冥王来訪(ハーメルン投稿版) (雄渾)
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異界に臨む
転移 (てんい)


 1977年、中華人民共和国甘粛省蘭州市郊外に正体不明の大型ロボットが不時着する。
彼等の正体とは……


 事の起こりは、1973年4月19日。

今より50年ほど前のことである。

 この日、中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル市に、一つの隕石が落下した。

人口密集地への隕石落下の衝撃は、すさまじかった。

 だが、それ以上に衝撃を与えたのは、隕石より湧き出てきた存在である。

サソリやクモを混ぜたような化け物が、人々を悩ませたのは、その異様さばかりではなかった。

化け物の数は、数千の単位ではなく、10万単位で密集し、都市部へ怒涛の如く進撃をした。

 異星より来て、一切人類側の呼びかけに応じず、ただただ破壊と殺戮を繰り返す存在。

人はそれを、BETA*1──人類に敵対的な地球外起源種──と称するようになった。

 その頃の支那(しな)といえば、混乱の最中(さいちゅう)であった。

毛沢東の主導したプロレタリア文化大革命*2の開始から、はや7年。

国民ばかりではなく、さしもの中共政権も、疲弊状態に陥っていた。

 だが、怪物は待ってはくれない。

そういう事で、戦略爆撃機による大規模な核飽和攻撃を実施した。

 しかし、戦闘開始から2週間後に状況は一変する。

あらゆる飛翔物を撃墜するレーザーを備えた光線級という怪獣の出現によって。

 今まで対空防御のないBETAは、航空優勢さえとれば瞬く間に駆逐できた。

戦略爆撃機や戦闘機、機関砲を装備したヘリで、簡単に勝てたのだ。

 光線級の出現は、それまで優位に進めていたBETAとの戦闘を一変させた。

航空機はおろか、誘導ミサイル、はては砲弾まで……

人類は、苦しく長い戦いを強いられることとなった。

 

 

 既に、4年の月日が過ぎた1977年7月。

ある夜の事、一台の大型ロボットが突如として、虚空より現れた。

 場所は、支那大陸の真ん中に位置する甘粛(かんしゅく)蘭州(らんしゅう)市。

時刻は、深夜11時にもなろうかというころ合いである。

 闇夜に横たわる白い巨人。

それは、天才科学者木原マサキが作ったスーパーロボット、天のゼオライマーである。

 全長53メートル、総トン数500トン。

本体の色は、白を基調とし、ところどころに赤い色合いが入っていた。

固定武装と呼べるものは、なかった。

 だが、両腕の手の甲に付いた宝玉から繰り出す衝撃波は、どんなものも破壊できた。

そして、なによりこのマシンを無敵と足らしめる必殺技があった。

 両腕と胸の宝玉から繰り出す、メイオウ攻撃。  

その威力と範囲は、ゼオライマーのパイロットの意志で自在に操作出来た。

もし、望むのなら支那全土、あるいは地球上の半分さえも消すことが出来るほど。

 

 砂漠の上の前に横たわるゼオライマー。

そこへ、一台の軍用車が近づいた。

 車を離れた場所に止めると、数名の男達が、後ろから飛び出す。

助手席から、降りた男の指示の下、目の前の物へ、駆け寄った。

 鉄帽に、深緑の軍服姿で、針の様な銃剣を付けた小銃を持って、近づく。

静かに忍び寄ると、ゼオライマーから一組の男女が現れて、周囲を伺う。

 拳銃を手にした指揮官が、手招きをする。

まもなく立ち止まった兵士達は銃を構え、呆然とする男女へ銃口を向ける。

 指揮官は、銃を構えた右手に左手を添え、射撃の姿勢を見せた。

そして拳銃をゆっくり目線の位置まで上げて、彼らに尋ねた。

「動くな。人民解放軍だ」

 近くに止めた車から、煌々(こうこう)と照らす灯り。

前照灯に映し出される中、一組の男女は、両手を上げて無抵抗の意思を示した。

 その際、指揮官は再び問うた。

「あなた方は、何方から来られたのですか」

 先ず、黒い服を着た男の方が話し掛けて来たが、理解出来なかった。

どうやら外国語らしい。

顔立ちからすると、恐らくは、日本人、あるいは、朝鮮人。

 ひとしきり話した後、脇に居る女が、彼にかわって話し始めた。

外国人とは思えぬような、流暢(りゅうちょう)北京(ペキン)官話(かんわ)

「私たちは日本から来ました。ここはどこですか」

 指揮官は、外国人だと解ると、拳銃をゆっくり下げ、拳銃嚢に仕舞う。

ここで、もし彼らを殺せば……。

 もし上の指示を仰がずに、独断で物事を決めた場合、 それが間違っていたら。

政治の風向きによっては、自分の政治生命は立たれる。

 そう思って、態度を軟化させた。

それほどまでに、10年に及ぶ文化大革命の影響はすさまじかった。

 にわかに、周囲の兵達が騒ぎ始めた。

見た事も無い、大型の戦術機*3と思しき機体に、一組の男女。

 そして、半ば鎖国状態の、この国に、日本人とは……

指揮官は、兵達をなだめてから、再び話し始めた。

「ここは甘粛省。場所は、蘭州市より150キロほど西方です」

 おそらく、強化装備であろう異様な服を着た長い髪の女。

彼女は、脇にいる男に話し掛けていた。

 男が話すと、女が通訳をし、指揮官に語り始める。

横たわっている巨人を、操縦中に、道に迷って不時着したのだという。

 その話を聞いて、おそらく新型の戦術機は、戦闘中に迷ったのであろう。

彼は、その様に判断した。

 取りあえず、その場で対応出来る様、本部に連絡を入れる。

彼らは、指揮官と1名の兵士を残し、BETAが消えたとされる場所の確認へ向った。

ちょうど、夜が明け始まる時間帯であった。

 

 

 場面は変わって、甘粛省の省都、蘭州市城関区。

そこにある甘粛省政府本部では、夜遅くまでBETA対策会議が行われていた。

 深夜2時、紫煙が立ち込める省長執務室に一人の男がたたずむ。

灰色の人民服を着て、両切りタバコを手にした男は、机に置いた報告書を眺めていた。

 彼が目を落とした書類には、秘密を表すスタンプが押されている。

ドアを叩く音が聞こえて、男は呼びかけた。

「入りたまえ」

ドアが開くと書類を抱えた深緑の指揮員*4の服を着た男が入って来た。

「昨晩の続報をお持ちしました」

 そして報告書の内容が軍官の口から説明された。

蘭州の西方300キロにいたBETAの大群は、一晩で消え、そこから150キロほど先で怪しげな人間を保護したと言う。

 全長が50メートルもあろうかという白色の戦術機に、日本から来たと話す男女。

男女の服装や態度からすると、黒の軍服を着た男がおそらく指揮官。

 そして、強化服に似た服を着た女がパイロット。

そのような推測を、彼らは立てた。

男は中国語は全く話せないが、多少は英語が出来る様であり、今は同行している女が通訳の代わりを務めているという。

 彼は、タバコを黙って差し出すと、軍官は深くお辞儀をし、火を点けた。

「日本語のできる通訳はいないのかね」

軍官は椅子に腰かけながら、話し始める。

「なにせ、文革と今回の動乱で通訳できる人間は前線にいませんからねぇ」

一瞬沈黙した後、深くタバコを吸うと、こう続けた。

「ロシア語なら前線でも用意できるのですが……」

 灰色の制服を着た男はタバコを片手に執務室を歩き回る。

軍官はじっと下を向いたまま、待つ。

やがて男は口を開くと、こう告げてきた。

「この報告は党中央には上げない。一旦、私が預かろう」

軍官は驚いた表情をしながら、返事をする。

「省長、それは……」

省長と呼ばれた男はタバコに火を点けながら、続けた。

「党への背信行為になるかもしれんが、あまりにも報告書の内容が酷過ぎる。

それに、男の方から何も聞けていないのだろう。

ちょうど良い所に、日本語の出来る男が、居るではないか」

 笑いながら省長は、椅子に近寄る。

彼は腕時計を見た後、灰皿にタバコを捨てながら、こう続けた。

「8時までに、新品の軍服と上等な食事を用意してやれ。

そして尋問が終わった後、北京に報告しろ。以上だ」

軍官はタバコをもみ消した後、立ち上がり敬礼をすると、部屋から静かに出て行った。

「しかし興味深い話だ。本当ならば……」

新しいタバコに火を点けながら、彼は佇んでいた。

 

 

 ゼオライマーに乗っていた2名のパイロットは、どうしたであろうか。

蘭州市内にある蘭州軍区本部の1区画にある建物に幽閉されていた。 

 建物は、自動小銃で武装した兵士にぐるりと囲まれていた。

狭い室内には、寝台と簡素な机、椅子が2脚。

 その中に白い巨人から現れた一組の男女が、寝台に腰かけて居た。

彼等こそ、ゼオライマーのパイロット、木原(きはら)マサキ。

そして彼に付き従うアンドロイド、氷室(ひむろ)美久(みく)である。

 

 ゼオライマーは、鉄甲龍(てっこうりゅう)との最終決戦の後、消滅したはずである。

マサキはひとしきり考えた後、静かに語り始めた。

「なあ、俺達は、あの時、マサトの自爆で消えたはずだ……」

立ち上がり、脇にいた美久の左頬を静かに触る。

「こうしてパーツである、お前が無事。

そしてゼオライマーの能力も欠けた所が無い。

……と言う事は、おそらく次元連結システムの保護機能が働き、助かった。

そう考えるのが、妥当(だとう)であろう」

彼は、不敵な笑みを浮かべ、

「だとすれば……。

再び俺は、この世の覇者(はしゃ)として、君臨できる機会が巡ってきたということだ」

そして都合の良いことに、忌々(いまいま)しい秋津マサトの人格が表れてこない。

 

 現場に来た将兵の話から類推すると、時代を10年ほど遡った事に当初驚いた。

だが逆に、彼にはチャンスに思えた。

ただ、この世界を掌握するにしても、それなりに障害になる物が在るのを知った。

 BETAと呼ばれる、異様な化け物共だ……

しかし不思議なのは、人民解放軍の航空戦力が元の世界より古すぎる点。

 そして戦術機と呼ばれる、18メートルの量産型軍事用ロボットが存在するという点だ。

おそらくは、次元連結システムの応用により、並行世界に転移してしまったと言う事であろう。

 多分BETAぐらいで、変わりはなかろう。

もし、科学技術の立ち遅れや、歴史的な事象の相違があるのであれば、話は変わって来るが……

 

 マサキは静かに美久の左頬から手を放し、今度は彼女の胸をつかみ始める。

思わず美久は、彼の右手を両手で掴んで、叫んだ。

「何をするのですか」

彼は高らかに笑った後、こう告げた。

「俺のたかぶる気持ちを、落ち着かせる事ぐらい出来るであろう。

例えガラクタであってもな……」

 そして美久を抱き上げて、顔を近づける。

彼は、彼女の耳元でそっと囁く。

「貴様には……俺の野望の為、再び馬車馬の如く働いてもらう。

その喜びを……全身で味わうが良い」

そう言い終わると、マサキは乱暴に美久の唇を奪った。

 

 

 

 翌朝、この地に来て初めて暖かい湯で体を清めた後、新しい服に袖を通す。

それは、彼の下に届いたばかりの新しい軍服一式であった。

 着替えた後、部屋に戻ると机の上に食事が並んでいた。

昨晩までの冷たく硬い食事ではなく、温かい食事。

 肉が少なく、味付けが辛い点に関しては、不満であったが……。

支那では冷めた食事は、囚人の食事として伝統的に嫌われていた。

温かい食事が出されると言う事は、歓迎することを意味する。

 どうやら自分たちの扱いは、よくなるのだろう。

食後の茶を飲みながら、ひとまずは安心していた。

 食事を終えると、まもなくマサキ達は、別の場所に移動させられた。

立派な建物のある場所に着くと、中に入って50がらみの人物と会う。

 甘粛省の省長と名乗る男は、多少訛りはあるが流暢な日本語で話しかけてきた。

そして2日前の話を、訪ねてきた。

 マサキは、男の問いかけに対して、おもむろに口を開き語り始める。

「それで、あんた等が言うBETAという化け物を退治すれば……。

俺を、自由にしてくれるんだな」

 省長はタバコを差し出しながら、こう答えた。

「もしあなた方が言うように、単独でBETAを殲滅したというのならば……。

自由になさって結構です。

我々はソ連なり、アルバニア*5なりにどこに行っても構いません」

マサキは、タバコを受け取ると火を点け、吹かし始めた。

「別にカシュガルまでとは申しませんが……。

BETAを綺麗さっぱり、無くしてくれれば、我々はあなた方の自由を保障しますよ」

 省長は彼に向かって、この世界に関して語り始めた。

今から数年前*6、文革が激烈な時期に新彊のカシュガルに宇宙より襲撃してきた存在。

軍の指揮系統が混乱していた故に初動の対応が遅れ、ソ連軍の増援を仰いだ時にはすでに手の施し様の無い状態。

 現地部隊の装備はソ連国境沿いで十分。

核攻撃も実施したが起爆した場所が悪く、思ったより効果が得られなかった。

 そのうちに登場した光線(レーザー)を出す新型の為に、既存の航空戦力では劣勢に回った。

そして米国で開発された戦術機というロボットで、何とかしのいで居る。

 

 一連の説明を受けたところで、マサキは思い悩んだ

『とんでもない場所に来てしまったようだ。

しかし、この機会を利用すれば、俺は、この世界において冥王として君臨できる』

 幸いな事に、自分を邪魔する秋津マサトも、鉄甲龍も居ない。

ゼオライマーの次元連結システムの秘密さえ守れば、上手くやれる。

 話の中にあった、光線(レーザー)級という存在も、詳しく調べていない。

だが最初の戦闘で、次の攻撃までタイムラグがあるのは分かった。

 中共やソ連なりから、詳しい記録が欲しい。

情報さえあれば、BETAは、十分対策が出来る存在だ。

 残る心配は、自分のスペアパーツが不在という点だけか……

タバコを吸い終わると、マサキは話し始めた。

「まず、俺からの要望は3点だ。美久が居なければゼオライマーには乗らん。

二人で、一つと扱ってもらう様に便宜(べんぎ)をはかってくれ。

第二に、出来るだけ詳細な戦闘報告書なり記録が欲しい。

地理にも詳しくないから、正確な資料が欲しい。

第三に、ある程度、片が付いたら、自由にやらせてもらう。

もし俺を止めるようならば、無事では済まないと覚えておく様に。

あと俺達は客人だ。それ相応の扱いをして貰う事を期待している。以上だ」

マサキは、思い悩んでいる美久の手を引っ張ると立ち上がって、

「話がなければ帰らさせてもらうぞ」

そして勢いよくドアを開けて、その場を後にした。

*1
Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race.『マブラヴ』世界の敵。

*2
無産階級文化大革命。1966年5月から1976年10月まで。終結宣言は1977年8月。

*3
正式名称、戦術歩行戦闘機。英語名称:Tactical Surface Fighter。マブラヴ世界でのロボット兵器の通称。

*4
軍官ともいう。日本語の士官、漢語表現の将校に相当する立場。

*5
1977年当時のアルバニアは中国の数少ない友好国だった。1971年には国際連合でアルバニア決議を共同提案して国際社会で友好国の中国が確固たる立場を築くのに一役を買った。

*6
1973年4月19日




ご意見、ご感想、よろしくお願いいたします。


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新彊(しんきょう)

 天のゼオライマーと共に自爆した木原マサキ。
気が付くと宇宙怪獣・BETAが暴れる異世界に来ていた。
赤色支那政府からの依頼に応じて、BETA退治に関わる彼の真意は……


 ここは、支那、甘粛(かんしゅく)省にある蘭州(らんしゅう)市の蘭州軍区本部。

暗くかび臭い資料室の中で、木原マサキは、この世界について調べていた。

うずたかく積まれた書類の山に埋もれる様にして、思慮に(ふけ)っていた。

 

 まず、気に為ったのは故国、日本。

国家元首の皇帝*1

 そのほかに、政威(せいい)大将軍(たいしょうぐん)なる不可思議(ふかしぎ)な役職。

そして将軍を輔弼(ほひつ)する内閣制度、議会。

 三軍の他に、斯衛軍(このえぐん)と称される親衛隊のようなものがあるらしい。

日本語の資料を手に取りながら、ふと独り言を漏らす。

「不合理な社会制度をしているな」

 資料から判ったのは、異世界に来てしまったということだ……。

19世紀中葉までの大まかな歴史の流れは一緒だが、細部が違う異世界。

おそらく次元連結システムの影響で、本来の世界や次元を超越してしまったのだろう。

 

 次に、気になったのは航空機だった。

大型旅客機や爆撃機はあるが、戦闘機は写真資料や文献から類推すると元の世界より発達が止まっている。

あっても、1950年代までの水準。

 先日説明を受けた『光線(レーザー)級』という化け物の影響だろうか。

あるいは、戦術歩行戦闘機とよばれるロボットの開発の為に、航空機分野の発展は遅れてしまったのだろうか。

 実物を手にしてみて構造や性能を理解してみないと結論は出せないであろう。

そう考えていると、兵士が呼びに来た。

 案内する兵士の後ろで、マサキはつらつらと、中共政権と人民解放軍の事を考えた。

ここの司令官が呼んでいるのだという。しかし、人民解放軍の制度はよくわからない。

 何せ、階級制度を廃止*2した為に、誰がどの役職で、どの様な立場に居るのか、不明だ。

精々分かるのは、制服の色から三軍の違いと、上着のポケットの数で指令員*3と戦闘員*4を判別することぐらいだ。

 これでは現場指揮官が戦死したときに、誰に引き継ぐかも決められていなくて混乱したのであろう。

おそらくカシュガルに飛来したBETAへの対応が遅れて、核爆弾投下やソ連軍への協力要請が遅延した。

それは、プロレタリア独裁の負の一面のが強く作用した為であろうと、類推できる。

 時間を置かず、飛来したBETAへの対応に、米軍は核攻撃を以てして成功していることを鑑みれば、そうであったと考察できる……

そのような思いを巡らせているうちに、呼ばれていた指揮所へたどり着いていた。

 

 紫煙が立ち込め、騒々しい戦闘指揮所に着くなり、司令官がいる席に案内された。

その席に近づくなり、椅子に座った男が立ち上がって敬礼をしてくる。

 ぎこちない動作で敬礼を返すと、折り畳み椅子をすすめられたが、そのまま立ち続ける。

脇から通訳やら事務手続きをする人間が集まってきた。

 その様にしていると、司令官という男は着席し、彼から通訳越しに告げられた。

「本来ならば、外国人であるあなたには命令する権利はありませんが、今回の作戦へ協力をしてほしいのです」

 これは命令ではなく、要請ということか。

木原マサキは、不意に微笑んでしまった。

(『あの時と一緒か』)

 中共政権の低姿勢ぶり。

それは、かつて前世で、ゼオライマーの出撃を日本政府から要請という形で促されたことに重なって見えた。

彼は椅子に座るなり、足を組んで、どこからか用意された熱い茶を飲む。

しばし沈黙した後、答えた。

「いいだろう、だが俺の好きにやらさせてもらう。

そして今回の作戦が終わったら、ここから出ていく」

 その場に沈黙が訪れた。

周りで作業していた人間が立ち止まり、こちらを見ている

けたたましい音を立てながら電話が鳴ると、再びその場の静寂は破られて、元の状態に戻っていった

 司令官は口つきタバコ*5を、勧めてきたので受け取る。

冴えぬ顔色の男は、紫煙を燻らせながら、再び口を開いた。

「条件については私の方で留保しておきます」

マサキは、タバコに火を付け、目の前の男に尋ねる。

「では、何をしてほしい。単純に言えば……」

「戦術機と合同で、光線級の注意を引き付けてほしいのです。

光線級さえ排除できれば、砲弾で対応できるので、十分です」

 言葉を選びながら慎重に、マサキの質問に答えた。

マサキは、机の上にある引き延ばした写真を、指差す。

「もう一つ尋ねるが、この構造物はどうするんだ」

 彼が構造物と呼んだもの。

それはBETAが、地上に建設したハイヴと呼ばれるのもの。

 カシュガルの他に、全世界に今のところ4か所ほど。

ソ連のウラリスク、ヴェリスク、ミンスク、イランのマシュハド。

それらは大本をたどると、すべて新疆のカシュガルにある『甲1号目標』とか『H:01』などと称されるハイヴにたどり着くという。

 

 男は、灰皿に吸いかけのタバコを投げ入れ、新しいタバコに火を付けながら続けた。

「出来るものなら、その存在を消してほしい。出来るものならば……」

 茶を飲むと、立ち上がって右手を、マサキに差し出してきた。

飲みかけの茶を置いて、マサキも立ち上がり、

「大体の話は分かった。ゼオライマーのできる限りをを尽くすとしよう……」

 と、右手を差し出して応じた。

男は、厚く太い指をした手でしっかりと握手をすると、敬礼をして、部屋を出ていくマサキを見送った。

 

 

 作戦開始の号令とともに、砲撃が始まった。

新彊(しんきょう)に近接する甘粛、青海(せいかい)より、かき集めらるだけの火砲、戦車を用意し、大量の砲弾が準備された。

 砲撃と並行するように戦術機部隊に出撃が命じられ、同様にゼオライマーへの出撃も打診される。

全長50メートル近いゼオライマーは、先行する戦術機部隊に追随したが、段々と速度を落として距離を放されていた。

前方投影面積が一般的な戦術機の二倍以上ある、この機体ではレーザー光線や誘導兵器の直撃を受けやすく、近接する兵器への二次被害を避けるためである。

もっと次元連結システムの応用によるバリア機能があるが、それを極力隠蔽(いんぺい)するためでもあった。

 前回、BETAとの遭遇戦の際は、メイオウ攻撃によって一網打尽にしたことと、深夜であった為、十分な視認をしなかったのだが、今回の作戦は日中。

マサキは、この世界に来てから初めてBETAの姿を見た。

薄気味の悪い昆虫のような姿をした化け物が、無数に()いてくる。

先行する部隊と砲撃によってだいぶ数が減らされてはいるが、近寄れば群れになって絡みついてくる厄介な存在。

 部隊の隙間から抜けて近寄ってくるBETAを、両腕の次元連結砲から繰り出されるビームと衝撃波で蹴散らす。

だが、数が多すぎた。

(『これでは時間が掛かり過ぎる』)

 その刹那、目の前にいたBETAの群れが左右にひき始め、先行する部隊も散開し始める。

直後、ゼオライマーにレーザーが照射され、数秒のうちに連続してレーザー光線が発射された。

 

「避けろ、大型機!」

先行部隊の隊長が通信を入れると同時に数十発のレーザーが直撃し、ゼオライマーが焼失したかに見えた。

「いくら大型でも、間に合わなかったか……」

 悔しい思いをしていても仕方がない……。

彼はそう考え、光線級へ、突撃砲の連射を続けた。

 戦術機隊が攻撃するよりも早く、連射される光線により、仲間の機体はどんどん数を減らしてゆく。

今のところ、距離を保ちながら後退をしているから、戦死者は思ったより少ないが、動ける機体が減りつつある。

まるでBETAが(なぶ)り殺すのを楽しんでいるようだ……

 

 動ける機体が間隙を()って、衛士の無事な機体が回収されようとしてきた所、大型のBETAの群れが突撃して来る。

濛々(もうもう)と土煙を上げて突き進んで来る突撃(デストロイヤー)級と無数の要撃(グラップラー)級の後ろから、要塞(フォート)級が目視で、30匹以上。

彼の脳裏に、これまでの戦闘で無残に散っていった同士のことが(よぎ)る。

「これまでか……」

 

 大型の群れの真下が光り輝き、巨大な機体が表れた。

白磁色をした機体が地上に飛び出し、ザっと血煙を浴びながらBETAを薙ぎ払う。

 仁王立ちするゼオライマーは、BETAの集団の方に振り向くと、即座に両腕を胸に押し当てる。

胴と両腕にある、三つの球体が発光すると、同時に(まばゆ)い光が前面に向かって照射される。

 強烈な閃光と衝撃波が、BETAのみならず、周辺に居る戦術機隊にも降り注ぐ。

爆風と付随する振動によって近接する数機が横倒しになり、計器類も狂ってしまった……

 けたたましい警報音によって、混乱する。

操縦席より脱出して、敵陣を走破しなくてはならない……。

 そう考え、座席に仕舞ってある自動拳銃の準備をする。

弾倉に7発、クリップに止めた予備弾が2列……。

拳銃の確認をしている間に、数度の閃光が(きら)めく。

 彼は諦めて右手に拳銃を握ると、機外に脱出する。

そして急いで横転している僚機のそばへ駆け寄った。

 僚機は、両腕が爆風でもがれ、全身にBETAの返り血がこびり付いている。

右手で警戒しながら、左手で機体をたたくと返事が返ってきた。

 どうやら仲間は無事らしい……。

操縦席の扉が開くと、頭から血を流した衛士が出てきた。

 圧縮包帯包を投げ渡し、周囲を警戒してると数名の衛士が駆け寄って来る。

多少怪我をしている者もいるが、奇跡的に無事だったようだ……

 

 衝撃で、ほぼ全ての手段_無線連絡_が壊れたので、信号弾の準備をしながら警戒する。

しかし30分近く経つが、BETAが寄ってこない。

 緊張と砂漠の日光で、喉が渇く……。

「不気味だ」

 僚機の衛士は、仲間に応急処置をされながら、不安な面持ちで、こう呟いた

「俺もだよ。

奴らが寄って来ないなんて、不思議じゃないか」

双眼鏡で周囲を警戒する衛士が、叫んだ。

「車が来たぞ」

猛スピードのオートバイに先導された、古いソ連製のジープが、2台が近づく。

戦術機から降りた衛士達は、車に乗り込むと、その場を後にした。

 

*1
マブラヴ世界の日本では、天皇は天皇号を用いず、皇帝になっている。史実でも奈良時代と明治維新から敗戦以後まで外交文書では皇帝号を公式に使っていた

*2
文化大革命は軍隊から階級制度、勲章など区別する制度をすべて廃止していた。軍隊の階級制度の復活は1980年代後半になってから

*3
軍官。将校のこと

*4
士兵。下士官や兵など下級兵士

*5
吸い口が中空の筒状になっていている紙巻きたばこの一種。喫煙時に吸い口を潰して吸っていた。




2023年11月5日10時改稿


 どの様なご感想でも、お待ちしております。
また暁の方でも構いません。どうぞ忌憚なき意見お願いいたします。


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深潭(しんたん)

 宇宙から来た怪物・BETA。
異世界に来た木原マサキは、中共政権のBETA殲滅の依頼に応じる。
天のゼオライマーは単機、ハイヴの中に突入する。


 マサキは、構造物のそばにあった巨大な縦穴に入っていた。

底知れぬ深さと闇、地表とは違って寒さすら感じる。

 次元連結砲で、手当たり次第に破壊し進んでいくが、まるで迷路……

地図を作るべきか、悩んだ。

 だが、どうせ地上諸共(もろとも)消滅させる心算(つもり)だったので、気にせず進む。

雲霞(うんか)(ごと)し敵は、砲の連射でも間に合わないほどので、嫌気がさす……

 おそらく戦術機の速射機関砲などでは、簡単に弾切れを起こすであろう。

無限のエネルギーを持つ次元連結システムだからこそ、出来る方法であった。

 その頃、蘭州軍区にある作戦指揮所は、(にわ)かに騒がしくなる。

陝西(せんせい)省、武功(ぶこう)空軍基地から核搭載の爆撃機が複数離陸したとの報告が入った。

 光線級の排除と、地上部隊の後退が進んだ為、核の集中投下の作戦に切り替わったのだ。

もっとも15キロ以上離れた地点から継続した重火器による火力投射は継続されている。

 ヘリや戦術機部隊は補給と整備の名目で退避済み……。

人民解放軍の失う兵力が、少なくて済む。それが中共政権の偽らざる本音であった。

 核搭載機による、航空撃滅戦……。

 中共の対BETA戦では、戦術機の近接戦闘が優先されつつある。

だが、労力が少なく、効果の大きい核は捨てがたい。

人民解放軍の考え方は、核に依存した戦術が優位であった。

 

 さて、マサキといえば。

ゼオライマーを駆って、道を進むうちに巨大な空間に出ていた。

 白い機体は、爆風と衝撃波で全体が薄汚れており、所々に返り血が染みの様にこびり付いている。

次元連結砲をもってすれば鎧袖一触(がいしゅういっしょく)だが、無数に()いてくる亡者共に苛立(いらだ)ちを覚えていた。

(『化け物どもの巣穴だとすれば、巣の主が居るはずだ』)

 その時、轟音と共に見たことのない化け物が表れた。

削岩(さくがん)機を思わせる外観に、かなりの巨体。すかさず、メイオウ攻撃を懸けた。

 出力を抑え、前面に向けた攻撃だった為、崩落(ほうらく)は防げたが、危険すぎる。

最悪の場合は、ワープすれば済むであろうが不安も残る。最新鋭の熱線暗視装置(サーモグラフィー)も心もとない。

電磁波の探査をしてみると直進すれば、50メートルほど先に巨大な空洞があり、400メートルほど下降すると行き止まりになっているとの観測結果が出た。

(『おそらく奴らの主が居る場所だ』)

 推進装置を全速力にして、先へ進んだ。

勢いよく進むと壁のようなものに当たった。

電磁波の探査では、この先に大規模な空間があり、何か巨大な存在が確認できる。

 砲撃で、壁のような物を破壊すると、開けた場所に着いた。

周囲は暗黒でよく見えない……、だが気配(けはい)は感じる。

マサキは、美久に呼びかけた。

「おい、俺が攻撃すると同時に転送しろ。この場所諸共(もろとも)吹き飛ばす」

美久は、戸惑いながら応じた。

「ですが、地上の部隊はどうするのですか。

()(まま)では最悪()()えですよ」

彼は失笑しながら、

「あいつ等は、ここまでの道案内にしか過ぎん。そもそも人民解放軍を信用しすぎだぞ。

奴らは俺たちをうまく使って、政治的利益を(かせ)ぐ材料にしか考えていない」

美久は彼を(なだ)める為に一旦置いた後、こう答えた。

「それは酷過ぎるのでは……」

言い終わる前に、マサキは瞋恚(しんい)をあらわにして、反論をする。

「お前はガラクタのくせに甘すぎる」

言い過ぎてしまったかと、美久は思ったが遅かった……、逆鱗(げきりん)に触れてしまったようだ。

「そもそも、俺はどれだけ利用されてきたか。

鉄甲龍(てっこうりゅう)や日本政府にも良い様に(もてあそ)ばれ……。

あまつさえ、殺されてしまったではないか!」

(おもて)を真っ赤にしながら、勢いよく操作盤をたたいて、言い切った。

「お前は俺が作った人形だ。言う事さえ聞いていれば良い。

下手な推論(すいろん)は、状況によっては判断を誤り、命さえ(おびや)かす」

 

 その時、ゼオライマーに触手状のものが絡まってきた。

運よく瞬間的に移動した為、捕まれなかったが、油断はできない。

「メイオウ攻撃で、(ちり)にしてやる」

スイッチを押した瞬間に振動が走る。

「どうした」

左足に何かが絡まっている……、どうやら化け物の触手に絡め捕られてしまったらしい。

目の前にBETAが近づいてくる……、いや、引き寄せられてるのだろう。

タコのような姿かたちをしており、六つの目が見える。

 複数の触手が胴体を縛り始める。発射されるべき攻撃が始まらない……。

苛立(いらだ)ちと焦りを感じながら、叫んだ。

「美久、何をしている、早く撃て」

彼女からの反応はなかった。

 

(『まさか、電子制御を混乱させる妨害波でも出しているのか!』)

 

 彼は焦った。

このマシンは次元連結システムが無力化してしまえば、推力も攻撃力も(いちじる)しく損耗(そんもう)してしまう。

 自分が作ったものとはいえ、こんな形で欠陥が露呈(ろてい)してしまうとは……。

補助兵装には火器も刀剣類もない。文字通り素手なのだ。

 だからといって、メイオウ攻撃を解くわけにはいかない……

システムさえ回復すれば、こんな化け物を吹き飛ばせる。

 次元連結砲のエネルギーを最大まで引き上げた。

 もし、エネルギーを吸い取るのであれば、吸い取るだけ吸い取らせればよい。

おそらく吸い取る器のような物があるとすれば、上限があり、(あふ)()(はず)

 こちらは無限の動力源。

だから、何れは、容量に収まり切らなくなり、やがては向こうは自滅するであろう。

操作盤の電源が復旧し始めた。もう一度呼びかける。

「おい、仕掛けるぞ」

彼女からの返答が返ってきた。

「分かりました」

もう一度、発射操作をしながら、言い放った。

「全力で攻撃した後、できるだけ遠くへワープしろ」

 その刹那、一帯は(まばゆ)いばかりの光が広がっていった。

全身に絡まっていた触手は千切れ、両腕を持ち上げ、胸の前にかざす。

「失せろ」

 


 カシュガルでの戦闘は通算12時間ほどで終わった。

ハイヴと呼ばれる構造物は、地下数百メートルに渡って崩落し、巨大なクレーターへ変化していた。

 核攻撃隊が、新疆に入った時にはすでに遠方より視認できるほどの茸雲が上がっており、中止。

通常爆撃と近隣の基地から飛ばした航空機の近接航空支援による残党狩りへと、作戦は変更となった。

 ゼオライマーは爆破直後に、周囲を攻撃しながら、上空から降下する。

やがて地上50メートルの距離で、空中浮揚し留まる。

 強烈な吹きおろし風が嵐のように周囲を舞い、近隣の車両や兵に降りかかる。

機体から、外部に向かって声が出された。

「俺の仕事は終わった。あとは好きにさせてもらうぞ」

 急いで、4人乗りのジープがやってくる。

指揮員*1の制服を着た人間ともう一人が立ち上がって、両手を上にあげた。

その場で浮遊し続けるとジープから拡声器を取り出し、指揮員は話し始める。

「今日はいったん基地まで引き上げましょう、明日改めて指令が来るまで待ちましょう」

索敵用のサーチライトが、当たって眩しい……

「良いだろう。一旦基地に引き上げる」

轟音と共に、ゼオライマーは飛び立っていった。

 

 

 さて翌日。

早朝五時に起こされたマサキは、北京(ペキン)へ行くよう指示された。

 最初に、安全を最優先で陸路でウルムチまで行き、そこから複数の経由地を経て、ヘリで北京入りする。

その様な話を聞かされた時は、マサキは呆れた。

 ゼオライマーで直接乗り込む話をしたが、中々納得して貰えず、2時間ほど待たされた。

後になって、北京の南苑(なんえん)基地*2なら乗付て良いとの指示があった。

 昼近くまで時間が掛かった事に些か不満ではあったが、承知してすぐに出発する。

高度1000メートルを20キロほど低速力で北へ飛んだ後、ワープ……。

 ワープした後、北京郊外から南苑基地に向かった

基地に近づいた瞬間、迎撃用のミサイルと数機の戦術機が上がって来る。

 ミサイルを回避しながら、通信で呼びかけると反応があった。

敵意が無い事が判ると、戦術機部隊は下がっていく。15分ほど上空で待機させられた後、着陸許可が出た。

 空港に着陸するなり、司令官が陳謝(ちんしゃ)してきた。

だが、遠巻きに対空機関砲などの重火器が配置してあるのが、視認できるほどの緊張状態。

 仮に美久が居なかったならば、流血の事態になる寸前であった。

彼らの弁によると、「予想時刻より大幅に早く」、動揺したためとの事である。

ゼオライマーの飛行を「ソ連側の攻撃と考え、防空体制が引かれた」というのだ。

 

 日本大使館の職員が来るまでということで、南苑に足止めされていた。

迎えが来たのは、深夜2時頃……、仮眠している所を叩き起されると、別室へ案内される。

 室内には、屈強な男達が待っており、彼らは挨拶の後、名刺を差し出して来た。

おそらく職員ではなく、治安機関の関係者だろう。

 ほぼ全員が拳銃を携帯しているのが、脇腹の膨らみから見て取れた。

まず若いビジネスマン風の男が、ソフト帽を脱いで挨拶をすると、声をかけてくる。

 男は品定めをするようにマサキ達を見ていた。

マサキは、こう返した。

「そうだ。早く休ませてくれ。周りが鬱陶しくて叶わない」

手に持った名刺を、中に着たワイシャツの胸ポケットへ乱雑に放り込む。

「先ずは、この服じゃないのを用意してくれ。

何時(いつ)までも、着ては居られないだろう」

 彼は、自身の着ている服を指差した。

一度着替えてから、ずっと人民解放軍の深緑色の軍服姿のままだ。

スーツでも、中山装(ちゅうざんそう)*3でもいいから、新しい服が着たかったのだ。

「帰国するまでには準備します」

 男は胸から手帳を出して、記録していた。

その様子を、マサキは間近で見ながら、訪ねる。

「……で、どれ位、かかるんだ」

男は顔を見上げて、続けた。

「早くても船ですから、1週間は待ってもらうしか、ありませんね」

 

(『この際だ、日本に行ってみるのも良いか。

俺が知る日本ではないのだろうから取り入る余地があるかもしれん』)

 

 話しかけられながら考えていたが、他に良策は無い様に思えた。 

米ソの超大国の考えは分からないし、何より生活習慣が違うのは疲れる……

 今回のように上手い具合に逃げられれば良いが、そうとは限らない。

両国とも堅牢(けんろう)な軍隊と強靭(きょうじん)な防諜機関があり、しかも距離も遠い。

 脱出するまでにどの様な姦計(かんけい)(おとし)められるか、(わか)らない。

いくら無限のエネルギーといっても整備や保守もしなくてはならない。

そう考えていると、男が話しかけてきた。

「詳しい話は、帰国船の中でしましょう」

男が言うと、マサキは、(うなず)いて返した。

(『たしかに何処(どこ)に間者が居るのか、判らんからな』)

「良いだろう。詳しい話はあとで決めるとして、先ずは先約は守ってくれるだろうな」

彼がそう言うと、男は不敵の笑みを浮かべた。

*1
将校

*2
北京郊外にあった南苑空軍基地。清朝末期の宣統10年(1910年)から2019年まで存在した空港

*3
孫文が好んできた四つの外付けポケット付きの詰襟服の事。中山装の名前は孫文の号である孫中山から




 ご意見、ご感想お待ちしております。


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帰郷(ききょう)

 日本帝国の大使館の計らいで、中共を脱出したマサキ。
彼を待ち受ける物とは……。


 マサキ達は、2週間後、中共から離れた。

天津からコンテナ船にゼオライマーを載せ、一路神戸へ向かう。

待機期間中、ほぼ大使館の中で軟禁状態に近い形で過ごした。

職員達は、深くは探ってこなかったが、色々と世話をしてくれた。

 

 夜半に目が覚めると、ドアを開け、船室から甲板に向かった。

夜風に当たるために、外に出ていると、「帝都城出入り御免」と話す、例のビジネスマン風の男が居る。

脹脛まで丈の有るダスター*1を着て、タバコを吸っている。

彼から、声をかけられた。

 

「あんた、どうするんだい。この先よ……」

彼の言葉が、響いた。

 マサキ達は、この世界では、寄る辺なき漂流者なのだ。

頼るべき家族も、友も、集団も、国家も、無い。

 この異世界、そして今から向かっている日本とも何ら関係は無い。

名前が同じだけで、別な道を辿る国。

冷静に考えると、危険な橋を渡っている様な感覚に陥る……

偶々、大使館の職員が来てくれたから良かったが、接点は無い所へ向かうのだ。

 

 嘗て、前の世界で、科学者・木原マサキであった時を、彼は思い起こしていた。

秘密結社鉄甲龍*2に背き、反逆の末、輸送機、双鳳凰で日本に逃亡。

しかし助けを求めた日本政府に、簡単に裏切られる。

計略により治安当局に暗殺された彼は、不信感が拭えずに居た。

 

 

 暗澹(あんたん)たる気持ちに飲み込まれて、考える。

何れ、BETAという化け物共を消し去れば、恐らく用済みになって消されるか、半ば幽閉されて飼い殺しにされる。

仮に肉体的に死んでも、ゼオライマーの中にある記憶装置さえあれば、スペアの肉体で、自分の記憶を容易に《上書き》出来る。

そして、美久を鍵とする、次元連結システムがあれば立ち回れるが、その秘密を知られれば、方策はない。

もっとも、スペアの肉体を用意するにしても、この世界の化学水準は不明だ。

仮に、クローンや人工授精の技術があっても、鉄甲龍に居た時のように簡単に携えるとは限らない。

 

 欄干に寄り掛かりながら、悩む。

この際、こいつ等の策謀に乗った振りをして、逆に利用出来る様策を練ろう。

前回暗殺されたように、政治や社会と距離をとるのではなく、手出し出来ぬ様な立場を得ねば、不味い……。

 

その様な思いが逡巡(しゅんじゅん)していると、再び男は声をかけてきた

「で、どうする。俺たちに協力するほかあるまい。アンタは帝国では根無し草だからな。

日本人だと言う事で迎えに来たが、帰る家も家族もないだろう……。協力するならば、整えてやるよ」

そう言うとタバコを、海に放り投げた。

 

「そうか。じゃあ協力してやるよ。条件を飲むならな」

顔を上げながら、答え始め、

「俺達には拠点も無ければ、生活手段もない。

ある程度、自由に動ける権利も欲しい。それが無ければゼオライマーも、唯の鉄屑だ」

男は驚いたような声を出し、

「脅しかね。ならば……」

「違うな、要望だ。要望を聞いてもらえねば、手伝えん。

このゼオライマーがどれ程の物か、知らないと思うが、只で動かせる様な安物では無い」

マサキは、振り返って男の方を向き、

「まず、家だ。都心に近い方がいい。

そして自由にゼオライマーを動かすことを考えると、何かしらの官職に就いていないと不味いだろう。

差し詰め、自衛隊の准尉にでも、して呉れれば良い」

 

その言葉に、男は、顔をしかめた。

斯衛軍(このえぐん)?」

聞きなれぬ単語を聞いたが、無視して続ける。

話しながら、ここが異世界だと言う事を忘れるほど興奮していた。

「後は、身の回りを世話する人間を2,3人用意して呉れれば良い。

俺は、貴様らの社会に疎いからな。但し、政府や治安機関の関係者以外だ。覗き見される趣味は無いからな」

欄干から離れて、男に近づき、

「最後に裏切る様な真似をして見ろ。俺は、只では済まさんぞ」

すれ違いざまに、こう放った。

「3つの約束を守ったら、お前らに協力してやるよ。フハハハハハ」

彼は、高笑いをしながら、その場を後にして行く。

「しっかり言質は取らせて貰ったぞ。木原マサキよ」

そう呟くと、男は甲板を後にした。

 

 さて数日後、神戸港から日本に入ったマサキは、驚いた。

あの大戦により焼失した建物、失われた社会制度、慣習が息づく姿に……

大都市圏は、ほぼ『元の世界』の戦前の影響を色濃く残る。

解体されず残った帝国陸海軍、複線型の学校制度……

不思議な感覚に陥った。

 

 二台のセダンで、京都へ向かう。

道路事情は多少は良くなっているが、何か立ち遅れた感じがしないでもない。

高速道路網も、空襲や世銀*3の借款が無かったせいか、少ないように感じる。

 妙に、変なのだ。

驚いたのは琵琶湖運河掘削計画だ。

これは『元の世界』*4でも計画されたが、結局、立案者*5が病死したことで立ち消えになった愚案。

 何より衝撃的な事実は、都が、未だ京都にあったことだ。

東京奠都(とうきょうてんと)御維新(ごいしん)が無く、よく列強に伍する地位になった事に感心したのと同時に、先に要望した《仮住まい》の事を悔やんだ。

自分は、東京郊外の心算で言ったのに、交通事情の悪く、蒸し暑く底冷えする盆地になど住む気など更々無かった……

 

 京都へ向かう車中、マサキは、渡された書類を見ながら、

「なあ、斯衛軍(このえぐん)とは何だ」と、同行する人間に問いかける。

脇に座る男が、振り返り、ひとしきり悩んだ後、

斯衛軍(このえぐん)というのは、城内省に付属する独立した軍ですよ」

「城内省、なんだそれは……」

男は呆れた様子で、彼に説明を続け、

「皇帝陛下より大政を委任されている政威大将軍、つまり殿下をお支えする機関です」

(『ということは、将軍直属の親衛隊に……。抜かった』)

「もっとも今は殿下も《表》に、お出ましになる機会も少なくなってしまいましたが」

こちらを睨むような素振りで話し続ける。

「外国に長く居らしたと聞いておりましたが……」

マサキは、落ち着いた様子で、返す。

「正直、俺はよく知らん。美久も同じだ。そう思って応対してもらえば助かる」

(『で、誰と会うんだ』)

彼は車窓を覘いた。

(『着けばわかるか……』)

彼の心中は不安に苛まれていた。

 

 マサキは、数名の男が待つ、京都郊外のゴルフ場に連れて行かれた。

別にプレーをする訳でも無く、ゴルフコースに出ていたのは訳があった。

それは防諜上の理由で、あえてゴルフ場を選んだのだ。

「大臣」、「閣下」という単語から類推するに、恐らく政治家と軍人。

彼は、渡されたポロシャツとスラックスに着替えて、男達と歩きながら話した。

「君が木原君かね。詳しい話は聞かせてもらっているよ」

初老の男が声をかけてきた。

「そうだ。で、何を頼みたい」

持っていたゴルフクラブを、キャディーに渡しながら、

「ならば単刀直入に言おう。来年度中に欧州で大規模な攻勢計画があってね。

君には我が国の、観戦武官と共に欧州戦線を詳しく確認してきてほしい」と続けた。

当事者ではない日本にとっては、関係のない話にも見える。

初老の男は、脇から若い秘書と思しき男に書類を渡されていた。

(さかき)*6君、この他にも、『例』の資料を持ってきてくれ」

榊と呼ばれた若い男は、カートに資料を取りに向う。

 

 マサキは、例の資料について訊ねた。

NATO案による、白ロシア・ミンスクハイヴ攻略作戦仮計画書、だという答えが返ってきた。

「ソ連にまで行って、ゼオライマーのテストでもするのか」

初老の男は、笑いながら答える。

「話が早い。それもあるが……。

実は、その気に乗じて欧州戦線において我が国の立場を明らかにしたい。

その為の、ミンスクハイヴ攻略作戦の《観戦》だよ」

話をしている内に、榊が戻ってきた。

「大臣、『例』の資料を持って来ました」

厚いB4判の封筒に入った資料が、彼の手に渡された。

「一旦、休憩にしましょうか」

左手に付けている自動巻きの時計を確認すると、時間もなく正午であった。

 

 その後、休憩室に場所を移し、秘密計画に関する話が始まった。

大臣と呼ばれている男が口を開き、

「中共での話は聞かせてもらった。だいぶ暴れたそうじゃないか」

出されたコーヒーを飲みながら、マサキは(うなず)く。

「実は今回の作戦には、ソ連が秘密作戦を行うという話を聞いてね。

ハイヴに突入した君に聞きたい。早速だが、胸襟を開陳したまえ」

カップを置くと、マサキは、語り始めた。

「貴様らの資料を見せてもらったが、戦闘経験から言うと、あの化け物共に到底人間と同様の思考能力が備わっているとは思えない。

意思疎通が出来るとかいう、学者は気が狂ってるとしか思えん。

奴らは、まるで誘蛾灯に寄る真夏の虫のように群れてきて襲ってくる」

遠くにあったガラス製の灰皿を引き寄せ、

「もし意思があるなら逃げるか、別な行動を示すはずだ」

包み紙を開け、タバコを取り出し、紫煙を燻らせ、

「それに、なぜソ連は核攻撃をしない。ミンスクぐらいなら仮に核で焼いてもソ連経済に影響はあると思えないが……」

男は、マサキの発言に唖然とした様子であった

 

 大臣は、目を閉じ、深くタバコを吸うと、静かに語った。

「西側が見ている目の前で、そのような暴挙には出られんのだろう。ウクライナすら何時まで持つか分からん状態だ」

目の前にある灰皿にタバコを置いて、続ける。

「ましてや、大規模な援助を米国に頼っているソ連がそんなことをしてみろ。今度の作戦はおそらくご破算になりかねん」

(『たしか、ソ連は元の世界でも穀物を500万トン弱*7を輸入していたな……。戦時下となれば、恐らくその割合はかなりの物になっているはず』)

「そこでだが、その弱り切ったソ連の中で形勢逆転の秘策があってな……」

 英語で書かれた資料と共に、翻訳された文書が渡される。

報告書には太字で、こう記されていた。

"UN:Alternative3 commences"

_国連、オルタネイティブ3計画始動_

 

 

 新しいたばこの箱の封をを開けながら、男は語った。

「これは米国務省経由で我が国に齎された資料だが、大本はおそらくハバロフスク遷都の際に持ち出されたものらしい」

ESP発現体

マサキは、文中にある、怪しげな言葉に興味を引いた。

「その資料にある通り、ソ連では思考を透視できる人間を作る計画が推進中だ。

なんでも超能力者を人工的に育てて、BETAとの意思疎通をとり、彼らの意図をくみ取ろうという計画だそうだ」

大臣は彼の方を向いた。

「大変な苦労を掛けるが、君にはこの作戦を通じてソ連の秘密計画を粉砕してほしい」

 

 黙って聞いていたマサキは、答え始めた。

「今の発言は、どういう意図があってだ……」

深刻な表情をした大臣は、彼へ返答をする。

「仮にソ連に思考を透視出来る兵士の量産が実現してみろ。

それだけで我が国や西側社会にとって危険だ。この混乱に乗じて、禍根を断ってほしい」

ゆっくりと新しいタバコに火を付ける。

「つまり、ソ連領内で破壊工作をしろと言う事か……」

タバコを吹かしながら、男は答える。

「ああ、そうだ」

彼は、大臣を(にら)み、

「ほう、別に構わない。だが、それ相応の見返りは必要だな。大体、危険が大きすぎる。

それにこんな仕事は、あんたらの役目だろう。

もし捕まってみろ。間違いなく死ぬぞ。そしてゼオライマーも奴らの手に渡る。

俺はそんな馬鹿な作戦には、ただでは乗らん」

彼は机にあるタバコをとって、吸い始める。

「少なくとも時間があるはずだ。よく考えてからにしてほしい。俺はそれまでは動かんぞ」

後ろ手で手を組み、椅子に寄り掛かる。

「見通しが甘すぎる。まあ、ハイヴを吹き飛ばすぐらいなら考えてやっても良い」

机にある資料をB4の茶封筒に、かき集める。

「時間が無いからよく理解できんが、この資料は全部頂いていくぞ」

彼はタバコをもみ消し、立ち上がり、

「用件は済んだのか。じゃあ、次の場所に行かせてもらうぞ」

そしてドアを開けると、マサキは去っていった。

 

 マサキの脳裏に、再び、前の世界での一度目の死の直前にあったことが思い浮かぶ。

亡命した彼を日本政府は、日ソ関係の改善の道具として利用し、ゼオライマーの技術を独占する目的で暗殺された。

 目先の利益の為に日ソ関係改善に走った当時の防衛長官、その時の政治事情が分からない故、結論は出せない。

だが、再度ゼオライマーの中にある意志として15年ぶりに目覚めたときは、その企みが不発で終わったことに内心安堵した。

 

 ソ連。時の米国大統領*8をして「悪の帝国」*9と言わしめた国家。

国際法を弊履が如くかなぐり捨てる野蛮国。

政治の為に科学すら捻じ曲げ、共産主義の教義に沿った「獲得形質遺伝」なる説を唱え、その結果大飢饉や政変で多数の人命が失われる国家。

メンデル遺伝学を研究する学者を多数追放し、処刑した国家など科学者・木原マサキとしては受け入れられなかった。

 その様な国家に関わることさえ、彼にとっては苦痛であった。

元居た世界に似た、この世界において、化け物共にソ連が、共産圏の大半と侵攻されていく様を見たときは、何とも言えない気持ちに陥った。

『どうせ化け物共に飲み込まれて消えていく国だ。関わり合いになりたくない』というのが偽らざる本音であった。

あの大臣が言う事をすべて信じられないが、この世界では何が起きてもおかしくはない。

18メートルのロボットが闊歩し、火星まで探査機が行く世界だ。

 

 

「待ってください」

その声で、マサキは現実に連れ戻された。

美久が左手を両手で掴んでくる。かなり強い力で……

「離せ」

手を払いのけ、車まで戻ろうとした所を後ろから覆い被さる様にして、止められた。

「どうか、あの方々の真剣な言葉を聞いてあげてください。悪意があってやってるようには見えません」

なおも歩き出そうとしている彼を、両手を脇腹に回して背中から抱き着いて止める。

鬱陶(うっとう)しい」

ふと立ち止まった。

(『どうせ、拒否して無理やり行かされるぐらいなら……堂々と正面から参加して、暴れてやれば良いか』)

彼女は抱き着いたまま、離れない。

「おい、美久。離れろ。鬱陶しいし、重い」

彼女はゆっくりと離れ、安堵の表情を見せる。

「お納め頂きましたか」

マサキは急に振り返り、彼女の顎を右手で掴み、

「ほう、推論型人工知能の癖に、主人にまで逆らうとは。我ながらよく出来た物を作ってしまった物だ」

右手を彼女の左肩に寄せ、顔を近づけ抱き寄せる。

美久は、恐怖で(おのの)いた表情をしている。

「お前を(もてあそ)んでいたら、興も醒めてしまった」

おもむろに顔を上げ、

「一度乗った船だ。奴らには協力しよう。だが俺と、ゼオライマーは奴らの自由にはさせん。

俺を出汁(だし)にするならば、内訌を起こさせて、その目論見を崩壊させてやる」

後方に立っている男を呼ぶ。

「おい、榊とか言ったな。俺は欧州に行くぞ、そう伝えて置け」

 

 ゴルフ場を後にして、市内に連れ出されたマサキ達は、ある屋敷に、連れて出された。

まるで大時代物*10に出てくるような広大な屋敷。数町歩(ちょうぶ)*11ほどあろう庭には、手入れされた草木が生い茂る。

 恐らくこの国の支配層に近い人物であろうことは、察することが出来る。

広い庭で、長髪に着物姿の男と、例のビジネスマン風の男が立ち話をしていた。

使用人に案内されると、榊が深々と礼をしたのを見て真似てる。

 

 (くだん)の壮年の男は、口を開き、

「榊君、半月前に、支那で拾って来た男というのは、彼かね」

「そうです」と、榊は頷く。

「何でも、斯衛軍に入りたいと聞いたが、儂の方で出来なくもない」

と、答えた男は、例のビジネスマンに声をかけ、

「来年の夏ごろまでには仕上がるかね」

(おきな)、それは教育次第では出来るかもしれませんよ……」

翁と呼ばれた男は、マサキ達を向くや、

「脇にいる娘御は何だね」

「サブパイロットだそうです。詳しい話は……」

男の言葉に、眉をひそめたマサキが口を挟み、

「おい、爺さん。俺をどうする気だ。それと美久は唯のサブパイロットではない。

こいつが居なければゼオライマーは動かせんぞ」

鋭い眼光で、目の前にいる老人を睨みつける。

「ゼオライマーが無ければ、貴様らはその野望とやらも実現できまい、違うか」

 

翁と呼ばれた男は、喜色をたぎらせて、

「抜かせ、小童共に何が判る。所詮、大型の戦術機一台ぐらいでどうにかなると思っているのか」

と、マサキの(げん)を馬鹿にした高笑いをみせると、

「じゃあ、ソ連の秘密基地破壊とミンスクハイヴを消したら、その時はどうする」

男は、険しい表情を見せるマサキの様を見ながら、なおも笑い、

「それ相応の態度を見せてくれれば、貴様の望み道理にしてやっても良いぞ」

と、煽り立てるような事を告げる。

周囲の人間は一様に困惑した様であったが、その姿を楽しんでいるかのような様子であった。

「来年の暮れまでに結果を持ってこい。楽しみに待っているぞ」

翁は、そういうと屋敷の中に、従者たちと共に消えていった。

 

 

*1
埃避けの着丈の長いオーバーコート。日本ではステンカラー・コートとして有名。

*2
『冥王計画ゼオライマー』に登場する悪の秘密結社。世界征服を狙うもゼオライマーによって打倒された。

*3
世界銀行。1944年創設の国際機関。戦災復興への融資が元で設立された

*4
1961年(昭和36年)の頃、計画された

*5
大野伴睦

*6
榊 是親(さかき これちか)。マブラヴの原作キャラクター

*7
1972年にソ連は米国より家畜用飼料の緊急輸入に踏み切った

*8
第40代大統領ロナルド・ウィルソン・レーガン(英語: Ronald Wilson Reagan)

*9
1983年3月8日にアメリカ合衆国フロリダ州オーランドで開催されたアメリカ福音派協会の年次総会での演説

*10
浄瑠璃、歌舞伎の時代物の中で、特に源平時代以前の事柄を題材にした物

*11
(ちょう)は尺貫法の距離及び面積の単位。1町歩は約0.9917ヘクタール




 昨日の誤字報告有難うございました。
目は通しているつもりですが、かなり誤字脱字が多いと思います。

どんどん報告して頂ければ助かります……。

後、成人向けページの方でも本編で書けなかった話を書いてます……。
宜しかったら18歳以上の方は見てください。


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(ひさめ)

 悲劇の敗戦から30有余年。
ソ連隷属下にある東ドイツ。
国を憂う青年将校・ユルゲン・ベルンハルト中尉。
彼はそれ迄避けていた東ドイツ政界に身を乗り出した。
全ては愛する女性の為に……。



 さて、視点を転じてみよう。

 この物語のもう一人の主人公であるユルゲン・ベルンハルト。

彼は、東ドイツの軍事組織である、国家人民軍航空軍*1中尉。

 BETA戦争の為、航空戦力が削減され、やむなく地上軍*2へと転属している身であった。

そんな彼は今、国家人民軍地上軍の戦術機部隊である第40戦術機実験集団の隊長。

 ソ連救援のため、東ドイツよりはるか東にあるウクライナのドンバス地方に来ていた。

ウクライナに展開する国家人民軍第一戦車軍団と戦術機実験集団に呼び出しがかかった。

 当該部隊の指揮官、参謀は、急遽帰国の途に就き、ベルリンへ向かった。

彼らは首都に着くなり官衙(かんが)に招かれ、そこで驚愕の事実を知らされる。

 東独の首脳部の口から伝えられたのは『中共政権による単独でのハイヴ攻略』

独力で中共がハイヴ攻略をした……。

 その話は、わずか数日の間に国際報道に乗り、全世界を駆け巡る。

欧州戦線にて前衛を務める東欧諸国の青年将校達に、衝撃が走った。

 

 帰京して数日たったある夜、ベルリン郊外の然る屋敷。

とあるSED*3党中央委員の私宅に、二人の男が呼ばれていた。

屋敷の主人は、青年時代から党大会に参加し、新進気鋭の議会委員として、有名な男。

「よく来てくれたな、二人とも」

 人民軍地上軍の軍服姿の男たちが部屋に入る。

 壮年の男が敬礼をすると、脇にいる男も少し遅れて敬礼をした。

壮年の男の名前は、アルフレート・シュトラハヴィッツ*4

 機甲科*5を示す桃色の台座の上に、将官を示す金糸と銀糸が織り込んだ肩章。

 金属製の星形章の数から少将。

胸には略綬と職務章を付け、年のころは40代半ば。

若干日焼けしており、最前線で戦っていることが一目で判る。

 生地は、艶やかな灰色で質の良いウールサージ。

体に合った仕立ての良いで、恐らくテーラーでのカスタムメイドであろう。

 青年は、ユルゲン・ベルンハルト*6

水色の台座の航空軍肩章で、銀糸の刺繡模様から尉官。

 肩章に輝く菱形の金属製星形章の数から中尉。

陸軍と同じ灰色のサージで出来た将校用の軍服を着ている。

 隣の男と比して、生地の質が幾分が落ちることから、判るのは既製品であろう事。

美丈夫と呼んでも差し支えない男で、年のころは20代前半。

輝くような金髪に、碧眼、青白く美しい肌の青年であった。

「此方こそ御招き頂いて有難う御座います。自分は……」

屋敷の主人は、不敵の笑みを浮かべると遮るように言う。

「知っているよ。

噂の婿殿だろう。アーベルの奴が居たら面白かったな」

ベルンハルト青年は反論した。

「待ってください。自分はまだ独身で、彼女とは結婚はしていません。

たしかに友人以上の関係ではありますが、誤解なさらないで下さい」

 興奮した様子のベルンハルト青年を、主人は宥めた。

「まあ、待て。その話は追ってするから、これを見ろ」

主人は、青年と脇にいるシュトラハヴィッツに一枚のB3判の封筒を渡す。

「これは……」

複数の写真と独文の報告書と、英字新聞の複写が挟んであった。

(なんで「南華早報」*7、何故、西側の新聞が……)

 隣を振り向くと、40がらみの男が熱心に資料を読んでいる。

「実はな、支那でのハイヴ攻略。未確認だが、西側の新兵器が使われたらしい」

 左手で、椅子に腰かける様に促された彼等は、着席した。

屋敷の主人はその様子を見届けると座り、奥に向かって茶を催促する様、呼びかける。

まもなく暖かい湯の入ったヤカンと、急須に茶碗が盆に載せられ運ばれる。

「お待たせしたな、フランスの茶しかなかったんだけど良いかね」

 青年は驚いた。

フランスの有名茶葉、フォション*8

缶を裏返してみると、先頃より手に入りにくいセイロン*9製の茶葉。

続いて運ばれてきた、白磁の皿には、直径15センチもあろうかというクッキーが10枚ほど並んでいた。

「なんでもベルンハルト君、西側の茶葉が好きだそうだね。

君の好みに合うかは知らんが、味わってくれ」

 彼は驚いた。

自分は既に目の前の男にとっては、丸裸寸前の状態であることに。

「話を戻そう。

すでに諸君も報道で知っているとは思うが、先日、中共がハイヴを単独攻略をした。

我が国も様々な筋からの情報でも、それが裏付けられた……。

なんでも超大型の戦術機による空爆で、ハイヴを粉砕したらしい事まで分かった」

 シュトラハヴィッツ少将が口を開く。

「超大型ですか」

 彼に主人が写真を差し出し、

「この写真を見たまえ」

 撮影日時は不明ではあるが、横倒しの状態でコンテナ船に乗る戦術機の姿が映っていた。

縮尺から考えると50メートル近い巨大な全長。

 武装は見えるところにはないが、恐らく別積みしてあるのだろう。

「こんな物を、何時の間に……。

この混乱の前に、10年に及ぶ文革で数千万が被害にあったと聞き及んでいます。

彼らに、その様な工業力があったとは、思えませんが……」

 屋敷の主人は、脇からフランスたばこを出す。

右手で封を切り、箱から一本抜き取る。

 縦型のオイルライターを取り出し、火を点けた。

恐らく、オーストリア製のライター、イムコ(IMCO)であろう。

紫煙を燻らせると、静かに語り始める。

「実は、未確認の情報だが、西側の新兵器らしい。

最終的に、天津港から日本の神戸港に運ばれた」

 ベルンハルトは、驚いたような声で尋ねた。

「じゃあ、支那は独力ではなく、日本に助力を求めたというのですか! 

今頃になって他国に援軍を求めるなど、虫が良すぎではありませんか。

その様な我田引水(がでんいんすい)は、許されるものではありません」

 主人は彼を宥めた。

「まあ、落ち着き給え」

 ユルゲンに、紙巻きたばこの箱を、右手で差し出す。

ジダン*10の文字が見え、フランスの有名な黒タバコであることを理解した。

 このような物を自在に手に入れる立場であること、自分の地位の高さを見せつけるためであろう。

それとなく目前の男は、彼に説明しているのだ。

「君、たばこは吸うか」

ユルゲンは、右手で(さえぎ)った。

「自分は吸いません。それに……」

 たばこの箱を、シュトラハヴィッツ少将の方へ向ける。

シュトラハヴィッツは、彼の右手から自分の右手にタバコの箱を受け取った。

「宇宙飛行士になりたいんだろう。20代じゃないか。

夢をあきらめるは、まだ早い。

たしかに体が資本だ。

だからこそ君の様な男に、この動乱を生き残ってほしい」

 ユルゲンは、主人に黙って会釈した。

シュトラハヴィッツはタバコを3本取ると、胸ポケットからマッチの木箱を取り出した。

 其の内の一本に、マッチで火を点け、吸い始める。

タバコの箱を机の上に、静かに置いた。

「マホルカ*11と違って癖が少ないですな。

 でもラタキア*12やバージニア*13のような吸いやすさはないですな」

 目前の人物は、自分のもてなしを大層気に入ったようだ……

男は喜びながら答えた。

「なあ、旨いだろう。この独特の風味が癖になる。

 気に入ったなら、また来た時に用意してやるよ」

 彼は、男の顔を見ながら答える。

顔は正面を向くも、どこか遠くを見るような目で、何か寂しさを感じているような表情であった。

「兵達に吸わせたかったですな……」

 おそらく戦場で戦死した兵士たちへの手向けた言葉であろう。

そのことは、色々他人の気持ちに疎いユルゲンでさえ、理解できた。

 暫しの間、場は静まった。

再び現実に戻すように、ユルゲン青年が男に問うた。

「よろしいでしょうか」

 男は頷いた。

「お話というのは、その支那情勢の事ばかりではないでしょう。本心を聞かせてもらえますか」

 男は目を瞑り、白いフィルター付きのタバコをゆっくりと吸う。

ゆっくりと紫煙を吐き出すと、語り始めた。

「ぶちまけた話をいえば、君等に、我々の派閥に入ってほしい。

《おやじ》も年を取り過ぎた。

この辺りで何か、起死回生の策を採らねば、我が国は消える」

 男の話を、彼は熱心に聞き入った。

「そこでだ。

今回の欧州全土を巻き込んだミンスクハイヴ攻略作戦の帰趨(きすう)は、我が国の将来に掛かっている。

成功すれば、西側へ、より良い条件を引き出す切っ掛けに為るやもしれん」

 タバコを、ゆっくりと灰皿に押し付ける。

「実はな、国家保安省(シュタージ)の一部の極左冒険主義者共が策謀を巡らせていてな、なんでも青年や大学生を誘致しているらしい」

彼等は、この発言に驚いた。

「そういった話を、聞いたことはないか」

無言の彼等に代わって、男はなおも続ける。

「戦術機部隊を作って、連隊*14を拡大強化する案を省内で纏めていると聞く」

 シュトラハヴィッツ少将は、二本目のタバコに火を付けながら答えた

「我々にそれを潰せと……」

「あくまで噂だよ。

俺が《おやじ》の《家》に、《遊び》に行ったときに、小耳に挟んだのだよ」

 彼等は、一通りの話を聞いて理解した。

《おやじ》とは、この国の最高指導者の事を謙遜した表現であり、《家》とは何かしらの施設か、府庁であろうことを……。 

 男は冷めた茶を飲み終えると、再び話し始めた。

「噂だが」

そう置きした後、真剣な表情で語った。

「なんでも一部の極左冒険主義者共、露助の茶坊主*15と、褐色の野獣*16とかいう、綽名の優男を中心に大学や青年団*17の中に入ってきて、男狩り*18を始めた」

 男は、白磁の皿に手を伸ばして、大きいクッキーを掴み取る。

「青年団は俺の島だ。島に黙って入ってきて食い荒らされては困る。

それ故、人民の軍隊である人民軍の将校に、《陳情》しているのだよ」

 高級幹部特有の言い回しに、シュトラハヴィッツ少将の目が鋭くなる。

今の一言は、政治的に危うい発言……。

「それは、どのような立場でだ」

 クッキーを弄びながら、男は答える。

顔は、背けたままであった。

「党中央委員の意見としてだ」

 シュトラハヴィッツ少将は、火のついたタバコを灰皿にそっと置いた。

その態度から、彼は少将が静かに怒っているのを悟った。

「党中央委員会の意見としてか」

 クッキーを割りながら、なおも続ける。

「それは君の判断に任せる」

 シュトラハヴィッツ少将は、両肘を机の上に突き出すように座って、答える。

机の上に置いた両手が握りしめられていく。

「脅しかね」

 灰皿の吸い殻へ、種火が移り燻り続ける。

部屋は、天井の方に煙で空気が白く濁ったようになっている。

「要望だよ」

 そういうと男は、クッキーを食べ始めた。

食べ終わると、こちらを見ながら話し始めた。

「つまり、君達がそれなりの結果を示さないと、あの茶坊主共にこの国は滅茶苦茶にされると言う事だよ」

 ベルンハルトは腕時計を見た。時刻は午後10時半。

せっかくの帰国だ……。そう悩んでいると、男が声を掛けた。

「妹や、愛する《妻》に逢いたかろう、今夜はお開きだ。

明日、親父さんを連れてきなさい。

如何しても外せない話が有るからと伝えて置いてくれ」

 彼は、その一言を聞いて一瞬戸惑ったが、理解した。

《親父さん》とは精神病院に幽閉されている実父ヨゼフ・ベルンハルトではない。

 おそらく将来の岳父アーベル・ブレーメ*19であることを……

その様な思いを巡らせていると、少将が右肩に手を置いた。

「一旦帰ろうではないか」

 彼は立ち上がり、少将と共に敬礼する。

ドアを開けると、軍帽を被って屋敷を後にした。


 翌日、早朝に改めてベルンハルト達は屋敷を再訪した。 

館の主人とアーベル・ブレーメは、ベルンハルト達を置いて10分ほど室内で密議を凝らす。

興奮した様子で、部屋から出てくると外で待っている二人を呼んだ。

「二人とも来給え」

 屋敷の主人は彼らを食卓に案内した。そして椅子に腰かけるとこう告げた。

「まだ朝の6時前だ。

軽く飯ぐらい()ってからでも、遅くはあるまい」

 食卓には湯気の立ったソーセージと厚く焼いたパン、そして豆のスープが並んでいた。

全員が座ると再び口を開く。

「朝早く呼んだのは、昨晩の話を彼に伝えるためだ。

 いくら保安省に近い、経済官僚とはいえ、売国奴共のことは見逃すことは出来んよな」

彼はアーベルを一瞥する。

「さあ、喰え。冷めてしまうぞ」

「で、保安省の連中をどう抑えるのですかな」

 コーヒーを飲みながら少将は尋ねた。

「まずは、穏便な方法で行く。

まさか、クーデターなんて大それたことをやる必要はない。

あまり焦り過ぎるのは良くないぞ、シュトラハヴィッツ君」

 灰皿を机に並べながら、

「多少時間は掛かるが、中央委員会に根回しをしなくてはならない」

 彼はそういうと少将にタバコの箱を手渡す。

少将は軽く会釈をすると、数本のタバコを抜き取り、彼に返した。

 館の主人は、タバコの箱を回し終える。

そして、もの言いたげな表情をしている少将の方を向いて、彼に発言を促した。

「と言う事は」

男は眉一つ動かさず聞く。覚悟したかの様に告げた。

「《おやじ》に、隠居してもらうのさ」

 その場にいる全員の表情が凍り付く。

彼は真新しいゴロワーズ*20のタバコを開けながら、続ける。

「その為に、軍には協力してもらいたい。前線の君達にこの事を話したのは訳がある」

 そういうとシガレットホルダーを取り出し、両切りタバコを差し込む。

覚悟したかのように、ベルンハルトが尋ねた。

「つまり穏便な方策が、駄目であった時……」

屋敷の主人は、タバコに火を付ける。

「みなまで言うな」

 ゆっくりとタバコを吹かす。

そして、天井を仰いだ。

「まずは、《表玄関》から入って、茶坊主共を掃除しなければなるまい。

駄目だったら《裏口》から入る方策を用意して置けば良い」

「ですが……」

 彼は、青年の方に顔を近づける。

「ベルンハルト君。

君は、政治家には向かんな」

 そういうと笑いながらアーベルの方へ顔を向けた

「君が惚れ込むのも分かるよ。こんな好青年を鉄火場には置いておけんな」

 吸っていたタバコを右手でホルダーから外しす。

ホルダーを左手に挟んだまま、思い付いたかのように手を叩いた。

「なあ、身を固めなさい。

年頃のお嬢さんを、何時(いつ)まで待たせる気だね」

 ベルンハルトの目が泳ぐ。

色白の端正な顔は赤く染まり、気分は高揚している様だ。

「自分はまだ……」

 男は、新しいタバコをホルダーに差し込みながら話し続けた。

「妹さん達のような若い婦女子を前線には送りたくない。

その気持ちは私にも判る。

しかし、昨今の国際情勢の下では……。

何れ、動員令が下って前線へ出さざるを得なくなるやもしれん。

それに、なんでも戦術機の訓練学校にいるそうではないか」

 ユルゲンは、たちまち精悍な顔つきになり、男に尋ねた。

「何を、(おっしゃ)りたいんですか」

 男はマッチを取り出し、ゆっくりとタバコに火を点けた。

「婦人はね。

結婚すれば、前線勤務の免除を条件とする案を、中央委員会の議題にしようかと思ってね。

まあ、イスラエル辺りでは実施されている方策。

だから、わが国でも同様の策を取り入れても問題はない……、と考えている」

 男の話の内容から、彼は、既婚婦人兵の前線勤務免除が確定済みなのを確信した。

タバコの灰をゆっくりと灰皿へ落すと、彼の方を向いた。

「私はね、君の様な好青年が独り身で戦死するようなことを減らしたいと考えている。

仮に家族が居れば、考え方も変わるだろうと」

 彼は驚きながら、周りをうかがった。

アーベルは、今までに見た事のない優しげな表情で見返してきた。

シュトラハヴィッツ少将は新しいタバコに火を付けながら、真剣にこちらの話を聞いている。

「甘く幻想的な考えかもしれんが、君の様な男を見ていると、年甲斐も無く其の様な夢を見たいと思えてしまうわけだよ」

そう告げると、タバコをゆっくりと外すと右手で灰皿に押し付け、火を消した。

「なあ、アーベル、シュトラハヴィッツ君。そうであろう」

 二人は深く頷いた。少将の顔が綻んだのが見える。

彼も、やはり一人の父親であろう……。

 将官ゆえに政治的発言は慎んでいるが、やはり愛する娘の事を思う人間なのだと。

冷徹な鉄人ではないと言う事を、あらためて認識した。

男は、冷めた茶を飲み干すと、再び、彼に向かって話し始めた。

「君は、我が国の独自外交だ、武器輸出による国際的地位の確立だの、言っているそうだがね。

それは、無理な話だよ」

ベルンハルトは、再び尋ねた。

「なぜですか。

今ソ連の力が弱った時に……」

 男は、再びタバコに火を点けた。彼の顔を見ぬまま、喋る。

「我が国はソ連の後ろ盾があったからこそ、ある程度社会主義圏で、自由に振舞え、西側に影響力を行使しえた」

 下を向いていた顔を、起こし、

「その後ろ盾が無くなれば、どうなる。

この民主共和国は、恐らく20年も持たずに消え去るやもしれん。

チェコやハンガリーでの反動的な運動が盛んになれば……。

何時か、この国に飛び火する……」

 何時になく真剣な表情で、彼の顔を見つめながら。

「農業生産品や工業生産品もソ連から滞っていて、社会生活を何とか維持できるかも怪しくなりつつある。

だからこそ……」

 シュトラハヴィッツ少将が声を遮る。

「西側に近寄ると……」

男は、少将の方に振り向いた。

「いや、違うな。《挙国一致》体制で乗り切るんだよ」

黙っていたアーベルが答えた。

「どういうことだね」

 左手で灰皿を引き寄せ、ホルダーからタバコを外す。

右手に燻るタバコを持ちながら、問いに答える。

「非常時と言う事で占領地(トライゾーン)に協力を申し付けるのさ」

 彼は呆れ果てた様な表情で、男を見た。

「今更、その様な古い理論を……」

 男は、右手でタバコを静かに消した。

「遣るしか有るまい。

そしてそれを交渉材料にすれば、軟着陸できる方策があるはずだ」

 ベルンハルトは、背筋を伸ばしたまま、再び尋ねた。

「仮に挙国一致の統一が成っても、社会主義のシステムを内包したまま、統一を図ると言う事ですか」

 屋敷の主人は驚いた顔をしながら、彼を凝視した。

「詳しく話してくれ」

 彼は、断りを入れてから話した。

「思い付きですがね……。

自分が空想するのですが、国土の統一はなっても、両方の社会システムを維持したまま、穏便に時間をかけてどちらかの体制をとるか……

あるいは、片方の制度に移行する期間を設けるべきかと……」

 彼は、横目で、周囲を見る。

シュトラハヴィッツ少将は、熱心にタバコを吸いながら聞いている。

アーベルは腕を組んで、深く椅子に腰かけている……。

 男は前のめりになって、問うてきた。

「つまり、一国に統一した後、2つの制度で、運営すると」

彼は、身じろぎせず話す。

「そうです」

 男は、背もたれに寄り掛かる。

目を閉じて一頻り悩んだ後、こう言った。

「西ドイツのブルジョア選挙*21で前衛党*22が議会を支配するようになれば、上手く行くやもしれん」

 アーベルが組んでいた手をほどき、ひじ掛けに手をかけて身を起こす。

そして男の方を向き、囁く。

「ワイマールの悪夢を再び見ろというのかね……」

男は、鋭い眼光で返した。

「向こうの情報はこっちに筒抜けだから、上手く操縦できるさ」

 ベルンハルトは恐る恐る尋ねた。

「仮に、ブルジョア選挙で上手くいっても、民主集中制*23の問題で、行き詰りそうですが……」

 二人は唖然(あぜん)とした。

タバコを吸い終えた、シュトラハヴィッツ少将が静かに低い声を掛ける。

今までに聞いたことのない声の低さであった。

「それ以上の話は、中央委員会であんた等がやって呉れ。

俺達は、軍人だ。命令や陳情を受け入れるのみ」

 男は少将の一声に驚いて、冷静さを取り戻した。

「たしかにそうだな。茶坊主共を片付けるのを優先にしよう。

捕らぬ狸の皮算用をしても目先のBETA、売国奴共にケジメをつけないと話が前に進まないしな」

 アーベルが、勢い良く椅子から立ち上がった。

「それではお(いとま)させてもらうよ」

それに続いて、青年と少将も立ち上がる。右手で、机に置いた軍帽を持ち上げる。

「俺の方で可能な限り動いてやるよ。茶坊主共が、娘さんには手出しさせない様にな」

彼は男に右手を差し出し、男も応じて強く握手する。

「頼む。あの様な奴らの毒牙になど……」

 青年と少将は、軍帽を被り、身なりをを整え、敬礼をする。

返礼の敬礼をして、ドアから出ていく彼らの姿が見えなくなるまで、その姿勢でいた。

 そして、走り去る自動車を見送ると、こう呟いた。

「ああ、あのいけ好かないおかま野郎を退治してやる機会だ。

有効活用させてもらうよ」

時刻は午前7時前だった。

*1
空軍

*2
陸軍

*3
Sozialistische Einheitspartei Deutschlands,ドイツ社会主義統一党

*4
カティア・ヴァルトハイムこと、ウルスラ・シュトラハヴィッツの実父

*5
戦車部隊の事

*6
アイリスディーナ・ベルンハルトの5歳年上の実兄、ベアトリクス・ブレーメの恋人

*7
South China Morning Post、サウスチャイナモーニングポスト。香港の日刊英字新聞。1903年11月6日創立

*8
FAUCHON.1886年創立のフランスの食品メーカー。レストラン・ホテル事業も展開

*9
スリランカの雅称

*10
Gitanes.1910年発売のフランスたばこ

*11
ソ連時代からあるロシアタバコの一種。

*12
オリエント葉のタバコを蜜で燻製した物。名前の由来は今日のシリア共和国ラタキア地方より。主な産地はシリア・キプロス

*13
糖度の有る一般的なタバコ葉。主な原産地は米国バージニア州

*14
フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊

*15
エーリヒ・シュミット

*16
ハインツ・アクスマン少佐。国家保安省中央偵察管理局

*17
自由ドイツ青年団

*18
スカウト

*19
ベアトリクス・ブレーメの実父

*20
Gauloises.1910年発売。黒タバコが特徴的なフランスたばこ。ジタンと並び、欧州では現在も一般的な銘柄。サルトルが愛飲したで有名。

*21
普通選挙

*22
共産党、社会主義政党のこと

*23
プロレタリア独裁




 お待たせしました。原作キャラクター登場回です。

ご意見・ご感想、一言だけでも頂ければ励みになります。


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慕情(ぼじょう)

 ゼオライマーの登場で、混乱を始める東欧の政治情勢。
帰国中のベルンハルト中尉の周辺に、忍び寄る国家保安省(シュタージ)の暗い影。
その時、彼は……



1977年9月11日

 アルバニアに突如、米海軍の空母機動部隊が進行した。

四隻のエセックス級空母を主力とする機動部隊と地上から隣国ギリシャの支援による大攻勢を実施。

 F4Uコルセア*1、F8Uクルセイダー*2の航空機。

そのほかに、大々的に戦術機の海軍航空隊運用による初の対人実戦が行われた。

 先頃、ロンドンで、国連及び英政府仲介の米ソ交渉が行われた後の事件に、世界中が驚愕した。

中共と唯一の友好国であり、鎖国中のアルバニアへの攻撃には、様々な報道が飛び交った。

『米国による代理、懲罰戦争』

『戦術機の実証実験』

『ミンスクハイヴ攻略作戦の退路確保の為の掃除』

 戦闘は2週間続き、社会主義政権は機能を喪失。

アルバニアの首領は、ルーマニアへの脱出途中で捕縛され、ソ連へ引き渡された。

 その後、複数の罪状で起訴。

『アルバニア人民への反逆』

『スターリン主義の走狗』

『BETA侵攻を理由とした世界人民への背信行為』

最終的にソ連最高検事局により列挙された罪状は、25にも上ったという。

 ソ連領・モルダヴィア*3での『見せしめ裁判』の後、公開処刑。

 遺体は、首都のキシニョフ市中に、7日間(さら)された。

この中共への牽制(けんせい)とも受け取れる、米ソの行動。

 東欧諸国へ様々な影響を与えた。

 駐留ソ連軍のシベリア撤退を受けて、ゼネラルストライキが始まったハンガリー。

7日間のストの後、複数政党による選挙の実施をハンガリー社会労働党が公約することで収まった。

 幸いなことに、ウクライナ情勢は安定した。

BETAの進行は停止しており、状況は注視され続けていた。

 敵集団は、アフガンとソ連の国境線に留まっているという状態。

中央委員会への説明の後、最前線に戻るつもりであったユルゲン・ベルンハルト中尉。

 彼とシュトラハヴィッツ少将は、ベルリンに2か月留め置かれることになった。

手持無沙汰になっていた彼等に待っていたのは、あの館の主人への協力であった。

 

 

「同志中尉、お帰りになられては……」

 最先任上級曹長が、ベルンハルト中尉へ、声を掛けた。 

彼は、タイプライターを前に突っ伏して寝てしまったようだ。

 思えば連日の会合と、報告書作り。

徹夜で(のぞ)んだのが、(たた)ったのだろう。

「同志曹長、まだ参謀本部に出す書類が……」

 机から、椅子に腰かけたまま、起き上がると、彼は曹長の方を振り向いた。

そんな、彼の端正な顔立ちを(のぞ)く。

 青白く美しい肌は、いつにもまして青白く、唇も白く見える。

時折、肩で息をしており、息苦しく様……

何か風邪でも引いたのだろうと感じ取った曹長は、彼に答えた。

「そんなのは、俺の方で何とかしますから。

同志中尉は、この数枚の書類に決裁の署名をなさった後は、ご帰宅ください」

 彼は、震える手でサインをした。

恐らく、熱が上がってくる際の悪寒(おかん)に違ない……

 そう感じ取った曹長は、直ちに、脇に立っていた上等兵を医務室へ向かわせた。

青白い顔で、彼はこちらを向き、話しかける。

「何、少しばかり寝ただけだよ。

強い酒か、コーヒーでも飲めば、疲れなんて吹き飛ぶさ」

 そういうと、彼は、椅子から立ち上がろうとする。

だが姿勢を崩し、前へ倒れ掛かる。咄嗟に、倒れ掛かる彼を曹長は支えた。

 ゆっくり椅子に座らせてから、額へ右手を添える。

その体温の高さから、彼は高熱が出始めたことを悟った。

「いや、帰って下さい。

兵達に、示しがつきません」

 そんなやり取りをしている内に、軍医と衛生兵が来て体温と脈を図っている。

軍医は、衛生兵から体温計を渡されると一瞥し、彼に告げた。

「8度6分……、帰って寝なさい」

 青白い顔の彼を、曹長がゆっくり、後ろから持ち上げる。

室外に居た屈強な衛生兵二人を呼び入れ、彼の体を担架に載せた。

 担架(たんか)に乗せられながら、ベットのある医務室まで連れて行かれた。

横たわる彼は、首を曲げ、連れ出される部屋を覘く。

 奥では曹長が、机にある電話をかけているのが判った。

だが、段々頭が働かなくなっていくのが、解る。

 2時間後。

幼いころからベルンハルト兄妹を世話していたという、ヤン・ボルツ*4老人が車で迎えに来た。

聞けば、父兄の代わりだという老人に、曹長は一部始終を話し、中尉を帰宅させた。 

 

 

 彼は気が付くと、ベットに寄り掛かって寝る女の存在に気が付いた。

月明りで、美しく艶やかな金糸の様な髪が光る。

 妹・アイリスディーナが、寝ずの番をしてくれたのだと……

壁時計を見ると深夜3時。帰国してから、様々な理由で妹と恋人には会っていなかった。

そういえば3週間、土日返上でベルリン市内を駆け回っていたことを思い起こしていた。

再び目を瞑った。

 翌朝。

ユルゲンは目覚めると、腰まで届く長い黒髪の女が室内の椅子に座って寝ていた。

 彼が戦場で片時も忘れることの出来なかった思い人。

ベアトリクス・ブレーメ、その人であった。

 砲弾を思わせる豊かな胸と白桃の様な双臀。

細く美しい括れた腰、太過ぎず細過ぎない太腿(ふともも)

 着ている黒色のセーターや濃紺の長いスカートの上からでもはっきり判る。

何度見ても見飽きない、その姿をただただ見ていた。

 辺りを見回すと妹は居ない……、彼は静かに彼女を見ていた。

 ベットの上からベアトリクスの寝ている様を覗いていると、ドアが開いた。

声を掛けてきたのは、最愛の妹・アイリスディーナ。

「兄さん、お目覚めですか」

 ユルゲンは舐める様にして、彼女を見る。

士官学校の制服ではなく、ベージュ色のカーディガンに、茶色のスカートを履いている。

彼女の姿から、今日が休みであることを知った。

「何曜日だ」

彼は、ゆっくりと上半身を起こした。

「土曜日ですよ」

 (『こうしては居れない。はやく館に行かねば……』)

「大丈夫よ。

私から連絡してあるから」

ベアトリクスが目を覚ましたようだ。

「何時から、そこに居るんだ」

 彼女の薄い桃色の唇から、言葉が漏れる。

「昨日からよ」

 ベアトリクスがずっと看病していたことを知らなかったのを、彼は恥じた。

「気が付かなかった」

 ベアトリクスは、波打つ長い黒髪を、うなじから右手で掻き分ける。

彼女は、ユルゲンの言葉に興味がなさそうに頷く。

「そう」

 ユルゲンは、ベアトリクスの方を振り向くと真剣な表情で語り始めた。

「なあ、聞いてくれるか」

 横から体温計を持った妹が来て、深緑色の寝間着を(はだ)ける。

ゆっくりと、脇の下に差し込んだ。

「なによ」

「俺達、一緒にならないか。

何時、どうなってもおかしくないだろう。

こんな社会情勢だ。

法律婚でも良い、結婚しよう……」

 ドキリとした様子のベアトリクスは、彼から顔を背けた。

「熱で……、頭が可笑しくなったのかしら……」

 心の乱れを表すように、思い人の声は震えていた。

見かねた妹は、彼女の眉間を()め付ける。

兄の事を揶揄したことを(たしな)めた。

「ベアトリクス……」

 そして椅子から立ち上がる。

「まあ、良いわ」

 ベアトリクスは、ユルゲンの方を振り向く。

彼女の宝玉のような赤い瞳には、どこか不安の影が浮かんでいた。

「後ね……、私の所に国家保安省(シュタージ)のスカウトマンが来たの」

 彼の表情が、にわかに(くも)った。

「まさか、あの……」

ベアトリクスは、ユルゲンの傍に、ぐっと歩み寄る。

「多分『褐色(かっしょく)野獣(やじゅう)*5同調者(シンパサイザー)だと思うんだけど、丁度アイリスが居る時に来てね……」

アイリスディーナが、淡々と続ける。

「ゾーネと名乗る、金髪の小柄な男性でした。

私も一緒に国家保安省(シュタージ)の部隊にスカウトしようとしたんです。

丁度、教官がいらして……、その方と揉み合いの喧嘩になって、事なきを得ました」

 ベアトリクスが振り返る。

「多分、『野獣』の情夫(じょうふ)*6って噂のある男よ。

父も驚いていたわ」

 アイリスディーナは体温計を取り出し、温度を見る。 

「兄さん、8度2分です。今週はゆっくり休まれては……」

 彼は目を見開いて、驚いた。 

その様な破廉恥(はれんち)な関係……。

公然と見せつける国家保安省(シュタージ)の職員の意識の低さに……

「情夫! 社会主義者に非ざる奴だな……」

 黒髪の美女は、悪戯な笑みを浮かべながら答えた。

「なんでも噂だと……その野獣はね、男も女も選ばないそうよ……。

特に年下の美丈夫(びじょうふ)*7大層(たいそう)好みだそうで……」

 彼女の言葉に、思わず背筋に寒気を感じた。

仮に噂とはいっても、その様な薄気味の悪い奴が妹や恋人に近づいたのだ。

 許せない。

興奮のあまり、熱が再び上がってきたのが判る。

彼は再び、ベットへ倒れこんだ。

 

 夜半に目が覚めた彼は、再び考えた。

 保安省のスカウトマンが、アイリスディーナの事を知らぬわけがない……

軍を騒がせる『戦術機マフィア*8』の頭目の妹と。

 彼等は焦っているのだ…… 

アルバニアの事をソビエトが見捨てた。

 なりふり構わず、行動している連中に、こちらが合わせる必要はない。

淡々と用意をして、評議会で議長に辞表を出させる。

 一月前は、時間が掛かるような感じがしたが、そうでもない。

聞いた話によるとシュトラハヴィッツ少将は、人民軍の青年将校達の相談に乗っているらしい。

 岳父も屋敷の主人と共に政界工作を行っている様だ。

椅子に腰かけて寝ている二人の美女の姿を一瞥すると、彼は再び夢の世界に戻った。

 


 ベルンハルト中尉は2週間後、病床から戻った。

過労による急性気管支炎との診断で、予後を確認するため、戦術機への搭乗は一時的に禁止。

 基地での後方勤務となり、大量の決裁書類を処理していた。

タイプライター*9を止めて、そばに居る曹長に尋ねる。

「同志曹長、ハイヴ攻略作戦の件だが……」

脇に立つ曹長は、立ったまま、答えた。

「同志中尉、実は作戦が多少変更になったのです」

 そういうと、白板の方へ歩いて行く。

白板に張り付けてある地図と資料を剝がし、彼の下へ持って来た。

彼は渡された資料を読む。

「これは……」

ソ連軍が急遽、通常編成外の部隊を投入することが書き加えてあった。

「第43戦術機機甲師団*10。こんな部隊、前線では聞いたことが無いぞ」

驚いた表情で顔を上げ、脇に居る曹長の顔を覗き込む。

「どうやら臨時編成の部隊らしいです。ハイヴの内部探索をする装備の部隊で……」

不意に彼は大声を上げた。

「そんなことが出来る部隊があるのなら、なぜ前線に投入しない」

 ふと思い悩んだ。

(『どこまでも、人をこき使う気なんだ、モスクワ*11は……』)

 曹長が声を掛ける。

「良いでしょうか」

意識を現実に引き戻す。

「どうした」

「なんでも噂ですが、思考を判読する能力を持った超能力者(エスパー)兵士を使うそうで……」

 彼は再び黙り込んだ。

(「この期に及んで、超能力者だと。連中はどこまで行き詰ってるんだ」)

 三回ほど、ノックされた後、突然部屋のドアが開く。

椅子に、腰かけているベルンハルト中尉に、向かって青年が歩いて来る。

「やっとその気になったか、ユルゲン。

だから言ったじゃないか!」

 中尉は、顔を上げた。

脇に居る曹長が、いぶかしんだ顔をして尋ねる。

「誰ですか、同志中尉」

困惑する曹長に向かって、彼は紹介をした。

「紹介しよう、空軍士官学校*12の同期で、同志ヨーク・ヤウク少尉」

 遮るように声を掛ける。

「唯の同期じゃないぞ。次席卒業だ」

 ヤウク少尉は、曹長に敬礼をする。

彼の敬礼を受けて、曹長が返礼した。

「上も、ちゃんと分ってるんだね。

君には僕みたいな補佐役が居ないと駄目だとね」

曹長が目配せすると、彼は改まって、

「無礼な対応をして申し訳ありませんでした」

 ヤウク少尉は曹長の階級章を見て、慌てて敬礼をしてきたのだ。

軍隊では将校と下士官と別れてはいるが、最後に物を言うのは勤務年数の長さ。

 再先任曹長ということを知って、態度を改めたヤウク少尉。

中尉は、彼の子供じみた態度に呆れた。

「お前こそ、前線を放って置いて、何で、ここに居るんだ」

少尉は、腰かけているベルンハルトに答えた。

「聞いていないのか。一時帰国命令が出たんだよ」

彼のいない間にウクライナ派遣軍の戦術機実験集団の主だった面々は一時帰国していたのだ。

「どういうことだよ」

 彼は、同輩に尋ねる。

同輩は、おどけたように答えた。

「君が帰国して、寝込んでる間に、パレオロゴス作戦の下準備が始まったんだよ」

 勝ち誇ったように答えると、彼の顔を、目を細めて見る。

その様な態度に、不安感を覚えながら、彼は再び、訪ねた。

「パレオロゴス作戦、初めて聞くな。何だよ、それ」

 静かな声で、曹長が割り込んできた。

まるで、子供を諭すような素振りで話す。

「ミンスクハイヴ攻略作戦の正式名称です……」

 同輩は、話している途中に割り込んできた。

ユルゲンは、自己顕示欲を満足させるためであろうか、と内心不安に思った。

「先頃NATO*13とWTO*14の双方の話し合いで決まった名称で、何でもギリシャ語で、《古い理論》を指す言葉だそうだ」

 少尉の士官学校時代と変わらぬ態度に、彼は呆れて声も出なかった。

目の前の先任曹長をないがしろにするとは……

 いくら自分たちは将校とは言えども、年季の違う古参兵を蔑ろにする。

軍という暴力装置の中にあっては、禁忌ではないか……

 彼の背中に、汗が流れていくのがわかる。

下着は湿り、寒気すら覚えるほどであった。

「どうした、反論の一つもないのか。ユルゲン」

 厳しい顔をした曹長が、二人の間に入ってきた。

低い声で、二人に話しかける。

「宜しいでしょうか。ご学友同士のお戯れも、程々に為さるべきかと」

「同志曹長、貴官の意見を参照しよう」

 彼は、差し障りのない返答をすると、項垂れる友人と共に部屋を出た。

その際に彼等は年上の曹長へ謝罪して、その場を後にした。

「少しこいつと話してきますので、席を開けます。ですがよろしくお願いします」

 

「やっと結婚する気になったんだろ、ユルゲン」

 二人の青年将校は、基地の敷地内を歩きながら、話し合った。

 ヤウク少尉が前を向いて歩いているのと対照的に、中尉は下を向きながら歩いている。

「まあ、告白はした。返事は……」

 隣に居る少尉が、彼に返した。

「君は、そういう所が、本当に意気地なしで優柔不断だよな」

 彼の顔が顔を上げる。

色白で端正な顔が、その言葉で赤くなり昂揚しているのが判るほどであった。

「で、何時、結婚……」

 少尉の問いへ、たどたどしく返した。

「来年の……」

 少尉は、目を見開いく。

大げさに手を振り上げ、絶叫した。

「来年だと、散々待たせておいて。

最低じゃないか、君は!」

 彼は、少尉の肩を掴み、正面を見据える。

(はしゃ)ぐ彼を押さえつけ、告げた。

「まだ、《パレオロゴス作戦》の下準備すら始まっていない段階で、そんなこと出来るかよ」

 少尉は、顔を背けながら答える。

「本当に、君は人の心が分からない人だね。

大体、そんなんじゃ彼女が20歳*15超えてしまうじゃないか。散々引き延ばして仮に……」

 彼は、少尉の体から手を離す。

「何だよ。仮にって……」

 彼の脳裏に《死》の文字が浮かぶ。

戦死以外に、この国には、死が近すぎるのだ……。

「今結婚すれば、来年には子供が……」

 その話を聞いた時、彼は混乱の極みに達した。顔は耳まで赤く染まり、体温が上がるのがわかる。

鼓動が早くなり、握る拳は汗ばんでいく……

(「俺とベアトリクスの子供……、アイリスの甥姪、どの様な物だろうか……

あの美女と……、あの美しい躰の……」)

「この話は続けるつもりはないぞ」

 少尉が、手を握りしめて、両腕を振る。

興奮しているのが、一目で判る状態だ。

「そうやって逃げ続けてどうするんだね。君は。

5年近く付き合ってる、彼女の気持ちを考えたことは、ないのかい。

傍に居たいから、君の反対を押し切って陸軍士官学校には行ったんだろう。

違うかい。そうだろ、ユルゲン」

 興奮して、少尉の左手を掴もうとするが、払いのけられる。

それでもなお、彼の面前に、顔を寄せた。

「士官学校次席として、補佐役としていう。

今すぐにでも結婚しろよ。

現実から逃げてるんじゃ、君の父君と同じではないか」

 彼の脳裏に、妻との離婚から酒害に苦しみ、発狂した父が浮かぶ……

思えば、母・メルツィーデスは、寂しさから間男(まおとこ)と不倫関係になり、異父弟を成した。

10年以上前の苦い記憶が甦る。

(「お前の言う事は分かっている。唯今動けば、妹も彼女も危ない」)

 ユルゲンは一旦考えるのをやめて、目の前にいるヤウク少尉を見る。

そして、いつにない激越な調子で返答した。

「ヤウク、お前の忠告は受けよう。

ただ、今は動けない」

 少尉が、興奮したまま、ユルゲンを再び抑えようとして動く。

ユルゲンは咄嗟に退き、背を向けて、別方向へ動き出した。

「何でだよ。僕は君の事を考えて……」

彼は、友人を置き去りにして、走り始めていた。

「待ってくれよ。ユルゲン」

 

 頬に、涙が伝え落ちてくるのが解った。

 ヤウク少尉の忠告は正しい。

しかし、未だその時期ではない……。

 その本心では、目の前の友人には話しておきたかったのだ。

(いと)しい人ベアトリクスと、血肉を分けた妹・アイリスの身に、危険が迫っていると言う事を……

 言えば、自分達の企みが保安省の間者に漏れ伝わる。

もどかしい思いを胸に秘めて、その場を彼は黙って立ち去って行った

*1
第二次世界大戦と朝鮮戦争で米国海軍と海兵隊が運用したレシプロ単発単座戦闘機。1942年12月28日運用開始

*2
米国海軍と米国海兵隊を中心に、フランス海軍とフィリピン空軍で使用された艦上戦闘機。1957年3月運用開始

*3
今日のモルドバ共和国

*4
東ドイツ外務省職員。ユルゲンとアイリスディーナの父、ヨゼーフの同僚

*5
アスクマン少佐

*6
男性の恋人

*7
美しくりっぱな男子

*8
ユルゲンの同級生グループのこと。1974年のソ連留学以来、親しい間柄の3人と組んで、4人組を作ったのが発端。

*9
字盤を打鍵することで活字を紙に打ち付け、文字を印字する機械。パソコン普及前までは原稿の清書に一般的だった

*10
マブラヴ原作で、ミンスクハイヴを攻略することになるソ連軍精鋭部隊。10名ほどを残して全滅した。

*11
ソ連の事

*12
正式名称:国家人民航空軍および地上軍航空隊士官学校「オットー・リリエンタール」。フランクフルト県・シュトラウスベルクにあった。

*13
North Atlantic Treaty Organization. 北大西洋条約機構。本部はブリッセル

*14
Warsaw Treaty Organization. ワルシャワ条約機構。正式名称は友好協力相互援助条約機構。本部はモスクワにあった。露語表記、Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи.

*15
東独女性の平均結婚年齢は21歳前後だった




 冒頭の話は、対人戦なので朝鮮戦争時の旧式の航空機出しました。
光線級の脅威があっても航空機の方が航続距離もあり運用ノウハウがある為です。
仮に機種変更するにも、5年程度では全てを置き換えるのは現実的に無理です。
1977年の時点ではまだソ連と中共の内陸部だけですし、そういう事も勘案して書きました 。


 ご意見、ご感想、よろしくお願いします。


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潜入(せんにゅう)工作(こうさく)

 マサキに、帝国陸軍参謀本部より密命が下る。
『ソ連が開発中のESP発現体の抹殺』
GRUが警備するノボシビルスクに向かったマサキを待ち受ける物とは……


 対ソ作戦として秘密研究所の襲撃作戦。

計画段階から、CIAより入手した航空写真と、それを基にした地図。

秘密都市や研究所に関しては、先次大戦で抑留されたドイツ軍将兵の証言やその報告書を参考にされた。

 

 マサキは、その様な経緯から改めて、元の世界との差異をまざまざと見せつけられた。

この世界では、1944年に日本は講和。

 主要都市への大規模空襲、原子爆弾投下、ソ連の条約違反の侵攻、国際法を無視したシベリア抑留……。

上記の事例は発生おらず、対ソ感情は冷戦下にあって、現実社会よりかなり融和的な面が見え隠れする。

 不思議なことに、以上の出来事は、すべてドイツ国内で起こっているのだ……

二昼夜行われたドレスデン空襲は、現実より過酷なものになり、東部戦線で降伏したドイツ将兵の数も、その強制抑留者の規模も格段に大きい。

何より、ベルリン中心部に2発以上の原子爆弾が投下されるという凄惨な結末になった事を未だ受け入れられぬ自身が居た。

 

 帝国陸海軍内部にも、それなりの数の対ソ融和派がおり、今回の件でもその一派は騒擾事件の寸前であったことをのちに知らされた。

聞くところによれば、大伴忠範という青年将校が主たる人物として戦術機に関する《勉強会》。

その一派が、《将来の日ソ間における戦術機研究》の為、参謀本部に作戦中止の血判状を出した。

以上の話を聞いた時、マサキは不快感を覚えた。

 

 あの大東亜戦争の際、ソ連への備えが甘かったゆえに愚にもつかない対米交渉仲介を依頼。

満洲からの根こそぎ動員で、ほぼ無防備であった北方を(ことごと)く掠め取られた事。

その地に居た軍民270万人は、奴隷としてシベリア奥地へ拉致、10年近く抑留され、40万近い人命を失ってしまった。

シベリア抑留の事実を、苦々しく思い起こしていた。

何よりマサキ個人としては、生前ソ連交渉の道具となった経緯から、今一つソ連という国家を信用できなかった。 

 

 《右派》を自称しながら、政府の英米への接近を危惧し、共産圏に近づくという大伴一派……。

その姿に、彼はかつて元の世界で、亡国への道を辿らせた《統制派》の《革新将校》

亡国の徒の姿に重なって見える、そのような気がしてならなかった。

 神聖不可侵の君主をして、スターリン主義を日本に当てはめんとし、あの破滅を招いた《売国奴》共。

彼等への深い怒りの感情が、マサキの内心にまるで溶岩の様に沸々と湧いてくる。

 

 異世界においても、日本が再び自滅の道を進むことに呆れると共に、この国の上層部の迷走に呆れ果てた。

異界の住人である自分にとっては、どのような結果になっても構わないが、ただ今は居候の身……。

寄るべき場所である、この世界の日本が、その様な愚かな策謀や内訌によって簡単に滅びられては困るのだ。

せめて自滅の果てに滅びるのであれば、自身が《冥府の王》として、全世界を支配してからでも遅くは無かろう。

 

「どうかしましたか」

その様な思いに耽っているとき、ふと彼に声を掛けるものが居た。

彼が、ゼオライマーの次元連結システムの部品として作ったアンドロイド、氷室美久であった。

彼女は、支那で、中共軍の戦術機パイロットが来ていた、身体の姿が透ける様な特別な繋ぎ服を着ていた。

なんでも《衛士強化装備》と呼ばれる服で、戦闘機飛行士の飛行服に相当する物であった。

ゴムやビニールに見える生地は、伸縮性を保持し対衝撃に優れた《特殊保護被膜》と呼ばれるもの。

ヘルメットや飛行帽の代わりに、通信機を内蔵した顎当てを付ける。

ゴーグルや眼鏡に相当する物はないが、網膜に外部映像を透過する機能があるという。

 

 彼は、薄ら笑いをし、見下すような表情で、彼女へ答えた。

「美久、その様な破廉恥な服などを着て、何をしている。大方、ロボット操縦士の慰安でもさせられているのか」

そういうと、彼女は赤面し、胸を隠すように右腕を当て、左手で下半身を覆うような仕草をした。

彼は、その姿を見逃さなかった。

「流石は、推論型の人工知能だ。部品にしかすぎぬのに、さも人間の女の様に振舞うとは……。

貴様の学習機能というのも捨てたものではないな」

そう言って近づき、彼女の右腕を左手で掴み、右手で左胸を強く揉む。

彼女は赤面し、下を向いている。

「止めて下さい……」

「これが、奴らの飛行服か。面白い材質だな。

だが、身体の形状が露になるというのは、設計上の機能に見合うとは思えん」

そう言い放つと、彼は彼女を軽く突き放す。

「で、奴らのロボットに乗った感想は……」

 

 彼女は、ゼオライマーの副操縦士と言う事で、試験的に戦術機への訓練に参加させられたのだ。

アンドロイドであることを知らない軍は、彼女の《身体能力の高さ》に驚愕。

軍事教練を飛ばして簡素な試験の後、戦術機訓練に放り込んだのだ。

 

 一連の経緯を聞いた時、マサキは、近い将来起こるであろうことを夢想した。

現時点で、ソ連圏での大規模な敗北。

やがてはBETAと呼ばれる化け物共は、東亜まで侵食してくることは想像に難くない。

高々常備兵力が20万前後に帝国陸海軍には対応は厳しかろう。

 そうなれば促成栽培による徴兵。

教育期間の短い兵士の質の低さでは、前線の維持は厳しい。

 忽ち国内の成年男子は、選抜された兵士を使い果たしてしまうであろう事。

その時起るのは、恐らく大規模な学徒動員と婦女子の徴兵。

幾らカシュガルのハイヴを消し飛ばしたとはいえ、まだ世界には4つあり、状況の悪化は時間の問題であろう事。

仮に欧州で食い止めても、制圧した支那を迂回して、シベリア経由で東進される可能性は否定できない。

 

 この社会の日本は、自身の社会の日本以上に、冷血で非情な国家だ。

恐らくは見せしめとして、《高貴なる義務》などと、偽りの賛美で、貴族層、所謂《武家》の婦女子などを徴兵。

彼女達をBETA共への《生贄》とし、饗するのであろう。

 

 そうでなければ身分制度の濃厚に残る社会において、婦人兵を前線に送れぬであろう。

男女の肉体差から男社会の軍隊では、婦人兵は元の世界でも扱いに困る存在でしかない。

多少《まともな》頭をしていれば、精々軍の学校を出た後に、《腰かけ》で、後方勤務や教官などをやらせて、それなりの男と結婚してくれた方がマシであろう事は、幼児でもわかる

 

 仮に、今の最前線であるソ連の場合は、共産国で、《男女平等》の観点から婦人兵を採用したという建前が成り立つかもしれないが……

いくら不足とはいっても扱いに困る支配層の子弟、ことに婦女子を送るという判断は、狂気の沙汰でなければ出来ぬであろう事。

最も元の世界の共産圏ですら婦人兵の割合は多かったが、殆どが後方勤務であったことを考えると特別な事情が無ければ、婦女子を前線に立たせるのは非合理的。

 

 もし、この世界の日本政府が、判断を誤って本土決戦前に、十分な衛士や候補生がいる状態で、このような方針を決定すれば……。

血統や婚姻関係によって成り立つ貴族層、《武家》を壊すためにやってるようにしか見えぬであろう。

 

 その様な方針を示せば、武家や一部の過激派、俗にいう烈士が、反乱起こしかねない。

まるで政府上層部が、反乱の火種を配って歩く姿が見える……。 

戦時の重要局面で、内乱を招けば、前線ではなく銃後から、この国は崩壊するであろうと……。

美久の強化装備姿を見た彼は、深いため息をつくと、呆然とする彼女を置き去りにしたまま、その場を後にした。

 


 

 様々なデータからオルタネイティブ3計画の基地が、オビ川河畔のノボシビルスク市にあるのが分かった。

しかし空路で、シベリア上空を行けば、ソ連の防空網に引っ掛かり、隠密性は失われる。

瞬間移動をするにしても、秘密基地の正確な座標は分からないし、、作戦成功も怪しい。

敵を混乱させる目的で、新疆にワープした後、陸路から、アルタイ山脈を越え、街道沿いに北上する案がとられた。

中ソ国境から攻撃した後、移動すれば、両陣営を紛争状態に陥れることができる。

それが、秘密作戦の最終案であった。

 最悪の場合、帝国軍は彼等の存在は否定すればよい。

マサキ達は、帝国政府にとって、都合の良い使い捨ての駒という認識であった。

 マサキ自身もそれは承知の上で、ソ連への憎悪……。

この世界への混乱を引き起こせるという点で、彼等の策に自ら乗ったのであった。 

「ノボシビルスクごと、地図から消し去る」

彼は、そのつもりで、今作戦に応じた。

 

 

 作戦は深夜に決行された。

隠密作戦とはいえ、新疆からの移動の際は、恐らく米ソの人工衛星に、補足される。だが、彼も無策ではなかった。

 参謀本部に提出した資料とは違うルートを通て、ソ連領内に侵入。

あえて、BETAの大群のいるカザフスタンのカラカンダに転移。

同地から、セミパラチンスク*1を経由して、ノボシビルスクに陸上で侵入という作戦

 

 日本の基地からカラカンダに転移した彼らが見たのは、既に核の連続攻撃で廃墟のみが残る市街であった。

所々に、死体が放置され、BETAの群れが廃墟を闊歩している。

 時間の惜しいマサキは、メイオウ攻撃で周囲数キロの敵を焼失させながら北上する案を断念せざるを得なかった。

無尽蔵とも思えるほど、湧いてくる亡者共に辟易したのだ。

100キロほど北西に進んだところで、オビ川湖畔のベルツクに転移した。

 

 オビ川沿いに北上し始めると、10分もしないうちに、多連装砲や対空砲の水平射撃による攻撃を受けた。

近寄ってくる水上艦艇からの攻撃は、無視しながら推進装置を全速力。

砲弾など、次元連結システムのバリア装置で防げばよい。

50メートルある機体だ。水上を猛スピードで進撃すれば警備艇ぐらい転覆させるのは容易。

 無言のまま、ノボシビルスク市内に入ると、戦術機部隊に遭遇した。

人民解放軍の使っていた機種と同じものであったが、塗装や武装が微妙に違う。

規模は、20機程度。20ミリ機関砲で、連射されるが全て弾き返す。近寄ってくる敵には、両腕から出る衝撃波とパンチで応酬する。

初めて戦術機部隊と戦ってみたが、存外弱い事が判った。機関砲も連射すると暴発したり、砲身が熱で融解する物もある始末……

どれ程の装弾数かは知らないが、使ってる砲の放熱性に問題があるのか、或いは炸薬か……

 

 ゼオライマーに衝撃が走る。

油断した隙に、後ろから、刀のような武器で切り付けられたのだ。

大型で動きの緩慢なゼオライマーとは違い、戦術機は、《飛び跳ねる》傾向があることを忘れていたのだ

ウサギの様に飛び跳ねる、一機の戦術機。その機体は背中にもう一本、刀の様な物と機関砲を背負っている。

 次元連結砲の単射を避けて、後退していく様を見たとき、この機体を操縦している人物は相当の手練れであることを確信した。

そしている内に、周囲を残存する戦術機に囲まれた。レーダーによると、その機影は14機……

機関砲を単射で、詰め寄ってくる。

 

 マサキは、口を開いた。

「そろそろ、茶番は終わりにするか」

彼は潜入作戦開始以降、切られていた無線を入れる。

無線通告してきた周波数に合わせ、、敵側に英語で話しかけた。

敵を混乱させ、戦意喪失を図って、あえて無線通信したのだ。

「貴様らの無駄な抵抗は、よせ。この俺には、どうあがいても勝てぬのだから」

向こう側からの返事は無い。銃弾での応酬が続く。

「消し飛ぶが、良い」

 彼は、笑いながらスイッチを押し、メイオウ攻撃を仕掛ける。

対象物の消滅するのを確認せずに、ワープした。

 

 ソ連・ノボシビルスク郊外に居た戦術機部隊は秘中の秘であるオルタネイティブ3の防護のために置かれた部隊であった

GRU*2の選抜された部隊であり、最高の機密を保持するためにKGB*3やMVD*4にすら内密で用意された虎の子の部隊

それが、ものの30分で消滅した。

 ノボシビルスク市内は大混乱に陥り、研究施設を警護するGRUの部隊は、大童で、施設の爆破と関係者の脱出を始めた。

研究施設を破壊しても、研究資料さえ残ればよい。

GRUの現場責任者は、混乱していた。

「実験体の大部分」を「焼却処分」し、「出入りする工作員」を一か所に集め、「機銃掃射」の命令が出すほどであった。

「何としても、西側に研究成果を渡してはならない」「渡すくらいなら、燃やして灰ににしてしまえば、良い」

混乱する現場での出来事をよそに、市内の大部分が消失したとの連絡が入った。

大急ぎで、関係者を脱出させようとした矢先、周囲は強烈な閃光に包まれた。

 

 

 

 その日、ノボシビルスクで何かが起きた。

ソ連近海で特殊任務にあたっていた米海軍の《環境調査船》は、一部始終を聞いていたのだ。

その情報によるとハバロフスク・ノボシビルスク間の通信量は深夜になって急増し、翌朝にはほぼ絶えた。

 膨大な通信の内容は、一旦日本国内にある米軍基地から、メリーランド州にある米軍基地へ持ち込まれた。

その場所は、米国内の最高機密の一つに当たるNSA*5の総本部。

数千から数万の人員が出入りすると噂されるが、謎の機関。

ワシントン官衙に出入りする官吏からは、「何でもないで省」などと冷やかされる部局。

 

 対BETA戦では、対人諜報活動は重視されてきたが、通信傍受や分析は、やや疎かにされてきた面は否めない。

CIAやFBI*6と違って、表に出ない秘密の組織。

ここで、何かしらの纏まった成果を出さねばならない。

かつてのブラックチェンバー*7の様に、無理解な上長や国務長官*8によって、組織そのものの存続が危うくなりかねない事態*9も否定できない

《調査船》も立て続けに数隻失われる事態も、この10年来相次いだ

 

 軍や情報機関の動きとは、別に政府も動いた。

深夜、ホワイトハウスに、閣僚が集められる。

約半年後に迫る欧州の合同作戦に関して、NSC*10の臨時の会合が開かれた。

議題となったのは、ソ連軍の動員兵力の実数に関してであった

 会議冒頭から、国務長官は、CIAや陸軍省*11の報告は、ソ連の実働部隊に関して《過大報告》されているのではないかと、詰め寄った

BETA侵攻にあっている状態とはいえ、動員能力に問題があり、報告にあるような大規模兵力をうまく活用できていない。

このような状況下において、予定される《パレオロゴス作戦》の主導的立場を取らせるのは、危険だと述べた。

無論、反共や戦後の欧州の政治状況の変化を見込んでの発言ではあったが、副大統領やFBI長官もその見解に一定の理解を示した。

 しかし、国防長官と、CIA長官は、ソ連の戦力は《強大》で、隠匿された部隊が、各衛星国にある状態で、ミンスク以東の東部戦線を任せるには、《十分》との見解を示した。

国防長官が恐れたのは、何よりソ連国内の派兵で、貴重な戦力が失われることであった。

道路事情が劣悪で、疫病の根拠地の一つである白ロシア*12やウクライナの平原に、大規模兵力の展開は、世論の反対も多い。

将兵の父兄等の理解も十分に得ていない現状。

 その様な状況での大動員の実施は、厳しいであろう事。

かの地で、あの《大帝》*13や《総統》*14が数十万単位の将兵を損耗させた《冬将軍》の凄さに、内心たじろいでいる面もあることを、彼は否定しなかった。

 対人戦と違って、BETAとの間には、講和も休戦もない……。

恐らくソ連が計画している秘密実験、超能力者の意思疎通も失敗する概算が高い。

核ミサイルによる飽和攻撃も、光線を出すBETA共の前では無力に等しい。

原子爆弾を超える新型爆弾や、高速で移動し全方位攻撃が可能な新兵器でも出来れば話は違うが、それも夢物語であろう。

新進気鋭のウイリアム・グレイ博士の下、ロスアラモスの研究所で実験がなされているのは報告に上がっている。

カールス・ムアコック、リストマッティ・レヒテ両博士が、《戦略航空起動要塞》計画に、斬新な手法を持ち込んで研究をしてることも把握している。

 

 但し、今回の作戦には間に合わぬであろう事。

そうすれば、日本が中共で実験した新型兵器を使って、時間稼ぎをしたい……

新彊を実験場にし、広大な破壊力と高速移動可能な動力を持った大型機。

リバース・エンジニアリングをして分析してみたいが、それを許さぬほどの厳重な警備。

日本政府に問い合わせた所、『府中、宮中の別』と言う事で、手出しできなかった。

そのような新型兵器をうまく誘い出させるような政治状況を作らねばなるまい……

 

 深く状況を憂慮する大統領に、FBI長官が、上申した。

「閣下、恐れながら申し上げます」

会議に居る全員が振り向く。

「日本に対する工作ですが、人質に近しいことができる状況下にあるのです」

項垂れていた顔が持ち上がり、彼の方を向く

「実は、かのブリッジス家の令嬢と、懇意にしている日本人がおりまして……。

彼は貴族、なんでも至尊の血族、数代遡ると父方がそれに連なる子孫、と伺っております

彼は、件の令嬢と、朝雲暮雨(ちょううんぼう)の間柄*15、との報告を受けております」

副大統領が、乗り出す

「南部人のブリッジス大佐が良く、その様な黄人との間の仲を許したな」

彼は、副大統領の方を向いて語る

「いや、その様な報告は受けておりませんので、どの様に思っているのか、解りかねます」

会議の間、黙っていたCFR*16の重鎮とされる老人が口を開いた

本来、このような人物は、参加すら出来ぬのだが、歴代大統領との《親密な関係》と言う事で、《ホワイトハウス出入り御免》の立場にあった

「つまり、君はこう言いたいのかね。貴族の子弟とブリッジス嬢との間に、子を成させて、それを人質にすると……」

彼は薄ら笑いを浮かべながら老人の方を向いた。

「はい。すでに手筈は整っております」

一同が驚愕の声を上げる。

 

 CIA長官は厳しい顔つきになると、彼に向かって面罵した。

「貴様がそれほどまでに、恥知らずだとは思わなんだ。

人間の顔を被った悪魔とは、貴様を指し示すにふさわしい」

興奮した男は、立ち上がって彼を指差し、罵倒し続けた

「純粋な人の恋路を邪魔して、剰え政治の道具にするとは、人非人という言葉ですら生ぬるい」

赤面した顔で、男はなおも続ける。

「ラマ僧に聞いたことがあるが、仏教においては、六つの世界があり、餓鬼道、というものがあるそうだ。

貴様の政治的貪欲さは、いくらこの世の物を喰っても満たされない餓鬼、その物。

もし貴様より先に死んだ場合は、地獄で待っていてやる。

そして二度と輪廻転生から外され、牛馬の姿以下にするよう、閻魔に願い出てやろう」

FBI長官は、素知らぬ顔をして、男の方を向いていった。

「脅しですかな。まあ貴方も私も善人ではありますまい。

寧ろ女一つで、兵乱なしに、日本のような国家を左右できるのであれば、掛かる費用としては安かろうと思います」

思う所があったのであろうか。段々と彼の顔面は蒼白となり、額から汗が流れ出る。

「また例の貴族は、戦術機の技術将校と聞き及んでいます。ボーニング社*17のハイネマンの弟子筋になるとの話もあります」

 

 副大統領は、右手で勢いよく机を叩いた。

机の上にあるティーカップや灰皿が揺れる。

「お前たち、いい加減にしろ。

ここに居る人間は、大なり小なり、《汚れた仕事*18》に関わって来たではないか。

違うか。未だ続けるなら、貴様らが地獄に行った後にしてくれ」

そしてFBI長官の方を向いて、訪ねた。

「其の貴族をして、米国に例の新兵器の情報を入れさせるというのか」

副大統領に尋ねられた彼は、深く頷いた後、こう告げた

「ほぼ準備は、万端です」

 

 全員で大統領の方を向く。まるで儀式のような場面……

おもむろに副大統領が、大統領へ尋ねた。

「閣下、ご決断をお願いしたします」

大統領は、決裁書を一瞥する。

筆を取ると、慣れた手つきで花押を書き、それを脇に立つ補佐官に渡した。

補佐官から、決裁書が回される。

継承順位に沿って副大統領、国務長官と数名の閣僚が続けて署名した。

 署名し終えるのを見届けると、正面を向いた。

「すべては私の責任だ。処務は諸君等に任せる」

そう言い残すと席を立ち、会議場を後にして、執務室の奥へと消えていった。

 

*1
ソ連の地方都市。大規模な核実験施設があった。現在のセメイ。

*2
赤軍総参謀部情報課

*3
秘密警察。対外工作の他に国内の思想犯や政治犯の管理も行った。

*4
内務省。ソ連国内の治安維持を担当した

*5
国家安全保障省

*6
連邦捜査局

*7
1919年から1929年まで有った米国初の対外通信傍受機関。外交公電、電信電話の傍受を専門とした。

*8
日本の行政府における外務大臣に相当する役職

*9
ブラックチェンバーは、時の国務長官ヘンリー・スティムソンの意向で、1929年に閉鎖された。

*10
国家安全保障会議

*11
マブラヴ世界だと陸軍省は戦前のまま存続している。

*12
今日のベラルーシ。

*13
ナポレオン・ボナパルト一世

*14
アドルフ・ヒトラー

*15
楚の懐王が高唐に遊び、夢で神女と契った故事に由来し、男女の堅い契りを指し示す。男女の深い関係を言う

*16
外交問題評議会

*17
マブラヴ世界の航空機メーカー。現実世界のボーイング社に相当する。

*18
暗殺任務



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策謀(さくぼう) 前編

 東ドイツの諜報を一手に引き受けるシュタージ。
妖しく光る眼を見せる男・アクスマン少佐。
シュタージ本部で男達が密議を凝らしていた……。
憂国の青年将校・ベルンハルト中尉は、まだその事を知らない。


 一人の男が、国家保安省(シュタージ)本部に呼ばれた。

ベルリン市内のリヒテンベルク区に(そび)える、伏魔殿(ふくまでん)の一室。

 少佐の階級章を付け、俳優のような顔と、そやされるほどの眉目秀麗(びもくしゅうれい)

通り名を『褐色(かっしょく)野獣(やじゅう)』と呼ばれる、中央偵察管理局の精鋭工作員。

その名はハインツ・アスクマン。

 彼は、直属上司のエーリッヒ・シュミットの下に来ていた。

その際、衝撃的な出来事に遭遇していた。

色眼鏡を掛けた禿髪の上司の下に、見慣れぬ男が居た。

男は非武装で、白い襟布が縫い付けられたソ連軍服を着ている。

勲章もつけていなければ、階級章や識別章もなかった……

国家章のついた草臥(くたび)れた軍帽を(もてあそ)んで、上司と話している。

 その態度からただならぬ人物である事が判った。

彼等の話し言葉からすると、ドイツ語ではなく、ロシア語*1であったことがおおよそ分かった。

男は、アスクマンがいるのに気が付かぬほど興奮しており、激しい口調で罵っていたのだ。

「あの冷酷そうな男が怯えるほどの人物とはどれ程の者なのか」

好奇心が湧いては来たが、その様な間違いをするほど、青くない。

静かにドアの方に戻ると、静かになるまで待った。

 

 ドアの近くで待つアクスマンに、不意に声を掛けられる。

「入れ、若造」

件の男が、流暢なドイツ語で話しかけてきた。

「失礼致します」

敬礼をすると、軍帽を脱ぎ、アクスマンはその人物に改めて挨拶した。

「私は、中央偵察管理局の……」

その男は、顔を引きつらせながら答えた。

「君が男狩り(スカウト)をやっている、『褐色の野獣』かね。兼ねがね話は聞いている。

国家人民軍(NVA)*2への工作を任されているそうだが……」

 アクスマンは驚いた。

目の前のソ連人は、ただの軍人ではないのは分かっていたが、同業者(スパイ)であったことに……

「しかし、情けないとは思わんのかね。

国家人民軍へ対抗手段を作ると息巻いたものの……

あれから2か月近く()つのに、何も青写真一つ描けていないとは。

大方、色事*3にでも、現を抜かしていたのかね。

聞くところによると、詰まらぬ覗き見*4や……

美男美女を選んで御飯事(おままごと)*5の真似事をして居るそうではないか。

その様な児戯(じぎ)*6で、少佐の地位を得られるとは……」

アクスマンは、男に尋ねた。

「貴様、何がしたいんだ」

男は不敵に笑いながら室内を歩いて、こう続けた。

「さあ、何がしたいと思う」

男はニヤニヤ笑うのみで、無遠慮に相手の顔を眺め入っている。

アクスマンは、上着の内側から小型拳銃を取り出す。

素早い動きで、男の胸元へ向ける。

「ピストルなんか出して、何のつもりだ」

身動ぎ一つせず、男はアクスマンに語り続けた。

「俺を恐喝しにでも来たか。小僧」

拳銃を突き付けられながらも、焦る様子はない。

アクスマンは不安に駆られる。

男は、挑発するように詰め寄って来た。

「貴様のような部外者が何を騒ごうが構わないが、ここをどこだと思っているんだ」

引き金に指を掛けようとした瞬間、彼は気が付いた

自分が、複数に囲まれていることを……

ヘルメットを被り、野戦服を着た完全武装の兵士が、銃を向ける

「お前たち、何のつもりだ」

両目で、自動小銃を構える同僚たちの顔色を窺う。

明らかに焦っている。どうやら自分が考える以上の存在らしい……

 アクスマンは左手で弾倉を抜き取って、高く掲げる。

右手に持った拳銃と左手で握った弾倉を、ゆっくりと床に置く。

直後、後ろに居る兵士達に羽交い絞めにされた。

 

「やっと話を聞く気になったのだな」

そういうと男は、机の上にあるものを床に散らかし、そこに腰かける。

そして語りだした。

「NVAの高級将校を逮捕して、軍内部の粛清を進めよ」

 ホチキス止めしてある資料を手で掴み上げると、彼の面前に向かって放り投げた。

「これが名簿だ。罪状は、反乱未遂とでも作って、逮捕しろ。

そうすれば、KGB(俺たち)引き上げた(居なくなった)後も、東ドイツ(この国)を、貴様等は、支配(操縦)出来る」

そういうと、胸からタバコの箱を取り出す。

口つきタバコを一本抜き取り、丁寧に吸い口を手で潰す。

タバコを口に咥えると、使い捨てライターで火を点けると、どこからか持ち出した花瓶を灰皿の代わりに使った。

「走り出した馬車は、もう止められない。止めれば、大事故になる」

机から立ち上がり、アスクマンに近づく。彼の顔に紫煙を吹きかけた。

「貴様等が、西ドイツでの工作が成功したのは、ルビヤンカ*7でも話題の種になっている。

その興奮が()めやらぬ内に来てみれば、この様な姿だとは思わなんだ……」

顔を背けたアクスマンは後ろから顔を抑えられ、再度紫煙を吹きかけられた。

 

 思わず(むせ)るアクスマンを見ながら、男はこう言い放った。

「用件は以上だ。即刻()せろ」

アクスマンを締め上げていた手が、緩む。

飛び掛かろうとした瞬間、後ろから複数の男に押さえつけられ、床に伏す。

「出ていけ、小僧」

再び羽交い絞めにされた彼は、腹部に強烈な鉄拳を喰らい、(うずくま)った。

ドアが開け放たれると、兵士達が彼の体を持ち上げる。

持ち物と同時に投げ出すようにして、アクスマンを廊下に打ち捨てた。

 

 兵達が出て行った後、静かにドアを閉める。

男は無言のまま、室内を歩く。椅子の前まで来ると、後ろに居た禿髪の男の方を向いた。

太い額縁の眼鏡をかけた男は、無言で立ち尽くしている。

薄く色の付いたレンズは光が反射しており、目から表情が窺い知ることが出来ないほどであった。

「同志シュミット……否、同志グレゴリー・アンドロポフ少尉よ……」

ソ連人がひじ掛けが付いた椅子に腰かける。顔を上げると禿髪(とくはつ)に声を掛けた。

「今日から暴れろ!」

禿髪の男は絶句している。

「本日より、ソ連人として、ドイツ人にどういう立場か、教育してやれ」

目に力を入れて、彼の方を睨む。

「KGBとして何をすべきか……。KGBであるから何が行えるか。

堂々と振舞え。そして、貴様の野望とやらを見せてみるが良い」

男は、勢いよく返事をすると同時に敬礼する

「了解しました。同志大佐」

 

 

 

 来る《パレオロゴス作戦》に向けて、第一戦車軍団の訓練が始まった。

戦術機部隊と砲兵、機甲部隊による連携訓練。

ウクライナ戦線での経験により発案された光線級吶喊(レーザーヤークト)の他に、新たな科目が加わった。

 光線級吶喊(レーザーヤークト)とは、BETA戦争最大の脅威である、光線級を近接戦闘で殲滅する攻撃方法である。

東ドイツ軍のユルゲン・ベルンハルト中尉が発案し実行した物で、浸透突破作戦の言い換えとして広まった造語である。

 光線(レーザー)級は、その双眼鏡のように並んだ目から繰り出す光線によって、あらゆる飛翔体を撃ち落とすという特性がある。

これにより、この世界では、BETAの襲来以来、航空戦力が無力化された。

戦術機衛士(パイロット)たちが匍匐(ほふく)飛行と呼ばれる超低空飛行をするのは、地平線を盾にして光線から身を守るためである。

 また光線(レーザー)級は、コンピューターで識別したかの如く、絶対に同士討ちや誤射をしない。

故に、危険を冒してでもBETA群の中を進めば、BETA自体が盾になり、撃たれる心配がない。

戦域で、空を飛べもしないBETA相手に、真正面から地上戦を繰り広げるのは、そのような理由があった。

 ただBETAは、万単位の圧倒的な数を誇っており、航空戦力による爆撃や上空からの掃射なしの砲撃のみでは、簡単に倒せなかった。

その為、苦肉の作として生み出された戦術が、BETAのいるエリアに重金属を含んだ砲弾を撃ち込んで、それを光線(レーザー)級にわざと撃ち落とさせる方法である。

戦域全体を重金属の粉末による雲を発生させ、光線(レーザー)の透過効率を悪くし、その間に上空で爆撃機を飛ばしたり、巡航ミサイルを打ち込んだりする。

 ただどうあれ、この方法には、膨大な航空戦力と潤沢な資金が必要だった。

東ドイツには、一応イリューシン14という大型輸送機を80機ほど所有していたが、爆撃機は一切なかった。

 巡航ミサイルも、ソ連の政策のために、東ドイツ軍に配備されなかった。

その上、地上戦で、頼みの綱となる戦闘ヘリであるMI-24も戦争開始直後は輸出が許されなかった。

 なので重金属雲の展開させる戦術を用いず、衛士の操縦技量(テクニック)のみを武器と、一気に光線(レーザー)級を殲滅する。

これが東ドイツなどの貧しい国の戦術機隊の役割になった。

その事を、後に光線級吶喊(レーザーヤークト)と称すようになった。

 

 さて、対人戦の科目追加は、彼等には衝撃的だった。

対人戦、対航空機戦を想定した訓練……、対BETA戦を第一に考えていた。

 人造毛の防寒帽の耳を下ろして被り、綿の入った防寒服を着た男が、青年に声を掛ける。

防寒服は、人造毛の別布の襟が付き、上下揃いの深緑色。防寒用の長靴を履き、服と同じ色の防寒手袋を嵌めて居る。

金髪碧眼の屈強な体躯で、顔には整えた口髭を蓄えている。

 声を掛けられた青年将校は、ユルゲン・ベルンハルト中尉。

灰色に染められた羊皮製の防寒帽。陸軍ではなく空軍の帽章が刺繍してある。

ダークグリーンの別布を付けた襟のオーバーコートを着て、羊皮製の防寒手袋をしている。

オーバーコートは脛丈の長さ。純毛の厚手のトリコット織で、深い灰色から将校用の物と一目でわかる

足首から膝下までがフェルト地で出来た防寒長靴。

首の下から、耳まで覆うように、筒状の頭巾を被り、顔だけを出している。

 

「今回の訓練について、何か、聞いているのか」

口髭の男が、ベルンハルト中尉に聞いた。青年は黙ったままだ。

「戦術機の習熟ですら、鍛え上げられた戦闘機パイロットが半年かかるというのに、対人訓練とは作戦開始までに間に合うのだろうか。

来年の夏、早ければ7月までには仕上げなくてはなるまい。

或いは、NATO軍の都合によって早く仕上げねばならなくなるかもしれない。

WTOや参謀本部がどのような機会で、我々を投入するか分からないが、来年初春までにはある程度まとまった結果を示さねばならないだろう」

男は懐疑的な見解をベルンハルト中尉に述べる。

「参謀本部がアルバニアの事例を参考にして組み込んだのは分かる。

だが、我々の第一任務は、第一戦車軍団の支援と、《光線級吶喊》による戦線の露払いだ。

この様なことをしていては、十分な訓練時間がとれるとは思わない」

ベルンハルト中尉は答えた。

「自分の方で、参謀本部に掛け合って、都合してみます」

彼は、静かに続ける。

「ですが、《光線級吶喊》も対人戦も、技量の向上には変わりのないように思えます。

戦車や航空機に比して前方投影面積が一般的な戦術機の場合、18メートルもありますので、低空飛行や高機動により攻撃を避けるしかありません。

通信や状況によってより的確な判断がなされ、部隊が自在に運用できなければ、唯の標的と何ら変わりありません。

ある程度、行動様式の決まったBETAと違って、対人戦は読めないところがあります。

対空砲や対戦車砲の攻撃を受ければ、いかに装甲の厚い戦術機でも防ぎきれません」

「詰り、この訓練は無駄ではないと言う事か」

 

 ベルンハルト中尉は、息を吐き出すと、目の前の男に答えた。

「はい。

仮に内乱や暴動による出動命令が下った時、対人訓練がなされていなければ、行動パターンから敵側に一方的に撃破される事態に陥ることもあり得ます」

男は、静かに口髭を触る。

「戦術機同士の戦闘に発展する事態があり得ると言う事か」

ベルンハルト青年は深く頷いた。

「先日のアルバニアの事例はそういった点で、今後の研究材料になります。

米海軍は、航空機との連携で戦術機を使い、アルバニアの部隊を数日で壊滅させたと伺っています。

新型の戦術機が数種投入されたとの話もありますが、実態がつかめていないのが現状です」

「最悪、今作戦の終了を待たずに戦争状態に発展する可能性もあると言う事か……」

 

 ベルンハルト青年は、男の周囲をゆっくり歩きながら話す。

身に染入る様な寒さで、じっとしていられない様子だ。

「仮想敵の米英軍ばかりではなく、ソ連の動向も気になるところです。

シベリアにあるKGB管轄の収容所が、何者かに襲撃され、壊滅。

その際、防衛に当たった戦術機部隊が一方的に失われるという事例があったとも聞いています」

手袋越しにしきりに口髭に触れる。呼気で、髭が凍るのを気にしている様子だ。

「例の超能力者の実験施設か」

 終りの一語は、吐き出すような響きだった。

ベルンハルト青年は立ち止まって振り返る。

「噂ですが、その様に伺っています。

事件の余波で、ソ連軍が、戦線から離脱、或いはわが軍と事を構える様になれば……」

 

『ソ連の完全支配』

最悪の事態を避けるために、軍事的均衡の為の戦術機部隊……

青年なりの考えであった。

「対人戦も無駄ではないと言う事か」

「ただ、BETAと違ってソ連はまだ多少は話し合いの余地があろうかに思えます」

「米英軍も同じであろう」

ベルンハルト中尉は力強く頷く。

「はい。

それ故、こちらの力を鼓舞するためにも、多少なりとも対人戦能力向上は、役に立つかと……」 

 男は暫し黙ると、頬に手を当てて考え込んだ。

暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。

「概ね、君たちの意見には賛成しよう。

なるべく損害の少ないことに越したことはない」

目の前の青年は破顔し、謝意を述べた。

「ありがとうございます。同志大尉」

 

 ベルンハルト中尉は、真剣な眼差しで、目の前に居る男を見つめた。

眼前に居る男こそ、戦術機実験集団の指揮官であるバルツァー・ハンニバル大尉であった。

同大尉は空軍地対空ミサイル部隊の出身。同集団に多数を占める空軍操縦士候補生とは違い、航空機操縦経験はない。

しかし対BETA戦による軍事編成の変化の煽りを受けて、《左遷》させられた将校の一人であった。

 ソ連留学のある彼は、青年将校たちに一定の理解を示すよき人物でもある。

前任者で陸軍ヘリコプター部隊出身のユップ・ヴァイグル少佐と違い、空軍閥と言うのもあろう……

何より留学による衛士訓練経験のある上司との出会いは、ベルンハルト中尉には僥倖であった。

 

 脇で、静かに黒髪をした青年将校が佇んでいた。

ベルンハルト中尉より、質の落ちた化繊混紡の灰色がかった生地のオーバーコート。

ダークカラーの別布の襟を立て、空軍の帽章が刺繍してある人造毛の防寒帽を目深に被っている。

彼らが話し終えるのを待っていたかのように、両手を外套のマフポケットに入れ、縮まっている。

周囲の様子をうかがってから、両手をポケットの外に出す。化繊の防寒手袋をした手を振りながら、彼は語りだした。

「ソ連の戦況は、新疆のハイヴが陥落してから停滞しています。

仮に今回の事件の損害があったとしても、大勢に大きな影響はないと考えられます。

まあ、どの様な結果になったとしても……」

 

 ハンニバル大尉は、目の前の青年に語り掛けた。

「BETAの撃滅するという主任務には変化は生じないと言う事か」

青年は、続ける。

「はい、ベルリンっ子の噂ですが、何でも今回襲撃を行ったのは米軍の特殊部隊で、黒海を経由してカザフスタンから、ノボシビルスク市に潜入し、新型の原子爆弾を爆発させたそうです。

市内は、ほぼ跡形もなく消え去り、駐留していた部隊は30分ほどで壊滅させられてます」

大尉は、目を大きく見開いて、面前の青年将校を見る。

「核武装の戦術機部隊だと!」

彼は目を輝かせ、言葉をよどみなく伝える。

「何でも、目撃談によると、大型の戦術機が持ち込まれた。

その様に、モスクワっ子の間で話題になってるそうです。

最も噂ですから、どこまでが真実か不明瞭ですし……

その相手がどのような行動に出るか、予想も出来るとは思えません」

青年は、大げさに手を振ると、肩を竦めた。

 

 その様子を見たベルンハルト中尉は、彼を(たしな)めた。

「ヤウク、仮にも参謀の立場にある君が、根拠のない噂を流布するような真似は慎んでほしい……」

両手をヤウク少尉の方に置く。

「君は、参謀として部隊の為に情報を集めるのは助かるが、何よりも正確な情報が欲しい。

そんな噂話より、一番大事なのは根拠のある一次情報だ。

公文書や機関誌、各国の新聞報道から真実を探すことをすべきではないのか。

文諜*8で、一番大事なのは分析だ。

市井の噂話は、あくまで参考にしかならない」

「根拠はあるさ、これを見てくれ」

そういうと、肩から下げた図嚢*9から数枚の紙を取り出した

彼は、ヤウク少尉からそれを受け取ると驚いた

英国の大手通信社ルイター*10のイスタンブール*11発の外電を報じた西側の新聞の複写

「デイリー・テレグラフ」*12「ワシントン・ポスト」*13「ル・フィガロ」 *14等々……。

《ご禁制》*15の品々であったからだ

「どうやってこんなもん、手に入れたんだ」

ヤウク少尉は、満面の笑みで応じる

「君の《親父さん》の友人さ。同級生だと話したら、茶飲み話のついでに貰って来た」

 

 ベルンハルト中尉は、その話を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

まさか育ててくれたボルツ老人が、その様な危険な橋を渡ったのかと……。恐る恐る尋ねる。

「ボルツさんのところでも行って来たのか……」

彼の発言を聞いて、肩を竦める。

「まさか。お屋敷の《旦那様》から頂いたのさ」

唖然としたが、段々と彼に対して怒りが湧いてきた。

 まだベアトリクスとは結婚もしていないのに……。

彼女の父・アーベルを《親父さん》と呼んだヤウクの行為が気に入らなかった。

幾ら将来を誓い合った仲とはいえ、法律婚すら躊躇っているのに……。

その思い人・ベアトリクスの父を、すでに岳父(がくふ)*16として扱う彼の無神経さが許せなかった

彼は目の前の青年の肩を強く掴み、前後に揺らした

「まだ独身だ。お前はそうやって周囲に言って回ってるのか。人の気持ちも考えろ。この……」

 

 その時、ハンニバル大尉が笑った。

彼は、笑いながらベルンハルト中尉に向けて言った。

「貴様の気持ちも分からんでもない。俺も気になる若い娘がいる。

まだいい年頃になるまで待っているところさ」

二人はあまりの事実に唖然としていた。

この強面で、どこか知性を感じさせる雰囲気を持つ男に、その様な思い人が居た事実に……

そして柄にもない冗談に参加したことが、信じられなかったのだ。

「まあ、人の事も言えんが、諸君等もそろそろ身でも固めておくのも悪くなかろう。

5年近くに及ぶ対BETA戦でソ連邦では人口の3割強が失われたとの国連報告がある。

将来に向かって若い妻を迎えて、人口を増加せしめ、国力の涵養に努める。

そう言った事も、立派な愛国心の発露の一つではなかろうか。

それに家庭内で愛欲の発散というのも、健康な人間としては自然なことであると考えている」

 

 こんな笑顔をする大尉を見た事がない……。思わず顔を見合わせる。そして笑った。

ヤウク少尉が周囲を窺う。そして大尉に向かって話しかけた。

「では、同志大尉、食事にでも致しましょう。

外も寒いですし、宿舎に戻って夕食にでもしませんか。少し早いですが」

 ベルンハルト中尉は、腕時計を見る。もうすぐ15時半だ……

周囲はすでに日が落ち始めている。

ドイツの冬は日没が早い*17

もう16時には、暗くなってしまう。

男たちは談笑しながら、宿舎への道を急いだ。

*1
東独の公用外国語は露語で、中等教育以上で授業科目だった。英語は選択科目にあったが第2外国語の扱いを受けた。

*2
Nationale Volksarmee,。1956年創設の東ドイツの軍隊

*3
非公式な外人向け売春。東独では国法で売春は禁止されていたが、女性の自由意思での売春は黙認された。シュタージは対外交策で利用した

*4
要注意人物の監視任務

*5
色仕掛け工作

*6
原爆スパイや鎖国中のネパール・ブータンに潜入工作員を送り込んだKGBにしてみれば、シュタージの工作は児戯に等しかった

*7
KGB本部の所在地

*8
文字情報による諜報

*9
書類や地図を入れる野戦用のカバン。革や合成皮革の他に防水加工のされた布製が一般的だった

*10
マブラヴ世界の報道機関。現実世界のロイター通信社に相当

*11
トルコの大都市。かつてのコンスタンチノープル。

*12
The Daily Telegraph.1855年創刊の英国の新聞

*13
The Washington Post.1877年12月6日創刊の米国紙。

*14
Le Figaro.1826年創刊のフランスの日刊新聞。

*15
東ドイツはチェコやハンガリーと違い、西欧の出版物は疎かソ連の公式機関紙『プラウダ』、『イズベスチヤ』、ソ連赤軍機関紙『赤い星』は発禁であった。

*16
配偶者の父親など、義理的な関係の上での父親を指す表現

*17
北極に近い高緯度の欧州は、極東以上に冬季の日照時間は短かった



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策謀(さくぼう) 後編

 不気味な男、エーリッヒ・シュミット。
ソ連秘密警察・KGBの密命を受けて、東ドイツに対して謀略を開始する。
その裏側で密かにハイム少将はシュトラハヴィッツ少将と密議を凝らしていた。


 その夜、降りしきる霙の中、宿舎に一台の軍用車が着いた。

後部座席より降り立った男は足早に室内に入る。

脛まで有るマント型の雨衣を着て、頭巾を被る。

室内に入ると、待っていた下士官が、彼を奥にある軍団長室に案内する

部屋の前まで案内をした下士官に敬礼。返礼をした彼を見送ったと、ドアを開ける

 静かにドアを閉め、部屋に入る。

男は、顔を覆っていた頭巾をゆっくり下ろしてから、雨衣を脱いだ。

雨衣を脱いだ後、煌びやかな刺繍が施された軍服姿が露になる。

赤いパイピングが入ったギャバジン地のクラウンに、赤地の鉢巻*1に金メッキの帽章。

その被っている帽子から、将官だと判別できる。

 脇に太い赤の二本の側章が入ったストレート型のズボンを履き、襟には金の刺繍が配われている赤地の階級章。

ダークグリーンの襟の内側に白い襟布を付け、金糸と銀糸の織り込んである肩章。その階級章は、星の数から少将。

霙と泥で汚れてはいるが、磨き上げた黒革の靴。

脱いだ雨衣を手に持った白髪の男の顔には深い皴が刻み込まれている。

 その男は、フランツ・ハイム。

地上軍司令部*2勤務の将官で、来る《パレオロゴス作戦》についての見解を窺いに来たのであった。

彼は、室内に居る人物に声を掛ける。

「話とは何だ」

執務中であったシュトラハヴィッツ少将は、手を止めて正面を向く。ペンを置くと立ち上がって敬礼をした。

敬礼を返すと、軍帽を脱いで、軍帽を逆さまにして机の上に置く。

後ろに下がって、雨衣を室内にある外套掛けに吊るす。

 

 室内にあった椅子に腰かけた後、彼に尋ねた。

「忙しい所に済まんが、こうでもせねば話を聞いてくれまい」

事務机から、テーブルに移動すると、脇から灰皿を取り出し、タバコに火を点けた。

何時ぞやの如く、外国たばこではなく、CASINOという国産たばこで、その箱を机に置く。

「吸うか」

彼は、頷くと、手を伸ばして、箱から3本タバコを取る。

14個の略綬が輝く左胸のポケットから、マッチの紙箱を出す。

紙箱よりマッチを摘み取り、火を点ける。深く吸い込んだ後、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

 

「お前に関して少しばかり噂を聞いた」

「それで。話の出所は、どこだ」

彼は、内ポケットより折り畳んだ紙を取り出し、訪ねた。

「これの存在は聞いているか」

少将は数枚の紙を広げると、目を見開く。

「大方、保安省辺りの小役人が作ったものか」

彼は、腕を組んで背もたれに寄り掛かる。

「然る筋から私のところに来た。恐らく半分は警告の心算で送って寄越したのであろう」

「ほう。奴等も走狗ではないわけか」

彼は、話しながら右手でタバコの灰を落とす。

「省内では、ソ連派(モスクワ)独立派(ベルリン)がいて派閥闘争を始める算段が出来ている様だ」

少将は、ゆっくりタバコをもみ消す

「どこも一緒だな。で……、そんな話をしに来たのではあるまい」

深く頷くと、振り向いて正面を見る。

「実はな、連中が私に近づいてきたのだ。件の名簿を持って来て、大規模な摘発をすることを仄めかした。

まさかとは思うが、馬鹿げた事は考えては居るまい」

 

 下を向いて、新しいタバコに火を点ける。

「俺は、あの男と話す気にはなれん。ソ連の茶坊主と噂がある気色の悪い輩に、何を吹き込まれた」

顔を上げ、正面の男の顔を見る。

「兼ねがねその話は、伝え聞いている。

私とて、何れは民主的な手法による議会選挙の導入に関しては否定はしない。

ただこの戦時に、やるのは危険すぎないか……」

「仮に今、行動せねば、奴らの専横を許すことにならんか」

彼は、右手でタバコを持ったまま話し続けた。 

「それは否定せんよ。ただ機会というものがある」

少将は、襟のホックを外し、椅子に深く座る。

「奴等に《認められる結果》を見せればよいのかもしれんな。もっとも貪欲な連中だ。

どの様な結末でも納得する《果実》が無ければ、否定してくるであろうが……」

 

 シュトラハヴィッツ少将は、改まってハイム少将に尋ねた。

「話は変わるが、貴様に頼み事をしたい。

戦術機に関する件だが、西側の機体との通信網の連携を進めるような対策を取ってほしい」

彼は驚く。

「何故その様な事を」

タバコを吸いながら、話しかける。

「実はな、戦闘方法の違いで我々が危険に曝される可能性があるのだよ」

「詳しく聞こうではないか」

 

 シュトラハヴィッツ少将が、語った危惧とはこのような物であった……。

英米を中心とするNATO軍と戦術の差異。

《光線級》を選んで殲滅し、その後に爆撃機による攻撃をする《光線級吶喊(レーザーヤークト)》ではなく、ミサイル飽和攻撃や砲弾による集中砲火。

防御陣地に誘い込んで、その他の集団を殲滅するのではなく、先ず攻撃した後に残存兵力を刈り取る手法の違いについてであった

人民軍が現在行っているBETA群に対する《光線級吶喊(レーザーヤークト)》では、先に戦術機部隊が先行。

NATO軍が行う攻撃は、先に重爆撃ありきの運用……

予定される《パレオロゴス作戦》では、西部戦線をNATO、東部戦線をWTO、ソ連軍が担当。

 戦場とは常に状況が変化する。

もし仮に、東西の部隊が混戦状態になれば、一時的とはいえ作戦上《友軍》となった米軍に爆撃され、被害が出る恐れがあるのだ……

 被害が出れば、貴重な戦術機部隊だ。

簡単には現在のような熟練兵を補充できるような状態にはならない。WTO軍の間であっても同様だ。

仮に作戦が失敗した際、その様な事が多発すれば、対BETA戦では後れを取ることになる。

 支那での初期対応の失敗で、2週間以上の時間が浪費され、敗北を招いたのは苦い記憶として新しい。

あの時、米軍の様に即座に核飽和攻撃に移っていれば、惨状は防ぎえた。

馬鹿げた《プロレタリア独裁》の末に、階級制度を廃して、軍の機能不全を招いたと聞いた時、深い失望感を覚えたことが思い起こされる。

作戦遂行の為には、党派対立や思想闘争などを脇に置いて軍事編成の運用をせねば、危険だ。

 1600万人前後と人口の少ない民主共和国*3……

数億の人口を抱える支那や膨大な領土のあるソ連とは違う。

 瞬く間に、この国は消え去るであろうことを……

そうなってからでは遅い。

恐らく英仏は、この国を時間稼ぎの場所としか考えて居らず、作戦が不発に終われば、地図の上から消える。

 ポーランドまで戦火が広がるようでは駄目だ。

白ロシアで食い止めて、ソ連領内に追い返す位の勢いでないと、大軍勢に闊歩される。

あの恐ろしいジンギスカンの大軍が攻めよって来た時、欧州の騎士達は、キリスト教の下、十字軍に次ぐ軍勢をもってして食い止めた。

 過去の事例のように上手く行くとは言わないが、我々も欧州という名のもとに、キリスト教文化圏の下に合同軍を立ち上げ戦うような姿勢で臨まないと……

やがては、ジンギスカンに滅ぼされた中央アジアの回教国の様に、蹂躙される。

 広い大海に覆われた日本や、国力の盛んな米国とは違うのだ。

地理的にも、政治的にも、現状を維持させる方策しかない。

その方策としての西側との連携。国土の大半を蹂躙され、人口の大半を失い、斜陽に成りつつある赤い帝国。

シベリアへの遷都では飽き足らず、アラスカへの逃避計画に着手しているとの話も上がっている……

 やがて東欧諸国から完全撤兵の日も近い。

その日を待たずして、自主独立の道を選び、専制的な社会主義の放棄とソ連との決別。

かの帝国と決別を奇貨として、西側社会への参画の手段にすべきではないか。

それ故に、この軍事作戦の足を引っ張る国家保安省(シュタージ)の連中を出し抜くような方策を打つべきである。

 少将は、その様な熱い思いを、目前の男に語った。

 

 ハイム少将は、話を聞き届けた後、最後のタバコに火を点けた。

静かに紫煙を吐き出すと、語った。

「話は分かった。

全機とは言わんが、せめて指揮官機だけでも西側と連携可能に改良するよう、技術本部と参謀本部に持ち込もう」

シュトラハヴィッツ少将は、机を支えにして立ち上がった。

「本当か。そいつは助かる。交渉チャンネルの有無で、話が全然違うからな」

「もっともそれには前線での裁量の拡大も絡んでくる。

その辺を参謀本部で決めねばなるまい」

シュトラハヴィッツ少将は、前に身を乗り出す。

「そいつさえ決めれば、あとは政治局に持ち込むだけなんだな」

ハイム少将は深く頷き、同意の声を上げる

「それ以上は党の仕事だ。良い伝手があれば良いが……」

シュトラハヴィッツ少将は微笑みを持って、ハイム少将への返事とした。

シュトラハヴィッツ少将は、彼の右手を取ると強く握手した。

 

 

 

 翌日早朝、事態は動いた。保安相に伴なわれてシュミットはその場に向う。

彼の狙いは、直訴*4して策謀を潰す事。

《おやじ》と保安相の週一度の相談。

その機会は、彼にとってチャンスにすら思えた。会議が始まるまでは……

 

《おやじ》と大臣の話に一区切りがついた時を見計らって、彼は言った。

「議長、宜しいでしょうか」

《おやじ》は、顔を上げて、彼の方を向く。

小柄ではあるが、絶妙の政治手腕で、国際共産主義の粛清の荒波を泳いできた《怪人》。

そのソ連への追従の姿は、ある種の芸術品の様である。

 彼の手にある報告書を、(うやうや)しく差し出す。《おやじ》は、報告書を一瞥する。

顔色は、一瞬青ざめたかと思うと、赤く染まっていく。

鼻息は荒く、掛けている厚いレンズの入った眼鏡が上下する様が判る……。

即座に不機嫌になるのが彼には分った。

 立ち上がると、書斎の奥にある金庫の前に向かい、扉を開けると報告書を勢いよく投げ込む。

そして厚い扉を手荒く締めた。少し遅れて鍵の掛かる音が聞こえる。

 

 彼は焦った。

KGB資料を基に作った秘密報告書が、読まずに仕舞われてしまったのだ。

「お待ち下さい。どうぞ、再考を御願い致します」

明らかに興奮した顔で、彼の方を向く。

目が血走っており、髪が僅かであるが逆立っている様に見える。

「過労の傾向があるな」

失意のあまり、握っていた手袋を落とす。

「2か月間の休養を命ずる。構わんよな」

脇に居る大臣が頷く。

 彼は、なおも食い下がった。

「何故ですか、議長。この国家の騒乱を未然に防ぐべきでは、ありませんか」

不機嫌な顔をしたまま、彼に返答した。

「先立つ作戦の手前、私の顔に泥を塗るような真似は止め給え」

 

 シュミットは、この時確信した。

眼前の老人は、《パレオロゴス作戦》を目前にして軍事クーデター未遂などという、恥を被りたくないと言う事を語っている。

 ソ連への盲従、それは良い。

だが危うい状況にあっても、決断すら出来ない人物が国を左右している時点で、ある種の不安を覚えた。

半ば耄碌した男であることは、曖昧模糊(あいまいもこ)とした態度から判別出来た。

いざ、面前で対面してみると予想以上であった。

 

 黙っていた保安相が、重い口を開く。

「そもそも君達が、軍をまともに監視出来て居ない様ではなあ……

シュミット君、少しばかりバカンスへ出かけなさい」

この時期に中央から遠ざけるのは、危険ではないか。

重大局面での2か月近い休暇は、先々のキャリアに傷がつく……

 

 彼は、焦った。

「お待ちください……」

大臣は一笑に付すと、静かに返す。

「君が作らせた報告書とやらは、誇大妄想が過ぎる。

その様な事を、暗に議長は仰りたいのだよ」

大臣の鋭い眼光が、なおも彼を捉える。

「我々もソ連の面前で、恥ずかしい思いはしたくはない。

党の体面が辱められるような事が、ソ連に伝わればどういうことになるか、判るかね」

腕を組んで、椅子に深く腰掛ける。

「だが見せしめは必要だ。

私から、ブレーメの様な《反動派》を、つるし上げる方策を練ろう。

奴らの親類縁者100人に、今までの10倍の監視要員を回せ。

だが直接手出しはするな。ゆっくり(いじ)れ。

発狂させて、倒れこむのを待つのが、一番の方策だ」

 

 彼は自らを恥じた。

自分達がどのような立場にあるか、目前の危機から目を背けている様に……

「分かりました」

大臣は、納得しかねているようであったが、返答してきた。

「宜しい。今日は、帰りなさい」

彼は部屋を後にした。

 

 彼は、帰りの車中で考えた。

無駄とはわかっていたが、踏むべき手順はすべて踏んだ。

その後は東ドイツの政権を簒奪し、ソ連の為に自在に動く防御壁にする。

パレオロゴス作戦など、一笑に付すべき愚案に頼ろうとは思わない。

BETA等、より強力な原水爆で焼き払えば、この国の住民もその威力に(かしず)くであろう……

 共産圏の盟主たるソ連が睥睨(へいげい)するだけで、右往左往する連中だ……

扱いやすい奴隷として、保安省の木っ端どもを使い、自ら調教してやれば良い。

 その前段階として、暴力での政権簒奪。

多少過激だが、暗殺隊を送り込んで《おやじ》とその一派を消すしか有るまい。

 

 『時間は、無い』

軍の仕業に見せる為に、秘密裏にソ連から持ち込んだ4台の戦術機もある。

これで共和国宮殿を急襲して、その後に連隊を送り込んで鎮圧。

荒業であるが、成功すれば利益も大きい。

 その暁には反乱の首謀として軍の大粛清が待っている。

軍首脳部を一掃して、子飼いのスパイを送り込む。

思想的に操りやすい少年兵でも集めて親衛隊を作れば、上出来だ。

 秘密作戦の適任者は、アクスマン……

彼の情夫との噂のある、ゾーネとか言う若造と共にやらせれば良い。

あの男は、自分の利益の為なら何でもする。

恐らく《塗れ仕事*5》でも喜んで参加するであろう。

 仮に失敗すれば、奴等に詰め腹を切らせれば良い。

飽く迄、自分の最終目的は、この国の支配者だ。玉座に在って、その意向を示す。

反乱鎮圧という結果は、十分すぎる材料であろう。

 10万人の保安省の職員と秘密工作員は、その為の踏み台にしか過ぎない。

嘗てソ連が、ハンガリーにチェキスト*6を送り込んだ事例が思い起こされる。

NKVD*7は、其の間者*8を首相に据えて、ハンガリーを自在に操縦したように、自らも出来るであろうか……

 いや、遣らねばなるまい。

その様な決意を胸に秘め、早朝の官衙を後にした。

 

*1
帽子のサイド

*2
参謀本部に相当する組織。以後混乱を避けるため、文中では参謀本部表記に統一する。

*3
東ドイツ国民は東ドイツとは決して呼ばなかった。公式の場で面前で言う事は侮蔑にあたった

*4
社会主義圏である東ドイツにおいて民衆の声を直接上層部に届けられる唯一の手段であった。

*5
暗殺任務の隠語。血で手が濡れることが語源。

*6
KGB工作員の古い言い方

*7
内部人民委員部・KGBの旧名称

*8
ナジ・イムレ(Nagy Imre, 1896年6月7日 - 1958年6月16日)。ハンガリーの政治家でKGB工作員だった。最終的にハンガリー動乱でKGBに抹殺される



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服務(ふくむ) 前編

 木原マサキは、彼の思惑とは別に、この世界に深く関わり始める。
一方そのころ、日本の国防省には対米関係を左右する重大な問題が持ち込まれていた。
日本政府の対応は、如何に……


 マサキは自ら志願した形で、斯衛軍(このえぐん)の訓練に参加する様、下命があった。

通常の志願兵ではなく、下士官課程の教導団に入学。

時間的な制約、経歴から予備士官学校や士官学校への入学は見送られた。

 通常の一年から二年弱の訓練ではなく、半年の特別課程。

特別課程は、戦術機操縦士養成の為、新設されたものだという。

期間を短くしたのは、「かつて航空機操縦士が不足したことを(かんが)みて」という説明を受けた。

 促成栽培に近い印象を受けた

教導団*1とは言いながら実態は、かつての陸軍の幹部候補生や准尉制度に近い印象を受ける。

科目は、軍制・戦術・兵器・築城・交通・地形・剣術・体操・馬術・現地戦術・測図。

約4か月間で上記の科目を収めると聞いた時は、さすがの彼も驚いた。

 軍隊経験のない彼は、まず歩兵としての基礎訓練を3か月という短期間で、ほかの訓練生とともに一から学んだ。

体力には自信があるつもりだった。

だが、10貫*2の背嚢を背負わされて、小銃を保持し、悪天候の中を行軍させられた。

流石にその事は、思い出すのも嫌になるほどであった……。

 

「軽く冗談半分で言ったつもりが、この世界の人間の考えることは違う」

 彼は、就寝前に思った……

 戦術機というマシンは、既存兵器に比して無駄が多すぎる。

航空機より高コストでありながら、その飛行能力は低く、戦車よりも走破性や装甲も火力投射量も劣る。

約3万発に及ぶ機関砲弾は全てケースレス弾。特許(パテント)は一社が独占している。

20㎜機関砲など、既存の対空砲や艦載砲を流用した方が安かろうのに……

 射出可能な操縦席、美久が着せられていた衛士強化装備(パイロットスーツ)も一社独占の製品だ。

《衛士強化装備》は、流石に最近では東欧で国産化が進んでいると聞く。

 それでも大本の特許は、米国の企業。

様々な軍産複合体の利権としての、戦術機という存在……。

失われる人命や国家予算の浪費という結果から鑑みれば、費用対効果は最悪だ。

 近接戦闘などすれば、ゼオライマーを代表とした八卦ロボより軽く脆い*3機体。

(たちま)ちのうちに、関節部や装甲板に損傷を起こす。

ゼオライマーとて、同じ八卦ロボのローズ・セラヴィーには近接戦闘で苦戦したことが思い起こされる。

 よもや、帝国軍は実戦用の刀など作ってはいまい……。

ソ連で刀を見たが、対人戦には有効かもしれないが、BETA戦には不利だ。

仮に認めても、指揮官機の装飾品や儀礼刀の域を出ないようなものでないと駄目であろう。

 誉めるべき点は跳躍ユニット。この世界において優れたロケット技術の集大成と呼べるものであろう。

だが、惜しいことに航空機やロケットには大して反映されなかった様子はない……

 ノボシビルスクに進軍した時、ソ連軍の装備が今一つだったのは、恐らく戦術機に予算が割かれたためであろう。

幾ら米国からの軍事援助とはいえ、借款(しゃっかん)*4であるから、相当の負債にはなるはずだ。

ただでさえ国土の大半を失って、衛星国*5との貿易も不十分で、ソ連国内にある資金も限られる。

暴動や反乱を防ぐため、ある程度、民生予算を組んだ上での軍事予算だ。

 元の世界より見劣りするのも、仕方があるまい……

まさか、米国の援助を当てにして、国父*6や大元帥*7が青くなるほどの軍事最優先を進めているのだろうか……

そもそも、この世界の国家というのは合理的な判断をしたのであろうか……

一人で悶々と悩んだが、馬鹿馬鹿しくなり止めた。

 

 

 小銃訓練をしていた時、新型の試作小銃の見本を見せてもらった。

フランス陸軍のサン=テティエンヌ造兵廠が製造した自動小銃*8に似たブルパップ方式。

どうせなら最新式とはいえ、米国製のM16小銃のほうが良かった。

ブルパップ方式は閉所で扱うのは良いが、射撃時の騒音と排莢が顔面に近く危険。

銃剣格闘の間合いが短いのも良くない。弾倉も後方なので、不便だ。

 一層(いっそ)古い銃とはいえ、取り回しの良いM1騎兵銃(カービン)

重いが信頼性の高いM1ガーランド自動小銃。

理想を言えば、軽量で扱いやすいM16自動小銃。

現在の銃と銃弾規格が同じ、M14が自動小銃の中で最良に思える……

 今扱っている64式小銃も、なかなか良い銃だ。

分解部品数が多く重いが、二脚がついて軽機関銃のような運用ができる。

その点では優れた工業製品であろう。

 しかし、世界の辿った歴史が違うとはいえ、帝国陸軍の軍服が、自衛隊その物であった事には驚いた。

軍管区、師団編成、武器や装備もほぼ一緒だ。あの茶褐色の制服を見たとき、何とも言えぬ感覚に襲われた。

 野戦服まで同じだったときは、この世界は、元の世界の並行世界ではないかと類推した。

その割には、国家の制度や歴史が違い過ぎる。

100年前に起きているはずだった明治維新も、身分制の廃止も経験していないのだから……

 聞く所によれば、美久も同様の処遇を受けている。機械部品なので心配はせぬが、情報漏洩が気がかりだ。

一応、ゼオライマーの分解整備に関する図面、カシュガルハイヴに潜った際のガンカメラの記録は連中に渡した。

建前上、協力すると言う事で……。撮影記録機器の規格が合うか、どうかは確認はしなかった。

 搭載してあった2インチVTRのテープで対応した。

30年近く使われている規格であるから、大丈夫であろう。

無論、次元連結システムは、隠匿できているはずだ。

生体認証のほかに、別にある美久という……。

 唯一つ気がかりなのは、あの連中がどのような策謀をもって自身を(おとし)める可能性があることだ。

深く考えても、仕方がない……。

マサキは横になると、目を瞑った。

 

 

 

 

 帝国・国防省

ある一室で、大臣その他を集めた密議がこらされていた。

議題は、「曙計画」の今後と、ソ連・白ロシア*9での「パレオロゴス作戦」への派遣であった。

一見無関係に見える同計画と白ロシア派遣。全ては、次期国産戦術機開発の実戦データや運用結果を得る為。

 

 ここで問題が起きた。

米国内の情報筋から怪情報が(もたら)される。

 当地に留学中の(たかむら)祐唯(まさただ)が、()る高級将校の娘と深い関係にあると、報告が上がった。

篁祐唯という人物が唯の技術将校であったのならば、その娘と結婚させて話は終わりであった……

 

 彼は、武家で、山吹(やまぶき)の衣を許された名門。

血統から言えば、志尊の血脈を受け継ぐ家から分家した五摂家に近しい貴種。

そして、戦術機に配備予定の74式近接戦用長刀の設計主任。

扇情的なタブロイド紙や赤本*10の読者を(にぎわ)すだけの醜聞で済む話ではなかった。

話し合いは、同計画より彼個人の扱いに関する件に移っていた。

 

「篁の徒事(いたづらごと)*11は、本当かね」

大臣の一声が会議室に響いた。大声ではないが良く通り明瞭な声。

声の主の方に一同の顔が集まった。

「情報筋からの話では……、そううかがっています」

 

 周囲が騒がしくなる。

「米国へは、事実関係は、調査中との事で、乗り切ったが……」

「彼は、思想的にも家柄的にも問題ない人物として送り出した。

これが事実なら……、大規模に仕掛けられたのかね」

「当人が知らぬところで、美人局(つつもたせ)にでも載せられたのかもしれませんな……」

周囲の話声が静まるのを待っていたかの様に、男が語り始める。

年の頃は、50代半ばであった。

「なんでも噂のある美女とやらは、先次大戦で父親が捕虜になったと聞き及んでいます。

その様な事を勘案すると、工作があったとも、考えられます」

 

 周囲の反応を余所に、壮年の男が口を開いた。

場違いな着物姿からは、奇異な印象を受ける。一番離れた席に座る彼に、視線が集まる。

「事務次官としての意見かね」

次官と呼ばれた男は、一礼した後、彼に答えた。

「ご参考までに、これが資料です」

 彼は脇に置いたカバンから、タイプされた資料を取り出し人数分配る。

白黒刷りの写真と共に、英文と日本語の資料が各人の手に渡る。

周囲から感嘆の声が上がった。

 

 何処から、声がした。

「あやつも、この様なことをするとは……」

再び周囲の人間が振り向くと、声の主は先程の男。

男は、元枢府や内閣に隠然たる影響力を持ち、『影の大御所』と噂される怪人*12

帝都城内の出入りが自由に許される*13数少ない一人でもあった

 

 一葉の写真を見せつける様にして手に持って、話し続ける。

「この美女が、ミラ・ブリッジスかね。

南部出身で、米陸軍のエドワード・ブリッジス大佐の娘とある。

本当ならば、彼はその様な背景のある人物と関係したというのか」

 次官が頷く。

「そういわれて居ります」

男が、口を開いた。

「篁は失うのに惜しい男だ。それにその娘御とやらも、戦術機開発の技術者であろう。

米国から戦術機のノウハウと技術は、ぜひとも欲しい。

上手く誘い出して、日本に連れ出す手立てはありそうかね……」

 

 

「実は、今夕の次官会議で、その件が上がったのですが……」

次官の言葉に、男は頷く。

「例の作戦を理由に、彼を日本国内に帰国させるか、欧州に行かせるか、紛糾いたしまして……」

右手で、襟元を直す。

「一番無難な案は、日本で保護するという案が出ました。

彼女を、彼の妻、或いは妾と言う事にして、日本に連れ出す案です」

男は、右手を額に置いて悩んだ。

直後、姿勢を正すと、彼の問いに答えた。

「それならば、儂の方で何とかしてみたいと思う。

直々に参内して、殿下に上申書を認める用意がある。

奴には、常々気を付けるよう釘を刺しておいたのだが……

巌谷(いわたに)*14では抑えにならなかったな」

 

 陸軍大将の階級章を付けた人物が口を開く。

(おきな)、ご存じでしたか。ご相談いただければ、我々で動いたものを……」

翁と呼ばれた男は、正面を向いたまま、続けた。

「何、(わし)もあの様な小童(こわっぱ)共を信用しすぎただけの事よ。

今回の件は城内省、ひいては斯衛軍の恥部ゆえ、我々の方で預からせて貰う」

 海軍の黒い詰襟制服を着た男が言った。

袖章の形から、海軍大将だと分かる。

「詰り、閣下のお預かりで納めるのですか」

男は、身を椅子から乗り出して答えた。

「そうだ……。

ただ奴ほどの男には、相応しい家柄の娘を(あて)がってやりたかったなと……。

これが殿下の耳にでも入れば、さぞ落胆されるであろうよ」

彼が黙るのを待っていたかのように、次官が答えた。

「では、一計が御座います」

翁は、次官に問うた。

「聞こうではないか」

 

 次官は立ち上がり、簡単な報告を述べた。

「国連発表に拠りますと、対BETA作戦によって、凡そ世界人口の3割が失われる程の事態になっています。

この事を踏まえて政府部内では検討がなされ、六法の大規模改廃が俎上に載っています。

法制局や内務省内からも事態の推移を鑑み、嫡子と庶子の相続の差異を解消する改正案が提出されました。

既に中ソにあっては、成年男子の急速な減少が問題となっております。

喫緊の課題ゆえに、今夕の次官会議で了承。具体案は、明日の閣議に持ち込む予定です」

 

 男は身動ぎせず、語った。

「それで」

次官は、手に持つ書類を一瞥した後、顔を見上げて続ける。

「そのブリッジス家の令嬢と関係を、問題にせずとも済むかもしれません。

仮に、彼と彼女の間に子息が在っても、相続法上は嫡子と変わらないとなれば……

アメリカ側の対応は、変わるやもしれません。

もっとも現行法上は、父親が認知すれば、その子供には日本国籍が付与されます。

やはり、一番良いのは彼女を日本に《招聘》するという建前を作る事でしょうか。

こればかりは、官房や城内でお決め頂かないと……」

 奥の方から声が上がる。声の主は大臣であった。

「詰り、あとは政治の問題と言う事かね」

次官は、大臣へ次のように回答した。

「概ね、『欧州派遣』と『曙計画』に関しては、明日の閣議で了解を得るだけです」

件の老人が声を出した。

「では、篁の奴と、その娘を呼び出せ。

理由は、鹵獲(ろかく)した大型戦術機の整備等でも良い。

或いは、『欧州派遣』の為のF4の整備、調整名目などという(もっと)もらしい理由をつけてな」

大臣は、恐る恐る彼に尋ねた。

「では、留学はどうするのですが……」

彼は、大臣を見ながら、述べる。

「篁、巌谷両人に代わる形で、大伴とその一派から相応しい人間でも連れて行けば良い。

あの男は、今国内においてもソ連に行かせても危険だ。

何分、過激思想にかぶれている傾向が見える」

陸軍大将が答える。

「左遷ですかな」

男は、不敵の笑みを浮かべる。

「そう、受け取ってもらっても良い」

 

 翁は、他の列席者の方へ顔を向け、議場を見回す。

「所で、大臣。例の大型機のエンジンの解析は出来たのかね」

 彼の声には有無を言わせぬ迫力があった。

指名を受けた大臣に代わり、先程の陸軍大将が答える。

「分解整備は滞りなく進んでおりますが、エンジン自体には未知の物が使われています。

技術本部で、周辺の確認を行いましたが、燃料槽、移送ポンプの様な物が見受けられないのです」

男は、椅子の手摺を掴む。

「とすると、あの木原とかいう小僧が全てを知っている可能性があると言う事か。

では奴ごと欧州に連れて行って試験させようではないか」

 話は終わりに近づいている。そう感じた大臣は、彼に結論を促すように導いた。

「我々もその様な方針で動いております。後は城内で、お決めに為られれば……」

男は、椅子から立ち上がり、周囲を両眼で見まわした後、言い放った。

「其の事も、儂の方で上申する。明日の閣議でもその様に進める様、頼むぞ」

一同が立ち上がり、男に深い礼をする。

「翁、解りました。我々も事を運びます」

*1
大日本帝国陸軍において下士官を養成した組織

*2
37.5キログラム

*3
参考までに言えばゼオライマーの全高は50メートル超で、総トン数は480トン。

*4
返済前提の援助

*5
ソ連の影響下にある国家

*6
レーニン

*7
スターリン

*8
FA-MAS(Fusil d' Assaut de la Manufacture d' Armes de Saint-Étienne)自動小銃

*9
今日のベラルーシ共和国

*10
劣情を搔き立てる様な書籍

*11
淫らな事。ここではミラとの自由恋愛を指す。

*12
正体不明の、不思議な人物

*13
御座所や将軍御所に出入りできるというのはそれだけで政治的な意味合いを持つ。

*14
巌谷榮二。マブラヴの登場人物。



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服務(ふくむ) 後編

 若き帝国の技術者・篁祐唯とミラ・ブリッジスとの恋の行方。
美しい男女の恋物語では済まず、日米関係をも左右する話に発展していた。
彼等の恋路は、既に二人だけの物ではなくなっていた……


 次官会議から、閣議に上がった時点で、ほぼ決定が慣例ではある。

即座に斯衛軍F-5新規調達と、試験部隊の欧州派遣が了承された。

 

 しかし、篁祐唯問題では、異例の事態が起きた。

総理と官房長官が慣例に反して、次官会議の決定を否定した。

その為、会議は翌日の早朝まで紛糾することになってしまった。

同問題に関して政府は、城内省の立場を否定する構えを取ったのだ。

 

 篁問題は、既に洋行中の技術将校の単なる自由恋愛では、済まなくなっていた。

一個人の問題から、日米関係の重要課題に発展する様子さえ見えた。

閣議の紛糾を余所に、情報省や城内省で二人を別れさせる方向で話が進んでいた時、事態が動く。

 予想外の場所から裁可(さいか)が出され、解決に至る。

だが裁可を出した場所が問題視された。

それは武家を管轄する城内省ではなく、『(たけ)(その)*1』からであった。

詰り通常のルートを通り越し、首脳の頭越しで決まったのだ。

 

 だが、その様な解決策に腹の虫が治まらない人々がいた。

情報省、五摂家とその縁者、彼らに連なる譜代武家。

そして、烈士を自称する帝国陸海軍内のはみ出し者達。

彼等は、「殿下を軽んじた」として、政府への遠回しな嫌がらせを行った。

 

 米国内の雑誌や地方紙に、怪文書や情報を持ち込む暴挙に出る。

持ち込んだ話の内容は、以下のような物であった。

総理がはしゃぎ過ぎた為、殿下から、ご下問がなされた

日本政府は、ホワイトハウスに謝罪文を書く専門家を呼び寄せた

『曙計画』の計画段階で、日本国内から米国内に変更される様、工作を働いた

 

 

 一方の米政府は、日本政府の対応に困惑した。

最初は否定的な態度であったが、一転してミラ・ブリッジスとの関係を認める回答を寄越したのだ。 

 何かしらの高度な政治的判断があったのは間違いない……

FBIに対して、引き続き調略を続ける様、ホワイトハウスは指示を出した。

 ほぼ同時期に、篁の使者と在ヒューストン総領事が、私的にブリッジス家を訪問*2した事実。

その事を、ラングレー*3(つか)んだ。

彼らの弁によると、「新春早々に日本国内で婚儀を上げる」という。 

 この話を持ち込んだ時、副大統領は放心状態のCIA長官を慰めたとされる。

「日本人の思考回路は、奇想天外(きそうてんがい)である」

ワシントン官衙では、噂として、その日の内に広まった

 

 

 渦中の人、篁祐唯(まさただ)は、静かだった。

世間の喧噪(けんそう)から離れ、いつも通り研究に入れ込んだ。様々な説得が来たが、気には留めなかった

ただ、鹵獲(ろかく)された大型戦術機のメインエンジンに関して、何も記されていなかったことを除いて……

 通常は、その様な事があれば、報告書に記載されるはずである。

無記載と言う事は、何かしらの問題があったと言う事だ。

自分達が知らぬ間に、策謀が巡らされているのではないか。

 昨日、国連からオルタネイティヴ3の失敗と、同計画の凍結が発表された。

ソ連政府からも、米国に「実験中の事故で、多数の死傷者が出た」為、同計画の中止が伝えられたという。

異例の事態だ。もし事故でなく、何か人為的な物であったならば、大変だ。

 よもや、この件に日本政府が関係しているわけではあるまい。

折角、日米合同の研究会が作られ、計画は進んでいる最中……

一転してミラとの結婚を認めて、日本への帰国を急かす政府の方針が判らない。

 何かが起きている。あまりにも不気味だ……

巌谷に話したところで、彼は本音で語ってくれるだろうか。

多分、此方の事に気を使わせてしまうだけであろう。

 

 彼が思い悩んでいると、声を掛けてきた人物がいた。

大使館付武官補佐官の彩峰(あやみね)萩閣(しゅうかく)*4陸軍大尉である。

 彼は、この男に良い印象を憶えなかった……

大学教授や政治学者と、論争を挑み、政治的な発言も多い。

正義感が強い男ではあるが、軍人としては疑問を感じる行動を行う時がある。

ただ、語学の才があり、弁舌爽やかで、同行の青年将校達が彼の周囲に集まってると聞く。

その様な男に目を付けられるのは、はなはだ迷惑な感じがする。

 

 彩峰は、敬礼をすると、軍帽を脱ぎ、椅子に腰かける。

その際、右手でステンレスの灰皿を引き寄せた。

内ポケットより、オイルライターとタバコを取り出し、火を点ける。

タバコはソフトパックで、銘柄はラッキーストライク*5

 国粋主義者と噂される彼が、米国タバコを吸うとは……

物珍しさに、思わず凝視してしまった。

 

「なあ、篁君、君の話は聞いているよ。日米親善の為の結婚、悪くはない。

中々、良いお嬢さんじゃないか。

都の年寄り共が、騒ぐかもしれないが、何かあったら俺が手助けしてやるよ」

悠々と紫煙を吐き出しながら、綾峰大尉は語った。

「君の立場は斯衛の派遣技術将校、謂わば陸軍技術本部駐在官に準ずる立場だ。

一挙手一投足が注目の的だ。

それなのに、あの様な美女を本気で愛するとは、中々出来る事ではないよ」

 手持ち無沙汰になった篁は、彼のタバコを拝借した。

2本ほど抜き取ると、火を点ける。

 目を瞑り、深く吸い込んだ後、静かに紫煙を吐き出す。

目を見開くと、狐につままれたような彩峰が居た。

「タバコを吸うのか。やらないと思ってたんだが……」

しばしの沈黙の後、語った。

「こういう時には煙草の一つでも吸いたくなりますよ。フィルター付きは癖が無いですね」

下を向きながら、答える。

「まあ、色々あって、タバコを止めてたんですよ」

「大方、あのお嬢さんにでも言われたのか」

「技術職で、火器や燃料を扱うことが多いので。

基本的に火気厳禁で、喫煙所が遠く、足を運ぶのが億劫になってしまいました。

休憩する時間が惜しくて、そのまま……」

 

 そこにマグカップを二つ持った巌谷(いわたに)が来た。

彼の方を向いて彩峰が言う。

「敬礼は良い。俺の分も用意して()れ。

コーヒーは嫌だから、コーラか、オレンジジュースにしてくれ」

彼は静かにマグカップを置くと、PX*6の方に向かった様であった。

「無口な同輩君の事、どう思うかね。

俺は、俺なりに彼のことを評価しているよ。

見どころのある男だ。陸軍に転属するなら世話してやっても良いぞ」

篁は彩峰の提案を、やんわり断った。

「アイツは、そんな事をされるのを嫌がる男です。

お気遣いは、有難いですが……」

彼は、右手で頬杖を突き、左手にタバコを握ったまま、答えた。

「君も、顔に似合わず、はっきり物を言う男だな。

これは、モテるわけだよ」

篁は、哄笑する彩峰の姿に困惑しながら愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 

一頻り笑った後、彩峰は真顔になり、タバコをもみ消す。

「例の作戦の話は聞いているかね……」

篁は、首を横に振る。

「F-4と、斯衛軍に納入される新型機F-5の訓練部隊を欧州に派遣することになってる。

早速だが君達も帰国した後、直ぐに欧州行きだ。

新婚早々、済まないがね」

彩峰は居住まいを直すと、深々と頭を下げた。

「頭をお上げください……大尉の謝る事ではありません。

それに、例の大型機の実験をするという話でしょうか」

彩峰は、腕を組みながら、背もたれに倒れこんだ。

「……そうだ。

私が部隊長で、君が戦闘隊長を務める計画になっている。

何とか、乗って飛ばせるぐらいだがね……」

 

 彩峰は、新しいタバコに火を点けた。

深々と吸い込むと、静かに吐き出す。

「もっとも、育成中の下士官や志願兵が主力になるとは思う」

 巌谷が、数本の瓶を抱えて戻って来た。

よく見るとコーラと炭酸飲料、オレンジジュース……。

彼は静かに、テーブルの上へ瓶を並べた。

「好みは分かりませんでした。お好きな物を……」

彩峰は、胸元より栓抜きを出す。

「ああ、頂くよ」

 彼は、コーラの瓶を手に取り、栓を開けた。

そして、胸から袋を取り出し、ステンレス製カップをテーブルに置く。

カップにコーラを並々と注ぐと、勢い良く(あお)った。

「ペプシ*7も捨てたもんじゃないな。生き返るようだ」

其の侭、数度カップに注ぎながらコーラを飲み干すと、再び語り始めた。

「まあ、詳しい話は、後日、文書で出される。覚えておいてくれれば良い」

腕時計を眺めると、こう呟いた。

「とりあえず、飯にでもするか。

ここにいても、ほかにやる事もあるまい。

君とお嬢さんとの馴初(なれそ)めでも話してくれよ」

 彼は、周囲に散らばた小物を内ポケットに仕舞いながら、答える。

巌谷と篁は、驚いた顔をしている。

「俺は、世間で言われているような過激な右翼じゃない。

貴様等と同じ、宮仕えの身分。

ただ帝国陸軍か、斯衛軍かの違いでしかない。

情報省の辺りに居る連中の方が、過激度数は高い」

そう言って彼は立ち上がり、軍帽を被る。

「お前たち、刀は?」

「流石に、持って着てませんよ」

「俺も、だよ」

彼等は談笑しながら、その場を後にした。

 

 

 その頃。

もう一方の当事者である、アメリカでは。

 先の篁祐唯問題の際、様々な怪情報がホワイトハウスに持ち込まれた。

物議を醸し、一際目立つ物。それは、カシュガルハイヴの内部映像であった。

帝国陸軍と連携関係にある在日米軍の基地に持ち込まれた際、虚偽と言う事で一笑に付された。

 だが、後日CIAとNSAで情報解析をした所、本物であることを確認。

その夜、再び秘密会合が持たれた。会議の顔ぶれは、前回とほぼ同じ。

違う点は、NSA長官が新たに釈明の為に呼び出された事である。

 

 会議の冒頭、副大統領がNSA長官に問うた。

彼は、珍しく南米産のシガリロ*8を吹かしながら、訪ねた。

室内には濃い紫煙と共に、甘いヴァニラの香料が漂う。

プロジェクターの掛かった室内は薄暗く、その機械の音だけが響いている。

「君達は、多額の予算を掛け、膨大な人員を国内外に配置しながら、何一つまとまった成果が得られなかった。

これは、どういうつもりかね。先ず、責任者の君から、説明し給え」

 会議の参加者は、副大統領を見た。

彼が、あのヴァニア味の葉巻を吸うと言う事を知っている者は恐れ戦いた。

あの仕草は、極度の怒りを冷ます為に、行う『一連の儀式』。

脇にあるコカ・コーラの数本の空き瓶は、見る者を圧倒させた。不快感を示すサイン。 

 国家安全保障省(NSA)長官は、身震いしながら答えた。

「この数年来、黄海周辺にあって、電子探査船を派遣していましたが……

先年の過失を恐れ、規模を縮小させた責任は、小官が負います。

ただ、支那における電信の傍受は、その成果は目まぐるし物が有り……」

 

 副大統領は怒りのあまり、右手の拳で机を叩く。

机の上にある瓶が倒れ、灰皿の中身が宙を舞う。

「その様な、官僚答弁を聞きたいわけではない。

秘密作戦すら確かめられぬ組織は、不要と言っているのだ」

 その瞬間、副大統領は立ち上がり、NSA長官の頭上より飲みかけのコーラを浴びせる。

彼は顔面からコーラを浴び、悲鳴を上げた。

「もう良い。貴様は下がれ。この穀潰しが……」

 

 彼は座ると、再びシガリロを吸い始める。

周囲の人間は、顔をティッシュで拭いて、退室していくNSA長官を見送った。

再び副大統領が口を開く。

「今回のデータだが、ソ連を出し抜く為に、米国から全世界にばら撒く。

それで宜しいですよね。閣下」

 衆目が、その呼び掛けられた男に集まる。深い皴が刻まれた顔を上げ、周囲を見回す。

その男こそ、米国大統領であった。

男は、言葉を選びながら話し始めた。 

「諸君、迎える来年は中間選挙だ。

それ故、来年の11月までは大規模な軍事行動は控えたい。

今、この国にあって多数の市民の意見として、欧州戦線への出兵反対は無視しがたき情勢だ。

様々な手法で、議会工作が成されているのは、耳に入っている。

しかし、国際協調と言う事で、派兵せねばならぬもの事実だ。

私としては、ドイツ在住の合衆国市民保護の名目で海兵隊を出すつもりでいる」

その言葉を受け、国防長官が尋ねた。

「では、大統領令を近々出されるのですか」

「追って詳細は、副大統領より発表させるが、現状の侭なら、6月頃を予定している」

 

 周囲が喧しくなる。

大統領は、喧騒を余所に、卓上のヒュミドールを開け、葉巻を取る。

シガーカッターを出し、ヘッドを切り落とす。

サイズは、ロンズデール*9、銘柄は「パルタガス」*10

柄の長いマッチを擦り、炙る様にして火を点ける。

静かに吸い込み、火が付いたのを確認すると一度消して、再度着火する。

 味わう様にして吹かし、静かに吐き出す。

紫煙がほぼ出ぬ様な上品な吸い方で、タバコそのものを楽しんでいた。

 

 副大統領が、上機嫌の大統領に問うた。

「閣下、ハバナ*11産の葉巻ですな……」

男は、したり顔で、続けた。

「成程、共産圏の内訌(ないこう)を利用して、ソ連を弱めるというお考えですか。

では最前線たる東ドイツで、工作を仕掛けましょう」

 

 副大統領の脇に居るCIA長官が、深くうなずく。

そして、彼の口から驚くようなことが伝えられた。

「閣下。実は、わが方で先方の保安省職員に接触がなされ、それなりの地位の男を引き込むことに成功しました。

上手くいけば、伏魔殿(ふくまでん)にある閻魔帳(えんまちょう)の一つや二つほど手に入るやもしれません」

大統領は静かに灰皿に葉巻を置き、彼の方を向く。

「……して、方策はあるのか」

彼は姿勢を変えず続けた。

「その男は、市民権と、現金10万ドル*12程を欲しています」

「安いな」

「そう思われます。

妻や愛人などを引き連れて来ましょうから、20から30万ドル要求するかもしれません

保安省秘蔵の個人情報とKGBの名簿を買うのですから、それでも十分元のとれる額です」

大統領は身を起こし、彼に向かって放った。

「では、東ドイツに工作を仕掛け給え。

本工作の諸経費に関しては、事後に議会報告に回すように対応。

今回の件に関しては、議事録は作成するが、公開は50年後の特別指定とする」

 

 副大統領が立ち上がる。

「諸君、以上で本年の会議は終了だ。

次回は、クリスマス休暇明けに会おう。よい年を……」

 掛け声と共に、室内の明かりが一斉に()く。

プロジェクターは止まり、スクリーンは職員によって片づけられる。

一連の作業が終わった事を確認すると、一同が立つ。

大統領閣下(ミスタープレジデント)、よいお年を……」

椅子に腰かける大統領に深い立礼をすると、執務室から各々が去っていった。

*1
皇族の異名。前漢・文帝の子、梁孝王劉武が東庭に竹を植えて修竹苑と称した故事から

*2
納采の着。貴族層における結婚行事。武士・百姓における結納にあたる

*3
CIA本部所在地

*4
マブラヴ原作キャラクター。

*5
LUCKYSTRIKE,1871年発売の米国タバコ。ソ連でも販売された

*6
軍事施設・艦船内等に在る、軍人軍属を対象にした売店。日用品・嗜好品を安価で提供し、そこで飲酒が可能だった

*7
ペプシコ(PepsiCo, Inc.)。米国ニューヨーク州ハリソンのパーチェスに本社を置く菓子・飲料企業

*8
細い葉巻

*9
太巻きの葉巻

*10
Partagas,キューバで生産されている葉巻の銘柄の1つ。18世紀から販売されていた

*11
キューバ。同国ハバナ州が葉巻の生産拠点の一つの為、その様に称される

*12
1977年段階で、1ドル225円




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ミンスクへ
下命


 明けて、1978年。
マサキは、異界に来て初めての正月を祝うのを後に、欧州へ旅立った。
其処で待ち受ける者は……


 1978年1月15日

 

 マサキは、正月の日本を後に欧州へ旅立った。

羽田発アンカレッジ*1経由ヒースロー*2行きの航空機に乗った。

片道7時間のフライトは、ゼオライマーを長時間操縦するより疲れる。その様に感じられた。

 初めて乗るこの世界の大型航空機は、ドグラム*3社の三発ジェット旅客機。

あの『DC-10』*4に酷似した形には、苦笑しか出なかった。

 

 車窓から見る雪原は途切れなく続き、その広大さを感じさせる。

このアラスカの地が、ソ連への売却案が出て米国議会で大問題になっているのを、英字紙で見た。

自国の都合で、100年前に国家予算の不足で売り払った地*5を、BETAを理由に買いなおす。

ソ連の行動に憤慨する米国民の気持ちも、理解出来る。

 

 いくらビジネスクラスとはいえ、狭い席だ。脇に居る美久は良く寝られると思う……。

恐らく、推論型人工知能が人間の睡眠周期を計算し、それに類似した休息時間であろう。

周りを見ると、引率役の斯衛軍将校が居るが、二人はずっと話し込んでいる。

良くも、5時間近く話していて飽きないものだ。

 騒々しくて結局一睡も出来なかった……

あの黄服と黒服の男達には、経由地に着いた際には苦情を告げると決め、車窓に視線を戻す。

 

 彼は背もたれに深く腰掛け、 瞑想した。

恐らく、この並行世界では全てが一緒なのではなく大きな枠が一緒で、細部が違う。

航空機メーカーがほぼ其の儘なのには、苦笑した。

この世界の「マクダエル・ドグラム」が、元の世界の『マクドネル・ダグラス』。

もしかすると、今乗っている航空機はあの、『DC-10』なのだろうか……。

 妙な寒気を感じるが、それは高高度の低気圧のせいであろう。

そう自分に言い聞かせる。

 

 経由地のアンカレッジ*6に降り立った際、3時間ほどの時間があったが、例の男たちとは逸れてしまった。

引率者なのに、無責任ではなかろうか……

 しかし、機体は輸送船で送り、人員だけ先に欧州入りとは、変な計画である。

最前線のソ連の隣国、西ドイツに行くのも、億劫だ。

 観光や新婚旅行のごとく、南独やノイシュバンシュタイン城*7を巡ることが目的ではない。

ビールを味わい、ソーセージをほお張り、冬景色を楽しむわけでもない……

戦争なのだ。最前線に立たされて、あの禍々しい化け物共と戦うのだ。

些か、気が引ける。

 

 彼は再び機内に戻った。

アンカレッジ経由ヒースロー行きの後半部分の飛行。

およそ10時間近く掛かるフライトの中、再び瞑想へと入っていった。

 

 実際の訓練開始と作戦決行日まで結構な時間がある。日にして約3か月弱

何でも、ソ連国内の雪解けを待ち、夏になってから実施するという……。

道路事情も悪く、疫病の猖獗(しょうけつ)する白ロシア、ウクライナ。

1941年のバルバロッサ作戦*8の二の舞にならねば良いが……

その様な思いが巡った。

 

 北極海沿いのポーラールート*9を通って、ロンドンまで10時間近く掛かるのは腹立たしい。

ゼオライマーに乗って、瞬間移動すれば、ほんの数十秒で着く。

 今度こそは、寝よう。

美久が、抱き着くようにして寝ている。

形状記憶シリコンの皮膚は、人肌と変わらぬ様な柔らかさと独特の暖かさを感じる。

しかし、人肌の温もりとは違うのだ……

この陰々滅々を紛らわす為に、女など求めようものなら、危険だ

仙姿玉質(せんしぎょくしつ)の令嬢などを用意して、 篭絡(ろうらく)させるであろう事が予想される

 

 思えば、この秋津正人(マサト)の肉体に精神を移してから、人の温もりと言う物を感じたことがあったであろうか……

秋津正人は、養父母との間でそれなりの愛情を受け、不自由のない暮らしをしたと、沖に聞いたことがあった。

 しかし、過ぎた事だ。一度死んで転生した身。

この不思議な異界に来てしまったのだから、二度目だというべきか……

 自身を、この異界に呼び込んだ物が居るならば会ってみたい。

会って殴り飛ばしたところで、気が済むわけでは無かろう……

表現出来ぬ様な虚無感(きょむかん)に包まれている気がする。疲労であろう……

彼は、そう思うと、毛布に包まり、美久を抱え込むようにして、眠りについた。

 

 

 マサキ達一行が西ドイツに到着して約3週間後、ゼオライマーを積んだ運搬船がハンブルク港に入港。

当初、ゼオライマーの総トン数*10から、オーバー・パナマックス*11の貨物船が計画された。

だが、予定日数の超過と陸揚げ港が限定される為、変更。

全長53メートルの機体は、横倒しの状態で、帝国陸軍が徴用した重量物運搬船で移送。

全体を覆う防水布が掛けられ、紐で周囲を固定した状態だった。

 その様を見た彼は、まるで小人の国に迷い込んだガリバーが運ばれる様を連想させる。

本隊である戦術機部隊は、改造された油槽(ゆそう)船に縦に並べ、輸送。

日本より直送されたF-4Jと、米国で委託受注されたF-5が、ほぼ同日に到着。

米国・東海岸と、日本からの距離を考えれば、十分に早い。人員は既にドイツ国内に呼び寄せ済みだ。

後は訓練開始を待つばかり。作戦まで4か月程とは言え、時間は無いのだ……

 

 彼は、初めて見るF-5戦術機の姿を注視する。

F-4とは違い、角ばってはいるが、その細身の作りに、ある種の不安を覚えた。

恐らく軽装甲で、被弾面積の大きさから脆弱(ぜいじゃく) さが増す事……

F-4との重量換算から比して、電子装備や通信機能が削減され、出力低下の可能性も否めない。

 一度は、帝国陸軍の方で納品拒否された機体と聞く。

この様な機体が主力になる様では、戦術機パイロットの生還率も今以上に下がるであろうことを危惧した

戦車の様に、爆発反応装甲や補助兵装を付けねばなるまい……

その機体を見て、暫し夢想したのであった。

 

 重量物運搬船から陸揚げされる際、彼は美久と共に早速改修後の試運転に出掛けた

見たところ、外装上の変化はなかったが、関節の潤滑油や電子部品の一部が改められた事が報告書にあった

この世界は、電子部品の発達が元の世界より進んでいる。

 だが、民生品に関してはその水準は劣っているように思う。

喫茶店にすらアーケードゲームが無く、パチンコやスロットマシンも手回しの筐体。

「正村ゲージ」が、最新機種として持て(はや)されている。

就学期の児童は、あやとりやメンコ等をして遊び、青少年の娯楽は花札やビリヤード等々……

 まるで、1950年代の水準である事を見て、いかに軍事最優先で世界経済を回してきた事に唖然とした。

 

 その様な事を思いつつ、彼は港を出て、洋上から高度を5000メートルまで上昇させる

一応、付いてきた連中に、「光線に落とされる可能性」を注意されたが、無視

 帰還場所と時刻を告げると、無線を切り、暫し『フライト』に出かけた。

バルト海へ北上するかに見せかけて、更に高度を上昇させる。

ポーランド上空を高度1万5千メートルで通過。途中から迎撃機でも来るかと構えていたが、ほぼ来なかったので安堵した。

 白ロシアに向かう途中、光線の照射を受ける。全面に張り巡らされたバリア体の御蔭で防いだが、それでも煩わしい。

再射撃の時差を利用して、敵の位置を計算。高高度よりメイオウ攻撃を打ち込む。

着弾すると同時に、周囲に強烈な衝撃波と閃光が広がる。巨大な虫のような化け物の群れも、一網打尽で吹き飛ぶ。

更に攻撃しようと考えたが、帰還時間が迫っていることを考え、当初のハンブルク港へ転移した。

 

 同時刻、ミンスクから西方30キロ地点で、BETA集団を観測していたソ連軍は大爆発に驚愕した。

レーダーから大型爆撃機、或いは高速偵察機と思しきものが侵入した事を認知。

光線級に撃ち落されることを想定し、迎撃しなかった。

正確に言えば、迎撃出来なかったのだ。

迎撃用のミサイルも航空機も、ほぼBETAとの戦いで失われ、貴重な戦術機も出し惜しんだ

それに現場を確認しに行くにも、ミンスクハイヴの目と鼻の先で危険

決死の覚悟で偵察に出ていた戦車部隊の写真と報告書から大まかな事しか判らなかった

 人工衛星による確認で、原子爆弾に相当する様な衝撃波と閃光と類推した。

写真資料による推定ではあったが、ミンスク周辺のBETA群のおよそ7割強が一撃で消し飛んだのだ。

総数は航空写真から確認すると、3万から6万強の間であった。

 GRUは持ち込まれた資料から、支那で実験が行われた新型機が欧州に搬入されたと認識。

あのノボシビルスクの研究施設を壊滅させた機体が、目の前に来たのだ。

 

 其の事実は、GRUばかりではなく、KGBも動かさせた。

時間を空けずに、西ドイツ在住の潜入工作員から秘密電報が入る。

日本の戦術機部隊が、ハンブルク港に揚陸した事を入手。

 ルビヤンカは、早速シュミットに直接連絡を入れた。

駐独ソ連大使館やKGBの現地事務所を通さず、異例の事態。KGB本部は慎重さより時間短縮を選んだのだ

 

 命令は、以下のような物である

「大型戦術機のパイロットを捕縛して、尋問せよ」

「戦術機を持ち出し、ドイツで分解し、その性能と技術的ノウハウを取得せよ」

 

 

 

 

 深夜、アスクマン少佐は、ゾーネ少尉の運転する自動車でベルリン市内を急いだ。

副官同様の扱いを受けている彼は、後部座席に深く座り、目を瞑っている上司を垣間見る。

 今日は、普段と様子が違った。

ここ最近、立て続けに保安省本部に呼ばれている。

寝食を共にし、日頃からの疲労が溜まっているのも知っている……

電話を受けた際の狼狽ぶりには、驚いた。

何時も冷静で非情な男が、大童(おおわらわ)で支度をし、車を飛ばすよう命じたのだ。

 何かが、起こる前兆だ。

軍や党中央の 大粛清が近いと、少佐との 睦言(むつごと)*12で聞いたが、矢張りそうであろうか……

 

 少佐は、目を開けると運転をする彼に声を掛けた。

「なあゾーネよ……、何があっても私に付いて来てくれるか」

彼は、ハンドルを握りながら答える。

「どうか、なされましたか。少佐」

「ソ連が動いた。奴等の事さ、保安省にも手を入れて来るであろう」

彼は、静かにハンドルを切る。

大通りを抜けて、本部への道へ車を進める。

「自分の力の限り、お供させて頂きます」

 

 車外を見ていた少佐は、正面に顔を向ける。

彼の方に向かっていった。

「行ける所まで行こうと思う。君も私と来ると言う事ならば、それなりの覚悟はしてほしい」

そう言うと、アスクマン少佐は、彼に向かって不敵な笑みを浮かべ、天を仰いだ。

 

*1
アメリカ合衆国アラスカ州にある同州の最大都市。北極圏回りヨーロッパ便の給油寄港地であった

*2
英国の首都、ロンドン西部にある同国最大の空港。1929年開設

*3
マブラヴ世界の航空機メーカー。現実のマクドネル・ダグラス社に相当する

*4
マクドネル・ダグラス社がアメリカン航空の要望に応じて開発した大型3発式ジェット旅客機

*5
1867年に帝政ロシアがロシア領アメリカを売却した。米国が720万米国ドルで買い取った。

*6
アンカレッジ空港は極圏航路の要衝で、東亜と欧州を結ぶ航路の中継地で重要な防衛地点でもあった。

*7
バイエルン王ルートヴィヒ2世によって建築された城。人気の観光スポットの一つ

*8
ドイツ国防軍の1941年時の対ソ戦の作戦名。

*9
Polar Route. 極圏航路。

*10
ゼオライマーの総トン数は480トン。

*11
パナマ運河通航の制約条件を超えた大規模コンテナ船。

*12
仲よく語り合う会話。特に関係の深い男女が(ねや)で交わす、親しげで愛情のこもった会話




 話が飛び飛びで読みづらいと思い、構成を一部変更して居ります。
変更前の話は暁に残してありますので、気になる方はご参照ください。


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帰国命令 前編 (旧題:我が妹よ)

 急遽決まった第一戦車軍団の帰国命令……
KGBの謀略工作が動き始めた首都・ベルリン。
ベルンハルト中尉の心中は如何に……




 この話は構成を変更していますので文字数が9000字近くになります。
長く読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。



1978年2月

 

 

 再び第一戦車軍団と第40戦術機実験中隊に、ウクライナ派遣が下令された。

ベルンハルト中尉達、中隊の一行は、第一戦車軍団と共に寒風吹きすさぶハリコフに向かった。

 

 東部ウクライナの要衝であるこの地は、嘗て独ソ両軍が4度に渡って 干戈(かんか)を交えた場所。

冬季は平均気温が氷点下10度近くに下がり、寒さも身に染みる

静かに息を吐く。寒さで肺の中まで清められるような空気……

 市内を眺めると、まるで墓標のようなビル群が立ち並ぶ。

BETA戦争が始まる前は、この街は学校や研究施設がある静かな町であったことを思い出す。

わずか数年前の事とは言え、酷く昔に感じる。

耳付きの防寒帽を被り、将校外套を着て脇を歩くヤウクは、ずっと黙ったままだった。

 

「なあ、あの話は本当なのか」

彼はヤウクに問うた。

ヤウクは周囲を見回した後、(ささや)く様に言った。

「本当さ。ハンニバル大尉には、家族が有ったというべきかな……

今は、奥さんと息子さん二人と、週末だけ家庭生活を送る暮らしをしているらしい。

なんでも、僕の聞いた話だと、奥さんの 従兄弟が色々な所に出入りして保安省に目を付けられているそうだ。

だから別居生活をして、大尉を庇う様な暮らしをなさっていると聞いている」

彼は、ヤウクの方を静かに振り向く

曇模様(くもりもよう)で、路面に降り積もった雪の寒さを強く感じる。

「だからといって若い娘と付き合うのはおかしくないか……」

ヤウクは立ち止まって、彼の方を向く

「彼女の方から誘ったらしい事は、大尉から伺っている。

好き合った彼氏と、喧嘩別れしたそうだ。

彼の進路に関する事で反対したら、別れを切り出されて……」

彼の目を見つめる

「聞いて思ったよ。まるで君達みたいじゃないか。

ベアトリクスの入学を最後まで反対したのは、君だろう。

君は……あの後、怒って暫く会わなかったそうじゃないか。

思い詰て、過激な手段に出るかもしれない……」

彼は静かに問うた

「どういう意味だ」

肩を(すく)めて、おどける。

「何、言葉の通りだよ。

君のやり方では時間が掛かるとか言って、保安省や党中央に近づくかもしれない。

表現出来ない様な才色兼備(さいしょくけんび)と聞く。

その様な才媛(さいえん)を、シュタージの連中が放っておくと思う?

狙われたんだろう。一度で済むとは思えない……」

強い口調で問いかける

「何が言いたい……」

暫しの沈黙の後、ヤウク少尉は語った。

「君が守ってやる様な姿勢や理解する行動をしない限り、彼女から見捨てられるかもしれないってことさ」

顔が紅葉し、革手袋をした拳が握りしめられる。

「貴様、言わせて置けば……」

 

ヤウクは、彼の興奮を余所に、話し続けた。

「どちらにしても、今の僕達は、奴等から狙われている。あの悪名高い野獣が見逃してくれるとは思えない」

 

 無論、奴等とは国家保安省の事で、野獣とはアスクマン少佐の事である。

彼が理解しているであろう事を考え、あえて説明しなかった。

「あいつ等、この国をソ連の様な専制国家に変えたいのか。

スターリンが築いた《収容所群島》を、民主共和国で実現させる心算なら……」

 

 彼は口ごもる。幾ら、屋外で盗聴の危険性は低くなったとはいえ、何処かに間者が潜んでいるかもしれない……

自分一人なら、どうでも良い。

 妹である、あの聡明なアイリスディナーの事を案じると、そら恐ろしくなってしまう。

唯一の愛しい家族であるのだから……。

 

 日が傾くと次第に風が強くなり、勤務服の上から着て居る外套に、寒さが突き刺さって来る……

足早に、宿営地に戻る。

 夜間に為れば、現地では賊徒が闊歩し、危険。

戦地と言う事で、内務省軍*1警察(ミリツァ)*2も引き上げてしまった。

宿営地では、小銃に着剣し、ヘルメットを被った歩哨を立てている。

だが、ライフルでの狙撃や仕掛け爆弾に、数度遭遇した。

 幸い、人的被害はなかったものの、この地の反独感情の根深さを感じる。

或いは、ソ連支援の為に来た外征軍を、体制維持の先兵として、土民*3は見ているのかもしれない……

 

 宿営地に近づくと、門のところに、一人の男が立って待っているのが見える。

防寒帽を被り、羊皮の別襟を付けた外套を着て、腰には拳銃嚢を下げたベルト。

両腕を腰に当て、周囲を見張っていた。

門から数メートル先の歩哨は、自動小銃に弾倉を付け、直立している。門に近づくなり、声が飛んだ。

「同志中尉、遅かったではないか」

声の主は、シュトラハヴィッツ少将。一番帰りが遅かった将校の二人を窘める為に門前まで来ていた。

 

「同志将軍、少しばかり、話し込んでしまいました」

ベルンハルトはシュトラハヴィッツ少将に歩み寄っていった。彼に向けて謝罪の言葉を伝える。

彼は厳しい顔つきになると、二人に忠告した。

「狙撃手は待ってくれんぞ。奴等は、隙があれば撃ってくる。

今度出歩くときは、小銃か、機関銃ぐらい持って行け。どんな服装をしても狙われるから、勤務服でも構わん。

連中は、軍人だと分かれば仕掛けて来る」

 

 ベルンハルトは、彼の方を向く。

「ソ連では戦術機も狙われると聞きます。紐や針金に巻き付けた仕掛け爆弾で。

何か、刃物でも付ける対策でもせねば……ならぬでしょう」

彼は、思い出すかのように考える

「ソ連では、先んじて戦術機に炭素複合材(カーボン)の刀身を備え付けている。

ただ、その因で、(すこぶ)る整備性が落ちたと聞き及んでいる。

戦術機に、高性能アンテナを付けた君だ。何か、考えているんだろ」

 

 中尉は考え込んだ末、一つの答えを示した。

「支那や日本では、大型の刀剣を装備し、戦っていると聞いています。

ただ取り回しに困る長剣ではなく、合口(あいくち)*4程短くもなく、程よい長さの刀剣でもあれば……」

「実はな、同様の情報はT委員会経由で、入ってきている。

新型のソ連機には、人間でいう所の山刀(なた)程度の長さの刀剣を標準装備にするそうだ」

 

 『T委員会

それは、ドイツ民主共和国において戦術機導入を進めるために設置された特別委員会。

ほかならぬ委員長こそ、目の前に居るシュトラハヴィッツ少将であった。

「俺の所に、支那の商人が来て、刀を数振り置いていった。

ソ連でも使っているそうらしいから、それなりに評判のあるものであろう。貴様等で好きにして良いぞ」

 

彼が言った、「支那で作られた刀剣」。

それは新型の武器、正式名称を77式近接戦闘長刀と言い、先端が幅広の刀剣。

人民解放軍の工廠(こうしょう)で作られていたとは聞いたが、実戦配備はまだであったはず。

その様な物を、国外に売りさばくと言う事は、余程自信作の様だ……

 

「同志中尉、貴様はその刀を使って、他に先んじて、サーベルの専門家になれ。

何れ、対人戦が起きるやもしれん。

そうなった時、そのサーベルが役に立つであろうと思える。

些か古めかしいかもしれんが、戦士たるもの剣を帯びてこそ、その姿が映える」

 

 (つるぎ)、なんという響きであろう。彼は興奮して答えた。

「つまり、BETAを断ち切る破邪(はじゃ)の剣になるかもしれないと言う事ですか」

「ああ、俺達自身はすでに、その存在自体がBETA狩りの剣其の物だ。

刀を帯びれば、文字通り、人類に仇なす魔物を狩る騎士になる」

 

 かのワグナーが愛して已まなかった「ジークフリート」

あの英雄も、父の剣を鍛えなおし、雄々しく龍と戦った。

対BETA戦での戦意高揚の道具として、刀剣を振るい戦うのも悪くない……

今用いている短刀では、戦車級に取りつかれた時、心もとない。

長刀であれば、光線級吶喊(レーザーヤークト)の際、機銃弾が絶えた時、役に立つ。

否、弾薬を節約して、光線級吶喊の際に、有りっ丈の砲弾を浴びせる様にせねば駄目だ……

 彼の心は、決まった。

何れ、近接戦闘は避けがたい……

ならば、対人戦の訓練として、長刀を振るい、その技術を我が物にせねば、戦術機に未来はない。

砲弾を打つのならば、自走砲や戦車、ヘリコプター、低空飛行の航空機で十分だ。

 絶妙の剣技で、BETAを狩る。

それは、極限まで鍛え上げられた衛士と、洗練された戦術機でなければ、実現不可能だ。

帰国した後、早速その手法を取り入れよう。そうすれば、欧州初の剣術使いの部隊が出来る。

興奮した様子で、友を連れ立ち、己の天幕へ向かった。

 

 

 

 2月下旬のある夜、極秘電文が第一戦車軍団司令部に届く。

「緊急帰国せよ」

参謀本部の指令に、同本部は混乱した。僅か一か月の間に独ソ間の往復の命令。

1800キロの距離を帰還するのは、容易ではない。大部隊を率いて緊急帰国の指令。

 何かが起きている……。

大童で支度をすると、深夜ベルリンへ向かって部隊は移動を開始した。

先ずキエフまで戻って燃料を補給した後、ワルシャワまで最高速で走破。

ワルシャワに戻れば、あとは道路事情は格段に良くなる。

ワルシャワから、数時間でベルリン市内に入れるであろう。

数時間おきに小休止を入れ、全速力で帰路を急いだ。

 

 一方ベルリン市内では、表立ってKGBが動いた。

政府や軍に察知されることを気にせずに大胆な行動に出る。

公用車で、大使館や事務所から、直接官衙に出向いた。

午前10時前後に各省庁に乗り付け、シュミット等ソ連派人士を直接指導したのだ。

其の事は同日昼頃までに、他の官公庁や軍の情報部隊の知るところになる。

 保安省内からの『リーク』で、事前情報を得ていたハイム少将は、動いた。

保安省子飼いの監視員を恐れずに、この国を動かす面々が居る中央委員会に乗り込む。

午後1時過ぎごろ、自分が影響力を持つ連隊に指示を出し、庁舎周辺に非武装の兵を配置。

会議場内に少数の手勢と乗り込むなり、座上にある委員長に立礼をして話を切り出した。

 

「会議中、失礼致します。

KGBが、我が国に対して破壊工作を始めているとの緊急の情報が入りました。

詳細は未確認ながら、実力部隊を持って官衙を制圧すると計画が漏れ伝わっております。

どうか、緊急に非常線を引く準備を要請致します」

委員長に掛け合った。

「議長、ご決断を!」

目前の老人は、石像の様に固まっている。

 

保安相が立ち上がって、制止する。

「貴様。立場を分かって申しているのか。これは党への反逆に当たるのではないのか」

国防相が彼を弁護する。

「本当ならどうする。この国の主力は、ほぼウクライナに行ってしまったぞ。

早速だが、首都近郊の戦車部隊、高射砲部隊を呼び寄せろ。

仮に敵が戦術機部隊を引き連れてきたなら、事は内乱まで発展するぞ」

 

 遅れて、小火器*5で武装した保安省職員がなだれ込んだ。

彼等は遠巻きに非武装の人民軍将兵を囲む。

 議場に声が響いた。

周囲の顔がその声の主に振り替える。

ベルンハルト中尉達が会いに行った、件の屋敷の主人で有った。

「この非常時に、軍も警察も縄張り争いをやっている暇は、ありますまい。

そうでは御座いませんか、議長」

 

 委員長は押し黙ったままで、身動(みじろ)ぎもしない

彼はそれを気にせずに、保安省職員を一瞥(いちべつ)する。

 

「貴様等も小銃を置け。危なっかしくて、話も出来んわ」

保安相は、職員に指示を下した。彼等は小銃より弾倉を外すと壁際に立てかけた。

「引き上げさせろ」

間もなく退出命令を下し、その場から兵を引き上げさせた。

そしてある人物を指名して、議場に呼び寄せた。

「アクスマン少佐を、此処に呼べ」

 

 

 既に日は傾き始めており、幹線道路は渋滞し始める直前。 

交通警官の制止を振り切り、大急ぎで中央委員会のビルに一台の乗用車が乗り込む。

運転手は、周囲を確認せずに荒々しく車を止める。

 車内で、アスクマン少佐は、上着を脱ぐ。

普段上着の下に隠して保持する小型拳銃を、インサイドホルスターごと車内に置いた。

改めて、軍帽を被り、上着を着なおし、ネクタイを直す。

肩からランヤードと拳銃嚢の負い紐を下げ、ギャリソンベルトに着け直す。

弾倉を確認し、ランヤードを付けると、自動拳銃を拳銃嚢に仕舞いこむ。

予備マガジンの入ったポーチを付け、ベルトを締めこむ。

相手を威圧するために、あえて自動拳銃を目に見える形で帯びたのであった。

 ドアを開ける際、運転手に声を掛けた。

「車を回す準備をしておけ。ゾーネ」

彼は、両手で軍帽の位置を直すと、長靴を鳴らしながら庁舎内へ消えていった。

 

 議場のドアが勢い良く開けられる。

拳銃を帯びた兵士に連れられて、アクスマン少佐の姿が目に入る。

両腕を後ろ手に縛られながら、後ろから催促され歩いて来る。

帯びていた拳銃は、ベルト一式、衛兵に没収されしまった。

 

「議長、不届き者が居たので、お連れしました」

保安相だった男が立ち上がって、声を掛ける。

「アスクマン少佐……」

奥の方から、声が飛ぶ。

「先程、議長と保安相は辞意を示された。

新任の議長は未だ決まっていないが、暫定の立場で、俺が仕切る事になっている。

少佐、君は元議長をシェーネフェルト*6までお連れしなさい」

 

 彼はその言葉に唖然とした。

自分が呼び出される間に事態は大きく動いたのだ。

「遅かったか……」

膝から力が抜け、その場に屈した。

 

奥の方に立つ男から声が飛ぶ

「君と取引がしたい。まず、元議長とそのご家族を国外に送り出す。

そのを成功させたのであれば、君の地位を保全しよう。

中佐に一旦昇進させた後、大佐にして保安省の次官級の職責を任せたいと思う。受け入れるつもりはあるかね」

 非武装とはいえ、数百人規模の兵に、この庁舎は囲まれている

自らの生命は危うい……。アスクマン少佐は、一旦彼等の提案を飲むことにした。

 

 

 

 

 政変の報に接したのは夕刻。ワルシャワ入城後であった。

まだポーランド側での報道はないが、噂話では広まっている様子。

現地語が出来ない彼等には、詳しい内容は分からなかったが、委員長が辞職したらしいことは漏れ伝わって来る。

 ユルゲンは悔やんだ。

あの父が如く、数か国語を自在に操り、市井の人々から本音を聞けたらどれだけ良かったか……

 しかし今の立場は、人民軍中尉。

無闇に聞けば、彼等も訝しがって話はしない。もどかしい気持ちになる……

本音を言えば、誰が首脳になってもドイツはソ連の隷属の下。

ソ連は、彼等なりにドイツに気を使ってはいるが、WTO*7から離れるようなことをすれば許しはしない

嘗て、アーベルやシュトラハヴィッツが話していた様に、ソ連が軍事行動をする危険性は十二分にある

己が都合で、傀儡政権の首を挿げ替える事さえ、 厭わない。

 

 いずれにせよ、社会主義の一党独裁体制下では、憲章や法典に定められたプロレタリアの自由も平等もない。

5年前のソ連留学の時、ソ連軍は味方ごと核爆弾で焼いた。

BETAを倒す為には、市民の死すら厭わないあの 醜悪な政治体制……

二百機の戦略爆撃機に、千発の核弾頭を装備し、カザフスタン西部を核飽和攻撃で焼いた。

 あの(おぞ)ましい光景が鮮明に蘇る。

核による遅滞戦術……、中共ではハイヴ攻略まで取られていたと聞く。

 自らが推し進める光線級吶喊戦術。これは正しいのであろうか…

闇雲に兵を損耗させるだけではなかろうか…

 やはり、嘗てシュトラハヴィッツが提唱していた諸兵科連合部隊による運用で戦うべきか……

 

 様々な思いを逡巡させていると、心配そうな顔つきでヤウクが話しかけて来る。

いつもの勤務服ではなく、深緑の綿入れ野戦服を着こみ、頭には防寒帽。

手には、磨かれたアルミ製のマグカップを二つ持ち、中には湯気が立つコーヒー。

「飲めよ。寒いだろう」

 (かぐわ)しい豆の香りがする。

息を吹きかけ、冷ましながら静かに口に含む。これは代用コーヒーではなく本物だ。

「どこで手に入れた」

「母が工面してくれたのさ……」

 

 ふと、満天を仰ぐ。月明りに照らされた木々の間を飄々(ひょうひょう)と、寒風が通り抜ける。

降り積もった雪には、幾つもの足跡と何列もの(わだち)……。

 

 彼はヤウクの言葉を聞いて、在りし日の家族を思い起こす。

まだ父が健在で、愛しい妹が幼子であった頃、美しい母は傍にいてくれた。

だが、 寂しさから間男に走り、生き別れる。異父弟も、もう入学する頃合いであろう……。

自然と目が 潤み、涙が流れ落ちる。

 脇に居るヨーク・ヤウクを、まじまじと見る。

彼の生い立ちは、自身より壮絶だった。

ソ連の為に志願して、あの『大祖国戦争』*8を戦った祖父に待っていたのは国外追放であった。

 17世紀にドイツから移住したボルガ系ドイツ人を祖に持つ彼の祖父母。

彼等は大祖国戦争の折、中央アジアに強制移住*9させられた後、ドイツに再移住させられた。

大本を辿ればドイツ人だが、言葉や宗教、習慣も違うドイツに、捨てられたのだ……

祖父は志願して、東部戦線に参加したにも関わらず、勲章も恩給一つも貰えず、 弊履(へいり)を棄つるが如し扱いを受ける。

その様な環境から身を起こして、空軍士官学校次席を取るのであるから、彼の努力は並々ならぬものである事が判る。

 やはり、家族の強い絆と深い愛の裏付けがあって、為し得たのであろう……

貧しいながらも、温かい家庭。ヤウクが羨ましいと、心の底から思うた。

 

「どうした、急に泣き出して」

同輩が 滂沱(ぼうだ)する様に、ヤウクは困惑した。

目頭を官給品のハンカチで抑え、下を向いた侭だ……。

ハンカチを取り、内ポケットへ畳むと、綿入れの腰ポケットから落とし紙を取る。

鼻をかみ、眼を拭くと、彼の方に振り返った。

「ああ、昔を思い出していたのさ……」

羊皮の防寒帽を被ったベルンハルトの顔は、涙で濡れ、目は赤く充血している。

 

 不安を感じたヤウク少尉は、ユルゲンを慰めるべく言葉をかける。

彼は、同輩の真横を向きながら、話し始めた

「最近の君は、感傷的では無いかい……。妹さんが気になるんだろう。

美丈夫の君に似て、(うるわ)しい目鼻立ちと聞くし……。

色々、先々が心配なんだろう」

「ああ……、俺の取り越し苦労かもしれんが、アイリスは俺が死んだら俺を思うて苦しむのであろうと悩んでいた。

ベアトリクスも、そうだ。

時々思うのだが、彼女達の愛は深く、そして重い。贅沢な悩みかもしれんがな……」

彼は、冷めたコーヒーを口に含む。

「ユルゲン……」

 

ユルゲンは、泣き腫らした顔をヤウク少尉に向ける。

「俺はときどき思うのさ。彼奴(アイツ)等は、俺が無き後も独り身で、寂しく死ぬのではないかと。

変に(みさお)など立って、高邁(こうまい)な思想とやらで(おお)い隠し、国の為に(じゅん)ずる……。

そう思えてくるのだよ」

 

 思えばベアトリクスと出会った時より、彼女の鬱屈した心に感情移入をしていたのではなかろうか。

遠く離れてみて、ユルゲンは改めてその事に気づかされた。

ベアトリクスの本心はこれほどまでに重く、何と深く鮮烈な愛であるのか……。

ユルゲンは一人心の中で、ベアトリクスへの想いを強めた。

 

 ヤウクは、目の前で思い悩む同輩に心から忠告した。 

「彼女たちを幸せにするか、否かは君の行動次第じゃないかな。

有触(ありふ)れた言葉だけど、女の幸せを知らせてやる。それを出来るのは君しか居ないじゃないか……。

何時までも逃げていないで、彼女を(めと)ってあげなよ。

君が承諾しなければ、(とう)が立つ*10まで待ち続ける」

 

 ユルゲンは冷笑した後、天を仰ぐ。

「貴様は、其れしか言えんのか……。まあ良い、思い人*11など居るのか……」

ヤウクは、満面朱(まんめんしゅ)を注いだ様子になる。

「実は、まだ誰にも明かしていないんだけど、同志将軍(シュトラハヴィッツ)の御嬢さん。

可愛らしいだろう。まるで、天女の様じゃないか」

 同輩は、酷く狼狽した。

「お前、本当なのか……」

彼は真摯な眼差しで、狼狽するユルゲンを見る。

「本当さ。あの(けが)れなき姿……、思うだけで十分さ。望む事なら妻に迎え入れたい位だよ」

 

 

 

「その言葉、本当であろうな」

背後から、低音で通る声が聞こえる。

彼等は、後ろを振り返ると、逞しい体つきの男が、腰に手を当てている。

綺麗に剃られた口髭の顔は厳しく、鋭い目付きで彼等を睨む。

 綿の入った一揃いの将校野戦服を着た、彼女の父が居た。

彼を、品定めするかの様に見つめ、黙っている。

眉が動き、被った防寒帽が微かに盛り上がったかのように感じた

「今の言葉が偽りでないのであれば、10年。いや5年待ってやろう。

貴様がフリードリッヒ・エンゲルス軍大学を出て、佐官に昇進するのが最低条件だ。

無論、この戦争を五体満足で生き残り、幕僚として活躍できる自信があって、そう抜かしているのであろうな」

 腰のベルトに付けたホルスターに手を伸ばし、蓋を開けて拳銃を取り出す

銀色に輝くPPK*12拳銃が握られた右手を、彼の方に向ける。

 

戯言(ざれごと)であるのならば、この場で撃ち殺す」

弾倉は外され、食指は引き金から離されて伸びた状態ではあった。

その姿に圧倒された彼は、確かめる余裕さえなかった

 ベルンハルト中尉は脇目で、彼を見る

あの落ち葉を散らした顔色は、雪景色のように白く、灰色の人造毛の防寒帽は汗で湿り変色している。

 彼は 諦観(ていかん)する。

深々と最敬礼をして、述べた。

御嬢(ウルスラ)さんを僕にくれませんか」

 

少将は銃を向けた侭だ。

「貴様等は、こんな所で腐って地べたを這いずり回る様な存在ではない。

相応しい働きをして、それ相応の地位に就け。

先ず、男として遣るべき事だ」

眼前の男は、同輩の方を振り向いた。

「同志ベルンハルト中尉!貴様もだ。

貴様が 祖国(ドイツ)を思う気持ちも分かる。

だが、一人の父親として、わが娘の幸せを願うのも人情。

あのブレーメの娘御を愛しているのなら、何時までも焦がせるな。

人にも旬がある。猶更、女だ……」

 

 彼はそういうと、手に持ったピストルを拳銃嚢に静かに収めた。

そして、背を向け歩き始めた。

「明日は早い。夕刻までにはベルリン市内に入る。良く準備をし、早く休め」

佇む彼等を後にして、月明りの中を、宿舎まで歩いて行った。

 

 

*1
内務省直属の武装組織。外征向けの赤軍とは違い、国内の防衛任務に従事。

*2
милиция,ソ連国内警察。治安維持の他に政治指導や一般住民の思想宣伝工作にまで携わった

*3
現地住民

*4
鍔の無い短刀

*5
個人で携帯可能な火器。小銃や拳銃の事。

*6
ベルリン市内の空港

*7
ワルシャワ条約機構

*8
独ソ戦のソ連側呼称。ナポレオンのロシア侵攻を祖国戦争と評した帝政ロシアに倣い、スターリンは対独戦を大祖国戦争とした。

*9
ソ連は戦争開始以前から日独への協力を恐れ、ドイツ系や朝鮮系の住民を強制移住させていた。

*10
野菜などの花茎が伸び過ぎ、硬くなって食べ頃が過ぎてしまう事。転じて人がその目的に最適の年齢を過ぎてしまう事を示す。一般的に男女の婚期を指す。

*11
恋しく思う人。 恋人の事。

*12
Polizei pistole Kriminal.カール・ワルサー社製の刑事警察用拳銃。東独では特許を無視して違法生産が続けられていた




 東独の平均的な婚姻年齢は21歳です。
また婚姻年齢が若い為、女性の離婚や不倫も珍しい事ではなく日常茶飯事でした。
 これは1989年のベルリンの壁崩壊まで変化しませんでした。
以上の事を勘案して、ユルゲンやヤウクの結婚観・家庭観を理解して頂ければ幸いです。


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帰国命令 後編 (旧題:我が妹よ)

 一か月ぶりのベルリンに戻ったベルンハルト中尉。
混乱する市内で蠢く策謀……


 大部隊を引き連れてシュトラハヴィッツ少将達は帰ってきた。

一か月ぶりのベルリン市内は交通警官が多数配置されている以外、変わりはなかった。

一旦基地に帰った後、 官衙に呼び出される。

 数名の将校と最先任曹長に部隊を任せて、幕僚と共に共和国宮殿に出向く。

道すがら、議長が辞表を出した事は(うかが)って居たが、まさか国外に出ていたとは思わなかった

名目は病気療養。

 

 出国先は、最先端の医療設備のある米国ではなく、隣国メキシコ。

共産主義に親和的な政権がある国故に、違和感は少なかった。

だが、あの右派冒険主義者トロツキーの終焉の地。キューバ革命の過激派学生の訓練場……

良い印象は彼の中にはなかった。

 

 新任の議長代理に、形ばかりの挨拶と報告を済ませると、男は彼に人払いを命じた。

ハンニバルやベルンハルト達を、室外に送り出す。彼に腰かけるよう指示する。

「座れよ。多少時間が掛かる」

彼が座った後、ひじ掛けの付いた椅子に座る。

男の口からあることを告げられた。

「KGBと保安省の一部過激派が集まり始めた。

どうやら「作戦」の事で、ボン*1に動きがあったらしい」

 

 彼は、内ポケットから潰れたタバコの箱を出すと、2本ほどタバコを摘まむ。

そして目の前の男に差し出し、マッチを擦る。二人で火を分け合う様にしてタバコに火を点ける。

深く吸い込み、勢いよく紫煙を吹き出した。

「フランスか、イギリスの部隊でも来たのですか」

「違うな。連中の話だと日本軍の一個小隊が来たそうだ」

連中とは、保安省内部にある現政権に近い一派の事で、彼等からの情報提供を暗示させた。

 

男は続ける。

「貴様らがBETAと戦っている時に、茶坊主共が急に騒めき出してな。俺の方で探ってみたんだ。

なんでも入れ違いに近い形で先発隊がドイツ*2国内に入ったらしい。

ハンブルグで、飛行訓練をしている写真を見た」

 

男は、タバコを叩きつける様にして、灰を捨てる。

「それで、ハイムの所に鉄砲玉*3を準備しているということを耳にしてな。

奴に先に動いて、卓袱台返し*4させたのさ」

 彼は、男の言葉に驚愕した。

昨年末以来、ハイムの事は避けていたが、奴等は事前に察知していたのだ。

もし自分が青年将校達と行動をしていたら……恐らくこの国の軍事組織は内部崩壊していたであろう。

「後、鉄砲玉は、俺が預かってるよ。アイツは、お前さんたちが扱うのには危ない人材だからな」

男はタバコをフィルターの近くまで吸うと、ゆっくり灰皿に立て、火を消した。

「万に一つの事かもしれないが……、お前さんの家族はボンなり、ハンブルグに行かせる準備はしておけ。

いくら優秀な飼い犬でも、所詮畜生(ちくしょう)だ。飼い主の手ぐらい咬む事は、良くある話だ。

餌付けする人間の方を好きになるなんて話も、良く聞く」

 

 餌付けする人間……、恐らくKGBか、GRUであろう。

彼等のスパイ工作網は、優秀。大戦前から秘密裏に米国内にスパイ網を構築。

原子爆弾のノウハウを我が物にした事実は、今でも語り草だ。

 

「なあ、俺の事は構わないが、隊内の小僧共がなあ……」

彼が言った小僧達とは、ベルンハルト達のグループ、『戦術機マフィア』の面々*5であった。

党内はおろか、軍内部にも彼等を目の敵にする人物は多い。

「今しがた、アベールにその事を話したんだが、奴は首を振らなかった。

見上げた忠誠心だが、(いささ)か脇が甘い。

そうでなくても、目立つ存在だから、俺自身も困っているのだよ。

まあ、目を付けている連中の事は、十分把握しているのだがな」

男は、彼にそう(うそぶ)く。

 

「話は変わるが、お前さん達が、西側部隊との通信連携の話を持ち込んだ件。

あれが、国防評議会*6で揉めた。

《おやじ》からダメ出しを喰らって、廃案になりかけたが、検討課題で残した。

俺が代行をやってるうちに通してやるよ」

 

 彼は、背広の胸ポケットから新しいタバコの包み紙を取り出す。

封を切ると、シュトラハヴィッツに差し出し、好きなだけ取らせた。

彼の手に包み紙を戻すと数本抜き出し、机の上に並べる。

新たに火を起こして、タバコを吸い始めた。

「いずれにせよ、東西ドイツの再統合は避けて通れぬ問題だ。米ソも、やがては折れる。

工業力に欠け、冶金技術(やきんぎじゅつ)もチェコやハンガリーよりはマシだが、自動車と小銃ぐらいしか作れぬ。

おまけにポーランドの連中も信用できん。そうすると同胞に頼るほかあるまい。

米国の圧力で、戦術機の工場を移転させたが、俺はあんな玩具(おもちゃ)を信用しては居ない。

どうせ、この戦争が終われば役立たずになるのが、目に見えている。

多少は安く、中近東やアフリカにでも売れるだろうが、其れとて米ソや販路を持つ英仏には負ける。

一層(いっそ)、ドイツ一国で作るの諦めて、欧州の航空機産業でも集めて作った方が楽かもしれん。

支那辺りでは、細々に分解し、研究しているそうだが、時間も金も掛かり過ぎる」

 

タバコを深く吸うと天を仰ぎ、紫煙を吐き出す。

「だから、俺は、お前らの計画に乗ることにした。これを足掛かりにして、西側との連携を進めたい。

《おやじ》も様々な方法で駄々を捏ねて、西側から金をせびった*7

門前の小僧ではないが、俺も備にその様を見て知っている。俺が立ち会ってやるから、上手くやって呉れ」

 

 少将は、腕を組みながら冷笑した。灰皿に載せられた吸いかけのタバコは(くすぶ)り、部屋中に煙が舞う

「随分勝手な話だな。今更認めるなんて自分勝手な話ではないか……」

右手でタバコを取り、咥えた。マッチを擦り、左手で覆う様にして火を点ける。

強く吹かした後、紫煙を吐く。

「議長の指示だ、協力も(やぶさ)かではない。

例の鉄砲玉の件だけ、どうにかして呉れるなら……、動く。ただ、今はこの混乱を収めるのが先だろう」

更に二口ほど吸うと、右手で揉消す。

「最も、俺たちの仕事ではないがな……。その辺は、あんた等に任せるよ」

 

 そういうと、少将は立ち上がる。

男も立ち上がり、返答した。

「ああ、任せてくれ」

 

 室外で待つベルンハルト達の前に、少将が出てきた。

ドアを開けると疲れ切った顔をしており、白い襟布がかすかに湿っていた。

顔の汗は拭きとった様子であったが、軍帽の下から見える幾らか灰色がかった髪には汗が(にじ)んでいる。

ハンニバル大尉が敬礼をすると、続けて他の将校も同様の姿勢を取った。

 

 少将は挙手の礼で返すと、ゆっくり歩きながら話し始めた。

「今夕、幕僚会議をしようと思っている。18時までに諸業務を終わらせた後、会議室に集合。

以上」

一同が返答する。

「同志将軍*8!了解しました」

 

 最後方を歩くベルンハルト中尉は、横目で周囲を見た。

少将は、黙って列の先頭を歩く。

 多少遅れて、副官が後からついて来る。列の真ん中にいるハンニバル大尉は、相変わらず正面を向いた侭、堂々と歩いている

あの(かまびす)しいヤウクが、しおらしい*9

 昨晩の事が(こた)えたのであろうか……

この様な場に来る機会が無いカッツェとヴィークマンは、物珍しさから忙しなく辺りを見ている。

士官学校時代から同じ釜の飯を食う仲間とは言え、ここまで差が開くとは思っても居なかった。

 まるで、この数か月間は夢の中にいる様な感じがする。

カッツェとヴィークマンは優秀なパイロットになり得たはずだ……。衛士としても申し分ない。

 

 やはり、支配階級(ノーメンクラツーラ)*10と関係したことが大きいのであろうか

愛すべき人の父が、 偶々特権階級であった事が人事や縁故に反映されるとは……

彼は将来の妻を思い、歩みを進めた。

 

 一団の将校が列を組んで歩いて来る。

長靴の歩く音が、宮殿内を響き、周囲から反響する。

 衛兵や案内係の人間も、然程いない。

やがて出口まで来ると、小銃を下げた衛兵が見える。少将が敬礼すると直立し、(ささ)(つつ)

銃を下げると、扉を開ける。

戸外にある2台の乗用車に分乗すると、昼下がりの宮殿を後にした。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、ドイツ首脳部はソ連への連絡を入れる。

議長辞任と内閣総辞職を伝えたが、ソ連政府の反応は冷淡で、むしろ彼等自身が驚いたほどであった。

其の事は彼等にある事を確信させた。

「ソ連は東欧情勢に構う余裕すらない」

 今の国力を半減させた状態では、東欧の社会主義圏の維持など重荷でしかない。

だが、首脳部とKGBの考えは違うようだ。

KGBは自らの障壁として東欧諸国を考えて居り、如何に活用するかを重視しているように見える……

 

 アスクマン少佐は、宮殿に呼び出された。

早朝の蕭然(しょうぜん)*11たる殿中を歩く。誠意を示すために、敢て拳銃を帯びずに来た。

ある部屋の前まで来ると、室外からノックをして入る。

 

 室内には平服の男達が数人座っていた。

見慣れぬ人物もいるが、今回の新閣僚達であろう……

「お呼びに預かり、参りました」

静かに敬礼すると、直立の姿勢を取る。

 

 書類挟みを持った男が、直立するアスクマン少佐に声を掛ける。

新任の国家評議会議長*12であった。

「一つ尋ねる。シュミットの事をどう思うかね……」

彼は不敵な笑みを浮かべる。

「それなりに優秀な上司だと、個人的には考えて居ります」

男達は頷く。

「まあ、良い。君には一つ頼み事がある。

例の個人票を3つほど複製して、各所に隠匿してほしい。まだ利用価値の十分にあるものだ。

若しもの時、外に持ち出されたりすれば……事は重大だ」

 

アスクマン少佐は、不敵の笑みを浮かべた侭、答える

「外と申されても、それは場所によります。国外であるか、国内か。

対応が全く違ってきます故……」

「まあマイクロフィルムか、磁気テープに複写して持ち運び出来る様にするのも方策かもしれぬな。

KGBの分だけでも先に、仕上げ給え」

 

 

「BND*13の動きはどうかね。

対外諜報の専門家の率直な意見を聞きたい」

彼は直立したまま、答える

「彼等は、この混乱に乗じて浸透工作を行っているの事実です。

ですが、それ以上にCIAやMI6*14等が、多額の秘密資金を国内に持ち込んだとの未確認情報が持ち上がっております。

想定される事態ですが、《パレオロゴス作戦》を通じて我が国に進駐する準備なども成されるかもしれません」

左端の男が、眼鏡を右手で上げる

「ほう、君の言い分だと西側の軍隊がハンガリーやチェコに進駐する可能性があると……」

「否定出来ません」

「その件は後日決めさせてもらう。所で、衛兵連隊強化の話ではあるが……却下とする。

あんな戦術機(ドンガラ)を増やした所で、意味があるとは思えん」

 

 アスクマン少佐は焦った。

彼は議長に抗議の声を上げる。

「何故ですか。これ以上亡命者を増やすおつもりですか」

書類挟みを持った男が薄ら笑いを浮かべる。

「違うな。戦力の分散を避けるためだよ。

二重の指揮系統は、前衛党には不要であろう……」

議長は、書類挟みを膝の上に立掛ける。

「無論、従来通りの党が決めて軍が動く、単線型の組織運営では問題が多いのも事実。

先ずは手始めとして政治将校の権限縮小を考えている」

 

 暫しの間、沈黙が訪れる。

周囲を確認した後、一人の男が口を開いた。

「国連のオルタネイティヴ3計画が中止になったのは知っておろう。

今回の作戦とやらは、其れの実証実験だった線は無いのかね」

彼は、その男の方を向いた。新任された外相だ。

外務省で、国連の折衝(せっしょう)に当たる部署にいた20年近く人物である

「いえ、私にはその様な推論(すいろん)は申せませんが……

唯、予定にはない、第43戦術機機甲師団が組織され、近々ホメリ*15に配備されると聞き及んでおります」

再び、書類挟みの男が彼に声を掛ける

「詰り、連中は我々を生贄(いけにえ)にして実験するつもりという事かね」

 

男は顎を右手に置いて考え込む。そして顔を上げる。

「そこで君に頼みたい。君は独立派の主要人物と看做されている。

危険を承知で、CIAの工作員と接触して欲しい」

彼は姿勢を崩して、前のめりになる

「お尋ねしますが、党の見解としてでしょうか。私も簡単に……その様な危険な橋は渡れませぬ故」

「今更党の見解などという必要もあるまい」

例の男は、彼に向かって言い放った。

「ぶちまけて言えば、この国を守る為の方便さ。

社会主義なぞ真面目に信じてる幹部がどれほど居るかね」

 

特権階級(ノーメンクラツーラ)にとって、保身を最重視する事を改めて認識させられた。

「どうにかして、この国と体制を軟着陸させたい。

米国は自由民主の国とは(うそぶ)くが、状況次第では独裁制も認める。

自国内の根深い民族問題すら解決出来ぬ国が、自由だの平等をいうのは可笑しくないかね」

 

 彼は、男の融通無碍(ゆうずうむげ)な態度に驚愕する。

「俺等は暫定政権にしか過ぎない。ある程度道筋を示したら、表舞台から去る。

だから道筋をつけるまでには利用出来る物は利用する。何でもすると言う事だよ」

 唖然とする彼を差し置いて、話を続けた。

「実はな、ハイヴの情報は、昨晩遅く持ち込まれたのだよ。

USTR*16の人間が、食料購入の件と一緒に開示したのさ」

右端の男が同意する。

「驚きましたな」

「俺もだよ。詰り、ミンスクハイヴに然程(さほど)入れ込む必要が無くなったと言う事さ。

だから君はKGBに気にしないで、遣りたいことをやって呉れれば良い」

 

眼前の男は(ほう)けた侭である。

幇間(ほうかん)*17の真似をする必要はないってことさ。

もっとも君の態度も、中々の男芸者(おとこげいしゃ)だがな」

 

 男達は、一斉に笑い出した。

笑い声に我に返ると、彼は自分の立場を改めて思った。

これは、ある種の自己批判の場ではなかろうか……

目の前の閣僚達は、要請を理由に嘲笑しているのではなかろうか。

 

 一頻り男達は笑った後、彼にこう告げた。

「この件と並行して、日本から持ち込まれた大型戦術機ゼオライマーのパイロットに接触してほしい。

彼をベルリンにまで誘い出せれば、上出来だ」

アスクマン少佐は思わず顔を(しか)める。

「何故その様な事を……」

「何、そいつを上手く使って、兵達に楽をさせたいのさ。

高々、総動員したところで40万しかいない兵だ。無駄死には避けたい……」

 

 例の男の右隣に座る人物が、彼の方を向く。

右手を頬に当て、ひじ掛けに寄り掛かりながら言う。

「支那での言動を見る限り、志操堅固(しそうけんご)な人物であることが類推できる」

例の男が言葉を繋ぐ。

「並の策、女や金で転ぶ様な人物ではないことは確かだ。

上手く扱えるのは君ほどの男でなくてはならん」

彼は姿勢を正す。

「詰り、人類の為や己が使命感に訴えかける様にして協力させろと……」

隣に座る男は、右手を顔から離す。右の食指で彼を指示した。

「その線で行き給え」

例の男は、上着の内ポケットから一枚の名刺を差し出す。

「これは、通商代表の担当者の電話番号だ。

ここに電話を入れれば向こうで都合して呉れるやもしれん」

 

 内務省の副大臣、次の大臣候補が言う。

「実は、ベルリン観光に、連中を招待しようという案が出ている。上手く先方と折衝し給え。

民警*18や、内務省には私から話を通す」

自らの上司となる男が、声を掛ける。

この男は国家保安省(シュタージ)第2局*19のトップを10年近く勤めていて、シュミットと犬猿の仲であった。

「なるべく手荒な真似は止めろ。上手く誘い込んで、その気にさせるのだ」

彼は、敬礼で応じた。

 

 

*1
ドイツの地方都市、西ドイツ暫定首都

*2
西ドイツ

*3
暗殺者

*4
円満に運ぶかと思われた事柄を権力者や上長の独断で御破算にする事

*5
ヨーク・ヤウク、オズヴァルト・カッフェ、ツァリーツェ・ヴィークマン

*6
東独の軍事方針を決める党傘下の会議

*7
1973年以降、ホーネッカーは西ドイツから秘密裡に援助金を受け取り、各分野に配分した。

*8
東ドイツの国家人民軍では少将と中将は、敬称で同志将軍と呼び掛けた

*9
控えめで従順である。

*10
Номенклатура, 原義は、ラテン語の nomenclatura(名簿)に由来し、党によって承認される任命職名簿を指した。 其処から共産圏の支配階級を暗喩する言葉になった

*11
もの寂しいさま

*12
東ドイツには大統領職はあったが1960年のヴィルヘルム・ピークの死去後、崩壊まで空席であった。事実上の国家元首。

*13
Bundesnachrichtendienst.連邦情報局。西ドイツの防諜機関

*14
Secret Intelligence Service (SIS), 正式名称:英国秘密情報部。MI6の名で知られる。

*15
白ロシアの都市

*16
Office of the United States Trade Representative. 米国通商代表部

*17
宴席で客の機嫌をとり、酒宴の興を助けるのを職業とする男。男芸者

*18
Volks Polizei. 人民警察。日本における一般警察の事

*19
防諜担当



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ベルリン 前編

 マサキ達は東独政権の招きでベルリンに入市することになった。
壁の中の囚われ人の暮らしから、彼は社会主義政権の先行きを想う。


 マサキは、他の日本人達と共に東ベルリンに入った

国境検問所、俗に言う、『チェックポイント・チャーリー』を抜けて、入市。

入市する際に、西ドイツの国境警備隊とちょっとしたいざこざが起きた。

自動小銃を担ぎ、弾納を帯びた状態で検問所を通り過ぎようとした際、止められる。

最終的に将校に限り、拳銃や軍刀は装飾品(アクセサリー)と言う事で許可が出た。

小銃と弾薬納一式は、名札を書いて検問所で預かる事になる。

 

 巌谷(いわたに)(たかむら)は、丈の長い斯衛軍(このえぐん)の将校服ではなく、帝国陸軍の勤務服を着用。

帽章以外は、同じように見えるが細部が違う*1そうだ。

自身も似た制服を着ているが、気にはしなかった。

美久も、彼等が用意した婦人兵用の制服を着ている。

ただ『風紀』*2に関わるとして、腰まで有る髪は、『シニヨン』*3という方法で結った。

 ネクタイの制服は、何時もの野戦服や詰襟より疲れる。

1961年10月の事件*4の影響で、国境を行き来する際は、軍人は制服着用厳守が課されている。

それ故に、軍に所属する彼等は軍服で移動させられたのだ。

 

 向こうの案内役という人物が付いた。

たどたどしい日本語が話せるのが数名居るくらいで、会話はほぼ英語で行った。

世話なので黙っていたが、何かと探りを入れる様子が分かる。

恐らく、悪名高い国家保安省(シュタージ)の工作員であろう。

 部隊を指揮する彩峰(あやみね)は、流石に在外公館勤務が長いだけあって流暢に英語を操る。

見た感じ、ドイツ語も出来るのであろうが、知らない振りをしている様だ。

敢て聞かなかった。

 

 彼は暫し想起する。

資本主義の諸問題を『解決』する名目で、ソ連共産党は政権簒奪を成した。

恐慌や生産過剰の問題を回避する為、独裁的な計画経済を実施する。

 しかし、実態はどうであったか……

元の世界でもそうだが、BETAに蹂躙されつつあるこの世界では凄惨さを極めた。

流通や分配の手段が不十分な為、深刻な飢饉と、死屍累々という結果。

 

 元の世界では、1972年に畜産用の穀物飼料不足を原因にソ連は米国から穀物輸入に頼った。

その結果は、世界的な穀物価格の高騰で、食糧危機を招いたのだ。

元の世界だと、地球上の穀物の2割強をソ連一か国で輸入していたのだから、この世界はどうであろうか。

 

 彼等が言う様に、対BETA戦による核飽和攻撃による放射能汚染と光線級を阻害する重金属雲による土壌及び水質汚染。

其ればかりではないであろう……

東ドイツの政権は盛んにBETAの害と核汚染を喧伝している様だが、違うように思う。

 未だ、後方には健在な米国、豪州、アフリカが控え、十分な穀物生産量がある。

フランスやイタリアなどの南欧、トルコも陥落すらしていない。

重金属の土壌・海洋汚染があるとはいえ、其れとてソ連近辺のみであろう。

そもそも高緯度で寒冷、降水量も少なく穀物収穫が不安定な不毛の地……。

 

 やはり、考えられるのは計画経済による物流遅滞や需要への不十分な対応。

現実の社会は、象牙の塔*5に住まう鴻儒(こうじゅ)*6衙門(がもん)*7の奥深くに居る官吏が思い描く物とは違い、無数の変化と不確実性が混在する。

 個別具体的な経験と知識が必要で、それを反映した政策決定。何よりも費用対効果が最重要課題である。

共産党の計画経済では、それを一切無視するという重大な欠陥。

それ故、恒常的な食料や日用品に代表される耐久消費財不足が起きる。

この悪循環を改善せぬ限り、彼の地に安寧は訪れぬであろう。

 

 二月下旬とはいえ、東ベルリンは寒い。

あの日本の様な高湿度で底から冷える物は違い、乾燥しきった何とも表現できぬ寒さ。

厚く重い膝丈の外套は、薄いキルティングのライナーが付いているが、其れとて不足する。

 通信販売で買った米国製の羽毛服(ダウンウェア)*8などを着ていたら、どれ程良かったであろう。

ヒマラヤ・カラコルム山脈登頂成功を謳い文句にして居り、大仰な頭巾が付いて嵩張るが、軽くて暖かった。

私服でなかったのが悔やまれる……

 

 観光案内とはいえ、退屈であった。

彼は、端の方に居て、終始受け身で押し黙って過ごすことに努めた。

 この訪問の真の目的は、ゼオライマーのパイロットの洗い出し、及び接触。

そう思い、極力関わってくる東ドイツ側の人員を避けた。

 細々な対応は、美久に任せた。彼女は、そつ無く(こな)せるであろう。

推論型AIによって、人間の表情や動向から適切な判断を下し、言語も内蔵する機能によって意思疎通に問題は無かろう。

勘の良い人間なら言葉に何処か違和感を感じるかもしれないが、外国人だという先入観で緩和される筈……

 

 退屈な観光の合間にカフェに寄った。

市街地は、ざっと見た所、終戦後の古い街並みと新築の共和国宮殿ばかりが目立つ異様な風景。

廃墟のようなレンガ造りの市街は薄暗く、人の気配も疎ら。

囁くような話声で、この国を支配する総監視体制の強固さを実感させる。

 給仕によって出された大ぶりなケーキは、生地もクリームも見るからに粗悪、言葉に出来ぬ様な不味さ。

コーヒーも、紅茶も、水で増した様な薄さであった。

思えば、途中で頬張った焼きソーセージも、西ドイツの西ベルリン市街で食した物より質が悪く、ゴムを噛む様な、表現出来ぬ不味さであった。

一生忘れ得ぬ味であろう事を、彼は思うた。

 

 この国にあって、高級幹部や党中央、司法、教育関係者であれば相応に良い暮らしは出来よう。

見た所、整備された高層住宅なども市街の一部には見える。

しかし、その他大勢を占める一般市民にとっては暗く厳しい環境。

 ソ連の衛星国として、自由な表現、際限なき個人所有、司法からの保護も怪しい。

この地獄の様な国に住まう軍人とはどの様に心構えを持つのであろうか……

 脇目で、見ると流暢な独語で、篁が向うのガイドと話をしている。

技師とは言え、矢張り貴族の出。独語等を出来る素振り等見せずに話す様を見て、感心した。

屈強な体付きで、剣術も其れなりに出来ると言うから、文武両道を兼ね備える様務めたのであろう。

話していても、身分を(かさ)に掛ける様な厭らしさもない。

人に好かれるというのも米留学の選考基準を満たしたのであろうと、彼は考えた。

 

 

 

 

 

 マサキ達のベルリン訪問より、時間は(さかのぼ)る。

場所は、ベルリン市内のリヒテンベルク区にある国家保安省本部。

その一室に関係者が集められた。

プロジェクターの前に立つ男は、灰色の勤務服に長靴。

髪の色は赤みを帯びた茶色で、それなりの美丈夫であった。

年の頃は40前後であろうか。

 

 ドアが開き、数名の男達が入ってくる。

年齢はバラバラで、階級は一番高位の物で大尉、下は曹長であった。

 

 男は改まった声で言う。

「諸君、今回の作戦は、謂わば要人護送と同じだ。

準備期間も短い中で、各人とも適切に対応してほしい」

 

 プロジェクターが回り、スクリーンに映像が映る。

少佐の階級章を付け、指示棒を手に、映像を説明している。

白色の大型ロボットの画像が表示された。

「先ず、諸君等も知っての通り、支那で日本軍が新型兵器のテストをしたのは記憶に新しい。

この大型戦術機のパイロットであるが、未だ詳細は不明な点も多い。

それ故に、今回の作戦を通じて、いかに正確で確実な情報を得るかが重要視される」

 

 映像が切り替わり、新しい画像が映し出される。

「判明しているのは、二点……。

先ず、新型戦術機は50mを優に超える点で、操縦席は複座であると類推されること。

そして、男女混成のペアである事だけだ」

 

 彼はスクリーンから、顔を士官達の方に向ける。

「また標的以外に、注意すべき点がある。

大使、駐在武官は考慮の他と考えてほしい。其方は外務省、人民軍に一任させる」

二人の画像が映り込む。

「この右の黄色い服を着た男が、篁祐唯。日本の貴族で王の血筋を引く人物。

相応の態度をもって、任務に当たらせよ。

左の黒服の男が、巖谷榮二。技師でもあるが、パイロットとしても優秀な人物。

両名とも、王の身辺を護衛する親衛隊の隊員である事を付け加えて置こう」

 

 プロジェクターが止まり、室内に明かりが点く。

男は指示棒を畳み、全員の顔を見回す。

「他に質問は、あるかね」

小柄で金髪の少尉が、勢いよく挙手する。

「KGBはどう動くでしょうか」

彼は、眉一つ動かさずいう。

「良い質問だ、同志ゾーネ少尉。KGBとモスクワ一派は、本件に対して策謀を図る事が予想される。

それを考え、交通警察に助力を仰ぎ、我が方の協力者で周囲を固める様、要請した」

交通警察とは内務省傘下の警察組織で、人民警察の一部門である。

この様な発言は、保安省の他省庁への浸食の一端を示す事例であった。

「了解しました」

彼は、頷く。

 

 顔を動かし、周囲を窺う。

「言い足りないことがあれば、申しても良いぞ」

壮年の曹長が挙手し、質問した。

「ベアトリクス・ブレーメの件ですが、如何致しましょうか」

男は、真剣な顔つきで彼に答えた

「同志曹長、その件であるが、目ぼしい女学生を潜入工作員として採用してある。

彼女と……、ベルンハルト嬢を穏当な手段で篭絡せしめれば、この件は最良であろうと考えられる。

極力我々は、関知しない」

「アスクマン少佐、彼女等の愛国心や民族愛に沿う様な自発的行動を待たれると言う事ですな」

指示棒で、手袋をした左手を叩く。

「そうだ。通産官僚と外務官僚の娘。

下手に粗暴な手段を使えば、党や他省庁からの信用失墜に繋がる。

それに、ベルンハルト嬢の背景は、すでに私の方では、把握済みだ」

曹長は、身を乗り出して尋ねた。

「如何様にして知り得たのですか」

 

彼は腕を組んで、背中を後ろに倒す。

「貴様等には特別に話してやろう。実はな……ベルンハルト嬢の生母・メルツィーデス女史。

彼女は既に、わが方の協力者として篭絡させている」

 

 一同に衝撃が走った。

アスクマン少佐は、不敵な笑みを浮かべながら続けた。

「10年ほど前、彼女(メルツィーデス)にダウム君という職員が不倫相手として接触し、情報を入手したのだ。

その際、外交官であった彼女の夫を、酒漬けにさせ、精神分裂病と言う事で収監させた。

彼女は体制批判をしたと言う事で通報してきたが、本心でダウム君に惚れ込んだと私は考えている。

それ故に、かの令嬢(アイリス)も、その兄君(ユルゲン)の空軍中尉も(つぶさ)に状況が分かっているのだよ」

 

 ゾーネ少尉が、問うた。

「詰り、遠くから丸裸の姿を覗き見ていると言う事ですか」

彼は冷笑を浮かべる。

「その通りだ。

そして、アーベル・ブレーメは我が方を利用しているつもりでいる愚か者故、自在に奴の動きが判る。

あの天香国色の御令嬢(ベアトリクス)も、裸体を曝け出して歩くが如く状態。

我等が手の上で弄ばれている状態である事を奴は知らなんだ。

我等は、その天女の舞を特等席で楽しみ、愛でているという状態なのだよ。諸君!」

 

 狭く静まり返った室内に男の嘲笑が響き渡る。その眼光は鋭く、まるで獲物を狩る獣の様であった。

 

*1
史実の帝国陸軍と近衛師団は帽章が違うだけで同じ勤務服を着用した

*2
婦人兵の髪型は長髪の場合、任務に支障を来たさない様に纏める必要がある。

*3
Chignon.束ねた髪をサイドや後頭部で纏めた女性のヘアスタイル

*4
1961年10月22日、米国公使夫妻の国境通過を発端とする騒擾事件により、両軍が数日間にわたり武装状態で対峙した。その際米兵が私服で威嚇した件があった為、軍人は私服での移動を禁止された

*5
世俗から離れ、精神的で難解な探求を行う場所の隠喩。ここでは大学や研究所を指す

*6
儒教の大学者。転じて学識の深い人

*7
役所。官府

*8
この時代は羽毛服は高級衣料品の代名詞。例示すればEddie Bauer等の北米アウトドアメーカーの製品が、庶民にとって高嶺の花であった



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ベルリン 中編

 若き外交官、珠瀬(たませ) 玄丞斎(げんじょうさい)
彼は帝国陸軍のベルリン出張を思いとどまるよう大使を説得する。
しかし、彼の想いとは別に国際的な謀略工作が動き出していた。


 西ドイツの暫定首都ボン。

其処に居を構える、在ドイツ連邦共和国日本国大使館。

その館内を走ってくる男が見える。

筋肉質で屈強な体付き、戦士を思わせる風格。蓄えた口髭と豊かな髪。

黒の様な深い濃紺で、細身のダブルブレストのスーツ。

六つボタンで、襟はピークドラペル。シャツは薄い水色で、ネクタイは濃紺。

靴は濃い茶色のプレーントゥの造りで、厚い革の靴底。

地味ではあるが生地や造りからして、身に着ける物が全てが上等なカスタムメイドと判る。

 

 勢いよく、大使室のドアが開けられる。

「閣下、今回の件で説明をお願い致します。小官は納得出来ません」

生憎、大使は、室内で電話中であった。黒い受話器を右手で持ち、右耳に当てている。

彼は、その官吏の事を左手で指示する。

外側に向い掌を二度降る。彼の意図を理解した官吏は部屋を出た。

 

 30分後、件の官吏は呼び出された。

部屋に入ると大きな事務机の上に有る黒電話と灰皿が目に入る。

室内には、金庫と両側にガラス戸で開閉する書棚。

書棚には、外交協会発行の直近20年ほどの「ソ連人物録」や「東ドイツ人物録」が並ぶ。

個人情報の取集が困難な共産圏においてはこの様な外交協会発行の個人目録の役目は大きい。

表の人事や機関誌に出てくる人間であっても、(よう)として足取りが掴めなくなる。

共産圏では、その様な事が儘有るのだ。

 

 大使は、来客用のソファーとテーブルを指で指し示す。

「まあ、座りなさい」

一礼をすると、官吏は座った。

その様子を見て、大使は引き出しよりパイプと葉タバコを出す。パイプは、ブライヤー製で一般的なビリヤード型。

タバコを押すようにして、パイプに詰めると、柄の長いマッチで炙る。

一旦炙った後、再び火を点け、軽く吹かす。ゆっくり噴き出すと、何とも言えぬラム酒の香りが漂う。

 

「この香りは『桃山』*1ですな」

専売公社が発売するタバコの銘柄を当てる。

彼は眉を動かす。

この男の見識の広さに、驚いた様子が傍から見て取れる。

「君は、パイプは()らんと聞いたが……」

「独特の香りです。一度嗅いだら忘れませんよ」

 

 彼は目の前の官吏に、顔を向ける。

「今回の東ドイツ非公式訪問の件は、省内でも喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が起きた。

私とて、本音を言えば反対だ。

何も、殿下からお預かりしている禁軍将兵を敵地に差し出す愚かな策には乗らん。

だが、これが同盟国からの要請であれば、話は違う」

 

官吏は、驚いた表情で彼を見る。

「先立つ、米国・東独間の貿易交渉の際、米側が食料購入を東独に求めた。

その折、東独側から、見返りとして西ドイツに展開している日本軍関係者のベルリン訪問を要請された。

米側は、飽く迄日本は主権を有する独立国であるので、自らに決定権は無いとしながら、日本側に連絡するとその場で応じた」

パイプから立ち上がる煙は薄く、吐き出す紫煙も少ない。

しかし、仄かに香る。

 

「米国からの連絡とは言え、曙計画や今後の新規戦術機開発にも影響する。

また、彼等がこの件に乗ったのは、最終的にはNATOの拡大を視野に入れてであろう。

彼等の本音としては、西ドイツでは満足せず、北はフィンランド、東はバルト三国、南はトルコという路線で行きたいのであろう」

若い官吏は両掌を組み、椅子に座りながら尋ねる

「ハバロフスク遷都の影響を考慮してですか」

 

 大使は、右手にパイプを持ちながら聞く。一口吸うと、彼の疑問に応じた。

「そうだ。

現在、ソ連はBETAに侵食された中央アジアを中心にして東西に分割されつつあるが、仮に今回の事が終わったとしても、復興には相応の時間が掛かる。

ポーランドや東ドイツに居る欧州派遣ソ連軍の維持も厳しいというのが、情報筋の見立てだ。

その様な事から導き出されるのは、白ロシア、ウクライナを対ソ緩衝地帯にするという試案だ」

 

 官吏は、大使の見解に絶句した。

彼は、その様な事実が、夢物語を語る様で不信感を強める。

「BETAの混乱に乗じ、東欧圏を非共産化させ、NATO諸国に組み込む。

この様な、恐るべき策謀の中に、我が国は利用されつつあると言う事だよ。

珠瀬(たませ)君、君の意見は正しい。だが、外交は正論ばかりでは通らない。

政治とは常に妥協の産物。

私とて、これ以上の日米関係の混乱は殿下に申し訳できぬのだよ……」

彼は、ゆっくりとパイプを吹かす

回転椅子の背もたれに寄り掛かり、机を支えにして背面の窓側に体を向ける

「閣下……」

 

 珠瀬*2は、窓の外を見る大使の背を見る。

彼から見て、小柄な男は、何時にも増して小さく感じた。

「私としては、殿下をお守りする為に、あの新型機のパイロットや新型機を米国の駒として差し出す。

その件は問題ないと、思っている。殿下あっての日本、殿下あっての武家。

大命を拝領しながら、日々どの様にして、その御心に沿えるか……」

彼は立ち上がると、深々と大使に礼をした。

「閣下には、貴重な御時間を割いて頂いて……。私は、これで失礼いたします」

後ろを向いた侭の大使に再度、ドアから礼をすると、静かに戸を閉め、その場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 再びマサキ達のベルリン訪問より時間は遡る。

昨日の夕刻の事をベルンハルト中尉は思い起こしていた。

あの「褐色の野獣」に初めて相対した時のことを……

 

 何時も通り、第一戦車軍団がある陸軍基地で勤務していた時、出入り口で騒動が起きた。

保安省の制服を着た係員が数名、自動車で乗り付ける。

其処に警備兵や部隊付きの下士官等が集まり、一寸した口論へ発展。

同行していた保安省少尉が拳銃を取り出すと蜂の巣を突いた様な騒ぎ。

その時に、最高階級であった彼が呼び出されたのだ。

 

 中隊を事実上仕切る最先任上級曹長に連れられ、彼は門へ急ぐ。

「保安省の馬鹿共が車で乗り付けております。どうか、追い返してやって下さい」

 

 着古しの空軍勤務服ではなく、真新しい陸軍の灰色折襟服を着て、官帽を被るベルンハルト中尉。

俗にM52と呼ばれる将校用勤務用制服で、第三帝国(ダス・ライヒ)時代の1936年に制定された、野戦用制服と近似した意匠。

違いは、帽章に円形章(コカルデ)が付かなく、右胸ポケットの真上に鷲の紋章が付いていない点。

上下とも、灰色のウールサージで出来ており、幾分化学繊維が混紡してある。

乗馬ズボンの替りに、ストレート型のズボンを履く。足元は営内と言う事で、黒色の短靴。

短靴の表面は、鏡の様に磨き上げられている。

両肩に付けられた肩章は、機甲科を示す桃色の台布……。

 その服装は、まるで空軍戦闘機部隊の再編に伴い陸軍へと一時的に預かりと為っている彼の立場を示している。

当人の心情は兎も角、傍から見てその様に受け取れる状態であった。

 

 彼は、脇を歩く曹長に問うた。

「軍団長はどうした」

彼に曹長は歩きながら返答する。

「同志少佐や幕僚と共に、国防省に出頭中です」

深緑の別襟が付いた灰色の折襟制服を身に着け、船形略帽を被り、第二ボタンを開けて手帳を挟む。

上着と同色のズボンに、膝下までの合成皮革の長靴を履き、ほぼ同じ速度で歩く。

彼等のような先任下士官は『槍』と称され、下士官・兵のまとめ役。

国防軍(ヴェアマハト)時代は、『中隊の母』等と呼ばれた。

 

彼の口から呪うような言葉が出る。

「今日は厄日だ。それで、拳銃で強盗遊び(ギャングごっこ)をやってる馬鹿が居ると聞いたが」

曹長は、彼の言葉に振り返る

「あの金髪の小僧です」

右の食指で、件の人物を指し示す。

「ピストルを出したので、見せしめに重機関銃を衛所から覗かせたら、ケースに仕舞いました」

彼は顔を顰める。

「俺も色々な悪戯は遣ったが、他職場に銃を持ち込んで見せびらかす様な真似はしたことはないぞ」

ユルゲンは、内心の不安を隠す為に敢て強がって見せた。

「あいつ等は段平(だんびら)を振り回す匪賊か」

曹長は、彼の言葉を肯定する。

「確かに法匪には違いありませんな」

 

法匪

曹長の言い放った一言が重くのしかかる。

保安省は、かの権勢を誇ったKGBやNKVD等のチェーカー機関*3と負けず劣らず、民衆を弄んだ。

法解釈を (ほしいまま)に、一字一句の条文通りに社会を統制。

僅か30年足らずで国民総監視体制を築き上げたのだ。

 

 彼等は、ゆっくりと、その場に近づく。

門の所には数名の保安省職員を取り囲むようにおよそ40名ほどの兵士達が立っており、口々に不満を述べている。

一番階級の高い少佐の階級章を付けた優男は、罵詈雑言を物ともせず、両腕を腰に当てて立っている。

背筋を伸ばし、周囲を窺っている。

 

「気色の悪い男」

彼の率直な感想であった。

その男が不意に彼の方を向くと、声を上げてきた。

「君かね。同志ベルンハルト中尉」

「何の用があってこの基地まで来たんだ。法執行なら、憲兵隊を呼べば十分だろう。

民間施設じゃないんだから、引き取ってくれ」

 

男は彼に向かって、敬礼をする。

「君も妹さんと同じで釣れないね、同志中尉。

改めまして、私は保安省第一総局のアスクマン少佐だ。今後ともお見知りおきを」

そして白い革手袋をした右手を伸ばし、握手を求めてきた。

 

 彼は困惑した。

あの母を堕落させ、父を狂わせた国家保安省。

目の前にその憎むべき存在が、居るのだ。あの禍々しい制服を着て、自らに握手を求めて来る。

彼は、拒絶という返答をもって男に示した。

「少佐《殿》が、なぜ、基地に来られたのか、理解に苦しむね」

右手で勢い良く指揮棒を振り、左の掌に当てる。

音を立てて、叩き付ける様は、男の不満を表していた。

「残念ながら、我が人民共和国には「領主」も居なくば、「奥方」も居らぬのだよ。

《同志》ベルンハルト中尉。

君の、この封建主義的な特権階級を黙認する発言は、無論《閻魔帳》に記させて頂くよ。

それが保安省職員たる、私の《任務》だからね」

アスクマン少佐は、声を立てて笑った

 

 不敵な笑みを見て、彼の心の中に憎悪が渦巻いた。

あの団欒を奪った憎むべき組織。今、恋人と妹を毒牙に掛けんとしている。

彼は、政治的に危ない橋を敢て渡る選択をした。

 もう引き返せないであろう……

軍の上司、同僚、部下、その家族……。妹や両親、育ての親。恋人、岳父と義母。

数少ない友人達の為にも、その様な道を選んだのだ。

「俺からも言わせて貰おう。あんたの、今の行為は越権行為だ。

それを認められているのは政治総本部から出向される政治将校だ。

文民警察官たる保安省職員にその責務は無い」

 

曹長が割り込んでくる。

「さあ、同志アスクマン少佐、お引き取り願いますかな。

此処には血気盛んな若人が多数いますので、不測の事態が起きれば、貴官の責任問題に発展するのではないでしょうか。

何なら、憲兵立会いの下で、お話は伺いますが……」

曹長が話している最中に、後ろから声が飛ぶ

「話が有るなら軍団長(おやじ)が居る時に来い。

そこに居る中介(ちゅうすけ)*4には、何も出来んぞ。

さあ、(けえ)った、 (けえ)った」

兵の一人が、少佐に言葉を投げかけたのだ。

脇に居る曹長は、目を白黒させている。

 

 遅れてきたヤウクは、不敵な笑みを浮かべている。

ヤウクの存在に気付いた彼は、訪ねる。

「お前さん、今頃来て何さ?何か仕出かしたのか」

笑う彼が、返す。

「あと少し待ってくれ」

不思議な事を言うヤウク少尉を無視して、再び少佐の方を向いた。

少佐達は、兵からの帰宅を促す言葉や罵声を浴びて、委縮しているようにも見える。

車に乗ろうにも、鍵は奪われ、車輪には三角形の車止めが前後から設置され動かせない状態。

基地の敷地外から遠巻きに見ている秘密情報員も、双眼鏡で覘くだけで動く気配が無い。

何処からかカメラを持ち込んだ兵士が、情報員の写真を撮り始めている。

 

 30分もしないうちに、軍用トラックが二台ほど乗り付け、最寄りの部隊から軍巡邏員*5が来た

ヘルメットに白線が引かれ、黄色い菱形文様の中にKD*6の文字が大書されている。

事情聴取と言う事で、敷地内の倉庫に彼らの身柄を運んだ。

 車を、手で押し掛けして敷地内の駐車場に移動させようとする。

青白い煙が上がり、2ストロークエンジンから騒音が響く。

ボンネットから、煙が立ち込め、油を焦がした様な臭いが広がる。エンジンを掛けようとして、壊れた様であった。

何者かが、角砂糖でも入れたのであろうか……。それとも粗悪な東ドイツ製であった為か。

やむなく彼等は、整備兵に車を預けることにした。

 

 事務所に入るなり、少佐は腰かけた。

尊大な態度で、彼等を見回す。

「私がここに来た理由が分かるかね、同志中尉」

彼は、椅子で足を組む男を見つめた。

「アイリスの事か。それならば話には乗らないぞ」

「待ちたまえ、私はまだ何も説明して居ないぞ……君は焦る癖がある。

人の話を聞き給え。君とヤウク少尉だが、一日ほど身柄を借りたいのだよ。

何、党の為に少しばかり働いてもらうだけだがね……」

 困惑する青年将校たちをしり目に、曹長が切り出した。

「困りますな。飽く迄人民軍は国家組織です。

現実はともかく、建前としては、労働者と農民、人民の為の軍隊です。

あなた方の部署へ私的に貸し出しをする等、行動規範に反する事です」

彼は、背凭れに寄り掛かる少佐を直視する。

腕を組み、歩幅を広げながら室内を歩く。

「同志少佐にはもう少し、軍について学ばれてから此処へいらっしゃる様にして下さい。

我々も今回のような訪問には非常に困惑して居りますゆえ……」

合成皮革の長靴が擦れる音がする。

 

少佐は身を起こして立ち上がった。

「まあ良い。明日の君達の態度、楽しみに待っているぞ」

その様に言い放つと、彼等は、基地を後にして行ったのだ。

 

 

「ユルゲン、起きろよ」

彼は、ヤウクの声で目を覚ました。

暫し考え込んでいる間に転寝をしてしまったようだ。

慌てて、第一ボタンを閉め、襟ホックを掛ける。

「まだ大丈夫だ」

左側の少将が答えた。

将官を前にして眠るとは……だいぶ疲れているのだろう。

 ふと周囲を見回す。

軍用車の後部座席に三人掛け。右の助手席にはハンニバル大尉。

運転席には新任の伍長。最近転属してきたというから、補充兵であろう。

先月までいたウクライナ戦線は去年の夏ごろと違ってBETAが少なかった。

やはりカシュガルハイヴを中共軍が焼いた御蔭であろうか……。

 

 彼は、脇に居る同輩に尋ねた。

「今からどこに向かうんだ」

同輩の黒い瞳が動き、緑の黒髪が逆立つ様が分かる。

「君は昨日、何を聞いていたんだい。また、妹さんの事でも考えていたんだろう。

今日は、今から日本軍の連中に会って、簡単な茶会をして、我々の宣伝をする。

そうやって司令官から訓示を受けたではないか。

人の気持ちも分からないから、僕が居なければ君は本当に駄目なんだね」

 

 隣にいる少将は失笑する。

前に居る大尉は顎髭に手を伸ばして正面を見ていた。

「同志中尉、あと15分ほどで着きますから、それまで頭をスッキリさせて下さいよ」

運転する伍長が声を掛けて来る。

 

 ポツダムの司令部からこんなに早く着くとは……

彼はそう思うと、車窓から外を眺めた。

*1
イギリスタイプの高級品として1934年に大蔵省専売局から発売された国産初のパイプたばこ。製品名は、たばこの日本伝来があった安土桃山時代に由来。包装の意匠は、日本のグラフィックデザイナーの草分けである杉浦非水

*2
珠瀬(たませ) 玄丞斎(げんじょうさい)。マブラヴの原作キャラクター

*3
秘密警察

*4
中隊長の事を指し示す軍隊言葉

*5
憲兵の事。以後混乱を避けるため憲兵で統一する。

*6
Kommandanten Dienst. 司令部勤務。東独では憲兵は固定勤務でなく部隊からの選抜で持ち回りだった。思想的な理由から国防軍時代の野戦憲兵を否定する為、この様な措置が取られた



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ベルリン 後編

 マサキは、東欧きっての精鋭部隊・東独軍第一戦車軍団の面々と顔合わせをする。
ベルンハルト中尉の思わぬ問いかけに困惑するのを余所に彼は一人考える。
赤色帝国・ソ連への憎悪を胸に抱きながら……


 マサキ達は、ベルリン市内の軍事施設に招かれた。

当初は、シュプレーヴァルトの森深くにあるグリューンハイデ基地に招かれる予定であった。

だが、様々な政治的横やりで変更になった。

その様に、大柄な陸軍中尉が語ったのだ。

 

 一同の眼前に立つ中尉は、180センチを超える体躯を持つ美丈夫。

金髪碧眼の容姿から、さも神話に出て来るであろう精霊や神々を思わせる様な面。

年端の行かぬ頃であれば、妖精や天使を思わせる姿であったであろう……

若干訛りはあるが、聞き取りやすい英語を話す。

 

 脇に立つ黒髪の少尉も、其れなりの目鼻立ちで背も低くはない。

吊るしであろう制服が体に合っており、胸板も見た所、厚い。ただ若干落ち着きが無い。

 奥で、大使や駐在武官と話す灰色の髪の大柄な男。

記憶が確かならば、東独人物名簿*1にあったアルフレート・シュトラハヴィッツ少将。

チェコスロバキアの「プラハの春」*2の弾圧に参加した人物だと事前に教えられていた。

受け答えや態度を見る限り、共産主義を金科玉条(きんかぎょくじょう)にする人物ではなさそうだ……

 

 しかし、ドイツ語を知らぬ振りをして聞いて居れば、目の前の男達は随分と物騒な話をしているのが分かる。

何やら帝国の制度について質問したくて仕方が無いのが、あの若い少尉達の様だ。

彼は、ここで一つその騒ぎに乗ってやる事にした。

 

 

(たかむら)巖谷(いわたに)の刀を使った演武(えんぶ)や長剣装備の戦術機の運用方法等を一通り説明した後、東側の訓練方法や実戦経験について1時間ほど討議が持たれた

自在に英語を話せたのは、あの中尉だけで、後は通訳を介して会話となった。

ロシア語教育の方が、この国では外語教育の比重を占め、エリートコースにロシア語は必須だ。

仮に西側に移った際、ロシア語教師は失職するであろう事が予想される。

その失業対策まで考えているのだろうか……

 

 討議は終わると、簡単な茶会が用意された。

見た事のない焼き菓子やデザートが振舞われる。

味は、お世辞にも旨いとは言えないが、市中で買い求めた物よりは数段上。

紅茶は、グルジア産の茶葉で、コーヒーは共産圏寄りのインドネシア製であった。

見せ掛けだけの為に、物資不足の中で、これほどの物を用意するとは……。

 ポチョムキン村*3を作って招いたソ連の(ひそみ)(なら)*4

その様を見て、彼は苦笑した。

幾ら政変で議長が変わろうとは言え、上辺だけを飾る共産主義の隠蔽の構造。

これが根本的に変わらぬ限り、この国には未来は無い……

 

『彼等の目前で、共和国宮殿を焼いてみたら、さぞ面白かろう』

どす黒い欲望が彼の中で渦巻く……

 

 篁や巖谷と話しているとき、例の美丈夫が声を掛けてきた。

詰まらぬ話だと思って、聞き流していたら、驚くようなことを言い放った。

「あなた方の国の指導者が、誰か分かりません。

行政府の長である首相*5か、将又(はたまた) 傲慢な王*6か、或いは精神的な皇帝*7なのか……」

 

 彼は慌てて其方に顔を向けた。

脇には、 彩峰(あやみね)が真剣な顔をして立つ。先程迄の薄ら笑いは消えて、目が据っている。

彼は、得意の英語で解りやすく答えた。

「我が国の大政を、聖上より一任されているのは殿下で御座います。

実務は宰相ですが、これは先の大戦や政治事情で変わらざるを得なかったのです」

奥で焼き菓子を頬張っていた黒髪の少尉が、皿を放って此方に走ってくる。

 

『面白くなってきた』

『ここ等辺で、爆弾を落としてやろう』

その様に考え、マサキのは早速行動に移すことにした。

 

 

白皙(はくせき)の美男子が続けて聞いて来る。

「ではあなた方の国は二重の権威構造なのですか。王と皇帝の……。

しかも王は世襲*8ではないと、聞き及んでいます。さっぱり理解出来ません」

 

 マサキは敢て発言した。何も考えずにドイツ語で応ずる。

「権威は金甌無欠(きんおうむけつ)の帝室だ。将軍は、()く迄神輿飾りでしかない。

国策に疵瑕(しか)が生じた際、その責を負って貰う存在だ。

宸儀(しんぎ)は国家その物であるが故に、責任には問えん。

その為の人身御供(ひとみごくう) の制度と言えば、理解出来るか。

俺はそう理解してる、とだけ伝えて置く」

 

 其の青年は納得した様子であったが、周囲の者たちの様子がおかしい。

篁は唖然としており、巖谷は薄ら笑いを浮かべている。

彩峰は、能面の様な表情ではあったが目だけ動かしてきた。傍から見てハッキリ怒りの態度が分かる。

その場にいる帝国軍人達は、ほぼ同じ気持ちであったのを、彼は察した。

しかし、眼前の東ドイツ軍人は笑みを浮かべている。

恐らく、東洋人と違って、目から表情を読むと言う事が出来ぬのであろう。

斜め後ろの美久を見ると、心配そうな顔で、胸に手を当てている。

「事実を言ったまでであろう!」

彼は、彼女に笑い返してやった。

 

 彩峰は、懐よりタバコを出す。

一本摘まんで、使い捨てライターで火を点けると、遠慮せず吸い始めた。

テーブルにあった使っていない灰皿を引き寄せ、椅子に腰かける。

そして、静かに言った。

「篁君、その青年にドイツ語で話してやれ。誰が国家元首かを……」

血の気が引いていた篁の顔に色が戻る。

 

マサキは、短い返事を彩峰に向かってする

「なあ、篁、俺が間違っているのか。俺は歴史的事実を言ったまでだぞ」

彼は冷笑しながら篁への返答する。

 

 マサキは誤ってしまった。

此処が彼のいた現代日本であれば、それは事実である。

しかし、此処は異星種起源の怪物に蹂躙されつつある異界。

歴史も化学も文明も同床異夢の世界で、彼の言葉は危うかった。

共産圏の東ドイツであろうか無かろうが、失敗だった。

 仮にアメリカでも同じ結末を迎えたであろう。

政威大将軍(せいいたいしょうぐん)を神聖視する軍人の前で、神輿飾りとまで評した。

まだ「神輿に担ぐ」とでも済ませば違ったであろう。神輿ですらなく、それを構成する飾り。

しかも、『人身御供』と結論付けたのが不興を買う一因になった。

彼の言動は、その様な意味で非常に拙かったのだ……

 

 遠くに居た大使と駐在武官が、此方の方を見ている。

脇に立つ東独陸軍少将と通訳も気が付いたようだ。

 

 

 件の青年が締めくくるように言った。

「不合理な二重権威など止めて、その十善(じゅうぜん)の君、御一人にすべきではないでしょうか。

政治の実態は首相が回しているのですから、英国の様に立憲君主制でも良いのでは……」

遠くで見つめる東独軍少将と通訳の顔色が一瞬変わった。

彼の君主制を肯定する発言が、不味かったようだ。

敢て気にはしなかった。彼は冷笑する。

 

 篁が言葉を選びながら話し始めた。

「その……、主上(おかみ)より、武家に大政を委任されて800有余年。

三度(みたび)政権は変わりましたが、今の元枢府(げんすいふ)に委任状を出されて、既に100余年になります。

その……、歴史的重みは、簡単には捨てられませぬ故……。

貴方がたの様に、合従連衡(がっしょうれんこう)して出来たドイツ国家とは違います故、簡単な回答は差し控えたいと存じまする」

些か古風な言い回しで、青年に返答した。

彼の言葉に、青年二人は酷く納得した様子であった。

 

 

 マサキはその様を見て、北叟(ほくそ)()む。

これは、上手くいけばこの白面(はくめん)の中尉を利用できるのではないか……

次元連結システムを応用した仕掛け道具でも渡せば、混乱させることも出来るかもしれない。

奴等の内訌を利用して、ソ連を破壊させる。

恐らく、米国は東欧の軍事力を温存せしめ、BETA戦争の次なる米ソ冷戦再開に備えている。

彼等も其れを分かって接触してきたのだ。

 この若者たちを、戦場で『保護』してやって恩を売って、内訌の足掛かりにする。悪くはない。 

心の奥底にある黒い野望を胸に秘め、彼は椅子に腰かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 同日、夕刻迫る議長公邸の一室に男が二人居た。

椅子に反り返る男は、目の前の初老の男に尋ねる。

「貴様に、通産官僚としての率直な意見を聞きたい」

 

 新しく議長に就いた男の問いに、アーベル・ブレーメは応じた。

「先ず、海軍の戦艦整備計画は頂けん。

今更BETA対策とは言え、塩漬けにしていた戦艦を再設計して建造するなぞ、国費の無駄だ。

費用対効果を考えれば、ケーニヒスベルクのバルチック艦隊*9でも借りた方が安い」

 

 彼は敢て、カリーニングラードではなく、旧名のケーニヒスベルクの名称を使う。

敗戦の結果、奪取されたあの東プロイセンの地に居座るソ連艦隊。

役に立たない無用の長物という内心からの不満を込めて、そう言い放った。

「俺も其れが出来たなら、お前を呼ばんよ」

 

 男は彼の方を一瞥する。

彼の瞳は眼鏡越しではあるが血走っており、憤懣(ふんまん)遣る方無い様が見て取れた。

「……であろうな。誰が……、こんな馬鹿げた青写真を描いたか……」

 ソ連の弱体化を受けて、人民海軍は嘗て国防軍時代に計画されていたフリードヒ・デア・グロッセ級の建造を実施しようとしていた。

地域海軍というより、沿岸海軍に近い人民海軍にとって、戦艦は扱いに困る存在。

経済規模や人口比から考えて、軽武装の哨戒艇や警備艦(フリゲート)の運用ですら、相応の負担を強いた。

 

 アーベルは、この無計画な軍拡を危惧した。

幾ら、米国の援助が見込める可能性が出てきたとはいえ、捕らぬ狸の皮算用にしか過ぎない。

あの1970年代初頭までのソ連からの潤沢な支援を受けて居た時であっても、軽武装の海軍の維持は困難を極めた。

戦艦運用のノウハウや人員、今から新艦建造などをすれば、国内経済にどの様な影響が出るか。

ただでさえ、国有企業のトラバントは何年も納期を待たせている状態。

10万の国家保安省職員が1600万の住民の不満を抑え込んではいるが、何時どの様に爆発するか、解らない……

 

 保安省、前衛党、其の物の力の裏付けは、駐留ソ連軍有っての物だ。

それが完全撤退した際、この国の国民が食料品や日用品などの耐久消費財不足に何時まで我慢できるであろうか……

 ソ連国内の物不足は著しく、ソ連の大都市では無計画のデモや暴動が多発していると聞く。

我が国の場合は、人口も少なく、国土も手狭だ……

 

 何より同じベルリンの中に、離島の如く西側社会の西ベルリンがあるのだ。

壁を挟んだとはいえ、住民はその生活実態をよく知っている。

幾ら、統計や数字を操作しても、その事実は変えられない。

現に、ドイツマルク*10一つをとっても東西で交換レートが5倍の差が開いている。

高々、市民が日常生活や食事の際に25マルク使うだけでも苦労するような経済規模でしかないのだ……

 

 アーベルの口から嘆息(たんそく)が漏れる。

「私も、君が言う様に国家保安省の連隊強化と謂う形で第四軍*11を手に入れても、ドイツ経済にとっては何の利益も無い。

それをこの様な形で実感するとは、情けない事になった物だ」

 議長は、その言葉を肯定する。

タバコに火を点けながら、呟いた。

「な、解っただろう。俺も、あの馬鹿共には手を焼いてたんだ。

連中に近いお前さんが諦めてくれれば、大勢は動く」

 

 ガラス製の灰皿を、彼の前に差し出す。

懐より赤白の特徴的なパッケージのタバコを取る。

黒文字でマールボロ*12の文字が見える。資本主義の代名詞の様な商品……。

コカ・コーラやマクドナルド等と同様に商業広告で世界中に販路を広げた。

『カウ・ボーイのタバコ』などと喧伝して西側では売られていたのを彼は思い起こす。

 

「君は、是を何処で……」

男は、悪戯っぽく笑う。

「何、食料購入の際、米国の連中が茶菓子と共に俺に置いてたのさ。

段ボール10箱程在るから、その辺にばら撒けってことだろう」

 

 段ボール10箱……。それを聞いて唖然とした。

一箱1万本だと計算すれば、標準的な20本入りで50カートン。

マールボロは、ソ連国内では通貨代わりに闇で流通している人気商品。

モスクワ辺りで交通警官に捕まった際は、このタバコ一箱で軽い訓告やお目こぼしで済む『商材』。

それを挨拶代わりに持ち込む、米国の厭らしさと物流の凄さ……

彼は改めて、その国力差に打ちのめされるのであった。

 

「お前さんは、保安省の馬鹿共が経済界を牛耳ってこの国を回そうなんて絵空事を倅*13に話したそうじゃないか。

だいぶ感化されていて、真剣になって俺に聞いてきたんだ。

この間、来た時、シュトラハヴィッツの小僧*14と一緒に言ってやったんだよ。手前等の父親を蔑ろにするなとな」

 

 アーベルは、右手を頬に当てる。

「シュトラハヴィッツに妙齢の息子がいるとは初耳だ。奴には10歳にならない娘だけだと思ったが……」

男は破顔し、部屋中に笑い声が反響する。

「お前さんと同じだよ。奴も『青田買い*15』して、先々に備えてるんだ」

彼も追従した。

「あの男がそんな事を……。随分と速い婿探しなどをして……」

男は、彼の姿を見てさらに笑った

「なあ、可笑しかろう。

若い娘を持つ父兄の所に出向いては、娘の顔写真を見せるあの親莫迦が……

傑作だよ」

 

 一頻り笑った後、男は語りだした。

「このBETA戦争は、体制強化や統制で乗り切れるものではない。

如何に西側から金を無心するか、どうかだ。ソ連の連中はそういう意味で手際が良い。

もうアラスカくんだりに遷都する心算で居る」

箱より、茶色いフィルターのタバコを取り出す。

慣れた手つきで、オイルライターの蓋を親指で開け、着火。

縦型の細いライターをゆっくりとタバコに近づけ、火を点ける。

静かに吸い込むと、目を瞑り紫煙を、吐き出す。

 

「奴等がどんな手を使ったが知らないが……。

(ケツ)を捲って*16、俺達にご高説を垂れる様な事を始めた。

手前の国一つ満足に管理出来ねえ癖して、あれやこれや指図する様には俺も腹が立った。

だから、お前さんも引き込んで、《おやじ*17》を追い出した。その茶坊主*18も俺は近々手入れする積りだよ」

 

 彼は、目の前の男に恐る恐る尋ねた。

「私に、その様な事を話して大丈夫なのかね」

男は、左手の食指と中指にタバコを挟み、彼の方を暫し見る。

不敵な笑みを浮かべる。

「お前さんは、娘と息子という人質が居るから、自分の手駒だと連中は考えている。

御目出度い連中だよ」

深々とタバコを吸いこむと、灰皿に立てて消した。

「党の代紋*19背負っている以上、手前の子飼いの部下すら守れねえ様じゃ情けねえ。

巫山戯(ふざけ)た真似をするようなら連中には消えて貰うまでよ……」

 

 新しいタバコに火を点けながら、男は彼に向かって言った

「話は変わるけどよ。お前の娘御(ベアトリクス)、今度の11月23日で19になるだろ」

 

 彼は、組んでいた両手を解く。

眼前の男は、娘の誕生日を正確に答えたのだ……

詰り、全て内情を知っていると暗に彼に答えている。これは遠回しな脅しとも取れた。

 

「どうだ、この際、あの小僧に本当の家族になって貰うのはどうだ。

牧師*20でも呼んで、盛大な祝言でも挙げさせるか。

作戦がどうなるか解らねえが……。何時までも責任を取らねえのは、なあ」

彼は、再び右手を頬に当て、考え込む

「その、ミンスクを落とせば一段落着くと……」

男は左手に持った煙草を下に向け、灰皿の上に置く。

再び手で摘まみ、口元に近づけると、二口程吸う。

そして、天を仰ぎながら、呟いた

「甘い見立てかもしれねえが、化け物退治は、一段落は付く。

結末がどうであれ、どっちにしろ米ソの陣取合戦が再開するのは目に見えてる。

後片付けの方が恐ろしい。

今は形振り構わず金をばら撒いているが、それが終わった時、現状のままだったら何が残る。

不味い飯を喰って、襤褸車(トラバント)を乗り回し、素っ気もねえ売り子が居る商店(スーパー)に行って、小汚(こぎた)ねえ住宅に押し込まれて暮らす。

ボンの連中が流すTV映像*21を見てる市民が納得するか。満足出来ねえのは小僧(がき)でも解る」

男は灰皿にタバコを押し付ける。

「東西の協力というお題目を形ばかりの物ではなく実現させて見せる。

仮に党が吹っ飛んでも、その実績があれば、俺やお前さんの事を、ボンの連中は軽視出来ねえだろう」

 

 男は、立ち上がるとアベールに首を垂れた。

「お前さんが引退するのは、暫く先に為りそうだ。少しばかり老骨に鞭を打って走ってほしい」

彼は、立ち上がって言った。

「仮にも議長の任に有る者が、簡単に頭を下げるではない。

私もそうもされては、断るものも断れないではないか……」

 

 男は居直ると、彼に向かって言った。

「そう言う訳だから、お前さんは今まで通り頼む。

俺が言ったことを上手く利用して、連中を誤魔化せ」

彼は、深く頷く。

「邪魔したな」

そういうと、ドアを開け、部屋から去っていった。

*1
外務省の外郭団体である外交協会では国ごとに人物録と言う名簿を発刊して販売している

*2
1968年4月に始まったドプチェク政権下で展開されたチェコ・スロヴァキアの民主化運動。8月20日ワルシャワ条約機構軍(主力はソ連と東独軍)がプラハに侵攻して武力弾圧を行った

*3
18世紀のロシアで、女帝エカチェリーナが地方巡察に出る際、臣下にあったグレゴリー・ポチョムキンが新築の住宅に見せかける張りぼてや事前に太った人間だけを選別し、僥倖先に準備した故事。一般的に貧しい村落の実態や地方の窮乏を隠すために見せ掛けだけの施設や人員を配置することを指し示す。ロシア人の十八番(おはこ)

*4
古代支那、越の美女・西施(せいし)が、病気で顔を(しか)めた所、醜女(しこめ)が何の考えも無しに真似をした故事から。善し悪しも考えずに、人の真似をして物笑いになる事を言う

*5
内閣総理大臣

*6
政威大将軍(せいいたいしょうぐん)

*7
マブラヴ世界では天皇は天皇号を用いず、皇帝と称している。

*8
将軍は、五摂家と言う特定の貴族の持ち回りでその立場についている。現実の制度にある選挙君主制に近いシステムである

*9
ソビエト連邦のバルト海に展開する艦隊

*10
1978年当時、1西ドイツ・マルク=115円

*11
東独軍の編成上、戦時において人民警察は軍事組織に編入される制度になっていた

*12
Marlboro. 1924年発売の米国企業フィリップモリス社の主力製品。当初は女性向けタバコとして発売された

*13
ベアトリクスと結婚すれば、義子になるユルゲンの事

*14
シュトラハヴィッツの娘と婚約した、ヨーク・ヤウクの事

*15
その年の稲の収穫前に収穫量を見越した上で先買いする事。転じて優秀な人材を早いうちから手元に置く事

*16
着物の裾を捲って尻を出す。走り出す時の様を言う。転じて本性を現わして喧嘩腰になる事を指し示す言葉

*17
東ドイツの前国家評議会議長の事

*18
エーリッヒ・シュミットの事

*19
組織を象徴する紋章の事。東ドイツの国章は麦の穂と槌とコンパスの組み合わせであった

*20
東ドイツ政権は、国内の教会勢力の事は無視出来ず、限定的ながらその活動を許した

*21
東ドイツ国内のほぼ全ての地域で西ドイツのテレビ放送が受信できた。またTV受信機の方も簡単な工作で受信が可能になった



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原拠 前編

 憂国の青年将校、ユルゲン・ベルンハルト中尉。
日本軍将校団との会話が問題視され、政治将校の詰問を受ける。
純真な男に忍び寄るシュタージの黒い影……。


 

 日本軍将校団との会見の翌日。 

軍団長に呼び出されたベルンハルト中尉は、急いぐ。

ミューレ社*1製の腕時計を覘くと、時間は7時55分になる所であった。

 

 部屋に着くと、陸軍勤務服を着た大尉が椅子に腰かけている。

初めて見る顔で、恐らく政治将校*2であろう事が察せられる。

シュトラハヴィッツ少将は、勤務服姿で椅子に座り、此方を注視している。

其の横には冬季野戦服姿のハンニバル大尉が書類挟みを右脇に抱え、立っている。

 

一同に敬礼をした後、白髪の大尉が、少将に声を掛ける。

「同志将軍、同志ベルンハルト中尉への会話の許可を願います」

彼も同様に少将に、許可を取る。

「同志将軍、同志大尉への質問に応じても宜しいのでしょうか」

形式ばった手法で、尋ねる彼に、少将も同様の返答を行う。

「同志大尉、同志ベルンハルト中尉への質問を許可する。

並びに、同志中尉の応対も同様の措置とする」

 

彼は、やや緊張しながら応ずる。

「同志大尉、何でありましょうか」

勤務服姿の大尉は、胸元より合成樹脂製の眼鏡ケースを出し、老眼鏡をかける。

足元から封筒を持ち上げ、中の書類を取り出し、読み始めた

「君が昨日、日本軍との会談の際に、ブルジョア社会の封建制度を肯定する発言をしたと保安省から我が隊へ告発があった。

事実であるか、否か。答えてほしい」

 

 彼は内心焦った。

あの場には、保安省の制服を着た職員は居ず、軍人のみだった。

通訳も軍で手配した人間。精々考えられるのは敷地外に居た交通警官ぐらいだ……

 

彼は、嘗てのソ連留学を思い起こした

ソ連軍の内部には、党中央委員会の意向に沿う政治部将校の他に、KGBの秘密工作員がおり、ОО(オー・オー)*3と呼ばれ、蛇蝎の如く嫌われていた。

ヤウクにも、散々留学中にそのことを指摘された覚えがある。

あの独ソ戦の際も、少しでも疑惑の目で見られれば、最前線から収容所に送り込む等、(ほしいまま)にした。

 彼の国を真似た、祖国ドイツの監視体制を失念していたのだ。

何と脇の甘い対応をしてしまったのだろうか……

 

 件の政治将校が、動く。

長靴の音を立て、室内を歩き回る。

脱いだ帽子を左脇に挟み、彼の周囲に近づく。

「私としては、君の様な将来有望な幕僚が帝国主義の煽動(せんどう)に乗せられ、誤った言動が行われたという話を聞いて、俄かに信じられない。

勤務内外を問わず、革命的警戒心を維持すべきではないのか……。同志ベルンハルト中尉」

 

「では報告という形ですれば宜しいのでしょうか」

 

「軍人に求められることは、軍事上正確で適切な答えのみ。つまり是か非か」

半ば呆れるような形で、彼は質問を返した。

叱責(しっせき)のご報告ですか……」

鋭い目付きと厳しい表情で、彼を睨み返す。

「貴官は、小官を侮辱するのかね。

同志ベルンハルト中尉、君の対応如何によっては、諭旨(ゆし)*4以上の対応を検討せねばならぬ様だな」

 

 彼は覚悟を決める。

「同志将軍。昨日の会談の際、小官の不確実な言葉遣いで、民主共和国及び国家人民軍の威信を著しく傷つける様な行動を起こしてしまいました。

ベルンハルト中尉は、以上の様に命令通り発言致します」

 

 ハンニバル大尉が尋ねた

「同志将軍。宜しいでしょうか」

少将は、机の上で手を組んでこちらを見る。

「申せ」

ハンニバル大尉は、彼の方を向いて答えた。

「同志ベルンハルト中尉への処分は如何様に為さるのでしょうか」

暫し悩んだ後、答える。

「本来ならば懲戒処分や職責の剝奪にまで及ぶような案件ではあるが、国家人民軍記念日*5も間近である。

軍事パレード*6に、戦術機部隊の幕僚が営倉入りして参加出来ないとなれば、我が隊の恥。

職務怠慢(しょくむたいまん)とまでは看做さないが、思想的再教育*7妥当(だとう)と考えている。

同志大尉、君の意見はどうだね」

少将は、政治将校の大尉に問うた。

 

「エンゲルス全集から、『空想から科学への社会主義の発展』を読み、その感想文を一週間以内に提出する事と致す。

同志将軍、私の考えとしてはそれ位して当然だと思っています」

政治将校の判断に頷く。

「同志ベルンハルト中尉へ、命ずる。

同志ヤウク少尉以下、幕僚3名と共に、エンゲルスの『空想から科学へ』の感想文を提出する事。

タイプ打ち、手書きは問わないが、凡そ3,000字以上、2万字以内の文書へ纏める事。

以上」

 

 退室を赦されたベルンハルト中尉は、遅れた朝食を取りに食堂に向かう。

その最中、再び《野獣》に遭遇した。

青白く気色悪い顔で、此方を(うかが)う。

「同志ベルンハルト中尉、君はまたとんでもない行動を起こしてしまった様だね」

男は薄気味悪い笑みを浮かべる。

 

「同志少佐、あなた方には関係のない話です。お引き取り下さい」

そう言って、彼の脇を通り過ぎようとする。

(さげす)むような表情で此方を見ながら、答える。

「同志中尉、君の言動は逐一『閻魔帳』*8に記させて貰う。

今から国防大臣と議長に『陳情』させて頂く積りだよ」

乾いた笑いが響く。

 

 

『陳情』

社会主義圏である東ドイツにおいて民衆の声を直接上層部に届けられる唯一の手段である。

間接民主制や直接民主制の選挙制度を持たぬ彼の国に有って、口頭或いは文書での陳情は、非常に重要な意思表明の手段であった。

通常であれば、職場や自治体を通じて、国に提出され、苦情係で処理。

遅くとも3週間前後で中間報告が返答されるシステム。

 彼は、通常の手段ではないことを表明したのだ。

直接国防評議会に顔が利くと、暗にベルンハルト中尉に示す。

 

 しかし、このアスクマン少佐の行動は、ソ連一辺倒であるシュミットを代表とするモスクワ一派には、現政権への阿諛追従(あゆついしょう)へと映った。

彼は未だ知る由もないが、この行動は保安省内部に修復しがたい亀裂を生じさせる結果になってしまった。

 

 この一介の法匪が取った自己利益の追求。

それによって保安省内の内訌という地獄の門が開いてしまったのだ。

 

 後ろでは、アスクマン少佐の冷笑は続く。

その声を無視しながら、ベルンハルト中尉は食堂に急いだ。

*1
1869年に設立された時計会社。東独建国当初は半官半民の企業で再出発するも、1972年に国営企業『グラスヒュッテ時計産業公社』へ吸収される。外貨獲得のため輸出されたが、東独製を隠して販売された

*2
共産国家において、独裁党が軍隊を統制する為に各部隊に派遣した将校のこと。普段より部隊生活を共にし、生活指導や相談を行った

*3
особая отделени.(osobaya otdeleniye.アソバーヤ・アッジェレニエ)。通称:特別部。軍や警察などの実力組織の内部にあるKGB本部直属の監視ネットワークで、KGBが秘密裏に監視するために送り込んでいた

*4
趣旨や理由を諭し告げる事。懲戒より温情のある措置。

*5
東独の祝日。1956年3月1日、準軍事組織の兵営人民警察を改組し、国家人民軍の建軍が完了。翌年以降、国家人民軍記念日と制定。

*6
毎年3月1日に、国家人民軍の閲兵式を実施。その他の企業や学校でも記念式典が挙行された

*7
社会主義国である東ドイツでは、思想教育が幹部のみならず一般兵にまで重要視された。

*8
閻魔王が、死者の生前に行った善悪を書き記しておく帳面。転じて教師や警官が持つ手帳の事




 元は、読者様意見を反映して書いたお話になります。

暁、ハーメルン、18禁版でも構いません。
気になる点がございましたら、ご意見いただければ幸いです。


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原拠 後編

 謎の男・木原マサキ。
彩峰(あやみね)達は彼の意図を探るべく、執務室に呼び出した。
彼の口から語られる驚愕の事実とは……


 翌日、西ドイツ、ニーダーザクセン州オスターホルツ郡、オスターホルツ=シャルムベック。

ガルルシュテットの米軍第2機甲師団の敷地の一部を間借りする形で建てられた仮設の事務所。

その建屋にある隊長室へ出頭要請の出ているマサキは向かう。

 

 遊び半分で、入隊した斯衛軍(このえぐん)……

まさか合同部隊で、ドイツくんだりまで来るとは夢にも思っていなかった。

前の世界では、富士山麓の秘密基地から自由に出撃して、野放図に振舞う。

ラストガーディアン*1の沖*2達は、文句を言いながらも渋々我儘を認めてくれていたし、実力で認めさせていた。

 

 些か読みが甘かったのだろうか……。

この際、隊長と引率役の斯衛軍将校二名に洗い浚い打ち明けてやろうか……

そう考えている内に隊長室に着いた。

 

 ドアをノックした後、入室を促す声がする。

室内に入ると、机に備え付けられた椅子に腰かけた。

彩峰(あやみね)の姿。何時もの勤務服ではなく、深緑色の野戦服でタバコを吹かしている。

部屋の中を一瞥すると応接用の椅子に座る同じ姿の巌谷と(たかむら)

立礼*3をすると、その場で『休め』の指示が出る。少しすると美久が来た。

 

「どうやら揃った様だな」

彩峰が、此方に振り向く。

開口一番、マサキを問うた。

「木原曹長、貴様の目的はなんだ。国防省経由で調べさせてもらったが……貴様は去年の秋口まで戸籍が無かった。

一体何者なんだ……」

巌谷が黙ったまま睨む。脇に居る篁が訊ねる。

「城内省の基礎情報を探ったが、君に関する物は一番古くても去年の9月までの物だった。

中共以前の記録が無い。説明してほしい」

 

 彼等の問いにマサキは冷笑する。

「長い話になる。まず座らせろ」

彩峰は、彼の言動に顔を(しか)めたが、一先ず着席を許可した。

「俺は貴様等の言う通り、この世の人間ではない」

彼等は、俄かに信じられないのか、顔を顰めて驚いた表情を見せる。

「信じるか信じないかは自由だ。続けさせてもらう」

彼は、膝の上で手を組み、淡々と語り始めた

「俺と美久は、この世界に少しばかり似た世界に居た……。

そこで貴様等が言う大型機、詰りゼオライマーで戦闘中に自爆したはずだった……。

俺の肉体は、秋津マサトという男の物を借りて居り、その男の人格に全て書き換えられた状態でその世界から文字通り消えたはずだった。

だが、目が覚めると 丁度(ちょうど)蘭州市から150キロほど西方にずれた場所の上空に居たのだ……

そこで化け物共、貴様等が言う光線(レーザー)級の攻撃を受けた」

 

 押し黙っている巌谷が、身を乗り出す。

「光線級の攻撃を受けて、良く無事だった物だ……」

彼は巌谷の方を振り向き、答える

「詳しい話は後でする。話を元に戻すが、そこで人民解放軍に拾われた。

奴等の謂うカシュガルハイヴと言う物を焼き払って、一か月ばかり、支那に居た……」

 

 彩峰と篁が勢いよく立ち上がる。

「ひと月でハイヴ攻略を成し遂げただと!」

彼は薄ら笑いを浮かべて、男たちを見る。

「ひと月ではない、一日だ。正確に言えば12時間ほどで最深部ごと吹き飛ばしたのさ」

 

 彼等は顔を見合わせる。

目前の青年が語る事が、夢のような話に思えたのだ……

未だハイヴの中は人跡未踏の地。湧き出て来る無数の亡者が、あの新彊(しんきょう)の地を赤く染めたのは記憶に新しい。

どれ程の惨劇(さんげき)であったのであろうか……

中共政権の徹底した情報統制の結果、彼等には知る由もなかった。

「その後は大使館員を名乗る連中に北京で会って、日本に来た。それだけの事だ」

 

 彩峰は座るなり、懐中よりタバコの箱を出すと、封を開ける。

開いた箱より茶色いフィルターが顔を覘かせる。

3本取り出すと机に並べ、横にある使い捨てライターを握る。咥えながら火を点け、吹かす。

気分を落ち着かせようとして、深く吸い込む。

目を瞑り、ゆっくり紫煙を吐き出すと彼に尋ねた。

「貴様の真の目的はなんだ。冥府の住人であるならば、なぜ日本を選んだ。

なぜ、この世界に留まり続ける……」

 

 乾いたマサキの笑いが、室内に木霊する。

一頻り、笑った後、マサキは彩峰の疑問に答えた。

「俺がこの世界を選んできた訳ではない。気が付いたら居たのだ。

差し詰め、『ハンク・モーガン』*4の如く、異界に居たのだ。

しかも過去の世界と来たものだ……。笑わずには居られまい」

眼光鋭く、彼等を見る。

「俺が圧倒的な力を持ってして、この世界の百鬼夜行(ひゃっきやこう)*5に参加するのは、訳がある。

何れ、BETA共が居なくなった後、対人戦が起きる。規模の大小は問わん。

その際、圧倒的な戦力差で、人類を屈服させ、世界を征服する。

それが俺の望みの一つよ。陳腐な表現かもしれぬがな!」

 

「俺は前の世界で、秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)に在って人類を抹殺する『冥王計画』を立てた。

だが些か急ぎ過ぎたのと、俺の人格を乗っ取った秋津マサトの妨害で失敗した。

故に、この世界で再び慎重さを持って、各国の政財界や軍などの動向を探り、機を見て行動すると決めた。

まず、その足掛かりとしてBETA狩りを進んで行う。

そうすれば俺の名は売れ、無闇に手を出す阿呆共は少なくなるであろう事。

この様に計算して、俺はお前達の策謀に載った迄よ。マサトも、鉄甲龍の愚か者共も居ぬ。

今こそ、世界征服の野望も夢ではない様に思えてきたのだ」

再び彼は笑う。

不気味な声で、笑う様は狂人を思わせる様であった……

 

 篁は、座りながら、マサキの面を見る。

笑顔ではあるが、目は据わっている。

笑い終えた瞬間、もの悲しそうな瞳で、淵に沈んだような蒼褪(あおざ)めた表情になった。

彼の本心はどの様な物なのか……

篁は、真意を図りかねる様な気がした。

 

「初めの頃は、この世界を消し去る事を考えたが、途中で考えが変わった。

俺の為に奴隷として馬車馬の如く働かせて、その様を眺める。

新しい遊び場として、この世界を選んだ。本心を言えば、そう言う事さ」

 

 右隣に居る美久の肩に手を伸ばす。

右手で肩ごと抱き寄せる。彼女は満面朱を注いだ様になった。

「最も、貴様等との茶番に飽きれば、此処に居る美久と共に、この世界事消し去ってしまうのも容易い。

その際には、手始めとして、間近にある月や火星でも焼いてやろう。

地球に居ながら、月や火星が消える。(たの)しかろうよ」

 彼は冷笑する。

「或いは、世界各国の主要都市を衛星軌道より各個撃破する。

原水爆などを用いて、ロンドン、パリ、ニューヨーク等を焼くのも一興の内であろう。

最高の宇宙ショウと思うだろう」

巌谷が蔑む様な目で見ていたのを、彼は気付いたが無視する。

 

「貴様、言わせて置けば……」

彩峰の発言を聞きながら、彼は右手で美久の上着の中に手を入れ、首の間から胸元に向かい、指を這わせた。

嬌声(きょうせい)を上げる彼女を後目(しりめ)に、左手で後ろ手にした両手を締め上げながら、弄んだ。

「俺の話が本当か、どうか……。今から8時間ほど暇をくれ。

そうすれば、ソ連のウラリスクハイヴでも焼いて来てやる。吉報を待つのだな」

 

 篁は、問うた。

「なぜ、ミンスクにしないのだ」

美久の反応に飽きた彼は、突き放すと篁の方に振り返る。

「ソ連の欧州戦力を削るためだ」

立ち上がると、不敵な笑みを浮かべ、周囲を窺う。

「質問はそれだけか。俺は早速ウラリスクを焼いて来る」

彩峰は、立ち上がって待つように声を掛ける。

「話を聞け、木原!」

 

 彼は呼び掛けを平然と無視し、美久の右手を掴む。

「今日の所は勘弁してやるよ。貴様等の戯言で興が醒めた」

彼は、そう言い放つ。

 

 『世界を睥睨するソ連を焼き消す』

楽しいではなかろうか……彼の脳裏に、その様が浮かぶ。

美久を右手で勢いよく引っ張り上げると、引きずりながらドアを開ける。

「邪魔したな」

一言告げた後、部屋を後にする。

室外から彼の冷笑が響くばかりであった。

 

 

 

 

 自室に戻った後、美久はマサキの言動を問うた。

普段の冷静な彼とは違い、今日はまるで気が違ったような振る舞いをする様に驚いたのだ。

「なぜ、あの様な振る舞いをなさったのですか」

 

 野戦服姿の彼は、防寒外被のファスナーとボタンを鳩尾の位置まで(はだ)けて、中の下着が見える(さま)

椅子の背もたれに、斜めに座る。

左手には口の空いたコーラーの瓶を持ち、右手で目頭を押さえている。

「あいつ等には、ほとほと疲れた果てた。如何にあの化け物共を軽視してるか。解るであろう」

 

 彼女は、冷笑する彼の方を向く。

野戦服ではなく、上着を脱ぎ、ブラウスの上から深緑の軍用セーターを付け、スカートの勤務服姿。

立ったまま、語り掛ける。

「昨日の……、あの対応は酷いじゃありませんか。幾ら他国の制度とはいえ、あそこ(まで)(けな)す必要は……」

彼は、瓶を下に置き、居住まいを直す。

「今は書類の上では自国だ。俺は東ドイツ人の率直な質問に応じた迄だ。

そもそも政威大将軍等という形ばかりの制度など不要であろう。政務次官より役に立たん」

 

 『政務次官』

大正期、維新以来続いた各府庁の次官自由任用による政治的混乱を収めるために、代替案として始まった制度である。

 しかし、政変や選挙の度に政務次官は変わり、役割も限定的、且つ不明瞭であった。

官僚出身の事務次官の代用には為らず、《盲腸》とまで表現されるほど……

 当初の目標は形骸化し、人脈作りのポストとして看做され、1~3回生の衆議院議員に当てられるように変質した。

逆に、事務次官は政治の荒波のよる浮き沈みなも少なく、影響を保持、拡大する方向に成って行った。

彼は、摂家から選出される政威大将軍を、前世の制度に(なぞら)えたのだ。

 

「そもそも一つの血統ではなく、五摂家という曖昧なものにしてしまったのが間違いなのだ。

俺は、そんな物を有難がる馬鹿者共に媚びるつもりは毛頭ない。

鰯の頭も信心からという言葉があるが、人為的な教育の産物であろうよ。

まだ一統の材料として、(いにしえ)の時代からある神裔(しんえい)を奉る方が自然ではないか……

おそらく出発点は、政治的荒波から禁闕(きんけつ)を覆い隠すための方策であろう。

連中は歴史的な経緯を忘れて、勘違いしている。

それ故、あのドイツ軍人の言動を用いて、気づかせてやった迄の事よ」

 

「何も揉め事を起こさなくても……」

彼は立ち上がって、右手で強引に美久を引き寄せる。

「だから、お前は人形なのだよ……。

何方にしてもあの場で、あのような発言をさせた時点で、政治的な問題にはなっている。

どう頑張っても荒れるなら、荒れ狂うほどにまで騒ぎを起こせばいい。

それに、奴等にも外からの新鮮な感覚を味わわせる良い機会ではないか……」

彼の左頬を平手で打ち付ける。

「話を(はぐ) らかさないで下さい」

赤く鬱血した頬を右手で擦る。

彼女の右手を掴むと背中の方に向けて捻じ曲げる。

「覚えて置くが良い。誰が貴様を作ったのかをな!」

委縮する彼女を正面の椅子に向かって、突き放す。

その表情を見て、彼は満足そうに笑った。

「まあ、良い。後で……、それなりに可愛がってやるよ……」

 

 

左の頬に鏡を見ながら湿布を張る。

「俺が、なぜお前に似せて幽羅(ゆうら)*6を作ったのか……。

今日は気分が良い。ついでに包み隠さず明かしてやろう」

手鏡を下向きにして机の上に置く。

「本気で世界征服を目指すなら、鉄甲龍の首領なぞは、むしろ男の方が良かった。

なぜ、女にしたのか。それは内側から瓦解させる為よ。

仮に美男の (りつ)*7を首領にしたとする……。

例えば、シ・アエン*8、シ・タウ*9辺りを側女に置き、 寵愛の対象にするようプログラムして居たら、俺は大変な苦戦を強いられたであろう……」

 

 

正面の椅子に座る美久は、彼を真剣な眼差しで見る

「だが、俺は敢て幽羅を首領とし、耐爬(たいは)*10のような匹夫(ひっぷ)*11を用いるよう仕組んだ。その結果はどうなった」

冷笑しながら続けた

「奴等は、俺と戦う前から、組織内で自らの仲間と戦い始めたではないか。

首領が男で、部下の殆どが女であったならば、等しく寵愛*12を授けるぐらい出来たであろう。

女では精々、対応出来ても二人ぐらいまでよ……。深い関係になって見よ。

もうその亀裂は修復不可能になる……、それ故そうしたのだよ」

 

彼は、椅子より立ち上がりながら続けた。

「俺は、女の指導者や……、女帝、女王の類は信用できん。

思い起こしてみよ。

(きら)びやかな祭器を作り、強大な軍事力を誇った西周*13……。

彼の国は、幽王(ゆうおう)*14が美女と名高い褒姒(ほうじ)*15という女性(にょしょう)を妃*16に迎え入れた事によって(まど)わされ、滅んだではないか」

 

 ぐるりと周囲を見渡す。

「ギリシャの残香(ざんこう)(ただよ)い、栄華を極めたプトレマイオス朝*17は、クレオパトラ*18と言う、シーザー*19に取り入った(みだ)らな女王*20の為に、ローマの属州に落とされたではないか。

はるか遠い(いにしえ)の話ばかりではない。

あの女スパイ、マタ・ハリ*21が色香の為に、どれだけの人命が世界大戦で(もてあそ)ばれたか。

俺は、女が……、女の指導者が怖いのだよ」

 

 ゆっくりと美久の正面に向きを変えて、近寄って来る。

「無論、俺とて男だ。多少は、人肌が恋しくなる時もある……。

だが、この世界に在って、現世より信用為らん連中に囲まれている。

蛾眉(がび)*22と語らい、佳醸(かじょう)*23を呑み、嘉肴(かこう)*24を味わう。

雲雨の夢*25を見るのも良し。

ゼオライマーの力を持ってすれば、実現は容易いであろう。

果たして、本当にそれで良いのであろうか。思い悩むときもあるのだよ……」

彼は内心にある寂寞(せきばく)の情*26を吐露したのだ。

 

 彼女は目の前にいるマサキを見る。

彼は、まるで遠くを見るような目で、窓の方を覘いていた。

夕日が沈むさまを眺める彼には、何時もの荒々しさは消えていた。

肉体は青年であっても、矢張り精神は、枯れ始めているのではないのか……

その様な心配が、彼女の電子頭脳に浮かぶ。

 

 

「飾り窓*27にお出掛けになって、瑞々(みずみず)しい紅裙(こうくん)*28でも、お求めに為られては」

彼女は、設計者である彼への(かす)かに残る憐憫(れんびん)の情*29から、そう告げた。

「惨めになる様な戯言は止せ。俺達を駒のように扱う連中は褒賞*30と称して、 仙姿玉質(せんしぎょくしつ)の令嬢を用意するかもしれぬ。

或いは、戻ってから豊麗(ほうれい)*31な女を、手に入れ、如何様にでも(はずかし)めるのも良かろう。

先々の事情も分からぬ内に、手弱女(たおやめ)を見繕う話など、今為すべき事ではない。

お前も中々のガラクタだな」

 

 手酷い扱いを受け、項垂れる美久……

彼は、その様を見て冷笑する。

「その推論型AIというのも、中々興をそそられる物だ。

久々に逸楽(いつらく)(ふけ)るのも良いかもしれん……。俺の(たかぶ)る気持ちを収めさせてみよ」

彼はそう告げ、右手で彼女を引き寄せ、抱きしめる。

黄昏(たそがれ)る周囲を見ながら、幕帷(ばくい)を静かに引き寄せた。

*1
『冥王計画ゼオライマー』作中の組織。日本政府が作ったゼオライマー隠匿の為の秘密機関

*2
沖功。ラストガーディアン指令。防衛庁長官の命により木原マサキを暗殺した人物。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*3
日本の軍・警察組織は脱帽時は敬礼をせず、立礼で済ませる。自衛隊・海上保安庁も同じ

*4
マーク・トウェインが1889年に発表した小説、『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』の主人公

*5
様々な妖怪が、夜陰に紛れて列を成し徘徊する事。転じて、人目に立たぬ所で悪人が蔓延(はびこ)り、勝手気儘に悪事を働く事

*6
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の女首領。自らを帝と称するもマサキにより打倒される。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*7
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の幹部。女顔に悩み、鉄仮面を着けた。マサキに挑むもメイオウ攻撃に敗れ去った。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*8
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の女幹部。姉妹でマサキに挑むも一撃で消滅させられた。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*9
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の女幹部。姉妹でマサキに挑むも一撃で消滅させられた。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*10
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の幹部。マサキにより消滅させられる。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*11
身分の卑しい男。また教養がなく道理を弁えない男

*12
王や皇帝等が特定の人間を特別に大切にして愛する事。政治的に上の立場に在る者が非常に可愛がる事。

*13
紀元前1045年から紀元前771年に存在した古代支那王朝。商殷を打倒した後、中原の覇者になるも次第に勢力を落とし、諸侯の離反と西戎(せいじゅう)の侵入で滅びた

*14
西周・第12代の王。褒姒に入れ込み、国政を顧みず、朝廷を衰微させ、西戎(せいじゅう)の手で落命した。暴君の代名詞

*15
出自不明の美女で後宮に入り、幽王の寵を受ける。笑わぬ彼女の為に幽王は様々な方法で喜ばせようとし、国事を顧みなかった。傾国の美女として名高い一人。

*16
側室の褒姒(ほうじ)と正室である申后の立場を入れ替えた事によって諸侯の離反を招いた

*17
紀元前305年から紀元前30年に存在したギリシャ系の古代エジプト王朝

*18
クレオパトラ7世。プトレマイオス朝・最後の女王。絶世の美女として史書に記される。

*19
ガイアス・ジュリアス・シーザー。紀元前100年 - 紀元前44年3月15日。共和制ローマの政治家。

*20
クレオパトラは自己保身の為、シーザーを始めとする古代ローマの政治家と駆け引きを繰り広げた。

*21
本名、マルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ(Margaretha Geertruida Zelle)。1876年8月7日 - 1917年10月15日。フランス中心に活躍したオランダ人踊り子で娼婦。第一次大戦中にフランス軍に処刑された女スパイ。女スパイの代名詞。

*22
蛾の触角のように細く弧を描いた美しい眉。転じて美女を指す

*23
味のよい酒。美酒。

*24
うまい酒のさかな。おいしい料理

*25
古代支那、楚の懐王が、巫山に近い高唐に遊び、そこで昼寝をしていた際、夢の中で巫山の女神と情を交わした。別れ際に女神が「朝には雲となって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事に由来する。男女の深い約束や交流

*26
ひっそりとして寂しい様。又は心が満たされずにもの寂しい事を示す

*27
商品を陳列するための大きな窓。転じて、ゲルマン諸国に見られる売春宿の一形態を指し示す

*28
紅色の着物の裾。転じて芸妓の事を指し示す

*29
かわいそうに思うこと。(あわれ)

*30
優れた行為や作品などを誉め湛えて、その印として与える金品の事。

*31
肉付きが良くて美しい事。また、その様を示す




 この回は、読者様のご意見を反映して書いた回です。
疑問や質問があれば、ハーメルンや暁問わずご意見いただけると幸いです。
無論、18禁版に関する事でも構いません。
頂いた意見は、必ず読ませて頂いて、自分の可能な限りでお答えする心算です。


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青天(せいてん)霹靂(へきれき) 前編

 突如として動き出し、静まり返ったソ連領内のBETA群。
この衝撃的な事件に国際社会は困惑した。
一方、ベルンハルト中尉は軍内部の男女問題に悩まされた。


 ソ連、ウクライナ共和国

 

 1978年3月1日未明に事態は動いた。 

セバストポリ*1との通信途絶との連絡が、ハバロフスクの軍司令部に届いた。

現地時間、深夜2時の頃である。

キエフ・ハバロフスク間の時差は7時間であったが、即座に国防会議が招集された。

会議では、近隣の軍管区から出せるだけの兵力を出して制圧に向かわせる方針が決定された。

 

 雷鳴のような音を(とどろ)かせ、艦砲が(うな)る。

セバストポリ市内のBETA群に向けて、雨霰と砲撃が繰り返される。

ロケット弾が地表すれすれに飛び交い、周囲を焼く。

 街は数里先からも赤く燃え広がっているのが見え、絶え間なく爆音が響く。

市中を制圧した化け物共に、洋上に鎮座(ちんざ)するモスクワ級航空巡洋艦や改造タンカーの艦載戦術機から爆撃を仕掛けるも失敗。

市街に近寄るも、突如として現れた光線(レーザー)級に因る熾烈な対空砲火でほぼ全てが未帰還……

6個大隊相当の戦術機と衛士が失われる結果に総参謀部は(あわ)てた。

12時間続いたBETAの攻勢は、洋上よりミサイル巡洋艦や潜水艦からセバストポリ市への核飽和攻撃で一時的な事態の終結へと向かった。

 一部始終を黒海洋上から米海軍の電子調査船は見ていた。

暗号の掛かっていない膨大な通信量からソ連軍の混乱ぶりが判る。

撃ち落される衛士の阿鼻叫喚や恨み言がレコーダーに記録され、通信員の耳に響く

艦内の電装表示を見る艦長が、(つぶや)いた

「どういうことだ……」

 3か月後に控えたパレオロゴス作戦の主力部隊を務めるソ連軍の敗退……

幾らミンスクハイヴより千数百キロ離れた黒海とはいえ、既にあの禍々(まがまが)しいBETA共は侵食しつつある。

 『望むならこのまま終わってほしい』

彼の心からの願いでもあった。

 

 それから数日後。

地獄絵図のような光景を潜入したCIA工作員がカメラに収める。

ソ連人風の支度をして、トルコ支局より同地に入る。

薄汚れた茶色の綿入れ服(テログレイカ)を着て、耳付き防寒帽(ウシャンカ)を被り、その惨状(さんじょう)を見つめる。

「カンボジア戦線でも、これほどの地獄は見た事は無いぞ……」

脇に居る着古しの両前合(ダブルブレスト)の外套の男の方を向く

広いつばの中折れ帽を被り、フィルター付きタバコを吹かしながら、彼に応じる

「全くだ……。10年前の新春(テト)攻勢*2の際が極楽に思える。

順化(フエ)*3市中の包囲戦で匪賊狩りをした時よりも酷い」

 男は懐中より革で包まれたアルミ製の水筒(スキットル)を取り出し、キャップをひねる。

蓋を開けると彼に差し出す。

「一杯やれよ。少しは楽になる」

彼は、男より水筒を取ると中にある蒸留酒を味わった。芳醇(ほうじゅん)な香りと味が五感を通して、脳に伝わる。

その一杯で居心地の悪い現実から逃げようとしたのだ…… 

 カメラを持つ手が止まり、男は言葉少なに語る。

「この仕打ちはあるまいよ……」

 怪物は、市中で暴虐の限りを尽くし、無辜(むこ)の市民を蹂躙(じゅうりん)し、そして(もてあそ)んで殺した

彼等の足元には、遺体が複数転がる。

およそ確認できるだけで、120体を下らない数……恐らく生きた侭、(ほふ)られたのであろう。

静かに心の中で、神仏に冥福を祈った。

 


 セバストポリの急襲は、東側諸国に再び緊張感を与えた。

ワルシャワ条約機構の各国は、48時間以内に出撃可能なように準備がなされた。

しかし、結論から言えば杞憂(きゆう)であった。

米軍も一時的にデフコン3の指示をトルコ駐留軍に出したが、BETA群の侵攻は無かった。

(むし)ろ恐ろしいほどの沈黙と停滞が起きたのだ。

 

 東ドイツ・ベルリン

 

 深夜、再招集を掛けた時、彼等を(まと)めるユルゲン・ベルンハルト中尉は、異変に気が付いた。

戦術機部隊の紅一点*4、ツァリーツェ・ヴィークマンの様子がおかしいのだ。

彼は、ハンニバル大尉に相談する。

(はた)から見ても本調子ではなく、軍医の所にヤウクと共に無理やり連れて行った。

 

 ユルゲンの竹馬の友、オズヴァルト・カッツェが青い顔を立ち竦んでいた。

何かあったのであろうかと、気になったユルゲンは声を掛けた。

「貴様も、顔が青いぞ」

ベルンハルト中尉は、幼馴染に問うた。

「大したことではない……」

青い顔をする同輩を(うかが)う。

「ヴィタミン不足*5か何かだろうな……」

 

 BETA戦争以降、ソ連経由の石油資源に飽き足らず、生鮮食料品不足が深刻だ。

ボルツ老人が嘗て話してくれた様に、ベルリン市中に壁ができる前であれば、西ベルリン側に買い出しに出かけられた。

其れも出来ぬ今、柑橘(かんきつ)類など、まさに宝石のような価値ある存在になりつつある。

バナナなど南洋の産物はしばらく目にかけていない。

ジャワ産のコーヒーや果実など、日本人が来た時、数年ぶりに食べた。

何とも言えぬ味でもあった。

 

カッツェはがくがく震えながら、ひとりごちた。

「生野菜でも(かじ)れば違うだろうが……、俺もこればかりはどうすることも出来ん」

 オリンピック選候補になるほどの柔道の腕前を持つ、スポーツ万能のヴィークマン。

160センチ弱の小柄な身丈ながら、見かけによらず、柔道と空手の黒帯だった。

そんなヴィークマンは、もちまえの武道の腕前で、並みいる男たちを圧倒してきた。

風邪などめったに引かない彼女が、病気だとすれば大変な話だ。

ユルゲンは、この士官学校以来の同輩の事が非常に気になった。

「なあ、カッツェ。ヴィークマンの様子はどうだ。

俺は、忙しくて構ってられんからな……貴様なら、わかるだろう」

「アイツはここの所、食欲がないんだ……。

左党*6で、何でも飲む女なのにみんな吐き出しちまう……」

 カッツェの態度に、ユルゲンの心臓は凍った。

同僚の健康問題に、あまりに無関心ではなかったか。

後悔が矢のように、ユルゲンの胸に刺さる。

 その時、後ろから来たヤウクが、彼等の間に割り込んできた。

途端に驚愕の色を見せながら、

「まさか、君達の関係がそこまで進展したとは……

思いもよらなかったよ。僕の管理責任不足だ」

 ユルゲンは、ヤウクのその発言を聞き逃さなかった。

威嚇するような声を上げて、

「貴様、どういうことだ。

隊長はハンニバル大尉、主席幕僚は俺だ。寝ぼけてるのか」

 ヤウクは、掌を上にして、お道化(どけ)た表情を見せた。

混乱する同輩を存分にからかうような受け答えをする。

「本当に君は何も知らないんだね。ユルゲン。

彼等は、暇さえあれば逢瀬(おうせ)*7を重ねていたのさ」

ヤウクは、(いささ)か、(あお)るような口調でカッツェに告げる。

「そうであろう、同志・カッツェ・少尉」

 今にもカッツェとヤウクは、つかみ合いの喧嘩に発展しそうな雰囲気であった。

その事を不快に思ったユルゲンは、怒りをあらわにして、

「お前らさあ、何が言いたいんだよ。

こんな時に喧嘩してる暇なぞ無いだろう」

 

 その様なやり取りをしていると、先任曹長と軍医が現れる。

疲れ切った表情の軍医は、彼等に尋ねてきた。

「君たち、医務室に来なさい。此処で話は(はばか)られる」

腕を組んで立つ曹長に、彼は問うた。

「同志曹長、どういう事でありましょうか」

勃然(ぼつぜん)*8とした態度で、彼に応じる。

「貴方方の胸に聞くべきではありませんかな。同志ベルンハルト中尉」

「彼は違いますよ、同志曹長」

脇からヤウクが口を挟む。

軍医の表情が変わり始めたのが判ったのか、ヤウクは進んで医務室に向かった。

その後を彼等も追う。

 

 医務室で待っていたのは、顔色赤く怫然(ふつぜん)*9した政治将校と司令官であった。

30分に及ぶ聴取の結果、カッツェが白状したのだ。

ヴィークマンとは、帰国直後に既に男女の間柄になり、その様な関係へ発展したとの事。

 結果的に言えば、大騒動になった。

未婚の男女が(ちぎ)りを結び、その上妊娠させた。

今回ばかりは、司令官も庇いきれなかったのか、きつい叱責になった。

経歴に傷がつかぬとの配慮から、一週間の『精神的療法』*10と言う事で謹慎処分。

後日、ヴィークマンと共に双方の両親に挨拶に行き、式を挙げるという形に落ち着いた。

 

 

 第一戦車軍団司令部は、悩ましい結末に頭を痛めた。

幾多の困難を乗り越えてきたベテランで、実戦経験豊富な衛士の脱落。

しかも、作戦開始までに復帰は絶望的……。

 ベルンハルト中尉とヤウク少尉は、方々へ足を運び、陳情しに回った。

人探しをする様、各連隊や部署に懇願(こんがん)した。

偶々、下士官から選抜された、ヴァルター・クリューガー*11曹長という青年を見繕(みつくろ)ってくることで決着を得た。

カッツェは、クリューガー曹長に頭が上がらないであろう。

自分勝手な行動の結果、その青年を転属させたのだから……

 

 『一からの衛士育成』

ベルンハルト中尉は、中隊の執務室でタイプライターを打ちながら悩んだ。

いずれ、わが身の在り様も考えねばなるまい。

ベアトリクスとの祝言(しゅうげん)*12も戦時と言う事で先延ばしにしていた。

だが、同輩の過失を横で見ていると自制できるであろうか……。

少々、自分の事が不安になった。

 案外、ヤウクなどは5年でも10年でも待てるが、自分には自信がない。

ベアトリクスの豊満で美しい肉体を思うと、正直夜も眠れぬ日があるのだ。

 そんな鬱勃とした気分を変えるために、アルミ製のマグカップに手を伸ばす。

中に入っているのは、冷めた代用コーヒー*13であった。

不味いコーヒーではあるが、これしかない。

薄い茶も、質の悪い牛乳も飽き飽きするが、これしかない。

貧しい東ドイツの現状には、嫌気がさす。

ほかに娯楽といえばタバコぐらいだ。

喫煙習慣のある司令や、ヤウクは経済的負担は大きかろう。

 

 ふと物思いに耽っているとき、ドアがノックされる。

制服の第一ボタンを閉め、居住まいを直す。

「どうぞ、入って下さい」

ドアを開け、筋肉質で角刈りの青年が入ってくる。

文字通り、偉丈夫という言葉がふさわしい容貌。

 恰好は、灰色の勤務服上下に、長靴姿。

見たところ、階級は曹長、下士官を示すトレッセが襟に付いる。

「失礼いたします」

件の偉丈夫は、ユルゲンに向かって挙手の礼をすると、

「先日着任いたしましたヴァルター・クリューガー曹長であります。

同志中尉、よろしくお願いします」

 ユルゲンも返礼をすると、立ち上がり、

彼等は、右手で固い握手を交わす

「同志曹長、私はユルゲン・ベルンハルト中尉だ。

今後、宜しくお願いする」

ちらりと壁時計を一瞥し、

「失礼ではあるが、執務中故、後日詳しい話は伺おう」

ユルゲンの発言を受けて、クリューガー曹長は、

「了解しました。同志中尉、失礼致しました」

再び敬礼をすると、ドアを静かに閉め、部屋を後にした。

 去っていく姿を見送った後、彼は着席する。

年の頃は近い*14とはいえ、落ち着いた人物で信頼できそうだ。

しばし背凭れに身を任せると課業時間終了を知らせる音が聞こえる。

急いで身支度をして、部屋を後にした。

 

 

 ベルリン・リヒテンベルク

 場所は国家保安省本部の会議室。

一人の男が、数名の男たちを前にして冷笑する。

『褐色の野獣』と称されるアクスマン少佐は、ソ連の悲劇を本心から喜んだ。

手にした報告書には、数日前にあったソ連西部での惨事が記されていた。

「これで、私に有利な舞台がそろったと言う事だよ。後は役者の配置を待つばかりだ」

若い金髪の少尉が、その優男に問う。

「ベルンハルト達は如何(いかが)致しましょうか、同志少佐」

アクスマン少佐は口元をゆがめ、すごみのある表情で部下たちを見やった。

「何、3人*15を捕まえてきて、私が代わる代わる遊んでやっても良い……」

暗に男女を問わず(はずかし)めることを匂わせる。

その様な態度から彼は省内外から倒錯者(とうさくしゃ)*16として見られていた

最も当人に至っては馬耳東風(ばじとうふう)*17が如く無視していた。 

 

 小柄な少尉は、再び問うた。

「同志少佐、ボン*18の兵隊共にバラバラにして売り渡すのは如何でしょうか」

彼に対して、一人づつ人質として売り払うことを提案したのだ。

「君も中々の嗜虐的性向(サディスティック)な事を言うではないか……」

男の顔が(ほころ)ぶ。

「貴方様の御仕込(おしこ)みで」

 室内に男たちの高笑いが反響した。

彼は頃合いを見て、机の下から醸造酒(ワイン)を取り出す。

「これは安酒ではあるが、前祝だ。景気づけに一杯やろうではないか」

1977年のボジョレー・ヌーボーを、机の上に置く。

ビニール袋に入れたガラス製のコップを取り出して、並べる。

 普段より着けている化学繊維製の白手袋を取ると、コップを持つ。

少尉は、彼のコップに酒を並々と注ぐ。

『褐色の野獣』が、先頭を切って音頭を取る。

「では、諸君らの健康を祈って、乾杯」

 一同が乾杯の音頭を返すと、一息に(あお)った。

そして、奥で黙っていた曹長が少佐に質問する。

「同志少佐、ベルンハルト嬢も中々の美女です。

安く売って雑兵(ぞうひょう)*19一夜妻(ひとよづま)*20などにするのは勿体無(もったいの)う御座います。

この際、ボンに(くだ)*21手土産として高級将校やCIA工作員へ、細君(さいくん)*22として差し出すのも策の一つではありませんか。

その方が、あのいけ好かない小僧*23身悶(みもだ)えします(ゆえ)

 アクスマン少佐は、顎に手を当てる。

「敵国の支配階層へ、特権階級(ノーメンクラツーラー)美姫(びき)*24として差し出すか。

それ相応の化粧をして、忠を示す貢物(みつぎもの)*25とする。

ブルジョア趣味としては良いかもしれぬ。

同志曹長、君が(たくら)みに私も乗ろう。早速下準備に入るとするか」

 アクスマン少佐は、脇に立つゾーネ少尉を抱き寄せた。

「打ち(ひし)がれたあの男を、私が(なぐさ)めるのも良いかもしれぬな」

頬を赤く染めた少尉は、彼の右腕を服の上から(つね)る。

「美姫に飽き足らず、美丈夫までとは。相変わらず手が早いですね」

彼は右手の方を(のぞ)

「下品な物言いは、君らしくないぞ。同志ゾーネ少尉。

その際は、あのブレーメ嬢を私と彼の眼前で(もてあそ)ぶ様を見せて欲しいが、どう思うかね」

 アクスマン少佐の卑猥な質問。

白髪の大尉が、残忍な笑いをたたえて応じる。

「結構な趣味ですな」

アクスマン少佐は右脇にゾーネを抱えながら、大尉に返す。

その大尉は《ロメオ》諜報員*26と呼ばれる婦人専門の色仕掛け工作員であった。

「何、私は寝取(ねと)*27の趣味は無い。

間男(まおとこ)*28生業(なりわい)*29ばかりしている君とは違うがね」

 再び室内に男たちの高笑いが反響する。

アクスマン少佐は、男たちを見回した後、勝ち誇ったようにニヤリと笑う

(あえ)て、奴らを結婚させてから引き裂く。父と同じ道を歩ませる……。

それもまた、一興(いっきょう)であろう。

(おさ)(づま)*30というのも良いやもしれぬ」

空になったコップにゾーネが酒を注ぐ。

彼等は、秘蔵の酒を(またた)く間に飲み干してしまった。

次の瞬間、男たちの口から愉悦の声が漏れる。

「いや、実に甘い酒ですな」

へべれけになった曹長が応じる。

大尉は胸からCASINO*31の包み紙から、シガレットを取り出すと火を点け、吹かし始める。

「後は、女さえあれば……」

「そうだ、あとは女」

ほろ酔い気分になった彼は、部下を一瞥するとこう締めくくる。

「諸君、今日はお開きだ」

彼等は、その場を後にした。

*1
ウクライナの黒海沿岸にある都市。元々は東ローマ帝国領で、18世紀にオスマントルコよりロシアが割譲した

*2
ベトナム戦争において1968年1月30日夜から展開された北ベトナム軍及び南ベトナム解放民族戦線による、南ベトナム各地の主要都市に対する大攻勢。旧正月の時期に当たる為、新春攻勢と呼ばれた。

*3
ベトナム中部の都市。地名は14世紀の陳朝が設置した順州・化州に由来し、19世紀には阮朝の都が置かれた

*4
多くの男性の中にただ一人いる女性。唐代以降の漢詩文『濃綠萬枝紅一點』(一面の緑の中に一輪の紅色の花が咲いている)が語源。

*5
東ドイツでは党のコネクションと栄養素を表すビタミンを混ぜた隠語、ビタミンBが流行った。ビタミンBと言う言葉は全てを解決する特効薬を表す隠語になった

*6
酒が好きな人。上戸。

*7
愛し合う男女が密かに会う事

*8
顔色を変えて怒る様。

*9
怒って顔色をかえる様。むっとする様。

*10
社会主義圏特有の懲罰方法。

*11
『シュバルツェスマーケン』の主要キャラクター。1953年11月22日生まれ。身長190センチ。原作だと下士官の時代にパレオロゴス作戦に参加し、生き残った。

*12
結婚式

*13
東ドイツ国内で本物のコーヒー豆を手に入れるのは大変難しかった。その為大麦の代用コーヒーが常飲された

*14
クリューガーの方がユルゲンより一歳年上である。

*15
ユルゲン、アイリスディーナのベルンハルト兄妹とベアトリクス・ブレーメの事

*16
正常とされる状態と逆になること。そこから転じて変態的な思考の事。

*17
他人の言葉に耳を貸さないこと。唐代の詩人、李白の漢詩「答王十二寒夜独酌有懐」の一句、『世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳』が語源。

*18
ボンは西ドイツの臨時首都。転じて西ドイツの事を指す

*19
身分の低い兵士。そこから転じて取るに足りない者の事。

*20
一晩だけの関係を結んだ女。また転じて、遊女・娼婦の事

*21
西ドイツに亡命する事。

*22
身分ある人の妻。後に他者の人妻を指す言葉になった

*23
アイリスディーナ・ベルンハルトの実兄である、ユルゲン・ベルンハルト中尉の事

*24
美しい姫。 美しい女性。

*25
貴人や支配者に差し出す品物の事。献上品

*26
1958年、国家保安省傘下の対外諜報機関「Hauptverwaltung Aufklärung(HVA)」が設立され、マルクス・ヴォルフがその指揮を執った。大規模で長期的な関係を築く為、美丈夫を集め、オールドミスに近づく作戦を実施した。偽装結婚や不倫を作戦行動で実施した。また西ドイツ市民の中にもロメオ工作員は多数いたとされる

*27
他人の配偶者や愛人と情を通じて、自分の物とするの事。

*28
夫のある女が他の男と肉体関係を持つ事。又、その相手の男。

*29
生計の為の職業

*30
年の若い人妻の事。特に10代の妻の事。

*31
東ドイツ製のタバコ。低品質だったがソ連製のタバコ程は品質にばらつきは無かった




 大分、元の文書より手を加えました。
推敲したのですが、意味不明な文章だったので書き改めました。
5月の頃までは土日祝日の5時投稿をしていたので、内容がガバガバでも勢いで書いてました。

 ご意見、ご感想お待ちしております。



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青天(せいてん)霹靂(へきれき) 中編

 BETAの動向を一人、検証していたマサキ。
そんな彼の元に、一人の怪紳士が現れる。
会社員を名乗る、謎の男の狙いとは……



 マサキは夕刻、一人、ゼオライマーの中に居た。

出撃可能な様に整備を進めながら、次元連結システムの簡単な動作確認をしていた。

 数日前、ウクライナのセバストポリを化け物共が襲った。

少なくとも自身がカシュガルハイヴと呼ばれる構造物を地中深くから崩壊させて以降、目立った動きはなかったはずだ……

 思い当たる節があるとすれば、その攻略の際、地中奥深くで遭った異形の化け物*1

その化け物との接触の際に受けた攻撃……。それを解析して特定の周波数を突き止めた。

 事件前日に、戦地で一時的に生け捕ったBETAへ、解析した周波数を照射した事が影響したのであろうか……

確かに、BETAは活発に活動し始めたが、即座に次元連結砲で灰燼に帰した。

 

 或いは、宇宙其の物から異次元のエネルギーを変換させる次元連結システム。

その作用が、この異世界に与えたのか……

この禍々しい化け物自身を構成する物質に、何かしらの時空間への影響を及ぼす作用が有るのか……

 

 消滅したはずの自身とゼオライマーを呼び寄せる存在……有るのであろうか。

確かめてみたいし、知りたくもない。その様な相反する気持ちに悩む。

 気分転換にと、機外に降り立ち、駐機場の端に向かう。 

灰皿用に赤く染めたペール缶の前に立つと、胸ポケットからレギュラーサイズ*2のタバコを出し火を点ける。

 頭を冷やして考える。

今までは遊びを優先で事を進めてきた。

だが次元連結システムの作用により、怪物に何かしらの影響が出る様では怪物共を素早く片付けねばなるまい。

そして、この世界の人間どもを様々な策を(ろう)すのも良かろう……

水の張った灰皿にタバコを投げ捨てると、機体に向かう。 

 

 操縦席に乗り込むと操作卓(コンソール)に触れ、電源を入れる。

美久が駆け寄ってきた。

普段着て居る保護具(プロテクター)付きの操縦服ではなく、件の衛士強化装備。

幾度(いくど)見ても、あの肉体その物をそのまま曝け出してしまう姿格好には慣れない……

 一旦降りて、機体の足元で腕組みをして待つ。すると声が聞こえた。

「お待たせしました」

腰を曲げ、両腕を膝に付き、肩で静かに息をつく彼女が居た。

垂れ下がる長い髪の隙間から見える首筋は、(なまめ)かしく、劣情(れつじょう)を引き起こさせる。

我ながら、形状記憶シリコンと推論型AIの完成度に満足した。

「お前自身が機械なのだから、あんな木偶人形(でくにんぎょう)操縦士(パイロット)遊びをする必要もあるまい」

彼は後ろを向くと再び乗り込む準備をし始める。

 

『ペルシャへ、冷やかしに行く』

無論、連中には既に話は通してある。

すっと潜って、巣穴を焼いて帰ってくるだけ。簡単な作戦……

 

 そう思っていると、奥より見慣れぬ人影が表れる。

『ドブネズミ色』の背広姿に、茶色の膝下丈のトレンチコート。

中折帽(フェドーラ)を被る男が、薄ら笑みを浮かべて近づく。

オーバーのマフポケットに両手を突っ込み、此方へ歩み寄る。

 およそ軍事基地には不相応の姿格好。

まるで決まりきったサラリーマンのような支度(したく)に不信感を憶える。

 

 彼は上着を押し上げ、ズボンのベルト右側に挟んであるインサイドホルスターに手を掛ける。

私物の8インチ*3の銃身を持つ拳銃をゆっくり取り出した。

 脇に居る美久にも目配せする。

彼女の手には、米軍貸与の大型自動拳銃がすでに握られていた。

 

「動くな。ここをどこだと思っているんだ」

ゆっくり右手で構え、丁度ズボンのベルトのあたりに向けて照準を合わせる。

左手を右ひじに添える形で保持し、撃鉄を上げる。

 男は、両腕をだらりと下げた侭、笑いながら足を止めた。

再び、彼女に目配せをする。

 銃を構えた右手を勢いよく天井に向けると、一発撃つ。

倉庫内に、雷鳴の様な爆音が反響する。

 強烈な音と吐き気を(もよお)す様な耳鳴り……

思わず、マサキは顔を(しか)める。

 

 男は、猶も笑ってはいるが、若干顔色が悪くなった程度だった。

「次は貴様を撃つ、両手を上げて、官姓名を名乗れ。

さもなくば、伏せて身動きするな。

俺の気は短いぞ、忠告は一度だけだ……」

男は敵意を無いのを示すように、両腕を腰のあたりまで上げる。

 掌をこちらに向け、止まる。

「もっと上げろ、万歳の姿勢まで上げろ」

右掌を包むように左手を添え、拳銃を相手の顔面の位置まで上げる。

拳銃の銃把(じゅうは)を握りなおし、照門を(のぞ)く。

.44レミントン・マグナム弾*4であれば、確実に殺せる。

どけていた食指を用心金から引き金に移動させ、左目を(つぶ)り、右目に照星を合わせる。

 

「ほう、スミスアンドウェッソンのM29*5ですか。

良い回転拳銃(リボルバー)ですな」

男は日本語で、話しかけてきた。

「減らず口を叩ける立場か、貴様。俺は警告したぞ。

手順通りやったから、後は()ね!

美久、同時に仕掛けるぞ」

僅かに、顔を彼女の方にずらす。

「貴方方が噂のアベックですか。色々、先々で話は伺って居ますよ。

しかし素晴らしい戦術機ですな。

これほど大きなものを御一人で組み上げたとは、いやはや関心致しますよ」

彼は顔を顰める。

「貴様、何処の間者(かんじゃ)だ」

 男は、なおも笑みを浮かべたままだ。

マサキは再度、美久の方を見る。

「火災報知器のベルを鳴らせ。曲者だ」

 彼女は、その場から素早く拳銃を二発撃つ。

爆音が響き、薬莢(やっきょう)が勢いよく排出口よりコンクリート敷きの床に転がる。

 放たれた弾丸は、防火用の非常ベルの保護カバーを破壊し、警報が作動する。

けたたましい騒音が鳴り、火災発生を知らせる無線が場内に響く。

 マサキは冷笑を浮かべる。

「これで貴様は袋の鼠だ」

銃を構える美久に檄を飛ばす。

「おい、紐を持てい!」

 彼女は其の侭、防災用品の入った棚へ向かう。

彼の指示通り、捕縛するために紐を取りに走った。

「恐らく、10分もしないうちに警備が来て、お前は捕まる。

詳しい話は、後で聞かせてもらうぞ」

 5人乗りのジープが2台、倉庫の前に止まる。

まもなく、白地のヘルメットにMP*6の文字が掛かれた腕章、黒革地のサムブラウンベルトを締めた兵達が降りて来る。

「おい!木原、氷室、大丈夫か」

 別な方角から、野戦服に鉄帽(ヘルメット)姿の巖谷が声を掛けて来る。

小銃を抱えた数名の兵を連れ、やってきたのだ。

彼は、警報音により複数の足音が近づいて来るのに気付かなかった。

 遠くには、白い五芒星(ごぼうせい)が描かれたジープが見える。

巖谷が来た前後、米軍の憲兵(MP)が敷地外まで来た模様だ。

 

 

「いや、失礼しましたな。木原マサキ曹長。

もう少し歓談を楽しみたかったのですが、どうやらMPが来た様で……」

軍刀を手にして駆けてきた篁達が近づく。

 彼等を押しのける様に彩峰が、前に出る。

軍帽に、オーバーコートを着ていたが、下は白いフランネルのシャツ一枚であった。

押っ取り刀*7で来たのであろう。

「貴様等は、毎度毎度騒ぎばかり起こして、我々を侮辱しているのか」

 走ってきた将校達は、一斉に右手に握った刀を、左手に移す。

彩峰は刀に手を掛けると、叫ぶ。

乱波(らっぱ)風情が、何をしている」

 男は観念したかのように目を瞑ると、()頓狂(とんきょう)な声を上げる彩峰に返す。

不敵にも高らかに笑い、彼の方を向く。

「君も……、無粋な男だな……。

(おきな)*8が知られたら、さぞ嘆かれるであろうよ」

暗に五摂家の関係者と近いことを匂わした。

 

 男の態度を不快に感じたマサキは弁明する。

「俺は悪くないぞ。この帽子男が名乗らずに陰から出てきたので、誰何(すいか)した迄の事よ」

 消防車のサイレンが聞こえる。如何やら、大騒ぎになってしまった様だ……

彼は、天を(あお)ぐと観念することにした。

 

 騒ぎは基地内で済む話で終わらなかった。

不審に感じた彩峰は、駐在武官経由で国防省に問い合わせたのだ。

返答があったのは城内省。逆に篁、巖谷の両名に当てた『叱責』する電話が来た。

城内省を仕切るナンバー3の軍監直々の『苦情電話』……

慌てぶりからは上層部、特に五摂家の関与を感じさせた。

 一番怪しまれた情報省からの連絡はなかった。

彼等は沈黙を通した。

 

 

「おい、殿中(でんちゅう)出入り御免(ごめん)のワカサギ売りの商人(あきんど)風情(ふぜい)が、こんな欧州くんだりまで来るのか」

机に腰かけ、腕を組む彩峰は、目の前で平謝りを繰り返す大使館職員達を一喝する。

彼は、京の将軍御所に出入りするワカサギ売りの商人という前提で話を進めた。

「そもそも何で霞ケ浦(かすみがうら)のワカサギ売りが、都まで売りに来るのだ……」

 巖谷が、逆に彼に問うた。

末席とはいえ斯衛軍(このえぐん)に身を置く彼にとって、その話は腑に落ちなかった……

 

「私が、当人から以前聞いた話だと『光菱重工*9北米事務所の販売員(セールスマン)』という事でした……」

篁が、そう呟く。

 ミラとの逢瀬の件が、殿中はおろか、禁裏(きんり)*10に迄、露見していたのも件の人物と接触していたのが有るのかもしれない。

己が、脇の甘さを恥じた。

 

「北米担当が何で西ドイツに居る。おかしいではないか」

珠瀬(たませ)という大柄な職員が、篁に問うた。

仕立ての良い両前合わせの背広を着て、立つ姿はまるで壁の様に見えた。

 

 侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が起きている様を横目で見ていたマサキは呆れた。

彼は、弁明する巖谷等の話を聞き流して、懐中に手を入れる。

『ホープ*11』の箱からタバコを取り出すと、火を点ける。

そして近くにあった椅子に座ると、独り言を言った。

「随分と雑な素破(すっぱ)だな。

五摂家の何某(なにがし)が関わってると暗に認めているようなものではないか」

周囲の気を引く発言をわざとして、秘密を聞き出す算段であった。

 

「何がしたい」

 誰かが、そう言った。

彼は、その男の声を聴きながら返す。

「俺を道具のように扱う将軍とやらもそうだが、その《翁》とかいう人間が気に入らん。

かき回すだけ、かき回して、意味不明な言動をする。

貴様等に問いたい。その爺はどれ程の人物で、なぜお前らは恐れるのだ。

そんな耄碌(もうろく)なぞ、座敷牢にでも押し込めれば良かろう。違うのか」

周囲を一瞥する。

 

 一様に押し黙っている所を見ると、かなり深刻な話題の様だ……

これ以上、関わるのは得策では無かろう。

彼は、この件に関しては諦めた。

「大方、その素破とやらも、例の爺が用意した物であろう。一つ言っておく。

大掛かりな仕掛けを用意して、俺を弄繰(いじく)り回している様だが、どの様な結末になるか。

ペルシアにある化け物の巣穴を焼く様を見るが良い」

右手の食指で、声のする方を指差す。

「そしてその事を一言一句、(たが)えず、その耄碌爺に伝えて置け」

彼は勢いよく、立ち上がる。

一寸(ちょっと)ばかりペルシアへ飛んでくる。何、気分転換のドライブだ」

そして、冷笑をしながら後ろを振り向く。

「無駄な被害を出したくなければ、CIAのテヘラン支局にでも電話して置け。

ホラサン州から兵力を極力下げる様にとな……」

彼は、出口の方に踵を返すと、ドアを開ける。

呆然とする職員達を目の前にして、其の侭部屋を後にした。

 

 

 帝政イラン ホラーサーン州 マシュハド

帝政イラン*12有数の地方都市であり、シーア派の巡礼地である彼の地。 

歴代王朝が建立した荘厳な霊廟や、回教寺院。

 嘗てサファビー朝時代に築かれ、帝政ロシア軍が爆破したイマーム・レザー廟。

黄金で覆われた大伽藍に、モザイク模様の豪奢な拝殿。

羊毛で織られたペルシア絨毯が敷き詰められ、シャンデリアの吊るされた回廊。

この街を象徴する寺院の一つであり、重要な観光資源であった。

 

 その都市は1974年10月のハイヴの出現によって事情は変わる。

巣穴から這い出て行く異星より来訪した禍々しい化け物。

 隣国ソ連は予防攻撃と称して、中央アジアのトルクメン*13から核飽和攻撃を実施。

およそ300機の重爆撃機と1500発近い爆弾に、地上配備型の核弾頭搭載ミサイル数十発。

旧市街を含む、この都市の全てが、一瞬にして灰燼(かいじん)()したのだ。

その様な攻撃をもってしても、BETAの進撃にとっては時間稼ぎにすらならなかった。

 

 マサキは、その核飽和攻撃をもってして為し得なかったハイヴ攻略を、数時間で行う。

《メイオウ攻撃》

ゼオライマーの胸部より発射される同攻撃は、全ての原子を無に帰す効果があり、照射時間も無限……

彼は鉄甲龍本部を吹き飛ばした同等の威力の攻撃を、重金属の雲に覆われた上空より実施。

 カシュガルハイヴの時と同じように、光線級の強烈な対空砲火を恐れた。

BETAの群れは、ただ周辺を彷徨(さまよ)うばかりで、近寄らなければ能動的な反応は無い。

紐の切れた操り人形の様で、その不気味さを訝しむ。

前回の時の様に縦穴から潜ると、内部から爆発させ、構造物を崩壊させた。

 

 数十キロ先に退避させたイラン軍と派遣されている中近東諸国の連合部隊。

彼等が備える陣地を睥睨(へいげい)するように通り過ぎると、再び西ドイツへ転移した。

*1
重頭脳級の事

*2
長さが70ミリメートルの紙巻きタバコ。

*3
正確には8+3⁄8インチ =210ミリメートルモデル。1インチ=2.54センチメートル

*4
スミス&ウェッソン社が開発した回転拳銃用弾薬、.44スペシャル弾の改良版。1950年代の発売以降、狩猟用の安価な弾薬だった。映画「ダーティハリー」シリーズのヒットで人気が急上昇した

*5
1955年発売の回転拳銃。当初、猟師向けの特殊用途拳銃であった。映画「ダーティハリー」シリーズのヒットで人気が急上昇し、一般市場に広まった

*6
Military Policeの略。憲兵。軍隊内における警察活動をする組織の事

*7
危急の事が起こって刀を腰に差す暇も無く、手に持った儘、取る物も取りあえず駆けつける有様。

*8
マサキを欧州に送り込んだ怪人。帝都城出入り御免で、城内省と国防省に顔の利く人物

*9
現実の三菱重工業に相当する企業。マブラヴ世界の戦術機メーカー

*10
天子の居城。御座所。転じて天子そのものを指す。

*11
昭和32年(1957年)発売のフィルター付き紙巻きタバコ。レギュラーサイズで一箱10本入りで、現在では珍しい戦前の形式を保つ紙巻きタバコである。

*12
史実とは異なり、マブラヴ世界では、BETA戦争の1974年にイラン革命の震源地であるマシュハドが失われ、イスラム過激派が雲霧消散した為、パフラヴィー朝が存続した。

*13
今日のトルクメニスタン




 kurou様、先日の誤字報告有難うございました。

注釈をつけるべきところに付け忘れ、字義や意味の理解が不十分であったことは申し訳なく思っています。

 注釈は個人的にも鬱陶(うっとう)しいと思い、取り敢えず10個前後に減らしました。

 読みづらいな、難解だなと思ったらご意見下さい。
可能な限り対応させて頂く積りです。


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青天(せいてん)霹靂(へきれき) 後編

 1977年の夏に突如として現れた天のゼオライマー。
そのパイロットで、天才科学者の木原マサキ。
BETAの禍に悩む列強諸国は、彼の動向に注目し始める。



 

 米国バージニア州ラングレー

 

 同地にあるCIA本部にある人物が呼ばれていた。

金髪で、レンズの厚い牛乳瓶の底の様な眼鏡を掛け、職員に案内される白人の男。

ツイードの三つ揃えの背広を着て、右手には黒無地の兎毛で織ったテンガロンハットを持ち、左手には厚いB3の資料を抱え、茶色の編上靴を履いた足で大股に歩く

白地のシャンブレー・シャツに臙脂(えんじ)色のウール・タイ。

その姿はまるで西部や南部の田舎紳士という支度であった。

 

 男の名前は、フランク・ハイネマン。

彼は、航空機メーカー、グラナン社の戦術機開発部門に勤務。米国有数の若手技師として、期待の星と目されいる。

その様な事情もあってか、本人の意思とは無関係に日米合同の「曙計画」への参加を命ぜられた。

 

 夕闇迫る室内に入ると、シャツ姿で胡坐(あぐら)を組んで床に座るCIA長官が居た。

室内は暗く、香が焚かれ、何やら画が掛けてある。

 長官は、案内役の声を聴くと立ち上がり、部屋の明かりをつけるよう指示した。

閉じた目を開くと、左手に嵌めたタイメックス*1の腕時計を流し見した後、彼の方を向いた。

 

「私も、今流行(はや)りのニューエイジ・カルチャー*2の研究をしていたのだよ。

なんでも西海岸では、BETAを神から使いと崇める狂信者*3共が出始めたと聞いている。

奴等は、阿芙蓉(あふよう)*4やマリワナの吸い過ぎで、気が狂ったかと思ったが違うらしい。

本気で、神に(すが)り始めていると言う事だよ」

 

 

 左手に抱えた資料を置くと、机に座るよう指示されたハイネマンは、長官に問うた。

「私の事を、呼び立てたのは、そんな世事に関する話ではないでしょう」

長官は、床に敷いた濃紺の羊毛製絨毯の上に立ち、ストレートチップの茶革靴を履きながら、応じる。

「日本で新型戦術機が開発された話は知っていよう」

 

 彼の顔色が豹変(ひょうへん)する。

(たかむら)という男が、この件で帰国したのは我々も掴んでいる。

君も浅からぬ間柄であろう」

CIA長官は、靴を履くと屈んで絨毯を巻き上げる。

「ブリッジス君の事が、忘れられぬか。

あの貴公子に、寝取られたことを昨日の事の様に悔やんでいるのも分かる。

良い女なら、私の方で世話をしよう」

 

 彼は、勢い良く立ち上がる。

憤懣(ふんまん)遣る方無い様子で、CIA長官に返した。

「その様な話をしに来たのではありません。私は帰らせて頂きます」

強い麝香(じゃこう)が立ち込める室内で、長官はオイルライターを取り出し、着火させた。

『SALEM』の文字が掛かれた白と緑の紙箱から、白色のフィルター付きタバコを取り出し、火を点ける。

紙巻きたばこを深く吸い込み、重く苦しい話から逃れるべく、バージニア種の甘みと薄荷(はっか)の味付による爽快感……

男は、一時の安らぎを求めた。

 

「待ちたまえ。君に詰まらぬ話をさせに来たのではない。

実は、大型戦術機のデータをわが方で得たのだよ。

彼等の機体は、核動力相当の新型エンジンで動いていると言う事が判明した」

 

「お待ちください。その話が本当であるならば、自分はこの案件には関係ありません。

それは、すでにロスアラモスの扱いです」

 

彼は語気を強めて、眼前の男に請う。

「お願いです。私はこの案件には関わりたくありません。確かに篁には複雑な感情は持っています。

ですが、技師としては、その様な操縦者への悪影響が計り知れない核搭載エンジンの戦術機という禁じ手は、魅力的です。

しかし、新元素の解明も途上の今、その様な怪しげなものに頼り切るのは、些か不安が拭えぬのです」

 

 長官は、椅子に腰かけると、彼に向かって言った。

「新型機のパイロットは、自分を何と評したか、知っているか」

訝しむ彼を横目に続ける。

「《冥王》だそうだ」

思わず、目を見開く。

「……つまり地獄の主と、自分から」

右手に握ったタバコを、灰皿に押し付ける

「そうだ、冥府の王と。冥府の王の事を、日本では閻魔大王(えんまだいおう)と言う。

日本の仏教信仰では、閻魔大王は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の仮の姿。

僧形に身を(やつ)し、地獄の責め苦から救う、代受苦(だいじゅく)の菩薩と聞く」

 

「それがどのような関係が……」

 

「彼は、BETAの艱難(かんなん)から、我らの身代わりになって救ってくれる存在かもしれんと言う事だよ」

 

 ハイネマンは、椅子に腰かける長官を見つめる。

その表情は恍惚(こうこつ)としており、壁を眺めている。

彼は思う。長官自身が、例の戦術機に魅了(みりょう)されている事を……

 

 暫しの沈黙の後、長官は口を開く。

「この件は、君の戦術機開発に役立つかもしれん。また機会があれば声を掛けよう。

よろしく頼む」

彼は立ち上がって、送り出す長官に見送られる。

職員の案内で、来訪者用の出口から退庁。

帽子を被り、日の落ちた空を見上げながら駐車場まで歩いて行った。

 

  英国・ロンドン

 

 午前二時、(まばゆ)いシャンデリアの輝く大広間に、響く足音。

勲章を胸一杯に付けた完全正装の軍人や燕尾服姿の紳士、ドレス姿の貴婦人。

まるで絵画から抜け出してきたような人々は、引切り無しに続く軍楽隊の演奏に乗って踊る。

 その夜会(パーティー)の主人は、浮かぬ顔をしていた。

王立空軍将校の軍服を着て、目立たぬように、窓辺に立つ。

一人、深夜のロンドン市中を眺めていた。

彼は、今夕の話を思い起こしていたのだ。

 

 時間は数刻ほど遡る。

首相からの上奏(じょうそう)の折、日本の戦術機に関して、彼は尋ねた。

「陛下、彼の国では既にハイヴ攻略を2か所単独で成したと聞き及んでおります」

「本当か」

男は、振り向かずに答える。

「では尋ねる。どれ程の損害が日本軍に生じたのか……」

「信じられぬ話ではありますが、全くの損害無しです」

男は、振り返る。

「誠か」

この男は、嘗て七つの海を制覇した大英帝国の皇帝で、今は英連邦の国王であった。

「秘密情報部長官を此処に呼び出せ」

 

「陛下、ただいま参内致しました」

秘密情報部*5長官は、今にも譴責(けんせき)されるかと震撼していた。

「では、聞こう。日本の大型戦術機・ゼオライマーとはどれ程の物か」

情報部長官は、額の汗をハンカチで拭うと、答え始めた。

「まず支那の新彊、嘗ての東トルキスタンに置いて、(わず)か12時間でハイヴ攻略を成し得ました。

その後、西ドイツのハンブルグでパレオロゴス作戦の下準備の為に入った後、米軍第二機甲師団の基地に駐留しています」

 

「それだけかね」

眼光鋭く、彼を(にら)

「では、余が教えてやろう。

今しがた入った情報であるが、ペルシア*6のマシュハドのハイヴを同様に破壊したのだ。しかも2時間も掛からずにな。

それで良く、情報部長が務まるわ」

右の食指で、彼の胸元を指差す。

彼を追い出すように部屋から出すと、入れ替わる様に国防長官が入ってきた。

「国防情報参謀部の意見はどうか」

男に深い礼をすると、国防長官は話し始めた。

「では申し上げます。国防情報部では、例の大型機は核爆弾数百発に相当する威力であり、其れ一台でまさに一騎当千の価値があると考えて居ります。

操縦者と開発者は男女混成のペアで、その機体を動かしていると聞き及んでいます。

しかしながら、その動力源に関しては一切不明です」

 

男は、執務用の椅子に腰かけると、こう漏らした。

「『コロンビア』*7の統領に書状を(したた)める。この件に関しては、政府部内でよく意見をまとめた後、報告せよ」

机の上に立掛けてある老眼鏡をかけると、万年筆で流れる様に書き上げる。

署名した後、国璽(こくじ)*8を押し、封*9をする。

 

「これを、明日一番の飛行機でD.C*10に届けよ」

両手で親書を受け取ると、国防長官は最敬礼の姿勢を取る。

そして部屋を後にした。

 

「若かりし頃、『コロンビア』の寡婦(かふ)*11に熱を上げたが、今思えば愚かな事であった物よ……」

脇に立ち尽くす首相へ、聞こえる様に囁く

「そなた達が、自死を持って迄、(いさ)めてくれたからこそ、今日(こんにち)の余があると言っても過言ではない」

首相は、その男の顔を直視できなかった

「臣民が、王朝の弥栄(いやさか)を願う気持ち。無駄には出来ぬからな」

龍顔(りゅうがん)*12から流れ出る滂沱(ぼうだ)の姿を見て、彼は(むせ)び泣いた。

 

 

 フランス・パリ

 

 「この愚か者共が!」

深夜のエリゼ宮殿内に、怒声が響き渡る。

「大統領閣下、お怒りをお納めください」

初老の男は、彼を諫める秘書官たちを一括する

「貴様等は、揃いも揃って、英米に先を越されるとは何事か。

この栄光ある、フランス第五共和国に泥を塗りつけているのと何ら変わりはない」

彼は、椅子に腰かけ、腕を組む

「あの老人共にコケにされてるのは、()()りだ」

 

暫し瞑想をすると、目を見開き、言葉少なに答える。

「首相を呼べい!」

秘書官が、恐る恐る問いかけた。

「閣下、今は深夜一時で御座います。今から呼び立てるとは……」

「事は急を要する。そして奴の他を置いてこの工作を行える人物はいない」

秘書官が、再び問い直す。

「なぜですか。ほかにも、専従工作員や軍の伝書使(クーリエ)がおります」

男は右手を持ち上げ、天井を指差す。

「奴には、日本国内に(めかけ)がおって、そしてその女との間に子が有る。

その女は、武家の娘と聞く。彼女を通じて、城内省に話を付けてもらう」

 

一同に衝撃が走る。

「例の新型機(ゼオライマー)に関する情報は、城内省の中に立ち入らねば手に入れられぬ。

(まさ)に『虎穴に入らずんば虎児を得ず』とは、この事よ」

机の上に有るシガレットケースを開け、フィルター付きのタバコを取り出すと、火を点ける

『ジダン』*13の青色の箱から開け、詰め替えた物であった。

 

「そうよのう、この『ジダン』の様な、壮麗な踊り子でも用意して、戦術機の衛士に近づけよ」

タバコを吹かし、紫煙を吐き出す。

「どの様な人物か知らぬが、男であれば、転ぶ様な絶世の美女を仕立て上げてな……」

彼は不敵の笑みを浮かべた後、こう告げた。

「『フリッツ』*14共に先を越されてはならぬ。あの負け犬共には、その地位に甘んじてもらわねば」

タバコを、右手で灰皿に押し付け、もみ消す。

「我が国の平安の為に、彼等は永遠にその立場に据え置かねばならぬのだよ」

そう答えると、再び瞑想の世界に戻った。

 

 西ドイツ・ボン

 

 ボンの合同庁舎では、深夜を過ぎても作業が続いていた。

三か月後に迫ったパレオロゴス作戦の補給計画の遅れを取り戻すべく毎夜残業が行われていた。

政府部内の試算では、現在の保有弾薬数や燃料備蓄量ではハイヴ攻略には不足。

各所を通じて、合わせて食料や需品(じゅひん)の確保に追われていた。

 

 男はタイプライターの前から立ち上がると、眠気覚ましにコーヒーを取りに給湯室に向かった。

周囲を見ると、自宅に帰れずに机に突っ伏して仮眠している人物がそれなりに居る事に気が付く。

既に残業は常態化しており、彼は気には留めなかった。

 給湯室で出涸(でが)らしのコーヒーを入れると、紙コップを持ったまま室外に出た。

季節は既に4月に近いが、肌寒くオーバーが必要なくらいの温度。

窓辺から、入り込む深夜の風は冷たく、目が冴える。

懐より両切りタバコを取り出すと、火を点け、吹かす。

 

 噂では、日本軍の大型戦術機は、高出力で大火力。

高度1万メートルまで悠々と飛び上がり、推進剤の消耗の心配もいらないと聞く。

光線級の攻撃を物ともせず、逆にBETAの群れを一撃で灰燼に帰す。

その話が本当ならば、この様な準備計画は無駄ではなかろうか……

 

 いつ終わるか、わからぬ残業を続けているせいであろう。

そう自分自身に言い聞かせ、心を落ち着かせる。

この作戦が終わったならば、妻と共にオーストリーのウィーンに行って湯治(とうじ)でもしたいものだと考える。

足腰の痛みは辛く、長時間のデスクワークで体も凝り固まってしまった。

35度の熱泉*15に入って、体を休めたい。

或いは、バーデン・バーデンの混浴に入って、妻と暫し語らうのも良かろう……

 

 ふと腕時計を見ると、深夜3時……

開庁時間まで仮眠するかと、その場を後にした。

 

*1
1854年創業の米国時計メーカー。使い捨て腕時計が主力で『アイアンマン』等で有名

*2
1960年代以降の米国の経済的斜陽を受け、流行した精神運動。キリスト教的価値観から離脱し、東洋的な文物に救いを求める運動。特に仏教や禅の思想を取り入れようとした

*3
キリスト教恭順派。マブラヴ世界の秘密結社。各国に潜入し有害活動をした

*4
芥子の実から採取される果汁を乾燥させたもので、麻薬の一種。アヘンの事。

*5
MI6の事

*6
イランの古称、雅称。

*7
米国の雅称。発見者のクリストファー・コロンブスに由来。

*8
国家の表徴として押す印章。外交文書等の重要文書に押される。

*9
封蝋(ふうろう)の事

*10
District of Columbia.コロンビア特別区。米国首都ワシントンの事

*11
夫と死別、又は離別し、再婚していない女。結婚歴のある夫のない独身の女の事。

*12
天子の顔。

*13
Gitanes.製品名は、ジプシー女を示すフランス語の"La Gitane"から。レギュラーサイズの黒タバコ・シガレット。

*14
Fritz.古式な表現でドイツ人の事。

*15
欧州では35度前後のぬるめの水温が好まれる




 なお9月7日以降は、翌週より隔日更新にさせて頂きます。

ハーメルン版に修正しているのですが、手入れが不十分になる為です。
暁の連載の方に影響が出ないようにするためでもあります。

ご感想、ご意見、お待ちしております。


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褐色の野獣 前編

 『褐色の野獣』の異名を持つ男、ハインツ・アスクマン。
彼は自己保身の為に、シュタージファイルの一部を持ち出す。
妖しい目を輝かせながら、西側情報機関に接触する。



 ドイツ連邦共和国・西ベルリン近郊

 深夜二時の東西ドイツ国境*1

 

 山高帽に厚いウールコートを着た、栗色の髪の男が、東洋人と思しき男に声を掛ける。

「なあ、こんな所で飛び込みの『営業』とは、君も仕事熱心だね。

日本人が『エコノミック・アニマル』という前評判も嘘ではないらしいな」

中折帽(フェドーラ)にトレンチコート姿の男が、頭を下げる。

淀みなく英国英語(クイーンズイングリッシュ)で返した。

「お褒めに預かり、光栄の極みです」

 

 黙って立つもう一人の黒髪の男はシルクハットに、脹脛を覆い隠す長さのマントという支度(したく)

片眼鏡(モノクル)を掛けさせ、(ステッキ)を手に持たせれば、まるで英国紳士(ゼントルマン)其の物。

 

 

 深い森の中を一台のトラックが抜けて来る。

青い煤を吐き出しながら走る車は、前照灯に人影を認めると止まった。

エンジンを掛けた儘、二人の男が降りてきた。

灰色のキャスケット帽を被り、黒色の起毛が掛かった横朱子織*2の上着に、薄汚れた茶色の畝織(うねおり)*3のズボン。

何処にでもいる百姓姿で、両手には不似合いな皮手袋。

後ろには同様の支度をした金髪の小柄な男が、アタッシェ・ケース二つを下げて立ちすくんでいる。

 

 背の高い方の百姓は、帽子を持ち上げて、眼前に立つ紳士達に挨拶をする。

「いや、お久しぶりですな。紳士殿」

彼は、シルクハット姿の男に声を掛ける

件の紳士は、シルクハットのつばを持ち上げ、返礼の挨拶をすると話し始めた

 

 百姓は、右手を顎に添える。

「まあ良い。して、目的の物は用意してきた」

左掌を、後方に立つ小男に向ける。

彼の指図に従って、手提げかばんをゆっくりと紳士に渡す。

 

 紳士は、中を(あらた)めると黙ってカバンを持って下がった。

山高帽の男が、ジュラルミン製の大型カバンを両手で抱えて、小姓と思しき男に渡す。

一連の作業を黙って見ていたトレンチコート姿の男は、動き出した。

車の前に立つ百姓に、一礼をした後、懐中より、化粧箱を取り出す

「どうか、お近づきの印として、お納めください」

 

百姓は、受け取るなり、中を改める。そして時計のバンドを持ち、裏に書かれた銘鈑を確かめた。

見た所、日本製の時計であり、彼の記憶が間違いなければ『クオーツ・アストロン35SQ*4』という商品である事に違いはなかった。

「初めて会う方から、斯様(かよう)な高価なものを頂いては……」

百姓は、彼からの贈答品を後ろに立つ小男に渡すと、代わりにファイルを受け取った

「代わりになるか、解りませぬが、貴方方が欲しがった『目録』で御座います」

 

トレンチコート姿の男は、百姓より手渡されたファイルを受け取った後、一瞬顔色が変わった。

男は思った。これが、悪名高い保安省(シュタージ)の『個人情報』ファイル……。

政府に不都合な人間や移住希望者、危険思想に感化された人物、等の情報収集。

相互の住民監視を通じての統制の噂は聞き及んではいたが、真実であった事に、今更ながら驚いていた。

 

百姓男が出した資料を、改めて見る。

付箋(ふせん)が付いているページに載る人物は、年の頃は、18歳から20歳の間と言ったところであった……

 

「まあ、私なりの誠意に御座います。どうか、良れば、受け取って頂ければ幸いです」

 

シルクハットの紳士が告げる。

「君なりの、恭順(きょうじゅん)の意かね……」

百姓は、不敵の笑みを浮かべた。

「端的に申し上げましょう。万が一の際、西に下る保険に御座います。

もし宜しければ……」

婉曲な表現で、告げる。

彼は暗に、貢ぎ物として差し出す様な事を示した。

 

紳士は、マントを押し上げ、腕を組む。

「何ゆえに」

百姓は、皮手袋越しに、右手で顎を撫でる。

「『我が同志』の……」

薄ら笑いを浮かべながら、続けた。

「いや、知人の妹なのです。彼女の兄の頼みもあって、せめて彼女だけ西に逃してほしい、との考えて居ります」

紳士は、トレンチコート姿の男からファイルを取り上げると、付箋があるページまで(まく)る。

暫し凝視した後、答えた。

「我等に下る準備とは言え、百姓風情が、慣れぬ頼み事などすべきではない」

冷笑が響き渡る。

 

 

「では、この辺でお暇させて頂きます。旦那」

キャスケットの鍔を持ち上げて、挨拶をすると、車に乗り込む。

深緑色のトラックは、元来た道を駆け抜けていった。

 

 紳士は、トラックが立ち去るのを見届けると、周囲を(うかが)う。

山高帽の男は、持ってきた革張りのアタッシェから電動工具のような外観をした物を取り出す。

M10*5と呼ばれる小型機関銃(マシンピストル)で、銃把の下から弾倉を差し込む。

コッキングレバーを引き、何時でも射撃可能なように、つり革を左手で掴む。

『安全』が確認された後、懐中電灯を取り出し、ファイルを再び見た。

「これは、東ドイツの戦術機部隊長の妹ではないのか……」

紳士は、思わず独り言を漏らした

脇から、トレンチコート姿の男が、改めて覗き込む

 見目麗しい、金髪碧眼の美女の写真。

その他に資料には、説明文として家族構成や子細な情報が独語で、別刷りの紙に英字のタイプで書き込んである。

 

 

 英国紳士は、表情を厳しくして言う。

「諸君!これは大事になったぞ。今しがた入れた東ドイツ財政の機密資料*6の比ではない。

本物の国家保安省資料(シュタージファイル)だ。しかも、戦術機部隊メンバーに関する物であることは間違いない」

彼は、帽子の鍔を握る。

「我々も、奴等の政治的策謀に載せられていると言う事だよ」

 

紳士は、米人に返答する。

「君も、会社(カンパニー)*7に持ち帰って話し合い給え。

こればかりは、我等で判断できるレベルではない……」

紳士は、トレンチコート姿の男を振り向いた。

「君は一旦日本に持ち帰り給え。これは大事だよ。

下手すれば、西ドイツ宰相の首が再び飛びかねん*8

男は、中折帽のクラウンに手を置く。

「いやはや、今年はとんでもない年になりそうですな」

男達の談笑の声が、深夜の森に響いた。

 

 ベルリン・共和国宮殿

 

 窓辺に立つ一人の初老の男が呟いた。 

「この話は本当なのか、同志シュミット将軍」

濃紺の背広を着た男は、後ろに立つ軍服姿の男に振り返る。

 

「議長、小職は、そう伺っております」

禿髪で、黒縁眼鏡を掛けた国家保安省少将の階級章を付けた男が答える。

「アスクマン少佐が、直々に仕入れた情報を精査した結果、その様な結論が出ました」

 

 男は、椅子に深く腰掛けた。

彼は、ドイツ民主共和国の国家指導者である国家評議会議長であり、SED*9書記長を兼務している人物。

「つまり我々は、既に、その男と接触していたと言う事かね」

禿頭の男が、頷く。

「小職も、KGB*10に問い合わせた所、同様の見解を得ました」

『KGB』との言葉を聞いて、男の目が鋭くなる。

 

「では、私が直々に、同志ベルンハルト中尉を宮殿に呼ぼう。

君達は、引き続き、その大型戦術機の衛士の内偵を続けよ……」

「心得ました」

 

 机の上に有る、『CASINO』と書かれたタバコの箱を引き寄せて、掴む。

中から一本取りだして、火を点けた。深く吸うと、溜息を吐き出すような勢いで紫煙を燻らせる。

「これは、とんでもないことになったぞ……。ご苦労であった、同志シュミット将軍。

君は下がり給え。後は評議会で、どうにかすべき話だ……」

男の言葉が終わると、シュミットは深々と頭を下げた。

 

 議長は、再び立ち上がると深夜の執務室の窓を開けた。

遠くから、車両の行きかう音が微かに聞こえる。

 シュミット少将は、ふと思った。

(よい)の街に響く音は、軍関係であろうか……。

昼夜問わずパレオロゴス作戦の準備をしていると、聞く。

 彼は、内心馬鹿々々しく思ったが、その場では顔には出さなかった。

部屋を後にすると、静かに苦笑した。

 

 

 

 ベルリン某所の私邸。

アスクマン少佐は、一人湯船に浸かり乍ら昨夜の出来事を振り返っていた。

 シュタージファイルの一部と引き換えに、西側から大型戦術機の情報、つまりゼオライマーの秘密の一部を手に入れた。

憎きユルゲン・ベルンハルト空軍中尉の妹、アイリスディーナ・ベルンハルト。

彼女を、文字通り西側に『売り飛ばす』*11事によって、その秘密を我が物としたのだ。

 

 彼は、ほくそ笑んだ。

女一人を、西の社会に貢物と出す確約をする代わりに、ソ連KGBやGRU*12が最も欲した秘密情報を得る。

敵対するモスクワ一派*13を出し抜き、優位に立つ。

無論、表立って敵対者を作るのを避ける為に、上司のシュミットには一応、明かした。

其れより先に、議長と大臣には私信を送る形で報告済み……

今頃、それを知らぬ間抜けな上司が、献言(けんげん)しに行っているのであろう。

出し抜かれた事も知らずに、報告しに行く様を想うとなんと滑稽な事か……

肩まで桃色の薬湯に浸ると、一人、哄笑した。

 

 その様な事を思いながら、味わう嘉醸(かじょう)の格別さは表現できない……

薬湯に浸りながら、ガラス細工の施された杯を持ち上げる。

自然と笑みが浮かぶ。

奴等に先んじて、そのゼオライマー・パイロットと接触してみるのも一策であろう。

 杯を置き、湯舟より立ち上がる。

姿見鏡(すがたみ)の前に立ち、自らの裸体をまじまじと眺めた。

細く痩せてはいるが、筋肉はまだ残っている。

若かりし頃よりは衰えたとはいえ、小娘などを簡単に捻って屈せるであろう。

 かのベルンハルトの妹、アイリスディーナや、その恋人、ベアトリクスを思い浮かべる。

二人の美少女を思い浮かべる内に、なんとなく瑞々(みずみず)しい二個の白桃を連想した。

その連想は、男の食欲に似た魅惑を刺激し、さらなる欲望を搔き立てる。

ただ遠くから見ているだけでは飽き足らず、何れや手で触れて、ざっくりと歯を当てたい。

我が手で辱めたいという、性欲的な衝動に駆られた。

 

「実に愉快」

 

 ふと、独り言を言う。

寝台の上では、バスローブ姿で横になっている愛人が待っているであろう事を思い起こす。

ハンガーにかけてある、バスローブを着こむと、浴室から出て寝所に向かう。

この興奮冷めやらぬうちに、愉しませて貰うとするかと考え、戸を閉めた。

 

 

 

 

*1
ベルリン近郊は東西ドイツの領土が入り組んでいて行き来が比較的簡単だった

*2
経糸と偉糸の交差する点をなるべく目立たない様にして、織物の表面に経糸または緯糸を長く浮かせた織り方。モールスキンの事。

*3
コーデュロイ

*4
1969年に発売されたSEIKO社の世界初のクオーツ腕時計。

*5
イングラムM10。ゴードン・イングラムが設計した短機関銃。ベトナム戦争で使われた。

*6
東ドイツの財政状況は、シュタージ首脳部は疎か、SED幹部も知らなかった。 1990年の東独崩壊まで隠匿された

*7
CIAの隠語。

*8
1974年、シュタージ工作員・ギュンター・ギヨームによるスパイ事件で西ドイツ首相ヴィリー・ブラントが辞任した事件。世にいう『ギヨーム事件』

*9
ドイツ社会主義統一党。東ドイツの独裁政党

*10
ソ連国家保安委員会。シュタージと諜報上の協力関係にあった。

*11
史実では1963年以降、西ドイツ政府は東ドイツ国内に居る政治犯、亡命希望者の購入を実施。買い取り価格は1人あたり、9万5847西ドイツマルク(1977年当時)。離散家族も含め合計25万人を買い取り、1990年までに計35億西ドイツマルクを支払った。一般的に『自由買取』と称された

*12
赤軍総参謀本部

*13
ソ連に追従するシュタージ内のグループ




 暁の方で会話が冗長すぎるという意見をもらいました。
その為、余計な会話は削り、最低限の内容に致しました。


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褐色の野獣 後編

 国際謀略戦の最前線に立つ帝国情報省。
その伏魔殿で、マサキの知らぬ間に工作が進められる。
一方、マサキは一向に進まぬ作戦に嫌気がさし始めてきていた。


 東ドイツに潜入した工作員が持ち帰った情報にCIA、MI6は困惑した。

散々、宣伝煽動(プロパガンダ)で、持ち上げた戦術機実験集団の隊長の妹……

その人物を西に亡命させたいと受け取れる内容の話を、保安省職員が持ち込む。

しかも、只の小吏*1ではない。

 中央偵察管理局の精鋭工作員と名高い男が、直々に手渡ししたのだ。

中央第一局で、少佐の立場にあるとも、聞く……

両者は、この件を『塩漬け*2』にすることにした。

 

 しかし、日本帝国の情報省は違った。

その場に来ていた営業員(セールスマン)を自称する男が、名刺に紛れ込ませて情報を渡した。

東ドイツとソ連の出方を見るために、敢て冒険に出たのだ。

脇で見ていた工作員達は、内心で何を考えていたのであろうか……

それを知らなかったのが、彼に対して唯一の救いであった。

 

 彼は、数週間前の事を思い起こしていた。

 

 帝国・京都

 

 城内省の本拠である、帝都城の一室に、着物姿をした長髪の人物が入る。

彼の傍に立つ、僧形の大男も続く。

袈裟の上から大振りの数珠を首に下げ、手には太刀。

 堂々とした態度からすると、将軍に使える茶坊主*3や側用人ではなさそうである。

平伏して待つ彼を、一瞥すると上座に着物姿の男が座るのを待つ。

男が座ると、その大男も右手に太刀を携えて座る。

「面を上げよ」

男の声で、彼は顔を上げる。

「貴様を呼んだのは、他でもない」

長い(あごひげ)を右手で触りながら、問う。

「支那で拾った例の男(木原マサキ)の話は、聞いて居ろう。其奴(そやつ)の情報を東側に流せ」

 

 彼は驚愕した。

この東西冷戦下で、それは自殺行為にも思えたのだ。

 

 彼は思わず、叫ぶ。

「翁、それは……危険な賭けでは御座りませぬか。

今、米国の後塵を拝して居るとはいえ、仮想敵国にその様な『餌』を与えるのは」

《翁》と呼ばれる男は、応じる

「儂とて、危険な行為であることは承知しておる。

何れ、米国がハイヴより得た新元素をもってして新型爆弾を完成させる日も、そう遠くは無いと聞く。

米国一国支配の体制では、殿下の御威光(ごいこう)も陰ろう。

故に、ソ連との形ばかりの冷戦を続けさせ、疲弊させるのだ」

 

《翁》は、冷笑した。

「無論、頼みの綱が米国一本槍である限り、我が国は使いやすい便利な傀儡の儘よ。

細くとも、ソ連という他の伝を構築しておかねばならぬ事情も否定はせぬ」

 

 着物姿の男は再び考え込むと、暫し間をおいて話した。

「今、欧州は風前の灯火じゃ……。何れは、我が国にも飛び火しよう……。

そこで、後方で栄える米国。奴等にBETAの禍を思い出させる」

彼は、老人の言葉に困惑した。

「我が国に害を与える可能性があっても、(なお)、その必要がお有りでしょうか」

 

《翁》は、居住まいを正し、告げた。

「武人とは、常に死を覚悟して臨むもの。

誰かが、夜叉(やしゃ)*4にならねばなるまい……

其方(そち)が、今日より夜叉となって、その任に当たれ」

不敵の笑みを浮かべる。

「その為に、支那で拾った男には、捨て石になって貰うのよ」

《翁》は高らかに笑った。

 

 《翁》が、一頻り笑った後、彼は尋ねた。

例の男(木原マサキ)が、生き延びた際は、如何様(いかよう)に扱われるのですか」

腕を組んで、彼の方を見る

「形ばかりの褒賞を、幾らでも与え、飼い殺しにでもしようぞ。

女を(はべ)らせている所を見ると、余程の好色(こうしょく)家に思える。

好みそうな美女でも仕立て上げ、情で其奴を縛れば、無闇なことも出来まいよ」

 再び、高らかに笑う。

「其方が活躍、愉しみに待っておるぞ」

 

彼は、その会話を思い出しながら、木原マサキに会いに向かった。

 

 西ドイツ・ハンブルグ

 

 マサキは、帝国軍の戦術機訓練に参加していた。

だが飽きた彼は抜け出し、訓練場の裏で、タバコを吹かしていた。

 うんざりする様な曇り模様に、この寒さ……

コヨーテの毛皮が付いた軍用防寒着を着て、爆薬箱(アンモボックス)を椅子代わりにし、腰かけていた。

 すると草叢(くさむら)から、例の会社員(サラリーマン)風の男が表れる。

帽子を被った男は、オーバーのマフポケットに手を突っ込んだ状態で、彼に向かって問うた。

笑みを浮かべながら、諧謔(かいぎゃく)(ろう)*5する。

「君が冥府より、わざわざ現世(うつしよ)を訪ねた事は、すで(うかが)っているよ」

 

 その一言を聞いて訝しむマサキ。

彼は思わず、こう言い放つ。

「俺は、この世界に来て様々な連中に在ってきたが、貴様等ほど傲慢な人間は、知らぬ。

こんな偉そうに振舞っている乞食なぞは、見た事も聞いた事もない」

男は、立ち(すく)んだ侭、冷笑していた。

 

 彼は、眼前の男に、こう答えた。

「しかし、覗き見も大変であろうよ。俺と美久を、貴様が覗いていたのは把握している」

彼は、次元連結システムを応用した携帯型探知装置で、男の動きを逐一観察していた。

「中々、良い経験になった。他人の目に(さら)されながら暮らす等と言う事は、出来ぬからな……」

苦笑しながら続けた。

「何時でも、俺を尋ねれば良い」

そして、捨て台詞を言い放つ。

「見たけりゃ、見せてやるよ」

 

 男は、一瞬唖然とした表情になった後、剽軽(ひょうきん)な態度を取った。

「おやおや……。吃驚(びっくり)させようと思って居たが、全てお見通しかね」

 

 男は、一瞬目を瞑る。

再び目を見開くと、静かに告げた。

「ふむ、中々、君も秘密の多い男だね。では、私は帰る途中なのでね……。

此処で、失礼するとしよう」

男はそう言うと、足早に草叢の中に消えて行った。

 

(「この溝鼠(ドブネズミ)野郎が……」)

姿の見えなくなった男に、彼は心の中で叫んだ。

 

 暫くすると、入れ替わる様に、強化装備の(たかむら)巖谷(いわたに)が来る。

脇にオートバイのヘルメットの様な物を抱えていた。

 彼は、ふと思い出した。

あれは確か、美久が、この間持ってきた77式気密装甲兜という物。

通電することで色が変化し、非常時には前面を金属製の装甲で覆うという良く判らない造りで、強化装備と同じくらい意味不明な物であった。

あんな不格好な強化装備とヘルメットを被るくらいなら、まだ米空軍の戦闘機パイロットスーツとヘルメットを着る方がマシに思える……

 

「木原、休憩時間にはまだ早いな」

巌谷が声を掛ける。

「何、俺は出歯亀(でばがめ)の相手をしていた迄だ。

何時ぞやは、美久と一緒に居るとき、覗いていた男だ」

(「中々の下種だよ」)

 

二人の男は、マサキのその発言を受けて、渋い顔をする。

「帽子男が、先日、こうほざいた。

『山吹の衣を着た武人の様に、外遊に行ってまで、他人(ひと)の女を寝取る趣味は無い』、と……」

 

篁の目が据わる。

「しかし何の話だ。俺には、さっぱり解らぬ」

彼は、真顔で篁に問うた。

段々と二人の顔色が変わるを見て、聞くのを諦める事にした。

 

 事務所に帰ると、隊長に叱責された。

何が問題なのか、質した事が、再度の叱責理由になったのだ。

 日頃より自由気侭に振舞う彼は、組織の中では浮いた存在。

一応、時間厳守や行事には参加するが、あまりにも有図無碍な態度に他のメンバーから問題視される。

 それが、今回の叱責の本当の理由であった。

無邪気に問い質したのは、藪をつついて蛇を出す結果になったのだ。

 

 割り当てられた、将校用の個室に戻ると、一風呂浴びた。

持ち込んだ寝間着に着替えた後、椅子に腰かけながら思案する。

『「兵隊ごっこ」も、飽きた』

彼の偽らざる感想であった。

あと3か月程我慢して、その後ソ連を焼いて、火星か、月でも消し飛ばすのも良いかもしれぬ。

デモンストレーションとして実害の少ない木星の衛星・ガニメデでも、良かろう。

案外、化け物共の巣にでもなっているかもしれないし、感謝されこそすれ、恨まれぬであろう。

 

 或いは、嘗て秋津マサトの人格が残っていた時の様に、敵に捕まって、奴等の反応を見るのも楽しかろう。

あの時も、鉄甲龍の間者に捕まり、首領直々の拷問を受けたが、然程ひどい扱いではなかった。

システム化された拷問方法があるKGB、CIAはともかく、ゲーレン機関*6やシュタージ辺りの田舎の組織では、洗練された尋問法も無かろう……

少しばかり仄めかして揶揄(からか)い、遊ぶのも良かろう。

最悪、奥の手を準備して置いて、逃げ出せばよい。

 

 あまり考え事をしていては、風呂に入って温まった体も冷めてしまう。

まさか、昼間忠告したであろうから、帽子男も覗き見せぬであろう。

椅子から立ち上がって、簡易ベットの方に向かう。

床に入ると、美久を行火(あんか)の替りにして、寝ることにした。

*1
低い地位の官吏。小役人

*2
野菜・魚・肉などを塩で漬けること。又、その漬けた物。そこから転じて、動きのない状態や動かせない状態の事

*3
武家で茶道の事を司った役

*4
性質が勇猛な、古代インドの鬼神。後に仏教に取り入れられ、仏教の守護神になった

*5
ユーモアを言う。冗談をいう事。

*6
西ドイツの諜報機関




 一つの話にまとめようかと思いましたが、場面転換があるのでそのままにしました。


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忍び寄る影 前編(旧題:乱賊)

 忍び寄るソ連の暗い影。
彼等は斜陽するソ連の形勢逆転の為に、天のゼオライマーを欲したのだ。
KGBに誘拐された、木原マサキの運命は如何に……




 米国と並び立つ大国として、世界を二分した、超大国・ソ連。

しかし、今はBETAの侵攻もあって、嘗ての都モスクワから9000キロも離れたハバロフスクに落ち延びていた。

 地の底より湧き出る石炭・石油資源や金銀を代表とする希少金属の数々……。

戦費調達の為に、資源採掘権や石油採掘の証文を、諸外国に売り払う。

だが、雲霞(うんか)の如く攻め寄せるBETAの前には、到底足りなかった。 

其の殆どは、6年近い戦争の結果、失われた。

 

 其処に、東ドイツに居る工作員から情報が届く。

一騎当千の大型戦術機と、その設計者。

予想を上回る性能と、測り知れないエネルギー効率。(まさ)しく、超兵器(スーパーロボット)と呼ぶにふさわしい。

亡国の関頭(かんとう)に立たされたソ連にとって、天のゼオライマーと木原マサキは、垂涎(すいぜん)の的であった。

 

 

ソ連・ハバロフスク

 

 ソ連首脳を集めた秘密会合で、早速ゼオライマーに関する話が上がった。

一人の四十絡みの男が冷笑する。

「どうやら他国の手まで借りて、お作りになられた『ESP発現体』とやらは、失敗のようですな」

対面する老人が、睨む。

「君ならば、成功すると言うのかね」

彼は、その老人の方を振り返る。

「ただし、KGBから人手は、お貸し頂きたい」

ソ連陸軍大将の服を着た男が、答える。

「お前に、その日本野郎(ヤポーシキ)から情報を引き出して、超兵器など作れるものか」

彼は、苦笑する。

白粉(おしろい)を塗ったかの如く、青白い顔は、見る者の気味を悪がらせた。

「失敗したお方が、その様な大口を叩いて良いのでしょうか」

陸軍大将の男は、右の食指で彼を指差す。

「何の根拠があって、その様な自信を持てるのだ」

 

 男は、立ち上がると、自信満々に答えた。

「我が科学アカデミーに於いて、先日特殊な蛋白質(たんぱくしつ)の開発に、成功致しました。無色透明且つ、無味無臭。

向精神作用は、阿芙蓉(あふよう)*1の比ではなく、しかも依存性も非常に低いのです。

極端な話、水に混ぜて、市民にばら撒けば一定の効果を得ましょう」

 男の言葉に、陸軍大将は苦言を呈した。

「貴様は、あの『ウルトラMK作戦』*2を我が国で行うというのか。(おぞ)ましい男よ」

 

 

「何を仰いますか。我が国とて、批難出来ますまい。

政治犯に対して致死(ちし)量の生理食塩水の投与*3や、野兎(やと)*4の発病実験の為に大型の檻に病原菌と一緒に放り込む……。

ヴォズロジデニヤ島*5などでは、ドイツ人捕虜を大量に『消費』したと聞き及んでいます」

 

彼は、冷笑する。

「その新開発の蛋白質を、捕縛してきた男に摂取させ、超兵器の設計図を描き起こさせる。

そして我が国が誇る科学アカデミーの学者達に、その製作ノウハウを学ばせるのです」

彼の話を、(さえぎ)る声が響く。

「随分と、その超兵器に入れ込んでいる様だが、それほど素晴らしいものなのかね」

 

 周囲の人間が、声の主の方を振り向く。

声の主は、ソ連邦の議長であった。

 

 彼は、平身低頭し、応じた。

「議長、何でも鋼鉄の装甲を簡単に貫通するビーム砲を兼ね備えていると聞いております。

かの、光線(レーザー)級の攻撃よりも優れて居り、範囲も長大であるとの報告も聞き及んでいます」

そう述べると、彼は着席した。

 

 議長は、彼の言葉に思い悩んだ。

西側に露見した時のリスクが高すぎるのだ……

 

 同席したKGB長官も、同様の見解を示す。

「今、我が国は存亡の瀬戸際だ。その様な時に、西側と相対する真似はしたくはない……」

暫し思い悩んだ末、結論を絞り出す。

「科学アカデミーが、全責任を取るという形ならば、名うての工作員を貸し出しても良い」

 

 ソ連陸軍参謀総長の顔色は優れなかった。

GRU*6肝煎りで進めた、『虎の子』のオルタネイティヴ3計画。

去年の末、謎の攻撃によって水泡に帰した……

 聞いた噂話によると、彼が欲する超兵器によって消された。

それが事実ならなんという皮肉であろうか……

 ドイツ国家人民軍に、駐留ソ連軍を通じて問い合わせる事を考える。

『プラハの春』で、(くつわ)を並べた*7シュトラハヴィッツ少将に手紙でも書くとしようか……

小生意気な科学アカデミーの若造の企みを潰す為にも、奴らを利用させてもらおう。

 

 議長は、その場を締めくくる様に、告げる。

「では、その日本人を聴取して、超兵器の秘密を入手せよ。方法の如何(いかん)は問わぬ」

その場にいる人間は、議長へ、了解の意を伝えた。

 

西ドイツ・西ベルリン

 

 マサキは、休日を利用して、西ベルリン市内に来ていた

動物園駅で、屋台のカレー・ソーセージ*8を頬張りながら、(たたず)む。

遠くに見える、先次大戦の空襲で壊された廃墟を眺め、考える。

朽果て様とするカイザー・ヴィルヘルム記念教会*9の姿を(のぞ)み乍ら、思った。

 

 偶々流れ着いた異世界。

思ったより深く関わってしまった。それ故に、不思議な感情を抱くようになった。

この、何とも表現できぬ焦燥感に悩む必要も無かろう……

 

 その様にしていると、ホンブルグ*10を被り、外套姿の4人の男に周囲を囲まれる。

傍にある屑籠に食べ(かす)を捨てると、ドイツ語で尋ねた。

「何の用だ……」

其の内の一人が、流暢なドイツ語で返してきた。

「貴方が、木原マサキさんですね。我々と共に、来ていただけませんか」

 

見ると、既に胸元には、ソ連製の自動拳銃が押し付けられている。

奴等に聞こえる様、日本語で漏らす。

「俺の意思は無視か。蛮人の露助(ろすけ)らしい、やり口だ」

 

 左側に立つ男が、眉を動かすのが見えた。

日本語のできる工作員も居る様だ……

彼は、正面を向くと、こう伝える。

「良かろう。俺もこんな所で雑兵ごときに殺されては詰まらぬからな」

 

 暫く、其の儘で待つと、年代物のセダンが近寄ってくる。

外交官ナンバーの付いたソ連の高級国産車、チャイカ。

脇に止まった車を見ていた彼は、男達に押さえつけられる。

抵抗する間もなくトランクに、手荒く投げ入れられ、勢いよくドアを閉められた。

車は、轟音を上げながら、西ベルリン市内を後にした。

 

 ソ連邦各構成国のKGBから選抜された特殊工作員。

彼等をもってして、「木原マサキ」誘拐作戦は実行に移される。

丁度、西ベルリン市内に居た彼を誘拐し、ソ連大使館公用車に乗せ、連れ去るという策は成功した。

 しかし、連れ去るまでの過程を、西ベルリン市民に見られてしまう。

その失態を犯しても、猶、ソ連共産党は木原マサキという人物を欲しがったのだ。

 

 乗り心地の悪いソ連車のトランクで、じっと身を潜めるマサキ。

彼は、停車した際の話声を聞き入る。

チェックポイント・チャーリーを超えて、東ドイツに入る手続きをしている所であることが分かった。

 恐らく、奴等の大使館に連れ去らわれるのであろう。

これでは、()しもの彩峰(あやみね)達も、外交特権*11とやらで手出しは出来まい……

万が一のことを想定し、位置情報機能のある携帯次元連結システムの子機から、美久に連絡を入れる。

何かあった時の為に、ゼオライマーを瞬時に転送出来る様、操作し、次に備えた。

 

西ドイツ・ハンブルグ

 

 西ドイツ・ハンブルグの日本総領事館。

予定時刻をはるかに超えて、帰営(きえい)しないマサキを不審に感じながら彩峰達は対策を論じていた。

駐在武官との対応策を検討しているとき、ドアを叩く音が聞こえる。

「入り給え」

駐在武官が声を掛けると、ドアが開く。

大使館職員が、白人の男を引き連れて彼等の部屋に入る。

 

 机に腰かける駐在武官は、職員へ声を掛けた

珠瀬(たませ)君、その外人は何者かね」

彼は直立したまま、応じる

「CIAの取次人(エージェント)です。まずは彼の話を伺ってからにしてください」

周囲の目が、その男に集まる

男は流暢な日本語で応じた

「挨拶は抜きで話しましょう。木原マサキ帝国陸軍曹長がソ連大使館に拘禁されたとの未確認の情報が届いております。

状況からして、西ベルリンの動物園駅で拉致されたと、視て居ります」

 

 立ち上がって、彩峰が応じる。

「奴の所属は帝国陸軍ではない、斯衛軍(このえぐん)だ」

短く告げると、椅子に再び座った。

 

男は、顎に手を置く。

「それは失礼しました。

話を戻しますと、ソ連大使館ですので、我々としても非常に扱いに困っているのです」

机の上で腕を組む、駐在武官が尋ねる。

「東独政権の反応は……」

珠瀬が、返す。

「現在、外務省と情報省で事実確認に努めて居ります……」

「君ね、ここは帝国議会じゃない。端的に申し給え」

彼の顔から、汗が噴き出す。

「参事官風情では話にならんな。君、帰っていいよ」

彼は、その一言を受けて忸怩(じくじ)たる思いにかられる。

 

「して、ラングレー*12の意向は……」

駐在武官は、フィルター付きのタバコを取り出すと、弄びながら取次人に尋ねる。

 

 男は、しばしの沈黙の後、応じた。

「ウィーン条約の件もあります。

何より、我々も本国の意思を無視してまでは、行動できぬのです」

 

 男は、1961年に国際連合で批准された、ウィーン条約を盾に、断りを入れてきたのだ。

同条約は、在外公館の不可侵を定めた国際慣習法の規則を明文化した物である。

 

「最も、貴国は東独政権未承認の状態で、御座いますから、取りなす事が出来ぬ筈ではありませんかな」

駐在武官は、男に真意を訪ねる。

「何が言いたいのかね」

「我等が動きましょう……。貴国は対ソ関係で微妙な立場にあるのを十分理解しております」

 

 彼は、タバコに火を点ける。

一服吸うと、深く吐き出す

「ベルリン政権との伝手はあるのかね……」

男は、不敵な笑みを浮かべる。

「我が通商代表部の関係者が幾度となく訪れて居り、議長との個人的な関係を構築した人物もおります。

その辺は、ご安心なさってもよろしいかと」

「貴官の提案は、痛み入る。早速、国防省に……」

 

 ドアが開け放たれると、一人の兵士が入ってきた

「大尉殿、来てください。食堂で兵達が、木原曹長の奪還作戦の準備をしております」

彩峰は、脇に立掛けた刀を取り、立ち上がる。

「少佐、馬鹿者共を説得して参ります」

椅子に腰かける駐在武官にそう告げると、部屋を小走りで出て行った。

 

 彼は、途中で巌谷と(たかむら)に会うと、其の侭食堂に直行した。

部屋に入ると、鉄帽を被り、野戦服姿で銃の手入れをする下卒達。

 彼等に向かって、彩峰は一括する。

「貴様等、今からどこへ行こうと言うのだ」

彼の左手が、ゆっくりと軍刀に触れる。

「どうしても行くと言うのなら、俺を切り捨ててからにしろ」

そう言うと、鯉口(こいくち)を切る。

「駐独ソ連大使館に、乗り込みたくなる気持ちも分かる」

彼は、刀の柄に手を掛ける。

「だが、それは我が国の国際的信用を地に落とすことにもなりかねない。

一番、その様な事を臨んでいないのは、ほかならぬ殿下だ」

 

 篁が、彼の右手を力強く抑える。

「大尉、お待ちください」

彼は、篁の一言で冷静になると、鞘に納めた。

脇に立つ巖谷が、彼等に告げる。

「状況次第では、貴様等は、主上(しゅじょう)*13に背く逆賊になる。

主上ばかりではない、殿下、政府、貴様等の故郷、親兄弟……。

失った信用は、金銀より価値の重たいものだと、考えられぬのか」

左手から刀を離した彼が告げる。

「一度、下命されるまで、待て……」

兵達は、静かに銃を置いた。

 

 彼等が休まる暇もなく、部屋に男が駆け込んでくる。

作業服姿の整備兵は、肩で息をつくと、こう告げた。

「駐機しているゼオライマーが、目前より消えました」

その場を震撼させた。

「何だと!」

左手で、刀を握りしめた彩峰が告げる。

「奴の相方の氷室(ひむろ)美久は、どこぞに居るのだ」

混乱する現場で、誰かが言った。

「今しがた、彼女も消えました」

 

 唖然とする彼等に、篁が声を上げる。

「まさか……、空間転移」

彩峰は、振り返り、後ろに立った彼に尋ねる。

「何、空間転移だと……。どういう事だね」

彼は腕を組んで、答えた。

「自分は、側聞しか知りませんが、ロスアラモスの研究所*14では新元素を利用した戦術機開発が進められております。

G元素*15には未知の領域も多く、空間跳躍や大規模な重力偏差を発生させるとの試算が出されたと報告があります……」

目を見開いて、彼に問う。

「まさか、ゼオライマーはそのG元素を内燃機関にしていると言うのか……」

彼は、正面を見据えたまま、続ける。

「可能性は否定できません……。

木原自身がG元素の独占を図るためにハイヴを攻略しているのであれば、話の辻褄は合うかと……」

 

「それでは、氷室が消えた理由にはならん」

振り返ると、声の主は背広姿の男だった。

「閣下、何方に居らしたのですか……」

男は、在ボン日本大使館の主、特命全権大使であった。

「西ドイツ政府と、米領事館に行って居った。仔細は後程話す」

そう言うと、紙巻きたばこを胸より出して、火を点ける。

「氷室とゼオライマーが消えたのは無関係ではあるまい。私はベルリンの議長公邸に直電を入れる……」

 

「貴様、ここをどこだと、思っている」

大使の話を遮るように、彩峰が叫ぶ。

後ろを振り返ると、ドブネズミ色の背広に、茶色のトレンチコート姿の男が立っている

「まさか、皆さんお揃いでこんな場所にいるとは……」

男は、声の主を見る。

「いやはや、流石、青年将校の纏め役と名高い彩峰大尉殿ですな……」

マフポケットに腕を入れ、室内であるのにも関わらず中折帽を被っている。

「情報相の使い走りが、何の用かね……」

大使は、怪訝な表情をする。

「私は、しがない只の会社員。商人という関係上、シュタージとの少しばかりの伝手が御座います。

その線で、皆様のお手伝いを、と考えて居ります」

怪しげな男は、笑みを浮かべながら、 諧謔(かいぎゃく)(ろう)した。

 

 彩峰は、右の食指で男を指差しながら罵った

「胡散臭い奴め。何が、個人的な伝手だ。貴様等は、只踊らされているだけだ」

男は、マフポケットより両手を差し出すと、掌を彼の前に差し出す。

「その様な見方をされるとは……、驚嘆(きょうたん)ですな」

右腰から、私物*16の小型自動拳銃を取り出す。

(たわ)けた事を抜かすのも、いい加減にしろ。

先の大戦の折も、FBI*17に踊らされて、あわや無条件降伏*18という恥辱を得ようとしてたではないか」

 

 男は、拳銃を突き付けられながらも涼しい顔をする。

左腕の腕時計を見る。

「失礼、貴方方とてCIAの手の上に有るとの変わりませんがな……」

そう言い残すと、彼の左脇をすり抜け、奥へ消えて行った

 

「この恥知らずが」

大使が、恨めしそうに吐き捨てる。

「閣下、取り敢えず……」

彩峰が尋ねる。

「彩峰君、国防省に連絡を入れなさい。事は急を要する」

脇を通り抜け、篁が、公電室に向かって行く。

恐らく城内省へ、連絡を入れに行くのであろう。

「私は、省に連絡を入れて、一時的にも彼を大使館職員の身分を与えるつもりだ」

奥で待機していた珠瀬が、何処かへ駆けて行く。

 

 彼は、大使の発言に耳を疑った。

「本当ですか」

大使は、机に腰かけた。

「ここまで、舐められた態度を取られるのは、我慢ならぬ。状況によっては、我が国への最後通牒だよ」

腕を組んで、続ける。

「我々は、剣は持たぬとは言え、戦士。

外交という戦場で、国際法という武器を用いて戦う戦士なのだよ」

(おもむろ)に、タバコを取り出し、火を点ける。

「ソ連という国を、60年前の様*19に国際社会から追放してやろうではないか」

男の内心は、ソ連への深い憎悪に燃えた。

*1
芥子の実から採取される果汁を乾燥させたもので、麻薬の一種。アヘンの事。

*2
朝鮮戦争における中共の『洗脳』に衝撃を受けたCIAは、向精神薬や電気ショックなどを用いた実験を開始。80の機関、185人の民間研究者が参加したとされ、被害者数は、現在も闇の中である

*3
一説によると、悪名高いセルブスキー司法精神医学研究所では、政治犯の思想改造や洗脳工作の発展を目的とし、世界に先駆けて、政治犯の脳ロボトミー化手術、電気ショックや向精神薬を用いた人体実験が繰り返し行われていたとされる

*4
史実として、ソ連は1941年の独ソ戦において野兎病の菌を分布した疑いがある

*5
今日のカザフスタンからウズベキスタンに跨るアラル海にある島。1930年代から生物化学兵器の実験施設として建設され、40種以上の病原菌の培養が成された

*6
赤軍総参謀本部

*7
(くつわ)を嵌めた馬が首を並べて、一緒に進む。転じて同じ目的で集まった人が揃う等

*8
ベルリン名物の一つ。Currywurst.(カリーヴルスト)とも言う

*9
1890年、ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世の発願により、祖父・ヴィルヘルム1世追悼の為に建立した教会。再建案が数度出されるもベルリンを管理している連合国の拒否によって、今日も廃墟のままである

*10
真ん中が窪んだ、中折れ帽子の一種。英国のチャーチル首相や、仏のイーデン外相が愛用した

*11
外交官は身体の拘束、逮捕拘留等がウィーン条約で禁止されている。また外交使節の入る建物も不可侵である。

*12
CIA本部所在地。転じてCIAの事

*13
天子、帝王の敬称。

*14
ロスアラモス国立研究所。米国における核開発研究の拠点施設

*15
米国内のBETA落着ユニット残骸より、ウィリアム・グレイ博士が発見した未知の元素。マブラヴ世界の重要物質

*16
帝国陸海軍では、将校及び将校相当官の拳銃の私物購入が認められていた。

*17
第二次大戦前まで、FBIが米国の防諜業務の大部分を担っていた。

*18
マブラヴ世界では史実とは異なり、日本は1944年に有利な条件で降伏している。

*19
1917年10月の暴力革命。ソ連はこの革命により一斉に国際社会から孤立した




 問題点の指摘や作品への疑問でも構いません。 
ご意見、ご感想お待ちしております。

必ず読ませてもらって、参考にさせていただきます。


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忍び寄る影 後編(旧題:乱賊)

 ベルリンで(うごめ)く怪しい影。
東ドイツ議長は、憂国の青年将校ベルンハルト中尉を呼び寄せる。
東独政府は対策を講じるも、事態は思わぬ方向に動いていく。


 東ドイツ・ベルリン

 

 ベルンハルト中尉は、ベルリン市内の共和国宮殿に呼び出された。

勤務服*1ではなく外出服と呼ばれる一種の礼装を身に着け、ヤウク少尉と共に議長に面会に行く。

公式の場で、かの『屋敷の主人』に会うのは、今日が初めてであった。

 

 思えば、1975年6月半ば頃に公聴会への出席依頼に応じた時に来てから、約3年ぶりであった。

あの公聴会で、SED*2幹部、各省庁の官僚、軍関係者を前にして、意見陳述書を読み上げ、不規則発言をし、議場を荒らしたことが昨日の様に思い出される。

その時も、罰と言う事で、『精神療養』と称し、1週間の休息を命じられた。

 今思えば謹慎処分で済んだのが、幸いだったのだろう。

先任の戦術機部隊長ユップ・ヴァイグル少佐には、色々な悪戯をして面倒を掛けた。

 後で謝ろうと、内心思う。

陸軍ヘリ*3操縦士と言う事で、空軍パイロットの悪童共と、()りが合わなかった。

だが今思えば、自由気儘に振舞っていた事が、彼の精神的な負担になったのであろう。

 

 「なあ、今度は変な事は止してくれよ」

脇を歩くヤウクが、彼に釘をさす。

官帽を被り、各種装飾品を付けた外出服を着る彼は、何時ものお道化た雰囲気とは違う。

次席卒業者であり、士官学校生徒時代から大真面目で通っている印象に戻った気がする。

磨き上げた長靴で、力強く歩くヤウクの後ろ姿を見ながら、彼は、指定された部屋に急いだ。

 

 豪奢(ごうしゃ)な室内に、壮麗な机と椅子。

机の上には、陶器製の灰皿と黒電話、報告書が数冊、雑然と置かれている。

その背もたれに身を預ける壮年の男。

 漆黒に見える濃紺のウールフランネルのスーツ姿。

生成りの綿フラノのシャツに、濃紺のネクタイの組み合わせを自然に着こなす。

組んだ足から見える濃紺の靴下に、茶色の革靴。

金メッキのバックルが付いたモンクストラップで、恐らくカスタムメイドであろう。

右手で、紫煙が立ち昇る茶色いフィルターのタバコを持って、此方を見る。

脇には外出服姿の国防大臣が腰かけて居り、近くには彼の従卒であろう下士官が立っている。

 

「今日は、意見陳述書は要らんぞ」

男は、ユルゲンに不敵な笑みを浮かべる。

奥に控えていた職員が、熱い茶と菓子を人数分持ってきた。

 右手で着席を許可され、応接用の机に備え付けられた椅子に座る。

ブロートヒェンと呼ばれるパンやソーセージなどの軽食が、クロスが掛かったテーブルに置かれる。

「俺は、まだ飯を食っておらん。君達もこの際だから、何か摘まんでいきなさい。遠慮はいらん」

 

気兼ねする彼等に、国防大臣が声を掛ける。

「同志議長からの馳走だ。有難く頂こうではないか」

二人は、黙礼をする。

 

 昼食は、ハンガリー風のトマトスープに、ザワーブラーテンと呼ばれる牛肉の煮付料理……

この数年来、手に入れにくい柑橘(かんきつ)類のデザートを食す。

人払いをするように従卒に申し付け、茶飲み話になった。

雑談を楽しんでいる最中、不意に男は問うてきた

「ソ連が進めていたオルタネイティヴ3とかいう無用の長物が有ったろう。

あの研究施設が、何者かに吹き飛ばされて、今モスクワの連中が責任の所在を巡って揉めてる。

()にも付かぬ事であろう。諸君」

 

 ベルンハルト中尉は、男に、この度の会談の真意を訪ねた

「まず、ご発言お許しください。

僭越(せんえつ)ながら、今回の件と何の関係が有るのでしょうか……」

男は、花柄の模様の付いたコーヒーカップを机に置くと、応じる

「KGBの特別部隊が我が国に入ったとの情報を得た。其の事は、今回の件とは無縁ではない」

 

 机より、フランスたばこの『ジダン』を引き寄せる。

箱より一本抜き出し、火を点け、周囲に居る彼等に告げた。

「俺を気にせず、タバコ位吸え。暫し、長い話になるのだからな」

 

 彼の言葉を聞いた後、灰皿を置く。

大臣とヤウクは、それぞれタバコを出して吸い始めた。

紫煙を燻らせながら、暫しの沈黙が生じる。

 

 脇で、その男の様子を見ていた大臣が、言葉を選びながら、答える。

「同志ヤウク少尉、同志ベルンハルト中尉が、風変わりな日本人と話していたのを覚えているであろう」

彼は、問うて来た大臣に対して頷く。

「その日本人の名前は、木原マサキ。彼は、大型機ゼオライマーの設計師であり、操縦士なのだよ」

その場に、衝撃が走る。

「私がアルフレート、いや、同志シュトラハヴィッツ将軍から聞いた話によると、だな……。

KGBが、その日本兵をソ連大使館に誘拐。

密かに国外に連れ出し、ソ連に抑留する計画があると……、言うのだ」

大臣は、丸めた紙を広げる。

「最初は、(にわ)かに信じられなかったのだが……」

 

 男は、重い口を開いた

一寸(ちょっと)ばかり、同志大臣に走って貰って、面白いものを持って来てもらった。

君達には少しばかり過激な内容かもしれんが、ぜひ目を通してほしい」

 キリル文字特有の、波の様な筆記体。

ソ連留学経験のある彼等には、理解するのは造作もない事であった。

手紙の内容は、ソ連科学アカデミーが、オルタネイティヴ3の失策を取り戻す為、新型戦術機の設計者である木原マサキを誘拐する旨が記されていた。

 

 ベルンハルト中尉は、その様な私信を怪訝に思う。

「これは……」

ヤウク少尉も、彼に同調する。

「本当ですか」

 

 男は、彼等の疑問に応じる。

「シュトラハヴィッツ君宛に出された、赤軍参謀総長の直筆の手紙だ」

新しいタバコに火を点けながら、続ける

「彼は、先のチェコ事件*4の折、手紙を書いて寄越(よこ)した参謀総長と面識を持った。

その男が、この様に密書を送ると言う事は余程の事だ……」

燻る煙草を持つ右手で、灰皿へ、灰を落とす。

「我等の意向を無視して、その日本人を堂々と誘拐しようと言う話は、事実であるか、確認中だ。

俺が穿(ほじく)り返す迄、保安省の馬鹿共も把握していなかった。

西に間者を送り込んでいても、この様なんだよ」

 

 ベルンハルト中尉は、勢い良く立ち上がる。

「これが事実なら、我が国の主権侵害ではありませんか、議長」

一服吸うと、彼の方を向き、答える。

「まあ、落ち着け」

彼は、再び腰かけた。

「無論その通りだ……。だが奴等は、主権尊重と内政不干渉よりも社会主義防衛を持ち出してくるだろう。

ハンガリー動乱も、チェコ事件も、その理論で動いた……。策は無い訳では無いが……」

 

 事務机の左脇にある電話が、けたたましく鳴り始める。

男は、立ち上がって受話器を取ると、一言、二言伝えた。

受話器を一度置き、再びダイヤルを回し、何処かへ電話を掛ける。

大臣とヤウクは、電話をする議長の姿を見ながら、再びタバコを出して吸い始めた。

 

 電話を掛け終えた男は、居住まいを正して、待つ。

すると、青い顔をしたアスクマン少佐が入ってきた。

 彼等は思わず、顔を見合わせる。

少佐は、男に挙手の礼を取ると、左脇に抱えた書類を(うやうや)しく差し出す

男は黙って頷き、間もなく少佐は部屋を後にした。

その際、彼等に振り返って()め付ける。

脇に居るヤウクは、思わず顔を顰めるのが判った。

 

 ドアが閉まり、足音が遠くなると、男は徐に口を開いた。

手には、火の点いていない新しいタバコが握られている。

「あの下郎(げろう)とは、関わらぬほうが良い。奴は、所詮使い捨ての駒にしか過ぎない……」 

 火を起こし、一頻りタバコを吸う。

椅子に腰かけると、再び話し掛けてきた。

「局長や次官でもないのに、何を勘違いしたのか、自分が保安省を動かしていると考えている(たわ)け者だ」

 

 暫しの沈黙の後、男は、ベルンハルト中尉に不思議な質問をしてきた。

「付かぬ事を聞くが……、良いかね」

彼は、その男の方を向く。

「何でありましょうか、同志議長」

男は、居住まいを正す。

「君が妹御、アイリスディーナ嬢に関してだが……。

『西側に行きたい』と申し出てたと、詰まらぬ噂話を聞いた。事実かね」

彼の目が鋭くなった。

「妹に限って言えば、その様な事は御座いません。

彼女は、この祖国ドイツを、誰よりも愛しております」

愛する人へ、襲い掛からんとする敵に、立ち向かう戦士の顔になる。

「ゲルマン民族の興隆を、祈願して已まぬ、純真な娘で御座います」

 

 男は、彼の真剣な態度に圧倒される。

そして、一頻り笑うと、彼へ言葉を返した。

「良かろう。そこまで言うのならば、俺が君達の後ろ盾に為ろう。

アーベルが目の中に入れても痛くない佳人(かじん)の娘を(めと)るに、相応しい男へ、させる心算(つもり)だ」

唖然とする彼に対して、こう付け加える

「蛇足かもしれんが、何時頃、式を挙げるのだね……」

彼は、その言葉を聞いて、満面朱を注いだ様になり、目を背ける。

「来年の夏ごろと、考えて居ります……」

男は、再び哄笑する。

「遅いな。出征前の4月、日取りが良い時を選んでしなさい」

彼は、男の立場を考えながら、恐る恐る尋ねる。

「ご命令ですか……」

常套句を返してきた。

「要望だよ」

 

 彼は、男の発言に帰伏(きふく)した。

「君には、何れ、重責を担う立場になって欲しいのだよ」

その様を見て、大臣とヤウクは、それぞれ笑みを浮かべる。

 

 ベルンハルト中尉は、同輩と共に立ち上がり、議長に最敬礼をする。

右手に持った、軍帽を被ると、ドアを開け、廊下へ抜ける。

ボルツ老人が待つ車へと向かうと、静かに宮殿を後にした。

 

ベルリン・ソ連大使館

 

 木原マサキは、ある建物に着くなり、後ろから目隠しと手錠をされ、連れ込まれた。

部屋に着くなり、手荒く扱われ、腕時計を奪われる。

 唯一、私物で持ち込んだセイコー5……。

異世界に転移しても、自動巻き故に狂いはしなかった。

流行の電子時計(デジタルウォッチ)などであったら、恐らく壊れていたであろう。

物には執着しない方ではあると自覚していたが、使いやすく手放せなかった。

 

 椅子に紐で縛り付けられると、彼を誘拐した男達の他に、数人の人物が入って来る。

彼等は、強い照明をこちらに当てる。

顔を背けようとすると、後ろから屈強な男に押さえつけられた。

 

 青白く不健康そうな顔をした四十絡(しじゅうがら)みの男が、マサキに声を掛ける。

「貴様が、木原マサキだな。

早速ではあるが、超兵器の設計ノウハウを持つお前に我がソビエトに協力してもらいたい」

彼は、男の姿格好から、研究者或いは科学者と見立てた。

「貴様等が、作った超能力者(エスパー)(もど)きがどれ程の物かは知らぬが……。

人攫い(まで)せねばならぬほどの基礎科学の無さには、聞いて呆れる」

その男の顔をまじまじと見る。

「貴様等が国は、広くて資源もあり余るほどなのに経済規模はイタリア以下と聞く。

格安の突撃銃(アサルトライフル)、ご自慢の宇宙ロケット……。

何にせよ、技術もナチスドイツのを露骨に盗んだものばかりではないか」

 彼は哄笑する。

その瞬間、拳骨が飛び、頬に当たる。

痛みと共に口の中から血が流れ出るのが判った。

舌を動かして口内を確認するも、幸い、奥歯は欠けていない様で、安心する。

 

 男は、大型の自動拳銃を脇の下から出すと、彼に向ける。

「もうそれくらいで、弁明は良かろう。断ればどうなるか」

その刹那、雷鳴の様な(とどろき)と銃火が室内に響く。

彼の真横を弾丸が通り過ぎる。

強烈な耳鳴りとそれに伴う眩暈(めまい)に襲われた。

 

「お前は科学者として、超兵器の製作ノウハウを得た」

男は拳銃を片手に持ち、彼の周囲を歩く。

「しかし日本政府に協力する事を拒み、支那へ身を隠した。図星であろう」

マサキは、不敵の笑みを浮かべる。

「天下御免のソ連KGBが、その程度とは聞いて呆れるわ。貴様等が、精々隠し通せた事を言ってやろう。

ポーランド人をスモレンスクで2万ほど殺した事や、戦前から建てたシベリア鉄道建設計画。

捕虜を使い、鉄道建設に従事させる……。その程度であろうよ」

 

 男は、その言葉に震撼する。

秘中の秘である『カティンの森』*5事件の全容や、強制収容所の運営方法を知り得ていたのだから。

 

 マサキは、賭けに出た。

腰のベルトにある次元連結装置の子機が無事なのを確認すると、彼等を煽って冷静さを失わせる。

虚を突いて、次元連結システムを作動させる準備に取り掛かった。

「貴様は、やはり生かしてはおけぬな」

別な男が前に出て、自動拳銃をこちらに向ける。

「待て、こいつから秘密を聞いてからでも遅くはない」

彼は、苦笑する。

「俺がその秘密を教える代わりに、オルタネイティヴ3計画を教えてくれぬか」

「良かろう。

我がソビエト連邦では、すでに対象の思考を読み取ったり、対象に自身の持つ印象を投射する能力者の開発に成功した」

彼は、その男の話を真剣に聞き入る振りをする。

「具体的に申せば、超能力の素質を持つ人間同士を人工授精により交配させ、遺伝子操作や人工培養を行うことで、より強力な超能力を人為的に生み出した」

緩んだ紐から、右腕が動かせるのが判った。

「我等が望んだことは、言葉の通じぬBETAを相手に直に思考を判読させる事によって情報を収集し、直接的印象を投射する事で停戦の意思疎通を実現させるという事だ。

そしてそれは既に、実用段階に入り、成功したのだ」

鎌を掛け、彼等が本心を吐露(とろ)させた。

今の話は、恐らく子機にある記憶装置にほぼ全てが収録されているであろう。

 

 後ろより黄緑色の透明の液体を持った兵士が、男にそれを渡す。

男はコップに開けると、それを彼に見せる。

「これが何か分かるか」

彼は、半ば呆れたように、溜息をついた。

その際、口から、先程の拳骨で傷ついた唇の血が流れ出る。

「大方自白剤であろう」

男は、冷笑する。

「今日は気分が良い。冥途の土産に教えてやろう。

わが科学アカデミーでは、既存の阿芙蓉(あふよう)やLSD、コカインの比でない低依存、強向精神性作用のある特殊な蛋白質の開発に成功した」

 

男は、『指向性蛋白質』について語った。

「これを一口含めば、他人の思考操作は自在になる。しかも、人体を傷つけずに体内へ直接薬剤などを投与できるとなれば、容易に洗脳工作も可能になる」

彼は、哄笑する。

「所詮、貴様等は、匈奴の血を引いた蛮族よ。

あの輝んばかりの古代支那や、ギリシャの科学を継いだ回教国の諸王朝より、掠奪(りゃくだつ)した文物で、やっとこさユーラシアを支配する準備をした蒙古人の落とし子にしか過ぎぬ事がハッキリした」

 

 左手も、自由に動けることを確認した。

彼は、なおも続ける。

「ギリシャの坊主*6が説法した折に文字が無い事を不憫(ふびん)に思うまで、文字すらなく。

先史時代を調べようにも土器の破片すらなく、陵墓や遺構の数も少ない。

法や約束の概念もない。(まご)う事なき、スキタイの蛮人ではないか」

 

 男は、スキタイという言葉に激怒した。

その言葉は、嘗て蛮人としてのロシア人を指す言葉として用いられた経緯を持っていたからだ。

自動拳銃を、マサキの眼前に差し出す。

その刹那、彼はベルトのバックルに両手で触れた。

 

 (まばゆ)い光が室内に広がると、ほぼ同時に衝撃波が伝わり、銃を構えた男は弾き飛ばされた。

周囲で待ち構える兵士共々、壁際に押し付けられる。

室内にあるすべての物が、宙を舞う。

 

 マサキは、紐を振りほどくと立ち上がり、こう吐き捨てた。

「これは、貴様等が見たかった次元連結システムの一部だ」

彼は、冷笑する。

痛む口内と血が流れ出る唇を、懐中よりハンカチを出し、抑える。

自身も、重力操作に耐え切れなくなり、膝をつく。

 

 まるで地震が起きたかのように、部屋が揺れ、壁に立った兵士たちが倒れ込む。

敷地内に警報音が鳴り、遠くから怒号が聞こえてきた。

彼は、この振動を感じると、立ち上がる。

表情を強張らせ、一言漏らす。

「お望みの物が、どれ程の物か、(とく)と見るが良い」

 

横たわる兵士に歩み寄り、その兵士の左腕から、奪われた時計を取り戻す。

腕に時計を嵌めると、先程まで座っていた椅子を両手で掴む。

窓を椅子で叩き割り、窓より身を投げ出した。

 

 

*1
東ドイツ軍の将校制服は、パレード服、社交服、外出服、勤務服の4種類があった。その他に野戦服や任務ごとの作業服がある

*2
社会主義統一党。東ドイツの独裁政党

*3
史実とは異なり、マブラヴ世界の東独陸軍では既に1970年代初頭にはヘリ部隊を持っていた。史実では1984年に陸軍部内にヘリ部隊が創設されるまで戦闘ヘリや輸送ヘリは空軍の扱いであった。

*4
プラハの春

*5
スターリンの指令によってポーランド人捕虜2万3千人が虐殺された事件。長く否定されていたがNKVDの公式文書が発見されゴルバチョフ大統領が謝罪した

*6
キリルとメフォージの事。




 ルビと脚注を減らしました。


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危機一髪 前編(旧題:国都敗れる)

 燃え盛る首都ベルリン。
木原マサキは命辛々、ソ連大使館を脱出。
単機、敵地を走り抜ける。


 マサキは、窓から飛び降りると即座にゼオライマーの操縦席(コックピット)に収容された。

操作卓に触れ、現在地を調べる。

ブランデンブルク門にほど近い、ウンター・デン・リンデンに面した巨大な建物が、画面表示される。

場所は、駐東ドイツ・ソ連大使館*1と出た。

 周囲はすっかり暗くなっており、時刻を見ると20時を回るところであった。

此処より見えるシュプーレ川を挟んだ先には、ベルリン王宮を爆破解体して建てた『共和国宮殿』が見える。

白い大理石にブロンズミラーガラス張りの外観は、彼は悪趣味に感じた。

古い絵付け写真で見たバロック様式のファサードの方が美しく、(おもむき)があるように思える。

 

 彼は、事前に基地内にある資料室で、東独国内に配置されたソ連軍を調べ上げていた。

斯衛軍(このえぐん)曹長の立場を利用し、ARPANETに接続。

CIA発行の資料を取り寄せる事も行った。

記憶が確かならば、ベルリン市内には第6独立自動車化狙撃旅団が、近郊10キロの村落ベルナウ・バイ・ベルリンには第90親衛機械化師団が待ち構えている。

 動かないでいると人民警察とシュタージであろうか、パトカーの他に装甲車や武装車両が次々集まってくる。

超大型のロボットを見物しようと集まった野次馬を追い払うために、治安当局が寄越したのであろう。

 

 彼は、ソ連の機密資料を焼却処分される前に確保する様、美久に指示を出す。

周囲の気を引き付ける為、建物の破壊を始めた。

出力が3分の一以下になっても、あの鬱陶しい戦術機が出てこなければ十分間に合うと考える。

 美久は、強化服に機密兜(ヘルメット)という出で立ちで、敷地内に潜入した。

かき集めるだけ、集めて来るよう指示を出したから十分であろう。

資料は最悪、次元連結システムを応用して日本の仮住まいに転移させれば良いだけだ。

そうすれば、面倒な通関も、外交行嚢(こうのう)の手続きもいらない。

 

 偶々(たまたま)、所用で共和国宮殿に来ていたアスクマン少佐は、ソ連大使館前に呼び出された。

時刻も20時過ぎと言う事で、連絡を取っている最中。

近くを制服姿で通ったところ、呼び止められ、野戦服姿の衛兵連隊長と話し合う。

 

 『衛兵連隊』とは、正式名称を『フェリックス・E・ジェルジンスキー衛兵連隊』と言い、国家保安省の準軍事組織。

政府官庁舎及び党施設、党幹部居住区域の護衛任務にあたる専従部隊である。

国際的には警察部隊として認知されてる同部隊は、ベルリン市内に駐屯が許された数少ない戦力でもあった。

 

 彼等は、ソ連大使館内で何かが起きていることは察知したが、ウィーン条約の都合上、在外公館には手出しが出来ない。

しかも、ブランデンブルク門の近くと来ている。

チェックポイント・チャーリーからも銃火を交えれば、見えるであろう。

うかつに動けない状態が続いた。

 

 建屋の中から銃声が響く。

周囲を囲む人民警察と保安省の衛兵連隊に対して、ソ連の警備兵は着剣した自動小銃を向ける。

白刃を見せつける様にして周囲を伺う。

 

 アスクマン少佐は、万が一の事を考えて、ボディーアーマーを受け取る。

20キロ近い保護具を、メルトンのオーバーコートの下に着る。

肩に重量が架かり、動き辛いが、無いよりはマシであろう……

米軍の最新医療設備が利用できるなら、最悪助かるかもしれないが、新型弾の威力は未知数だ。

 

 まざまざと感じる死の恐怖……

喉が渇き、不感蒸泄(ふかんじょうせつ)で全身が湿らせるのが判る。

彼は、近くの兵より水筒を受け取ると、忽ちの内に飲み干した。

拳銃の弾薬数を数え、若しもの事態に備える。

 

近くに居た連隊長が、青白い顔をする彼に問う。

「同志アスクマン少佐、大丈夫ですか」

色をすっかり失って、ぶるぶると体が震えているのを心配して声を掛けたのだ。

「君、武者震(むしゃぶる)いだよ」

苦笑いを浮かべながら、右の食指を、ソ連大使館の方角に向ける。

「あの者たちに、対応せねばなるまい」

その行動が、仇となった。

 

 その場に、銃声が響き渡る。

「同志少佐!」

勤務服姿の男が、勢い良く地面にぶつかった。

唸り声が、響き、周囲の兵は自動小銃に弾倉を差し込む。

「救急車を呼べい」

連隊長は叫んだ。

 

 ソ連兵は混乱状態であった。

建屋内での爆発と銃声……、一向に来ない上官の指示。

其処に保安省少佐が表れ、指で自分達を指した。

 

攻撃の合図かもしれない。

そう勘違いした衛兵は、咄嗟に銃を撃ってしまったのだ。

恐怖にかられたソ連兵が一斉に銃火を開く。

全自動(フルオート)で連射し、通りを行きかう自家用車や、アスクマンを救護しに来た救急車を狙い撃つ。

周囲の動く物を打ち始めたソ連軍に対し、人民警察と保安省職員は、自衛の為に自動火器を用いて応戦する。

交通警察は、ソ連大使館に通じる道路をすべて封鎖した

 

 

 

 

 共和国宮殿の前を、国籍表示のないT-55戦車の部隊が通り抜ける。

宮殿の窓より、その様子を議長は目視すると、事態の深刻さを理解した。

「アーベル、此奴は飛んでも無い事になったぞ。

連中は恥知らずにも、市中で戦争をおっ(ぱじ)めるつもりだ」

 

 タバコを吹かす議長の脇で、腕を組んで立つアーベル・ブレーメは、眼鏡越しに外の様子を見る。

偶々、通産官僚として議長に講義をしている時、事件に遭遇。

彼の脳裏に、1953年のベルリン暴動や、1961年のチェックポイント・チャーリーでの出来事が思い起こされた。

 

「お前さん、坊主が気になるかい」

右の食指と中指に両切りタバコを挟み、話しかける男に、彼は無言の侭、その横顔を見る。

「俺もだよ」

男は、そう告げると、両切りタバコを再び口に挟む。

両手で覆う様にして、ライターで火を点けた。

常々(つねづね)、聞きたいと思っていたが……」

ゆっくりと紫煙を燻らせる。

「言えよ。俺とお前さんの仲であろう。気にはせんよ」

彼は、(こうべ)を垂れる。

「君は、やはり死んだ息子さんと、ユルゲン君を重ねているのかね……」

アベールの問いを聞きながら、勢いよく、紫煙を吐き出す。

「最初の妻と子供と言う物は、忘れられぬのよ……。

アイツが生きていたら……、年の頃も同じで、しかも、金髪だ」

 

 アベールは右手で、眼鏡を持ち上げる。

「まるで、そっくりに思えちまう……。良い美男子で、馬鹿正直だ」

彼は冷笑する。

「君らしくないな」

男は照れを隠す様に、タバコを深く吸い込んだ。

「俺は、あんな男が父無子(ててなしご)扱いされてるのを見てな、不憫(ふびん)に思った訳よ」

男は、精神病院奥深く幽閉されているヨゼフ・ベルンハルトの事を思い起こす。

シュタージの策謀で酒漬けにされ、暗黒の監獄へと消えて行った元外交官を悲しんだ。

 

 親指で、タバコを弾き、灰を灰皿に捨てる。

「今の立場に居る間は、奴の実績を積ませたい」

再び、右手に持った煙草を吸いこむ。

「いざ倅だと思うと、甘やかしちまう。シュトラハヴィッツ君やハイムに教師役をやらせるにも不安がある。

いっそ、雑事が済んだら、米国に出して『武者修行』させたいと考えている」

彼は組んでいた腕を解いて、腰に回した。

「君、その話は……」

アベールは仰天した様子で、力なく両腕を垂れる。

「義父になる貴様に話したのが初めてだ」

 

男は真剣な表情で、彼の方に振り返った。

「どうせ、この国は吹っ飛ぶ。俺は店仕舞の支度をしてる番頭にしかすぎん」

男は、再び窓外の景色を見る。

「俺としては、半ば押し込めに近い形で、前議長(おやじ)を追い出して得た権力だ。

常日頃から、民主共和国は正統性が問われてきた」

灰皿に、火が点いたタバコを投げ入れる

「10年前の憲法改正や、各種の法改正も記憶に新しいであろう。

もっとも君はそれ以前の事から知る立場であろうが……」

懐中より『ジダン』の紙箱を取ると、タバコを摘まむ。

「おやじは、ボンの傀儡政権ではなく、アメリカの消費社会を見つめた。

それは、なぜか。民衆は、確かに西の豊かさを壁伝いに聞いているし、欲している。

おやじとて、政権を取って以来、民衆がアメリカの消費社会に焦がれている様を知っていたからだよ。

君等とてそうであろう……」

 

タバコを唇に挟むと、再び火を点けた。

「それ故、アメリカに歩み寄る姿勢を見せ始めたのだよ。

俺は、そのおやじの描いた絵を、ある意味なぞっているにしか過ぎぬ……、そう思えてきたのだよ」

 

「貴様に行っておくが、今年の秋までに普通選挙(ブル選)をやりたい。

社民党(SPD)*2にいる元の共産党の仲間にでも声を掛けろ」

彼は、ブルジョア選挙という、男の一言が信じられなかった。

 

 1946年4月末に社民党(SPD)は、共産党に吸収合併され、社会主義統一党(SED)になった。

目の前の男は、国禁の自由政党を復活させようとしているのだ。

 

「正気かね……」

悠々と煙草を燻らせる。

「俺も策はある。今は下野してる社民党は野党だから工作がしやすいのよ。

目立つ人物を連れてきて、若手官僚を引っこ抜いて、党の支部を作りたい」

「何故だね」

再び、灰をはじく。

「此の儘、自由社会に入って見ろ。今のガキ共は指示待ち人間だ。

あっと言う間に、西の連中に弄ばれて、男は乞食、女は娼婦の真似事をするやもしれん。

俺は、そんな姿、視たくは無い」

男は、振り向く。

「お前さんの娘も、そんなことにはさせんよ」

彼は再び腕を組んだ。

 

 

 

 男達が密議をしていると、ドアがノックされる。

許可を出すと、息も絶え絶えの人民警察大佐が入ってきた。

明るい緑色で、陸軍制服に似た意匠(デザイン)の制服を着て、胸には略綬が下がっている。

「議長、退避下さい。危険で御座います」

男はタバコを握ったまま、腕を組んだ。

「まさか、戦術機でも出たのか」

「日本軍の大型戦術機がソ連大使館に出現しました」

 

 彼等は、驚嘆した。

「まさか、ゼオライマーが……」

アーベルは、思わず右手で、眼鏡を持ち上げる。

「ゼオライマーとは何かね……」

男は驚きのあまり、タバコを持った手で彼を指差した。

「例の、支那で大暴れした機体だよ」

男は、人民警察大佐の方を向く。

「同志大佐、君は急いで、近隣住民の安否確認を所属する警察部隊にさせよ」

人民警察大佐は、敬礼すると、大急ぎで駆けて行った。

 

 男は、室内にある電話を取ると、ダイヤルを回す

通話が始まると、次のように告げた

「米大使館へ電話を入れろ」

電話を一旦切ると、受話器を置く。

彼の方を向いて、こう告げた。

「お前さんは、一旦家に帰れ。申し訳ないが、今から緊急閣議だ」

彼は頷く。

 

「最後に、言っておくが茶坊主共が何をしでかすか、解らん」

ソ連の茶坊主と呼ばれるモスクワ一派。その首領格のシュミット保安少将……

策謀に気を付ける様、男は彼に釘を刺した。

 

「女房と、娘さんは何処か、頼れるところに預けさせる準備でもしておけ」

彼は顎に手を置く。

「娘は、軍の学校に居る」

「そいつは安心だ」

彼は右手を上げる。

「一旦寝に帰ったら、また来る」

男も右手を上げて応じる。

「お前さんも無理するなよ」

「お互い様であろう」

彼は、ドアを閉めて通路に出ると、急ぎ足で警備兵の案内を受け、宮殿を後にした。

 

 

 

 

 

 東ベルリン・ソ連大使館

 

 警官隊との撃ち合いを続けるソ連警備隊は、対戦車砲まで持ち出して、応酬を繰り返す。

丁度同じころに、川の向こう側に国籍表示のしていないT-55戦車が姿を見せる。

部隊の撤退を決めかねていた連隊長は、その様に度肝を抜かれた。

 

 戦車隊の砲門が定まらぬ姿を見て、衛兵連隊長は、部隊の撤退を決断。

装甲車両を盾にしている警官隊の方に向けられれば……、これでは戦死者が出る。

そう判断したのだ。

 万事休すか……。彼は、野戦服からタバコを取り出して吸い始めた。

悩んでいる間に、目前の白い機体が動く。

 

 

 

 

 

 化け物(BETA)が来ても、相も変わらず続く社会主義国の内訌……。

その様をゼオライマーから見ていた、マサキは、呆れた。

 本心では、矢張りロシア人への複雑な感情を抱くドイツ人。

30年の支配に在っても、忘れぬ反抗心。

彼等の事を見て、何処(どこ)か安心するような気持ちにもなった。

 

 美久が大量の資料を数度持って往復している間、大使館側からロケット弾が着弾する。

『RPG-7』と呼ばれる携帯式対戦車擲弾発射器(ロケットランチャー)で、数度攻撃を受けたが、被害は思いのほか軽傷。

煤けた程度で、装甲板は貫通していない。

 その度に、衝撃波と重力操作で応戦。

ゆっくりと(なぶ)り殺しにしてやろうと思い、低出力で攻撃する。

最も、美久が機外で暴れているから、出力は上がらぬのだが……

 

 警告音が機内に鳴り響く。

対空レーダーが近づく飛翔物の反応を示す。

 回転翼の航空機やミサイルか。それとも、戦術機か……。

()しものソ連も、国都で戦術機部隊は使うまい。

 

万が一の事を考え、操作卓のボタンを押し、美久に連絡を入れる。

「おい、家探しは一旦中止だ」

彼女が応じる。

「ですが、あと一回でほぼ持ち運べます」

彼は、右手を額に移し、髪をかき上げた。

「それを運んだら、即座に対空戦闘の準備に入る」

 別画面に目を移す。

ソ連兵数人が、対戦車地雷を足元に巻き付けている。

 

彼は、思わず独り言を漏らした。

「無駄な事を……」

ゼオライマーの右手を下げて、手の甲の球体より衝撃波を放つ。

衝撃を受けた対戦車地雷が爆発し、ソ連兵共々吹き飛ぶ。

画面から目を背けると、暴政の下で露と消えたソ連兵を哀れむ。

苛政(かせい)は虎よりも(たけ)し』

周代の先人の諺を沁々(しみじみ)と思い浮かべた。

 

 先頃イランで、中近東の兵達が、死力を持ってBETAに対抗している様を見た。

この異星起源種の害よりもプロレタリア独裁の悪政が、惨状を生んでいるのではないか。

米国は一撃で破壊したハイヴ。奴等は、10年近い歳月をかけていても進展さえ、出来ない。

自分の推論の正しさを改めて、確信した。

 

 

 

 

 その頃、リヒテンベルクにある国家保安省本部では、ソ連大使館正面での武力衝突の対策が練られていた。

思わぬ事件に遭遇し、混乱する本部の一室で、開催されているモスクワ一派の秘密会合。

右往左往する彼等を前にして、シュミットの口から驚くべき計画が打ち明けられていた。

 

「諸君等も驚嘆したであろう」

派閥の幹部達は、困惑を隠しきれていない様子で、ある職員が、シュミット少将の言葉を復唱した。

「この民主共和国に、核戦力を持ち込むとですと……」

その一言で、周囲が騒がしくなる。

「そうだ。秘密裏に、ソ連より譲り受けた核を配備し、防衛要塞を設置。

他に類のない軍事力を兼ね備え、この国を支配する権力を手に入れる」

不敵の笑みを湛えた顔を持ち上げるシュミット少将の色眼鏡に、光が反射する。

「その為に、密かにこの秘密部隊を集めた」

レンズの奥から妖しく眼光を光らせた。

 

 彼等の面前に、プロジェクターから4体の戦術機・MiG-21バラライカが映し出される。

迷彩塗装も無ければ、国籍表示、部隊を表す番号もない……。

灰色に塗り上げられた4機の戦術機は、全てが最新式の77式近接戦闘長刀を装備しており、突撃砲を3門兼ね備えてある。

 

「我々は、持てる頭脳と力を駆使して、プロレタリア独裁の権威を永遠とさせるのだ」

シュミットは、内に秘めたる野望を口にし始める……

「今までは指導部を立ててきたが、今日を持って決別する」

幹部の一人が、真意を訪ねる。

「どういうことでありましょうか。同志将軍」

彼は、派閥の領袖の地位を超えた事を、口にした。

「現指導部の采配(さいはい)は、何れはプロレタリア独裁の権威の失墜に繋がる」

彼は、声を掛けた職員の方を向く。

「この上は、私が総帥の地位に就き、この国を導く」

男達は、冷笑する。

「すると、面白い……、いよいよ国盗りですな」

彼は、男達を(たしな)める。

「諸君らは、まず焦って事を仕損じるのは、避けねばなるまい」

冷笑した男は、彼に尋ねた。

「手当たり次第に暴れ回れるとの、ご承認を得たと受け取っても良いのでしょうか」

シュミット少将は、正面を向くと、(うなず)く。

「早速、共和国宮殿を占拠し、党権力奪取の段取りを付ける」

 

 

 シュミットは、今回の混乱に乗じて権力奪取を図る事にしたのだ。

事前にKGBを通じて、ドイツ国内のソ連基地に戦力を隠匿。

戦術機の他に、数台の新型回転翼機まで工面した。

 

 急襲する別動隊が使う、新型ヘリの正式名称は、『Mi-24』

ソ連空軍汎用ヘリコプター『Mi-8』を原型とし開発された、ソ連初の攻撃ヘリコプターであった。

強力な武装で地上を制圧し、搭乗した歩兵部隊を展開。ヘリボーン任務を想定して開発された大型機体。

NATOコードネーム「ハインド*3」の異名を持つ回転翼機。

 

 彼は、灰色の勤務服より白色の大礼服に着替えた。

大型で連射可能な、ステーチキン式自動拳銃*4を握る。

予備弾倉4本と共に、本体を包む木製ケースごと、懐中に仕舞う。

 

 彼と共に、ソ連軍の軍服を着た一団が、ヘリに乗り込む。

『74年式カラシニコフ自動小銃』*5という、最新鋭の装備を持った特殊部隊。

彼等は、空路、ベルリン市の共和国宮殿に向かった。

 

 

 

 

 ほぼ時を同じくして、共和国宮殿で閣議に参加していた国防大臣の下に保安省の動向が伝えられる。

人民軍情報部は、潜入させてた二重工作員よりシュミットの野望を入手していたのだ。

 

 耳打ちしてきた従卒を送り返すと、国防大臣は席より立ち上がって、会議室を後にする。

彼の姿を確認する物はいたが、全員が閣議を優先してた。

日本軍の超大型戦術機、ゼオライマーの出現は、首都の混乱に拍車をかけた。

 

 国防相は、電話のある一室に着くと周囲を確認し、ドアを閉める。

ダイヤルを回すと、受話器を持ち、通話開始を待つ。

一分一秒が惜しい……。そう思いながら焦る気持ちでいると、相手先に繋がった。

「此方、第一戦車軍団」

交換手への呼びかけの後、目的の人物への通話に切り替わる。

手短に伝えると、電話を切り、彼は足早に、会議室へ戻った。

 

 一報を受けた第一戦車軍団司令部は、大童(おおわらわ)であった。

しかも、運が悪い事に今日は土曜日。

東ドイツではすでに週休二日制度が採用され、軍隊も例外ではなかった。

 

急遽、基地内に居る人員で出撃体制を整える。

 偶々、その場に居合わせたハイム少将は、シュトラハヴィッツ少将に問うた。

同輩は、何処からか持ち出したシモノフ式・半自動装填騎兵銃(セミオート・カービン)の手入れをしている。

 

「貴様がそんな銃など持ち出してどうした」

ハイム少将の言葉を無視し、シュトラハヴィッツ少将はボルト・キャリアの動作を確認を続けた。

「『兄貴』からの呼び出しがあった……」

銃の手入れを止め、ハイム少将の方を向く。

シュトラハヴィッツ少将の話を聞いた、彼は眉を動かす。

「貴様も、昔と変わらんな。今は同志大臣であろうよ。内輪で話す分には構わんが……」

彼は、面前の同輩にそう答えた。

「お前も来てほしい」

同輩は、彼を誘った。

「良かろう。体が鈍っていた所だ……」

 

 シュトラハヴィッツ少将は、勤務服の上から大外套を羽織る。

ハイム少将と共に、BTR-70装甲車に乗り込む寸前、男が駆け寄って来た。

彼は、その男の方を振り向く。

「どうした」

男は、強化装備のハンニバル大尉だった。

敬礼をするハンニバル大尉に、返礼をした後、彼は問うた。

「同志大尉、全機エンジンを温めて置け。最悪、戦術機同士の戦闘に発展するかもしれん」

ハンニバル大尉は、力強く答える。

「同志将軍、何時でも出撃準備は出来ています」

男の真剣な眼差しを見つめる。

「気を付けて行け」

短く告げると、装甲車の扉を閉める。

十数両の戦車隊は、ゆっくりと基地の門を出る。

前照灯を煌々と付けると、夜半の道路を、最高速度で駆け抜けて行った。

 

*1
ソ連は西ドイツとも国交回復を実施しており、国家承認していた。

*2
Sozialdemokratische Partei Deutschlands.ドイツ社会民主党

*3
Hind. 雌鹿のこと

*4
"9-мм автоматический пистолет Стечкина" 9x18mmマカロフ弾を使用する特殊部隊専用のマシンピストル。木製或いはベークライト製のストックがホルスター兼用している。

*5
従来のカラシニコフ自動小銃とは違い、弾薬は最新型の5.45x39mm弾。人体に命中した場合、射入口は小さいが、射出口が口径と比して大きく、筋肉血管を含む周辺組織に広い体積で損傷を受ける為、治療が難しいとされた。




ソ連軍の部隊名は露語を英訳した文章を参照し、重訳した物です
間違っていたら、ご指摘ください

ご意見、ご感想、よろしくお願いいたします


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危機一髪 後編(旧題:国都敗れる)

 突如として動き出す国家保安省将軍、シュミット。
東独国内のモスクワ派とKGBと共謀して反乱に出る。
ベルンハルト中尉の運命や、如何に……


 深夜のベルリン市上空を騒がすジェットエンジンの音。

ふいに現れた複数の戦術機に、市民は不安に思った。

夜半*1に為ろうと言う時刻で、戦術機を飛ばす事があったであろうか…… 

 

 国都ベルリンの騒乱は、西ベルリンに駐留する米軍にも察知された。

核戦力の相互確証破壊*2……

1965年に、当時の米国防長官*3が公式に表明した政治的表現である。

米ソ両国は、一方から大規模な核攻撃を受けた場合、相手国を確実に破壊できる報復用の核戦力を保持し、見つかりにくいSLBM*4の形で用いた。

 この『恐怖の均衡』ともいうべき状態にあって、彼等は動けなかった。

一応、東独政権首班から連絡があれば、人道部隊と言う事で動くことも検討されていたが……

対BETA戦争という熱戦と東西思想戦という冷戦。

 この二正面作戦を行う米国に在っても、世論の反応は捨てがい……

空襲警報の鳴る西ベルリンに在って、彼等は受動的な態度を取る事に決めた。

 

ベルリン・共和国宮殿

 

 東ドイツ首脳部は、ソ連大使館の対応に苦慮していた。

偶発的な事故として始まった市街戦……

 ソ連本国とのホットラインを繋ごうにも、BETA戦で通信インフラは壊滅。

はるか極東のハバロフスクへの連絡にも、一苦労する有様であった……

 米大使館や、先の米ソ会談を主催した英政府に連絡を入れ、対応を待つ。

宮殿の傍は、既に国籍表示の無いの戦車隊が鎮座している。

囲まれてはいないが、何かあればただでは済まないであろう……

 

 臨時閣議中、衛兵が入ってくる。

「失礼します。見慣れぬヘリ数機が近寄ってきていますので、退避の準備を……」

国防大臣が、問う。

「短翼、腕の様な物が付いているのか」

「ミサイルと思しき筒の様なものを吊り下げてます」

大臣は立ち上がる。

「ソ連の新型攻撃ヘリだ。ここに乗り込む算段だ」

大臣の発言を受けて、議長は立ち上がった。

「近隣の部隊は……」

「防空部隊も戦車隊も、出動要請を掛けました」

 

 窓際では狙い撃ちされる……

大ホールも薄壁一枚で打ち抜かれたら一溜りもない。

精々アスベストが粉塵として舞うぐらいだ。

 

 そう考えた議長は、行動に出る。

「一旦、奥に逃げるぞ。ここでは不利だ」

議長へ、国防大臣が耳打ちする。

真剣な表情で聞き入った議長は着席すると、暫し悩んだ後、こう告げた。

「もしもの事を考え、国防相、外相、首相以外は、この場から退避しろ」

政治局員が、声を掛ける。

「明日の政治局会議*5は如何致しますか、同志議長」

彼は、最悪の事態を想定して動いた。

「我々が不在でも対応できるよう、計らえ」

 

 

 

 会議室から閣僚と政治員を逃した後、議長は、三名の閣僚と共に、ここに残る決意をした。

間違いなく、あのヘリは暗殺隊……

分散して居れば、最悪自分の遺志に続く者が出るかもしれない……

 

 男は目を瞑り、独り言を言う。

「タバコも、後10本か」

国防相が漏らす。

「買い溜めでもして置けば良かったよ」

室内に笑い声が響く。

彼らなりの精一杯の痩せ我慢であった。

 

 複数の足音が聞こえると、彼等は覚悟した。

ヘリより降りた暗殺隊が近づいて来るのだと……

間もなく、ノックも無しに、ドアが開く。

男は、残り少ないタバコを箱から出すと火を点けた。

 

「議長、此処に居りましたか。お迎えに上がりました」

白色で両前合の上着に、赤い側線が入った濃紺のズボン。

場違いな将官礼服を着て現れた禿髪(とくはつ)の男。

ソ連派の首魁、クレムリンの茶坊主と評される、エーリヒ・シュミット保安少将、その人であった。

開け放たれたドアの向こうには、ソ連の1969年制定野外服を来た人物が数人立つ。

深緑色に塗装された鉄帽を被り、硬い綿布製の装備品を支える合皮製ベルトを締め、『キルザチー』と言われる合皮製長靴を履いている。

 

 完全武装の赤軍兵を引き連れたシュミットの事を、首相が揶揄(からか)う。

「君は、何時(いつ)ソ連の茶坊主*6になったのだね」

シュミットは無表情のまま、懐中より見慣れぬ大型拳銃を右手で取り出す。

「手荒な真似はしたく御座いません……」

その刹那、用心金から引き金に食指を動かし、彼等の背後に掃射する。

電気鋸の様な音と共に、拳銃が激しく上下した。

床の上に、バラバラと薬莢が撒かれる。壁が剥がれ落ち、部屋一面に濛々と埃が舞った。

  

 凍り付く首相に代わり、議長がシュミットに尋ねる。

「貴様、何が欲しい。言ってみろ」

茶色の官帽型軍帽を被り、薄く色の付いた眼鏡を掛けた顔が動く。

「私が欲しいのは、この民主共和国(ドイツ)です」

男は、高笑いを浮かべた。

「良かろう。1600万人民を餓えさせぬ自信があるのか……」

シュミットは、困惑した。

「対外債務の実額はどれだけあるのか……」

彼は、男の問いから逃げた。

 

その様子を見ていた国防相も、同調する。

「今後の国防安保の展望は、どうするのだ……」

シュミットは、目を背けたまま、沈黙を続ける。

「言えんのか」

シュミットは俯くばかりで、国防相の問いには答えなかった。

 

 遠くから駆け寄ってくる足音がする。

兵達は気にせず此方を見ている。自動小銃は、釣り紐で担ったままだ。

外相も、賭けに出た。

 

「対ソ関係は最悪。今更、胡麻(ゴマ)を擦っても遅いぞ。

貴様のような()()役人が騒いだところで、国際社会は助けてくれぬ。

現実は、甘くない」

 

 嘲笑(あざわら)われたと感じたシュミットは、怒りに身を任せて、自動拳銃を彼等に向ける。

勢い良く引き金を引くも、撃鉄の音ばかりで、弾が出なかった。

興奮のあまり、20発の装弾は全て打ち尽くした後であるのを、忘れていたのだ。

 

 轟音が響き、怒声と共に男達が乱入してきた。

「シュトラハヴィッツ君!」

男は叫んだ。

 

 勤務服の上から大外套を羽織り、小銃を構えたシュトラハヴィッツ少将が仁王立ちする。

シュミットは素早く弾倉を変えようと、左手で操作する。

即座に、拳銃を握った右手を、少将が騎兵銃(カービン)の銃床で叩き付けた。

拳銃が弾き飛ばされ、床に転がると、握っていた弾倉を放り投げ、一目散に逃げて去っていく。

 数度、銃声が響いた後、まもなくすると小銃を構えたハイム少将が現れる。

「おい、あの茶坊主は逃げたぞ」

外套姿で、脇を向いた侭、シュトラハヴィッツ少将に話しかけていた。

 

 居並ぶ閣僚を前に、シュトラハヴィッツ少将は敬礼をする。

国防大臣が挙手の礼で応じた後、彼に語り掛けた。

「アルフレート、お前一人で来るものとばかり思っていたが……」

シュトラハヴィッツ少将は、不敵の笑みを浮かべる。

「喧嘩は一人では出来ません。それに、これは国の面子(メンツ)*7に関わる問題です」

大臣は哄笑した。

「じゃあ、ハイムを呼んだのも、確認の為か。そうであろう」

彼は、大臣の方を振り返る。

「否定はしません」

「若い頃と変わらんな、お前は」

 

戯言を述べた後、大臣の表情は変わる。

「脱出路は……」

「既に確保済みです」

そこに議長が、割り込んできた。

「ヘリは如何した」

男は、空挺作戦を行おうとしていたヘリの動向を気に掛ける。

「 シルカ対空自走砲*8を随伴させてきました。連中も迂闊(うかつ)に手を出せんでしょう」

シュトラハヴィッツ少将の答えに、彼等は困惑した。

「どうやって……」

「61年10月の手法を参考にした迄です」

 

 彼等は、同事件に置いて国際法を無視し、国籍表示を外したT-34戦車33台を運用した駐留ソ連軍の手法を真似たのだ。

男は、右手で持っていたタバコを素早く点けると、一言告げる。

「ソ連の『(ひそみ)(なら)う』か」

再び、タバコを深く吸い込む。

「グズグズして居れんな。『ランプ館』から脱出するぞ」

『ランプ館』

男は、ベルリン市民が、宮殿内にある1001個のシャンデリアを揶揄した表現をあえて口にする。

タバコを灰皿に投げ入れると、男達は足早にその場を後にした。

 

第一戦車軍団基地

 

 自室で手紙を書いていたヤウク少尉は、けたたましく鳴る内線電話のベルの音に筆をおいた。

受話器を取り、注意深く耳を傾ける。声の主は、ホルツァー・ハンニバル大尉。

上司の呼び出しの命を聞き、応じた。

 

 着慣れた軍指定の茶色の運動着から、強化装備に着替る。

廊下を走知りながら、考えた。首都で何かあったのであろうか……

 

 生憎、同輩のオズヴァルト・カッフェからは到着が遅れるとの連絡があった。

結婚した為、寮外で暮らしている為、到着に時間が掛かるらしい。

 今、手元にいるメンバーの技量も不安だ。

新人のヴァルター・クリューガー曹長の実力は、未知数……

訓練時間は十分ではあろうが、実戦経験はほぼ無いに等しい。

その様な事を思っていると、指令室に着く。

 

 何時もは勤務服姿の最先任上級曹長が、珍しく深緑色の冬季野戦服に身を包んでいた。

椅子に腰かけ、腕を組むハンニバル大尉に敬礼をする。

大尉の姿格好は、強化装備の上から、外部電源を兼ねた防寒電熱服(Cウォーニングジャケット)を着こんでいた。

 

ヤウク少尉は、開口一番問うた。

「非常招集とは、どうかしましたか」

彼の言葉に、大尉は顔を向ける。

「これを見ろ」

大尉は、電子探査装置の画面を、右の食指で指差す。

「ベルリン市街に戦術機が一機出現した。

そして市街地より東南東20キロメートルの地点を時速200キロで戦術機が飛行している」

 

彼は驚愕した。

「防空隊は、なぜ市街地に戦術機着陸を許したのですか……」

大尉は、目頭を押さえる。

「君でも分からぬか。はっきり言おう。出現までレーダーには捕捉されなかったのだ」

 

 彼は、しばしの沈黙の後、答えた。

外字紙や欧米の軍事情報雑誌からの情報を基に、推論をくみ上げる。

「もしかしたら、あの米国内で開発中のレーダーに映らない新型機……。其れではないでしょうか」

「電波を遮断できる装置を兼ね備えてるとでも……」

彼は、右手を顎に当て答える。

「手短に言いますと、米国では特殊な塗料や複合材で電磁波を遮断できる高性能機。

そのような物を設計中だと、軍事雑誌に載っておりました。もっとも噂レベルですが……」

大尉は立ち上がり、左手の腕時計を見る。

「分かった。5分後に出撃だ」

「同志カッツェ少尉は……」

大尉は、彼の方を向き、答える。

「奴を待たずに出撃する」

 

 基地より緊急発進(スクランブル)した戦術機大隊、およそ40機。

ハンニバル大尉の指示で、大隊は三つに分けられ、ヤウク少尉の率いる部隊は共和国宮殿に接近する不明機に向かった。

大尉指揮の本隊と、ベルンハルト中尉の別動隊は宮殿周辺に向かう。

 

 ヤウク少尉は、操作卓(コンソール)を指でなぞる。

士官学校で席次を争った、同輩・ユルゲン・ベルンハルト中尉の事が心配だ……

彼は此の所、家族の事で思い悩んでいる。

戦闘に支障が出なければ良いが……

そう思いながら、匍匐飛行を続けた。

 

 

 

 

 

「戦闘指揮所の将校は、すべて出払っただと!」

非常時とは言え、ハンニバル大尉迄出払うとは……

遅れてきたカッツェ少尉は、唯々唖然とするばかりであった。

 

 驚嘆するカッツェを余所に、最先任上級曹長が続けた。

「同志大尉の意見としては、同志カッツェ少尉に全体の指揮をお願いすると……」

彼は思い悩んだ。

「こんなのだったら、アイツを連れてくればよかったな……」

家で休んでいる妻の事を思う。

 

曹長は笑みを浮かべると、彼の独り言に返答した。

「同志少尉、身籠(みごも)られた細君に無理させる必要はありません。違いますかな」

曹長は、身重のヴィークマンを気遣うそぶりを見せた。

知らぬ間に独り言が漏れたカッツェは、己を恥じた。

 

 

 

 

ベルリン・ソ連大使館

 

 ウンター・デン・リンデンにある、ソ連大使館に佇む白磁色の大型戦術機。

戦術機隊に周辺を囲まれても、身動(みじろ)ぎせぬ姿。

 

ベルンハルト中尉は、その様から、帝王を思わせる風格を感じた。

彼は一か八かの勝負に出る。

もし、ゼオライマーという機体ならば、操縦者は木原マサキ。

一度、面識のある人物だ。

 

 彼は部隊の仲間に通信を入れた。

「1番機より、中隊各機へ。所属不明機を説得する。

自分よりの指示があるまで衛士の攻撃は禁ず。繰り返す、衛士の攻撃は禁ずる」

「ソ連大使館への対応は如何しますか」

彼は、画面に映る衛士を見る。

「3番機、余計な事は考えるな。良いか、市街地故に擲弾や散弾の使用は制限するように」

僚機から、心強い返事が返ってくる。

「了解」

彼は、(うなづ)く。

 

 

 指で、航空無線機の国際緊急周波数121.5MHz*9にダイヤルを回すと、彼は英語で応答した。

「警告する。貴機はGDR*10領内を侵犯している。速やかに現在地から退去せよ」

白磁色の機体が、ゆっくり此方に向く。

即座に、向こうから通信が入った。

男の高笑いが聞こえると、間もなくドイツ語で話しかけてきた。

「この天のゼオライマーに、何の用だ」

ゼオライマーは、ゆっくりと機体の右手が上げ始める。

「此方に攻撃の意思はない。操縦者は木原マサキ曹長であろう。違うか」

彼は賭けに出た。

 

無線で返信してきた男が、応じる。

「如何にも、俺は木原マサキだ」

彼の応答に、マサキは応じた。

 

 暫しの沈黙の後、網膜投射越しにマサキの画像が映る。

不敵の笑みを浮かべ、此方を見る。

「何時ぞやの懇親会以来だな」

 

哄笑する声が響き、彼の心を騒がせる。

「貴様等なりの歓迎と受け取ろう。だが、俺には構わず遣るべき事がある」

機体の右手を挙げ、食指で共和国宮殿の方角を指し示す。

「向こうから来るヘリコプターを撃退するのが先であろう。

貴様等が望むのであれば、俺はいつでも相手になってやる」

再び哄笑する声が聞こえる。

 

「もっとも無残な姿を晒すだけであるから、止めて置けば良い」

マサキは、画面越しに映る美丈夫に応じた。

あの時、見た碧眼の美しい()。忘れもしなかった。

 

「今日の所は見本(サンプル)だ。ソ連大使館と戦闘ヘリだけで勘弁してやる」

彼は、右手で髪をかき上げる。

「天のゼオライマーの威力、特等席で観覧できる喜び。全身で感じるが良い」

 

 無線通信でのやり取りをしていると、数機の戦闘ヘリがこちらに向かって、ロケット砲を放つのを確認した。

面前の機体は、気付くのが遅れた模様だ……

借りを作ってやろう。そうすれば、何かしらの工作の下地になる。

マサキはそう考えると、操作卓に指を触れる。

 

 

 

 

 

 ベルンハルト中尉は、自分の判断を誤ったことを後悔した。

9M17M『ファーランガ』対戦車ミサイル*11が、連続して直進する。

手動指令照準のミサイルの為、照準用レーダー波は発生せず、レーダー警戒装置は未検知……

つまり警告装置は作動しなかったのだ。

 

 飛び上がって避ければ、ソ連大使館へ直撃……

向きを変えれば、時間的に被弾する可能性も高い。

突撃砲で迎撃するよう、背面に向けて、両腕を180度曲げる。それと同時に背中にある、兵装担架を兼ね備えた補助腕を展開させた。

懸下した計4門の突撃砲を向け、火器管制システムを作動させる。

操縦桿を強く引き、火器発射ボタンを押す。

 

 突撃砲は咆哮をあげながら、勢い良く火を噴き、飛翔物を狙う。

後方射撃を繰り返すが、思うように命中しない……

二発、迎撃できたが、もう二発は通り抜けて来る。

 対戦車弾ですら簡単に損傷させる機体……

跳躍ユニットやコックピット背面に当たれば、助かるまい。

しかも勝手知ったる平原や山岳地帯ではなく、市街地。

不慣れな状況も、彼の心に動揺を与えた。

そうしている間に彼の駆るMig-21バラライカPFは、閃光に包まれた。

 

 周囲の機体は、モニターより接近する飛翔物を見る。

発射炎を上げ、接近する対戦車ミサイル。

攻撃を察知すると、即座に散開した。

 一番機のベルンハルト中尉が光に包まれたのが見える。

恐らく跳躍ユニットか、燃料にでも引火誘爆したのであろう……

彼等は、後方のヘリに意識を集中し、瞬間的に跳躍して、ヘリの上空に出る。

有りっ丈の20ミリ機関砲弾を喰らわせた。

十数機の戦術機より、攻撃を受けたヘリは爆散。

後方に居たヘリ数機は、高度を上げると引き返していく……

 

 

「射線上から回避しろ」

撃墜されたとばかり思っていた一番機からの通信が入る。

急いで、散開すると一筋の光線が勢い良く通りぬけて行く。

光線級の攻撃を思わせる、その一撃ははるか遠くにいるヘリに命中。

機体を光線をかすって誘爆すると、全滅させた。

 

 ベルンハルト中尉は困惑した。

目前に居た機体が、一瞬にして後方に転移。

その後即座に、大使館へ戻ったかと思うと自分の機体に覆い被さるよう佇む。

 

50メートルは(ゆう)に有る機体が、瞬間移動。信じられなかった……

唖然とする彼に、マサキは話し掛けてきた。

「これも、ゼオライマーの力の一部にしか過ぎん。

貴様等が首魁(しゅかい)が居る、共和国宮殿。焼ける姿が見たいか」

 

不敵の笑みを浮かべ、ベルンハルト中尉を煽り立てる。

「その代わり、俺と共にソ連を焼き払う……文句はあるまい」

彼が困惑をしていると、マサキはお構いなしになおも続ける。

「貴様にその意思があるならば、俺は喜んで手を貸そう」

マサキは哄笑した後、こう吐き捨てた。

「楽しみに待っているぞ」

そう言い残すと、面前の機体は消え去る。

 

 一連の経緯をゼオライマーを通して見ていた氷室美久は、困惑しながらマサキに問いかける。

彼女は、自分の主人の真意を(はか)りかねていた。

「何が為さりたいのですか……」

マサキは応じた。

「俺が望むのはただ一つ、世界征服よ」

彼は不敵の笑みを浮かべる。

「まず足掛かりとして、ソ連を戦場にした世界大戦を引き起す。

東欧諸国を巻き込み、西側に迎え入れ、社会主義経済圏を破壊する……。

やがては経済的に孤立させ、核に汚染された大地を当てもなく彷徨(さまよ)わせる」

 

 上空に転移し、浮遊させたゼオライマーより市街を睥睨(へいげい)する。

所々燃え上がる市街……

ヘリやミサイルの残骸が火事を引き起こしたのであろうか。

 

「あの蛮人に相応しい、鎌と(くわ)で暮らせる原始共産社会……。奴等を再び世界の孤児の立場に追い込む」

眼光鋭く、画面を睨む。

「俺が東ドイツの小僧を助けたのも、その亀裂を広げるための方策よ。

奴等は、諜報戦の世界で、割れ目をこじ開ける方策を西側に仕掛けて来る。

自分で味わうと、どうなるか……、この目で見たくなったのよ」

 

「今日、手に入れた資料は、複写して全世界にばら撒く」

彼女は困惑した。

「それでは、世界中が混乱します。御願いですから、お止めください」

彼は哄笑する。

「CIAとゲーレン機関にだけ、限定してやるよ」

(あわ)てふためく彼女の様を見て、一頻り笑う。

「この上で、シュタージファイルでもあれば、奴等を強請(ゆす)って小遣い稼ぎでも出来たかもしれんな」

 

ふと思いついたように言う。

「俺は決めたぞ。

これより大使館を跡形もなく破壊した後、ミンスクとウラリスクを灰燼(かいじん)()す。

このゼオライマーの力を持って容易い……」

 

彼は、続ける。

「そうすれば、その戦力はすべて対ソ戦争とやらに使えるであろう。

嘗て列強が支那をパンケーキの様に切り取ったように、ソ連を細切りにして国力を減退させる。

その戦争で国力を疲弊させた各国を恫喝し、ほぼ無傷の侭、我が手中に収める」

その様に(うそぶ)く。

 

「この世界の人間どもを、BETA等という化け物の餌にするのは惜しい。我が奴隷として、(かしず)かせる」

内に秘めたる黒い感情を、吐露した。

「想像してみよ、愉しかろうよ」

彼は、いかにも我意を得たりというように哄笑した。

 

 

*1
深夜0時

*2
Mutual Assured Destruction.略称でMADとも

*3
ロバート・ストレンジ・マクナマラ(英語:Robert Strange McNamara)。1916年6月9日~2009年7月6日

*4
Submarine-Launched Ballistic Missile.潜水艦発射弾道ミサイルの事

*5
週一回という限られた時間で、国政全般の諸事項を決定する東ドイツの最高意思決定機関。その実態は、中央委員会所属の41部局の官僚が作成した原案に部分修正を加え、事後決定する場でしかなかった

*6
権力者におもねり、その威を借りて威張る者

*7
支那語からの借用語。世間や周囲に対する体面・立場・名誉。また、世間からの評価。

*8
Зенитная самоходная установка ЗСУ-23-4 «Ши́лка» . 中高度域防空を担う射撃統制用レーダー付きの自走対空機関砲。1964年採用

*9
超短波緊急周波数。民間機の遭難通信、非常通信、安全通信用。軍用機は243.0MHz

*10
"German Democratic Republic".ドイツ民主共和国

*11
1960年から運用されている対戦車ミサイル2k8の改良型。NATOコード、"AT-2 Swatter"。射程距離2.5キロメートル、最大速度150メートル毎秒。




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シュミットの最期 前編

 KGBの密命を受けたシュミット。
反乱未遂の混乱に乗じて、シュタージ本部を急襲する。
一方、ソ連共産党はシュミットを見捨てる決断をしていた。





  命辛々、共和国宮殿を後にしたシュミット。彼は、その足で保安省本部へと向かった。

僅かな手勢を引き連れ、庁舎に乗り込む。

先程あった、宮殿での混乱。その事情を知らない職員達は、一様に驚く。

深夜に為ろうともする時間に、現れた高級将校。

将官礼装の姿を見て、不審に思う。

シュミットは、周囲を一瞥した後、こう告げる。

「責任者の連絡会議をする。関係者を集めてほしい」

省内に居る下僚達が、駆けずり回り、10分もしないうちに会議場に招集をかける。

主だった関係者が集まったことを確認すると、彼は外から鍵を閉めさせた。

 

「諸君、ご苦労であった」

そう言い放つと、懐中より何かを取り出す。

宮殿で投げ捨てた物と同型の大型拳銃を構えた。

木製のストックを取り付けると、安全装置を解除し、遊底を力強く引く。

 

 右の親指を鳴らすと、何処からかソ連軍の軍服を着た複数の人物が現れる。

個人装備を身に着けた男達は突撃銃を構えると、彼等に向ける。

シュミットが右手を振り下ろすと、混乱する職員達へ向けて、一斉に銃口から火を噴いた。

電気鋸の様な音が響き、薬莢が散乱する。

 

 その場は、一瞬にして阿鼻叫喚(あびきょうかん)(ちまた)と化す。

幾名かは、懐中より拳銃を取り出すが間に合わなかった。

自動小銃の斉射(せいしゃ)によって、ドアに向かって重なる様に屍が倒れ、血が滲む。

彼は横たわる遺体を見つめながら、独り言ちる。

「これで、この国の頭脳さえ抹殺すれば、全て終わる」

 

どうせ、簒奪(さんだつ)出来ぬのであれば、自分の手でこの国を破壊しつくす……

ソ連へ献上しようかと考えたが、この際、反逆的なドイツ人を全て焼き尽くしてやろう。

KGBの秘密作戦は失敗したのだ……、自分と共に社会主義統一党は地獄に落ちてもらうまでだ。

シュミットの心の中に、どす黒い妄念が渦巻く。

 

 怒声と足音が近づいて来るのが聞こえると、脇に立つ兵士に窓を蹴破る様に命じる。

割れた窓から、あらかじめ用意した落下傘の紐を室外に垂らす。

建物の外壁を蹴りながら、地上へと向かう。

 手勢の物たちが脱出したのを確認した後、栓を抜いた手投げ弾を勢い良く放る

元居た場所に、ぶつかる音が聞こえる。それと同時に、閃光と爆風が広がる。

その姿を背にして、用意した乗用車で脱出した。

 

 

 

 シュミットの襲撃から逃れた東ドイツの首脳は、その夜の内にポツダムに避難した。

人民軍参謀本部を臨時指揮所とした

市街地での混乱によって政府機能が停止する事態は避けなくてはならない……

その様に考え、行動に移す。

 今回の反乱の規模は不明、しかも、国家保安省本部との連絡網は遮断されている。

反乱軍への対応に追われている首脳陣に、驚くべきことが伝えられた。

 

「保安省が襲撃されただと!」

内務大臣が立ち上がる。

「被害は……」

「省内の状況はいまだ不明です。負傷者多数との報告を受けました……。

ただ、襲撃事件が発生する直前に何者かによってソ連・東欧関係の資料、党の秘密資金関連がごっそり持ち出された模様です」

崩れ落ちる内相を、シュトラハヴィッツ少将が後ろから支えた。

「同志大臣、気を確かに為さってください」

 

 彼を椅子に座らせ、落ち着かせた後、議長が再度尋ねた。

「資料の管理は、俺がアスクマンに任せた。まさか……」

己が失態を暗に認める発言をする。

額に、右手を当てながら思案した。

 

 襲撃事件の首謀者は、アスクマン少佐の一派……

シュミットの反乱に乗じて、資料を持ち出す事など、名うての工作員であれば、容易(たやす)かろう。

万が一の事を考え、アスクマン少佐の対応を念頭に置いた発言をする。

「奴の子飼いの部下共が、欲に目が眩んで、外に持ち出した。有り得ぬとも言えぬな」

 

 議長は、机に置いてある『ジダン』の封を切り、タバコを取り出す。

両切りの紙巻きタバコを机に数度叩き付けた。葉を詰め、吸い口を作ると口に挟む。

マッチで火を起こし、紫煙を燻らせると、暫し、目を瞑る。

 

「原本は無事か」

再び目を開き、タバコを吹かしながら、面前で立ち尽くす、保安省職員に尋ねた。

「個人票の方は……秘密の場所に移してあります。大部分が無事な状態です。

ですが、複写物は丸ごと消えました」

 

 人差し指と中指に挟んだタバコを灰皿に置く。

灰皿より紫煙が立ち昇り、部屋中に広がる

「個人票が残ったのは、せめてもの救いだ。大方、ボンか、CIAにでも売り飛ばしたのだろう……」

タバコを掴むと、再び吹かす。

「で、お前さんは如何したいんだ……」

 項垂れる内相に、顔を向ける。

彼の口から、アスクマン少佐の対応を聞き出すつもりで尋ねる。

「奴と、奴の部下を免職の上、国外追放の処分にするつもりです」

「つまり、俺に恩赦を出せと……」

内相は、ゆっくりと頷く。

「来年は建国30周年記念です。それまで形ばかりの裁判をして拘留し……」

火の付いたタバコを持つ右手を、顔から離す。

「今日、只今を持って奴を罷免。シュミット同様、反革命罪にする」

タバコを弄びながら、答える。

「これは議長命令だ。政治局会議も、その線で行く」

 

 

『反革命罪』

嘗てスターリン時代のソ連で出された罪状。

謂わば、国家反逆罪に相当する。

その内容は、『国際ブルジョワジー幇助』『労農ソビエト政権の転覆及び破壊』

死刑が条文から廃止されていた1922年のソ連刑法において、事実上の死刑判決に相当する物。

事を穏便に収めようとする内相に対して、男は敢てその言葉を選んで伝えたのだ。

 

 

 

 内相は、恐怖で身を震わせながら、男に束になった資料を渡す。

「これが奴の監視して居た被疑者の一例です」

資料を乱雑に受け取り、その中から無選別で抜き取った。

写真入りの個人票を一瞥した男の表情が、変わる。

顔を上げた男は、内相に問うた。

「この資料にあるリィズ・ホーエンシュタインという人物……。まだ、12、3の小娘ではないか」

 

 

 美男美女と見るなり、被疑者に仕立て上げ、手を出し、(はずかし)める。

ベルリンに来たソ連要人や共産党幹部、KGB関係者に貢物として収める。

噂では聞いていたが、その話が本当ならば……

自己の栄達の為に、ソ連やSEDの支配層に取り入り、守るべき国民を(ほふ)る。

何が、有能な工作員だと言うのか、『野獣』という通り名、其の儘ではないか。

あの下郎が、ここまで人非人だったとは……

 

怒りで、体が燃え上がる様に熱くなる。

「奴が抱えた被疑者は……」

男は、慨嘆(がいたん)する。

「既決囚以外は、ボンにでも放り出せ!」

アスクマンが監視していた人間は全員恩赦の扱いにするように指示を出す。

 

 火のついたタバコを右手で灰皿に置くと、目頭を押さえ、椅子に腰かける。

内相は恐る恐る、横から男の姿を見る。

苦虫(にがむし)()(つぶ)した様な顔で、肩で息をしている。

無言ではあるが、明らかに怒りの表情が見て取れた。

彼は、静かに同意する。

「了解しました……」

深々と礼をすると、肩を落として、男の目の前から去って行った。

 

 議長は強い苛立ちを隠すために、タバコを取り出すと火を点け、吹かしながら脇に居る国防大臣に問うた。

「士官学校に居る、アーベルの娘2人は、どうした」

男の言葉を聞いた国防相は困惑した。

通産官僚ブレーメの娘は、一人だったはず……

暫し疑問に思うも、激しい剣幕を見せる男に従う。

国防相は、たじろぐ風も見せずに、議長の問いに平然と答えた。

「同志議長、未確認です」

 

不逞(ふてい)(やから)に誘拐される』

 シュミットか、或いは、アスクマン。何方かが人質にとるかもしれない。

男は、二大幹部の悪あがきとして、最悪の事態を想定した。

 

 

「万に一つの事があるかもしれん……。使いを出して、坊主の傍にでも呼んでやれ」

男はそう告げると、立ち上がった。

「どちらへ」

「頭を冷やした後、3時間ほど休む。何かあったら呼べ」

大臣の呼びかけに、そう言い残すと、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

ソ連・ハバロフスク

 

 ハバロフスクのソ連共産党臨時本部では、ベルリンの駐独大使館との連絡途絶の一報を受け、臨時の会議が開かれていた。

昨夕の『木原マサキ誘拐作戦』の成功を受け、安心していた彼等にとって寝耳に水。

早朝5時からの政治局会議は紛糾した。

KGBと科学アカデミーの双方は、責任の擦り付け合いに終始事態は一向に進展しなかった。

 

 一旦、会議を休会して遅めの朝食を取っていた時、さらなる続報が伝えられる。

「何、シュミットが仕損じただと」

KGB長官は、報告を上げた職員の襟首をつかむ。

「冗談ではあるまいな……」

職員は、目を泳がせ、押し黙る。

彼の勢いに気後(きおく)れしてしまった。

 議長は、彼の方を向いて言う。

「そのものに責任は無い。下がらせろ」

職員はその一言で、手を離されると、申し訳なさそうに部屋を後にした。

 

 9時間の時差は大きく、ソ連の対応に遅れが出始める。

議長の口が再び開く。

「本作戦の失敗は、駐独大使館内の一部過激派分子と国際金融資本の走狗となった科学アカデミー内の米国スパイ団による物とする。

関係者は、即刻、国事犯として収容せよ」

同席していた検事総長が、彼に問うた。

「国連のオルタネイティヴ計画に参加した者の扱いに関してですが……」

参謀総長が立ち上がり、割り込む。

「軍内部の研究会は如何する……。貴様の言い分だと、粛清でもせよというのか。

情勢を見て判断しろ。この薄ノロが」

「お前たちの様に、中央アジアの反乱一つ抑え込めぬ役立たずに言われたくはない」

「五月蠅い。KGBもMVDも揃いも揃って宣撫工作をしくじったのが原因であろう」

 

 議長が一括する。

「黙れ。弁明はもう沢山だ」

両者は、議長に叩頭(こうとう)した。

両者が着席するのを見届けた後、周囲を見回す。

彼の口から驚くべきことが言い放たれた。

「シュミット及びベルリンのKGB支部は切り捨てる」

周囲の人間は、驚愕した表情を見せる。

「米議会に工作し、G元素研究の施設に我が国の人間を噛ませる」

黙っていたKGB長官は、彼の方を向いて一言伝える。

「すると、原爆スパイ団と同じ手法で我が国にG元素の基礎研究を持ち込ませると……」

彼は、黙って頷く。 

参謀総長は、椅子に座りなおすと、歴戦のチェキストの意見を否定する

「パリの宝飾品店に行ってダイヤの首飾りを買うのとは、訳が違いますぞ」

そう言い放つと、苦笑する。

「無論、成功するとは言ってはいない。

最悪、西の兵隊共を磨り潰してG元素を手に入れれば、如何様にでも出来るであろう」

 

参謀総長は、哄笑する。

「『麒麟(キリン)も老いては駑馬(どば)に劣る』

契丹(きったん)*1の古典に、その様な言い回しがあります。

その様な絵空事を言うようであれば、貴殿も老いを隠せぬと言う事でしょうな」

「貴様は、シュトラハヴィッツ少将に手紙を送ったそうではないか」

男の言葉に、参謀総長は目を剥く。

「貴様の党への背信行為は、重々承知して居る。党内の政治バランスのみで、昇進した小童(こわっぱ)には我らが深謀遠慮は理解出来まい。違うか」

暫しの間、沈黙がその場を支配する。

 

 議長が口を開いた。

「米議会に置いて、一定の工作が成功し、アラスカ租借の目途が着きつつある。

最悪、東ドイツを失っても米本土の眼前に核ミサイルを配備出来る。

上手く行きさえすれば、北太平洋は我がソビエトの領海同然となり、あの禍々しい日本を一捻りで潰せる」

「つまり、東欧を米国にくれてやる代わりに、アラスカを取ると……」

KGB長官は笑みを浮かべる。

「ドイツ人やポーランドの狂人共を世話を連中にさせるのだ。痩せて石炭しか採れぬ片田舎など貰ってもソ連の為にはならん」

男は、議長の妄言に阿諛追従(あゆついしょう)する。

「お約束しましょう。KGBは、BETA戦勝利の為に労農プロレタリア独裁体制の維持を致します事を」

男達の呵呵大笑(かかたいしょう)が響き渡った。

 

 

 

 

 

米国・ワシントンD.C

 

 東ベルリンでのソ連大使館前の銃撃事件を受け、ホワイトハウスでは対応に追われる。

土曜の18時という時間に緊急会議が行われていた。

西ベルリンに被害が及んだ際の対応に徹するべきという意見が、大多数を占める。

葉巻を咥え、椅子に深く倒れ込む副大統領に、CIA長官が尋ねる。

国家保安省(シュタージ)内の間者によりますと、3時間ほど前、反乱が発生した模様です。

反乱軍への対応は如何しますか」

彼の言葉を聞いた男は、前のめりになり、机に肘を置く。

「情勢が明らかになるまで保留せよ」

「そうは言ってられぬ事態になったのです」

人工衛星の通信を謄写印刷した物を彼に見せる。

「これは……」

口に咥えた葉巻を落としそうになり、右手で押さえる。

「例の大型戦術機で、ゼオライマーと称されるものです」

葉巻を再び咥え、吹かすと、周囲に紫煙が広がる。

「東ベルリンに日本軍の戦術機だと……、ややこしい話になるな」

男は、国防長官に話を振る。

「ペンタゴン*2の意思は……」

国防長官は、男の方を向く。

「西ベルリンにある兵は、動かすつもりは御座いません」

煙が立ち上る葉巻を、右の食指と親指で掴み、灰皿に立てる。

「日本政府は何と言っている……」

「国防省は現在調査中とだけ返答してきました」

ガラス製のコップにある水を口に含む。

「煙に巻く積りか」

 

 黙っていた大統領が口を開く。

「良かれと思って手を出せば、最悪の事態に発展しかねない。現状維持で行く」

CIA長官は、大統領に意見した。

「同盟国の戦術機とそのパイロットを見捨てろと申されるのですか。閣下、自分は納得出来かねます。

核攻撃を恐れるなら、何のためにパーシングミサイルが西ドイツにあると言うのですか」

 

副大統領は、CIA長官を宥める。

「君は、そのゼオライマーとやらに心酔していると聞く。

たかがその様な高価な玩具(おもちゃ)の為に、合衆国市民の権益を害するようなことは認められぬ」

CIA長官は押し黙る。

男の意見に不満があるのか、肩で息をして、落ち着かない様子であった。

葉巻を灰皿から掴むと、シガーカッターを取る。

立ち消えした葉巻の焦げた部分を切り取り、新たに火を点け、吹かす。

「君が、立ち遅れている戦略航空機動要塞開発計画を進めるためにゼオライマーの新技術を欲しているのは分かる。

だが、どの様に優れた機械であってもBETA退治だけにしか役に立たなければ、それは所詮高価な玩具でしかないのだよ」

黒ぶちの老眼鏡を右手で持ち上げる。

「シュタージの閻魔帳でも一式持ち込む事さえ叶えば、君が計画は考えてやっても良い」

「ご約束頂けるのであれば、今回は諦めましょう」

整った黄髪(こうはつ)*3の頭を、彼の方に向ける。

「君がそれほどの覚悟であるのなら誓紙(せいし)の一つでも書こう」

CIA長官は事前に用意したタイプ打ちの文書を男に渡す。

麗麗しく飾り立てた字を書き記すと、CIA長官に投げ渡した。

「この件はこれで終わりだ」

 

 

*1
支那の雅称

*2
バージニア州にある五芒星形の国防総省本部

*3
白髪が進んで髪の色が黄色くなった老人特有の現象。老人を示す言葉




 原作登場主要人物、劇中時点の年齢(1978年4月1日現在)
鍵カッコ内は生年月日です。

 ベア様18歳(1959年11月23日)、アイリス嬢18歳(1959年9月8日)。
ユルゲン兄さん23歳(1954年7月1日)、ヴォルター兄貴24歳(1953年11月22日)。
リィズちゃん13歳(1964年6月28日)、テオ君13歳(1964年4月13日)。
カティアこと、ウルスラちゃん11歳(1967年1月7日)。

 登場予定は御座いませんが、参考までに。
范氏蘭17歳(1960年10月2日)、シルヴィア・クシャシンスカ13歳(1964年12月26日)


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シュミットの最期 後編

 ドイツ全土をソ連に献上し、権力の独裁を(たくら)むエーリヒ・シュミット。
その最期は哀れな物であった。


東ドイツ・東ベルリン

 

 

 一方、東ベルリンの市街上空では激しい戦闘が繰り広げられていた。

上空を哨戒していたヤウク少尉率いる小隊12機は、4機の所属不明機と遭遇。

20㎜突撃砲の射撃を受けると散開し、距離を取る。

 機種は、MiG-21バラライカ。射撃戦が一般的な戦術機で、長剣装備……

彼の記憶が間違いなければ、対人戦に特化したソ連のKGB直属の特別部隊。

 丁度、自分も二本、刀を積んでいる……。

自身の中にある、戦士の血が滾って来るのが判る。

 

 

 ヤウク少尉の操縦するF-4Rファントムは、絶え間ない射撃の間隙を縫って、高度を下げる。

深緑色の塗装が施された機体は、テンプリン湖上をすべる様にして勢いよく飛ぶ。

衝撃で舞い上がる波しぶきが、機体の両側に打ち付ける。

網膜投射越しに移るサンスーシ宮殿の姿を見ると、ふと一人呟いた。

「ポツダムまで来ていたのか……」

 

 

『このプロイセン王国の文化遺産を韃靼(だったん)の血を引く蛮族に焼かせてはならない』

 

 彼の心の中に、燃える様にソ連への憎しみが広がっていく。

ヴォルガ・ドイツ人として苦汁を嘗めた父祖の事を思い起こしていた。

 

ヴォルガ・ドイツ人

 18世紀から20世紀初頭にかけて、西欧社会から取り残されていたことを実感していた帝政ロシアは、多数のドイツ系移民を受け入れた。

時の女帝、エカチェリーナ2世は、自身もプロイセン人であることも手伝って、農業の大規模な振興策としてドイツ南部の貧困層やプロテスタントの少数派を呼び込んだ。

しかし彼等に待っていたのは、過酷な運命であった。

帝政ロシアの都合で一方的なロシア化政策を受け、文化を捨てることを強要され、圧迫を受けた。

 1918年の赤色革命では、社会情勢が一変し、より苦渋の歴史を歩むことになる。

猜疑心が強く戦争や反乱を恐れるスターリンの手によって、遠く離れた中央アジアのカザフスタンや天然の監獄たるシベリアに追放された。

人々は住み慣れた家を奪われ、劣悪な環境の収容所に送られ、囚人として扱われた。

少なからぬものがシベリアの地で落命し、その立場はスターリンの死後も留め置かれた。

 

 

 

 今、面前に居る敵は、ソ連共産党の手先のKGB。

彼等は、己が祖父母を、ボルガ河畔の地・サラトフ*1より、遥か遠い中央アジア・カザフスタンに送った。

必ずこの戦いに生きて帰って、待つ父母や兄弟に会う。

彼の心には、深い家族への想いが満ちていた。

 だが、それ以上に強く思うのは、自らが恋慕(れんぼ)する娘への感情。

美しい亜麻色の髪をした美少女、(いず)れは、この胸に(いだ)きたい。

 

編隊飛行をする4機の内、一機をこちらに引き付けた。

 F-4Rの右手に持つ突撃砲を後方に向け、追ってくる敵機を牽制しながら、僚機に通信を入れる。

「此方一番機、2番機どうぞ」

湖上を滑る様に飛ぶと、背後からの射撃を避ける。

通り抜けた個所に、水しぶきが上がる。

時折、曳光弾(えいこうだん)を交えた弾が撃ち込まれるのが見えた。

 

「2番機より、一番機へ。指示をお願いします」

返信があった。

推進剤の消費量を見る。飛び方さえ気を付ければ、あと2時間ぐらいは大丈夫であろう。

「格闘戦は避けろ、集団で叩け。繰り返す、集団戦で叩け。以上」

 

 硬く強固に見える戦術機……

乗りなれれば判るが、恐ろしいほど脆い機体。対戦車砲や対戦車地雷で吹き飛ぶ装甲板。

どの様に優秀な衛士が乗っていようと数を持って対応すれば、必ず落ちる。

地獄のウクライナ戦線で嫌というほど見せつけられてきた……

引き付けた一機以外は、集団で叩けば初心者でも勝てる筈。

一人でも多く、僚機を返さねば6月のパレオロゴス作戦に影響する。

 

 再び機首を上げ、上空に向かう。

ウクライナの戦場から遠く離れたベルリンは、幸い光線級の影響もない。

急加速し、高度を上げる。

 深夜だったのが幸いした……

日中であれば、カヌー遊びに興じる観光客であふれていたであろう。

 

 後ろから、追いかけてきた敵機の背後に回り込むことに成功した。

開いている左手に、突撃砲を移動し、右手で兵装担架にある長剣を掴む。

左手の突撃砲を担架に乗せ、もう片方の長剣を受け取る。

 一瞬の隙を見て、敵機の両腕の連結部を破壊する。

彼は巧みな剣(さば)きで薙ぎ払う様にして、跳躍ユニットを正確に切り取った。

 

 下は湖だ……。上手く行けば不時着、生け捕りに出来る。

網膜投射越しに、湖面へと落下する機体を見ながら、残る3機の対応に向かった。

 空中で、再び突撃砲に換装するとヴィルドパークの方角に向かう。

夜空に向かって、対空砲火が上がっているのが見える。

ヴィルドパークを超えれば、ポツダムの人民軍参謀本部だ。

ここで死守しなければ、この国の中枢機能は瓦解する。

そう考えた彼は、再び通信を入れる。

 

「こちら第40戦術機実験中隊、どうぞ」

無線の混信が有った後、返信が入った。

「こちら、第一戦車軍団……、友軍機か」

「対空砲火を下げてくれ……」

通信をしている間に、背後に一機付く。

 

 猛スピードで機体を反転すると、機体前面を後方に向ける。

間もなく朱色の機体を視認すると、火器管制のレバーを手放した。

「ユルゲンか。脅かすな」

背後に来たのは、朱色のバラライカPFを駆るベルンハルト中尉。

彼の後ろから、中隊12機が続けて飛んでくる。

判断が遅れれば、危うく友軍射撃を受けそうになっただけではなく、友軍機撃墜の可能性もあり得たのだ。

 

 

 

 アフターバーナーの火力を調整し、ゆっくりと着陸の姿勢に入る。

既に地上で、ハンニバル大尉達が待つ姿を視認した。

 難なく着陸すると、管制ユニットより降りる。

機内より持ってきた陸軍の防寒着を着こみ、ベルンハルト中尉達の傍まで行く。

綿の入った防寒電熱服(Cウォーニングジャケット)……

着心地が悪く、重い為、ウクライナ帰りの古参兵達は誰も着ようともしなかった。

ユルゲンに至っては、戦闘機乗りの証である濃紺のフライトジャケットを着ていた。

この男は、自分同様宇宙飛行士になるのが夢であったのを思い出した。

翼をもがれても猶、空への夢は諦めきれぬのであろう。

 

 しばらく、雑談をしながらタバコを吹かしていると号令がかかる。

「総員、傾注」

ハンニバル大尉の掛け声で、40名の中隊が整列する。

司令官と数名の男達が来た。

シュトラハヴィッツ少将の敬礼を受け、全員で返礼をする。

ホンブルグ帽に、脹脛まで有る分厚いウール製の狩猟用防寒コートを着た人物が来る。

彼も、同じように敬礼をした後、立ち去って行く。

後ろから来た防寒外套を着た国防大臣の姿を見て、初めて議長である事に気が付いた。

見知った人物の顔すら認識できなかった……   

疲れているのであろう。

 

 大尉が、腕時計を見る。

顔を上げて周囲を見回した後、こう告げる。

「追加の指示が無ければ、明日の0600に再び練兵場に集合。

同志ベルンハルト、同志ヤウクの両名以外は一旦解散する。以上」

 

 隊員たちが引き上げた後、ヤウクとベルンハルトの両名は残された。

ヤウクは、ハンニバル大尉に問う。

「話とは何でしょうか」

「同志ヤウク少尉。

貴様、まず近接戦闘を捨てて、砲撃戦に徹する様、指示したのは評価しよう。

ただ、その本人が格闘戦に夢中になって小隊の指揮を疎かにするのは何事か。

小隊の指揮を執る将校として、落第だ」

彼は、ベルンハルト中尉の方を向く

「同志ベルンハルト中尉、あの状況でソ連大使館への被害を拡大させなかった。

その点は、技量の高さを認める。しかし、日本軍機の介入が無ければ戦死していた可能性は高い。

ここ最近は判断に遅れがみられる。注意せよ」

彼は両名を改めて見る。

「俺からの説教は以上だ。一先ず風呂にでも入って寝ろ」

挙手の礼に応じた後、参謀本部に隣接する兵舎へ向かった。

 

 

 

 

 

 早朝のベルリン市内を走る車列。

外交官ナンバーの黒塗りの高級車が3台、その後から似つかわしくない軍用トラック2台が続く。

高級車は、ソ連共産党幹部御用達の115型リムジンで、トラックは131型軍用トラック。

共に『ジル』の名で有名なリハチョフ記念工場*2製であった。

 

「同志シュミット、この上はどうするのかね」

ソ連軍将校のM69野戦服に、大佐の階級章を付けた人物が、礼装のシュミットに尋ねる。

件の人物は、シュタージ本部に出入りしてシュミットを指導したKGB大佐であった。

「すでに戦術機部隊は壊滅しました……。()くなる上は、ハバロフスクへ落ち延びましょう」

シュミットの返答を聞きながら、男は左手で顔を撫でる。

「駐留軍も動かずか……」

 

 頼みの綱とした駐独ソ連軍は、彼等への協力を一切拒絶した。

早暁、シェーネフェルト空港へ向かうも、既に人民空軍が全権を掌握。

慌てて引き返すも、憲兵隊のオートバイ隊に追われる。

外交官特権で彼等を追い払うと一目散に、秘密基地へ逃げ延びた。

 

 勢いよく車道を進む中、車列の前方から銃撃を受ける。

運転手は危険を察知し、ブレーキを踏み、車を止めた。

「どうしたのだ」

運転手の咄嗟の動作に、男は狼狽する。

まさか、外交官保護を認めた1961年のウィーン条約を反故にする愚か者が居るとは……

 

「車を出せ!」

そう伝え、運転手が車を反転させ様とした時、銃声が響く。

破裂音と共に、車が縦に揺れ、地面に叩き付けられる。

「タイヤか……」

それなりの腕が有る人物にタイヤか車軸を狙撃されたらしい。

反転して車列を離れる軍用トラックの一台が攻撃を受ける。

エンジンが入ったボンネット部分に命中し、爆発炎上。

 

 彼等は、焦った。

身動きの出来ない状態で、敵は降伏を認めないようだ……

KGB大佐は、足元より折り畳み式銃床のカラシニコフ自動小銃を取り出し、弾倉を組む。

槓桿(こうかん)を引き、装弾して射撃可能にする。

「車外に出て、血路(けつろ)を開く」

勢いよくドアをあけ放つと、同時に四方に銃弾を放つ。

銃の左側にある切換装置(セレクター)を操作し、半自動から全自動にしてばら撒く。

 

「駆け抜けるぞ」

腰を低く落とし、有りっ丈の弾を盲射(もうしゃ)して、その場から離れようとする。

その刹那、男の軍帽に銃弾が当たり、倒れ込む。

脳天を一撃で打ち抜かれた(むくろ)を目の当たりにしたシュミットは、一目散に駆けた。

韋駄天(いだてん)の如く駆け抜け、森の中へ逃げ込む。

 

 

 命辛々、逃げ出したシュミットは、自分が頼みとする手勢と逸れてしまった。

鬱蒼(うっそう)と茂る森の中を、ひたすら歩く。

薄暗い夜道の中を、進んだ。

この道を進めば、間もなく秘密のヘリ発着場が有る。KGB所有のヘリコプターで脱出できれば、この国に未練はない。

 

 やっとの思いで深い木々の中にある僅かな獣道を駆け抜けて、秘密の発着場に着く。

目的としていたソ連製のヘリが、二台あるのがみえた。

安堵して駆け寄るも、待ち構えていたのは、頼みとしていたKGBの特殊部隊ではなかった。

 国家保安省衛兵連隊の制服を着た一団が自動小銃を構え、無言で此方に狙いを定める。

「貴様たちは、私を裏切る気か」

周囲の男達にそう呼び掛け、命乞いをする。

 

 自分が策謀に貶めようとして図った国家保安省。

ドイツを核ミサイル基地に改造して 権力の独裁を(たくら)むエーリヒ・シュミットの恐るべき野望。

しかし、それは、その為の道具に使われると知った保安省幹部や多くの職員たちの離反を招く原因になった。

無論、工作の中心にいた彼自身は、知る由もなかった……

 

 彼がその場から退こうとする間に、衛兵連隊の将兵に周囲を囲まれる。

シュミットは、懐中より自動拳銃を取り出すと、目線の高さまで持ち上げ、引き金を引く。

 その刹那、早朝の森の中に、銃声が鳴り響く。

ほぼ同時に一斉射撃が彼の体を貫くと、勢いよく倒れ込む。

その際、被っていた軍帽は脱げ、白色の上着が徐々に赤く染まった。

 

 

「この様な所で、夢破れようとは……」

そう(つぶや)き、再度銃を目の前の兵士達に向ける。

彼の反撃よりも早く、背後から銃弾が撃ち込まれる。

盆の窪から二発の拳銃弾が脳へと放たれ、其のまま息絶えた。

 エーリヒ・シュミットの最期は、あっけの無いものであった。

KGB流の暗殺方法で最期を迎えた男の亡骸は、持ってきた携帯天幕に包まれる。

 

 止めの一撃を放った男は、地面に横たわる骸を見下ろす。

この様に成るまで放っておいた我等も、責任があるのではなかろうか……

 外套のポケットよりタバコを出すと、火を点ける。

何れ、権力機構を支えた国家保安省は解体されるであろう。

そしてその暁には、公正な自由選挙が行われ、真の意味での民意を反映した政権が出来る。

甘い夢かもしれない……。だが子や、まだ見ぬ子孫達に幾らかでも選択の余地を残してやる。

それが、この国の政治を担う者としての立場ではないのか……

彼は、そう自問する。

遺体を積み込むと、ヘリに乗り込み、その場から立ち去った。

 

 

 

 

 

東ドイツ・ポツダム

 

 同じころのポツダムの国家人民軍参謀本部。

其処では東ドイツの行く末をめぐって、政治局員同士の議論がなされていた。

「これはチャンスだよ、諸君」

「同志議長、どういう事ですか」

上座の男は、語り始める。

「今回の事件の結果次第によっては独ソ関係は変わる。

仮にソ連の態度が今以上に冷たくなれば、我が国を……否、東欧を捨てたを意味する」

今回の事件を斟酌(しんしゃく)する。

「先年の米国との取り決めを無視し、ハバロフスクに逃避して以来の衝撃だよ。

つまり、独自交渉の余地が出来上がったとも受け取れるという事さ」

国防相は、彼の言葉を聞いて背もたれに寄り掛かる。

「事を構えるつもりだと……」

 

男は、真剣な面持ちでゆっくり語り始め、国防相の疑問を返した。

「遅かれ、早かれケーニヒスベルク*3の帰属をはっきりしない限り、この欧州の地でのソ連の潜在的な脅威は取り除けない……。

歴史を紐解けば、かのキエフ公国以来、異常とも言える領土的野心……。それを、彼等は一度も捨てた事は無い。

放置すれば、あの忌々しいナチスのダンチヒ*4の二の舞になる。新たな火種を置いておく必要は無かろう」

ぐるりと周囲を見回す。

「米国を巻き込んだ国際世論の形成工作をしようと思っている……」

 

 

 

 議長の言葉が言い終わると同じころドアが開かれ、不意に東洋人の男が部屋へ乗り込んできた。

黒い詰襟の上下を着た男に、衆目が集まる。

「最後に頼るのは米国って訳だ……。それだけではあるまい……。

貴様等が、この国の周囲に鉄条網を張り巡らせていた頃から……、東ドイツの財政。

半分は、西ドイツによって助けられていた」

男の言葉に、周囲が騒然となる。

「何だと」

腕を組んで立つ東洋系外人の男は、苦笑交じりに続ける。

「SEDも堕ちた物だ。

ソ連の搾取に甘んじながら、独立国と天下に(うそぶ)く連中が、他の大国に尻尾を振る」

男は、怫然(ふつぜん)とした態度を取る議長の顔を見る。

大道芸(サーカス)でも始めるつもりかね……。議長さんよ……」

彼の問いに、議長は苦虫を嚙み潰したような表情をする。

 

国防相は立ち上がると、すかさず叫ぶ。

「衛兵を呼べい」

号令の下、直立した護衛が警笛を吹く。

間もなく建屋の中に、複数の足音が響く。

会議室中のドアが勢いよく開け放たれると、白色のサムブラウンベルトをした警備兵がなだれ込む。

立ち竦む男の周りを囲み始める。

 

「貴様は何者だ。官姓名を名乗れ」

国防相の問いかけに、黒服の男は不敵の笑みを湛えた。

男は、一頻り哄笑をした後、名乗る。

「俺の名前は、木原マサキ。天のゼオライマーのパイロットだ」

その東洋人は、自らを木原マサキと名乗り、周囲を睥睨(へいげい)する。

 

「ここをどこであるか、知っての狼藉(ろうぜき)か。日本軍のパイロットが何の目的だ」

マサキは、不敵の笑みを浮かべる。

「すっかり漏らさず聞かせてもらったぞ。お前達にソ連を破滅させる意思が有るのならば、手を貸そう」

立ち上がった外相は、反論する。

「戯言を抜かすな、小僧」

「東欧の盟主と称して、クレムリンへの命乞いをしていた小心者とは思えぬ態度。気に入った」

 

「曲者だ、ひっ捕らえぃ!」

警備隊長の号令の元、一斉に警備兵が飛び掛かる。

マサキを掴みかかろうとした瞬間、彼は周囲に見えぬ壁を張り巡らさせる。

飛び掛かった兵士達は勢いよく見えない壁に衝突し、倒れ込んだ。

マサキは、(うずくま)る兵士たちを掻き分け、一歩前に出る。

「議長やらよ。明日の夜、貴様等が宮殿に出向いてやる。楽しみに待つが良い」

踵を返すと、彼は高笑いをしながら部屋を後にした。

 

 マサキは、難なく参謀本部から脱出すると、ゼオライマーを呼び寄せる。

コックピットに乗り込むと、その場を離脱し、機体事、空間転移した。

操作卓のボタンを押し、西ドイツのハンブルク近郊の町、ガルルシュテットにある日本軍の臨時基地へ帰る事を選択する。

持ち出した秘密資料を仕分けるために、一旦基地に舞い戻る事にしたのだ。

無論唯では済む訳もなく、昨晩の外出理由の説明の為に、上司達の下に呼び出される。

 資料を再び隠匿した後、彼等の待つ場所、ハンブルク迄、用意された車で向かった。

昨夜より一睡もしていない彼は、後部座席に座るなり仮眠をとる。

脇に座る美久に寄り掛かりながら、微睡(まどろ)む。

 

西ドイツ・ハンブルク

 

 ハンブルク市庁舎にほど近い場所に立つ日本国総領事館。 

彼は職員に案内されながら、総領事の待つ部屋に向かう。

領事室に入ると、執務机の椅子に腰かけた総領事の姿を一瞥する。

 

 『体が気怠(けだる)い』

眠気で、頭が今一つ冴えぬ彼は、休めの姿勢で待つと、総領事が顔を上げ、彼に向かって尋ねる。

「何をしていたのだね……」

開口一番、こう伝える。

「奴等の首領にあった」

総領事は、机に両手を置くと、それを支えにして立ち上がる。

驚きの声を上げた後、再び問うた。

「議長と会っただと……」

そう問われると、室内にある革張りのソファーに腰かける。

体を斜めにして、男の方を向く。

「ソ連占領地での暮らし……。ドイツ民族至上主義という危険な爆弾が湿気(しけ)る様では詰まらぬ。

活力を与えるために、少しばかり『カンフル注射』*5をしたのよ」

右手で、金属製のガスライターを取り出す。

口にタバコを咥えると、火を点ける。

「楽しみに待つが良い……。一度連中は火が付けば、暴走した民族主義は簡単に止められぬからな」

紫煙を燻らせると、哄笑する。

 

 総領事は、憮然とした態度で、こう()った。

「君は、ソ連大使館に連れ去らわれたと言う話を聞いていたが……。それがどういう訳で、行方の知れぬ国家評議会議長の所に行ったのだね」

「俺が持てる力の一端を、用いた迄よ。次元連結システムの一寸(ちょっと)した応用だ」

机の上に有る灰皿に、灰を捨てる

「詳しい話とやらは(たかむら)辺りに聞くのだな。クドクドと説明するのは飽きた所だ」

男は、彼の頬に張られた絆創膏を見る

「その傷は……」

斜に構えて、男を見る。

「KGBからの手土産さ」

彼は椅子から立ち上がる。

「帰らせてもらうぞ」

そう言うとズボンの側面(サイド)ポケットに両手を突っ込み、背を向けて歩き出す。

右手でドアを開け、部屋より出ると、後ろから見つめる男を振り返ることなく、立ち去って行った。

 

*1
欧露の東部、ウラル山脈西部に位置する都市。

*2
Завод имени Лихачёва.(略称:ЗИЛ /ZIL)。 1916年から2016年迄存在した自動車会社。2022年に資産や敷地は完全清算された。

*3
今日のカリーニングラード。

*4
今日のポーランドのグダンスク。

*5
重病人の血行を促進させ、心臓麻痺を防ぐ為に使用される注射の事。そこから転じて、通常の手段では対処できなくなった物事に対する即効的な処置。




元の文書より、だいぶ手を加えました。

ご意見、ご感想お待ちしております。
どの様な意見であれ、必ず目を通して参考にさせて頂きます。


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華燭(かしょく)(てん) 前編

 ベルリン市街に出掛けたユルゲン。
ヤウクとカッツェを連れ立って、フリードリヒスハイン人民公園を散策。
つかの間の休日を楽しむ彼等の前に、思いがけない人物が現れる。




ベルリン・フリードリヒスハイン人民公園

 

 ユルゲンは、ソ連留学組の仲間を連れ立って国家保安省(シュタージ)本部にほど近い公園に来ていた。

彼等は、官帽に袖に装飾の施された折り襟制服、側章入りのスラックスに黒短靴と言う、灰色の外出服を着て、雑談をしながら散策していた。

 この場所は、ユルゲンにとって思い入れの深い場所。

ベアトリクスとの逢瀬の度に良く訪れた、デートスポットの一つ。

広大な公園の片隅で、彼女と気のおけぬ会話を楽しんだことを懐かしんだ。

 

 彼がそんなことを考えている時、カッツェが不意に尋ねてきた。

「それにしてもさ、前から気にはなっていたんだけどよ……」

ユルゲンは、竹馬の友であるカッツェの問いに応じる。

「何だよ」

「お前さあ、あの目付きの悪い娘に惚れたんだよ。とんでもない御跳(おは)*1だろ……」

ユルゲンは、半ば怫然として答える。

「あの紅玉のような瞳、晃々たる光を内に秘め、知性を感じさせる。素晴らしいじゃないか」

彼女の眼光炯炯(がんこうけいけい)たる面構えを彼は思い描く。

 

 ヤウクは、思い人を熱く語る彼を窘めた。

「ユルゲン、今は休日とはいえ、制服姿……。いわば勤務中と同じだぞ。主席幕僚として恥ずかしくは無いのかい」

 

建前とはいえ、堅苦しい事を言う同輩に、ユルゲンは返答する。

「別に問題は無かろう。今日は休日だ。惚れた女の話位した所で、(ばち)も当たるまい……。

お前さんだって、彼女の良さに興味が無い訳でないであろう」

同輩は黙って頷く。

 

 暫しの沈黙の後、カッツェが口を開く。

「何故って、一度見たらあの傲慢さ……、忘れねえぜ。人を見下すような目で見て、態度も悪いし……

不愛想とはいえ、ヴィークマンの方が余程可愛げのある女だぜ」

 幼馴染のカッツェとは違い、詳しい事情を知らないヤウクが驚く。

「通産次官のお嬢さんって、そんなに酷い娘さんなのかい。

なんでも、あの色好みのアスクマンが惚れ込むほどの美人だって話には聞いてはいるけど……。

如何なんだい、ユルゲン」

 

 

 カッツェは、同輩・ヤウク少尉の発言を無視して続ける。

「あんな性悪(しょうわる)女、見た事ないくらいだぜ」

右の親指で、満面朱を注いだようになっている彼を指差す。

「もっとも、()()の馬鹿には何を言っても無駄だろうがな」

そう言い放って揶揄する。

「言わせておけば、貴様こそ『手順』すら守れない恥知らずじゃないか……」

部隊の紅一点、ヴィークマンと密通*2、その結果、妊娠をさせた同輩カッツェ。

責任を取って、結婚した彼を、暗に非難した。

邪険な雰囲気を感じ取ったヤウクが止めに入った。

「もう止めよう。こんな話は……」

 

 興奮したユルゲンは、続ける。

「あのな、ベアトリクスは気難しい所もある。

とんでもない我儘娘だけど、そういう所がまるで猫みたいで可愛いらしいじゃないか」

内面にある感情を、開陳する。

「勿論、彼女の豊満で、美しい体つき。確かに俺の心を(まど)わせる……。それは否定しない」

 

 両手を広げて、熱心に話し続けるユルゲンは、気付かなかった。

遠くより濃い紺色のセーターを着た大柄な黒髪の女が、ゆっくりと歩み寄って来る。

濃紺のハイネックセーターの下には、脹脛まで有る鉄紺色のタイトスカート。

右手に黒に見える様なミッドナイトブルーのオーバーコートを持ちながら、段々と近づいて来た。

それを見た、カッツェの表情が、(たちま)ち青くなっていく。

 

 ヤウクは、近づく見知らぬ女の存在に、落ち着かない素振りを見せる。

セーターの下からでも判る、豊かな釣り鐘型の双乳(そうち)

脹脛まで有る鉄紺色のタイトスカートから、浮かぶようにして見える尻臀(しりこぶた)は、まるで白桃を思わせた。

目の前の女の、何とも言えない魅惑な容姿は、彼の気を(そぞ)ろにさせた。

 

 彼等が困惑する内に、女はユルゲンの後ろに立つ。

可憐な声を上げて、熱弁を振るうユルゲンに語り掛けた。

「女の気持ちを(ないがし)ろにする貴方にしては、気の利いた表現をした物ね」

彼の立ち位置より、半歩下がった所で立ち竦む。

仏頂面をする長身の若い女がユルゲンの背後から反論したのだ。

 

 

 ヤウクは、波打った長い黒髪の、どこか妖艶な雰囲気を湛えた女を一瞥すると、彼女に尋ねた。

「失礼ですが、御嬢さん。男同士の会話に水を差すのは無粋ですな」

彼女は不敵の笑みを浮かべ、ヤウクに返す。

「先程から、話題のアベール・ブレーメの娘よ」

()しものヤウクも肝を冷やした様で、蒼白(そうはく)になる。

 

 彼女は、その様を見るなり、口に手を当て、わざとらしく呵々(かか)と哄笑してみせた。

「どう、吃驚(びっくり)したでしょ。ヤウクさん」

彼は、全身より血の気が引くのが判った。

背筋に、まるで冬の様な寒さを(おぼ)える。

流石は、保安省に近い、通産官僚アベール・ブレーメの(いと)()

四六時中、保安省職員が護衛に付いていただけあって、何でも知っているのだと……

 

「ユルゲン……、次は承知しないからね。解ったかしら」

縮こまって小さくなっている彼女の愛する男は、力なく応じる。

「はい……」

右手を耳に当てて、再度問う。

「声が小さくて、何も聞こえなかったわ」

まるで、最先任下士官に問われ、応じた新兵の様に、彼は、力強く答える。

「はい!御嬢様」

彼女は微笑むと、こう返した。

「宜しい」

ユルゲンの安堵した様を一瞥すると、止めの一撃というばかりに言い放つ。

「是からは面白い話を仕入れたら私に教えなさい。

そうね……、現指導部を批判した、政治絡みの楽しい冗談(ヴィッツェ)が望ましいわね」

彼は、悲鳴を上げる。

その様を見ていた同輩達は、失笑した。

 

 色を戻したヤウクは、彼女に問い質す。

「お嬢さん、護衛を引き連れて、大方僕達を監視にでも来たのかい。

何せ、伏魔殿(ふくまでん)の目と鼻の先だからね」

保安省に近い場所であった為か、慎重に言葉を選んで、彼女の反応を伺う。

宝玉のような瞳が彼の顔を覘く。

 

ベアトリクスは、静かに言い放つ。

御名答(ごめいとう)。私の護衛は、日常生活を全て父に報告することになってるの……。

もちろん貴方方との会話も……。その時の報告の様を想像すると楽しいでしょう」

 

ヤウクは、乾いた声で哄笑する。

「それは傑作だ。聞きしに勝る才媛(さいえん)とは、君のような方を言うのだね」

鋭い眼光が彼に向けられる

「恋慕している人がいるとは思えない優美さに欠ける言葉ね」

 

 内密にしている美少女への思い。調べ上げていたとは……。

ヤウクは、国家保安省の人民軍内部への浸透工作に改めて、舌を巻いた。

「貴方にお返ししますよ。お嬢さん」

そう漏らすと、ユルゲンの右腕に彼女が両腕を巻き付け、抱き着く。

巻き付かれた当人は、自らに向けられる周囲の視線が、身を切られる様に痛いのであろうか……

白皙の美貌を紅潮させ、大層恥ずかしがっているのが、ヤウクには分った。

 

 彼は、懐中より紙巻きたばこを取り出し、火を点ける。

軽く吸い込むと、紫煙を吐き出す。

「話してみると至って普通の御嬢様って感じじゃないか。安心したよ、ユルゲン」

ユルゲンを安心させるようなことを言う。だが彼は、脇の甘い同輩を本心より心配した。

(『君の事だから、保安省の間者共に弄ばれたかと思って、冷や冷やさせられたよ』)

 

 

 

 

 夕刻、議長公邸に、ユルゲンは、ベアトリクスと共に呼び出された。

ベアトリクスを伴って来いという議長の指示は、ユルゲンには理解出来なかった。

 

 男は日頃から、子息の様に思って接しているユルゲンの将来を案じた。

彼が熱を上げる思い人が、どんな人物か、この目で見て確かめたくなった。

そして彼女の政治的な考えを改めさせるべく、執務の合間の貴重な時間を使ってわざわざ会った。

 

 案内された部屋にある、来客用のソファーに、二人はそろって腰かけた。

すると、給仕より熱い茶が出される。

緊張して固まるユルゲンを余所に、ベアトリクスは、湯気の立つ茶を頂く事にした。

柑橘系の甘い香りのするお茶を、ゆっくりと息を吹きかけながら飲む。

 

静かに白磁の茶碗をテーブルに置いた後、面前に座る議長に尋ねた。

「何が言いたいのかしら」

ベアトリクスから、きつく睨み返された男は、薄ら笑いを浮かべて続ける。

「端的に言おう。君のような人間は政治の世界に踏み込んではいけない。

ユルゲンが戦術機の国産化の為に、君やアベールを介して保安省に近づこうとしてたのは、俺も知っている」

ベアトリクスは、議長の対応に驚いた。

まるで自分の息子に呼び掛ける様にして、ユルゲンの名前を告げた事に、言葉も出なかった。

この男は、これほどまでに自分の恋人を厚く遇してくれているとは……

 

「君が士官学校に入ったのも、ユルゲンを後方支援するためだったろう。本気だったことは理解できる」

ユルゲンは、議長の言動に驚愕した。

あの慎重な男が、ここまで踏み込んだ発言をするとは……

前議長を追放する際、KGBがバックに居るシュタージと丁々発止のやり取りをしたという話は、本当だったのだろう。

いい加減な噂だと思っていたが、事実だったのではないかと思えて来た。

 

「政治とは圧倒的な力の下で如何に支配するかという薄汚れた世界だ」

彼女は苦笑した。

社会主義国の議長と在ろうものが、その様な甘い希望を言う(さま)に、呆れた素振りを見せる。

 

 ベアトリクスの蔑むような視線に、男は怯まなかった。

「政治ってのは綺麗事や理想では出来ない……。政治家は良い意味でも悪い意味でも常識は捨てなければならない」

タバコを灰皿に捨てると、右手で揉み消すと立ち上がり、彼女の周囲を歩き始めた。

「自分の裸身を曝け出して、衆人の前で練り歩く。それくらいの覚悟が無ければ、政治家は出来ない……」

 

 ベアトリクスの見た事のない表情に、ユルゲンは焦った。

無言で黙る彼女を、男は厳しい表情で見つめながら、続ける。

「君に、それ程の覚悟はあるかね」

懐中よりタバコを取り出し、口に咥え、再び椅子に腰かけると、右手で火を点けた。

 

 暫しの沈黙の後、口を開く。

「君は、ユルゲンの手助けをするつもりで士官学校でスパイの真似事をしたそうではないか。それは君の父の立場があって初めて出来た事だ。

だが政治の世界はそんなに甘くはない」

ゆっくりと紫煙を燻らせる。

「政治家に為ればあらゆるものと戦わなくてはならない。例えばKGB、独ソ関係はこの国の根幹だ」

 

 男の脳裏に、ソ連の隷属の下に置かれた三十有余年の出来事が思い起こされた。

KGBの締め付けはきつく、シュタージの工作部隊ごとにKGBの連絡将校が置かれた。

シュタージ長官ですら、モスクワの許可なく自由に厠に行く事すらできない状態である。

 アスクマンら一部人士が、反ソの派閥を秘密裏に作ったのも、東独がソ連への協力以外何もできない状況に嫌気がさしたからではなかったからか。

積極工作で西側に接触したのも、亡命を図っていた節もあるのではないか……

 

 ふと恐ろしい事が頭をよぎるも、今は目の前にいる昔馴染みの党員の娘の行く末を案じることにした。

男は、目の前にいる漆黒の髪の美女を見つめる。

このまま、ユルゲンが言う様にシュタージに入省してしまえば、KGBの操り人形になってしまう。

シュミットの様に良い用に使われて、捨てられるであろう。

心を惑わせるような美貌の持ち主だ、あのロシア人が放っておくはずは無かろう。

辱めを受けずに済めばよいが、其れもあり得なくない話だ。

 

 ユルゲンの妻となる、この可憐な少女を、利用価値のある馬鹿者に貶めるような真似は避けたい。

必死の思いで、ロシアの諜報戦の恐ろしさを説く事にしたのだ。

 

「奴等は文字通り地の果てまで追いかけて来る」

じっと表情を変えず、此方を覗き見るベアトリクスの様を見た後、男は一旦考え込むようにして、目を閉じた。

 

 

 

 

 再び目を開くと、語り始めた。

「嘗て帝政ロシアとインドを結ぶ中間地点にあったチベットに影響力を及ぼす為に、姦計を用いた。

秘密警察(オフラナ)*3は蒙古人の仏法僧*4を仕立て、同地の支配者である活仏のダライラマに近づき、親露的な態度に変化させるという離れ業をやった」

白磁の茶碗を掴むと、冷めた茶を飲む。

「何時ぞやの逢瀬の際に、君はユルゲンにこう言ったそうではないか。

『人類を救うために、多少の犠牲は必要』と……

乳飲み子の戯言(ざれごと)だと思えば、怒る気にもならない。だが、政治家なら別だ。

その様な絵空事では国は運営できない。

10万平方キロメートルの国土と1600万の人口を抱える小国の我が国ですら、自分達を餓えさせぬ為にはあらゆる手段を用いてきた。

遥かに豊かで国力も強大な米国ですら、自国民を守るのに必死だ……」

 

議長は面前に座る若い男女の顔色を一瞥すると、不意に立ち上がり、室内を歩き始める。

「嘗てソ連は国際共産主義運動(インターナショナル)の名のもとに様々な悪行を成したが、どの結果も惨憺(さんたん)たるものであった。

君の今の言葉は、私にはそれと同じに思える。

三億の人口と広大な領土を持つソ連は、途方もない噓や誤魔化しが常態化している。

多数の収容所や、それに依存した経済制度、成年男子の大量減少という未だ癒えぬ大祖国戦争の傷跡。

仮にBETA戦争から勝利したとしても、前から誤魔化しが残り続ければ、人々を苦しませるであろう」

 

 議長は、ベアトリクスの目の前に立ち止まり、じっと赤い瞳を見つめる。

「君のような夢想家は、一介の職業婦人、一介の妻として過ごした方が幸せに思える……。

君のこの様な態度は、君自身や家族ばかりではなく、やがては、ユルゲンや彼の親類縁者までも不幸にしよう」

右手で、灰皿にタバコの吸い殻をなげ入れた。

「女が政治の世界に入ると言う事は、家庭人としての幸せ……、つまり妻や母となる楽しみや機会すら捨てざるを得ない。

常に寂寥感(せきりょうかん)に、(さいな)まれ、疑心暗鬼の中で一生を過ごす……。

仮に、彼が思う所の理想を叶えたとしても、果たして幸せと言えるのかね」

 

 

ふと立ち止まると、背を向けて、窓外の風景を覘いた。

「ユルゲンの理想を成就させる同志の立場ではなく、妻としてこの男に寄り添ってはくれぬかね。

ハリコフでの初陣(ういじん)の際、戦死した部下を思うて夜も寝れぬ日々を過ごした繊細な男だ。

傍にあって、そっと支えてやって欲しい……」

 

 ユルゲンは、その一言を聞き入った。

ウクライナ出兵の際、初陣で光線級吶喊(レーザーヤークト)をした際の話まで調べ上げているとは……

この男の底知れぬ深さに改めて喫驚する。

 

 彼女は、相も変わらず仏頂面をして、男を見つめる。

そして突然、哄笑した。

男は振り返って、一瞬驚いた表情を見せると、相好(そうごう)を崩す。

その様を見ていたユルゲンは、両人の真意を量りかねていた。

 

 奥に立っていた職員が近づき、何やら告げると、議長は頷く。

「また遊びに来なさい。ベアトリクスさん」

右手を挙げて、別れの挨拶を言うと立ち去っていった。

二人は立ち上がって、深々と立礼をして見送る。

議長の姿が見えなくなると、職員に連れられて、部屋を後にした。

 

 

 

 

 疑問の氷解せぬまま、帰宅の途に就く二人。

夕暮れの戸外を並んで歩いている時、ベアトリクスが不意に言葉を発した。

「来て、正解だったわ」

ユルゲンは、その真意を訪ねた。

「何だよ。それは……」

「貴方の出処進退で、議長が私に頼み込む……」

「詰り……」

「自信を持って前に進めることが出来る。でなければ、議長が私を頼る事も無かっただろうから……。

貴方はこの国にとってかけがえのない人材と言う事のお墨付きをもらったのよ」

 

 ベアトリクスの、その一言に衝撃を受ける。

「貴方の傍にずっと居ることの覚悟も出来たし」

そう漏らすと、ベアトリクスは彼の厚い胸板に飛び込み、顔を(うず)める様に抱き着く。

彼も、そっと両腕を彼女の肩に回す。

 

 幾度も戦場に赴く際に静かに見送ってくれた彼女。

今生の別れとなるかもしれぬのに涙一つ浮かべなかった。

「決めたぞ。近いうちに、盛大な婚礼の儀式を挙げる」

 

 これからも、彼女の艶やかな笑みを傍らで見続けたい。

一時の安らぎではなく、家庭という心休まる場を持つ。

淡い希望を現実にしたい……

彼の心の中に、強い決意が固まった。

 

 

*1
少女・娘が、周囲に気おくれせず、活発に元気よく動き回る事。そういう人。

*2
道義に反して、男女が密かに関係を持つこと。

*3
帝政ロシアの秘密警察の事

*4
アグワン・ドルジェフ。1854年 - 1938年。反英思想を持つダライラマ13世の家庭教師を務め、親露的な政治姿勢を植え付けた。ソ連時代まで生き延びるも、スターリンの手によって刑場の露と消えた




 読み返して、意味不明な文章だったので大分手を入れました。
(元の文書が気になる方は、暁の方を参照ください)


ご意見、ご感想お待ちしております。


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華燭(かしょく)(てん) 中編

 春霖(しゅんりん)の降り注ぐ中で行われる国家保安省職員の合同葬。
一方、アスクマン少佐が起訴しようとした被疑者達は、全員西ドイツに国外追放された。
対ソ姿勢を強める東ドイツ最高評議会議長の狙いは、一体……


「アスクマンの件だが、本当なのか」

議長は共和国宮殿の一室で、頭を深く下げる国家保安大臣に問い質した。

男からの問いに、保安相は身震いしながら顔を上げる。

声の主の方を向き、答える。

「彼の死は、『駐留ソ連軍の射撃による殉職』と発表するつもりです……」

 

 『褐色の野獣』と呼ばれたハインツ・アスクマン少佐。

彼の最期は、呆気の無いものであった……

 

 議長は、男の答えに思わず顔を顰める。

『殉職』という形にはなっているが、連中が得意とする暗殺。

肖像画を描いた後に断頭台に送るという、スターリン時代のNKVD*1の手法そのもの。

後味の悪い結末に嘆いた。

 

「保安省職員として、黄泉の国に送り届けたかったのか」 

大臣は、男の問いに、頷く。

「せめてもの情けです……」

男は、一部始終を聞き、観念する。

「過ぎた事ゆえ、対処は出来ぬが……」

吸っていたタバコを灰皿に押し付ける。

勢い良く押された為、紙巻きタバコが中ほどから折れ曲がる程であった。

 

その様を見ていた彼は、男の静かな怒りを感じ取る。

「今後は無きようにせよ」

先斬後奏(せんざんこうそう)*2を暗に戒める。

「奴の棺を部下共に担せてやるのは、許す。それだけだ」 

その言葉を聞くなり、保安相は立ち上がり、逃げ出すようにして部屋を後にした。

 

 

 彼の立ち去る姿を見送った後、椅子に腰かける。 

一人、室内に残された男は、未だ続くシュタージの専横を深く憂慮した。

 先々を考え、再び暗い気持ちになる。

出来るならば衆目の前で裁き、獄に繋いでやりたかった……

時期が来れば、この国もボンの政権と同じように死刑制度の廃止に向かうだろう。

今のままの法体系を維持すれば、将来の統一事業の足枷の一つになるのは間違いない。

夜の()けて往く中、窓辺より市街の景色を見ていた。

 

 

 

 

東ベルリン・ブランデンブルク門

 

 降りしきる雨の中、葬列が行く。

シュミットの襲撃事件で、亡くなった国家保安省職員の合同葬が行われていた。

共和国宮殿からブランデンブルク門の前を埋め尽くす三軍の儀仗兵。

堵列(とれつ)した将兵の挙手の間を、三色の軍旗に包まれた棺を担ぐ兵が進む。

 その様をコート型の雨具を着て、見つめるベルンハルト中尉。

人民空軍の大礼服に、儀礼刀を()いて、最後の別れに参列した。

 

 

 葬儀開始前、彼は仲間たちと連れ立って、霊安室に忍び込んだ。

棺の上に乗るクラウンの形が整った軍帽を脇にどけ、こっそりと蓋を開ける。

 

 木製の棺の中で、眠る様にして横渡るアスクマン少佐。

白っぽい肌色で、声を掛ければ、今すぐにでも起きて来そうな印象を受ける。

死に化粧が施された亡骸は、灰色の礼装上下を着て、磨き上げた短靴を履かされていた。

 

 

 『野獣』と恐れられた男は、思ったより小さく感じる。

彼の存在感、あれほど、大きく見えていたのであろうか……

 

 

 

 ユルゲンは、男の亡骸を前にして、夢想する。

 

……この偽りの自由の中で、静かに暮らす。

父母や妻の為に生き残る、そういう考えもあろう。

 

『BETA戦継続の為の独裁体制』

ベアトリクスと討議していた際に、出た腹案をしみじみと思い返す。

良かれと思って、彼女の進路に国家保安省を薦めようとした。

だが、先日の説得で不安に感じた……

 

 やはり、あの可憐な人には、妻として静かに傍にいて欲しい。

『彼女を守りたい』

その様な思いばかりが、増していくのが判る。

 

 自分が悩み追い求めた、中央集権的な専制政治。

本当にそれで良いのだろうか……

 この世界は、あのゼオライマーという大型機が表れて変化しつつある。

何が正しいのか、解らなくなってきた……

釈然(しゃくぜん)としない気持ちばかりが残る。

 

 その様な思いに耽っている時、右肩に手が置かれた。

振り返ると真剣な表情のヤウク少尉。

冷たい雨に濡れて立ち竦む同輩に無言で頷くと、彼は現実へ意識を戻した。

 

 春霖(しゅんりん)*3の中で響く、軍楽隊の奏でる葬送曲。

悲しい調べと共に儀仗兵が居並ぶ中を、霊柩が進む。

指揮官が「捧げ銃」を令し、一斉に儀仗兵がSKS*4小銃を捧げる。

正面に対し、栄誉礼を持って、葬列を見送る。

 

 運命が違えば、自分もそうなっていたのであろうか……

頭巾の上から帽子に雨が滲み、寒さで手足が震えて来る。

コートの下まで薄ら湿ってきた。

好事(こうじ)魔多し』

雨で風邪をひいて大病を抱えるようなことは避けねば……

 

 その様な事を考えていると、居並ぶ儀仗兵は小銃で、上空に射撃の姿勢を取るのが目に入った。

「弔銃」

指揮官の掛け声とともに、三発の空砲が放たれ、雨の市街地に鳴り響く。

挙手の礼を持って、目前を通り過ぎる棺を見送る。

嘗ての仇敵に弔意を示し、冥府への旅路の手向けとした。

 

 

 

 

 リィズ・ホーエンシュタインは、車窓より離れ行く祖国の姿を見た。

彼女の乗せられた列車は、『領域通過列車』と呼ばれ、東西ドイツ間で運行される特別列車。

「国外追放処分*5」という名目で、被疑者及び関係者達が一纏めに乗せられる。

雨の降る中、ベルリン・フリードリヒ通り駅から西ドイツのハンブルグへ向かう。

規定額の西ドイツマルクと、僅かばかりの手荷物を持たされて、見知らぬ場所へ送り出される。

 

 義兄テオドール・エーベルバッハと自分は、この場所より離れるのを躊躇した。

だが、父母は違った。

思えば、住み慣れた祖国を離れると言うのに何処か安堵した様子……

 鉄条網の向こうに着いたら、詳しく聞いてみたい。

学校で教わったように自由社会というのは堕落しているのだろうか……

あの廃頽的(はいたいてき)なロックンロールダンスやディスコという米国文化に若い男女が狂乱し、詐欺や薬物中毒も多く、治安情勢も祖国と違うと聞く。

不安を感じながら、列車は西への旅路を進んだ。

 

東ベルリン・共和国宮殿

 

「なあ、送り出した未決囚の事を、ボンの連中は丁重に扱ってくれるのだろうか……」

窓辺に立つアベール・ブレーメは、振り返って、奥に腰かける議長を見る。

男は悠々と紫煙を燻らせ、同じように窓外の景色を眺めていた。

「建前とは言え、ドイツ国民の扱いだからそう無下にはしまいよ」

 

アベールは、深い憂いの表情を(たた)えた男に、改めて問う。

「やはり潰すのか」

東独全土を支配下に置く秘密警察、国家保安省の扱いを訪ねる。

今回の事件で主要な幹部は何かしらの被害に遭った。

指揮命令系統は寸断され、現場の混乱状態は未だ続いている。

 

「今の規模では駄目なのは事実だ。ネズミ退治をしっかり行ってからではないと話は進むまい……」

男は、国家保安省内に存在するKGBの工作網、モスクワ一派の完全排除を匂わす。

ソ連はBETAの禍によって、既に往時の面影は無い。

米国より潤沢な援助はあるが、軍事力のほぼ全てを核戦力にのみ頼るほど困窮。

それでも、衛星国の一つである東ドイツにとってKGBの諜報網は恐るべき脅威であった。

 

 

灰皿にタバコを押し付けると、顔を持ち上げ、再び口を開いた。

「無論、組織内部の意識改革や制度も問題だが、技術的に立ち遅れ過ぎている。

通信傍受の能力に立ち遅れが見られるのも事実だ。何れは、無線も丸裸になる……」

彼は、再び男の顔を見る。

暫し、思い悩むとこう答えた。

「……最悪、人民軍情報部があるだろう」

男は、顔を上げて反論する。

「貧乏所帯で今以上の事をさせてどうする。

仮にそうなったとしても、貴様とて安心は出来まい」

彼は苦笑する。

「不安材料は……、確かにあり過ぎる。

コンピューターの通信網を構築するにも機材(ハード)論理(ソフト)も立ち遅れ過ぎている。

オマケに半導体や電子部品を作るにしても基礎工業力の問題が解決せぬ事には……」

男は、新しいタバコを取り出し、火を点ける。

「そこに行きつくか。実に通関官僚らしい意見だ」

「電力事情も改善せぬのに、夢語りは出来ぬ」

 

 暫しの静謐(せいひつ)の後、男は語りだした。

「忌み嫌った国際銀行家に頭を下げるしか有るまい……。

BETAに食い荒らされた事を理由に、ソ連からの資源供給。いずれは、絶える……。

その前に、とことん西の連中の同情を引いて、統一の同意を得る」

男の真意を量りかねた彼は問うた。

「何……、つまりどう言う事だね」

その場より、室内を歩き始める。

「アーベル……、此の儘では、我々は未来永劫、傀儡だ」

 

 右の食指と親指で、掴んでいたタバコを灰皿に入れる。

灰皿の中にある水に、投げ入れる様にして捨てたタバコが沈んでゆく。

「我々は、奴等を上手く使う立場にならねばなるまい……」

男の発言に茫然自失となる。

「き、君……、本気かね」

彼の問いに答えるべく、振り返る。

不敵の笑みを浮かべながら、こう答えた。

「アーベル、俺と一緒に、『祖国統一』という名の果実を得ようではないか」

 

 

*1
内務人民委員部。KGBの前身組織

*2
規則を破った人を斬刑に処し、その後、君主に奏上する事。『新五代史』「梁臣伝・朱珍伝」より

*3
春に降り続く冷たい雨。

*4
シモノフ半自動カービン銃。1949年制定。旧ソ連圏では今でも儀仗銃として使われる

*5
史実において、東独当局は、犯罪歴のない市民の出国の制限をしていたが、素行不良や政治犯の出国は条件付きで認められていた。また西独領内に身寄りのない親が在住している場合や外国人との婚姻、65歳以上の老人は自由に出国が認められた。




 東独軍の事を調べたのですが、資料や勉強不足で不安です。
考証がガバガバだと思いますので、間違いや誤解があったら感想欄にでもご意見下さい。
適宜修正する心算です。


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華燭(かしょく)(てん) 後編

 逢瀬の帰路、ユルゲンとベアトリクスは奇妙な東洋人に声を掛けられる。
男は、ゼオライマーのパイロットを名乗り接触してきた。
不気味な男の狙いとは……


 

「待っていたぞ」

逢瀬からの帰路、ベルリンのパンコウ区にある官衙(かんが)を通り抜けている時、暗闇の中から声が掛かる。

ユルゲンの脇に居たベアトリクスは、咄嗟の出来事に身構え、彼の腕に両腕を巻き付ける。

声の主と思われる、上下黒色の服を着た男は、不敵の笑みを浮かべ、此方に歩み寄ってくる。

 

「何時ぞや、ソ連の攻撃ヘリから助けてやったのを忘れたか」

所々訛りの強いドイツ語を話しながら近寄ってくる男の姿が、街灯の下に浮かび上がって来る。

黒髪に黒い瞳で、肌の色や顔つきから東洋人。上下一揃いの詰襟服を着ていた

上に着ている黒地の詰襟は腰ほどの着丈で、胸元が鳩尾迄開けられ、即座に暗器でも取り出せる状態。

連射可能なモーゼル・M712*1やスチェッキンAPS*2などを出されたら、対人格闘術に優れる自分とは言え、ひとたまりも無い。

そう考えて、抱き着くベアトリクスを護衛する様にゆっくりと後退していたユルゲンの腕を、男は右手で掴む。

 

「何をする」

ユルゲンは、強い口調で男に言い放った。

東洋人の男は、口元に不敵の笑みを湛えながら、英語訛りのあるドイツ語で返して来た。

「何、良い男だから少し借りることにしたのさ」

 

 東洋人の薄気味悪さに恐怖を感じたベアトリクスは、自分の手を掴もうとした男の左手を払いのけようとする。

開いている反対側の手で、ユルゲンとの会話で油断している男の頬を、力強く平手打ちした。

180センチ近くある*3ベアトリクスの体格から繰り出された一撃で、不気味な東洋人は弾き飛ばされた。

 

「走って、ユルゲン」

彼女は、唖然とする彼の手を引いて、勢いよく走りだそうとする。

男は弾き飛ばされるも、よろけながら立ち上がり、右腕を黒色のスラックスの切りポケットに入れる。

何やらポケットの中にあるものを弄ぶそぶりを見せた直後に、二人は勢いよく弾き飛ばされる。

 

 

 二人は地面にぶつかりそうになったが、寸での所で回避。

まるで空中に浮いたような感じを味わっていたベアトリクスは、周囲を確認する。

脇を振り返るとユルゲンが浮いていた。改めて周囲を確認すると、自分も浮いている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

どういう事であろうか……

 

 

 彼女が疑問に思っていると、件の東洋人が話し掛けて来た。

「どうだ、素晴らしかろう。今日は少しばかり気分が良い……。

俺が作った次元連結システムをたっぷり聞かせてやろう」

 

 ベアトリクスがもう一度振り返ると、ユルゲンは一言も発せず男を睨んでいる。

彼の古代ギリシアの白い大理石彫像の様に整った顔は、薄く赤色に変わって来ていた。

「何者なの、目的は」

段々と焦燥感を覚えた彼女は、たまらず彼に尋ねた。

「奴は、日本軍の……」

ユルゲンの説明する声を遮るようにして、東洋人の男の声が割り込んでくる。

若干訛りはあるが、徹る声で件の東洋人は言った。

「俺の名前は、木原マサキ。ベルンハルトと知り合いの詰まらぬ科学者だよ」

そう言い放つと、哄笑する。

 

木原と名乗る男は、左手で襟を開けると、ズボンの右ポケットに入れていた右手を懐に移す。

身体を押さえつけられるような感覚が収まると同時に、二人は地面に投げ出された。

ユルゲンは、体勢を立て直して視線をマサキの方に向ける。

視線を動かさないまま、上着の第二ボタンと第三ボタンを開け、すっと左手の脇の下に右手を入れる。

内ポケットに、隠し持っていたPPK拳銃に手を掛ける。

小型で威力の低い.32ACP弾だが、牽制するには十分だろう。

そう考えて、親指で遊底にある安全装置を解除し、撃鉄を下げる。

 

 ユルゲンがピストルを出すより早く、マサキは懐中より小ぶりな箱を取り出した。

黒色のベルベットであしらわれた宝石箱の様な物を、彼等の眼前に差し出す。

ユルゲンがほぼ同時に拳銃を取り出すも、マサキの左手には銀色のポケット拳銃が握られていた。

ベアトリクスに万が一の被害が及ぶことを考えたユルゲンは、拳銃から弾倉を抜いて32口径の弾薬を地面にばら撒く。

マサキは彼の観念した様を見た後、満足そうに笑みを浮かべる。

 

彼等の眼前に見せつけた化粧箱の蓋を開け、中にある二個の指輪を見せつける。

「これは俺からの贈り物だ」

指輪は銀色で、幅が6ミリメートルの太さで、水晶と思しき小ぶりな宝石が象嵌してある。

 

 マサキは、咄嗟にユルゲンの右腕をつかむと薬指に指輪を嵌めた。

その際、ユルゲンからの強烈な肘鉄砲を右頬に喰らった。

余りの事態に困惑するベアトリクスの右手を掴むと、彼女にも同様に嵌める。

無論唯では済まず、再度左の頬に平手打ちを喰らわせられる。

その際、彼女の長い爪でマサキの頬が幾分か切り裂かれ、うっすらと血が滲む。 

 

マサキは、左の頬を撫でながら、身体をふら付かせて、後ろに引き下がる。

「この俺に手を挙げるとは、益々気に入った。今よりソ連上空へ遠乗りに連れて行ってやるよ」

そう言うと、マサキの体から眩しい光が放たれると同時に、二人の意識が遠のいた。

 

 

 

 

 ユルゲンとベアトリクスは気が付くと、見慣れぬ乗り物の操縦席に居た。

一人掛けの椅子の周囲が画面で覆われた狭い操縦席。その左右に振り分けられ、立った状態で乗っている事に気が付く。

両腕を前に縛られたユルゲンとは違い、ベアトリクスは体は暴れないように太さ1センチ程の紐で後ろ手に縛られていた。

彼女は、両胸に紐が通してない不思議な縛り方をされた紐を動かそうとして藻掻く。

紐が抜けぬ事に諦めたベアトリクスは、段々と冷静になって改めて自分の置かれた立場を鑑みる。

彼女は、自身の豊かな胸を締め付けることなく太い紐で捕縛した男の術に、サッと血の気が引くのを感じた。

 

「大丈夫だ。俺はお前たちに危害を与えるつもりはない。

無事帰って、俺の力がどれ程の物であるかを広めて欲しいのよ」

マサキのその言葉に、彼女は顔を背けた。

「なあベルンハルトよ、人形細工のように美しい女を娶る。羨ましい限りよ……」

男は、そう言って哄笑した。

 

「ふざけるな。俺たちを解放しろ」

マサキは、抗議の声を上げるユルゲンを無視して、飛行を続けた。

「何、後悔はさせんよ。

ほんの2時間ほど飛んでウラリスク*4ハイヴを綺麗に焼く様を間近で見せてやるというだけさ。

こんな特別サービスは滅多にお目にかかれぬぞ」

不敵の笑みを浮かべた後、右の食指で、操作卓のボタンを押す。

「現在地は」

そしてユルゲンたちに分かる様、わざとらしくドイツ語で美久に訊ねた。

美久は、いつも通り日本語で返答した。

「現在地は、カザフスタン領にほど近いサラトフの東方100キロです」

怫然としたマサキの表情を読み取ると、慌ててドイツ語で返答をする。

「現在地は……、ウラリスクの西方100キロです」

顔を見合わせるユルゲンたちの様子を見て、マサキはほくそ笑んだ。

 

ユルゲンは顔を動かし、操縦を続けるマサキの脇からモニターを盗み見た。

視覚よりできる限りの情報を得ようと努力した

「安心しろ。光線を出す化け物の心配は要らん。この機体には全身にバリア体が張られている」

嘗てウクライナの戦場で、初陣に出た際に、一瞬にして仲間たちの半分を消し去った禍々しい光線(レーザー)級……

かなりの高度で飛行しているのを確認した彼は、気が気でなかったのだ。

航空機操縦士としての訓練を受けていたことがこんな形で役に立つとは……

一度はソ連のインターコスモス計画*5での宇宙飛行士になる夢を、BETAの地球侵略の為に諦めざるを得なかった。

ユルゲンは、こうして光線級の妨害を気にせず、数年ぶりに自由に空を飛んだことに複雑な気持ちになる。

 

 

 

 

「ハイヴを焼くまでに少しばかり俺の話をしてやろう」

マサキはそう切り出すと、滔々(とうとう)と語り始めた。

「俺は科学者で、このマシンを作った……。

望まぬ形で戦いに放り込まれたのだが、この際、それを利用してこの世界を俺の遊び場にすることにした」

マサキは、自身の言を信じられぬのかの様に、驚いた顔をするユルゲンたちを見回す。

「ベルンハルトよ。貴様と会うのは三度目だが、俺はお前の反抗的な態度が(いた)く気に入った。

だから、簡単に死なぬように、俺が作った特別な仕掛け道具を貴様ら二人にくれてやる事にした」

彼は、思わず失笑する。

「その指輪は只の指輪ではない。外見は白銀(プラチナ)で作ってあり、埋め込まれた宝玉は特殊偏光加工をした水晶……。

内部は、次元連結システムとの通信が可能な細工がして在り、同じ次元に居るのならば、常にこちらから影響力を行使できる。

無論、そちらからこちらにも相互の呼びかけは可能だ……」

 

 満面に紅潮をみなぎらせたマサキは、流暢なドイツ語で捲し立てる様に説明する。

「俺が持っている次元連結システムの子機には劣るが、100分の1のエネルギーを扱えるようにはなっている。

もっとも、この俺とゼオライマーにはそのような物は効かぬがな……」

ユルゲンの反対側に居る、ベアトリクスの方を一瞬振り向く。

だが、再びユルゲンの方を向くと、説明を続けた。

「副次的な効能として人体の活性化も出るかもしれない……。

生命徴候(バイタル)にどのような影響をもたらすかは、俺自身も確かめていない。

推論ではあるが、老化を促す可能性もあるから、調整はしておいた。

例えば、血流や内分泌腺、性ホルモンなどの通常の倍に活性化させ、加齢に対抗出来る様にしてある」

 

 

 

 ベアトリクスは困惑した。目の前の男の目的や行動が、あまりにも荒唐無稽な事に……

マサキの横顔を見ていると、ふいに振り返り、彼女の憂いを湛えた赤い瞳を凝視した後、

「おい娘御、日光の下に居る際はサングラスを掛ける事だな。赤い目が台無しになるぞ」

と諧謔を弄し、呵々と声を上げて笑った。

 

 マサキは、ベアトリクスの眼が赤いのはアルビノの一種と考えて、僅かばかりの仏心*6で彼女にそう答えた。

しかし、ここは元の世界とは異なる世界。

遠く銀河の彼方から飛来した化け物に攻撃を受けつつある世界である事を意識するのを忘れていた。

同じ人の形をしていても、元の世界とは微妙に異なる事を考慮しなかった。

彼の対応は危うかった。

一番の秘密である『異世界の住人』である事を、隠すべき対象である外国人のユルゲンやベアトリクスに匂わせてしまった……

 

 

 

「少々、無駄話が過ぎてしまったが、如何やら着いたようだ……」

彼等は、モニターに映る景色を見た。

天に届くような勢いでそそり立つ構造物は、BETAが来て地上に構築したハイヴという存在。

ユルゲンは話には聞いていたが、改めてその姿を見るとそら恐ろしくなった。

こんな構造物に潜ってデーターを得ようとするのは、並大抵の努力では出来ない……

 

時折、光線が飛んでくるかと思ったが全く来ず、要塞級や蟻のように群れる戦車級の姿も疎らだ。

矢張り、カシュガルハイヴを根本から破壊した影響であろうか。

ユルゲンは一人考えていると、男が声を掛ける。

「おい、今から特別ショーを見せてやる。ハイヴを根元から消し去る様を特等席で観覧できる栄誉……」

マサキは、首を斜めに傾け、ユルゲン達を見据える。

「今逃せば、金輪際味わえまい」

彼の方を向くなり、不敵の笑みを浮かべた。

 

 そう言うと、操作卓に並ぶ鍵盤(キーボード)を連打する。

ウラリスクハイヴの上空を浮遊するゼオライマーは、機体の両腕を胸に近づけたかと思うと、胸と両方の前腕部に嵌め込まれた黄色い球体が煌々と輝き始めた。

漆黒の闇の中を、日輪のごとき眩い光が周囲を照らし始める。

ゼオライマーは何処からか、地を震わす様な恐ろしい鳴き声を上げると、一気に光線を放った。

光は地表まで広がるとBETAを包み込み、化け物共の住む尺地も余さなかった。勢いよく構造物を破壊し、周囲数キロにあるものを跡形もなく消し去って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二週間後、ベアトリクスとユルゲンの婚儀を祝って、大宴会が開かれた。

招きの主は、新婦ベアトリクスの父であるアーベル・ブレーメ。

東ドイツ通産官僚の頂点たる、次官の地位にある彼は、若い時分から党中央や政治局に自在に出入りし、現在の議長と昵懇でもある。

またソ連留学経験もあった為か、KGBの後ろ盾で権勢を振るった国家保安省(シュタージ)とはただならぬ間柄であることは(つと)に有名。

東ドイツ経済界を先導する各業界の人士は、その威を怖れて欠席した者はほとんどなかったと言っても過言ではない。

 

「皆様、お揃いでお待ちしております」

知らせを受けたユルゲンは、上質なウールサージの大社交服(ゲゼルシャフト)を纏い、胸に勲章と飾り緒という容態(ようだい)*7を繕って、刺繍が施された純白の絹のドレスを着た新婦の手を引き、隣室から姿を現す。

銀色の柄頭に白のベークライトの握りが施された、黒革鞘の短剣を()いて、堂々と席に着く。

 

 

 アベールの女婿(じょせい)*8となる新郎ユルゲンは、党・軍の憶え目出度く、身に着けたから礼装からもはっきりとわかる虎背熊腰(こぜゆうよう)*9の体付きをした、白皙(はくせき)の美丈夫。

前年のウクライナ戦線からの臨時帰国の際には、内々に盛宴を開いて、今の議長自身が出迎えをするほどの歓待を受けていたを知らぬ者はいぬほどであった。

そんなことが頭にみじんもなかったユルゲンは、来賓との間で酒杯の交歓(こうかん)をする。

軍籍に身を置き戦地を駆けた、この数年来疎遠だった昔馴染みの友たちと旧交を温めた。

 

 ふとユルゲンは、自身のたった一人の血を分けた妹、アイリスディーナの方に目をやる。

彼女は、(たお)やかに来賓と一頻り歓談を楽しんでいた。

 18歳という年齢もあろうか、腰まで有る金糸の様な髪を編み込んで纏め、細かいレースの刺繍が入ったパールホワイト色のドレスを着たアイリスディーナの佳麗な姿を見ると、言葉にならない。

何時もの灰色の軍服に長靴姿から受ける印象とは違い、美貌がより一層冴えて見えた。

己の妹ながら、(まさ)深窓(しんそう)の令嬢と言っても過言ではないと思える。

 新婦ベアトリクスの同輩や後輩であろう、呼ばれた女学生達は、華やかなドレス姿で(けん)を競っているも、今一つだ。

どれも艶やかなアイリスディーナの容姿には負けている。その様に、ユルゲンは感じた。

 

 

 するとドアが開かれると、向こうより灰色の軍服姿の男達を引き連れて、初老の男が近寄って来る。

軍人は皆、将官を示す朱色の階級章が襟に縫い込まれ、ズボンには太い赤地の側章が走り、胸一杯に勲章を着けていた。

初老の男はタキシード*10を着て居り、数時間近く続いた宴が、宵の口に入っていることを実感した。

 

 ユルゲンは姿勢を正すと、面前の男に挙手の礼を取る。

男が返礼をしたのち、ユルゲンは右手を下げた。

 

「おめでとう、ユルゲン」

「ありがとうございます……」

初老の男は、その言葉に相好(そうごう)を崩し、

「本当に良かった」

と告げるや否や、ユルゲンを不意に抱き寄せた。

 

 

 抱き寄せられた当人は知る由もなかったが、この議長の行動は様々な波紋を呼ぶ。

周囲を騒がせた男……ユルゲン・ベルンハルト。その彼は、現議長が庇護の下にある。

議長自らが手をとって、酒宴の席へ迎え入れた。

 

人々は恐れるものを知らないユルゲンの様を見ながら、更けていく宵の宴を楽しんだ。

 

 

 

 

 

*1
別名を、シュネルフォイヤー(Schnellfeuer.)。コピー品であるスペイン・アストラ社の連射可能モデルを模倣し、1932年に作られた。

*2
ソ連製の大型自動拳銃。

*3
ベアトリクスの身長は、公式設定だと175センチメートル

*4
今日のカザフスタン共和国の都市・オラル。ウラル川とチャガン川の合流点に位置する都市で、戦略上重要視された。

*5
ソ連の衛星国での有人および無人宇宙飛行を支援する為に、1967年4月にモスクワで結成された宇宙計画の事。計画にはワルシャワ条約機構及びアフガン、キューバ、蒙古、越南などの社会主義国が参加。また、インドやシリアなどの親ソ非同盟国や、英仏やオーストリアなどの国家も参加した

*6
仏が慈悲に富むように、情け深い心。

*7
外見、身なり

*8
娘の夫。娘婿の事

*9
体格がたくましいさま

*10
タキシードは燕尾服やフロックコートに準ずる礼装であるが、時間帯を問わず着る日本と違い、欧米では夜会でしか着用しない決まりになっている




 第二部はこれで終わりです。
次回以降は第三部に入ります。

率直なご批判やご不満、どの様な形で有れ、お待ちしております。
低評価でも構いません、評価して頂けたら幸いです。


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ソ連の長い手
深謀遠慮(しんぼうえんりょ) 前編(旧題: 首府ハバロフスク)


 木原マサキは、一向に進まぬBETA討伐に一計を案じる。
秘策を持って、最前線のソ連への工作を画策し、準備し始めた。
彼の狙いとは……


 これまでのあらすじ
 天のゼオライマーのパイロット木原マサキは、鉄甲龍との最終決戦で自爆したはずだった。
だが、気が付くとそこは20年以上前の冷戦が続く異世界だった。
 1977年の支那に降り立った彼は、宇宙怪獣BETAと遭遇する。
100万を超える軍勢と、激烈な戦闘の末、カシュガルハイヴを攻略する。
驚異的な性能に目を付けた日本政府や、米ソを主とした東西両陣営が彼に近づく。
 そんな中、マサキは東西に分裂したベルリンを訪問する。
東ドイツ軍のエースパイロット、ユルゲン・ベルンハルト中尉との出会いが運命を変える。
ユルゲンと関わるうち、マサキは、次第に望まざる冷戦に巻き込まれていくのであった。


 マサキは、自室に持ち込んだ製図版の前で、佇んでいた。

遠い記憶の中にある月のローズ・セラヴィー*1の図面を、書き起こしていた最中であった。

鉛筆を置くと、ラッキーストライクの封を開け、茶色いフィルターが付いたタバコを抜き取る。

ガスライターを胸元より取り出し、口に咥えたタバコに火を点けると、紫煙を燻らせながら思案する。

 

 暫し、ロシアの歴史を思う。

史書『原初年代記』*2によれば、およそ1000年前、長らく無主の地であった彼の地に、地球温暖化の影響で進出してきた北方人の酋長リューリクを、王として(いただ)いて、都市を建設し、小規模な国家が勃興した。

その後、東ローマや回教国の戦など、様々な経緯があってキエフやモスクワに都を移すも、東方より攻め上って来た蒙古人により300年の(くびき)*3を受ける。

そして地球寒冷化の影響もあって蒙古人の勢力が弱体化した後、リューリク朝が独立を取り戻した後、数度の政変の後、300年ほどロマノフ朝*4が支配した。

第一次大戦の混乱の最中、弱体化し始めたロマノフ朝から簒奪(さんだつ)する形で、赤匪(ボリシェビキ)が国を支配し、今の惨状に至った。

 

 

 今一度、ロシア人の立場になって考えてみる。

凄惨を極めた両大戦にしても、ナポレオン戦争にしても、ジンギスカンの存在。遠い歴史の彼方にある東ローマや回教王国も……

 

 彼等の視点に立つと全て、悉く被害者の目線なのだ。

事あるごとに、すでに歴史の中に消えていった、ナチスや日本帝国主義を持ち出し、自分達の加害の事実を薄める。

 この他虐史観は、ポーランドの指導層を惨殺(ざんさつ)*5し、ベルリン市民を辱め、金銀財宝*6を略奪した事実を、薄めるのに大いに役に立った。

世紀の大犯罪、シベリア抑留*7の事実を、『対日戦争』*8という偽りの歴史によって、ソ連は、国民から目を背けた。

 ソ連共産党が、自己の犯罪を正当化する為に、偽りの歴史を作るのは今に始まった事ではない。

だが彼等が、そうやって日夜偽情報を流すのは、無辜の民を(さら)い、虐め殺したという事実を目の前にして、僅かばかり良心の呵責に苦しんでるゆえであろうか……

それ故に、どこか消えぬ心のわだかまりを収めるために、既に影も形もない「ナチス」や「日本帝国主義」を持ち出し、清涼剤にしているのであろう……

 

 思えば、ロシアの存在と言う物は、彼等が東進して来た18世紀以降、隣国支那や朝鮮以上に、日本にとって常に悩みの種であった。

およそロマノフ朝が、満洲王朝・清の始祖の地を侵略し、黒竜江の源流を奪取し、彼等の言う沿海州に到達した時より、我が国はその禍に苦しんだ。

 160年前の文化年間*9の頃より、蝦夷にロシア船籍の海賊が出入りし、沿岸を焼き払い、同地より漁民や化外の民*10を拉致、抑留した。

その事実は、光格帝*11叡聞(えいぶん)に達し、幕府に下問が在ったと伝え聞く。

無論幕府も無策ではなく、北方開発やロシアとの通商交渉の拒否などをするも、彼等の狼藉は留まる事を知らなかった。

外交問題で、宸襟(しんきん)*12を悩ませた事件は、1858年の日米修好通商条約での騒動ぐらいであったから、如何に当時の日本にとって危機的な事であったか……

 

 

 

 明治維新が無かったこの世界でも、恐らく維新以前は同じであろうと考えることが出来よう。

それにしても、この世界にある日本は危機が無さすぎる。

北樺太をソ連領のままにしておくのだから……

 

 思えば樺太は、すでに13世紀には日本人が支那人や蒙古人に先んじて居住し、影響力を及ぼした地域であった。

幕末の川路(かわじ)聖謨(としあきら)*13の日露交渉の際に『雑居地』と認めたのがまずかった。

同年代のチェーホフ*14の旅行記*15などを見れば、彼等の認識は日本領……

樺太は流刑地の一つでしかなく、全くと言っていいほど経済的発展は無かった。

 元の世界では、ロシア革命の際に保証占領したまま、全島を日本領にして置けば、終戦時の南樺太での惨劇は防ぎえたであろう……

レーニンの甘言に騙されて、ソ連に返還してしまった事を、過ぎた事とは言え、彼は悔いた。

 

 

 その様な事を、一人怏々(おうおう)と思案していると、美久が熱い茶を持ってきた。

聞けば、ロンネフェルト*16というメーカーの紅茶で、甘い柑橘系の香りが、鼻腔を(くすぐ)る……

青磁の茶碗を受け取り、熱い茶を一口含んだ後、茶器をテーブルに置くと、ふと漏らす。

「良い茶葉だ、気に入った……。また買っておけ」

椅子に腰かけ、ショカコーラ*17という青い缶詰*18に入ったチョコを頬張った。

風味は、チョコにしては固めで、程よく甘い……

どことなく米・マース*19社の名品、スニッカーズ*20に似た印象を受ける。

 

 彼女は、机を隔てて対坐(たいざ)する様に、革張りのソファーにまっすぐ腰かける。

そして彼の姿を静かに見届けながら、右手に持つ青磁の急須の蓋を、左手で添えながら、空になった椀に熱い茶を注いだ。

 

「俺の機嫌でも取りに来たのか……、まあ良い」

そう言うと、タバコを取り出し、火を点ける。

「なぜ、次元連結システムの話をしたのか……、俺自身が、奴等の中に不破を招く足掛かりとして、仕掛けた」

放たれた言葉に、彼女は目を見開いて、絶句する。

 

 

その様を見た彼は、ふと失笑を漏らす。

「勿論、奴等のために働くつもりはさらさら無い。俺は、ある意味賭けて見ることにした。

連中が欲しがっているゼオライマーを餌にして、東欧諸国とソ連の間を引き裂く……」

湯気の立つ紅茶を、口に含む。

「東ドイツは、ソ連以上の情報統制社会、2千万人も満たない人口に対して、20万人の監視組織(シュタージ)が暗躍している。

ベルンハルトとその妻と会った事は、すぐに露見しよう。

恐らく伝えた話も、彼等の口を通して指導部に漏れ伝わろう……」

灰皿に、灰をゆっくりと捨てる。

「と、するならば、シュタージと関係の深いとされるKGBが黙っては居るまい。

先頃の失点を取り返そうとするはずだ……」

 

 急須から茶を注ぎながら、美久は尋ねる。

「どうして、その様な考えになられたのですか……」

マサキは、目を閉じて、タバコを握ったままの右手を額に置くと、苦笑し始めた。

「ソ連は、ゼオライマーを欲しがっているからさ」

額から手を離すと、彼女の顔をまじまじと眺める。

 

「この際だ、詳しくかみ砕いて説明してやろう。

ソ連では第二次大戦以上の被害を出しながら、BETA戦争を行っている。

深刻な核汚染により疲弊した国土、成年男子の大多数が死滅するほどの敗走……。

加えて、遠隔地への運搬さえ、(まま)ならないほどの流通システムの停滞。

自慢の鉄道網も戦争で寸断されたとなれば、収穫物も、産出地の倉庫で腐るばかりであろう。

従前から経済破綻に加え、住民には塗炭の苦しみを与えて、暴動が続発していると聞く」

 

 不意に立ち上がると、開いている左手で、美久の右腕を掴む。

彼女は、驚いて後ずさりするが、其の儘、右脇まで引っ張った。

「天下にソ連共産党の健在ぶりと、その威信を見せつける方策とは何か。

そこで一気呵成にハイヴを攻略。しかも無傷に近い形で行わねば、軍は維持できない……」

持っているタバコを、左手に持ち替える。

 

「その様な事を出来る存在……」

右手で、美久の上着の前合わせを掴むと、驚く間もなく、胸を(はだ)けさせる。

薄い桃色の肌着越しに、乳房を掌で包むように触れた。

彼女の満面朱を注いだような表情を見て、マサキは一人(たの)しむ。

 

「この世界に在って、為し得る人物とは、誰か」

彼女は、右手を除けると、後ずさりし、胸を両腕で覆って、含羞(はにか)む様を見せる。

マサキはその様を眺めながら、

「次元連結システムから繰り出す、無限のエネルギーを持つ天のゼオライマー。

そして操縦パイロットの木原マサキ」と続けた。

ふいに顔を、美久の左耳の方に近づけ、囁く。

「この俺を置いて他にはおるまい」

美久の紅潮させた頬を食指でなぞり(なが)ら、彼女の焦点の合わない瞳を見つめた。

机の上に置かれたホープの箱より、新しいタバコを取り出して、火を点け、

「この賭け勝負……、どの様な結末に為ろうとも俺は負けぬようには考えてはある。

久々にスリルを味わおうではないか」

そう述べると、くつくつと不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと腰かけた。

 

 

 

 

 

ソ連・ハバロフスク

 

 ハバロフスク時間、早朝4時。

モスクワから退避してきた同地で、ソ連政府の臨時庁舎が居並ぶ大通り。早暁の官衙に、車が乗りつける。

車を降りた男は、KGB臨時本部がある建物の中に速足で入り込む。

彼は、『ウラリスクハイヴ消滅』の一報を、この建屋の主に届ける為に急いだ。

 

 

「帰ったか」

部屋に出入りした諜報員が返ったことを確認する。

「先程、送り届けました」

缶に入った両切りタバコの封を開け、アルミ箔の封印を切り、中よりタバコを抜き出す。

其の儘、口に咥えると、マッチで火を点ける。

紫煙を燻らせた後、老人は室内で立つ男に声を掛けた。

「なあ……」

起こしていた身を、革張りの椅子に預ける。

「この老人の私がその気になれば、18、9のチェコスロバキアの小僧の命でも自由に出来る……」

対面する人物は、静かに聞く。

「それが今のKGBの立場だ……」

言外に、10年前のチェコスロバキアで起きた『プラハの春』を振り返る。

 

 『プラハの春』 

1968年1月、チェコスロバキアでは、共産党第1書記に就いた新指導者*21の下、改革に乗り出す。

市場経済の一部導入等、社会主義の枠内で民主化を目指した。

同年6月には、知識人等が改革路線への支持を表明し、7万人の同意を得た『二千語宣言』を世に出す。

世人(せじん)は、一連の流れを受けて、『人間の顔をした社会主義』と評した。

 だが、ソ連は彼等を認めなかった。

党の埒外(らちがい)に置かれた『二千語宣言』……

同宣言を、ソ連は危険視。自らが主導する、ワルシャワ条約機構の部隊を差し向け、同年8月20日深夜に侵攻を開始。

介入後、指導者がソ連に一時連行され、方針を変更。数百名の犠牲が出た同事件の結果、改革は断念された。

 

「奈落の底へ、転げ落ちたくはあるまい」

男は、老人の問いかけに応じ、

「ベルリンの反動主義者、其の事ですが……」

その老人の顔色を窺いながら、言葉を繋ぐ。

「ハンガリーやチェコの件の様に、直ぐにけりを付ける心算です」

老人の真正面に顔を向け、

「我が国との友好関係を考える一派を通じて、各国に働きかけを行い……、

長官の思う通りに動きつつあります」

 

 静謐(せいひつ)が、その場を(たた)える。

一頻り、タバコを吸いこむと、ゆっくり口を開き、

「貴様も憶えておくが良い……」

腰かけた椅子より、上体を起こすと、

「東ドイツやポーランド、奴等が土台だ……。土台が動けば、ワルシャワ条約機構という基礎が傾き、ソビエト連邦共和国という屋台が崩れる」

眼光鋭く、彼を見る。

「奴等に意志を持たせてはならない」

 

 

 

 昼下がりのハバロフスク、カール・マルクス通り。

嘗てこの周辺は、アムール開拓を進めたニコライ・ムラヴィヨフ伯爵を讃えて、ムラビヨフ・アムールスキー通りと呼ばれた。

1917年のボリシェビキの暴力革命によって、同伯爵の銅像は破壊撤去され、レーニン像が並び、名称もカール・マルクス通りに変更となった。

 そのカール・マルクス通り7番地に聳え立つ、ホテル『ルーシ』。

この建物は1910年に、日本人によってウスペンスキー教会保有地を借り受けられ、「大日本帝国極東貿易会社」により、建設された。

設計はロシア人技師、建設は支那人と朝鮮人労働者によって実施。

建物の最も目立つ部分は正面玄関上部のロシア風丸屋根で、嘗ての所有者の家紋があしらわれている。

シベリア出兵に際し、帝国陸軍将校指定ホテルとして徴用された場所でもあった。

 

 そこで、数人の男達が密議をしていた。

「木原を我が陣営に招き入れるだと……」

KGB長官は、立ったまま、右手を振り上げる。

勢い良く手を下げると、机の上に有るガラス製のコップを弾き飛ばすと、床に勢い良くぶつかり、粉々に砕け散る。

足元には、割れたグラスと共に中の液体が広がる様を見て、室内にいる男達は恐縮した。

「何を考えているのだ」

彼は先の木原マサキ誘拐事件の失敗を悔やんでいた。

科学アカデミーの企てに参加した形とはいえ、名うてのKGB工作員を失ったのは手痛い損失。

その上、シュミットをはじめとした東ドイツ国内のKGB諜報網はほぼ壊滅状態。

原因はすべて木原マサキではないかとの結論に(いた)り、この様な言動になった。

「その様な事は許されない。議長、貴方はソビエト連邦社会主義国の最高指導者。

赤軍参謀総長の考えなど一蹴したら良いではないか」

 

 

「木原マサキは消し去る、抹殺で良いではないか」

常日頃より、議長を庇い続ける姿勢を示していた第二書記は、反論する。

「しかし……」

「何だね」

興奮した様子で、長官は彼の方を向く。

「危ない橋を渡ることに成る……。

私は長い間、ソ連共産党中央委員会書記長の右腕をやってきた」

両手を広げる。

「議長*22は党益を優先された人物、皆も良く知っている。

その益を捨てて、自分の盟友の願いを優先させる……、大変な問題だ」

じろりと、KGB長官の顔を見つめる。

「個人的名誉よりも党益を優先させるのが、ソ連共産党の大原則……」

 

KGB長官は、室内を歩き始め、男の対応に苛立ちを隠せない様子であった。

「何が何でも木原を抹殺するんだ。そうしなければ、我等は御終いだ」

護衛のように寄り添う首相が、口を開く。

「ミンスクハイヴの攻略を完了させてから、木原を殺せば……」

男の右頬に鉄拳が舞い、弾き飛ばされ、倒れ込んだ男を眺めるKGB長官。

周囲を睥睨(へいげい)する様に、顔を動かす。

「木原をソ連邦に招いてみろ……」

青筋の(にじ)みあがってきた顔で、語り続ける。

「奴と接触した中共や東ドイツの首脳部がどうなったか忘れたか。

社会主義を捨て、修正主義に走り、ブルジョア経済に簡単に翻意したではないか」

彼は、ソ連経済圏からの東欧諸国の離脱を恐れた。

社会主義経済の誤謬という事実を、認めたくはなかった……

 

 

「それ程の男なのだよ……」

その逃げ口として、木原マサキの言動を原因とする発言を行う。

しかし、それはまたマサキという男を、過剰に(おそ)れたという事実の裏返しでもあった。 

 周囲の人間がたじろぐ中、こう言い放つ。

「奴の行動を思い起こしてみよ……、全てを破壊する為に生まれて来た様な男……」

立ち上がると、右の食指で壁を指差し、

「世界に比肩(ひけん)する者のない超大型戦術機、ゼオライマー。

それを自在に扱う木原マサキ……」

振り返ると、周囲の混乱を余所に窓外の景色を、二階より市街を俯瞰(ふかん)しながら、男は深く悩んだ。

 

 

 夕刻、レーニン広場に面したハバロフスクの臨時庁舎。

ソ連政権では、嘗ての地方政府庁舎を改装して、クレムリン宮殿の代わりに使用され、そこでは、ソ連首脳の秘密会合が始まっていた。

議題は「ゼオライマーの対応」で、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされる。

 

「お言葉を返すようですが、議長。

どうして木原マサキ抹殺をそんなに急ぐのですか」

赤軍参謀総長が、上座の議長に問いかける。

「ミンスクハイヴの攻略を完了させて、十分な褒賞を与える。

それから工作員を用いて殺せばよいではないでしょうか……」

 議長と呼ばれた老人は、

「それが非道だと言っているのだ。参謀総長、良く聞いてくれ」

目の前の軍人に、諭すように答え、

「木原にそれだけの仕事を任せれば、我々が利益を受ける。

彼は我が党の為に、貢献したわけだ……。

その彼を今度は殺すとなると、それ相応の理由が必要であろう」

両手を掌を上にして広げ、

「私の信任厚いKGB長官の名誉のために殺すとなると、聞こえが悪い。

ソ連共産党は、KGBに(そそのか)されると党組織に貢献した者まで殺すのかと……」

太いへの字型の眉を動かし、黒色の瞳で参謀総長を睨み、

「党員達に(きし)みを与えかねん」

そして左側の外相の方を振り向く。

 

 言葉を振られた外相は、正面を向いて話し始める。

スターリン時代の粛清を生き延びた数少ない人物として、党内での地位も高く、20年以上外相の地位にあり、若かりし頃は駐米大使や国連安保理のソ連常任代表を務めあげた。

「議長、貴方はチェコスロバキアの首相を『修正主義者』として非難して、拘束してるじゃろう」

彼は、困惑する老人の顔を覘く。

「そんな貴方が、いまさら何を惜しむのかね」

「し、しかし……」

 

 すっと、国家計画委員会(ゴスプラン)*23委員長が立ち上がる。

国家計画委員会と言えば、50年近くソ連の国家戦略を牽引(けんいん)してきた機関。

ここの経験者は後に首相の地位に就いたものも少なくはない。

その様な人物が立ち上がって発言する。周囲の目線が、件の男に集中した。

「議長、この失政続きにろくな活躍も出来ずにいる党員たちにとっては、名よりも実です」

第一副首相が、その場を纏める。

「木原は共産党の人間ではない。使い捨てても十分ではないかな……、ここは一先ず党益を優先させよう」

彼は、その言葉を皮切りに挙手をすると、一斉に、閣僚たちが同意を示す。

彼の提灯持ちのとの評判がある第二書記は、その様に唖然とする。

参謀総長が、立ち上がる。

「直ぐに、特殊部隊と、ポーランドの大使館に連絡だ」

老人の顔を、真正面から見る。

「木原暗殺計画は中止とする」

*1
『冥王計画ゼオライマー』に登場する敵役ロボット。指先から繰り出すビーム兵器「ルナ・フラッシュ」とチャージ式のエネルギー砲「ジェイ・カイザー」を併せ持つ遠近両用の戦闘ロボット。木原マサキが設計するも、一度破壊されてルーランの手によって不完全ながら復元された。

*2
12世紀初頭に編纂されたロシア初の史書。9世紀から12世紀初頭の話が掲載されている

*3
タタールの軛

*4
1613年から1917年までロシアを支配した王朝

*5
カティンの森事件

*6
一例を挙げれば、ソ連は、『プリアモスの財宝』を盗み出した

*7
1945年(昭和20年)8月、満蒙の地にあり、武装解除した日本軍将兵及び民間人272万人を、『東京帰国』と騙して、シベリア奥地に誘拐し、奴隷として扱い、虐め殺した事件。日本陸軍参謀本部の統計によると死者行方不明者は34万人超。

*8
1945年(昭和20年)8月9日未明、ソ連は、一方的に1946年(昭和21年)まで有効だった日ソ不可侵条約を破棄し、一方的に満洲に攻め込んだ

*9
1804年から1818年

*10
王化の及ばない所に住む人々。13世紀後半に今日の樺太や沿海州から北海道に移住してきたアイヌ人の事

*11
第119代天皇。1771年9月23日- 1840年12月11日。在位期間1780年1月1日 - 1817年5月7日。男児の居ない後桃園天皇の崩御により、世襲親王家の閑院宮家から皇位継承者として選ばれ、7歳で御位に付き、今日(こんにち)の皇室の元となった帝王。それまでの天皇とは違い、江戸幕府の意向に反し、朝廷の権威回復を実施し、外交関係や飢饉の救済に努めた

*12
天子の御心。おおみこころ。

*13
幕末の幕閣。1801年6月6日-1868年4月7日。安政元年(1854年)の日露和親条約調印に参加した

*14
アントン・パヴロヴィチ・チェーホフ。1860年1月29日 - 1904年7月15日。19世紀後半のロシアを代表する短編作家の一人。生前の評価は欧州では低かったが日本では人気のある作家の一人であった

*15
1895年に刊行された«О́стров Сахали́н» 『樺太島』。現在邦訳が多数出版されている。

*16
Ronnefeldt.1823年創業のドイツ・フランクフルトにある高級茶葉。東欧の王侯貴族が愛飲した

*17
SCHO-KA-KOLA.1935年よりドイツで販売されているカフェイン入りのチョコレート

*18
青缶はミルクチョコレート。赤缶はビターチョコレート

*19
Mars, Incorporated.1911年設立の米国菓子メーカー。M&M'sやミルキーウェイで有名

*20
Snickers.1930年より発売されているミルクチョコレート。

*21
アレクサンデル・ドゥプチェク。1921年11月27日 - 1992年11月7日

*22
ブレジネフは議長と書記長職を兼務していた

*23
1921年2月創立。ソ連の経済政策を立案。単年度、五か年、15~20年の長期経済計画の他、東欧を始めとする経済相互援助会議(コメコン)間の経済計画の調整した




北の大地よ様、誤字報告有難うございました。



 暁の方では新章の方に入りましたので、第三部を開始しました。

ご意見、ご感想よろしくお願いします。

(アンケートご協力ありがとうございました)


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深謀遠慮(しんぼうえんりょ) 後編(旧題: 首府ハバロフスク)

 ドイツ国家人民軍のハイム少将は、ソ連への対応を参謀総長に相談する。
一方、西ドイツでは、生前アスクマン少佐が遺した策謀の対応に追われていた.



東ドイツ・ポツダム

 

 

 ここは、夕暮れのポツダム・サンスーシ宮殿。

シュトラハヴィッツ少将とハイム少将は、ある人物と密会をしていた。

陸軍総司令官であり、副大臣である男。

参謀本部よりほど近い場所に散歩という形で誘った。ここならば、間者が潜んでいても盗聴も不十分。

念には念を入れての対応であった。

 

 ハイム少将は、男に意見を伺う。

「同志大将、ソ連の対応ですが……」

男は不敵の笑みを浮かべる。

「話は聞いている。いずれにせよ、ソ連は持たん。学徒兵に及ばず、徴兵年齢をこの三年で3歳下げた。

1941年と同じことを連中はしている……」

シュトラハヴィッツ少将は、不意に男の顔を覗き込む。

深い憂いを湛えた表情をしている様を時折見せる男は、続ける。

「ルガンスク*1で見た、凍え死んだ少年兵の亡骸は、未だに夢に出てくる……」

 

 サンスーシ宮殿の庭園を歩きながら話した。

総司令官は、ふと立ち止まり、天を仰ぐ。

「貴様達には初めて話すが、俺は先の大戦のとき、国防軍に居たのは知っていよう。

第3装甲師団で装甲擲弾兵……、准尉の立場でウクライナに居た」

 

 彼等は、男の独白に狼狽えた。

聞く所によれば、ソ連での3年間の抑留生活を過ごしたと言う。

その様な人物が、他者に内心を打ち明ける。

「我々の軍隊が駐留したウクライナ……、ソ連有数の農業地帯なのは知っていよう」

顔を下げると、彼等の周囲を歩き始めた。

「嘗てヒトラーとステファン・バンデーラ*2の圧政によって国土の大半を焼いて人口の半分を失った……。

それは半分あっていて、半分は嘘だ。既にそれ以前に尊い人命が失われた。

俺は、この目で見てきた……」

 石畳の上に長靴の音が響く。

磨き上げた黒革の長靴に、朱色の側章の入った乗馬ズボン。

軍帽に東ドイツの国章が入っていなければ、まさに分裂前のドイツ国防軍人と見まがう姿。

彼等は、黙って男の姿を見ていた。

 

「40有余年前、レーニンはロシア全土に、やくざ者やチンピラを集めて『貧農委員会』*3という組織をでっち上げた。

奴等を指嗾(しそう)して村落を荒らし回った……。翌年の種籾はおろか、婦女子の誘拐や資産の強奪迄、行った」

 

厳しい表情で、彼は続ける。

「歴史的にみれば、今の西部ウクライナは勇壮な有翼重騎兵(フサリア)を多数抱えたポーランド・リトアニア公国の一部だった。

そんな彼等をスターリンは恐れた」

懐中よりタバコを取り出し、口に咥えて、再び立ち止まると、右手で火を点ける。

「日本軍が満洲より兵を動かすことを恐れ、極東より師団を動かすのを躊躇ってモスクワは落城寸前までいった。

あの時、米国からの大量援助(レンドリース)と季節外れの大寒波が無ければ、クレムリン宮殿には三色旗が翻って居たであろう事は想像に難くはない」

右手の親指と食指でタバコを挟み、此方を見る男。

「積年の思いというのは……、そう簡単には消えぬのだよ」

男の瞳は、何処か遠くを見るような目で、黄昏を見つめる。

 

 

「同志大将……」

この男は、前の議長の新任厚く政治局員にも推挙された人物。

先年、ポツダムの陸軍総参謀本部が出来た際、直々に総司令官に任命されたほど。

彼等は、俄かに信じられなかった。

「俺は、誰が議長になろうとも関係は無い。国が消えてなくなる事の方が問題だ」

タバコを地面に捨てると、軍靴で踏みつぶす。

「同志ハイム、退役将校作業部会に連絡を取れ」

1957年以降、社会主義統一党政治局の決定に基づき、旧国防軍軍人は退役を余儀なくされた。

党は、彼等の経歴を危険視し、退役将校作業部会という親睦団体に集めら、監視されていた。

 

ハイムは、色を失い、呆然となるも、

「緊急会合って事で押し通せ。俺の名を出せば、国防軍時代の年寄り共が上手くやって()れる」

旧国防軍軍人を通じて、ボンの西ドイツ参謀本部との連絡を取る事を匂わせる。

その言葉に、気を取り戻して、

「はい、同志大将」

と返事をする。

 

 

 男は、シュトラハヴィッツの方を振り向く。

「同志シュトラハヴィッツ、貴様はソ連との細い糸をつなぐようにし給え。

彼等の動向次第では、対応を変えねばなるまい」 

シュトラハヴィッツ少将は、沈黙を破り、重たい口を開く。

「同志大将、宜しいでしょうか。

今回の翻意の理由をお聞かせいただけませんか」

再び、タバコを取り出すと、静かに火を点け、目を瞑り、紫煙を燻らせた後、述べた。

「俺は、すでに貴様達のような情熱は無い……。

一介の軍人として国家の存亡が一大事だ。党の政治方針や社会主義など些事にしか過ぎん」

彼は、男の方を見る。

「その言葉を信じましょう、同志大将」

「時勢の流れに逆らう程、老いてはいぬ」

その言葉を受けて、二人は笑みを浮かべた。

 

 

西ドイツ・ボン

 

 

 西ドイツの臨時首都ボンにある連邦国防省の一室で、始まっていた密議。

約20年ぶりの壁の向こうの連絡に、彼等は困惑した。

党の方針で追放された旧国防軍人からの密書の内容は俄かに信じがたかった。

 

「シュタインホフ君、君はどう思うのかね……」

 出席者の一人が、左胸に略綬と首からダイヤモンド付騎士鉄十字章を下げ、濃紺の空軍士官制服を着た人物に問うた。

勲章は、国法により、鉤十字の紋章から柏葉に置き換えた勲章に変えられてはいるが、紛れもない真物(しんぶつ)

 シュタインホフは立ち上がると、面前に居る男に返す。

戦時中に200機のソ連空軍機を撃墜したとされる男の目が鋭くなる。

「これはKGBの策謀の可能性は御座いませんか」

濃い灰色の背広を着た老人が口を挟み、

「儂もその線は考えた……」

濃紺のネクタイを締め、白色のシャツの襟から深い皴が畳まれた首筋を覗かせ、

「だが、手紙の差出人にはフランツ・ハイム参謀次長の名まであるのだ」

色の付いた遮光眼鏡(サングラス)越しに、彼の顔を伺うと、右手に持った手紙を、衆目に晒す。

 

 俄かに、周囲が騒がしくなる。

「東の参謀次長の直筆の手紙ですと!」

「そんな馬鹿な……」

杖で床を一突きする音が室内に響く。

「諸君、静粛にし給え」

周囲の目線が集まり、

「では良いかな」

杖に両手を預けると、男は話し始めた。

「ハイム参謀次長が、この手紙を送って寄越したと言う事は、奴等の仲にも何らかの方針変換があったと言う事ではないか」

「閣下、それで……」

閣下と呼ばれた老人は、男の質問に応じる。

「我等から出向くのは、危険だ。

国防軍(ヴェアマハト)の再建……その様な米ソ両国の疑念を拂拭(ふっしょく)出来ぬ」

 

 

 

 会合に参加する面々は、1945年のあの日、ドイツ国防軍を思い起こす。

新型爆弾*4を前に、彼等の奮戦虚しく連合国に対し城下の(ちかい)を結んだ。

首都ベルリンは、米ソ英仏の4か国に分けられ、国土も分断された。

何れは()(いつ)にして立ち上がろうと考えては来たが、既に30有余年が過ぎた……

 

「そこでだ。奴等の中に乗り込む算段として、適当な人材を見繕う」

「そんな人材、何処に居りますか……」

老人は淡々と告げた。

「米国の指示で立ち上げた戦術機部隊の連中でも交流名目で送り込む。

どうせ、役立たずの烏合の衆だ……、こういう機会に汗をかいてもらおうではないか」

眼鏡越しに鋭い眼光で睨む。

「あの愚連隊には、ホトホト手を焼いていましたからな」

男達は一斉に、室内に響くほどの哄笑を発した。 

「各所から兵を集めて米軍に指導させる、(さなが)ら昔の陸軍教化隊。其れも、閣下の発案でしたな」

参謀顕章を付けた男が、呟く。

老人は無言で頷き、

「奴等の中隊長に、ハルトウィック*5辺りを選べ。

奴は成績優秀な男だ、ソ連お手製の宣伝煽動(プロパガンダ)にも感化されまい」

と応じた。

 

「隊に(たむろ)している悪童を抑えるには、分不相応に思えますが……。

何せ、信念と言う物が有りませんからなあ」

閣下と呼ばれた老人は、顔を、その男の方に向け、

「寧ろ、信念が無いと言うのが安全なのだよ……、なまじ強烈な愛国心など持っていようものなら右派冒険主義に資金を差し出すソ連の工作に乗ってしまう。

反米愛国という甘い誘い口で、どれ程の将来有望な若者たちが(かどわ)かされてきた事か……」

ふと、両切りのタバコを取り出し、火を点け、

「政治的には無関心な能吏(のうり)……、不安もあろうが、至らぬ処はバルク*6が補佐しよう。

彼奴(あやつ)も莫迦ではない……、少しばかり手癖が悪いだけよ」

応じつつも、紫煙を燻らせながら、苦笑する。

「方々に出入りして、粗野な振る舞いをしていたそうではありませんか。それで、東と揉め事に為ったら……、唯では済みますまい」

 総兵力6万弱の東ドイツとは違って、35万の兵力を要する西ドイツ軍。

僅かばかりいる婦人志願兵は、通信隊や看護部隊専門であったが、一部の不埒な衛士*7が軍務の合間に戯れるなどの問題も起きた。

彼等の卑陋(ひろう)な言行は、戦術機部隊での悩みの種だが、エリート部隊と言う事で、黙認された。

 

 閣下と呼ばれた老人は、シュタインホフ大将に問う。

「そこでだ、シュタインホフ君。君の方からNATOに出向いて話を付けて欲しい……」

その話を聞くなり、立ち上がって反論する。

「お待ちください、閣下。仮に各加盟国が納得してもフランスの対応が読めません……」

彼の困惑する顔を見ずに続ける。

「奴等は自分で抜けて置いて、口だけは挟んでくるからなぁ……」

フランスは時の大統領*8の意向で1966年にNATOより脱退した。

その影響もあって、本部機能はフランス・パリからベルギー・ブリュッセルに移転した。

だが抜け出したのは、軍事部門だけで政治的な影響力は残す処置を取る。

彼等はそのことを悩んだ。

 

 老人は、色眼鏡を外して、周囲を伺いながら告げる。

「思えばあの敗戦以来、我が国は独立自尊の道を歩めたのかね」

出席者の一人が漏らす。

「11年間にわたる再軍備禁止*9……、

『モーゲンソー計画』*10での脱工業化。自前の核も持てず、国土防衛の姿勢で歩んできた」

同調する声が上がり、

赫々(かくかく)たる光栄に包まれたプロイセン王国以来の伝統*11も捨てさせられ、銃剣はおろか、軍帽の類も被れぬ……、こんな惨めな軍隊では……末代までの恥だよ」

「皮肉だな。露助の傀儡共の方が、ドイツ軍らしいとは……」

そう口々に、嘆いた。

 

老人は、再び色眼鏡をかけると、尋ね、

「CIAより変な話が持ち込まれたのは聞いておるかね……」

灰色の開襟型の上着を着て、陸軍総監の記章を付けた男が応じる。

「お聞かせ願えますかな、閣下」

赤い裏地の階級章は、この男が将官である事を示ている。

 

陸軍総監に問われた彼は、机の下から封筒を取り出し、

「ベルリンの周囲を嗅ぎまわっているCIAが、東側と接触した際、ある話が出た。

東ドイツ空軍の戦術機部隊長の妹の処遇に関する件が持ち上がった」

封筒を開けると、数葉の写真と厚いA4判の資料を机の上に置く。

「この写真に写ってる金髪の女が、件の娘御だ」

一葉の総天然色の写真を指差し、

「アイリスディーナ・ベルンハルトと言う名で……、それなりの美女。

国家保安省(シュタージ)が、我等に貢物として送り出す算段をしていたそうだ……」

 

漆黒の様な濃紺で、金ボタンのダブルブレストの上着に、海軍大将の袖章を付けた姿格好の男が、

「知った事ではないが……、中々酷い話ではないか。淳樸(じゅんぼく)な娘を貢物に差し出す……。

遠い支那の故事になるが……、前漢・武帝の治世の折。

匈奴の単于(ぜんう)に、王昭君(おうしょうくん)という美女を貢がせた逸話に、どれ程の人が涙した物か」と嘆く。

 

 老人は、紫煙を燻らせ、艶色(えんしょく)滴るばかりの乙女子(おとめご)の行方を案じた男に、

「私はそのことを、あの男に尋ねたかったのだが、(つい)ぞ聞きそびれてしまった……」 

と返答した。

 

 彼は、周囲を憚ってあえて口には出さなかったが、こう思った。

救いは、同胞(はらかた)である西ドイツであると言う事であろうか……

粗野なスラブ人などに下げ渡されれば、肉体どころか、尊厳まで破壊つくされるであろう……

幾ら目の前に立っているのが、独ソ戦の4年間、苦楽を共にした戦友達。

気の置けない間柄とは言え、一人の美女の悲劇的な行く末……、言うのも引けたのだ。

 

件の老人はシュタインホフの方を振り向き、

「この娘の扱いは……」

問いかけると、彼は、しばしの沈黙の後、

「聞かなかったことにしましょう……、我等を誘い出す為の毒入りの餌かもしれませぬ故」と口を開く。

ふと、誰かが

「気の毒よの」と漏らす。

老人は、右の食指と親指に挟んだタバコを口元から遠ざけ、

「シュタインホフ君、君も同情もするのかね」

噴出される息より紫煙が揺らぐようにして、室内を漂う。

 

尋ねられたシュタインホフ大将は、ゆっくりと灰皿に灰を捨て、

「ふと、自分の孫娘*12と重ねただけですよ……。

年頃も然程離れていません。恨むなら彼等の政治体制を恨むべきでしょう」

両切りタバコから立ち昇る紫煙を見つめながら、そう告げた。

「そうかもしれぬな」

紫煙のまみれる室内に、男達の哄笑が響いた。

*1
今日のウクライナ共和国、ドンバス地方にある都市

*2
1909年1月1日 ‐ 1959年10月15日。ウクライナ独立運動の活動家。米政府の支援を受けるも、1959年10月15日に、亡命先の西ドイツのミュンヘンでソ連のKGBスパイ、ボグダン・スタシンスキーによって暗殺された

*3
1921年に設置された農村支配の為の組織。ボリシェビキ政権に反抗的な農民を裁判なしで処刑した

*4
マブラヴ世界ではベルリンに4発の原子爆弾が投下された

*5
クラウス・ハルトウィック。マブラブ原作のキャラクター。西ドイツ陸軍の衛士

*6
ヨアヒム・バルク。マブラブ原作のキャラクター。西ドイツ陸軍の衛士。

*7
戦術機パイロット

*8
シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール(1890年11月22日 - 1970年11月9日)、フランス第18代大統領(在任:1959年1月8日 - 1969年4月28日)

*9
西ドイツの再軍備は、1954年に自衛隊が創設された日本より遅く、1956年になってからであった

*10
FDR政権の財務長官、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニアによって、1944年に計画されたドイツ産業破壊計画。この計画が実施されたことによって、西ドイツでは1000万人近い人命が飢餓の為に失われた

*11
ドイツ連邦軍は、自衛隊以上にドイツ帝国軍や国防軍の伝統を忌避し、全くの白紙の状態から再建された

*12
キルケ・シュタインホフは、1959年5月1日生まれ。1978年4月1日の時点で18歳




 一言頂けたら、励みになります。


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欺瞞(ぎまん) 前編

 マサキをソ連に誘い出す為にGRUはついに動き出す。
一方ホワイトハウスでは、CIA長官にゼオライマー調査の命が下った。


 赤軍総参謀本部直下のGRUは、KGBや内務省(MVD)*1と違って、ソ連共産党の影響を受けない組織。

情報のほぼ全ては、国防省内に留め置かれ、主に対外工作を専門とする部門を管轄するのが常であった。

組織の長である、GRU本部長は参謀次長を兼任し、その影響は赤軍全体にまで及ぶ。

独自の教育機関として軍事外交アカデミー*2を持ち、対外工作員養成や駐在武官の教育を担う。

 (かつ)てモスクワより移転する前は、二重の防護壁で守られ、鏡面加工のガラス張りの異様な庁舎に盤踞(ばんきょ)した。

職員達はガラスビルと呼んだが、世人は、畏怖(いふ)を込めて、水族館(アクワリウム)と称した。

その伏魔殿では、かの国際諜報団・ラムザイ機関*3をも自在に操り、独ソ戦を有利に進める手順を整えた。

今は、惨めに極東まで落ち延び、当該地にあるGRUの支部庁舎に臨時本部を移した。

 

「同志大将、ヴォールク連隊を持ってハイヴ攻略後、全世界に対して成功を宣伝すると言う話は本当ですか」

深刻な面持ちをした参加者の一人が、上座に座る男に問うた。

 

 彼が口にしたВОЛК(ヴォールク)*4連隊とは、総員4300名を有する大部隊。

野獣の名前を授けられた同連隊は、戦術機108機、戦闘車両240輌、自動車化狙撃兵*5を有する。

第43戦術機甲師団麾下で、ソ連赤軍のミンスクハイヴ攻略作戦主力部隊になるはずであった。

 しかし、日本帝国が秘密裏に準備した超兵器ゼオライマーの登場によって状況は一変する。

僅か数時間余りでハイヴそのものを消滅させ、その存在意義を問われた。

「我々が実際に攻略する必要はない……。

NATO或いは社会主義同胞の諸国軍*6が得た物をその様にすり替えれば宜しいのでは」

男は、背凭れより身を起こす。

「本作戦は、参謀総長たる私の一存に任せてくれ」

そういうと立ち上がり、部屋を出て行く。

「同志大将、勝算は……」

参謀総長は、部下の掛け声を背にして無言のまま、ドアを閉めた

 

 一貫して、今回の東ドイツへの政治介入を反対した赤軍参謀総長。

彼は、パレオロゴス作戦対応に苦慮した。

作戦開始が目前に迫る今、東欧諸国に離反されてしまっては全てが水泡に帰す。

試算では、単独で実施した場合、ソ連地上部隊の現有戦力の8割を失う可能性があるハイヴ攻略……

 一縷(いちる)(のぞ)みを託して送ったシュトラハヴィッツ少将への手紙は、功を奏したようだ。

上手く彼等を利用せねば、ソ連邦は雲散霧消(うんさんむしょう)するであろう。

その様な思いを胸にして階段を登り切り、屋上に出た

懐中より口つきタバコを取り出すと、火を点ける

(ゆる)せ、シュトラハヴィッツ……」

立ち昇る紫煙を見つめて、ひとり呟いた。

 

 

 屋上で紫煙を燻らせていると、一人の男がやってきた。

「同志大将、ご用件は……」

敬礼をする男を深くタバコを吸いこみながら、横目で見る。

「伝令を用意して呉れ。なるべく職責に忠実な人間が良い」

「はい……」

男の方を振り返った彼の顔は、夏の日差しを浴びたわけでもないのに額に汗がにじみ出ていた。

「そいつに木原と接触させる」

悲愴な面持ちをした男は、思わず絶句する。

「き、木原とは……、あ、あの……」

タバコを地面に投げ捨てると、合成皮革の短靴で踏みつける。

(「後は、木原の心次第と言う事か……」)

 

 

 西ドイツ・ハンブルク 

 

 休日を利用してマサキは市内に繰り出し、途中寄ったカフェで、大規模書店で見繕ったばかりの10数冊の本を眺める。

戦時統制の色が強い西ドイツに在っては、情報入手は容易ではない。

その為、ソ連の動向を得る為、時折一般紙を買い求めて、情報を精査していたのだ。

 春の日差しの中、屋外の席に腰かけ、上に着ていた橄欖色(かんらんいろ)羽毛服(ダウンウェア)を脱ぎ、黒無地のウールフランネルのシャツ姿で休んでいた所、美久が耳元で囁く。

「ソ連通商代表部*7の関係者が会っても良いと来ていますが……」

声を掛けた彼女の方を、マサキは大層驚いた仕掛けで、振り返る。

「通商代表部が……」

 

 前の世界においても、対日有害工作はほぼ『通商代表部』が関わっていた。

その様な経緯を知っている彼は、警戒した。

「どういう風の吹き回しか……」

本を閉じて立ち上がると、彼女に耳打ちする。

「ハンドバッグにある自動拳銃を用意して置け……」

そう告げた後、懐中より取り出したラッキーストライクの箱より、タバコを抜き出し、火を点ける。

ゆっくりと紫煙を吐き出すと、カフェの近くに立つホンブルグを被った背広姿の大男を見た。

 

 酷く不愛想(ぶあいそう)な表情をした大男は、マサキが歩み寄ると、一枚の紙を渡す。

紙を開くと、亀甲文字(フラクトゥーア)で書かれた文言が目に飛び込む。

思わず口走った。

「ミンスクハイヴ……」

男は不意に笑みを浮かべると、彼の傍を通り過ぎる。

その際、訝しむマサキの背中越しに、ドイツ語で告げる。

「この巣窟(そうくつ)……、どんな形であっても潰れてくれれば、私共は助かりますので」

そう不気味な事を言い残すと、男は雑踏に消えて行った。

 

 呆然と立ち尽くすマサキは、思うた。

ソ連の形振り構わぬ態度、此処まで追い詰められていたとは……

今あった男は、恐らくGRUの鉄砲玉であろう。

滅多に笑わぬロシア人が不意に微笑んだのは、心から(さげす)む証拠。

 また前の時の様に、良い用に使って殺すのは目に見えている。

かつて鉄甲龍から脱走した際に、落ち延びた先の日本で暗殺される原因の一つとなったソ連……

彼の心の中に、深い憎悪の念が渦巻いていた。

 

 

 

 夕刻、日本総領事館でマサキからの話を聞かされた、綾峰大尉ら一行は唖然としていた。

ソ連が前回の誘拐事件に続き、再び接触を図ってきたことに思い悩んだ。

日本政府の対応は、昨日(さくじつ)のベルリン共和国宮殿のKGB部隊襲撃事件に遭っても変わらなかった。

 

 マサキが応接間にある来客用のテーブルに着くと、総領事が顔を向ける。

人騒がせな彼の動向を聞いてか、疲れ果てたような顔をしており、気怠そうな声で尋ねる。

「君の考えは如何なのだね」

マサキは、妖しく目を輝かせながら、応じる。

「俺は帝国政府の対応なぞ関係なしに暴れようと思っている……。

だが、貴様等がソ連の足を引っ張る覚悟があるのならば、俺は喜んで手助けする心算だ」

半ば呆れかえる周囲の人間を余所に、マサキは満面に喜色を(みなぎ)らせ、高らかに笑った。

 

 くつくつと一頻り笑ったマサキは、真剣な表情になると、面前の貴公子に問うた。

「なあ篁よ……、一つだけ質問がある。

斯衛軍も帝国陸軍と同じように親ソ的雰囲気が強いのか」

 

茶褐色の勤務服*8姿の篁は、思いつめたかのように両手を机の上で組み、正面を見据え、話し始めた。

「木原、貴様も分かっているであろうが斯衛も一枚岩ではない。

歴史的経緯から佐幕派、討幕派、尊皇派、攘夷派の流れを汲んだ人間が多数いる。

元枢府*9とて先の幕閣を無下には扱えなかった……。

民草の中から延喜(えんぎ)*10以来の御親政*11を望む声があるのも承知している」

篁の、女人であったならば一目惚れするであろう美貌に、彼は、思わず見入った。

彼の話す内容よりも、この男の立ち振る舞いや、貴族然とした凛とした佇まいを一人感心した。

 

「我等の中にも将軍職を本来の形に取り戻したいと思っている人間も多数いるのは事実だ。

主上を輔弼(ほひつ)する為の存在であったものが、いつの間にか形骸化した。

しかも世襲職ではないのだから、非常に不安定な立場……」

「大体分かった」

そう言って言葉を遮ると、額に手を当てて瞑想する。

 

 意識を遠い過去の世界へ送り込み、前の世界の日本社会を振り返った。

伯爵位を持つ人間*12がソ連のコミンテルン大会に参加し、其の儘亡命した事件……

至尊の血脈を受け継ぐ公爵*13が軸となって国際スパイ団を招き入れ、敗戦を招く。

その当人は、青酸カリの自決となっているが、明らかに不自然な最期であった事……

 貴族というのは自らの血脈を残すことを考える節があるのではないのか……

異星起源種の禍に苦しむ、この世界に在っても変わらぬであろう。

尊い犠牲の精神や、燃え盛る愛国心を振るう人物ばかりでは無い事は、前の世界で嫌という程見てきた。

 フランス革命前後から欧州外交を率いた、タレーラン*14

ナポレオンをも弄んだ怪人は、帝政ロシアのスパイであり、終生ペテルブルグ*15より年金を得て暮らしていた……

ドイツ統一を果たしたビスマルクですら、親露的な態度を隠さなかった。

策謀渦巻く欧州でそうなのだから、人の好い我が国などだまされるのは当たり前だ。

 

 今の問いは、篁自身に対しての憂虞(ゆうぐ)を抱いていることの表れでもあった。

雲雨の交わりを持った相手が、留学先の米国人、ミラ・ブリッジス。

幸い、南部名門で上院議員を輩出し、陸軍大佐を父に持つブリッジス家令嬢……

 素性不明の女であったならば、どうしたことで有ったろうか。

フランス植民地の残り香漂い、自由闊達な気風の南部人と言う事が救いであった。

例えば進歩的な思想にすり寄った東欧系ユダヤ人の多い東部の商都・ニューヨーク。

摩天楼に巣食う国際銀行家の連なる人間であったならば、どうなったであろうか……

モスクワの長い手によって、進歩思想に被れる可能性は十二分にあった。

 

 また、この事は自分に対する戒めでもある。

どの様な豊麗な女性(にょしょう)を紹介されても、無闇に手出しは出来ない。

白面書生*16であれば、その愛の(ささや)きに惑わされ、逸楽に(ふけ)り、身を滅ぼすであろう。

 もっともこの異界に在って、心の安らぎを得た事があったであろうか。

(さなが)ら雷雨の中を、当ても無く彷徨(さまよ)う様な感覚に襲われる。

思えば元の世界の日本であっても、この心の孤独と言う物は満たされたことは無かった。

この心の渇きは、何時癒されるのであろうか……

ふと、答えの出ぬ自問を止め、意識を現実に振り戻す。

 

 ホープの紙箱を開け、アルミ箔の封を切り、タバコを掴むと口に咥えた。

懐中より体温で仄かに温まったガスライターを出し、火を点ける。

ブタンガスの臭いが一瞬したかと思うと、茶色いフィルターの付いたレギュラーサイズのさや紙に広がる様に燃え移る。

ゆっくりと紫煙を吐き出し、ニコチンを五臓六腑に染み渡らせると、現状を確かめた。

 

 

 

米国・ワシントン

 

 CIAはホワイトハウスに秘密報告書を提出した。

相次いだハイヴの消滅は、複数の情報からゼオライマーの全方位攻撃と類推される事

やがて地上のハイヴが無くなれば、米ソの奇妙な関係は雲散霧消

軍事バランスの変化はやがては欧州大戦の危機をはらんでいると言う内容であった。

 

 室内に、国務長官の怒声が響き渡る。

「アチソン防衛線(ライン)*17の時の様に、ソ連に対し甘言*18(ろう)すれば、朝鮮動乱の如くなりかねん」

彼は、30年近く前*19の苦い記憶を悔やんだ。

 

「日本の手緩い対応を鍛え直しますか……」

国務長官の問いに、副大統領は、強い口調で、

「黄人共の(いさか)いで済めばよいが、サンフランシスコやロサンゼルスまで飛び火することは避けねばならん」

米ソ間の間で顔色を窺う日本政府の対応を、暗に非難した。

 

 押し黙っていた大統領が、ふと告げる。

「化け物退治の副産物で、良い物が有る」

その発言に周囲が騒がしくなり、大統領の方へ、閣僚達の顔が向く。

(いぶか)しんだ顔をしたCIA長官が、口を挟む。

「まさか新型爆弾の見通しが立ったのですか」

大統領は、彼の問いに応じる。

「ロスアラモスに於いて、新元素に対する臨界実験がすでに大詰め段階に入っている。

本年中に仕上がったとしても、実験成功発表は来年に行う」

椅子に凭れ掛かる。

「BETAを焼くついでに、シベリアで実証実験を行えるよう手はずを整えてくれればよい」

彼等の反応を見ていた、副大統領が応じる。

「ハバロフスクを原野に戻す……、中々刺激的な提案ですな」

ふと冷笑を漏らした男は、CIA長官の方に向ける。

「ボーニング社の新進気鋭の設計技師、ハイネマンを呼び出せ……。

『曙計画』を通じて、ミラ・ブリッジスと懇意な間柄だったと聞く」

 

 日本帝国の軍民合同戦術機開発研修プロジェクト・『曙計画』。

合同研修チームが米国に派遣され、そこでミラ・ブリッジスと篁祐唯は知り合った。

もし、ゼオライマーが現れなければ、彼等の辿った運命は違ったであろうか……

ふと、その様な事がCIA長官の頭の片隅を(よぎ)る。

一瞬目を閉じた後、再び視線を男の所に戻した。

 

「奴を通じて、ブリッジス……、否、篁夫人に連絡を入れろ」

副大統領は右手を伸ばすと、卓上にある小箱を目の前に引き寄せる。

「何故その様な事を……」

小箱は、スペイン杉で出来たヒュミドール。

鍵を開け、蓋を、右手で押し上げると同時に、薫り高いバハマ産のタバコ葉の匂いが周囲に広がっていく。

「ゼオライマーのパイロットの上司は、彼女の夫の篁だ。上手く米国に誘い出す糸口にしたい」

静かに蓋を閉めると、左手に持ったシガーカッターで吸い口を切る。

「ソビエトは彼を誘拐しようとして失敗した。

上手く行くかは分からぬが……、遣らぬよりはマシであろうよ」

 

 CIA長官は、男の提案に不信感を抱いた。

何故、この期に及んであれほど否定していたゼオライマーに関する話を持ち出すのかと……

「副大統領、お聞きしたいことがあります」

懐疑の念に囚われたCIA長官は、満足げな男の顔を見つめる。

「今回の翻意の理由は何ですか」

黒縁眼鏡の奥にある瞳が合う。

「出所不明の文書が持ち込まれた話は聞いていよう」

懐中より、細長い葉巻用のマッチを取り出すと、机の上に置く。

箱から抜き出した軸木を勢いよく、側面の紙鑢(ストライカー)に擦り付ける。

「ソ連公文書の形式で書かれた怪文書、約数百冊……。

秘密裏に東ドイツ国内、ベルリン市内に核戦力を持ち込む話……。

シュタージの主だった幹部が、KGB工作員であったことが記されていた」

燃え盛る火を見つめながら、葉巻をゆっくり炙る。

「また、我が方が用意した間者が裏付けを取った。

結果から言えば、駐留ソ連軍の小火器や戦車保有数まで正確……。

独ソ双方の資料を突き合せた結果、寸分違わず書かれていたこと。

以上の事を考慮すると、ソ連公文書の蓋然性(がいぜんせい)が高い」

数度、空ぶかしをした後、念を入れて葉巻に着火し、紫煙を燻らせながら、長官の方に視線を移した。

「君には、(まんま)と一杯食わされたよ。こんな隠し玉を用意してまでゼオライマーに惚れ込んでいたのだから……。

誓紙迄認めた事だ……、この件は君に預ける。機密費で存分にやり給え」

猶も怪訝な表情を浮かべる長官に対して、苦笑しながら答えた。

 

 彼の心中は穏やかではなかった。

自分の知らぬ間に、何者かがKGBの秘密文書をホワイトハウスに持ち込んだのだ。

数百冊の単位で……

常識では考えられぬ手法を用いねば、その様な事は無理だ。

其の事を思うと動悸がして、空恐ろしくさえなる。

「分かりました。手抜かりの無きように進めます」

そう言うと着席した。

 

*1
ソ連内務省は伝統的に純軍事組織を有し、治安維持や災害救護などを任務とした

*2
隠語で音楽学校と称した

*3
ゾルゲ諜報団

*4
露語で狼を意味する言葉

*5
帝政時代からの伝統で、ライフル銃を装備した歩兵部隊の事を、стрелковый(strelkovyi、ストレルコヴイ)と呼んだことが起源。一般的な邦訳が狙撃兵なので、それに準じた

*6
ワルシャワ条約機構の事

*7
貿易の国家独占状態にあるソ連において、外貨獲得の重要な手段して設置された機関。また、日本などでのスパイ工作の隠れ蓑としても使われた

*8
70年式勤務服。マブラヴ世界の帝国陸軍は陸上自衛隊の装備をしている

*9
マブラヴ世界の政府機関。現代版の幕府の様な機関で内閣と皇帝の間を取り持つ役割を果たす

*10
醍醐天皇の異名。第60代天皇。臣籍の身にお生まれになるも父帝・宇多天皇の即位により皇籍復帰された

*11
醍醐天皇の治世は「延喜の治」と称され、後世の手本となった。

*12
土方 与志(ひじかた よし)。1898年(明治31年)4月16日 - 1959年(昭和34年)6月4日

*13
近衛文麿。第34・38・39代内閣総理大臣。

*14
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(1754年2月13日 - 1838年5月17日)

*15
今日のサンクトペテルブルグ

*16
年少で、経験の浅い者

*17
『我が国は、フィリピン・沖縄・日本・アリューシャン列島の軍事防衛線に責任を持つ。それ以外の地域は責任を持たない』ディーン・アチソン米国務長官の発言

*18
米国の消極姿勢を根拠に、スターリンは秘密指令を平壌の傀儡政権に伝達し、南朝鮮を侵略した

*19
1950年1月12日のD.C.の記者クラブでの記者会見でアチソンラインが発表され、それを基に1950年6月25日に朝鮮戦争が開始されたという見解は、今も米国内に根強い




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欺瞞(ぎまん) 後編

 マサキは、ソ連への対決姿勢を周囲に表明する。
一方、KGBでは、シュミット事件の余波による粛清の嵐が吹き荒れていた。


 マサキは、日本総領事館の手配したセダンの後部座席に座って、ハンブルグよりボンに向かっていた。

「情報によれば、ソ連指導部は君を招聘(しょうへい)したそうじゃないか」

左隣に居る、ドブネズミ色の背広姿をした会社員風の男は、瞑想している彼の方を向く。

その声に気付いた彼は、一瞬顔を傾けた後、正面を見据える。

「別に構わないさ。俺は奴等に向かって、ピストルを撃つのだからな」

「えっ」

マサキの発言に、男は心胆を寒からしめる。

「その弾には、空洞加工(ホローポイント)*1が入っている」

そういうと、回転拳銃(リボルバー)を取り出し、驚きの声を上げた男の面前に向ける。

 

マサキは、仰天して驚く男の様を見ると、満面の笑みを浮かべながら続ける。

「今回の話が、嘘か誠か。確かめに行くのではない。殺しに行くのさ……、ソ連指導部を」

唖然とした男は、ふと被っている中折帽の頭頂部(クラウン)を右手で掴む。

「共産党指導部という頭が消し飛べば、ソ連という体は死ぬ」

喜色をみなぎらせた彼の発言に、車中は凍り付いた。

「本当の悪人と取られかねない発言をするとは、意外だね」

スナップ・ブリムの帽子を持ち上げ、不敵の笑みを浮かべる彼に脱帽して、見せつけた。

男の降参の意思を示す様を見て納得したかのように、マサキは一頻り哄笑した。

 

「俺はもとより善人などではない……」

マサキは、拳銃を懐中に仕舞うと、『ホープ』の紙箱より紙巻きたばこを抜き、火を点ける。

「この世界の文明程度であれば、BETAへの対抗は苦慮するであろう……。

それ故、ソ連がこの俺の力を求めているのは分かる」

セミアメリカンブレンドのタバコ葉の味わいを感じながら、紫煙を燻らせる。

「もっとも、俺を一度ならず殺そうとしようとした相手とは話し合いなど出来ぬ」

ホープの蜂蜜風の味付けを愉しみ(なが)ら、悠々と吹かし、

「間違ってはいなかろう……」

薄気味悪い笑みを浮かべる男の面に、目一杯紫煙を吹きかけた。

 男は、紫煙に軽く(むせ)た後、

「ほう、君なりのソ連政府への答えかね」と応じる。

その言葉に、マサキは思わず顔を(しか)めると、男の顔を一瞥し、

「好きにしろ」と不貞腐(ふてくさ)れたように言い放つ。

苛立ちを表すように、煙草を灰皿に投げ入れ、再び瞑想の世界に戻った。

 

 

 

 

帝国・京都

 日暮れになる頃、洛中*2にある(たかむら)邸で、日々外地に居る夫の帰りを待つ妻の下に、段ボール数箱に及ぶ国際郵便が届いた。

差出人はハンブルグの日本総領事館で、中には数十冊に及ぶドイツ語の文書その他には、食べきれぬ量のグミキャンデーとクマのぬいぐるみ。

 この贈り物を目の当たりにしたミラ・ブリッジスは、細面の匂い立つような美貌(びぼう)(ほころ)ばせ、

祐唯(まさただ)、貴方の気持ちは本当にうれしいわ」と(ささや)き、泫然(げんぜん)と落涙する。

感に堪えない面持ちになると、華奢(きゃしゃ)な肩を大きく上下させ、がくりと細い首を折り、

「私のこんな思いだけで、貴方の深い愛には、どうして(こた)えられましょうか……」

と一人(つぶや)き、セミロングの美しい金色の髪をサラサラと震わせながら、感涙に(むせ)んでいた。

 その様を見た女中から、悲哀の涙かと心配され、

「若奥様、ああ、お可哀そうに……」と声を掛けられるほどであった。

 異国の貴公子に見初(みそ)められ、輿入(こしい)*3して半年余り……

寂寞(せきばく)の情を(もよお)す事は、今に始まった事ではないが、外遊中の夫からの(ささ)やかな贈り物を目の前にしてより強く感じる。

一人庭に出ると、夫への思いを胸に抱きながら、満天の星空を眺めていた。

 

 翌日、二条の帝都城に、黒塗りの高級車で、参上する者があった。

濃紺の色無地を纏った白皙の美女は、篁夫人のミラ・ブリッジス。

遠く知らぬ異国の地とはいえ、ただ待つ事しか出来ぬ事に焦りを感じた彼女は、文書を下げて登城(とじょう)したのだ。

「殿下はどちらにおいでか」と、茶坊主に訊ねる見慣れぬ白人に、御座所は一時騒然となる。

後に、山吹の衣を許された名家の関係者と分かった際は、鄭重(ていちょう)な扱いで、奥御殿に招かれた。

 

 

 奥御殿の住人は、それとなく容認発音(RP)*4で、ミラ・ブリッジスに真意を訊ねた。

普段表に出ない御台所(みだいどころ)*5より、訊ねられたミラ・ブリッジスは、緊張のあまり表情険しく、

「夫、祐唯から送られた物に政府文書と思しきものが大量にあり、その相談の為に、殿下の所へ拝謁に仕りました」と答える。

御台所は、思わず、痛いほど彼女の手をにぎりしめ、

「要らぬ苦労をおかけしました」と感激された。

ミラは、その言葉に恐縮しながら、

御台(みだい)様、勿体ないお言葉有難う御座います」と、深々と頭を下げた。

そして、昼餉(ひるげ)を馳走され、茶飲み話に()(きみ)*6との馴初(なれそ)めなどを一通り話した後、颯爽(さっそう)と帰宅の途に就いた。

 

 篁夫人により、持ち込まれた文書はドイツ語でタイプ打ちされており、形式から東ドイツの物であることが判明した。

住所氏名のほかに職業や血液型、個人的な政治信条や指向まで記されていた。

内容から類推するに、国家保安省(シュタージ)秘蔵の個人情報資料、あの悪名高い『シュタージファイル』という結論に至った。

 事情を精査した後、彼等は動く。

帝国陸海軍や外務省関係者まで呼んで、翻訳作業に取り掛かる準備をする。

一か月程で仮翻訳を済ませることを目標に、その日より情報省内に臨時の部署を設けた。

 

 

 

 

 ハンブルグ郊外でF4戦術機の完熟訓練をしていた篁祐唯は、急遽領事館へ呼ばれる。

彼を待っていたのは、夫人が帝都城に持ち込んだ文書に対しての尋問であった。

強化装備を脱ぎ、勤務服に着替え、73式小型トラック*7に乗ると、領事館に向かう。

 

 幌が張られた四人乗りの車中で、後部座席に座る綾峰に問うた。

「どの様な用件で呼び出されたのか……、皆目見当が付きません」

3尺近い軍刀を杖の様にして腰かけ、軍帽を目深に被った綾峰は目を見開き、不安げな面持ちの彼の方を向く。

「俺が判る事は、ただ事ではないと言う事だよ」

そう告げると、再び目を瞑った。

彼は前を振り向くと、背凭れに身を預けた。

 

 アウトバーンを飛ばしてきた彼等は、すぐさま領事室に呼ばれる。

敬礼を終えた後、総領事が腰かけるよう促してきた。

直ぐには帰れそうにはない事を悟った彼は、ゆっくり腰かけ、出された茶と菓子を勧められると一礼をして軽く口に含む。

総領事は、懐中より紙巻きたばこを出すと火を点け、紫煙を燻らせながら、彼に尋ねた。

「奥方にドイツ土産を送ったのは確かかね」

彼は、目の据わった総領事の顔を見ながら話す。

「小官が、家内に家苞(いえづと)*8を送ったのは事実です。

ですが、何故その様な事をお尋ねになられるのですか……」

「何を……」

右手で髪を撫でる。

「ハリボー*9というクマのキャンデーとテディベアのぬいぐるみですよ。

シュタイフ*10社のクマのぬいぐるみは本場ですから……」

領事の顔から笑みがこぼれる。

「初々しい夫婦だね、実に結構」

悠々と煙草を燻らせる。

「……とすると、君はシュタージファイルのことは知らぬと言い張るのかい」

その言葉に唖然となり、全身の血の気が引くような感じがした。

「自分は……」

 

 蒼白い顔の篁が言い終わらぬうちにドアが開かれ、扉の向こうに野戦服姿の木原マサキが立っていた。

悠々と姿を現し、腕を組んで、不敵の笑みを浮かべている彼を、綾峰が眼光鋭く睨む。

「どうした、木原」

マサキは、不敵の笑みを浮かべ、彼等に向って、傲然(ごうぜん)と、演説した。

「ソ連の小国に対し恫喝も辞さぬ態度……、何れは世界大戦に発展する」

そして満面に喜色をみなぎらせて、高らかに笑いだし、

「貴様等も態度をはっきりすべきだ……。

そこで弛んだ日本社会を鍛え直す為、少しばかり細工させてもらった」と言い放つ。

困惑する彼等を尻目に、呵々と哄笑を上げながら部屋を後にした。

 

 

ソ連・ハバロフスク

 

 ここは、ハバロフスクのKGB本部。

最上階にある長官室で、二人の男が密議を凝らしていた。

「たった一人の人間……、それも黄猿(マカーキー)にドイツの組織を潰され、おめおめと逃げ帰ってきた」

窓辺より、ハバロフスク市街の景色を眺めながら、KGB長官は応じた。

「それで済むのかね」

「申し訳()え話です、長官(アニキ)

 

 釈明の機会が与えられた男は、カフカス方言の、グルジア訛りの強いロシア語で返す。

蒼白い顔をした男は、東欧KGBの諜報責任者で、表の肩書はドイツ民主共和国駐箚(ちゅうさつ)大使でもあった。

「しかし、東西ドイツでの工作は多大な益を党に(もたら)しました……。

投入した工作員の秘密組織網、BETA侵略に遭っても健在です」

額から流れ出る汗を、懸命に拭き取る。

「東欧から引き揚げても、良い頃合いじゃねえんですかねぇ」

KGB長官は蔑むような目つきで、彼の方を振り向くとグルジア語できつく返した。

「その、木原という男を抹殺()して居たら、お(めえ)さんはソビエトへ(けえ)って()れたかい」

 

 

 木原マサキ誘拐事件は、結末から言えば国際関係に多大な影響を及ぼした。

チェコスロバキアやポーランドは表立って外交官追放という形で、反ソの姿勢を内外に示すという行動に出る。

かつてソ連軍に国土を蹂躙されたハンガリーに在っては外交使節団の追放ばかりではなく、ハバロフスクに対し、最後通牒とばかりに大使館を引き上げてしまったのだ。

 もっとも、駐留ソ連軍が、ベルリンで行動しなかった事も影響があろう。

赤軍とKGBの亀裂は、この事件を結果として日に日に増していった。

 

 暫しの沈黙の後、長官は何時もの如く能面の様な表情で応じた。

訛りの無い流暢なロシア語で、諦めたかのように話す。

「国外のドイツでは、貴様がKGBのトップだが、ソビエト国内では違う。

ただの末端にしか過ぎぬのだよ」

再び、正面の窓を見据える。

「帰って来ぬであろうな」

後ろ手に腕を組んで、背を伸ばす。

「常々、私に話してくれたではないか……。戦争というのは負けたら御終いだと言う事を」

ちらりと、顔を背ける。

「露日戦争の結末がどうであったか、憶えているかね」

正面から振り返り、男の方に体を向ける。

「君の様な敗北主義者……、東欧諜報責任者の地位は、後進に道を譲り給え」

「お待ち下せえ、ア、アニキ」

額に青筋を張って、怒りをあらわにして言い放つ。

内務人民委員会(エヌカーヴェーデー)以来の同輩の仲、今日限りだ」

40年来の老チェキスト*11を冷たくあしらう態度から、男の運命は既に決まっていた。

「今一度、機会を頂けねえでしょうか……」

それでも猶、一縷の望みをかけて懇願した。

「必ず木原を抹殺して、東欧の組織を立て直して見せます」

すると、静かにドアが開く。

悲愴な面持ちをした男が振り返ると、彼に自動拳銃を向けて立つ数人の男達が居た。

「き、貴様!」

消音装置(サプレッサー)の付いたマカロフ自動拳銃を男の面前に突き出す

「貴様呼ばわりは()えだろう、俺はKGB第一総局長だ……

その俺が、あんたの最期を見届けてやるんだよ」

不敵の笑みを浮かべたKGB第一総局長は、拳銃の銃把を握りしめ、

「消えてくれるか」

「待ってくれ、俺はソ連外交の要の……」

大使の弁明が終わらぬ内に、引き金を引く。

自動釘打ち機の様な音が響き、東独大使の男は倒れ込み、着ていた背広より、血が(にじ)む。

「任務に失敗した……、防諜組織としての示しを付けるために死んでくれ」

脳天に向け、二発の銃弾を撃ちまれると、男は言い返す間もなく、こと切れた。

 

 木原マサキ襲撃事件失敗への対応は、政治局会議で事前に決定していた。

KGBは、東独大使館関係者250人を既に拘束し、主だった官僚と高級将校は、粛清、下士官兵は、最前線送り。

大使は、尋問中に《自殺》、同地のKGB幹部も死亡した状態で《発見》、その様な筋書きで、事態は動いていたのだ。

 

「引退すると言えば、楽に殺した物を……」

下卑た笑みを浮かべた男は、消音装置を分解し、銃を背広の腰ポケットに仕舞う。

「木原が何が目的か分かりませんが……、最もどうでも良い話です」

すっと、長官の左脇に移動した。

「我等、共産党(ボリシェビキ)に勝負を挑んでくる。だから、仕掛け爆弾で消し飛ばしましょう」

長官は、その発言に耳を疑った。

「奴等の乗った汽車や船ごと、爆弾で吹き飛ばす。実に簡単でしょう」

長官は左脇に居る第一総局長の顔を覘く。

「本気かね」

男は、驚きの表情を浮かべる長官には目を呉れず続ける。

「実に簡単な仕事です」

男の発言に呆れた長官は、室内電話を取ると3桁の数字を押した。

「第7局破壊工作対策課に繋げ」

そう告げると、受話器を勢い良く置いた。

 

 

 間もなく、カーキ色の開襟野戦服に身を包んだ男が長官室に入り、彼等に敬礼をする。

「お呼びでしょうか、同志長官」

大佐の階級章を付け、ソ連軍では珍しいつば付きの野戦帽を被り、紐靴を履く男。

彼は第7局破壊工作対策課長で、KGB特殊部隊『アルファ』の司令官であった。

 

 (いろ)()めた長官に代わり、満面に下卑た笑みを浮かべた第一総局長が伝える。

「消してほしい人物がいる」

「誰を」

能面の様な顔をした大佐の方を振り向く。

「木原マサキと氷室美久の二名だ……」

長官が、ふと漏らす。

「同志大佐、木原は手強い。気を付けて任務にあたり給え」

第一総局長は、不敵の笑みを浮かべつつ、

「すでに東ドイツの組織は壊滅した……。

君達がしくじれば、奴を汽車ごと爆弾で消そうと思っている」と述べる。

 

 真剣な面持ちで、大佐は答えた。

「では私の行動は、西のプロレタリア人民と社会主義諸国の同胞の命を救うと……」

長官は、眼光鋭く彼を見つめる。

「その通りだ」

そう言い放つと、男達は乾いた声で哄笑した。

*1
hollow point.弾頭を擂鉢状に加工した弾丸。人体に命中すると茸状に変形し、重症を与えるとされる

*2
平安京の東側は古代支那の洛陽に倣って、造営された為、洛中と称する習慣が定着した

*3
貴族や大名家の嫁入りを指す言葉。輿籠(こしかご)と言う乗り物で、夫の家に嫁入れした故事から

*4
Received Pronunciation。英国の貴族階級の使う英語。俗にキングズ・イングリッシュ、クイーンズ・イングリッシュとして知られる英語の標準発音

*5
将軍の夫人の敬称

*6
女性から男性を敬愛して呼ぶ言葉。夫や兄の敬称で、特に夫の事を指す。

*7
1973年に採用された自衛隊の汎用小型車両。米軍軍用車『ウィリス M38』の影響を強く受け、『ジープ』其の物であった

*8
お土産

*9
1920年にドイツ、ボンにて設立された菓子メーカー

*10
1880年に創業したドイツの老舗ぬいぐるみメーカー。1903年よりテディベアを製造・販売している

*11
KGB諜報員を指す言葉




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牙城(がじょう)

 謎の男に誘われてハンブルグ空港に向かう途中、KGBの襲撃を受けるマサキ。
彼の運命や、如何に……







この話は構成を変更していますので文字数が1万字超えになります。
長く読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。



西ドイツ・ハンブルク

 

 

 マサキは日本総領事館の一室で、次の行動に対して備えていた。

机の上には手入れ用具と銃弾が散乱し、今し方まで拳銃の手入れをしていたことを伺わせる。

重いセラミック製の防弾チョッキを長袖の下着の上から着け、美久に手伝わせた。

体に合わせなけば、効果は半減する。無論、次元連結システムのバリアを使えば、防弾に過不足は無い。

だが手札を隠すために敢て、重い甲冑(ボディアーマー)を着たのだ。

 

(くさり)帷子(かたびら)でも着れば、あとは抜かりないか……」

満面に笑みを湛えながら独り言ちると、美久が眉を(ひそ)め心配そうに応じた。

「さすがに相手も警戒しますから……」

「フフフ、奴等に分からせるのさ。一片の信用も無いとな」

半ば呆れた顔をする美久に、マサキは不敵の笑みを浮かべる。

「なあ、あの帽子男が護衛に着くと言うのは本当か」

 雨でもないのに(くたび)れたレインコート*1を着こむ中折(フェドーラ)帽姿の男。

ジュラルミンのアタッシェケースでも下げて歩けば、ただのサラリーマンにも見えなくはない。

意味ありげな事を言う男に関して、彼は不信感が拭えなかった。

 あの男から感じる、不気味な感じ……

明確な政治的立場も無く、信念も無いように見える。

日本という国が形だけ残れば誰とでも手を組み、裏切る態度……

幾ら名うてのスパイとはいえ、個人に諜報を頼る日本政府……

些か不快感を憶える。

 ズボンのマフポケットより『ホープ』の紙箱を取る。

服を着つける美久の邪魔にならぬように、口に紙巻きを咥え、火を点ける。

美久が着付けし(やす)い様、案山子(かかし)の様に両手を広げて立ちながら思う。

 

 

 小国日本が、国際的地位を得た理由。それは信頼故ではなかろうか。

無論、四方を大海に囲まれて容易に侵略を受けにくく、また然程(さほど)大陸とも遠くはない地の利。

10世紀にも及ぶ封建社会を経て、契約や法概念という近代化の基礎が整ったのもあろう。

 それ以上に、米国から見て重要視されたのもあろう。

米国は建国間もない19世紀中葉には、既に通商の観点から日本の経済的発展や政治的安定性に注目し、早くから友好的な手段で日本との通義を望んでいた。

 この事実は、事あるごとに国境周辺に出入りし、僻地を脅かした北方の豺狼(さいろう)、ロシアとは決定的に異なる。

不幸にも4年の歳月をかけた大東亜戦争で、干戈を交えたがそれとて一度だけ。

 

 確かに、原子爆弾や大都市圏への絨毯(じゅうたん)爆撃など惨たらしい事も行った。

わずかばかり賠償や口だけの謝罪の代わりに、米国は誠意を持って対応した。

一例を挙げれば、ガリオア資金*2やフルブライト奨学金*3という形で応じてくれたではないのか。

またデミング博士*4の様な品質管理の泰斗(たいと)を送り込んでくれた点も、後の自動車産業や半導体技術の発展に寄与した面も大きい。

 自身に薄暗い感情として、米国への憎悪がある事は否定しない。

だが、冷静に考えれば、それを何時まで引きずるのだろうか。既にサンフランシスコ講和条約で終わった話。

既に存在しない『ナチス』や『日本帝国主義』の亡霊に怯えるソ連と、何ら変わりはないのではないか……

 

 この異界に()っても、同じだ。

たかが戦術機の納品時期が遅れた事で米国への恨み節を言う様には、呆れる。

都市部の空襲で数十万の人命が、原爆で20万人の人命が失われるより、害は無かろう。

『曙計画』と言う事で軍民合同の研修計画を立てているのだから、決して軽んじてはいない。

あの帽子男の態度は、米国の日本への信頼を傷つけるばかりではなく、ひいては国益を損ねるのではないのか。

 米国は独立以来、君主制こそ経験しなかったとはいえ、慣習や契約を重視する封建社会の遺風が漂う社会。

WASPと呼ばれる人々も、見ようによっては貴族層。彼等は名誉や道義を重んじる……

1000年前まで、先史時代の続いたロシア社会とは決定的に異なる。

米国の好意にばかり甘えている日本帝国の様を、マサキは苦々しく感じていた。

 

 その様な事を想起しながら、タバコを燻らせていると彼女が声を掛けてきた

「タバコを……」

見ると、美久の手には茶灰色のネクタイ。

艶がかっている所を見ると毛織であろうか……

右の食指と親指でタバコを掴み、灰皿に置くと、(はだ)けていた白地のシャツを閉め、ネクタイを綺麗に巻く。

ダブルノットで締め、両手で襟を正しながら、上着を羽織り、金無垢のボタンを閉め、軽くブラシを掛ける。

 茶灰色の紡毛カルゼ織の服地は、無地でありながら、綾のうねりが光沢がかって見える。

タバコを4箱ほど左右の腰ポケットに入れ、茶灰色の軍帽を掴み、

「KGBの奴等は、公衆の面前で平然と暗殺をする。備えるに越したことはない」と呟く。

不安そうにする美久の事をさすがに悟ったらしく、マサキは快然と笑って、美久の顔色をなだめた。

 

 領事館の前に立つトレンチコート姿の男は、右手をドアに向け、

「乗り給え、木原君」と声を掛けて来る。

マサキは、周囲を見回し、

「70年型のリンカーン・コンチネンタル*5か」と驚いて見せた。

不敵の笑みを浮かべた男は、一瞬目を閉じる。

「世事に(うと)い君にしては珍しいね」

思わず一瞬顔を(しか)め、

「政府の一部局が、8000ドル*6は下らないものを良く用意した物だ……」

と答えた。

男は、マサキの方を振り向き、

「特別な手法さ……」と答え、珍しく哄笑した。

笑う男を尻目に、靴ひもを結ぶ振りをして車体の下を覘き、仕掛け爆弾が無いかを確かめた。

両足の短靴を整えると、車両に乗り込む。

 

 大型セダンが高速道路(アウトバーン)を走り抜ける

今よりハンブルク空港に向かい、北海経由でソ連ハバロフスクに向かう途中であった。

ソ連政府からの招きに、情報省がマサキ自身や外務省の反対を無理に押し切る形で応じたのだ。

 

 マサキが後部座席に寄り掛かる様にして座っているとで、左隣に居る男が尋ねて来た。

「防弾チョッキとは、恐れ入ったよ」

マサキは、左側を振り返り、

「あんたも、人の事は言えんだろう」と嘲笑う。

「え……」

彼の一言に唖然とするも正面に顔を戻し、

「体付きの割に、胴回りが若干太く見える。

それにトレンチコートを愛用しているのは、暗器(あんき)を隠すばかりではあるまい」

「流石だ」と一言漏らし、乾いた声で哄笑する。

 

「何か飲むかね」

そう言うと男は、箱より丸みを帯びた独特の形のガラス瓶を取り出す。

「悪酔いするから、酒は飲まぬ」

そう言って、マサキはむっとした表情でスーパーニッカ*7の瓶を突き返すと、男は受け取った瓶の蓋を開け、グラスに注ぐ。

「パイロットが、車酔いとはね……」

男は苦笑を浮かべながら、先程の箱より常温の水を取り出し、注いだ。

 男より、瓶入りのオレンジジュースを受け取ると栓抜きで開け、一口に呷る。

飲み終えると、瓶ごと男に返した。

その様を見て不敵の笑みを浮かべる男に、マサキは、

「仮に俺が撃たれた場合はどうする……」と問うた。

質問を受けると、男は真顔になり、

「直ぐに雪辱(せつじょく)を果たしてもらう。帝国政府の体面に関わるからな」

と答える。

 そうしていると、ベルトのバックルにある警報装置が振動する。

次元連結システムを応用した装置には特別なレーダーが備え付けてあり、感応する仕組みになっていた。

彼は周囲を警戒した後、バックミラーを覘くと、背後より高速で近づいて来る一台のオートバイがみえた。

 バイクは黒に近い深緑色をしており、単車の右側には側車がついている。

運転手は、フルフェイスのヘルメットに黒革製の上着。

フラノ製の茶色のズボンに、こげ茶の革長靴姿でバイクに跨り、突っ込んで来る。

側車にはジェットヘルメットの下から覆面をして、折り畳み式銃床のカラシニコフ自動小銃を持った人物が居るのが判った。

(「おそらくバイクはソ連のウラル*8。その上に手練れの暗殺者か……」)

 

 

「如何やら、雪辱を果たされるのは俺達の様だ」

右手を懐中に入れ、8インチ用ショルダーホルスターから回転拳銃を取り出す。

「応戦したほうが良いな」

男は、毅然(きぜん)した態度になると、足元に置いたトランクを開け、中よりウージー機関銃を取り出し、弾倉を込める。

コッキングレバーを引き、射撃可能なようにすると、手動ハンドルで全開にした窓から身を乗り出す。

左側からくるオートバイに対して、撃ち放つ。

電動工具に似た轟音が鳴り響き、薬莢が勢いよく地面に散乱する。

 男は、左手で、帽子を押さえながら社内を振り向き、

「飛ばせ」と叫び、速度を上げるよう促した。

運転手は急加速させるも、回転数が上がった車のエンジンからは、悲鳴の様な音が聞こえて来る。

 対するオートバイの方は、ウイリー走行をしながら避ける。

マシンガンの間隙を縫って、単射で数度反撃してくる。

マサキは、冷静に事態の推移を見つめた。

 

 男は、運転席を守ろうと懸命に銃弾を振りまく。

これが、右ハンドルの国産車であれば違ったであろう……

そう思いながら、数度弾倉を変え、射撃する。

バイクは、機関銃の射撃に当たることなく走り去っていった。

 

 結局、バイクには損害らしい損害を与えられず、此方も被害はなかった。

マサキは、ちらりと横目で脇の男を窺う。

拳銃を向けても顔色一つ変えなかった男が、青筋を立て、肩で息をしている。

どうやら、怒り心頭の様だ……

マサキはタバコを掴み、火を点けながら、不敵の笑みを浮かべ、

「いくらKGBとはいえども、唯では済ませる心算は無い」と独り言ちる。

 

 

 

 暗殺者の襲撃後、再び総領事館に呼び戻されたマサキ達は別室で待機していた。

領事館員等の相談を待つ間、脇に立つトレンチコート姿の男を一瞥する。

 25口径の自動拳銃を(おもむろ)に取り出すと、紫煙を燻らせながら、面前の男に尋ねた。

「貴様の本当の名前を聞かせてもらおうか」

男は不敵の笑みを浮かべ、オーバーコートのマフポケットより両腕を出すと、力なく下げた。

マサキは左手で、ゆっくりとコルト・オート25*9の遊底を引き下げる。

「ナイフや小型拳銃を隠し持ってるのは、分かっている。ゆっくり、捨てろ」

男は不敵の笑みを湛え乍ら、観念したかのように、掌を開くと、ナイフを床に落とす。

マサキは真鍮と合成樹脂で作られた柄の折り畳みナイフを見ながら、

「ほう、BUCKのレンジャーナイフか。俺もそれくらいのナイフで人を切ってみたいものよ……」

と感心したかのように呟いた。

 

 男は、人を小馬鹿にするように不敵の笑みを湛え乍ら、

「いやはや、私にここまでさせる男は君が初めてだよ。木原君。本日は特別サービスだ」と呟く。

マサキは男から目を逸らさない様に気を配り、やや慎重に用心金より引き金へ食指を動かす。

「勿体ぶらず、さっさと言え」

彼が銃を向け、急かしても、なお男は平然としていた。

出し抜けに、勝ち誇る様にして、

「聞けば、必ず答えが返ってくると思っているのかね」

と答えた後、男の哄笑する声が静かな室内に響く。

 

男の言葉に、彼は満面に朱色をたぎらせて、大声で笑い返す余裕さえ見せた。

「アハハ!全くふざけた男だ……、鎧衣(よろい)左近(さこん)

男は絶句し、一瞬焦りの表情を見せる。

目を見開き、身動ぎせず、その場に立ち尽くす様を、マサキは見ながら、

「如何やら図星の様だな……」

と堂々と言い放つと、続けざまに右の食指を再び用心金に移動させた。

 

 

鎧衣は、見た事のない様な表情で、

「どの様に知り得たのかね……」と尋ねて来る。

男の言葉を受けて、マサキは満面に喜色を(たた)(なが)ら、

「フフフ、必要な情報の入手と解析……、これが出来なくては科学者というのは務まらぬのさ」

と答えた後に続け、入手していた情報を、

 「良かろう。俺が知り得た事をこの際、明かしてやろう。

氏名、鎧衣左近。2月16日生まれ、日本国籍。情報省所属の国家公務員。

表向きは、二条城出入り御免の卸売り業者で通っている。

しかし、その裏の顔はソ連や東欧諸国に潜入する帝国政府の専属工作員っといったところか」

と勝ち誇ったように披露する。

 

その様にしていると、ドアをノックする音が聞こえ、身動ぎせず、声だけで応じた。

「取り込み中だ。誰か知らんが……」

「氷室です」

美久の声に、一瞬、顔をドアの方に向け、返事をした。

「美久、後にしろ」

 

 其の隙を突き、男はマサキに飛び掛かる。

あっという間に、彼の右手首を掴むと、背中に向けて拳銃ごと右手を捻った。

マサキは苦悶の表情を浮かべ、

「ああぁ!」と思わず悲鳴を上げる。

 

「流石の物だ……、木原マサキ君。冥府の王を自称するだけの自信は、ある様だね」

彼の右手より、自動拳銃を取り上げると引き金を引く。

反動で遊底が作動するも、ばねの音のみ、(むな)しく響いた。

「驚いたものだね。空の拳銃を使って私を脅していたとは……」

「もし、お前が俺のピストルを奪ったら……どうする。間違いなく狙うであろう」

男はマサキの方を振り向くと、不敵の笑みを浮かべ、

「いやはや、君を甘く見ていた様だ……」

と呟いた。

 その時、ドアが静かに開くと、M1ガーランド自動小銃を構えた美久が立っていた。

後ろには拳銃を握った綾峰(あやみね)たちが、血相を変えて此方を見る。

普段より情報省の事を信頼していない綾峰が、不測の事態に備えて、すぐさま乗り込めるようにさせていたのだ。

 

鎧衣に腕を掴まれたまま、マサキは、

「貴様には、色々と聞くことがある」と強がって見せる。

鎧衣は、深緑色の筒の様な物を取り出し、周囲に見せつけ、

「私もやらねばならぬ事があるので……、ここは、痛み分けと言う事で、どうかね」

持っていた発煙筒の栓を抜き、放り投げる。

 驚いた綾峰たちは、咄嗟に避け、地面に伏せるも、ほぼ同時に小さい爆音とともに緑色の煙が広がる。

充満した煙を防ぐため、マサキは咄嗟に床に倒れ込む。

「俺も、甘く見られたものだ……」

けたたましく鳴り響く警報音に、顔を顰め、両耳を抑えながら、

「火災報知器が作動したのか……」

と呟くと、次第に意識が遠のいていった。

 

 

ソ連・ハバロフスク 

 

「な、何て恐ろしい事をしてくれたのだ。気でも違ったのかね」

初めてマサキ暗殺計画と、工作員を借りうけて襲撃した事実を知り、(おどろ)いた第二書記は吐き捨てた。

「今、木原の立場はソビエトが招いた賓客(ひんかく)なのだよ」

目の前に立つKGB長官に向かって、肩を震わせながら、拳を握りしめ、

「その彼を襲うとは……」と、口を極めて、その無謀をなじった。

怫然とする第二書記を横目に、KGB長官は感心したかのように笑みを浮かべて、マサキを誉める。

「抜け目のない男よ。短機関銃(サブマシンガン)まで用意していたとは」

顎に当てていた手を、机に伸ばす。

「ロケット弾を撃ち込めば良かったかもしれぬな」

机の上に置いてあるシャシュカ*10と呼ばれる刀剣を掴むと、鯉口を切り、滑らかに刀身を抜き出す。

 

 

「木原を招くことは政治局会議の既定路線……。

この采配を反故にすることは、議長の信用に関わる。どうする心算(つもり)なのだ」

男は、第二書記の言葉を言い終えるのを待っていたかのように持っていた刀を振りかぶる。

そして刀を勢い良く振り下ろすと、机の端を切り落とした。

KGB長官の脇に立つ首相は、その様を見て、

「嗚呼!」と思わず絶叫する。

KGB長官は、再び刀を振り上げると、

「戦うまでだ」と言って、切っ先を椅子に腰かける老人に向ける。

「議長、貴方はソビエト連邦共和国の最高指導者。小童(こわっぱ)共に軽んじられて、どうなさる心算か」

戦慄する議長を目の前にして、

「『綸言(りんげん)汗の如し』……。木原を抹殺するとの言、一度出れば取り消せない」と一喝する。

左手で、置いてある金属製の鞘を掴む。

「貴方自身の体面保持の為、党益はお捨てなされ」

右手に握った刀を、ゆっくりと鞘に納める。

「同志首相、連邦共和国の行政を一手に握る貴様が、何を恐れるのだね。

自由に差配できるではないのか」

鞘尻を下にして、柄頭を持ち上げ、杖の様に構える。

「是よりKGBに招集をかけ、参謀総長を抹殺する。

参謀本部とGRUに巣食う反革命分子を一掃すれば、党は自在に動かせる」

 

「ソビエトを二つに割る心算か!」

男は、(はなは)だおもしろくない(てい)の第二書記の方を向く。

「では同志スースロフ*11、イデオロギー担当の貴方に聞くのは、猿に木登りが出来るか問うのよう愚かな話だが……。

ソビエトが常に一つであった試しが、あったかね。」

力強く右手を挙げ、壁に掛かった肖像画を、食指で指し示す。

「同志レーニンが1898年に社会民主党を創設して以来、常に内部闘争の歴史が繰り返されてきたのをお忘れになられたか」

右掌を天に向け、ゆっくり持ち上げる。

「反革命分子の社会革命党(エスエル)の一斉処刑、極右冒険主義(メニシェビキ)の追放……。

これらがあって、初めてソビエトは形作られたのではないか」

勢い良く、唖然とする老人の方に右手を差し出す。

「議長、貴方が主体的になって、今度の闘争を勝ち抜かねばならない。

木原の首とミンスクハイヴ攻略という果実、議長退任への花道を飾る良い機会ではないか……」

其のまま、目一杯の力で拳を振り上げる。

「反革命的傾向のある赤軍への闘争を是より始める」

満面に朱色を湛えた男の言葉に、気圧(けお)された首相は、身を震撼(しんかん)させ、額には脂汗が(にじ)む。

顫動(せんどう)する彼を尻目に、男は力強く言い放った。

「我等に残された道は、闘争しかないのだよ」

その言葉に観念したかのように、漏らす。

()んぬる(かな)

 

 

 

帝国・京都

 

 

 そのころ、国防政務次官である(さかき)是親(これちか)は、個人的な友誼関係にある綾峰を想った。

彼を、戦術機部隊の責任者として推薦した経緯もあり、人一倍、動向が気になった。

嘗て学窓で、共に過ごした朋友からの定時連絡を、今か今かと待っていた。

机の上に有るファクシミリ付き電話のベルを気にしていて、何も手が付かない。

 灰皿にある山盛りになった吸い殻……

紫煙が立ち昇る様も、気にならない様子で、電話をじっと眺める。

思わず、左腕に嵌めた腕時計を見る。20時になる頃か……

 

 そろそろ引き上げようかと考えていた矢先、電話のベルがけたたましく鳴り響く。

「はい、此方榊……、遅かったではないか」

受話器越しに綾峰が言う。

「なあ是親、大臣(おやっさん)に話しておいてくれないか……、何かあったら木原を国防省(うち)で引き取るって」

受話器を左側に変え、右手にボールペンを持つ。

「何があった」

「情報省の()()役人が詰まらない騒ぎを起こしてな……」

声色から焦りを感じた彼は、然程深く尋ねなかった。

「俺の方からも根回ししておくよ……」

「ああ、助かる」

ボールペンを、机の上に置く。

「ソ連の連中は一筋縄ではいかん……、身辺に気を付けてくれ」

「お互いにな……」

そう言い残すと、電話が切れた。

 受話器をゆっくり置くと、潰れた紙箱よりタバコを取り出し、使い捨てライターで火を点け、軽く吹かす。

紫煙を燻らせながら、安堵にも似た気持ちで友を思うた。

 

 思えば国政の場に道を選んだことを考え直す。

竹馬の友は、赫赫(かくかく)たる栄光に包まれた帝国陸軍を選び、鮮やかな勲章に飾られた戎衣(じゅうい)を装い、今、欧州の地に居る。

衆院の三回生議員として、国防政務次官にはなって見たものの、改めて自分の無力さに気付いた。

当選したばかりの頃は意気揚々と議場に足を運んだものだ……

 この国を変えるには、矢張り首相になるしかない。

お飾り職とはいえ、政務次官になった事を足掛かりにして、与党内に自分の政策研究会を立ち上げる頃合いであろうか。

 25年、否、20年以内に首相に上がれるようにならなくては駄目だ……

BETA戦争が終わった後に、世界情勢の変化は必須……

形骸化しつつあるとはいえ、中ソ両国は依然として国連常任理事国。

 この機会を利用して、綾峰が押すゼオライマーに暴れてもらいたい。

事と次第によっては、衰微(すいび)著しい中ソを常任理事からの交代。

積年の夢でもある国連常任理事国入り、叶うかもしれない……

 かのパイロットの青年には気の毒だが、日本の為に犠牲になってもらうのが一番であろう。

下手に生き残れば、間違いなく米国が欲しがるのは必須。

それに、斯衛軍では持て余しているとも聞く。

仮に帝国陸軍には転属したところで扱いきれるであろうか……、不安は拭えなかった。

 そう一人で怏々(おうおう)として考えている矢先、机の電話が鳴り響く。

静かに受話器を取ると、向こうより初老の男が声を掛けてきた。

「榊君、急いで私の所まで来てくれないか」

状況の今一つ掴めぬ彼は、力なく返事をすると受話器を置く。

忽然と立ち上がると、近くにいる秘書を呼び出す。

「今から、国防省に車を回せ」

急ぎ、車を手配するように伝え、衣紋(えもん)掛けに懸けてある背広を羽織る。

部屋を後にすると、車の待つ駐車場に急いだ。

 

 

 

 国防省に着くと、大型モニターを前にした円卓に居並ぶ会議室へと案内される。

樺太とソ連沿海州の地図が投影された画面を前にして陸海軍の幕僚たちと大臣が討議していた。

大臣に一礼した後、席に着くと尋ねる。

「これは一体……」

濃紺の海軍第一種軍装*12を身に着けた男が、彼の方を振り向く。

「ソ連極東艦隊に動きがあった……」

そう言って、地図上にある間宮海峡の位置を指揮棒で示す。

「パレオロゴス作戦の一環で艦隊移動をしていたと思ったが如何やら違うらしい」

周囲の目が、画面に向く。

「欧州戦線への派兵であるのならば、揚陸艇や戦術機運搬船が居るはずなのだが見当たらない。

詳細は不明ながら、戦艦2隻*13と巡洋艦数隻の編成で、間宮海峡を南下し始めている」

榊は思わず、驚きの声を出す。

「まさか……」

「ゼオライマーパイロットの誘拐失敗の報復……、可能性もあるかもしれん。

事と次第によっては、北海道と南樺太*14には特別警戒を出すつもりだ」

よもや武力衝突と為ったらどうするのであろうか……

「舞鶴港より最上、三隅を向かわせることにした。旧式艦ではあるが牽制には為ろう」

机の上で腕を組む大臣が、力なく、

「最悪の場合、呉で改装中の大和、武蔵を出す準備をしている」と告げる。

男の言葉に周囲が騒がしくなるも、

「新潟にある戦術機部隊にも、待機命令は既に下した」と答える。

周囲が静まるのを待ち、青白い顔で、

「諸君、覚悟して呉れ」と答えた。

 

 赤軍とKGBの対立は日々深まっていると聞く。

一党独裁を堅持する上で、軍とKGBの対立構造。

独裁維持の常套手段として、不合理なシステムは存在すると聞く。

時勢によっては何方かを立て、何方かを貶めることで党の支配権を保持してきた。

失策続きの赤軍が存在価値を高めるために日本への脅かしをする。

我々には理解できない常識で、彼等は動く……

 日本を取り巻く情勢の推移に、余りの衝撃に色を失った榊は、

「嗚呼……我々はとんでもない物を呼び寄せてしまったのかもしれない」と呟いた。

そして、ただゼオライマーの存在に唖然とするばかりであった。

*1
比較的温暖な日本と違い、寒さの厳しい欧米では、保温性に乏しいトレンチコートはレインコートの一種としてみなされる

*2
Government Appropriation for Relief in Occupied Area。占領地域救済政府資金。旧敵国の日独を対象としたもので、1946年から1951年までの6年間で総額約50億ドルを供与。 さらに日本は、米国の援助に加え、1953年以降、世界銀行から14年間に渡り、総額 約8億6千万ドルに上る借款の供与を受けた

*3
Fulbright Program。1946年に米国上院議員J・W・フルブライトの発案で設立。「世界各国の相互理解を高める」で目的であった

*4
ウィリアム・エドワーズ・デミング( William Edwards Deming.)1900年10月14日 - 1993年12月20日

*5
米国の自動車メーカー、フォードがリンカーンブランドで製造・販売していた高級乗用車

*6
1978年時、一ドル195円

*7
1962年(昭和37年)より、ニッカウヰスキーが製造、販売する国産ウイスキー。今日は親会社のアサヒビールが販売している

*8
ソ連のイジェフスク造兵廠が製造しているオートバイの商標。1973年から1979年にかけてのSATRA社を通じて英国で販売していた

*9
コルト社がスペイン・アストラ社に委託して作らせた25口径の小型拳銃。1958~68年まで輸入、その後法改正により1973年まで米国内で製造販売した拳銃。基本設計は戦前のM1908・ベスト・ポケット拳銃に準拠している

*10
カフカス地方のコサックに由来し、鍔のない独特の形で、まるで合口(あいくち)を思い起こさせる拵えの刀剣

*11
ミハイル・アンドレーエヴィチ・スースロフ(露語: Михаил Андреевич Суслов)1902年11月21日 - 1982年1月25日

*12
冬服

*13
マブラヴ世界では史実とは異なり、第二次大戦で大規模な空母決戦が行われず、戦艦による海戦が一般的だった。その為BETA戦争が始まる1970年代まで列強各国は戦艦を保有し続けていた

*14
ソ連の対日参戦が無かったマブラヴ世界では南樺太と千島列島は日本領のままである




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追憶(ついおく)

 ユルゲン・ベルンハルトは一人、ソ連時代の旧師を思い起こしていた。
一方、KGBはシュトラハヴィッツ少将排除とシュミット横死(おうし)の報復に動き出す。
ある人物を伏魔殿に呼び寄せた。


 深夜22時、ドイツ民主共和国の首都ベルリン。

 ここは、東ベルリン市パンコウ区にあるベルンハルト邸。

その屋敷の奥にある(ねや)で、人の気配に感づいたベアトリクスは、はっと寝台の上から身を起こす。

被っていた灰色の毛布から抜け出し、濃紺の寝間着姿のまま、一人窓辺に立つ人物の方に向かう。

 その人物は彼女の良人(おっと)であり、東独軍戦術機隊の主席幕僚、ユルゲン・ベルンハルトであった。

深緑色のナイトガウンに黒無地のサンダル姿で(たたず)む彼の傍に行くなり、

「複数の命を預かり、状況の判断を求められる指揮官は、率先して寝るべきよ。

それにあまり夜更かししていると、明日に影響するわ……」と、()(きみ)(たしな)めた。

ユルゲンは、薄い笑いを浮かべながら、

「眠れないんだ、昔の事を夢に見てな……」

と、氷の入ったグラスを傾け、

「酒は俺が、飲みたいんでな。つきあってくれ。それとも、嫌か?」と、新妻(にいづま)に訊ねる。

ベアトリクスは柳眉(りゅうび)(しか)めつつ、

「嫌なんてこと、ないけど……」と返す。

ユルゲンは満面に喜色をたぎらせて、

「いいじゃないか。どうしたことやら、何かしらこう、お前と一緒に、一口過ごしたくなってな」

と言うと、月明りで照らされた窓外の景色を眺めていた。

 

 ベットの脇にあるランプの明かりをつけると、ユルゲンはベアトリクスの手を引いて、

「この際、妻になった君には、ソ連時代の事も詳しく明かして置こう」

そういうと、机に腰かけ、語り始めた。

「俺がソ連留学したことを知ってるよな」

ベアトリクスも椅子を脇に寄せ、くっつく様に座り、

「モスクワ近郊のクビンカ*1にいたんだっけ」と応じる。

「そうだ……4年前の夏だったかな、君たちがまだ生徒で、俺によく水泳大会の結果を、書いて寄越(よこ)した頃だよ」

再び酒杯を傾けた後、ゆっくりと語りだす。

「エフゲニー・ゲルツィンという人が、俺達ドイツ軍の教官として指導してくださった」

「どんな方なの……」

「スラブ系なのに珍しく仏教*2を信仰している風変わりな人でな。

詳しい事は明かしてくれなかったが、俺はあの人がエリスタ*3当たりの出身と睨んでる」

ユルゲンは、仏教徒*4と言う事でゲルツィンの出自をカルムイクと勝手に類推していた。

 

 ベアトリクスは、酒杯を片手に、何時になく興奮して話すユルゲンの様を見る。

普段は怏々(おうおう)としており、何処か自信なさげなこの男に旨酒(ししゅ)がすっかり(まわ)ったのであろうか。

満面に朱色を(たた)えて、淀みなく話す様を見ると、どこか悲しい物を感じ取っていた。

「俺と同じ空軍パイロット出身の衛士と言う事を聞いた」

「へえ、余程の変わり者でしょうね。問題児の貴方が惚れ込む人なんて」

ベアトリクスは、そう悪びれもなくいうと、同時に、貰った杯で、唇を濡らした。

「放っておいてくれ」

「こうして毎夜、あなたの口から、広い四海(しかい)遊弋(ゆうよく)しているさまざまな人たちの存在を聞くのは、なんとも愉快でたまらないの」 

そう語るベアトリクスからは、いつになく(あや)しい香気が匂い立つようであった。

椅子より立ち上がったユルゲンは、恍惚(こうこつ)と、見まもりながら言った。

「そう、いや、それで思い出したが」

「なんか面白い事でも」

「あの頃は夜毎(よごと)、君を(おも)って、寝れなかったものだとね」

ユルゲンは、思い入れたっぷり、ベアトリクスの顔を眼のすみからぬすみ見る。

さっきから少しずつ酒も入っていたベアトリクスの白磁の様な皮膚は、そのとき酔芙蓉(すいふよう)の様に、紅をぱっと見せて伏し目になった。

グラスをテーブルに置くと、ベアトリクスの方にずかずかと歩み寄り、いきなりベアトリクスの肩に手を掛けた。

「ベア、俺の熱情を、君はなんと思う。……(みだ)らと思うか」

「い……いいえ」

「うれしいと思うか」

たたみかけられて、ベアトリクスはわなわな震えた。情炎の涙が頬を白く流れる。

「一体こんな心にしたのは誰よ。ひどいわ。薄情ねえ」

幅広い胸のなかに、がくりと、人形の様な細い(うなじ)を折って仰向いたベアトリクスは、ユルゲンの炎のような瞳にあって、まるで魔法にかかったかのように引き付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

ソ連・ハバロフスク 

 

 

 

「まこと、申し訳ございません。よもやこんな事になろうとは……」

午下(ごか)、KGB本部に呼び出された特別部(オーオー)*5部長は顔色なく、KGB長官に、深々と頭を下げる。

灰色の夏季用将官勤務服(キーチェリ)を着たKGB長官は、西日の差す執務室を歩きながら、

「ふうむ」と嘆息を漏らした。

「シュタージも手を余すほどの男、シュトラハヴィッツか」

そう告げると、キャメルの箱を縦に振って、飛び出した煙草を口に咥える。

特別部部長は、KGB長官の機嫌を取る様にして、ガスライターを差し出し、煙草に火を点ける。

紫煙を燻らせた後、青白い面色して、(まなじり)をつりあげ、

「で、どうするのかね」と詰問する。

 

特別部部長は、彼の激色がうすらぐのを待って静かにいった。

「もはやシュミットのいないシュタージなぞ、具の挟んでいないサンドイッチの様な物です。

シュトラハヴィッツは手強(てごわ)く、後ろには我が赤軍とGRUが構えています。

容易に手出しは出来ますまい。故に、奴の腹心、ベルンハルトを篭絡することに致しました」

「それで」

「旧知の仲にある人物を使者に仕立てておきました」

「どんな人物だね」

「クビンカ基地*6で東欧からの留学生相手の教官をしておりました」

「名前は」

「名前はエフゲニー・ゲルツィンと申します。年の頃は35歳です」

「信用できるのかね」

「御心配には及びません。わが特別部所属の名うて工作員です。外に待たせて居ります」

「よし、呼んで来たまえ」

戻って来た特別部部長の後ろには、実に見上げるばかりの偉丈夫(いじょうふ)が居た。

 筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)、意志の強さがみなぎっている精悍(せいかん)な顔つき。

頭髪は豊かな黒髪で、澄んだ緑色の瞳には男の誠実さが伺えた。

エフゲニー・ゲルツィンは軍服の胸をはり、自分を見つめるKGB長官の眼を、しっかりと見返していた。

『私には自信が有る』

カルムイク自治共和国出身で、熱心なラマ教の檀家(だんか)であった。

カシュガルハイヴ調査の際は、ハイヴ間近まで接近して生き残った数少ない人物。

対BETA戦で、あらゆる艱難辛苦(かんなんしんく)に打ち勝つよう鍛え上げられたのである。

『ぜひ私を東ドイツに派遣してください』

 そのゲルツィンの意思が通じたのか、長官は大きく頷くと、

「では特別部部長、書類を作れ」といい、部長を机に座らせた。

そして低い声で、東ドイツへの秘密指令を書きとらせた。

書類が出来上がると、KGB長官は花押を書き添え、極秘の印を押した。

長官は、封に入れた密書(みっしょ)を持って、ゲルツィンの前に歩み出る。

「良いか、これをドイツ駐留軍内部にあるKGB支部に見せ、そして完璧に実行せよ」

「はい」

ゲルツィンは手を伸ばした。

何処か、おごそかな姿だった。

「約束できるか」

「わが命に代えて」

密書は、彼の手に渡った。

「では行け。ソビエトの為、党の為、そしてこのKGBの為にな」

氷のように冷静にいった。

 

 

 ゲルツィンが去った後、KGB長官は立掛けた1メートル近くある野太刀(シャシュカ)に、手を伸ばす。

脇に立つ特別部部長は、

「明日のイズベスチヤ*7にシュミットに関する声明を掲載する手はずです。

先の東ドイツの事件は、彼の私怨(しえん)遺恨(いこん)によるもので、ソ連は関係ないとするつもりです」

と告げるも、立ち上がったKGB長官は、握った長剣を剣帯に()きながら、

「その線で行き給え」

と答え、ドアを開けて、静かに室外へ去っていった。

 

 KGB長官は、一人、庁舎の屋上に立ち、涼しいシベリアの夜風を浴びながら、天を仰ぐ。

何か思い出したように、突然、佩いている剣の(さや)を握って、ぴゅっと、剣を抜き去り、

(ゆる)してくれ、ゴーラ*8

といいながら、またも一振り二振りと、虚空(こくう)に剣光を描いて、

「KGBの組織を守るためには、こうする他に道はないのだ」と、叫んだ。

走らせる剣の声は、まるで男がシュミットの横死(おうし)に対して、慟哭(どうこく)するかのようであった。

*1
モスクワから西に60kmほどの場所にある都市

*2
一般的に、ロシアでは仏教と言えば蒙古経由で伝来したチベット仏教であった

*3
ソ連スタブロポリ沿海地方に隣接し、カスピ海の北西に位置するカルムイク地方の都市

*4
ソ連政権は1920年から1960年まで宗教の大弾圧をおこなったが、フルシチョフの『雪解け』以降徐々に緩和していった。1970年代に大都市部では仏教の信奉者が復活し始めていた

*5
особая отделени.(アソバーヤ・アッジェレニエ)。軍や警察などの実力組織の内部にあるKGB本部直属の監視ネットワークで、KGBが秘密裏に監視するために送り込んでいた

*6
モスクワ近郊の基地。空軍基地の他に、隣接する様に広大な演習場を持つクビンカ戦車博物館がある。同地は世界大戦前は装甲車両中央研究所であった

*7
1978年当時の正式名称はソ連人民代議員会報告。(露語:Известия Советов народных депутатов СССР)1917年3月17日創刊。ソ連政府機関紙。

*8
グレゴリーの愛称。シュミットの本名はグレゴリー・アンドロポフ




 完全書き下ろしエピソードです。

ちなみに、ベア様の夜のお楽しみは、18禁ページの方で書いてます。
成人で興味ある方は、覗いてみてください。


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特別攻撃隊 前編(旧題: ミンスクハイヴ攻略)

 冷たい雨が降りしきる首都ベルリン。
ソ連の不穏な動きに対応が迫られている参謀本部への、予期せぬ来客。
ハイム少将の前に現れた、ベアトリクスの真意とは……


「ミンスクハイヴ攻略の為……、特別攻撃隊を組織したい」

赤軍参謀総長の一言に、騒然となる、ソ連赤軍参謀本部の一室。

「貴重な戦力を無駄死にさせろと仰るのですか」

一人の赤軍中佐が憤然と、その非をあげて(いさ)めた。

参謀総長は、憤懣やる方無い中佐の方を向き、

「オルタネイティヴ3計画が水泡に帰した今、手段は限定すべきではない」と声をからして、

「既に、シベリア、極東、ザバイカル*1の各軍管区、蒙古駐留軍*2より招集を掛けている……。

だが、新兵の大部分は18歳未満……、とても役に立つとは思えない。

このまま続けば、大祖国戦争の二の舞だ」と反論する。

「最悪の事態を避けるために、東ドイツの連中に頭を下げ、我等の側に引き込まさせる。

何もやらぬよりはマシであろう」

 ソ連赤軍の持てる英知をを結集した一大作品、ESP発現体。

ゼオライマーの『メイオウ攻撃』で、ノボシビルスクの研究所諸共に、全て灰燼に帰した。

その事を、彼等は知らなかったのは何という皮肉であろうか……

 

「無論、日本野郎(ヤポーシキ)に、ゼオライマーを借りる。危険な賭けかもしれないが、これしかない。

既に、手段を選んでいる時ではないのだ」

まるで物に憑かれたように、ゼオライマーへの渇望を吐露する参謀総長の姿を、周囲の者たちは呆れ顔をしながら、見ていた。

 

 今日までに実施した赤軍主導の軍事作戦は(ことごと)く失敗に終わった。

この状況下で、7251万人の人口が失われた結果に、ソ連指導部は焦っていた。

しかし、BETAの勢いは留まる所を知らず、絶望的な状況に追い込まれていた。

 そんな矢先、現れたスーパーロボット、天のゼオライマー。

地の底より幾千万と湧いて来るBETAの血煙を浴びながら、一人勝ち誇る姿を見せつける。

必殺の『メイオウ攻撃』で、鬼神の如く戦う様に、ソ連指導部が心を奪われるのも無理からぬ話ではあった。

 

 

 

 

 

東ドイツ・東ベルリン

 

 シュトラハヴィッツ少将は、赤軍参謀総長からの密書を受けて、何事かとひらいてみると、

KGBはひそかに兵を(もよお)し、貴国に攻め入らんと企んでいる。防備怠るな

という忠言だった。

参謀総長の密書は、即座に、政治局会議に持ち込まれた。

赤軍がKGBとの内訌しているなどとは知らないので、シュトラハヴィッツから話を聞いた議長は、大いに驚いて、群臣と共に、どうしたものかと、評議にかけた。

 

 男は、困惑する政治局員たちを前に、憤然と、

「何、KGBの連中が我々を襲撃するだと……この期に及んで、どう言う積りかね。

BETAの侵略でシベリアに逃げて置きながら、話の他ではないか」と演説した。

ソ連への怒りは甚しく、

「あの野蛮人共め」と口を極めて(ののし)った。

落ち着いた様子のシュトラハヴィッツは、灰色がかった髪と綺麗に整えられた口髭の顔を動かし、

「同志議長、小官も同意見です」と立ったまま男の意見に(うなづ)く。

議長は、シュトラハヴィッツの顔を見て、初めてわれにかえった。

「我々は今、西側に入ろうと努力している矢先に、水を掛けるような真似をするとは……」

 

 

 冷静さを取り戻した議長は、シュトラハヴィッツ以外の人間を払い出す。

ふと思い出したように、

「話は変わるが、嬢ちゃん、来年の正月で12歳になるんだろう」

「御存じでしたか……」。

呆然とするシュトラハヴィッツに、議長は不敵の笑みを浮かべ、

「君は、対ソ軍事協力に関して責任を感じている様だが……死に急ぐ必要はあるまい。

嬢ちゃんの花嫁姿を一目見てから、泉下(せんか)の待ち人の元へ行っても遅くはなかろう」

そう言うと、紫煙を燻らせ、

「内々で決まった事だが、今年の9月にブル選と住民投票をやる。恐らくSEDは、大敗する。

所詮この民主共和国は、占領政策の忌み子だ。ひっそりと役割を終えられれば良いと思っている」

男はそう漏らすと、再び部屋の中を歩き始め、

「遠からぬ内に、総辞職。俺は政治局から降りることに、成るであろう」

窓辺で立ち止まると、屋外に視線を移し、窓外の景色を見た侭、

「任期中に、壁を取り払う手続きだけはしておいてやるよ……」と振り返らず応じる。

その言葉を聞いた後、彼は、敬礼して部屋を後にした。

 

 

 ポツダムの参謀本部への帰路、愛娘ウルスラの事を、ふと一人悩む。

この数年来、彼女は妻の実家にほぼ預けたままで暮らしていた。

軍務で昼夜を問わず働いているのも大きかったが、国家保安省の目から守るために隠していたのも事実。

自分を執拗につけ狙ったクレムリンの茶坊主こと、モスクワ派の首魁シュミット。

彼の死を持っても、未だシュタージへの恐怖心が(ぬぐ)えない。

 今回のパレオロゴス作戦は、是が非でも成功させねばなるまい。

地上に残る最後のハイヴとはいえ、白ロシアの首都ミンスクは、東欧の最前線ポーランドの目と鼻の先なのだ。

唇亡歯寒(しんぼうしかん)の間柄である、東欧諸国へのBETA侵略。

 今、まさに(いにしえ)のドイツ騎士団の姿と自身の立場を重ねる。

蒙古の侵略軍にワールシュタットの戦場で打ち破られた後、その災禍に苦しめられた。

 遠い極東の日本では、勇敢な戦士達によって水際で侵略を防ぎ切ったと聞く。

10万の軍勢を一度の海戦で消滅させた猛者(もさ)

国力盛んなロシア帝国と相対しても、(ひる)まず打ち破った。

 その彼等が、先次大戦の時と同じように我等に力添えをしてくれているのだ。

あの頼もしいゼオライマーという、超大型兵器(スーパーロボット)に、木原という青年が欧州に来なければどうであったろうか……

 美しい山河や、満々(まんまん)(たた)えるバルト海、今暮れようとしている夕日も拝む事すら出来なかったであろう。

 

 

 (しば)し、感傷に浸っていると、車はポツダムに着く。

公用車から降りて、歩いていると声を掛けられ、振り向くとハイム少将であった。

盟友の滂沱の涙に、不安を感じ驚いた顔をして、此方の顔を伺い、

「どうした、アルフレート」と訊ねて来る。

ハイムからの問いに、シュトラハヴィッツは、

「ふと、古の戦士たちを思い起こしていただけさ」と応じる。

彼は懐中より、官給品のハンカチを取り出し、涙の溜まった目頭を、静かに押さえる。

「貴様らしくないな……」

「否定はしない……」

再び、ハンカチを懐中に入れた。

 

 茶色い紙箱のタバコをシュトラハヴィッツの面前に差し出す。

赤い線に白抜きの文字で『CASINO』と書かれた東ドイツ製の口付きタバコ。

「気分転換に、一本吸うか」

タバコを抜き出し、吸い口を潰すと、胸ポケットより取り出した紙マッチで、火を点ける。

目を瞑り、深く吸い込む

「作戦まで2か月を切ったのに、今更ソ連側から書簡とは……」

「呆れて、ものも言えんだろう」

ハイムは、紫煙を燻らせながら答える。

「出征する兵士どころか、その父兄や妻迄心配しているほどだ」

シュトラハヴィッツは、苦笑するハイムの横顔を見る。

「急にどうしたのだ」

「ベルンハルトの妻が、参謀本部に来たのだ」

「あ、あのブレーメ次官の娘御がか……」

思わず唖然とするシュトラハヴィッツを尻目に、ハイムは、

「いや、驚いたよ……。

士官学校の制服の侭、参謀総長に直談判(じかだんぱん)しようと来たのだからな」と続けた。

シュトラハヴィッツは、右の親指と食指で、紫煙の立ち昇る煙草を唇より遠ざけ、ゆっくりと吐き出しながら、深く呼吸をする。

「詳しく聞かせてくれないか」

「良かろう」

そう言うと、男は数時間前の出来事を語り始めた。

 

 

 今より時間は、数刻さかのぼる。

場所は、ポツダムの参謀本部。

朝より雨の降りしきる中、一人の士官候補生の制服を着たうら若い乙女が尋ねた。

婦人兵用の雨衣外套(レインコート)を着て、衛兵と言い合いになっている人物がいると、連絡が入る。

執務室で、今後の作戦計画を練っているときに、気分転換を兼ねて、彼が確認に行くことに成った。

「しかし、連絡も無しに乗り付けるとは、どの様な人物なのかね」

ハイムは、脇を歩く、困惑した面持ちの従卒に尋ねた。

「ベルンハルトと名乗っています」

「例の『戦術機マフィア』の……」

「年は、18,9の娘ですが……」

「私が会って、(さと)して来る。それと……」

 

 灰色の夏外套を羽織り、営門に近づくと、うら若い娘の話声と衛兵のやり取りが聞こえた。

そちらへ足早に進むと、カーキ色のマント型雨衣を着た衛兵の丁寧に説明している声。

「困ります、同志ベルンハルト……。正式な書類が無ければ、御通しすることは出来ません」

「何度言ったら分かってくれるのかしら、私は参謀総長に話を聞きに来ただけ」

件の婦人兵は、軍帽の縁から雨が零れ、漆黒の髪を濡らしている。

白磁の様な透き通った肌色の顔が動き、(うれ)いを帯びた宝玉のような赤い瞳で、身を震わせながら、此方を見る。

 見覚えのある娘の姿を見て、仰天したハイム少将は、

「ブレーメ嬢……、如何したのだね」と驚きの声を上げる。

その言葉を聞いた衛兵は不動の姿勢で、

「同志将軍、ご存じなのですか……」と返答した。

 幾ら雨衣を着ているからとはいっても、春先の冷たい雨……

風邪でも引いて返したら、どうした物か。彼は、一計を案じた。

「彼女は、急用で招いた。別室に通しなさい」

若い娘と話す際には、年の近い女を呼んでおいたほうが良かろうと、

「それと、同志ハイゼンベルクを呼べ。大急ぎで、熱い茶と菓子を持ってくるように伝えてな」

と、自身が秘書のように扱っているマライ・ハイゼンベルク少尉を呼び寄せた。

 

 ハイム将軍が呼び寄せた、マライ・ハイゼンベルクは、どんな人物であろうか。

左目の下にある泣き黒子(ぼくろ)が印象的な、しっとりとした感じの典雅な女性。

ウェーブの掛かった胸まで有るセミロングの茶色がかった金髪に、透ける様な色白の肌。

翡翠色の情感的な切れ長の瞳は、何処か蠱惑(こわく)的。

また婦人兵としては、下卒からの評判もよく、この人に限っては、士官にありがちな(そね)むような蔭口も聞かれなかった。

ハイム将軍は、そんな人物に、ベアトリクスへの茶の準備を頼んだのであった。

 

 そのハイゼンベルクは、紅茶を盆にのせ、ベアトリクスがいる一室に入るや否や、

「グルジア産のお茶ですが、うまくお口にあいますかしら」と持ってきた熱い茶を進める。

(せん)のお茶で、唇を濡らしたベアトリクスは、

「支那茶に似て、赤みが少ない色合いね、その割には渋みもちょうど。所で将軍*3、お話とは」

と、やっと答えて、同時に息をつめていた面々も、彼女の平静な物腰に、まず胸をなでおろした。

安心したハイムは、ゆっくりとソファーへ腰を下ろし、

「私の方が聞きたいくらいだよ」といい、それから、

「君らしくないではないか……、同志ブレーメ」と、静かに微笑して見せた。

ベアトリクスは怪訝(けげん)な表情を浮かべ、

「失礼ですが、同志将軍。既にベルンハルトに嫁いだ*4身です」と答える。

ハイムは申し訳なさそうな表情をした後、

「それは、大変失礼な事をした……、では本題とやらを聞こうではないか」

と、謝罪の言葉を口にし、ハイゼンベルクより熱い茶を茶托事、受け取る。

「既に、地上にあるハイヴはミンスクを除いて攻略済みと(うかが)っております。

ミンスクハイヴ攻略の軍事的意義、政治的意義も理解している積りです。

この期に及んで、ソ連との友好関係を続ける必要があるのでしょうか」

懐より出したシガレットケースから、煙草を取り、

「難しい問題だ……」と、紫煙を燻らせながら、応じた。

 

「もっとも君の父君の関係もあるから知っていよう。

我が国の産業構造上、あらゆる物資をソ連圏に依存してきた。

言い出せば切りがないが……、石油、天然ガス、鉄鉱石、食料品等々。

1973年のBETA飛来以後も、根本的な問題は解決していない」

ベアトリクスは、顔を上げ、

「それに関しては私も長らく疑問には思っていました。

本当に西側社会に民主共和国を引き入れても、その構造を変えない限り、無理ではないかと……。

今のソ連圏への資源依存体制の維持、それはそれとして余りにも危殆(きたい)が高すぎますので」

ハイムは、(うれ)いを帯びた彼女の瞳を見つめながら、

「方策は無いわけではない……、例えば、最新型の原子力発電所を数基作れば電力事情は劇的に改善出来よう。

だが、それ以上は既に政治の問題だ」と答えた。

 先次大戦においてベルリンに核爆弾投下*5の事実を知る者にとっては、彼の発言は危うかった。

東西ドイツの間では、原子力は厄災(やくさい)(もたら)す物質との認識が強かった。

敗戦から33年の時を経て、強烈なまでの反核感情が二か国の間で、醸成(じょうせい)されていたのだ。

 

 

 

 そう話していると、ドアをノックする音が聞こえ、

「入り給え」と呼び掛ける。

「同志将軍、参謀総長がお呼びです」

振り返ると、勤務服姿で直立する軍曹がいた。

ハイムは、立ち上がって軍帽を掴み、

「直ぐに向かう」と応じ、部屋を後にする軍曹を、見送りながら、

「同志ハイゼンベルク、着替えを用意してやったら、適当な時間で返してやりなさい」と、声を掛けた。

ベアトリクスは、他人事(ひとごと)みたいに、

「電話をお貸しいただければ、迎えの者を呼びますから、そこまでの手数は結構です」と返した。

ハイムは右手で、軍帽を被りながら、

「では、夫のユルゲン君に(よろ)しく頼む」と告げ、部屋を後にした。

 

 

 一通り室内で、話を聞いていたシュトラハヴィッツは呆れ果てていた。

愛する夫の為とは言え、参謀本部に乗り込むとは……

士官学校主席の地位を入学以来保っているとは聞くが、些か常識外れではないか。

「なあ、このじゃじゃ馬、何処の部署が面倒見るんだ……。第一戦車軍団では見切れんぞ」

ベアトリクスの天衣無縫の態度に、うんざりした顔つきのハイムは、額に右手を添え、

「下手に頭が良いからなあ、参謀本部で庶務か、通信課にでも放り込むしか有るまい」

と、紫煙を燻らせ、苦笑いを浮かべるシュトラハヴィッツの問いに答える。

「既婚者だから、正直扱いに困るだろう。一層(いっそ)の事、例のとてシャン*6に投げるか」

「ハイゼンベルクは、参謀本部で雑務をやってるが、確かにいい娘だ。皆に心底慕われてるのも分かる気がする」

シュトラハヴィッツは、いまさらみたいに、

「否定はしない」と、驚いたさまだった。

 

 その時、室内の電話がけたたましく鳴り響くと、受話器を取る。

「こんな時間に……」

シュトラハヴィッツは、黙って頷いていた後、静かに受話器を置くと、深い溜息をつく。

「情報部から連絡だ。未確認ではあるが、ソ連船籍と思われるタンカー数隻がケーニヒスベルクより出港したらしい」

「何かするつもりか。これは(あなど)れんぞ」

彼は、(かぶり)を横に振る。

「まだ分からん。そのまさかでは無い事を祈ろうではないか」

 

 

 

 

*1
バイカル湖の東側の地理区分の事

*2
1936年のソ蒙相互援助議定書以降、外蒙古にはソ連軍が駐留していた

*3
東ドイツでは大将以下の将官は、まとめて将軍と呼ばれた

*4
ドイツでは伝統的に姓は一般的に夫の姓を名乗る慣習があり、社会主義下の東独でもその慣習は尊重された

*5
マブラヴ世界では4発の原子爆弾がドイツに投下された

*6
とっても美しい女性を指す言葉。シャンは独語で美人の意味




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特別攻撃隊 中編(旧題: ミンスクハイヴ攻略)

 ソ連KGBは、目障りな木原マサキの暗殺を図り、工作隊を送った。
不穏な動きを察知した米国政府は、不測の事態を憂い、対策を協議する。
マサキの、ゼオライマーの運命や、如何に。




 さて、ここはソ連の臨時首都がおかれているハバロフスク。

その市内にあるKGB本部の一室で会合が持たれていた。

 

「今回、最新型の戦術機部隊をドイツに差し向けた。読みが正しければ、東ドイツの議長と懇意な木原は、ゼオライマーを駆って出てこよう」

灰色の将官勤務服(キーチェリ)を着た老人が、男達の前に躍り出る。

「その際、ドイツ駐留軍内に仕組んだ工作員により、破壊工作の指示を出してある」

 言外に特別部の破壊工作を暗示すると、冷笑を顔に浮かべ、

「木原が出てこなくても、出ざるを得ない様、仕向けた……。

仮に、我が隊が敗北した場合は、Р(エル)-16ミサイル*1を撃ち込む手筈になっている。

如何に大型戦術機とはいえ、核弾頭ロケットの前では消し飛ぶはず……」と説明した。

 ゼオライマー諸共、木原マサキを消す……

その様な情念の炎を燃やす男の様を、チェキストたちは遠巻きに見ていた。

「同志諸君、これはソビエトの為の聖戦なのだよ」

男の声を合図に、室内に鯨波(げいは)が響き渡った。

 

 その後、KGB長官は、黒塗りの『ジル』111Gに乗り込み、市中へ繰り出す。

移動する車中で、隣席に座る特殊部隊『アルファ』司令官は、

「同志長官、お聞かせ願えますかな」と、木原マサキ抹殺の理由を問い質した。

「あの男は生かしておいては危険だ……、何れは我らソ連が覇道の阻害になる。

危険な芽は早めに摘むのが一番……、奴にはパレオロゴス作戦開始前に死んでもらう」

と長官が始めて意を明かすと、さしも豪胆な大佐も、びっくりした。

革張りのアタッシェケースより一枚の紙を取り出し、

「もし、今回の件が失敗した場合は、この密書に書いた通りに事を運べ」

と、深刻な面持ちで告げた。

すると、途端に、男の表情が曇り、

「国連職員に化け、米国のド真ン中で日本への帰国途上の木原マサキを暗殺……、中々厳しい注文ですなぁ」

と、冷ややかに言った。

長官は、眉をひそめ、

「ルムンバ大学*2の外人留学生を主とした、工作員チームで行く。そうすれば、KGBだと足もつくまい」と告げた。 

大佐は、KGB長官を取り持ち、

「その暁には、木原の首で、蹴鞠(けまり)遊びをしようではありませんか」と、冗談めいた事を言う。

車中に、男達の哄笑が響き渡った。

 

 

 しばらくして、バルト海洋上に数隻のタンカーが展開された。

戦術機を複数搭載可能なように改造された軍船へ、暗殺隊を乗せ、東ドイツに向かう。

 そのタンカーの艦内で、男達が密議を()らしていた。

すでに強化装備を身に着けた、暗殺隊隊長から、

「諸君、今回は特別任務だ。ゼオライマーごと、木原マサキを抹殺する」と説明がなされる。

 野戦服姿の隊員が、ぶっきらぼうに(つぶや)く。

「あのいけ好かない黄色猿(マカーキー)か、(なぶ)(ごろ)しにしてやるぜ」

隊長の大佐は歩き回りながら、説明を続けた

「我々、KGBが水面下で進めていた東ドイツのクーデターをベルリン民族主義政権と共に邪魔した」

雄々しい声と共に、軍靴の音が、室内に響き渡る

「その事を近々開かれるニューヨークの国連総会で、暴露するとの情報が入った」

先程の隊員とは、別な男がいかにも憎々しげに口を歪めて言った。

日本野郎(ヤポーシキ)め……、そこまで許せば、ファシスト共が増々デカい顔をし始めますな」

大佐は、立ち止まると、隊員の方に振り返り、

「そこで、我らが出番だ。これよりベルリンの民族主義者共に懲罰を与える」

両腕を腰に当て、力強く叫び、

「この船に搭載された戦術機を使い、奴等に恥を知らせようではないか」

 

 

 

 男達は戦術機に乗り込むために船室より甲板に移動した。

「我等は、東ドイツの戦術機部隊に陽動をかける」

春先の冷たい海風が、(まと)っている強化装備に吹き付ける。

「ゼオライマーは出てきても相手にするな。30分後にミサイルをぶち込む手筈になっている」

不安を感じた男は、大佐に、

「同志大佐、NATOへの宣戦布告になりませんか」と尋ねる。

大佐は、甲板にある煙草盆の前に立ち止まると、彼等の方を振り返り、

「諸君らの懸念している人的被害は最小限度で済む」と答える。

手に持った『カズベック』*3の紙箱の封を乱雑に開け、口付煙草(パピロス)を抜き出し、一本づつ配る。

「既に深夜だ。操業している漁船も貨物船も、この海域には居ない」

懐中より取り出した紙マッチの封を開け、千切ったマッチで、タバコに火が点けられた。

「ベルリンの民族主義政権は、この中距離核ミサイルで震えるであろう」

悠々と紫煙を燻らせる大佐に、隊員の一人は、

「同志議長の狙いはそこにあると……」と、尋ねた。

男はなお、

「皆まで言うな……」と、不敵の笑みを浮かべる。

口つきタバコを深く吸い込むと、漆黒の海にタバコを放り投げ、

「この後には、皆で30年物のバランタイン*4 でも飲もうではないか」と、隊員たちを一瞥する。

無事帰った際は、30年物の醸造酒の封を開けることを約束し、

「そいつは楽しみだ」と、闇夜に男達の哄笑が響いた。

 

 バルト海上に展開された、数隻のタンカーの甲板構造物が吹き飛び、周囲に爆音が響く。

爆風が消え去ると、箱のようなものが現れ、戦術機が縦に2列で6機づつ並んでいた。

「出撃準備」

大佐の軍令一下に、KGB工作員の一団は、戦術機に乗り込む。

「ベルリンのみならず、ボンのファシスト共を調教してやろうではないか」

 

 複数の母船より、次々に戦術機が跳躍ユニットを全開にして、前方に向かい飛び上がる。

自然落下で、海面擦れ擦れに降下し、高所より飛び込むように跳躍する。

 噴射跳躍(ブーストジャンプ)と称される戦術機の立体軌道の一つだ。

噴射跳躍をしたかと思うと、跳躍ユニットを全開にし、横一列に隊列を組んで、深夜のバルト海を低空飛行する。

水面との距離を取らないのは、レーダー対策で、戦闘機パイロット出身者にとっては常識であった。

 

「同志大佐、匍匐飛行では燃料は……」

「30分あれば十分足りる。

ファシスト達の首を抱えて帰ってきても、間に合おう」 

 戦術機の最大の弱点の一つ……

それは従前からある兵器とは違い、航続距離の短さで、戦闘行動半径は150キロメートル、巡航は600キロメートル。

戦前に設計され、第二次大戦と朝鮮戦争を戦ったF4U コルセアの4分の一以下の航続距離。

米ソ両国に在って、未だ通常兵器への信奉があるのは、此の為であった。

 

 通信用アンテナの付いた戦術機よりKGB大佐の訓示がなされる。

「同志諸君、東ドイツの連中はかなりの手練れ。だが対人戦にはめっぽう弱いと聞く。

歓迎してやろうではないか」

いつにもまして、演説する大佐は、上機嫌だった。

 

 

 

 

西ドイツ・アウクスブルク

 

 

 ここはNATO最前線の西ドイツ・アウクスブルクにあるNSAの通信傍受施設。

通称を『象の檻』と呼ばれる奇妙な建物の室内に、一本の電話が入る。

ベルの音を疎ましく思う男は、渋い顔をして受話器を取り、

「此方。アウクスブルク通信観測所……」と応じる。

機械の操作音が鳴り響く、受話器の向こう側から、力なき声で、

「カリーニングラードで、固形燃料ロケットの発射体制が整いつつある」と告げた。

受話器を右耳に当てた侭の男は、色を失い、

「情報収集艦『ヴァンデンバーグ』*5から連絡だ……」

と、失意の表情で、椅子に深く腰掛けた。

 

 米海軍所属の通信傍受(シギント)艦からの連絡に、通信室に居る職員達は、(にわ)かに色めき立つ。

大型の通信アンテナに、微弱だがICBMに関する送受信が観測された事実にその場は混乱し始めたのだ。

 

奥にある基地司令の机から声が上がり、

「欧州軍本部に連絡だ」と檄を飛ばす。

ある職員が立ち上がり、司令に問いかけ、

「司令、ドイツ軍には……」

基地司令は、

「連中は恐らくバルト海上に展開している不審船の対応で手一杯であろう。

それに欧州軍本部の面子(メンツ)もある……本部に一任しようではないか」

と応じ、

「ペンタゴンに連絡だ」と即座に指示を出した。

 

 

米国 ワシントン.D.C

 

 煌々と照明が輝き、不夜城のごとく官衙(かんが)にそびえているホワイトハウス。

白堊(はくあ)の殿堂の中を、ソ連のミサイル発射兆候の連絡を受け、忙しなく給仕達が駆け巡る。

その一角にある大統領執務室では、将に、白熱した議論がなされ、

「閣下、白ロシアに先制核弾頭攻撃を実施すべきです」

「核攻撃のついでにハイヴごと吹き飛ばしましょう」と、ひしめきあった。

大統領は、甚だしく、自分の威厳を損ぜられたような顔をして、

「この状況下で、些か拙速ではないかね……」

と、(いまし)める発言をする。

「諸君、74年の時とは、訳が違うのだよ」

そして、たたみかける様に、

「あの時は降着ユニットがアサバスカ湖*6周辺に堕ちてくれたから助かったものの……。

その時みたいに戦術核による攻撃を実施するには政治的決着も厳しい。

それにウラン鉱山の採掘に因る放射能汚染と言う事で土民*7を慰撫できたが。

対ソ戦でその言い訳は通用しまい」

と、いった。

 

大統領の言を受けるや、国務長官は嚇怒(かくど)し、

「ソ連の核攻撃に、黙って指をくわえて見ておれと言うのですか!」と歎いた。

CIA長官が、すっと立ち上がり、

「ゼオライマーに頼みましょう。あの木原という青年の赤心(せきしん)*8を信じましょう……」

副大統領は、CIA長官を大喝して、

「正気かね。たかが一台の戦術機に国運を掛けるだとは、寝言も、休み休み言い給え」

と、怒りの表情をあらわにした。

見かねた国務長官が、口を挟み、

「彼の提案に乗りましょう、副大統領……」

周囲を見回しながら、続け、

「そうすれば、我が国への核攻撃は防げるかもしれません」

男の言葉を聞いた副大統領は、暫しの間、無言になり、

「それは、甘い夢の見過ぎではないのかね」

と、ずり落ちていた黒縁の眼鏡を、右手で掴み持ち上げる。

 

 国務長官は、不敵の笑みを浮かべ、

「いや、この際、全責任をゼオライマーのパイロットと日本政府に負わせるのです……」

「友好国の一つを見捨てるのかね!」

「対ソ静謐(せいひつ)等と称して、積極姿勢に出ない国を信用出来ますか……。

私から言わせて貰えば、貴殿は些か、ゼオライマーに入れ込み過ぎている」

 興奮する閣僚たちに、嚇怒した副大統領は、

「国務長官としての言かね……」

と、勢いよく机を両掌で叩いた後、

「CIA長官としての君の判断を認めよう……。だがゼオライマーの件が片付くまでは辞表は認めん」

とCIA長官を、戒めた。

 

 

 

*1
1956年にヤンゲリ設計局で開発された二段式大陸間弾道ミサイル。液体燃料方式で、全長30メートル

*2
正式名称をパトリス・ルムンバ名称民族友好大学。第三世界における破壊工作員養成機関。戦前は、東方勤労者共産大学(略称КУТВ(クートヴェ))と称した

*3
Казбек。カフカス山脈にあるカズベク山に由来した名のソ連国内で存在した銘柄。日本の柘植製作所で『kazbek oval』の名で2012年から2016年の間に販売された

*4
Ballantine's。1827年創業のスコッチ・ウイスキー

*5
USNS.ジェネラル・ホイトS. ヴァンデンバーグ (T-AGM-10)。1943年2月22日起工。USNS.ハリー・テイラー(T-AP-145)という艦名で海軍に在籍後、1961年に米空軍に売却。再度、1964年に米海軍に買収された

*6
カナダ・サスカチュワン州にある湖

*7
同地にはアメリカ・インディアンの居留地があった

*8
嘘いつわりのない、ありのままの心。まごころ




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特別攻撃隊 後編(旧題: ミンスクハイヴ攻略)

 ユルゲンとヤウクに、KGB撃破の命、下る。
戦術機で戦場を駆り、迫りくるKGB相手に、膺懲(ようちょう)の一撃を振るう。



 ここは、東ドイツ領・リューゲン島。

バルト海上の同島は、戦前には、リゾート施設の立ち並ぶ景勝地の一つであったが、東西分割後の今は軍事拠点として整備されている。

人民海軍の基地もあり、また東独唯一の特殊部隊・第40降下猟兵大隊の駐屯地でもあった。

 リューゲン島の人民海軍基地はドイツに近づく不審船を感知すると、直ちにベルリンに通報。

時を置かずして、ベルリンの国防省本部から、

未確認機、多数飛来」と、東独精鋭の第一戦車軍団に連絡が入る。

 

基地内にある戦闘指揮所では、深緑色の野戦服を着たハンニバル大尉が、

「同志ベルンハルト中尉、君は精鋭10名を連れてソ連機の対応に当たれ」

と、真向かいに立つユルゲンを指差すと下命した。

敬礼を返すと、強化装備姿のユルゲンは、

「同志大尉は出撃されぬのですか」と大尉に尋ねる。

ハンニバル大尉は、

(やっこ)さん達、低空飛行しているから俺達が気づいてないと思っている。

だから、夜会(ソアレー)の出し物として対空砲火の演奏(セレナーデ)の一つでも聞かせたいと思ってな」

と、金色の顎髭(あごひげ)を撫でながら応じ、

「思う存分、暴れてこい」と、彼らを励ました。

 

 また東ドイツ国内には従前のソ連製の機動防空システムが配備されていたことを、KGB特殊部隊は甘く見ていた。

BETA戦での航空優勢の喪失は、対空防御への関心を低下させ、軍事部門の(ほとん)どを戦術機に優先させた。

この世界にあって、それが常識となっていた。

 軍の再編成が不十分で遅かった東ドイツ軍にとって、この事は幸いした。

冷戦下の対空火器が温存されたことによって、戦術機部隊に対しての即応が可能となったのだ。

 

 

「回せ!」

戦術機部隊に緊急発進(スクランブル)の準備が整えられ、強化装備を身に纏った屈強な男達が、勢いよく操縦席に滑り込む。

 操縦席に座ったユルゲンは、深く息を吸い込む。

直後、通信が入り、色を失ったヤウクが、

「怪我だけはするなよ……。僕は奥様が()く姿なんか見たくないからね」と声を掛ける。

「分かっている」

「分かってるなら良い」

「有難な」

「ユルゲン、君は色んな筋から標的にされてる。おそらくソ連のKGBにも。

KGBは、悪辣(あくらつ)な連中だ。部隊長の不首尾(ふしゅび)などは想像したくもない……」

と、ユルゲンに、弱音を漏らす。

「愚痴だ……。忘れてくれ」

不安に感じたユルゲンは、項垂れるヤウクを見るや、

「貴様らしくないぞ。思う存分暴れようではないか」

声を高らかにして、(うそぶ)く。

血色を戻したヤウクは、

「ユルゲン……」と呼び掛けると、安堵したユルゲンは、

「一足先に行ってるぜ」と、揚々と格納庫を後にした。

 

 そう言うと両手の親指を立て、モニター越しに整備員に親指を立て、合図する。

駐機体制から飛行体制を意味する『チョーク外せ』のポーズを取った後、彼の機体は滑走路に向かった。

そして跳躍ユニットを吹かして、勢いよく出撃するとみるみるうちに小さくなっていく基地。

エンジンを全開にして、匍匐飛行で目的地へ向かった。

 

 

東ドイツ ヴァンペン・シュトランド近郊

 

 洋上に向け、ミサイルや砲弾が雨霰(あめあられ)と降り注ぎ、護衛に飛んでいたヘリの尾翼にミサイルが命中した。

煙を出しながら、海面に急降下していく様を見るや、

「護衛のヘリが……」と、兵達が口々に嘆くも、隊長は、

「有りっ丈の弾をばら撒け、弾倉には3万発あるんだ。気にせず使え」

と、そのあとからついて来る、戦術機隊に檄を飛ばした。

 

大佐は、

「何機、残っている」と、僚機に尋ね、

「1、2、1、2、……」と、男はしばらく数えた後、

「36機ほどです」と答えた。

「半数も食われただと……」

直後、僚機が攻撃を受け、黒煙を上げながら、急降下してゆく。

管制ユニットを撃ち抜かれた僚機が、爆散する様を、網膜投射越しに眺めていた。

 

 猛烈な対空砲火と東ドイツ軍の必死の抵抗によって、KGB部隊は足止めを喰らっていた。

咄嗟(とっさ)に敵の気配を感じ、突撃砲を向けるも、引き金を引く間もなく、一撃を喰らう。

破損した砲を投げ捨て、後ろに引き下がると、直後、爆散した。

小癪(こしゃく)な……」

 

 振り返ると頭部には、まるで中世の武人の兜の前立てを思わせる大型の通信アンテナを付けた、朱染めの機体が、接近戦闘短刀を手裏剣の様に投げつけてきたのだ

噂に聞く光線級吶喊(レーザーヤークト)専門部隊の隊長機。

KGB大佐は、不敵の笑みを浮かべ、

「同志大尉、私は隊長機をやる。君は、緑色のファントムに乗った副長を仕留めろ」

と、画面越しに移る大尉に指示を出し、彼は、大佐に、

「了解」と頷く。

大佐は、操作卓(コンソール)の上に放り投げたタバコを取り、口に咥え、

「狩りの時間だ」と、呟き、火を点けた。

 

 

 ユルゲンはゆっくり着陸させると、左手に構えた突撃砲を、面前の黒一色の機体に向けた侭、相対する。

国際緊急周波数243.0MHz*1にダイヤルを合わせ、通信を入れ、

「警告する。貴機はГ(ゲー)Д(デー)Р(エル)*2領内を侵犯……」とロシア語で呼びかけた。

 黒色の鉄人は、幅広の77式近接戦用長刀を背中の兵装担架から抜き出し、手首を回転させ、逆手に構える。

対峙する朱色のMIG-21PFも、背面より長刀を抜き取る。

 ユルゲンが手にした剣は、74式近接戦闘長刀。

ベルリンに来た日本使節団から親善訪問の記念としてもらった数振りの刀剣の内の一つであった。

(たかむら)が世界に先んじて作った強化炭素複合材(スーパーカーボン)製の長剣。

使う人間の武勇と精神力に()れば、BETAはおろか戦術機さえ一閃の元に切り捨てることも可能。

 KGB大佐は、見慣れぬ長剣を構えるユルゲン機に対し、

「御託は聞き飽きた。文句があるなら、俺を切ってからにしろ。小童(こわっぱ)」と(わめ)きかかった。

 長剣を構えて、身動ぎすらせぬ両名の間に、何とも言えぬ空間が出来上がろうとしていた。

まるで触れることさえ、許されざる様な存在……周囲の兵達は、遠巻きに推移を見守った。

 

 ユルゲンが、KGB隊長機と(にら)み合っている頃、ヤウク少尉は別行動を取っていた。

彼は乗り慣れたF-4Rを駆り、迷彩塗装の施されたMIG-21と共に突き進む。

十人ほどの部下を従え、噴射地表面滑走(サーフェイシング)で、勢いよく前進していた目の前に、黒色のMIG-21が単機で近づいて来る。

識別番号も国籍表示も無く、メインカメラは赤色灯に換装され、全身には見慣れぬ突起や装甲も確認できた。

 

 ヤウクは、射撃をしようとした仲間をファントムの空いている左手で、制し、

「降伏するのか……」呟くや、件の機体は、右手に構えた突撃砲を投げ捨て、

「二刀装備のF-4(ファントム)、戦術機実験集団の副長と見受けた。一廉(ひとかど)の武人であるならば、この勝負受けられい」

と、声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、ファントムの肩口目掛けて切りつける。

ファントムは、右腕にマウントした短剣を左手で抜き払い、剣を弾く。

刃がぶつかり、火花が舞う。鈍い音が、闇夜の海岸に木霊(こだま)する。

 ヤウクは、短剣で切り結つつ、

「その訛り*3……、カフカス*4人だな」と問いかけるも、黒染めのソ連機に乗る男は、

ドイツ人(ニメーツ)*5の割には、生きの良い標準語を話すな」と、苦笑する。

カフカス人から侮辱を込めて、(あおら)れた彼は、乾いた笑いを漏らした後、

「プーシキン*6の名高い詩に書かれたカフカス人が、未開人(スキタイ)の後塵を拝するとは……。

そんな情けない格好、恥ずかしいとは思わないのかい」と煽り返す。

 男はその一言に、怒りに身を震わせ、

「減らず口を叩くとは……」と、操縦桿を力強く握りしめるや否や、噴射を掛け、

ドイツ人(ニメーツキ)め、刀の錆にしてくれるわ」と、躍りかかった。

黒色の機体は、勢いよく長刀を振り下ろす。当たれば、重装甲のファントムとも言えど無傷では済まない。

 ヤウクは操縦桿を握り、難なく避けると、右手に持った長刀を横に薙ぐ。

黒鉄色のMIG-21を左腕の関節事、胴を切りつけると、逆噴射を掛け、右の肩間接に短刀を差し込み、其の儘後退。

長刀ごと、機体を突き放すと、一瞬屈んで、捨て置かれたソ連機の突撃砲を拾う。

噴出(ブースト)を掛け、起き上がりざまに、突撃砲の下部に搭載された105㎜滑腔砲を、これでもかと言わんばかり連射する。

止めの一撃を受け、爆散する機体を尻目に、またたく内に駆け去った。

 

 

「同志大佐……、同志大尉が撃墜されました」

ユルゲンと対峙し続けた大佐の下に、通信が入る。

その報告に、色を失った大佐は、

「何!」と、一瞬たじろぐ。

その隙をついて、朱色の機体の左手にある、突撃砲が火を噴く。

105㎜滑腔砲から放たれた砲弾は、複数の破片を飛び散す。

その様を見るや、大佐は、大童(おおわらわ)になり、

散弾(キャニスター)だと……」と、バラライカの空いている左手で、管制ユニットを覆う。

その瞬間、ユルゲンの雄たけびと共に、朱色の機体から長刀が振り下ろされる。

 頭部から管制ユニットに目掛け、唐竹を割る様に、長刀を一閃(いっせん)する。

 

 ユルゲンは、ベルリンに来た(たかむら)巖谷(いわたに)の演武から、示現流(じげんりゅう)*7の技法を模倣した。

フェンシングの名人であるヤウク少尉との、血の(にじ)む様な訓練が、(ようや)く、ここに身を結んだのだ。

長刀を背面の兵装担架に収納すると、噴出を掛け、跳躍した。

 

 

 残存するKGB特殊部隊は、血路を開こうと、最後の突撃をかける。

生き残った指揮官は、突撃砲を連射しながら、

「東ドイツの衛士は口だけの雑兵よ。追撃して殲滅するぞ」

と、後退する東ドイツ軍の戦術機隊を追いかける。

巡航速度を上げ、轟音の鳴り響く噴射装置で、滑るように地面をを駆け抜け、敵の盲射に()う。

 対空自走機関砲(シルカ)やミサイルの雨霰の中を、先んじて吶喊(とっかん)し、

「どうせ当たらぬ、突っ切るぞ」と、怯える兵達を追い立てるも、次の瞬間には爆散して果てた。

 

 

*1
軍用機の遭難通信、非常通信、安全通信に使用される緊急周波数

*2
ドイツ民主共和国の露語略称。(露語表記:Германская Демократическая Республика)

*3
ロシア語の方言の地域差は日本語以上で、訛りで出身地がハッキリわかる程である

*4
ソ連のコーカサス地方。今日のアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの各国

*5
ロシア語では現代でも(おし)を意味する二モーイ("немой")が語源のニメーツ("немец")が使われる。原義は露語の話せない外国人を意味する言葉だった。ポーランド語やハンガリー語にも同様の言葉がある

*6
アレクサンドル・セルゲィヴィチ・プーシキン。(1799年6月6日- 1837年2月10日)。ロシアの大詩人。母系を通じて黒人の血が入った混血児であった

*7
薩摩藩を中心に伝わった古流剣術




本作品の独自設定 その一


ヨーク・ヤウク専用F-4ファントム
 米国貸与のマクダエル社製。
両肩の国籍表示マーク以外は、艶有りのダークグリーンで染め上げている。
両腕の関節は、肩から下はすべてバラライカ並みの強度に変更されており、77式近接戦用長刀の使用に耐えられるようにカスタムされている。
 背中の可動兵装担架システムは、77式近接戦用長刀とWS-16A突撃砲の両方をマウントできる特注品。
ウクライナ戦線で、レーザーヤークトの際に、半壊したバラライカの代わりに乗り回し、以後ヤウクの愛機となっている。



 ご意見、ご感想お待ちしております。
ご不満、罵詈雑言(ばりぞうごん)でもOK。




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ソ連の落日

 木原マサキは単機ゼオライマーで、ハバロフスクに乗り込む。
対BETA戦争の障害になる、共産国・ソ連壊滅の決意を胸に。


 ここは、西ドイツのハンブルグ郊外にある米陸軍第二師団駐屯地。

では、マサキと言えば、右の食指と中指でタバコを挟み、一人深夜の戸外に立ち竦んでいた。

深緑色の野戦服の上から、フードの付いた外被といういでたちで、天を仰ぐ。

 ソ連の動向は、ゼオライマー搭載の次元連結システムを応用したレーダーによって、把握済み。

左手に持つ、紙コップに入った冷めたコーヒーで、唇を湿らせた後、

「あとは大義名分か……」と、紫煙を燻らせる。

 

「そこに居りましたか」と、女の声がして、振り返ると美久。

強化装備姿に、思わず、苦笑を漏らすと、

「既に俺達は、経略(ゲーム)の上に居る……」と呟き、再び、口にタバコを近づける。

一口吸いこんだ後、勢いよく紫煙を吐き出し、

「東西冷戦という名の政治構造の中に在って、上手く立ち回る……

その様な浅はかな考えは身を滅ぼすだけだ」と、黙って立つ彼女の脇を通り抜け、

「しかし、それとて常人の考え……」と、肩に左手を添え、

「ここは一つ、ソ連領内に打ち上げ花火でも投げ込んでやろうではないか」

美久の背中から抱き付き、手繰(たぐ)()せる。

強化装備の特殊被膜の上から、胸から(へそ)に掛けて()でる様に右手を動かし、

「ミンスクハイヴを灰燼に帰す」

顔を、耳に近づけ、息を吹きかけた後、

「ソ連という国家と共にな」と、宣言する。

右手に持った煙草を地面に放り投げると、茶色の半長靴で踏みつけた。

 耳まで、真っ赤に羞恥した、彼女の横顔を眺めながら、

「目障りなソ連艦隊を消し去ってから、ミンスクハイヴの正面に出る。

奴等には、廃墟となった市街を見せて、驚嘆せしめる」と、告げた。

 髪を振り上げ、身もだえする彼女を遠ざけ、

「じきに夜も開けよう……、機甲師団との大乱戦になるかもしれん。

しっかりと奴等の目に、冥王の活躍を焼き付けようではないか」と言いやった。

 

 再び天を仰ぎ、、一人格納庫の方へ向かう。

磨き上げられた茶皮の軍靴で、力強く踏みしめ、愛機の下へ歩み寄る

 全長50メートルの機体の操縦席に滑り込み、操作卓に触れる。

上着を脱ぎ、座席の後ろに放り投げ、美久の搭乗を確認した後、勢いよく操縦桿を引く。

ゆっくりと推進装置を吹かしながら、滑走路を移動していると通信が入り、

「何の用だ……」と、不愛想な表情で、操作卓の通話装置のボタンを押し、返答する

画面に映る、口髭を蓄えた偉丈夫は、

「木原君、外務省の珠瀬(たませ)だが……」と名乗るも、マサキは顔を顰めた後、

「俺の上司は、書類の上では彩峰のはず、貴様等は部署が違うだろう。

この俺に指図するのか」と、右手を顎に添えながら、珠瀬に返答する。

そう呟いた後、男は押し黙ったまま、黒い瞳で此方の顔色を窺い、

「外交ルートを通じた案件か。それとも米軍はB-52で爆撃してくれることに成ったのか」

と、マサキは、冷笑を漏らし、

「俺がミンスクハイヴを消し去った後、絨毯(じゅうたん)爆撃してくれるならば喜んで協力しよう。

白ロシア*1の地を、蛮族しか住めぬ、不毛の地にするのも悪くはない」

と推進装置の出力を上げ、機体を前進させた。 

「なんだと……」 

 マサキの答えに珠瀬が、色を失って、唖然していると、

「その代わり、派手にやろうではないか。 手を貸す。楽しみに待っていろ」

と、答え、東の方角に飛び去って行った。

 

 

 バルト海上を東に進むと、操作卓にある対空レーダーが反応する。

1分ほどで、大型ロケットが接近するのを確認した。

一番の原因は彼自身の慢心であろうか、近寄る大型ロケットの存在を見落としていたのだ。

 ゼオライマーは、その場で空中浮揚(ホバーリング)し、両腕を胸の位置まで上げる。

全身をバリア体で包むと、両腕の手甲部分にある球が光り輝き、強烈な吹きおろし風が嵐のように周囲を舞い、海上に降りかかる。

 まもなく画面には、遠く大気圏上から飛んでくるものが見え、即座にメイオウ攻撃を放った。

直後、ゼオライマーに、強烈な爆風と電磁波が降り注ぐも、バリア体によって機体には全く影響は受けなかった。

 目を操作卓に向けると、計器類の数値が乱高下していた。

レーダーや電子機器の反応からは、かなり強力な電磁波と推定され、恐らく被害は数十キロに及ぼう……

 

 彼は、美久に即座に調べるよう、命じ、

「今の電磁波は何だ……、よもや放射線ではあるまい」

「ガンマ線です」

美久からの、淡々とした返事を受けた途端に、

「奴らめ、核弾頭を使ったな」と、顔が厳しくなる。

 

 核弾頭を、盟邦のポーランドと東ドイツに、放り込む蛮行を受け、ふと振り返る。

核搭載の八卦ロボ・山のバーストンを作ったマサキ自身には、核忌避の感情は無かった。

世界的に反核運動が下火で、1960年代を生きた彼にとっては当たり前の感覚。

当時の世界に在って、『核爆弾』は強力な兵器の一つでしかなく、放射線医学も発展途上。

だからと言って面前に放射線を浴びせられるのは、いい感情はしない……

 

 力を信奉し、法の概念も無く、約束を弊履(へいり)()つるが(ごと)く扱う蛮人、ロシア人。

最前線で戦ってきた兵士達への、ソ連政府の手酷い対応を思い起こす。

 元捕虜の復員兵を待っていたのは、温かい対応ではなく、シベリアでの強制労働であった。

虜囚(りょしゅう)の辱めを受けた彼等は、再び祖国で、より酷い飢えと寒さに苦しめられた。

 同様に、傷痍軍人も哀れだった。、その少なくない者は家族や社会から見放された。

僻地の身窄(みすぼ)らしい養老院に押し込められ、終始KGBの監視下に置かれていた事。

『ソ連には障害者はいない』*2と、ペレストロイカが始まるまで、当局は(うそぶ)くほどであった。

同胞に対しても、いとも簡単に見捨てたのだから、異邦人に対しては()して()るべし。

マサキの中に、暗い情念が渦巻き始めていた。

 

 

 

ソ連・ハバロフスク

 

 

 ソ連極東にあるハバロフスク市は、黄昏(たそがれ)時の19時。

正にその時、白磁色の機体が、音もなく、ソ連赤軍参謀本部の目前に、現れた。

それは、天のゼオライマー。姿を現すや否や、右手を握り締め、赤レンガの壁に勢いよく拳を打ち込む。

拳が、風を切って壁を打ち付けると、壁が打ち抜けるまで、正拳突きを繰り返す。

やがて、繰り出された一撃で、赤レンガの壁が打ち抜かれ、轟音と共に砕け散る。

 

 ゼオライマーは、右の片膝を立て、左膝を地面につけるような姿勢になると、操縦席から飛び降りる人影が見えた。

深緑の野戦服に弾帯で、拳銃と小銃を持ったマサキは、地面に降り立つと勢いよく駆けだした。

 彼は駆け出しながら、左手で、弾帯より30連弾倉を取り出し、弾倉取り出しボタンを押しながら差し込む。

右脇に、小銃を挟み、黒色プラ製の被筒を左手で下から支え、右手で棹桿を勢い良く引くと、銃の左側にある安全装置を右手親指で押し上げる。

黒色のプラスチック製銃床を持ち上げ、頬付けし、右掌全体で銃把を握りしめると引き金を引く。

次から次に来る警備兵たちに打ち込みながら、建物内を進んだ。

 

 彼が敢て、単身、敵地の参謀本部に乗り込んだ理由は、ソ連全土を守る核ミサイル制御装置を破壊する為であった。

元々は、ミンスクハイヴを焼いて終わりにするという心積もりで動いていたが、その様な考えを一変させるような出来事が起きる。

 ソ連の核攻撃だ。

不意にゼオライマーから降りた時、攻撃を受けたら自身の身は守れない。ならば、遣られる前に遣ろう……

彼は、その様な方針で動くことにした。

 

 腰を落とし、銃を構えて建物内を進んでいくと、背後より声がした。

顔をゆっくり左後ろに動かすと、ホンブルグ帽を被り、茶色のトレンチコートを着た男が、

「止まれ、木原……」と黒色の短機関銃を構える。

「鎧衣、貴様……」

「詳しい話は後だ。核ミサイル制御室まで私が案内しよう」と、腰の位置で機関銃を構え、突き進んだ。

 

 ある部屋のドアの前に立つと、鎧衣は、腰をかがめ、右手でドアノブをゆっくり回す。

マサキは少し離れた位置で、自動小銃の照星を覘きながら、その様を見ていた。

ドアが、ゆっくり開かれると、鎧衣は、左手に持った機関銃を、右手で突き出すようにして滑り込んだ。

即座に反撃できるよう準備された、消音機付きの機関銃からは、薬莢が宙を舞い、火が吹く。

音もなくドアが開いた為に、室内に居たソ連兵は血しぶきを上げながら、全て斃れた。

 後方を警戒しながら、マサキは、室内に入る男に、

「なぜ、貴様は俺を助けた……」と尋ねた。

「任務だからさ……」と、告げた。

マサキは、しばし唖然となるも、鎧衣は、帽子のクラウンを左手で押さえながら、

「それより、君はここで私と無駄話をしに来たのでは、あるまい」と不敵の笑みを浮かべる。

「それもそうだな」と、さしものマサキも苦笑した。

 

 50インチ以上はあろうかという大画面モニターの有る室内に、複数並べられた操作盤に近づくと、彼は荒し始めた。

キリル文字は分からなかったが、核ミサイルの発射設定を変更した後、配電盤の電源を落とす。

ラジオペンチで配線を切った後、持ってきた手榴弾を、操作盤内に設置すると、ドアに向かった。

 

 ドアを開けると、既に制服を着た、KGBの一団に囲まれ、

「武器を捨てろ」との、問いかけに鎧衣は応じ、静かに足元に機関銃を置く。

マサキも、M16を放ると、自動小銃を構えた男達の後ろから、軍服姿の老人が現れた。

ナガン回転拳銃*3を片手に、

「東独の工作員より連絡を受け、我々は計画を立てた」と、不敵の笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「参謀本部に誘い込み、襲撃現場を押さえる。

貴様には偽の核操作ボタンを破壊させ、我々がゼオライマーを無事に頂く」

KGB少将の階級章を付けた男が、脇よりしゃしゃり出て、大型拳銃を取り出す。

「で、貴様もその男も殺す」と後ろに振り返り、ボロ・モーゼル*4を、勢いよく放つ。

兵達は、驚くよりも早く、弾を撃ち込まれ、後ろ向きに勢いよく倒れ込む。

白い床は、撃ち殺された兵の血によって、瞬く間に赤く染まった。

「我等の部下は何も知らない……この連中と君達は凄惨(せいさん)な銃撃戦の末、果てた」

マサキは、色眼鏡を掛けた老人を睨み、

「貴様がKGB長官か」

「御想像に任せよう」

老人は不敵の笑みを浮かべ、マサキを(あお)った。

「ガスパージン*5・木原、この人類最高の国家で最期を迎える。本望であろう。

ゼオライマーが存在する限り、君の名も伝説としてついて回る。

核を奪おうとして、KGBに撃ち殺された日本帝国陸軍の有能科学者としてね」

 

鎧衣は、くすくすと笑い声を上げると、KGB少将に問いかけた。

末期(まつご)の水の替りと言っては何だが、葉巻を吸わせてくれないかね」

「構わぬが……」

懐中より出したシガーカッターで葉巻を切り、口に咥え、ジッポー*6で、葉巻を炙る。

その刹那、出し抜けに、オーバーコートの胸元を開けて見せた。

 

 (はだ)けた胸元には、縦型に袋状になった前掛けがあり、ダイナマイトが6本、均等に並べてある。

「さあ、撃ち給え。私が吹き飛べば、貴方方も、ビル諸共一緒に吹き飛ぶ。

無論、ゼオライマーも無傷ではあるまい」

KGB少将の老人は、額に汗を浮かべるも、

「どうせ偽物だ。やれるものならやって見よ」と、強がってみせる

鎧衣はダイナマイトを取り出すと、導火線に葉巻を近づけ、火の点いたダイナマイトを彼等の面前に放り投げると、同時に伏せた。

マサキは、あまりの急転直下の出来事に身動ぎすらできなかった。 

 

 男達は、大童でその場から立ち去ろうとした矢先、鎧衣は自分が放った短機関銃を拾い上げる。

素早く放たれた2発の銃弾は、正確に男達の眉間を貫く。

鎧衣は、立ち上がると、

「KGBの上司と部下がゼオライマーを巡って、打ち合い双方とも果てる。

哀しいかな……」と、吐き捨てた

 

 恐る恐る、投げたダイナマイトを見る。すでに立ち消えしており、端の方へ転がっていた。

「おい、今のダイナマイトは……」

「火薬の量を調整して置いた」

そう言うと、もう一つのダイナマイトの封を切り、床に火薬をぶちまける。

線を描くようにして、振りかけながら別の道へ進んでいった。

 通路の角に差し掛かると、鎧衣はブックマッチを取り出し、火を点ける。

燃え盛るマッチは火薬の上に落ち、勢い良く火花を散らす。

その様を一瞥すると、素早く立ち去った。

 

 

 

 さて、ゼオライマーはどうなったのであろうか。

美久の自動操縦で、ハバロフスク市内の居並ぶ建物の間を、闊歩していた。

すでに日の落ち始め、夜間警邏中(パトロール)であった警察(ミリツィア)*7は、振動音に気付いく。

市内を蹂躙する、見慣れぬ形の戦術機に拳銃を向けるや、

「あっ、あれは!」と、両手で構えた拳銃を向けるも、どんどん近づいて来る機体にたじろぐ。

18メートル程度だと思っていた機体は、接近するたびに大きく感じる。

球体状の目が、黄色く不気味に輝き、見る者を畏怖させる。

 丁度、レーニン広場の脇に立つハバロフスク地方庁舎の前に通りかかった時、彼等は実感した。

地方庁舎を睥睨する白亜の機体……、ゆうに30メートルはあろうか。

 指揮官の号令の下、一斉に拳銃が火を噴くも、雷鳴の様な音と共に放たれた弾丸は、全て弾き返された。

止めてある警邏車(パトロールカー)や装甲車を、勢いよく弾き飛ばす。

バリケード代わりに持ち込んだ囚人護送車は、左側面が潰れると同時に全ての窓が割れ、勢いに乗って右側に勢いよく横転した。

ボンネットより煙が立ち上がると同時に軋む様な音が聞こえる。

「逃げろ、燃料タンクが爆発するぞ」と、隊長格の男は、身の危険を感じると叫んだ。

尚も機体は止まることなく、彼等の方へ突っ込んでくる。

「逃げろ」と、恐れおののいた誰かがそう叫ぶ。

すると、その場は混乱の極みに至り、(おの)が命が惜しい警官たちは、四散した。

 

 ゼオライマーが接近し、激しい銃撃戦が始まった地方庁舎の裏口から車の一団が走り抜けていく。

前後をパトカーに警護された最新型の『ジル』115型*8が全速力で市街を抜け出そうとするも、ゼオライマーの出現によって、既に道路はすし詰め状態。

軍や交通警察が、無理やりに市街に入ってくる車を追い返すも混雑し、空港から市街に向かうカール・マルクス通りは、身動きが取れなかった。

渋滞の苛立ちから押される、引っ切り無しに聞こえるクラクションの音は、まるでジャズ音楽の様に感じさせるほどであった。

 車内にいるソ連の最高指導者は、顔の青筋を太らせ、

「早く、追い払え」と、部下を一喝し、苛立ちを抑えるために、右の食指と中指に挟んだ口つきタバコを深く吸い込む。

紫煙を勢い良く吐き出すと、社内に設置された自動車電話を取り、

「ハバロフスク空港から有りっ丈の戦術機部隊を出せ。今すぐにだ」と瞋恚(しんい)をあらわにする。

受話器を乱暴に置くと、後部座席に踏ん反り返った。

 

 

 レニングラーツカヤ通りにある、エネルゴプラザ。

隣に立つ、労働組合文化宮殿と共に周囲には幾重もの厳重な警備が張り巡らされていた。

その建物の地下にある、KGBの秘密の避難所では、KGB長官と幹部達が密議を凝らしている最中。

彼等は、ゼオライマー接近の報を受け、首脳を見捨てる形で、一足先に逃げ込む。

 

 核ミサイル発射装置の情報を囮にして、包囲陣に招き入れ、砲火を浴びせる。

ソビエトが戦場で幾度となく繰り返されてきた手法、包囲殲滅戦。

 だが彼等の真の狙いはゼオライマーをおびき出し、核ミサイル攻撃で吹き飛ばす事であった。

『欧州の恥部』を集めたと称され国家保安省(シュタージ)文書集(ファイル)

長年に渡って収集されたKGBの機密情報に、工作員名簿……ごく一部を除いて、すべてが失われた。

ソ連大使館に乗り込んできた、木原マサキという男によって。

 シュミット排除の裏側に、ゼオライマーが居る。

KGB長官はそう考え、BETA用に準備された核ミサイルを持ち出し、撃ち込むことにしたのだ。

室内をゆっくりと歩きながら、

「核の炎で、ゼオライマーとファシストを焼き払う。

その衝撃をもってすれば、全世界を我がソビエト連邦の前へ、屈させる事も容易(たやす)かろう」

と、言いやり、傍の護衛兵に、まるで話し掛けるかのように続け、

「愉しめる最高のショー、そう思わないかね」と、余りの感嘆に、思わず身を震わせた。

ゼオライマーが核の炎で灰燼に帰す……

その様を脳裏に浮かべて、一人哄笑した。

 

 

 マサキ達は、赤軍参謀本部を脱出するべく行動した。

雲霞の如く湧き出て来る赤軍兵を打ち倒しながら、屋上に向かって進む。

窓を蹴割って脱出することも考えたが、無理であった。

  赤壁(あかかべ)の三階建ての庁舎は、外周を囲むように戦車隊が配備されている。

東部軍管区司令部の建物を流用した、この場所からの脱出は至難の業。

ゼオライマーの居るレーニン広場までは、常識では考えられない事であった。

この建物の有る警備厳重なセルィシェフ広場から四つほど大通りを抜けねばならない。

仮に血路を開いて、カール・マルクス通りには行ったとしても無傷で辿り着けるであろうか。

 

「此の儘、屋上に向かってどうする気だね。

この建物は年代物だ。とてもヘリが止まれる造りをしているとは思えん」

機関銃を撃つ手を止め、鎧衣は怒鳴るような声で、マサキに問うた。

何時もの飄々(ひょうひょう)とした態度で、物静かにしゃべる男が、別人の様に狼狽していた。

幾度となく血路を開き、敵地奥深くから生還してきたとは言え、焦っているのであろうか。

 

マサキは、照星を覗き込みながら、

「まあ、任せて置け。隠し玉はある」と、素早く自動小銃を連射した。

鎧衣は、諦めたかのように肩を竦め、苦笑し、

「君のマジックショーとやらを、楽しみに待とうではないか」と、吐き捨てた。

オーバーコートより、M26手榴弾*9を取り出すや、安全ピンを抜き、下投げで勢い良く放つ。

空中で安全レバーが外れ、数秒の時差の後に爆発。哀れな兵士の五体(ごたい)*10は、爆散して果てた。

 爆風を避ける為、その場に伏せている時、鎧衣は、懐中より深緑色の雑納を取り出す。

雑納のふたを開けると、四角い弁当箱の様な物を抜き出し、立掛け、紐をくっつけた。

 マサキも、何時もの様な冷静さを失い、

「グズグズしていると、ソ連兵が来るぞ」と急き立てるも、鎧衣は不敵の笑みを浮かべ、

「カンボジアで習ったことがここで役に立つとはな……」と、言い放つ。

「お前は、一体何者なんだ」との疑問に対し、

「それはお互い様だよ」と、立ち上がった後、マサキを振り返った。

 

 マサキ達は、階段に向かって逃げた。

時折振り返りながら、銃撃を浴びせるも、ソ連兵達は突き進んでくる。

 だが兵達は、捕縛を焦るあまり、足元に仕掛けられた紐を見落としてしまう。

張り伸ばされた紐が切れ、勢いよく安全ピンが抜ける音がするや否や、

「仕掛け爆弾だ!」と、ソ連兵の悲鳴が、階下に響く。

米軍製の最新鋭指向性地雷M18(クレイモア)が、爆風と共に、近寄るソ連兵を襲う。

柘榴(ざくろ)の身の様に詰まった箱より、無数の鉄球が飛び出し、雨霰と降りかかる。

爆音が轟き、閃光が走るのを背後に感じ取りながら、彼等は屋上へ急いだ。

*1
今日のベラルーシ共和国

*2
1980年、モスクワ夏季五輪と併催予定のパラリンピック開催を断った際のソ連当局者の言葉

*3
ナガンM1895。1890年代にナガン兄弟によって開発された回転式拳銃。

*4
短銃身のC96拳銃。ロシア内戦当時の非常委員会(チェーカー)が愛用した。

*5
господин.英語のミスターに相当する言葉。また疎遠な人物や外国人に対しての呼びかけ。

*6
米国の喫煙具メーカー。同名の金属製のオイルライターで有名。1932年創業

*7
Милиция.Militsiya、元は民兵一般をさすラテン語由来の言葉であるが、ソ連時代には一般警察の呼称として使用された。現在は帝政時代と同様のポリツィヤ(Полиция/Politsiya)に変更されている

*8
ZiL-115、或いはZiL-4104。1978年より生産開始。当時のソ連製にしては珍しく低車高で幅広のシルエットをした3・5トンの車体が売りだった

*9
米軍のみならず、NATOや、同盟国である日本でも広く使用された

*10
体の事。肉体。




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甘言(かんげん)

 ゲルツィン大佐はユルゲンを篭絡すべく、策をめぐらした。
一方、ソ連赤軍はゼオライマー獲得の為に、虎の子のヴォールク連隊に出撃を命ずる。


 ここは、早朝5時の東ベルリン。

東独の国家人民軍がソ連の対応で大童になっている一方、ソ連軍基地は静かだった。

市内にある第6独立親衛自動車化狙撃旅団本部の一室で怪しい影が(うごめ)く。

そこでは今まさに、戦術機隊幕僚であるユルゲン・ベルンハルトに関する密議が凝らされていた。

 

「すると、ベルンハルト中尉を我等に引き込むと仰るのですか」

「あの男は殺すに惜しい。使いをやって我が方に迎え入れたい」

KGBの秘密工作員でもある、エフゲニー・ゲルツィン赤軍大佐は、白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)を欲していた。

「そこでだ。手練れを送って、ベルンハルトの私宅を訊ね、妻を()してこい。

妹と一緒であれば上出来だ。さすれば奴も話し合いに応じよう」

ユルゲンたちがソ連の不審船に対応してる隙をついて、ベアトリクスの誘拐を命じたのだ。

「了解しました。同志大佐」

KGBの工作隊は、ベルリンと言う事もあって商人服*1に着替え、

「美丈夫の妻と妹を引き合わせましょうぞ」と大佐に語り、意気揚々と出掛けて行った。

 

 まだ、6時にもならない時間だというのに、ベルンハルト邸の呼び鈴が、連打される。

士官学校に行く準備の為に、シャワーを浴びていたベアトリクスは、呼び鈴の音に慌てた。

大童で、士官学校の制服姿を着こみ、玄関に向かう。

髪も乾かぬ内に、ドアの隙間から、そっと覗く。

ドアの前に立つ男の仕度は、季節外れの分厚い冬外套に、ホンブルグ。

怪しげに思うも、慌てたせいか、ドアの内鍵をしないまま対応してしまった。

不気味な男は、いきなりドアを全開にして、

「奥方、御主人と妹さんは何方に……」と、ベアトリクスに訊ねるも、

「随分たどたどしいドイツ語ね。貴方、ソ連人でしょ」とロシア語で返した。

男は、出し抜けにアッハッハッハと大笑いし、

「へえぇ、お若いのにロシア語*2がこんなに出来るとはね」と不敵の笑みを湛えた。

その時、おり悪くアイリスディーナが現れ、

「ベアトリクス、誰か来たの」と、灰色の制服姿で声を掛けた。

咄嗟に振り向いたベアトリクスは、

「110番*3!今すぐに」と大声で、指示を出した。

指示を受けたアイリスディーナは、即座に、

「怪しい男が来て、姉と言い合ってるんです」と人民警察に電話を入れた。

そして、裏口から駆け出して、近くの車の中で護衛の任務にあたっているデュルクに声を掛け、

「デュルクさん、怪しいソ連人が……」と言い終わらないうちに、無線機で周辺の護衛に、

「緊急事態発生」と告げるや、スコーピオン機関銃*4を車のトランクから取り出し、

「アイリスディーナ様、行きましょう」と、彼女を車に乗せ、表側に回った。

 

 ここで、ヨハン・デュルクという人物について語っておこう。

彼は、東独軍唯一の特殊部隊である、第40降下猟兵大隊の出身。

第40降下猟兵大隊は、特殊任務や落下傘降下の他に、党幹部や閣僚の護衛任務も任された。

 デュルクは、軍に在籍中は狙撃手で、夜間警戒任務に優れた成績を残した。

そして、自然と『兎目のデュルク』とあだ名され、大隊の兵達から畏怖された。

身丈はそそり立つ山の様に大きく、また屈強な肉体は引き締まった痩身であった。

アベール・ブレーメのたっての願いで、ベアトリクスの身辺警護責任者の立場に就く。

10年近く、彼女の傍に仕え、全幅の信頼を得た人物でもあった。

 

 送り込まれたKGB工作員は、そんな精鋭が護衛しているとも知らず、任務を侮っていた。

東ドイツは、昔と変わらず、今もソ連の為すがままの国家。

国家保安省(シュタージ)の前長官、ミルケ*5も、モスクワの許しなくば、厠に行けぬ状態であった。

 だから、今回の事件もKGBがシュタージを叱れば、もみ消せる。

そう思って対応した。

だが、ソ連に阿諛追従したホーネッカー*6もミルケもすでに権力の座には居ない。

KGBが一から育てた対外諜報部門責任者のミーシャ*7も、獄窓(ごくそう)

そして一番の間違いは、シュミットが鬼籍*8に入った事を忘れていた事である。

シュトラハヴィッツ少将が関与した無血クーデターによって、全てが変わっていたのである。

 

一事が万事、スローモーな、お国柄であるソ連と違って、せっかちなドイツと言う事を忘れ、

「そんなこと言わずに、どうか一緒にソ連に行きましょうよ」と説得していたのだ。

相手が、祖父の代から、ソ連と通過(ツーカー)の仲であるアベール・ブレーメの娘。

出来れば、無傷で連れて行き、ゲルツィン大佐の前に差し出したい。

そしてあわよくば、この小娘を褒美として我が物に出来るのではないか。

そんな(よこしま)な考えが、工作員の男にあったのだ。

 

「さあ、どうぞ、我等が迎えの車で、ソ連軍基地へ」

男は、ベアトリクスの左手を両手で包んだ。

美しい瞳がカッと見開かれて、そのまま凍り付いた。

「嫌っ。私は人妻よ。見ず知らずの人に誘われて、そんな所などへは、行けません」

と、思いっきり、掴まれた手を振って、叫んだ。

「いや、放してっ」

「まあ、良いじゃないですか。

たしかに見ず知らずとおっしゃるが、私と一緒に行けば知らぬ場所ではありますまい。

それに、夫君も後からお呼びしますから」

「主人の客か何か知らないけど、さっさと帰って、帰って頂戴!」

込み上げて来る憎悪を隠そうともせず、ヒステリックに叫んだ。

「確かに誰しも、初めのうちは、嫌がりますが、一度、違う世界を知れば、驚くものですよ。

私が、本当のロシアというものを、お見せしますよ」

「馬鹿っ。変態」

憎悪にも似た恐怖が込み上げて、ベアトリクスは男の横面を激しくひっぱたいた。

「貴女のその美しい手で、私の頬を打つとは……では報いて差し上げましょう」

不敵の笑みを浮かべた男は、グッと力を入れて、ベアトリクスをドアから引き離そうとする。

「誰か!」

 

 正に、近隣から軍の護衛が駆け付けた時、ベアトリクスは(くだん)のKGB工作員と言い争っていた。

デュルクは、サッと機関銃を取り出すと、半自動にして引き金を引いた。

爆音が、早朝のパンコウ区に響き渡る。

 

 KGB工作員の男は、忽ち驚いて、周囲を見渡した。

警官たちが、手に手にバラライカ*9やPP拳銃*10を持ち、住宅街の周辺を通せんぼしている。

しかし、KGB工作員は、相手の群れに度胆を抜かれてしまった。

玄関から退いて、道路の奥に止めてあるソ連製のチャイカに逃げ込むも、あえなく御用となった。

 

 

 この事件は、たちまち、早朝の官衙に広まった。

閣議を開いていた政治局員たちの耳に達するや、議長はアベールを通産省から呼んだ。

「なあ、アベール。お前さんの娘たちは、少し不用心過ぎたんじゃないか」

と、紫煙を燻らせながら、訊ねるも、アベールは、おもしからぬ顔をして、

「護衛はユルゲン君が、たっての願いで、減らしたのだがね……」と嫌味を言った。

議長は苦虫を嚙み潰したような顔をして、

「あの馬鹿者が……、手前の女房を危険に曝すとは。後で俺から叱っておく」

と、息子の様に思っているユルゲンの代わりに、頭を下げた。

 

 

 

 さて、その頃、ハバロフスクでは、赤軍最高司令部の面々が密議を凝らしていた。

秘密の会議所の中に、上級大将の机を叩く音が響き渡る。

「たかが一機に、何時まで手間取っているんだ」

一向に変化のないゼオライマーへの対応に苛立った国防大臣は声を荒げ、

「この上は、ヴォールク連隊を持って対応する」と、周囲の者を叱責した。

食指を、傍らに立つ赤軍参謀総長に向け、

「一刻も早く、ゼオライマーを鹵獲しろ」

「同志大臣、御一考を……」

参謀総長は、大臣の面前に体を動かすも、大臣は、じろりと両目を動かし、

「我がソ連邦には、ブルジョワ諸国の様に精強部隊を遊ばせておく余裕はない……」

参謀総長の顔を覘き、言外に参謀総長へ、揺さぶりをかけた。

「君は、もっと物分かりの良い男だと思っていたのだがね……」

 

 

「ハイヴ攻略は……、如何(どう)なさるおつもりですか」

椅子に踏ん反り返る国防大臣は、彼の方を()めつけ(なが)ら応じる。

(やかま)しいわ!黄色猿(マカーキー)共が作った大型マシンとやらを捕れば、如何様(いかよう)にでも出来るであろう。

君の意見ではそうではなかったか……」

男の言葉に、参謀総長は苦渋の色を滲ませ、

「ゼオライマーに関し、今まで君に一任してきたが何一つ成果が上がらなかったではないか。

本件は、これより私の采配で自由にさせてもらう」と、再び右手を挙げて、食指を指し示す。

「生死の如何は問わぬ。木原マサキを引っ立てて参れ!」

ゼオライマーの鹵獲(ろかく)命令が下った。

参謀総長は挙手の礼で応じた後、()()れぬ思いを胸に抱きながらその場を後にした。

 

 

 早速、ハバロフスク空港内にある空軍基地に命が下った。

会議室に集められた衛士達に、

「総員集合!」と、声が掛かり、強化装備姿の部隊長からの訓示がなされた。

空襲警報が鳴り響き、遮音加工の施された室内まで聞こえる

「これより日本野郎(ヤポーシキ)の戦術機を鹵獲する。

市中への着弾被害は無視しても良いと政治委員から助言があった」

一人の衛士が、

「隊長、鹵獲が困難な場合は……」と隊長に訊ねると、苦笑交じりに答え、

「操縦席ごと打ち抜いてよいとの許可は既に下っている。

相手は一機だ、存分に暴れろ」

 

 衛士の一人は、

「この戦いに意味はあるのか」と、思い悩んだ。

管制ユニットに乗り込もうとした時、胸にある十字架が風に揺れ、思わず手で掴む。

 BETA戦を戦い抜いてきた手練れの兵士、その投入に疑問を覚える者はいなかったのか……

そう自問しながら、顎につけられた通信装置を起動し、網膜投射を作動させる。

男は、視野を通じて脳に伝達される情報を確認し、駐機場より滑走路に機体を動かす。

 敵の武装は未だ不明……

一説には、小型核を装備した大型戦術機との噂を聞いたほどだ。

日本野郎(ヤポーシキ)共が作った大型マシン……、どの様な物であろうか。

撃破すれば、十分な解析も出来よう。

 跳躍ユニットの推進装置を吹かしながら、滑走路上で匍匐飛行の準備を取る。

勢いよく離陸すると、揺れる座席の中で静かに神に祈った。

 

 

 (よい)の口、市街地に向かって飛ぶ40機余りの戦術機の編隊。

市内で立ち竦むゼオライマーの姿を一瞥すると、手に構えた突撃砲が呻らせた。

暗闇の中を標的目掛けて雨霰と砲弾が降り注ぐ。

曳光弾が、まるで一条の光が線を引くかのごとく駆け抜けていった。

 市街地の大半は、既に火の手が回り、列をなして逃げ回る避難民の群れが道路を埋めていた。

乗り捨てられた乗用車やバスを気にせず突っ込んできた戦車隊は、所かまわず盲射する。

唸り声をあげながら火を噴く、重機関銃。

彼等は、ゼオライマーではなく市民に向けて発砲したのだ。

斃れた市民を踏みつける様にして、戦車隊は市中へ前進する。

 

 

 

 東部軍管区ビルの屋上に、やっとの思いでたどり着いたマサキ達。

弾薬納より取り出したダハプリズム式*11の双眼鏡で、市街の混乱する様を、眺めていた。

思わず、ふと苦笑を漏らす。

退避する市民が居てもお構いなしに対空機関砲や突撃砲を連射するソ連軍……

 前世に於いて、富士山麓でゼオライマーに乗り、八卦ロボと戦った時を思い起こす。

敵の注意を引くために避難民が居る中で戦闘*12をしたことがあった。

自分も決して他者の人命を尊重する方ではないが、この様には他人事とは言え、呆れ果てた。

 

 飛び交う弾丸に身を屈めながら、彼は周囲を伺う。

砲声はいよいよ近くなって、時々思いもかけぬ場所で炸裂する音が響き渡る。

盲射するソ連赤軍の弾は、間近に落ちてきている。

何れは、ここにも着弾しよう……。

脇に居る鎧衣に、声を掛け、

「茶番は終わりにするか……、ここから飛ぶぞ!」

鎧衣は、その様な状況の中で顔色一つ変えず、マサキの方を伺う。

手早く双眼鏡を弾薬納に戻したマサキは、顔を上げて脇に居る鎧衣を一瞥する。

頭から粉塵を被りながらも、身動ぎすらしない……

 鎧衣は、思い出したかのようにひとしきり笑った後、

「ソ連赤軍の包囲網の中央を踏破するか……、久しぶりに沸々と血が(たぎ)る」

と告げ、つられるようにしてマサキも哄笑し、

「貴様には、こんなしみったれた場所で野垂れ死にされては困る。

俺を玩具にしようとしている馬鹿共……、例えば将軍や五摂家、武家。

奴等にゼオライマーの恐ろしさを余すところなく伝える義務があるからな」

と、言うや、ズボンのベルトのバックル部分に内蔵した次元連結システムを起動する。

ベルトから広がる閃光と共に彼等の姿は一瞬にして消え去った。

*1
背広。軍隊や警察などの実力組織における隠語

*2
東独に限らず、ソ連の統制経済の影響下にあったコメコン諸国において、第一外国語はロシア語だった

*3
ドイツ警察の緊急通報番号は日本と同じ110番である。1973年以降から2009年の間まで唯一の緊急通報回線だった。今日は欧州共通の緊急通報番号112番と併用されてる

*4
Samopal vzor 61。チェコスロバキアのチェコ兵器廠国営会社で開発された短機関銃。1961年採用。東独では護衛や暗殺任務用に購入していた

*5
エーリヒ・ミルーケ。1907年12月28日 - 2000年5月21日。警官殺しの罪から逃れるためにソ連亡命をした極悪人でもあった

*6
エーリッヒ・ホーネッカー。1912年8月25日 - 1994年5月29日。ミルケ等、シュタージと共謀し、対ソ自立傾向の有ったヴァルター・ウルブリヒトを失脚させた

*7
マルクス・ヴォルフ。1923年1月19日 - 2006年11月9日。伝説的な破壊工作員。『隻影のベルンハルト』において、アスクマン少佐の元上司にあたる人物

*8
死者の名や死亡年月日などを記す帳面。そこから転じて、亡くなる事。

*9
ППШ(ぺーぺーシャ)41機関銃。日本ではマンダリン機関銃として有名

*10
東独では、ワルサー社のPP拳銃が特許侵害をされ、違法生産されていた

*11
対物レンズから接眼レンズまでの光軸を一直線上に配置した双眼鏡。小型で高額な商品が多い

*12
火のブライストと水のガロウィンの戦闘で、マサキは、避難民諸共、メイオウ攻撃を仕掛けた




第39話の追憶(ついおく)に、対応するために新たに書き下ろしエピソードです。

ご意見、ご感想お待ちしております。


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燃える極東

 突然の襲撃を受け、ソ連の首都は、大混乱に陥った。
夜陰に紛れて、マサキは鎧衣(よろい)を逃がす。
精鋭・ヴォールク連隊に囲まれた、ゼオライマーの運命は如何に……。


 夜陰に紛れて、マサキ達はゼオライマーが居る市街地の反対の場所に向かった。

船着き場の有るアムール川*1の方に歩みを進める。

遠目にソ連の巡邏(じゅんら)隊を認めた時、背負うM16自動小銃を握ろうとするも、鎧衣(よろい)に止められた。

 一瞬驚く彼の目の前で、折り畳み銃床のカラシニコフ自動小銃を出す。

何処から持ち出したのであろうか……、そんな彼の疑問より早く発砲する。

単射で素早く巡邏隊の兵士の脳天を撃ち抜くと、彼の左手を強く、引っ張り物陰に隠れた。

友軍の銃器で狙撃された彼等は混乱し、その場で警戒態勢を敷く。

 男は懐中より望遠鏡のような物を取り出して、周囲を見回す。

携帯式の暗視装置であろうか……

その様な事を考えていた彼の耳元に右手をかざし、

「今のうちに駆け抜けるぞ。木原君」と囁いて、その場から駆け出すようにして逃げた。

 

 

 マサキは、鎧衣と共にアムール川の河畔に居た。

重装備の儘、駆け抜けた事で着ている戎衣(じゅうい)*2は汗で肌に張り付き、所々色が変わっている。

 水筒を取り出し、水が滴り落ちるのを気にせずに一飲みし、タオルで顔を(ぬぐ)い、深く深呼吸する。

上着を鳩尾(みぞおち)まで(はだ)けると、男の方を振り向かずに、

「鎧衣よ、貴様の事だ。ソ連側から中共まで川を泳ぐぐらい造作も無かろう。しかも今は夏。

凍えて死ぬ心配はあるまい」と告げると、鎧衣は、不敵の笑みを浮かべ、

「ほう、船着き場まで連れてきたと言う事は、中共党幹部と渡りを付けろと……」

「支那をまるで庭の如く知っている貴様なら、どうとでもなるであろう」

懐より、紙巻きたばこの「ホープ」を取り出し、金属製のガスライターで火を点ける。

マサキが、悠々と紫煙を燻らせる様を、男は、オーバーのマフポケットに手を突っ込んで眺め、

「いやいや、結構、結構。では北戴河(ほくたいが)*3まで出掛けてよう」

 鎧衣は、意味深な言葉を残し、すっと夜霧の立ち込める船着き場へと、消えた。

男の姿を見送りながら、煙草を深く吸い込む。

深く息を吐き出した後、側溝に向かって放り投げると、ほぼ同時に、彼の姿は消えた。 

 

 

 マサキは、ゼオライマーの操縦席に転移すると、一人思い悩んだ。

暫し、目を閉じて、過去の追憶に旅立つ……

 元の世界のソ連・極東のシベリアを思い浮かべる。

真夏は摂氏40度を超え、真冬は氷点下40度以下。年間の温度差が摂氏百度に達する過酷な環境。

 採掘する機具も流通手段も不十分なこの地では、資源の採掘を、人力に頼らざるを得なかった。

そこで目を付けたのが、囚人である。

シベリアの地は、帝政時代以来、政治犯や国事犯、軍事捕虜の流刑地。

開発の為に、この地の開発で流された血は、如何(いか)程であったろうか。正直、想像すらつかない。

 1918年に、ボリシェビキ一派が、暴力でロシア全土を占拠すると、囚人の意味は変化する。

無辜(むこ)の市民や農民といった、政治とは全く無関係な人々まで、その定義は拡大した。

政治的に危険視された人物は、その九族*4に至るまでこの自然の監獄に送り込まれる。

帝政時代はシベリアに向かう政治犯に対して、時折(ときおり)心優しき土民は、暖かい差し入れや心づくしをしたがそれさえ禁止された。

 1945年から1946年にかけ、百万を超す日本人抑留者*5は、満洲よりこの地に連れ去らわれた。

囚われ人は仮設の住居さえなく、薄い夏用天幕で凍える原野に放り出された。如何に過酷であったかを物語る事例であろう。

 

 はっと目を見開き、機内の観測機器を見ると、接近する40機余りの機影……、恐らくソ連赤軍の戦術機。

モニターに映る地上を走るBMP-1歩兵戦闘車やBTR-70装甲車は、ざっと見た所で20台以上。

雨霰(あめあられ)と飛び交う弾丸やミサイル……、戦車や自走砲から放たれる断続的な砲撃。

地響きのような重低音が響き渡り、砲弾の幾つかはゼオライマーの装甲板に直撃し、機体を振動させる。

 T-64戦車の自動装填装置とは、これ程の物か……

ついつい一技術者として、ソ連赤軍の戦車性能に関心を持ってしまう。

だが今は戦闘中……、気を取り直して椅子に深く座り直す。

 

「美久、メイオウ攻撃の準備をしろ。出力は通常の30パーセントで行く」

操作卓のボタンを押し、即座に射撃体制に入れる様、準備を進める。

「なぜ、出力を抑え気味で斉射されるのですか……。通常時の出力でも可能です」

グッと操縦桿を引き、推進装置を全開にして跳躍し、赤軍戦車隊の上空に出る。

「小賢しい蠅どもに全力を掛けるほど、天のゼオライマーは安っぽいマシンではない」

 マサキの考えとしては、ソ連赤軍の部隊を(なぶ)(ごろ)しにする心算(つもり)であった。

機体の奥底に居る美久は、その搭載されている推論型AIでマサキの思考を読み解こうとする。

人間の知的能力を超越した電子頭脳で、彼が何を思っているか分かったのであろうか……

それ以降、押し黙ってしまう。

美久の様を見て、マサキは、満面に喜色をめぐらせ、

「この冥王の力の前に、消え去るが良い。塵一つ残さずな……」と告げた。

 

 勢い良く、垂れ下げていたゼオライマーの両腕を上げ、胸部にある大型球体の前にかざす。

胸部にある球体が輝き出すと同時に手の甲に付いた球体も、煌めきを増してゆく。

周辺に広がっていく強烈な閃光……、ゼオライマーの必殺技・メイオウ攻撃。

その刹那、一筋の光線が地表に向かって通り抜け、爆風が吹き抜ける。

強烈な吹き上げ風が機体に覆い被さり、破片が宙を舞う。

 依然として距離を取り続ける戦術機部隊……

空調を利かせた操縦席に座りながらも、操縦桿を握る手まで汗ばんで来た。

何とも言えぬ興奮に身震いしているのであろうか、そう思う。

 この様な形で、生の喜びを、ありありと実感するとは……

思わず、不敵の笑みを浮かべる。

 やがて東の空が(しら)み始めると、攻撃の惨禍(さんか)が表に出始める。

塵一つなく戦車隊が消え去った機体周辺……。その様子を上空で見ながら、マサキはコックピットの中で哄笑した。

 

 

 その頃、ハバロフスク市内は、混乱の嵐に包まれた。

突如現れた天のゼオライマーへの恐怖から、われ先にと逃げ出す党関係者とその家族。

役所はごった返し、国営企業など公共施設も、群衆に職場を荒らされる。

混乱する市内は、最初の内は、交通警察と内務省(MVD)軍将校が対応していた。

だが直ぐに混乱の渦に飲み込まれ、(とどこお)りを見せ始める……

 制御を失った市民は、次第に順番争いの為、乱闘騒ぎをはじめた

遠目でその様子を見ていた軍に、反抗するものが出始めると状況は一変した。 

 混乱するMVDと警察の対応を見かねてであろうか、何処(いずこ)より現れた応援部隊。

彼等は、KGB直属警備隊の部隊章を付け、数台の重機関銃を引っ張って来た。

 隊長と(おぼ)しきKGB少佐の制服を着た男が飛び出してくると、周囲を見回し、一通り現場を確認した後、こう告げた。

「こうなっては仕方が有るまい。非常手段に出る」

付近を警備する内務省軍将校や警察幹部が集められ、KGB少佐からの檄が飛ぶ。

「宜しいか、諸君!たとえソビエト市民*6と言えども躊躇してはいかん。

ここでの敗走を止めねば、我が軍は何れや崩壊するであろう。只今より、配置に付け」

小銃を槊杖(さくじょう)で簡単に手入れした後、弾倉を付ける。

迫撃砲には弾が込められ、ベルトリンクが付いた重機関銃の槓桿(こうかん)を勢い良く引く。

「一斉射撃!」

雷鳴の様な音が周囲に響き渡ると同時に、濛々と立ち上がる白煙と粉塵.

降り注ぐ弾丸によって避難民の群れは、(たちま)阿鼻叫喚(あびきょうかん)(ちまた)と化した。

 

 噴煙が晴れると、斃れた人の群れから唸り声が聞こえはじめ、KGB少佐は、歩み出て、

「これより、反革命分子を処断する。部隊は前へ」と、マカロフPM拳銃を振う。

横たわる屍の大部分は五体(ごたい)のどこかを失っており、僅かに息の有るものもそうであった。

()って逃げ出そうとする者を見つけるや否や、件のチェキストは銃を向けた。

自動拳銃の遊底(ゆうてい)が前後すると、哀れな逃亡者は冷たい(むくろ)になり果てる。

「ソビエト市民なら、銃を取って日本野郎(ヤポーシキ)と戦うべきではないのかね」

怒気を含んだ声で、男はまだ息のある人間を選び出すよう兵に指示させる。

血の海から連れ出された人事不省の避難民に向けて、再び、銃声が鳴り響いた。

 

 

 一方のゼオライマーはと言えば、ソ連赤軍の戦術機隊に囲まれていた。

「かかれぇ!日本野郎(ヤポーシキ)の横腹を突くのだ。

如何に堅牢な機体とは言えども、横入れされては踏みとどまることも出来まい」

号令をかけた指揮官機が右腕を背面に回して、77式近接戦用長刀を背中の兵装担架から抜き出す。

指揮官自ら長刀を振るい戦う姿勢を見せれば、円居(まどい)は奮い立つ。

推進装置を全開にした30機余りの軍勢が、怒涛の如く突進してきた。

 突撃砲に、装弾数2000発の弾倉が差し込められると、隙間無くゼオライマーに向けられる。

仁王像の如く起立する、天のゼオライマー。

全長50メートルの機体は、前面投影面積の高さゆえに狙いやすく、格好の標的。

 如何に強固な次元連結システムがあっても、パイロットは生身の人間……。

人海戦術でマサキの体力や気力を奪い、ゼオライマーの鹵獲や殲滅を狙う。

 

「自走砲と戦車隊は前へ、日本野郎(ヤポーシキ)を撃ち竦め、其の間に奴が首を取るのだ」

戦術機部隊が動くより早く、攻撃ヘリの一群がゼオライマーに奇襲をかける。

 羽虫の呻る様な音を立てて近づく攻撃ヘリコプターMi-24「ハインド」

ある時は低く、ある時は高く、獲物を狙う鷹其の物。機銃が呻り、ミサイルが轟音と共に飛び交う。

後より続くは100台以上のT-54/55、T-64戦車と、2S1グヴォズジーカ 122mm自走榴弾砲。

落雷の様な轟音が、段々と、ゼオライマーに近づいて来る。

 薄く全面に張り付けたバリア体によって、そのすべてを凌いでいる事に美久は疑問を持った。

一思いにメイオウ攻撃で灰燼に帰せばよいのに……

やはり秋津マサトの肉体を乗っ取った際、精神が幾分か取り込まれた為か……

あの心優しい青年の気持ちが忍人(にんじん)*7・木原マサキに変化を与えたのであろうか。

コックピットの中で、椅子に深く座り込む男の事をモニター越しに眺めていた。

 

 犠牲をいとわぬソ連軍の挺身攻撃……、狙いはパイロットの戦意喪失か。

マサキは、既にソ連軍参謀本部潜入の時からの疲労が、出始めていた。

数時間に及ぶ逃避行は、彼の肉体から体力を削り取るには十分であった。

 操縦席に項垂(うなだ)れていた彼は、段々と気怠(けだる)くなる肉体を奮い立たせるべく、興奮剤を飲む。

僅かに残った水筒の水を飲み干すと、布製の入れ物ごと空の容器を放り投げた。

「この俺としたことが……、奴等の計略に乗せられるとはな」

 

 一瞬、油断を見せたゼオライマーに、赤軍兵は吶喊をかける。 

「全機射撃許可、 撃て!」

指揮官の号令の下、一斉射撃が開始された。

30機余りの戦術機はゼオライマーを囲むや否や、雨霰と弾丸を浴びせかける。

微動だにせず佇む白亜の巨人に向け、火を噴く20ミリ突撃砲。

 

「奴の武装は両手に付けられたレーザー砲2門!接近して一刀のもと切り捨てれば勝算はある!」

連隊長がそう叫ぶと跳躍し、長刀を振るいあげ、切り掛かる。

脇から第一中隊長も同様に薙ぐようにして、ゼオライマーの左側から剣を打ち付ける。

 いくら自分達より優勢な敵とはいえ、指呼(しこ)の間に入られては、ご自慢の光線銃も使えまい……。

連隊長はそう考えて、切り掛かかる。

一瞬射撃が止むと、二機のMiG-21 バラライカは飛び掛かった。 

 ゼオライマーは両手を上げると、手甲で長刀を押さえつける。

鈍い金属音と共に、一瞬火花が飛び散る。

次元連結砲の照準をを合わせ、射撃してきた。

敢て直撃させず、牽制するかのように光線を放つ。

 そこは精鋭・ヴォールク連隊の強兵……。

光線をするりと避けると、左手に持った突撃砲を至近距離でぶっ放した。

残弾表示が0になるまで打ち付けると、下部に備え付けられた105㎜滑腔砲が咆哮(ほうこう)を上げる。

殷々(いんいん)とした砲弾は、連続した轟音を響かせ胸部装甲に直撃。

白亜の機体は、漠々たる煙塵(えんじん)に包まれる。

 あの業火と噴煙の中に在っては、操縦士は、生きてはいぬだろうと想像した。

連隊の衛士は、誰も彼もが、血走った眼を火線に曝し、汗ばんだ手で操縦桿を握りしめる。

随伴歩兵たちは、茶色の戎衣を纏った身体を震撼させていた。

日は登り気温は上昇しているのに……、まるで雹にあったかのように寒気を感じさせる存在。

 今にも50メートルもあろうかと言うの鉄の巨人が、推進装置を全開に突っ込んで来やしないか。

そんな怖れを抱かせたからだ。

 はたして、その恐怖は、現実のものになった。

周りを取り囲んでいた噴煙が晴れると、白亜の機体を日光が照らす。

ゼオライマーの全体は塗装の禿げた所も無ければ、頭部の角飾りも欠けたところも見当たらない。

息をつく暇もないくらい激烈を極めた、突撃砲の斉射を受けたというのに……

 

「中々歯ごたえのある敵になりそうだな……」

マサキは不敵な笑みを浮かべると、推進装置の出力調整を行う。

通常の5分の一以下に目盛(めも)りを合わせると、戦術機の方に突っ込む。

 右手の拳を繰り出し、次元連結砲を咆哮させる。

閃光が光ったかと思うと、周囲の物をなぎ倒す勢いで連隊長機に衝撃波が直進する。

一瞬にして連隊長機は吹き飛ばされる。

「連隊長!」

爆散こそ免れるも、跳躍ユニットは衝撃波の影響で使えなくなってしまった。

 

 その様を見ていたマサキは一瞬俯くや、くつくつと喉の奥で押し殺すように笑い声をあげ、

「この木原マサキを(もてあそ)ぶとは、なかなかの者よ。面白い。楽に死ねると思うなよ……」

横に90度振り向くと、左側から切りかかって来た第一中隊長機目掛け、次元連結砲を放つ。

長刀を持つ右前腕部を吹き飛ばした。

 

「火線に付け!」

号令と共に、突撃砲が轟音を上げながら、再び火を噴いた。

 一列に並んだBM-21 グラートが、発射音を奏でながら、ロケット弾を次々に斉射する。

この発射装置は、世界最初の自走式多連装ロケット砲、82mm BM-8の系譜をひく。

最前線にあるドイツ国防軍兵士の心胆を(さむ)からしめた、オルガンに似た発射音。

『スターリンのオルガン』と恐れられた。

 機銃で払われても払われても突撃してくる、天のゼオライマー。

恐怖に、(おのの)いた衛士が、

「こいつぁ、化け物だ!」と、悲愴な、叫び声をあげた。

今まで戦って来たBETAは、物量こそ赤軍を圧倒するも、最後には押しとどめることが出来た。

ミサイル飽和攻撃、光線級吶喊(レーザーヤークト)、戦略爆撃機による空爆……。

硬い殻を持つ突撃級など、自走砲の榴弾で背面から打ち抜けたものだ。

 しかし、この日本野郎(ヤポーシキ)は違う。

砲火の嵐どころか、ミサイル飽和攻撃も物ともせず、全てを睥睨(へいげい)する様に(そばだ)つ。

 

 ここで退けば、ソ連赤軍全体の士気に影響を与えるのは必須……。

連隊長は、管制ユニットの中で、深い溜息をついた。

どこか、死を受け入れた、あきらめに似た溜息であった。

 我等が敗退すれば、18に満たない子供に銃を担がせて送り込むほかはない……。

中ソ国境に居る蒙古駐留軍を引き抜くにも限界がある……。

男は、女子供までかき集め、衛士の訓練を始めたソ連赤軍の様を、密かに(うれ)いていたのだ。

 

 現在ソ連赤軍の青年志願兵はほぼ尽きようとしており、300万人の兵力維持はとても厳しい状態。

非スラブ人の中央アジアやカフカスに在っては、15歳まで徴兵年齢を下げていた。

 1918年のボルシェビキ革命以来、急激に識字率の向上を果たしたロシア社会。

僅か50年余りで、すさまじい勢いの少子化が進んでいた。

1945年に終えた大祖国戦争*8によって、2700万人の成年人口を(うしな)ったのも大きかろう。

 女子教育の普及や婦人参政権を始めとする婦人の社会進出は、ロシア女性の価値観を変容させるに十分であった。

またスターリンの死後、1955年に堕胎罪の廃止も少子化を勧める遠因になった。

 その様な状況にあっても、ソ連政権は婦女子や年少者の徴兵を止めなかった。

理由は、実に単純である。 

思想的に未熟な少年兵は、思考操作や洗脳を施すのに労力がかからないからである。

そう言った理由から、ソ連赤軍は少年兵への依存度を高めていくことになった。

 

「第二中隊は、戦闘指揮所の要員と共にウラジオストックにまで下がれ……」

突如として第43師団の本部より、指令が入る。

 第二中隊は、確かグルジア人の政治局幹部の子息が居る部隊……

自分達は捨て駒になって、幹部の息子を逃がせという指示か……

だが、我らが犠牲になって、このゼオライマーという、マシンを手に入れれば……

社会主義国、ソ連の輝かしい栄光の歴史は、再び全世界を照らすであろう。

そう考えなおすと、最後の吶喊をかけた。

 

 

 ここは、市外のはずれにある建物の中に佇む、五十搦(ごじゅうがら)みの男。

鳥打帽(ハンチング)に灰色の背広服*9……、何処にでも居るロシアの田舎百姓といった風采(ふうさい)をし、

「なあフィカーツィアよ。俺の(せがれ)と一緒にウラジオくんだりまで行く話……。

了承してくれるであろう」と、壁際に直立する赤軍兵に向かって、声を掛ける。

 

 声を掛けられたのは、小銃を担いで直立する白人の婦人兵。

年の頃は、二十歳(はたち)くらいであろうか、マカロフ拳銃を帯びている所から将校と分かる。

透き通る様な色白の肌に碧眼。淡黄蘗(うすきはだ)色の髪はゴールデン・ポニーテール*10

婦人兵用の軍帽に、白樺迷彩(ベリョーズカ)*11(まと)った彼女は、何処か戸惑った表情で、

「ですが……」と、男の言葉に、返した。

感じる不安を抑える様に、右肩に担ったAKM自動小銃*12の吊り紐を、きつく掴む。

 男は、カフカス訛りの強いロシア語を、優しい口調で、

「野郎はクソ真面目だが、英語も上手いし弁も立つ。

贔屓目に見ても、グルジア人に生まれた事が惜しいくらいさ。

既に師団長には俺から話を通してある」と、滔々(とうとう)と語り始めた。

そして、混乱に乗じ、密かに自分の子息と彼女を避難させることを、告げてきたのだ。

「俺は、常々、君に、あの男と所帯を持ってほしいと思ってたのよ。

最悪、太平洋艦隊でサハリン*13にまで落ち延びるってのも悪かねえなぁ」

神妙な面持ちで、懐中より、一枚の封書を取り出し、

「こいつは、俺からウラジオの党関係者に当てた手紙だ」

フィカーツィアは、封書を両手で恭しく受け取る。

党幹部あての親書を持ったまま、固まる彼女を尻目に、男は話し続け、

「政治局に出入りする人間が書いたものであれば、奴等も無下には扱うまい……」

右の食指と中指に挟んでいた口付きたばこを口に近づけると、咥えた。

「なぜ、ここまでの事を……」

男は、茶色の瞳で彼女を伺うと、頬を緩ませた。

 

 男は、そっと彼女の両手を握るや、改まった口調で、

同志(タワリシチ)ラトロワ。俺は君の気に入ってたのだよ。

君の様な、聡明で(うるわ)しいスラブ娘の事を気に入らぬ男は居まい。

そんな唐変木(とうへんぼく)が居たら、一度会って見たいものだ。

どうせ偏執な男色家(ホモセクシャル)か、色気狂(きちが)いであろうよ」と、言いやった。

「お心遣い、有難う御座います……」

ラトロワは、そう言って深々と頭を下げ、戸外へ向かって駆けて行った。

走り去る彼女の背に向かって、

小倅(こせがれ)の事は頼んだぞ!」

と、告げるや、懐中よりマッチを取り出し、紫煙を燻らせながら、彼女の姿を見送った。

*1
ユーラシア大陸の北東部を流れる全長4,368キロメートルの河川。支那側呼称は、黒龍江(こくりゅうこう)

*2
戦闘服や軍服の事。元来は鎧兜を指す言葉であった。

*3
河北省秦皇島市に位置する渤海(ぼっかい)湾沿いの避暑地(ひしょち)。毎夏、そこで中共幹部の秘密会議が開かれる

*4
九つの親族。支那の古典に準拠すれば、男系血統に関して言えば、高祖、曽祖(そうそ)、祖父、父、自分、子、孫、曽孫、玄孫(げんそん)の9代をいう

*5
一説によれば、272万人の日本人抑留者の内、37万人がこの地で落命した

*6
ソ連時代、市民という言い方は非常に他人行儀な言い方であった。基本的に同志を意味するТоварищ(タワリシチ)や親しみを込めて愛称で呼び合った。

*7
むごい事を平気で行う人。残忍な人

*8
第二次大戦のソ連側名称

*9
ソ連では背広が百姓や漁師の作業着として使われた

*10
高めの位置で髪を束ねるポニーテールの事

*11
КЛМКと呼ばれる勤務服の上から着るつなぎ服と上下分離式の二種類があった

*12
従来のカラシニコフ小銃の生産性を、カラシニコフ博士自身が改良した物。1959年採用

*13
樺太の露語名称




2022年12月以降は、隔日投稿から週一投稿にさせて頂きます。

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膺懲(ようちょう)(けん) 前編(旧題:恩師)

 KGB工作員に、愛する妻ベアトリクスを言葉で侮辱されたユルゲン。
激高した彼の起こした騒ぎは、あらぬ方向へと進んでいく。
一方、ユルゲンを我が物にしたいゲルツィン大佐は、大胆な行動に出る。


 マサキ達が、ハバロフスクで暴れている頃、ユルゲンたちはどうなっているのだろうか。

視点を再び、東ドイツに移してみよう。 

 

 ここは、ロストック県*1グライフスヴァルト*2市。

同市近郊のヴァンペン・シュトランドにいる、第一戦車軍団の先遣隊は、混乱していた。

ソ連KGBの特殊部隊と戦闘中、謎の電波障害が発生し、戦術機の通信機器が全て機能停止。

すわ、通信妨害かという事で、現地部隊の判断で行動が進められた。

 

 ユルゲンは降機(こうき)し、ポツダムの参謀本部との通信途絶により混乱する現場を指揮する。

混乱し、投降したソ連兵を一か所に集め、負傷兵を担架で運ぶよう指示を出した折の事である。

野蛮人共(二メーツキー)*3。お前たちは勝ったと思って勘違いしているであろう……」

誰かにロシア語で、声を掛けられたユルゲンが、ちらりと顔を向けると、

「だがKGBを舐めるな……例え風呂場であろうと、(かわや)であろうと、隠れても無駄だ。

地獄の底まで追いかけて行って、その首を掻き切ってやる」と、蒙古訛りで、怨嗟(えんさ)の声。

罵倒を発した辺りに、ユルゲンが近づくと、両腕を縛られた小太りな蒙古系のKGB工作員が、

「やい色男*4、今に見ていろ。貴様の妻や妹を、散々に可愛がってやるよ。

泣いて懇願(こんがん)する様を見ながら、(なぶ)(ごろ)しにしてやる」

と、酒の匂いを漂わせながら、悪態をついた。

 

その言葉で、途端に嚇怒(かくど)したユルゲンは、件の蒙古人の襟首をつかみ持ち上げ、

「黙れ、韃靼(だったん)*5人!」と、流暢(りゅうちょう)なロシア語で、黒髪の小柄な蒙古人を面罵(めんば)した。

遠くより駆け寄る音が聞こえるも、持ち替えた左手で掴み上げ、

莫迦(ばか)には、莫迦らしい死に方を、してもらわなくてはな」

と、拳銃嚢に右手をかけるも、後ろから腕を捕まれる。

憤激(ふんげき)したユルゲンは、振り返るなり、

「離せ、ヤウク。この下郎(げろう)*6に教育してやるんだ」と、背後に立つヤウクをなじる。

「ユルゲン。君が、その雑兵(ぞうひょう)と同じ土俵に立って、若奥様(ベアトリクス)は喜ぶのかね……。

此奴(こいつ)は蒙古人だ。どうせ野良犬みたいに見捨てられて死ぬ運命。放っておきなよ……」

と、諦めるように諫めた。

 

 ユルゲンは、苛立ちを込めて、持っていた左手から蒙古人を突き放す。

直後、蒙古人はヤウクの顔面に目掛け、唾を吐きかけ、

「ハハハ。野蛮人(二メーツキー)が仲間割れか。傑作だ」と、不敵の笑みを浮かべ、

「なあベルンハルト、お前が黒髪のかあちゃん*7は、気に入ったぜ。

色っぺえ体からすると、きっととんでもねえ、すべた*8阿女(あま)だろうな」

激情を隠さないユルゲンを見ながら、下卑(げび)た目付きの蒙古人は笑いながら、

「ここ最近は、すっかりご無沙汰だったから、俺が、たっぷりと(はずかし)めてやるよ。ハハハ」

と、うそぶいて見せた。

 

 18歳ながら、どこか妖艶(ようえん)な雰囲気を感じさせる、愛しい人ベアトリクス。

末端のKGB工作員が、明眸皓歯(めいぼうこうし)*9(おさ)(づま)を知っているとは……

ユルゲンは、得体の知れぬ寒気とともに、全身の血が逆流するような感覚に陥る。

蒙古人の方に体を向けるが、背中から両腕を回し、同輩にしがみつかれ、

後生(ごしょう)だ、君がこんな蛮族の為に手を血で汚す必要はない」

青白い顔色をして、(まなじり)を釣り上げた彼は、ヤウクを振り落とそうと必死にもがく。

「離れろ。貴様に……」と、ユルゲンが、あわやピストルを抜こうとした矢先。

「同じ条約機構軍の兵士だからと言って容赦しない。上官への侮辱……、覚悟しておけ」

と、声と共に、蒙古兵は(はじ)き飛ばされ、口から血反吐(ちへど)を流し、失神して倒れ込む。

ヤウクは、背後から蒙古人を殴られる様を見るや、途端に(あお)くなり、

「クリューガー曹長。君は、なんてことをしてくれたんだね」

と、悲鳴を上げ、ヴァルター・クリューガー曹長に駆け寄った。

 

 間もなく憲兵を引き連れた、少佐の階級章を付けた男が、動揺(どよ)めく現場に現れ、

「貴様等、ジュネーヴ条約*10違反*11だ。全員、重営倉(じゅうえいそう)にぶち込んでやる」と、言い放つ。

灰色の折襟勤務服姿の政治将校*12は、官帽を被った白髪の頭を向け、

「大体、同志ベルンハルト。君は問題を起こし過ぎだ。言動も志向もあまりにも反革命的すぎる」

と、銀縁眼鏡の奥にある目を、光らせながら、

「大体議長の秘蔵っ子だか、通産次官の婿だか、知らんが……。余りにも身勝手すぎる」

と、腰のベルトに通した茶革の拳銃嚢からマカロフPM*13を取り出し、彼に向け、

「状況によっては暴力をも使わざるを得ない……」と、大喝(だいかつ)した。

ユルゲンは、嚇怒する男に、不敵の笑みを浮かべ、

「説得できないからと言って拳銃を取り出して、恫喝ですか……。少佐殿」

と、煽られた男は、青筋を立てて、身震いしながら、

「今の言葉を取り消したまえ。続けるようであれば、抗命と見做す」

と言い放つも、ユルゲンは、さらに追い立てる様に、

「政治局本部も、随分と質の低い人間を昇進させたものですな」と、乾いた声で哄笑した。

 

 ユルゲンたちが起こした騒ぎは、次第に大きくなり、その場だけでは済まなかった。

見物人は、第一戦車軍団を支援に来た第三防空師団や、近くの海軍基地の兵士たちの姿も。

いつしか、ユルゲンたちを囲んでいた憲兵は、騒ぎを収めようと持ち場を離れてしまった

ちらりと、脇に目をやると、件の蒙古人は既に誰かによって、連れ出されていた。

 

「君が良からぬことを企んでいるのは分かっているぞ、同志ベルンハルト。

略式だが軍法……」

 男がそう言いかけた直後、周囲の人垣が綺麗に分かれていく。

官帽を被り、灰色のオーバーコートを着た人物が歩いて来る。

金銀の刺繍が施された肩章に、赤地の襟章を付けた、空軍将校服を着た男が、

「同志ベルンハルトと同志ヤウクは俺が預かる。文句はあるまい」

と、烈火の如く怒る政治将校に声を掛けたのだ。

声の主は、第一戦車軍団を支援しに来た第三防空師団長であった。

将官からの言葉*14に、さしもの政治将校も席を蹴り、

「やんぬるかな」と、去り際に嗟嘆(さたん)した。

 

 さて、第三防空師団本部まで連れられたユルゲン達は、師団長室に呼ばれていた。

ユルゲンは、かつて所属した空軍の将軍に、

「有難う御座います、同志将軍」と、感謝を意を表した

男は咥え煙草のまま、相好(そうごう)を崩すや、

「空軍士官学校創立以来の問題児の面がどんなものか、拝んでみたくなっただけよ」

と、言って、煙草を差し出し、ヤウクは一礼すると受け取った。

ユルゲンに向かっても進めたが、左掌を見せ、

「戦場帰りってのに、タバコはやらんのか」と、断るユルゲンを、珍しがった。

ふとヤウクが、

「これで酒をやらねば、いい男なんですけどね」と漏らす。

師団長は、ユルゲンの碧海(へきかい)のような瞳を覗き込み、

「高いウィスキーを持ち込んで飲むのは気を着けろ。何処でだれが見てるか分からん」

と、苦笑する。

 

 アベールに留学記念に貰ったスコッチ・ウイスキーを、勤務中に4人組で飲んだ件。

大分前の話とは言え、知れ渡っていたとは……。ユルゲンは身の凍る思いがした。

 

「美人の女房に、ちょっかいを出す*15と言われれば、腹が立つのは分かる。

だが、君も15、6の少年志願兵ではあるまい。仮にも戦術機実験集団を預かる隊長」

灰皿にタバコを押し付けて、もみ消し、

「その辺の分別が出来ぬ様では、高級将校には上がれない。

岳父の期待に沿う人間になり給えとは言わんが、もう少しは士官学校卒らしく振舞い給え」

男は立ち上がると、椅子に腰かけた彼等に向かって言い放つ。

「風呂に入って着替えた後、少し休んでから帰れ。

軍団司令部には、俺から話を着けて置く。

何時までも、そんなボロボロの強化装備姿で居られては困るからな。

通信員の目の毒だ」と、言って、男は部屋を後にした。

 確かに、この男の言う通りであった。

師団本部に連れてこられた時、婦人兵がユルゲンたちを一瞥すると頬を赤らめた。

その事には、彼等も気が付いてはいたのだが、敢て知らぬ振りで通したのだ。

部屋を去る男に、ユルゲンたちは深々と頭を下げた。

 

 

 さて二人は、軽くシャワーを浴びた後、師団長室で昼過ぎまで仮眠した。

真新しい下着と野戦服に着替え、久しぶりに温かい食事を楽しむ。

そんな折、ドアが開くと、食事する手を止め、立ち上がり敬礼をする。

ドアを開けて入ってきたのは、野戦服姿のハンニバル大尉で、

「30分後に出発だ」

「同志大尉、今回の通信遮断の件は」と、挙手の礼をしていた右腕を下げ、

「まだ未確認ではあるが、多量のガンマ線が検出された。

参謀本部では高高度で実施される核爆発、詰り電磁パルス攻撃の可能性が示唆されている」

ハンニバル大尉は、ラッキーストライクを懐中より取り出しながら、告げる。

両切りタバコを箱から口に咥えた後、ヤウクに差し出し、

「それじゃ、部分的核実験禁止条約*16を一方的に破棄したと……」

ライターで火を点けると、紫煙を燻らせながら、ユルゲンの瞳を見た。

「ソ連からの通告も、政府発表も無い。

赤い星*17プラウダ*18イズベスチヤ*19両紙にも、全く関連記事が無い」

脇に居るヤウクは、黙ったまま、紫煙を燻らせる。

「と言う事は、現場の暴走ですか」

ユルゲンの言葉を受け、大尉の碧眼が鋭くなり、

「考えられるのはソ連国内で政変があったのか、或いは……」

彼は、突っ込んだ質問をしてみることにし、

「東ドイツを地図上から消そうとしたと言う事ですか」

大尉は、黒革バンドの腕時計を覘いた後、顔を上げ、

「想像もしたくはないが、その線も否定はできない」と、紫煙と共に、深い溜息を吐き出す。

灰皿で、タバコをもみ消し、

「あと未確認情報だが……、ポーランド政府が米空軍の基地使用を許可したそうだ。

長距離爆撃機の中継地点という名目でな」と、告げた。

ユルゲンは、顎に左手を触れながら、

「本当ですか」と、訊ねた。

「取り敢えず、詳しい話は帰ってからだ。参謀本部から直々に訓令がある」

 

 

 いよいよ、米空軍の戦略爆撃機が、白ロシアに投入されるのか。

超大型起動兵器(スーパーロボット)、ゼオライマーの登場によって、今まさにドイツ民族の宿願が叶う。

多数の命を吸ったソ連共産党が、この地上より消え去るのも夢ではない。

 そんな希望が、心の中に湧いてくるのを実感し始めていた。

今は最後の準備期間なのだと、戦いの火蓋が切られるのを待つばかり。

ユルゲンは、(たかぶ)る気持ちを抑えつつ、一人思った。

 

 

  

 ソ連襲撃事件の日は、何事もないかのように夜が更けていった。

だが、ベルリンから南方40キロのヴュンスドルフ*20では、夜陰に紛れ、怪しい人影が(うごめ)く。 

数名の男達が、ドイツ駐留ソ連軍総司令部*21の執務室に、武装してなだれ込む。

執務机の椅子に座る灰色の将官服姿の総司令に、工作員から銃が付き付けられる。

 

 機密文書を読むイワノフスキー*22総司令官は、椅子から身を乗り出し、

「ゲ、ゲルツィン!」と、老眼鏡越しに、瞋恚(しんい)をあらわにし、

「き、貴様等、何のつもりだ……」と、男を()()ける

KGB特別部の工作員を引き連れたゲルツィン大佐は、挨拶代わりに軍帽を脱ぎ、

「ソ連の主人公は誰か。教えに来たのさ」と、勤務服(キーチェリ)の懐中よりマカロフ拳銃を素早く取り出す。

既に司令を取り囲む様に、KGB工作員が居並んでいる状態だった。

「我々は、党指導部の人形じゃない……」と、消音装置を銃口に付けると、遊底を強く引く。

「KGBこそが、ソ連を動かしていると……」

ゲルツィン大佐は居並ぶ兵士に、檄を飛ばし、

「諸君!泡沫(うたかた)でもいい……KGBが描く、新しいソ連の夢を見ようではないか」

ピストルを勢いよく司令官の左の顳顬(こめかみ)に突きつけ、

「ど……、同志ゲルツィン……」と叫んだ。

 その刹那、拳銃の遊底が前進し、9x18ミリ弾の薬莢が宙を舞う。

イワノフスキー総司令官は、衝撃で顔を歪めると、右側に崩れ落ちた。

椅子事、後頭部を叩き付ける様に倒れ込むと、床に血の海が広がった。

 

その様を見ながら、唖然とする周囲を余所にゲルツィンは、

「東ドイツの連中への手土産は、用意できた……」と、続けた。

彼の脇に、すっと中尉の階級章を付けた男が近寄り、

「同志大佐。無血で駐留軍を我が物にするという話は、駄目でしたな……」

男はゲルツィン大佐に、黒いゲルベゾルテ*23の箱を差し出す。

 ゲルツィン大佐は、差し出された箱より、両切りタバコを取り、

「オレは、(はな)から無血で片付くとは思ってねえよ」と、口に咥えた。

酌婦のように火の点いたライターを差し出して来る男に、顔を近づけ、

「司令の首を持参して、シュトラハヴィッツ少将との交渉の入り口づくりをする」

一頻りタバコを吹かした後、ふうと紫煙を吹き出し、天を仰ぐ。

 大佐は、左手の食指と中指でタバコを挟んだ儘、

「ベルリンのドイツ軍参謀本部に挑戦状を入れて置け……。

連絡の文面は……、次の様に書け。

同志ユルゲン・ベルンハルト中尉へ……同志エフゲニー・ゲルツィンより

以上」と指示を出した。

男の合図とともに、連絡要員が通信室に駆け込んだ。

「同志大佐からの命令だ、基地から戦術機部隊を回せ」

 

 総司令部から連絡で慌ただしく出撃準備が始まる。 

滑走路に数台の戦術機が居並び、跳躍ユニットのエンジンが吹かされる。

 そのうちの一機の手に握られているのは、20メートル近くある二本の旗竿。

それぞれには、軍艦に掲げられる大きさのソ連国旗と白旗。

国家間の交戦規程を記した『ハーグ陸戦条約』32条に基づく措置であった。

 強化装備姿の男達が駆け込んでくると、管制ユニットに滑り込む様にして乗り込む。

轟音と共に戦術機はベルリンへと向かった。

 

*1
今日のメクレンブルク=フォアポンメルン州。東独では州制度は中央集権化の為、廃止していた

*2
現実世界では、ここにソ連の技術を応用した原子力発電所があった

*3
ロシア語ではドイツ人の事を、聾唖を語源する口のきけない外国人を意味する二メーツと呼ぶ。現在でもこの表現は変わらない

*4
男らしさを備え、容姿や印象が共に端正。或いは精悍で魅力的な男性の事。または女にもてる美男子。

*5
蒙古人の事。突厥が、蒙古高原で遊牧する諸部族を総称して呼んだ言葉で、「他の人々」を意味するTatar(タタール)の漢訳

*6
人に使われている、身分の低い者。そこから転じ、男をののしる言葉

*7
他人の妻に対する俗語

*8
めくりカルタで、点にならないつまらない札。転じて顔かたちの醜い女や、特に娼婦を指す言葉

*9
明るい目と白い歯で美人の形容。安禄山の乱で非業の死を遂げた楊貴妃(ようきひ)を偲び、唐の詩人杜甫(とほ)が作った七言古詩『哀江頭』が語源

*10
捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約

*11
第二編 捕虜の一般的保護で、捕虜への暴行は禁止されていた。

*12
東独軍の政治将校は1983年9月1日までは専属業務ではなかった。まず一般的な将校として任官され、1年間の部隊勤務の後、追加試験で政治将校になった

*13
9ミリマカロフ弾を使用するソ連で一般的な拳銃。旧ソ連の他にコメコン諸国の軍や警察組織でも採用された

*14
東独軍の政治将校は、ソ連や中共と比して、その影響力は非常に限定的で権限も小さく、司令官の命令に異議を唱える権利はなかった

*15
女性にたわむれに言い寄ること。戯れに手を出すこと

*16
1962年のキューバ危機や核実験への国際的な批判から、米ソ・英国は1963年8月5日に部分的核実験禁止条約を締結した

*17
Красная звезда,ソ連赤軍機関紙。1924年1月1日創刊

*18
ソ連共産党機関紙。1912年5月5日創刊

*19
ソ連政府機関紙。1917年3月17日創刊

*20
今日のブランデンブルク州テルトウ=フレーミング郡ツォッセン市の一角にあった村

*21
1946年から1994年までソ連軍に利用された。空軍基地併設。現在は博物館になっている

*22
エフゲニー・フィリポヴィチ・イワノフスキー。1918年3月7日 - 1991年11月23日。第9代ドイツ駐留ソ連軍総司令官

*23
戦前からあった西ドイツの高級両切り煙草。現在はEU内でのたばこ規制により生産終了で廃盤。ターキッシュ・ブレンドで、何とも言えない甘い香りが魅力的だった




 2022年12月8日以降は、毎週木曜日5時更新にさせて頂きます。
ご意見、ご感想よろしくお願いします。
どの様な評価でも歓迎して居ります。


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膺懲(ようちょう)(けん) 中編(旧題:恩師)

 ユルゲンは、数年来、音信不通だった師父(しふ)からの呼び出しを受け、驚く。
一方、ゲルツィンは、一人、白皙の美男子と過ごした日々を、心に思い描いていた。


 ユルゲンは、昼間のいざこざの後、自宅に戻った。

早朝のKGB工作員の急襲は、彼にとっては、骨髄に徹するほどの、衝撃だった。

政治将校と揉め、上官たちに諭されたのもあろうが、よく眠れなかった。

やっと眠りについたころ、ふいに暗闇の中から声を掛けられる。

 目の覚めたユルゲンは、抱いていたベアトリクスから離れ、瞋恚(しんい)をあらわにする。

毛布を蹴とばし、ベットより起き上がるや、深緑の寝間着姿で、周囲を見回す。

 気が付けば、タバコを口に咥え、野戦服姿で佇んでいるヤウクと顔があった。

寝所(しんじょ)に居る所からすると、多分、合鍵で入ったのであろうヤウクは、

「シュタージの送迎で来た。可愛い奥様の、あられもない姿を、奴等に見せたくはあるまい」

と、右の親指を、戸外に向ける。

ヤウクの親切心を、ユルゲンはかえっていやな顔をした。

「随分と、荒々しい起こし方だな」と、ついに叱って。

 

 電気を付けたヤウクは、ベットの端に座る、ユルゲンの新妻に、目を向ける。

ベアトリクスは、濃紺の寝間着(パジャマ)一枚。右手で寝ぼけ眼を擦り、状況を把握できぬ様子。

鳩尾まで(はだ)けた上着から見える、白雪の様な豊満な胸は、何とも艶かしい。

詳しい事情を知らない、彼女は、愁眉(しゅうび)を逆立て、

「何時だと思ってるの。深夜2時よ」と、声を震わせ、

「デリカシーの無い人ね」と、目にうっすら涙を浮かべた。

乱れた髪を手櫛で()きながら、怫然(ふつぜん)とする彼女に、ヤウクは打ち(ふる)えて見せながら、

「申し訳ないです」と、深々と頭を下げ、平あやまりに詫び入った。

ベアトリクスの、どこか蠱惑的な姿に、ひどく惹かれてしまったという事実は、深くかくして。

 

困惑したユルゲンは、哀感を滲ませた表情をするベアトリクスを、抱きすくめ、

「軍務と思って、許せ。詳しい話は、明日にしよう」と、肩を震わせる、新妻を諭した。

クローゼットの観音開きの扉を開け、中にあるレイン・ドロップ模様の迷彩服の一式を取り出す。

脱いだパジャマを投げ捨てて、夏季野戦服に着替え、官帽を鏡を見ながら両手で直し、

「良し、準備万端……」と言うや、ユルゲンは、ベットの端へ振り返り、

「じゃあ、ベア……行ってくるよ」と、腰を屈めて、彼女の薄い桃色の唇に口付けをした。

 

 

 

 さてユルゲンが、玄関先に来てみると、国家保安省の服に身を包んだ小柄で金髪な男が、

「同志ベルンハルト、久しぶりだな。ゾーネだ」と、右手で挙手の礼を取り、彼を見据えた。

「お前さんはアスクマン少佐の……」

「これでも自分は少尉だ……。将校らしく扱って欲しい」

キュッと長靴の踵を鳴らし、官帽を目深に被った頭の向きを変え、

「あと自分の事は、同志大佐の色男でも何とでも呼べばいい……」

 

 何気ない一言であったが、ユルゲンの心には響いた。

ゾーネは、今し方アスクマン少佐の事を、大佐と呼んだ。

 ああ……、あの『褐色の野獣』は黄泉の国に旅立ったのだな……

何時も不敵の笑みを浮かべてた、あの俳優顔の男はもうこの世に居ない。

 ヤウクやカッツェと棺を蓋う、その時に立ち会ったのに……

ユルゲンは半年近く経って、改めてアスクマンの死を実感した。

 

 ゾーネ少尉は、咳ばらいをすると、ユルゲンの顔を覘く。

「単刀直入に言おう。

駐留ソ連軍が軍使を参謀本部に寄越した。先方からの御指名で君を迎えに来た」

妖しい目で、ユルゲンの事を舐めまわすように見るや、一頻り哄笑し、

「ふふ……、同志大佐が君の事を焦がれたのも、分かる気がするよ」と、頬に右手を当てた。

 

戯れる彼等の真後ろに立つ、明るい緑色の人民警察を制服を着た男が口を開き、

「宜しいでしょうか」と、ゾーネ少尉に呼び掛け、

「同志少尉、お時間の方は……」とゾーネは、腕に嵌めた時計を見る。

グランドセイコーの腕時計は、鎧衣からアスクマン少佐に送られた物である。

今は数少ない形見として、肌身離さず、ゾーネが持ち歩いていた。

ゾーネは顔を上げ、ユルゲンたちに、

「さあ、詳しい話は車に乗ってからだ」と指示を出す。

彼等は頷くと、人民警察の緑色のパトカーの後部座席に、乗り込む。

 

 警察使用のGAZ*1-24"ヴォルガ"は青色の警告灯を回転させながら、走り抜ける。

深夜のパンコウ区を勢い良く進む車内で、密議を凝らしていた。

ユルゲンは思い出したかのように、ふと漏らした。

「野獣の腰巾着が、俺に用って何かい……新手の軟派(ナンパ)か」

彼は、先程の戯れに拒否感を示すも、ゾーネは気にすることなく、

「気が立っている所を済まないが……同志ベルンハルト。

エフゲニー・ゲルツィンという男を知っているかね」

と、淡々と返し、そっと懐中より、電報の写しを、ユルゲンに手渡す。

それを一瞥した彼は、ふと告げた。

「ゲルツィン教官が生きて居られたとは……」

 

 ユルゲンは電報を握りしめながら、過去の記憶に深く沈潜した。

忘れもしない……、4年前のソ連留学。

モスクワ近郊のクビンカ基地で受けた、半年間の地獄のような特訓。

 ゲルツィン教官は、空軍パイロット出身で数少ないカシュガル帰りの衛士。

ソ連改修型のF-4Rで光線級に肉薄。ナイフを振るい、単機生還という噂も聞いた。

超音速のジェット戦闘機乗りから転身して生き残っただけでも驚異的なのに……

 

 

 並のドイツ人以上にロシア人に詳しいヤウクは、嘗ての教官に不信感を抱いた。

ヴォルガ・ドイツ人の祖父母や両親からロシアの習慣を聞いていた故に、ふと疑問に思う。

 ロシア人の姓でゲルツィンという姓は庶子であったアレクサンドル・イワノヴッチ・ゲルツェンの為に、父イワン・アレクセイヴッチ・ヤコブレフが特別に作った姓。

しかも子息や孫は欧州に移住し、其処で最期を迎えたはず。

モスクワで1947年に亡くなった孫・ピア・ヘルツェンの子孫が居るという話も、寡聞にして知らない。

 

 テロ組織『人民の意志』の系統をひくロシアの党組織は秘密主義。

議会を通じて、社会主義を広めようとしたドイツやフランスのと違い、暗殺や強盗もいとわなかった。

暗殺者を兄に持つレーニンや銀行強盗で数度の脱獄を繰り返したスターリン……。

彼等が偽名なのは、つとに有名……

 今もソ連共産党の幹部の少なからぬ人間は偽名で活動している。

アルメニア人やカザフ人、ユダヤ人なのにロシア風の姓を名乗り、公職に就く。

 伝説的なNKVD工作員、エイチンゴン*2。あのトロツキーを暗殺した彼も、また偽名であった。

本名は、レイバ・ラザレヴッチ・フェリドビンというユダヤ人であった。

 

その様な事を勘案すると、教官が出自を隠ぺいするために、偽名で名乗る。

わざとらしく、人民主義(ナロードニキ)の元祖、ゲルツィンの名を騙って。十分、あり得る話だ……

 

 矢張り件の男は、KGBかGRUの工作員だったのではないか。

スターリン時代、モスクワで国際共産党(コミンテルン)大会が開かれた時、各国からの招待者をNKVDが世話したことは(つと)に有名だ。

 東ドイツからの36名の生徒を、KGB或いはGRUが付きっ切りで教える。

今回もその線ではないのか……、決してあり得ない話では無いのだ。 

 ソ連の策に乗るシュタージも愚かだが、理解して付いて行くユルゲンも考え物だ。

もっとも彼を叩き起した自分もそれ以上に愚かではあるが……

 

 一人思い悩んだヤウクは、紫煙を燻らせ、助手席のゾーネ少尉に、

「君達が動いたと言う事は誰の指示だい。政治局絡みだろ……」と問うた。

ゾーネは後ろに振り返ると、彼の顔をちらと見て、悪戯っぽい笑みを浮かべ、

親父(おや)っさんと言えばわかるだろう……」

それまで黙っていたユルゲンが、

「俺は、あの人がやりたい事は、荒唐無稽だが、理解できる」

と、口を開き、刺すような目つきで、窓より振り返るとゾーネの事を見つめ、

「あの人の夢は……俺の夢でもあるのさ。一緒に命賭けて戦う仲間だよ」

そう告げると、再び車窓に視線を移した。

思わぬユルゲンの一言に、ゾーネ少尉は目を見開いて、

「議長と君との関係は、噂通りだったのか……」

ユルゲンは、右の助手席から身を乗り出しているゾーネに顔を向け、

「どんな綺麗事でも力がなくては駄目だ……」と、不敵の笑みを浮かべながら、

「俺はこの4年間、戦術機を駆ってBETA共と戦う合間、政治の世界に翻弄(ほんろう)された」

彼は鋭い眼光で、ゾーネの眼を射抜く様に見つめ、

「政治は力や数の論理で動く。

この祖国や愛する家族を前にして、詰まらぬ良心は要らない……。

俺一人で、すべて抱え込むのも限界がある。そう考えて、あの人を頼ったのさ」

 

 再び静寂を取り戻した車内。

ユルゲンは嘗ての恩師からの電文を握りしめながら、一人家に置いて来た妻を想う。

漫然と車窓より、新月で薄暗い市中を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その頃、ゲルツィン大佐は、黒塗りの大型セダンの中で、物思いに(ふけ)っていた。

車窓を眺めながら、

「あれから4年か……時は早いな」と、独り(ごち)る。

ギリシア彫刻を思わせる、美貌の青年、ユルゲン・ベルンハルトに想いを寄せていた。

それは、どこか恋に似た感情であった。

優秀な学識と技量を持つ、美丈夫の事を心から欲していたのだ。

ジル114型の後部座席に、寄り掛かられながら、在りし日の追憶に旅立った。

 

 

 1974年夏。暑い日差しが照り注ぐクビンカ基地。

首都モスクワより24キロの場所にあるこの基地には航空基地の他に建設途中の博物館があった。

BETA戦争前に計画されたが情勢の悪化で中止。

急遽、その敷地は戦術機の臨時訓練場になった。

 

 深緑のM69野戦服姿の男が、地面に倒れ込む東独軍兵士に声を掛け、

「貴様等がモスクワまで来たのは観光(あそび)の為か?それとも援農(てつだい)の為か……」

鼻血を流しながら、仰向けに倒れるレインドロップ迷彩服姿の青年士官。

教官役の軍曹は軍靴を響かせながら、彼の脇まで近寄った。

「い、いえ同志軍曹。自分は……」

「聞こえんな……」

軍曹は青年将校の事を軍靴で蹴りつけようとした瞬間、誰かに肩を掴まれる。

「離せ」

彼を掴んだのは、ユルゲンだった。

「同志軍曹。同志ヘンぺルの事は許してやってください。彼の失態は俺が取りましょう」

 

 ユルゲンは、赤軍兵の過剰なまでの鉄拳制裁に見かねて止めに入った。

(かね)てより、ソ連軍の新兵虐め(ジェドフシーナ)*3は知っていたし、赤軍内部での法の埒外での私的制裁は今に始まった事ではない。

 一発殴って、罵倒する位なら、東独軍でも、仏軍外人部隊でも良くある話。

だが、既に倒れて抵抗の意思のない人間を、足蹴にしようとしたことに、耐えかねたのだ。

 

 ブリヤート人軍曹の周囲を、ドイツ留学生組がぐるりと囲む。

何時もの『4人組』の他に、ユルゲンたちと一緒に留学した陸軍航空隊の青年将校の姿もあった。

「な、舐めるんじゃねえぞ!東欧のガキどもが」

男は、ユルゲンの手を振りほどくと、右手で腰に差したNR-40と呼ばれる短剣の柄を掴む。

鯉口を切ると、白刃をチラつかせながら東独からの留学生を恫喝した。

 

 ユルゲンは、腰のベルトから素早く短剣を抜き出す。

右手にはソ連製の6kh3銃剣を模倣した、黒い柄の東独軍銃剣が握りしめられていた。

「どうか、刀をお納めください。出来ぬというのであらば、差し違える覚悟です」

彼は、ブリヤート人軍曹が同輩に兇刃(きょうじん)を振るおうとしたので已む無く抜き合わせた。

 

 遠くで事態の推移を見ていたゲルツィンは、拳銃嚢に右手を伸ばす。

マカロフ拳銃を取り出し、弾倉を即座に装填すると空中に向かって威嚇射撃をした。

数発の弾が発射され、雷鳴の様な音が演習場に響き渡る。

「静かにしろ」

 

 立ち尽くす留学生たちを無視して、その場にへたり込み、短剣を地面に落とした赤軍の教官の方に向かう。

ブリヤート人軍曹の目の前にまで来ると、拳銃を、面前に突きつけ、

「お前らは舐められて当然だ。ろくに指導も出来ぬのだからな」

と、開いた左手で左肩を叩き、こう言い放った。

「ま、精々今のうちに頭を冷やしておくんだな」

 

 ゲルツィンは、拳銃を仕舞って振り返る。

立ち去ろうとしていたドイツ留学生組の中から、ユルゲンの事を呼び止め、 

「同志ベルンハルト、二人だけで話がしたい」

赤く日焼けしているも青白く美しい肌。サファイヤを思わせる瞳でじっと彼の事を睨んでいた。

 

 

 演習場の端に移動したゲルツィンは、目の前の好男子に問うた。

「先程の言葉……、留学生部隊長としての言かね」

そう言ってユルゲンは両手を差し出した。

「落とし前を付けましょう」

重営倉に放り込まれる覚悟であることを、ゲルツィンに示したのだ。

 

 男は、手を差し出して来るユルゲンの事を笑い飛ばし、

「ほう、頭でっかちな男と思っていたが中々情熱的なんだな」

そう告げると、立ち尽くすユルゲンに背を向ける。

「今の事は見なかったことにしてやる。

同志ベルンハルト、代わりに腕立て伏せ100回とグランド3周を命ずる」

その言葉を聞いたユルゲンは、安堵したような表情を見せ、

「了解しました。同志教官」と、挙手の礼で答える。

笑顔で返礼をすると、演習場へ(きびす)を返した。

 

 

 『どこに居るのだよ。ベルンハルト候補生よ……』

あの輝かしいばかりの笑顔を浮かべる男が、酷く懐かしく感じられた。

 

 

「同志大佐、ハバロフスクは何と言ってたのですか」

その一言で、再び現実に意識を戻した彼は、

「どうもこうもあるか。向こうも混乱状態なのだよ」

象牙製のシガレットホルダーを取り出すと、両切りタバコを差し込む。

米国製のオイルライターが鈍い音を響かせ、蓋が開く。

ジッポライターで火を点ると、紫煙を燻らせ、

「東欧に舐められ、日本野郎(ヤポーシカ)にまで好き勝手を許した。此の儘じゃ赤い星*4も地に落ちる」

と、軍帽の鍔を押し上げ、

「如何に立派な船でも船頭が愚かならば嵐に遭わずとも沈むのは避けられまい」

と、一人沈みゆく祖国・ソビエトを想いながら、瞼を閉じた。

 

*1
1929年創業。ソ連のゴーリキー市、今日のロシアのニジニ・ノヴゴロドにある自動車メーカー。フォード・モーターとソ連の共同事業の会社が起源

*2
1899年12月6日 - 1981年5月3日。代表的な偽名は、レオニード・アレクサンドロヴッチ・エイチンゴン。ほかにもナウム・イサーコヴィチ・エイチンゴンという偽名を用いた。

*3
Дедовщина。このいじめを苦にした自殺事件や上官暗殺、銃乱射事件などが多発している。今日のロシア軍でも問題視されており、いまだ改善する気配は見えない

*4
赤い星はソ連赤軍のエンブレムで、赤軍の事を指し示す




 暁の投稿で、余りにも会話が冗長とのご意見をいただいたので、だいぶ手を加えました。
気になる方は暁の原文をご参照ください。


ご意見、ご感想、大変な励みになります。
どんな形でも構いません。
また、誤字報告や内容に関しての連絡もお待ちしております。



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膺懲(ようちょう)(けん) 後編(旧題:恩師)

 東独首脳に降伏勧告を示す、ゲルツィン大佐。
ユルゲンは、変わり果てた恩師の様に、衝撃を受けながらも、行動に出る。
ゲルツィン大佐は、事の決着をつけるべく、愛弟子(まなでし)ユルゲンに一騎打ちを申し出た。



 払暁(ふつぎょう)のゲルツィン大佐の暴挙は、まもなく共和国宮殿の会議室に、伝えられた。

「な、何!ゲルツィン大佐と名乗る男が……司令の首を持って現れただと!」

伝令の言葉に国防大臣は驚愕の声を上げるも、

「同志大臣、ゲルツィンだけじゃありません……ソ連軍の戦術機が参謀本部に」

困惑する国防大臣を余所に、訝しんだシュトラハヴィッツ少将が、

「ゲルツィンは、カシュガル帰りの衛士です。しかし妙ですな」

議長は、是非ない顔して、

「どういう事だね」と問いただすも、シュトラハヴィッツは、

「パレオロゴス作戦の実施延期も中止も決まってないうちに、なぜソ連赤軍が敵対的な行動をとり始めたかです。

もし、指導部への工作なら今年の3月の時点でKGBが失敗しています。

ですから、時機を逸していますし……」

また、奥に居る議長に向かって、

「今のBETA戦争は、レンドリースがあって、初めて為し得るもの。

ハンガリーを通って、兵力をソ連領内のウクライナに戻すことは可能でも、逆は無理でしょう。

既に米軍は、ポーランド駐留を決定していますし、また国際世論が許しますまい」

内相は、議長の問いに、

「人民警察でも、このところ、駐留ソ連軍の動きには目を配っていました。

ですが、今日の事件まで、その様な兆候は認められませんでした」と応じた。

上座に座る議長は、色()めた顔で、重い口を開き、

「万が一にも、ここでKGBの反乱でも起きれば……」

と言い終わらぬ内に、内相が重ねる様にして、

「14年前のフルシチョフ追放の宮廷クーデターですか。

あの時も、KGBが絡んでいますし、今回の駐留ソ連軍の件も、その線は否定できますまい」

「嘗ての改革派、コスイギン*1首相もKGBが後ろに居ることを知り、翻意したからありうる」

と告げ、立ち上がり、

「どちらにしても、ゲルツィンの狙いが判らぬことは確かだ。

早速だが、シュトラハヴィッツ君、出迎えの支度をしてくれ」

「では、後ほど」

シュトラハヴィッツは、軍帽を被って、大広間に行った。

 

 

 シュトラハヴィッツは、共和国宮殿に通されたゲルツィンの事を、先頭に立ち、案内して行く。

白い大理石に、全面をブロンズミラーガラス張りの、真新しい建物の大広間を進む。

3月のKGB部隊の襲撃の影響か、所々に鉄帽(ヘルメット)防護服(ボディーアーマー)姿の兵が居並ぶ。

議場まで通ってくると、開かれたる扉のかたわらに、黙然、出迎えている将校の姿があった。

ゲルツィンは、一人の人物を認めると、はたと足を止めた。

その人も、凝然(ぎょうぜん)と、彼を見まもった。

「もしや……」

 ゲルツィンが探し求めていた、ユルゲン・ベルンハルト、その人であった。

東欧諸国の派遣部隊と一緒に、遠くモスクワからクビンカ基地へ来た頃の、訓練時代のお互いの姿や、教導の様が、瞬間、二人の胸には込み上げる様に思い出されていたであろうか。

ゲルツィンの大きな手が、肩に乗った重さに、ユルゲンは体中がじんと熱くなった。

「ゲルツィン教官、この国へ、何時お見えになられましたか」

「ベルンハルトよ……、見ちがえる程になった」

「教官も……」

ユルゲンは、東独軍の戦術機隊長の立場に返って、うやうやしく敬礼をした後、

「ゲルツィン教官、いずれ、詳しく話しましょう」と、立ち去った。

 

 大会議場に差し招いた議長は、開口一番、ゲルツィンに、

「ご用向きの要旨をさきに伺おう。この度、ドイツへ忍んで来られた事の仔細は」

と問いただすも、ゲルツィンは胸を張って、

「ずばり、戦争の回避です」と、堂々と演説した。

「この期に及んで、戦わずに、しかも平穏にすむ、良い計策があるといわれるか」

「そうです」

「それは」

「降服するのです」

「降服」

「軍衣を脱ぎ、基地を捨て、国土を提供して、恭順を示す。

この国の全てを、我が党の処分にまかせる以上、同志書記長とても、そう無体な事は、なさらないでしょう」

ゲルツィンは、喜色満面に、

「KGB長官のお考えとしては、BETA戦争の完全勝利の為には、独裁体制が必要なのです。

まず、手始めとして、全世界のソビエト化をしなくてはいけません。

その際、ファシスト共や一部、世界銀行家の連中には、歴史の中に消えて貰います。

人類を救うために、多少の犠牲は必要なのです。

いかがでしょうか。そのお話、ここにて御確約を頂けませんか」と、たたみかけ、

「そして、KGB自体が、BETAに対する膺懲(ようちょう)(けん)となるのです」と、豪語した。

「伝言は確かだと信じよう。しかし、そのお求めには応じかねる」

「えっ」と、ゲルツィンはがくとしたように、胸を張って。

「お聞き届けは、いただけませんか」

「おろかな問いを」

 

議長は、しずかに、顔をゲルツィンの方に向け、

「同志ゲルツィン。こちらは私の暗殺未遂、しかも戦術機まで持ち出して。

おまけに大使館前で護衛に付いていたアスクマン少佐まで撃たれた」

手前の椅子を引っ張り出すと、それに踏ん反り返る様に腰かけ、

「こちらは、ソ連の人間を標的に掛けてないのに……」

ゲルツィンは、眼をみはって、

「これは異なことを……。

我がソ連は、一度として、ブルジョア諸国やファッショ政権に叩頭した歴史はありません」

と、言いやるも、奥に居たユルゲンは、その一言を聞くや、たまらず、

「おことばですが」と、額には玉の汗を掻きながら、彼はしずかに、

「では、その見解を改めてもらいましょう……」と、笑みを湛え、堂々と答えた。

 

 その場に衝撃が走る。

ゲルツィンの護衛は、慌てふためいた様子で、

「何だと!」と、一斉に声を上げ、発言の主である青年将校を見つめた。

ゲルツィンは、額に深い皴を刻みながら、

「となると……結末は一つか。残念だな。同志ベルンハルトよ……」

と、ユルゲンの問いに答えるも、ゲルツィン大佐の副官が立ち上がり、叫んだ。

「懲らしめてやりましょうよ、同志大佐」と顔に(あざけ)りの色を浮かべ、

「この小童どもに駐留軍30万*2の力を見せつけてやれば、寝ぼけた頭も冷めるでしょう」

と、ユルゲンをねめつけた。

 

議長の脇に居るシュトラハヴィッツが、不敵の笑みを浮かべ、

「此方には、東欧諸国が付いている事をお忘れなく……」

と暗に、東欧からの、軍事支援の準備が有る事を匂わす。

 

 はっと、色を変じながら、ゲルツィンが不意に立ち上がった。

「同志ベルンハルト!」

血走った目の浮かんだ、青白い顔を、ユルゲンの方に向け、

「何も国を挙げての戦争をする必要はない……ここで二人で決着をつけるのも方法の一つだ」

紙巻きたばこを取り出すと、火を点けた。

ユルゲンは、不敵の笑みを湛え、

「お望みならば……」と、一言告げると、ゲルツィンは、薄ら笑いを浮かべながら、

「その意気買った。サーベルだけでの一騎打ち。無論自前の戦術機でな」

と、勢いよく左手の手袋を外すと、ユルゲンに向かって、放り投げた。

それは、正しく、決闘の申し込みの合図であった。

 

 かつて、広く西欧文化圏では、神前での決闘が、裁判の一手法であった。

中世にあっては、貴族層の特権であったが、市民革命で、その意味合いは変化する。

(みずか)らの名誉をかけた物へと、変化した決闘は、王侯貴族のみならず、市井の徒に広まった。

19世紀末まで、西欧のみならず、米国やロシアでも盛んにおこなわれた。 

 古色蒼然(こしょくそうぜん)たる、一騎打ちの申し出。

それは、もうとっくの昔に、廃れ果てた物に思えた。

まるで、中世の騎士時代に、引き戻す様な、ゲルツィンの誘いに、引き込まれていくユルゲン。

神妙な面持ちで、手袋を拾い上げると、ゲルツィンに差し出した。

 先程まで平静さを保っていたカッツェは、その時ユルゲンが目を逸らした程、驚愕の色を表し、

「バカ、止めるんだ。そ、そんな事っ……」

ユルゲンは、おもむろに手を挙げ、カッツェの事を制すると、不敵の笑みを湛える。

「もし議長の名代の私が勝ったら、貴方方はベルリン……」と、するどく呼びかけ、

「否、ドイツ全土から引き揚げる覚悟を持ってもらいたい」

その言葉を聞いた、大佐は、紫煙を燻らせながら語り掛け、

「ほう、面白い。ならば決着がつくまで、ベルリンには手を出さない確約はしよう。

明日の正午、場所はロストック軍港だ。楽しみに待っているぜ」

ゲルツィンは、そう言い残すと、ソ連将校団を引き連れ、去っていった。

 

 

 まもなく、ゲルツィンたちが引き上げた宮殿に、一人の人物が、訊ねた。

党幹部で、経済企画委員会に名を連ねる、通産次官、アベール・ブレーメである。

議長は、一室に差し招き、そこで密議を凝らした。

 アーベルは、被っていた帽子を脱ぐや、開口一番、

「今回の件は、わざわざゼオライマーへの対策と称し、核ミサイルまで持ち出した。

核の操作権を握っているのは、議長、国防相、参謀総長。

だが、その首を挿げ替えるのは、容易ではあるまい……」

 ソ連の核ミサイル発射手順は、議長と国防相と参謀総長の3人に最終決断の権限があった。

万が一に備え、3人の内の2人が揃えば、起動出来るシステムで、核の脅威は消える事は無かった。

「とすると、KGB長官が裏で準備をし、議長までをも動かした」と、驚くようなことを口走った。

 男は、アベール・ブレーメの発言に血相を変え、

「何ぃ、ソ連書記長が、操り人形だってのか」

ソファーに、深々と腰かけるアベールが、告げる。

「ゲルツィン大佐という、怪しげな男の暴走……」と、黒縁眼鏡を、右手で押し上げる。

「シュミットの様な小物が首謀者ではない。何か、大掛かりな仕掛けがあるはずだ。

でなければ、わざわざユルゲン君のソ連時代の教官を密使に仕立て上げる必要もあるまい。

KGBの組織や細胞*3が健在だったら、あり得ない。そう考えると辻褄が合うではないか」

「じゃあ、仮に最高指導者が傀儡(かいらい)というのなら、誰がソ連を操っているのだ」

ふと彼は、冷笑を漏らす。

「考えてみ給え」

右手をスラックスの側面ポケットに入れ、中より「CAMEL」のタバコを取り出す。

「『ハンガリー動乱』の折、フルシチョフ*4を説得し、派兵を実現させたあのKGB長官か……」

縦長のオーストリー製のオイルライターで火を点け、

「しかし、ブレジネフにはスースロフが後ろについている」と、紫煙を燻らせながら答えるも、

「もしソ連指導部に影響力のあるスースロフ、その彼が裏でKGB長官と手を組んだのなら……」

アベールの発言に、男は笑いをふくんで、

「KGB長官は、そのスースロフの推薦で中央委員にまで上り詰めた男だ。そうは思えぬが」

「ブレジネフ書記長は、KGB長官に弱みを握られた。

KGBだから、スースロフの影響が及ばぬ所で、工作する機会なんて、いくらでもある」

顔色を変え、あわてる議長を横目に、なおも、

「KGB長官の狙いは、端からソ連を乗っ取る事だったかもしれん。

予め作戦を練ってから、ゲルツィンを、ドイツ国内に放った」と、いった。

「いくら何でも滅茶苦茶な話だ」

すっと立ち上がり、背広の前ボタンを止める。

 

アベールの答は、それに対して、すこぶる明確なものだった。

「或いは、首脳をゼオライマーに殺させる案を、奴がスースロフに話を持ち込んだ。

ソ連を牛耳らないかと……。

スースロフは如何すると思う。ましてや最高指導者の死は、自分の責任問題に発展する。

決してあり得ない話ではない」と、彼は断じるのである。

テーブルの上に置いてあるホンブルグのクラウンを掴み、持ち上げた。

右手で鍔を押さえて、左手で水平になる様に整えながら被る。

「確かに今回のゲルツィン大佐の行動は不自然すぎる」

「邪魔したな……」

ドアノブに手を掛けたアベールに男が声を掛ける。

「坊主には会わねえのかい」

「彼も、一人前の男だ……。今更、私が同行できる立場ではあるまい」

アベールの言葉に、男は相好を崩した。

*1
アレクセイ・ニコラエヴィチ・コスイギン(1904年2月21日 - 1980年12月18日)

*2
反乱を恐れたソ連は、東独軍総兵力9万に対し、30万人以上の兵力を東独国内において、牽制していた

*3
共産党用語で下部組織の事

*4
ニキータ・セルゲエヴィチ・フルシチョフ(1894年4月17日 - 1971年9月11日)ソ連の政治家。ソ連共産党中央委員会第一書記




 まず、作者都合で予告した連載日時より遅れた事は申し訳ないと思っています。
不徳の致すところです。

ご意見、ご感想、よろしくお願いします。
どの様な評価でもお待ちしております。

よろしかったら、各種アンケートを実施していますのでお答えください。


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銀色の戦術機(旧題:恩師)

 ユルゲンは東ドイツ自主独立の夢の為に剣を取り、恩師と戦う事を決意する。
一方、ゲルツィン大佐は、秘密裏に新型機を持ち込んで、待ち構えていた。


 ユルゲンたち一行は、正午ごろ宮殿から、国防省に移動した。

 庁舎の中に入るなり、向こうから歩いてきた一人の婦人兵と、ばったり会う。

それは、夏季勤務服を着たマライ・ハイゼンベルク少尉で、偶々所用で本省に来ていたのだ。

彼女から敬礼を受けた際、ユルゲンは、返礼も終わらぬ内に、笑顔で呼びかけ、

「丁度良い。ハイム将軍の所に連れて行ってくれないか」と、マライの右肩に手を置く。

彼女は、ハイム将軍の秘書官の様な立場ゆえに、頼る事にしたのだ。

ユルゲンは、誘われる形で、マライに声を掛けられ、知り合い、何時しか恋心に似た物を(いだ)く。

 

 久しぶりに見るマライは、何時に増しても美しく感じられる。

ユルゲンは、サファイヤ色の瞳で、彼女の美貌(びぼう)を、何気ない振りをして見つめた。

彼の視線に気づいたマライは、頬を染めながら、薄い翠色(みどりいろ)の瞳を見開き、

「ハイム将軍ですか……」と、どこか、媚びを含んだ艶かしい声で、返すと、

「これから騒がしくなる。参謀本部にも話を通しておくのが筋だろう」と、答えて。

ユルゲンは、彼女の右手を、両手で優しく包み込み、じと左目の下にある泣き黒子(ぼくろ)を見つめた。

 そんな様を見た副官のヤウクは、困惑の色を隠すかのように、

「参謀本部に自分から乗り込んでいくのか……」と話を元に戻した。

ユルゲンは、戸惑う副官を振り返り、

「恐らく参謀総長も俺に会いたがってるはずだ……」と、呟いた。

照れを隠すように笑みを浮かべたマライは、ユルゲンの右手を掴んだ儘、

「さあ、行きましょう。恐らく同志将軍達も待っておられる筈です」と、導くように歩き出す。

 

 後ろからついてきたカッツェは、笑って、

「ユルゲンにもそんな一面があったとは、ガキの頃から付き合いのある俺でも、知らなかった。

じゃじゃ馬娘一筋かと思ってたが、間違いだったな。いや、ユルゲンを見直したわ」

ソ連留学組の同輩達は、不愉快に取る所でなく、彼の秘事(ひじ)(たの)しんでいる様子だった。

 

 

 

 さて、ユルゲン一行は、ベルリンから近郊のポツダムに向かった。

サンスーシ宮殿の脇を通り抜け、ゲルトウの参謀本部に、乗り付けた車が止まると、勢いよく飛び出す。

 マライに案内されながら、ユルゲンは、物思いに耽っていると、参謀総長がいる会議室の前に着く。

彼女の傍から離れて、室内に入り、ドアを閉めると、掛け声がかかる。

「総員傾注!」

姿勢を正すと、全員で参謀総長に敬礼をする。

 その場には、国防大臣、情報部長、ハイム少将、その他数人の将校が顔を揃えていた。

彼等の姿を認めるなり、ユルゲンは軍帽を脱ぐと脇の下に挟み、

「同志大臣、同志大将……、小官の独断専行をまず謝罪いたします」

と、深々頭を下げると、会議場に、ざわめきが広がった。

 

 椅子に腰かけていた国防大臣は立ち上がるなり、右手をかかげ、

「諸君、同志ベルンハルトの話を聞こうではないか」と、頭を上げるように指示を出し、

「同志ベルンハルトよ……、面を挙げ給え。過ぎたのことは、まず良い。

今回の騒擾事件は……、間違いなくソ連指導部に何かがあった兆候だ」

近寄ると、彼の周囲を歩く。

「ゲルツィンが仕掛けてきたと言う事は、極東に動きがあったのかもしれない。

我等は、そう考えている」

 

 ユルゲンは、国防大臣の言葉に、ハッとさせられた。

 確かにロシアは東西に長い国だ。一度に二正面作戦など無理……

だとすれば、彼等の狙いは、駐留ソ連軍の極東への大規模な移動。

 三十数年前の戦争の時も、ソ連はモスクワ防衛の為に、モンゴルから十数個師団を引き抜いた。

スパイ工作*1を実施して、日本軍の関心を満洲から南方に移させ、後方の安全を確保したほどだ。

 仮に日米対策で、BETA戦争で手薄になったシベリアやカムチャツカ半島。

そこに兵力を補充させるのなら、決してありえない話ではない。

世界有数の大艦艇を誇る日米両国に対抗するには、現状のソ連太平洋艦隊では厳しい。

 

 

 

 国防大臣は、俯き加減のユルゲンに声を掛け、

「同志ベルンハルト、ゲルツィン大佐との一戦。もし失態を演ずれば……」

立ち竦む彼の前を、腕を組みながら通り過ぎる。

「今、議長が目指している自主への道は根底から崩れることになり、ソ連の思うがままにされるであろう」

後ろに立っていたヤウクは、右手を差し出すと、食指で天井を指差す。

「ユルゲン。こんな大事な時に臆するなんて、君らしくないじゃないか……」

こぶしを握り締めて、力強く励ました。

「ここは、一思いにケリを付けるべきだ」

相槌を打つかのように、大臣は振り返った。

「是非とも、君の力の限りを尽くしてくれ」

 

 奥で立っている参謀総長から、大臣へ縦長の箱の様な物が手渡される。

大臣は、それを高く掲げて、ユルゲンの前に差し出す。

「これは議長からお預かりした剣だ。

これを奉じて、ゲルツィン大佐の暴走を抑え、駐留ソ連軍を牽制して欲しい」

ユルゲンが受け取った、紫のベルベットに包まれた物。

それは、指揮官の証である、軍刀と拳銃の一式であった。

 

 ユルゲンは、(こうべ)を垂れると、宝剣と一揃いの箱を恭しく受け取り、

「軍人たるもの一旦引き受けた以上、死を賭して使命を果たす所存です」

と、威儀を正し、国防大臣に返答した。

太くごつごつとした男の両手が、ユルゲンの掌を包む様に触れた。

(いや)、軽々しく死などと、口にするものではない……。

必ず、必ず、我等の元に戻ってきて、吉報を告げて欲しい」

ユルゲンは、大臣の差し出した手を握りしめ、感激に胸を震わせた。

目を瞑ると、深々と頭を下げ、

「お言葉、胸に畳んでおきます……」と、その場にいる重臣達に一礼をし、会議場を後にした。

 

 ユルゲンは自宅に帰らず、基地に泊まって明日の準備をすることにした。

強化装備から戦術機の不具合個所の確認と、追加装甲の装備をする為である。

追加装甲とはいっても、人間に相当すると手持ちの持盾(もちたて)に当たるもの。

特殊な耐熱対弾複合装甲材で形成され、対レーザー蒸散塗膜加工が施されている。

 速度を上げて敵中を突破する光線級吶喊(レーザーヤークト)の戦法を取る東独軍では、あまり好まれなかった。

重く、嵩張る盾は、高い機動力を活かしての攻撃回避を主とする戦術機の運用に影響するとして忌避される傾向にあったのも事実。

 刀折れ矢尽きた時、最後の方策として、打撃用の武具にはなったが、それに頼るときは既に戦場で孤立した時が多かった。

 

「これの縁に、鋼鉄製の装甲板を追加してくれ」

「今から人をかければ、明日の正午までならば……」

「いや、明日の早朝までに……」

ユルゲンが、整備兵相手に熱弁を振るっていると、年老いた男が奥から出て来る。

男は白い整備服に、眼帯姿で頭を丸坊主にし、胸まで届くような白いあごひげを蓄えていた。

その人物は、整備主任である、オットー・シュトラウス*2技術中尉。

第二次大戦以来、航空機や戦術機の整備をして来た海千山千(うみせんやません)の古強者。

「縁を鉄枠で囲むって、聞いた事がねえぜ」

蓄えた顎髭を撫でるシュトラウス技術中尉に、ユルゲンは深々と頭を下げ、

「同志シュトラウス、無理を承知でお願いいたします」

「おめえさんは、戦術機の頭に鍬形(くわがた)*3を付けてみたり、支那のサーベルを複製させたり、突拍子もねえことばかり言うからよ……。

俺もこれくらいの事じゃあ、驚かなくなったぜ」

喜色をめぐらせたシュトラウス技術中尉は、彼に背を向け、

「おめえ等、聞いたか!グズグズしてるじゃねえぞ、一晩で仕上げる」

と、整備中の技師たちに向かって声を上げ、技師達は力強い声で返事をした。

「了解!」

 

 こうして、夜は更けていった。

気分転換に屋外の喫煙所に来ていたユルゲンは、脇に居るヤウクに問うた。

「今日は二十六夜月(にじゅうろくやづき)か……、ハイヴ攻略には不向きだな」

薄暗い屋外のベンチに腰かけながら、悠々と紫煙を燻らせるヤウクは、立ち竦むユルゲンの方を向く。

「米軍の連中、新型爆薬を使って高高度から爆撃するんだろ……カシュガルの時みたいに変な新型が出てきて全滅、何てならなければ良いが……」

彼は努めて、明るい声で言った。

「今回は多分、日本軍のゼオライマーが支援に回ってくれるさ」

「でも僕の聞いた話だと極東に居るんだろう……どうやって9000キロの距離を移動するんだい。

そんな魔法みたいにパッと消えて、パッと現れるならいいけど」

 ふとユルゲンは、右の薬指*4に嵌められた白銀(プラチナ)製の指輪を覗き見る。

それは、木原マサキより送られた、次元連結システムを応用した特殊な指輪であった。

「何とかなるさ。あの男は、二時間でBETAの巣穴を消し飛ばした魔法使いみたいな物だから」

深夜の格納庫に、二人の男の笑い声が、木霊した。

 

 

 翌日の払暁(ふつぎょう)、ロストック港近くの埋め立て地で蠢く人影。

駐留ソ連軍の工兵部隊が、数台のタンクローリーで乗り付けると作業が始まる。

車は、チェコスロバキア製のタトラC111で、ホースを伸ばして、地面に向かって何かを撒いていた。

「油を撒いて、ドロドロにするんだ。たっぷり燃える様にな」

ホースより轟々と流れるのは、可燃性の高い航空機燃料であった。

 ガスマスク姿の工兵達は必死に金てこで、地面に埋まった岩や土塊を掘り起こす。

「対戦車地雷もたっぷりくれてやれ。あの小生意気な餓鬼を吹き飛ばす位にな!」

深さ1メートルほどの穴に直径50センチほどの対戦車地雷を埋め込むと、上からスコップで土をかける。 

 もう50個ほど埋めた事を確認すると、ソ連軍の将校は合図する。

「細工は上々だ。急げ」

「了解」

兵達は道具を持ったまま、幌の掛かったGAZ-66トラックの荷台に乗り込む。

前照灯を煌々と焚いて、その場から走り去っていった。

 

 

 兵達に強化装備を付けさせながら、秘密報告を聞いていたゲルツィン大佐は、

「そうか、例の新型機は準備したか。

まさか東独軍の連中に気付かれるようなへまをしていないだろうな」

各種装置を収納したハードプロテクター類の密着を確認しながら、眼前の男に尋ね、

「でえじょうぶですさ。この最新型で、然しもの美丈夫も一瞬にして昇天しまさあ」

蒙古訛りの強いロシア語で話す軍曹は、下卑た笑みを浮かべる。

 ゲルツィン大佐は、ミコヤム・グルビッチ設計局*5が開発中の新型機を秘密ルートで持ち込んでいた。

それは『チュボラシカ』という開発コードで、F‐4Rファントムを再設計した機体。

ソ連製では初となる純国産の戦術機で、最先端情報を元に作り上げていた。

可変翼を装備していたが、燃費や整備性は、すこぶる悪かった。

 それはBETA戦争前まで、ソ連が潤沢な石油資源のお陰である。

ほぼ無料に近い値段でとれる天然資源は、航空機エンジンの燃費を気にする必要がなく、整備性や静粛性などは軽視された。

 技術的な事が原因ではなく、欧米のエンジンに出力さえ劣らなければ、他の事は些細な事として無視する設計思想が根底にある為であった。

 

 

 

「より慎重に待機して置け」

ヘッドセットを付けるために、顎を上向きにする。

「体が鈍ってしまいますんで、同志大佐、早えこと頼みますぜ」

「分かって居る」

 

仁王立ちしていた、ゲルツィン大佐は気合を入れて、声を上げる。

全身に力を入れ、両腕の上腕の筋肉を盛り上げて、健在ぶりを兵達に見せつける。

「よおしっ!」

周囲を見回した後、号令を下す。

「出撃準備」

赤軍兵士達は、鯨波(とき)の声を上げて、建物を飛び出していった。

 

 

 通常飛行でロストック港に向かう赤軍戦術機部隊の一群。

鎌と槌が描かれたソ連国旗を掲げながら、堂々と東ドイツの空を飛んでいた。

だが、誰も(とが)める者も、抗議する物も居なかった。 

 この様に、東ドイツの置かれた状況は、一言で言えば、(みじ)めであった。

KGBの(ほしいまま)にされ、駐留ソ連軍はもとより大使館員の下働きまで、勝者の特権を思う存分に行使した。

BETA戦争で、ソ連が凋落(ちょうらく)し、極東に僅かばかりの領土を残す状況になっても、変わりはなかった。

 

 だからこそ、ソ連にとっては、光線級吶喊で名を挙げた二人の英雄は、目の上のたん瘤であった。

ユルゲン・ベルンハルト中尉とアルフレート・シュトラハヴィッツ少将には、死んでもらう必要がある。

そして、後ろで(けしか)ける、新任の議長と今の指導部も同様だ。

彼等には、「思想的鍛え直し」が必要ではないか……

 嘗ての様にシュタージ長官でさえ、KGBの許しがなければ、(かわや)にすら行けぬ様にせねばなるまい。

 その様にゲルツィン大佐は思い悩んでいると、副官の中尉から通信が入り、

「どうした同志中尉」

網膜投射越しに、浅黒い中尉の顔が映る。

「もうそろそろ付きます。ご準備を」

機内にある高度計に目を落とす。

「うむ」

 

 地上には、すでに色も機種もバラバラな三体の戦術機が居並んでいた。

その内、深紅のバラライカPFが、川の中州で、佇んでいた。

追加装甲に左手を委ねる様にし、右手は非武装の状態で待機している。

30メートルほど離れた所に、東独軍の迷彩を施したバラライカと深緑のF-4Rファントムの姿が見える。

 

 ユルゲンの目の前に、ゆっくりと銀面塗装のされた新型機が降りて来る。

ゲルツィン大佐は、機体の姿勢を正すと、ユルゲンに通信を入れ、

「その意気は買おう、そんな旧型機で俺に勝てると思ってるのか……」

右手を肩の位置まで上げると、兵装担架より長剣を取り出す。

 

 ユルゲンは、網膜投射越しのゲルツィン大佐に、不敵の笑みを浮かべる。

深紅のバラライカは、前進し、僅か数メートルの距離で止まる。

同様に長剣を抜き出し、振り下ろす。

「最初からあなた方がこのように動けば、こんな無益な殺生は避けられた」

彼の言葉に、意表を突かれた様子で、暫し呆然とした後、

「どういう事だ、同志ベルンハルトよ」

「シュミットを使い、コソコソ裏から手を回して、暗殺隊をベルリンに送り込んだ」

外側に向かって下げた切っ先を、円弧(えんこ)を描く様にして内側に向ける。

「昔のソ連ならそんなことはしなかった。自らの力で俺達を潰しにかかったはずだ」

 

 

「何が言いたい」

ゲルツィンは、そう言うと操縦桿を動かす。

新型機・チュボラシカは、刀に左手を添えて、右肩に乗せる様に構える。

「既にソ連の社会主義は停滞した。その姿は守りに入ったのと一緒だ」

相対する深紅の機体は、盾を、管制ユニットを覆う様に構えた。

「守りの姿勢になった国家など、脅威ではない」

 

「ほざけ」

その瞬間、チュボラシカが踏み込む。

繰り出した一振りを、深紅のバラライカは刀の腹で払いのける。

鈍い音と共に火花が散る。

 

 ユルゲンは機体を主脚走行で左側に移動しようとした瞬間、思わず泥濘に足元を掬われた。

網膜投射越しに見ていたヤウク少尉は、思わず声を上げる。

「あっ!」

 

その刹那、チュボラシカは、噴出跳躍で飛び上がると、八双の構えで切り掛かる。

バラライカは、咄嗟に盾で右肩を覆う様に、構えた。

振り下ろされた一撃は、追加装甲の縁に当たり、轟音と共に火花を散らす。

それと同時に刀の中ごろから折れ、使い物にならなくなってしまった。

 

 ユルゲンは、追加装甲の縁を鋼鉄で覆い、爆薬を仕掛けた。

カーボン材は軽量で耐久性が高いも、耐衝撃性が鉄に劣る。

重い長剣をぶつけたら、どうなるか……

幾らカーボン製の刃が焼き付けしてあると言っても、戦術機に搭載する為、軽量化してあるはず。

恐らく中は、中空……。簡単に折れるはずである。

そう考えて、敢て重量のある鋼鉄で覆ったのだ。

 

 

「まさか、盾に仕掛けをしていたとはな……」

3分の2ほどが折れた接近戦闘長刀を遠くへ、放り投げる。

地面にぶつかると、勢い良く火柱が上がり、爆発した。

「足元に仕掛けをする、あなた方が言えた事ではないでしょう」

ゲルツィンはユルゲンの問いを無視すると、操縦桿を捻る。

左腕のナイフシースを展開し、柄を掴むと勢いよく切っ先を深紅のバラライカに向けた。

「そういう事なら、ナイフの方が攻めやすいってことさ」

 

 

 

「別な武器を使うなんて卑怯だぞ!ゲルツィン」

突撃砲を構えようとしたカッツェ機の右腕を、深緑のF-4Rが左手で押さえる。

「待つんだ、カッツェ……。奴等、地面に重油をまき散らしている。

これじゃあ、火器管制システムを使えば、ユルゲンまで火だるまになってしまう」

ヤウク少尉はメインカメラで、周囲を見回す。

「不自然な地面の盛り上がり方からすると、そこら中一杯に地雷が埋まってる。

攻撃ヘリや戦車が支援に来れないように、奴等が仕掛けて来たんだ」

 

「万事休すか……」

思わずカッツェは機体の操作盤を右手で強く叩いた。

「諦めるのはまだ早い。僕たちはユルゲンを信じよう」

「こんな目の前に居るのに何も出来ないって、それはねえだろう」

興奮したカッツェの顔が、網膜投射越しにヤウク少尉の視界に入って来る。

「兎に角、今は機会を待とうじゃないか」

 

 

噴出地表面滑走(サーフェイシング)で太陽が背中に来る位置に移動する。

「ベルンハルトよ。俺がナイフ使いであることを忘れたか」

太陽の眩しさに一瞬、目が眩んだ隙に噴出跳躍で飛び上がった。

メインカメラを潰そうとして、袈裟掛けを喰らうも済んでの所で避ける。

右側の(しころ)のように盛り上がった部分に当たり、滑り落ちる。

幸い、メインカメラも通信アンテナも影響はなく、深紅の塗装が剥げ、地金が見えただけに止まった。

 再びナイフで攻寄るチュボラシカ。

勢い良く跳躍ユニットを吹かし、バラライカの管制ユニット目掛けて突っ込んで来る。

その瞬間、轟音と共に深紅の機体は跳躍した。

 泥濘に立てた追加装甲を足場代わりにして、更に跳躍する。

追加装甲が倒れ込むことに、気を取られたチュボラシカ目掛けて飛び降りる。

その際、太刀の握りに左手を添えて八双の構えを取る。

右手の握力を調整し、軽く乗せるようにした後、左手で剣を支える様に持つ。

袈裟掛けで振り下ろす刹那、再び右手の圧力を調整し、強く握りしめる。

地面に着地すると同時に、刀ごと上半身を左側に捻る。

銀色の機体の左肩から、管制ユニットの前面に向かって斜めに切りつけた。

其の儘、力なく銀色の鉄人は、崩れ落ちる様に倒れて行った。

 

 通信装置を通じて、ゲルツィンの叫び声が聞こえた瞬間、ユルゲンの戦意は失われた。

深紅の機体は立ち止まると、管制ユニットを開いて、砂地に飛び降りていった。

 横倒しになった、チュボラシカの胴体に飛び移り、国際救難コードを素早く打ち込む。

管制ユニットを開き、中から、赤く染まったゲルツィンを引っ張り出そうとすると、

「馬鹿野郎。てめえの部下を見捨てて、敵を助けに来る奴があるか。

KGB工作員の俺が助かった所で、どうなる。任務を失敗し、生き残ったスパイの末路は悲惨だ。

それに、BETA共のせいで、もう帰る故郷(くに)も、家族も無い」と、苦しげに告げた。

 操縦席から抱き上げたユルゲンに、右手で、腰の拳銃嚢を開け、紙を差し出すと、

遺言(ゆいごん)代わりに聞いてくれ。第6旅団近くにある郵便局は、俺の私書箱がある。

そこに、般若心経(はんにゃしんぎょう)*6梵字(ぼんじ)*7と漢字の古い写本が、二つづつ、木箱の中に入ってる。

16世紀の蒙古王、アルタン・ハーン*8がダライラマ*9より下賜された由緒あるものだ。

蒙古伝来の、カルムイクの宝を、俺の形見として渡す」と、ユルゲンに紙を渡し、

「俺は、好いたお前の胸の中で死ねるのだから……幸せだ」と、言いやった。

おもわずユルゲンは、彼の腕を握りしめ、滂沱(ぼうだ)の面を向ける。

次第に、息切れをし始めたゲルツィンは、最後の力を振り絞る様に、

「違う世界で……出会っていたのならば、同じ志の為に……仲良くやれていたかもな」

と、告げると、安堵したかのように、目を閉じて、こときれた。

 

 

 

 

ユルゲンが、そうして居る合間、突然、奥に居るソ連赤軍の戦術機部隊の副長機が動く。

「ええい、血祭りに上げてやるわ」と、吐き捨て、機体の右手を挙げた。

ソ連側の戦術機十数機は、一斉に突撃砲を構え、攻撃の姿勢を見せる。

 

 対岸に居る深緑のF-4Rと迷彩模様のバラライカも突撃砲を構える。

「この数じゃ……」

ヤウク少尉は、思わず唇を強く噛み締めた。

ソ連側の提案を真剣に守って、最低限の武装のみで来た事を今更ながら悔いた。

突撃砲は各機一門。残りの武装は自分が背負っている二振りの長刀のみ。

この距離で敵を牽制しながら攻撃しても、自分の身は守れてもユルゲンが危ない。

重油が撒かれ、地雷が多数埋まる中州に居るのだ……

 

 そうしている内にレーダーに多数の機影が映る。

「僕の運命もここまでか……」

まもなく轟々と響き声をあげた戦術機の群れが近づいて来るのが判った。

左手で右のナイフシースを展開し、逆手に持ち替える。

 これで管制ユニットを貫けば、一思いに死ねるだろう……

夢半ばで果てるのは無念だ……

 

 そう思ってナイフを突き立てるのを躊躇って居た時、友軍の戦術機が目の前に飛び降りて来た。

同輩のヘンペル少尉で、両手に突撃砲を持ち、腰を低くして、身構える。

「大丈夫だ。味方を連れて来た」

 

 ヤウク少尉は、機体のメインカメラを上空の方に動かす。

銀色の塗装の戦術機が20機以上。左肩には黒地の塗装に髑髏(しゃれこうべ)の文様……

 確か、米海軍第84戦闘飛行隊の文様のはず。

米海軍の部隊が、何故ここに……

 

 唖然とするヤウクやカッツェを尻目に、ヘンペル少尉は、勢いよく喋り出す。

「丁度、第84戦術歩行戦闘隊*10が、ドイツに表敬訪問してくれたのさ」

彼は軍事全般に詳しく、東西両陣営の兵器にも明るかった。

「元々1955年7月1日にオシアナ海軍航空基地*11に発足した米海軍第84戦闘飛行隊。

それを元に、戦術機部隊に改組して、作ったのがこの部隊さ」

機種や車種を見ただけで製造年度や年式が判る程の知識の持ち主でもあった。

「元々は放浪者*12という綽名だったけど、1959年4月15日に第61戦闘飛行隊が解体されてから海賊旗(ジョリーロジャー)を引き継いだ」

唯、欠点もあって、一度自分の持っているうんちくを話し出すと止まらない悪癖があったのだ。

「1964年にベトナム戦争に参加したのを皮切りに……」

何時までもおしゃべりを止めないヘンペルに、しびれを切らしたヤウクが、

「同志ヘンペル、いい加減にしろ。国際回線で他国の軍隊に筒抜けだぞ」と、釘をさす。

 

 再びヤウクが、対岸に意識を戻すと、目の前にいたソ連軍は、かき消すように姿を消していた。

傷つき、斃れたゲルツィン大佐を見捨てて、尻尾を撒いて逃げ去った様に呆れた。

それと共に、血みどろの大佐の亡骸を抱き上げ、立ち竦むユルゲンの姿を遠くより見守っていた。

 

*1
ゾルゲ事件。日本が大東亜戦争をする遠因の一つになった

*2
シュバルツェスマーケンの登場人物

*3
兜の飾り。ここでは戦術機頭部の通信アンテナの事

*4
英仏や、その影響を受けた日米と違い、ロシアや、東欧及びドイツ文化圏では結婚指輪は右手の薬指に嵌める習慣がある

*5
マブラヴ世界の航空機メーカー。現実のミコヤン・グレビッチ設計局に当たる

*6
大乗仏教の経典の一つ。大般若経約600巻を300字ほどにまとめた経典で、玄奘(げんじょう)三蔵(さんぞう)の漢訳が有名。唯一日本の法隆寺にのみ、梵語(ぼんご)の経典が伝わっている

*7
古代インドの言語、サンスクリット語を記す為の文字、悉曇(しったん)文字の事

*8
俺答汗、または阿勒坦汗。北元の(かん)(1508年 - 1582年)。山西省で20万人の虐殺を行うなど残忍であったが、青海侵攻時に面会したダライラマ3世に感銘を受け、仏教に帰依した

*9
チベット仏教ゲルク派の高位の僧。大海を意味する「ダライラマ」の称号は俺答(アルタン)(カン)より送られた

*10
史実では米海軍第103戦闘攻撃飛行隊が海賊旗を引き継ぐのは、米海軍第84戦闘飛行隊が解体された1995年10月1日からである。本作品ではパレオロゴス作戦で戦術機部隊が壊滅していないので、史実に準拠し、第103戦術歩行戦闘隊ではなく、第84戦術歩行戦闘隊とした

*11
米国東海岸にある海軍基地。1943年開設

*12
Vagabonds




 ご意見、ご感想、よろしくお願いします。
どの様な評価でもお待ちしております。

各種アンケートを、よろしくお願いします。











 ユルゲンの恋と、それにまつわる波乱は、18歳未満禁止の方で連載してます。
興味のある紳士淑女の皆様は、どうぞお読みください。
(URLとタイトルは載せません。作者名で探せば、出てきます)


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崩れ落ちる赤色宮殿  前編

 鎧衣は、マサキに手渡された資料と共に中共指導部に接触する。
一方、米国は、ゼオライマーの攻撃を支援のために、ミンスクハイヴ空爆を決定した。


 ここは、支那、北京にある中南海と称される地区。

元は、金朝*1の折に、大寧宮という夏の離宮が建てられた折に、人工池を作った。

北海、中海、南海、と三か所あったが、それらを纏めて、中南海と称す様になり、何時しか離宮そのものを指す言葉になった。

 

 そこにある古い官舎の中に、けたたましく鳴る電話のベル。

夜のしじまを破る様に、響く音の受話器を取ると

「もしもし……」と灰色の人民服を着た男は、聞き耳を立て、受話器の向こう側の声を聞き取る。

相手の男は、訛りの無い北京官話で、

「ハバロフスクで、何か動きがあったようです」と、つげると、男は、相槌を打ちながら、

「引き続き、赤軍の動向を探って呉れ」と、静かに受話器を置き、紫煙を燻らせた。

 

 中国共産党は、1977年のゼオライマー出現によって、すんでの所で首の皮一枚を繋ぎとめた。

あの時、新疆(しんきょう)のカシュガルハイヴが消滅せねば、ソ連の様に、少年兵の大動員をかけねばならなかったであろう。

新彊はおろか、西蔵(チベット)青海(せいかい)四川(しせん)甘粛(かんしゅく)……西部のほぼ全てが灰燼に帰していたかもしれない。

男の脳裏に、暗い未来が浮かんでは消えた。

 プロレタリア文化大革命*2の混乱の中で、襲来した異界の化け物……

混乱の内に黄泉の国に旅立っていった国家主席*3

その未亡人*4と取り巻き達*5は権力闘争に邁進したが、戦時と言う事で黙認された

 だが、ゼオライマーの出現によって、情勢は変化し、BETA戦に一定の目途が着き、政治的な余裕が生じる。

文革の為、長らく下放*6されていた経済改革派の官僚や憂国の知識人達は、中央に呼び戻された。

彼等は、国家主席の死による政治的空白とBETA退治の決着という、この機を逃さなかった。

東ドイツの無血クーデターに(うなが)される形で、政変を起こす。

 件の未亡人と取り巻き達は、逮捕された。

近々裁判が始まるが、どの様な末路を迎えるであろうか……

 再び静寂を取り戻した室内から、庭園にある池に映る満月を眺めながら、男は再び深く沈潜した。

 

 

 さて、マサキと別れ、支那に行った鎧衣(よろい)は、どうなったのであろうか。

 北京駐在日本大使と共に、北京から東へ約300キロメートル離れた河北省の避暑地・北戴河(ほくたいが)を訪れていた。

そこにある別荘の一室に、通訳や参事官たちと共に通されると、部屋の中では小柄な男が寛いでいた。

彼等は、灰色のズボンに白い開襟シャツを着て、椅子に背を預ける男に深々と一礼をする。

 

大使は顔を上げると、男の方を向いて、こう告げた

大人(ターレン)*7、お休みのところ、申し訳ありませんが喫緊の課題で参上しました」

男は、今にも夕立が来そうな暗い表情で言った。

「率直に申しましょう。我々は今の所、北方に割ける兵力は御座いません。

何より我が国に反動的な立場を取る河内(ハノイ)傀儡政権への懲罰に出向くしかありませんので……」

話の内容は、北ベトナムへの軍事侵攻を匂わせる物であった。

 

 

 大使は肘掛椅子に腰かけると、脇に立つ護衛に手紙を渡した。

ここにいる人間は、恐らく中共調査部*8か、中共中央統一戦線工作部*9の物であろう。

皆、護衛と言えども、筋骨たくましく恰幅が良く人間ばかりだ。

長らく続いた文革とBETA戦争で人民は飢えて食うや食わずの生活をしている。

共産主義とは言っても、所詮田舎の人間は奴隷*10なのだ……

遠い商*11代の(いにしえ)より変わらぬ、支那の現実。

 気を取り直して、手紙の事に関して言及し、

「先ずはこれをご照覧を」

 

 手紙を見るなり、男の表情は凍り付く。

其処には驚くべきことが記されていた。

 BETAが、一種の電気信号で動く生体ロボットと類推される。

「これは日本政府の見解ですか、俄かに信じられません……」

 男は、ぼうっと目の前が暗くなって、目の前にあるすべての事象が、自分から離れていくのを感じ取った。

しかもどこか知れぬ、深淵に引きずり込まれるかのような感覚に陥っていく。

 

 この話が事実ならば、この5年に及ぶ地獄の歳月は何であったのであろうか……

得るべき成果は無く、多くの尊い人命が失われたのは無駄であったのか。

あの化け物共が、ただの機械の類と言う話を受け入れることが出来なかった。

「そんな馬鹿な……、絶対にありえようはずがないではないか」

 20年前、火星で生命体が発見された事を喜んだことも、10年前の月面でのBETAとの初接触の衝撃も何の価値も無かったのか……

 だが、そう言って打ち消せば打ち消すほど、彼の想像ははっきりと、理屈ではなく事実として脳裏に映し出される。

 

 大使はテーブルの上に有る熱い茶を両手で持つと、蓋碗で扇ぐ様にして冷ます。

血の気を(うしな)って、死人の様に唖然とする男の姿を見ながら、一口含み、

「私も正直驚きましたよ……。陸軍参謀本部ではその様に分析して居ります」

「やはり、あのゼオライマーを作った木原博士が関わっているのですか……」

「面白い事を仰りますな」

彼はそう告げると、不敵の笑みを浮かべた。

一瞬、男の顔色が曇る。

「この話をソ連は……」

「公式、非公式にも伝達して居りません」

両切りタバコを二本立て続けに吹かした後、押し黙る彼等の方を振り向き、

「中ソ国境、中蒙国境で近々大規模演習を行う予定が御座います」

暗にソ連侵攻を匂わせる発言をする。

「7年間の抗日戦争*12を上回る、このBETA戦争の惨禍から復興……。

日本の力無くして為し得ません。故に我等は過去を一切水に流すつもりでおります。

その事を皇帝陛下並びに殿下*13に宜しくお伝えいただきたい」

男の言葉を最後まで聞いた後、大使はおもむろに立ち上がり、

「分かりました」と慇懃に挨拶をして、室内を後にした。

 

 一部始終を聞いていた鎧衣は、困惑していた。

思えば、木原マサキと言う得体の知れない男が現れてから、全てが変わった。

何百億ドルも費用をかけて実施した国連のオルタネイティヴ計画……。

ソ連が熱心に推進していたオルタネイティヴ3計画は、いともたやすく捨てられた。

数百人いたとされるESP発現体も研究施設も核爆発の下、全て消滅。

「あの木原マサキと言う男がオルタネイティヴ計画の中止に関わっているのだとしたら……」

彼は、慌てて打ち消した。

第一、そんな想像は自国の諜報組織や科学者たちに対する侮辱だ。冒涜だ。

日夜秘密工作に従事する諜報員たちが役立たずであるという事ではないか。

とても理屈に合わないように思えた。

 

 

 

 

 

 

 場所は変わって、米国・バージニア州ラングレー。

そこにある、中央情報局(CIA)本部では、長官をはじめとして、高官たちの密議が行なわれた。

「長官、今回のゼオライマーの件は……」

じろりと、長官の目に強い一瞥(いちべつ)を投げかけ、

「実はな……現在調査中なのだよ。大統領直々に御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)公に密使を派遣したばかりだ」

「御剣公……、たしか将軍の親族でしたよね。煌武院(こうぶいん)の分家筋の……」

長官は、重苦しく頷く。

「そうだ。ゼオライマーの行動次第によっては、今後に東アジア情勢に変化を与えるのは必須。

岩国から京都まで密書を送り届けたばかりだよ……」

「何故準備も不十分なうちに……」

長官は紫煙を燻らせながら、室内を何度か往復し、

「時間が経てば経つほど、KGBの潜入工作員(イリーガルエージェント)がこの情報を掴む蓋然性が高くなる」

答えた長官は少しばかりおいて、周囲の反応を見ていた。

 

「中ソ関係には影響は与えるでしょうか……」

再び、男の方を振り返り、

「10年前に熱戦*14を繰り広げた間柄だ。

中ソ関係は、対日、対米、対BETAで一応同じ立場を取っているが……、例えば対印や対越では立場が分かれる。

なので、第二次大戦時の時の連合国のようにはならない可能性が高い」

そう言って、灰皿を引き寄せる。

「一例を挙げれば、軍事分野でも中国は対空兵器はソ連に依存している。

それ故に技術移転を度々打診しているのだが、ソ連の反応は決して芳しい物ではない。

それくらい微妙な関係なのだよ。あの二国関係は……」

静かにタバコを灰皿に押し付けた。

「確実なのはBETAによって、もたらされた米ソ間の偽りの平和……。

その様な時代は終わりつつあることだよ」

 

 ふと男は、下卑た笑いを唇に浮かべ、

「今一度、アムール川あたりで衝突が起こって、中ソ対立して欲しいものですなぁ……」

ニタニタと笑う男の顔を、長官はまじまじと見た。

「なに笑っているのだね」

「中ソ双方の弱体化は、決して我が国にとって悪い事ばかりではありますまい」

男は長官の愁眉(しゅうび)を開かせようとして、その様な事を口走ったのだ。

取り持つような言葉に呆れて、放心したかのようにぐったりしている長官に、

「中断しつつあるパレオロゴス作戦の件はどうなりましたか」と、男は再び声を掛けた。

長官は気を取り直して、答えた。

「実はな……ルイジアナのバークスデール空軍基地から50機ほどのB52を飛ばして焼き消すつもりだ」

 長官が口にした「成層圏(ストラト)要塞(フォートレス)」の異名を持つ、戦略爆撃機B52。

翼幅56メートル、8基のターボファンエンジンを搭載した5人乗りの大型機。

同機は31トン超の爆弾やミサイルを搭載可能。最大航続距離は14,000キロメートルを超える。

空中給油を受ければ、即座に全世界に展開可能だ。

米国の核戦力の中核を担うとされている。

 初の実戦配備はベトナム戦争で、1965年から開始された、「北爆」で絨毯爆撃を行い、様々な戦果を挙げた。

 BETA戦争では航空機を一撃で消滅させる光線級の影響も大きく、時代遅れと思われていた機体。

ゼオライマーの活躍によってBETAの攻勢が落ち着きを見せてきたことによって、再び日の目を浴びたのだ。

 

「明朝……、7月4日の6時には、ミンスク上空から爆弾の雨を降らせるつもりだ」

「202回目の独立記念日に合わせた花火大会ですか……」

タバコを取り出すと、火を点け、ゆっくりと紫煙を燻らせると、再び語り始める。

「国際世論の反対を懸念して、核弾頭ではなく、新開発のS-11爆弾を使う。

無益な殺生によって、ポーランドやバルト諸国の青年たちの命が失われるよりは良かろうよ……」

 

 超高性能指向性爆薬・S11。

戦術核に匹敵する破壊力を持つ高性能爆弾で、ハイヴ破壊を名目として開発された。

一部では戦術機に搭載して『特別攻撃』をするプランもあったが、米軍では却下された。

多大な費用をかけ、育成した戦術機パイロットを自爆攻撃で失わせる……

費用対効果からしてもあまりにも馬鹿々々しい作戦故、否定された。

 放射能汚染の危険性がない核にも匹敵する威力の新型爆弾。

一見魅力的に見えるが、あまりにも高価なために実戦配備が進んでいなかった。

 

「グレイ博士が作っている新型爆弾は実現するのでしょうかね……」

男はそう告げた後、椅子から立ち上がる。

「何もそんなものがなくても心配はするまいよ……。我等には無敵の機体ゼオライマーがあるのだから」

ドアの前まで行くと、ドアノブを掴みながら尋ねた。

「木原と言う男が信用できますか……」

「ミンスクの件が終わったら、私の所に呼ぶつもりだよ」

そう言うと、部屋を去る男をそのまま見送った。

 

*1
1115年 - 1234年に存在した王朝。17世紀にかけて満洲人たちは後金と名乗り、後継者であることを示した

*2
1966年から1977年まで続いた毛沢東の権力闘争。史実では、1978年の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議において、「死者40万人、被害者1億人」とされた

*3
毛沢東

*4
江青。1914年3月5日 - 1991年5月14日。文革を主導し、毛沢東夫人として権勢をふるった。

*5
王洪文、張春橋、姚文元

*6
国民革命政府及び、中共で行われた、共産主義思想に基づき、国民を地方に送り出す政策。現在では、1968年に毛沢東の指導によって行われた10年間の上山下郷運動を指す

*7
近代支那語での、最上級の呼称。世代が上の人や高官に対する敬称、尊称でもある

*8
中共の情報機関。今日の国家安全部。1983年7月までは調査部の名称だった

*9
中共党中央委員会の直属で、中共と党外各党派との連携を担当する機構。ダライラマへの工作等の国際謀略にも携わる機関でもある

*10
支那は、有史以来、都市住民と農村部住民の間に厳然たる身分制度が存在している。今日の都市戸籍と農民戸籍はその名残である。朝貢国であった朝鮮、越南でも同様の制度が社会主義化で現存している

*11
紀元前17世紀ごろから紀元前12世紀ごろまで存在した支那最古の王朝。日本では殷王朝として有名

*12
支那事変

*13
政威大将軍

*14
中ソ両国は、1969年3月2日及び15日にアムール川(支那名:黒竜江)、支流ウスリー川の中州、ダマンスキー島(支那名:珍宝島)の領有権を巡って交戦した




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崩れ落ちる赤色宮殿  後編

 マサキは、ハバロフスク空港に乗り込む。
そこには、復讐に燃えるKGB長官が待ち構えていた。
ミンスクハイヴ攻略の行方は、マサキの運命は如何に。


 12世紀末、世界史上に突如現れた蒙古王、成吉思(ジンギス)(カン)

短期間に勢力拡大を成し、蒙古平原の奥底より全世界に打って出た。

それに伴い、ユーラシア全土をくまなく掠奪した事は、つとに有名であろう。

 そのタルタル人の惨禍(さんか)を思わせる様なBETAという異星からの化け物。

その群れから運よく逃れている、この地・シベリア。

(いず)れは、ジンギスカンの時の様に、ロシアは焼け落ちよう……

 ソ連指導部は、そんな懸念から、米政府との間にアラスカ売却交渉に入った。

その矢先に現れた、無敵の超大型兵器(スーパーロボット)・天のゼオライマー。

天才科学者・木原マサキ。

彼等が、喉から手が出るほど欲しがったのも、無理からぬ話であろう。

 

「ゼオライマーさえ、ソ連の物になれば……、ハイヴは疎か米国まで我等の物よ」

高らかに笑い声をあげるKGB長官。

手強(てごわ)い男よ……、木原マサキ」

薄い水色のレンズをした銀縁の眼鏡を取ると、周囲の人間を見回す。

「すでに2度、KGB特殊部隊を派遣したがすべて水泡に帰した。

君達がしくじれば、ハバロフスクを核で焼き払わねばなるまい」

どこからか、声が上がる。

「同志長官……」

右の食指を、ドアに向かって指し示す。

「ソビエト2億の民の運命は、君達の双肩にかかっているのだ!

赤旗(せっき)を高く掲げる前衛党の為、勇ましく死んで来い」

居並ぶ男達は、老人に対して挙手の礼をする。そして力強く叫んだ。

「万国の労働者の祖国、ソビエト連邦に栄光あれ!」

再び色眼鏡を掛けると右手を上げ、挙手で応じる。

不敵の笑みを浮かべるながら、彼等を見送った。

 

「既に勝負はついたような物よ。

然しもの木原も、ゼオライマー単機のみでは、第43機甲師団の砲火より抜け出せまい」

奥に座るソ連邦最高評議会議長の方を振り返り、一頻り哄笑する。

「GRUの馬鹿者共と木原が共倒れすれば、残すは東独の反逆者のみよ」

 

 

 そこに伝令が息を切らして、駆け込んできた。

「どうしたのだ!」

焦慮(しょうりょ)に駆られた議長、は伝令に問い質した。

喉も破れんばかりの声で、こう告げたのだ。

「た、大変で御座います、同志議長。第43機甲師団との連絡が途絶いたしました」

「何、43機甲師団もか。何と言う事だ」

 

 隣にいるKGB長官の顔から、先程迄の上辺だけの笑みは消えて、額に深い皴を刻み込んでいた。

「おのれ、木原マサキ、ゼオライマーめ……」

拳を握りしめ、身を震わせる。ただ眼だけが窓に向けられる。

窓からは、7月のシベリアの涼しい風が、吹き込んで来るばかりであった……

 

 日が明けるとともに、議長の命を受けたKGB長官は、市中に避難したソ連首脳を集めた。

 混乱する市外の喧騒を余所に、重武装の車列が一路ハバロフスク空港に向かう。

周囲を装甲車で固め、軍用道路*1驀進(ばくしん)し、去っていく姿を市民は唯々見守っていた。

 

 走り去る車の中で、男達は密議を凝らしていた。

「議長、空港にはすでに大型ジェットが用意してあります。

そこよりウラジオストック経由で、オハ*2に落ち延びましょう…」

「アラスカの件は、どうなったのかね……」

不安そうな顔をするソ連邦議長の愁眉を開かせようと、KGB長官は語り掛けた。

「議長。心配なさいますな……。我等が手の物がすでに米国議会に潜入して居ります。

我国の領土となるのも然程時間が掛かりますまい」

 

 車から降りた一行は、僅かな護衛と共に、ハバロフスク空港の滑走路に向かう。

離陸準備の整った、大型旅客機のイリューシン62*3に乗り込むべく、タラップに近寄った。

 その直後、唸り声をあげた自動小銃の音が響き渡る。

AKM自動小銃で武装し、茶色い夏季野戦服を着た集団が、議長達一行を囲んだ。

 

 彼等を掻き分ける様にして深緑色のM69常勤服(キーチェリ)を着た将校が、マカロフ拳銃を片手に現れ、

「同志議長。残念ですが、この飛行機は、我等GRUが使わせて頂くことになりました」

官帽を被った顔を向け、

「5分後には、ここは特殊部隊(スペツナズ)の空挺コマンド部隊が襲撃する手はずになって居ります。

貴方方は日本野郎(ヤポーシキ)と共に、この場で討ち死になされる運命……」

と、不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。

 黒い革鞘に入ったシャーシュカ・サーベルを杖の様にして、身を預けるKGB長官は、

「此処を爆破すれば、貴様も生きては帰れまい。違うか……」と、疑問を呈した。

将校は不敵の笑みを浮かべるばかりで、ただ拳銃を向けた手を降ろそうともしなかった。

 

 間もなくすると、羽虫の様な音を立てた航空機が3機、空港上空に現れた。

茶色い繋ぎ服を着て、厚い綿の入った降下帽をかぶった集団が落下傘で降下してくる。

「我々の負けの様だな……」と、議長は観念したかのように呟くも、

「持って回った言い方をなされますな、同志議長。

あなた方の殺生与奪は既に我等の手の中にあるも同然です」

 

 60名ほどの空挺兵士達は着地をすると、姿勢を正してソ連首脳を囲む様にして駆け寄って来る。

「同志議長、核爆弾操作装置をこちらにお渡しいただけませんかっ!

言う通りにしていただければ、脱出用の航空機も爆破せず、あなた方の生命も保証しましょう」

KGB長官は、振り返る議長を宥める様に、

「此処は逆らうべきではありませんな……。いう通りにしましょう」

男は、そんな彼等の様を見て、不敵な笑みを浮かべる。

 

 議長は、トランク型の核ミサイル誘導装置を手渡す。

受け取ったGRUの将校は、ひとしきり笑った後、態度を豹変させ、

「皆殺しにして、イリューシン62は我等が頂いていく」

「了解しました。同志大佐!」

 

 その時、何処から聞きなれぬ自動小銃の音がすると空挺部隊の兵士達は姿勢を低くする。

小銃の槓桿を引き、弾倉から薬室に銃弾を送り込むと、射撃姿勢を取る。

 

スペツナズを指揮した特殊偵察班長*4の大佐は、KGB長官をねめつけ、

「こいつらは捨ておけぃ!どうせ死ぬ運命だ」と、言い残すと足早にジェットに乗り込んだ。

 

 空挺兵士の乗ったイリューシン62は、轟音と共に離陸準備を始めた。

ソ連首脳陣は、空港の端の方に逃げるべく滑走路を横断し、ターミナルビルの方へ駆けこむ。

ふとKGB長官は立ち止まると、遠くより駆け寄って来る兵士達に敬礼をした。

 『パナマ』*5と呼ばれる防暑帽を被り、カーキ色の開襟野戦服に編上靴の一群。

彼等は、KGB虎の子の部隊である、アルファ部隊の兵士達であった。

憤然とした長官は、遅れて来た兵士達に指示を出す。

「裏切者どもを撃ち殺せ!」

 

 無線機を持った兵士が、空港に待機しているストレラ-10*6に連絡を入れる。

即座に赤外線誘導ミサイルが発射されると、ロケット弾は直進し、航空機に衝突し、爆音が響き渡る。

 

 ほぼ同時に広がった眩い閃光と共に、白磁色の機体が滑走路に出現する。

天のゼオライマーは、ハバロフスク市内より空港に転移してきたのだ。

ゼオライマーより飛び降りて来る、帝国陸軍の深緑色の野戦服を着た男。

着地すると、姿勢を正すより早く拳銃を取り出す。

右手に構えた長銃身の回転拳銃(リボルバー)をソ連邦最高会議議長に向けると、眉間を一撃で貫いた。

脳天から血を吹き出しながら、議長は地面に倒れ込んだ。

 

 巨大ロボの出現に唖然とする彼等の目の前で、ソ連邦議長は暗殺された。

自動小銃を背負った日本兵が、回転拳銃を片手にソ連首脳に近づいて来る。

「何者だ。貴様は……」

男は、不敵な笑みを浮かべつつ、ロシア語での問いに、ドイツ語で応じ、

「俺は、木原マサキ。天のゼオライマーのパイロットさ」と答えた。 

 

 KGB長官は怒りのあまり、身体を震撼させ、右の食指でマサキを指差し、

「こやつを殺せ!」と、吐き捨てた。

 周囲を警護する側衛官達が自動拳銃を一斉に取り出す。

雷鳴の様な音が周囲に響き渡ると同時に、 首相の体を幾筋もの弾道が通り抜けた。

濛々と立ち上がる白煙と、轟音の後、横たわる首相の遺体を前に、

「あなた方の指示が原因で、ソ連はゼオライマーに荒された……。

それが今はっきり判りました。その責任を首相に取ってもらったまでです」

と、側衛官の一人が呟いた。

 

 唖然とするマサキを余所に、ソ連人たちは内訌を始めた。

側衛官の一人が拳銃をKGB長官に向け、

「勿論、貴方にも責任を取ってもらいますよ……長官」

政治局員の一人が、重い口を開いた。

「だが、その前に聞きたい。木原マサキの抹殺命令は、国益の為か……」

KGB長官は、一頻り哄笑した後、

「そうだ。ソ連国家100年の計の為、私は木原の抹殺を指示した。

残念なことに、その企てを知る首相を君達は殺してしまったのだよ」と、彼等の方を振り向く。

 

 

 

 

「嘘を抜かせ。はなから俺の事を狙っていたではないか。違うか……」

マサキは、ソ連人の間を掻き分けると、KGB長官に相対し、

「遺言があるのなら、俺が聞き届けてやるよ」

彼は、インサイドホルスターに回転拳銃を仕舞うと男の方を向いた。

 

 長官服を着た老チェキストは、右に立掛けたサーベルを取ると、鯉口を切る。

老人は、流暢なドイツ語でマサキの問いに応じた。

「この場所に君が来た時点から、君の負けは決まっていたのだよ……、木原マサキ君」

抜き身のサーベルを振りかぶり、マサキの顔に近づける。

頬を白刃の峰で、ひたひたと叩かれるも、マサキは身動ぎすらしなかった。

 

「木原よ……聞こう。貴様の望みとは何だ」

マサキは鋭い眼光で、目の前の老人を睨みつけた。

「俺の方こそ聞きたいね……何故俺を付け狙う」

薄く色の付いた眼鏡のレンズが夏の日差しを受け、怪しく光る。

「私個人の感情としては、我が甥ゴーラ*7(かたき)を取らせてもらうためとだけ言っておこう」

黒く太い秀眉を動かす。

「ゴーラだと……聞いた事がないな。そんな雑兵」

冷笑を浮かべた老人は、左手で色眼鏡を取ると懐に仕舞い、

「せめてもの慈悲だ、教えてやろう。

ゴーラこと、グレゴリー・アンドロポフはKGBの優れたスパイとして東ドイツに潜入。

シュタージの少将にまでなった。その名をエーリッヒ・シュミットと変えてな!」

と、しいて苦笑してみせながら、

「故に、貴様の動きは逐一、この私の耳に入ったのだよ……。

今頃は駐留ドイツ・ソ連軍の中にいるKGB部隊が暴れ回る手筈。

シュトラハヴィッツ少将と忌々しいベルンハルト中尉、議長諸共殺している事であろう」

と、勝ち誇る様に、言い放った。

 

 長官の話を聞いたマサキは、アハハと、一頻り哄笑し、

「何がおかしい」

長官の目の前に、じりじりと歩み寄ると、腰のベルトから何かを差し出し、

「ハハハ……。今の話、すべてばっちり記録させてもらった」

そう言って、満面の笑みで、右手に握った携帯レコーダーを見せつける。

「貴様……」

長官は、再び怒りに身を震わせ、ナガン回転拳銃*8を、腰から取り出した。

 

 吊り紐で背負ったM16自動小銃を取ろうとした矢先、左手に握った六連式の拳銃が火を噴く。

「お互い銃は抜きだ……、お前も日本野郎(ヤポーシキ)であろう、侍の末裔だろう。

剣技で決めようではないか」

 そう言って拳銃を捨てると、馳け寄ったKGB長官は、サーベルを振りかざして、

「死ねぃ!」と、斬り下ろした。

マサキは思わず後ろに引き、間一髪のところで一撃を避ける。

必死の思いで一閃(いっせん)(かわ)すと、背を向けて、その場より退いた。

 

 銃を抜こうとする兵士達に向けて、長官は言い放った。

「諸君。手出しは無用だ、私の好きなようにさせてくれ。

ソ連を守る盾であるKGB長官の私が、今こそ、このたわけ者に思い知らせてやるのだ」

剣を構えたKGB長官は、さながら憤怒した豹を思わせた。

 

 マサキは、レコーダーを仕舞いながら、失笑を漏らした後、

「面白い。茶番に付き合ってやろう」と、M16小銃から20連発の弾倉を外す。

左腰より銃剣を抜き出し、着剣した刃の先を、老人に向けた。

 

 薄ら笑いを浮かべる老人は、サーベルを持ちながら段々と、にじり寄って来る。

マサキの繰り出した銃剣の一撃を難なく(かわ)すと、彼の動く方に刃先を向ける。

「あっ……」

マサキの顔に、不安と躊躇(ためら)いの色が浮かんだ。

もう一度、銃剣を繰り出すも、サーベルを払い落とすどころか、寸での所で弾き返されてしまう。

火花が散り、カチンと鈍い金属の音が不気味に響き渡る。

 矍鑠(かくしゃく)とした老チェキストの、振り下ろす刃に、恐れおののいた。

身を()()らしつつ、本能のままに、防ぎかわす。考えている暇はない。

このままいれば、(いず)れは、執拗に迫りくる閃光の元に、倒されるであろう。

 

 

「何を怯えている。さあかかってこい、木原よ」

喜色をみなぎらせた老人は、左手で煽る様にマサキの事を手招きする。

 マサキは再び小銃を構えるが、負けを悟った……。

このままでは勝てない……。

 だが薬室には、挿入した5.56x45ミリ NATO弾が一発は入っている。

至近距離なら外しはしまい……。

 戦いとは情け無用なのだ。KGB長官のお遊びも終わりにしよう……。

僅かばかりの勇気を振り絞って、男の胸目掛けて銃剣を着き出す。

老人は身をかわすと、左手で銃身を握りしめ、サーベルで彼の肩から切りつけた。

刀は背中から着けていた×字型の背負紐(サスペンダー)の留め具に当たり、火花を散らす。

 力いっぱい小銃を振り回して、老人の手から離す。

マサキは、胸元に銃口を突き付けると躊躇いなく小銃の引き金を引いた。

 

 

 絶妙の剣技で攻め立てた老チェキストの亡骸から銃剣を引き抜くと、周囲を見渡す。

興奮が醒めて来たマサキは、恐る恐る左肩を見る。

強烈な一撃を喰らうも、背負紐の金具によって裂傷は防げた模様。

 だが痺れるような痛みが、左手の指先まで広がって来るのを実感した。

小銃を負い紐で背中に回した後、右手でぐっと抑える。

 左肩の傷は段々と痛みを増して来て、下に着ている肌着を(にじ)み出る汗が湿らせる。

額から流れ出る汗を拭う事もせずに、マサキは、並み居る赤軍兵を一瞥。

右手をベルトのバックルに当てると、眩い光とほぼ同時に衝撃波が広がっていく。

喊声(かんせい)を上げ、攻めよって来る赤軍兵士をなぎ倒すと、光はマサキを包んだ。

光球は素早く移動し、ゼオライマーの元に向かった。

 

 ゼオライマーの操縦席に転移したマサキは、背負っていた自動小銃を脇に投げ出す。

左肩を押さえ、やっとの思いで背凭れに座り込むと同時に合図した。

「美久、出力80パーセントでメイオウ攻撃を仕掛ける」

彼は、操作卓のボタンを右手で手早く連打する。

「了解しました」

 

 ゼオライマーの手の甲に付いた球体が光り輝き、周囲を照らす。 

次元連結システムを通じて、異次元空間よりエネルギーが集められ始まる。

力なく垂れ下がっていた機体の両腕が、勢い良く肩の位置まで上がった。

 

 市街地より濛々と土ぼこりを舞い上げ、勢いよく前進して来る40機余りの集団。

噴射地表面滑走(サーフェイシング)で、先頭を走るは、黒色の見慣れぬ戦術機。

恐らく試作機か、新型機であろうか。後方よりMIG-21を引き連れ、突進してくる。

 件の機体は、ずんぐりむっくりとしたMIG-21バラライカとは違い、ほっそりとしている。

各部の意匠や全身が角ばった装甲板が配置された外観は、従前のバラライカとは大きく異なった。

刃の切っ先を思わせる様な鋭い面構えに、ソ連技術陣の期待の高さを伺わせる。

 轟々と空より、響き渡る跳躍ユニットの音。

西の方角より匍匐飛行で、80機余りの灰色の塗装の施されたMIG-21が現れた。

右肩に大きく描かれた赤い星……、ソ連赤軍を示す国家識別章。

左肩に書かれた連隊番号が区々(まちまち)な所を見ると、残存部隊の寄せ集めだろうか。

横一列に隊列を組んで、段々と低空飛行で接近してくるのがレーダーで確認できた。

 如何に多数の戦術機を運用するソ連赤軍とはいえ、今回の損失は如何ばかりであろうか……

ふとマサキは思ったが、この手で消し去る存在。どうでも良くなった。

 

 

「かかれ!奴はたった一機だ。我がソビエトの為に打ち取れ」

(げき)を飛ばしながら、突撃砲を唸らせ、近づいて来る。

隙間なく降り注ぐ弾丸の雨が、ゼオライマーを覆う。

背部兵装担架に懸架している二門の突撃砲も含めた計四門の火砲から浴びせられる攻撃。

何事もないかのように、ゼオライマーは射撃準備を取り続けていた。

 

 胸の球体から、灼熱の太陽を思わせる様な強い光が放たれる。

直後、僚機から戸惑いの声が上がる。

「ええ!」

「何だ、アレは……」

全部隊の状況を確認する余裕は隊長にはなかったが、必死の思いで指示を出す。

「全機後退!タミナール・ビルまで退避ぃ!」

 ただ隊長にさえも説明する時間などなかった。

ゼオライマーの攻撃準備を確認する間さえなく、滑走路の路面が大きく割れ始める。

戦術機に搭載可能な兵器では満足に削る事さえ困難な強度を誇るコンクリート…… 

 まるで綿あめのように溶けていく様を見ていると、光に包まれた。

新型機の管制ユニットに、強烈な衝撃が走る。

「此処で退けばソ連の運命は……」 

男の駆る灰色の戦術機は、全身を完全に消し去っていった。

 

 

 

 

 数台のソ連空軍汎用ヘリコプター『Mi-8』。

その機内から遠く離れたハバロフスクから上がるキノコ雲を唖然と見つめていたものがいた。

ソ連赤軍婦人兵のラトロワで、グルジア人たちとウラジオストックに向かう途中であった。

 

「ハバロフスクが……」

心配そうに西の方角を見つめる彼女の背中に、カフカス人の若い男が近寄る。

M69将校勤務服を着た黒髪の男が、そっと包み込む様に両手で肩から抱きしめた。

「フィカーツィア。親父が……俺を逃がした理由は分かるか」

左側に立つ男の顔を覘く。緑色の瞳がじっと彼女の顔を捉えた。

「親父は、最初から日本野郎(ヤポーシキ)と討ち死にする心算(つもり)だった……」

抱きしめられたラトロワは、男の体の震えを背中越しに感じ取っていた。

「親父はグルジア共産党第一書記として、グルジアの自主独立の道を探っていた。

30年余り共産主義青年団(コムソモール)から身を起こしてグルジア共産党中央委員を務めあげた。

グルジア保安省大臣も務めた男だ……。

あのゼオライマーと言う大型兵器(スーパーロボット)に勝てぬのは、百も承知だったに違いない」

 男の潤む翠眼(すいがん)を、唯々ラトロワは見ていた。

「俺に落ち延びる様に命じたのは、何れグルジア再独立の際に……」

込み上げる感情で、男は、痛哭(つうこく)した。

 

 ソ連はBETA戦争初期、ロシア系市民以外の少数民族の戦線投入を実施した。

しかしBETAの迫りくる物量の恐怖は、プロレタリア独裁の専制政治を遥かに凌駕した。

 時折、仏心を見せたKGBとは違い、BETAは機械の様に動き回り、ソ連を無慈悲に(むさぼ)った。

政治将校(コミッサール)からの粛清や、KGBの弾圧の恐怖さえも忘れさせるBETA……

最前線での脱走や反乱は日常化し、指揮系統の維持は困難を極めた。

 

 そこでソ連政権の採った方策は、スターリン時代以来、禁忌の存在であった民族問題。

同民族での部隊編成や、終戦後の民族共和国ごとの自主独立をソ連政治局の指令で認めた。

 しかし同時に、楔を打ち込むことは忘れなかった。

出生した乳児は、生後間もない段階で軍事施設に送り込む、政治局指令を合わせて発令。

1936年以来、家庭保護、母性の尊重を続けたソ連の家族政策を一変させる出来事であった。

 人々は、かつて孤児が徒党を組み、街を練り歩き、婦女子を辱め、店を破壊したを思い起こす。

家族制度の否定による、道徳なき時代の再来を、心から危惧した。

 

 

 男は、志半ばで倒れた亡父を想い、嗚咽(おえつ)しながら続ける。

ラトロワは、背中で男の温もりを感じながら、静かに聞いていた。

「ソ連の銀狐の息子として……、グルジア第一書記の息子として……」

言葉に詰まった男は、思わず天を仰ぎ、

「自分の遺志を継いで、政治の表舞台に立ってほしいという事だよ。俺はそう思っている」

そう告げると、男は悲痛な面持ちのまま、項垂れた。

 傷心の男を慰めようと、機内にいる人物の口々から発せられる。

抱き着く男の前に佇むラトロワの耳にまで、カフカス訛りの強いロシア語が聞こえて来た。

「若……」

「無念で御座ります……」

男の頬から流れ出る滂沱(ぼうだ)の姿を見て、軍服姿の護衛達は(むせ)び泣いた。

 

 

 1978年7月3日。

その日、帝政ロシア時代より続いた120年に及ぶハバロフスクの歴史は終わった。 

 

 マサキは、睥睨(へいげい)する様に(そび)えるゼオライマーを背にして、日の傾き始めた屋外に佇む。

機密性の高い操縦席で喫煙をするのは、ご法度ゆえ、一人機外に降り立っていた。

マサキは痛む左肩を庇いながら、懐中より紙巻きたばこを取り出す。

ホープの紙箱よりタバコを抜き出すと、口に咥え、右手に持つライターで、炙る様に火を点けた。

 

「あまりにも他愛無(たあいな)いものだ。あの様な連中に……この俺が傷つけられようとは」 

そうつぶやくと、紫煙を燻らせながら跡形もなく消えたハバロフスク市街を一人歩いた。

暫し考え込んだ後、煙草を投げ捨てると、再び機内に乗り込む。

 荒野に吹く一陣の風と共に、ゼオライマーは姿を消した。

 

*1
ソ連では一般道の他に舗装のされた軍用道路があり、平時より運用されてきた。現在のロシアやCIS諸国でも同じ

*2
北樺太の都市

*3
ソ連のイリューシン設計局で開発された、長距離用ジェット旅客機

*4
今日でも、GRUのスペツナズは、特定の課を置かずに、工作班の一つとして管理されている

*5
Панама.本来、英語と同じようにトキヤ草(パナマ草)の葉を細く裂いたものを編んで作られる帽子を指した。現在ではバケットハットや(つば)の広い帽子の事も含めて、パナマという

*6
機甲部隊や要地上空の低空域の防衛用に開発された、赤外線誘導式小型対空ミサイル

*7
グレゴリーの愛称

*8
Револьве́р систе́мы Нага́на образца 1895 года.ナガンM1895回転拳銃。ダブルアクションのリボルバー拳銃で、特殊な消音装置を付けられる。1933年にトカレフ自動拳銃が出来た後も、トゥーラとイジェフスクで終戦まで生産された。現在も少数が、ロシアやCIS諸国の治安機関や鉄道や郵便などの公的部門で使用されている




 ご意見、ご感想、誤字報告お待ちしております。
どの様な評価でも付けて頂けたら、幸いです。


年明けからは、暁での連載に追いついて来ているので、不定期投稿とさせていただきます。


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雷鳴止まず 前編

マサキは、米空軍によるミンスクハイヴ空爆に先立ち、単機で光線級吶喊(レーザーヤークト)を行う。
その際、CIA工作員と接触し、謎の物質、G元素の回収を依頼される。


 マサキは、ハバロフスクから遠く離れた西ドイツのハンブルグに転移した。

間もなく始まるB-52『成層圏(ストラト)要塞(フォートレス)』爆撃機による絨毯爆撃に先立ち、地上のBETA群掃討の連絡を受けた為であった。

 その一方を聞くやマサキは、自分を道具の様に使う、この世界の日本政府に呆れた。

昨晩より一睡もしていない彼は、命令を伝達した珠瀬(たませ)彩峰(あやみね)へ、一度抗議する為にわざわざ戻ってきたのだ。

無論、八つ当たりではあるが、彼の思考能力は、それほどまでに睡眠不足で低下していたのだ。

 

 だが基地に戻るなり、彼はCIAの工作員と引き合わされた。

「貴方が木原博士ですね」

頭を出家僧の様に、綺麗にそり上げた、背の高いの白人の男が、声を掛ける。

右手に黒いリボンが着いた灰色のホンブルグを持ち、金縁のレイバンのサングラスをかけている。

上質なカシミヤ製の濃紺のブレザーを羽織り、灰色の純毛のスラックスに、ストレートチップ。

ブルックスブラザーズの服で固めた工作員は、如何(いか)にも映画に出てくるような姿(しな)であった。

 

 マサキは、椅子の背もたれに寄り掛かると、大きな欠伸(あくび)をして、男を見つめ、

「手短に頼む。俺は昨日から寝ていないんだ」と、紫煙を燻らせる。

男はサングラスを取ると、茶色の瞳で、気怠そうな顔をしたマサキの顔を伺い、

「左様ですか。では貴方にこのハイヴ攻略が成就なさった後、米国で我等が研究のお手伝いをしてほしいのです」

たどたどしい日本語で話しかける工作員の方を振り向き、

「俺は、あの化け物共が持ち込んだ物質がどんなものか、さっぱり分からぬ。

その研究とやらを詳しく教えてくれ」と、こう告げ、左手に持ったコーラを一気飲みする。

 

 面会して()れたマサキへの感謝を込め、深々と頭を下げたCIA工作員は、

「実は我々は5年ほど前、ハイヴから特別な物質を発見いたしました。

ロスアラモス研究所のグレイ博士が発見した物で、俗に『G元素』と呼ばれるものです」

と、自慢げに語り始めた。

 

G元素』と呼ばれるもの。

 それは、重力操作や強力な電磁波の発生など、未知の領域の技術発展の可能性を秘めた物質。

事の始まりは、1974年、カナダ・サスカチュワン州アサバスカに、BETAが落着した時に戻る。

その際、核飽和攻撃で殲滅した残存物から、人類未発見の物質が発見された。

 手を持て余したカナダ政府により、米国のロスアラモス国立研究所に持ち込まれた。

同研究所の若手研究者、ウィリアム・グレイ博士が調査し、人類未発見の元素を発見する。

後に、彼の名を取ってを、グレイ元素と名付けた。

 

 

 工作員からの説明を受けた彼は、興味深そうに頷くと、

「ほう。俺に化け物の巣穴を掘り返せと……」

タバコを灰皿に押し付けてもみ消し、斜め後ろに立つ美久に声を掛ける。

「美久、俺の部屋からファイルを持ってこい。それを此奴らの親玉に暮れてやれ」

 野戦服姿の彼女は一礼をすると、部屋から出て行った。

その姿を見送った後、再び男の方を向いて、

「BETAの不可解な行動から、俺はある推論を立てた。

遠く銀河系の果てから来て、自己増殖を繰り返す化け物……世間はそう見ているが違う」

再び沈黙した後、ゆっくり眼を開け、

「奴等の狙いは地球上の資源集め。

カシュガルハイヴでの人民解放軍の調査にも協力したが、大変な量の埋蔵資源が持ち出された形跡がある。

中ソの核爆弾投下作戦失敗から、2週間足らずで光線級と言う、レーザーを出す化け物を作った所を見ると……」

と、胸ポケットより、ホープの箱を取り出し、

「少なくとも奴等の中継基地は14光日、或いは情報が往復することを考えて7光日の距離にあるとみることが出来る」

と、箱から、紙巻きタバコ抜き出し、咥える。

 昨晩より一睡もしていないのが答え始めたのだろうか。

段々と眠くなってくる脳を刺激しようと、ふたたびタバコに火を点け、

「ただ、この世界のロケットエンジンがいかに進んでいるとはいえ、打ち上げ準備期間や燃料の問題から、そんな短期間で奴等の基地を破壊することは困難であろう」

唖然とする工作員を前に、下がった眦を上げて、笑みを作る。

「そうなって来ると、この俺に頭を下げに来たと言う事か」

 

マサキは、気怠さを吹き飛ばすかの様に、勢いよく立ち上がり、

「良かろう。この際、俺が露助共に先んじてG元素とやらを盗み出して、それをシベリア中にばら撒いてやる」

一頻り笑って、強がって見せた後、再び男の顔を覘く。

「強力な磁場を発生させて、二度と蛮族しか住めぬような土地に変えるのも悪くはあるまい」

と答え、深々と紫煙を燻らせた。

 

「只今お持ち致しました」

美久が持ってきた資料を一瞥した後、胸に刺したボールペンを取り、白紙の上を滑らせる。

マサキは悪筆ではないが、筆記体が読めぬ米国人が多いので、ブロック体を楷書で書いて、

「これをグレイ博士とやらに見せてくれ。俺からの頼みはそれだけだ」

そう言って白紙をファイルの中に挟むと、男に渡した。

 

 CIA工作員の男が、部屋から退出した後、奥で座っていた彩峰(あやみね)に声を掛ける。

「おい彩峰!この世界の三菱重工か川崎重工でもいい。とにかく戦術機の研究をしている会社に連絡してくれ」

「木原よ、何故にそんな会社に連絡をするのだ。俺を通して陸軍の技術本部でも良いぞ」

「一か所に限定すれば恐らくKGBに情報を素破(すっぱ)抜かれる。それに俺は陸軍内に(くすぶ)っている親ソ派の連中が怖い」

 

 マサキは、親ソ反米派の独断行動を恐れたのだ。

元の世界で、嘗ての世界大戦の際も各国に居た容共親ソの工作員の為に避けられる戦争が避けることが出来ず、一千万単位の人命が失われた事を苦々しく思い起こしていた。

 ルーズベルト政権下で辣腕を振るったハリー・ホプキンス*1やアルジャー・ヒス*2などがGRUやNKVDの工作員であったのは公然の事実。

 ソ連を生き延びさせた武器貸与法(レンドリース)やソ連原爆の開発協力等は、ホプキンスの独壇場だった。

彼の指示で、原材料のみならず、原爆制作キットと呼べるような半完成品の状態で、米国からソ連に送ったりもした。

 ヒスは、GRUスパイとして、政権に参画し、国連創設に関与などもした。

そんな彼は、後にソ連スパイと米国共産党*3秘密党員であることが暴露され、収監された。

出所後、厚かましくも裁判を起こし、勝訴した後、恩給で悠々自適に過ごしている、と聞く。

 防諜関係の厳しい米国でも履いて捨てるほどいるのだ。

ソ連に甘い、この世界の日本にはKGBの間者が居ないとは、言い切れない。

前の世界では、ソ連のせいで命を落としたマサキにとっては、気が気でない話だった。

 

 

 彩峰はひとしきり悩んだ後、引き出しからラミネート加工のされた紙を取り出す。

そして、マサキに渡し、

光菱(みつひし)重工*4富嶽(ふがく)重工*5河崎(かわざき)*6の連絡先だ」

そこに書かれていたのは、日本の主要な国防産業の連絡網だった。

「何がしたいが分からないが、俺の名前を出して電話しろ。取り次いでくれるはずだ」

マサキは、まじまじと電話帳を見る。

「彩峰……」

彩峰は引き出しから、ラッキーストライクを出すと、封緘紙*7を切り、開ける。

両切りのタバコを机に叩き付けながら、告げる。

「お前の頼みは聞いた。今度は俺の頼みを聞く番ではないのか」

両切りタバコの片側を潰して、吸い口を作るために、コツコツと紙巻き(シガレット)を叩き付ける音が響き渡る。

 

 マサキは冷笑を浮かべた後、一言漏らした。

「ミンスクの化け物を消したら、暇をもらいたい」

そう言うと、唖然とする彩峰を無視し、彼は立ち上がる。

立ち竦む美久の手を引いて、ドアを開けると、部屋を後にした。

 

 

 

 それから、マサキは単機ゼオライマーを駆り、ミンスクハイヴに向かった。

時刻は午前三時ごろで、夜明けとともに開始されるミンスクハイヴ空爆まで残された時間は、あと僅か。

ウラリスクやマシュハドの時の様に、さっさと片付ければ終わるであろう。

ただ今回はG元素を採取してきて欲しいとの依頼があったので手間はかかろう。

コンテナ20ケース程を拾い集めたら、ソ連赤軍が使えぬように原子レベルで灰にするつもりだ。

 

 ハイヴ内にはG元素に相当する物を作る精製設備があるのではないかという米軍やCIAの報告書を基に直近に転移した。

以前より数を減らしたとはいえ、多数のBETAが群れる様にして周辺を彷徨(さまよ)っている。

 ざっと見た所、恐ろしい溶解液を吐き出す、要塞級などが50体ほど確認できた。

ベルンハルトが、非常に怖がっていたのを思い出すも、貧弱な機体に頼らざるを得ない戦術に疑問を抱く。

一面に火砲を並べ、一斉射撃をし、光線級を消せば済むだけではないか。

この無敵のロボット、天のゼオライマーがあれば、容易い。

あの目玉の化け物共を、100キロ先からも狙い打てる次元連結砲に、必殺のメイオウ攻撃。

G元素などに(こだわ)らなければ、今すぐ灰にするのも可能だ。

 

 『あのカシュガルにあった、タコの化け物が何かの指令を中継する装置だったのであろうか』

マサキの脳裏にふと疑問が浮かんだが、どうせ吹き飛ばす存在故に、どうでも良くなった。

次元連結砲を連射して、手当たり次第にBETAを駆逐すると、地上構造物に突っ込む。

東京タワー程はあろうかという高さの構造物を、即座にメイオウ攻撃で破壊。

天に向かって、ぽっかり口を開けた深い縦穴に向かって降りる準備をする。

 

 底知れぬ深さの、主縦抗(メインシャフト)

ゼオライマーの地中探査レーダーの測定結果は、1200メートル。

ざっと、自由落下の速度を計算したが、153メートル毎秒……

 

 勢い良く飛び込むと、加速が掛かり、強烈な眩暈(めまい)と共に身体全体が軽くなるように感じる。

落下する寸前、自動制御でブースターが掛かり、軟着陸をする。

 薄暗いホール状の空間の中央に近づくと、やがて青白い光を放つ異様な物体が浮かび上がって来た。

まるで卵に似た形状をしており、よく見ると表面はまるでパイナップルの様なデコボコとした姿が見える。

恐らくこれが化け物共を誘導する装置なのではないか……

形は違えども、カシュガルで見たタコ足の生えた気色の悪い化け物と同じ類ではないか……

 

 CIAの資料に在った反応炉というのは、此の事であろう。

もしこの巣穴の主ならば、遠い異星との通信を担当しているのであろうか。

ならば、この場から信号を送られ、地球に向けて増援を寄越される事態になってからでは遅い。

躊躇せず、メイオウ攻撃で原子レベルまで灰燼(かいじん)()した。

 

 マサキは着ている深緑の野戦服を脱ぐと、強化装備と機密兜(ヘルメット)に着替えて、機外に下りる。

できれば防毒面(ガスマスク)や防護服で作業したかったのだが、ハイヴの中は未だに謎。

人体にどの様な悪影響を及ぼすか、不安だったため、嫌々ながら装備を付けたのだ。

 持ってきたスコップで、コンテナボックスに残土を拾い集めている時、機内に居る美久が訊ねて来た。

「何か、向こう側から、呼びかけのような反応が、ありましたが……」

 

 マサキは、ふとスコップを落とした。

『俺は、勘違いをしていたのかもしれない』

 

 マサキは、BETAが一種の生体ロボットであることは類推していた。

カシュガルでのタコの化け物がコンピューターを、美久を乗っ取ろうとしかけていた事から、そう考えていた。

故に、今回も電子機器に何かしらの反応があると踏んで、次元連結システムをフルに活用し、反応を調べていた。

 だが、めぼしい反応がなかったと諦めていた矢先に、この話を聞いて思い悩んだ。

彼女は今、鉄骨のような状態で、次元連結システムの主機関(メインエンジン)の構成パーツであるも、普段は特殊形状シリコンで、人間の皮膚を模倣し、全体を覆っている。

秘密を知る八卦衆も、ラストガーディアンの沖のいない、この世界では、彼しか知らぬ秘事中の秘であった。

 

 

 もし、今の事が事実ならば、BETAはシリコン、詰り珪素に反応したという事……

有機生命体である人類や哺乳類を生命として認識しているか、疑わしくなってきた。

間もなく彼は、一つの結論に達した。

『やはり奴等は、母星から滅ぼさねば……』

 

 そうなって来ると、この地球を支配する事より、まず先にBETAの母星に乗り込んで、本拠地ごと灰燼(かいじん)に帰すしか有るまい。

 マサキは、途端に不安になった。

今のゼオライマーの装備では、次元連結砲以外の武装が無いのが、最大の弱点だ。

未だ人類未到達の月や火星にあるハイヴに乗り込んだ際に近接戦闘に持ち込まれたりすれば、防ぐ手立てはない。

マサキは、そう思うと、背筋に冷たいものを感じた。

 

 天のゼオライマーは、他の八卦ロボとは違い、無限のエネルギーを有する。

それ故に、ほぼすべての武装を遠距離攻撃を主とするものに限定して設計した。

月のローズ・セラヴィーのように近接戦闘に対応する武器がない……

山のバーストンの如く、多段ロケット連装砲のような補助兵装も無ければ、火炎放射器やビーム兵器の類も無い。

天候操作や人工地震の発生も一応可能だが、風のランスターほど十分ではない。

 

 やはり新型機を、この世界で作るしかないか……

一層(いっそ)の事、八卦ロボの装備を闇鍋の様に混ぜた機体を一から作るのも悪くはない。

この世界のロボット建造技術があれば、元の世界で10年掛かる所を半年で出来るかもしれない。

鉄甲龍に残った同僚・ルーラン*8は15年の歳月を掛け、自分が破壊した八卦ロボを再建した。

 凡夫(ぼんぷ)*9のルーランですら作れるのだから、この世界の人間にも可能であろう。

異界の天才技術者の手を借りるのも、悪くは無い。

 

 そうなると、先んじて戦術機と言う大型ロボットを開発した米国の知見を利用する。

悪くないように思える……。

 早速基地に還った後、戦術機の技師である(たかむら)に知恵を借りるとするか……

手慰(てなぐさ)みに書き起こした、月のローズセラヴィーの図面でも持って行って、あの貴公子の機嫌でも取ろう。

 

 その様な事を考えながら、コンテナを機内に回収すると、コックピットに乗り込む。

椅子に腰かけて、地上に発進する準備をしている最中に、

「未確認の機影が多数接近。その数50機ほどです」

と、美久の報告を受け、通信を聞いたマサキは、

「恐らく米空軍だ」と、思わず、不愉快な顔をする。

 事前連絡の有った通り、大規模な絨毯爆撃が開始されるのであろう。

新型の高性能爆薬S-11の威力は、未知数。

余計な損耗を避けるために一刻も、早く脱出するのが得策。

操作卓を右の食指で強く打刻すると、即座に機体は転移された。

 

 

 

 マサキは、一旦、ミンスクハイヴから西方に30キロほどの位置に後退すると機体を着陸させる。

場所は、ラコフと表示され、リトアニアのビルニュスに向かう街道沿いの村落である事が判った。

 態々(わざわざ)、白ロシア国内に残ったのは、米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃(ばくげき)を遠くから見届ける為。

爆撃を一通り終えた後、最後の仕上げとして白ロシアの東半分を廃墟にするためであった。

 

 段々と東の空が明るくなって来ると、深い朝靄(あさもや)が晴れ始め、近くに建物が見えた。

廃墟となったロシア正教の寺院と思しき建物が目に入る。

その様を見ながら、マサキは過去の追憶へ沈潜していた。

 

 ソ連は、マルクスの言う所の『宗教は人民の阿片』という共産主義の原理に基づいて、あらゆる宗教を否定した。

ギリシア正教の流れをくむロシア正教は言うに及ばず、イスラム教、仏教、土着信仰の類まで徹底的に弾圧。

 王侯貴族の墓所を暴き、金銀財宝を略奪したばかりではなく、古代から崇拝の対象になっていた権力者や各宗教の聖人の墓所を暴き、屍を弄んだ。

 各宗教、宗派から荘園や寺院を暴力で取り上げ、僧侶や神父などの聖職者の大部分は、刑場の露と消えた。

ロシア正教の壮麗(そうれい)な寺院や大伽藍(だいがらん)は、食糧倉庫やラジオ局に改造されたのはマシな位で、その多くはゴミ捨て場や共同便所になった。

 モスクワの救世主ハリストス大聖堂*10など、代表的な施設は爆破されて、無残な姿をさらした事を思い起こす。

爆破の指令を出したスターリンは、神学校出の強盗犯であったのは、何という皮肉であろうか……

 

 ()()えと、朝日が廃墟となったロシア正教寺院に差す様を見ながら、マサキは思う。

何れや、BETA戦に一定の目途が着いた暁には、この世界から共産主義者を滅することを心に誓った。

 

*1
1890年8月17日 - 1946年1月29日。F.D.ルーズベルト政権の閣僚。商務長官を務めた後、無任所の閣僚として、病身の大統領に代わり、政権を切り盛りした

*2
1904年11月11日 - 1996年11月15日

*3
設立当初の名称は、国際共産党(コミンテルン)アメリカ支部。現在は非合法化され、地下にもぐっている

*4
現実世界の三菱重工業

*5
現実世界の富士重工業

*6
現実世界の川崎重工業

*7
封書・文書・包装などの封じ目に貼 って封をするための紙片

*8
『冥王計画ゼオライマー』の登場人物。風のランスター、火のブライスト、水のガロウィン、地のディノディロス、計四体の八卦ロボを設計、開発した。またマサキの計画の全貌を知っているも、最後まで明かさず、首領・幽羅(ゆうら)の面前で、拳銃自決をとげた

*9
仏教の道理をまだ十分理解していない者。そこから転じて普通の人

*10
19世紀に40年以上の歳月をかけ、建造されたロシア正教会寺院。1931年12月5日、スターリンの命で爆破された。跡地にソ連宮殿を立てる案が出来るも、世界大戦で中止。後に大型市民プールになる等の紆余曲折を経て、2000年8月19日に再建された




ご意見、ご感想お待ちしております。
ご要望がございましたら、暁の方のコメント欄に書いて頂ければ嬉しいです。
(ハーメルンの規則上、コメント欄では書けぬ為、こうしました)

 アンケートの方は読ませてもらっています。

18禁外伝のURLと題名は下記に乗せました(あとで表紙に乗せます)。
「ベアトリクス・ブレーメの淫靡な夢」です。
URL:https://syosetu.org/novel/289469/

タグに関するアンケートの方をよろしくお願いします。


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雷鳴止まず 中編

ミンスクハイヴからG元素を運び出そうとするマサキに、KGBは襲撃を掛ける。
極度の疲労の為、判断の低下し始めたマサキの運命は、如何に。


 太平洋艦隊の母港であるウラジオストック。

この地は、古くから蒙古や鮮卑系の渤海(ぼっかい)や金の一部で、外満洲(がいまんしゅう)と呼ばれる地域。

ロシア人到達以前より、同地は支那王朝の影響下にあり、明代は永明城、清代は海參崴(かいさんい)と称した。

 17世紀末、毛皮交易と称して領土拡張の野心を抱くモスクワの意図を汲んだロシア人が侵入。

数度、武力衝突があったが、康熙(こうき)28年*1、清朝によって国境が策定された。

世に知られている尼布楚(ネルチンスク)條約である。

 しかしロシア側は、次第に国境を無視。清朝の領土を侵食。

太平天国の乱*2で混乱する清国を、一方的に武力で威嚇。

咸豊(かんぽう)7年*3と咸豊9年*4には、帝政ロシアに有利な領土条約を一方的に結んだ。

これにより、黒龍江左岸の外満洲はロシア領の沿海州になった。

 

 

 そのウラジオストック防衛のために金角湾を臨む丘の上に(そび)える要塞。

19世紀末に極東の不凍港として開発された際に設置されたもので、対日、対米の軍事戦略上、重要視された。

同要塞にはソ連時代に入ると赤色海軍・太平洋艦隊司令部が置かれた。

 

 司令室に着いたブドミール・ロゴフスキー中尉は、黒山の人だかりに驚愕した。

ソ連邦構成15か国の代表団で、ごった返す入り口を、脇から警備兵と共に強引に入り込む。

奥に入ると、一人の男が、グルジア代表団との討議をしている最中であった。

 大将の階級章を付け、夏用将官服を着た男は、ソ連赤軍参謀総長。

彼は、臨時の『前線視察』と言う事でウラジオストックに先立って入市していた。

結果的に、ゼオライマー襲撃から運良く難を逃れていたのだ。

 

 

「既にハイヴ攻略が成されたとなれば、我々はソ連構成国より独立させていただく所存です」

勤務服(キーチェリ)姿の青年将校の言葉に、上座に腰かける参謀総長は、

「即時離脱は、私の処断で認められない」というを口実にし、

「だが、国連加盟なら許す方向にもっていくつもりだ」と、別な提案をして見せた。

 

 

 1924年のソ連憲法、1936年のスターリン憲法に在っても、ソ連構成国の独立する権利は文書として認められていた。

建前上、ロシア・ウクライナ・白ロシア・ザカフカスの四か国代表の合意のもとにソ連建国が成されたという形をとっていた。

故に1944年の国際連合結成時、独立国としてウクライナ・白ロシアの個別加入が認められ、ソ連は国連に3議席を持つことが出来た。

 無論、完全な独立国ではなかったが、英国による英領インドの国連加盟を認める取引の為に、この二か国は独立国として国連に議席を持つことになった。

 

「もっとも党中央委員会(ツゥーカ)で議決を取ってからだ。同志、頭を冷やし給え」

サムブラウンベルトを付け、深緑の勤務服を着た将校たちは、一斉に立ち上がる。

「残念ですが、貴方方と同じ夢を見ることは出来なさそうです」

そう若い将校が吐き捨てると、グルジア人たちは部屋を後にした。

 

 グルジア人たちが引き上げたのを見計らった後、ロゴフスキー中尉は、

「どうしますか……例の日本野郎(ヤポーシキ)

我等の方針に不満で、勝手にハイヴに突っ走てるんですよ」と、上座の参謀総長に声を掛ける。

前日、(もたら)された戦術機による首都壊滅の報は、より緊張を高めた。

「己の力を全世界に示して、主導権を自分たちの物にしようと…… 

「ゼオライマーか……」

参謀総長は、不敵の笑みを湛え、

「思い通りに動いてくれたってことさ」

若い中尉は、予想外の答えに絶句した。

「えっ……」

勢いよく参謀総長は立ち上がる。

「同志ロゴフスキー……、木原みたいな存在は、そういう行動をさせるに限る。

だからこそ、使い道がある」

立ち尽くすロゴフスキー中尉の顔を見つめ、

「シュトラハヴィッツがはたして、どういう対応を取るか……。

ゼオライマーは、絶好の捨て石になる」

 

 

 その頃、濛々(もうもう)と土ぼこりを挙げた、ソ連の戦術機部隊が、マサキの元に迫っていた。

漆黒の塗装がされた、Mig-21バラライカ、総勢50機の大部隊。

そして、約20機ほどのハインドヘリコプターに、数十名の工作員を乗せ、ラコフに接近していた。

 

 KGBは、西ドイツ国内にいる間者の情報によって、マサキの動向を察知した。

リトアニアのビルニュス*5支部からアルファ部隊を派遣。

ハイヴ攻略により、疲労困憊したマサキから、G元素を奪取する作戦であった。

 

 このミンスクハイヴを破壊すれば、地上におけるBETAの侵略拠点は、全て無くなる。

5年の長き戦いが終わるのだ。どことなく兵士たちの心に安堵(あんど)に似た感情が湧いていた。

 

「同志大尉、例の日本野郎(ヤポーシキ)は如何なさるんで……」

「G元素を持ってきたところを襲って、それを()(さら)い、リガ*6まで退却する。

あとはそこから戦艦『ソビエツキー・ソユーズ』*7に乗って、ウラジオストックまで帰る。

実に簡単な仕事だ。諸君等は悩む必要はあるまい」

タタール人の男は、マサキの扱いを隊長に訊ねた。

「じゃあ、後は俺達が好きにしていいんですね」

タタール人は硬い表情を崩すと、舌を舐めずる。

 

 大尉は、男のその様を見るなり、冷笑を漏らした。

「例の男に関しては、G元素さえ、手に入れれば問題ない。煮るなり焼くなり勝手にしろ」

その返答を受けて、男は下卑(げび)た笑い声を上げる。

「ありがてえ話でさあ」

 

 

 機内で、いつの間にか転寝(うたたね)していたマサキは、警報音に目を覚まされる。

(わずら)わしく思っていた矢先、美久から、

「接近する機影、およそ30機。ソ連軍の戦術機部隊と思われます」

と、連絡を受けると、不愉快そうに操作卓を叩きつける。

 

(『やはり、KGB長官とソ連最高評議会議長を殺しただけでは、終わらなかったか』)

 そう思って機密兜(ヘルメット)を脱ぎ去り、座席の下に放り投げた。

重く鬱陶(うっとう)しい機密兜もそうだが、着心地の悪い強化装備は、彼を苛立(いらだ)たせた。

元の世界でゼオライマーを動かしたときも、殆んど専用のパイロットスーツを着なかった。

 

「美久、奴等の接近までどれほどある」

「あと、5分ほどです」

「着替えるのに十分だな」

そういって、強化装備の軟化剤を注入するボタンを操作する。

粘土の様になった特殊保護被膜を、いきおい良く引きちぎり、

「しかし、不愉快な服だ」と捨て去り、一度赤裸(せきら)になる。

そして下着の上から、帝国陸軍の野戦服と軍靴を付けるや、

「美久、KGBの連中を血祭りにあげるぞ。この世に奴等が居た、証しすら残らぬほどにな」

と、推進装置を全開にした。

 

 

 まもなく、戦術機隊は、一体の巨人が目に入った。

全身にBETAの血煙を浴びて、白い装甲板は所々赤黒く染まっており、黄色い宝玉の様な目が爛々(らんらん)と光り、両手を胸の位置で構えていた、不気味な様は、攻め寄せる大軍を圧して、

「あれこそ、ゼオライマーか」と、眼を見張らせるばかりだった。

 

 そのうちに陣頭から、アルファ部隊隊長のKGB大佐、その部下の大尉と共に、

「木原を討って取れ」

と、呼ばわりながら、アルファ部隊の強兵をすぐって、ゼオライマーへ迫った。

 敵が打鳴らすジェットの(とどろ)きを耳にしながら、

「動くな。奴等を近づけろ。次元連結砲だけで仕留める」

 マサキは、美久を制しながら、落着き払っていたが、やがて、500メートルの間に近づいたと見るや、

「ソ連のロボット如きに、俺を止められると思うな!」

と、号令一下、推進装置を全開にし、群がるKGB工作隊の中へ突入して行った。

 

数十の戦術機は、風に伏す草の如く、たちまち、ゼオライマーに蹴ちらされて、突撃砲も滑腔(かっくう)砲も、まるで用をなさなかった。

「そんな豆鉄砲など、このゼオライマーの前では問題にすらならん」

下部スラスターから砂塵をあげて追いかけにかかると、その時、横合いから突然、

「黙れ!日本野郎(ヤポーシキ)。今まで受けた屈辱(くつじょく)、今日こそ果たさせてもらうぞ」

と、10メートル以上ある長刀を舞わして、勢いよく打ってかかった者があった。

 

「何!」

ゼオライマーは動きを止めて、きっと振返った。

バラライカと違い、全身が細く、頭部にはメインカメラを守るために鋭い刃が、バイキングの兜の鼻当ての様についている。

黒の新型機が振りかぶってきた一閃を、右の手甲で受け止め、

「この木原マサキに、何の用だ」と、ロシア語で訊ねた。

「G元素と貴様の命、貰いに来た」と、左手で下から短刀を繰り出す。

ゼオライマーも素早い動きで、迫りくる短刀を弾き返すと、

「俺は、命もG元素も渡す気は、ない」と、長剣を弾き、右手を繰り出して、

「死ぬのは貴様だ。KGBめ」と、次元連結砲で、一撃の下、管制ユニットを貫いた。

 

「束になって、かかって来い」

と、マサキは、努めて嘲笑(あざわら)う姿勢を見せつけた。

数十の戦術機を物ともせず、暴れ回るゼオライマーの姿に、

『このままでは全滅だ』と思ったのか、アルファ部隊の隊長が、

「この勝負預けた」と、言い捨てて、ヘリコプター部隊と共にリトアニアの方に引き返した。

 

 18時間近い戦闘の影響で、極度の疲労に達していたマサキは、

「どうせ奴等は、米空軍の絨毯爆撃で死ぬ。捨ておけい」と言って、操作卓に倒れ込んだ。

 敵機が尻尾を巻いて逃げたので、緊張の糸が切れたのだろう。

そう考えた美久は、自動操縦でハンブルクの基地へ、ゼオライマーを転移させた。

 

*1
1689年

*2
1851年から1864年におきたキリスト教を元にした新興宗教の反乱。この影響で、清王朝は軍閥の拡大と中央集権の弱体化が進み、外国勢力の侵略を許すことになった

*3
1858年

*4
1860年

*5
リトアニア共和国の首都

*6
ラトビア共和国の首都

*7
ソ連で、1930年代に計画されていた戦艦。史実では世界大戦の煽りを受けて中止されるが、マブラヴ世界だとスターリンの死後、予定された4隻の戦艦を建造した




 暁の方で一度ボツにした話を推敲した物を書き足しました。

ご意見、ご感想お待ちしております。
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雷鳴止まず 後編

 ウラジオストックに迫る米海軍第七艦隊と、日本の連合艦隊。
その時、赤軍参謀総長は、決断を迫られていた。


 その頃、ミンスクハイヴ空爆と時を同じくして、日米両国は動く。

第7艦隊旗艦*1、軽巡洋艦『オクラホマシティ』*2の元、多数の空母機動部隊を引き連れて、日本海に展開した。

帝国海軍も旧式ながら、戦艦大和を始めとして数隻の戦艦と重巡洋艦が随伴した。 

 1961年に相次いだベルリンの政治的緊迫と、1962年のキューバ危機。

核戦争の危機を覚えた米ソは、1963年の『部分的核兵器禁止条約』を皮切りに、対話を通じた軍縮を図った。

それが、世にいう『緊張緩和(デタント)』である。

 

 本来ならば、軍縮によって帝国海軍は、大規模な戦艦の退役を行う予定であった。

建造から30年近くが経つ(ちょう)弩級(どきゅう)戦艦・大和(やまと)武蔵(むさし)

大東亜戦争を生き延びた同艦は、呉や横須賀と言った鎮守府(ちんじゅふ)で静かな余生を過ごす筈であった。

 しかし、1973年のBETA地球侵略によって、運命は変わった。

カシュガルハイヴの建設と、それに伴う中ソ両国々民の3割が死ぬ事態に、世界は身構えた。

 また日本も例外ではなく、再び軍事力強化に舵を切る。

永い眠りに就こうとしていた戦艦大和や武蔵、重巡洋艦三隅(みすみ)の近代化改修を行い、戦列に復帰させることにしたのだ。

 

 

 

 ここは、ソ連極東にあるウラジオストック要塞。

そこでは、赤軍参謀総長が、

「どうしたものか」と、狭い室内を何度も往復しながら考えた。

「前に進んで東欧に一撃を加えるか、それとも背後の日本野郎(ヤポーシキ)に対応するか……」

背後から迫る天のゼオライマーと、木原マサキ。

ソ連に対して積年の恨みを晴らさんとする東ドイツをはじめとする東欧諸国。

眼前の日本海上には、既に日米両軍が陣取って攻撃を伺うばかり。

 

 この5年に及ぶBETA侵略のせいで、米ソの軍事力均衡は既に虚構の産物に成り代わっていた。

10年来の穀物輸入は、石油危機による資源価格の高騰による差額で得た外貨を失わせ、嘗ての活力は損なわれ始めていた。

 

脇に居る、副官が告げた。

「恐れながら……当面最大の敵はBETAです。

東ドイツには、シュトラハヴィッツの親書を受け入れたと見せかけて、一旦兵を引き、恩を売れば、あの男の事です。

後ろから我が国を襲う事はありますまい。

むしろ、今は全軍を挙げて、BETAを討つべきです……」

男は一頻り顎を撫でた後、納得したように、

「よし、その線で行こう」と、告げる。

右の食指で指し示すと、命令を出し、

日本野郎(ヤポーシキ)アメ公(アメリコス)の動きは引き続き、注視しろ」

副官は、彼に敬礼をした後、部屋を去って行った。

 男は、窓を開け、要塞から望む、金角湾の方角をただ眺める。

時刻は午前4時になる頃であった。

 

 

 

 

 

 翌朝、要塞の司令室では臨時の政治局会議が開かれていた。

ハバロフスクより落ち延びてきた政治局員や高級将校が、その場に集められる。

すると、参謀総長の口から、

「1978年12月31日をもって、東欧全土からソ連軍を引き上げる」

と、衝撃的な言葉が発せられ、どよめきが広がった。

「さ、参謀総長……、本気ですか」

動揺の声が、奥の方にあるビロード張りの肘掛椅子の方に掛けられる。

椅子の脇に立つ赤軍参謀総長は、部屋の正面を向く形で掲げられたレーニンの肖像画の前で置物の様に固まっていた。

 

「木原マサキと言う、一人の人間の書いた策に乗せられる、あってはならぬソ連の恥辱だ。

すべては参謀総長である、この俺の慢心と時勢の読み違えが原因よ……」

男は振り返ると、立ち竦む政治局員やソ連最高会議幹部会委員の方に振り返る。

「東欧から引けば、ミンスクハイヴ攻略を手伝った米国への筋も通る。

これ以上の折り合いはあるまい」

「ま、真ですか……」

参謀総長は天を仰ぎながら、告げた。

「正直に言えば、未練はある。

だが、BETA戦争で混乱の最中にあるソ連の現状……それを許すまい!」

 

 ソ連は5年に及ぶBETA戦争で、恐ろしいほど疲弊した。

戦火に(たお)れた9000万人近い人口は、1970年の国勢調査で2億人を数えた人口の3割以上……

4年に及ぶ大祖国戦争で失われた2700万人以上の悲劇で、成年労働人口の大部分を喪った。

 成人男性ばかりでなく、囚人懲罰大隊(シュトラフバト)*3共産党青年団(コムソモール)、果ては婦人志願兵まで動員した。

彼等は、BETAの前に肉弾突撃し、『大砲の(プシェチノ)(ミヤサ)*4』へ、なり果てた。

その結果、僻地(へきち)に残る人口の殆どは老人と未就学児ばかりという惨憺(さんたん)たる状況に陥った。

 

 シベリアでは首都機能移転をしたとは言え、ハバロフスクやウラジオストックの人口は、(かつ)ての欧露の地にあったレニングラード*5やモスクワより少なかった。

 ドイツ人捕虜やポーランド人捕虜を酷使*6してシベリアの天然資源を開発した30年前のような事は望めない。

第二のシベリヤ鉄道、バム鉄道*7などはソ連経済に組み込まれた強制収容所(グラーク)の囚人労働の典型である。

 NKVD*8が、戦前*9より肝いりで進めたこの計画*10も、BETA戦争の為に、終ぞ叶わなかった。

 

 参謀総長は一頻り思案に(ふけ)りながら、荒れる日本海を(のぞ)む。

右の食指と中指にハバナ製の葉巻を持ち、冷たい雨が吹き込むベランダに立ち尽くしていた。

「10年、いや20年国力を蓄えた後、忌々しい東の小島に巣食う黄色猿(マカーキ)共を、我が手で支配してくれようぞ……」

共産国・キューバより貢納された高級葉巻「パルタガス」を、7月の()せ返る様な湿度の中でゆっくりと吹かす。

「木原マサキよ……、ソビエトを、この私を踏み台にして世界に飛び出したツケは、何れキッチリと払ってもらう」

マサキへの怨嗟の念を吐いた男は、深い怒りに身を震わせた。

 

 

 翌7月5日、ハンブルグの基地に久しぶりに戻ったマサキは、一人寛いでいた。

休憩所のベンチの上で野戦服を着崩して、大の字になって横たわっていると、美久が、

「どうですか、久しぶりに戻った気分は」

と、持ってきたグラス入りのコーラを、テーブルに置くなり、マサキの顔を見て。

「悪かろうはずが有るまい……」と、美久を見返し、満面に不敵の笑みを(たた)えた。

 

 遠くより、男達が近づいて来る。

近寄る人物は、珠瀬(たませ)鎧衣(よろい)で、後ろから、戎衣(じゅうい)に軍刀を()いた彩峰(あやみね)の姿も見える。

珠瀬は、何時もの如く、漆黒のごとき濃紺のダブルブレストの背広を、盛夏だというのに涼し気に着て見せた。

 今日の鎧衣の仕度は、珍しく、灰色がかった背広に、着古しのトレンチコート姿ではなかった。

黒いリボンの巻かれた白地の本パナマ*11の中折帽を被り、夏向けの背広。

生地は、艶がある事からブロード織のサマーウールで、薄い象牙色。

カラーバーを付けたワイシャツに、首から、黄緑色のネクタイを下げ、両手をズボンのマフポケットに突っ込んで歩いて来ていた。

珍しい夏向けの服装に、思わず美久は、本当に鎧衣左近かと、二度見してしまう程であった。

 

 

 珠瀬は絵柄の掛かれた缶を差し出し、

「差し入れだ。君の口に合うかどうかは分からないが……」

渡したものはハーシーズ*12の缶入り『キスチョコ』*13で、長らくBETA戦争での物流停滞により甘味料の手に入りにくい東欧では喜ばれた品物であった。

 マサキは身を起こすと、彼等に問いかけた。

「こんな所に、油を売りに来ても良いのか……」

「特別機を駆る斯衛(このえ)軍将校の動向を探るのも、立派な任務なのだよ」

鎧衣は、顔を太陽の方に向けながら、そう(うそぶ)いた。

「ソ連に何をしたのだね」

珠瀬の問いに、薄ら笑いを浮かべるマサキ。

「別に……」

「そんなはずは、無かろう……」

珠瀬は怪訝(けげん)な表情をすると、次のように告げた。

「ソ連赤軍参謀総長が、東欧からの完全撤退の意向を、内々に表明したのだよ」

 

 彼の一言で、その場に衝撃が走った。

「12月31日までに完全撤退が予定されてる。近々、ソ連国民に向けて、正式発表される運びだ」

マサキは、あまりの衝撃に瞠目(どうもく)し、立ち竦む綾峰たちを余所に、机の上に有る『ホープ』を取る。

『ホープ』の箱を開けると、右の親指と食指でタバコを摘まみ、口に咥えると、一言漏らした。

「ソ連が……」

 

 

 

 

 

 衝撃を受けたマサキが、自室に帰った頃には日は暮れていた。

湯けむりの舞う浴室のうちで、体の芯まで浸み込む暖かさに、思わずため息をつくも、

「とりあえず、現状は動いた」と、これから始まる事を想像したら、空恐ろしくなった。

 月面や火星に居るBETAの大群は、どれほど居るのだろうか。

この万夫不当のゼオライマーを持ってしても、化け物の本拠地に乗り込むのは危険だ。

やはり、新型機を作るしか有るまい。

そうすると、ゼオライマーの電子資料庫(データーベース)にある八卦ロボの基礎資料を再確認せねば……

湯舟に浸りながらマサキはうっとり思い(ふけ)っていた。外は新月らしく、漆黒の闇が広がっている。

 前の世界の日本で、散々に利用された後、裏切られ、人の愛すらも信じられなった。

全てに絶望した結果、密かに四海(しかい)を冥府にする計画を立て、ゼオライマーを建造した。

愛した人との哀しい別れも、遥か昔の事なのに、昨日の事の様に、ふと思い出されてくる。

 消し去ったはずの人の弱い部分、愛を求める心の渇き。

秋津マサトのそれと同じが、自分にもあったものか、マサキは、いま知った。

 自らの精神が入魂される前に、秋津マサトが過ごした日々。

1980年代の豊かで平和な時代や、静岡県富士市*14での15年間。

養父母の愛を受け、不自由なく育った青年の肉体を乗っ取った影響であろうか。

何処か、マサトの優しい感情や、敵への甘い対応に、困惑していた。

 折角忘れかけていた感情を思い起こさせるソ連の連中も罪深い。

世界征服もまだ途中なのだ。後はアメリカだけかと、気を取り直す。

 風呂から上がって、逞しい青年の肉体を拭きながら、

「アメリカが俺に対して、どう出るか。見ものだな」

と、一人ほくそ笑んだ。

 

 風呂を出た後、寝間着姿のマサキは寝台の上に倒れ込んだ。

(うつぶ)せになりながら、脇に立つ美久からマッサージを受けていた。

左肩の傷は、次元連結システムの応用で常人の数倍の速さで回復するも、些か全身の倦怠感(けんたいかん)が残ったためであった。

寝間着を脱いで、上下黒色のポリプロピレン製の下着姿になり、全身の筋肉を揉み解されながら、

「美久、俺は欧州旅行が終わったら、CIAの誘いに乗って、米国に乗り込むぞ」

と、声を上げ、美久を驚かせた。

「何ゆえにですか」と、マサキの体を揉むのをやめ、立ち竦む

寝台の上で身体を反転させると、上半身を起こし、

「何、ニューヨークの街中で、其処にある国連本部で、少しばかり暴れたくなったのさ」

と、脇に寄せてあった、寝巻を着こみながら、

「国連と言う米ソ冷戦の構造物が……。

いやソ連や、国際金融資本の世界調略の一機関が、この世にある限り、この世界は俺の遊び場にはならない。

国連は、ソ連が戦後世界を左右する為に国際金融資本家に資金を出させ、共産主義者たちが作り上げた工作機関。

故にロシア国家に何らかの利益を求める国際金融資本家がある限り、国連を通じて有害工作をし続けよう」

 

タバコとガラス製の灰皿を、ベットの脇にあるテーブルの端まで引き寄せ、

「BETAという宇宙怪獣の発見や発表も、この機関が関与した故に遅れ、混乱した。

だから、歴史の中から綺麗さっぱり、消したくなったのよ」

と、困惑する美久を余所に、タバコの箱から紙巻きたばこを取り出し、

「でも世界平和は……」と、答えた美久の質問を聞きながら、マサキは紫煙を燻らせる。

「外交は所詮国家間の暴力のバランスでしか解決できない。軍事同盟程度で十分であろう」

タバコをフィルターの間際まで吸うと、灰皿に押し付け、

「まあミンスクハイヴも片付いた事だし、後は帰る準備をするだけさ。

但し約束した通り、俺の意思を尊重する様、武家の奴等に仕向けてからな」

と、答えたマサキの目が、(あや)しく光った。

*1
今日、第7艦隊旗艦、として知られる揚陸指揮艦『ブルーリッジ』が、日本の横須賀海軍基地に前方配備されたのは1979年12月以降である

*2
USS Oklahoma City (CL-91),1944年12月22日就役。現実世界ではミサイル巡洋艦に改造後、1979年に退役し、1999年に標的艦として沈没した

*3
《Штрафбат》、ソ連赤軍内の囚人部隊の事。今日も第二次大戦時の囚人部隊に関しては、関連資料の機密指定が解除されていないのでも全容は不明である

*4
《Пушечное мясо》、国民を搾取する権力により、戦場に送り込まれて虐殺される兵士の事。使い捨ての兵士を指す蔑称(べっしょう)

*5
今日のサンクト・ペテルブルグ

*6
マブラヴ世界では、史実と違い、ソ連の日ソ不可侵条約違反が発生しておらず、100万を超す日本人の強制抑留が起きなかった

*7
バイカル湖・アムール川の区間の鉄道。史実では1984年に全線開通した

*8
KGBの前身組織

*9
1926年に地形調査を実施した後、1932年より6か所の強制収容所を建設した

*10
史実ではすでに1958年まで囚人労働に頼ってタイシェトからウスチクート区間が開通した

*11
パナマ帽は南米原産のトキヤ草で編んだ物をさすが、安価な麦わらや紙で作ったものも存在する。その為、トキヤ草で編んだ物は、本パナマと称されるようになった

*12
1894年創業の米国老舗製菓メーカー。1968年から2005年まで、正式社名はハーシー・フーズ・コーポレーション(Hershey Foods Corporation)であった

*13
1907年より発売されたハーシーズの看板商品。

*14
『冥王計画ゼオライマー』.第1巻『-決別-』.東芝EMI.1988年.参照




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岐路(きろ)

 ゼオライマーの活躍によって、混乱するソ連。
その様を見た、東独のブレーメ通産次官は、今後の展望を、一人思い悩んでいた。
一方、ハイム将軍は、ゼオライマー操縦士の木原マサキへの策謀を、密かに企む。


 アーベル・ブレーメは一人、書斎で悩んでいた。

昨日発表された、駐留ソ連軍の東欧から完全撤退。

自分のような親ソ派の官僚は、今後どうなるのだろうか。ふと先行きが不安になっていたのだ。

 例えば、KGBの出張所のような立場だった国家保安省(シュタージ)

ミルケ*1やヴォルフ*2というKGBが一から育てた人材は、シュトラハヴィッツらの活躍により、一掃された。

 自分が今、こうしてあるのは(むこ)ユルゲン・ベルンハルトのお陰であろう。

政治の道具として、幹部子弟に政略結婚させようとしていた娘・ベアトリクスが心から気に入った男に助けられるとは……

 どこか、不甲斐無い気持ちであふれていた。

 

 

 議長はアベールの無二の親友であった。

閣僚の身の上は、普段外出も自由でないが、その日の夕方、暇が出来たので、日頃親しいアーベル・ブレーメの屋敷を訪れていた。

「ご主人はどうしましたか」

 30分過ぎても、アベールが顔を見せないので、議長は、すこし不平そうにたずねた。

丁度、出てきたアーベルの妻、ザビーネが答えて、

「奥にいますけれど、先ほどから調べ物があると仰っしゃって引きこもったきり、どなたにもお会いしないことにしておりますの」と、いった。

「それは、変だな。一体、何のお調べ事ですか」

「何をお調べなさるのか、私たちには分りませんの」

「そう根気をつめては、体にも毒だ。

俺が行って来て、みんなと共に、今夜は談笑するよう言ってこよう」

アベールの妻は、驚きのあまり、動きを止めた。

「いけませんわ。無断で書斎へ行くと怒られますよ」

「ザビーネさん、俺はあいつの事なんか、怖くはない。

昔馴染みの俺が私室をうかがったといって、今更、絶交もしますまい」

 自分の家も同様にしている議長なので、家人の案内も待たず、主人の書院のほうへ独りで通って行った。

妻ザビーネや女中たちも、ちょっと困った顔はしたものの、ほかならぬ主人の親友なので、夕餉(ゆうげ)の準備ということで放っておいた。

 

 主人のアベールは、先頃から書院に閉じこもったきり、机によって伏せていた。

どうしたらソ連の後ろ盾のなくなった東ドイツを存続させられるか、国防安保の先行きについて、腐心して、今も怏々(おうおう)と思い沈んでいた。

「おい、寝ていたわけではあるまい」

そっと、部屋をうかがった議長は、そのまま彼のうしろに立って、何を読んでいるのかと、机の上をのぞいてみた。

ミミズの這ったような筆記体のロシア語で、『ゼオライマー』と書いてあるのが見えた。

議長が、はっとしたとたんに、アベールは、誰やら背後に人気(ひとけ)を感じて、何気なく振向いた。

「君か」

「KGBからお前さんの所にも話が来てたか」

「えっ」

びっくりしたように、彼はあわてて、その書状を隠そうとするも、

「なあ、アベール。

今更お前さんの親父がソ連に亡命した折にNKVDに世話になった事を責めようとは思わない。

ああしなければ、お前さんや親父さんも、シベリヤかカザフスタンのどこかで、朽果てたろうな」

そういって、「ジダン」の青い紙箱を取り出し、タバコを口に咥え、

「NKVDの協力者にならざるを得なかったことは仕方ない」

と紫煙を燻らせながら、言った。

「君に私の父の苦労が判るのかね」

長年の親友であるが、男の答えによっては、刺し違えて死のうする様な血相を見せたアベール。

 男は静かに笑って、

「俺も、タイシェット*3では、生き残るために何でもやった。

その為に、無実の人間を見捨てた事がある。

4年も同じ釜の飯を食った仲間なのに……、俺は助けられなかった」

「君が復員兵*4なのは、噂で聞いていたが……まさかシベリアに居たとは」

 

 先次大戦の折、180万人近い日本人がシベリアに誘拐されたように、ドイツ人もまた同じような運命をたどった。

約100万人とも200万人とも言われるドイツ人が、奴隷労働力として酷使され、多くの者が落命した。

日本人捕虜の時と同じように、死にかけの者やソ連に恭順の意を示した者から返されて、反抗的な人物は中々返されなかった。

 

アベールは、ほっと、胸をなでおろしながら、男の方を向いて、深々と頭を下げた。

(ゆる)してくれ。わたしもどうにかしていたのかもしれない。

ソ連赤軍撤退の報を受け、この数日、この国の安保をどうするか、思い(わず)っていた」

「お前さんの考えてたことは、うすうす気づいてたよ。俺も力の限り手を貸そう」

 アベールは改めて、KGBがシュタージを通じて、彼に送って寄越した密書の中身を、声を震わせながら説明した。

7月2日の未明にゼオライマーに核攻撃を仕掛けてから、わずか1日の間で灰燼に帰したソ連の臨時首都・ハバロフスク。

また、ミンスクハイヴを2時間半ほどで攻略し、G元素を持ち出した後、アルファ部隊と交戦し、彼等を退けた事を明かした。

目頭を押さえるアベールを見ながら、男もまた熱涙をうかべて、この国の将来を思い悩んでいた。

 

 その後、彼等は、食堂に場所を移して、酒を飲みながら、愛娘ベアトリクスについて話し合っていた。

そして、男はアベールに、BETA戦争が一段落着いた、今、シュタージに入れるのが正しい道なのかと、諭しながら。

「それで、お前さんの結論は、どうした」

「ああ、正直な所、私としては、あの子にシュタージの首にかける鈴に成って欲しいと思っていたのだが……」

顔色の一つも変えず聞いている男へ、アベールは自嘲気味に、

「フフフ、でも改めて考えてみたのだよ。

もう、あのクーデターを裏で仕掛けたKGB長官も、彼の息のかかったシュミットもいない。

それに今更、あの搾りかすみたいな連中が、国防上の脅威になるとは思えなくなった……」

「その上、あのBETAも、あのゼオライマーとか言うロボットが、地上から消してくれたからな」

「恐ろしい話だよ」

「あのゼオライマーというマシンがか」

「私が言いたいのは、ゼオライマーではない。

そのマシンを操縦する木原という人物が、恐ろしいのだ。

木原はソ連ばかりか、KGBを恨んでいる節がある。

その証拠に、ソ連の書記長とKGB長官を、その手で抹殺したのだよ……。

もし娘をシュタージに送り込んでみろ。

自然とKGBと深い関係の有るシュタージにも彼の目が行こう。

KGBの時の様に、手酷く壊滅させられるかもしれない。

下手をすれば、娘も巻き添えになるであろう」

 

アーベルが不安げに言うと、男はタバコをかざして、不敵に笑った。

「まあ、それもあるが……。

俺はシュタージだろうが、軍だろうがあぶない場所には置かない方がいい。

部隊配属の際は、通信隊や、輜重隊とか、衛士とは全く無関係な部署にしようと思ってる」

「何故だね。士官学校の成績もほぼ一番だったのだよ。

こう言っては何だが、ベアトリクスは、並の男より、立派な衛士になると自負している。

そんな惜しい事を……」

「仮に妊娠してたら、どうする」

「まさか」

「若い男女(ふたり)さ。人並みに愛をはぐくめば、何時(いつ)妊娠してもおかしくない。

俺の方で、人事に手を突っ込んで、安全な部署に配属されるよう回して置くさ」

 その言葉を聞いてアーベルは、この男に相談して良かったと、しみじみ思った。

自分やユルゲンの立場を危うくすることなく、念願の娘の安全を手に入れられたのだから。

「いつも済まない。だが娘が納得するか」

「アベール、それ以上は婿の仕事だな。俺等が言ったところで、聞く耳は持たんだろう」

「そうだな」

男の言葉に、アベールは他人事みたいに、声を上げて笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その頃。ユルゲンと言えば、シュトラハヴィッツ将軍の屋敷にいた。

第一戦車軍団の主だった将校と下士官たちが、家族を連れてきて、シュトラハヴィッツの中将昇進を祝った。

 丁度、カッツェと、BETA戦の今後を話し合いながら、飲んでいる時である。

彼の目の前に、明るい茶色の髪を綺麗に結い、琥珀色の瞳をした、色白で小柄な少女が来て、

「あ、あの……ウルスラ・シュトラハヴィッツです。ど、どうかお見知りおきを」

と、白いドレスの裾を持ち上げ、慇懃(いんぎん)膝折礼(カテーシー)*5で、挨拶をして見せた。

いたく感激したカッツェは、思わず、

「お、君が噂の、ヤウクの婚約者様か。随分かわいこちゃんだね」と、大声で言った。

その可憐なさまは、来賓の将校やその妻たちも感心させるほどであった。

遠くでマライと話しながら、紫煙を燻らせる彼女の婚約者、ヤウクも思わず、顔を向けた。

 

 頬を赤く染める内気な少女の後ろから、父であるシュトラハヴィッツ将軍が来て、

「な、うちの娘は可愛いだろう。こんないい子は他には居まい」と広言した。

カッツェは、隣のユルゲンを揶揄(からか)いたくなったのか、

「まあ、ユルゲンの若妻よりもいいですね。純粋な所が」と言ってしまった。

「そうだろう。まさに天真爛漫(てんしんらんまん)とはこのことだよ。同志カッツェ、君もそう思うかね。

いや、男兄弟だけだから分からぬと思っていたが、中々鋭いね」と満足げだった。

 

 それまで、黙って飲んでいたユルゲンには、聞き捨てならなかった。

妻、ベアトリクスを汚されたような気がした彼は、

「カッツェ!確かにウルスラちゃんは可愛い。でも俺のアイリスの方がもっと純粋で美しい。

そして、ベアトリクスの美しさは、何といっても形容しがたい物が有る」

と興奮した様子で、語り始め、

「あいつは12の時から、俺に操を立て、ただ静かに待ってくれていた。

そして俺の為に、全てを捧げてくれた。お前とヴィークマンの様な(ただ)れた関係じゃない」

大分酒が回っていたのだろう。周囲が呆れるほどに熱っぽくベアトリクスの良さを語った。

 

 せめてもの救いは、その場にアイリスディーナもベアトリクスも居ない事だった。

おそらくこんな発言を聞いたら、赤面するか、嚇怒(かくど)してユルゲンを張り倒したであろうから。

「あいつは、重い女だというかもしれないが、俺からしてみれば、他の女が軽すぎる。

俺はあいつの愛の重さで、生きる喜びを改めて、感じ直した」

そう大言を吐き、一気に酒を飲み干すも、さすがに不味(まず)いと思ったのか。

彼は、しんとなり、項垂れてしまった。

間もなく後ろから来たマライが、気落ちした彼の手を引いて、奥の方に連れて行った。

 

 呆れ果てたシュトラハヴィッツの所に、ワインを持ってきたハイムが、

「愛を知ると、ああ変わるものなのかな」

「確かにベルンハルトも変わった。愛の力とはそれほどまでかと俺も驚いているよ」

 その時、ハイムの心に恐ろしい思いが浮かんだ。

愛の力によって、剣を血濡らさずに世界最強のマシンが手に入るとしたら……

誰か、心を惑わす様な美人を立て、木原マサキを自分たちの陣営に引き込めたら……。

あのゼオライマーの秘密を知る、木原を手にすれば、米ソの思惑からも自由になるかもしれない。

 

 行けると踏み込んだハイムは、シュトラハヴィッツを奥の部屋に誘い込むことにした。

「込み入った話になる。ここでは、不味い。奥で話さないか」

「良かろう」

そう言って、奥の部屋に入るなり、ハイムは、

「偉大なる愛の力があれば、あのゼオライマーの秘密が手に入るかもしれない」

「まさか」

シュトラハヴィッツはタバコを咥え、じっと考え込んでいる。

もう一押しと考えた、ハイムは、

「私が聞く所によると、ゼオライマー操縦士の木原は独身だ。年頃の娘でも仕向ければ……」

話を聞くうちに興味をそそられたのだろう。シュトラハヴィッツの眼が爛々(らんらん)と輝きだした。

「美女を立てて、木原を(たら)し込んで、あのマシンを手に入れようと言うのか」

「もし、この(たくら)みが上手く行けば、我が国は労せずして史上最強の兵器が手に入れられる」

「そんな美女、どこに居るのかね」

「心当たりがある」

苦笑いを浮かべたシュトラハヴィッツは、ぐいとワインを流し込む。

「やるか」

「良し、作戦開始だ」

密約を祝して、二人は乾杯し、細かな打ち合わせに入った。

 

*1
エーリッヒ・ミルケ。警官殺しの罪から逃れる為、ソ連に亡命し、KGBの協力者となった。戦時中、どの様な破壊工作に携わったかは、未だ謎に包まれている

*2
マックス・ヴォルフ。シュタージの対外諜報部門の責任者を長く務めた秘密工作員。家族と共にソ連亡命中に後のKGBにリクルートされ、スパイ教育を受けた

*3
今日のロシア連邦イルクーツク州にある町。バム鉄道の中継基地の一つであり、かつては大規模な政治犯及び捕虜収容所が立ち並んでいた

*4
東独の首脳陣には、ソ連で捕虜になり、東独成立に携わった者も少なくなかった

*5
17世紀以降、西欧で発達した婦人特有の挨拶。貴人や目上の人物に対して行われる




 新規書き下ろしのエピソードになります。
これで、第三章は終わりです。

 我が逃走様、わけみたま様、ご評価有難うございました。
小難しい政治の話が多い当作を楽しんでいただいている事には、感謝しか御座いません。


 暁の方で第5章に入ったので、近いうちに、第4章に入ろうと思ってます。
ご感想、ご意見お待ちしております。 


 アンケートは引き続き実施しております。


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狙われた天才科学者
渇望(かつぼう)


パレオロゴス作戦に一段落が付き、撤退の準備に入った欧州派遣軍。
ミンスクハイヴ攻略を達した木原マサキは、ふと心の渇きを感じるのであった。


 ソ連東欧撤兵の発表から、一か月ほど経った、8月7日。

 斯衛軍(このえぐん)から木原マサキのお目付け役として派遣されていた、(たかむら)祐唯(まさただ)巖谷(いわたに)榮二(えいじ)

彼等は、急遽帰国の途に就くことになった。

 それ以前より帰朝(きちょう)を促されるも、パレオロゴス作戦観戦の名目で渋っていた。

ミンスクハイヴ攻略まではと先延ばししていた。

 だが、ゼオライマーの活躍によって僅か数時間でミンスクを灰燼(かいじん)()すと事情は変化する。

続々と東独に入るNATO軍や東欧諸国の部隊を横目に、明日のハンブルグ発ニューヨーク経由の成田行きの便で、帰路に就く事になった。

 

 

 マサキの声が、彼の自室に響き渡る。

 「何、(たかむら)が帰国するだと」

計算尺を机の上に置くと、眉を(しか)め、美久の方を振り向く。

「何でも戦術機の開発計画の件で呼び戻されるとか」

「そうか、じゃあここは一つ奴に土産でもくれてやるか」

そう言って奥より筒状の図面入れを出して、書き起こしておいた図面を放り込む。

 

 美久が、大層驚いた仕掛けで呟く。

「それは苦心して、お書きになられた月のローズ・セラヴィーの図面ではありませんか……」

彼女の横顔を見ながら、不敵の笑みを湛え、

「これは、俺のリハビリがてらに書いたものよ。今更何の価値があろうものか」

と答える。

 

 そしてタバコに火を点けて、紫煙を燻らせながら、

「このローズ・セラヴィーさえも色あせるような新型機の素案が出来つつある」

眼光鋭く、美久をねめつける。

「ゼオライマーの予備部品を組み合わせて、八卦(はっけ)ロボの武装を追加加工した機体。

天下無双の存在と言うべき巨大ロボ」

その様を恐れおののく美久の左頬を右手で撫でる。

「名付けて、グレートゼオライマーとな……」

そういうと、今書き起こしている図面を左の食指で指し示す。

ゼオライマーの全身に追加装甲が施されたかのような設計図に、思わず美久は仰天した。

 

 

 呆然とする美久の顎を、右手で掴むと、マサキは顔を近づけ、彼女の唇を不意に口付けをする。

「な、何をなさるんですか」

美久は、色を失っていた頬の色がグッと赤みを増し、マサキの傍から無理やり離れ、羞恥心(しゅうちしん)をあらわにする。

マサキは、腰まで有る(つや)やかな髪を乱しながら、肩で息をする美久の様を一瞥(いちべつ)し、

「決まっているだろう」と、満面に笑みを湛える。

真っ赤に火照(ほて)った顔をする彼女を眺めながら、フフフと不気味な笑い声を上げ、

「篁を通じて米国のハイネマンを俺の目の前に誘い出す。これから奴を利用をするのだよ」

と告げ、部屋を後にした。

 

 

 

 マサキは図面筒を引っ提げて、篁たちの部屋に颯爽(さっそう)と乗り込む。

ダッフルバッグ型の雑嚢(ざつのう)やアタッシェケースに明日の帰り支度を詰め込む二人に向け、図面入れを手渡し、

「こいつを帰国次第、国防大臣か、政務次官の(さかき)に届けてくれ」と呟く。

「そんなものは外交(がいこう)行嚢(こうのう)で送ればいいじゃないか」

「俺はドイツ人がそこまで行儀がいいとは思っていない。肌身離さず持って運んでいけば、それが安全であると考えている」

 

 マサキは(うつむ)くと、前の世界でソ連が日本政府の伝令使(クーリエ)を毒入りの酒で昏睡(こんすい)させ、秘密文書を略取したことを思い起こしていた。

幾ら、欧州連合*1領域内のKGB組織が弱体化したとはいえ、西ドイツにどれだけ浸透しているかは定かではない。

『ギヨーム事件』*2という、西ドイツ首相の秘書がシュタージ将校であることが判明してから、まだ4年の年月しか経っていない。

無論、警戒するに越したことはない。

 また同盟国たる米国の中にも見えないソ連の工作の手を(おそ)れたのだ。

自らの手によって握った銃剣を、KGB長官の脾腹(ひばら)へ深く刺しこんで、白刃(はくじん)を血で濡らしたが、それだけで(ひる)むスパイ組織ではない……

 何れはこのグレートゼオライマーの設計も漏れよう。

余計な茶々が入る前に太陽系のBETAをどうにかせねば、この世界でも安穏としてはいられまい。

 

 タバコを懐中より取り出して、火を点けると気持ちを落ち着かせる。

再び篁の方に顔を向けて、

「それに篁、お前は戦術機開発の技師。城内省の人間でもあるが国防省本部にも自在に出入りできるはずだ。

これを持参してどの様な物か説明してほしい」と伝える。

「そしてもう一つ頼みがある。

貴様の妻であるミラとやらにも見せて、1年以内、いや半年以内に作成可能か、教えて欲しい。

それによっては、月にあるハイヴ攻略の見立ても変わって来る」

 

 篁と話している内に、ふと思い出した。

篁は、日米合同で立ち上げた曙計画のメンバーであるミラ・ブリッジスを妻に(めと)っている。

どんなものを設計していたかは(つまび)らかに知らないが、戦術機開発の技師と言う事は知っている。

 日本政府の諜報員(スパイ)である鎧衣(よろい)の話によれば。

ミラ・ブリッジスは、音に聞こえる、米国の天才戦術機設計技師、フランク・ハイネマンの恋人。

日本から来た篁に見初(みそ)められ、曙計画で同じ釜の飯を食ううちに段々と打ち解けていき、ハイネマンより半ば奪う形で結婚したと言う。

彼から、その話を初めて詳しく聞かさた時は、大層気分の良いものでもなかったのを覚えている。

 

 女の貞操(みさお)など、美丈夫の前では簡単に転がされるのか……

ハイネマンと言う男も恐らくかなりの堅物で、彼女に気などをかけてやらなかったのではないか。

風采(ふうさい)の上がらぬ技師と、気立ての良い色白の貴公子(きこうし)では、比べるのも酷であろう。

禽獣(きんじゅう)(めす)が、より強い(おす)、より美しい雄にひかれるのは()(つね)。人間とて同じだ。

どの様な事情かは詳しくは知りたくもないが、篁の情炎(じょうえん)に、ミラはすっかりその身を()がしたのだろう。

 

 (がら)にもなく人の色道などの事を考えてしまったことを悔やみながら、眼光鋭く篁を睨みつけ、

(いず)れや、ハイネマンとやらとも会ってみたいものよのう」

と、額に手を当てて、思案する振りをしながら、生気のない顔で告げる。

マサキは、悶々(もんもん)とした気分を払い飛ばすように、呵々と笑って、彼等の前から去っていった。

 

 

 

 一人、屋外の喫煙所で傾き始めた太陽を眺めながら、思案する。

たまたま次元連結システムで流れ着いたこの異世界。

深い関わりを持つうちに、複雑な感情を抱き始めていた事を、マサキは実感していた。

怏々(おうおう)として沈んだ顔色をしていると、後ろから美久が心配そうな顔をして、

「大分、気分がすぐれぬ様なお顔をしていましたが……」と声を掛けて来た。

そんな彼女の問いに、マサキは、乾いた笑いを漏らす。

「篁の妻の事を思ううちに、女性(にょしょう)の温もりに触れたくなってみた。

正直、口には出せぬ様な猥雑(わいざつ)な事を、この頭で思い描いていた」

「えっ」

仰天して、大きく目を見開いた美久の顔を睨みつけながら、

「地球上のBETAの巣窟(そうくつ)は、ほぼ消し去った。

故に悶々(もんもん)とするうちに柔肌(やわはだ)()(いだ)いてみるなどと言う(おろ)かしい思いを……。

ふと女々(めめ)しい事を考えていたのよ」と告げ、顔を背ける。

 

 

 (たかむら)の妻を考える内、知らず知らずのうちに、ユルゲン・ベルンハルト中尉の新妻(にいづま)を思う。

 一目見ただけで、すっかりベアトリクス・ブレーメに、()されてしまった。

あの彼女の妖艶(ようえん)(たたず)まいと言ったら、言葉にない。

以前会った時、珠玉(しゅぎょく)の様な眼をむけたベアトリクスの明眸(めいぼう)といい、その艶姿(あですがた)といい、ハッと、男を蠱惑(こわく)するかのような何かがある。

柳眉(りゅうび)を逆だてる姿も、(ひそ)めた様も、形容(けいよう)しがたい程の美しさがあった。

甘く(ひるがえ)(つや)やかな腰丈の黒髪など、(なが)めれば眺めるほど、ジンと胸を(しび)れさせる。

ユルゲンは、毎夜、白磁の様な玉の肌を、その胸に(いだ)いて、枕を()わしているのだろうか。

一瞬、ベルンハルト中尉への嫉妬(しっと)の感情を覚えた事に、内心驚く。

 

 深い憂慮(ゆうりょ)の表情を湛えるマサキの様を見た美久は、ただ彼の傍らに立って見守るしかなかった。

(かつ)て、八卦衆(はっけしゅう)のクローン人間を愛に苦しみ悩む様、遺伝子操作し、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で打ち倒した男とは思えぬ様に、困惑した。

 この男こそが、思えば、一番人の(ぬく)もりや信頼を求めていたのでは、なかろうか。

心の渇きを(いや)す愛を、冥王計画と言う勝者の無いゲームの中で探し求めてたのではないか。

美久は、推論型の人工知能を活用し、そう結論付けようとしていた。

 

 

 マサキは、一頻り、鬱々(うつうつ)と思い悩んだ後、

「天のゼオライマーを自在に操り、江湖(こうこ)*3にその名を(とどろ)かす、この俺としたことが……。

こんな初心(うぶ)にもなるもんかと、つくづく思って」と告げる。

クククと自嘲する様な笑い声を上げながら、段々と顔を上げ、

「人妻に横恋慕(よこれんぼ)することなど、この世界を我が手に収めてからでも十分できるではないか。

15年の歳月をかけて冥王計画を準備したように、気長に待つ事など造作もないのに……。

如何(どう)した物かと気弱になっただけよ」と、強がって見せ、美久の方より顔を背ける。

紫煙を燻らせながら、再び黄昏(たそがれ)の中を茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。

 

 

*1
マブラヴ世界ではBETA戦争の影響で1972年にEUが発足している。現実では、前身組織のEECからの改組が1993年12月1日になされ、完全移行となったのは2009年12月1日の、マドリード条約以降である

*2
シュタージ将校、ギュンター・ギヨームが西ドイツ首相ヴィリー・ブラントの秘書として潜入し、西ドイツの秘密を暴露した事件。なお、ギョーム自身は、スパイ交換により東ドイツに帰国後、英雄として保護される。統一後、反逆罪に問われるも1995年に病死した

*3
長江と洞庭湖の事。転じて世間一般を示す言葉




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百鬼夜行(ひゃっきやこう) 前編

 国際金融資本より、経済援助の見返りとして人質を差し出すことを求められた東独議長。
男の信頼する人物であるユルゲンは、米国留学を前に、議長と、親子の契りを結ぶことになった。


 ここは、東ベルリン郊外から少し離れた場所にあるヴァントリッツ。

居並ぶ閑静な邸宅街は、主に東ドイツ政府高官、社会主義統一党(SED)*1幹部の為の高級住宅街。

その一角にあるアベール・ブレーメの屋敷。

 

 屋敷の奥にある部屋で、二人の男が酒杯を傾けていた。

紫煙を燻らせながら男は、グラスを傾けるアベール・ブレーメに、

「なあ、アベールよ。坊主の留学の話受けるか……」と尋ねた。

静かに氷の入ったグラスを置くとシャツ姿のアベールは、

「なぜまたコロンビア大学なのかね……ソ連研究ならワルシャワやわが国でも出来るではないか」

と、面前の男に答えるも、男はタバコを片手に持ち、室内を歩きながら語り始めた。

「援助の見返りという形だが留学を暗に進めて来た。恐らくは……」

「身内を米国に人質に差し出せば、ドイツ国家を安泰させると……」

「ああ、下種(げす)なやり方かもしれぬが……。民主共和国には既に対外戦争をやる気力も能力もない」

喉を潤すようにソーダ水で割った酒を、一口含む。

 

「このまま、東西分裂が続けば、我国のは未来永劫(えいごう)ソ連の肉壁……」

アベールは男の話を聞きながら、右手で眼鏡を持ち上げる

「それはNATOや米国に(おもね)っても同じではないかね」

男は紫煙を吐き出すと、応じた。

「否定はしない。この国が生き残るには西側に入ってショウ・ウインドウになれば良い。

西側の望むは、対ソ防衛の壁であり、戦争リスクをドイツに押し付けて来るであろう。

我が国民は彼等から見返りとしての施し金を受け取り、その益に甘んじればいい。

両者納得の関係……。悪くも無かろう」

 

 

 アベールは、男の一言で、酔いが()めるのを実感した。

1600万人の国を守るために、義子(ぎし)ユルゲンを差し出さざるを得ない。

思えばあの青年は、娘ベアトリクスの為に全てを投げたしてくれた。

宇宙飛行士の夢さえ捨て、戦術機を駆り、BETAやソ連との死闘を繰り広げた。

岳父として、彼の事を守ってやれぬことに、(いく)ばくかの不甲斐無さを感じていた。

 

 アベールは男から注がれる酒を注視しながら、答えた。

「ユルゲン君と言う男は、ドイツ一国で収まる人物ではないと思っていたが……」

男は、氷で満たされた自分のグラスに、並々と酒を注ぐ。

「米ソ両国から注目されるとは思わなんだ。俺も奴には武者修行をしてきて欲しいと思ってたが……」

男は心苦しそうな顔をして、アベールの方を向いた。

 

「良い機会ではないのか……。二人とも新婚旅行にも行けてはいないのだし……」

その言葉に男は、相好を崩す。

「貴様も柄にもなく、父親らしい事を言うのだな」

「君が言うのかね……」

アベールは、ふと冷笑を漏らした。

 

 男は再び思いつめたような顔をして、アベールに尋ねた。

「所でつかぬ事を聞くが、アイリスディーナに好いた男など居るのかね」

「私も、義理の娘の事までは詳しく把握していないが……。

護衛に付けているデュルクや他の側衛官からの報告では、その様な話は聞いてないぞ」

 

男は一頻りタバコを吹かした後、こう告げた。

「男の影はないか」

そう言い放つと静かにグラスを傾ける男に、アベールは問うた。

「急にどうしたのだね……嫁ぎ先でも当てがあるのか」

 

 

 

 アベールは、今年19歳になるアイリスディーナの将来をふと思った。

東ドイツの女性の平均結婚年齢は21歳。学生結婚も珍しくなく若い母親も多かった。

国策として出産奨励金を第三子まで2000マルクほど出すのもあろう。

出生数は平均二人で推移し続けた。

 

 アイリスディーナは、兄ユルゲンの白皙(はくせき)端麗(たんれい)容姿(ようし)(おと)らず、美貌(びぼう)の持ち主。

白雪を思わせるような透明感がある美肌、金糸の様な髪、サファイヤのごとき眼。

士官学校も女生徒では常に次席をキープし、知性も肉体も申し分ない才色兼備。

そのような彼女であっても欠点はあった。172センチ*2の大柄な背丈……。

 戦前生まれのアベールにとっては、大女の婚姻の大変さは身にしみて判っているつもりであった。

周囲は、間もなく19になろうという彼女が、独身で居ることに不安を感じ始めるのも、無理は無かろう……

娘ベアトリクスの様に、ユルゲンの様な良き人が見つかって()れれば違うであろうが……

 

 ユルゲンの事を息子の様に扱う男の口から出た、アイリスディーナの先行き……

妙齢(みょうれい)のアイリスディーナに、白無垢(しろむく)花嫁衣装(ウェディングドレス)を着せてやりたい」

一女の父であるアベールは、男の言葉をその様に解釈した。

 

「君がアイリスちゃんの先々を想って行動するのなら、私なりに努力してみようと思う」

静かに酒杯を置いて、男の方を見つめる。

「済まぬな……」

男は右の手で目頭を押さえた侭、アベールへの相槌(あいづち)を返した。

 

 

 

 

 ユルゲンは(よい)の口に、義父の私宅を訪ねていた。

奥座敷に居たのは、義父と議長だった。

「少し娘と話して来る……」

そう言い残して義父は、部屋を後にした。

 

 部屋に残された男は開口一番、ユルゲンに問うた。

「駐留ソ連軍撤退の扱い……どう考えている」

紫煙を燻らせながら椅子に腰かける男に、ユルゲンは応じた。

「宿営地で武装解除して、護衛を付けてロストックまで送り届けた後、港より仕立てた帰国船に乗せるのが、一番安全かと存じますが……」

男は、すっとユルゲンに氷の入ったグラスを差し出す。

「やはり……、そうなるのかね」

ユルゲンは、レモネードの瓶の栓を開けるとゆっくりとグラスに注ぐ。

「現状の我が国の立場では、我々が生き残る道は選択肢が多い訳ではありませんから……」

男は、ふと冷笑を漏らすと、ユルゲンに皮肉交じりの言葉をかけた。

「君もすっかり、青年将校らしい口の利き方が出来る様になったな……」

 

 男は酔いを醒ます為に、レモネードを一気に呷る。

静かにグラスを置いた後、ユルゲンに訊ねた。

「話は変わるが、アイリスディーナの今後は如何思い描いている……」

奥の方より真新しいグラスを取ると、アイスペールから氷を数個トングで摘まみ、グラスに入れる。

「これは、俺からの提案だ……お前さんとアイリスを俺の養子にしたい。(いや)なら、断っても良い」

男からの提案は、ユルゲンの頭の中を真っ白にさせた。

口約束だけの関係ではなく、息子として取り扱ってくれるという提案に衝撃を受けた。

 

 グラスをユルゲンの方に差し出すと、男は『ルジェ』*3の『クレーム・ド・カシス』*4を注いだ。

ユルゲンは、自分が好きな酒の事まで調べていた男の気遣いに心を打たれる。

「ど、どうして、俺を……、これほどまでに特別扱いなさって下さるのですか」

いつの間にか、頬を濡らしていることに驚いた。

 

 

 男は、30年物のブランデーをグラスに注いだ後、静かに杯を傾けた。

そっと、グラスを置いた後、滔々(とうとう)と語り始めた。

「俺には、前の妻との間に、生きていれば、お前さんと同じくらいの(せがれ)が居てな……。

一目見た時から、知らぬ間に、死んだ倅の姿に重ね合わせている自分がいた……。

どうも段々と接している間に、ユルゲン、お前さんの事を他人とは思えなくなってきた」

 

声を震わせるユルゲンに、男は(さと)すように語り掛ける。

「アイリスディーナの先々を考えれば、俺の養子になる事も悪くはあるまい。

アイリスディーナは並の女よりも(さと)く、そして純粋だ……。

もし君に何かがあった時の為だ。

一人……、この社会で生きる強さを求めるのは、18歳の少女に対しては酷であろう」

「確かに優しい娘ですから……」

「俺が後ろ盾になるから、盤石(ばんじゃく)な相手に嫁がせてやりたい……」

 

 ユルゲンは、男の言葉の端々から政略結婚の意図をくみ取った。

自身が一介の戦術機乗りであったならば、激しく抵抗し拒否したであろう。

しかし今は、支配階層の姻族(いんぞく)

義父アベールや上司シュトラハヴィッツ少将の手助け無くしては容易に事も成せぬ事を実感してきた。

祖国や民族の為に、わが身を捨てる覚悟は十分できていたつもりだ。

だが、妹の事となると……

(あふ)れ出る涙を拭うのも忘れ、男の注いだ酒を一気に呷った。

 

 思えば(おの)が夢は、幼い頃より父母の代わりに妹の事を立派に育て上げ、白無垢の花嫁衣装を着せて送り出す事であった。

もしそれが、どの様な形であれ、叶うのならば……。

一種のあきらめに似た感情が、彼の心を支配し始めた。

 

 

「何れにせよ、ミンスクハイヴの攻略が成された今。米ソの対立構造や、欧州の安全保障環境は変わる」

 

 戦後30有余年、ソ連隷属下にあった東ドイツは資源・食料を通じ、深くソ連経済圏に依存してきた。

伝統的にドイツは、1871年の帝政時代以降、ロシアとの密接な関係こそが重要。

故に、アメリカやEUとは、距離を置くべきだとしてきた。

 

 親ソ反米は、何も東ドイツばかりではない。西ドイツも似たような考えであった。

彼等の運命は、敗戦の恥辱(ちじょく)を受けながら政体を残し君主制を維持出来た日本と違い、悲惨であった。

ソ連のシベリア抑留による500万人強の拉致に及ばず、米英占領地で100万人強の喪失……

鉄条網の引かれた荒野に軍事捕虜たちは放置され、飢餓やコロモジラミが媒介する発疹チフスなどの疫病に苦しんだ。

 ドイツ占領軍の対応も不味かった。

書類上にある捕虜の身分を変更し、米軍に責任が及ばぬようにし、食料供給を意図的に減らした。

英仏軍の、恒常的な虐待も大きかろう……

 ドイツ国民の中には(ぬぐ)えぬ不信感が醸成(じょうせい)されることになった。

 

 

 ハンカチで目頭を押さえた後、ユルゲンは立ち上がり、男に深々と頭を下げる。

「では、明日もありますので失礼します……」

「何かあったら俺の所に来い……」

ユルゲンは無言で静かにドアの前に行くと、其のまま部屋を後にした。

 

男は、立ち去ったユルゲンに呼び掛ける様に、一人(つぶや)く。

「俺がお前たちにしてやれることと言ったら、仮初(かりそめ)でもいいから家族の愛を知らせてやりたかったのだよ……。

シュタージに愛を引き裂かれた男に本当の愛をな……」

 

 

 

 ユルゲンと、議長の、親子の契りを結ぶ儀式は、吉日を選んで行われた。

伝統を否定する前衛党に、儀式とはと思う読者も、おられるかもしれないが、共産党の歴史は大本を辿れば、19世紀のマルクスの時代に戻る。

マルクスの時代にプロイセン王国によって非合法化された共産党組織は、組織隠蔽(いんぺい)の為に、秘密結社の儀式の多くを導入した。

 その様な歴史的経緯からか、党の入党の儀式は重要視された。

選挙を通じ、議会に入り、政権奪取を狙う合法戦術を取ろうと、テロによって社会転覆を狙い、政権簒奪を狙う非合法戦術であっても、変わらなかった。

立会人を呼んで、入党届にサインをすれば済む場合もあれば、複数の党地方支部の幹部たちを前にして、マルクスの資本論に手を置いて、忠誠の宣誓の儀式を行わなくてはならない場合もあった。

任侠組織や秘密結社と同じで、共産党の入党の際は推薦人が必要だった。

 議長は、ユルゲンの名前を、党の名簿に載せれば、留学させる予定の米国で、差別を受けるのではないか。

また、西ドイツとの合邦が成立した際、一切公職に就けなくなる、可能性が高い。

 そんな(おそ)れから、公的記録にも残らない、盃事(さかずきごと)*5をすることにしたのだ。

 

 

 マルクス、エンゲルスの肖像画の掛けられた広間に、祭壇が用意され、酒と供物(くもつ)が並べられる。

社会主義統一党の幹部達や個人的に親しい政治家、軍関係者が、両脇に並べられた椅子に座り、儀式の推移を見守る。

 ワインの注がれたガラス製の酒杯が、銀の盆に載せられて、儀式の立会人の前に差し出され、

「立会人に申し上げます。この盃は、親子の契りを結ぶ(さかずき)に御座います。お目通しを願います」

「結構です」

「よろしいですか」と銀の盆を高く掲げ、祭壇の前に座る議長の面前に運ぶ。

「このお(さかずき)は、親子の(ちぎ)りを結ぶ盃に御座います。

気持ちの許す限り、お飲みになり、お下げください」

議長は神妙な面持ちになると、(うやうや)しく酒杯を取り、半分ほど飲む。

そして盃は、白いタキシードを着た給仕が、媒酌人(ばいしゃくにん)の所まで下げて言った。

 

 緊張するユルゲンの元に差し添えられた*6酒杯が差し出され、

「え、子となられます、同志ユルゲン・ベルンハルトに申し上げます。

紳士の(ちぎ)りを結ぶ意義高いお盃です。この盃を飲み干すと同時に、親子の強い絆が結ばれます。

その盃を飲み干しまして、懐中しっかりと、お納めを願います」

儀式の媒酌人が、

「どうぞ」と、声を掛けると、一気に酒を(あお)り、空になった酒杯を布に包むと、懐に入れた。

司会役は、ユルゲンの方に向かって、

「よろしくお願いしますと、力強くお願いいたします」

その言葉を聞いて、議長の正面に立ったユルゲンは、深々と頭を下げ、

「よろしくお願いします」と、力強く答える。

一通り、ユルゲンの様子を見届けた媒酌人は、

「無事、盃事(さかずきごと)が終わりましたことを衷心(ちゅうしん)より御礼(おんれい)申し上げます。

全国津々浦々(つつうらうら)に、ご吹聴(ふいちょう)(たまわ)らんことを切に願って、媒酌人の挨拶としたいと思います。

本日は、誠におめでとうございました」

祝辞(しゅくじ)が終わると、一斉に拍手が鳴り、世話人(せわにん)の首相が、閉会の挨拶を述べた。

「これを持ちまして、本日めでたく、党員党友の血縁式典、親子盃を終了させていただきます。

議長おめでとうございました」

参加者から、再び拍手が鳴り響き、儀式は終わった。

*1
東ドイツの独裁党

*2
アイリスディーナの身長は公式設定で172センチで、またベアトリクスは、それよりも大きく175センチである

*3
1841年創業の酒造メーカー。フランス企業

*4
フランス製のカシス・リキュール

*5
独裁国家の指導者と実力者が、養子や親子に擬制(ぎせい)した関係を持つのは珍しくない。卑近な例で言えば、金正日とオランダ国籍の朝鮮人楊斌の養子縁組の例などであろう

*6
継ぎ足された




 kurou様、2度目の誤字報告有難う御座います。
ハーメルン投稿版は暁と比べて、簡素でわかりやすい表現にしているつもりですが、必要以上に漢字を使い過ぎる様であれば、誤字報告か、感想欄でコメント頂けると嬉しいです。
 暁の方で指摘を受けた話に関しては、適宜修正して掲載して要ります。

ご意見、ご感想、よろしくお願いします。
アンケートの方は引き続き実施しております


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百鬼夜行(ひゃっきやこう) 後編

 地上のハイヴ攻略が成ると、伏魔殿(ふくまでん)(ひそ)んでいた悪鬼たちが(にわ)かに(おど)り出る。
天のゼオライマーを我が物にする為、国際金融資本が、日米両国の政治家が、動き出す。
木原マサキの運命や、如何に。


 5年に及ぶBETA戦争で、地球上にある全てのハイヴ攻略が()ると、列強諸国の対応に足並みの乱れが早くも出始めていた。

 ここは、米国・東部最大の商都、ニューヨーク。

その都市の真ん中に流れるハドソン川河口部の中州(なかす)にあるマンハッタン島。

同島には、ニューヨーク証券取引所をはじめとした米国金融業界と所縁(ゆかり)のあるウォール街を擁し、ユダヤ系の商人や銀行家達が、世界中のあらゆる富を集める。

その為、世人は『ジューヨーク』と密かに噂し合う程であった。

 マンハッタンの中心街48番街から51番街の22エーカー*1の土地に跨り、聳え立つ摩天楼。

国際金融資本の系列が保持する超高層ビルディング*2

そこで米国を代表する産業界の重役による秘密会合が開かれていた。

 ソ連極東最大都市・ハバロフスク市からの通信途絶という情報を元にして始まった会議は、紛糾していた。

東欧駐留ソ連軍の完全撤退という怪情報が持ち込まれてから、密議に参加する面々から不安が漏れる。

 

「ソ連首脳部の重大発表……どのように扱う積りかね……」

どこか気難しそうな表情をした老人が口を開いた。

「何、ウラジオストックの支店から連絡は確実なのかね……」

「昼頃、東京よりも似たような応答が御座いました……。

ただ京都支店も大阪支店も独自に動いて、対日通商代表部にも連絡いたしましたがファクシミリもテレックスも駄目だったそうです」

「KGBの日本でのスパイ活動も低調か……、何かあったのは間違いない」

「バクー油田*3の石油採掘事業。再開の見通しは立ちそうにもないか……」

「我等が60年の長き月日をかけて築いた、米ソ・二国間のの世界構造……、たかが一台の戦術機によって壊されようとは」 

 

 

 会議に参加する人間からの嘆きの声を遮るようにして、笑い声が響く。

末席に居る一人の50がらみの男が、満面に紅潮をみなぎらせて、生気なく項垂れる者たちを、出し抜けに笑って見せた。

 

老人は、その無礼をとがめた。

「誰かと思えば、副大統領のご舎弟(しゃてい)ではないか……、今は何方(どちら)に」

「チェース・マンハッタン銀行*4で形ばかりの会長などと言う、詰まらぬ仕事をしております。

しかし各界を先導なされた皆様方の情けない姿は惨めで御座いますな。

木原マサキと言う男を、我等の中に招き入れる。それ位の事は言えぬものなのでしょうか……」

そう言って、男は再び笑い声を上げた。

 

 

男の皮肉に、老人をはじめ、参加者たちもむっと色をなして、座は白け渡った。

「それならば何か、君はそのような広言を吐くからには、木原を招き入れる計でもあるというのか。その自信があっての大言か」

老人は憤激(ふんげき)の表情を見せながら(なじ)ったので、その場にいた人々は、彼の返答を固唾(かたず)()んで見守った。

「なくて、如何(いかが)しましょうか!」

毅然(きぜん)として彼は、立ち上がり、

「実は私の方で5年ほど前より、日米欧の著名人や新進気鋭の官僚を集めた勉強会を主催しております。

俗にいう、『三極委員会』*5の集いを通じて、多少は日本との縁が御座います」

と言い切った。

「もし今の言葉に(いつわ)りがないならば、君にいかなる計画があるのだ。良ければ聞かしてもらいたいが」

「それならば私が常より日本に近づいて、表面上甘い言葉で彼等と関係しているのは、何を隠そう、隙あらば日本そのものを我が手にしようと、内心誓っているからです」

と臆面も無く言った。

不肖(ふしょう)ながら私におまかせ頂ければ、木原が秘密を暴き、白日の下に晒して御覧に入れましょう」

老人は、副大統領の弟の言葉に非常に満足し、会議に参加する人々もまた安堵感から喜色を(みなぎ)らした。

 

 彼等は、ハイヴ攻略の経緯を記した秘密報告書からゼオライマーの特殊機構に注目した。

 原子力を超えるエネルギーを集めるシステムは、木原マサキが開発した。

それ以上の詳しい情報は入手されておらず、不明な点も多い謎のマシン、ゼオライマー。

ただ間違いなく言えることは、このシステムに関して詳しく知っているのは、世界では木原マサキただ一人。

木原マサキの去就が、衆目(しゅうもく)を集めるのには、然程時間が掛からなかった。

 

 遠くに(のぞ)むエンパイヤ・ステート・ビルを眺めながら、老人は満足気に呟いた。

「費用はどれ程かかっても構わぬ。何としても彼を我等の側に引き込みたい……。

早速、調略にかかりなさい」

円卓に座る面々は、男の言葉に相槌(あいづち)を打つ。

「分かりました」

 

 

 

 翌日、男は動いた。

早朝の時間にニューヨークのJFK空港に行くと、大阪国際空港*6行きの便に、持つものも持たず、乗り込んだ。

大阪に着くや否や、京都市内に住まう日本有数の財閥である大空寺財閥の総帥(そうすい)大空寺(だいくうじ)真龍(まりゅう)の元に急いだ。

 

 ふらりと京都の大空寺財閥を訪ねると、奥にある総帥室まで乗り込む。

「久しいのう、大空寺殿よ」

突然の来訪に驚いた大空寺真龍は、酷く狼狽した様子で男の事を見るや、

「なあ、会長職を()(ちゃ)って、はるばる儂の所に来たと言う事は、例の木原と言う小童(こわっぱ)をどうにかしろと言う事かね」と訊ねる。

2メートル以上もある身丈の体を、革張りのソファーに預けた。

 

男は改まったかのように、

「話が早い。では、ここは一つ、汗を掻いてくれぬかね」と訊ねる。

浅黒い顔に呆れた表情を浮かべる大空寺は、

「儂に御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)公と連絡を取れと……、あのお方は殿上人(でんじょうびと)ぞ。そう軽々にお会いできる立場ではない」

と、金色の髪を撫でつけながら、男の話を聞き入り、

「だが、わざわざマンハッタンより来た貴様の頼みだ。御剣公には取り計らおうぞ」

と渋々ながら応じた。

 

 大空寺は男の魂胆を読みかねていた。

態々ニューヨークより直行便で大阪まで来て即日で京都入りするに、何か重大なわけがあると考えた。

男の久方ぶりの訪日を喜んだが、その一方で危険視した。

 

 

 あくる日、男は、ボディーガードの運転する1969年式の赤いマスタングに乗りながら、二条にある帝都城*7へ参内する途中の車列を待った。

オートバイの警官隊に守られた御剣雷電の車列を見かけると、その後を追った。

勢いよくマスタングで、バイクの前に飛び出し、車列を(さえぎ)る。

男は、乗り付けた車の助手席より、飛び降りると、

「待たれよ、御剣公!」と、駆け寄ってくる警官の制止を振り行って、御剣の車のドアを開け、乗り込む。

 

 男は、御剣の仰天した顔を見ながら、不敵の笑みを浮かべ、訊ねた。

「貴殿の方でも、その木原と言う男は困りかねているのかね」

急な男の行動に、御剣は、太い眉を(ひそ)め、 

「我等は今、木原の力に頼ってはいるも、信用はしておらん。

聞けば、豺狼(さいろう)のような立ち振る舞いをすると……」

と応じた。

 

「ならば、その男、我等に預けてくれぬかね……」

「あの男は疑り深い。早々に策に乗るとは思えぬが」

男は下卑た笑いを浮かべ、

「実は、ロスアラモスの学者共が木原に興味を示して、奴を招いたのよ」

「ほう、それで……」

「奴も、米国に乗り込むと周囲に漏らしたとか……なお、都合が良いかと」

御剣は、膝を打って、

「よい考えだ。褒美として、この度の無礼は、不問に帰す」

 と、いった。

 

 

 木原マサキの米国訪問の話は、即座に御座所(ござしょ)にまで伝わった。

正午の頃、政威(せいい)大将軍(たいしょうぐん)は、二の丸御殿黒書院に御剣を呼んだ。

黒書院は(かつ)て江戸の頃、「小広間」と称され、上洛(じょうらく)した徳川に近しい大名や高位の公家しか立ち入れぬ場所であった。

 

露払いの小姓に連れだてられた将軍は席に着くなり、上座にあたる一の間から訊ねた。

「木原渡米の話は、誠か。身共(みども)(いま)(がた)茶坊主(ちゃぼうず)共より聞いたが信じられぬ」

二の間に平伏する御剣は顔を上げて、どこか不安げな表情をする将軍の顔を見つめる。

「殿下、(それがし)も、今朝(けさ)米国の知人から伺ったばかりで御座います」

「この機会を通じて、我等も手に出来ていないゼオライマーの秘密が米国に漏れ伝わったら、どうする心算か」

「何、木原を、その前に殺せばよいのです」

不意に立ち上がると、食指で御剣の事を指差し、()()んで(なじ)った。

其方(そち)は、身共(みども)揶揄(からか)っているのか。その様な事は幼子でも判るわ……」

将軍は再び腰かけると、深い憂いを湛えた顔になり、

「聞く所によれば、東ドイツの将校と懇意にしているそうではないか。

もし木原が、その将校の妻妾(さいしょう)*8や姉妹などに情が移って、手を出してみよ。

ここぞとばかりに奴等は、自分の陣営に引き込もうぞ」と嘆いた。

 

 将軍は、マサキが、東ドイツに篭絡(ろうらく)されることを(おそ)れた。

もし東ドイツの支配層が謝礼とばかりに(たお)やかな娘でも差し出そうものなら、欲に目が(くら)んで木原は食いつくかもしれぬ……

愛欲(あいよく)の泉に(おぼ)れ、何れはこの元枢府(げんすいふ)に、武家社会に、(やいば)を持って襲い掛かってくるかもしれない。

その様な恐ろしい考えが、男の脳裏を支配し始めた。

 

 

 

 御剣は、深く(うれ)う将軍の愁眉(しゅうび)を開かせようとして、答えた。

「殿下の御心配には及びません。

武家や財閥から妙齢(みょうれい)の美しい娘を選り抜き、縁談を受けさせる準備は整っております」

御剣の発言を疑う様な声の調子で、尋ねる。

「ほう、あのような凡夫(ぼんぷ)に娘を差し出す家などあるものか」

(それがし)の方で、斑鳩(いかるが)(おきな)から話を受けて、1年ほど前より訳有りの物を探し出し、準備して置いたのです」

でもまだ迷っている顔付きで、悩む将軍に、

「斑鳩の翁も常々申しておりましたが、天下無双の兵器を得るために、なぜ一人の女性(にょしょう)をお()しみになるんですか。

(やす)うございましょう」と答えた。

 意外な意見に、はっとさせられた将軍は、(いた)く納得した様子で、

「良かろう。その件は貴様に任せる」

脇息(きょうそく)の脇にある扇子(せんす)を掴み、御剣の方を指す。

御意(ぎょい)!」

御剣は将軍からの指示を受けると満足そうな顔をして、深々と平伏して見せた。

*1
1エーカー=4046.86平方メートル

*2
ロックフェラー・センター

*3
今日のアゼルバイジャン共和国の首都にある同油田は、19世紀よりロスチャイルド系のカスピ海・黒海・石油販売会社(caspian and black sea petroleum company)が採掘事業を行っていた。その為、ソ連革命で欧州の石油資本が撤退するまで、スタンダード石油をはじめとしたアメリカ資本は参入できなかった

*4
今日のJPモルガン・チェース銀行。大本となるマンハッタン銀行は18世紀末の1799年創業となる銀行。1966年にクレジットカードのマスターカードの基礎となる銀行間カード協会を設立した

*5
1973年にデイビッド・ロックフェラー、ズビグニュー・ブレジンスキーらの働きかけにより、「日米欧委員会」として発足した親睦団体

*6
大阪府豊中市と池田市、兵庫県伊丹市にまたがる空港。大阪空港、或いは伊丹空港の通称で知られる

*7
今日の京都の二条城

*8
妻と妾、正室と側室の事




ご意見、ご感想お待ちしております。


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一笑千金(いっしょうせんきん) 前編

 天のゼオライマーの秘密を得る為、東ドイツのハイム将軍は陰謀をめぐらせる。
美人計を用い、アイリスディーナを、木原マサキに生贄に差し出すことを決めたのだ。
ベアトリクスは、無二の親友の運命を呪うことしか出来ない、自身に悲嘆の涙に暮れた。


 季節はもう9月の初秋だった。

ユルゲンはつらつら思うに、ここ七、八か月は夢の如く過ぎていた。

人生とは変わりやすく頼りにならないもの。明日はどんな日がこの先に待つことか。

 

「ユルゲン、君だけじゃなく、この僕まで議長に呼ばれるって一体全体どうなってるんだ」

ヤウクは歎くも、ユルゲンも己を自嘲(じちょう)するかのように薄く笑った。

「ま、男は後悔しないものさ」

 

 ユルゲンたちが向かう先は何処か。

共和国宮殿にある議長の執務室であった。

その内、執務室に着くと、そのドアを開け、中にはいる。

すると、背を向けて窓の方を見ている議長と義父・アベール・ブレーメが居るのが判った。

白髪の頭が動き、眼鏡越しに茶色い瞳で彼を一瞥した。

「ユルゲン君、遅かったではないか」

何時もの様に厳格な表情をしていないことに、ユルゲンは驚いた。

一体どういう心境なのだろうか……

 喜色を(みなぎ)らした議長が振り返ると整列する。

彼等は、踵を鳴らし、背筋を伸ばして、敬礼をする。

その際、議長は国防軍(ヴェアマハト)式の敬礼を(よど)みなく送り返した。

 

「諸君等には、特別な話が有って呼んだ。何か分かるか……」

満足気な表情で、男はそう言うと肘掛椅子に腰を下ろした。

「失礼ですが、同志議長。同志ベルンハルトが何か問題でも……」

訝しんだ顔をするヤウク少尉の問いに、男は相好(そうごう)(くず)す。

「同志ベルンハルトが何をしでかしたかは、今日は問題にしない。

実はな……、お前さんたちに遊学に行って欲しい。

我が国のエリートも、英米の大学留学は何れは進めなくてはいけない。

そうしないと、西との合邦の際に困るであろう」

 男は懐中よりフランス製の紙巻きたばこを取り出すと、火を点けた。

紫煙を燻らせると、黒タバコの詰められた「ジダン」の香りが部屋中に広がる。

 

「同志議長、失礼ですが、どちらにですか」

「俺の方で推薦状を書いてな……。

同志ベルンハルト。君は、ニューヨークにあるコロンビア大学*1を知ってるかい」

 男は、ユルゲンに米国留学の話を臆面(おくめん)もなくいった。

紫煙を燻らせながら、ユルゲンのサファイヤのような瞳を覘く。

「そこのロシア研究所*2で君を受け入れるという話が来てな……。

戦術機から離れることになる故、衛士としての技量は落ちるかもしれんが受けてはくれないか。

露語が自由闊達(じゆうかったつ)に操れて、英語も話せる人間となると少なくてな……」

 ユルゲンはその言葉に、心を動かされた。

コロンビア大学のロシア研究所……、聞いた事がある。

確か石油で財を成した大財閥の財団*3の支援で作られた研究所のはずだ。

その財団は、米国資本にしては珍しく中近東のとの関係も重視しているとも聞く。

BETA戦争前の、ソ連の石油採掘事業にも縁が深かったはず……

 

「ですが同志議長、小官では無くても英語能力の高いものはいるのではありませんか」

立ち竦むアベールは、両腕を組むと彼の方を向いた。

「ユルゲン君。君は自分を、そう卑下する物ではない。

……議長は外に出して学んできて欲しいと、君に言っているのだよ」

 

 

「お前さんたち、悪童どもが集まって西の新聞を熱心に読んでる件……」

男は、燻る煙草を持つ右手で、灰皿へ灰を落とす。

「その事は、俺の耳にまで伝わっている。

まず一人、ニューヨークで遊学して来い。詳しい話は追ってする」

 ユルゲンはひどく怪訝(けげん)な顔をして、二人に尋ねた。

「ベアトリクスとではなくてですか……」

外交官の子息として単身留学に強烈な違和感を覚えたためであった。

(いぶか)しむ彼の眼前に立つ二人は、一瞬狐につままれたような顔になる。

呆気に取られたアベールが尋ねた。

「娘から、何も聞いてないのか……」

「何のことですか」

さっぱり事情がつかめず両目を瞬きさせるユルゲンを見て、男は思わず苦笑を漏らした。

「アベール、余り追及してやるな。若夫婦だから色々あるのであろう」

哄笑する声に吊られて、アベールも追従した。

相も変わらず感の鈍いユルゲンに呆れたヤウク少尉は、深いため息をついた。

 

「同志ヤウク、君には英国のサンドハースト士官学校*4に留学してもらう。

空軍士官学校次席の人間*5が今更そんなところに入るのは馬鹿らしいかもしれんが……」

議長の呼びかけに対して、()からぬ顔をしたヤウク少尉は直立して答える。

「人脈作りですか」

男は、深く頷く。

「話が早くて助かる。西の王侯貴族の連中と人脈を作る*6……、大変であろうがその事を君に任せたい。

それに君の出自はヴォルガ・ドイツ人、事情を知る人間からは同情も引こう。

その点も考慮しての人選だ。遠慮なく学んできてくれ」

 机の上で指を組んで、一瞬戸惑うヤウク少尉を見る男は、続けざまにこう漏らした。

「シュトラハヴィッツ君の愛娘(まなむすめ)を迎え入れるのに、ふさわしい男になる覚悟。

十分、確かめさせてもらった。

後は君の努力次第……、話は以上だ。下がって良い」

「了解しました」

男に挙手の礼をした後、ヤウク少尉は両手で軍帽を被るとドアに向かう。

 

 ヤウク少尉は、自分の思い人を考えた。

一通り学び終えたころには、彼女も花を恥じらう乙女になっていよう。

10歳以上離れた娘御とはいえ、一目(ひとめ)()れしてしまったのだ……。

何れ18になったら迎えに行こう、そう思いながら部屋を後にした。

 

椅子に腰かけていたユルゲンは、勢い良く立ち上がる。

「同志議長、用件が済んだなら自分も……」

一服吸うと、彼の方を向き、答える。

 男は相好を崩すや、次のように言った。

「近いうちに客が来る」

ユルゲンは喜色に満ちた顔を引き締め、背筋を伸ばす。

「実はとっておきの人物を招待した。君にはその接待をしてほしいのだよ」

 

 

 

 

 

 

 その夜、私宅に数名の物を招いて、議長は夕刻よりゼオライマーの取り扱いに関して討議をしていた。

 

 会議の座中、ハイム少将は、深刻な面持ちをする議長に、

「では私に考えが御座います。伝え聞く所によると、ゼオライマーのパイロットは独り身であるそうです」と答える。

「丁度、アイリスディーナ嬢は、はや婿(むこ)殿を迎えてよい年齢になりますから、この際、婚姻(こんいん)を通じて、まず、木原の心を籠絡(ろうらく)するのです。

その縁談(えんだん)を、受けるか受けないかで、我々に対する彼の立場も、はっきり致します」

「うむ……」

「もし彼が、縁談をうけて、二つ返事で引き受けるようでしたら、しめたものです。 

我が国が史上最強の兵器を労せずして手に入れることが出来るのですよ。

こんな話は滅多にありません」と木原マサキとの政略結婚を、匂わせる答えをした。

 

男は紫煙を燻らせながら、

「たしかにハイムの言う事には一理ある」と、彼の意見はもっともだと感心していた。

 

 ハイムの意見に聞き入る様に驚いたシュトラハヴィッツ少将は、男を(いさ)めた。

「形の上とはいえ、義理の娘だろう。アンタは余りにも人非人(ひとでなし)じゃないか」

一女の父親(おとこおや)である彼は、アイリスディーナの姿を、愛娘ウルスラと重ねた。

ゼオライマーのパイロット、木原マサキとの婚姻。

彼は、その事を多方面より考え、国益の為の良縁と思い、その反面に危うさを覚えた。

議長の面には、わずかに動揺が見えだした。

「シュトラハヴィッツ君、君の言う通りだ……

だがね。核より安く核爆弾以上のものが手に入るとなれば、我が国を囲む安保情勢は変わる」

 

 だがシュトラハヴィッツ少将の意見を受けても、男の決心は変わらなかった。

その様を見て、アベール・ブレーメは、

「待ち給え、あまりにも無謀過ぎないか……」と口を極めて、その無謀をなじった。

「何だって、そんな乗るか分からない策に全力を注ぐのかね。

甘い見立てではないのか……英仏は核戦力維持のために通常戦力を減らした。ゼオライマーにかかる費用と言う物がどれ程なのか、皆目見当がつかない」

 

 嘗て7つの海を制し、南米より中東、印度(インド)、極東まで支配した英国は見る影もなく凋落した。

2000隻近くの威容を誇った大艦艇も、精鋭を誇った陸軍も、ドーバー海峡の向こうより渡洋爆撃を繰り返す空軍(ルフトバッフェ)と幾度となく干戈を交えた航空隊も、かつての面影はない。

核戦力維持の為、英国政府の財務官僚は、繰り返し、しかも過剰に、三軍の装備・人員を削減してきた。

 

 またフランスも同様である。

ナポレオン大帝の頃より多数の精兵で、その武威(ぶい)を天下に示してきた大陸軍(グランダルメ)や、北アフリカや、清朝より掠め取った印度支那(インドシナ)諸国を従え、果ては南太平洋の小島まで影響を及ぼした海軍。

今や、核の傘にかかる費用の為に、四海(しかい)にその威光を及ぼす事など論外と言えるほど縮小し、その姿は往時(おうじ)を知る者を嘆かせた。

 

 アベールは、通産次官として東ドイツの状況を誰よりも把握していた。

国民福祉の為の社会保障費を維持するためとはいえ、西ドイツより秘密裏に施し金を受け取っている以上に、ソ連よりパイプラインを通じて提供されていた格安の天然ガス、石油。

 BETA戦争によりその供給量は減るも、自国使用分を削って転売していた差額を持って、国費に当てるのも限度がある。

ましてや、核に同等するとも言われている天のゼオライマーの特殊機構……。

一人皮算用をしながら、悶々(もんもん)と思い悩んでいた。

 

 

「どちらにしろ木原博士に関しては男女の関係とか淫猥(いんわい)な話は聞いた事がない。

思想も反ソで一本筋が通っているし、信用できる男やもしれん」

 議長の言葉に、気を良くしたハイム少将は、

「不安にお思いならば、誰か、木原と会った者を呼び寄せて、その人物に聞きましょう」と答える。

ふと、不安げな表情のアーベルが漏らす。

「娘は、危険な男と言っていたが」

「次官、真ですか。お嬢様は何方で、博士と……」

ハイム少将に応じる形で、アベールは娘・ベアトリクスから伝え聞いた話を、打ち明ける。

「ユルゲン君と遊びに行った折に会ったそうだ。何でも例の戦術機に乗せて遠乗りに出たと……」

 シュトラハヴィッツ少将は、苦笑を浮かべながら、

「初耳だな。あのベルンハルトと遊び仲間だったとは」

と、皮肉交じりに答えるも、

「おい、アルフレート、口を慎め」と、ハイム少将が彼を(たしな)めた。

 

 男は、密議に参加する面々からの発言を聞いた後、手に持った煙草をゆっくりと灰皿に押し付ける。

そして、覚悟したかのように述べた。

「まあ、俺の方でミンスクハイヴ攻略作戦の功績による勲章授与と言う事で、木原博士を呼び出して、アイリスに()わせる。ちと不安な事もあるがな」

アベールは、彼の発言に内心おどろいたが、さあらぬ顔して、

「なんだね」と云いやった。

議長は、ふと冷笑を漏らしつつ、

「東洋人だろ、アイリスより小柄だったら……」と嘆く。

ハイムは、眉をひそめ、

身丈(みたけ)風采(ふうさい)も重要でしょうが、彼は科学者です。やはり重要なのは人格や政治信条でしょう。

今の彼の立場は日本政府の傭兵の様な物です。上手く行けば引き込めるかもしれません」

と、小声を寄せて、マサキと日本政府との関係をはなした。

シュトラハヴィッツも、いやな顔をして、ふさいでいたが、ハイムの言を聞くと、いきなり鬱憤(うっぷん)を吐きだすようにいった。

「悪魔のようなことを考える科学者だったら、どうする。奴の背景も分からぬ内に嫁入り話などと言うのは危険すぎないか」

「それはその時に考えればいいさ。シュトラハヴィッツ君」

ハイムは、シュトラハヴィッツの怒っている問題にはふれないで、そっと議長に答えた。

「ごもっともですが、こういうことは、あまりお口にしないほうがよいでしょう」

「しかし、困ったものだ……」

「まあ、ご安心ください。その代りに、木原へは、(むく)うべきものを報いておやりになればよいでしょう」

と、ハイムは堂々と答えた。

 

 

 

 

 

 翌朝、議長公邸は驚きと混乱の声が響き渡っていた。

「えっ。アイリスディーナの結婚のはなしですって?」

 初耳とみえて、ユルゲンは桃のような血色を見せながら目を丸くした。

「で、何方に……」

「ゼオライマーのパイロット、木原マサキにだよ。ハイムの提案でな」

 

 案の定、ユルゲンはおもしろくない顔をした。

議長はたたみかけて、若い義子(ぎし)を諭した。

「外交とは、すべて逆境に在っても耐え忍んで成し遂げるものだ。

時にはじっとこらえて我慢するのも必要と言えよう。

木原にアイリスディーナを与える。勿論、嫌でたまらないだろうが、その効果は大きい。

どのような英傑(えいけつ)や賢人でも人間だ。

遂に人間的な弱点、つまり凡情(ぼんじょう)(いだ)くのは世の常。

思うに、傾城(けいせい)の美女、一人で、剣で血を濡らさずして国土の難を救える」

話を受けてしばらく、ユルゲンは熟慮にふけり、やがて議長には、最初の気色とは打って変って、

「取り敢えず、(しゅうと)や妻に相談し、自分の方で妹は口説いて見せるつもりです」

と答えて、その場を辞した。

 

 

 帰宅するなり、ユルゲンは、妻を呼び出して、事の経緯を相談した。

するとベアトリクスは、怪訝な顔をして、

「アイリスディーナを(もら)いに来るって……何処までもあつかましい男ね」

ユルゲンは、あわてて手を振りながら、

「違う、違う。ハイム少将の提案で、我等のほうから木原を婚姻に誘い出すんだよ」

「嘘、嘘。貴方は私を揶揄(から)って笑おうとしてるのでしょ」

本当(マジ)。嘘と思うならば、人を出して聞いて来いよ」

ベアトリクスは、まだ信じない顔で、護衛の一名であるデュルクに、事の経緯を確かめる様をいいつけた。

 

 

 デュルクは、官衙(かんが)から帰ると、すぐベアトリクスの前へ来て語った。

「例のお噂で、政治局や重臣の皆様はもちきりでした」

ベアトリクスは、声を上げて、()き出した。

 たちまち彼女は、わが義妹のアイリスディーナのいる部屋へと、走って行った。

その様に仰天したアイリスディーナは、

「ベアトリクス、どうかしたの」と(いぶか)しんだ。

ベアトリクスは、袖でおおった顔を上げて、

「アイリス。どんな立場になっても、私は貴方の(あによめ)義姉(あね)よ」

「何を言うの、今さら」

「じゃあ、なんで私に相談も無く、大事な女の一生を簡単に決めたのよ」

「わけが分からない。なんのこと、一体?」

「それその通り。木原へ嫁がすことなど許すつもりはないわ」

アイリスディーナは、眼をみはって、

「えっ、誰がそんなことを……」と、二の句もつげない顔をした。

「兄に()いてご覧なさい」と、涙で濡れた目でユルゲンをねめつけた。

ベアトリクスのうしろへ来て立っていたユルゲンは、

「アイリス、(ゆる)してくれ。

何れ、俺の口からお前の真心を見込んで頼むつもりで居たが……」

と言いかける夫の肩を掴んで、

「そんなのは知りません!」

とベアトリクスは、前にも()して怒り出した。そして口を極めてその(はかりごと)をそしった。

「ハイム将軍も、ハイム将軍よ。一国の将官たるものが、そんな愚者にも劣る考えで……。

絶対に許さない……、決してアイリスを、そんな道具みたいな扱いにするなんて許さない」

 

 兄弟姉妹のいないベアトリクスにとって、アイリスディーナは実の妹も同然。

ユルゲンへの特別な感情を持っている事には嫉妬してはいたが、それでもその情の深さは特別だった。

だから、その義妹(いもうと)生贄(いけにえ)として捧げようとする計略を聞いては、頭から怒りを震わせて、

「駄目、駄目、誰がなんといおうと、アイリスの一生を誤まらせるようなことなんて……。

貴方、ハイム将軍を討ちましょう。国家人民軍の将官にその様な人間は必要ありません」

という剣幕で、国益の為の策を否定した。

 

(『もうこうなったら、手が付けられないな』)

ベアトリクスの痛切な(なげ)きに、ただユルゲンは漠然(ばくぜん)としていた。

もらい泣きしたアイリスディーナと抱き合って哭くベアトリクスの姿を、見守っていた。

*1
1754年創立。全米名門8校からなるアイビーリーグの一つで、全米で5番目の古さの大学

*2
1946年創立。ロックフェラー財団の提案により、米国で初めて学術的にロシアとソ連の研究の為、設立された研究所。今日のハリマン研究所

*3
ロックフェラー財団

*4
"Royal Military Academy Sandhurst". 1947年開校の英国の士官学校。 1972年に大学課程廃止の制度変更により、卒業後に部隊配属で教育を受けるシステムの為、1年制を取っている。ちなみに米国、ウェストポイント士官学校は4年制

*5
サンドハーストは高卒資格で入校可能だが、2010年のデータによると、卒業生の85パーセントが大卒である

*6
サンドハーストの卒業生の1割は外国人で、旧植民地の中近東の王侯貴族が多い




 読者意見を参考に作った話になります。
作品に対する疑問や質問でも結構です。ご意見、ご感想待ちしております。
(リクエストは、暁の方のコメント欄にお願いします)


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一笑千金(いっしょうせんきん) 中編

 無敵のロボット、天のゼオライマーを操る、木原マサキ。
東ドイツの首脳陣は、彼を我が物にせんと、一人の薄幸(はっこう)の美少女を仕立てる。
仕掛けられた卑劣な計略を前にして、マサキの運命は如何に。


 さて数日後、一方のマサキは、僅かな人間を連れだて、東ベルリンに入る。

無論、日本政府も共産圏と言う事で、駐西独大使館付武官補佐官の彩峰(あやみね)と参事官の珠瀬(たませ)を同時に送り出して。

 

 黒塗りの公用車を連ねて、チェックポイントチャーリを堂々と通過していく。

その車中、マサキは、

「ミンスクハイヴ攻略に対する勲章の授与か、そんなくだらん話とは思わなかった。

これは興ざめだな」と気怠そうな表情をして、呟いた。

助手席の鎧衣(よろい)は、後部座席に振り返り、

「木原君、付かぬ事を聞くが……」と尋ねる。

一瞬、眉をひそめたマサキは紫煙を燻らせながら、

「用件があるならあけすけに言っても構わんぞ。美久に気を使う必要もあるまい」

と、いぶかりだした。

女性(にょしょう)の色香に惑わされないかと……、職業柄、不安になったのだよ。

私は幾多の科学者が、色仕掛けによって、破滅的な結末になるのを見てきてね」

マサキは、満面に喜色をめぐらせ、

「確かに、この数年は、まったく童貞(どうてい)も同じであったからな」

と出し抜けに、笑って見せた。

 マサキからの意外な言葉に、鎧衣と運転手は心底仰天した態度を見せる。

美久は頬を真っ赤に染めると、(うつむ)いてしまう程で、マサキは、その様を見ながら、

「お前にも、その様な態度を取る所があったのか」

と彼女の横顔を、興味深そうにぬすみ見た後、笑って見せた。

勝ち誇った態度で、吸い殻を灰皿に投げ入れ、

「鎧衣、貴様が許すのであれば、ベルンハルトが囲っている女どもと(たわむ)れて見せよう」

と、鎧衣を揶揄う様な事を言い放った。

 

 

 

 

 共和国宮殿に着くと、車のドアが勢いよく開けられる。

正面口の外には、一組の男女が待ちかねた様子で立っていた。

女はやや小柄で、濃い灰色でウールサージのタイトスカートの婦人用勤務服姿。

胸まで有るセミロングの茶色がかった金髪で、左目の下にはっきりとわかるぐらいの大きな泣き黒子(ぼくろ)

 もう一人の男は、見上げるような偉丈夫で、灰色の外出服を着ていた。

ダークグリーンの襟には、下士官の刺繍があり、飾り緒を胸に付けていた事から曹長である事が判った。

奇妙な二人組の後ろには、官帽に将校用の冬季勤務服を着たユルゲンが、ゆっくり姿を現す。

 

 偉丈夫の下士官は、両手にマサキ達が持ってきたA2サイズのアタッシェケースを抱える。

その際ユルゲンは、

「同志曹長。執務室の前で待機しててくれ」と、声を掛ける。

曹長は、直立したまま、

「同志中尉、クリューガー曹長はご命令された通り、任務を実行します」

と告げて、彼に会釈した後、庁舎の中に入っていった。

 

顔なじみのユルゲンを見るなり、マサキは近寄って、

「ベルンハルトよ、待たせたな。この木原マサキに話とは何だ」

「折りいっての話は……、奥で議長がお待ちしております。

そこで、お茶でも飲みながら……」

彩峰たちが揃うのを待ってから、ユルゲンは、

「では、お待たせいたしました。さっそく、同志議長の室へご案内いたしましょう。どうぞ、こちらへ」

と、庁舎に案内した。

 

 丁度その時、執務室では、議長が他念なく喫緊の課題に関する書類に目を通していた。

ユルゲンは、静かに扉を訪れて、

「同志議長、ベルンハルト中尉はご命令の通り、御客人方をお連れ致しました。

お目通りの方、お願いいたします」

と、形式に則った挨拶をした。

 

 議長は、椅子から立ち上がって、彼の姿を迎えるなり、

「其方に居られる彩峰大尉と木原さん、後ろにいる氷室(ひむろ)さん。

帝国軍人の方々には、我が国を代表して略式ながら英雄勲章(メダル)を授与したいと思ってね」

と、机の引き出しを開け、スウェード素材の化粧箱と筒状に丸めた紙を取り出し、

「議会を飛ばして、政治局の方針として勲章を贈る事にしたのだよ」と、机の上に置いた。

男は、深々と頭を下げる彩峰の方を向くと、

「本日お見えにならなかった大使閣下、駐在武官のご両人には後日改めて授与する事だけは、議長の私から伝えて置きます」と鷹揚(おうよう)に、礼を返した。

 

 

 天のゼオライマーパイロット、木原マサキを、計略に乗せる。

随分前より、豪勢な昼餉(ひるげ)を準備し、東ベルリンでは簡単に手に入らない柑橘(かんきつ)類や牛肉などの食材を集めさせていた。

「めったにお越しにならない日本の皆様のお訪ね下さったのです。

後ほど大広間で、茶会でも……」

自信満々に呼び掛けるも、肝心のマサキといえば、彩峰の傍から移動する。

「もう俺を必要としないであろう」

振り返りもしないで、扉の方に歩いて行った。

 ユルゲンはじめ、みな()やとした顔色である。

室中、氷のようにしんとなったところで、マサキはなお言った。

「今更、茶会どころじゃあるまい。俺も忙しいんでな」

 

 饗膳(きょうぜん)の上に乗った鮒の刺身が持ち去られるような感覚を覚えた議長は慌てた。

ここでマサキに逃げ帰られれば、折角、いろいろ苦労して準備した計略が水泡に帰す。

 用心深い男の事だ、(あざむ)いてベルリンに呼ぶだけでも大変なのに……

慌てふためいた男は、おもしからぬ顔をするマサキの黒い瞳を(のぞ)きながら、

「ま、待ってください」

強張(こわば)った顔に、余所(よそ)行きの笑みを湛え、

「何分、硬い話ですから、木原博士の方は、自由行動をなさっても構いません。

なんなら愚息にでも、ベルリン近郊の私宅を案内させましょう。

もし、その際には娘にもよろしくと、声を掛けてやってください」

と、必死の想いで、マサキの特別行動を提案した。

 もうこうなれば、何が何でもアイリスディーナと引き合わせるしか有るまい。

党やシュタージの影響の及ばない場所であっても、構わない。

兎に角、マサキが、薄幸(はっこう)の美少女アイリスディーナに、興味を持ってくれれば……

どんな形であれ、彼女と関係してくれれば、こちらとしては上出来なのだ。

祈るような気持ちで、マサキの関心を引こうとした。

 このときユルゲンの眉に、一瞬の驚きがサッと(かす)めたのを、マサキ達はつい気がつかなかった。

また、気づきもさせぬほど、ユルゲンの姿は静かだった。

 

 気をよくしたマサキは、不敵の笑みを(たた)(なが)ら、

「それは楽しみだ。雑多な茶会などあきあきしていたからな……」と満足げに答えた。

不安になった彩峰は、

「おい木原、単独行動は」と声を掛けるも、

「まあ、まあ、大尉殿、この不肖(ふしょう)鎧衣が付いて行きますので、ご安心を」

と鎧衣に宥められ、渋々ながら、

「……認められぬが、貴様が責任を取るなら別だ。何かあったら情報省に乗り込んでやる」と、くぎを刺した。

 

 

 マサキは、彩峰たちと別れると美久と鎧衣を引き連れて、ユルゲンたちの用意した車に乗った。

3台の115型『ジル』*1に別々に乗せられると、ベルリン郊外に向かって走り出した。

 

 

 車中、マサキは後部座席に寄り掛かりながら、

「いや、別嬪(べっぴん)さんだ。本当(ほんと)いかしてるね。ハイゼンベルクさんだっけ」

と懐中からホープの紙箱を取り出し、

「吸うかい」と左隣に居るマライ・ハイゼンベルクにタバコを勧めた。

困ったマライは、右手を差し出して断ると、マサキは煙草を口に咥えて、

「ベルンハルトよ、お前ら男女の仲なのか。そうでなければここまで連れてこまい」

と、助手席にいるユルゲンに声を掛け、

「もしあれならば、俺に譲ってくれないか」

と呟くと、ガスライターで紫煙を燻らせた。

 マサキの戯言に、ユルゲンは顔色を変じて、

「断る」と怒気をあらわにして言い返した。

「出来てなければ、強引にでも俺のものにするんだがな」

と言い放つと、満面に喜色をたぎらせ、

「出来てるってことか。本当であろうな」

と椅子の間から身を乗り出し、ユルゲンの(うなじ)に紫煙を吹きかけ、

「まっ、しょうがねえか。俺も女の事で揉めたくないからな」

と勢いよく、椅子に腰かけた。

運転席にいるヤウクは、その様を苦笑しながらハンドルを握っていた。

 

 車はしばらく走ると、郊外にある住宅街に着いた。

マサキは、車より降りると、懐中よりミノルタ製の双眼鏡を取り出す。

ダハプリズム式のレンズで周囲を見回し、ふと思慮(しりょ)(ふけ)った。

 はるか遠くに見えるコンクリート製の所々崩れかけた壁は西ドイツの飛び地を覆う物だろう。

ベルリン市内でも無数の飛び地があって米ソ英仏の四か国軍が定期的に巡回している。

その様な場所で度々暗殺未遂や誘拐事件が起きても不思議ではない。

KGBもKGBだが、止めなかったCIAもCIAだと、紫煙を燻らせながら、周囲を観察していた。

 

 

 

 

 やがてユルゲンの招きで立派な屋敷に案内された。

建屋は戦前に立てた物であろうか。壁は所々色が()めて、補修も満足されてない様子。

 自分を貶める計略の準備が成されたわけではなさそうだ。

マサキが一通り安心して、屋敷の中に入るなり、ユルゲンは、

「俺の家だ。ここなら万が一ソ連も手を出せまい」と呟いた。

マサキはその様を見て、この男の無謀を(たくま)しく思い、また苦しく思った。

 

 急に訪れたためであろう。

家にいた老婆と老爺は、慌てた仕掛けで、茶菓子を買いに行くと出かけようとしたが、ユルゲンが止める。 

後で知った事だが、洗い晒した着古しの服を着た老夫婦は、ユルゲンを育てたヤン・ボルツとその夫人であった。

外務省職員だったという老爺は、マサキ達を客間に案内した後、奥に引っ込んでいった。

 ユルゲンの生い立ちは詳しくは知らぬが、色々と難しい家庭環境なのだろう。

3月に国家保安省(シュタージ)本部から盗み出した秘密文書(ファイル)で、事前に詳しく調べて置けば良かったと後悔した。

 

 丁度、マサキがベルリン訪問の為に土産として準備して置いた茶や菓子を前にして雑談をしている時である。

扉の向こうから、ちらっと(うかが)う人影を認めると、ユルゲンが声を掛けた。

「アイリス、お客人だ。挨拶しなさい」

 ドアが静かに開くと、マサキは目を見張(みは)った。

そこには白皙(はくせき)美貌(びぼう)(たた)え、楚々(そそ)たる麗人(れいじん)が居た。

 編み下げで綺麗に結った腰まで届く長い金色の髪、金糸の様な眉の(うるわ)しさ。

瑞々(みずみず)しく、青い血管が透けて見えるほどの肌の白さ、また、(うれ)いを含んだサファイヤ色の眼。

どれも、この世の物とも言えぬものばかりで、19世紀の絵画から出て来た様な麗しい女神や妖精を思わせた。

 また彼女の身に着けている象牙色のカーディガンセーターと白地のブラウス。

白い生地が、砲弾型の乳房や腰の括れを一層浮き立たせ、非常に(なまめ)かしく見える。

 濃紺のフレアスカートの下から浮かび上がる体の起伏、黒いストッキングにパンプスを履いた足は、なんとも言えない細さ。

咄嗟(とっさ)に、マサキにも、何とも言えない(まばゆ)い心地がした。

 

 (『ああ、この様な珠玉(しゅぎょく)の様な乙女(おとめ)()ようとは』)

 今まで感じた事のない様な動悸(どうき)と共に、全身の血が熱くなっていくのを感じた。

マサキは、今まで見た事のない美女の新鮮な姿にすっかり見入ってしまっていた。

 

 

「木原。お前が俺をソ連の害悪から幾度か助けたことへの恩として、帰国するついでに、この娘を連れてくれぬか」

 ユルゲンの言葉は、アイリスディーナとの結婚を意味する物であった。

東ドイツ国民の国外への移動は制限されていた。

但し、それにも条件があり、65歳以上の高齢者と政治犯、外国人と結婚した配偶者は出入国が自由であった。

 BETA戦争たけなわの頃、SED*2はこの例外条件すらも認めぬ立場を取ろうとしていた。

だが、思いのほか早く、戦争の勝利が見えて来たので、その例外規定は残された。

 

 この甘言(かんげん)に、マサキは、己の身の安全を考えれば、即座に否と答えるべきである。

だが、目の前に立つ人が、あまりに美し過ぎるので、なんとなく戸惑(とまど)った。

 マサキの正面に立つユルゲンは、彼の戸惑いを、どう解釈したか。

「そうだ、出自の分からぬ娘をと疑っているであろうが、心配するな。

彼女は、この世でたった二人、血で結ばれ生きて来た、俺の同母妹(いもうと)

世間の風の冷たさも、知らせぬように育てた……」

 マサキが目を動かすと、

「俺なりに彼女の幸せを考えて、こうしたのだ」

と、ユルゲンが彼の袖をとらえ、なお、語りつづけた。

 彼の妹は、名前はアイリスディーナ、生年月日は1959年9月8日、齢は19歳。

陸軍士官学校を卒業したばかりで、成績は上位の方ということ。

だから、アイリスディーナの身を、壁の外に出してくれさえすれば、後はどうにかなると、祈るようにいうのだった。

 

 マサキは、彼女の名に感銘を受けた。

アイリスという名前は、ギリシャ神話に起源を持つ虹を神格化した、女神イリスに由来する名。

また、東亜と欧州にのみ咲く多年草、菖蒲(アヤメ)の異称。

寒風(かんぷう)酷暑(こくしょ)にも強く、山中でもその可憐な姿を見せる事から、虹の使者とも称される。

その花言葉は、『素晴らしい出会い』『素晴らしい結婚』『燃える思い』等など……

 彼女の白玉の肌を、白い独逸(ジャーマン)菖蒲(アイリス)に例えれば、まさに『純粋』という花言葉に相応しいように思えた。

(ことわざ)にある、『(いず)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)』との表現も、アイリスディーナとベアトリクスの義姉妹にはぴったりだ。

そう考え、ますます、目の前の麗人をほれぼれと見入ってしまった。

 

 

 (たかぶ)る気持ちを落ち着かせるように、懐中よりタバコを取り出すも、緊張のせいか、思わず取りこぼす。

『ホープ』の箱を、ゆっくりと拾い上げた後、一本抜き出し、紫煙を燻らせる。

喫烟(きつえん)の吐息に紛らわせるように深い溜息をつき、胸の鼓動を落ち着かせた後、

「貴様の誠心誠意、承知した。だが娘御の心も無下には出来まい」と、ユルゲンに答えた。

そんなマサキの姿を見たユルゲンは、優しげな表情で、

「アイリス、おいで」と、アイリスディーナをさし招いた。

彼の妹は、それへ来て、ただ恥らっていた。

「アイリスとやらよ、お前の心を俺に教えてくれ」と、訊いた。

アイリスディーナは答えず、ユルゲンの陰に、うつ向いてしまった。

「恥ずかしいのか……」

そして、あろうことか、マサキの右手は、彼女の白玉の様な肌の手を握った。

「怖がることはない。少しばかり聞きたいことがある」

マサキは、恍惚(こうこつ)と、見守りながら言った。

「貴様は、こんな先も無いソ連の衛星国の将来(みらい)の為に、その(みさお)を俺に(ささ)げるというのか」

かすかに、彼女は答えた。

「私は、兄さんの……、兄の手助けが出来ればと思って……」

紅涙(こうるい)*3が頬を流れ落ちる。

 

 うつむくアイリスディーナを前に、何時になく真剣な表情を見せるマサキ。

その姿を見た鎧衣(よろい)は、驚愕(きょうがく)の色を隠せなかった。

猥雑な冗談も軽くあしらって、女にも興味のない風を見せている男が、大真面目な表情でいるのだ。

(たかむら)とミラの愛の成り行きを語った時、一顧(いっこ)だにしなかった冷血漢が。

 この娘の清らかな気持ちが、漆黒(しっこく)の闇の様な彼の心に何か、変化を与えたのであろうか。

(いにしえ)の呉王・夫差(ふさ)に送られた西施(せいし)の例を出す迄も無く、よくある美人の計*4

女色(にょしょく)を持って、情事(じょうじ)(ふけ)らせ、マサキを(おとし)めるための姦計(かんけい)であることは間違いない。

 木原マサキという人物は木や竹でもない。ふと好奇心を持ってもおかしくはあるまい……

初心(うぶ)な科学者が、何かに魅入(みい)られてしまったようなものだ。

鎧衣は、そう思うと、苦渋(くじゅう)の色を(かんばせ)(にじ)ませて、部屋を後にした。

 

 マサキがアイリスの姿(しな)に恍惚となる様を見ては、美久も胸をかきむしられるようだった。

酒色に惑溺(わくでき)する様な人物ではないと思っていただけに、驚きようも、大変な物であった。

推論型AIに前世の記憶を持つ彼女にとっても、19の小娘に(おもて)を赤らめ、はにかむ様など記憶にない。

肉体こそは秋津マサトの若々しい青年の体であっても、既に精神は老境(ろうきょう)に入ったものとばかり。

 既に二度(にたび)、冥府の門をたたいた男である。

世界征服という()くなき欲望こそ、この男を突き動かす原動力とばかり思っていたが…… 

ああ、これが世にいう『墓場に近き、老いらくの恋は怖るる何ものもなし』という心境であろうか。

知らぬ間に、川田(かわだ)(じゅん)*5の有名な短歌*6の一句を思い起こしていた。

 美久は、胸のうちでため息をおぼえた。ふしぎなため息ではある。

アンドロイドである彼女自身でさえ、自分の推論型AIの内に、こんな性格があったろうかと怪しまれるような気持が抑えきれなかった。

それは嫉妬(しっと)に似た感情だった。

 

 

 そんな周囲の心配をよそにマサキは、興奮した様子のユルゲンに、

「ベルンハルトよ。お前の妹の可憐(かれん)さは、言葉に出来ぬものだ。

真の美人というものを、初めて見た気がする」と、熱っぽく語り、

「世間の冷たい風から隠してまで、大層かわいがるのは、解らぬでもない」

と、ユルゲンの妹への感情に、理解を示した。

 

 ユルゲンはマサキの言葉を受けて、まるで心の中まで覗かれた気がした。

思えば、ひとえにアイリスディーナの幸せを願っての為、戦術機という甲冑を纏い、怒涛(どとう)の如く押し寄せて来るBETA共に膺懲(ようちょう)の剣を振るった。

 またアイリスや愛しい人ベアトリクスの為には、全世界を巻き込み、東ドイツの社会主義体制の崩壊さえもいとわない覚悟であったし、また、その様に行動さえもした。

例えこの身が滅びても、シュタージや軍を巻き込んで、妹や妻が生き残って欲しいと、思って、日々苦しみ(もだ)えた。

ハイム将軍の提案も、聞いた時は嚇怒(かくど)したものの、今となっては彼女の幸せのためなら、そう言うのも悪くないように思えてきていた。

 

 

 マサキは、抑えようもなく心の底にむらむらと起ってくる不思議な感情を恥じながら、打ち払おうと努めていたが、その理性と反対なことを口に出していた。

「だが、今のこの俺に、あの娘を人並の幸せを掴ませてやることは難しかろう」

押し黙るユルゲンにたたみかける様に、マサキは、何時になくねばりっこく言った。

「世に美人は一人とは限らぬ。

それに俺の様な匹夫(ひっぷ)(とつ)いで、その宝石にも等しい純潔や貞節を汚すような真似をする必要もあるまい。

ただ、どうしても俺が忘れられぬというのなら、5年待って。返事が無ければ、縁が無いと思って諦めろ」

その発言を受けて、ユルゲンの脇に立つアイリスディーナは、(うつむ)いて縮こまってしまう。

そんな素振(そぶ)りが、マサキを、いっそう(しび)れさせた。

 

 

 

 

 

 一通り、話が終わった後、落ち着いたユルゲンは茶の準備のために台所に向かった。

その背後より、駆けてきたマライから、

「ユルゲン君、お待ちになって」と、息も忙しげに、声を掛けられる。

咄嗟に、マライは、ユルゲンにふるいついた。

「ど、どうかしました」

「ユルゲン君、どこか人気のない部屋でちょっと話したいの」

そう言って、手近のドアを開けて、空き部屋に滑り込む。

ユルゲンにとって運が良かったのか悪かったのか。そこは夫婦の寝室だった。

「ここなら誰も来ません。それで、話とは」

「同志ベルンハルト」

 マライはじっと(ひとみ)を澄まして、彼を見つめた。思いなしか、その眼底には涙があった。

ユルゲンも、胸をつかれて、思わず、

「はいっ」と、改まった。

「貴方は、大変な事をしてくれましたね」

「えっ?」

「私は、貴方を、常々、弟のように思っていました。

貴方もまた、よく部下のお世話をし、部隊の為に働き、衛士としても将校としても、恥かしくないお人として、様々な信頼をうけておられます……。

どうして今、私があなたを、見捨てる事ができまして」

「ど、どういうことです。仰っしゃる意味が分かりかねますが……」

「妹さんを木原という日本人に引き渡すなんって、本当は望んでいないのではありませんか」

「ええ。じゃあ、すっかりバレてたのか」

「私は、ハイム将軍から、今回の件を事細かに伺っております。

もし断れば、状況次第によっては、この国の存立にも影響しかねないかと……」

マライは、突然、彼の手をかたく握って、

「ですから、貴方が、どうしてそんな大胆な行動を()えてなさったのか。

私にも、その心の中の気持ちが、全くわからない訳ではありません」

「す、すみません」

マライの本心からの言葉に何処か、ジンと来るものがあり、ユルゲンもまたそっと(まなじり)を指で()いていた。

「なにを仰っしゃるんですの。

貴方や妹さんを、あんな人物の為に生贄(いけにえ)にしていいほどなら、ここへは来ません。

私は軍人としてでなく、一人の女として、日ごろの(よし)みを捨てがたく、飛んでまいったのです」

「で、では、このユルゲン・ベルンハルトをそれほどまでに」

「貴方のご温情には一方ならぬお世話になり、深い(まじ)わりをしてきた仲です。

なんでその間柄の貴方を捨てられましょうか」

いつの間にか、ユルゲンはマライの事を強く抱きすくめていた。

 

 マライとユルゲンがいる寝所に入り込み、声を掛ける者があった。

ユルゲンの副官、ヤウクで、急ぎ彼の元に駆けより、

「僕も君に相談がある」と、狼狽(ろうばい)するマライに聞くより早く、連れて行ってしまった。

 

 一人、夫婦の寝室に残され、呆然とするマライに、呼びかける声がした。

「よろしくて」

彼女に声を掛けた人物は、ユルゲンの新妻、ベアトリクス。

マライは、予想外の事態に咄嗟に、逃げることも出来ず、慌てた。

女狐(めぎつね)*7(たぶら)かされるとは、この事ね。

まったく純情(じゅんじょう)なあの人に近づいた途端に、こんな結果になるなんて」

マライの顔を見るなり、ベアトリクスは、怒りを明らかにした。

「本当に……」

事情をしっかりと呑み込めないまま、ベアトリクスの勢いに気圧(けお)されたマライは、恐れおののき、平謝りに謝る。

「申し訳ありません」

青白い顔色をし、両腕を豊満な胸の前で組むベアトリクスは、色を失うマライの前に立つ。

一部始終を知られた事を悟り、身を震わせるマライに対して、乾いた笑みを浮かべ、

「お話し聞かせて下さらないかしら」と、話しかけ、マライの右手を引いて、別室へいざなった。

 

 そんな事も知らないユルゲンは、ヤウクに連れられ、屋外にある警備兵用の喫煙所に居た。

「急に改まってなんだよ」と訊ねた。

常日頃から秘書の様に付き添うヤウクは、深刻な面持ちで、

「君は、簡単に木原マサキという男が操れると、思ってるのかい」と同輩を(たしな)めた。

「アイリスを見る目は、嘘じゃないだろ」と応じるも、

「もし、我々の姦計(かんけい)に、気付いた木原が怒って、ゼオライマーが牙を剥いたらどうなるのだろうか。

この国は、いとも容易(たやす)く木っ端微塵に、されるだろう」

紫煙を燻らせるヤウクから、(いさ)めの言葉を聞いて、ユルゲンは途端に恐ろしくなった。

 カザフスタンのウラリスクハイヴに行った時の事を思い起こす。

かざした腕より放たれる一撃の技で、あの60メートル近くある要塞級をいとも簡単に消し去る。

蟻のように群がり、戦術機をいとも簡単に食い破る戦車級を、まるで芥の如く一陣の風で消し去った。

 あのような天下無双の機体には、恐らく核飽和攻撃も、無意味であろう。

奇しくも5年前、ソ連留学中に訪問したウラリスクの町を、ソ連赤軍が核飽和攻撃で焼く様を、ヤウク達留学組と一緒に見ていたが、ゼオライマーの攻撃は、その比ではなかった。

 文字通り、BETAは塵一つ残らず消滅させられ、ハイヴは砂で作ったの城塞の如く、濛々と土煙を上げて崩れ去っていったことを、いまだ鮮明に覚えている。

 

 ヤウクの後ろ姿を見送ってから、その足で客間に向かうユルゲンは、一人、心のうちで、

「ああ、大変な事をしてしまった物だ」と、慚愧(ざんき)の念に(さいな)まれていた。

*1
東ドイツでは国産車トラバントの信用がなく、公用車でソ連製ジルが多用されていた

*2
社会主義統一党

*3
悲嘆にくれて流す涙、または若く美しい女性が流す涙の事

*4
ハニートラップ

*5
1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日。歌人、実業家。

*6
男やもめとなった川田順は、27歳年下の人妻に恋し、亡妻の墓前で自殺未遂を図る。その際に朝日新聞社に遺書を送り、世人を騒がせた。その一文が『老いらくの恋』の歌である

*7
(めす)の狐。古来より狐は人を化かす伝説があった。そこから転じて純情な男を誘い込む女の事を指す




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一笑千金(いっしょうせんきん) 後編

 仙姿玉質(せんしぎょくしつ)のアイリスディーナに興味を示した、マサキ。
彼は、アイリスディーナと話すうちに、段々と引き込まれていく。


  泣き()らしたベアトリクスとマライを連れ、ユルゲンは戻ってきた。

1時間以上現れなかったことを根に持ったマサキは、仕返しをすることにした。

 大方、男女の色恋のもつれで、揉めていたのだろうか。

ちょっとばかり、ユルゲンとベアトリクス、マライの三角関係を荒れさせてみたい。

その様な(よこしま)な考えが、脳裏に浮かぶ。

 マサキは、前の世界で、鉄甲龍のクローン人間が、三角関係で苦しむように仕向けた事がある。

男女の恋の(わずら)いで身悶(みもだ)えする様を、(はた)から(なが)めて楽しんだ男である。

ベアトリクス達3人の様子を見回した後、まず一番()(まず)そうにしていたユルゲンに問いかける。

「茶の準備にしては、馬鹿に時間が掛かり過ぎたな」

彼の言葉を聞いたユルゲンは、真っ赤になって、うつむいてしまった。

その様を見たマサキは面白がって、茶々を入れることにした。

「だから、何かしてたんじゃないかって……」

マサキは、邪悪な(おもむき)の笑みを浮かべ、ベアトリクスの方を向く。

「どうした、()いた男の隣で泣きべそなど浮かべて。本当に面白い女だ」

ベアトリクスも、また、含み笑いを浮かべるマサキの視線に、目線を()らしていた。

彼にちらりと覗き見らているような恥ずかしい実感が重なって、(あせ)って話題を変えようとする。

「もう、止めて……」

思わず、()(たま)れない様な羞恥を覚えて、顔を背けてしまう。

その狼狽(ろうばい)ぶりは哀れなほどであった。

 今度は、マサキは、乱れた髪を片手で()き上げるマライの方を向き、揶揄(からか)った。

「大方、3人で(たわむ)れていたのであろう」

 一方のマライといえば、急に言い放れた意味深な言葉に、首を傾げてみせた。

「の、(のぞ)いてたんでしょう。い、(いや)らしいわね。木原さんって」

マサキの言葉に、そういって、軽く受け流す。

東独側の最年長者だけあってか、心の余裕を見せつけた。

 

 だが、初心(うぶ)で純情なアイリスディーナは、事情を今一つつかめず、真剣に返してしまった。

マライの言葉に眉をひそめて、

「木原さんは、ずっと3時間も、この部屋で、私とお茶を飲んでいましたよ。

支那(しな)や日本の事から、ご自分の今の立場を詳しく話してくれました。

なんで兄さんたちは、そんなに真っ赤な顔をしてるんですか」

 アイリスディーナを見るベアトリクスの表情が、みるみる変わって行く。

何か言いたくても言葉にならない、声にならないと言った表情だ。

しかし、怒っているようではなかった。

「もう、アイリスも馬鹿なこと言わないで。そんな事、放っておいてよ」

ベアトリクスは前にもまして真っ赤になり、プイっと顔を背けて見せた。

 

 一連の流れから、同僚の混乱ぶりを見かねたヤウクは、マサキに反論した。

彼は、アイリスディーナの左脇から立ち上がるなり、

「君ね、どうだっていいけど、結構……無作法(ぶさほう)じゃないのかい? 」

ヤウクは、必死に平静さをよそおって詰めかける。

だが、ぎこちなさは隠せなかった。

 マサキは、そのヤウクの混乱ぶりを見抜いて、パッと顔をほころばせ、歓声を上げた。

「ほう、東独の特権階級(ノーメンクラツーラー)の間では客を打ち捨てて、愛を語るのが行儀なのか」

そして、赤面するヤウクを揶揄う様に、喜色を満面に(たぎ)らせ、

博学多才(はくがくたさい)で恐れを知らぬ風を見せる貴様も、そのような純情な気持ちがあるのだな」

と、声高に笑って見せた。

 

 それから、一頻り笑いぬいた後、マサキは周囲を見回すと、こう切り出した。

「ベルンハルトよ。お前は俺の同志になれ。

ソ連に乗っ取られたドイツという国を、俺と共に我が物にし、自在に操ろうではないか」

「ええ!」

「だが、安心しろ。次元連結システムの一寸(ちょっと)した応用で、外部からの監視や盗聴は遮断してある」

 

 マサキの一言に、ユルゲンは、文字通り腰を抜かした。

2時間近くかけ、寝室で3人で話し合いをしている間に、こんな事態になるとはと……

主客を放置して、(おさ)(づま)や同僚を(たしな)めた事を()やんだ。

 

 そんなユルゲンの気持ちは関係なしに、マサキはずけずけと、

「戦争とは、負けたほうが悪くなる。

勝者はすべてを手に入れ、敗者はすべてを失う。これが世界の鉄則。

一敗(いっぱい)()(まみ)れ、露助(ろすけ)共の奴隷になり下がった現状を苦々しく思っている。

だからこそ、この俺を頼ったのではないか。違うか」

そして出し抜けに、アハハと声を上げて笑い、

「これくらいにして、お前たちの馴初(なれそ)めなぞ、聞かせてみよ。まあ、座ってくれ」

と、湯気の出る膳を指差す。

 

 西ベルリンから持ち込んだ食材で作った、色とりどりの料理が並んだ。

現地で出される食事に、どの様な仕掛けがあるか、分からない。

故に、アイリスディーナに頼み込んで、台所を借り、鎧衣(よろい)と美久に作らさせた。

「勝手ながら、俺の好みで、四川(しせん)料理にさせてもらった」

椅子に腰かけようとしたベアトリクスは、マサキの顔も見ずに、

「好き嫌いはないけど、自分が食べる物は自分で選びたかったわ」

と、嫌味を告げるも、マサキは、机の上で腕を組みながら

「それは、それは、承知しました。奥方様」と、不敵の笑みを(たた)えて、言いやった。

彼女の脇に立つユルゲンも、追随する様に、

「俺は良いが、他の連中は箸を使ったことがないぞ」と漏らすも、

「社会勉強だと思って、アイリスディーナに教えろ。

また、異なる文化に触れ、知識の引き出しを増やすのも、淑女(しゅくじょ)のたしなみとして必要。

箸を使いこなせれば、(おの)ずと三千年の歴史*1を有する東亜文明の素晴らしさに親しめる」

と、余りにも堂々と言う物だから、呆れ果てた顔で、椅子に腰かけた。

 

 

 四川料理は、本場・支那の味付けではなく、辛さを抑えた日本風だった。 

マサキは箸を止め、アイリスディーナの方を向き、

「少々、料理の盛り付けも多かったか」と、目を細め、

「なかなか話してみれば社交的ではないか。兄や父親のお陰か」と訊ねた。

(ほお)を赤く染めたアイリスディーナはマサキの方を向いて、

「……ありがとうございます」と、謝辞を述べた。

「ずっとベルリンで暮らしてたとか……両親は」

マサキは、ユルゲンに関しては、(およ)その話は、把握済みであった。

だが詳しい話を、アイリスディーナ当人の口から伝え聞きたかった。

 アイリスディーナは、顔色を(くも)らせ、

「幼い頃、離婚しました。私は特権階級(わけあり)可哀想(かわいそう)な子でした」

マサキは、じっと聞き入りながら、美久に注がれたコーラのグラスを取って、唇を濡らす。

「仕事熱心な父は、家庭を(かえり)みない人で、母は(さび)しさから間男(まおとこ)に走って、私たちを捨てました。

その後、親権を勝ち取った父は、色々あって育児を放棄しました」

アイリスディーナは、実父ヨーゼフ・ベルンハルトが酒害の末、発狂したことは伝えなかった。

隠すつもりは無かったが、言えなかったのだ。

 

 

 気分を損ねてしまったかと、恐る恐るマサキは、アイリスディーナの反応を伺う。

「それで、屋敷に居た、あの(じじい)(ばばあ)に育てられたのか」

表情を曇らせたアイリスディーナの事を見かねたユルゲンは、マサキの事を呼びかけた。

「言わせてくれ」

「貴方」とベアトリクスが袖をつかんで引き留めるも、立ち上がり、昂然(こうぜん)と言いやった。

「たしかに俺やボルツさん夫妻が、世間の辛い風も当たらぬように育て上げた。

何か問題でもあるのか」

心の底に隠していた瞋恚(しんい)を、あらわにして見せた。

 マサキは、静かに杯を置くと、不敵の笑みを浮かべて、ユルゲンを揶揄(からか)った。

「俺の心にかなった娘ゆえ、その背景までも、詳しく聞いてみたくなったものよ。

しかし、妻を持つ身にしては、男女の心の在り方も分からぬとは。相変わらず、無粋(ぶすい)よの」

満面に喜色をたぎらせ、黒い瞳で、ユルゲンを(にら)み返した。

 

 アイリスディーナは、自嘲(じちょう)するかのように薄い笑いを浮かべて、再び口を開く。

「兄さんも私も、無償の愛や家族の幸せなんて、信じられないのです。

全てまやかしのように思えて……。

幼くしてそんなことに気付いた兄さんは、母から出来るだけ距離を置き、自立しようとして入隊したのです」

 

 マサキは、真剣な表情で、アイリスディーナを(なが)め、静かに語り始める。

「お前が、どこか年頃の男を近づけさせないのは、その為か」と漏らした。

 図星(ずぼし)だった。

アイリスディーナは、一瞬、呆気(あっけ)に囚われた。

サファイヤ色の目を丸くさせ、

「何故……わかったのですか」

「単なる勘さ。お前の眼は、どこか(うつ)ろだったから……。

確かに、はじめから人を愛さなければ裏切られることはない」

 再び喜色を表し、左の手で頬杖をつき、煙草を咥える。

そういって来たマサキに、アイリスディーナは、まごついてしまう。

(『私、どうにかしてる。誰にもそんな過去のこと話したことないのに……』)

 アイリスディーナの体は、暑くもないのに火照(ほて)り始める。

顔は紅潮し、汗で全身が湿り始めていたのを、はっきり実感するほどであった。

 思わず、マサキの顔を見て、見つめ返され、視線をドアの方に向けてしまった。

ひどく狼狽した表情のアイリスディーナを横目で見つめながら、マサキは静かに紫煙を燻らせた。

 

 いたたまれない羞恥(しゅうち)を覚えるアイリスディーナの様を、ユルゲンは悲愴(ひそう)面持(おもも)ちで、

「アイリスディーナ」と叫ぶも、左手をベアトリクスに捕まれた。

彼女の顔色は青白く、一目見て体調が優れないが判るほどであった。

ユルゲンは、ベアトリクスの手を振りほどいて、彼女の背後に立つと後ろから抱き寄せ、

「随分調子悪そうじゃないか。最近機嫌も悪いし、何処か、おかしいのか……」

と、人目も気にせず、彼女の耳元でそっと(ささや)いた。

「こんな時だけ……、何時(いつ)もは、人の話を聞かないくせに……」

ベアトリクスの白磁(はくじ)の様な肌が赤らみ、生気を取り戻す。

ユルゲンは、一瞬驚いた顔をするも、照れるベアトリクスの様子を見て、相好(そうごう)を崩す。

 

 脇で見ていたマサキは、抱き合っているユルゲンたちに、一瞬眉を(ひそ)める。

しばし沈黙した後、再び不敵の笑みを浮かべて、語り始めた。

「まあ、よい。

ともかく、欧州における俺の分身として、ベルンハルトという男を一廉(ひとかど)の人物にするつもりだ」

その話を聞いたベアトリクスは、嫣然(えんぜん)と笑い、

「どう。ユルゲンはいい人でしょう。こんなの探しても中々いないわ」とマサキの言葉に、ただただ喜び抜ていた。

ベアトリクスの機嫌は一通りではなく、先程までとは別人だった。

マサキは、その様子を見て思う所が在ったものの、酒席と言う事もあって、あえて問い質さなかった。

 

そんな折、現れた鎧衣は、マサキにそっと声を潜めて、日本語で耳打ちをする。

「木原君、屋敷の周囲は、ぐるりと警備兵がいる。油断は出来ぬと……」

「そうすると、俺は最初からアイリスと一緒にならなければ出られぬと言う事か……」

懐中より取り出した、2箱目のホープの包み紙を開けながら、

「鎧衣よ、貴様もしてやられたな。で、武器は……」

「今持ち合わせてるのは、西ドイツ製の短機関銃(マシンピストル)二丁と自動小銃一丁と言ったところか」

しばしの沈黙の後、ライターを出し、おもむろに紫煙を燻らせた。

「俺は今、最高にいい気分だ。荒事(あらごと)をするつもりは無い」

喜色をみなぎらせたマサキは、満足気に答えて見せた。

 

 

 間もなく、美久が熱い茶を用意して()れた。

茶葉は西ドイツのロンネフェルトで、ダージリンの春摘新茶(ファーストフラッシュ)だった。

東ドイツでも特権階級層に人気で、ユルゲンやベアトリクスが好きな物を用意した。

 マサキが気を使って、用意した茶を飲まないベアトリクスを見かねた、アイリスディーナは、

「あら、ベアトリクス。紅茶飲まないの。冷めちゃうわ」と、遠回しに(たしな)めた。

「最近、紅茶を受け付けなくて……」と力なく答える。

その話を聞いたマサキは、途端に驚愕(きょうがく)の色を見せ、煙草をもみ消す。

(『ま、まさか……』)

立ち上がって、アイリスディーナの脇に居る、ヤウクを手招きし、命令する。

「おいロシア人、灰皿を仕舞って、俺を喫煙所に案内しろ」

 すると彼は、ロシア人との綽名(あだな)に、眉をひそめた。

マサキは、世間一般の慣習としてヴォルガドイツ人が、ロシア人として扱われていることを(かんが)み、そう呼び掛けたのだ。

ヤウクは、面白くなさそうな顔をして、不満を漏らした。

「出し抜けになんだい。僕は君の召使じゃないよ」

マサキはそんな事もお構いなしに、ヤウクに指示を出す。

(さと)い貴様に話が有るから、来い」と、手を引いて、部屋を後にした。

 

 喫煙所に着くや否や、マサキは渋い顔をしながら、紫煙を燻らせた。

正面に立つヤウクに、驚愕(きょうがく)の事実を伝えた。

「おそらく、俺の見立てでは……ベアトリクスは妊娠している」

「何だって!」

ヤウクは思わず、聞き耳を立てずにいられなかった。

「俺は産科医ではないから、正確な事は言えんが……。

情緒(じょうちょ)の不安定さや、貧血、コーヒーや紅茶への嫌悪感を示す味覚の変化……。

以上の事から、十分可能性が高い」

「でも、吐き気や頭痛を訴えてなかったし……」

「病気もそうだが、性ホルモンや妊娠による人体の変化は人によって千差万別(せんさばんべつ)だ。

一応、次元連結システムで調べてやるが、医者の診断を仰げ。

最悪、裏場に待機している軍医でも呼んで来い」と、青い顔をして、伝えた。

途端に、ヤウクは納得したような顔をして、何処か安堵した様子だった。

 

 そして右手を額に沿()えて、ユルゲンをなじった。

「しかし、あの唐変木(とうへんぼく)は気が付いていないのか」

「まさか」と、ヤウクは、あきらめの表情を見せる。

「たしかに18の小娘を、考えなしに(めと)るくらいだからな」と深くため息をついた。

その様に、ヤウクは、酷く戸惑いの表情を(おもて)に見せ、

「じゃあ君は(いく)つくらいの女性が良いんだね」と問いただした。

むっとしたマサキは、

「妊娠に関しては、肉体的には16歳前後でも大丈夫だが、あの娘は精神が完成して居まい。

22、3歳の頃でも良かったのではないか」と、持論を展開した。

 

 やはりマサキは、現代の日本人である。

高級将校になる人物の妻には、夫を支えるだけの知識や教養、行儀作法なども必要と思い、そう答えたのだ。

 早婚の東欧諸国、ソ連圏では、異質な見解であった。

学生結婚がザラで、妊娠を機に退職や休学をし、後に復学や復職が一般的価値観だった彼等からすると奇異。

 意図せぬ形で、マサキは異世界の人間であることをヤウクに伝えたのと同じであった。

 

 

 

 

 日没の頃、共和国宮殿に着いたマサキ達は、待ちかねていた彩峰(あやみね)と合流する。

抜け出したユルゲンたちを見送った後、マサキは、アイリスディーナに別れの挨拶をかける。

「今日は(たの)しませてもらった。こんな瑞々(みずみず)しい気持ちに、久しぶりになっている己自身に驚いている」

マサキは、相好(そうごう)を崩し、アイリスディーナの両手を握った。

「お前がこんな魅惑的とは知らなんだ。女として自信を持て」

幾分自信なさげに見えたアイリスディーナを、励ました。

「これで、何かあったら連絡して来い」

懐中から次元連結システムを内蔵したペンダント取り出すと、彼女に手渡した。

 

そして、何時もの如く不敵の笑みを浮かべ、ヤウクに向かい、

「ロシア人、ベルンハルトを頼む」と、肩を叩き、そしてマライの方を振り返り、

「ベルンハルトの(たぎ)る情熱を、妻の代わりに受け止めてやってくれ。

そうせねば美人局(つつもたせ)にひっかかるやもしれん」と、自分を棚に上げ、言いやった。

 

 マサキは満面に喜色をたぎらせながら、満足気に哄笑すると、車に乗り込み、その場を後にした。

車の姿が見えなくなるや、困惑した表情のマライは、そっとアイリスディーナに近づき、

「アイリスさん、あなた本当に木原マサキという男と一緒になるの……」と訊ねた。

アイリスディーナは、マライの方を振り返り、

「ハイゼンベルクさん」と笑顔で応じた。

「とても不気味な男よ、心配で……。今だって顔色が良くないし」

アイリスディーナは、両方の頬に両手を当て、微笑む。

「大丈夫です」

 黄昏(たそがれ)の中でも、その顔は、真珠の様に白かった。

何時もは、胸の奥深くに秘する思いを、齢も近い、ユルゲンの同僚に思わず、打ち明けた。

「一生をこの国に捧げる積りでしたし、自分が結婚するなんて夢にも思っていなくて」

 

 

 アイリスディーナも、また不幸児であった。

生母の不倫という形で、幼少期に両親の離婚を経験し、家庭と言う物に絶望しか感じていなかった。

そのためか、恋愛や結婚をあきらめている節があった。

 

「木原さんは、そう、良い人に思えますし……」

(『どこか、心をざわつかせ、組み敷かれるような威圧感はある不思議な人。

だけど、たぶん、心の優しい方。

中国政府からBETA退治を依頼された時も、ミンスクハイヴ攻略も、結局、聞き届けてくれた。

自分の犠牲をもいとわずに……』)

アイリスディーナは、心の中で、知らず知らずのうちに、そう思った。

 

 

そんなアイリスディーナの姿を見かねた、ヤウクは、

「アイリスちゃん、君は拒否する権利があるんだよ。

ここは、婦人の基本的人権が認められた民主共和国だ。ボンの貴族社会とは違う。

嫌ならはっきり、いいなよ。ユルゲンに気を使ってるのかい」

と、諭すように告げ、優しい顔で(なだ)める。

「君は、未だ二十歳にもならない深窓(しんそう)令嬢(れいじょう)。世間を知らないから、あの男の怖さを分からないんだ」

 

 ヤウクは、木原マサキと言う人物を、心から(おそ)れた。

天のゼオライマーを駆り、世界を股にかけ、周囲の迷惑を顧みずに、好き勝手振舞う様は、まるで鬼神が如し。

そんな人物に、可憐なアイリスディーナを嫁がせることを、

「君は人が好過ぎる。心配だ」と、長嘆(ちょうたん)した。

 

 

 

 

 

 さて、マサキ達と言えば、3台の公用車でハンブルグへの帰路に就いた。

チェックポイントチャーリの厳重な検査を抜けた後、西ベルリン*2に給油のために立ち寄る。

ソ連製の石油と中東産の石油は品質に違いがあり、また東独の精油施設は西独よりはるかに劣っていた為でもあった。

 東独高速道路網は、ソ連軍の管理下にあり、東独交通警察や人民軍はいないも同然の扱いだった。

東独領内のインターチェンジの立ち入りは、厳しく制限され、ベルリン駐留の米英仏軍ですら容易に近づけなかった。

 

 再び、西ベルリンより自動車専用道路(アウトバーン)沿()って、車は、全速力で東独領内を駆け抜ける。

帰りの車中は、いたって静か。

もうブランデンブルク門の影もかすんでから、美久はそっと言った。

「まさか、本当に一緒になるおつもりなのですか……」

それまで、感傷に浸っていたマサキは、左脇の彼女に顔を向けると、

「人形の貴様が()いているのか、俺の作った推論型AIもこれ程の出来とはな。傑作(けっさく)だ」

くつくつと声を上げて笑い、

「この際だ、よく言っておこう。俺は、(がら)にもなく、あの娘に本心から()れた」

 何処(どこ)恍惚(こうこつ)と語るマサキに、美久は唖然(あぜん)とするも、

「あんな小娘(こむすめ)に心を(もてあそ)ばれて……。それでは、東ドイツの言いなりになる様な物ではありませんか」

「何より、愛に全てを(ささ)げる処女(おとめ)の純真さ……そのものに。

愛と、言っても肉欲の愛ばかりが愛ではない。

肉親への情愛、自分が所属する共同体への献身、民族愛、そして愛国心……」

と、いうと(うつむ)き、紫煙を燻らせる。 

 マサキは、激情が収まった後、再び口を開き、

「俺は、たしかにベルンハルトの妻に一目(ひとめ)()れした。

だが、やはりそれは、あのどこか、(まど)わすような眼や唇に、心奪われたにしか過ぎない。

思えば、アイリスディーナと比して、あくどく感じる。あの清らかさは、得難きものだ」

と、正直に言った。

 

不敵の笑みを浮かべ、

「この恋路(こいじ)は、もとより本気よ。男の生き方として、筋を通さねばなるまい」

「ええ……」

「だが俺が今生(こんじょう)(よみがえ)ったのは、ひとえに、この世界を征服する為よ。

その為には、月面と火星に居る化け物共を、(ちり)一つ残さず、消滅させる」

 

 (すで)に、地上にあるハイヴは灰燼(かいじん)()した。

遠く、銀河の彼方(かなた)にある、化け物の巣穴。

やがては、次元連結システムによって、存在そのものを、この宇宙、次元から消滅させる。

準備も、既に万端(ばんたん)。残る懸念(けねん)は、超大国・アメリカの思惑(おもわく)のみ……。

マサキの瞳は、(あや)しく光った。

*1
箸の歴史は古く、文献や遺物から類推するに紀元前600年前の春秋戦国時代にはすでに一般化しているとみられる。

祭祀用に限れば、青銅製の箸が、商殷の陵墓から見つかっている

*2
西ベルリンは、便宜上西ドイツ国内の扱いではなく、英仏米3か国の占領地の扱いであった




 男女の色恋の話なので注釈はグッと減らしました。
ハーメルン掲載分のこの話に関しては、くどいくらいの心情描写を追加しました。
 ご意見、ご感想お待ちしております。
どの様な形であれ、評価いただけると嬉しいです。


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東欧漫遊(とうおうまんゆう) 前編(旧題:先憂後楽)

東欧諸国訪問に出掛けたマサキは、光線級吶喊の秘密を暴露する。
騒がしくする周囲をよそに、世界征服の為の次なる目標を思い描いていた。


 木原マサキが色香に惑わされた影響は、当人だけで済む話ではなくなっていた。

すでにソ連KGBの誘拐事件やGRUスパイとの接触を起こしてることを鑑みて、日本政府は重い腰を上げた。

 彼を護衛する為のスパイを付けることにしたのだ。

無論、鎧衣(よろい)左近(さこん)という有能な破壊工作員がいるのだが、その件では見送られた。

彼は、情報将校としての側面があるので専属にするには惜しい。

新たに、マサキと年齢の近いであろう、有名大卒の若手工作員が派遣されることになった。

 

 さて、当のマサキと言えば、彩峰(あやみね)たちと一緒に、東欧諸国の歴訪に出掛ける。

手始めに、チェコスロバキアの首都、プラハを公式訪問した。

さすがに前日の件もあって、自由行動をきつく戒められていたマサキは、勝手に出歩くことはしなかった。

 だが、この男も、唯では済ませる人間ではない。

チェコに行くなり、モラヴィアにあるチェスカー・ゾブロヨフカ*1の工場見学中に、Cz75拳銃を2ダースほど購入したり、耳目を集める行動に事をかかなかった。

 

丁度、ZTS*2の本社工場があるスロバキア側のドブニカ・ナド・ヴァーホムを、訊ねた際の事である。

T-55、T-62などのソ連製戦車のライセンス生産品について、工場長より説明を受けてる折、

「なあ、工場長よ。一つ尋ねるが、BETAの光線を防ぐペンキなどは無いのか」

と、出し抜けに、周囲を困惑させることを言い放った。

日本語通辞から、その話を聞いた工場長は、驚きの色を隠せず、

「そのような物が有れば、我等も5年も戦争に時間をかけません」

と、半ばあきれ顔で返すも、訝しんだマサキは、

「じゃあ、作ってみるか」と、軽口をたたいた。

 

マサキの言を見るや、彩峰は、呆れた顔をし、

「木原、お前という奴は……もう少し静かに出来ぬのか……」

「俺は、不思議に思ったから聞いただけだが……」

「東ドイツでの件は、懲りてないのか」

マサキは、ちらりと彩峰の顔を覗き見て、

「それは……」

「なあ、解ってるなら余計な仕事を作ってくれるな。大体……」

 

さすがに客先で説教は不味いと思ったのか、珠瀬(たませ)が、

「まあ、まあ、大尉殿。

チェコスロヴァキアの案内役が困惑していますから、これくらいにしておいては」

と、彩峰の怒りを収めるような事を言った。

 さすが陸大出の将校である彩峰は、周囲を見回すや、怒りを冷まし、

「あまりふざけた行動をしていると、後で始末書を書いて、本省報告してやるからな」と言い捨てた。

 

 マサキが面白くない顔をしていると、先程の工場長が訊ねた。

「木原さん、あなたの言う光線級を防ぐペンキというのは、どの様な物なのか。

教えてくれまいか」

マサキは、途端に喜色をたぎさせ、

「試作段階だが、1秒間に75回の照射を浴びても、3万秒ほど持つ対光線ペンキは、出来ている。

ただ、耐候性に弱点があって、3か月ほどで劣化して、再度塗装をするしかない。

また、水分を含むと強度は増すが、重量も5パーセントから25パーセントほど増える欠点もある」

と、脇に居る美久から、資料の入ったトランクを受けとり、

「詳しい成分と化学合成式が、この中に書いてある。

特許料は、年間売り上げの0.5パーセントから1パーセントで良いから、寄越(よこ)せ」

と、勝手に話を進めてしまった。

 

彩峰は、その様を見るなり、途端に嚇怒(かくど)し、

「貴様は、俺を蔑ろにするのか。毎度毎度問題ばかり起こして」

マサキの襟首に手を掛け、制服の茶色いネクタイを掴み、

「責任を取るのは、駐在武官や大使閣下、それに俺なんだ。

議会や陸軍参謀本部に、責任の負えない、特務曹長のお前は説明できるのか」

と、青白い顔色で、血走った目を向けた。

「お前も気が短い男だな」と、マサキが呆れてみせるや、

彩峰は、ますます興奮し、顔に浮き出た青筋を太らせ、

「貴様、欧州まで遊びで来てるのか。これは仕事だ、戦争だぞ。

殿下の顔に泥を塗るつもりか」と、周囲が驚くばかりの大声を上げ、一喝した。

 

彩峰は、一通り、うっぷんを吐き出した後、

「なあ、木原よ。なぜ、先ず我々に相談しないんだ。

手助けするにしても、我々に最低限の連絡が欲しい。

貴様が何がしたいのか分からければ、我等も動きようがない」

珠瀬も、困り果てた彩峰を助ける様に、

「木原君、君がしたいことは分からんでもない。だが事前の話し合い無しに行動されては困る。

ましてや、今回の件は技術的な話だ。化学産業のメーカーや技術本部にも相談が欲しかった」

と言いやると、幾分白髪の混じった頭を掻きむしり、

「で、彩峰大尉殿、どうしますか」と、問いかける。

 

「今の話はオフレコにしてもらって、俺がこの場を収める。

あと、チェコに居る商社マンを呼んで、都の化学メーカーでも頼るしか有るまい。

実現可能か、どうかは、ともかく、一度外に出てしまった話だ」

と、あきらめの言葉を吐いた。

 

 その様を見たマサキは、暫し考え込んだ表情をした後、

「俺の方も少し、はしゃぎ過ぎた」と申し訳なさそうに呟いた。

無論、この男の事である。本心からの謝罪ではない。

頭の中には、グレートゼオライマー建造計画の事でいっぱいだった。

グレートゼオライマーを手早く完成させるには、日本企業の力添えも必要。

故に、形ばかりの謝罪をしたのだ。

 

 

 翌日、ハンガリーに招かれたマサキ達は、首都ブタペストの参謀本部に行った。

そこで、ハンガリー軍の青年将校団との討議がなされた。

 マサキは質疑応答の殆どを、彩峰に任せ、椅子の背もたれに寄り掛かっていると、

「木原さん、光線級吶喊(レーザーヤークト)の件をどう思いますか」

と、向こうの参謀総長から問いかけられた。

マサキは、頬杖をつきながら、

「光線級吶喊に関しては、失うものが大きく、得るものが少ない」と率直な意見を述べた。

彼の素っ気ない答えに、

「ええ!」と、驚きの声を上げた参謀総長は、

「貴方は東独軍と行動を共にしたと聞いてますが、先のソ連軍のセバストポリ攻防戦はどうお考えですか。

あの時は、ソ連軍は戦術機隊でBETAを食い止めたではないですか」

と、問い質した。

マサキは、出し抜けに声を上げて笑うや、

「あれはソ連側の国外向け宣伝の好例だ。戦火が実情より誇張され過ぎる。

貴様等は、条約機構軍としてソ連に軍を派遣して、それ程の事も分からぬとはな」

と、満面に喜色をたぎらせ、

「まあ、良かろう。

俺自身、支那での戦闘でその辺は実感している。

セバストポリの件は、最後の決め手となったのは、黒海洋上からの火力投射だ。

端的に言えば、巡洋艦や駆逐艦から艦砲射撃と、核ミサイルの飽和攻撃が勝因となった。

BETAの梯団(ていだん)*3攻撃の遅延にしかならない。

ベルンハルトより光線級吶喊の厳しさを聞いているし、また奴が考案した光線級吶喊の問題点。

端的に言えば、実際の戦果以上に誇張されたとの証言は、カセットテープに録音してある。

詳しい話は、脇に居る彩峰に問い合わせてくれ」と、話を振った。

 

 

 彩峰が熱心にハンガリー将校団に説明して居る折、マサキは一昨日の事を振り返っていた。

アイリスディーナとの見合いの際に、マサキは只では帰らなかった。

次元連結システムを応用したペンダントを渡したばかりではない。

ユルゲンを秘蔵の酒で泥酔させ、西側に(つまび)らかになっていないソ連のBETA戦争の実情を聞き出していた。

 易々(やすやす)と東側の実情を聞き出せたのは、妻であるベアトリクスが妊娠のつわりで不調だったのも大きい。

彼女が、健康で気を張っていた状態ならば、おそらく止められたであろう。

人の()い、初心(うぶ)で世間知らずなアイリスディーナには、其処まで気が回らなかったのもあった。

 副官のヤウクや、お目付け役として派遣されたハイゼンベルクにも、大分聞かれたろう。

だが、構わず、マサキは、旨酒に不覚を取ったユルゲンから情報を抜いたのだ。

 無論、対価として鎧衣の方から、ソ連へのアラスカ割譲に関する米国政府の秘密文書を渡した。

彼等が喉が出るほど欲しがった情報だが、既に古い情報なので、鎧衣は躊躇(ためら)わずに差し出した。

 

 その返礼としてではないが、勲五等(くんごとう)双光(そうこう)旭日章(きょくじつしょう)がユルゲンとヤウクに送られることになった。

 旭日章は制定以来、日本人男性を対象とした勲章で、外人に授与されるのは稀であった。

外国元首や首脳、軍司令官、艦隊の提督に送られることはあっても、一介の衛士に出されるのは前代未聞の出来事。

 表向きは、マサキ達の勲章授与の返礼であったが、光線級吶喊の詳報を提出した感謝の意味を込めて、城内省直々に送ったのである。

無論、日本政府もその辺のバランス感覚を考慮して、東独首脳にも勲章を授与した。

東独議長には、勲一等(くんいっとう)旭日桐花(きょくじつとうか)大綬章(だいじゅしょう)

第一戦車軍団を率いたシュトラハヴィッツ少将にも、勲三等(くんさんとう)旭日(きょくじつ)中綬章(ちゅうじゅしょう)と決まった。

 

 つまり、マサキも、日本政府も、ただ同然で有意義な情報を手に入れたのだ。

この謝礼として、あとでハイヴの奥深くから持ち出した資源でも渡そうか。

ユルゲンの周りにいる女どもに、誕生石の原石でも20キロばかり、袋に詰めてくれてやろう

 マサキが、そんなことを考えてながら、タバコを取り出す。

紫煙を燻らせながら、一人想う。

光線級吶喊(レーザーヤークト)の実態が、全世界に広がれば、ソ連の協力者や同調者(シンパサイザー)も慌てよう。

この上で、ソ連の戦術機関連の秘密文書でも手に入れば、面白いことになる……

その記録にはKGBやGRUに頼まれて、西側技術を盗み出した連中も詳しく書かれていよう。

ソ連軍事力の源泉で、その協力者も、日米の政財界にかなりいるはずだ……

それが俺の手に入る。上手く使えば、この世界に根を下ろせるかもしれないな

と、ほくそ笑んでいた。

 

 

 夕刻、ブタペスト市内のホテルに戻った際、バルコニーから市街を眺めながら、思案に耽った。

隣国、オーストリアからかなりの数のCIAや西ドイツの間者が入っている事には気が付いていたが、知らぬふりをしていた。

 こちらが興味を持っていなくても、向こうは違うらしい。

ハンガリーの諜報機関関係者らしい人間がずっとマークしているほかに、時折鋭い眼光を見せる百姓や旅行者風の人間が目につく。

シュタージほどにあからさまではないが、ソ連に痛めつけられた国とは言え、社会主義国なのだなと、あらためて実感した。

 

 一人感慨にふけりながら、紫煙を燻らしていると、美久が熱い紅茶を用意した。

茶葉は、リプトンのアールグレイで、安価なティーバックだった。

「明日はポーランド訪問です。少し休まれたら、いかがですか」と、不安な面持ちで声を掛ける。

一煎(いっせん)の茶で、唇を濡らした後、

「なあ、美久。この戦争でソ連は弱体化した。歯牙にもかけない存在になろう、ただ……」

「なにか、気掛りな事でも」と答え、マサキの方を振り向く。

マサキは、静かに茶碗を置くと、ずかずかと五歩ほど近寄り、右手で上着の上から美久の乳房を掴む。

火を噴かんばかりに顔を赤くする美久の、驚く様を楽しみながら、

「ソ連に、資金提供した国際金融資本の存在だ」と、耳元で(ささや)く。

引き続き、(あえ)ぐ美久の、両胸を(もてあそ)びながら、

「奴等は、1920年代の資金封鎖の際も、制裁を迂回し、バクー*4油田の開発などをした」

と言いやり、恍惚(こうこつ)とした彼女を抱きしめる。

 

 マサキは、吸い殻を灰皿に投げ入れると、

「怖いのはテロ組織や過激派ではなく、裏で金を用意する連中さ」

と、驚くようなことを口走り、くつくつと笑い声を上げ、

「俺は、元の世界で、鉄甲龍(てっこうりゅう)という秘密結社を作った。

その組織を作るにあたって、隠れ蓑として、或いは資金源として国際(こくさい)電脳(でんのう)という世界シェア7割の電気通信の会社を準備した」

そして、不敵の笑みを湛えながら、

「それほどまでの事をしても、俺は国際金融資本に手も足も出なかった。

故に八卦(はっけ)ロボを、天のゼオライマーを秘密裏に建造し、世界を冥府(めいふ)にする計画を立てた」

と、美久のわななく唇に濃厚なキスをし、甘い口腔に深々と舌を差し込んで、(むさぼ)り、

「頼む、美久。俺に力を貸してくれ。二人で国際金融資本へ挑戦しようではないか」

と、垂れさがる彼女の(まなじり)を眺めながら、囁いた。

 

 マサキのその言葉に、美久は色を失うも、

「それは、やり過ぎではありませんか。

多くの系列企業を傘下に持つ国際金融資本を打倒すれば、市井の徒を苦しめる遠因になります」

と、興奮する彼を(さと)した。

マサキは、不安な面持ちをする彼女を抱きすくめながら、

「いや、良いのだ。やり過ぎでも何でもない。

世界を二分し、武威(ぶい)を誇った超大国ソ連だけでなく、その富の象徴たる国際銀行家を一撃で下す。

その事によって俺は、武力ばかりでなく、全世界の富の大部分も我が手に牛耳(ぎゅうじ)れる。

資金力さえあれば、この腐敗した社会など簡単に買収できよう。

権力の源泉たる武力と資金力を手にし、世界をほしいまま操る」

と、美久に胸の内を吐露した。

 

そして、満面に喜色をたぎらせて、アハハと哄笑し、

「木原マサキは、混乱する世界を制した後、まさに世紀の帝王として、この世に君臨しよう。

天のゼオライマーは、その時こそ、光り輝き、世界最強のマシンたり得る」

マサキの胸の中で、唖然とする美久を一瞥した後、

「これは、天のゼオライマーの世界制覇の為の、正に戦争なのだよ。

そのシナリオを描くのも、また楽しい。ハハハハハ」と、天を仰いだ。

*1
チェコ兵器廠国営会社。1919年創業。1992年以降民営化。現在は株式会社化されている

*2
"Závody ťažkého strojárstva, n. p. v Dubnici nad Váhom"、国営ドブニカ・ナド・ヴァーホム重工業会社。1937年創業。1950年国有化。1992年に再度、民営化後、2007年倒産

*3
軍隊区分の一つ。大兵団が行進をするときなどに、便宜上いくつかの部隊に分けた、その各部隊

*4
今日のアゼルバイジャン共和国の首都




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東欧漫遊(とうおうまんゆう) 後編(旧題:先憂後楽)

 鎧衣(よろい)左近(さこん)の報告を受けた日本政府は、マサキを保護するために護衛を送る事にする。
一方、マサキは、日々アイリスディーナへの思いを募らせるのであった。


 鎧衣(よろい)左近(さこん)は、急遽(きゅうきょ)日本に呼び戻された。

内閣府の一室に入ると、数名の男達がテーブルを囲む様にしていた。

鎧衣は、直立不動のまま、目だけを動かす。

内閣官房調査室長を筆頭に、内務省警保局保安課長*1、情報省外事情報部長*2、外務省欧州局中・東欧課長*3等々。

そこには、実に、錚々(そうそう)たる外事情報専門の責任者がいた。

 

 

上座にいる内閣官房調査室長から、鎧衣に質疑がなされ、

「木原を支那(しな)から連れ出して、1年近くが()っている。彼を操縦して物に出来たのかね」

「まだですが、全力を尽くして……」

「やめたまえ、全力を尽くしているとか、努力しているとか……

善処するなどの抽象(ちゅうしょう)的な発言は、帝国議会の答弁だけで十分だ」

外務省欧州局中・東欧課長は内心の怒りを、露骨にし、

「木原に関しては、既に100万ドル*4も下らない額を円借款(しゃっかん)という形で支那の共産政権に払ったのだ。

なのにまだ我が物にしていないとは」

「そういう事実しかないと言う事は、誠に遺憾(いかん)だね」

鎧衣は、顔色も変えずに、

「お言葉を返すようですが、木原はこの世界に何らつながりを持つ人物では御座いません。

KGBやGRUも最精鋭を持って、抹殺しようと試みました」

いかにも心外でたまらないような面持ちをたたえて、調査室長はじっと座っていた。

それをなだめる為、鎧衣は、また言い足した。

「もし木原がこの世界と関係を持つようになれば、困るのはCIAもKGBも一緒です。

彼等としても、有害工作の結果、篭絡(ろうらく)が不可能という根拠を得て、諦めた模様です。

それに簡単には……」

内務省警保局保安課長が重い口を開き、

「可能性は」と問いただす。

「まだ何とも申し上げられない状態でして……、しかし十分に使える状態かと」

根拠(こんきょ)は……」

「女です」

そういうと、(うやうや)しくB3判の封書を差し出して、

「この中に仔細(しさい)が御座います」と、深々と頭を下げた。

鎧衣の提出した報告書には、アイリスディーナとマサキの見合いの件が書かれていた。

報告書を一読した後、調査室長は顔色を変じて、

「どういうことだね」と、大喝した。

 

 稀代(きたい)麗人(れいじん)、アイリスディーナ・ベルンハルト。

彼女の国籍が、東ドイツというのも問題になったが、それ以上に、出自が不味(まず)かった。

例えば、中小の自営業者や自作地の百姓(ひゃくしょう)だったら、この様なことには成らなかったろう。

 父ヨーゼフは、東独外務省職員という、特権階級(ノーメンクラツーラー)の末席とはいえ、その一員。

兄は東独陸軍将校、本人もまた士官学校卒で、未任官の軍人である事が、不味かった。

その上、兄ユルゲンは、東独軍戦術機部隊主席参謀で、アベール・ブレーメ通産次官の(むこ)

 そして一番のネックになったのは、ユルゲンが議長と親子盃を交わした事実。

秘密結社を起源に持つ共産党組織において、杯を交わして親密な間柄になる事は重要な行事。

既に個人主義が一般化した現代では、無意味と、鎧衣の方としては、冷ややかな視線を向けた。

だが、武家社会という伝統の中で暮らす、外事情報専門家は違った。

 

(はなは)だしく不快な顔をした男達は、青い顔をする鎧衣を責め立てる様に、一斉に口を開く。

「ベルリンに派遣した監視工作員はおろか、珠瀬(たませ)彩峰(あやみね)まで東独に(もてあそ)ばれるとはッ」

「しかも城内省から派遣された(たかむら)の若様まで巻き込んでいる。

先の北米のブリッジス嬢との件は、もみ消しに苦労したよ。その比ではない」

「こんなことで木原の事件が公になったらどうする。

奴には、莫大な金額を税金から支出しているんだ。野党に突き上げられたら一大事だぞ!」

 

黙然(もくぜん)と首を()れていた鎧衣は、

「申し訳ございません、私の不徳の致すところです。

しかし木原マサキを、再び国益に利するまでは私に責任を取らせて下さい。

その後は、どの様な処分でも」

内閣官房調査室長は、じろりと鎧衣をねめつけ、

「当たり前だ。ここで君を辞めさせるわけにはいかんよ」

情報省外事情報部長も、異口同音に、木原マサキの危険性を訴え、今後の対応を激越な口調で論じた。

「我々も彼を甘く見てすぎていたようだがね」

なお附け加えて、

「これで、木原という、単独でゼオライマーを作り上げた男の価値が、まずは保証されたことになる」

「はい」

調査室長が右手をかざすと、後ろから秘書官が現れて、

「君は、これからある人物の指揮を、執ってもらうことになる」

「はっ!」

秘書官からB4判の書類を受け取るや、

「ラオスで、CIAとともに現地の反共工作を担当した人物だ。

しかも、中野学校卒で君より若い」

その書類を、鎧衣に放り投げ、

「彼の名は、白銀(しろがね)影行(かげゆき)

中の写真を眺める鎧衣を見ながら、

「陸軍に拾われ、中野学校*5に入る前、青山のメソジスト系私立専門学校*6に4年間いた。

専門卒だが、理工学の知識はそこで学んだから、木原の補佐ぐらいは出来よう」

「たしか合同メソジスト教会*7といえば、米国で影響を持つキリスト教の一派ではありませんか。

米国派遣を見越して、その様な人材を用意していたとは。

いやはや、この鎧衣、皆様のご慧眼(けいがん)には感服いたしました」

と、鎧衣は眼をかがやかして、調査室長の面を見まもった。

「実は斑鳩(いかるが)の翁が、全国に居る情報工作員の中から選び、準備して置いたのだよ。

素封家(そほうか)の次男坊なので、育ちも良く、行儀(ぎょうぎ)作法(さほう)は、その辺の百姓より出来る男よ」

鎧衣は、笑いを含んで、調査室長に、

「翁直々に推挙された人物で、その上、武家ではない。つまり、自由に使って良いと」

「みなまで言うな」と、苦笑を送った。

 

 

 さて、日本で鎧衣が尋問を受けている頃、マサキ達は歴訪(れきほう)の最後にポーランドにいた。

空港に着くなり、儀仗(ぎじょう)(へい)堵列(とれつ)を受け、まるで凱旋(がいせん)してきた将軍の様な歓待(かんたい)に驚きつつ、

「BETAへの積年の恨みとは、これ程までか」と、一人呟いていた。

 

 若手官僚や研究者との懇談(こんだん)会の後、昼食会を挟んで、大統領との謁見(えっけん)となった。

駐ポーランド日本大使と通訳の同席の元、謁見の際に、ずけずけとマサキは、

「俺は、ソ連のESP兵士計画をソ連科学アカデミー会員から聞いた」と、周囲を慌てさせ、

「奴等は、新型の阿芙蓉(あふよう)*8を作っている」と驚くようなことを口走った。

同席したポーランド情報部の長官は、色を失いながら、

「セルブスキー司法精神医学研究所*9で、指向性(しこうせい)蛋白(たんぱく)が完成した話は、本当だったのですか」

と驚きの表情を浮かべ、マサキに問い質す。

喜色をたぎらせて、一頻り笑った後、

「フフフ、仔細は彩峰の方から話すとして、証拠だが、俺の方で、録音テープと映像がある」

と応じて、椅子に踏ん反り返った。

後ろに居た彩峰は、大統領に最敬礼をした後、

「実は来たる国連の年次総会で、我が帝国は東欧三国と図って、ソ連の人権侵害を告発する心算です。

東欧の雄である貴国の協力が必要なため、どうかご助力の方を」

と言い終わらぬ内に、日本大使も、

「帝国政府といたしましては、貴国のEC早期加盟を英仏に外交ルートを通じ、要請する所存です」

「ふうむ」と、大統領が溜息をついた後、重ねて、

「とすると、東欧州社会主義同盟の構想も、ご存じですかな」

大統領の言葉に訝しんだマサキは、男をねめつけながら、

「東欧州社会主義同盟とはなんだよ。詳しく話せ」と言いやるも、

「これ、木原君。先方を困らせるでない」と、大使が諭した。

大統領は、その様を見て、一頻り笑った後、

「木原博士が、ご存じないのも無理はありません。

先頃、シュトラハヴィッツ少将が提案した、将来の欧州統合に向けた地域協力機構の設立構想です。

今の、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーの三カ国は、元々同じ国でした。

かつてヤゲロ朝*10の元で同じ王を頂く仲間でした。

ソ連に盗み出されたバルト三国*11やドイツの一部*12も同じです。

伝統・文化的に近縁であることを持って、友好協力関係を進めることを、少将が発議されたのです」

 

『シュトラハヴィッツは、そんな大人物なのか』という顔をしたマサキは、

「奴はプラハの春で、ソ連の威を借りて、戦車隊でチェコスロバキアに乗り込んだ張本人だぞ。

そんな姦族(かんぞく)を、チェコ人は簡単に(ゆる)せるのか」

と、心にある不安を表明すると、情報部長官が、

「博士もご存知でしょうが、BETAがいなくなってもソ連は健在です。

我が国は常に歴史を通じて、東方の蛮族からの襲撃を受けてきました。

チェコやスロバキア、ハンガリーも同様です。

ハンガリー人の姓名の表記の順が、東洋人と同じなのをご存じですよね」

「ああ、東亜人の様に姓から名乗って、名を後に書く習慣を持つのは俺も知っている。

今のハンガリー人の祖先が、マジャール人といって東亜を起源にする騎馬民族だからであろう」

「流石ですな。我がポーランドも少なからず蒙古の(くびき)の影響は受けています。

歴代ポーランド王の肖像画をご覧になれば、蒙古風の装束を着ているのが判るでしょう」

「ホープ」の箱を取り出すや、タバコを口に咥え、

御託(ごたく)は良い。しかし、世の中、判らぬ事ばかりだ」と、紫煙を燻らせながら、

「ソ連赤軍参謀総長を口説いて、T72戦車を100両*13買ったシュトラハヴィッツが……。

今や反ソの旗頭か。ハハハハハ」と、満座の中で、一人笑って見せた。

 

 帰りのパンアメリカン航空*14のチャーター機内で、マサキはタバコ*15を弄びながら、

「俺は、()()らさずして、東欧の反ソ同盟を作り上げることが出来た。

後は、ソ連の彼奴等(きゃつら)が二度と俺に(ほこ)を向けぬほど、縮み上がらせねばなるまい」

満面に笑みをたぎらせながら、美久に言いやった。

「つかぬ事を聞きますが」と顔色を(くも)らせながら、

「どうした」

「最近、思うにアイリスディーナという小娘(こむすめ)に心を(おど)らされ過ぎです。

稀代(きたい)の美女に心奪われるのは、人情として、この私にもわかります。

でも、その色香に(まど)わされれば、やがては身を滅ぼしかねないかと」

「フフフ、お前らしからぬな。人形の(くせ)嫉妬(しっと)するとは」

と、告げるとタバコに火を点け、彼女の顔を見た。

「このままいけば、貴方はアイリスという娘の、愛の奴隷(どれい)になります。

どうか、あぶない火遊(ひあそ)びと、(あきら)めた方が(よろ)しいかと」

「確かにお前の言わんとすることも分かる。

唐の玄宗(げんそう)は、傾城(けいせい)傾国(けいこく)*16と名高い楊貴妃(ようきひ)の愛に(おぼ)れ、国都長安(ちょうあん)まで焼いた。

クレオパトラは、ローマの覇者(はしゃ)シーザーとの間に子を()し、老将軍を我が物の様に(もてあそ)んだ。

女性(にょしょう)色香(いろか)は、時の権力者を自在に動かしたのは事実」

悠々と紫煙を燻らせながら、

「俺も、その事は、重々承知している。

だが、あの娘は、人間の抜け殻みたいな俺に、何かを与えた。

あの手の(ぬく)もりは、(ゆめ)まぼろしではなかった……」

そう告げると、マサキは、静かに機窓から沈む夕日を眺めていた。

 

 

*1
今日の警視庁外事課。マブラヴ世界では戦前と同様に内務省が存続し、警察権を有した

*2
マブラヴ世界に存在する架空の省庁

*3
東ドイツは外交上の分類上、中・東欧に分類された

*4
1978年為替レート、1ドル=195円

*5
陸軍中野学校。静岡県浜松市天竜区二俣町に、破壊工作員養成の分校があった

*6
青山学院大学

*7
1968年4月23日、テキサス州ダラスでの合同総会で、福音合同同胞教会と、メソジスト教会が合同して出来た、米国最大規模を誇るプロテスタント教会の一派

*8
植物、芥子(けし)の実から採取される果汁を乾燥させたもので、麻薬の一種。阿片の異名

*9
Федеральный медицинский исследовательский центр психиатрии и наркологии имени В. П. Сербского,今日の正式名称は、V.P.セルブスキー記念社会司法精神医学国家学術センター。1921年開設。KGBと共に強制収容所の運営にも関与し、反体制派を『不活発性精神分裂病』と認定し、精神医学を政治的に乱用した

*10
14世紀末から16世紀末まで存在したポーランドの統一王朝。現在のチェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランド、リトアニアの一部からなる地域を支配した

*11
バルト海沿岸に並ぶ、エストニア,ラトビア,リトアニアの三国を指す。1918年、ロシア帝国崩壊時に揃って独立し、1940年にソ連に支配されるも再び独立し、再度1945年にソ連の隷属下に置かれた。その際、ドイツ系の知識人は弾圧され、歴史的建造物、金銀財宝は破壊された

*12
文化的、歴史的にドイツの影響が強かった東プロイセンは、カリニーングラードとして、今日もロシアの占領下にある

*13
マブラヴ世界の東ドイツでは史実とは異なり、ソ連が1970年代前半に国内向けと同程度の装甲を持つT72戦車を輸出、販売した

*14
1927年創業、1991年倒産。20世紀の主要かつ世界最大の国際航空会社であり、米国の非公式海外フラッグキャリアであった。パンナム航空の名前で一般的に知られる

*15
今日とは違い、1990年代末まで航空機内での喫煙は合法かつ、一般的であった

*16
絶世の美女の事。 容姿の美しさで人の心が魅了(みりょう)されて、城や国が傾いて滅びてしまうという意味から。『漢書』「外戚伝」より




邪神ちゃん555様、ご評価有難うございました。
また、ご感想も、一言頂けたら励みになります。


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慈母(じぼ) 前編(旧題:先憂後楽)

 ユルゲンは、(しゅうとめ)ザビーネの突然の訪問に驚く。
妊娠したベアトリクスの様子を見に来た彼女は、ある人物を連れてきていた。
ユルゲンを待っていた意外な人物とは、だれか。


 マサキ達を送り返した一週間もした日、ユルゲンは副官のヤウクを伴って家路へ向かっていた。

夕暮れのベルリン市内を歩く途中、国営商店の「ハーオー」の店の前に差し掛かる。

そこで、行列に出くわすと、

「なあヤウク。あそこに居るのはアイリスじゃないか」と訊ねた。

丁度、向こうから両手いっぱいに紙袋を下げたアイリスディーナが来るなり、

「もう帰ってたのか。別にハーオーで安物買わなくても良いだろ。

デリカートで上手いもの買ってきて、ベアに食べさせた方が良い」と(たしな)めた。

 

 

 

 

 ここで、読者諸賢には、すでに歴史の中に消えてしまった、東ドイツの住民の暮らしが、どんなものであったか。

その一端を説明する為に、筆者から、解説を許してもらいたい。

 社会主義による平等を標榜する、東ドイツには、基本的にスーパーマーケットは国営商店であったが、おかしなことに、金額によってランクがあった。

一般的に、低価格スーパー「ハーオー(HO)*1」が有名だが、15の中心都市に置かれた大型デパート「中央(ツェントルム)*2」、商店チェーン「コンズーム*3」が、あった。

 1950年代後半になると、戦後復興から安定し、「富裕層」が出現したので、高級店が公に設置された。

高級品店「エクス・クヴィジット」*4と高級食材店「エクス・デリカート」*5が、ウルブリヒト*6の経済政策で、用意されたのである。

「デリカート」には、高品質のものが並び、「ハーオー」には、安価で粗悪な品が供給された。

 

 庶民は「ハーオー」に昼間の早い時間から並び、数時間の行列の後、店内で粗悪な品物を購入した。

「ハーオー」に限らず、国営商店では、政府価格より安く売る事が禁じられていた。

政府の指示による値上げはあっても、値下げは無かった。

どんなに粗悪な製品でも、政府の決めた設定価格でしか、買えなかった。

 入荷時期などが流通の関係で不明瞭だったので、一度の買い物により、しばしば不必要な買い占めが行われた。

買い占めた品物は、自宅に貯められ、親族や近隣の住民と物々交換や僅かばかりの西ドイツマルクと交換された。

東ドイツ国民は、法律によって西ドイツマルクの所有は禁止されていたが、外貨不足の為、当局に黙認されていたのだ。

無論、党指導部やその家族は例外とされ、秘密裏に海外に口座などを設けていた。

 

 

 さて、ユルゲンたちの所に再び視点を戻そう。

 ユルゲンから叱られた、アイリスディーナは、一瞬ためらったような表情を見せた後、

「流石に、将校服を着て、デリカートに入るのは……(まず)いと思います。

ベアトリクスの事を気になさるのはわかりますが、何処で、だれが、見てるか分かりませんし。

それに……」

「なんだよ」と、笑みを浮かべながら、答えた。

「兄さんは、色々なやっかみを買っているのをご存じないと思いますが……」

その声に気が付いて、ヤウクはずけずけと割り込んできた。

そして顔を見合うと、

「なんだ、そんな事か」と、おたがいにまた、笑った。

「大体、そんなことに気付く人物だったら、懲罰委員会に数度かけられるかね。

酒保(しゅほ)*7で戦車兵と喧嘩したり、議会で議事妨害するもんか。

ソ連留学の時、カザフスタンで、僕と一緒になって基地司令と喧嘩する男だよ。ハハハハハ」

と声を上げて笑った。

アイリスディーナは、()()にとられて、

「おふたりは、そんな事まで……」と、たずねた。

「そうだよ」と、ユルゲンは誇るように肯定して、かつ紹介した。

「こいつは、あの時、司令官に直言を呈し、あまり強く、核使用反対を表明した。

『君はドイツ人*8だ、この国の人間ではない』と言われた上、GRUの監視までつけられたのだよ。

フハハハハ」

「ワハハハハ」と、ヤウクも一緒になって、他人事みたいに笑って見せた。

 

するとほどなく、スカーフを被った、年のころは40前後の、細面の女性が、駆け寄って来た。

「坊や」と、声を上げ、とるものを取らずに、近づいて来た様に、驚いた顔をしたヤウクは、

「ママ」といって、駆け寄るなり、抱き着いた。

 ロシア人の既婚者と一目で見て、判る、首の周りに巻き付けるスカーフの被り方。

目の前に立つ婦人が、ヤウクの生母(せいぼ)であることを、ユルゲンは理解し、

「ヤウク、君の御母堂(ごぼどう)か」と訊ねた。

「ああ。僕の母親さ……戦争になると思って会いに行ってなかった」

と、ヤウクの母は、息子から紹介されて、ユルゲンの人物を見、よろこびを現して、

「隊長さんですね。愚息(ぐそく)が、いつも、世話になって()ります」

とグレーの瞳を輝かせ、心からの礼を言った。

ユルゲンは、ヤウクの母に一礼を(ほどこ)した後、

「御母堂、いつも世話になっているのは、私の方です。

小官が、今こうしてあるのも、同志ヤウク少尉の助けがあっての事。

士官学校で席を並べて以来、御子息の存在なくば、職務を全うすることも叶いませんでした」

と慇懃に謝辞を述べた。

一頻り話した後、照れた表情をするヤウクは、

「では、僕は失礼させてもらうよ」と言い残し、母と共にその場を去っていった。

 

 

 

 

 さてまた。ヤウク達と別れたユルゲンは、アイリスと共に帰宅した。

しんと静まり返った家の中を見回し、

「おい、帰ったぞ。誰もいないのか」と、大声で呼びかけた。

すると奥より、ウエーブの掛かった黒髪が、特徴的な婦人を認めるや、ユルゲンは、

「あ、お義母(かあ)さま。お久しぶりです」と、会釈(えしゃく)をした。

件の婦人は、アベール・ブレーメ夫人で、ベアトリクスの母、ザビーネ。

 まさかの人物の来客に、驚いたアイリスディーナは、

「ザビーネさん、お仕事は」と、問い質すと、

「ベアトリクスの様子が不安になり、休みを頂いてきましたの。

あの子の我儘(わがまま)で振り回され、ユルゲン君がやせ細っていないかと心配でしたが、安心いたしました。

ホホホ」と微笑を浮かべて、

「わたくしのほうでも、アイリスちゃんにも聞きたいことがありましてね」

「どうか致しましたか」

「例の木原博士と称する、東洋人が来ましてね」と、驚くようなことを言う。

その場に、衝撃が走った。

 

ブレーメ夫人の、ザビーネがいうには、

 昨夕、ふらりと一人の東洋人が、音もなく屋敷を訊ねてきて、

「自分はアイリスディーナの事を見初めた男だが、この際、親族の者たちに近づきの印を持ってきた」

と、腕時計や真珠の首飾り、絹と羊毛を5(ひき)*9ばかり、進物として持って来て、

「俺は、木原マサキ、天のゼオライマーのパイロットだ」と、啖呵を切った。

色を失って(おのの)く、アベールを別室に連れて行き、2時間ほど、ねんごろに話したという。

 

ブレーメ夫人は、その時の興奮が、冷めやらぬように、

「うちの人は、経済企画委員会に名を連ねる、すこしは名の知れた官吏。

ですから、ソ連やチェコなどより、ふいの来客など、決して珍しい事では御座いません。

でも、海の彼方の、日本より、壁を越えて来られるなど、今まで有ったことがありましょうか。

木原博士は、世には明かしていない、私たちの東屋(あずまや)*10まで訊ねられたのは、驚きでした。

姻族(いんぞく)の、義父母(わたくしたち)にまで、丁寧に礼節を尽くされて、極東より、いらして下すったのです。

この事をお知らせしようかと思いましてね」という相談であった。

興奮して話す(しゅうとめ)の様を、なかば呆れた様な表情で見いていたユルゲンは、

「さあ、お茶でも()れますので……」と、アイリスに目配(めくば)せをする。

茶の準備を急がせ、玄関より応接間に向かった。

 

 応接間より、女の話声が聞こえるのを不思議に思ったユルゲンは、

「お義母さま、誰か客人でもお呼びになられたのですか」

「貴方がたにも縁のない人では、ございませんのよ。ホホホホ」と微笑を湛え、ドアを開けた。

部屋に入るなり、ユルゲンの表情は凍り付いた。

この数年来、絶縁状態になっていた、母、メルツィーデスの姿があったからだ。

(たの)()に、ベアトリクスの話す様を見るなり、途端(とたん)嚇怒(かくど)の表情を明らかにし、

「貴方が、どうして。ここに居られるのですか」と他人行儀な対応を取った。

 

表情を曇らせたメルツィーデスを見た、ベアトリクスは不快感を露わにし、

「わざわざ訪ねてきた人に、それはないんじゃない」と、()()ける。

メルツィーデスの後ろへ来て、立っていたブレーメ夫人は、

「わたくしが呼びましたのよ」

と、説いたので、ユルゲンは、難渋(なんじゅう)した顔いろで、

「ですが……」と言って口をつぐんでしまった。

「貴方が、母君の不義を、父君に密告したが原因で、ご両親が離婚された。

そのことを、今でも()やんでいる。

なにも、それならそれで、よろしいではありませんか」

と、ブレーメ夫人は、うららかに胸を伸ばして、

「木原博士は、わざわざメルツィーデスさんの所までも、あいさつに出向いたというのですよ。

聞けば、今の夫であるダウム氏に会って、博士は、深くお話をされたそうです」

面目なさげに立つユルゲンとアイリスディーナに、なおも、

「それに、まだあなた方はベアトリクスの祝言も、懐妊の話もなさっていないそうじゃないですか。

わたくしも、同じように娘を持つ身です。

それにユルゲン君。自分の子が孫を(もう)けたとなれば、会わせてやりたいのが人情。

わたくしの方で、デュルクに手配してお招きいたしましたのよ。ホホホホ」

ブレーメ夫人のザビーネは、こういって、ユルゲンの小心を笑った。

 

 

 ブレーメ夫人の、その男まさりな(りん)たる気性や、アベールや政治的な方面まで動かす力を知っていたユルゲンは、ただ黙するしかなかった。

それに元より、妹の事を考えて暮らしてきたので、その義母の頼みを、すげなく(こば)む気にはなれなかった。

「ハハハハハ」と、天を仰いで、乾いた笑いを浮かべた。

『この女丈夫には、なんともかなわん』という思いは、深くかくして。

 

*1
handelsorganisation、直訳すれば『商業組織』。統一と共に全店舗が閉店した

*2
かつて存在した、東独のデパート。今日は西ドイツ資本のカールシュタット・グループに吸収合併されている

*3
konsum

*4
1961年創業

*5
1966年創業

*6
ヴァルター・エルンスト・パウル・ウルブリヒト(1893年6月30日 - 1973年8月1日)、スターリン主義者で、東ドイツの初代国家評議会議長。1960年代の対ソ自立姿勢に、KGBは危機感を持ち始め、その下部機関であるシュタージにより、追放される。ソ連の意向に沿ったホーネッカーの時代に歴史から抹殺された

*7
軍事基地の売店

*8
ソ連国内では第二次大戦終了後も、徴兵対象の除外や公的機関への就職禁止などドイツ人には法的保護の対象外に置かれた。ソ連市民と同じ扱いを受けるのは1980年代後半になってからである

*9
(ひき)は、長さの単位。一反の倍。着物は24メートル、洋服の生地の場合は50メートル

*10
屋根を四方にふきおろし、壁がなく柱だけの小屋。転じて自宅を謙遜した呼び方




ご意見、ご感想お待ちしております。
時代考証、軍事考証で、あやしい点があれば、ご指摘いただけると幸いです。


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慈母(じぼ) 後編(旧題:先憂後楽)

 ユルゲンは、生き別れた母メルツィーデスと、再会する。
そして、母の口から両親の離婚の真相を告げられるのであった。


 ユルゲンは母の顔を見た途端、胸が締め付けられた。

思い出したくないのに、かつての家族の団欒(だんらん)が頭をかすめてしまう。

 母は、すでに四十路(よそじ)は越えてはいるが、蠱惑(こわく)と思える艶美(えんび)は、少しも(いろ)()せていなかった。

この圧倒的な妖艶(ようえん)の前に、あの国家保安省(シュタージ)工作員、ダウムも魅了(みりょう)されたのであろうか。

一層(いっそう)(あや)しいまでの皮膚の白さと、金糸のごとき、美しく長くまっすぐな髪が(きら)めいて見える。

 彼女の娘であるアイリスディーナに、あの忍人(にんじん)、木原マサキが、頬を熱くして、(こころ)(さわが)すのも、兄ながら理解できる気がした。

妖艶(ようえん)な母と、楚々(そそ)たる妹では全く雰囲気が違うが、やはり、その()えた美貌(びぼう)は、どこかこの世の人とも思えぬ感じもしないでもない。 

 

 「この際だから、(あら)(ざら)い、聞いてみたらどうなの」

肘掛椅子に座るベアトリクスは、鬱勃(うつぼつ)とした表情のユルゲンに問いかけた。

「すまない。気にはなっていたが……」と、(おさ)(づま)の肩に、手を置いて、メルツィーデスを睨み、

「アンタに一つ尋ねたい。なんで俺達を捨てて、あんな間夫(まぶ)の元に(はし)ったんだ」

と、目の前の女に、瞋恚(しんい)を明らかにした。

「それは、貴方たちを庇うために、ダウムを頼ったのよ」

母の衝撃的な告白に、ユルゲンは唖然(あぜん)とした。

 

 メルツィーデスの告白を、心の中で反芻(はんすう)していたユルゲンは、その衝撃から立ち直れずにいた。

「母さん!」

アイリスディーナの呼びかけを制し、メルツィーデスは、沈黙するユルゲンの方を向き、

「彼と話がしたいの。ベルンハルトの家族には酷い事をしたから」

にべもなく言い放つと、淡々(たんたん)と語り始めた。

「ヨゼフが、貴方がたの父がなぜ、国家保安省(シュタージ)に付け狙われたか。本当の事を話しましょう。

あの人は、先ごろ亡くなったアンドロポフKGB長官に目を付けられてたの……」

 

 すでにお忘れの読者もいるかもしれないので、説明する。

メルツィーデスの話に出て来る、KGB長官とは、マサキと少なからず因縁のある人物であった。

 シュタージ内部のKGB工作員、エーリッヒ・シュミットの叔父(おじ)であり、東ドイツ首脳暗殺を(たくら)み、幾度(いくど)となく工作隊を送り込んだ張本人。

 また、ゼオライマーに核攻撃を指示した責任者でもあり、ハバロフスク空港で、剣を(ふる)って、マサキと壮絶な一戦を交え、彼に殺された人物である。

 

 

「丁度、22年前の今頃に、なるかしらね……。

ハンガリーで、ソ連の軍事介入*1で政変があったのを覚えている?

いいえ、あなたはまだ2歳になったばかりだったからね」

脇で聞いていたザビーネが、同調する様に、

「奥様、あの時、わたくしも娘の頃*2でしたが、よく憶えてますわ。

買い出しに行った西ベルリン*3では、それこそ酷い騒ぎでしたの。

連日連夜、オーストリーに亡命する人々の話が、西ベルリン経由で漏れ伝わってきましたわ」

「ザビーネさん、私はハンガリーに、主人とユルゲンといたから、詳しい経緯は知ってます」

と、メルツィーデスは、軽くあしらって、

「あの人は、軍事介入が決まった後、蛮勇(ばんゆう)を振るって、ソ連大使館に単身乗り込んでいったの。

そこで、駐ハンガリーソ連大使に、意見したの」

「何て?」

「正確な所は知らないけど、何でもこういったそうよ。

『ソ連がハンガリーでやったようなことは帝国主義国がやってきた事と同じである』と」

「あの恐ろしいKGBが、よく許しましたこと!」

「どういう経緯で帰って来たかは知らないけど、でも、それ以来、目を付けられたのは確かよ。

ソ連からも、KGBからも」

メルツィーデスは、押し黙るユルゲンの頬を()でながら、

国家保安省(シュタージ)の前の長官のミルケ、知ってるでしょ」

「……」

「彼は、ベルリンで2人の警官殺しの後、ソ連に逃げてKGBに拾われた男よ。

そんな人間だから、ソ連の操り人形で、モスクワの許可が無ければ何にもできない人だった」

母の面は、色蒼く()めて、いつの間にか(むせ)(ごえ)になっていた。 

 

 母が、何かを語ろうとしているのは、分かる。

しかし、ユルゲンには、彼女の気持ちが判らなかった。

何時しか、怒りより戸惑いの感情が強くなっていき、

「何が言いたいんだ」と、初めて強い姿勢で、ものをいった。

「もう少しで終わるから待っていて」

「……」

「その後、ハンガリー大使だったアンドロポフが、67年にKGB長官の地位に就いたの。

私から言えることは、これだけよ」と、彼女は思いきったようにあふるる涙と共に言った。

 

 

 ユルゲンは、その一言で、目の前が真っ暗になるようであった。

1967年と言えば、父と母の離婚した年である。

あの憎い間夫(まぶ)、シュタージ職員のダウムが、眉目(びもく)秀麗(しゅうれい)(かんばせ)をほころばせ、母に言い寄った年でもある。

母の話を勘案(かんあん)すれば、父はハンガリー大使だったアンドロポフの恨みを買っていた。

そして、KGB長官の就任祝いとして、シュタージが忠誠心を示す貢物(こうもつ)として差し出すべく、父母を(おとし)めたと、伝えたかったのだと。

 今、精神病院の暗い病室の中で、恍惚(こうこつ)としている父が、よもや、その様な大陰謀に巻き込まれていたとは……

たまらない憐愍(れんびん)がわいて、彼はメルツィーデスの脇に座る。

「そんな事情があったとは……(ゆる)して下さい」と、彼は、四十路(よそじ)を超えた母を抱きしめた。

幼き日、母の胸の中で泣き喚いたように、体中で慟哭(どうこく)した。

 

 

 

 夜が()ける中、アイリスディーナは一人、フリードリヒスハイン人民公園まで来ていた。

母の衝撃的な話を聞いて、信じられず、制服姿のまま、家を飛び出してしまったのだ。

兄や、護衛のデュルクが探しに来るだろうが、何も考えられないほど憔悴(しょうすい)しきっていた。

 すると、そのときである。

「どうした。年頃の娘がこの様な時間に出歩くとは、いくら社会主義独裁の国でもあぶないぞ」

ふいの声に驚く間もなく、そっと抱きすくめられた。

「暴力など受けたらどうする。俺だから良かったものの……」

 

 声の主は、木原マサキだった。

着古しの詰襟の上から、黒色の脹脛(ふくらはぎ)丈のコートを羽織って、紫煙を燻らせていた。

 今回の訪問は、連絡を取った訳ではない。つい衝動的に、来てしまったのだ。

アイリスディーナへの想いは、日が経つに連れ、強く激しくなってきている。

それを一旦制御する為に、マサキは、彼女の元を訊ねたのであった。

 彼は、着ているウールのオーバーを脱ぐと、アイリスディーナの肩にかけ、

「どうだ、温かいだろう」と、手を引いて、パンコウ区の方に進む。

「どうして……」

「別れのあいさつに来た。俺は明日、ハンブルクを()って、ニューヨークに行く。

その前に、お前の顔を(おが)んでおきたかったからさ」

 

 彼のそうした態度が、ふとアイリスディーナを不安にさせたのかもしれなかった。

急に、碧海のような青色の瞳に涙さえ差し()んで。

「……」

「どうやって来たか、理由は聞かんのか……、フフフ」

マサキは、アイリスディーナの方を向かずに、

「何、驚くべき事ではない。次元連結システムの一寸した応用さ」

と、言った後、顔を彼女の方に向け、じっと碧海のような瞳を見て、

「俺の方でも、女遊びにかまけていられなくなってきてな。

だからアイリス。暫し、お前の所には顔は出せん」と言いやった。

彼の視線が耐えきれず、アイリスディーナは視線を落とした。

胸の奥で、高鳴る鼓動に惑わされながら、歩みを進める。

なんと声を掛けてよいのか、どの様な態度を取ればよいか、彼女には解からなかった。

一週間前なら何ともなかったのに、頬を紅潮させるような羞恥(しゅうち)を覚える。

 

マサキは、おもむろに、ホープの箱を取り出し、タバコを口に咥え、

「この先、俺は月と火星に居るBETA退治の為、新兵器の開発に入る」

と、その場の雰囲気を、変えるような事を口走った。

 暫しの沈黙の後、アイリスディーナは、顔を上げ、

「まだミンスクハイヴ攻略から日が浅いのにですか……お疲れも()え切らぬ内に」

どことなく悲しげな表情の、マサキの瞳を再びとらえると、

「しかたがない。これが科学者というものだ。軍人と言うものだ。

この木原マサキは、木や石で出来た像では、ない。

身体の疲れも辛いが、お前との別れはもっと辛い。だが一度、自ら望んで軍籍に身を置いた立場」

「ええ……」

マサキの声に動揺はなかった。いつも以上に落ち着いていた。

「出来れば、お前には軍から身を引いて欲しい。

あのような剣の中に身を置いて欲しくない。まだお前は花開かぬ青いつぼみだ。

暖かい春の日差しも、花を咲かせるような夏の太陽も、実を()らせる秋も知らない。

願えば、どんなことでも出来る。

兄の為とか、こんな傾いた国の為とか……

その様な戯言で、軍に残って、衛士などという、馬鹿げた事をする必要はない。

女の一生を、そんな一時の自己満足の為に、棒に振る様な必要は無かろう」

 

 かつてないほどの昂ぶりが、アイリスディーナの胸に一気に押し寄せて来る。

それまで一部の隙も見せていなかったマサキの、秘密の部分を垣間見た感じだ。

 脇から見つめていると、マサキの苦悩が良く伝わって来る。

細く長い指で、ガスライターを操作しながら、火を点け、紫煙を燻らせる。

「男は、この世に生まれて以来、己の大義に、己の正義に(じゅん)じるのが宿命。

俺も、俺自身の野望の為に、あえて、(つるぎ)の中に身を置き、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)どもと戦っている」

マサキは、静かにうつむいた顔を上げ、

「だが、女は違う。

(いく)千年の歴史の中で、(こころざし)(じゅん)じて死んでいった男達を横目に見ながら、その命を長らえて来た」

 アイリスディーナは、不思議とマサキに恐怖を覚えなかった。

それより彼をより一層生身の人間と感じて、その様に魅了されていた。

「何時しか許され、その命を(まっと)うしてきた。また許される存在なのだ。

だから、高い理想のために働くなどではなく、どの様に生きるかを考えるべきではないか」

と、どこかあどけなさの残るアイリスディーナの表情を見つめ、(にわ)かに彼女を抱き寄せる。 

「もう少し、女らしく自由に生きてみよ」

咄嗟に、彼女のうけたマサキの唇は、炎のように熱かった。

*1
1956年のハンガリー動乱

*2
独身時代を指す言葉

*3
東ドイツ国民は、1961年まで自由に西ベルリンに貸し出しに行けた




 ご意見、ご感想お待ちしております。

少しばかり淡泊だったので、アイリスディーナの心情描写を追加しました。


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憂懼(ゆうく)

 西ドイツは、東ドイツが接近したマサキとゼオライマーを危険視する。
そして、ユルゲンたちとの仲を裂くべく、離間の計を用いようとする。


 ここは、西ドイツ臨時首都のボンの官衙に隠れる様にして立つドイツ連邦情報局(BND)*1

その一室で男達は、今後のドイツ連邦の先行きに関して、密議を凝らしていた。

 先頃のハバロフスクの首都機能喪失とウラジオストックへの急な遷都に関しての討議が成されている最中。

 ふいに、会議の最中、一人の情報局員が立ち上がり、ひじ掛け付きの椅子に腰かけた初老の男に問うた。

「局長、一つ気掛りなことが御座います。

例のゼオライマーと称される日本軍の持ち込んだ新型戦術機ですが……」

 

 紫煙を燻らせながら、初老の男が、応じる。

声の主は西ドイツの諜報部門のトップである、連邦情報局長であった。

「捨ておけ、黄人とて必死だ。()び位、売るであろうよ……、それ位が精一杯の能力よ」

 

彼は、なおも食い下がった。

「しかし、そのゼオライマーによってBETA戦に少なからず影響を与えていると聞き及んでおります」

男の顔を覗き込む。

「我々のBETA戦には思い通りの成果を挙げられずに居りました。

ですが、その新型機によって、米ソの対立にさえ、変化の兆しが見え始めています。

これは、どう思われますか……」

 

男は、件の情報職員を宥める。

「一旦、その話は後回しだ……」

彼は無言のまま、着席した。

 

初老の男は、腕を組むと、そちらを見据える。

「話は変わるが……、BfV*2が動く前に、ユルゲン・ベルンハルトの調略に掛かる。

昨今話題になっている、木原に自分の妹を差し出した、新進気鋭の貴公子……。

ベルンハルトという男、どの様な人物なのかね」

BNDの会議室の中に、声が響き渡る。

「局長、お答えします。

当該人物は、1954年生まれで、空軍士官学校主席卒業。

公的な情報によれば、離婚した両親は健在。

父親は東の外務省勤務、母親は、シュタージ工作員と再婚。

異父弟が一名いるとの事。

5歳下の同母妹が一名居り、現在士官学校に在学中。

彼の妻は、妹と同い年で、アベール・ブレーメの一人娘です」

 男は、顔に右手を当てると、少し思い悩む。

暫しの沈黙の後、再び尋ねた。

「ソ連亡命歴のある人物の女婿(じょせい)だと。思想的背景は……」

黒縁のベークライト製の眼鏡を持ち上げ、答弁をした官吏の方を改めて見る。

「関係あるか分かりませんが、現議長の秘蔵っ子という噂のある男です。

警戒したほうが良いでしょう」

 

局長が黙る中、官吏達は口々に思ったことを言い放つ。

「待て、あの男は長らく寡男(やもめ)だったはず。あの年頃の子息は……」

「そんな、まさか……」

 

 

 共産国家に在って、政治家の個人情報は最重要機密であった。

史実に根拠を求めれば、アンドロポフ*3と、チェルネンコ*4

1980年代にソ連を牽引した両人物は、その死まで個人情報は守られた。

CIAに至っても両人は「男寡(おとこやもめ)」と勘違いするほどであった。

 この世界の、連邦情報局(BND)も同様のミスを犯した。

『ユルゲン・ベルンハルトは、彼の母が不義の関係で出来た、議長の隠し子ではないのか……』

その様に勘違いしてしまったのだ。

 

混乱する職員の発言を纏める様に、Bfv局長が呟く。

「つまり、あの男も党政治局員としての進退窮まって、最前線に息子を送り出したと考えてよいであろうな」

その発言に、周囲が騒々しくなる。

 

しばらくして職員達が落ち着いたのを見届けた後、局長が口を開く。

「我が方に引き込んだ褐色(かっしょく)野獣(やじゅう)こと、アスクマン少佐が死亡した事が確認された。

ソ連兵の手によって殺されたというから、KGBとの間で、何かがあったのは間違いない」

仏法僧の様に頭を丸刈りにした諜報員が、驚嘆の声を上げる。

「きょ、局長、真ですか……。あのアスクマン少佐が野垂死にしたとは……」

「我々以外にも、CIAやMI6との付き合いのある男だ……。

その線から漏れたとしてもおかしくはあるまい」

 

 副局長は、アスクマン少佐の死を嘆いた。

「我々はシュタージファイルの入手の為に……10万マルク*5の資金をあの男に(みつ)いだ。

これが連邦議会に持ち込まれもすれば……」

「一大スキャンダルですな……」

 

 局長は、再び混乱し始める職員を一喝する。

「諸君、狼狽(うろた)えるな。

どちらにせよ、マスメディアの連中は莫大な金を準備して、我等が元に乗り込んでくるのは必須。

放置すれば、何れはこの身の上に恐ろしい災厄が降りかかって来よう」

先程、局長に尋ねた丸刈りの男が返答する。

起死(きし)回生(かいせい)の策としてゼオライマーを討つというのはどうでしょうか」

 

 会議の冒頭から奥に座り、一言も発しなかった老人が声を上げる。

「木原マサキを消せ……、後腐れなく始末するのだ」

黄色味を帯びた白髪から類推するに、年の頃は80過ぎにもなろうかと言う、深い皴を顔に刻まれた男は、窪んだ眼を左右に動かす。

「アヤツはたった一人で米ソを手玉に取る……手強い相手じゃ。何としても葬り去らねばならん」

 

 対ソで結束している西側陣営最前線の一つであった西ドイツも、当初の目的を忘れ、月面や火星に居るBETAよりも、木原マサキという人物、彼が駆るゼオライマーを恐れる。

地の底より幾千万と湧いて来るBETAの血煙を浴びながら、難攻不落のハイヴを正面から攻め掛け、その奥深くに潜り、白塗りの装甲を赤黒く染めながら四たび戻って来た。

 マサキの駆るゼオライマーは、万夫不当(ばんぷふとう)との言葉に相応しい。

彼の首を取ろうとした、精鋭KGBや赤軍の特殊部隊(スペツナズ)を、まるで赤子のように扱い、50メートルにも及ぶ巨体を駆って数百の精兵を踏みつぶした。

ソ連政権は、議長以下首脳部の首を取られ、()()うの(てい)で、日本海面前のウラジオストックまで落ち延びる無残な姿を天下に(さら)した。

男は、その事実に身震いしていた。

 

「ポーランドが、ナポレオンに女をくっつけたように、我等も美人計(びじんけい)を仕掛けようではないか……。

そうよのう、ベルンハルトが、留学するというニューヨークに飛んで、奴等へ工作を仕掛けよ」

 

 男が言ったポーランドの女とは、ポーランド貴族の、マリア・ヴァレフスカ侯爵夫人である。

1804年のころ、実家の借財の肩代わりのため、老貴族、ヴァレフスキ侯爵と結婚した。

46歳も年上の夫に絶望にした18歳の若妻は、悲嘆の日々を送っていた。

 そんな折である。

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが、1806年12月18日にワルシャワに入城した。

プロイセンと帝政ロシアの間で長く苦しい歴史を歩んできたポーランドにとって、ナポレオンは救世主も同然であった。

 翌年の1月7日に新年の舞踏会に夫と招かれた彼女は、ナポレオンとの謁見の機会を得る。

その際、壮年(そうねん)*6の皇帝は、彼女に一目ぼれしてしまった。

信心深く貞淑(ていしゅく)な彼女は、この皇帝からの熱心な恋文にも、豪奢(ごうしゃ)な贈り物にも無関心を貫いた。

 しかし、時代が許さなかった。

ポーランド復興の望みをかけた貴族たちの願いもあって、望まずして、大帝の公妾(こうしょう)となった。

次第に二人は、本当に惹かれ合うようになり、1810年5月10日に男児を生んだ。

後のアレクサンドル・ヴァレフスキである。

 

 時間がたつにつれて、次第に大帝の寵愛(ちょうあい)は冷めていったが、彼女の思いは深くなる一方であった。

その愛は本物で、皇帝を退位しても、武運(つたな)く百日天下で敗れ去っても、変わらなかった。

大帝の妃たちの中でただ一人、流刑地セント・ヘレナ島への同行を涙ながら求めるほどでった。

大帝が、遠く大西洋のセントヘレナに流された後は、拒食症になり、衰弱していった。

ナポレオン大帝のことを思慕(しぼ)しながら、1817年12月11日に31歳で短い生涯を閉じた。

 

 

「あのアジア人の男もBETAが無い世界では不要……死んでもらうのよ。

新開発の動力と内燃機関の秘密を、一刻も早く手に入れるのじゃ」

老人は、ふいに不適の笑みを浮かべ、

「そうよのう、バルクと女工作員、ユングを呼び出せ」

そう告げると、くつくつと不気味な笑い声を上げた。

 

 

 

 アリョーシャ・ユングは、昔なじみの友人、ヨアヒム・バルク陸軍大尉とともにの会議室に呼び出された。

黒の眼鏡に、灰色の婦人用パンツスーツを着て、深々と一礼をし、

「閣下、わたくしたちを呼び出した理由は何でしょうか」と問いただした。

 閣下と呼ばれた人物の脇に座る、下卑た顔をした80を超えた老人が

「ユングよ、忙しい中、良く来てくれた。早速だが、話がある。

お前の専門は東だったから、向こうの戦術機隊長のユルゲン・ベルンハルトを知っておろう」

その言葉に、危うい気配を感じたのか、ユングは身を強張らせる。

「ベルンハルトの妹は、木原に惚れこまれ、結婚を前提に話を進めているという。

木原は妹婿(いもうとむこ)で、ベルンハルトは義理の兄みたいな存在になろう。

だから、奴を(たら)し込め」

「えっ」とばかり、彼女は色を失って立ちすくんだ。

「そ、そんな……」

ユングと言えば、その狼狽ぶりは、実に哀れなほどであった。

 

 表情が凍り付いたユングに向かって、老人は、まくし立てる様に、

「BNDの工作員でいたかったら、何が何でもやってみろ。

確か、お前は独身で、男との浮いた話の一つも効いたこともない」

彼女は、いたたまれない羞恥を覚えて、顔をそむけた。

「だからこそ、あやつを落とせる可能性が、僅かばかりあるのだよ」

黒いジャケットで覆われた両胸を、恥じらうように覆う。

「もし、あやつがお前に興味を持ち、一緒になれば、木原の親族も同じ。

ボンの政府の安全は、いやドイツ国家の永続性は保障されたものとなろう」

だが、旧友バルクの前ではあまりにも見苦しい真似をするわけにはいかず、眉を(ひそ)めて、(こら)える。

「唯一無二の女性(にょしょう)の武器を用いるのだ」

込み上げる羞恥に全身を(ほて)らせる様は、わきに立つバルクが心配するほどだった。

 

「考える時間をください」

これ以上、同輩のバルクと、面と向かっているのは、耐えられなかった。

ユングはきつい口調でそのように告げると、背を向けて逃げるようにして、その部屋を後にした。

彼女にできることは、ドアを勢い良く閉める事だけだった。

 

 

 

 

 

 ウラジオストック空港は、あわただしかった。

国連総会に参加するソ連外交団の準備をしている矢先のことである。

参謀次長を兼務するGRU部長から、赤軍参謀総長は、マサキと東独の接触の報告を受けるなり、

「東ドイツの連中が、木原に女を差し出したのか」と、憤懣(ふんまん)遣る方無い顔色になり、

「直ちに、音楽学校の卒業生を集めよ」と命じた。

 音楽学校とは、GRU直属工作員を養成する軍事外交アカデミーの別称である。

 

「シュトラハヴィッツめ、何を血迷ったのか。15にもならぬ自分の娘を送り込もうとは……」

予想だにしない参謀総長の言葉に、GRUの局長や課長たちは思わず顔を上げて、表情をじっと見入った。

 しばらくしてから、GRU部長は、参謀総長の問いに、

「同志大将、違います。年のころは18歳の娘で、ユルゲン・ベルンハルト中尉の妹です」

「何。それで、彼女はどのような人物なのだね」

GRUの東欧課長が次のように述べた。

「ご安心下さい。ベルンハルト嬢は、反ソ的な思考の持ち主ではなく、人類が手を携えてBETA戦を進めれば、勝利を得られると信じるような純粋な娘にございます。

多少、信心深く、愛国心も強うございますが……」

 参謀総長は、遠くを見つめるような目で、言う。

「つまり、自ら祖国のために、木原の欲望の生贄(いけにえ)になったのか……」

参謀総長は、思いつめたように言って、言葉が切れた。

「ソ連圏離脱による東ドイツの経済的危機という、祖国の窮乏を前にして、愛国の情、(もだ)(がた)く思う乙女(おとめ)の真心。

これをもってして、木原の心を(から)()らせると」

と、東欧課長が続けると、国際局長は笑って。

「みなまで言うな。一番は木原が好色であれば容易(たやす)いが、あの男は思った以上に堅物だ。

この機会を逃すわけにはいくまい」

 

 ふと懐中より、口付煙草(パピロス)「カズベック」を取り出して、紫煙を燻らせながら、

「しかし、わからぬものよ。あの木原がこうも傾くとは……」

「男と女の仲は、難しいですな」

参謀総長は、男の問いに無言のまま、笑った。

 

 

 一方、ベルリンにある国家保安省(シュタージ)本部8階の大臣執務室。

そこでは、大臣は目の前に立つ大社交服(ゲゼルシャフト)姿のゾーネ少尉に、マサキの動向を訊ねていた。

「どうしたね。木原マサキという、日本人の男は」

と、紙巻きたばこを口に咥えながら、火を点けて、

「ベルンハルト嬢と関係しているようです。

彼女を守るために大人しくしております」

「もともと、木原を落とす為に彼女を用いたのだろうが……。

これで当分は、警察や情報省に、駆け込むような事は、しないだろう」

「アイリスディーナ・ベルンハルト嬢は、すでに木原に好意を持ち始めています。

奴と関係すれば、もっと深く知りたくなるのが当然の心理です」

ゾーネは、伸ばしていた腕を後ろ手に組みながら、

「ですから、彼女が木原の隠された情報を抜き出すのに一役買ってくれるでしょう」

「一石二鳥だな」

そういって、大臣は満足げにほほ笑む。

「その通りです。同志大臣」

「では、明日より彼女の護衛任務に就き給え。KGBが誘拐することがあり得るかもしれん」

「了解いたしました」

と、慇懃(いんぎん)に敬礼をした後、ゾーネ少尉はその場を辞した。

*1
Bundesnachrichtendienst,ドイツの情報機関

*2
ドイツ憲法擁護局

*3
ユーリ・ウラジミロヴィチ・アンドロポフ(1914年6月15日 - 1984年2月9日)

*4
コンスタンティン・ウスチノヴィチ・チェルネンコ(1911年9月24日 - 1985年3月10日)

*5
1978年当時、1西ドイツ・マルク=115円

*6
一般に働き盛りの年齢のこと。現代では30から39歳のころを指す




 投稿が遅れて、申し訳ありません。
 暁で掲載した話を、リメイクしようとして書き直したら、ほぼ新規書下ろしになってしまいました。

 ご意見、ご感想お待ちしております。
次回より、暁連載版と同じ第五部に入ります。
フリガナや注釈をつける関係上、更新速度が若干遅れます。


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影の政府
淫祠邪教(いんしじゃきょう) 前編(旧題: 魔都ニューヨーク)


 ゼオライマーの活躍を危ぶんだ米国は、木原マサキを危険視する。
人知れぬところで、進められる恐るべき陰謀。
摩天楼(まてんろう)のそびえる商都(しょうと)で、マサキと、天のゼオライマーを待つ者たちとは……



 木原マサキの動向は、国際社会の耳目(じもく)を集めた。

一人ソ連の首都に乗り込み、最高会議議長とKGB長官を抹殺した男、としてだけばかりではない。

BETAの解析をし、ハイヴを単独攻略した天才科学者として。

また、無敵のスーパーロボット、天のゼオライマーパイロットとしても。

 

 そんな彼の東ドイツ訪問を受け、その事態に一人、(うれ)う人物がいた。

 米国対外諜報機関のトップ、CIA長官であった。

彼は、東独政府の怪しげな動きを受けて、ラングレーのCIA本部では、臨時会合を開始した。

そこでは、CIA長官をはじめ、作戦部長以下、国際秘密作戦に関わる人物が一堂に集めらていた。

 

CIA長官は、深い憂いを、満面にたたえながら、

「何、木原博士が、東独を訪ねたと。まことか」

尋ねられた欧州部長の男は、静かに答える。

「はい、その事実は間違いないかと」

「いくら、優秀な科学者とは言え、彼は青年。

見目(みめ)(うるわ)しい、珠玉(しゅぎょく)の様な令嬢に、引き合わされれば、絡め捕られる危険性は高い」

「まさか。彼は、日本政府や西ドイツに、何かしらを要求した、と聞いておりませんが」

「いや、どんな聖人君子であっても、人間の奥底にある情、と言うのは否定できない。

それに独身者だ……なおさら危険だ」

「ではこちらでも、驚くような美女を、仕立て上げますか……」

「彼は、()()いた(えさ)に食らいつくような人物でもあるまい。それ故に恐ろしいのだよ。

ところで、連中が、引き合わせた相手などは、見当がついているのかね」

「アイリスディーナ・ベルンハルトと申す娘にございます。

こちらの写真を、ご覧ください」

欧州部長は、長官に一葉(いちよう)総天然色(フルカラー)写真を見せた。

「なんと……可憐(かれん)な娘ではないか」

長官は言葉を述べながらも、意識のほとんどを、白雪を思わせるようなアイリスディーナの美貌(びぼう)に伸びていた。

「この楚々(そそ)たる美しさは、単純に形容(けいよう)できない。どの様な立場で」

「東独軍の戦術機隊長の妹です。年の頃は18歳」

「なぜ、そんな話が……」

「先頃、ソ連に殺されたハインツ・アスクマン少佐からです。

我が方の工作員が、生前の彼に接触した際、手に入れた物です」

「まさか、売り込んでいたのではあるまい」

「そのまさかです」

途端に、CIA長官の表情が(くも)る。

「既に彼には……10万ドル*1を、ポンとくれてやりました。

もっとも、その家族を含めれば、30万ドルほどになりましょうか」

「10万ドルの美少女か……何たることよ」

長官は、(まなじり)を押さえ、

「この娘を、どうにかしてやりたいものよ」と、贈り物とされた悲運の少女に、涙した。

「彼女の兄、ユルゲンが近いうちにコロンビア大学のロシア研究所に招かれる予定です」

充血した目を見開きながら、長官は、

「あの外交問題評議会(CFR)*2の息のかかった、ロシア研究所*3

彼等は見えざる政府として、この50有余年(ゆうよねん)、我が米国の外交を好き放題してきた連中だぞ!」

CIA長官は、一民間研究機関が、米国の対外関係を牛耳(ぎゅうじ)っている事実を、(なげ)いた。

 

 外交問題評議会(CFR)は、英国の王立国際問題研究所(RIIA)*4を模範とし、1921年に設立された。

本部は、米国の首都ワシントンではなく、東部最大の商都(しょうと)、ニューヨーク。

 創設メンバーは、政府関係者ではなく、銀行家や実業家。

土地柄もあって、その多くは、ユダヤ系の金満家(きんまんか)で、英国と深い関係にあった。

 

 石油財閥*5が作った、太平洋問題調査会(IPR)*6が、関連団体として、有名であろう。

太平洋問題調査会は、ソ連スパイの息が掛かった団体で、対日戦争を進めた伏魔殿(ふくまでん)でもある。

F.D.ルーズベルト政権への、容共(ようきょう)人士(じんし)の人材派遣の本部と、後に批判された。

 

 

 では、秘密の組織、CFRの会員になるには、どのような手続きが必要だったか。

新規会員になるには、現役会員から勧誘や推薦のみで、人種や宗教や政党は、関係なかった。

1921年という早い時代から、ユダヤ系の人間に、いち早く門戸を開いていた。

親睦団体に入会するのが非白人系が禁じられていた時代が長くあり、ユダヤ人も同様に扱われた。

 

 さて、その会員数は、いかほどであったか。

5年期限の準会員と終身の正会員の二種類があり、5000人ほどが在籍していた。

その内訳は、有名企業の経営者、名門大学の学長や教授、政府や軍高官、報道関係者、高名な弁護士などである。

 

 そのほかに法人会員が存在し、250社の有名企業が選ばれていた。

金額によって、一般会員(ベーシック)特別会員(プレミアム)議長懇談会会員(チェアマンサークル)というランクがあった。

法人会員は基本的にすべての会議、総会に出席できたが、非公開の夕食会は特別会員と議長懇談会のメンバー限定だった。

 総会の話は外に漏らしてはならず、もし判明すれば、会員資格停止や剝奪につながった。

そしてこの団体は、マスメディアとの関係を強化しながら、約50年近くその存在を闇に隠していたのである。

 

 

「恐れながら、副大統領も関係して居ります。彼の御実家は、その石油財閥。

このままいけば、副大統領と事を構えることになりますな」

「困ったものだ。日本政府は何をしているんだ……」

 

 この男は、各国の指導者層と違って、偽りの平和に惑溺(わくでき)しなかった。

いずれ、BETAによる再侵略の日も近いと、心より(おそ)れていた。

万事、その様に考え、

「今、博士が美女に入れ込み、恋路(こいじ)に熱を上げられては、困る。

地上のBETAが消えただけで、火星や月には山ほどいるのだぞ……

少なくとも太陽系より、BETAという怪獣を、消してもらわねば、この合衆国も危うい」

「何とか、ご破算(はさん)に出来れば、違うのでしょうが……、若気(わかげ)(いた)りとは、困りますな」

長官は、一頻り思案した後、思い付いたかのように、膝を打ち、

「では彼を、客人として招こう。

近いうち、(あけぼの)計画の事で、(さかき)政務次官が訪米する予定になっているから、それを利用しよう」

「私の方で、国防総省に掛け合って、木原を、公式訪問団に入れる様に手配いたします」

「よし、その線で行きたまえ」

 

 

 一方、ホワイトハウスでは。

CIA長官の憂慮(ゆうりょ)を余所に、大統領の(もと)に秘密報告が上げられていた。

黄昏(たそがれ)執務室(しつむしつ)から(なが)める大統領に、国家安全保障問題担当大統領補佐官から、

「実に激しい死闘を繰り広げて居ります。

あの若い男女(ふたり)、ゼオライマーのパイロット、木原マサキと、副操縦士(サブパイロット)氷室(ひむろ)美久(みく)

これまでに手掛けたハイヴ攻略は、既に五か所にも達して居ります。

しかも、此方の調べでは中共のカシュガル以外は、全くの損害無しであることが判明いたしました。

なお、これらの軍事作戦には、KGBも驚いたようで工作隊を幾度となく送り込んでいますが、速やかに排除されており、闇の事件として処理する心算でしょう」

「それで……」と、大統領は、初めて口を開き、訊ねた。

「現在までに報告を受けた所によりますと、KGBの工作員と(おぼ)しき者たちが、続々と入国してきております。

既に30名ほどが確認され、FBIでは監視体制を引いております」

おもむろに懐中より、ステンレス製の葉巻チューブを取り出し、葉巻を(くわ)え、火を点けた。

「たった二人の力でここまで戦ってきたのだ。なんと形容したらいいのか。言葉にはならない」

「同感です」と、五十路(いそじ)に入ったばかりの補佐官は、力強く答えた。

 

 執務室から(なが)める夕日は、何時もに増して美しく、また悲しげだった。

ゼオライマーという超兵器のお陰で、地上のハイヴは攻略され、人類に反抗の猶予が出来たの事実。

木原マサキという人物によって、この世界に一時の平和がもたらされようとしていた。 

 だが、大統領は心の中で、彼の手で、ソ連首脳部が抹殺された事を、憂慮し始める。 

ふいに大統領は、紫煙を燻らせながら、補佐官の方を振り返り、

昨日(きのう)の友は、今日(きょう)(てき)、と言う事もありうる」

と、感情をこめて見上げた目には、深い憂慮を浮かばせ、

「やはりゼオライマーという機体は、この世に存在しないほうが良い」と、補佐官に漏らすも、

「火星の件が片付いた後でも宜しいのでは」との意見に頷き、隣室に退いた。

 

 ここで、大統領補佐官という日本人になじみのない役職について説明を許してもらいたい。

正式名称を、国家安全保障問題担当大統領補佐官。

この役職は、1953年に、アイゼンハワー大統領によって設置された非常職。

 朝鮮動乱の熱戦冷めやらぬ時期に、ホワイトハウスの一部屋を執務室として与えられた。

常に大統領に近侍していた為、時代を経るにしたがって、その利益にあやかろうとする有象無象(うぞうむぞう)(やから)が、何時しか頼みとする存在になった。

最初期は毎年の様に交代していたが、大統領の退任まで居座る例も出始め、閣僚に比する影響力を行使した。

 

 大統領のゼオライマー排除を(あや)ぶんだ補佐官は、執務室に戻るなり、

「早速だが、日本の御剣(みつるぎ)公に連絡を取って欲しい」と、事務官を呼び寄せ、

明後日(あさって)のニューヨークの国連総会の前に、私の所まで来るように」と命じた。

事務官は、驚きの色を隠さずに、

「彼は、今の将軍の親族ですぞ。おいそれと、簡単にはこれますまい」と、慌てるも、

「ゼオライマーの件に関してと、伝えて置け」と言うなり、カバンを持って、そのまま出て行く。

ダレス国際空港から、ユナイテッド航空に乗り、もう一つの職場に帰ってしまった。

 

 ジョージア州のニューアーク空港からマンハッタンに向かう車中で、資料を読む補佐官が、

「私のゼミに来る、東欧のご令息(れいそく)というのは、どんな人物なのかね」と、脇に居る男に訊ねた。

 脇に居る男は、彼の秘書で、

「先生、なんでも東ドイツの戦術機隊長をしていた人物で、外交官の親族と聞き及んでいます」

補佐官は、資料をどけ、彼の方に目線を動かし、

「ほう、外交関係者の子息と」

「そういう先生も、元はと言えばポーランドの、名の知れた貴族の出ではありませんか。

自由社会か、社会主義の違いはありますが、貴族の子息で、父君が外交官。

先生の境遇(きょうぐう)と、似ていらっしゃいますな」

「うむ」

「実は……。

世界各国との交換留学生をとっているフルブライト財団の方で、東独の方に話を持ち込んだ折。

向こうの議長から、子息をぜひ送りたいと申し出がありまして」

「なに、フルブライト財団が東独政府に……」

「はい。東独政府からの依頼で……。

ですから、財団を通じ、ロシア研究所*7の有るハーバート大学にも声が掛かりました。

東独議長の子息などとは嫌がっておりました所を、わがコロンビア大の方でお引き受けした模様です」

「聞いては居るが、例の光線級吶喊(レーザーヤークト)の発案者か」

眉目秀麗(びもくしゅうれい)*8な青年で、大層聡明(そうめい)とも(うかが)っております」

「なるほど」

「ゼオライマーのパイロットからも、常々(つねづね)、目を付けられていたそうです」

「それで」

「ゼオライマーのパイロット、木原に近づく手段として、その若君(わかぎみ)を学生になるよう手配して置いたのです」

「だが、その東欧の若様(わかさま)と、木原の関係とはどれ程の物なのだね」

「木原は、若君の妹に恋慕(れんぼ)しておりまして、嫁に迎えたいと、結納(ゆいのう)をしたそうなのです」

「結納とは、初めて聞くが、どんな事なのかね」と、怪訝(けげん)な表情を浮かべる。

東欧のポーランド出身で、カナダで育った補佐官には、なじみのない習慣だった。

 

 

 結納(ゆいのう)とは、東亜特有の婚姻(こんいん)儀礼で、吉日(きちじつ)を選び、婚約確定の為に、金品を取り交わす慣習である。

その起源は古く、鎬京(こうけい)*9に都をおいた西周(せいしゅう)*10の代にまで(さかのぼ)れる。

四書五経の一つ、禮記(らいき)に記された「昏義(こんぎ)*11」に六礼と謂う物がある。

 

六礼とは、「納采(のうさい)*12」「聞名(ぶんめい)*13」「納吉(のうきつ)*14」「納徴(のうちょう)*15」「請期(せいき)*16」「親迎(しんげい)*17」と、言う。

 その内の「納采」が、上古(じょうこ)仁徳(にんとく)天皇*18御代(みよ)に伝わり、帝室から公家(くげ)へ、中世の頃に公家から武家へ。

やがて近代には、武家から豪商や名主などの富裕層を通して伝わり、今日「結納」とされるものである。

 

 

 無論、マサキが、アイリスディーナとその親族たちに贈り物をしたのは、その結納の儀式の心算(つもり)ではない。

ただ単純に、ユルゲンから光線級吶喊(レーザーヤークト)の詳報を貰った、お礼代わりに渡した物だった。

 だが、事情を知らぬ外野の者たちは、違った見方をした。

木原マサキは、兄、ユルゲンの元に出向いて、婚姻(こんいん)の約束の挨拶に出向いた。

マサキの知らぬ所で、そういう具合に、話は出来上がっていたのだ。

 

 一通り、結納に関する説明を受けた補佐官は、(うなづ)くと、無言のうちに目を(つむ)った。

最初の頃は、白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)、ユルゲン・ベルンハルトを、教え子に持てると喜ぶそぶりも、見せてはいた。

だが、『ああ、大変な青年を(あず)かってしまったのだな』と、一人、心の中で()やんでいた。

車は、ハドソン川をかかる橋を越えながら、コロンビア大学のあるマンハッタン島に向かった。

*1
1978年、一ドル195円

*2
Council on Foreign Relations,

*3
今日のハリマン研究所

*4
Royal Institute of International Affairs,1920年創設。外交関係者の間では「チャタム・ハウス」の名で知られる

*5
ロックフェラー

*6
Institute of Pacific Relations,1925年創設、1960年解散の民間研究団体。環太平洋の相互理解・文化交流の促進を目的として設立された

*7
1948年設立。今日のディヴィス・センター・ロシア・ユーラシア研究所

*8
男性の容貌が端正に整っているさま

*9
今日の中華人民共和国陝西省西安市南西郊の付近

*10
紀元前1045年 – 紀元前771年に存在した古代支那の王朝

*11
昏は婚の仮借文字で、婚儀の事を示す。古代支那では同音文字を仮借する事がしばしばあった

*12
妻として(えら)んだことを女の家に伝える事

*13
結婚する相手の女の名を問う事

*14
婚姻の占いの吉を伝える事

*15
男から女の家に贈り物をする事

*16
婚礼の良き日取りを女の家に()う事

*17
結婚する婿が嫁の家に出迎えに行く事

*18
第16代天皇。民家から炊煙が上がらないことを憂いて、3年間徴税を停止した『民のかまど』の逸話で有名




 第5章に入りました。
3月中は今までの更新速度で、話のストックが切れて以降は、2週間に一度にする予定です。


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淫祠邪教(いんしじゃきょう) 中編(旧題: 魔都ニューヨーク)

 時間がたつにつれ、アイリスディーナに惹かれていくマサキ。
そんなことを思い悩んでいるとき、彼を襲う暗殺者の一団。
天のゼオライマーと、マサキの運命や、いかに……


 その頃、ハンブルグに居る彩峰(あやみね)達は、帰国の準備に追われていた。

ゼオライマーを運ぶ大型輸送船の手配やら、国連発表する資料の取りまとめをしていた最中。

 不意に現れたマサキは、

「なあ、彩峰。対レーザー塗装の件で会社を作る話だが……」と、問いかけ、

「特務曹長とはいえ、軍に身を置く状態では、兼業は不味い。だから外に出すしか有るまい」

「特許関連はともかく、俺があれこれ指図できないのはなあ……」

と、一頻り思案した後、

「彩峰よ。お前の妻か、愛人の名義を、俺に貸せ。

ペーパーカンパニーを作って、そこで特許関連の管理をやらせる」

暫しの沈黙の後、彩峰は思いつめた表情で、

「俺の妻は軍人の家の出だぞ。済まないが自由に動ける身ではないし、(めかけ)の類も居ない」

一頻り思案した後、そっと懐中よりタバコを取り出して、

「だが、是親(これちか)、いや(さかき)なら、身請(みう)けした芸者を囲って、妾にしている女がいてな」

紫煙を燻らせながら、

「今は確か、京の四条河原(しじょうかわら)に店を構え、小さなスナックのママをしている」

「じゃあ、俺が色町(いろまち)に出掛けて、妾の名義を、借りて来よう」

「待て、物事には順序がある。榊には話しておくよ」

「済まぬが、あと一つ頼みがある。商法に詳しい経営の専門家を連れてきてくれ」

と告げるも、綾峰は、怪訝(けげん)な表情を浮かべ、

「会社を作るのに、お前が直接指揮を執らんのか」

「俺は、娑婆(しゃば)*1の暮らしは知らん。

機械工学と遺伝子工学を、少しばかりかじっているだけで、さっぱりわからない。

それに素人(しろうと)が、経営などという難事(なんじ)に手を出せば、どうなるか。

『士族の商法』の言葉通り、大失敗するのが目に見えている」

と、机より立ち上がって、

「俺は、商法や特許法に関して詳しく知らぬ。

たとえば特許権を持つ俺が、安値で海外企業に技術提供などしたとしよう。

俺の一存で、会社の資産を不当に安く、外部に提供する。

その事で、会社に大きな損害を与えたと、司直の判断で有罪になる恐れがある。

会社の経営者でも、特許権者であっても、特別背任に認定される可能性が出て来る。

そうすると、俺が今欲している新兵器の開発に、悪影響を及ぼしかねない。

無駄な裁判などに時間をかければ、設計や製造が大幅に遅れ、多額の金銭を浪費しよう。

最悪の場合、火星に居るBETA共の再侵略を招きかねない」

と、両手を広げて、演説した。

 

いつしかタバコを吸うのも忘れ、真剣に話すマサキの様に、突如、彩峰は、

「今の言葉は、(たかむら)君が聞いたら仰天(ぎょうてん)するだろうよ」

「篁は貴族なのに商売もしていたのか」と、たずねた。

「そうだが」と、彩峰は誇るように紹介した。

「篁君は、彼の祖父の代にちょっとした先物取引で小金を得て、財を成した家でな。

彼が近接戦闘用の長刀を開発できたのも、その資金を元手にしたところが大きい」

「篁は多才な男だ。女遊びの才の他に、商才もあったのか」

彩峰の言におどきながら、すこし無気味(ぶきみ)な感を抱いたふうでもあった。

 

 その日の夕刻、マサキは、西ドイツのハンブルグ空港にいた。

引率の綾峰たちと一緒に、パンナム航空の大型(ジャンボ)ジェット機に乗り込む。

 茶褐色の70式制服*2に身を包みながら、思いに(ふけ)る。

(『アイリスディーナ・ベルンハルト。なんと、この俺の心を騒がせる女よ……

愛など、恋などというものは、とっくの昔に捨て去ったはずなのに。

人を信じたばかりに苦しみ、命を落とした、この俺が、なぜこんな気持ちになるのだろうか』)

 

まだ、心の奥底には、アイリスディーナの香りを(ただよ)わせながら。

 あの口付けは、すでに二日以上たつのに、いまだに忘れられなかった。

(『人の愛など信じられぬゆえ、世界をわが手に牛耳(ぎゅうじ)ろうとたくらむ、この俺が……。

まだ、19になったばかりの乳臭い小娘に、こんなに本気になるなんて……』)

 

 今回の東ドイツ側が設定した、アイリスディーナとの見合い。

突然、意中の者同士がなんらの前提もなく、密会の機に恵まれたのと同じではないか。

そのような、ときめきを、マサキは途端に覚えた。

 どうしよう。急に、彼は戸惑(とまど)った。

(『あの金糸を思わせるような直毛(ストレート)のプラチナブロンドの髪、サファイヤブルーの瞳。

甘美で瑞々しい唇、白雪のような透き通るうなじ……。

服の上からは気が付かなかったが、触れてみて分かった、豊麗な肉付き。

170を超える上背(うわぜい)の所為か、スレンダーとばかり思っていたが驚くほど豊かな胸。

抱き上げれば、折れんばかりの柳腰(りゅうよう)と白桃のような双臀(そうでん)……』)

 

 マサキは、勢いとはいえ、夜のアイリスとのキスを悩んだ。

(『なぜ、俺はあの娘の唇を奪ってしまったのだろうか……

無理やり接吻(キス)でもすれば、嫌われて別れられるとでも思ったのか。

それとも、キスでもすれば満足して、諦めがつくとばかり……

どうして、彼女のことを諦められようか』)

今まで感じた事のない高揚(こうよう)を覚え、まるで童貞(どうてい)の様な、初々(ういうい)しい気分にさせる。

これまでの恋路(こいじ)の事が、(ひど)く色あせて見える、そんな抱擁(ほうよう)だった。

 

 しかし、既に、(さい)は投げられた。

今、自分が向かうのは、ニューヨークの国連本部だ。

ソ連を壊滅させる総仕上げに、彼の用意したKGB秘蔵の資料を持って、国際社会に一大波乱をもたらす。

(『今の俺が望んでいるのはこの世界の征服だ。

BETAを倒し、世界の覇者になってからでも、あの娘を自由にするのは遅くない』)

そんな企みを心の中に抱きながら、マサキは自信をなだめた。

ともあれ、彼は目を閉じると、椅子にもたれかかりながら、ドイツを後にした。

 

 ニューヨークに向かう機内の中で、まもなくマサキは眠りに入った。

日々の戦いで、疲れた体と心を癒す為、泥の様に眠った。

 この世界に来て以来、こんなに眠ったことがあったであろうか。

目の前に異形の化け物と相対してから、休まる日々などなかった。

 眠りながら、マサキは、このまま夢の中に消えてしまいたい……

それ程までに深く、静かな眠りであった。

 

『大変お疲れさまでした。

間もなく当機は、15分ほどでニューヨークのJFK国際空港に到着いたします。

シートベルトや座席の確認等を今一度、お願いいたします。

本日は、パン・アメリカン航空をご利用いただき、ありがとうございました。

またのご利用をお待ちしております』

 

 スチュワーデスのアナウンスの声で、目が覚めたマサキは、

「もう着いたのか」と、美久を振り向くも、通路を挟んだ向う側の彩峰が、

「身支度したら、ニューヨークの総領事館に行く手筈になっている。

ドイツ娘への想い出以外は、忘れ物をするなよ」

と、声を掛け、意味ありげに目配せをしてきた。

 

 マサキは、彩峰からそんな風に冷やかされて、面白くなかった。

心の底から湧いてくるいら立ちを紛らわす為に、ホープの箱を取り出して、タバコに火をつける。

 目をつぶって、静かに紫煙を燻らせていると、わきに座っている美久がそっと語り掛けてきた。

「アイリスディーナさんは、貴方と同じところに立っていられない人なんです。

だから、今回の米国行きは、諦める機会と思って……」

美久は、何時にない真剣な表情で、押し黙るマサキを見つめながら、

「貴方が諦めて頂ければ、特権階級(ノーメンクラツーラー)の娘です。

東独政府や党に保護されて、きっと彼女は平凡な一生を、幸せな人生を送られると思います」

と、慰めるような言葉を、静かに告げた。

 

 彩峰と美久からの忠告は、いやおうなしに彼に自分を考えさせてくる。

 (『男を魅了する仙姿玉質(せんしぎょくしつ)の乙女を、政略結婚の道具として差し出されたのに。

本気で惚れこむとは』)

と、マサキはかえりみて、彩峰からの忠告も、やや後悔されだしてきた。

 彼が、物寂しそうな表情をしている内に、パンナム航空のボーニング747は着陸に入った。

 

 マサキは静かだった。

周囲の人間が心配する程、静かにしながら、タラップを降りていく。

すると、(かみしも)姿の者たちに守られるように、(おり)烏帽子(えぼし)小素襖(こすおう)姿の男が立っていた。

4尺*3近い太刀(たち)を太い太鼓革(たいこかわ)を通し、ずり落ちないように()いているの見て、真剣である事が遠目にも判る。

 彩峰は、薄黒(うすぐろ)の小素襖姿の男に駆け寄ると、軍帽を脱いで、

態々(わざわざ)のお出迎え、ありがとうございます」と、深々頭を下げ、慇懃(いんぎん)謝辞(しゃじ)を述べた。

男は、太刀に左手を乗せながら、軽く頷くと、マサキの方を向いて、

「そなたが、木原マサキ殿か」と問いただした。

マサキは、浮かぬ顔で、

「そうだが」と()()なく返す。

マサキは、少しばかりおいて、男の様子をしげしげと見る風であった。

「で、貴様は何者なんだ。俺に名を聞いておいて、答えぬのは無礼であろう。

あれか、名を名乗らぬと言う事はどこぞの宮様か、将軍の身内か」

彩峰たちが急にそわそわし始めたが、気にせず、

「では、この機会に、お見知りおき下され。

見共(みども)は、煌武院(こうぶいん)傍流の御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)と申すものでござる」と、堂々と名乗った。

さっぱり誰であるか分からぬマサキは、彩峰に顔を向け、

煌武院(こうぶいん)とはなんだ」と、訊ねた。

彩峰は、面色(あお)く、(ふる)えながら、短く答え、マサキをキュッと睨んだ。

「煌武院とは、徳川倒幕以来の名族。今の殿下の御実家だ」

「すると、将軍の親族か」

雷電(らいでん)公は、殿下の大叔父(おおおじ)に当たる方でもあり、今の御台(みだい)様は雷電公のご息女(そくじょ)……」

「今の将軍の妻の父親で、しかも将軍の大叔父か。

まあ、名族どうしの近親婚は良くある話だからな」とあけすけに答えた。

彩峰は、マサキの無礼を、打ち(ふる)えて見せながら、

「いささか、BETA退治に()()れた日々を過ごした世間知らずの小童(こわっぱ)ゆえ。

無礼な振る舞い、この彩峰に(めん)じて、お許しください」

と、深々と頭を下げ、平あやまりに詫び入った。

 御剣は気にすることなく、

「フフフ。これが真の名乗り合いよ。彩峰、気にするな」と打ち笑った。

 

「どうした、気分でも優れぬのか」と、御剣が、なおも尋ねるので、マサキは、

「少しばかりな」と、答えて、その場を過ごそうとした。

御剣は、胸元まで伸びた顎髭(あごひげ)を撫でながら、

「よもや恋の(わずら)い、とやらではあるまい……」

(たかむら)と同じ病気さ」

「して、どこぞの誰に()れた」

「……」

マサキは答えなかった。面白くなさそうである。持ち前の気儘な態度が出たようであった。

「木原、返答は」

マサキが背筋を伸ばし、黙っているので、いずこから、注意する様な叱咤(しった)が飛ぶ。

「東ドイツの娘」と答えると、御剣の眼は、マサキの眼を捕らえて、離さない。

マサキは、脇で立ちすましている護衛の全身から殺気が上るのを感じられる。

(あせ)るな、(あわ)てるな、と心を落ち着かせながら、

「戦術機部隊参謀のベルンハルトの妹、アイリスディーナ・ベルンハルトに」

男は、ようやくマサキの眼から視線を外し、

「少しばかり、貴様の()いた女は有名すぎたかな。フフフ」と、笑って見せた。

 

「御迷惑かな。このような心を許した話などをするのは」と、御剣の(ほお)が笑った。

「余計な心配は、()らん」

「どちらにしても、そなたも身を固めてもらわねばなるまい」

何とも言えぬ殺気と、入り込むような言葉に、マサキは自分の(きも)を触られるような感覚を覚えた。

「貴様等の知った事か。俺は自分が好いた女をどうしようと、勝手であろう」

護衛達は、反射的に、右手を拳銃の有る脇腹に隠し、威嚇(いかく)の姿勢を取る。

久しぶりの長旅で疲れ、空港内で、余計な騒ぎを起こしたくないマサキは、見ぬふりをした。

「それより、当今(とうぎん)や、将軍に側室(そくしつ)など居るのか。

決まった家から正室を取り、結果的に近親婚を続けていれば、やがては破滅する。

(たけ)(その)が、武家が、頼みとする血統上の正当性、男系血統が()()てる。

御剣よ、俺の心配より、そっちの方が大事ではないのか」

マサキがあんまりにも堂々と言うので、御剣は言を横に譲った。

紅蓮(ぐれん)よ。どう思う」

 

 紅蓮(ぐれん)醍三郎(だいざぶろう)は、待っていましたと言わんばかりに、血走った眼でねめつける。

「殿下のみならず、主上の在り様にまで口に出すとは、おそれ多い。

ここがニューヨークでなければ、この場で切り捨ててやるものを」

紅蓮は、帯びている打刀(うちかたな)の柄を右手で掴むと、鯉口(こいくち)を切った。

「言うに事欠いて、刀の柄に手を掛けるとは。なにが武家だ。笑わせるな。ハハハ」

満面に喜色をめぐらせたマサキは、腰に手を当て、周囲が驚くほどに哄笑して見せた。

 見上げるばかりの偉丈夫である紅蓮の面を下から見上げながら、

「ハハハハハ。『大男、総身(そうみ)に知恵が回りかね』という(ことわざ)、その通りではないか。

蛮人の露助(ろすけ)、傲慢な北部人(ヤンキー)や粗野な南部人(レッドネック)に相応しい言葉と思ったが、違うようだな。

女たらしの優男(やさおとこ)、篁の方が余程武士らしいわ」

「き、貴様!」と、紅蓮は、途端に嚇怒(かくど)し、眉間の血管を太らせた。

「ほれ、どうした。俺が憎いなら言葉で返してみよ。

次元連結システムの一つすら作れぬ、この世界の人間など怖くもなんともないわ。ワハハハハハ」

 マサキの笑い声が途切れた。

遠くだった。突然、夕暮れのしじまを破って、JFK国際空港に足音が響いた。

マサキ達が身構える間もなく、国連職員の水色のチョッキを身にまとった一団が駆け寄って来る。

中には、制服を身に着けている物も居るから、空港の保安職員か。

 そう考えていると、水色の鉄帽(ヘルメット)に、濃紺の戦闘服姿の男が、トカレフ拳銃をマサキに向け、

「同志アンドロポフの(かたき)、KGBの鉄槌を受けよ」と、彼の胸目掛けて、ぶっ放した。

 周囲の空港職員が逃げ惑う中、男達は彼方へ走り去る。

御剣の護衛と彩峰は拳銃を取り出す間もなく、国連仕様の白いジープに乗って、消えてしまった。

 ブローニングハイパワー*4を取り出した彩峰が駆けだそうとした瞬間、誰かに右手を掴まれる。

撃たれたはずのマサキだった。

体を起こした彼は、不敵の笑みを浮かべると、呆然とする彩峰に、

「大丈夫だ」と、着ている上着とシャツを、(はだ)けて、胸元を見せつける。

そこには厚いクッションで覆われた、防弾チョッキが6発の銃弾を綺麗に防いでいた。

 

奥に隠れ、一部始終を見ていた鎧衣(よろい)は、懐にモーゼル拳銃を仕舞うと、

「さすがだ、木原マサキ君」と、流れ出る汗を気にせずに、笑みを浮かべた。

 

*1
さまざまの煩悩から脱することのできない衆生が、苦しみに堪えて生きているところ。転じて、軍隊、監獄、遊郭など自由が制限された世界から見た世間一般のこと

*2
マブラヴ世界の日本では、帝国陸軍は存続していて、自衛隊と同じ軍服と武器を装備している

*3
尺は、長さの単位。一尺は約30センチメートル

*4
ベルギーのファブリク・ナシオナル・ダルム・ドゥ・ゲール社製の拳銃。今日も販売と生産が続いている




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淫祠邪教(いんしじゃきょう) 後編(旧題: 魔都ニューヨーク)

BETAを神の使徒とあがめる邪宗、キリスト教恭順派ことBETA教団。
彼らは、BETA再降臨の下準備のため、ゼオライマーとマサキを狙う。
一方、BETA教団が、己の世界征服の足かせとなることを知ったマサキは、抹殺を決意する。


 ロサンゼルス近郊、ビバリーヒルズにある豪奢(ごうしゃ)な館。

昼頃、玄関先に、1969年式のマスタング・クーペで、乗り込んだ怪しげな者がいる。

「待て」

たちまち、警備により、捕らえられ、拳銃を突き付けられて、立ち竦む男は、

「もしやここは、キリスト教恭順派の本部では間違いありませんか」

「余計な事を言うな。何でもあれ、通すことは出来ぬ」

「ならば、指導者(マスター)へお取次ぎ下さい。時計屋ですがと」

 

 彼の正体は、FBIロサンゼルス支部の職員で、FBIが恭順派と名乗る邪教団に潜入させた工作員。

大急ぎで、マサキ襲撃事件の報告に来たのだった。

「えっ、時計屋だと」

 末端の信者では、この男の素性を知らない者が多い。

しかし時計屋と聞けば、しばしば指導者(マスター)が会っている重要人物と知っている。

 まもなくその時計屋は、指導者のいる奥座敷へ導かれていた。

指導者が彼と会うときは、いつも人を側におかなかった程の信頼関係。

 先の大戦の折、フィリピンのオードネル捕虜収容所*1で同室だった、彼等の結束は固かった。

命を共にした戦友としての付き合いがあり、簡単に離れられぬほどの深い間柄であった。

自身の子息や複数いる妻たちより、指導者の傍に近寄れ、しかも彼の私室に出入り御免であった。

 だから彼等の密議などは、二人以外に知る者もないのだった。

 

 

レイバンのサングラスをし、椅子に腰かけた五十路(いそじ)の人物は、

「何、ソ連の犯行に見せかけた銃撃で、木原を殺す作戦は失敗か」

立ち上がると、右手で彼の横面を思い切り、叩き付けた。

「も、申し訳ございません」と、秘密報告をした時計屋は、倒れた身を起き上がらせる。

紺に白の縦縞のズートスーツ*2姿をした男は、指導者と呼ばれる、この団体の教祖であった。

 

「我等が、野望の邪魔になる、堕落した合衆国政府と赤色政権のソビエト・ロシア。

彼等を互いに消耗させ、その戦に疲れた世界中の民を、我が信仰に誘い込む。

この妙案も、木原の手によって、(つい)えたか。ならば、情報を流し、奴を誘い出せ。

さしもの木原も、あのマシンが無ければ、ただの人間よ」

不意に、不適の笑みを浮かべると、重ねるようにして、

「本部に引き入れ、女操縦士と共に抹殺する」

と、丸めた頭を、ぬかづく男の方に動かし、睥睨(へいげい)して見せた。

「木原という、邪教徒の黄色猿公(イエローモンキー)の為に、神の御使いであらせられるBETAは絶滅した。

もし木原がこのまま生き続ければ、地上に、使徒の再来は覚束無(おぼつかな)くなる。

何が何でも始末するのだ。奴が死ねば、八方丸く収まる」

指導者には、その事は疑いない事実であった。

「心得ました。では木原を騙くらかして、奴をこの本部に誘い込みます」

 

 

 

 

 ロサンゼルスのFBI支部からワシントンのジョン・エドガー・フーバー・ビルに電報が入った。

その秘密報告を受け、ホワイトハウスでは、国連総会の警備に関し、緊急会合が開かれていた。

FBI長官は、上座の大統領に向かって、

「現在、国連総会でのテロが懸念されます。

その危険性があるのは、キリスト教恭順派と称する団体です。

俗にBETA教団と呼ばれており、西海岸、ロサンゼルスに拠点を持っております」

「BETA教団?なんだそれは。奴等の目的は……」

大統領の言葉が終わらぬ内に、CIA長官が重ねる様にして、

「BETAの襲来は、神の意志によるもの。

そして、人類は、BETAという神の意志を受け入れろと、公言してやまない団体です。

彼等は、今回の国連総会で、パレオロゴス作戦に関わった者を殺す可能性が非常に大きいのです」

「パレオロゴス作戦に関わった人間を殺して、奴等は何を得ようとしているのだ」

「組織の売名と、対BETA戦において米国による介入の一切拒否するという姿勢表明する為でしょう。

また、KGBを騙って米国内で騒擾事件を起こし、米ソ戦争を開始させるとも聞き及んでいます。

今回の木原の襲撃事件は、その一環でしょう」

 

 嚇怒(かくど)した大統領は、両腕を組み、机を叩きならしながら、

「そんなにまでして、米ソを戦わせたいのかね。

要は、自分たちの過激思想を、広めたいだけではないか」

と、檄色を隠さない様を見て、FBI長官は、(なだ)めようと、

「FBIとしましては、只今総力を挙げて彼等の動向を探っています。

今週末までには、かなりの線まで洗い出せるでしょう」と答えた。

憤懣やる方無い大統領は、

「遅い。それでは火曜日の国連総会まで間に合わないではないか」

と、嘆くも、大統領は、全米最大規模を誇るニューヨーク市警本部長に、

「では、本部長、警備の人員は、どれ程出せるのかね」と訊ねた。

「お答えいたします。市警全職員8万人の内から、2万の警官と500名の機動隊員。

そして、本部より100名からなる緊急出動隊(スワット)が加わる予定です」

追従する様にFBI長官も、

「FBIとしても、本部直轄の人質救出隊を編成して、1000名の人員と100台の武装ヘリを準備いたします」

彼等に重ねる様にして、国家安全保障問題担当大統領補佐官が、

「さらに沿岸警備隊とシークレットサービスにも出動準備をかけました」と、言い切った。

 

「それでもだ。

国連総会に来る要人の家族などは警備のしようがない。何処で誘拐されるか分からん。

仮に一人でも誘拐されれば、この合衆国の国威は地に落ちる。

万全の配備をしても、守り切れるものではない。そうなってからでは遅いのだ」

大統領が、その様に理由を述べると、副大統領もまた、

「しかし閣下、FBIでもCIAでも出来ぬ仕事をこなすものなど、この世に居りましょうか」

と、その心にある不安を、一応あきらかにした。

 

藁を掴む気持ちで、大統領は、

「ゼオライマーを使おうと思う」と、マサキに頼る事を明かした。

 その場に、衝撃が走った。

副大統領はじめ、みな凍り付いた表情である。

「ゼオライマーを使って、BETA教団を潰そうと思う。

パイロットの木原は、KGBと戦って勝った男だ。彼なら何でもできる。

BETA教団に、国連本部を襲われる前に先手を打つ」

室中、氷のようにしんとなったところで、大統領は、

「現在ニューヨークに居る、御剣公に橋渡しを頼んだのだよ。

木原をホワイトハウスに呼んで、BETA教団抹殺を依頼する。

その上で、警備を万全にし、まずは国連総会を無事に終わらせる」

 

さて、同じ頃、マサキは、救急車で、近くの大型私立病院に運ばれた。

防弾チョッキを着ていても、銃撃の衝撃までは防げない。

内蔵の損傷や、ろっ骨などの骨折を調べるために駆け込んだのだ。  

 数時間の検査を終えた所、辺りはすっかり暗くなっていた。

幸い、軽い内出血と転倒時の打撲(だぼく)で済んだ事に安堵していると、トレンチコート姿の男が現れた。

 

 ベットに横たわるマサキは、枕元に立つ男の方に顔を向け、

「なあ、鎧衣。あれは本当にKGBか。暗殺のプロとは思えぬ稚拙(ちせつ)な犯行だ」と訊ねると、

「ふむ。君が撃たれた弾丸は9mmパラベラム弾だ。

それに、鉄芯製のトカレフ弾だったら、とっくに防弾チョッキを抜けている」

「ソ連ではないと。じゃあ、誰が何の目的で……」

美久に手を引っ張られて、起き上がり、

「今回の拳銃は、トゥーラ兵器工廠*3純正のトカレフじゃない。

ソ連の拳銃弾、小銃弾は、帝政時代より7.62ミリだ。

現場近くに捨ててあった拳銃は、9ミリパラベラム弾の弾丸仕様。

トゥーラ兵器工廠純正を示す、遊底のスライドに記されたキリル文字がない。

製造番号が削られていたし、ソ連製拳銃にはない、安全装置が追加された。

以上の点を見ると、間違くハンガリーか、ユーゴスラビア製のコピー品。

それに、安全装置付きと言う事は、対米輸出用だ。そうすると……」

「米国内に拠点を置く過激派か。しかもソ連の所為にしたがっていると」

「私が教えられるのはここまでだ。後は詳しい話はFBIが相談に来るだろう」

「捜査じゃなくてか」

「御剣公は、外交特権を持っておられる。故にFBIもCIAも捜査権が及ばない。

それに私たちは彼の庇護下(ひごか)にある。だから相談しか出来ぬのだよ」

 

 近くでヘリコプターの音がすると、間もなく廊下をかける足音が聞こえる。

「何、寝ているだと。それなら、起こせ。通さんなら通るまでだぞ」

と、看護婦(かんごふ)と護衛に来ていたニューヨーク市警の警官を叱りつける者が在った。

 彩峰(あやみね)大尉だった。

看護婦の取次よりも早く病室に入るなり、椅子に腰かけ、

「彩峰か。しかしこんな夜中になんだ」

「早速だがホワイトハウスに、御剣公と行って欲しい」

顔色が赤い所を見ると、いくぶん怒気を帯びていて、

「俺の暗殺未遂の件で、明日から始まる国連総会が危なくなったのか」

「そうだ」

「俺は、そこまで首を突っ込む理由があるか」

何か、マサキについて、腹をたてて来たものらしい。

「俺も、その事を説明した。ところが御剣公は笑っておられた。

君が信頼した木原という男は、女にはだらしがないと。

そして、パレオロゴス作戦の支援を取り持ったことも……。

また、せっかくの殿下のご意向も(あだ)になった。

日本の為に、西ドイツに送ったのに、東ドイツの女に(まど)わされた。これでは逆になった……。

と、しきりにお悔やみなさっていた」

マサキの瞳に、ちらと懐疑(かいぎ)の色が浮かぶ。

「何を……」

「アイリスディーナという少女と、離れがたい心もあるには違いない。

純真な彼女の愛にひかれ、心弱くなったと」

其処まで馬鹿にされていては、黙っていられない。マサキの意地である。

「この俺が、女色(にょしょく)(おぼ)れているだと。よし、御剣の望む様にしてやろうではないか。

美久、鎧衣、俺はホワイトハウスに乗り込むぞ。準備しろ」

マサキは、病衣から軍服へ、美久に着替えさせると、間もなくヘリが待ち構えた屋上に向かった。

 

 マサキ達は、綾峰に連れられ、海兵隊のヘリで2時間ほどかけ、ワシントンに向かった。

ホワイトハウスに着くなり、シークレットサービスの身体検査を受け、大広間に入る。

そこには、すでに別なヘリで来た御剣と紅蓮(ぐれん)

そのほかに見慣れぬ日本人の護衛が一人ついていた。

 

 大広間には、すでに七旬(しちじゅん)を超え、鬢髪(びんぱつ)*4も白くも、矍鑠(かくしゃく)とした偉丈夫が待ち構えていた。

彩峰は、鷹揚(おうよう)に敬礼をし、マサキ達も続いた。

男は敬礼を返すと、御剣の傍により、

「今度の協力には感謝しているよ。御剣公」と、右手を差し出し、言って来た。

御剣は(かん)()えない面持ちで、頭を下げ、

「光栄です。大統領閣下(ミスタープレジデント)」と、握手した。

そして、彩峰はマサキ達の方を向いて、右手を広げ、

「ご紹介いたします。こちらがゼオライマーの操縦士(パイロット)副操縦士(サブパイロット)です」

敬礼していた右手を下げると、

「紹介にあった木原マサキだ。挨拶(あいさつ)は抜きにして本題に入ろう」

 

 大統領が、椅子に腰かけると、そのまま質疑応答が始まった。

「どうだろう。引き受けてもらえるか。FBIもCIAも協力を惜しまない。

更に君の方から条件があれば、聞かせてもらおう」

  

 護衛からBETA教団の本部と、その指導者(マスター)の顔写真をもらったマサキ。

(『このような(やから)が、この世に存在しては(まず)い。

俺が、無傷で世界を分捕(ぶんど)るという野望も、破綻しよう』)

 その時、マサキの脳裏には、前の世界での、1983年の米軍施設襲撃のことが逆行再現(フラッシュバック)する。

ベイルートにおけるイスラム教過激派による自動車爆弾事件……。

あの時の崩れ去った庁舎と、阿鼻叫喚。

凄惨なまでの光景が一瞬にして、浮かび上がった。

(『残された道は、ただ一つ……』)

うつむいていた顔を上げる。

(『このBETA教団の本部ごと、指導者(マスター)を完全に葬り去る』)

 

 

 マサキは、不敵の笑みを浮かべ、食指(しょくし)を立てた右手を差し出し、

「まず、俺に新兵器開発にかませろ。

ロスアラモスでも、ハイネマンでも、戦略航空機動要塞の研究でもいい」

次に中指を立てると、

「第二に、暗殺業務だから、あらゆる司法手続きから免除される書類が欲しい。

FBIでも、大統領命令でもいい。それが無ければ、話にならん」

ゆっくり、薬指を上げて、

「そして、最後に50メートルを超える大型ロケットが欲しい。BETAがいる星に乗り込む為だ。

サターンVロケット、スペースシャトル、核ミサイルを転用したタイタンロケット。

なんでもいい」

と、不敵の笑みを浮かべた。

 

 さしものマサキからの要求に、副大統領が立ち上がり、

「いくら何でも法外すぎる。たしかに君はハイヴ5か所を攻略したが、我々はその実力を知らぬ。

失敗せぬ保証はあるのかね」

毅然(きぜん)としてマサキは、副大統領の方を向き、

「その証として、首領のそっ首をホワイトハウスの前に並べよう」と、大言を吐いた。

 

 

 

 そして、秘密任務を受けたマサキ達は、ゼオライマーで、即座にサンフランシスコに転移した。

機体から降りた後、宵闇(よいやみ)の街へ繰り出し、現地に居るFBI工作員を頼った。

 時計屋と呼ばれる、彼の手引きを得て、堂々と正面から教団本部に侵入した。

 無論、有名人のマサキである。簡単に侵入できるはずがない。

手引きした工作員によって拉致された振りをして、幹部たちの前に引き立てられたのだ。

 

 後ろ手に縛られ、教祖の部屋まで行くと、五十路の紳士が、葉巻を燻らせていた。

50センチほどの羽飾りのついたスペイン帽に、紺に白いストライプのズートスーツ。

姿格好から、おそらくメキシコ人と思しき白人男は、マサキをねめつけ、

「君が木原マサキかね。BETA退治をしている衛士の……」

と、言い終わらぬ内に、マサキは、満面に喜色をめぐらせて、

「世界中に、操縦士(パイロット)はごまんといるが、BETAの光線(レーザー)()びて、生還したのは、俺ぐらいだろう」

と、言いやり、唖然(あぜん)とするミラーレンズのサングラスをかけた、教祖の顔を見て、

「そんなこの俺に暗殺者を仕立てて殺そうなど、出来る訳がない。

なぜなら、この俺は造物主にして、冥王なのだからな。ハハハハハ」

と、喜色を明らかに、(うそぶ)いて見せた。

 

 

 途端に指導者(マスター)は、嚇怒し、脇に居る男達に指示を出す。

護衛達は、マサキの両手から紐をほどくと、いきなりねじり上げた。

「ほざけ、この猿公(えてこう)めが」と、指導者(マスター)は、彼の襟首をつかみ上げる。

そして、歯を食いしばったマサキの顔を、鉄拳で数発、殴りつけ、

「貴様、神になったつもりか」と、言いやった。

拳骨(げんこつ)で、口の中が切れ、血を流しながら、

「この木原マサキ、既に神の領域をも超越した。

生命の禁忌も、無限の力も、この手の中に得た。つまり、人の命など自在に出来るのだ。

生老病死(しょうろうびょうし)に加え、愛別離苦(あいべつりく)*5怨憎会苦(おんぞうえく)*6求不得苦(ぐふとくく)*7五蘊盛苦(ごうんじょうく)*8

世のあらゆる四苦(しく)八苦(はっく)を、この天のゼオライマーを持って超越した、存在。

それが、この俺よ。ハハハハハ」

と、周囲を囲む者たちに、満面の笑みを見せつける。

マサキは一瞬目を動かすと、彼等を連れて来た男は、いつの間にか、消えていたことに気付いた。

どうやら、例のFBIの工作員は、逃げ出したようだった。

『帰ったら、FBIの奴等も血祭りにあげてやろう』

一人、そう心の中で、誓うのであった。

 

青筋を太らせた指導者は、懐中より、コルト・ピースメーカーを取り出すと、

「丸腰の此奴らの戯言に付き合ってる暇があるか。では木原よ。そのマシンを呼んで見せよ。

神でもないのに、その様な事が出来る筈が有るまい」と、マサキに向ける。

マサキは、眉間に拳銃を突き付けられるも、

「良かろう。貴様等が、お望みの物を出してやろう」と、不敵の笑みを湛え、

「美久、ゼオライマーを呼び出せ」

と、きつく縄で(いまし)められた美久に向かって、大声で叫んだ。

 

 その刹那、美久が(まばゆ)い光に包まれると、轟音(ごうおん)と共に部屋全体が揺れ、屋根や天井が崩れ去る。

瞬く間に、面前に一体の巨人が現れ、周囲の物を仰天させた。

 マサキは、彼をねじり上げた男達を振りほどくと、ゼオライマーに目掛けて、走る。

駆けこんだマサキの体を光球が包み込むと、そのままコックピットに移動する。

 操縦席に座った彼は、韋駄天走りで、脱出しようとする(くだん)の男を逃がさなかった。

即座に右手で掴むや、両の(てのひら)でねじり、レモンの様に絞ってしまった。

 そして休む間もなく、目標座標にメイオウ攻撃を発射した。

建物に居た全ての者が、ゼオライマーの必殺の一撃の下、消え去った。

 

 

 

 ビバリーヒルズに正体不明の大型機出現の報を受けたロス市長は、市警スワット隊に、出撃命令を出す。

秘密任務の為、カリフォルニア州には知らされていなかったため、ロス市より要請を受けた知事は、緊急発進(スクランブル)を掛ける。

 ロス近郊のトラビス空軍基地滑走路から、F-4ファントムの1個小隊4機が、即座に空に上げられた。

 しかし、ロス市警スワット隊が現場に着いた時にはすでに遅かった。

例の正体不明機は忽然と消え、廃墟が残るのみであった。

 こうして、暮夜(ぼや)ひそかに、ロサンゼルスにあった恭順派は、拠点と信者を含め、全て消滅した。

*1
フィリピンのマニラ近郊にあった捕虜収容所

*2
1940年代に、米国内で黒人層やメキシコ人の間で流行したスーツ。極端に長い上着や極端に太く股上の深いズボンが特徴

*3
1712年設立。モスクワの南方165キロのトゥーラに存在する兵器メーカー。帝政ロシア、ソ連時代を通じて武器を生産した。今日でも民間様に狩猟銃やスポーツライフルを販売している

*4
耳ぎわの髪の毛

*5
愛する者と別れる苦しみ

*6
怨み憎む者と会う苦しみ

*7
求めて得られない苦しみ

*8
己の心や、身体が思い通りにならない苦しみ




 キリスト教恭順派とテロリストが関係している話が、原作にあったので今回の話を作りました。
一応設定だと、1996年に米国でテオドール・エーベルバッハがまとめたとなっています。
 常識的に考えれば、わずか数年で大規模な国際工作網が出来る訳がない……。
BETAが暴れ回った1970年代から活動していたのでは、と考えて書きました。

 ご意見、ご感想お待ちしております。


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白海(はっかい)船幽霊(ふなゆうれい)

 白海をそびえるように立つ、ヴェリスクハイヴ。
北海艦隊の水兵たちの目の前に現れた謎の存在、アルハンゲリスクの海坊主(うみぼうず)
異星の怪獣の巣窟を、一夜のうちに消滅させた怪奇の正体とは……


 さて、ここは、ソ連極東最大の軍港、ウラジオストック。

臨時の赤軍参謀本部が置かれたウラジオストック要塞。

そこに一人の男が呼び出されていた。

 

居並ぶ軍高官たちを前に、男は挙手の礼をし、尋ねる。

「ご命令により、出頭いたしました。同志大将、今回のご用件とは……」

席の上座に座る参謀総長が、静かに口を開く。

「同志大尉、早速だが……明日より半年間、ダマスカスに出張してほしい」

「すると……この私もGRUの指揮下に入れと……」

「仔細は、作戦指示書に書いてある。私からはこれだけだ」

参謀総長からの指示は、いつになく、男の心を騒がせた。

ごくりと生唾を飲んだ後、参謀総長の灰色の瞳をじっと見つめて。

「了解しました。同志大将」

そう短く述べると、静かに部屋を辞した。

 

 

 シリアに向けて出発したのは、ソ連赤軍最精鋭部隊。

音に聞こえる、第43機甲師団麾下(きか)、ヴォールク連隊第二中隊の面々である。

武運(つたな)く、ゼオライマーのメイオウ攻撃に敗れ去った彼らの士気は、依然として高かった。

 

 復讐を誓い、機会をうかがう彼らに、参謀本部は指示を出す。

『帝国主義の走狗であるイスラエルを牽制するために、シリア空軍の戦術機部隊を強化せよ』

密命を受けた彼らは、分解したMIG21をソ連船籍の輸送船に積み、ウラジオストックから出港。

日本海を抜け、マラッカ海峡を通り、海路、南方に向かう。

 

 時は、1978年の9月29日。

冷戦下の世界では、ソ連船籍の輸送船団を自由に航行させてくれなかった。

 太平洋に展開する、米海軍第七艦隊所属の駆逐艦と潜水艦部隊。

そして、千島列島から台湾海峡までを哨戒する帝国海軍の連合艦隊。

日本海溝の下に複数の潜水艦部隊を配置し、P-2J対潜哨戒機やPS-1対潜飛行艇などをもって、待ち構えていた。

 無論、ソ連海軍も手をこまねいているばかりでなかった。

対潜哨戒の機能のない輸送船を護衛する目的で、参謀本部は大規模な護送船団を組織した。

ソビエツキー・ソユーズ級戦艦「ソビエツカヤ・ウクライナ」「ソビエツカヤ・ロシア」。

スヴェルドロフ級巡洋艦10隻に、複数の原子力潜水艦が後から続く。

 

 

 この大船団は、対外的には国際親善訪問の目的で、出発した。

しかし、真の目的は違った。

全世界に向けて、『ソ連海軍健在なり』と、広く宣伝するためである。

 寄港地は、東南アジアの北ベトナムの海防(ハイフォン)、インドネシアのジャカルタ。

マラッカ海峡を越えて、先の1975年にパキスタンから独立した新興国、バングラディッシュのチッタゴン。

インド洋に入って、南アジア最大の国家で、ソ連友好国の一つであるインドのムンバイ。 

 そして、アフリカ大陸を臨むアデン湾沿いの国家、南イエメンのアデン。

紅海を直進し、エジプトのスエズ運河を抜けて、シリアのタルタス港に向かう。

 

 地中海沿いのタルタス港には、ソ連海軍の一大軍事拠点である、第720補給処がある。

このタルタスの海軍兵站拠点は、1971年にソ連がシリアとの二国間協定に基づき、設置したものである。

米海軍の第六艦隊*1に対抗するべく、ソ連海軍の地中海第5作戦飛行隊後方支援として開設されたのが始まりである。

 

 

 場面は変わって、戦艦「ソビエツカヤ・ロシア」の士官食堂。

 参謀総長より、密命を受けたグルジア人の大尉は、思慮に耽っていた。

想いをはせる、フィカーツィア・ラトロワについて、一人悩む。

彼女は、男の(おも)(びと)でありながら、股肱之臣(ここうのしん)*2でもあった。

 彼は、まだ30にならぬ凛々(りり)しい黒髪の偉丈夫(いじょうふ)であった。

若い青年将校である。瑞々(みずみず)しい肉体の奥底にある、性も盛んであった。

同じ部隊にいたときは、一人中隊長室にいても、自然、ラトロワのたち居いや匂いには、ふと心を捕らわれがちだった。

『なにも俺ばかりではあるまい。恥ずかしがることもなかろう。

戦場に立つ野獣の一人ならば、誰しもがそうであろう……』

 彼は、しいて取り澄ます。

それにしても、夜々、彼女の部屋を訪ねる事を思い立ちながら、抑えに抑えて、夜明けを待つのは苦しかった。

益なき疲労に、日々人知れず苦しむほどであった。

 

 

 そんな時である。

白い海軍士官の制服を着た男が、口付きタバコ(パピロス)を燻らせ、湯気の出る紅茶を持ってきた。

「なあ、若様。海坊主(うみぼうず)って見たことあるかい」

グルジア人は、海軍少佐の男のことを振り返ると、

「何、海坊主(うみぼうず)だって……。まさかBETAの見間違いじゃないのか」

その瞬間、青年の表情からスゥっと血の気が引いた。

 

 海坊主(うみぼうず)とは、船の行く手に現れるという化け物の事である。

坊主頭で夜間に出現し、これに会うと船に悪いことが起こるといわれる。

 泉や湖、海から出る化け物は、何も日本ばかりではない。

その神話や伝承は、欧州をはじめ、全世界にある。

ソ連も例外でなく、極東のシベリアの少数民族、ウデゲ人*3の神話に似たような例が残っている。

泉の化け物『ボコ』で、旅人などを沼地奥深くに誘い込み、泥土にはまり込ませるという。

 

「俺はこの目で、カスピ海を渡る要塞級を見たことがある」

海軍少佐は、信じられぬ表情をするグルジア人青年を見た後、自嘲の笑みを漏らす。

「フフフ、そんなもんじゃねえんですさ。

あれは俺がウデゲ人の(じい)やに聞いたボコという化け物に、(ちげ)えねえとおもってますさ」

 海軍少佐は、シベリア出身だった。

幼少のころから、ウデゲ人の古老(ころう)の話を聞いていたので、海坊主(うみぼうず)も身近に感じたのだ。

「まさか……」

しばし驚愕の色を露わにする青年を見つめた後、大きなため息を漏らし、

「いいでしょう。話しましょうか、アルハンゲリスクの海坊主(うみぼうず)の事を……。

あれは、去年の革命記念日、11月7日*4の、前の晩のことですかね……」

男は、淡々と語り始めた。

 

 

 1977年11月6日。

重金属の雲に覆われたアルハンゲリスク港。

500キロ先のヴェリスクハイヴから這い出るBETA群、総数2万。

この白海を望む一大拠点の防衛を任された、ソ連軍精鋭の第一親衛戦術機連隊は、一斉攻撃を仕掛けた。

砂塵を巻き上げ、吶喊する108機のmig21バラライカ。

 後方の砲兵陣地から響く砲火は、雷鳴のごとく、どよみ、その周囲は硝煙によってまるで霧が張ったようになっていた。

 

 まもなく、1万体以上のBETA群が姿を見せると、連隊長が檄を飛ばす。

「敵補足。各個撃破せよ!」

 

20ミリ機関砲が唸り声をあげた。

弾倉に差し込められた2000発のケースレス弾が、隙間なく戦車級や要撃級のボディーに打ち付けられる。

血煙を上げ、倒れていく怪獣の後ろから、一筋の光線が通り抜ける。

 戦術機部隊を支援するために低空飛行で援護射撃をしていたmi-24「ハインド」ヘリコプターに、直撃。

瞬く間に、ヘリは爆散し、周囲に緊張が走る。

「光線級が水平射撃をしてきただと!」

 

「こうなれば、サーベルで光線級を切り刻んでやれ!」

連隊長が、近接長刀を繰り出して、そうつげると、一斉に数機の戦術機が躍り出た。

А(アー)1、Б(ベー)2、側面に回り込め」

連隊長の駆るバラライカは、眼鏡のように並ぶ二つの大きな目玉めがけて、長刀を一閃(いっせん)する。

長刀がBETAの大きな目玉を切り裂くと、霧のような血煙が舞い、機体に降りかかる。

 

 

 

 

 

「ノヴォド・ヴィンスクより入電。新たに東方より約1万近いBETA梯団の接近を確認中との事」

戦艦「ソビエツキー・ソユーズ」艦長が、指示を出す。

「光線級の排除を確認を待たずに、順次艦砲射撃に移れ」

つづて、航海長より、連絡が入る。

「全艦、戦闘配備完了」

「各艦、自由砲撃開始!」

 

戦艦「ソビエツキー・ソユーズ」に搭載された三連装の46センチ砲が、ゆっくりと陸地に向けられる。

合計9門の艦砲が、各自に火を噴く。

 

 創設以来海戦未経験のソ連赤色海軍では、艦砲は長らく各砲門ごとの独自発射であった。

1905年の日露戦争以来、ロシアの水上艦艇部隊は大規模な海戦経験のなく、そのノウハウが失われたのも大きかった。

 

 艦砲射撃もものかは雲霞(うんか)のごとき大軍が一度に寄せたので、見る間に、BETAの死体の山は、数ヵ所に積まれた。

その死体の数も突撃してくる敵の数と等しく、二万余個という数である。

 しかし、その勢力の十分の一も撃ち倒すことはできなかった。

とどまることを知らぬBETAの大群……。

このままでは、アルハンゲリスクの中心街を抜かれる。

 そんな懸念が、全軍に広まり始めた時である。

突如として、海面から天空に向けて、黄色い光の柱が立ち上った。

白とも灰色ともとれる、一体の巨人が海中より浮き上がってきたのだ。

 

 赤軍は驚いた。

「何だ、あれは?」

 歴戦の兵たちすら、戦わぬうちから(ひる)み立って見えた。

ゴルシコフ*5、チェクロフ*6など歴戦の海軍提督が、檣楼(しょうろう)*7の上に昇ってみると、なるほど、兵の怯むのも無理はない。

要塞級と同じ高さを誇る、巨人が駆け抜けていった。

その巨人は、その顔も体も真っ白で、まるで漆喰(しっくい)のごとき姿。

 

 

「この年まで、俺はまだ、こんな敵に出会ったことがない。どういうことになるのだろう」

「いや、私も初めてだ。ふしぎな事もあるものだ」

 

さすがの二将も怪しみおそれて、にわかに、策も作戦も下し得ずにいるうち、白い巨体から高々と見おろしたゼオライマーは、たちまち手の宝玉を光らして、まず前列の戦車級に突っ込み、両者乱れ合うと見るやさらに烈しく次元連結砲を乱打した。

 とたんに土煙を()き、宙を飛び、数万のBETAの中へ襲いかかった。

両手を振り、風を舞わし、血に飽かない姿を見せつける。

ゼオライマーは面白いほど勝ち抜いて、これまた、猛勇をふるって、BETAを殺しまわった。

 まもなく、ゼオライマーは後方の推進装置を噴き出しながら、天高く飛び上がる。

熾烈な光線級の砲火をものともせずに、広げていた両手を胸のほうに持ってくる。

両手につけられた宝玉が煌々と輝き、闇夜を照らし出す。

まさしく、一撃必殺のメイオウ攻撃だ。

 周囲にいた赤軍兵は、いよいよおどろいて、全軍われ先に、港の奥へなだれ打ってゆくと、轟然(ごうぜん)大地が炸ける。

烈火と爆煙に撥ね飛ばされたBETAは、土砂と共に宙天の塵となっていた。

 

 突如、天地を鳴り轟かせて、ゼオライマーが、ヴェリスクハイヴの頭上へ降ってきた。

光線級の熾烈な対空砲火を浴びても、退く事なく、突き進む無敵のスーパーロボット。

 両手からの一閃で、左右の怪獣は、瞬く間に、何百ともなく(しかばね)となっている。

その上にもなお、衝撃波で壊されたハイヴの天井が崩落してくるので、たちまち、出口はふさがってしまった。

 

 岩間や地下に隠れていたBETAも押しつぶされ、ハイヴの大広間も、須臾(しゅゆ)にして凄惨な地獄となってしまった。

「メイオウ攻撃」の閃光は、絶大で、炸音は地平線まで響き渡り、濛々(もうもう)の煙は、天に達した。

 

 ヴェリスクハイヴのBETAは、一体も残らず、焼け死んでしまった。

その数は10万体をこえ、火勢のやがて冷さめた後、これをTU-95で上空から見ると、さながら害虫の亡骸(なきがら)を見るようであった。

 

 

 

 

 

 グルジア人の男は、彫りの深い(かお)に影を落としながら、消え入りそうな声でつぶやいた。

「間違いない。それは日本野郎(ヤポーシキ)の新型戦術機、ゼオライマーだ」

「そんな、まさか……」

少佐は、思わず火のついた煙草を口から落とす。

「若様、ご冗談を」

グルジア人の男は、容易に処理のつかない未練(みれん)と怒りを、露わにさせて。

「嘘ではない!」

そういうと顔をそらした。

「俺はヘリに乗りながら、奴のビーム砲でハバロフスクが消え去るのを見届けたのだよ」

恐れを浮かべた緑色の瞳を震えさせながら、静かにうつむいていた。

 

 確かに、ヴェリスクハイヴは、ゼオライマーによって、完膚なきまでに粉砕された。

それにより、アルハンゲリスクの陥落は避けられ、北方艦隊は、ほぼ無傷で残った。

 しかし、グルジア人の男の胸中(きょうちゅう)は、父を救えなかった怒りに満ちていた。

母さん申し訳ありません。あなたの愛した父を私は助けられませんでした……

不遇のうちに亡くなった母を思いながら、天を仰ぐ。

母さん、あなたが受けた愛妾(めかけ)の苦しみ……

メイオウ攻撃に破壊されたハバロフスクと、運命を共にした父……

父上、黄色猿(マカーキ)に打ち取られた無念の最期。

ゼオライマーへの恨み、いずれや、晴らしましょうぞ

そして、再びゼオライマーをこの手で倒すことを、泉下(せんか)*8の父母に誓ったのであった。

 

 

*1
1971年当時、第六艦隊の司令本部はイタリアにあった

*2
股肱とは、ももとひじ。どちらも人がからだを動かすときに重要な働きをする部分から転じ、いつも身近にいて信頼できる部下のこと。『史記』太史公自序より

*3
ロシア極東シベリアにいる、蒙古系の少数民族

*4
旧ソ連では11月7日はロシア革命の記念日であった。ベラルーシでは今日も祝日

*5
セルゲイ・ゲオルギエヴィチ・ゴルシコフ(1910年2月26日-1988年5月13日)30年間にわたり、クズネツォフ元帥の後任としてソ連海軍司令官を務めた人物。

*6
ヴァレンティン・アンドレエヴィチ・チェクロフ (1906年7月6日-1997年2月2日)ソ連海軍の副提督。独ソ戦の最中北方艦隊に勤務する。史実ではすでに退役していた

*7
艦船のマストの上部に設けた物見やぐら。物見の台のこと

*8
亡くなった人が行く地下の世界。あの世




 暁での読者様のご質問から着想し、新たに書き上げた話になります。

原作設定の勘違いや、史実上の間違いなど、ご指摘いただければ幸いです。
コメント欄へのご回答、お待ちしております。


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米国(べいこく)(あそ)

 ニューヨークで無為(むい)の日々を過ごしていたマサキのもとに現れた一人の人物。
白銀(しろがね)と名乗る青年は、マサキを戦術機の開発に参加させようとする。
彼との出会いで、マサキの運命はいかに。



 ニューヨークの国際連合本部で始まった年次総会は、冒頭から大荒れだった。

ソ連外相が、一般討論演説を始める段階になった時、日米、英仏の外交団が、一斉に退席した。

EC等の西側計27か国と、ポーランドや東ドイツなどの東欧諸国も、それに続く。

米国の主導により、事前の申し合わせで、東ドイツの軍事介入未遂への抗議の意思を示したのだ。

 ソ連代表団は、その事に関して、

「米国による帝国主義の陰謀」と、批判するとともに自らの正当性を主張した。

ソ連の資金や食料支援を受けているアフリカ諸国、反米姿勢の強い南米、キューバー、昨年加盟したばかりのベトナムも、それに続く。

 国際連盟に代わる国際協調の場として設けられたはずの国際連合。

この組織は、大国間の(いさか)いに関しては、全く機能しなかった。

東西両陣営の宣伝の場でしかなく、本部での討議は、問題の解決に何の役にも立たなかった。

 

 

 マサキは、日本側代表の席の奥に座り、空漠(くうばく)たる気持ちで、米国の演説を聞き流していた。

彼の心を()めていたのは、資本主義圏の経済的優位に関する話ではなかった。

(うれ)いを(たた)えたサファイヤブルーの()をした、あの可憐(かれん)な乙女の事であった。

 アイリスディーナとの抱擁(ほうよう)を交わした日以来、すべてが(うつ)ろになっていた。

甘い(ささや)きと共に()わした口付けは、全てを忘れさせるほど強烈(きょうれつ)であった。

 ふいの口付けに驚いたは、実はマサキの方だった。

まるで、アイリスディーナの唇に、心無い触れ方をしたような、罪の意識に(さいな)まれた。

薄い肩を(ふる)わし、驚きに()えた顔をアイリスディーナが見せたので、マサキは(あわ)てた。

彼女自身の中に恥ずかしい心の()らぎが()ったのか、そっと耳を紅く染めた様は忘れられない。

 そんな思いが、マサキの身の内で(くすぶ)っていた。

()ても()めても、彼女の事を(おも)い、陰々(いんいん)滅々(めつめつ)と悩んだ。

 

 

 自分が助けるべく手を差し伸べたユルゲンの最愛の妹に、本気になるとは。 

 思えば、いろんな事情が重なり過ぎていた。

まず、ユルゲンの不在。公園で見かけたアイリスディーナの楚々(そそ)たる姿。

そして、アイリスディーナの豊満(ほうまん)肢体(したい)を後ろから抱きすくめる内に、熱い血が(たぎ)ってきたのだ。

 立ち昇る(かぐわ)しい(にお)いや、雪のように白くきめ細やかな肌、金糸の様な髪。

抱きしめた時の温かくて柔らかな体も、マサキの理性を失わせるには十分だった。

 

 あれが、本当の愛だったのではないか。

 まるで、これまでの恋路(こいじ)が子供の遊びに思える。

それ程までにマサキは、アイリスディーナの純真(じゅんしん)な心にひかれていた。

 あの羞月閉花(しゅうげつへいか)美貌(びぼう)をしみじみと(なが)め、柳腰(りゅうよう)(いだ)く興奮は、形容(けいよう)しがたい。

そして、あの日の衝撃的な口付けを振り返りながら、怏々(おうおう)と物思いに(ふけ)った。

 

 

 

 年次総会の休憩時間、会議室から抜け出して、屋外の喫煙所で休んでいると、

「ゼオライマー建造の科学者、木原先生って、アンタだろう」と、声を掛けて来る者がいた。

 慌てて振り返ると、地毛であろう茶色い髪を、坊ちゃん刈りにした男がいた。

御剣(みつるぎ)といた護衛であったのを、覚えていたマサキは、

「おい。貴様は、御剣の……」と、彼が言い終わらぬ内に、男が重ねて、

氷室(ひむろ)さん。今から博士借りて良いかな」と、マサキの肩を叩いて、

「アンタみたいないい男は、もっと遊ばなきゃだめだよ。俺と付き合ってよ」

と、困惑する美久の前で、マサキを誘い出そうとした。

 

侮辱(ぶじょく)するような言葉に、さすがのマサキも怒って、

「なんだ、その恰好(かっこう)は。フラノのシャツにジーンズ。それにダウンベストか。

ここはキャンプ場じゃないんだぞ」

と、遊び人風の仕度(したく)をする男を左手を振って、追い返そうとした。

 

 すると鎧衣(よろい)が寄って来るなり、

「ここにいたのかね、木原君、探したよ」と、相好(そうごう)を崩した。

「鎧衣、この男は」

「彼は陸軍省から派遣された白銀(しろがね)影行(かげゆき)君だ。

CIAと仕事をした事がある人物で……」

茶髪の男は、慇懃(いんぎん)に挨拶をした後、

「よろしく、木原先生。じゃあ俺の事は、遊び人の影さんって呼んでよ」と応じる。

 

 マサキは、はっと気が付いた。

この男は、帝国陸軍の情報将校を育成する中野学校の卒業生だ。

陸軍では認められない長髪*1に、(くだ)けた私服。およそ将校らしからぬ口に聞き方。

 恐らくマサキを揶揄(からか)心算(つもり)だろう。自分を連れ出そうとしたことに呆れた。

白銀は、マサキをまじまじと眺め、笑いながら言った。

()えない顔してるな、例のかわいこちゃんに冷たくされたのかい」

マサキは、白銀の問いに、声の無い笑いを持って、

「白銀よ、軽々(かるがる)しく、アイリスディーナのことなど口にするな。

この木原マサキ、一婦女子 (ふじょし)にかまけるほど、(ひま)ではないのは分かって居よう」

と、(ちか)っていたが、どうも本気とは思われない。

白銀が少し白い歯を見せると、マサキは図に乗って言った。

「それに俺が東独まで出掛けたのは、日本政府の都合だろうが……」

「そうか。いわれてみれば、俺達、帝国政府にも責任があったことか。

なんなら、木原先生、それすらも忘れさせる刺激を授けましょう。男らしい、でっかい話をよ」 

 

マサキは、タバコを吸おうとホープの箱を取り出すなり、

「ところで、白銀よ。お前がいうデカい話とやらを聞こうではないか」

紫煙を燻らせながら、平静を装って訊ねた。

本当は、白銀の言う話とやらが気になって仕方がなかったのだ。

内心、この世界に、どの様な変化を与えるか、ワクワクする自身が居た。

 

「ああ、1時間ほど前かな。

俺の方にフェイアチルド・リムパリック*2社の社長さんが、あんたと会いたいと、連絡があった。

向こうの監視員(ウォッチャー)を通じて。

なんでも、米軍に正式採用されたばかりのA-10という重武装の中距離支援用戦術機の改良をしてほしいと、相談を受けた。

天のゼオライマーだっけ。

その戦術機の強力なエンジン出力を参考に、跳躍(ちょうやく)ユニットを作って欲しいってね。

そうだ、夕方に、ニューヨークの老舗レストランで、御剣公と会食される予定だから。

どうにか、都合をつけてくれないか」

「待ってくれ、俺は下士官だから、上司にあたる彩峰(あやみね)の許可を得ねばなるまい……」

マサキは、今更みたいに(しぶ)っているも、白銀は、話をどんどん進める。

「じゃあ、18時に、ウォール街のど真ん中にあるデルモニコス*3で会いましょう」

白銀は背を向けると、困惑するマサキをよそに帰ってしまった。

その様を見ていた鎧衣は、唖然(あぜん)とするマサキの前で、肩をすくめ、おどけて見せた。

「フフフ。全く困ったものだよ」

 

 

 

 マサキは、国連本部ビルのあるマンハッタン区国連広場からタクシー乗り場に一人で歩いていく。

後ろから怪しげなホンブルグ帽を被り、雨傘を持った男が近づいてきたので、流しのタクシーを捕まえ、乗り込む。

 

イースト川に沿って立つ高速道路のFDRドライブ*4を走り抜け、マンハッタン島を南に下る。

マンハッタン島南端のバッテリー・パークで高速の高架から降りると、車はウォール街に向かった。

 埋め立て工事中のバッテリー・パーク・シティを横目に見ながら、老舗ステーキレストランのデルモニコスにまで来ていた。

ドレスコードに、ややうるさい店なので、プレスの掛かった勤務服*5で来たのだが、ビジネスマンばかりのなかでは浮くような感じがしてしまった。

少しばかり後悔したのは、気の利いた私服でも着させた美久でも連れてくれば良かったと。

もっとも、美久はアンドロイドなので食事はしないが……

 

 テーブルに案内されるなり、五つ紋の黒紋付(もんつき)羽織(はおり)(はかま)姿の御剣に、

「ハハハハハ、木原よ。密談に、軍服姿なんて考えられるか、常識の外だな」

と笑い飛ばされ、顔を(しか)めた白銀に、

「目立ちたがり屋なんですね」と嫌味を言われてしまった。

流石に昼間とは違い、頭をポマード*6で綺麗に()でつけ、チョークストラップのスーツを着て。

マサキは気にする風も無く、不敵の笑みを湛え、白銀に訊ねる。

「俺に会おうという社長は、奥にいる白人の(じじい)か」

「こちらがフェイアチルド・リムパリックの社長さんだ」

すっと白銀は、立ち上がり、右手で上座の老人を指し示した。

「木原だ。よろしく頼む」

マサキが右手を差し出し、握手すると、背広姿の老人は、

御足労(ごそくろう)(いた)み入ります。

(かね)てより、先生の御高名は(うけたまわ)っております。どうぞ()しなに」と慇懃に頭を下げた。

 

 

 早速、深刻な面持ちの社長は、

「実は、海軍用に設計したA-6イントルーダーを元に新規設計したのですが……

いかんせん、うまく飛べなくて。

搭載された機関砲の重量の所為で、最大跳躍時間は340秒ほどが限界で……」

マサキは、前菜として運ばれてきたアスパラガスを煮付けたサラダをどかし、灰皿を引き寄せ、

「跳躍時間が7分弱か。確かにこれではBETAにのみ特化した武装メカだな」

と、ホープの箱からタバコを抜き出し、火を点け、

「ロケットエンジンがそんなに貧弱か」と逆に訊ねた。

「パレオロゴス作戦に間に合わせるために、生産ラインをそのまま生かしたので、どうしても外付けの跳躍ユニットの出力が……」

「俺も、(やと)われ軍人と貧乏学者という、二足(にそく)草鞋(わらじ)()いている*7身だ。

暇な時間に図面を手直ししてやるから、設計部門に連絡を付けてくれ」

「申し訳ございません」

「フフフ、俺も、おもちゃのロボットでも作ってみたくなったのよ。

まあ、(めし)が不味くなるから、これくらいにしておこう」

そういって、マサキは勝手に話を切り上げてしまった。

 

 その内、店の看板商品である厚切りのステーキが運ばれてきた。

塩コショウだけの味付けだが、一口食べてみると、外側が焼き上がっているのに肉汁を多く含んでいた。

あまりの美味に、マサキは驚いて、独り言を漏らす。

「これは、上等なサーロインか……」

「骨なしのリブアイ*8だね。

この店は、1837年に、アメリカで最初にオープンした高級レストラン。

だから、その辺はニューヨークの食堂と違うよ」

白銀が、静かな声で返してきた。

 マサキは、彼の見識の深さに感激し、満足げに応じる。

「さすが中野学校卒だけあるわ。この俺を楽しませるな」

「なあ、先生。今夜(ひま)かい」

「12時までなら付き合ってやる。但し酌婦(しゃくふ)(たぐい)が居ない店でな」

「随分、例のかわいこちゃんに、(くび)ったけ*9なんだな」

「ハハハハハ」

マサキは、満面の笑みで、白銀の冗談を軽くうけ流した。

 

 

 それから。

マサキは、白銀と共にマンハッタン島対岸のブロードウェイの小さなバーに入っていった。

酒を酌み交わすうちに、この白銀という青年将校の事が、いたく気に入ってしまった。

 10年来の知人であっても理解しえない間柄もあるし、一晩の内にまるで長年の友人関係に勝る知己を得る人もいる。

マサキと白銀とは、お互いに、まるで旧知の間柄のような感情を抱いた。

いわゆる意気投合(いきとうごう)したという事である。

 白銀は、酒で唇を濡らした後、言った。

「もし先生が、俺のような何も知らない人間の話を真剣に聞いてくれるなら。

すこしばかり、所見がないわけではありませんが」

「この際だ、()()けに言ってみろ。どいつもこいつも俺に遠慮(えんりょ)ばかりしていて飽きていた所よ」

マサキは、斜めになっていた体を起こして、真剣に聞き入った。

「今、全世界を二分した超大国ソ連は、BETA戦争の結果、衰微(すいび)した。

この事は、間もなくソ連の影響が強い中東、特にシリアや、アフリカの社会主義国に影響する。

それにこのまま、米国がG元素を使った新型爆弾を作れば、核の傘によってできた大国間のバランスは崩れる。

そうすれば、また40年前の様に大国間の世界大戦になると思うのだが、先生はどうですか」

「ケネディ*10が言っていたが、いみじくも、核というのは「ダモクレスの剣」だ。

核ミサイルという使えぬ兵器があってこそ、米ソの冷戦構造がなり得た。

これが19世紀末から世界大戦前のベル・エポック*11期の様に、大型戦艦や重機関銃であったのであれば、間違いなく億単位の人的被害が出た。

ハンガリーやチェコスロバキアの人間には気の毒だが、あの軍事介入は、所詮(しょせん)地域紛争の域を出ない」

マサキは静かに紫煙を燻らせながら、白銀に言い含めた。

「例えば、イスラエルやイラク、シリアなどが核武装をして、互いに牽制し合う。

俺は、そのことこそ、中東紛争を鎮静(ちんせい)化させる妙薬(みょうやく)となると、信じている。

印パ戦争*12が、この世界でも収まったのは、インドがソ連からの核技術を得て、核実験をした影響が大きい。

あんなBETAとかいう化け物の所為ばかりではない。そう確信している」

「じゃあ、先生はG元素の拡散には賛成なのかい」

「フフフ、俺は、あの化け物の成分を使った新型爆弾の拡散には反対だ。

あんなものに頼らなくても、このゼオライマーが、次元連結システムがある限り、無敵よ」

「じゃあ、帝国政府が持つのも反対だと」

「ああ、あんな自制心の無い連中には、渡せない。

次元連結システムはおろか、G元素でも危険すぎる。

精々(せいぜい)威嚇(いかく)用に、核弾頭を御座所(ござしょ)*13の近くに展示して置くぐらいでいいと思ってる」

 

 マサキは、自説を全て詳論して見せた。

このような内に()めたる思いを人に語ったのは、おそらく今日が初めてであった。

 


 

 視点を、日本に転じてみよう。

ここは、京都祇園のある料亭。

背広姿の中年男性と、その場に不似合いな陸軍将校服に身を包んだ青年。

青年と数名の男たちは酌婦(しゃくふ)に酒を注がれながら、密議を凝らしていた。

 軍服姿の男は、大伴(おおとも)忠範(ただのり)で、親ソ容共の思想の持ち主だった。

陸軍参謀本部付の彩峰(あやみね)や、斯衛(このえ)軍の(たかむら)たちとは別に陸軍省内に独自の《勉強会》を持ち、夜な夜な財閥系の人士と密会を重ねていた。

 

 

「米国のハイネマン博士が、斑鳩(いかるが)翁に近づいたという、情報があるが本当かね」

じろりと、左に座る男をねめつけ、

「斑鳩先生が、ハイネマンを(けしか)け、あちらの戦術機企業グラナンに、研究部署を組織させ、北米で大々的に研究をさせようというんでしょう。

金も出していると思います」

「日本が、日米安保で軍事協力を保証されているとはいえ、一企業にその様な事を頼むとは。

ソ連から苦情は、()やしないかね」

「グラナンが北米で暴れるとなれば……

色々揉めるのは必須でしょうし、当然ソ連から苦情も出ます。

それに日本が裏で糸を引いてるのは、直ぐに露見しましょう」

 

 

河崎(かわざき)重工*14専務としての意見を聞こうか」

と、右脇に座り、猫背にしている年の頃は40代の男に問いかけた。

男は、苦笑いを浮かべた後、酒を飲み干し、

「ハイネマン博士は、パレオロゴス作戦以前から海軍機の開発に携わって居りました。

(たかむら)(めと)った女技術者ミラ・ブリッジスと共同で、空母運用を前提とする機体開発に取り組んでいたようですが、サッパリの模様です」

「成果が上がらんのかね」

「そりゃ、大伴中尉。米国海軍は、この分野に関しては未経験ですからな。

いきなりやって、成功するはずが、御座いませんよ」

 男は媚びる様にそう言って、酒を注いだ。

酒豪で名を知られた大伴は、お猪口(ちょこ)をものの1時間で10本開けているが顔色一つ変えなかった。

「じゃあ、斑鳩翁は大損かね」

「ひとつだけ、気になる事が御座います。

つい先ほど、ニューヨークから連絡があったのですが、ハイネマンに一人の日本人が接触しようとしたというのです」

「それは、誰かね」

「調べた所では、東欧の戦場でBETA狩りをして名を売った木原マサキという支那帰りの青年ですが」

といって、おもむろに資料を取り出し、彼等に配る。

 大伴は、渡された資料を見ながら、じっと考え込む。

「大伴さんの御母堂(ごぼどう)は、満洲出身ですから、或いはご存じかと……」

「いや、知らんね。随分若いじゃないか」

大伴は、高級たばこ「パーラメント」の、キングサイズのタバコを掴んで、

「うむ。木原マサキか」と呟く。

そう言い終わると、酌婦が近づいてダンヒルのガスライターで火を点ける。

「今、ソ連を刺激するようなことをすれば、困ったことになる。

君の方で、何とか阻止することは出来んかね」

 

「私の方で、国防省に掛け合ってみますよ。

日本国籍を有する者及びその配偶者は、何人(なんぴと)たりとも他国の軍事産業や研究に協力出来ないという省令を出させる様、働きかけましょう」

 専務は、下卑(げび)た笑みを浮かべながら、一気に酒を(あお)る。

そして、ついに本音を漏らした。

「これで、篁もミラ・ブリッジスも身動きできますまい。ハハハハハ」

「なるほど。ハハハ」

 

*1
今日の自衛隊でも自衛隊法第58条によって、品位を保つために男性の長髪は禁止されている。また帝国陸軍時代と同じく、陸上自衛隊では髭やサングラスも上官の許可が必要である

*2
現実世界のフェアチャイルド・エアクラフト社。同社は1925年から2003年まで存在したメーカー

*3
"Delmonico's"、1827年創業の老舗レストラン。数度オーナーを変えて2020年ごろまで営業し続けていた。2023年現在は店舗は閉鎖されて売りに出されている

*4
Franklin D. Roosevelt East River Drive

*5
ドレスコードの例外として、軍服は野戦服であっても、舞踏会に参加できる為

*6
油を主成分とした紳士用の整髪料の一種。強い固定力で艶のある仕上がりになる

*7
両立しえないような二つの職業を同一人が兼ねること

*8
牛の肩から腰にかけての肉であるリブロースの中心で、最上級部位。肉牛1頭からわずかしか取れない希少な食肉

*9
物事に深く心を奪われ、夢中になっているさま。主に特定の異性に夢中になっていること

*10
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917年5月29日 - 1963年11月22日)、米国第35代大統領

*11
"Belle Époque" フランス語で美しい時代

*12
インド・パキスタン間の地域紛争。カシミール問題を契機とし、1947年、1965年、1971年と、三度争われた

*13
天皇や貴人の居室

*14
現実の川崎重工業株式会社




2023年5月24日追記


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(いず)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた) 前編

 5年の長きにわたって地上で繰り広げられたBETA戦争がひと段落が付いた今。
東ドイツでは、兵力不足を恐れて徴募した婦人兵の存在が、問題視され始めていた。
その様な情勢の中、ベアトリクスやアイリスディーナのとる道とは……


 ここは、東ドイツの東ベルリン。

夕暮れ時の町の中心部に立つ、ブロンズミラー張りの建物、共和国宮殿。

そこには政治局員たち30名ほどが、一堂(いちどう)(かい)していた。

 

 議長は、三十余名の政治局員と将官たちへ向って(はか)った。

「今日、この閣議に諸君の参集を求めたのは、ほかでもない。

士官学校*1の女学生の件だ。

一昨年、ソ連赤軍の指示や世論の声で、女子生徒に門戸を開いた。

だが今となって人民の中から、にわかに……。

BETA戦争がひと段落ついたから、家に返せという言葉が出てきた。

どう扱ったらよいものだろうか。それについて、私に意見あらば言ってもらいたい」

 

「婦人兵と女子生徒の一時入学中止をしましょう。正直足手(あしで)まといです」

シュトラハヴィッツ将軍が驚くようなことを告げたのだ。

 

閣僚会議*2の次席である第一副首相が、

「西の婦人解放運動(フェミニズム)の活動家が聞いたら、仰天(ぎょうてん)しますな」

と、彼をあざ笑った。

「同志副首相、笑い事ではございません。来年以降は婦人兵の士官学校入学はやめさせましょう。

小官は、男女(だんじょ)(あやま)ちで部隊編成が乱されるのは、もうこりごりです」

 

「去年入学した女子生徒の三分の二は、自主退学なんですよ。

約半数が訓練についていけなくて、その他の連中は恋愛関連で……」

奥座にいる議長は、思わず(まゆ)(ひそ)める。

「まあまあ、シュトラハヴィッツ君、そんなに怒るな。

君が言う、恋愛関係とは何かね」

必要結婚(できちゃったこん)です。

天下の国家人民軍で、不純異性交遊(ふじゅんいせいこうゆう)とは、破廉恥(はれんち)とは思いませんか!」

 

 時は、(まさ)に20世紀末の足音が聞こえる1978年。

この時代の欧州は、古い時代からの性的価値観が()らいでいた。

経口(けいこう)避妊薬(ひにんやく)ピルの登場によって、1960年代を通じ伝統的な結婚観、家族像が崩れ始めていた。

1945年のベルリンの惨禍(さんか)*3で自軍の性病蔓延に苦しんだソ連赤軍の指示により、1950年代から純潔(じゅんけつ)教育を続けていた東ドイツ。

彼らもまた、その性革命の影響を(まぬが)れなかった。

 1970年代初めにピルの販売許可や、限定的ではあるが堕胎の許可、西ドイツより1年早く同性愛(ホモセクシュアル)の非刑法化を実施した。

ゆえに、1960年代に青少年であったユルゲンたちと、その親の世代であるシュトラハヴィッツ将軍の間には価値観の(へだ)たりができていたのだ。

 

憤懣(ふんまん)やるかたない顔をするシュトラハヴィッツ将軍は、興奮(こうふん)した調子でなおも続ける。

「それも、まだ卒業も部隊配属も決まる前ですよ。

こればかりは……もう少し如何(どう)にか出来なかったものですかと……」

 

 

 

「うむ。そうであろう。

大体、屈強(くっきょう)な男どもが若い女と一緒にさせて置いたら、何が起こるか分からん。

君は、その経験者だからわかるだろう」

 

 議長の顔色は良かった。

諸臣はみな彼の考えをうすうす感じ取っていたので、一斉に、

「わが国には婦人兵の戦闘部門への配置(はいち)など早すぎた」とか、

「そんなの軍事作戦に支障(ししょう)があると断りましょうよ」と、衆口こぞって言った。

 

しかし、アーベル・ブレーメは反対して、

「同志シュトラハヴィッツ。実は私も辞めさせたいのは山々だが……」

立ち上がったシュトラハヴィッツ将軍は、見下すようにして彼をのぞく。

「なぜですか。理由をお聞かせください」

 

 

 アーベルの心は揺れた。

彼は、経済企画委員会に名を連ねた官吏であり、通産省の事務次官である。

古参党員の父を持つ血統と深い見識を持つ人物として、歴代議長の信任が厚かった。

 議長の執務室(オフィス)を訪ねて、彼の意見を否定し、自説を展開するのは今に始まった話でない。

ただ、数日間かけて内容を詰めた政治局員たちの提案を一笑に付すという罪悪感と不安。

その一方で、国益を無視しても、自分の愛娘ベアトリクスを陸軍の将校にしてやりたいという欲望が突き上げてくる。

 

 結局は、彼にしては珍しく、『もうどうとでもなれ』という気持ちで口を開いた。

『こうでもせねば、もうベアトリクスの望みを、私の一存でかなえてやる機会はあるまい』

肘掛椅子に座ったまま、アベールの体は汗にまみれていた。

 

「婦人兵は確かに足手(あしで)まといになる。

戦場では常に(はずかし)めの危険が付きまとうのは事実。男女(だんじょ)(あやま)ちの可能性が高いのもまたしかり。

だが、彼女たちが退役した後、国家安全保障の必要性を理解し、また、国家人民軍の次世代を育成する「健全な」母になる。

私は、そう考えているのだよ」

 

シュトラハヴィッツ将軍は、思わず失笑(しっしょう)()らす。

「俺はウクライナで女衛士(えいし)(まじ)えた部隊運営をしてましたが、まあ面倒(めんどう)でしたわ。

よからぬ問題を()こさないために兵舎(へいしゃ)を分けるしかない。 別棟(べつむね)(かわや)や浴場を作るしかない。

何より、男女混成で運用する場合は信頼できる政治将校か、指揮官を四六時中(しろくじちゅう)置くしかない」

国防相は彼を冷ややかな視線で見つめながら、

「でも婚前妊娠の騒ぎが起きたと……」

シュトラハヴィッツは、頭を下げ、平謝りに()びいる。

「兄貴。ヴィークマンの件は俺の管理不足です。

ですが2万の兵の管理をしながら、BETAと戦争をして、その上、婦女子のお(もり)りまでは……」

 

「戦争がひと段落ついたことという形で、婦人兵の新規徴募(ちょうぼ)は減らす。

優秀な人物は、目の届くところで預かる。これでどうだね」

シュトラハヴィッツは、ホッとした様に相好(そうごう)を崩す。

「いや、兄貴。助かります」

ハイム将軍も同調する。

「私もじゃじゃ馬ならしは、荷が勝ちすぎると思っておりました」

「では、女子の主席卒業は大臣官房付け。

女子の次席卒業は、参謀本部直轄の戦術機部隊で、面倒を見る形に……」

議長は、即座にその説を取り上げた。

「よし、その線で行こう」

 

 東ドイツの国家人民軍も、また、西ドイツの連邦軍同様、婦人志願兵と女性将校の割合は少なかった。

史実を紐解けば、1989年の国家人民軍解体の時点で、女性の将官はいなかった。

最高階級が軍医大佐で、軍病院の責任者の一人にしか過ぎなかった。

また三軍と国境警備隊を合わせて、婦人将校は200人に満たなかった。

 人民警察とシュタージにも婦人警官や女性職員はいたが、圧倒的に少なかった。

20万人近い非公式協力者の中で、婦人の割合は少なかった。

 では、どの程度であるか。

一説では、東独で男性83パーセント、西独72パーセントである。

単純に引いた割合から計算すれば、東独国内の女性の非公式工作員は17パーセント、西独では28パーセントである。

 

 それゆえ、アイリスディーナやベアトリクスが、どんなに上に昇ることを望んでいても、東独の社会システム上、難しかったのである。

 また、国家人民軍は1956年の建軍以来、第三帝国(ダスライヒ)国防軍(ヴェアマハト)の文化が入ってきていた。

プロイセン軍の伝統色濃く残る軍隊社会において、婦人兵の扱いは困難を極めた。

 大祖国戦争(だいそこくせんそう)で婦人兵を大動員したソ連の(ひそみ)(なら)い、婦女子の部隊、俗にいう娘子軍(ろうしぐん)を組織する。

そのような男女の性差を無視した構想も、夢のまた夢であった。

 

 

 未開社会から近代社会に入ったソ連や北欧と違い、ドイツは、中世という文化的な豊かさを経験していた。

社会主義での平等を喧伝しながら、男女の性差や文化的役割は、その崩壊まで変えられなかった。

 東独の社会主義政権は、人材の有効活用という点から婦人の労働参加を積極的に進めたが、当の婦人たちが望まなかった。

そして、彼女の夫や子供も、そういう事を求めていなかった。

 無論、1960年代の段階で既婚女性の6割が就業していたが、それは西ドイツと違い、男女の給与水準の差が少なかったためである。

ある程度豊かな人並みの暮らしをするためには、婦人は家庭から出て働かざるを得なかったのだ。

 

 

 

 

 さて、同じころのパンコウ区にあるベルンハルト亭。

「ただいま、もどりました」

外出先からアイリスディーナが帰ってくると、屋敷の居間(いま)から声がする。

なにやら、ユルゲンとベアトリクスが語り合っている最中(さいちゅう)であった。

 

 椅子に座ったユルゲンはワイシャツにサスペンダー、グレーの乗馬ズボンに黒革の長靴。

仕事から帰ってきたばかりだったのだろう。

灰色の軍帽と深緑の折襟が付いた将校用の上着が無造作(むぞうさ)にソファーの上に放り投げられていた。

 

 ベアトリクスは黒のノースリーブのカットソーに、リーバイスのジーンズ*4といういでたちで、ユルゲンにしなだれていた。

上から灰色のエプロンをかけているところを見ると、勝手場(かってば)*5にいたのだろうか。

 

「あら、アイリス。おかえり」

ベアトリクスの声で気が付いたユルゲンは、アイリスディーナのことをまじまじと見る。

彼女の姿は軍服ではなく、白いセーターに茶色いロングのフレアスカートという恰好(かっこう)だったので、

「今日は休みか」と尋ねた。

アイリスは、右肩にかけたハンドバックをテーブルに置くと振り返り、答える。

「ええ、そうですが。

ところで兄さん。お二人は、何をお話しされていたのですか」

「今後の事さ」

「兄さんが、米国に行った後の事ですか」

「そうだ。ベアと色々話してた」

ベアトリクスは、ユルゲンの背中にぴったりくっつけていた体を離すと、

「それでね、私気づいたの。

この人のために()くす方法は、軍隊だけじゃないって」

 

 ベアトリクスは結婚した後も軍隊に残って、ユルゲンの補佐をする立場になる。

その様にばかり考えていたアイリスディーナには、衝撃的だった。

あっけにとられていると、ベアトリクスは優しい声で語りかける。

「でも、今すぐにじゃないわ。

この人がアメリカに行ってる間は収入がないし、あんまり早くやめると軍籍も残らないし……」

「でもやめるんだ……」

 

 ユルゲンはギリシア彫刻の様に整った顔を赤く紅潮させ、アイリスディーナのほうに近づく。

青く透き通った瞳で、妹アイリスディーナの近寄りがたく気高い美貌(びぼう)(なが)めやる。

「アイリス、お前も結婚を理由に()めても構わない」

ベアトリクスも、(あや)しい()みを浮かべながら、脇から口をはさむ。

「相手は、別に木原じゃなくても、いいのよ。

父や議長(おじさま)に言えば、いい男性(ひと)を紹介してくれるわ」

たちまち、アイリスディーナの表情が上気してくる。

 

 

 この(けが)れを知らぬ理知(りち)的で、どことなく高貴な香りを(ただよ)わせる妹。

彼女を、軍隊という男社会の中に放り込む事を、ユルゲンは今更ながら悩んでいたのだ。

「女が(つるぎ)をもって、その(やいば)を血で()らすことはない……。

それに、BETAは今、一番近くて月面だ。

ゼオライマーという強い味方の存在で、人類には、十分すぎる準備期間ができたという事さ」

安心させる様なユルゲンの言葉とは対照的に、アイリスディーナの表情が、にわかに(くも)る。

「兄さんも、木原さんを利用するということですか……

あの方は、見返(みかえ)りを求めずに戦ってくれているのかもしれないのにですよ」

 

「アイリス、いいか。よく聞いてくれ。

俺はこの戦争になった時から、お前たちの為ならば、それこそ悪魔に魂を売って、何でも使う気でいた」

「本気で言ってるのですか」

「もちろんさ」

アイリスディーナは、答える代わりに深々と息を吸い込んだ。

込み上げてくる怒りを、何とか抑え付けているようだった。

「時には、正攻法じゃない方法……。

シュタージに接近して、裏口からこの国の制度を変える。

なんって事も、夢想(むそう)していた……

でも、そんな考えも、現実の前では愚かだった」

アイリスは兄の言葉をあやしんだ。愚かだったとは。

「どういうことですか」

 

 彼女のそうした様子が、ふとベアトリクスを不安にさせてきたのかもしれなかった。

急に、つきつめたその(ひとみ)に涙さえ()しぐんで。

木原マサキ(あいつ)がくれた資料の中にね、こんなことが書いてあったのよ。

シュタージの将軍、エーリッヒ・シュミットは、KGBのグレゴリー・アンドロポフ少尉だってね」

と、彼女は思いきったようにあふれる涙と共に言った。

 

「シュタージの高官が、KGBの正規職員だったのですか!」

アイリスディーナは、世にそんな恐ろしいことがと、いまだ信じられぬ様子だった。

「そうさ。だからもし、ベアをシュタージに送り込んでいたら……」

 

 ベアトリクスは、ユルゲンをじっと見て居た。

こんな深い悲しみの瞳をする彼女を見たのは、ユルゲンには初めてだった。

「私の事はどうでもいいわ。この人は今頃……」

ゆっくりとユルゲンの顔がベアトリクスの顔に近づく。

「泣くな」

そっと、彼女の肩に手を置く。

「ご、ごめんなさい」

「お前さえ、そばにいるなら十分さ」

ユルゲンは、ベアトリクスを咄嗟(とっさ)(いだ)く。

ユルゲンが彼女に与えたキスは、その情熱だけで窒息(ちっそく)させる様なものだった。

*1
"Offiziershochschule der Landstreitkräfte „Ernst Thälmann“"、エルンスト・テールマン陸軍士官学校。1963年から1990年まで存在した東ドイツの士官学校。1964年よりエルンスト・テールマンの名称を用いるようになる

*2
東ドイツの内閣に相当する機関

*3
1945年のベルリン占領の際、ベルリン在住のドイツ婦人の三分の一が、ソ連兵によって辱められたとされる事件

*4
ジーンズの所持が違法だったソ連とは違い、東ドイツでは米国メーカーのジーンズが、少数だが合法的に入手可能だった

*5
台所、炊事場の異名。もとは女言葉




 書いたものを読んでいたら意味不明だったので、書き下ろしエピソードを追加しました。

ご意見、ご感想お待ちしております。


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(いず)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた) 中編

 白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)、ユルゲン・ベルンハルト。
彼の米国留学を前に、軍上層部は動く。
ユルゲンの身辺警護の命を受けた、マライ・ハイゼンベルクの運命は……


 ここは、東ドイツ、ポツダム。

ゲルトウにある国家人民軍参謀本部の一室。

東ドイツの兵権全てを預かる、この場所にマライ・ハイゼンベルクは呼び出されていた。

 冬用コートの代わりに着て来た綿入り服の上着を脱いで、勤務服姿で待っていると、

「よく来てくれたね」と、声が掛かる。

慌てて敬礼した先に居たのは、参謀総長に、ハイム将軍であった。

「まあ、椅子にかけ給え」

参謀総長とハイムは、軍帽を脱ぐと、椅子に腰かけ、

「君には頼みたいことがある」と告げた。

マライは、腰かけるも、クッションの利いた椅子に戸惑いながら、膝に上着を掛けて、

「同志大将、どの様な事でしょうか」と、タイトスカートを押えながら、訊ねる。

参謀総長は、落ち着いた声で話し始めた。

「同志ベルンハルトが米国に留学するのは知っていよう」

「はい」

「実は、同志ベルンハルトと一緒に米国に行って貰いたい。

その際、隠密作戦として、夫婦に偽装してほしい」

「えっ」

答えに詰まって、恥じらっているマライに向かって、顔を向ける。

「これは、同志議長からのお申しつけなのだよ」

そうしてハイム将軍は、詳しい経緯を話し始めた。

 

 ベアトリクスの父、アベール・ブレーメは、全てを政治に(とら)われた人物。

 東ドイツの官界では、そう噂され、秘かに(おそ)れられていた。

また、彼の父の代より、ソ連と関係し、党幹部として権勢(けんせい)を誇る忍人(にんじん)であると。

国家保安省(シュタージ)と関係し、政敵の怪情報(スキャンダル)を握り、排除してきた冷徹(れいてつ)な男としての面もある。

 家族関係もそうではないか、妻はおろか、娘ともろくに口を利かない薄情(はくじょう)な男。

家族すら政治の道具に使い、娘すらも国家の為に差し出す、非情(ひじょう)の人と。

 

 実際は、通産官僚として恐ろしいほど忙しく、家に帰る暇も無かっただけであった。

彼自身は、娘に護衛を付け、何不自由の無い様にさせてやるこそが愛情だと考えていた。

だが、それを娘に()れたユルゲンに指摘されるまで、放置に近い事であると気が付かなかった。

 

 そんな彼も今になって、娘・ベアトリクスの事を心配しだした。

 一番はBETA戦争が一段落し、国家保安省(シュタージ)の統制を引く必要が無くなったためである。

流入してくると恐れたソ連からの難民は、バルト三国とポーランドに収容所を作り、そこで留め置かれた。

そして、BETAの恐怖から、東ドイツ国民の逃亡に関し、然程(さほど)、気を使わなくなったのも大きい。

ただ、内部への監視は引き続いてはいるも、シュミットの乱で、人材が払底した影響は計り知れない。

 二番目は、駐留(ちゅうりゅう)ソ連軍の撤退(てったい)が開始された事である。

東ドイツをソ連の隷属下(れいぞくか)に置く駐留軍の撤退、すなわちソ連の弱体化は東ドイツの環境を変えた。

徐々にであるが、強烈な思想統制も、ソ連への阿諛追従(あゆついしょう)緩和(かんわ)されてきた。

 最後に、ベアトリクスの妊娠である。

この事で、アベールは、密かに(たくら)んでいた、国家保安省を監視する案を放棄(ほうき)せざるを得なかった。

なんで、妊娠した娘を、秘密警察という、その様な(つるぎ)の中に送れようかと。

いくら、忍人とは言えども、自分の娘と孫は可愛(かわい)いのである。

 

 その愛の深さは、彼女がユルゲンと共に行くはずだった渡米留学にも影響した。

まだ妊娠安定期*1にも入らない娘を、米国に送り出す等とはと、議長に(せま)ったのだ。

 『(むかし)馴染(なじ)みの男の申し出も無下(むげ)に出来まい。軍の方で、だれか目ぼしい人間を立てて欲しい』

そう、自分とシュトラハヴィッツ将軍に行ってきたのだと、語った。

 

「まあ、次官には初孫であるし、娘さんもまだ長期出張などで耐えられる体ではないから……」

「それで、わたくしが……」

「君も知っての通り、同志ベルンハルトは大変な美丈夫(びじょうふ)だ。

とにかく彼はモテる。老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)()わずだ」

「はい」

「そこで、ここは一つ、君に護衛任務に就いて欲しいのだよ」

「……護衛任務ですか」

 

 

 何を思ったのか、参謀総長が立ち上がり、執務机の方に向かう。

引き出しから、ファイルを取り出し、老眼鏡で眺めながら、

「同志ハイゼンベルク。君を見込んで頼んでいるのだよ。

君は、婦人兵にしては、露語(ろご)の才能も申し分のないくらい優秀だ。

何も、通信兵としての実務ばかりではない。

拳銃やシモノフ半自動銃の操作も二重丸(にじゅうまる)*2。体操も一般の婦人兵以上だ」

顔を上げた、参謀総長は、目をほころばせる。

「その上、衛士になる転属申請も、しているそうじゃないか」

マライは、手を振った。

「いえ、いえ、わたくしには出来ません」

「ブレーメ嬢が怖いのか。その辺は本人を呼んで、私が説得する」

参謀総長は、不安げにするマライをよそに、自信満々に答えた。

 

 ベアトリクスが参謀本部に乗り込んで、珍しく悶着(もんちゃく)を起こしたのを覚えていたマライは、

「あの方の恐ろしさを(ぞん)じないのですか」と、初めてうろたえの色を現した。

 彼女は、ユルゲンと親しくなればなるほど、ベアトリクスの監視がたえず身にそそがれているのに気づいた。

あの赤い瞳に灯した、ユルゲンへの燃え盛る愛情が、嫉妬(しっと)の炎に代わる事を、何より(おそ)れた。

 忘れもしない、あの、天のゼオライマーのパイロット、木原マサキ。

彼が、ベルンハルト邸を訪問した、その日以来、彼女の(ねた)みを買うようになる事を避けた。

 

「まあ、どっちにしろ、まだブレーメ嬢は19にもならぬ娘御だ。何かあったら私がかばうよ」

そう言って、笑みを浮かべるハイム将軍に不安を覚えながら、マライは自我を抑えた。

「わかりました」

 

 この場で参謀総長や軍上層部と争うのは愚かである。争って勝てっこない。

少なくとも自分は、この国家と軍隊に忠誠(ちゅうせい)(ささ)げている。

ベアトリクスの様な小娘、アイリスディーナの様な世間(せけん)知らずと、同列であってはならない。

今、命令された任務を無事貫徹(かんてつ)させよう。

 アイリスディーナの見合いや、ベアトリクス一人の内心などは問題でない。どうにでもなる。

そのどうでもいい事に、議長のご機嫌(きげん)を損じ、軍上層部と気拙(きまず)くなる等は、愚かであった。

愚かしさよと、ようやく、身の内で落ち着かせる雰囲気を作り上げていた。

 

 

 

 さて翌日。

ベルリンのシェーネフェルト空港*3は見送りの人でごった返していた。

9月の第3火曜日に開催される国連総会に向け、議長が出発する為である。

 

 空港のロビーに来た、ユルゲンのいでたちといえば。

新たに仕立てた外出服の肩と袖にある階級章は、真新しい大尉の物。

上等な灰色のウールサージ製の折り襟の上着に、略綬(りゃくじゅ)を付け、腰に儀礼刀を()き。

センタープレスの()()新しいスラックスに、磨き上げた黒の外羽根(そとばね)式のプレーントゥ。

両手には、大きめのジュラルミン製のアタッシェケースを二つ下げていた。

 

「お前たちもこんな所まで見送りに来なくていいのに」

ユルゲンは困惑したような声を出し、アイリスディーナとベアトリクスの方を向く。

 

 彼女たちの装いもまた、(あで)やかであった。

 ベアトリクスは、ウール製の紺のノーカラージャケットに、同色のひざ下まであるワンピース。

肌色のストッキングに、黒のかかとの低いパンプス姿。

ウェーブのかかった腰まである長い黒髪を、頭頂部で結って、奇麗に纏めていた。

夜会巻きと呼ばれる髪型であった。

 一方、アイリスディーナは、黒のフラノ製のマキシ丈のロングコート姿。

大きめの襟に、ダブルブレストで、同色のベルトを後ろでリボン結びにしていた。

中は、白のハイネックセーターに、紺のロング丈のプリーツスカート。

足元は、黒革の、膝まである編み上げのブーツ。

金糸のような美しく長い髪は、何時ものように風にたなびかせなかった。

翡翠(ひすい)色のラインストーン*4製のカチューシャー*5を着け、ツイスト網を背中に垂らしていた。

 

 

 

 色合いこそは地味であったが、使っている生地や履いている靴の上質な革。

首より下げたネックレスや宝飾品、持っている有名ブランドのハンドバックや腕時計。

 何よりも、二人の()も言われぬ美しさに、周囲の者たちは、しばし言葉を失っていた。

またユルゲン自身も、この世の物とも思えぬ(あや)しい気配(けはい)に、心を騒がさずに居られなかった。

   

「兄さん、忘れ物は」

ユルゲンは、アイリスディーナの(たたず)まいを見て、目をほころばせる。

「昨日の夜の内に確かめたし、今朝(けさ)もう一度確認した」

これはまずいと、妻のベアトリクスはすぐ(さと)ると、ユルゲンの顔色を見て、

「大丈夫よ。もうこの人は大尉だから。士官学校を出たばかりの、その辺の新品の少尉と違うわ」

と軽く笑いながら、アイリスをあしらうと、

「向こうに付いたら、一度連絡をくれれば良いわ」と、袖をつかんだ。

 

 瞳の奥に(うれ)いを(たた)えたベアトリクスは、何時(いつ)になく蠱惑(こわく)的だった。

レッドブラウンのアイシャドーをくっきり入れ、透明感のある赤い目を際立(きわだ)たせて。

形の良い唇には、ダークレッドの口紅をさし、艶々(つやつや)と光らせていた。

白粉(おしろい)*6で薄く化粧(けしょう)をした(ほお)を赤く染める姿などは、実に(あや)しいばかりに見える。

 この若妻は、ソ連留学の時もそうだが、気丈(きじょう)にも涙さえ浮かべず、笑って送り出してくれた。

彼女の男まさりな気強さも、その胸の深い所は別にして、知らぬ人には冷酷(れいこく)に見えよう。

ユルゲンは、じっと無言のまま、彼女の情念(じょうねん)の炎を(とも)した赤い瞳を見つめていた。

 

 しばらくして、ユルゲンは、かたくなっていたアイリスを落ち着かせようと、(なだ)める。

「心配するな、アイリス。俺もお前も幼弱(ようじゃく)の頃から海外暮らしの方が長かった。

ニューヨークの廃頽(はいたい)*7な暮らしも、()ぐに()れるさ」

 

 これには、アイリスディーナも一瞬考えて、押し黙ってしまう。

再び口を開くと、彼女は兄に対する心の中にある不安を打ち明けた。

「ハーレム*8の黒人街やクイーンズ*9南京町(なんきんまち)*10などには近寄らぬようにしてくださいね」

 おもわずユルゲンは失笑を漏らした後、口を開く。

揶揄(からか)っているのか。もうすぐ父親になる男にかける言葉ではないだろ。

たしかにコロンビア大学のキャンパスはマンハッタン島にあるが……」

さっきとは打って変わって、(けわ)しい表情が(ゆる)んでいた。

「住むのは、ニューヨーク郊外の地区だ。

そこに、民主共和国名義で借り上げた宿舎がある。

何なら、隣のニュージャージー*11に、誰かと一緒にルームシェアして住むさ」

「今の所、一番危険なのは兄さんですからね。CIAやFBIが近づいてこないとも限りませんし。

彼等の(めい)を受けた、どんな美人が()()って来るのか、不安です……」

 

まだ納得もできず、言いつのろうとするアイリスディーナの事をユルゲンは抱きすくめる。

「大丈夫だって、安心しろよ。平気、平気だから」

興奮を隠さないアイリスディーナを、やさしく諭すように続けた。

「俺には、心強い、お目付け役が付いているし。

逆に、アイリス。お前が心配だよ。

10月から研修が終わった後、来年1月からどこに行くんだっけ」

「誰ですか、兄さんにつく護衛は」

兄は笑って答えなかった。知らない様だった。

「ヤウクさんもカッツェさんも、アメリカには行きませんよ。

ヤウクさんは、兄さんたちと別行動で、一人英国で、サンドハースト士官学校留学ですし。

それに、カッツェさんは、私と一緒にコトブス県*12北部(ノルド)飛行場に配備される予定です。

基地司令は、ハンニバル大尉。

ですから、兄さんは安心して、ニューヨークで勉学に励んでください。

手紙は、出来るだけ書きますので……」

アイリスディーナの毅然(きぜん)とした声に、圧倒されつつも、笑って答えた。

「わかった」

 

 二人の声が途切れると、後ろに佇むマライが、左袖の内側に付けた腕時計を覗く。

灰色のタイトスカートの外出服、黒色のストッキングとパンプス姿で、待っている様子だった。

「では、ユルゲン君。そろそろ出発のお時間が……」

「今行く。少し待っていてくれ」

ユルゲンは、つい()つのが()しまれては、そう言っていた。

 するとまた、軍靴の足音がして、出発の時間が近い事を告げた。

間もなく、軍帽を目深(まぶか)にかぶり、略綬を付けた外出服姿で、ヤウクが現れる。

「ユルゲン、そろそろ奥方様と別れは終わりにして。議長がお呼びだ」

「では、行こうか。ヤウク」

軍帽を被りなおす*13と、颯爽(さっそう)と、空港のロビーを後にして、貴賓(きひん)室に向かった。

 

 貴賓室の中では、紫煙を燻らせた*14議長が、首相や外相と話し込んでいた。

聞き耳を立てていると、明後日(みょうごにち)開催される国連の一般演説に関しての事らしい。

 ハイム少将が、ユルゲンの後ろに立っているマライに目を向けると、

「一応、大使館から護衛が着くことに、なっているが……

私のほうで、同志ハイゼンベルク少尉を、君の護衛につけるよう手配した」

「同志将軍、ありがとうございます」

そうは答えた物の、ユルゲンは、自身の胸のざわつきに驚いていた。

そんな疑問を頭に浮かべていると、ハイム将軍は深い溜息をついて、

「失礼だが、君は抜けている所があるな。

今度の留学は海の向こうのアメリカだ。ソ連の様においそれと助けることが出来ん。

だから、ハイゼンベルク少尉に護衛任務に就いてもらう。

彼女と一緒に暮らしてもらって、留学を無事終えてきて欲しいのだ」と小声で述べた。

「えっ、そんな」

「美人は嫌いか」

「いや、小官も美人は好きですが、今の話と何の関係が」

「同志議長が、君が、色仕掛(いろじか)けで(くる)わされないかと」

今の言葉が、何処か耳の遠くへ、消えてしまいそうな感じがする。

わずか1週間ほど前に、アイリスディーナの色香(いろか)で木原マサキを(まど)わせた張本人の言葉である。

その内、遠くの議長や閣僚からの視線を感じた彼は、一度黙考(もっこう)してから、

「はい」と(うなづ)くしかなかった。

 

「これって、同棲(どうせい)じゃないか……」

過ぎていく機窓の景色(けしき)をぼんやり眺めながら、ユルゲンが(つぶや)いた。

衝撃的な命令を受けてから、国防大臣からの訓示も、政治将校から生活指導もみんな吹き飛んでしまった。

議長の傍に呼ばれて話した内容もさっぱり覚えてはいない。

警護とはいえ、マライを四六時中側に置くなんて……どうしようもなく恥じ入っていた。

 何処か男勝(おとこまさ)りの(おさ)(づま)や、清楚(せいそ)な妹とは違い、どこか、しっとりと濡れた感じの典雅(てんが)な女性。

二人にない、マライの、何とも(つや)っぽい姿態(しな)に、物腰(ものごし)柔らかな受け答え。

 そんな所が、周囲の気を引いたのだろうか。

ハンニバル大尉と、彼女が付き合っているという、怪しげなうわさも流れた。

大尉も枯木ではない。ないどころか、40代の性も盛んなはずである。

自然、マライの立ち振る舞いや匂いには、ふと心を奪とられても、おかしくはない。

 だが、事実無根だった事は、昨日の事の様に思い出せる。

恐らく、シュタージに目を付けられていた大尉の妻を(おとし)める為の、流言(りゅうげん)だったのだろう。

彼と、妻の関係は問題なく続いている様だ。

何より、アクスマンが泉下(せんか)(きゃく)*15になってからは、噂はなくなった。

 

 第一戦車軍団は、戦術機を扱うため、独自の通信隊を抱える関係上、婦人兵が他の部隊より多かった。

若い男女が同じ屋根の下にいる為か、何かしら(みち)ならぬ(こい)*16旺盛(おうせい)愛欲(あいよく)に悩まされた。

年初(ねんしょ)のヴィークマンの婚前妊娠に始まり、少なからぬ者が人妻や若い通信兵と(たわ)れたりと、醜聞(しゅうぶん)*17(まみ)れた。

上層部から期待されていたベアトリクスが祝言(しゅうげん)()げるや、間もなく懐妊(かいにん)してしまった。

彼女の良人(おっと)で、当事者であるユルゲンは、流石(さすが)に笑うしかなかった。

 

 そんな事もあって、軍団は、恋多き場所と嘲笑(あざわら)れているのも知っている。

軍全体から、やっかまれているせいでもあろうが、事実だった。

『これで、俺がマライに心を捕らえられたりしたら……』

ユルゲンは一人で赤くなりながら、マライに向きそうな視線を、無理に窓に向けた。

 

 マライは、ユルゲンからの恋情(おもい)を感じた途端(とたん)凄艶(せいえん)な流し目となり、耳までほの(あか)く染めた。

年延(としば)えから見ても、この二人は、一対(いっつい)美男(びなん)美女(びじょ)であったばかりでなく、知らぬ人には夫婦にしか見えない。

ユルゲンのそばで、(なが)めていたヤウク少尉は、それを()たむという事すらも、知らなかった。

*1
医学的な定義ではないが、一般的には妊娠5か月から7か月。妊娠16週から妊娠27週の間の事

*2
多くの場合、評価における最良の状態のこと

*3
ドイツベルリン市内にあった空港。1934年10月15日開業、2020年10月25日閉鎖。1945年4月22日のソ連軍占領以後、東ドイツのハブ空港でもあった

*4
ガラスまたはアクリル樹脂製の人造石。今日では裏面に金属を真空蒸着したものを指す

*5
U字型の髪留めの事。大正時代に流行した演劇、レフ・トルストイの小説『復活』の主人公「カチューシャ」から。英語では『不思議の国のアリス』から取って"Alice band"と呼ぶ。

*6
色を白く見せるための、化粧用の白いこな。フェイスパウダー、あるいはプレストパウダー

*7
道義や気風などが、すたれて衰えること

*8
ニューヨーク市マンハッタン区北部に位置する地区

*9
ニューヨーク市クイーンズ区に位置する地区。同区はニューヨーク市内で面積が最大の行政区である

*10
ひろく欧米で支那人居住者で形成され、商業や日常生活に支那色が強くみられる市街地区。チャイナタウン

*11
米国東部にある州。州の北東はハドソン川を境としてニューヨーク州に接している

*12
今日のドイツ連邦ブランデンブルク州コトブス市

*13
帽子のマナーとして、夫人同伴の際や知人の婦人との会話の際は脱ぐのが欧米では一般的である

*14
1990年代後半までは、国際的にも空港内での喫煙は一般的だった

*15
黄泉と呼ばれる、地下にあり、死者の行くとされる所。亡くなること

*16
人が踏み行うべき道からはずれること。特に、不道徳な男女関係。不倫関係の事

*17
聞き苦しいうわさ。特に男女関係の不品行




 ベアトリクスやアイリスディーナの情景描写を、だいぶ増やしました。

ご意見、ご感想お待ちしております。


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(いず)菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた) 後編

 眩いばかりの少女、アイリスディーナ・ベルンハルト。
見目麗しい、その存在は、どこにあっても目立つものだった。
好色な青年将校たちに目を付けられた、彼女の運命や如何に……


 ユルゲンがニューヨークに出発してから、2週間後の10月2日の月曜日。

アイリスディーナは、パンコウの自宅から、ベアトリクスと共にシュトラウスベルクに出掛けた。

そこには、東ドイツの軍政を取り仕切る国防省があり、そこで戦術機隊の研修が行われた。

 

 元々は任官後、間もなく基地配属で訓練を受けていたのだが、変更せざるを得なかった。

理由は、陸士卒と、下士官からの昇進した古参兵(こさんへい)との間に、軋轢(あつれき)が生じた事による。

戦争が4年も続いたので、ユルゲンたちのような空軍転属組と入れ替わるように、古参兵が幅を利かせ始めたのだ。

古参兵たちは、渡世人(とせいにん)*1の様な荒々しい言葉を使い、一家などと称した。

 軍の規則に反し、長靴を野戦服のズボンのすそで覆わずに履く。

首から、私物である米軍風の認識票(ペンダント)を、見せつける様に付けた。

 長い戦争のせいで、軍内部の風紀も乱れたためである。

故に、士官学校卒の新品少尉などは、たちまちもてあそばれ、部隊運営に支障をきたし始めた。

 

 その様な状態を見かねた国防省は、対策を講じる。

戦時編成により、士官学校や教導団の教育が短縮され、訓練時間が不十分。

ゆえに訓練を終えた者を、階級を問わず、纏めて研修会を開くことを決めた。

 

 アイリスディーナは、兄を案じながら、営門をくぐり、4階建ての庁舎に入る。

広間(ロビー)で、兄嫁と別れた後、しばらくして、上階からソ連赤軍少佐の軍服を着た男が、降りて来た。

敬礼をしてきた赤軍少佐に対し、彼女は、立ち止まって返礼する。

その際、男は彼女の顔をまざまざとみてから、立ち去って行った。

『あれが、兄が言っていた連絡員だろうか』

彼女は、すれ違いざまにそう思った。

 

 かつてソ連は、連絡員という監視役を、東ドイツの各省庁に派遣した。

国防省だけで、公然、非公然の連絡員が100人ほどいたが、今は帰国したようである。

 さっき、すれ違った少佐は、駐留軍の引き上げ事務の為に、残されているのだろう。

そう考えて、研修をする3階の会議室に向かった。

 

 会議室で、アイリスディーナを待っていたのは、驚愕の声であった。

室に入るなり、一緒に研修を受けている同輩から、

ちょっ……、もしかしてアイリスディーナなの?」と、黄色い声を張り上げ、訊ねられた。

金糸の様な髪をルーズサイドテールに、その先を三つ編みにしたアイリスディーナは、

「そうよ。どうしたの」と、(いぶか)しんだ顔をする。

 

 彼女の目の前に、集まった婦人兵達は口々に、(かしま)しく、それぞれの思いを口にした。

「ど……、どうかしちゃったじゃないの、その恰好」

「印象変えたの」

その様に、アイリスディーナは、目じりを下げ、笑い、毅然と応じた。

「好きな人が、この姿の方が似合うって……、言ってくれたから……」

 

 人の(うらや)むような金髪を、風に棚引(たなび)かせ、颯爽(さっそう)と歩く姿を知る者たちの衝撃は大きかった。

 あの迷彩柄の戦袍(せんぽう)*2をドレスの様に着こなし、黒一色の軍靴をハイヒールの様に履く。

長身を(ひるがえ)す、その様は、軍神アテネを思わせると、()(はや)したアイリスディーナが。

男装(だんそう)麗人(れいじん)と、後輩たちが(あこが)れた、あのベルンハルト候補生が……。

 乙女(おとめ)のような髪型をして、優しい言葉を述べる様は、周囲の人間を仰天(ぎょうてん)させた。

本当は、気持ちの優しく()()思案(じあん)な娘なのだが、士官学校に入り、あえて兵隊言葉を使う。

男物の野戦服を着て、膝まで長靴の底を鳴らし、凛々(りんりん)*3と兵営の前を歩いて見せた。

彼女が、このような姿をしているのは、指図するベアトリクスが(そば)にいないのも大きい。

 やはり、一番の影響は、木原マサキの存在であった。

『もう少し、女らしく自由に生きてみよ』

その言葉と共に交わした口付けは、それほど強烈であった。

 

 午前の研修を終え、食堂で、一人資料を読みながら、軽食を取って居る折、

「なあ、御嬢さん。となり座っても良いか」と、数名の若い将校が、声を掛けて来る。

 見ると、黄色い歩兵の兵科色をした肩章を、それぞれ付けていた。

彼等の着ている勤務服の生地は、上質なウールサージで、階級や年齢にそぐわない。

恐らく、テーラーで仕立てた物*4

党幹部や軍上層部の公達(きんだち)*5であろうか。

 

 青年将校たちは、色々目立つ自分に、遊び半分で声をかけに来たのだろう。

彼等の様を一瞥した後、つとめて無視するように、顔を(そむ)け、資料に目を落としていた。

すると、間もなく、脇から来た男が、彼女の肩を叩いて、

「ユルゲンの妹さんって、君か」と、声をかけてきた。

 

 輸入物であろうか、Ray-ban*6のティアドロップ型の金縁(きんぶち)のサングラスをかけていた。

形からすると、人気の高いアビエイターモデル*7であろうか。

 男は、中尉の階級章が付いた勤務服を、だらしなく着崩していた。

詰襟と第一ボタンを外し、胸元を大きく開け、布製の襟カラーが見えるほどである。

 

「アンタみたいなお姫様は、こんな奴等と遊んじゃだめだよ」

困惑するアイリスディーナをよそに、彼女の隣に座り、持ってきた食事を摂り始めた。

 

 すると、一人の青年将校が、声を荒げ、

「なっ、何を、もう一度いってみろ」と、憤懣(ふんまん)()る方無い表情で、男を睨んだ。

彼女の脇に座った中尉は、サングラスの下から、立ち竦む男達に侮蔑(ぶべつ)するような目線を向ける。

 

 その場は、一気に邪険な雰囲気に包まれた。

「なんだ貴様、声を掛けたのは我々が先だぞ。割り込みとは、()しからん」

青年将校がつぶやいた一言に、一方のアイリスディーナも、ぴくりと顔をあげていた。

 

 すると音も無く背後より、偉丈夫が現れ、彼女の周囲にいる将校達を一喝する。

「邪魔だ!」

大声とともに、両方の眼と、眉を吊り上げ、仁王の様な形相をして、凄んでみせる。

 声は、部屋の天井に木霊(こだま)し、殺気は轟く雷鳴のようであった。

そのすさまじさに、彼女の周囲にいた者どもは、思わず、あッとふるえおののいた。

そして、にわかに、

「後で覚えていろよ。戦術機乗り(ワルガキ)共が!」と、負け惜しみを言って、引っ返した。

 

 

 アイリスディーナの脇に来た男は、兄ユルゲンの同級、カシミール・ヘンペル少尉であった。 

久しぶりに登場した、このヘンペル少尉に関し、お忘れの読者もいよう。

著者から説明を許していただきたい。

 彼は、元は陸軍航空隊のヘリコプター操縦士で、ユルゲンのモスクワ留学組の同級である。

ユルゲンとゲルツィンの一騎打ちの際に、米海軍の「海賊旗(ジョリー・ロジャー)」隊を引き連れてきた人物である。

 彼女の背後に立つ、トレーを持った見上げるような偉丈夫は、ヴァルター・クリューガー曹長であった。

彼は、兄ユルゲンの部下の一人であり、また信任の厚い人物でもあった。

クリューガーは秘密裏に依頼され、アイリスディーナを見守っていたのであった。

 

 兄は、密かに信頼できる人物を、彼女の(かたわ)らに置くよう、配慮した。

無論、妹アイリスディーナに、よからぬ虫が近寄らぬように、準備していたのである。

 アイリス本人は、兄の、(ちょう)(はな)*8と、扱うのを(わずら)わしく感じていた。

だが、この時ばかりは、兄の配慮を感謝せずにはいられなかった。

 

 ヘンペルは、薄い紅茶で唇を濡らすと、アイリスディーナに謝った。

「おどかして、ごめんね、アイリスちゃん。俺はユルゲンの同級、ヘンペルだよ。

アンタみたいなお姫様は、こうしないと、ちょっかいを出しに来る馬鹿が居るからさあ」

「ありがとうございます。ヘンペルさん。それにクリューガー曹長も」

深々と頭を下げたクリューガーは、彼女へ慇懃(いんぎん)に応じた。

「礼には及びません。同志少尉。兄君(あにぎみ)からは色々私自身が世話になっているので。

こういう機会でなければ、御恩返しは出来ません」

 

 

 

 朝、営門で別れたベアトリクスは、どうしたのであろうか。

妊娠が判明した彼女は、流石に通常勤務は過酷であるとして、戦術機部隊から外された。

そして、戦術機部隊からの転属と言う事で、国防省本部にある大臣官房(かんぼう)に面接に来ていた。

 

 ユルゲンと共に渡米したマライの抜けた穴を埋めると言う事で、妊娠中の彼女を呼び込んだ。

 しかし、それは表向きの理由である。

実際の所は、彼女が、通産次官アベール・ブレーメの娘だからである。

成績最優秀だが、シュタージに近い人物の令嬢で、夫は空軍始まって以来の問題児、ユルゲン。

どの部署も、そんな人物を引き取るのを嫌がり、たらい回しの上、大臣官房にお鉢が回ってきた。

 また、ユルゲンの妻と言う事で、上層部が直に目を配って彼女を監視するために呼びよせたのだ。

つまり、この仕事は、ベアトリクスの首にかかった鈴のような物であった。

 

 無論、そんな事が判らぬ彼女ではない。

 この上ない幸運ではないのか。ぜひ機会を利用し、散々に、暴れ回ろう。

上手く大臣官房を操縦して、ユルゲンの理想の為に。愛の為に。

その様な思いを、密かに胸に抱いて、執務室の扉をくぐった。

 

 

 では、大臣官房というのは、どんな仕事する部署であろうか。

その業務は、一般省庁を例にとれば、法務や秘書、人事等の管理業務や、宣伝、会計、恩給など多岐にわたる。

無論、各省すべてに設置され、省全体の運営に関して調整を行う部局。

10万人近い人員を誇る軍隊では、流石に法務や会計は独立した部門を儲けてはいるが、雑務に関しては他省庁と同じである。

 

 執務室で、5年に及ぶ戦争に関わった人員への、叙勲手続きの書類を決裁している時である。

「失礼いたします」

大臣は、ふと耳を打たれて、振り向いた。

そして肉づきのよい真白な佳人(かじん)の影を、扉の向こうに見た。

 

 年ごろはまだ十八、九か。

とにかく、仙姿玉質(せんしぎょくしつ)たる美貌(びぼう)の持ち主である。

灰色の婦人兵用勤務服という格好であるが、匂い立つような色香までは、隠せなかった。

ウェーブの掛かった長い髪に、綺麗な山形の眉、すっと通った鼻筋の下に、浮かぶ薄い桃色の唇。

さらに、大臣が眼をみはったのは、その真白な面に浮かぶ、紅玉(ルビー)のような赤い目。

潤んでいるように見える眼は、何処(どこ)(うれ)いを湛えているようで、その愁いまでが美しい。

 

「御招きにより出頭いたしました、ベアトリクス・ブレーメです」

と、頬を染めながら、彼女は旧姓で答えた。

こういう場所では、夫ユルゲンの名を出すより、父アベールの名のほうが良いと打算した結果である。

あんまり可憐な受け答えなので、大臣は、(しお)らしさよと、思わず向かい側で微笑していた。

 

 国防大臣は、ベアトリクスの事を詳しく知らなかった。

国家人民軍は、平時人員10万人、戦時動員40万人の巨大組織だったためである。

 将校や職業軍人の下士官の他に、1年半の徴募兵、4年の予備士官、3年の予備下士官等の任期制軍人。

陸海空の三軍に加え、戦時下に軍に編入される国境警備隊*9

そして、建設部隊*10と呼ばれる徴兵忌避者の為の部隊まで管理せねばならなかった。

BETA戦の推移や今後の国防計画で忙しい彼等に、他省庁の幹部子弟にまで目を配る余裕すらなかった。

 

 

 

 士官学校長の(したた)めた推薦状を見て、

「中々、見どころのある士官学校生じゃないか。何、任官したての少尉か」

同時に、配属予定だったアルフレート・シュトラハヴィッツ少将からの手紙も受け取り、

「まあ、かけなさい」

ベアトリクスは着席を促され、間もなく口頭試問が始まった。

 

 国防大臣から直々の試問をうけても、彼女は、自己の才を、調子よく見せびらかす様な真似はしなかった。

あくまで初心(うぶ)で、お(しと)やかな令夫人(れいふじん)のごとく、初対面の貴人へ印象づけた。

 

「なるほど。

アルフレートの吹挙(すいきょ)だけあって、この内室(ないしつ)なら、職員に加えても恥ずかしくはないな」

大臣は、ベアトリクスを一見するや、すっかり気に入ってしまったらしい。

「どうだな。同志諸君はどう思う。彼女は、なかなかよい人相をしているではないか」

秘書官の列をかえりみて、その様に品評して見せた。

そして、即座に採用と、事は決まった。

 こうして、ベアトリクスは、(はか)らずも、東独軍の中枢たる大臣官房に仕える身とはなった。

*1
商売往来に載っていない稼業によって世わたりする無職渡世のこと。やくざ者

*2
戦に着る服

*3
勇ましいさま。 りりしいさま

*4
東独軍では、軍規により大社交服や勤務服をテーラーで仕立てることが許されていた

*5
身分の高い家柄の青少年

*6
1926年創業。米国の光学レンズメーカー、ボシュロム社がつくったサングラスのメーカー。今日はイタリアのルックスオティカに経営権を売却している

*7
1929年に発表され、今日も販売されている人気モデル。占領軍総司令であったダグラス・マッカーサー元帥などの有名人が愛用したことで有名

*8
女児を非常にかわいがり、大切にするたとえ

*9
国境警備隊は、1961年の創設から1971年までは陸軍の一部隊の扱いであった

*10
Bausoldat.1964年9月7日に設置された、良心的徴兵拒否者のための制度。この様な組織は社会主義国では唯一東ドイツ独自の物であった。統計によれば約9万人が参加したとされる




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三界(さんかい)(いえ)()し 前編

 ニューヨークでハイネマン誘拐事件に遭遇した、マサキ。
全権大使である御剣は、警官たちを前に傍若無人な振る舞いを見せつける。
事件に遭遇した彼は、ここが異世界であることを改めて認識させられた。


 ニューヨーク州ベスページにある航空機メーカー「グラナン*1」本社。

1967年型のシボレー・カマロで乗り付けたフランク・ハイネマンの目の前に、突然現れた数人の男達。

社屋(しゃおく)まで駆け込もうとした彼は、怪しげな人物に足を引っかけられ、倒れ込み、

「私共と一緒に来てください」と、取り囲まれる。

そして、起き上がった彼に、懐中からピストルを取り出して、威嚇(いかく)した。

 

 男が取り出したのは、20連射可能なスチェッキン自動拳銃。 

機関銃や自動小銃を携帯できない、治安機関職員向けに開発された拳銃である。

 ソ連製の大型拳銃を見た途端に、ハイネマンの取り乱し方はすさまじかった。

心のどこかに、世界各国の要人を暗殺するKGBの指金ではないか、という疑念を頂いていたのであろう。

「軍事機密を奪うのに飽き足らず、戦術機設計技師の私まで誘拐に来たのか。

ああ、何という強情(ごうじょう)な奴だ。とうとうこんな恐ろしい工作隊まで仕向けて!」

怒りに任し、身体を震わせ、

「来るな!おい、誰か。助けてくれ」と、恨みと(ののし)りの混じった言葉を投げつける。

男は一瞬の隙を見て、ハイネマンに当て身を喰らわせると、車に押し込もうとした。

 

 彼は、運が良かった。

丁度、マサキ達一行を連れた、FBI捜査官が、グラナン本社を訊ねて来たのだ。

 道案内で、グラナン本社のハイネマンでの誘拐事件に遭遇した。

パトカーから降りたFBI捜査官とマサキ達は、騒ぎ声のする方に駆け寄ろうとする。

 誘拐犯たちは、突如現れた捜査官に冷静さを失ってしまった。

大童(おおわらわ)になって、持っていた自動拳銃を取り出すなり、警官よりも早く、攻撃を仕掛けてきた。

 捜査官は、脇のマサキの左袖を引っ張り、車の陰に隠れると、車載無線で応援要請をした。

機関銃で攻撃してくる誘拐犯に対して、携帯する火力が貧弱だったため、応援が来るまでじっと身をひそめることにしたのだ。

 ニューヨークは、全米でもっとも銃器所有制限の厳しい場所である。

それ故、FBIも州当局に遠慮し、派遣している捜査官は、基本軽武装だった。

 そして、この時代のFBIは、現代と違って自動拳銃への信頼性は低かった。

FBI捜査官や特別機動隊(スワット)隊員であっても、回転拳銃への信頼が強かった。

一応、回転拳銃の輪胴部に、弾丸を瞬間装填するスピードローダーという現代の早合(はやごう)が存在して、警官や回転拳銃の愛用者たちは持ち運んでいたが、20連射のスチェッキン自動拳銃にはかなわなかった。

 マサキも合間を見て、M29でマグナム弾を撃ち込んだが、自動車の陰に隠れながらの(めくら)撃ちである。

持ってきた6発の弾を使い切ってしまった。

マサキがスピードローダーで装填する間に、鎧衣と白銀は音も無く敵の背後に回る。

二人して、イングラムM10を取り出すと、(またた)く間に誘拐犯を仕留め、気絶したハイネマンを運び出した。

 

 それから。

マサキ達は、ニューヨーク市警のパトカーで、応援に来た警官隊に、足止めを喰らっていた。

一応、一緒に来たFBI捜査官2名が、マサキ達の事情を説明したが、所轄違いを理由に受け付けなかった。

外国人である彼等が、許可なく拳銃を使った(とが)で、事情聴取を受けていた。

 すると間もなくして、マンハッタンの総領事館から公用車がすっ飛んできた。

キャデラックのストレッチリムジンとともに、荷台に幌をかぶせたボンネットトラックで乗り付ける。

 車から降りた男は、羽織姿で、杖を突き、マサキ達を拘束した警官の前に行くなり、

「彼等を連行することは出来んのだ。何せ私の部下だからな」

「なんですと」

「私は帝国政府の特命全権大使、御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)

「身分証明は!」

「後ろに連れてきた、一個小隊の護衛が、何よりの(あかし)だ」

 彼がそう声を掛けると、兵士達が、一斉に(ささ)(つつ)をした。

彼らは、熊笹(くまざさ)迷彩*2と呼ばれる模様の鉄兜と野戦服に身を包んでいた。

「ハイネマン博士と、彼を訊ねた、そこの3人組の紳士は、ともに(たかむら)君の友人だ。

そして、私は篁君の古くからの友人だ。よって大使館に連れ帰るが文句あるかね」

外交特権を利用した御剣の、あまりの強引さに、警官たちはしーんとなってしまった。

 御剣は、マサキの方を振り向くなり、

「さあ、行こうか。木原君」

「ああ」

さしものマサキも、御剣という男の好き勝手さに呆れて、声も出なかった。

唖然(あぜん)とする警官たちを尻目に、マサキ達は迎えに来た大使館の車に、乗せられる。

  

 

 帰りの車中、リムジンの後部座席に座った御剣は、興奮冷めやらぬマサキに、

「こんなこともあろうかと、斯衛(このえ)軍一個小隊を連れて来たんじゃ」

(たか)の様な(するど)い目を向けると、威嚇(いかく)する様に光らせる。

「武家のおもちゃの兵隊だが、武器は本物。

彼等は、私が撃てと言えば、ためらいも無く撃つ」

マサキを見つめ、冷酷に告げる御剣。

その表情の(けわ)しさに、マサキはたじろいだ。

「こんなことをして、貴様等が奉戴(ほうたい)する皇帝に迷惑は掛からんのか……」

彼は、わざとらしく呆れた顔をして見せた。

 

 マサキは、この世界とはよく似ているが、違う社会制度の日本で育った人間である。

白銀たちの皇帝への態度を見て、ここは違う世界であることをまざまざと見せつけられるような気がした。

 

 目をつぶり、自分の育った、今の肉体である秋津マサトの過ごした日本の歴史を思い起こす。

元の世界では、常に国の歴史の中心に、万世(ばんせい)(きみ)が関わっていた。

遠い神護景雲(じんごけいうん)*3の頃の、怪僧(かいそう)道鏡(どうきょう)*4の害は、言うに及ばず。

国家存亡の(とき)であった文永(ぶんえい)*5弘安(こうあん)*6に起きた、蒙古(もうこ)外寇(がいこう)

 応仁(おうにん)*7の乱を嚆矢(こうし)とする朝廷の衰微(すいび)*8からも、乗り越えて見せた。

幾度(いくど)となく訪れた摂関(せっかん)家や幕府の専横(せんおう)や、皇統断絶の危機から脱出する様は、(まさ)に奇跡としか表現できない。

 あの焦土(しょうど)から立ち直った経済復興、アジアで初開催された国際五輪大会(オリンピック)

 屈辱(くつじょく)の敗戦から(わず)か20年余りの恢復(かいふく)も恐らく、一統(いっとう)の君がおわさねば、為し得なかったであろう。

全世界を驚嘆せしめた事を、まるで昨日の出来事であるかのごとく、思い返していた。

 

 そう言った経緯から、歴史を知る者としては、どうしても、決して軽んじる事のできぬものという認識があった。

天下無双の大型ロボットを操り、人知を超える推論型AIを作って、クローン技術で神の領域を(おか)した男であっても、二千有余年を過ごしてきた存在を無下(むげ)には出来なかったのだ。

 天皇という至尊(しそん)の存在は、それほどマサキを(おそ)れさせた。

 

 しかし、この世界の日本では違った。

古代から連綿(れんめん)と続く皇統、それは同じだが、帝の地位も立場も違った。

 20世紀の電子情報化時代にあっても、政威(せいい)大将軍(たいしょうぐん)という存在が、全てを仕切った。

武家の棟梁(とうりょう)として六十余州(ろくじゅうよしゅう)*9を、かつての征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)と同じように支配した。

 元枢府(げんすいふ)は、悠久(ゆうきゅう)の歴史から、比類なき皇統の権威を(おそ)れた。

皇位をめぐる争いは、政権を揺るがし、時々の覇者(はしゃ)を悩ませ、民心を騒がせた。

有名な例で言えば、承久(じょうきゅう)の乱や 正平(しょうへい)一統(いっとう)*10であろう。

 この件は、扱いを間違えば、国の存立を揺るがし、為政者とて、身を亡ぼす原因にすらなった。

鎌倉や室町以来の苦い記憶を恐れるあまり、帝室の影響力は、極端なまでに削がれていた。

 宸儀(しんぎ)を、九重(ここのえ)の奥深くに押し込め、(とら)われ人に近い暮らしをさせた。

その締め付けは厳しく、覇府(はふ)*11の心ひとつで、大嘗祭(だいじょうさい)*12はおろか、雨漏りする内裏(だいり)の再建も出来ないほどであった。

 

 

 無論、そんな事をマサキは知らなかった。

だから、皇帝の事を口に出したのだ。

皇帝という、何気ない言葉を聞いた、白銀たちが、まるで幽鬼(ゆうき)に会った様に、恐れおののく様を見て、マサキは心から驚いていたのだった。

 

 御剣が、唖然とするマサキに対して声を掛けた。

「フフフ、主上(おかみ)の事か。面白い事を言うよのう」 

先程とは打って変わって、厳しい表情から緩んでいた。

そして、まるで子供に諭すように、

「何を隠そう、実は政威大将軍直々のお申し出なのだよ。

殿下は日本帝国三軍の長で()らせられる方。故に日本の戦術機開発を(うれ)いたのだよ」

「何」

御剣は、驚愕するマサキをお構いなしに、彼の顔を覗き込んで、一方的に話をつづけた。

「斯衛軍の方で、武家専用の戦術機を作ることになってね。

今の激震(げきしん)、日本版のF4ファントムの性能の低さを、殿下(でんか)ご自身が操縦なさって、憂慮(ゆうりょ)されて()られた。

篁君の件もあって、日本と因縁の深いグラナンの設計ノウハウを参考した物を作れと内々にお話が有った。

私の方で、色々手配したが、何せプロではない。

それで、最新型のF14を開発中のハイネマン博士を日本に招聘(しょうへい)しようと準備していた所なんじゃ」

 御剣は席から身を乗り出して、興奮した様子でマサキのほうに近づく。

「ハイネマン博士は、篁君の件があって、日本行きを渋っていた。

そこで君だ」

右の食指を、マサキの方に向ける。

「君がハイネマン博士と会えば、彼を日本に誘い込むことが出来ると思ってね。

ハイネマン博士も、君が東ドイツで散々(さんざん)に暴れ回った話は知って居よう」

 

 懐中よりホープの箱を取り出し、タバコに火をつける。

ゆっくりと紫煙を燻らせ、少しづつ落ち着きを取り戻したマサキは、

「つまり、俺は出汁(だし)に使われたって事かい」

「君の件では、既に官房(かんぼう)機密費(きみつひ)から5億の金が出ている。

これくらい好きにしてもらっても文句あるまい。ハハハハハ」

御剣に冷ややかな声で言われて、マサキは事の重大さに身をすくめるような思いだった。

 

 参考までに言えば、1970年は、トヨタ自動車の人気車、カローラが50万円の時代であった。

2020年のカローラの値段は、最低価格が200万円である。

マサキに対しては、現在の貨幣価値で20億円近い金額が、機密費として使われていたのだ。

 

『政界工作でばらまく現金も、数百億単位で必要であろう……

最悪、海水中に含まれる金を次元連結システムを応用して抽出(ちゅうしゅつ)でもするか……』

マサキは、そんな事を考えながら、総領事館に帰った。

 

 その日の夕刻。

パークアベニューに(そび)える日本総領事館の最上階の一室で、御剣と鎧衣が密議を凝らしていた。

話の内容は、マサキの怪しげな動きについてであった。

 グレートゼオライマー建造の為、戦術機メーカーと折衝(せっしょう)している経緯を御剣に話したのだ。

窓より薄暗くなる街並みを眺めていた御剣は、不敵の笑みを浮かべながら、

「なるほど、木原に気を許すなというのだな」

と、右の方を向いて、直立する鎧衣に顔を向けた。

「はい、自分の見る限り、彼はとんでもないことを(たくら)んでいるような……」

「この私が、気が付かぬと思ったのか」

「ハッ」

右掌を上にし、鎧衣の方に差し出して、

「分かって居るからこそ、殿下の計画を話したのだ」と、彼の愁眉(しゅうび)を開かせるような事を告げた。

 政治を、陰謀を全て知り抜いた老獪(ろうかい)な政治家の言葉……。

鎧衣は、敬服の意味を込めて、頭を下げる。

「恐れ入りました。しかし、彼は殿下の計画に賛成できぬ様子……」

「放っておけ。例え木原が何を企もうが、殿下を裏切るような真似はさせん」

と、言い終わると、窓の方に歩き出し、腕を組んで、黄昏(たそがれ)るニューヨークの街を眺めた。

「分かりました。

殿下の素晴らしい妙案(みょうあん)が円滑に実現できるよう、我が国に(あだ)なす敵の排除、自分は命に代えて(まっと)うする所存(しょぞん)です」

そう言い終わると、窓から身を鎧衣の方に向き直し、組んでいた腕を降ろす。

「良く言ってくれた。期待して()るぞ」

「木原には、つまらぬ考えを捨てる様、機を見て、自分が話しましょう。お任せを」

鎧衣は、そう告げると、再び深い会釈をして、その場を立ち去って行った。

 

*1
現実のグラマン航空機エンジニアリング株式会社。1929年から1994年に存在した航空機メーカー

*2
1970年代初期に自衛隊に採用された迷彩柄で、うすい青緑と茶色と緑色の三色を組み合わせたものだった

*3
767年から770年

*4
古代最後の女性天皇である孝謙天皇より天皇の御位を譲られようとした僧侶。彼の事件の後、女性天皇は9世紀近くその存在自体が禁忌とされた

*5
1264年から1275年

*6
1278年から1288年

*7
1467年から1469年

*8
応仁の乱の結果、朝廷では資金難に苦しみ、全国より寄付を受けねば、新帝の即位式すら開けぬほどであった

*9
日本全国のこと。畿内・七道の六六か国に壱岐・対馬を合わせたもの

*10
南北朝時代にあった足利幕府の内紛

*11
覇者が政務をとる所。転じて武士が作った幕府の事を指す

*12
毎年、秋に行われる国家安寧や五穀豊穣を祈る宮中祭祀




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三界(さんかい)(いえ)()し 中編

 木原マサキの戦術開発参加の報を受け、(うごめ)く怪しい影。
国粋主義者の大伴(おおとも)忠範(ただのり)は、マサキの親米路線を警戒し、策をめぐらす。
大伴の策を前にして、マサキの運命や如何(いか)に……


 木原マサキは、フェイアチルド・リムパリック*1社からもらった図面を開いていた。

それは、1978年に採用されたばかりの最新鋭機、A-10 サンダーボルトⅡ。

戦車級とよばれる小型BETAを一撃の下に撃破する目的で、開発した機体である。

 両肩から懸吊(けんちょう)した2門のガトリング砲GAU-8・アベンジャー。

復仇(ふっきゅう)者の名を持つ火砲は、30×173ミリ*2弾を高速で打ち出して見せた。

ゼネラル・エレクトロニクス*3が作った最新兵器である。

 

 この圧倒的大火力は、BETAの群れを打ち消して見せた。

その様を見た衛士たちから、いつしか、イボイノシシと呼ばれ、恐れられた。

 

 ずんぐりむっくりした姿を見たマサキは、自身がかつて作った八卦ロボを思い起こす。

一番最初に作った、全身に500発のミサイルを搭載するロボット、山のバーストン。

その姿を重ね合わせて、ひどく惚れこんでしまった。

 

 ただ、搭載する火器があまりに貧弱であることを憂いていた。

かつて山のバーストンの脚部に計18発の核ミサイルを搭載した男である。

『30ミリ7連ガトリング砲では、パイロットも機体も無事帰還できるか、怪しい。

背面の増槽(ぞうそう)や脚部に、ミサイル発射装置を付けるか』

元の世界にある米空軍の近接航空支援戦闘機、A-10を思い起こす。

『同じ名前の戦闘機の様に、マーベリックミサイルやサイドワインダーを用意する。

空対地ミサイルは光線級の攻撃を受けても、BETAにも有効であろう。

これを全身にくまなく配備すれば、計12発ぐらいは積めるはず』

 

 美久に入れてもらった熱い茶の湯気を見ながら、一人しみじみ考える。

『そしてこれをうまく活用すれば、将来起こるソ連膺懲(ようちょう)の戦いをうまく運ぶ道具になろう』

ソ連の機甲師団が、30ミリ機関砲の元、鉄くずになっていく様を、脳裏に思い浮かべる。

満足げに不敵の笑みを浮かべ、紫煙を燻らせた。

 

 

 

 

 

 米国の戦術機メーカの改良に木原マサキが参加した。

日本国内で、その噂が出ると間もなく、マサキのスカウト合戦が始まった。

 

 木原マサキが、新型戦術機に興味を持ち、

「公私ともに、暇な時間に図面を手直ししたい」

という話が、いつの間にか、

「日米両国の最新戦術機を作ってみたくなった」と、本来と違う形で天下に広まった。

 

 

 その話を聞いて蒼くなったのは、大伴(おおとも)忠範(ただのり)とその一派だった。

過激な民族主義思想を信奉(しんぽう)する彼等の目的は、「純国産の高性能戦術機の完成」

日本独自設計の新型戦術機の制作と、海外製戦術機、特に米国製戦術機の排除。

 その為には、戦術機開発で先行しているソ連の先進技術を日本国内に導入する必要がある。

大伴一派は、F4ファントムの納品を遅らせた米国の事を完全には信用していなかった。

 

『米国製の戦術機を日本から、東亜から駆逐するにはソ連科学アカデミーの英知が必要』

 大伴はそう信じて疑わなかった。

故に、ソ連赤軍の技術陣に近づく姿勢を隠さなかった。

 

 木原マサキの参加で、彼の技術をものにできると、喜ぶ者ばかりではなかった。

 もし、日米両国にしがらみのない木原が、戦術機業界に参加したら、どうなるか。

戦車よりも脆く、航空機より割高な戦術機の値段が、木原の参加によってどれだけ高騰するのやら。

 

 

 昨年の夏、BETAの禍に混乱する支那(しな)に、颯爽(さっそう)と現れた、天のゼオライマー。

光線級の攻撃を物ともせず、勝ち誇る万夫(ばんぷ)不当(ふとう)のスーパーロボット。

遠方より幾千万(いくせんまん)のBETAを一撃の下に、血煙に変えるメイオウ攻撃。

あらゆるものを内部から崩壊させる衝撃波に、座標設定すれば、自在に打ち込むことのできる次元連結砲。

 日本国内の戦術機メーカーも、また、ゼオライマーに興味を持った。

対BETA戦での圧倒的な力を見せつけられ、米ソを手玉に取った男、木原マサキ。

彼等は、マサキの事を必要以上に(おそ)れた。

 

 

 大伴は、この件で、自分の派閥に属する者を通じて、光菱(みつひし)重工と大空寺(だいくうじ)財閥の関係者を頼った。

早速、マサキが参加しているA-10 サンダーボルトの試験機購入をしている両者を呼び寄せ、

「DC-3の(ひそみ)(なら)ってくれまいか」と、告げた。

 

 DC-3とは、現実世界で、1935年に作られたダグラス・エアクラフト社の大型双発飛行機である。

世界初の大型商業旅客機としても、軍用の大型輸送機しても、その後の航空機産業や航空旅客業に与えた影響は計り知れない。

世界各国でも注目され、日本とソ連の両方でライセンス生産がなされたほどであった。

 日米両軍は、ダグラス社の同じ輸送機で大東亜戦争を戦い、米ソ両国は冷戦初期、ベルリン上空を同じ輸送機で飛び回ったのだ。

BETAの侵略を許した、この異世界でも、その歴史の流れは同じであった。

 

 さて、大伴の意見を受けた彼等と言えば、困惑していた。

「大伴さん、国産機開発の(はた)()りをしているあなたが、そんな弱気でどうなさる積りだ」

光菱重工の専務は、憤懣(ふんまん)()る方無い表情で、大伴をなじった。

「木原の裏をかく。その為に、光菱重工と大空寺さんに汗を()いて欲しい」

淡々と語る大伴を見ながら、大空寺財閥の総帥、大空寺(だいくうじ)真龍(まりゅう)は、

「儂の方では、戦術機の互換部品しか収めてないからのう……本体の方はちょっと」

と言葉を濁した。

 

 大空寺には別な考えがあった。

国際金融資本と近しい関係の彼は、親ソ容共の大伴と関係したのはあくまでも木原マサキ対策である。

もとより、大伴の考えに完全に賛成したわけではなかった。

将軍を頂点とする(ゆが)んだ国粋主義思想には、一定の理解を示しながらも、本心としては一定の距離を持ちたかったのだ。

 

 電子部品をも扱うフェイアチルド社の案件に、日本企業が関われば、国際金融資本の逆鱗(げきりん)に触れやしないか。

 このBETA戦争も、ユダヤ商人や米国の石油財閥の援助無くせば為し得なかった部分もある。

国粋主義は結構だが、それに(おぼ)れる青年将校達は余りにも幼稚過ぎる。

現実がさっぱり見えていないのではないか。

大空寺真龍の中にある商人としての感が、そう訴えかけたのだ。

 

 大空寺は、各種財閥の間を()って金儲けをしてきて、あざとい商人である。

先程の大空寺の戸惑った表情に眉をひそめる大伴を(なだ)めようと、おだてるような事を言った。

「しかし、やるもんですな。陸士創設以来の秀才。

さすがの儂も、聞いていてあっけにとられましたわ」

大伴は紫煙を燻らせながら、頭を掻いた。

「大空寺さん、一体どうやって木原を」

「貴殿には黙って居りましたが、儂の方で、斉御司(さいおんじ)の若様を手配しております」

その言葉を聞いた大伴は、眉を開き、

「それは助かる。

さしもの木原も、お武家様のご登壇(とうだん)とあらば、身動きできますまい」

「おまけに五摂家の協力もある。天才科学者、木原マサキの自滅も確実って、訳だ」

 

 その言葉に光菱専務は慌てて、かすれた声を上げた。

「そんな大事が、もし木原の耳に入ったら……」

専務は、木原マサキとゼオライマーの復讐を恐れた。

マサキに知れ渡ったら、国産機開発どころか、二度と朝日を(おが)めなくなるではないか。

「大丈夫ですよ。フフフ、我々を裏切らない限り、木原には漏れ伝わりますまい」

「大伴中尉。ああ……貴方は、なんて恐ろしいお方だ」

「さあ、斉御司の若様に、この後の事はお任せしようではないか」

光菱専務と入れ替わり、大空寺は大伴に近づき、酒杯を掲げる。

「よし、乗った」

商談成立を祝して、彼等は乾杯し、細かな打ち合わせに入った。

 

 専務は、恐ろしい企みを聞いて、不安になった。

ふと、マサキの荒々しい心を鎮めるために何ができるかを考え、

『こうなれば、娘の一つでも差し出して命乞いでもするか』と、いう結論に至った。

その足で彼は洛外にある妾の家に転がり込むと、(めかけ)とその間に出来た娘を呼び寄せた。

 

 専務は、娘の手を握るなり、

「お前達には申し訳ないが、この帝国の先行きの為に犠牲に成って欲しい」

と、平謝りに詫び入って、深々と土下座して見せた。

「ま、まさかっ……」

妾の表情が凍り付いた。

「木原マサキという科学者の情婦(いろ)になって欲しい。博士はなにしろ優秀なお方だ。

きっとお前との相性はぴったりだ」

「どういうつもりですか。この子はまだ15になったばかりですよ……」

 

 マサキ達が居た世界の日本とは違って、この世界の日本の迎えた大東亜戦争の結末は異なった。

原爆投下も都市部への無差別爆撃も無く、そして国土占領の末の無条件降伏でもなかった。

形ばかりの措置として、将軍の権力を削り、米国を納得させたのだ。

 米軍は、ナチスドイツとソ連の影響力を恐れ、日本帝国に寛大な処置での講和を受け入れた。

憲法典はおろか、軍隊や官僚機構は温存され、法制度も戦前のままであった。

 

 旧民法典の婚姻年齢は、男子17歳、女子15歳である。

この専務の庶子(しょし)は、丁度15になったばかりの(うるわ)しい少女であった。

 

 娘と言えば、その狼狽(ろうばい)ぶりは哀れなほどであった。

「ああっっ、あんまりよ。それに女学校にも通わせてくれると言ったはずだわ」

肩を小刻みに振るわせて、端正な美貌を、父への怒りとマサキという見知らぬ男への恐怖に引きつらせる。

 男は、再び、深々と土下座をすると、顔を上げぬまま、滂沱の涙にくれた。

「恨むならこの私を、無力な父を恨んでくれ。

そして木原の元に(とつ)がざるを得ないことを帝国の為と思って、(ゆる)してくれ」

妾と娘は、二人して自らの運命を呪い、紅涙(こうるい)を絞った。

 

 

 

 さて、場所は変わって、ニューヨーク州ファーミングデール。

 一台の1959年型キャデラックが、フェイアチルド社の本社に乗り付けた。

中から降りてきた若い日本人の男女一組。

 男の姿と言えば。

灰色の山高帽(ダービーハット)に、ラッコの毛皮襟がついた、向う脛まで有るフラノのアルスターコートを羽織り、サキソニー織の濃紺のダブルの背広上下に、山羊革の黒い手袋とモンクストラップの靴といういでたち。

 女の方は、長い黒髪をアップに結って、黒縁のベークライトの眼鏡に、分厚いフラノの濃紺のリーファーコートを、胸元の大きく開いた黒の婦人用スーツの上に重ねて、黒のタイトスカートを履き、黒い絹のストッキングに紺のローファーパンプスという格好だった。

 後から、別な車で来た使用人たちは、手に手に大きなアタッシェケースを持ち、彼等の後を追う。

 

 

 丁度、フェイアチルド社の門前にいたマサキは、制服の上から冬外套を着こんだ市警巡査とタバコを燻らせ、談笑していた。

 (くだん)の男女は、警備をする警官隊に握手をすると、建屋に入ろうとした。

 脇を通り抜けようとする一組の男女に、不敵の笑みを浮かべ、

「天のゼオライマーのパイロット、木原マサキとは、俺の事だ」

と、握手に応じるべく、寒さでかじかんだ右手を差し出した。

 

 

 男は、驚く様子も無く、帝国陸軍の茶褐色の勤務服を着たマサキの面を、(にら)むなり、 

「冥府から来たBETA狩りの男。支那(しな)で情報省に拾われた科学者とは、君の事か。

流れ者とは親しくしない主義でね」

その言葉を聞いた、脇に居る女秘書も、面白がって、

「戦術機の設計技師というから、もっとお年寄りと思ったわ。ニューヨークに何しに来たの」

その態度に、マサキは思わず、

「俺を呼んだのは、フェイアチルド社の方だ」と、失笑を漏らした。

「五摂家の一つ、斎御司(さいおんじ)家、嫡子(ちゃくし)。名は経盛(つねもり)だ。

次期当主という立場もある。悪く思わないでくれ」

右手で帽子を脱ぐなり、胸元に抱えて、

「それとも、君は各国政府首脳との直通電話(ホットライン)を持っているのかね。

それなら話は聞くのだが」

「西側はないが、東側ならある。支那と東ドイツは、俺の一声ですぐさ」

 

 途端に、斎御司の顔色が(くも)った。

 この冷戦時代に、その一言は不味かった。

東側と直通電話を持つと言う事は、容共人士とみられても、仕方のない行動だった。

マサキ本人は、ソ連への憎悪に燃え、反共の志操(しそう)を持ち、自由社会の美風(びふう)を楽しむ人間である。

 野望の為に、赤色支那や東欧の社会主義国を利用し、ソ連を弱体化させる。

世界征服の手段の為には、あえて共産国と手を結ぶ方便(ほうべん)を使ったのだ。

だが、様々な事情を知らない、斎御司の目には、如何(いかが)わしい人物に(うつ)った。

 

斎御司は、不敵の笑みを浮かべ、

「いよいよ、()うに困って、東側の御用(ごよう)()きを始めようっていうのかい」

脇に居る女秘書も、笑い声に連れられて、

「キャハハハハハ」と、白い歯を見せるも、途中でバツの悪そうに口を右手で覆った。

斎御司は、歩み寄って、マサキの面前に顔を近づけると、

「消えてくれ」

そういって、そっけなく右掌をマサキに見せつけ、

「断っておくが、同じ日本人だなんて(つゆ)ほどは思わないでくれよ。

日本にいた所で、君が僕に対して簡単に口をきける立場か」

 紫煙を燻らせながら佇んでいたマサキの前に、脇に居た女がしゃしゃり出てきて、

「さあ、早く消えて頂戴(ちょうだい)。若様はお忙しいのよっ!」

と右手を腰に当てて、左手で、しっしと追い払った。

 

 護衛についていた日系人警官が思わず、

「どうしたんだ、木原。話がさっぱり分からないのだが」

と、困惑する姿を横目に、マサキは、内心あきらめに似た感情をいだきながら、口を開く。

「散々、この俺に頭を下げて、ゼオライマーを使い倒して、今更、関係ないか」

 マサキは、一語、そう呟いたきりだった。

五摂家の姻族である御剣などと関係し、この世界の武家へ薄い期待をしていたのだが……

それも今は、絶望のほかなしという結論だったのである。

 

 顔いろに()えがなく、どこか心に(よど)みがあるのは間違いない。

周囲の狼狽(ろうばい)をよそに、遠くをを眺め、呟いていた。

「良かろう、斎御司よ。今の言葉憶えて居るが良い」

と、アハハと乾いた笑いを浮かべる。

しかしその目はなおも、グレートゼオライマーの完成図をじっと思いえがいているふうだった。

「月面征伐の暁には、貴様とその女をBETAと同じように地獄を見せてやる」

満面に喜色をたぎらせて、マサキは、その場から立ち去って行った。

*1
現実の航空機メーカー、フェアチャイルド社

*2
STANAG 4624とも。Mk 44 ブッシュマスター IIやマウザーMK 30 30mm機関砲に対応するNATO対空機関砲標準弾である

*3
現実の総合電機メーカー、ゼネラル・エレクトリック。1892年創業




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三界(さんかい)(いえ)()し 後編

 マサキは戦術機の開発に参加しながらも、アイリスディーナに思いを寄せていた。
そのことを、日本人留学生の涼宮(すずみや)青年に指摘され、彼は戸惑ってしまう。
冷血漢マサキを変えたものとは……


 マサキは、翌日も白銀と共に、ニューヨーク観光に出掛けた。

昼頃から南華(ノムワー)茶室(ティーパーラー)という中華料理の奥座敷に居た。

人気店だが、3人以上だと予約が可能と言う事とで、白銀の知人の日本人青年を誘って。

 

 白銀から、涼宮(すずみや)宗一郎(そういちろう)という青年を紹介された。

彼は早稲田*1卒で、大企業に勤め、北海漁業で通訳をした後、外語大*2に再入学した。

一流企業のビジネスマンから転身した、異色の経歴の持ち主。

今は、フルブライト奨学生(しょうがくせい)として、コロンビア大に留学中だという。 

 

 紺のツイードの背広上下に、灰色のハイネックセーターだが、強健な体つきが一目瞭然だった。

ラグビーで鍛えた筋肉の付き方は、サッカーなどをするほかの留学生とは違った。

 170センチを越えた(たくま)しい姿を見てマサキは納得していた。

『真冬のベーリング海で、(かに)漁師の屈強(くっきょう)な男達に混ざって、米ソ両国の漁船団員の通訳をした』

白銀のいう話は、まんざら嘘ではなさそうだ。 

 

「白銀さんもお元気そうで。そちらの方は」

会釈(えしゃく)をする涼宮に、マサキは、

「まあ、掛けろや」

そう言って、「ホープ」の箱を取り出し、ガスライターでタバコに火を点けた。

 マサキは、涼宮という青年をじろりと見回した。

 短く刈り込んだ髪型に、濃くて太い眉。力強い目に、逞しく張った顎。

(たかむら)程の美丈夫(びじょうふ)ではないが、ピンと伸びた背筋に、分厚い胸板という精悍(せいかん)風貌(ふうぼう)

露語(ろご)専攻の留学生というより、武闘家というような雰囲気を放っていた。

 マサキは、何処(どこ)か安心感を感じていた。

逆にその方が、自分の(こま)として使いやすそうに思えたからである。

 涼宮は、通り一遍(いっぺん)、自己紹介をした後、にらみつける様にして、

「貴方は……、本当に軍人なんですか」

と訊ねて来たので、マサキは、目を爛々(らんらん)(かがや)かせ、

「職業軍人ではないが、俺の利益になるときは、日本政府の為に動く。

そして、政府も()れを追認する」

「貴方の噂を聞いた事があります」

「どんな話だ」

「世界を股にかける闇の戦術機乗り、悪魔の天才科学者」

「ハハハハハ、闇の戦術機乗りか!気に入った。ハハハハハ」

マサキは、北叟(ほくそ)()みながら、問いただした。

「なあ、涼宮よ」

「はい」

「ユルゲンと同じ研究室と聞いたが……」

「東独軍のベルンハルト中尉と、どんな関係ですか」

マサキは思わず、眉を顰める。

「まさか、あの物(すご)い美人の妹さんと恋仲(こいなか)なんかに……」

その言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けるような気がした。

 

 マサキは、(あき)れた。

世の冷たい風から隠しておくべき妹の写真を、よく知らぬ異国の留学生に見せる愚かさに。

 本当に大切な女性(ひと)なら、妻であろうと、姉妹であろうと、また母であろうと。

世の()えた野獣(やじゅう)たちから、隠すべきではないか。

 ユルゲンは、忘れたのだろうか。

(おの)が父が、KGBの操り人形である国家保安省(シュタージ)策謀(さくぼう)で、妻を寝取(ねと)られた事を……

 素晴らしい宝石だからと言って、自慢する様では、強盗犯を誘う様な物である。

日本人の、東亜的な儒教文化圏で、育ったマサキには、ユルゲンの妻や妹を見せびらかせる神経が理解できなかった。

『よもや、懐妊(かいにん)中の妻の事など話してはいまい……』

他人ながら、ベアトリクスの苦労がしのばれた。

 

 結論から言えば、マサキの杞憂(きゆう)であった。

涼宮は、ユルゲンに関する資料を、ポーランド人の教授に見せてもらったのだ。

それは、アクスマン少佐が、CIAに10万ドルで売り込んだ個人資料集(シュタージファイル)(もと)にしたである。

 大統領補佐官を務める教授は、日本との関係も深かった。

副大統領の弟とともに立ち上げた、日米欧の若手政治家の懇親会、「三極委員会」の重要メンバーでもあった。

 同教授は、成績優秀な涼宮を目にかけて()り、彼を手厚く指導した。

涼宮は、マサキがKGB長官と話した録音テープの真贋(しんがん)鑑定や、機密文書の分析に立ち会う程であった。

 

 マサキは気を取り直すと、静かに応じる。

「俺の心に、魔法の様に火を点けた……そんな存在さ」

紫煙を燻らせながら、気取った言葉を彼らの前で披露して見せた。

彼が、己の心の弱さを悟られぬように、強がって見せた答えでもあった。

 

 冷たくあしらわれるかと、内心恐れていた涼宮は、マサキの落ち着いた声を聴いて安心した。

そして、如何にアイリスディーナとの恋が危険かを、情熱を持った口調で話しだした。

「木原さん。ベルンハルト嬢の事を、本当に愛するならば、身を引くべきでしょう。

彼女は、有名すぎる兄の為に、政争の道具として利用されています」

そう言うと、涼宮は胸ポケットよりマホガニーのパイプを取り出し、悠々と燻らせた。

 

 口惜(くちお)しいが事実であるのは、認めざるを得なかった。

あの時、ユルゲンが、議長が自分の気を引くために、アイリスディーナと合わさせなかったら……

永遠に、彼女と知り合う事は、なかったであろう。

 わずかな事実から、その様な事を見抜くとは……

マサキは、涼宮青年の洞察(どうさつ)力に、舌を巻いた。

だが、マサキは、涼宮の忠告を、てんで受け付けなかった。

「お前は俺の事を馬鹿にしているのか。

アイリスディーナの、俺への愛が、(いつわ)りだというのか」

 

 アイリスディーナの可憐な姿や純真な思いから、その様な策謀に彼女が参加するとはとても信じられなかった。

沈黙するマサキに向かって、涼宮は続ける。

「愛の(きずな)というのは、そんなに(もろ)い物でしょうか。

肌に触れるだけや、一緒に朝を迎えるばかりが、愛の(すべ)てでは、ありません。

たとえ、千里(せんり)*3の距離を離れていようとも、心の深いつながるもの……

一日三秋(いちじつさんしゅう)*4の想いで、待ち()がれていても、色あせぬものでないでしょうか」

 

 話を聞いてるうちに、正面に座ったマサキの顔がみるみる紅潮していく。

苦笑(にがわら)いを浮かべ、手を振り、 

「ワハハ、待て待て、俺はアイリスディーナに、指一本触れてない」

明け透けに話したつもりだが、流石に、口付けした事実は心の中に秘した。

彼らしくなく、あの夜の事は、思い出すだけでも顔から火が出るような恥ずかしさだった。

「それに……」

マサキは、薄ら笑いを浮かべ、思わせぶりに間をおいてから、

「アイリスディーナの名を、途方(とほう)も無く大きく、天下に(とどろ)かせる物にしてやろう。

そんな大人物となった彼女を、我が物とした方が、その感慨(かんがい)も、また格別(かくべつ)であろう」

紫煙を燻らせながら、興奮した調子で、まくしたてる。

その話を黙って聞いていた白銀も、めずらしく、胸が高ぶって、どうしようもなかった。

「涼宮よ。この木原マサキ、天のゼオライマーが、どれ程の物か。証明してやる。待っておれ」

 マサキは照れを隠すように、不敵の笑みを浮かべて見せる。

涼宮は、ただただ、マサキの変貌(へんぼう)ぶりに戸惑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 マサキはそれから、自分が定宿(じょうやど)にしているホテルに戻った。

彼は、戦術機の図面を目の前にして思い悩んでいた。

彼が、元の世界で図面を書いて作った八卦ロボは全高50メートル、総トン数500トンの大型機体である。

航空母艦での運用や輸送トレーラーでの戦地運搬など考えてもいなかった。

 一応、超大型輸送機、双鳳凰という双胴体型のジェットエンジン航空機を2機作った。

だが天のゼオライマーや、兄弟機である月のローズ・セラヴィーは、自力飛行が可能である。

背面の推進装置を利用して、目的地まで、そのまま飛んでいけばよいとしか考えなかった。

 

 自分が生前いた世界とよく似た歴史を持つ、この世界のロボット、戦術歩行戦闘機。

航空機と宇宙空間の作業用パワードスーツを組み合わせて、完成したものである

腰部に申し訳程度の接続装置を付け、そこで方向制御するのが一般的だった。

故に、マサキが得意とした背面の推進装置は、非常に技量のいるものとされ、珍しがられた。

 

 斯衛(このえ)軍での訓練期間中に、運転シミュレーターに触って見たのだが、安定性のあるゼオライマーと違って乗り心地も悪く、操作性も癖が強かった。

戦闘機パイロット出身のユルゲンは、そんな海の物とも山の物とも分からない物を自在に操るとは……

エースパイロットであるばかりではなく、英語と露語を自在に操り、人を惹きつけるような(うれ)いを帯びた青い瞳の美丈夫(びじょうふ)

妹、アイリスディーナへの異常な執着心と、アルコール中毒を招きかねないほどの深酒に溺れる悪癖さえなければ、本当に理想的な男であろう。

 東ベルリン初訪問時の懇親会で、『大してモテた事がない』と、ユルゲンは謙遜(けんそん)していた。

それは恐らく、彼の周囲にいる人物が、並外れた容姿の持ち主のためであろう。

余程の事がない限り、近づく女はいなく、皆、彼が周りに(はべ)らせる美女を見て、気後(きおく)れしてしまう。

 

 あの監視役として来ていたハイゼンベルクも、しっとりと濡れた細面(ほそおもて)の冴えた美貌の持ち主だった

そんな人物でも衛士の教育を受けさせる準備をしていたというのだから、よほどであったのであろうか。

欧州でのBETA侵攻の恐怖は、嘗ての蒙古人襲来以上なのは間違いなかろう。

 

 そんな事を考えながら、F4ファントムの図面に朱を入れていた。

人型である以上、その体重を支える脚部に何か強力な推進装置が必要だ。

脚部の徹底的な改修をと、図面に朱を加える。

 一応、ゼオライマー同様、最低限の格闘戦も可能なように、強力なフレームとモーターに換装した。

人工筋肉や、間接思考制御という怪しげな技術に関しては、事情を詳しく知らない。

だが、この存在が戦術機開発や操縦のデメリットになっていやしないだろうか。

 

 だんだんと考えが煮詰まって来たので、一旦冷静になるために、ホープの箱を取り出し、紫煙を燻らせる。

冷めた紅茶で唇を濡らしながら、図面を見つめ直す。

まるで、落第点を喰らった回答用紙の様に、図面は朱色に染まっていた。

 

『書き直した方が早いのでは』

 

 そう考えたマサキは、製図版に張られた図面を取る。

送られてきた封筒の中に、四つ折りにして仕舞いこみ、放り投げた。

新たにA0判の新用紙を取り出すと、タバコを咥えた侭、製図板に張り直す。

 

 製図版に烏口(からすぐち)を走らせながら、内臓コンピュータと操作システムについて考えた。

光線級の攻撃を防ぐために張り巡らされた重金属の雲の下を走り抜ける戦術機には、通信機能が強化されているとはいえ、電波航法システムに依存している。

 元の世界では、1978年に米軍は全地球衛星測位システム*5が作られ始めていたが……

ちょうど、この世界では人工衛星を用いた大気圏迎撃システムが構築され始めている。

おそらくGPSに似たシステムがあるのだろうが、活用しない手はない。

 

 そして、GPSによる電波航法と自らのセンサー類に基づく自立航法が簡単に出来るようなシステムを組み込めたらと、夢想してみる。

ただ、同様の事は戦術機の技術者でも考えている者がいるだろうから、それらにまかせるとして、簡易版の人工知能装置について考え始めた。

人工知能は、パイロットが意識を失っても基地に帰還可能な自動操縦装置と、自動射撃補正は必要であろう。

 

 

 かつて、自分をだまして殺した元の世界の日本政府の様に、この世界の日本政府も命を奪いかねない。

現にソ連からは複数回、命を狙われたのだ。

 

『備えあれば患いなし』との言葉通り、設計している戦術機の改良型には、裏口(バックドア)*6を仕掛けよう。

ダイダロスが作った青銅の巨人タロス*7の様に、この自分とゼオライマーの危機の際は、敵を殲滅させるのも一興だ。

 

その様な事を考えつつ、無人の戦術機にゼオライマーからの秘密指令で動く大型ロボットと変化する自動操縦のプログラムを仕掛けることにした。

 マサキはBASIC言語*8で、八卦ロボの操作システムを作った男である。

戦術機のシステム改変で、裏口(バックドア)システムを仕込む事など造作もなかった。

射撃補正のシステムに関する簡単なメモを、書き加えながら、マサキは、一人ほくそ笑んだ。

 

 

 

 結論から言えば、マサキのかき上げたF4ファントム、A10サンダーボルトⅡの図面は全く別な機体になっていた。

機体の頭部、上半身の外装部品こそ、元の面影を残しているが、下半身はまったく別物だった。

 まず、機体を支える脚は2倍から2・5倍の太さになった。

脚部の背面部分は、新造の推進装置に置き換えられ、まるで放熱板を並べる様に付けた形になっていた。

腰部の噴出跳躍システムは外され、新造された草摺(くさずり)*9型の推進装置を、腰回りを覆う様にして付け足した。

その姿は、まるで古代の挂甲(けいこう)を身にまとう武人をかたどった埴輪(はにわ)の様に見えた。

 

 背中の可動兵装システムは複雑で、特許関係もあるので、温存した。

ただ意見として、突撃砲のシステムは、ブルパップ方式から従前型の自動小銃の形に変更する様、書き添えた。

 ブルパップ方式は、たしかにハイヴ攻略の閉所戦闘では、取り回しが楽で使いやすい。

ただ、再装填時の弾倉を取り替える為に行う動作の大きさは、場合によっては危険を伴う。

そして、全長が短くなっている分、照門と照星の間の距離は短くなり、狙いが定めにくくなる。

 無論、戦術機に搭載されている補正機能で補うから問題は無かろうが、非常時の目視標準が出来ないのは、十分なデメリットではないのか。 

長銃身の方が、機関砲の冷却が十分に出来るし、装薬量を減らして銃身や銃本体の寿命が伸ばせられる。

長銃身の機関砲を標準装備したほうが生還率が上がりそうだが、この世界の人間の考えることは良く判らない。

 

 

 先に(たかむら)に渡した図面にかいた月のローズ・セラヴィーの必殺兵器、ジェイ・カイザー。

一撃で山を吹き飛ばすほど強力なエネルギー砲であるが、次元連結システムがなければ連射は出来ない。

 鉄甲龍の同僚ルーランが改良したように、エネルギーチャージシステムにするにしても、何のエネルギーをチャージするかによって変わって来る。

使い捨ての衛星で落雷の衝撃をエネルギー変換するには、非常に効率が悪いし、費用も掛かり過ぎる。

 光線級のレーザーを吸収して、撃ち返すビーム砲も作れなくもないが、18メートルしかない戦術機にはもてあますであろう。

ちょうど、この世界の海軍の艦艇は、未だに大艦巨砲主義なので、艦載ビーム砲にするのも良いかもしれない。

 だが、葎が操縦するローズ・セラヴィーが繰り出してきたジェイ・カイザーで、散々な目に遭ったマサキは、其の案を一度書き起こしたものの、危険視した。

一度書き起こしては見たものの、考え直して、ゴミ箱に入れてしまった。

 篁にローズ・セラヴィーの図面は渡したから、解析されるだろうが、次元連結システムが無ければ連射出来ないガラクタ。

グレートゼオライマーに積めば、無敵の武器となると考え、一応改良案を書き起こすことにした。

 

 

 

 その様な事を考えて、紫煙を燻らせていると、ドアを叩く音がして、顔を向け、

「誰だ」と返事をする。

「わたしです、せめてお食事でも」

美久の声で、現実に引き戻されたマサキは、左腕のセイコー5を見る。

すでに時刻は、午後9時前であった。

 

 タバコを咥えた侭、隣の部屋に行き、

「中華の出前(デリバリー)か」

「昼間、白銀さんといった店がおいしいというので」

「俺は、そんな事を言った覚えは、ないぞ」

「黙っていても、顔に書いてありましたから」

 美久はそう言て、マサキから顔を背けた。

「人形の癖に、随分大胆な事を言うじゃないか」

 マサキは立ち上がるなり、美久の背後に近寄ると、いきなり彼女の耳を舐める。

全身を(あわ)立て、震える美久の背中から両手を胸の前に回す。

彼女の胸を、茶褐色の婦人兵用勤務服の上から、揉みしだきながら、

「貴様の事を、あまりに人間を真似て作りすぎたかな」と、耳元で囁いた。

彼女が顔を紅潮させ、体を震わす様を見ながら、マサキは不敵の笑みを浮かべた。

 

 

 マサキが、食後の茶を飲んでいると、美久は、

「ハイネマン博士の襲撃事件ですが、やはり東側の……」

と、訊ねて来たので、湯飲みを置くなり、

「フフフ、今日は気分が良い。特別に話してやろう」と不敵の笑みを浮かべ、

「ハイネマンの誘拐を企んだ連中。

そういう組織は、この米国に対して極度の敵愾心を持っていると言う事になる」

「それで」

「今一番考えられるのがソ連のGRUだ。枝葉の組織、つまり出先機関が米国内にある。

当然の事として……」

「なるほど……」

「そのGRUのソ連人が、米国内を駆けずり回ったり、伝令を使えば、色々と目立つ。

故に連絡員は、ほとんど米国人を雇う」

右手を、食指と中指にタバコを挟んだまま、振り上げ、

「どのような諜報機関でもそうだ。秘密連絡員(メッセンジャー)に工作対象国の国民を利用する。

だから連絡員を狙って殺せば済む訳ではない」

 

「敵は、この俺の事を熟知している。

鳴り物入りで、大統領とホワイトハウスで面会し、シークレットサービスやFBIの護衛が付いている。

そのことも、とっくに連中に露見している」

 

「だから、俺は派手に遊びながら、奴等の出方を待つ。

そうだ、今週末辺り、東ドイツにでも久しぶりに遊びに行くか。

そして、シュタージの奴等が集めた秘密情報を使って、強請(ゆす)るのも良かろう」

「どうして、その様な事をなさるのですか」

「奴等は、不安になって来る。自分達の連絡員が支持も無く勝手に動きやしないかとね」

 

「その結果、奴等は俺とお前を狙って来る。

本部からの催促もあって、じっとして居られなくなって、再び誘拐でもしよう」

マサキは、そう言葉を切り、タバコに火を点ける。

「だから、遊びながら待っているのさ。準備万端のゼオライマーを待機させてな。

無論、来た奴等には、地獄行きの特別切符を渡してやるつもりだがな」

 

 マサキの胸は、嫌がおうにも高鳴った。

仕留め損ねた、ソ連赤軍の諜報組織GRUと、その人員。

彼等を、この世から抹殺(まっさつ)する事を考えると、全身の血が(たぎ)った。

*1
早稲田大学

*2
東京外国語大学

*3
一里は約3.93キロメートル。大変な距離の離れているたとえ

*4
一日会わないだけでも三年経ったように感じられるほど情愛が強いことを表すことば。『詩経』国風より

*5
Global Positioning System。米国によって運用される、衛星により地球上の現在位置を測定するためのシステムのこと。同様の衛星測位システムにソ連のGLONASSがある

*6
コンピューターへ不正に侵入するための入

*7
ギリシャ神話に登場するクレタ島を守る自動人形の事

*8
1964年に、米国で作られたパソコン用プログラミング言語

*9
甲冑の胴から吊り下げられた、腰から太ももまでの下半身を覆い、防護するための部品。スカートの様に筒状になていることが多い




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危険な新元素

 米国で開発されつつある新型爆弾。
BETA由来の新元素を用いた実験は、爆発実験を除いて完成の域に達する。
米国を陰で操る、国際金融資本の狙いとは何か……


 米国ニューメキシコ州北部にあるロスアラモス郡。

 標高2,200メートルの、この地にある、国立ロスアラモス研究所。

1943年にマンハッタン計画で核兵器開発を目的に設立された科学研究所である。

 核研究の主要拠点として、多くのノーベル賞受賞者を含む世界で最も有名な科学者が集まった。

2,000棟を超える研究施設には1万人以上の研究員を有し、『米国安全保障の至宝』と称された。

 研究所の真北にあるロスアラモスの町は、1943年の「Y計画」の時期を通して大きく発展している。

 今日、米国エネルギー省の管理下に置かれているロスアラモス研究所の研究分野は、以下のとおりである。

国家安全保障、宇宙開発、核融合、再生可能エネルギー、医学、超微細技術(ナノテクノロジー)電子計算機(コンピューター)

多岐にわたる分野で、学際的な研究を行い、全世界の最新技術をリードしてきた。

 

 同研究所の地下数百メートルの大空洞で、秘密実験が行われていた。

全自動化された装置を通じて、ベルトコンベアより運ばれていく運ばれていく未知の物質、G元素。

その一種である、グレイイレブンは、遠心分離器によって、抽出される。

抽出された粉末状の物質は、溶鉱炉により、インゴットに成形された後、ロボットアームで運ばれる。 

奥にある作業指揮所より、その様を見ていた研究員の一人が呟いた。

「これがG元素」

 

 空気冷却のなされたグレイイレブンは、まもなく特殊タービンを備えた動力炉へ投入された。

説明役を務めるリストマッティ・レヒテ博士は、興奮した面持ちで語り掛け、

「これが、私とカールス・ムアコック博士で作った新型の動力炉に御座います。

発生させる電力は原子力発電に相当し、機関部分だけでも軍艦を動かして余りあるほどに御座います」

指示棒を片手に奥に座る男達に、詳細な説明をした。

「この新機関の余剰電力の使い道ですが、新開発の荷電粒子を用いたエネルギー砲を運用する予定です。

癌治療の最新研究に使われている重粒子線の破壊力には、恐るべきものがあり、我等も軍事利用が出来ぬものかと考え、開発中の物です。

その威力から、一機だけでもソ連の太平洋艦隊を全滅させることも可能と思われます」

 

 手前の椅子に腰かける小柄な男が、突然大声を上げる。

聲の張り具合と言い、明瞭さと言い、50代を過ぎた男とは思えぬ声だった。

「それは、待ち遠しいのう」

「ありがとうございます。ディヴさま」

「今の私は、石油財閥の3代目ではない。

ニューヨークにあるチェース・マンハッタン銀行の会長という立場で来ている。

レヒテ博士、気をつけ給え」

会長からたしなめられると、レヒテ博士は深々と頭を下げた。

博士が謝罪し終えると、別な研究員が歩み出る。

「宜しいでしょうか。エネルギーチャージが完了いたしました。

間もなくラザフォード場の発生装置の実験を行います」

そう言って、大型の遮光眼鏡を全員に配る。

「これは……」

「会長、レーザー砲を用いた実験をしますので、遮光眼鏡の着用をお願いいたします」

男達は思い思いに遮光眼鏡を掛け、レーザー砲の実験を待った。

 

 指揮所より、ファイバーレーザー砲に無線操作で、射撃指令を出す。

ファイバーレーザー砲とは、文字通り光ファイバーを束ねて作った光線銃である。

 光ファイバーには、少ない損失率で光を長距離まで届けることができる特性がある。

研究所ではBETAのレーザー照射を模倣した低燃費、高出力レーザー砲を作り上げたのだ。

砲を、ジュラルミン製の装甲板に向けて、照射を行う。

その瞬間、G元素を入れた動力炉から発生させた特殊な磁場がジュラルミンを保護する。

 無数の光ファイバーが束ねられた砲から打ち出された高出力なレーザーを受けても装甲板には傷一つつかなかった。

 

ロックウィード*1のレーザー・センサーシステム部門上級研究員でもあるムアコック博士が興奮した面持ちで語る。

「見ろ。この強度。

ラザフォード場で、戦略航空起動要塞(HI-MAERF)を補強すれば、ゼオライマーなど」

脇に立つレヒテ博士も、驚きを隠せぬ様子であった。

「グレイ博士は、よくこんな物質を発見できたのですね」

レヒテの質問に、グレイ博士は淡々と応じた。

「この物質を発見しようとして、BETAの着陸ユニットを探ったのではない。

偶然、カナダの現地調査チームが持ち帰った残土の中にあった」

「カナダの調査隊が……」

「そうだ。

着陸ユニットの落下地点であるアサバスカを捜索した際の事だ。

捜索隊が地下に潜ろうとした時、放射線測定装置が異様な反応を示したのだ。

何かあると思った。それがきっかけで……」

 

 ムアコック博士は会長の愁眉を開かせようと、安心させるようなことを口走った。

「ディヴさま。いえ、会長。

このG元素があれば、地球に、我等が理想の帝国を築くことになるのは間違いありません」

レヒテ博士も彼に続く。

「そうですとも。

G元素を焚き上げた発動機から出る、ラザフォード場の強力なバリア体をつかえば……。

ゼオライマーなど、簡単に倒せる」

 

 ゼオライマーの名前を聞いた途端に、グレイ博士は、焦りの表情を浮かべる。 

「甘い。ゼオライマーのメイオウ攻撃は、BETAのレーザー光線より遥かに強い」

「このG元素より、ラザフォード場より……」

諭すように言いながら、グレイ博士は、動力炉を見つめる。

「戦略航空起動要塞の機体は30Gぐらいまでしか耐えられん。

操作するパイロットの肉体は10Gを超えれば、厳しいであろう……

しかし、ゼオライマーは高速移動することを考えると、100G以上耐えられるはずだ」

脇に居る研究員たちは、一斉に驚愕の声を上げた。

100G!」

 

 

 

 奥ですべてを聞いていた大統領は、重い口を開いた。

「そこまででよい。

身の凍るような様々な話を聞かせてもらったが、私には到底信じられんのだよ、博士。

日本で実現可能だったことが、合衆国で実現不可能だと言う事がありうるのかね」

その表情は、国家の威信を背負う指導者の面差(おもざ)しではなかった。

哀れなほど憔悴しきった、一人の老人、そのものであった。

「全世界の科学の(すい)を集め、研究に取り組んでいる合衆国の技術陣(スタッフ)から、重力操作装置の最終的段階に至りましたと報告を受けていないのに……」

まるで、遠くを見つめるような目で答える。

「一人の日本人科学者の手によって、そんな摩訶(まか)不思議(ふしぎ)な装置が完成した等と……。

そんな馬鹿な話が有るのかね」

 

 グレイ博士は、今にも夕暮れの降りだしそうな顔つきで述べる。

「私がお答えしましょう、大統領閣下(ミスタープレジデント)

実は重力操作としか考えられない事例が存在するのです。

ゼオライマーはソ連の核爆弾の直撃を受けましたが、傷一つなく、耐えて見せたのです」

 チェース・マンハッタン銀行会長も、同調を示した。

「ゼオライマーには、我等にない重力操作の装置が積んであると考えられる。

だから、その秘密を知りたいのだ。どうしても欲しい……」

そう言いながら、窓に近づき、新型動力炉を確かめる。

「ゼオライマーに勝つためには、ラザフォード場を強化するしかない。

なんとしても、手に入れろ」

会長は振り返ると、三博士は力強く答えた。

「はっ」

 

 

 

 

 さて、場所は変わって、ソ連極東のウラジオストック要塞にある赤軍参謀本部。

そこでは、参謀総長をはじめとする赤軍首脳部の一団が密議を凝らしていた。

 

 参謀総長は、スフォーニ設計局*2長からの説明に驚きの声を上げる。

「何、スフォーニ設計局のコムソモリスク・ナ・アムーレの工場*3で、新型が完成しただと……」

 コムソモリスク・ナ・アムーレとは、極東のアムール川*4近辺にある一大工業都市である。

『アムール川にある共産党青年団の都市』の名を持つ、秘密都市の建設は1930年に始まった。

将来の世界大戦を見据えたスターリンの指令により、極東に大規模な工業都市を設置したのだ。

 この地には、ソ連極東随一(ずいいち)のアムール製鉄所をはじめ、各種軍事生産の拠点が作られた。

無論、シベリアの地にある、この秘密都市の急速な発展の裏側には、悲劇があったことを忘れてはならない。

日本をはじめとする捕虜や政治犯が送り込まれ、過酷な労働環境で、ほぼ無給に近い低賃金労働を強いられた。

 

 

「しかし、BETAの大群は地上から居なくなったのだぞ。何処で実験をする」

GRU部長の懸念に、スフォーニ設計局長であるスフォーニ博士がこう答えた。

「早速、実験場にもってこいの場所が御座います」

「どこだね」

そういって、壁に貼られた世界地図を指で指し示した。

「中東の小国、レバノンに御座います」

「フランスが、自国の影響力を強めるために作ったキリスト教の傀儡(かいらい)国家か」

「さようです。

今、()()は、イスラエルとシリアの両軍が国境線沿いに展開し、明日にも軍事作戦を始めんとするばかりです」

「最新型のSU-15で、ユダヤ商人の国際展示場(ショーウインドウ)、イスラエルと対峙するパレスチナゲリラを支援すると言う事かね……」

「既にKGBでは暴徒鎮圧に戦術機が用いられていますから、対人用として軍事利用しても問題ありますまい。

そして、その成果を持って全世界に、対人戦術機SU-15を売り込むのです。

世界に販路を広げ、低価格化したSU-15は、戦術機界隈のAK47になりましょうぞ」

 

 満足した参謀総長は、スフォーニ博士に対して、こう告げた。

「SU-15の量産化は、何としても急がせろ。いかほど予算をかけても構わぬ」

「はっ!

この最新機を持って、近いうちに、ゼオライマーと木原マサキの首を並べましょう」

 

*1
現実のロッキード社。1912年創業。現在はマーチン・マリエッタ社と合併し、社名を「ロッキード・マーチン」と改めている

*2
現実のスホーイ設計局。1939年7月29日開局。

*3
国営第126航空機工場。今日のЮ.А.ガガーリン名称記念コムソモリスク・ナ・アムーレ航空機工場

*4
支那名:黒龍江




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狂瀾怒濤(きょうらんどとう) 前編(旧題:熱砂の王)

 BETAの危機が去った中近東。
しかし、ソ連や国際金融資本家は平和を望まなかった。
彼らの動きを察知したマサキは、一人、計略を企む。


 全世界の熱い視線は、ニューヨークの国連本部から中近東のアラビア半島北部に向けられた。 

BETAの侵攻をすんでで防いだ聖地エルサレムは、再び不穏な空気に包まれる。

 同一の神を信仰し、兄弟の関係にある三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。

BETAの危機が去った今、固い結束を見せた中近東の政治情勢は、分裂の兆しが出始めていた。

 

 中東諸国の中で、特に緊張の度合いが高まっていたのは、小国レバノンである。

レバノンに関して、御存じでない読者も多かろう。

 では、ここで、同国の歴史を簡単にだが振り返りたい。

地中海沿いに豊かな港を持つこの地は、数千年の古い歴史を有する。

古代フェニキア人がエジプトやギリシャとの交易をして、富を集めたこの地は、常に大国の影響を伺わざるを得なかった。

 隣国アッシリアや、バビロニア、セレウコス朝シリアやローマ帝国の支配下に置かれた。

その際、多種多様な宗教や文化が流入し、アラブ人の支配を受けてもキリスト教文化が根強く残った。

 この地の運命は19世紀のオスマン帝国衰退以降、変化を見せ始める。

中東の権益を狙う英仏や、ユダヤ人によるイスラエル国家の再建を願うシオニズム勢力によって、パレスチナに隣接するこの地域は、トルコやシリアより分割された。

 

 戦時中の1943年、レバノンは、宗派対立という根深い問題を残したまま、フランスより独立を果たす。

首都ベイルートは、1958年のレバノン危機を乗り越え、石油取引や金融業を通じて、中東のパリと呼ばれる近代的な都市へと変化した。

 だが、ヨルダンを追放されたパレスチナ移民の流入により、レバノン情勢は不安定化した。

パレスチナ解放を掲げる極左暴力集団がレバノン国内南部に秘密基地を建設したことで、隣国イスラエルとの一触即発の事態が続いた。

1975年の武力衝突よりレバノン全土は、米ソとその影響下にあるシリア、イスラエルなどの各国の勢力が競い合う草刈り場となった。

 

 しかし、この異星起源の怪獣BETAに荒らされた世界の辿った中近東の運命。

それは、我々の知る歴史とは、違う道をたどる事となる。

1973年のBETA侵攻の翌年、イランのマシュハドにハイヴが建設されると、数年の間にイラン全土を荒らし回った。

 アラビア半島への侵攻を恐れた中東諸国は、中東最古の王室を(よう)するヨルダンや大国シリアの呼びかけもあって、聖戦連合軍を結成する。

 エジプトのナセル*1やバース党*2の掲げてきた汎アラブ主義によるアラブ民族の結束という悲願が、BETAの危機を前にして、為されたのであった。

 

 そして、この亡国の関頭(かんとう)に際して、思わぬ天祐(てんゆう)が訪れる。

突如として現れた無敵のマシン、天のゼオライマーと、木原マサキという男の存在である。

 重金属の雲の中より、降臨し、光線級のレーザーを浴びながらも、必殺のメイオウ攻撃で、一撃の下、ハイヴを灰燼に帰してしまった。

 

 これにより、中近東の石油資源喪失と世界経済への損失拡大は(まぬが)れた。

だが、それを良しとしない人間たちが居たのだ。

 ソ連をはじめとする共産主義勢力であり、また国際金融資本の面々であった。

1973年のBETA戦争により結束をした中近東を分裂させ、紛争による漁夫の利を得るために、宗教的、民族的に不安定なレバノンが狙われたのだ。

 


 

 

 マサキは、中近東に関するソ連と国際金融資本の動きを察知し、単身動く。

ゼオライマーで東ドイツに乗り込み、ベルリンの共和国宮殿にいた。

そして大広間で、議長や政治局の幹部達と面会をしていた。

 

 マサキは、開口一番、議長に向かって驚くべき発言をした。

「貴様の力を貸してほしい。中東の大国、シリアの大統領と連絡を取りたい」

マサキの無体な要求に、議長は凍り付いた。

会議室に居ならんでいる顔、顔、顔……のすべては、みな、にがりきってマサキを見すえていた。

 無茶にも程がある。

シリアと友好関係がある東ドイツの議長に対して、こんなにまで無遠慮に頼み込む者がほかにあるだろうか。

幹部達は、マサキの正気をさえ疑って、ただあきれるのみだった。

 

 このとき、ついにたまりかねたように、幹部のうちから、アベール・ブレーメが、

「君は、自分がしようとしている事が判っているのかね。

本当に、西側の人間とは思えないようなことをいうのだな」と、言った。いや叱った。

 マサキは、ほんのこころもち、その体を、SED幹部たちのほうへ向けかえて。

「BETAの影響が薄まった今、西側の資本家の狙いは、何か。

それは、中近東でのソ連の影響力を削ぐことにある。

アラブ民族主義で、西側の資本家が所有した油田などを大分(だいぶ)国有化されてしまったからな。

奴等は、このBETA戦争の復興の名目で、アラビア半島に乗り込むのは必至」

そう言って、妖しく光る眼差しを議長に向けた。

 

 1946年にフランスから独立したシリア共和国は、数度の政変の後、東側陣営に近づいた。

1950年代のスターリン時代の末期からソ連の親アラブ政策によって、資金援助を受け、社会主義政党のバース党が実権を握った。

 東側陣営であるシリアは、対トルコ、対イスラエルの要として軍隊の近代化を図り、一定の影響力を持つ大国でもあった。

 マサキは、パレスチナ・ゲリラを支援しているシリアに近づく姿勢を見せれば、必ずイスラエルが動くと踏んで、敢て東ドイツの首脳部に頼み込んだのだ。

 だが、東ドイツ首脳部も馬鹿ではなかった。

前議長のホーネッカー時代に、KGBを通じて国家保安省(シュタージ)が、中東のテロ集団を支援していた。

 アベールが苦心して考えた東ドイツの経済開発の計画や、EC加盟の道筋。

その様な事実が明るみに出れば、いずれも水泡(すいほう)()す恐れがあった。

 

「どちらにしても、中東におけるソ連の影響力を削ぐのに、まずエジプトか、シリア。

この二大国を、西に引き込む必要がある。

西側資本による、シリアの経済開発が始まるのは時間の問題さ。

そうなると、中近東に植民地を持たない日米のどちらかが、金を出すことになる。

だから、俺もすこしばかり小銭稼ぎがしたくて、シリア大統領にアポを取りたくなったのさ」

 

 憤懣(ふんまん)()る方無い表情のアベールを、じろりと睨み返したマサキは、意味ありげな哄笑する。

「フフフ、俺の頼みを、嫌とは言わせん。

貴様等が、ドレスデンでパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の幹部を訓練していたことを俺は知っている。

KGBの命令で、シュタージが関わった国際テロ事件の全貌を、白日の下に晒してやる」

満面に喜色をたぎらせ、興奮する面持ちのアベールを嘲笑って見せた。

 

 パレスチナ解放人民戦線とは、1967年に「パレスチナ解放機構(PLO)」の傘下として、パレスチナ・ゲリラ極左組織を統合して作った団体である。

 シリアとレバノンに拠点を置き、暴力によってパレスチナ解放を進める極左テロ集団。

彼等の目的は、「破壊活動(テロリズム)によってパレスチナ問題を世界の関心を集める」という過激な物であった。

 ソ連KGBの支援を受けたテロリストによって引き起こされたエル・アル航空426便ハイジャック事件や同時ハイジャック事件が(つと)に有名であろう。

 

さすが議長も、カッと逆上するのではないかと、みな、目をこらして、議長を見まもっていた。

 けれど、議長は、マサキの嘲笑を浴びると、自分も共に、その面に、うっすらと苦笑を持って、

「貴様……何故その様な事を」

「そんなに秘密が聞きたいのか……いいのか、俺の心ひとつでゼオライマーは自在に動かせる。

ベルリンの共和国宮殿はおろか、東ドイツを廃墟にすることも簡単だ。

そんな力を持つ、この俺を止めているのは、はかない少女の真情(まこと)だけだと言う事を忘れるな」

「脅しているのかね」

「取引だ。そんなちゃちな革命野郎の件で、俺の夢を道草させるわけにはいかんからな」

マサキは、(ひる)みもなく言った。

「まあ、よい。シュトラハヴィッツでもいい。

あの空軍出身の大統領*3とコンタクトを取りたいと、シリアに伝えてくれ」

シュトラハヴィッツは、やや重たげに、マサキに返した

「俺も、アサド将軍とは知らぬ仲ではないが……」 

その声は、低すぎるくらいで、声の表に感情は出ていなかった。

 

 話は、1956年のスエズ動乱の頃にまでさかのぼる。

エジプトで、1952年に軍事クーデターで政権掌握した自由将校団は、親ソ容共思想を前面に押し出す団体であった。

1953年の革命以来、米軍からの武器援助を断られたエジプト軍は、チェコスロバキアから最新の自動小銃を、ソ連から最新鋭のジェット戦闘機の貸与と訓練を受けた。

 当時、エジプトとの合邦を進めていたシリアも、また、1957年に訪ソ将校団を結成し、最新鋭ジェット戦闘機、MiG-17の操縦訓練を受けさせていた。

その折、若かりし頃のアサド空軍大尉は、ソ連でジェット戦闘機への機種転換訓練を受けた。

留学先のソ連で、高等士官の教育を受けていたシュトラハヴィッツと、知己(ちき)を得たのである。

 

 

 

「さすが参謀本部作戦部長だけあって、顔が広いな。シュトラハヴィッツ。

じゃあ、帰らせてもらうぜ」

立ち去ろうとするマサキの事を、アベールは呼び止めた。

「待ち給え、それで、我等は何を得ようというのだね」

マサキは、満面の笑みで振り返り、

「俺が、東ドイツにラタキア経由で、シリア産原油の融通を聞かせるよう伝えてやるよ。

ロシア産の粗悪な石油より、中近東産の甘い原油の方が、質はずっと上だ」

 

 甘い原油とは石油系硫黄化合物の割合の少ない原油の事である。

一応、ソ連国内でもバクー油田の石油は硫黄分が数百分の一と高品質であった。

だが、ウラル・ボルガ地方の油田やシベリアの油田ではその割合は6パーセント近くあり、高度な精製技術が必要だった。

 硫黄化合物の割合の多い石油は、化学的安定性や燃焼効率を低下させ、不快な臭いを放ち、エンジンの腐食の原因となる。

ガソリンでは、抗爆発性を低下させ、硫黄酸化物を放出して大気を汚染する原因になった。

 

 通産官僚のアベールには、その話は魅力的だった。

ソ連製原油が手に入っているとはいえ、BETA戦争で、その割合は大幅に低下した。

西ドイツにも秘密裏に転売している分もあり、東ドイツ国内では、どうしても産業用の原油や石油が不足している。

 そして一番の問題は西ドイツにも、東ドイツにも大規模な石油精製コンビナートを兼ね備えた港がないと言う事だった。

 全てを海上輸送で賄う日本とは違い、石油パイプラインで融通していた東西ドイツにしてみれば湾港整備の方がかえって費用がかかる為であった。

 

「貴様等にも悪くない話であるまい」 

と、告げると、足早に共和国宮殿を後にした。

 

 

 マサキが、東ドイツを介して、シリアと接触した事は、すぐさまダマスカスに居る工作員を通じて、イスラエルに漏れ伝わった。

世にモサドとして知られる、防諜機関、イスラエル諜報特務庁は、同国の対アラブ政策の盾である。

元ナチス幹部の誘拐やシリア首脳部へのスパイ工作、要人暗殺などの荒々しい事をすることで有名であろう。

 シリアとのコンタクトの件は、モサドを通じて、即座に情報省に照会が成された。

 ニューヨークの総領事館に居た鎧衣は、本省の情報員と接触した後、動く。

国連総会出席の後、中東問題の交渉で訪米中だったイスラエル外相と接触を図る。

 

 翌日、ブロンクスのファーストフード店に白銀と出かけていたマサキの所に、鎧衣が大童で現れ、

「木原君、急ぎで悪いが、ザ・ゴッサム・ホテル*4に行ってくれないか」

マサキは、食事する手を止めて。

「ほう、俺をそんな高級ホテルに呼ぶとは。ダンスパーティでもするのか」

「イスラエルの外相が会いたいそうだ」

鎧衣を振り向かずに、椅子から立ち上がって、

「フフフ、よかろう。制服に着替えたら、直ぐにでも行く」

 

 ホテルの一室に着くと、そこには頭を綺麗に刈り上げ、左目に眼帯をした屈強な壮年の男がいた。

彼こそは、中東戦争でその名をはせた片目のモシェ・ダヤン*5、その人であった。 

「おまたせしました」

深々と頭を下げた鎧衣をみるなり、ダヤン将軍は相好を崩した。

「ミスター鎧衣、お久しいですな。貴殿も随分逞しく成られましたな」

「ダヤン将軍、私的訪日の折、護衛を兼ねた通訳を務めさせて頂いて以来ですが、お変わりなく……」

 

 マサキに向かって、ダヤン将軍は一礼をした後、

「挨拶は抜きにして、話に入りましょう。

木原博士、シリアとの接触の狙いは何でしょうか。

シナイ半島の帰属問題ですか、我が国の核武装に関するうわさでしょうか……」

1978年当時、エジプトのシナイ半島は、第三次中東戦争の結果、イスラエルに占領された領土であった。

「シリアの件は、貴様等を呼び出す方便(ほうべん)さ。

俺は、ゴラン高原の問題やエルサレム問題、シナイ半島の帰属などどうでもいい。

本当の狙いは、英国のユダヤ人男爵に話をつけたい。

その為に貴様を頼った。男爵は元情報将校と聞く。

モサドを通じてMI6との伝手を使えば、簡単に会えると聞いてな」

 

「男爵?」

不敵の笑みを湛えたマサキは、ドイツ語で、

赤色表札(ロートシールト)」と短く答えた。

マサキのことばは、その場にいたすべての者の肺腑(はいふ)をドキッとさせたようだった。

「ユダヤ人男爵は、イスラエル建国の真の立役者。

オスマン・トルコ時代からパレスチナの農地を買い集めた大地主と連絡を取るのは、この俺では役不足でな……」

ダヤン将軍は、さすが何か、ただ事ならじと察したらしく、不安そうなまなざしでマサキを見つめていた。

「安心しろ。俺は、黒人もユダヤ人も差別はせん。

世界征服の暁には、等しく、この俺の奴隷になるのだから。ハハハハハ」

キョトンとするダヤンと鎧衣を後にして、マサキは美久の手を引っ張って帰ってしまった。

*1
ガマール・アブドゥル=ナーセル, 1918年1月15日 - 1970年9月28日。エジプトの軍人。第2代エジプト共和国大統領

*2
正式名称、アラブ社会主義復興党

*3
ハーフィズ・アル=アサド。1930年10月6日 - 2000年6月10日。第4代シリア大統領

*4
ニューヨーク市マンハッタンのミッドタウン5番街55丁目に存在した高級ホテル。1988年よりホテル名はThe Gotham HotelよりThe Peninsulaに変更された

*5
1915年5月20日 - 1981年10月16日。イスラエルの政治家、軍人




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狂瀾怒濤(きょうらんどとう) 中編(旧題:熱砂の王)

 木原マサキと彼の駆るマシン、天のゼオライマー。
無敵のスーパーロボットに敗北を続けているソ連指導部は、秘策を日夜検討していた。
GRUとKGBのとった秘策とは……


「これだけ調べても、ゼオライマーに弱点はないのか!」

ゼオライマーとソ連軍の戦闘記録の数々が映しだされた薄暗い室内に、男の声がこだまする。

 

 

 参謀総長は、新任の議長に反論した。

「ですから、同志議長。

私は、最初からゼオライマーというマシンは完璧だと申したではありませんか」

ソ連婦人委員会委員長も同調する。

「本当に、素晴らしいの一語ですわ」

 チェルネンコ*1議長は憤懣(ふんまん)やるかたない声を挙げ、幹部たちを一喝する。

「感心している場合か!奴のために、今までに尊い犠牲を払ってきたのだ……。

早く手を打たなければ、この労農プロレタリア独裁も崩壊してしまうぞ!」

 室中、氷のようにしんとなったところに、白衣を着た男が現れた。

彼は、並みいる幹部たちを、ながめ見て、

「大分焦って()られる様ですな。木原マサキを倒す良い知恵は浮かびましたかな」

あざ笑いながら答える男に、参謀総長は瞋恚(しんい)をあらわにする。

「黙れ、このど外道(げどう)が……!」

「フフフ。いい加減諦めたら、どうですか。

ブルジョアの似非(えせ)科学者*2、木原マサキの事は、我らKGBにお任せを」

 そう話す男の口元に、小ばかにしたような薄ら笑いが浮かんでいる。

参謀総長は(きっ)と、きつい厳しい顔をしてみせた。

「見ておれ、貴様の力など借りずとも、ゼオライマーをこの手に入れてみせるわ」

とうとう、おおやけには吐かない語気で男を怒鳴った。

 

 勢いよくドアを閉めて、部屋を出て行った参謀総長。

議長以下閣僚は、しばらく固まったままであった。

「呆れましたな。つまりは木原の力を過大評価した結果、墓穴を掘った。

赤軍などというオモチャの兵隊に、黄色猿(マカーキ)を操縦できると思ったのですか」

 

「我々は支那に潜入している工作員から奴の情報を受け取った時点では、まったくの不明。

それにパレオロゴス作戦を成功させ、一刻も早くG元素を入手する必要があったのだ!」

議長の言葉に、男は耳障(みみざわ)りな高笑いを響かせる。

「あなた方の言い方ですと、木原を害さずしてゼオライマーを手に入れたかった。

そう聞こえますな」

馬鹿にしきった薄ら笑いを浮かべながら、政治局員たちをじろじろと見まわす。

「木原の関係した、支那政府と人民解放軍。

いくら社会主義同胞とはいえ、残念ながら機密がぎっしり詰まったままの情報……

それを、そのまま譲渡するわけにはまいりますまい。

党指導部は、そのことを了承したうえで、パレオロゴス作戦でゼオライマーを利用しようとした」

 

「それにゼオライマーと木原を無傷で手に入れたいと申したのは、あなた方ではなくて……」

「先ほど申した通り、G元素確保という、これ以上待てない事情があり、賭けに出た」

「車で言えば、整備したばかりの状態でありながら、暖機運転もせずに発車してしまったと」

「ほんの慣らし運転のつもりであったが、暴走してしまった……」

 

 議長は情けないくらい卑屈な態度で、男に協力を依頼した。

「同志モロゾフ博士、我らの失敗のために手数をかけるが……

セルブスキー研究所所長で、精神操作と麻薬の専門家である君の力を、ぜひ貸してほしい」

 

 正式名称セルブスキー司法精神医学研究所とは、ソ連における精神医学の研究所である。

1899年に設立された中央警察精神医学研究所を起源とし、ソ連保健省の外部機関とされる。

 それは表向きの理由で、実態は秘密警察の一部局であった。

革命直後、チェーカー*3の手によって早くも、監獄へと生まれ変わった。

 精神医学の政治的乱用を進めていた同研究所には、常に黒いうわさが立った。

世界に先駆けて、電気ショック治療、脳ロボトミー化手術を実施し、過激な実験結果を蓄積した。

あるいは、囚人への致死量の食塩投与、麻薬や向精神薬の精神的影響の研究などをしたとされる。

 スターリン時代には、医学研究より政治利用が中心になり、精神医学でソ連市民を(もてあそ)んだ。

1938年には、婦人と青少年を除外した反革命罪*4の被告人を拘束する特別部局が設置された。

その部署で告発された人々の事件簿は、NKVD*5の管理とされ、研究所の奥深くに秘蔵された。

先の戦争の際、ドイツ軍に暴露されることを恐れ、最優先で焼却処分するほどであった。

 

 

 

「分かりました。

では、我が研究所で作ったLSD*6凌駕(りょうが)する麻薬の使用をお許し頂けると」

モロゾフ博士は、そう答えると、

「構わぬが、君が言う新型麻薬とは、どのようなものなのだね。」

という者もあった。

「催眠麻薬0号は、別名を投薬3号と申し、阿芙蓉(あふよう)*7とコカイン*8を合成した物であります。

輸出先の支那では、催眠でも鎮静効果のない錯乱(さくらん)した衛士用麻酔という事になっております。

元々は、政治犯の人格改造を目的に開発した新型麻薬にございます。

この麻薬0号を投与された人間は、中枢神経を侵され、自我を保てなくなります。

これは、ゼオライマーのサブパイロット、氷室(ひむろ)美久(みく)とて例外ではない」

 それを聞いた政治局員たちが、声をそろえて。

「何と素晴らしい」

「ゼオライマーの強さは、氷室美久との連携だ。

氷室を、木原から引き離す事ができれば、ゼオライマーの力は半減する」

 このとき、議長はなお、いつもの騒がない語調で、命じた。

「ではモロゾフ博士よ。氷室美久の誘拐と彼女の思想的鍛えなおしを完璧にこなして見せよ」

「同志議長。氷室の洗脳(せんのう)調教(ちょうきょう)、喜んでお引き受けいたしましょう」

セルブスキー研究所長のモロゾフ博士は、口元を引きつらせながら、答えた。

 

 

 

 

 場所は変わって、ここはシリア・タルタスにあるGRU支部。

 GRUのシリア支部長は、一人悩んでいた。

彼はなんとかして、シリアに接触を図ってきた、木原マサキを取り込みたかった。

 KGBが暴力を持って従えようとして、失敗した人物である。

今度は、軟化した態度を持って取り込みたい。そう考えていた矢先の事であった。

支部長室に、若い係官が駆け込んで来るなり、

「支部長、木原を色仕掛けで落とす作戦ですが、その必要はない様です」

「どういう事だね」

「こちらをご覧ください」

そう言うと男は持ってきたA3判の茶封筒から、引き伸ばした写真を取り出す。

「何ぃ!」

如何(どう)やら二人は……」

そこには、アイリスディーナと抱き合うマサキの写真が、広げられていた。

 

 一月ほど前、ベルリンのフリードリヒスハイン人民公園で、熱い口付けを交わした二人。

彼等の姿を見ていたのは、アイリスの護衛達だけではなかった。

 軍から派遣された護衛の他に、GRUの現地工作員が目撃していたのだ。

ソーセージの屋台の業者に化け、ベルリンの官衙(かんが)で諜報工作を続けていた工作員が偶然小型カメラで撮影し、即日、ウラジオストックに向け、発送された。

 シュタージやポーランドの情報部を出し抜くべく、ジッポライターを改造したケースにマイクロフィルムに入れ、持ち出した物であった。

GRUは4年前の留学時から、空軍士官学校主席のユルゲンと次席のヤウク少尉を取り込むべく、監視していた。

 

無論、ユルゲンの妹、アイリスディーナの動向も追っていたのである。

 

 シュタージが後ろにいるベアトリクスや、その他のブレーメ家の面々に関しては、KGBより妨害を受けながらも、情報を抜き出していた。

東ドイツに駐留する30万将兵の間にGRUの工作員を配置することなど、造作もなかった。

 また、東ドイツ国民の方もKGB機関に関しては、深い憎悪と恐怖を持っていたが、GRUには何の興味を持たなかったためである。

無論、シュトラハヴィッツ将軍など軍の上層部やソ連抑留経験者、国防軍出身者は知っていたが、余りにも秘密主義の機関ゆえ、おそれて近づかなかったと言っても過言ではない。

 

 

 写真を一瞥(いちべつ)した情報部長は、喜色をめぐらせ、

「フフフ。愛の力は偉大だね。暴力など足元にも及ばん」

と声を上げ、椅子から立ち上がり、

「あの氷のような冷たさを持つ木原マサキの心を溶かした、少女の(おも)い。

偉大なる愛の力とやらを持って、我等は木原に近づく。

G元素を(はる)かに(しの)ぐ、ゼオライマーの秘密を手にする事も夢ではないと言う事だよ。フフフ」

と満面の笑みを男に見せつけた。

 

 

「そうすると、木原とベルンハルト嬢が一緒になってくれると良いのですが……」

「やはり、ベルンハルト嬢の事を気にしているのかね」

「はい。彼女は壁の中です。シュトラハヴィッツ将軍も彼女を気に掛けているでしょう。

誘拐も難しいと思われます。そうすると、彼女が木原に本気になって呉れれば違うのでしょうが。

こればかりは、我等の一存では……」

「まず、マスメディアを使って、木原がベルンハルト嬢と婚約(こんやく)したという情報を流せ。

日本政府がどう動くかが、見ものだ。フフフ」

と、不敵の笑みを浮かべながら、

「米国には、淫靡(いんび)な飾り窓*9もないし、貴族の洒脱(しゃだつ)な社交会もない。

それ故に、彼等は愛を語らう場所として、男女の純愛(ロマンス)を楽しみにしている所がある。

世界を股にかける、ゼオライマーのパイロットが、東ドイツ軍人の妹に恋した。

だが、国法の為、結婚できない。悲劇の愛を結ぶためには……

などと新聞紙面に出すように提案しよう」

支部長はおもむろに煙草を取り出すと、火をつけた。

「ニューヨークやロサンゼルスの現地工作隊を用い、米国世論を巻き込む。

ラジオや新聞で、やんや騒ぎ、外圧をかければ、日本は落ちる。

貴公子、(たかむら)祐唯(まさただ)と、ミラ・ブリッジスの恋を参考にしてな」

「では、デイリーニューズ*10やシカゴ・トリビューン*11の一面にぶち抜きで彼女の写真を掲載させるように、本部には上申しておきましょう。

マスメディアが敵となっては、さしもの木原もゼオライマーも自由に動けますまい」

 

 

 

 

 木原マサキが中東への接触を図ったことは、米国にも漏れ伝わった。

早速、米国の石油財閥の当主の耳にも入り、秘密会合が成されることになった。

 

 マンハッタンの石油財閥本部ビルの最上階の一室に、副大統領が入るなり、窓を眺めていた男が振り返った。

「御足労掛けます。副大統領閣下(エクセレンシィー)……」

「ディヴ、冗談は止せ」

副大統領の言葉に、男はたちかけて、

「ネルソン兄さん、ワシントンから御足労を掛けました。ハハハ」

と、他人事みたいに笑った。

 

 急な弟の呼び出しに、副大統領は、何を思ったのか。

日頃から関心のある話を、問い質してみることにした。

「日本という極東の小国に、君はそこまで執着する理由が分からない。教えてくれぬか」

「兄さん、僕が日本を我が物にしたいのは知っていますね」

「お前の長年の夢だったからな」

「我が理想の帝国を築くにあって必要なのは、潤沢な資金と世界最強の武力、そしてそれを裏付けする権威。

この三つのうち、どれか一つ欠けても駄目なのです」

「それで」

「既に我等は石油取引や金融業の世界を通じて世界の富の一部を牛耳る事に成功しました」

「末弟のお前には、金融業という修羅(しゅら)の道を歩ませてしまったを兄として申し訳なく思っている」

と言葉を受けて、男は心から恐縮した。

「いえいえ、兄さんたちが政治の世界に入ってくれたからこそ、僕は後方で自在に動けたのです」

副大統領は、快然と笑った。

「思えば、長い道のりであった。

40年かけて政界という魔窟(まくつ)の中から()()てて、山の(いただき)が見える場所に上り詰めるまで」

「次の大統領選には出られるのですか。

もし出られるのであれば、政財界に200億ドル*12の資金をばら撒く準備が御座います」

弟は、兄の勝利をみじんも、疑っていないらしい。

「兄さんが大統領職に就けば、我等は名実ともに世界の軍事と金融をこの手に出来るのです。

ただ、足りぬものが御座います」

「何かね。教えてくれぬか」

副大統領は、なお(ただ)した。

「世界最強の軍隊と、無敵のドル体制を持って満足出来ぬ理由とは」

弟は、静かに答えた。

「権威の裏付けです」

「権威?」

「我らは、祖父の代にニューヨークから世界に躍り出て、あらゆる富と名誉を得ました。

ですが、歴史が御座いません。

荒々しい中近東の土侯(サルタン)や東南アジア諸国のものどもを手なずけるには、すこしばかり戦争でもしなくてはいけません。

でもそんな無益な殺生(せっしょう)をしなくても良い方法が御座います」

「兵乱を経ずして、あの土侯(サルタン)を手なずけるだと」

「僕は、極東研究を若い頃からしているのを知っていますね」

「ああ」

「3000年の東亜の歴史を紐解(ひもと)いた時、ローマの坊主どもさえ()(あま)す存在に気が付いたのです」

「初耳だ。そんな存在があるのかね」

「日本帝国の皇帝です。

彼等は自分の君主の存在を忘れ去っていて、京都のみすぼらしい宮殿に、秘仏が如く厳重に隠しています。

ですが、その歴史的長さはあのアビシニア*13のソロモン王の血脈に匹敵する物なのです」

男は語ってゆく(なか)ばの内に、ありありと感情に燃やされた色で耳のあたりまで(あか)くしていた。

「イタリアのムッソリーニが、かつてアビシニアを求めたように……。

僕としても日本を、その秘密の(その)の奥底にある宝玉(ほうぎょく)を我が物にしたいのです」

副大統領は、弟の意見に理解を示しつつも、

「今更、歴史の中で埋もれた宝玉など持ち出して、なんになるのだね」

むしろ責めるような語気で、なお云った。

 

「中東問題で我等と歩調を合わせ、イスラエルを承認している日本。

そんな彼等が、中近東で一定の力を持つのか。僕なりに調べ、考えてみました。

資金力も製油設備も劣る彼等が、なぜ中近東とこれ程上手く行ったのか……」

大君(タイクーン)*14の影響力か」

「あのお飾りの将軍ではありません。彼の後ろに隠されている、皇帝の歴史的権威のお陰ですよ。

硬い扉の向こうから、漏れ出て来る2000年の英知と歴史の輝き。

それは、200年の合衆国の歴史では、とてもかなうものではありません。

歴史的権威は、バチカン寺院に匹敵し、チベットの活仏、ダライラマの影響力をも凌駕します。

また、支那や蒙古人の襲撃を幾度となく乗り越えてきました。

その様な存在は、世界広しと言えども他には御座いません」

()(かぶ)()ぎではないのかね」

副大統領は、なお少し、ためらっている風だった。

 

 弟は、瞑目(めいもく)して、考えこんでいたが、

「僕なりに考えました。

その権威を無傷(むきず)で我が手中(しゅちゅう)(おさ)めれば、東亜と印度支那(インドシナ)……。

いや、中近東を含むアジアの大半を血濡(ちぬ)らさずして我が物に出来るのではないかと」

「それでお前は三極委員会という子供のごっこ遊びの団体を作ったのかね」

「そうです。その上で、皇帝の権威と新開発のG元素爆弾があれば……。

欧州の片田舎(かたいなか)()まう貴族共を出し抜けるのではないかと」

副大統領も、(つい)(はら)をきめた。

「フフフ、お前は甘い。政治家には向かないな。

だが、ディヴ。君の兄として、この私はその企みに協力しよう。

一族(いちぞく)郎党(ろうとう)の力を合わせて、我が理想の帝国をこの地球上に成立させようではないか」

 

 

そういうと、コーラの瓶をコップに開け、乾杯の音頭を取る。

「我等が理想の帝国の建設を祈って乾杯」

「乾杯」

コーラで唇を濡らした後、二人は詳細を話し合った。

*1
コンスタンティン・ウスチノヴィチ・チェルネンコ(1911年9月24日 - 1985年3月10日)。ソ連の政治家

*2
ソ連ではスターリン時代以来、遺伝学やサイバネティックスを扱う研究者をこう呼んだ

*3
反革命・破壊活動取締非常委員会、ソ連の秘密警察

*4
ソ連刑法第58条

*5
Народный комиссариат внутренних дел,ソ連内務人民委員会。KGBの前身機関

*6
ライ麦の麦角菌から作る幻覚剤で、無色透明、無味無臭。極めて微量で効果があり、最も強力な合成麻薬

*7
芥子から採取される麻薬の一種。アヘン

*8
南米原産であるコカの葉から作られた強力な中毒性を持つ精神刺激薬

*9
ドイツ文化圏にみられる売春宿の形式

*10
1919年6月24日創刊。米国ニューヨーク市の主要なタブロイド紙

*11
1847年創刊。米国中西部の主要なタブロイド紙

*12
1978年のドル円のレート、一ドル195円

*13
エチオピアの雅称

*14
TYCOON、征夷大将軍の対外呼称、「日本國(にほんこく)大君(たいくん)」に由来する言葉。現代英語では政財界の大物を示す




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狂瀾怒濤(きょうらんどとう) 後編(旧題:熱砂の王)

 突如、起きた謎の人物による、氷室美久の誘拐事件。
外交問題を恐れるあまり、及び腰になる日本政府の対応。
そんな姿勢に米国政府内では不満が高まっていた。




 ダヤン将軍との会見の翌日、早朝にマサキの元を訊ねる人物があった。

遠田(おんだ)技研*1の北米事務所の人間で、米国オハイオ州の日本人工場長だった。

 マサキが朝食も取らぬ内に、大量のカタログや戦術機の資料を持って来て、話し始めたためであろう。

何時もは、半日かかる「ホープ」が入った煙草の箱も、2時間もしないで空っぽになってしまった。

だが、マサキの機嫌は上々だった。

 

「じゃあ、戦術機の自動航法支援装置(ナビゲーション・システム)は、俺の案を採用してくれると……」

紫煙を燻らせながら、満足気に応じるマサキを見ながら、北米事務所の社長は、

「博士のシステムは、弊社の遠田が考えている構想そのものなのです。

どうか、参照にさせて頂けるならば、私共も協力は()しみません」

と、満面の笑みで応じた。

 多少、謝礼ぐらい要求しても問題はあるまい。

マサキはそう考えて、無体と思える要求をしてみた。

「フフフ、面白いやつよの。オートバイに自家用車が二台ほど欲しい。手配してくれ」

北米支社長は、唖然とした様子で、答えた。

「その様な、つまらぬものでよろしいのですか。

博士の、お役に立てるのでしょうか……」

流石に、自動車の無償提供は効いたのであろう。

不敵の笑みを浮かべながら、カタログをめくり、高級車と大型バイクを指差した。

車の方は、前世の本田技研工業の高級車『アコード』に似て居り、バイクは750(ナナハン)の名で有名な『CB750FOUR』其の物であった。

 

「役に立つどころか、自分の足がない俺には、なくてはならない物なんだ。

貴様の所には、たくさん有るので何よりだがな」

新しい「ホープ」の封を開けながら、男の瞳を見つめて、

「貴様等には、俺の最新式のシステムを呉れてやる。

そして、俺は日米を股にかける、有名企業の関係情報(コネクション)を手に入れる。

それを持って、俺はこの世界の戦術機業界に、乗り込む。

俺がバックに付けば、もう他の奴等に、邪魔される心配は無いぞ」

と、紫煙を燻らせながら、満足気に答えた。

 

 茶を入れに来た、美久に視線を移すと、

「美久も、オートバイの一つでも欲しかろう。ハハハハハ」

と、オートバイの一つでも買ってやろうかと思っていたので、頼んでみることにしたのだ。

アイリスディーナの件で、やきもきしている美久の機嫌を取るためでもあるが、別な理由があった。

 アンドロイドである美久は、推論型Aiというすぐれた人工知能のお陰で、オートバイの運転も得意だった。

かつて鉄甲龍の首領に拉致された時、オートバイに跨り、敵に乗り込み、単騎マサキを救出したことがある。

美久が運転するオートバイの背中に跨って、アメリカの高速道路(ハイ・ウェイ)をノーヘルメットで走るのも楽しかろう。

そんな事を考えていたのだ。

 

「博士ではなくて、奥様がオートバイですか。いや、驚きました」

 支社長の称賛のひと声が、美久の電子頭脳に染み渡る。

その刹那、美久の面が、ぱあと赤く色づいた。

「お世辞でも嬉しいです。有難う御座います」

「いや、良い奥方ですな」

他人から称賛など、久しく聞いていなかったので、なおの事、嬉しかった。

 

「納車の方ですが、11月、遅くとも今年中には間に合わせます。

恐らく狭山(さやま)の工場*2から取り寄せにはなりますが……」

「名義は俺で、俺の家と、関東の……」

 思えば、この世界の日本における住居は、城内省が用意した京都郊外の一軒家。

関東には、拠点が無いのだ。

 どうした物かと、悩んでいる時である。

丁度、白銀が入ってきて、

「おはようございます、先生。今日のご予定は……」

と、言い終わらぬ内にマサキが重ねて、

「白銀。丁度いい所に来た。お前の実家に、車を置け。

名義は俺の名義で、車庫にでも入れてすぐ使える様にしてな」

と、答えた。

 

「ええ、ちょ、ちょっと待ってください。俺の実家は神奈川ですよ」

「いや、いいんだ。埼玉の狭山から近いし、都合が良い。

家の親父にでも電話して、近くの代理店(ディラー)に納車させろ」

と、目を白黒させる白銀を無視して、契約書にサインしてしまった。

 

戸惑った様子の白銀を、横目で見ながら、

「あと、お前の百姓家(ひゃくしょうや)に遊びに行くからな。楽しみにしておれ。ハハハハハ」

と、満面に笑みをたぎらせて、

「ただで新車が手に入るのだ。文句は無かろう。それとも車は欲しくないか」

「どうして新車なんかを……」

「新規事業立ち上げの前金だよ。言ってみれば記念品の手ぬぐい変わりだ。フハハハハ」

白銀には、面前で不敵の笑みを浮かべる男の真意が分かりかねた。

 

 

 

 

 夕方の頃である、美久は、マサキからタバコを買ってくるよう頼まれて、ブロンクスにあるタバコ屋まで出掛けた。

マサキの吸っているタバコの銘柄は、専売公社の「ホープ」。

 何時もは、カートンで買っておくのだが、()(わる)く切らしてしまった。

ただ、ドイツ駐留時は、ブリティッシュアメリカンタバコ*3の「ラッキーストライク*4」の両切りで、我慢していた。

 そんな事を考えながら、頼まれた両切りタバコ6カートンを両手で抱えながら、帰ろうとした時である。

 背後から、黒装束の男が、美久に近寄り、彼女の首筋に棍棒のような物をぶつける。

電撃が全身を走ると同時に、美久は意識を失った。

まもなく何者かが近づき、彼女の事をBMWのリムジンに乗せて連れ去ってしまった。

 

 

 マサキは、二時間ほど転寝(うたたね)してしまった。

20時を過ぎたころ、目が覚めた彼は、流石(さすが)に帰らない美久の事が気になった。

最悪の場合、次元連結システムを応用した位置情報の追跡を行えばよいだけなので、然程気に留めなかった。

 ただ、ゼオライマーは、今ワシントン州シアトルにある日系企業の倉庫で、整備中。

次元連結システムを使って呼び出すにしても可能だが……。

 

 そんな事を、思案していた矢先である。

鎧衣が訊ねてきて、

「氷室さんが誘拐されたとの情報が入った。大使館まで急ぎ来てくれ」

 

 さて領事館では、誘拐事件の件で話し合いが始まっていた。

総領事は真剣な面持ちで、

「外交官ナンバーの車に連れ去らわれただと……」と白銀と鎧衣に訊ねた。

白銀は、平謝りにわびた後、

「申し訳ありません。ですが、ナンバーは控えてあります」 

「どこだね」

「イエメン民主人民共和国の国連代表部の車です」

「南イエメンか。我が国と外交関係がない。

それに空港から逃げられたら、どうすることも出来んぞ」

 

 それまで黙っていたマサキは、

「で、土曜の深夜22時なのに、なんでみんな集まってるんだ。 

まさか、今から南イエメンに殴り込むのか。

じゃあ、俺が更地(さらち)にしてきて、飛行機が止まりやすいようにしてやるよ。ハハハハハ」

と、笑って見せた。

 

 その場に、衝撃が走った。

総領事はじめ、みな凍り付いた表情である。

「フフフ、白銀、ゼオライマーを準備しろ」

白銀の表情は、暗かった。

「南イエメンは、ソ連の支援を受けたアラブの社会主義国……」

マサキが、思っていた以上に、ソ連の魔の手は長かった。

「ですから、中東やインド洋におけるソ連の足場となっています。

もし、先日の復讐に燃えるGRUの特殊部隊が待ち構えていたら、どうしますか」

と、その心にある不安を、一応あきらかにした。

 白銀は、インドシナでの経験から、GRUの怖さを嫌という程、知っていた。

ラオスでの軍事作戦の際、スペツナズに苦しめられていたのもある。

だが、古今東西を問わず、諜報の社会では常識だった。

 

 GRUの特殊任務部隊、通称「スペツナズ」

スターリン時代に、GRU内部で密かに作られた偵察部隊を起源とする組織である。

「スペツナズ」の言葉は、単純に特別任務隊を示す言葉であった。

 だが、1950年以降、その意味が変わる。

GRUの対外破壊工作の部門として西側だけではなく、コメコン諸国からも恐れられた。

 その一例を挙げれば、「プラハの春」のときである。

1968年8月21日、ソ連軍と東独軍を主力とするワルシャワ条約機構軍が国境に集結していた頃。

暮夜(ぼや)密かに、反体制派の厳重な警備が敷かれたプラハの官衙(かんが)に忍び込んだものがあった。

GRU特殊部隊(スペツナズ)の一群で、彼等は、難なくプラハを制圧した。

 

 

毅然としてマサキは、総領事の方を向き、

「知った事か。そんな、ソ連の操り人形の国、俺が滅ぼしてやるよ」と、大言を吐く。

「氷室さんは……どうするのだね」

マサキは、鎧衣の方に顔を向け、

「美久がいなくても、暴れるだけ、暴れてやるさ」

と、喜色を明らかに、うそぶいて見せた。

 

 

 

 

 さて、米国政府の対応といえば。

 ゼオライマーのサブパイロット氷室美久の誘拐を受けて、治安当局者は大童(おおわらわ)であった。

ホワイトハウスの中では、今まさにFBIのニューヨーク支部の職員たちが詰問(きつもん)を受けていた。

 

 閣僚を前にして、憤懣(ふんまん)やるかたない表情をしたFBI長官は、

「外交官ナンバーの車だからと行って見逃しただと、君達はそれでもFBIの職員かね」

と、青い顔をする職員を一括する。

「大切な同盟国のパイロットの護衛を任されておきながら……」

職員は、閣僚たちに平謝りに詫びながら、釈明(しゃくめい)する。

「しかしながら長官、仮に我々が職務質問をし、停車させた所でも……。

外交官特権を理由に、応じるとは思えません」

「で、どこの国だったのだね」

「67年11月に英国より独立した、南イエメンです」

FBI長官は、()(さお)になって、

「しまった!南イエメン!中東におけるソ連の傀儡(かいらい)国家か。

……確か、国連総会出席で、総領事一行が、ニューヨークに滞在中だったな」

と口走った。

 

 FBI長官の発言を受けて、CIA長官も同調するように、大統領に意見を述べた。

「よし、日本政府と相談して、正式に抗議しよう」

興奮するCIA長官を、国務長官が止める。

「まちたまえ、外交問題にも発展しかねないのを承知で……」

「同盟国のパイロットを見捨てろというのかね。

それに裏にはソ連がいるのは明々白々。黙って見過ごすわけにはいかんのだよ」

 

 副大統領は、喧騒をよそに、大統領のほうに顔を向け、

「日本の危機管理能力は、相変(あいか)わらずのようですな」

と嘆くと、大統領も一緒になって、嘆いた。

「史上最強のマシンパイロットを白昼堂々(はくちゅうどうどう)、拳銃しか持たぬ工作員に易々(やすやす)と誘拐させた。

日本という国の甘さを、世界中が認識した」

 

 副大統領は、日本の危機管理能力に、ふかく失望を感じて、

「これは、今の元枢府を廃して、われらの意向を反映する政権を立てたほうが……?」

と、いう大陰謀が、早くもこの時、彼の胸には芽をきざしていた。

*1
現実の本田技研工業株式会社

*2
埼玉県狭山市には、1964年から2,022年まで本田技研の自動車完成品工場があった。今日も規模を縮小して工場は存続している

*3
1902年創業。英国のタバコ販売企業

*4
1871年から販売されているタバコ




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(あば)かれる秘密(ひみつ) 前編(旧題:熱砂の王)

誘拐事件に遭難したゼオライマーのサブパイロット、氷室美久。
事件の実行犯は、マサキへの復讐に燃えるソ連の秘密警察KGBであった。
中東に連れ去らわれた、彼女の運命とは……


 さて、電撃で眠らされた美久は、どうしたであろうか。

彼女を連れ去ったリムジンは、警察の追跡を振り払うと、メトロポリタン美術館近くに停車した。

誘拐犯たちは、高級ホテル「ザ・カーライル」*1の一室に消えていった。

 

 美久は、推論型AIの人工知能が起動すると、即座に周囲の状況を確認し始めた。

豪奢な部屋に似合わない、大型動物用の檻に入れられて、毛布を掛けられていた。 

起き上がるなり、近づいてきたナツメのような褐色の肌をした男たちに驚いた美久は、

「や、や?」とばかり、色を失って立ちすくんだ。

『自分は怪しげな人物によって誘拐され、監禁されている』

後ろ手錠をされた不自由な姿勢で、ゆっくりと後ずさりした。

まもなく二人のアラブ人と(おぼ)しき大男の真ん中に立つ、白人の男が、流暢(りゅうちょう)な英語で声を掛けた。

「気がついたようだな。氷室美久よ」

美久は、眼を怒らして、敢然、反対の口火を切っていった。 

「あなた達、下士官とはいえ、帝国陸軍軍人に、この様な事をして唯で済むと思いますか。

きっと日本政府の依頼を受けた、CIAやFBIが不当監禁と誘拐で捜査するでしょう。

今、黙って返せば、日本政府にも、木原に知らせるつもりはありません……」

 

 二人の大男を見るに、頭に赤色のベレー帽、カーキ色の軍服、脚には茶色の軍靴。

腰には、スタームルガーの大型自動拳銃を横たえている。

 問うまでもなく、南イエメン軍の兵士である。

しかも、その将校であることは、肩章や高級そうな服地でもすぐ分った。

 

 檻のカギが開くと、男たちは美久を引きずり出した。

「同志少佐、こいつを、どうするんですか」

 美久の襟がみをつかんだのが、もう一人のほうに向って訊くと、ソ連赤軍将校の軍服を着た男は、

「おい」と、少佐は手下の南イエメン軍兵士が、まだ危ぶんでいる様子に、顎で大きくいった。

「そいつを、もっと前へ引きずってこい、そうだ俺の前へ」

美久は、襟がみを持たれたまま、少佐の足もとへ引き据えられた。

「ゼオライマーというおもちゃを持ち出して、この泣く子も黙る、KGBを脅しているのかね。

いやあ、恐ろしい娘じゃのう」

紫煙を燻らせながら、ねめつける。

御生憎(おあいにく)様、ここは米国であって米国でないのだよ……言っている意味が分かるかね」

「まさか、このホテルの一室が……領事館と言う事なのかしら」

「そう、ここは民主イエメン*2の領事館。即ち、米国の司法権が及ばない。

したがって、CIAやFBIは踏み込めないのだよ。わかるかね」

 

 

 美久は思った。これは悪い者に出合ったと。

マサキに知られれば、また血の雨が降ることを心より恐れた。

「……ッ!」

ソ連軍将校は、憮然とする美久をかえりみて、

「氷室よ、よく聞くがよい。

貴様は、これより、わがKGBによって特別な尋問を受けることになる。

フフフ、楽しみにしているがよい」

下卑た笑みを浮かべると、大声で笑った。

「貴様には、中東のレバノンにあるKGBの地下要塞に来てもらう。

そこには復讐(ふくしゅう)に燃える諜報員たちが待っている。

いつでも、貴様を……われらは殺せるというのを、忘れるな」

美久は、後ろ手に手錠で縛り上げて、部屋の大黒柱にくくりつけられた。

「そして、木原のカップルとしてゼオライマーを操縦した罪……

ソ連に逆らったことを後悔させてやる。一生かけてな。フフフ、ハハハハハ」

美久は、終始黙然と聞いているのみだった。

 

 

 美久は後ろ手に緊縛されたまま、トランクに詰められ、大型ジャンボに載せられた。

「レバノンまで、しばらくの辛抱だぜ。おとなしくしていてくれ、子猫(コーチカ)ちゃんよ。」

KGB工作員が向かう先は、アデン*3ではなく、本当の目的地はベイルート*4だった。 

 KGBが乗り込んだ、ミドル・イースト航空*5所有のボーニング707。

同機は、ニューヨークのJFK空港から飛び立つと、パリ経由ベイルート行きの航路を進んだ。

 

 

 ベイルートに連れ去られた美久は、KGBの秘密基地で、手荒な尋問を受けていた。

部屋に着くなり、KGB工作員によって、平手で頬を叩かれる。

「服を脱ぎたまえ」

 拳銃を持つ男に、英語でそう脅された彼女は、ボアのついた革ジャンのファスナーを開けた。

歯噛みし、屈辱に耐えながら、ブラウス、ジーンズに下着まで脱ぎさる。

 手渡された強化装備を、KGB職員たちの監視の前で着せられる。

そして、両腕と両足を10ミリの太さの紐で縛られて、天井から宙づりにさせられていた。

 強化装備にはもともと、着用者の生体情報(バイタルデータ)を収集させる機能が備え付けてある。

準備に煩わしい心電図モニターや医療機器を準備しなくて良い面もあろう。

 KGBは、なぜ、わざわざ美久を着替えさせたのだろうか。

それは赤裸(せきら)にさせるより、羞恥心を感じさせ、美久を早く篭絡させる為であった。

 

 盛夏服*6姿のKGB女性職員が、心臓マッサージ用の電気的除細動器のダイヤルを回す。

電気ならば、簡単に刺激が与えられ、なおかつ外傷も残りにくい……

成人の心室細動に対する設定は150ジュール*7以上が推奨される、この機器を用いて拷問をすることにしたのだ。

 無論、放電の効果を高めるためにジェルや専用のシートを張り付けるのだが、強化装備の特殊保護被膜がその代わりを果たす為、KGBは用いた。

 

 女職員が無言でパドルを美久の両方の乳房に押し付ける。

その刹那、30ジュールの電流が美久の全身を駆け巡った。

「うぅぅ……」

焦点の定まらぬ目を見開き、虚しく首を左右に振るばかりであった。

「さあ早く、ゼオライマーの秘密を吐け」

そういって、ダイヤルを回して、50Jに電流を上げる。

美久は流れ出る電流から逃れようと、苦しげな声を上げて、(もだ)えた。

「うふぅ……くふぅ……あぁぁぁ」

女職員がパドルを両胸から離すと、もどかしげに身をくねらせる美久の耳元で、

「木原が、単独でゼオライマーを作り上げた。嘘よね」

英語でささやきかけ、まくし立てる様に尋問を続ける。

「さあ、本当のことを吐けば、楽にさせてあげるわ」

首をうなだれた美久は、肩を震わせて、全身で息を吐きだした。

「う、あうぅ……」

 

 尋問を見守るKGBの女職員たちの後ろのドアが、開く。

まもなくすると、円筒型のナースキャップ*8をかぶり、軍服の上から白衣を着た男が入ってくる。

「自白強要剤を使え。これを飲ませれば、たちどころに何でも吐くであろう」

「この娘は、自己の思考操作をしているようなのです。

うそ発見器にも反応しませんから……おそらく、自白剤も効きません」

 美久の顔が見る見るうちに恐怖に歪むのを受けて、男は、怪しげな笑みを浮かべた。

「では、残る方法は、一つしかないな。

催眠麻薬0号と指向性蛋白を練り合わせて、口から流し込め」

と、指示を出した。

 

「あの、セルプスキー研究所で作られた新型麻薬を……

阿芙蓉(あふよう)から精製した催眠麻薬0号を使えと、申すのですか。

催眠暗示でも、鎮静効果のない錯乱状態にある衛士に使う薬などを使って、狂ってしまったら……

支那で投薬3号として売り込んだ際は、意識障害の後遺症を数多く出した薬などを……」

 

「上手くいけば、君のことを昇進できるよう、同志長官代理にお伝えしよう」

そういうと、男は女職員に口づけした。

「素晴らしいデーターの収集を楽しみにしているよ。ハハハハハ」

喜色をめぐらせた男は、その場を後にした。

 

 肘掛椅子に腰かけた夏季勤務服(キーチェリ)姿の女が、わきの女兵士に呼びかける。

革鞭(ナガイカ)*9を持て」

女兵士は、黒い乗馬鞭(ナガイカ)を差し出す。

「同志大尉、これを」

 

 黒髪の女大尉は立ち上がると鞭を握りしめ、しきりに振りしごく。

美久の胸目掛けて、勢いよく袈裟(けさ)懸けにたたきつける。

「あああっ、ふぁああああ」

身体の奥底から、聞いた事のない様な悲痛な声をあげ、長い茶色の髪をおどろに振り乱しながら、肩と細腰をユラユラとくねらせる。

 美久の絶叫を聞いた女大尉は、顔色一つ変えずに鞭の動きを止める。

ずかずかと軍靴を踏み鳴らして、美久に近寄ると、彼女の顎に右手でかけて、ゆっくりと持ち上げ、尋ねた。

「いうがよい。氷室美久。

あのゼオライマーは長大なエネルギー砲を備えながら、核燃料を必要としないのか。

なぜ、なぜなのか」

ゆっくりと、美久は眼を見開いて、きりりと、女大尉をねめつける。

「その秘密は、サブパイロットであるお前が、知らぬはずがあるまい」

美久の態度が逆鱗に触れたのであろうか、女大尉は途端に赫怒した。

「おのれ!東の小島の黄色猿(マカーキ)のくせして、その反抗的な目は、なんだ」

眉をひそめ、朱色の口紅が塗られた唇の両端がつり上がる。

 ロシアの迷信の中には、「睨んで呪いをかける」というものがある。

そのため、ロシア人は、自分の子供が写真を撮られれたり、ずっと見られるのを嫌う習慣がある。

子供があまりにもかわいいからといって、ずっと褒めていると変な呪いをかけていると思い、嫌がるのである。

 

 このカフカス人の女大尉も、美久の態度を、日本の怪しい邪教の術と解釈したのだ。

もともと、ロシア人は素朴で信心深い人々だった。

だが、ソ連60年の歪んだ思想教育や無宗教政策のため、必要以上にまじないや呪いの類を恐れるようになってしまったのだ。

「この私に、悪魔の呪いをかけようとは……

いまわしき侍、日本野郎(ヤポーシキ)の木原の情婦のくせに、生意気な。

電撃のボルテージを上げて、この娘に食らわせてやれ」

 先ほどの白衣を着た女職員が駆け寄って、哀願する。

「これ以上は心停止の恐れがあります。危険かと……」

激高していた大尉は、女職員に平手打ちを喰らわせる。

「ええい、だまれ、だまれ、このたわけが」

不意を突かれて抵抗できなかった彼女を、いきおいよく罵る。

「ならば私の手ずから、この木原の情婦を手なずけようぞ」

 大尉に打たれた頬を手で押さえながら、今にも泣きださんばかりの顔をする女職員は、こう答えた。

「こんな小娘、一人痛めつけて何があるでは、ありますまいのに……

なぜそれほどまでに……」

瞋恚(しんい)を明らかにした女大尉は、女職員の襟首をつかむと、こう吐き捨てた。

「木原を討とうとして、戦地に倒れた我が良人(おっと)(かたき)……

お前に、この未亡人(やもめ)の心が、一人の寂しい人妻(おんな)の心が、わかるのか」

 

 この未亡人は、笑みを浮かべながら、拳銃嚢からナガン回転拳銃を取り出して、

日本野郎(ヤポーシキ)よ。わが良人の仇、受けてもらうぞ」

きつく縛められた美久に、回転拳銃(リボルバー)を向ける。

美久は、親指で押し上げられる撃鉄の音を聞きながら、ただ困惑しているしかなかった。

 

 

 

 

 レバノンのソ連大使館では、そのころ動きがあった。

駐箚(ちゅうさつ)大使以下、GRU支部長やソ連軍事顧問団の将校、KGBの幹部たちが一堂に会して密議を凝らしていた。

 

「氷室美久という女衛士が、人造人間(アンドロイド)だと!」

レバノン大使が、驚愕の声を上げる。 

「とても、信じられる話ではないね」

 防空ミサイル部隊を指揮する防空軍*10大佐も同調する。

BETA相手では役立たずになっていたミサイル部隊も、戦術機やゼオライマーには効果がある。

そういう事で、呼び寄せ、レバノンのソ連秘密基地防衛の任務にあたらせていた。

 

 KGB所属の軍医大尉は、興奮した面持ちで、

「これだけの資料を、ご覧になられてもですか」

大使は、(いぶか)しげに尋ね返した

「君は、信じるのかね」

「胸部エックス線写真、コンピュータ断層撮影装置の測定結果は、十分な根拠になりうるかと」

セルブスキー研究所の研究員もいまだ信じられぬ面持ちで、答える。

「氷室は、日本野郎(ヤポーシキ)の、普通の女にしか見えんが」

 会議に参加していた、ソ連外国貿易省のレバノン駐在員も、追随する。

この男は、貿易省の役人に偽装したGRU工作員であった。

「そうだとも、それをどう説明するのかね」

 

 それまで黙っていたGRU大佐が、

「これ、以上議論の余地はないな。百歩譲って、木原がそのようなものを作ったとしても……

現在に至るまで、我々GRUの諜報網に引っかからなかったのだね……」

レバノン大使が(たた)みかける様に、KGBの軍医大尉をなじる。

「あの米国ですら人工知能の実用化は、まだ達成していない。まして小型化など……

その、人造人間とやらでも、機械があんなにはっきりと受け答えできるかね」

男は、憤懣やるかたない表情で立ち上がると、言い放つ。

「やれやれ、時間の無駄だったようだな!」

 

 

 一斉に席を立つ幹部たちを見ながら、軍医大尉は一人残ったKGB大佐を見つめる。

「どうする……」

大佐から問われた軍医大尉は、

「コンピュータ断層写真の件が、どうも引っ掛かります。

それに、あの拷問を受けても即座に回復したのを見て居れば、機械人形(ロボット)としか思えないのです」

 KGB大佐は、懐中より、曲線を描いたベント型のメシャムパイプを取り出し、火をつける。

「うむ」

ブランデーの香りがする、紫煙を燻らせながら、

「私も、その点は気になる。納得いくまで調べるかね」

「はい」

「では、その線でいきたまえ」

そういうと、肘掛椅子に深く腰掛けた。

*1
1930年創業。「世界一口の堅いホテル」としても定評がある

*2
南イエメン

*3
南イエメンの首都

*4
レバノン共和国の首都

*5
1945年創業。レバノンの国策航空会社

*6
盛夏服は、ソ連軍の勤務服の一種。シャツとスラックス、婦人兵はシャツ、スカートからなる略装

*7
電気の単位

*8
ソ連圏では科学者は円筒形の帽子をかぶる習慣がある

*9
カフカス地方に由来する乗馬用の皮の短い鞭

*10
空軍の一部門で、戦闘機の他に、対空ミサイル、高射砲などを運用し、味方の制空権の維持を図る兵科のこと




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(あば)かれる秘密(ひみつ) 後編(旧題:熱砂の王)

 美久誘拐を受けて、赤軍参謀総長はある一計を思いつく。
GRUの長年の宿敵KGBをマサキの手で潰させる計画を実行することにした。
その頃KGBは、日本政府に恨みを持つテロリストが近づいた。



  駐レバノン・ソ連大使館での密議は、その日の内に、GRU部長の耳に伝わる。

氷室(ひむろ)美久(みく)誘拐の報を受けた部長は仰天して、参謀総長に仔細を告げた。

色を失った参謀総長は、机の上に有るマグカップを取って、熱いグルジア茶を呷る。

「木原は、まだニューヨークに居るのだな」

参謀総長の問いかけに、青白い顔色をして、部長は応じる。

「マンハッタン島にある総領事館にあって、準備をしてると聞き及んでおります」

由々(ゆゆ)しき事態だ」

「私も、同様に案じて居ります」

 迷うときではない。

また迷っている暇もない。

「やはり、手段は一つだ」

 いつもは冷静な参謀総長が、顔をしかめて、GRU部長をにらみつける。

そんな表情にただならぬものを感じて、GRU部長は怖じ気づいた。

「KGBの計画をつぶし、氷室を木原の下に返すおつもりですか」

「氷室の居場所を明かし、KGBを差し出せば……いくら木原といえども、満足しよう」

あらためて、あたりの将校たちは、体の真底から、異様な恐怖につかれたような声を発した。

「エッ!何を望まれるのですか」

 

 説明すれば説明するほど、墓穴を掘るような感覚に参謀総長は(さいな)まれた。

万事休して、彼は口走った。

「ゼオライマーを手に入れる。

そのためには、木原がどうしても必要なのだ」

 いまや取る途はそれしかないとは分っていたが。

今更の如く、多年破壊工作に励んで来た諜報員ですら、身の毛がそそけ立って来るものとみえる。

「断れたら、殺す。もちろん、我らの手にゼオライマーが入ってからだがな」

側近の誰も彼もが、うろたえている。 

「BETAの侵略によって、太陽系の命運は旦夕(たんせき)(せま)って*1いる。

地球を、ロシア民族を残さねば、ソビエト連邦の光も、社会主義の夢も途絶(とだ)える……

ときに、GRU部長」

「はっ」

「音楽学校*2卒業の衛士を呼びたまえ」

部長は、室内電話で秘密回線に連絡を入れた。

 

 間もなく、婦人用勤務服(キーチェリ)姿の人物が入ってきた。

空色の肩章に中尉を示す菱形星章、胸には衛士の証である銀色のウイングマーク。

「同志、かけたまえ」

参謀総長の言葉にうながされて、彼女は席に着いた。

ゴールデンポニーテールで結った腰まで届く銀髪に、スカイブルーの瞳。

「部長から話は聞いたと思う」

 シガレットケースから、細く巻いたマホルカ*3を取り出して、火をつける。

彼女は歴戦の兵らしく、麻紙を使った手巻きタバコを愛用していた。

 今日でも、ソ連、東欧圏で、婦人の喫煙は珍しいことではなかった。

東ドイツでは婦人の約3割近くが喫煙し、より娯楽の少ないソ連では約半数が喫煙していた。

ただ、マホルカよりも、外国たばこのマルボーロといった軽い吸い口のものが好まれていた。

「KGBが木原のパートナーを誘拐したのは事実だ。その回収をやってもらいたい」

かかる指図は、補佐するGRU部長こそがすべきだったが、参謀総長自ら声をかけた。

「急いでいるのは、月面からのBETAの再侵攻の危険が迫っているからでね」

紫煙を燻らせながら、静かに訊ねた。

「どこへ行けばいいんですか」

参謀総長は、GRU部長に目配せした後、

「レバノンだ」

と言い終わると、彼女に資料を渡す。

「ゼオライマーのサブパイロット、氷室(ひむろ)美久(みく)という女がターゲットだ。

彼女をKGBの秘密基地から脱出させ、セルブスキー研究所長を消しなさい」

「同志大将。かしこまりました」

と、椅子を机のわきへずり退けて、敬礼の姿を()った。

「このソフィア・ペトロフスカヤ、完璧に実行いたしましょう」

彼女が口にした名は、人民主義者(ナロードニキ)の暗殺者と同じだった。

 

 

 

 

 

 

 ここは、地中海に面する中東の大国、シリア。

この地は、ソ連にとって、なんとしても抑えたい拠点の一つであった。

BETA戦争によって弱体化したソ連は、隣国*4、NATO加盟国のトルコと、親米の帝政イラン。

二大強国を前にして、指導部は震えあがっていた。

 

 無論、帝政時代から、トルコとイランはロシアの宿敵である。

幾度となく干戈を交え、勝てなかったロシアは、様々な秘密工作を仕掛けた。

19世紀末までには、クリミア・ハン国や、カフカス地方、果てはイランの影響力の強い中央アジアまで、その版図に収めた。

 1920年代には、アマーヌッラー・ハーン*5を支援し、積極的にアフガン紛争に参加した。

ハビーブッラー・カラカーニー*6により、アマーヌッラー・ハーンは廃位され、その野望は(つい)えた。

その様な苦い経験が、ソ連にはあったのだ。

 

 だから、英米とイスラエルの目が光っているトルコやイランで活動をしなかった。

シリアやイラクといった影響下にある国に、支援という形で多数の軍事顧問団を派遣した。

 もっとも、史実の中東戦争やレバノン紛争の際も、ソ連政府は、数千人の人員を送り込んだ。

エジプトやシリアの依頼を受けたという形で、ソ連軍事顧問団は、防空部隊や操縦士(パイロット)を指導した。

消耗戦争*7の際、ソ連軍パイロットは、エジプト軍の戦闘機でイスラエル軍と戦った。

 

 

 さて、シリアの首都ダマスカス近郊にあるメッツェ空軍基地。

そこの一室に、ソ連軍の将校が集められ、密議が凝らされていた。

彼らは、シリアに派遣されたソ連軍の戦術機部隊の将校と、政治将校であった。

 

 肘掛椅子に腰かける、杉綾織の熱帯服姿の陸軍大尉は、机より顔を上げる。

正面に立つ白髪のアブハズ人の少佐に向かって、翡翠色の瞳を向けて、

「KGBが捕らえたゼオライマーの女衛士……。

赤軍やGRUが関わらずとも、よい案件ではありませんか。

仲介役を申し出ているヨルダンを通じ、人質を返せば、済む話では」

遮光眼鏡(サングラス)をかけた少佐の顔を見上げながら、告げる。

 

 上質なトロピカルウール製の熱帯勤務服を着たアブハズ人は、政治部将校(コミッサール)であった。

遮光眼鏡を外すと、正面に立つ若いグルジア人の大尉を見ながら、

「グルジアの党書記を務めた、御父上のご尊名を汚したくはあるまい」

と、能面のような表情をしたまま、答えた。

黒髪のグルジア人青年将校は、男をきつくねめつける。

「何、私を懲罰にかけるだと」

思い人の様子を、フィカーツィア・ラトロワは、黙って見守る。

脇に立つ、副隊長と一緒に、直立不動の姿勢で、注視していた。

 

 政治将校は、顎に手を当てながら、室内を数度往復した後、

「もしもだ。そのようなことになれば、つまらんであろう。

悪いことは言わん。GRUの計画に協力せよ」

両手を広げて、男に同意を求めた。

「馬鹿な。参謀本部が、この私を懲罰にかけるものか。

第一、ソ連のことを思えばこそ……」

椅子より身を乗り出して、反論した。

 

 政治将校は、彼に顔を近づけて、強い口調で言い放つ。

「とらえた女兵士を餌にして、木原を殺し、KGBがゼオライマーを手に入れれば」

「手に入れるという保証はあるのかね」

政治将校は畳みかける様に続ける。

「手に入れないという保証も、又、無い」

大尉は、自嘲するような笑みを浮かべ、

「フフフ、なるほど。つまり、危険な()は早いうちに()んでしまえと」

「その通りだ。KGBを倒し、ゼオライマーを赤軍が手に入れる。まさに一石二鳥」

半ばあきらめたかのように、言い放つ。

「その話は、了解した。

ただし今の我々は、レバノン政府の許可がなければ、シリア領空からレバノンに侵入することはできない。

そのことだけは、忘れないでほしい」

 

 政治将校の説得を受けた大尉は、一頻り思案した後、電話で戦術機部隊に待機命令を出す。

中隊長室を後にし、シリア側と話し合いに行く際、駆け込んできたラトロワに止められる。

「中隊長、ぜひ聞いてほしい」

カーキ色の熱帯服姿の彼女を一瞥した後、碧眼を見つめながら、

「悪いが時間がない。歩きながら話してくれないか」

そう告げると、立ちふさがる彼女の右わきから通り抜ける。

 ラトロワは振り返ると、すぐに先を進む男を追いかけて、

「率直に言う。出撃をやめてくれないか」

男は立ち止まると、彼女のほうを振り返って、驚愕の表情を見せる。

「なんだって!どういうことだ」

「出撃をすれば、相手の思うつぼだ。

いたずらに犠牲を増やすより、ほかに方法はあるはずだ」

男は、首を横に振る。

「いや、いかにフィカーツィアの意見でも、それだけは聞けないな」

 ラトロワの表情が変わったことに気が付いた大尉は、じっと見つめる。

「亡くなった御父上の名誉が、大切なことはわかる。

懲罰が実施されるかも、わからないし……

それに無駄に戦わずとも、上層部の不興を買わないで済む方法が、ほかにある」

彼女の深い憂慮の念をたたえた(まなじり)には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 

 

 そこに後ろから、政治将校が現れて、

「もっと大切なことが、あるのだ」

思わず絶句したラトロワと男は、直立不動のまま、政治将校に顔を向ける。

「母なる祖国ソビエトの大地を荒らしたBETAとハイヴを消し去った、天のゼオライマー。

あの無敵の超マシンを、KGBに奪われる事になってからでは遅い。

断じて、KGBに、渡すわけにはいかない」

 

 

 

 苦しい思いに押しつぶされそうな彼女は、思わず基地の外に駆け出していた。

忘れもしない、あの恐ろしいゼオライマーの攻撃。

 ソ連極東の巨大都市が、一台の戦術機の攻撃によって、一瞬にして灰燼に帰したのだ。

しかも、前線からはるか後方で、安全だと思われていた臨時首都で行われた、白昼の大虐殺。

 死を覚悟して、BETAの溢れる支那に近い蒙古駐留軍に送り出した弟のほうが安全。

それに、首都で政治局員候補として勤めていた思い人の父があっけない最期だったのも、受け入れられない事実だった。

自分があの時、戦って止めていれば、変わったのだろうか。

 

「ソビエト社会主義の旗の下、全人類が団結すれば、いずれはBETAに勝てる」

いくら、党指導部が作った大嘘と分かっていても、信じて戦ったものが大勢いる。

ソ連の社会主義建設のために、純粋にその燃える血潮をたぎらせて、散っていった幾千万の勇者たち。

 長い戦争で見知った顔が消えていくのは、今に始まったことではない。

鋼鉄の意思をもって、『ファシスト』枢軸国と戦ったソ連政権。

あの4年半も続いた『反ファシスト』の『大祖国戦争』も、勝ち抜いたが、その傷跡は30年以上が過ぎた今も癒えていない。

幼い頃から散々聞かされた政治プロパガンダで、『ソ連は独力で戦って勝った』とされたが、それも今回の戦争で嘘だということが分かった。

 

 ソ連は米国からの食糧購入をBETA戦争前からしていたし、今自分が乗り回しているMIG-21ももとはといえば、米国のF4ファントムの改良版。

着ている被服も、履いている軍靴も、米国からの有償貸与品(レンドリース)だ。

 結局、自国では、何の技術も設備もない。

あるのは、資源と生産力のない人間と、国費を懐に入れる腐敗役人だけ。

東ドイツやポーランドと敵対した今、経済相互援助会議(コメコン)での、社会主義経済圏の豊かな生活も機能していない。

一度その様な生活を覚えると、昔に戻るのはかなり厳しい。

 

 今、GRUが引き込もうとしている相手は、口のきけない怪獣、BETAではない。

木原マサキという、生身の青年科学者だ。

 いくら、侍という、野蛮な戦士とはいっても、人間なのだから。

彼の愛した女は、東ドイツの戦術機部隊隊長の妹だという。

 だから、決して話し合いに応じない相手ではないことは、確かだ。

どうすれば、引き込めるのだろうか……

ラトロワの胸は、悲壮感で張り裂けそうだった。

 

 

 

 

 さてその頃、KGBといえば。

今回の誘拐作戦で相手を混乱させるべく、複数の国家間をまたぐ撹乱(かくらん)作戦に出た。

 だがそのことは、彼らの足並みを乱す原因にもなった。

中東で打倒イスラエル、打倒西側を掲げるパレスチナゲリラのもとに日本を追われて逃げ込んでいた共産主義を掲げるテロ集団がいた。

そのグループは、美久誘拐事件を聞きつけて、パレスチナゲリラを訓練していたKGB将校に話を持ち込む。

 

「同志大佐、氷室を理由にして、日本政府から金と人員を強請(ゆす)るというのはどうでしょうか。

網走刑務所に収監中の同志達(テロリスト)20名のほかに日本全土から100名の精鋭を連れてまいります」

「なに、身代金と人材リクルートということかね」

「3億ドルほど要求して、1億ドルずつ分けませんか。

ハバロフスクがなくなって、同志大佐もだいぶ物入りでしょうし」

 

「フフフ、帝国主義者どもが集めた金で、帝国主義者を退治するのか。よかろう」

「ではさっそく準備いたします」 

 

 KGB大佐は日本人テロリストがいなくなった後、悪霊を追い払うかのごとく罵った。

「薄汚い犬畜生(サバーカ)めが!」

椅子の背もたれに倒れ掛かった後、しばし物思いにふけった後、

「猿同士のいがみ合いか。これは面白くなってきたぞ」

机から陶器製のパイプを取り出し、シリア名産の「ラタキア」を詰める。

ゆっくり火をつけると、紫煙を燻らせながら、

「木原め、必ず血祭りにあげてやる」と、満面の笑みを浮かべた。 

 

*1
今日の夕方か、明朝かというほどに危急が迫ること。危険や死期などが近いたとえ

*2
GRU将校を教育する、軍事外交アカデミーの事

*3
茎・葉ともに粉々にしたロシアタバコの事であり、ソ連時代は粉の状態で配給や販売された

*4
当時のソ連では、黒海を挟んで、トルコ、カスピ海を挟んで、イランが隣接してた

*5
(1892年6月1日 - 1960年4月26日)、反英思想の持主で、ソ連と関係を重視した

*6
(1891年1月19日 - 1929年11月1日)英国の支援を受け、アフガンを制圧するも、最終的に敗れ去った

*7
1967年から1970年にかけてイスラエルとエジプトの間で勃発した武力紛争




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首都爆破 前編(旧題:奪還作戦)

 テロリストからの脅迫を受けた日本政府は、対策を講じる。
中東に飛んだマサキたちの運命や、如何に……


 さて、日本政府の反応は、どうであったろう。

米国の意図を知らない日本政府は、美久誘拐事件でも違った反応を見せる。

 ニューヨークの総領事を通じて、誘拐事件の連絡を受けた日本政府は、対策本部を設置した。

西ベルリンの時と違って、今回の様な複数の国家間を跨ぐ誘拐事件の対応は混乱を極めた。

 

 ここは、日本帝国の首都、京都。

官衙(かんが)の中心に立つ、首相官邸の、最上階にある総理執務室。

 

 次官会議の取りまとめを務める、内閣書記官長*1の発議で始まった会議は紛糾していた。

 執務室の中では、閣僚や事務次官たちの喧々(けんけん)諤々(がくがく)の議論が飛び交う。

内務省警保局長*2が、

「総理、こんな難題を帝国政府が負う必要はない。安保を理由に米国に処理させよう」 

 総理の脇にいた警視(けいし)総監(そうかん)は、うなづいた後、

「とにかく、早急に具体的な案を考えねば……」

と、発言すると、今度は商工次官*3が、

「ゼオライマーは帝国陸軍の管理下にある事になっている。責任転嫁は許されますまい」

 

官房長官が、 勢いよく机をたたきつけ、

「パレスチナ解放人民戦線などという、テロ集団と交渉などできるものか!」

と、右往左往する官僚たちを一喝する。

 その場に、衝撃が走った。

内閣書記官長はじめ、次官や官僚たちは、みな凍り付いた表情である。

 

 室中、氷のようにしんとなったところで、外相は立ち上がり、

「パレスチナ解放人民戦線は、帝国政府のみとの交渉を望んでいる。

日本の、いや世界の安全のためには、応じるしか有るまい」と、その場をなだめた。

 

その時である。

執務室にある電話が鳴り響いた。

誰もが、血走った眼を机の上の黒電話に向ける。

 応対した総理秘書官の男は、受話器を右の耳からゆっくり遠ざけ、

「総理、パレスチナ解放人民戦線の首領と名乗る男から電話が……」

と、総理の方に、悲壮感の漂った表情を向ける。

「こちらに、回線をつなぎたまえ」

警察と情報省の逆探知班が、脇でレコーダーを静かに捜査していた。

 

 電話会談は、外務省の英語通訳を挟んで、行われた。

すでに、この時代には、米国AT&T*4により商業化されたテレビ電話があった。

米国の例を採れば、30分の無料通話つきで月額160ドル*5というかなり高価なものであったが、相手の表情が見れるというのは新鮮であった。

また書類や写真などを、即座に画像で送れるのは、企業に喜ばれた。

 

 だが、相手は匪賊(ひぞく)頭目(とうもく)なので、そのような高価なものは持っておらず、通常回線による電話だった。

 逆を言えば、通常回線なので、情報省や警察当局による逆探知が可能でもあった。

首相は、電話に応じる姿勢を見せながら、相手の本部がどこにあるか、情報収集の時間を稼ぐことにした。

 

「先ほど、ご紹介いただいた件ですが、人民戦線の議長さん、会談はどちらで……」

「レバノンのベイルートで……」

 首相は静かに、男からの返事を待つ。

「では客人としておかずかりしている衛士返還についてだが……

その前に、飲んでほしい条件がある」

「はい」

「日本政府に捕らえられている社会主義を信じる革命戦士。

いわゆる、赤軍派とか革命軍といわれる活動家の100名と交換ということでどうだね。

両者の会談を行う前提条件として、これらの人物の全員。

即時(そくじ)釈放(しゃくほう)を要求する」

 

 首領を名乗る男の声に、一斉に執務室の中が色めき立つ。

「犯罪者の釈放だって……」

「爆弾魔どもを野に()(はな)てと!」

 苦虫を()(つぶ)したような表情をした総理は、しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。

「数分の猶予(ゆうよ)をいただきたい」

そういって、保留音のボタンを操作すると、静かに受話器を脇に置いた。

 

 (いきどお)る官房長官は、

「よくも、ぬけぬけとそんな事を」

瞋恚(しんい)をあらわにし、紫煙を燻らせた後、

「このまま、テロリストと会談を持てば……、

日本は法治国家ではないと、全世界に表明することになる」

と、心にある不安を打ち明けた。

 奥より、老人が声を上げる。

「鎧衣を呼び出せ」

(おきな)、真ですか。

あの木原という小僧の子守りをしておきながら、事件を未然(みぜん)に防げなかった奴をですか」

彼奴(あやつ)は、カンボジア戦線で敵地奥深く侵入し、無事国外に脱出した実績の持ち主。

今度もうまくいく」

 

 翁と呼ばれ、閣議や次官会議に出席しているの謎の老人。

この人物のことをお忘れの読者もいよう。

 彼は、帝都城出入(でい)御免(ごめん)の人物で、『影の大御所(おおごしょ)』と呼ばれる人物。

マサキをミンスクハイヴ攻略に向かわせた人物で、斑鳩(いかるが)の元当主でもあった。

 

 閣議に参加していた、国防政務次官*6(さかき)是親(これちか)のほうを向くと、

「榊君、すまぬが人柱になってくれぬかね」

「翁がそうおっしゃるのなら……」

榊は、静かにうなづいた。

 

 首相は、背もたれに寄りかかりながら、落ち着いた声で、賊徒の首領に返答した。

「こちらからは榊国防政務次官を特命全権大使として会談に向かわせましょう」

「ああ。分かった」

首領は、そう満足げに答えて、受話器を置いた。

 

 

 同じ日。

 マサキたちはニューヨークを出て、ヨルダン王国の首都、アンマンに来ていた。

この国はシリア、レバノンと陸路でつながるこの中東の小国。

 かつては反イスラエル、反英運動の拠点であったが、1970年に事情が変わる。

時の国王が、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)の振る舞いをする過激派集団、PLOの存在。

彼等を(うと)ましく思い、イスラエルとの対話姿勢を打ち出し始める。

 同年9月6日にPLOの過激派PFLPによる連続ハイジャック事件が発生した。

その際、王は怒髪(どはつ)(てん)()く。

 即座に、パレスチナ難民ともども国外退去を命じるも、件の過激派は黙ってなかった。

市中の銀行や商家を襲い、金銀を略奪し、首都を焼き払い、政府転覆(てんぷく)をはかった。

 

 ヨルダン王は、近衛兵を中心とした政府軍の部隊を送り、鎮圧したが話はそれで済まなかった。

1970年当時、PLO支援に積極的だったシリアは、陸軍部隊をヨルダンに侵入、PLOに加勢した。

 戦争の危機を危ぶんだエジプトの仲介もあって、停戦合意はなされた。

だが、その(うら)みは骨髄(こつずい)に達するほどであった。

それ故に、マサキたちが誘拐事件でレバノンに乗り込むと聞いた際、即座に協力を申し出たのだ。

 

 

 この世界で、一下士官であるマサキの立場では、おいそれと一国の王と会える身分ではない。

国王との謁見は、帝国政府の特命全権大使である御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)

彼が日本政府の代理人という形で行われた。

 

 鷹揚に挨拶をした後、御剣は国王に対して、今回の誘拐事件の協力に関し、尋ねた。

「では、氷室君の奪還作戦に協力していただけると……」

国王は、御剣の目を見ながら、

「72時間だけ、我が国の領土、領空の自由通行権は保障いたしましょう」

そして、脇の護衛官から紙を受け取ると、

「あと、レバノンに潜り込ませている、わが情報部の報告によれば……

氷室さんは、おそらくベイルート市内にいると、考えられます」

 それまでマサキは、端の方で静かに座っていたが、その情報を聞くや、立ち上がった。

「王よ。貴様の話、信じさせてもらうぞ」

そう言い残すと、周囲の喧騒(けんそう)をよそに、マサキは部屋を後にした。

 

 

 

 深緑の野戦服に、両肩から掛けた二本の七連弾帯(バンダリア)、その弾薬納には20連弾倉(マガジン)を隙間なく詰め。

腰のベルトには満杯になった弾薬納のほかに、ピストルと銃剣が二本づつ吊り下げている

鉄帽を片手に持ち、M16小銃を(にな)う彼の姿を見かけたとき、後ろの方で呼ぶ者があった。

「木原先生!」

 マサキは、何かと言いたげに振返った。 

やがて彼のそばへ来て、汗をぬぐった。

「どこに行こうって、いうんだね」

 追いついて来た男は、白銀だった。

肩に小銃を(にな)うマサキは、(しか)めていた顔に安心をみせた。

「今から、ベイルートのテロリストどもを抹殺(まっさつ)してくる」

「道案内は……」

「問題ない」

マサキは、歩きながら話し出した。

 

 

 この時代、人工衛星によるGPSシステムは未完成だった。

しかし、マサキは(あわ)てなかった。

次元連結システムがあれば、美久の場所は即座にわかる。

そして、最悪の場合、美久だけをゼオライマーに呼び出すことができる。

 だが、鉄甲龍(てっこうりゅう)に美久が捕まった際、アンドロイドと露見(ろけん)した。

その時のように、KGBにも知られる可能性がある。

 万に一つのことを考えて、マサキはKGB、いやベイルートにいるテロリスト。

彼等もろとも、ソ連の関係者を抹殺することにしたのだ。

 

「なあ、先生。この俺じゃあ、役不足かい」

「フフフ、俺は貴様のことを知らぬからなあ」

油然(ゆうぜん)とマサキの問いに自尊心をくすぐられ、

「鎧衣の旦那には、負けない自信はあるぜ。

それと、イスラエルに頼んで、陽動作戦用の武装ヘリと戦術機隊を用意しましょうか」

と、白銀は心の中に異常な熱をふと持ったようだった。

 マサキは、参ったという顔をする。

「その必要はない。天のゼオライマー、それ一台があれば、すむ。

それにユダヤの連中は法外(ほうがい)な値段で()()けてくるだろう。

人手を借りるにしても、金を借りるにしても、高くつきすぎる。

分解整備中のゼオライマーも何時(いつ)でも稼働可能なように、準備してくれ」

マサキの発言に、白銀は信じられない顔をして、問い返す。

「ここから、一万キロ以上離れた、シアトル郊外のタコマ基地に連絡するのかい」

マサキは、すぐ機嫌(きげん)をよくして。

「ああ、それさえ準備すれば、最高のダンスパーティができる」

満面に不敵の笑みを浮かべた。

 

 

 ヨルダン訪問の翌日。

 マサキたち一行は、ソ連の意表を突くため、陸路でレバノンに乗り込むことにしたのだ。

日章旗を着け、機関銃で武装したランドクルーザー55型の車列は、ダマスカス経由でベイルートへ向かった。

 ダマスカス郊外に、近づいた時である。 

すると、轟音一声、たちまち上空から黒い影が車列の上に現れた。

なお街道の附近にある丘の上には、象牙色と深緑の砂漠迷彩を施した数台の戦術機が地響(じひび)きして降ってきた。

 その様を見て居た御剣は、即座に指示を出す。

「戦うな、こちらの防御はすでに破れた。

ただ損害を極力少なくとどめて退却せよ」

 

 車列の後ろにも、赤、白、黒の円形章(コカルデ)を着けたMIG-21が一台下りてきて、ふさぐ様に立ちすくんでいた。

 万事(ばんじ)(きゅう)すか。

誰しもが、そう考えた時である。

砂地に着陸した戦術機の管制ユニットが開き、ソ連製の機密兜に強化装備をつけた男たちが下りてきた。

 

 ソ連製の強化装備の左腕につけられた国家識別章は赤、白、黒の三色旗に、緑の星が二つ。

アラブ連合共和国の国旗を起源とするシリア国旗だった。

白旗を持った衛士の後から、強化装備姿の偉丈夫が近づいてくる。

 男はマサキのほうを向くと、手招きしてきた。

手招きにうながされたマサキが目の前に立つと、ゆっくりと機密兜を脱いだ。

 男の正体は、シリアの大統領*7だった。

彼は、空軍パイロット出身*8であったので、戦術機に乗って陣頭指揮を執ることがあったのだ。

 マサキは、その話を聞いてあきれるばかりであった。

古代より陣頭指揮は、士気を鼓舞できるが、常に戦死や捕虜の危険性がある諸刃(もろは)(つるぎ)

 電子戦の発達した現代で、国家元首が最前線に立つのはどれだけ危険か。

約100年前の普仏戦争のとき、皇帝ナポレオン三世はプロイセン軍に捕縛されてしまい、戦争自体が継続できなくなってしまった。

 たしかにBETA戦争は、重金属の雲で電子装置や無線通信を制限したが、それでも国家元首の戦死というリスクは避けられない。

暗殺のリスクを押してまで、自分に会いに来たのか。

そう考えて、話し合いに応じることにした。

 

 

 話し合いが始まるまで、中東の政治事情に疎いマサキは、シリアとソ連の関係が蜜月とばかり思っていた。

大統領の話によると、ソ連を信用していない様子だった。

 ソ連からの約束された武器支援は滞っており、戦術機も100機以上納入されるはずが20機程度しか送ってよこさなかった。

 マシュハドハイヴ建設の際は、政権崩壊の懸念から再三にわたって支援を要請するも、逆に、翌年には軍事支援を停止してしまった。

 ミンスクハイヴ攻略がすんでから、軍事援助の再開を決定し、ソ連軍顧問の派遣を含む、新しい武器協定が結ばれた。

追加のMIG21バラライカ25機と、技術要員の新規派遣。

 しかし、ソ連は、BETAの脅威が軽減したことを理由に、より高度な戦術機の納入を拒否し続けた。

そのことに、シリア側は、強く不満を感じていたのだ。

 

 一通り、話を聞いた後、マサキは懐中より、タバコを取り出し、

「それにしても社会主義国のシリアが、この俺を手助けしようなどとは聞いたこともないな。

破天荒(はてんこう)だぜ」

紫煙を燻らせながら、半ばあきれ顔で、笑う事しかできなかった。

「俺のことを助けて、日本政府から円借款を引き出す。

まったく、うまい算段を考え出したものだ。ハハハハハ」

 

 

 

 

 マサキは、ひとまず武装した車で、ベイルートに入る。

彼らは御剣の許しを得たうえで、暮夜ひそかに、行動に走った。

 

 その夜の、マサキのいでたちといえば。

深緑の布カバーを着けた鉄帽を被り、深緑の野戦服上下に、磨き上げた茶革の編上靴。

 白銀は、虎縞模様の鍔広帽子(ブーニハット)に迷彩服を着こみ、黒色のドーランを顔中に塗りたくって、熱帯用軍靴(ジャングルブーツ)を履いていた。

ウィリスM38のコピー車両である三菱重工の「ジープ」に、これまたM2機関銃のコピーモデルを載せて。

 鎧衣は、相変わらずのホンブルグ帽に、トレンチコートを羽織り、背広姿であった。

ただ黒革のD-3A手袋をし、M2機関銃のハンドルを握りながら、周囲に目を光らせていた。

 そして全員が、夜間識別用に赤い反射材のついた布きれを、両方の二の腕に縛り付けて。

 

ふと、マサキは尋ねた。

「なあ、鎧衣。そんなひらひらとしたオーバーコートなどを着ていて、引火したらどうするんだ」

「木原君。これは私の戦闘服、バトルドレスなのだよ。

諜報活動や破壊工作では、如何(いか)市井(しせい)の人間に化けるかが重要だ。

故に、ホンブルグ帽にドブネズミ色の背広上下が、サラリーマンにふさわしい装いなのだよ」

ハンドルを握る白銀は、大声で尋ねてきた。

その言葉の調子は、決して怒っている風ではなかった。

 大声で話さねば、轟々(ごうごう)(うな)る直列4気筒のエンジン。

その音に、運転席からの声が助手席のマサキに届く前にかき消されるためである。

「ドレスといえば、先生。例のかわいこちゃんにドレスの一つでも買ってやらないのかい」

「アイリスにドレスを作ってやる話。今の件は、考えておこう」

 マサキは、じろりと横目でハンドルを握る白銀の表情をうかがう。

恐ろしいくらいリラックスした表情であった。

 不思議に思ったマサキは、めずらしく白銀の過去について、尋ねてみることにした。

「だが白銀よ。今からドンパチに行こうというのに、そんな話ができるな……

やはり、お前も鎧衣と同じで死線をくぐってきたのか」

白銀は、うなりを立てるエンジンの音に顔をしかめるマサキのことを横目で見た後、

「ラオスにいたときはヘリに乗りながら最前線に向かう際は、こんな話ばかりしてたのさ」

「お前も鎧衣と同じで、南方(なんぽう)にいたのか……」

白銀は、どこか、遠くを見つめるような表情になりながら、答えた。

「ああ、俺はラオス王国軍を指導する軍事顧問団に、参加していた。

ソ連の軍事介入がなければ、あのメコン流域(りゅういき)の静かな王国は今も健在だった……」

 

 ラオスもまた、ソ連の対外政策によって国を乱された地域だった。

傀儡の王族を立てて、親ソ容共の左派が全土を支配した。

 

 マサキは、憤る白銀の表情を見ながら、安堵(あんど)した顔色になり、

「まあ、俺もお前も、ソ連には(うら)骨髄(こつずい)というわけか」

白銀はハンドルを握りながら、静かにうなづくばかりであった。

 

 車は、やがてベイルート港の倉庫街に近づく。

しばしの沈黙の後、白銀は、覚悟したかのようにマサキに尋ねた。

「博士は何で、BETA退治に……」

左の胸ポケットから使い捨てライターとホープの箱を取り出す。

「たまたま、俺好みの人間がいたからさ。

いい男がいて、いい女がいる」

フィルムを破り、銀紙の包装を切り取り、タバコを抜き取る。

「そんなことで……BETA戦争に参加されたんですか」

 マサキは白く整った歯を剥いて、大きくうなづく。

「好きになった女性(にょしょう)の事を、この胸にかき(いだ)いてみたくなった。

ただそれだけの事だよ」

口に煙草をくわえると、静かに火をつけ、紫煙を燻らせる。

 

 白銀の言葉に、マサキの胸は騒いだ。

 氷のような瞳の色をした白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)、ユルゲン。

そのギリシア彫刻(ちょうこく)に似た()りの深い顔は、男でさえも(とりこ)にさせる(うるわ)しさ。

 明眸(めいぼう)皓歯(こうし)な、その妻ベアトリクス。

一にらみするだけで、男を()がすような赤い瞳は忘れられない……

 そして、思いを寄せる、あの可憐(かれん)乙女(おとめ)、アイリスディーナ。

白雪のような肌と美しいブロンドの髪を持つ、どこか幼気(いたいけ)なあの娘。

彼女のことを思うだけでも、体が(たかぶ)られずにいられない。

 

 そんな(まばゆ)いばかりの少女を、我が物にできる日が待ち遠しい。

心の中を見透かされまいと、マサキは、ことさらに笑って見せた。

*1
今日の事務担当の内閣官房副長官

*2
今日の国家公安委員長に相当

*3
今日の経済産業省事務次官

*4
アメリカ電話電信会社。1877年創業。世界初の長距離電話会社

*5
1977年当時のレートで3万2千円。現在の9万6千円

*6
今日の防衛副大臣と防衛大臣政務官に相当

*7
ハーフィズ・アル=アサド。1930年10月6日 - 2000年6月10日、シリアの軍人、第4代大統領

*8
ハーフェズ・アサドは、シリア空軍のパイロットで、ソ連留学経験があった




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首都爆破 中編(旧題:奪還作戦)

暮夜(ぼや)密かに進む、美久奪還作戦。
ベイルート沖に現れる米軍第6艦隊と特殊部隊。
今、米ソの熱い代理戦争の幕が開けようとしていた。


 レバノン沖に展開する米海軍の空母打撃群。

その周囲を護衛する戦艦「アリゾナ」「ニュージャージ」「ミズーリ」「ウィスコンシン」

 第二次大戦前に起工(きこう)された同艦は、本来ならば静かな余生を送るはずだった。

BETA戦争での艦砲射撃の対地火力を再認識した米海軍は、モスボールされていた全戦艦と巡洋艦の現役復帰を命じた。

 30有余年の眠りからたたき起こされた戦艦は、黒煙を上げ、(くろがね)の巨体を()らしながら、再び戦場に戻ってきたのである。

姉妹艦と共に16発のハープーン対艦ミサイルや32発のトマホーク巡航ミサイルなどで近代化改修を施されて。

 

 さて戦艦「ミズーリ」といえば、我々日本人には忘れられぬ戦艦である。

武運(つたな)く敗れ去った大東亜(だいとうあ)戦争の(おり)、昭和20年9月2日に城下(じょうか)(ちかい)を結ばされた場所の一つであった。

 既に8月15日のご聖断(せいだん)により、自発的に武装解除していた帝国陸海軍は、これにより完全に武装解除され、その後7年の長きにわたる占領時代が幕を開けるのであった。

日本民族が歩んだ苦難の7年間に関しては、後日(ごじつ)機会があるときに触れたい。

 

 

 

 では、過ぎ去った歴史より、BETA戦争の世界の1978年に、再び視点を転じたい。

レバノン派遣艦隊の旗艦「アリゾナ」の艦橋(かんきょう)

そこでは、艦長以下幕僚(ばくりょう)たちが真剣に、氷室美久の救出作戦を練っていた。

 

「空母フォレスタルの調整は、まだか!」

 艦橋内に、怒号が響き渡る。

副長の声に叱責(しっせき)され、通信員は、おずおずと船内電話の受話器に手を伸ばす。

「F4戦術機の兵装転換に、手間取っているそうです。

なんでも、新型のフェニックスミサイルの準備に……」

 

 米海軍が準備した秘密兵器、フェニックス・ミサイル。

米海軍の技術陣とヒューズ航空機が開発した、新型の多弾頭型精密誘導ミサイルの事である。

一発で約100体のBETAの殲滅(せんめつ)を目的とし、戦術機に最大6発の搭載を目標として設計された。

一個中隊12機の運用によって、ミサイル攻撃を加えれば、恐るべきBETAの梯団(ていだん)攻撃さえ封じる。

 そして、後に起きる大戦争の際にも、役立つと考えられ、米海軍は開発を急がせた。

敵対するソ連機甲師団を、大量のフェニックスミサイルによって、灰燼(かいじん)()す為である。

 

 

集束爆弾(クラスター)だろうと、ナパーム弾だろうと、早く準備させろ!」

副長は怒りのあまり、真っ赤になって叫んだ。

 

 夏季白色勤務服(サマー・ホワイト)姿の艦長は、心にある不安を(しず)めるために、マドラスパイプを燻らせながら、指示を出す。

「戦術機部隊の出撃を待たずに、順次、艦砲射撃準備に移れ」

アイ(Aye)サー(Sir)」、との掛け声。

 

 米海軍では、今日においても艦内での禁酒は、つとに有名であろう。

1914年のJ・ダニエルズ長官によって発令された「一般命令第99号」を嚆矢(こうし)とし、飲酒が厳しく(いまし)められている。

 また、幾度の海戦経験から、引火の可能性がある艦橋内での喫煙も、ご法度(はっと)だった。

だが、その様なことを忘れさせるほどに、この空間は戦場の熱気で興奮していた。

 

「全艦、戦闘配備完了」

砲術長の掛け声の後、艦長席から立ち上がった艦長は、双眼鏡でベイルート市内を伺う。

そして彼は、艦橋を一通り見まわした後、次のように指示を出す。

「われらがゼオライマー救出作戦。砲術長、一つ派手に頼む」

夏季戦闘服(サービス・カーキ)姿の砲術長は、挙手の礼を執ると、

アイ(Aye)アイ(Aye)サー(Sir)」と力強く応じた。

 

 

 

 

 レバノン派遣艦隊の旗艦「アリゾナ」の後ろから続く、駆逐艦「ジョン・ロジャース」を始めとする駆逐艦や巡洋艦数隻。

少し距離を離れて追いかけてくる、海兵隊の揚陸艦艇1隻。

 

 その揚陸艦艇の一室に、響き渡る男の声。

「おはよう、デルタフォースの諸君!」

極彩色の部隊章が縫い付けられた深緑色のOG107作業服(ファティーグ)を着た男が敬礼をする。

襟に輝く銀色の星型階級章。男が少将である事を示している。

レイバンの金縁のサングラスを取り、周囲を見渡す。

 居並ぶ男達が来ている服は、俗に虎縞模様(タイガーストライプ)と称される迷彩被服。

顔は黒・緑・茶の三色のドーランで塗りたくられ、目だけが恐ろしいほど輝いていた。

最新式のイングラムM10機関銃や西ドイツ製のMP5短機関銃*1を抱えて、直立不動の姿勢を取る。

 

「1700時をもって、氷室女史(ミス・ヒムロ)の救出作戦と、木原博士(ドクター・キハラ)の支援作戦を開始する。

これより、CH-47で発進。ベイルートで氷室女史(ミス・ヒムロ)を確保後、ソ連の基地を爆破し、撤退する」

隊員の誰かが口を開いた。

「もし、敵が戦術機を用いる場合は、如何しますか……」

「海兵隊より戦術機の航空支援をさせる。彼等に格闘戦(ドッグファイト)させる。

もし、航空支援が間に合わなくて駄目なら、通信機器を取り除いた後、爆破して撤退しろ」

サー(Sir)イエッ(Yes)サー(Sir)!」

男達は力強く返した。

 

 

 西の空が黄昏(たそがれ)てきた頃、大型輸送ヘリはベイルート湾にいた。

航続距離2,252キロメートルを持つCH-47。

回転翼の爆音が響く中、一人の兵士は今回の作戦について隊長に尋ねた。

 

隊長(キャップ)……、なんだって日本軍(ジャップ)の衛士を救うのに、我々がやるしかないんですか……。

連中、南ベトナムやカンボジアと違って立派な軍隊持ってるじゃないですか」

隊員の誰の心にも、そう言った疑問がわくのには不思議はなかった。

「これはな、国防総省(ペンタゴン)の命令じゃなくて中央情報局(ラングレー)からの依頼なのだよ」

「カンパニー*2案件ですか……」

隊長は、不安げに彼を見つめる隊員たちを、振り返った後

露助(イワン)は、越南人(グック)共とは違うぞ……。心してかかれ」

隊員たちの力強い返事が、機内に木霊した。

了解(イエッサー)

 

 

 

 

 そのころ、マサキといえば。

 

鎧衣(よろい)たちと乗ってきたジープを天幕で覆い隠して、夜道を歩いていた。

 ベトナム戦争の折、長距離偵察隊が使っていた布製の背嚢(はいのう)を背負い、敵陣に近づいていく。

 彼らが背負う布製の背嚢は、LRRPラックサックと呼ばれるものである。

米国CIAの一部門、対反乱作戦支援局(CISO)*3によって、日本国内や沖縄で製造されたものである。

深緑色の帆布、あるいはナイロン繊維製。

北ベトナム軍の背嚢に酷似した物で、四角い雨蓋に、外付けのポケットが2から3個ついていた。

 この背嚢は、縦長のアタックザックより、横長のキスリングザックに似た背負(せお)心地(ごこち)だった。

布製背嚢(ラープサック)の中に、予備弾薬や、M72 LAWバズーカ、C4爆薬を多数詰めていた。

  

 黙々(もくもく)と歩くマサキの姿に、白銀(しろがね)は、心に驚いている風だった。

アンマン王宮での物ごしといい、シリア軍に囲まれた中での交渉の際の態度といい、今の戦場にも、すこしも事に動じない様子が、白銀には驚異だった。

『これは風変りな人だ。いや、まだ青年だが、近ごろの若い学者とは、こうしたものであろうか』

つくづく感心したような面持(おももち)である。

感心といっても、意外な感を持ったにすぎないが、白銀はひそかに、

『帝国陸軍も、妙な男に、興味を持ったものだ……』

と、参謀本部の考えに、思わず苦笑をおぼえたものだ。

 

 30分ほど歩いて、基地の全体が見える丘に差し掛かった時、マサキの口が開く。

「ここでいったん別れよう。3人とも一度に捕縛されたら、お(しま)いだからな」

彼の言葉に、白銀はゾクと、何か身のひきしまる思いがした。

「私も、その意見に同感だ。

ただし、明朝までに米海軍の空母フォレスタルに集合できなければ置いていくことになるが……」

 鎧衣は、いと易々(やすやす)というが、これだけの敵中から引き揚げるのは、進撃以上の難しさがある。

まして今日は新月だ。目印になる月明かりもない。

 そのゆえに、夜間作戦は、至難中の至難とされた。

よほどな剛気と勇猛の士でなければ、その大役は果せぬものといわれている。

「地中海で、クルージングと洒落(しゃれ)()むのも悪くはあるまい。

カナダドライとドクターペッパーで、カクテルパーティーでもしたいものよの」

マサキの諧謔(かいぎゃく)に、鎧衣も、心の重荷(おもに)が下りたような顔をした。

「先生、通信装置は」

「この次元連結システムがあれば、KGBに盗み聞きされる心配もない。

それに、ベイルートからニューヨークのピザ屋に出前(でまえ)を頼むぐらいの事は、朝飯前さ」

鎧衣は、何か、もっと言いたげであったが、依然として、まだマサキの気色(けしき)が悪いので、そのまま見送った。

『木原先生は、こらえているのだ』

 マサキの方こそ、何か、護衛の鎧衣に対して、一喝(いっかつ)したい所らしいのに違いない。

白銀の眼は、そばでそう眺めていた。

(あん)(じょう)、立ち去っていくマサキの顔には、苦々(にがにが)しげなものが、(にじ)んでいた。

白銀は、それと見て、

「鎧衣の旦那(だんな)。僕たちも先を急ぎましょう」

と、歩みをすすめた。

 

 

 

 さて鎧衣たちは、ソ連の秘密基地の爆破準備を急いでいた。

駆けながら、鎧衣は、首から下げたBAR軽機関銃の負い紐を握りしめ、白銀に尋ねた。

「米海軍の大艦隊が近づいているからと言って、ベイルートから逃げたとはどうしても思えない」

白銀は、周囲を警戒しながら、UZI機関銃を構え、周囲を見回す。

「同感です。敵の目を(あざむ)くやり口を散々見てきました」

「ベイルートは、いろいろと古い建物も多い。隠れ場所としては、最高だ」

 

 背嚢の中にあるC4爆薬を、基地中に設置し終えた頃、煌々(こうこう)と明かりのつく建屋(たてや)が目に入った。

白銀は、UZI機関銃の遊底(ゆうてい)をゆっくり操作しながら、鎧衣に尋ねる。

「どうやらあの建屋の中で何かの実験を行ってるようですね」

ニコンのポロプリズム式双眼鏡で、後ろから覗く鎧衣も同意を示す。

「なんとか、あの中に(もぐ)り込んでみたいものだ」

そっと白銀は、鎧衣に耳打ちする。

「じゃあ、僕が行ってきます」

「行ってくれるのか」

背負ってきていた布製の背嚢を置くと、再びUZI機関銃を構える。

「気をつけろよ」

白銀は、音もなく建屋へ向かった。

 

 

 偶然とは恐ろしいものである。

デルタフォースの精鋭工作員たちは、厳重な警備が敷かれた建屋を見つけた。

 

「見つけたぞ」

「この建物は、KGBの秘密基地だぜ」

「ようし、それならKGBの工作隊ごと、爆破してやるか」

 

 デルタフォースとはいえ、血気(けっき)盛んな男たちである。

マサキたちの救出を命ぜられた彼らは、基地爆破の一環として、この建屋を破壊することにしたのだ。

 

 XM177コルトコマンドーを装備した特殊部隊員が、夜の警備陣地を駆け巡る。

その刹那、照明弾が上がり、数名の特殊部隊の姿が煌々と照らし出される。

非常事態を知らせる警報音が、秘密基地中に鳴り響く。

 

 

「動くな」

 KGB特殊部隊『アルファ』の兵士がぐるりと周囲を囲む。

黒装束の上から、深緑色の鉄帽と6B2ボディーアーマー*4を付けて。

 その場から脱出を図った米兵の足を、暗視スコープを載せたAK47で素早く撃つ。

太ももを打ち抜かれた米兵は、迷彩柄のズボンを真黒く染め、その場に倒れこんでしまった。

 

 背後から、じっと彼らの姿を見て居た鎧衣は、苦虫(にがむし)()(つぶ)したような表情をする。

「早まったことをしてくれたものだ!」

そういうと、BAR軽機関銃をゆっくりおいて、忍び足でKGB工作員の背後に向かった。

 

 まもなく暗闇から、濃い象牙色の将校服を着た男が、20連射のスチェッキン拳銃を構え、姿を現す。

後ろから来た隊長は、乱杭歯をむき出しにして、勝ち誇ったようにニヤリと笑う。

(おど)しのきく人質が、一気に6人とは。

(まさ)勿怪(もっけ)(さいわ)いとは、この事だぜ」

 

 満足げに笑うアルファ部隊の兵士の後ろから、忍び寄る影。

兵士が気付くより先に、鎧衣は強烈な飛び蹴りを食らわせる。

 振り返った別の兵士に向け、袖口より、棒手裏剣(しゅりけん)を投げつける。

兵士たちは悲鳴を上げる暇もなく、手裏剣を首に受けて、こと切れた。

 

「ミスター鎧衣!」

デルタフォースの隊員が驚きの声を上げるも、鎧衣は、彼らの背中を押して、退却を(うなが)す。

 後ろを見る。

敵の土けむりだ。

「早く、逃げるんだ」

鎧衣は、負傷した兵士のズボンをナイフで切り裂くと、懐から包帯と衛生パッチを取り出し、手早く巻き付ける。

手負いのデルタフォース隊員を担ぎ上げると、一目散に自分たちが乗ってきたジープに向かった。

 

 さしものKGBも逃がしてくれるほど、やさしくはなかった。

「火線を開け」

指揮官の合図(あいず)とともに、戦闘の火蓋(ひぶた)が切って落とされる。

一斉に、対戦車砲や自動小銃が咆哮(ほうこう)を始める。

RPK機関銃による、ひときわ激しい砲火が、鎧衣たちに向けられた。

 鎧衣たちは物陰に隠れると、小銃で応射する。

複数の銃砲火によって、彼らは()往生(おうじょう)してしまったのだ。

 

 混乱の中にあって、米軍特殊部隊と、彼らに囲まれる形になっていた鎧衣は、ひとかたまりになって、要領(ようりょう)よく応戦していた。

幾多(いくた)の死線を(くぐ)り抜けてきた歴戦の勇士である鎧衣は、闇夜を照らす提灯のごとく、彼らを誘導し、安全な場所へと後退させていった。

鎧衣は、(たく)みに地形を利用し、自身の姿を敵の砲火にさらさなかった。

 流石、デルタフォースの隊員である。

冷静さを取り戻した彼らは伏射(ふくしゃ)姿勢のまま、負傷兵を引きずり、ジープの付近まで近づく。

背嚢にしまってある伸縮式の携帯対戦車砲M72LAWを取り出し、砲身を引き延ばす。

射撃準備が整うと、即座に前方の闇の中に向けられる。

雷鳴に似た鋭い砲声が、闇夜を引き裂いた。

 

 

 

 M72LAWから発射された砲弾が、KGBの秘密基地の至近で炸裂する。 

漆黒の闇夜を背景に、猛烈な火の手が上がる。

「なんだ!どうした」

 あたりは急に騒然とし、(うしお)のようなどよめきや飛び火が見えた。

壮絶な銃撃戦が始まったことを受けて、後方の建屋にいるKGBのレバノン支部長は慌てた。

「ハッ!」

 しかし、爆発は夢でない。

何が起ったのか。滔々(とうとう)と基地で空襲警報のサイレンが鳴っている。

意表を突かれたKGB大佐は、狼狽(ろうばい)の色を顔に(にじ)ませる。

「この肝心な時に……敵が攻めてくるとは」

 

 KGB支部長の(なげ)きを受けても、ほかの幹部たちは何の意見も挟みようがなかった。

米軍の特殊部隊襲撃の事情に通じていなかった彼らは、種々雑多な怒号(どごう)叫喚(きょうかん)()()わす。

「こうなれば、手当たり次第に出撃させろ」

支部長は、振り返って、後ろにいるKGBの工作員に指示を出した。

 

 

 KGBの微妙なうごきが、(きざ)していた。

果然(かぜん)、新月の空に、港方面から、パチパチと銃声が、聞えだした。

道路にも、砂ほこりが、遠く望まれ、二、三千の敵兵が、いよいよ攻勢をとり始めた

 まもなく、兵士たちを満載した数十台の武装トラックが、鎧衣たちの陣地めがけて、乗り込んでくる。

チェコ製のスコーピオン機関銃とVz 58自動小銃で武装し、黒覆面にカーキ色の戦闘服の一団。

彼らは、パレスチナ解放人民戦線(PLFP)の戦闘員であった。

 

 

 喚声(かんせい)を上げ、小銃を乱射しながら、迫る数百名の戦闘員。

KGBの追跡隊は、

「撃て、放て」

と、米軍特殊部隊(デルタフォース)のまん中へ、小銃と対戦車砲の一斉射撃を加え、

「よしっ、突っこめ」

敵の乱れをのぞんで、武装トラック、ジープが、どっと駈けこんだ。

 

 大軍勢の接近によって、戦闘は激化の一路を辿っていった。

 激烈な掃射の間を縫って、何者かが鎧衣の目の前に現れる。

追いこまれていた白銀が、敵中突破に成功して、やっと鎧衣の元へたどり着いて来たものだった。

「なんだ、白銀君、君一人かね」

 白銀の姿を認めると、鎧衣の顔に落胆の色がありありと浮かんだ。

マサキと合流して連れてくるなどと、白銀は一言も言っていないのだが、ひそかに期待していたようだった。

「鎧衣の旦那、基地の爆破準備をしている途中で、はぐれたデルタフォースの隊員と合流できました。

あとは脱出するだけです」

20名ほどの特殊部隊員が、彼の後ろから音もなく現れる。

 

 鎧衣の表情が、にわかに曇りだす。

「このままでは、まずい」

思わず、うつむいて沈黙してしまった。

「どうした、ミスター鎧衣!」

デルタフォースの隊長の声を聴くと、静かに顔を上げて、深々と息を吸い込む。

込み上げてくる不安を何とかして抑えようとしている様子だった。

「君たちは氷室さんを救出に着た部隊であろう。

本隊のほうには、何名残っている」

「向こうのほうには、数名の部隊しかおりません」

「彼らは(おとり)だ。本当の狙いは木原君のほうだ」

 その場に、衝撃が走った。

隊長をはじめ、みな凍り付いた表情である。

  

 その場が氷のようにしんとなったところで、隊長は、腕時計を一瞥(いちべつ)する。

「あと1時間で戦艦アリゾナからの艦砲射撃が始まります。

ここは、ひとまず退却しましょう……」

「幾多の犠牲を払って、氷室さんの救出作戦を組んだ。

今更やめるというのかね……」

 隊長は、カッとなって鎧衣のネクタイをつかんだ。

だが、逆に血の気の引いた顔をする鎧衣に諭された。

「今、木原君とその彼が作ったマシーン、ゼオライマー。

もしそれがKGBの手に渡ったら、デルタフォースの犠牲よりもっと大きい犠牲が出る。

それに……」

「それに何ですか。これ以上犠牲が出れば……」

隊長の目を見ながら、鎧衣は冷酷に告げる。

「君個人の責任云々(うんぬん)を、言っているのではない。

木原君の力を借りて、BETAとの戦争にけじめを付けねば……

冷戦という、一世一代(いっせいいちだい)の大茶番(ちゃばん)をする事さえ難しいのだよ」

*1
デルタフォースでは1978年にはすでにMP5機関銃の実戦配備がなされていた

*2
CIAの別称

*3
CISOの本部は、沖縄にあった

*4
すくなくとも6B2ボディアーマーは1978年の段階でアルファ部隊には実戦配備されていた




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首都爆破 後編(旧題:奪還作戦)

 刻々と迫る、米海軍の艦砲射撃。
捕らわれの美久を救うべく、単身、敵中に潜り込むマサキ。
KGBに取り囲まれた、彼の運命は、如何に……


 『ベイルート(こう)に、米国艦隊(あら)わる』

 その一報を聞いた、KGBの国際諜報団は、大童(おおわらわ)だった。

美久誘拐を指揮したKGB大佐は、巨漢を揺らしながら、部下たちに物品の搬出(はんしゅつ)を命ずる。

 

「急げ、黄色い日本猿(マカーキ)どもが来てからでは遅い」

そういって檄を飛ばすと、木箱に詰められた金銀財宝や文化財。

 彼が個人的に集めた古美術品、特にササン朝やアケメネス朝ペルシア時代の遺物。

古代ローマ時代の陶瓦(テコラッタ)塑像(そぞう)や、ビザンチン帝国*1時代の金貨。

 袋に詰められた25万ドル相当の500フラン*2紙幣(しへい)

アタッシェケースに並べられた、20万ドル相当の1000ドイツマルク*3紙幣。

総額45万ドル相当の現金の他に、5万ドル分の米国債などの有価証券、金塊(きんかい)500キログラム。

アラビア湾原産の乳香(にゅうこう)*4真珠(しんじゅ)、ペルシャ絨毯(じゅうたん)

 本来ならば、レバノン政府の許可なくば、持ち出せない物であった。

休みなくPLFPの戦闘員や現地協力者などの非合法工作員(イリーガルエージェント)が、トラックへと運び出す。

 

 

 複数止められたZIL-131トラックの荷台に次々と、美術品が積み込まれていく。

肥満体のKGB大佐は、美術品を運び出すさまを見ながら、流れ出る汗を()きとっていた。

「例の女衛士は!」

(むち)を持ったKGBの女大尉は、怪しげな笑みを浮かべながら、応じる。

「連れてまいりました。

あとは、ソ連科学アカデミーで、(くわ)しく解析(かいせき)するだけですわ」

 後ろ手錠(てじょう)猿轡(さるぐつわ)、腰縄を着けさせられた美久が、()()ってこられる。

女大尉は、美久の長い茶色の髪をつかんで、手元まで手繰(たぐ)り寄せる。

「この女の事さえわかれば、ゼオライマーの秘密を丸裸(まるはだか)にできましょう」

腰までの髪を乱暴につかまれ、腰縄の縄尻もろともぐいぐい引き寄せされる。

美久は、猿轡(さるぐつわ)をされた(くちびる)から、恐怖で悲鳴をほとばしらせた。

「ン、ウウンッ……」

KGB大佐は、美久の(あご)をつかんで、ゆっくりと顔を近づける。

「ウへへ、ヒャヒャヒャ」

恐れおののく表情をする彼女を、満足げに(なが)めながら、野卑(やひ)な笑いを漏らす。

氷室(ひむろ)よ。ウラジオストックについたら、タップリかわいがってやるよ」

2メートル近い巨体を揺らしながら、舌なめずりをした。

 

 カーキ色の戦闘服に黒覆面(ふくめん)を着けた、PLFPの戦闘員が近寄り、大佐たちに告げる。

「レバノン政府が、用意したバスがございます。

とりあえず、この場よりの脱出を……」

 軍用トラックの間に止まる、外交官ナンバーのついたマイクロバス。

フォルクスワーゲンのタイプ2を指し示す。

 大佐は、大きなため息をついた後、KGB工作員と戦闘員たちを見回し、号令をかける。

「では乗り込もう」

 

 タイプ2の後部座席にある、観音(かんのん)扉を開けた瞬間である。

背を向け、寝そべり、紫煙(しえん)(くゆ)らせている人物があった。

 深緑色のシャツとズボンを着け、茶革の軍靴。

その姿は、まさしく帝国陸軍の防暑(ぼうしょ)作業服、そのもの。

 

 日本兵の軍服を着た男は、ゆっくりと背中のほうに顔を向けて、

「寝ている子を起こすなよ」と、低い声で答える。

東洋人を見て、彼らは途端に驚愕(きょうがく)の色を示す。

 

 誰もいないはずのワーゲン・タイプ2の中にいる野戦服姿の日本兵。

あっけにとられたKGB大佐は、食指で男を指し示す。

「貴様、この水も漏らさぬ警備をどうやって……」

「ハハハハハ」

満面に喜色(きしょく)をたぎらせながら、流暢(りゅうちょう)なロシア語で答えた。

「次元連結システムのちょっとした応用さ」

女大尉の表情が、にわかに険を帯びてくる。

「誰だ、お前は……」

 

男はM16自動小銃を抱え、立ち上がると、相好(そうごう)を崩す。

「俺は、木原マサキ。天のゼオライマーのパイロットさ」

 

 鎧衣たちと潜入したマサキは、外交官ナンバーのついたタイプ2を見つけると乗り込む。

銃を抱えたまま、後部座席に寝そべって、敵が来るのを待つことにしたのだ。

 

 マサキは、満面の笑みで、唖然(あぜん)とするKGB将校たちを見る。

他人(ひと)人形(おんな)を盗んだ罪、その命で払ってもらうぜ」

そういうと、吸っていたホープの紙巻煙草(シガレット)を軍靴で踏みつけた。

 

 

 マサキの目の前に現れた肥満漢のKGB大佐は、懐から何かを取り出す。

「ま、待て。撃ってみろ。

こいつは何だと思う。ベイルート港にある石油貯蔵施設の自爆スイッチだ。

これを押せば、即座に指令が飛んで、ベイルート港は火の海になる」

坊主頭のKGB大佐は、マサキに見せつける様に、右手で爆破装置を高く掲げた。

「飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな、日本野郎(ヤポーシキ)

ここが、お前たちの墓場となるのだ」

 

 

 マサキは、それに動じるような人物ではなかった。

既にこの世界に転移して以来、KGBの卑劣なやり口を見てきた彼にとっては、むしろ好都合だった。

 美久を人質に取ったので、危険を感じて全員射殺した。

その様な言い訳ができると、こころから喜んでいたのだ。 

 

余裕綽々のマサキは、KGBを揶揄して、彼らを挑発することにした。

「早くやれよ。ここレバノンは、俺の国じゃない。

それに、港を壊されても、俺は困らない」

不敵の笑みを浮かべて、恐れおののく表情をする美久を見つめた。

 

 マサキは、美久が銃撃されたくらいでは、何ともないのを知っている。

彼女は成長記憶シリコンという、特殊な形状記憶機能のある人工皮膚で覆われたアンドロイド。

多少、人工皮膚が破れたり、貫通してもゼオライマーには影響はなかった。

 また、マサキの腰にあるベルトは、次元連結システムの子機が内蔵されていた。

それは、自己防衛機能で、範囲250キロメートルからの攻撃動作に感応する装置である。

外部からのあらゆる攻撃が仕掛けられても、緊急で物理攻撃を無効化するバリア体が発生する。

 次元連結システムの応用で作られた、ゼオライマーと同様の秘密道具。

この防御装置を前にして、銃弾や剣戟(けんげき)など(おそ)るるに()るものではなかった。

 

 

 周囲のKGB工作員や戦闘員たちの、ソワソワする様子を見て、

『もしかして、米軍の攻撃でも始まるのか。だとすれば都合が良い』

KGB大佐たちと話をして、米軍の艦砲射撃まで十分(じゅうぶん)に時間を稼ぐことにした。

安全装置をかけると、自動小銃を地面にゆっくりおいた。

「落ち着け、未開人(バルバル)、この俺は懐の深いほうでな……」

そういうと、両手を肩より上の位置にまで持ってきて、万歳の姿勢をとる。

「それにいろいろ飽きてたところだ。一つ派手な花火ショウでも見てみたいものよ」

 マサキの周りを、ぐるりとPFLPの兵士たちが囲んだ。

AKMやVZ58小銃の銃口を突き付けられても、彼の表情は変わらなかった。

「この期に及んで減らず口を抜かすとは……、たわけた男よの。フォフォフォ」

「もったいぶらずに言えよ。露助ども」

「では死ぬ前に、木原よ。ひとつ、貴様から聞きたいことがある。

貴様は、なぜ東ドイツの犬畜生(サバーカ)*5どもに肩入れをする。

その訳も聞かせてくれまいか」

 大佐の問いかけはマサキをして、会心(かいしん)()みを(いだ)かせたに違いない。

「フハハハハ、言うまでもない事よ。

俺がやつらを如何(どう)こうしたわけではない。

奴らが、(みずか)ら頭を下げ、俺に助けを求めたのだよ。

共産主義という匪賊(ひぞく)の集まりからも追放されて、行き場もなくなった」

KGB大佐も、女大尉も、そう聞くと、顔いろを変えた。

「世界の孤児(こじ)、となった東ドイツの連中。

そのみじめな姿が、あんまりにも可哀想(かわいそう)なんでな。俺が拾って世話してやることにした。

こうも()びを売ってくるとは、逆にかわいいものよ」

 

 KGB大佐は、マサキの顔を覗き込んで揶揄(やゆ)する。

「アーベル・ブレーメも、強いものに、しっぽを()山犬(やまいぬ)でしかなかった。

奴が目の中に入れても、痛くないほど可愛(かわい)がっている牝狼(めすおおかみ)にでも、()れたのか」

「なんのことだ」

「知らぬとは言わせぬ。

美女と、評判(ひょうばん)のアーベル・ブレーメの娘、ベアトリクスよ。

彼奴(きゃつ)が祖父にあたる男は、我らが同志エジョフが直々(じきじき)に引き抜いた男であったが……」

 

 

 ニコライ・エジョフ。

彼は、KGB機関の前身組織である内務人民委員部(エヌカーヴェーデー)の初代長官である。

1930年代にソ連全土を粛清のあらしが吹き荒れた際、先頭に立ってその被疑者を銃殺刑に処した人物である。

「エジョフシーナ」と称されるその時代、前任者のゲンリフ・ヤゴダを断頭台に送り、スターリンに取り入った小男でもある。

 ある時、スターリンの急な呼び出しに、エジョフは出かけなかった。

自宅でへべれけになるまで泥酔(でいすい)し、御大(おんたい)の怒りを買うこととなった。

 間もなく逮捕され、厳しい拷問にかけられる。

すると、男色家(ホモ・セクシュアル)の罪*6と米英のスパイである事を、自白した。

後に見せしめの裁判での弁明の機会すら与えられず、即座に刑場(けいじょう)(つゆ)と消えた。

 

 

 

 

 

「裏切り者の、アーベル・ブレーメの奴め。

我らの軍門に(くだ)るふりはしていても、所詮(しょせん)ドイツ人(ニメーツキ)

犬畜生(サバーカ)以下の存在に、我らKGBもまんまと一杯()わされたものよ」

マサキの表情が先ほどとは打って変わって、(けん)()びたようになる。

「口を開けば、奇異(きい)なことを言う……」

マサキの真剣な表情を見て、おもわずKGB大佐はこらえきれずに吹き出してしまう。

「フォフォフォ。日本猿(マカーキ)にはわかるまい」

 

 マサキは、自分が気にかけているユルゲンやベアトリクス。

彼等が、犬畜生(サバーカ)と馬鹿にされたことには、腹が立たなかったわけではない。

 ただ、KGBの自由な発言は、独ソ関係を悪化させる材料としては、都合が良い。

そう思い、彼らの自由にさせて、テープレコーダーや小型ビデオカメラに録音していたのだ。

 

 何も事情を知らないKGB大佐はひとしきり笑った後、マサキにこう問い詰めた。

「フフフ、我々にも協力者を(さば)く権利がある。違うかね……」

 黄色い乱杭歯をむき出しにし、マサキに近寄ってくる。

奇麗に丸めた頭をマサキのほうに向けて、勝ち誇ったように彼をねめつける。

 マサキは、深いため息をつくと、左胸のポケットに右手を伸ばす。

胸ポケットより、ライターとホープの箱を取り出すと、タバコに火をつける。

「俺は間違っていたのかもしれない」

マサキがタバコを吸い始めたので、観念(かんねん)したかと思ったKGB大佐が満面の笑みで問いただす。

「木原よ。(おの)(おろ)かさを認めるというのか」

濁った眼で、紫煙を燻らせるマサキの顔をながめやった。

 

 マサキは、途端に、落胆(らくたん)の色を顔中にあらわす。

「俺は……貴様たちを()いかぶりすぎていた」

KGB大佐は、思わず(まゆ)(ひそ)める。

「なんだと……」

マサキは、紫煙とともに深いため息を吐き出しながら、答えた。

「やはり、民族としての成熟度(せいじゅくど)が、驚くべきほど低すぎる……」

KGB大佐はその言葉に赫怒(かくど)し、顔を紅潮(こうちょう)させる。

「何を!」

禿頭を左右に振り乱しながら、体を怒りで震わす。

「お前たちが、近代文明に接するには、あまりにも早すぎた」

KGB大佐の怒りは、心の底からメラメラと燃えて、どうにもならないほどであった。

 

 

 

 マサキは、満面に喜色をたぎらせながら、答える。

「では、お前たちの言葉で説明してやろう。

ベルンハルトを犬畜生(サバーカ)、ベアトリクスを牝狼(ヴォルチハ)といったが……」

PLFPの兵士たちはKGBの指示がない限り、銃撃してこないことを確かめながら、続ける。

「犬は有史以来、人類にとって与えた影響は計り知れぬ。

畜生(ちくしょう)の中で、牛馬に比類(ひるい)する存在だ。

また、猫や豚と違い、教育次第でどうとでもできる優秀な畜生だ。

支那人どもも『犬馬(けんば)(ろう)』と称すほど……」

そっとベルトのバックルを左手で触れて、瞬間移動の準備を始める。

「狼は遺伝(いでん)的にいえば、イヌのそれとほぼ同等だ。

体格も大きく、知的で警戒心が強い。

言いかえれば、内向(ないこう)的で臆病(おくびょう)であり、人に(なつ)くまでには時間がかかるが……

幼体のうちから人手で飼えば、(なつ)き、犬同様に()でることもできる。

ひとたび主従関係を結べば、愛玩用の室内犬に比して、その関係は強固なものとなる。

それに犬と狼は交雑(こうざつ)でき、数世代でほぼ同化する」

フィルターの間際(まぎわ)になったタバコを、足元に捨てて、軍靴で踏みつける。

「そのようなことも分からぬとは……(まこと)蛮人(ばんじん)よの。ハハハ」

 

 

 白い歯をカチカチ鳴らし、怒りをあらわにするKGBの女大尉。

縛り付けていた美久の腰ひもを手放すと、ギャリソンベルトに付けた鞭を引き抜く。

「言わせておけば、そのような世迷言(よまいごと)を!」

 女大尉が、鞭でマサキをたたきつけようとする瞬間、その場に崩れ去った。

彼女は何者かによって狙撃され、頭がザクロの様にはじけ飛んだ。

 

 その刹那(せつな)、兵士たちの持った機関銃や自動小銃が、一斉に連射される。

銃砲は咆哮(ほうこう)をあげ、ごうッと、凄まじい一瞬の音響とともに、マサキの影が見えなくなった。

 やがて弾倉の中が空になり、遊底の動きが止まる。

硝煙が晴れ渡ると、血だまりの上に、上半身が血まみれの遺体が力なくうつぶせで倒れていた。

ズボンは返り血で真っ黒に染まり、軍靴まで()らすほどであった。

 周囲には、偽装網のついた日本軍の鉄兜が転がり、

ボロボロにちぎれた上着に、両手をひろげ、力なく横たわるばかりであった。 

「これで奴はお終いだ」

「あとは奴の死体を検分するだけよ」

 

 

 KGB大佐の命を受けたPLFP兵士が、横たわる遺体にだんだんと近づいていく。

遺体が身に着けている軍服の色と軍靴の形が違うことに。

「この服と軍靴は……日本兵のではない」

 

 

 その違いは一目でわかるものだった。

PLOやPLFPの兵士が履いていたのは、フランス軍の軍靴*7に似た短靴。

 一方、マサキが履いている軍靴は、空挺半長靴とよばれる物。

空挺部隊でないマサキが持っていたのは、形を気に入った彼が私物で買い求めたものだった。

全体が艶がかった茶色の革で、コーコランジャンプブーツ*8に近似したつくりである。

 

 また軍服も違った。

マサキが着ている軍服は、防暑服*9とよばれる熱帯専用の戦闘服だった。

 オリーブ色に近い色合いの薄手生地で、シャツは開襟のボタン式。

通常の野戦服の様に、真鍮のファスナーで開け閉めするつくりではなかった。

 履いているズボンは、切り込みポケットがなく、太ももに大きいカーゴポケット。

また上着を中に入れるため、股上が深く、やや太かった。

 

 

 PLOの戦闘員たちの軍服は、上下カーキ色で、日焼け防止のために生地はぶ厚かった。

上着は折り襟のシャツ型で、ズボンは細身のストレート型。

カーゴポケットはなく、ベルト通しのついたポケットがない簡素なものだった。

 

戦闘員は、確認のため、56式自動歩槍に付けられたスパイク型銃剣で遺体を突っつく。

力いっぱい倒れた男の上半身を転がし、顔を確認すると、彼らは気が付いた。

「これは……」

 銃撃で殺されたのはマサキではなく、PFLPに参加した日本人の革命戦士(テロリスト)だった。

 

 

 不意に。

耳もつぶれるような小銃の音が(とどろ)いた。

林立する貨物倉庫は、その銃声と同時に、硝煙(しょうえん)につつまれて、ダ、ダ、ダダダッと、凄まじい物音を起した。

 大木の転がるような、また、土砂のくずれ落ちてゆくような音だった。

だが、それは皆、弾に(あた)った人のかさなり落ちてゆく響きだった。

「て、敵だ」

 愕然(がくぜん)と、うしろを見た眼は、すぐ真後ろに、立っている敵を眉の前に感じた。

砂漠の地形に対応したカーキ色の戦闘服に、熱帯帽(パナマハット)をかぶり、胸に胸掛式弾帯(バンダリア)を着けているが、(こつ)として、(わき)き出た亡霊の如く見えた。

最新式の暗視装置БН-2を装備し、SVD小銃や専用のフラッシュハイダーを着けたRPK機関銃を手に手に持って、KGBの行く手を阻む。

『マブータ』*10と呼ばれる、丈の短い上着と、対のカーゴポケットのついたズボンという恰好。

GRU特殊部隊(スペツナズ)の姿は目撃されないまでも、GRUのそこに在ることが証せられていた。

 そこの陰から一度に起った銃声と硝煙(しょうえん)が、たちまち戦闘員の姿をばたばたと野に倒した。

燃えさかる倉庫へ、さらにさんざん砲や小銃をうち浴びせる。

GRU特殊部隊(スペツナズ)は、すばやく美久を奪い取ると、数台の車両へ飛び乗り、シリア方面へ逸走(いっそう)した。

 

 2メートル近い身長のあるKGB大佐は、その巨体から考えられぬような速度で、一目散に消えていった。

ひろい闇の中に、ひッきりなし小銃の音がパチパチと鳴りひびくと、護衛たちを置き去りにして。

まもなく、広間から隣の指令室に逃げ込むと、時限爆弾の装置を操作する。

「おのれ、木原マサキめ。こうなったら、このベイルート港ごと爆破してくれるわ」

屋上の階段につながるドアが開かれると、兵士が入ってきて、

「同志大佐、ヘリの準備ができました」

「よし、出発だ」

 

 警報音が鳴り響き、爆風と硝煙のにおいが立ち込める基地から、一台の回転翼機が離陸した。

ソ連製の汎用(はんよう)ヘリコプター、Mi-8。

砂漠迷彩に赤い星の国家識別章を付けたこの機体は、勢いよく上昇する。

「木原よ、アラブの地に骨をうずめるが良い。フォフォフォ」

その機内で、KGB大佐はだんだんと遠ざかっていく地面を見ながら吐き捨てた。

 

 

 

 その時である。

漆黒(しっこく)の闇の中から天空に向けて、一筋の光線が駆け抜けた。

光の玉は、テール・ブームと機体の間に直撃し、エンジンオイルタンクに誘爆。

轟音とともにKGBのMI-8ヘリコプターは、爆散した。

 

 直後、空を覆っていた雲が晴れ渡ると、星月夜(ほしづきよ)が基地全体を照らす。

漆黒の闇の中から、星明かりによって照らされる、一台の戦術機。

その大きさは15階建てのビルに相当し、全身が白かった。

 

 逃げ出そうとしたソ連KGBのヘリに向けた、謎の攻撃。

まさしく、天のゼオライマーの必殺武器である、次元連結砲の攻撃であった。

 マサキは、自身が銃撃される直前に、ゼオライマーに乗り込んでいた。

この機体は、米国ワシントン州シアトル郊外のタコマより一万キロを瞬間移動したのだ。

 

 ゼオライマーの機体が、不気味な声を上げて咆哮(ほうこう)する。

必殺の攻撃、メイオウ攻撃発射の合図であった。

「フハハハハ。かけら一つ残さず消え去るがよい」

彼はコックピットの中に座り、操作卓にあるボタンを押しながら、悪魔の哄笑(こうしょう)をこぼすのだった。

*1
東ローマ帝国の俗称

*2
1978年当時、1フラン=45円

*3
1978年当時、1西ドイツマルク=115円

*4
熱帯の地域に育つ常緑低木であるムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹脂。染み出した樹液は透明から乳白色に変ることが名前の由来

*5
собака。ロシア語で犬を指し示す言葉であるが、同時に信頼できない人物や身持ちの悪い人物を罵る言葉である

*6
1917年、ソ連が成立すると同時に同性愛は合法化されたが、1934年当時のOGPU長官ゲンリフ・ヤゴダの建議によりスターリンによって再び非合法化された。ソ連刑法によれば、懲役5年の刑罰であったが、1930年代の大粛清期には反革命罪と同様に銃殺刑の対象とされた

*7
フランス軍では1947年から2017年までツーバックルの革ゲートルが付いた軍靴を使っていた

*8
第二次大戦中、コーコラン社のブーツは米軍空挺部隊で使用されていた

*9
陸上自衛隊で、1972年(昭和47年)に、沖縄進駐部隊のために制定された作業服で、カンボジアPKO派遣にも使用された

*10
ザイール、今日のコンゴ民主共和国の独裁者モブツの名前に由来する。この制服は、1970年代初めに同国での特殊作戦で使われた




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因果応報(いんがおうほう) 前編(旧題:賊徒の末路)

 硝煙に包まれるレバノンの首都、ベイルート。
マサキは、炎煙に(まぎ)れて、剣槍(けんそう)の間から脱出を試みる。
必死に追いすがるKGB特殊部隊、『アルファ』。 
マサキの運命や、如何に……


この話は構成を変更していますので文字数が8千字超えになります。
長く読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。



 レバノンは、「オリエントの諸民族と文化、宗教を集めた博物館」と称される地域である。

そこには、キリスト教とイスラムの代表的な18宗派があった。

 フランスが、中東の植民地経営の円滑化のために人工的に分離独立させた地域である。

フランスの差配(さはい)の元、各宗派に政治権力配分がなされ、政府の円滑(えんかつ)な運営を目指していた。

大統領は、キリスト教マロン派、首相はイスラム教シーア派、国会議長はイスラム教スンニ派という具合である。

 

 

 微妙な政治的バランスの上に立っていたレバノン。

その政治状況を狂わせた始めたのが、1970年のパレスチナ解放機構(PLO)の大移動である。

このアラブ民族社会主義を掲げる集団の侵入によって、過激な思想と武器が持ち込まれた。

 政府上層部はキリスト教少数派のマロン派である。無論両者は相容(あいい)れなかった。

1974年のイランのマシュハドハイヴ建設で、この問題が先送りされていたが、ゼオライマーの登場で変わった。

マサキが、マシュハドハイヴごと中東域のBETAを消し去ったことで、再び緊張を高めたのだ。

 

 ここで視野を一転しよう。

レバノン大統領府では、空襲警報を受け、対応を協議していた矢先のことである。

政府首脳に、一つの事実が伝えられた。

「ゼオライマーの来襲」

閣僚の間に、衝撃が走った。

 

「なぜ、我が国が襲撃されねばならんのだね」

首相の一言で始まった討議は、30分に及んだ。

彼らは、結論の出ない議論を続けている内に、大統領は、一つの決断を下す。

「やむをえまい。ラヤーク空軍基地にある戦術機隊に出動要請をかけたまえ」

 

 ラヤーク空軍基地は、独立前にフランス軍が作った軍事拠点。

レバノン山脈とアンチレバノン山脈の間にある要衝のベッカー高原にあり、広大な湿地帯と湖の間に置かれた近代的な空軍基地である。

 そこにはフランスから購入した最新鋭の戦術機「ミラージュ3」が、倉庫の奥深くに新品同様の状態で眠っていた。

1974年、レバノン政府は、米空軍の最新鋭戦術機「F4ファントム」の購入を希望していた。

だが、フランスの圧力の下、新しい「ミラージュ3」を調達することが決定された。

 この契約に関する納入は、1977年9月に始まると同時に、レバノン人パイロットは、フランスで衛士への機種転換訓練を受けた。

しかしながら、戦術機は、格納庫の奥深くに仕舞われ、非常に限定的に使用された。

新参の戦術機は、多くのパイロットが好んだ戦闘機に取って代われなかった。

 

 

 大統領は、かけていた老眼鏡を外した後、しばしの沈黙に入った。

懐中より、フランス煙草のゴロワーズ・カポラルを取り出すと、封を切り、紫煙を燻らせる。

一服を終えると、真剣な表情でたたずむ閣僚を前にして、驚くべきことを口にした。

「ベイルートを捨て、脱出準備に入る。対外情報・防諜局(SDECE)に連絡を取ってくれ」

 

 レバノン大統領が言ったSDECEとは、フランスにおける情報機関の事である。

第二次大戦中の情報行動局を発端とし、1945年に組織されたフランスの対外諜報機関である。

1943年に独立したレバノンは、脆弱な国家基盤の維持のために、旧宗主国フランスの支援を受け入れることが、ままあった。

 1958年のレバノン危機の際は、フランス外人部隊が混乱を収めるのに一役を買うほどである。

対外情報網も、またフランス政府との協力関係を結びながら運営されていた。

 

 

 

 一方、そのころレバノン沖に展開する米海軍の艦隊に、動きがあった。

KGBに誘拐された美久とマサキを支援する目的で来ていた彼らは、突如としてベイルートに出現した未確認機の対応に苦慮していたのだ。

この沿岸に現れることのない新たな敵が襲い掛かってきたことは、米艦隊に混乱をもたらした。

「ベッカー高原から、こちらに直進してくる未確認の戦術機が出現しました」

「IFF*1の反応は!」

「ございません!」

「こちらから呼びかけを行って、反応がなくば、その機体もろとも」

レーダー監視員が、声を張り上げる。

「二時の方向、高速で接近する飛翔物を、確認!」

「本艦までの距離は……」

「およそ20マイル*2

「ソ連の雷撃隊か……」

 

 

 未確認の戦術機隊の接近の一報を受け、戦艦アリゾナの艦橋内が騒然となる。

艦長は艦内電話の受話器をつかむと、落ち着いた声で命令を下す。

「全艦艇に告ぐ。これより対空戦闘に入る」

砲術長の声が艦橋に響き渡る。

「主砲、射撃用意!」

対地砲撃を行っていた三連装の主砲が、一斉に旋回し、艦の上方に砲身を向ける。

「レーダーに連動良し」

艦載されたロケットランチャーと誘導装置も、連動して射撃準備に入る。

「自動発射に切り替えた後、スパローミサイルとスタンダードミサイルをありったけくれてやれ!」

上空に向け、探照灯が煌々と照らされると、轟音とともに一斉に火を噴いた。

 

 戦艦アリゾナやミサイル巡洋艦は、遠距離からの火力投射に重点を置いた軍艦である。

無論、対空機関砲やスパローミサイルを積載しているも、艦隊の防空能力は後のイージスシステムを搭載した駆逐艦に劣った。

 防空装備のフリゲートや駆逐艦を随伴しなかったのは、BETA戦争の戦訓で、ほぼ空からの攻撃がなかったためである。

 

 光線級の脅威は恐ろしかったが、戦艦の大火力の前に鎮圧できたので、時代を逆行するかのように大艦巨砲主義に各国の海軍はその武力を求めた。

 

 戦術機は、BETAとの格闘戦(ドッグファイト)が、主目的である。

航空機より軽量な装甲板と、新開発のロケットエンジンで、自在に空間を跳躍できるように特化した機体である。

 基本的に、ロケットランチャーやミサイルのような重く高価な兵器は装備しなかった。

装備は外付けの発射機構を用いれば可能であるが、いざ装備すると機動力が落ち、被撃墜率が上がった。

ロケットランチャーやミサイルは、後方の砲兵や自走砲に依存することになった。

 

 突如、ベッカー高原から現れたのは、レバノン軍戦術機隊であった。

部隊の指揮官は、戦術機隊を鼓舞する。

「突撃しろ、防空装備も甘い戦艦を連れた米艦隊なぞ、わが敵ではないぞ」

耳を(ろう)する砲撃と、目をくらます大火力の閃光を目の当たりにした彼は、だんだんと平常心を失っていった。

無謀にも、大規模な航空攻撃での米艦隊への突撃を命じたのだ。

「つづけ、(ひる)むな」

 寄せ手のほこる兵量が、二陣、三陣とさらに港の全面を覆い尽くせば、米艦隊の餌食であった。

ミサイル、砲弾の雨が、轟然(ごうぜん)と、彼らの頭上に降りかかって来る。

 

 ダイヤモンドに比する硬度を持つBETAをも、一撃で粉砕する大火力の前に、軽量な戦術機は無力だった。

退避する間もなく、閃光の中に消えていった雷撃隊。

烈火と衝撃波にはねとばされた戦術機の装甲は、爆風と共に宙天の塵となっていた。

 

 かくしてベイルート洋上では、レバノン軍と米艦隊の熾烈な戦闘が始まった。

一連の流れを見て居たマサキは、意識をそちらのほうに移す。

「ほう、露助の奴隷どもが、群れを成して米艦隊に襲撃を仕掛けたのか……」

艦砲射撃の弾が、雨の如く降り注いでくる。

「フハハハハ、死に急ぐとは……愚かなものよ」

流れ弾で、港湾にある石油精製施設に火がつくと、さしも広い市街地も、まもなく油鍋に火が落ちたような地獄となってしまった。

コンビナートから出る、炎は夜天に乱れ、爆音は鳴りやまず、濛々(もうもう)の煙は異臭をおびてきた。

 

 

 ベイルート市内のほうに向け、進むマサキが出会うものは、敵ばかりだった。

 ゼオライマーにむけて、轟音一発。

数百の兵が、ビルの屋上や、工場、貨物倉庫の上などに、一斉に姿を現す。

「この木原マサキ、逃げも隠れもせん。何処からでもかかって来い」

 

 市内に拠点を置くPLOやその支援組織の戦闘員たちは、壮絶な銃砲火のあらしを浴びせる。

トラックの荷台に搭載されたZPU-4機関砲や、RPG-7を用いて、迫りくるゼオライマーの脅威を防ごうとする。

「撃て、撃て。近づけるな」

 轟音を上げて火を噴くシルカ自走機関砲。

「無駄玉でもいいんだ。こっちが撃てば相手は近寄れん」

幾層にも折り重なる対空砲火の網の目を、ゼオライマーは構うことなく突っ切ってくる

 

 ゼオライマーは、その右腕を虚空に振り回し、次元連結砲を連射する。

その刹那、搭載された防御システムの警報が、けたたましく鳴り響く。

 損害はないが、対戦車砲(RPG)を担いだ人間との闘いは、始末(しまつ)が悪い。

戦闘員の顔が、建築物、土塀、装甲車、様々な遮蔽物の影などから覗いている。

一斉射撃も、頃を計っているのらしい。

 

 マサキは、本能的に、後ろを振り返りざま、鉄拳を放った。

おそろしく敏捷(びんしょう)な敵が、彼の後ろへまわって、長刀を振りかぶり、あわや斬り下ろそうとしていたからであった。

 拳の一撃は戦術機の管制ユニットに命中し、その機体は跳ね返り、地面に転がった。

 ゼオライマーの480トンの巨体は、それだけで武器になりえた。

戦術機のような超軽量の装甲板は、軽く殴りつけるだけで、押しつぶせたからだ。

 地響きと同時に、残りの戦術機の銃砲が火を噴いた。

轟音を上げる突撃砲の玉が、縦横に通りながら、ゼオライマーの機体をかすめる。

マサキは、敵兵のなかを、乱脈に駈け(まど)い、何度も撃ち返した。

 

 市街から射放つ弾は、集まってくる。

止まるも死、進むも死だった。

一難、また一難。死はあくまでマサキをとらえなければ止まないかに見えた。

『やはり美久がいないと、このゼオライマーも今一つか……』

 ゼオライマーの副操縦士(サブパイロット)氷室(ひむろ)美久(みく)

彼女は表向き、駆動系制御と弾道計算をするという名目で搭乗していた。

 しかし、その実態は違った。

彼女は、アンドロイドであり、また次元連結システムの一部品である。

 彼女がいなければ、次元連結システムは満足に作動しなかった。

天のゼオライマーの出力と推進力は、従前の三分の一にまで低下。

無限のエネルギーを宇宙空間から供給することも、ままならなかった。

 推進装置を全開にして、後退を続けるマサキ。

砲弾は、的確にそそぎ初め、撃つ弾、撃つ弾が装甲にあたる。

至近弾が隣の建物に命中し、ごろごろと下へ転げ、崩れ落ちる。

 

 

 相対するKGBのアルファ部隊長は、逃げまどうマサキを見て、

「これが、世人(せじん)を怖れさせたゼオライマーか。

余りにも(もろ)い……こんな青二才に、ソ連は振り回されていたのか……」

と、失意の色をあらわにする。

 

 その音声を拾ったマサキは、画面を操作して、国際救難信号の通信を開く。

「教えてくれまいか。蛮人の貴様らが、この俺と戦う理由を」

 敵に問いかけたマサキは、操縦桿をぐっと引く。

ゼオライマーは、巨体を揺らしながら、その場に止まった。

 マサキは、体を右下に向けると、座席の下に手を伸ばす。

戦闘装備セットを手繰(たぐ)り寄せ、ポリエチレン製の水筒を取った。

「聞け、日本野郎(ヤポーシキ)、木原マサキ」

 長時間の追撃戦と、この照りかえる太陽や熱砂により疲労を感じていた為もあろう。

水筒の白い蓋を開け、ゲータレード*3の粉末を溶かした水で、のどを潤す。

男の話を聞くふりをして、一息つくことにしたのだ。

「温暖な東の小島でぬくぬくと育ったお前達には、解かるまい」

 画面に映るスラブ人の男は、こちらを厳しくにらみつける。

水筒をラッパ飲みしながら聞く、マサキに怒号をつづけて、

「常に他民族に圧迫され、ロシアの痩せて貧しい大地に縛られてきた者の苦しみ。

冬でも凍らぬ港の確保、わが民族の悲願なのだよ。

我等は誓ったのだ。全世界を共産化して一つの国にすればこの苦しみから逃れると……

貴様は、我等がわずかな望みさえも奪い去った。故に許せぬのだよ」

 

 空の水筒を捨て去ると、マサキは不敵の笑みを浮かべ、

「愚かなことを……」

男の話を一笑(いっしょう)にふした後、彼らを(あお)り立てることにした。

後生大事(ごしょうだいじ)に抱えている、貴様らが野望とやらは、その程度か……

だから、貴様らは、スキタイの野蛮人なのだ」

 

 これは、KGB大佐を憤激(ふんげき)させた。

5メートルもある通信アンテナのついた隊長機が、右手を高く掲げる。

 野獣(やじゅう)(えさ)を争うように、アルファ部隊が彼を覆い包んだ。

 アルファ部隊隊長の大佐は、右手で握る操縦桿を強く引く。

背面に装備した突撃砲を抜き出し、機体の右手に構えると、

「おのれっ、この悪魔野郎(チョルト・ヴァジミー)*4め」

突撃砲の一斉射撃のボタンに触れながら、憎悪の言葉を吐き捨てる。

 

 マサキも、ついに決心した。

そして喜色をたぎらせながら、操作卓のボタンを左手の食指で連打する。

「ゼオライマーよ。パーツを呼び戻せ。お前の次元連結システムをな!」

すると、漆黒(しっこく)の闇の中、ゼオライマーの機体が、赤く、怪しく輝いた。

 

 突撃砲が一斉に火ぶたを切ったと、共に、大地をゆるがす程の轟音が響く。

硝煙や爆風の下に建物の瓦礫(がれき)が、転げるのが見えた。

「かかれっ」

という叱咤(しった)に打ち出される濃密な対空砲火と、超音速ミサイルの攻撃。 

 ロケットや砲弾が、ゼオライマーの上へ、一度に降りそそいできた。

もしこれが、高硬度爆撃機B52や戦術機であったならば、撃ち落されていたであろう。

 

 しかし、無敵のスーパーロボット、天のゼオライマーである。

その白い装甲板には、かすり傷一つつかなかった。

「無駄、無駄」

マサキは、哄笑を響かせながら、すばやく操作卓のボタンを連打する。

瞬時にして、バリア体が全身を覆う。

 

 先ほどのゼオライマーの発光は、美久が瞬間移動してきたことによるものである。

今、ゼオライマーの起動装置である氷室美久が揃ったことで、完璧になった。

ゼオライマーの出力は、かくして100パーセントの状態に戻ったのだ。

 雨霰(あめあられ)と降り注ぐ砲弾を、何の鎧袖一触(がいしゅういっしょく)と、一気に蹴ちらして押し通る。

肉薄(にくはく)してくる戦術機隊は、突撃砲を構えて撃ってきた。

今度はかなり正確に、砲弾はゼオライマーの通り過ぎた場所で炸裂する。

 匍匐飛行(サーフェイシング)して()けて来たアルファ部隊のうちから、一機が、ぱっと飛び上がった。

ゼオライマーの頭上へ、長刀の一閃を浴びせかけた。

 その一撃をうけるや、眠れる獅子が立ち上がったような猛気をふるい、戦い合った。

彼も必死、これも必死、まさに死闘図だった。

「小賢しい、露助どもめ」

 振り返りざま、直ちに、次元連結砲を放つ。

一斉に狙撃を浴びせかけられたアルファ部隊は、ハタと動きを止めた。

 MIG21の全身から漏れ出す推進剤と燃料が、血のように流れ、地面をどす黒く湿らす。

KGBの黒い機体が、大きな音を立てて、崩れ落ちた。

勝敗は、一瞬に決したのだ。

 

 

 

 この夜は一晩中、ベイルート市内のPLOキャンプは、あわただしかった。

大統領府宮殿の窓からも、ホテルからも、PLFPの戦闘員の動きがはっきり見られた。

 戦闘準備を整えた部隊が、港へ、また別の一隊が市街へと移動していく。

 

「同志議長、どうしますか。

我らはヨルダンを追放された身です。おいそれとパレスチナには戻れますまい」

部下に尋ねられたPLFPの首領は、全部隊をシリア方面に撤収させる準備に取り掛かった。

「同志諸君!我らを支援していたKGBが、ゼオライマーにやられた。

こうなれば、こんなしみったれた国に、こだわる必要はあるまい」

 そして冷徹に、

「市中から、分捕れるだけ分捕って、おさらばよ。

街を焼けい!」

 令一下、戦闘員は、町々へ放火しだした。

破れかぶれになったPLFPなどの団体が、黒い怒濤を持って、市街に向う。

 官公庁から、銀行や商店に至るまでを、一つ残さず盗み抜く。

数百の人夫(にんぷ)を動員し、数え切れないほどの名剣や宝鏡から、大量な金銀宝石などを運び出す。

 もとより食料や衣類などには目もくれない。

時価にすれば何百億ドル、トラック数十輛分の富はレバノンから持ち出されようとしていた。

 (またた)()に、ベイルートは混乱の渦に巻き込まれた。

 アラブ民族社会主義を掲げるPLO、PLFPと、この国の指導層であるキリスト教マロン派の両者は相入れぬ関係であった。

1970年のPLOのベイルート移住以来、両者は度々武力衝突を重ね、その不満はたまっていた。

ついに米艦隊の艦砲射撃を受け、混乱する市内の略奪という暴挙に走ったのだ。

 

 マサキは、ゼオライマーの球体上のメインカメラを市中に向けてズームする。

画面に映る街の様子といえば、真っ赤に焼けていた。

女子どもは、(ほのお)の下に悲鳴をあげて逃げまどい、昼のようにベイルート市中は明るい。

 見れば、悪鬼のような人影が、銃剣をふるい、火炎放射器を放ちながら、余さず火をかける。

逃げ散る者を見あたり次第に、殺戮(さつりく)している。

目を(おお)う様な地獄が、再現されていた。

 

『ああ、人間というものは、ここまで醜くなれるものか……』

マサキの胸中は、人間への絶望に覆われ始めていた。

 『所詮、パレスチナ解放という大義を掲げても、やることは強盗や賊徒と変わらぬではないか』

氷のような感情が、ふたたびマサキを覆い始めていた。

 あの可憐な少女、アイリスディーナとの出会いを受け、僅かに溶け始めていた厚い氷河。

彼女の純粋な想いすらも、忘れさせるほどの衝撃だった。

 

 

 そのとき、マサキの心中に暗い情念が渦巻く。

『このような(やから)が、この世に存在しては(まず)い』

 

 思えば前の世界でも、日本赤軍などの赤色テロリストが、このアラブの過激派を頼り、世界を震撼(しんかん)させた。

 イスラエルのテルアビブ空港での銃乱射事件や、よど号などの日航機ハイジャック事件。

オランダ・ハーグの仏大使館やマレーシア・クアラルンプールの米国大使館等を占拠し、国際関係をも悪化させた。

 国内でも、妄想の実現のために、彼らはお構いなしだった。

銀行強盗や警察署の襲撃、自衛隊施設への侵入は無論のこと、民間企業にもその矛先(ほこさき)は向いた。

三菱重工や鹿島(かじま)建設などの有名企業を爆破し、韓国産業経済研究所やチリの練習艦などの外国施設への襲撃で血の雨を降らした。

革命を誓う同志すらも疑い、妊婦にまで手をかけた人の皮を被った悪魔。

人面獣心(じんめんじゅうしん)との言葉が、ふさわしい連中であった。

 日本列島を赤化せんとする野望のために、テロルの恐怖で、無辜(むこ)の市民がのたうち回る。

彼の脳裏に、その地獄絵がまざまざとよぎった。

 

『残された道は、ただ一つ……』

うつむいていた顔を上げる。

『このレバノンの首都ごと、テロリストどもを完全に葬り去る』

 

 

 

 赤色テロリストへの憎悪が、たぎる血潮を高ぶらせる。

共産主義者(テロリスト)が、勝手なことを……」

マサキは、天を仰ぐと、小声でつぶやく。

「このうえは、レバノンもろとも、テロリストを吹き飛ばす」

力強く操作卓のボタンを連打し、攻撃準備を始めた。

 

 美久は、必死に、怒りを表すマサキをなだめようとする。 

「お気持ちはわかりますが、お止めください。

まだ避難できていない住民が多数おりますし、近くにはパレスチナの難民キャンプが……」

マサキは、諦めたかのように乾いた笑い声をあげ、右の食指でメイオウ攻撃の射撃指令を出す。

「フフフ、そのような人非人(ひとでなし)は、俺が作る新世界には必要のない」

顔に暗い影を落としながら、冷酷に告げた。

 

 直後、静止していたゼオライマーは両腕を勢いよく、胸の球体の前に掲げる。

大地が裂けるような衝撃波とともに、眩いばかりの光が市街を照らす。

強烈な熱波の後、地表から巻き上げられたチリや煤は、やがて白い爆煙として立ち上っていった。

*1
Identification, friend or foe.敵味方識別装置

*2
1国際マイル=1.609キロメートル

*3
1965年発売のスポーツ飲料。スポーツ生理学の医師、ロバート・ケード博士により開発された

*4
чёрт возьми. ロシア語の罵倒語。日本語にない表現なので、しばしば畜生などと訳される




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因果応報(いんがおうほう) 後編(旧題:賊徒の末路)

 凶悪犯120人とともにテルアビブにむかう(さかき)政務次官。
ベイルートから脱出したマサキは、その話を聞いて、驚嘆(きょうたん)する。
 急げ、マサキよ。
榊に残された時間は、あとわずかなのだ。


 鎧衣(よろい)たちといえば。

彼等は、米海軍が差し向けた救援隊により、(から)くも窮地(きゅうち)(だっ)していた。

八台のHH-53B/C スーパージョリーグリーンに救助されて、米兵たちとともに乗り込む。

 まもなくベイルートを後にし、遠くなっていくソ連軍基地を見ながら、ぼんやりしていると、

「なんだ、あの光!」

米兵の誰かが叫んだかと思うと、強烈な閃光(せんこう)とともに、雷鳴のような轟音(ごうおん)が鳴り響く。

 

「まさか、ゼオライマーの……」

おもわず口走ってしまったことを後悔(こうかい)する間もなく、白銀(しろがね)が訊ねてきた。

「鎧衣の旦那(だんな)、あれが木原先生(センセ)のマシンの攻撃なのですか。

デイジーカッターと同じくらいの威力(いりょく)はありますよ」

 

 その発言に、デルタフォースの部隊長が仰天(ぎょうてん)して、

「白銀君、あれはデイジーカッターの爆風どころではない。

自分は北ベトナムの大部隊と戦った時に、航空支援を頼んだ折、至近弾を間近で浴びたが……。

今の爆発は、その威力の数倍、十数倍あると思っている」

 

「でも旦那、あなたはハバロフスクに潜入して先生(センセ)と行動を一緒にされたんじゃ」

 ゼオライマーは、公然の秘密だった。

日米の間とはいえ、秘密裡にして置く必要があるとみえ、鎧衣は、いつになく厳として、

「白銀君、それ以上は止めたまえ」と、(いまし)める。

 

 見かねた隊長は、彼らを止めに入った。

「まあ。まあ。ご両人ともこんなところで言い争っても仕方ありません。

木原博士と合流した後に詳しい話を聞かせてもらってからでも遅くはありません」

一旦(いったん)鎧衣は、顔をほころばせると、昂然(こうぜん)と笑い、

「いやはや、この鎧衣としたことが……。

砂漠の熱さで、つい冷静さを()いておりましたわ。

暑気(しょき)(ばら)いに、ウイスキーでも一杯ひっかけたいものですな」

と、いつもの如く、諧謔(かいぎゃく)(ろう)した。

白銀もそれに合わせるようにして、持ち前の明るさで、

「じゃあ僕は、キンキンに冷えたバドワイザーで……」とその場を(なご)ませる冗談を言う。

 

 ヘリの機長は、正面を向きながら、後ろから聞こえた彼らの冗談にこう応じた。

「米海軍の運営する当機では、アルコールの提供はご遠慮(えんりょ)いただいております。

その代わりに、アイスクリンとコカ・コーラについては母艦到着後、何時でもお届けに参ります」

機内は、男たちの笑い声に包まれた。

 

 

 

 

 マサキはゼオライマーで、米海軍レバノン派遣艦隊の近くに着水する。

ゆっくりと空母フォレスタルまで近寄ると、右手を伸ばして、甲板上に臨時の橋を架ける。

首の真下にある操縦席から、飛び出して、右手の上を伝わって、甲板に乗り移った。

 

 空母フォレスタルの水兵の案内を受け、士官食堂にいる鎧衣たちの元へ急いだ。

彼らの顔を見るなり、マサキは開口一番、

「おい、美久は俺が連れ帰った。安心しろ」

突然の報告に、鎧衣も色を失い、白銀もあわてて、呆然と立って見ていた。

「では、(さかき)代議士に連絡せねば……」

マサキは、じっと瞳をその人に向け直した。

「榊がどうかしたのか」

マサキはその言葉に、(いぶか)りが解けぬ様子だった。

「榊代議士は、氷室(ひむろ)さんと引き換えに、超法規的措置で出獄(しゅつごく)させた囚人たちと一緒にいる」

 

 マサキの脳裏に、1970年代の過激派の恐ろしい思い出が、また、深刻ににじみ出ていた。

丁度、前の世界の、1975年8月4日に起きた、『クアラルンプール事件』

あの時、人質の命を救うと称して、時の総理*1は、身代金支払いと囚人の釈放に応じた。

 世人を恐怖に陥れたテロリストへの身代金支払いと、凶悪犯の釈放。

この行為は、国際社会を不安に陥れ、日本の信用を損ねた。

 1977年9月28日に起きた、『ダッカ日航機(にっこうき)ハイジャック事件』

事件現場のバングラディッシュでは、呼応(こおう)するように左派軍事クーデター未遂が起きた。

その時も、10月1日に首相*2が『一人の生命は地球より重い』と述べ、金の支払と釈放を決めた。

 

「今、日本航空のチャーター便で、120人の凶悪犯と共に、こちらに向かっているはずだ」

 マサキは、そっと面をあげた。

内に抑えつけていた憤懣(ふんまん)が、一目見えて分かる状態だった。

「そうすると、今度は、(さかき)が危ない……

行くぞ!テルアビブへ」

 

 

 

 

 一方その頃。

東京発、「日本航空(にほんこうくう)」所属のボーニング727-89。通称「よど号」*3

このチャーター機は、空路、イスラエルのテルアビブを経由地として、ベイルートに向かっていた。

 特別便の機内には、100名近い犯罪者たちを満載(まんさい)していた。

その為、客室乗務員(スチュワーデス)の制服姿の婦人警官が乗り込み、厳重(げんじゅう)な警備態勢を敷いていた。

 機長と副操縦士は、帝国陸軍航空隊から選抜されたエリート。

彼等は、先次大戦において、支那(しな)本土への夜間爆撃の経験のある人物であった。

 

 

 機内の犯罪者たちは、超法規的措置により、釈放され、氷室美久との交換することになっていることを口々に喜んでいた。

「ウハハ。これで俺たちは自由の身ってわけよ」

「しかし、お()(どく)だね。俺らと交換する予定になってる(ねえ)ちゃんは……」

囚人たちは、残忍な笑いを湛えて、美久の事をあざ笑った。

 

 PLFLと日本人テロリストの要求で、人質役として政府職員が乗り込んでいた。

国防政務次官の(さかき)是親(これちか)である。

 彼の前に席では、将に今、次のテロ計画が大っぴらに語られていた。

「レバノンに着いたら、米帝(べいてい)*4の大使館を爆破してみますか」

「よお、そいつは見ものだ。一つ派手にやろうじゃないか。同志」

 

 男たちの話を聞いて、苦渋の表情を浮かべる榊は、後ろより突然髪をつかまれて、

「おい、政務次官(おやくにん)さんよお……」

テロリストの一人は、彼の耳元で脅すようにして声をかける。

「あんたも俺たちの国際共産主義の連絡網(ネットワーク)を見たろう。

アラビア半島は、すでに世界革命の根拠地の一つなのだよ」

榊は、そこで初めて、こう訊ねた。

「では、PLFPの議長は、レバノン政府を(ほろ)ぼした後で、自分が大統領につく(はら)なんですか」

「同志議長は、そんなことを望んでおられない」

「では、誰が、次の支配者になるのでしょう」

「フフフ、冥途(めいど)土産(みやげ)に聞かせてやろう」

そういうと、男は有頂天(うちょうてん)になって、自分が知る限りの秘密を語りだした。

「レバノン問題は、今の政府を亡ぼしてから後の重大な評議になるんだ。

KGBのほうとも相談しなければならないから」

「へえ?」

詳しく聞き出せると踏み込んだ榊は、男に鎌をかけることにした。

「なぜです。

どうしてレバノンの大統領を決めるのに、ソ連などと相談する必要があるのですか。

昔からロシアは、トルコ国境を(おか)して、アラブ民族を(おびや)かしてきた存在じゃありませんか」

「それは、大いにあるさ」

男は、当然のように答えた。

「いくら俺たちPLFPが暴れ廻ろうたって、金や武器がなくちゃ何も出来ねえ。

俺たちの背後から、軍費や兵器をどしどし(まわ)してくれる黒幕がなくっちゃ……。

こんな短い年月(ねんげつ)に、中東を攪乱(かくらん)することはできまい」

「えっ、ではPLFPのうしろには、KGBがついているわけですか」

「だから絶対に、俺たちは敗けるはずはないさ。

訓練所は東ドイツの都市、ドレスデンにあるシュタージの秘密基地で行ってな。

そこには、KGBの手練(てだ)れ、アルファ部隊の精鋭(せいえい)たちがいた訳よ。

機関銃の扱い方や、自動車爆弾づくり、それに短剣(ナイフ)の訓練まで仕込んでくれるのさ」

 男は、饒舌(じょうぜつ)に、PLFPとKGB、シュタージの関係を明らかにした。

「でもよお、あのゼオライマーのパイロットに入れ込んでいる今の議長……

奴になってから、その秘密基地は閉鎖されちまった。

だから俺たちは、レバノンくんだりまで行ってKGBに直接指導を(あお)ごうってわけさ」

 

 だが、残念なことに榊政務次官とマサキが知己(ちき)の関係であることを知らなかった。

そして今の内容は、マサキが渡した秘密の通信装置によってすべて録音されていた。

「フフフ。どうだ、恐ろしかろう。

あんたも命が()しかったら、俺の配下に入れ、すぐここで。

KGBと関係してれば、何かあっても連中が助けれくれるしよお」

 

 男が(うなづ)くと、榊は礼とばかりに高級煙草のダンヒル*5を胸ポケットから差し出す。

赤に金文字の箱を受け取ると、右手の親指を立て、食指と中指の間に挟む。

 差し出されたライターの火で、スパスパと勢いよく空ぶかしをする。

両眼を閉じて、気障(きざ)にタバコを吸い、ふうっと紫煙を吐き出す。

そして、まるで勝ち誇ったかのように榊をねめつけた。

 

 

 

 

 テルアビブ近郊にあるベン・グリオン国際空港に、航空機は降りた。

テルアビブ近郊の都市リッダに所在するこの空港は、英国委任統治領パレスチナ時代の1934年に建設された。

長らく英国の管理下に置かれたが、1948年のイスラエル建国後は軍民共用空港だった。

1973年にかつての首相、ベン・グリオンを記念して、リッダ国際空港から現在のベン・グリオン国際空港に名前を改めた。 

 この空港に降り立った理由は、給油のため。

機内の囚人たちは休憩(きゅうけい)と称して、機外に()(はな)たれた。

そのとき、榊達、政府職員は奇妙(きみょう)なことに、機内に残った。

 

 囚人たちは、(せま)い機内から飛び出した解放感から、好きなことを口走る。

「ウへへ。あとすこしで俺たちは自由の身だぜ」

「日本政府も馬鹿だな。翼の生えたトラを野に放つようなものなのに」

不幸なことに、囚人たちは空港のロビーの先に待つものを知らなかった。

 

 囚人たちはやがて、警備兵の立っているゲートを超えて、ロビーに入った。

 その時である。

急に、四方にある防火用のシャッターが、閉まり始めた。

 異変を感じた者たちは、非常口に殺到する。

トンプソン機関銃を手に持ち、日本刀を背負った迷彩服姿の男。

彼が、駆けこんできた囚人たちの行く手を(さえぎ)ったのだ。

「ふざけんな!こんなところに立ちやがって」

男の後ろに立つ、別なトレンチコート姿の男は、不敵の笑みを浮かべ、

「ただ、君たちとお話がしたくてね」

「話だぁ?」

囚人たちは、口々に好き勝手なことを口走った。

「俺たちは法律で守られる権利がある」

「なあ、(あん)ちゃん、俺たちを殺しに来たのか。

殺しは、法に反してるから無理だよな」

 

 

 いずこより現れた、深緑の野戦服姿の日本兵。

紫煙(しえん)(くゆ)らせた彼は、囚人の一人の肩をたたく。

「なんだ、てめぇは!

俺たちを逮捕しに来たのかい。早く令状を見せなよな」

からかわれた青年は、不敵の笑みを浮かべる。

「そんなものは、ない」

彼は、物もいわず、動きもせず、くわっと、(にら)みつけてきた。

「何!」

 その場に衝撃が走った。

周囲の人間はその言葉を受けて、たちどころに凍り付た表情に変わる。

「冗談だろう……」

囚人たちの口々から思わず漏れる声に、男は笑って説明した。 

「俺には法律は通用しない。なぜなら既に、二度死んだ人間だからな」

目の前の日本兵は、判決を言い渡す司直(しちょく)(ごと)く、冷徹に答えた。

 

 囚人の代表格の男が、飛び出して、日本兵に答えた。

「日本を支配する旧態依然(きゅうたいいぜん)とした反動勢力、五摂家から解放するためには暴力が必要なのだ」

 

 日本兵の服装をした男はマサキだった。

彼は、囚人の頭目(とうもく)(さげす)みの目を向けながら、応じる。

「革命?闘争だと?たわけたことを抜かしおって、笑わせてくれるわ。

ソ連のKGBにいいように使われた、間抜けの癖をして……」

「ソ連や中共、PLFPやシュタージの手を借りたのは、その手段にしかすぎん。

この、日本政府の犬野郎め!」

マサキは天を向いて、高らかに笑った。

「フフフ、情けないのう、みじめよのう。

自力で革命も、できぬとは……」

 

 満面の笑みで、自動小銃を構えなおす。

「じゃあ、俺が本当の暴力とやらの手ほどきをしてやるよ」

M16小銃の槓桿(こうかん)を強く引き、弾倉(マガジン)内の銃弾を薬室に送り込む。

「待って、待ってくれ。は、話せばわかる」

親指で安全装置(セーフティ)を解除し、連射(オート)の位置に動かす。

「この冥王、木原マサキが手づから裁いてやるのだ。喜んで死ねぃ」

そういうと三人の男たちは一斉に囚人に向け、機関銃から弾丸を放った。

 

 鎧衣の持つイングラムM10短機関銃は、轟音(ごうおん)と共に火を()き、囚人たちをハチの巣にした。

白銀は、逃げ出そうとする者を見つけると、躊躇(ためら)いもなく(とど)めの一撃を下す。

 

 

 囚人たちは、逃げまどい、物の陰にひそみ、うろたえるのみだった。

「助けてくれ、俺たちは、お前に何もしてないだろう」

 (いのち)()いを無視しながら、マサキは、銃剣を胸に打ち込んだ。

ぱあと霧のように鮮血(せんけつ)が、一面にほとばしる。

「今になって懺悔(ざんげ)の言葉などを口走るとは……。

俺ではなくて、貴様らが手に掛けた人間に言うべきだったな」 

マサキは叫びながら、二度、三度と男の脾腹(ひばら)に刃先を突き立てた。

 

「しまった」と、狼狽(ろうばい)しているところへ、鎧衣と白銀が、機関銃で彼等めがけて盲射して来た。

すべてが()(ちが)って、囚人達は度を失い、近くにある棒をもって大立ち回りをする。

白銀めがけて鉄棒を振り回し、抗戦した。

「死ね。この野郎」

と、()(ぷた)つの勢いで、叩きつけて来た。

「あっ」

 白銀の軍靴は、コンクリート敷きの床を、ぱっと蹴った。

さすがに油断はなかった。

6尺*6近い体躯を、軽々と、後ろに跳びかわしていた。

「あきらめの悪いやつが」

 と、背に負う長剣を引き抜くやいな、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。

日頃こらえていた怒りを発して、一閃と共に見事、両断して見せたのだ。

 

 

 鎧衣が、白銀が、殺人マシンの様に、冷徹に囚人たちを処刑している間。

囚人の代表格の男の事を、マサキは部屋の隅に追い詰めた。

そして、KA-BAR*7の茶色い革の鞘に入った短剣を投げ渡す。

「木原よ。お前は欲深い男よ」

男は、短剣をぴゅっと鞘から抜き出し、震える手で握りしめながら答えた。

「せめて、中東の地で、至らぬ身を悔悟(かいご)しつつ、死んでいく。

そう覚悟を決めたこの俺を、テロリストに引き戻そうというのか」

 

 マサキは、不適の笑みを浮かべながら、銃剣を小銃に装着する。

短剣を構えて、身動ぎすらせぬ両名の間に、何とも言えぬ空間が出来上がろうとしていた。

まるで触れることさえ、許されざる様な存在……周囲のもの達は、遠巻きに推移を見守った。

 

 男は短剣を強く握りしめると、マサキのほうに駆け出す。

余りの怒りの為、彼の眼は三白眼(さんはくがん)の状態になっていた。

「所詮は、犯罪者は、犯罪者として……」

その瞬間、短剣ごと右手を勢いよく繰り出した。

「死ねということか」

マサキは、すんでのところでかわすと、小銃の先を男に向ける。

 その刹那(せつな)、短剣からの鋭い光が、銃剣をかすめる。

火花が散り、カチンと鈍い金属の音が、不気味(ぶきみ)に響き渡る。

 男は、30分ほど抗戦したが、相手は鋭気(えいき)に満ちた若い青年である。

マサキに、さんざんに打負かされて、彼は怒声とともに、銃剣を喉元に突き立てらた。

 男の絶叫(ぜっきょう)(とどろ)くとともに、頸動脈(けいどうみゃく)からの血しぶきが、マサキに向かって降りかかる。

 

「俺からの手向(たむ)けだ」

マサキは、懐中から回転拳銃(リボルバー)を取り出し、強烈な一撃を真額(まびたい)に放つ。

男は、脳天を粉砕されるとともに、こと切れた。

 

 その日、イスラエルのベン・グリオン国際空港は、囚人たちの血で真っ赤に染まった。

こうして、マサキと日本政府の秘密工作員は、日本人テロリストをこの世から消し去った。 

 

 

 

 

 翌日、御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)と合流したマサキたちは、彼から72時間の休暇を言い渡された。

テルアビブ市内から一切、出なければ、自由にしてよいとの条件付きで。

 さて、マサキといえば。

近代的な首都、テルアビブ市内からほど近いフリッシュマンビーチにいた。

 彼といえば、身に着けているのは、黒の海水パンツ一つで、ベンチに寝そべっていた。

燦燦(さんさん)と輝く太陽から、身を隠すようにしてビーチパラソルの陰に隠れながら、

()()かぬ生活を、この世界でもするしかないのか」と、一人、口走っていた。

 脇で、同様にしていた美久は、茶色の長い髪を風にたなびかせ、半身を上げた。

灰色のクロス・バックストラップの水着姿といういでたちで、彼に寄り添う。

「これから、どうなさるのですか。

また、この世界の人間が、あなたを、ゼオライマーを追い回すでしょうね」

マサキの表情に、硬さは残っていたが、口元は緩んでいた。

「美久、三度(みたび)俺を見送りたいか」

少しおびえたような上目遣いを向け、美久は尋ねる。

「え、それは……」

 マサキは、茶色の長い髪の彼女の顔を、じっと見つめていた。

なにかに(かわ)いている唇が、その激しい胸の高鳴りに耐えているさえ、思わせる。

 

 濃厚な沈黙を破って、マサキから美久の唇を奪った。

美久は、マサキのたくましい両手を握りしめながら、唇を吸う。

 急激な恥ずかしさが、美久を襲う。 

その行為に驚き、美久はハッとマサキの体を突き放した。

「俺は……マサトの肉体が気に入っているのだよ。

俺の三人目の肉体……もう一度赤ん坊からやり直すのを見たいか」

マサキは、再び、美久との距離を縮めて、

「それにな、世界征服の野望も、まだ道半ばだ。

(ことわざ)にあるとおり、三度の目の正直とも言おう。

俺がしでかす悪事(あくじ)を、楽しみに待って()れ」

マサキは、彼女の顔を、両腕の中にいれてじっと見ていた。

*1
三木武夫。第66代内閣総理大臣

*2
福田赳夫。第67代内閣総理大臣

*3
マブラヴ世界のよど号は、史実とは違い、1970年3月31日にハイジャック事件が発生しなかった

*4
アメリカ帝国主義。米国の蔑称

*5
ダンヒルは1967年にカレーラス・タバコ・カンパニーに買収された関係で、ダンヒル名義で煙草や喫煙具を出すようになった

*6
一尺=30.303センチメートル

*7
1889年創業のナイフメーカー、W.R.ケース&サンズ・カトラリーの商標名




 お祈りメール様、ご評価有難うございました。
また感想欄も、一言頂けたら励みになります。
(暁の方でも構いません)


 これで、第五部は終わりです。
次回からは暁で連載中の第六部に移ります。


アンケートの方、よろしければお願いします。
(アンケート期間は2023年8月1日の午前5時まで。一番多い結果を採用させていただきます)


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歪んだ冷戦構造
赤毛の少年


 西ドイツ第二の都市、ハンブルク。
(いにしえ)のハンザ同盟の町に住まう、東独からの亡命者、ホーエンシュタイン家。
 同家の義子(ぎし)、テオドール・エーベルバッハ少年は、義妹との平凡な日々を過ごしていた。


 自由ハンザ都市ハンブルクは、西ドイツの北部に位置し、人口180万人の町。

エルベ川沿いの同地は、古くからハンザ同盟の中心都市として、ドイツ経済の要衝(ようしょう)である。

 その為、先の大戦において、連合軍の激しい空襲を受け、貴重な文物と多くの人命を失った。

しかし、欧州有数の港町である同市の再建は、戦後間もなくからなされ、その戦火の跡も忘れ去られるほどであった。

 また、日本との関係も深く、1950年代後半から1970年代にかけて、日本企業が進出した。

同地に進出した日本企業は100を超え、在留邦人は、2000人以上。

現在でも、毎年5月にはアルスター湖畔で花火大会を開催している。

 

 ハンブルク市は、貿易、航空機関連を基幹産業とし、また多国籍企業の拠点でもある国際都市。

その為か、トルコ人労務者や、東欧から引き揚げ者を多く抱え、戦後ドイツの縮図であった。

 

 近代ドイツでは、常に労働力の不足が深刻な社会問題であった。

帝政時代より外人労働者を東欧から呼び寄せてはいたが、繰り返された敗戦のたびに、彼らは帰国し、定住しなかった。

 戦後復興を支えたのは、「被追放者(アウスジードラー)」と呼ばれる存在である。

第三帝国の敗戦によって、外地から引き揚げてきた「在外ドイツ人」と、その子孫であった。

 ソ連の支配を受けた衛星国では、その支配層にあたったドイツ系住民の扱いは悲惨を極めた。

ポーランド、ハンガリーなどから、追放の憂き目に遭った数百万人が、西ドイツに流入。

1950年の統計によれば、その割合は、全人口の16パーセントに上ったという。

 

 また東ドイツからの労働力は、1950年代初頭の西ドイツの経済発展の立役者の一人だった。

その数は「在外ドイツ人」やイタリア人の季節労働者よりも多く、1961年の壁建設まで300万人が来ていた。

 1958年の農業の集団化以降、毎年20万人の農民が西ドイツに逃亡した。

そのことは、東ドイツを支配する独裁党のSEDに衝撃を与えた。

 1961年に西ドイツとの融和政策を進めていたソ連の反対を押し切って、国境沿いに鉄条網を引いたのは、このことが原因といっても過言ではない。

1964年に西ドイツが身代金制度を作り、東ドイツから亡命希望者を買い取るまで、その亡命は非常に困難なものであった。

 

 

 人民の監獄たる社会主義から逃れてきた彼らは、反共宣伝のために西ドイツ政府に大いに利用された。 

 西ドイツは、東ドイツからの亡命者を手厚く保護した。

住宅や就労の支援、教育や年金制度に、民間の支援団体の援助。

ポーランドやハンガリーの社会主義圏から落ちのびてくる「被追放者(アウスジードラー)」も同様だった。

 

 東ドイツから亡命したホーエンシュタイン一家も、その例に漏れなかった。

男女二人の子供の両親である、トーマスとマレーネの夫妻。

 彼等は、劇作家とは違う職業を斡旋(あっせん)されて、就業していた。

社会主義化していく東ドイツの暮らしになれた為、戸惑いこそしたものの、この自由社会に順応していった。

 

 ホーエンシュタイン一家の遠縁にあたり、その養子でもある、テオドール・エーベルバッハ。

 半年前に東ドイツから一家で亡命した彼は、このハンブルクの町の学校に通い、日々を過ごしていた。

楽しみといえば、通学路沿いに立つ、キオスク*1を覗きながら帰るだった。

東ドイツから亡命した一家の生計は安定したものではなかったし、菓子などを簡単に買える身ではなかった。

 だが、一度食べたあの味は、忘れがたいものであった。

きれいな模様のついた包装紙にくるまれた菓子やチョコレート。

硬く、ぼそぼそとした食感の、東ドイツ産の菓子と違って、はっきりと甘く、卵や牛乳もふんだんに使ってあって、食べ応えがあり、彼も()みつきになるほどであった。

 

 後ろから付いてきた義妹(いもうと)の、リィズ・ホーエンシュタインに向かって、

「コカ・コーラも、何回も飲むと()きるもんだな。

向こうにいるときは、あの苦いコーラしかなかったから、毎日飲みたいって思ったけど……」

 東ベルリンでも、コカ・コーラやファンタなどは売ってはいたが、高価だった。

大体が「インターショップ」という外貨建ての店のみで、西ドイツマルクを持たない庶民は買えなかった。

 

 リィズは、まじまじとテオドール少年の顔をながめて言った。

「お兄ちゃんと、こうしてハンブルクの街を歩いて学校に通うのが……。

まるで、夢を見ているようで……」

「いまだに、信じられないのか」

「どうして、こんなところまで来ちゃったんだろうかって……」

 古着のラングラーのスリムジーンズ「936」をぴっちり着こなした両足は、ウットリするほど奇麗だった。

いつの間にか、妹の体つきがぐんと大人びてき始めたことに、テオドール少年は歩きながら気づいた。

「そういえば、リィズ。

先生から、ギムナジウムに進むよう、推薦された話はどうした」

 義妹(いもうと)のリィズは、非常な語学の才覚があった。

すでにエーベルバッハ少年が養子に来た頃から、露語*2の成績優秀な事で教職員たちから褒められているほどだった。

 西ドイツに来てからも、同じだった。

少し前に、英語の点数が優秀であることを教頭に目を付けられて、かなり熱心にギムナジウムの推薦を受けていたのである。

「私はちょっとわかんないって……答えちゃったけどね。

今のまま、家族みんなで、暮らせればいいかなって」

 彼女の幸せは、ギムナジウムの進学などより、兄と平々凡々に暮らす事であった。

 

 西ドイツは、全国民に画一的な教育を推進する単線式の学校制度の東ドイツとは違い、帝政時代から続いている複線式の学校制度が維持されていた。

 初等教育に当たる4年制の基礎学校の卒業の際に、教員によって進路を選択された。

成績優秀者はギムナジウム、中くらいの成績の人物は実科学校、劣等生は5年制の基幹学校。

 基幹学校に行った人物は、基本的に大学試験資格がなく、筋肉労働者への道しかなかった。

基幹学校から大学に行くには、実科学校に編入し、さらにギムナジウムに入学せねば、受験資格である卒業資格(アビトゥーア)が得られなかった。

 そして上級学校への進路を険しくさせたのは、基礎学校に入った時点からある留年制度であった。

日本で言えば小学校にあたる基礎学校の1年生で留年などをしてしまうと、そこから評価を回復するのは非常に困難であった。

 

 テオドールは照れを隠すように、頭を掻きむしりながら述べた。

「まあ、俺はBMWのセールスマンか、自動車修理工とかで、いいかな。

学があって、ヘンに頭の固い女より、可愛いお姉さんにお近づきになれたら……」

 あのKGBと並び立つと人民におそれられた秘密警察「シュタージ」もない西ドイツ。

テオドールにとって、西ドイツの自由はまぶしかった。

 

 リィズは、笑いながら、エーベルバッハ少年の冗談に応じた。

「もう、お兄ちゃんは変態さんね」

その姿は、いつにもまして蠱惑(こわく)的で、妖しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

 東ドイツ人にとって、西ドイツは、文字通り堕落(だらく)した、資本主義の世界。

正に聖書の一説に書かれた、廃頽(はいたい)的な文化の咲き誇るソドムの町だった。

ラジオやテレビからひっきりなしに聞こえる、煽情(せんじょう)的な報道に、淫靡(いんび)な歌詞の音楽。 

 町中に立つキヨスクには、「PLAYBOY」や「Penthouse」と言った写真週刊誌が並ぶ。

それは、東ドイツの法で禁止されていたきわどい姿の裸婦(らふ)が掲載された、猥褻(わいせつ)な週刊誌。

 屋台の奥には、そのほかに、タブロイド紙、何十種類もの紙巻煙草、手巻きタバコと巻紙。

ナチス時代の健康政策を「抑圧的」と反省し、喫煙や飲酒も東ドイツより自由だった。

 ガラスの冷蔵ショーケースには、米国製の炭酸飲料とともに、冷えたビール。

特に米国製のバドワイザーや、瓶詰のペール・エールが、ぎっしり詰められていた。

ドイツ製のビールは、常温で飲む習慣が強かったので、冷蔵ケースに入れず、店頭販売した。

 

 法で組織的な売買春が禁止されている日本とは違って、西ドイツでは売春は事実上合法だった。

 ハンブルグやケルンといった、大都市部に置かれた歓楽街、通称『飾り窓』。

そこでは、劣情(れつじょう)をかき立てる下着姿の娼婦(しょうふ)が、窓より半身を乗り出して、街を歩く青年を手招きする。

 色街(いろまち)の入り口には、厳重な門があって、屈強な男が立っていた。

18歳以下の男性と娼婦以外の女性は入場が禁止されており、大抵の場合は見えるところに派出所がおかれていた。

 また、決まりきったように、ソーセージの屋台があった。

そこには、()であがったばかりのフランクフルトソーセージ*3や、焼きたてのカレーソーセージ。

なみなみと容器に入ったケチャップやマスタードなどが、これ見よがしに置かれていた。

 

 ハンブルクの犯罪率は、統計によれば、西ベルリンやボンに比して、非常に高かった。

 裏通りに行けば、米国文化や英国の文化にかぶれた不良青年たちがたむろする地区があった。

彼らのいでたちといえば、革のジャンパー、古着のフランネルシャツに、色褪せたジーンズ姿。

頭をモヒカン刈りにそり上げ、純金製の耳飾りや首飾りをつけ、街を徘徊していた。

 夜になると、いずこから現れる、麻薬を売る闇の商人。

阿芙蓉(あふよう)覚醒剤(かくせいざい)といった麻薬のみならず、LSDやMDMAなどの錠剤状の向精神薬。

ヒッピーに人気のマリワナを低価格で売りさばき、青少年たちを悪の道に引きずり込んでいた。

 薬事犯の発生件数*4は、1963年の80件から漸増し、1969年以降は急増、1972年には1541件。

この様に、ハンブルクは商都であり、また西ドイツで一番犯罪が多発する、魔都でもあった。

 

 

 だが彼が、道を踏み外し、不良へと転落しなかったのは、義妹(いもうと)の支えがあったからである。

 この可憐で、聡明な少女、リィズ・ホーエンシュタイン。

同い年の彼女の愛のおかげで、エーベルバッハ少年は、人知れず救われたのだ。

*1
トルコ語のköşk、東屋(あずまや)を指し示していた言葉に由来し、そこから小規模な商店を差す言葉になった

*2
東独の公用外国語はソ連の隷属化に置かれた関係で、露語であった。仏語と英語は第二外国語で基本的に希望者のみだった

*3
本場ドイツのフランクフルトソーセージは茹でて食べる専用のソーセージ

*4
警視庁編、『昭和48年版 犯罪白書』より参照




 今回から、暁連載分の第六章に代わります。

 暁、ハーメルン両方で、読者リクエストの多かった、テオドール・エーベルバッハの登場です。

 今後も、アンケート等で読者要望をいたしますので、お楽しみにお待ちください。

 18禁外伝のほうもよろしくお願いします。
『ベアトリクス・ブレーメの淫靡な夢』(ユルゲン主人公の成人指定のお話です)
https://syosetu.org/novel/289469/


感想欄も、一言頂けたら励みになります。
(暁の方でも構いません)


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もう一つの敗戦国

 中東から、再びニューヨークに戻った、マサキ。
彼を待っていたのは、西ドイツへの出張だった。


 1978年もあっという間に時間がたった。

もう11月、年末まで一か月しかない。

 

 

 木原マサキは、中東から、再びニューヨークに戻っていた。

軍務から解放された彼は、土曜の午後から定宿としているホテルの一室にこもった。

ひとり、秘密資料集(シュタージファイル)をながめた。

 マサキは、異世界の人間とは言え、冷戦の結末を知る時代の人間である。

ゼオライマーのデータベースから、印刷した前の世界の資料を見ながら、今後の事を考えていた。

 東ドイツを牛耳るにも、奴隷にするにしても、シュタージをどうかせねばならない。

 

 そんな折である。

美久が、部屋に入ってくるなり、来客があることを告げた。

「お客様がお見えになられておりますが……」

「何、客だと!誰だ」

(さかき)国防政務次官です」

 

 国防政務次官の彼が来るのは、何事だろう。

マサキは、いそいそと身なりを整えると、客人の待たせた隣室に急いだ。

 

 久しぶりに会った榊は、傍目に見て、疲れている様子だった。

頬も以前よりやつれ、目のクマを隠すように薄く化粧をしていた。

 

ひどく、()せこけたな。

肌色のドーランを顔中に塗りたくって、まさかガンなどではなければよいが……

俺の道具として使おうとしている男に、ここで死なれては困るものだ

彼らしくなく、思わず心配するほどであった。

 

早速(さっそく)だが、君は私の西ドイツ外遊に同行してほしい」

榊の命令を受け、マサキは開口一番、不平をぶちまけた。

「俺に、欧州へ旅行しろというのか。何を考えているのだ貴様らは……」

「あ、そうだ。萩閣(しゅうかく)、いや彩峰(あやみね)と、白銀(しろがね)君も一緒だから心配はなかろう」

 

鎧衣(よろい)の名がないことを不思議に思ったマサキは、タバコの火を付けながら、尋ねる。

「鎧衣は?」

「彼は情報省の人間だ。私の部下ではない。

それに、君を守ることもせずに、東ドイツの女性を近づけた人物だぞ。

信用できるかね」

 

 国家の一大事を前にして、つまらぬ派閥争いとは……

官界*1もいろいろあるものだと、マサキは飽きれていた。

 

「で、なんで政務次官のお前が、西ドイツまで行くのだ」

「今年の11月に、ボンで首脳会合(サミット)が行われることになってね」

 

「G5サミット?」

 

 たしかに前の世界でも、1978年の西ドイツでサミットがあった。

ただ、その時は経済的な議題。

一応、日本の福田首相の提案で、ハイジャックの共同声明があったくらいだ。

G7での安保問題が議題に上がったは、1980年に入ってからのはずだが……

 

 

 

「西側主要国7か国の会合を前にして、各大臣、次官級の作業部会が開かれることになった。

その関係で私も行くことになったから、君もぜひ来てほしい」

 

 つい意識を、前の世界の西ドイツサミットに持って言ったマサキは、その発言に衝撃を受けた。

彼は、会議とか相談事が好きではない性格である。

もっともらしい理由を付けて、断ろうとした。

下士官(かしかん)の俺が、何故……」

榊は見透かしていたかのように、間髪入れず、理由を述べた。

「君はハイヴ攻略の立役者だからだよ」

そういって大臣の公印と署名の入った命令書を、マサキに見せつける。

「この件は国防大臣の命令だ。嫌とは言わせない」

タバコをもみ消したマサキは、怒っている風でもなかった。

「ま、しょうがねえなぁ。一度乗った船だ。

向こうに就いたら、俺の好きにさせてもらうぜ」

そういってマサキは、椅子より立ち上がる。

困惑する美久の手を引くと、部屋を後にし、自室で準備をすることにした。

 

 (あわただ)しく、飛行機に乗り込んだマサキたち。

彼は、空路、ニューヨークのJFK空港より、西ドイツのハンブルグに向かった。

日航機のチャーター便に乗って、機窓より渺茫(びょうぼう)たる大西洋をながめながら、

「しかし、この俺を西ドイツに行かせる理由が分からん。

サミットなぞただの経済会合だろう。なぜ一パイロットの俺がそんなものに……」

思わず、一人ごとをつぶやいていた。

 

 引率役を引き受けている彩峰は、マサキにくぎを刺す。

「簡単だ。貴様がハイヴを全滅させたからだよ。

今後の経済運営には、BETA戦争の後のことも、決めねばならん。

そういう事で、軍事会合になったのだ」

その答えを聞いて、マサキはおもしからぬ顔をしながら、紫煙を燻らせていた。

 

 マサキは、心やすらかでいられなかった。

徹底的にBETAと戦って、そして勝った。

いま、深緑の野戦服を茶褐色の制服に脱ぎかえ、紫煙の糸に(しず)かな身を巻かれている。

すると、ちょうど()いから()めたような、むなしいものだけが心に(よど)んでくるのだった。

 こうしている間に、ソ連にしてやられそうな、焦慮(しょうりょ)に駆られずにいられなかった。

 

 ふと、そのうちに、彼は椅子から背を離した。

渋い顔をして、タバコを取り出すマサキの様子を見た、白銀が、心配そうに声をかける。

「いろいろお疲れでしょうし、僕と一緒に南ドイツでも会合の間に見てきましょうよ」

マサキは、火をつけたばかりのタバコを一服吸い込むと、

「ドイツの上手いビールでも、案内してくれるのか。

俺みたいな少しばかり名の通った人間が、観光地に一人で行くにも危ないからな」

燻らせていた紙巻煙草を灰皿に押し付けると、過去への追憶の旅に出た。

 

 1970年代の西ドイツ情勢は、1950年代の対共産圏への対決姿勢からだいぶ変化していた。

 1969年より首相を務めたヴィリー・ブラント。

彼は、『東方外交』という前例のない政策を実施する。

自身が進める対共産圏融和政策によって、ソ連以外の東欧の社会主義国家と国交回復を図った。

 時の首相、ブラントの掲げた東方外交は、言ってみれば東ドイツを利する結果でしかなかった。

東ドイツは、ブラントの差し出した数億マルクの金。

『施し金』によって、独裁体制を維持させ、結果的に、その寿命を永らえた。

 

 

 なぜ、そのようなことが起きたのか。

それは、西ドイツ首相のそばにシュタージ将校が紛れ込むという、前代未聞の事件の為である。

 

 ブラント首相の最も信頼する秘書の一人に、ギュンター・ギヨームという男がいた。

後に判明するのだが、彼は国家人民軍将校で、シュタージ工作員だったのである。

つまり、東ドイツのスパイが、西ドイツ首相の筆頭秘書として近侍(きんじ)していたのだ。

 

 彼は若いころ、写真屋などの職を転々とした後、空軍に入隊した。

戦時中、NSDAP*2の青年組織にいたとされる。

終戦後ベルリンに住んでいた時、シュタージにスカウトされ、SEDの秘密党員になった。

 シュタージの対外組織、中央偵察総局は、彼を西ドイツ潜入の工作員として、フランクフルト市に送り込む。

 妻であり、女工作員でもあるクリステル・ボームがSPDヘッセン州南部地区事務所の秘書となったのを皮切りに、SPD内部に入り込み、フランクフルト市議にまでなった。

当時、権勢を誇ったレーバー運輸大臣の知己を得て、同大臣の秘蔵っ子として可愛がられた。

 彼は、易々(やすやす)と首相府の中に入り込むことに、成功した。

一番の功績は、1972年4月27日の信任投票で、ブラントを勝利に導いたことである。

KGBの手助けを得て、連邦議会*3の議員を買収し、政界工作を行う。

 これにより、西ドイツは東ドイツと東西ドイツ基本条約を結んだ。

そして、東ドイツは、念願の国家承認を約束された。

 

 

 

 彼の影響かは、はっきりわからない。

だが、1969年以降ブラント政権が進めた「東方外交」は、ソ連を(おお)いに利するものだった。

 西ドイツには、日本と同じようにソ連に占領された領土があった。

周囲を広い海で囲まれ、天然の国境がある日本と違って、ドイツの場合はすべて地続きだった故に、その返還交渉は、極めて困難だった。

 ブラント政権は、融和政策を合言葉にプロイセン王国始祖の地である東プロイセンの放棄を事実上認めた。

 これは日本政府がソ連占領下の南樺太の帰属をあいまいにし、その領土返還交渉を諦めるより早かった。

 また人道主義という美名に基づいて、「在外ドイツ人」の受け入れの取引として、ソ連に押し付けられたオーデル・ナイセ線を国境として認めた影響は計り知れなかった。

 

 

 

 シュタージの中央偵察総局とは、何か。

疑問に思われる読者も多いであろう、簡単に説明したい。 

 別名、A総局とも呼ばれる部署は、東ドイツ建国時、秘密裏にKGBによって立ち上げられた。

KGBの第一総局を模範にし、勧誘した青年たちを、200名のKGB工作員が訓練、スパイとして育て上げた。

 その責任者は「ミーシャ」こと、マックス・ヴォルフ。

幼少期に一家で亡命したソ連で、KGBにより、スパイとして育てられた人物である。

 彼は西ドイツ官庁内に秘密の連絡網を作り、政界工作を実施した。

その際、ロメオ工作員というリクルートした美丈夫(びじょうふ)を用いた。

 ロメオ工作員たちは、西ドイツ官界にいるオールド・ミス*4や戦争未亡人(みぼうじん)に近づいた。

空閨(くうけい)*5の彼女たちが、ドイツ統一に絡めて言い寄るシュタージの手練手管(てれんてくだ)に抗い尽くせたか。

それは、理性では簡単に割り切れない、男女の関係を考えれば、またあり得なかろう。

 

 

 しかし、ミーシャの仕事は、KGBにとっては、子供の遊びだった。

KGBは単独で、西ドイツの閣僚や情報機関幹部の個人情報を調べ上げた。

特に、憲法擁護局やBNDの幹部を、高額の報酬を餌に誘い出し、一本釣りにした。

 米国のCIAやドイツのBNDも対策はしたが、秘密のスパイ網を知ったのはずっと後だった。

逮捕しようにも、KGB工作員がモスクワに引き上げた後だった。

 つまり、この情報戦争は、ベルリンの壁が崩壊するまで、ソ連の独壇場であった。

 

 

 

 どうしたら、西ドイツに工作を仕掛けられるか。

マサキが、紫煙を燻らせ、思案をしていた時である。

 

 彩峰が怒って、呟く。

「なんだ、今の話は」

「ちょっとばかし、ノイシュバンシュタイン城でも見に行こうかと……」

「そんなことを、この()に及んで、もくろんでいるとは、まったく反省していぬのだな。

貴様というやつは!」と呟き、

「お前たちだけで南ドイツに行くなどは、もってのほかだ。

これ以上の好き勝手は、軍法会議を開いて、厳罰に処す」

「彩峰よ。安心しろ。

この木原マサキ、うら若い小娘にもてあそばれるほど、初心(うぶ)ではない。

令嬢などを紹介してもらっても、自分の虚栄心を満たす道具になどはせぬ。

それに、ベルンハルトの妹や妻の美しさを見れば、並の女などかすむものさ」

 アイリスディーナ・ベルンハルトとの運命的な出会い。

彼女のいきさつを()きとっていた彩峰は、なおさら彼の神経質らしい半面をみせて、厳しくこういった。

「また、どこぞの令嬢でも紹介されたら……。誰が話をまとめるんだ」

「ハハハ。それもまた、楽しかろう」

 そういってマサキは、彩峰を軽くあしらう。

とにかくそんな冗談も、彼を、いきどおらせていたのであった。

 

 美久が、細面(ほそおもて)に影を浮かべて、

「失礼とは思いますが……」、と告げた。

マサキは笑って、彼女に問いただした。

「申してみよ」

不安げな顔をしながら、慎重に言葉を選び、

「胸の大きさや腰のくびれなどではなく、知性で相手を選んではいかかでしょうか」

 

 マサキは、美久の発言を一笑に()す。

「フハハハハ。率直で前向きな意見、気に入ったわ」

椅子から身を乗り出すと、彼女の細い腕をつかんで目の前に引き寄せる。

「だが、一理ある」

しかし、怒っているようではなかった。

「美久。お前が言う通り、俺の好みじゃないことが分かれば、女どもは騒ごう。

その上、お前にもつまらぬ小言を言われる」

 彼を見る美久の表情が、みるみる変わって行く。

何か言いたくても言葉にならない、声にならないと言った表情だ。

「言いすぎました……冗談と思って、忘れてください」

 赤面しつつも抗議する美久を遮って、面と向かい合う。

「さぞかし反抗的だ。今日はいつもにも増して。ほかの女に嫉妬しているのか」

美久は改めて込み上げる羞恥を、隠すかのように呟く。

「しようのないお方……」

「可愛いことを言うやつだ。フハハハハ」

マサキはそう言って、満足げに哄笑をして見せた。

 

*1
役人の世界

*2
国家社会主義ドイツ労働者党。俗にいうナチス

*3
西ドイツ議会

*4
婚期をのがした未婚の婦人。老嬢(ろうじょう)

*5
閨とは寝室のことで、夫や恋人がなく、一人寂しく寝ることを意味する




 今後の更新に関しては、暁連載分に追いつてきたので、だいぶ間隔があくと思います。


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ご感想、ご意見お待ちしております。



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ライン川の夕べ 前編

 ボン・サミット初日の大統領公邸での歓迎式典。
その夜会で、マサキは、西独空軍のシュタインホフ将軍から一人の少女を紹介される。



 マサキはボンに着くなり、ライン川沿いにある大統領公邸に招かれた。

西ドイツ大統領公邸の『ヴィラ・ハンマーシュミット』は、米国大統領府(ホワイトハウス)に似た白塗りの外観から、『ボンのホワイトハウス』と称されている。

 大統領と面会するなり、ドイツ連邦共和国功労勲章を彩峰たち一行とともに授与された。

流石に東ドイツの時とは違って、陸軍曹長にふさわしい一等功労十字章となった。

 

 

 

 ボン・サミットの初日には大統領宮殿で、各国代表を集めた大規模な晩餐(ばんさん)会がなされた。

総員2000名の人間が、ボンの手狭な宮殿に集まった。

 

 マサキを驚かせたのは、この世界のサミットと元の世界のサミットの違いに関してであった。

首脳会合であるのにもかかわらず、晩餐会や夜会が開かれ、それが深夜まで及ぶのが慣例だということに。

 初開催のパリサミットの時から、夜会は政治外交の場とみなされ、重視されていた。

フランス大統領主催の晩餐会は3日間行われ、延べ人数5000人が招かれた。

西ドイツ政府も、その(ひそみ)(なら)うと聞いたときは、あまりにも貴族趣味的であると仰天(ぎょうてん)した。

 先年のロンドンサミットに際して行われた舞踏(ぶとう)会は、午前4時過ぎにまで行われた。

そのため、戦時にふさわしくないと非難を受け、今回は深夜2時までとすると事務局から発表があった。

 

 マサキは舞踏会や夜会が開かれるに合わせて、陸軍正装を身につけた。

この制服は、前の世界の帝国陸軍正装、そのものであった。

 房飾りのついたケピ帽、黒いフロックコートに側章の入ったズボン。

黒革製のチャッカブーツ、剣帯からなるものである。

 将校と違い、特務曹長*1の場合は、仰々(ぎょうぎょう)しい装飾が一切なかった。

肩には、金一色の肩章、袖には山型の細い金線。ズボンに、航空科を示す水色の細い側線。

 金色の飾緒(しょくしょ)*2を肩から下げ、勲章を胸いっぱいに付け、腰には儀礼刀を()いた。

金属製の鞘に入ったサーベル型の刀は、かさばり、想像以上に重かった。

 

 慣れぬ衣装を身に着け、彩峰たちと端の方のテーブルで座っていた。

だが、彼を辟易(へきえき)させたのは、挨拶に来る人物の多さだった。

同盟国の米軍をはじめ、英軍、戦前より関係の深い仏軍、そして主催国である西ドイツ軍であった。

 

 西ドイツ軍の将校団は、異様な組み合わせだった。

ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星大綬章とレジオン・オブ・メリット勲章を胸に付けた濃紺の空軍制服を身にまとった老人と、複数名の士官。

 その後ろから来る、両肩の露出したロマンチック様式*3のドレスを着た小柄な少女。

160センチほどの彼女は、黒い髪を後頭部で結いあげるフレンチツイストという髪型をしていた。

まとめた髪が、土饅頭の様に大きく盛り上がっているところを見ると、相当の量の長さであろう。

 つぶらな瞳に、桜を思わせるような桃色の唇。

彼女の、どこか幼い感じを残した面立ちは、(はかな)げであった。

 それでいて、ドレスの襟首から覗く胸元や、腰の括れから、女らしさを感じ取れる。

特に磁器人形(ビスク・ドール)を思わせる整った容姿は、マサキを引き付けた。

 

 サングラスをかけ、口ひげを蓄えた老人は、マサキの方を向くなり、

「あなたが木原博士ですか」と、握手を求めてきた。

 意識を老人の方に向けたマサキは、男の手をつかむ。

その際、皮膚の触感が、人間のそれとは微妙に違うことに、彼は気が付いた。

「失礼だが、戦争中にでも、大やけどでも負ったか。

作り物の皮膚では、皮膚呼吸も満足にできずに、()(あつ)かろう。

俺ともう少し早く知り合っておれば、本物の皮膚を使って直してやったものを」

老人は一瞬、驚愕の色を見せるも、

「シュタインホフです。どうぞお見知りおきを」

と、何事もなかったかのように挨拶を告げてきた。

マサキも、力強く握手で応じた。

 

 シュタインホフ将軍は、あいさつを終えるなり、驚くようなことを告げてきた。

「木原博士。あなたさえよければ、私の孫娘を貰ってくれまいか」

マサキは、あまりの言葉にただ苦笑するばかりであった。

「この俺を、揶揄(からか)っているのか。

何処の世界に、自分の孫娘を贈答品として差し出す莫迦(ばか)が居るのだ……」

 

 マサキは、てんで受け付けようとはしなかった。

彼女の祖父・シュタインホフ将軍の胸に輝く、数々の勲章を見ながら、

「待ってくれ、こんな小娘貰っても足手まといだ……銃の一つも碌に撃てまい。

それに徒手空拳で男に襲い掛かられてみろ……目も当てられんぞ」

マサキは、彼女が士官学校在学中、女子生徒の中で首位を維持しているのを知らなかった。

「何とでも言うが良い。

ただキルケは……私が言うのもなんだが、才色兼備(さいしょくけんび)で自慢の孫娘だ。

日独友好の為に、君さえよければ……」

マサキは、強気で押し切る男の表情に困惑した。

「娘の意見は聞かないのか……」

 

体の向きを、キルケの方に向ける。

「おい!娘御(フロイライン)

ドイツでは(すた)れつつある古風な言い回しで、マサキは呼び掛けた。

キルケは、腰の後ろで手を組み、あいまいな表情を浮かべていた。

 彼は、不適の笑みを浮かべると、ずかずかと彼女のすぐ脇まで歩み寄った。

その視線は彼女の細面をとらえたまま、微動(びどう)だにしない。

「気取ることは、あるまい」

 マサキは右手を伸ばし、キルケの顎に添える。

たったそれだけで、キルケの雪肌に強烈な電撃が走った。

「そう……」

動悸(どうき)の高ぶりと、息の乱れに、彼女は戸惑(とまど)う。

「お前自身も、俺に気があるのであろう」

突き上げてくる感情に、キルケは動揺した。

 

 日本軍の座席は、恐ろしいほどまでの沈黙に包まれていた。

マサキはそっと、キルケの顔を(うかが)う。

こちらと目が合うと、小さく息をのみ、視線をそらした。

 キルケの表情が、見る見るうちに赤くなっていく。

彼女は胸中で自分を(いさ)めるが、湿(しめ)っぽい吐息(といき)をこぼす。

「だが、お前のような青い果実を食らうほど飢えてはいない」

キルケは、胸をぐさりとえぐられるような感じがして、言いよどんだ。

「えっ……」

 マサキは、勘違いしていた。

170を超えるアイリスやベアトリクスと違い、160センチにも満たないキルケの小柄な身丈。

彼は、キルケを14歳から15歳の子供と思って、扱っていたのだ。

「そこでだ、お前の本心を聞きたい。

嫌がる人間を連れて行くほど、野蛮(やばん)ではない」

 先程までの太々(ふてぶて)しい笑い顔は消え、何時(いつ)になく真剣な表情を浮かべた。

「俺も無理強(むりじ)いする心算(つもり)も無ければ、断る自由もある。

本当に俺と一緒に暮らすつもりなら、もう少し大人になってからでも、遅くはあるまい」

 この男は、()せた自分の事を小娘と思って、バカにしているに違いない……

そのことが、唐突にキルケの頭の中に浮かんで、にわかに苛立ちを覚えずに居られなかった。

 

 

 言葉より先に、キルケの平手がマサキの頬に飛んだ。

「言っていいことと、悪いことがあるわ。

日本人が、こんなに失礼な人種だとは思いませんでした」

思いもしなかった令嬢の激高(げきこう)に、マサキは自身の右ほおに手を当てて、面食らってしまう。

「それとも、東ドイツの時のように、豊満な美女が誘いに来ると期待してたんでしょう。

私みたいな、痩せっぽちの貧相な娘が来て、ショックを受けた。違って?」

 さしものマサキにも、返す言葉がなかった。

 確かに、キルケの体つきは、貧相だった。

バストサイズは、恐らく80センチもないのは、一目見ただけで分かる。

 アイリスディーナやベアトリクスよりも、肉付きは劣っていた。

あの90センチを超える豊満な胸囲(バストサイズ)を、マサキはドイツ女性の基準にしていた節があった。

 だが、水色のドレスに包まれた、彼女の体の起伏は、美しかった。

(くび)れた腰、豊かで肉付きの良い双臀(そうでん)、その煽情さと言ったら、なかった。

「あなたが何度もちょっかいをかけてきても、ダンスでペアを組んで踊るような愚は犯しません」

キルケは、マサキを忌々(いまいま)しげに(にら)むと、一人引き返してしまった。

 

 

 

 困惑する周囲をよそに、帰ってしまったキルケ。

呆然とするマサキの傍に、黒のタキシード姿の白銀が近寄ると、(なぐさ)めの言葉をかけた。

「思いっきりたたかれましたね」

「ああ」

「でも案外、(みゃく)がありそうですね」

何気なしに白銀が言った言葉に、マサキはかすかな胸騒ぎを覚える。

「どういうことだよ」

「嫌よ、嫌よ、も好きのうちと、申しますから」

「何、あのキルケという娘御は気取っていて、俺を叩いたのか」

「その線も捨てきれませんよ」

 

『以前、ユルゲンの妻・ベアトリクスは、俺の(ほお)を二度もぶったな。

ということはつまり……、この俺に()があったという事か』

 

 彼は心に、ベアトリクスの炎のように赤い瞳を浮かべながら、呟いていた。

遠慮(えんりょ)などをせずに……()(ほこ)っていた美しい花を、一思いに手折(たお)っておけば。

まったく……惜しいことをしたものよ」

 

 その言葉を聞いた白銀は、勘違いしてしまった。

マサキは、キルケに一目ぼれしてしまったと。

 

「その気なら、僕がいくらでも手配しますよ」

「フフフ、待たせた娘がいる身の上で、他の女性(にょしょう)に気を奪われるなど……

この木原マサキ、そこまでは(かわ)いてはおらぬ」

そのマサキの言葉を聞いた白銀は、そそくさとその場を後にした。

 

 

 

 白銀が引き上げたのを待つかのように、一人の男がマサキのそばに寄ってきた。

「のろけ話とは君らしくないね。木原君」

鎧衣はいつもの着古しのトレンチコート姿ではなく、黒い蝶ネクタイにタキシード姿だった。

「鎧衣。貴様、いつの間に」

太いドミニカ産の葉巻である「アルトゥーロ・フエンテス」を取り出すとマッチで火をつける。

「商工省貿易局*4の関係者と話をしていてね。どうしても君の手助けが必要だと」

それにつられたマサキもシガレットケースからホープを取り出すと、紫煙を燻らせる。

「東独の案件か」

「わが国の大手ゼネコンが、欧州進出の足掛かりとして……。

東ベルリンの再開発事業に、入札したくてね。

むこうの通産次官と、アポイントメントとを取ってほしい、と。

でも彼は政治局役員も兼ねてるから、警備の関係上、紹介がないと会えなくてね」

「通産次官……」

鎧衣の老練な話術に乗せられてしまったことに、マサキは今更ながら気づいた。

「まさか、アーベルか」

「ご名答」

 

 おそらく、自分の知らないところで話が出来上がっている。

鎧衣はただ、伝えに来ただけだ。 

 こうなっては、もうどうすることも出来まい。

マサキは、覚悟を決める。

「ところで今何時だ」

「まだ20時だよ。夜会の本番はこれからさ」

欧州の夜会は、午前3時ごろまで夜通し続くのが慣例だった。

 

 この際だ。ブレーメ家に電話するか。

おそらく電話口に出るのは、アイリスか、ベアトリクス。

久しぶりに、彼女たちをからかってやろう。

「電話はあるか」

「奥に行けば、プレス用の国際電話ボックスがあるが……」

 

 善は急げだということで、マサキはその場を辞した。

電話ボックスに向かって、小走りで駆けていくとき、白銀とすれ違う。

「博士、こんな時間に、誰に電話するのですか」

「ちょっと野暮用でな。フハハハハ」

明るい灰色の軍服を着た集団といるところを見るとフランス軍か。

マサキは、白銀の方を向かずに、電話ボックスに急いだ。

 

 

 

 

 

 さて、マサキといえば。

彼は報道ブースにある電話ボックスの中にいた。

そこから東ベルリンに国際電話をかけている最中で、ゆっくりとダイヤルを回す。

受話器を右耳に当て、ダイヤルが戻る音を聞きながら、緊張する自身に驚いていた。

 前の世界を含めれば。国際電話など数え切れぬ回数をしてきたつもりだ。

それにゼオライマーから前線基地、他国の戦術機、敵機への呼びかけもなれたものである。

 この世界は戦術機というロボットのおかげで軍事通信技術は超速の発展を遂げていた。

だが民間の電気通信技術は、まるで魔法にかかったかのように20世紀中ごろのままで止まっている。

東ドイツへの電話も交換手を通してではないと無理であり、いちいち東ベルリンにある交換局を通して、ミッテ区やパンコウ区といった住宅地や商用地につなぐ方式だった。

 東ベルリン郊外にある幹部用高級住宅地、ヴァントリッツへの電話は予想以上に時間のかかるものであった。

複数の電話交換手をまたいだ後、やっと目的のブレーメ家に電話がつながった。

 

 受話器を通じて入るわずかな雑音から、マサキは盗聴されていることに気が付いた。

一応、次元連結システムのちょっとした応用で、相手からの録音は出来ないようにしてはあるが、通話相手から話の内容は間違いなく書き起こされるであろう。

何を話すか、あらかじめ決めておくことにした。

 この時代の国際回線経由の電話回線は、電話交換手を通じて、あるいは同一の回線から振り分けられたものを通じて盗聴が簡単にできた。

党幹部であるアーベルには、間違いなく護衛についている。

 シュタージか、軍の特殊部隊『第40降下猟兵大隊』かは、問題ではない。

受話器を握る手が汗でまみれていくのを実感しながら、向こうからの応答を待った。

 

「もしもし」

低い男の声で呼びかけがあったので、マサキはドイツ語で返す。

「もしもし、木原だが……」

その瞬間、受話器の向こうでハッと息をのむ気配がした。

「アーベル・ブレーメを出してくれないか」

「……」

「いないのなら、アイリスか、ベアトリクスでも構わん」

 

 軍人に任官後、国外勤務の多いユルゲンは、アイリスディーナのことを心配した。

自分が国外にいる間は、父の同僚、ボルツ老夫妻では心もとない。

だからブレーメ家に、最愛の妹の面倒を見るように頼んでおいたのだ。

 これはベアトリクスとの結婚前からしていることであり、アイリスも納得済みだった。

また義父のアーベルと義母のザビーネなどは、妹を実の娘のようにかわいがってくれたのだ。

 マサキはそのことをユルゲンから聞いていたので、あわよくばアイリスと電話ができると踏んで、このようなことを無理強いしてみたのだった。

 

 

 向こうで咳払いをする声を聴きながら、だんだんといら立ってきたマサキは煙草に火をつけた。

紫煙を燻らせながら、少し強めに言い放った。

「護衛のデュルクか、だれか知らんが……こっちは国際回線でかけているんだ。

さっさと、アーベルを呼んで来い」

「さっきから聞いてはいるが、君がここまで無礼な人間とは思いもよらなんだ。

それに私の代わりに娘たちを呼び出そうとは何だね」

 電話口の相手はアーベルだった。

マサキは、アーベルに軽くひねられたようなものだった。

流石は、30代で政治局員になる人物である。

役者が違うとは、まさにこの事だった。

 

「九時過ぎに電話をよこすにはそれなりの理由があろう。

まず、どんな要件なのか、言い給え」

アーベルは、マサキを冷たく突き放す。

「フフフ、アーベルか。最初からそう言えよ……。

俺はお前とこの国の通産省に関係のある話がしたくてな……」

相手が驚いている様子に、マサキはニヤリとほくそ笑んだ。

「ここでは邪魔者も多い。来週の木曜日……都合がつくか」

「……」

「まあ、とりあえず俺がベルリンに乗り込むから事前の折衝を頼む。

いつぞやの様に、国境検問所から入るのに2時間近く尋問されるのはたまったものではないからな」

 

 最初の訪問の際は、国境警備隊の検問に対してけんか腰になってしまったのを思い出した。

チェックポイント・チャーリーで、鞄はおろか、ポケットの縫い目まで念入りに調べられたものだ。

あの時は彩峰や(たかむら)がいなかったら、間違いなく騒動になっていたろう。

 

「しかし、君は何を考えているのかね。夜の9時だぞ。

こんな時間に年頃の娘と電話しようなどとは、ふしだらすぎる」

アベールの勢いに気押(けお)され始めたマサキは、逃げるように告げる。

「アイリスに伝えておいてくれ。よろしくとな」

アーベルは、憤懣(ふんまん)やるかたない声で、きっぱり答えた。

「このたわけものが!」

電話越しに聞こえるを怒鳴る声から耳を離して、受話器を勢いよく本体に戻した。

 

 そして会話は終わった。

全く、若い娘がいる家に電話をかけるのがこんなに疲れるとは思ってもいなかった。

 

 今度、ユルゲンやアイリスに携帯電話方式の通信装置を作って、改めて渡すか。

電子部品を買ってきて、簡単なポケットベルの代わりでも作るか……

あるいはショルダーフォンでも準備して、アイリスたちに持たせるか……

 ポケットに入る携帯式の電話を持たせるのもいいかもしれないが、盗難が怖い。

もし、人前で電話などをされたら、さぞかし目立つであろう。

 一応、アイリスたちには次元連結システムを応用した指輪や首飾りを持たせている。

だが一向に使った様子がない。

 思い返せば、彼女たちには、シュタージという送迎付きの護衛が四六時中、傍にいるのだ。

彼らを通せば、ほぼ100パーセント足取りがつかめる。

連絡手段に関しては、マサキは時代ということで後回しにすることにした。

 

 どちらにしても、アイリスディーナは軍隊の中にいる。

休暇中*5のベアトリクスの様に家に行けば、簡単に、いつでも会えるわけではない。

簡単に会えぬとなると、諦めがつくどころか、かえって未練がわくのだ。

一目ぼれして、言いつのった娘だけになおさらだった。

『罠とはわかっていても、このまま引き下がれるものか』

目の前にアイリスディーナの美貌が浮かんでは消えて、狂おしい思いに悩む。

あの娘に再び会いに行けるのならと、マサキは頭に血を上らせ、一人興奮するのだった。

*1
今日の自衛隊准尉に相当。帝国陸軍では昭和7年(1932年)まで准尉官を特務曹長と呼んでいたので、その例に倣って、本作では特務曹長にした

*2
飾緒は今日(こんにち)、参謀のみが用いる印象があるが、野戦用筆記具に由来したものである。帝国陸軍では全将校が儀礼の際に着用した

*3
1830年から1850年ごろに、欧州の社交界で流行した古代ローマを模範とした婦人用ドレスの形式

*4
今日の経済産業省貿易経済協力局

*5
国家人民軍の女性兵士は、階級に問わず男性より8週間多く休暇が取得できた




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ライン川の夕べ 後編

 キルケがあった謎の東洋人、木原マサキ。
彼女は国家のためにマサキに近づくも、物おじしない彼に興味を持つ。
一方マサキも、キルケを西ドイツ工作への足掛かりにすべく、彼女に近寄った。


  軍楽隊の(かな)でる音楽の中、ドイツ軍将校団の表情は優れなかった。

皆一様に暗い表情を浮かべ静かに酒を飲んでいた。

 そんな中、二人の男が、夜会の端の方で話をしていた。

「なあ、あれが噂に聞くゼオライマーのパイロットか」

脇にいる黒髪の偉丈夫(いじょうふ)は、金髪の髪を短く刈上げた男に応じる。

「ああ、あの20そこそこの青年将校だが、先頭に立ってBETAの中に切り込んでいったらしい」

「大分浮かぬ顔をしている様子だな」

「何かあったのだろう」

「なあ、バルク。君はどう思う?」

「隊長、何がです?」

 

 金髪の髪に、緑色の目をした、将棋の駒の様な顔の男。

彼の名は、クラウス・ハルトウィック上級大尉。

常に屈託(くったく)を顔に浮かべ、女にもてたことのなく、けっして誇大な話はしない。

 ただ大尉の身の上でありながら、 西ドイツ軍の戦術機隊長であった。

戦術機部隊を、米軍の協力を得て一から立ち上げた人物である。

世人は、『現代のグーデリアン将軍』と、彼の事をそやした。

 

 黒髪に、茶色い瞳をした、鬼瓦のような顔の偉丈夫は、ヨアヒム・バルク大尉。

戦術機部隊立ち上げ時からのメンバーで、優秀な衛士だった。

だが、彼の好色(こうしょく)行状もすこぶる派手で、上層部の手を焼かせた。

 

 

「バルクよ。我々の作戦は成功したんだろう。

なのに、この暗さは何だ」

「……」

バルクは、グラスに入ったワインを一気に飲み干すと小さくため息をつく。

「まぁ、なんというか……正直こんな気分では酒も美味(うま)くないですね」

「ふむ、確かにそうだな。私も全く同じ気持ちだよ」

 

 二人はしばし、感慨にふけった。

既にソ連もKGBも弱体化した。残すは火星と月に居るBETAだけなのだ。

宇宙怪獣BETAの巣を、元から退治せねばならないのは、分かってはいる。

 だが、場所がいかんせん遠い。

地球外なのだ。

 しかも、その巣には恐らく奴らの前線基地の一つがあるのは間違いないのだ。

今更ながら、何故人類はこの手遅れになるまで放置してしまったか?

 

「我々は本当に勝ったと言えるんでしょうか?」

 バルクの言葉に、男は(かぶり)を横に振ると、グラスに残ったワインを飲みほす。

彼は、グラスをテーブルに置くと、バルクに向かってこう言った。

「いや、まだだ。奴らが居なくならない限り、勝利とは言えまいよ」

まっすぐ正面を見つめる緑色の目には、どこか愁いを帯びていた。

 

 

 キルケの興奮は、未だ冷めやらなかった。

「家やお祖父(じい)さまのためとはいえ、蛮人(ばんじん)の住まう見知らぬ場所に……

極東(きょくとう)(はな)小島(こじま)などには、行きたくありません」

キルケの激情を込めた訴えに、シュタインホフ将軍は彼女の両手をつかみ、(さと)す様に話しかけた。

「キルケ、博士はわざわざボンにまで来てくれたのだよ。

それを、お前は何と言う事をしてくれたのだ……訳を教えておくれ」

祖父のしずかな瞳は、やがてしげしげとキルケの面を見まもっていた。

「私は、たしかにゼオライマーという機体が、わが国に必要なのは十分理解しているつもりです」

 彼女は、乾いた唇をなめた。

もう何を語っても大丈夫と、思ったものであったらしい。

「でもあの男から、何かうすら寒いような、不気味(ぶきみ)なものを(おぼ)えるのです……」

それ以上言葉が出なかった。

彼女も思うところがあったのであろう。

 

 キルケの背後から、低い男の声がした。

御令嬢(フロイライン)、君の言う事はもっとだ。だが若いゆえに、君は日本人の本当のおそろしさを知らぬ」

 キルケが振り返ると、そこには、背広姿の矍鑠(かくしゃく)とした老人が立っていた。

こうもり傘の柄のように曲がった持ち手の杖を持ちながらも、ピンと伸びた180センチを超える背筋。

年齢にそぐわぬ厚い胸板と隆々(りゅうりゅう)とした肉体からは、この男が只者でないことを感じさせた

 

 シュタインホフ将軍たち、将校団は整列をすると一斉に敬礼をした。

男は国防軍式の敬礼を返した後、再びキルケの方を振り返る。

「いささか昔の話をするのだがね……日本人は一旦怒らせると簡単には怒りを解かない。

こんな話、まだ君にはすこし難しかろう」

あいまいな表情をするキルケの方を向くと、笑い顔を見せた。

 

「どういうことですの。言っている意味が分かりませんが……」

「私はね、台湾に亡命した蒋介石(しょうかいせき)政権の軍事顧問を務めていたことがある。

なので、日華事変(にっかじへん)にかかわり、国府軍の実態を知っている。

我らによって近代化され、200万の精兵を誇った(そん)逸仙(いつせん)*1の政府軍。

そんな彼等が、わずか20万もいない日本軍によって上海(シャンハイ)から蹴散らされ、(みじ)めに重慶(じゅうけい)の山奥まで落ちのびた話をさんざん聞かされたものだよ」

そういうと、男はキルケに、ドイツの軍事顧問団の長い歴史を語り始めた。

 

 

 支那へのドイツ軍事顧問団とは、中独関係の戦前から続く秘密工作である。

時代は、第一次大戦の敗戦にさかのぼる。

ドイツは国内の赤化革命によって、その戦争を中止せざるを得ず、本土決戦を回避した。

皇帝の退位やソ連との講和で一定のけじめを付けたが、国土は無傷で、多数の兵力が残される結果になった。

 ベルサイユ講和会議において、厳しい賠償を請求されたドイツは国軍を縮小せざるを得なかった。

だが、賠償の支払いのためには外貨が必要だった。

そこで目を付けたのが、軍事顧問団、今風にいえば、人材派遣業である。

まず手始めにソ連赤軍の近代化をし、中南米の戦争に参加した後、帝政時代からつながりの深い支那に軍事顧問団として参加した。

中独合作の名目で秘密裏に送り込まれていたドイツ軍事顧問団は、1930年代末まで続いた。

 

 第二次大戦の敗戦により解体した国防軍(ヴェアマハト)の将校たちは、再び海外に活路を求めた。

第一次大戦後に海外に軍事顧問団として参加した(ひそみ)(なら)って、エジプト、独立直後のシリアなどへ出掛けた。

 国共内戦で台湾に落ちのびた国民革命政府軍は、ソ連によって支援され組織化された人民解放軍に敗れ去った。

そのことを反省し、かつての敵国である日本に秘密裏に頼った。

 富田直亮を代表とする、非公式の日本人軍事顧問団。

83名の彼等は、富田直亮の支那名、白鴻亮から白団(パイダン)と名乗った。

金門島防衛などの一定の成果を上げ、国府軍の増強を成功させた。

 彼らの活躍を見た西ドイツ軍は、1963年より再び秘密裏に軍事顧問団を組織して、退役扱いにした将校たちを送り込んだ。

正式名称を「明德專案連絡人室」というもので、それが世に言う「明德小組(ミンティグルッペ)」である。

 

 

 

 

「閣下、失礼ですが……。

あの恐ろしい科学者、木原を説得し、われらの陣営に引き込むことが出来ましょうか……」

「いや、できる!」

 老人は、思わず、満身の声でいってしまった。

「わがドイツ、6000万国民のために、その身を捧げてくれまいか」

杖をもって、大地を打ち、老人は、キルケに深々と頭を下げた。

 

 その言葉を聞いた瞬間、キルケの体が一瞬震えた。

シュタインホフ将軍は、力なく垂れている孫娘の両腕を右手で握りしめると、

「キルケ。わしからも頼む。この通りじゃ」

老将軍は、肩を震わせ、枯れた声で語った。

 

 キルケは、ちょっと、うつ向いた。

(たま)のような涙が(ゆか)に落ちる。

「軍学校の門をくぐったときから、すでにこの身は祖国のためと覚悟はしておりましたが……」

だが、やがて面を上げると、告白を始めた。

「喜んで、お引き受けいたしましょう」

周囲が驚くほどに、きっぱりいった。

 そして、覚悟のほどを改めて示す。

「もし、失敗いたしましたら、その時は、笑って死にましょう。

この世にふたたび、女の身を受けて生まれては来ません」

 凛々(りんりん)とした態度になると、両肩の露出したロマンチック様式のドレス姿のキルケは立ち上がる。

足首まである水色のドレスの長い裾を持ち上げて、慇懃(いんぎん)膝折礼(カテーシー)をして見せた。

 

キルケが出ていくのを待ちかねていたように、男は後ろに待ち構えていた将校団を呼び寄せる。

「このBETA戦争の時代にあって、我らは、本当の自立を得たのかね」 

男の前に歩み出たシュタインホフ将軍は、しいて語気に気をつけながら、

「国際外交という場は、敗者には残酷(ざんこく)な世界ですから……」

「我らもこのままいけば、三度(みたび)敗者になるのだよ、シュタインホフ君」

 男の言葉は、敗戦の恥辱を知る者には苦しかった。

シュタインホフとしても、すでにヴァルハラで待つ戦友を想うことも、それを心の底に(かく)していることも、はらわたの千切れる様な思いだった。

「ソ連が弱体化した今、いずれは欧州の地から米軍も去ろう。

そして、いやおうなしに自立化が求められる。

その為には、核抑止力に匹敵する戦力が必要なのだよ」

男の言を聞いたシュタインホフは、愁然(しゅうぜん)としたきりであった。

「しかし連邦軍(ブンデスヴェア)は前方展開において米軍に攻勢打撃力を依存してきた軍事編成……。

また国民感情として現段階での核保有も、核搭載の原子力潜水艦も厳しかろう。

BETAに対しても核攻撃は最初のうちだけで、奴らも光線級という対策をしてきた。

ソ連の様に特別攻撃隊をもって核爆弾を送り届けるにしても、敵の数が多すぎる……」

 

 

 

「対外戦争の禁止という原則を掲げるボン基本法26条に準拠した、連邦軍の専守防衛姿勢。

そして、あらゆる核戦力の製造と持ち込み、配備を禁止した非核三原則……

この政策を変えぬ限り、わがドイツ民族は米ソから、いや、敗戦のくびきから自立できまい」

 

 ボン基本法とは、1949年5月8日に制定された西ドイツの暫定憲法の事である。

憲法制定の日、5月8日とは、ドイツ第三帝国が城下(じょうか)(ちかい)を受け入れた日でもあった。

 我々の世界の日本国憲法が制定されたのは、1947年11月3日である。

11月3日は、明治大帝の御誕生日、つまり天長節の日であった。

憲法典一つ見ても、日独の扱いは、これほどまでに違っていたのだ。

 

 男は、このとき火のごとき言を吐いた。

「このままいけば、民主主義が残って国が亡びるという状況が眼前に広がろう……」

シュタインホフはじめ、人々もそれに打たれて二言となかった。

 

 

 さて、マサキといえば。

大広間の端の席で、白銀たちと酒を酌み交わしていた。

「それより博士、もう少しでダンスが始まるのですが……

どうしますか」

と、白銀は、マサキの顔いろを見ながら言った。

「しかし、暢気(のんき)な連中だ。

宇宙怪獣との戦争中だというのに、ダンスパーティなどとは」

すると、(あん)(じょう)、彩峰は不快の色をみせて、

東独指導部(ノーメンクラツーラー)の令嬢と(たわむ)れていた貴様が言える立場か」

と、マサキの顔を目で(はじ)いた。

「それより彩峰よ、美久はどうした。さっきから姿が見えないが……」

氷室(ひむろ)君なら、(さかき)の事を、あれの(めかけ)と一緒に抱えて控室の方に下がったぞ」

「肝心な時にいないとは、本当に使えぬ女、ガラクタだよ」

「博士、いくら氷室さんと男女の仲とはいえ、それは言い過ぎではありませんか」

 白銀の言う事にも、一理ある。

マサキも、これはすこし自分の方が悪く取りすぎていたかと思った。

「勘違いするな!

俺と美久は、男女の仲などという簡単な関係ではない」

 

 ゼオライマーの最大の秘密。

それは、氷室美久が、次元連結システムを構成する部品である、と言う事である。

形状記憶シリコンの皮膚に(おお)われ、推論型AIという電子頭脳のおかげで、まるで人にしか見えない。

そんな彼女が、アンドロイドであることは秘中の秘であった。

 マサキにとって、確かに前の世界から来た唯一のパートナーであることは間違いなかった。

だが、自分の作った芸術作品の一つであることは、彼にとって疑いのない事実である。

 だんだんと酒で思考が衰え、理性が薄れてきたのを実感したマサキは、

「それに美久との話は、もうお終いだ。せっかくの酒がまずくなろう」

と、その話題から逃げるようなことを言う。

 マサキの屈託(くったく)を気にせずに、白銀は尋ねた。

「それより博士、さっきから西ドイツの将軍のお嬢さんが来てますが……。

声をかけてやった方が」

 

 

 ちらりと、キルケを一瞥(いちべつ)する。

くっきりとした彫りの深い美貌(びぼう)は、どことなく華やかな感じを受ける。

確かにスリムで小柄ではあるが、胸や腰などの全体的なバランスは本人が言うほど悪くはない。

「やはり女は、あの様に(うれ)いを(たた)えた顔が美しい……」

 キルケを見るよう促して、開口一番、周囲を驚かせるようなことを口走る。

アイリスディーナの件で周囲に迷惑をかけたのにもかかわらず、悪びれる様子もない。

「そう思わぬか」

マサキのそんな言葉に、白銀は、彩峰と顔を見合わせ、

「え、それは……」

と、たがいの戸まどいを、ちょっと笑顔のうちに溶かしあった。

 

 いつものマサキらしからぬことをいう様に、感動しきった口調である。

先ほどのスコッチウイスキーで頭が(しび)れているのだろうか。

 白銀は思わず、人目もはばからずにため息をついた。

マサキの言動は、幾多(いくた)の死線の乗り越えてきた工作員の心を戸惑わせるほどであった。

 

 

諸々(もろもろ)ありがとうございました。彩峰大尉殿。

改めて自己紹介いたします。

ドイツ連邦軍のキルケ・シュタインホフです。

日本に関し、いっこう不案内な若輩者(じゃくはいもの)ではございますが、今後ともよろしくお願いします」

と、彼女はまず彩峰を拝して、あいさつを先にした。

「ねえ、ヘル*2・木原……、さっきのお()びでなんだけど、踊らない」

マサキは、磊落(らいらく)に応じる。

「すまぬが、俺は、踊りが不得手(ふえて)でな……」

一応マサキに気を使って、愛想(あいそう)良く受け答える。

「その辺は、将校の私がリードしますから……」

 脇で見ている白銀たちは、ハラハラしていた。

キルケの横顔が傍目(はため)に見てひきつっているのが分かるほどであったからだ。

 キルケからの誘いを鼻先でせせら笑いながら、追い打ちをかけるようなことを口走る。

「くどい!」

キルケは彫りの深い顔を真っ赤にさせながら、叫んだ。

「失礼しました」

その場を収めるべく、白銀は立ち上がって、立ち去ろうとするキルケの右腕をつかむ。

御嬢様(フロイライン)、僕でよければ」

その際、左手に持ったグラスをマサキに渡して、広間の中央にエスコートしていった。

 

 マサキは気の抜けたシャンパンを飲んでいると、彩峰が肩をたたいた。

「木原よ」

 礼装姿の彼は、そういうとマサキの左肩から手を離す。

マサキは振りかえって、彼の方を向く。

じっと、彩峰の真剣な顔を見つめた。

「一つ忠告してやる。こういう場での、女からの誘いは受けるものだ」

そういうと、唖然(あぜん)とするマサキの前から去っていった。

 

 

『この宴席の場を壊すような真似(まね)も、考え物か』

 そう思いながらマサキは、アイスペールから取り出した冷えたビールをグラスにあける。

グラスを持ったまま、ゆっくりと白銀の方に進み、バドワイザー・ビールを進めた。

「なあ、白銀よ。バドワイザーでも飲まぬか」

 

 白銀はマサキから渡されたビールを貰うと、即座にその場を後にする。

開いた右手で、キルケの右腕をつかむなり、

「俺のようなつまらぬ男と踊って、後悔したなどと申すなよ」

そのまま、滑るようにして、広間の方に導いていった。

 

 

 二人は、周囲の喧騒も気にならぬほど、軍楽隊の演奏に合わせ、陶然(とうぜん)と踊っていた。

空色のロマンチックスタイルのドレスの裾を(ひるがえ)しながら、キルケはマサキに顔を近づける。

彼の耳元で、そっと(ささや)きかけた。

「あなたの事をなんて、お呼びすれば、良いかしら。

博士(ドクトル)、それとも特務曹長(オーバー・シュターバー)*3……」

娘御(フロイライン)よ、俺は、普通(ただ)の日本人で、つまらぬ男さ」

「フロイラインじゃなくて、私には、キルケという名がございます」

「初対面の俺に……名など教えてしまってよいのか」

それを聞いたキルケは、大きな目をキラキラとかがやかせながら、熱っぽく尋ねる。

「どうして」

「知らぬ男に名を教える。

つまり男女の名を知るというのは、それ以上の事を望んでいるといっても過言ではないのだぞ」

その言葉に心をくすぐらされるも、キルケにはあまりにも現実離れしているように感じた。 

「まあ、俺だから良いものの、それくらい大変な事なのだよ」

マサキは、にこやかに答えていた。

 

 

 間近でキルケを(なが)めるていると、その魅力に引き込まれそうになる。

透けるような色白の肌は、光沢できらめく長い黒髪を一層引き立たせた。

「怪獣やタルタル人*4(たわむ)れるのが好きな田夫野人(でんぷやじん)とばかり思ってけど……」

 キルケは陶然とした目で、マサキを熱心に見入る。

長い睫毛(まつげ)を、時折(ときおり)上下に揺らしながら、

口説(くど)き文句も、中々のものね」

「お前が、そうさせたのではないか」

マサキは、そんなキルケの答えを、一笑に付した。

 

 性格はきついし、口も飛びぬけて悪い。

しかし、(くや)しいほどに(すこぶ)()きの美人なのだ。

 正直に言えば、キルケに半ば期待しているところがある。

マサキは、そんな自分に驚いていた。

 

 だんだんと踊るうちに、キルケは鼓動の高まりと全身の血が熱くなっていく様に戸惑っていた。

ときめきとも取れる様な、不思議な感覚に陥っていくことに。

 ひっきりなしに鳴り響く、軍楽隊の演奏に熱狂してしまったのだろうか。

いや、それは違う。

なぜならば、今宵(こよい)曲目(きょくもく)は、ロンドンで流行っているパンク音楽などではなく、18世紀の古典音楽(クラシック)

静かな音色で興奮するのは、目の前にいる謎めいた男に引き込まれたのに、相違ない。

 この漆黒の髪と深い琥珀色(こはくいろ)の目をし、恐ろしいほどに傲慢(ごうまん)な男。

キルケに対して決して謙遜(けんそん)したり、(おもね)ったりしない青年将校は初めてだった。

 自分が負い目に感じている出自を(かえり)みずに、好き勝手振舞う。

その様に、だんだんと()かれていくのを彼女は実感していた。

 

『いま、裸のままの自分を受け入れてくれる男は、西ドイツに、いや欧州の社会にいようか』

 キルケが内心に(いだ)いた、不思議な感情。

彼女自身には、それが(あわ)い恋心なのか、尊敬であるのか、それとも憧憬(しょうけい)であるか。

判別が、つかなかった。

 

 

 

「木原は、律義(りちぎ)な男とみえる」

 遠くから二人の様子を見ていたシュタインホフ将軍は、すっかり()れこんだふうだった。

『西ドイツ軍の衛士たちにくらべて、その人品も劣らず、ずっと立派だ』

などと彼はマサキをより高く値ぶみしていた。

 

 上機嫌なシュタインホフは、日頃よりかわいがっているバルクたちを呼び寄せると、

「ここだけの話だが」

と、キルケに関するいろんな機微を、予備知識として洩らしてくれた。

 いま政府の方では、米軍が開発中の新型爆弾で、もちきりだという。

新型爆弾の配備が実現するまでの間、空白期間を埋めるためにゼオライマーを使う。

 それにあたって、設計者の木原博士の機嫌を取るために、女性を仕立てる。

特に、娘*5や若い人妻(ひとづま)などをすすめることになっている。

だが、まだそれぞれ人選中で、情報機関が、働き出すまでにはいたっていない。

「木原博士は……、本当に、よい機会に、ご訪問にあったものといってよい。

ボンにおいでなさったら、ぜひ、キルケを推挙(すいきょ)申し上げるつもりでおった」

老将軍はそんなことまで言ったりした。

 

 バルクは、たまらない不安を、シュタインホフに()らした。

「じゃああれですか。

ゼオライマー獲得のために、将軍は、お孫さんを(ささ)げようっていうんですか。

あんまりじゃ、ありませんか」

 不快をしめすように、バルクは語尾を強めた。

ともなっていた微笑は微笑にならない顔に、(ゆが)みを作った。

いつも気にならないバルクの鬼瓦のような顔が、こんなにも老将軍の眼にかなしく見えたことはなかった。

「しかし参ったな。こういう時にユングの奴でもいればな」

「君の同級生の、アリョーシャ・ユング嬢か。

たしか彼女は、連邦情報局員で、東ベルリン勤務だったよな」

「はい。彼女は常設代表部の職員として東ベルリンにいましたが、今は外務省に出向し……」

 

 バルク大尉の発言に出てくる常設代表部。

その機関は、東ドイツにおける西ドイツの外交業務をする事務所である。

 名こそ「ドイツ連邦常設代表部」であるが、その実態は西ドイツ大使館であった。

また東ドイツ当局も、事実上の大使館と認めていた。

 これには理由があった。

1968年にウルブリヒトら指導部が決めた憲法が原因である。

1968年憲法第8条の条項、特に統一の要件にこう書かれたためである。

「ドイツ民主共和国とその国民は、民主主義と社会主義を基礎として統一されるまで、二つのドイツ国家が徐々に和解することを目指す」

第8条が制定された時点で、東西ドイツの問題は解決済みという立場を取っていたのだ。

 

老将軍は、注意ぶかく、窓のそとを見て。

「外務省だって。それで、どこに……」

「米国の、ニューヨーク総領事館に勤務しております……」

「なぜだね」

バルクは少し戸惑ったのみでなく、老将軍のいつもにない怖い顔つきも、ふと気にかかった。

「東の戦術機隊長、ベルンハルト中尉がニューヨーク総領事館の武官を務めています。

彼との接触を(はか)る目的で……」

 

 それまで黙っていた、ハルトウィック上級大尉が口を開く。

「例の色男(いろおとこ)!ユルゲン・ベルンハルトか」

 バルクの直属上司である彼は、同じような立場であるユルゲンに対抗意識を持っていた。

自分になくて、彼にあるもの。

 (うらや)むような金髪に、人を引き付ける様な、(うれ)いを(たた)えたスカイブルーの瞳。

ギリシャ彫刻のごとしと形容(けいよう)できる、()りの深い美貌(びぼう)であった。

 

 

 一言のもとに、ハルトウィックはその人物までをけなし去った。

「BNDは、東の美丈夫(びじょうふ)を誘い込むのに、デートクラブの真似事(まねごと)までするのかね。

それでは、赤匪(せきひ)の連中がやっている色仕掛け工作と何も変わらぬではないか!」

一層(いっそう)バルクは、慇懃(いんぎん)に答える。

「ごもっともです」

 なにがおかしいのか、いつまでも肩をゆすっているふうだった。

さすがの彼もあきれていたのか。

「…………」

ふと黙った。ハルトウィックがである。

 

 やがて、ハルトウィックは、ぷっつり言った。

「自由社会を守る組織が、なぜそのよう汚い仕事に従事するのか、理解できぬ」

人をそしるおのれにも、嫌厭(けんお)をおぼえてきたように。

*1
欧米で一般的な孫文の号。日本では(そん)中山(ちゅうざん)の方が有名

*2
Herr.ドイツ語の男性への敬称。もとは支配者や領主を指し示す言葉であった為、東ドイツでは忌避された

*3
Oberstaber.Oberstabsfeldwebelの短縮形で、上級幕僚下士官、准尉官を意味する

*4
Tartar。韃靼人のドイツ語。原義はモンゴル人の事であるが、ロシア人への蔑称でもある

*5
独身の女性を指し示す言葉




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F5採用騒動 前編

 マサキは、仏軍との朝食会で、とある人物と知己(ちき)を得る。
その際、科学者であるマサキが最前線に出ることを(いさ)められた。
マサキが戦う真意とは、如何(いか)に……


 晩餐会の翌日、マサキは朝風呂を浴びていた。

そして、いつもとの片頭痛(へんずつう)とは違う、頭痛にひどく悩まされていた。 

 やはり、違う種類の酒を、まぜこぜに飲んだせいであろう。

日頃、酒を飲まない彼に、二日酔いの頭痛は堪えた。

 

 何より、西ドイツのキルケと名乗る少女との一時の逢瀬もあろう。

マサキにとっても、キルケのような娘は久しぶりに心を惹かれた女性である。

 初対面で平手打ちをされるなどと言う事は、彼にとっては、骨髄(こつずい)(てっ)するほどの、衝撃だった。

ベアトリクスに叩かれたときは、ゼオライマーに強引に乗せようとしたためであったので、自分が悪いのはよくわかっていた。

マライに煙草を進めたとき、嫌な顔をされたのも彼女が喫煙習慣がなかったためであるのを知って、納得していた。

 

 このキルケの(おそ)れを知らぬ態度に対して、興味を持たなかったかと言えば、うそになる。

確かに、あまり豊かではない東ドイツ人*1の標準的な身長のマライより小柄で、スリムな体系にショックを受けたのは事実だ。

彼女に男が近寄らなかったのは、背が低く、()せていて胸がないからではない。

あの老将軍の強面(こわもて)を前にして、(めと)りたいなどという勇気がなかったからではないか。

 

 さしものユルゲンですら、たじろいたであろう。

もっとも、あの男は自分の妻や妹を基準に、女を選ぶ(ふし)がある。

なので、背丈が低く、胸の小さいキルケは、まず見た目で除外されよう。

 思えば、マライも着痩(きや)せするタイプではなかろうか。

でなければ、巨乳(きょにゅう)好きのユルゲンと男女の仲にはなるまい。

 ユルゲンの確認を取らずに、わがものにしていれば……

マサキは、()しい事をしてしまったと、一人心の中で悔やんだ。

 

 

 マサキは、その様なことを思い悩みながら、たくましい青年の体に、熱い湯を浴びる。

「今日はゆっくり出来るんだろうな……」

脇で、彼の背中を流す美久に予定を尋ねた。

(さかき)次官と一緒に、フランス軍関係者と、食事の予定になっています」

「キルケとか言ったな。

あの娘と、遊び疲れたからと言って、断れ」

 思わず振り返ると、美久は一瞬言葉を失ったかのようになる。

「ええ、それは先方(せんぽう)には、あまりに無体(むたい)では……」

驚く美久にかまわず、ザブっと熱い湯を頭から浴びなおした。

 

 そのようなやり取りをしているとき、風呂場に入ってきた者があった。

護衛(ごえい)兼通訳の白銀(しろがね)は、大童(おおわらわ)で入ってくるなり、

「先生、10分で支度(したく)してください」と声をかける。

 

 湯気(ゆげ)が満ちていて、視界が奪われていたことは、美久には(さいわ)いだった。

咄嗟(とっさ)に、壁に掛けてあったバスタオルをつかむと両腕で体を(おお)い、奥の方に引っ込んだ。

 だんだんと湯気が晴れ渡ってきたとき、乳白色の裸身が浮かび上がる。

白銀は、自分のしたことを後悔(こうかい)した。

 耳まで赤くした美久の姿を一目見て、彼女から目をそむけてしまう。

「先生、20分差し上げますから早いとこ、すましてください」

赤裸(せきら)で椅子に腰を落としていたマサキは、ただただ苦笑するばかりであった。

 

 

 さて、マサキたちは、予定より30分遅れて朝食会の会場に来た。

大臣から苦笑され、榊と彩峰(あやみね)には侮蔑(ぶべつ)の目を向けられるも、いつもの如く不敵(ふてき)の笑みで返した。

 フランス政府関係者との食事は、北欧風の「スモーガスボード」と呼ばれるものであった。

冷たいハムやサラミ、塩や酢漬けの魚類。ぬるいコーヒーに、硬くすっぱい黒パン。

朝から並ぶワインに、ぬるい常温(じょうおん)のビール。

 それらはドイツでは当たり前で、朝晩とも、この「冷たい食事(カルテスエッセン)

朝食に温かい食事をとるのが当たり前だった、彼にとって非常に不満だった。

 

「しかし、冷えた食事を出すなど、支那(しな)だったら大喧嘩の元だぞ」

と心にある不満をぶちまけた。 

 

 マサキが前の世界で長くいた支那では、常に温かい食事が一般的だった。

市井(しせい)()ばかりではなく、軍隊でも同じである。

 支那兵たちは寒冷な気候も相まってか、冷えた食事を、伝統的に、極端に嫌った。

野戦でも(かまど)を作って、常に温かい食事を取った。

 そばがゆにしろ、麦の雑炊(ぞうすい)にしても温かければ喜んで食べた。

日本人の様に握り飯に漬物(つけもの)などでは決して口にせず、炊煙(すいえん)を気にせず食事を準備した。

支那事変の際、帝国陸海軍は支那人捕虜(ほりょ)の食事にも非常に苦労したものである。

 

 

 

 それに東洋人である自分が、北欧のゲルマン系の様に冷たい肉など食えば、体調を狂わせる。

産業革命の産物とは言うが、如何(いか)にドイツが貧しい国だったかを示す事例ではないのか。

 思えば、ドイツは貧しい国だった。

人口増加の著しかった中世において、ドイツは常に飢饉(ききん)に襲われていた。

また地方領主が税収の為、パン焼き(がま)や小麦を()く水車小屋の使用料が重くのしかかったのもあろう。

 その料金は、持ち込んだ穀物(こくもつ)の16分の1と、高額であった。

農民にとって、日々の生活に欠かせない(かま)石臼(いしうす)のために貴重な食料を差し出す。

文字通り、死活(しかつ)問題であった。 

 その為、パン焼きは週に一度から数か月に一回ほどに減らされて、水分を飛ばした硬く焼しめたものが好まれた。

今日、ゲルマン諸国で、シュロートブロートとして伝わるものである。

 

 

 マサキは食事をほどほどにして、暖かいコーヒーで唇を濡らすと、

「美久、後でアイリスに(めし)()(かた)でも教えてやれ。

俺は、こんな()えた飯ばかり食うて、病気にはなりたくないからな。

こんな暮らしをしていては、どんな男でも、()(ちが)うであろうよ」

 

 脇に座る美久は思わず顔を上げる。

薄く笑っているが、(ほお)強張(こわば)り、視線を斜めに下げるほどであった。

「あまり、皆様を困らせない方が……」

「お前の()いた麦飯(むぎめし)に、()(じゃけ)を載せた茶漬(ちゃづ)けなどの方がマシだ。

こんど永谷園(ながたにえん)即席(そくせき)茶漬け*2でも用意しておけ」

 美久の頬が、さっきより赤くなっていることに気が付いたが、あえて無視する。

(ひたい)に手を当てて、わざとらしく哄笑して見せた。 

「フフフ。そう()ねるな」 

そんな彼等の様を、彩峰は(にら)む勢いで視線を飛ばした。

 

 

 マサキが、けだるそうに煙草をふかしているとき、声をかける人物があった。

稀代(きたい)の知日家として知られる、フランス首相*3であった。

壮年(そうねん)のこの男は、若かりし頃、陸軍将校として勤務し、軍部に人脈があった。

また青年時代は、フランス共産党員でありながらハーバード大学にも留学するなどと、政治の世界を自在に泳ぐ優れた直観力の持ち主でもあった。

 

 濃紺のチョークストライプのスーツに、ベークライトの茶色い縁の眼鏡をかけた黒髪の男。

日本風に会釈(えしゃく)をした後、ゆっくりとした調子で語りかけてきた。

「ムッシュ*4・木原、どうして科学者のあなたが矢面(やおもて)に立たれるのですか。

天のゼオライマーというスーパーロボット、そして新型の機関、次元連結システム……。

あなたに、(まん)(ひと)つの事があれば……

この世界は、(ふたた)び、崩壊(ほうかい)危機(きき)(ひん)するのですよ」

 マサキは、通訳をする白銀の言葉を待たずに返答する。

彼に対して、ずけずけと自分の意見を言った。

「それは、この木原マサキという男が、つまらぬ科学者だからだよ。

ロボット工学の科学者だからこそ、遺伝子工学の科学者だからこそ。

俺はルイセンコの似非(えせ)学問で、近代科学を軽視したソ連社会主義が許せない。

BETAという宇宙怪獣に、40億の労働力が(むさぼ)られるのが、我慢(がまん)できない。

ただ、それだけの事さ」

 首相の眉が得心を見せると、マサキは、その問題をまだ語り尽していないように、

「それに」

と、急いで言い足した。

(だい)の男が、女子供を矢面(やおもて)に立たせて、後ろで研究開発なぞする振りをして(かく)れんぼをする。

実に、情けないではないか。

あのようなゴム製のスーツを着て、満足な稼働時間もない、薄ぺらな装甲板のロボットに()いた女性(にょしょう)を乗せる。

実に、(みじ)めではないか」

首相は、初対面の彼から、いきなりこれをいわれたので、つい目をキラと赤く(うる)ませてしまった。

「妻や娘が、仮にいたとしても、俺は差し出すような真似はせぬ。

場末(ばすえ)娼婦(しょうふ)でも着ない服を身にまとい、そんなガラクタで怪獣退治をさせるなど……

まったく、恥ずかしくて出来ぬわ」

と、マサキは声を上げて、笑い捨てた。

「男が勝負をかけるには、常に全力投球でなければならない。

BETAという怪獣退治は、100点満点のロボットでやらねばならない」

 そう話す、マサキは、自身に興奮を覚えていた。

「10点、20点と段階を踏んで、最後に100点などでは遅い。

ここぞというときに、救ってやらねばならぬ存在や守るべきものがあるのではないのか。

違うか」

マサキは、しんから言った。

「この世界の科学者どもは、時間をかけすぎる。

救うべき命や富、貴重な文化。国土や資源も失われてからでは遅い……

だから貴様らが救えぬようなら、この俺が地球ごと分捕(ぶんど)ることにしたのよ」

 

首相はマサキの話を聞いているあいだに「うむ」と、二度ほどうなずいていたが、

「ムッシュ木原、ではあなたは今の婦人解放運動(ウーマン・リブ)にも反対だと」

と、マサキは、彼のせきこむ語気をさえぎった。

「ああ、そんな事は、象牙(ぞうげ)の塔に住まう鴻儒(こうじゅ)どもの絵空事(えそらごと)にしかすぎん。

そもそも男女は、その成り立ちは脳からして違う。一緒には出来ぬ」

と、マサキがこのとき、婦人解放運動に()って男女平等を尊重する意志などはちっともない。

そんな語気を出したので、将校はみな彼へ疑惑の眼をそそぎかけた。

「人種もそうだ。白色人種、黒色人種、黄色人種……

筋肉量も違えば、脳の大きさ、特定の毒物の耐性、IQも人種ごとに異なる。」

しかし当のマサキは、そんな瑣末(さまつ)を気にしていなかった。

 

初対面だった首相は、このとき、マサキという人間に、一見、よほど感じたところがあったらしい。

「ムッシュ木原、よおく分かりました。

では、我らの話を聞いていただけますね」

「よかろう」

「わが国の航空機メーカー・ダッソーにおいて、開発された新型戦術機……

ミラージュⅢに、関してですが……」

そういって、彼の秘書官から資料を受け取る。

 

 

 欧州の陸軍国、フランスにおいて開発された、最新機ミラージュⅢ。

その機体は、F-5フリーダムファイターを元にした戦術歩行戦闘機の一種である。

 

 F-5フリーダムファイターに関して、ご存じではない読者もいよう。

ここで、改めて説明をしたい。

 1973年に始まった、BETA戦争における戦場の花形、戦術歩行戦闘機F-4ファントム。

この現代の騎兵は、ソ連機MIG-21に多大なる影響を与えた事がつとに有名であろう。

 だが、このF-4ファントムの電子戦装備や、高価格な機体。

生産能力を持たぬ自由陣営に属する諸国は二の足を踏んでしまった。

日本や英国、金満国である帝政イランともかく、後進国のパキスタンやエチオピアでは整備すら難しい。

共産圏と対峙する韓国、台湾、南ベトナムなどの国家への配備も進めなくてはいけない。

 

 事態を重く見た米国政府は、急遽(きゅうきょ)ノースロック*5社で開発を進めていた練習機に着目する。

新人衛士の訓練機であるT-38タロンを基に新型機を採用し、世界各国に特許情報を公開した。

 その機体こそ、F-5戦術機である。

17.3メートルと小型で軽量な機体は、欧州戦線で高く評価され、フリーダムファイターの名を得た。

 

 木原マサキが、F-5フリーダムファイターを初めて見たとき、その姿を(なげ)いた。

50メートルを(ゆう)に超え、総トン数500トンの機体と比べると、あまりにも貧相(ひんそう)だった。

自身が作った八卦ロボと比して、跳躍力も飛行時間も短く、バランスも悪い。

 またマサキ自身が、この世界に来て初めて見た戦術機。

それは、MIG-21の兄弟機であった、人民解放軍の殲撃(せんげき)8型であった。

 そして一番深く触れた機体は、F-4ファントムのライセンス品である激震(げきしん)である。

帝国陸軍での正式採用機であった為に、いろいろとノウハウを得られたのも大きい。

 

 度々かかわらざるを得なかったのは、MIG-21バラライカであった。

ユルゲンの対BETA戦闘データを得る観点からも、ソ連の暗殺隊から降りかかる火の粉を払うにも。

ソ連赤軍の正式採用機、MIG-21バラライカの研究は、必要だった。

 

 故に、海のものとも山のものとも知れない、F-5フリーダムファイター。

この機体に関しては、好きになれなかったのだ。

 

 

 

 フランス語の資料を一瞥(いちべつ)したマサキは、わざとらしく嘆いて見せた。

「装甲板が薄すぎる。俺の求めるものではないな」

「ムッシュ木原。

でもあなたは、米海軍が採用を目指しているF14の開発者、ハイネマン博士にお会いになったばかりではありませんか」

男の質問に、マサキもいささか(あわ)てた。

「俺は、あの男と話をする前に、レバノンで火遊びをした。

ニューヨークに帰った後、そのまま、ボンに来てしまったからな……」

 男は、マサキの話をじっと聞いている風だった。

叱責(しっせき)の一つでも、言われた方がどれだけ楽か。

重苦しい無言に押しつぶされそうだった。

「ただし、ダッソーとの研究ノウハウは俺も欲しい。貴様らとの関係も続けたい。

既存のジェットエンジンから、レイセオンのエンジンで強化する案などは気に入った」

 男は感情の読み取れない目でこちらを見た後、微笑を浮かべて、手を振った。

「では、後日。

パリの首相府において、またお目にかかりましょう」

と、早々にいとまをつげて、部屋へ返っていった。

 

*1
1970年代のドイツ人女性の平均身長は165センチ。2010年代の統計だと168.3センチ

*2
永谷園の茶漬けは1952年に今の元となる『江戸風味 お茶づけ海苔』が発売されていた。今日の製品名になったのは1956年以降である

*3
ジャック・ルネ・シラク、1932年11月29日 - 2019年9月26日

*4
Monsieur.仏語で紳士全般に対する敬称。もとは閣下や領主を指し示す言葉であった

*5
現実世界のノースロップ。1939年から1994年に存在した航空機メーカー




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F5採用騒動 後編

 F-5フリーダムファイターと新型兵器・フェニックスミサイル。
この新兵器をめぐる波乱に、木原マサキも巻き込まれていくこととなった。


 F-5戦術機は、その開発経緯から純粋に貸与機として考えられていた。

後進国の軍への技術指導と訓練以外で、米軍内部での使用予定はなかった。

 しかし、供与国からの実績要求を受けて、 米軍内で試験的にF-5戦術機隊の編成が行われた。

そしてBETA戦争において、対地攻撃に用いられることになった。

 

 

 日本は、元々F-4ファントムを採用し、激震(げきしん)として光菱(みつひし)重工でライセンス生産していた。

その様な経緯から、系統の違うF-5フリーダムファイターには興味すら示さなかった。

 だが、ミラ・ブリッジスが来日したことによって、F-5フリーダムファイターへの認識が改められた。

彼女は、米海軍との関係が深いグラナン社で研究開発を進めていた才媛(さいえん)

 ハイネマンとともに、新型の空母艦載機F-14の設計担当していた。

城内省の提案を一笑に付し、自身が書いた絵図面を見せつける事件を引き起こした。

 

 純国産期の生産を急いでいる城内省にとって、この女技術者の持ち込んだ設計ノウハウは大きかった。

 

 城内省に、F-5由来の新型機の絵図面を、持ち込んだ事件。

それは、F-4改造案を進めていた河崎(かわざき)や光菱の関係者には恨みを買うには十分だった。

 反英米派の大伴は、この事件を利用して、ソ連に近づく姿勢をより強めることになる。

その話は、後日機会を改めてしたいと思う。

 

 

 マサキ自身もF-5フリーダムファイターへの関心がない訳ではなかった。

彼の認識を改める事例があった。

 それは、先のレバノン空軍に配備されたミラージュⅢとの実戦経験である。

この小型戦術機は、有視界戦闘の際は、高速機動によって発見するのが困難な機体。

美久の不在時にゼオライマーで対応したが、小癪(こしゃく)なまでの動きに辟易(へきえき)したものである。

 仮に、サイドワインダー等のミサイルと電子妨害装置を積んだ数百機のF-5戦術機。

それが攻め寄せたら、さしものゼオライマーでも損害が出たであろう……。

マサキも、空恐ろしくなったものであった。

 

 もし仮に、後進国の指導者ならば、拠点防衛用の戦術機として、F-5を導入するであろう。

そう考えさせられたものであった。

 

 

 

 

 さて、フランス軍との朝食会を終えたマサキたちといえば。

大臣の部屋で、次官たちが今後の戦術機開発計画の行く末を話し合っていた。 

彩峰(あやみね)大尉、欧州各国の動きをどう見るかね。君の意見を開陳したまえ」

 

 先に気が付いていた事を、資料を見てあらためて確認したようだとみてであろう。

大臣は、彩峰を指名する。

「はっ、個人的な所感となりますが……」

と、彩峰は前置きしたうえで、

「個々の開発方針は、ともかくとして。

欧州側の開発計画において、戦術機の強化とは……機動性、射撃能力の向上。

あるいは、近接戦闘能力の向上を目指していると、小官は愚考いたします」

「そんなところだな。

忌々しい事に、欧州勢の中で、ダッソーの計画だけが独自性を持っているわけだが……

まあ、今はそれはよい」

 

 大臣は、脇に立つ(さかき)政務次官をかえりみると、

「では……」

 と、いかにも爽快らしく、われから言った。

「米国の動きとしてはどうなのだね。榊君」

「米海軍のヘレンカーター提督を中心とする研究チームによって、新型兵器を開発中と聞いております」

「それは、いったいどういう事なんだ」

「海軍より依頼を受けたヒューズ航空機が、フェニックスミサイルの製造を開始したとの事です」

「フェニックスミサイルだと……」

「今までのクラスター弾を数倍上回る、戦術機に搭載可能な、超強力なロケット弾です」

 

 ここで、クラスター弾に関して、簡単な説明を許されたい。

クラスターとは果実の房や塊を語源とし、そこから一塊の集団を指す言葉になった。

その言葉の通り、親爆弾と呼ばれる容器には、数百の子爆弾が内蔵されている。

親弾からばら撒かれた子弾により、戦車群や地上部隊、軍事施設を一度に壊滅させる兵器である。

 

 今日、国際条約で禁止されているクラスター弾。

その歴史は意外と古い。

 世界初の空中投下型クラスター弾は、ソ連が開発したРРАБ-3収束焼夷弾である。

これはノモンハン事件の折に、ごく少数が運用され、効果を上げた。

 その後、ソ連のフィンランド侵攻である冬戦争で、都市部に使われた。

日本の都市攻撃に使われた、米陸軍の焼夷弾は、ほぼこの形式である。

 

 まず構造に、関してである。

親弾と呼ばれる容器に、数個から数百個の子弾が内蔵された。

親弾が空中で開くと、大量の子弾が広範囲に散布される。

 空中投下型の他に、地上発射型が存在し、別名を集束爆弾ともいう。

地上発射型は、攻撃目標の上空で展開されるように時限設定されている。

 爆弾1発がもたらす被爆面積は、その価格の割に非常に広範囲であった。

米軍のクラスター弾・CBU-87/Bの効果範囲は、200メートル×400メートルの8万平方メートル。

航空爆弾・Mk.82の効力範囲が、80メートル×30メートルの2400平方メートル。

正に、格段の差である。

 

 効果範囲が大きいと言う事は、民間人の誤爆被害も大きかった。

また数百の子爆弾は10から30パーセントの割合で不発弾が出た。

戦後復興の妨げの一つとされ、悪魔の爆弾と称される原因でもある。

 しかし、物量を誇り、波状攻撃を仕掛けるBETAには最適であった。

クラスター弾は、広範囲に攻撃が行える面制圧能力を備えた最高の装備であった。

 

 

 

「そいつはすごい。もし手に入れば……」

榊の言葉を、大臣は興奮した様子で尋ねる。

「たしかに、ヒューズ航空機にしか、作れない代物なのだな」

「その通りです。問題はいかにして我々の手に入れるか」

「そいつは簡単だ。新型の戦術機ごと導入するのよ」

「ミサイルどころか、機体ごとですか……

開発中のものは複座の戦術機で、空母での運用を前提にした艦載機ですよ」

 

 榊は、ちょっと目をつよめて。

「わが帝国海軍からは、既に空母機動部隊の運用ノウハウが失われて30年の月日を経てます。

まず問題になるのは、操縦席が複座という事でしょう。

操縦士とレーダー管制官を乗せる問題は、スーパーコンピューターでも積めば、解消するでしょうが……」

彼の話を、彩峰が受けて、深刻そうに大臣にうながした。

「たしかに、是親(これちか)のいう複座と運用コスト……

その問題を解決しない限り、採用から時間を置かずに退役をするのは、火を見るより明らか……。

我が日本の国情を考えますと、そう思われます」

すると大臣は、彩峰に聞き返した。

「そうか。ハイネマン博士の作品は、それほどまでに高くつく代物(しろもの)なのかね」

「わが国の(たかむら)君や木原もそうですが……」

「どうもロボット工学の研究者というものは、工業デザイナーというより芸術家なのです。

彼らの作品は、工業製品としての兵器というより、数十人の技術者が作り出した芸術品なのです。

性能自体は間違いなく、一線級なのでしょうが……」

 榊は、やや間をおいてから、

「それに、今欧州勢が開発中なのはF-5系列の機体。

ですから、F-4系統を使っている我が国に導入するにしてはノウハウも役に立たない」

と、明答した。

 

 すると、ククク、と噛みころし切れない笑いを白い歯に漏らした、マサキが脇から現れる。

大臣の側近は皆、緊張していた氷の様な空気にひびいて、それは常人の笑いとも聞えなかった。

どこかで、べつな(あや)しいの物が、ふと奇声を立てたかと思われた。

「早い話が、グレートゼオライマー建造と違って役に立たないんだろう」

 人を吸いこむような柔らかい顔でいながら、マサキは諧謔(かいぎゃく)(ろう)していた。

ぐっと、みな息をつめ、そしてどの顔にも、青味が走った。

「木原。貴様、脇から口をはさむとは何事だ」

 ちらと、マサキも眼のすみで彩峰のそれを射返した。

小癪(こしゃく)なと、すこし不快にとったようだった。

「技師としての率直(そっちょく)な意見を聞きたい。つづけたまえ」

ほとんど無表情にちかい大臣のつぶやきだった。

 

 

「金も時間も無駄にするような話はお終いにする。そういう事さ」

と、マサキは言いつづける。

「だが、ミサイルとロケットランチャーに関しては俺は有益と思っている。

開発中の新型機F-14にだけではなく……。

F-4や、その系列機にハードポイントを追加して、使える様にすればいいだけだ」

左右の側近たちは、ぎょッと顔から顔へ明らかなうろたえを表に出した。

「まず、ミサイル運用の前提として、燃料タンクの巨大化。

そして、コックピットの複座とシステムの問題がある」

大臣は、何度も頷いて聞きすました。

「燃料タンクは、増槽(ぞうそう)を付ければいい。

それにシステムはグレートゼオライマーに搭載予定のスーパーコンピューターの簡易版を乗せればいい」

俄然、榊の調子も、するどく変って来て。

「スーパーコンピューター?」

「そうだな。グレートゼオライマーだから、GZコンピューターと名付けよう。

様々な記憶や情報収集を兼ね備えた制御装置で、俺の指示で自立走行可能なシステムの事さ。

こいつがあれば、その超強力なミサイルどころか、空母への離陸着艦も容易になる」

 

 GZコンピューターと呼んではいるが何のことはない。

美久に搭載された推論型AIの簡易版である。

マサキとしては、このAIをもってして、ファントムやサンダーボルトに搭載し、月面偵察の際に使おうと考えていたのだ。

 

「GZコンピューターが完成すれば、今までのような人的被害は最小に抑えることが出来る。

ただし、BETAの妨害工作に関してどれほど有用か、未知数だがな」

彩峰は、仰天しても足りないように眼をむいた。

「一応、その簡易版なら、俺が8インチのフロッピーディスク20枚に焼いておいた。

それを戦術機のコンピューターに差し込めば、変わるはずさ」

その話を聞いて、大臣は腰が抜けそうになった。

「どうやって、そんな情報量を圧縮したのだね」

「これも、次元連結システムのちょっとした応用さ」

 

 マサキは、ちょっと、改まって。

「なあ、貴様らがほめそやすミラとやらに、会ってみたくなった」

 彩峰は、冷たい肌を()う油のような汗を覚えた。

あの貴公子(きこうし)、篁は、そんなことをマサキの耳に入れていたのか。憤怒の気持ちがくすぶる。

深窓(しんそう)令嬢(れいじょう)の次は、人妻にちょっかいを出そうというのか。

放蕩(ほうとう)三昧(ざんまい)もいい加減にしろ」

竹馬(ちくば)の友、彩峰にも覆いえないものが今日はみえるが、榊の方はもっと正直に興奮していた。

「木原君、遊ぶなとは言わんが……」

と、途方に暮れたように、マサキを笑った。

「シュタインホフ将軍の孫娘、キルケ嬢の件と言い、少しはわきまえるべきじゃないのか」

「……ち」

 マサキは唇を鳴らした。

 ミラの名前を出しただけで、これである。

思い人のアイリスディーナの場合はどうだろうか。見てはいられない。

「貴様にそんな質問をする権利は、あるまい」

と、明答した。

 

 だが、ひとり彩峰は、マサキの落胆の色を、烈しい鞭のような眼つきでにらんだ。

マサキのもろい一面を、彼は知り抜いていたからだろう。

マサキの意志のくずれを怖れたのだ。

 

 マサキは硬めていた体をほぐして胸を上げた。

そして面には微笑に似たものをもって、あわれむような眼差しをじっと凝こらして、

「キルケの件は……なんの、いらぬ斟酌(しんしゃく)だ」

と、判然と応じ、

「宴の席ゆえ、少々常より酒の過ぎたまでのことよ」

そして大臣のうなずきを見るなり、すぐ部屋を後にした。




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その名はトーネード 前編

 キルケ嬢とともに、ミュンヘンに出かけたマサキ。
先の大戦で、全世界に栄光を誇ったメッサーシュミット本社を訪れる。
社長たちと面会するうちに、在りし日の敗戦を思い起こしていた。


 フランス関係者との会食の翌日。

マサキたちが泊まるホテルは騒がしかった

 けたたましく鳴る室内電話で起こされたマサキは、不快感をあらわにする。

いつもより早い、早朝の5時に目の覚めた彼は不機嫌だった。

いらだちを示しながら、受話器をを取る。

 

 通話口の相手は、美久だった。

先に、フロントへ降りていた彼女は、

「先ほどからフロントに人が見えられておりますが……」

「俺にか……」

「面会希望と申しております」

 

 まだソ連の誘拐事件から、日も浅かった。

マサキは、ソ連KGBの誘拐を怖れていた。

KGBと通じた高級娼婦や配達業者を装ったGRU工作員の可能性を否定しきれなかったのだ。

連絡(アポ)もなしか。新聞記者(ブンヤ)なら追い返せ」

報道関係者(マスコミ)ではありません」

「どんな人物だ」

「うら若い娘で……、直接会って、用件を伝えるとしか」

 マサキは長く沈黙していた。

やがて、重いため息で終わりを告げた。

「面倒くさいな」

 腹の底から、響く声だった。

美久は思わず、マサキの怒りに身震いを覚えた。

「とりあえず、会いに行く」 

 そう告げると、受話器を放り投げた。 

椅子に掛けてある制服に着替えると、鞄から小型拳銃のオート25を取りだす。

ピストルを、ベルトに差した拳銃嚢に突っ込むと、エレベーターに乗った。

 

 

 マサキは丁度、ロビーに降りてきた時、彩峰と話をする人物がいた。

ホテルのフロントの椅子に腰かけている、ブルネットの髪をした小柄な娘。

「何をしている、こんなところで!」

そこには先日会った少女、キルケ・シュタインホフが待ち構えていた。

西ドイツ陸軍の婦人用制服をきっちり着こなし、黒いセカンドバッグを膝の上に置いていた。

 

「おい木原、迎えに来た彼女に失礼であろう。

キルケさんは、西ドイツ軍シュタインホフ将軍の孫……

ボン訪問をしたこの機会に、ぜひ我々に色々見せたいものがあるそうだ。

お前は行くよな」

彩峰はやや凄んで言った。いわば柔軟な強迫(きょうはく)だった。

 

「アポなしで他軍の将校に会いに来る。

ドイツ娘の専売特許だったのかな」

キルケは今朝から黒髪に香水を振りかけて、入念に化粧を()らしていた。

「貴方って、意地悪(いじわる)な男ね」

彼女の返答は、いつになくきつい調子だった。

「俺と話がしたいんだろう。だから、こうして来てやったんだぜ」

意味ありげにそう言いながら、

「じゃあ、お前と南ドイツにある戦術機のメーカーに行くか」

「え!」

 てっきり断るものばかりと思っていた彼女にとって、返事は飛び上がらんばかりの驚きだった。

マサキの口からそんな言葉が出るとは思っていもいなかったし、考えを見透かされるようだった。

「俺にとって、今更(いまさら)欧州の戦術機に参加したところで、意味がない。

だが、この話には興味があるのは事実だ。

一度確かめねば、一生後悔(こうかい)しそうだしな」

と、いや味な笑い方をして、彼はまた、

「それに」

乱暴に腕を取って、彼女の横顔へ、身をすり寄せる。

「こんな(うるわ)しい女性(にょしょう)が同行するなら、楽しめよう」

キルケは、あわてて彼のたまらない熱気から身を離して。

「私は、あなたの饗応役ではございません」

この時は、マサキも声に出して笑った。

 

 まもなくサングラスをかけた老人と見たことのない偉丈夫が来て、彼に慇懃(いんぎん)に挨拶をした。

「木原マサキ君、かね……」

「どうした」

「君に一つ頼みごとをしたい」

既に、70は超えているのであろうとマサキは思った。

かけているミラーレンズの遮光眼鏡(サングラス)で、表情は読み取れない。

 

「改めて名乗ろう。

わしはドイツ軍退役将校で、ドイツ連邦の先行きをいささか憂いている男だ。

君の話は、シュタインホフ将軍からも、詳しく聞かされていたが……

余りにも若いので、支那(しな)での話などは一概(いちがい)に信じられなくてね」

マサキは、動じもしない。

「突然の無礼、許してくれたまえ。

敗戦国ドイツは、のう……。

モーゲンソープランによる厳しい産業規制によって、割り当てられた工業製品しか作れなかった時期が長かった。

11年に及ぶ再軍備禁止と、20年にわたる航空機産業への参加締め出し……

この影響は、いまだに続いている」

 

それは、マサキにも意外だったに相違(そうい)なく、

「こんな所へ、今ごろ何しに」

と、舌打ちはしたものの、しかし、すぐ黙って聞き入っていた。

「それでな、日本の斑鳩(いかるが)公がこのわしに仕掛けてきた。

日本は、モーゲンソープランの対象国でもないし、最前線でもない。

ドイツに代わって、欧州で戦術機メーカーが暴れる下地を作ってくれ。

とりあえず500万ドル*1出すと……」

 

「つまり、日本のメーカーが欧州で暴れれば、困った米国が乗り出してくる。

そこでドイツが仲裁役に入ってきて、米国にいい顔をし、ソ連を抑えて、戦術機の世界シェアを増やすことを条件にするという訳だ。

ドイツが作った戦術機も、日本が安く入手できるしのう」

マサキは、充分疑っている。

「わが国には欧州各国が共同設立したパナヴィア・エアクラフトという半官半民の企業がある。

わしらが作った会社じゃが、ここで戦術機開発をすることにしたものの……

プロフェッショナルの専門家がいない。

そこで君じゃ」

「貴様、俺の事をどこで聞いた」

と、マサキは、困ったような顔を見せて、

「ニューヨークのフェイアチルド社長から、ちょっとばかりね」

 これには、マサキも色を変えた。

無視できない何らかの支障をふと、彼にしても思わぬわけにゆかなかった。

「どうかね。

ここはひとつパナヴィアの参加企業、メッサーシュミット本社へ来て、見学でもしてくれぬかね。

ハルトウィック大尉も引率の一人としてつくから、君の上司、彩峰大尉も納得するであろう」

 

 ふと、マサキは変な顔をした。

男の言ったハルトウィック大尉を見るなり、内心落胆した。

 なるほどハルトウィックは、筋肉質の(たくま)しい偉丈夫(いじょうふ)である。

だが、白皙(はくせき)美貌(びぼう)(たた)えたユルゲンとは違い、興味をそそられなかった。

 

 東ドイツが、マサキの(そば)に連れ出した人物たちは、それ相応の容姿の持ち主だった。

容姿だけではなく。服装やその他に、SEDの配慮があったろう事は、想像に何硬くない。 

従って、国境検問所から先では、乗物から扱いまで、西ドイツと比べて、劃然(かくぜん)と待遇がちがっていた。

 氷細工(ざいく)の様な(かお)のユルゲンをはじめ、スラブ系の血が入っていて彫りの深い顔のヤウク。

彼らのような美丈夫(びじょうふ)の他に、(まばゆ)いばかり美女にも心を踊らされた。

 18歳という年齢(とし)の割には、妖艶(ようえん)な美を秘めたベアトリクス。

()黒子(ぼくろ)が印象的で、しっとりとした感じの典雅(てんが)なハイゼンベルク。

何よりも、マサキを夢中にさせたのは、心を洗われる様な(きよ)らかさのアイリスディーナであった。

 人間、美食になれると、どうしてもそれ以外のものがひどくまずく感じるものである。

マサキはなにか、味気(あじけ)ないここちがした。

 

 

 さて、マサキの一行はボンから15キロほど先あるケルン・ボン空港に向かう。

ルフトハンザ航空の国内路線で、ミュンヘンにとんだ。

 一時間ほどでミュンヘンに着くと、隣町のアウグスブルクに向かった。

 マサキたちは、キルケの案内でアウグスブルクにあるメッサーシュミット本社を訪問した。

本社工場の脇に併設されている『メッサーシュミット技術者センター』

総ガラス張りの5階建てビルの中では、欧州戦術機計画の主だった技術者たちが待機していた。

 

 簡単な茶会の形で始まった、技術者との懇親会。

マサキは開口一番、心の内にある思いを伝えた。

「説明してほしい」

あの特有な淡褐色(たんかっしょく)(まなこ)で、マサキは部屋中のメッサーシュミットの役員らを、ねめ廻し、

「東ドイツと違って、産業の制限のない西ドイツ。

なぜ貴様らが、欧州各国と合同で戦術機開発をせねばならぬのだ」

紫煙を燻らせながら、問いただした。

 

 木原マサキは噂通り、猫の目より変りやすい機嫌(きげん)なのだ。

人々は、彼を連れてきたキルケ・シュタインホフの方をつい見てしまった。

若いキルケは、ただ赤くなっているばかりであった。

 

 

同席していたヴィリー・メッサーシュミット会長が、そのとき、初めて口をひらいた。

「お恥ずかしい話ですが、三十有余(ゆうよ)年前の戦争では、欧州一……」

 椅子より立ち上がった会長は、座っているときより老けて見える。

「いや、世界一の技術を誇っていたのです。

今思えば、ずいぶんと(ぶん)不相応(ふそうおう)な暮らしをしたものです」

老会長の助け舟で、キルケもほっとし、社員たちも、わざと話題をほかへ、()ぐらした。

「国民皆が、勝てぬ戦いを勝てると信じ込み、必要以上に戦ったのです」

「そうか」

そういって、彼らのわきを通り抜け、窓辺に歩み寄る。

 先の大戦でも、それぞれの国がそれぞれの正義を掲げて戦った。

日本も、『八紘一宇(はっこういちう)』の精神を高く掲げて戦うも、武運(つたな)く敗れ去った。

その精神や理想が、すべて間違っているとは、思わない。

 だが、敗者に正義はない。

歴史は勝者によって書かれる」のだ。

マサキは、一人、あの戦争への追憶に、浸っていた。

 

 

 マサキは、再び意識を戻すと、胸ポケットより煙草の箱を取り出す。

ホープの箱を開けながら、5階の窓から滑走路に居並ぶ戦術機を睥睨(へいげい)する。

 前の戦争では、ドイツは700万人の尊い人命が、失われた。

もしBETAを食い止めなかったら、東独はおろか、西独も歴史の渦に消え去っていたであろう。

「確かに人的資源には、限りがあるからな……」

意味ありげに、タバコをふかした後、

「生かすのも、殺してしまうのも……」

マサキの言葉に室中、氷の様にしんとなってしまう。

 

 マサキを本社に連れてきたキルケは、すっかり狼狽(うろた)えていた。

メッサーシュミットの社長に対して、いきなりこれである。

 重役たちの腹の中は、()えくり返っているに、違いない。

それが気が気でなく、不安と緊張で体を強張(こわば)らせて、とても彼とのデートではなくなっていた。

「フフフ……」

声高に笑うマサキを見て、反射的にキルケは腰を引いた。

「ちと、不躾(ふしつけ)なことを申してしまったな……」

そうは言われても、気にせずにはいられない。

「こいつは、失敬(しっけい)した」

 逃げ出せるものなら、逃げ出したい。

怖気(おじけ)づきながらも、マサキの方に視線を向ける。 

本能と理性の、恐怖と任務の間の板挟みにあって、彼女は身動きできずにいた。

 

 

「でも日本とて、下手をすれば同じ道をたどったであろうよ……」

「そんなことはないでしょう」

マサキは、会長のお世辞(せじ)を耳にしたが、驚いたふうもない。

「わが国の航空機技術、既に失われた20年のノウハウは想像以上に大きいものでした」

 刻々、変ってゆき、また悪くばかりなってゆくドイツの形勢図。

男の言葉から、マサキには波と聞え、眼にも見えるここちがした。

「それでも数年前からですが、新しく戦術機開発の部門を開設しました」

憫笑(びんしょう)を、禁じ得なかった。

*1
1978年当時のドル円レート、1ドル195円




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その名はトーネード 後編

 欧州機体の新型機、トーネード。
マサキは、その新型機に関して、企業連合パナヴィアからの説明を受ける。


 累計(るいけい)数億人が、戦死したBETA戦争。

この空前絶後(くうぜんぜつご)の大戦争によって、欧州各国はそれまで個別に進めていた戦術機開発を一旦棚上げすることになった。

 

 フランスを主としたNATO諸国は、合同の戦術機開発に乗り出す。

途中、フランスが政治的都合で合同開発計画から離脱すると、西ドイツと英国が主体になって計画を進めた。

 まず英国のブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション*1が名乗りを上げた。

次に西ドイツにメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム。

そして、オランダのフォッカー・アエロプラーンバウ*2とイタリアのフィアット。

四か国が共同設立した会社が、パナヴィア・エアクラフトとして知られる会社である。

 

トーネードは、状況に応じては、手動操縦が可能なように設計されていた。

電子自動操縦装置(アビオニクスシステム)が故障したとしても、乗組員が地図や高度計を使用し、飛行できた。

 また増槽(ぞうそう)の追加を想定していない軍事作戦を前提にしていた。

故に、同じF5戦術機から派生したミラージュⅢよりも、操作性に難しいとの評判でもあった。

 

 

 マサキたちは駐機場(エプロン)に行くと、そこには銀面塗装された3機のロボットが立ち並んでいた。

「これが、新型試作戦術機、トーネードです」

 案内役からそう説明を受けるも、マサキは困惑していた。

違いといえば、色の組み合わせが違う円形章(コカルデ)……。

その他には、西ドイツ空軍を示す、ドイツ鉄十字紋章がついているぐらいであった。

 どれも、マサキには同じに見えてしまった。

吹き抜ける11月の風は肌寒く、着ている軍用外套の隙間から熱を奪った。

ここミュンヘンは、ドイツ南部にありながら、北海道の札幌より北の北緯48度8分。

11月の平均気温は、摂氏(せっし)8度前後で、最低気温は0度前後である。

 ドイツの冬の寒さに慣れてきたとはいえ、マサキにとっては負担であった。

直前に中近東の温暖な場所にいたのもあろう。

やはり生まれ育った日本より、厳しい乾燥した寒さは、体に(こた)えた。

のどに若干違和感を覚えるも、愛煙家特有のものであろうと見過ごしていた。

 

「わが英国の誇る、ブリティッシュ・エアロスペース社が試験中の試作機、トーネードADVです」

「ブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションではないのか」

「去年*3国有化されて、わが社は、ブリティッシュ・エアロスペースに、社名変更しました」

 マサキは、ADVという単語から、Air Defence Variant、防空型を連想した。

「防空型か。

ソ連の核弾頭を搭載した長距離爆撃機隊は危険だからな。

英国本土から離れた北海やバルト海での迎撃をせねば、ブリテン島は維持できまいよ」

「博士、防空型ではありません。

一応、AはAERAを示す単語で、領域防衛型を示すArea Defence Variantになりますな」

 

「それに開発当初から、BETA戦を主眼に置いておりますから……

燃料タンクの関係もありますから、英国本土から遠方へは飛べませんよ」

「何、スピットファイア*4に毛が生えた程度か!」

「増槽ありで、半径80海里(かいり)*5までは大丈夫ですよ」

マサキは、嬉々(きき)として説明を続ける英国人技術者の姿に、落胆(らくたん)(きん)()なかった。

 

行動半径が、精々、150キロメートル未満か……

 ふと前の世界での、ガダルカナル上空での制空作戦を思い起こしていた。

長距離飛行を誇る零戦ですら、戦場滞空時間が短かった故に、作戦上の要求を満たせなかった。

また航続距離の少なさから、優秀なパイロットを救えず、多くを失ったことを、一人悔いていた。

 

 

 マサキは、軽く咳払いをした後、

「両手についている箱のようなものと、刃物は何だ」

案内役は、英空軍の戦術機に関して、説明をつづけた。

「近接戦闘用の刀ですよ。ご覧ください」

そうすると手の甲を覆うように、箱の側面についた板が反転した。

「このカギ爪状のもの、私共はブレードベーンと称していますが……

戦車級に取りつかれた際、これを用いて戦術機からBETAを排除するのです。」

 

 10メートルの長剣を装備するロボット同士なら、ともかく……

怪獣、しかも資源採掘用の重機相手に大立ち回りはおろかではないか。

そんな(しら)けた感情が、先に出てくる。

結局、十分な距離を取って射撃が正解であるし、接近される方が悪いと思えてしまう。 

 

「馬鹿か」

 マサキは(つぶや)いた。

誇張したあきれ顔を、その下に作って。

「俺は光線(レーザー)級に、ミサイルの飽和攻撃が有効だと考えている」

 

 マサキの設計した、八卦ロボの思想と戦術機の思想は、根本から違った。

彼は、遠距離からの強力な火力投射こそ、正義である。

それこそが、パイロットの安全性を守るものと信じてやまなかった。

 故に、彼に設計し、建造した山のバーストン、月のローズ・セラヴィー、雷のオムザック。

敵の接近を許さず、ごく初期の山のバーストン以降は、自在に飛行できる能力を付与した。

また相手の視界に入ることなく、一方的に撃破できるのを目的としていた。

 バーストンには、500発の誘導弾に18発の核ミサイル。

ローズ・セラヴィーには、指向性のビームに、エネルギー砲『ジェイ・カイザー』

オムザックには、物質を微粒子化する原子核破砕砲『プロトン・サンダー』

 そして、天のゼオライマー。

全宇宙のエネルギーを、無尽蔵に集める次元連結システム。

両腕から繰り出す『メイオウ攻撃』は、原子そのものまで消滅させる威力であった。

 

「TU95爆撃機から、核搭載のKh-20ミサイルの飽和攻撃をもって、BETA梯団(ていだん)の進行を止めた。

その様な事例があると、ベルンハルトより聞いている。

そして、東ドイツ軍の戦闘報告でも一部光線級の防御に損害を与えた、ともある。

そういう意味では、戦術機に誘導ミサイルの搭載は有効と考える」

 

 

「肩に積んでいる緑色の箱は、何だ」

そういって、マサキは、英国の国家標章が付いた機体を指し示した。

5メートルほどの長方形の箱が、戦術機の肩に対し、垂直に装備されていた。

「あれは、英国が作ったミサイル発射装置ですよ」

「あの程度じゃ、せいぜい戦車級に牽制(けんせい)を与えるぐらいだぞ」

彼はわざと非情を顔に作って、言った。

「時間稼ぎにしかならん……」

 どうして、この世界の人間は人命を(かろ)んじる傾向が強いのだろうか。

あの悪名高い、前の世界の帝国陸海軍でさえ、有効打でなければ特攻作戦を中止したのに……

なにかと、自爆攻撃を好む傾向にあるのではないか。

そんな風に思い悩んでいた。

「ドクトル木原……」

次の言葉でマサキは我に返る。

「だいぶ、難しい顔をされていますな」

声をかけてきたのは、上品なウールフランネルの灰色の背広に身を包んだ老人であった。

「フフフ。俺には、どれも同じブリキの人形にしか見えぬからな。

ファントムの粗悪品(そあくひん)であるMIG-21でさえ、露助(ろすけ)と東独の機体でも、色の違いはあったぞ」

老紳士は、マサキの佇まいを一通り見た後、顔をほころばせる。

「自己紹介が遅れましたな。

ジアコーザと申すもので、フィアット自動車で自動車設計技師をしておりました。

博士、どうかお見知りおきを」

 フィアット自動車と聞いて、マサキは眉を動かす。

日本でも人気がある、イタリアの大衆車メーカーの名前だ。

「ほう。イタリアは自動車設計技師を引っ張り出すほど困った居たのか。

イタリア車は、アルファロメオ、フェラーリなど官能(かんのう)をくすぐるような、デザインが多い。

形容しがたいほど素晴らしいのは、事実だ。

だが、勝気なじゃじゃ馬娘と同じで、少々維持(いじ)に、金がかかりすぎる。

もう少し壊れなくて、安い自動車が欲しいものよ」

 イタリア車が壊れやすい、これはある一面事実であり、事実でなかった。

四方を海に囲まれ、豊かな森林と山河を抱える日本列島は、常に水資源の恩恵に(あずか)っていた。

 他方、そのことによって、年間を通して多量の雨が降り、湿潤な国土。

この環境下では、欧州の乾燥した環境に対応した製品にとっては、不向きだった。

工業製品にとどまらず、衣類や革製品などもあっという間に湿度に侵され、無残に風化してしまう。

 故に、どんなに素晴らしい自動車であっても、日本の環境下ではゴムパッキンなど用をなしえなかった。

その為、運転可能に維持するのがやっとであった。

 

 

マサキは、二度の大戦でイタリアが途中で連合国に降伏したことを非難した。

「途中で嫌になって、ほっぽり出す。今度は、そのような真似はするまいな。

二度あることは三度あると、よく聞くものでな……。

俺らの邪魔にならないよう、ブロンズ像として頑張ってくれや」

 

 ラテン系のイタリア人は、ゲルマン系のドイツ人や北欧系の人々と比して、明朗快活(めいろうかいかつ)

温暖で日光照射時間も長い地域ゆえか、陰陰滅滅(いんいんめつめつ)としておらず、親しみやすい国民性であった。

 しかし、北部ドイツ人のような生真面目には欠けた。

どちらかといえば、バカンスを優先し、精密機械でも雑な仕上げが多い、そんな印象が強かった。

 そのことを知っていたマサキは、彼らを揶揄(からか)った。

ペンキの色がところどころ違うボディー、抜け落ちるブレーキパッド。

割れる樹脂製のコンポーネント、必要な時に機能しないエアコン。

整備性を無視した乱雑な配線、雨漏りのする屋根……

彼には、イタリア車に関して、いい思い出がなかったのも大きかった。

 手元(てもと)にある時間より、修理工場にある時間の方が長い。

これは、欧州製の車全般に言える事であったが、実用の道具としてどうなのか……

 思えば、ヘンリー・フォードの出るまで、自動車は貴族の玩具(おもちゃ)だった。

見た目の美しさと乗る楽しさこそ車で、工業品は壊れる。

そんな前提で、欧州の自動車メーカーは、売り出していた節があるのではないか。

 壊れない製品を作る大変さは、一介(いっかい)の技術者として、知っているつもりである。

今日(こんにち)の、日本の自動車産業の(いしずえ)を築いた人物たちに、頭が下がる。

マサキは、一人、思いにふけっていた。

 

そうした内に、ジアコーザー老が、口を開いた。

「博士がもう少しお若ければ……孫娘のモニカの相手にでもと思ったのですが」

 本気かと、マサキは疑った。

だが、曖昧模糊(あいまいもこ)なジアコーザ老の顔はまた笑っていた。

「ほう。いくつの娘だ」

「今年の7月に、4つになったばかりにございます。

15年ほどお待ちいただければの話ですが」

「ハハハ」

マサキは、初めて笑い出して。

見損(みそこ)うな。

この木原マサキ、そんな小娘一人で満足すると思ったか。

俺はお前たちが思っているよりは、ずっと欲深い悪党なのだ。

俺が仕尽(しつ)くす悪行は、こんなことでは終るまい。

楽しみに、()って()れ」

彼はそう言って、まもなくその場から退()がって行った。

 

 

 

 

 さてマサキたちといえば。

夜半も過ぎたころ、ミュンヘン空港にあるマクドナルドに来ていた。

西ドイツでは、『閉店法*6』という法律の関係上、20時で閉まってしまうためである。

 この法律の元となったのは、ワイマール共和国時代の労働者保護の精神である。

しかし、20世紀も半ばを過ぎた1970年代後半に在っては、やや時代遅れなものとなりつつあった。 

 この悪名高い『閉店法』の都合上、営業している店舗などは非常に限られたものであった。

ドイツのデパート、百貨店、銀行は勿論の事、一般的なレストランや飲食店も例外ではなかった

 特例として、空港、ガソリンスタンド、鉄道駅などのインフラ関係は、深夜営業が許可されていた。

それ故に、マサキはわざわざミュンヘン空港前のホテルから出て、空港内のマクドナルドにまで来ていたのだ。

 

 さっきから、二人は「ここなら人目もない」と、密語に時も忘れていた。

「迷惑じゃなかったか」

「迷惑だなんって、そんな……」

少しはにかむ様に言いながら、飲みかけのコーラに口を付けるキルケの装いは華やかだった。

紺青(こんじょう)のダブルジャケットに、共布(ともぬの)のタイトスカート姿は、決して派手ではなく、キルケの女らしさを上品に引き立てて、優美でさえあった。

「こういう場所は、あまり好きではないのか……」

 漆黒の髪をした東洋人に情熱的な眼で見つめられ、キルケは感激で胸が詰まり、それ以上言葉が出てこなかった。

 ここで、何と答えればよいのだろうか……

 適切な答えが出てくるほど、キルケは男の扱いに慣れていなかった。

むしろ、恐ろしいほどに男というものを知らなかったのだ。

「い、いえ、そんなことはないですけど」

そういう彼女を見ながら、マサキはニュルンバーガーを頬張った。

 ニュルンバーガーとはドイツ国内で限定販売されているソーセージ入りのハンバーガーである

太いニュルンベルクソーセージが3本、フライドオニオンがバンズに挟まっていて、マスタードで味付けされている。

 ソーセージはいくらかハーブがきいていたが、値段の割には思ったより小さかった。

食べ応えを求めていた、マサキには不服だった。

 こんなものを食うより、てりやきバーガーの方がうまいのではないか。

ふと食事をしながら、マサキは一人、望郷(ぼうきょう)(ねん)に苛まれていた。

 

 沈黙したまま、窓の外の夜景を見つめる二人。

紫煙を燻らせながら、そっとキルケの方を覗き、いつもの調子で尋ねる。

「BETAもいなくなった今、なぜそんなに新兵器開発を急ぐのだ」

 緊張したキルケは、さりげなさを装って、コーラのグラスに唇を付ける。

「米国の生産能力の枯渇を見越して、多目的戦闘機の開発を急いでいるの」

マサキは意外そうに。

「米国は、そんなに武器の在庫がないのか」

 ぐっと体を近づけて聞いてくるマサキに、否が応でも緊張が高まる。

夜景ですら、まともにキルケの目に入ってこなかった。

「産業のすべてを軍事優先にしているソ連とは違って、今のアメリカは無理だわ」

マサキの脇に座り、頬を赤く染めながら、

民需(みんじゅ)都合(つごう)もあるから戦時体制に入らない限り、増産は出来ないはずよ」

「本当か」

マサキは、その力強いな体を馴れ馴れしくすり寄せて、彼女の瞳を覗き込む。

 

 マサキの怪しみは、無理もない。

それは既に30年以上の時を経た、大東亜(だいとうあ)戦争(せんそう)の苦い敗北の記憶が染みついたためであった。

 1940年時点において*7、GDPは、日本2017億ドル、米国9308億ドル。

4倍以上の国力差を見せつけた、米国の産業。

どうしてもその時の印象ばかりが、頭を離れなかったのは事実だ。 

彼は、アメリカの生産能力を過剰に恐れていた。

 

「もっとも米国市民のほとんどは海外派兵を望んでいないでしょう……

それに、今年*8の中間選挙。

仮に、今の野党、共和党が勝てば……」

 キルケの言葉に、マサキは目を見開く。

「BETAがいなくなったことを理由に、大規模な欧州から撤兵を表明するでしょうから。

民主党が議会を維持しても、現状のままとは思えないし……」

 

 マサキは、キルケを振り切って、椅子から立った。

すると、窓ごしの夜空をにらんで、いかにも無念そうな面を澄ました。

 けれど何もことばには現わさなかった。

そして、やがて。

「つまり、米国には期待していないと」

「早い話、そう言う事ね。

東のおバカさんたちはそうじゃないかもしれないけど、私たちはそう思ってるの」

 この()にしろ、ドイツには本心、米国を捨て去る気持ちなどは毛頭ないのである。

ただしかし、欧州にとっては当面、まことに困る存在であった。

自分たちの要望を、受け入れてもらえばよいのだった。

 

 沈黙の時間は長かった。

キルケは、胸が高鳴るのを感じながら、言葉を待った。

 マサキが、新しいタバコを燻らせたのを、機会に動く。

キルケは、咄嗟(とっさ)に、言葉をさしはさんだ。

「話は変わるけど……」

「どうした」

キルケの呼びかけに、マサキは、また顔を澄ました。

「サミットが終わったら、私と役所に行ってくれる」

「役所?」

「貴方には戸籍謄本(こせきとうほん)とか、個人証明の書類を用意してほしいの……」

 マサキは言われた瞬間、理解できなかった。 

キルケの表情が、いつになく真剣になるのを見て、思い至った。

(『戦術機関連か』)

 マサキの頭に浮かんだのは、戦術機関連の特許申請に関してであった。

改良型のサンダーボルトⅡか、あるいは光線級の対レーザーペンキの特許か。

どちらにしても大使館経由で関連書類を整えるしかあるまい。

 

「いいだろう。早い方がいいからな」

キルケは口にこそ出さないが、

「もう、しめたもの」と、思ったような(てい)であった。

*1
1960年から1977年4月29日まで存在した航空機メーカー

*2
オランダの航空機会社。1912年創業。1993年にダイムラーの子会社になるも、1996年に倒産

*3
1977年

*4
1937年に完成し、1955年まで使われた英空軍の戦闘機。航続距離は680キロメートルであった

*5
1国際海里=1852メートル

*6
2006年以降、ドイツの閉店法は改正され、24時間営業は全面的に解禁された

*7
『世界経済の成長史 1820‐1992年―199カ国を対象とする分析と推計』より参照

*8
1978年




ご意見、ご感想お待ちしております。


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少女の戸惑い 前編

 東ドイツSED党員の娘、グレーテル・イェッケルン。
政界の陰謀に巻き込まれた父を救うべく、彼女の取った行動とは……


 1973年から続いた対BETA戦争。

前年のソ連の穀物輸入を発端として起きた資源、原材料価格の高騰は全世界へ影響した。

特に顕著だったのは、石油、天然ガスなどのエネルギー資源に関してである。

 より情勢を悪化させたのは、1974年のマシュハドハイヴ建設である。

石油資源の主要な輸出国である帝政イランの情勢不安は、石油販売価格を70パーセント上げる原因になった。

 

 日本のように、中近東より工業原材料を輸入する国にとっては死活問題であった。

「石油供給が途絶えれば、日本は物不足になる」との不安は、大きかった。

28年前の戦争末期、海上封鎖を受けて、物不足に苦しんだ人々の記憶が鮮明だったのもあろう。

 市中の主婦は、トイレットペーパーや洗剤の買いだめに走るという事態になった。

また一部の悪辣な商店などでは売り惜しみも流行った。

 

 このBETA戦争での石油危機(オイルショック)は、何も日本ばかりではなかった。

石油輸出国機構(OPEC)が原油供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを実施。

これにより、国際原油価格は、わずか3カ月で約4倍に高騰し、世界経済は大きく混乱した。

 1960年代から1970年代初頭まで、先進国を中心に石炭から石油へとエネルギーの転換が起きていた時期のこの騒動は深刻だった。

 原油価格上昇は、ガソリンなどの石油関連製品の値上げに直結し、物価は瞬く間に上昇した。

急激なインフレーションは、それまで旺盛だった経済活動に歯止めをかけ、日本の戦後復興はここに終わる原因となった。

 

 

 1974年10月15日、突如としてソ連国際貿易省は、原油販売価格を3倍に変更すると発表する。

マシュハドハイヴ発見直後の、この通告は、一瞬にして全世界を駆け巡る。

 影響が深刻だったのは、陸上パイプライン経由で、ソ連の石油資源を輸入していた欧州。

とりわけ、東欧であった。

 第一報が西ドイツの国営テレビで伝わると、自然発生的であるが、ベルリン市民の一部が買い占めに走った。

東ドイツでは、表向き、西ドイツのテレビ放送は禁止されていた。

だが、西ベルリンに立った強力な電波塔のおかげで、ほぼ全域で西ドイツ国営テレビの放送が見れたのだ。

 また、市民のみならず、幹部たちも、シュタージ職員たちも。

誰一人として、東ドイツの報道を信じていなかったことも大きい。

 当局の規制よりも早く、物不足が深刻化するという噂は、口コミで広まり、各地に飛び火する。

国営商店のハーオーやコンズームの店頭では、長い行列が発生し、警察が交通整理する事態に発展した。

 

 東ドイツ首脳の頭を悩ませていたのは、建国以来の物不足であった。

社会主義経済による計画経済の下では、需要と供給のバランスは常に不安定で、物不足は解決しえなかった。 

 ゆえに石油危機のような不測の事態は、国家の危機そのものであった。

 

 当時の東ドイツ政府は、ソ連の援助の縮小に対応すべく、西側に解決策を求めた。

それは、5年物の建設国債の販売である。

 英仏などの諸国は足踏みしたが、西ドイツは積極的に国債を買い求めた。

また、米国のモルガン・スタンレー証券、チェース・マンハッタン銀行など、名だたる民間投資銀行も名乗りを上げた。

このことによって、東ドイツの政情不安は一時的に先送りされることとなった。

 

 

 今、議長の胸を騒がせているのは、その時に発行した対外債務の返還であった。

特に、1975年に発行した5年物の債券の返済期限が、だんだんと近づいてきたためである

 早朝からの閣議(かくぎ)は、紛糾していた。

それはブルガリアが近いうちに債務不履行に落ちいるとの報告を、秘密裏に受けたためである。

 

「諸君、ブルガリアの債権放棄が事実だとすれば……」

議長がそう言いかけたとき、アーベル・ブレーメは重ねて、

「ルーマニアやユーゴスラビアも同様の姿勢を取れば、一気に経済開発機構(コメコン)内の信用不安に陥る。

そうなってからでは、西側に比して産業の立ち遅れた、わが国の経済発展は頭打ちになる」

と、常にない様子でいった。

むしろそれは、議長のほうでこそ、待っていたことのごとく、

「だが、うまい具合にそれは避けられそうになった」

 

 

「どういう事でございますか、同志議長」

政治局員からの問いかけに、ちょっと議長は、居ずまいを直した。

近々(ちかぢか)、木原博士が、日本の商社マンとともに来られると連絡があった。

私としては、この機会を存分に利用したいと考えている」

議長は、やや眉をあかるくして、答える。

「同志諸君らは、この意見はどう思うかね」

 

 

 ふいにいま、ひとりの若手官僚が、挙手したと思うと、席から立ち上がった。

東ドイツでは人気のない、ソ連製の袖の長い茶色の背広姿をした小男が、

「建設省都市局都市計画課長のイェッケルンです」

 閣僚たちは、一せいに目を向ける。

「同志議長、そのことに関してですが……」

と、イェッケルンは、いよいよ早口となって、

「今の政府の見解は、国際共産主義運動への分派活動ではありませんか。

理由を、お聞かせ願えませんか」

と、声も高らかに答えた。

 

 その場に衝撃が走った。

みな沈黙におちたが、()きかえす者はない。

「…………」

 議長は、うんもすんも答えなかった。

興ざめた顔して、イェッケルンのを見まもっていた。

 

 議長のわきに座っていたアーベルは、うろたえ顔に、

「見損なったよ。同志イェッケルン」

と、ついに喰ってかかった。

「君は、もう少し冷静に現実を受け止めらるとは、思っていたが……

国際共産主義運動?そんなものは、国家体制の維持に比べれば、大したことではない。

物不足や社会不安によって、国内の労働力が海外に流出することの方が危機なのだよ」

と、相手の若い真額(まびたい)をにらみつけ、

「不服か」

と、語音をあげて云った。

イェッケルンは、その眼をすぐそらしてしまった。

 

 興奮するアーベルとは、別に周囲の反応は冷ややかだった。

そして声のない笑いを、イェッケルンの背へ向けながら、みな彼を見すえていた。

 遠巻きに見ていたシュトラハヴィッツ少将は、脇で(うつむ)いているハイム少将に耳打ちする。

「あのバカは、何だ」

妙なことがあるものと、シュトラハヴィッツは、変に思った。

「ほう?……では、その顔で、想像がつかんわけではあるまい」

ハイムは、そう一言いっては、眼のすみからシュトラハヴィッツの顔色を見、

「あれはイェッケルンとかいう建設官僚で、前議長の小姓と言われた例のお気に入り組だよ」

また一言いっては、相手の反応を打診していた。

「前議長の小姓か……、そいつは面白そうだな」

 打てばひびくというふうに、シュトラハヴィッツも図にのって、その血気と鬱憤(うっぷん)を、不平らしい言葉の内にちらちら洩らした。

 

「一気に切り崩しにかかるか」

ハイムは、聞き流してゆくうちに、その顔にもただならぬ色が動いた。

「ガチガチの社会主義者だ。その辺の政治将校より融通(ゆうづう)()かんぞ」

「ふん、ちょっと利用してみるか」

 

 

 会議の後、イェッケルン課長は控室に戻った。

彼の勤める建設省に帰る準備をしている折、声を掛けられた。

「大臣」

「同志イェッケルン、ちょっといいかな……」

 

 建設大臣の案内で、議長執務室に呼び出された彼は、議長の面前に通される。

重苦しい空気を壊すかのように、議長は笑みを浮かべた。

「同志イェッケルン……今の君の気持ちは、痛いほどわかる。

俺も若いころは、何度となくそういう気持ちを味わったものだ」

 イェッケルン課長は、微動だにしない。

すると議長の表情が、にわかに険をおび始めた。

「だが、今回の件は俺に貸しを作ったと言う事で納得してくれぬか」

 

「同志イェッケルン、今の国際情勢は、実に微妙な状態だ。

ソ連という大国の凋落、それによるEC各国の動き、そして日米の経済交渉……

わが国にとって、今まで以上に、西側との外交通商が最重要課題になる」

 再び、議長はよそ行きの笑みを浮かべる。

脇で聞いている建設大臣の顔色は、決して優れているものではなかった。

「誤解しないでくれよ。

これは君の力を不安に思っているわけではない」

 

「だが、いま求められているのは、社会主義にとらわれない自由な発想なのだよ」

 大臣は、イェッケルン課長の機嫌を(うかが)うような言葉を吐く。

「分かってくれ、同志イェッケルン。

議長は国のためを思って、日米との関係修復を急いでいるのだ……」

イェッケルン課長は、冷たく突き放した。

「話は、それだけですか」

彼は居住まいをただすと、議長の方に向き直って、

「失礼します」

深々と一礼をし、その場を辞した。

 

 

 イェッケルン課長がいなくなったのを見計らって、大臣が釈明をした。

「しかし有能な男なんですがね……

何度も言うようですが、社会主義に()(かた)まっていなければ」

 議長は、大臣の言葉が終わらぬうちに言葉を重ねた。

机の上にある煙草盆から、愛用するフランス煙草のゴロワーズをつかみながら、

「彼をここに呼んだのは、貴様にも責任がある」

大臣は、男の言葉の真意を測りかねている様子だった。

「えっ」

男は、両切りタバコを口にくわえ、

「シュタージの第8局の捜査官……」

静かに、ガスライターで火をつけた。

「会ったそうだね……」

途端に、大臣は驚愕の色を示す。

「えぇ……あ、あの……」

「あまり小細工はするな。

今回は見逃してやる。次はないぞ」

 

 

 

 

 イェッケルン課長は、(かわや)に入るなり、今までの憤懣(ふんまん)をぶちまけた。

「所詮は、アメリカの飼い犬ってことか。

力のない男だから……

ゼオライマーのパイロットに、愛娘(まなむすめ)(めかけ)に差し出すことしかできない宿命か。

腹を立てても、仕方ないか……」

 

 今の議長は官界では嫌われていた。

ソ連の次は、米国と西ドイツに、最終的な責任を持って貰う。

 議長は、「西と東が手を取り合って」と良き事の様にいっている。

だが、結局豊かな西側におんぶに抱っこ。

 つまり、東ドイツは自力で何も出来ない。

東ドイツ人の自尊心に対して、物凄く不誠実ではないか。

 そんな声も少なくなかった。 

米ソの思惑によって、ドイツ国家が西と東が分断されて三十有余年の時間を経た。

人生の大半を東ドイツで過ごしてきたという人も、1600万人と、決して少なくはなかった。

 どんな批判すべき体制であろうと、東ドイツという国でを一つの生涯を過ごしきたのは事実である。

そのつらい経験も、また人間を構成する一つの要素であることに変わりはなかった。

 

「このクソジジイどもが」

イェッケルンは怒りのあまり、トイレの鏡を鉄拳で割り砕いた。 

 

 

 

 まもなく、妙な噂が立った。

それも官衙(かんが)の中からである。政治局会議の直後だった。

「イェッケルン課長が乱心した」

「いや躁鬱病(そううつびょう)だとか」

「何、そうでない。議長の御前にてあるまじき暴言を吐き、ために訓戒を受けたそうな」

「そうらしい。自分の聞いたところもそれに近い」

と、いったような臆測(おくそく)まじりの風聞(ふうぶん)だった。

 

 

 その噂は、彼の娘、グレーテル・イェッケルンの耳にまで届いていた。

グレーテルは、総合技術学校*1の10年生になったばかり。

総合技術学校とは、満6歳から16歳までの10年間の義務教育機関で、日本の小中学校にあたる。

 今年はグレーテルにとって、重要な年であった。

職業学校か、高校進学かに関しての進路に対する重大な決定を決めなくてはならないからである。

 職業学校とは、2年制の学校である。

卒業後、企業や公団への進路が決まっていて、東ドイツ国民の9割以上がこの道を選んだ。

一応、3年制の特別職業学校もあり、そちらは大学進学の道が開けていた。

 高校は二年制で、西ドイツのギムナジウムに相当するものであった。

東ドイツでは、西ドイツと違い、社会人になってからも大学の受験資格は存在した。

社会人青年学校と呼ばれるものや、職業学校から専門学校に入れば、大学進学が可能であった。

 

 

 グレーテルには、青天(せいてん)霹靂(へきれき)であった。

自分の一生を左右するこの時期に、父の(あや)しげなうわさなどは……

党の反対派に関しては、つねづね聞き及んでいることも多々ある。

 シュタージの心事を理解するに、全くわからないグレーテルでもなかった。

特に今度の唐突な噂については、彼女も()せぬものを抱いていた。

 

 

 子供とは、残酷なものである。

父の事を思い悩むグレーテルのもとに、いつしか同級生たちが集まっていた。

「ねえ、グレーテル。こんな話、知っている……」

そういって、女生徒の一人が声をかけてきた。

「うわさで聞いたんだけど……

議長のお嬢さんが、ゼオライマーのパイロットに見初(みそ)めれられて、彼と結婚するらしいのよ……」

 何、世話話とグレーテルは訝しんだ顔を向ける。

「知っているわ。

少年団(ピオーネル)*2でも、学校も、もちきりだもの。

おとぎ話のような話ね」

「そう、おとぎ話、別世界だと思っていた。

でも、その噂の人が、東ベルリンに来るとしたらどうする」

そういって、不安と恐れとともに(つぶや)く。

 

 その言葉に、グレーテルの心は揺れた。

どうしよう……でも父さんを助けなければ……

今、党内や職場で不利な立場に置かれている父を救うには、その日本軍のパイロットに頼み込むしかない。

議長の娘の婚約者となれば、東ドイツの政財界に影響を持つのではないか。

窮地(きゅうち)にある父や母を救うためには、この私が出来ることをするしかない。

 

 

 子供心にそう考えた彼女は、ある決断をする。

グレーテルは、夢から()めたような面持(おももち)を向けて、

「ゼオライマーのパイロットに頼めば、父はどうにかなるんでしょう。

その人に会いに行くわ」と、つぶやいた。

*1
Allgemeine. polytechnischeOberschule.普通教育総合技術上級学校

*2
ソ連のコムソモールに相当。選抜されたエリートを基に結成したソ連と違い、東ドイツはほぼ全員参加型であった




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少女の戸惑い 後編

 グレーテルは、父を救うべく、木原マサキに接触する計画を立てる。
一方、彼女の知らぬところでは、偽情報が流布されていた。


 1978年の暮れの東ベルリンは、年初の緊張と一変して、恐ろしいくらい平和だった。

相変わらず西と違って、町は薄暗く、戦後の焼け跡の間からひそと話声が聞こえる程度であった。

 

 さて、グレーテルは、校庭の端で昼食をとっていた。

学校では社会主義を信奉(しんぽう)する優等生として通っている。

そのせいか、友人らしい友人が、全くいなかった。

 しかし、今は、(さび)しさはない。

マルティン・カレルという、秘密を共有する仲間が出来たからである。

 カレルとの関係は、今年の夏休みにまでさかのぼる。

7月20日の終業式の際、彼の行動を不審に思い、後を付けていた。

オラニエンブルク近郊の町にある、不法投棄現場で、秘密を明かされたのが関係の始まりだった。

 それから夏休み中、彼の調査活動を手伝うとして、一緒にベルリン近郊の村落を見て歩いた。 

 何か特別なことをするわけではなく、彼と一緒に時間を過ごす。

そんな何気ない事が、グレーテルには愛おしい時間だった。

 

 突然、グレーテルの面前へ、男子生徒が、眼いろを変えて駈けて来た。

「カレル、一体どうしたの」

 短い金髪に、怜悧(れいり)そうな顔をし、十代にしては(たくま)しい体つきの男子生徒。

 この少年こそが、グレーテルの思い人カレルであった。

彼は、身をふるわしていうのだった。

「答えてくれ、グレーテル。

君のお父上が、議長に暴言を吐いたそうじゃないか」

 カレルは、瞋恚(しんい)も明らかに、ぐっとグレーテルへ詰め寄った。

「やっぱり、例の話は本当だったのだね……

君のお父上が大変なのは、僕も聞いている。

でも、党幹部や大臣、お偉方(えらがた)にどうやって説明するんだい。

それに僕たちは未成年だ。陳情書も出せないよ」

 グレーテルは、力をこめていった。

「ベルリンにね、近いうちゼオライマーのパイロットが来るの。

彼に会って、私の父の件を頼みこもうかって……」

 そういうカレルの顔を、穴のあくほど見つめていた。

グレーテルは、なおさら、真面目づくって、

「カレル……、貴方を、巻き込みたくなかった」

グレーテルは、気まずさをこらえきれず、目を伏せてしまう。

「巻き込む、僕は、君の友人じゃなかったのかい。

今更、水臭(みずくさ)*1ことを言うなよ。巻き込むも、何もないだろう」

 カレルの言葉に、感激で胸が震えた。

同時に強い悲しみが、グレーテルの胸を襲う。

彼に迷惑をかけてしまったと、双眸(そうぼう)に熱いものが溜まる。

 

 カレルは、グレーテルに密着し、腰に手を回した。

二人は、視線を交わしている。

以前にはなかった、親密な空気に支配されていた。

 カレルが、ここまで感情をあらわにするのを、グレーテルは初めて見た。

しかし、それは当然の反応だった。

「無茶だよ。外国人だろ、日本人だろ。僕たちじゃ接点がなさすぎる」

カレルの感情を抑えるような声が、グレーテルの頭上に振ってきた。

 

 『父を救うために、木原マサキに会いに行く

 純情な少女の執念ともいえる、グレーテルの計画。

この計画には、致命的な欠陥があった。

それは、彼女がマサキの顔を知らないと言う事である。

 

 この時代の東ドイツには、東洋人は少なかった。

BETA戦争で、東欧から帰国してしまったのも大きい。

 なにより、9年前*2の中ソ対立によって、ソ連と中共(ちゅうきょう)の関係が悪化したのが原因だった。

東ドイツの外交はソ連によって厳格に管理されており、自身の意見を発表することさえ禁じていた。

 中共が、ソ連と西ドイツの接近を非難し、東ドイツを自陣営に引き込もうとした。

だが、東ドイツの外交姿勢は動じなかった。

 その為、中共は東ドイツへの不信感をむき出しにする。

1960年代に多数いた、中国人留学生や外交官は皆、帰国してしまった。

 

 また、出稼ぎ*3に来ていた北越南(ベトナム)人や北朝鮮人*4。 

彼らのような親ソ衛星国の国民の事を、現政権は怖れた。

 ソ連の煽動(せんどう)工作を怖れて、政府は帰国命令を下した。

労働協定は破棄(はき)され、ドイツ国内から、72時間以内に退去するように命じられた。

 その際、帰国支援金として、1500マルク*5の支払いをする。

つい先ごろ、そんな議長名の政令を発布したばかりであった。

 その為、東洋人は、東ドイツ全土からほとんどいなくなってしまったのだ。

東ドイツ当局は、従前からの労働力不足より、ソ連の復讐を、過剰に恐れたのだ。

 

 

「まさか、ベルリンの繁華街(はんかがい)を歩いて探そうっていうのかい」

グレーテルは、金縛りにあったように、足は動かず、声も出なかった。

図星(ずぼし)だね……」

 そういいながら、カレルはグレーテルの周りをゆっくりと威圧的に歩き続ける。

グレーテルは、暗然と、眼をくもらせたまま、なすすべを知らなかった。

「日本人、いや外国人観光客のたくさん来る場所なら、心当たりがある」

 

 カレルの計画は、実に簡単なものだった。

学校から帰った後、二人でペルガモン博物館に行こうと言う事だった。

 グレーテルがさらに衝撃を受けたのは、マサキに会うまで毎日続ける。

途方もないものだった。

 

 

 グレーテルは、日々変化していく自分にかすかな不安を覚えはしたものの、カレルとの秘密の関係には満足していた。

その至福と絶頂は、何物にも代えがたいものに感じてならなかった。

 だがそんな秘密の関係は、露見(ろけん)せずにはいられなかった。

いつまでも、一人密かに恋に浸り続ける事は出来なかった。

 

 

 今日(こんにち)も、なお36万人の人員を誇る諜報機関KGB。

それに勝るとも劣らない東ドイツの諜報機関シュタージ。

 約20万人の職員の大半は、嘱託(しょくたく)の医師や看護婦、料理人や炊事婦、ボイラー技士や整備工。

また、首都防衛のフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊や、高速道路警備隊などである。

実際のスパイ作戦に従事する者は少なかったが、それでも9万人近い情報関係者を(よう)していた。

 そして、そのほかに非公式協力者*6と呼ばれる情報提供者も抱えていた。

史実によれば、その数は、1989年のベルリンの壁崩壊時で、30万人弱とされる。

 これは人口1600万の東ドイツでは、異様な人数だった。

また地方の監視活動は、KGBの国内保安局の手法をまねて、網の目の様な防諜網が敷かれていた。

 

 ゆえに、カレル少年とグレーテルの夏休みの逢瀬(おうせ)は、シュタージの地方局からすでに本部に上がっていたのだ。

シュタージは、イェッケルン課長の失態を手ぐすねを引いて、待っていた。 

 そして、今回の事件を大いに利用しようとしたのだ。

上手くいけば、グレーテルと、その父であるイェッケルン課長を貶めることが出来る。

 成績優秀なグレーテルを逆恨みする生徒や父兄も多く、彼女は狙われていたのだ。

また、イェッケルン課長は生真面目すぎることで、各所から恨みを買っていたのも事実だった。

当人たちの知らないところで、大規模なシュタージの工作が、今、仕掛けられようとしていた。

 

 

 その夜。

失意のうちに、イェッケルン課長は帰宅の途に就いた。

彼は、茫然(ぼうぜん)と歩いていた。

ミッテ区の共和国宮殿から出て、プレンツラウアー・ベルク区のわが家のほうへ。

こう歩いていても、人ごこちのない程、彼は、憔悴(しょうすい)しきっていた。

 

「お帰りなさい」

わが家へはいって、椅子へ坐っても、まだ考えていた。

「グレーテルの事で、学校から通知が来ております」

 彼の妻は、彼が坐るとさっそく、一煎(いっせん)の薄い茶と、一通の手紙を前へ持って来た。

手紙は、学年主任からで、ひと眼見ても、ことの重大さが、すぐ知れた。

 内容は以下のとおりである。

成績優秀な貴兄のご息女ですが、何やら芳しくない噂を聞いております。

過激なブルジョア思想にかぶれた少年と交友し、いかがわしい場所に出入りしている。

その様に(うかが)っております。

後日、警察や教育委員会と協議し、今後の対応を検討したいと考えております

 妻が、前にいるのも知らぬように、課長は、ぶるぶると身を震わしながら、二度も三度も読みかえしていた。

余りに興奮しているので、前にいた彼の妻のほうが、間が悪くなって、もじもじしていた。

 

手紙を畳みながら、彼は、にがりきって、独り言を大きくつぶやいた。

「この話は本当なのかね!」

「はい」

そういって、妻が耳打ちをしてきた。

「役所のうわさで聞いたんだけど……どうもそうらしいのよ……」

眼色を変えて、次のようにいった。

「西のヒッピー思想にかぶれた小僧と、グレーテルが遊んでいるだと……」

 彼には直ぐ思いあたることがあった。

ここ数年来、危険な思想をもちつづけているヒッピーの活動家に、娘がたぶらかされたのではあるまいかということだった。

 社会主義独裁体制下の東独では、ヒッピー思想は国家への破壊活動と同一視された。

 

「もしもだけど、うちのグレーテルがそういう輩に誑し込まれて、駆け落ちしたら……」

「その時は、俺の方でシュタージなり、警察なりに、そのヒッピー野郎を訴えてやる」

と、呼吸も荒く、妻を叱ったが、

「グレーテルは、意固地だが、根は正直な娘だ。

そんな大事な一人娘を、西のブルジョア思想にかぶれた屑野郎にくれてやる理由もない。

あの子は、田舎の役所の簿記でも務めながら、いい男の目にでも止まってくれれば……」

 彼は、反省した。

しかし反省は、あきらめではない。

グレーテルを、早く諭したほうがよいと考えたまでのことである。

 

 

 積極情報、世にいう偽情報工作は、KGBの十八番(おはこ)であった。

工作対象をソ連に有利に誘導する政治工作は、1918年以降、チェーカー機関によって行われた。

例をとれば、戦前に世界各国を騒がせた『田中上奏文』である。

 この怪文書は、1925年ごろ、ジェルジンスキーの提案に基づき、OGPU*7が作った物である。

1929年9月、突如として日本国内に持ち込まれ、当時京都で開かれていた太平洋問題調査会の会議の座上で提出されたの始まりという。

そして日米開戦前の1930年代に米国共産党の秘密ネットワークによって全世界にばらまかれた。

 

 東ドイツの環境問題に関心を持ったカレル少年。

 

 カレルが調査していた、高速道路沿いの不法投棄。

それは、人民コンビナートと呼ばれる、東独の国営企業の産業廃棄物が原因。

急速な戦時増産体制によって、ごみ処分場が足りなくなり、空き地に建設残土とともに廃棄していたのだ。

 そして、カレルが調べていた高速道路は、シュタージ第8局の管轄だった。

いくら総合技術学校の9年生とは言えども、シュタージはその目を逃さなかったのだ。

 

 彼は、シュタージの陰謀によって、ヒッピー思想にかぶれた危険人物とされてしまったのだ。

そんな彼と夏休み中、逢瀬を重ねたグレーテルは、ヒッピーの恋人という烙印を押された。

 

 駐留ソ連軍が撤退し始め、ソ連による抑圧政策が弱まってきた時世である。

KGBの下で働いていた、シュタージにも敵対的な眼が増えてきていた。

 

 

つまり、イェッケルン家は、シュタージの偽情報工作の真っ只中に放り込まれてしまったのだ。

*1
よそよそしいこと。他人行儀

*2
1969年

*3
史実とは違い、マブラヴ世界の東ドイツ政府は1960年代から共産主義の北越南との労働協定を結んで、家族ごとの労働者を受けいた。史実では1980年以降であり、そのほとんどが独身男性であった

*4
北鮮の朝鮮労働党と、東ドイツのSEDは友党関係にあり、たびたび東ドイツが技術支援をする間柄であった

*5
1978年の西ドイツマルク・円のレート、1西ドイツマルク=115円

*6
Inoffizieller Mitarbeiter.(イン・オフィツィエラー・ミット・アルバイター)。頭文字からIMと称される。当時の東ドイツでは英語のCollaborator(コラボレーター)とは、決して呼ばれなかった

*7
合同国家政治総本部。ソ連の秘密警察。1923年11月15日設立、1934年7月10日解散




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査証(さしょう)

 日本政府の都合で東ベルリンを再訪問することになったマサキ。
その際、国境警備隊との間で、(いさか)いが起きてしまう。


 さて、場面は変わって、ここはボンの日本大使館。

マサキは、大使公邸の一室に差し招かれて、密議を凝らしていた。

 

 大使は紫煙を燻らせながら、マサキに事のあらましを説明した。

鎧衣(よろい)から、話は聞いたと思う。

日本のゼネコンが、東ベルリンのミッテ区再開発事業に参加するのは事実だ。

その事前交渉をやってもらいたい。

急いでいるのは、西ドイツの企業連合が参加する意向を見せているためでね」

 駐西ドイツ大使館勤務の珠瀬(たませ)玄丞齋(げんじょうさい)は、

「ざっと、総事業規模500億円にもなる。

とても泣き寝入りできる金額ではないのだよ」

と、熱弁をふるった。

 

 マサキは、ついに口をきり出した。

「どこへ行けばいい」

 大使をさしてである。

大使は、向う側の席から正視を向け、

「東ドイツの建設省と通産省、貿易省だ」

()いて、その顔を笑い作りながら、

「東ドイツに日本政府が融資(ゆうし)した理由は、東西統一を見越しての事だ。

既に東ベルリンを数度訪れた君に、言うのもなんだが……。

戦後復興の遅れた場所が多いのは、わかるだろう。

その不動産を出来るだけ、買いあさる。それが日本政府の目的なのだ」

と、至極、談合的に話かけた。

 

マサキが少し顔の色を変えると、珠瀬は笑って、

「返還後に日本企業が進出する。

後ろには東欧2億人の市場が控えているのだ。

ココム規制で、欧米の輸出が制限されている今、東欧市場への参入を図るのは必然といえよう」

 

 ココムとは、正式名称を対共産圏輸出統制委員会*1といい、1949年に設置された。

主に、戦略物資の対共産圏輸出規制についての自由主義諸国間の非公式の協議機関である。

 パリに事務局を置き、日本、米、英、仏、西独、伊、加のG7各国。

他に、、ベネルクス諸国*2、北欧のデンマーク、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、トルコの計16か国が、1978年現在参加している。

 

 

「したがって今の混乱期に多くの不動産を抑えて、既得権を主張しようというわけだ」

大使は、ちょっと、語気をかえて、

「無論、約束を守らないソ連の薫陶(くんとう)を受けた東欧の連中だ。

金を貸したところで、返済期限が来たら、居直って債務不履行にするのは目に見えている。

勿論、そんなことは絶対に許されることではない」

 マサキは、(うなず)いて見せながら、探るように尋ねた。

「俺に、何をしろ……と」

大使の方は、もっと覇気(はき)があるだけに、マサキの横顔を、上座から凝視するの風を示していた。

「その話をまとめてほしい。

アイリスディーナ嬢だったか……。

ベルンハルト大尉の妹と関係している君には、議長を説得することなど簡単な事であろう」

という大使の言葉に、たいがいなことは聞き入れるマサキも、『正気か』と、疑う様な顔をした。

 

 

 

 

 マサキの東ベルリン訪問は、西ベルリン経由で行われた。

東ベルリンに直接乗り込む方法もあったが、会社と方法が限られていた。

 まずは電車である。

東西ドイツ間で運行された特別列車で、俗に『領域通過列車』と呼ばれる。

その車両は、ベルリン・フリードリヒ通り駅から西ドイツのハンブルグを往復した。

 ただ、途中通過する、東ドイツの駅ではドアが開かなかった。

許可証のない東ドイツ国民が乗り込まない為である。

 許可を得た西ドイツ鉄道警察隊と東ドイツ国境警備隊が乗り合わせ、国境を超えると同時にパスポート確認をした。

 その際、特例として、東ドイツ国民は亡命を申請することが暗黙の了解として認められていた。

 次に、アウトバーンと呼ばれる交通網である。

東ドイツの高速道路網は、高速交通を監督したソ連の意向もあって、ほぼ戦前のままだった。

速度制限はなかったが、道路予算の少ない東ドイツである。 

 西ドイツが資金援助した東ベルリンにつながる道路網以外は、道は穴だらけで、凸凹(でこぼこ)しており、かなり酷い状態のものが多かった。

文字通り、ボロボロだったのだ。

 また、東ドイツ交通警察の『ネズミ捕り』が、頻繁(ひんぱん)に行われていた。

速度超過と言う事で、ドイツ語に不慣れな旅行者から20マルク*3を度々徴発していた。

 不服を申し立てて、料金を払わないでいると、シュタージ第8局と彼らを監督するドイツ駐留ソ連軍の憲兵隊が来て、解放してくれる場合が多かった。

もめ事を嫌う日本人旅行者の多くは、交通警察のネズミ捕りに応じて違反料を支払っていた。

 

 最後は、空路である。

東ベルリンのシェーネフェルト空港は、国際線に限って、西側の空港会社を受け入れていた。 

許可されていたのは、フランスのエールフランス*4である。

 その他にソ連のアエロフロート*5と、東側の航空路線が数社認められていた。

ソ連機に乗るのは、さんざんKGBと干戈を交えたマサキには除外される選択肢である。

 エールフランスの場合は、安全に東ベルリンに到達できたが、時間と費用が掛かり過ぎた。

西ドイツ国内上空を通過せずに、デンマーク上空を迂回する空路だった。

 

 以上の経緯から、マサキは一番安全で速い、西ベルリンのテンペルホーフ空港行きパンナム航空の便に乗ることにしたのだ。 

 

 

 

 西ベルリンのテンペルホーフ空港で降りると、空港近くのホテルに一泊した。

翌朝、ホテルからタクシーを拾うと、西ベルリン市内に出た。

丁度(ちょうど)、朝の通勤時間帯であるためか、市街の道路はものすごい渋滞であった。 

 

 時折渋滞をかき分けていく、パットン戦車や装甲車などの米軍の車列を見て、

「あれはなんだ」

瞋恚(しんい)を明らかに、車夫(しゃふ)へ問いただした。

「お客さん、あれは米軍の演習ですよ。

毎週抜き打ちで、通勤時間にやられるので、こっちは商売あがったりですよ」

「西ドイツ政府は、何も言わぬのか……」

 

 

 

 彼をいらだたせたのは、渋滞ばかりではなかった。

チェックポイント・チャーリーの通過手続きである。

 今年*63月に、はじめて東ベルリンに入った時には集団行動であったので、その様な小難しい査証はなかった。

また9月に行ったときは、外交交渉の一環として入国だったので、国境警備隊もただ見守っているだけだった。

 

 個人の東ドイツ訪問客、とくに西ドイツ国民以外は、入国査証発行料、10西ドイツマルク*7を徴収させられる。 

 強制的に一対一の為替歩合で、20西ドイツマルクから20東ドイツマルクに両替(りょうがえ)させられた。

 そのことはマサキをいらだたせた。

西ベルリンの銀行では、4対1の為替歩合で交換され、一般的には物価の相場から5対1で両替された。

 東ベルリンに行っても、正直買うものがないのである。

東ドイツに在住しているわけではないから、商店や食料品店で買うものもないし、20マルクは使えなかった。

物価が5分の一の東ドイツで20マルクは100マルクに相当する。

 一人で来て、レストランで20マルク分の食事をするのは非常に面倒だった。

物価の安い東ドイツで、10マルク分の食事をするというのは、大変な事だった。

 

 

 

 アメリカ統治地区とソ連統治地区の境界にある検問所、チェックポイント・チャーリー。

そこでも、マサキをめぐる一波乱があった。

 灰色の制服を着た係官が、マサキの差し出した旅券を受け取って、尋ねる。

「ドクトル木原、入国の目的は通産省の訪問ですか」

「ああ、そうだ」

入国時のスタンプを押したスリップと称される、別紙を張りながら、

「次官のアーベル・ブレーメに合われるんですよね。

では、紹介状は……」

 マサキは、正直、驚いた。

驚くべきことを、驚かないような顔はしていられない彼である。

「紹介状がいるのか。

関係者に聞いたが、そんなものは必要ないと言っておったぞ」

 

 東ドイツでは、外国人が滞在する場合には事前の申請が必要だった。

仕事や観光に問わず、指定された宿泊施設に泊まるよう指示があった。

 また、個人宅に泊まる際には、受け入れ先からの招待状が必要であった。

 

 灰色の軍服に緑色の肩章を付けた兵士。

国境警備隊の衛兵は、鋭い眼で、マサキの激色を冷々と見ている。

「紹介状がなければ、訪問は認められません」

 これは、警備兵の二度目の警告であった。

マサキは、余りの答えに、慌てた。

その顔色に示された通り、怒りに駆られて、気持ちの遣り場にどうしようもない様な恰好であった。

「アーベルとはすでに約束済みだ。シュタージなり、通産省なりに電話して確かめろ」

 マサキは、係官からパスポートを受け取ると、国境警備隊を押しのけていこうとする。

彼に対して、肩に担っていたソ連製のППШ(ペーペーシャー)41短機関銃を向ける。

「動くな!撃つぞ」

 マンドリンとして、日本人になじみの深い7.62ミリ弾を使うソ連製短機関銃。

製造から20年以上たったこの機関銃は、ソ連ですでに退役済み。

だが、東ドイツでは、軍、警察共に現役だった。

 

 双眼鏡で、検問所の向こうから見ていた米軍憲兵隊は色めき立った。

ベルリンの交差点のど真ん中で起きた、白昼の事件。

 しかも、非武装の旅行者に機関銃を向ける事態。

M14小銃を構えた米軍憲兵隊と、ピストルを取り出した西ドイツの警官隊が一斉に詰め寄る。

 

 騒ぎは、東西両方の警備隊長が出てくるまでの状態になった。

米、英、仏、三軍の警備隊や憲兵隊が集まり始めた中、乗り付けたパトカーが一台あった。

現場に着いたミヒャエル・ゾーネは、車から降りると、出迎えの国境警備隊将校が応対する。

 すると、チェックポイント・チャーリーの検問所のほうで、2、3発の銃声がした。

入国手続きをする旅行者が騒ぎを起こしたのかと、ゾーネはその方角に車を走らせた。

 見ると、ひとりの旅行者が、国境警備隊員に何事か、(わめ)いている。

警備兵が、短機関銃を空に向け、威嚇射撃をしても、なお前へ進みだそうとしている。

 案内役の将校は腰からピストルを抜き出し、

「言う事を聞かない奴は、さっさと逮捕するんだ」と、怒鳴り、ピストルを男に向けた。

「待ちたまえ」

 ゾーネが止めた。

彼は、()めている男が、東洋人であることを認めたからである。

「ここへ連れてきたまえ」

 

 かくしてマサキは、事情を知らない警備隊に危うく逮捕されるところを、事なきを得た。

ゾーネの前に引き立てられてきた。

 

 マサキは、しばらく一人のシュタージ将校を見つめていた。

それは彼の知らない顔であった。

 実際は、今年9月のベルリン訪問の際に会ったはずなのに……

アイリスディーナの気を引くのに夢中で、他の者には全く注意を払わなかったのである。

 一方ゾーネは、目の前の男が、アイリスディーナに言い寄った男であることを知った。

脇に立つ警備隊長が、ゾーネに囁いた。

「この男は、用心した方がよさそうですね」

マサキは、高みからものを言った。

「貴様らは、何者だ」

傍まで来ている米軍憲兵隊に聞こえるようにドイツ語ではなく、英語だった。

 

「シュタージ中央偵察総局の者です」 

と、ゾーネは、威を張るような顔もせず、(かしこ)まって、

「木原マサキ先生とお見受けされますが、身分を確認できるものは……」

 急に丁寧な言葉になり、彼の差し出す証明書を受け取った。

そして念を入れて、調べたが、

「いいでしょう。貴殿は今よりご自由になさってください」

と、気味(きみ)の悪い()みを浮かべていた。

「ところで、木原先生とやら。

アイリスディーナ嬢の味は、いかがでしたかな」

 マサキはふとゾーネに対して、(ひや)やかな感情を覚えた。

「婦人の権利拡大をうたう社会主義の東ドイツでは、女を、そのように見るのか……」

「貴方は西側の人間だ。それにいろいろな浮き名も聞いております」

マサキは正直にいって、はやくその問題から話をそらしたいような顔をした。

「女を己がものにしたなどと、喧伝するのは、10代の小童(こわっぱ)戯言(ざれごと)

のぞき見公社*8の職員とはいえ、そこまで詮索(せんさく)するのは無粋(ぶすい)というものよ」

と、マサキは少しも慌てずに言い返した。

ゾーネは、びっしと長靴を鳴らすと、車に乗り込み、走り去った。

 

 マサキは、後ろから二人の男の話声がするのに、気が付いた。

そして思わず、後ろから歩み寄って来た二人の男の姿を、振り返ってみた。

 男たちのしゃべっている言葉が、日本語で、なおかつ突拍子(とっぴょうし)もないものだったからだ。

「これは困ったことになった。今度は本当で軍法会議ものだ」

「全くです。こんな街中で拳銃騒ぎとは……」

「こんな時に、よく笑えるものだね」

鎧衣(よろい)さん。こんな滑稽(こっけい)なことは滅多(めった)にありませんよ」

 はてと、マサキはそれへ眼をそそいでいた様子である。

この時代の東ドイツには、東洋人、特に日本人は滅多に居ないからである。

 

 マサキは背広を着て、帽子をかぶった二人組を凝視した。

やがて、白銀(しろがね)と鎧衣であることが分かり、ほっとして、そばに歩いて行った。

()しからん話だろう。

俺が、東ドイツ政府に訴えて、あの警備隊員を銃殺刑に処してやる」

鎧衣は、理解し(がた)い顔をして、

「今の行動は、君にとって賢明とは思えないが……」

「賢明ならば、最初から、こんなところへ何も知らずに出かけてこないさ」

けれどマサキは、鎧衣の忠告に、易々(いい)として、甘んじるふうはなかった。

「だったら、なぜ来たのかね」

鎧衣はいったが、マサキは、むしろ喜ばない様子を示して、

「それについては、俺から直接、議長に伝えるさ」

と、心底のものを吐露(とろ)するように、答えると、白銀はさらに、

「とりあえず、共和国宮殿に行って、どういう結末になるか、見物してみましょう」

白銀の脇で見ていた鎧衣の顔は、晴れ晴れとしていた。

「そのあと、男3人で、ペルガモン博物館の観光もいいですな」

 

 マサキは、二人をせかして、国境検問所を後にした。

3人は、周囲の喧騒を心から楽しむ様に、東ベルリンの街中を歩いていた。

*1
Coordinating Committee for Multi-lateral Strategic Export Controls

*2
蘭、ベルギー、ルクセンブルグ

*3
1978年の西独マルク・円のレート、1西独マルク=115円

*4
1933年創業のフランスの国営航空。2004年にオランダのKMLと経営統合した

*5
1932年2月25日設立。ソ連の国営航空。1992年7月28日民営化

*6
1978年

*7
1978年当時、1西ドイツマルク=115円

*8
シュタージの蔑称




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迫る危機
法界悋気(ほうかいりんき) 前編(旧題:シュタージの資金源)


 非公式に、東ベルリンを訪れたマサキ。
その際、己の内心を揺るがす事件に遭遇する。
マサキの運命や、如何に……



 今回のマサキの東ベルリン訪問は、全くの私人での訪問という建前だった。

だから、仰々(ぎょうぎょう)しい車列も、儀仗隊の堵列(とれつ)も、一切なかった。

 なにより、マサキは商売道具を入れたアタッシェケースの他に、着替えの私服を持ってきていた。

それは、将校鞄と呼ばれる大型の鞄で背広とワイシャツを入れることの出来る物であった。

今風にいえば、ガーメントケースのことである。

 なぜ、マサキが私服を持ってきたかといえば、ずばり東独内部の調査のためである。

日本軍の制服では、あまりにも目立ちすぎるのだ。

 かといって、着古しの黒い詰襟も、アイリスとの逢瀬にはふさわしくない。

そのようにいろいろと悩んだ末に、アクアスキュータム*1のオーバーコートと既製服にしたのだ。

 

 調査活動をする鎧衣たちと別れた、マサキが訪れた場所。

それは、国家人民軍の作戦本部。つまり参謀本部である。

 場所はベルリン市街からSバーンと呼ばれる鉄道で1時間ほどで着くシュトラウスベルクにあった。

中央情報センターと呼ばれる建物の他に、複数の兵舎、核爆弾の直撃に耐えられる防空壕を備えた軍事施設である。

 BETA戦争が始まる前までは、モスクワのソ連赤軍総参謀本部との直通電話が通っており、24時間連絡可能であった。

また、ワルシャワ条約機構軍の構成国との連絡網も備えていた。

 

 そのような場所に、帝国陸軍の制服を着て、門を(くぐ)るのは、何とも言えない感激でもあった。

『俺は、この国に対して自由にモノが言える』と、一人おごっていたのも事実だった。

 

 参謀総長は、基地視察に出かけていた。

なので、参謀次長のハイム少将がマサキと会うことになった。

四方(よも)やま(ばな)しの末に、

「博士の、時ならぬご訪問は、何事でございますか」と、ハイム少将から訊ねだした。

 マサキは改まって、

「貴様は、たしかアルフレート・シュトラハヴィッツと水魚(すいぎょ)(まじ)わり*2をしていると聞く。

パレオロゴス作戦の折、シュトラハヴィッツと協力し、シュタージのシュミットを処刑した。

その詳細を、聞きたいと思ってな」

 ハイムは、色を失った。

自分の予感と違って、さては、詰問に来たのかと思われたからである。

 だが、隠すべきことでもなく、隠しようもない破目と、ハイムは心をきめた。

  

「私の親友でもあるアルフレートは、本当に一途(いちず)な男ですから。

あの時、シュタージを止めねば、この国は今まで以上にソ連の傀儡(かいらい)になっていたものでしょう」

 

 その時、マサキの胸中に、ユルゲンの顔が浮かんできた。

今年の2月下旬に、もし彼と運命的な出会いをしなければ……

彼の溺愛(できあい)する、妹のアイリスディーナ。

彼と鴛鴦(えんおう)(ちぎ)*3を結んだ、ベアトリクスと出会えたであろうか。

 もし、KGBの軍事介入の際に、東ベルリンで大暴れしなかったら……

ユルゲンを、KGBのヘリから発射された熱源ミサイル攻撃から、助けなかったら……

 KGBの(ほしいまま)にさせて居たら……。

ユルゲンや、シュトラハヴィッツは、シュタージに処刑されていただろうか。

 アイリスディーナやベアトリクスは、どんな人生を歩んだのだろうか……

そう思うと、熱い感情が、頬を伝わって落ちた。

 

「博士、どうなされました」

ハッと現実に意識を引き戻されたマサキは、椅子の上で居住まいをただした。

幾千万(いくせんまん)という亡者(もうじゃ)どもの前に、颯爽(さっそう)と現れて、支那のハイヴを攻略された。

貴方の様な存在があって、今の世界は泰平ではありませんか。

なにを、(うれ)いとなされるか」

 ハイムの鋭い目線は、上から振り下ろされるように感じる。

今の秋津マサトの若い肉体ゆえに仕方ないことだが、臆さず、答えた。

「将軍……」

マサキは濡れた目をあげて、断言した。

「俺に、シュタージの資金源を教えてほしい。

ユルゲンやアイリスから団欒(だんらん)を奪い、家庭を引き裂いた、ソ連の茶坊主(ちゃぼうず)

ベアトリクスを孤独の中に押し込めて、長い年月苦しめた、邪悪(じゃあく)な諜報機関。

KGBの傀儡から、ありとあらゆる秘密を暴きたくなってな……」

 

 その答えに満足したのか、ハイムは相好(そうごう)(くず)した。 

目を細めて、マサキを見てくる。

「博士のご胸中(きょうちゅう)、およそわかりました」

 

 国家保安省資料集(シュタージファイル)には、東独国民のあらゆる情報が詳しく書かれていた。

その他に、KGBとシュタージの関係、欧州の諜報網と工作員の名簿も併記されていた。

 だが、その資金源に関しては、厚いベールに包まれていた。

マサキは、美久に搭載された推論型AIを使って、KGBとシュタージの関係を洗いざらい調べた。

その過程で、中東での国際テロ支援や、西ドイツでの赤軍派による誘拐事件の全貌(ぜんぼう)を解明した。

 それでも、シュタージの富の源泉(げんせん)というものには、莫大な資料からたどり着くのには程遠かった。

故に、シュタージと対立関係にある国家人民軍を頼ることにしたのだ。

 

 無論、マサキも馬鹿ではない。

シュタージファイルと、CIAからの情報提供から、KGBから警戒されている人物にあたりを付けて、近づくことにしたのだ。

 KGBから嫌われていると言う事は、こちらに協力する公算が高い。

敵の敵は、味方であるという、大時代的な手法をとることにしたのだ。

 

 密議を終えたマサキは、ハイムの副官の黒髪の男の案内で、作戦本部の最上階から降りていた。

副官であるエドゥアルト・グラーフ*4少佐が、マサキを駅まで送迎することになっていた。

 後ろを歩くマサキは、東独軍にいるアイリスディーナの事を思慕していた。

(『アイリスは今頃、なにをしているのだろうか。

こんな閉鎖された社会にいても、人を信じることのできる純粋な娘……

いつまでも放っておけるものだろうか……

前の世界の事や、二度あの世からよみがえったこと、年の差やあの娘の境遇(きょうぐう)……

そんな事よりも、純粋なアイリスに誠意を示してやるのが先ではないだろうか』)

 

 つらつらと、そんなことを考えていた時である。

ふと、階段を下りる足を止め、階下(かいか)を歩く二人の男女に目を留めたのだ。

 マサキの顔色が変わったことに、気が付いたグラーフは、

「博士、どうなさいましたか」

心配になって、思わず、声をかけてきたのだ。

 

 マサキの視線の先にあったのは、迷彩服を着て歩く婦人兵であった。

長いストレートヘアーの、しかも迷彩服を着たアイリスディーナを見るのが初めてでも、マサキには、すぐにわかった。

一目(ひとめ)見て、その(けが)れなき美しさに、マサキの胸は激しく動悸(どうき)して、思わず顔が赤らんでしまう。

 9月のあの時の、アイリスディーナとの甘く(あわ)い口付け。

そして、(あま)清々(すがすが)しい香りが、マサキの脳裏(のうり)鮮明(せんめい)によみがえる。

 アイリスディーナと一緒にいた、栗色(くりいろ)の髪の偉丈夫(いじょうふ)

件の男は、中尉の階級章を付けた灰色の勤務服を着て、目をきらりと輝いて、彼女と楽し気に話をしていた。

 その様を見た、マサキの内心は穏やかでなかった。

嫉妬(しっと)という感情とは、ほぼ無縁の彼であったが、この時ばかりは違った。

まるで業火(ごうか)(そば)にいる様に、体が焼けんばかりに全身の血がたぎった。

(『あの小童(こわっぱ)は、何者だ。親しげに話すアイリスもアイリスだ。

俺という男がいながら……』}

 

 マサキは、前の世界で男女の三角関係を用いて、鉄甲龍(てっこうりゅう)のクローン人間を苦しめた男である。

塞臥(さいが)*5祗鎗(ぎそう)*6という二人の男が、ロクフェル*7という一人の女をめぐって、仲違(なかたが)いする様に遺伝子操作をして楽しんだ男でもある。

 だが、そのマサキ自身が、それに似た状況に置かれるとは思いもよらなかったのだ。

 

 マサキは、脇にいて心配するグラーフに、安心させるような声をかける。

「すまなかったな。俺は駅まで歩いて帰させてもらうぜ」

「えっ、博士。お車の方は……」

「あばよ!」

そういって、精いっぱいの笑顔を作って、作戦本部を後にした。

 

 駅までの道中、マサキは、己の不甲斐無(ふがいな)さを恥じらう様にうつ向いていた。

(『何と言う事だ。この俺があんな小童(こわっぱ)に負けるとは……

嫉妬(しっと)()(ちが)ってしまいそうだ。こんなにもアイリスに()かれるなんって……』)

悲憤(ひふん)のあまり、彼の黒髪はそそけ立って、おののきふるえていた。

 

 

 

 マサキが立ち去って行った、国家人民軍作戦本部。

 その建物の屋上で、将官用の赤い裏地のついた大外套を羽織った二人の男が何やら話していた。

ハイム将軍は、シュトラハヴィッツ少将のほうを振り返って、

「そうか、木原マサキを……」

「ああ……奴は腐りかけているが、腐っちゃいない。

俺たちがこの先の高みに昇るには、奴の力が必要だ」

 静かに脇で聞くハイムを横目にシュトラハヴィッツは、懐中より紙巻煙草を取り出す。

「それにしても、俺は最近こう考える……。

貴様なら、もっとうまくやるとな」

 ハイムは、煙草を口にくわえたシュトラハヴィッツをかえりみた。

しばらく、二人して押し黙っていたが、

「私も同じことを考えていたよ」

と、イムコ*8のオイルライターを取り出して、シュトラハヴィッツに差し出す。

シュトラハヴィッツは相好を崩すと、両手でライターの火を覆い、タバコに火をつける。

 パッチンとライターの蓋を閉めると、呟いた。

「いずれにせよ、一刻も早く、シュタージの息の根を止めねば……」

 

 

 アイリスディーナと歩いていた栗色(くりいろ)の髪の偉丈夫(いじょうふ)

それは、兄ユルゲンの竹馬(ちくば)(とも)*9であるオスヴァルト・カッツェであった。

 ここでオスヴァルト・カッツェその人の、人となりを、すこし詳しくいっておく必要があろう。

 彼の出自は、ユルゲンやベアトリクスと違い、特権階級(ノーメンクラツーラ)ではなかった。

ベルリン市内のパンコウ区にある小規模なパン屋*10の次男坊で、政治的には無関心(ノンポリ)であった。

 性格は明朗快活(めいろうかいかつ)*11で、周囲からの反応が良く、また女にもそれなりにモテた。 

彼の事を、ユルゲンは総合技術学校から頼りにし、家庭内の話まで明かしていた。

 そんな縁もあって、アイリスディーナが幼い頃から彼女の事をよく知る人物でもあった。

カッツェ自身は、アイリスディーナが美人であることを早くから認識していた。

 だが、カッツェは、アイリスディーナに、好意は一切抱いていなかった。

兄であるユルゲンが義兄になることを嫌がっていた。

そして何よりも、5歳以上も年齢が離れすぎていて、興味を持たなかったのだ。

 

 カッツェが、アイリスディーナと歩いていたのは訳がある。

彼は自分が管理する中隊に、アイリスディーナが配属されることが決まっていたので、面倒を見ていたのである。

「アイリス、情報センターでの研修(けんしゅう)中に、呼び出して悪かったな。

早速だけど、勤務服に着替えろ」

「はい」

 カッツェの指示を受けたアイリスは、急いで更衣室に向かった。

軽くシャワーを浴びてから、髪をとかして、勤務服に着替えるともう小一時間が過ぎていた。

 

 着替えてきたアイリスディーナを見たカッツェは、己の不思議な感情に驚いていた。

軍務で見慣れたタイトスカートの勤務服なのに、それは天女(てんにょ)羽衣(はごろも)に見えた。

 実に、世の人とも思えぬ優雅な美しさであった。

男なら、誰しも目を離さずにいられない抜群のプロポーション。

()えた(おおかみ)たちに、ずっと欲望に血走った眼で見続けられてきたことは、想像に(かた)くない。

 この楚々(そそ)たる美貌(びぼう)も、生母の不倫の他に、アイリスディーナの身持ちの固さを助長させた遠因であろう。

彼女の、貞操(ていそう)観念の強さをよく知るカッツェは、そのことをまじまじと考えさせられた。

 

 

「急いでるときに、ゆっくり着替えるとは本当に(きも)の座った子だね。

変わっているというか、なんというか……」

と、カッツェは苦笑した。

 だが、アイリスディーナは、どこまでも生真面目(きまじめ)だった。 

彼の冗談を()に受け、恥じた彼女は、いかにも済まなそうに、(うつむ)いてもじもじとした。

 そんな態度にカッツェの方が、ドギマギしてしまった。

まるで小さい女の子をいじめているような、気持ちになってしまったのだ。

カッツェはここは男らしく、先任の将校として立派に振るわねばと、自身を励ました。

「議長官邸に呼ばれるってことは、誰に会うかわからないもんな。

今のは冗談だから、許せよ」

と、さりげなく、アイリスを励ました。

 まもなく彼女は、車で迎えに来たヴァルターの傍に駆け寄った。

そして、カッツェと営門(えいもん)*12の前で別れた。

 

 

 

 東ドイツ国家評議会議長の官邸(かんてい)は、国家評議会ビルの一室に置かれていた。

シュトゥットガルトのマルクス・エンゲルス広場*13の南に位置する近代的な建物は、1964年に建設された。

その際、ベルリン王宮からファサードが移築され、左右非対称の外観になった。

 このバルコニーは、第一次大戦終戦前夜、カール・リープクネヒトが「社会主義共和国」を宣言した場所である。

帝国議会で、社会民主党(SPD)がドイツ帝政の崩壊を告げた、2時間後の出来事であった。

 

 1960年代の東ドイツを代表する社会主義モダニズムの建築物。

それは、ローランド・コルンとハンス・エーリッヒ・ボガツキーを中心とする建築家集団によって建造された。

 1階には、国家評議会議長執務室と、その代理人の執務室があった。

また、東ドイツ国旗が掲げられた議場と外交官迎賓(げいひん)室、クラブホールも設置されていた。

 迎賓室には35メートルもあるマイセン磁器の絵画が飾ってあったが、それでもソ連の建築物よりは内装は地味であった。

 ここで使われる食器やグラスは、ロココ様式で東ドイツ製ではあった。

そのすべてに、海外輸出のされているライヘンバッハ磁器(じき)工場の刻印がなされていた。

 ライヘンバッハ磁器工場の製品は、品質は折り紙付き。

東ドイツのマイセン陶磁器(とうじき)として海外に売りさばいた商品である。

東独が崩壊した今日(こんにち)も、この磁器工場は生き残り、東独時代そのままで、唯一営業している。

 だが迎賓館の食器は、ライヘンバッハの刻印(こくいん)があるだけで、実際は別な工場で焼いた量産品。

上等な釉薬(ゆうやく)*14をかけた、見せかけの品物であった。

社会主義特有の『ポチョムキン村』の偽装は、その崩壊まで秘密とされていた。

 

 

 

 アイリスディーナが国家評議会ビルに着いたとき、玄関先には見慣れぬ車が数台止まっていた。

それは、アメリカ製のセダンで、ゼネラルモーターズのキャデラック・セビルの新型車であった。

 1970年代前半に巻き起こった石油危機(オイルショック)の影響を受け、全長が5メートル強とサイズこそ小さくなったものの、エンジン性能や内装は以前の車にも劣らなかった。

 BETA戦争での資材不足への懸念から、内装をより粗末にしたソ連製のチャイカとの違いに、アイリスはひとしきり驚いていた。

 議長は、海外からの客の応対をしている最中だった。

相手国の国旗も掲げておらず、儀仗兵の役目をするシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊もいなかったから、私的訪問なのは判別がついた。

 

 迎賓室の隣で待つうちに、話声が聞こえてきた。

どうやら話している言葉は英語で、内容は石油に関しての事らしい。

周囲に誰もいないことを確認すると、椅子の背もたれに寄りかかって、待つことにした。 

 

 

 椅子に腰かけていたアイリスディーナの体を揺すって、起こすものがあった。

銀色の落下傘の刺繍が縫い付けられた赤いベレー帽に、ツーバックルの編上靴。

折り襟の制服の胸元の第一ボタンを開け、ワイシャツにグレーのネクタイ。

東ドイツ精鋭の第40降下猟兵大隊にのみ許された、制服の着こなしだった。 

 起こした人物は、議長の身辺警護を務める警護隊長だった。 

議長と米国人の客との話を待つ間に、アイリスディーナは転寝(うたたね)をしまったらしい。

「同志ベルンハルト少尉、お疲れならば……」

 軍隊は階級社会である。

本来ならば、もっと荒々しい言葉遣いでもよいのだが、議長の養子と言う事もあろう。

隊長は、丁寧な言葉づかいで、アイリスに声をかけた。

「同志少佐、大丈夫です」

第40降下猟兵大隊の長は、伝統的に少佐、中佐が務めた。

「さあ、議長がお待ちしております」

 

 

 別室に待っていた議長は彫りの深い顔をほころばせて、こう言った。

「同志ベルンハルト少尉。急な呼び出しをして済まない」

 議長は、養子とは言え、ユルゲンやアイリスディーナの事を一般人と同じように扱った。

対外的に、同志ベルンハルトと呼び、私的な空間ではユルゲンやアイリスと呼んだ。

もっとも周囲は、議長と親子の(さかずき)を交わした仲として、特別に扱っていた。

 

「今日から数日間、木原博士は非公式で、我が国を訪問されている。

国家人民軍から、英語通訳の婦人兵を付けようとしたのだが……」

「はい」

生憎(あいにく)、彼女は産休に入っていてね。

同志ベルンハルト少尉。悪いが、君がやってくれないか」

アイリスディーナは、口元に笑みを(たた)えながら、うなづき返す。

「わかりました」

アイリスディーナは、マサキに初めて出会えるような新鮮な期待に胸を膨らませた。

*1
1851年創業。英国の既製服メーカー

*2
水と魚が切っても切れない様に、親密な間柄や交際の事

*3
鴛とは、オスのおしどり、鴦とはメスのおしどりの事を指す。強い絆で結ばれた夫妻を指す言葉

*4
マブラヴの原作キャラクター。アニメ版になって名前が明かされた

*5
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の幹部。自分の力を過信し、マサキに挑むもメイオウ攻撃に敗れ去った。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*6
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の幹部。操縦する八卦ロボから核ミサイルの乱射でマサキに挑むもメイオウ攻撃に敗れ去った。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*7
秘密結社・鉄甲龍(てっこうりゅう)の女幹部。マサキに挑むもメイオウ攻撃に敗れ去った。『冥王計画ゼオライマー』の登場人物

*8
IMCO.オーストリアのライター及び金属加工製品会社。1918年から2012年までオイルライターを製造していた。現在は日本の柘製作所が正式にブランドを引き継ぎ、ライターの製造を続けている

*9
幼いころに、ともに竹馬に乗って遊んだ友。幼馴染の事。『晋書』殷浩伝より

*10
東ドイツでは、従業員20人以下の小規模な私営企業が許されていた

*11
明るくほがらかで、生き生きしていること。そこから転じ、隠し事やごまかしがない様子のこと

*12
兵営の門。軍事施設の入り口

*13
今日の宮殿広場

*14
陶磁器の素地の表面に施す、ガラス質の溶液のこと




ご意見、ご感想お待ちしております。


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法界悋気(ほうかいりんき) 中編(旧題:シュタージの資金源)

 国家評議会ビルに向かったマサキ。
そこで、彼を待っていたのは、意外な人物であった。


 マサキは、国家評議会ビルに来ていた。

歩いて駅に向かう途中、運よく人民警察のパトカーに声を掛けられて、乗せてきてもらったのだ。

 軍服姿で目立つこともあったろうが、すぐさまパトカーで乗り付けるとは。

東ドイツの総監視体制に、改めて驚いている自身がいた。

 別な男と歩く、アイリスディーナの姿を見て以来、マサキの口の中は砂を()んでいるような不快感に襲われていた。

パトカーで送られているときも、ずっとそうだった。

(『あんな小童に、アイリスディーナの事を渡せようか』)

関われば関わるほど、ユルゲンの妹に愛着が湧き、とても手放せない気持ちになっていたのだ。

 

 

 

 

 国家評議会ビルは、共和国宮殿から、ほど近い場所に立つ三階建ての建物である。

護衛兵に議長との面会に来た(むね)を告げると、奥にある応接室にまで案内された。

 その際、マサキと入れ違いに出てくる白人の男と、すれ違った。

 男の顔といえば。

ハリウッドの銀幕の中に出てくるような色白で、鷲鼻(わしばな)の、目の細い顔、典型的な白人。

ニューヨークで数多く見た、欧州ユダヤ人(ヨーロピアン・ジュー)そのものであることを、彼は一瞬にして気が付いた。

 

 深い濃紺地に白い線が書かれたチョーク・ストライプのスーツに、純白のシャツ。

金のタイ・バーに挟まれた、紺と銀の(しま)が描かれた上質な絹のネクタイ。

欧州人がバカにする左上がりのストライプを見て、マサキは、あることを確信した。

目の前の男が、アメリカ人で、ウォール街のビジネスマンと言う事を。

 

 縞模様のネクタイは、16世紀の英国陸軍に起源を求めることが出来る。

元々英国では慣習法で、常備軍の設置が忌避(きひ)されてきた。

 その為、地域ごとに独自性の強い連隊がおかれ、名誉連隊長*1に地方領主や王侯が就いた。

独自色を示すために、連隊ごとに奇抜な軍旗や、色や形の違う縞模様が作られた。

 その名残が、現代に残るレジメンタル・タイ*2である。

 

 このレジメンタル・タイは基本的に右上がりの縞模様であった。

今日では、英軍の各連隊の他に、英国内の有名私立大学の卒業生を示すものでもある。

 その為、各国首脳が集まる場面で、英国人やフランス人は、無地やコモン柄といったネクタイを付けた。

そして、縞模様(ストライプ)柄の由来を知らない、日米の首脳を、陰であざ笑っていたものである。

 

 

『なんでこんなところに、ニューヨークのビジネスマンが』という不安が頭をよぎった。

 確かに、今の東ドイツは経済的に不安定だ。

ソ連からの資源供給量は大幅に減り、そして今の議長は対ソ自立派だった。

ウォール街のビジネスマンを頼るのは、無理からぬことであろう。

 マサキは、議長があった人物を知らなかったが、ぴんと直感に来たものはあった。

相手は、自分を知っている風だった。

 

 議長と会いに来た人物は、アメリカの石油財閥の3代目だった。

敵対する二人が、今まさに東ドイツの首脳がいるビルで運命的な出会いをしたのであった。

 

 

 マサキは、部屋に入るなり、その目に一人の美女が入ってきた。

灰色の婦人用冬季勤務服をまとった、アイリスディーナだった。

 

 思いもよらない人物の存在に、マサキは、驚愕した。

(『あ、アイリスディーナ、どうしてここに!』)

(つや)やかな長い金髪の下で、アイリスディーナは(あお)い目をひときわ輝かせていた。

(『如何(どう)したら良いものか。まさかこんな形で再開するとは……』) 

マサキの胸の動悸が、(いや)増す。

 

 マサキのうろたえに関して、男はさっそく尋ねた。

「どうか、なされましたか」

白々しく、不敵の笑みを浮かべる男に、マサキは、

「いや、何でもない」と笑ってばかりいるのであった。

 そうするうちに、 

「わざわざ、ご足労を掛けましたが……」

上座の議長から、慇懃(いんぎん)挨拶(あいさつ)を受けた。

「挨拶はいい。要件を済ませよう」 

 

 マサキは席に着くと、アイリスディーナの通訳を交えて、会談が始まった。

もっとも、マサキはドイツ語がある程度理解できたので、英語通訳はいらなかったのだが。

 脇に美人を侍らせるのも悪くない。

マサキは、上機嫌で話し始めた。

「図面は東ドイツの書いたものを使う予定だ」

 その内容は、ベルリン中心のミッテ区に、25階建ての近代的な高層ビルの建てる。

日本の大手ゼネコンが、東ベルリンの再開発事業に参加する計画である。

「建設省まで取りに行ってやるよ」

 それは建前であった。

マサキは、東ベルリンの再開発をする復興管理局の事務所に行って、ちょっとひと暴れするつもりだったからである。

 だが、マサキの甘い考えは、直ぐにうち砕かれた。

「図面の方は、午後までに用意してお届けしますので……

それまで、市中にあるペルガモン博物館にでもご覧になってお待ちください」

 調子を合わせ、マサキは男を揶揄った。

「男だけで、そんなところに行ったところでつまらぬからのう。

誰か、名物であるペルガモンの大祭壇でも、案内してくれるのか」

 

 そこでドアがノックされ、別な秘書が入ってきた。 

「失礼いたします。同志議長、お電話が入っております」

「ああ、分かった」

 マサキは、複雑な気分で、男たちの会話を聞いていた。

もじもじするばかりのアイリスディーナと二人きりにされるのは、流石に気まずい。

「すみません博士、少し電話してまいりますので、お時間を頂きます。

その間、ご退屈でも、アイリスと話していて下さいませんか」

 連絡を受けたことを汐時(しおどき)とみて、議長は、一旦、席を立った。

そして部屋を出ると、護衛を務める第40降下猟兵大隊の兵士たちに下がるよう命じた。 

 

 

 ゲスト役を務めているアイリスディーナには、マサキが何で鬱勃としているのか。

 彼女は心外で、ならないらしい。

いまも、マサキが、湯気の立った茶を飲まずに紫煙を燻らせている、その席で、

「察するに、不都合な事でもございましたか。何かお心当りでも?」

 と、彼の胸へ、自己の不満をたたいていた。

「うるさい」

 マサキは、怒気を、青白く眉にみなぎらせた。

「もういうな。

無駄にこうしているのではない。おれにもここへ来ては考えがあることだ。

……それより、アイリスディーナ、こっちへ来い」

アイリスディーナはいわれるまま、恐々とすこし前へ進んだ。

「久しぶりだな」

「お元気そうで……」

としていたものが、どうしても、いまだに、どこかの恐れにある。

二人は、黙ってお互いの顔を見つめ合い、ただ呆然と立ち尽くすばかりであった。

 

 

「アイリスディーナ」

 マサキは、急に、相好(そうごう)を崩してみせた。

といって、彼女の細かな用心は解けようもないのである。

「お前の事を、今日、軍の情報センターで見かけた。

男と一緒に歩いていたが……

あの男、ずいぶん親しそうだったな。一体どういう関係なんだ」

 アイリスディーナは、恥ずかしそうにマサキを見やった。

「えっ、カッツェさんですか。

昔からの知り合いで、色々と親交のある方ですよ」

マサキは、その言葉を(いぶか)った。

「親交、どんな……

お前が、あんな楽しそうにするのは……初めて見た」

アイリスディーナは、頬を赤く染めて、躊躇(ためら)いがちに答える。

「それは、貴方が、私の事をよく知らないからでは……」

「確かにそうだな……」

(『俺は、アイリスディーナの事を驚くほど知らない……

俺の知らぬ男と、親しげに遊んでいたとしても……』)

 マサキは、沸々と、腹が煮えてたまらない。

落ち着こうとすればするほど、嫉妬は、逆に込み上げてくるばかり。

「俺は、カッツェという小童に負けたくない」

「何を……、カッツェさんは兄の昔からの友人です。」

 白々しいとは憎みながらも、憎み切れぬ程なやさしさ。

いつか、マサキも、やや(なだ)められていた。

 その上、つい恨みを、はぐらかされもする。

また、何となく気もおちつき、アイリスディーナの人柄までが、これまでになく優雅に思えた。

「俺は、カッツェに嫉妬している。

アイリス、俺はこれほどまでにお前に惹かれたのだ」

 

 沈黙したまま、見つめあう二人の耳元に壁時計の音ばかりが聞こえてきた。

マサキの口から思わず、ため息が漏れる。

「何としても、お前の心の内へも、木原マサキという男を焼付けねば、一生、妄執は晴れぬ。

アイリス、これほど男から言われたら、もうどうしようもあるまい」

 こうなると、その眼には、アイリスディーナの女の美のみ映ってくる。

彼の心にある邪悪なものが、白雪を思わせる彼女の美に、ひそかな舌なめずりを思うのだった。

「兄の友人と一緒に歩いたぐらいで、嫉妬なさるなんて……

いくら天のゼオライマーのパイロットは、言っても……」

 アイリスディーナは、少しずつ、後ろへと、身をずらせた。

そして、女の身をまもるべく、その体を硬めた。

「ばかな。な、何を言うか」

マサキは、するどく直って。

「無敵のスーパーロボット、天のゼオライマーのパイロット。

そんなものを鼻にかけて、誰が、これほどに手間をかけて女を口説くか。

お前の兄、この東ドイツにしろ、以後も変りなく付き合っているのをみても考えるがいい。

俺はただの男として、お前を口説いているのだよ」 

 

 アイリスディーナの胸は、苦しくなって、下へ崩れかけた。

マサキは、アイリスディーナの体を片手すくいに抱いたまま、ひたと自身の唇を近づける。

彼の焼けつくような唇は、烈しく彼女の甘美な紅唇(こうしん)*3をむさぼり吸った。

 抱擁もぐんと深くなって、激しくなった。

口付けを交わしながら、マサキは抜け目なく彼女の背中や腰に手を伸ばした。

灰色の勤務服の上着やタイトスカートを、ゆっくりと撫でさする。

 抱きすくめられたアイリスディーナは、陶然となっていく自分に困惑していた。

(「あ……、()けて行ってしまいそう……」)  

 まるで、夢の世界を揺蕩(たゆた)う様なキス。

それは、アイリスディーナが、かつて味わったことのない、情熱の口付けだった。

 アイリスディーナは、深く睫毛を閉じたまま、白い喉を伸ばし、マサキの手に寄りかかる。

興奮した息づかいを漏らしながら、まもなく濡れた瞳で、マサキの顔を丹念に見まわした。

 

 部屋の外の足音に感づいたマサキは、意識を一気に現実に戻した。

アイリスディーナの両腕を持ったまま、突き放す。

「議長が、戻ってきたようだ」

室内の二人は、うろたえながら、慌てて立ち別れた。

 

 間もなく議長が入って行くと、席を離れたことをわびた。

「本当に申し訳ない。

評議の結果を、なるべく早く渡したい思いますが……」

 マサキは、アイリスディーナの方を見ずに、やや残り惜しげに、答えた。

「そうか」

「アイリスは、いかがいたしますか。

もしお望みなら、彼女に案内をさせますが……」

と、議長がいうと、マサキは、バカなといわぬばかりに答えた。

「勘違いするな」

 

 アイリスディーナが、びっくりしたような目を向ける。

マサキは、誤魔化(ごまか)すように紫煙を燻らせた。

「俺にも都合がある。ペルガモン博物館に人を待たしてあるのでな。

後で改めて、うかがうことにする」

 マサキは、鎧衣(よろい)白銀(しろがね)と約束を理由にこの場から逃げることにした。

体も心も疲れていたので、そのまま官邸を去った。

 

 その足で、ペルガモン博物館のある博物館島へ向かった。

道すがら、マサキは、心の内で大きな嘆息(たんそく)をいだいた。

 女と関係すれば、恋愛の情という鎖が出来る。

情に(ほだ)されて、一たび巫山(ふざん)(ゆめ)*4を見たら、どうなるか。

 男女の愛ばかりでなく、一家親族などの周囲の(きずな)や、子も出来る。

それらの者を養うためには、心ならぬ道へも進まねばならない。

(『だいぶ、年下の小娘に入れ込みし過ぎた。

何かしらのけじめを、付けてやらねばなるまい……』)

そう考えて来ると、胸が熱く、痛く、いたたまれない思いだった。

*1
英語で、名誉連隊長を、Colonel-in-Chiefという。Colonelは日本語訳で大佐にあたる

*2
REGIMENT.レジメントとは、軍事用語で連隊を意味する英語である

*3
紅を付けたくちびる。そこから転じ、美人のくちびるの事

*4
古代支那の春秋戦国時代、楚の壊王が巫山の神女と契ったという故事から、男女の情を交わすことを指す言葉




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法界悋気(ほうかいりんき) 後編(旧題:シュタージの資金源)

 マサキは、鎧衣たちと共に、ペルガモン博物館を訪れた。
彼等が向かった博物館で、偶然に一組の少年少女と出会う。
マサキに接近した人物の狙いとは……



 マサキたちは、シュプレー川の中州にある島に来ていた。

そこは博物館島と呼ばれ、帝政時代から複数の博物館がたつ島である。

 先の大戦の折、米英軍の空爆を怖れ、多くの発掘品や遺物を地方に疎開させるも、東西分割によって、その遺物は散り散りになってしまった。

 また1945年5月に入市したソ連軍によって、多くの得難い秘宝が持ち出される憂き目にあう。

19世紀にシュリーマン*1が発掘した、古代トロイヤの秘宝である、かの有名な『黄金の首飾り』などは根こそぎ、奪われる事態になった。

 長らく、東西ドイツの研究者が所在を確かめるべく、モスクワ当局に尋ねたが、(なし)(つぶて)であった。

モスクワのプーシキン美術館にあることが、「再発見」されたのは、1991年の4月。

その現物が公開されたのは、戦後50年を経た1996年になってからである。

 しかし、1945年の夏には、プーシキン美術館*2の収蔵庫の奥深くに、持ち去らわれていたのだ。

 

 

 彼等が向かったペルガモン博物館に関して、簡単な解説を許されたい。

我々日本人がベルリンを訪問した旅行者から聞く『ペルガモン博物館』は個別の組織としてはなかった。

それは単なる施設の名称である。

『ペルガモン博物館』は、「回教美術博物館」「近東*3博物館」「ギリシャ・ローマーコレクション」からなる複合施設の総称である。

展示内容は、隣接する「旧博物館」や「新博物館」と重なっており、「ギリシャ・ローマーコレクション」などは、「旧博物館」に所狭しと並べてあった。

 

 マサキは時間的な都合から、ペルガモンの大祭壇と、プロイセン王室が中近東から購入した様々な遺物に限ってみることにした。

 大小さまざまな展示を見た後、バビロンのイシュタール門の目の前に立った時である。

大勢の観光客が、マサキの事をまじまじと見ていたのに気が付いた。

 

 博物館に行く際、帝国陸軍の茶褐色の制服*4だと面倒なので、着替えた。

身に着けていたのは、英国製のダッフルコート。

有名なグローバーオール*5ではなく、アクアスキュータム製。

 その意匠(デザイン)は、オリジナルのラクダ色の羅紗(らしゃ)*6ではなく、上品な濃紺色で、裏地付き。

さらに、着丈が腰丈から脹脛(ふくらはぎ)まであるマキシ丈に変更された物であった。

 外套の下は、分厚いウーリープーリー*7の黒いセーターと、裏地付き*8のジーンズ。

ドイツに観光旅行にでも来た、大学生風のいでたちであった。

 

 社会見学に来ていたであろう小学生らしき集団が、マサキを物珍しそうに見ている。

そのうち、引率の女教師が近づいてきて、

「失礼ですが、どちらからいらしたのですか。

肌や黒い髪から、お見受けすると、支那人(ヒーナズ)とおもわれますが……」

「日本から来ました」

 

 鎧衣の流暢(りゅうちょう)なドイツ語に驚いたのか、はたまた東洋人の珍しさか。

皆、一様に驚いた顔をしていた。

 会った集団は、ドイツ北部から来ていた修学旅行中の技術学校の低学年であった。

マサキに年齢や旅行の理由を尋ねてきたが、マサキには非常に目障(めざわ)りに思えた。

鎧衣と白銀にその場を任せて、手を振って去ると、その場を後にした。

 

 喫煙所のベンチに、一人腰かけ、タバコを取り出す。

紫煙を燻らせながら休んでいると、一組の少年少女が近寄ってきた。

 この1970年代では、子供が喫煙所に出入りすることは珍しくはない。

だが、自分以外がいないところに何故と、マサキは(いぶか)しがった。

 成人の喫煙率の非常に高いソ連であれば、小学校高学年からの喫煙はざらであった。

成人の9割、婦人の7割が喫煙し、モスクワやレーニングラード*9の街中ですら、堂々と子供が外人に煙草をねだることがあった。

 ソ連と違って、東ドイツは喫煙にはうるさかった。

紙巻煙草の値段も、東側諸国の中では比較的高く、軍や警察の教本でも喫煙に関しては、早くから医学的見地から注意がなれるほどであった。

 

 マサキは、彼等から目をそらしながら、新しいホープの箱を開けた。

気分を落ち着かせるために、タバコを立て続けに2本から3本吸う。

この一連の動作は、マサキの精神にとって、重要な一種の儀式と呼べるほどになっていた為である。

 

 黙って紫煙を燻らせていると、まもなく何者かが声をかけてきた。

見れば、黒のピーコートに、黒のフラノのズボン姿の少年が立っていた。

金髪の小利口そうな容貌(ようぼう)の、中々の背丈であった。

「失礼ですが、木原マサキさんですよね」

急に声を掛けられたマサキは、ちょっと眉をひそめ、

「何の用だ。小僧」

「マルティン・カレルと申します」

そう名乗った少年は、しばらく辺りの気配を、確認した後、やがて小声をひそめて、

「貴方を見込んで、この国の環境汚染の惨状(さんじょう)を話したいと思います」

と、彼の知りうる範囲の事を話し始めた。

 

 BETA戦争の結果、ソ連製の石油が不足して、東ドイツはエネルギー不足に(おちい)った。

政府は、閉鎖した炭鉱を再び開き、水分や不純物の多い、質の悪い褐炭(かったん)を用いている。

そのために、工業地帯の近隣住民に、公害が出ていること。

 東ドイツ政府は、環境汚染を隠すために、シュタージを用いている。

その様なことを、熱心に説き始めたのだ。

 

 マサキは、カレル少年の話を聞くうちに、過去への追憶に旅立っていた。

 ドイツはほかの先進諸国に先駆けて、環境問題への関心が高い国であった。

1898年にできた世界初の全裸団体、FKK*10

彼らの思想には、すでに環境問題への関心の萌芽さえ、見えはじめていたほどであった。 

 FKKという集団は、ワイマール共和国、第三帝国、東ドイツのSED政権さえもその存続を許した団体である。

逆に西ドイツでは、ナチス時代の悪癖と危険視された集団であった。

ドイツの全裸主義に関して言えば、東ドイツ国民の5人に4人の割合で全裸で海水浴をしていたというから、その思想の浸透ぶりが分かるであろう。

 

 意外なことに東ドイツは、環境問題に1960年代から取り組んでいた。

ただし、社会主義諸国特有のお役所の事情で、書類と政治宣伝のみであった。

 事態が変わるのは、ホーネッカーの登場である。

シュタージと手を結んだホーネッカーは、先進的な政策をとり、ソ連から距離を置くウルブリヒトを危険視し、追放した。

その際、ウルブリヒトが肝いりで作った環境省は有名無実化され、1968年から公開されていた環境報告書は、1974年にシュタージが管理する国家機密となった。

 そして一番の理由は東西ドイツ基本条約である。

東ドイツが独立国として認められた。

そう考えたホーネッカーは、環境政策を外交の道具として取り扱うのを止めた。

 西ドイツからの施し金も、その施策を後押しさせたのは間違いない。

だが、当時は東西ドイツの経済的発展は急務だったのも大きい。

 同じ敗戦国で海外からの資源を輸入する日本が環境庁を厚生省から分離独立させたのは1971年である。

西ドイツの連邦環境庁が設置されたのは、1974年。

1973年のオイルショックを受けてであった。

 本格的に活動をするのは1986年のチェルノブイリ原発事故を受けての事であった。

 

 この事を見ても、ドイツ人というのは立派なお題目(だいもく)ばかりを立てて、実現する能力が低い。

ドイツ民族の大言壮語の癖を直さない限り、ナチズムが再度支配するであろう。

一人マサキは、ドイツ人の頑迷さに、あきれ果てていたのであった。

 

 マサキは、ふとカレル少年に尋ねた。

「一番の環境問題は、何か知っているか……」  

「それは褐炭の使用と、深刻な地下水汚染、未処理の工業化用水の河川流出と思っています」

「そんなことは、大事を前にして、些事(さじ)にしかすぎん」

「でも、わが国で気管支ぜんそくが増えているのはご存じでしょう。

児童の約半数が、何かしらの呼吸器に疾患を抱えていると……」

「ああ」

 マサキは静かにうなずくと、タバコを取り出した。

心の疲れを安らげるように、紫煙に身を任せた後、

「俺が些事と言ったのは、そんなものはSEDをぶっ飛ばせはどうにかなる。

しかし、それより深刻なのは、BETA戦争における、ソ連の核の連続使用による放射線被害だ。

少なくとも中央アジアの放射能汚染は、セミ・パラチンスク*11の実験場*12の数倍にもなろう。

あとに残されるのは、数世代による遺伝障害だ」

 マサキは、遺伝子工学の研究者でもあった。

20世紀初めに実施された、米国の学者マラーが行った、放射線実験の事が頭をよぎる。

 放射線により遺伝子異常をもたらしたショウジョウバエの実験から、遺伝障害が数世代続いていくことを思い起こしていたのだ。

生物実験の推定から、両親のどちらかが1シーベルト以上の被爆をすれば、子孫に0.2パーセント以下の確率で遺伝的障害がおこるとされた。

 先の大戦において、広島や長崎で原爆が投下された際は、その様な障害は、日米両政府の疫学調査で、確認されなかった。

だが、深刻な就職や結婚差別が起きたことを、昨日のように甦ってくる。

 

「そして、一番の環境破壊は、BETAによる浸食だ。

中央アジアとアフガンでは、地形そのものが変わった。

7000メートルの高さを誇るヒンズークシ山脈*13もだいぶ削り取られた。

バーミヤンの石仏も、今や、灰となってしまった」

 

 

 

 

「東ドイツの環境汚染は、写真を撮って、雑誌にでも売り込めば、よくなるきっかけにはなる。

おい、小僧。場所だけ教えてくれ。

外人の俺が、後で調べてやるよ」

 前の世界で、環境問題から西ドイツの協力を引き入れた反体制派の事を思い起こした。

東ドイツの環境問題は、東ドイツ一国で済む問題ではなかった。

 オランダをはじめとするEC*14諸国は、環境基準の甘いことをいいことに、自国内で処理に困る産業廃棄物の処分場を、西ドイツの金で建設した。

その際には西ドイツから、年間使用料として3300万マルク*15の金が支払われていたのである。

 東ドイツのごみ処分場は、西ドイツにとっては非常な軽減負担であった。

西ドイツとの国境沿いには大規模な埋め立て場やごみ処分場が建設され、東ドイツの建設会社がその事業を請け負った。 

 東ドイツには従業員数20人以下の私企業は認められていたが、そのほとんどは個人経営の食料品店か、テーラーであった。

建設会社などは、国営企業か、それに連なる団体である。

 つまり、西ドイツと東ドイツの間では、金で産業廃棄物の売買がなされていたと言う事である。

 

 その時、マサキの脳裏に黒い考えが浮かんだ。

写真か、映像を取って、売ればいい金になる。

さしずめ、ナショナルジオグラフィック*16やネイチャー*17といった知識層向けの有名雑誌。

あるいは、英国のザ・サンや、米国のニューヨーク・ポストなどのタブロイド紙でもいい。

全米一のケーブルテレビであるCNNや、フランス第二放送にでも持ち込むのもよかろう。

 

「話はそれだけか。

俺も忙しい身分でな、暇を見つけて対応しよう」

 

だから、東ドイツの環境問題のことを、マサキが本当に憂えてくれての扱いなら……。

この出会いは、カレルやグレーテルにとっては、願ってない邂逅(かいこう)の機を作ってくれた。

彼の好意を、大いに感謝せねばなるまい。

 だが、マサキの真意がどこにあるかは、カレルには全くつかまれていなかった。

ベルリンに来て遊んではいるが、しかしその辺には、カレルも腹に一線の警戒をおいている。

 同様に。

グレーテルの様子にも、どこやらマサキの言葉を、そのままには受けとってない節がみえた。

 

 グレーテルが、静かな口調で、訊ねたのである。

「ところで、私の話も聞いていただけましょうか」

マサキは、カレル少年との会話は、そこで切って、不承不承に、連れの少女へも声をかけた。

「どうした、小娘」

「どうか、父を救ってほしいのです」

 グレーテルの容姿は、マサキの気を引くほど冴えていなかった。

黒のミディアムヘアーに、冴えないベークライト製の四角い眼鏡。

服装は、濃紺のブレーザーに、白のブラウス、丈の長い濃紺のジャンパースカート。

 まるで、劇画の世界に出てくるガリ勉少女の風の支度(したく)であった。

そのを見て、あきれたマサキは、ふと冷笑を漏らす。

「外人の俺にそんな話を頼みに来たとみると、政府関係者。

それも事務次官級か、あるいは局長級。課長職以上か。

さしずめ、どこかの省庁(やくしょ)に出入りする()()役人ではなさそうだな」

当のグレーテルよりも、この話は、カレルの気色を、妙にざわめかせた。

 

「シュタージに、西ドイツの金が流れているって噂を流すんだ。

嘘だってかまわない」

そう聞くと、カレル少年は色を失った。

「この国に西ドイツの金が入ってきているのは事実だ。東独政府の全職員が感づいている。

小娘、お前の父も例外ではない」

 聞くうちに。

グレーテルは唇を白くし、その姿も、石みたいなものに変った。

「西側と対峙している国が西の金で回っているって、知れ始めたら、この国は動かなくなる。

党が、政治局が、声を()らしたところで終わりだ」

 まさかと、信じられない気もしつつ、体のふるえは、どうしようもない。

「1000年以上の伝統を持つ、誇り高きドイツ人だろう。

外国の乞食(こじき)じゃないことを証明されるまで、簡単に怒りは収めまいよ」

マサキの話す勢いに、二人は固くならざるをえなかった。

「党と政治局は、シュタージを使ってまで、そのことを証明せざるを得なくなる。

そこに(すき)が生まれる。こちらから仕掛けられる」

 

 

 カレル少年は、いやな顔をして、

「さ、流石、冥王と呼ばれる男……木原マサキ」

マサキはそれを機に、ベンチから立ち上がる。

「俺も、こんなしみったれた国で、死にたかねえんでな」

そういって、彼は不敵の笑みを漏らし、その場を辞した。

*1
ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(1822年1月6日 - 1890年12月26日)。ドイツの考古学者、実業家

*2
国立A.S.プーシキン名称造形美術館

*3
近東とは、欧州からみた近い東の国の意味で、今日のトルコ・エジプトを指す言葉である

*4
70式制服。マブラヴ世界の帝国陸軍は陸上自衛隊の被服及び装備を使用している

*5
1951年創業の英国の服飾メーカー。元は英国国防省の委託を受けた軍事物資の放出品の販売店であった

*6
毛織物の一種。織り上げ、収縮させた後、地を厚く密にし、更に毛羽立てたもの

*7
Woolly Pully.1922年創業の老舗、英国・ケンプトン社の商標。今日でも米軍、NATO諸国では正式採用された軍用セーターである

*8
lined jeans.少なくとも、1950年代には起毛素材の裏地が付いたジーンズが、米国では一般的に販売されていた

*9
今日のサンクト・ペテルブルグ

*10
Freikörperkultur.全裸主義運動。今日は旧西ドイツ地域において売春宿の隠語として用いられている

*11
今日のカザフスタン共和国アバイ州セメン市

*12
1949年から1991年まで、18000平方メートルの核実験場があった

*13
パミール高原の南縁からアフガニスタンを横切り、イラン国境までほぼ西南西に延びる山脈

*14
今日の欧州連合の前身で、経済分野の統合によって、米ソに対抗できる勢力の形成を目指し、1967年に欧州経済共同体から発展させた国際機関

*15
1978年現在:1マルク=115円

*16
1888年9月22日創刊。米国の写真入りの月刊誌。同誌は冷戦時代のソ連や中共、ベルリンでも活動した

*17
1869年創刊。英国の科学雑誌



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修羅(しゅら)(みち)

 たった一機のマシンの前に敗れ去った、ソ連最精鋭のヴォールク連隊。
その事実が与える影響は計り知れなかった。
永遠に続くかと思えた、社会主義独裁体制崩壊の始まりにしか過ぎなかった。


 マサキが、ベルリンを再訪問した話は、その夕方にソ連にまで伝わっていた。

ウラジオストックの共産党本部では、怒声が響き渡る。

「木原が、G元素の研究を完成させた。(うそ)だ。嘘であろう?」

ソ連最高議長のチェルネンコは、信じない顔つきであった。 

「そんなバカな話は信じられぬ。

我々と同じく、ナチスの科学者を連れ帰った米国人なら、ともかく……

あの黄色猿(マカーキ)どもに、G元素の研究開発などできるはずがない」

 議長の問いかけに、KGB長官はあきれたと言わぬばかりの、冷たい一瞥(いちべつ)を返した。

「同志議長。

ブルジョアの疑似(ぎじ)科学(かがく)を研究する、木原マサキという日本野郎(ヤポーシキ)

あの男は、恐るべき超マシンゼオライマーを建造して、我々に挑戦して来ております。

先のミンスクハイヴにおいて、100万のBETAを撃滅させたのは、記憶に新しいところです。

日本野郎(ヤポーシキ)といえども、(あなど)るべきではございません」

 KGB長官は、ゼオライマーの事を知らぬ議長を、せせら笑いながら答えた。

人を人とも思わない彼の態度に、議長は不快感を(あら)わにし、きつく(にら)み付ける。

「その情報は、確度(かくど)の高いものなのかね」

「KGBの情報網によりますと。

日本に潜入させた特殊工作員を通じて、元帥府の中から直接聞いたものだと言う事です」

「確実な証拠をつかめ、それも急いでだ」

その後、KGB長官は、まもなく部屋を出て行った。

 

 ソ連の科学技術を一手に引き受ける、科学アカデミー総裁はそれに答えて、

「率直に申し上げて、日本でのG元素研究の可能性はあると言う事です」

「何!」

「G元素爆弾は、原水爆と同様に、G元素さえあれば、簡単に作れるのです。

バウマン技術学校を出ていない普通の学生でも、時間と場所さえあれば可能です」

 

 正式名称、N.E.バウマン名称モスクワ高等技術学校。

西欧に著しい科学技術の遅れを自覚したロシア帝国は、工科専門大学を設ける。

1830年にモスクワにできた工芸大学を基とするこの学校は、赤色革命後も存続を許された。

 1930年3月20日、ソ連最高国民経済会議*1の命令第1053号に従い、大改革がなされた。

機械工学、航空機械工学、電力工学、土木工学、化学工学の5つの独立した高等技術学校に分割された。

モスクワ航空研究所、モスクワ動力工学研究所、モスクワ工学建設研究所、赤軍軍事化学アカデミーなどである

この事は、ソ連の軍事発展と航空技術の開発に寄与した。

 そして、冷戦後の1948年。

世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の開発者であり、ソ連宇宙飛行学の創始者であるS.P.コロレフ。

彼の活動に関連する、飛行理論分野のロケット先端研究学部が設立された。

 その様な経緯もあって、同校の出身者の多くは、軍事技術と縁が深かった。

卒業者の多くは、最初期の核技術、ロケット技術者に道を進んだ。

それ故に、科学アカデミー総裁は、その名前を例示したのであった。

 

「一体、それはどういうことなのだね。

何故、米国は、驚くばかりの科学者を集め、膨大(ぼうだい)な費用を必要としているのだ」

「自動車のように操縦できぬのですよ。

この未知の新元素を、我らの発展のために使用できません」

「科学アカデミーの同志諸君らは、爆弾を作っているのではないのか。

この国家存亡の危機に際して、温水プールでも作るつもりなのかね」

科学アカデミー総裁は(さか)らうことなく、ただ党の為に、また同僚の為に、こう言い足した。

「同志議長、G元素は原水爆同様、平和利用されるべきです……」

「ええい、黙れ。出ていけ、このブルジョアの似非学者(えせがくしゃ)屑野郎(くずやろう)め」

「失礼いたします」

 何しても、もってのほかな立腹なので、科学アカデミー総裁にも扱いようがなかった。

むなしく悶々(もんもん)の情を抱いて、彼は科学アカデミーへ立ち帰った。

 

 一人残された参謀総長に、議長は不愉快な顔をした。

「参謀総長、どういうことなのかね。

なぜ、社会主義を嫌悪する木原が、これほどまでに東ドイツに肩入れするのかね」

「申し訳ありません。木原の真意は全く持って不可解です」

日本野郎(ヤポーシキ)は、我らに理解できない思考をするようだな」

参謀総長は、気の毒そうに告げた。

「同志議長、私を解任してください」

「何」

「先のノボシビルスクの件も、ございますが……、

相手の心を読めぬ以上……、作戦の立案は、できません」

「参謀総長。まだESP発現体という、怪しげなものに頼ろうというのか。

祖国を、党を裏切るつもりなのかね」

 

 参謀総長は、初めて、色にも言葉にも、感情をあらわした。

「いいえ、木原および日本野郎(ヤポーシキ)関連に関しては、私は不適任だと申しているのです」

「この期に及んで、君は日本野郎(ヤポーシキ)和睦(わぼく)を結べというのかね」

「冷静に考えるなら、日本に()(じょう)を出すべきです。

我が赤軍は、BETAとの戦争に全力を注ぐべきです」

 

「再び黄色猿(マカーキ)に敗れるくらいなら、BETAの(えさ)になる方がマシだ」

 議長は口にこそ出さないが、憤然、そう思わずにいられなかった。

これ以上の屈辱はしのび得るところでない。

 彼の眉は、はっきりそういうものをただよわせながら、

「いや……何、さしつかえがあれば、またの機会といたそう。

戦争の先は長い。ひとまず、君は休みたまえ」

「わかりました。同志議長。小官は退席させていただきます」

 参謀総長は、議長に一礼をした後、あきらめた様子で、ドアに向かった。

ドアノブに手をかけたかと思うと、静かに部屋を去っていった。

 信任していた参謀総長まで……、自分を裏切るのか。

 チェルネンコ議長は、思い知らされた。

ソ連国内にも、いや政治局という己の足元にも、多数敵が存在することを。

 

 

 執務室に取り残されたチェルネンコは、思い悩んでいた。 

『わが最強の第43戦術機甲師団ヴォールク連隊が、たった一機の戦術機に敗れ去った。

この事実が、冷戦という構造に与える影響は計り知れない……』

 彼は、思考の合間に眺望(ちょうぼう)に目をやり、黯然銷魂(あんぜんしょうこん)に沈んでいった。

 ゼオライマーの存在は、この世界に多くの利益をもたらした。

100万を超える精兵をもってしても攻略できなかったハイヴの撃滅。

 しかもほぼ無傷__。議長の心は揺れた。

どうせ黄色猿の作ったマシンだし、ろくな実績もないと、高を括っていたのだ。

『ゼオライマーは史上最強のマシンとして、月面攻略に向かうであろう。

木原がどう動き、日本が我らにどう立ち向かうか、予想はつかないが……』

 

 ソ連の自尊心は大いに傷つけられたが、ここはひとまず東欧から撤退しよう。

あまり東欧問題に時間をかけ、全世界から孤立する前に。

 ブレジネフの直弟子であるチェルネンコにとっては、複雑な思いである。

『チェコ事件』*2で、ブレジネフは、社会主義国間の引き締めを図った。

このソ連の一大原則、主権制限論*3を捨て去ればどうなるか。

第二、第三の反乱が起きるのは、目に見えている。

 かつてないほどの怒りで、チェルネンコの身は震えた。

木原マサキと、そのマシン、天のゼオライマー。

 たった一人の男に、自分が身を置いている世界を否定され、嘲笑された。

今まで築きあげた社会主義体制、、友好協力相互援助条約機構*4経済相互援助会議(コメコン)……。

 このまま黙って見過ごせば、惨めな敗北に変わることは、彼には分っていた。

それでも、彼はあきらめなかった。

『ここで我らが(ひる)めば、東ドイツの追従者を生み、ソ連の権威が揺らぐばかりだ。

その方がもっと恐ろしい。

だが、我らは数千の優れた核弾頭搭載のМБР(エムベーエル)*5を所有している』

 

 ソ連の核兵器数に関して、簡単に述べておこう。 

1989年6月の段階において、ソ連は世界最大の核保有国であった。

 大陸間弾道弾、6572発。潜水艦発射弾道弾、3456発。

核搭載可能な戦略爆撃機、Ту-95(ベア)各760機。Ту-160(ブラックジャック)各240機。

合計、10998発の核弾頭*6を所有していたのだ。

 

『望めば、あの蛮人どもが住まう日本列島を、何百回として焦土にできる。

我がソビエトが、依然として世界を二分する覇者である事実は、間違いない』

 それならば、何かの機会に乗じて、ゼオライマーを葬れば、変わる。

再び、チェルネンコ議長の中で、野心が首を(もた)げ始めた。

 いつしか、外の天気は荒れ狂っていた。

窓へ打ち付ける強烈な雨を見ながら、チェルネンコ議長は、邪悪な笑みを漏らすのだった。

 

 

 

 

 ベルリン郊外にある館で、密議がなされていた。

テーブルの上に有るのは、バランタイン*7の30年物*8のウィスキー。

 二人の男が椅子に腰かけ、酒を片手に語り合っていた。

一人は東ドイツの指導者で、もう一人はアーベル・ブレーメ。

「なあ、アーベル。

俺は、シュミットの奴がやりたかったことは、間違ってはいないように思える」 

 (かつ)ての敵対者、シュミットの核保有の腹案を認める趣旨(しゅし)の発言をする。

そう言うと氷の入ったグラスを傾けた。

「どういう事だね」

彼の方を向く。

「自前の核戦力……、間違ってはいない」

 

 先次大戦においてベルリンに核爆弾投下の事実を知る者にとっては、彼の発言は危うかった。

核爆弾は、厄災(やくさい)(もたら)す兵器との認識から、東西ドイツでは強烈なまでの反核感情が醸成(じょうせい)されていた。

西ドイツでの反核運動たるや凄まじく、核配備はおろか原子力利用まで否定した。

 米軍はボン政権の非核原則によって、表立って核の持ち込みをしてこなかった。

核ミサイルは存在しないと言う事で、ソ連も同様の措置を取る。

両者とも住民感情に配慮し、表面上は核持ち込みをしていないことが暗黙の了解……

 更にドイツ国民の感情を悪化させたのが、BETA戦争の核使用である。

ソ連の核飽和攻撃は、東西ドイツ間にあったソ連への怨嗟(えんさ)を再び蘇らせた

 シュミットが国家保安省の派閥内で核保有を提案するまで、その意見が一切出ない……

ドイツ国民の放射能汚染への過剰な恐怖を証左して居た。

 

 男は、自分が危ない橋を渡っていることを認識しながら続けた。

「俺が青年団を島にしているのは知っていよう。

物心の付いた小僧っ子を一人前にするのに10年掛かる……」

アーベルは、相槌を打つ。

「ああ……」

 男は一口、酒を(あお)った。

グラスの氷が揺れ、深いウィスキーの味わいが口の中に広がる。

「軍とて同じだ。5年で戦術機部隊はそれらしい形になりつつあるが、不十分だ……。

やはり新型の軍事兵器構想を立ち上げ、人材教育を成し、物にするのには10年は必要だ」

テーブルへ、静かにグラスを置く。

「その点、核戦力は比較的短期間で整備でき、安全保障上の問題を先送り出来る。

その時間を通じて軍事力の涵養(かんよう)に努める……。

この様な結論ならば、俺は奴に賛意を示したであろう」

断固とした口調で続ける

「無論、核兵器の操作ボタンは我らが手中に置く。

核の操作ボタンが他国の手に在る……、其れでは駄目だ。

()(まで)、自国の都合に応じて自由に使える形でなければなるまい……」

 男は、アベールの方を見る。

彼は、口を結んだままだ。

「米国は朝鮮動乱の(おり)、核使用を躊躇(ためら)ったが故に、38度線で膠着(こうちゃく)せざるを得なかった。

あの時、マッカーサー*9が核を満洲に投下していれば、ソ連は即座に北鮮を切り捨てたはずだ。

この事からも、日米、韓米の間にある核の傘と言う物は、虚構(きょこう)でしかない事実が広く知られた」

彼は、左手でグラスを掴む。

「ある時、ド・ゴール*10が米国に出向き、ホワイトハウスに真意を訪ねた話は知っておろう」

男は、机の上に有る「ジダン」の紙箱を開け、フィルター付きのタバコを抜き出す。

「ケネディ*11。キューバ危機で名前を売った若造か……」

紙巻きタバコに火を点けると、彼の言葉を繋ぐ。

「あの魚雷艇(ぎょらいてい)乗り上がりの大統領は、(つい)ぞ核防衛計画をフランスの老元帥に明かせなかった」

紫煙を燻らせながら、熱っぽく語った。

「それはなぜか、簡単な事さ。

そのような物は、最初から無いのだから、約束などできる(はず)もない。

ボンの連中も同じことを思い、(なげ)いているであろう」

 議長は、タバコを片手に、室内をゆっくり歩き始める。

「俺はボンとの統一が成った際、核の問題は避けられぬと思っている。

甘い連中は中立国が出来ると思っているが、そんなのは絵空事(えそらごと)だ」

 

「既にボンの政権自身は、発足(ほっそく)以来、米国の傀儡(かいらい)であり、対ソ姿勢を明確にしている。

我が党も既に先頃の事件で、ソ連とは決別状態になった……」

彼はグラスを置くと、立ち上がり、一言(たず)ねる。

「で、どうするのかね……。

核濃縮のノウハウも無いうちから、その様な空論を述べるのは……」

 男は、アーベルの方を振り向くと、タバコを一口吸いこむ。

ゆっくりと紫煙を漂わせながら、答えた。

「だからこそ、木原博士に近づいたのさ。

彼とアイリスディーナとの縁を通じて、日本の援助を受け入れることにしたのだよ」

 男は下を向き、机の上に有るグラスを右手で掴む。

其のまま、ウイスキーを一口含む。

「俺が日米との関係改善をやりたいのは、この国が社会主義で持たぬ事もある……。

だから市場開放の道筋を作り、自分の頭で考える機会を作る。

今のガキどもは、ソ連式の教育で自分の頭で考えるのをやめている。

これからの国際競争の時代の中では、党が、赤ん坊の様に一から十まで指図するようではだめだ。

国家と一定の距離を置き、自立した人間が今後求められてくる。

そういう道筋を、ガキどもに残してやりたいからだよ……」

 

 

 話し半ばに、アーベルから、こう口をおさえて来て、

「待ちたまえ」

けんもほろろに叱りつけ、なお言い足りないように、こうつけ加えた。

「ボンとの賃金格差の問題は、どうするのかね」

男は、グラスを静かに置く。

「その辺は、日米の産業界の行動を見て居ればわかる。

彼らは、安くて優秀な労働力を欲している。

幸い我が国は、屈指(くっし)の教育水準の高さがある。

日米の資本家に、土地と人員を提供し、我等はそこからノウハウを学べばよい」

アーベルは、安心したかのように相好を崩した。

*1
Высший совет народного хозяйства(Vysshiy sovet narodnogo khozyaystva).ソ連経済の社会主義化を行うための機関。1917年12月5日設置、1932年廃止。同名の機関がフルシチョフ時代の1963年から1965年まで復活した

*2
『プラハの春』。1968年8月20日深夜にソ連軍がチェコスロバキアに軍事侵攻した事件

*3
プラハの春事件を受けて、1968年11月12日にブレジネフは、『個々の社会主義国は、社会主義共同体全体に対し責任を負っている』という論評を発表した

*4
ワルシャワ条約機構

*5
Межконтинентальная баллистическая ракета(Mezhkontinental'naya ballisticheskaya raketa).大陸間弾道ロケット。ICBMのの事である

*6
2023年現在においても世界最大の核保有国はロシア連邦である。米国科学者連盟の推定では5977個に上る核弾頭を保有しているとされる

*7
19世紀末から製造されているスコットランドを代表するブレンデッドウイスキーの銘柄。英国王室御用達

*8
比較的廉価なバランタインの中でも最も高額な銘柄である。2022年現在、希望小売価格は80000円前後である

*9
ダグラス・マッカーサー。1880年1月26日 - 1964年4月5日、米国の軍人。陸軍元帥、対日占領連合国軍総司令部最高司令官

*10
1890年11月22日 - 1970年11月9日。第18代仏大統領

*11
1917年5月29日 - 1963年11月22日、アメリカ合衆国第35代大統領




 書下ろしエピソードになります。

ご意見、ご感想、お待ちしております。


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秘密資金(ひみつしきん)(旧題:シュタージの資金源)

 シュタージの秘密資金を調べるマサキは、イエナ市を訪れた。
そこで、謎を知る人物の口から、驚くべき事実を明かされる。 
特殊機関、商業調整局(KoKo)とは……。


 翌日。

マサキたちは、ベルリンから260キロほど南にあるゲラ県イエナ郡*1イエナ市に来ていた。

 移動方法は、シュトラハヴィッツ少将に手配してもらった陸軍のヘリだった。

 無論、東ドイツにも戦前の高速道路網(アウトバーン)が整備はされている。

だが、予算不足のためにハンブルグ・ベルリン間の主要幹線道以外は、放置されたままだった。

 正確にいえば、ひび割れにアスファルトを流し込むぐらいの整備はなされているに留まっていた。

 また制限速度が設定されていて、時速100キロメートルを超えてはいけない決まりになっていた。

 

 一説には、東ドイツの国民自動車トラバントの性能に配慮しての為だという。

トラバントのエンジンは、戦前に設計された600ccの2サイクル2気筒であり、速度を出せなかったのも大きい。

これは、東ドイツの公用車であるソ連製のジル、ボルガに大いに劣った。

 またベルリン・イエナ間の往復で、最低でも5時間がかかることも考慮されて、ヘリにしたのだ。

 

 ヘリコプターは、最新鋭のMI-24ハインドヘリコプターであった。

これは、シュタージ少将であったシュミットが独自に購入したものを、国家人民軍で押収したもの。

 実は国家人民軍でも購入*2を計画していたが、ソ連との紛争で沙汰止みになってしまった。

その為、止む無く押収品を使ったのだ。

 MI-24の大本となったMI-8は、すでに国家人民軍と人民警察で使われていた。

資料によれば、同機種のヘリを1968年から配備し、軍では115機ほど所有していたとされる。

 

 ヘリパイロットも、シュトラハヴィッツの息のかかった人物であった。

彼の部下であり、衛士でもあるカシミール・ヘンペル中尉。

衛士に転属する前は、創設されたばかりの戦闘ヘリコプター連隊のパイロットでもあった。

 

 

 

 訪問先は、市中の人民公社カール・ツァイス・イエナ*3本社であった。

戦前から培った高い高額技術は、東側のみならず、西側でも評価された。

ツアイス・イエナのレンズは、東ドイツが誇る主要輸出品の一つで、しかも安価だった。

同社は、また最新の電子部品、精密機器も扱っていた企業の一つであった。

 

 

 西ドイツの企業、カールツアイスが、なぜ東ドイツにと思われる読者もいよう。

ここで簡単に、カールツアイスの戦後の歴史を説明したい。

 19世紀末に設立された、世界的レンズメーカー、カールツアイス。

同社は、創業以来、テューリンゲンにある長閑な田舎町、イエナに本社を置いていた。

1945年の敗戦直後、イエナ市に入った米軍は、優れたレンズ・光学技術を確保するべく奔走(ほんそう)する。

 しかし、6月以降、テューリンゲンがソ連に引き渡すことが決定されると、技術流出を怖れた。

そこで、米軍は、暮夜密かに、126名の技術者とその家族を拉致し、高性能機材をトラックに乗せ、運び去った。

 

 

 その後入ってきたソ連軍によって、250名の技術者が5年もの間、モスクワに連れ去らわれた。

 機材の9割は、ソ連に運び出すも、ソ連人に扱えるものではなく、やむなくドイツに戻される。

後に会社の存続は認められるも、そこで、戦後賠償という形で、ソ連に製品を上納した。

 再建された同社では、戦前のライカカメラや一眼レフカメラ、双眼鏡の製造にあたった。

技術がそのまま、ウクライナに持ち出されて、『キエフ・コンタックス』というソ連製のカメラになったのである。

 

 そうして分かれたカールツァイスは、1953年ごろまでは技術者同士の交流はあった。

しかし、西側の情報が入ることを怖れたSEDやソ連当局によって、十数名の技術者が逮捕される事件が起きる。

 それ以降、西ドイツに落ちのびたカールツアイスの技術者たちが、先々を憂いて、カールツアイスの社号を特許申請してしまう事件が起きた。

 事態は、両国の間だけで済む問題ではなくなった。

 かつて、ルフトハンザ航空の社号をめぐって争った*4時のように、国際裁判に持ち込まれた。

1971年にロンドンの最高裁で、西ドイツが西側で販売する場合と東ドイツが東側で販売する場合*5に限り、両社とも『カールツアイス』の社号を名乗ることが認められた。

こうして東西に分かれたカールツアイス社は、愛憎相半ばする感情をいだいたまま、今日に至ったのである。

 

 

 さて、マサキたちは、カール・ツァイス・イエナの簡単な見学をした。

数点の双眼鏡と一眼レフカメラの購入契約を結んだ後、総裁室に向う。

シュトラハヴィッツの案内で、最上階にある総裁室の扉を開けた。

 

「今日は貴様に紹介したい相手を連れてきた」

 奥に座っていた総裁は、東洋人の姿を見ておどろいた。

「紹介……」

ありのままをシュトラハヴィッツに伝えるも、

「あんた、たしかソ連議長殺しの……」

シュトラハヴィッツも笑っていたが、やがてマサキが、

「そうだ。俺は木原マサキだ」

と、名を明かした。

 

 総裁は、天のゼオライマーパイロット、木原マサキが来たと知って、大動揺を起していた。

(『反社会主義を掲げる日本の科学者と、社会主義国の軍隊の将軍が何故……』)

と、信じられない顔つきだったが、

「この大先生は、俺たちと同じく冒険主義者なのだよ。

これ以上の説明は居るか」

シュトラハヴィッツ少将は、総裁の意中をいぶかった。

「いや、それで十分だ。

ところで、天下のゼオライマーパイロットの大先生が、何を聞きたいんだ」

 

 シュトラハヴィッツは、総裁に東ドイツの政財界の資金の流れについて(ただ)した。

「貴様が知っている範囲で良い。

今の政府と産業界の関係……金の流れを聞きたいんだ」

そして、彼が語るには、

「政府と産業界か。

それなら簡単だ。1960年代のころより、その関係は弱くなっている」

マサキは、おうむ返しに訊く。

「弱くなっている?」

「だが、シュタージは、別さ」

マサキはうなずいて見せながら、更に問いただした。

「別?」

すると、総裁は、はばかりなく、

「ああ、シュタージは独自のパイプラインを持っている。

あの警官殺しのミルケが、別建てで金儲けをする独自の仕組みを作っておいたの」

と、断言した。

 

 そして、彼が語るには、

「例えば、急成長を見せる電子産業、計算機、高速大容量の通信機器、数えたらきりがない。

こういったものには、西の優れた工業機械が必要だ」

 

 東ドイツの工業輸出品は、電子工業の遅れから、国際的な需要を失い始めていた。

1970年の時点で、国際最先端技術との比較で、集積回路で8年。

半導体記憶装置、超小型処理装置(マイクロプロセッサー)では、7年ほどの開きがあった。

 無論、東ドイツは宗主国のソ連への援助を求めた。

だが、技術流出を怖れたソ連は、極めて非協力的であった。

それ故に、西側の技術を危険(きけん)(おか)してまで求める必要があったのだ。

 

「でも普通に輸入したら、馬鹿でかい関税がかかる」

「それが、どういうわけで?」

と、マサキが聞くと、総裁はなおつぶさに語っていう。

「そこで、ボン*6の連中と悪だくみをして、貿易ではなく国内の通商という扱いにし、商社を作った。

ゲーネックスというやつだよ」

 

 ゲーネックスとは、何ぞやと思われる読者も大勢いよう。

ここは、筆者からの説明を許されたい。

 まず正式名称を、贈答品及び小規模輸出有限会社という。

キリスト教信徒のプレゼント交換を目的として、1956年12月20日に設立された会社である。

東ドイツの国内国外貿易省の一部門である商業調整局(KoKo)*7にとって最も重要な外貨獲得源のひとつであった。

 

 続いて、KoKoに関してである。

通称『KoKo』とは、正式名称を貿易省商業調整局といい、1966年に設置された部局。

 その主目的は、東ドイツの外貨取引と、西側の技術導入である。

同機関は、1972年に政治局直轄の部署になった後、シュタージの影響下に入った。

 ベルリン市内の古びたモルタルづくりのビルに本部があり、巧妙に偽装されていた。

国営通訳斡旋所の看板が掛けられて、陰気な雰囲気の中、営業していたという。

 

 さて、KOKOの関係した輸入品の80パーセントは、産業技術関連である。

ココム規制を回避して、西ドイツ経由で最新機器を東ドイツに運んだ。

その際、西ドイツとのプレゼント交換のルートが、多いに役立てられた。

 1961年の壁構築後、西ドイツはそれまで乗り気でなかった東ドイツとの文通を緩めた。

郵便物や贈り物、大型の白物家電、自動車まで、税関処理も検査もなく、持ち込めた。

また、東ドイツは、国内取引と言う事で、税制上の優遇措置が設けられていた。

 

 それは東ドイツも同様だった。

東ドイツは、国外からの郵便物は、全数開封検査された。

例え、宗主国ソ連の物であっても、郵便局内にあるシュタージの出張所で検査された。

 だが、ゲーネックス経由の品物は、一切の検査が免除された。

未開封のまま、東ドイツ国内に配送され、宛て主に届いた。

 

 

「西に文通友達がいれば、東の品物を高値で売りさばき、裏ルートで物を持ち込める。

ベルリンで売っているトラバントは35000マルクだが……。

ゲーネックス経由(けいゆ)で、ボンからベルリンに、再度持ち込むと49000マルクへ、()ける。

こいつは、おいしい商売さ。

その為に、いくらでもシュタージに海外貿易の利益が入り込む」

 

総裁の話に、驚かぬ者はなかったが、やがて彼の説明に依って、ようやく仔細は解けた。

「それじゃあ、シュタージはその金を……」

「ああ……、表に出ない金のかき集めに関しては天才的だよ。

俺も相当むしられた。

そうやって、シュタージの権力だけが強大になっていく」

 

 先程までの剣幕(けんまく)が嘘のように、マサキは上機嫌で言った。

「面白い」

 マサキは(あや)しく目を輝かせて言うと、ホープの箱を取り出す。

そんな彼に、総裁は戦慄(せんりつ)を覚えた。

「確かに、この金はシュタージにとって強みだが、逆に弱みになる」

 全く、マサキの冒険(ぼうけん)*8主義には、あきれるばかりである。 

気の弱い総裁は、それを聞くや、思わず嘆息していさめた。

「木原さん、それは止めた方がいい。

外人であるあなたが、そこまで踏み込んだら命を懸けることになる」

眉をひそめた総裁を気にする風もなく、マサキは断言した。

「俺は、元より命がけよ」

 

 

 マサキは、内心焦っていた。

西ドイツより、シュタージに流れた、多額の金。

このカラクリさえつかめれば、シュタージがどう動こうと、シュタージの息の根を止められる。

 これから捜すわけだが、しかし、証拠がなければ、ただの流言飛語にされてしまう。

もはや今日の戦いは、マサキ対シュミットという個人の物ではなかった。

一日も早く、シュタージが組織的に関与した証拠を示さぬことには……

 我に大義名分がないのは、軍に旗がないのに等しい。

 大きな弱みだ。

 

 詰めが甘ければ、次はない。

東ドイツが窓口としている西側の銀行や企業には、間違いなくシュタージの手が伸びているだろう。

シュタージでなくとも、KGBの影響力が及んでいるのは間違いない。

一撃のもとに、抹殺せねば、己も危うい。

 アイリスディーナとの一件を、変な形で西側のマスコミに報道されれば、一巻の終わりだ。

マサキは、その点では、無条件に楽観してはいられなかった。

「はて、負ければ散々(さんざん)、勝ってもこの(ざま)

とにかく戦いとは、次から次へと難しいことが起るものだ」

と、マサキは、つらつら痛感していた。

 

 そうしたうちに、迎えの兵士たちが来ていた。

「同志将軍、そろそろベルリンに戻りましょう。

博士の滞在日程も迫っておりますし……」

 マサキは、その連絡には当惑していた。

今日も、つい、貴重な時間を、あてのない捜索に、過ごしてしまった形だった。

 証拠集めは容易でない。

まして敵地だ。

立ち去り際に、総裁に尋ねてみることにした。

「3月に死んだシュミットは、何も残していなかったのか」

「ああ……この件に関する書類は、ものの見事に姿を消している」

と、シュトラハヴィッツも今は半ばあきらめ顔に。

「では、やはり……」

総裁も、さじ投げ気味で。

「そうか……だが、なお、望みはないでもない」

「何だと……」

「モスクワ派の重鎮で、先日のクーデターに関わり、以来、ドレスデンに隠れて居る人物がいる」

「誰だ」

「俺が知る限り、裏金作りに関わってるのは、ザンデルリングだよ。

シュミットの反乱直前に、シュタージ本部から関係書類を持って行ったのはザンデルリングだ」

「ザ、ザンデルリング!」

「SEDの衛星政党ドイツ民主農民党*9、モスクワ派のザンデルリング。

現在は、ドイツ民主農民党に属しているが、その前はシュミットの腰ぎんちゃくと呼ばれた男……

常に、時の最大勢力を(ほこ)派閥(はばつ)所属(しょぞく)し、SEDの策士(さくし)

(ある)いは、政界の寝業師(ねわざし)*10とも呼ばれる人物さ」

 

 それまで黙っていた、ハイム少将が口を開く。

「その日和見(ひよりみ)主義のザンデルリングが、KGBへの裏献金(けんきん)を知っているのか。

厄介(やっかい)な奴だ、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかん、したたかな奴だぞ」

 シュトラハヴィッツは、にわかに一縷(いちる)の光を見いだしたようだった。

もうほかに手段もない切迫(せっぱ)つまった状況では、どうしてもその関係書類が必要なのだ。

「いや、それは絶好のチャンスだ。高潔(こうけつ)な男なら、どんな(えさ)にも転ばない。

だが、ザンデルリングは、高潔(こうけつ)とは無縁(むえん)貪欲(どんよく)な野心家だ。

こっちが与える(えさ)によっては、今の()(ぬし)を、平気で()みつけることもある」

 ついにシュトラハヴィッツ将軍みずから、この問題に踏み込んでいく。

マサキは紫煙を燻らせながら、会心(かいしん)()みを()らした。

*1
今日のドイツ連邦テューリンゲン自由州イエナ郡

*2
史実で国家人民軍がハインドを配備したのは1978年からであった。1989年時点では、Mi-24D型24機、Mi-24P型12機の計36機であった

*3
VEB Carl Zeiss Jena

*4
ユーゴスラビアにおける西ドイツとの商標裁判に負け、1963年9月1日に解散するまで、東ドイツの国策航空会社はルフトハンザの社号を使い続けていた

*5
例外として、日本と英国のみが、両国ともにツアイスの社号を名乗ることが許された

*6
西ドイツ

*7
Bereich Kommerzielle Koordinierung

*8
危ないことを押し切って行うこと。成功のおぼつかないことをあえて行うこと

*9
Demokratische Bauernpartei Deutschlands.1948年4月29日創設、1990年6月25日解散。SEDがキリスト教民主同盟の支持基盤を切り崩すために作り上げた衛星政党である。統一後は党組織もろともキリスト教民主同盟に吸収された

*10
まともな手段ではなく、裏工作などにより物事をとり運ぶことに巧みな人




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ドレスデン(旧題:シュタージの資金源)

 マサキ一行は、秘密資金を調べるために、東独第二の都市ドレスデンを訪れる。
そこでシュミットと関係の深い、ザンデルリングから事情を聴取する。
彼より渡された、衝撃的な資料とは……。


 ドレスデンは、かつては、ザクセン王国の中心地として栄えた古都でもあった。

同地には、ザクセン選帝侯(せんていこう)アウグスト2世こと、アウグスト強王により作られた日本宮殿があった。

宮殿の中には、所狭しと東洋より持ち込まれた白磁(はくじ)が並んでいた。

 アウグスト強王は白磁(はくじ)()れこむあまり、自身でその白磁(はくじ)の生産に乗り出すほどの愛好家であった。

1710年に王立ザクセン磁器工場を設け、その研究に乗り出した。

後に、『白い黄金』と(しょう)されるマイセン陶磁器は、この酔狂人(すいきょうじん)のおかげで発展したのである。

 

 エルベ川の谷間に位置し、エルベ川の真珠(しんじゅ)とも呼ばれる、古都ドレスデン。

この町は、われわれ日本人にも、馴染(なじ)みの深い町であった。

明治18年*1のころ、官費(かんぴ)留学中だった(もり)鷗外(おうがい)*2青年も、同地に半年間滞在するほどであった。

 

 ドレスデンは、ワイマール共和国、第三帝国の時代を通じ、ドイツでもっとも重要な都市のひとつであった。

戦前の1939年には、63万人の人口を(よう)し、華麗(かれい)な文化都市として栄えた。

 だが、1945年2月13日から14日にかけて、米英軍の激しい空爆により壊滅的な被害を受けた。

この2昼夜の空襲の被害は、10万といわれる犠牲者を出した。

かつて、アウグスト強王により作られた古都は、その美しさから「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれていた。

しかし、英空軍の激しい爆撃により、そのほとんどは灰燼(かいじん)()した。

 

 東ドイツ政府は、チェコ国境に近い、この都市を政治的に注目した。

戦後復興として、社会主義的な町づくりをした。

市の中心部に文化センターを建設し、ソ連式の集合住宅を立ち並べた。

 しかし、ほんとうの戦後復興にはまだまだ遠く、いたるところは焼け跡だらけであった。

名跡(めいせき)であるフラウエン教会やツヴィンガー宮殿などは、瓦礫の山と廃墟が放置されていた。

 

 マサキたちは、空路ドレスデンに入った。

高速を使っても2時間はかかる175キロの道を、ヘリのおかげで30分弱で移動した。

最大速度、時速320キロを誇るMI-24の恩恵(おんけい)は、すさまじかった。

ドレスデン市内にあるクロッチェ飛行場*3に降りたつと、基地の中で夜を待った。

 

 クロッチェ基地には、物資・人員の空輸を主任務にする第24輸送航空隊が置かれていた。

大隊規模の航空隊で、ヘリとセスナ機の他に、16機のイリューシン14を所有していた。

 イリューシン14は、東ドイツがライセンス生産した数少ない航空機である。

1956年から1959年までの間、人民公社ドレスデン航空機工場*4で80機が生産された。

 

 1955年に設立された、人民公社航空製作所*5

同社は、1950年代後半に、国中から集められた戦前からの技術者とともに航空機開発に望んだ。

 しかし、開発の遅れと、ソ連の援助中止という形で東ドイツの国産飛行機は立ち消えになった。

目指していたアフリカ、中南米諸国への販売も、市場原理を無視した社会主義ゆえの国際市場への甘い見通しの為、失敗した。

 1961年以後、ドレスデン航空機工場と社名を改め、航空機とヘリコプターの修理工場になった。

同社はワルシャワ条約機構軍と国家人民軍向けに、航空機の整備を専門とした。

 

 

 総裁が言った通り、ザンデルリングは、ドレスデンにいた。

シュタージが運営するホテルに潜み、そこで半月に渡る綿密な逃亡計画を練っていた。

 その日、シュタージ少将と、ホテルの一室で飲んでいるときだった。

不意に、官帽にオーバーコート姿の将校たちが現れて、

「お時間を頂けないでしょうか」と声をかけてきた。

  

 シュタージ少将は、ドレスデン県本部長で、KGBと近しい人物であった。

でっぷりと太った体躯に、剃り上げた頭からは、とても想像も付かない。

ザンデルリングをはじめとする党幹部とのつながりが噂される男であった。

   

 肥満漢(ひまんかん)のシュタージ少将を追い出した後、ザンデルリングはいらだちを隠さなかった。  

突如(とつじょ)として現れたシュトラハヴィッツ将軍に、敵意をむき出しにする。

「何だね。君たち、これは少し失礼じゃないかね」 

 

無礼(ぶれい)重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)しております

単刀直入に申し上げましょう、同志ザンデルリング。

同志はSEDの主席、国政の首班になる気はございませんか」

「な、何だって」

ザンデルリングは、途端(とたん)驚愕(きょうがく)の色をあらわした。

「何を言い出すかといえば、同志シュトラハヴィッツ将軍。

君がどういう考えで、シュタージと対決し……

どの思って、こういう若い軍人たちと徒党を組んでいるのか、分からない」

ザンデルリングは冷たく言い、曲がったネクタイに手をやる。

「だがね、君がどんなに行動を起こそうとも、党と癒着(ゆちゃく)したシュタージは動かない」

「一党独裁体制は、盤石(ばんじゃく)と言う事ですか」

「その通り」

 

「シュタージは、国家、国政の上に根を張った巨樹(きょじゅ)なのだよ。

簡単に倒せる相手じゃない……。

利口(りこう)な人間なら、倒す事よりもその大きな(みき)の下に入って、利益に甘んじることを選ぶ。

それが、政治家の選択というものじゃないのかね」

「もしその木を切り倒す道具があるとしたら、どうする」

 

 沈黙を破るように、マサキが口を開く。

彼は、今にも吹き出しそうなのをこらえて言った。  

「知らねえとは、言わせねえぜ。

シュミットと近い貴様は、この計画にも(から)んでいるはずだろう」

 

「同志ザンデルリング。

貴方はシュミットの事を可愛(かわい)がっていたから、KGBにも認められている……

そう思っていたら、大間違いですよ。

いくらKGBに取り入ったところで、所詮あなたは、モスクワ派の外様(とざま)

ソ連人じゃない、ドイツ人。外国人だ。

いざとなったら、トカゲのしっぽきりで、ばっさりってことも……」

 シュトラハヴィッツの眼差しの真摯(しんし)さに、ザンデルリングも動かされたようだった。

 

 マサキは、その夜ドレスデンに泊まった。

本当ならば、日帰りでベルリンに帰るつもりであったが……

夜10時を過ぎてしまったので、急遽(きゅうきょ)ドレスデン市内に泊まることにしたのだ。

 ホテルの一室は、シャワーと簡単なベッドだけ。

ルームサービスも台所もない簡単な宿泊施設で、冷蔵庫すらないのには驚いた。

ただ、シュトラハヴィッツ将軍が無理を言ってくれたおかげで、市内で一番高層を誇るホテルに宿をとれたのだ。

 本来ならば、外人は指定された宿やホテル、民家以外泊まれない為である。

『シュトラハヴィッツに貸しを一つ作ってしまったな』と、密かに感謝していた。

 

 

 東ドイツ製のコーラの入ったグラスを片手に、地方都市の夜景を眺める。

紙巻煙草を燻らせながら、次の方策を一頻り思案していた。

おもむろに立ち上がると、念入りに部屋中を見て回った。

 ソ連をはじめとする東側諸国では、外人用ホテルに盗聴はつきものであった。

 いや、同国人であっても、監視の目を緩めない。

硬直したスターリン主義の支配制度の中にある、東ドイツでは、より顕著(けんちょ)であった。

 マサキは、ベッドわきにあるラジオや室内電話、電球などをくまなく調べる。

ソ連では、マイクロ波を用いた優れた音響装置による盗聴器があるためだ。

衛星国であった東ドイツで、使わない理由はない。

 そして、このドレスデンの町は、KGBの秘密基地があった場所である。

何事も、用心して足りぬことはない。

 

 そうこうするうちに、壁掛け時計の中に怪しげな部品を認めた。 

やはり、シュタージは(くさ)ってもシュタージなのだな……

そっと壁時計を戻した後、次元連結システムの子機を取り出して、起動する。

 あらゆる電波や熱線を遮断するバリア体を、部屋中に張り巡らせた。

これで、ひとまずは安心だろう。

そう考えながら、鞄の中から、ある道具を取り出した。

 それは、携帯式の通信機器である。

テーブルの上に置かれた機材の形状はノートパソコンに似ており、受話器がついていた。

折りたたむと、縦幅21センチ、横幅30センチ強で、A4判ほどの大きさだった。

 

 マサキは、通信機を起動させるなる。

画面に映る美久に向かって、静かに、

「美久。今からデーターをゼオライマーに送る」

美久は、画面越しに部屋中の様子をうかがっている風だった。

「はい」

「映像と音声は、カセットテープとビデオに焼き直しておいてくれ」

 そういうと記録装置の端子をつないだ。

情報量にして、500ギガバイト。

次元連結システムのちょっとした応用で、一時間もあれば、すべて送り終わるであろう。

 懐中より煙草を取り出して、火をつける。

悠々と紫煙を燻らせながら、

「あと、キルケに連絡を入れてくれ。西ドイツのメディアと接触を図りたい。

なるべく早く、と言ってな」

 そういって通信を切ると、灰皿に吸殻を投げ入れ、ベットに横たわる。

「あとは、この木原マサキの意志(いし)覚悟(かくご)だけか……」 

そう意味ありげに(つぶや)き、愛用の回転拳銃を抱えたまま、眠りに就いた。

 

 

 マサキ一行は、ドレスデン市中に繰り出した。

午前中はシュトラハヴィッツ将軍たちと別れて、市街に出る。

半径2キロほどの小さい町なので、観光するのに4時間もあれば十分だろうと、徒歩で出かけた。

 東ドイツ有数の地方都市という割には、活気がなく、汚い建物ばかり。

教会も、オペラ座前広場も、ツヴィンガー宮殿も、どれも爆撃の後で、薄く(すす)けているばかり。

 驚くべきことに、道路にはまったく車が走っていなかった。

ポーランド方面に行くのは深緑の塗装をした軍用車両ばかり。

時折、薄汚れたトラバントやトラクターを見かける程度である。

 もっとも、路面電車がかなりの本数で走っているので、車は必要なさそうだったが。

社会主義国で成功した東ドイツでこれなのだから、隣国ポーランドはもっと貧しいのだろうか。

 マサキは、力なくため息をついた。

アイリスを、日本に連れ出したら、苦労しそうだと一人思案していた。

 

 ドレスデンは、東ドイツの(はし)で、外人が少ないせいもあろう。

マサキたちは非常に目立った存在だった。

 またこの町が、KGBとシュタージの秘密拠点であったこともあろう。

監視の目も、異様なほど、多いことに気が付いた。

 それとなく様子を見るつもりで、ぶらぶらとドレスデンの町の中を歩いた。

彼は至る所で町中の目という目が、己に注がれている。

マサキは、そのような気がして、妙に背筋に(うす)(さむ)さを感じた。

 

 ホテルには台所もなく、ルームサービスもなかった。

その為、わざわざ朝食を市内に買いに行くしかなかった。

 近くの国営商店(ハーオー)に寄った際、店内を探索して、気になる点があった。

値段はかなり格安で、補助金等の政府による価格調整の影響もうかがえる。

 ライ麦パン、1キログラム34ペニヒ*6、ブレートヒェン、1個5ペニヒなど……

ドレスデン名産の菓子、アイアシェッケ *7も85センチ四方で 1マルク25ペニヒ。

実に、驚くべき安さだった。

 

 目についたのは、青果類(せいかるい)などの青物(あおもの)が少なく、ビールなどは逆に30種類以上ある事。

社会主義特有の需要と供給を無視した、発注ゆえだろうか……

 

 店員の話によると、これでもBETA戦争での物不足は解消した方だという。

その話を聞いて、東ドイツに住む主婦やパートタイマーの職業婦人は大変であろう。

 朝から商店に並んでも、お目当ての品物がかえないという馬鹿げたことになるのだから……

マサキは、不思議と、そんな事ばかりを考えていた。

 

 

 市中のパン屋に寄り、アイアシェッケという、ドレスデン地方発祥のチーズケーキを買った。

その際、店員は、動物にエサを渡すがごとく、パンを投げてきた。

店員の愛想の悪さと、乱暴な対応が、非常に気になった。

 東洋人の事を、見慣れぬのもあろう。

だが、カシュガルハイヴの構築を許してしまった支那(しな)に、よからぬ感情を持っている。

 その様なことも、今回の態度の一因ではなかろうか。

もっとも、社会主義国特有のサービス精神の欠如もあろう。

 ここで、ドレスデン名産のひとつ*8である、バームクーヘンを買い求めた。

だが、卵や牛乳の供給量の関係で、週に1度しか作れないと聞いたとき、マサキはあきれていた。

仮に売っていたとしても、朝から行列ができて、昼には売り切れてしまうほどだという。

 そしてバームクーヘンは、東ドイツでは高級菓子の部類であった。

クリスマスや、慶事(けいじ)での贈答品(ぞうとうひん)の習慣が根強かった。

西ドイツへの贈答品として売られて、ほとんど東ドイツ人は食べないと言う事だった。

 

 

 さて。

午後、マサキはシュトラハヴィッツ達の下に出向いていた。

彼等と共に、今後の事を話し合っていると、不意にザンデルリングが現れた。

 何やら重たげに、箱を抱えてきて部屋に入ってきた。

いきなり段ボール箱を置くと、そのまま帰ってしまった。

不思議な行為をするものだと、マサキは(いぶか)しんだ。

 

 ザンデルリングの持ってきたものは、資料だった。

ロシア語とドイツ語からなり、A4判の300枚入りのファイルで、25冊。

 一番古いものは1957年からの物で、最新のは1977年だった。

 

 資料を手に取ったハイムは思わず、

「完璧だ……完璧に資金の流れが解明できる。

この資料だけでも、毎年、2億マルク*9の金がシュタージを通して、KGBの手に渡っている」

さっきとは打って変わった熱心さで資料を見入るシュトラハヴィッツは、やや興奮気味に答えた。

「それにしても、ザンデルリングは見事なものだ。

この資料から完全に名前を消している」

 

 マサキは、ちょっと考えて。

「問題はそこだ……」

「というと……」

「この資料を西ドイツなり、米国に持ち込んだにしろ、どこから出たかが問われる。

ザンデルリングが名乗るわけがない。

この資料から名前を消したように、一切自分に関わりのないと、否定するのは目に見えている」

と、マサキは語尾に力をこめて、もう一度、

「はっきりとした出所が分からなければ、()()もない怪文書(かいぶんしょ)*10として切り捨てられる」

 五分間ばかり、沈黙の時間が続いた。

互いの胸の鼓動(こどう)が聞こえるのではないかと思えるぐらい、静かな一刻(いっとき)であった。

 

 そのうち、マサキの監視役として来ていたゾーネが入ってきた。

灰色の開襟制服に、ベルトにマカロフ拳銃という(いか)めしい巡察(じゅんさつ)の格好で来て、

「アクスマン少佐の遺品(いひん)*11から、出て来たことにすればいい」

と、やがて、彼はしずかに、

「少佐は、対ソ独立を望んだ、ベルリン派の派閥(はばつ)の長。

シュタージ内部で、西ドイツに調略(ちょうりゃく)をかける中央偵察総局の将校。

出所としては、文句はないでしょう」

 

 それは、まんざらの出鱈目(でたらめ)でもなさそうな話し具合だった。

だが、ゾーネはシュタージの現役将校。

それは、余程(よほど)割引(わりひ)きして聞かねばならない。

 ハイム達は、その話を聞いた瞬間、

シュミットと同じ、シュタージのくせに何を()ぼけたことを

と、いう言葉が、のどまで出かかっていた。

 

 シュトラハヴィッツの静かな眼は、やがてしげしげとゾーネの面を見守っていた。

さて、別に言う事もない様な無感動を、そのまま置いて。

「いいのか……。

それをしたら、お前さんの派閥(はばつ)の長は……この闇資金の流れを知って、関与していたことになる」

「そうだぞ、ゾーネ少尉。アクスマン少佐の名前に傷がつくことになる」

 しかし、ゾーネはあくまでも、懸命だった。

ハイムの問いに答えて、

「構いません」

と、息をつめた。

「KGBと刺し違えるのなら、アクスマン少佐も本望でしょう」

 

その話を聞き終わると、シュトラハヴィッツは不意に椅子から立って、

「西ドイツにヴァルトハイムという俺の知り合いがいる……。

その男に、ドイツ連邦検察庁の特捜部(とくそうぶ)の検事を紹介してもらう」

 彼らの顔に、さっと一脈の生色(せいしょく)*12が浮かんだ。

それは力強い、全身全霊(ぜんしんぜんれい)をかけて頼れる存在だった。

「よし、その線で行こう」

 

 マサキは、話が一段落すると、市中に再び出かけた。

再び、バウムクーヘンを買うためである。

 ドレスデン土産にバームクーヘンを買おうをしていたマサキは、納得がいかなかった。

色々思案した末に、護衛役の私服警察官に聞いて、別な店に行って買うことにした。

 別な店では、外人と言う事で無理をして、バームクーヘンを用意してくれた。

出されたバームクーヘンは、4段リングで、1キロ50マルクほどだった。

 店主によれば、数時間かけて、わざわざ焼いてくれたという。

なので、東ドイツマルクの代わりに、西ドイツマルクで支払い、買って帰った。

 店主は、マサキの差し出した西ドイツマルク*13にひどく驚くも、喜んで受け取ってくれた。

 

 

 夕方、薄暗くなってから戻ると、やっと話は終わったようだった。

ドレスデンの空港からベルリンに戻るべく、ヘリコプターを準備していた時である。

シュトラハヴィッツは、見送りに来たゾーネを認めると、

「おもわず時を過ごしたぞ。

同志ゾーネ。これから一人で帰るのも面倒であろう。俺が連れて行ってやるよ」

 

 ゾーネは、あわてて、ヘリへ飛び乗った。

少し先には、ハイムとヘンペル少尉が、なお用心(ようじん)(ぶか)く、物蔭からじっとにらんでいた。

 

「シュトラハヴィッツ、本当に不思議(ふしぎ)な男だ」

 シュトラハヴィッツは、ただただ、解らない男、この一語につきる。

 本心、シュタージを敵とみるならば、そのシュタージの正規職員であり監視役でもある自分を、どうしてこう寛大にして帰すのか。

 手ぶらで送り返さぬまでも、重要な情報源として、これを拷問(ごうもん)のすえ、敵状を知る手懸(てがか)りとする。

そういうは、KGBやCIAなどの秘密警察、情報員の常識といってよい。

「それなのに……」

ゾーネは、疑いながらも、その怪しみに引かれて、ついつい犬の子の如く、シュトラハヴィッツのあとについて行った。

シュトラハヴィッツもまた、ゾーネを、野良犬ほども、気に止めていない風だった。

 

 しかし、マサキはシュトラハヴィッツの対応に気乗りしない感じだった。

「これは……」

彼は、シュトラハヴィッツに、ある種の不安を感じた。

 シュトラハヴィッツは、どうして、シュタージの現役将校と共にここにいるのか。

これは解らない方がもっともだった。

 およそ、わが身を狙う間者といえば、これを銃殺にしても問題ないのが当然なのに……

シュトラハヴィッツは、かつて自分を狙ったことも明確な下手人を、こうも許すのか。

 まさか、ゾーネとかいうシュタージ将校に、貸しでも作っているつもりなのだろうか。

マサキは、あきれるほかなかった。

*1
1885年

*2
本名、森 林太郎。1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日。日本の小説家、陸軍軍医

*3
今日のドレスデン空港

*4
VEB Flugzeugwerke Dresden.今日のエアバス傘下のエルベ・フルークツォークヴェルケ社

*5
VVB Flugzeugbau

*6
ペニヒとはドイツマルクの補助通貨単位。100ペニヒ=1マルク。この貨幣単位は、東西ドイツ共通であった

*7
Eierschecke.ドレスデン地方名産のチーズケーキ

*8
バームクーヘンの起源とされる地域は複数あって、ドレスデン、ザルツヴェーデル、コトブスなどである

*9
1978年の1ドイツマルク=115円

*10
他人を中傷し、情報の暴露など世間をさわがせるような、出所不明の文書

*11
死後に残した品物。形見の品

*12
いきいきと元気があふれる顔いろや様子のこと

*13
東ドイツマルクと西ドイツマルクは東ドイツの公式レートでは同一とされたが、実際の貨幣価値は違った。1978年の段階で既に西ドイツマルクは東ドイツマルクの5倍であった




 フリードリヒ・ザンデルリングは小説版6巻に出てくるシュミット子飼いの議員です。
傀儡政権の首班指名を受け、書記長の地位に就いた人物になります。



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危険(きけん)予兆(よちょう) 前編

 月面のハイヴより発射された、一つの射出物。
それは、着陸ユニットと呼ばれるBETAの基地であった。
隕石が地球に向けて進路を取っている、その時、米国の意見は割れていた。


 マサキが、東ドイツに一週間ほどの私的訪問をしている同じころ。

なにやら月面で、不穏な動きがあった。 

そのことに一番最初の感づいたのは、米国であった。

テキサスのジョンソン宇宙センター*1には、人工衛星からの画像が送られていた。

「所長、妙な隕石が地球上に接近しています」 

「どうした。隕石の一つなど今に始まったことではあるまい」

地球上には、毎年2万個の隕石が飛来していた。

そのほとんどは、小型で、人里離れた山奥や大海原に着陸し、発見されることは(まれ)であった。

「月面からです。

 ハイヴから、何か飛翔物が……」

地球上のハイヴは、既に完全攻略されていた。

だが、肝心な月面上の本拠地──ルナ・ゼロ・ハイヴだけは、なおまだ頑として落ちずにあった。 

「着陸ユニットか!」

 

 着陸ユニット。 

それは、BETAの発生源であるハイヴを内包した飛翔物である。

1973年、1974年と続けて地球上に飛来して、多大な被害をもたらした存在。 

米国では、戦術核の飽和攻撃でハイヴ建設を防いだ。

だが、カナダの東半分が深刻な放射能汚染のために、居住地域が制限されてしまう事態になった。

 

隕石接近の報に、所長以下、対策を話し合ってていると、電算室からの連絡があって、

「コンピュータの計算によりますと、着陸まで3日ほどです」

こう情況を伝えて来た。

所長は、はるかにそのさまを想像しながら、

「軌道上に発射可能な核ミサイルは……」

と、口の内で、不機嫌な(つぶや)きを鳴らしていた。

 

 ここで簡単に、1978年当時のミサイル技術を振り返ってみたい。

当時の大陸間弾道弾ミサイルは、米ソともに液体燃料であった。

液体燃料ロケットは、軌道制御が簡単な反面、燃料注入に日数がかかるのが難点だった。

固体燃料を主としたピースキーパーミサイルが配備されるのは、1986年になってからである。  

 参考までに、われわれの世界での、固形燃料ロケットについて述べておく。

1970年に、世界に先駆けて全固体燃料のロケットを開発したのは、日本であった。

(はやぶさ)」「鍾馗(しょうき)」を開発した航空工学の大家(たいか)糸川(いとかわ)英夫(ひでお)*2博士。

彼が、(きた)る宇宙開発時代に向けて、1950年代から研究していたのだ。 

それが功を制し、わが日本国は世界で4番目*3に人工衛星を打ち上げた国家になった。

 

 このままいけば、アサバスカの二の舞になるかもしれない。

所長は、一刻も晏如(あんじょ)としてはいられない焦躁(しょうそう)にかられていた。

「打つべき手段はないものか……」

「日本軍のゼオライマーを使う案はどうですか」

「再突入駆逐艦に乗せて、軌道上に運ぶのかね……

 私が、聞いた話によれば。たしか、ゼオライマーの大きさは、50メートル、500トン。

 再突入艦は60メートルだよ。それだけの重量と全長の物をどう運ぶのだね」

 

 再突入駆逐艦とは、この異世界で作られた大気圏突入用宇宙船(スペースシャトル)

全長60メートルで、地球の軌道上から戦術機を輸送するために開発された輸送機である。

駆逐艦と呼ばれているが、非武装の有人宇宙船である。

ミサイルはおろか、大砲、機関銃すらついていなかった。

 

 所長は、懐中に手を入れると、白に緑の文字が書かれたタバコの箱を取り出す。

「Kool*4」と書かれた箱から、数本のタバコを抜き出し、机の上にきれいに並べる。

「とりあえず、怪情報に踊らされず、出来るだけ多くの正確な情報を収集したい」

整然と並べられたタバコを端から掴んで、口にくわえる。

ジッポライターで、炙るように火をつけた後、悠々と紫煙を燻らせた。

男は、咽頭を通じて伝わる結晶ハッカ油に、心の安らぎを求めた。

その様を見た副官は、所長の愁眉(しゅうび)を開かせようと、

「任せてください」と、力強く答えた。

 

 

 

 さて、ワシントンD.C.にあるホワイトハウスでは。

テキサスにあるジョンソン宇宙センターからの一報を受けて、緊急会議が招集されていた。

会議の冒頭、航空宇宙(NASA)局長が立ち上がって、上座の方を向いた。

「今回の隕石は、情報分析によりますと、着陸ユニットと思われますが……」

白版に張られた地図を見ながら、副大統領は、

「うむ」

と、航空宇宙局長の意見に深くうなずき、

「諸君らも、月面のハイヴの隆盛(りゅうせい)をみれば、膨大なG元素が眠っているのが一目でわかる」

思わず声を上げて笑った。

 まもなく、哄笑している副大統領に、意見をはさむものがあった。

彼との関係が微妙である、CIA長官であった。 

「副大統領! G元素集めに無駄な時間を割くより、例の計画を進めた方が得策かと……」

 副大統領の目が途端に鋭くなる。

彼は精悍な顔つきをしている為に、かなりの迫力を感じさせた。

「まだ、こだわっているのか」

腕組みを解いて、席より立ち上がった。

「悪いとは言ってはいません。私は、貴重な味方の戦力を無駄にはしたくないだけです」

 国防長官は、その言を聞くや、いつにない激色を見せ、

「ならばこそ、例の計画を進めるために、G元素の収集を続けているではないか」

と、席から立ち上がって、CIA長官を叱りつけた。

「その通りだ。心配はいらん。

 調査隊の成果を楽しみにしていたまえ」

 そういうと副大統領は、会議場から辞した。

CIA長官は、立ち去る彼に、懸命に食い下がった。

「犠牲を……、最小限にとどめたいものですな」

議場に残った閣僚たちは、CIA長官に冷ややかな目を向けるばかりであった。

 

 

 

 

 ホワイトハウスでの秘密会合から、わずか数時間後。

場所は変わって、ニューヨークのマンハッタン島にある国連日本政府代表部。

 全権大使の御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)は、ある人物の非公式な訪問を受けていた。

米国の諜報をつかさどるCIA長官であった。

黒塗りの公用車で来たCIA長官は、代表部の一室に差し招かれて、

「結論から申し上げます。

 殿下並びに、元枢府*5も、内閣も、このBETA戦争を終結させるものは新元素爆弾であると……

 その様な考え方を否定なさらないと思います」

御剣が鋭い目でしげしげと見おろしながら、たずねる。

「それで……」

「多額の予算を投入したにもかかわらず、我が合衆国はいまだにG元素爆弾を完成しておりません」

男は意味ありげに、深い深呼吸をした後、

「ですが……、状況に深刻な変化が出たと申し上げなくてはいけません」

「ロスアラモス研究所で、新元素の分裂実験に成功したという件かね」  

「やはりご存じでしたか」

「しかし、余りにも大きく、航空機にも、大陸間弾道弾にも搭載できぬという話だが……」

「ですが、彼らは戦略航空機動要塞という途方もない手段を思いついたようです」

御剣は、CIA長官の発言にほとほと感じ入った様子で、

「なんと……」

脇にいた次席公使も驚きの声を上げる。

「それは初耳です」

CIA長官は、やがて御剣の前にかしこまっていた。

「実は」

と、CIA長官は注意深く、大使館の周囲を覆う竹林の外を見て。

「G元素の反応を利用した機関を乗せた大型攻撃機を月面に近づけて、地表で炉を暴走させる計画なのです」

 長官は口を切った。

御剣はうなずいた。──大いに聞こうという態度である。

「NASAによりますと、着陸ユニットの発射源は月の静かの海にあると言う事です。

 クレーターを(えぐ)り、地下に建設されたハイヴらしく、空爆やミサイル攻撃による損害を与えることは難しい。

 特殊作戦は、不可能と結論がなされました」

御剣は息を内へ飲んだ。

「つまり、正攻法で行くしかありません。

 合衆国は国家の命運をかけ、相当の損害を覚悟のうえで、大規模な月面降下作戦を実施する事にいたしました」

「実施時期は……」

「ロケット燃料充填や人員の確保、月面の温度が上昇を勘案しますと、早くとも半月後になります。

 詳細は追って、連絡いたします」

CIA長官は席から立ちかけて、

「大統領閣下からの伝言でありますが……。

 貴国には、ぜひ、ゼオライマーの作戦参加を、とのことです」

御剣はひとみを正した。

CIA長官の終りの一言に、よってである。

 男は、それを猛烈(もうれつ)反駁(はんばく)の出る準備かと覚悟した。

今回の依頼が、無理を承知の上でしていたからである。

「わかりました」

 案外、御剣は、幾度も大きくうなずいた。

決して、軽々しくではない。

歎息して、言った。

「元枢府、内閣との検討の上に可及的速やかに返答を申し上げましょう」

御剣も同意の色を満面に見せた。

「よろしくお願いします」

 男は、御剣に深い礼をした後、静かに部屋を後にする。

迎えに来た屈強な護衛たちと共、に車でマンハッタンの町へ去っていった。 

 

 

 

 CIA長官が帰って間もなく、執務室から人払いをした御剣は、大急ぎ電話を掛けた。

既に米国ニューヨークは昼下がり、6時間先の西ドイツのボンは、夜の時間帯になっていた。

「御剣だ。大使館付武官補佐官に連絡して、訪独中の彩峰(あやみね)大尉を呼んでくれ」

 それから5分ほどもすると、電話は彩峰につながった。

「御剣閣下、彩峰です。火急(かきゅう)要件(ようけん)とは……」

「すまぬが、木原に一つ汗をかいてもらうことになった」

「ゼオライマーを出撃させろと、いうんですかッ」

 彩峰は御剣の問いかけを聞いて、本音を漏らした。

いや、口に出せない感想もまだあるのだ。

「まぁ、聞いてくれ。

 先ごろ、米国のNASAで月面から異様な飛翔物の発射を確認した。

 それに対応するために、近々米軍の降下部隊を送ることが決まった」

「じゃあ、どうやって安全な場所に送り込むのですか。

 10年前のサクロボスコクレーターでの、接触事件以来……

 ただ、月面がどうなっているかわからないのですよ……」

 その先を言うか迷った。

出過ぎたことをしゃべって、彼の逆鱗に触れたら、大変だ。

「簡単な事だよ。

 降下作戦が始まるまでに、候補に挙がっている月面のハイヴ全て。

 それを、破壊すればいいだけだよ」

「エッ」

「それが、帝国に対する米国のやり方なのだよ」

 そこで、御剣は口をつぐんでしまう。

彩峰は受話器を握りながら、相手の反応を待つ。

しばらくすると、御剣は口を開くなり、受話器の向こうに問わせた。

「木原は、どこにおる」

「いずれも、まだ確かなるところは」

彩峰の手元にも、まだ的確な情報はないような返答だった。

「では……木原を探し出しまいれ」

御剣は、彩峰にいいつけ、それも、

「ニューヨーク時間の月曜午前8時までに」

と、時を()った。

「了解しました」

 受話器を置くと、彩峰は、窓の向こうの、夕闇に染まり始めたボンの街並みを見つめた。

(『(ゆる)せ、木原。これが薄く汚れた政治の世界の現実なのだ……』)

権力者の手の上で踊らされる一人の青年の身の上を、人知れず涙していた。

 

 

 

 同じころ、CIA長官といえば。

マンハッタン島中心部にあるセントラルパークの近隣に、こじんまりとした建物があった。

 その建物こそが、外交問題評議会本部。

米国の内政外交に影響を与える、奥の院である。

最上階の会長室では、数人の男たちが集まり、今密議が凝らされていた。

「私に、CIA長官を()めろというのですか」

CIA長官の問いを受けて、上座にいる男が顔を上げる。

「このあたりで考えてみては、どうですかと……。

 ご相談しているのです」

「今のは退職勧告(かんこく)と同じではないか、私にはそう聞こえますが!」

別な男が、口つきの紙巻煙草をもてあそびながら、長官をにらむ。 

「はっきり言おう。我々はゼオライマーの活躍を支援する君を……

 いや、今後もそんな主張をする君を今後も支持するわけにはいかんのだよ」

 みな長官の顔に瞳をあつめ合った。

長官も一人一人を見まわすように、しばらく、口をつぐんでいる。

「そこまで聞いて分かったぞ」

と、たまりかねたように、長官は言った。

「副大統領をそそのかし、G元素獲得(かくとく)工作を進めているのは、君たちなのだね」

「長官、我々がゼオライマーを、木原マサキを支援してきたのは……

 BETAの進行によって、経済活動が立ち行かなくなる。

 その様な懸念(けねん)が増大してきた事への、不安だったのです」 

押し黙る長官を見て、さらに別な男が口を開く。

「だが、状況は大きく変わった。地球上にあったハイヴは消滅した。

 脅威であったソ連は、BETA戦争で国力が疲弊し、今や見る影もない。

 そしてソ連の衛星国であったコメコン諸国も、西側(われら)との連携を模索(もさく)し始めている」

長官は、やや声を高めて、

「そんな事で、本質は変わってはおりません。

 BETAは、まだ月と火星に()るのですよ!」 

はなはだしく不快な顔をした男達は、興奮する長官を責め立てる様に、一斉に口を開く。

「……かもしれません。

 でも国際政治とは、常に変化するものです、生き物ですよ。

 少しでも現実に即したものを選ばなければ、我が合衆国は、時代に取り残されてしまいます」

「我らにとって、黄色い猿(イエローモンキー)の科学者……。

 そして彼の作った超マシン……百害あって一利なしだ」

 みなまで聞かないうちに、長官の(おもて)には、ありありと、不満の色が現れる。

長官は、瞋恚(しんい)もむき出しに、机から立ち上がった。

 無敵の存在であるゼオライマーが失われれば……

BETA戦争はまた、かつてのように凄惨(せいさん)な結末を迎える。

その様な懸念(けねん)(いだ)いて、彼らに反撃したのだ。

「皆まで言うのか……。

 (よろ)しい! ならば私も言わせていただこう。私は()めぬぞ」

赫怒(かくど)のあまり、机を何度もたたく。

「諜報機関の長として、守らねばならぬのは、君たちだけではない。

 合衆国を支える、2億の民を思えばこそ、職責を全うせねばならん。

 その様に、決意を新たにした」

 しかし、誰もが一瞬、その面を研いだだけで、しんとしていた。

来るべきものが来たという悽愴(せいそう)な気以外、何もない。

「残念ですな……

 中間選挙の結果が開票される前に、辞任(じにん)していただきたかったのですが……」

「明日も早朝からの閣議があるので、失礼させてもらうぞ」

 長官は、きつい口調でその様に告げ、背を向けて逃げるようにして、その部屋を後にした。

彼に出来る事は、ドアを勢い良く閉める事だけだった。 

 

 

 CIA長官が去った後、会議室の中は冷たい笑いに包まれていた。

上座の男は、パーラメントの箱から、タバコを抜き出すと、紫煙を燻らせる。

 そして、静かに夜景(やけい)(のぞ)いた。

ビルの最上階からは、壮大(そうだい)絵画(かいが)の様な、精緻(せいち)(まばゆ)い夜景が広がっている。

他の男たちは、肩を()すって笑い、そして、二言(ふたこと)三言(みこと)(ささや)()っていた。

「あの莫迦(バカ)者は、別といたしまして……」

「木原という黄色猿(イエローモンキー)は、どうしますか」

「しかし、まったく不可能とされたハイヴ攻略を単独で成し遂げるとはな……」

「パレオロゴス作戦の参加……。

 活躍させない為の、無理(むり)難題(なんだい)であったのにな。

 おかげで日本政府まで、奴を重視し始める結果になった」

「しかし、あれだけの行動ができる男を失うのは、()しいがね……」

上座の男は、初めて強い調子で答えた。

「自分で行動のできる猿などいらぬ。

 主人の言う事を聞く有能な猿が欲しいのだよ」

「なるほど」

「で、どういう筋書きで……」

「心配はありません。

 月面偵察にかこつけて、機械もろとも、宇宙の海の藻屑(もくず)にするつもりです」

上座の男は、つい微笑を持った。

黄色い猿(イエローモンキー)の見る夢など……、この世界にはなかったと言う事か」

 地上のハイヴ攻略はなった、この上は危険なゼオライマーと木原マサキは消えてもらう。

彼の腹はできたのである。

*1
正式名称:リンドン・B・ジョンソン宇宙センター。1961年11月1日設立

*2
1912年7月20日- 1999年2月21日。日本の工学者

*3
1970年2月11日に人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功した。ソ連、アメリカ合衆国、フランスに次いで、世界で4番目である

*4
1933年以来、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社から発売されてる世界初のハッカ入り紙巻煙草

*5
マブラヴ世界における政府機関




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危険(きけん)予兆(よちょう) 後編

「着陸ユニット、地球に飛来」
その方を受けたソ連赤軍は核ミサイル攻撃の準備に急いだ。
ソ連首脳部の思惑は如何に……


 ウラジオストックは、もう初雪の舞う季節だった。

雪となり出すと、明けても暮れても霏々(ひひ)、心を放つ窓もない。

 だが、この冬、いつもの年よりは、何か、あたたかいものがあった。

長く続いた戦争にも終わりの兆しが見え始めていたせいであろう。

 空がにわかに黄昏(たそ)がれ始めたころ。

ウラジオストックの共産党本部に凶報が舞い込んできた。

 

「何、何だと月面からだと……」

 受話器を持ったまま、チェルネンコ議長は立ち上がった。

「隕石だと……しかし……

まさか着陸ユニット……そんなものが飛来しているというのか」

 居合わせた秘書たちは、眼と眼を見あわせた。

皆、聞き耳を立てているふうだった。

だが、まもなくチェルネンコはむっとした顔をして答えた。

「もうよい」

静かな室内に受話器をたたきつける音が轟いた。

「同志議長」

「至急、政治局員を集める準備に取り掛かれ。

対策会議を開く」

 

 

 対策会議の座上、ソ連戦略ロケット軍司令官が呼ばれていた。

司令官は、並みいる閣僚たちを前にし、

「考えうるあらゆる角度からの分析の結果、例の飛翔物は着陸ユニットの一部と思われます」

 

 なぜ戦略ロケット軍司令官が、宇宙空間から飛来する隕石について呼び出されたのか。

ここで著者からの説明を許されたい。

 ソ連では、宇宙開発のための部署は軍の一部だった。

軍事組織から分離させ、NASAを作った米国と違い、資金も人員も軍に依存したものだった。

その為、計画や運営は、ICBMを取り扱う戦略ロケット軍がほぼ管理したのだ。

 また1959年に戦略ロケット軍が新設されて以来、司令官職は国防次官も兼務した。

その事は、戦略ロケット軍が、如何に重視されていたかの現れでもあった。

 

「……何か、言い足りぬことでも」

と、顔を窺うかがった。

 チェルネンコはだまって(うなず)いた。

しかし容易に、次の口は開かなかった。

なお何か、思い(まど)うものの如く。

「米国の反応は」

「ホワイトハウスで、緊急の閣議を開いた模様ですが?」

閣僚に、政治局員も加え、夕方より熟議されたことは、かなり重大らしかった。

 対米問題である。

すでに、指導部の(はら)は決まっている。

受け身ではなく、積極的にだ。

 

「何か、お調べなさりたいことでもあれば、偵察衛星など飛ばせましょうか」

群臣たちは、チェルネンコの案じ顔へ、かさねてそう言ってみた。

「だからこそ」

と、チェルネンコは初めて、閣僚へ、迷いをはかった。

「もし迎撃に失敗してふたたびユーラシア大陸に落下されれば、対処のしようはないぞ」

「その件ですが、ご心配はございますまい」

「ないか」

「まったく」

戦略ロケット軍司令官は言った。

「……なるほど」

 そう聞けば、そういう気もしてくる。

チェルネンコは、自分の迷いを、迷いに過ぎなかったかと、まもなく笑った。

 しかし、この一策にして、もし(まず)い結果にならんか、失敗すれば事態は悪化する。

しかも、ソ連は既に冬。

 シベリアにいる軍の多数は、積雪のために、明春まで動かせない。

となると、何よりは、国際外交におけるソ連の孤立化。

それと米国の対応などが、大きな不安となってくるのであった。

故に、このミサイル迎撃作戦は、重大中の重大だった。

 

 そのうちに議長は、周囲のものを安心させるために話題を変えた。

「今一度、着陸ユニットとは何かから、説明したまえ。

今回の閣議から、新しく政治局員や政治局員候補になった人物が大勢いるからな」

 戦略ロケット軍司令官は、一通り議場の顔を見渡す。

議長はじめ閣僚たちに、深々と頭を下げた後、

「では同志議長、閣僚の皆様方。

既にご存じの方もおられると思いますが、着陸ユニットとはBETAの巣です。

忘れもしない1973年4月に支那に飛来し、わずか一か月ほどでソ連まで侵攻しました。

現在、日本野郎(ヤポーシキ)のゼオライマーの為に、ハイヴは灰燼に帰してしまいました。

ですが、その前に米国がアサバスカから残存物を得ております。

米国での研究成果からしますと、着陸ユニットから未知の元素が発見されました。

G元素と呼ばれるもので、その量はハイヴ一つ当たり200トン以上とされます」

 

 閣僚たちが、戦略ロケット軍司令官の言葉を聞いて、感嘆の声を上げる。

「入手できれば、すごい利用価値があるな」

「では早速、先制攻撃として飛翔物に……」

チェルネンコは、満足そうに言った。

「そうだ。

米軍に察知されるよりも早く、迎撃準備に取り掛かり給え」

 

 戦略ロケット軍司令官が議場を出ようとしたとき、参謀総長に声を掛けられた。

教本に出てくるような模範的な敬礼に、答礼で返す。

 周囲に人がいないことを確認してから、参謀総長が近づく。

それまで黙っていた参謀総長が、初めて口を開いた。

「例の不確定要素さえ、介入してこなければな……」

彼のその言葉に、一時不穏(ふおん)な空気が(みなぎ)った。

「不確定要素でありますか」

 戦略ロケット軍司令官の表情が険をおびた。

「天のゼオライマーだ……いまは手段(てだて)もない」

と、参謀総長は当惑の果て、一切の運命を老臣たちの善処にまかせた。

いや、このような帰着となってから、善処などという余地があろうはずはない。

戦略ロケット軍司令官は、まったく狼狽(ろうばい)するのみで、反論はおろか、とるべき策も知らなかった。

 

 

 一方、シベリアにあるスヴォボードヌイ基地*1では。

駐留する戦略ロケット軍の部隊が、ロケットの発射準備に取り掛かっていた。

 

「最終点検急げ!」

 粉のような雪が降る中、ロケットの移動発射台に集まる作業員たち。

そこに向かって、メガホンで将校が呼びかける。

「作業員は速やかに退避せよ。繰り返す。作業員は速やかに退避せよ」

「ロケット発射準備!」

発射基地に、滔々(とうとう)とサイレンが響き渡たる。

「射場の周辺異常なし」

まもなく、放送でカウントが開始された。

「ロケット発射まで、あと410,9、8、7、6……」

指令所より、オペレーターや操作員はロケットの様子を見守った。

「液体窒素準備完了」

カウントの合間に、ロケット点火の合図が響き渡る。

「ロケットモーター点火、メインシステム準備完了」

ロケットからうっすらっと白い煙が上がり始める。

「5、4、3、2、1……」

ロケットブースターが点火され、上段マストにあるケーブルが切断された。

「発射!」  

 4本の液体燃料補助ロケットを備えた大型ロケットは、上空に向けて、飛び上がっていく。

空に白い線を書くように煙を上げ、たちまちのうちに大気圏に消えていった。

 

 

 場所は変わって、米国東部の都市、ニューヨーク。

マンハッタン島にある、コロンビア大学ロシア研究所。

 ソ連のミサイル発射を探知した米軍は、情報分析に乗り出す。

急な情報分析の為、米軍では間に合わず、各種研究機関も協力を要請された。

 様々な米国内外の学者の中には、米国大統領補佐官の姿もあった。

彼は、米国におけるソ連研究の第一人者であり、コロンビア大学ロシア研究所の教授でもあった。

 

 教授がコロンビア大学へ着いたのは、日もほとんど夜半に近い頃だった。

教授は研究室に入るなり、応接用の椅子に腰掛ける二人の青年に声をかけた。

涼宮(すずみや)君、ベルンハルト君、待たせたな」

「いいえ……」

 ユルゲン・ベルンハルトは、留学以来、教授の信任が厚かった。。

そのほかに、日本人留学生の涼宮(すずみや)宗一郎(そういちろう)が呼ばれていた。

この事は、日本にとって、マサキにとって幸運だった。

 

 教授の顔には、深い疲労の色がありありと出ていた。

ついさきほどまで閣議にでも、出ていたのであろう。

「大詰めに来て、余計なことに頭を使わされる」

うなだれたままの教授は、ユルゲンたちの顔も見ずに、

「ソ連がロケットの準備態勢に入っていることはわかっているが……

まだ、どの程度の規模の攻撃を行うか、判ってはおらん」

 いかんせん、悲愁(ひしゅう)の気は(はら)うことができない。

氷のような沈黙と、蛍光灯のゆらめきが、座中3名の顔を白々と見せるのだった。

「判明しているのは、大型ロケットを打ち上げ地点だけだ」

と、涼宮が補足した。

「場所は、スヴォボードヌイ」

 このとき、ユルゲンの眉に、一瞬の驚きがサッとかすめた。

涼宮の手から地図を奪い取ると、

「涼宮さん、もう一度名前を言ってくれ」

「スヴォボードヌイだが……」

 ユルゲンの想いは、確信に変わった。

「スヴォボードヌイ……やはりか。

俺は、前にこの基地に関して、聞いたことがある」

 

 スヴォボードヌイとは、中ソ国境を流れるアムール川支流、ゼヤ川中流の右岸にある都市。

アムール州州都のブラゴヴェシチェンスクからは北へ1670キロの場所にある。

 1930年代には第二シベリア鉄道の建設の為、大規模な収容所群がこの地に設けられた。

同市の50km北方には、閉鎖都市ウグレゴルスクがあった。

 この町は1961年にソ連軍のミサイル発射のために作られた町。

1969年以降、「スヴォボードヌイ18」という暗号名で呼ばれた。

 町の中心から5キロの場所にシベリア鉄道の支駅、レデャーナヤ駅があった。

その駅より、貨車による軍事物資の搬入も可能であった。

 

「俺がまだ駆け出しの軍人で、モスクワに留学中の話だ。

ソ連のロケット学者から、この場所の話を直に聞いた」

 涼宮は口元をゆがめ、驚愕の表情でユルゲンを見やった。

「ロケット学者!」

次の言葉が聞えたとき、その注目は、ことごとくユルゲンの下に集まっていた。

「クビンカ基地で、歓迎パーティーが開かれた時だ。

ソ連の人工衛星コスモス1号の打ち上げが話題になったのが、記憶に残っている」

そういって冷徹な一瞥を、教授と涼宮にくれる。

「その時は確か、シベリアの原野に、秘密都市が建設されていたという話を耳にした。

それも、日本とも関係の深い極東、シベリアにあるミサイル基地だった」

 教授の鋭い目が、ユルゲンの端正な顔立ちに、くぎ付けになった。

しばらくぶりに会うユルゲンは、以前に比べて頼もしく感ぜられた。

「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」との諺通りである。

「秘密都市……」

感情を押し殺した声で告げると、脇にいる涼宮の方に向き直った。

「それが……今は宇宙ロケットの発射基地か」

涼宮は無表情で答えた。

 

 三名の顔は、同じものだった。

不安に塗りつぶされたのである。

いかに勇猛な者とはいえども、こうした非常時に立つと、日頃の顔色もない。

「とにかく、米国一国では止むおえん場所だ」

といううめきが、教授の唇から出たとき、二人はもう一度、胸を()かれた。

だが、教授は、その太い眉をもって、うろたえるな、と叱るように二人を睨んだ。

「涼宮君」

「はい」

「君は、日本政府筋にこのことを伝えたまえ」

涼宮は、これ以上の情報収集が出来ないと考え、一足先に研究室を後にした。

 

 東ドイツ大使にあてた書状を、したためるしかあるまい。

そう考えた教授は、机に座ると、早や便覧(びんらん)に筆を走らせ始めた。

「ベルンハルト君、本当にいいんだな」

 教授の顔が途端に鋭くなる。

精悍な顔つきをしている為に、かなりの迫力が(ただよ)った。

「これは日米同盟という、安全保障上の問題だ。

だが、失敗したら、東ドイツも共倒れだ」 

「はい。分かっております」

 そういって、(うやうや)しく大使へあてた手紙を受け取った。

内心の不安を覚えつつも、ユルゲンは笑みを浮かべながら答えた。

『唯一の勝算は……、味方が天のゼオライマーである事か……』

さしものユルゲンも、そう思わざるを得なかった。

*1
今日のボストチヌイ宇宙基地




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秘密(ひみつ)別荘地(べっそうち)

 東独議長の招待で、秘密の別荘地ヴァントリッツに招かれたマサキ。
そこでの宴の際に、アーベルからソ連のESP計画について驚くべきことを聞く。



 月面より飛翔物が接近している、まさにその頃。

東ドイツにいるマサキたちといえば。

議長専用のリムジンに、マサキも厚い羅紗のダッフルコートにくるまりながら、同乗し、ベルリン近郊にある、高級幹部専用の住宅地に向かっていた。

 この場所は、ヴァントリッツと呼ばれていたが、実際は違った。

ベルリン郊外のの村落ベルナウ・バイ・ベルリン*1にあり、樹林(ヴァルト)開拓地(ズィードルング)と呼ばれていた。

ミッテ区から、A11号道路を40キロほど進んだ場所にあった。

 

「私が提案した条件は、飲んでくれるのかね」

ソ連製大型リムジン、ジル(ZIL)114型の中で、議長は紫煙を燻らせながら訊ねてきた。

「ああ、まあ……なあ」

 籍を入れなくてもいい、アイリスディーナと式を挙げてほしい。

形だけの人前式を上げてほしいというのが、条件だった。

移動時間は40分程度なのだから、それに合わせて返答してほしいという要求だった。

 後部座席はミラー加工された窓ガラスに変えられ、外から見えなくなっている。

……とはいえ、運転手の存在が気になった。

 黒いスーツに、レイバンの黒縁のサングラスをかけた寡黙(かもく)な男。

屈強な体つきと見あげるばかりの背丈から、如何にも軍人然とした風貌だった。

「大丈夫だ。運転手は俺が議長になる前からの長い付き合いの男だ。

口は堅いし、こういう事には慣れっこだ」

 議長の言葉に、マサキは、何で今さらといわぬばかりな顔していた。

 いきなり人前式の話を持ちだされて、マサキは焦った。

義理の親とは言え、妙齢の娘の先行きを気にする気持ちはわかる。

マサキも、アイリスディーナとの同居することには意義はない。

 だが、その身分が問題になった。

アイリスディーナは、国家人民軍陸軍少尉。

BETA戦争の為、2年早く繰り上げ卒業をしたとはいえ、士官教育を受けた現役将校。

 いくら東ドイツがOKしても、日本政府が許すわけがない。

外国人との結婚は、その後の進路ばかりか、マサキの日本国内での立場を危うくしかねない。 

 ミラ・ブリッジスと結婚した貴公子、篁祐唯(まさただ)とは違う

武家でもないマサキには、爵位も、後ろ盾も、何もない。

この世界では根無し草のマサキにとって、外人との結婚は自殺行為だ。

 

 前の世界の自衛隊の様に、この世界の帝国陸海軍は外国人との結婚には甘くない。

もっとも、陸海空の自衛隊、海上保安庁、警察消防、公安調査庁等々……

 日本国憲法24条によって婚姻の自由は、両性間の合意にのみゆだねられている面が大きかった。

慣習として、外国人との結婚をした治安・法執行機関関係者は、出世を絶たれた。

 対象国・(こう)(おつ)(へい)(てい)*2と称される仮想敵国の国民と結婚した人物は、不利な立場に置かれる。

無論、マサキもそのことを知らぬわけではない。

 

 日本帝国に調略工作を仕掛ける面から言っても、適当な武家や素封家から娘を妻に迎え入れる。

その方が安全なのは、知っていた。

 ただ、東ドイツに工作拠点の一つを作る。

謀略工作という点から、アイリスディーナとの関係を利用するのも悪くない。

マサキ自身、そう考えていた面もあったのだ。

 

 議長の爛々(らんらん)とした眼が、マサキの顔や姿を見つめ合った。

瞬間は、やはりどうにもならない。

相手の意識に圧しられて、顔のすじも肩の骨も、こわばりきったままだった。 

「形だけの結婚式でもいいんですよ、博士。

そして、いつでもアイリスディーナの所に来てやってください。

但し、このおままごとに関しては決して口外しないと……」 

 それに対して、マサキは十分心が動いた。

その証拠に、応じる色を見せて来た。

「内縁関係……、(めかけ)なら考えてもやらんでもないが」

 マサキのつぶやきを聞くと、議長は相好を崩した。

「そう。博士のその言葉を待って居りました」

「うあっ……あ」

 綸言(りんげん)汗の(ごと)し。

マサキは、自分の失言に、もう全てが、どうでもよくなり、深い後悔の念に苛まれた。

 

 車窓から見えるのは畑や森林、そして晴れ渡る空に、豊かな自然。

冬の澄み切った空気で、遠くまで一望できる。

 マサキは、後部座席に寄りかかりながら、呆然とその景色を見ていた。

やがて運転手が、

「あと5分ほどで着きます」と告げると、目的地が見えてきた。

金網のフェンスに囲まれた深い森で、『野生生物保護区』、との看板も見える。

 

 国家人民軍の勤務服に似た開襟式のジャケットに乗馬ズボン、ワイシャツに黒のネクタイ。

陣笠のような鉄兜に、カラシニコフ自動小銃を持った一群が近づいてくる。

彼らは国家保安省(シュタージ)の武装部隊、フェリックス・ジェルジンスキー連隊の兵士であった。

 車は、キノコ型の守衛所の前に一時停止する。

運転手が鑑札(かんさつ)を見せると、兵士たちは敬礼をし、門を開け、車を中に招き入れた。

 深緑の中に、ぽつぽつと建物が点在している。

薄暗い森林の中に、突如として、閑静な住宅街が出現した。

 マサキが車を降りるなり、背広姿の老翁が近づいてきて、住宅に続く道を案内される。

給仕と思しき老人は、矍鑠(かくしゃく)としており、一般人でないことは察せられた。

 議長の別荘は、2階建てだった。

15部屋のある戸建てで、広さは、180平方メートル。

 木漏れ日に佇む姿は、ベルリンのパンコウ区の喧騒とは一線を画していた。

 

「アーベルの家は、ここから2軒先にある。

もっともアイツは、ベルリン市内で寝起きしているけどな」

 使用人たちが、マサキの脇を通り過ぎ、彼の荷物を運んでいく。

見た感じ、3人以上いるのが分かる。

「俺は、今は一人もんだから、使用人は5人までに減らした。

前議長(おやじ)は、多い時には60人の使用人を使っていた」

「シュタージは、家政婦の派遣業もしているのか……」

「ソ連の特権階級(ノーメンクラツーラー)の劣化コピーと考えてもらえば、早い」

「だろうな……」

 マサキの察した通り、使用人はシュタージからの派遣であった。

総勢650人の使用人の主な業務は、身辺警護、庭師、運転手、炊事婦、住宅管理。

そのほかに、140人ほどの警備員が4交代で、24時間体制の警備を敷いている。

 腕時計を見ると、時刻は午後3時を過ぎたあたりであった。

マサキは、深いため息をついた。

『えらいところに連れてこられてしまった』 

 

 それから。

マサキは、茶もそこそこに、別荘近辺を散策していた。

とは言っても、後ろから2名の護衛がついて、詳しく案内してくれた。

 マサキは、この場所を全く知らなかったし、東ドイツの公式の地図には載っていなかった。

CIAの発行したベルリン周辺の地図にあるかどうかは、不明の場所だった。 

 紫煙を燻らせながら、遊歩道を散策していると二重の壁で区切られていることに感づいた。

高さはおよそ2メートル、総延長5キロに及ぶ、深緑色に染められた壁がぐるりと囲んでいる。

 

 市街地にまで買い物に行くのは大変であろう。

そう思って、護衛の一人を呼んで訊ねてみた。

「ガソリンは近くの村落まで入れに行くのか」

 そっと、懐中より、アメリカ煙草の「マルボーロ」を差し出す。

西側との限られた通商が許可された東ドイツでは、外国たばこは商材として有効だった。

物不足のソ連ほどではないにしても、「マルボーロ」ひとつで色々な事を融通できたのだ。

 一応、インターショップという外貨建ての店で、東ドイツ国民が購入できた。

だが、西ドイツマルクや米国ドルを持たない一般庶民には、高嶺(たかね)の花だった。

一方、西から入る人間には免税された状態で販売されていたので、ほぼ原価で買えるのが魅力的だった。

 護衛は、マサキの差し出したタバコに火を付けながら、

「外壁と内壁の間に、ガソリンスタンドと洗車場。

別荘地に勤務する、従業員のためのショッピングセンターがあります」

「オレンジなど食いたくなったときは、どうする」

 オレンジやグレープフルーツといった柑橘類は東ドイツでは高級食材であった。

一応、共産圏のキューバから、バナナやオレンジが入ってきてはいるも、粗悪品であった。

 バナナは腐敗を避けるため、青いまま輸送されて、店頭で黄色く熟成させられた。

逆にオレンジは、収穫から時間がたち、瑞々(みずみず)しさを失ったものが多かった。

 

 散々に質してみたが、男は口を閉じ、どうかすると、その口辺に、不敵な薄ら笑いをみせるだけだった。

「そうか」

 マサキは、しばらく彼と根くらべのように黙りあった。

そして、今度はズバッと言った。

「ソ連では、ブレジネフが作った幹部用の住宅地がクンツェヴォにあったそうだ。

たしか、そこはもともとスターリンが使う別荘地(ダーチャ)という。

幹部専用の店があったとも」 

「…………」

「顔にも出たぞ、口を閉じている意味はあるまい。

つまらん()せ意地は、よせ」

「どうしてわかった」

「どうして知っていたか。

それはベアトリクスの護衛、デュルクにでも聞くんだな」

「デュルク?」 

 こうして、地面の枯れ草を踏んでいるだけで、ここは特別な場所と実感する。

マサキは、余裕のある雰囲気を残して、その場を辞した。

 

 

 ソ連に限らず、東欧諸国、支那(しな)北鮮(ほくせん)越南(ベトナム)、キューバ等々……

社会主義国の党専従者、幹部並びにその子弟は、特権を享受(きょうじゅ)できた。

家族でなくても、党の重役につながる人間は、優先された。

 自家用車の所有が厳しく制限されていたソ連。

かの国では、人口の54人に一人が、一台の車を持っていたのに対し、党幹部たちは車を好きなだけ買えた。

 1970年代の指導者であるブレジネフ。

自動車好きの彼は、ジルやボルガといったソ連製の高級車の他に、複数の外車を所有した。

 東ドイツのホーネッカーも、その(ひそみ)(なら)って、めぼしい高級車を買い(あさ)った。

特にお気に入りだったのは、フランスのシトロエンCXという高級セダンであった。

 

 幹部用のスーパーや特別な牧場や専用農場も、あった。

東ドイツのそれに関して言えば。

西ドイツの商業スーパーと遜色(そんしょく)のないものが並び、新鮮な柑橘類と野菜が年中手に入った。

だが、それでも西ドイツの中流家庭、日米の一般家庭の水準であった。

 社会主義の優等生として知られている東ドイツは、対外的に消費の平等を打ち出していた。

住民の不平不満を抑えるために、ホーネッカーはそのことに細心の注意を払うほどであった。

1970年には、リーバイスのジンーズ、およそ1万2千本を輸入し、国営商店(ハーオー)に並べたりもした。

 しかし、その利益の恩恵を受ける人々は、わずかであった。

社会的立場によって、耐久消費財や一般雑貨、食料品など、得られる機会が限られていた。

 マサキは、前の世界でソ連崩壊を、社会主義の失敗を見てきた男である。

たかがオレンジのこととはいえ……。

食料の供給システムは、その国家の真の豊かさを測る尺度になる。

そう思って訊ねたのだ。

 

 

 

 日が暮れて間もなく。

外出先から、アイリスディーナが帰ってきた。 

「ただいま、もどりました」

 勤務服姿の彼女が、玄関をくぐると、声がする。

屋敷の居間からであった。

 なにやら、ベアトリクスと誰かが語り合っている最中であった。

そっと、覗いてみると、意外な人物であることに、アイリスは驚愕した。

 ベアトリクスと今で話していたのは黒髪の東洋人。

木原マサキだった。

軽食の後、居間で二人して、トランプに興じていたのだ。

「やられたわね。ま、まったく……あんた、やるじゃない」

「七ならべが、こんなに強いとは、なあ……。

9回連続で負け通しだぜ」

「負けたから、私の約束を聞いてよ」

マサキはトランプの札を手で、もてあそびながらささやいた。

「なあ……最後の一回は俺の勝ちだ。

勝った人間の言う事を聞くのなら……

勿論、俺の言う事も聞いてくれるんだろう」

ベアトリクスの顔が、パアと赤らんでしまう。 

「それは……人妻に掛ける言葉なの、酷いわ」

 ベアトリクスは、すねて少し怒った。

そのさまを見たマサキは、会心の笑みを漏らした。

「だから、断っておいたじゃないか。本当に面白い女だよ」

 マサキの突然の訪問に、唖然としているアイリスディーナ。

彼女に向かって、英語訛りのドイツ語が帰ってきた。

「邪魔してるぜ」

ベアトリクスの脇に座るマサキは、立ち上がると、

「俺についてくる意思はあるか。

もしお前がその気があるのなら……

少なくとも、今よりは自由で刺激的な暮らしをさせてやるつもりだ」

 用ありげな使用人の一人が、何気なく、ひょいとドアを開けて入りかけた。

だが、使用人でさえ、顔を赤くして、あわてて引き下がってしまった。

「そのままでいいから、聞いてくれ。

俺はゼオライマーのパイロットだ。

今のままでいれば、俺とお前との関係はどうあがいても縮まるまい。

一生、俺の事を名前で呼ぶ関係になれず、先生とか、博士と呼ぶ関係に終わる」

 マサキも、また若い一人の男だった。

その性も(たくま)しく、悶々(もんもん)とアイリスディーナで思い悩んでいたほどである。

 体の奥底から這い上がってくる欲望に触発され、理性が飛ばないように抑えるだけで精一杯であった。

前世では、絶対に手に入れられないような美少女に心を握られているのだから、猶更(なおさら)である。

「アイリスディーナ、兵隊の道を捨てる覚悟はあるか」

 帝国陸軍に籍を置いている以上、外国人との結婚は、いろいろな影響を与えないわけがない。

こんな真似はいけないと思いながらも、自分の心には(あらが)うことが出来なかった。 

 

 別荘地の夜は、静かに()けていった。

 歓迎の晩餐会は、こじんまりとして、ささやかな集まりだった。

呼ばれたのは、ヴァントリッツの住人たちと、議長の親しい間柄の人間。

 多くが政府高官と言う事もあって、3時間ほどと短めだったのも異例だった。

ドイツでは、基本的に樽俎(えんそ)は深夜まで行うのが当たり前だった。

老若男女問わず、明け方まで踊ったり、酒盛りをするのが一般的だった。

 

 まだ、ごたごたとしたざわめきの中で、マサキの声がはっきりと、皆の耳朶(じだ)を打った。

「なあ、議長さんよ。

どうして俺のような凡夫(ぼんぷ)に取り入った。

訳を……聞かせてほしい」

 マサキの質問を受けて、部屋の中に、ちょっとしたざわめきが起きた。

議長が不敵の笑みを浮かべて、マサキを揶揄(からか)う。

「博士は、ずいぶんと意地の悪い質問をなされる」

 

 マサキは不審な顔をした。東ドイツはまだ彼の支配下でない。

この国の政治家との交友や通商には、彼も少なからぬ神経を働かせていた。

「お前たちが、俺に近づいた理由は、大体見当がついている。

この東ドイツが、国際社会の荒波の中で生き残るのには、道は非常に少ない。

例えば、シベリア移転でソ連が減らした武器生産。

それをソ連に代わって、東ドイツが(にな)い、アフリカや中近東に安く売りさばく……

ユルゲンは、その様に考えたそうだな」

 ちらりとベアトリクスの方を向いて、彼女の瞳をながめた。

「あるいは、力による統制でBETAに対抗する究極の戦闘国家の創造……。

なんて馬鹿げた絵空事(えそらごと)を、考えているわけではあるまい。

圧倒的な物量を誇るBETAには、戦術機の突撃ぐらいで時間稼ぎにもならない」

 ベアトリクスは、先ほどまでの高圧的な態度に比べて、どこか落ち着きのない様に感ぜられる。

しきりに手を組み替え、机を触れたりして、視線を泳がせていた。

わずかに、頬を赤らめているほどであった。

 マサキは、ベアトリクスの名さえ出さなかった。

だが、聴衆は誰に対して言っているか、判っている様だった。

「たしかに、支配の原理として、力は有効だ。

富や名声、知性など、この世のすべては移ろいやすいものだ……

だが、それは人間の心も同じではないか。俺自身がそれを最も実感している」

そういうと、マサキは、はるか遠い過去への追憶(ついおく)に旅立った。

 

 

 人の想像もつかない所に、いつも人の表裏はひそんでいる。

 思えば、ゼオライマーを建造している時から、鉄甲龍はマサキを()むようになった。

うるさくなった。なければと、いとう邪魔物になった。

自分の力を凌駕(りょうが)する存在と、敵視するようになった。

 けれど、それを表面化して、マサキと争うほどの勇気もない。

彼等の智謀は、極めて陰性であった。

 

 そのことを察知したマサキは、密かに幾つの布石を打っておいた。

 まず、八卦ロボの爆破と図面の焼却。

簡単に復元できぬよう重要な部分に高性能爆薬を仕掛け、粉々に砕いた。

 次に、鉄甲龍首領とパイロット、名だたる幹部の暗殺。

マサキ自ら、イングラムM10機関銃を使って、手を下したのだ。

 最後に、ゼオライマーに(ほどこ)された幾重(いくじゅう)防御機構(セキュリティー)

ゼオライマーの生体認証には、マサキ自身のクローン受精卵を登録した。

 一番の秘密である次元連結システムも同様であった。

主要部品を人間の姿に偽装させ、氷室美久というアンドロイドを開発した。

 

 前の世界で、日ソ交渉の保険としてゼオライマーを欲した日本政府の陰謀によって、凶弾に倒れたことをまじまじと思い返していた。

クローン受精卵や自分の遺伝子を、何らかの形で伝えるものを残していない。

そのことを、今更ながら思い返していた。

  

 この世界に、俺の敵はいないと驕ってはいなかったか。

たしかに、秋津マサトの人格さえは消え去ったが、それだけに満足していないか。

 この世に冥府を築き、世界を征服するという野望も道半ばだ……

見目麗(みめうるわ)しい女性(にょしょう)に心奪われ、(おの)積年(せきねん)(ゆめ)をあきらめるとはどうかしている。

 クローン受精卵を用意できぬのなら、生身の女を抱いて、(はら)ませれば、済むこと。

そんなことも気が付かぬとは、俺もだいぶ(ほう)けてしまったものよ……

 

 やがてマサキは、意識を現実に戻した。

()わぬ(てい)をつくろって、改めてアイリスディーナを振り返った。

彼女の鼓動は、息が詰まるほどに、激しく跳ね上がる。

突然の事態に困惑しながらも、ドキドキと心を震わせていた。

「でも、ソ連とは言えども、何千万人の思想を操作するのは……さすがに無理でしょう」

 一生懸命に背筋を伸ばして話し出すきっかけを作ろうとするアイリスディーナ。

どうしても口ごもってしまう様子の彼女は、思わず抱きしめたくなるほど初々(ういうい)しかった。

 

 アイリスディーナは、本当に純粋で汚れも知らない表情で、それに似合わず大胆な質問をした。

ズバッと切り込んでくることに、マサキ自身が、かえって困惑をした。

「ただ、出来なくもないことはない……。

特定の薬剤による集団洗脳。奴らはそれを実用段階まで達成した」

余りの衝撃に、未知(みち)狂気(きょうき)に、アイリスディーナは身をすくませた。

「薬物といっても、既存の麻薬や向精神薬ではない。

阿芙蓉(あふよう)、ヘロインでは依存性が強すぎるし、人体への悪影響も大きい。

そこで奴らが作ったのは、指向性蛋白(しこうせいいたんぱく)と呼ばれる特殊な酵素(こうそ)さ」

 

 

 ベアトリクスは、マサキの言葉に驚いて、キッと目を吊り上げて言う。 

指向性蛋白(しこうせいいたんぱく)?」

 夫ユルゲンやヤウクからの話を聞いていたベアトリクスには、思い当たる節があった。

以前からソ連兵の態度が、BETAへの恐怖を喪失(そうしつ)していて、何かおかしいと直感していたのだ。

洗脳教育だけではないことは、その虚ろな目つきからわかっていた。

 軍人の、いや、女の直感だろう。

何か、麻薬をやっている。

 そういう目で見れば、ソ連赤軍兵士の虚無感に、そのことがありありとうかがえた。

しかし、情報不足の軍学校での生活の中で、中々真相はつかめないでいた。

「ソ連で実用化された洗脳用のたんぱく質さ」

ベアトリクスの勢いに気圧されたマサキは、しぶしぶ答えた。

「これの恐ろしいところは、無色透明、無味無臭。

ヘロインより簡単に合成出来て、検査試薬に反応しない」

 考えるだにおぞましい光景だった。

ベアトリクスは込み上げる怒りをもてあまして、コップをもてあそび続けるしかなかった。

「だから、ソ連では水源地にこれを散布する計画を持っていた」

 ベアトリクスの母であり、アーベル夫人でもあるザビーネが、マサキに問いただした。

マサキの話を、今一つ信じられない様子で。

「なぜ、そんなものを用意したのですか」

そんなザビーネの問いに、マサキは不気味な笑みを浮かべて、

「ソ連指導部は、そうまでせねば生き残れない。

奴らが、そうと思ったからと、俺は思っている」

 

 アーベルが、まるで(とが)めるような声音でいった。

「待ちたまえ、木原君。

君の説明は難しすぎて、あまりにも意味不明すぎる。

説明とは、女子供でも分かるようにしなくてはだめだ」

困惑顔をする妻のザビーネや、アイリスディーナの方を向くと、

「いいかい。

BETAが侵攻してくる前のソ連にも、コーヒー、オレンジやバナナがあり、娯楽もあった。

車や被服にしても、東ドイツに少し劣る、戦前のそれとさほど変わらない生活をしていた訳だ。

それがBETAの侵攻で、代用食材しか手に入らなくなり、制限されていた国内移動がさらに制限された。

平時の記憶を保ったままでは、戦時体制に耐えられない。

そういうことで、政治局はある決定をした。

それが、指向性蛋白による記憶操作という政策だよ」

 

 それは、まんざらでたらめという感じでもなさそうな話具合だった。

アーベルの事なので、恐らくソ連経由での話であろう。

 だが、そこは余程(よほど)割引いて聞く必要がある。

マサキは感じながら、耳を傾けた。

「指向性蛋白は、偶然発見された代謝低下(たいしゃていか)酵素によるものだ」

「代謝低下酵素?」

「ああ。国連の秘密計画であるオルタネイティヴ2。

オルタネイティヴ2とは、1968年に開始され、BETAの地球降下まで実施された秘密の計画。

内容は、BETAの捕獲・解剖によって調査分析を行うものだ。

BETAが、炭素生命体であることはわかったが……」

「その際に、代謝低下酵素を……」

「そうだ。

ソ連科学アカデミーでは、その基礎代謝を低下させる酵素に早くから注目。

数年に及ぶ研究の結果、特殊な蛋白質の抽出(ちゅうしゅつ)に成功した」

「それを使って、死を恐れぬ兵士を作っていたと……」

「ああそうだ。

ソ連では、それを裏付ける政治局決定が出されている。

生後間もない乳幼児を両親の元から切り離し、軍の保育施設で養育するという内容だ」

 マサキは、アーベルの話に、反射的に答えていた。 

今まで見せなかった狼狽(うろた)えの色を、いよいよ明らかにして。

「どういうことだ。

兵士としての教育なら、10代前半からでも間に合うはずだ……。

ソ連には、党直属のピオネール*3という少数精鋭の組織があるだろう」

(がく)として、疑いと、半ば信じたくないような感情を声にして放ったのは、マサキのほうであった。

「私もソ連にいた時、ピオネールにいたからわかるが、入隊基準は厳格だ。

参加資格は、健康で、優秀で、品行方正(ひんこうほうせい)な人物と決まっている」

アーベルは、氷のように冷たく答えた。

 

 ソ連はレーニン時代の失敗を見直さないのか……。

家族制度の否定は、やがて国家体制の崩壊につながる。

それに、乳幼児期の生活は今後の人格形成に大きな影響を与える……

 あのスターリンをして、否定させた政策を復活させるとは……

マサキの背筋には、憤怒(ふんど)と共に冷たいものが走った。

 

アイリスディーナは、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、 

「つまり、ソ連は洗脳教育と指向性蛋白によって、死を恐れない無敵の兵士を作ると……」

 アーベルの弁解は、中々熱心だった。

マサキの言葉から、彼を怖れ、警戒している様子だった。

「私も人の親だ。この話を初めて聞いたときは……言葉すら思い浮かばなかった」

マサキは、抑え難きいきどおりもこめて、おもわずつぶやいた。

「しかし、妙な話だ。

ソ連では成年男子が大分減少したというのに、少年兵まで繰り出したら……

やがては、人口形態がいびつになるぞ。

女ばかり残って、男が少ないのでは人口減少も(おさ)まるまいよ」

 

 まだ納得できず言いつのろうとするマサキに、アーベルは手を振って抑えた。

「実は……ソ連では人工子宮の実用段階に入ったと聞く。

優れた体格や容姿などを持つ人物の遺伝子を選別し、人工授精によって、培養(ばいよう)する。

そのような秘密計画が、あるそうだ」

 同席した客たちも首をあげて、そこへ瞳をあつめた。

驚くべきものを、そこに見たような眼いろである。

凝視(ぎょうし)したまま、しばしの間、(みな)心をうつろにしていた。

「オルタネイティヴ3計画の、人工ESP発現体の技術を応用して……。

何者かによって、ノボシビルスクのESP培養施設が破壊された。

だが……仕方のなかった事かもしれない」

 マサキは、木像の様な顔で、突っ立っていた。

アーベルの言ったことが耳に入ったのか、入らなかったのか。

虚無を思わせたマサキの目は、その瞬間、(さん)とした悲痛な色に満たされて、(うめ)く様に言った。

「人を人とも思わぬ研究など、滅びて当然だ」

 室中、氷のようにしんとなったところ、ハイム少将の副官が飛び込んでくる。

エドゥアルト・グラーフ少佐は、顔のいろを変えて、何事か告げに来た。

「同志将軍、それにおいでになられましたか。一大事です」

ハイム将軍は、副官の狼狽ぶりを叱った。

「同志グラーフ少佐、貴官は少し(つつし)みをもて。

一大事などということは、佐官の職責にあるものが滅多に口にすべきではない」

 若い副官に教えるばかりでなく、ハイム将軍は、議長の(おどろ)きを(なだ)める為にもいわざるを得なかった。

なぜならば日頃の毅然(きぜん)とした姿にも似合わず、議長がひどく顔色を変えたからである。

 ところが、グラーフ少佐は、

「いい加減なことを申しているわけではありません。

真に……、一大事にございます」

と、はや廊下を駈けて来て、テーブルのそばに平伏し、

「ただ今、軍情報部へ、プラハの米大使館からの急電がありました。

月面ハイヴから地球への飛翔物接近とのことです」

と、一息にいった。

 

 その場に、衝撃が走った。

首相はじめ、みな凍り付いた表情である。

議長は、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、

「電報は。電報は」

と、グラーフ少佐が携えて来たはずの、プラハの米大使館からの急電の提出を求めた。

マサキはすでにある予感をもっていたのか、唇を噛んで、グラーフの姿を見下ろしているのみだった。

 その後、披露宴はそのまま臨時閣議の場になった。

マサキは明後日までいるつもりであったが、出立(しゅったつ)早暁(そうぎょう)

シュトラハヴィッツ少将とともに、ベルリン市内のシェーネフェルト空港に向かう事と決まった。

 

 閣議を終えた後、外に出たマサキは、我慢していたタバコを取り出す。

妊娠しているベアトリクスの前でタバコを吸うのは、流石に気が引けたのだ。 

「怖れていたことが、ついに実現したか」

と、ひとり呟き、紫煙を燻らせて、思慮にふけった。

 せめて今日一日だけでも、戦争のつかれ、旅の気疲れなど、すべてを放りだして、気ままに(こも)っていたい。

そう思っていたが、それも周囲がゆるしてくれない。

 

「ここにいたんだ」

ベアトリクスの声は、その闇夜がもっている寂寞(じゃくまく)(かね)のように破るものだった。

()むような声の明るさに対しては、マサキもどうしても快活(かいかつ)にせずにいられなかった。

「どうした」

 ベアトリクスは、薄いウール製のストールを羽織り、足首までの長いネグリジェ姿。

そんな薄着の姿に、マサキの方がびっくりするほどであった。

「こんな冬の夜更けに、薄着で身重の女が出歩くのは、体を冷やすだけだぞ」

 マサキとしては、最大な表現といっていい。努めて磊落(らくらく)であろうとしたのだ。

けれどすこし話している間に、そういう努力はすぐ霧消(むしょう)していた。

 幾多の困難を乗り越えてくると、おのずから重厚が備わって来る。

まして戦場の中で心胆を磨き、逆境から立身の過程に飽くまで教養を積んで来たほどな人物。

そうというものには、言い知れぬ奥行きがある、(ゆか)しい匂いがある。

(『ユルゲンが、注目するだけの男だけあるわ』)

 ベアトリクスの眼で見ても、しみじみ思う。

議長が、その政治生命を傾けて打ちこんだのも、無理はないと思う。

帝国陸軍の下士官にあって、戦術機を操縦する衛士として見ても……

すこしも不足のない人がらと、(うなず)ける。

 

「何が、可笑(おか)しい」

 ふと、話のとぎれに、マサキからこう訊かれて、ベアトリクスは初めて、しげしげと彼に見入っていた自分の恍惚(こうこつ)に気がついた。

「アハハハ。いや別に」

と、卑屈(ひくつ)なく声を放って、

「せめて、アイリスと話しぐらいしてやって……」

 マサキは、うらやましげにすら、相手を見ていた。

何不足ない扱いを自覚しながら、気持ちだけはもう10歳、20歳も若くあって欲しい。

 マサキは、そう言いたげな顔いろである。

自分の秘めたる思いを言い出された事から、客としての居心地は、たいへん気楽になって来た。

何でも言いたい事の言えるベアトリクスにも、また(うらや)ましさを感じないでいられなかった。

 

 哀願(あいがん)するように言うベアトリクスに、マサキはすまして答えた。

それは、まるで壮年の男が幼児に話しかける様な、やさしい声だった。

「俺は、その気のない奴を抱く気はない。

心を通っていない状態で、欲望の赴くままに、求めたりはしない。

この一件が終わり、そして、アイリスがただの女になった時、本当の男女の仲になるつもりだ」

 そう言いながら、マサキは新しい煙草を取り出した。

ベアトリクスの姿など目に入らないかのように、紫煙をゆっくり燻らせる。

「今は、闇夜に(ひそ)む獣と戦う為に、剣の様に感覚を()()まさせねばならない時だ。

愛欲を充足させれば、そこに油断が生まれる……

アイリスが欲しいと思えばこそ、いつも彼女に心が向いている」

 

 まるで、心を(のぞ)かれている!

唐突なマサキの告白に、ベアトリクスの背筋がゾクと震え上がった。

「アイリスに気を引かれて、注意が散漫(さんまん)になったらどうするのよ」

悲しげな眼でマサキを覗きあげて言えば、胸が締め付けられる。

「アイリスが身を任せたら、そうなるかもしれない。

だが、欲しいだけで物にはしていない。

だから、気を取られることはない」

 大きくうなづくマサキを見るなり、ベアトリクスは、くるりと向きを変えて、

「色んな体験をしてきたんでしょうけど、ずいぶん気障(キザ)な事を言うのね……

ネンネ*4のアイリスが首ったけになるのはわかる気がするわ」

立ち去ろうとするベアトリクスの背中に、マサキは着ていたダウンジャケットをかけた。

「今日は特段冷える。もう少し自分の身を大事にするんだな」

 反射的に振り返りそうになるのを、ベアトリクスは抑えた。

自分でどうにかしていいかわからないまま、素知らぬ振りをしてマサキが通り過ぎていくのを待つばかりであった。

*1
今日のブランデンブルク州ベルナウ・ベイ・ベルリン

*2
自衛隊ではこのようなものの存在は認めてはいない物の、一般論として、甲は旧ソ連圏、乙は香港・マカオを含む中共、丙は北鮮、丁は旧東側諸国であるとされる

*3
レーニン夫人のクルプスカヤ女史によって提案されたソ連共産党の幼年組織。ボーイスカウトを模倣し、軍隊形式の集団活動をした

*4
寝ること、眠ることをいう幼児語。そこから転じて幼稚なこと、また、世間知らずであることをあざけっていう言葉




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迎撃(げいげき)作戦(さくせん)

 軌道上に、着陸ユニットの迎撃に向かうゼオライマー。
マサキの運命は、如何に。


 一報を聞いた、ユルゲンの行動は早かった。

即座に車を手配して、マンハッタンにある東ドイツ代表部に駆け込んだ。

 ユルゲンは、その手紙を携えて、大使公室を尋ねた。

ブレジンスキー教授からの詳しい内容を伝えると、大使は、

「ベルリンは何時だね」と尋ねてきた。

ユルゲンは腕時計を見て、

『ニューヨーク・ベルリン間の時差は6時間』と時間を計算した後、

「いまは午前4時になります」

 

 その朝、木原マサキは、早暁(そうぎょう)から身支度をしている所だった。

本心を言えば、緊張の為、まったく寝付けなかったのだ。

 マサキは、鉄人ではなかった。

普段の振る舞いと違って、非常に繊細な男であった。

 仮初(かりそめ)とはいえ、結婚式を挙げた興奮もあろう。

それよりも彼の心を悩ませたのは、着陸ユニットの接近であった。

 いくら素晴らしいマシンがあっても、地球上に再び着陸されたらやりようがない。

超マシンで巻き返そうにも、建造するための原材料や、兵站を維持できなければ、無意味なのだ。

今ここで、もたもたしていたら、取り返しのつかないことになる。

 鉄甲龍を倒した時も、躊躇なくやっていれば、日本本土への被害は防げたろう。

幽羅(ゆうら)を、八卦(はっけ)ロボを誘い出すためとはいえ、米海軍第七艦隊の損失は割に合わなかった……

前世の失敗を、今更ながら悔いていた。

 

 

 マサキの意識は、若い女の声で現実に戻される。

まもなく、寝間着(ねまき)姿のベアトリクスとアイリスディーナが来た。

「木原、木原はいる!」

 ベアトリクスとアイリスディーナは、とにかく過敏な眼いろだった。

だが、さすがにマサキは、何気ないふりを振舞いながら、

「どうした」

と、落着き払っていた。

「主人から電話が来てるの!」 

 ヴァントリッツに電話がつながった時、ベアトリクスは偶然起きていた。

ユルゲンの話を聞くなり、アイリスを起こして、急いで彼の部屋まで来たのだ。

 

 居間(いま)にある電話機まで近寄ると、受話器を取り、

「ユルゲン、どうした。俺だ、木原マサキだ」

 いつにない真剣な表情で、ユルゲンに尋ねた。

ユルゲンは、一呼吸おいてから、ゆっくりと語りだした。

「未確認情報だが、ソ連がロケットを上げた。

発射場所はスヴォボードヌイ……。

シベリアのアムール川*1流域で、中ソ国境地帯だ」

「スヴォボードヌイ」

 マサキにも、初めて聞く名前である。

それは無理からぬことであった。

 その場所は、前の世界でさえ、ソ連崩壊まで完全に隠蔽(いんぺい)された閉鎖都市。

CIA発行の航空写真では判明していても、どのようなものがどれだけあるか。

それは、秘中の秘だったからだ。

「場所の事はどうでもいい。

お前が話せる限りのことを、話せ」

「ソユーズ宇宙船の打ち上げに使われるプロトンロケットではない。

聞いたことも、見たこともない新型ロケットなのは、確かだ……。

今は、これしか言えない」

 そう言って、受話器をベアトリクスに渡した。

夫婦であれば、積もる話もあろう……

マサキなりの最大限の気づかいだった。

 

 

 国際電話は、たちまちシュタージの知るところになった。

マサキ番のゾーネ少尉は仮眠から起きると、通信室に入った。

複数並ぶモニターの電源を、一斉に付ける。 

 椅子に座って、国際電話の内容を傍受していると、後ろから声がした。

「なるほどな。ずいぶんと金のかかった部屋だ」

ゾーネは後ろから入ってきて感悦(かんえつ)をくり返しす男に、驚愕の色を示す。

「誰だ、お前」

「ボデーガードさ、木原先生のな」

白銀は、軽く笑っていなした。

「たまには、木原先生の特別講義を聴講させてもらわないとね。

あんただって、そのつもりなんだろう」

と、本音を吐いたときの、ゾーネの顔つきは、ひどく複雑だった。

美男(びなん)好きのどうにもならない諜報員でも、将校は将校だもんな」

 その瞬間、瞋恚をむき出しにしたゾーネは、白銀のネクタイをつかんだ。

「な、何だと」

白銀は、一瞬驚くも、ゾーネの腕を逆につかみ帰して、興奮するゾーネを抑えた。

「まあ、まあ、怒るなよ。本当のところ言われてさあ」

 そのうち、白銀ともみ合いになりながら、ゾーネは、

「出ていけ、警備兵をよぶぞ」と叫んで、電話機の方にかけていった。

白銀は背広の上から来ていたオーバーコートを直すと、

「連れないね」

と、ドアの方に下がっていった。

 慌てたゾーネが、受話器を持ち上げると、

「分かった。分かったよ」

白銀は、そういって背を向け、

「よくお勉強なさってください……」

ると、会心の笑みを漏らしながら、その場を後にした。

 

 

 

 

 マサキは、アイリスディーナと一言も交わさないで、庭まで来てた。

誰もいないのを確認した後、懐中よりホープの箱を取り出す。

悠々と紫煙を燻らせると、再び過去への追憶へ沈降した。

 

 この時代のソ連で核搭載可能な宇宙ロケットは限られてくる。

プロトンロケットでなければ、1980年代後半に完成した大型ロケットエネルギアぐらいか。

 エネルギアは記憶が確かならばペイロードが35トンまで耐えられるはず……

27トンの核爆弾「ツァーリボンバー」であるならば、搭載可能だ……

 低軌道か、静止軌道か、判らない。

だが、着陸ユニットを迎撃するとすれば、50メガトンクラスの核爆弾でなければ厳しかろう。

核での粉砕が成功すればよいが、破片が落下する事態になれば、地球上への被害は免れない。

 何よりも、マサキを怖れさせたのは、着陸ユニットそのものが無傷である可能性であった。

今までは新疆やアサバスカなど、はるか蕭疎(しょうそ)邑落(ゆうらく)だから良かったものの……

大都市ならば、その影響は甚大だ……

 問題は、低軌道上にどうやって上がるかである。

次元連結システムを使えば、指定したあらゆる座標に移動可能ではある。

 だが、マサキ自身は宇宙空間での実験を一切してこなかった。

地上での戦闘のみを想定していた為である。

 まさか、異世界に来て宇宙怪獣のBETAと戦うとは夢にも思っていなかった。

全長50メートル強の機体を運ぶ宇宙ロケットがあるのか、どうかも不明だ。

マサキの悩みは、留まることを知らなかった。

 

 さて、マサキはどうしたであろうか。

シュトラハヴィッツ少将とチェックポイントチャーリーで分かれた後、西ベルリンに入った。

 西ベルリンのテーゲル空港から、チャーター機でハンブルグ空港へ向かった。

この時代の西ドイツ本土と西ベルリンを結ぶ航空路は、限定された空域で飛行が許可されていた。

それは1946年2月に設定された『空の回廊』と呼ばれるものである。

 東ドイツ上空の高度は10,000フィート*2、空域の幅は20マイル*3

基本的に、西ベルリンを管轄する米英仏の3か国。

その他に、例外としてポーランド国営航空のみが離着陸を許可されていた。

 

 ハンブルグ空港に着くなり、マサキは彩峰から衝撃的な事を聞かされた。

結論から言えば、ソ連が発射した迎撃用の核ミサイルは、失敗した。

大気のない宇宙空間では核爆発の威力は半減し、着陸ユニットを破壊するまでには至らなかったのだ。

 小惑星の直径が、どれほどかわからない。

もし、今回の迎撃に用いた核ミサイルがツァーリボンバーであったのならば……。

広島型原爆の1500倍の威力の原爆で破壊できないとなると、恐らく非常に大きい。

或いは、狙いが外れて至近距離で爆破したために、十分な威力が出なかったか……

 米軍が行った1962年の高高度核爆発実験の際は、大気が少ないために予想通りの威力が発揮できなかった。

その代わり、爆発に伴う電磁パルスの影響で、大規模な停電がハワイ全島で起きるほどであった。

 実はBETAの着陸ユニットに対して、手をこまねいているばかりではなかった。

米軍は4年前のアサバスカへの着陸ユニット落下事件を受けて、迎撃システムの研究を開始する。

 宇宙空間に核ミサイル迎撃システムを設置するというもので、その名はSHADOW。

ラグランジュ点L1、つまり太陽と地球の間に迎撃衛星を設置しようという案である。  

 しかし、軍事予算のほとんどを新規開発中のG元素爆弾にとられ、迎撃衛星の研究は滞ってしまった。

その為、計画からすでに5年の月日がたっても、衛星は一機すら上がっていない状況になっていたのだ。

 

 

 すでにゼオライマーはハンブルグ空港の駐機場に準備されていた。

マサキは、渡された宇宙服に着替えながら、彩峰に尋ねる。

「彩峰、射出物の場所は……出来る限り正確なデータが欲しい」

「まだ地球周回軌道には、入っていない」

 その話を聞いて、マサキは内心ほっとした。 

地球周回軌道に入っていないのならば、宇宙空間でメイオウ攻撃をしても問題はない。

 ただ、宇宙空間にいきなりワープするにしても、正確な座標や目標がなければ移動はできない。

そこで、対地同期軌道上を飛んでいる人工衛星の位置を頼りにワープすることにしたのだ。

「彩峰、衛星放送用の人工衛星の座標を教えてくれ。今からそこにワープする」

「じゃあ、今から人工衛星シンコム3号の場所を言う……」

そういって、詳細な位置を伝えてきた。 

 マサキは、コックピットに乗り込むと、ゼオライマーを転移する準備に取り掛かる。

彩峰の話を基に、高度3万5786キロメートルの円軌道上を飛んでいる人工衛星の位置情報を入力した。

ゼオライマーは、基地から飛び上がった後、即座に対地同期軌道上にワープする。

 管制塔からゼオライマーの発進を見守っていた彩峰は、ゼオライマーの姿が消えるまで敬礼していた。

他の管制官やスタッフたちもそれに続いた。

 

 

 

 マサキは、ワープした瞬間、どこにいるか、判らないような感覚に襲われた。

太陽光の反射で白く輝くゼオライマーの機体とは別に、周囲は漆黒の闇夜。 

 まるで、虚空に放り出されたようだ。

そんな感覚に陥っていた。

 マサキは、宇宙服のぶ厚い手袋の上から操作盤に触れながら、美久に隕石の位置を尋ねた。

「この方角で間違いないのだな」

「計算が正しければ、この位置で隕石は来るはずです」

「120パーセントの威力でメイオウ攻撃を実施する」

 この方角ならば、メイオウ攻撃の最大出力で、大丈夫なはずだ。

そう考えると操作盤を連打して、攻撃準備に取り掛かった。

 メイオウ攻撃は、異次元から取り出したエネルギーを無尽蔵に放出し、あらゆる標的を破壊する。

それも原子レベルまで分解し、消滅させて。

大陸一つ消滅させる威力を誇る攻撃で、おそらく直径数キロの隕石は消し飛ぶ……

 

 メイオウ攻撃を放った瞬間、衝撃波がゼオライマーに降りかかった。

大気のある地球上と違い、宇宙空間には遮るものが何もなかった。

その威力がそのまま、機体に直撃する。

 無論マサキもそのことを想定して、バリアを張っていたし、即座にワープする準備もしていた。

だが思ったよりも、その衝撃はすさまじく、しかもワープの準備をするより早かった。

正面からの衝撃で座席にたたきつけられたマサキは、そのまま気を失ってしまうほどであった。

 

 バリア体で周囲を保護したゼオライマーの機体は、そのままボールのように弾き飛ばされ、地球の方に向かった。

マサキが気が付いたときには、既に大気圏に突入している最中。

 ぼんやりと落ちていく様をながめながら、

「奈落の底に落ちていくのか……」

 奈落とは、地獄の事である。 

このBETAのいる世界……地獄かもしれない。

今まで自分がして来た事を思えば、それは当然のことではないか。

だが自分は、一度ならず二度復活したのだ。

折角生き返ったこの機会に、己の長年の野望を叶えずしてどうするのだ。

 

 死にたくない……

このまま、一度目の人生で自分を死に追いやったソ連への復讐を……

道具のように扱い、簡単に暗殺した連中への復讐を果たすまでは……

 

 そう思うと、自動操縦を担当する美久に呼びかけた

「美久、聞いているか……

ぼさっとしてないで、姿勢制御のブースターを作動させろ」

「背中のブースターに異常が……」

同時に、マサキは必死の思いで操作盤に手を伸ばす。

「肝心な時に役に立たないとは、ガラクタだな」

 操縦席にあるコントロールパネルに手動操作で座標を打ち込んでいく。

北緯53度38分、東経09度60分……

機体は即座に、ハンブルク空港に転移した。

 

 ハンブルクは、ちょうど日の出前だった

空港の上空1500メートルに転移すると、航空管制に従って駐機場に着陸させる。

 メインスラスターが損傷していたので、補助スラスターを用い、姿勢制御をおこなったのだ。

すると、5分もしないうちに化学消防車と救急車がサイレンを鳴らしながら近寄ってきた。

どうやら彩峰の指示で、ゼオライマーの機体が損傷した可能性を考えて用意したものだった。

 幸いなことに早朝だったので、ゼオライマーを隠す時間も十分だ。

マサキはそう考えながら、救急車のストレッチャーに乗せられると、救急車で医務室に運ばれていった。

 今回の宇宙への出撃は、スペースシャトルによる短期フライトより短かった。

なので、空港にいる医師が健康状態を簡単に評価し、その後、診療所で診察、検査が行われた。

さらに3日後、より詳しい検査を大学病院で行い、異常がなければ通常の活動に戻れるという話であった。

 昨日からほとんど寝ていないマサキは、診察の合間に転寝をするほどであった。

普段心配するそぶりすら見せない彩峰から、奇異に思えるほどに心配された。

 

 マサキは遅めの昼食を取りながら、思い悩んでいた。

今回の宇宙空間での活動から、マサキは以前にもましてグレートゼオライマーを進めるしかない。

そのような結論に至った。

メイオウ攻撃は無敵なのは、間違いない。

 だが、威力があまりにも強すぎるのだ。

牽制用のミサイルやレーザー、ビームの剣などは必要であろう。

そうすると、自分一人で何かするには対応しきれない……

篁あたりを引き込むか。

 

 一緒の席でコーラを飲んでいる彩峰に聞いてみることにした。

「なあ彩峰。篁とミラ・ブリッジスに関してだが……」

「どうした」

ここはあえてグレートゼオライマーの件ではなく、戦術機の話をしてごまかすことにした。

「俺の考えてる、戦術機のロケットブースター改造計画に関して奴らの手を借りたいと思ってな」

「跳躍ユニットは米国のプラッツ・アンド・ウィットニー*4

英国のロールス・ロイス。

あとは自社で戦術機を作っている、ゼネラルダイノミクス*5の航空機エンジン開発部門ぐらいか」

「日本国内でライセンス生産はしていないのか」

「富嶽重工で行っているが……

どうしてそんな事をいまさら聞くのだ」

 彩峰はコーラの入ったグラスを片手に、真剣な表情になる。

マサキは、一頻りタバコを吸った後、彩峰の方を振り向く。 

「実は昨日アイリスディーナと話しているときに跳躍ユニットの話になった」

そういうと弾んだ声で話し始めた。

「跳躍ユニットは操作性が悪く、ユニット自体の可動域が非常に狭い。

操作を誤ると、よく転ぶという話を聞いてな……」

「……だから背面の推進装置を作りたいというわけか」

「戦術機は宇宙服の有人操縦ユニットの発展形だろう。

月面や火星での作戦に向けて、改良は必要になってくる」

 マサキはほくそ笑み、いかに次の作戦で背面バーニアが必要か、興奮した口調で話すのだ。

「……そこでだ。宇宙空間での姿勢制御は背面スラスターでなければ、十分にできない。

俺のゼオライマーの背面バーニアの技術と、有人操縦ユニットのノウハウを合わせれば……」

 呆れた表情を見せる彩峰。

マサキのぞっこんぶりに戸惑っているのだ。

「あくまで民生用部品として、ルーマニアに輸出する。

ルーマニアは東側だが、米国の最恵国待遇の対象国だ。

世銀にも入っているし、合弁会社を作れば、ココム規制に引っかからない。

上手くいけば、ルーマニア経由で日本企業が金稼ぎを出来るようになる……」

それに、自分の製作した作品がアイリスディーナの手助けになるのなら、望外の喜びだと思った。

*1
支那名、黒龍江

*2
1フィート=30.48センチメートル

*3
1マイル=1609.34キロメートル

*4
現実世界のプラット・アンド・ホイットニー

*5
現実世界のゼネラル・エレクトリック・エアクラフト・エンジンズ




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閉会式(へいかいしき)

 ボンサミットの閉会式に出た、マサキ。
そこで思わぬ事件に遭遇することになってしまう。
彼の運命や、如何に……


 さて、ボン・サミットはどうしたであろうか。

今一度、首脳会合の場に戻ってみることにしよう。

 ボンにある茶色い2階建ての真新しい建物。

それは連邦首相府で、今回の先進国首脳会議の本会合の場であった。

 日米英仏伊加の六か国の首脳が、ハンブルク空港に着くと、間もなく大規模な車列がボンに入った。

厳重な警備の中、開催されたボンサミットの本会合は、つつがなく二日間の日程を終えた。

 

 われわれの世界と違って、11月開催となった理由。

それは、パレオロゴス作戦が6月22日に開始されるため、西ドイツ政府の意向で変更になったためである。

その閉会式が、ライン川沿いのシャウムブルク宮殿で行われていた。

 同宮殿は、1976年までドイツ連邦首相府で、連邦大統領府(ヴィラ・ハンマーシュミット)の目と鼻の先だった。

元々は、米国の豪商が立てた別荘を、シャウムブルク=リッペ侯国の領主が買い取ったのが始まりである。

100年ほどの歴史の中で、数度の所有者の変更を経て、改築を繰り返すも、手狭であった。

今は、隣接する敷地に、茶色い連邦首相府*1の建物を新設した。

 

 

 ボン・サミットの最後として、閉会式という名の壮大な夜会が開かれた。

立食形式(ビュッフェ)のパーティーで、ドレスコードも略礼装の簡単なものだった。

 マサキにとっては、いずれにしても退屈であったが、ダンスがなかったのは幸いだった。

また知らぬ女を紹介されて、一緒に踊る気にはなれなかったのだ。

 マサキ達は、部屋の隅で固まりながら、今後の事を話し合っていた。

その際、東独の話となり、アイリスディーナが議題になったのだ。

 最初に声をかけてきたのは鎧衣だった。

彼は、いつも通りの茶色い背広姿。

流石に、愛用の中折れ帽と脹脛までの長さのあるオーバーコートは脱いでいたが。

「困ったものだな、木原君。

アイリスディーナさんの事ばかり考えて、夜も眠れなくなってしまうだろう。

そんな事では、高高度からの偵察任務でさえ、墜落事故を起こしかねない」

鎧衣が気遣っているのは、マサキの気持ちではないことはわかった。 

「君は、軍人失格だ」

両腕を広げて、不敵の笑みをたたえる。

「ほっといてくれ。

いずれ、時が来れば、アイリスディーナの事を迎えに行く。

そう約束してきた……という訳で、一件落着となった。

あとは、返事を待つだけという訳さ。

既に、お前が出る幕ではない……という事だよ」

 黒のイブニングドレス姿の美久は、右手でぐっとワイングラスを握りしめる。

周りにいる白銀や、近くから見ている彩峰ですら、彼女の苛立ちが分かるほどであった。

「ひとこと、言わせていただきます。

あの小娘から、別れると言う断りを入れてくるまでは、私もあきらめません」

 マサキは、美久の態度を真剣に受け取っていない風だった。

「……言うな、美久」

満面に、不敵の笑みを湛えながら、

「あのような薄幸の美少女の悲しむ姿……見るのは忍びない」

「明らかな罠と、分かっていながら……何故」

 苛立(いらだ)つように美久は、まくし立てた。

自分でも、なぜそんな言葉を言うのか、訳が分からない。

言っている美久自身が、困惑するほどに、唐突に出た言葉であった。

「それほどまでに、執着なされるのですか!」

 一旦、口から出た負の感情は、独り歩きを始めた嫉妬心は、もう止まらない。

そんな心が自分にもあるのかと怪しみながら、いよいよ切なさを募らせていた。

 マサキは、紫煙を燻らせた後、タバコを握る右手を額に乗せる。

不意に目をつむって俯きながら、会心の笑みを漏らした。

「フハハハハ、執着は、男の甲斐性(かいしょう)よ」

 いつの間にか、邪険な雰囲気になる二人。

周囲の彩峰たちは、置いてきぼりになっていた。 

 白銀が意味ありげに、美久へ目配せをする。

「氷室さん……」

美久は鬱陶しそうに、白銀へ答えた。

「白銀さん、これは私と木原の問題です。

どうぞ、ご心配なく」

 そして、言うなりこらえきれず、美久は一人でせかされるように部屋を後にした。 

取り付く島もなく長い髪をたなびかせ、部屋を出ていく美久の後ろ姿を、マサキは振り返って目で追う。

 

 マサキは、大広間を出ていった美久の事を追いかけた。

シャウムブルク宮殿の庭で、一人で歩いてく彼女の姿を見つけるなり、 

「美久、俺の話も聞いてくれ」

「よしてください、今更言い訳などとという女々しいことは……」

美久が振り返るより早く、右手をつかむ。

「いいから、ちょっと来い」

そういってからマサキは、来た道を帰っていった。

 まず二人が入ったのは、誰もいない2階のバルコニーだった。

握っていた美久の腕を放すなり、マサキが切り出した。

「なあ、美久。

この俺が、女遊びにうつつを抜かしている色きちがいにみえるか。

無論、あんな珠玉の様な女性(にょしょう)に惚れたのは事実だ。

だが、それとて策の一つよ、保険を掛けたにすぎん」

少しおびえたような上目遣いを向け、美久は尋ねる。

「え、それは……」

 

「BETA退治にケジメが着いた今、一番危険な存在は何か。

この木原マサキの存在よ。奴等は必ず俺を殺しに来る」

マサキは、茶色の長い髪の彼女の顔を、じっと見つめていた。

なにかに(かわ)いている唇が、その激しい胸の高鳴りに耐えているさえ、思わせる。

「この俺が鎧衣や彩峰の前で、我を忘れて、色道におぼれる様をみせた。

その理由は、真の敵と戦うためよ」

美久は表情を変えず、マサキに訊ねた。

「既に、ソ連も見る影もございませんが……」

「忘れたのか。

死に体のソ連を生き延びさせている存在を!」

マサキは言葉を切り、タバコに火をつける。

「奴らは、ナポレオン戦争を境に、力を付け、勢力を拡大した。

今は、ロンドンのシティに盤踞(ばんきょ)し、金融の世界を牛耳(ぎゅうじ)っている」

 ロンドンのシティという単語に、美久の表情が一瞬曇った。

シティとは英語では市を意味する言葉ではある。

 だがThe Cityといえば、ロンドン中心部に存在する1マイル*2四方の自治区である。

米国ニューヨークのウォール街と並びたつ、世界第2の金融街と称される場所である。

 その中心部にあるのが、かの有名なイングランド銀行。

そしてロンドン証券取引所や、国際的な損害保険を扱うロイズ市場の本社などがあった。

2020年の統計によれば、年間700億ポンド*3を稼ぎ出したとされる。

 

 マサキは紫煙を燻らせながら、美久の周囲を歩く。

「或いは、資源開発に行って得た膨大な富を用いて、世界の政財界を自在に操ってきた。

マンハッタンの摩天楼より世界を睥睨する存在」

 それまでマサキの意図に気が付かないでいた美久は、それとなく身構える。

これまでと同じようにふるまっていたが、マサキの言葉や所作に全神経を集中させた。

 本音を知るのに適した方法は、マサキに好きなだけしゃべらさせる事である。

それは、推論型AIに蓄積されたデータから導き出された答えであった。

「やつらの間者は、いたるところに居る。

敵を欺くのには、まず味方から、というわけさ……」

 マサキからの言葉を聞いた瞬間、美久の顔がパッと明るさを取り戻した。

急な態度の変化ぶりに、逆にマサキの方が引いてしまうほどだった。

「やはりそうでしたか。

あなたが、東ドイツやチェコスロバキアに近づいたのも……何かの考えがあっての事。

大軍団をもってして東欧への再侵略の機会をうかがう、ソ連を牽制するため。

あるいは、G元素爆弾を開発し、世界制覇の野心を隠そうともしない国際金融資本……

彼等の暴挙を阻止するための、計略であった。

そう信じて、ただただ……お待ちしていた甲斐がありました」

驚きのあまり、マサキは苦笑いを浮かべるぐらいしか、出来なかった。

「フハハハハ、呑み込みが早い。

流石に、優秀な推論型AIだ」

 気取った言い方をすると、美久は嬉しそうに受け取った。

気を良くしたマサキは、立て続けに、新しい煙草に火を付ける。

「ついでに、ベアトリクスのことも明かしてやろう。

ベアトリクスが欲しい、我が物にしたい……半分本当で、半分は嘘だ。

本当の狙いはベアトリクスの夫、ユルゲン・ベルンハルトのほうだ。

やつは俺の分身として、欧州に工作をするためには、ふさわしい存在。

故に、俺はアイリスやベアトリクスに近づいた。

それだけの事さ」

 マサキは再び、美久との距離を縮める。

彼女の顔に、ゾクッとする様な色気に似たようなものを、初めて感じ取った。

「何故その様な、回りくどい事を……」

 そういってしなだれてくる美久を、マサキは広い胸で受け止める。

いつしか美久は、艶っぽく高揚している節があった。

「ユルゲンは、東ドイツのエースパイロット。

軍人と言う立場だけではなく、奴は白皙の美丈夫で、SED幹部の娘婿、議長の養子だ。

時が来れば、政治的後継者として、いずれは立身出世しよう……

その時、ベアトリクスと政府が対立をしたらどうなる」

 先ほどからの奇妙な雰囲気と、相まって、美久をより意識してしまった。

風向きが怪しくなってきたことに、マサキ自身が動揺するほどである。

「……ベルンハルトの進退に差し障るのは必至。

そうすれば、困るのは俺だ。

故にユルゲンに憎悪が向かわぬように、俺が悪人になったまでよ……」

 そういうと、二人は沈黙に入った。

要するに東ドイツに利用されているふりをして、彼らを利用しているのはマサキの方という事だ。

 結局のところ、マサキが東ドイツに友好的だと勘違いしたのは、ユルゲンの方である。

マサキのことを率直に評価してくれた純粋な青年将校だと、喜ぶべきなのだろうか。

少々複雑ではあるが、美久は今の所、ユルゲン青年に感謝することにした。

 

 マサキは、そんな美久を暫く黙ってだきしめていた。

だが、やがて顔を持ち上げ、口づけをした。

どこまでも甘く、情熱的なキスだった。

 美久は、マサキのたくましい両手を握りしめながら、唇を吸う。

彼女の中で、マサキを独り占めしたいという気持ちが大きく膨らんでいた。

 それと同時に、急激な恥ずかしさが、美久を襲う。 

己の行為に驚き、美久はハッとマサキの体を突き放した。

電撃を受けた時のように、今にも倒れそうなくらいの衝撃を感じて。

「もとより俺の狙いは、世界征服……

たかが二十歳にも満たない小娘に、憎悪(ぞうお)されたところで、怖くはない。

愛などと言う移ろいやすい感情で、国家や政治を見る夢見がちな少女の戯言(ざれごと)など……

()るに()らん話よ」

 まっすぐに、美久の目を見つめるマサキ。

それだけで、話は終わらない感じだった。

「しかし、あの女の知性……。

それに、裏付けられた政治的信念と教養の深さ。

その上に、(おとこ)()きのする体を持つ良い女だ。

シュタージもKGBも、欲しがるわけよ。

放っておけば、俺を殺しに来るやもしれぬな……」

 美久はマサキからの本心の告白を受けてもとりわけ驚く様子を見せず、いつも通りの表情だった。

余りの冷静な態度に、マサキは失笑を漏らしてしまうほどだった。

「だが所詮は、一人の女よ。

ベルンハルトとの情愛におぼれさせ、奴の泡沫(うたかた)の 夢とやらに酔わせて置けば……

この俺に背くような真似は、しまい……」

その言葉の端々から、美久はマサキなりの優しさである事を感じ取った。

「それに、心の中にあるのは、常にベルンハルトの事ばかり……。

情愛に溺れるような女などは、俺の配下としても使い勝手が悪すぎる。

故に、俺はあの女をあきらめたのさ」

「ええ」

 感心するようにつぶやく美久の前で、自分だけが興奮しているように思える。

一層、マサキの羞恥心に似た気持ちを、高ぶらせる結果になった

「世に美しい花なら、いくらでもあろう……。

己が手を傷つける薔薇(ばら)手折(たお)った所で満足する程、俺の心は浅くはない。

毎夜、夫と肌を合わせ、睦言(むつごと)を漏らす自由を与えてやった。

その上、子供まで(もう)けたのだ……感謝ぐらいしてほしい物よ」

 美久はマサキの歯に衣着せぬ物言いに、思わず(うなず)いてしまう。

その様を見ていたマサキの瞳は、妖しく光った。

 

 マサキと美久がベランダから戻ると、宴もたけなわであった。

軽く彩峰を揶揄った後、白銀たちと酒を酌み交わす。

 まもなくすると、ドイツ大統領が演壇に上がり、閉会の辞を述べ始めた。

僭越(せんえつ)ながら、閉会のご挨拶をさせていただきます。

本日はお忙しいなか、各国首脳の皆さま方にお集まり下さり、誠にありがとうございます。

本年も無事、このような先進国首脳会議を開くことができたこと、心より感謝申し上げます」

 万雷の拍手が鳴り響く中、会場の隅に置かれた席から一群の男たちが演壇に向かう。

その瞬間、閉会の言葉を読み上げる大統領の表情がにわかに曇った。

 男たちの先頭を歩くのは、大社交服姿(ゲゼルシャフト)のシュトラハヴィッツ中将だった。

薄い灰色をした両前合わせの上着に、濃紺のズボンという将官用礼装。

 胸には、従軍経験を示すブリュッヘル勲章と祖国功労勲章、カール・マルクス勲章。

そして、最高位の勲章である民主共和国英雄称号をつけて。

 シュトラハヴィッツに寄り添うようにして、三人の違う軍服を着た男たちが続く。

彼らは、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアと、それぞれ社会主義国の将軍であった。

 

 壇上の大統領は、シュトラハヴィッツの姿と認め、余所行きの笑みを浮かべた。

シュトラハヴィッツに歩み寄りながら、

「シュトラハヴィッツ中将、わざわざ来てくれたのかね……」

シュトラハヴィッツは彼の方を見やって、不敵に笑った。

「ええ……」

シュトラハヴィッツの脇にいたポーランドの参謀総長は、しげしげとその人を仰ぎ見ながら、

「大統領閣下、この場をお借りして、どうしても発表したいことがございましてね……」

「公表だと……」

 大統領の反応といえば、意外に、あっさりだった。

壇上のシュトラハヴィッツに向けて、万雷の拍手が鳴り響く。 

「ただ今、ご紹介にあずかりました。

ドイツ国家人民軍地上軍中将のシュトラハヴィッツでございます。

本日は、お集まりいただき、ありがとうございます。

思えば、1945年。

私たちの青年時代は、世界大戦の真っ盛り。

ですが、心は砂漠のようでした。

しかし、あれから30年以上の歳月がたち、緊張緩和の兆しが見え始めました。

これも、ひとえに先進諸国の首脳の皆様方の努力の賜物と思っております」

シュトラハヴィッツは壇上から室内を見やって、深々と一礼をした後、

「この度、我々4人が発起人となり、

新たな地域協力機構『東欧州社会主義者同盟』を結成、旗揚げすることに相成りました」

 各国の首脳は呆気にとられて、シュトラハヴィッツの顔を見る。

東欧諸国の将軍たちは、会心の笑みを漏らした。

「何だって……」

「冗談だろう!」

 その反応に満足したのか、シュトラハヴィッツは不敵の笑みを浮かべる。

目を細めて、出席者たちを見やった。

「党派を問わず、ソ連のしがらみに捉われない純粋な友好・協力関係をもとめた新機構です」

聴衆が動揺した瞬間、ポーランド軍の将軍が一歩前に出て、宣言した。

「我らの狙いは、将来のEC加盟を目指して、ヨーロッパ統合の進展を目的したものです」

 反社会主義を掲げる西ドイツ国会議員たちは、一斉に壇上に走りこむ。

それは、会場の警備が動くよりも早かった。 

「や、やめさせろ」

素早い身のこなしで、西ドイツの国会議員たちが襲い掛かってくる。 

「降りんか、このド百姓が!」

 男たちが繰り出すアッパーカットをよけながら、ポーランド軍の将軍が叫ぶ。

「貴様ら、礼儀知らずにもほどがあるぞ」

 サミットを主催した西ドイツ側は、急な事態に困惑した。

これが、現実に起こっていることだろうか……

おぞましい悪夢を、見ているかのようしか思えない事だった。

「ここをどこかと知っての、狼藉か!」

「国家元首に対する冒涜(ぼうとく)だぞ、クソガキが!」

 男たちはシュトラハヴィッツを排除しようと意気揚々と乗り込んだ。

殴りかかったまではよかったものの、大立ち回りの末に将軍たちに取り押さえられてしまった。  

「いや、これほどふさわしい場はないと思ってきたんですよ」

 周囲の人間は、目の前で繰り広げられる光景に唖然とするばかり。

余りの出来事に、遠くから見ていたマサキは頭の痛くなる思いがした。

 

 喧騒のさなか、首相が登壇して、閉会の辞を述べ始めた。

「78年11月24日から本日まで3日間にわたり「第4回主要国首脳会議」を開催させていただきました。

これを以って、「第4回主要国首脳会議」を閉会致します。

遅ればせながら、今回の首脳会合の御成功、心よりお祝いを申し上げます。

それと共に、大統領閣下ならびに諸閣僚方のご功労に対し、改めて敬意を表したいと存じます。

多忙のなか、沢山の皆様に出席していただいたこと、喜びに絶えません。

来年の「第5回主要国首脳会議」は、日本での開催を予定しております。

1年後に再び、お目にかかれることを祈念し、閉会のご挨拶とさせていただきます。

各国首脳の皆さま、閣僚の方々、ありがとうございました」

 参加者から、再び拍手が鳴り響く。

そうして、混乱の内に1978年のボンサミットは終了した。

*1
2023年現在、ドイツ連邦経済協力開発省として使用されている

*2
1マイル=1609.34メートル

*3
2020年時点のレート、1スターリング・ポンド=136.9617円




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慮外(りょがい)

 1978年の暮れていく年。
マサキはせわしなく動き回るのだった。


 季節はすでに12月だった。

1978年も残すところ、あと一月を切っていた。

 今日の物語の舞台は、チェコスロバキアのアエロ・ヴォドホディ社。

同社は、戦前から続くチェコスロバキアの航空機メーカーであった。

 アエロ・ヴォドホディ社で有名なのは、ジェット練習機L-29であろう。

この複座のジェット練習機は、1959年にはすでに完成していた。

1961年に、ソ連のyak-38、ポーランドのTS-11を抑え、ワルシャワ条約機構で採用された。

その後、共産圏や第三世界を中心に販路を広げた。

 生産数3600機を誇った練習機は、もともと戦闘用ではない。

だが、いくつかの後進国における戦争に投入された。

 1967年のビアフラ紛争*1において、L-29は求められた以上の役割を果たす。

東西両陣営*2の支援を受けたナイジェリア政府軍。

彼等は、チェコスロバキアより引き渡された12機のL-29をもってして、ビアフラ側の攻勢を押しとどめた。

 では、1973年にBETA戦争が起きた異世界のアエロ・ヴォドホディ社はどうしたであろうか。

この未曽有(みぞう)の危機に対して、同社の反応は素早かった。 

 初の戦術機F-4ファントムの存在が発表されると、早速研究チームを組織させた。

1974年の段階から練習用戦術機の開発に乗り出し、世界初の複座練習機が完成する。

それは、既にソ連で開発されたMIG-21の計器類を転用し、練習機T-38を基に開発した物である。

 1977年のパリ航空ショーで西側に公開されるも、販路は既になかった。

全世界の練習用戦術機のシェアは、ノースロップ社のT-38の独占状態。

西ドイツやフランスが相次いで、同型機種であるF-5戦術機を採用した影響も大きかった

 東側諸国は、ソ連が1976年のハバロフスク移転前に転売したF-4Rであふれかえっていた。

新型練習戦術機L-39を買ってくれる国は、どこにもない状態。

アエロ・ヴォドホディ社は、創業以来の危機に(ひん)していた。 

  

 誰もが見捨てた会社に、近いづいた人物がいた。

天のゼオライマーのパイロット兼設計者である、木原マサキである。

 彼は、アエロ・ヴォドホディ本社を訪れ、新型推進機の生産を提案したのだった。

  

「これが、新型の後付けエンジンですか……」

新型の推進装置の図面を手に入れたチェコスロバキアの技術陣は、感嘆するばかりであった 

 マサキが設計した戦術機用の新型推進装置(スラスター)の外観は、四角い箱だった。

戦術機の背中に増設し、背嚢にどことなく似ていたことから、ランドセルと称された。

 ジェット燃料の増槽を兼ねた、この大型推進機の生産計画は一度、富嶽重工にマサキが持ち込んだものであった。

だが、生産ラインの都合とライセンス契約で頓挫してしまう。

特に生存性の向上を考え、予備エンジンとしてロールスロイス製のロケットエンジンのコピーを乗せるという案。

ライセンスの問題を盾に、富嶽重工側が難色を示したのが大きかった。

 またマサキが提案した、八卦ロボ共通の背面スラスターに使われている大型ブースターも、鬼門の一つだった。

もともと50メートル超の機体を安全に操縦するために、大量の燃料を消費するため、戦術機の燃料タンクでは不十分だったのだ。

 マサキは、八卦ロボの動力を早くから異次元から無尽蔵にエネルギーを取り出す次元連結システムに変えていた為に問題にはならなかった。

だが、この異世界での戦術機の動力は、全く異なった。

ジェット燃料とその爆発から取り出したエネルギーを充電するリチウムイオン蓄電池、マグネシウム燃料電池の混合(ハイブリット)方式であった。

 その為に、どこのメーカーでも嫌がられる存在であった。

 

「ジェット燃料の事を考えて、大型の推進装置にはそれ自体に増槽の機能が追加してある。

約5300リットル、1400ガロン相当のジェット燃料が入るようにした。

これはちょうどF104戦闘機と同じ容量だ。

油の比重を考えれば1.26トン、軽量な戦術機も影響は受けまい」

参考までに言えば、現実のF15J戦闘機には、600ガロン*3増槽を、3個を装備している。

「戦術機の背面に追加するんですよね」

「そうだ。

なんならロールスロイス製ではなく、ソ連製のイーフチェンコ設計局のコピー品でもいいぞ」

「兵装担架が使えなくなってしまうではありませんか」

 戦術機には乱戦に備えて、突撃砲の搭載を前提とし、背面射撃が可能な補助腕が付いていた。

そしてこの補助腕には、破損した武器を交換する兵装担架としての役割も付与されていた。

「そんなものなくとも、肩にロケットランチャーを装備して、装甲を厚くすれば十分だ。

現にサンダーボルトA10には、そんな邪道なものはついていない」

マサキは一旦言葉を切って、たばこに火をつける。 

「なんならフェイアチルド・リムパリック*4に頼んで、サンダーボルトに搭載予定の機関砲でも融通してもらうか。

30ミリのアヴェンジャー・ガトリング砲だったら、BETAでも戦術機でも一撃だぞ」

「でも弾薬の事を計算したら、最大離陸重量が30トンを超えませんか。

あのファントムですら、28トンが限界ですよ……」

「だったら、余計な刀を外すんだな」

「近接短刀は、衛士の最後の心のよりどころです。

外せと言われても、衛士たちが簡単に外さないでしょう」

「自前で軽量な30ミリ機関砲でも作れとしか、俺は言えんぞ……

銃器は、俺の専門外だ」

 

 ここに、マサキとこの世界の人間の考えの差が、如実に表れた。

マサキは、サンダーボルトA10の大火力をもってして、BETAを、他の戦術機を圧倒すればよい。

その様に考えていた。

 それは、天のゼオライマーや月のローズ・セラヴィー、山のバーストンなどの、大火力を誇るロボットを設計した経験から導き出された答えであった。 

 一方、この世界の戦術機は、光線級吶喊(レーザーヤークト)、つまり浸透突破と呼ばれる戦術を重点に置いていた。

軽量な装甲で高速機動をし、刀剣で格闘をすることが出来るという事を何よりも重視していたのだ。

故に、マサキとチェコスロバキアの技師たちの意見は平行線をたどってしまったのだ。

 

「木原博士、貴方の言う新型推進機は、わが社で研究させていただきます。

一応、特許申請を出しておきますので、ここにサインを頂ければ……」

「国際特許だろうな。

機密扱いにして国内特許にすると、輸出先で分解されてコピーされるからな……」

 チェコスロバキアの新型拳銃CZ75は、設計者フランティシェク・コウツキー博士の意志とは別に国内特許とされた。

チェコスロバキア軍での採用のために重大機密とするためであった。

だが、このためにイタリアやスペインで複製品が出回る結果になってしまった。

そしてイタリアのフラテリ・タンフォリオから、改良版のTA90を勝手に発売されてしまう事態となった。

マサキはそのことを知っていたので、チェコ側にくぎを刺したのだ。

 

 サインをしながら、マサキは西側の特許取得に関して不安を感じた。

チェコで特許を取ったものが、西ヨーロッパや北米で有益とは思えない。

 一応、EC加盟国である西ドイツで特許申請をして置くか。

西ドイツ軍人であるキルケに連絡を取れば、祖父のシュタインホフ将軍の手引きもあって申請も早いはず。

そう考えながら、英文とロシア語で書かれた契約書をアエロ・ヴォドホディ社の担当者に渡した。

 

 

 チェコスロバキアから帰った、マサキの行動は早かった。

その日のうちにキルケに電話を入れると、なんと彼女の方でも役場に行くのを待っていたという。

 翌日、マサキは以前言われた通り、戸籍謄本とパスポートのコピー、住民票をもって行った。

戸籍役場に行った後、ボンの特許庁まで案内してくれることとなったのだ。

 特許の国際申請は、二種類あった。

一つは各国への直接出願で、特許出願をする国の形式に合わせた書類で、対象国の特許管理機関に出願する方式である。

 この時代のチェコスロバキアは、国際特許を保護するパリ条約に加盟していなかった。

正式な加盟が行われたのは、チョコスロバキア解体後の1993年1月1日であった。

 パリ条約とは、正式名称を、『工業所有権の保護に関する1883年3月20日のパリ条約』。

工業製品特許の保護に関する、国際条約である。

我が国日本は、1899年7月15日にパリ条約に、1978年10月1日に特許協力条約(PCT)へ加盟している。 

 マサキは、特許協力条約を知ってはいたがドイツの加盟状況に関しては知らなかった。

だから直接、ドイツ特許庁*5に提出しに行くことにしたのだ。

 煩雑な手続きは、シュタインホフ将軍が準備してくれた代理人が手伝ってくれた。

事前に、書類を準備していたこともあろう。

順調なまでに、思うように事が運んで、あとは実態審査を待つばかりであった。

かくて、昼前からの役所巡りは、半日にして解決した。

 ちょうど、カフェテリアの前を通りかかった時である。

「ドクトル木原、ちょっと」

キルケは、カフェテリアに寄りたいようだった。

「何だ、何か用か」

 マサキは、役所詣でが終わったら、すぐに帰るつもりだった。

予定を狂わされて、不機嫌にいう。

「お茶でもしていかない?」

「わかったよ」

 マサキは渋々、カフェテリアのテラス席に座った。

そっと、キルケの側へ座って、彼女の顔をさしのぞいた。  

夕闇のせいか、キルケの顔は、宝石のように奇麗である。

「悪いけど、あと少し付き合ってもらえる」

キルケの申し出に、マサキは不思議に思いながらも、

「構わないが、一体どこに行くのだ」  

「ここ、ボンの市街地から3キロほど南に行った、ハルトベルク。

そこにある、おじいさまの自宅よ」 

「ハルトベルク? お前の祖父の家だと?」

マサキは、キルケの言葉に思わず目を見張ってしまった。

「貴方と天のゼオライマーの活躍で、欧州はBETAの恐怖から救われたわ。

そのことについての……、今までの埋め合わせをしたくてね……」

そういったキルケの目に、邪悪な光が一瞬浮かび、直ぐに困惑したような表情を浮かんだ。

 

 

 ボンの夜を行くには、懐中電灯は要らなかった。

歳暮のせいか、町の灯は様々な色彩をもち、家々の灯は赤く道を染めて、ざわめきを靄々(あいあい)と煌めかせていた。

冬の空には、一粒一粒に、星が浮かんでいた。

「何やら、騒々しいがどうした」

 シュタインホフ将軍の用意した車に乗りながら、マサキは、運転手に話しかけた。

運転手がそれに答えて、

「もうすぐクリスマスです。

BETAもいなくなったことですし、5年ぶりの静かなクリスマスを楽しんでいるのでしょう」

――なるほど、市街地にかかると、賑やかな雑踏の中には、かならず人の姿が見えた。

もう12月、そんな時期なのかと、マサキは、一人心の中で今までの事を振り返っていた。

 シュタインホフ将軍はその夜、彼が帰国の(いとま)()いに来るというので、心待ちに待ちわびていたらしい。

屋敷中のの灯りは、マサキを迎えた。

 主客、夜食を共にした。

また西ドイツの高官から、贈り物の連絡などあった。

「ご進物は、明朝、御出発までに、ホテルへお届けます」

 マサキは、その内容だけを聞いた。

ゾーリンゲンの指揮刀や、ニンフェンブルクの陶器などである。

「鄭重な扱い、痛み入る」

 マサキはありがたさの余り、感激するばかりであった。

そして(いとま)を告げかけると、

「いや待ちたまえ。

君とは、まだ申し交わした約束が残っておる」

といって、老将軍は、マサキをうながして屋敷の奥へともなった。

「木原博士、さあ、お入りなさい」

 シュタインホフ将軍は、一室を開かせた。

驚くべき人間が、そこの扉を開いたのである。

薄絹のベールを被り、白無垢の花嫁衣裳を(まと)い、首飾りや耳環で飾っているキルケだった。

 しかしキルケの姿については、マサキはそう瞠目(どうもく)しなかった。

彼女の態度からうすうす感じ取っていたし、また彩峰あたりが熱心に薦めたものということも知っていたからである。

 けれど、老将軍について、一歩室内へ入ると、思わず、ああという声が出た。

寝室とリビングが続きになったスイートルーム仕様で、あわせて50坪ほどな広さはあろう。

キングサイズのベットがあり、天井、装飾、床、敷物にいたるまでことごとくが、白の色彩と調度品で揃えられていた。

「明朝まで、お休みになられませ」

 老将軍は、そういうと外からカギをかけて、帰ってしまった。

この俺に、キルケを差し出したという事か……

 たしかに、周囲に邪魔する者もいない。

ある意味、理想的な環境だ。

 その間にも、しきりと鼻を襲ってくるのは、まだかつて嗅いだことのない執拗(しつよう)な香料の匂いであった。

そうした視覚、嗅覚、あらゆる官能から異様な刺激をうけて、マサキはやや呆れ顔をしていた。

 あまりに珍奇な世界へいきなり連れて来ると、人は側の他人も忘れて口をきかなくなる。

そんなふうなマサキであった。

 キルケは、それを見て、ひそかに楽しんでいた。

どうだ、といわないばかりな顔して。

 

「この間の東ドイツの騒ぎ……。

あれは全部あなたが仕組んだこと?」

キルケの話を聞きながら、マサキは懐中よりホープの箱を取り出す。

「というと……」

 言葉を切るとタバコに火をつけた。

セミアメリカンブレンドのほのかな甘さが、口内に広がっていく。

「すべては、シュトラハヴィッツという男を西側に売り込むための布石。

違う?」 

「それはお前の推論か……大したものだ」

 マサキは、威圧的に言い放った。

確かにその通りだった。

閉会式での出来事がマサキが仕組んだとする証拠はない。

むしろ、シュトラハヴィッツの方が進んで暴れた節がある。

 キルケは、沈黙した。

東洋人の姿を借りた魔魅(まみ)と、問答でもしているような気持に打たれたからである。

 ぷかぷかとマサキはまた、タバコを燻らせているらしい。

不敵な今の言葉といい、平然と喫煙する底力といい、キルケはいぶからずにいられなかった。

「自分の能力を誇ってもいい」

 キルケの頭は混乱していた。

冷笑をたたえるマサキを見て、今度は甚だしく不平顔になった。

「ごまかさないで」

 不意にキルケが立ち上がる。

すると、腹をすえた様子で、毅然(きぜん)と言い放った。

「東ドイツを支援して、貴方は何を考えているの」

マサキは、平然と(うそぶ)いた。

「決まってるじゃないか。ドイツを、世界を乗っ取るのさ」

 

 この木原マサキという男は、いざと何をするかわからない怖さがある。

現に、先ごろもレバノンで赤色暴力集団(テロリスト)を向こうに回して、大暴れしたではないか。

 キルケが言葉を探していると、マサキが寄ってきた。

厚かましくも、腰に手を回す。

 たばこの香りがする唇を寄せてきた。

いつも思う事だが、タバコの香りにはなにか心を安らがせる何かがある。

 マサキが腰に手を回して、強い力で引き寄せた。

衣服が二人を隔てているとは言っても、胸の高鳴りは直に触れ合った時のように伝わる。

 キルケは次第に切ない気持ちになっていった。

マサキに抱擁されているという事実の前に、キルケの抵抗など全くの無駄の様であった。

 いつしかキルケはマサキの胸に、しがみつくような格好になっていた。

時折、いけないという言葉が頭の中に()ぎるが、直ぐに(はかな)く消えて行ってしまう。

それだけ強い興奮が、ひたひたとキルケを押し包んでいた。

 

 唖然とするキルケを隙に、急に窓を開けた。

「久しぶりに、楽しいおしゃべりだったぜ」

そして、外へ飛び出て、どこへともなく駈けて行った。

*1
1967年7月6日から1970年1月12日にかけて起こったナイジェリアの内戦。東部州がビアフラ共和国として独立するも最終的にビアフラの敗北に終わった

*2
ナイジェリアを支援したのは、分裂を怖れた旧宗主国の英国、アフリカへの影響力増大を図ったソ連、消極的支援を続けた米国など様々な思惑を持つ勢力の呉越同舟であった

*3
2271.25リットル

*4
現実のフェアチャイルド航空機

*5
今日のドイツ特許商標庁




2023年11月15日20時改稿


新月様、ご評価ありがとうございました。
 
 
 長かった第二部が終わって、次回からは第三部に入ります。
ご意見、ご感想お待ちしております。


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曙計画の結末
籌算(ちゅうさん)


 日本に戻ったマサキは、グレートゼオライマー建造のために陰謀をめぐらす。
彼は計略を用いて、五摂家の切り崩しを行うことにするのだった。



 これまでのあらすじ
 天のゼオライマーのパイロット木原マサキは、20年以上前の冷戦時代に転移していた。
そこは、宇宙怪獣BETAからの侵略を受けた並行世界だった。
 BETAをミンスクから駆逐するパレオロゴス作戦。
作戦に関与した彼は、ソ連KGBの計略と戦う事となる。
激烈な戦闘の末、KGBを下した彼は、作戦を成功させる。
 勝利に導いたマサキは、勲章授与を理由に東ベルリンを訪問する。
だが、それはゼオライマーの驚異的な性能に目を付けた東ドイツ政府の奸計だった。
陰謀を知らないマサキはユルゲン・ベルンハルト中尉と再会する。
 その際、一人の女性を紹介される。
ユルゲンの妹・アイリスディーナとの出会いが運命を変える。
マサキは、彼女と関わるうちに、次第に引き込まれていくのであった。 


 開けた年は、1979年。

この異世界では、日本帝国の今後を左右する曙計画が終了した年である。

 曙計画とは、1976年に始まった日米合同の戦術機研修である。

同計画は、米国が戦術機開発支援として、日本に提案した話が元になっている。 

 事の始まりは、1972年までさかのぼる。

この年、日本政府は世界に先駆けて、米国で発表されたばかりの新兵器の導入を決定した。

マクダエル*1社が開発した、F-4戦術歩行戦闘機である。

本来ならば、1974年に日本での戦術機納入が始まるはずであった。

 だがソ連でのBETA進撃を受け、欧州に新規生産分のほとんどが回されることになる。

後にF-4ショックと呼ばれる事件で、日本政府に与えた衝撃は計り知れないものであった。

その余波に関しては、後日機会を改めて語りたい。

 さて、曙計画の研修は、主に米国国内で行われた。

戦術機開発と運用の研修は、軍民合わせ、216名の日本人が関わった。

 また米国側も、極東における最重要同盟国として、日本を厚く(ぐう)した。

米国内にある軍事施設は元より、戦術機に関する情報には自由にアクセスできる状態であった。

 航空機企業も熱心に、日本政府に協力した。

F-4を開発したマクダエルは元より、ノースロック*2、グラナン*3などである。

日本が、ソ連機を導入することを防ぐ意味合いもあるが、納品遅延の罪滅ぼしの面が大きかった。

 対応する米国側の人員も、これまた豪華であった。

マサチューセッツ工科大学*4出の一流技術者や米海軍戦闘機兵器学校*5の教員などである。

その中には、グラナンのF‐14の設計をしたハイネマン博士とその研究班も加わった。

 戦術機の操縦技術と設計ノウハウを学んだ、200有余(ゆうよ)名の人員。

彼等は、1979年3月末までに、日本への帰朝(きちょう)が命ぜられる。 

3年の月日をかけた一大プロジェクトは、今まさに終盤を迎えようとしていた。

 


 

 その年の始め。

木原マサキは、一月元旦というのに、京都の帝都城に来ていた。

年賀のあいさつと、一連の欧州派遣軍の結果報告のためである。

 彼は、斯衛(このえ)軍の黒い特徴的な礼服を、身に着けていた。

まず上着は、詰襟で丈がひざ下まであり、肩には深い切込みが入っていた。

大元のデザインは、平安朝の頃、貴人たちが好んで着た狩衣(かりぎぬ)に影響を受けているのだろう。

ズボンは、指貫(さしぬき)という狩衣との(つい)で着る袴を模倣したつくりであった。

ただひざ下まである革長靴を履き、上着の丈で隠れてしまったので大して目立たなかった。

 美久も全く同じような服を着ていたが、婦人用の場合は着丈が足首まであり、腰が(くび)れていた。

恐らく実用性を考え、奈良時代の女官(にょかん)朝服(ちょうふく)を基にしたのであろう事が一目見て分かった。

 雪がちらつく寒空の中、一個師団の人員が着剣した小銃を構えて、中隊ごとに整列していた。

マサキも名簿上所属しているとされる中隊150名と共に待っていると、号令がかかる。

 着辛い礼服を着て、寒さに震えていたマサキ。

彼は気だるそうに、着剣した64式小銃*6(ささ)(つつ)の敬礼をした。

 現れたのは、紫色の斯衛軍礼服を着た若い男だった。

5尺*7はある長い黒漆で塗られた鞘の太刀(たち)()き、馬上から見下ろしていた。

その後を、青や赤の装束(しょうぞく)を着た者たちが、同様に騎乗して、列に続く。

 マサキのいた場所は、列の真ん中ほどであったが、よくその男の顔が見える位置だった。

あれが御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)(おい)で、今の日本を実質的に支配している政威(せいい)大将軍(たいしょうぐん)か。

 俺は、あのような男に頭を下げているのではない。

あくまで、日本の統治大権を持つ唯一の人物である皇帝に頭を下げているのだ。

このBETAに侵略されつつある世界であっても、変わることはあるものか。

そう、心の中で、将軍と五摂家(ごせっけ)への反抗心を、人知れず燃やしていたのであった。

 

 新春年賀の閲兵式が終わった後、(こご)える身のまま、マサキは遠田技研に来ていた。

あの重苦しい礼服を脱ぎ去って、いつもの茶褐色の上下に、ネクタイの勤務服に着替えていた。

 普段は襟が開いていて、着辛く寒い服と感じていたが、斯衛軍の礼服よりは温かく感じた。

雪に濡れて、湿っていたビニロン*8生地の服は、軍服として役に立つのかと思うほどだった。

 ビニロンは、確かに摩擦強度が高く、防風性と難燃性には優れている。

登山用のビントヤッケ*9でも多用されるし、今も農業資材では重宝される。

 だが、親水性で吸湿性の高いビニロン生地は、簡単に湿り、濡れた。

氷点下の気候の中では、体から蒸発する汗をビニロンが吸うと、スルメの様に硬く凍ってしまう。

 せめて、ノーアイロンのテトロン*10生地でもあれば、どんなに良かったことか。

マサキは、国産可能な繊維として、ビニロン繊維を選んだ国防省を恨めしく思っていた。

 さて、遠田(おんだ)技研*11の来賓室で待っていると、一人の男が入ってきた。

マサキに一礼をした後、名刺を差し出してくる。 

名刺を見ながら、マサキは目の前の男に尋ねた。

「詳しい話は、彩峰(あやみね)から聞いていると思う。

F-4ファントムの改造計画はどうなっているか、説明してほしい」

 頭をきれいに剃り上げた男は、深く一礼をすると、

「木原先生、ご足労頂きありがとうございます。

社長の遠田(おんだ)です」

そう言って、マサキの目の前に座ると、資料を広げた。

「まず、自動操縦支援装置ですが、電装系を大幅にいじることになりました。

戦術機に搭載してあるレーダー観測装置は、従来と比較して2000メートル先まで検知可能に。

次に、一定の条件下では戦術機自体が自動運転を行うシステムの開発のめどが立ちました。

ただし、非常時には操縦士自身が運転操作を行わなければいけないという問題があります。

そして最後に、搭載するカメラの数を10個ほどに増やしました。

危険の認識を早くするためです」

マサキは、やや戸惑い気味に図面を見てから、恩田に視線を向けた。

「人工知能の搭載は、考えていないのか。

俺は、この技術があれば、衛士の生還率を向上できると考えている」

「実は先生から話を聞いた後、帝大*12と京大の(しか)るべき教授と研究室に問い合わせをしました。

まず、その為には極小の半導体記憶装置が必要なのです。

我が国は今、10マイクロメートルの大規模集積回路(LSI)がやっとです。

京大の霧山(きりやま)教授の話ですと、10ナノメートルほどではないと実現は不可能だと……」

 

 いつもなら反論するマサキも、遠田の(げん)に納得するばかりだった。

前の世界でマサキが最新鋭の半導体技術を用いることが出来たのは、国際電脳(こくさいでんのう)のおかげである。

 マサキは、前の世界において、世界征服の資金稼ぎの為、国際電脳という会社を作った。

そこで世界中を結ぶ電信事業と並行して、電子製品や半導体技術の研究も行った。

苦心の末に、100ナノメートルの半導体記憶装置(DRAM)の開発を秘密裏に成功した。

 2020年代を生きる我々にとって、すでに半導体メモリーといえば、10ナノメートルは当たり前である。

だが、1970年代の時点では、100ナノメートルは、空想の領域であった。

市場において一般化したのは、2000年代初頭である。

 それが、如何(いか)に驚異的であったか。

半導体技術は長い間、マイクロメートルを基準に生産されていたのだ。

 

 マサキは気分を落ち着かせるために、タバコを取り出す。

紫煙を燻らせながら、

「半導体技術の開発援助と、米国からの横やりをどうにかせねば実現不可能だな」

遠田(おんだ)も、マサキの意見に同調した。

「木原先生も、そうお考えですか」

「地球上のBETAが駆逐されたこととソ連の急速な弱体化……。

そうなってくると、敵がいなくなった米国の矛先は、どこに向かうか。

それから導き出されるのは、日本つぶしだ」

 遠田に対して、まるで教えるような口調だった。

それは、近未来を知る異世界から来たマサキにとっては、無理もない事だった。

 近いうちに、アメリカ国内から、強烈な日本たたきが始まる。

過ぎ去った1970年代や1980年代を知っている彼にとっては、常識だった。

 日米半導体交渉や、プラザ合意など……。

日本の経済的進展をつぶす米国経済界の陰謀は、彼の脳裏に焼き付いていたからだ。

「貴様も自動車の輸出関連で手ひどい扱いを受けたから知っていよう。

間違いなく米国議会は、急速な電子工業化を進める日本を危険視する。

BETA戦争で疲弊して力を落とす欧州と比べて、無傷の日本の産業界。

これは、だれの目から見ても、脅威であることは明らかだ」

 遠田は、マサキの言う通りだと思った。

それよりも、なぜ、まるで過去の出来事を見てきたように話すのかは気になった。

「量産を度外視した極小半導体なら、極端な話、研究室でも出来る。

だが、ある程度の品質で量をそろえるとなると、企業も工場も必用だ」

 マサキは出された茶菓子を食べた後、ティーカップを無造作につかんだ。

ぬるくなった紅茶を、一気に半分ほど飲み干す。

「経済関係の役所の援助もなくては、外圧に負ける」

マサキの話を聞いて、戸惑った遠田は、おもわず苦笑をたたえた。

「策は、ないわけではありません」

遠田は、そういうばかりで結論を濁した。

「どういうことだ?」

「今の殿下と対立している五摂家に、崇宰(たかつかさ)家というのがございます。

その崇宰の当主のお力を借りて、役所の裏口から手を回すというのはいかがですか」

「どんな方法を」

 今の遠田の一言には、マサキもおもわず生唾を飲み込んだらしい。

じっと、その顔を睨むように見て。

「危険な事を言うが、くだらない冗談ではあるまいな」

「いやいや」

と、遠田は正面のマサキを向いたままで。

「もし、計略をほどこすとすれば、それ以外に手はないと考えられます」

「だが、いかに良い策があるとは、崇宰とあっては、五摂家(ごせっけ)だ。

どうして、近づくことさえできるだろうか」

マサキは大きなため息をついた後、屈託もなく笑い飛ばした。

 

 この世界での五摂家とは、われわれの世界の五摂家とは違った。

まず、われわれの世界の五摂家に関して、述べよう。

 五摂家とは、鎌倉時代以降、摂政・関白の役職を任ぜられた特定の家柄の事である。

藤原(ふじわら)不比等(ふひと)の次男、藤原房前(ふささき)を祖とする藤原北家の子孫を指し示す言葉である。

 このBETA戦争の世界では違った。

慶応3年*13の大政奉還の際、江戸幕府を倒した有力な5大武家を指し示す言葉であった。

その後、従来からあった摂政・関白・征夷大将軍に変わって、政威(せいい)大将軍(たいしょうぐん)職が設けられる。

この異世界では、政威大将軍職に任ぜられる特定の家系を指す言葉であった。

 

しばしの沈黙は終わり、マサキに代わって遠田が口を開いた。

「木原先生は、真正面に過ぎます。

帝都城も、五摂家も世間のうち。

崇宰(たかつかさ)様といえば、庶民以上にお話もよくわかり、色々な事情に明るい方です。

抜け目ない海外商社などは、崇宰様を通じて、うまい商売さえしております」

「商売を……」

「はい、それも東南アジア向けなどという小さい商売ではありません。アメリカ関係です。

そのほか、崇宰様を通してなら、どんなことも実現する。

そうと見て、何かと思惑を抱く(やから)は、伝手(つて)を求め、縁故をたどるありさまでして」

「なるほど」

「そこで、そうした崇宰様であれば、これは近づく方法がないでもない。

また、いつかはきっと、この計画のためにもなるものと考え、とうに道をつけておきました」

「では、貴様が直々に崇宰の所に行ったのか……」

「いいえ、裏で脚本を書く者は表には出ません。

それに、これからの筋書きもありますし」

 マサキのやりくちは、その陰謀も行動も、人にやらせて見ているというふうだった。

胸には疑問を抱いていながら、判断と注意だけを与えるに止まっていた。

どんな場面においても、腹のなかのより大きな欲望はいつも忘れていなかった。

 

 

 遠田の陰謀は、まもなく、その影響を二条にある帝都城まで及ぼし始めていた。

崇宰(たかつかさ)への忠義だてに、精一杯な殿中の茶坊主(ちゃぼうず)達は競って、彼の耳へしきりと風説を(ささや)いた。

「崇宰様、お聞きなされましたか。

アメリカが規制を強化するという話を」

 けれど、当の崇宰は、もとより世の常の男ではない。

人の告げ口や噂などに、すぐ動かされはしなかった。

 崇宰の姻戚(いんせき)(おおとり)祥治(しょうじ)中佐という人物がいた。

その鳳がある日、崇宰の屋敷に来たおりである。

義兄(にい)さん。

米国が近いうちに、日本の輸出産品への関税強化をするという話は知っておりますか」

 崇宰家と鳳家は、親族同士だった。

同じ家から、姉妹を側室(そくしつ)として迎え入れた間柄から、崇宰を義兄と呼ぶようになっていたのだ。

「祥治、君までがそんな戯言を信じるのかね」

「私の話を聞かぬうちに、判断なさるつもりですか」

「根拠のない話ではないと、証拠はあるのかね」

「口の軽い他人は、いざ知らず……。

この私が、何でそんな軽はずみな事で、義兄(にい)さんをわざわざ心配させましょうか」

 鳳は言い切った。

本当の心情には違いあるまい、崇宰にもそう思われた。

 それだけに、崇宰も鳳の言には、だいぶ心をうごかされたらしい。

だんだん聞き及んで行く内に、いつか理知の強い彼も猜疑(さいぎ)の塊になっていた。

それを執拗に訊ねる様は、むしろ鳳以上な動揺を内に持ってきたふうであった。

「……まこと、いまの話のようならば」

と、崇宰はもう抑えきれぬ興奮の色を、顔中に見せて。

「何か、対策を打たねばなるまい……」

「ここでご思案などとは、遅いくらいですよ。

昨年の11月に、ニューヨークの国連代表部にいる御剣(みつるぎ)の下に、CIA長官が訪ねたそうです」

「何!御剣公が……」

「今のCIA長官は、経済界との深い関係にある人物です。

御剣に、日米貿易交渉に関する裏話でも告げたに違いありません。

そうでなければ、米国の諜報をつかさどる男が、わざわざ五摂家の者と会う必要があるのですか」

 御剣とCIA長官が何を話したかは、秘中の秘だった。

米国におけるG元素爆弾完成の日近しとの話は、将軍と御剣しか知らなかったのだ。

 想像は、想像を呼んで、崇宰は恐怖に体を震わした。

まさか、御剣はCIA長官をそそのかし、自分の領域である対米輸出産業をつぶすのではないか。

「御剣公に、勝てる策はあるのか」

「ないわけでは御座いません。

天のゼオライマーという戦術機を駆る男を知っていますか」

 崇宰もマサキの事を全く知らないわけではなかった。

気にならないといえば、嘘である。

 ただ、マサキも油断ならないところのある男だ。

今は忠義面を決め込んでいるが、世界征服の野望を抱いていると聞く。

一応、斯衛軍の将校ということになっているが、崇宰は気を緩めていなかった。

「まずは……考えておく」

 立ち上がる際にふらついた崇宰の事を、鳳は咄嗟(とっさ)に支えてやった。 

その実、鳳も足元が確かではなかった。

密議に(ふけ)った夜は、波乱を予兆させて、静かに()けっていった。

*1
現実世界のマクドネル航空機。1939年から1967年まで存在した航空機メーカー。1967年にダグラス飛行機と合併するも1997年にボーイング社の傘下になった

*2
現実世界のノースロップ株式会社

*3
現実世界のグラマン航空機

*4
米国マサチューセッツ州ケンブリッジにある米国屈指の私立工科大学。1861年創立

*5
ベトナム戦争中の1969年に設立された米海軍航空隊の術科学校。通称トップガン

*6
マブラヴ世界の帝国陸軍は、現実の自衛隊と同じ制服と装備を用いている

*7
1尺=30.303センチメートル

*8
1939年(昭和14年)に日本で発明された合成繊維。1950年(昭和25年)クラレが世界で初めて工業化に成功した

*9
Windjacke.ドイツ語で防風衣のこと

*10
帝人及び東洋レーヨンが製造するポリエステル繊維の商標名

*11
現実世界の本田技研工業

*12
今日の東京大学

*13
1867年




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(よみがえ)幻影(げんえい) 前編

 ニューヨーク留学中のユルゲン。
人知れず彼は、戦争の幻影に苦しめられていた。


 ユルゲン・ベルンハルトは、どうしたであろうか。

木原マサキに気に入られた白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)は、今米国に留学していた。

彼が、マライ・ハイゼンベルクと共にニューヨークに来て、3ヵ月が過ぎていた。

 では何故、ユルゲンでニューヨークで暮らしているのか。

以前の経緯を、お忘れの読者もいよう。

ここで簡単に著者からの説明を許されたい。

 ユルゲンはその白皙の美貌(びぼう)の他に、文武両道で語学の才に恵まれていた。

父ヨーゼフの大使館勤務に付いて行く形で、ソ連やコメコン諸国、中共にいた。

そこで現地の学校に通い、土地の言語を覚え、六か国語を簡単に話せるほどだった。

 無論、1974年度の空軍士官学校主席卒業生というのもある。

だが議長は、虎背(こぜ)熊腰(ゆうよう)の体付きという点でもユルゲンを選んだ節があった。

 在外公館に勤める物や、外国留学をする者は容姿(ようし)端麗(たんれい)なものが選ばれる。

それは、古今東西問わず、世の常であった。

かつて本朝(ほんちょう)*1における200年ほど続いた遣唐使(けんとうし)船派遣の際も、同じであった。

面接や試験で選抜された留学生は、語学や古典の素養など学才の他に、容姿も求められた。

 さて、マライが何故、ベアトリクスに代わってニューヨークで一緒に暮らしているか。

それはベアトリクスの妊娠が理由だった。

 妊娠が判明したベアトリクスの事を、父アーベル・ブレーメは非常に気遣った。

色々な問題を怖れて、彼女をユルゲンとの留学には同行させないようにした。

 だが、外交官や留学生の常として、既婚者は妻帯(さいたい)するのが一般的だった。

それは、さまざまな色がらみの問題や、美人の計*2を防ぐためである。

 いろいろと悩んでいたところにハイム少将からマライ・ハイゼンベルクを紹介されたのだ。

ハイム将軍は、ユルゲンとの関係をより強化するために自分の配下であるマライを送り込んだ。

また、マライ自身もユルゲンに特別な感情もあることで、話はとんとん拍子に進んだのだ。

そして今、ユルゲンとマライは、東独外務省が発券した特別旅券によって、米国に来ていた。

 


 

 1978年12月31日。

 マンハッタンのタイムズスクエア*3で、新年のカウントダウンが始まっていたころ。

ユルゲン達は今、ニューヨークのさるホテルにいた。

そこの最上階にあるレストランで、豪奢なディナーを楽しんでいた。

ユルゲンがマライの事を招き、新年の祝いの酒をごちそうしていたのだ。

 マライの姿は、いつになく艶やかであった。 

東ドイツでは着た事もなかった薄い紫のワンピースドレスに、真珠の首飾り。

 対するユルゲンは、ブルックスブラザーズで買った濃紺の2ピーススーツという支度(したく)

一応、ニューヨークに来る前に、東ドイツで2着ほど背広を仕立てた。

だが、余りの野暮ったさに、改めて買いなおしたのであった。

「この度の中尉昇進、おめでとうございます」

 マライの勤務態度は優秀であった。

ユルゲンのサポートをつづけながら、必死に英語の勉強を続けていた。

 その甲斐あってか。

彼女は、その間の勤務結果が認められ、晴れて陸軍中尉に昇進した。

「俺もこれまでマライさんに、色々迷惑をかけてばかりいました。

反省しています」

「もういいのよ」

「しかし、人は見かけによらないんですね。

まさか、こんなに早く留学の環境に順応してくれるなんて……」

マライは照れ臭そうに、セミロングの茶色がかった金髪を左手で()いた。

 ホテルのガラス窓から、はるか遠くのロングアイランドシティの灯りが見える。

見下ろせば、箱庭のような街が広がり、行き交う車の灯が、夜空をばらまいたように美しい。

「さあ、今日は大いに飲みましょう。

では、マライさんの昇進と来たる1979年を祝って、乾杯(プロースト)!」

 

 ホテルの部屋に入ると、それまで保たれていたユルゲンの緊張が一気に解ける。

控えの間が付いた大部屋であるが、セミダブルのベットが2つ並んでいた。

 ユルゲンは、着ていたサキソニー織のダブルのスーツを脱いで、浴室に入る。

軽くシャワーを浴びた後、ガウンに着替え、そのままベットへ倒れこむようして眠りについた。 

 

 

――――話は(さかのぼ)る。

 1976年12月。

ここは、ウクライナのヴォロシロフグラード*4

前日よりの猛吹雪が地表に吹き付ける中、迷彩柄の戦術機の一群が駆け抜けていく。

 網膜投射上に映し出されたウインドウに現れる、ソ連赤軍の勤務服(キーチェリ)姿の男。

ウクライナ派遣・ワルシャワ条約機構軍の司令官を務めるソ連赤軍大佐は、

「チェコスロバキアの装甲軍団が、BETA梯団に包囲された。

東ドイツの同志諸君、ここを死守せねば、リボフ*5に通じる街道が断絶されてしまう。

50万市民とチェコスロバキアの2万の兵が、厳冬の中に孤立するのだ。

光線級の為に、航空輸送も心もとない。 

わが社会主義同胞たちを、1941年のレニングラード*6にしてはいけないのだ!」

 

 煽動する調子で熱弁を語る男に、ユルゲン・ベルンハルト中尉は冷めた一瞥(いちべつ)をくれていた。

「今から行っても助からない」

彼の2年という長い実戦経験から、それが分かるのだ。

 ましてや、冬季だ。

ここヴォロシロフグラードのBETAは10万単位で、カザフ*7西部と比べて、異様に数が多かった。

噂ではウラリスクハイヴからサラトフ、ヴォロネジを抜けて、ウクライナに入ってきたという。

 

 取り残されたチェコスロバキア軍、約2万の軍団は勇猛果敢だった。

要塞級との距離が100メートルを切っても砲兵は退かず、踏みつぶされる寸前までBETAを駆逐した。

後続の戦車隊は、並みいるBETAの群れを踏みつぶしながら、果敢に前進した。

だが、光線級の群れの前に、彼らが頼みの綱とする戦闘ヘリ部隊は失われてしまったのだ。

 

 「チェコスロバキア軍を救援し、浸透突破を実施せよ」

 ソ連軍大佐の無茶ともいえる命令。

隊長のユルゲンが思い悩んでいると、副長のヤウク少尉が脇から回線に割り込んできた。

ソ連軍大佐に遠慮したのであろう。

公用語のロシア語ではなく、ドイツ語で尋ねてきた。

「ユルゲン、君はどう思う」

「無駄に兵力を損耗するだけだ。

それと、このまま重金属雲に入ったら、いつも通りの作戦で行く」

「了解!」

 

 果たして、東ドイツ軍の戦術機体は、驚くべき果敢を示した。 

BETA梯団も、その一触(いっしょく)をうけるや、眠れる虎が立ち上がったような猛気をふるう。

 両勢、およそ同数の兵が広き地域へ分裂もせず、うずとなって戦い合った。

彼も必死、これも必死、まさに鮮血一色の死闘図だった。

 

 約2万を誇るBETA梯団の中心部まで一気に駆け抜ける東ドイツ戦術機隊。

敵を撃ち倒し、叩きつけて、さんざんに駈け廻った。 

光線級吶喊(レーザーヤークト)に入るぞ!全機続け」

 そういうと、ユルゲンは操作レバーをぐっと引く。

彼の乗ったバラライカPFは、背中に突撃砲をしまうべく、右手を伸ばした。

それと同時に、一振りの長刀を、兵装担架システムから、ビュっと抜き出す。

「了解」

 真っ先に、その目標を捉えて、部隊の中心から先頭に向かって駈け抜ける。

猛烈な剣戟を揃えて、ふたたびBETAの先手へ突っかかった。

 ユルゲンの猛烈な白刃に答える様に、野火の様に広がりを見せていく戦果。

要撃級の群れを、殷々(いんいん)と唸り声をあげる突撃砲の斉射で、血煙に変えていく。

「ユルゲンを援護、刀を持っている奴は突っ込め!」

 全身緑色のファントムが突撃砲を背中にしまうと、両手に長刀を構える。

その刹那、跳躍ユニットのロケットエンジンを限界まで吹かした。

 長刀が閃くたびに光線級の体はひしゃげ、飛び散って、ズタズタにされていく。

20匹以上いた光線級は、塩辛みたいにされてしまった。

 その砲声もハタと止んだ。

勝敗は一瞬に決したのだ。

 ユルゲン以下わずかの機影が、綿のように戦い疲れて引っ返して来る。

戦術機までよろめいているかに見えた。

 36機の一個大隊が、わずか4、5機しか戻って来なかったのである。

まもなく、戦略爆撃機による絨毯爆撃が開始された。

これにより、ワルシャワ条約機構軍には撤退する時間が得られ、戦線を立て直すことが出来た。

翌々日の夕方までに全軍は、ヴォロシロフグラードより撤退した。

 

 そのことは、ユルゲンの心に深い傷を負わせた。

あれだけの死闘をして、結局ヴォロシロフグラードも、チェコスロバキア軍団も救えなかった。

わずかに前線にあった戦闘指揮所を、ドニエプルに下げたくらいだ。

 チェコスロバキア軍の陣地に弔問に行った際に見た、無表情の兵士たちが忘れられない。

互いに言葉もなく、芳名帳に記帳しながら斎場に入った。

 本当ならば、この人たちを励ますべきではなかったか。

戦争で、部下が、知人が死ぬのは、今に始まったことではない……

そう己を律しても、心に渦巻く感情は収まる気配がなかった。

先頭に立って、剣を振るい、銃砲を放ち、敵陣を駆け抜けてきても、その気持ちは消えなかった。

死ぬべき筈は俺ではなかったのか……

 

…………

「……ううん。う、うん」

 ユルゲンはうなされていた。 

「ユルゲン君、ユルゲン君、どうかしたの」 

しきりと、自分をゆり起していた者がある。

 ユルゲンはハッと眠りからさめて、その人を見ると、マライ・ハイゼンベルクであった。

着ているものといえば、踝まで裾のある黒絹のネグリジェ、1枚だ。

ドイツ人らしく*8、その下にはブラジャーもパンティーも付けていなかった。

シースルー*9の生地から、煽情的な肉体が浮かび上がってくる。

「ああ。……さては、夢?」

 全身の汗に冷え、寝間着(パジャマ)も肌着もずぶ濡れになっていた。

その瞳は、醒めてまだ落着かないように、天井を仰いだり、壁を見まわしていた。

「何か、飲む?」

 冷蔵庫を開けて、水の入ったガラス瓶を取った。

エビアン*10やペリエ*11などの輸入物*12のミネラルウォーターだった。

 ユルゲンは、マライに微笑み返しながら、けだるそうにいった。

「ありがとう。

ああマライさん、あなただったのか、何か寝言でも……」

 ユルゲンは、おもわずマライの方を盗み見る。

黒のネグリジェの大きく開いた胸元から、乳房のふくらみや谷間がはっきり(のぞ)けてしまう。

話すたびに、乳房で張り出した部分が、ゆったりと波打つ。 

「ユルゲン君」

 ドイツにいるときの癖で、下着は着けていなかった。

第一、就寝中にユルゲンが起きるとは思わなかったからだ。

マライは声をひそめて、ユルゲンの手をかたく握った。

「ようやくあなたの悩みをつきとめました。

BETAとの戦争で、仲間を、救うべき同胞を見捨てたことを今も人知れず苦しんでいらっしゃる」

「……えっ」

 ユルゲンが、会話の間にちらちらと視線を注いでいる。

マライは、それに気が付かないふりをした。

「隠さないで、それも病を悪化させた原因の一つです。

日頃から、およその事は察していましたが……

それほどまでにお覚悟あって、国のため全てを捨てて、忠義の鬼とならんとする。

そのご意義なら、このマライもかならずお力添えいたしましょう」

その潤んだ瞳には、何とも言えない風情が、情熱の高まりが感じられた。

 

 ユルゲンの悩みは、今日でいう心的外傷後ストレス障害(PTSD)である。

心的外傷後ストレス障害とは、神経症性障害の一つである。

 戦争など、死の危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なく思い出される。

時として悪夢に見たりすることが続き、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態である。

 その様な体験は一過性で、多くの場合は数か月で落ち着く場合が多い。

だが一部には時間がたつごとに悪化したり、突如としてその症状が出る場合もある。

 厚生労働省の報告によれば。

現代日本の総人口の1.3パーセントがかかる病気であり、実にありふれた精神疾患である。

 しかし、時代は1970年代。

精神医学も途上で、精神疾患への偏見もあった時代である。

 ユルゲンは、この苦しさを誰にも打ち明けられずにいたのだ。

以前マサキが危惧した通り、アルコール中毒の気があった。

 それは彼の父ヨーゼフ・ベルンハルトの影響もあろう。

ヨーゼフは、妻メルツィーデスとの離婚調停の際に心身を持ち崩した。

妻が間男に寝取られたことを悔やみ、重度のアルコール中毒になった。

 KGBとシュタージによる卑劣な工作によって、父が狂った様を見たはずなのに……

この俺が酒におぼれて、世から逃げようとする何って……

その自責の念も、またユルゲンを苦しめることとなったのだ。

 

 

 さて翌日。

研究室を訪れたユルゲンは、新年のあいさつを済ます。

すると、ブレジンスキー教授からある人物を紹介された。

「ベルンハルト君、君は空軍出身だそうだね。

一昨年までソ連に派遣されいて、BETAとの実戦経験も豊富だと……」

「はい。

……ですが、今はロシア研究所の留学生です」

ブレジンスキーは、一頻り思案した後、ユルゲンに問うた。

「グラナン航空機という会社を知っておるかね」

「先の大戦中から米海軍と懇意な関係にある航空機メーカーですね。

一体、この事と何の関係が……」

 すると、椅子に座っていた八十老*13が立ち上がって、ユルゲンに近づいてきた。

「ベルンハルト大尉殿、どうぞお見知りおきを。

私はかれこれ40年ほど、ニューヨークで、しがない航空機会社の社長を務めておるものです」

 八十老の正体は、グラナン社長*14だった。

ユルゲンが後で知ったことだが、彼は第一次大戦中、海軍予備士官でありパイロットだった。

そして、コロンビア大学で駆潜艇(サブチェイサー)の講習を受けた経験の持ち主だった。

「いえ、こちらこそ」

 社長はマホガニーのパイプを取り出すと、詰めた煙草に火を点けた。

紫煙を燻らせながら、これまでの経緯を説明し始める。

「じつは貴国で鹵獲(ろかく)したミグ設計局のMIG-23試作機を解析したところ、わが社の特許が無断使用されていたのが判明したです。

これは、木原博士が鹵獲したスフォーニ設計局*15の試作機からも同様の事が判明しました」

ブランデーの香りがする煙を吐き出しながら、じっとユルゲンを見やった。

「大尉殿は、その辺に関して何かご存じなことはございませんか」

ユルゲンは、その端正な表情を変えずに、社長の問いに応じる。

「MIG-23試作機に関しては……

私が恩師とあがめていた男が乗っていたという事しか存じていません」

 ユルゲンが師事した男は、エフゲニー・ゲルツィン空軍大佐。

カシュガルハイヴ攻略に参加し、BETA戦争初期から生き残ったエースパイロット。

 そして裏の顔は、KGB特別部(アソバーヤ・アッジェレニエ)*16大佐であった。

KGBと対立する赤軍内部に潜り込み、赤軍や友邦諸国の軍隊を監視した。

 ユルゲンとの出会いは、1974年のクビンカ空軍基地での研修。

当時、ソ連はワルシャワ条約機構に加盟する各国軍隊の指導をしていた。

赤軍の軍官学校は多岐にわたるため、空軍に絞って説明をする

 高級士官は、モスクワ近郊のガガーリンアカデミー*17

一般士官と技術士官は、ジューコフスキー空軍技術アカデミー*18といった具合である。

そのほかにも空軍には、複数の高等指揮技術学校があるが、ここでは割愛する。

 史実より、一例をあげれば。

 東ドイツの宇宙飛行士、イェーン空軍少将*19はガガーリンアカデミー出身だった。

ユルゲンもBETA戦争がなければ、ガガーリンアカデミーに留学したであろう。

だが戦争の為、空軍学校は外人を締め出し、代わりにクビンカ空軍基地での留学に変更された。

そこで半年間、ソ連空軍の将校や下士官から厳しい訓練を受けたのである。

クビンカ基地は、KGBの他に、GRUの監視付きという極めて特別な場所であった。

 

 ユルゲンは、落着き払っていた。

「それに戦術機関連の技術は、ソ連でなくとも、我が国の情報部も知りたがっていましたよ」

「失礼ですが、貴殿の御離縁された御母堂(ごぼどう)

彼女は、確か……シュタージの少佐と再婚されている……と聞き及んでおります。

何か、ご存じの件でもあればと……」

 ユルゲンは薄く笑ってから、社長の瞳を凝視した。

詳しく聞いたら、承知しないぞ……。

そんな意志が込められているかのように、社長は感じ取っていた。

「母に関しては、既に父と離婚して10年にもなります。

彼女の事は、小官のあずかり知らぬことです」

 

 ユルゲンは、咄嗟にそう答えた。

実は、母メルツィーデスとの関係は、それほど疎遠ではなかった。

 ベアトリクスとの結婚以降、母との関係は回復していた。

以前のように、月に一度はユルゲンと顔を合わせるほどになっていたのだ。

 今の夫のダウム少佐とも、2、3度会ったことがあるが、誠実で平凡な男だった。

ロメオ工作員として篭絡(ろうらく)して以降、本当に母の事を愛してくれている様だった。

だから、ユルゲンとしても父から寝取ったことは恨んでいても、それ以上の感情は割り切っている面があった。

 そして母には、ダウム少佐との間に出来た幼い息子がいる。

もう一度、家庭を引き裂くのは、忍びない。

それが、息子ユルゲンとしての、最大限の譲歩であった。

 

 困り顔をしているユルゲンに、涼宮(すずみや)が助け舟を出してくれた。

「それならば、私の方で木原先生に掛け合ってみましょう。

先生なら中共にもパイプがありますし、技術漏洩に関しては何かしらご存じかもしれませんから」

 グラナン社長も、ユルゲンも、とかく過敏(かびん)な眼いろだった。

だが、さすがに教授は、何気ないそぶりを振舞いながら、

「涼宮君、君がそんな事をする必要があるかね。

それに、F14は日本に近々輸出する予定があるのだよ」

涼宮をなじるつもりが、

「本当にそれだけなのかね」と半ば肯定する様な許し方をしていた。

 この時、二つに一つの運命の分かれ道だった。

もっと知りたいと願っている好奇心が後押しした。

瞬間にして、ユルゲンは自分の心が求めている道を選んだ。

「差し出がましいようですが……

私の父の筋を頼ってみようと思います」

 この時、ユルゲンの父という言葉を教授は、今の東ドイツ議長と勘違いした。

教授は勿体ぶり、雰囲気を壊してしまうのを避けるために答えた。

「ベルンハルト君、議長(おちちうえ)の手を煩わすことはない。

とりあえず、私の方で政府筋に調べさせてみる」

 教授は、老社長に帰ってもらうべく、畳みかける様に言い訳した。

脇で聞いていた三名の顔は、同じものだった。

不安に()(つぶ)されたのである。

「あとで、詳細な報告は大統領府から海軍を通してお答えしますわ。

グラナン社長、今日はお引き取りを……」

(かす)かな嘲笑すら見せて、社長は、強く口のうちでいった。

「では教授、お願いしますよ」

余談は何ひとつ交えず、この老社長は手持無沙汰に帰った。

*1
我が国の朝廷、日本の朝廷の意味

*2
ハー二―トラップ

*3
米国ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンにある交差点。近隣の繁華街を含む場合もある

*4
今日のルガンスク。1935年から1958年及び1970年から1990年まで、 ヴォロシロフグラード

*5
今日のウクライナ西部の都市。現在はウクライナに編入されているが、長らくポーランド領やオーストリア・ハンガリー帝国の領土であった。独語名:レンベルク

*6
今日のサンクトペテルブルグ。1924年から1991年までレニングラード

*7
今日のカザフスタン共和国

*8
2008年の統計によれば、今日でもドイツの他に、英国やスカンジナビア諸国では約3割の国民が全裸で就寝している

*9
see-through.内部が透けて見えること。そこから転じ、透ける布地を用いて仕立てた洋服

*10
1829年発売。フランス製のナチュラルミネラルウォーター。今日はダノン社から販売されている

*11
1895年発売。フランスを代表する炭酸入りナチュラルミネラルウォーター

*12
1990年代までアメリカではミネラルウォーターは一般的ではなく、そのほとんどが海外からの輸入品だった

*13
80を超える老人

*14
リロイ・ランドル・グラマン。グラマン飛行機創業者。(1895年1月4日 - 1982年10月4日)

*15
現実のスホーイ設計局

*16
особая отделени.軍や警察などの実力組織の内部にあるKGB本部直属の監視ネットワーク

*17
Voyenno-vozdushnaya akademiya imeni YU. A. Gagarina、Y.A.ガガーリン名称空軍アカデミー。1940年から2011年まで存在したソ連の空軍士官学校

*18
voyenno-vozdushnaya inzhenernaya akademiya imeni professora N. Ye. Zhukovskogo、 N.E.ジューコフスキー名称空軍技術アカデミー。1920年から2008年まで存在したソ連の空軍士官学校

*19
ジークムント・ヴェルナー・パウル・イェーン(1937年2月13日 - 2019年9月21日)東ドイツ軍人、宇宙飛行士




 読み返して、意味不明な文章だったので大分手を入れました。
(元の文書が気になる方は、暁の方を参照ください) 



ご意見、ご感想お待ちしております。


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(よみがえ)幻影(げんえい) 後編

 グラナン航空機の天才技術者、フランク・ハイネマン博士。
米海軍戦術機開発部隊に加わっていた彼は、過去の戦争に苦しんでいた。
 一方、ソ連では米海軍の軍拡を受け、国防相がある奇策を持ち出す。
ソ連もまた、過去の戦争の傷跡に悩んでいた。


 ベトナム戦争において活躍した、原子力航空母艦「エンタープライズ」。

BETA戦争に対応するために改装計画を進めたアメリカ海軍は焦っていた。

 原子力航空母艦とは何ぞや、という読者もいよう。

ここで作者からの簡単な説明を許されたい。

 原子力艦とは、小型の原子炉を搭載し、核反応熱で蒸気タービンを回して推進する艦艇である。

 USSエンタープライズ (CVN-65)*1は、世界初の原子力空母でもある。 

全長342メートル、満載排水量83350トン*2

専用に開発された原子炉A2Wを8基搭載し、そのほかにも蒸気タービンを装備した。

 また原子力空母は、1度核燃料を交換すると20年以上燃料補給の必要がなかった。

その上、原子炉のおかげで、長時間の高速航行が可能。

キティ―ホーク*3など通常型空母に比べ、緊急展開能力が格段に高かった。

 原子炉のおかげで、航空機の離発着を妨げる排煙がなく、煙突のスペースも必要ない。

その為、飛行甲板上の艦橋(アイランド)を小型化できるなど、運用上の利点は多かった。 

原子炉のおかげで、艦艇用の燃料が必要なく、空間に航空燃料やジェット燃料を積載できた。

 1961年に就役するも膨大な建造費や維持費の為に、同型艦は(つい)ぞ作られることがなかった。

しかし、この異星起源の化け物が夜行する世界に在っては、そうではなかった。

 一番艦エンタープライズの成功を受け、2番艦の建造が議会で承認される。

今まさに、バージニア州のニューポート・ニューズ造船所で始まったばかりであった。

 

 ここは、サンフランシスコ。

市中にあるダウンタウンでも有名な中華料理店、『羊城茶室(ヤン・シン)*4』。

 国防総省の一部局である海軍省の長官とヘレンカーター海軍大将は、密議を凝らしていた。

「グラナンの新進気鋭の技術者、フランク・ハイネマンによる新型機の着艦試験が成功した」

その報告を受けて、極上のウイスキーを片手に、今後の見通しについて話し合っていた。

 

「ヘレンカーター提督、この度の試験成功、おめでとう」

 海軍長官は、そういうとウイスキーのボトルを傾けた。

12年物のシーバスリーガル*5を、オレンジジュースの如く並々と氷の入ったグラスに注ぐ。

酒を口に含むヘレンカーターは、いかにも満足そうだった。

「これも、ハイネマン君のおかげです」

 安らぎの姿勢を見せながら言うヘレンカーターに、ハイネマンは苦笑した。

高級中華料理に箸を付けながら、海軍長官はハイネマンに謝辞を述べる。

「ご苦労さん、第一回目の試験としては上出来だった」

「問題は山積しております」

ハイネマンを尋ねる海軍長官の声は、穏やかだった。

「何かね」

「微修正の誤差があり過ぎることです」

一呼吸置いたハイネマンは、饒舌(じょうぜつ)に語りだした。 

「問題は、搭載している大規模集積回路(LSI )やセンサーではない。

姿勢制御用のスラスターを小型化し、なおも精度を高めれば……」

 そういって、口ごもるハイネマン。

口直しに高級老酒「古越(こえつ)龍山(りゅうざん)」を一気に(あお)る。

この酒は中国外交部が国賓接待酒指定銘柄として証明書を発行し、大使館で供される品物である。

「引き続いて頼む。

ニューヨークのオフィスでは研究もしやすかろう」

「実用化のめどは、少なくともあと1年」

 長官に注がれた老酒は、グラスから溢れんばかりであった。

慎重に口元に運び、のどを鳴らしながら一気に飲んだ。

「いや、2年か」

 そういって、ハイネマンは天を仰ぐ。

一瞬、向かい側にいたヘレンカーターの目の色が変わった。

「だが、大統領は新型機の大量生産を指令してくる」

 ハイネマンの顔に驚愕の色がありありと浮かぶ。

「そんなのは、無茶だ」

「戦術機開発競争は待ったなしだ。

今日の試験は非公開を主張したが、政府が許さなかった。

戦術機の保有数では、合衆国はソ連に後れを取っている」

 

 米国に対して、軍事力の質の面で劣っていたソ連は、量の面で(おぎな)う策に出ていた。

ここで、史実のソ連軍に関して振り返ってみたい。

 ソ連赤軍の地上兵力は、173個師団183万人。

46個師団45万人を中ソ国境に配置し、ザバイカル*6には34個師団35万人が展開していた。

 航空兵力については,全ソ連の作戦機、8500機。

極東に関して言えば、約4分の1である2060機を展開した。

その内訳は、爆撃機450機、戦闘機1450機、哨戒機160機である。

 水上戦力は、ソ連の艦艇2620隻。

ウラジオストックにあるソ連太平洋艦隊では、785隻を保有していた。

 

「だが合衆国は、電子工学(エレクトロニクス)の点ではソ連をはるかに凌駕している。

ハイネマン君は謙遜(けんそん)しておるが、その点では世界最強だよ」

 海軍長官は、少し飲んだだけなのにほんのり赤くなっていた。

いつもは白い顔に怜悧そうな表情を浮かべているのに、今宵は大違いである。

「ソ連には、フランク・ハイネマンがいない。

それがすべてですよ」

 冬季通常勤務服(サービス・ドレス・ブルー)*7に身を包んだ海軍将校が横から口をはさむ。

東洋系の逞しい体つきの好青年であった。  

「今回の試験で開発競争に、拍車がかかりますな」

とたんにハイネマンの表情が険をおびた。

「なぜ」

「ソ連や日本に刺激を与えるでしょう」

 そのとき、猛烈な勢いでハイネマンはテーブルを叩いた。

振動でグラスが揺れ、中に注がれた紹興酒が飛び散る。

「知った風な口をきくな!

BETA戦争での勝利には完璧な防御システムの完成しかないのだ。

その為にはLSI搭載の新型ミサイルと、高起動の戦術機が切り札になる」

 ヘレンカーターは、委縮する青年将校を横目で見る。

静かに「パーラメント」の箱からタバコを抜き出すと、火をつける。

「クゼ大尉、君は口を慎みなさい」

 海軍提督の言葉とあって、黄人(こうじん)の青年将校は口をつぐんだ。

「すまぬが、私は先に休ませてもらうよ」

ハイネマンは、顔色一つ変えずに、クゼを一瞥をするとその場を後にした。

 ヘレンカーターは、見せつける様に紹興酒を飲む。

氷で薄めていたが、アルコールを摂っていることには変わりなかった。

「ハイネマン君は、心の底からBETAを、戦争を憎んでいる。

彼の幼馴染や高等学校(ハイ・スクール)の同級生。

その少なくない者たちが、印度支那(インドシナ)や中近東で亡くなった」

 クゼは、この老提督の真意をはかりかねた。

瞋恚をあらわにするハイネマンを止めるどころか、そそのかし、帰してしまった。

 本当に叱るつもりならば、印度支那の話をしたのは、どういうことなのだろうか。

自分は、A-7コルセアII*8を駆り、北ベトナムと戦った経験があるのに……

そう考えると、老提督の真意はさっぱりわからないから、却って不気味である。

 いかにも知らぬ顔で聞いていた海軍長官は、そんなクゼの表情を盗み見ながら、彼の内心をしっかり見極める。

クゼは、生来からの溌溂(はつらつ)とした部分が影を潜め、元気がなくなっていた。

そして、それはヘレンカーターが望むものであった。

「君たち、東洋人はそういう意味では幸せだよ」

 クゼは、その言葉を日系人である自分を非難するものと受け取った。

いくら海軍航空隊の士官とは言えども、黄色人種(イエロー)は黄色人種なのだろう。

 それに時折見せる、何かを訴えかけるような目。

まるで長年の宿敵を見るような目を、老提督は自分に向けてくる。

 あの30有余年前の戦争*9の記憶は、未だ彼らにとっては()えぬ傷跡なのだろう。

少しだけ、彼の心の中にある鏡が、(くも)った。

 どうすれば、いいのだろう。

クゼ大尉の胸は、短剣で刺されたように、ひどく痛んだ。

 

 

 

 アメリカ海軍の新型戦術機の試験飛行に、仰天したソ連。

緊急の政治局会議が、ウラジオストックの臨時本部でなされていた。

「米海軍が、300メートル超の大型空母の建造計画を進めているというのは、確かなのか」 

 書記長の問いに対して、外相*10は静かに答える。

かの人物は、国連で拒否権を連発したことから「ミスター・ニェット」と呼ばれていた。

「確認済みです。

駐米大使の報告の他に、公式非公式の資料からも間違いないように思えます」

 それまで黙っていた国防大臣*11が口を開く。

彼は半世紀以上軍事産業に関わり、スターリンの手ずから軍需工業人民委員に抜擢されるほど。

30年ほどで、ソ連の軍拡を進め、米国に比するまで育てあげてきたのだ。

「同志議長、願ってもない軍拡の好機です。

米国の侵略的意図を世界中に公表し、我らが防衛のため軍拡を進めても……。

誰一人として、非難はできますまい」

ソ連戦略ロケット軍司令官を兼務する、国防次官もそれに続く。

「国連憲章第7章第51条*12において、個別の自衛権は認められた権利です。

それに国際法の概念として、自衛権の行使。

それそのものは、自然権*13であります。

生まれながらにして認められた権利であるのです、同志議長!」

 赤軍参謀総長は瞋恚を明らかにして、立ち上がる。

いつにない激越(げきえつ)な口調で、大臣を非難した。

「同志大臣、あなた方はアメリカを甘く見過ぎている。

彼らはそんな事では屈服しまい……。

それに、まちがいなく木原が出てくる」

 国防大臣は、不敵の笑みを満面に湛えると、

日本野郎(ヤポーシキ)のブルジョア似非(えせ)学者ごときに、何ができる!

米国におもねり、奴等の顔色うかがう黄色い猿(マカーキ)など、屈服させて見せる」

 参謀総長は、その言葉を受け、国防大臣に視線を送った。

この様な事を平然と述べるとは、スターリンの寵児(ちょうじ)だけある。

御大(おんたい)は、日露戦争の敗北を昨日の様に悔しがっていたのだから。

「木原を裏で使嗾(しそう)する、日本政府など核で恫喝すれば、直ぐに落ちる。

緒戦(しょせん)で、20・30万も死者が出たら……。

さしもの侍どもも、おっ魂消(たまげ)て、将軍の降伏文書をもってこよう。

それでもへこまねば、核を用いて、100万人を消せばいい」

「同志大臣、貴方はどうかなさっている。

そんな気違(きちが)い沙汰を平然と口走るなどとは、少しばかり休まれてはいかがですかな」 

一連の話を黙って聞いていた書記長は、立ち上がると、

「不毛な議論を続けている時ではあるまい。

一時休会だ」

と、護衛と共に別室に退いた。 

政治局会議は、邪険な雰囲気のまま、休会した。

*1
エンタープライズの名前を持つ軍艦は、米海軍創設以来8隻あり、空母も2隻あるため、便宜上米海軍の番号を振った

*2
最終的な改修の結果、満載排水量は93284トンになった

*3
USS Kitty Hawk (CV-63),米海軍通常動力型のキティ―ホーク級1番艦。1961年4月21日就役、2009年1月31日退役。1998年から2008年まで日本の米軍横須賀基地を母港としていた

*4
Yank Sing.1958年創業。サンフランシスコ市内に複数の店舗を持つ飲茶の老舗

*5
Chivas Regal.1801年創業。スコッチ・ウイスキーの銘柄の一つ

*6
Забайка́лье、バイカル湖の東側の地理区分

*7
この時代の米海軍将校には複数の制服があり、このほかにも船内作業服(ワーキング・ブルー)航空要員用制服(アビエータ・グリーン)夜会服(ディナー・ドレス)などが存在した。2023年現在はその大部分は予算削減のため廃止されている

*8
リング・テムコ・ボート社が作った艦上攻撃機。1965年配備開始

*9
太平洋戦争

*10
アンドレイ・アンドレエヴィチ・グロムイコ。(1909年7月5日- 1989年7月2日)、ソ連の政治家、外交官

*11
ドミトリー・フョードロヴィッチ・ウスチノフ(1908年10月30日 - 1984年12月20日)、ソ連の政治家、ソ連邦元帥

*12
国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合、安保理が対抗措置をとるまでの間、加盟国は自衛権を行使できることを謳った条項

*13
人間が生まれながらにもっている権利。なおソ連政権において、ソ連市民の自然権は否定されていた




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窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ) 前編(旧題:篁家訪問)

 マサキは、ある土曜の夜に鎧衣(よろい)に呼び出される。
連れて行かれた先は、(たかむら)の屋敷だった。


  京都盆地の寒さは、想像以上だった。

城内省からあてがわれた邸宅が、古い数寄屋(すきや)づくりというのもあろう。  

 前世で温暖な静岡に住んでいた為か、非常に寒さが身に染みたのだ。

静岡では氷点下になることは珍しく、真冬でも日中は10度近くまで上がった。

その点が京都とは違うと、しみじみと思い返していた。

 

 マサキは布団から抜け出し、濃紺のウールの丹前(たんぜん)*1を着こむ。

眠れぬ夜を紛らわそうと、使い捨てライターで、ホープの箱から取り出したタバコに火を付ける。

紫煙を燻らせながら、この異世界のロボット兵器を考えた。 

 

 戦術歩行戦闘機。

この異世界の、人型ロボット兵器の正式名称である。

 マサキが前の世界で作った作った、大型破壊兵器、八卦(はっけ)ロボ。

その八卦ロボとの大きな違いは、その操縦方法であった。

 衛士強化装備という特定のパイロットスーツから測定した脳波や体電流。

そこから、装着者の意思を数値化、蓄積されたデータを基に次に行う操作を予測。

機体の予備動作に、反映させるというものである。

 一連の動作を間接思考制御と称されるものであった。

この高度な情報反映は万人が成功するものではなかった。

 

 思うに、戦闘機パイロットであったユルゲンやヤウクなどが、機種変更を成功させた理由。

BETA戦争初期の段階であったために、ソ連側から丁寧な指導を受けられた為であろう。

陸軍下士官出身のクリューガー、ヘリ操縦士のヘンペルも同じであろう。

時間的余裕のあったころに教育を受けた将兵の技量は、目を見張るものがあった。

 第二次大戦時から婦人兵を重用したソ連であっても、婦人操縦士の割合が少ない。

それは、過酷な訓練や勤務体系ゆえではないか。

 最前線になりかけていた東ドイツでも、婦人操縦士は指折り数えるほどでしかなかった。

アイリスディーナやベアトリクス、ユルゲンの同級生であるヴィークマン。

いずれの人物に共通するのは、運動神経が抜群の人物であるという事だ。

 ユルゲンから聞いた話によれば。

ツァリーツェ・ヴィークマンは、155センチほどしかない小柄な女。

彼女は、柔道・空手の黒帯で、ミュンヘン五輪*2の強化選手候補であった。

国家保安省(シュタージ)の陰謀に巻き込まれ、あらぬ薬物使用の疑いを掛けられ、柔道家の夢を諦めたという。

 あの一見(いっけん)すると(にぶ)そうなマライも、聞いたところによれば、身体能力は優れているという。

マライに関しては、制服の上からも分かるほどの揺れる乳房、(くび)れた腰、大きく張り出した尻。

160センチ代前半という、東ドイツ婦人の平均身長の割には、豊満(ほうまん)という印象しかなかった。

人は見かけによらぬものだと、マサキは心底(しんそこ)驚いたものであった。

 アイリスディーナは、自他ともに認める水泳の名人。

幼少のみぎりから水泳に慣れ親しみ、県*3大会に出るほどの実力の持ち主だった。

 ベアトリクスとの出会いは、シンクロナイズドのペアを組んだことからだという。

ベアトリクスとユルゲンとのなれそめも、その水泳に関連するものだった。

 もしBETA戦争がなければ、大学か実業団に入っていたであろう。

今頃アイリスディーナは、ベアトリクスと一緒に大学で、教職の勉強をしていたかもしれない。

厳めしい迷彩服など着ずに、保母(ほぼ)や幼稚園教諭(きょうゆ)として児童をあやしていたのかもしれない。

 BETAという宇宙怪獣が、純真(じゅんしん)な少女から、未来を奪うとは……

マサキは、つくづくBETAという存在が憎くなった。

 グレートゼオライマーには、自分が作った八卦ロボのあらゆる特徴を盛り込むつもりだ。

これが完成すれば、惑星の一つや二つは簡単に消せるだろう。

そうすればBETAの前線基地はおろか、母星も滅ぼせよう。

 

 マサキは、アイリスディーナを援助してやるのが、楽しくて仕方なかった。

特に地球征服の前段階としての東ドイツへの工作という理由を忘れ、若くて美しい彼女に(おぼ)れた。

 新しいホープの包み紙を開けながら、可憐(かれん)なアイリスディーナの姿を思い浮かべる。

そのうちに、あの娘を救ってやろうという気持ちが、何も自分だけではないという考えに至った。

 兄ユルゲンだって、宇宙飛行士の夢を(あきら)めて戦術機パイロットになるぐらい。

だから、自分以上に同母妹(いもうと)の彼女を救ってやりたかったのかもしれない。

 自分の身に置き換えて、そう違いないという確信に至った。

いつしかマサキは、己の中に熱い情熱を感じ始めていた。

それは、今までの世界征服の野心とは、全く違った感情だった。

 いずれにしろ、沸き上がった不思議な感情を落ち着かせるには、タバコを吸うしかない。

マサキは、何かにせかされるように、紫煙を燻らせた。

 

 もし、自分がこの世界の戦争に介入せねば、前途洋洋(ぜんとようよう)な若者を大勢失われた。

その想像は、共青団(コムソモール)動員や学徒出陣をしたソ連の事例を見れば難くない。

 既に過ぎ去った、四十(よんじゅう)有余年(ゆうよねん)前の戦争の時もそうだったではないか。

マサキの意識は、あの民族の興亡(こうぼう)をかけた大東亜(だいとうあ)戦争への追憶に旅立っていた。

 ソ連やナチスドイツと違い、自由で立憲君主制を引く日本では、戦時動員体制に入るのに長い時間を有した。

支那(しな)事変から大東亜戦争まで、学徒兵などは使わずに選抜徴兵と志願兵、予備役で乗り切ってた。

だが、それでも慢性的な下級将校の不足からは、逃れられなかった。

 大勢の青年将校を最前線で失った日露戦争の教訓から、様々な制度を整えていた。

だが支那事変が始まって、数年もすると日露戦争以上の人不足に陥った。

 航空要員も同じであった。

既に、そのことを見越して、帝国陸海軍は少年飛行兵の訓練を実施していた。

だが、(つい)ぞ米ソの大動員には勝てなかった。

今もそのことが教訓となって、自衛隊に生徒教育隊とか少年工科学校と呼ばれるものがある。

 一般的に、古代より少年兵を使うのは国家の危厄(きやく)時のみである。

毛沢東やカンボジアのポルポトのように少年兵を重用することが常態化した場合。

およそ人倫や社会が崩壊するのは、目に見えている。

 戦後に我が国を荒らしまわった少年犯罪が沈静化したのは、高度経済成長まで待たねばならなかった。

敗戦国の日独伊だけではなく、米ソ英仏でも同じであったという。

 だから、つくづく無益な戦争は避けるべきではないか。

もし戦争をするならば、短期決戦で完全勝利せねばなるまい。

圧倒的な力をもって、相手の戦意を削ぎ、完封する。

それが、あの戦争を知るマサキなりの結論であった。

 

 既に夜は明けて、外は(しら)み始めている。

ずっと、このような過去の追憶(ついおく)をしていても、仕方があるまい。

 マサキはそう考えると、再び布団の中に潜り込んで寝ることにした。

どうせ時間になれば、脇にいる美久が勝手に起きて、自分の目を覚ましてくれるだろう。

 いくら秋津(あきつ)マサトの若い肉体とは言っても、休まねば己の脳は完全には働かない。

睡眠不足は、健康を害すどころか、思考力を低下させ、破滅的な事故につながる。

あのスリーマイル事故*4も、チャレンジャー号事故*5も。

従事する作業員(オペレーター)の過酷な交代勤務制を起因とした、睡眠不足による悲劇だった。

 女性(にょしょう)柔肌(やわはだ)には劣るが、美久の形状記憶シリコンの肌に抱き着くか。

その様にあきらめると、しばしの休息を取った。

 

 さて翌日。

 昼過ぎに仕事から帰ってくると、グレートゼオライマーの図面を修正していた。

製図板を抱き込むようにして座っていると、鎧衣(よろい)が来た。

既にとっぷりと日が暮れた時間で不審に感じたが、一応来た理由を尋ねる。

「どうした、こんな日暮れに来て」

「私と一緒に、あるところまで付き合ってほしい」

 その言葉に、一抹(いちまつ)の不安を感じた。

この男がそういう時はたいていよからぬ話だからだ。

「土曜日の午後ぐらい、ゆっくり休ませてはくれぬのか」

 まだこの時代の土曜日は、出勤日だった。

当時の日本社会では土曜は休日の扱いではなかったからである。

午前中だけ勤務するのがあたりまえで、そのことを指して半ドン*6と長らく呼ばれていた。

一般社会で完全週休二日制が導入されるのは1980年代以降であり、官公庁は1992年*7まで待たねばならなかった。

 マサキには一応年間の有給が残っていたが、アイリスディーナ関連で使うつもりでいた。

なので、平日は、他人の都合で休むつもりがなかった。

しぶしぶながらも鎧衣の対応に応じることにしたのだ。

 

 

 連れてこられた場所は、洛中(らくちゅう)にある(たかむら)の邸宅。

作りからすると、江戸中期に建てられた武家屋敷で、立派な門構えであった。

鎧衣が屋敷の前で、取次をすると、間もなく屋敷の大門が開く。

マサキは、くぐり戸から内玄関からではなく、式台がある本玄関に車で乗り付けた。

 式台とは、玄関の土間と床の段差が大きい場合に設置される板の事である。

かつて未舗装の道が多い日本では、駕籠(かご)や馬で乗り付けた際、悪天候の際は足元を汚す場合が多かった。

それを避けて、貴人や主君を迎えるために、設けられた空間を指し示した。

いつしか、それは表座敷に接続し、家来の控える部屋を指し示す言葉となった。

 マサキは、この異例の対応に驚いた。

自分は、この世界では何の縁もゆかりもない根無し草。

精々持っているのは、特務曹長の肩書と、斯衛軍(このえぐん)の黒い装束(しょうぞく)を着る権利。

あとは、胸に下げる何枚かの勲章(メダル)だけなのだ。

 

 表座敷*8で、出された茶を飲んで待っていると、着物姿の篁が入ってきた。

だが、自宅というのに、茶色い羽織(はおり)と同色の長着に、黒の襠高(まちだか)袴だった。

 武家の慣習は、よくわからない。

篁の羽織姿を見た、マサキの第一印象だった。

 篁は、帯ていた打刀(うちがたな)を外すと柄の頭を下にして刃を太刀掛の方へ向けて立てかける。

そして着席するとまもなく、慇懃に頭を下げてきた。

此度(こたび)の訪問、誠にありがとうございます」

マサキも形だけの平伏をして、それに答えた。

「面倒くさい挨拶は良い。俺を呼んだ真意を聞かせてもらおうか」

篁はマサキの()(きぬ)()せぬ言い方に失笑した後、  

「実は、F-4の日本版である、激震(げきしん)のフレーム改造に協力してほしい。

以前貰ったローズ・セラヴィーの関節が特殊だったんでな」

 マサキは、遠慮せずにタバコを吸うことにした。

篁との話し合いだ。

見たところ、女子供もいないだろうし、何の遠慮(えんりょ)気兼(きがね)ねも必要あるまい。

静かにホープの箱を取り出して、火をつける。  

「言っておくが俺は戦術機に関しては、素人だ。

戦術機に使われている電磁伸縮炭素帯(カーボニック・アクチュエータ)など信用しておらんからな。

ローズ・セラヴィーなら、内部フレームはゼオライマーと同じような作りになる」

 夕方に来たから、茶菓子の一つも出ないのか。

案外、武家というものは質素な生活をしているのだなと、思った時である。

 奥の方から色無地(いろむじ)*9を着た白人の女がゆっくりと現れた。 

「え……」

思わず、マサキはつぶやいていた。

 

 紺の色無地姿の女は、年のころは20代後半であろうか。 

化粧はあまりしていないが、肌艶がきれいで人目を引くような端正な顔立ちである。

 きりっとした水色の瞳は深い輝きを放ち、氷のような鋭さを感じさせた。

まるで極寒(ごっかん)の海に浮かぶ流氷(りゅうひょう)の様な、瞳であった。

 マサキは直感的にわかった。

これが、天才女技術者のミラ・ブリッジス。

 これならば、篁が夢中になるのも分からないでもない。

思わず、タバコを口から取り落としてしまった。

「木原さんですね。

いつも、主人がお世話になっております。

ミラ・ブリッジスです。」 

 清楚で、繊細……それに笑顔が自然だ。

マサキは目の前のミラを、上から下まで眺める。

感無量(かんむりょう)の面持ちになりながら、タバコを拾って灰皿に押し付ける。

「ど、どうしたの。大丈夫」

「気にしないでくれ……何でもない」

 肩まで伸びるセミロングの金髪は、(つや)()()ちている。

潤いのある前髪がふんわり額に垂れかかる眺めは、形容(けいよう)しがたいものであった。

 身長は162、3センチ。

着物を着ているせいか、よくわからない。

だが女好きの篁が一目ぼれするくらいだから、恐らく()れたグラマーな体系なのだろう。

 

「木原さんって、祐唯(まさただ)榮二(えいじ)*10の話だと、ずいぶん元気のいい人ってイメージがあったけど。

違うのかしら」

「え、いや、そんな……」

 この瞬間、マサキは至福(しふく)を味わった。

それは、数十年ぶりに歓喜(かんき)の爆発する様な感激を覚えた。

たとえ、それが社交辞令であっても、寛悦(かんえつ)の時だった。

吉祥天(きっしょうてん)か、弁財天(べんざいてん)か」

 吉祥天とは、インドの女神(めがみ)であるラクシュミーであり、美と豊穣(ほうじょう)の神である。

後に仏教に取り入れられ、守護神の一柱となった女神である。

 弁財天は、又の名を弁才天ともいい、インドの神サラスヴァティーである。

水と豊穣の女神とされ、仏教の守護神として受け入れられた。

日本では、福徳の仏とみなされ、吉祥天と同一視する信仰まで生まれた。

見目(みめ)(うるわ)しい女神(めがみ)が、この世に降りてきたかと、つい思ってしまったのだよ」

 何、水を差すようなことを口走ってしまったのか。

いや、口に出せない本音は、まだあるが。

心なしか、篁と美久からの視線が痛かった。

*1
主に男性が浴衣(ゆかた)や寝間着の上から着る防寒用の着物。褞袍(どてら)。中綿の入った物やウール製が一般的である

*2
1972年8月26日から1972年9月11日まで、西ドイツのミュンヘンで行われた国際夏季五輪競技大会

*3
東ドイツの行政単位は、1953年から1990年まで、州制から県制であった

*4
1979年3月28日に米国ペンシルベニア州スリーマイル島で発生した重大な原子力事故。同島にある原子力発電所事故を受け、米国では長らく原発の新規建設が停止する事態になった

*5
1986年1月28日に発生したスペースシャトル爆破事故。日系人初の宇宙飛行士、エリソン鬼塚こと、鬼塚承次・米空軍大佐もこの事故に巻き込まれた

*6
蘭語のzondagに由来し、半分の休日という意味

*7
平成4年

*8
客間

*9
白生地に黒以外の色で一色で染まった着物。入れる紋の数によって礼装に変化した

*10
巖谷(いわたに)榮二(えいじ)




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窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ) 中編(旧題:篁家訪問)

 天才女技術者、ミラ・ブリッジス。
彼女は、マサキの真意を知るべく、彼の懐深く入り込むことを決意する。



 洛中にある武家、(たかむら)家の土曜の夜は静かだった。

600坪ほどの敷地の中に、100坪を超える屋敷が建っている。

立派な長屋門で囲まれており、樹木も多く、その上、蔵までたっている。

長屋門がなかったら、マサキが訪問したことが丸見えになっていただろう。

 マサキたちは、夜も深くなってきたので居間(いま)に場所を移していた。

燃え盛る囲炉裏(いろり)の前に座りながら、戦術機の改良点について、熱心に話し合っていた。

 マサキと、74式長刀の設計者である篁の意見。

それは、全く同じだった。

 戦術機の腕は、重量や衝撃に弱すぎる。

マサキも、長刀使いのユルゲンやヤウクの経験を聞いていたので、納得するばかりであった。

 戦術機は、軽量に作ってあって薄い装甲板しか載せられないからだ。 

ゼオライマーと違って、腕には太い内部フレームが入っていない。

細かいギアとアクチュエータの(かたまり)で、非常に繊細(せんさい)だった。

ゼオライマーの様に鉄拳を振るえば、たちまち壊れてしまうであろう。

 そんな機体で、軽やかに長剣の切先(きっさき)を走らせることなど難しいのではないか。

フェンシングが特技のヤウクと違って、一般の衛士には剣技の取得に苦労したろう。

 ユルゲンに見せてもらった、ヤウクの太刀筋(たちすじ)は、感嘆(かんたん)するばかりであった。

構えにしても、突きにしても、全く乱れのない、実に見事なものであった。

 巧みな剣(さば)きをする、アイリスディーナやベアトリクスの技量を思えば。

それこそ、血がにじむほどの努力だったのではないか。

 よし俺が、月のローズ・セラヴィーの様に剣技に耐えうる腕に作り直してやる。

マサキは、その様に考え、一人興奮していた。

 

 話が盛り上がっていたころ、美久が、おそるおそるマサキの前へ出た。

マサキの顔に近づくと、そっと耳に囁き掛けてきたのだ。

「いつまでも、若いお二人に迷惑をかけるのは何かと……」 

 マサキは、客人とはいえ、篁亭に来てからの時間を忘れていた。

思わず、左手にはめたセイコー5*1をちらりと見る。

文字盤の上にある短針は、すでに深夜10時を指していた。

「腹が減ったな」

篁は、わきにいるミラに目くばせをする。

「ウィスキーはないが、清酒(せいしゅ)や各地の地酒(じざけ)は取り揃えてある」

「ほう、酒に造詣(ぞうけい)があるのか」

「我流でね」

 ミラは立ち上がると、そそくさと、奥の方に消えていった。

恐らく、酒の準備だろう。

そう考えたマサキは、不敵な表情になる。 

馳走(ちそう)になるか」

予想通りの事なのに、美久は、さもマサキが悪くなるような口調で言った。

「一体、貴方の神経はどうなっているのですか」

哄笑(こうしょう)を漏らすマサキの耳に、美久の言葉など、ほとんど入っていなかった。

 

 酒でも飲みながらということで、篁とミラを囲んで食事をした。

献立(こんだて)は、牛肉を中心にしたものだった。

すき焼きに、肉じゃが、肉吸い*2と、その豪華さにマサキは驚いた。

 これは、関東と関西の食文化の違いでもあった。

肉といえば豚肉という関東で育ったマサキには、衝撃でもあった。

「君が用意したのか。

女中たちは、何をしてるんだ」

いきなり篁から予期しなかった質問が出るも、ミラは笑いながら、

「もう帰しました」

「じゃあ、俺たちと木原君、氷室(ひむろ)さんの四人だけか」

「うるさい人がいない方が、せいせいと話できるでしょうから」

 くつろぎの表情を見せながら言うミラに、それまで黙っていたマサキは苦笑した。

確かに女中がいないと静かだ。

「人は見かけによらないものだ。

あんたみたいなしたたかな女は、嫌いじゃないぜ。

ベルンハルトの妻といい、珠玉のような女性(にょしょう)巡り合えるとは……」

言うなりマサキは、()()れとミラの顔を(なが)めながら、酒を()んでいた。

 ミラは、技術者というのに話し上手で、マサキを飽きさせなかった。

話は(はず)んで、食事が進み、清酒がマサキの気持ちをリラックスさせた。

「ほう。なかなか機械工学に、造詣が深いではないか。

まさかマサチューセッツ工科(MIT)の大学院出ではあるまい。

もしそうならば、この俺は大変な才媛(さいえん)との出会いを得たわけだ」

 マサキは、ミラが思ったよりも若いのに驚いた。

米国の工学系大学院というのは、基本5年間だからである。

 日本と違って、米国の工学系の大学院は修士と博士課程がセットになっていた。

最初の2年で基礎的な数学の授業をした後、残りの3年間で博士課程を受けるという制度。

 だから、ミラが3年に及ぶ(あけぼの)計画に参加したというのに、まだ20代後半である。

その事実に、ひどく驚いたのだ。

 普通ならば、22歳で大学を出て、そこから5年間博士課程をやれば、早くて27歳。

曙計画を考えれば、30歳になっていなければ、おかしいくらいだったからだ。

 無紋(むもん)の色無地を着ていても分かるすらっとした体に、抜けるような白さの肌。

上品な育ち方をした女は、やはり見た目も上品である。

南部出身の田舎者というイメージがあったが、会ってみれば、ミラは中々の美人ではある。

第一印象は、合格だった。

 美しい女が奉仕をするので、マサキは目を細めて眺めた。

柔らかく繊細な指で酌をする内に、マサキの顔色はみるみる赤くなっていった。

 

「話は変わりますが、曙計画はどうなりましたか」

マサキの脇にいた美久は、穏やかな視線をミラに向ける。

「ええ、順調に進みましたよ」

 ミラは、すぐに華やかな笑みを浮かべる。

この辺りは何の変哲もない社交辞令なのに、美久の電子頭脳には引っかかった。 

 ミラは、曙計画でのエピソードと篁との出会いを話してくれた。

その表情をみて、美久はどこか空々しいものを感じ取っていた。

「木原さんも、曙計画に来ればよかったのに」

 ミラは、静かに酒を飲むマサキへ、それとなく話を振った。

マサキは、冷たい杯を手に挙げて白く笑った。

「ハハハハ、笑止千万(しょうしせんばん)な話よ。

この木原マサキが、いまさら、その様な計画に真顔(まがお)に耳が貸せようか」

「でもね。こちらも楽しかったのよ」 

 そのうちミラの目が、マサキの方を向いた。

ミラの目はいくらか(みどり)がかっており、宝石のような輝きを帯びていた。

「あの、木原さん。話があります」

 ミラの口調には強い意志が感じられた。

マサキとしては、笑うのをやめて、聞き入るほかはなかった。

「何の話だ」

 マサキの目的を知るには、相手の(ふところ)深く入り込むことである。

ミラは、マサキに一歩でも近づこうと決心した。

「私はあなたが創ろうとしているものには、協力は惜しみません」

篁がごくりと音を鳴らして、清酒を呑んだ。

「いいのか」

 ミラは目を細めて、マサキに近づいた。

二人の距離は、1尺と離れていない。

お互いの息遣いさえ、肌で感じられるほど、近かった。

「いいの」

「本当にか!」

「ただし条件があります」

マサキは開き直ったように、ミラを、彼女の目を見据えた。

「どういう意味だ」

 マサキの手を胸に押し付けながら、目を潤ませる。

しがみつこうと思えば、しがみつけるような距離までぐっと顔を近寄せる。

「木原さん、貴方がどういう意図で近づいてきたか、よくわからないの。

一緒に新型機開発をする為には、隠し事をしてほしくないの」

 ミラは美しい声で言った。

マサキの秘密を隠そうとする態度を、知らないかのように。

「そうか……わかった。

では、ミラよ。お前から知りうる情報を話してくれぬか」

 

 日本・米国・ソ連。

3か国がわずかな時間の間に、それぞれ違った形で木原マサキと接する機会があったにもかかわらず、ゼオライマーの秘密が、この世界で露見しなかったのは、なぜか。

日米ソの3か国が、それぞれの思惑の中で密かにゼオライマーを解明しようとしたからである。

 既に応用された技術や戦術機の改良だったのならば、研究機関で解明したり、多国間で調査をしたであろう。

しかし、次元連結システムという特殊なシステムの為に、日本もソ連も慎重になっていた。

 だが米国だけは、2つの国は少し違った。

それには、いろいろな要素がある。

 まず、G元素というBETA由来の新物質の研究が進んでいた点である。

それは、世界で初めて核爆弾を完成させたロスアラモス研究所を持っていたことが、起因するのかもしれない。

 ここで特筆すべきは、ミラの積極性だった。

マサキの各国政府への近づき方は、異常である。

 ミンスクハイヴ攻略を通して、各国の首脳に働きかけた点は、不振この上ない。

これは全て嘘だ、裏に何かがあると考えた。

 何事にも積極的なミラは、自ら進んでマサキに真意を尋ねた。

それも生半可な事ではない。

自分の知りうる情報を、全て明かして見せる事であった。

 

「上院議員を務める父方の伯父(おじ)にきいたんだけど、どうやらG元素爆弾は完成したらしいの。

ロスアラモスでは、今年の夏までに起爆実験を行う予定なんだけど……

新聞社に、すっぱ抜かれちゃってね」

マサキは、胸ポケットからつぶれたホープの箱を取ると、タバコを抜き出した。

「ほう」

言葉を切ると、タバコに火を点ける。

「G元素には、新型爆弾を作るのに必要なグレイ・イレブンというがあるの。

それをロスアラモス研究所のムアコック、レヒテの両博士が応用して、重力制御装置を完成させたらしいのよ。

どうやら今度の月面攻略で、その装置を乗せたスペースシャトルを月にぶつける。

そうという作戦案が外交問題評議会(CFR)から提案されて、ホワイトハウスに持ち込まれたらしいの」

「それほどの事を、一介の兵士でしかすぎぬ俺に、何故明かす」

「大切な人を守りたいのよ。

私が、わざわざ南部の田舎を抜け出して、スタンフォード*3に入って、グラナン*4まで行った。

そういう理由からなのよ」

 マサキは最初の内こそ、慎重だった。

だが、ミラが、さりげなくG元素の秘密や、その貯蔵量まで明らかにすると、態度を変える。

次第に、油断を見せ始めた。

「でも俺は、お前を100パーセント信用してよいのだろうか」

マサキは驚きを隠しきれず、さらに決定的な返事を欲しくて、念を押した。

「嘘じゃないわ。

それに私は、あなたには日本政府さえも知らない情報を教えたじゃないの。

もうすっかり、あなたの仲間よ。あなたの申し出なら何でも協力するわ」

「絶対にか」

「ええ、絶対……」

マサキは静かに紫煙を燻らせながら、相好(そうごう)(くず)した。

「お前のような優しい者が、そのように凄んでみては……

折角(せっかく)の、天女(てんにょ)のような美貌(びぼう)も台無しだ」

「ねえ、ゼオライマーの秘密を教えてくれる?

私、興味があるのよ」

マサキの語調も、ミラにつられるように強くなった。

「何を」

「教えて、貴方の真の目的を。

どうして無敵のスーパーロボットがあるのに、なんで戦術機開発に参加するのか」

 ミラは、はっきりそう言い切った。

脇で俯いていた美久は顔を上げた。

まさか、ミラがそんなことまで聞いてくるとは思ってもみなかったからだ。 

 実に奇妙な質問だが、理にはかなっている。

美久は、じっと篁の妻の事を見ていた。

「原子力や蒸気タービンを上回る、ゼオライマーのエンジン、次元連結システム。

……私はこう思うのよ。

確かに帝国陸軍はゼオライマーのエンジンの検証をしても、どこからも異常はなかった。

そういう検査結果が出たし、今までBETAとの戦闘もつつがなくこなしてきた。

……でもね。

あのスーパーロボット、天のゼオライマーを建造した木原マサキの事。

簡単に、人にわかるような構造にするのかしら」

 マサキは、真剣な表情でミラを見つめていた。

ほんの数秒前まであった、マサキの余所行きの笑みは消えていた。

「ひょっとして、肌身離さずその秘密を持ち歩いているんじゃないかって」

 声にうながされるように、脇にいた篁はびくりっと振り返った。

ミラを見て、ハッとしたような表情になる。

「たとえば、装置の上からシリコンをかぶせて、人間の振りをしてね」

 離れて座る篁にさえ、マサキが身を強張(こわば)らせるのが、判るほどであった。

一瞬にして、周囲の空気が凍るような緊張が走った。

『わずかな情報からその様な結論に至るとは、鋭い女性(にょしょう)よ』

 

 マサキは思案になやむ。

もう秘密が露見するのは、時間の問題だ。

次元連結システムの事を聞き出そうとするミラの覚悟のほども、わからなくはない。

必然、篁の話に()って、さらに状況証拠をあつめ、結論をかため直していることだろう。

その様に、彼には案じられて来た。

 こうなったら、徹底的にミラを利用してやろう、と(はら)を決めた。

すると、マサキは滔々(とうとう)と持論を開陳して見せた。

「もし、俺がとてつもない兵器を持っていると、世間に発表したらどうなる。

例えば、この京都のほとんどを一瞬にして消滅させる兵器をな」

 マサキの言葉から、ミラは何かふッと、胸が騒いだ。

「混乱が起きるか、それとも世間は静かか。

どう思う、ミラさんよ」

 マサキの口元の笑みが、広がる。

ミラは、彼流のコミュニケーションなのだと感じた。

 気の利いたことを言ったつもりらしい。

ミラは頭の中で、それらしいことを言って、話を戻そうとした。

「きっと持っている。持っているからこそBETAに勝てる。

勝てる自信があるからこそ、落ち着いていられるのよ」

マサキの理論は、強引だった。

「そう、落ち着いていられる。

この汚れ切り、腐敗した世界。

金権にまみれ、人間の心を忘れた獣たちの住む日本を破壊し、消滅させることが出来るからな」

 マサキは、会心(かいしん)の笑みを漏らし、タバコに火をつけ始めた。

部屋中の空気が落ちてくるような圧迫感に、ミラは思わず身をすくめる。

「貴方がいつも思っている可愛いお嬢さんとは、まるでかけ離れた世界ね」

「そうでもないさ。

夢だの、希望だの、正義だの……裏付けする力がなければ、ただの絵空事(えそらごと)さ」

マサキは、唇に傲慢(ごうまん)な笑みを浮かべる。

「この冥王、木原マサキを突き動かしたもの。

それはアイリスディーナへ愛だよ、愛。

あの娘御(むすめご)は、家庭の団欒(だんらん)はおろか、世間のことも、何一つ知らなかった。

だからこそ、悲運に身にゆだねるしかない女の一生を救ってやりたかった。

ただせめて、人の真情(まこと)をアイリスディーナに与えてやりたい」

 まるで当然という言い方に、ミラは反発を覚えた。

しかし、争ってはうま味がないことがわかっているから、それに賛同するようなことを吐く。

「東ドイツには、男女の真実(まこと)、それすらないのですか」

 そう告げるミラの美貌(びぼう)は、マサキの目には(まばゆ)いばかりに輝いて見えた。

判り切ったことを聞き返してくるのに、なんと神々(こうごう)しいものか……

知と美を兼ね備えた完璧な女性とは、こういうものであろうとさえ思えた。

 ミラの冴えた細面(ほそおもて)を、マサキは焼けつくような目で凝視(ぎょうし)する。

息をひそめているが、出方をうかがっているらしいことは察しがついた。

「人口の1パーセント以上が、秘密警察(シュタージ)密偵(スパイ)という住民総監視社会。

その様な火宅(かたく)*5の中で、どうして真実が生れ出ようか」

 マサキは腹から言った。

自分の身にも、くらべて言ったことだったが。

すでに、あきらめ顔のミラは、こう彼に返した。

「正直言って、これは想像も付かなかったわ……。木原さん」

「こちらの肚を、見せたまでさ」

 マサキは、話し終って、ほっとした。

次元連結システムの、秘密の露見。

 忘れようとし、忘れてはいたものの……

やはり彼の心の奥には、大きな弱身として、気づかわれていたことの一つではあった。

*1
1963年(昭和38年)発売の自動巻き式腕時計。今日は外国での生産に切り替わっているが、一部機種によっては日本国内での生産が続いている

*2
大阪を中心に出される牛肉入りの汁物

*3
1891年創立。米国カリフォルニア州に本部を持つ私立大学。今日、同大学工学部は世界最高峰の一つとされている

*4
現実のグラマン航空機

*5
火がつき、燃え盛る家。そこから転じ、煩悩と苦しみに満ち、安住できない現世や場所のこと




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窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ) 後編(旧題:篁家訪問)

 マサキは、篁とミラの愛を利用して、日米間の謀略を企む。
全ては、あの先の大戦の悲劇を繰り返さない為であった。


 世界征服を企むマサキは、情報収集に怠りはなかった。

常日頃より、新聞雑誌は元より、テレビやラジオも見聞きした。

 この1970年代には、われわれの時代のようなインターネット通信回線はなかった。

マイコン通信と呼ばれるものが出てくるのは、1980年代後半を待たねばならなかった。

 

 マサキは、この異世界で発行部数の多い新聞を読みながら、考えていた。

この時代は、まだ携帯電話も、パソコン通信も未発達だったな。

人と人との距離が近いのはよい面もあるが、色々と(わず)わしいものよ……。

 再び新聞の一面に目を戻す。

『対BETA戦争、国連へ一本化

バンクーバー協議 実効性は不透明』

 マサキが見た一面記事は、国連安全保障理事会に出されたある提案であった。

ソ連の提案によるもので、統括のない戦闘がBETAの拡大を招いた。

それを反省して、戦争を国連主導で行おうという決議案である。

 

 次に目が留まったのは、城内省の戦術機開発の記事だった。

『時期戦術機策定計画 大手三社参加

国産機開発 82年度中めど』 

 ついに城内省で戦術機の選定作業が始まるのか。

そうすれば、グレートゼオライマーの建造は遅れる。

 いつまでも篁やミラと他愛のない話をしていては仕方もなかろう。

マサキは大々的に動くことを決意した。

 

 夜遅くまで語り合ったマサキは、そのまま篁家に一泊した。

ミラ手ずから作った朝食を取ってから、篁家の送迎で帰ることとなったのだ。

「木原さん、朝餉(あさげ)が出来ました」

 ミラに呼ばれた先には、すでに朝食の準備がなされていた。

マサキは膳の前につき、ミラの用意した朝餉を食べている間も思い悩んでいた。

 食後に、ミラの淹れた玉露を呑んでいる折である。

不意にマサキは、先ほど読んでいた新聞を広げた。

「美久!」

「はい」

 そういって向かい側にいた美久が、マサキの前に(ひざまず)いて、新聞を覗く。

懐から火のついていない紙巻煙草を取り出し、一面記事に載る写真を指差す。

それは、BETA戦争を国連に一本化するバンクーバー会議の写真だった。

「この集まりは、邪魔で目障りだな」

 ちょうどその場には、篁もミラもいなかった。 

ミラは膳を下げて台所に、篁は外に煙草を吸いに行ったらしい。

 わざわざ冬なのに煙草を外に吸いに行くとは、とマサキは訝しんだ。

聞き耳を立てる篁がいなければ、仮にミラが来ても大丈夫だ。 

 彼女は日本に来て1年弱で、それほど日本語が得意ではなかろう。

昨晩の会話は、ほぼすべてが、英語だったからだ。

だから、マサキは己のたくらみを美久に明かしたのだ。

「潰せ」

「ニューヨーク市警とFBIが厳重に警備している集まりをどうやって……」

「裏から手を入れさえすれば、簡単であろう」

 

 間もなく篁とミラがマサキたちの前に戻ってきた。

マサキが呼んだのだ。

「実は、二人に頼みがある。日米の親善を深めてほしい」

マサキの唐突な提案に、篁は色を変えて、

「よくもぬけぬけと日米親善などといえるのだな。君は。

両国の間の関係は必ずしも穏やかではない」

 立ち上がった篁を見て、マサキはかなり怒っているのに気が付いた。

真っ青な顔をし、身を小刻みに震わしていた。

 慌てたミラが立ち上がって、篁の肩に手を置くと、二人は静かに座った。

じっと目をつぶった篁は、深いため息の後、目を開き、マサキを見据える。

「先のF-4ショックも、あって日米間の感情は悪化してしまった面がある」

 F-4ショックとはBETA戦争初期に日本に納入されるはずだった戦術機12機。

欧州での戦線拡大を理由に、次年度発注分までが、欧州に横流しされた。

このことは、日本の財界や国防関係者をして、米国に失望させる原因となった事件である。

「大きな誤解があるようだな」

「何!」

「たかが、戦術機数台で」

「たかが、戦術機だと」

「そうだ。たかが、戦術機だ。

戦争の成否に比べれば、たかが、戦術機。

求めるべきものは、戦争の勝利よ」

「何を馬鹿な事を……同盟関係にある日米二か国ですら戦争の合意が不十分なのに」

「だからこそ、篁。お前に頼んでいるのだ」

 マサキは着ていた丹前の(たもと)から、ホープの箱とライターを取り出す。

「日米はあの戦争の前から、長い間争い続けていた。

このまま争い続ければ、双方が疲れ果て、いずれはBETAに滅ぼされてしまう」

 ここで篁たちとマサキの間に、認識の隔たりが起きた。

マサキの言うあの戦争とは、4年に及んだ大東亜戦争の事である。

 一方、篁たちにとっての戦争とは、今次のBETA戦争であった。

大東亜戦争など、過去の出来事、親世代の間違った戦争という考えであった。

 だが、マサキにとっては、違っていた。

日米開戦が始まった日を、鮮烈な真珠湾攻撃の姿を思い出していた。

あの三十(さんじゅう)有余(ゆうよ)年前の出来事を思い起こすと、後悔どころか、強いソ連への復讐を自覚した。

 GRUやNKVDはニューディーラー*1使嗾(しそう)して、ルーズベルト政権に対日参戦を踏み切らせた。 

日米の相互理解を深めても、ソ連や彼らに協力する国際金融資本を倒さねば……

真の意味での、太平洋の平和は訪れないのではないか。

 復讐に駆られたマサキは、その時、日米間の確執とは違う、別な理屈が働いていた。

むしろ、愛に飢えた人間を救ってやるという自分勝手な考えが浮かんだ。

 確かにそれは方便の一つであったが、ある一面では真実だった。

篁とミラの燃えるような恋という、そのあまりにも人間の本能的な面を利用することにしたのだ。

「いや、狙っているのはBETAばかりではあるまい。

北のソ連や国際金融資本など、今のままでは危ういのは、火を見るよりも明らか」

 おもむろに火を起こすと、タバコに火をつけた。

火の点いたタバコを持ったまま、両手を広げ、

「だが、日米が手を握るには、これまでの怨念があまりにもありすぎた」

 不動明王の天地眼(てんちげん)を思わせる目が、篁を射抜いている。

彼は、動くことが出来なかった。

「篁、貴様は米国南部の名門の令嬢を(めと)った。

お前の寵愛(ちょうあい)を受けたミラとの間に子供を……」

「……」

「ミラには、なんとしても息子を産んでもらうしかない」

 マサキはこの時、よもやミラが懐妊(かいにん)しているとは知らなかった。

彼女が、篁家の後継ぎをその身に宿(やど)しているとは夢想(むそう)だにしなかった。

「そうすれば、その子は篁家とブリッジス家の血を引く子供だ。

両国の名門の血を引く子供になる。

その子が日米親善の架け橋の一つとなる」

 マサキは唇をほころばせた。

篁は、自分の心の奥底まで見透かされたような気がして、俯いた。

「なんとしても、俺はお前たちの関係というものは守って見せる。

BETAを撃つためにも、ソ連を破滅させるためにも……」

マサキは簡明に答えてやった。

 

 どこからともなく、すすり泣きの声がながれていた。

ミラが突っ伏すような格好で、嗚咽(おえつ)していたのだ。

 そんな様子を不憫に思ったマサキが尋ねた。

「なにを泣いていた?」

「はい」

「遠い他国に輿入(こしい)れして、嫁務めが辛くなったか」

「そんなことはございません」

「では、なんで泣いた」

「どうしたのか、わかりませんが……」

 ミラは両方の眼を袖でかくしながら、身を起こす。

彼女は顔から袖を離して、呟いた。

「既に木原さんの宿願は叶っていますわ」

 

 そうか、ミラは妊娠していたのか。

マサキは、狐につままれたような気がした。

びっくりしたように、坐り直して、呟く。

「一体どういうことだ」

呆然とするマサキに、ミラは静かに語りかけた。

「私は、祐唯(まさただ)を知って、愛の何たるかを知りました。

その時から、父から聞かされていた日本への憎しみも失いました。

憎しみは何も生じません。

でも、愛はあらゆるものを生み出します」

 ミラの眼には、つきつめた感情が燃えていた。

早朝の無気味な静寂は、語気の微かなふるえまでを伝える。 

どう答えていいかわからず、マサキはミラの顔を見つめていた。

「愛は、この私に喜びを与えてくれました。

祐唯(まさただ)、貴方を本当に愛したのです。

彼は、生まれて初めて、この世でたった一人だった私が、本当に愛した男なのです」

 さしもの美久も、思わぬ展開に呆然としてしまった。

彼女は理知的とは言えども、所詮はアンドロイドという機械である。

女の、花の盛りを心の中で抑え、一人堪えていたミラの心は理解できなかった。

「愛は何物よりも勝ります。

憎しみよりも強いものは、愛だと確信しています」

 その言葉は、マサキの骨髄に徹するものだった。 

あの30有余年前の大戦争の事を引きずる彼には、衝撃的であった。

 

 脇で見ていた篁は、おどろきのあまり、声を出さなかった。

彼は、話し終えたミラをいたわるように抱きしめる。

 マサキは、その様を見ながら、ひとりで()みはじめた。

天満切子のガラス杯から全身に、()み入る気がした。

「…………」

 酔い得ない酒だった。

寒々と、ほろ苦くばかりある。

「ミラよ。お前は強い女よ」

 彼は、強いて、からからと打ち笑うような気を持とうと努めた。

しかし酒を含むたびに、心に冷たく沁みる。

どこかで、粛々とすすりなくのが、身に逼るような心地がする。

 マサキは、元来、多情な男である。

その多情が働きだすと、他人事(ひとごと)ながら、声をあげて泣きたい気持ちがしてきた。

「……もし自分が、(たかむら)祐唯(まさただ)の身であったら」等と、思いやったりした。

 ところが、そう考えてから、ひどく気が変わって来た。

篁とミラとの間に子供が出来たという事実は、マサキにとって大きな収穫だった。

 そしてそのことは、日米間の善隣友好政策の方便として使えると心より喜んだ。

篁の息子を利用して、ブリッジス家に接近し、米国政界への調略の入り口にしたい。

 ミラが身ごもっている篁の子を、一廉(ひとかど)の人物に育て上げる様に支援する。

マサキは、この事を金科玉条として、即座に脳裏に焼き付けた。

彼自身、本質的に陰謀の世界に身を置く男だったといえよう。

「しかし、男女の仲はわからぬものよ。

この木原マサキに、冷や汗をかかせるとはな……」

 一人つぶやいて、また一杯、唇に含んだ。

その一杯から、ようやく普段の味覚が戻ってきたように、感じられて来た。

 

 早速、自宅に帰ると、美久を金庫に連れて行った。 

1町歩ある邸宅の地下に、200坪ほどの金庫を秘密裏に作っておいたのだ。

 そこには、眩いばかりの金銀財宝が並んでいた。

金をはじめ、銀・プラチナなどの希少金属、ダイヤ、ルビーなどの約70種ほどの未加工の宝石。

「この日のために、俺は311万トンに相当する金塊*2を準備しておいた」

参考までに言えば、金の重量計算はトロイオンス*3である。

 金塊は、海水中に含まれる金の成分を抽出し、生成したものであった。

 マサキの作ったマシンに雷のオムザックというのがある。

物質を原子レベルに分解するプロトン・サンダーという機能があった。

 マサキは、それを次元連結システムの応用で部分的に再現した結果、金の抽出に成功した。

ただ海水1トン当たり金1グラムなので、311万トン作ったところで、マサキの気力がなくなってしまったのだ。

 金以外の希少金属と鉱物資源は、マサキがハイヴ跡から持ち出したものである。

無論、ミンスクハイヴでのG元素採掘の際に拾い集めたものも含まれていた。

 

マサキは、いつになく落ち着き払っていた。

「手始めに、100キロの金塊は、各国の政財界の要にばらまく。

ソ連の提案を否決させ、バンクーバー決議を廃案に追い込むために」

マサキの本音を聞いた美久の顔つきは、ひどく複雑だった。

「残り100キロは、マスコミだ。

そうよの、ソ連の支配下にあった東ドイツを悲劇のヒロインに仕立て上げる為に」

唖然とする美久を見て、マサキは悪魔の哄笑を浮かべた。

*1
フランクリン・ルーズベルト政権下において、ニューディール政策にかかわった容共親ソ思想を持つ官僚や学者の事

*2
1978年末の金の平均価格、1トロイオンス=226米ドル

*3
1トロイオンス = 正確に 31.103 4768グラム




ご意見、ご感想お待ちしております。



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配属部隊 前編

 東独軍で将校の道を歩む、アイリスディーナ。
彼女は、ポーランド国境沿いの町コトブスに配属された。


 マサキが日本国内で多忙な日々を送るその頃、アイリスディーナも多忙だった。

彼女は教育隊での3か月の訓練を終えた後、ポーランド国境に近いコトブス基地に来ていた。

 このコトブスには、東ドイツ空軍主力部隊である第一防空師団が駐留していた。

同地は、1945年の敗戦後、ソ連によって接収される。

 1952年に作られた兵営人民警察*1

その航空隊の訓練所が設置され、東独空軍の発祥の地ともいうべき場所であった。

 第1防空師団はコトブスに司令部を置き、空軍主力部隊の1つで、東ドイツ南部の防空を担当した。

それぞれ三個の、航空戦闘団、高射ロケット大隊、通信技術大隊を有し、そのほかに輸送隊や移動基地機能も併せ持っていた。

 

 さて、アイリスディーナが行った第一防空師団では。

師団の将校任官行事が行われていた。

 コトブス基地の駐機場に設置された会場。

演台の上に立ったアイリスディーナは、教本の様な敬礼を聴衆に向けてする。

返礼が終わった後、姿勢を正すと、スタンドマイク越しに、着任の挨拶をした。

「おはようございます。

すみません、高いところから失礼します。

陸軍少尉の、アイリスディーナ・ベルンハルトです!

この度、第一防空師団勤務を命ぜられ、本日着任しました」

 彼女の澄み渡るような凛とした声の挨拶が、朝の駐機場に響く。

すると、間もなく、野次の声が整列する兵士の間から聞こえてきた。

「高すぎて、全然見えねぇぞ!」

「お遊戯会じゃ、ねえんだぞ」

台の前に立つ師団長は、苦笑を浮かべながら、注意した。

「誰だ、今のは!」

 

 士官学校、幹部候補生学校からすぐに航空戦闘団に着任する将校は、手荒い歓迎をされていた。

俗に「着任祝い」というもので、健軍以来脈々と続く伝統である。

古参の職業下士官、将校らの悪ふざけであった。 

一連の出来事から、彼女は、とんでもないところに来たと思ってしまった。

 

 

 師団での着任行事が終わり、今度は大隊整列で実際の部隊の将兵との顔合わせが行われた。

600名の将兵に、事務官などの100名の軍属。

 そこでは、いきなり大隊長のハンニバル大尉が、爆弾発言をする。

衆目の前で、アイリスディーナの個人情報を明かしたのだ。

「同志アイリスディーナ・ベルンハルト。

彼女は、先日まで我が隊にいたユルゲン・ベルンハルト大尉の妹さんだ。

空士ではなく、陸士卒の初任将校なので、余計手間がかかるかもしれん。

それでも、みんなで補佐してやってくれ」

 ハンニバルの思わぬ発言に、アイリスディーナは戸惑いの色をあらわす。 

その情報、必要あるかしらと思うほどであった。

 

 

 

 ポーランド国境に配備された前線部隊である。

勿論、士官学校とはいろいろと勝手が違った。

戦術機の整備も、そうだった。

 訓練の合間の出来事である。

郊外の訓練場に着陸をした際、休憩時間にアイリスは自分の訓練中の機体に近寄る。

その際、近くにいる古参兵から声を掛けられた。

「お嬢ちゃん」

「管制ユニットを点検しておこうかと……」

 その古参兵は、兄よりも大分年上だった。

年季が入り、色褪せた迷彩服からすると、下士官上がりであろう。

「ちょっと来な」

 そう声を掛けられたアイリスは男の方に駆け寄る。

立ち止まって、両手を握りしめ直立の姿勢を取る。

「なんですか」

「この仕事で、飯を食っている連中がいる。

連中の邪魔をしないでおくんだな」

 地べたに座る別な男は、タバコをふかしながら、

「整備の連中に嫌われたら、戦術機一つ満足に動かせねえぞ。

そんなことも知らねえのか」

 胸に付けたウイングマークからすると、合同訓練中の第3攻撃ヘリコプター航空団の隊員か。

そんな事を考えていると、また別な兵士から声がかかる。

「その辺に寝そべって、コーヒーでも飲んでなよ」

「いや、牛乳の方がいいんじゃねえか」

男たちのあざ笑う声が響き渡る。

 軍隊は階級社会であると同時に、年功序列社会でもある。

いくら階級が下であっても、現場にいる年数がものをいうのだ。

アイリスは教本のような敬礼をした後、溌溂と答えた。

「分かりました」

 

 

 アイリスディーナは、生身の軍隊に触れて困惑していた。

女子生徒で構成された陸軍士官学校の班、婦人兵教育隊の時と違い、一般兵と働くのは初めてだった。

兄・ユルゲンという存在がいたから、男女の体力差が存在しているのは知っていた。

だが、部隊配属されて、自分の目の前に見えないガラスの壁が厳然と存在することは、いくら聡明な彼女とは言え、受け入れがたかった。

 どんなに鍛えても、追いつけず、50を過ぎた老兵や古参将校にすら負けた。

彼女はシンクロナイズドの県大会の優勝選手だったが、その水泳すら小柄な兵士に劣った。

勿論、水泳の技量は並の男より勝ったが、その持久力や距離の差は埋めがたかったのだ。

 時には、己が女に生まれたことさえ、恨めしく思うときもあった。

幸いにして月経の症状は軽く、頭痛や熱などは出なかったが、いざ戦争に巻き込まれたらと考えるとぞっとしたものである。

 彼女は、士官学校での、約一週間の野外訓練を思い返す。

泥と硝煙にまみれ、満足な食事と睡眠すらできない不潔な環境。

風呂に入るどころか、シャワーを浴びる事さえ、夢のまた夢という状況。

つくづく、女の体は戦いに向かないと思い知らされた。

 

 アイリスディーナを苦しめたのは、軍隊における制約の多さであった。

第一線の戦闘部隊に配属されたとは言っても、女性である、婦人兵である。

 彼女は訓練以外にも、行事のたびに接待の要員として、呼び出された。

軍特有の茶の出し方から、行儀作法、躾などが、最先任の婦人古参兵から厳しく指導された。

だが、覚えたころには原隊復帰をするので、簡単に身にはつかなかったのだ。

 

 土日の休みも、制限されたものであったのはつらいものであった。

休みに関しては、一般兵と違い、将校という立場上、気兼ねなく休めた。

演習や指導があった場合は代休を貰えたし、東ドイツ軍特有の制度で婦人兵は一般将兵に比べて8週間多く有給が取得できる制度があった。

 

 ベルリンにいた時は地元だったので、日曜日の門限*2にあたる午後12時前までには簡単に帰れた。

だが、人口10万の小都市コトブスという東ドイツの東端にあっては、外出するのも困難だった。

土地勘のない彼女にとって、基地の門限*3午後6時までに戻るということは、ハードルの高い事だった。

結局、部隊に慣れるまで30分ほどで帰れる範囲しか外出しなかった。

 

 アイリスの軍隊での生活は、マサキの耳には一切入ってこなかった。

それは、それぞれが住む国が東西の陣営に分かれているという政治的な状況ばかりではなく、欧州と日本という地理的な条件もあるためである。

 だが、アメリカに留学中のユルゲンの耳には、アイリスの話は逐一入っていた。

それはユルゲンが現役の将校で、軍隊内の人脈のおかげで、どんな話も聞こえてきた。

 拳銃の射撃訓練で一位を取ったなどのいい話の他に、悪い話もたくさん伝わっていた。 

たとえば、演習先の陸軍基地に行った際、ユルゲンを恨んでいる戦車兵に絡まれた話などである。

 アイリスを心配したのは、ユルゲンばかりではなかった。

ユルゲンと親子の杯を交わした議長も、また彼女の事を非常に案じていたのだ。

 

 共和国宮殿の一室で密議を交わす男たち。 

それは、議長と、50がらみの下士官であった。

「どうだね。アイリスの様子は」

「同志少尉はまじめに勤務しておりますとしか……」

 議長の質問に答えたのは、アイリスの部隊に所属する最先任曹長であった。 

彼は、前の戦争中、国防軍にいた経験のある人物で、議長と同じシベリアの収容所にいたことがあった。

いわば、30年来の戦友と呼べるような仲であった。

「戦術機の衛士として仕上がるころには25を超えてしまうか」

「新兵を一人前の衛士に育てるのに3年、部隊編成をするのに5年はかかります。

ですから……」

 議長が、先ほどからしゃべっていた曹長の言葉を遮った。

「同志曹長。俺はあいつに軍服は似合わないと思っている。

大学に入って、教職免許でも取って、幼稚園の先生をしているほうがいいんじゃないかと」

「外に出されるつもりは、ありませんか」

「あれは、とびっきりの美人だ。

外に出たら、出たで、苦労するぞ」

 懐より、ゴロワーズ・カポラールの箱を取り出し、タバコを数本抜き取る。

それなく曹長に、タバコを勧めた。

「そんな話をしに、私を呼んだわけではありますまい」

「要件を言おう。

新機種の導入テストと、防空システムに手を入れる専門家を呼んだ」

 議長は言葉を切り、タバコに火をつける。

黒タバコ独特の、何とも言えない野性味のある香りが、部屋中に広がる。

「今のソ連製の防空システムでは、いずれ高速化するミサイルや戦術機に対応できなくなる。

近いうち、米国から、その関係者が来る。

なるべく、シュタージにも軍情報部にも縁のない人物で、英語のできる人間が欲しい」

 久しぶりに吸うゴロワーズの味は、戦時中に吸ったマホルカやゲルベゾルテとは違う。

トルコ葉やロシアタバコには無い、豊かでコクがあり、ほんのり甘くて香ばしい匂い。

曹長は、紫煙を燻らせながら、30有余年前の遠い日々を思い出していた。

「同志ハイゼンベルクは、留学中でしたな……。

同志大尉(ユルゲン)の夫人に依頼してみてはいかがですか」

議長は笑った。そして、

「たしかに、俺も考えたが……

流石に、身重の女にファーストレディーの真似事はさせられん。

それに、あれは英語の読み書きは並の男よりできるが、会話には訛りが強すぎてな……」

 

 共産主義国家における国家元首の妻は、基本的に表に出ないのが慣例であった。

ソ連は言うに及ばず、支那、東欧も同じであった。

 支那の様に、首相夫妻が国家元首夫妻の役目を代行したり、ソ連の様に国民的な知名度のある女性がファーストレディの代わりを務める場合がままあった。

 無論、日本でも独身の総理や総理夫人が病弱な場合は代役が立てられた。

妾や実の娘、あるいは姉妹など、そのケースは多種多様であった。

 

 今の東ドイツの議長は、長らく男やもめ*4であった。

ファーストレディー外交のない共産国や中近東にあっては、そのことは問題にはならなかった。

 だが、西側の自由主義国では違った。

かつての王妃の役割を果たす、米国の大統領夫人(ファーストレディ)

 国際親善の会談に、議長夫人の代行者として出席を求められる。

今、アイリスディーナの双肩には重大な任務が課せられようとしていたのだ。

 

 

「では私の方で同志少尉の方を手配するよう頼みましょう」

「ああ。助かる」

*1
Kasernierte Volkspolizei.通称:KVP。ソ連によって作られた東ドイツの準軍事組織。1956年3月1日に国家人民軍に発展、解消した

*2
東独軍では将校・職業軍人の下士官、徴兵対象者、士官学校生の間で帰営時間が違っていた

*3
基地の門限は、宿営地の環境や隊員の状況によって変化する。米軍や自衛隊でも同じである

*4
妻と死別して、ひとりぐらしをつづける男




 ガバガバな軍事考証だと思いますので、ご意見いただければ幸いです。
ご感想・ご批判、お待ちしております。


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配属部隊 中編

 部隊配属の決まったアイリスディーナ。
彼女は、現場での様々な出来事に遭遇し、軍隊の中で自分の存在意義を問うていた。


 あくる日。

第一防空師団に配属された幹部候補生たちは、将校初級課程の訓練を受けていた。

 訓練場所は、戦術機のコックピットを模した運転模擬装置(シミュレーター)のある部屋。

各々(おのおの)が、座席に操縦かんを握りながら、大型モニターを眺める。

 その脇には配属された幹部候補生たちを補佐する古参の下士官が静かにたたずんでいた。

 機材の使い方の説明を受けたアイリスディーナは、ヘッドフォン付きのゴーグルを手渡される。

ゴーグルは、網膜投射を通じて眼球越しに映像が脳に反映される装置であった。

 アイリスディーナは自慢の長い髪をかき分けると、静かにゴーグルをつけた。

そこには、対人戦闘用のコンピュータグラフィックスが視界に飛び込んでくる。

右手で握る操縦桿で、迫りくるミサイルを次々と撃破していた時である。

 その瞬間、一機の戦術機が面前に現れた。

右肩に赤い星に、灰色の塗装をしたMIG-21バラライカ。

突撃砲を2門構えた、ソ連赤軍機であった。

 彼女は、右の食指の先にいる突撃砲の射撃ボタンに触れるのをためらってしまう。

人が乗った機体を、20ミリの突撃砲で撃ち抜くしかない。

生きて帰るためには、相手に勝つしかない。

 しかし、瞳に映る躊躇(ためら)いは、さらに大きくなっていた。

驚く間もなく、 敵機の構えた20ミリ砲は、アイリスのバラライカの胸部を打ち抜いた。

 撃墜の瞬間、座席が震え、警報音が鳴り響く。

 シミュレーション映像の演習とはいえ、あるいはだからこそ。

この鬼気迫る戦場の現実感は、中々の物であると、聞いたことがある。

呆然とするアイリスディーナに、彼女の世話役を務めるヴァルター・クリュガーが声をかけた。

先ごろまで曹長だった彼は、少尉に昇進していた。

 軍功の為ではなく、地上におけるBETA戦争終戦の結果によるものだった。

それは、退官手当や恩給がなるべく多くもらえるようにするために行った措置である。

ちょうど我が国が終戦の詔勅が発せられた後、行われたポツダム進級に似たものであった。

「同志少尉、どうしました。

目標を撃って下さい」

「ええ、判ってはいるんですが。

あの戦術機を見ると、どうしても中に乗っている人間が思えて……」

 灰色の髪をしたヴァルターは、190センチ越えの偉丈夫。

兄ユルゲンや昔なじみで上司のカッツェより、立派な体格だった。

化繊の中綿が入ったレインドロップ迷彩の冬季野戦服が、筋肉質な体をより強調し、様になっている。

「奴らが何を考えているか……」

「えっ!」

驚愕の声をして振り返ると、そこには、いつになく真剣な表情のヴァルターがいた。

「そんな事はわかりません」

しゃがんでぐっと顔を近づけてきた彼は、

「名誉と尊厳のある死を迎えさせてやるのです」

と言ったので、アイリスディーナは右手に握った射撃ボタンに食指をかける。

「よく狙って……」

 そういって、ヴァルターはアイリスディーナの背後に回り、彼女の右手を包む。

食指で、操縦桿にある射撃スイッチをゆっくりと押した。

「確実に打ち抜く」

兄さんや、木原さん以外でも、男の人の手って、こんなに温かったんだ。

アイリスディーナが、そんな事を思ってると、ヴァルターは感慨深げに語った。

「彼等も、また国のために剣を振るう戦士なのです。

そんな彼らに必殺の一撃を、情けの一撃(クー・ド・グラス)をくらわす。

敬意と惜別(せきべつ)を込めて……」

 ヴァルターの言ったとおりにやったら、成功した。

気持ちの弾んだアイリスディーナは、右わきに立つヴァルターの横顔を見つめた。

 

 

 訓練を終えて、士官食堂に向かう途中である。

一人の将校が、アイリスディーナに声をかけた。

「同志ベルンハルト少尉!」

それは、灰色の空軍勤務服姿をした、隊付けの政治将校であった。

「ハンニバル大尉がお呼びです。執務室まで」

立ち止まるアイリスディーナを横に、ヴァルターは食堂の方に消えていった。

 戦闘団とは、ソ連式の軍制を取る東独軍の軍事編成である。

NATO基準で言えば、およそ中隊から大隊の中間に位置する規模であった。

 隊付けの政治将校に連れられて、基地の奥の方にある司令執務室にまで来ていた。

第一防空師団長室とは違い、戦闘団司令の執務室は殺風景だった。

執務机の他に、戦闘団の軍旗と応接用の簡単な机とパイプ椅子。

壁にかかるのは感状(かんじょう)ぐらいで、よくある歴代国家元首の肖像画はかかっていなかった。

「うむ」

 団長のハンニバル大尉は、今時珍しい朴訥(ぼくとつ)な人物であった。

40半ばのこの大尉は、今600名の将兵と100名の軍属を管理する仕事をしている。

「アイリスディーナ・ベルンハルト少尉であります」

彼は、既に中年に差し掛かっているのに、筋肉質で逞しい偉丈夫であった。 

「同志ベルンハルト少尉、君は射撃の成績に問題があるそうだな」 

灰色の上着の襟を開けて勤務服を着崩したハンニバル大尉は椅子から立ち上がる。

「技術不足に関しては、鋭意努力し、向上に精進するつもりであります」

「中々、真摯な心掛けだ」

 拳銃こそ帯びていなかったものの、国家徽章のついた士官用ベルトを締めていた。

灰色の折襟の上着に、乗馬ズボンに、膝までの革長靴。

実に、東ドイツ軍の将校らしい恰好であった。

「君は、士官学校で優秀な成績で卒業したのは、聞いている。

だが、軍人としての覚悟が足りない。

……私にはそう思える」

 ハンニバル大尉の感情の突き詰めた目が、アイリスディーナの顔に向けられる。

「は!」

「軍人に許された返答は、はいか、いいえだ」

「はい」

直立不動の姿勢を取るアイリスディーナの周りを、ハンニバル大尉は歩き回りながら、

「中々飲み込みが早い。うわさどおりの才媛(さいえん)だな」

本革製の長靴の音だけが、静かな室内に響き渡る。

「軍人とは、いかなる時にも命令に忠実であらねばならない。

たとえ見知った相手が乗った戦闘機であっても、撃墜せねばならぬときがあるのだよ」

ハンニバル大尉の低く鋭い声に、アイリスディーナは気圧された。

「同志少尉。人を見て、射撃ができない。迷いがあるではダメなのだよ。

守るべき人を守ることが出来なくなってしまう。

まあ、士官学校上位卒業生の君ならば戦闘職種にこだわる必要もなかろう。

軍隊の中で別の道を探すのも悪くない。

その辺のことを考慮してくれると、私はうれしい」

 

 

 さて、翌週。

アイリスディーナは、急遽ベルリンに呼び出されていた。

 ベルリン最古の歴史を誇る、フリードリヒスハイン人民公園。

そこで開催されていた米独親善産業展示会に参加していたのだ。

 この行事は、1959年の夏にモスクワのソコルニキ公園で行われた米国産業展示会の(ひそみ)(なら)うものであった。

 後に台所論争として名高いこの展示会。

そこでは、副大統領のリチャード・ニクソンが、フルシチョフ首相にペプシコーラをふるまったことが夙に有名であろう。

 朝鮮戦争やスエズ動乱以来、緊張状態が続いた米ソ関係。

その雪解けを図るべく、両国で展示会を企画したのが事の発端である。

 1959年1月にニューヨークで、ソ連側が最新鋭のミサイル兵器を展示した。

対して米国側は、最新の電化製品や耐久消費財、食料品などを展示した。

 米国の消費文化の粋を集めた展示物に、フルシチョフは衝撃を受け、憤慨するほどであった。

それに対してニクソンは、理路整然とした語り口で、自由経済と国民生活の充実を明らかにしたという故事である。

 ニクソンは若かりし頃、ペプシの弁護士をした経験があり、フルシチョフにペプシコーラの味を覚えさせれば、勝ちと考えている節があった。

 そして、企みは、1972年にソ連国内にペプシコーラの生産工場の建設という形で成功した。

こうしてペプシ*1は、ソ連圏における営業を許された数少ない米国企業となったのだ。

 

 

 米国から来た産業展示会のメンバーは様々だった。

チェース・マンハッタン銀行を始めとして、モービル石油。

モービル石油は、スタンダード石油を起源に持ち、チェース銀行と共に石油財閥*2の影響下にある企業だった。

 参考までに言えば、チェース・マンハッタン銀行*3は冷戦下のモスクワで営業を許された数少ない米国の金融機関であった。

大手食品メーカー・ペプシコ、コンピューター関連企業IBM。

航空機メーカーに関しては、ロックウィード*4に、ゼネラルダイノミクス*5、ボーニング*6と多種多様であった。

 

 展示会の昼食は、東ドイツの人々を驚かせるものであった。

1972年にソ連で販売されて以降、東欧圏になじみの深いペプシコーラは元より、様々な品目がテーブルに並べられた。

 ペプシの系列企業が作ったフライドチキン、牛肉の入ったタコス、チーズ入りのブリトー。

ポテトチップス「レイズ」やトウモロコシを引き延ばし作ったトルティーヤ・チップス「ドリトス」。

 幼い頃、外交官の父ヨーゼフに付いて行って東欧や文革前の支那で暮らしたアイリスディーナ。

彼女にとっても、このようなアメリカのファーストフードや駄菓子は初めて見るものだった。

 一応、西ベルリンに買い出しに行ったボルツ老人や党幹部の購入ルートを持っているアーベル・ブレーメ。

彼等によって、アイリスディーナは、コカ・コーラや西側の食べ物は知ってるつもりだった。

 だが、壮年を過ぎた二人にとって、菓子といえば西ドイツの菓子であり、欧州の菓子だった。

熊のグミキャンデーや、ベルギーのチョコレート、オランダの焼きワッフルだった。

 

 初めて食べる米国のフライドチキンの味は、形容しがたいものであった。

カリカリに焼きあがった衣と、肉汁が出てジューシーなチキン。

 子供のころからパーティ慣れしているアイリスディーナは、あまり食べない方だった。

こういう場で食べ過ぎると女性として粗野にみられると、教育されたためである。

 だがチキンやタコスの味に魅了され、我を忘れ、ついつい料理に手が伸びた。

冷えたペプシを脇に置いて、取り皿に盛った料理を食べている時である。

「見た目とは違い、随分と健啖(けんたん)家なのですね」

 そう声をかけてきたのは、ゼネラルダイノミクスのビジネスマンだった。

彼の話によれば、新型のYF-16戦術機をゼネラルダイノミクスは開発中だという。

「ミス・ベルンハルト。

よろしければ、一度試験機のYF-16を試乗してみませんか。

合衆国では女性パイロットはいまだ認められていませんので、飛行データの参考が欲しいのです」

 この時代、西側の士官学校は婦人の入校を認めていなかった。

史実を参考までに言えば、米軍は1980年、仏軍1983年、自衛隊1992年である。

婦人兵は、後方支援や医療部隊にのみ認められていたのだ。

そして仏軍に至っては、1951年の規定によって既婚者は一切軍務に付けないとされていた。

この規則*7は、1980年代に仏軍からはなくなったが、イスラエルなどでは部分的に存続している。

軍隊は、現代社会に残された男の砦の一つであったのだ。

 

 さて、アイリスディーナの話に戻そう。

彼女はビジネスマンの誘いに即座に返事が出来なかった。

 それは階級が少尉という下級将校であったばかりではない。

申し出た相手が、西側の米国人だったためである。

軍上層部や政治局、議会の承認なしに自由に動けない案件だった。

「申し出はありがたく承ります。ですが、上司の許可を頂かねば……」

それが彼女にできる、精一杯の答えであった。

 

 遠くの席から議長は心配そうにアイリスディーナを見つめていた。

そんな議長をよそに、彼の隣に座るアーベル・ブレーメに熱心に語りかける男がいた。

「ソ連を武装解除するには貿易が一番です。

実はわが社ではコーラ原液の代金の代わりとして、ウォッカを受け取っていたのですが……

去年のベルリンであったソ連の軍事介入未遂で、ボイコット運動が起きましてね。

その代わりと入っては何ですが、ソ連海軍の潜水艦や駆逐艦を購入する計画を立てているのです。

その資金からソ連向けのタンカーを買って、ソ連の石油を全世界に安く販売するつもりなのです」

 そう語るペプシコーラの営業マンの脇にいた議長は、静かだった。

冷ややかな視線を送りながら、紫煙を燻らしながら聞いていた。

 なるほど、今回の東ベルリンでのアメリカ産業博覧会の真の目的は東側の市場参入。

チェース・マンハッタン銀行会長を頂点にいただく石油財閥にとって、東ドイツは有益な市場。

 いや、資本主義経済から取り残された東欧、アラブ、アフリカ。

彼らにとって、まさに未開の処女地(しょじょち)*8なのだ!

 清純な乙女を口説き落として、我が物にする。

まさに、ドン・ファン*9そのものではないか。

 だが、石油も出ず、わずかに出る褐炭(かったん)も今はポーランド領。

何も売るもののない東ドイツにとって、今回の話は、まさに天祐。

 貧すれば鈍する。

八方ふさがりの末の身売りともいえる。

だが、金満家の老人の妾になると考えれば、納得がいく。

立ちんぼ*10の娼婦より、艶福(えんぷく)家のオンリー*11の方がずっといいではないか。

 東独議長を務める男はそう考え、ドイツ人としてのわずかばかりの矜持(プライド)を諦めることにした。

1600万人の国民を食わせていくためには、泥を被ろう。

 俺が悪人になって、大勢の国民が救われるのなら……。

最期(さいご)の時が来たら、煉獄(れんごく)*12にも、地獄でも、喜んで行こうではないか。

散々悪いことをしてきたのだ、今更わずかばかりの良心など持っていて、どうになろう。

 いま目の前にいる白皙(はくせき)美貌(びぼう)を湛える、アイリスディーナ・ベルンハルト。

彼女でさえ、国のためにゼオライマーのパイロット、木原マサキに嫁がせたのだから……

そう思って飲むペプシコーラの味は、ひどく苦く思えた。

*1
今日のロシア・旧ソ連圏において、生産・販売数ではコカ・コーラに負けてはいるが、コーラといえば、ペプシコーラが一般的である

*2
ロックフェラー

*3
ソ連当局からの営業許可は、1973年3月

*4
現実世界のロッキード

*5
現実世界のジェネラル・ダイナミクス

*6
現実世界のボーイング

*7
一例をあげれば、2017年まで仏軍では婦人兵の潜水艦勤務を禁止していた。これはわが自衛隊も同様であった

*8
まだ人が踏み込んだことのない土地

*9
Don Juan.ティルソ・デ・モリーナの戯曲「セビリアの色事師と石の客」の搭乗人物。そこから転じて好色放蕩な美男のことを指す

*10
立ちんぼとは、元来立ちん坊と書き、明治のころに都内の坂道で道をふさいで仕事の手配を受けたり、冷水を押し売りする商売の事である。そこから転じて街娼のことを指す言葉になった

*11
日独などの敗戦国では糊口をしのぐために少なからぬ婦人が戦勝国軍相手の街娼に零落せざるを得なかった。その中でも特定の将校や幹部と愛人契約を結んだものを、当時オンリーと呼んだ

*12
ローマ・カトリック教会特有の概念で、天国と地獄との間にあるとされる所。生前の罪を償うために入る場所とされている




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配属部隊 後編

 ゼオライマーの活躍によって、訪れた一時の平和。
だが、東ドイツはソ連の事を恐れていた。


 ここで眼を転じて、東欧諸国とソ連の動きを追ってみよう。

ゼオライマーの獅子奮迅の活躍によって、平穏の訪れた東欧諸国。

 彼等にとっての最大の関心は、BETAではなく、ソ連の動きだった。

すでにBETAの支配域は地球上になく、月面まで後退した。

 BETA戦争は次の段階に移り始めている。

だが、赤色帝国・ソ連の版図は一向に変化していない。

 

 たしかに、ソ連は5年の戦争で疲弊はしていた。

人口の30パーセント以上が失われ、回復は容易ではなかった。

 最も被害を被ったのは、中央アジア諸国である。

 BETA戦争開戦前、ソ連の人口増加を支えたこの地域。

ロシア人の平均出生率1人に対して、4人を誇っていたほどである。

だが、今は見る影もないほどに衰退していた。

 独ソ戦で移転した軍事工場も、地下資源もBETAによって貪られてしまう。

バイコヌール宇宙基地も、セミパラチンスク実験場もBETAの怒涛に消えていった。

 ソ連の隣国・アフガンも、同様であった。

アフガンは1919年の対英戦争の結果、ソ連の友邦となった。

 1973年に同国は、王政打倒のクーデターにより、親ソ衛星国となる。

ドゥッラーニー朝によって、10以上の部族が、かろうじて国家としてのまとまりをもっていた。

しかし、王制廃止により、同国は混乱の極みに陥った。

 急速なソ連式社会主義と古代から続く部族社会のあつれきはあまりに大きかった。

その混乱に付け込み、米国CIAや英国MI6の支援を受けた部族が各地で反乱を起こす。

アフガン全土は、共産化して間もなく、戦国の世という修羅の時代になってしまった。

 だが、宇宙怪獣BETAには、人間の事情はどうでもよかった。

彼らの目的は、アフガンにある未発掘の膨大な地下資源。

BETAの大群が押し寄せ、たちまちにアフガン全土を制圧した。

 このために、アフガンに存在した部族や言語、歴史。

これらの物は、人間同士の争いがBETAを呼び込む遠因となり、永遠に失われてしまった。

 その国土も、また被害から免れなかった。 

イラン国境沿いにあった、ヒンズークシ山脈。

7000メートルの名峰は、怪獣によって平坦に均され、無残な瓦礫になり果てた。

 

 疲弊した状態でも、なお軍事最優先の独裁体制を取る北方の豺狼。

東欧諸国の恐れ方が尋常でなかったのは、無理からぬ話である。

 ソ連は、領土こそ維持したものの、日々衰えを見せているとも考えている人々もいた。

だが、未だに国際金融資本は、ソ連への膨大な援助を続けていた。

 バルト三国での反ソデモに関して、経済界の対応は冷淡だった。

体制崩壊を恐れ、大戦車部隊が蹂躙するのを黙認すらしたのだ。

 その上、ワルシャワ条約機構や、領土の維持すらも追認した。

いや、それどころか、かつての領土であるアラスカを取り戻すかもしれない。

米国経済界の対応次第によっては、ソ連指導部は生きながらえるであろう。

 

 そんな経緯から、東欧諸国はBETA戦争前の軍事ドクトリンに戻り始めていた。

防空レーダーや地対空ミサイル(SAM)を中心とする防空システムの再建である。

 指令システムが高度に発達した今日の近代戦において、対空砲火は脅威であった。

 ソ連防空軍が開発した対弾道弾防空システムС(エス)-300。

この装置は、米軍のパーシングミサイル迎撃用に、1975年に開発が完了した。

 対中距離弾道弾用の5В55対空ミサイル*1に関して、簡単に述べておこう。

 まず、弾道弾に対しては。

最大射撃高度40キロメートル、最大射撃距離40キロメートル。

 対航空機に対しては。

最大射撃高度25キロメートル、最大射撃距離47キロメートル。

この時代のС-300ПТ(ペーテー)*2は、ЗИЛ(ジル)-131などのトラックを使う牽引式ミサイル発射装置であった。

自走式のС-300ПС(ペーエス)が生産されるのは、1982年以降だった。

 低空からの攻撃を防ぐ為に、自走式の近距離防空システムも併用した。

ЗСУ-23-4*3や9К33 Оса(オーサ)*4等。

BETAの光線級の脅威がなくなっても、戦場では自由に飛行機は飛べなかったのだ。

 

 戦闘機開発が遅れたこの世界にあって、地対空ミサイルの脅威は我々の世界以上だった。

特に航空機産業が失われて久しい東ドイツにおいて、その問題は喫緊の課題だった。

 東独空軍は、本心から言えば、戦術機の否定論者であった。

莫大な研究開発費を掛けながら、数年で陳腐化する技術。

 航空戦力は近代戦には必須だが、戦車や艦艇に比して継戦能力はおとる。

その上、衛士の教育は航空要員の育成より難しく、補充もきかない。

衛士たちが粗野な振る舞いをしても大目に見られたのは、そう言った理由からであった。

 

 

 さて、東独首脳部の反応を見てみよう。

1月下旬、SED*5と国家の重要政策を決める党中央委員会が招集された。

議長の司会で、BETA戦争後の国防安全保障、外交政策に関する議題討議を始めた。

 そのことは、今後の軍事政策を決める国防評議会にも影響した。

国防評議会では、早速、BETA戦争に関する反省会が行われていた。

 会議の冒頭、空軍参謀が、持論を述べた。 

「一般論を申し上げます。

航空戦力、とりわけ戦闘機の近代化は、必要でしょう。

近代戦において、空間や地形の制約を受けない航空戦力なしに成り立つ軍事作戦はありません。

戦車や戦艦の比ではない、速度と行動範囲、そして特質すべき機動性と突破力。

その点を鑑みても、早急な近代空軍の再建は無難と思います」

 地対空ミサイルや対空砲を看過する防空軍司令も、似たような意見であった。

「他方、同志議長が懸念されておる通り、予算面に関して言えば。

戦術機は、恐ろしいほどの金食い虫です。

戦術機の特性上、地上基地の補佐がなければ成り立ちません。

ですから、基地建設とレーダーサイトの配備は急務でしょう。

また、高射砲やミサイル防空システムも同様に設置せねばなりますまい」

 

 防空軍と議長の戦術機に関する考えは、全く違った。

防空軍司令は、BETA戦争前から軍にいた経験上、新型兵器というものを認めてはいたものの、過信はしていなかった。

いずれ、航空機が発展すれば、巡航ミサイルに積む半導体が改善されれば、戦術機は無用の長物になると考える人物だった。

 他方、議長は、通産官僚アーベル・ブレーメからの意見に関心を寄せていた。

アーベルとして、戦術機という最新技術の塊に傾倒しており、これが東ドイツ復興のカギになると信じてやまない面があった。

これは、女婿ユルゲン・ベルンハルトが熱心に口説き落としたことも大きい。 

 ユルゲンは、BETA戦争初期でのソ連の敗走を目の当たりにして、戦術機生産のほとんどを東ドイツに移転しようと計画するほどであった。

 現実として、ソ連の戦術機開発は一時混乱したが、停滞していなかった。

BETAの欧露への進撃を受け、工場のほとんどは、極東ロシアに移転していた。

 チタ*6、コムソモリスク・ナ・アムーレ、ハバロフスク。

シベリア各地にある軍用工場では、MIGやスフォーニの機種は生産され始めていた。

 

 ユルゲンの想定した通り、シベリアはソ連の中で取り残された地域だった。

17世紀以降、ロシアに編入されたシベリアは、人口も少なく産業も立ち遅れた地域だった。

 帝政時代を通じて、シベリアは巨大な監獄だった。

流民や、政府犯、重犯罪者などが追いやられ、厳しい環境に置かれた。

 確かに天然資源の宝庫で、未開の原野が広がっていた。

だが、蒙古や支那に近く、度々彼らはロシアと干戈を交えた。

また、交通網も未発達で、採掘した資源を輸送し、採算をとるころも厳しかった。

 ソ連政権は、革命初期のシベリア出兵の恐怖を忘れていなかった。

精強で勇猛果敢な帝国陸軍を非常に恐れた。

 日露戦争の恐怖を忘れぬスターリンは、シベリアを一大軍事拠点に改造した。

秘密警察は、革命によって生じた囚人を使う大規模な開発計画を立てる。

 その際、シベリア鉄道の各駅沿いに、収容所を作った。

 

 ペレストロイカが始まる1980年代後半以前、極東ロシアの産業が軍事最優先だった。

極東および沿海州では、軍需生産は機械工業製品の生産高の約3分の2を占めていた。

 ユルゲンは空軍将校としては優れていたが、ソ連の政治や社会構造には疎かった。

それは父・ヨーゼフが政治的失脚をして以降、政界や官界から隠れる生活をしてきたせいでもある。

 ベルンハルト兄妹を養育したボルツ老人もまた、政治の荒波から彼らを守るべく、政治から遠ざけた。

ソ連や東欧諸国の情勢は、一般常識の身にしてしまった。

保護したつもりであるが、それがかえってあだとなってしまったのだ。

 

 

 一応、意見として、聞いている顔はしていたが、議長は、防空軍司令などのいう理論に、決して肯定したのではない。

むしろ不満であった。

近代戦の常識論など聞く耳は持たぬ、といったような風さえ、うかがえる。

 しかし、議長には、信念はあっても、彼らの常識論を言い破るだけの論拠が見つからないらしかった。

単に不満なる意思を(おもて)にみなぎらせるしかない沈黙であった。

「…………」

 当然、評議の席は、沼のように声をひそめてしまう。

防空軍司令や参謀らの主張と、それに飽き足らない議長の顔つき。

一同の口を封じてしまった如く、しばらく、しんとしていた。

「お。――シュトラハヴィッツ君」

 突然、議長が、名をさした。

遥か、末席のほうにいた彼の顔を、議長の眼は、見つけたように呼びかけた。

「シュトラハヴィッツ君。

君の意見はどうなのか。遠慮なく、そこにて発言したまえ」

「はいッ……」

 返辞が聞えた。

しかし、上座の重臣たちには、それを振り向いても、姿が見えないほど、遠い末席であった。

「どうなのだ」

 重ねて議長がいう。

自分の意思を、自分に代って述べそうな者は、議長の眼で、この大勢の中にも、彼しかなかったのであった。

「防空軍司令、参謀、その他、重臣方の御意見は、さすがに簡単明瞭。

ごもっともな御意見と拝聴いたしました」

 シュトラハヴィッツは、そう言いながら、席から立ち上がって、議長のほうへ体を向けていた。

衆目が、一斉に、壮年の中将に注がれる。

 唐突だった。

何を思い出したか、防空軍司令から急に(たず)ねだしたのである。

「航空戦力2万機を誇るソ連赤軍が、BETAに惨敗した。

同志シュトラハヴィッツ中将、君の意見はどうだね」 

シュトラハヴィッツは、防空軍司令の真剣な(おもて)を、微笑みで見上げ、

「同志大将。

制空権の確保は、戦争を優位に進めることにはなります。

ですが、戦争全般の勝利にはつながりません。

1950年の朝鮮動乱、1960年代のベトナム戦争。

いずれに際しても、米空軍の圧倒的な制空権の下で大量の爆弾の雨を降らしました。

ですが、それでも陸上戦力の壊滅には至りませんでした。

朝鮮の山がちな地形や、ベトナムの濃密な森林。

それらによって、高射砲や戦車などを隠すことができ、米軍側を困らせることに成功しました。

制空権があっても、先の大戦のように地上部隊を送り込まねば、勝利はおぼつかなかった……

小官は、そう愚考しております」

 シュトラハヴィッツのことばに、防空軍司令は軽くうなずいた。

「そうか。そうであったか」

 その間に、シュトラハヴィッツの人物を観ているふうであった。

シュトラハヴィッツは、敢えて、へつらわなかった。

また、いやしく()びもせず、対等の人とはなすような態度であった。

 嫌味がない。

虚心(きょしん)坦懐(たんかい)*7である。

 猛勇一方のみでなく、人がらもなかなかいい。

議長は、そう思って、シュトラハヴィッツをながめていた。

「ソ連が苦戦した理由。

それは、敵の防空網を十分に制圧せずに、巡航ミサイルでの殲滅を行おうとしたからです。

事前偵察が不十分で、攻撃後の戦果判定も不足しておりました。

防空網を一時的にも制圧せずに、殲滅攻撃に移った。

ですから、光線級の補足にも失敗したうえ、攻撃しても破壊したかどうか、判定できなかったためです。

その為、潰したと思った光線級が実は生きており、ソ連赤軍の地上戦力を支援しようとして、作戦空域に入ってきた攻撃機や爆撃機がレーザーで撃墜されてしまったのです」

 議長は、何度もうなずいた。

そしてなお、黙り返っている一同の上を見わたして、今度は、意見を問うのではなく、厳命するようにいった。

「すると、光線級吶喊(レーザーヤークト)はまんざら無駄ではなかったと」

「おっしゃる通りです」

「では、つづけたまえ」

「航空機は高く飛べば、レーダーに捕捉されやすくなり、地対空ミサイルに捕捉されやすくなります。

この点は、BETAの光線級も全く同じです。

攻撃を避けるためには、低空を飛ばざるを得ません。

BETAなら小型の光線級が厄介ですが、対人戦の場合は携帯式の地対空ミサイルが脅威になります。

……それに」

 彼が、ことばの息をついだ機に、議長はやや斜めに胸をそらし、何か感じ入った態をした。

それは、自分を偉く見せようとか、得意気に調子づくとかいう、誰にもあり勝ちな飾り気の全く見えない。

 余りにも正直すぎるくらいなシュトラハヴィッツの淡々たる舌の音に、妙味というか、呆れたというか。

とにかく、議長の心でもちょっと()(はか)り切れないものが、その顔を包んでしまったように見えた。

『この男、油断ができない』

と、議長がひそかに胸でつぶやいている間に、シュトラハヴィッツは虚飾のない言葉で、

「あと考えられるのが、ソ連赤軍の情報が事前に漏れていたという可能性です」

というシュトラハヴィッツのことばに、驚愕の色を示す。

「それはいったいどういう事だね」

 たいがいなことは呑み込む議長も、正気かと、疑うような顔をした。

シュトラハヴィッツは、その顔色を敏察(びんさつ)して、 

「ソ連には人工ESP発現体という人造人間がいることは、すでに周知の事実と思います。

私の情報網によれば、ソ連は中央アジアでの戦闘に際して、ESP兵士を戦術機に同乗させ、直接思考探査なる行動をとっていたと聞いております」

 人工ESP発現体と聞くと、みなピンと心臓が引き締まるようだった。

握りしめる手に力が入って、脂汗が滲んで来る。

「失敗した兵士がBETAにつかまって情報を抜き出されたと……」

「可能性は、無きにしも非ずです。

ソ連の攻撃部隊の規模、時間、兵力などがBETAに漏れてしまったために、BETA側は8割以上……

いや、9割近い部隊を後ろに下げて、勢力を温存したという可能性も十分考えられます」

 眼を閉じて聞いていると、議長は、自分のために世事軍政にも長じている大学教授が、講義でも聴かせているようにすら思われた。

「確かに、近代戦の権威らしい鋭敏で明快な発想だ。

ソ連砲兵の大火力から、突撃するしか能のないBETAは避けるすべを持たないであろう。

シュトラハヴィッツ君、君の言う意見が正しいかもしれん」

 議長は、シュトラハヴィッツの意見を聞いて満足した風だった。

「よろしい、では議事録は、後日製作するものとて……。

本日は、散会とする」

 

 政治局員と閣僚たちは、それぞれの部署に戻るべく、会議室を出ていった。

後に残ったのは、議長とアーベル・ブレーメだけだった。

「アーベル、ゼネラルダイノミクス*8に、サンダーボルトA-10を10機、試験購入したいと連絡を入れてくれ。

開発中の第二世代の試験機に我が国もかませてくれるようにな……」

 だがアーベルは、その一策を聞くと、それこそ不安なのだといわぬばかり眉をひそめ、

「ちょっと待ってくれ」

と、アーベルは突っ込むように言い出した。

「あんな重量ばかりあって、無駄飯ぐらいの機体は我が国の国情に合わない」

それが、彼の率直な意見だった。

「第一、最新機ならば、米国議会の輸出承認がなければ、手に入れられないぞ。

むずかしい……、それはむずかしい望みだ!」

 そして、議長の考えを、(いさ)めたいような顔をした。

「他言は(はばか)る」

 すると、議長は言葉を切り、シガレットケースを懐中から取り出す。

ケースから抜き出した手巻きタバコに、火をつける。

 銘柄は、ダン・タバコ*9のブルー・ノートであった。

熟成されたバージニアとキャヴェンディッシュの深い香りが、部屋中に立ち込める。

「何、機密か」

「これを見てくれ」

 背広の中から一札(いっさつ)の手紙を取り出して、議長は黙ってアーベルの手に渡した。

先日(せんじつ)、米国の使節団が(もたら)した議長への親書なのである。

 内容は、ゼネラルダイノミクスの働きかけにより、サンダーボルトA10の対外輸出が許可された話であった。

まず20機ほどがエジプト向けに、その他15機が西ドイツと日本に輸出されるという内容である。

 アーベルは、親書を返しながら、驚きの眼を相手の顔にすえる。

彼は、しばらくいう言葉を知らなかった。

 

「アメリカから直接我が国(東ドイツ)には支援できないから、エジプトに輸出するんだよ」

 この時代のエジプトは、英米との関係改善を進めていた。

容共一辺倒であったナセルと違い、現在*10のサダト*11大統領は現実主義者であった。

 アラビア海に勢力を伸ばすソ連を怖れ、米国やイスラエル、帝政イランに期する方針を取った。

具体的に彼は1976年3月、ソ埃友好協力条約を破棄した。

 そればかりか彼は、親米・反ソをさらに推し進め、イスラエルと平和条約締結の合意に調印した。

そして、平和条約への道筋を進むこととなる。

これに関しては、別な機会を設けて話をしたい。

 さて、話を東独に戻そう。

議長は、ふいに頭を下げて、今回の話を詳しく説いた。

「そうすれば、サンダーボルトは輸入したエジプトの物。

だから、どう使おうとアメリカは関知しない」

「なるほど、アメリカは建前を作ってやったって事だな」

「ああ」

アーベルの眼は、茫然(ぼうぜん)と、そういう議長の姿を、見ているばかりだった。

「アーベル!お前は俺の歳を知っているか」

「60歳だったな……」

「そうだ、急がねばならぬ……。

もはや、俺に残された時間はわずかだ」

 アーベルは、男が今この国に何を求めていることを知った。

そして今までに覚えたことのない不安と焦燥感から、ぎゅっと身を固めるように腕を組む。

「ブラッセル*12への道は遠い」

 男の最終方針は、ソ連からの完全独立であった。

では、どうやれば、このソ連による東欧支配構造を反転的に転覆できるか。

 方法は現状で言えば唯一つ。

東ドイツがEUに加盟し、親西欧の体制にいったん戻すこと。

 つまり、東ドイツを反ソ国家にするための特効薬たるNATO加盟が、唯一の第一歩となる。

ベルギーの首都、ブラッセルには、EUとNATO本部がある場所である。

こう考えた末の、ブラッセルへの道だった。

「しかし、まず一歩を踏み出さねばならない。

その為には、党を、社会主義を捨てねばならない」

そして、この男の告白こそが、新しい東ドイツの外交方針の基軸であった。

*1
1970年代後半に完成した地対空ミサイル。後にインドや中共に輸出され、高・中高度防空ミサイル開発技術の基礎となった。ロシアでは退役済みだが、旧ソ連圏では現役である

*2
既にロシア本国では退役済みだが、旧ソ連の構成国のウクライナなどでは現役である

*3
戦車部隊に随伴し、低高度から侵入する航空機を迎撃する自走式近距離防空システム

*4
捜索・誘導用レーダーを搭載した自走式近距離防空ミサイル・システム

*5
社会主義統一党。東独の実権を支配する独裁党

*6
ザバイカリエ地方の中心都市。シベリア出兵の際、日本軍が到達したシベリア奥地の一つである。第二次大戦中には大規模な捕虜収容所が建設され、日本人抑留者が収容された

*7
心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。先入観を持たず、物事に臨む態度

*8
現実のジェネラル・ダイナミクス

*9
西ドイツのたばこメーカー。1972年創業

*10
1979年

*11
ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート。 1918年12月25日 - 1981年10月6日

*12
ブリュッセル




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思慕(しぼ) 前編(旧題: 美人の計)

 離れれば離れるほど強くなる、アイリスディーナへの想い。
そんなマサキの事情を余所に、伏魔殿に住まう魑魅たちは、彼に美人計を仕掛けることにした。
マサキの運命や、如何に……


 2月の第2週の頭にあたる2月5日。

マサキは月曜日から、国防省本部に呼ばれていた。

 彼を待っていたのは、内閣調査室と国防省と情報省の関係者であった。

内閣調査室は、室長直々に面会に来ており、情報省は外事課長だった。

国防省から来た男は、特殊任務を扱う陸軍参謀本部第二部長、その人であった。

 

「木原君、君のうわさは色々と聞いているよ。

アイリスディーナ嬢との逢瀬とやらも、その辺にしておいてほしい」

 マサキは、男の口からアイリスディーナの名前を聞き、内心ビックリしていた。

というのも、マサキは、上司の彩峰が口が堅いのを信じていたからだ。

 政府上層部には、俺の交友関係は筒抜けなのか。

情報が漏れたとなると、話は違う。

 考えられるのは、護衛を務めている鎧衣と白銀ぐらいか。

詳しいことは不明だが、彼等は諜報員だ。

御剣と通じていても、不思議ではない。

 マサキは、途中から(うつ)からいっぺんに(そう)になったような感じだった。

調査に来た官僚たちを、口をきわめて嘲笑する様な態度を取った。

「フフフ、すまぬな。

何せ、お前らの仲間になってから、女を()っているものでな」

 これ以上望んではならない、自分の立場を嘆いた言葉でもあった。

マサキは紫煙を燻らせながら、自身が鬱積状態であることを理解していていた。

 

 日本政府の暗殺から15年の時を経て、現世に意識を復活させた木原マサキ。

彼に、生への執着がなかったかといえば、嘘である。

 そしてこの異世界に転移してから、その感情はより強くなった。

幾度となく襲い掛かるソ連の魔の手、あの忌々しい宇宙怪獣BETAとの戦闘。

 前世に比べ、危険でスリリングな、手に汗を握る日々。

そうした体験は、若い秋津マサトの肉体を得たマサキに、ある種の焦燥感を抱かせるまでになってきていた。

 かつてのように、公私ともに脂ののりきった時期に、殺されるのは避けたい。

いや、そのことを防げぬのなら……

 せめて見目麗しい女性(にょしょう)を我が物にし、せめて自分の子孫を残したい。

そんな煩悩にまみれた、小市民的な感情だった。

 勿論、世界征服の野望はあきらめていないし、それが第一の目標である。

最悪、自分の遺伝子というものは、前世の様にクローン受精卵を残して、誰かに託せばよい。

そうすれば、ゼオライマーがある限り、木原マサキは必ず復活するのだから…… 

 幾度となく、その様に考えていても、やはり秋津マサトの若い肉体である。

段々と、マサキの精神は、若い青年の中でくすぶった、ある種の飢餓感から、逃れられなかった。 

 ベアトリクスを一目見た時、その稀有な容姿に心惹かれた。

内心にたぎる若い男の情熱は、この先、火がつかぬ心配は無いか。

世界征服だけを楽しみにして、女を断てる自信があるであろうか。

 そういう不安が積もり積もっていた矢先での、出会いである。

彼がベアトリクスに何もしなかったのは、事情があった。

 また、ユルゲンが企んだアイリスディーナのと見合いで、本心から求婚をした。

どこかで、前世でのやり直しを求めていたものではなかったのか。

 時々、冷静になってそう考えるのだが、若い時分に色々と体験したものである。

情熱的なキスの味などは、とうの昔に忘れてしまったはずだ。

 仮にかつての木原マサキの元の肉体であったのならば、昔の歳であったのならば……

アイリスディーナなどは、親子ほどの年の差はあろうか。

 前々世の時の年齢など、既にどうでもいい事なのに、こだわる必要はあるまい。

やはり、俺の心は乾いているのだろうか……

マサキは、深い沈潜から意識を戻すと、ものに取りつかれたかの様に紫煙を燻らせた。

 

 

 

「話は変わるが……」

 それまで黙っていた情報省外事課長が口を開いた。

マサキは、感情を押し殺した声で応じる。 

「なんだ」

「君の名は、世界中の諜報機関の胸に刻み込まれた。

ソ連議長とKGB長官を殺した男としてね……

それほどにKGBは、国際謀略の世界では恐れられている」

 どうやら、G元素や新型爆弾の事ではないらしい。

きっと、西ドイツのBNDの調書でも読んだのだろう。

「木原君、君の立場は極めて危険だ。

諜報機関が、テロ集団が君を倒すことによって、英雄になろうとしている。

なにせ、君を殺せば、それは最高の宣伝になるからね」

『こいつらは、既にBETA退治が終わったと考えているのか。

今更KGBの話など、 何を勘違いしているのだ』

 そう言いたげに、マサキは小さく舌打ちをした。

紫煙を燻らせながら、目を細めて外事課長を見る。

「KGBは孤高の存在であったが、その支援を受けた団体は少なくない。

さらに、現在は地球圏におけるBETAの活動は低調だ。

ここらで華々しく名を売り、資金援助を受けたい……

そのような情報が入ってきてね」

 

 次に声をかけたのは参謀本部第二部長だった。

男は、冷たい笑いを浮かべる。

「これから、君は狙われるよ」

 とうとう話に厭き始めたマサキは、椅子から立ち上がる。

狭い20畳ほどの執務室の中を、檻の中に閉じ込められた獅子の様にぐるぐると回り始める。

「ハハハ、大きく出たな。

俺と戦って無残に敗れた露助ども。

そんな奴らが使うKGBに、俺を付け回すこと以外、何が出来ると言うのだ!」

「月面降下作戦を前にしては、危険ではないかね」

 情報のプロをして、その心胆を寒からしめるKGBの存在。

俺は、その責任者を、刃をもって殺したのだ!

 KGBめ、何するものぞ!

マサキは、もう、得意の絶頂である。

「このゼオライマーの前に、何が危険というのだ!」

「我々として困るのは、何の関係もない一般市民への巻き添えが出ることだ」

「君の功績には感謝しているさ」

「頼むよ、木原君。

日本の治安を守るために大人しくしてくれないかね」

 こいつらは国内の勢力争いばかりしていて、外に目が向いていないのか。

マサキは怒りを通り越し、諦めすら感じ始めていた。

「月面降下作戦を貫徹させるまで大人しくしてくれないかね、木原君。

我々としては、君に身を固めてもらうのが一番なのだが……」

「フハハハハ……そこまで言うのならば、考えておいてやろう」

 マサキは、目の前にいる官僚たちの狼狽ぶりに、狂喜した。

不敵な笑みをたぎらせて、大胆な気持ちになっていた。

 

 

 

 

 翌週、マサキは岐阜県の各務原(かがみはら)市に来ていた。

ここには帝国陸軍の岐阜基地*1があり、ちょうど真向かいには河崎重工*2の岐阜工場があった。

 2月に入ってからの日々は、忙しさに追われていた。

年度末ということもあろう。

 ほとんど外出もせず、職場と自宅を行き来する日々だった。

篁やミラの協力もあって、グレートゼオライマーの建造も7割がた進んでいた。

 無論、去年の段階でゼオライマーのフレームをコピーしたものを2組作っておいたお陰で、装甲板を乗せるだけだったのも大きい。

機体の色やデザインは、マサキの方で書いた図面通りに加工するだけなので、日数をかければ出来上がるばかりであった。

 困難を極めたのは、特殊武装である。

山のバーストンをのぞく八卦ロボはすべて、この異世界では未知の技術だった。

 そこで完成を急ぐマサキは、長距離用攻撃に限定することにした。

エネルギー砲のジェイ・カイザー、原子分解砲のプロトンサンダー、ミサイル発射用の垂直発射装置。

 基本的には、ゼオライマーの上からミサイル発射装置や分解可能なジェイ・カイザー用の砲身を取り付けることになったが、従来と大きく違った点があった。

それはマニピュレーターの指先に、ビーム発射用の内臓式の砲身を取り付けた所であった。

 これは月のローズ・セラヴィーの固定武装の一つ、ルナ・フラッシュを部分的に採用したものだった。

本来ならば全身にくまなくビーム砲が装備されるのだが、マサキは効率を考えて指先だけに限定したのだ。

ローズセラヴィーのビーム砲は、出力を微調整し、集約すると剣のように扱えた。

 このルナ・フラッシュでゼオライマーがローズセラヴィーに切り刻まれた。

そのことは、マサキのトラウマの一つであった。

だが、この異世界に来ては、それもまた懐かしく思えるのだった。

 

 工場で、グレートゼオライマーのロボットアームを調整していた時である。

ミラが、ふいに訪ねてきたのだ。

「そんな体で、わざわざここまで来たのか」

 彼女はこの2か月ほどの間に、一目見て妊婦と分かるほどになっていた。

羽織った白衣のに来た厚手のセーターから見える腹は、はっきりと丸くなっていた。

 時おり、ミラはハッとした様に息切れを起こしている。

妊娠後期になって、成長した胎児によって拡大した子宮が肺を圧迫しているのだろう。

 さしものマサキでさえ、そんなミラの事を心配するほどだった。

不安の感情と共に、ミラも科学者である前に、また一人の女であるのだなと思っていた。

「ねえ、ビームの刀って作れないの」

「どういうことだ?」

 マサキは、ミラの顔色をうかがいながら、思案する。

今の彼女は、早く帰りたい反面、ローズセラヴィーのルナフラッシュについて知りたいのではないか。

マサキは、一呼吸置いた後、

「たしかに俺の作ったルナ・フラッシュは、高出力のビームの剣として使える。

こいつがあれば、戦艦はおろか、富士山ですらバターの様に切り刻める」 

「それを戦術機に持たせる刀に応用すれば、要塞級も簡単に切れるかなって……」

「切るどころか、熱でドロドロに溶かすことも容易い。

重光線級のレンズ部分も、たとえ殻が閉じていても簡単に焼き切れる」

 マサキは毅然と言い放ちながら、ミラの表情を伺った。

彼女は、不安そうな色が顔に浮かんでいた。

「戦術機に改造なしで搭載可能なの?」

「出来ないこともない。

リチウムイオン電池を用いたビーム発生装置を作ったとして……

使い捨ての短剣なら1時間、長剣なら3時間ほどは持たせる自信はある」

 ミラの表情から、あらゆる感情のかけらが消えた。

次に現れたのは、まさしく安堵だった。

「すごいわ」

「試作品が出来たら、大小一振りづつくれてやるよ」

「嬉しいわ」

 

 ミラを見送った後、岐阜工場の会議室に足を運んでいた。

工場長を始めとする河崎重工幹部たちと軽食をとっていた折である。

マサキの様子を見る為、神戸本社から来ていた専務が、ふと漏らした。

「話は変わりますが……」

「どうした、申してみよ」

「木原さんは、結婚しないのですか。

天才科学者として名高い貴方は、望めばそれこそより取り見取りですのに……」

「えっ」

 その瞬間、マサキは答えに戸惑った。

飲むために握っていた紅茶のカップが、思わず震えるほどだった。

「俺には……」

 アイリスディーナと挙げた秘密の結婚式の事を思わず言いそうになってしまった。

だが、彼女との関係は内々の式を挙げただけで、籍は入れていなかった。

 マサキ自身も、彼女をまだ子供だと思っているせいで手を出していないので、そのままにしていたのだ。

そのせいで、去年の12月にシュタインホフ将軍からキルケとの結婚を勧められたのは、本当にいい迷惑であった。

結局、あの場から理由を付けて逃げだしたから良かったものの、留まっていたらどんな誤解をされたものか。

 その時である。

マサキのすわる背後にあるドアの方で、騒がしい声がした。

「お願いです。ただいま工場長は会議中でして……」

 社務の女性事務員が引き留めるのを無視して入ってきたものがあった。

ドアを乱暴に開けたのは、彩峰(あやみね)大尉だった。

「工場長、木原の事を少し借りるぞ」

 

 

 

「司令が部屋まで来いとの指示があった」 

 そう言って、隣の岐阜基地に連れていかれる。

司令室に待っていたのは、司令と数名の男たちだった。

ざっと見たところ、二本の線の入った階級章からは佐官級。

マサキは、ただならぬ気配を感じた。

「これは俺がしでかしたことへの懲罰でもする気か」

 流石にマサキは緊張していた。

基地司令は、マサキの言葉に相好を崩す。

「木原君、君に耳寄りな話でね」

 話しかけてきたのは、基地の総務課長を務める少佐だった。

「曹長、君は独身だったね。

見合いとかに興味はないかい?」

 総務課といえば、基地の渉外担当も務める都合上、地元民との接触も多い。

彼の話だと、岐阜や愛知などの素封家の娘との縁談の話だった。

 あれやこれや追及されることがないということに安堵した一方、マサキは危機を感じていた。

頼みもしないのに見合い写真を見せられ、相手の家柄に関して説明が始まったのだ。

 俺のような根無し草に、そんな商家や豪農の娘は釣り合うはずがない。

マサキは、変な意味で恐縮してしまった。

 良家の子女なら、もっといい男を紹介した方がいいではないか。

確かに帝国陸軍の(ろく)を貰ってはいるが、俺は一所に留まるような生活をしていない人間だ。

彼女たちの望むような安穏とした家庭生活は難しかろうと、考えてしまった。 

 それに裏金は別として、下級士官である。

薄給で、気苦労も絶えないであろう……

 面倒くさいし、断るか。 

咄嗟に、マサキは、そう答えた。

「俺には先約があるのでな」

 

 なんとか、その場を切り抜け、部屋を後にした。

部屋から、河崎の岐阜工場に戻ると彩峰が待っていた。

「何の話だった」

「見合いの話だが、面倒くさいから断った」

 そう笑顔で答えるマサキに対して、彩峰は途端に不快の色をあらわす。

充血した目で、彼の事を睨み付けると、

「お前、ちょっと裏に来い」

 格納庫の裏に呼ばれたマサキは、散々だった。 

彩峰からは、厳しい叱責があったとだけ書き記しておこう。

 

 

 

 それで、引き下がる相手ではなかった。

今度は河崎の工場にいると、富嶽の開発部長から電話がかかってくるようになった。

 毎日、家業終了直前に電話がかかってくるので、頭に来たマサキは、

「そんなに要件があるのなら、俺のところに来い」

と、啖呵を切ってしまった。 

 その週の土曜日である。

岐阜市から近くのホテルで会合があると呼び出されて行ってみたら、富嶽重役の娘と引き合わされてしまった。

だまし討ちに近いことに会ったマサキは、相手に会うだけあって、帰ってしまった。

 

 

 

 富嶽がマサキに相手を送って、見合いをしている話は城内省にまで届いていた。

話を聞いた五摂家の各家は独自に動くことになった。

 まず、五摂家の斑鳩家は、代々の家臣で、有力武家の真壁家に頼ることにした。

真壁家の当主である真壁零慈郎を自宅に呼び寄せた。

 

「真壁よ。お前の家から女を出せぬか」

 零慈郎青年は、人を魅了する好男子だった。

怜悧そうな目、色白の肌、刃の切っ先を思わせる細面。

一目見たら忘れられないほどの、美丈夫だった。

「翁、我が家に差し出す女などおりません。

木原などという馬の骨になぜそれほどまでに……」

「何、出戻り女でもいい。

お前も、あのゼオライマーの威力は知っていよう」

「たしかに素晴らしいマシンです。

ですが女一人で満足しましょうか」

「そこよ。

我らも、その辺は調べて、考えておる。

彼奴(きゃつ)には惚れた女がいてな」

「では、なおさら、その女と一緒にさせれば」

「じゃが、夷狄(いてき)の女では不味かろう」

 

「若輩者の私とて、城内の考えは分かります。

篁の愚か者の二の舞は、避けとうございますな」

「そこでじゃ、殿下の方で一計をご案じなされた。

奥に仕えておる、お前の従妹叔母を、木原に下賜するという話が出てな」

 貴人が側仕えの女性を身分が下の物に下げ渡すことは、古今東西珍しいことではない。

わが国でも、封建時代以前からよく見られた、婚姻の形態の一つであった。

 真壁にとって、それは侮辱にも近い事だった。

たしかに奥仕えの叔母は、とうに中年増(ちゅうどしま)*3を超えてはいたが、可哀想に思えた。

 彼女は、真壁の曽祖父が外で作り、認知した妾の孫だった。

年は2歳としか離れていないので、零慈郎にとって叔母というより姉のような存在だった。

「何、安心せい。

彼女は、殿下のお手はついてはおらぬ。あの木原でも満足しようぞ」

 零慈郎の叔母は、真壁の曽祖父が見初めた女の影響もあって、恐ろしいほどの佳人だった。

その美貌たるや、血縁関係を重視してきた武家社会では、恨みや嫉みを抱かれるほどのものであった

当時の日本人女性にしては背は高く、170センチ強で、これまたマサキ好みの女であった。

 

「木原と祝言を上げなくてもよい。

最悪の場合、奴の種さえ貰って、子さえ作れば、それは弱みになる。

鎖にもなる」

「木原が、そんなことで躊躇しましょうか」

「人間は元来、情に弱いものよ。

木原とて、情に絆されれば、この武家社会に刃を向けることはあるまいよ」

 

 他方、富嶽重工の見合いの件は、大伴一派にも伝わっていた。

GRU、KGBと近い関係を持つ大伴は、マサキの情報を彼等から間接的に聞いていた。

「ここで他の五摂家はおろか、東独、西独の連中を出し抜く」

 大伴からそう話を聞いた大空寺真龍と光菱の専務は、仰天した。

大空寺は独自の情報網で他家の出方を知っているからである。

一方、光菱の専務は、大伴の話を聞くなり覚悟した様だった。

 この専務の事を、お忘れの読者の方もいよう。

ここで著者からの、簡単な説明を許されたい。

 光菱の専務は大伴との陰謀に関わるうちに、マサキの復讐を恐れた。

そこで、ひそかに15歳になる自身の妾の子を、マサキに差し出す準備をしていた人物であった。

 

「大伴さん、実は……」

 そういって専務は、京都郊外に住む自分の妾と娘の話をし始めた。

いつものごとく、大伴は顔色を変えずに酒杯をすすめた。

 淡々と専務が話しているとき、大空寺の気はそぞろだった。

あまりにも自分と大伴が考えた計画と同じだったからである。

 これで計画を断ったら……

秘密を城内省に持って行って、ぶちまけられるだろう。

 江戸商人というのは、東京の人間というのは、油断ならぬ存在である。

大空寺の背筋には、冷たいものが走るように感じ始めた瞬間であった。

*1
現実の航空自衛隊岐阜基地

*2
川崎重工

*3
中年増は、現在で言う25歳




 公私ともに多忙のため、ハーメルンの連載速度は、毎月5回から、毎月2回に変更させていただきます。
暁での連載は、通常通り毎週土曜5時から変更はございません。

 頂いたご意見等は、暁を含めて、すべて拝見させております。
前後するときがありますが、出来る限り返答するつもりです。
 ご意見、ご感想お待ちしております。


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思慕(しぼ) 後編(旧題: 美人の計)

 五摂家の意向を受けた鳳家の見合い。
マサキは見合いの最中、しばし、苦悩に浸っていた。



この話は構成を変更していますので文字数が9000字超えになります。
長く読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。



 2月も、既に第3週だった。 

 いつも通りに河崎の岐阜工場に赴いたマサキ。

城内省と陸軍、河崎をはじめとする戦術機メーカー数社の技術者とともに、試験に参加していた。

 その内容は、ゼオライマーのフレーム技術の応用した戦術機用フレームの組み立てである。

 工業製品は、芸術品とは違う。

いくら素晴らしい設計図や企画であっても、末端の作業員が組み立てられねば、製品としては通用しない。

 日本政府の計画では、年間120機の量産を望んでいた。

一方斯衛(このえ)軍は、武家の階級ごとに違う特注品の納品を望んでいた。

 機体のカラーリングだけではなく、家格によって異なる。

具体的には、操縦者の好みに合わせた装備、特殊なOS、通信機能などである。

 機体毎の違いは、共食い整備と呼ばれる、同機種からの稼働部品を移植することも困難にする。

この提案に、現場は混乱していたのだ。

 マサキは、各社合同の計画に戸惑っていた。

かつて所属した鉄甲龍(てっこうりゅう)では、マサキのイニシアチブですべてが動いた。

計画のほとんどをマサキが立てて、その通りに現場が動いたし、マサキ自身も作業に加わった。

 だが曙計画の人員に比べれば、規模は断然に小さかった。

曙計画は、200人を越す科学者や研究員、技術者が居た。

協力している軍の研究所や大学、企業など、産学官を含めれば、5万人からなる大規模プロジェクトだった。

 投入される資金も膨大で、その範囲も広大だった。

一例をあげれば、F4戦術機でさえ、光菱重工を主とする約1500社の民間会社が、その国内生産を請け負った。

 無論、ライセンスによる国産は、米国から直接購入するより割高になる。

だが、戦闘機の生産や大規模修理ができる技術基盤を持つ、というメリットの方が大きかったのだ。

 

 

 鉄甲龍というトップダウン型の組織にいたせいか、横のつながりで仕事を進める曙計画に、マサキは己の無力さを感じていた。

 若干、過労気味だった彼は、休憩所のベンチで一人うなだれていた。

これから、国防省と城内省の会議を行い、予算案作成に向かう。 

そのあとは長い国会審議だ、ちょっとうんざりする。

 この俺に、政界に太いパイプでもあればな……

美久に渡した金塊という媚薬で、どれほどの大物政治家が釣れるのだろうか。

 そんな事を考えていた矢先である。

ふと、声がかったのに気が付いて、居住まいをただす。

 

「この辺で、周囲を困らせる色恋沙汰はお終いにしてくれると助かるのだがね」

 声をかけてきたのは、鎧衣(よろい)だった。

マサキは、自分の生き方にケチを付けられたかと思ったのだろう。

食って掛かるような剣幕で、反論した。

「貴様、言っておくがな。

俺は、むやみやたらに生娘(きむすめ)人妻(ひとづま)にちょっかいを出しているわけじゃないぞ。

この間のキルケの件も、一時的なものと了解しているはずだ」

 無論、アイリスディーナとベアトリクスを除外しての発言だった。

「君がどう生きようと、私には関係ない。

だが、殿下と政府首脳の目には否定的に映るんだ」

 鎧衣から、諫言(かんげん)の言葉という表現方法ではない。

心臓の喚くような鼓動が、マサキの胸を苦しいほど強く圧迫してくる。

彼は唇を湿らせると、鎧衣から圧迫に答えた。

「どうしろというのだ。

あらゆる煩悩を断って、坊主のような暮らしをしろというのか」

 誰に頼まれたのかは知らないが、いつまでも見合いの話を引きづっているのか。

俺は、さんざんに断ったではないか。

「アイリスディーナさんや、キルケ嬢のようなことが続く様では、斯衛軍の威信にかかわる」

 今の鎧衣の報告で、一時剃刀の刃のように鋭くとがったマサキの緊張。

それは、次の瞬間、脆くも崩れ去った。

「殿下は、君に結婚を命じた」

「はぁ?将軍が直々に……」

自分の痛い部分へ、自分で触るように、マサキは口しぶりながら、鎧衣へ訊き出した。

「すると、これは上意(じょうい)*1か」

 マサキは、深い諦めのため息をついた。 

「そいつはなんとも、封建的な話だ」

 別な女を紹介されれば、問題が起きるかもしれない。

問題が起きたら、起きたで、また新しい縁が生まれるであろう。 

「どんな女だ。

どうせどこぞの武家か、素封家の娘だろう」

 一転して、居直ったように冷たいせせら笑いを浮かべる。

鎧衣は、ぬっと、その右手をマサキの前に突き出した。

「これが身上調査書だ」

 鎧衣から見せられた写真には、15・6歳の少女が写っていた。

白黒写真だが、セーラー服に長い黒髪。

上半身しか映っていないため、身長はわからないが、肉付きはよさそうだ。

「五摂家、崇宰の姻戚(いんせき)にあたる(おおとり)家の娘さんだ。

今度の土曜日に会う約束になっている」

 鎧衣は悪びれもしないで、マサキに言い返した。

だが、マサキは憎々しげに口をゆがめる。

「ほう、情報省では結婚案内所の仕事もしているのか。

先進技術の海外進出事業推進の他に、見合いの手配までしてくれるのか。

フハハハハ、考えておこう」

 

 

 

 木原マサキの扱いは、日本政府にとって頭痛の種だった。 

核戦力のない日本にとって、天のゼオライマーの登場は福音だった。 

そして、木原マサキ自身が望んで、日本政府に帰順したことは天祐であった。

 だがマサキ自身は、毛頭そんな事を考えていないのは、公然の事実。

おまけに美女や美丈夫に弱く、東西ドイツの計略に乗せられそうになったこともあった。

そんな折、マサキを揺るがす話が帝国議会で持ち出される。 

 

 事の始まりは、週刊誌に載った記事であった。

斯衛(このえ)軍将校が外人女性と外地で入籍した」

その報道がなされると、間もなく衆議院の予算委員会での野党からの国会質問で行われた。

政府および城内省は、「事実関係の確認に勤める」という形で逃げ切った。

 「篁の事が掘り返されるのではないか」

事態を重く見た城内省は、独自の調査を始める。

 調査結果は、驚くべきものであった。 

野党議員に話を持ち込んだのは、ソ連大使館の参事官。

 おそらくGRUかKGBの工作員。

彼らの狙い。

それは、篁を離婚させ、曙計画の次の計画である次期戦術機開発計画を遅らせることではないか。

 篁の元からミラが去ったりすれば、日米関係は悪化する。

ではどうすべきか。

 篁のスキャンダルを、マサキの話しにすり替えればよい。

マサキとアイリスディーナの件ならば、日本政府の損害は少なくて済む。

その様に、城内省は考えたのだ。

 

 では、真相はどうだったのか。

野党の下に情報を持ち込んだのは、外交官に偽装したKGB工作員だった。

 この非公然工作員は、野党ばかりではない。

出版社や新聞社などのマスメディア、官界におけるソ連スパイ網、財閥などと接触をした。

 その際、マサキに関する根の葉もないうわさを流して回ったのだ。

以下のような内容であった。

 

「木原マサキは、東独軍将校の妻と不倫関係にある」

或いは、

「マサキは、西ドイツ軍のシュタインホフ将軍の孫娘と極秘入籍している」

もっとひどいものだと、

「木原マサキは、東独に隠し子がいる」

などである。

 

 無論、これらの話は、事実無根のうわさ話であった。

マサキにしてみれば、ベアトリクスの事は好きだった。

だが、まともに手すら握ったこともなかったし、ましてや不倫など考えたこともなかった。

 たしかに頭の中では、口にも出せぬ猥雑な事を思い描いた。

それとて、美久にすら話したことがなかった。

 キルケの件も、確かにシュタインホフ将軍に騙されかけた。

密室につれこまれ、キルケが花嫁衣装で近づいてきたが、咄嗟の機転で脱出したことがあった。

そして、この話を知るのは、指折り数える物しかいなかったのだ。

 東独に隠し子などという噂は、人を食う様な話だった。

マサキはこの世界に来てから、この世界の女と戯れる事はなかった。

 せいぜい、アイリスディーナと数度キスをしたようなものである。

確かにアイリスディーナは、今すぐ抱きしめたい存在であった。

だが、マサキ自身が自分の前々世の年齢を気にして、躊躇していたのだ。

 それに彼自身が、あの可憐な少女をおもんばかって、美久以外の人間を近くから排除していたのも大きかった。

 かつて、鎧衣の前で大言壮語した様に。

マサキはこの世界に来てから、まったく童貞と同じような生活をしていたのである。

 

  

 マサキの事を恨んでいるものや、嫉妬している関係者は多かった。

親ソ反米を掲げる、陸軍の大伴一派ばかりではない。

 ソ連・シベリアでの資源開発に参加している河崎重工や大空寺財閥系の総合商社などであった。

ソ連ビジネスを生業とする彼らにとって、マサキは目の上のたん瘤。

この報道やいかがわしいうわさを機会に、潰す気であった。

 政府が一枚岩でない様に、業界団体も一枚岩ではなかった。

マサキに今、失脚されては困るグループもいた。

 政府高官では、御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)(さかき)政務次官である。

マサキをうまく利用して、BETA戦争を終わらせようと考えている集団である。

 次に、業界団体では、恩田技研や反・大空寺系の総合商社である。

彼らは、マサキの交友関係を軸として、北米や西欧諸国のコネクションを増やそうと計画していたからである。

 マサキを陰謀から、一時的に遠ざけるにはどうしたらいいか。

本当に結婚させてしまえばいいだけである。

そういう訳で、マサキの見合い計画が、ひそかに始まったのであった。

 

 岐阜基地司令の見合い話や、富嶽重工業の専務の娘の縁談を断ったマサキ。

そんな彼の様子を鎧衣から聞いて、城内省はあれこれ考えていた。

 マサキはアイリスディーナと引き合わされたとき、露骨に、思うさまな感情を示した。

どんな深窓の女性を、彼の目の前に出せばよいのだろうか。

 それも豪農商家の類は、問題でない。

彼が欲していたのは、いわゆる上流社会の女性で、貴種でなければならなかったのではないか。 

 そういう経緯から、崇宰(たかつかさ)姻戚(いんせき)にあたる(おおとり)家の娘に狙いが定まった。

彼女をマサキと引き合わせることにしたのだ。

 


 

 ここで、視点を変えてみよう。

(おおとり)中佐は、マサキと引き合わせる娘に会うために妾の邸宅に来ていた。

娘の名前は鳳栴納(せんな)

年は、まだ16歳になったばかりの瑞々しい娘だった。

 その娘の栴納は、晩餐を終え、居間で過ごしていた。

メラミン色素の薄い茶色の髪は、彼女の母親譲りで、癖がなく太い髪質だった。

腰まである長い髪を結わずに伸ばし、リボンや髪飾りの類は着けていなかった。

 それは質素を旨とする武家の娘、という事ばかりではない。

変に飾り付けるより、光り輝く髪の艶だけで、十分見栄えがするためである。

 瑞々しい柔肌は、色もまるで雪化粧を施されたように、飛びぬけて白かった。

目の色は、明るい茶色で、若干吊り上がったようなシャープな瞳。

 飛びぬけて端正な顔立ちに加え、その体つきも年相応の物であった。

たっぷりとした双丘と、それを強調するように括れた腰付き。

臀部は、たわわに実った白桃を思わせた。

離れてみれば、はっきりとした陰影を作るほど、見事な体つきであった。 

 しかし、栴納にとって、その冴えた美貌は非常にコンプレックスの元でもあった。

事あるごとに男たちから淫猥な目線を向けられ、女学校の同級生たちから羨望と嫉妬の入り混じった視線を感じるからである。

 彼女の母は、鳳家の側室の一人、一般社会でいう妾である。

いつもは母と二人で過ごしているのだが、今日は珍しく父が来ていた。

 父は正室、婚姻関係のある正式な妻と同居しており、本宅で過ごすことも珍しくなかった。

これは、武家社会の子孫繁栄のためのシステムである。

 武家に限らず、貴人の血を引く家や豪商、素封家の常として、血筋をまず残すことを求められたためである。

妾腹であり、女の身空の自分が、文句を言ってもどうしようもない。

  

「お父様、これはどういうことですか」

斯衛(このえ)軍騎兵連隊長を務める(おおとり)祥治(しょうじ)中佐は、娘の反応を当然のように受け流した。

 騎兵連隊という名称であるが、その実態は戦車と自走砲で編成された戦車連隊である。 

航空戦力として、少数の米国製のUH-1ヘリコプターと戦術機を有していた。

 鳳中佐は、渋面のままの娘を見据える。 

そして、呻く様に漏らした。 

「栴納、妾腹とはいえ、お前も弓箭(きゅうせん)の出の者だ。

かしこくも、殿下の思し召しに背くような振る舞いは、するまい」 

 父は型通りのことを言うも、娘の栴納には受け入れがたかった。

16歳になったばかりの少女とはいえ、彼女もまた、現代の女である。

 敗戦後の価値観の変容の影響を、もろに浴びた世代である。

映画・小説などから、自由なアメリカ文化を知らぬわけでもない。

 マスメディアや、その他の影響もあって、恋愛結婚こそすべてであった。 

見ず知らずの男の下に嫁ぐ古風な習慣など、受け入れがたかったのだ。

 

 

 

 

 さて土曜日になると、マサキは京都にいったん戻った。

市内の()る屋敷に招かれ、そこで見合い相手の女学生と引き合わされた。

 あった娘は、年のころは16歳で、清楚な美少女だった。

確かに顔のつくりも、背丈も平均的で悪くはない。

 ただ話していて、気が強そうなのと、思ったより体の線が平坦なのにはショックを受けた。

この辺は、マサキの好みの問題もあった。

 栴納は、振袖そのものの美を重視するあまり、体型を犠牲にする着付けにした。

自身がコンプレックスに思っている大きな胸を晒しで巻いて、平坦にしていたのだ。

括れた腰や豊かな尻も補正下着をつけて、なるべく平坦に作っていた。 

 無論、マサキは、そんな事は知る由もない。

彼は、美久や八卦衆の女幹部を作る際に、グラビアモデルを参考にして造形した節があった。

卑近な言い方をすれば、出る所が出て、締まるところが締まっている体つきを目標とした。

 マサキは美久を豊満な方とはみなしてはいなかったが、それは設計者としての面が大きい。

彼女の体格は、非常に均整の取れたもので、1970年代の日本女性の水準では十分な巨乳の部類だった。

体のラインを強調する、鉄甲龍のボディコンシャスな支那婦人服(チャイナドレス)の幹部制服を着ても、恥ずかしくない様に女性の黄金律である「1:0.7:1」の比率で作り上げていたのだ。

 

 

 今回の見合いは、彼の寂寥(せきりょう)をなお濃密なものにした。

驚きと、寂しく長い鬱勃とした追想の中にである。

 勝負とは、孤独なものだ。

いや逆に孤独だからこそ、勝負できる。

何も失うものがないから。

 誰にも慮ることなく、一人ただ栄光を追いすがることが出来る。

この心の渇きと飢えは、勝利の栄光を求めたものではないのか。

 一連の色恋(いろこい)沙汰(ざた)も、愛に逃げて、心の渇きを満たす逃避ではなかったか。 

一人の戦士として、戦闘マシーンとして、勝利してこそ己の本願は成就するのか。

だとすれば、その意欲も集中力もそがれる原因ではなかったか。

 ただ言えることは、栄光をつかみ取ってからこそ、俺は初めて人間になれ、自分の道を選べる。

一たび、敗亡(はいぼう)(りょ)となれば、何も語る価値はなく、資格すらないのだ。

 マサキ自身、この見合いに乗り気ではなかったのもあろう。

内心ではそんな風にマサキは考えていたのだが、流石に口には出さなかった。

 それのみでない。

マサキは、自分の不人望を知っている。

 昨日まで友と頼ったものに裏切られ、己の信じた正義も、ある日を境にすべてが悪に変わった日々を。

 愛など、夢など、希望だのはとうの昔に捨て去ったのに……

人間を超越する存在になるべく、無敵のマシン・天のゼオライマーを建造し、世界征服を企んだのに。

 なぜだろう。

マサキは、心の中で自問自答していた。

 全世界を征服し、冥王となるべくしてこの世界に復活した自分が……

どうして、アイリスディーナという少女にだけ、やさしくなれるのだろうか。

 人間が、人間の女など汚らわしいだけの存在であり……

肉欲を充足させるだけに、あればいいとしていた。

事実、自分は前世において、そうやってふるまってきたではないか。

 彼女が、愛というものに苦しんでいたからかもしれない。

その苦しみを、自分の力で取り除いてやったからではないか。

それこそ、美久のようなアンドロイドに、魂を入れてやったように……

 マサキは、その苦しみを自分一人の胸に噛み締めつつ、顔を上げる。

夢から()めたように、茫然としたものを脱しきれない顔でもあった。 

 ただ。臆測すれば。

ひょっとしたらこの娘は、その陰謀によって、自分のような人物を、狙っていたかもわからない。

 マサキは、人のいない池の方へ、栴納をさし招いた。

そしてただ二人きりで、赤い水面の(はえ)を面に向かい合って。

「娘御」

と、何かマサキは、あらたまった。

「愛し、悩み、苦しみ悶えるのが人間の(さが)だ。

当たり前の人間の感情だ」

「えっ……」

「すべてを超越して生きてみろ。

俺のように、生きてみろ!」

マサキは、水を得て泳ぎ出したように呟いた。

「そうすれば、どんな男とも上手くいく。

例え、軍人であってもな……」

「…………」

「軍人と思わず、人間と思え。

そうすれば、軍人にも受け入れてもらえる」

 それにても、わからぬのはマサキの心だ。

会話の間、息をこらしていた栴納は、なにか不審なと感じていたらしい。

彼女は、おそろしさやら、なさけなさやらで、つい涙をつつみ、俯くばかりだった。

 そしてこの後、この二人は、会話らしい会話をしなかった。

マサキはやがて、(おおとり)家を去って、自宅へ帰って行った。

 

 結果的に、見合いはよからぬ結果で終わってしまった。

しかしマサキは、どこか安堵した様子だった。

 彼は、日頃の疲れをいやすために、京都からほど近い有馬温泉に来ていた。

露天風呂付きの旅館を取って、美久と一緒に一泊二日の小旅行をすることにしたのだ。

 深夜、露天風呂から見る月は、ちょうど満月であった。

マサキは、露天風呂のへりに寄りかかりながら、腰のあたりまで湯につかっていた。

後ろにいる美久も、同じように湯船につかっている。

 ふと、マサキは振り返り、美久の裸身をまざまざと見た。

こうしてみると、全く人間と変わらない。

 風は冷たいが、温泉からは限りなく湯気が立っている。

湯けむりが立ち込めて、真冬の寒さを緩和してくれている。

 温泉の熱さと、降り積もった雪による冷たさを堪能していると、不意に入り口が開く音がした。

こんな深夜に、来るやつがいるのだろうか……

 いくら11時過ぎとはいえ、ここは旅館。

とりあえず温泉につかる客は、いるだろう。

貸し切り状態でなくなってしまうのは、残念な話だ。

相変わらず愚かな考えよと、思わずため息が漏れる。

 

 すると、入ってきた人物が声をかけてきた。

「いや、先生。探しましたよ。

何処に行くかぐらい、連絡が欲しいですな」

 湯けむりが立ち込める中、現れたのは護衛の一人である白銀だった。

しかも手ぬぐいで体を隠さず、その青年の逞しい肉体を誇示していた。

 後ろにいた美久は慌てふためきながら、両手で乳房を隠しながら湯船に肩までつかる。

ところが白銀は裸身を晒しながら、ゆっくりと湯船に入り、マサキの方に近寄った。

「氷室さん、そんなに慌てて、どうしたのかな」

「だって……ここは貸し切りにしたはずですよ」

 白銀は美久の言葉が分からないかのように首を傾げた後、ぽんと手を叩いた。

「な、何を……」

「この旅館はもともと混浴ですし……

僕の方で事情を話したら、旅館の人にOKをもらいました」

「えぇ!ええええ――」

「はぁ、ああああ、馬鹿か!」

 マサキと美久が驚愕の事実に声を上げた瞬間、白銀は柔和な笑みでつぶやく。

「いくら僕たち以外に客がいないからって、深夜に大声出すのは問題ですよ」

「で、でも、だからって、あの……」

 単純に、マサキはあきれていた。

とにかく驚かされたのは、白銀が堂々と入ってきた挙句、旅館側も躊躇することなく入浴を認めたことだった。

護衛と説明したのもあろうが、前世ではこんなことあっただろうかと、訝しむほどだった。

「もう、先生も事前に連絡くださいよ。こんな遅くになっちゃったじゃないですか」

「そ、そういう問題じゃないと思うんですけど」

困惑する美久をよそに、白銀は、ため息を吐きながら、肩にお湯をかける。

「ああ、いいお湯ですね。景色もきれいで最高だ」

 マサキと美久は、眼と眼を見あわせた。

二人は、白銀のあまりの空気の読めなさに、心から呆れていた。

だが、彼の手前、口には出さない。

「……」

その内、白銀がマサキに声をかけてきた。

「先生、話は変わりますが……」

「どうした」

「アイリスさんの事が忘れられないんですか」

「何を……」

「この際です、僕と裸の話し合いをしてみませんか。

先生の本心が聞いてみたい」

 一瞬困惑するマサキに、寄り添う美久。

彼女は、後ろから滑らかな素肌を背中に寄せてきた。

柔らかい体がぴったりと密着してきて、思わず何も考えられなくなる。

「私に遠慮せずに、どうぞお話しください。

それに、人間は裸の方が真実を話すと言いますから……」

 今度は白銀のほうが意外そうな顔をする。

余計な事を口走ってしまったみたいで、情けなく狼狽した。

「い、いやっ……別に深い意味は……」

 短いため息を漏らしながら、目の前に広がる雪化粧を見つめるマサキ

その表情には、暗い影が見え隠れし始めた。

「アイリスディーナが、俺を愛していないかって……そいつは愚問だな。

相手がどう思うか知るまいよ、この俺が愛したんだ」

 マサキの問わず語りに、白銀は何と声をかけてよいか思いつかなかった。

マサキが落ち込んでいるとは思わなかったが、あえてこの2か月ほど結婚に関して聞かなかったのだ。

「片思いで結構。愛されてなくて結構。

俺が愛したんだからな」

 しかし部外者である白銀が心配したところで、問題が解決するわけではない。

何かできるわけではないと、これまで触れてこなかったのだ。

「東ドイツという国籍も、東ドイツ軍将校という身分なんて関係ない。

年齢の差なんってのも関係ないさ。

愛するってのは、己の心を一人の女に捧げることさ。

相手の心を知るとか、確かめるとか、そんなのは必要のない事よ」

 そういって、マサキは湯船から立ち上がる。

白銀の正面に来ると、深々と湯けむりの中に体を沈めた。

「だが、それだけの心を、それだけの愛を男から奉げられてみよ。

その男を憎む女がいるか、どうか。

その男を愛さぬ女がいるか、どうか」

 かける言葉が見つからないと、意気消沈する白銀。

そんな反応を見ながら、マサキは苦笑した。

「俺自身にためらいがあるとすれば……

本心から、アイリスを愛していないからこそそういう恐れを抱くのではないか。

俺が作ったマシンも、財産も分けてやるつもりだ。

それで捨てられたら、それはそれでいいのではないかと……

本当に愛したんだからよ、満足できるではないかと……

そう思えてくるのだよ」

 美久は、まるで気が詰るかのような動機に似た感情を覚えた。

かつてないほどの、鮮烈な感情の衝撃であった。

「俺が疑心暗鬼になればなるほど、彼女にも伝わるはずだ。

そして、それは俺に帰ってくる。

もし、アイリスが俺を愛していないのなら、それは俺の不甲斐無さのせいさ」

 白銀は、マサキが本気でアイリスディーナの事を思っていることを内心ビックリした。

というのも、彼はマサキがキルケの時のように遊びだと思っていたからである。

遊びではなくて、本気で恋をしたというのなら違う。

 マサキが悶々と悩んでいたのは……そういう弱みがあったからと、納得した。

それにしても許せないのは、東側の人間である。

アイリスディーナ嬢の純情を弄んだのだから。

 白銀は、マサキの見合い話を思いながら、彼の純情さに思わず小さな笑みを浮かべた。

*1
貴人の命令の事。マブラヴ本編では将軍の命令を勅命としているが、本来は誤用で、勅命が許されるのは天子のみである




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孤独な戦い
威力(いりょく)偵察(ていさつ) 前編


 完成した新マシン、グレートゼオライマー。
マサキは、木星での秘密試験を行うことにした。


 太陽系最大の惑星、木星。

その星は大きさが地球の11倍、質量が地球の320倍ある巨大ガス惑星である。

主に水素やヘリウムで構成されており、絶え間なくジェット気流によって大気が揺れ動いている。

また、非常に強い磁場を持っているため、北極や南極の周辺でオーロラが発生する。

 現在、木星には92個の衛星が存在し、その数は土星の146個に次いで多い。

とくに大きい衛星、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。

この四つを指して、ガリレオ衛星と称する。

これは、1610年に、科学者・ガリレオ・ガリレイが発見したためである。

 まず最大の衛星・ガニメデは、直径5260キロメートル。

これは水星よりも大きく、また表面は氷に覆われていて、内部に海を有すると想像されている。

 次に氷の衛星・エウロパ。

ガニメデと同様に氷天体と呼ばれ、氷で覆われた衛星である。

 そして、火の衛星・イオ。

木星に最も近い天体で、絶えず木星からの潮汐力(ちょうせきりょく)*1によって影響を受けている。

その潮汐力によって、天体内部が溶け、活発な火山活動が起きているとされる。

2016年から運用中の木星探査機「ジュノー」では、赤外線カメラによって、赤く光っているのが確認できるほどであった。

 

 マサキは、グレートゼオライマーの実験場として、このガリレオ衛星を破壊することにした。

木星本体は強力な磁場から、恐らく着陸ユニットは到達できていないであろう。

そして、衛星イオは活発な火山活動の為、ハイヴ建設には向かない。

 そうすると、エウロパ、ガニメデ、カリスト。

この三つの衛星に、BETAの前線基地があるはずだ。

 BETAに感づかれずに、その惑星を壊す方法はないか……

それはグレートゼオライマーの新しい必殺技である、烈・メイオウ攻撃を浴びせるしかないのではなかろうか。

そういう結論に達した。

 

 さて、マサキといえば。

彼は、朝五時というのに各務原にある岐阜基地の格納庫に佇んでいた。

 ゼオライマーを駐機させておく格納庫は、全長200メートルを超える巨大なものであった。

全高70メートル、幅95メートルで、箱型の形状をしており、観音開きの大戸が備えてあった。

 これは飛行船の格納庫を流用したものである。

飛行船は、第一次大戦から第二次大戦前までの戦間期の航空偵察の主力であった。

 その巨大な倉庫には、二体の巨人の姿があった。

それは、まるで寺院の山門の左右に安置した金剛力士像の様に格納庫の左右に自立していた。

 

 マサキは、二体のスーパーロボットの姿を、感慨深げに眺めていた。

右手には、愛用のタバコ「ホープ」を、左手でコーラの瓶を、それぞれ持ちながら。

 グレートゼオライマーの姿にウットリしながら、コーラで唇を濡らす。

 完成までに、2年近くかかったが、こうして一応形になると何とも言えない気持ちである。

8個の特殊装備の内、4つに限定したのも完成を早める原因になったろう。

 何よりも、これでこの宇宙を自在に飛び回れるマシンが完成したのだ。

甘いカラメルと炭酸の味は、どんな美酒よりもうまく思えた。

 

 グレートゼオライマーの飛行試験は、深夜に行われた。

例の如く、マサキは美久と共に、単騎で高高度の飛行試験を行う名目で基地を飛び立った。

高度2万メートルまで上昇した後、木星近辺に転移した。

 漆黒の闇の中に浮かぶ、巨大なガス惑星。

水素とヘリウムによる、幻想的な階調と複雑な模様。

まるでそれは、天下の名品である曜変天目(ようへんてんもく)の茶碗を思い出させてくれる。

 俺は、人跡未踏の木星まで来たのか。

マサキは、かつてない最高の充足感に浸っていた。

 このグレートゼオライマーの特殊武装を使いこなせれば、地球を、太陽系のすべてを俺の物にするのはたやすい。

これさえあれば、BETA抹殺の夢も、夢で無くなろう。

またとない精神的な満足感に、一人涙を流していた。

 

 まず試験は、両足にある54セルのミサイルで行われた。

近距離防空用24セル、遠距離防空用30セルの核弾頭搭載ミサイルが一斉に衛星ガニメデの地表に向かって放たれる。

 事前の赤外線レーダの探査で、およそ1000万のBETAが群生していることは確認済み。

遠距離用弾頭は、およそ1万メガトン*2

近距離用弾頭は、15メガトン。

15メガトンとは、広島に投下された原爆に相当する威力である。

 搭載された核ミサイルは、すべて別次元から転移される仕組みになっていた。

それ故にどれだけの量を使おうと、機体のエネルギーが尽きない限り、無限に攻撃できた。

 広範囲の核攻撃は、突撃するしかないBETAにとって、効果的であった。

木星の衛星では、ハイヴ建設以来攻撃を受けていなかったので、光線級が存在しなかったのだ。

 

 

 ガニメデの地表面に降りるとBETAの大群は、畢生(ひっせい)の勇猛をふるって、無二無三猪突してきた。

 核の熱で、ガニメデの表面を覆った氷が解け、一斉に大量の水が周囲を覆う。

戦車級、突撃級、要塞級などは、氷を蹴り、霜にまみれ、真っ白な煙を立てて、怒涛の如く、ゼオライマーに接近してくる。

その矢先である。

「ルナ・フラッシュ!――」と一声、わめき、レバーを引く。

グレートゼオライマーの指の先から、超高速で光の弾が放たれていく。

 ルナフラッシュとは、ローズセラヴィーに搭載された連射式のビーム兵器である。

欠点は一斉射撃のたびに、充電せねばならぬことであったが、次元連結システムのおかげで無限に射撃が可能となったのだ。

 たった一回の射撃だけでも、何万というBETAが忽然地上から消え失せた。

水しぶきをあげ、ごうッと、凄まじい一瞬の音響とともに、その影が見えなくなった。

 

 開いていた指を閉じ、手刀の形に変える。 

その際、指先から放たれるビームが収束され、一本の刃の様になった。

「受けるが良い。この冥王の力をな」 

 要塞級めがけて、戛然(かつぜん)一閃(いっせん)の刃がおりてきた。

どうかわす間も受ける間もない。

要塞級は真っ二つになると、血煙を噴いてすッ飛んだ。 

 

「美久、あれを使うぞ。射撃体勢への準備に入れ」

「わかりました」

 その言葉と同時に、背中に搭載されたクワガタの形をしたバックパックが中空に飛び上がる。

ほぼ同時に腰の左右にあるフロントアーマーが胸のあたりまで跳ね上がる。

草摺(くさずり)型のフロントアーマーは90度回転し、垂直に向きを変える。

機体の正面に降りてきたバックパックは、フロントアーマーから両脇を挟まれる。

ガチャンという鈍い金属音が響き渡ると同時に、バックパックが正面に接続された。

 その瞬間、グレートゼオライマーの目が、漆黒の闇に不気味に浮かび上がった。

それは中・遠距離用エネルギー砲への、変形完了の合図でもあった。

「チリ一つ残さず灰にしてやる、BETAどもめ。

このジェイ・カイザーでな!」

 発射口にエネルギーが徐々に充填されていく。

充填完了のランプが操作盤に付くと、右の操縦桿を目いっぱい自分の方に引き寄せる。

「こいつから逃げられると思うな」

 忽然と、堰を切られた怒濤のごときものが、グレートゼオライマーの目の前にへなだれ入った。

しかし、すでにそのときBETA勢は完全に逃げる道を失っていたのである。

砲声は、瞬時の間に起って、BETAの大半を殲滅(せんめつ)した。

 

 ビーム砲の一撃で、怯むBETAの軍勢ではなかった。

地は鳴る。音は響く。

 濛々と土煙を上げて、あたかも堰を切って出た幾条(いくすじ)もの奔流の如く、BETAの全軍は、先を争って、マサキの元へ馳けた。

100万を超える大群が攻め寄せるも、マサキは平然としていた。

 その瞬間、機体の後方にあるバーニアを全開にし、上空に飛びあがる。

木星の強力な磁場すらも、グレートゼオライマーの機体には影響は与えなかったのだ。

「プロトンサンダー!」

 オメガ・プロトンサンダーとは、雷のオムザックに搭載した原子核破壊砲の改良版である。

米海軍第7艦隊を一撃で殲滅した、このエネルギー攻撃はマサキの手によって強化されていた。

 範囲、威力ともに8倍に増強され、100万の軍勢は一瞬に消えた。

木星のBETAは抵抗力を持たず、グレートゼオライマーの敵ではなかった。

 

 すでにガニメデでの激烈な戦闘は、3時間近く経とうとしていた。

徐々に疲労を感じ始めていたマサキは、左の袖をめくりあげ、腕時計を覗き見る。

 日本時間では、深夜2時過ぎか……

そろそろ戻らないと、明日に影響しよう。 

「美久、仕上げにかかるぞ。例の新必殺技を使う」

「本当ですか」

「せっかく人的被害の及ばない木星まで来たのだ。今更、何をためらう必要がある」

「それは……」

マサキのストレートな物言いに、圧倒された美久は口ごもった。

「このグレートゼオライマーから撃つメイオウ攻撃がどれほどの威力か……

正直、私でも想像できません」

 困惑する声を上げる美久をよそに、マサキは不敵な笑みを浮かべる。

妙に含みのある笑いだった。

「破壊範囲も、ジェイカイザーやプロトンサンダーの威力から推定して……

通常のメイオウ攻撃と比べ物にならないでしょう」

 人造人間(アンドロイド)として、副操縦士(サブパイロット)として、アベックとして。

口に出せない美久の心情が、マサキにはよくわかる。

 こんなものでは手ぬるいのだ。

 もっと驚かせてやるぞ……

 美久の当惑ぶりを見るのは、マサキにとって大きな悦びである。

マサキは操作卓に並ぶテンキーを、素早くブラインドタッチした。

「フハハハハ、だからこそ。

BETA事木星の衛星を全て壊して、新必殺技の威力を全世界に喧伝する必要があるのさ」

 それまで垂れ下がっていた機体の両腕が、胸の位置までゆっくりせりあがって来る。

ほぼ同時に、目と胸と両方の手の甲にある宝玉が、漆黒の宇宙の闇の中で煌々と光り輝いた。

グレートゼオライマーの機体は、射撃指令を今や遅しと待っている。

「化け物どもめ、グレートゼオライマーの真の力を思い知るがいい」 

マサキは叫びつつ、いっそう攻撃の準備を早める。

「出力全開」

 メイオウ……

なんとも恐ろしい音がして、胸と両腕の間から光が噴出した。

それは、グレートゼオライマーの新必殺技、「烈・メイオウ攻撃」である。

 今までこんな攻撃をしたことがないのに……

すさまじいまでの衝撃の波が、機体の内部にいる美久の電子頭脳を忘我の境地にさらっていった。 

 

 烈・メイオウ攻撃の一撃は、文字通り強烈だった。

一瞬にして、衛星ガニメデを崩壊させ、宇宙空間からその姿を永遠に消し去ってしまった。

 ショックと感動が同時に美久を襲った。

受ける爆風は操縦席さえ振るわせるのに、飛び切り上等の興奮が次々に沸く。

 もはや美久には、BETAへの攻撃の躊躇などなかった。

むしろハイヴごと、惑星ごと破壊することに喜びさえも覚えた。

 「烈・メイオウ攻撃」の攻撃が木星の各衛星にぶつかると、衝撃波が一気に機体に浴びせられた。

美久は、夢の世界を漂うような心地がした。

「今のは次元連結システムのちょっとした応用にしか過ぎない。

本当の力は、まだまだ、これからだよ……」 

 グレートゼオライマーの操縦席から聞こえるマサキの声を聞いたとき、美久は不安に思った。

木原マサキという底しれない野望を持つ男との関係が、いつまで続くのだろうか。

ぼんやり考えながらも、ゆっくりと機体を動かして、木星の空域から離脱して行った。

*1
強い重力

*2
100億トン




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威力(いりょく)偵察(ていさつ) 中編

 木星に続き、土星偵察を続けるマサキ。
一方その頃、米国では新型爆弾の完成が発表されるのであった。


 土星は太陽系の第6惑星で、これまた巨大なガス惑星であった。

木星との大きな違いは、土星の赤道上を平行に囲む環であった。

 1610年にガリレオ・ガリレイが発見し、最初は耳として紹介された。

今のように環であることが判明したのは、1655年にホイヘンスが確認してからである。

分厚い板のように見える土星の輪は、無数の微小天体の集まりであることが判明している。

 ガス惑星である土星の表面は,厚い大気層に覆われていた。

大気の主成分は、大量の水素・ヘリウム・メタン・アンモニアなどである。

 また土星の衛星・タイタンは厚い大気に覆われており、大気層を含めれば、木星の衛星ガニメデを凌駕する大きさであった。

 別な衛星・エンケラドスは、表面を厚い氷に覆われた白い星であった。

だがこの衛星には、ガニメデやタイタンとは違う変わった傾向があった。

 有機物と謎の熱源、そして液体の水の3つの要素が全て揃っている。

生命体が存続可能な条件がそろっており、地球外生命体の根拠地の一つと推定されるほどであった。

 マサキは、土星そのものではなく、タイタンやエンケラドスなどの衛星に注目した。

土星の衛星は、資源が豊富であり、またタイタンには大気層がある。

そしてエンケラドスには地下に大規模な水源と、マグマを中心とした熱源がある。

 この二大衛星を秘密基地に改造すれば、BETA撃滅の前線基地に仕えるかもしれない。

人工知能を搭載した作業用ロボットを使って、大規模な戦術機工場を作る。

 あるいは巨大戦艦の建造基地にするのも、良いかもしれない。

そんなことから、木星攻略から日を置かずに、土星の攻略にかかったのだ。

 

 衛星・エンケラドスの地表は、全くの暗闇だった。

数万を超えるBETAの影が、目を赤く光らせながら、黙々と行進していた。

 その時である。

突如として起きた大地震と共に地中から、地下のマグマ層が噴き出してきた。

 発生した地震はマサキが引き起こした人工的なものだった

グレートゼオライマーの必殺技で「アトミック・クエイク」

マグニチュード10から12クラスの振動を加えた後に、核ミサイル飽和攻撃を実施する技であった。

 

 また熱泉も天高く吹き上がり、エンケラドスを覆っていた氷の層を溶かしてゆく。

瞬く間に、エンケラドスにはマグマによる小さい沼がたくさんにできてきた。 

氷の熱い表層は酷い泥濘になり、戦車級は、ぬかるみに没し、要塞級は動かない。

加えて、それとみて、いずこから現れたの戦術機隊が、横ざまに機関砲を撃ちかけてきた。

サンダーボルトA-10、6機、F-4Jファントム、6機、計12機である。

 地球からはるかに遠い場所で、推進剤の補給も心もとない場所に、何故戦術機が現れたのであろうか。

それは、マサキが作った人工知能搭載の戦術機部隊であった。

美久に搭載した推論型AIの100分の一の人工知能で、マサキの指示に完璧に動く者であった。

 もちろん人は載っていないから、軌道も回転も制限がなかった。

その上、機関砲の振動も気にしなくてよかったので、余計な心配はほぼなかった。                                                                                

 

 泥のようになったBETA勢は、急転して、マサキが引き連れた戦術機隊へ、突っこんで行った。

 ざ、ざ、ざッと泥飛沫が2万の怪獣に煙り立った。

 と見るまにである! 

 アヴェンジャーGAU-8ガトリング砲が、咆哮をあげ、火を噴いた。

30ミリ機関砲に当たって、そこに倒れ、かしこに倒れ、血を噴いて、呻くものが、列をみだし始めた。

 血けむりの中へ、後続の1万5千の部隊は雲の如く前進を開始して来た。

マサキの方では、それまでの戦闘を、戦術機隊にまかせて、後方で寂としていた。

「よしッ!かたを付けるぞ」

颯爽と、戦術機体の目の前に現れ、射撃形態へ変形を開始した。

「ジェイカイザー、発射準備」

 BETA勢は、グレートゼオライマーを目がけて、幾たびも近づいて来た。

射撃準備が整うまで、無人操縦の戦術機12機が、マサキを護衛した。

ガトリング砲、フェニックスミサイル、滑腔砲などが、無数の敵を撃滅させた。

 だが、彼らはひるまない。

敵は、後から後から繋がってくる。

 無人誘導の戦術機は、粘着性の高い油が充填された、ナパーム弾を投擲する。

戦車級も燃え、突撃級も燃え、要塞級も燃えた。

 ジェイカイザーは次元連結システムを搭載する以上、本来、充填は不要である。

マサキが時間をかけたのは、試射を経ずに、第一射でBETAを殲滅する為であった。

 美久がもう一体のゼオライマーに載っているので、標準を手動でするしかなかったためである。

「発射!」

 ジェイカイザーの一撃は恐るべきものであった。

 大地はとたんに狂震し出した。

山も裂け、雲もちぎれ飛ぶばかりである。

硝煙は周囲をつつみ、まるで蚊の落ちるように、その下にBETAは死屍(しし)を積みかさねた。

 

 

 

 突如として起きた、土星軌道上にある衛星の謎の大爆発。

世界最大を誇るヘール望遠鏡によって、衛星・タイタン消滅の一部始終が観測されていたのだ。

 その件は、直ちに米国の国政の中心であるホワイトハウスに知られることとなった。

それはマサキが基地に帰って、二日後の事であった。

 

 会議の冒頭、NASA局長は、米国大統領に、

大統領閣下(ミスター・プレジデント)

すでに今週に入って、太陽系の各惑星で謎の衛星爆発があったことは聞いておりますね」

「ああ」

「閣下。NASAの方では、これらの事象は人為的なものと考えております」

「それで……」

「実は土星までパイオニア計画で無人機を飛ばしたのを知っておりますね」

「1962年の事だったね」

「閣下、その通りでございます。

あの時に木星と土星にそれぞれ10号と11号が接近し、ガニメデとタイタンから映像を得ました。

何かしらの構造物や生命体らしき存在を、認知しておったのですが……」

 懺悔(ざんげ)とともに、NASA局長が言った。 

「時勢も時勢でしたので、公表はケネディ大統領によって差し控えられておりました」

「ダラス事件がなければ、変わったかね」

「それは何とも言えません」

 

「NASA局長、続けたまえ」

「我々はそれから再分析したのですが……BETAの支配域であることは間違いのない事実でした」

 NASA局長は詫びぬくが、しかし閣僚たちは、ただ笑っていた。

少し離れた位置にいる国防長官が、ようやく口を開いた。

「問題は、大規模な戦闘兵力をいかに素早く送ることですな。

現状ですと、スペースシャトルによる(ネズミ)輸送しかありません」

 

 (ネズミ)輸送とは、大東亜戦争時に帝国海軍が行った駆逐艦による輸送作戦の事である。

当時のガダルカナル島では米軍に制空権を奪われていた。

 その為、同島への部隊輸送・物資補給は困難を極めた。

低速の輸送船ではたちまち戦闘機や潜水艦の餌食になる。

 そこで海軍軍令部が思いついたのは、高速の駆逐艦を利用して行った輸送方法である。

駆逐艦に積める物資を、何度繰り返すことで日本軍の補給路を維持する。

その規模があまりに少なく足りなかったため、前線部隊がそのように揶揄したのであった。

 

 

「だが、他にも方法はある。輸送船は何もスペースシャトルとは限らん」

「!」

 

 ここで読者諸兄も、月面に大規模な派兵に対して疑問に思うだろう。

2020年代の今ですら精々月に有人船を送るのは至難の業、ましてや1970年代は無理ではと。

 マサキが来た並行世界は、我々の知る世界の歴史と大きな乖離があった。

まず1944年に、日本が降伏したばかりではない。

1950年に米国主導で月面着陸が成功し、8年後に火星探査船バイキング1号が火星の調査を終えてた。

 火星の調査を終えた米国は、次の段階に宇宙開発事業を進めた。

それは、太陽系外への学術調査である。

 核パルスエンジンを使用した無人探査船の建造は、地球軌道上で行われた。

調査船発射用の宇宙ステーションとともに調査船イカロス1号も衛星軌道上で建造されたのだ。

 

 

「諸君は、フォン・ブラウン博士を知っておるかね」

 質問とともに、副大統領が言った。

すると、国務長官をはじめ、みな吹き出して、 

「あのV2ロケットを作りし、航空及びロケット工学の泰斗(たいと)

ゲシュタポにつかまった際には、ヒトラー手づから助命嘆願をしたそうですな」

「悪魔にすら魂を売った世紀の大奇人。」

「彼については、私も聞いたことがあります。

晩年はオカルト思想に溺れた狂人でしたな」

と交まぜかえした。

こんな冗談も出るほど、うち解けていたのである。

「それくらいにしたまえ。

さて、そんな彼は、BETAの太陽系進出を恐れ、ある遺言を残した」

 

「さあ、聞かせてもらおうではないか。フォン・ブラウン博士の遺言を」

「はい」

 

「博士は、この太陽系に人類が留まることを危険に感じていたのです……」

「博士が存命だった一昨年までは、ユーラシアの大部分はBETAに占領されていたからね」

「今も月面にはハイヴがございます。時間の問題かと……」

「うむ」

「では聞くが、人類にとって安全な場所はあるかね」

「お見せします」

 

 NASA局長は、部屋を暗くし、スクリーンを用意すると映写機を回し始めた。

 そこには、何やら建造中の巨大な宇宙ロケットのような物が映し出された。

建造作業に参加していた戦術機のと比較を見ると、およそ30倍ほどの縮尺であろうか。

 船体の大きさは、640メートル。

米海軍の最新鋭航空母艦エンタープライズ、その2倍ほどの大きさだった。 

 

 映写機が回る中、しばらくの間沈黙が続いた。

ホワイトハウスの老主人は、つぶやき、眼をほそめる。

「ほう、たいしたものだね。素晴らしい設備だ」

「お褒めにあずかり、光栄にございます」

 NASA局長は、最敬礼の姿勢を取った。

そして居住まいをただした後、画面に映る巨大戦艦の説明を始めた。

「これは、バーナード星系に行くためのロケットです」

 バーナード星系とは、地球から6光年以上離れたへびつかい座にある惑星群の事である。

天体観測から、人類が居住可能な惑星が存在するとされている場所である。

「博士は、バーナード星系こそ人類安住の地と思っていたのです。

我らが理想する、第4のローマ帝国を作り上げるのもバーナード星系でならばと!」

 男の驚くべき発言に、周囲も動揺していた。

6光年も先の、バーナード星系に移住する計画などというのは夢想だにしなかったからだ。

「15年かけて完璧につくった核パルスエンジンの宇宙船、このダイダロス10号。

合成ケロシン燃料や全固形燃料ロケットなどの、今までのガラクタとは、違うのです」

「そうだったのか」

 大統領は、ただ驚きあきれる。

それに対して、閣僚たちの反応は、様々だった。

「予想以上だ」

「素晴らしい。

私たちにもこんな手札が残っていたとは……」

 その話を黙って聞いていた副大統領は、同時に何か考えている風だった。

一頻り、バニラ風味の香りがするシガリロをふかした後、口を開いた。

「これで、合衆国はG元素爆弾の他に切り札を持ったことになる。

安心して、月面降下作戦の計画をすすめたまえ」

 副大統領に最初に質問をしたのは、国防長官は、

「近々行われる月面攻略に関してですが……」

 閣僚の中には困惑の色を示すものも少なくなかった。

FBI長官、保健教育福祉長官*1、運輸長官などの内政を担当する閣僚たちであった。

そんな彼らの事を気にせずに、国防長官は続けた。

「さしあたっては、合衆国の中から、精鋭100名ぐらい募ってはいかがでしょうか」

 話を聞き終えた副大統領は、しばし黙考した後、口を開く。

その様は、どこか満足げな風であった。

「では大統領閣下……

よろしければ、月面降下の計画を国防長官から説明してもらいたいと思いますが……」

 

 国防長官の口から、月面降下の作戦が語られた。

NASAと米軍の案は、至極簡単なものだった。

 地上から飛ばしたスペースシャトルを、まず大気圏外にあるステーションに泊まらせる。

そこで、事前に建造しておいた戦術機用のカーゴ船を連結し、月面に向かう。

 地球上で行わないのは、シャトルの推進剤の使用量をわずかにするためである。

戦術機のような大規模な装備を送るとなれば、月面までの距離は遠い。

 それに莫大な燃料も必用だからである。

燃料が大量に残っていれば、月面から万が一の際に帰還できる。

降下作戦をサクロボスコ事件の二の舞にしないというものだった。

 

「以上の理由から、基礎的な素材を少し持ち込むだけで、月面攻略は難なく進むことでしょう。

ハイヴにあるG元素さえ、我が合衆国の手に入りさえすれば……

それを活用し、何でも作ることが出来ることは、疑いようもございません」

 国防長官の言葉をつなぐようにして、副大統領は相好(そうごう)を崩す。

「国防長官の案は私も検討しましたが、今の所、それがベストでしょう。

英国やフランスをはじめとするEC諸国にもアプローチし始めています」

 国防長官も同じだった。

この際、常任理事国の英仏も巻き込んでしまえと、まくし立てる。

「使い捨ての肉壁となる戦闘要員も、各国から集めつつあります」

 国務長官の言に、国防長官は冷ややかな視線を送る。

使い捨ての肉壁という言葉は、彼の気持ちに衝撃を与えたようだった。

「ただし、極めて厄介な問題がございます。

ソ連をどうやって納得させるかという事です」

 満座の者たちの意見は、ほぼ彼と同じだった。

たしかに、ソ連をどう納得させるかは重要であった。

 BETAに惨めに負け、ゼオライマーの元にも敗れ去った。

だが、いまだ世界最大の核保有国であり、ICBMの恐怖は変わりないのだから。

「これだけ大規模な作戦ですから、ソ連赤軍を刺激するのは必須。

上手く宇宙基地を作れたところで、核ミサイル攻撃などを受ければ……」

 副大統領の答えは実に明快であった。

閣僚たちの目が、彼の下に集まる。

「それについては、私の方で考えがある。

世界を黙らせる良い方法がある。

近いうちに、発表できるであろう」

 これで、月面降下作戦は実施できる。

副大統領の言葉は、大統領を満足させるに十分だった。

「実に欣快(きんかい)だ。

30有余年前のロスアラモスでの出来事が昨日のように思い出されてくる」

満面に喜色をたぎらせながら、

「よし、諸君!盛大な晩餐会を催そう」

 

 その夜、ホワイトハウスでは各界の関係者を集めた盛宴が開かれていた。

総勢、500名の来客を前に、大統領は挨拶を始める。

「今晩の催しに集まってくれた、紳士淑女の諸君(レディース・アンド・ゼントルマン)

私の生涯において、今日ほどうれしい日はない。

少年の日のような心のときめきすら覚える」

 ことばは世のつねのものだが、万感の真情と尊敬がこもっている。

料理も豪華で、贈答品も両手に余るほどだった。

大統領の演説に、万雷の拍手が鳴り響く。

「博士たちよ、よくぞG元素爆弾を完成させてもらった。

米国の知能である各分野の200名の権威者たちの内、3名の物がこれを成功に導いた。

このことは、地上に第4のローマ帝国を建設を可能にし、まさに望外の喜びである」

*1
1959年から1980年まで存在した米国の省庁




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威力(いりょく)偵察(ていさつ) 後編

 英国に留学中のヨーク・ヤウク少尉。
彼はそこで西ドイツ軍のヨアヒム・バルク大尉と邂逅する。
東西ドイツ人の見たロンドンとは……


 ゼオライマーによる威力偵察を受けて、日米両政府は秘密会合を行った。

その際、マサキの資料から判明したのは、違う惑星間でのBETAの連携が見られないという事であった。

 また、土星にあったハイヴの規模は、カシュガルハイヴの2倍という途方もないものであった。

構造物の高さが2キロメートル、最大深度8キロメートル。

核搭載の特殊貫通弾でも、厳しかったであろうことが予測される。

 今回のルナ・ゼロハイヴ攻略に関しては、その前段階として月にある静かの海に前線基地の建設が急務となった。

シャトル着陸地点の他に、月面での資源の活用や、G元素の搬出の為に、基地建設は必須。 

 米国としては、月面探査基地の回復は、重要な国威発動の一環だった。

1950年以来、月面に前線基地を作ってきた歴史もあって、基地建設は絶対譲れない条項だった。

 また前線基地は、補給物資や武器弾薬を貯蔵するにも必要だった。

いくら輸送船での運搬とは言えども、上空からの投下と基地の搬入では運び込める物資の量が格段の差があったからである。

 マサキ自身は、月面を核ミサイルの飽和攻撃で焼き払った後に、ハイヴを消せばよいと考えていたので、彼らの案はまともとは思えなかった。

別に人類は、地球圏の中で暮らせばいいではないかと考えていたのだ。

それは、マサキのいた世界では宇宙開発が月面への着陸で終わっていた為である。

 

  

 さて、米国政府が主導して計画した月面攻略作戦はどうなったであろうか。

第一陣の出発は、半年後の10月と正式に決定された。

 その為に、100名の精鋭が集められることとなった。

 無論、人口2億2千万を誇る米国でも100名の衛士たちを選抜するのは厳しかった。

また、政治的な配慮から、NATOおよび西側諸国からも30名のパイロットが選抜された。

 

 基地奪還を主力とする米兵と違い、NATOおよび西側諸国の兵士たちは決死隊の扱いであった。

部隊への参加に際して、厳しい身辺調査と、誓約書の提出が求められた。

 

 身辺調査の内容は、以下のような物である。

その条件は、非常に厳しく過酷なものであった。

 

 第一に、英語の他に、2か国語を完璧に話す語学力と知性。

仏語、露語など、世界各国で話者が多い言語が望ましい。

 第二に、身長170センチ以上の強靭な肉体。

目だった既往(きおう)歴がなく、五体満足である事。

 第三に、精神的な憂いをなくすために、30歳以下の人物は独身者である事。

例外として、1967年のサクロボスコ事件の参加者は、既婚でも問題ないものとする。

 第四に、階級は将校で、少尉以上。

高等指揮幕僚過程、士官学校卒、戦時任官など、昇進の過程は問わない物とする。

 第五に、勤務経験5年以上である事。

下士官での勤務や、各種軍学校での経歴なども、加算したものとする。

BETA戦争での従軍歴が1年以上あれば、勤務歴5年と計算する。

 

 第一、第二の条件に比して、第三の条件は非常に厳しかった。

当該人物の戸籍はおろか、婚姻歴、子の有無、交友歴まで調べられた。

 正式な法律婚ではなくても、愛人との間に子供がいればアウトだった。

子供の状態は、成人していても、胎児の状態でも、同じだった。

子供がいることが判明すれば、選抜から有無を言わさず、蹴落とされた。

 

 幼い頃から宇宙飛行士の夢を持っていたユルゲンは、当然この選抜に参加した。

ベアトリクスにあてた離縁状と共に血判状を書いて、東独大使に提出するほどだった。

 だが結果から言えば、彼は選考から有無も言わさず除外された。

つい先ごろ、ベアトリクスが生んだ息子のためである。  

 選考から漏れたのは、ベアトリクスの件ばかりではなかった。

実は彼の傍にいた人物が原因だったのである。

 NASAは選考にあたって、ユルゲンの傍にいた人物への徹底的な身辺調査をした。

その際、彼の護衛兼秘書でもあったマライ・ハイゼンベルクからある問題点が浮上した為である。

 

 ユルゲンの同級生であり、彼の副官であったヨーク・ヤウク少尉。

彼は、ちょうど英国のサンドハースト陸軍士官学校に留学中だった。

 ヤウクも、ユルゲンの(ひそみ)(なら)って、もちろん選考に参加した。

そして1度目にして、合格した。

選抜をしたのが、英国空軍であった為もあろう。

 彼は、東ドイツ人で、NATO非加盟の国家の出身。

しかも身長が規定より1センチ足りなく、本来ならば一発不合格である。

どんなに望んでも、再試験に回されたであろう。

 だが、彼は熱心に自己アピールをして、担当官を口説いた。

独身で、反ソ感情の強い人間が月面に立ってハイヴ攻略に参加したことを示せば、ソ連への牽制になるという内容である。

 英国空軍の担当官は、鬼気迫るヤウクの態度に感銘を受け、彼を推薦することにした。

東独空軍士官学校次席で、実戦経験豊富な人物である。

 死地からも幾度となく、ほぼ無傷で生還してきた男である。

彼は難なく、筆記試験と実技を通り越し、晴れて攻撃隊のメンバーに選ばれたのだ。

 

 ドイツ系ロシア人のヤウクにとって、ロンドンでの生活は刺激的だった。

流行りのパンク・ロック音楽、会員制のクラブ。

自由にモノを言える社会に、だれでも自動車を買える資本主義制度……

 華やかな面ばかりではない。

当時の英国は、1960年代から続く長い停滞の時代に入っていた。

戦後長く続いた労働党政権による、国民福祉政策。

 それは産業の分野まで影響し、より保護主義的なものとなった。

相次ぐ企業の国有化に、慢性化するストライキ。

 頼みの綱となっていた自動車産業は、国有化のために国際競争力を失っていた。

当時飛ぶ鳥を落とす勢いの日本車に負け、多くの労働者は路頭に迷った。

 彼のいた1979年は、『不満の冬』と呼ばれる最悪の時期だった。

 街にあふれる多くのゴミに、はびこる違法薬物。

公務員のストも常態化し、警察や消防は人手不足であった。

医者や看護婦はストで出勤せず、墓場では死体が埋められず、鳥獣の餌になった。

 ストライキのために、どれほど酷かったか。

都市部でさえ、暖房用の灯油すら不足し、生木を割って、暖を取るほどである。

路地を歩いていると、何度もエクスタシー*1の密売人に声を掛けられた事か。

 海外暮らしの長いユルゲンから、ロンドンの食事は不味いと言われたが、気にならなかった。

ソ連の一般的な食事よりも、クビンカ空軍基地の給食よりも、おいしかった。

 物価高が深刻で、スターリングポンドの価値も乱高下した。

国から留学資金では厳しくなり、ソ連留学時代にためた外貨を使わざるを得ないほどであった。

 ソ連から東ドイツに仕送りをする際は、外貨しか送れなかったので、ためておいて正解だった。

彼は、一人そう思っていた。

 

 貧しい留学生であったヤウクは、士官学校での外出許可を貰っても出来ることは少なかった。

クラブやバーに行くことなどは、資金面から難しい。

古本を読むか、公園で運動をするくらいしか、楽しみがなかった。

 子供の頃憧れたロンドンが社会主義のために廃墟となっていたとは……

行先のない乞食(ルンペン)のたまり場になっていた、ハイド・パーク公園。

 その一角にあるベンチに座り、タバコをふかしていた時である。

一人の男が、ドイツ語で声をかけてきた。

「おい、ロシア人の兄ちゃん」

 不意に、彼は振りむく。

そこには金剛力士像のような体つきをした、見あげるばかりの実に立派な偉丈夫がいた。

「あんた……ヤウクか……」

 咄嗟に上着の中から、自動拳銃を取り出す。

男は、拳銃を向けられても、不敵な態度を崩さなかった。

「ふっ」

 ヤウクの手に握られていた、自動拳銃ツェラ・メーリス・P1001-0。

それは、カール・ワルサー社の特許権を侵害して作られたPP拳銃の模造品であった。

戦後ソ連によって、ズール県*2ツェラ・メーリス市にあったワルサー社の工場を接収された。

1947年から東独政府は、そこで警察用拳銃として、PP拳銃の違法生産を行っていたのだ。

「さあ、どうしたものかな」

 男の着ていた服装は、実に奇妙だった。

運動着の様な意匠の上着、側章の入ったズボン、合成皮革の長靴であった。

 両方の袖に付けられた、第51戦術機甲大隊の部隊章(ワッペン)

それがなかったら、アディダスのジャージと勘違いしたであろう。

「なるほどな」

 鳩尾まで開けた上着の下は、厚手のティシャツとペンダントだった。

ペンダントは、米軍の認識票を模した私物*3だった。

「おめえ、ただのいい子ちゃんってタイプじゃねえな」

 話し方と言い、服装と言い、やくざ風ではないか。

西ドイツ軍の衛士はこんな感じなのかと、ヤウクは目を丸くするばかりだった。

「ちょっと待ってくれ。今吸っているシケモクで一服させてくれ」

 ヤウクは、両切りタバコを爪の先のぎりぎりの長さまで吸っていた。

火傷しそうなほど短くなったシガレットを、空き缶に捨て、立ち上がる。

彼は、男の無礼を咎めるような眼をして、敢てこう詰問した。

「さあ、いいよ。僕に聞きたい事があるんだろう」

男は、言った。

「あんた、資本主義と社会主義の共存共栄はありうるか」

 厳しい表情をみせる男に、ヤウクは不敵な笑みを浮かべる。

男の質問など、彼は全く相手にしていなかった。

「何、寝ぼけたことを言ってるんだい。

そんな世迷言を言いに、はるばるロンドンまで来たのかい」

 何を今さら、西ドイツの奢りぶりなどを、ここでつぶさに聞く必要があろうか……

そうと、いわんばかりな顔つきである。

「国際関係は、力と力のぶつかり合いだ……

食うか、食われるか……だよ」

 ヤウクは、口をにごす程度で、あえて、強い反対もしなかった。

「だが、(じゃ)(みち)(へび)だ。

状況によっては、敵の敵とさえ、手を結ぶのが国際関係さ」

 ヤウクは容易に話の中心に触れなかったが、しかも何か聴き手の心をつかんでいた。

その答えを聞いて、男は大きくうなずきながら、

「飯でも食おうか、ヤウクさんよ」

彼を、食事に誘うことにしたのだ。

 

 食事は、ロンドン市内にある中華街で行われた。

代金は男持ちで、ヤウクは一銭も身銭を切らずに済んだ。

 質の高い紹興酒が、饗された。

西ドイツ軍人は、ヤウクにすすめ、共に酒を飲みながら、彼の問わず語りが始まった。

 男の名前は、ヨアヒム・バルク。

第51戦術機甲大隊「フッケバイン」所属の大尉だという。

 その話を聞いた瞬間、彼は第51戦車大隊を思い浮かべた。

クルクス防衛戦で「大ドイツ師団(グロース・ドイッチュラント)」の麾下に入った戦車部隊だ。

西ドイツは、第三帝国時代の国防軍最精鋭部隊の名称までつかっているのか……

思わず苦笑してしまうほどであった。

 西ドイツ軍では訓練の一環として、海外での研修が行われていた。

米本土に飛行訓練大隊が二個、英国のウェールズに戦車大隊が常駐しているという。

 西ドイツ軍はNATOの任務割り当てで、低空侵入による航空阻止を担当していた。

その為、連邦空軍(ルフトバッフェ)では過酷な訓練で、事故死が常態化しているほどであった。

 保有する戦術機の4分の1は訓練で既に失われていた。

だが、18機編成の戦術機隊に、予備機が16機あり、保有数は34機という大規模な部隊であった。

 その話を聞いて、ヤウクは、西ドイツ軍が少しばかり羨ましくなった。

ソ連軍は東ドイツをけっして信用せず、戦車や航空機の自主開発はおろか、重機関銃どころか、小銃でさえ旧式しか渡さなかった。

 中近東に派遣された軍事顧問団も、シュタージのジェルジンスキー衛兵連隊が中心で、国家人民軍は東独政府とソ連から全く信用されていなかった。

1968年のプラハの春事件当時、第7戦車師団*4に師団長としていたシュトラハヴィッツ。

彼は、ソ連での高級将校の教育課程*5を終えていたので、視察団としてプラハ入市が許可された。

 だが、東独軍としては、『プラハの春』への介入は許されなかった。

それは1939年のチェコ併合から30周年ということと、ソ連赤軍がチェコスロバキアの国民感情を考慮しての措置であった。

 この事実からも、ソ連は決して東ドイツ軍を内心許していなかった。

西ドイツ軍に高度な飛行訓練を実施していた米軍のそれとは、対照的であった。

 

 食事の後、彼らはロンドン市内を散策していた。

その内、 テムズ川の周辺に広がる貧民窟が一望できる場所に移動する。

「何を考えてるんだ、バルクさん」

「見るがいい。これがロンドンの光と影だ」

 テムズ川をはさんで、眩い摩天楼と貧民窟がみえる。

摩天楼は星空を地上に下したように、きらびやかで美しい。

半面、貧民窟は、カザフスタンで見たソ連市民の住宅よりひどい有様であった。

 Rの音の強い英語を話す、(ナツメ)の様に肌の浅黒い人々。

住民の発音から、ヤウクは、インドか、パキスタンからの移民であることを理解した。 

 当時の英国は、労働力不足から大量の移民を受け入れていた。

その多くは、旧植民地からの出稼ぎで、黒人やインド人などの有色人種であった。

「ドイツも東西統一がなれば、東側から富を求めて押し寄せるだろう」

 バルクは、タバコを燻らせながら、ヤウクに語りかけた。

脇にいるヤウクも、彼に分けてもらったステートエクスプレス555*6を吹かしていた。 

「ドイツの富は食い荒らされて、やせ細る。

いずれこの光景は、ドイツ全土に広がる……」

 ロシア系なのに酒があまり得意ではないヤウクにとって、タバコは非常に重要な娯楽品であった。

ソ連留学時は、マホルカや高級煙草の「白海運河(ベルモルカナール)」、口付き(パピロス)「カズベック」、何でも吸った。

酸っぱい煙草も苦い煙草も吸ってきた。

 バルクから貰ったタバコは、癖がなくて上品な味わいだが、物足りなく感じてしまう。 

そんな事を考えながら、バルクの話を聞き流していた。

「そこで政府にいる年寄りどもが考えたのが、共存共栄路線だ」

ヤウクは、バルクのその言葉に(ばつ)を合わせる。

「ご老人は、どこでも同じことを考える」

 バルクはタバコを()いながら、

「ヤウクさん、あんた生まれは」

「僕は捨て猫みたいなものさ」

 ヤウクの言葉は、彼の来歴を簡単にあらわしたようなものだった。

ロシア系ドイツ人の運命は、常に時代にほんろうされる存在だった。

 18世紀に請われて、ロシアに渡った彼らの運命は、一言で言えば過酷だった。

帝政時代も、ソ連になってからも、同じだった。

 一定の自治を認めるようで、その政治情勢で強制的に同化を求められた。

ソ連では、選挙権も徴兵権も剥奪され、カザフスタンにある居留地に留め置かれた。

 追放された東ドイツの地でも、ロシア人として扱われた。

自分は、民族はドイツ人でありながら、人から見ればロシア人なのだろう。

 生まれた時から恵まれた立場にいるユルゲンとアイリスディーナの兄妹。

党の大幹部の孫娘ベアトリクスなどとは、全然違うのだ。

 それにロシア系ドイツ人とは言え、先住民のソルブ人の様に少数民族の得点はない。

上級学校への無資格での入学やソルブ語の使用のような、手厚い保護もない。

 だから、ドイツ社会からも、ロシア社会からも捨てられた存在なのだ。

それ故に、捨て猫みたいな物と、つい、本音を口走ったのだ。

「君も同じだろう。暖衣飽食の育ちとは思えない」

ヤウクはつぶやくように、そういってから、眼をバルクに向けた。 

「この大戦争の時代、生きようと思ったら這い上がるしかねえ。

生きるも死ぬも自分の能力さ」

 バルクは、得意になって、相好を崩しながらヤウクはへ言った。

ヤウクは、苦笑をもちながら、ただうなずいた。

「つまり僕たちが生き残るには、方法は一つしかない」

「頭になるしかない」

ヤウクは、夢でもさめたように、急にからりと面を見せる。

「君の話だと、国を乗っ取るしかない」

問われたことには答えず、バルクは、

「おめえさんが担いでいるシュトラハヴィッツ。

あの爺を神輿にして、東ドイツの世論を統一にまとめる。

そして、統一ドイツの旗、ブルッセルにおっ立てる!」

 タバコを吸い終ると、こういって、ヤウクの方をふり向いた。

 変な事を、臆面もなく言う男。

ヤウクは、感心しているような、またすこし、鼻白んだ*7ような面持ちで、まじまじと、バルクの口元を見まもった。

「これは木原が作ったグレートゼオライマーの資料映像だ。

土産に不足はねえだろう」

「確かに土産に不足はない。だけどそんなもので動く簡単な話ではない。

しかも、君の肚の中にある真意はつかめていない」

ヤウクは、当然なことを、当然いっているような態度である。

「ハハハハハ」

 ここで、ヤウクは軽く笑った。

ぽいと、かわされた形である。

バルクは気がついたもののごとく、急に慇懃の言葉をかさねて、

「駄目ってことですか……」

 バルクは、一応口をつぐんだ。

けれどヤウクは、それを不愉快らしくは少しも聞かなかった。

むしろこういうはっきりした男も、大いによろしい。

「だけど君は僕に気に入ることを一つ言った」

 バルクは、使うには、使いよいことなども考えられた。

いや多分にそういう男であるから、さして不快とする理由もなかったのである。

「統一ドイツの旗、ブルッセルにおっ立てる」

 ヤウクは、バルクがどういう態度をとるか細心の注意を払ってみていた。

彼の心が、一体どこを目的にしているか、窺知(きち)*8しようとしていた。

「フッ、それでいいんだよ。

他人が何考えてようが関係えねえ」

 その言葉に、少しもわざとらしいところはない。

ヤウクは眼をかがやかして、バルクの面を見まもった。

「俺たちの目的は、同じ場所にある。

だから同じ月面作戦の船に乗る。

同じ作戦に参加したからって、一生親友って間柄じゃねえんだ」

 ヤウクも、それには異存はなかった。

だが、そうする内に、空は赤く暮れていた。

「では、今度」

ヤウクは、バルクと別れ、帰営の途に就いた。

*1
麻薬指定のされた向精神薬・MDMAの俗称

*2
今日のドイツ連邦テューリンゲン州シュマルカルデン=マイニンゲン郡

*3
ドイツ軍の認識票は戦前戦後も変わらず、一枚の金属板に番号や血液型を打刻し、切り取り線から非常時に割る形であった。これは東西ドイツとも同じであり、現在のドイツ連邦軍もこの形式を残している

*4
第3軍管区・ドレスデンに拠点を置く東ドイツの戦車師団。なお『隻影のベルンハルト』では、第5軍管区・エゲジーンの第9師団となっているが、恐らく誤植である。本作では史実を反映して、第7師団に変更した

*5
東ドイツ軍ではソ連での2年間の高級将校教育課程があった

*6
英国のタバコ会社BATから、発売されている箱入りの高級紙巻タバコ。1896年発売開始

*7
気おくれした顔つきをする。また、興が覚める様

*8
うかがい知ろうとすること




 ご意見、ご感想お待ちしております。


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秘密(ひみつ)交渉(こうしょう) 前編

 突如として出てきた日ソ間のエネルギー交渉。
赤軍参謀総長の狙いとは……
その報に接したマサキの対応や、如何に……  


 月面攻略作戦に関して、国際連合は無意味だった。

米国主導での国連軍結成は、79年1月から3月にかけて安保理で審議された。

 だが、ソ連の拒否権行使、中共の棄権により何ら具体的結論を得られなかった。

 まず中共が棄権した理由は、単純だった。

支那の国土は、未だBETAの災いから回復しておらず、軍を外征できる状態ではなかったためである。

 そして、近隣諸国との外交問題を抱えていた為である。

ソ連の衛星国である北ベトナムとの対立と、カンボジア問題に関する方針である。

 ソ連は、国連軍結成に際して、ある要望を米国に求めてきた。

G元素の戦略兵器指定を打診し、第二次戦略兵器制限交渉の中に入れるよう要求した。

軍縮を進めたい米国国務省や国防省は、その流れに応じる姿勢を見せ始めた。

 しかし、米国議会はその表明に反発し、ヘルシンキで交渉中だった戦略兵器削減条約の批准を拒否した。

意趣返しと言わんばかりに、ソ連は安保理に上がるすべての議題を拒否するという事態に陥った。

 その為に国連に向けられる世人の目は厳しかった。

安保理は、政治的解決に資する場所とは考えられず、有閑(ゆうかん)老人の茶話会と揶揄された。

 

 マサキが威力偵察を行った話は、ソ連にも漏れ伝わっていた。

グレートゼオライマーに関する情報は、斯衛軍に潜入したGRUスパイによってリークされた。

即座に在京のソ連大使館から、ウラジオストックのソ連共産党本部に渡っていた。

以上の理由から、ソ連共産党は、マサキの太陽系におけるBETA殲滅作戦の実態を把握していた。

 無論、手をこまねいているばかりの彼等ではない。

様々な手練手管を使って、G元素の開発に参加する方策に乗り出したのだ。

 

書記長の質問から始まった、臨時閣議は以下のようなものだった。

「この作戦は、木原による単独行動かね」

 書記長からの問いに、GRU部長は、驚いたふうもない。

事実、マサキの行動には、ソ連の上下とも、麻痺していた。

「……ともいえません。

つまり、CIAの指示により、日本の情報省が極秘に調査したという様な……」

「CIAが動いているのかね」

GRU部長は、CIAの同行をスパイから報告を受けながら、いま知ったように、わざと言った。

「CIAと、非常に強いつながりを持ったものが背後にいるとしか……」

「CIAは何を画策しているのか。

その背後関係を調べたまえ。その上で最高幹部会議で結論を出す」

GRU部長は、ゆがめていた唇もとから一笑を放って、

「これは、KGBとしても、うかうかしておれませんな」

KGB長官はわざと冷静に、そしてさもいぶかしげな眉をして問い返した。

「何……KGBとしては、かえって、復讐心が湧くというものですよ」

と、天井を仰いで言った。

 

 

「ところで米軍が新作戦を練っているらしい」

議長がつぶやいた一言に、一方の外相も、ぴくりと顔をあげていた。

「新作戦?」

「作戦内容はまだわかってないらしい」

 

 今、中に飛び込んでいったら、参加したNATO諸国の立場がなくなるどころか、話のこじれ方によっては緊張緩和(デタント)そのものの崩壊もありうる。

外相という立場の判断で、グロムイコは途中参加をためらった。

 このまま、放っておける問題ではないと思ったが、下手な行動は慎まねばならない。

第一、赤軍を散々苦しめた重光線級がいるかさえも、十分にわかっていないからだ。

確実なのは、木原マサキが土星への威力偵察をしたという事実だけ。

 なぜ木原が、単独で……

これが解明されなければ、迂闊(うかつ)に介入できない。

かといって、このまま知らぬふりをすることは、なおの事、出来なかった。

 

「同志議長」

()していた参謀総長が、そのとき、初めて口をひらいた。

「ん?」 

「私は、木原に話し合いを申し入れようと思っております」

 その場に衝撃が走った。

室中、氷を敷き詰めたように冷え冷えとした空気が、政治局員たちを包む。

「そんなはずは、ない」

「君の楽観論で、あろう」

「何かの、まちがいか?」

人々は、仰天して、騒いだ。

 

 混乱を受けてか、チェルネンコは、途端に驚愕の色をあらわす。

両手を広げて、参謀総長の方に振り返った。

「木原と話し合い?」

 外相は、参謀総長の提案を一笑の下に切り捨てた。

日ソの外交関係の30年を知っているものにとって、その提案はあまりにも馬鹿げていた為である。

「同志参謀総長。冗談は、よしてくれ」

「私は真剣です」

 

 最近のマサキの心境なども、ソ連赤軍には的確にまだつかめていない。

洞穴(ほらあな)に隠れる熊みたいに、それは不気味な感がある。

なので、「まずは、ヘタに触さわるな」と様子を見ていたのである。

 それをいま、議長が、

「で、日本野郎と会って、何を話し合おうというのだね」

さも憎げに怒りをもらしたので、参謀総長にすれば、マサキの秘密を探る、勿怪(もっけ)の幸いと、すぐ考えられていた。

「G元素の共同開発を申し出るのです」

 参謀総長は口付きタバコの「白海運河」を出して、火をつけた。

話をほかへ持ってゆく手段である。

さし当って、マサキの作戦の狙いとは、何なのかか。

それを、議長の権力でつきとめさせたい。

「いかがなものでしょう」

 参謀総長は、すすめた。

マサキに思うところのある、KGB長官も、当惑顔のほかなく、

「ま、皆さま、お静まり下さい」

と、左右をなだめ、

「同志参謀総長、それは夢物語ですよ。

我らとG元素の共同開発を進めるなんて、日本野郎(ヤポーシカ)が応じると思うんですか!」

 KGB長官が、米ソの間を行き来している日本の立場をはなす。

参謀総長はまた、わざとのように、彼の気弱さを、あざわらった。

「出来るかどうか、一応話し合ってみるべきですな」

それを聞いていた外相は、勃然(ぼつぜん)と怒って、

「議長殺しの悪党と、誰が話し合いに行くというのか!」

黙然と、見つめていたが、やがて参謀総長は、フフフフと、唇を抑えて失笑した。

「この私が交渉に応じるのです」

 独り嘆じるが如く、うそぶいた。

外相は、眉をひそめた。

「そいつは、あまりにも冒険主義的過ぎる」

 参謀総長は、取り上げない。

雑談のように軽く聞き流して、

「私は考えに考え抜いた後、それをいっているのだ。

今こそ、話し合いが必要なのだと……」

 KGB長官は、いやいやうなずいた。

彼として、おもしろくない赤軍の形勢にふと気が重かったものだろう。

 参謀総長は、自分の席から上座を仰いだ。

「木原は、ハバロフスクを爆破し、そしてベイルートまでも爆破した。

如何に長大な力を示そうとは言っても、このままいけばソ連の、いや地球の破滅を招く」

参謀総長は、力をこめた。

「現に、東ドイツをはじめとする東欧諸国はこぞってNATOの軍門に下りました。

国際関係のねじれは酷くなる一方で、その内、中近東での影響力を失う遠因になります」

 参謀総長の言は、たしかにチェルネンコ議長の胸中の秘を射たものであった。

東欧諸国の相次ぐ離反は、いま党指導部の悩みであった。

その対策、原因について、政府中で、やかましい問題となっている。

「これは、核による力の均衡が、崩れてきている証拠です。

この破滅から逃れるには、日本野郎を一時的に利用するしか、ありますまい。

同志議長、どうぞご裁可を」

 赤軍参謀総長の熱心な説得に、チェルネンコ議長はついに決心した。

「君の責任で、やり給え」

 チェルネンコは初め、驚きもし、狼狽気味でもあったが、ついに打ち割ってこういった。

参謀総長は議長の裁可を拝して、押しいただき、

「ありがとうございます」

 議長をはじめとする閣僚たちに、謝辞を述べる。 

議場にかかる真影と国旗に最敬礼をした後、そのままその場から下がった。

 

 即日、マサキとの交渉提案は、ソ連外務省を通じて、駐日大使館から行われた。

その電報に関する通告を、参謀総長は、日の傾いた執務室で受け取っていた。

「一応、大使館ルートだけではなく、通商代表部からも頼んでおきましたが……」 

「そうか……下がってよろしい」

 参謀総長付の女性秘書が下がった後も、赤軍参謀総長は思い悩んでいた。

一煎(いっせん)の熱いグルジア茶*1を味わいながらも、その愁眉(しゅうび)は開かれなかった。

「心配ですな……」

 副官であるブドミール・ロゴフスキー中尉は、赤軍参謀総長に不安げに訊ねた。 

「うむ……私は、ソ連の将軍ではなく、一軍人として交渉に行くんだ。

一番の適任者だ」

「相手は、あのゼオライマーのパイロットですよ。

あのような血に飢えた野獣などと……」

 参謀総長は机の上にある煙草盆から、口付きタバコ(パピロス)の「白海運河」を取り出した。

マッチで、静かに紫煙を燻らせると、

「何時かは、誰かがやらねばならぬことなのだよ……

日ソ間の長いわだかまりは、簡単に解けないことは判っている。

だが、平和という名の、幸運の(うさぎ)は、切り株を守っているばかりでは、やって来ないのだ」

 男は『韓非子(かんぴし)』にある守株(しゅしゅ)待兎(たいと)の話を引き合いに出して、若い中尉に説いた。

ロゴフスキーは、言下に答えて、こう言った。

「たしかに、ドイツ人(ネメーツキ)に出来て、我らに出来ぬ道理(どうり)はございませんな」

赤軍参謀総長は、わが意を得たるものとしてうなずいた。

 

 

 その頃、日本政府は。 

洛中にある首相官邸に、マサキ達を呼び出していた。

 議場には、三権の長と、官房長官をはじめとした国務大臣。

ずらりと次官と次官級の高級官僚が居並んでいた。

「この報告は……本当かね、木原君。

木星と土星にもBETAが存在し、ハイヴが建設されていたというが……」

官房長官の言葉を受けて、マサキは氷のように冷たく答えた。

「木星の衛星ガニメデと、土星の衛星タイタンは、早い時期にはBETAの手に落ちていた」

 そう告げると言葉を切り、タバコに火をつける。

上司の前で平然と喫煙する姿に、さしもの美久もあきれ果てるばかりであった。

「記録フィルムはあるかね」

「ああ」

「見せたまえ」

 映写機から映し出されたのは、ガニメデでの戦闘記録であった。

氷で覆われた氷天体の5000キロの衛星内に、凄惨(せいさん)な地獄絵が繰り広げられている。

「これが、ジェイカイザー」

 グレートゼオライマーが長距離射撃用の砲身に変形した様が映された。

「そして、オメガ・プロトンサンダー」

 背中に付いた羽根型の大型バインダーの先端が、クローズアップされる。

先端から飛び出した蟹のはさみに似た形状のものが、原子核破壊砲の装置であった。

「標準なしの1斉射で、ジェイカイザーは、60万。

プロトンサンダーでは、200万のBETAを一瞬のうちに灰にすることが出来る」  

 酸鼻(さんび)奈落(ならく)(そこ)で、超然とそびえるグレートゼオライマー。

その姿は、地獄の業火の中から燦然(さんぜん)と現れる閻魔(えんま)王にさえ思えた。

「むう……これほどとは!」

 首相のおもてには、どこにもほっとした容子はない。

土星BETAの殲滅(せんめつ)報告をマサキから受けて、安堵もあるはずなのに、それとは逆な様子だった。

「これからだ! ……。むずかしいのは」

独り呟いているかのような硬めた眉の影だった。

 

 

 内閣の質疑から解放されたマサキは、官邸近くにある喫茶店にいた。

個人経営の店であったが、政府関係者が主な客で、半ば職員用の休憩所であった。

 美久とともに軽食を取りながら、熱いカフェラテとタバコで一服していた。

すると、二人の人影が現れた。

 白銀と鎧衣である。

白銀は帽子を脱ぐと、一礼をした後、

「先生宛に、ソ連外務省から連絡がありました」

「何!」

 マサキは、どきとした色で、聞き返す。

それの実否を、ただす()もなかった。

「エネルギーの共同開発を行いたいので、返答が欲しいそうです」

 ソ連の国際的立場が危ういから、G元素の開発にかじを切ったのか。

そんな余裕が、どこにあるか、と言いたげに、マサキは眼を丸くした。

「エネルギーの共同開発だと!」

と、マサキは感情まる出しに、怒った。

「ソ連の奴ら、何を寝ぼけたことを言ってるのだ」

「断りますか……」

「その必要はない。捨ておけ!」

 鎧衣と白銀は、思わず顔を見合せた。

思い当りがなくもないからであった。

 

「木原君……」

この時、鎧衣はチャンスとばかりに、マサキに水を向けた。

「なんだ、鎧衣!」

鎧衣は、マサキにそれとなく探りを入れてきた。

「考えようによっては、またとない機会……」

マサキは、むきになって、言いまくしたものだった。

「良い機会だと!」

臆面もなく鎧衣は、彼に打ち明けたことだった。

「ソ連の交渉に応じて、その間にG元素を全て米軍に渡せばよいのではないか」

 鎧衣と白銀は、特に示し合わせた訳ではなかった。

だが、目を見合ううちに、互いの心をお読み取っていた。

「なるほど、それは良いですね。

先生、奴らの提案に応じてください」

 白銀からの思わぬ発言に、ギョっとしつつもマサキは必死に心を静めた。

おおよその状況を把握してから、どう行動するか決めようと思ったのだ。

「……」

 マサキは、途方に暮れた眉だった。

会話は、そこで途切れてしまった。

 

 

 喫茶店での話もそぞろに、マサキは岐阜基地の格納庫に戻っていた。

対BETA用の新兵器の最終調整を一人進めているところに、美久は声をかける。

 

「これはなんですか」

 美久が見たものは、奇妙なものだった。

タンクローリー用のセミトレーラーを流用したもので、横倒しのタンクを縦に配置し直したものである。

全高11.97メートル、全長3.095メートルもあり、タンクの背面には何やら連結器のような物が見えた。

「農薬噴霧器ではない。

俺が作った、真空でも使える新型の火炎放射器だ。

タンクの最大容量は、240000ガロン*2、最大有効射程は、3キロメートル。

ファントムの内部タンクは、2000ガロンだから、120機分だ」

 可燃性燃料を満載したタンクの前である。

さしものマサキもタバコに火を付けずに、口にくわえているばかりであった。

「次元連結システムを応用した装置で、一回の火炎放射で1500度の高温まで発射できる」

 マサキが説明した装置は、M2A1火炎放射器を10倍ほどの大きさにしたようなものだった。

色は黒に近い深緑色に染められ、戦術機の両腕で保持できるようにグリップが装備されていた。

「この棒型のグリップは手元に手繰り寄せるポンプ式で、連続30分の火炎放射が可能だ。

また燃料タンクの容量から30時間の使用が可能で、最悪の場合、戦術機の増槽としても使える」

 タンクには可燃性の燃料が満載している為であろう。

黒色の板に黄色の反射性の材料で、「危」と表示した標識が設置してあった。

「あと、真空ナパーム弾や、戦術機に装備する電子光線銃の開発も続けている。

これが完成すれば、BETAに近寄らずにハイヴごと奇麗に焼けて、跡地利用にも問題ない」

 そういいながら格納庫から出て、外にある自動販売機の前に移動する。

マサキは格納庫の扉が閉まったことを確認すると、胸ポケットから使い捨てライターを出した。

「どうせ人の住んでいない月面です。

いっその事、核ミサイルを使えば済むのではありませんか……」

「お前も、すこしばかり過激な事を言うようになったな……」

 いささか感傷的になったマサキに、美久も同調した。

胸がつまった。

「美久、お前はゴキブリやネズミを退治するのに家を爆破するのか……」

ポツリと漏らしたマサキの言葉だったが、美久には皮肉に聞こえた。

「違います……」

「いや、違うはずがない」

「違うと言ったら、違います」

 マサキは勝ち誇ったような笑みを浮かべると、マサキは煙草に火をつけた。

ホープのアメリカンブレンドの何とも言えない香りが、その場に広がる。

「核爆弾を使うということは、ゴキブリごときで家を爆破する様なものだ。

俺としては、後に得られる資源の為にBETAとその副産物であるG元素だけを焼くことにした」

 そういわれると、何も言い返せなかった。

確かに、核弾頭による飽和攻撃という自分の提案は月面の資源採掘を遅らせる原因になる。

 

 ……マサキさん。

 この世界に来てから、あなたは変わりましたね。

以前でしたら、きっとハイヴどころか、惑星ごと爆破していたでしょう。

だいぶ優しくなられましたね……

 美久はマサキの変化に内心驚きつつ、また喜んでいた。

くぐってきた修羅場の数だけしたたかになり、強くなってきた。

以前には感じられなかった、マサキの精神的な成長を実感するほどであった。

*1
茶葉の栽培の北限はグルジアである。ロシアの茶葉栽培は、クリミア戦争後に始まり、帝政時代・ソ連時代を通じて、その茶葉はソ連圏に輸出された。支那やインドからの輸入品が出回ると需要が減り、ソ連崩壊前には質はかなり低下した。今日はグルジア政府の肝いりもあって、品質はソ連全盛期の頃まで復活した

*2
1米液量ガロン=3.785リットル




 このところ、前・中・後・編の三回で話を回していますが、真ん中の話も読んでほしいなというのが作者からの意見です。
 まあ、無駄な展開が多いと言われればそうですが、真ん中の話にも重要な事は書いてますからね。
 飛ばしてしまうと、後で分からなくなることもあるのですが……

 率直なご意見、ご感想お待ちしております。
誤字報告、事実関係の間違い、ご評価もよろしくお願いします。


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秘密(ひみつ)交渉(こうしょう) 中編

 日ソ会談を前に、マサキはパキスタン入りした。
他方、ソ連の外交使節団は、インドで手厚いもてなしを受ける。
この会談の行方は……


 日ソ間交渉は、第三世界*1で行われることが決定し、日本代表団は直ちに南に向けて出発した。

マサキたち一行は、パキスタンに来ていた。

 日本政府のチャーターした日本航空で、大型機のDC-10。

 羽田から14時間のフライトで、イスラマバード国際空港に着陸した。

 チャーターしたDC-10の搭乗口から、伸びる赤い絨毯。

居並ぶ儀仗兵に、大臣や通訳などの外交関係者。

 その先には、灰色の詰襟姿の偉丈夫が立っていた。

男は、外交使節団長の御剣(みつるぎ)と話した後、マサキの方に歩み寄ってきた。 

右手を差し出し、握手をすると、

「やあ、パキスタンへようこそ。

貴方が歴戦の強者、木原博士ですか。噂はかねがね伺っております」

 声をかけてきた男は、パキスタンの大統領だった。

左派政策を進める首相をクーデターで追放した人物でもあった。

「機会があれば、もっと早く来る筈であったが、途中で手間取ってな……」

 マサキは、なお少し、ためらっている風だった。

彼は、はなはだ冴えない顔をしていた。

ふと御剣のうしろに立って、ニヤニヤ笑みをふくんでいる鎧衣が眼についた。

『鎧衣め、俺の気弱さを笑うのか……

よし、ここはひと騒ぎを起こしてやろう』

 マサキも、遂に肚をきめた。

パキスタンに核を配備し、ソ連と友好関係にあるインドを叩くことにした。 

「パキスタンは、インド亜大陸における自由の砦だ。

俺個人としては、貴様らの核武装には全面的に賛成している。

核によるソ連の封じ込めの方が、核軍縮などという、ソ連を利する愚策より、ずっとましだ。

パキスタンの核をもって、ウズベクのタシケント空軍基地を攻撃させる。

その方が世界平和に寄与する」

 思えば、日本外交の不幸と悲劇は、対露融和の政治家が対外政策を行うことによって発生した。

幕末の川路(かわじ)聖謨(としあきら)であり、明治初期の榎本(えのもと)武明(たけあき)の領土割譲である。

 また大正期の後藤新平や戦前の東郷重徳、松岡洋介らの誤ったソ連接近である。

あの時、日ソ不可侵条約などなければ、ドイツを支援すべく、満蒙(まんもう)の地からシベリアに進撃したであろう。

 ソ連崩壊も1991年を待たたずに、50年早く訪れていたであろう。

ソ連への第二のシベリア出兵は、世界から共産主義の闇を消す「聖戦」となったかもしれない。

あの大東亜戦争の悲劇も、またふせげたのではなかろうか。

 対露対決という姿勢で日本の外交を行うとき、日本は世界に輝く国家となる。

明治において、対露姿勢を明確にした陸奥宗光や小村寿太郎が外相を務めた時、日本の外交は万全となった。

そして、日露戦争に勝利したとき、日本は世界の列強に伍する国家になった。

 マサキは、個人的な恨みも含めて、対露対決こそ国益にかなうと信じてやまなかった。 

彼は、自らの信念を打ち明けることで、大きな歓喜を、その声にも、満面にも現した。

「南アジア最大の戦場で、暴れまわるのは、俺の夢。

何としても、ゼオライマーの力をみてほしい」

 マサキは、爆発寸前の印パ関係を煽り立てるような語気で、なお言った。

すると男は、皮肉な笑みをたたえながら、早くもマサキの来意を読んでいた。

「それは心強い限りです。

ところで、ちょっと厄介(やっかい)な事が有りまして……」

「厄介な事?」

「時間がありません。

詳しいことは、道々(みちみち)話しましょう」

 車中、マサキは大統領から詳しい話を聞いた。

男の言う厄介ごととは、印パの領土問題である。

 両国の関係は、インド亜大陸の背後にあるヒンズークシ山脈からのBETAの排除後、再び悪化の様相を見せ始めていた。

建国以来の懸念事項である、カシミール問題が再燃しつつあったためであった。

 BETA戦争にかこつけた、インドへの膨大なソ連からの軍事支援。

それに対し、米国の行動は、早かった。

 隣国パキスタンに対して、米国議会は核技術の輸出を正式に許可。

その内容は、遠心分離機、ウラン、パーシング2ミサイルの設計図面等である。

 既にパキスタンは、中共に核技術の提供を受け始めていた。

今回の米国議会の輸出許可は、それを追認した形となった。

 

 マサキたちがパキスタンに来た理由は、今回の会談に先立つものである。

日ソのエネルギー交渉は、インド洋に浮かぶ島国モルディブで行われることとなった。

 それに合わせたかのように、ソ連外交団はインド入りしていた。

 親善訪問の名目で、ウラジオストックから大艦隊、約30隻。

太平洋艦隊旗艦、ソビエツキー・ソユーズと複数の軍艦で、ほぼすべてがミサイル巡洋艦だった。

 特に目を引いたのが、新造艦であるソビエツカヤ・ウクライナである。

 全長399メートル、最大幅35メートル、最大船速38ノット。

Ka-25*2を2基、露天係留し、戦術機も分解状態なら1機搭載可能だった。

 最新式の防空レーダーMR-710「フレガート」に、主砲として20インチ砲12門。

対空火器としては、AK-630自動機関砲24基、短SAM54基。

S-300の艦艇用は未開発の為、搭載されなかったが、恐るべき火力投射力を持つ戦艦であった。

 しかも、最新式のOK-900A原子炉という加圧水型原子炉を3基装備していた。

推進装置として、スクリュープロペラを5軸備えていた。

 この艦は、ソビエツキー・ソユーズ級2番艦で、建造中にドイツ軍によって接収、後に破壊されたはずだった。

しかしBETA戦争の非常時ということで、世界初の原子力戦艦として蘇ったのだ。

 

 インドは、ソ連の最新戦艦の寄港に沸いていた。

インドの首相は、シェルワニという民族衣装をまとって、すぐムンバイ港へ出迎えた。

 見れば、ソ連外交団の車は、儀仗を持った数百名の衛兵にかこまれ、行装の絢爛(けんらん)は、かつてのムガル帝国の儀仗と見まがうばかりであった。

「遠いところを良くいらっしゃいました。

あなた方、ソ連こそ、わがインドにおける最大の友人です。

今日は、わが国土に、紫雲(しうん)の降りたような光栄を覚えます」

 インドの首相は、ソ連の外交団長を、高座に迎えて、最大の礼を尽した。

外交団長も、インドの歓待に、大満足な様子であった。、

 やがて、日が暮れると共に、タージマハルホテルで盛宴の帳は開かれた。

赤軍参謀総長ら、550名の使節団は、酒泉を汲みあい、歓語(かんご)の声が沸き返った。

 インドはロシア人にとって常夏の国なので、ソ連軍人の服装は軽装だった。

青色のウール製の礼装(ムンジール)ではなく、灰色の盛夏服と呼ばれる服装だった。

将官は、両前合わせの灰色の上着に、濃紺のズボンの夏季将官勤務服。

佐官以下の将校は、薄いカーキ色上下に、ネクタイとワイシャツの熱帯勤務服。

海軍将校は、1号軍装と言われる白い上下の夏服だった。

 

 赤軍参謀総長は、インド側の歓待に斜めならぬ機嫌である。

非常な喜色で、ソ連とインドの関係を強調した。  

「アハハ、安心するがいい。

悪辣な契丹(きったん)の侵略者が来ても、ソ連赤軍がいる限り、指一本も触れさせん」

 契丹とは、トルコ方面における支那の雅称である。

(りょう)王朝*3を建設した民族に由来し、ロシア語の支那を指し示す、Китай(キタイ)という言葉の語源である。

 

 首相は秘蔵の酒を開け、銀製の酒杯についで、献じながら静かにささやいた。

「なんとも心強いお言葉ですな。同志参謀総長」

参謀総長は、飲んで、

「その代わり、代償として南インドの開発は我らの思う通りに存分にやらせてもらうぞ」

「はい、ムンバイの湾港建設などお望みのままに……」

「お望みのままにか……フハハハハ」

 赤軍参謀総長の甘い言葉と軍事支援に、インドの指導部はこびへつらい、膨大な権益を提供するのであった。

核ミサイルと新型の軽水炉の支援の代わりに、潜水艦基地建設と農産物の低価格輸出を決めたのだ。

『アメリカや日本野郎(ヤポーシキ)の邪魔が入る前に、残らず頂戴しようではないか!』

まるでそんな声が聞こえてくるようなばかりの、心からの哄笑であった。

 

 翌日。

 日ソ交渉は、インド洋に浮かぶ美しい島、モルディブで行われることとなった。

既にソ連外交団は、同国初のリゾート地であるクルンバ・モルディブで待ち構えていた。

「木原は本当に来るのでしょうか」

 副官であるブドミール・ロゴフスキー中尉は、赤軍参謀総長に心配そうに訊ねた。 

しかし、その発言は杞憂(きゆう)だった。

 水平線の向こうから、マレ国際空港に航空機が近づいてくるのが見えた。

その後ろには、複数の飛行物体が続いている。

「あれを見てください」

 一体は、あの憎いゼオライマー。

もう一体は、白を基調とした機体で、背中に大きな羽のような物がついている。

「木原め、戦術機まで引き連れてきたとは……」

 マサキはソ連を恐れるあまり、2台のゼオライマーの他に、護衛を準備していた。

A-10サンダーボルトⅡ、F-4ファントムを、それぞれ一基づつ従えていた。

ハバロフスクを一瞬で消滅させたことを知るソ連外交団の顔色は、冴えなかった。

 

 マレ国際空港からクルンバ・モルディブに日本外交団は30分もしないで来た。

スピードボートで、即座に乗り付けてきたのだ。

 日本外交団の長である御剣は、口を開くなり、驚くべきことを提案した。

これには、さしものマサキも苦笑するばかりであった。  

「話し合いが終わるまで、ソ連側から二名の人間を預かりたい」

 参謀総長の怒りは、いうまでもないこと。

「人質だと!そんな話は聞いておらんぞ」

 副官のロゴフスキー中尉はむっとして、腰に付けた拳銃に手をかけた。

彩峰(あやみね)も、彼に対して、あわや剣を抜こうとした。

「情けを加えれば情けに慣れて、身のほどもわきまえずにどこまでもツケ上がりおって!」

 戦術機隊の隊長を務めるグルジア人の大尉は、口を極めて(ののし)った。

どやどやと室外に、衛士やボデーガードたちの足音が馳け集まった。

 南海のリゾート地は、殺気にみちた。

参謀総長が後ろには、ラトロワを始めとするヴォールク連隊の衛士が控えている。

 また、御剣が後ろには、神野(かみの)志虞摩(しぐま)紅蓮(ぐれん)醍三郎(だいざぶろう)などの第19警備小隊の護衛。

彼らは、太刀の猿手(さるで)*4を鳴らしてざわめき立った。

 レバノン事件の後は、ここに戦いもなかった。

鬱気(うっき)ばらしに、ひと喧嘩、血の雨も降りそうな時分である。

「もう、来るものか!」

 マサキは言い放って、自分からさっと、ゼオライマーが駐機してある沖合の方へ歩いて行った。

まだ怒りの冷さめないソ連赤軍大尉は、火のような感情のまま、外道を憎むように唾して語った。

「この不届き者めッ!」

 外交団長の御剣は、冷静である。

にが笑いさえうかべて聞いていたが、マサキが本当に帰るそぶりを見せ始めたので、

「木原君の要求が、嫌なら……

我ら日本外交団は、直ちに帰らさせてもらうことにします」

 これはマサキと御剣の一世一代の大芝居だった。

ソ連を慌てさせるために、マサキと美久は帰るそぶりを見せたのだ。

 参謀総長は、まずいと思ったが、あわてて、

「待てくれ……いう通りにしよう」

 ソ連側は、日本政府の要求に応じる形で、二名の者が鎧衣たちの方に歩み寄っていった。

赤軍参謀総長の護衛隊長を兼任するグルジア人大尉とラトロワであった。

御剣も、そのことを確認すると、満足げに同意した。

「よかろう」

 御剣の護衛隊長を務める紅蓮は、一瞬にして、主人の言葉を理解する。

そして、あわてて言った。

「おい、木原を呼んで来い。――大急ぎで!」

鎧衣たちは、馳けて行った。

 

 簡単な昼食会を挟んだ後、話し合いが始まった。

あくまで、G元素そのものの不拡散を目的とする日本。

 一方、日本との共同開発を主張するソ連。

相反する二つの主張は、平行線をたどった。

 やがてソ連側は日米安保条約について、日本側を非難し始めた。

しかし、それで怯むような御剣ではない。

逆に東欧諸国にいる駐留ソ連軍に関して、非難を始めたのだ。

「大体、駐留軍を置きながら東ドイツが独立国家とはどういうことだ。

貴様らが忌み嫌った、帝国主義そのものではないか」

「それは……」

 御剣の鋭い剣幕に、さしもの参謀総長も言葉がなかった。

チェコ事件に参加した経験があった故に、ソ連の暴力主義的な外交を実感していた為である。

「東欧から軍隊を引き揚げて、初めて日米安保条約や米独の軍事協定を非難できる」

 話し合いは難航を極めた。

6時間に渡って、双方の政治体制の非難に終始したためである。

「では、最後の提案をしよう。

わが日本の脅威となる北樺太から、ソ連赤軍の全部隊を引き上げる。

この約束が実現されなければ、この話し合いには応じられない」

 ソ連側の人員は、百戦(ひゃくせん)錬磨(れんま)のGRU工作員に、辣腕外交官と凄腕ぞろいだった。

けれどこの時は、さすがに、日本側の随行員の顔からも動揺の色が見えた。

「サハリン*5からの全軍撤兵だと!」

「そうすれば、日本政府としても、G元素の共同開発の話し合いに応じる準備がある」

 事の重大に、にわかに、賛同の声も湧かなかった。

代りにまた、反対する者もなかった。

(せき)たる一瞬がつづいた。

「2時間ほど休憩をしよう。

その間に本国と連絡を取り給え」

 

 赤軍参謀総長から連絡を受けたチェルネンコ議長は、意気銷沈していた。

「同志スースロフ、どうしたものか」

 例によって、ソ連共産党イデオロギー担当で、懐刀(ふところがたな)といわれる彼に計った。

第二書記はいう。

「同志議長。遺憾ながら、ここは将来の展望に立って、作戦の大転機を計らねばなりますまい」

「大転機とは」

「ひと思いに、日本野郎の裏をかき、月面ハイヴを核攻撃で廃墟にすることです」

「横取りするのか」

「そうです。

レバノンの戦いで、KGBのアルファ部隊すら敗れてから、味方の戦意は、さっぱり振いません。

一度日本野郎に応じるふりをして、兵を引き上げて、時を待って、戦うがよいと思います」

 第二書記の説を聞くと、チェルネンコは、にわかに前途が開けた気がした。

その説は、たちまち、政策の大方針となって、閣議にかけられた。

 いや独裁的に、第二書記の口から、幹部へ言い渡されたのであった。

閣議とはいえ、彼が口を開けば、それは絶対なものだった。

 すると、外相のグロムイコが、初めて口を切った。

「同志議長。今はその時ではありますまい。

もし、秘密作戦が露見すれば、我が国は信用をさらに失い、国際社会より捨てられます」

 つづけざまに異論が沸きそうに見えたので、第二書記は、激色をあらわにした。

「国際社会が、何だ。

ソ連自活の為に、いちいち外国の顔色など伺っていられるか」

外相は、またいった。

「報復として、米国が経済封鎖をすれば、国民は飢えさせられ、党を怨みましょう」

「おのれ、まだいうかっ。貴様を反党行為の疑いありとして、検察に告発してやる!」

 第二書記は言い捨てると、即座に車の用意を命じて、党本部を後にしようとした。

すると、その途上を、二人の男が追いかけてきて、目の前に立ちふさがった。

見れば、ウスチノフ国防相と、戦略ロケット軍司令を兼務する国防次官であった。

「なんだ、貴様ら、道をさえぎって!」

「無礼は、承知の上で申上げます」

「覚悟のまえだと。何を提案しようというのか」

「秘策を用いて、木原の考えを読もうかと……」

 国防相は、然々(しかじか)と、策を語った。

その言葉を聞いた第二書記は、何やら分かった様子で複雑な笑みを浮かべた。

*1
自由主義陣営にも、社会主義陣営にも属さぬ、アジア、アフリカ、中南米の後進国群を称した語

*2
ソ連のカモフ設計局で開発されたヘリコプター。1971年配備開始

*3
現在の北支から内蒙古を、916年から1125年まで支配した騎馬民族王朝

*4
太刀の柄にある紐を通す金具

*5
樺太の露語名称




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秘密(ひみつ)交渉(こうしょう) 後編

 モルジブで始まった日ソ交渉は、難航していた 
日ソ両国が対応を考えているのをよそに、マサキは次の策を進めていた。



 マレ国際空港に呼び出された参謀総長。

彼の前に、黒い高級セダン、BMW2002ターボが勢いよく乗り付ける。

 ドアが開くと、将官用勤務服(キーチェリ)を着た二人組の初老の男。

その他に、気障ったらしいサングラスをかけ、熱帯服姿の婦人兵が下りてきた。

「手こずっておる様だな」

「同志大臣、何の用ですか」

 ソ連側も無策ではなかった。

日本側に譲歩の姿勢を見せる赤軍参謀総長を叱責するために、彼等が乗り込んできたのだ。

「交渉に入るために、サハリンから全軍を引き揚げさせるそうじゃないか……」

「仕掛けもなしに、兵を下げる馬鹿がいるとお思いですか。

冗談も休み休みにしていただきたい」

「それなら結構」

「情報が早いな。どうしてそのことを」

参謀総長はいぶかると、ウスチノフ国防相は、きッと改まった。

斎御司(さいおんじ)家の(もと)にいる、二重スパイからの報告だ。

城内省から、帝大の宇宙科学研究所に協力依頼があった。

明日、いや、もう今日だが、火星探査衛星の打ち上げてほしいという依頼だ。

総理府の航空宇宙技術研究所も協力するという話だ」

 

 ここで、日本の宇宙開発の組織の歴史を、簡単におさらいしてみたい。 

日本には3つの宇宙開発組織があり、すべて独自の予算と計画で動いていた。

 一つが、糸川英夫博士が1954年に立ち上げた、生産技術研究所の糸川研究班である。

その後、糸川博士の研究は規模が拡大し、宇宙科学研究所となった。

1981年、国の管轄下におかれることとなった。

文部省の宇宙科学研究所(ISAS)を経て、宇宙科学研究本部に改組された。

 二つ目が、航空宇宙技術研究所である。

同研究所は、総理府の管轄にあったが、後に科学技術庁に移った。

その後、1997年からの行政改革により、文部科学省航空宇宙技術研究所に改組された。

 三つめが科学技術庁内に設置された宇宙開発推進本部である。

そこから発展して、1969年に科学技術庁の下部機関として、宇宙開発事業団が設置された。

 40年以上にわたって、日本の宇宙開発は、バラバラの機関で行われた。

だが、余りにも非効率だった。

効率化を図るために、2003年に宇宙航空研究開発機構として統合され、再出発を果たしたのだ。

 

「同志参謀総長、君が日本野郎の意見を素直に聞いていたら」

 そう言ってウスチノフ国防相は、マカロフ拳銃を参謀総長の方に向ける。

これは、参謀総長を撃つものではない。

彼を威圧するため、取り出したものであった。

「で、来た訳だ。よろしく頼むぞ」

 参謀総長は、焔のような息を肩でついた。

覆い得ない悲痛は、唇をも、(まなじり)をも、常のものではなくしている。

 しかも、将官たる矜持(きょうじ)を、失うまいとする努力。

それは、彼にとって、この混乱の中では、並ならぬものに違いない。

 マサキが仕掛けた陰謀のことも、彼は今、ここへ来て初めて知った程だった。

何か、信じられないような顔色ですらあった。 

「同志参謀総長、その女を使ってもよいぞ。

なんなら、木原を暗殺させてもいい」

参謀総長は、迷惑そうにしていたが、男は、盛んにたきつけた。

「もっとも、ESPの数少ない生き残りの兵士だがな……」

 そう言い捨てて、国防相と次官はドアを閉め、車に乗り込んだ。

 彼方へと走り去っていく車を見送ると、不意に銀髪の美女が振り返った。

レイバンの金縁のサングラスを取ると、青いアクアマリンのような目を男に向ける。

「同志ペロフスカヤ……君を巻き込みたくなかった」

 参謀総長の前に現れた美女は、GRU工作員のソフィア・ペロフスカヤ中尉。

彼女は、数少ないESP発現体の生き残りとしてGRUの諜報作戦に参加している人物だった。

「どうして、木原という腰抜け侍の折衝(せっしょう)役なんか、引き受けたのですか。

聞こえはいいですが、(てい)のいい汚れ役ですよ」

 彼女の目は、深い憂いの色を帯びていた。

 参謀総長は痛痒も感じなかったし、マサキへの敵愾(てきがい)心など湧かなかった。

そんな資格はないものと考えていた。

日本野郎(ヤポーシカ)の要求は、極東の核戦力の無力化……

日米安保を前面に押し出して、サハリンからの即時撤兵の、無理(むり)難題(なんだい)

 20年以上前に蒔いた冷戦という種が、突如としてもたらした災害。

全てはソ連国家の責任であると、自らに言い聞かせていた。

「飲もうが、蹴飛ばそうが、どっちに転んでも八方(はっぽう)丸く収まる話では御座いません!

いずれにせよ、詰め腹を切らされるのは、目に見えています。

クレムリンの老人たちは事が終わるまで、ほっかむりして暖炉の前です」

 復讐の鬼となった、木原マサキを責める気にはなれなかった。

先行きは不安だが、いざとなれば自分が責任を取るつもりだった。

「おじ様、どうして、断らなかったのですか。

下手したら終わりですよ」

 いうなり抱き着くと、父親に甘える幼子のように厚い胸に頬を擦り付ける。

そうした行為が、男の父性を煽り立てることも、彼の長い人生経験から解っていた。

「わかっておる……」

参謀総長が得たものは、彼の迷いとは、正反対なものだった。

「だがな……ソーニャ。逃げていては何も変わらん。

……もう老いさらばえた爺どもには、背中は見せられぬのだ!」

 

 

 

 場面は変わって、日本の京都。

 二条にある帝都城の大広間では、臨時の会議が招集されていた。 

閣僚、政務次官の他に、事務次官や局長、譜代の武家や公卿衆までがずらりと居並んでいた。

 やがて一の間の扉が開かれ、紫の衣を着た将軍が入ってきた。

一斉にその場にいる者たちが、最敬礼の姿勢を取る

「誰ぞ!雷電と木原はどうした!」

 将軍の下問に対し、閣僚の列から外相は歩み出る。

一の間の上座を前にして、平伏しながら答えた。

「殿下!ソ連赤軍参謀総長と会談中との情報が入りました」

「そうか……全て予定通り、物事が運んでいるとの事だな」

 

 将軍のいる一の間から離れた二の間にある政務次官の席にいた、(さかき)是親は訝しんだ。

日ソ会談をしたぐらいで閣僚や時間を集めて、評定をするのだろうか。

おそらく将軍の真意は別にあるのではないか。

 今回の会談の脚本を書いたのは、誰であろうか。

おそらく計画を書いたのは御剣であろう。

まさか一科学者である木原マサキが、こんなことを計画できるはずがない。

マサキのような風来の徒を重用なさるなんて、御剣公も人を見る目がないな……

 榊は、マサキをふと軽んじるような念を抱いた。

だが、いつか国防省内で、大臣からねんごろに諭された言葉を思い出して、

『いやそう見ては、自分こそ、人を観みる目がない者かも知れぬぞ』

すぐ、自己を(いまし)めて、奥に下がっていく将軍の姿を見送っていた。

 

 

 その頃、モルディブの日本側宿舎では。

御剣雷電が、随行員たちと密議を凝らしていた。

「雷電さま、なぜ木原などという怪しげな学者にこれほどまでに肩入れをなさるのですか」

 紅蓮(ぐれん)の声は、詰問調になっていた。

しかし、御剣の答えは、意に返さない風だった。

「よい機会だ。貴様らにも言っておこう。

政府は本物の戦力を欲している。実戦経験を持ち、堂々と海外派遣できる存在だ」

 即座には、御剣の意図するところが分からなかった。

分からないまま見返せば、御剣は満足な笑みを浮かべていた。

「しかし、冷戦という国際情勢と、現行の安保条約の(もと)では不可能だ。

帝国陸海軍というおもちゃの兵隊は、何時まで経ってもオモチャの兵隊なのだ」

 驚いたらしい。

側仕えの紅蓮と神野(かみの)は、さらに御剣の顔を凝視していた。

「天のゼオライマーというマシンと、無限の可能性を持つ次元連結システム。

今回の支那からの連絡は、渡りに船だった。

ただし本当に一個大隊並みの戦力なのかは、実戦に投入して見ないとわからないがね」

 老獪(ろうかい)な政治家である御剣は、ゼオライマーの利用価値は買っていた。

だが、木原マサキという人物を買ってはいなかった。

 既に、マサキは利にうごく人間と、御剣すら見ているのである。

いかにこれへ厚遇を約束しておこうと、戦いが終れば、後の処置は意のままにつく。

「それに、今の木原は、政府の正規職員だ。

日本政府にとって、こんな都合の良いことはない。

もし奴の身に何かがあれば、ゼオライマーを合法的に接収できるのだからな」

「……!」

 そこまで言われれば、紅蓮たちにも飲み込めた。

飲み込めはしたものの、余りにも衝撃的な意図に困惑するばかりであった。

 

 

 御剣が、内にある野望を語っていたころ、マサキもまた美久と歓談をしていた。

彼は、コテージに備え付けてある、長椅子に座りながら、コーラを飲んでいた。

意味ありげにほくそ笑んだ後、ジャグジーバスに入る美久の顔を見る。 

「美久よ、今度の作戦に失敗は許されんぞ」

 満足そうにつぶやき、再び、コーラの入ったグラスで唇を濡らす。

それから、ふいに長椅子を立った。

美久を手招きして、言ったのである。

「だが、混乱を避けるためには、絶対に秘密は守れ」

 そう言いながらマサキは、ゆっくりと、ジャグジーの中に入ってきた。

二人ともモルディブの海で泳いできたばかりで、水着姿だった。

マサキはトランクス型の海水パンツで、美久は朱色のUバック・ワンピース型水着。

「心得ております……

日本政府とともに、作戦準備に万全を期しておけば……」

 ジャグジーから出て、グラスをテーブルに置こうとした時だった。

いきなり背後から、マサキが強い力で抱きしめる。

「あ……」

 不意打ちだったから、思わずふらついて、グラスをジャグジーの中に落とした。

 コテージの中は暗い。

空の月のほのかな光が、カーテン越しに入ってくるぐらい。

やっと、物の識別ができる程度だった。

 体の向きをかえられた美久の唇に、マサキの生暖かい唇が押し付けられる。

ほとんど唇の感覚が失われかけた時、マサキはようやく唇を離した。

 

 マサキの話は、こうだった。

彼はソ連との交渉が始まる前に先んじて、火星を極秘調査することにした。

 月面攻略作戦の前までに、火星にあるハイヴから着陸ユニットが飛来しないとも限らない。

危険性を除去するために、火星にある500のハイヴを調査し、破壊することにしたのだ

 一応、日本政府の協力の元、火星調査衛星ということで、探査ロボットを送り込むことにした。

だが、日本政府内にはマサキの独断行動を面白く思っていない人物も多い。

彼の動向は、反対派を通じ、潜入したGRUやKGBのスパイによって漏洩し続けているのは確か。

 そこで、ある一計を思いつく。

既に篁とミラが完成させていった、月のローズ・セラヴィ。

その機体を、グレートゼオライマーの代わりに火星に派遣するという案である。

 だが、パイロットがいない。

生体認証で動く八卦衆のクローン人間もいないし、マサキ自身もソ連を欺くために日ソ交渉の場に出なくてはいけない。

代理のパイロットに、篁や巖谷を乗せるほど、彼らを信頼したわけでもない。

 ではどうするのか。

ローズセラヴィーのパイロットだった(りつ)をそっくりそのままコピーすればいい。

そういう事で、マサキは大急ぎで、葎の記憶を入れたアンドロイドを作ることにしたのだ。

「ソ連の目を、なるべくこの俺に向けておくのだ。

火星での作戦を悟られないためにな……フハハハハ」

 昂る激情が、抱擁となる。

マサキは優越感に浸り、勝利を確信した。

 

 

 マサキの真意は、依然なぞのままだった。

百戦錬磨のスパイである鎧衣や幾度となく死地を潜り抜けてきた白銀にもわからなかった。

そんな彼らは、護衛を務める近衛第19警備小隊に代わって、平服で歩哨を続けていた。

「分かりません、全然わかりません」

「え、何が……」

「木原先生の考えですよ」

 鎧衣は、半信半疑の体であった。

固持する自己の公算からも、割りきれない面持(おもも)ちなのである。

「ハイヴには膨大なG元素が眠っています。

各惑星のハイヴを排除したら、G元素の確保はダメになるでしょう」

 誰かが彼のうしろで、大いに笑った。

「そこで、何をしていた」

 振向いた白銀は、そこにいたマサキを見て、一瞬、驚きの色を示す。

彼は、なお笑って、マサキの方に歩み寄る。

「これは、木原先生」

 マサキは、そこにいた白銀を見て、むッと、眼にかどを立てる。

ふざけたことをいうと許さんぞと、いわぬばかりな威を示した。

「俺に、何か用か」

「実は、その……テロリストの動きが、妙に気になりまして……」

「何か、企んでいるのか」

「反政府派のタミル・イーラム解放の(LTTE)がテロを予告しているのに、インド軍の警備大隊以下、全く動きがないのです」 

 モルディブは独立以来、自前の戦力を持たなかった。

それ故に、友邦であるインドとの間に安保条約を結んで、駐留軍を置いていた。

国土防衛の他に、海難救助などをインド軍にほぼ依存する形となっていた。

「じれったいな」

 鎧衣は、眉をひそめて、なお凝視(ぎょうし)しつづけていた。 

一方、マサキは、なおも(ただ)した。

「早く結論を言え!」

「ええ、つまり防備手薄な、このモルディブの会見場を一気呵成に攻める肚かと……」

マサキは、口を極めて怒りをもらした。

「お前の推測か!」

「は、はい。そうですが……」

「裏付けもなく、下らん推測……いちいち報告するな!」

マサキは不敵に笑った後、呟く。

「俺は、忙しいんだ!」

「すると、何か計画を……」

白銀が問いただすと、マサキは得々とその内容を打ち明けた。

「夢と温めてきた、史上最大の作戦だ」

マサキはすべてが、万全であるかのように誇って話した。

「史上最大の作戦ですか……」

 ふたりは、もう何もいうことを欲しなかった。

そんな彼らの姿を見たマサキは、大喜悦である。

「今にわかる。フハハハハ」

 鎧衣は、待つ間ももどかしそうであった。

彼には何か思いあたりがあるらしく、胸騒ぐ心の影は、眉にもすぐあらわれていた。




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奸黠(かんかつ)() 前編(旧題: 姿を現す闇の主)

 破竹の勢いでBETAを打倒した天のゼオライマーと木原マサキ。
彼等の存在を恐れるのは、米ソばかりではなかった。
バッキンガム宮殿の主もまた、過ぎ去った大戦の事を振り返り、日本への憎悪を燃やした。
国際陰謀に巻き込まれた、マサキとゼオライマーの運命は如何に……


 かつて、七つを海を支配した大英帝国。

6年の長き歳月をかけた先次大戦に勝ち、国連常任理事国という地位を得た。

核保有国として、欧州における独立国としての地位を保つも、衰微(すいび)した。

 インド洋やアラビア半島、サハラ以南のアフリカ諸国にあった広大な植民地。

経済的破綻と核戦力の維持費の為に、それらを手放し、いまや僅かな支配地を残すばかり。

ロンドンから全世界を睥睨(へいげい)した栄光さえも、隔世(かくせい)(かん)を覚えざるを得ない。

 だが全世界に張り巡らされた情報網は、旧植民地を始めとして、いまだ健在であった。

モルディブは英国より独立はしたが、依然、英連邦の構成国であった。

故に、マサキ達が会場にしたホテルからの情報は、政府中枢にそのすべてが伝わっていた。

 

「日ソの急接近は、ゼオライマーという超マシンを共産圏に売り渡すことになる。

ソ連が超マシンの量産化に成功した暁には、月面はおろか、火星に赤旗が翻る。

悪夢のような事態は、何としても、阻止せねばならない!」

「……しかし、総理。

それはゼオライマーを過大評価していると思うのですが……

現在の日本政府に、それほどの科学技術はないと思います。」

 興奮する首相をよそに、外相は淡々と事実を語った。

「そりゃぁ、ハイヴの一つ、二つは攻略できるでしょう。

……ですが、惑星の一つを攻略することは無理かと……」

「イスラエルの諜報機関(モサド)は、そうはいっておらん!」

 首相の色は、何時になく激しいものだった。

そう言って、テルアビブからの報らせを机の上に放り投げた。

「ゼオライマーを、世界最強のマシンと評価している。

とにかくその操縦士の男、木原マサキは、無敵の人物とだとも言ってきている」

 モサドの報告によるメイオウ攻撃の強大さを、大いに怖れて動揺した。

首相の怒りは、極度にたかぶった。

「昨日の友は、今日の敵、とも成りうる。

やはり、木原マサキという男は、この世に存在しない方が良い。

日ソ会談をつぶすと同時に、始末しなさい」

痛嘆を飲んでいるものの如く、情報部長はただ首相の血相に黙然としていた。

 

 夕刻。

 情報部長は、マサキ討伐の任をうけ、密かにバッキンガム宮に上って、国王を拝した。 

そして国王は、人払いをした所で、初めて口を開いた。 

「情報部長、木原については、どうなっているのかね」 

「パレオロゴス作戦の後、西ベルリンの情報員が、しきりと変を伝えてきました。

それによると、東ドイツの議長は、旧怨を捨て、自分の娘を木原の妻として嫁がせたそうです。

その婚姻の引出物に、秘密資料(シュタージファイル)の大半も、木原に渡したということです」

 国王は行政に関して決定権は持っていなかったが、意見を述べることは権利として認められていた。

国王の意見は政治的な裏付けはなかったが、場合によっては議会を通り越して閣僚たちの判断に影響することがあった。

 それゆえ、情報部長は、国王の意見をもって、英国政府を動かすことに決めたのだ。

マサキの力を警戒したほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。

「要するに、日独、二者の結合は、当然、わが英国へ向って、何事か大きな影響を及ぼさずにはいないものと……

ダウニング街*1においても、みな心痛のまま、お達しに参りました」

「なに。東独議長の養女が、木原へ嫁いだ……?」

 国王は思わず、手に持っていた筆を取り落した。

そのおどろきが、いかに大きく、彼の心をうったか。

国王は、とたんに手脚を張って、茫然と、空の雲へ向けていた放心的な眼にも明らかであった。

「とにかく、これ以上の東側の増長は危険だ。

早急に、ソ連つぶしの工作を仕掛けよ」

 国王の目には、涙があふれかけていた。

情報部長は、恐懼して、最敬礼をしたまま、宸襟(しんきん)*2を痛察した。

 ああ、大英帝国の、この式微(しきび)

 他方、米国は栄え、新型爆弾の威は振い、かのニューヨークの摩天楼など、世の耳目を集めるほどのものは聞く。

 だが、ここサクス・コバーグ・. ゴータ朝の宮廷は、さながら百年の氷河のようだ。

宮殿は排煙に煤け、幕体は破れ、壁は所々朽ち、執務室さえ寒げではないか。

「情報部長、忘れては、おるまいな。

かつて英領インドの地を、日本が支援した独立運動で奪われた事を」

 先の大戦の折、日本は英領インドにいる独立運動家を物心ともに支援した。

チャンドラ・ボース*3などの国民会議派の左派に接近し、インド国民軍を組織する。

 日本軍は彼らとともに、自由インド仮政府を立ち上げ、インド独立へ邁進した。

実施されたインパール作戦において、英領ビルマまで進撃するも、武運拙く敗れ去った。

 しかし、その影響は大きく、結果として、英帝国はインドから撤退した。

結果として、大東亜戦争の終戦から3年後の1948年8月15日、インドは独立を得ることとなった。

「……あの折は、戦争に勝って、政治に敗れた。

だが、この度の日ソ会談の由を聞いて、いかに余が心待ちしていたかを察せよ……」

 情報部長は、悲嘆のあまり、しばしは胸がつまって、うつ向いていた。

国王は、彼の涙をながめて、怪しみながら、ふたたび下問した。

「月面攻略作戦は、目前に迫っている。

仮にゼオライマーのおかげで作戦が成功すれば、その評判は広く四海(しかい)*4に及ぶ。

日本の奴らが、米国にとって代わる危険性もあるのだ」

 宸旨(しんし)を受けた情報部長は、思わず顔を上げた。

龍顔(りょうがん)咫尺(しせき)に拝すれば、滂沱(ぼうだ)の悲嘆に暮れている。

「かならず、宸襟を(やす)(たてまつ)りますれば……

陛下も、何とぞ、御心つよくお待ち遊ばすように……」

情報部長は、泣いた目を人に怪しまれまいと気づかいながら、宮殿から退出した。

 

 

 日ソ和平という世界平和の入り口もなりうる、今回のエネルギー共同開発の会談。

なぜ、英国政府は、日ソ間の接近を過剰に恐れたのであろうか。

 それは17世紀以降急速な勢いで、領土拡大を進めるロシア国家を恐れての事である。

しかし、理由はそればかりではなかった。

欧州の各国政府や王侯貴族までも自在に操る上位の存在。

彼等が、ソ連という共産国家の存在を受け入れなかった為である。

 

 欧州の各政府を操る、上位の存在とは何か。

それは、ナポレオン戦争の最中に資金を蓄えた金満ユダヤ資本家である。

 彼らは、ワーテルローの戦いに際して、情報をうまく操作した。

英国軍勝利の事実をいち早く知り、ナポレオン勝利の誤報を流して相場を操作し、莫大な富を得た。

それを元手にして、長い年月をかけて欧州の金融業界を自分たちの影響下に置いた存在である。

 急速な資本主義の発展のために力を失いつつあった王侯貴族に資金援助し、その見返りとして爵位を得たりもした。

 また20世紀に入ると、シオニズム運動*5に共鳴し、イスラエル再建を陰ながら支援した。

 

 金満ユダヤ資本は、ロシアの地に関して複雑な感情をいだいていた。

長い歴史の中で繰り返し行われてきた、ポグロムと呼ばれるユダヤ人迫害。

その多くが、東欧やロシアの地で盛んであった為である。

 有名な反ユダヤの著作である「シオン賢者の議定書」などは、帝政ロシアの秘密警察(アフラナ)の影響を抜きには語れない。

かの怪文書は、瞬く間に全世界に流布したが、元の文書が出たのは、1903年のサンクトペテルブルグ。

当地にあった反ユダヤ系新聞『軍旗』において連載され、後に一冊の単行本にまとめられた。

 初期のボリシェビキ政権は、首魁レーニンを初めとし、元勲の9割近くがユダヤ系。

その事も、ソ連や東欧地域でのユダヤ人迫害に拍車をかけた。

 先次大戦の折である。

 ソ連領内に入ったナチスドイツをはじめとする同盟国軍は、解放軍として受け入れられた。

反ユダヤ感情の強い西部ウクライナなどでは、パンと塩*6をもって、厚く遇すほどであった。

 バルト三国などでは、沿道に居並ぶ人々から、ドイツ国防軍の兵士は花束を手渡されりもした。

ソ連の強制併合の経緯から、彼らはソ連を倒す救世主として、もてはやされた。

反ユダヤ意識のある住民にとって、ユダヤ系のソ連政権は受け入れがたいものであったのだ。

 さて。

なぜ、英国の金満ユダヤ人とユダヤ系のボリシェビキ政権が対立していたのだろうか。

 同じユダヤ人であるのに、と思われる読者も少なくなかろう。

 端的に、レーニンらボリシェビキ政権の考えを述べたい。

国家の経済独占を狙うボリシェビキ政権にとって、外国の影響を受けた企業は国の利益を盗む泥棒のように見えた。

 ユダヤ人マルクスの思想で、ユダヤ人の血を4分の1ほど引くレーニンが、ユダヤ資本家と対立する。

このような奇妙な構図は、1917年の暴力革命以来、ずっと続いた。

それは神学校出のスターリンが一貫して、宗教への弾圧政策を取ったのと同じである。

 ソ連は、出自や経歴よりも、ソ連政権への盲信が重要視された。

時には、敵国である日本人やドイツ人さえも、ソ連共産党の幹部として招き入れるほど。

ソ連共産党に否定的な立場をとるものは、例外ではなかった。

 たとえトロツキーのような、革命の元勲であっても、同じだった。

亡命先のメキシコに、手練れの暗殺団を送り込み、その一家さえも抹殺したのだ。

 

 白軍のコルチャーク提督を支援し、列強のシベリア出兵をすすめた英国。

彼等にとって、ソ連政権は、内心受け入れがたいものであった。

 極東最大の自由陣営の拠点で、2000年来独立を保つ日本。 

彼等が自分たちの影響下から離れて、ソ連の影響下になるのは避けたい。

そういった理由もあって、今回の日ソ会談をつぶすことにしたのだ。

 

 ロンドンのランべス区にある、センチュリーハウス・ビル。

ウェストミンスター橋に隣接するこの建物には、MI6本部が、1964年からおかれていた。

 その最上階にある長官室に数名の男たちが呼び出されていた。

「マッドマイク、以下20名。

お呼びにより、南アフリカより参りました」

 ロッキングチェアに座った長官は、葉巻に火をつける。

銘柄は、香りの強いキューバ産のダビドフ*7であった。

「これからワイルドギースの諸君は、モルディブへ飛べ。

日ソ会談を潰すんだ」

「はいッ」

 ワイルドギースとは「灰色雁」を指す英語である。

そして16世紀から18世紀にかけて活動したアイルランド人傭兵を指す言葉でもあった。

 1960年代にコンゴ内戦で活躍した白人傭兵の首領、マッドマイク。

彼はアイルランド出身であった事から、傭兵集団はいつしか、灰色雁と呼ばれるようになった。

 MI6長官は、マッドマイクが元英印軍のSAS所属ということに目を付けた。

傭兵課業を失敗し、資金難に苦しむ彼を、200万ポンド*8でリクルートしたのであった。

 

 日ソ会談をつぶすには、どうしたらよいのだろうか

MI6を統括する情報部長は、次のような行動に出た。

 まず手始めに、モルディブの政府機構を混乱させる。

そしてタミール・イラムの虎に潜り込ませたスパイを用いて反乱を起こさせる。

彼等をモルディブ近海に招き入れ、日ソの艦艇や戦術機を攻撃することにした。

 

「マイク、君は、ソ連赤軍参謀総長と、その女秘書を誘拐しなさい。

ただし、手荒に扱うなよ。彼はソ連の外交政策にも一定の影響を持つ人物だ。

出来れば、無傷で返したい」

「はい」

「まず、資金として50万ドル*9を渡すから、自由に使いなさい」

「ありがとうございます」

「お前たちは、反インドを掲げる毛沢東主義者というのが良いだろう。

事件の背後関係は、タミール・イラムの虎という定番だな!」

 タミールイラムの虎とは、1979年に出来た毛沢東思想を母体とするスリランカの赤色テロ集団である。

スリランカ政府はおろか、インド、モルディブの各国で、武装闘争を行った。

「はい」

「暴れても、土人(どじん)*10以外は殺すなよ」

「はい」

「20人で、徹底した破壊工作をやれ。

そして、時々インド軍とやり合ったり、外人観光客に迷惑を掛けたり、マスメディアに出るんだ。

大英帝国が背後にいると、露見するのは、非常に不味(まず)い。

だから、スエーデン製の戦術機に、米国の自動拳銃を使いなさい」

「はい」

「お前たちは、無敵の戦士だ。

一朝(いっちょう)(こと)ある時には、英帝国を守る兵士として戦えッ!

そして、傭兵として、栄光ある死に臨め!」

 

 

 

 英国政府は、会談の地となったモルディブやインド亜大陸において、かつて植民地という権益を持っていた。

1947年のインド独立に際して、各地に『スリーパー』というスパイネットワークを残してきた。 

 スリーパーとは、眠るものという意味の英語である。

文字通り、目標となる時期が来るまで寝ているスパイの事である。

彼らは指定された時期が来るまでひたすら眠り、時期が来れば武装蜂起や破壊活動に従事する。

 英国情報部MI6は、日ソ会談に合わせて、作戦開始の暗号を打った。

『ガンジス川を渡る象』という写真広告を、インドの日刊紙『タイムズ・オブ・インディア』に掲載したのである。

 インド・モルディブ・セイロン*11・パキスタン・バングラディッシュ。

旧英領インドの同時破壊の指令を受けた、スリーパーたち。

彼等が、一斉に動き出すこととなったのだ!

 

 

 その頃、マレ島の市街を、二組(ふたくみ)の男女が散策していた。

彼らは、ソ連人将校で、若い男女の組み合わせがグルジア人大尉とラトロワ少尉。

親子風の男女は、赤軍参謀総長とESP兵士のソーニャであった。

 参謀総長は、薄い灰色の夏季勤務服(キーチェリ)ではなく、インドの民族衣装に着替えていた。

白の詰襟姿で、薄手の黒い長ズボンの後ろポケットに、ピストルと短剣を忍ばせていた。

 またソーニャの方も、南インドで広く着られている民族衣装のパンジャビをまとっていた。

有名な民族衣装サリーは、ヒンズー教徒や仏教徒の衣装であった。

 12世紀に来訪したアラブ人によって、イスラム化したモルディブでは一般的ではなかった。

またサリーは5メートルの布地を全身に巻き付ける為、ソーニャには着こなせる技術がなかった。

 ガウミリバースと呼ばれる民族衣装や、回教圏らしいヒジャブ*12に長袖の服装は、ロシア人の彼女には暑苦しく思えた。

本当は胸元の空いた半袖の開襟シャツに、半ズボンという服装をしたかった。

だが、警察とのトラブルに巻き込まれる可能性が大だった。

故に、比較的おとなしい印象のパンジャビ・ドレスを着ていたのだ。

 大尉は、動きやすい服装という事で、黒無地柄の開襟シャツにチノパンといういでたち。

ラトロワは、ソーニャと色違いのパンジャビであった。

 市中にある、サルタン宮殿公園を散策している折である。

参謀総長の目に、怪しげなアラブ人の一団が目に留まった。

 モルディブは、古代から南インドとアラブ世界をつなぐ位置にあったため、アラブ人が多かった。

 常夏のモルディブであって、トープと呼ばれる足首まである長い白装束。

そして、揃いに揃えた様に、赤白の千鳥格子頭巾(シュマッグ)姿は、余りにも奇異だった。

銃火器の持ち込みが禁止されている場所で、大型武器を隠し持てる事を誇示しているかのよう。

 これは、何かが起きる前兆ではないか。 

そう考えた彼は、ラトロワたちにモルディブの歴史を説明していたソーニャに注意を投げかけた。

「ソーニャ、あのアラブ人の服装をした連中は奇妙だと思わないか」

「おじ様もそう思われますか」

「いくら敬虔なアラブ人のビジネスマンでも、常夏の国でトープを着る義務はない。

それに彼らの履いていた物はサンダルではなくて、黒い布製軍靴(ジャングルブーツ)だ」

 その言葉を聞いた瞬間、ソーニャは理解した。

件のアラブ装束の男たちは、ビジネスマンや観光客ではない。

 おそらく、テロリスト、あるいは工作員。

長いローブの下には、ウージやスターリングと言った短機関銃が隠してある。

「おじ様、武器は……」

「キンジャール*13と、ПСМ(ペーエスエム)だけだ」

 ПСМ(ペーエスエム)とは、ソ連のイジェフスク兵器工廠で開発された高級将校用小型拳銃である。

おもに暗殺任務など、秘匿性の高い任務で使われた高性能のピストル。 

特別な消音器具(サイレンサーキット)を使えば、静粛性に優れた暗殺用の武器であった。

「ソーニャ、君の道具は」

「シャツの下に、ПМ(ペーエム)*14が、一丁入っています」

「そうか」

 

 

 アラブ人の男たちは、咄嗟にトープを脱ぎ去る。

長い衣の下に着ていたのは、タイガーストラップの迷彩服で、胸掛け式の弾薬納を付けていた。

 見ると、銃剣の密集したひらめきが、参謀総長に押し寄せていた。

つづいて、銃口を向けかえて、一閃(いっせん)の光を浴びせかける。

「うわあぁ」

 ドドドッと、銃弾のひびきがすさまじい音が聞こえる。

参謀総長は、咄嗟に、叫んだ。

「伏せろ!」

 危機一髪だった。

洪水の際、河水が堤防のすき間からあふれはじめるのと同じ、恐るべき瞬間だった。

もう一秒、(おく)れていたら、命は奪われていたに違いない。

「動くなっ」

 とたんに、大喝と共に、彼の眼にとびこんで来たのは、迷彩服姿の白人。

参謀総長には、見覚えのあるの男だった。

 自分の記憶が確かならば、男は、マッドマイクこと、マイケル・ホーア少佐。

1960年からコンゴ内戦介入や、南ローデシアでの軍事顧問団に関係した人物であった。

「大人しくしていれば殺しはしない。あきらめろ」

「たわけた雑言を……」 

「この話を飲めば、あんたの命は奪わない。

だが断れば……」

 さっと、形相を変えるやいな、上衣の下からピストルを取り出して、

「こうだ!」

 参謀総長の顔面に突きつける。

黒い革手袋から引き金を引き絞る、かすかな音が聞こえた。

「本気だぜッ!覚悟を決めな」

「むむむ……」

 要求を、聞き入れるか、入れないか。

参謀総長の肚としては、実は、敵兵に囲まれる最中で、既に決まっていたのである。

 いいかえれば。

肚を決めかねて、SAS少佐と問答をしたわけでなく、肚をきめた。

 なので、どうだろうと、一応、問答にかけてみたのである。

そこにも、彼の腹芸があった。

 もし、SAS少佐の要求を受け入れてやらないと、どうなるか。

自分たちの立場は、非常にまずいものになる。

 また、いきり立っている工作員たちの興奮は、ここで抑えても、ほかの場合で、何かの形をとって、復讐という形で現れるに違いない。

 それは、外交上の、大きな危険だ。

いや、それ以上にも、参謀総長がおそれたのは、SAS少佐に、不平を抱かせておく事であった。

放置しておけば、彼の背後にいる、老獪(ろうかい)な英国王が、必ず手を回して来るに違いない。

そう、思われることだった。

「……」

 多くの小さな鋭い音が一度に起こった。

それは、支那製の63式自動歩槍(小銃)を構える音だった。

「わ、わかった」

「よろしい!」

と同時に、銃をおろす音が聞こえた。

「では連れていけ」

「はいッ!」

 そうして、参謀総長とソーニャは、近くに止めてあったワゴン車に乗せられる。

そのまま、いずこへと連れ去らわれていった。

*1
英国首相官邸の事。首相公邸がダウニング街10番地にあった事に由来する

*2
天子の心。天皇や皇帝の内心について用いる

*3
スバス・チャンドラ・ボース、1897年1月23日 - 1945年8月18日。インド独立運動家。インド独立の為には手を結ぶ相手を選ばない人物で、ソ連、ナチスドイツ、日本などの援助を求めた

*4
四方の海。転じて、天下、全世界

*5
19世紀末に始まったユダヤ人国家の建設運動。ハンガリー系ユダヤ人のテオドール・ヘルツルが始め、エルサレムに帰還し、イスラエル再建国を目標とした

*6
ロシア文化圏にある遠方からの客を遇する慣習。そこから転じて、歓迎を意味する言葉や行動となった

*7
1968年に創業したダビドフは、当初キューバでの葉巻産業に従事していた。品質上の問題から1988年よりドミニカなどの非キューバ産の葉巻に切り替えて、現在はそちらの方が主力である

*8
1979年の円ポンドレート、1スターリングポンド=418円

*9
1979年=ドル円レート、1ドル=239円

*10
土地の人。土着の住民

*11
今日のスリランカ

*12
スカーフの一種

*13
全長50センチ、刃渡り30センチ程度の鍔のない短剣。カフカス地方で用いられ、主にコサックが愛用した

*14
Пистолет Макарова,マカロフ自動拳銃




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奸黠(かんかつ)() 後編(旧題: 姿を現す闇の主)

 テロリストの襲撃に混乱するモルディブ。
予想外の事件を受けた、マサキの運命は如何に……


 マレ島の近海に、謎の貨物船が現れたのは、誘拐事件の直後だった。

貨物船は、モルディブの治安を害する存在かもしれない。 

大統領府は直ちに、調査を命じるも、すでに遅かった。

 不審船の調査にモルディブ政府が全力を注いでいる内に、事件が起きた。

同時多発的に事件を起こした集団は、速やかに首都を支配下に収めた。

 首都を占拠した集団の手際は、実に鮮やかだった。 

既に前日から、外人旅行者を装った工作員200名が入り込んでいた。

彼らは、傭兵たちと合流する前に、主だった政府庁舎や、空港、港湾、放送局を占拠した。

 謎の貨物船は、偽装された戦術機母艦であった。

 スリランカ船籍に偽装した同船には、50名の傭兵が乗り込んでいた。

そこから飛び出した20機の戦術機が、空港や湾港に乗り込んでいたのだ。

 500名しかいない国家保安隊は、そのすべてが即座に降伏してしまった。

戦術機はおろか、対空砲を持たない彼らは、F‐5系統の戦術機の前には無力だった。

 その為に、昼前には、大統領と閣僚全員が、敵に捕縛された。

モルディブの政府機能は停止し、マレ市街から火の手が上がる有様だった。 

 

 首都のあるマレ島で、騒擾(そうじょう)事件が発生した。

隣の島にあるクルンバ・モルディブに、その知らせが届いたのは昼過ぎだった。

 事件の一報を聞いた警備大隊長のラダビノット*1少佐は、即座にインド本国に連絡を入れた。

インド軍司令部に、精鋭の第50独立空挺旅団の派遣要請を行った。

 だが、インド軍は即座に動かなかった。

同日、西ベンガル州で毛沢東主義者(マオイスト)の反乱があったためである。

持てる空挺戦力のほとんどをカルカッタに投入し、予備の部隊をパキスタン方面に温存していた。

 またモルディブまでは、インドのアグラ空軍基地から、2000キロメートル以上離れていたことも大きい。

航空機を使っても、高速の駆逐艦を使っても12時間以上かかってしまう。

 これがモルディブ大統領府からであったのならば、違ったであろう。

ラダビノット少佐の電報は、インド軍司令部で放置されることとなってしまった。

 

 

 さて、その頃マサキたちの関心は、難航する日ソ会談に向けられていた。

マサキは、会場となったクルンバ・モルディブの外で起きた誘拐事件を知らなかった。 

 会議の最中、外交団長の御剣(みつるぎ)雷電(らいでん)は、ソ連の軍拡競争を盛んに非難した。

のみならず、マサキは、東ドイツへの軍事介入を例に挙げ、散々に悪罵の限りを尽くした。

 ところが、御剣の副官を務める紅蓮(ぐれん)醍三郎(だいざぶろう)は、後方の鎧衣(よろい)から急報を受けた。

「報告によれば、武装した集団が、ソ連赤軍参謀総長を誘拐した。

犯人グループの要求は、いまだ不明」

襲撃事件の報告は、マサキを激昂させるに十分だった。

「何!モルディブでテロ事件だと……ふざけおって!」

 

 マサキと日本側スタッフが襲撃事件に大童になる一方、ソ連側は冷静沈着だった。

すでにソ連は、逃げてきたラトロワたちから、誘拐事件の報告を受けていた。

 一方を聞いたブドミール・ロゴフスキー中尉の動きは、早かった。

そこで彼は、万事は休すと思ったか、方針一転をソ連側の外交団長に献言した。

「今回のクーデター騒ぎの裏には、MI6が絡んでいるとみるべきでしょう」

外交団長は戦機を観ること、さすが慧眼(けいがん)だった。

「同志ロゴフスキー、撤退だ!

直ちに戦艦に乗り、同志参謀総長を奪還するッ」 

 赤軍参謀総長は、マッドマイクが指揮する傭兵の手で、国外に連れ去らわれていた。

ワイルドギースの一行は、スリランカに逃亡した後だった。

「一刻を争うぞッ!もたもたするな」

 ソ連外交団は、近海に停泊していた戦艦ソビエツキー・ソユーズを呼び寄せる。

彼らは、島の港から船に乗り込むと、大急ぎでクルンバ・モルディブを後にした。

 

 

 マサキの計算に、狂いが生じた。

まさか、このインド洋に浮かぶ常夏の島、モルディブ。

白昼堂々、インド軍の警備の裏をかいて、テロリスト集団が、誘拐事件を起こすなどとは……

大いなる誤算であった……

 マサキは、興奮のあまり、唇の色まで変えてしまった。

紅蓮のいう報告の半分も耳に入らないような目の動きである。

恟々(きょうきょう)と心臓を打つような胸の音に、じっと黙っていられないように、

「ええい!警備役のインド兵共はどうなっているのだ!」 

「まだ何も連絡を……」

「見損なったぞ、この役立たずどもめ!」

 マサキは(ののし)りつつ、不意に立ち上がった。

後ろにいる警備兵の手から、強引に彼が愛用するM16小銃を引ッたくった。

 そして、あたふたと、クルンバ・モルディブの外へ出て行くので、美久もあわてて後を追った。

後ろから追いかけながら、問いかける。

「どちらに行かれるのですか」

マサキは、振り向いて声をひそめ、

「こうなったら、グレートゼオライマーで出る!お前も準備しろ」

 突然、クルンバ・モルディブの上空に、ジェットエンジンの音が鳴り響いた。

外に飛び出していたマサキは、美久の方を向くなり、

「美久!機種は」

 美久は、人間の女性に擬態した高性能アンドロイドである。

ゼオライマーのメインエンジンである、次元連結システムを構成する重要な部品の一つ。

それと同時に、ゼオライマーの戦闘用のシステムを補助する機能を備えていた。

 彼女の眼の中にある光学レンズは、瞬間的に飛来する物体の分析を始めた。

視覚から入る映像を通して、搭載された推論型AIの中にあるデータベースとの照合を行った。

 電子頭脳の中にある膨大な記録の中から、該当する機種を即座に浮かび上がらせた。

A Tactical Surface Fighter,(Kingdom of Sweden.)SAAB 35 Draken.

Mach1.5  Aremd Assault Cannon×4

「機体はスエーデン王国製のサーブ35、ドラケンです。

速度はマッハ1.5、武装は突撃砲4門です」

 ドラケンは、スエーデンの兵器企業・サーブ*2で開発された機体である。

フランス企業のダッソーの技術支援の下、ミラージュⅢのコピー機としてライセンス生産された。

「機数は!」

「4機!」

 間を置いて方々に、叫びの声、騒擾(そうじょう)の音、砲撃の鈍いとどろきなどが、風のまにまに漠然(ばくぜん)と聞こえていた。

 対岸のマレ島の方面には市街から煙が見えていた。

銃火の騒然たる響きが遠くに響いていた。

「なに、ここを爆撃する気か……」

 マサキは、怒りと共に愕然とした。

 俺の計画のすべては破綻か、と思わぬわけにゆかなかった。

そして常々、心の深くに持っていた破滅の感情が、すぐ意識となって、肌の毛穴に、人知れず、覚悟をそそけ立たせてくる。

 一度は志半ばで死んだ身だ。

絶体絶命とみたら、いつでも乗騎のゼオライマーで、世界を灰にする決意を秘めていたのである。

「こうなったら、じたばたしても始まらん」

 マサキはポケットから小型の電子機器を取り出す。

 それは、グレートゼオライマーの護衛戦術機の誘導装置である。

その戦術機は、人工知能を搭載したA-10 サンダーボルトとF-4ファントムの二台である。

マサキは、それを遠隔操作しようとしたのだ。

 会場の外に佇んでいた2台の戦術機は、命令を受けると、即座に対空戦闘の構えを取る。

ファントムは両肩と両足の脹脛(ふくらはぎ)に付けた6連装の長方形型ロケットランチャを上空に向ける。

 搭載されているミサイルは、AIM-7Cスパロー3*3、合計24基。

――本来は、マサキが図面からコピーしたフェニックスミサイルを搭載している。

――だが、今回は実験の為、航空機で使われていたスパローミサイルに変更したのだ。 

 A-10 サンダーボルトも同様の改修を受けていた。

両足の脹脛に、AIM-9サイドワインダー*4を、正三角形の形をしたロケットランチャに計12基配備していた。

また両肩から吊ってある2門のガトリング砲も、仰角ギリギリに上空に向けた。

 まもなくすると、急いで操縦された2個の砲は、未確認の戦術機が飛んできた南西の方角に向かって火蓋(ひぶた)を切った。

2門の砲が未確認機に打ちかかったと同時に、ファントムが持つ2門の突撃砲は水上に据えられて、沖合に停泊する不審な船を攻撃したのである。

4個の砲門は互いに恐ろしく反響をかわした。

 長く沈黙を守っていた敵機は、突撃砲の火蓋を切った。

その上、7、8回の一斉射撃は、クルンバ・モルディブに向かって相次いで行なわれた。

 激烈な対空砲火をものともせずに、呪うべき存在は、マサキ達の上空で盛んに乱舞した。

それと呼応して殷々とした敵弾は、轟音となって、マサキたちの気を違わせずにはおかない。

そういった具合で、突撃砲は、凶暴の咆哮を続けていた。

 まもなく、ファントムに搭載されたスパローミサイル24基が、一斉に火を噴く。

ここを先途と砲弾が送られている。

 スパローミサイルから発信される電波を察知した4機の敵は、回避運動を取った。

結果として、ファントムからの地対空ミサイルは命中しなかった。

 敵機は去った。

命中しなかったとはいえ、中距離空対空ミサイルのスパローを恐れての事らしい。

 とにかく、マサキは迎撃に夢中だった。

早く敵機を撃墜して、安全を確保せねばならない、という考えの他はなかった。

指呼(しこ)()にあった、グレートゼオライマーとゼオライマーの2機の存在は忘れるほどであった。

 戦術機の襲撃は、台風のようだった。

たちまち、クルンバ・モルディブのロッジは、火焔に包まれ、煙に満たされた。

そして数分間の後、炎の線に貫かれた煙をとおして、避難をし始めた従業員の3分の2は瓦礫(がれき)の下に倒れてるのがかすかに見られた。

 

 

 

 

――同時刻。

モルディブの警備を任された駐留インド軍の隊長であるラダビノット少佐は、焦っていた。

 1時間以上たっても、インド本国から連絡がない。

しかし、依然としてマレ島の街からは、濃霧のような煙が立ち上り、市街の大半をおおい隠している。

モルディブ大統領府の相談はない。

 しかし待っている時間的猶予はない。

刻々と事態は動き、マレ国際空港のあたりまで、砲声も聞こえてくる。

 独断で動けば、軍紀違反で軍法会議に掛けられるだろう。

 いまやラダビノット少佐の心は、矢のように急がれていた。

1時間遅れれば、1時間味方の不利である。

それだけ敵軍は強化され、反乱軍の横奪(おうだつ)した政府を認めることにもなる

 事態を重く見た彼は、駐留インド軍の警備大隊を使って、モルディブの騒擾事件に介入することにした。

「精鋭を誇るシーク兵とグルカ兵を選抜した部隊を編成したい」

 

 モルディブ駐留インド軍の部隊構成は、インドの国情をあらわすように複雑だった。

ラダビノット少佐が大隊長を兼務する、ヒンズー教徒を主体としたベンガル人の警備大隊。

その他に、シーク教徒部隊、グルカ人部隊などで編成されていた。

 シーク兵とは、インドの地域宗教、シーク教を信仰する人々から選抜された兵士である。

シーク教の教義により、軍帽に代わって、軍服と同色のターバンを巻いていた。

 また特例として、非武装の場合でもサーベルを履くことを許されていた。

シーク教徒にとって、サーベルは護符(ごふ)と同じだからである。

 グルカ兵は、ネパール出身のグルカ人傭兵を主体し、その精強さは全世界に知られていた。

 グルカ人の多くは、160センチにも満たない小柄であった。

だが、ネパールの山岳民族であるため、どんな地形でも俊敏に動けた。 

部隊の隊員は、深緑のスラウチハットを被り、腰にはククリナイフという蛮刀を漏れなく帯びていた。

 シーク兵とグルカ兵の装備は、一般のインド軍とは違った。

精鋭部隊ということで、インド軍で広く使われているリー・エンフィールド小銃ではなく、スターリング短機関銃(サブマシンガン)を装備。

一般兵にもかかわらず、将校と同じようにブローニング拳銃を帯びていた。

 

 しかし、時すでに遅く。

ヴィハマナフシ島の、御剣雷電以下日本外交団は、恐るべき毒牙に掛かろうとしていた。

「この期に及んで、どいつもこいつも……だれか頼りになるやつはいないのか!」

 滅多に感情の起伏を出さない、御剣雷電が取り乱しているのだ。

主従関係にある紅蓮は、御剣の心を愁眉(しゅうび)を開こうとした。

斯衛(このえ)第19警備小隊を信頼ください。

我らは、殿下に赤心の誠を捧げております」 

 御剣は、馬鹿なと、腹が立った。

所在なくて仕方がなかった程だ、と怒鳴りたかった。

けれど、いかに主人足れども、彼らの善意な考え方までいちいち是正することもできない。

「忠誠は、戦術にはならん!」

 周囲のものたちは、おろおろした。

いかに一外交使節団長でも、将軍の大叔父である。

もし御剣の激怒にふれてはと、細心の注意を払った。

「雷電様!木原が見えられました」

 そう報告してくる神野(かみの)の表情は、ぎょっとして、仮面のように強張っていた。

御剣のきらつく眼が、無遠慮に護衛の二人を撫でた。

彼奴(あやつ)もな……今の所、売込みほど力を出しておらん」

「左様、いまいち期待通りとは申せません」

雷電はさすがに今の言葉に、むッとしたらしい。

「このたわけが!偉そうな口を叩ける義理か」

「はっ、わたしは持てる力を最大限に……」

「それには及ばん」

 御剣はそう答えると、眉間の皴が立つようなするどい顔に変る。

そして、消え入るがごとく、マサキのいる外の方に向かった。

 

 外は、武装した警備兵で、ごッた返しの状態だった。

まして、攻撃が日ソ会談の会場の近くとあっては、混乱した第19小隊の兵が少なくなかったことであろう。

 御剣は警備兵をかき分けながら、マサキを探していた。

マサキはちょうど、グレートゼオライマーの出撃準備をしている最中であった。 

 御剣は、機体から降りてきたマサキの姿を、さも、意外そうにながめて、   

「こうして君が自由に動けるのは、殿下の特別な計らいによるものだ。

心してその責任のために働くべきではないか」

「……当然なんとかするさ」

 マサキは、おちついた声だった。

おそらく御剣は、俺の計画を分かっているのかもしれない。

だから、自由に動けるようにしているのではないか。

なにか、恐ろしいようにも感じた。

「この木原マサキの命を狙うとは、良い度胸だ……」

 マサキは、タバコに火をつけると、器用に煙の輪を吐いた。

うなずく顔もなくはなかった。

ところが、この険しさも、突然、調子外れの高笑いに、すぐはぐらかされてしまった。

「俺の計画をつぶした奴らは、全員生きて帰すつもりはない」 

 御剣も、同調するかのように哄笑する。

まもなく、二人はそれぞれの思惑に、笑い興じた。  

 

 マレ国際空港内には、また元の小康状態に復活するかに見えた。

その後、国籍不明の戦術機がやって来なかったし、市街から聞こえる銃声も至極緩慢だった。

 ただ駐留インド軍にとって、困ることは、外部からの襲撃が刻一刻(こくいっこく)と緊張の度合いを増して来る事であった。

その為に部隊の3分の1は、塹壕(ざんごう)の構築という仕事に没頭せねばならぬことであった。

 空港の管制塔にある司令室では、インド本国からかかってきていた電話を副指令が受けていた。

司令官のラダビノッド少佐は、副指令の傍らに立って、静かに受け答えを聞いていた。

電話の内容が、非常に重大性を含んでいることに気が付いたからだ。

彼は、副官が受話器を置くのを待つことにした。

 シーク兵の副官は姿勢を正すと、その目に食い入るような視線を注ぎながら、答えた。

「少佐、先ごろの国籍不明機の機種が判明いたしました」

「どんな機種だね」

「スウェーデン製のドラケンとして知られる、サーブ35です」

「たしか、北欧以外には採用されていない機種のはずだ」

 ラダビノッド少佐は、不安に駆られた様子で室内を歩き回っている。

彼は増援が来なくて、何もかも心配でたまらぬという顔つきである。

「実は、次期戦術機の選定をしていた西ドイツ向けに少数の改良型が発注をされていたことが判明をしています」

司令官は、苦い顔をしてそれを聞いていた。

「つまり、木原博士をつぶしたい勢力による犯行という事か」

その調子はまるで、マサキに責任があるかのように叱責する調子だった。

「と言いますと……」

シーク兵の中尉が腑に落ちないような顔をしていると、少佐は決めつけるように言い放った。

「博士の親しい友人には、東ドイツのシュトラハヴィッツ少将が居られる。

彼は親ソ派の将軍として有名だったし、プラハの春の際に今のソ連赤軍の参謀総長と懇意になった。

今回の会談の真相は明らかになっていない……

だが、木原博士がシュトラハヴィッツ少将を通じて、ソ連側に提案したとなれば、話につじつまが合う」

そう答えた時には、ラダビノッド少佐もすでに観念の眼を心にとじていた。

「西ドイツは、ソ連との国交回復に際して、ドイツ国内の外交権を一手に担うことを前提としていた。

博士が善意でシュトラハヴィッツ少将を使ってソ連側にアプローチをしたとなる。

そうすると、西ドイツはどう思う」

「面目が丸つぶれですな……」

「そうだ。

西ドイツがソ連と近づいたとき、対立関係にあった中共が東ドイツに近づいたが失敗に終わった」

「木原博士は、支那の北京(ペキン)政権とも昵懇(じっこん)の間柄とも聞いております」

「これは博士が知らないところで、我々が知らないところで陰謀があったのかもしれん」

「どうしますか」

「誘拐されたソ連軍人の事は、日本政府に頼もうと思う」

「司令官、私もそれがよいとおもいます。

この会談自体、木原博士自身がまいた種ですから、彼らが片付けに来ますね。

テロリストどもを消すつもりで……」

 ふしぎな事に指令室の要員の顔には、誰の顔を見ても緊張感が欠けていた。

これから戦争が始まるのかもしれないのに。

 各自の顔を見ても、通常の軍事演習と変わらないような静かな気持ちで、驚くほどであった。

誰もことさらにこのことに関して、反省する者はいなかったらしい。

 これは一体どうしたものだろうと、反問する者がいたら違ったかもしれない。

だが、司令官の言葉で兵たちの不安は、消え去ってしまった。

「私がすることは許されないことだが、これでインド政府は無関係でいられる」

こうして話しているうちに、ラダビノッド少佐も心の内で、やや安堵を(いだ)いて来た。

*1
パウル・ラダビノット。マブラヴオルタネイティヴのキャラクター

*2
1937年設立。スウェーデンの航空機・軍需品メーカー。自動車部門は1947年に設立されるも経営破綻し、2016年には清算した

*3
1958年にレイセオンが開発した中射程空対空ミサイル。改良型として個艦防空ミサイルとしてしられるシースパローミサイルがある

*4
1956年に開発された空対空ミサイル。すでに開発から60年以上たつが、今日でも現役の兵器である




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