されたり、無理矢理従わせられたりするのが大嫌いなんでさぁ、キャスターさんには色々世話になってるし、自分がされて嫌なことをするのはどうにも気が進まねぇな」

 しかしエレナはそんなクガイを好ましく思うと同時に令呪の有用性を彼に理解させていた。

 令呪を使用した瞬間大きな魔力の消耗からクガイは片膝をつき更に激しく血を吐いた。

 

 令呪によって発動したサナト・クマラは通常であるなら必要となる詠唱を完全に省略した形で顕現する。

 上空に現れた巨大な円盤は再びその異常なほどの存在感を示しながら光の熱線を振りまき始めた。

 

 

 

「くっ! しまった!」

 アーラシュは雨のような矢を降らせながらエレナを牽制していたが、再び発動した「サナト・クマラ」により恐れていたジンの狂化が発現する。

 

「う、うあああああああああああああああああ!」

 ジンの体に異変が起こる。右腕は肥大化しまるで巨大な石のゴーレムでもあるかのように硬化を始める。しかもジンの目からは知性の光が抜け落ちていた。

 

 ジンは正に獣の様な速度でクガイに襲い掛かる。クガイもすでに満身創痍であり右手に古銭を構えるが狙いが定まらない。異様な姿でクガイに迫るジンの姿ですらクガイの視界には入っていなかった。ここにきてウリエとの戦闘で吸い込んだマギシェス・ゴルドがクガイの身体を大きく蝕み始めていた。この時すでにクガイの視力はほとんど失われていたのだ。

 

「ジン! だめ!」

 ユェは必死に呼びかけるがジンの耳には届かない。

 だめだ! このままではジンの自爆機構が発動してしまう! 

 ユェはクガイに襲い掛かるジンを追いかけながらアーラシュに視線を向ける。

「アーラシュ! ジンを止めて!」

 

 アーラシュはこうなった時ジンを止める方法は一つしかないと考えていた。それはジンの右腕を斬り飛ばし、自爆機構そのものを体から切り離すこと。

「ユェ! クガイから目をそらすな!」

 アーラシュはエレナの宝具による光線を全身に受けながらもジンに向かって高速で駆ける。

 アーラシュの萌黄色の鎧はすでにボロボロでアーラシュ自身も生きているのが不思議なほどの状態である。それでもアーラシュは止まらない。

 

 ―この兄妹は人の世で幸せに暮らす権利がある! ―

 

 ペルシャの英雄は今たった二人の兄妹のためにその全霊をかけ灼熱の嵐の中を脇目も振らずに駆け抜ける。

 

「うあああああああああああああああああああああ!」

「ジン!」

「ジン! 目を覚まして!」

 

「これで……決まりでさぁ……」

 

 

 

 ジンの肥大化した右腕がクガイの左腕を肩から叩き潰した。

 

 アーラシュの手刀がジンの右腕を斬り飛ばした。

 

 そしてクガイの放った古銭はユェの鳩尾に直撃した。

 

 

 

 ジンに左肩を粉砕された勢いでクガイは吹き飛ばされ、壁に激突して血を吐いた。

 アーラシュにより右腕を斬り飛ばされたジンはその場に倒れ動かなくなる。

 

 そしてクガイの古銭の直撃を受けたユェは……

 

 自らの身体に突き刺さったコインを呆然と見つめていた。

 ―何も起こらない……? 

 

 

 

 次の瞬間斬り飛ばされたジンの右腕が爆発し、その爆風でクガイとジン、ユェ、アーラシュはそれぞれ別の方向に吹き飛ばされた。

「クガイ!」

 エレナが自らのマスターであるクガイを助けに走る。しかし遠目にもクガイの状態が深刻なのは明らかだ。

 もっとやり方があったのではないか。エレナは唇を噛みながらクガイを担ぐと脱兎のごとくその場から駆け出した。幸いなことに追撃者はいない。今襲われればいかなエレナとて対処のしようがない。

 

 クガイにはまだ息があった。しかしエレナにはその命の営みは今にも途切れそうなほど細く感じられた。

「エレナさんよ……。しくじっちまいやしたわ……」

「喋らないで! 今すぐ治療するから!」

 そうは言いながらもエレナにもクガイが既に致命傷を負っていることは疑いようがなかった。

 

「ちっとどこかに下ろしちゃくれませんかね……」

 クガイはヒューヒューと空気が漏れ出すような声でエレナに頼む。

 エレナはビルの陰にクガイを下ろすと彼の唇に耳を寄せた。

 

 

 

「おそらくジアンユーの野郎に諮られたんでしょうな……。魔術が発動しませんでしたわ……」

「だからあれほど貯金は大丈夫かって聞いたのに!」

「すいませんなあ……。口座を押さえられたんですかね……秘密口座もあるんですがね……。でもなぁ、エレナさん……、正直、今となっちゃあっしは魔術が発動しなくてよかったと思ってるんでさぁ、例え今の戦いに勝っていたとしても、こんな状態のあっしが聖杯を手にするのは不可能でやしょ。最期に子どもを手にかけたなんて、ファリンに合わせる顔がないってもんでさ、まさかジアンユーの野郎に感謝するなんて、笑い話にもならねぇな、ぐっ、ごほっぐほっ」

 

 クガイは大きく血を吐きむせ込んだ。

「ええっと……令呪をもって命ずる……でしたっけ? やっぱりあんまりいい気はしませんがまた使わせてもらいますわ……」

 

「二つ目の令呪の力をもってキャスター・エレナに単独行動の魔力を与える。半日くらいはいけますかね……」

 ふう、と息をつきクガイは続ける。

「もう令呪は一つしか残っていやせんが、この願いを聞いてもらうには二つ令呪が必要なんですかね」

 エレナの耳元でクガイが囁く。

 

 

 

「何よ、いまさら水臭いわね。あなたは私の弟子なんだから、そんなことくらい頼まれなくてもやってあげるに決まっているじゃない」

 エレナは両手でクガイの右手を握り、目を潤ませながらも彼に微笑みかけた。

「ははっ、そうでしたな……それは、良かった……。じゃあ、三つ目の令呪をもってキャスター・エレナに命ずる。この後すぐにファリンの病院まで飛んでくだせえ。よろしく頼みますぜ……お師匠さん……」

 そう言ってクガイは無理矢理に笑みを作るとすでに見えていないであろう瞳をエレナにむけ相変わらずの皮肉めいた口調で呟いた。

「しかし……あっしみたいな奴の最後が美女に看取られてなんて、出来過ぎじゃありませんかね……」

 

 クガイは眼を閉じ微笑むと静かに呼吸を止めた。

 

 

 

「ねぇねぇおじちゃん! あのヒーローなんて言うの?」

「いやーおじさんテレビ見ないからなぁ」

「やだ! イカの怪人気持ち悪ーい!」

「や、やっぱり気持ち悪いかね?」

「うん! 気持ち悪いー! あ、次あれ乗ろう? お馬さん!」

「ああ、ありゃあメリーゴーランドって言うんだよ」

「おじちゃんと二人乗り! いい?」

「はははは。喜んで」

 

 ……私ね、今まで言えなかったけど、ずっと一緒にいたかったんだよ。

 ホントに夢みたい……

 

「楽しいね! ……お父さん!」

 

 

 

『今すぐファリンの入院している病院まで飛んでくだせえ。そして、苦しんでいるファリンにあんたの魔術で遊園地の夢を見させてあげてくれねぇか……とびっきり楽しいやつを……頼みましたぜ……』

 

 それがクガイの最後の願いだった。

 

 

 

 病院の霊安室

 

「こんな小さな子が、一人きりで病院で亡くなるなんて、可哀想ですね」

 遺体を霊安室に運び終えた若い病院職員が同僚に話しかけた。

 小さな遺体の側には彼女が最後まで手放さなかったパンダのぬいぐるみと一枚の古銭が置かれていた。

「この子生まれてから今まで殆ど病院で過ごしてきたんですって。治療も痛くて苦しかったはずなのに、どうしてこんなに楽しそうで安らかな顔をしているのかしらね」

 もう一人の女性職員が不思議そうに呟いた。

 その少女は長い闘病生活の末に亡くなったとは思えない程幸せそうな微笑みを浮かべていた。

 

 これは噂なんだけど、この子の投薬量にミスがあったんじゃないかって、おまけに治療費が二桁間違えて請求されてたんですって。還付手続きのためにこの子の保証人である伯父さんに連絡を取ってるんだけど繋がらないって事務の子が泣きそうになってたわ。それに、投薬ミスがあった可能性のある日だけいつもの担当看護師が急に体調を崩して休んだので、別の看護師が担当していたらしいわ、その人に事情を確認しようにも、今日は無断欠勤していて電話にも出ないらしいわよ。酷い話よね。これ下手したら全国ニュースレベルの大問題になるんじゃないかしら……

 

 

 

 その日とあるアパートの一室。喉を掻きむしり何かに怯えたような表情のまま死亡している看護師の女性が発見された。警察の検死の結果、死因はショックによる心臓麻痺とのことだった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話 不屈のコンキスタドール

 ワルキューレ・ヒルドはジャンマリオの指示で冬木教会を見張っていた。ジャンマリオはすでに言峰綺礼が今回の聖杯戦争にまさにサーヴァント強奪という形で参加していることを確信しており、自身の私怨と合わせ綺礼の抹殺を目論んでいた。

 もちろん言峰綺礼がそうやすやすと倒せるなどとは考えておらず、ワルキューレを使役した情報収集にも抜かりがなかったのだ。

 

 そんなジャンマリオのもとに偵察に向かっていたヒルドから連絡があったのは例のホテル倒壊事件の翌日の夜の事であった。

 何やら怪しい老人が冬木教会に入っていったという情報を持ってきたのだ。ヒルド曰く「まともな人間ではなかった」という事でありその人物は魔術師であろうと思われたのだ。ただ、ヒルドは魔術師というと少し首を傾げ「魔術師というより何か妖怪じみたナニか」と要領を得ない返事をしたのだが。

 

 いずれにせよこの期に及んでまだ何かよからぬことを企んでいると思われる綺礼を誅すべくジャンマリオは冬木教会に向かったのだった。

 

 

 

 ジャンマリオとワルキューレ・ヒルドが冬木教会に到着すると、その門の前にはキャプテンハットを被った立派な顎髭の船乗りが仁王立ちで待ち構えていた。言うまでもなくコロンブスである。

 

「はっはっはー! 待ちかねたぜー! が、しかーし今ちっとマスターは取り込み中だ。お引き取り願おう」

 巨大なラッパ銃を肩に担いだ船長は顎ひげをしごきながら二人を追い払うような仕草を見せた。

 

「つまり綺礼は中にいるという事だな。行くぞランサー」

「了解です! マスター」

 今現在ワルキューレとして現界している霊基はヒルドであり、ノリは若干軽い目である。しかし3人の霊基の中でもっとも柔軟な発想と行動をとることができるのがこのヒルドである。

 ヒルドは了解というが早いかまさに地面を滑空するようにコロンブスに向かって突進した。

 

 ワルキューレは主神オーディンより賜った白鳥礼装(スヴァンフヴィート)を纏うことで空を駆けることができる。その突撃スピードは他の追随を許さない。ヒルドはまさに放たれた矢のような速度でコロンブスに迫った。

「おおっとあぶねぇあぶねぇ! その手は喰わないぜ! オラァ!」

 コロンブスはヒルドを避けるとその背中に向かってラッパ銃を発砲した。

 ドン! という発砲音と共に弾丸がヒルドに迫る。旧式のラッパ銃とは言えサーヴァントの使用する武器である。サーヴァントといえどまともに喰らえば深刻な被害を受ける。

 

 しかしもちろんそんな単純な攻撃に当たるヒルドではない。振り返ることもなく穂先が歪な形状のランスを一振りすることで弾丸を打ち落とした。

「槍よ、ルーンよ、あたしに力を!」

 輝きを放つ槍を掲げたワルキューレがコロンブスに迫る。

 ワルキューレの槍捌きに対してコロンブスもサーベルを抜き対応する。そしてそんなサーヴァント同士の戦いを横目にジャンマリオは教会の内部へと入っていこうとするが、さすがにそれはコロンブスが許さない。

 

「ちょ! 待ちやがれ! 簡単に行かれちゃ俺の立場がないって!」

 そう言いながらコロンブスはジャンマリオに向け銃を乱射する。

 すかさずヒルドはマスターの前に立ちランスを回転させるようにしてその銃弾をはじき落とした。

 コロンブスは教会の内部に誰も侵入させるなという命令を受けていた。簡単に侵入を許してしまうとあとで綺礼からどのような罰を与えられるかわかったものではない。

 あの綺礼という男は聖杯戦争の監督役という立場を利用し、恐ろしいほどの数の令呪を持っているのだ。

 

 コロンブスは綺礼の事を信用しているわけではない。そもそも自分自身を本来のマスターから騙し討ちの様な手段で奪い取った男なのだ。実のところ彼が何を考えているのかもよくわからない。

 しかしコロンブスはそのこと自体については「運がよかった」と考えていた。最初に自分を召喚したゲゲイーという魔術師はどう考えてもこの聖杯戦争の勝利者にはなれそうもなかったのだ。

 

 どうせ参加するなら勝ち馬に乗りたいじゃねぇか。そうすりゃ聖杯の力で金も名誉も快楽も望みのままだ。この俺が協力するマスターはどんな状況でもあきらめねぇ根性がないとだめだ。そういう意味ではあの言峰綺礼という男は上等だ。

 目的のためには手段を択ばないその行動力もコロンブスにとっては好感が持てた。

 もっともその目的がわからないのだが。

 

「戦闘補助、ルーンを起動!」

 スキルと共にヒルドの放った無数のスピアはコロンブスを地面に縫い付けるように行動を制限する。

「うわっ! とととっ! ちっ厄介な!」

「マスター! 今のうちに!」

「うむ! 感謝するヒルド!」

 ジャンマリオはヒルドがコロンブスの足を止めた隙を突き教会内に走る。コロンブスはジャンマリオの足を止めるような位置取りでワルキューレ・ヒルドに対して攻撃していたため、ジャンマリオはここまで動けずにいたのだ。

 

「これでこちらはあの髭ライダーを始末するだけね」

 ヒルドは土煙がもうもうと立ち込めるコロンブスがいたと思われる場所を睨みつけた。霊基反応はまだ消えていない。この程度で倒せる相手でないことはヒルドとて理解していた。

 

「くっ! ふはははははははははは! やってくれやがったな……。だがまぁ良いだろう。貴様の首を持ってゆけばいいだけの話よおおお!」

 コロンブスは歯をむき出し凶悪な笑い声を上げる。まさに世界中から非難されたコンキスタドールの本領発揮である。

 

 土煙の中から突然笑い声が聞こえる。身の毛のよだつような不快な高笑いだ。ヒルドは最大限に警戒を高める。

 

「面白いじゃねーか! さて今度は何が掴めるのかねェ? くふ、ふははははは、ふはっはっはっは! 考えるだけでワクワクが止まんねェ! 」

 

 土煙がその高笑いと共に晴れ、そこにボロボロになった霊衣を纏ったライダーが仁王立ちしていた。無数のスピアに貫かれながらもそのどれもがすべて急所を外していることに気が付いたヒルドはすかさず追撃のスピアを生み出す。

「うわ、なんて見苦しい!」

 ヒルドは一声発するとすかさずスピアを投擲した。その攻撃は間違いなくコロンブスに命中するかに見えた。

「わははははは! おっそいわああああ!! 『新天地探索航サンタマリア・ドロップアンカー』!!!!」

 

 コロンブスの宝具「サンタマリア・ドロップアンカー」

 それはまさに今より略奪を開始する合図である。その号令がコロンブスにスピアが到達する直前に発せられた。そしてスピアはコロンブスのコート裾を掠め地面に突き刺さる。

 

 同時に轟音と共にその場に突如として帆船が現れた。コロンブスと共に新天地を目指した船団の旗艦「サンタマリア号」である。そしてその「サンタマリア号」からワルキューレ・ヒルドに無数の鎖付きのアンカーが射出された。

 

「野郎どもォ! 錨を降ろせェ! 略奪の時間だああああ! ファッハッハァ!」

 高笑いを上げるコロンブスに呼応するようにアンカーは宙を舞いヒルドに襲い掛かる。

 空中を飛び回り無数の鎖を避けるヒルド。しかし鎖はまるで意志を持った蛇のように執拗にヒルドを追い詰める。

 

「ちょっ! しつこい! いい加減あきらめろって!」

 ヒルドのその言葉はコロンブスの耳にも届いた。

「あきらめるだぁ? ファッハッハッハァ! この俺があきらめる? 馬鹿めそんな事『あるわけない』だろう! いったいこの俺を誰だと思っていやがる! 天下の大冒険家コロンブス様に向かってよう!」

 

 その言葉と共にライフルの様な巨大なラッパ銃をヒルドに向かって発砲する。果たしてその弾丸はヒルドの左肩に命中した。計算なのか偶然なのかヒルドにとっては迫りくる鎖の陰に隠れて弾丸の軌道が予測できなかったのだ。

 

 弾丸を受けたことによりヒルドの動きが大幅に悪くなる。

「き、きゃああああ!! ちょっとなにすんのよ!」

 ヒルドに絡みついた無数の鎖はそのまま彼女を船首に縛り付ける形となった。奇しくもそれは船首像、フィギュアヘッドのようにも見えた。

「おうおうおう! これは良いじゃねーか! このまま俺の船の守り神になってもらいたいところだが、残念! サーヴァントは死んだら消えちまうからな!」

 

 コロンブスは敵サーヴァントの真名を知らなかった。しかし翼を持つ人間がいるわけがない。おそらくは神代の英霊なのだろうとは当たりを付けていた。もし彼がヒルドの事をワルキューレだと知っていたら狂喜乱舞したに違いない。神代の英霊、戦乙女ワルキューレを自らの船のフィギュアヘッドにしたのだ。

 

「昨日は魔力が万全じゃなかったから後れを取ったが、本来テメェらごときに負ける俺様じゃねぇんだ。さぁ! 命乞いをしろ、俺がグッとくるような気の利いた命乞いをしたら、助けてやるかも知れねぇぜ」

 

「あんたなんかに命乞いをするくらいなら、この場で首を刎ねられた方が百倍ましよ!」

 

「そうかい、まぁ最初から助ける気なんざ、微塵もなかったがな! さて! そんじゃ死ねぇえええ!」

 コロンブスが両手にカットラスを振りかざしヒルドに迫る。

 

 ゴウッ! 

 その時風切り音というには大きすぎる音と共にどこからともなく1本の矢が飛来した。

 

 その矢は狙いたがわすコロンブスの右腕を貫きそしてそのまま右腕を捥ぎ取ってしまった。

「んな!? いってぇえええ!?」

 その矢の衝撃はすさまじくヒルドに肉薄していたコロンブスの体を大きく弾き飛ばし、さらにコロンブスはサンタマリア号の甲板を何回転もしてようやく停止した。

 右腕を失ったコロンブスはいったい何が起こったのかとあたりを見渡す。しかしその強弓を放ったものの姿は確認できなかった。

「いったいどこから!?」

 

 ふらふらと立ち上がり頭を巡らすコロンブスに先ほど縛り付けたはずのランサーの声が聞こえた。

「……同位体、顕現開始。同期開始 真名解放……」

 

「ちくしょう! どうやって抜け出しやがった! やべぇ! 宝具が来る!? いつだってやべぇ時には嵐が来るってもんだ! くっ! ちっくしょうこの働き者がああ!」

 必死に打開策を模索するコロンブス。彼の不屈の意思はそれでも彼の霊基を回復させ身体の強化を行う。

「うおおおお! あきらめねぇ! ここを切り抜ければ夢は叶うってもんだぜ! ファッハッハッハア!」

 

 ワルキューレ達にとって先ほどの謎の一矢を放った者が誰であるかなど考えるまでもなかった。

 

 あの英霊に違いない! 

 

 突如飛来した矢がコロンブスを射抜いた瞬間スルーズはヒルドと霊基の変換を行った。

「ヒルド今よ! この鎖から逃れるために代替召喚を行います。代わりなさい!」

「うー。しかたない。こうたーい」

「とは言ってもすぐに出てくることになるわよ。宝具を解放するわ」

「りょうかーい」

 ごく短い時間のうちにそのようなやり取りがワルキューレ達の中で行われていた。そして霊基を交換し、束縛を逃れたスルーズは即座に宝具を解放する。

 

「『終末幻想・少女降臨 ラグナロク・リーヴスラシル』!!」

 

 同期する9騎のワルキューレはまるで歌うような声を上げる。今まさに北欧神話における戦乙女の騎行が始まった。

 そして上空高く舞い上がった9騎のワルキューレはその手に持つ『偽・大神宣言』を一斉に構える。

 まるで太陽を背にしたかと見紛うほどの光を纏い、翼をはためかせ空に浮かぶその幻想的な光景はまさに神話の再現である。

 コロンブスでさえそのあまりにも神々しい光景に一瞬目を奪われた。

「って、見てる場合じゃねっての!」

 

 そして9騎のワルキューレは完全に同期したその『偽・大神宣言』をコロンブスに向けて撃ち降ろした。

 

 ラグナロク・リーヴスラシルは対象に槍の投擲ダメージを与えると同時に、効果範囲に一種の結界を展開する。そしてあらゆる清浄な魂を慈しみ、同時に正しき生命ならざる存在を否定するのだ。

 

 大音響とともに9本の神槍がコロンブスに殺到した。

「ちっくしょうおおお、やられるかああああああ!!」

 コロンブスの不屈の闘志は宝具である神槍にすら対抗して見せた。

 

 サンタマリア号から無数の鎖付きアンカーが神槍に向かって撃ちあがる。しかし正に神代の宝具である『偽・大神宣言』はその鎖をことごとく破壊しながらコロンブスに殺到する。

 

「おらあああ! 神代の宝具が何だってんだああ!!」

 1本目の神槍をコロンブスは左腕で弾き飛ばした。

 

「やらせるかよおお!」

 2本目の神槍を右足で蹴り飛ばした。

 

 3本目の神槍を彼は右腕で払おうとして右腕がないことに気が付いた。

「くっ! なんだとぉ!」

 

 4本目の神槍は彼の左足を地面に縫い付けた。

「馬鹿な!」

 

 そして5本目以降の神槍はすべてコロンブスの体を貫いた。

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 その衝撃はコロンブスの宝具であるサンタマリア号を霧散させ、その場にクレーターを作り出しあたり一面に大爆発が起きたように土砂と建造物の破片を撒き散らせる。

 

 土煙が晴れ、その場が見渡せるようになった時、そこには満身創痍のコロンブスがいた。

 

「くぅ……なんてこった……。ちくしょうめ。今回はここまでかよぉ……」

 霊基を貫かれ、消えかかっている自分の体を見下ろしながらコロンブスはそれでも高笑いを上げる。

 

「クソ……畜生、……神よ……! 許してくれ、アンタにもらった幸運ってヤツを、俺は無駄遣いしちまった……! ああ、だが、俺は諦めねぇぞ。次に喚ばれたときにゃあ、どんな金儲けを……どんな宝の島を探してやろうかね。楽しみだ。ああ、楽しみじゃねぇか……ハハ、ハッハッハー!」

 

 高笑いの中、稀代の冒険家船長、クリストファー・コロンブスは光の粒子となって消え去った。

 

 

 

 闘いの現場である冬木教会より遠く離れたビルの屋上。アーチャーが戦いの動向を見守っていた。

「ふう、やれやれ。何とかなったようだな。借りは返したぜ」

 

 そう呟くとアーチャー・アーラシュはビルの屋上から飛び降りて姿を消した。

 

 

 

「ユェ、ジンの様子はどうだ?」

「あ、アーラシュ。戻ったのね。……今は落ち着いたようだわ。ジアンユーの手を借りるのは正直、納得いかないけど……」

 この病院はサイバネティック手術を受けているため普通の病院にかかることができないジンとユェをバックアップするためにジアンユーの命令で冬木市の近郊に買い取られたものである。

「買い取られた」というと合法的な手段で用意されたように聞こえるが、その実は乗っ取りといってよい手段であり本来の病院長はとうに亡きものとなっている。

 ユェは想定外の負傷を負った場合、この病院に行くようにとジアンユーから指示を受けていた。

 

 アーラシュの咄嗟の判断により右腕を切断されたジンは自爆回路の暴走により彼自身の魔術回路に変調をきたしていた。そのため意識は戻らず生死の境を彷徨っていたのだ。

「……アーラシュ、ジャンマリオさん達は無事?」

 聡い娘だ……。アーラシュはユェにジャンマリオの様子を見に行くとは伝えていなかった。にも拘らず彼女はアーラシュが何をしにこの場を離れたのかちゃんと把握していた。

 ただ、この時さすがのユェももう一つのアーラシュの行動は予想できていなかった。

 

 アーラシュはワルキューレを助けた後ジンとユェの行動とクガイの死亡をジアンユーに報告し終えたエージェント2名を射殺している。これから自分が行う事を考えるとこのエージェントは絶対に邪魔になるからである。

 サーヴァントがジアンユーの手下とはいえ一般人を殺害するという行動は決して褒められたものではない。見ようによっては霊力を得るために殺人を犯して回る邪悪な英霊といえるからだ。かつての聖杯戦争にはそのような手段で霊力を集めていたサーヴァントも存在する。

 

 しかしたとえそれがユェに知られたとしても「彼女もそれがどうした」という感想しか持たないだろう。彼女はそういう教育を受けている。彼女の中で人の命は極めて軽い。

 それでもアーラシュは最後の仕上げの事も考えてこのことは二人に話すつもりはなかった。

 

「ああ、さすがだなユェ。ちゃんと恩は返しておいたぜ」

「そう……。死体は確認してないけどクガイもあの怪我じゃ生きていないでしょうし、キャスターの魔力も消失したのよね?」

 

 あの遊園地の戦いでは双方に重大な被害が生じていた。狂化したジンの攻撃はクガイに確かな致命傷を与えたはずである。その代償として現在のジンの状況があるのだ。

「それにしてもクガイの魔術はなぜ発動しなかったのかしら」

 あの時ユェは確実にクガイの魔術をその体に受けていた。

「腐蝕の魔術」

 クガイの魔術の本質は「有機物の腐蝕」である。実際に見たことはなかったが365党にいる者ならその噂くらいは聞いたことがある。

 

「そうだな。あの瞬間クガイの魔力が枯渇したのか、または何か別の原因があったのか……。それは俺にもわからん。クガイの魔力は完全に消失しているから死亡したのは間違いないだろう。キャスターについてはクガイから大きく離れて移動したようだ。すでに追いきれない程遠くに移動している。普通はマスターが死亡すれば程なくサーヴァントも消滅するはずなのだが……どんなカラクリなのか俺にはわからんな」

「いったい何をしているのかしら……。いずれにせよこれで私たちの聖杯戦争は終わったのね……」

「……ああ。後は俺の言うことを令呪をひとつ使って実行してくれればいい。お前たちを縛る鎖を俺が断ち切ってやろう」

 そう言ってアーチャー・アーラシュは爽やかに笑った。

 

 その笑顔にユェは安心し、そのまま英霊に体を預けるように眠り込んでしまった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話 言峰綺礼

 

 冬木教会の一室で言峰綺礼は一人の老人と会談していた。豪華とは言えない部屋の作りではあるが、清潔に保たれたその応接室は表向き街の名士と話すこともある教会神父にとって必要な部屋だ。

 

「誰にでも門戸を開いている教会とはいえ、少々訪問には非常識な時間だと思いますが、何か火急の要件でもありましたかな」

 綺礼は目の前の老人に対して、うっすらと笑みを浮かべながらそう語りかけた。深夜であり常識的には当然のことを述べているのだが……

「下らぬ戯言をぬかすでないわ。マスターが出そろってからも全く進展のなかった此度の聖杯戦争じゃが、この数日で大きく情勢に動きがあった。この様子だと一気に決着が着く可能性も高かろう。その前におぬしにひとつふたつ確認したいことがあっての」

 ワルキューレ・ヒルドに妖怪じみたナニカと言わしめたこの老人は綺礼を睨みつけながら話を続けた。

 

「おぬしは監督役としての立場だけで満足できる輩ではないと思っておったが、雁夜の時と同様に直接誰かを貶めその様を観察し愉悦に浸るつもりでもおるのか。今回のマスターにおぬしのどす黒い感情を刺激するモノがおったのかどうかまでは知らぬがの」

「わざわざお越しいただき恐縮ですが、はてさて何をおっしゃっているのかわかりませんが」

 ソファに身を鎮めるように深く腰掛け言峰綺礼は両手をひらひらとさせた。

 

「おぬし遠坂の名を借りてまで、魔術協会に当て馬マスターを用意させ、早々にそのサーヴァントを奪っておろう。儂が知らぬとでも思っておったか」

「これはこれはさすがは間桐臓硯殿。お見通しでありましたか」

 そう言って笑う綺礼を刺すような目で睨みつける臓硯。

 

「競技には観客よりも選手として参加したい方でしてね。ましてや選手が審判を兼ねるような機会はそうそうないですからな。色々面白い楽しみ方ができそうだとは思いませんかな」

「ふむ、まぁそんなことは些事に過ぎぬ。ただ、今回の儀式には、儂もちと思うところがあっての、雁夜がもがき苦しむ様を共に愉しんだ同好の士ではあるが、おぬしの愉悦の為にそれを邪魔されるのは正直腹に据えかねる。おぬし早々に儂の手駒を亡き者にせんとしてくれたようだの」

「おやおや、あのお花畑な少女は臓硯殿の……、これは意外ですな」

「長生きすると、様々な縁ができるものよ。そういったこととは無縁のおぬしには埒外な話であろうがな」

「ふむ……」

 

 間桐臓硯。聖杯戦争のシステムを作り上げた御三家の一人であり500年の時を生きる怪人である。

 延命に延命を重ね既に人外の者となっている魔術師で、その身体は人のものから蟲に置き換えられ、「妖怪」といっても過言ではない。

 200年前の大聖杯敷設儀式にも参加しており、英霊を使い魔にするサーヴァントシステムや令呪の考案者でもあった。まさに聖杯戦争を見続けてきた人物である。

 

 冬木の大聖杯は正常ではない。そのことにいち早く気が付いたのもこの老人であり、第4次聖杯戦争の折破壊された聖杯の欠片を保管したのも臓硯その人であった。

 

 第3次聖杯戦争においてアインツベルンは一つの反則を犯している。彼らは必勝を期して「復讐者」のサーヴァントを召喚したのだ。しかし、敗れた「復讐者」と聖杯が干渉した事で「この世全ての悪」が誕生し、聖杯と術式が密かに汚染されてしまう。

 結果冬木大聖杯は本来の願望器という機能を失い第4次聖杯戦争における冬木大災害という結果を招くこととなった。

 

 ちなみに冬木大災害直前に衛宮切嗣によって殺害されていた言峰綺礼は、聖杯の泥を浴び生き返っていた。ただ汚染された聖杯の影響を受け正確には死者とも生者とも呼べない異質な状態であるといえる。

 

「仮にも遠坂家次期党首の後見人であるおぬしには伝えておくとするかの。知ってのとおり聖杯戦争とは、本来数十年周期で行われるもの。しかし、前回の聖杯戦争の歪な終幕により消費しきれなんだ魔力によって、このような時期に再び儀式が開催されることと相成った。だが、儂にとっては些か以上に都合が悪い。恐らく遠坂を含め、御三家で万全の準備が整っている者はおるまい。外様のマスターによって魔力を無駄に消費させるなどもってのほか。しかも、前回の結末からも聖杯戦争のシステムに狂いが生じていることは間違いない。儂に言わせればアインツベルンが、そこに何の疑問も抱いていないこと自体が愚かしい。そこで、此度の聖杯戦争においては召喚された7騎の英霊の霊基をくべることで、狂った聖杯を浄化させようと考えておる」

 

 冬木の聖杯は一度大規模な浄化が必要である。そして臓硯はこの度のあまりにもイレギュラーな聖杯戦争をその為に利用しようと考えた。聖杯の浄化には莫大な魔力を必要とする。まさに聖杯戦争を行うのと同じ7騎のサーヴァントの霊基が必要だということらしい。

 

 綺礼にしても間桐臓硯は不気味な存在であり、まさに妖怪というにふさわしい不死性を持った老人である。今回の聖杯戦争についても臓硯が裏で何か画策しているのではないかとは感じていた。聖杯に深く関わる始まりの御三家の当主としては、至極真っ当なことを言っているようにも聞こえる。しかし、本当に聖杯の浄化だけが目的なのだろうか。

 

 それにしても、聖杯の浄化とは、無駄なことを考えたものだ……、7騎の英霊の霊基程度で冬木の聖杯の浄化が成せると考えているとは、な……ふふふ……。臓硯は今の聖杯に直接接触したわけでもないのだから、「この世の全ての悪」の闇の深さまでは計り知れぬという訳か……ふふふふ……はははは……これは、いいっ。7つの霊基を捧げても何も変わらない聖杯を見た時にこの妖怪がどんな顔をするのか、楽しみが増えたというもの。では、私は私で目障りなあの男をいかに破滅させるかに集中させてもらうこととしよう。

 

 綺礼は笑いだしそうになるのを堪えながら、極めて平静を装いつつ、臓硯の話の続きにこれまで以上に耳を傾けた。

 

「前回衛宮切嗣が聖杯に何を願ったのかは知らぬが、奴は狂った聖杯を目の当たりにしたから自らのサーヴァントに聖杯の破壊を命じたのじゃろうて。今回顕現する聖杯に何を願おうと、恐らく前回の轍を踏むことになる。

 聖杯には7騎のサーヴァントの霊基を納め、何も願わずにその力を浄化に充てさせるのが正しい選択よ。

 今回の聖杯に強い願望を抱くマスターには、速やかに退場願う必要がある。今やおぬしもそのマスターの一人な訳じゃが、おぬしは聖杯に託す望みなどなかろう」

 

 綺礼が何を考えているのかさしもの臓硯にも読めぬところである。しかし臓硯はこの言峰綺礼という男は自分と極めて似た性質を持っているという事に気が付いていた。すなわち「愉悦」である。

 この二人は共に他者の破滅を傍観し無様にあがく姿に多幸感を得るという歪んだ性質を有している。

 

「確かに、私には願望器など求める理由はない。サーヴァントを奪ったのも最初は軽い児戯のつもりだった。ただ、一人、私としては絶対に看過できない願望を抱いているマスターが居ることが分かったのでね……」

「ふむ。最終的に7騎の霊基を揃えられるならそこに至る道筋などどうでも良いわ。……そう言えば今回聖堂教会から参加者が居ったの。カカ、なるほど、そういう事か?」

 臓硯は綺礼の実力は高く評価している。聖堂教会の代行者であるという実力は本物である。

「またおぬしの悪癖が出た様じゃの。まあ好きにするがよい」

 そう言って臓硯はニヤリと口元をゆがめた。

 

 その時教会の正面門の辺りから爆発音と地響きのような振動が伝わってきた。

「ほほう。お客さんのようじゃ。巻き込まれんうちに儂は退散するかの」

 その言葉と共に臓硯はゆっくりと立ち上がると、その輪郭はまるで泥細工のように溶け崩れ、影のように消え去った。

「……」

 綺礼は無言でそれを見送ると「化け物め」と呟いた。

 

 そして……

「くくくくく……ははは……はっはははっ!」

 これまで堪えていた笑いを一気に吐き出した。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話 神の鎖

 綺礼は今回の聖杯戦争において監督役という肩書を与えられはしたが、参加者の大半は見知らぬ者たちであり、当然そんな彼らになんの感情も抱いていなかった。ただ、かつての同輩であるジャンマリオが参加しているという事については多少の興味がわき、少し遊んでやるか程度の事は考えていた。

 監督役が参加者に特別な感情を抱かないのは当然なのだが、そもそも綺礼は参加者に効果的に苦しみを与えてその様を楽しむところに主眼を置いていたのである。

 しかし、冬木教会に現れた古き知人は、あろうことかクラウディアの話題を持ち出した。

 

「嫌な事を思い出させる……」

 綺礼はクラウディアの記憶を封印している。それは綺礼にとって自分の中の悪を認め、決定つけた事件でありそれを他人に触れられることは我慢ならなかった。

 

 綺礼はそのまま応接室ですっかり冷めた紅茶を飲みながら来訪者を待っていた。間違いなく戦いになるだろう。そんな予感にうっすらと笑いすら浮かべながら。

 

 待つことしばし、来客は思いのほか紳士的な態度で現れた。

「言峰綺礼、少し時間は良いか」

 その言葉にソファに深く腰を下ろしたまま綺礼はジャンマリオに目を向けると自ら飲んでいたカップを掲げて言った。

「これはジャンマリオ。よく来てくれたね。紅茶でも飲むかね?」

 態度は紳士的ではあるが心理的にはお互いすでに臨戦態勢である。不自然な会話をしながらもジャンマリオは綺礼に対し聖堂教会として聞いておかなければならないことを質問する。

 

「いくつか私は君を糾弾しなければならない。君は時計塔の派遣した魔術師ゲゲイーは事故で亡くなったと言ったがそれは違う。その証拠に彼のサーヴァントであったはずのライダーは君をマスターとしていることを確認済みだ」

 さらにジャンマリオは聖堂教会から与えられた任務もついでに加えた。

「聖堂教会では前回の第4次聖杯戦争の結果報告にいささか以上の疑問を持っている。虚偽報告の疑惑が君には掛けられている」

 

「ほう。それはそれはジャンマリオ、しかし君はそんなことを言いにここに来たのかね? 違うだろう? カレンは元気だったかい?」

 

 ジャンマリオはその一言に思わず前に踏み出しそうになった。「貴様がそれを言うのか」クラウディアの忘れ形見であり聖堂教会で保護されている少女が出発前のジャンマリオに言った言葉が思い出される。

 あの時彼女は「ガツンとやっちゃって!」そう言った。

 

「カレンは君の娘なのだろう……」

 拳を握りしめ吐き出すように呟いたジャンマリオの言葉に綺礼は特に反応することはない。

「当然調べてきたというわけか。その通りだよ。私とあれの間にできた娘だが、あまり興味はないな。しかし君にそれを言われるのはいささか気に入らないがね。

 時にジャンマリオ。君は元異端審問官としてこの聖杯戦争に参加しているが……果たして聖堂教会の意図はどこにあるか考えたことはあるかな?」

「なんだと?」

「君は聖杯戦争を軽く考えているようだ。聖杯戦争は7人のマスターの殺し合い、もとより参加したマスターの大半は死ぬのだよ、教会は君の帰還など期待していないのではないかね、若しくは教会の中に君の事を邪魔に思っている者がいるのではないか」

 

「世迷言を。何を根拠にそのような事を言う」

「カレンの父親を捜せとでも言われたか? だが、そもそもそれは聖堂教会からの正式な依頼なのかね。更にあれに至っては聖堂教会とは全く無関係な人物だ。だが、君にとっては無視できない名前なのだろう。

 しかも、調査を進めれば私に行きつくことは事情を知っている者からすれば容易に想定できるはず、逆に言えば、君にその依頼をした人物に、君を始末するよう私が依頼を受けたようなものじゃないのかね」

 

「黙れ綺礼、勝手なことを! 今回の依頼はきっかけに過ぎない。依頼などなくとも私は何れ貴様にクラウディアの事を問いただしていただろう。彼女はどうして自殺などしたのだ!」

「ジャンマリオ。それ以上私の前でその名前を口にするな」

「お前と結婚などしなければクラウディアは幸せになれたはずだ! 綺礼! お前は彼女の死に責任がある!」

 

「黙れと言った! ああ、そうだ。勝手に自殺などされて困ったよ。どうせ死ぬなら私の手でどのように死んでいくのか確かめながら殺したかったものだ」

 その言葉にジャンマリオが激高する。

「やはり彼女の自殺の原因は貴様だったのだな! 私の腹は固まった、ここで貴様を抹殺し、聖杯を使ってクラウディアを生き返らせる!!」

 その言葉と共にジャンマリオは懐から黒鍵を取り出すと即座に戦闘態勢に入った。

「ふん、やはり貴様の願望はそこに行きつくのだな……、それは、結局あれを愛せずあれの死を目の当たりにしても何も変われなかった私のことを、己の死が無価値だったかもしれないことを、クラウディアに突きつけることになる。

 ジャンマリオ、君は何か自分に都合の良い勘違いをしているようだが、その願望の果てには悲劇しかないのだよ」

 そう言いながら綺礼も黒鍵を取り出す。

 

「聖堂教会の意図通りに動いてしまうのも気に入らないが、君は私にとって無視できぬ程に不愉快な存在となったようだ。本来私自身が手を下すのは趣味ではないのだがな」

 そういうや否や言峰綺礼は黒鍵をジャンマリオに投擲すると背後のドアに走り去った。

「ま、待て! どこに行く!」

 

 慌てて後を追うジャンマリオだったが綺礼の言葉に何か引っかかりを覚えていた。

 聖堂教会の意図? 確かにジャンマリオにとって今回の任務は不可解といえる点が多々あったのだ。

 

 そもそも綺礼の不正を糾弾するためであるならば直接教会本部に綺礼を召喚するはずである。それをわざわざサーヴァントを与えてまでこの歪な聖杯戦争に参加させた理由がわからなかったのだ。

 

 ジャンマリオにとってはクラウディアの事を直接綺礼に問い詰めることができるチャンスであり、かつて恋した女性の敵をとるために都合がよかったわけだが、教会側がそれを把握していたとするなら? 

 そう考えるとあながち綺礼の言う事もでたらめとは思えない点もあったのだ。

「だがそんなことはこの後考えればよい話だ!」

 ジャンマリオは綺礼の精神的揺さぶりと断じこのことは今は考えないと心の中に仕舞い込むことにした。

 

 

 

 ドアを出た教会の裏庭で綺礼は黒鍵を構え待ち構えていた。

「いやいやすまない。あの応接室はあれでも少々金がかかっていてね。荒らされるのは困るのだよ。これでも私はこの街では立場のある神父でね。そういった部屋も必要なのだ」

「ふざけるな! そういう心配は私を倒してからにしてもらおう!」

 

 ジャンマリオは黒鍵を片手に3本、両手合わせて6本を構える。腕をクロスにするとコマンドワードを唱える。

「000 Tutte le armi, preparazione」

 その言葉に合わせて空に放たれた黒鍵はジャンマリオを囲むように空中に浮遊した。さらにジャンマリオは6本の黒鍵を懐より取り出し構える。

 

「ほう。しばらく見ない間に珍妙な魔術を覚えたものだな。だがこの私に通用するかな?」

 ジャンマリオを煽る綺礼。

「その言葉はこの攻撃を受け切ってから聞きたいものだ! 001 Lancia missiles」

 ジャンマリオは短くコマンドワードを唱えると自らも疾風の速度で突進をする。ジャンマリオを追いかけるように6本の黒鍵は綺礼に向かって殺到した。

 

 ジャンマリオの格闘技術はもちろん代行者としても上位に入るほどの技術である。しかし言峰綺礼も八極拳を母体とした殺人拳を操る格闘術の達人である。

 二人の戦いは素人では目で追う事すら困難なスピードで確実に急所を狙いあうまさに「死合い」といえた

 

 ジャンマリオの魔術は黒鍵の自在運動に特化されている。空中に射出された6本の黒鍵は彼の意志に連動し標的を攻撃する。ジャンマリオ自身の格闘能力の高さもあり対個人において彼は無敵を誇っていた。

「なかなかのものだな」

 しかし綺礼の反応速度も尋常ではない。かつて綺礼は衛宮切嗣との戦いの際、倍速化した切嗣と対等以上の戦いを繰り広げた男である。

 

 まるで風を纏ったかのような綺礼の手刀によりジャンマリオの黒鍵は一本、二本と撃ち落とされていく。

「ちっ! 010 N.2 Armi, preparazione! 031 Stella cadente」

 コマンドワードと共に左手に持った黒鍵を上空に放り投げる。そのまま流れるように彼は身をかがめ綺礼の足に向かって右手の黒鍵を投擲した。

 

 足元に向かって投擲された黒鍵を綺礼は右に体を捻り回避する。その瞬間綺礼の頭上に先に投擲された3本の黒鍵が突き刺さる。……かに見えたが綺礼はそんなことは先刻承知とばかりに自らの黒鍵を一閃することで3本の剣を弾き飛ばしてしまった。

「なかなかに面白い見世物だな。しかしその程度ではな」

 そう言ってジャンマリオを皮肉気に睥睨した綺礼だが、次の瞬間「くっ」と小さなうめき声をあげることになった。思わず振り返る綺礼。彼の左肩には背後から一本の黒鍵が突き立っていた。

 

「面白い見世物だったかい?」

 ジャンマリオは綺礼に向かって再び黒鍵を構えながらニッと笑った。

「ふはははは。なるほど面白い。ジャンマリオ、君はなかなかに面白い」

 綺礼はさもおかしそうにひとしきり笑うと肩に刺さった黒鍵を引き抜いて投げ捨てた。そしてその傷口は即座にふさがった。

 

「それではこちらからも行かせてもらうとしよう」

 そう言って先ほどの速度をさらに上回るスピードでジャンマリオに迫る。八極拳に魔力を上乗せした彼の攻撃はその一撃一撃が致命の破壊力を誇る。

 ジャンマリオは先ほどの綺礼の再生力に驚愕していた。情報により綺礼が治癒の魔術を習得しているという事は知っていた。しかし彼はろくに魔術も使用せずに傷口をふさいでしまったのだ。しかも血の一滴すら流れていなかった。

 

「貴様! 何か人外の力に手を出したか!」

 綺礼の攻撃を防ぎながらジャンマリオは叫ぶ。

「さて……な? どうだろうな」

 綺礼の攻撃は熾烈を極めた。ガードするジャンマリオの腕には軋みが生じ、受け損なった攻撃で何本かあばら骨にもダメージを負うことになった。

 

「く、おのれ! 100 Aggregazione」

 ジャンマリオのコマンドワードにこれまで射出されていた黒鍵が綺礼に向かって殺到する。

 さすがの綺礼もすべての黒鍵を躱すことは困難と見たか一度間合いを取るため飛び退った。

「さすが言峰綺礼といっておこう」

 ジャンマリオは打撃を受けた胸部を押さえながら口元の血をぬぐい、そして不敵に笑顔を浮かべた。

 

「だが、勝つのは私だ! 来い! ランサー!!」

「了解しました! マスター!!」

 

 ジャンマリオの声と共に上空からワルキューレが神槍を構え言峰綺礼に向けて急降下を開始した。

 

 ワルキューレ・スルーズの強襲にさしもの綺礼もその場から飛び退って回避を行う。

「ここにランサーがきたという事はどういうことかわかるだろう。言峰綺礼、貴様にすでに勝ちはない」

「ほう。そうだな、やはりあのライダーごときでは神代の英霊を抑えることはできなかったようだな。だがそれがどうした? どうしてそれが私の敗北に繋がるのか少々理解しがたいものだ」

 

 いかな達人級の武術を操ることが出来ようと人間がサーヴァントと物理的に戦う事は無謀といわざるを得ない。それほどまでに存在自体の「格」が違う。

 しかし綺礼のその言葉にジャンマリオは何か不吉なものを感じた。先ほど見せた驚異的なあの回復力は明らかに人の領域を超えたものだったからだ。

 

「ランサー、言峰綺礼を無力化しろ! 手足の2,3本斬り飛ばしてもかまわん!」

「了解です! マスター!」

 ジャンマリオの命令にワルキューレ・スルーズは綺礼に向かって突撃する。突き出された偽・グングニルのその切っ先は確実に綺礼を貫くはずだった。

 

「神代の英霊とはその程度なのか?」

 驚愕したのはスルーズである。グングニル本物ではないにしろオーディンより授かった神具である。彼は神槍をこともあろうか生身の体で、しかも片手で弾き飛ばしたのだ。

「な、なに!?」

「舐めないでもらおうか!」

 そう言うと綺礼はスルーズに向かって拳を突き出す。

 震脚の音がまさに爆発が起こったかのような轟音を響かせる。

 風を纏った棒拳をスルーズはかろうじて盾で受け止める。その衝撃にスルーズは地面をすべるように後退した。

 

「ば、ばかな!」

 ジャンマリオは驚愕した。通常の人間がサーヴァントに、しかもワルキューレほどに霊格の高いサーヴァントとまともに打ち合うなど出来るはずがないのだ。

「言峰綺礼! 貴様何をした!」

「何をしたとはずいぶんな言い草だな。ジャンマリオ、それが君の限界なのだよ」

「ランサー! 奴を人間だと思うな! サーヴァントと理解しろ!」

「はい、マスター!」

 

 ジャンマリオの声にスルーズはスキルを発動する。ルーンの魔術である。現代の魔術師たちが使用するそれとは異なり、神代の威力を有する原初のルーン、北欧の大神オーディンによって世界に見出された魔術は根本的に現代魔術を上回る。

 ルーンの起動によりワルキューレ・スルーズはよりその速度を上げる。

 

 対して綺礼は眼を閉じるとまさに心の目というべき技を見せた。突き出される神槍をことごとくかわし、弾く。

 一見して互角のように見える戦いであったが、ジャンマリオは少々ほっとしていた。いかに言峰綺礼が人間離れしていようと明らかに押しているのはスルーズであり、綺礼は防戦一方のように見えた。

 

 しかしやはりジャンマリオは綺礼のその異様な回復力に疑問を持たずにはいられなかった。スルーズの神槍は確実に綺礼の体に傷をつけているはずなのだが、全く血が流れないどころかたちどころにその傷そのものがなかったことになってしまうのだ。

 やはり何か特殊な術式を使用しているのか? 

 

 その時異常に大きな魔力がその場に現れた。まさに魔力の爆弾ともいうべき衝撃にジャンマリオとスルーズがその足を止める。

 

「ふぁあ、こんな夜中に何やってるんですか」

 場違いな子供の声が聞こえた。しかし、確かな威圧感を放つ気配。

 スルーズは咄嗟に綺礼から距離を取る。

「こ、子供? でも何この巨大な魔力は……」

 

 今戦っているのは冬木教会の裏庭である。そこはいくつかの樹木が生えているだけの簡素な中庭であり、中空の大きな月が明るくあたりを照らしていた。

 そんな中庭の一角でその体躯からは想像できないあまりにも大きな魔力を纏う不思議な少年の姿にスルーズは息を飲んだ。

 

「気づいてもらえましたか。まあわざと魔力放出しましたからね」

 現れたのは現代風のパーカーを着た赤い瞳が特徴の金髪少年である。しかしただの人間であるとはとても思えなかった。

「さて言峰、夜中に近所迷惑ですよ。遊ぶのは止めてください」

 突然現れたその少年の言葉に綺礼は恐縮したように一度顔を伏せるとやれやれといった風に肩をすくめた。

 

「君は何者だ? その魔力からして一般人ではなさそうだが」

「そうですね。僕は……召喚された英霊と言えば理解しやすいですか?」

「何ぃ!?」

 少年の外見に少し警戒を解きかけたジャンマリオは再び身構えた。

 言峰のサーヴァントはライダーのはず。まさか、もう1騎いたのか。それとも他のマスターと共闘、あるいは……

「貴様何者だ! 言峰のサーヴァントであるライダーはすでに排除した。何者かは知らぬが邪魔だてしないでもらおう」

 ジャンマリオは突然現れたこの英霊を名乗った少年に、敵意も露に言い放った。

 

「まあ、そうなりますよね。でも、結構ピンチでしたよね。外野からの援助もあったみたいだし。あのレベルのサーヴァントに苦戦するようなら、この僕とやりあうには不十分だと思いますよ。そもそも僕はあまり戦いたくないので、ここは引いてもらえないかな?」

 何故、この英霊? は先ほどの戦況を細かに把握しているのか。しかし……

 余りの傲慢かつ自分勝手な物言いに冷静なスルーズも気色ばむ。

 

「その魔力の大きさからいずれかの英霊とお見受けする。しかし、このランサーの行く手を遮るというのであれば排除するのみ。よろしいですか?」

「はあ、じゃあ仕方ない。これ以上騒がしくされても困るし。今回、言峰にしては珍しくまずい立ち回りでしたね。ここは僕が変わりましょう。一つ貸しにしておきますよ」

「ふん。好きにしろ」と一歩下がる言峰綺礼。

 

 少年は先ほどまで言峰のいた位置に立ち、スルーズを指さし言い放った。

 

「僕は英雄王ギルガメッシュ。では戦闘再開です。行きますよ~っ!」

 

 その言葉と共に投擲された剣の鋭さにスルーズは身動き一つすることができなかった。剣はスルーズの頬を掠め建物を貫通して見えなくなった。あまりにも早く鋭いその投擲に偽・グングニルを握る手に汗がにじむ。

「へえ、その槍はグングニルですか? いや……少し違うな。なるほど。あなたはおそらく戦乙女の一騎ですね。戦乙女などという神の傀儡が英霊として召喚されるとは何て歪な。今次の聖杯戦争は本当に茶番かもしれませんね」

 

 その一言にヒルド、オルトリンデを含めた「ワルキューレ」は激高する。

「私たちを神の傀儡と言われるのですか……。貴方こそ、そんな年端もいかない姿で召喚されるなど歪の極み。戦乙女の誇りを傷つけた罪は重い! ここで消滅していただきます!」

 

「ふう、よく喋るお人形だ。さて、これはどうですか?」

 ギルガメッシュはそう言いながら、すでに展開している「王の宝物庫」を開帳。背後に現れた空間から射出される剣、槍、弓矢、その他のあらゆる武具は全て原典宝具である。

 出現したあまたの武器は一斉にスルーズに向かって射出される。爆音とともに殺到するそれらをスルーズは見事な体術ですべて回避するとギルガメッシュに向かって白鳥礼装を展開する。

 少々驚いた顔を見せたギルガメッシュだがすぐに余裕の表情を取り戻す。

「やりますね!」

 

「どうした、少年英雄王! お前の力はそんなものか」

 白鳥礼装を展開したスルーズにとっては王の財宝の一斉射撃を躱すことはさして難しい事ではなかった。むしろその隙を狙ったかのようにギルガメッシュに突撃を敢行する。

「やれやれ、これは躾が必要ですね。その程度で勝ったつもりですか」

 

 ニヤリと不敵に微笑むと共に新たな宝具を展開する。

「お次はこれです! 天の鎖(エルキドゥ)!」

 突撃するワルキューレ・スルーズに対しギルガメッシュは「天の鎖」を解き放った。

 

 かつてウルクを七年間飢饉に陥れた“天の牡牛・グガランナ”を捕縛した鎖である。

(ちなみにグガランナをウルクに放ったのはギルガメッシュにフラれて逆切れした女神イシュタルである。ウルクの都市神とはいったい……)

 自らの親友の名を冠した彼の所有物の中でもお気に入りの宝具であり、その信頼度はエア以上とされる。

 

 解き放たれた「天の鎖」は高速で飛び回るスルーズをまるで生きているかのように付け回す。それは先に戦ったコロンブスの宝具に比べることがおこがましいほどの精度と速度を誇っており、徐々にスルーズは追い詰められていった。

 

 しかしスルーズ達ワルキューレにすれば最悪代替召喚という切り札がある。コロンブスの宝具から脱出した方法をとればおおよそ考えられる事態からの脱出は可能である。

 だからといって簡単につかまってしまえばマスターであるジャンマリオに危険が及ぶ。スルーズは高速で迫る鎖を回避しながらギルガメッシュに向かって神槍を投擲した。

 

「ふむ、なかなかです。ですがまだまだ甘いですよ!」

 投擲された神槍は鎖の一本が容易く叩き落した。そしてギルガメッシュの声と共に「天の鎖」はさらにその速度を上げる。

 かろうじて回避を続けていたスルーズだがついに鎖は彼女の脚に絡みつき、次々とその体躯を拘束し始めた。

 

「……オルトリンデ。頼みます」

「り、了解しましたお姉さま!」

 すかさず代替召喚に踏み切るスルーズ。

 しかしそこでワルキューレたちは自分たちの認識の甘さを痛感することとなった。

「な!? 入れ替われません、お姉さま!」

「何? この鎖は!」

「その鎖はあなた方を霊基ごと縛り付けているのです。お得意の大道芸程度では抜け出せませんよ」

 

「天の鎖・エルキドゥ」その能力は“神を律する”もの。

 それは使用者の意思に応じて相手を追尾し拘束する。そして捕縛した対象の神性が高いほど硬度を増す特性を持ち、神性を有する強力な英霊に対抗できる数少ない対神兵装である。まさに高い神性を持つが故にワルキューレにとっては最悪の宝具だったのだ。

 

「バカな! ギルガメッシュ王だと! ギルガメッシュは前回の聖杯戦争で敗れたはずだ! 遠坂時臣は死亡しているはず!」

 ジャンマリオは綺礼に向かって叫ぶ。

「ジャンマリオ、自分の物差しだけで事を計るのは良くないな。見ての通りが現実だ」

 空中に天の鎖で拘束されたワルキューレを見上げジャンマリオは令呪を解放する。

「令呪をもって命ずる! ワルキューレ! 直ちにその戒めを打ち破れ!」

 

「く、マスター! 感謝します」

 令呪の力を受け取ったワルキューレ・スルーズは全身の霊力を集中する。

 僅かにではあるがワルキューレに絡みついている鎖が緩んだように見える。

「よし! もう少しだ! 重ねて令呪をもって……う、ぐぶっ!」

「マ、マスター!!」

 スルーズの悲鳴が響き渡った。

 

「おいおい、ジャンマリオ、君は私への私怨を晴らすためにわざわざ冬木まで出張って来たのだろう、その私から目を逸らすとは一体どういった了見だね」

 ジャンマリオは血を吐きながら自らの胸元を見下ろす。そこには自分の胸板を背後から貫いた言峰綺礼の手刀が突き出していた。

「さすがにそこまで自由にしてもらっては困る。注意力散漫だったな、ジャンマリオ。残念だが、君はここで何事も成せずに死ぬことになる」

 

 呆然と飛び出した手刀を眺めた後、ジャンマリオは首を後ろへ巡らす。そこには耳元に囁くように語り掛ける綺礼が居た。

 

「こ、ことみねぇぇ……!」

「冥途の土産に教えてやろう。前回の聖杯戦争で私は確かに一度死んだ。そして汚染された聖杯の泥を浴びこの身は人ならざるモノになったのだ。私こそが聖杯の力で蘇った生き証人という訳だ。そして同じく聖杯の力で英霊ギルガメッシュ王は受肉したのだよ」

「ば、ばかな……」

 

 当然のことだがそのようなことは報告されていない。まさにこのことこそ聖堂教会がジャンマリオを今回の聖杯戦争に遣わせた理由なのではないか。妙に思考だけが高速で回転する。

「ジャンマリオ、私はね、他人の破滅や苦痛にしか幸福を見いだせない人間なのだ。

 こんな私をクラウディアは理解し愛してくれた。だが、彼女が私を癒そうとすればするほど、私は彼女の嘆きが見たいという願望が抑えられなかった」

 

 クラウディア! ジャンマリオの脳裏に清廉にして美しいクラウディアの笑顔がよみがえる。

「私が自分の歪みに絶望し、自ら命を絶とうとした時、彼女は私の良心を証明するために私の目の前で微笑みながら自害したのだ。

 元々死病に冒されていたので永くはなかったのだが、その時私は、どうせ死ぬならこの手で殺したかったと感じたという訳だ。これは先ほども言ったかな。

 君が知りたがっていたクラウディアの死の真相は以上だ。君と彼女がどんな間柄で、君がどんな感情を抱いていたのか、私は知らないし興味もないが、これで思い残すことはないだろう。納得いただけたかね」

 そういって綺礼はジャンマリオの顔を覗き込む。

 

「こ、言峰ぇえええええ!!!!」

「うむ、いい顔をしている。私の留飲も少しは下がったよ」

 そう言って綺礼は手刀をジャンマリオから引き抜くと手に付いた血を振り払うかのように一度大きく手を振りぬいた。

 

 地面に崩れ落ちたジャンマリオはそれでも言峰綺礼を見上げ睨みつける。しかしすでに言葉を発することも出来なくなっていた。

「ジャンマリオ、君の破滅はいい時間つぶし程度には楽しめたよ。後の事は私に任せて安らかに眠り給え」

 

 ……カレン……ごめんな……

 

 最後にジャンマリオの脳裏に浮かんだのは笑顔で自分を送り出してくれたカレンの姿だった。

 

 

 

「あーあ。マスターが死んじゃいましたか。じゃあ幕引きですね。言峰、これどうしようか?」

「放って置けば消滅するが。まあありったけの宝具を叩きこんでやればいい。ただ、地形が変わらん程度にな」

「そうしますか。これじゃどの程度力が戻ったかわからないかな」

 ギルガメッシュは空中で拘束されたワルキューレ・スルーズに向かって王の宝物庫を解放する。

 

「野蛮ですがこれも戦法の一つ。悪く思わないでね、お人形さん」

 

「『王の財宝ゲート・オブ・バビロン』!」

 

 そして無数の宝具が射出された。

 

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話 流星の英雄

「──―ェ、ユェ……」

 ……誰? ……誰かが優しく私に呼びかけている。

 心地よい暗闇の中から誰かが私を引き上げようとしている。

 

 ──―っ……まぶしい……

 ようやく目を開けるとちょっとびっくりするくらい近いところにアーラシュの精悍にして優しい笑顔があった。

 っていうか無防備すぎでしょ私。

 すっかり安心してウトウトしてしまっていたみたい。

「アーラシュ、ごめんなさいね。私寝ちゃってたのね」

 

「すまないな、起こして。だが誰かに邪魔をされるとも限らないし、あまり時間が無いんだ。そろそろ俺は最後の仕上げをすることにするよ」

 私たちを何度も助けてくれたペルシャの大英雄は、真剣な眼差しを私に向けてそう言いました。

「令呪を使ってって話ですか」

「ああ、そうだ。今から屋上に行き俺の言う通りの命令を令呪で実行してくれるかい。これでお前たちを縛る鎖をすべて断ち切ってやれる」

 

 以前からアーラシュは私たちによく言っていました。

『お前たちは幸せに暮らす権利がある』

 今一つ世間一般の暮らしというものはどういったものなのかピンときませんが、私たちの年齢なら同年代の者が多数集って学校などというところで集団学習するという情報は持っています。

 

「私、ジンと学校ってところに行ってみたいな」

「学校か! それは良いな! 俺も現代の学校というものは聖杯に与えられた知識でしか知らないが、きっと良いものなんだろうな。お前ら絶対行くべきだぜ」

 アーラシュは私の肩に手を置いてうんうんと何度もうなずきました。

 

「そのためにもこの最後の大仕事、きっちり仕上げて見せるぜ。おっと、その前にもう一度だけジンの顔を見ておくことにするか」

 そう言うと彼は、ジンが寝かされている集中治療室に向かいます。

 

 ガラス越しにじっとジンを見つめていたアーラシュはしばらくして不意に口を開きました。

「すまないが、ジンに謝っておいてくれ。俺がキャスターに宝具を使わせなければ、あいつは右腕を失わなくても済んだんだ。それに、他にも何かもっと良い方法があったのかも知れない。だが、俺にはあんな方法しか思いつかなかった……」

 

 何を言ってるのよ。

「命と右腕どっちが大事か、バカなジンでもそれくらい分かると思いますよ。もし、仮にそのことで何か文句を言うようなら、私が頬を引っ叩いてやります」

 私がそう言うと、アーラシュはこちらを向き、優しく微笑み

「ユェ、強くなったな」

 と言い、私の頬に手をあてました。

 

「そ、それに、その話はアーラシュ自身がするべきじゃないですか。どうして私に言わせようとするんですか」

 触れられた頬が急に熱を持って赤くなったように思います。

「あはは、違いねぇ。うん、じゃあ、そろそろ行こうか」

 そして私たちは屋上に向かいました。前を歩くアーラシュの背中がなぜか……なぜか遠くに感じられました。

 

「ユェ、俺は宝具を使ってジアンユーとその仲間を一掃するつもりだが、射程に限界があって日本からではシンガポールに届かないんだ。

 令呪で一気にシンガポールまで飛べればいいんだが、恐らく令呪にだって限界ってのがあると思う。失敗して訳の分からないところに飛んでしまっては目も当てられないからな。

 そこでだ、日本に来るとき飛行機が一度着陸した香港国際空港を覚えているか。あそこからなら、何とかギリギリやれると思う。令呪を使って俺を香港まで飛ばしてくれるか」

 

「香港国際空港……ですか」

 初めて乗った飛行機に興奮していたので、経由地として着陸した空港のことも良く覚えています。

 

「頭の中に香港国際空港の風景を思い描きながら、俺に行きなさいと令呪を使って命じてくれ」

「わかりました…………。

 …………で、そのあとは?」

 少し待ってもその後の指示が無いので、不思議に思いながら尋ねました。

 

「そのあと?」

 キョトンとした顔でアーラシュが繰り返します。

 

「宝具を使ったあと、どうやって戻ってくるつもりなんですか。まさか考えて無かったんですか?」

「あー、そうか。すまんすまん、考えてなかったわ」

 可笑しそうに笑う彼を見ながら、私は肩を竦めました。

 

「そうだな、仕事が終わったら日本の方角に向けてとび切りの矢を放つよ。届きはしないが、その輝きが目に留まるくらいの特別なものをな。西の方角に流星が見えたら最後の令呪で俺を呼び戻してくれ。それでいいか」

「わかりました。じゃあ、令呪で送り出してから、目を皿のようにして西の空を見つめていますから。私の目が「しぱしぱ」になる前に合図をお願いしますよ。

 はぁ、アーラシュって凄いけど、どこか間が抜けてるとこありますよね。まったく、ジンみたい。ふふっ」

「ははは、そうかもな」

 私たちは二人で顔を見合わせて笑いました。

 

 

 

 病院の屋上から香港がある方向。西の空を見渡すと一面の星空です。吸い込まれそうなその星空にしばし私もアーラシュも言葉を失っていました。

 

「綺麗……なんてきれいな星空なのかしら」

 アーラシュも黙って星空を見上げています。

 アーラシュ? 

「ねぇアーラシュ。アーラシュの故郷はペルシャよね。香港よりも、シンガポールよりも更に西なのね」

「そうだな。もっともっと西だよ」

「GO WEST! 一度連れて行ってよ」

「ああ。ちょっと現代でも紛争の絶えない地域でもあるが今度一緒に行こうか」

「ふふ、楽しみが増えたわね」

 

「さて、それじゃあ頼むぜマスター」

「ええ、わかったわ。……令呪をもってアーラシュに命ずる。香港国際空港に飛びなさい!」

 私の言葉が終わると、彼の姿は目の前から消えました。

「あ……」

 アーラシュ……

 

 

 

『アーラシュ・カマンガー』

 古代ペルシャにおける伝説の大英雄。

 西アジアでの神代最後の王とも呼ばれるマヌーチェフル王の戦士として、六十年に渡るペルシャ・トゥルク間の戦争を終結させた。両国の民に平穏と安寧を与えた救世の勇者。

 

 伝説において、アーラシュは究極の一矢によってペルシャとトゥランの両国に「国境」を作った。大地を割ったのである。その射程距離、実に2500km。人にあらざる絶技と引き替えに、彼は、五体四散して命を失ったという──。

 

 

 

 香港国際空港、アーラシュの姿が空港の敷地内に現れる。

「ふぅ。どうやら成功したようだな。さて、ここからは俺の仕事だ。必ずやり遂げる」

 そう言うとアーラシュは香港を代表するランドマーク中国銀行タワー(中銀大廈)の頂上に向かった。

 高さ350mを超える建造物の天辺は、流石に凄まじい風が吹き荒れていたが、英霊にとってはさして問題にはならなかった。高層ビルから香港の夜景を見下ろす。

 

「あぁ、そう言えば日本に来てすぐに、ジンとユェと一緒にバイクとかいう速い乗り物を乗り回し、最後に冬木の夜景を一緒に見たっけか。もう随分前のことのような気がするな……。お前たちの行く末を見守ってあげられないのが唯一の心残りだが、お前らなら大丈夫。幸せになれよ」

 

 アーラシュは弓を構えると、目を閉じ意識をシンガポールの方角に集中させた。千里眼で365党の構成員の動向を把握する。殺すべき奴らの顔と名前は召喚された日の翌日に全て把握済みだ。

 

「陽のいと聖なる主よ

 あらゆる叡智、尊厳、力をあたえたもう輝きの主よ

 我が心を、我が考えを、我が成しうることをご照覧あれ

 さあ、月と星を創りしものよ

 我が行い、我が最期、我が成しうる聖なるスプンタ・アールマティ(献身)を見よ

 ステラァァァァ──────────―!!!」

 

 

 

「ちっ、繋がらねぇ」

 ジアンユーは不機嫌そうに舌打ちした。

 

 ジンとユェの動向を逐一報告させるために日本に差し向けていた二名の部下から、クガイが死亡したという朗報がもたらされたのが数時間前である。

 ジアンユーは狂喜乱舞し、早速プライベートバーで祝杯をあげていた。

 その際ジンが大怪我を負い病院に担ぎ込まれたという報告も聞いていたが、そんなことはクガイの死と比べれば些細なことだった。

 

 あまりの嬉しさに他の詳しい情報を聞かずに報告を終えさせてしまったが、その後ユェの状況や他の陣営の話を聞こうと日本に連絡しても全く繋がらないという有様である。

「あいつら、クガイが死ねば、そこで仕事は終わりだと思ってやがるな。まぁ、今日くらいは羽を伸ばさせてやっても良いが、こっちの連絡を無視するのはいただけねぇ、なぁ、シュェリーそう思うだろ」

 

 どさっ! 

 つい今まで、カウンターを挟んで目の前でカクテルを作っていたシュェリーの姿が消えた。

「おいっ! どうした!」

 立ち上がりカウンターの中を覗くと、床に仰向けに倒れている彼女が見えた。胸に光の矢の様なものが刺さっていたが、それはすぐに消え去り、服に血が滲んできているのが見えた。

「な!?」

 トス、トス、トス! 

 後方から壁をすり抜けて飛来した光の矢が、ジアンユーの額、首、心臓に突き刺さり、彼は目を見開いたまま無言で床に崩れ落ちた。

 

 その日、シンガポールに無数の流星が降り注いだのが目撃されている。

 そして、十二色旗の多数の幹部(すべて365党に関わっていた者たち)が謎の死を遂げた。

 

 

 

 ユェは、病院の屋上のベンチに腰掛け、西の空を見つめていた。真っ黒だった空の色が徐々に藍色に変わりつつあった。

「ああ、もう夜が明けるのね。そう言えば、ジンとアーラシュと三人で山の上から夜景を見た時もこんな感じだったわね……。あの時は楽しかったなぁ……」

 

 その時

「あ、痛っ」

 右手に痛みを感じ、右手の甲を見る。最後に残された令呪の一画が消えていく。その時ユェは全てを察した。

 

 ──―人にあらざる絶技と引き替えに、彼は、五体四散して命を失ったという──―

 

「あ……アーラシュ……、どうして……ああああぁぁぁぁあ!!」

 ユェは今まで出したことが無いような大きな声をあげて泣いた。

 本当はそんな気がしていた。でも言えなかった。でも聞けなかった。アーラシュが私たちの前からいなくなるなんて絶対に考えたくなかった。

 

 どれくらい泣き続けたのだろう。もう涙も出ないのに泣くことがやめられない。

 アーラシュ、アーラシュ! ああ、アーラシュ!! 

 

 ユェは立っていることも出来なくなり金網に背中を預け座り込む。その時上着のポケットに何か入っていることに気が付いた。

 

 それはアーラシュからユェに宛てた手紙だった。

 

 

 

 我がマスター、ユェ様

 

 お前がいつこの手紙に気付くのか分からないが、その頃俺はもう消滅しているだろう。

 

 俺の宝具は俺の命と引き換えに一度だけしか使えない。正にとっておきなんだ。最初にお前たちと話した時から俺の中ではこの結末は決まっていたこと。だから悲しむな。

 

 お前たちと一緒の旅は弟や妹ができたみたいで楽しかった。お前たちを縛り付けていたジアンユーの鎖は俺が必ず断ち切るから、その後は二人で力を合わせて幸せを掴み取れ。

 

 ただ、今まで育ってきた環境が異常過ぎて、お前たちは命の尊さが分かっていない。それを教えてあげられなかったこと、それだけは残念だ。

 

 だが、俺はお前たちを信じている。陽の光が当たる道を歩んでいって欲しい。 

 

 お前らの親友(ってことでいいよな) アーラシュ

 

 

 

 すっかり枯れたと思っていた涙がまたあふれてくる。

「うん……わかったよ、アーラシュ。私、あなたの信頼を決して裏切らない……」

 ユェは読み終えた手紙を丁寧に畳むと、歯を食いしばるように決意に満ちた顔を上げた。

 そして彼女は力強い足取りでジンの元に向かった。

 

 

 

 ジンの治療室に戻ると、ジンが目を開けていた。急いで看護師を呼ぶ。医者が駆け付け、ジンの意識が戻ったことが確認された。

 そこからジンは、驚異的な回復をみせ、翌日には一般病室に移され面会も可能となった。

 

 

 

 ジンの病室にて……

 

「なぁ、アーラシュはどこに行ったんだ」

 ユェは少しビクっと肩を震わせて、しかし何事もなかったかのように答える。

「アーラシュにはちょっと遠くまでお遣いを頼んでいるの。暫くは戻らないわ」

 今はまだ、ジンにアーラシュのことを言うべきじゃない。ユェはそう考えていた。

 

「クガイの奴はどうなったんだっけ」

「クガイは、私たちとの戦いで重傷を負って逃げたわ。多分、あの傷じゃもう今頃は……」

 本当に何も覚えてないのね。あの戦いの記憶もどこまで覚えているのかしら。

 

「そっか。俺アーラシュにお礼言わなきゃいけないな」

「お礼?」

「だって、この腕。俺がまたバカやっちまったんだろ。あんまり覚えてないんだけど、

 真っ暗な穴みたいなのがあってさ、俺の右腕が俺の身体ごとその中に飛び込もうとしてそっちに凄い力で引っ張るんだよ。止まらないし、もういいかって思ってたら、アーラシュがそっちに行ったら駄目だって、俺の左腕を掴んで引き戻してくれたんだ。結局右腕だけが千切れてその穴に飛び込んじゃったんだけど。あの穴に飛び込んでたら、俺、多分死んでたと思うんだよな」

 

 話の内容に驚くと共に、アーラシュのことを思うと再び涙が込み上げてきた。潤んだ瞳を見せないように窓際に行き、外を見る様な素振りをしながら言う。

「アーラシュはその腕のこと謝りたいって言ってたわよ」

「何言ってんだよ、そんなこと謝られたらお礼が言いにくくなっちゃうじゃんか。なぁ、俺が退院したら、前に一緒に行った屋台にもう一度三人でラーメン食いに行こうぜ。「にたまご」だっけ、あれも最初から2つづつ入れよう。でも、左手だけじゃ食いにくいだろうなぁ、ユェ、俺に食べさせてくれるか……って、どうせ「嫌!」って言うんだろ。いいよ、アーラシュに頼もうっと。あ~早く退院してぇなぁ」

 

 涙が頬を流れ落ちるのを止められない。肩が震え、声も震えて掠れる。

「おい、何笑ってるんだよ、俺、何かおかしなこと言ったか」

 バカジン! 

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 ユェはそう言うと病室を飛び出した。もう我慢する必要もない。声だけは殺してユェは涙が流れるに任せた。

 

 ロビーまで行くと備え付けのテレビから、シンガポールの財閥「十二色旗」の会頭ジアンユー氏を含む多数の幹部が、昨晩軒並み謎の死を遂げた。彼らが亡くなったと思われる時刻に、無数の流星が降り注いだという目撃証言もあり、宇宙人の仕業か等と現地は騒然としている、というニュースが流れており、病院の中の雰囲気も、何か慌ただしいものとなっていた。

 

 ユェは滲んだ視界でテレビを確認するとその場に泣き崩れた。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話 暗転

 クガイとの一戦を終えた後、ウリエはバーサーカーに、メラヘルの残骸を逗留先である冬木ニューハイアットホテルの自室に運ぶよう命じた。

 

 クガイとの戦いで、着ていたドレスはボロボロ、下着すら破れて酷い状態である。着替えは持っていなかったが、ドレスの上に羽織るショールがあったので、それを纏い、何とかホテルまで戻った。

 最上階のスイートルームに戻ると、まずはシャワーを浴びる。汚れと共に身体に染み付いた戦場の臭いが流されていくような気がする。バスローブを纏い、髪を乾かし、バスルームから出ると、ふかふかのベッドが目に入った。淑女としてははしたない行為かも知れないが、無性にベッドにダイブしたい欲求に駆られ、己が欲望に従った。

 気が張っていたので感じなかったが、相当疲れていたようで、そのまま朝まで泥の様に眠ってしまった。

 

 翌朝目を覚まし、朝食を終えるとメラヘルの処置に手を付けた。ウリエ自身には壊れたオートマトン本体を修理する技術はないので、航空便でロンドンに送り返すため、専用の収納用コンテナに納める作業が必要だったのだ。

 このコンテナを使うのは今回が初めてだった。日本に来るときは、メラヘルは護衛を兼ね同行者として一緒に航空機に乗って来ていた。

「念の為持ってきた収納用コンテナをまさか本当に使うことになるなんてね……」

 収納を済ませると、早速フロントで輸送の手続きを済ませた。

 

 部屋に戻り一息ついたウリエは、スイートルーム用に特別にあつらえられたのであろう座り心地の良いソファーに腰掛け、背もたれに身を預けて足を組むと昨晩の出来事に思いを馳せる。

 

 彼女にとっては、切り札でもあったメラヘルを初戦で破壊されたのは正直痛かった。

「まさか素手でメラヘルを破壊できる人間がいるなんて……」

 劉 久垓、魔術も行使する暗殺者。結局どんな魔術だったのかは最後まで分からなかったが、恐らくその筋では一流の男だったのだろう。実際あの戦いはどちらが勝ってもおかしくはなかった。私の方が、少し運が良かっただけ……

 義兄たちが戦った暗殺者がどんな人物だったのか、今となっては分からないが、師の敗北についてずっと納得がいかず、心の奥に染み付いていたわだかまりが、少し解れた様な気はしていた。何らかの不運が重なり実力以外のところで勝敗が決した可能性だってあるのだ。

 運が味方したとはいえ、少なくとも昨晩の戦いは自分が勝利した。とどめは刺せなかったが、恐らくクガイは、もうまともに戦える状態ではないはず。

 自己満足かも知れないが、クガイとの戦いを経て、お兄様の名誉を取り戻すと息巻いていた当初の気持ちは薄らいでいた。

 終わってしまった聖杯戦争の結果に自分が関与することなどできないし、敵討ちと言うなら、義兄を殺した暗殺者を探して戦いを挑むのが筋というものだ。そう改めて振り返ると、ウリエには聖杯自体に望む願望は特に無かった。ロードエルメロイの弟子が聖杯戦争に勝ち残った。そういう結果だけを求めていたに過ぎない。

「聖杯に懸ける望みかぁ……」

 無意識に今思っている事が口から漏れていた。

 

 そう言えば、自分とクガイを除いた5人のマスターは、何人が健在なのだろうか。今更ながら正確な情報を何も把握していないことに気付く。後悔はしていないが、冷静に振り返るとキャスターの情報集めに執着し過ぎていたと言わざるを得ない。

 キャスター、エレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー。彼女に関する調査は正にビンゴだった。ただ、一つにして最大の誤算は、彼女と話す機会さえ得られれば、高い確率でサーヴァントの変更契約ができるのではないかと勝手に思い込んでいたこと。

 彼女とクガイのどこに私との契約を断るほどの絆があったのか……

「あなたのサーヴァントにもきっと叶えたい願望がある」

 不意にエレナの台詞を思い出す。

 

 ウリエはソファーから立ち上がると、最上階から街の夜景を一望できる様に設計されたと思われる、このホテルの客室では随一の大きさであろう窓に近づき、遮光カーテンを閉めた。暗くなった部屋に明かりを灯し、再びソファーに腰掛ける。

「ヴラド……」

「ここに」

 呼びかけると返事とともに即座にバーサーカーが姿を現した。

「昨夜はご苦労さまでした。昨日少し話を聞こうと思って結局うやむやになってしまっていたのだけれど、あなたが聖杯に懸ける願望って何なの。聞かせてもらえるかしら」

「むぅ……出来れば話したくないのであるが……」

 ヴラド三世は、ムッとした様な、困惑した様な複雑な表情を見せた。

 

 具体的な望みが無いわけではなさそうだ。私自身に明確な願望がないのだから、私の願望と自分の願望が相反するということでもないだろう。

 聖杯戦争を最後まで勝ち残り、いざ聖杯が願望を聞き届けんとするその時までは、マスターにすら話したくない。私を信用していない。そういうことかしら。

 別にヴラドが何を望んでいても、私にはそれを拒む理由は今のところ見当たらないと思うのだけど……最大限協力してあげるつもりで聞いているのに、何なの。

 少しイラっとしたが、気を取り直し改めて訊ねる。

「聞かせて頂戴」

 

 まったく昨日から何なのだ、この小娘は。

 召喚されてすぐに令呪で服従を強制され、実際その影響なのだろう、こやつの命に背こうとすると酷く気持ちが悪くなる。

 今までは行動に関する命令ばかりだったので、素直に従ってきたが、昨晩から我の願望を聞き出そうなどと、やけに精神的な部分に関わってこようとしてくる。此度の召喚においては、貴様と我は主人と従者。それで十分だろうに。そのための令呪だったのではないのか……

 

 やや間をおいて、ヴラド三世は諦めたのか、重い口を開いた。

「ウリエ様もご存知かも知れませぬが、余は自分の領地を強大な敵から守るために捕らえた敵兵を多数串刺しにし、晒し者とした。これについては事実であるし、国を守るための手段としてその様な行動を取ったことを今更恥じるつもりもない。

 詳しい説明は省きますが、後に身内の裏切りに遭い、幽閉され決して安息ではない死を遂げたがそれも仕方のない事である。

 問題は、余の死後に、余のことを人の血を啜る吸血鬼だったとする世迷言が俗世の認識として定着したことよ。今や余は父ドラクル公から引継ぎしドラクリヤという通称込みで「吸血鬼ドラキュラ」などと呼ばれておる。これについては何とも我慢がならぬ。このいわれなき屈辱の汚名を雪ぐ。それこそが余が聖杯にかける唯一の願いである」

 

「…………えっ? ちょっと待って……、う~ん、と…………、えっ??」

 目の前にいるこの英霊は一体何を言っているのだろう。彼の見た目はどう考えても現代人が思い描く吸血鬼そのものである。実際日中は行動できなかったり、コウモリに変身したり、行動内容や戦闘行動も吸血鬼のそれである。なのに吸血鬼と呼ばれることに我慢がならないなどと宣っている。全く理解ができない。

 

 何と言えば良いのだろう。自分から訊ねておいて聞かなかったことにはできないが、全く考えがまとまらない。

「あの……生前のあなたは、もちろん吸血鬼ではなかったのよね」

「然り」

「えっと……私から見たら、今のあなたは吸血鬼に見えるのだけれど、これは気のせいなのかしら……」

「余が英霊の座に収まるにあたって、後世の民衆の認識が具現化した呪いのようなものなのであろう。本来余のクラスはランサーなのだが、ランサーとして召喚されればここまで顕著な影響は受けぬ。

 ウリエ様は召喚時に余を敢えてバーサーカーとして呼び出したと、仰っていたと記憶しているのだが、全て承知の上での召喚ではなかったのかな」

 ヴラド三世は鋭い視線をウリエに向けた、不気味に赤く光る眼の奥には狂気の光が見えた気がした。

 

 ウリエは背筋が寒くなるような感覚を覚えた。もしかしたら私は大変な過ちを犯してしまったのかも知れない。サーヴァントはただの道具ではない。ヴラド三世をバーサーカーとして呼び出したのは、とんでもない間違いだったのではないか。

 ヴラド三世を民衆が吸血鬼として認識しているのは、ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」の影響によるところが大きい。この認識をなかったことにするのは歴史の改変にあたるのではないのか。

 

 聖杯に過去の出来事まで無かったことにしてしまう力があるのだろうか。そんな力があるのならば、第四次聖杯戦争でお兄様が敗れた事実も無かったことにできてしまうではないか。それどころか、今回の聖杯戦争の結果すら、次回の聖杯戦争の勝者の介入が可能になってしまう。

 このサーヴァントは狂っている。自身の存在が己の願望の一番の障害になっていることに気付いていない。とても正気の沙汰ではない。私は今までこんな怪物を僕として使っていたのかと、恐怖心がわき上がってきた。

「あの……」

 

『プルルルル』

 その時ベッドのサイドボードに置かれた電話の呼び出し音が鳴った。

 ウリエは、内心助かったと思いながら、ヴラドを待たせ、電話に出た。

『ウリエ様、フロントにメッセージが届いておりますがいかがいたしましょうか』

「メッセージ?」

『はい、聖堂教会様から封筒をお預かりしております』

「そう、黒木さんに部屋まで届けてくださるようお願いできるかしら」

『かしこまりました』

「せ、聖堂教会からメッセージだそうよ。何かしらね」

 

 

 

 ― コンコン -

 

 ほどなく部屋の扉をノックする音がし、同時にバーサーカーは姿を消した。

 扉を開けると、黒い長髪を後ろでまとめた清楚な感じの女性が、封筒を携えて立っていた。胸のネームプレートには「黒木知世」と記されている。

「ウリエ様、こちらをどうぞ」

 彼女はこの部屋専属のホテル従業員で、ウリエの希望もあり、宿泊中の彼女の世話を一手に担ってくれていた。

 この最上階はウリエによって魔術工房化されており、誰彼構わず出入りされると危険なためという理由もあった。

 

 ちなみに、初日に紅茶のルームサービスを頼んだ際に、彼女の淹れてくれた紅茶があまりにも美味しかったので、その後も頻繁にサービスをお願いしており、時には無理を言ってティータイムに付き合ってもらったりもしていた。

 

「ありがとう。ついでみたいで悪いのだけれど、紅茶と昼食代わりの簡単な軽食をお願いできるかしら」

「かしこまりました。すぐにお持ちします」

 そう言うと彼女はその場を立ち去った。

 

 封筒を開け中身を確認する。中にはカードが一枚入っていた。

 カードには剣、槍、弓といった7つの記号が示されており、そのうち剣と悪魔の頭部の様な記号以外の5つには赤字で×が記されている。

「これは……、明らかに聖杯戦争の各勢力を示す記号よね。私たちとセイバー以外の陣営は既に脱落したって意味かしら(あぁ……やはりキャスター・エレナはもう……)」

 ウリエは気持ちを切り替えるために、首を小さく左右に振ると続けた。

「他陣営の情報を何も把握していなかったから助かるわ。でも、思っていたより状況は進展していたようね。このメッセージは聖堂教会がセイバー陣営との決戦を促していると考えるのが妥当よね」

 ヴラド三世に話しかけたつもりで考えを声に出したのだが、何も反応がなかった。

 

「ヴラド?」

 呼びかけにも反応がない。気にはなったが、今ヴラドと話すのはあまり気乗りがしなかったので、そのままルームサービスの到着を待つことにした。

 

 

 

 ― コンコン -

 

 再び扉がノックされ、返事をするとティーセットと軽食を乗せたワゴンと共に黒木知世が室内に入ってきた。

 食事と紅茶の準備をしながら黒木が訊ねる。

「今日は、メラヘル様はお出かけですか」

「彼女は今朝、一足先にロンドンに帰国したのよ」

 事実と少し違うが嘘ではない。

 

「そうでしたか。お見送りもせず失礼しました」

「急に決まったことだから、気にしていただく必要はないわ」

「寂しくなりますね。ウリエ様は予定通り月末までのご滞在ですか」

 聖杯戦争も残り2陣営、あと数日で決着がつくに違いない。

 

「私も近々帰国することになるかも知れないわね。

 で、相談なのだけれど、もし、あなたさえ良ければ一緒にロンドンに来て私の専属メイドとして働いてくれないかしら。お給金は今の5倍は出しますわよ。あなたの淹れる紅茶は格別です。英国でもこんなに美味しい紅茶は飲んだことありませんもの。一流の技術に対する正当な対価だと思いますわ」

 これは紛れもない本心だった。そもそもウリエはお世辞や社交辞令が言える程、器用な人間ではないのだ。

 

「実は私、世界一周旅行がしたくてお金を貯めているのですが、もう直ぐ目標の金額が貯まるんです。そうしたら仕事を辞めて、一年程かけて世界中を旅したいと思っています。もし、一年後もお気持ちが変わっていないなら、最後の目的地をロンドンにしますので、その時に雇っていただくことは可能ですか」

 黒木は準備の手を止め、ウリエの方を見ながら真剣な顔でそう訊く。

「もちろん、大歓迎よ」

 ウリエは満面の笑みを浮かべてそう答えた。

「ありがとうございます。すみません手を止めてしまって。すぐに準備しますね」

 黒木も笑顔で答えた。

 日本でこんな素敵な出会いがあるなんて、思いもしなかった。帰国後の楽しみができたわね。こんな穏やかな時間がずっと続けば良いのに。ウリエはそう思った。

 

 

 

 どれくらい時間が経ったのだろう。次第に意識がはっきりしてきた。状況が良く分からないが、右手に違和感があるのと、身体が動かない。

 ハッと目を覚ます。座った姿勢のまま、身体が椅子に縛り付けられていた。右手だけは別に、横に伸ばしたような形で椅子の横に置かれたサイドボード上に縛られている。

 

 目の前のソファーにはヴラド三世が座っていた。

「お目覚めですかな、ウリエ様。先ほどの話、途中になってしまったが、余の願いは吸血鬼ドラキュラという不名誉な伝承を払拭すること。しかし、このような姿で召喚されてしまっては、それも難しい。意図してこの姿で召喚した限り、何らかの策があるのかとも思っておりましたが、あなたは先ほど余の願望を聴き、余に狂気と恐怖を感じましたな。流石にマスターに対しては効きませんが、吸血鬼としての余の眼には催眠効果があり、一定時間眼を合わせれば相手の考えもある程度は読み取れるのです。

 どうやら、御身には余のマスターとしての資格は無かったようだ……」

 

「令呪を以て命ずる……」

 

 ドスッ!!! 

「ぎゃ!!! あぁいあぁうあぁ~!!」

 右手首に激痛が走った、声にならない悲鳴を上げる。あまりの痛みに意識が遠のく。涙で霞んだ目で右手の方を見ると手首のあった部分に大きな中華包丁が刺さっており、切断面からは心臓の鼓動に合わせて血液が噴き出していた。血にまみれた右手首は床に転がっている。包丁を振り下ろしたのは、黒木さん……どうして……、彼女の瞳は爛々と赤く輝いていた。

 

「その女には人が耐えうる最上級の催眠をかけてある。強力過ぎてもう正気には戻らぬかも知れんが。なぁに、貴様が紅茶に口を付けた時に発動するようにしておいたのよ。あと、湯には睡眠薬を混ぜておいた。

 こんな面倒なことをせずとも、その女を我が眷属としても良かったのだが、そうなるとその魔力に反応して貴様のトラップが発動する恐れがあったのでな。

 余が直接マスターに害成す行為は行えぬが、催眠を受けた第三者が貴様をどうしようと何の問題もなかろう。

 ようやっと召喚時に受けた忌々しい隷属の呪詛より解き放たれたわ」

「う、ヴりゃど!!」

「無理に口を開かずともよい。貴様と話すことなどもう無いわ」

 吐き捨てるように言い放つ。

 

「ふん。最初からこうすることもできたのだが、他の陣営の動向も知りたかったのでな。令呪は無効となったが貴様との契約が破棄されたわけではない。ここまで付き合ったのだ。余は此度の現界を無駄にするつもりはない。幸い、残る陣営はただ一つ。セイバーさえ屠ってしまえばよいのだ。さすれば、余と貴様がこの聖杯戦争の勝者となるのよ。どうだ、嬉しかろう。貴様はもう何もせずともよい。右腕一本など些末な代償よな。さて、今宵最大限の力を発揮できるよう協力してもらうぞマスター殿よ。その魔力、余が頂こう」

 そう言うとヴラド三世はウリエの後ろに回り込み。首筋に牙を立てた。

 

「あぁぁあ、あ……」

 血液と一緒に魔力を吸い上げられていく様な気がする。只でさえ朦朧としている意識が遠のいていく。

 

「貴様は放っておいても死ぬだろうが、このまま失血死させるのも面白くないし、決着前に魔力供給が断たれても面倒だ。一応右手の止血はしておいてやる。あと、そうよな、貴様には特別に、余と同じ苦しみを味わわせてやろう」

 忌々しい吸血鬼が何か言っていたが、もう聞き取れなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話 誠の旗の下に

 セイバーと別れ、空は帰路についた。

 どこに敵が潜んでいるのか分からない状況でサーヴァントと別行動をとるのは決して賢い選択ではないことは分かっていたが、セイバーに指摘された、妹、宙と自分との違いと、その後のサーヴァントらしからぬ提案が空をイラつかせ、結果冷静な判断を妨げることとなった。

 

「あいつ、何も事情を知らないくせに……、宙と私が平穏な生活を取り戻すためには、私が本来あるべきマスターとしての使命を果たすしかないのよ。宙は何も知らなくていい……。でもさっき一瞬頭の中に宙の声が聞こえたような気がする。もしかして交換術式に何らかのイレギュラーが発生しているのかしら……、何が起こっているのか今は確かめようがないけれど、あまり時間がないということだけは確かなようね」

 

 暫くして、アパートが見えてくる。無事帰宅とほっとしたその時、異変は発生した。

「あっ、あぐぅ、これは……まさか……」

 強烈な違和感。自分の意志など一切関係なく身体の中で何かが蠢いている。

「はぁ、はぁ、何かが私の魔術回路を無理矢理拡張しようとしている。これはきっと、臓硯が宙に食べさせたという間桐本家の蟲の仕業に違いない」

 

 ふらふらとした足取りで何とか部屋の前までたどり着いた。階段の下に居た子猫が私の姿を見ると毛を逆立て、脱兎のごとく逃げて行った。

 宙が身体を使っていた間は、魔術を殆ど使用しなかったため、羽化すらしていなかったのであろう蟲たちが、先ほどの戦いで私が派手に魔術回路を活性化させた影響か、一斉に動き出したようね。恐らくこのまま蟲に身を委ねれば、私の魔力は増強されるのだろう。でも、きっとあの醜悪な老人は私たちのことを使い捨ての手駒程度にしか考えていない。聖杯戦争が終われば用済みの私たちがどうなろうと構わない筈。この蟲を受け入れたら多分私たちには未来はない。

 

 

 

 沖田総司は、ツヴァイをアインツベルンの洋館に送り届けたあと、急ぎ空のアパートへと戻った。

 部屋に入る前に階段の下に目をやるも、そこにクロスケの姿はなかった。どこに行ったのだろう、何故か二度と会えないような気がして総司は少し寂しくなった。

 

 部屋に入ると玄関で空が倒れていた。

「マスター!」

 慌てて空を抱き起す総司。

「あ、あつ!」

 物凄い高熱だ。

「私に医療の知識があれば……」

 あわてて空をベッドに寝かせて濡れたタオルを頭に乗せる。総司には熱が下がることを祈ることしかできなかった。

 その間も空はうわ言のように何事か呻いているが言葉として認識できるようなものではなかった。

 

「汗だけでも……ん……?」

 身体を拭いてあげていると皮膚の下を何かが動いているのに気が付いた。……これは……。

 総司に詳しい知識がなかったためいったいそれが何なのか正確にはわからなかった。しかし明らかに「何か」が皮膚の下で蠢いている状態が正常であるはずがない。これは何らかの呪術ではないのか? 気が付かないうちに何らかの攻撃を受けていた? 総司はパニックを起こしかけた。

 

 医者に行くべきではないだろうか。おそらく普通であるならそれが常識的な判断である。現代医学においても皮膚の下に住み着く寄生虫というのは存在が確認されている。

 しかし空のこの症状は決して医学的な問題ではないだろう。明らかに何らかの魔術が影響している。そんな状態の空を医者に見せたところでどうなるというのだ。

 

 では誰に相談すればいい? こんなことを相談できる人間などいるはずがない。藤村大河に相談するべきか? いや彼女はただの一般人だ。魔術などとかかわった生活をするものではない。では聖堂教会か? ……それは、それだけはない……

 

 空と臓硯の関係を総司は一切知らない。まさか空が間桐の血脈に連なるものであるなど想像もつかなかった。故に何故こんなことになったのか全く理解できない。

 

 その日、空の意識は戻らず熱は上がったり下がったりを繰り返した。苦し気に荒い息で眠り続ける空を総司はそのまま見守ることしかできず日が暮れた。

 

 

 

 結局、桐生空は間桐の刻印蟲を拒絶したのだ。自分の持てる魔力を使って蟲を駆逐するための行動を起こした。ぐずぐずしてはいられなかった。今この瞬間も蟲は私たちの身体を蝕んでいるのだから。

 結果、最低限身の回りで起こっていることを認識できる程度の意識を残し、その場に倒れ込んだ。指一本動かせない状態だったが、もうすぐセイバーが戻るはず、今は一刻も早く蟲を何とかしなければ……

 

 

 

「おーい、空ちゃん元気かー!」

 緊張感のない声が響き渡ると同時に玄関が開きその声の主が遠慮なしに部屋に入り込んできた。剣道部で空が学校を休んだことを聞いた藤村大河が心配して様子を見に来たようである。

 地獄に仏と大河に泣きつく総司。

「大河さん! 空が……その、びょ、病気で……」

 とは言ってもどう説明したものかわからず口ごもる総司。

 

「んー? あなたは? 何で私の名前知ってんの?」

 そう言えば大河とは面と向かって話したことはなかった、総司はようやくそこに気が付いた。

「え、えっと私は沖田といいます。空さんの、その、親戚で、遊びに来たらこのようなことに……。大河さんのことは空から聞いて知ってました、何かこうタイガーって感じの人だって……」

「そうなの? いやぁ、照れるなぁ。で、空ちゃんどうしたの?」

 余り物事を深く考えない性格で良かった。総司はほっとしながらも空の状態が良くないことを大河に説明する。

 

「すごい熱じゃない! すぐに救急車を呼びなさいよ!」

「そ、そうですよね。やはり病院に連れて行くのが良いですよね?」

「他にどうしようというの? こんな高熱異常よ!」

 大河とて医療の知識があるはずもない。たとえあったとしても病院に連れていく事が最適解のはずだ。

 

 

 何だか面倒なことになっている。近くにセイバー以外の存在を感知したため、先ほどから意識をやや外に向けていたのだが、どうやら知り合いが訪ねて来たようだ。さっさと追い返せば良いのに、まったく……融通がきかないわね。

 

「だ、大丈夫ですから……藤村先輩。寝てればなおるから心配しないでください……」

 ずっと意識不明だった空が、不意に意識を取り戻し、口を開いた。

「そうは言っても!」

 空は病院に行こうという大河の提案を頑なに拒んだ。

「私、子供のころから時々熱を出すんです。だから今回もいつもの事なので……」

 もちろん出まかせではあるが本人にそう言われてしまえば大河とて強く言う事はためらわれた。

 

「むうー。そこまで言うなら今日は引き下がるけど……明日の朝になってまだ熱が下がらないようなら絶対に病院に行くのよ? わかった?」

 大河はいつになく強い口調で空にそう伝えるとしぶしぶ帰っていった。

 

「マスター。その……、マスター?」

 もう眠ってしまったのか……。大河が差し入れとして持って来てくれた飲み物と軽食を摂らせようと空に声をかけたが、彼女は既に意識を失っていた。

「いったい何が起こっているのか……」

 総司は空の寝顔を見つめながら途方に暮れることしかできなかった。

 

 

 

 翌朝、未だ熱が下がらず目覚めないマスターを総司は意を決して揺り起こした。

「ん……、何?」

 マスターは絶対にただの体調不良なんかじゃない。総司は思い切って聞いてみることにした。

「マスター。マスターの体には何らかの魔術がかけられているものと思われます。その、皮膚の下で何かが蠢いている、そのように見受けられます。心当たりは?」

 少し驚いたような顔をした空だがすぐに総司から視線をそらせて冷たく言い放った。

 

「あなたには関係ないわ。あなたは私を守っていればいい。それがサーヴァントの務めでしょう?」

「そんなことはわかっています! が、マスターの今の状態はあまりにも異常です! その、性格まで変わってしまったような……」

「変わってなどないわ。私は元々こういう性格よ。猫が逃げたようなものね。そんな事より聖杯戦争はどうなっているの? 何か情報はつかめているの?」

 

 昨夜からこの状態の空を置いて情報など集めに行けるはずもない。

「そんな状態のマスターを置いて情報収集もないです! いったいどうしたのですか?」

 総司の口調もつい荒くなる。

「ふん、そう、まあいいわ。ああそうだ、また大河さんが来ると面倒だから電話をしておいてくれる? 『空は朝からちゃんと病院に行って診てもらいました。2,3日寝てればなおると診断されました』ってね」

 

「そんな! どうしてマスターはそんな嘘ばかり吐くのですか!」

「嘘も何もないわ。何時敵サーヴァントが襲って来るかわからないこの状況であんな女がいても邪魔になるだけでしょう」

 確かにその通りである。戦闘に巻き飲んでしまえばいかに剣豪の大河であっても命の保証はしかねる。

「しかし!」

「ああ、もういいわ。私が電話する。あなたは黙って私を守っていればいいの」

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。あの霧の夜いったい何があった? 

 

 大河に嘘の近況を伝えると、空はそのまま眠りについた。

 

 

 

「マスターいったいどうしてしまったのですか……。桐生空は私から見ればお人好し過ぎるくらい心の優しい少女だったはずなのに……」

 その夜苦し気に呻く桐生空を見守りながら総司はかいがいしく汗を拭くなど彼女の世話をしていた。

 

 今敵陣営に襲われたならマスターを庇いながら戦う事は自殺に等しい。さらに総司を焦らせていたのはいったい聖杯戦争の状況がどうなっているのかわからないことである。

 未だ健在な陣営がどれだけあるのかわからない上、相談できるはずの聖堂教会が全く当てにならないこの現状にセイバー・沖田総司は焦りを感じざるを得なかった。

 

 少なくともアサシン陣営は撃退したはず……。あまりにも、あまりにも後味の悪い結末ではあったが……

 

 聖杯戦争は確かに大きく進行していることは沖田総司にも感じられていた。

 冬木ドリームランドの爆発騒ぎ、市内ビジネスホテルの倒壊事故などどう考えてもサーヴァント同士の戦いの結果であることは疑いない。

 

 そんな大規模な戦いを勝ち抜いた強敵がまさにこの瞬間にも自分たちを狙っているはずなのだ。

「なんとしてもマスターを守り抜く。それが私の覚悟」

 このアパートに張られている結界がどこまで頼りになるものかセイバーにはわからなかった。空がこの状態である以上魔力の供給が滞っている可能性もある。実際自分に供給されている空の魔力は明らかに低下している。そもそもあの結界はいったい誰が張ったというのだ。それまで魔術に対しては全く素人であった空がいきなりあんな高度な結界を展開できるはずがない。

 

 沖田総司にとってはこのところのマスターの挙動はあまりにも異常であった。まるで人が変わったよう、とは比喩表現としてよく使われるが桐生空は文字通り人間そのものが入れ替わったのではないかというほどに豹変していた。

 

 なにかこのマスターには秘密があるのではないか……。そのように感じていたがその空自身が現在この状態であり、彼女を守ることで手一杯な沖田総司にはその原因を調べるなどといった余裕は一切なかった。しかしあくまでも第六感ではあったが今回の聖杯戦争の裏に潜む大きな陰謀がこの少女には隠されている。そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

「……気配が変わった? なにか……おかしい……。空気が重い……」

 夜も更けてそろそろ日付が変わろうかという時間、総司には漂う悪意そのものともいうべき気配が感じられた。そして窓の外を見た瞬間、背筋が凍り付く。

 

 そこは亡者の群れに埋め尽くされていた。物音ひとつ立てずに立ち尽くしていることが余計に不気味さを演出している。

 

 そして暗闇の中から男の声が聞こえた。

 

「闇の時間である、血の晩餐である」

 

 ……やはり、来たか……

 襲われることは覚悟していた。しかもやはり予想通り結界はすでに機能していないようだ。

 

「マスター、あなたの事は私が命を懸けて守ります」

 そう呟くと総司は意識のない空をベッドに残し窓から飛び出した。

 

 

 

 空のアパートから少し離れたところにある三階建ての社宅の屋上からこの光景を眺めている黒い影があった。

「言峰綺礼、バーサーカー陣営を焚き付けおったか。いずれ儂の方から空(うろ)に同じことをさせるつもりでおったが……。しかし元から良くはなかったとはいえ、まさか蟲と空の相性がここまで悪いとは誤算よ。認めたくはないがあやつも間桐の血を引く者、とは言え所詮はクズの末裔、言わずもがなと言ったところか。何にせよ、あやつは蟲を拒んだ。趣味では無いが致し方なし。仕上げは任せられんということよ」

 

 嘆息したような仕草をみせ、影は続ける。

「さて、あのセイバーめがどこまでやれるのか、例えこの窮地を逃れてもおぬしにとっては悲惨な結末が待っているだけだろうが、せいぜい死力を尽くして空を守ってやるがよいわ。どちらが勝とうが、今宵六体目のサーヴァントの魂が器に注がれることになる。いよいよ最後の仕上げよな」

 不気味な影はしゃがれた声でそう呟いた。

 

 

 

「幾千幾万の血を流し、そして余に捧げよ」

 まるで歌うように抑揚をつけたその声は自信にあふれる本来の「護国の英雄」ヴラド三世の姿であったかもしれない。

 

「もはやこの度の聖杯戦争も残すところ余と貴様の二騎のみとなった。貴様の命をもってこの愚かしい戦いの幕を下ろすこととしよう。貴様の血こそ我が報酬よ」

 

 その言葉と共にヴラド三世の後ろにいた多くの亡者が進み出る。まるで彷徨うような生気のない姿ではあるが、どこか獣じみた獰猛さを感じさせる。

「わが眷属たちよ。血の晩餐ぞ。そこなサーヴァントを喰らうがよい」

 そう言ってマントを翻すと亡者たちは一斉に総司に向かって猛然と走り出した。

 

 これは? 屍人か? そのあまりにも異様な人々は明らかに普通の人間とは思えない動き方をしていた。その動きはまさに獣であり、1体だけなら沖田総司にとってはそれほど驚異とはならないだろうがその数ざっと50体。

 さすがにこれは空を守りながら相手にするには分が悪い。しかもそれらを操っていると思しきサーヴァントがいるのだ。

 

「さてさてセイバーのサーヴァント殿はわが眷属にどの程度戦えるかな?」

 その言葉に敵はある程度こちらの情報を掴んでいることを理解する。

 こちらはこのサーヴァントのクラスもわからないのにな……

 

 不意に生前は相当な美人ではなかっただろうかという女性が飛び掛かってきた。かつては上品に整えられていたであろう黒髪は乱れ、身にまとったドレスも自ら引き裂いたのかまともな状態ではない。

 そんな女性が人間では考えられない跳躍力で奇声をあげながら総司の首元めがけて飛び込んできたのだ。

「く!」

 抜刀一閃、その屍人は体を真っ二つに両断されその場に飛び散った。恐るべきことにそれでもその女の上半身は這いずるように総司に迫る。

 

 その女に触発されたかのように次々と襲い掛かってくる屍人たち。しかしその屍人たちは明らかに上流階級に属しているのではないかと思われるほどきれいな身なりをしたものが多かった。

 それもそのはず、この屍人たちは冬木ニューハイアットホテルに宿泊していた客であり、また従業員である。すでにあの一流ホテルにいた人間はすべてヴラド三世により完全に眷属化されており、今現在あのホテルにおいてかろうじて息があるのは最上階のスイートルームに残されてきたウリエと給仕の女性だけという状況になっていた。

 

「貴様! まさかお前がこの人たちを屍人にしたのか?」

「然り。眷属として余に仕えるはこの者たちにとっても名誉、そして至福……ふふふ」

「な、なんという邪悪な! 彼らは聖杯戦争に何の関係もないではないですか!」

 

 沖田総司は激高した。このような邪悪な術式を使用するマスターがいようとは! 聖杯戦争がどうとかいう問題ではない。この陣営だけは絶対に潰さなければならない。

 それにしてもこのサーヴァントはいったい……

 

「その邪悪な呪法! 貴様キャスターか!」

「やれやれ、全く情報も得られていないようだ。そのような状態で良く生き残ってこれたものよ」

 そう言って冷たい目を総司に向けた襲撃者は高らかに名乗りを上げた。

 

「余はヴラド三世、ワラキアの王である!」

 残念ながら沖田総司の知識の中にワラキアという地名はない。もちろんドラキュラ伝承など知る由もない。

「王様にしては邪悪な呪法を使う! 貴様のクラスなど関係ない。ここで成敗する!」

「フハハハ! 夜において余は無敵なり。人斬りごときに何ができるというのか。見せてもらおうではないか」

 

 次々と襲い掛かる屍人の攻撃にさらされながらも沖田総司は一歩もそこを引かなかった。これより後ろには謎の高熱に臥せっているマスターがいるのだ。

 

 背水の陣っていうのですかね。

 

 総司の剣戟は確実に亡者を斬り伏せていく。しかし斬られても突かれても屍人の群れは怯むことがない。そのうちにまともに四肢を残している屍人の方が少なくなってきた。

「ふむ、腐ってもサーヴァントよの。どれ余も加わるとするか」

 対する沖田総司もこの数の屍人に囲まれて全くの無傷というわけにはいかなかった。行動に支障をきたすようなダメージは受けてはいないものの霊衣も所々に大きな傷を負い、そこから結構な量の出血も見られた。

 

「ミゼレェ・ツェリ・プロテクトォロリィ」

 ヴラドは呟きと共に右手に現れた真黒な杭を総司に向けて投擲する。

 その杭は総司とヴラドの間にいた屍人をなぎ倒しながら、さながら解き放たれた獣のように唸りを上げて突き進んできた。

「はッ!」

 その杭を総司は一閃のもとに切り捨てる。

「縮地!」

 そのままスキル縮地でヴラドの懐に飛び込み逆袈裟に斬り上げる。

「チッ! 浅い!」

 総司の斬り上げをヴラド三世はわずかに体を後ろにそらせ回避する。

 

「やりおる」

 呟きと共に今度はこちらの番だと言わんばかりに両手の爪をまるで剣のように伸ばし総司に斬り掛かる。

 総司はその爪を刀で受けながら一歩下がろうとしたとき、右足に違和感を感じた。

「なに!」

 咄嗟に足元を見るとそこには最初に斬り伏せた上半身だけの黒髪の女が右足首に噛みついていた。

 

「これは上首尾。さあ血をささげよ!」

 両腕の爪を伸ばしたまま総司の肩を掴み上げたヴラドはそのまま首筋に牙を突き立てようと犬歯をむき出しにする。

「うああああ! 貴様! 吸血鬼か!!」

 吸血鬼の伝承は日本にも古くから存在する。曰く血を吸われたものはその者の眷属となるなどといった言い伝えは世界中で共通するものだ。

 

 冗談ではない。総司は渾身の力で右足に噛みついている女を蹴り飛ばし、そのまま吸血鬼の体に体当たりを敢行する。

 予想外の反撃を受けた吸血鬼はたたらを踏んでよろよろと後ずさった。

 

「貴様……今吸血鬼と言ったか……」

 それには答えず総司はヴラドを睨みつけた。

「吸血鬼と言ったのかああああ!!!」

 犬歯をむき出しに吠えるヴラド三世。

「貴様もか! 貴様も余を吸血鬼などと言うのか! もはや勘弁ならぬ! 貴様の血を一滴残らず吸い尽くし、そのような戯言をぬかしたことを後悔させてくれるわ!」

 

 いったい何を言っているのだこの男は? 自らの事を吸血鬼ではないと言わんばかりに激高しながら、そのくせ「血を吸い尽くす」などと明らかに吸血鬼としか思えないような事を言い放つ。……狂っているのか……。総司は全身に鳥肌を感じた。

 

 だがしかし今が最大のチャンスであることは間違いなかった。この吸血鬼らしき男は怒りに我を忘れ明らかに大きな隙を作っている。

 主人の怒りに驚いたのか屍人たちも遠巻きに状況を見守りだしたのだ。

 

 総司は迷わず宝具を解放した。

「無明三段突き!」

 その宝具は解放されたが最後防ぐことは絶対に不可能。事象崩壊の必殺技だ。

 

「獲った!」

 総司の裂帛の気合と共に放たれた必殺剣は対象の喉元に突き立った。……はずだった。

 

 総司の剣が吸血鬼の喉に突き立った瞬間、その体は風に流されるように霧となり散らばった。

 もし沖田総司がドラキュラ伝説を知っていたならそのような特技を持っていることも知っていただろう。だがブラム・ストーカーによって吸血鬼ドラキュラが書かれたのは沖田総司の死後である。

 

「なんだと!」

 吃驚する沖田総司。

 こんな能力を持っているのかこの化け物は! 

 

 再び元の姿を取り戻したヴラド三世はその紳士的な態度を取り戻し総司に話しかけた。

「今のは危なかったな。うむ。余としたことがつい取り乱してしまった。せっかくだから教えてやろう。余の望みはな、余が吸血鬼だ、などという悪評をこの世から払拭する事よ。余が聖杯に望むことはそれだけなのだ」

 

 やはり何を言っているのか訳が分からない。どう考えても吸血鬼の化け物そのものであるこの男は自らを吸血鬼ではないという。

 しかしそんな事よりも総司はすでに窮地に立たされていた。今の宝具が失敗したことですでに魔力は枯渇している。宝具を使用するどころかスキル一つすら満足に発動できそうもなかったのだ。しかも先ほどからの屍人による攻撃が徐々に効いてきたのか、または血を流しすぎたためか立っていることすら辛く感じ始めていた。

 対してヴラド三世はその攻撃の大半を眷属である屍人に行わせていたこともあり、多くの魔力を温存しているように思われる。

 

 駄目だな私は……。また最後まで戦えないのか……

 そう思った瞬間今まで忘れていた吐血の症状が現れた。

「ケフ」

 血を吐きながらこれもそういった類の呪いだよね。そう呟く。

 

 マスターの助力が得られればまだ挽回のチャンスはあるだろう。だが今の空にそんなことは期待できない。

 そこまで思って総司は苦笑した。今の状況じゃなくってもマスターは聖杯戦争をよく理解してなかったな……。今まで助力ってしてくれたことあったかな……

 

「もはや遊びは終わりである。余の宝具をもって引導を渡してやろう」

 吸血鬼の声が遠くから聞こえる。

 ああ、かつての仲間たちが居てくれたら。仲間……! だが……無理か……

 無念さに総司は目を閉じる。

 

「お願い! 令呪よ! 総司さんに勝利を!!」

 

 突然響き渡った凛とした声に沖田総司は目を見開いた。魔力が湧き上がってくる。これは令呪! 驚いて振り向いた総司の目に映ったのはアパートの階段にもたれかかるようにこちらを見て辛そうに微笑んでいる少女だった。

 総司は直感的に思った。「いつもの」空だ。

 うん? 一瞬、空の右腕の周りの空間が歪んだように感じた。ゆがみから何かがこぼれ落ちて空の背後に消えた。あれは、蟲……か? 

 もう一度目を凝らしてみる。辛そうにしているが、そこには総司が見慣れたマスターがいるだけだ。気のせいか。

 湧き上がる魔力の奔流に身を任せ、戦いに集中する。

 

「さあ、串刺しの時間だよ。血塗れた我が人生、ここに捧げよう『血塗れ王鬼(カズィクル・ベイ)』!!」

 ヴラド三世が宝具を解放する。無数に形作られた「護国の黒杭」が今まさに発射されようとしている。

 

 だが! もはや負ける気はしない。沖田総司は目を閉じ呟く。

 

「これは私の生きた証…… 誠の旗の下、共に時代を駆けた我らの誓い……!! 」

 

「ここに──旗を立てる!」

 

 その宣言と共に沖田総司は「誠」の文字を染め抜いた隊旗を打ち立てる。

 魔力の奔流が直ちに巻き起こり固有結界が生まれる。

 

 そして、魔力の奔流の中には浅葱色のだんだらの羽織を纏った一団が整然と並んでいた。

 

「新選組! かかれぇええい!!」

 副長土方歳三が吼える。

 

「うおおおおおおおおお!!!」

 一斉に駆け出す新選組隊士たち。

 

 ああ、皆さん……。思わず涙ぐむ沖田総司。

 

「どうした総司! まだ戦いは終わっちゃいねぇぜ!」

「土方さん! 近藤さん!」

 

 次々を現界する新選組隊士たち。そして勇壮な掛け声とともに駆け出していく。

 

 二番隊隊長  永倉新八

 三番隊隊長  斎藤一

 四番隊隊長  松原忠司

 五番隊隊長  武田観柳斎

 六番隊隊長  井上源三郎

 七番隊隊長  谷三十郎

 八番隊隊長  藤堂平助

 九番隊隊長  鈴木三樹三郎

 十番隊隊長  原田左之助

 ・

 ・

 ・

 

 次々と現れては抜刀し飛び出していく懐かしくも頼りになる面々。

 

 ああ、そうだ私は切り込み隊長だ。見ていてくださいマスター。これが私の生きた証です! 

「一番隊隊長! 沖田総司 参る!!」

 他の隊長たちと肩を並べ疾走する総司。そこにもう迷いはなかった。

 

 発射された獲物を狙う獰猛な杭が大量に沖田総司に向かって殺到する。しかし新選組の隊士たちはその凶器を確実に一本一本斬り落とし、なおその突進を止めない。

 まるで一つの巨大な生き物のように大きなうねりとなって新選組は駆け抜ける。周りにいた屍人などまるでいないも同然である。彼らが駆け抜けた後にはもはや人の形を成していない屍人の残骸だけが残されていた。

 

「なんだとおお!」

 必殺を確信して発現させた宝具による攻撃がことごとく撃ち砕かれていく。

「莫迦な! 奴めは既に死に体だったはず!」

 

「ヴラド三世! これが私の信じる仲間、そしてマスターとの絆!」

 

 沖田総司がそう言うや否や、ヴラド三世に次々と斬り掛かる隊士たち。

「小癪!」

 霧状化して斎藤一の刺突を逃れたヴラドに永倉新八の必殺剣が迫る。

 再び霧と化して逃れるがその先々で各々の隊長がまるで出現場所がわかっているかのごとく待ち受ける。

 

「うおらああ! 邪魔だ、死ねぇ!」

 周りの屍人ごと吹き飛ばす土方の剛剣がヴラドの左腕を斬り飛ばす。あまりの速度に霧状化が間に合わない。

「おのれええええ!!」

 

「絶刀! 菊一文字則宗!」

 

 間髪入れず放たれた沖田総司の必殺の刺突は聖杭のごとく深々とヴラド三世の胸に突き刺さった。

「ぐ、ぐぬううう。見事である……」

 総司の放った一撃はヴラド三世の霊基を確実に捉え貫いていた。

「よかろう。此度の現界、余の望み果たすこと能わず。是非もなし。末期、あの小娘……不敬な召喚者に一泡吹かせたことを悦とするのみ」

 そう言いながらヴラド三世はいまだに刀を突き立てたままの総司を見ると、ふっと微笑した。

 

「貴様の勝ちだセイバー。もはやこの聖杯戦争、残るサーヴァントは貴様のみ。この余を倒したこと、誇るがよい。さらばだ!」

 そう言い残してヴラド三世は光の粒子となって霧散していった。

 

 呆然と立ちすくむ総司の肩を叩いたのは近藤勇である。

「やったな総司! じゃあ、俺たちはもう行くよ。達者でな!」

「近藤さん! 皆さん! ありがとうございました!」

 深々と頭を下げる沖田総司に対し新選組の隊士たちは口々に総司をねぎらい、軽口をたたき、そして励ましながら消えていった。

 

 最後にひときわ力強く背中を叩く大きな手。土方歳三であった。

「総司! 背中が丸まってるぞ! しゃんとしろ、しゃんと!」

「土方さん……、私は今まで近藤さんや土方さんを信じてただひたすら刀を振るってきただけだった。人を斬ることに疑問を感じたことも無かったし、それが当たり前だと思っていました」

 

 叩かれた背中に痛みと共に温かさを感じる。

「でも、今回、人を殺さなくて良い世界で普通に暮らしてきた少女に普通の暮らしを取り戻してあげたい。私に対して人を殺せと言うような彼女を見たくないんです。あぁ、何を言っているのかわからなくなってきたぞ……」

 

「総司!! 俺たちはお前が強いから、人を斬るのが上手いから仲間だったわけじゃない。お前が信じる道、やりたい事を自信を持って最後まで貫き通せばそれでいいじゃねぇか。誰もそれに文句を言う奴は居ねぇよ!」

 もう一度背中をバシッ! と叩くと、ニヤリと笑って土方は消えた。

 

 固有結界が解かれる。沖田総司が落ち着きを取り戻し、周りを見回した時、そこには魔力供給を絶たれた為復活することが出来なくなった屍人の残骸だけがそこかしこに散らばっていた。

「うわあ。さすがにこれはちょっと……」

 自分たちがやったこととはいえまさに戦場痕といえる凄惨な現場にドン引きである。

 

「ああ、そうだ! マスター! 大丈夫ですか!」

 総司は必死に令呪を使用してくれた空を探す。

 

 アパート前にはパジャマ姿の空が座り込んでおり、こちらと目が合うと力なくにっこりと微笑んだ。

 

 

 

「ふむ。準備は整った」

 戦いの顛末を見届け間桐臓硯はそう呟いた。

 その右腕の甲には赤黒く禍々しい光を微かに放つ令呪が一画刻まれていた。

「では、向かうとしよう」

 臓硯の姿はほどけるように闇に紛れ、そしていずこかへ消え去った。

 




お読みいただきありがとうございます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話 願望の果て

「マスター!」

 アパートの階段の下、地面に座り込む空に沖田総司は駆け寄った。

 空は疲れているようだが命に別状はなさそうだ。

 左手で令呪の宿った右腕を抑えているが、その右腕は弱々しくいつもよりとても細く感じられた。そして右手の甲に刻まれた令呪は三画から一画に変化していた。

「先ほどの戦いはマスターの援護がなければ勝てませんでした。令呪を二画も使ってくださったのですね。本当にありがとうございました。

 っと、それよりもお身体の具合は。もう起き上がっても大丈夫なのですか」

「令呪? そうなのかな……よくわからないけど、とにかく必死で……私、総司さんの助けになれたのね、よかった……。あれからどのくらい経っているのかな。私、随分長い間眠っていたみたい」

 

 空は右手を総司の頬に当てた。

「私を守るためにこんなに傷ついて……、総司さん、あなたのことを人殺し呼ばわりしてしまったこと、ごめんなさい……。ねえ総司さん、実は私、眠っている間に怖い夢を見ていたの……夢の中で私がツヴァイちゃんと戦ってて……、でも聖杯戦争に参加するってそういうことなんだね。今だって総司さんが居なければ私はきっと殺されていたんだよね。私たちを襲ってきた女の子にも驚いたけど、いつだって総司さんは私を全力で守ってくれる。私がこの街で頼れるのは総司さんだけなの。本当にありがとう」

 

 あれ? 何かおかしくないか。

 マスターはアサシン陣営と戦った時のことを夢の中の出来事のような言い方をしている。実際あの時のマスターは、私が良く知る桐生空とは別人のようだと私自身も感じていたのだけど……

 

 空、いや正しくは宙の記憶は本来の空が目覚めてからは極めて断片的で夢のようにはっきりしない物になっていた。父、蒼賢のかけた暗示が正しく作用していたならば、交代後の宙は深い深い眠りにつき、空の記憶が宙に影響を与えることも例え空が意識を失っても代わりに目覚めることなどなかったはずだった。しかし、契約によるサーヴァントとの繋がりが、想定外のイレギュラーを引き起こしていたのだ。

 空が刻印蟲の駆除のために魔力を使い果たし、本当に意識を失ったことを機に宙の意識が再び目覚めた。これは空も蒼賢もまったく想定していなかった事態だった。

 

「総司さんは私が聖杯戦争をやめたいなら令呪で自害を命じてくださいって言ったよね。でも、私にはそんなことできないよ。それから、私が聖杯に託す望みは何かって質問の答えについては、今の私の望みは聖杯に託すようなものじゃないの」

「それは、どういう……」

 

「早く用事を済ませてお父さんと…………小雪ちゃんたちが待ってるお家に帰りたいってことかな。……あれ? 私何か大切なこと忘れてる? 誰か他にも居たような気が……」

 空の眼から一筋の涙が流れ落ちる。

「あれれ、私何で泣いてるのかな、おかしいな……」

 

「マスター……?」

 突然涙を流し始めた空に狼狽える総司。

 ああ、やはり私のマスターは優しい人なんだ。総司は目の前であたふたする少女を見つめ改めてそう思った。この人が私のマスターだ。

 

「急に泣いちゃってごめんなさい。でも、何が言いたかったかっていうと、私も覚悟を決めました。これからは聖杯戦争のマスターとして総司さんと一緒に戦います。聖杯に願う望みは特にないので、総司さんが願望を叶えるのを見届けるってことにします。こうは言っても私、大して役に立つとは思えないので、総司さんこれからも守ってくださいね」

 

「あ、あの……マスター。お気持ちはありがたいのですが、先ほど倒した敵が私を除いた最後のサーヴァントだったみたいです。多分聖杯戦争は我々の勝利ということで終わりかと……。この後どんな儀式が待っているのかは私にも分かりませんが、あとは聖杯に望みを告げればいいのだと思います」

 

「えっ……、あ、そうなんだ……、私の決意っていったい……、あぁ、でも良かった。本当に良かったよ。寝ている間に勝ってるって、私めちゃめちゃツイてるなぁ、あはは……」

 

 マスター、私自身の願いはもう叶っているんですよ。だけど、自覚はないようですが、貴方にはきっと何か秘密が隠されている。それが良くないものならば、それを排除するのが今の私の願いです。

 

「先ほどから魔力に疎い私でも感じられるほどの、強力な魔力を感じます。そこに恐らく聖杯が顕現しているのではないでしょうか。マスター早速向かいましょう」

「あの……、着替える時間くらいはあるよね……」

「……はい」

 着替えを終えた空とセイバーは強力な魔力の発生源へと向かった。深夜でもあり、ここ最近の事件、事故続きにより日が暮れてからの外出を自粛する風潮もあり道行く人はなく、一定間隔で道を照らす街灯の明かりだけが、アスファルトを照らしていた。

 

 セイバーは霊体化することなく空の傍らを共に歩いていく。これは深夜の街を一人で歩くことに空が不安を訴えたからであった。

 当然警戒は必要とはいえ、既に敵と呼べる存在はいないはずだった。しかし、同じ傍にいる状態でも、視界に入っている方が安心できるのだろうという想像は容易い。それに聖杯に辿り着く前に総司は空に色々確認したいことがあった。

 

 途中、例の公園の前に差し掛かった時に空が呟いた。

「学校とかもそうだけど、昼間賑やかなところって、陽が落ちて人が居なくなると不気味で怖いよね。そう言えばツヴァイちゃんと初めて会った時、あの子この公園に独りで居たけど怖くなかったのかな」

 まただ。アサシン陣営に関するマスターの発言には強烈な違和感がある。しかし、この件については慎重に探りを入れた方が良い気がする……

 

「そう言えば、怖い夢を見てたって話をしたけど、あれは前に総司さんがツヴァイちゃんのことを敵のサーヴァントかも知れないとか言ったのが原因だと思うんだよね」

「マスター、その夢の内容をもう少し詳しく教えてくれませんか」

「えっ? 確か……、ツヴァイちゃんと私が1対1で戦ってるとかそんな感じの夢だったかな。結果どうなったのかは覚えてないんだけど、とても悲しかったのは覚えてるよ」

 

「……マスター、ちなみに眠る前の最後の記憶はどうなっていますか」

「私が総司さんに酷いことを言っちゃって、あなたから自分の覚悟とかを聞かされたところ辺りから、ハッキリした記憶がないの。私どうなっちゃったのかな」

「確かに、私と話をしている途中にマスターは突然高熱を出して気を失いました。二日前の夜のことです……」

 

 もう疑う余地はない、私がマスターの人格が変わったと感じていた期間とぴったり一致する。ということはその間のマスターは桐生空ではなかったということになる。しかし、こんなことが起こり得るのか……皮膚の下を蠢いていた寄生虫が何か関係しているだろうか。

 

「ねぇ、総司さん。私、その時からずっと気を失っていたってことになるのかな」

「え、えぇ。大河さんとも相談して、明日目覚めなければ病院に連れて行こうって言ってたところです」

「気絶中も夢を見るんだね、これって新発見ぽくない。でも、途中から寝てたって可能性もあるかな」

「そ、そうですね。あはは」

 アサシン陣営との戦いのことはマスターには知らせない方がいい。あんな結末、今の優しいマスターが受け止められるはずがない。

 詳しい原因は分からないが、これを呪いの類と仮定するなら、聖杯が全て解決してくれるのではないか。今はそれに賭けるしかない。

 

 やがて魔力の発生源は、侵入禁止の表示によって道が閉ざされ、複数の工事車両が停め置かれた冬木市民会館跡地からであることが分かった。

 街灯の明かりすらないその場所へ二人は向かっていった。

 

 

 

 今回の聖杯戦争においてアインツベルンの管理する小聖杯はイリアスフィールのクローンであるツヴァイの体内に「黄金のリンゴ」という形で納められていた。

 前回の聖杯戦争においては、同じくアインツベルンから参加したイリアの母であるアイリスフィールの体内に収められていたが、アイリはマスターではなかったため、小聖杯を収めた器は英霊が一騎座に戻るたびに人としての機能を失っていくという仕様となっていた。

 

 次回の聖杯戦争に参加予定のイリアは自らマスターとして戦うため、最後の英霊が座に戻るまで身体機能は損なわれないまま体内に保持できるよう改良がなされ、今回ツヴァイの体内に納められた聖杯はその試作品といえるものとなっていた。ツヴァイは聖杯の動作実験も兼ねていたのだ。

 

 しかし、それを知っていたホムンクルスでありツヴァイの保護者であったリセはジャックの外科手術を用いその小聖杯をツヴァイの体内から摘出していた。リセの願いはツヴァイと共に人間に生まれ変わることであり、そもそもツヴァイを失敗する可能性のある実験につき合わせるつもりがなかったのである。

 

 まともな手術で取り出せるような代物ではないのだが、ジャックの外科手術は一般的なものとは根本的に違う。逆に言うならジャック以外がそのようなことをしたなら即座にツヴァイは死亡していただろう。

 ツヴァイから切り離された小聖杯は、前回聖杯が顕現したこの場所に隠された。6騎の英霊の霊基と聖杯の顕現に足るだけの霊脈の淀みが、新たな聖杯をこの地に顕現させていた。

 

 

 

 空と共に市民会館跡地に踏み入った総司はそこに大きな空間の歪みを見ることとなった。

 なんという魔力だろうか。思わず膝をつきそうになるほど圧倒的な魔力が流れ出している。今自分が見ているもの、それこそがこの戦いの目的。それこそが聖杯。

 そこには金色に輝く杯が空中に浮遊しており、空間に空いた「穴」から滔々と流れ出る液体を受け止めていた。

 

 これが聖杯……

 しかしそれは総司が想像するような神々しいものではなかった。

 確かにそこに存在する圧倒的な魔力は想像を絶するほどであり、この世に存在するあらゆる魔術具の頂点と言っても誤りないだろう。

 しかし、何なのだろうこの禍々しい魔力は。

 

 虚空に空いた穴から流れ出す液体を受け止め続ける黄金の杯は確かにそこに存在しており、これが求め続けた願望器であろうことは疑いなかった。

 だが流れ出す液体は禍々しく何か冒涜的ともいえる気配さえ醸し出していた。

 

「それでも!」

 総司は聖杯に向かい自らの願いを叫ぶ。

「聖杯に望む! 我がマスター、桐生空に掛けられたあらゆる呪いを祓い彼女を私と出会う前の幸せな少女に戻したまえ!」

 

 沖田総司には本来聖杯に願う望みはなかった。彼女の願いは「最後まで仲間と共に戦い抜くこと」である。

 かつて生前病に倒れ、新選組の最期を仲間たちと共に戦えなかった後悔を今度こそ晴らしたい。それが総司の願いである。

 しかし、聖杯戦争に勝ち残った今、その願いは既に叶っている。

 

 今、総司の胸に浮かぶのは、現代という平和な世の中にあって聖杯戦争などという異常な事態に巻き込んでしまった桐生空という少女。彼女を取り巻く謎の現象を、何も理解できていない総司にとっては呪いという曖昧な表現でしか言い表せない何かを取り除き、もとの平穏な日常の中で暮らす優しい彼女に戻してあげたかった。

 

 それが沖田総司の願いとなった。

 

「えっ? それが総司さんの願い? 私? 呪い? って何?」

 総司が聖杯に何を望むのか、興味津々で見守っていた空は、彼が聖杯に願った内容が自分に関することであり、また身に覚えのない内容だったため、理解が追い付かなかった。

 

 

 

 杯に『泥』は注がれ続ける。

 

 

 

「何も起きない……。なにか足りていないのか?」

 総司の願いが聖杯によってかなえられる気配が感じられない。この聖杯は偽物なのか? それとも必要とされる儀式が足りていないのだろうか。

 

 そんな風に焦りを感じている総司の背後から声がした。

 

「アインツベルンのホムンクルスが小聖杯の管理を放棄するなど、ユーブスタクハイトめがどんな顔をしておるのやら、まったく考えられぬことが起こったものよ」

 そこにいたのは小さな老人だった。老人ではあるのだがその存在感は圧倒的であり、まともな存在でないことは一目で理解できた。

 総司は空を背後に庇うような位置へとじりじりと移動する。

 

「空(うろ)よ、そなたが勝ち残ったのは上々、余計な後始末をせずに済んだわ。よくやったの」

「うろ? 間桐のおじい様、どうしてこんなところに。実は私、何だか良く分からない争いに巻き込まれてしまって、今までこの総司さんがいろいろ私を助けてくれたんです」

 

 ん? こやつ何を言っている。低下しているはずなのは間違いないが、あまりにも魔力が感じられんな。

「ふざけるのはその辺にしておけ、汝(うぬ)は此度の聖杯戦争にマスターとして参加するために桐生家から馳せ参じた魔術師であろうが」

 

 その言葉に驚いたのはセイバーである。

「マスターが聖杯戦争に参加するために馳せ参じた魔術師だと。貴様いったい何者だ」

 

「儂は間桐臓硯、間桐家の当主よ。桐生家は此度のような事態に間桐に助力することを条件に分家を認められた存在。もしやおぬし、己が主人の素性を全く理解しておらぬのか」

「うぐっ」

 もしこの老人の言う事が事実なのだとしたら、私を召喚した時の術式など、今までまったく理解できないので目を背けてきたことにも一応説明は付く。しかし、だとしたら私が守ろうとしている桐生空とは一体どういう存在なのだ。

 

「マスター! この老人の言っていることは本当なのですか」

「知らない、分からないよ。私は大学進学のために親戚の間桐さんのお世話になりに冬木に来たんだよ、聖杯戦争、魔術師、全部こっちに来てから初めて聞いた言葉だよ」

 嘘など一切吐いていない、本当に身に覚えのない話なのだ。空は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

 

 そんな空の様子を見て臓硯は考えを巡らせる。

 こやつ当初の人格に戻っておるな、確か父がかけた暗示で別人格が表に出ていたとか申しておったが、当の蒼賢は数日前に衰弱死しておるのは確認している。改めて暗示をかけ直したとは考えにくい……、もしや初めから任意の人格を使い分けておるのか。食わせた蟲は回収したが、どうやら儂を謀っていたのはこやつ自身のようよな。

 

「まぁ、良い。ところで、セイバー、先ほど聖杯に願いを唱えておったが、無駄なことよ。 そもそも、この聖杯は願望器としての力が足りぬ未完成品ゆえな」

「な! 間桐家の当主、それはどういうことだ!」

「カカカ、そう恐ろしい顔で睨むな。聖杯は完成しておらぬのだから、願望器として働かぬのは当然であろう。聖杯の完成には7騎の霊基が必要なのだ。この意味は分かるな」

 

「そういう……、ことですか……」

 

 総司は全てを理解した。

 当初の自分の願いは既に叶っている。追加の願いの代償が自分の命を捧げること、ああ、何て分かり易いのだろう。むしろずっと死に場所を探し続けてきた自分にとっては相応しい結末にすら思えた。

 

「マスター、よく聞いてください。マスターには確かに魔術師としての素養とそれを使いこなすための隠された側面が存在します。何故こんなことになっているのか私には分かりませんが、きっとマスターは魔術師としては優し過ぎるのでしょう。でも、私はそんなあなたのことが好きですし、ずっとそんなあなたで居て欲しいと思っています。聖杯は万能の願望器です。私が聖杯にあなたの幸せを願うことは叶いませんが、代わりにあなたがあなた自身の幸せを願ってくれませんか。あなたに害をなすものが全て無くなるように」

 空には総司が何を言っているのか、半分も理解できなかった。

 

「幸せって聖杯に願わないと手に入らないものなの? 私、今でも結構幸せだよ。どうして故郷を離れてまで大学に行きたいって思ったのかよく分からないんだけど、それももう辞めるね。明日にはお家に帰ろうと思うからさ、よかったら総司さんも一緒に来てよ。お父さんにも紹介したいし」

 

 この人は、一体どこまでお人好しなのだ。

「マスター! それでは駄目なのです!! このままではまたきっとあなたは争いに巻き込まれる。私はサーヴァントなので自分の意志では霊基を聖杯に捧げることはできないのです。令呪を使って私に自害を命じてください、その後聖杯に自分にかかった呪いを祓うことを願ってください。お願いですから」

「自害って何言ってるの。それに争いに巻き込まれても、また総司さんが私を守ってくれるよね」

 

「ククク、黙って聞いておれば、随分と滑稽なことを宣ったものよ。 汝の父、蒼賢ならもうこの世にはおらぬわ」

「えっ……な」

「桐生の家には魔術刻印に刻まれた短命の縛りがあっての、魔術刻印を持たぬ一族は 漏れなく寿命を削られる。思い当たる節はあろう。中でも魔術刻印を後継者に引き継いだ当主は急速に老いさらばえる。汝の父は数日前に老衰でくたばっておる。遺体の処理は蟲を遣って儂がしておいてやった。骨も残っておらぬ故、誰も汝の父の行方を知る者はおるまいて」

 

「う、うそ……」

 空の顔から血の気がひいていく。

「貴様、やめろ!」

 総司が臓硯に向かって叫ぶ。

「ここまでお膳立てした上で、聖杯を完成させぬという選択なぞあるわけがなかろう。汝が殺したアインツベルンの小娘や、他のマスターに対しても申し訳がないとは思わぬのか」

「わた、私が……ころし……たの……。誰を……」

「マスター! あいつの言葉に耳を貸してはいけません」

 

「所詮はホムンクルスに過ぎんが名前があったの……、確か、そう、ツヴァ」

 ズシャッ!! 

 全て言い終える前に総司の突きが臓硯の身体を貫いた。

 だが臓硯を貫いた総司の刃にはまるで手応えが無かった。

 そして臓硯の身体は穴の開いた部分から無数の蟲と化しバラバラと崩れ去り、別の場所でもとの老人の姿に戻っていった。

「まったく気の短い奴よ」

「化け物め!」

 

「い、いやあああああああ!」

 その時、空の悲鳴が響き渡った。がくがくと膝を震わせその場に崩れ落ちる。

 空の脳内ではフラッシュバックの様にツヴァイとの出会いや戦いの場面が再現されていた。

 

『あたしとお友達になってくれるの。やったあ、凄く嬉しい。初めての友達……うふふ』

『うん、ママは……、いないよ……』

『そうだね……もう友達ごっこはお終いだもんね……』

『ジャック……ママが待ってるよ……お家に……帰ろう……』

『ぐほっ、ごぼっ!』

 

「そ、そんな……あれは夢じゃなかったの……、本当に私が……」

「マスター! 気を確かに!! 大丈夫、大丈夫ですから!」

 くそっ! 何が大丈夫だ。恐れていたことが起こってしまった。一体どうすればいいんだ。

「駄目……酷すぎるよ……どうして……私が……こんなことを……、た、助けて……、姉さま……」

 

 ここで空(正しくは宙)の意識は途切れた。

 

 蟲の駆除に魔力を使い果たした空は一時的に意識を失った。少し魔力が回復したら意識を取り戻して元通りのはずだったが、空が意識を失うと同時に宙が目覚めた。これは空がまったく想定していなかった事態であり、おまけに目覚めた宙が父の暗示により空のことをまったく覚えていなかったため、空は意識を取り戻してからも身体の支配権を取り戻すことができずにいた。今まで双方の同意により精神の交換を行ってきたため、強制的に交換するという手段が確立されていなかったのだ。

 今、精神的に追い込まれた宙が無意識下とはいえ姉に助けを求めたことにより、空の意識が表層に現れた。暗示が解かれたのであろうか。

 

 空は突然目を見開くと、すっくとその場に立ち上がった。

「マスター?」

「間桐臓硯様、大変失礼しました。桐生空只今目覚めました」

 突然豹変した空に総司が戸惑いの声をあげる。

「お、お前は! あの時のもう一人のマスターだな。また私のマスターの意識を乗っ取ったのか、一体誰なんだ、お前は」

 臓硯も怪訝そうに空を眺めながら口を開いた。

「そこなセイバーの疑問も尤もよ。汝は多重人格者なのか。納得のいく申し開きをしてみせよ。話くらいは聞いてやろう」

 

 空は今まで隠していた事実を語り始めた。

「先ほどまでこの身体を使っていたのは私の双子の妹、宙です。宙は死産でしたが精神は失われず、私の身体の中に宿りました。母が妊娠中に父、蒼賢が用いた解呪の術式が思わぬ形で作用したのではないかというのが、父と私の見解です。私たちは一つの身体を二人で共有して今まで暮らしてきました」

 

「ほほぅ、面白い。しかし、精神が入れ替わると魔力量まで変化するのか。先ほどの小娘からは魔力が殆ど感じられなかったぞ」

 少なからず興味を抱いたらしき臓硯が、疑問を口にする。

 

「仰る通りです。妹、宙には魔術師としての素養は全くありません。ですので、妹が身体を使っている間は魔術回路が機能しなくなるため、魔力がほぼ無くなってしまいます。昔は身体を使っていない方は幽体となって意識を保てたのですが、ここ数年入れ替わると眠ったような状態になり霊体としての維持ができなくなってきました。妹との肉体の共有が不安定になりつつあると感じています。

 失礼ながら、桐生の魔術刻印に刻まれた間桐の契約が、私が成長し、桐生の正当な魔術継承者であると認識するにつれ、魔術を使えず、本来は存在しえなかった妹の精神を異物として抹消しようとしているのではないか。父はそう言っていました。お前たちにとってこれは間桐本家の呪詛である、と」

「随分な言いぐさだが、すべて蒼賢の妄言かも知れぬではないか」

 

「解呪については桐生家随一の父にも間桐本家の呪詛は解けませんでした。いずれにしてもこのままでは妹の精神は消滅してしまう。そこに今回の聖杯戦争と間桐本家の要請です。例え父が妄言を吐いていたのだとしても、聖杯には望みを叶える力がある。それにもし、父の言う通り妹の消滅が間桐の呪詛によるものなら、今回の要請に応じることで呪詛から解放される可能性もある。私にとってはこの聖杯戦争は負けられない戦いとなりました」

 空は臓硯に思いの丈をぶつけた。

 

「ならば何故、最初から汝が戦わず魔術の扱えぬ妹を儂に会わせた。万一儂が妹に聖杯戦争への参加を求めなければ、先ほど汝が語った話は根底から成り立たず、妹は消滅してしまうのではないのか」

「私が必勝を誓って聖杯戦争に望んでも、必ず勝てる保証はありません。戦いに敗れ二人とも死ぬくらいなら、この身体を妹に譲るつもりで父に暗示をかけてもらいました。妹に危機が訪れない限り私は目覚ず、妹の記憶からも私の存在を消したのです。妹が平穏無事に生きていけるなら、私は消滅しても構わないと考えていました」

 

「自己犠牲のつもりか、実にくだらん、儂にはまったく理解できぬわ」

 吐き捨てるように呟く臓硯を尻目に、総司は今まで揃わなかったパズルのピースが次々とはまっていく様な感覚を覚えていた。今ようやく桐生空という自分のマスターを理解できた気がした。

 

「もし、宙の消滅が桐生の魔術刻印に刻まれた呪詛が原因ならば、今回間桐本家の要請を達成したことでその影響から解放されるのでしょうか。だとしたら、私はもう聖杯に望む願望などございません」

 そもそも、桐生家は分家の際に間桐家によって刻まれた呪詛にずっと苦しめられてきたのである。今回の働きで間桐の呪詛は祓われるのか、空の疑問はその一点に尽きた。

 

「確かに汝のいう呪詛とやらが今後桐生家に影響を及ぼすことはあるまい。ただ、精神体の消滅などという、異常な状況に呪詛がどう影響を与えるのかなど、儂の与り知らぬことよ。

 そんなに心配なら、セイバーの霊基を聖杯に捧げ、汝の願望を唱えれば済む話よの」

 ただし、此度の聖杯は願望を叶えるためのものではない。セイバーが消滅した時点で汝には願望を口にする前に死んでもらうことになるがの。臓硯の足元から数匹の蟲が影を伝って空の方へ向かった。

 

 桐生空は沖田総司を見つめ手を握った。

「セイバー、勝手なお願いなのは重々承知しているけれど、宙を救いたいの。今まで色々秘密にしていたことは謝ります。ごめんなさい」

 空の手からは、いつもと変わらぬ温もりが感じられた。

 

「それは、先ほど私自身がマスターに求めてたことと同じことです。あなたが、彼女が誰か忘れている気がすると涙を流していた存在そのものだったのですね。どうかこれからもあなたがマスターを守ってあげてください」

 

 総司は空に一礼すると聖杯に向かって歩き始めた。

 

「令呪を以て……」

『──―っ! ダメ―……―っ……よ……―……──っ。…………』

「!」

 令呪を使おうとしたその時。空の意識に宙の心の叫びが流れ込む。

(宙はセイバーの消滅を望んでない。このままセイバーを強制的に消滅させてしまっても良いのだろうか)

 令呪の使用をためらう空。

 その刹那。

「令呪を以て命ずる。自害せよ、セイバー」

「なっ」

 間桐臓硯が自らの右腕に宿った命令権を行使する。

「何故、貴様が令呪を!」

 おもわず総司は叫ぶ。

 

「桐生空の令呪は、元々間桐の代理マスターとしてのもの。本来の主が令呪を使用しても何の問題もなかろう」

 令呪による理不尽な強制力が沖田総司に襲い掛かる。

「あっ……」

 突然のことに、一瞬ためらう空。

「お主が自害すれば、そこな桐生空とその妹は救われるのだぞ。何を抗うことがある? 

 それが貴様の望みなのだろう。疾く自害せよ、セイバー」

 更に強力になる令呪の暴力的な強制。

 葛藤しながらも従うしかない。観念するセイバー。

「くっ、貴様の命令でというのは無念だ……が……」

 彼女は怒りの形相で間桐臓硯を睨みつけた後、桐生空の方に向き直り、少し微笑むと同時にその胸部に自らの愛刀を突き立てた。

「マスター、どうかお幸せに……」

 セイバー沖田総司は光の粒子となって消滅していった。

 

『──―っ! ──―っ……──っ。……―っ…………』

 ためらった一瞬が桐生空には永遠のように感じられた。

 取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。

 空の心に強烈な不安と後悔の念が湧き上がる。

 セイバーが消滅した後、空は自分の中の宙に呼びかける。

「宙、全て終わったのよ。これからも私たちは二人一緒よ」

 返事はない。

「宙……、宙、どうしたの、宙!」

 反応がない。

「ねぇ、お願いだから返事をしてちょうだい。何か言ってよ、宙!!」

 いくら呼び掛けても宙の存在が感じられない。全くの空虚。

 今までこんなことは一度もなかった。

「いや、いやだよ。私を一人にしないで。宙、宙──―っ。うわああああ」

 号泣する空。

 

「カカカ、愚かよな。汝らは同じ器に居っても相互の理解が圧倒的に不足していたのよ。宙とやらの精神は汝よりずっと善良で脆かったということ。妹にも汝のような顔見知りの少女を殺しても眉一つ動かさぬくらいの図太さがあれば、今頃は姉妹仲良く感動の再会を果たせておったものを、己の犯した罪の重さと望まぬセイバーの消滅。立て続けに科された負荷に耐え切れなかった妹の魂はすでに霧散したと見える」

 

「間桐……臓硯んっ!!」

 怒りの眼差しを叩きつける空。

 

「わしに怒りを向けるは筋違いよ。では聞くが、汝、何故わしがセイバーの自害を命じた時、自らに残された令呪を使って抵抗しなかった?」

「!」

「つまるところ、心の奥底で汝はこの結末を望んでおったのだ」

「ち、違う……」

「妹を気遣うふりをしながら、セイバーの消滅を傍観した汝は聖杯戦争のことをよくわかっておる。七騎の霊基すべてを捧げた聖杯に自らの願いをかける。根源に至るほどの魔力の奔流と引き換えに汝はその望み以外は何を失っても良いと考えた。実に魔術師らしいではないか。さすがは桐生の後継者よな」

「……ちがう……ちがうの……わたしは……」

「何が違うものか。誇ってよいぞ。そう、汝の行動が妹を殺したのだ、「妹殺し」中々様になる二つ名ではないか」

 

 絶望が空の意識を黒く染め上げていく。それはまさに今杯に滔々と流れ込んでいる泥のように黒く、深く。

 

 そして桐生空の瞳から光が消え去った。

 

「始末するつもりでおったが、その必要もなくなったわ。妹を殺したという新たな呪縛に囚われ屍のように無意味な生を貪るがよい」

 

「さて、これで7騎の英霊の霊基が揃った。しかし、アインツベルンのホムンクルスが血迷ったが故に孔が完全には開いておらぬ。これでは大聖杯の浄化、とまではいかぬか……」

 臓硯はそう言いながら未だに泥が溢れ続ける空間の歪みと杯を凝視する。

「今回大聖杯の浄化が首尾よく運べば、願望器としての聖杯が機能を取り戻した形で再顕現する可能性もゼロではない……と思っていたのだが……」

 

「ふふふ、首尾は上々といったところですかな、間桐臓硯殿」

 絶妙なタイミングで言峰綺礼が現れる。まるでどこかで様子を伺っていたかのように。

 

「この世全ての、悪-。今の聖杯はその誕生のための揺り籠のようなもの。十や二十の霊基を収めたところでその流れは変わりますまい」

「貴様、それを知った上で傍観していたと言うのかっ!」

 声の方向に振り返った臓硯が、綺礼を睨みつけながら忌々しそうに吐き捨てる。

 

「さて、どうでしょうな」

「食えぬ男め、まぁ、こちらにはこちらで準備を進めていることがある。此度の儀式が徒労であろうと、さして問題ではない。与えられた魔力により、次回の聖杯戦争こそ儂にとって最も都合の良いタイミングで行われることとなろう」

 

 小さく体をゆすると老人はその場で無数の蟲となり霧散していった。

 

「ふむ、些か面白みに欠ける結末だったな」

 

 言峰綺礼は一人立ち尽くす少女に近づき呟く。

「女よ、貴様が死ねば妹が存在していたことを知る者はこの世には居なくなる。また、すべてを失い何も持たぬ者が何かを得ることもあるのかも知れん」

 何も反応はなかったが、綺礼は気に留める様子もなく踵を返してその場を立ち去った。

 

 

 

 残された少女は長い間その場で呆然としていたがやがて夢遊病者のようにふらふらと冬木の街に戻っていった。

 




お読みいただきありがとうございます。

次話からは各登場人物のエピローグになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話 劉九垓 エピローグ

 今回の聖杯戦争が行われる8年前の話。

 

 香港の繁華街から少し外れたところに一軒のナイトクラブがあった。

 店の名は「ハミングバード」。かわいらしい名がついているが来る客はゴロツキやマフィアの下部構成員などといった最下層の住人が大半を占める「場末」と呼ぶのがふさわしい店だった。

 

 そこに一人のショーガールがいた。名を晨曦(チェンシー)という。

 しかしこのチェンシーという女、お世辞にも善人とは言い難く金をもってそうな客を見つけると身体を使って接近し、報酬を要求する娼婦のようなことをしていた。

 彼女自身見目麗しく性格も良ければそこからシンデレラストーリーに発展したかもしれないが、残念ながら彼女の容姿はそこまで優れたものではなかった上に性格も自分勝手で傲慢、また浪費家でもあったため彼女を見初めるような男性は現れなかった。

 

 その日暮らしで常に酔っぱらっているというまさにクズというのがふさわしいような生活をしていた女だが、それでもいつかのし上がってやるという野望だけは心の隅に燻ぶらせ続けていた。

「あたしだってこう見えても昔は高級クラブでちやほやされてたんだよっ! そりゃあ言い寄ってくる男なんて星の数ほどいたさ」

 これが彼女の口癖であった。

 

「ああ、そうですかい。あっしとすりゃあんたの過去なんてどうでもいいんですがね」

 本日のカモは最近売り出し中の殺し屋と噂される男だった。殺し屋が自分の事を殺し屋だと名乗るわけもないが、ここはそんな連中のたまり場みたいなところである。誰からともなくそんな話は耳に入ってくる。

 

 その男は言い寄ってくるチェンシーを面倒くさそうにしながらも一晩買い上げた。

 そして次の朝にはくしゃくしゃになった紙幣を投げ捨てるようにして部屋を出て行った。

「ちっ! 最近景気がいいって話を聞いたから相手してやったってのによっ!」

 紙幣をかき集めて数えるとチェンシーは舌打ちをして毒づいた。

 

 それは彼女にとって日常であり特に変わったことではなかったはずだった。

 

 

 

 三か月後、チェンシーは突然店から姿を消した。

 しかし彼女がいなくなったところで誰も気に留めることはなく、いつものようにこの店にはゴロツキが集まり代わりに来たショーガールに金をせびられていた。

 

 それからさらに半年したころふらりとチェンシーが店に戻ってきた。驚いたことに彼女は生まれたばかりの子供を抱えていた。

「あんたがこの子の父親だ! 養育費を払え! 面倒を見ろ!」

 チェンシーは、失踪前はまだ娼婦の真似事をしていたこともありそれなりに見栄え良い格好をしていたが、今の彼女は髪を振り乱し半狂乱でとてもまともな状態とは言えなかった。

 店にいる男を片っ端から「父親だ」といって金をせびろうとしている憐れな女でしかなかった。

 

 そんな半狂乱の女に優しくしてくれるような人間が居るような場所ではない。言い寄られた男は皆一様に迷惑そうな顔をして彼女を無視し、また時には暴力でもって排除した。

 殴られ顔を腫らし鼻血を流しながら憐れな女はそれでも大事そうに乳児を抱えてふらふらと店を出て行った。

 

 

 

 その日の夜、クガイはたまたまこの近辺で仕事をしていた。

 当然のことだが既に彼は一晩だけ買ったチェンシーなどという女の事など覚えていなかった。

 

 腐臭が漂うスラムの路地をたばこを燻らせ歩くクガイは大きなゴミの塊を見つけた。

「ちっ、こんなところでくたばられちゃ迷惑なんですがね」

 もちろんそれはゴミの塊なんかではなかった。クガイも見た瞬間それが人の死体である事くらいはすぐにわかった。しかしその死体がまだ生きているとは彼も思っていなかった。

 

「あ、あんた! クガイだろ! あたしだよ! チェンシーだよ! 覚えてるだろ?!」

 はあ? 何だこの女、イカれてるのか? 

 一瞬クガイはそう思ったがその女が赤子を抱えているのを見てもう一度女の顔を覗き込んだ。

 

 この女はあの時の娼婦か? クガイはぼんやりとそう思ったが、チェンシーの興奮はそれどころではなかった。

「この子の父親はあんたなんだよ! わかるんだ! あたしにはわかるんだよっ!」

 ……言いがかりをつけて金をせびろうって腹か? クガイは無視をして立ち去ろうとした。

 しかしチェンシーはクガイの脚にかじりつき決して離そうとはしなかった。

 何ですかいこいつちょっと必死過ぎやしませんかね? クガイは無理やり足を引き離すと汚いものを見るような目で女を見下ろした。

 

「あんたなんだよ……あたしにはわかるんだ……。この子を頼むよぉ……」

「はあ? 一回寝ただけだろ? 何でそうなるんだ?」

「うへへ。あんた魔術師だろ? だからわかるんだ。一生のお願いさ、この子のこと頼んだよ……」

 

 こいつなぜそれを! クガイがそれを問いただそうとチェンシーの襟首をつかみ上げる。

 その時子供と目が合った。彼はまるで撃ち抜かれたようにその場に固まった。

 まだ目も見えていないだろうその子は確かにクガイを見て微笑んだのだ。そしてまるで人形のような小さな手を精一杯クガイに向けて差し出した。

 

「おい! これはどういうことだ!」

 しかしその時彼女は既に事切れていた。

 

 

 

 結局クガイは、チェンシーはともかく生まれて間もない赤ん坊をそのままにしておくことも出来ず、こっそりと孤児院の玄関先にその子を置いてきた。

 

 そしてまさかとは思いながらも子供の髪の毛を抜き取りDNA検査を行ったのである。

 

 驚きの結果だった。99.99%血縁関係を認めるという結果が帰ってきた。

 

 その後子供は孤児院で花琳(ファリン)と名がつけられたのだが、生まれついての重大な障害と病気があることがわかり香港の病院に入れられることになった。

 

 ただし孤児院の子供に高度な治療が行われるはずもない。それを知ったクガイは嘘でも自分の子供であることがわかってしまっただけに放置する訳にいかず、日本の病院に転院させた。

「血が繋がっているとはいえ、無視してもいいんですがねぇ」

 クガイもなぜ自分がこの子の事をそこまでしなくてはいけないのかと思いながらも、あの日のファリンの微笑みが頭から離れなかった。

「これが血の絆ってやつなんですかね?」

 

 一度は孤児院に預けたこともありまた自分の職業から実の父親であることは絶対に名乗ることはしなかったが、クガイはこれ以降ファリンの「伯父さん」として治療費の面倒を見続ける。

 そのために以前から接触のあったシンガポールマフィア、365党の専属殺し屋として多額の契約金を手に入れたのだった。

 

 しかし、結果としてファリンとの出会いは、それまで灰色だったクガイの人生に僅かな彩りを添えることとなった。

 決して安くはないファリンの治療費を稼ぐという目的と、不定期なファリンの見舞いは知らず知らずのうちにクガイの生きがいとなっていった。

 

 

 

 チェンシーには魔術回路が眠っていた。もちろん彼女はそんなこと知る由もなかったし、それを知れるような環境にはいなかった。

 そしてファリンを身ごもった時にクガイの魔術回路と反応したのだがその相性はあまりにも悪かった。

 

 結果彼女は健康上に致命的な障害を負い、何とかファリンを産み落としたもののそこまでしか生きることができなかった。彼女がクガイこそファリンの父親であると直感したのはその魔術回路があったが故なのだ。

 

 当然ファリンにも魔術回路は受け継がれていた。彼女の疾患の大部分はその魔術回路の暴走によるものだった。

 もしクガイが時計塔に所属する純然たる魔術師であったならファリンを魔術的な手術で救う事が出来たかもしれなかったし、ファリン自体も魔術師として名を残せたかも知れない。

 

 

 

 今となってはそれを確かめるすべもないのだが。

 




お読みいただきありがとうございます。

この話から各キャラクターのエピローグとなります。

ゲーム開始時には「噛ませ役」的なポジションのクガイでしたが、話が進むにつれ愛すべきキャラクターに成長しました。…泣けます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話 ジャンマリオ エピローグ

 カレン……ごめんな……

 ジャンマリオの意識が暗転し、カレンの姿が浮かび上がる。

「だめねぇ、ジャンマリオ。これじゃ、私の気が済まないわ。一発殴らせなさい」

 ? 何だこの台詞は。やけにリアルな走馬灯だな。

 まあ仕方ない。不甲斐ない結果を招いたのは自身の未熟さなのだから。

「済まないな。これで良いか?」

 素直に目を閉じる。

 

「そうだ。クラウディアの名を思い出させたお前をまだ許すわけにはいかんからな」

「なっ、言峰綺礼」

 目を開けると、言峰が邪悪な笑みを浮かべながらその拳をジャンマリオの顔面に叩きつけるその瞬間だった。

「うわあああああああああああああ……」

 

 

 

「……ター…………ま……ター、……マスターッ」

「はっ」

「やっと起きた。ていうか、この状況でうなされるとかどんだけだよ」

「その声はヒルドか。俺は……」

「あなたは言峰綺礼に胸を貫かれて絶命しました。ここは冥界の入り口。天に召される魂が通る場所」

「スルーズ。そうか、やはり俺は死んだのだな」

「残念ですが、そういうことです。マスター」

「オルトリンデ……。お前たち3人に同時に会うのは初めてだな。こんな状態で言うのもなんだが」

 

「ここは現界とは異なる時空。ゆえに私たちも別々の存在としてお会いできるわけです。この後、魂となったあなたは天の裁きを受けることになります」

「そうか。正直まだ死にきれない思いもあるが、こうなっては仕方がない。しかし、まだ私がジャンマリオである内に君たちに会えて良かった」

「マスター?」

「君たち三人には世話になった。こんな未熟なマスターに最後まで尽くしてくれて嬉しかった。なかなか伝える機会がなかったが、本当に感謝している。ありがとう」

 

「マスター……(泣)」

「ふ、ふ~んだ。何よ改まって。それに私たちは三人じゃなくて一人よ。そこは間違えちゃだめなとこなんだから(泣)」

「……マスター。唐突ですがご提案があります。エインヘリヤルとして偉大なる我が父のために働かれる気はおありですか」

「「! 姉さま!?」」

 

「エインヘリヤルに必要なのは武力のみではありません。その存在が精神体であるエインヘリヤルに必要な資質はむしろ心の強さです。今まであなたの近くでその資質を見ていました。確かに戦いの動機は私怨からくるものでしたが、あなたの思いの強さ、そして高潔さは本物です。私の本来の姿は戦乙女故、突然の申し出になってしまいましたが、どうかわが父にお力をお貸しください。

 エインヘリヤルとなりヴァルハラへお越しいただければ、ジャンマリオとして世界に留まりその動向を見つめ続けられることでしょう。わが父に功績を認められれば転生することも不可能ではありません」

 

 少し長い沈黙の後、

「……正直、私にそのような資格があるとは思えない。しかし、世界にこの私のまま留まり再び何らかの機会が与えられる可能性があるというのであれば、君たちに導かれてゆくのも悪くないかもしれない」

「マスター、それでは……」

「行こう。ヴァルハラへ、戦乙女たち、私を導いてくれ」

 

 

 

「お姉さま、あれで良かったの? マスター、いやジャンマリオさん、絶対ヴァルハラのこと良く知らないはずだよ」

「良いのです。いつか来る神々の黄昏(ラグナロク)に備えるため、一人でも多く戦力は必要です。あの人もヴァルハラで鍛え上げれば優れた戦士に成長するはず。それに功績を上げればヴァルハラから下界の情報を得たり、任務で現界することは実際にあり得る話ですし」

「いや、それって人の感覚で一体何千年後の話になるのかな?」

「そして、ジャンマリオさんは毎日殺し殺されながら、鍛え上げられていくわけですね。それは素晴らしいことですよね~(棒)」

「しつこいですよ。良いのです。今回の現界、アーラシュさんを導くことがかなわなかった今、誰か一人はヴァルハラにお連れしないとノルマが……げふんがふん。とにかく、次の召喚に備えて私たちも訓練です。いいですね!」

「「はぁ~い」」

 

 

 

 ヨーロッパ、聖堂教会の一拠点である教会の一室。

 サンクレイド・ファーンが部下の連絡員からの報告を受けている。

 

「なるほど。MIAデスか」

「はっ。最後の足取りは冬木教会へ向かったところで途切れております。そこからはまったく……」

「まあ、言峰綺礼に消されマシタかねぇ」

「おそらくはそうかと。死体などは確認されておりませんが、そのタイミングで召喚したランサーのサーヴァントも姿を消しておりますので」

「フぅむ。致し方アリマセンね。ご苦労でした。そうですか、ジャンマリオはいなくなりマシタか。とても残念デース」

 

 まったく残念ではなく、むしろ嬉しそうな表情でサンクレイドは続ける。

「これで魔術を使える代行者はまた私一人になってしまいましたね~ぃ。とても、……ふふふふ……と・て・も残念で~す。……おほん。さて引き続き冬木の監視を続けてください。ただし、言峰は放置デお願いしマース」

 

「言峰綺礼は粛清しなくてよろしいので?」

「言峰の謎の力は確かに危険なもので~す。しかし、何の対策もなしに粛清しようとしても返り討ちに会うだけ、というのは今回の件で明らかになりました。我々には情報が不足していま~す。監視を続けるほかありません」

「了解しました」

 

「それに、言峰の力は他の目障りな魔術師連中や死徒のような怪物を引き寄せるエサとなります。つられてきた者どもを一掃すれば我々教会の立ち位置も安泰というもの。奴にはせいぜい撒き餌役を担ってもらえばよいのですヨ」

「それより、他の報告に今回召喚されたサーヴァントの中に吸血鬼のような能力と外見を持った者が存在したとか。今後は死徒の動きにも十分目を配りなサイ。場合によっては魔術を使う死徒が出るかもしれません。発見したら、可能な限り消滅させずに捕縛し私の元に連れてくるのです。良いですネ」

「仰せのままに」

 そう言うと部下の連絡員は部屋から退出した。

 

「まだ楽しめると良いのデスがね……」

 サンクレイドは窓の外の景色を眺めながらつぶやいた。

 




お読みいただきありがとうございます。

言峰綺礼と因縁のある人物という設定から生まれたジャンマリオでしたが、こんな結末に。
 北欧の神々等については独自解釈の世界線ということで、もちろんゾンビクッキングのあの人とは全くの別人ですのでw
 
 代行者としてなかなかに面白い魔術を使うジャンマリオでしたが、いかんせん相手が悪かったとしか思えませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話 ウリエ エピローグ

 チリチリチリ……

「う……、ん、うぅ……ん。痛い……」

 

 左腕から伝わってくるひりひりとした痛みに、私は少し瞼を開けた。視界には遮光カーテンの隙間から差し込む陽光の細い筋と、その光が当たった私の左腕からうっすらと立ち昇る煙が見える。まさに虫眼鏡で黒い紙に日光を集中させた時とよく似た感じね。煙が上がっている部分がチクチクして、焦げた肉の様な嫌な臭いが漂ってきた。

 

「熱っぅ!!」

 急に熱さが伝わってきたため、腰掛けていた椅子から勢いよく立ち上がろうとして、椅子ごと後ろにひっくり返り、私は背もたれでしこたま頭を打った。

「ふぎゃっ!」

 椅子に身体が縛り付けられていたから、足に込めた力が斜め後ろに作用したみたいね。

 そう言えばヴラドの奴が私を裏切って、椅子に縛り付けられていたんだった。

 やや記憶が混乱していたけど、少しずつ思い出してきたわ。確か黒木さんに右手首を切断されたような……、右手は戒めから解き放たれていたみたいで、目の前にその手をかざしてみる。

 

「!! 何これ?!」

 驚いたことに、切られたはずの右手首が掌まで再生していた。五指は第二関節の途中くらいまでしかないけど、この様子だと時間が経てば完全に指先まで再生するんじゃないかしら。痛みは全くなく、少しむず痒い。

 こんな再生魔術を習得した記憶は私には全くないんだけど……、一体どうなっているの……

 椅子ごと床に転げたままで、首を右の方に向けると、黒木さんがうつ伏せの状態で床に倒れているのが見えた。

 

「黒木さん! 黒木さん!!」

 声をかけたがまったく反応が無い。まさかヴラドの手に掛かって……

 唯一自由な右手で、縛られたロープを外そうと試みたけど、指が無い状態ではこれほどまでに手とは役に立たないものなのかしら。仕方なく、ロープを緩めようと力を込めて身を捩ると、驚いたことにロープが千切れた。

 

 一体どれくらい時間が経ったのだろう。調度品として置かれていた立派な置時計に目をやると、時計の針は6時過ぎを指していた。カーテンの隙間から差し込む光の感じからすると早朝じゃないかしら。

 

 いや、今はそんなことより、黒木さんだ。

 私は再び名前を呼びながら彼女の身体を揺さぶる。外傷は見られないけど、酷く呼吸が弱まっており、今にも死んでしまいそうなほどに衰弱している。何故そう感じたのかは分からないのだけれど、彼女は肉体ではなく精神が死にかけているように思われた。

 そう言えばヴラドが、彼女に人が耐えうる最上級の催眠をかけた、強力過ぎてもう正気には戻らぬかも知れぬ、とか言っていた気がするわね。

 それが原因なのかしら……、だとするとある種の呪いのようなものなのかも知れない。

 

 どうすれば彼女を救えるのか全く見当が付かない。途方に暮れながら、抱き起した彼女を見ていると、何だか気が遠くなってきた。そう言えば酷く喉が渇いたわ。目の前の彼女の白い首筋が堪らなく愛おしい……

 

「ウリエ=ソフィアリ! しっかりなさい!! 彼女を殺す気なの!!!」

 自分自身の声で叱責され我に返った。何と私は黒木さんの首筋に噛みつき血を吸っているではないか。彼女の命の炎が消えかけているのが分かる。

 私の魔力を彼女に与えれば……今ならそれが出来る気がする。何故かは分からないがそう思った。噛みついたまま彼女に自分の魔力を注ぎ込む。消えかけていた命の炎が薪をくべられた様に勢いを増したのが分かった。

 

 私は彼女をベッドに寝かせると、両手で顔を覆いその場に座り込んだ。

 一体私はどうなってしまったの、これじゃあまるで吸血鬼じゃないの。口を開け、左手で歯を触ってみると、犬歯にあたる部分の歯が異常に尖っているのが分かる。姿見で確認しようとしたけど、そこには何も映らなかった。恐る恐るカーテンの隙間から差し込む日光を左手に当ててみる、酷い日焼けをした時の様に一瞬で皮膚が真っ赤に腫れ、煙が上がった。

 

 信じたくなかったけどもう間違いない。どうやら私は自分のサーヴァントであるヴラド三世によって吸血鬼にされてしまったらしい。そういえばヴラドはどこに行ったのだろう。

 再生された右手の甲を見る。そこに令呪は無かった。

 そう言えば、自分の魔力がサーヴァントに供給されているという感覚がなくなっているわね。裏切られたとはいえ、私が生きている限りサーヴァントの方から契約を破棄することはできないはず……、そうなると何らかの理由によりヴラド三世は消滅したと考えるのが妥当かしら、私にこんな置き土産を残して……

 元凶であるヴラドが消滅しても、その呪い(敢えて呪いと言わせてもらうわ)が消えないということは、恐らく私はこれからの人生を吸血鬼として生きていかなければならないということなのかしら……

 でも本当に黒木さんの血を吸い尽くしてしまわなくてよかった。そんなことになっていたら私は本物の怪物になっていたに違いないわ……

 

 その後、私は自分の身体の変化を確かめた。

「はっ!」

 手をかざして魔術を行使してみる。イメージ通りに空中に魔法陣が描かれた。

「やっ!」

 マギシェス・ゴルドを取り出し空中にばら撒いてみる。特に問題なく機能している。というか、以前よりも魔力の行使が洗練されているような感覚すら覚える。何か少し楽しくなってきた。

 

「沸き立て、我が血潮! ……あれ?」

 唯一、ヴォールメンハイドラグラムだけは起動できなくなっていた。元々ケイネス義兄様に私の魔力に合うよう調整していただいたものだったのだけど。吸血鬼になってしまったことで、魔力の質が変調してしまったのかしら。

 お義兄様との繋がりが切れてしまったようで寂しいけれど、私も独り立ちすべき時が来たってことなのよね……、いや、待てよ、それどころか、吸血鬼になったことで、今後私はソフィアリ家に戻ることも出来なくなったのでは……

 

 吸血鬼は死徒と呼ばれ、聖堂教会から排除対象として付け狙われる存在。一族から死徒を出したとなるとソフィアリ家にも何らかの悪い影響が及ぶことは想像に難くない。お父様やお兄様に迷惑をかける訳にはいかないわ。私はこの聖杯戦争で行方不明になったことにするのが最良の策なのではないか……

 

 吸血鬼とは不死の存在。魔術も今まで通り行使できるし、これからは好きなだけ時間をかけて魔術の探求に明け暮れることができる。右手が再生したのもきっと吸血鬼の能力なのだわ。そう考えると決して悲観的なことばかりではない気がするわね。そうそう、吸血鬼の能力も探求しないとね。

 

「……う、うう……」

 ベッドから呻き声が聞こえた。どうやら黒木さんが意識を取り戻したみたい。

「黒木さん、大丈夫? 私のこと分かる?」

 私は彼女の顔を覗き込んで訊ねた。

「ウリエ様……。あの……私、一体どうしたんでしょう……。身体がすごくだるくて……起き上がれないの、です……、ここはウリエ様のベッドなのですか……? ごめんなさい、すぐに……あっ……痛……頭が……くぅ……はぁ、はぁ……」

 苦しそうにのけ反り、口で呼吸をする彼女の口元からは、私と同じような牙が見えた。

 

「喉が渇いているのでしょう。ごめんなさい、私のせいで無関係なあなたまで巻き込んでしまった」

 私は右腕を差し出し、言う。

「さぁ、私の血を飲みなさい。これは私とあなたの血族の誓いよ」

 彼女は私の腕に噛みつき、乳飲み子の様に夢中で血を啜った。私は今まで感じたことの無いような快感に浸っていた。

 

 暫く私の血を飲んだ後、黒木さんは再び眠ってしまった。きっと彼女の中でも色んな変化が起こっているのでしょうね。

 何があっても彼女を守らなければ、ソフィアリ家の名を捨てる私にとって、恐らく彼女は唯一の家族と呼べる存在なのですもの。

 

 彼女が目を覚ましたら今後のことについて話をしましょう。どのみち日が暮れるまでは身動きが取れないのだし、時間はたっぷりあるわ。そう考えていると、この部屋に近づいてくる誰かの足音が聞こえてきた。普段ならこんな音は聞こえないと思うのだけど、恐らく吸血鬼は聴力も人間を上回っているのね。

 

「はい、三一階のレストランにも誰も居ませんでした。これより最上階三二階を調べてみます。スイートルームフロアのようです」

「まったく、どうなっているんだ。気味が悪いな」

 通信機で話しながら二名の男性が近づいて来る。このホテルで何か問題が発生しているのかしら。でも、マズイわね、黒木さんが見つかったら色々面倒なことになるわ。

 

 コンコン……、ノックの後ドアノブをガチャガチャする音がし、それに続いて、合鍵を使って鍵を開ける音がした。

 部屋の電気は消しておいた。驚いたことに電気を消した方が、周りが良く見える。私は部屋の真ん中に立ち、侵入者を待った。

「おい、真っ暗だぞ。明かりのスイッチはあるか」

 最初に入ってきた男性が、手にした懐中電灯を灯し部屋の中を照らす。明かりが私を捉えた。

「うわっ、誰だ!」

 人が宿泊している部屋に勝手に入ってきて、誰だ! もないと思うけど、まぁ真っ暗な部屋の中に人が立っていたらこういう反応になるわね。

 

 私は懐中電灯を持つ男性の眼を見据える。私と目が合ったその人は虚ろな表情となり、手にした懐中電灯を落とした。

 服装から、最初ガードマンかと思ったけど、腰に拳銃を携帯しているから警察官のようね。

「おい、大丈夫か! 貴様何をした」

 床に転がった懐中電灯の明かりが、私の方を向いたままだったため、私を認識したもう一人の警官が、警棒を構えて私に飛び掛かって来た。流石に相手が誰か分からないのに、いきなり拳銃をぶっ放したりはしないわよね。

 私は警棒をあっさり躱すと、相手の懐に潜り込み、左手でその男性の顎を下から鷲掴みにして、顔をこちらに向けさせた。凄く身体が軽いし、相手の動きも良く見える。力もかなり強くなっている気がするわ。

 相手の眼を見つめながらこう念じる、

「この部屋には誰も居ませんでした。何も異常はありません。と報告しろ」と。

 

 ヴラドが、相手の眼を見て催眠をかけ、人を操ったり、相手の考えを読み取ったりしていたから、私にも出来るのではないか。

 呆けた表情で立ち尽くしている、最初の警官にも同じ暗示をかけると共に、少し考えを探ってみたが、慣れないせいなのか、既に暗示をかけた後だったからなのか、何も読み取ることはできなかった。

 仕方がないので、二人を部屋から追い出し、私は別の能力を試してみることにした。

 

「コウモリ、コウモリ、コウモリ……」

 眉間に皺を寄せ必死に念じる。 ボンッ!! 

「やった、コウモリに変わった!」

 ボトッ! 胸の高さ位から床に落下し全身を床に打ち付けた。

「いたた……、変身したのはいいのだけれど、これ自力で飛ばないといけないのね。飛んだことないから、コツが分からないわ」

 その後、一時間ほど自主的飛行訓練に費やし、やっと飛び方のコツが掴めてきた。

 

 そうこうしているうちに、再び黒木さんが目を覚ました。

「よかった、気分はどうかしら」

「えっ? コウモリが喋った?」

 彼女は頭上を飛び回るコウモリ(つまり私)を目で追いながら、驚きの声を上げる。

 

「あっと、失礼」

 私は変身を解き、地上に降り立った。

 そして、黒木さんに今までの経緯を包み隠さず話すことにした。

 自分は魔術師で、日本で開催される魔術師同士の戦いに参加するために冬木に来たこと。自分の僕として召喚した吸血鬼に、知らず知らずのうちに怨みを買っていたこと。その吸血鬼の呪いを受け、自分も吸血鬼にされてしまったこと。死にかけていたあなたを救いたくて自分の血を分け与え、あなたまで吸血鬼にしてしまったこと等々。

「無関係なあなたを巻き込んでしまったのは、完全に私の落ち度です。でも、あなたを救いたかったのは本当なの。これからどうやって償えば良いのか、正直全く分からないのだけれど……」

 スッと、私の手の上に彼女の手が重ねられた。

「ウリエ様が私を助けてくださったのは、何となくですが分かっています。あなた様は本当にお優しい方ですから……

 一年後にあなた様にお仕えすると申し上げましたが、予定が少し早まっただけ、これからウリエ様が向かわれるところがどこであろうと、私がお供いたします」

 感動して目頭が熱くなった。吸血鬼も感動するのね。まぁ、元々私なのだから、吸血鬼だって私は私、何も変わっていないのよ。

 

 私は今日、日没と共にここから旅立つことを彼女に提案した。

「それまでにコウモリに変身する方法をマスターするようにね。やり方は……そうね。コウモリ、コウモリと強く念じる、変身、落ちるからすぐ羽ばたく、後は羽ばたき続ける。ね、簡単でしょ」

「は、はぁ……」

 私は彼女の目の前でお手本を見せる。

「なるほど、やってみます」

 

 彼女が練習している間に、私は状況偵察に行くことにした。コウモリの姿でホテルのロビーを目指す。目的の場所に着くとシャンデリアに張り付き。下の様子を伺った。

 ホテルの前には警察関係の車両が数台停まっているようだ。話を盗み聞きする限りでは、契約している業務用食材の卸業者がホテルを訪れたが、従業員はおろか宿泊客すら誰も居ない事を不審に思い、警察に通報したということらしい。

 警察が全館調べたが、ホテル全体がもぬけの殻、そのくせ、宿泊客の荷物だけは残されており、何が起こったのか全く理解が及ばず頭を抱えている状況のようだ。

 

「ヴラドの奴が何かしたに違いないわ。またえらく派手にやらかしたものね。恐らく従業員も宿泊客も無事ではないのでしょうね。これだけの人的被害となると流石に聖堂教会でも隠蔽のしようがないんじゃない。決して真実が明かされることのない怪事件ってとこかしら……」

 私はため息をつくと、部屋に向かって飛び去った。

 

 部屋に戻ると、部屋中を縦横無尽に飛び回るコウモリがいた。

「あっ、ウリエ様お帰りなさい。これ楽しいですね、あはっ」

 この子、私よりずっとコウモリの才能があるわね……

 

 その後、今夜の出発に向けて荷物を整理する。あまり大きな物は持って行けない。小ぶりのバッグに収まる程度まで荷物を選別した。

 

 夜、月の光に照らされながらホテルの屋上に佇む二人。

「ウリエ様、右手の具合はいかがですか」

「ええ、もう指先まで完全に再生したしすっかり元通り、動きにも何も支障はないわ。慣れればこんなに時間を掛けなくても再生できるのかも知れないわね」

 私は右手を月にかざし、指をワキワキと動かした。

「それは良かったです。ところで、どこか行き先の当てはあるのでしょうか」

「私には、もう一度会いたい人がいるの。その人に所縁のあるインドかアメリカに行って、その人の聖遺物を探したいと思っているわ。

(でもあの暗殺者は中国人だったかしら……)

 そうね、取りあえず香港辺りを目指しましょうか。あなたにも世界一周旅行という夢があるのでしょう。時間はたっぷりあるわ。一緒に世界を巡る旅と洒落込みましょうよ」

「はいっ!」

 

 その夜、小さなバッグをぶら下げた二匹のコウモリが、冬木ニューハイアットホテルの屋上から飛び去っていった。

 

 

 …………余談

 

「ウリエ様、すみません。私小さな荷物しか持てなくて……」

「そんなこと気にしなくていいわよ。お互い出来ることをすればいいじゃない」

「それと、あの……」

「ん?」

「ウリエ様、ちょっとコウモリとしては大き過ぎるのではないでしょうか……」

「えっ!? そうなの?」

「そんな大きなコウモリ、アフリカとかにしか居ないのでは……、いや、アフリカにも居ないかも……、ちょっと目立ち過ぎているかもです……」

「ガーン!! もう一回一から練習し直しますわ……、しょぼーん……」

 

 

 閑話休題

 

 ロンドン、時計塔……

 

 ロードエルメロイⅡ世が、個人的に入手した書類、成立しなかったとされる聖杯戦争の報告書を眺めている。

「ふむ、今回の聖杯戦争は無効。参加した7人の魔術師は3名が死亡、1名は再起不能、1名は……そもそも魔術師ですらなかったのかも知れないが、魔術の世界から完全に脱却、2名が行方不明……か」

 テーブルの上に置かれたタバコに手を伸ばし、火を着ける。一度大きく息を吸い込み、紫煙を口から吐き出した。

 

「で、ウリエ女史は、この行方不明者のうちの一人とされている、と。

 当然ソフィアリ家からは捜索願いが出されているが、未だ発見には至っていない。

 彼女の宿泊していたホテルは従業員、宿泊客全てが行方不明。誰一人として発見されていない。特に彼女の宿泊していた部屋からは大量の血痕が見つかっており、あまつさえそれは彼女の血液と合致する。状況判断としては、死体が発見されなかっただけで、死亡したものと考えるのが妥当だが……」

 エルメロイⅡ世は、テーブルの上に置かれた小包に視線を移した。

「だとしたら、これの説明が付かないな」

 吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。

 

 小包は、時計塔内ロードエルメロイⅡ世様宛てで、中に入っていた容器には、驚いたことにヴォールメンハイドラグラムが収められていた。配達元はどうやら香港。差出人は不明。そして……

「正当な所有者にお返しください」

 と書かれた一枚の手紙。

「まったく、聖杯戦争はどこまでも私の心をざわつかせるな」

 エルメロイⅡ世は再びタバコの箱に手を伸ばしたが、箱が空っぽなことに気付き、そのまま箱を握り潰した。

 

 8年後……聖堂教会報告書より……

 

 死徒によると思われる被害報告のあったアメリカ支部において、調査に当たっていた二名の代行者の手によって、吸血鬼二体が浄化された。

 うち一体は魔術を行使し、黒鍵の投擲を無力化するなど、魔術師上がりの死徒と思われ、逃げに徹していれば仕留めることはできなかったと推察されるが、片割れを浄化されたことにより逆上し、最後まで逃げようともせずに戦い続けたとのことである。

 これにより代行者一名が重傷を負ったが、浄化は問題なく遂行された。

 




 お読みいただきありがとうございます。

 高慢ちきで自信家、実力が伴っていないケイネス=エルメロイみたいなイメージで、一、二番目に脱落すると思っていましたが、意外に(ダイス)運が良く、最後まで生き残ることに。
 途中からは何となく憎めないキャラになっていきました。本人も納得の終わり方かと思います。

 皮肉なことに人間として最も成長したのはこのウリエではないでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話 桐生空 エピローグ

 数年後、桐生空は生きていた。

 ただ死んでいないというだけであったが、確かにその命を繋いでいた。

 

 彼女は某県の障碍者施設に収容され、死んでいるとも生きているとも言えない日々をただ過ごしていた。

 誰が話しかけても一切反応がなく、介護の者が手を貸さねば食事すらとろうとしなかった。その瞳からは完全に光が消え失せ、まさに生ける屍と表現するにふさわしいありさまだった。

 

 そんな施設で一つの事件が持ち上がった。

 桐生空の妊娠が発覚したのだ。

 

 生ける屍と言える空が自我を現すことはなかったので調査は難航したが、やがて相手が誰であるかが発覚する。

 相手はこの施設の若い男性職員の一人であった。

 本来は美少女と言える空である。きちんと身なりを整えると、たとえ廃人であろうとも若い男の劣情を刺激するには十分な容姿だった。物言わず抵抗もしない少女が男の性のはけ口にされたのであろう。誰もがそんな下卑た顛末を想像した。

 

 当然その男は懲戒解雇の上、逮捕されることとなった。

 しかし男は、警察の事情聴取で錯乱したようにこう供述した。

 以下は、供述調書の内容である。

 

「あの少女は独りになると誰かと話しているように独り言を呟いていたようでした。何を話しているのかが気になったので一度隠れて様子を伺いました。普段能面のようにまったく感情を表すことがない彼女が、時折笑顔を見せながら「ちう」という架空の自分の妹と日常的な、本当にどうってことのない会話をしているようでした。この子は本来こんな感じで笑う娘だったのだろうなと思って眺めていたら、次第に意識が遠のいていきました。

 その後のことはまったく記憶に残っていません。本当です、信じてください」

 

「もっとましな言い逃れがあるだろう」とは、聴取にあたった刑事のコメントである。

 

 一方、空が暮らす施設では彼女の処遇について頭を悩ませていた。

 問題は「身ごもっている子供をどうするか」という事なのだが、たとえ生んだところで空に育てる力がないことは明らかであり、本人の意思に反しての妊娠であることもほぼ間違いないため、法的また倫理的な観点から施設内外で議論された後、最終的に堕胎が最善と結論づけられた。

 

 ところがここで空自身が思わぬ反応を見せる。何をされても何の反応も示さない空が、こと身ごもっている子供の事となると強烈な反応を見せるのだ。

 まるで医師たちが堕胎を計画していることを知っているかの如く、爪を立て歯で噛みつきまるで野獣の様に抵抗するのだ。

 

 これには職員たちもほとほと手を焼き、生まれてきた子供は別の施設で育てるしかないかと話し合っていた。

 

 そしていよいよ臨月が近づいてきた12月24日。桐生空は忽然と施設から姿を消した。職員たちの必死の捜索にも拘らず彼女は発見されることがなかった。

 

 以来、桐生空の消息は知られていない。

 

 




 お読みいただきありがとうございます。

 普通の女子高生、実は間桐のマスターということだけ決まっていた空。
 他の設定はゲームが進行するに伴い追加され、リプレイ小説にする際もこの娘が一番難産でした。
 彼女の結末はダイス目が最悪で・・、ごめんな空。

 ストーリー全般を通して圧倒的ヒロイン力を発揮していた空でしたが・・・どうしてこうなった・・・。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話 ツヴァイ エピローグ

 アインツベルン城の大広間に立つ、当主ユーブスタクハイト=フォン=アインツベルン。

 今、その目の前に二体のホムンクルスにより氷の棺が運ばれてきた。

 中には先の聖杯戦争で死亡したホムンクルス「リセ」とイリアスフィールのクローン「ツヴァイ」の遺体が収められている。

 

「此度の聖杯戦争、こやつらが勝利できるとは端から思っておらなんだが、セイバーと戦ったのみで、初戦であっさり敗退し、最初の脱落者となるなど、情報収集にすらなっておらぬわ。

 あまつさえ儂の許可なくクローンの体内から小聖杯を取り出すなど、クローンのみならず、リセ自身も欠陥ホムンクルスだったということか」

 アハト翁は二人の遺体を見下ろしながら、忌々しそうに吐き捨てた。

 

「それにしても一体どうやって小聖杯を母体から切り離したというのか……、クローンの胸にある傷痕は戦闘によるものではなさそうじゃが、あのサーヴァントにそのようなスキルが備わっていたということなのか……

 そもそも、何故リセがそんな行動に出たのかが全く理解できん。クローンの育成をこやつ一人に任せたところから、何かが間違っていたのかも知れんな。

 次回に活かす情報など特になかったが、供のホムンクルスを厳選し複数とすること、監視の目を強め、報告を密とさせることとしよう。

 しかし、最終的にこやつらを倒したセイバー陣営が勝ち残ったらしいが、特に願望を成就させるでもなく、マスターは廃人同然の有様と訊く……

 間桐めが、此度の聖杯戦争は、次回聖杯戦争の前哨戦とし、正式な儀式としては扱わぬと言ってきたが、全くもって解せぬな……」

 アハト翁は瞼を閉じ、眉間に皺をよせた。

 

「まぁよいわ。さて、そやつらだが、クローンについては解剖し、分析する故、そのまま保存しておけ。せめてそれくらいの役には立ってもらわんとな。

 召喚に用いた聖遺物も同じ棺に納められていたそうだな。不可解な……聖堂教会の仕業とは思えぬな。そもそも何故こやつらは二人揃って同じ棺に納められておるのだ。

 状況からみて氷の棺はリセの為にクローンが作ったのじゃろうが、その棺にどうしてクローン自身が納まっている。誰かは知らぬが、わざわざ死亡したクローンと聖遺物を棺に運び入れたとでも言うのか。

 我々からすれば労せず検体と聖遺物を回収できたのだからありがたい話じゃが、無知とは実に恐ろしいものよな。

 早々に敗れた弱小サーヴァントではあるが、またいつか使い道があるやもしれぬ。聖遺物は保管しておけ。役立たずの欠陥ホムンクルスの亡骸は処分せよ」

 棺を運んできたホムンクルスたちは、恭しく頭を下げると、再び棺を運び出した。

 

 

 

 冬木の中心から少し外れた場所にある、誰も住む者のいない洋館。

 門の扉は片方外れたままとなっていて、敷地内は雑草がのび放題という荒れ具合である。日中ですら誰も訪れる者もないであろうこの屋敷の前に、今宵はサイドカー付きとそうでないもの、二台のバイクが停められていた。

 月明かりに照らされた建物の外壁は、本来の輪郭が分からないほど蔦が生い茂っている。館の玄関の戸が開いており、内壁を照らす複数の懐中電灯の明かりが不規則に動いていた。

 

「おい、帰ろうぜ。俺そもそもこういうの苦手なんだよ」

 ガタイの良い男性が、身体に似合わないほど小さな声で囁く。

「あれ~、ケンくんビビってんの? いつもは、俺に怖いものなんか何もないとか豪語してんのに、おっかし~」

 派手なメイクをした茶髪の女性がケラケラと笑う。

「いや、それとこれとは別だろ、大体なあ……」

 明らかに、来たくもない場所に無理矢理連れてこられた感を漂わせていた男性が、不機嫌そうに反論しようとしたそのとき。

「うわっ!」

 もう一人の背の高い男性が、突然叫び声をあげた。

「「わっ!!」」

 男性の声に驚いた二人も声を出す。

「何だよ、急に。びっくりさせんなよ」

「今、俺の首筋を何か冷たいモノが触ったんだけど……」

 叫び声をあげた男性が首筋を撫でると、

 ざらっ……

 皮膚の表面が薄く凍っている。

「うわっ、何だよ、これ!」

 

「デテイケ……」

「ねぇ……、今……何か聞こえなかった?」

 さっきまでは、笑っていた女性も流石に青ざめた表情で二人に尋ねる。

 

「デテイケ!!」

 今度ははっきりと女の子らしき声が聞こえた。

「「「ぎゃあ~~~!!!」」」

 三人は同時に悲鳴を上げ、転がるように入り口に向かって走り出す。やがてエンジン音がし、急発進したバイクのテールランプが遠ざかっていった。

 

「まったく、玄関の扉ちゃんと閉めていってよね」

 半透明の少女はそう呟くと、ふわふわと寝室に戻る。

「ママ、やっと帰ったよ、どうして人んちに勝手に入ってくるのかな」

「確かに、最近多いわね」

 ママと呼ばれた半透明の女性が肩を竦める。

「ねぇ、ママ。あたしたちここに居てもいいんだよね」

「このお屋敷は、アインツベルンの所有物だから、他の人から出て行けと言われることはないと思うわ」

「よかった。ジャックが帰ってきた時、あたしたちがここに居ないと可哀想だもんね」

 少女はそう言うと勢いよくママに抱き着いた。

「もう、ツヴァイは甘えん坊さんね」

 ママは少女の頭を撫でるとにっこりと微笑む。

 その顔を見て、ツヴァイと呼ばれた少女は満面の笑みを浮かべた。

「ママ……、これからはずっと一緒だよ……」

 

 市街地の外れの廃屋に幽霊が出るらしい、オカルト好きの若者たちの間では結構有名な心霊スポットとなっていた。

 不法侵入者は暫く後を絶ちそうにない……

 




お読みいただきありがとうございます。

ツヴァイ、ウリエ、アーラシュ、沖田総司は中の人(担当プレイヤー)が同じだったのですが、ツヴァイには一番活躍し、幸せになって欲しかった。でもあまりにも(ダイス)運が悪く早々に脱落。でも、死んでからは幸せっぽいね。

ツヴァイは見た目がイリヤとほぼ同じで、ステイナイトのイリヤよりも素直でいじらしい子でした。引いたサーヴァントがジャックという事もあり、割と優勝候補だったはずなのに残念な事でした。まあ、聖杯戦争でまともな幸せが得られるかというと・・・ですが。



次話が最終話になります。どうか最後までお付き合いくださいませ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話 (最終話) 李星、李月 エピローグ

 ジンが入院していた病院は、元々は地元の医療法人が営んでいた一般の病院だった。それをジアンユーが非合法的な手段で乗っ取り、私たちが治療を受けられるようにサイバネティック医2名が派遣されていた。

 

 そういう意味では、ジアンユーがこの聖杯戦争に懸ける熱意は、本物だったと言えるのだろう。

 ただし、病院を運営するための医療関係者をそっくり入れ替えることまでは流石に無理だったようで、病院長をはじめとする運営のトップに当たる人々が挿げ替えられ、特殊医療科なる私たちだけの為の部署が新設された。この時、正にジンはそこで治療を受けていたのだ。

 

 ジアンユーには、真剣にこの病院を運営するつもりなど端からなく、聖杯戦争が終われば引き払う程度の考えだったため、新しい運営陣と現場で働く医療従事者の軋轢は、病院の維持に支障をきたす程酷かったらしい。

 

 そこに来て十二色旗の幹部が軒並み死亡、ましてや実質ワンマン経営状態のトップだったジアンユーが急逝したため、病院の管理を任されていた運営陣は早速この病院から撤退することを決定した。

 

 突然の廃院決定に、入院患者や現場で働く職員は大混乱で、ジンにも早急に退院するよう病院から通知がなされた。

 実際ジンの治療に当たっていたサイバネ医は早々に姿を消しており、現実にこれ以上の専門的治療は望めなかった。

 ただ、ジンの回復が予想以上に順調で、本人も早く退院したいと言っていたのが、不幸中の幸いと言えた。

 

 ちなみに、クガイとの一戦でガトリングガンに変化させた私の左腕は、表面を覆っていた皮膚が失われ、形状は手には戻っていたが、チタン製の銀色の義手となっていた。

 ジンに至ってはクガイとの初戦で皮膚を失ってからずっとそんな状態なのだ。

 元々覆われていた皮膚には、魔術的な効果により内部の物質が金属探知機に引っかからないような艤装が施されており、一度使用し失われた皮膚は、元に戻すのにそれなりの技術と手間と費用が必要となる。その為、ジアンユーには聖杯戦争が継続している間、私たちの左手を覆っていた皮膚を元の状態に戻すつもりなどなく、医者にもそういう指示が出されていたのだと思う。

 よって現在私たちの左腕は、義手を隠すためにぐるぐると包帯が巻かれただけの状態だった。ジアンユーが死んだ今、恐らく一生このままなのだろう……だって私たちにはどうすることもできないのだから……

 

 いよいよ明日退院という刻限が迫り、私はジンに全てを話すことを決意した。

 

「なんか、ここ数日落ち着かねぇのな。時々怒鳴り声とかも聞こえるし、病院って静かにしねぇといけない場所じゃねえのかよ。まぁ、俺はすぐにでも退院したかったから、病院が退院しろって言ってくれるのは正直ありがたいけどな」

「ここは実質ジアンユーが運営していた病院だから……。ねぇ、ジン。私、今からとても大切な話をするから、真面目に聞いてくれる」

 私はジンのベッドの隣に座り、ジンの瞳を真っ直ぐ見据えてそう言いました。

 

「何だよ、改まって……。顔、怖ぇよ」

「ちゃかさないで。これからする話は……そう、アーラシュのこと……、あと、これからの私たちのこと……」

 アーラシュの名前を聞いてジンの表情が変わった気がします。

「わかった、聞くよ」

 ジンも真面目な顔をして私の話を聞く姿勢を示します。

 

「ジンは、急に退院してくれって言われても喜んでるけど、退院させられるのは、ジンだけじゃない。今この病院に入院している人は全員退院を求められているの」

「俺はいいけど、病気で入院してる人とかもそれでいいのか」

 素朴な疑問が口をつく。

「よくないよね。どうしてこんなことになったのか……理由はこの病院が閉鎖されるから。さっきこの病院は、実質ジアンユーが運営しているって言ったけど、それができなくなったから、閉鎖されることになったの」

「できなくなった……って?」

 ジンが首を傾げる。

 

「ジアンユーは死んだの」

「えっ!!?」

 ジンは目を見開き、口を開いたまま数秒間固まった。

「ジアンユーが、……死んだ? ……どうして? あんな奴殺しても死なないだろ」

 ジンの反応は、私にも理解できた。もし、立場が逆だったら、私だってきっと同じ反応をしたことだろう。

 

「アーラシュがやったのよ」

「嘘だろ。アーラシュ、すげぇよ、英霊ってそんなことまで出来るのかよ。頼んだお遣いってそのことだったのか。で、アーラシュは何時帰ってくるんだよ、どうやったのか詳しく聞きてぇなぁ」

 先ほどとは打って変わって興奮し、唾を飛ばしながらジンは捲し立てます。

 

「違うのっ!!」

 突然私が大きな声を出したので、ジンは驚いて黙りました。

「私たちに自由を与えるため、ジアンユーによる見えない呪縛を打ち砕くために……、アーラシュは……アーラシュは、自分の命と引き換えに宝具を使ってジアンユーとその一味を一掃してくれたのよ!」

 私の眼からは堰を切ったように涙が溢れ出しました。

 

「ええっ!!!? 命と引き換えって何だよ……アーラシュが死んだってことなのか、意味わかんねぇよっ! ユェッ! お前、そんな事アーラシュに頼んだのかよっ!!」

「馬鹿っ!! そんな事、私が頼むわけ無いじゃないっ!!」

 私も感情的になり、椅子から勢いよく立ち上がって、ベッドを両腕で叩きました。

 

「頼むわけ……ないじゃない……」

 その時、内ポケットに入れていたアーラシュの手紙がふわりとベッドの上、ジンの左手の近くに落ちました。

 

「あっ!」

 私が手を伸ばすよりも早く、ジンがその手紙を拾い、ぎこちない仕草で広げて読み始めます。

 

「……何だよ……あいつ恰好良すぎるだろ……ちくしょう……馬鹿やろう……」

 ジンの眼からも、止めどなく涙が流れ落ちました。

 

「ユェ、酷い事言ってすまなかった。俺が意識を失っている間に、お前には随分辛い想いをさせていたんだな。今まで黙っていたのも辛かったよな」

 ジンらしくない優しい言葉に少し胸がキュッとなり、私は黙って頷きました。

 

 

 もうこの世界にアーラシュは居ない。

 そして、私たちを縛り付けていた鎖も無くなった。

 これからの身の振り方は、自分たちで考え決めなければならない。

 私たちは改めてこれらのことを再確認しました。

 

 

 

 翌日、ジンは退院し、行く当てのない私たちは、ひとまず拠点としていた洋館に戻りました。

 

 今までは、活動資金として、ジアンユーから指定口座に振り込まれるお金を使ってやってきましたが、今後その口座に追加の資金が振り込まれることはないでしょう。それどころかいつ口座が閉鎖されてもおかしくないのです。私は口座に残っていたお金を全額引き出しました。

 

 こうやって改めて考えてみると、自分たちがいかに籠の鳥だったのかを痛感させられます。ジアンユーを憎みながらも、彼の庇護を失くしては生活すらままならない。

 今のこの屋敷だって、何時出ていかなくてはならなくなるか分かりません。

 

 その日の夜、買ってきた夕ご飯を食べ終えた後、私は客室でジンと今後のことについて話をすることにしました。

 そう言えば、この場所でアーラシュ、ジャンマリオさん、ワルキューレさんたちとお話しをしたんだっけ、ジャンマリオさんとワルキューレさんたちはどうしているんだろう。

 

「ねぇ、ジン。今あるお金を使い果たしたら、いよいよ私たちは食べ物を買う事すらできなくなるわ。何か方法を考えないと……」

 泣き言は言いたくないけど、アーラシュが居なくなった今、私たちには頼れる人が誰も居ないのです。ジンは今の状況をどう考えているのでしょう。

 

「なぁ、俺達には身体に叩き込まれた戦闘技能(スキル)があるじゃねぇか。日本にだってマフィアはいるんだろ。そこに売り込めば、すぐにでも雇ってくれるんじゃねぇか。俺、片手になっちまったけど、左腕の火器はまだ使えると思うし、お前のサポートくらいなら余裕でこなせるぜ」

 ジンの言葉を聞いて私は心底落胆しました。せっかくジアンユーから解放されたというのに、彼は以前と同じ道を歩もうと言っているのです。引っ叩いた方がいいのかしら、ねぇ、アーラシュ……

 

 私が、これ以上ないくらいに呆れた視線を送っていることに気付いたのか、気付いていないのか、彼は不意にこんなことを言い出しました。

「いや、ちょっと待てよ……、なぁ、ユェ、もう一度アーラシュの手紙を見せてくれねぇか」

 私が手紙を渡すと、ジンはもう一度その内容をじっくり読み返しています。そして、

「すまん、ユェ、俺の顔を思いっきり引っ叩いてく、うえ?」

 バッチーィンッッ!! 

 

 実際そうしようかと直前に考えていたこともあって、ジンのセリフが終わるか終わらないかというタイミングで、私は右の掌でジンの左頬をぶっ叩いていました。

「痛ってぇ!! ちょ、お前叩くの速すぎねぇ!?」

「ジンが馬鹿みたいなことを言うから悪いんです。折角アーラシュが命懸けで私たちを陽の当たる場所に導いてくれたのに、自ら暗闇に戻ってどうするんですか。また同じような事を言ったら、今度は往復で叩きますよ」

 私はジンを睨みつけながらそう言いました。

 

「あぁ、今のは俺が悪かったよ。マフィアの用心棒やってて幸せが掴めるはずねえもんな。それに、アーラシュに合わせる顔がねぇよ……。二人で力を合わせるってとこだけ合ってたけど、他は全部間違ってた」

 ジンは素直に過ちを認め謝ってきました。

 

「私は二度と左腕をあんな醜い形に変えたいとは思わない。

 まったく……、こんな忌々しい能力(ちから)に頼らなくても、二人で力を合わせれば、他にもっと良いやり方があるはずよ。私たちはこの世界でたった二人だけの兄妹なんだから。でも、自分でそこに気付いてくれて良かったわ。流石ね、お兄ちゃん」

 

「そうだな……って、えっ? えっ?? お前……、どうしてそれを……」

「そんなこと、ジアンユーの施設にいた時から気づいてたわ。それにクガイとの戦いの時、俺は妹を守るんだー! とか絶叫してたじゃない。その後すっかり忘れてたみたいだけど。恰好良かったよ、お兄ちゃん」

 

 ジンは耳まで真っ赤にして左腕で顔を隠し、

「マジか。お前が気付いてたなんて俺全然気が付かなかったよ。しかも、俺お前の前でそんなこと言ったの。恥ずかし過ぎるぅ」

「お兄ちゃん、お兄様、ジン兄さん。どう呼べばいい?」

「今まで通りジンでいいよ、やめてくれ、頼むから」

 例の妹発言からジンが目を覚ますまで、散々モヤモヤさせられた鬱憤を晴らすように、私はひとしきりジンをからかって遊びました。

 その後、特に良い案は浮かばなかったのですが、明日から二人で一緒にできる仕事を探すということになりました。

 

 

 

 ……が、

 

 二週間程、毎日足を棒の様にして二人で仕事を探しましたが、私たちを雇ってくれるところなど、どこにも有りませんでした。

 そもそも、ジンは片腕のうえ、日本語が全く話せず、私もごく日常的な会話を片言で話せる程度で、相手の言っていることが全て理解できるわけではありません。加えて私たちは、自分の身分を証明できるものを何も持っておらず、自分たちの生年月日すら正確には知らないのです。

 それに後から知ったのですが、本来私たちの年齢ならば、日本では義務教育という制度で学校に行っているのが当たり前で、こんな子供に仕事をさせると法律で罰せられるのだそうです。

 

 世間知らずな私たちが、考えていたほど現実は甘くはありませんでした。

 段々とお金も無くなっていき、私たちは会話も減っていきました。

 

 今日も何も進展はなく、お財布の中にはもうコインしかありません。疲れた足を引きずって屋敷に向かう道すがら、ジンが私に言いました。

「なぁ、やっぱり俺がマフィアの用心棒をするよ。ユェがそんなことしたくないのは分かってるからさ、お前は今までどおり普通の仕事を探せよ。お前独りの方が雇ってくれるところ見つかるかも知れないし、見つからなかったら家のことをしてくれるだけでもいいぜ。

 お金は俺が稼ぐから、俺はお前のお兄ちゃんなんだ、妹ひとりの面倒くらいみれなくてどうすんだよ。あぁ、俺がもっと頭が良けりゃなぁ。日本語って難しいんだよ、俺も元々は日本人の筈なのになぁ」

 

 前にジンに今度こんな馬鹿なこと言ったら引っ叩くと言いましたが、私はただ俯くことしかできませんでした。だって、ジンが本当はそんなことしたくないと思っているのは痛いほど伝わって来たから。

「アーラシュには悪いけど、二人で飢え死にとか、それこそ何やってるんだって話だろ。ははは……」

 

 ぐぅ~~。

 その時ジンのお腹が鳴りました。

「なんか、さっきからちょっといい匂いがすると思ったら、この道ってあの時の屋台の近くの道なんじゃねぇか、その角曲がったらあのラーメン屋じゃなかったっけ」

 角を曲がると本当にあの時の屋台がありました。

「二人分のお金がもうないよ」

「一杯だけ頼んで二人で分ければいいじゃんか」

 ジンに引っ張られて屋台に入ります。時間が早かったせいか、まだ他にお客さんは居ませんでした。

 

「いらっしゃい! っておや? あんたら前に来た帰国子女の、今日はイラン人のお兄さんは一緒じゃないのかい。

 おいおいっ! あんたその右手どうしちまったんだい。左手も包帯だらけじゃないか。もしかして、あのお兄さんに酷い目に遭わされたのかい」

 屋台のおじさんは私たちのことを覚えていたようでした。ジンはおじさんが何を言っているのか分からずにキョトンとしています。

 私は、私たちのことを覚えている人が居たことが嬉しかった。

「アノ人、私タチの恩人。悪イ人カラ、マモテクレタ。デモ、モウ居ナイ。オネガイ、助ケテクダサイ」

 

 言いたい事が伝わるのか分かりませんでしたが、精一杯話しました。

「お腹空いてるだろう。今ラーメン作ってやるからちょっと待ってな」

「オ金ガ、ナイデス」

「困ってる子どもから金取ったりしねぇよ。奢ってやるからしっかり食べな」

 私たちはおじさんが作ってくれた煮卵入りチャーシュー麺を飢えた野良犬のようにガツガツ食べました。

 

 おじさんは、今日はもう店じまいだなと言うと、屋台を片付け、詳しい事情を聴かせてくれるかいと言ってくれました。

 私は、二人とも幼い頃に外国のマフィアに攫われシンガポールで兵士として育てられたこと。そのマフィアからアーラシュが救い出してくれたこと。戦いに巻き込まれジンが右腕を失ったこと。自分たちの力で生きて行こうと仕事を探したがどこにも雇ってもらえずお金が尽きたこと。を一生懸命説明しましたが、魔術のことや聖杯戦争のことは、そもそも何と説明して良いのか分からなかったので言いませんでした。

 

 おじさんは、幼子を攫って兵士として育てるとか、子どもが腕を失うような戦いに巻き込まれるとか、世間一般の暮らしではあり得ないし、身近で実際にそんなことが起こっているなんて、俄かに信じられないなぁと言いましたが、私たちがでたらめを言ってるとは思えないし、実際困っているのは間違いないのだから、取りあえず今から警察に行って相談しようと言い、私たちを警察に連れて行ってくれました。

 

 私は、警察で先ほどおじさんにした話をもう一度しました。おじさんも、私に確認しながら色々補足の説明をしてくれました。

 話を聞いてくれた警官は、攫われたとはいえ身代金の要求もなされていないようなら、誘拐事件扱いにはなっていないのではないか。そもそも私たちの話を裏付ける証拠が何もない。

 行方不明者なのか、記憶喪失者とみなすべきなのか、関係機関にあたってくれるということになり、取りあえずその日、私たちは育てる親のいない子どもを預かる施設に預けられました。

 

 もしかしたら、大人になるまでこの施設で暮らすことになるのかも知れない。施設の人たちは優しそうでしたが、制約の多そうな生活にジンは不満げでした。

 でも私は、ジンに辛い茨の道を歩ませることと比べれば、百倍も千倍も良い暮らしに思えます。何よりここにいる限りお金や食べ物の心配をしなくてもよいのです。何としてもジンを説得しなければと思いました。

 

 翌日、翌々日と警察や行政の職員が、中国語の通訳を伴い施設に来て、改めて色々なことを聞かれました。通訳を通せばジンも話ができます。私はジンに英霊とか聖杯戦争とか説明できないことは言わないようにと釘を刺しておきました。

 それでも度々通訳さんが首を傾げるようなことを言っていましたが……

 

 そして三日目の午後、老夫婦と壮年の男性が私たちを訪ねて施設にやってきました。

 私たちを一目見るなり、老女は涙を浮かべ、壮年の男性は、

「親父、お袋、間違いない、目元や口元が一葉(かずは)にそっくりだ。進矢、真弓、お前たちよくぞ無事で……、よく帰ってきてくれたなぁ」

 そう言うと彼は私の右手を両手で握りました。ごつごつしていて硬かったけど、とても暖かい手でした。

「その手、さぞ酷い目に遭ってきたんだろうね。可哀想に……」

 老女は涙をハンカチで拭っています。その横で、老女の夫らしい日焼けした顔に深い皺がたくさん刻まれた老人が、細い目を更に細めてうんうんと頷いていました。

 

 この人たちは、N県で農家を営む鶴岡さんという方たちで、8年前、息子と娘、子どもが二人一遍に行方不明になったのだそうです。

 当時北陸地方では某国由来による行方不明事件が発生していたらしいのですが、幼子が攫われるというケースは無く、事件と事故両方を想定した大捜索が行われました。

 しかし結局手掛かりが見つかることはなく、数年が過ぎ、皆に絶望感が漂い始めましたが、子どもたちの母親は決して諦めることなく、駅前でビラを配ったり、警察に身元不明で保護された子供がいないか確認に行ったりといった活動をずっと続けていました。

 その母親も2年前に病気で亡くなり、意思を繋いだ父親たちが引き続き活動を継続。今日警察で私たちのことを聞き、遠方からここまで駆けつけてきたということだそうです。

 

 私たちが行方不明になった子どもたちだという証拠がどこにも無かったため、DNA鑑定が行われました。

 その結果、この男性、鶴岡英雄さんと私たちの血縁関係が判明し、私たちが8年前に行方不明となった子どもたち、鶴岡進矢、鶴岡真弓であるという事が証明されました。

「良かった、本当に良かった。お前たちには辛い思いをさせたなぁ……。これできっと一葉も安心する。お前たちをお母さんにも会わせてあげたかったなぁ……」

 私たちを強く抱きしめ、涙を流す父に、本当のお父さんってこんなに暖かいものだったんだ……今まで感じたことのない感情が溢れ出し……

「お、とう、さん……。おとう、さん……。お父さん!!」

 私はお父さんにしがみつき、思い切り泣きました。まさかこんな日が来るなんて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鶴岡農園は、主に無農薬野菜を生産している、地元では有数の大農家でした。別に魔術に繋がる家系ではなく、亡くなった母、鶴岡一葉が魔術に縁のある血統だったのでしょう。

 家の仏壇に飾られた母の遺影は、確かにどことなく私たちに似ていました。

 お母さん、ありがとう。お母さんが諦めずに私たちを探し続けてくれたおかげで、私たちこうして家に帰ってくることができました。私は仏壇に手を合わせました。

 

 私たちは本当の生年月日も判明し、特別な計らいにより地元の小学校に一年生として編入されることになりました。実際は進矢(ジン)の方が1つ年上でしたが、私と同じ学年、同じクラスです。

 小さなクラスメイトたちと一緒に勉強するのは、最初は少し恥ずかしかったけど、すぐに慣れました。

 お兄ちゃんは、遠足の時に現れた野犬を一瞬で撃退したことで、クラスのヒーロー的存在となり、男の子からも女の子からも憧れの視線を浴びるようになりました。別にその時たまたまお兄ちゃんが近くに居ただけで、私だってあのくらい目を瞑っててもできたんだけど、ね。

 

 平日は学校に通い、お休みの日はお父さん、お爺ちゃんの農作業を手伝うという、充実した楽しい毎日でした。

「お父さ~ん。お爺ちゃ~ん。お兄ちゃ~ん。お弁当持ってきたよ~」

「おう、じゃあお昼にしようか」

 私たちは四人でお弁当を食べました。

「その玉子焼きどう? お婆ちゃんに教えてもらって、私が作ったの」

「どうりでしょっぱいと思ったぜ」

「だったら食べなくていい!」

 お兄ちゃんがここぞとばかりに悪態をつくので、私は頬を膨らませます。

「いやいや、美味しいよ。真弓(ユェ)はいいお嫁さんになれるな」

 お父さんは笑いながらそう言い。お爺ちゃんはうんうんと頷いてくれました。

 お嫁さんかぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 8年後……

 

 今日は私の成人式でした。現在私は中学生ですが、年齢は20歳なのです。去年はお兄ちゃんが成人式でした。お兄ちゃんの時もそうでしたが、クラスのみんながお祝いに駆けつけてくれました。この後みんなで私たちのお家でお祝い会をやるんですよ。

 

 でも、本当にこんな日が迎えられるなんて……

 実は私、ジアンユーの施設で人体改造手術を施された時に麻酔が早く覚めてしまって、医者が話しているのを聴いちゃったんです。

「ボスも無茶をするよな。こんな改造を施した子どもが天寿を全うできるはずがない。天寿どころか、成人まで生きられるとは思えないぜ」

 

 私は成人にしては小柄ですし、胸も……、でも、お父さんたちに引き取られてからは怪我も病気も一度もしたことがありませんし、お兄ちゃんもそうです。

 そうそう、お兄ちゃんといえば、先日クラスメイトの女子二人から同時にラブレターを貰ったとか言って、「なぁ、真弓、どうしたらいいと思う?」とか鼻の下を伸ばして言っていました。好きにすればいいじゃない。馬鹿じゃないの。

 このまま元気に生きられるなら、私もいつか恋をして結婚することもあるのでしょうか。

 でも、私には理想の男性像があって、そのハードルがかなり高いので、それを超える男性が現れるかどうかの方が問題かな。

 

 

 

 私、今とっても幸せですよ、アーラシュ……

 




 お読みいただきありがとうございます。

 これにて「第4.5次聖杯戦争」完結でございます。

 ジン、ユェの二人は強化人間という一般的にはほぼハッピーエンドを迎えることは難しい立場として物語をスタートさせました。

 この二人がハッピーエンドを迎えることができたのは、アーラシュという二人にとって最高のパートナーを得たためでしょう。あと、ダイス運がよかったともいいます。

 2年以上のプレイ時間と1年以上の編集時間をかけたこのリプレイ小説を楽しんでいただけたら幸いです。

 ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。