のじゃロリBBAで抜けません (HIGU.V)
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シルヴィアは森という意味らしい

王道の話を書きたくなり、筆を取りました。


赤と青の二つの月が同時に昇ったその夜。闇の帳が降りて久しい夜半に。

かく偉大なる銀の竜は、優雅にその広大な縄張りを飛んでいた。

 

愚かな人間や魔族、古代の機械兵器まで雁首揃えて殺しあっていた戦場。只々うるさくて気に食わなかったそれが、ようやっと静まったからだ。

 

「ふぁああ、退屈じゃのう1月ぶりの散歩も、何も変わりはせんしのう」

 

荘厳なドラゴンの口から洩れる言葉を伝えるその声音は。あまりにも似つかわしくない程の可愛らしい少女のそれであったが。これは人族の視点によるものだ。

 

彼/彼女らの外見から、その年齢を推し量ることは難しい。彼女は、彼ら竜の者からすれば、独り立ちしたばかりの小さな竜……なんてことはなく。

それなりには生きてはいるが、ただ小さい頃の口調が抜けていないだけである。

 

ふと視界の端に動くものを見つけた彼女は、くるりと体をひねる。バレルロールともいえるその軌道をとったのは経験則からだ。

戦場跡で壊れかけた自動兵器の弩弓による強襲は、彼女の鋼より硬いとされる肌でも、傷は付かねど痛いものは痛い。

こんな戦場跡では、そういった兵器の誤作動なんて珍しくもない。

 

姿勢を戻しつつ、警戒を絶やさず、彼女はすぐに矢も魔法も飛んでこないことを確認すれば何のことはない、地面を這う死にかけた「虫」であった。

 

「なんじゃ、つまらん」

 

肝を冷やされた腹いせに、ブレスで焼いてから、食ってやろうか。とも思ったが、あまりにも退屈だったことと、以前偉大なる母が己と戦った人間から聞いたという、目には目を歯には歯を、復讐は同じ事をしろという意味の寓話を思い出す。

 

肝を冷やされたのならば、こちらも、うんと驚かせてやろうと。そう決める。全てはその長寿と頂点捕食者の余裕から来る気分による裁定だった。「虫」の近くまで、すっと音を消して真上まで飛んで。這うように進んでるそれの目の前に落ちるように、体を変化させる。

そう、彼女はドラゴンであり、ドラゴンメイドであり、利便性のために人間のソレに近い体へと己を変化できるのだ。

 

太く美しい尻尾と、威厳ある鋭い双角。喉元を食いちぎれるであろう鋭く尖った犬歯。くりっとした釣り目な眼と、腰まで届くほどの流れる銀糸の髪。表情全てが自信に溢れており。夜なのにも関わらず、イメージ重視でレースのついた日傘を手に。

 

黒のドレスが、一切の空気抵抗を感じさせない流線的なフォルムの体躯を包んでいる。

人外の部位である角と尻尾を除いて見れば、どこぞの貴族のご令嬢にしか見えない。

しかし、その人外の部分こそが彼女こそを頂点捕食者せしめているというのが一目でわかる。

世界を塗りつぶすような存在感を持つ、圧倒的な化け物としてその虫けらの前に降り立った。

 

 

「美しい月夜じゃのう? こんな日は害虫駆除に勤しむのも乙なものじゃ」

 

人で非ざる者だけが持つ魔性と称せるまでの美しさは、開花前の蕾として背徳感と忌避感、庇護欲と征服欲を刺激する、劇物のようなそれで。今までこの姿を見た数少ない男達は、魅了されるか、殺そうとするか、その二択であった。

 

 

「妾の名はシルヴィア、偉大なる銀の竜。姿を拝見する栄誉に授かれて光栄じゃのう?────虫が」

 

すとんと降り立てば、魔法で土煙の一つすら起きない。その優美で美しい接地に対して、目の前の虫を改めてみると、驚愕に声すら出ないようだ。

その醜い顔を引きつらせて、片腕しかない不便そうな体で、必死に杖をついて歩いているのが。上空から見れば這っているように見えたのも、この遅く矮小すぎる歩き方故であろう。

 

尻もちをついてはいるが、天を仰いで絶望し失禁するほど驚かなかったのが不満ではあるが、多少の溜飲は下がった。腹も減っていないし、こんな月夜にドレスを汚すのも気に食わない。

寛大な妾に感謝するがよいと思いながら見逃してやろうと、興味を失い背を向けて空へと飛ぼうとすると。

 

「────避けろ!」

 

乾いた喉で掠れた嗄れた声で、そう叫んだのが、今の虫だと気づくのは少し遅れた。あまりにも理解が出来ない行為だったからだ。

この妾にそのような言葉を無礼な。という怒りが沸いてくるのと同時に。なんと、背中に何かがあたったような衝撃が走る。

 

強大な力を持つとはいえ、地面に踏ん張っていなければ、体の通り幼い童女のような体躯と重さしかなく。突き出されるかのように、体が前に飛んでいく。

 

その瞬間、ザシュと。硬いものが何かを貫くような音が聞こえ、竜の心臓より組みだされる、強大なエネルギーの発露をそのままに、素早く振り向けば。

先程まで無様に地面と一体化していた彼の、残った腕が血煙となって弾け飛んでいる光景があった。

 

お気に入りの黒のドレスにその血がかかる事を不快に思う間もなく。痛みか衝撃からか倒れこむ虫。

横に目をやれば、先ほど警戒して気のせいと切り捨てた、弩弓の魔道具がこちらを向いて矢を放っていたようだ。射手はおらず、最後の1発が自動か暴発かしたよのであろう。

 

思いがけない状況に多少面食らうものの一先ずという体で、人差し指に力をためて、えいっと投げてみれば。弩弓は消し炭となる。偉大な力を持つ彼女からすれば、物が下に落ちる程度の当然の結果だ。

 

ついでに他にも生きている魔道具がないかと周囲を軽く探れば、もう何も動いていないことがわかる。

よし判断し、目の前でもうまさに虫の息となった虫を見る。

 

「ふん、あんなもの、当たっても二晩も寝ればで治るというのに」

 

当たれば痛いし、肌に多少の傷もつくであろうが、数日すれば忘れて一月もすれば痕跡も消える程度の怪我にしかならない。射手が魔法で強化していたならばともかく、壊れかけの弩弓の攻撃などその程度だ。

勿論、今の矢に竜殺しの祝福が付いており、それが雨のように浴びせられればさすがに助からないであろうが。

 

なのでこの虫はただこちらを押しのけて、無駄に隻腕を失い無腕となり、出血で死にかけているわけだ。

 

「はぁ……どうしてこういったものを思い出した時に、こうなるのじゃ」

 

母から習った、目には目を。これは受けた恩もそのまま返すようにと言われて育ったのだ。たいていは同族や、地方の大悪魔などに、貸しをそのままにしておくと碌な事にならないという。そういった教訓である。

 

普段なら無視したであろう。馬鹿な虫がいたものだと。

機嫌がよければ、生き絶え絶えの虫を介錯してやったかもしれない。放置して苦しんで死ぬくらいなら、ひと思いに業火に焼かれた方が楽になれよう。

だが、今この瞬間。形だけでも庇われ助けられたのだから。助けるのが教えの通りだと、そう彼女の心が思ってしまっている。

母からの小言など、思い出すときの方がもう稀になったというのに。

 

だが、もとより退屈していたのも事実。竜の体に戻った彼女は、虫を浮かせると、自身の背中に乗せる。人形の体ならともかく、竜の体では血など何の問題にもならない。

振り落とさぬように意識しながら、彼女は自身の塒にしている山のはるか上空にある転移門まで戻るのであった。

ソレまでに死んでいなければ、助けてやろう。その程度のぬるい判断だった。

 

 

そう、これはそんな些細なきっかけで始まった話だった。

 

陳腐などこにでもあるような、人と竜の出会いの話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が目を覚ました時、まず覚えたのは違和感だった。なぜ自身は生きているのだろうか。そんな疑問が湧き上がる。

ここが噂の冥府でなければ、何故まだ生きてるあの怪我で。

 

あまりにも面倒な柵から逃げて、王国の騎士見習いとなり。泥沼の戦で訳も分からず我夢者羅に戦仕事をして。敗れた自軍に置いて行かれる不運と、とどめを刺されずに放置された幸運で生き延びて。這う這うの体で戦場から帰ろうとしていたはずだ。

彼にもわかっていた。近くの町まで水も食料もないのにたどり着けるわけがないことを。適当な魔物か野獣に襲われ、土に環るであろうことは。

それでも命があったから足掻いていたのだ。死に場所を求めていたようなものなのに、皮肉だな。

そう笑いつつも冷静な頭で、今の状況を確かめる。

 

どこか寒さを覚える中、簡素な寝台に寝ている。室内なのに天井に灯りからくっきりと見えており、おどろくべきことに魔石で照らしている。

どこぞの王侯貴族の家かと思えば、部屋の壁も天井も床も、打ちっぱなしの岩壁に岩面。装飾で飾るということもない。間に合せのような、そんなちぐはぐな場所だ。

 

そして極めつけは、戦いで失った左の手と、先の時に弩で穿たれた右の手。両方を失ったはずが、右手に重さがあるのだ。肘より先に銀の太い棒のようなものが付いている。

 

これは義手であろうか? 見たことのない形で、先端は握り拳大の球が付いている。その周りには小石のような球が5つ等間隔に浮かんでいる。

 

まさかと思い、ないはずの指を動かしてみれば、小石はまるでそれが指だというようにふわふわと動いていく。握ってみれば真ん中の球にくっつき、開けばふよふよと広がってピタッと宙に止まる。

 

思わず頬をつねってしまう様に左手を動かせば、頬の横まで小石が来て、冷たく頬にあたり摘ままれるというよりも押し付けられる。

 

ガサガサの手入れをしていない肌ですら摘まめないので、見ての通り金属の石程度の摩擦なのだろう。

だがそれでも小指を除く4本でつまみ上げるように体に掛かっていた布の縁を摘んでみる。するとしっかりと布を摘めた。もしやと思い親指と小指を合わせて下から他の三本で上からと、やや変則的に摘まめば良い具合に安定した。

 

そう、どうやらこの腕は、指がそもそもが人間の動きと合致していないようだ。まるで、そのへんにあったものを適当につけたような。そんな印象を覚える。

ここまで来て、だいぶ頭も冴えてきた。そう、彼はあの美しいドラゴンメイドが弩に穿たれるのに気付いて、とっさにかばって、腕を無くして意識を失った。ここが煉獄でも冥府でもないのならば────

 

《やっと目覚めたか》

 

すると、いきなり後ろから声が聞こえたので思わず振り返る。魔術師の家で使われているような水晶がそこにはあり、すぐさまそこから声が出ていると理解する。

 

《その様子じゃと、十分な治療だった様じゃな。まぁ当然か。わざわざ妾が施したのじゃからな。まぁよい、妾の部屋まで来い。部屋を出てつきあたりを右じゃ》

 

 

それだけ言うと通信は切れたのか、水晶は物言わぬ塊となってしまった。一先ず他にできることはないと、起こしていた半身で義手をついて、ベッドから降りる。

足腰は思ったよりもしっかりしており、ふらふらと杖を突きながら歩いていた時とは雲泥の差だ。

 

 

そのまま扉に近づいて、左手であったものを動かそうとするが、肘の半ばでなくなっており。何も起きず苦笑し右の義手でドアノブをつかんでみる。握り難かったがしっかりと先程の動きで握り込みドアを開ける。

廊下に出ると、等間隔に燭台がかけられ照らされており明るい。室内なのに昼のようだ。

床には赤い絨毯が敷かれて、壁には多分値打ち物の絵がかかっている。まさに金持ちの部屋という様相だが、変わらず壁は岩肌である。

 

「ドラゴンの巣……か」

 

彼は騎士団で習った教義を思い出す。財宝を溜め込み、下手な貴族より豪勢な暮らしをする竜。大きすぎる体は不便な為、ドラゴンメイドとして、人の体で生活をするものもいるという。だが、人とはまさに天と地ほどの差がある力に、別種であることの証左があるとも。

そんな存在が、なぜ自分をと思いつつ、言われた通りの道を歩いていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たか人間」

 

もはや、王の謁見の間ほどの広さを持つ彼女の私室。豪華な寝台やら個人的なものも見えているが、あまり気にした様子はない。

人の形態でも竜の形態でも快適に過ごせる広さと天井の高さなのであろう。

 

「妾の事はわかるか?」

 

「偉大なる銀のシルヴィア……だったか」

 

「よく覚えていたのぅ、褒めてつかわすのじゃ」

 

豪華な椅子、しかも彼女の大きさに合わせているのか 、人間の子供用のソレに腰掛けながら、彼女はその空力学的に優れた胸を逸しながら機嫌良さそうにそういう。

 

「して、主の名はなんじゃ? 」

 

「ヨハンだ、ただのヨハン」

 

 

「ほぅ、人間なのに名前が短いのう、まぁ良い。してでは、ここに来た理由はわかるかのう? 」

 

尊大に上から、しかし違和感がない支配者の問いかけに、ヨハンは少しだけ考えると口を開く。

 

「俺を助けたからか?」

 

「ほう、悪くないのう、じゃが肝心なことが抜けておる。おぬしが妾を助けたから、妾も借りを返しているのじゃ」

 

機嫌よさそうにコロコロと笑う少女、シルヴィア。身なりと容姿の良さを除けば、町にいる童女のような邪気の無い仕草だが、ヨハンは一切の油断はなった。

彼女の言うことが正しければ、この少女は竜であり。部屋の大きさが人外のソレであるのならば信憑性もある。死にかけよりも、踊り食いが好きだからなどと言われて、口の中に放り込まれる可能性も充分以上にあると考えたからである。

 

「さて、助けたのは妾じゃがその腕。妾の宝物庫にあったものをつけてやった。どうじゃ、使い心地は?」

 

「ああ、魔法の義手は初めて見たが、すさまじいな」

 

使用感に若干以上の難はあるが、それでも念じて動く腕というだけで、城が立つ代物というのが人間たちの常識だ。

ヨハンは自分の本物の手のように動く義手に驚きを隠せないでいた。

 

「して、主の望みを叶えてやろう。受けた恩を返さぬのは、わが銀に泥を塗るようなもの」

 

だから、彼女の発言の意図を理解するのに、一拍の空白があった。

 

「……待て、既にこの腕をもらっている」

 

「何を言うか、義理堅い人間だのぅ。それは妾を助けるのに払った犠牲への補填。礼ではない。主の勇気と行動への礼をせねばならぬ」

 

実のところ、そこまでする義理は彼女にはなかったのだが。気まぐれとなによりも

 

「金銀財宝か? それとも殺したい人間でもおるか? なぁに、地方の落ちた神程度の祟りなら祓ってやるぞ?」

 

彼女としては最後が本命なのであろう。助けた人間に乞われたからという理由が大義名分となり、他の縄張りにカチコミをかけて。暇つぶしの戦いが出来れば御の字という。残酷且つとんでもない理由だ。

 

そんな事など露知らぬヨハンは、望みと聞かれて半生を振り返る。

恵まれたと言える順風満帆な貴種の生まれ。親の後を継いで、領地を治めるため必死に勉学や交友関係の構築に励んだ。成人前に婚約者が出来た。そして、自身が勉学に励む間に、遠ざけていた婚約者は弟と逢瀬を重ねていたことに、ある日気づいた。湧いてきたのは怒りでも失望でもなく、困惑と後悔だった。

 

二人は結ばれることはない、彼女は領主に嫁ぐための女で、彼はヨハンの予備であり、予備が終わればどこか婿入りをする。そんな悲恋が彼らを燃え上がらせたのか。

領主になり民を導く未来、家族の幸せ、婚約者の願いの。どれかは捨てなければならない、そうなった彼は。神の啓示を受けたとして、中央の騎士見習いと無理やり家を出た。家督は弟に譲り、婚約者もそのままおさがりでスライドした。

 

あとはただ、戦いと訓練の日々だった。不器用で馬鹿な男は、戦場に死に場所を求めた。では、そんな男の望みは何か。決まっている。

 

死ぬことだ。

 

もう、幸せな暮らしの作り方などわからない。種をまいて、水をやれば育つ草花と違う。どこで誰とどのように暮らすか、そんな細かいことの噛み合わせが想像できない。幸せのイップス状態になって、立て直すより楽に死ぬことを選ぶのだ。

ありふれた、恵まれて生きる意味なんかを考える余裕のある若者の末路だ。

 

「……少し、考えていいか?」

 

「むぅ? 人間なのに願いがないのか?」

 

小首をかしげるさまはまさに少女然していて、その通りだと肯定して彼女を失望させるのも嫌った。

 

「いや、シルヴィア様に叶えてもらうのに相応しい願いを、考えたい」

 

彼は、壊れる一歩手前だったが、口は立った。此処がどこの国のどの辺りなのかが、正確にはわからないが。竜の棲家は大抵人里から離れている以上、数日は体を休めないと動くのは厳しい。なればその間に考えればよいであろうと。そんなことを考えていた。

 

 

「ほ、ほほう! わかっているなヨハンよ。うむ、うむっ!! そうじゃ。妾にふさわしい、壮大な願いを考えるのじゃ。それまでは先の物置ではなく客間を使うがよいぞ」

 

「礼を言う、シルヴィア様」

 

彼女が指を鳴らすと、カタカタと骨でできたトカゲのようなモノが柱の陰から出て来る。

 

「牙兵よ、ヨハンを客間に案内せい。荷物も移しておけ。久々の客人じゃ! 無礼ないように!」

 

ここにきてヨハンは選択を誤ったかと、そう感じ取った。なんというか適当なそれではむしろ怒らせてしまうような。そんな空気だ。

しかし、彼には倒してほしい幻獣や宿敵もなく、出世をしたいわけでもない。というよりも国に戻らなければ無事死亡を確認してくれるであろうから、新しい身分が欲しいが。一から生活をやり直してまで生きていたいという気力はわかないのだ。

 

こうして、客間に滞在する形になったヨハン。偶然が重なり、奇妙な共同生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぅ」

 

パリンとグラスの割れる音、今日何度目かの失敗だ。

 

「まぁ焦ることもないじゃろ? その銀の義手にはそのうち慣れるじゃろう」

 

「ああ、そうだな」

 

シルヴィアより送られた義手。彼の唯一の腕であり、人間の可動域より広く、別ベクトルで動き、なによりも力が強いため。彼はその制御に一苦労していた。

 

シルヴィアの住まいであるこの場にあるものは、たいていが彼女基準の頑丈さである。ドアや壁にはそのアバウトな力加減で全く問題ない。食器をはじめ、例えば動物など撫でようものなら屠殺になってしまうほどだが。

 

当然金属の球なので、背中をかこうにも鉄球に押し込まれるようになりもどかしい。細かい作業もできず、足の爪を切る際は、足を固定したやすりに擦り付けて整えているほどだった。下半身の方も自分で処理できていないが、別段問題はなかったが。

 

逆に力は凄い事になっている為か、いっぱいの金貨が詰まった大樽を指代わりの球が広がり、義手だけで上からつかみ持ち上げられるのだから驚きだ。

 

 

「まぁ、妾と比べれば非力に過ぎるがのう。本当人間は貧者なのじゃ」

 

「否定はできないな」

 

そんな彼が持ち上げられたことに驚きの金貨の樽を、十数ダース単位で指だけの力場魔法で持ち上げる。それがシルヴィア。術者の力以上を動かせない魔法なのにこれだ。

 

「生物としての絶対の差じゃよ」

 

「圧倒的だな」

 

「ふふん、もっと褒めても良いのじゃぞ」

 

反らすことでも見せかけの大きさすら変わらない、薄い胸を張って笑うシルヴィア。

 

 

「まぁ、竜の血は純血も強いが、他種族との混血でその潜在能力を発揮すると聞いた。竜単体で無敵なのにのぅ」

 

「混血ですか?」

 

「我々は強い種族でのぅ、どんな種族にも子を生させられるし、望めばどんな種族の子も産めるそうじゃ」

 

卵で生まれてくるのじゃがのうと、彼女は補足する。どう見ても子供にしか見えない彼女が、生命の神秘について語るのは倒錯的だったが。

だが、事実として雄竜がやんちゃした結果がワイバーンなどの竜モンスターが居るなどと言われるし。逆に雌竜を孕ませるには人間ならば数十年分の精、それこそ悪魔と契約できるほどの量がいるなどの与太話もある。

 

彼はそんなことを対して気にせず、割れている罅が入っているなどの理由で廃棄するグラスを しっかり握る訓練を続ける。

慣れない指の動かし方と、力加減に四苦八苦しながら。

 

「うっ!」

 

「まぁ頑張るのじゃぞ?」

 

時折割れるガラスの音を楽しそうに聞きながら、シルヴィアは、金貨を愛でるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■

 

 

「シルヴィア様」

 

「なんじゃ? ヨハン」

 

ある日、まだ彼が客間に泊まって居た頃、時間の感覚が違うのか、願いを急かされることはなく、ただ自然体のまま接してきた彼女に対して、彼は思った事を口にすることにした。

 

「素敵なお召し物だが、部屋の汚れがつくぞ?」

 

「ん? どういう事じゃ?」

 

彼女の今日の格好は、肩掛けのオフショルダーな紫のドレス。大きく肩を出すデザインであったが、いかんせんその早く飛ぶことに特化した胸の厚さと、エネルギー効率の良い体では、背伸びをした子供のようにしか見えなかった。

 

「結構廊下が汚い所があったからな」

 

「むぅ、妾のブレスも万能ではないからのう」

 

「は? ブレスですか?」

 

「うむぅ!」

 

 

彼女の説明によると、普段食事をとる広間、献上品をめでる宝物庫、読書や睡眠の為の自室を結ぶ一本の廊下以外はほとんど利用しないので。全く掃除はしてないとのことだ。

加えて、その掃除法が壁や天井と装飾品に魔力に任せた防火魔法をかけた後、ブレスでこんがりと焼いて、汚れだけ焼き尽くす。という脳みそ筋肉もびっくりな力技だったのだ。

 

「……今後は俺が掃除をする」

 

「むぅ? まぁ構わんぞ、物は壊すなよ」

 

義手隻腕では箒を持つのも大変だが、復帰訓練としては良いであろうと。そんなことから彼が彼女の住処の清掃に手を付ける事になった。

それがどんどん形骸化、ゆるくなっていき。掃除や雑務が彼の仕事へとなっていくことなど、二人共全く想像もしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■

 

「シルヴィア様、また服を脱いで宝物庫に入ったな」

 

「なんじゃヨハン、妾の宝物を愛でるのに、何の恥じらいもないじゃろう?」

 

宝物庫、部屋の向こう側の壁が見えないほど大きく、山のように積まれた金銀財宝。どこに何があるのかもわからない。目録によれば代償と引き換えに願いを叶える悪魔の契約書から、呪われし魔剣。溶けることのない氷など。多種多様なものがあるらしいが、それも納得の広さだ。

その巨大な空間に荘厳な竜の姿があった。あったというのは過去形で、いつの間にか人間の形態になって横になっている。

 

ヨハンは片手にいつぞや紫のドレスを持っている。入り口に脱ぎ捨てられていたそれは、今日の彼女のお召し物であったはずだ。

 

「と言うか、他にも服は無いのか?」

 

「ドレスはあまりないが、マジックローブは捨てるほどあるぞ、サイズ自動調整の物しか着れないがのぅ」

 

この宝物庫の中の何処かに。という但し書きは着くが。

 

「というか、どこからこんなに宝を集めているのか?」

 

「なにを言うておる、上で馬鹿な冒険者が落としたものじゃぞ、多分」

 

当然のことの様に彼女が口にしたその言葉は、彼からすると、一瞬で理解が出来ないものだった。此処での生活もそれなりの長さになったが。結局彼女と同じような空間しか利用していない。外にも出れていないからだ。

 

「上? 出口か何かですか?」

 

確かに基本建材が岩肌であるために、地下という可能性は考えていたが。窓もないのもその考えを補強している。

 

「馬鹿なことを、我が居城はダンジョンじゃぞ? 北の大迷宮と言えば、人間にも有名のはずじゃが」

 

「え、此処があの、帰らずの北のダンジョン?」

 

「なんじゃ気づいてなかったのか。お主も大概鈍いのぅ」

 

北のダンジョン。それは人類の生存域の一番外れにある、天を貫く山脈の合間。そこの大穴より入れる場所。冥府か煉獄へとつながるとも囁かれるそこは、多くの財や魔導書。魔石に貴重資源の宝庫であり、命知らずや学者。あて無き者たちが流れ着いて、いつの間にか街ができていた。

しかし、どれ程の深さかも分からぬほどに深淵まで続く魔境であった。

 

「で、でもシルヴィア様が何かしているところは、全く見てないが」

 

日がな一日、金貨の上で寝そべり暇じゃと言ってる。そんな姿が思い浮かばれる。

 

「そんな面倒なこと。全部悪魔商会の奴らに一任しておる。母もそうだったしのう」

 

彼女は親の作った竜の巣、そしてそれを守る魔物や住み着いた魔獣などのモンスター。そこに集まる人間。そのサイクルを利用して荒稼ぎしたい悪魔たちに。親から貰ったのでという理由でそのまま場所を貸しているのだ。

 

最奥部の居住スペース、その周りの下層、最近ようやっと人間が立ち入れるようになった中層と。広大なダンジョンを悪魔に貸し出してテナント料をせしめている。不労所得で食ってるドラゴンだった。

 

「母との約束でのう、下層まで来たら妾が迎撃して良いのじゃが、それまでは商会に一任じゃ」

 

このペースじゃとあと200年もあれば下層まで到達するぞ、楽しみじゃのう。そう呟きながら彼女は興味なさげに、様々な国の大きさの違う金貨の山へと顔を突っ込む。

 

「宝物庫の物は商会のアガリと現物じゃ。あまり妾のサイズがないのも当然じゃろ」

 

「商会と言うんだから、言えば買えるでしょうに」

 

あまりの話の大きさに、理解を横において。小言を言うようにしたヨハンは順調に図太くなってきていた。

 

「そういえば、親は?」

 

「営巣、子育てが終わって。竜の国で第三の竜生を謳歌してるじゃろうのう」

 

不思議な竜の生態にも興味あるが、ひとまず健在である事を知って満足した。これだけの財があれば気にする必要はないが、おそらくその商会とやらは相当なお得意様扱いをしているのだろうと。それだけは確信しながら。

 

「ほら、服を着ろ」

 

「着せてくれないのか、ヨハンよ」

 

妾のこの場の財宝より価値ある玉体じゃぞ。そんな言葉は全く聞こえず。

ただ彼はこう返す。

 

「角が引っかかりそうだから、自分でやれ」

 

「むぅ、面倒じゃ」

 

色気がないそんな会話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■

 

「おや、魔導伝書鳩じゃないか、珍しいのう」

 

ある日ヨハンとシルヴィアが広すぎるため結局端っこしか使っていない、広間のテーブルで食事をしていると、ぽんっと小気味よい音がして、彼の近くに一羽の鳥が現れた。

 

「ここ、鳩届くのか」

 

「妾を対象にした魔法、魔道具は全て結界に阻まれるが。ヨハンにはそういうのがなかったのう。うむ、商会の連中に良からぬものがいたら面倒じゃし、後で改めてかけておくか」

 

個人を対象としているのであれば、転移やらで毒や爆発物を送り付ける事もできてしまうからだ。結界はダンジョンを正規ルートで通れば一切効力がないために、その分強力なものである。

シルヴィアですら、居城から出るのに、一度魔界につながるゲートを経由してからでないと、出れないくらいなのだから。

 

「それはそれとして、何じゃ? おぬし確か外では死んでいる扱いなのじゃろう?」

 

「ああ、そのはずだが」

 

この世界で広く使われている鳩の形をした魔道具。対象の血や髪などを元に、居場所へと文を届けるそれの。足に括り付けられていた書簡を抜き取り、広げて出すとそこには見覚えのある筆跡が二つ書かれていた。

 

 

「……弟が正式家督を継いで、結婚したそうだ。来年には子供も生まれるらしい」

 

「ほう、それは目出度いのう、おぬしの家も安泰じゃのう」

 

それは婚姻の儀を上げる際に、来れなかった人たちへと伝書鳩を一斉に放す、儀礼的な行いだった。もちろんすべてを魔道具にするのはコストもかかるし、そこまで徹底して行われずただの鳩を利用する。半ば以上に鳩を飛ばすことが目的で、形骸化している習慣だ。

 

だが、どうしても来て欲しかった人や、既に冥府へと旅立った親などには世界の果てまで届けてくれるかもしれないという希望をもって、魔導伝書鳩を使うという。餞のような意味合いもあった。

 

 

「ほう、人間はそういう縁起を気にするのじゃな」

 

「まぁ値は張るが、そこまで極端ではないからな」

 

そして、ヨハンは本当に生きていたので、届いてしまったのである。最も、使い捨ての魔道具故に、届いたかどうかを確かめるすべはないので送り手は知らないであろうが。

 

「うーむ、感謝の言葉ばっかじゃのう、完全に墓の前でいうやつじゃな」

 

「ああ、勝手に俺の分まで幸せになるとか言われている」

 

文言を読み込めば、そこに並ぶのは綺麗事ばかりだった。感謝でありそして呪いに近いもの。さもこっちが二人の関係を知らなかったという前提で、あたかもヨハンが婚約者を捨てて、家名を捨てていったかのように書かれ。

それでも代わりに彼女を、領民を幸せにするから安心してほしいという。そんな身勝手な内容と。

元婚約者からの雀の涙程度の思い出を美辞麗句で覆った思い出と。これから、弟と幸せになるという。訣別の話だ。

 

「うわぁ、大丈夫か? のう、ヨハン?」

 

「ああ、問題ない」

 

人間の心の機微に疎いシルヴィアでも、同族に置き換えて考えれば、相当エグいということはわかる。番いを肉親に取られたというわけなのだから。というよりも、彼の事情に関して彼女は此処で初めて知ることとなった。

頭脳は優秀なので、書かれていた内容と彼の有様などから、ほぼ正確な彼の事情を推察できたのである。

 

「ただ、嬉しくも悲しくもならない、自分がいて驚いただけだ」

 

「そうか、まぁそれでいいんじゃよ。生きていれば、大抵の物は過去にしてかなければならぬのじゃ。忘れたくなければ思い出すきっかけに物として持っておけばそれでよい」

 

長命種らしい投げ槍なアドバイスだったが、ヨハンの心には響いたようだ。軽く頷いて手紙を燭台の先に灯る蝋燭の炎に、義手ごとしばらくかざした後、大きく燃え上がった手紙を空の銀の皿の上に放り投げる。

 

「いらぬのか?」

 

「ああ、もういらない。でも」

 

燃えていく手紙を見て、彼は少しだけ小さく笑みを浮かべる。

 

「もう心配もしなくてよいって思えるのは、少しうれしいみたいだ」

 

手紙が燃えて、もう思い返すこともなくなる。シルヴィアの言葉に従えば、埋もれた思い出となり、どこにしまったかも忘れて観ることがなくなるのだろう。

それはつまり、眠れぬ夜に家や弟と彼女の現状を考えることも、今後はなくなるのだろう。自分が捨てて迷惑をかけたのではないかという、心の負い目につつかれるということが。今日精算されたのだ。

身勝手な行いと身勝手な文章。最もヨハンのおせっかいも身勝手だったから、本当の意味で貸し借りが消えた。掘り起こす理由と、掘り起こされる可能性が此処に消滅したのだ。

それが彼には嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■

 

長命種らしいシルヴィアは、暇は苦手で退屈は嫌いだが。その許容量は人よりずいぶん大きい。潰し方自体もなれたものであり、おなか一杯に食事をしたのならば、2、3日くらいぼーっと金貨の海に体を預けて考え事はできる。

そんな彼女でも、流石に気になることはあった。

 

「のう、ヨハン。そろそろお前が来てどのくらい経つ」

 

「わかりません、ここでは季節もわからないからな」

 

1年中雪に覆われる山脈の休眠火山の近くにあるらしい、ダンジョンの最奥部のここは、季節感などなかった。

 

「そう、季節を考えるほどには、おぬしはおるのじゃ」

 

彼女も別にそんなに気にしてはいないが、年に1度ある、店子からの上納金を既に何度か受け取っており、ここ数回は仕分けをヨハンにも手伝わせていた。

有り体に言えば一桁では足りない年数が経っていた。

 

「日々の掃除やら雑務。商会との簡単な連絡なんかも、気がつけばやってもらって居るし。一番大事な妾の話し相手にもなってもらっておる。故に滞在自体には全く文句はないのじゃ」

 

「ありがとうございます」

 

それは事実だった。気がつけば彼の手によって生活の雑務は滞りなく処理される形ができていた。

もとよりヨハンは時代的には珍しい、きちんとした教育を受けた側の人間なのだ。

比較的気性は大人しいが、8大名家に数えられる強大なドラゴンの娘と話すよりかは。それをバックにつけてはいるものの、理性的で数字で考えられる人間の男の方が、最初は抵抗があったそうだが、現在は悪魔の商会側からしても都合がよかった。

彼が個人的に欲しい物を、彼女の金貨の不正流用で買っているのも、悪魔的にポイントが高かった。

 

「じゃがのう、そろそろ願いを言ってはくれるかのう? いや、別に出て行けと言ってるのではないのじゃぞ? むしろ居ては欲しいのじゃが。妾が力を込めて発した言葉を、保留にし続けるのも、ちと座りが悪いのじゃ」

 

ここから家に帰すことなど、月齢や暦を見て適切な日を選べば造作もない。彼女からすると少し前の出来事程の感覚で思い出せる、ヨハンを拾ったあの散歩の際の一幕も、それを利用して外出したのだから。

 

「シルヴィア様の偉大さを知れば知るほど、それに見合う願いを考えるのに、日々邁進しております」

 

「ふむっ! そうじゃろ? 妾すごい竜なんじゃよ?」

 

この家を去った彼女の両親は、どこかにある竜の国に旅立って久しい。

元より竜はそういうものだ。雄の竜は巣を作り雌を誘い。雌の竜は長女なら親の巣に住み着き、それ以上の巣を用意した雄の求婚を待つか、見染めてきたどこかの雄をさらって蟄居する。

 

故に偉大な竜の長女である彼女は知り合いの竜が少ない。偉大な竜だと営業スマイルでいう商会の物を除いて、本心から称えられたのは両親位だ。

 

だからこそ、ヨハンの素直な誉め言葉は、彼女の眼を眩ませるのに十分であった。ここ10年ほどは。

 

「じゃがのう、妾も人間の願いを叶えてこそ、偉大な竜だと思うのじゃ」

 

人間の時間感覚から言えば、神や精霊の齢と言える年齢の彼女だが、竜の尺度覚で見ればまだ若い子供だ。経験してみたことがない成長の通過儀礼があれば、やってみたくなるのが竜情というものだ。

 

「では竜に、シルヴィア様に誓いを立てましょう」

 

「おおっ! 人竜の誓いじゃな!」

 

人竜の誓い。人間と竜の関わりとして、最もポピュラーなものだ。竜より何かをもらう代わりに、竜に誓いを立てる。偉大な竜殺しになりえた程の英傑が、戦いの末友誼を結んで交わされるものだ。

大抵は、その竜の血を貰い人間の寿命の2,3倍ほど生きながら、竜と共に生きるというもので。人間が女性で竜が男なら子を成すケースもあったりした。

 

実のところは男の竜が、許嫁や番の竜が怖くて人間の愛人か友人に浮気する言い訳として生まれた、世知辛い裏事情はあまり伝わってない、人にも竜にも。

 

「わが寿命が尽きるまでに、偉大なる銀竜シルヴィア様への願いを奏上することを誓います」

 

彼女の前に跪いて、銀色の義手を輝かせながら頭を垂れて、そう彼は誓う。内容はあまりにも適当で。もともと交わした約束の追認程度のものだ。

 

「うむ、偉大なる銀竜シルヴィア、その誓いをしかと受け取ろう…………おぉ! これがっ!!」

 

 

両手をパタパタさせて人間形態なのに、羽が生えたかのように動くシルヴィア。年相応の少女のように見え愛くるしい。これで、誓いも受けたことがない、ガキドラゴンなんていわれることもなくなったのだ。

 

「これで妾は、さらなる偉大な竜に近づいたのじゃ。ああ、いつ他の竜が求婚に来てもおかしくないのう。あぁっ! 妾の魅力が争いを生んでしまうの」

 

「それは何よりです」

 

お仕事モードですと言わんばかりのヨハンの敬語対応にも気にすることなく、彼女は浮かれていた。ヨハンが此処まで彼女を操縦できるような提案を出せたのは、仕事上の悪魔との付き合いによるもので。何ら彼女の成長に寄与していないのは、彼女が気づいてなければご愛嬌だ。

 

なお、人間界最大の迷宮(竜の巣)が彼女の住まう場所であり。年を負うごとに気性が荒くなると言われる雌ドラゴンで、最上位の名家の一人娘の彼女。釣り合う未婚の異性は広い商会の情報網でも見つかっておらず。

そもそも、昨今の雄の竜の恋愛離れが、竜の間で社会問題となってる程に長老たちを悩ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■

 

 

「ヨハン!! ヨハンはおるかぁ!」

 

「なんだ、シルヴィア様」

 

ある日、彼女から支給された実力不相応なマジックアイテムの服に身を包んだヨハンは、慌てたような彼女の声に呼び出された。

 

今は壁面の石を一つ一つ磨く作業だったが、もはやそれは一種の趣味のようなもので、いつでも辞められる。急ぐものではない。

後回しにすると面倒なのでというやや消極的な理由で、彼女のもとへと向かった。

 

「妾の銀のロザリオ知らぬか!?」

 

彼女の私室に無遠慮に入れば、慣れたものとばかりに。シルヴィアは化粧台の棚をひっくり返す勢いで、まるでコソ泥のように物色していた。こちらを見ずに言葉を投げかけてきた、偉大なる竜が情けないと思いつつも、彼女の様子を見て気づく。

 

「ああ、たまにつけている銀ギラのやつですね」

 

「そうじゃ! あれはお気に入りでのう。なんでも人間が銀メッキとやらで作ったもので、普通の銀よりも銀色なのじゃ」

 

それは一般的には価値がないのだが、まぁ光るものが好きな竜の習性か本能か。それとも価値ある宝は他にもあるので、珍しいちゃちな偽物が逆に希少性があるのだろうか。

そんなことを考えながら続きを促す。

 

「それで、それをなくしたと」

 

「そうなのじゃ……おかしいのう。前まではあったのじゃが」

 

今度は寝台のシーツを引っ張りめくって探し始める。せっかく朝整えたのに、何て思うことなく、最後に彼女がそれをつけていた時を、ヨハンは記憶から洗い出す。

 

「あっ」

 

「なんか知っておるのか?」

 

「いえ、そういえば」

 

そういって部屋を何か言うわけもなく後にする彼と、その後ろをひな鳥のようについていくシルヴィア。彼が向かったのは宝物庫、入ってすぐにある希少本などをしまった、本棚が並ぶスペース。

 

「確か……」

 

彼はそこから何の変哲もない、ただし背表紙には宝石がちりばめられた、美術品としての装飾本を。もう本を落とすことなく器用に義手を操り取り出して、球体の指でパラパラとめくる。すると、真ん中ほどでページは止まり、間に挟まれていた栞が顔を出す。

 

「そ、それじゃあ!」

 

「これを読んでる途中に眠そうになってたので、本に挟んだのかなぁと思ったので」

 

彼の読み通りたいして面白くもない内容に、彼女の意識が遠のき、栞と間違えたのか首から外れたのか、ともかく挟まってしまっていたようだ。

 

「感謝するぞ、ヨハン。さすがじゃのう」

 

「いえ」

 

シルヴィアは銀色に関しては、若干センスがブレるが。それ以外に関しては、誰に見られるわけでもないが、宝石を愛でる時以外は見た目には気を使う。小物なども人間の感覚でも割と頻繁に交換している。案外おしゃれさんであり、年頃の裕福な少女としてみれば普通かもしれない。

 

そんな彼女が、特定の物をつけていた時に、何をしていたかをしっかり把握しているというのは。二人ともなぜを考えない、そんなとある一日の一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■

 

「のうヨハンよ。この前のロザリオの礼はこれでよいのか」

 

「ええ、構いませんよ、むしろ光栄です」

 

寒空の下。否、寒空の上。彼は人型の彼女に手を引かれて山頂へと尋ねてきていた。

 

険しい雪山もその先端は、魔法が無ければ息もできないほど高い場所にある。その為なのか、ここには雲一つもない、紫色の空が広がっている。

 

シルヴィアからすれば、家の屋上に連れてきてほしい。といった、そんな些細な願いであり、何年か前のロザリオの件に釣り合うのか疑問だったが、こればかりは彼が暴利を貪っているといえる。

この光景を見れるのは、事実人間では彼くらいなのだから。

 

「あまり妾のそばを離れてはならぬぞ、寒さと息が出来なくて死んでしまうからのう」

 

「わかってる、シルヴィア様」

 

前人未踏と正しく言える場所。何せ一番高い山だが、場所は北の果て。ここに来るものは、頂上ではなく地下深くのダンジョンを目指す。贅沢な場所だと、ヨハンは増えてきた白髪をなでながら風に吹かれる。

 

明るいからまだ昼であろうに、太陽は見えず、星が見える。そんな摩訶不思議すぎる光景は、あまり情感が豊かと言えない彼の心すら動かした。取引相手の悪魔から、一回くらいは観る価値があると言われたのも、成る程と納得できる光景だ。

 

彼の瞳は心を奪われたかのように、紫色の空を見つめている。どんな宝石よりも珍しいものを見つけたかのように、爛々と瞳が輝いているような錯覚すら覚える。

 

「むぅー……」

 

そして、その横顔を見たシルヴィアは、なんとなく小さなイライラを覚えて、彼の手を引く。

たしかに彼女も、散歩の際に気が向けば此処まで高く跳ぶこともある。景色に美しさを覚え。何となくただ見つめて思いにふける日もあったはずだ。

しかし、何故か今日は。落ち着かない。彼に請われて嬉しく。彼とでかけて楽しく。そんな風にふわふわと浮いていた心が。雨で濡れてしまったのか。ジメジメと重いような気がしてならないのだ。

 

「そろそろ帰るぞ、義手が冷えて体に悪いからのう」

 

「はい、ありがとう。シルヴィア様」

 

「ふんっ!」

 

彼からの感謝もあったし、こちらが了承したことなのに。どうにも気分が落ち着かない。

出会ったころと比べて皺の増えた彼が、彼女の好きな銀色の髪を増やしつつある彼が。

こちらを見ずに空を見上げていることが、なんでイラつかせるのか彼女は終ぞわからなかった。

 

帰ってきた彼女の私室で、彼を下がらせた後一人。こっそりと彼からくすねてきた銀色になった彼の髪を眺めながら。寝台で分からない悩みをゆっくりと検討するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うぅ、今日は冷えるのう」

 

彼女の住処は魔道具によって、そして何より立地上。一年を通して一定の気温だ。それでもドラゴンの彼女には、何年かに一度だけ、月食だか日食だかが重なる日は、ひどい寒さを感じる日がある。数十年に一度の異常気象だが、外は雪山でありある種当然のことだが。

 

その日にしか火を焚べられない、食事をする広間にのみだけある大きな暖炉。そこにソファーを持ち込んで暖を取る。昔は父と母の間に挟まり体を寄せ合っていた。アレは何度前のこの寒い日だったか。

 

 

「ほれ、もっと温めるのじゃ、ヨハン」

 

「はいはい、シルヴィア様」

 

毛布に包まり、珍しくドレスの上にケープを羽織っているが、変わらず薄着の彼女は、いつか父にしたように彼の膝の上で、彼の胸元に顔をうずめて暖をとる。

 

「んっ、人間は温いのう」

 

「シルヴィア様も、十分暖かく感じますが」

 

彼からすると、なぜ寒がっているのだろうというほどの温かさで。しかしシルヴィアの小さな体は本当に少し手足が震えていたので、そういうものと納得する。

 

「前回もこうすればよかったのう」

 

前のこの寒い日は、毛布にくるまりひたすらヨハンに強い酒を横で作らせて、片っ端から飲んでいた。竜の形態になって灼熱地獄に飛び込んでも、表面積が増えて寒さが倍増するのだ。母が若い頃に試して寒くて泣いてしまったと。笑い話としてしてくれた記憶がある。そのため酒を煽って体を温めてるのが一人になってからの習慣だった。

 

「こっちのがずっと良い、良いぞヨハンよ。お主はぬくもりの才能があるのぅ」

 

「ありがたいことで」

 

低くしゃがれたようなその声が頭の上から聞こえて、くすぐったさを覚える。幼き頃の父で温まった時よりも。体の奥底からぽかぽかと温かい。どうしてだろうと考えてみるも答えは出なかった。

 

「ほれ、もっと温めぬかヨハンよ」

 

「勘弁してください、義手は冷たいからって、没収したのはシルヴィア様だ」

 

「火であぶれば使ってよいと言ったのじゃぞ?」

 

「それだと俺があぶり焼きになってしまう」

 

そうは愚痴りながらも、肘に届かないほどで切られた右手と、かろうじて、肘まではある左手で。彼女の肩に精一杯腕を回す。小さく華奢な彼女の体でも、抱えきれないほど短い腕で、必死に彼女を自身の方へと抱き寄せる。

 

「ん、人間の鼓動は早くてうるさいのじゃのう」

 

「竜はゆっくり何ですか?」

 

「うむ、まぁ気が向いたら聞かせてやろう。この世で最も美しい音色は、ドラゴンの心臓なのじゃぞ」

 

寒さを誤魔化すように、シルヴィアが彼の胸へと頭をこすりつける。少し下がってしまった毛布を彼は必死に首を曲げて、口で引っ張り上げて、その場しのぐのだった。

滑稽な彼の動きに、彼女は彼にバレないように顔を彼の胸で隠しながら小さく笑う。寒くて不満でいっぱいだった気持ちは、何故かとても暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■

 

 

近頃、夜にヨハンが部屋から抜け出している気配を、シルヴィアは感じていた。

何度か気になって尋ねてみたが、大したことはしていない、石畳の掃除や、書庫の整理、カトラリーの整備など。普段と変わらない仕事をしていると言っていた。

 

「最近はあまり長い時間眠れなくなってな、空いた時間でやっているだけだ」

 

「そういえば、お主は昼寝も増えたのう」

 

真っ白な、否。彼女が好きな銀色になった髪の毛をオールバッグに固めて、いつからか手に入れていた燕尾服に身を包んだ彼は、ドラゴンに仕える義手隻腕の老執事、といった具合だ。

 

「ああ、そういえばシルヴィア様。ようやっと望みが決まりそうです。おまたせしました」

 

「おぉう、思ったより早かったのう。悩むという事だから、100年位かかると思っていたのじゃ」

 

寛大な妾は300年は待つつもりじゃったぞ。そう朗らかに出会った時よりも、もしかしたら金貨一枚分くらいは分厚くなったかもしれない胸を。誇らしげに逸しながら、彼女は笑う。

 

「そうですね、次の満月、双月の満月にお願いしましょうか」

 

「良いぞ、準備も説明もあるじゃろうからな」

 

「はい、偉大な銀の新なる竜、シルヴィア様に相応しい。貴女にしかできないお願いです」

 

「ほうほぅ! そうか! よいのう! 流石ヨハンじゃ! どの国へのカチコミかのぅ? それともエルフの森を燃やし尽くすのか? 楽しみじゃのう!」

 

うきうきと、自身の力を振るえる機会が来ることを楽しみにしている彼女を、ヨハンは優しい目で見つめる。来月は出会って大体50年位の日だ。日付感覚も年なのか、彼女に合わせてなのか。どんどん大まかなものとなってきたので、おおよそではあるが。

 

願いを伝えるには、ちょうどよい時節だろう。

 

昔に比べ、切れが悪くなった体の動きを。彼女の前ではなるべく見せないように背筋を伸ばして。一礼して部屋を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

いつかの出会いと同じ夜。そう自分に言い聞かせてみる。

別に何かの記念でもない、ありふれた日。

 

彼はお願いをするからという理由で、宝物庫でもなく、広間でもなく。彼女の私室を訪れていた。ここひと月入念に磨き上げて、廊下には塵一つない。

5つの玉が指代わりの義手での掃除も慣れたもので、今では箒を2本同時に扱えるほどだ。

 

ぼーっと佇むように部屋の隅に立っていると、シルヴィアがやってくる。宝物庫から新しいドレスを掘り出してきたようだ。

今日も変わらず銀の髪をなびかせて、自信に溢れた瞳で。明日を疑うこと無い子供のような純真さでやってくる。

 

この大迷宮の主としてふさわしい風格で、この謁見の間とすら言える彼女の私室はきっと、いずれ彼女とここまで来た冒険者との死闘が繰り広げられるのであろう。

甘めな彼の採点ではそれを確信できる佇まいだった。

 

「さて、ヨハンよ。お主の願いを聞こう……いやぁこんな感じじゃったかのぅ」

 

「懐かしいですねぇ、遠い昔のようです」

 

いつ見ても美しい。銀細工のようにすら思える竜の少女。

最初は何の感情もなく、そしていつからか死なない理由となった。出ていくことも出来たが、それはあまりにも億劫で。傷が癒えるまで、手に慣れるまで。どんどん理由を見つけて先延ばしにした滞在。

そんな中でいつからか、彼女のことを美しいと思う様になった。純真で真っ直ぐ。いずれ大器になるであろうと感じさせる利発さと、人を惹き付ける隙ある魅力。

それらを併せ持つ彼女の姿に、彼は内心で笑みを漏らす。

 

「はい、私のシルヴィア様にしか聞いていただけない望みです」

 

「おおっ! 遂にだな!」

 

指折り数えてというほどではないが、彼女は先月聞いてから、時たま思い出してワクワクしていた。

彼女にとってのヨハンは、よく気が利いて。何処か父のようで居て、それでいて少し違う。不思議な距離の人間だ。

彼が来てから、退屈じゃと口癖になっていたそれは、日々少なくなっていった。そんな、結果的に欲しいものをくれる彼が、やっと自分にしかできない望みを頼むのだ。

竜の誓いを結べると、いやこれは完遂できるということに、彼女は熱くなる。

 

「……まず、これは望みではないのですが。お暇を頂戴したいのです」

 

「…ぬ? 暇?? ……あぁ、やめるという事か。変な話よのう、いつの間にか妾の執事気取りなのじゃから」

 

彼が来てから多少の月日が流れて、ようやっと慣れてきたころだ。しかし、もとより彼との関係は望みを言うまでの一時的なものだ。おかしいことでは何らないのだが、少しだけ彼女の心が逆立った。

 

「まぁ、そういった約定だったからのう、異論はないのじゃ」

 

「ありがとうございます。シルヴィア様。このヨハン、形はともかくシルヴィア様にお仕え出来て幸せでした」

 

「つい最近まで、生意気な口の聞き方じゃった気もするがのう?」

 

彼女がそうからかう中も、ゆっくりと最近腰を痛そうにしているのに。それを感じさせず直角と見まごうほどに彼は腰を曲げて、深々と礼をする。

 

その彼の様子を見て、むず痒いような、誇らしいような嬉しい気持ちと。

悲しいような寂しいような、冷たい心がアンチノミーして、更に彼女の心はざわついていく。

 

「では、一人のヨハンとして願います」

 

「……聞こう、わが命を救った人間よ」

 

思い出すのは、なんてことの無い攻撃。命を救われたわけではない。

だが、命を使って庇われたという以上、彼女も誇りにかけてそれに答える必要がある。

 

いや、応えたいと。彼女の心が思ったのだ。

 

 

 

だから────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を、あなたの血肉としてください」

 

「……なんじゃ、それ」

 

 

願いは伝わった。そう、願いは届いた。されど伝わらなかった。

違う、その意味を彼女は、理解することを拒んだのだ。

 

 

 

ゆっくりとその場に膝をついて座り込むヨハン。

その姿には先程までの溌剌さはなく、弱った老人のようだった。

 

「私は、もう長くないのですシルヴィア様」

 

「……待て、待てっ! ヨハン!! おまえは何を言っている!!」

 

 

彼女が好きな銀色の髪となった彼、いつの間にかこちらと同じような細さとになった足、考えてみれば、出会ってからどのくらいたった?

人間は何年くらいで繁殖して、営巣するのだったか? そんな取止めもない疑問がどんどん湯水のように彼女の頭にわきあがる。

それは、見ないように考えないように。彼女が蓋をしていた、至極当然の考え。

 

 

「もう私のことを覚えている人間もいない。外に、国や家に恨みはあったが。晴らしたいものでもないのです。これ以上生きていたいという気持ちは、なくはないが……もう充分以上の人生を謳歌しました」

 

「や、やめろ、やめるのじゃ、ヨハン!」

 

人生の1/4だけが外界で、残りは全てこの小さな。いや巨大な迷宮の奥底で二人での暮らしだった。大きな苦労もなければ、強い悲しみもない。

長命種基準の凪のような日々であったが、それはこの時代の人間には、喉から手を出すほどに欲しい、安寧の日々だった。

 

「家を飛び出した臆病者には、望外の人生でした」

 

「おいヨハン、妾の命令じゃぞ! いつものように素直に聞かぬか!」

 

 

別に今日が寿命というほどではない。そこまで奇跡、運命的な調整などはできない。

死ぬその日まで生きても良いかもしれないが、それでは、永遠のような長さ彼女の記憶に残るまい。覚えてほしいなら、思い出すための物をもってもらう。

 

こういって始まった形で、終わって。そして

 

「あなたの血肉となって、あなたに食べられて、共に永遠を生きられるのならば。それが私の願いです」

 

そう、彼の望み。それはシルヴィアに食べられることだ。

残り僅かな寿命でやりたいことを考えれば。あるいは、生に絶望していた出会った時からもしかしたら。

彼女と一緒に、一つに、同じになりたいという望みはあったのかもしれない。

 

 

「なぜじゃ! なぜそんなことを言うのじゃ!! 命が欲しければ、妾の眷属、いや竜の騎士になれば良かったではないか!」

 

シルヴィアもわかっている。竜の騎士になって伸びる寿命は元の寿命の経過を遅くするという事であり、老体に使っても1年も伸びないのは珍しくないことを。

であれば、もっと若いころに言い出せばよかった。

 

「シルヴィア様、人は死ぬのです。そして私も間もなく」

 

「じゃがぁ、それは……」

 

落涙しながら、外見のように幼子のような声を上げて、彼女は目の前に膝をついているヨハンをみる。随分と小さくなってしまったように見える。これが人間の寿命というものか、なんて、そうなんて短いのだ。

 

「そして私の望みは、何度でも言いましょう。他ならぬシルヴィア様に私を食らってほしい。それは当然あなたにしかできないものです」

 

「じゃが、じゃがっ!! それは嫌なのじゃ! 妾もヨハンと一緒にいたい! 一緒にいて欲しいのじゃ!!」

 

「嬉しいお言葉です、シルヴィア様」

 

 

人には長い50年。竜からすればさほど長くない時間。

それでも彼女は、強く願うほどに、今の今まで喪失を覚悟するまで気持ちに自覚すらなかった。

 

この関係は何と呼ぶのだろうか、友愛か? 情か? 偏執か? 執着か? それともまさか愛なのか。だが、二人は同じものを持って、同じ方向を見ていた。

 

眼に捉えて、映るものをしかと描いていたヨハンと、真の意味では見えていなかったシルヴィア。それだけの話だ。

 

「良い冥府への土産が出来ました」

 

「まてっ、そんなヨハン、お前!!」

 

シルヴィアは気づく、ほんの僅かだが、膨らんでいる彼の懐を。

細長い何かを胸元にしまっていたことを。

 

「ここ数日、シルヴィア様の好きな葡萄酒をずっと頂戴しておりました。それしか口にしておりませんので、良く味が染みていると良いのですが」

 

「待てッ!」

 

彼が懐から取り出した、良く研がれた鋭いナイフを、そのまま器用に義手でつまむと、自らの腹へと勢いよく突き立てる。理解を拒むほどの光景だが、致命的になってやっと彼女は動けた。

 

「ぐぅっ!」

 

「っやめろ!! 抜いてはならぬのじゃ!」

 

突き刺さったナイフ。それは加齢で弱った彼の体には致命傷で。だらりと流れる血を前に、苦しみながら引き抜こうとしていたヨハンの義手を彼女は押さえつける。

 

シルヴィアの膨大な魔力あれば、治癒魔法で傷口を塞ぐことも傷ついた臓器を治すこともできる。だが、血は、血液だけは補えない。

ナイフを抜いて血を失えば、もう彼女にはどうしようもない。

痛みに悶えながらも、ナイフを引き抜こうともがく彼を思い切りにらみつける。

 

「ふふっ、シルヴィア様、これでは抜けません」

 

「馬鹿者ぉ! 自ら命を断つ奴がおるかっ!!」

 

涙目で、普段の威厳など全くなく。それでも彼女はそう言い切った。

そのまま無理やり彼の腕の付け根、つまりは義手の接合部を外して、彼からの抵抗を止めさせる。諦めたのかもがくことをやめたヨハンに、彼女はナイフをゆっくりと治癒魔法をかけながら抜いていく。

 

これで、もう残り短い彼の命は、どれだけ流れ出てしまったのだろう?

近づいて彼を【観れば】わかる、今日明日ではないが、1年と持たない命だということを。

 

なぜ気づかなかったのか。いや気づこうと考えようとしなかったのか。

それが彼女の心を責め立てていく。

 

「……わかった、お主が死んだら。お主を貰おう。だからぁ、最後まで一緒にいてくれ、ヨハンよ」

 

「はい、シルヴィア様……ですが」

 

「なんじゃ? 」

 

「どちらにせよ、もうすぐお別れのようです」

 

傷一つ残らないで治療は終わったものの、血は流れ出て。

何より、治癒魔法は被術者の体力を奪う。

それでも何もしなければ死ぬのは当然なので、彼女はそうせざるを得なかったが。

 

 

「シルヴィア様」

 

「なんじゃ、ヨハン」

 

 

息も絶え絶えに、愚かな。主人の前で割腹をした狂った壊れた男は。

彼女へと言いたかった言葉を投げかける。

 

 

「幸せになってください、ずっと一緒にいます。私が見ております」

 

「ああっ! そうだな」

 

そして彼は意識を失った。鼓動はまだ脈を打っているが。

もう自力で起き上がることはなかった。

 

彼の部屋となった元客間の寝台の上で、数日の間生死をさまよい。

時折意識を取り戻し、その際に横にいた竜へとうわ言のように再会を願うことを伝えていた。

 

しかし、割腹から3日目の朝に彼は冥府へと旅立った。

 

 

「……本当に死んでしまったのか? ヨハンよ」

 

広い広間。一人で使うにはスペースが余る。そこに彼女は一人で座っていた。

元より、竜のままで入れることを想定しているのだから、当然ではある。

 

楽しい時間だった。まさか人間がこんなにも短命だとは知らなかった。

それでも、とてもとても感情の動きに満ち溢れていた。

 

人間をその一生分の間、自身の騎士にして遊ぶという竜の気持ちが、今までわからなかったが、彼女はわかってしまっていた。

もし、彼と出会った日の彼女に手紙を送るのならば。望みなど言わせず、押し付けるように竜の騎士にしてしまえと。

そう願うほどに楽しい50年だった。竜の騎士になってもきっと300年も生きられないだろうが、そして別れの時は、悲嘆にくれるだろうけれど。

 

彼女はそうありもしないであろう、何時かのもしかへと思いをはせながら、ドレスを脱ぎ捨てて、真の姿、竜のそれへと転ずる。

そして静かに顔をテーブルの中心へと伸ばす。

 

「約束だからのう、ヨハンとの最後の」

 

そして彼女は、テーブルの上に横たわった細い枯れ木のような男性の骨ばった遺体へと、舌を伸ばして口に運ぶ、慈しむように遺骸を舌で包んだ後は、ゆっくりと一度も牙を立てることなく、そのまま嚥下していく。

 

「ああ、これでヨハン。お前が妾の中に。永遠に一つにいるのじゃな」

 

魔石で加工した彼の遺体は、食事としての栄養ではなく、

魔力でできた彼女の体へと溶ける。そして彼女の死までという永遠を共に生きるのだ。

 

 

「────────ッ!! ──────ッ!!」

 

 

竜の咆哮がダンジョンの奥底から響いていく。

それはこの大迷宮の中層を進む先端攻略組にも、上層をめぐる腕利きたちにも。入り口に居を構える民草にも届いていく。

 

さあ来てみろ人間ども。ここにおるのは通過儀礼を終えて、成竜へと育った竜だぞ!

 

そういう威嚇と聞こえたものもいれば

 

愛する人を思う悲しい声のようだった。

そう聞こえたものもいた不思議なおたけびだった。

 

 

 

 

 

 

北の果てにある、巨大なダンジョン。大迷宮。

そこには永遠を生きる銀色の、美しい少女の姿のドラゴンがいて。

銀の腕を守っている。

そして、彼女を倒せばなんでも願いをかなえてくれるとのことだ。

 

 

 

そんな、どこにでもある、昔ばなし。

 

 

 

 













あらすじに続く


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森には足の生えた蛇が住んでいるらしい

前話を読んで、あらすじも読みました?
タグも見て理解していただけた?

まだならもう一度読んでくれると嬉しい。

ここから先は本当に蛇足、つまらないお話だ、
今日は0721の日だから、作者の自己満足だ。

前話から108時間、煩悩の数たったし、いい機会だから投稿します。


 

進め進め北の果てまで。

野を超え山越えどこまでも

怨霊はびこる戦場超えれば、金銀財宝目の前だ。

 

そんな陽気な歌を口ずさむ。

 

それは人類の生存圏の最北方に位置する、巨大な山脈の合間。

竜が住むと噂されるダンジョンに行く、向こう見ずな人間を歌った歌だ。

 

男はそれを口ずさみながら、ダンジョンを下っていく。

焦らず着実に、しかしはやる気持ちは早鐘のようで。

上層の外れにある玄室。正規ルートではないという調査が進んで、見向きもされなくなったその部屋。空の箱が隅に申し訳程度にあり、もう空っぽの部屋だと主張しているようだ。

入って向かいの壁面の。右端から17個上から4つ目の石を5回小突く。

すると、転移罠が起動し、彼の姿はどこかへ消えた。

 

ダンジョンを甘く見た新入りが、また一人帰らぬものとなった。

奇妙な言動を覚えていた奴らは、そういえば見なくなったと酒の肴で話題にする。

その程度の話だった。

 

 

 

■■■■

 

 

「途方もないな、困りはしないが」

 

ヨハンが主に、シルヴィアの居城でしていた作業は、時期によって違ってくる。

シルヴィアは宝を愛でることが趣味であるが、コレクションへの愛着は量があるから一部に向けては多少ぞんざいだった。

彼女の宝物庫の整理は、彼が本格的に彼女の雑務をするようになって行っていたことだ。

うず高くそこら中に絨毯のように敷き詰められた金貨の山。隅に積んである、希少本の塔。積み上げられた木箱の中身は貴重なマジックアイテムだろうか?

 

それが、城の広間といえるほどの、100人でダンスパーティーが開けるであろう、広い部屋に埋まっているのだ。まともな人間ならば管理をあきらめるであろう。

しかし、彼には時間だけはあった。

隻腕の彼には、ひとよりも物を運ぶのに時間もかかる。それでも

 

「シルヴィア様、空いてた本棚に本を並べたぞ」

 

「おおっ! ヨハン! なんか宝物庫が、よりきれいになっておるのう!」

 

時間もあり、暇だと言っているのに。整理整頓をしないでため込むだけの竜の本能故か。そんな彼女が少しとっかかっただけで喜んだのを見て。

彼は久方ぶりに、誰かに必要とされ感謝される。そんな当たり前の嬉しさを思い出せた。

 

「もっときれいにしたいが、物資が足らない。商会とやらで買ってよいか?」

 

「む? 好きにしてよいぞ? ヨハンがここをきれいにしてくれるんであれば、多少財が目減りしようが、関係ないのじゃからのぅ。妾は見栄えにも気にする偉大なる銀の竜じゃ」

 

先代の彼女の母がこの巣を持っていたころから、ため込まれ続けている宝物庫。

隻腕での作業も相成って牛歩ではあったが、少しずつ彼は宝物庫の整理を始めた。

して今、彼は彼女より一定の裁量権をもらった。

 

本棚の追加から始まり、陳列棚、高価なガラスケースなんかも手配してみたい。なんて夢想しながら、今日も彼は金貨を箒ではくのであった。

 

 

 

 

 

 

▲▲▲▲

 

「つまらぬ、お前といてもなにも楽しくないのじゃ」

 

「そ、そんな」

 

「客人のおかえりじゃ、案内せい牙兵」

 

そう興味なさげに言い放った後、牙兵に目の前の男を追い返させる。冷たく魔性の美をたたえる相貌は、愛想笑いの一つも浮かばず、銀は銀でも白銀の世界の冷たさだ。

 

その男からすれば、周囲を取り囲む牙兵などその気になれば鎧袖一触。その程度には力があった。しかし、もしそうした場合、ただでさえ不機嫌にこちらを睨む彼女の機嫌を損ねれば……1000年も生きていない生が終わりを迎えるであろう。

これ以上は無理かと、彼は渡すことすらできなかった、彼の一番の貢物をそのままにすごすごと帰っていく。やはり、高望みが過ぎたかという諦めもあったが。

 

 

「ふんっ、つまらぬ。全く何をもって妾に釣り合うと思ったのじゃ? あ奴は?」

 

ありていにいれば、彼女のもとに来ていたのは求婚だった。

営巣期に入ったドラゴンが、あなたに来てほしい巣を作ったと、そんな風に声をかけてきたのだ。

 

「シルヴィア様に釣り合う竜は、同世代にはちょっといないですねぇ?」

 

「むぅ、悪魔よ。であればなぜこんな話を出してきた」

 

商会より派遣されている、その女悪魔を軽く睨む。今回のこの謁見は、商会から話が来たものだった。

 

「だってぇ、シルヴィア様もそろそろお年頃ですからぁ、珍しくチャレンジャーも来ましたしぃ」

 

「……ふんっ、妾は既に偉大な竜だが、まだ番いはいらぬっ!」

 

「そう言って何年ですかぁ? ヨハンちゃんがいなくなってもう────」

 

「────やめろ、いくら貴様とて許さぬぞ」

 

冷たい声。普段の若干舌足らずにしゃべる、のじゃのじゃ言ってる彼女ではない。その言葉を口にするなと、そのことを思い抱えるのは、自分だけだと。

本来竜は恐ろしく嫉妬深い生き物であり、自らの竜の騎士の墓すら、よほど親しくない限り親族にすら参らせない。そんな竜の睨みを前に。

その女悪魔は『失敗したなぁ』と軽く笑うだけ。

それは別に実力や、長年彼女と彼を見てきた信頼によるものではなく、単に彼女の肝が座っているだけだ。

 

「すみません。彼はおいておくとしても。あの貢物が全財産の代表なら、多分金貨が小山一つ程度ですか? そんな総資産のドラゴンじゃ、釣り合いませんからねぇ」

 

「……わかればよいのじゃ、それとふた山ほどはある感じじゃぞ、質があまりないようじゃ」

 

ただでさえ機嫌が悪かったのに、ヨハンの名を聞いて彼女は更に心が逆立つ。メスのドラゴンは年々気性が荒くなる、営巣中は特に。彼女は営巣前ではあるが。

彼女が今立ち去った竜の総資産がわかるのは、ひとえに竜の財宝への嗅覚からだ。彼彼女らが使う言葉は、魔法のような声質を持つ、詠唱を必要としないで超感覚を持つ。

そんな竜達が全財産を差し出すのが求婚の証であり、こうして他所の巣に来る時は全財産の代表の物をもってきて、渡して見せる。それだけで相手はその竜の大凡の財産がわかってしまう。ごまかしは効かないシビアな習性だった。

 

閑話休題。彼女は自室を後にして、乱暴に宝物庫の奥の金貨で積み上げられた寝台に向かう。昼寝やくつろぐためだけに使うそこは、寝室に比べて幾分も簡素で、使い古されたこの場に似つかわしくない寝台が1つある。

 

そこには一本の銀の棒がおいてあり、彼女はいつものように、乱暴にドレスを脱ぎ捨ててから、それに足を絡めて胸にかき抱くようにして懐にうずめると、ゆっくりと目をつぶり、微睡みへとふけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い何も見えない通路を進んでいく。細い細いそこは、魔物の気配も、人の気配もない。ただただぐにゃぐにゃと曲がりながら下っていく道。灯り一つない、人が一人ギリギリ通れる程度の幅の道。

 

かかっている罠は、ただ1つ。明かりを灯した物に襲い掛かる毒矢だけが等間隔で天井にある。

 

そんななにも見えない細い通路を彼は静かに進んでいく。手で石壁を触る感覚を楽しみながら。

あんなにも磨いたのに、この感触を忘れていたな。いやわかるわけ無いか。なんて内心笑いながら。

 

気が狂いそうな暗闇をまだ、余裕綽々と。

冥府に続くかのような深淵を、散歩のように。

踏み違えれば、自身の場所さえわからなくなりそうな中を。

 

 

彼はただただ進むだけだ。

 

 

 

 

 

■■■

 

「ヨハンちゃん、この内容でいいのぉ?」

 

 

宝物庫の整理も年単位の整理で何とか形になり。ただの宝置き場から、来客を招いて自慢できるそれになったころ。

彼は人間がまず手に入れることのできない、最上級の契約書を、取引相手の悪魔に見せていた。

 

「草案だが不備はないし、対価もこれで十分だと思うが?」

 

「あ、そっち? いやこれ一枚で城が立つ、大悪魔とも結べる契約書よぉ?」

 

「シルヴィア様が気にしないならいいだろ」

 

実際のところ、彼女の所有物の契約書を勝手に使うのは、大分まずい筈なのだが。彼は宝物庫を良くするための裁量権でゴリ押すつもりだった。

 

それにシルヴィアはもとより金貨や宝石に銀などの、わかりやすく光るものが好きで。壺やら絵画などの芸術品や、マジックアイテムなどの実用品はあまり興味がない。まだかわいい服の方が関心ある程度だった。

竜らしく、子供らしい好みである。

 

 

「確かにシルヴィア様は、たまに買うのドレスくらいですけどぉ」

 

「紫のやつは一度褒めたらよく着るようになった。可愛らしいことに」

 

「ヨハンちゃんも罪な男ねぇ……本当に」

 

彼が取引している悪魔は、シルヴィアが取引の際に人間であるヨハンを使うようになってから、担当が変わり彼女となった。悪魔らしく名前を名乗らない、女悪魔と呼べば片がつく。意外なことに彼女は付き合いの割にシルヴィアにも気に入られていた。

 

「うん、契約内容は『死後最短での人間への生まれ変わり』対価は、『今後すべての精』うーん……少し釣り合ってないけどぉ。契約書の効力とお友達割とヨハンちゃんだからOKかなぁ?」

 

「お前は……なんか、悪魔らしくないな」

 

前の取引をしていた悪魔は、もっとこちらを下に見るように慇懃無礼であった。それでも契約に関してはシビアで誠実だったので、まるで格上で堅気な貴族と話しているようだ。といった程度の印象であり、悪印象はなく悪魔らしい悪魔だと彼は思ったものだ。

 

しかし、目の前の彼女は違う。青肌で、整った容姿を持ち、金髪というのは普通だが。どこか人間臭さを感じる。

 

「まぁ私は人間界育ちでぇ。先祖返りの悪魔なのぉ。ママがハーフでぇ、パパが人間。でもすごぉい力を持ってたからぁ、ひいお祖父様の紹介でこっちに来たってわけぇ」

 

「ほぼ人間ではないか?」

 

人に歴史あり、いや悪魔に歴史ありか。

結ぼうとしている契約がひどい物ではあるので、他に出せるものも考えていたが。何と契約書の添削までしてくれるのだから意外だったが。もちろん全部を信用せず、文献などで裏をとっているが今のところ嘘はつかれていない。

 

「最初は人間として育てられたのだけどねぇ? パパのことぉ堕落させようとしたらぁ。ママと大喧嘩になってぇ」

 

「いや、やっぱ悪魔だな」

 

初手で実の父親を食いに行くのは、悪魔的所業もいいところだろう。思わず冷や汗が垂れる。

手に持っている契約書、もう一度見直しておこう。そう決意しながら。

 

「だって、パパ超絶倫でぇ美味しそうだったんですぅ……結局ママにぃ名前も魂も精も、ぜぇんぶ差し出してから死んじゃったけどねぇ……腎虚で」

 

「悪魔の家系じゃないか」

 

性悪な悪魔に搾り取られ続けて、何もなくなり死んだ男を思い浮かべて。自分も気をつけねばと思い直すヨハン。

だが、そんな様子を見て女悪魔は静かに笑う。まるで自分たちだけが知ってれば良い真実があるかのように。

 

「まぁ、だからぁヨハンちゃんに協力しちゃうんだろうねぇ。悪魔の性は変わらないから」

 

「どういうことだ?」

 

「ううん、なんでもなぁぃ」

 

永遠を契約した伴侶という存在がいた男に入れ込んだ次は。種族の違いを少しでも縮めようとして相手のために悪魔と契約する男。

他の女を見ながら、こちらにも少しだけくれる情。それを求めるのが彼女の救いのない性だった。

 

「まぁざっくり30年以上は貰うからぁ、死なないでねぇ?」

 

「わかっている」

 

しばらくして、彼はその女悪魔と契約を交わした。どうせ使えないのならばと投げやりな理由で。寿命を迎えるときまで、彼は定期的に対価を払い続けていた。

 

シルヴィアは終ぞ、この事を知らぬまま。

女悪魔の心情は誰にも知られぬまま。

彼は契約を結び履行していったのだ。

 

 

 

▲▲▲

 

寝台でまどろむ彼女は夢を見ていた。遠い遠い、まだ二人で暮らしていたころの夢。

────まだ彼の髪が銀色になりきってはいなかった頃

 

「良いのう、金貨の輝きは本当に良いのぅ」

 

「それは何よりだ、シルヴィア様」

 

彼が一部の金貨をさらに愛でられるように壁と敷居を作って、金貨を集めた場所。まさに金貨の山ともいえるほどに、ドラゴンの体のままですら金貨にも潜れるという金貨の湖がそこにあった。

 

しかも、彼が暇なときに金貨を磨いては置きなおしているため、キラキラと眩い光を放っている。ドラゴンにとって最高の癒しスポットである。

 

「ヨハンこれは良い仕事じゃ、ほめて遣わすぞ」

 

「ありがたい幸せです。はいはい」

 

半分以上は彼の拘りというか凝り性による物なので、特に気にしていない。若干の罪滅ぼしの意識があるとかないとか。

彼女もそれが分かっているのかいないのか、不備に関しては特に言及しなかった。

この辺は気分屋である彼女らしくもある。

 

「まぁ、欲しいものがあったら言うのじゃぞ?」

 

「そうですね、考えとく」

 

今度は仰向けに金貨に体を投げ出す。彼が整えた金貨が湖の上に、彼女のなだらかな体が広がっている。静かな湖畔の湖面の様に波立っていない。

 

「時に、ヨハンよ」

 

「なんだ」

 

「お主は金貨が好きではないのか? 人間はみな好きなものかと思ったのじゃが」

 

この世界に流通している金貨は、基本的に古代に悪魔が広めたものだ。人々を堕落させるために。それを真似して人間が作ったりといろいろあったが、世界中どこでも使えるという意味では貴重且つ、普遍的に好まれている。

しかしヨハンは金貨に、というよりも金品にあまり執着を見せないのが、彼女としては不満だった。そもそも給料すら渡していないのだ。

もっともこれは彼女は傅かれるのが当然の生まれと育ちで、そういった概念が薄いから気づいていないに他ならない。

 

「……そうだなぁ」

 

ヨハンは別に金貨が嫌いでもいらないわけでもない。ただ必要以上に欲しいわけではない。勝手に自分の物を彼女の金で買ったりはするが、それも回ってこのダンジョンの管理などにつながるものなので。

そういった意味では一貫している。

しかし、それは人間以上に金貨への執着があるドラゴン相手に、金貨好きじゃない。というのも、少し座りが悪いというか、話の腰を折るような気がして。とっさに思ってもないことを口にする。

 

「俺は、銀貨の方が好きだからな」

 

補助通貨として銀貨銅貨もあり、地方農村などではむしろそちらが主流だ。

大口客の彼女が取引しているために、商会は基本金貨単位での売買しかしてない。その為この宝物庫にはほとんどそれらは存在していないが。

 

「ほぅ。して、その心は?」

 

シルヴィアとて銀貨は知っているが、価値が低いので目の前に金貨があるのに、わざわざ探して掘り出すというものではない。それは彼女のドラゴンとして、知的生命体として当然の判断だ。

 

「銀色の方が、シルヴィア様を思い出して綺麗だからな」

 

なんて、適当なことを言ってみる。困ったら煽てておけば機嫌が取れるなんて。とまでは思っていないが、ヨハンは誤魔化しているだけでからかうような意図はなかった。

 

「んなっ! わ、妾の銀は、そのような安いものではないぞ!!」

 

また、妙な比較ポイントで怒り始めるシルヴィア。

銀メッキが好きなのに、妙なこだわりがある様子だ。まぁ確かに高貴なドラゴンにお前は金貨未満だなんて言えば、殺されてもおかしくはないか。

 

「銀は磨くと、わかりやすく輝くからな」

 

そう言いながら彼は懐から取り出したのは3枚の銀貨。彼によって丁寧に磨かれているのか、そこらの宝石よりも輝き。金貨にも勝らずとも劣らない。そんな輝きがあるそれだ。彼が此処に来たばかりの頃に流石に義手でいきなり金貨を磨くのが怖くて、かろうじてもっていた自分のそれを練習台に使っていた。それだけの話で銀貨はいまだに彼の懐にあった。

 

「お、おおっ!? なんじゃこれは!! ヨハン、これを!?」

 

「はいはい、献上いたしますよ」

 

こうなるのは分かっていたのでそのまま差し出す。金貨の上に座り込んでいる彼女に手渡せば、一度胸にギュッと抱いた後、少し驚いて。その後は顔の前に持って行き恍惚の表情で眺める。

 

慈しむように天井の光に透かしながら、彼女は微笑む。まるで咲き誇る花束をもらった生娘のようだ。もらったのは銀貨というのはいささか以上に即物的だが。

 

「おぉう……よいのう、銀も」

 

「だろ? 」

 

まぁごまかせたであろうと思い彼は宝物庫の整理を続けようと、その場から離れようとする。

 

「ヨハンっ!!」

 

「なんだ? シルヴィア様」

 

その彼の背中に向けて、大声で彼女は呼びかけた。珍しく頬を紅潮させる顔で。

 

「これは、そうじゃな300年後に! 気が向いたら返事を返すからのぅ! お主の願いを叶えてからじゃからの? 泣くんじゃないぞ?」

 

「?? ああ、そうだな」

 

相変わらず時間間隔がぶっ飛んでるなぁ。なんて思いながらも、彼は仕事に戻る。シルヴィアが少しでも喜ぶようなそんな住処にするのが、彼の今の生きる意味だから。久々に願いに関して急かされたので、まぁ忘れるまでは少しだけ距離をおいておくか。なんて考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い暗闇を抜けた先。そこは少しだけ開けた古ぼけた絨毯が敷かれた小さな玄室だ。

隅にはカビの生えた麻袋の中に、保存魔法がかかった少しばかりの水と食料がある。

 

彼は魔法が切れていないことを確認してから、貪るようにそれらを平らげる。

2日間も降りっぱなしだったのだ。それはもう腹も減る。

持ってきた食糧はまだあるが、補給品の方がよっぽど上等だったから。

 

一通り食べ終えた彼は、荷物を枕にして絨毯の上に横になる。毛布を取り出し包まるとそのまま小休止だ。

ここからはもう3日程降りていく必要がある。足場の良くない暗闇の細い通路を下り続けるのだ。

しかし、ここには変わらずモンスターもいない。もう中程までは来たかと考えながら、彼はゆっくりと体を休めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■

 

「ダンジョンの構造を知りたいですかぁ?」

 

「ああ、一応住処のことだしな」

 

彼は同僚というより取引相手の女悪魔と、彼らの商会に間貸ししている、ダンジョン側近くの部屋まで訪れて開口一番そう尋ねた。シルヴィアとの生活の関係上、かなり距離のある故にあまりこちら側までは来ないが、用事があったから仕方あるまい。

 

「まぁ、構いませんけどぉ。持ち出し厳禁ですよぉ? ヨハンちゃん」

 

「当然だ。読んだら燃やしたいくらいだ」

 

馴れ馴れしいちゃん付けという呼び名も気にすることなく、自身の寝台よりも大きい羊皮紙に事細かに書かれているそれをじっくりと見つめる。

 

「これだけの大きさに書いても、中層までなのか……」

 

「ええ。上層はほぼ人間とぉ、野良魔物の縄張りにしてぇ。我々はたまに回収するだけ。メインは中層ですねぇ」

 

本当に、広大且つ深淵であるのだと改めて気づかされる。これを徒歩で攻略しようと多くの人間が街まで作っているのだから恐ろしい。

 

「……この横の細いのはなんだ?」

 

「あ、気づきましたぁ? 非常通路です」

 

彼が見つけたのは、髪の細さほどで隅に一本だけ書かれた細い線だ。ぐるりとダンジョンの外側を貫いて居る。

 

「危なくないのか? こんなのを見つけられたら」

 

見ると、上層の方に途切れているところから、この居住区の直ぐ側まで。どこにも交わらないで伸びている。

 

「超強力な結界で囲ってますしぃ、入り口と出口以外からは入れないからへぇきですよぉ。万が一の際にこれで我々だけでも逃げられるように作りましたぁ。先代が」

 

シルヴィアは許可しているらしい、というよりも彼女の母に許可をとって作った通路だとの事。

竜はこんなにも適当なのかとも思ったが、このダンジョン自体もシルヴィアの祖父が作ったものらしい。雄の拘りが雌にとってはどうでもいいだけか。と、どの生物でも変わらない悲哀のようなものを感じ取ったヨハンは、気にしないことにした。

 

 

「歩いて……10日ほどか?」

 

「上からくると5日くらいですねぇ、下りなのでぇ」

 

人間の足でという但し書きはつくがその位だ。悪魔の彼女たちは、ここまで敵に来られて転移門や出口まで行けなくなった場合、ここをゆっくりと昇って退避するのであろう。

多くの人間が、ダンジョンの主が居たであろう最奥に殺到して、手薄になったあたりで上層の外れに出る寸法のようだ。

 

 

「この中間のあたりに、休憩室を作れないか?」

 

「えぇ?」

 

唐突に彼はそう言い放つ。何の意味があってかはあえて聞くまい。なにせ契約者なのだから。

 

「金は俺が(シルヴィア様の財布から)出す」

 

「まぁ、できますけどぉ……よぉし、ヨハンちゃんの頼みなら、お姉さん頑張るねぇ?」

 

商会の立場としても、オーナーの負担でオーナーの意向通りの改装扱いになるであろうし、問題どころか推奨するべき話だ。儲け話は何よりも重い。

 

「おねえ? え? 誰が?」

 

「それはどういう意味のえ? かなぁ? ヨハンちゃぁん?」

 

話してみれば驚くほどに気さくな、この女悪魔。年に数度用事があれば会う程度だが、打てば響く感じは嫌いではなかった。だから契約を持ち掛けたというのもあるが。

 

そんな彼の珍しい軽口を咎めながら、まっすぐに目的だけを見ている彼を見て。

ままならないなぁ、彼女はそう静かにため息をつくのであった。

 

 

 

 

▲▲

 

 

「お・こ・と・わ・り・じゃ!!」

 

巣を見に来てほしいという、1000年ほど年上の竜からの手紙にそう返事を書いて、彼女は封をする。家のシンボルが描かれた封を見ながらため息をついて、後ろに放り投げる。

ワラワラと牙兵が出てきて、それをどこかへと運んでいく一連の流れ。退屈でつまらないが必要な作業だ。

 

全く、雄なら勝負にはその身一つで来んか。これならまだこの前のふた山の奴の方が胆力があったぞ。

竜にとって全財産と言われ代表を差し出されれば、その財産の価値はわかるが。やはり視覚的な物量などで、多少下駄も履けるのもまた事実。そういう意味で巣に招いて、自分を大きく見せるのは正解なのだが、彼女のお眼鏡にはそもそもで叶わなかったようだ。

 

「そんなんじゃ3万を過ぎてまだ未婚じゃぞ」

 

文句を言いながら、彼女は机を後にしてベッドへと倒れこむ。サイドボードに置いてある本にゆっくりと手を伸ばして、ページをめくる。

 

もとより読書は嫌いではなかった、時間が潰れるから。しかし小難しい魔導書や歴史書。哲学書といったものばかりが宝物庫にあるので、気が向いた時にしか読んでいなかった。

 

しかし、心境の変化がいつからかあったのであろう。彼女が以前低俗と切り捨てていた、人間たちが読む娯楽小説を、商会の伝でたまに取り寄せて読む。そういったことをするようになった。

 

人間の寿命や時間への感覚、営巣をしない恋愛観。驚くべきことは多くあり、もっと早く知っていればと思う日もあった。しかしそれ以上に、回りくどいアプローチと求婚で結ばれていく男女の様子などを読むのが、いつしか趣味となっていた。

 

「おいっ! どうしてそこで押さぬのじゃ!? 彼女はずっとお主を待っておるのじゃぞ!?」

 

本の登場人物にヤジを飛ばしながら、ページをめくる。

人間は男も女も弱い、だから群れて生活していて。そうすると群れの意思が自分の意志と相反することもある。その障害を二人で越えようとする。そういう話ばかりであり、よほど人間は窮屈に生きておるのじゃろうと、冷たい頭でそう考えたが。

 

それはそれとして、長年連れ添ったヒロインが、自身の半分も生きていないから。という理由で身を引こうとする主人公に、彼女は不満が爆発している。

 

「年の差がなんじゃ! 妾はっ……」

 

そこまで言って、自分が何を言おうとしていたのかに気が付き、ページをめくろうとしていた手は止まる。

年齢の差、双方の比率ならばともかく。その距離だけは生涯覆す事はできない。

 

「そうか……年の差があると、こんなにも人間は……」

 

10や20の差など、竜からすれば誤差もいいところだ。しかし寿命の1/10以上と言われてみれば。それだけ差があったら、年上は確かに気を使うし、年下も自分は子供に見えるのだと、身を引いてしまう。その可能性に彼女は至った。

 

「そうか……そうじゃったのか、ヨハンよ」

 

そう、彼女は自身の感情が何かを完全には定義していなかったが、ここで一つわかったことがあった。

 

 

 

「妾が大人すぎて、気が引けていたのじゃな……」

 

彼は彼女よりも随分年下だった。

ヨハンはきっと年上のシルヴィア、つまり自分から子供のように見られてしまうから。

あのような態度を取ったのであろう……

 

「全く、儘ならぬのぅ……」

 

 

 

一つ大きくため息をついてから、彼女は再び物語の世界に溺れていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先の見えない闇。闇。闇。

 

3日歩けば抜けられるというのは、頭でわかってても、気が狂いそうになる。闇で目が効く悪魔と違い。彼は真っ暗では何も見えない。かといって明かりの1つでもつければ、毒矢に打たれて終わりだ。

 

それでも、まともな人間なら発狂する道でも、彼の目的地に行くのであれば最適解だった。

普通の大迷宮を下る道であれば、一人では命がいくつあっても足りないし。かといって徒党を組んでも、何年掛かるか分かりもしない。地図こそは頭に入っているが、魔物相手に戦う技術などはある程度しか持っていなかった。

 

この道にもしモンスターが入り込んでいたら。それが夜目の効くものだったら。そう考えれば心が恐怖に押しつぶされる。しかし彼には迷いはない。こんなことで怯むような魂では、そもそも来やしないのだから。

 

遠くにぼんやりと光が見え始める。

 

幻覚だろうか?

 

瞼を閉じているのか開いているのかもわからないほどの闇だ。ぎゅうと力むほどに思い切りつぶってみると、ぼんやりした光は見えなくなる。

 

ああ、ついに出口だ。

 

逸る気持ちを抑えながら、彼はその光へと歩を進める。

時折休み休みしていたが、それでも3日の行軍だ。体力は確実に奪われている。

 

そして自身の鼓動が聞こえる程に大きくなるのを感じながら、彼は突き当りの扉を開ける。

最初はしかりと瞼を閉じていたのに、それでも刺すような光が目を焼いてくる。

ゆっくりと目を手で覆いながら少しずつ開けてみると、夢にまでみた赤い絨毯と岩肌が広がっていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加齢のせいもあるが、鈍い疲れが溜まった体を起こして、一人となった部屋で彼は起き上がる。

義手で器用に髭を剃り、銀色に染まった自身の髪を整えて、濡らした布で躰を清めてから服を着ていく。袖を通した後、皺一つないのを確認して頷く。

 

長年付き合ったこの義手の良いところの1つは、ふわふわ浮かぶ小石の指を熱すれば、手の感覚で皺伸ばしができる為、美しくこうした服を着れることだろう。

その後部屋を片付け、昨夜の痕跡がないかを確認して自身も部屋を出る。

 

彼の部屋はシルヴィアの居住区の中ではやや外れの方にある小さなものだ。客間は豪勢だが落ち着かず何年も前ににここに移ったが、いろいろ考えると正解だった。

 

倦怠感と嫌になるどころかすっきりとした気持ちで、彼は今日の業務に取り掛かる。とはいってもノルマもなにもない。強いて言うのならば、もうすぐに迫った彼女の嫌いなとても冷えるらしい日────天文魔術的なものらしいが────のために暖炉の点検だけは済ませておくか。といったところか。

 

必要な道具を取りに倉庫へと足を向けると、運がないことにいつもの女悪魔が倉庫から出てきた。

 

「おはようございますぅ。昨日はよく寝れましたぁ?」

 

「……ああ、おかげさまでな」

 

事実嫌いではない契約相手だが。また朝から会うのは勘弁したい。

この女悪魔、悪魔なのに普通に朝型なのだ。

 

「シルヴィア様は?」

 

「まだ寝てらっしゃる、先に暖炉をメンテナンスしようと思ってな」

 

彼女の横をそう返しながら通り抜けて倉庫に入るが、なぜか後ろからついてくる。

 

「良かったんですか?」

 

煤払いを探して物色していると、変わらず後ろにいる女悪魔から質問が飛んでくる。暇なのだろうか? いや、この居住地にいて、暇がないものはいないので仕方がないか。

 

「何がだ」

 

わかってはいるが、しゃくなので恍ける。シルヴィア様ならともかく、この女悪魔に気を遣う義理はないからだ。なにせ対等な契約関係故に。

 

「別に思い立った時点でぇ、眷属なり騎士なりになるように願い出れば。少なく見積もっても100年は生きれたと思いますよぉ? ヨハンちゃんの寿命ならぁ」

 

「……」

 

「でもぉ今みたいに、昨晩みたいに契約の代価を用意し続けてぇ、それで博打打ちなんて、ねぇ?」

 

女悪魔の言っていること自体は正論だ。シルヴィア、偉大なる銀の竜。

昔も今も彼女に抱いている気持ちは、この鈍く罅が入った心でも、変わらず純粋な親愛だ。

情欲を抱くには幼すぎたし、愛を抱くほどには遠すぎた。それでも、この場でずるずると暮らす様になって。3年もすれば彼女がいるからこそ、自身がまだ生きているのだとそう気づいた。気づいてしまったのだ。

 

人間にとっての3年は、とても長い。働いていればあっという間でもあるが、仕事先でも家でもずっと共にいる相手など。こちらに面白がって寄ってくる、世話を焼いてしまうほど隙だらけの少女を、どうして嫌いになれようか?

生きていく意味は見いだせない。それが外に出て暮らす意味は見出せなくなり。彼女のために生きよう。そうなったのは、きっとシルヴィアが思うよりも、ずっと早かったはずだ。

 

人間の心は竜のそれに比べて急流なのだ。

雄大で力強く長い川は、時として龍と例えられるが。水の流れは何もなければ往々にして穏やかであるのだから。

 

 

「それを言うのは、契約に必要なのか?」

 

「ヨハンちゃんに聞きたいだけ。でもぉ、履行の際に考慮はするかもねぇ?」

 

どうせしないであろう、悪魔だから。そうは思っていても、多少自身が煩わしいだけで、爪一枚分でも可能性が厚くなるのなら、言うべきであろう。

 

 

「……好いた女を抱きしめることもできない」

 

「え?」

 

「この腕では、小さな彼女ですら抱きしめることが出来ないんだ」

 

 

馬鹿げていると普通は言うであろう。狂っているとも思うかもしれない。彼が確実な方法を捨てた理由、それはただ単純に義手でなく、自分の腕で彼女を抱きしめたかった。

本当にそれだけの理由で、彼女の願いという招待を使わなかったのだから。

 

「別にこの腕にも体にも文句はない。この体でしか生きていけないのなら、喜んで受け入れただろうが」

 

彼はいつの間にか義手に煤払い用の道具を持っていた。

そして女悪魔に向き直り目を見つめて言い放った。

 

「だが、男なら。好いた女の為に命を懸けてみる。そういうものだろうよ」

 

老齢に入った男の、重い言葉だった。その視線は確かに女悪魔を見ているのに、目には映っていない。彼の瞳の奥にいるのは、あの銀色に輝く少女なのだろう。

 

女悪魔は、小さく母譲りの金色の髪をなでて、何度か前に長い方が好ましいと言われてから伸ばしていたそれを思い出して、馬鹿らしさに笑う。

でも。そういうところこそが彼女の癖であるのだと、熱く冷たくなる心を表情で蓋して笑みを作る。

 

「妬けますねぇ、ヨハンちゃん。ごちそうさまですぅ」

 

「まぁ、それが悪魔に頼るというのは、情けないがな」

 

「そこは、別の女に頼るって言いましょうねぇ?」

 

そう言ってやれば、彼の表情はさらに歪む。苦虫を噛み潰したかのようなそれだ。

そう、その表情だ。嫌悪感はなく有り難みもある、でも本意ではない。

ぐちゃまぜになった感情を向けられている。

 

それだけ、一途にあの少女を思っているのだろう。まさに人間らしく、そして心が壊れているからか、歪んで歪だ。堪らぬ狂おしい。

 

「掃除に戻る」

 

「はぁい、頑張ってね、ヨハンちゃん」

 

逃げるように退散していく彼を見て、彼女は思う。何年ずらせば良い具合になるかを、母譲りの優秀な頭脳で考える。

きちんと自身の心を度外視できるかわからないので、何度も何度も計算し直しておく。

全ては契約者のために。悪魔らしく冷徹に。そして何時か仕事が終われば、髪を切ろうと決めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心を込めて磨いてくれる人がいなくなったからか、少しだけくすんでみえる宝物庫の金貨の湖、いやもはや海。

そこに竜の姿のまま横たわっていた彼女は微睡みから目を覚ます。

いつからかついた、いや正しくは再発した悪い癖だ。

 

ヨハンがいたころは、彼を潰すかもしれないからと竜の形態にはあまりならなかった。いつの間にか宝物庫で服を脱ぐこともやめていた。なんでだったかを思い出そうにも、何度も何度も同じことが短い間にあったのであいまいだ。

 

体を震わせればジャラジャラと、それだけで家が建ちそうなほどの金貨が彼女の銀色の鱗から零れ落ちる。それから人間の姿に戻ると、隣の山の上に脱ぎ捨てていた服を着なおす。

 

首元に違和感を覚えて探ると、いつもつけていた小袋がない。魔力をほとばしらせて探ってみれば、何事はない。寝台の上の銀の腕にかけていたようだ。きちんと回収して首にかけなおす。

チャリンと小さな音がなり、その安っぽさに苦笑いしつつも、改めて彼女は宝物庫を後にする。

 

そろそろ食事をとらねば。

 

ヨハンがいたころは彼に合わせて細かく何度も取っていたが、今は一人食べるだけなので気まぐれだ。空腹か、酒を飲むついでにのどちらかでしか広間へ向かわない。

 

食事をとっていると暖炉が視界に入る。彼がいなくなってから、何度かの寒い日を超えた。最初のそれは恐ろしい寒さに凍えそうになった。

人間の体のまま毛布をくるまって、その毛布に火が付きかけるほどまで暖炉に近づいても、全く震えが止まらなかった。

見かねた女悪魔が、私的には滅多に話しかけてこないに関わらず、彼がたまにシルヴィアの金貨をくすねて買っていたという、恐ろしく強い酒を出して、隣で酌をしてくれた。

妾の金貨でなんてことをと思ったが。その怒りとそのただただ度数が強いだけの味がしない、時折火がつく酒という馬鹿らしい買い物に。そして久方ぶりに彼のことを思い出話として女悪魔と話すことで乗り切った。

それからだろう、時折彼女たちが私的に話すようになったのは。

 

そんな、辛い思い出が湧き上がるが気にせずに食事を続ける。昔使っていたものより、1サイズだけ大きいものを使うようになったカトラリー。そのことを自慢したい相手もいない中、しかし彼女は。

 

 

竜の本能として、死ぬことなく生きていくのであった。変わらぬ日々を。

 

 

永遠に……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シルヴィア様ぁ」

 

ふと、そんないつかの食事の風景を思い返しながら、自室で彼女は意識を取り戻す。

はて、何をしていたか? ああそうだ。

また転寝をしてしまっていたか。すこしだけ昔より窮屈に感じる豪奢な椅子に腰かけて、彼女はいつの間にか真横に立っていた、女悪魔に起こされたようだ。

 

「侵入者が、来ましたぁ」

 

「……ほぅ? ついにか」

 

母との約定に従い、彼女が成熟するであろう頃まで、下層に到着するころまでは。彼女による迎撃を禁じられていたが、ついに彼女も竜殺しとの戦いという、また一つの通過儀礼に挑めるのだ。

 

最も、中層の最後に配置されていた。巨大なサイクロプスの集団を突破して疲労困憊になっているであろう、かつ対物理で編成を固めているであろう冒険者の一団を、奇襲気味に襲うという初陣になるように。母と当時の商会側の配慮で固められていたが。

 

「して、誘導の方は?」

 

「大変申し訳難いのですがぁ、既に居住区程近くまで裏道を使われて侵入されましたぁ。敵は一人です」

 

「な、なんじゃと!?」

 

 

まさに寝耳に水。驚きを隠せない。というか裏道なぞあったのかと、宝の湧く畑くらいにしかダンジョンに興味がない彼女は驚いていた。

 

「契約に従い、悪魔商会の悪魔達は直接の戦闘をしません。ソロの侵入者は装備もレベルも大したことはなさそうですぅ」

 

「そうか……運が良いだけの奴か。ここまで来たら、この部屋に誘導せよ、迎え撃ってやろう」

 

 

そう彼女は言って、闘志を高めていく。想定外だが、初の防衛戦である。土足で踏み荒らす輩を蹴散らしてやると気炎万丈だ。

 

「責任をとってというわけではないですがぁ。私は本日で転属となりますぅ。引継ぎ書類は作ってありますので、後任にお渡しください」

 

唐突にそういう悪魔だが、商会は龍の感覚では割と人の入れ替えは頻繁だ。驚くほどでもない。

 

「うむ、そうか……なかなか悪くなかったぞ悪魔よ」

 

ヨハンがいたころからの付き合いは、竜の感覚としては短いが悪い関係ではなかった。

彼女は少しだけ残念に思いながらも、そう言っておく。

 

 

「……シルヴィア様ぁ」

 

「なんじゃ?」

 

 

どこか悲し気な、それでいて嬉しそうな。成熟した悪魔特有の、読めない声音と表情で名前を呼ばれて、思わずまじまじと顔を見る。金貨のような輝く髪と青い肌、大きな尖った尻尾と。どこにでもいそうな悪魔だ。名前も知らないがずいぶん世話になった気がしないでもない。

 

最後の言葉くらいはしっかり聞いておこう、寛大なシルヴィアはそう思った。

 

 

 

「……お幸せに、なりやがれっ!!」

 

べーっと、子供のように舌を出してそう言い捨てて女悪魔は消える。あまりの変わりように怒りより前に驚きと困惑が来る。まるでそう、呆れたようなそんな悪態だった。

まぁ妾寛大じゃし? いいじゃろう、最後じゃし。今度姿を見せたとしたら、その時に問いただせばよいじゃろう。

そう、長命種らしいアバウトな感覚で、彼女は椅子に座りなおす。

 

竜の姿で待っても良いが、やはり少女の麗しいそれが、偉大な竜になる方が畏怖が出るであろう。そうヨハンに聞いたが……一人前の竜となるべく、本来の姿で迎え撃つこととした。

 

彼女は生涯人間をもう二度と食わないと決めているので、餌にはならぬが悪魔に買い取らせるか。

そう思えば、なぜか先ほどの女悪魔が脳内で「それはもう是非に!」と笑顔で高値を持ち掛けてくる姿が幻視されるが、今は置いておく。

 

 

彼女の耳朶に足跡が届く、さあ来るぞと気合を入れて睨みを利かす。

扉の前で止まり逡巡した様子を見せたあと、ゆっくりとドアのノブが回り開いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドアを開けるとまず感じたのは静謐な空気。とはいっても、廊下とあわせて記憶のそれより少しカビと埃っぽい気がする。

それを少し嬉しく思いながら、彼は堂々と歩を進める。

 

ここまで来ても、開幕ブレスで焼かれる可能性もあった。しかし、それはもうその時であり、そんな終わり方なら、あの女悪魔が笑いながら煽りに来て、また彼女の心に刻まれるだろう。

それも悪くないからと恐れる心などなく彼は、とても広いきっと初見ならば私室とは思えないほどのその部屋に入っていく。

 

「……」

 

帰ってきたのは無言だった。ドラゴンならば、彼ら特有の上位者的な視点から、尊大な文句が降ってくるであろうに。そんな言葉が飛んでこない。

そして彼も、勇ましい挑む者の向上など口にしない。ただまっすぐ目の前の銀の竜を見る。

 

波打つような躍動感ある尾。眩く薄暗いこの部屋でなお輝く白銀の鱗。鋭く名剣の切れ味を凌駕するであろう鋭い爪。引き締まり絞られ無駄のない鋼のような肉体。壁のように巨大な羽。知性と力を感じさせる瞳。鋭く少しだけ不揃いな牙。

 

ああ、夢にまで見た、その姿だ。

 

その偉大なドラゴンを前に、彼は本来迷宮の中層程度ならばともかく、下層などに行ける実力は到底ない彼は、鼻息ですら致命になりかねない。

 

しかし、そのままゆっくりと。ゆっくりと歩みを進める。ブレスの距離を抜け、尻尾払いの距離、爪の距離、踏みつけの距離。そこまで近づいて、彼はゆっくりと座り込む。

お互い何もしゃべらぬまま、重苦しい空気がだけが経過する。

 

彼は気にせずに、懐より銀のナイフを取り出し、そしてそれを逆手に持ち、胸の前で持ち上げると────

 

「待てっ!!」

 

その声だけで、空気が震え、ガタガタと周囲の物が震えた揺れた音が響く。

偉大なる銀の竜は、そのまま少し下がって顔を下げ、覗き込むように男を見つめる。その気となれば瞬き一つする時間で、彼はドラゴンのおやつになる。そんな距離でも、彼は言われた通りナイフを自身に向けて振り上げた状態で固まっていた。

 

その眼には好奇心と期待、そして歓喜が溢れている。

 

「人間、名を名乗れ」

 

「トーマスと申します。ええ、ただのトムです」

 

男はそう語る。家名などない風来坊。町人の家に生まれて、周囲の反対を押し切り、異常な才覚のあった、力場魔法の複数同時使用一本で、冒険者としての身を立てた。そんな地方の都市なら一人はいるような男だった。

 

「……そうか」

 

彼女は、小さく落胆する。目の前の男に気づかれないように内心で。

 

歩き方と所作に、なぜか既視感があった。表情の動かし方に、違和感があった。しかしそんなまさかという考えと、その男の飄々とした態度が、そんな疑問符を打ち消していく。

 

ただの気のせいか。そう思考が傾いていき、さてどうするかと実務の方へと切り替わっていく。

目の前の男は竜殺しに来た冒険者。記念すべき一人目の男だが、どうしてくれようか。

 

 

「前世ではヨハンという名で、シルヴィア様にお仕えしてました」

 

ぽろっと、そんな今朝の目玉焼は両面焼きですよと、その程度を伝えるように。こともなげに彼はそう言って、いたずら気に笑って見せる。

 

「────」

 

刹那の間の後、一瞬の空白。前に踏み出そうとする竜の足。一瞬だけ止まり、ポンと小気味良い音で人間のそれへと彼女は姿を化す。

そして、人外の膂力でそのままに、彼女は目の前の男の腹へと飛び込む

 

「────っ!!!」

 

「ごふぅ」

 

男は衝撃と痛みのあまり、ナイフを取り落とし、後ろへと倒れこむ。砲弾を食らったかのような痛みと衝撃だ。

だが、これだ。これを待ち望んでいたのだ。

 

「ヨハン!ヨハンなのか!?」

 

「はい、シルヴィア様。ただいま、戻りました」

 

そして、彼の記憶では50年と、今生の20余年ばかり、それぶりに【両の腕で】初めて彼女をゆっくりと抱きしめた。

 

「なんじゃ、お主!! そうか!! あの、悪魔とっ!!」

 

「はいはい、シルヴィア様、頭がいいのはわかりましたから、落ち着いてください」

 

何度も再会を想定し、シミュレーションすることが生きがい、そして日課となった彼と。完全な不意打ち思考の外からの出会い。その差は如実だった。

 

「はい、契約で再び人間として生まれました。悪魔やドラゴンには、対価がとても用意できなかったので」

 

「あぁぁん、よ゛は゛ん゛ん゛」

 

泣きじゃくるように、否、もう彼女の表情は淑女のそれではなかった。

前にあった時より、拳1つか2つ分背は大きくなっただろうか? 胸と尻も金貨3枚ほどは分厚くなっているだろうか? 少し腰が細くなったのは心配だ。そんなことを思いながらやさしく、何時かしたかのように彼女にゆっくり、慈しむように言い聞かせる。

 

「長かったです、人間的にはですが」

 

「わ、妾も、長かった、主がいなくなってから、またゆっくりになった!」

 

いっぱいいっぱいの彼女は、もう言葉を選んでいない。それでもぐるぐると優秀な頭は回り続けている。彼の寿命、再会までの期間、その方法。女悪魔の最期の言葉、態度。諸々をつなげて、いつの間にか見なくなった、悪魔の契約書やら、いつか減った気がした金貨。すべての点が繋がってほぼ正確な筋道を立てる。

 

「おかえり、ヨハン」

 

「はい、シルヴィア様」

 

だけど、声に出たのはそんな言葉で。でもそれで充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お主を偉大なる竜の騎士に、任命するのじゃ」

 

「はい、光栄です」

 

 

泣き止んで、少しだけ待てと下がった彼女が、化粧を直し、服を変えて戻ってきた後、改めて。

彼女の私室の中央二人は向き合っていた。

竜のもとへとたどり着き、死闘を選ぶことなく友誼を結んだ、偉大な冒険者への褒美だ。

 

「これ以外が良いなどと、文句は言わせぬぞ」

 

「願ってもないことだ、シルヴィア様」

 

 

きっと時間また有限。でも今度は、最初から。二人は同じ方向を。いや、お互いを見て始める時間。彼は彼女の為に傅いた。しかし、今度は独りよがりではない。

彼女は彼を重用する。しかしそれもまた独りよがりではない。

 

 

二人はそう。

 

一緒にいましょう。その約束で。

楽しく暮らそう。そう誓って。

死ぬまで共にいよう。そう願って。

 

また変わらぬ暮らしを始めるのであった。

 

それは、愛であり、しかしその愛が何の愛によるかは、ゆっくりと彼らが決めていけばよい。

時間は、また、たくさんあるのだから。

 

寝台の上から移されて、宝物庫の奥底に鎮座された銀の義手に、二人が手をつなぎ微笑む姿が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲■

 

 

「竜の騎士と竜は一心同体。お互いの全てを共有する」

 

「どうした、シルヴィア様?」

 

彼女は機嫌よく隣にいるヨハンと名乗るようになった青年に微笑む。うきうきと聞こえそうな、まるで散々今まで思うようにやられた事の意趣返しが出来るかと。

 

悪戯の成否を見守る子供のような、ようやっと罠にかかった獲物を見る狩人のような。そんな何とも言えない、顔だ。

 

「この宝物庫の物は、全てヨハンの物。ヨハンの財産でもあるというわけじゃ、そして妾もお主の物、お主も妾の財産じゃ」

 

「ああ、そういう契約だな、竜の騎士は」

 

おかしいことは言っていない。竜を倒した褒美のようなものなのだから、竜の全てを手に入れる。それだけの話でもある。

 

「お主の願いは叶えて、ヨハンを食らった。そうじゃな?」

 

「ああ、生きたままでは無かったが、その通りだな」

 

 

そして、彼女は最初の契約、竜の誓いを果たした。もとはただの彼の願いを叶えるものだったが、誓いによって結ばれた約定だった。

 

「あれから何度も妾も考えた。妾のような偉大なる銀。世界で最も尊い竜が一つ。それに相応しい相手など、世界を探してもおらぬのじゃから」

 

「ああ、婚約が延期になるのか」

 

竜の騎士がいれば、結婚をしてなくてもその間は普通である。それは彼も知っている。しかし

 

 

「余は、いや妾はな。実はあの時が初めての物だったんじゃよ? 今でこそ違うが、釣り合う竜もおらなんだからのう」

 

彼女はゆっくりと、首にかけていた袋を外して、中身を取り出す。

そこには、定期的に磨かれているのだろう、輝く3枚の銀貨があった。

 

「ん…ああ。昔あげた奴か」

 

彼が昔何気なく渡したそれ。どうせ銀貨を持っていても使わないかぁという理由で、なけなしの貨幣。人間として死んでいる以上、これは彼の【全財産】であり、そのまま全財産の代表である。

 

「おぬしが、全財産を渡して、約定通り願いをかなえて、しっかりと返事を考えたのじゃ。するとどうじゃ?」

 

 

彼女は、妖艶に笑う、それはとても少女が浮かべるそれではない。ただただ、待ち望んだ男がこちらに手を伸ばしてきた。その瞬間を逃すことのない、一人の乙女のそれだった。

 

 

「なんと、妾と同じほどの財産を、否。この銀貨3枚分妾より多い財を持つものから、求婚されてしまったのじゃな?」

 

慈しむように数枚の銀貨をつまみ上げて見つめて、そしてヨハンを見るシルヴィア。子供のような体躯はほんの少しだけ育ち、少女のそれになってはいるが。しかして、生きた期間は長い女は。

偉大な母の薫陶をしっかり受け継いでいた。そう、財にしり込みしている内に、気に入ったら捕まえて自分の物にしろ。番いは略奪してでも奪い取れ。

 

 

「受けるぞ、ヨハン」

 

「…え?」

 

「おぬしの求婚、妾は受諾する。まずは竜の里に行って、里長や長老たち、なにより両親にあいさつじゃ」

 

 

ゾワリと、まるで悪魔の契約書に署名をしたとき、いやそれ以上の悪寒を覚えたヨハン。そう彼は、もう自身の意思では死ねない。

 

では竜の騎士の寿命なら?

 

これから向かう竜の国の里に、嫉妬と欲深い生き物の竜達の住処に。人間を騎士にしてしまう程に人間を気にいる種族である竜の偉大な歴史に。

 

 

「騎士と生涯を添い遂げるために、竜が無理を通した記録がないとでも?」

 

「あ、ああぁ、そうだな」

 

「もう二度と、妾の傍を離れるでないぞ、ヨハン。とこしえに、な?」

 

それは、最後の最後に彼女が仕掛けた甘い罠。一度他の女に縋ったのは許すが、もう二度と他を見ることは叶わせない。

未来永劫、また転生しても逃れられないであろう、彼の宿業が定まった。

 

幸せな罠だった。

 

 

「ずっと一緒じゃぞ? ヨハン」

 

「……ああ、シルヴィア、様」

 

少しだけ引きつって笑みと、妖艶な花のような笑み。

対照的な二人は手をつないだまま、部屋を後にするのであった。

 

 

 

 

めでたしめでたし









すまない、またなんだ。
ロリという私の性癖外の存在にすれば、可愛いヒロインができると思ったんだ。

でもその分いつものように愛に狂う要素が入っていってしまったんだ。
本当に申し訳ないが、私はこういうのしか書けないんだ。













あとがき

沢山の読了、感想、評価誠にありがとうございます。
短編という形ですが、驚くほど沢山の方に触れていただき、誠に驚いております。
他の中編なんか目じゃない速度で伸びていき変な声が出ました。

この蛇足はそんな皆様を思ってたら、ウッ ってでた物です。
上品なものではありません。

気分を害したら申し訳ない。
でもかきたかったので……

途中で生えてきた女悪魔ちゃんは、趣味ゴリゴリに入れてます。
拙作の過去作を読んでる人は何か思うところがあるかもですが、
大したことではないです。


なんでのじゃロリで抜けなかったか、蛇足の方にほんのり書いて見たけど伝わってると嬉しい。
感想お待ちしております。


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