蒼穹の花嫁 ~ドラゴンクエストⅤ:parallel~  (イチゴころころ)
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第1章 青春
1-0. イーサンの世界


 初めまして、イチゴころころと申します。

 3人の花嫁それぞれと結ばれたクリアデータがひとつずつ保存されているDS版のカセットは生涯の家宝です。みなさんは誰推しでしょうか。

 
 あらすじにも書いたように妄想全開でお送りしますが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。


 

 暗く冷たい岩肌と、吐き捨てるような暴力。それがイーサンの見る世界のすべてだった。

 

 目が覚めて、1日中ひたすら岩を運ぶ。ボロボロのカゴに岩を乗せ、横穴を進む。最初の分岐を右に、次は左。その次も左だが、ここには大きめの段差があるから気を付けなければならない。万が一躓いて倒れようものなら、新しいおもちゃを見つけた子供のような勢いでムチが飛んでくる。イーサンはムチに打たれるのが嫌いだった。いや、少なくともここには好きな人なんていないだろう。

 

 そんな悪魔の段差を越えたら、ごつごつした階段を昇り、その奥の壁に沿わすように岩を置く。そうしたら最初の地点まで戻り、岩をカゴに乗せる。終わっていいと言われるまでこれの繰り返しだ。1日に何往復するのか数えるのはとうの昔に飽きてしまった。目の前を歩く名も知らない奴隷の首のしわを数える方が何倍も有意義に思えた。

 

 1日中と言っても、実際にどこまでが今日でどこからが明日かなんてイーサンにはわからない。洞窟から出たことのない彼にとって、寝るまでが今日で、起きてからが明日だった。イーサンは空の色を知らないのだ。

 

「見ろ、イーサン。スコットのやつがきれいな布をくすねてきやがった。これで寝るときに凍えずに済む」

 

「ヘンリーさん……。大丈夫かな、奴らに見つかったりしたら……」

 

「わかりゃしないさ。教団の連中は俺たち奴隷の持ち物なんていちいち確認しない。作業に出るときも寝床の隅に丸めておけば見つからないだろ。ほら」

 

 ヘンリーは布切れを差し出した。彼はイーサンと同い年の青年で、良き話し相手である。

 

「ありがとう……」

 

「……」

 

「なに……?」

 

「いや。……ほら、マリアも。2枚やるよ。他のやつには内緒な」

 

「そんな、いけないわ。私だけ……」

 

「左手、ケガしてるだろう? 1枚はそっちの分だ。目立たないように巻けよ」

 

「あ、ありがとうございます、ヘンリーさん」

 

 マリアはあたりを見回し、受け取った布を腕に巻き始めた。彼女もイーサンと同い年で、ヘンリーも含めて若者同士3人でつるむことが多い。

 

「なあ、ふたりとも聞いてくれ。どうやら3日後、俺たちの配属が変わるみたいなんだ」

 

「ようやくこの不毛な岩運びから解放されるってこと?」

 

「どうせロクな仕事じゃないさ。いいか、大事なのはそこじゃない。噂によると、新しい作業場所は洞窟の外っていう話だ」

 

 ”外”。イーサンにとってそれは未知なる響きである。

 

「それは素敵な知らせね! 私、太陽を拝めるのはいつぶりかしら」

 

「ああ、これはチャンスだ」

 

「なんの?」

 

「なんのって、お前なあ……」

 

 ヘンリーが身を屈めると、ふたりはそれに応えて耳をそばだてた。

 

「脱出だよ」

 

 思わずマリアと顔を見合わせる。そして条件反射的に辺りを見回した。今の物騒極まりないセリフが、ムチの男たちに聞かれてはいないだろうか。

 

「今まではこの洞窟の出口も、そもそもここがどこの洞窟なのかもわからなかった。でも外の様子さえわかれば状況がわかる。いくらでも脱出方法を考えることができる。10年間ずっと待ってた。ようやく機がまわってきたんだよ!」

 

「待ってヘンリーさん。無茶だよ」

 

「イーサン……」

 

 ヘンリーは心優しい青年だ。だが彼は教団には反抗的で、その態度はいつもイーサンを不安にさせていた。

 

「脱出できる保証なんてない。もし失敗して捕まったら、ムチで打たれるどころじゃすまないんだよ?」

 

「そんなこと10年も前から覚悟してるさ」

 

「ヘンリーさん。毎日、ボクらの寝床の顔ぶれは変わっているんだ。でも寝床はいつになっても満杯にならない。それは奴隷が増えるのと同じ速さで減ってるってことなんだ。どこから増えるのかは知らないけど、減った人たちがどうなったかは……君もわかるだろう」

 

「俺たちは減る側に回る。ただし、生きてここを出るがな」

 

「教団の連中がすんなりと出してくれると思う?」

 

「その方法を考えるって言ってるんだよ! イーサン、さすがにお前もこのまま一生ここの奴隷で良いなんて言わないよな? なあ!」

 

 返答に詰まった。目の前で目を逸らすイーサンにヘンリーは怒りがこみ上げてくる。

 

「……まあ」

 

「まあ、なんだよ」

 

「死んでしまうよりかは、マシ。って思っても仕方ないんじゃない、かな」

 

「この……っ!」

 

「おい、なにをしている!!」

 

 大声のした方を3人で一斉に向くと、ムチを持った教団員がずかずかとこちらへ歩いてきた。

 

「また貴様らか」

 

「スキンシップですよスキンシップ。お昼寝の邪魔をしちゃったのなら謝ります」

 

「貴様……」

 

「これは失礼。さあみんな、休憩も終わるぞ。お仕事お仕事っと……」

 

 ヘンリーはムチ男を尻目に立ち去って行った。イーサンとマリアも男に平謝りをし、作業を再開する。

 

「ねえ、マリアさん……」

 

「ヘンリーさんのことですか?」

 

「あ、うん。ボク、また変なこと言っちゃったかな、なんて」

 

「ヘンリーさんは、君のことが本当に大切だから、ああやって怒ってしまうだけなんだと思います」

 

 本当に大切だから、か。

 

「でも確かに、以前の君からはちょっと想像がつかないですね。その、今のイーサンさんの姿というか、性格というか」

 

「そう、なんだ……」

 

「あ、ごめんなさい。責めているわけではないわ。とにかく、イーサンさんも無理をしすぎないように。それこそ、死んでしまわれるよりは絶対、生きていた方が良いんですからね」

 

 マリアが微笑むと、くすんだ金色の髪の毛が揺れる。

 

「ありがとう、マリアさん」

 

 きっとここに来る前は、綺麗な金髪だったに違いない。

 

 

  *  *

 

 

 イーサンにはここ1年より以前の記憶がない。当然、奴隷になる前の記憶もだ。

 

 ヘンリーとマリアによると、執拗にムチで打たれる老人を庇い教団員と揉め、弾みで強く頭を打ってしまったらしい。イーサンはそのことを覚えていない。そもそも何があってここに連れてこられたのかも、奴隷になる前のこととかも何も思い出せない。唯一、奴隷以前の彼を知るのはヘンリーだが、過去のことを教える試みは何度も失敗している。教えようとするとイーサンはひどく錯乱し、会話すらままならなくなってしまう。傷付いたイーサンの心が過去を拒絶しているみたいだと、マリアは言う。そしてふたりの様子から、尋常じゃない過去であることは彼女にも察することができた。だから無理はさせず、自然に思い出すのを待とうと提案したのだ。ヘンリーは歯がゆくて仕方がない様子だが、他に打つ手はない。

 

 イーサン自身も、そんなふたりに負い目を感じていた。ヘンリーもマリアも自分に本物の友情を向けてくれている。だが彼にはふたりに向けるべき友情が思い出せないのだ。自分がひどく情けなく思えた。自分のために彼らが傷付くようなことがあったら、いや、もう知らないうちに傷つけているかもしれない。そう思いながらも、ふたりとどう向き合ったらいいかわからない。友情も愛情も空の色も、洞窟の暗闇に落としたまま失くしてしまったのだ。冷たい岩肌と暴力だけが、確かにそこにあるイーサンの世界だった。

 

 

  *  *

 

 

それから2日が経ち、いよいよ明日が新しい仕事場への移動の日だと連絡があった。どうやら噂は本当だったらしい。

 

「外の世界か」

 

 布団とは名ばかりの草の塊に寝転がって、イーサンは明日のことについて思いを巡らせる。

 

 空と太陽。マリアは見るのは久しぶりだと言っていたが、今の自分にはまったく初めてのものだ。空が青く、太陽が赤いという知識はある。が、この目で見た記憶がない。楽しみと言えばそうだが、正直なところ不安の方が大きい。もし洞窟を出ても真っ暗なままだったら? 太陽は実は松明ほどの明るさしかなく、ここと同じように窮屈で冷たい世界が外にも広がっていたら? ……そのときボクは、一体何を思えばいいのだろう。

 

「おい、おい。イーサン」

 

「ヘンリーさん?」

 

「いい加減その気持ち悪いさん付けはやめてくれ。なあ、マリアがどこにいるか知らないか」

 

 マリアさん? そういえば姿を見ない。

 

「今日の仕事は終わったはずなのに……」

 

 というより、岩運び自体が今日で終わりで、ここでの作業はもうないはずだ。

 ちくり、と嫌な予感がした。

 

「嫌な予感がする。イーサン、探しに行こう」

 

「え、ちょっと待ってよ。もう作業終了の時間だよ。ここから出られない」

 

 作業以外でこの寝床を出るのは厳禁だ。昨日ムチで打たれたところが痛みを思い出す。

 

「だからこそマリアがいないのがおかしいんだろうが。大丈夫。見張りに見つからなければどうってことない」

 

「い、いや危険だよ。やめた方が良い。教団の人に探してもらった方が」

 

「――そうかよ」

 

 ヘンリーが視線を落とした。その表情を見た途端、イーサンは胸の奥が締め付けられるのを感じた。

 

「そうだよな。お前にとって、誰が増えても、誰が減っても、関係ないんだもんな」

 

 違う。違うそうじゃない。ボクはただ、

 ……ただ、何だろう?

 

 俺一人で探す。とヘンリーは踵を返した。

 違うんだヘンリー、さん。ボクはこれ以上、これ以上……?言葉に詰まる。言葉が詰まる。これだから記憶喪失はタチが悪い。自分の思っていることを上手に伝える手段さえ忘れてしまうのだから。

 

「待って。ヘンリー、さん……」

 

 ただ、忘れたものは、思い出そうとしなければ思い出せないんだ。

 

「ボクも行く」

 

 せめて、答えを探しに行ける自分で在りたい。

 

 

  *  *

 

 

 洞窟の中には申し訳程度の松明しか設置されていないが、暗闇に慣れたイーサンたちには十分で、しかも毎日気が狂うほど通る道なので体が覚えているほどである。

 

「いないな」

 

「うん……」

 

 悪魔の段差を越え、階段へ向かう。マリアの姿はない。

 

「あれ?」

 

「どうしたイーサン」

 

「こっちから何か聞こえた」

 

「マリアの声か?」

 

「わからないけど、たぶん人の声……」

 

 ちくちくとまとわりつく嫌な予感は先ほどから膨れ続けている。

 

「ヘンリーさん……」

 

「行くぞ…!」

 

 ふたりは細い横穴を駆けだす。寒さを無視して汗が噴き出てきた。嫌な汗と予感が、ふたりの足をさらに速める。

 

「マ――」

 

 ――ムチ男がふたり、ボロボロのマリアを担いで歩いていた。

 

「ったく暴れやがって」

 

 彼女の服はずたずたに引き裂かれ、布切れとなってもはや体に引っかかっているだけだった。

 

「おい、どこでする」

 

「6番出口の方だ、あそこなら誰も通りゃしねえ」

 

 男たちは下衆な笑みを浮かべながら、マリアの髪をくしゃくしゃと撫でまわす。

 

「マリアさ――」

 

「このやろおおおおおおおおおお!!!」

 

 ヘンリーが雄たけびを上げ、男たちに飛び掛かった!

 

「な、なんだこいつ!?」

 

「マリアをはなせええええ!」

 

 チャンスだ! イーサンも遅れて駆け出し、戸惑う男たちの隙をついてマリアを奪い返す。

 

「っ……」

 

 彼女はひどい有様だった。意識はなく、顔は苦痛に歪んでいる。むき出しになった肌には何度もムチで打たれた傷があり、至る所から血がにじんでいた。しかし、今はとにかくここを離れるのが先決だ。

 

「イー、サン……!」

 

「え、ヘンリーさん!?」

 

 振り返ると、ヘンリーが締め上げられていた。抵抗もむなしく、何度も顔を殴られ続けている。

 まずい。と全身から血の気が引いていった。――彼が殺される。

 

「やめろおおおおお!」

 

 近くの岩を掴み振り上げた。

 これ以上、ボクの目の前で誰かが死ぬのは耐えられない!

 

「イーサ……うしろ……」

 

 だがイーサンは、目の前に男がひとりしかいないことに気付いていなかった。

 

「このクソガキが!」

 

 後ろから殴りつけられ、視界が眩む。岩も取り落としてしまう。

 

「う、く――!?」

 

 振り向きざまにもう一発打撃を食らう。口の中に鉄の味が広がり、地面に体を投げ出した。

 

「どうなってんだよこれよお!」

「知るかよ。おい見ろ、またこいつらだ」

「クソが! おい、外に連れてけ。まとめて崖から突き落としてやる」

「女はどうする」

「白けた。一緒に突き落としてやろうぜ」

「はっ、いいねえ。ボコりすぎて反応もないのもどうかと思ってたしな」

 

 男たちに髪を掴まれ引きずられる。抵抗しようにも力が入らない。

 せめてヘンリーとマリアだけでもと必死に頭を働かせるが、殴られた痛みと恐怖がそれを阻害する。

 どうすれば、どうすれば――?

 

「あ……?」

 

 突然、イーサンの目の前が真っ白になった。柔らかな布の塊が、ばしーんと両目を叩いて弾けたような錯覚。ああ、()()()と、知らないはずの感情が体を駆け巡る。両目にぶつかった謎の感覚がその勢いのまま体を包み温めたのも束の間、ひやりと冷たい空気が脇を掠め、昨日ムチで打たれたところがチリリとくすぐられた。真っ白になった視界は徐々に晴れていき、青いパノラマが広げられていく。

 

 

 外に出た。外は昼だったのだ。

 

「――。―――!」

 

 ムチ男の言葉はもう頭に入ってこない。イーサンはこの光景を知っていた。眼前の空の色を、彼は知っていた。10年も前の事なのに、はっきりと思い出せる。あの日、あの川辺で見た空を、無限に広がる空を、確かに、この目で、見たことがある!

 

 

 

――どうだ、イーサン。

――父さんは、ここから川を眺めるのが好きでな。

――おっと、すまん。この塀はイーサンには高すぎたか。さあおいで、肩車をしてあげよう。

 

 

 

 イーサンが物心ついたとき、既に父とふたりで旅をしていた。行方不明の母を探す旅だ。ゆくえふめい、の意味はよくわからなかったが、母に会いに行くための大事な旅なんだと、幼いイーサンは誇らしく思っていた。

 

 旅をしながら、色んな人と出会った。

 

 幼馴染のビアンカとお化け退治に行ったのが、イーサンの初めての冒険だった。あんなにハラハラしたのは初めてで、父のそばを離れて遊んだのもあれが初めてだった。ビアンカのいる街を出るとき、彼女はまた一緒に冒険しようねと言ってくれた。誰かと約束を交わすのもまた、初めての事だった。

 

 妖精の世界へ行ったことはイーサンの秘密の思い出だ。サンタローズの家の地下に降り、積み上げられたタルをどかすと光り輝く階段が現れる。妖精族のベラとともに春風のフルートを取り返す冒険は夢のような出来事だったが、あのあと確かに春は訪れたのだ。ベラは大きな瞳に涙を浮かべながら、ありがとう、イーサンが大人になったら今度はあたしが助けてあげるから、絶対絶対、また会おうと、そう約束してくれた。

 

 その後ラインハット王国へと向かう関所にて、イーサンは初めて空の色を知る。いつだって顔を上げれば見られたはずの空なのに、その川面に映る空はどうにも特別で、どこまでも無限に続いているような気がした。

 

 そして、そのすぐあとに父は死んでしまう。

 

 ラインハットの王子が賊に連れ去られ、取り戻しに行くという父にイーサンは半ば強引についていった。しかし追いかけた先の遺跡で、イーサンはゲマと名乗る怪しげな男に王子ともども捕まってしまう。そして、目の前で父は殺された。イーサンは王子と共に洞窟に連れていかれ、10年もの間奴隷として過ごすこととなった。

 父は、最期までイーサンに語りかけてくれた。母はまだ生きていると。だから、お前に託すと。それが、父との最初で最後の約束だった。

 

 

  *  *

 

 

 ムチ男に放り投げられて、イーサンは我に返った。

 

 隣には満身創痍のマリアが倒れていた。背後は崖。ヘンリーは今まさに突き落とされようとしていた。

 ふらつく足を押さえ、立ち上がる。そうだ、“俺”はまだ何もしていない。あのときみんながくれた約束を、俺はまだ何も、果たしていない。

 

 崖下には雄大な空が広がっていて、大地は果てしなく遠く見える。

 イーサンはこの空の色を知っていた。いや違う、こんなものではなかった、あの日、父の背中越しに見た川面の空は、ここから見える景色なんかよりも、ずっとずっと、遠くまで広がって見えたんだ!

 

「ヘンリいいいいいいいいいい!!!」

 

 ムチ男たちが驚いて振り返る。ヘンリーの腫れあがった瞼が開き、目が合った。

 

「全部、思い出した……!」

 

 足に力を込めて踏み出す。もう、誰も死なせたくない。

 

「俺はイーサン……」

 

 叫べ名前を。絶対に忘れてはいけない父の名前を。

 

 

 

 

「パパスの、息子だっ!!!!」

 

 

 

 

 力を込めて男のひとりに殴り掛かった。単純に不意を突かれたからか、それともイーサンの気迫にたじろいだのか、ヘンリーを締め上げていた男は防御もままならず殴り飛ばされる。

 

「こ、いつ……っ!」

 

 男は完全に頭に血が上り、ムチを引き抜き反撃した。だが――、

 

「――」

 

 イーサンは襲い来るムチを難なく躱す。

 ……遅い。そう思った。

 

「全然遅い!」

 

 そうだ。子供のころの冒険に比べれば。

 レヌール城のゴーストたち。

 氷の城のザイルに女王。

 そして……

 

――上手になったなイーサン。さすがは父さんの息子だ。さあ、もう一本!

 

「毎日! 稽古をつけてくれた! 父さんに! 比べれば!」

 

 奴隷たちを足蹴にすることに人生を費やしたゴミのような連中に負けるわけがない!

 

 イーサンの拳が顔面に叩き込まれ、男は派手に倒れて動かなくなる。しかしその直後、イーサンは背後から迫ってきていたもうひとりの男に羽交い絞めにされた。

 

「クソガキがぁ!」

 

「ぐっ……!」

 

「ほらほらあ!背後には注意しましょうねえ!?」

 

「――お前こそだぜこのスカタン」

 

 だがもうひとりのムチ男も、さらに後ろから迫っていたヘンリーに突き飛ばされた。ヘンリーの手には、先ほどの男が取り落としたムチが握られている。

 

「あぁ!? なんだよ! やろうってのかこのガキ! そりゃあ素人が易々と使えるモンじゃ……ひいっ!?」

 

 ヘンリーの操るムチが閃き、男の顔のすぐ横にあった岩がはじけ飛んだ。

 

「なかなか上手いだろ? あんたらが使ってンのを嫌ってほど見てきたからなぁ!!」

 

「いいいいいいいい!?」

 

 数秒後、その男は青年ふたりに袋叩きにされることとなった。10年という歳月に加え、毎日の力仕事が彼らの肉体を強靭に成長させていたのである。それこそ、痩せぎすの男などに負けはしない。

 

「「――よっしゃああああああ!!」」

 

 

  *  *

 

 

 ふたりはマリアに駆け寄った。立ち上がる気力はないようだが、意識は回復していた。

 

「イーサンさん……、記憶が、戻ったのですね……良かった」

 

「おかげさまでね。というか、俺より自分の心配をしなよマリア」

 

 イーサンは自分の手のひらを見つめた。少し意識を向けると、魔力が指先に集まってくるのを感じる。よし、覚えてる。

 

「“ホイミ”――!」

 

 優しい光が彼女の体を包んだ。回復呪文“ホイミ”。初歩の呪文なのでキズを完全に塞ぐことはできなかったが、止血くらいにはなったはずだ。

 

「痛みが、引いていきました……ありがとう、イーサンさん」

 

 マリアが笑顔を向ける。その表情にふたりは安堵し、緊張の糸が切れたように座り込んだ。

 

「てかマリア! これ、着ろ! ほら!」

 

 ヘンリーが自分の服を破き、彼女に羽織らせた。イーサンもはっとして目を逸らす。マリアも顔を赤らめる。ついさっきまで、それどころじゃないくらいピンチだったのだ。

 

「……やったな、相棒」

 

「うん……。でも、ちょっとやりすぎたかな」

 

 洞窟の中から足音が聞こえてきた。騒ぎを聞きつけた教団員たちだろう。

 

「同感だぜ。あーあ、せっかく空を拝めたってのに」

 

「わ、私たち、どうなっちゃうんでしょう……」

 

 

  *  *

 

 

 イーサンたちは独房に連れていかれた。太陽の光を浴びたからか、洞窟の中がいつもより暗く感じる。

 

「なあイーサン。お前、本当に記憶が戻ったのか……?」

 

「……」

 

「な、なあ」

 

「うん。この通りだよ、ヘンリー()()

 

「……!!」

 

 ヘンリーは感極まって立ち上がり、ふたりは拳を合わせる。今のやり取りに、マリアは首を傾げた。

 

「それよりヘンリー。おかしくないか、今のこの状況」

 

「……ああ、教団員をふたりもタコ殴りにしたもんだから即処分かと思ってたが」

 

「うん。俺たちはまだ生きてる」

 

 教団員に肩がぶつかっただけで連れていかれた奴隷を何人も見てきた。彼らがどうなったか見たことはないが、誰一人として寝床には帰ってこなかった。

 

「まさかこのまま独房に放置じゃないよなあ。餓死だけは勘弁だぞ……」

 

「そんな回りくどいこと……待って、足音が聞こえる」

 

 しばらくすると、仮面をつけた兵士風の男が現れた。何度か見かけたことのある、ムチ男よりも階級の高い格好だ。彼は独房の鍵を開ける。

 イーサンは横にいる相棒に目配せをして、戦闘の体制をとった。

 

「待て、待て! 戦う気はない」

 

 仮面の男は両手を上げてふたりを制す。どういうことだと不思議に思っていると、彼は仮面を外した。マリアが目を見開く。

 

「ヨシュア兄さん……!?」

 

「えっ」

 

「に、兄さんだぁ?」

 

「……3人ともついてこい。ただし、くれぐれも静かにな」

 

 イーサンたちは顔を見合わせた。

 

「ここから逃がしてやる」

 

 

 

 

 見覚えのない通路を抜けると、川の流れる開けた場所に着いた。あちこちにタルが転がされている。

 

「死んだ奴隷は皆、ここから海に流される」

 

 ヨシュアが言うには、3人をタルに入れて外に出してくれるとのことだ。

 

「あなたは教団員、ですよね。マリアの兄さんだって本当なんですか?」

 

 イーサンの問いに、彼は静かに頷く。

 

「悪いが、今は詳しく話している時間はない。さあ、タルに入るんだ」

 

「待って! 兄さんも一緒に」

 

「マリア、許してくれ。あのとき君の言葉をちゃんと聞いていたら、こんな、君だけが苦しむようなことにならずに済んだのに」

 

「いいの、いいのよ兄さんそんなこと」

 

「これは、兄さんなりのけじめなんだ。ようやく“仮面”の位を手に入れた。俺はここから、ひとりでも多くの奴隷たちを逃がす。だから、君は幸せに生きるんだ」

 

「兄さん……!」

 

 イーサンとヘンリーには彼らの事情は知り得ない。ただ、兄妹の抱擁を静かに見守った。しばらくしてヨシュアはふたりに向き直る。

 

「妹を助けてくれて感謝する。俺も、間に合ってよかった。よければ頼まれてくれないだろうか、逃げ切った先も、妹のことを……」

 

「ああ、もちろんだぜ」

 

「俺の方こそ妹さんに助けられたばかりです。……必ず」

 

 3人はタルに入る。蓋を閉じる直前、ヨシュアは小声で妹に話しかけた。

 

「良き友人を得たなマリア。大切にしなさい」

 

「ええ。兄さんもどうか元気で」

 

 蓋が閉じられ、周囲が暗闇に包まれる。水上を流れる揺れと彼女のすすり泣く声がタルの中を満たし、イーサンは唇を噛み締めた。

 しばらくすると、流れが急になっていくのを感じた。爆ぜるような轟音も近づいてきている。

 

「ふ、ふたりとも……。手、繋いでくれませんか……?」

 

 マリアの不安げな声が聞こえた。

 

「え、て、手、繋ぐの、か? え、え?」

 

 明らかに動揺するヘンリーの声を横耳に、イーサンは彼女の手を握る。

 

「待て、待てイーサン。お、俺も繋ぐから」

 

 全員で手を繋いだ。絶対に離すものかと思った。離してしまえば、海の上で散り散りになってもう二度と会えなくなる。そんな気がした。

 

「イーサン! 俺たち、大丈夫だよな!!」

 

 ますます流れが速くなる。不安を煽る轟音に、声がかき消されてしまいそうになる。

 

「大丈夫だよ!」

 

 でも負けじと叫ぶ。根拠はないけど、叫ばずにはいられなかった。

 

 

 

「俺たちなら、大丈夫!!」

 

 

 

 直後、浮遊感に襲われた。思わず目をつぶる。永遠にも思える落下の後、激しい衝撃と共に3人は意識を失うが、繋いだ手は絶対に離さなかった。

 

 

  *  *

 

 

 これは『約束』の物語。

 数奇な運命に弄ばれた青年の半生を描く、長い永い旅の記録だ。

 

 あの日、川面の空に思わず手を伸ばした少年は、決して手を伸ばすことをやめなかった。そして数々の出会いを通じ、伸ばした手が天空へと届くその日まで、彼は前を向き続けたのだ。

 後に晩年を迎えた彼はこう語る。若き頃と何も変わらない無邪気な笑顔で

 

 

――これが俺の物語だ、と。

 



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1-1. 新たな旅立ち

 
 イチゴころころです。
 2話目で言うことではないかもしれませんが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

 所謂「少年時代」を省略してスタートしたこの物語ですが、私も少年時代はめちゃくちゃ好きなのでいずれ回想という形でちゃんと書きたいなと思っています。

 幼ビアンカもベラもかぁいいんだ……。



 それでは本編どうぞ。いざ旅立たん。


 

 潮の匂いがした。

 心地よい風を感じられた。

 波の音はあまり好きではなかった。

 

 父を探して彷徨っていたら客室への戻り方がわからなくなってしまった。半べそをかきながらタルの間にうずくまる。(へり)まで歩けば海が見られるらしいが、幼心は海というものをひたすらに恐怖していたので、手すりに近づく気も起こらない。

 

――だいじょうぶ?

 

 顔を上げると綺麗な顔があった。微笑ましいほど率直だが、本当にそう思ったのだ、幼いなりの語彙力で、綺麗だな、と。

 

――うん、だいじょうぶ

 

 不思議なもので、綺麗なものを目の当たりにすると人の気持ちは明るくなるのだ。風になびく髪。よかったです、と緩む口元――。立ち上がって一緒に歩いた。どんな話をしたんだっけ? ただひとつだけ確かなのは、一緒に船内を歩いた時間は、苦手な波の音も忘れてしまうくらい、きらきらと心の奥を刺激するものだったということ。

 

 あのときの感覚は、そうだ――。

 

 

  *  *

 

 

 目が覚めた。記憶がぐしゃぐしゃと音を立てて整理されていく。暗闇の中でヘンリーとマリアと手を繋いだのが最後の記憶だ。

 どうやら夢を見ていたらしい。

 

「よかった、目が覚めましたね!」

 

 隣にはシスター姿の女性。一瞬夢の中の女の子と重なるが、気のせいだった。知らない女性だ。

 よく見ると状況がおかしい。ここは綺麗に整頓された部屋だし、知らないシスターさんが枕元にいるし、枕といえば今横になっているのはベッドの上だ。

 

「3日も目を覚まさないので心配しました」

 

「ここは……」

 

「名もなき海辺の修道院でございます。さあ、おなかが空いているでしょう? 温かいスープを用意しております」

 

 すうぷ? と首をかしげる。イーサンはまた記憶を失くしてしまったかと思ったが、そうではない。

 

「さあ、こちらをどうぞ。質素ではございますが……」

 

「わあ、わあああああああっ!」

 

 洞穴での食事には、温かいスープなどという素敵なメニューは無かったのだ。

 

 

  *  *

 

 

 地図でいうと、ここはラインハット王国の遥か南に位置するらしい。イーサンたち3人はこの修道院の近くの浜辺に運よく打ち上げられ、保護されたみたいだ。

 

「あなた様の服はボロボロでしたので、その、わたしが着替えさせていただきました」

 

 ぽっ、と顔を赤らめるシスターさんを見て急激に恥ずかしくなり、イーサンはリハビリも兼ねて部屋を出させてもらった。

 

「よう相棒」

 

「ヘンリー、無事だったのか……」

 

「それはこっちのセリフだ。全然起きないから、死んだかと思ったぞ」

 

 そう言うヘンリーもつい昨日、目が覚めたばかりのようだった。

 

「マリアは?」

 

「俺たちの誰よりもはやく目覚めたみたいだぜ」

 

 イーサンは安堵する。

 

「ふう……無事みたいで良かったよ」

 

「いや、まあ無事っちゃあ無事だけどなぁ……」

 

 言葉を濁すヘンリーに訝しんでいると、廊下の先からマリアが姿を見せた。

 車いすに乗って、シスターさんに押されている姿を。

 

「マリア……!?」

 

「イーサンさん! 良かった、目が覚めたんですね……!」

 

「ああ、ああ。でもマリア、それ……!」

 

「あ、大丈夫です!海に落ちた時、足を痛めてしまったみたいで……。でも大丈夫。この通り、生きているんですもの」

 

 よかった。と、イーサンは胸を撫で下ろす。またこの3人で会えたことが、何よりも嬉しかった。

 

「まあ」

 

とヘンリーが切り出した。

 

「色々と考えなきゃならないことはあるけど、せっかく全員で生き延びられたんだ。とりあえず、今日ばかりはゆっくりしようぜ?」

 

 

  *  *

 

 

 その日は、3人で夜まで語り明かした。奴隷時代はその日その日を生き延びるのに精いっぱいだったし、各々の抱えているものの重さ、極めつけにイーサンの記憶喪失もあったので、奴隷になる以前の話題が出る機会がなかったのだ。そして当然、物心ついた時から父と冒険しているイーサンの話が、最も盛り上がる話題となった。

 

「だからか! 俺覚えてるもん、確かにあの時期は冬がえらく長く感じた!じゃああれか、春がばっちり訪れたのはイーサンがそのフルートを取り返したからだってのかよ!」

 

「まあ、そうなるかな」

 

「とんでもない話だな! 軽く世界を救ったようなものじゃないか!」

 

「素敵です。私も一度、妖精の世界へ行ってみたいわ」

 

「まだ終わりじゃないよマリア。そのあと俺は父さんに連れられてラインハット王国に行くんだけど、そこで出会ったのがこの」

 

 肘でヘンリーをどつく。

 

「クソ生意気な王子様ってわけ」

 

「お前こそクソ不敬な庶民だったろうが。俺の対応次第じゃ1分と持たず極刑だったぜ」

 

「ちょ、ちょっと待って。ヘンリーさんって本当の……王子様、なのですか」

 

 マリアの問いに、少しの間が空く。

 

「こういう身の上話今までしてこなかったけど、そうだよ。ヘンリーは誇り高きラインハット王国の第……四、くらい?」

 

「わざと間違えたろ。第一王子だ阿呆」

 

「えええええええええええ!?」

 

 マリアは危うく車いすから落ちそうになり、何とか態勢を整えたと思ったら今度は深々と頭を下げた。

 

「そんな大層なご身分とは露知らず、今までとんだご無礼をば……」

 

「待って待って待ってくれマリア! どうせお互い奴隷だったんだ、今更身分とかそういうの? 言いっこなしにしようぜ?」

 

「良いのですか……?」

 

「今まで通り接してくれ。こっちで馬鹿笑いしてるこの野郎の方が何倍も無礼なんだしな」

 

「んー……なら、そうさせていただきます……。ありがとう、ヘンリーさん」

 

「お、おうよ」

 

「それで、イーサンさん、ふたりが出会って、その後は?」

 

 イーサンは言葉に詰まってしまった。口の中が、少し乾いている。

 

「ヘンリーが……連れ去られて、その、父さんが……」

 

「あ、ごめんなさい。私、余計なことを……」

 

「いいんだ、マリア。話させてくれ。ヘンリーも、いいよな」

 

 ヘンリーの顔からも血の気が引いていた。だが、彼は黙って促した。

 

 

  *  *

 

 

「……そうして、俺たちは奴隷になったってわけだ」

 

 イーサンが話を締めると、その場は案の定重苦しい雰囲気に包まれていた。

 

「イーサン、その、お前の父上のことは」

 

「いいんだよ、ヘンリー」

 

「良くない。俺があの日、ふざけて城を抜け出したりしなければお前の父上も、お前も……」

 

「悪いのは、人さらいの連中と、あの男……」

 

 忘れもしない、イーサンたちを人質にとり父を嬲り殺しにした……、

 

「ゲマ、なんだ」

 

「……」

 

「ゲマ……。私、たぶん一度だけ、会ったことがあります」

 

 そう切り出したのはマリアだ。

 

「今度は、私がお話しする番ですね。おふたりも気になっているかと思います。私たち兄妹と、あの教団の関係を」

 

 マリアは辺境の名もなき村の出身で、親のいない孤児だったらしい。人口の少ないその村には子供がおらず、兄のヨシュアが唯一の遊び相手だったそうだ。

 

「10年ほど前、村が魔物に襲われて……。大人たちは皆魔物の餌食になったんです……」

 

「生き残れたんだね。マリアと、ヨシュアさんは……」

 

「ええ。兄さんが必死に私の手を引いてくれて」

 

「奇跡、だな……」

 

 すべてを失った兄妹の前に現れたのが、ゴンズと名乗る宣教師。教団の教えを受け入れ信者になれば、組織の保護のもと安定した暮らしを提供すると提案してくれたそうだ。当然、行く当てのないふたりは受け入れるしかなかった。

 

「実際、その後はとても豊かな毎日を送りました。とても大きな山……おそらくは私たちが働かされていたあの山だと思いますが、その麓に小さな施設があって、そこで教団の教えに従いながら他の信者たちと平穏に暮らしていました」

 

 ここまで聞いた限りでは、この教団が奴隷を無理やり働かせるような連中には思えない。

 

「些細なことでした。施設で一緒に暮らしていたとある子供が、その時視察に来ていた教団の幹部に粗相をしてしまったんです。直接現場を見てはいませんが、たぶん食器を割ってしまったとかその程度の事だったと思います。その時の幹部の名前が確か――」

 

「「ゲマ……」」

 

 マリアはゆっくり頷く。

 

「ゲマは特に怒る様子はありませんでした。ただ、その子供をどこかへ連れて行こうとしたのです。嫌な予感がして、とっさにその子を庇いました。教団は幼い私たちに優しく施しを与えてくれた。だからその子に対しても、良からぬことをするなんて思いたくなかったんです。でも、次の瞬間私の意識は途切れて……」

 

 彼女は小さな口をきつく結んで、目を伏せた。そこから先は知っての通り、ということか。

 

「その子供は……?」

 

「わかりません。奴隷たちの中をずっと探しましたが、ついに見つけられず……」

 

「そっか……」

 

「だから私、ふたりに会うまでは本当に辛かったんです。私は何をしているんだろう、私のしたことは兄さんにも迷惑をかけているのだろうか、だとしたら私の人生はなんだったんだろう、って」

 

 聞きながら、イーサンの胸にも刺すような痛みが広がる。自分の人生はなんなのだろうと、自棄になりかけたことは少なくない。いやきっと、あの場にいた奴隷たち、今もあそこで働いている誰もが、思うことなのかもしれない。

 

「何というか」

 

 ヘンリーが口を開く。

 

「俺なんて王族出身で、それまで不自由のない暮らしをしてたから、世間知らずって言うの? 慣れるまではふたりに迷惑かけまくりで。そのことが……ちょっと嫌だなとかしょっちゅう思ってたんだよな。でも俺たちって実は、何気なく過ごしてたつもりでも、お互いの事、支えられてたんだなって」

 

「「……」」

 

「い、言いたかっただけだ。この3人で、良かったって」

 

「……私も、女だからって下に見られたり、その、体を、狙われたりすることも少なくありませんでした……。けど、いつもふたりが守ってくれて」

 

「俺も、記憶を失っていた時期はもちろん、こんなに長い年月、心が折れずにいられたのは間違いなくふたりのお陰だよ。だから、その……」

 

 言葉を探しながら視線を上げると、ふたりと目が合った。ヘンリーもマリアも、ひどく紅潮している。そして自分も、首のあたりが熱くなっていることに気付いた。

 

「あーっと、だからありがとう、とか? 今更すぎるか。あはは……」

 

「……そ、そうだぞイーサン! 照れくさくてやってらんねえだろ!」

 

「ヘンリーが言い出したんじゃないか!」

 

「知らないな!」

 

「ふふっ」

 

 なんであれ、胸にたまっていた重いものを吐き出し合えた。いつだったか奴隷の老人に聞いたことがあるが、解決するしないは別として、悩みは誰かに打ち明けることが大切なのだそうだ。確かにその通りだと、イーサンは思った。

 

 

 就寝前、再び3人はマリアの客室に集合した。

 

「で、これからどうするよ」

 

 晩御飯の時間からずっと、イーサンもそのことを考えていた。

 

「俺は……父さんの最後の言葉が気になる」

 

「お前の母上が、まだ生きているって話か」

 

「うん。もともと俺たちはそのことを目標に親子で旅をしてたんだ。それに母さんを見つけることは父さんとの、約束でもある」

 

「ええ、大事なことだと思います」

 

「教団のことも気にはなるけど、まずはそこからかなって。ふたりは、何か考えてることとかある?」

 

 イーサンが促すと、少しの間の後、ヘンリーが口を開いた。

 

「俺も連れてってくれないか、イーサン」

 

「え、いいのか?」

 

 てっきり彼は故郷に帰るのだと思っていた。ラインハット王国へは、時間はかかるだろうがここからでも陸路で目指せる。

 

「ちょっと今は、ラインハットに戻りたいとは思えなくてな……。それに、俺はお前の父上に、パパスどのに命を救われたんだ。だから息子のお前に少しでも、力を貸したい……!」

 

 その眼差しは力強く、イーサンを納得させるのに十分だった。

 

「正直、すごく心強いよ。よろしく頼む」

 

「おう」

 

「それじゃあ、マリアは?」

 

「わ、私は……」

 

 マリアは車いすの手すりをきゅっと握りしめた。それから、意を決して言葉を絞り出す。

 

「私も、旅のお供を、したい……。その気持ちはあります。で、でも――」

 

「まあ、そうだよね」

 

「えっ」

 

「なあヘンリー。もう数日ここに厄介になっても大丈夫そうかな」

 

「ああ大丈夫だろう。明日俺から頼んどく」

 

 マリアにとっては意外な返答だった。

 

「ま、待って! いけないわ! だって私、足が……」

 

「うん。だから、ケガが治ってから出発する」

 

「さすがに車いすに乗ったままなんてコクだもんなあ」

 

「でも、イーサンさんは一刻も早く……」

 

「マリア」

 

 ヘンリーは彼女の手を握りしめた。

 

「俺たちは、託されたんだ。妹を頼むと。……お前の兄上で、俺たちの恩人でもある人に。ここでお前を置いていくなんてウソだろ。なあ、イーサン」

 

「うん、もちろんだ。マリアが快復するまで俺たちもゆっくりさせてもらおう。ふかふかのベッドと温かいスープも、もうちょっと堪能しておきたいしね」

 

 でも……、とマリアは口ごもる。

 

「とにかく、今日はみんなと話せて良かった。そろそろ寝よう。シスターさんたちに怒られちゃうからな」

 

 そこで解散となり。イーサンとヘンリーは男性用の客室に戻っていった。

 

「……」

 

 ひとり残されたマリアは毛布の上から自分の足をさする。それからあることを思いつき、静かに決意した。

 

 

  *  *

 

 

「おはようございます。イーサンさま、ヘンリーさま」

 

「「……えっ?」」

 

 翌朝、車いすに座るマリアはシスター姿でふたりを出迎えた。

 

「ここのシスター様にお願いして、修道女として修業をさせてもらうことになりました」

 

「「えええええええええ!!」」

 

 マリアがにこりと笑うと、被り物から覗く金髪がいたずらっぽく揺れた。

 

 

 

 老シスターが言うには、旅人を何泊もさせられるほどの余裕がここにはないのだという。

 

「そういうわけで、私がここのシスターになることで手を打ってくださったんです」

 

「申し訳ございませぬ旅の方。わたくしどもの力が及ばないばかりに……」

 

「い、いやいやとんでもない! 色々とお世話していただきましたし……」

 

「てか、マリアはそれで大丈夫なのかよ」

 

「私のためにふたりが足止めされるのもどうかと思っていましたし。それに、旅に出たところで魔物との戦いは私には務まらないでしょう……。だから私は、この場所からみなさんを支えようって思ったのです」

 

「この場所から、って?」

 

「旅の方はあまり存じ上げぬと思いますが、我々は日々、神に祈りを捧げております。それはこの世の生きとし生けるものすべての旅の安全を祈るものなのです。神は人生を永い旅のようなものと考え、すべての旅人に加護を与えてくださるのでございます」

 

 老シスターの話は難しい言葉がやや多かったが、言いたいことはなんとなくわかった。

 

「私、ふたりの無事を毎日ここから祈るわ。ヘタに旅のお供をするより、こちらの方が役に立てると思って。施設にいた頃もお祈りの時間はあったし、多少は慣れているから上手くやっていけると思います。このお洋服も、結構似合うでしょう?」

 

「なるほど、なあ」

 

 イーサンはヨシュアとの約束を気にしていた。だがマリアが幸せに生きることを望んでいたヨシュアに対し、彼女を旅に連れ出すのも違うと思った。旅は決して楽なものではないとイーサンは知っている。マリアに居場所が見つかったのは、喜ぶべきことなのではないか。

 

「うん。わかった。マリアの気持ちに甘えさせてもらおうかな」

 

「イーサンさま……」

 

「その呼び方は勘弁だけどね……」

 

「ふふっ。ごめんなさい、イーサンさんっ」

 

「じゃあヘンリー」

 

「おう」

 

「早速、出発の準備だ」

 

 

  *  *

 

 

 旅の準備は、思った以上にあっさりと済ませられた。なにぶん数日前まで奴隷だったイーサンたちには持ち物などひとつもなかったからだ。

 

 最低限の旅装、資金に加え、簡単な武器まで修道院が用意してくれた。至れり尽くせりだ。もうこの修道院に足を向けて寝れないと、イーサンは苦笑しながら荷造りを進めた。

 太陽が最も高い位置まで昇り、いよいよ出発の時間となる。

 

「なんつうか」

 

「うん?」

 

「緊張、するな」

 

「……そう? 俺はまあ旅慣れてるし緊張なんてぜーんぜん」

 

「嘘つけ」

 

「イーサンさーん、ヘンリーさーん!」

 

 車いすに座ったマリアが入口から声をかけてくれた。シスターさんたちも総出でお見送りをしてくれるようだ。

 

「マリア……。どうか、元気で」

 

「ふふっ。ここまできて湿っぽいのはやめてくださいな。……魔物にボコられて野垂れ死にそうになったらいつでも戻ってきていいんですからね?」

 

「はっ! おい聞いたかよイーサン! どうやら俺たちの汚い言葉遣いがうつっちまったみたいだぜ!」

 

「こりゃあ大変だ。是非ここで更生してもらわないと」

 

 3人は声を上げて笑った。思えば、俺たちはいつもこんな感じで、洞窟の中でも腐らずに生きていたんだと、イーサンはそのことをとても誇らしく思った。

 

「じゃあ」

 

「………ええ!」

 

 ふたりはマリアの笑顔を受け止め、修道院を背に歩き出した。

 

 

 

 入口の扉を閉め、老シスターは車いすの少女に話しかけた。

 

「本当に良かったのかい」

 

 いいのです、と少女は答えた。私が歩けるようになるまであの人たちは絶対に待っていてくれます、と。

 

「でも、そんなのを待っていたら、ふたりともおじいさんになってしまうもの」

 

 そう言うと彼女は()()()()()()()()片足をさする。視界が揺らめき、その手の甲に雫が落ちた。

 

「ほんとは、わた、も、ずっ、いっしょ、に……」

 

 少女の金髪が震え、雫が毛布を濡らしていく。

 

「……つくづく男ってのは勝手な生き物だねえ。女の気持ちを知りもしないで。でも――」

 

 小窓からは、振り向かずに歩く青年たちの後ろ姿が見えた。

 

「良い出会いに恵まれたね、シスター・マリア」

 

「はい…、はいっ……!」

 

 

  *  *

 

 

「なあイーサン」

「なに?」

「マリアのシスター姿さ、その、良くなかったか」

「……急に、何を言い出すかと思ったら――」

「正直に言え正直に」

「良かった。見惚れた」

「だよな」

「うん」

「……」

「………」

「…………あっ」

「……早速だね。俺たちが駆け出しの旅人だと思って寄ってきたのかな」

「まあ間違っちゃいないな」

「一旦ボコられて戻る?」

「うわ、ちょっとアリかなって思っちゃったじゃねえかよ」

「やめよう。さすがに呆れられる」

「……おいイーサン、前見えてるか?」

「かなり危うい。もう、ぐっちゃぐちゃだよ」

「戦えんのかよ」

「ヘンリーこそ、鼻すすりすぎて息切れるとか無しだからな」

「努力はするが、保証はできねえな」

 

 ふたりは上着の袖で目を拭い、武器を構える。

 送り出してくれた親友の想いも、大切に大切に握りしめた。

 

 

 

 



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1-2. 帰郷① ~サンタローズの旅人のおはなし~


 こんばんは。イチゴころころです。

 ドラクエ世界の文明に車椅子などあるのか。と書きながら思いました。
 色々と考えた結果『素材はともかく技術的に不可能ではないよね』という結論に至り、マリアちゃんはあのような形で戦線離脱することに。木製のそれっぽい車椅子だと思ってくださいませ。

 ところでマリアちゃんの色気ってすごくないですか?

 ドラクエ5を初めて遊んだのは小学5年生の頃ですが、奴隷時代から教会でお別れするまで、なんというかドキドキが止まらなかったことを覚えています。






 

 

 太陽は山の向こうに沈みつつあり、空はじわじわと赤く染まっている。

 イーサンは目の前の敵の数を数える。ばくだんベビー2匹、ガスミンクが3匹。出会ったモンスターを自動的に記録する魔法の図鑑のお陰で、この辺の魔物にはだいぶ詳しくなった。息を吸い、ゆっくり吐く。

 

「ヘンリー、俺は後方から全体を牽制する。右のガスミンクから頼む」

 

「おうよ、任せとけ!」

 

 相棒は武器を構え飛び出した。彼の右手から放たれる鎖がうなりを上げる。

 

_______________________

 

 ◎ ヘンリー 16歳 男

 ・肩書き  ラインハット王子

 ・ステータス(A~E五段階)

 HP :D    MP:D すばやさ:C

 ちから:C みのまもり:D かしこさ:C

 ・武器:チェーンクロス

 ・特技:メラ、ルカナン

_______________________

 

 

 飛び出したヘンリーに魔物たちの注意が向く。その隙を逃すまいと、イーサンは力を込めて得物を投擲した。

 

_______________________

 

 ◎イーサン 16歳 男

 ・肩書き  逃げたドレイ

 ・ステータス(A~E五段階)

 HP :D    MP:E すばやさ:E

 ちから:C みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 刃のブーメラン

 ・特技 バギ、ホイミ

_______________________

 

 

 放たれたブーメランが押し寄せる敵をはじき返し、さらにヘンリーの操る鎖が炸裂した。前衛にいたガスミンクたちはその波状攻撃の前に散っていく。

 

「そのままばくだんベビーの方も頼む!」

 

「合点!」

 

 ふと上方から飛来する気配に気づいた。“クックルー”、鳥型の魔物だ。咄嗟に反撃しようにも、先ほど投げたブーメランはまだ返ってきていない。タイミングが、合わない。

 

「しまった――!」

 

 するとイーサンの右後方から氷のつぶてが放たれ、カウンター気味にクックルーを直撃した。鳥型の魔物は茂みの向こうまで吹き飛ばされ、短い悲鳴と共に力尽きた。

 振り返るとそこには青と白の可愛らしい毛並みをしたネコ型の魔物。そのモンスターは褒めてくれとでも言わんばかりの熱烈な視線をイーサンに向けている。

 

「よくやった、リズ!」

 

『ニャーン!』

 

_______________________

 

 ◎リズ ??歳 たぶんメス

 ・肩書き  主思いのプリズニャン

 ・ステータス(A~E五段階)

 HP :D    MP:D すばやさ:B

 ちから:C みのまもり:E かしこさ:E

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャド

_______________________

 

 

 前方では、敵の残党にヘンリーがとどめを刺したところだった。彼はこちらを向き直ると、イーサンに向かって拳を突き出した。イーサンも合図を返し、夕暮れの戦闘は幕を閉じた。

 

 

  *  *

 

 

「リズ~。さっきはナイスアシストだったぞ~、よしよし」

 

 イーサンが魔物用のエサを食べさせながら頭を撫でると、リズは嬉しそうにゴロゴロと鳴いた。

 

「ようやく懐いたって感じか?」

 

「最初から懐いてくれてはいたよ。少しずつ、意思疎通ができるようになってきてるだけだと思う」

 

 彼女(?)はオラクルベリーという歓楽街の周辺で突然イーサンについてくるようになった魔物だ。最初はただついてくるだけという感じだったが、今では得意の氷呪文や身体能力で戦闘までこなしてくれる。

 

「しかしつくづく驚きだぜ。まさかイーサンに魔物使い(モンスターマスター)の才能があったとはな」

 

「なにそれ」

 

「ガキの頃本で読んだんだ。数ある旅人の職業の中でも、最も珍しい部類だそうだぜ」

 

魔物使い(モンスターマスター)、か。悪くない響きだな」

 

「1匹くらいで調子に乗んじゃねえよ。確かその本じゃ伝説の魔物使いは魔物の軍勢を率いてたみたいだからな」

 

「俺も……ゆくゆくは?」

 

「そうなったら逆立ちしてスライムレースに出てやるよ」

 

 

  *  *

 

 

 イーサンとヘンリーは修道院を発った後、途中の街で補給もしつつ北を目指していた。ヘンリーの故郷でもあるラインハット王国へ向かう道だが、その中間くらいにサンタローズという村がある。かつてパパスと旅をしていたころ、よく拠点として暮らしていた小さな村だ。そういう意味ではイーサンの故郷とも言える。

 

「見てヘンリー、立札だ。あれは子供の頃見たことがある!」

 

 立札には『←レヌール地方 ラインハット地方→』とあった。子供のころは読めなかったが、なるほど、確かに昔冒険したお化け屋敷はレヌール城という名前だった。

 

 文字を読めるようになっていたのは、ふたりの大きなアドバンテージだった。奴隷になりたての頃、生きるのに必死だった幼いふたりは何よりも読み書きと会話を覚えた。奴隷に下される命令はムチ男の雑な口頭か、張り紙によるものがほとんどだったからだ。間違いを犯そうものなら待っているのはムチもしくは“処分”である。また、マリアが加わって3人で行動するようになった後も奴隷たちの顔触れは変わり続け、色々な人たちから色々な話を聞くことができた。結果、若き奴隷たちは年相応の常識と教養を身につけたのである。贅沢を言うならば、イーサンらふたりが奴隷たちから学んだ言葉遣いが少々品に欠けるものだというくらいだろう。少なくとも、当の本人たちはあまり気にしていない。

 

「結構時間くっちまったな。どうするイーサン。そろそろ日が暮れるが、一旦オラクルベリーまで戻るか?」

 

「いや、たぶんもうすぐそこまで来てる。夜にはなるだろうけど、街道からも村の明かりは見えるから、迷わず着けると思う。少し危険かもだけど……」

 

「へっ、多少の危険にビビって旅人が務まるかっての。頼れる味方もいるしな。なあ、リズちゃん?」

 

『……シャッ』

 

「……俺には懐かないのな」

 

「諦めたまえ」

 

 

  *  *

 

 

 夜も深まり、歩き詰めの足がぎしぎしと疲れを訴え始めるころ、家々の灯りがようやく目に入ってきた。

 

「思ったより遠いじゃねえかよ」

 

「……やっぱうろ覚えはアテにならないね」

 

 近付くと多数の灯りが見え、それはもう村ではなく街と言っていい規模のものだった。それもそのはずここは『アルカパの街』。サンタローズの村よりもさらに西にある、ぶどうが有名な街だ。

 

「すまんヘンリー。通り過ぎてたみたいだ」

 

「もうお前のうろ覚えは信じねえ」

 

 時間も時間なので、道具屋などの店は軒並み店じまいをしていた。民家の灯りが、どことなく寂しく輝いている。

 

「今日はここの宿に泊まろう。ビアンカがいるはずだ」

 

「ああ、あの元カノの」

 

「そんなんじゃない。幼馴染だよ、ただの」

 

「お化け退治とかいうロマンあふれる思い出を共有した幼馴染な」

 

「違う。合ってるけど、違う」

 

「もう新しい恋人がいたりして――」

 

「いねえ」

 

「必死かよ」

 

 宿に入ると女将さんが出迎えてくれた。しかし、記憶を何度も掘り返したがビアンカの母さんとは似ても似つかない。

 

「ああ、ダンカンさん一家はもうかなり昔に引っ越してったよ。うちの旦那がダンカンさんからここを譲り受けてね。さあさあ、もう夜も遅いしゆっくりお休みよ。そっちのネコちゃんも泊まってくなら追加で3ゴールドね」

 

 旅人でなくても家を変えることがあるんだなとイーサンは新鮮に感じたが、王族出身のヘンリーが言うにはそれもまあまあ有り得ることだそうだ。ビアンカは子供のころの数少ない知り合いのひとりでもあるので、イーサンは再会できなかったことを少しだけ残念に思った。

 

 

  *  *

 

 

 ……夢を見た。

 苦手な波の音が聞こえる。船の揺れも好きではなかった。ただ……、

 

――だいじょうぶ?

 

 彼女の顔はぼやけて見えて、姿も全体的におぼろげに映っている。でも確かに当時の自分は、彼女の仕草にどきりとしたものだ。

 

――うん、だいじょうぶ

 

 本当はこのとき、少し大きな波の音がして足が震えたのだった。でも、彼女を見ているとそんなことどうでもよく……いや、怖いものは怖い。ただ、そんな恐怖を押さえつけてでも立ち上がりたい、傍に行きたいと、そう思った。

 

「――あっ」

 

 ……目が覚めた。

 修道院で初めてこの夢を見て以来、定期的に見るようになった。不思議なのは、この一連の内容が全く記憶にないこと。船に乗った覚えもなく、あの少女が誰なのかもわからない。記憶は全部戻ったはずだが……いや、そもそも昔のものすぎて覚えていない思い出というのももちろんある。実際、ビアンカとお化け退治に行く以前の記憶はスカスカである。

 

「ビアンカ、か」

 

 そういえば、昔アルカパに滞在したときもこの部屋だった気がする。今寝息を立てているヘンリーのベッドには、確か風邪を引いた父さんが寝ていたはずだ。

 

――イーサン、イーサン。起きてる?

 

 お化け退治決行の夜、ビアンカは枕元まで迎えに来てくれた。それが長い夜の始まりだ。

 

「あの子は……ビアンカ、なのか……?」

 

 ふとそう思ったが、ビアンカはずっとここに住んでいたはずだし、船に乗ったっていう話も聞いた覚えが……。ダメだ、はっきりと思い出せない。

 

 ビアンカが今もここにいてくれたら、夢の少女の謎が解けたかもしれない。もし船の上で出会ったのが本当にビアンカで、俺がそれを忘れてるだけだとしたら、彼女に怒られる覚悟が必要だな。と、イーサンは再び目を閉じた。

 

 

 

 翌日。宿を出るイーサンたちに女将さんが声をかけてきた。

 

「ちょっとお待ちよ坊やたち」

 

「なんでしょう?」

 

「今ちょっとしたキャンペーンをやっててね。うちの宿をご利用いただいたお客様にささやかなプレゼントさ」

 

 差し出されたのは小さな枕と、同じく小さな本だった。

 

「実際にうちの客室でも使ってるどこでも安眠枕!アルカパ名物ぶどうの香り付きさね」

 

「へえ、なかなか粋なサービスじゃねえか!この大きさなら気軽に持ち歩けるしな」

 

「で、こっちはあたしらが最近入信した()()()()のありがたいご本さ」

 

 ふたりの表情が一瞬にして凍り付いた。自分たちの10年間を害虫のように食い潰した忌まわしき組織。その名前を、マリアは出発前に教えてくれた。信者だった彼女でさえその目的や規模は知りえなかった謎多き教団だ。くれぐれもこの名前には気を付けてねという警告を、ふたりは片時も忘れてはいない。

 

「別に入信しろってワケじゃないさね。あたしらからしてもなかなか悪くない感触だったし、少しでも興味を持ってもらおうと思ってね」

 

「ありがたく……いただいておきます」

 

 正直荷物に入れるのもおぞましいが、今後、何かの手掛かりとして役に立つかもしれないと思い、イーサンは本を袋に入れた。

 

「あー……そうだ女将さん。サンタローズの村への道を教えてくれないか」

 

「……なんだって?」

 

「サンタローズの村。こいつのうろ覚えのせいで昨日はたどり着けなかったからよ。ここからそんなに遠くないんだろ?」

 

「坊やたち……本当にあそこに行くつもりかい?」

 

 女将さんの声色が落ち、ふたりは眉をひそめた。

 

 

  *  *

 

 

「リズ、リズ。おいで、ほら。いいか、この辺の腐ってる地面はちょっと危険だから触っちゃダメだ。俺から離れるなよ」

 

 リズは主の顔を見て首を傾げた。『地面よりもご主人の顔色の方がひどく見えるけど大丈夫かニャ?』とでも言いたげな表情だ。

 実際、イーサンは気を抜くと吐いてしまいそうな嫌悪感に襲われていた。周囲に立ち込める腐敗臭もそうだが、それよりも明確な理由がそこにはあった。

 

 

 

 彼は今、廃墟と化したサンタローズの村の、瓦礫の集まりにしか見えないかつての自宅の前に立っている。

 

 

 

「すまん、イーサン。これじゃあ夜の灯りも見えないわけだぜ」

 

「はは、俺のうろ覚えも、案外いい線行ってただろう……?」

 

 軽口もいつもの覇気がない。当然だ。ここにはイーサンの知り合いがたくさんいた。幼かった彼は覚えてなくても、かつてここに住んでいた人たちはイーサンを、そしてパパスのことを知っていたはずだ。この旅における重要な手がかり、それを得る術を失ってしまったのだ。いや、それだけではない。ここにはヘンリーも聞いていない、イーサンが語るまでもないような小さな思い出がたくさん詰まっていた。だがそれらはぐちゃぐちゃに壊され、彼の目の前で無造作に転がされている。

 

「アルカパの道具屋が言うには、ここを襲ったのはラインハット王国軍……。俺の、故郷の仕業だ、そうだ……」

 

「………」

 

「イーサン。何て謝ったらいいか……」

 

「君が謝る事じゃない。仕向けたのは別の誰かで、ヘンリーじゃないだろ?」

 

 嫌にキビキビとしたイーサンの喋り方を聞いて、ヘンリーはたまらなく悔しくなった。なんでそんな澄ました顔をしてるんだ。声が震えているのもばればれなんだよ。と、言葉に出す勇気は彼にはなかった。

 

『ニャーゴ!』

 

 リズが瓦礫の下を示した。どかしてみると、地下への階段が現れた。

 

「はは、懐かしいな……。よくここに隠れて、父さんに怒られたっけ」

 

 つぶやきながら、吸い込まれるようにイーサンは階段を降りていく。ヘンリーとリズは顔を見合わせ、黙ってついていくしかなかった。

 地下室は埃にまみれていたが、荒らされた形跡はなかった。腐りかけのタルが、几帳面に並べられてある。

 

「この間修道院で話したろ?えっと、ここ、ちょうどここに光の階段が現れて、俺は妖精の世界に行き来してたんだ」

 

「………」

 

「最初はちょっと怖かったよ。だから最初だけベラが手を引いてくれたんだ。それで一回渡れてしまえばあとは慣れたもんさ。毎日父さんたちの目を盗んで、妖精の国へ冒険しに行った」

 

「……なあ、イーサン」

 

「あっ……」

 

 イーサンはタルの隙間から何かを拾い上げた。それは綺麗なサクラの一枝(ひとえだ)だった。その花びらは光も届かないこの場所にあったとは思えないほど美しく咲いていたが、彼の冒険譚を聴いていたヘンリーにはそれが妖精からもらった特別なものであると察することができた。ばくりと、イーサンの心臓が大きく脈打った。

 

「そうだ……そうだった。これはあのとき、ベラからもらったんだ。ここに置いておいたら、またすぐ会えると思って。そのまま俺は、ラインハットに向かっちゃって……。ごめん、ごめんな、ずっとこんなところに置き去りにして……! 忘れちゃってて、ごめん……!!!」

 

 それを皮切りにイーサンの心は決壊した。ヘンリーは何も語らず親友の肩を支え、リズはぺろぺろと主の頬をなめた。

 

 

  *  *

 

 

 ヘンリーが太陽を見上げ考え事をしていると、イーサンがリズを連れて地下室から出てきた。手にはサクラの枝が握られている。

 

「もう、置いていくわけにはいかないもんな」

 

「もういいのか」

 

「うん。ありがとう、ヘンリー」

 

 イーサンは改めて村を見渡した。まだ少しくらくらするが、さっきよりはだいぶマシだ。

 

「ひとつ、思い出したことがあるんだ」

 

「なんだ」

 

「あそこに洞窟が見えるだろ。昔、父さんがよく出入りしてたんだ。……なぜかはわからないけど」

 

「ほう」

 

「小さいころ俺も何度か入ったことがあるけど、奥には行かないようきつく言われてて。でも父さんは行ってた。毎日のように」

 

「なるほどな。確かにキナ臭え」

 

「うん。だから調べてみようと思う。ただ父さんは毎朝、しっかりと準備を整えてから家を出ていた……あの父さんが、だ。たぶん、それなりの危険はあると思う。だから――」

 

「ここで待ってろ、とか言わないよな」

 

 イーサンは口をつぐむ。

 

「ったく水臭いったらありゃしないな。強がりもむなしくさっきまで泣いていた親友を、黙って見送ると思うか?そんなことがマリアにでも知られてみろ、きっと俺は一生口をきいてもらえなくなる!」

 

「ヘンリー……」

 

「俺は来るなと言ってもついてくぜ」

 

 足元でリズもナーンと鳴く。『とうぜん!』と、これはヘンリーにも伝わった。

 

「……ほんと、君らには敵わないよ」

 

 

  *  *

 

 

 ヘンリーの放つ鎖が、派手な音と共に弾かれた。

 

「駄目だ! このカメ野郎、攻撃が通らねえ!!」

 

「避けろ、ヘンリー!!!」

 

 彼が飛びのくタイミングに合わせ、イーサンは風の力に変換した魔力をカメの魔物の群れに叩き込んだ。

 

「“バギ”!!」

 

 つむじ風の刃が敵を切り裂き、魔物の群れを倒すことに成功する。

 ……サンタローズの洞窟の深部は、想像していた以上に困難な道のりだった。

 

「ヘンリー、リズ。呪文主体で戦おう。群れている奴らは俺が狙うから、確実に一体ずつ叩いてほしい」

 

 呼吸を整えながらそう提案すると、ふたりも静かに承諾してくれた。

 予備の武器を用意してこなかったのは失敗だった。狭い洞窟内では、ヘンリーのチェーンクロスもイーサンのブーメランもとても使えたものではない。リズの素早さを生かした翻弄攻撃も、この狭さでは活かしきれないのだ。

 

 様々な方角から、魔物の唸り声が聞こえた。久しぶりの来客に、もてなす気満々というわけだ。

 

「なあ、パパスどのはこんなところに毎日潜ってたのかよ。しかもひとりで?」

 

「うん。言っただろう、俺の父さんは世界一強いって」

 

「あーそれ昔何度も聞いたわ。軽く聞き流してた俺はさしずめ世界一の馬鹿かね」

 

「間違いない」

 

 洞窟の中は暗く入り組んでいたが、パパスが残したであろう足跡や目印が至る所に見つけられた。これなら帰りもさほど迷わずに出られるだろう。やはり一番の問題は、魔物の歓迎が激しすぎるということだ。

 

 作戦通り、呪文主体で立ち回り歩を進める。しかし魔力も無限ではないので、その都度イーサンが指示を出した。物理攻撃を弾くカメの魔物、強靭な腕を振り回す体がクマで顔がフクロウの魔物、突然動き出す土偶、呪いの力で蠢く人間の死体。出現する魔物の種類も多様で、同じ手段が通用する相手が少ないからだ。

 

 しばらく進むと、魔物に遭遇する回数が減ってきた。ひとまず彼らの巣は通り過ぎたみたいだ。

 

「おいイーサン、こっちは行き止まりだぜ。もう終わりか?」

 

「いや、たぶん目印を見落としただけだと思う。引き返そう」

 

「了解だ。……って、イーサン、後ろ!!」

 

 咄嗟に振り返ると、蠢く死体が一体、こちらに歩いてくるところだった。恐らく大昔にこの洞窟で命を落とした村人か、旅人か。変わり果てたその姿からは、生前の生き様を伺い知ることはできない。

 

『ア……アァ…』

 

 ただし、今まで洞窟内で遭遇した同種の魔物と比べ、目の前にいる“それ”からは敵意を感じられなかった。

 

「何してんだイーサン――」

 

「待って! ……待って、ヘンリー」

 

「なんで、って、おい。まさか……」

 

 トコトコと、リズが彼に歩み寄った。リズが見上げると、彼もその落ちくぼんだ目を下ろす。数秒の後、ニャッ!とリズが短く鳴いて彼の周りを歩き回った。彼は次に、イーサンに視線を向ける。

 

 ゆっくり、手を差し伸べてみた。

 

「お前も……一緒に来たいのか……?」

 

 彼は低く唸り、同じように手を差し出す。生前の記憶か、それとも偶然か、イーサンには分らなかった。ただ、ふたりの手はゆっくりと重ねられた。

 

「おい……おいおいおい……! まじかよまじかよすげえって! イーサン! なあ! お前やっぱりすげえ奴だって!!」

 

「これでふたり目だ。伝説の魔物使いもそう遠くないかもね。恩を売るなら今のうちだぜヘンリー」

 

「はっは! 王族掴まえて言うセリフじゃねえぞこのやろー!!!」

 

_______________________

 

 ◎マービン ??歳 きっと男性

 ・肩書き  心を取り戻した死体

 ・ステータス(A~E五段階)

 HP :A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:E

 ・武器 素手

 ・特技 毒攻撃

_______________________

 

 

 マービンと名付けられた彼が仲間に加わったことで、洞窟内での戦闘は格段にやりやすくなった。彼は見た目以上に耐久に優れていて、攻撃力もある。今までは誰もこなすことのできなかったゼロ距離での戦闘を任せるのに、マービン以上の適任はいない。重鈍な彼の動きも、もともと狭い洞窟内では関係なかった。

 

 

 まもなくしてイーサンたちは目的の場所、洞窟の最深部に辿り着いた。

 

「ここは父さんの……書斎?」

 

 木の机や椅子、壁際には本棚がいくつか並べてあって、まさしく書斎と呼ぶに相応しい場所である。ここが洞窟の中だということを除けばだが。

 

 そして一際目を引くのが、奥の壁に立てかけてある一振りの長剣。父の得物も剣だったが、これはイーサンにも見覚えのないものだ。

 手に取ってみるとずしりと重い。その剣は細かい装飾の施された鞘に納められていてとうてい売り物とは思えない風格をまとっていた。

 

「見ろイーサン。机の上にこれが」

 

「……手紙?」

 

「ああ、どうやら、お前宛のようだ」

 

 封筒には粗い字で『イーサンへ』と記されていた。直感で分かる。書き手は父、パパスだ。

 

 

    イーサン。この手紙を読んでいるということは、きっと私はもう

   お前のそばにいないのだろう。

    お前の母は邪悪な手の者に攫われた。お前を生んですぐのことだ

   った。私とお前の旅は、彼女・マーサを助けるための旅だったのだ。

   と言っても聡明なお前のことだ、もしかしたら既に知っているのか

   もしれないな。未だに足取りも掴めないが、彼女はまだ生きている。

   それだけは確かだ。

    イーサンよ、伝説の勇者を探すのだ。

    邪悪な手からマーサを救い出せるのは、天空の武器と防具を身に

   着けた勇者だけなのだ。私はようやく天空の(つるぎ)を見つけることがで

   きた。しかし勇者がいなければ宝の持ち腐れだ。

    勇者を見つけ、残りの武具も手に入れ、お前の母、マーサを助け

   てほしい。今となっては、お前にしか頼めないことだ。

   

    お前を愛している。                 

                              父より

 

    

 

 

 

「――――」

 

「ちょ、ちょっと待て。理解が追い付かないぞ……! イーサンの母上は、邪悪な手の者に攫われた? それって、何者なんだ。魔物か……何かだよなきっと。しかもまだ生きてるって、一体なんでだ? それに、伝説の勇者? それこそ伝説上のモンじゃないのかよ! 急にスケールが広がりすぎだ……って、ちょ、おい、イーサン!?」

 

 イーサンは手紙を置き、壁際の剣へ向かって駆け出した。

 

「――ふんっ!」

 

 そしてその鞘と柄を握り、全力で力を込める。

 しかし剣は鞘に収まったまま、ぴくりとも動かなかった。

 

「伝説の魔物使いじゃ、資格なしってことね……」

 

 剣を下ろしイーサンはうつむく。だが、すぐに顔を上げた。

 

「もう泣かないよ。父さん」

 

「え……?」

 

「ヘンリー。正直俺もわからないことばっかりだ。俺はついさっきまで、母さんがどんな連中に攫われたのかすら知らなかった。少しでも手掛かりがあればとここまで来たけど……まさか、全部教えてくれるとはね。こういうの、情報過多っていうんだっけ?頭の中がパンクしそうだよ、まったく……」

 

 イーサンは丁寧に手紙をしまい、天空の剣を背負う。

 

「でもお陰で、やるべきことが見つかった」

 

「っ!」

 

「ヘンリーのお陰だよ、ありがとう。ああ、もちろんリズもだよ?」

 

『ナーン?』

 

「……へっ、頼もしくなっちまってよ」

 

「当たり前だろ? 何と言っても俺は、パパスの息子だからな! さあ、そうと決まったらここを出ようか。足踏みする時間も惜しい」

 

 イーサンはうろつくマービンに声をかけ、歩き出した。

 

「……」

 

 ヘンリーは後を追いながら、先ほどの彼の言葉を思い出していた。

 

――でもお陰で、やるべきことが見つかった。

 

 そう言い放つイーサンの目を見て、ヘンリーは息が詰まるような感覚を覚えたのだ。ぎくり、と、全身の血が冷えていくのを感じた。

 イーサンは成長した。すぐ隣にいたヘンリーも驚くほど急速に。廃墟の地下室での彼と、今の彼はまるで別人だとさえ思える。

 

「……イーサンは、自分の過去と、現実と、向き合おうとしているのか……」

 

 ただ、そのあまりにも速い成長は、隣を歩く相棒を置き去りするほどのものだった。

 

「じゃあ俺は、一体何をしてるんだ……」

 

 

 



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1-3. 帰郷② ~ラインハットの為政者のおはなし~


 こんばんは。イチゴころころです。

 連載を始めて数日ですが、はやくもお気に入りや評価を入れてくださる方が居てこの上なく嬉しいです。ありがとうございます。UAがじわじわ増えるだけでも嬉しいのにそういったリアクションをいただけるとさらにモチベが爆上がりしますね。

 さて感謝を伝えることができたのでお次は謝罪です。

 爆上がったモチベは思いっきり原作を改編しちゃいました。
 全国の『ニセ太后』ファンの方、並びに『中庭のドラゴンキッズ』ファンの方、
 大変申し訳ありませんでした。

 何がどうなったのかは本編でどうぞ(目逸らし)。



 


 

 

 サンタローズの村の南に、ビスタという小さな港がある。イーサンは街道から見える港の様子にかすかな見覚えを感じた。明確な記憶はないが、どうやらここにも訪れたことがあるらしい。夢の中の少女とも繋がり、彼女の存在にまずひとつ説得力を持たせることができた。

 

「マービン、さすがに君を連れていくと驚かれちゃうから、ここで待っててくれないか」

 

『ァ……ウ…』

 

「助かるよ。リズ、マービンについててやってくれ。あんまり離れないようにな」

 

『ニャン!』

 

「よし……。港の割に活気が見えないのが気になるな。ヘンリー、とりあえず聞き込みから始めよう」

 

「………」

 

「ヘンリー?」

 

「ん? ああ、おう、任せろ」

 

 サンタローズの洞窟以来、ヘンリーの様子が変だ。道中の戦闘とかには支障はないのだが、口数が減っていて、常に何かを考えているようだった。

 

「なあ、ヘンリー」

 

「どうした?」

 

「サンタローズで、言ってくれたよな。水臭いことはナシって」

 

「……」

 

「今度は俺が言う番だ。何か気になることがあるなら話してくれないか」

 

「……別に何もねえよ」

 

「……ラインハットのことが気になるんじゃないか?」

 

 彼の目が見開かれる。

 

「はは、それくらいわかるって。もちろんラインハットにもいつかは寄るつもりだった。でも、ヘンリーがその気にならないうちは後回しにしようと思ってたんだ。ほら、色々と事情が、あるんだろ」

 

 旅の途中で軽く聞いた話によると、ラインハットの王宮にはデールという、ヘンリーの腹違いの弟がいたそうだ。ヘンリーの実の母は彼を産んですぐに他界。残された彼はデールの方の一族とギスギスしながら幼年時代を過ごしていたらしい。

 

「……アルカパの市民から聞いたんだ。父上が……ラインハット王が、亡くなったって」

 

「……」

 

「それ以上の情報は持ってなかったが、たぶん、順当にいけばデールが、王位を継いでるはずだ」

 

 跡継ぎ問題で揉めていたのは、あくまでもヘンリーが攫われる前の話だ。

 

「デール派の連中は、俺のことをよく思っていなかった。きっとデール自身もな。いいか、今更この俺が、ノコノコと『生きてました』って王宮に戻っても……! 揉め事の種になるだけに決まってる」

 

 イーサンは、パパスとラインハットに行った時のことを思い出した。当時存命だった国王に用事があるという父から、ヘンリー王子の遊び相手になってやってくれと頼まれたのだ。それがヘンリーとの出会いだった。腕白全開のヘンリーはイーサンをひたすら振り回した挙句城を飛び出し、賊に捕まってしまうのだ。当時のイーサンは知る由もなかったが、あのときの彼の態度、一連の行動の裏には、窮屈で息苦しい王宮での生活があったのだろう。

 

「イーサン、俺はお前が羨ましい」

 

「え?」

 

「お前の故郷に起こったことも、お前の家族に起こったことも全部受け入れて、先に進もうとしてるだろ。未だに何にも向き合えない俺を、置き去りにして……」

 

「ヘンリー、俺はそんなつもりじゃ――」

 

「それだけじゃない、そういうところだ! お前はとっくに俺を置き去りにしてるくせに、そうやって、振り返って待とうとしてくれてる! 俺に、手を差し伸べて……!」

 

「……」

 

「もう、俺も何にイライラしてんのかわかんねえよ……!」

 

 彼は踵を返し、街道へと歩き始めた。声をかけたが、今はひとりにしてくれと制されてしまった。

 

 

 

 活気がないのも至極当然。ビスタの港には、小屋に管理人が住んでいるだけで人っ子ひとりいなかったからだ。

 

「もう何年前になるかねえ。先代ラインハット王が亡くなられて代替わりしてから、船を出さなくなってしまって。もう旅人も寄り付かんよ」

 

「この港はラインハット王国が管理していたんですね」

 

「そりゃあね。この大陸のほとんどはあの国の領地みたいなものだからね」

 

「え、レヌール王国は……あ」

 

「ほっほっほ!キミは物知りだね。それこそ、大昔の話だねえ」

 

 物知りというよりは、偏った知識によるものである。しかし、人気がないのはともかく船が出ていないのは予想外だった。

 

「あの、ラインハット王国って、今どんな感じなんですか」

 

「代替わりしてからひどいもんさ。今の王様が……ああ、名前は忘れちゃったんだけどね、確か第二王子さまが後を継いだのね。しかもとんでもない若さで。今だってキミより若いんじゃないのかな」

 

 やはり、現ラインハット王はデールで間違いなさそうだ。

 

「それからはしっちゃかめっちゃかよ。なにせ、新しい王はしっかりと政治を学べないまま玉座に就いちまった。経済はめちゃくちゃ、思想もばらばら、ご覧のように外交もなくなって。国力は落ちるところまで落ちたと思うよ。もう、反乱が起こるのも時間の問題かもね」

 

「それは……想像以上にひどいですね」

 

「でもねえ、わしゃあ今の王様もかわいそうだと思うのよ。青春もこれからだって時期に突然、王になって。噂じゃあ王宮内では王様そっちのけの権力争いが今も続いてるそうじゃないか。板挟みもいいところだよ。国を回そうにも、枷が重すぎて回らないねえ」

 

 

  *  *

 

 

 無人の港を後にしながら、イーサンはこれからのことについて考えた。

 ヘンリーの気持ちに踏ん切りがつくまでラインハット王国へは行かないと決めていたが、そうもいかなくなってしまった。旅を続けるためにはラインハットへ向かい船を出すようお願いするしかない。しかし、王国の内情を考えると、いち旅人のお願いを聞いてもらえるほどの余裕はとてもじゃないがなさそうである。イーサンは政治のことがよくわからない。だから王国の問題を解決するには、ヘンリーの力が必要不可欠なのだ。だが彼が気持ちに整理をつけるまではかなりの時間を要するだろう。

 

 ぐるぐると思考を巡らせても、イーサンには答えが見つけられなかった。

 仕方がない、とりあえずラインハットには自分だけで向かい、状況を――、

 

「よう、相棒……」

 

 ふと顔を上げると、ぼろ雑巾のような姿のヘンリーがいた。

 

「は、え? ヘンリー!?」

 

「考え中のところ申し訳ねえけど、回復、かけてくれないか?」

 

 

 

 魔力が切れるまでホイミをかけ続けた。

 

「いててて……助かったぜ」

 

「一体何があったんだ?」

 

 傍らには、リズとマービンが申し訳なさそうに立っている。

 

「いや、モヤモヤと考えすぎて嫌になったからよ、そこら辺の魔物に片っ端から喧嘩売ってきたんだよ」

 

「……はあ?」

 

「途中でお前のお友達が加勢に来てくれたが、まあ断った。あとでちゃんと褒めといてやってくれ」

 

 ゴロゴロと、リズが低く鳴いた。

 

「ヘンリー、お前は稀代の馬鹿だな。前々から思ってたけど!」

 

「思ってただけじゃなく声に出してたろうが。相変わらず不敬な奴だ」

 

 ヘンリーは草の上に寝転がった。

 

「……俺、ラインハットに行くよ」

 

「えっ」

 

 あまりにも軽く口に出したので、イーサンは面食らった。

 

「魔物と戦いながらふと思ったんだけどよ……、サンタローズの村を襲ったのはラインハット王国軍で、それってつまり、結局は俺の身内の仕業なんだよな。時系列はわからないけど、最低でも父上か、デールがやったことだ。どちらにせよな、俺はそのことが許せない」

 

「………」

 

「俺の親友の故郷を襲わせたことも、それを知りながら何もしようとしない俺自身も許せない。だから俺はラインハットへ行きたい。けじめをつけなきゃならないんだ」

 

 ヘンリーはゆっくり立ち上がり、伸びをした。

 

「どうか俺に付き合ってほしい、イーサン」

 

 思わずイーサンに笑みがこぼれる。なんだ、心配しすぎて、結局水臭いのは俺の方だったじゃないか。

 

「もちろんだよ、相棒」

 

「……ありがとう」

 

 差し伸べられた手を掴み、イーサンも立ち上がった。

 

「ちょうど俺の方もラインハットに関する情報をいくつか掴んだんだ」

 

「上等だ、道中みっちりと聞かせてもらおうか」

 

「その前にアルカパの宿屋に寄ろう。誰かさんのせいで魔力がすっからかんだよ」

 

 

  *  *

 

 

 ラインハットへ向かいながら、港の管理人に聞いたことをヘンリーに説明した。彼によると、新国王のデールは幼少期から大人しく気弱な性格だったらしい。当時ヘンリー派とデール派で対立していた官僚たちが、今度は誰がデールに取り入って実権を握るかで対立しているのだろうと彼は推測する。

 

「結局あいつらはどっちが王位を継ごうと関係なかったってワケだ。なんでこう、手を取り合うことができねえのかなあ……」

 

 街道を北上し、王国領へと続く関所を越える。10年前、イーサンがパパスと共に川を眺めた場所だ。懐かしさに駆られたが、一行は先を急いでいる。関所の管理人に、4日後にデール王の演説が行われることを教えてもらったからだ。ラインハットの現状を確認するのにこれ以上ない機会だ。イーサンは後ろ髪を引かれる思いに耐え、関所を通り過ぎた。

 

 それから3日後の夜、一行は何とかラインハット王国の城下町に到着した。例によってリズとマービンを街の外の目立たないところに待機させ、ふたりは明日の演説へ向けて宿を取った。当然と言えば当然だが、道行く人々はこの旅人の片割れが自国の王子だと気付かない。

 

 翌日イーサンが目を覚ますと、フードを被ったヘンリーが客室のテーブルでお茶を飲んでいた。

 

「すまんイーサン。やたらと早くに目が覚めちまって、軽く街中を偵察してきたところだ」

 

「……そのお茶、俺にも一杯くれない?」

 

 ヘンリーの聞き込みによると、8年前、つまりヘンリーとイーサンが拉致されてから2年後に先代の王が病死。第二王子デールが7歳にして王となったそうだ。また、サンタローズ襲撃のことを知っている国民はいなかったという。ヘンリーの予想では、これは王宮内で内密に行われた可能性が高いらしい。イーサンの故郷の焼き討ちを命じたのは誰か、未だに不明のままだ。そのほかはイーサンが港で得た情報と全く一致するような状況だという。住人のほとんどが王への不満を口にしていて、今日の演説にも期待は持たず、文句を言うために王宮へ足を運ぼうとしている人が大概みたいだ。

 

「ちなみに先代王の息子にしてデール王の兄である第一王子は10年前に事故で死んだことになってるらしい。すこぶる失礼な話だぜ」

 

 また、ここ数年国内では『人さらい』が問題となっているという新しい情報も掴んでいた。街の端で遊んでいた子供が失踪した、オラクルベリーに出稼ぎへ向かった商人が帰ってこないなど、噂程度の情報しかないものの国民の誰もが知っていて、密かに不安を覚えているのだという。ヘンリー自身も、幼少期と比べて城下町の住人が減っているような気がすると言っていた。

 

「なあヘンリー、それって『光の教団』の仕業じゃないの」

 

「確証はない。それどころか、あいつらはこの国でもそれなりに普及しているみたいだぜ」

 

「……気分の悪くなる情報だな」

 

「ジャミ、とかいう旅の宣教師が大々的に布教活動を行ったらしい」

 

「宣教師……確かマリアたちを組織に誘ったのがゴンズ、だっけ」

 

「表向きは各地で真面目に活動してるのかもな。お前が教えてくれた『思想もばらばら』の意味がわかったぜ。国内の信者たちは、いまの政治が続くようなら教団に代わりに国をまとめてもらおうと割と本気で考えてるみたいだ」

 

「それってまずいんじゃない? 王宮の偉い人たちどころか、教団に国が乗っ取られかねない」

 

「同感だ。だが、とりあえずは俺たちの目で改めて確認しないとな。そのために今日に間に合うよう急いできたんだ」

 

「うん。ひとまずはデール王の演説と、それを聴いた国民の反応を見てみよう」

 

「おうよ、弟の雄姿を見届けてやる」

 

 そう言って再び支度を始めるヘンリーに続きながら、イーサンは彼の姿をじっと見つめた。

 

「……なんだよ」

 

「ううん、いつもの調子を取り戻してくれたみたいで良かった。いや、いつも以上かな? なんだかんだ言って、ヘンリーはこの国が好きなんだなって」

 

「好きとかじゃねえ。ただ、俺は王族だ。国のことを考えるのがお仕事だと、昔父上に教わったことを実行しているだけだ。お前へのけじめでもあるしな」

 

「……そっか」

 

 

 

 

 王宮前の広場にはまばらに人が集まっていた。ねっとりとしたざわめきが、人々の気持ちを代弁しているかのようだ。

 しばらくすると、王宮の門が開き、複数のラインハット兵に囲まれてビロードのマントの若者が姿を現した。彼らはまっすぐに、広場に設置された演説台へ向かってくる。現ラインハット王デール。髪の色こそ同じだが、ヘンリーとはあまり似ていないな、とイーサンは感じた。

 

「デール……さすがに、見違えるな……」

 

「そりゃあ、最後に会ったのが10年も前ならね」

 

 デール王に続き、豪奢な礼服を着た中年の男たちがぞろぞろと列をなして歩いてきた。ざっと数えて、10人は見える。

 

「見ろ。大臣どもも来なすった。こっちは昔と全く変わってねえな」

 

「それは顔ぶれが? それとも顔立ちが?」

 

「……どっちもだ」

 

 デール王が演説台に立ち広場を見渡すも、群衆のざわめきは一向に静まらない。むしろ不満の声やこれ見よがしなため息など、わざと壇上の王様に聞かせているようにも見える。

 

「えー……国民のみなさん。本日はお集りいただきありがとうございます。みなさんにお集まりいただいたのは他でもありません。近頃、国内に広がる『人さらい』の噂、それから事件について、みなさん不安を感じていることと存じます。これらに対しての王宮としての対応、対策について、直接みなさんにお伝えしようと――」

 

「んなこたあどうでもいいからよぉ! 税金の引き下げだなんだはどうなってるのか教えてくんないかねえ!」

 

 王の話を遮ってどこからか野次が飛ばされ、イーサンとヘンリーは心底ぎょっとする。仮にも一国の王に対しての態度ではない。まさにこの国の王族であったヘンリーはもちろん、イーサンも主従については奴隷時代に散々教え込まれたので、とてもじゃないけど信じられない光景だった。

 

「……以前も申し上げました通り、みなさんからの税金で国は動いております。我々としても少しでも皆さんの生活を――」

 

「何も変わってないじゃない! 一体全体あたしらのゴールドを何に使ってるっていうの!?」

 

「そうだそうだ!」

 

 それを皮切りに、群衆たちが次々と不満を吐き出し始めた。ねっとりとした罵声が広場を包み込んでいく。

 

「生活用品の値上がりが――」「肉も魚も高すぎる――!」「東地区の環境整備を――」「川が一向に綺麗にならない」「街道の魔物が危険すぎる! 出かけられたもんじゃない!」「はやくうちの息子を見つけて――!」「国はあんたの私物じゃないんだぞ――!」

 

 壇上のデール王は完全に青ざめてしまっている。それでも何かを呼びかけるが、その言葉はかき消されイーサンたちにも届いてこない。

 

「ひっどいな……」

 

 イーサンに政治はわからない。この不満は国民からしたら妥当なものかもしれない。ただ、これがデール王の不慣れな政治が招いた当然の結果だとしても、目の前の光景は小さな動物を寄ってたかっていじめるような、一方的な暴力にしか見えなかった。

 

「みなさん、静粛にお願いします!」

 

 そう呼びかけたのは、さっきまでデール王の後ろに控えていた大臣のひとり。大きな眼鏡をかけた初老の男性だ。ベテランの官僚で国民からある程度の信用があるのか、群衆の騒ぎが小さくなる。

 

「みなさんの声は聞き届けました。私共も、デール王がこの若さにして国のためを思って尽力してくれているのは重々承知しております。しかし、みなさんの不満もそろそろ限界の様子。……いかがでしょう、デール王。一旦内政のことを我々に預けていただけないでしょうか?」

 

「……!」

 

「お気持ちはわかります。しかし、貴方の手腕では限界があるのも事実。国としての指針がまとまるまで、我々にお任せいただきたい」

 

「し、しかし私は、ラインハット王家として、父上の意志を継ぐ責任が――」

 

「ええ、ええ。わかっておりますとも。お父上が亡くなられてから、貴方は王家の責任を誰よりも大切にしておられた。だから私共も、その意志を尊重いたしました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ですが、それもここが潮時のようです」

 

 ぞくり、と、イーサンは背中に氷でも入れられたような感覚がした。大臣の言葉の裏に潜んだ、デール王政への関わり方。勉強不足のデールをあえて野放しにすることで、つけ入る隙を作りだすという姑息な思惑を、読み取ることができてしまったからだ。

 

 大臣はちらりと後ろに目配せする。王の後ろに控えるその他の官僚たちは、攻撃的な視線を返している。ここからが本番だぞ、王が実権を渡すと言ってくれたら誰がそれを握るかをみっちり『話し合わ』ねば。そんな眼差しに満ちていた。もう誰も、デール王の方を見ていなかった。

 

 ……では、即位してからのデール王の人生は何だったのだろう? 王宮という一見広くて贅沢な環境に、周囲の人間は敵ばかり。心を許せたであろう家族とも死別し、大臣たちに飼い馴らされた8年間。――洞穴で使い潰される奴隷と、なにが違うというのか。

 

「なあ、イーサン」

 

 横でヘンリーは、拳を震わせていた。

 

「俺にも『やるべきこと』がわかった。って、言ったらどうする?」

 

「え?」

 

「お前は……。こんな俺を許してくれるか、相棒」

 

 彼は壇上を見つめていたので、どんな表情をしているかは見て取れない。ただ、彼がやろうとしていること、伝えようとしていることは、言わずとも理解できた。

 

「……もちろん。だってこれはお前の旅でもあるんだぜ、ヘンリー」

 

 イーサンが返した言葉の意味も、彼は理解してくれただろう。

 ヘンリーはそれ以上何も言わず、人ごみをかき分けて壇上へ向かって走り出した。

 

「――では王よ、ご理解いただけたでしょうか。ラインハットの未来のためです」

 

「……ええ。もう、私では――」

 

「待ったあああああああああああああああああ!!」

 

 ヘンリーの怒声が広場を貫いた。

 

「その話、待ったっ!!! おら、通しやがれ!!」

 

 集まる民衆の視線を跳ね飛ばし、人ごみの間を駆け抜ける。なんだあいつは、という声が方々から上がり、複数人のラインハット兵が不審者を捕まえに集まってきた。

 

「まあ当然そうなるよね……本当に向こう見ずだなあいつ」

 

 イーサンは人ごみから離れ、口笛を吹いた。それは合図だ。”民家の影に隠れさせていた仲間”への、加勢の合図である。

 

「今回だけ特別に尻拭いしてやるか、まったく!」

 

 ヘンリーを取り押さえようとしていた兵士たちは、突如現れた猫とゾンビに虚を突かれ大混乱。群衆も魔物の登場に驚き後ずさる。ヘンリーが壇上に向かうための道が綺麗に出来上がっていく。

 

「リズ! マービン! やりすぎるなよ、ちょっと脅かすだけでいい! いいぞ、その調子だ! あははは!」

 

 

 

 突然の出来事の連続で、デールも大臣たちもパニックになっていた。

 

「何事だ! ええい、兵士は何をやっている!」

 

「み、みなさん、とりあえず落ち着いて――!」

 

「やっと着いたぜ! デール!」

 

「――え?」

 

 壇上に現れた男の迫力に、広場にいたすべての人間が注目していた。不審者と魔物を取り押さえた兵士たちも、演説台の下から彼らを見守る。

 

「……誰だね、君は。この大事な時期に騒ぎを起こしてもらっては困るのだよ。そんなに牢屋に行きたければ、せめて別の機会にしてほしかったものだね」

 

「だよなあ……せっかく国の実権が手に入るって時に、うやむやにされちゃたまんないか」

 

 大臣の眉がぴくりと動いた。

 

「この者を捕らえよ! 何をぼうっとしておる!」

 

「父上の腰巾着が、随分と偉そうな口を利けるようになったなあ! ええ、モーガン!」

 

「なっ……」

 

「奥さんは元気かい? 酒場の、アイリスちゃんだっけ? 彼女に構いすぎて、ついぞ見放されたんじゃないだろうな?」

 

 広場が静まり返った。ヘンリーの爆弾発言もそうだが、その口調、態度に、誰もが既視感を覚えていた。

 

「トムはいるか? ……ああ、いたいた。正門担当の下っ端が、宮廷騎士とは大した出世じゃねえか。苦手なカエルは克服したのか? ベッドにカエルを仕込んでやった時が一番の傑作だったな」

 

 デール王の横で槍を構えていた大柄の男が、ころろんとその得物を取り落とした。

 

「エリィ……。へえ、今はフィリップに付いているのか。アップルパイは上手に焼けるようになったのか? 父上には不評だったが、俺はまあまあ好きだったぜ、あれ」

 

 大臣たちの後ろにたたずんでいたメイドが驚愕を露わにする。

 

「いくらでも出てくるぜ、ラインハットのみんなのことはよお」

 

 次にヘンリーは、広場の群衆の方に向き直った。

 

「肉屋のじいちゃん、タバコを辞めてるみたいで感心したぜ。道具屋のおばさん、手作りパンの販売はいつ無くなったんだ? 子供たちの密かな楽しみだったのに残念だ。ジョルジュ、ネズミが嫌いなのはわかるが国のせいにするな。東の森は絶好のネズミ捕りスポットって教えたのを忘れたか? どう考えてもあんなとこに新居を構えたお前が悪い。あといい加減ステラとの関係を進展させろ。10年前から何ひとつ変わってないのはさすがに呆れるぞ。それからステラ、お前はサボテンの世話ばっかしてないでちっとはジョルジュのことを見てやれ。あ、でも新しいメガネは似合ってたぜ、そっちの方が断然可愛い」

 

 ヘンリーは今朝、聞き込みに行ってきた、とだけ言っていた。でも実際は少し違う。彼は幼少時代にお世話になった、城を抜け出す腕白王子も受け入れてくれた国民たちに、密かに、正体を隠して会いに行っていたのだ。

 

「そしてデール。……久しぶりだな。10年前に比べて、多少はハキハキ喋れるようになったんじゃないか?」

 

 壇上に立つ王はその口をあんぐりと開け、目の前で苦笑を浮かべる人物を信じられないという目で見つめるしかないようだ。

 

「みんな、忘れたわけじゃないだろうな? お前らに迷惑かけまくったクソ生意気な第一王子の顔を!!」

 

「そんな……! まさか、生きておられたとは……ヘンリー王子!!」

 

 どっ、と広場が驚きの声で包まれる。10年前、第一王子が事故で亡くなったという知らせを受けて、国民の誰もが悲しんだ。王位を継がせるには不安しかないと当時から揶揄されてはいたが、たびたび街に遊びに来る少年を、街の誰もが可愛がっていたのだ。そんな彼が、今、壇上に立っている。かつてと変わらない尊大な態度を、相変わらずの上から目線で投げつけてきている。

 

「あ、あ……兄上……、一体、どうして」

 

「おっしゃ、じゃあこの場は俺に任せてもらうか。モーガンも、少し大人しくしてもらうぜ」

 

 じっと壇上の人々が黙りこくる。イーサンはその光景を見て、ヘンリーの血筋が根本的に持っている指導者としてのカリスマを垣間見た気がした。

 

「みんな! せっかくの機会だから話させてもらう、俺が10年間何をしていたか。よーく聞いておけよ! いいな!」

 

 再び、広場のざわめきが溶けるように消えていった。

 

「10年前賊に攫われた俺は、得体のしれない洞穴でずっと働かされてきた。奴隷としてな」

 

 ヘンリーはゆっくりと、奴隷時代の10年間を語り出した。気の狂うような毎日、理不尽な暴力。そして、脱出。人々は固唾をのんで聞き入っていた。それどころか、広場に集まっている人の数がみるみる増えていっている。彼がラインハットに帰ってくる経緯を話し終わるころには、広場は溢れるほどの群衆で満ちていた。

 

「……間違いなく、そのとんでもない連中は勢力を伸ばし、世界を蝕んでいる。近頃話題になっている『人さらい』とかも、こいつらである可能性が高いと踏んでいる。……でもな、()()()()()は正直どうでもいいんだ。いいか、俺がここで言いたいのはそんな小さな話じゃあないんだよ!」

 

 ヘンリーの剣幕に、ぴりっとした緊張感が人々の間を駆け抜ける。

 

「重要なのは、俺が、自分のこと以外何も考えないクソガキだったこの俺が、なんで10年間も生き延びて、今ここに立っていられるのかということだ! なぜかわかるか!? 王宮でぬくぬくと育った俺が、毎日のように振るわれるムチに耐えて、腐らずにここまで歩いてこられた理由が!!! それは……」

 

 彼は拳を握りしめ、目の前のすべての人に語りかける。イーサンにはわかっていた。彼も同じ理由を持っているからだ。

 

「仲間が、支えてくれたからだ。たったふたり。そこでふん縛られて転がってるクソ不敬な庶民と、南の修道院に就職した強情な娘。たったふたりだけどな」

 

 ふふ、と、イーサンは笑みをこぼさずにはいられなかった。

 

「突拍子もない話に聞こえるかもしれんが、紛れもない事実だ。たったふたり。ふたりが静かに、でも確かに支えてくれたおかげで、俺は今ここにいる。月並みな言葉だろうが知ったこっちゃねえ、仲間の支えがこそが、故郷に帰るという俺の夢をかなえてくれたんだ!」

 

 ヘンリーはそこまで言うと、声色を変えた。低く、怒りを感じさせるものだ

 

「だが今のラインハットはどうだ!! 国民は国そのものを顧みず、てめえの心配ばかりしている! 大臣どもは国民も国王もそっちのけで、権力なんていうあやふやなモンしか信じちゃいない!! あんたらからしたらガキにしか見えない連中がたった3人で地獄を乗り越えたっていうのに、この国は何百人も集まって足の引っ張り合いをしてるんだぜ! 萎縮しきっちまったデールひっつかまえてあーでもないこーでもない!! 恥ずかしくないのかよ!! お前たちは父上と共に国を守り続けた、誇り高きラインハットの国民だろうが!!!」

 

 ヘンリーの叫びが、わんわんと広場に反響した。群衆は静まり返っていて、その胸の中でなお反響し続けているであろう彼の声がイーサンにも聞こえてくるようだった。

 

「……俺が言いたかったのはそれだけだ。母上に続いて父上も亡くなった今、俺はもう王族でもなんでもねえ。捕まえるなり処刑するなり、好きにしてくれ……」

 

 壇上のデールが戸惑ったように大臣たちに目配せした。王宮の人たちも、顔を伏せたまま動けずにいた。長い沈黙が、広場を飲み込んだ。

 

「……ヘンリー王子様、万歳!!」

 

 突然、広場のどこからか声が上がった。

 

「デール王、万歳!! ラインハット王国万歳!!」

 

 その声が引き金となって、広場に集まっていた人たちが次々に想いを露わにしていく。

 

「ヘンリー王子様万歳!!!」

 

「おかえりなさい!!! ラインハット王国ばんざーい!!!」

 

「王子様万歳!! でもステラのことはバラさないで欲しかったー!!!!!」

 

 歓喜の声が瞬く間に広場を包み、壇上の為政者たちを称えた。

 

「……兄上」

 

 デール王がヘンリーに話しかける。目元は潤んでいたが、その眼差しは力強かった。

 

「おかえりなさい、兄上。そして恥を忍んでお願い申し上げます。我がラインハット王国の再興と、邪悪なる脅威を打ち払うために、今一度力を貸していただきたい」

 

「……んだよ随分堅苦しいじゃないか。いいのかよ。俺はお前以上に、教養のないポンコツなんだぜ?」

 

「この声が聞こえないの? みんなあなたのことを受け入れているんだよ……兄さん」

 

 そうして、10年の時を超えて腹違いの兄弟は握手を交わした。その姿に、広場の歓声は一層大きくなる。

 

「みなさん、聞いてください! 今、この場に、我が兄でありラインハット王家のひとり、ヘンリーが帰ってきてくれました! ……私は、私の為してきた政治を改めて見つめなおします。どうか今一度私を、国を、あなたたちの隣人を信じてほしい! 力を合わせて、ラインハットを昔のような活気のある国へ導いていきましょう!」

 

 広場の歓声がさらに膨れ上がる。国民たちの心には、確実に熱い炎が灯っていた。

 

「では改めて各制度、政策を考え直しましょう。このあと宮廷の大会議室に集合します。……モーガン殿、よろしいですか」

 

「ええ。私共も、少し頭を冷やす必要があるようですな。……なんなりと、我が王よ」

 

 割れんばかりの歓声の中、ヘンリーは再び群衆に紛れた相棒を探していた。そして縛られたままのイーサンと目が合うと、拳を突き出した。それを見たイーサンも拳を返す……ことは縛られていて叶わなかったが、そんな様子に吹き出すヘンリーを見て、自然と笑みがこぼれた。

 

この拳を突き合わせる挙動は、どちらともなく始めたふたりの合図である。洞窟で特別キツい日を乗り切ったとき、ムチ男を出し抜いてちょっとだけ作業を抜け出せたとき。旅に出てからは、魔物の群れをやっつけたときによくふたりで拳を合わせていた。なんとなく、『やってやったぜ』みたいな意味合いのある合図として使っていた。

 

 そしてそれはたった今、ヘンリーの旅の終わりの合図となった。

 

 

 

 



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1-4. 青春の終わり


 こんばんは。イチゴころころです。昨夜は久しぶりにエアコンをつけていない状態で眠れました。

 ヘンリーの口調が荒々しいのは、幼少期に城下町へよく遊びに行っていたからだと思っています。所謂庶民の喋り方に興味津々だったのでしょう。それが奴隷時代に良い感じに育まれた、と。その気になればカチコチの『ガチ王族モード』で話すこともできます。

 逆に旅人出身奴隷経験者のイーサンが妙に物腰柔らかめなのは、これは父の影響です。幼少期に見た父の処世術を模倣している訳ですね。




 

 

 ラインハット王国始まって以来の衝撃的な大演説から7日。国内はようやく落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。デール王は官僚たちと毎日のように会議を開き、国内の体制について見直しを図っている。国民が抱えている不満は、兵士が国中の民家を回り、書類としてまとめることで今一度現状把握から取り進めている。魔物をけしかけた罪で危うく投獄されそうになったイーサンも一転、仲間たちと共に王宮で歓迎されることとなった。ラインハット王国は少しずつ良い方向に向かっている……ように思える。如何せん、イーサンは政治のことがなにもわからないのだ。人さらいの正体が『光の教団』かもしれない事実をヘンリーが頑なに公表しなかったのも、改めて説明されるまでまるで分らなかった。

 

『父上は、俺とデールをめぐって王宮がガタガタしている状況を国民に毛ほども悟らせなかった。秩序、ってやつだ。ガキの頃の俺はその意味がわからなかったけどな。もちろん教団は見過ごせないが、まずは根本的に国が安定してから、じっくり根をつぶしていかなきゃなんねえ』

 

 そういうものなのかな、と傍らにいるプリズニャンに振ると、彼女も『ニンゲンの社会は難しいことだらけだニャン』みたいな表情をした。

 

 イーサンは今、城下町から少し離れた川辺の施設、ラインハットの関所にいる。10年前、父の背中から川を眺めた建物の屋上、まさにその場所に立っている。あのときは塀が高すぎてパパスに肩車をしてもらっていたが、今は当然、その必要はない。リズは塀の上に器用に座り込み、マービンは何を思うのかぼうっと川面を見つめている。

 ふと、背負っている大きな剣を手に取ってみた。天空の剣。父の形見であり、邪悪な手の者に攫われた母を助ける唯一の手掛かり。今一度その鞘に手をかけるも、やはり沈黙。刃と鞘の隙間すら感じさせない。

 

「……父さん、母さん。この世界は、まだまだ知らないことだらけだよ。俺……」

 

 ちゃんとやれてるかな? 心の中に問いかけても、答えは返ってこなかった。

 

「イーサン殿!」

 

 声がした方を見下ろすと、関所の入口に巨大な馬車が停まっていた。声をかけてきたのは、ビロードのマントが絶妙に似合わない若き王様。

 

「デール王! 来てくれたんですか!」

 

 

  *  * 

 

 

 その馬車はさすが王家御用達というか、内装までとても豪華だった。どういう構造なのか、揺れもほとんど感じない。

 

「おひとりで関所に向かわれたと聞いて焦りましたよ」

 

「あはは、ごめんなさい。早くに目が覚めてしまって……。すぐに戻るつもりだったんですけどね。……あの、ヘンリーは?」

 

「兄上は用事を済ませてから見送りに向かうと言っておりました。すぐ追い付いてくるかと」

 

「そうですか……。でも、俺なんかのために王自らいらっしゃることもなかったのでは? 王宮でのお仕事がまだあるでしょうに」

 

「とんでもない! イーサン殿は兄上の、ひいてはラインハットの恩人でもあるのです。私がお見送りも致さないことには、王家の名が廃ります」

 

 デールの声は細く、少しどもるところもあったが、王族としての誇りを確かに感じることができた。

 

 今日は、ビスタの港から数年ぶりに船が出る日だ。デールたちは、王国の再興の一環で諸外国との外交を復活させることを決定した。それはイーサンの旅への新たな足掛かりにもなるからという、ヘンリーの提案だった。

 

「イーサン殿、これを……」

 

 デールが改まって差し出したのは、布に包まれた細身の剣。その形に、イーサンは見覚えがあった。

 

「父さんの……剣!?」

 

「やはり、そうでしたか。兄上に10年前の顛末を聞き、東の遺跡に調査団を派遣したのです。そこで見つけたのがこちらでございます。残念ながら例の『教団』の手掛かりは掴めませんでしたが……。是非、貴方が持っていてください」

 

「十分です。ありがたく、受け取らせていただきます……」

 

 パパスの剣。小さいころ、いたずらで何度か持とうとしたことがある。当然重すぎて持ち上げられず、その都度父からこてんぱんに怒られた。10年越しに握るそれはずっしりと重いものの、驚くほど手になじむようだった。

 

「……過去の記録を調べました。イーサン殿の故郷、サンタローズの焼き討ちは、私たちの父上が下した命令になります」

 

「……!」

 

「兄上が行方をくらました後、父がひどく焦っておられたのは私もよく覚えております。そんなとき、ある情報が出回ったそうなのです。攫われた王子は、サンタローズの村に軟禁されている、と」

 

「それは、いったい誰が?」

 

「当時、ちょうど国内で布教活動を行っていた旅の宣教師。名を――」

 

「ジャミ、ですね」

 

 ぎりぎりと、イーサンは奥歯を噛み締める。デールは静かに頷いた。

 

「息子を攫われ、父も感情的になっていたようです。その後、無辜の村人を襲わせたことをひどく後悔し、病床に伏しました……。ああ、そのような教団の思想が国民の一部に広まっていると考えると身の毛もよだつ思いです……! イーサン殿、王家を代表し、……なんと謝ったらよいか……!」

 

「いいんです、デール王。ヘンリーにも言いましたが、直接手を下したのはあなたたちではありません。というか、黒幕も判明しましたしね。目を向けるべき相手は、教団です……」

 

「かたじけない……。ですが、我々王家は、この罪を永遠に忘れてはいけない。……国内の安定を取り戻した後、貴方の故郷の復興にも全力を尽くさせていただきます。ここに誓わせてください……!」

 

「ええ。そのときは是非、便りをください。俺も微力ながらお力添えいたします」

 

 

  *  *

 

 

 ビスタの港に着くと、大きな船が出港の準備をしていた。数年ぶりの船出に、船乗りたちもてんやわんやの様子である。

 

「イーサン殿。この船は西の大陸のポートセルミという港町に向かいます。我々が力をお貸しできるのは、そこまでになりますが……」

 

「十分すぎるくらいです。一介の旅人である俺に、ここまでしていただいたのですから」

 

「……はは。兄上が貴方に付き従った理由、私にもわかる気がします」

 

 そうですか? とイーサンは首を傾げる。付き従う、というほどの恭しさは欠片もなかった気がするが。

 

「貴方は、とても綺麗な心をお持ちのようだ。その水晶のように透き通った心は、貴方の瞳を通じて伝わります。確かに、魔物さえも改心させてしまうでしょうね」

 

 デールは彼の隣にたたずむリズとマービンに目をやった。

 

「ですが、そのすべてを受け入れんばかりの貴方の心に、危うさも感じているというのが本音です。それに貴方の父上、パパス殿も……」

 

「……?」

 

 父が、なんだろうか。そういえば、一介の旅人であるはずの父も先代ラインハット王との交流があった。その内容は知る由もなかったが、母や天空の剣の事以外に、父が何かを抱えていたのも事実だ。

 

「いえ、これは私の推測でしかないこと故、むやみやたらにお伝えすることではないですね……。イーサン殿、どうかご無理をなさらぬよう。王国を代表して、貴方の旅の無事をお祈りいたします」

 

「……ええ、ご忠告、痛み入ります」

 

 父のことについて気になるのも確かだが、当のデール王がそう言うのなら仕方ない。天空の勇者を探す旅はかつて父も歩んだ軌跡だ。いずれわかるときがきたらわかることだろう。

 

 

 

しばらくして、港にもう一台の馬車が到着した。荷台からヘンリーが飛び降りる。すると彼は幌の中にいる誰かに声をかけ、まもなく、荷台から木の板が下ろされスロープを作った。その光景を不思議に思っていると、そのスロープに沿って車いすが降りてきた。

 座っているのはもちろん、修道女姿の金髪の少女だった。

 

「マリア!?」

 

「イーサンさん!」

 

 彼女はヘンリーに押され、イーサンの前までやってくる。

 

「ようイーサン、驚いたか? お前の門出の日に、こいつを呼ばないわけにはいかないと思ってな」

 

「驚くも何も……すごく嬉しいよ! ヘンリーにしては珍しく気が利いたじゃないか」

 

「一言多いんだよ! 言っとくが今の俺は正真正銘の王族だからな!」

 

 マリアはイーサンを見ると、申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「どうしたのマリア?」

 

「あの……ごめんなさい。私、足のことでふたりに嘘をついてしまって……」

 

「あ……」

 

 見慣れていたせいか未だに彼女が車いす姿であることに違和感を覚えずにいたが、実際にあれから相当な日数が経っている。

 

「俺たちが思っていた以上に……重いけがだったのか。気付かなくてごめん。あと、気を使ってくれてありがとう」

 

「……」

 

「でも君が元気そうで嬉しい。なによりも、また会えてよかったよ」

 

「イーサンさん……」

 

「だろ? 俺ももちろんだが、今更イーサンのやつがそんなこと気にしないって」

 

「ええ、ヘンリーさんの言ってくれた通りだったわ。私も、ふたりに会えてうれしい」

 

 それから船出の準備が整うまでの間、3人は修道院を出てからのことで会話を咲かせた。イーサンとヘンリーの冒険譚、新たな仲間との出会い。マリアも、修道院での暮らしをふたりに語って聞かせた。それらはお互いにとって未知なる世界の話で、興味と関心はとどまる所を知らなかった。

 

 その様子を遠巻きに見ていたデールは、兄が誰にも見せなかった表情をしていることに驚いていた。イーサンに対しても、物静かで落ち着いた人物だという印象があっただけに、笑顔で会話を弾ませる彼に新鮮な気持ちを抱いた。……兄が広場で叫んでいたことを思い出す。彼らこそが、絶望の淵に立たされていた兄を支え、また、実の弟でさえ知りえないヘンリーを育てていったのだと、改めて思い知った。そして、ほんの少しだけ、寂しい気持ちになった。

 

「デール王! 出発の準備ができましたぜ!!」

 

 船乗りの声を聞きイーサンに目をやると、彼もその言葉に了承したみたいだった。

 

「行くんだな、イーサン」

 

「うん」

 

「イーサンさん。また貴方を見送ることができて光栄だわ」

 

「……うん」

 

 彼らの言葉を聞いて、ふと思い出したことがあった。イーサンは思い出したままに口にした。

 

「ふたりとも、覚えてるかな? いつだったか、奴隷の寝床で知り合ったおじいさんが話してくれたこと」

 

「「……」」

 

「10代とは、一生で最も色々な感情が芽生える時期である。その中で色々な経験、出会いを味わうことで、子供は大人へと成長していく。……それを青春と呼ぶんだって話」

 

「……ああ。覚えてるぜ」

 

 マリアも無言で頷く。

 

「あの後さ、3人でひたすらに泣いたよな。それじゃあ俺たちはたった今、青春がどんなものかも知れずに、何の経験も味わえずにこんなところで使い潰されるのかって。なんか悔しくて、たまらなくてさ」

 

 よく覚えている。それからイーサンとヘンリーは、『脱出』にこだわり始めたのだ。表立って教団に反抗しなかったマリアも、そんなふたりを傍で見守っていた。

 

「でもね、今ふと思ったんだ。あの洞穴での毎日こそが、俺たちの青春だったんじゃないかって」

 

 今でも、洞窟での地獄のような毎日はたまに夢に見る。ただそこには常に、支えてくれていたふたりの姿があった。

 

「ヘンリーと一緒に奴隷生活が始まって、マリアに出会って。洞窟の中じゃ何の経験も得られないって思ったけど、でも実際にはびっくりするくらい色々なことがあって。その色々なことの果てに、俺たちはここにいるんだってね」

 

 だから、とイーサンは言葉を切り、改めてふたりに向き直った。

 

「大人になって昔を思い出すとき、今ここに3人でいることが俺の青春なんだって、たった3人でも、真っ暗闇の中でも……。それが俺の青春だったんだって、胸を張って言えると思う」

 

 ありがとうとか、ごめんなんて言葉は散々言い合ってきた。だからこそイーサンはこの別れ際に、こんなとりとめのない話をしようと思ったのだ。

 

「……うっ」

 

 突然、川が氾濫するかのような勢いでヘンリーの目から涙が流れ出してきた。

 

「「ええっ!?」」

 

「泣いてねー!」

 

「いや無理があるだろ!」

 

 マリアがハンカチを渡すと、彼は過剰なほどに顔を擦った。

 

「イーサンお前……旅が終わったらラインハットへ来い!」

 

「はあ!?」

 

「王宮付きの語り部として雇ってやる!!」

 

「はあ!!?」

 

「前々から思ってたんだがよ、お前は口が達者だ! 旅人にしておくにはもったいないほどにな!」

 

「あっ、それ私も思っていました!」

 

「マリアまで!?」

 

「それか本を書け。題材はもちろんお前の冒険の記録だ。バカ売れ間違いなしだぜ」

 

 何を突拍子もないことを……と思ったものの目の前のふたりは本気のようだ。

 

「出版されたら、私買うわ! 修道院に訪れる旅人さんたちに読んで聞かせるの。そして、実は彼は私の友達なんですって、みんなに自慢するわ」

 

「それいいな! 俺も王国中に配り歩いてやる」

 

「やめろよ、恥ずかしいだろ!」

 

 

 

 幸せな時間も束の間、ついに出港の時間となる。甲板へのスロープに足をかけた。

 

「イーサン、約束だ。お前はお前の旅を成し遂げろ。そして……また会おう」

 

「……うん」

 

「どうか体に気を付けて。貴方に神のご加護があらんことを……」

 

「うん。ふたりも元気で」

 

 傍らのリズとマービンに声をかけ、スロープを昇る。やはり、誰かに見送られるのは慣れない。でも旅人である以上、これは自分の宿命のようなものだとイーサンは感じていた。

 汽笛が鳴り響き、船が動き出す。突然の揺れにバランスを崩すも、咄嗟にマービンが支えてくれた。リズも低く唸り、足に頬を寄せてきた。……そうだ、俺は別にひとりになったわけじゃないんだ。港を振り返ると、デール王、それにヘンリーとマリアが手を振っているのが小さく見えた。無性に戻りたくなったが、港はもうあんなに遠く、戻れはしない。でも、それでいいと思った。戻れてしまったら、いつまで経っても進めない。

 船乗りたちは驚いていた。当然だ、旅人と一緒に魔物が乗り込んでいるのだから。

 

「ああ、大丈夫。彼らは俺の友達です。どうか怖がらないで」

 

「デール王からなんとなく聞いちゃあいたが、改めて目にすると流石にたまげるな。……坊主、おめぇ一体何者なんだ?」

 

「ただの……、旅の魔物使いですよ。西の大陸までお世話になりますね」

 

 

 

 目的地は遥か先。水平線にまだ大陸は見えてこないが、不安はない。

 そう言えば、波の音はもう平気になったみたいだ。

 

 

 

 

 

第1章 青春  ~fin.~

 



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第2章 人生最大の決断
2-1. 西を征く



 2章開幕!

 相も変わらずオリジナルチャートまみれ、成り行き任せのミックスナッツスタイルで進んでおります。そんな中ここまでついてきてくださった皆様、ありがとうございます。

 もうちょいでヒロインたちに会える!




 

 正直なところ、イーサンは剣の扱いが苦手である。

 

 重くて持てないわけではない。同年代の男性と比べられればやや小柄なものの、奴隷時代に鍛えられた体には年相応以上の筋肉が備わっている。さらに、その肉体は長い旅でさらに磨きがかけられていた。太刀筋は我流ではあるが、幼少期に父の戦いを間近で見ていたイーサンには剣術のセンスも申し分なく身についていた。デール王からもらった剣、パパス愛用の剣は恐らくは父がどこかの鍛冶屋に注文した特注品だろう。手入れさえ怠らなければ前線で無類の強さを発揮する。

 

 それでもなお、イーサンは剣を用いた戦いがしっくりこないと感じていた。好みの問題かもしれない。……だいたい仲間の魔物たちに指示を出しつつ己も前に出るなんて効率が悪い、とイーサンは思っている。そういう意味では、ヘンリーやリズ、マービンに前に出てもらって後ろからブーメランを投げていたあの頃の戦い方が、自分なりにしっくりくるスタイルだったと言えるのだろう。

 

 そんなことを考えていても魔物はひっきりなしに襲ってくるわけで、結局のところ最も近接戦闘で力を出せるパパスの剣、それを持ったイーサンが前に出るのが妥当というわけなのだ。

 

「“彷徨う鎧”が、3体、いや3『(ちゃく)』かこの場合……。ちょっと多いな。それに後方には“パペットマン”が4体。“ドロヌーバ”2体……これは『体』でいいよな、うん」

 

 イーサンが手のひらを上げて合図をすると、背後で仲間たちが戦う態勢を整える気配がした。

 

「トレヴァ、俺が出たらブーメランで牽制。リズは後ろのパペットマンを狙ってくれ。鎧は俺が相手する。ドロヌーバは動きが遅いからとりあえずは放っておいていい。いいな?」

 

 仲間たちがそれぞれ応答すると、イーサンは剣を構えて前に出た。

 

「さて、いっちょやるか!」

 

_______________________

 

 ◎ イーサン 18歳 男

 ・肩書き  さすらいの魔物使い

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:D すばやさ:C

 ちから:B みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 パパスの剣

 ・特技 バギマ、ホイミ

_______________________

 

 少し遅れて、軽快な足音とともに小さな影が飛び出した。青と白の毛並みを持つ彼女は弾丸のような勢いでイーサンを追い越し、瞬く間に敵後方の魔物の群れに突撃していった。

 

「こっちは任せるニャン!!」

 

_______________________

 

 ◎ リズ ??歳 きっとメス

 ・肩書き  勇敢なプリズニャン

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:D すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:D かしこさ:C

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャド、甘い息

_______________________

 

 

 こちらの敵意を感じ取ったのか、先ほどまでじわじわと距離を詰めてきていた魔物の群れも臨戦態勢をとる。呪いの力で動く鎧たちは一斉に剣を掲げ、声もなくイーサンに迫ってきた。ひとつひとつが巨大な鎧だ。その迫力は寒気すら覚える。

 

「……っ! 今だ、トレヴァ!!」

 

 背後からバサバサと羽ばたく音が聞こえた。翼を持つ異形の魔物はクチバシで器用に持ち上げたブーメランを上空から投擲する。

 高所から放たれたブーメランは押し寄せる鉄の塊をまとめてはじき返し、そのまま後列の群れにも直撃した。……どう考えてもイーサンが投げるより強烈だ。

 

_______________________

 

 ◎ トレヴァ ??歳 おそらくメス

 ・肩書き  引っ込み思案なキメラ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:B すばやさ:B

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:C

 ・武器 刃のブーメラン

 ・特技 ベホイミ、冷たい息

_______________________

 

「よし、上出来だ! ――はあっ!!」

 

 イーサンは一際態勢を崩した鎧に狙いをつけ、力を込めて剣を振り下ろした。

 

『――』

 

 パパスの剣は咄嗟に構えられた盾をも無慈悲に叩き割り、そのフルアーマーはバラバラに解体され飛び散った。1体、いや1着目撃破。

 そのまま他の敵を狙うイーサンだが、予想外の攻撃が彼を襲う。

 

「ドロヌーバ……!? 思ったより速かったか!」

 

 すぐ近くまで迫っていた泥の魔物がイーサンの攻撃を阻む。態勢を整えた鎧も2着、左右から再び攻撃を仕掛けてきた。

 仕方ない――、と魔力を指先に集めた。本音を言うと温存しておきたかったのだが、背に腹は代えられない。

 

「“バ――”」

 

「出番 ナリ! 出番 ナリ!」

 

 イーサンの呪文を遮って、場違いなほどに愉快な声色が戦場にこだました。振り返ると、小さな白い影がぴょんぴょんと地面を跳ねながらこちらへ向かってくる。遠目から見ればそれは何の変哲もない宝石袋だろうが、彼も立派なイーサンの仲間である。いや、『立派』とは到底言い難いか。

 

「英雄 ロラン の 出番 ナリ!!」

 

「ロラン!? お前は馬車で待機してろって……、あっ!!」

 

 ずしん、とその宝石袋を中心に空気が重くなる。背景が歪むほどの濃い魔力が放出され、呪文の羅列が空中に浮かび上がる。

 それはロランが高位魔法を放つ合図である。標的は眼前の魔物の群れ。そして恐らく、そこで戦っているイーサンもだ。

 

「勝利 は 約束 され る! 英雄 ロラン は 無敵 ナリ!!」

 

「待て、ロラ、ン――」

 

 イーサンの叫びは途切れた。口がうまく回らず、視界も霞む。全身から力が抜け、父の剣を取り落とした。すうっと意識が遠くなり、ついさっきまで魔物と戦っていたのも忘れてしまうほど、安らかな眠気に包まれていく。

 

「――起きるニャン!!!」

 

「いったあ!?」

 

 リズに頬を引っかかれ、イーサンの意識は現実に引き戻された。

 

『キッキッ』

 

 トレヴァも心配そうに近づいてくる。ロランは満足したのか、少し離れた草むらで飛び跳ねていた。

 

「ま、魔物は……?」

 

「……ニャア」

 

 リズに促され地面を見ると、先ほどまで戦闘していた魔物たちが地に伏して眠っていた。乱入してきたドロヌーバ、リズが戦闘中だったパペットマン。どういう理屈か彷徨う鎧まで気持ちよさそうという表現がぴったりな眠り方をしている。

 

「倒すニャン? 寝込みを襲うみたいで気が引けるニャン」

 

「……倒しておこう。この道は帰りにも通る」

 

 こうして、新生イーサンパーティの戦闘は意外な形で終わるのである。

 

_______________________

 

 ◎ ロラン ??歳 たぶん男

 ・肩書き  気紛れな踊る宝石

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:A すばやさ:A

 ちから:C みのまもり:A かしこさ:E

 ・武器 宝石の加護

 ・特技 ラリホーマ、メダパニ

_______________________

 

  *  *

 

 陽が落ち、辺りは暗闇に包まれた。ランタン片手に歩みを進めるイーサンは、雑草に紛れて光る花を見つけた。

 

「あった……『ルラムーン草』。本当に夜になると光るんだな」

 

「これでコダイマホウとやらが復活するニャン?」

 

「さあ……胡散臭さしかないけど、一度受けちゃった依頼だしなあ」

 

 イーサンがビスタの港を出発してから、実に1年半が経過していた。半年にも及ぶ船旅を乗り越え西の大陸に降り立った彼は、港町ポートセルミ、カボチ村と拠点を変えつつ、大陸西岸付近のルラフェンという街までやってきていた。これでも地図上は大陸の北半分しか踏破していないのだから驚きだ。ルラフェンの街で出会ったとある老人に依頼を受け、こうして人里離れた草原の果てまで足を運んでいるのである。

 

「ご主人はロマンがないニャン。リズはそのコダイマホウ、結構気になってるニャン」

 

 長旅の果てに、リズは人の言葉を喋れるようになった。イーサンも最初はさすがに驚いたが、これも知能の高い魔物にはありがちなことなのかもしれない。未だに言葉の節々にはネコの鳴き声が混ざっているが、イーサンにとっても話し相手がいるのはありがたいことである。

 

「あれ、トレヴァは?」

 

「馬車ニャ。あの子、ご主人から指示がないとあそこから出たがらないニャン」

 

 イーサンが馬車の幌を覗くと、落ちくぼんだ瞳と目が合った。

 

「よう旦那……。それに……リズ先輩も。目当てのものは……見つかったか……?」

 

_______________________

 

 ◎ マービン ??歳 生前は男性

 ・肩書き  言葉を取り戻した死体

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:C

 ・武器 素手(右手のみ)

 ・特技 毒攻撃、冷たい息

_______________________

 

 

「お疲れ、マービン。ほらこの通り」

 

「おお……、それは良かった…な」

 

 マービンも長い旅の途中で喋れるようになった。というより、喋り方を思い出したというべきか。なぜかイーサンを『旦那』、リズを『先輩』と呼び、その他の仲間のことは『新米』と呼ぶ。生前は上下関係のはっきりした職場で働いていたのだろうか? もっとも彼は魔物になる以前のことを覚えていない。優秀な戦闘要員だった彼だがひょんなことで片腕を失ってしまい、今は前線には出さずに馬車の番人になってもらっている。喋れるようになって彼が争いを好まないことと、結構面倒見がいいことが判明したのでちょうど良かった。

 

「それより旦那……どうかしたのか……?」

 

「トレヴァはいるか?」

 

 イーサンが呼びかけると、荷台の隅で丸くなっていたふさふさの魔物が鎌首をもたげる。

 

『キキッ?』

 

「休んでいるところ申し訳ないけど、俺たちはこれからルラフェンに戻る。進路の偵察に出てほしいんだ」

 

『キ……?』

 

「偵察だ、ていさつ。今朝教えたろう? 覚えているな?」

 

『キッ! キキッ!』

 

「よしよし、トレヴァは利口だな。今朝やったように、気を付けて行ってきな」

 

 トレヴァは元気よく夜の闇に羽ばたいていった。彼女(たぶん彼女で合っている)はつい数日前に仲間になったキメラという魔物だ。やや気弱なところはある(少なくともイーサンはそう捉えている)が非常に賢く、彼女はすぐにイーサンの言葉を理解した。魔物としての能力もかなり優秀で、即戦力として心強い味方になっている。

 

「あの新米は……なかなか骨のある…やつだ。もう少し……自信を持ってもいいと思うが」

 

「彼女、何か言ってたの?」

 

「こんな自分でも頼りにしてくれる人がいて嬉しい、みたいなことを昨晩こぼしてたニャン」

 

「さすが魔物同士は意思疎通もスムーズだな。……あれ、そういえばロランは? もしかしてまた抜け出した?」

 

「安心しな旦那……ここにいるぜ……」

 

 マービンが体をずらすと、奥の方に小さな宝石袋が見えた。彼は黙々と本を読んでいる。魔物たちが退屈しないようにと、イーサンが適当に買ってきた本だ。

 

「さっきは……すまねえな……。いきなり飛び出すもんだから……止められなかった……」

 

「良いんだよマービン。そもそも、本気を出したロランのスピードに付いていける奴なんてここにはいないし」

 

「ニャ! リズは負けてないニャ!」

 

 ロランは“踊る宝石”と呼ばれる、この地方では珍しいモンスターだ。この大陸に着いたばかりのイーサンたちに、ひょっこり付いてくるようになった。

 小さな宝石袋の中にはどこで集めたのか煌びやかな宝石が詰まっていて、入りきらなかった指輪やネックレスなどが常に彼の周りを漂っている。宝石や宝玉は魔力を帯びているものが多く、そういったものを用いたアクセサリは様々な面で旅の役に立つ。攻撃力増大、敏捷力倍化、炎を弾くなど、効果も宝石によって多種多様である。所持金に余裕があるときは、イーサンもそういったものを商人から買い取ったりすることがあるのだが……ロランの中にはそのような宝石がこれでもかと詰められている。

 

 よってロランは戦闘時に異次元の強さを発揮するのだ。圧倒的な素早さで戦場を跳ねまわり、無尽蔵とも思える魔力量で高位の妨害呪文を連発する。そして何よりも耐久力。ロランの体は古今東西あらゆる宝石の加護で守られており、並大抵の物理攻撃を無傷で受け止める。さらに敵の操る属性攻撃にも強く、邪悪な魔法使いの氷呪文もドラゴンの吐く火炎も彼は笑いながら跳ね退けるのだ。少なくともこの地方の魔物では束になってもロランを傷つけることはできないだろう。そこまで見れば、彼は文句なしに最強の味方と言える。

 

「文字が読めているかはさておき、何気なく買った本を気に入ってくれてるようでよかったよ……。平時も飛び出されたらたまったもんじゃないからね」

 

 しかしそんな都合の良い話ではなかったのだ。ロランは致命的に、イーサンの言葉が()()()()()。命令を無視するなんてものじゃない。イーサンが喋る前に前線に突撃し、敵味方関係なくラリホーマやメダパニを撃ちまくる。恐らく彼は自分が何を唱えているのかもわかっていないのだろう。そして脈絡もなく離脱して姿を消したかと思ったら、戦闘が(なんとか)終わるころにまたひょっこり帰ってくる。これが日常茶飯事だった。

 知力を上げる作用があると言われている種を拾ったそばから食べさせているが今のところ効果は見えず。とりあえず馬車待機を命じるもたまにさっきみたいに飛び出してきてしまう。

 

「やっぱりリズは反対ニャ。あんなヤツ、パーティから追い出すべきニャ」

 

 トレヴァの誘導を頼りに草原を進んでいると、リズが不機嫌そうに喉を鳴らした。

 

「そう?」

 

「ご主人の命令も聞けないヤツは、仲間とは認めにゃいニャン」

 

 彼女はロランをずっと目の敵にしている。長い間イーサンに背中を預けられてきた身として当然といえば当然のセリフだ。しかし、規格外の素早さを持つロランに対しスピードファイター担当として妬いてるだけのような気もする。

 

「いやまあ、とんだ問題児かもしれないけどさ。俺たちのことを好いていてくれてるのは確かだと思うよ?」

 

 そう。意思疎通が絶望的にできないだけで、彼もイーサンに付いてくるようになったモンスターのひとりなのである。戦闘時のやりたい放題も、彼からしたら主と遊んでいるだけ……かもしれない。そう考えると、とてもじゃないが追い出す気になれなかった。

 

「それに仲間になったばかりなんてみんなあんなもんさ。まあめちゃくちゃ賢いトレヴァは例外として。ほら、君だって出会ったばかりの頃はじゃじゃ馬ちゃんだったじゃないか、リズ」

 

「……昔のことをいちいちヒキアイに出す男はモテないニャ」

 

「そのフレーズどこで覚えたんだよ……」

 

 

  *  *

 

 

 ルラフェンに戻るころにはすっかり真夜中だった。煙突の煙を頼りにいびつな屋根の家に辿り着くと、窓から灯りが漏れていた。予想通り、彼はまだ起きている。というかむしろいつ寝てるのだろう。

 

 依頼人、ベネットじいさんは自称天才魔法学者。この肩書きから滲み出る胡散臭さが住人達から嫌われる要因のひとつだとイーサンは踏んでいる。彼が言うには、もう少しで失われた古代魔法の復活に成功する。そのために必要な『ルラムーン草』をイーサンに摂ってきてほしいとのことだった。

 

「もう少しじゃ! そこで見ておれ青年!古代魔法がわしの手で蘇る歴史的瞬間を!!」

 

 なぜかイーサンはこの老人にひどく気に入られたようで、魔法学者助手とかいうありがた迷惑でしかない称号を彼から戴いている。

 

「……ところで、その、ルーラでしたっけ。どういう効果の呪文なんですか?」

 

「文献によると、『どこでも好きなところへ一瞬で移動できる』らしい」

 

 ベネットじいさんはショッキングピンクの煙を吐き出す大釜から目を逸らさずに返答した。

 

「ええ……、なんですかその世界中の旅人の苦労を全否定する効果は」

 

「しかし注意が必要じゃ。この効果では、使用者が実際に行ったことのある場所にしか跳ぶことができん。話に聞いただけや、写真で見ただけの場所には跳べんのだ」

 

「ああ、それならまあまあ便利かも。思い出の場所とかにいつでも戻れるってことですもんね。完成したらどこか行きたいところとかあるんですか?」

 

「わしの推測じゃが、その理由はこの呪文が使用者の記憶をソースに発動しており、古代魔法学における感情魔力理論に則った仕組みといえるのう」

 

「聞いちゃいねえ」

 

 しばらくすると派手な音を立てて大釜が砕け散り、床が健康に悪そうな色の液体で満たされる。……これはまた近隣から苦情が来るだろうな。と冷静に2階に避難するイーサンに対し、ベネットじいさんはひしゃげたトングを使って液体の中から何かを拾い上げた。

 

「ついに……ついに! 完成じゃ! 悲願が叶った!古代魔法ルーラが、わしの手で完成したのじゃあ~!!」

 

 彼の手に握られていたのは、鈍い青色に輝く小さな宝玉だった。

 

「それが……ルーラ?」

 

「ああ、これを握りしめ魔力を注げば、どこへでも好きなところへ飛んで行けるのじゃ!」

 

「そ、そうですか……おめでとうございます。じゃあ俺はこれで。ああもうお礼とかも結構ですので」

 

「待てい青年!!」

 

「はいぃ……?」

 

「悲願を達成できたのはおぬしのお陰じゃ。これはあげよう」

 

「え……ええっ!?」

 

 イーサンはルーラの宝玉を手に入れた。

 

 

  *  *

 

 

 じいさんの持論によると、『学者は解明すること自体に興味があって解明したものに関しては割とどうでもいい』らしい。そう言うと彼は部屋の片付けもせず次の研究の準備を始めてしまった。イーサンは仕方なく最低限の掃除をし、今なお奇妙な色の煙が出る家を後にしたのだった。

 

「ルーラ、ねえ……」

 

 手元には彼からもらった宝玉がある。どこでも行きたいところに行けるのなら、今すぐに『天空の勇者!』と念じていただろう。いくつも街を回った今でさえ、天空の勇者及び天空の武具に関する情報はまったく得られていないのだ。

 

 宿屋に向かう前に、街の入口にある馬車小屋に向かった。いつも荷台を引いてくれているパトリシアという名の白馬にエサを与え、荷台に待機している仲間たちにも食料を分ける。宿に泊まる前の、イーサンの日課である。

 

 

 

 魔物を引き連れるイーサンに対する人々の視線は、どこへ行っても冷たいものだった。

 人間を襲う魔物はほとんどの人に恐れられ、また憎まれている。近頃は各地で魔物の動きが活発になっているらしく、そういった感情を向けるのも当然と思える。だからイーサンによって改心したリズやマービンたちを見ても、同様の態度を向けるしかないのだ。実際、少し前まで拠点にしていたカボチ村では、イーサンがリズと話しているところを見た村人が村中に吹聴して回り、半ば追い出されるような形で村を出るしかなかったほどだ。仕方なく馬車を仕入れ、人目に付かないように旅をせざるを得なくなった。仲間を大切に思うイーサンにとって、この現状は仕方のないものの悲しい気持ちを抱かずにいられない。

 

 

 

「ご主人!! どうかニャ! コダイマホウは復活したのかニャ!?」

 

「……ほい」

 

「……ただの石ころニャ?」

 

 イーサンはベネット宅で起こったことをかいつまんで説明した。

 

「ってなわけで最後まで胡散臭いじいさんでした、と。綺麗なアクセサリが手に入ったと思えば上々かな」

 

「まったくロマンのカケラもないニャ。ご主人もつまらない大人ににゃったもんニャ」

 

「だからそんなフレーズどこで覚えたんだよ……」

 

「でもよ旦那……それが実際に使えたとして……お前には行きたい場所があるんじゃないのか……?」

 

「……」

 

 1年半前、ビスタの港で別れた親友たちの顔が浮かんだ。

 

「ヘンリー、元気にしてるといいニャ。マリアちゃんにも久しぶりに会いたいニャア……」

 

「たぶん喋れるようになったお前らを見て驚くぞ」

 

 イーサンは荷台に寝ころび、宝玉を見つめた。リズが顔の真横に腰を下ろす。白と青の毛が頬をくすぐった。

 

「ラインハット王国……。復興は順調だろうか。……みんな、元気かな」

 

 

――ィィィィン

 

 

「えっ?」

 

 手元の宝玉が突如光り出した。手のひらを通して、魔力が少し吸われたのを感じる。

 

「う、嘘だろ……!? まさか、まさか本当に――」

 

「ニャーン!! コダイマホウの復活ニャ!!」

 

 急いで馬車から出ようとしたが、起き上がる間もなく宝玉が強い光を放ち、目が眩む。ばびゅんばびゅーん! というどことなくコミカルな音と共に馬車が衝撃に包まれた。一瞬の浮遊感、そして再びの衝撃の後に宝玉の光が収まり、静かになった。馬車の中のイーサン、それと仲間たちは皆、しばらく放心してその場に固まっていた。

 

「魔力 感知! 英雄 ロラン は 異国 の 空気 を 知った ナリ!」

 

 ロランの叫びに、イーサンは傍らのネコと顔を見合わせる。

 ……そっと布を上げ、外を見やると、そこには見覚えのある大きな門が、夜の街灯に照らされて鎮座していた。

 

「ラインハット城下町の……正門だ」

 

 謳い文句通り。イーサンたちは一瞬にして思い出の地、親友ヘンリーのいる国へ移動してきたのだ。

 

「……帰ってきちゃった」

 

 

 

 

 



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2-2. 少しだけ大人になった君に


 どうもこんばんは。イチゴころころです。

 今回は短いです。ほぼインタールードです。このくらいの長さの方が読みやすかったりするのかなぁとか思ったりしています。
 読みやすさと言えば、会話の行間を詰めてみました。何度もプレビューで比較してはいますが、結局甲乙つけ難いなぁと思ったのでとりあえずお試しです。


 紅白まんじゅう食べたい(今回予告)。



 

 

 翌日、王宮を訪問してきたイーサンとリズを見て、デール王は驚きと喜びを隠しきれないようだった。そして流れるように、ヘンリーの私室へ案内される。

 

『俺のことは……気にするな。ここで新米たちの…面倒を見るさ。ただ、ヘンリーにはよろしく……伝えておいてくれ』

 

 ラインハット王国の人々は比較的魔物にも寛容に思える。やはり数年前のイーサンたちの活躍が大きいのだろう。マービンを連れてこられないのは残念だが、人ごみを嫌がっているだけのトレヴァはともかくロランを街中に解き放つわけにはいかない。例のごとく、馬車で待ってもらうことにした。

 

 ヘンリーの私室に入ると、それほど広くないことに驚いた。仮にも王族だというのに、家具も思ったほど豪華じゃない。

 

「いや、驚いた。これほど驚いたのも久しぶりだぜ、相棒!!」

 

 ヘンリーは少し背丈が大きくなってはいたが、その少々品に欠ける口調も軽いノリも、1年半前と変わっていなかった。

 

「政治家なんて国民の前に立つ仕事してるとよ、喋り方が堅苦しくてたまらねえんだよ。俺にはこっちの方が性に合う。部屋だって少し狭いところに変えてもらったんだぜ?洞穴で過ごした身じゃ、だだっ広いキラキラした部屋なんて1日も持たずに気が狂っちまう」

「なるほどね、納得したよ」

「お前は変わってないようで安心したぜ。少し背が伸びたくらいか?」

「え、そうかな」

「冗談だよぉ逞しくなりやがってこの! リズちゃんもなんか喋れるようになってるし、お前らどんな旅してきたんだよ! おらおらあ!」

 

 ヘンリーがリズの首元をくすぐると、彼女は抵抗もできずフニャフニャとへたり込んだ。

 

「まあ詳しい話は、今夜にでもゆっくり語らせてもらおうかな。どうも俺の話は、お前たちに好評らしいから」

「当たり前よ! 晩餐が楽しみでならねえぜ!」

「せっかくだからマリアも呼びたいな。最近彼女とは連絡とってるの?元気にしてるといいけど」

 

 何気なく尋ねると、ヘンリーの表情が固まる。

 

「まさかとは思ったが……何も知らないで帰ってきたのな」

「え、なにが?」

「街の様子で気付く気もするが……本当に何も知らないんだな?」

「今朝は一直線にここまできたし……。街は縁日とかもあってなんか賑やかだったけどね」

 

 そうするとヘンリーは深く長い溜息をついた。

 

「え、ちょっと。一体何があったっていうのさ? なあ――」

 

 そのとき、部屋のドアがガチャリと開いた。振り返ると、意外な顔が姿を見せた。

 

「イーサン、さん……?」

「え……マリア!?」

 

 彼女は修道女姿ではなく、澄んだ青色のドレスを着ていた。白い頬は年頃の女性らしい薄めの化粧で彩られていて、美しい金髪は横側で可愛らしく束ねられていた。全体的に大人の女性、に近づいた印象がある。

 

「戻っていらしたのですね、イーサンさん!」

 

 彼女の右手にはやや無骨な杖が握られており、片足を少し引きずりながらもイーサンの元へ器用に歩いてくる。

 

「久しぶり! 足、良くなってるみたいで安心したよ」

「ああ、ああ! 会えて嬉しいわ!」

「うん、俺もだよ! 本当に! ……でも、どうしてここに?」

 

 嬉しさが勝って流しかけていたが、南の修道院で修行をしているはずのマリアがこの場にその姿でいるということがどうにも連想できない。

 

「え、イーサンさん? てっきりそのことで戻ったのかと」

「偶々らしいぜ。まあ、こいつらしいっちゃあこいつらしいが」

 

 マリアはヘンリーに支えられ、ゆっくりとソファに腰掛けた。

 

「実はな……結婚、したんだ。俺たち」

 

 目の前で、ふたりの頬が赤く染まった。

 

「へえ、なるほどね」

「……」

「………」

「……今、なんて?」

 

 数秒後、旅人の絶叫が王宮中に響き渡り、兵舎の警備員は約半年ぶりに出動することになった。

 

 

  *  *

 

 

 夜。ささやかな宴を終えた後、ヘンリーたちの私室に集まった3人は昔と変わらず会話に花を咲かせていた。ちなみにリズはというと、珍しい遊び相手を見つけた王宮内の子供たちに連れ去られてしまったためここにはいない。

 

「リアクションが完璧だったぜ。さすがイーサン、腕を上げたな。危うく笑い死ぬところだった」

「その話はもういいだろ……俺だって心臓が止まるかと思ったよ」

「ふふふっ……」

「式は先月挙げたんだっけ。俺もちょっと来るのが遅かったな……。改めてだけど、結婚おめでとう。ヘンリー、マリア」

「なんだよ、照れるな、まったく」

 

 ヘンリーは襟元をぱたぱたと仰いだ。こんな普通に照れる姿なんて見たことない。

 

「私たちとしても式には是非来てほしかったのだけれど、連絡が取れなくて……」

「仕方ない。ひと月前と言えば、カボチ村から追い出されててんやわんやな時期だったし」

「ひどい話だよなぁ。イーサンたちが村に危害を加えたわけじゃないのによ」

「ほんと、魔物使いにとって厳しい世の中だよ」

 

 イーサンは肩をすくめた。

 

「……で、どうだ。天空の勇者の行方、お前の母上の手掛かりは?」

「そっちも進展なし。天空の武具の『て』の字も聞きやしない」

「くぅ! もどかしいなちくしょう!」

 

 少しの沈黙の後、マリアが改まって口を開いた。

 

「本当は、少し迷ったんです。『イーサンさんは頑張って旅を続けているのに、私たちだけ幸せになっていいのかな』って」

「マリア……」

「なんだか、イーサンさんを置いていくような気がしちゃったの。だからちょっと、こうして顔を合わせるのが少し怖かった。……でも、いざ会えるとそんな気持ちもどこかへ行ってしまうわね! 本当に嬉しかったんですもの! 貴方には、申し訳ないこと、かもしれないけど」

「いや、そんなことはないよ。俺もふたりに会えてすごく嬉しかったし、結婚したって聞いて……、まあ驚きもしたけど、それも素直に嬉しかった」

 

 それが親友というものだと、イーサンは胸を張る。

 すると今度はヘンリーが口を開いた。

 

「なあイーサン。お前は、どうだ? いい相手とか、見つかったか?」

「え、ちょ、なに!? 急に真面目な口調でどうしたのかと思ったら……」

「真面目な話さ。いいか、俺は結婚して、良かったと思ってる。心底な。相手が気心知れたヤツだってのももちろんだが、これからの人生を共に歩めるパートナーがいるってのは、俺たちが思っていた以上に、その、素晴らしいことだ」

 

 夫のそんなセリフに、マリアが恥ずかしげに顔を伏せた。

 

「お互い少し大人になった。お前もいい年なんだし、隣に立って支えてくれる相手を、考えてもいいと思うぞ?」

「……旅人で魔物使いな俺の、お嫁さんになる人ってこと?」

「とても素敵だと思うわ」

「はは、どうかな……。ただでさえ俺は人に白い目で見られるのに。そんな人がいるなんてとても――」

 

 ヘンリーとマリアは一瞬、目配せをした。イーサン自身に自覚はないが、やはり彼の精神が少しすり減っているように見えたのだ。この1年半という期間で、彼の『人間』との会話は数を減らす一方だ。人の住む街に定住しない旅人のサガと言えばそうだが、仲間の魔物たちと言葉を交わすことの方が圧倒的に多い。それに加えカボチ村の一件だ。知らず知らずのうちに、イーサンは人間としての豊かな感情を削られてしまっている。彼の無二の親友であるふたりにはそれが語られずとも理解できた。

 

「逆に考えろ、イーサン。もしそんなお前にも心を寄せてくれる女性がいたとしたら……。それは間違いなく『運命の女』ってやつだぜ」

「運命の女、かあ……」

「ねえイーサンさん、もしあなたの旅に付いてきてくれるような方、例えば私たちみたいな……いいえ、私たち以上に、貴方に寄り添ってくれる女性がいたら、それってとても、素敵なことだと思わない?」

 

 船上の少女のことがイーサンの頭をよぎる、彼女のことも未だに何もわからないが、ビスタの港を出てからもずっと、定期的にあの夢を見ている。

 

「うん……ちょっと、いいかも、ね」

 

 ヘンリーとマリアは胸を撫でおろした。母を探すイーサンの旅の過酷さは、安定した暮らしを手に入れたふたりには到底わからない。それでも、ほんの少しでも良いから、イーサンにも人間らしい幸せを求めてほしかった。

 

「母上殿を助け出すのは当然最優先だ。でもお前の母上だって、息子であるお前の幸せを願ってるはずだぜ?」

「それは……間違いないね」

「よしっ! じゃあ俺たちがお前の花嫁候補を見繕ってやる!!」

「はあ!?」

「まずはアルカパの街の元カノからだ! お化け退治編、改めて聞かせてもらうぜ~」

「だからビアンカはそんなんじゃないって!! それに今どこにいるのかもわからないし……」

「あの妖精族の女の子はどうかしら? 春風のフルート編、また聞きたいわ!それに種族を越えた結婚というのもロマンチックだと思うの!」

「え、べ、ベラぁ!? いやダメでしょ、どれだけ歳の差あると思ってるの!?」

「妖精族は長生きなんでしたっけ? ベラさんはおいくつなのか聞いたことはあるの? 覚えてる?」

「覚えてる覚えてるよぉ笑顔でブチ切れられたからすごーく覚えてる!」

 

 3人は結局、夜中まで語り合った。そしてこれもいつものことだが、楽しい時間はあっという間に過ぎていくのである。

 

 何はともあれ、ひょんなことで手に入れた魔法によって、イーサンはいつでも親友に会いに行くことができるようになった。旅路の合間なので機会自体は少ないだろうが。しかしその事実は確実に彼の乾いた心に潤いを与えていたのだ。

 

 そして親友たちに2度目の別れを告げ、再び旅に出たイーサン。すぐに人生最大の転機が訪れることは、誰も知り得なかった。

 

 

 



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2-3. サラボナの娘


 こんばんは。暑いです。

 今更ですが、登場する仲間モンスターは実際に私がプレイしたときのスタメンたちから選んでいます。皆さんからすれば『へぇ……』って感じだとは思いますが名前なんかもそのときのものです。
 
 その関係でゲレゲレは消滅しました。相棒仲間モンスター枠はリズちゃんです。DS版でしか出てこないプリズニャンですが、使用感はベホイミの使えるゲレゲレって具合で結構強いんですよ。
 あと同じネコ科です(震え声)。

 ……え? ポートセルミ周辺でおどるほうせきは出てこない?
 そこはそれ! ご都合主義です! 何卒!




 

 

 南に向けてルラフェンを発つ直前、街角で宗教の教えを説いているカップルを見かけた。気になって話しかけてみると、彼らは数か月前に『光の教団』に入信し、こうして街を転々としつつ布教活動に精を出しているのだという。イーサンは”是非目を通すだけでも”と教団のありがたいご本(2冊目)を手に入れた。

 

 西の大陸でも、この忌々しい名前はよく耳にする。そのカップルに話を聞いた限りでは、教団の信仰する神とやらは近頃力を伸ばしている魔物からも信者を守ってくれるのだという。夢のような加護の力だが、組織の裏側を知っているイーサンには引きつった笑みしか返せなかった。

 

 ヘンリーの話では、ようやく経済が安定してきたラインハット王国でも少し前に思想の改革がひと段落ついたらしい。混乱が広まらないように少しずつ教団の根をつぶしていき、政府側が地盤を整えたうえで真実を公表したそうだ。結果、教団の信者のほとんどはその邪悪な魔の手を振り払い、改めてラインハット王家と手を取り合ったのだという。しかしながら、政府の必死の調査も教団のしっぽを掴むには至らず、結局のところその全容は謎に包まれたままだ。イーサンも旅をしながらそれとなく探ってはいるのだが、表向きはどこまで行っても善良な新興宗教で、そのことが逆に不気味さを引き立てている。

 

「アツいカップルだったニャン」

「リズはのんきでいいよな」

「そんなことないニャン。ご主人にひどい仕打ちをしたレンチュウ、リズだって許す気はないニャン。でもヘンリーたちの心配ももっともニャ。キョウダンのいけ好かない信者でさえお相手を見つけているのに、ご主人は宝石ヤロウ相手に振り回されてる場合ニャ?」

「お前ホントに生意気言うようになったよな……。しっかりと痛いところ突いてくるのも最高だよ」

「んーまあ? どうしようもなくなったらリズがケッコンしてあげるニャ?」

「じょーだん」

「ひどいニャ」

 

 イーサンたちは大陸の南、サラボナという街へ向かっていた。ラインハットを出る直前、デール王に気になる情報をもらったからだ。

 

『サラボナという街を目指してください。ラインハットのように王家が統治している国家ではありませんが、代わりに世界一と名高い富豪、ルドマン家が領主として統括している巨大な街です。ルドマン家は世界中の宝物を収集していると記録にありました。父上が亡くなって以来、我が国との交流も途絶えているので現状は私も存じ上げないのですが、なにか手掛かりが見つかるかもしれません』

 

 天空の武具とは、おとぎ話に出てくる勇者が身に着けていた伝説の品だ。イーサンも天空の剣をこの目で見るまでは全部架空のものだと思っていた。それらが実在していたとなると、間違いなく世界一の宝であろう。

 今度こそ天空の勇者に繋がる何かが得られると信じ、イーサンは馬車を駆る。

 

 

  *  *

 

 

 ルラフェンを出て16日が経過し、イーサンはサラボナの街に辿り着いた。このくらいの期間はもはや長旅とすら感じない。それよりも、丘の上から見下ろしたサラボナの街の規模に驚かずにはいられなかった。

 

「ラインハットの城下町くらい広いんじゃないか……? これで国じゃないっていうのが信じられないな」

「でも真ん中に城みたいなのがあるニャン?」

「あれ、たぶんアレなんじゃないかなあ……ルドマン邸」

「え、あれオウチなのかニャ……? ニンゲンのフゴウ、恐るべし……」

 

 街外れの馬車小屋に到着するや否や、ロランが馬車を飛び出していった。

 

「あ」

「英雄 ロラン! 新天地 に 降り立つ ナリ! いざ 征かん 未来を 目指して!」

 

 ストレスでも溜まっていたのだろうか。いつもの倍は高く跳ねながら街とは反対方面、草原の向こうに姿を消した。

 

「あっちゃあ、どうすんだこれ」

「旦那……オレたちに、任せてくれないか……」

 

 荷台の中からマービンが話しかけてきた。

 

「え、ロランを連れ戻してくれるってことか?」

「ああ……トレヴァの索敵力、リズ先輩の……機動力があれば、3人がかりでなら……追いつける、はずだ……。オレも…久しぶりに、体を動かしたいと……思っていたしな」

『キキキッ!』

「えぇ、リズはあんなヤツの尻拭いより、ご主人と一緒に街を巡りたいニャ……」

「これも……旦那の、ためだと思ってくれ……。旦那、あんたも……しっかりと聞き込みを、進めることだ……。この広い街でなら……良い手掛かりも、きっとある」

 

 彼が右手の親指を立てるのを見て、イーサンは思わず笑みを零す。生前はさぞ人望が厚かったんだろうなとか考えた。世界は惜しい人材を亡くしたものだ。

 

「みんな……。わかった、くれぐれも無理はするなよ。この地方の魔物のことも、まだそこまで熟知しているわけじゃないんだしな」

「ふん。リズたちは伝説の魔物使いイーサンの仲間ニャ。そこらのウゾウムゾウに遅れなんて取らにゃいニャン。あの宝石ヤロウもパパっと捕まえてやるニャ」

「ありがとうな。じゃあ、また夜。この馬車に集合だ」

 

 イーサンは草原に向かう仲間たちを見送った。こうして彼らから何かを申し出てくれるのは初めてのことだ。彼はそれが少しだけ嬉しかった。

 

 

  *  *

 

 

 サラボナはその広大さもそうだが、美しい街並みにも目を惹かれた。カラフルなレンガの道、色とりどりの屋根が並ぶ街並みは、さながら巨大な花畑に迷い込んだかのようだった。道行く人々もその個性を自慢のコーディネートで着飾っていて、領主のルドマン家だけでなくこの街の住人みんながちょっとしたお金持ちなんじゃないかとイーサンを震えさせる。

 

「ああ~~~~~~! 待って、待って~~~~~~~!!」

 

 風景に見惚れるイーサンの耳に飛び込んできたのは、そんな雰囲気をぶち壊す間の抜けた叫び声。いやいや、この優雅な街にはそんな、遊び好きな宝石袋を追いかける旅人さんみたいな声を出す人がいるのでしょうか? いないでしょうよ? と苦笑を噛み締めつつ声のした方を見ると、走り抜ける犬を必死で追いかける少女の姿が目に映った。

 

「――!」

 

 

 

 目が合った。

 彼女はつい一瞬前まで逃げ出したであろう飼い犬の方を見ていたのに。何故か、たまたま視線をやったイーサンと、目が合った。

 彼女の長髪は風になびいて蒼く輝いていた。頭の後ろの大きなリボンは、慣性に煽られてきゅっと後方に背伸びをしている。パステルカラーで彩られた可愛らしいワンピースに、小さなブーツ。どう考えても犬を追いかけるのに向かないその格好で、ふらふらと坂を駆け下りている。

 息を切らした彼女の頬は淡く紅潮していて、玉のような汗がするりと流れ落ちた。大きな両目はイーサンの視線と交わると、ほんの少しだけ、見開かれる。

 

――綺麗だな。そう思った。

 

 

 

 

 次の瞬間、びたーんというおよそ人体が出してはいけないような音と共に、少女の体が視界から消えた。数秒の間の後、イーサンも我に返る。

 

「ちょっ、ええ!? ええー!!」

 

 

  *  *

 

 

 気を失った少女を木陰のベンチまで運び、真っ赤に腫れあがった額に手を当てる。

 

「――“ホイミ”!」

 

 柔らかい光と共に額の腫れが引き、健康的な肌色が取り戻された。

 

「う、うん……?」

 

 少女はゆっくりと瞼を開けた。髪色と同じ蒼い瞳と、再び目が合う。

 

「あ、あの、大丈夫ですか……? 派手に転んだみたいですけど」

「あ……あ……!」

 

 彼女の唇がわなわなと震える。

 

「ごめんなさい! ありがとうございますっ! ごめんなさい!!」

「どっちですか」

「え、えっと、手当てを、してくださったんですね……! ありがとうございます。ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」

 

 少女はぺこぺこと頭を下げる。

 

「飼い犬が急に走り出してしまって……わたくしもびっくりして…。あら、そういえばリリアンはどこに……」

 

 すると建物の影から、首輪をつけた大きな犬が姿を現した。名前を呼ばれたのが嬉しいのか、尻尾をぴこぴこ振っている。

 

「まあリリアン! 駄目でしょう急に走ったら。ほら、おいでリリィ。今日はお医者様に診てもらうんだから。嫌なのもわかるけど、お利口さんにしないとだめよ?」

 

 彼女が諭すと、犬は小さく鳴いて頭を伏せた。

 

「……どこか体が悪いんですか?」

「いえいえ、最近少し食欲が落ちているので診ていただくだけですわ。季節の変わり目で調子が悪いだけだって父は言うのだけれど、どうしても心配になってしまって……」

「なるほど。まあ飼い主を振り切る元気があるならきっと大丈夫ですよ。……よしよし、どこも悪くないといいな」

 

 イーサンが手を伸ばすと、リリアンは顔を摺り寄せてきた。

 

「はは、可愛いなぁ。うちのリズにも見習ってほしいもんだよ、もう」

「……驚きましたわ。リリアンがわたくし以外の人に懐くなんて……!」

「え、そうなんですか?」

「ええ、すごいわ! こんなの初めてですもの。ほら、貴方に撫でてもらってリリィもこんなに笑顔で……! なんだか、わたくしまで嬉しくなっちゃう……!」

 

 ころころとした声ではしゃぐ少女を見て、イーサンは首の下のあたりが脈打つのを感じた。

 

「あ、ご、ごめんなさい、わたくしったらはしたなく……。ああ、そろそろお医者様との約束の時間が……。わたくし、ここで失礼いたしますわ! 助けてくださって、本当にありがとうございましたっ」

 

 彼女は深々とお辞儀をして、通りへ出ていった。……しかしその後もきょろきょろと辺りを見回したり、うろうろ行ったり来たりするだけで、一向にその場を離れない。

 見かねて声をかける。

 

「あの……」

「あ……」

「大丈夫、ですか?」

「……広場への戻り方が、お恥ずかしながら、わからなくなってしまいました。幼いころからずっとこの街で暮らしてはいるのですが……どうもわたくし、道を覚えるのが苦手で」

「じゃあっ」

 

 思ったことが口をついて出てきた。喉の奥が、少し乾いている。

 

「一緒に、行きませんか? 俺もここに来たばかりですが、それでも良ければ。一緒に、探しましょう」

 

 言ってすぐに後悔した。こんな見知らぬ旅人に、しかもつい数分前に知り合ったばかりの人についてくるわけがない。なにを血迷ったことを、と。

 

「ありがとうございます……、本当に何から何まで、ありがとうございますっ」

 

 だから彼女の口角が上がったのを見て、心の底からほっとした。

 

 

  *  *

 

 

 聞き込みには慣れていたので、少女の目指す噴水のある広場を見つけるのにそれほど苦労はしなかった。道中何を喋ったのかよく覚えていない。サラボナの街にはいくつも広場があって少し迷いやすいんですとか、そんな内容だった気がする。

 

「本当にありがとうございました。ほら、リリィもご挨拶して」

 

 傍らにいる犬が優しく吠えた。

 

「お役に立てたのなら良かった。リリアンも、お大事にな」

「貴方は旅のお方、ですよね? サラボナにはどのようなご用があったのですか?」

「んー、ちょっとした探し物です、ね」

「そうですか! では、その探し物も無事見つかりますよう、お祈りいたしますわ。それでは、ごきげんよう……!」

 

 彼女は明るい笑顔をイーサンに向けると、彼の元を立ち去って行った。イーサンは人ごみに消えていく彼女の後ろ姿を目で追った。

 

「あ……名前、聞き忘れたな」

 

 そう言えば自分の名前も伝え忘れている。そう思い、すぐに首を振った。この街は広い。たぶんもう会わないだろう彼女と自己紹介をして、どうなるというのだ。

 

「名も知らぬ旅人にせっかくお祈りしてくれたんだ。俺は俺でちゃんと探し物、しないとな!」

 

 とりあえず何も考えず、この街の領主、ルドマンの屋敷を訪ねよう。それが一番の近道にして最も確実な道のはずだ。

 イーサンは街のどこからでも見える建物、ルドマン邸を見上げた。

 

 

  *  *

 

 

 玄関で出迎えてきたその人物がルドマン氏本人だとは一目でわかった。恰幅の良い体に、豪奢なマント、煌びやかな装飾品を身にまとう彼の姿は、まるで『世界一の富豪』という概念が服を着て歩いてるようなものだった。

 しかし彼はイーサンの姿をまじまじと見つめると、意味不明な言葉を口走る。

 

「君も求婚者かね?」

「……はい?」

「見たところ旅の者のようだが……うむ! 良い目をしておる、気に入った!」

「え、えっと?」

「さあ、入った入った。君のライバルたちは既に集まっておるぞ。運が良いな旅の青年よ!滑り込みセーフという奴だ!」

「な、なにがですか~~~!?」

 

 イーサンはルドマン氏に引きずられるように、屋敷に足を踏み入れた。

 

 

 

「ひいっ!?」

 

 客間に通されたイーサンは思わず小さな悲鳴を上げた。そこで待っていた2人の青年、彼らの視線が一斉に突き刺さってきたからである。

 イーサンはその視線を知っている。1年半前のラインハット王国で、たどたどしい演説を披露するデール王の背後で野心に燃える大臣たちがしていた視線にそっくりだった。

 

「よし……。挑戦者たちよ、よくぞこのルドマンの屋敷に集ってくれた! いまこの場に立つ君たちは紛れもなく――」

 

 一体何に巻き込まれたんだと肩を落とすイーサンの耳に、さらにとんでもない言葉が投げかけられる。

 

「――紛れもなく、我が娘フローラの花婿候補である!」

「はあぁっ!?」

「……何かね?」

 

 ルドマン氏を含む3人の目線を受け止めると、イヤ俺はそんなことこれっぽっちも聞いてなくて天空の武具をデスネ、なんてとてもじゃないけど声には出せない。

 

「いえ……なにも」

「うむ。……君たちはこのルドマンが直々に認めた花婿候補だ。それに関しては誇ってもいいだろう。だが当然、何の資格も示せない者に娘はやれん。フローラは世界でただひとり、君たちは3人だ」

 

 イーサンには少しだけこの先の展開が読めてきた。いやこの『前』の展開はてんでさっぱりだが、この先何を言われるのかだけ、残念ながらわかってしまった。

 

「よって君たち3人に試練を課す! 誰よりも早くこの試練を乗り越えた1名のみに、フローラへ求婚する権利を与えよう!」

 

 読み通りだ。読み通りなんだ、悲しいことに。

 

「そして我が娘と結ばれた暁には……。うむ、その者はもはや我がルドマン家の一員も同然である」

 

 さらにルドマン氏は、部屋の奥にある台座、そこに被せられている真っ赤な布に手をかけた。

 

「世界にただひとつの秘宝。この『天空の盾』をはじめとする、ルドマン家の財産を与える!」

「――え?」

 

 彼が真っ赤な布を放り投げると、純白の大盾がその姿を見せる。鏡のような輝きを放つ素体に、龍の翼を象った黄金の装飾。その堂々たる風格は、イーサンが背負っている剣と同じものであると直感で理解できた。

 

「ええええええええええええ!!!!」

 

 前言撤回。読めるかこんな展開。

 

 

 

 

 



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2-4. 天空の盾への道① 死を纏う火山


 こんばんは。イチゴころころです。

 たまには前書きらしく前回までのあらすじでも紹介しようかな。
 決して本編の入りが唐突になっちゃったからここでフォローするわけではないです、決して。


 天空の武具を求めてサラボナへやってきたイーサンは、名も知れぬお嬢さんと出会ってちょっと良いカンジになったりならなかったりする。
 そして訪れたルドマン邸では、今まさにルドマン家令嬢フローラの結婚相手を選別するという某かぐや姫の無理難題的なアレが開催されようとしていた!

 成り行きで参加者に選ばれたイーサン。見事フローラ嬢と婚約した暁には『天空の盾(本物)』を含む財産が手に入ると言われ、断るに断れない大変な状況になってしまったのだった!

 


 

 

「――と、言うことがあったのさ」

「旦那といると……飽きないな……。新しい街に入るたび……何か事件を、拾って戻ってくる……」

「マービン。その冗談笑えないぞ」

 

 カボチムラ、という単語が胸の奥の傷を撫で抜いていく。

 

「して、肝心の試練の内容はなんにゃんニャ?」

 

 晩御飯代わりのサラボナ名物フラワークッキーをかじりながら、リズがたずねてくる。

 

「この大陸のどこかに存在するという幻のアクセサリ、『炎のリング』と『水のリング』を持ってくること、だってさ」

「随分と大雑把な話ニャ。そのフゴウは本当に娘とケッコンさせる気あるのかニャア」

「『炎のリング』に関しては、街の南の火山、通称『死の火山』にある可能性が高いって。そう調査では判明してるらしいよ」

「それは良い、情報だ……。だが旦那、どうするんだ……? 結婚、するのか……?」

 

 マービンの指摘ももっともだ。問題はそこである。

 

「天空の盾が見つかったのは事実なんだよなぁ……。でもそのために会ったこともない人と結婚するっていうのも……」

「リズは良いと思うニャ。にゃにやら財産ももらえちゃうみたいだし。ヘンリーにしこたま自慢できるニャ」

「そうだよなあ、でも、いや、どうなのかなあ。そのフローラって人も俺みたいな旅人と結婚なんて嫌なんじゃないかなあ……」

 

 日中サラボナを一通り巡ってみて、この街が本当に優雅で美しい街であることと、自分がそんな中で本当に浮いていることを悟った。道行く人々の視線も物珍しそうな、ともすれば冷ややかなものだったと感じている。

 もちろんそうでない人もいる。どうせ結婚するなら旅人に変な偏見を持っていないような人、例えば昼間に会った――、

 

「ンニャー! もうハッキリしないニャ! そんなこと言ってご主人も『どうせ結婚するなら昼間会ったお嬢さんみたいな人が良いな』とか思ってるニャ!!」

「はあっ!? 思ってないし!」

「リズの目はごまかせないニャア! 昼間の話をするご主人のニャーケ顔、見せてやりたかったニャ!」

 

 ……そんなにニヤケてた? とイーサンは思い返す。確かに良い出会いをしたなとは思っていたが。

 

「どうするんだぁ……。やっぱり断ってきた方がいいよなあトレヴァ? あのときは流れで何も言えなかったけど、これ以上ややこしくなる前に断るべきだよなあ?」

『キッキ!』

「慎重派のトレヴァに振るのは卑怯ニャ! 自分で考えるニャ!!」

「結婚は……人生で一番大きな、決断だ。旦那にとって、何が大事か……今一度考えるべきだ……」

 

 人生を語る死体の言葉を受けて、息を整える。ヘンリーたちはイーサンの幸せを願っていると言った。それはわかるし、結婚も良いなと思えるようにはなった。だが相手は大富豪の娘とはいえ、まだお互い会ったこともない相手なのだ……。それに、それにだ。ルドマン邸に集まっていた2人の青年。彼らこそ、心からフローラを想う相手であろう。少なくとも、天空の盾が目当てともいえるイーサンよりかは花婿として断然相応しい。イーサンがこの試練に参加することで、彼らの想いも踏みにじる事になってしまうのではないか?

 

「――うん。そうだな。……決めたよ」

 

 仲間たちの視線が集まる。

 

「明日、改めてルドマン邸に行って辞退してくる。その上で、俺の旅の目的について相談してみようと思う」

「……天空の盾の事かニャ? 求婚を辞退してそれだけもらえるとも思えニャイけど」

「だろうな。でも、天空の武具を探すのは天空の勇者を探すためであって、それはつまり俺の母さんを救うためなんだ。盾はもらえなくても、有益な情報がもらえるかもしれないだろ?」

 

 もとより、そのつもりではるばるこの街に来たのである。

 

「せっかくの結婚のチャンスをふいにするのは、まあ残念だけどね。……ふう、なんか疲れたな。宿を探す気力もないし、今日もここで寝ていい?」

 

 仲間たちは毛布を集めて簡単な寝床を作ってくれた。慣れたものだ。

 

「じゃ、おやすみ……」

 

 眠りに落ちる直前、イーサンは昼間、街角で会った少女のことを思い出していた。うん、やっぱり、結婚するならああいう人が、いいかもなあ……。

 

 

  *  *

 

 

 翌朝、イーサンは再び単身で街へ繰り出した。サラボナのカラフルな街並みはやはり美しく、歩いているだけで心が弾むようである。

 噴水広場を抜けてルドマン邸へ向かう通りに出ようとすると、見覚えのある顔に出くわした。

 

「おや、君は確かルドマン邸にいた……」

「あ、えっと、アルフレッドさん、でしたっけ」

 

 昨日ルドマン邸にいた、イーサンを含む3人の花婿候補のひとりだ。すらりとした長身に立派な礼装、緑色の頭髪は綺麗に整えられ謎のコーティングまでされている。彼もサラボナ民の例に漏れずしっかりしたお金持ちであることがうかがえる。

 

「ふっ。イーサン君。君はやはり旅の者だね。アルフレッド・サラザールと言えば、ルドマン家に匹敵する富豪サラザール家の御曹司。この街で僕のことを知らない人はいないからね」

 

 自分で言うのもすごいな、とイーサンは思った。幼少期のヘンリーとはまた違った方向性の尊大さである。もちろん、声には出さない。

 

「しかし、君はここで何をしているんだい? てっきりもう火山にでも向かっているものだと思っていたが……」

「あー……、それがですね。この話を降りよう、と思いまして……」

 

 アルフレッドは切れ長の目を少し見開いた。

 

「……ほう? 辞退する、と?」

「そう、です。これからルドマンさんのところへ行ってお願いするつもりです。なんか、冷やかしみたいになってしまって申し訳ありません、あはは。こっちにも色々と事情がありまして」

「とんでもない! 安心したよイーサン君、いや、まったく。感謝させてくれ!」

 

 彼は笑顔でイーサンの手を握りしめた。ライバルが減って嬉しいのはわかるが、こうも面と向かって言われると……正直いい気分ではなかった。

 

「あ、あはは……。良かったですね」

「いや本音を言うとね、あの場に集まった花婿候補の中で君が一番、腕が立つと思っていたんだよ。だから心配していたんだ。君が瞬く間にふたつのリングを探し出してしまったらどうしようとね。だってほら。由緒あるルドマン家の一人娘、その結婚相手が旅人なんて、()()()()()()()?」

 

 すとん、と、イーサンの表情から力が抜けた。

 

「フローラ嬢には、同じくらいの高貴な血統こそ相応しい。それを君にどう伝えようか悩んでいたところだが、君が理解のある旅人で助かったよ。改めて、感謝させてくれ」

 

 アルフレッドはイーサンの肩をポンポンと叩くと、踵を返した。

 

「あの、待ってください」

 

 イーサンの声に彼は立ち止まり、柔和な笑みのまま振り返った。

 

「何か?」

「……あの。どうして、お金持ちと旅人が結婚することが、おかしいんですか?」

「ん?」

「フローラさん本人が、そう言ってたんですか?」

「……」

「俺は、もちろんですが結婚したことなんてありません。でも結婚って、お互いを好きになって、恋……をして、その延長でするものではないんですか? 肩書きとか周囲の評価とかは関係なくて、お互いに寄り添える人同士が、決めるものではないんですか?」

 

 少なくともイーサンは一組、そんな夫婦を知っている。

 

「――イーサン君、君はフローラ嬢に会ったことはあるかね?」

「………、いえ」

「あっはっはっは! そんなとこだろうと思ったよ! いいかいイーサン君、会ったことがないから君はそのような……笑える冗談みたいなことが言えるんだ」

 

 イーサンの視線を、彼は笑顔で受け流す。

 

「どんなおとぎ話でも、お姫様と結ばれるのは王子様だ。お姫様が薄汚い……おっと失礼、”品に欠ける”一般人と結ばれる物語なんて、誰も読まないだろう。もちろん僕もだ。そして僕には、誰もが喝采を送るような物語を紡ぐ資格がある。他の候補者にも譲るつもりはないのだよ。それに……この僕が彼女を想っているのもまた、紛れもない真実なのだ」

 

 アルフレッドの語尾はわざとらしく儚げに揺れる。

 

「フローラ嬢は世界の宝と言っていいほど麗しい女性だ……。ルドマン氏に珠のように大事に育てられ、思春期を迎える頃には修道院に預けられ花嫁修業も積んだ。生まれながらの清純さをさらに丁寧に磨かれてきたんだ。彼女の心と体は、仕立てられたばかりのドレスのように純白に、美しく、澄み切っている……。そんな彼女を、()()()()()()()()()()()()

 

 だが彼の言葉は、粘土をこねるようにぐにゃりと歪められた。

 

「全てを受け入れる心の広さを持つ彼女ほど、調教しがいがある女性もそうは……おっと、ははっ! 僕としたことが余計なことまで喋ってしまったよ! これから辞退する君には関係のないことだったね。とはいえ、ふふっ。喋りすぎも良くないな、気を悪くしないでくれたまえ。君に感謝しているのは、本当なのだから」

 

 そう言うと彼は今度こそイーサンの前から立ち去っていく。

 

「ルドマン氏に告げ口しても構わないが、僕ら両家の交流は深い。君の身のためにも、それはおすすめしないよ」

 

 人ごみに消える彼に、イーサンが再び声をかけることはなかった。

 

 

  *  *

 

 

 イーサンが馬車に戻ると、仲間たちは少しばかり驚いた。

 

「ご主人? ずいぶんと早いお戻りニャ。交渉はうまくいって……ンニャアッ!!?」

 

 どずんっ! と荷台の上に巨大な風呂敷が置かれ、リズは思わず飛び上がった。

 

「俺さ、ムチで打たれるのが嫌いでさ」

 

 そう言いながら彼は風呂敷の端をつまみ上げる。

 

「まあ好きな人なんてそうそういないだろうけど。でもやっぱり痛いのは嫌いで」

 

 ごろんごろんと、風呂敷の中から様々な武器が転がってきた。

 

「で、ヘンリーたちのことは好きだったわけ。友達としてね。だから俺と、俺の友達にムチを振るい続けた教団が嫌いで、憎かった。でも、それってちょっとだけ違ったみたいでさ」

 

 鋼の牙、星型の鉄球をはじめ、様々なアクセサリや薬草などの消耗品もが荷台の真ん中に積まれていく様を、仲間たちはあんぐりと口を開けて見届けていた。

 

「俺は教団じゃなくて、『てめえの正しいと思うことのために、何も知らない人を傷つけ、踏みにじり、道具のように使う』。そんなゴミのような連中が、()()()()()()()()()()()()()

 

 リズは全身の毛が逆立つのを感じながら、主の目をそっと覗き込んだ。そして、ちょっとだけ後悔した。

 

「今すぐ準備をしてくれ。『死の火山』へ向かう」

 

 好奇心ネコを殺す。みたいな言葉を、どこかで聞いたことがあった気がした。

 

 

  *  *

 

 

 イーサンたちを乗せた馬車は、全速力でサラボナ南の山、通称『死の火山』へ向かっていた。

 

「ニャン!! とんでもないヤロウニャ! 今まで会った中でもグンを抜いて下衆なぶっちぎりのクソッタレニャ!」

「だろ? 君ならそう言ってくれると思ったよリズ!」

 

 イーサンは手綱を握る手に力を込める。

 

「じゃあ旦那……どうするんだ、結婚は……?」

「いや、フローラさんと結婚するつもりはない。そこは変わらないよ」

「ン? じゃあどうするニャ?」

「俺はただ……、あの御曹司がフローラさんと結ばれて、恐らく何も知らない彼女に好き勝手する、それが許せないだけだ。本当はあの場でボコボコにしてやりたかったけど!」

 

 イーサンの口がやや悪い。ヘンリーと旅に出たばかりのころの荒々しさが顔を出しているのを感じて、リズとマービンは少しだけ懐かしく思った。

 

「もうひとり候補者もいたわけだけど……()()()()。とりあえずあいつに求婚の資格なんて渡さない。で、その後どうやって収拾つけるかはまた後で考える!」

「ンー! その雑な思考、リズは嫌いじゃないニャン!」

「やはり旦那は、優しいな……。会ったこともない人を守ろうとするなんて、なかなかできることじゃない……」

「性分だ! エゴとも言う! 知ったこっちゃないけどな!」

 

 

 

 火山の麓へ着くと、詩人風の装束を着込んだ男が洞窟の入口でうろうろしていた。イーサンは、馬車の中の仲間たちに息をひそめるように、あとロランを押さえるように声をかけた。

 

「あれ、イーサン殿ではありませんか! 君もこの火山へ足を踏み入れに来たのですね」

 

 彼はもうひとりの花婿候補、アンディという青年だ。

 

「アンディさん、あなたも今から探索を?」

「ああ、いえ……洞窟の中が思ったよりも過酷で、恥ずかしながらたった今出てきたところなんです。サラボナに使いを送り、応援を呼びました。何人かは、腕に自信のあるという知り合いがいるものですから」

 

 アルフレッドの一件もあり警戒していたイーサンだが、少なくとも現段階ではこのアンディという男は人の良さそうな印象だった。

 

「洞窟……ですか。やはりというか、この岩肌を登るわけではないと」

「ええ、この中はマグマに削られた天然の迷宮です。幻と言われた『炎のリング』がここに眠っているというのも納得ですよ。そんな中を平気で徘徊している魔物が、凶暴でないわけありませんよね……ははは」

 

 アンディはその華奢な腕を上げ降参のポーズを取った。

 

「イーサン殿、これから中へ入られるのならどうか気を付けてください。ここをうろつく魔物ももちろんですが、サラボナには火山に巣食う『溶岩原人(ようがんげんじん)』の言い伝えがありますから」

「『溶岩原人』……?」

 

 聞き覚えのない単語だ。勢いに任せて街を飛び出してきたので聞き込みの類いを全くしていなかったな、とイーサンは心の中で反省した。

 

「マグマに溶け込み命を喰らう魔物の伝説です。かつては炎の神として崇められていたみたいですが……。高温のマグマは一瞬にして触れた者の命を刈り取ります。そうやって命を落とした数多の魂が混ざり合った怨霊のようなものとも言われていますね。ボクもこの目で見たことはありませんでしたが、実際に地脈を流れるマグマを見てしまうともう……、そんなものがいてもおかしくはないなと思ってしまったのです」

「なるほど……教えてくれてありがとう。でもそれをなんで俺に?」

 

 アンディはハッと顔を上げると、なんででしょうね! と笑った。

 

「君は仮にもボクの競争相手なんでしたね! あははは! でもやっぱり、勝負するからには情報くらい公平じゃないと、ですね。ああ、引き留めてしまってごめんなさい。この岩場の向こうが洞窟の入口です。健闘を祈ります。もちろん、負けるつもりもありませんよ!」

「……ありがとうございます。あなたに会えてよかった」

 

――ほんとニャー! あのクソッタレ御曹司とはえらい違いニャモゴっ!

 

「あの、今のは一体……?」

「うん? なにがですか?」

 

 

 

 暗闇の奥から、ちりちりと肌を焼くような空気が流れ出てくる。岩場の影に馬車を停め、パトリシアに労いのエサを与えると、一行は洞窟の入口に集合した。

 

「……ロランも連れてくニャン? 大丈夫ニャ?」

「戦闘におけるロランの貢献度は無視できない。暴走の可能性もあるけど……、だからマービンに監督してもらおうと思う。今回は総力戦だ」

「オレ、か……?」

「うん。お前は前線に立てる体じゃない。それにお前は打撃には強くても炎には脆いだろう。その一点に関しては人間よりもな。だからマービンは後方支援だ。荷物の管理と、ロランの監視」

「後方支援については、文句はないが……この新米は、正直オレの手に余る」

「少しで良いんだ。俺がロランの挙動に割く集中力を一秒でも肩代わりしてくれるだけで十分だ」

 

 それでいいなら、とマービンは了承する。

 

「それからトレヴァ」

『キッ?』

「君の持つブーメランも飛べることを活かした攻撃も、残念ながら狭い洞窟内では効果を発揮できない」

『キィ……』

「でも君には補助呪文と、氷のブレスがある。それは間違いなく役に立つ。中衛に下がって前衛のサポートに徹してくれ」

『キッキ!!』

「ニャア……熱いのは嫌いニャ……」

「わかってるってリズ。君も中衛だ。呪文を主体に戦ってほしい」

「ニャ? リズまで下がって大丈夫ニャン?」

「大丈夫だって」

 

 イーサンは父の形見の剣を引き抜いた。いつの間に研いだのか、刀身がキラキラと光っている。

 

「俺が道を切り開いてやるよ」

 

 

  *  *

 

 

 地脈を流れるマグマの間を、ひとりの人間と4匹の魔物が駆け抜けていく。

 

「うおおおおおお!」

 

 イーサンが剣を振り払うと、“炎の戦士”は粉々に弾け飛んで溶岩の藻屑となった。その取り巻きも、優秀なサポーターたちの氷攻撃の前に散っていった。

 

「旦那……! ロランが、マグマを飛び越えて、どこかへ行っちまった……!」

 

 すぐさま辺りを見回したが、視界の半分以上が赤黒く染まっている。さらに熱気で空気が歪み、とてもじゃないが小さな宝石袋を見つけられるとは思わなかった。

 

「……追えない! 先に進もう!」

「でもご主人、ロランが……」

「俺たちも長くはここにいられない! 自力で戻ってきてくれることを祈ろう!!」

 

 目と喉が焼けるように痛い。ここが死の火山と呼ばれる所以が理解できた。ここはあらゆる生命を拒絶する。炎の力を操る“炎の戦士”と、そもそも命がない“メタルハンター”にしか遭遇しないのも納得だ。素早く踏破しないと、暑さだけで全滅する……!

 

「(ロラン……せめてもう少し、お前が一緒に戦ってくれたら……)」

 

 炎を無効化し、襲い来る魔物の群れも一瞬で無力化できるロランの能力が、イーサンの見立てでは最もこのダンジョンの攻略に適していた。だから少しでも、彼の気紛れが少しだけでも自分たちに味方してくれたらと、期待していたのだが。

 

「(ポートセルミの街道で出会ってから1年。少しは距離を縮められたと、思ってたんだけどな……)」

 

 しかし、過ぎたことを思い返しても現状は変わらない。邪念を振り払い、イーサンは死の世界を進むことに専念した。

 

 

  *  *

 

 

 汗が噴き出たそばから蒸発していく。水分補給も兼ねて魔法の聖水を飲み、魔力を回復させる。聖水のビンですら、焼けるように熱くなっていた。

 

「だいぶ奥まで進んだニャ……。『炎のリング』は、どこにあるニャン……?」

 

 リズは目に見えて疲弊していた。プリズニャンは氷を操る魔物だ。暑さに弱いことはイーサンも知っていた。

 

「かなり進んではいるはずだ……。リズ、いけるか?」

「『いけ』で良いニャン……。優しくされると、甘えちゃうニャ」

 

 それでも彼女は弱音を決して吐かなかった。本当に、頼りになる。

 

『キキッ! キー!』

 

 蒸気の向こうを探らせていたトレヴァが戻ってきた。

 

「どうやら……何か気になるものを、見つけてきたみたいですぜ……」

 

 トレヴァについていくと、奇妙な横穴が姿を現した。崩れた柱、砕けたタイルなどの瓦礫が奥へと続いている。”神殿”、そんな印象を抱いた。

 

「はは、思わせぶり過ぎる人工物だな……。これは“アタリ”だろう」

 

 かつてここに何が住んでいて、どんな思いがあってこの神殿を築いたのか。興味こそあったがそういうのを調べるのはベネットじいさんみたいな人の役目だ。イーサンは旅人としての、花婿候補としての役目を果たさなくてはならない。

 

 

 

 横穴の奥には、広大な空間が広がっていた。

 天井を伝って流れ落ちるマグマが巨大な赤のプールを形成し、固まった大小様々な溶岩が浮島のように浮かんでいる。イーサンたちの歩く道はプールの真ん中まで一直線に伸びていた。

 

「すげえ場所だな……世界が滅亡したらこんな感じになるのかな」

「エンギでもない冗談ニャ……」

 

 そしてプールの真ん中で道は途切れ、そこには禍々しい祭壇が待ち受けていた。中央で淡く光るのは、極小サイズの真っ赤な宝玉。

 

「『炎のリング』……!」

 

 思わずそれに手を伸ばす。触れてみると、極熱のマグマに囲まれているのが嘘のように、ひやりとした輝きを感じられた。

 

「……! 下がれ、旦那!」

 

 突然の地響きと共にイーサンは尻もちをついてしまう。天井からあふれ出るマグマが勢いを増し、漂う溶岩が怒り狂ったように震え始めた。

 正面のマグマがゆっくりと盛り上がっていき、祭壇を覆わんばかりの巨大な影が形作られる。

 

「――来るか」

 

 麓でアンディに言われたことを思い出す。サラボナの言い伝え。命を喰らう炎の神。または命を落とした生命の怨念。『炎のリング』を狙ううえで、イーサンはこの場面は避けては通れないだろうと直感で確信していた。

 

「“溶岩原人”――!」

 

 マグマの魔物が絶叫し、空気が震える。それが死闘の合図となった。

 

 

 

 

 



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2-5. 天空の盾への道② 光を纏う英雄


 こんばんは。イチゴころころです。

 何気にこのお話でのボス戦ってムチおとこ以来ですね。ムチおとこがボスなのかは議論の余地があるとして。

 ちなみに今回のサブタイトル、最初は『みんなのトラウマ』か『3人に勝てるわけないだろ!』かでめちゃくちゃ悩んでいました。





 

『マグマに溶け込み命を喰らう魔物の伝説です。かつては炎の神として崇められていたみたいですが……。高温のマグマは一瞬にして触れた者の命を刈り取ります。そうやって命を落とした数多の魂が混ざり合った怨霊のようなものとも言われていますね』

 

 

 

 “溶岩原人”は、マグマの塊に腕らしきものが生えただけの、存外シンプルな見た目をしていた。しかしそのサイズ、触れただけで死をもたらす高温の体表は、命あるものに本能的な恐怖を覚えさせる。

 胴体の中央が窪み、大きな穴が開かれた。それはさながら巨大な口のようで……。

 

「――まずい、みんな下がれ!」

 

 直後、その『口』から大量のマグマが吐き出された。高温の流体は空中で発火し、燃え盛る火炎となってイーサンたちに襲い掛かる。

 

『キキーッ!!』

 

 咄嗟にトレヴァが氷のブレスを吐き出し、主たちに降り注ぐマグマを押し返す。……しかし、

 

「物量が……違い過ぎるのか…! トレヴァっ!」

 

 火炎と冷気がそれぞれ弾け飛び、トレヴァの小さな体が宙を舞う。

 

「……新米!」

 

 すかさず後方で構えていたマービンが彼女をキャッチした。ところどころ火傷の後はあるが、どうにか致命傷は避けられたみたいだ。

 

「トレヴァ、一旦距離を取れ! 追撃だけは受けるな!!」

「ご主人、前ニャー!!」

 

 リズの叫びに反射して地面を蹴った直後、“溶岩原人”の腕が先ほどまで立っていた岩盤を叩き割り、マグマに沈めていった。

 

「危険ニャ! 火炎のブレスも打撃も、食らえば間違いなく黒焦げニャン!!」

「黒焦げで済めばいいけど……なっ!!!」

 

 振り上げられたもう片方の腕めがけて、風の呪文を発射する。放たれた“バギマ”は魔物の腕を切り裂いて千切り飛ばすも、その付け根では早くも新たなマグマが集まり腕を形成し始めている。

 

「旦那……まずいぞ!!」

 

 再びマービンの方を振り返ると、彼はその場を動けずにいた。どういうわけか足元の溶岩が冷え固まっていて、マービンの両足を封じ込めている。

 

「“溶岩原人”の……魔力のせいか、岩盤すら…不安定だ。同じ足場に、留まるな……! 動きを封じられたら、終わる……!」

 

 足元を確認すると、緩くなった岩盤が少しずつイーサンの足を登ってきていた。

 

「走るぞリズ! あっちの浮島に跳ぶ!!」

「ニャン!!」

 

 リズと共に全力で跳躍し、マグマに浮かぶ別の足場に着地した。“溶岩原人”は顔のない顔をこちらに向けゆっくりと迫ってくる。

 

「あんなんどうやって倒すニャン!!」

「やれるだけやるさ……。リズ、合図したら援護を頼む」

 

 彼女は短く応答し、さらに隣の足場に飛び乗った。

 

――オ、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア

 

 “溶岩原人”はどこに声帯があるのか大きく叫ぶと、再び腕を振り上げる。

 

「――っ!!」

 

 振り下ろされた腕が足場を破壊する瞬間、その衝撃を利用してイーサンは足場の端から跳んだ。狙うは敵の胴体!

 

「あああああああ!!!」

 

 力を込めて剣を振り抜く。渾身の一刀は確かな手ごたえと共に、その真っ赤な胴体に切れ込みを入れた。

 

――ア、アア、アアアアアアアアアア、アアアアアア

 

 悲痛な叫び声が上がり、切れ込みから赤い液体が噴き出した。返り血ならぬ『返りマグマ』が、イーサンを消し炭に変えようと振りかかる。

 

「リズ!」

「“ヒャド”っ!!!」

 

 大量の氷のつぶてがイーサンとマグマの間に差し込まれ、主の体を守る。さらにイーサンはその氷の壁を蹴り、距離を取って新たな足場へ着地した。

 

「すごい! 効いてるニャン!」

「実体のないマグマだから不安だったけど、痛がってくれてるようで安心したよ」

 

 そう言いつつも、イーサンは父の剣を見て奥歯を噛み締める。パパス特注の剣の耐久性は並ではないが、相手は全てを溶かしつくす自然の脅威。赤熱した刃をよく見ると表面が少し歪みつつあるのが見て取れた。……あと何発、この剣は耐えられる? そしてあと何発で、奴は沈む?

 

 

 

 剣の一撃と氷の援護によるコンビネーションを繰り返し、イーサンたちは着実にダメージを与えていた。切れ込みからマグマが流れ落ち、少しずつ巨大な体躯が小さくなっていくのがわかる。魔物の悲痛な叫びがこだまし、それは徐々に怒りを帯びていく。

 “溶岩原人”は体を震わせ、『口』を開いた。

 

「“バギマ”!!」

「“ヒャド”ぉぉぉ!!!」

 

 竜巻と氷が襲い来る火炎の弾幕に抗う。が、圧倒的質量の前には数秒ももたない。

 

「動き続けろリズ!」

 

 呪文が切れる直前に次の足場へ走り出す。止めきれなかった火炎の粒をイーサンは斬り飛ばし、リズは自慢の敏捷性で躱すことで何とか回避した。

 

 イーサンはふと“溶岩原人”の顔を注視した。マグマの塊である奴の頭部は赤く光っているだけかと思ったが、流れ落ちるマグマが模様を描き、苦痛に歪む人間の顔らしきものが浮かび上がっていることに気付く。いや、『顔』はひとつだけではない。頭部を中心に点々と、様々な表情の『顔』が浮かんでいた。様々と言えど笑っている顔はひとつもない。絶望、憎悪、憤怒。ありとあらゆる負の感情が、マグマの影で描き出されていた。

 

「命を奪われた怨念の化身か……。少なくとも俺は崇めようなんて思えないね……!」

 

 いくつか足場を飛び越え距離を取っていたら、すぐ横のマグマが変色し、地響きと共に盛り上がってきた。

 

「……冗談、キツイな!!」

 

 飛び退いた直後そのマグマは爆裂し、巨大な腕を持つ魔物へと変貌した。

 

「に、2体目……ニャン」

「ひるむなリズ!! それぞれの動きは鈍い。片方ずつ処理する!!」

『キーッ!!』

 

 態勢を持ち直したのか後方からトレヴァが飛来し、2体目の“溶岩原人”に氷のブレスを吹きかけた。

 

「いいぞトレヴァ! そのままそいつを引き付けてくれ! 反撃だけには注意――」

 

 

 

 そこでイーサンは目撃してしまう。トレヴァの背後で盛り上がるマグマ、3体目の“溶岩原人”の誕生を。

 

 

 

「あ……」

 

 咄嗟に言葉を失ってしまった。

 

「っトレヴァ! 避けるニャ! 後ろニャーー!!!」

「……っ!!」

 

 心臓がひやりとした。

 リズの決死の叫びのお陰でトレヴァは振り下ろされる腕をすれすれで回避した。しかし真下の岩盤が派手に爆ぜ散り、彼女はその煽りを受けて岩壁に叩き付けられてしまった。

 

「トレヴァああああ!!」

 

――ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア

 

 駆け寄る間もなく、1体目と2体目の“溶岩原人”が火炎を吐き出してくる。おびただしい量のマグマがイーサンとリズに飛来した。

 

「身を守れぇぇ! 直撃だけは食らうな!!」

 

 全力で魔力を練り、それぞれ氷と風の防御壁を展開した。ギリギリで火炎を押しとどめたものの、やはり衝撃は吸収しきれず弾き飛ばされてしまう。

 イーサンの体はバウンドしながら足場の端まで投げ出されてしまった。何とか膝をついて立とうとすると、すぐ横で火傷を負ったリズが力なく倒れていた。

 

「リズっ!?」

「……ンニャ…」

 

 意識はある! イーサンは手をかざして魔力を注ぐ。

 

「ダメッ、ニャ! 魔力は身を守るのに使うニャア!」

「はっ――!?」

 

 背後には“溶岩原人”の腕が迫っていた。回復に変換しかけていた魔力を風の力に変え、振り下ろされる腕をすんでのところで弾く。

 ……ダメだ。彼女の言う通り、これじゃ回復している暇がない。じゃあ彼女は? いや、このままじゃ俺の魔力が尽きる。身を守る事さえ、できなくなる。

 

 3つのマグマの塊が、イーサンたちを取り囲んでいた。あるものは腕を振り上げ、あるものは口を大きく開く。あらゆる手段で、目の前の命を終わらせようとしてくる。

 イーサンは底を尽きかけている魔力を風に変換し練り上げる。――とりあえず凌ぐ。この一撃だけ、凌ぎきる。直撃さえしなければ、反撃のチャンスはある。ある……はずだ。

 

「頼む、持ってくれ……、俺の、魔力――!!」

 

 直後、全方位から大量のマグマが叩き付けられ、周囲の空気を激しく震わせた。

 

 

  *  *

 

 

 “楽しい”。

 ロランはその感情しか知らなかった。

 

 そもそもそれが感情なのかも断言はできない。人間や、生まれながらに命を持つ他の魔物とも違い、“踊る宝石”は魔力で動けるようになっただけの、もともとはただのズタ袋なのだ。一般的な感情を当てはめることすら、ひょっとしたら見当違いのことなのかもしれない。

 それでも敢えて言葉にするとしたら、ロランが常日頃から感じているものは“楽しい”という感情だろう。

 

 なぜロランと名乗るようになったのか、あのヘンテコな喋り方はどこで身に着いたのか、それは彼自身もわからない。

 港町のはずれで旅人について行くようになったのは“楽しそう”だったからだ。その旅人はたくさんの魔物を引き連れ、ゆったりと旅をしていた。それが“楽しそう”だと思った。実際に彼に話しかけられるのは“楽し”かったし、彼が道端で()()()()()()()()()()のに混ざるのも“楽し”かった。木の箱の中に揺られるのも好きだが、やはり草原を跳ねまわる方が“楽しい”、そう思っていた。

 そんな旅人は、今度は真っ赤な水が至る所で流れる不思議な場所に連れてきてくれた。ロランはマグマを見るのが初めてだ。すごく“楽しい”。そう思いながらロランは洞窟内を飛び回って遊んだ。

 

 

 ――でも、その旅人が仲間を庇い苦しそうに戦う姿を見て、ロランは初めて“楽しい”以外の感情を覚える。

 

 

 楽しくないなら、何なんだろう?

 その答えを彼が知るのは、実はもう少しだけ先の話だ。

 ただ、その得体のしれない感情に、ロランは身を任せることにした。

 

 

  *  *

 

 

 熱くない。イーサンは不思議に思った。

 無様にも瞑ってしまった目をそっと開くと、柔らかい光のカーテンが自分たちを包んでいるのがわかった。マグマはその外側を流れ落ちていく。

 

 その中心に、小さな白い袋が浮かんでいた。

 

「ロラン……?」

 

 彼が身をよじると光のカーテンは外側に弾け、3体の“溶岩原人”はバランスを崩されて倒れていった。

 

「英雄 ロラン …… は ……」

 

 彼はぴょこぴょことイーサンの前まで近づいてきた。

 

「英雄 は 弱き を 助ける もの ナリ …… 英雄 は 信念 を 貫くもの ナリ ……」

 

 ロランの視線がぶつかってくる。ここまで目を合わせていられたのは初めてだ。

 

「英雄 は …… 君主 の ため に 命を …… 燃やす もの ナリ!」

 

 彼の気持ちが、その無茶苦茶な言葉から少しずつ伝わってくる。

 

()()()() ……」

「……!」

「マスター! 英雄 ロラン に 輝き を! 英雄 の 未来 に (しるべ) を!」

 

 そこまで聞けば、十分だった。

 

「ロラン」

 

 周囲では3体の“溶岩原人”が、再びその巨体をこちらに向けていた。

 

「あいつらを倒す。力を貸してくれ」

 

 ロランは高く跳ねた。心の底から“楽しい”と思った。

 

「英雄 ロラン は 無敵 ナリ!!」

 

 ロランは高速で跳び、“溶岩原人”たちの間をすり抜けマービンの元へ降り立った。

 

「なに……ロランか!?」

 

 未だに動けないマービンは大きな袋を背負っている。火山攻略に向けてイーサンが調達してきた物資である。

 

「借り る ナリ!」

 

 ロランはその中から鋼鉄製のキバを取り出し、来た時と同じ勢いで戻っていった。

 

「行けロラン!!」

 

 イーサンの目の前を白い影が横切ると、3体の“溶岩原人”の腕が計6本、スパッと切断された。

 

「よし! そのままそいつらを少し引き付けておいてくれ!」

「マスター! 武器 が 消えた ナリ!」

「溶けたか……、溶岩の破片を使え! ないよりマシだ!!」

 

 魔物たちの注意は完全にロランに向いていた。イーサンはリズを抱え、トレヴァの方へ駆け寄る。彼女も意識はないが、なんとか無事だ。

 

「旦那……!」

 

 さらにマービンの元へ戻り、彼にまとわりついている溶岩を壊して開放する。

 

「マービン。うん、薬草はまだあるね。安全なところまで下がって彼女たちの手当てを頼む」

「わかった。だが、旦那は……」

 

 イーサンは熱で変形しかけている剣を今一度引き抜いた。

 

「英雄の加勢に行ってくる」

 

 

 

 

 “溶岩原人”たちはロランの動きに完全に翻弄されていた。

 渾身の打撃も火炎のブレスも彼の宝石の加護の前に弾かれ、目にも止まらぬ速さで足場を移動し続けるロランは的確に反撃を与えている。

 

「(だがどうやって倒す? これじゃあ負けはしないが勝つこともできない……)」

 

 余波で飛び交うマグマや溶岩を斬り飛ばしながらイーサンは思考を巡らせていく。

 ロランはイーサンに言われた通り溶岩の破片を使って攻撃しているが、それは文字通り付け焼刃。マグマの体表に触れたそばから崩れ落ちて有効打を与えられていない。

 

 そもそも物理的に攻撃を加えるというのは極めてリスクが高く効果も薄い。イーサンたちが散々身を守るのに使っていた呪文。それを攻撃に使うのが正しい戦略なのだろうが、巨大な体にダメージを通すほどの大魔法はイーサンもリズも、トレヴァも使えない。渾身の“バギマ”も、奴の細身の腕を斬り飛ばすので精一杯だったのだ。

 

 そしてイーサンの知る限り、別格の魔力量を誇るロランも攻撃呪文は覚えていない。敵の動きを封じる呪文に特化しているのだ。さらにそういった呪文が、対象が大きくなればなるほど効き目が悪くなることは経験から知っている。いくらロランの魔力でも、巨大な“溶岩原人”3体もの動きを封じられるとは到底――、

 

「……ん?」

 

 イーサンは“溶岩原人”の頭部に目をやった。様々な表情の顔が体表上を漂っている。言い伝えでは、あれは数多の魂が集まった怨霊。魂の集合体……!

 

「ロラァァァン!!!!」

 

 高速移動をしていたロランがぴたりと止まり、彼と再び目が合う。

 

「“メダパニ”だ! “メダパニ”を使え! ありったけ撃つんだ! ()()()()()()()()!」

 

 ロランは頷き、助走をつけて高く跳んだ。“溶岩原人”たちの頭上に弧を描く。

 

「英雄 ロラン の 裁き ナリ!」

 

 イーサンが目と耳を塞いだ直後、エリア中に不快な音が放たれた。精神を蝕む呪いの文言“メダパニ”。それはロランの特技にして、聞いた者の心を破壊する恐るべき呪文だ。

 

――アアア、ウ、アア、アアア

 

 マグマの魔物たちが悶え、浮かび上がる無数の顔はより苦痛な表情を宿していた。それらすべてに呪いが届いたわけではない。だが、怨念の集合体である“溶岩原人”にとって、そのなかにいるいくつかの魂に効いてしまえば十分なのだ。3つの巨大な影がひしゃげ、蜘蛛の子を散らすように崩れていった。

 真ん中にいた個体はより強く呪いの影響を受けたのだろう。崩れながらも両腕を振り回し、横にいたもう1体の体を殴りつけ粉々に破壊。そしてそのままマグマの底へ消えていった。残った最後の1体は苦しみながら崩壊に耐えるも、イーサンと同じくらいの背丈にまで縮小してしまっていた。

 

『ァ……ゥア……!』

 

 それでもなお、目の前に立つ人間に憎悪の視線を向けてくる。

 

「……随分、可愛らしくなったな」

 

 イーサンは剣を構え、搾りかすのようになった炎の化身にゆっくりと近づいた。

 

「俺たちの『勝ち』だ。いい加減眠ってくれ」

 

 剣を振り払い、目の前の魔物はただのマグマに還っていった。熱を浴び続けた剣の刀身が溶解し、根元から折れて地面に転がった。

 

 

  *  *

 

 

「リズ! トレヴァ! 無事か!?」

「ニャーン……まだ生きてるニャ?ここはあの世じゃないニャ……?」

 

 そんな冗談をこぼすリズを見て嬉しくなり、ぐったりと横になる彼女の首を撫でる。

 

「見届けたぜ……、旦那の、勇姿……」

「みんなのお陰だよ。それにあいつも。……ロラン!」

 

 ロランは溶岩の間から顔を出すと、軽快に跳ねながらこちらへ向かってきた。

 

「英雄 ロラン は 更なる 成果 を 得た ナリ!」

「え、どういうこと?」

 

 ロランが身をゆすると、袋の中から赤く輝く宝玉が転がり落ちてきた。

 

「『炎のリング』……! 見つけてきてくれたのか」

 

 “溶岩原人”にめちゃくちゃに荒らされたこの場所を改めて探索するのは苦行が過ぎる。みんなの体力的にも出直すしかないと考えていたが、それもたった今解決した。

 

「ナーン? こいつ本当に役に立ったのかニャ……? リズはそんなのみてにゃいニャ……」

「ロラン こそ 最強 の 英雄! 八面六臂 の 活躍 ナリ!」

「まあ口ではなんとでも言えるニャア……」

 

 そう言いながら彼女はゆっくりと立ち上がり、イーサンにくてっと寄り掛かった。

 

「そこまで言うなら帰りはしっかり働いてもらうニャ……。もうクタクタだし、いい加減暑くて死んじゃうニャ……」

「……同感。ロラン、帰りの戦闘は任せていい?」

 

 ロランは高く跳ねる。だんだんわかってきた。これが彼の“楽しい”の表現だ。

 

「英雄 ロラン は 有能 ナリ!」

 

 こうして一行は花婿としての試練の一歩目、『炎のリング』の入手に成功した。

 そして、小さな英雄が本当の意味で、イーサンの仲間となったのだ。

 

 



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2-6. 天空の盾への道③ フローラという名前



 爆発しろ(今回予告)。


 こんばんは。イチゴころころです。

 ようがんげんじん、って、”溶岩原人”ですよね? 改めて思うとどの辺りが原人なのか考察しがいがありますよね。だって見た目ドロヌーバじゃん……。

 実際のプレイ時には、ロランは火山で仲間になりました。アホみたいな耐久力に惹かれて即スタメン入り。そのままメタルハンターハンターとして小一時間活動を行い、かしこさのたねをしこたま食べさせました。懐かしいです。





 

 

「おやおやイーサン君じゃないか。まだこのサラボナにいたとはね。てっきり、次の街へ向かって旅に出たものとばかり思っていたよ」

 

 噴水広場へと向かう通りで、長身の青年が緑色の髪をかき上げながら話しかけてきた。

 

「アルフレッド……。あなたこそいつも街中にいますけど、リングを探しに行かなくて大丈夫なんですか?」

「ん? なんでそんなもののために僕が出張らなくちゃならないんだい?」

「……はあ」

「僕はね、これから西街区のアドラー家を訪問しに行くところだよ。ほら、僕はもうすぐフローラ嬢と結婚するだろ? 各方面への挨拶回りが大変で大変で……。ああ、旅人の君にはイマイチ伝わらない悩みだったかな」

「さすが、勝ちを確信しておられますね。リングを探してもいないのが不思議ですけど」

「わかってないなあ。ありもしないものを探すのに命を張るなんて馬鹿げているだろう?そんなもの、ちょっと知り合いに頼んで()()()もらった方が確実さ」

「へえ……偽物ですか」

「無知というヴェールを以って、贋作も真作になるものさ」

「他の候補者が本物を見つけちゃったらどうするつもりですか」

「そんなことは絶対にありえない。持ち寄られるのは僕の用意したリングだけ。つまり、その唯一のリングこそが本物だと、誰もが信じ疑わない」

「……へえ、すごいなあ」

「ああ、ああ! 僕としたことがまた喋りすぎてしまったよ! 余所者の君になら何を喋ってもいいような気がしてしまってね。ふふ、ふふふ。なんだか君とは良き友人になれると思うんだ。どうだい? 君さえ良ければ、僕の結婚式に招待してあげても構わないよ?」

「結構です」

「連れないなあ。腹を割って語り合った仲じゃないか。なあ、なあ、そんなに急いでどこへ行くって言うんだい? このアルフレッド・サラザールとの語らいを無下にして、一体何の用事があると言うのさ?」

「はあ……。えっと、これです。これ」

 

 イーサンは懐から赤く輝く指輪を取り出した。

 

「『炎のリング』。なんとか見つけられたので、これからルドマンさんに報告しに行くんです」

「……………は?」

「もしかしたら『水のリング』の方もなにか情報が得られるかもしれませんし。それに、あれから数日経ってるし向こうも経過が気になるのかなって。まあ、挨拶で忙しいあなたにはイマイチ伝わらない悩みかもしれませんけど」

「あ………なん――」

「贋作、でしたっけ。持ち寄るのもいいですけどもう本物持っていくので。あなたの身のためにも、それはおすすめしないですよ」

 

 

  *  *

 

 

 『死の火山』脱出後、サラボナの馬車小屋まで(ルーラで)戻ってきたイーサン一行はそのまま泥のように眠り、目が覚めたときにはもうお昼時になっていた。食料と追加の薬草などを買いそろえるために馬車と道具屋を往復し、なおも疲労を見せる仲間たちを荷台で休ませておきつつイーサンはルドマン邸に向かっていた。

 先ほど遭遇したアルフレッドはイーサンの言葉に愕然とし、それ以上はついて来なかった。ざまあみろ、と心の中で叫ぶ。

 

「申し訳ございません。旦那様は先ほど急用でお出かけになられました。お帰りは深夜を予定しておりますので、お手数ですがまた明日、いらしてください」

 

 玄関で出迎えてくれたメイドはびっくりするほどの無表情でそう教えてくれた。“溶岩原人”の先っちょについてた顔の方がまだ表情豊かだった気がする。

 

「そうでしたか……じゃあまた明日、これくらいの時間に来ますね」

 

 死の火山攻略からイーサンも、仲間たちもまだ回復しきっていない(もちろんロランは例外)。せっかくなのでもう少しゆっくりしよう。そう思った。

 

「恐れ入ります。……あ、失礼」

 

 メイドはイーサンの横を通り抜け、屋敷の門の方へ足早に向かっていった。何事かと目で追うと、買い物袋を抱える少女が門の前で立ち往生していた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。荷物はお預かりいたします」

「ありがとう、アイナ。ふう……買いすぎちゃったかしら」

「滅相もありません。買い出しも率先してお手伝いしていただき、大変恐縮でございます。正直、我々使用人一同立つ瀬がございません……」

「良いのです。わたくしも、商店街まででしたら迷わずに行って来られますし……あら?」

 

 少女と目が合った。

 その大きなリボンを、蒼い髪を、蒼い瞳を、イーサンは知っていた。

 

「もしかして貴方が……」

「もしかして君が……」

 

 

「「イーサンさん!!? / フローラさん!!?」」

 

 

  *  * 

 

 

 木陰のベンチは涼しく、街の喧騒もここまで離れれば心地よい。

 

「旅人の候補者がいると父が話すのを聞いて、もしやとは思っていましたが……」

「俺もまさか、あのとき一緒に噴水広場を探した子が領主の娘さんだとは思わなかったよ」

「うう……あのときは本当に助かりました」

 

 蒼い髪の少女、フローラはワンピースの裾をきゅっと掴む。

 

「……父には、反対したのです。見ず知らずの方をも危険にさらすような試練だなんて、その、良くないと思ったのですわ。しかも、わたくしのために」

「ああ、そうなんだ……」

「今朝もアンディさんがお医者様のもとへ運ばれたと聞いて、わたくし、生きた心地がしませんでした……」

「え、アンディさんが?」

 

 昨日火山の麓で出会った候補者のひとり。確か応援を呼ぶと言っていたが……。

 

「ええ、全身をひどく打ったそうで……、打撲だという話でしたが、今も意識は戻らないみたいです……」

 

 彼女がうつむくと、頭のリボンも悲しげに揺れた。

 

「打撲……か。俺も南の火山には行ったけど、あの中を行って打撲で済んだのならそれはすごく幸運なことだと思うよ」

「え……?」

「なんていうか、その、命に別状がないのなら大丈夫ってこと。人間の体って結構丈夫なんだ。旅人の俺がそう言うんだから、まあ間違いない。確かに心配だけど、必要以上に気に病むことはないんじゃないかな?」

 

 フローラは少し考え、優しく微笑む。大きな瞳が、ころりと煌いた。

 

「そうですね……。ここで落ち込むよりも、今度お見舞いに行こうかしら。あ、そう言えば貴方も火山には行ったのですよね? あ、あの、お怪我は、あの、大丈夫、でしたか!?」

「うん、うん。まあ、なんとか、ね……。目当てのリングも手に入ったし」

「ああ、良かったです! わたくしのためにイーサンさんの身にまで何かあったらと思うと……」

 

 フローラは言葉を切った。思うと……何だ? イーサンはその続きが気になった。

 

「あら……? え……? って、言うことは、イーサンさん……」

「ん?」

「イーサン、さん、も……、その、わたくしと、その、け、……結婚、を?」

「あっ」

 

 フローラが跳ねるように立ち上がった。

 

「ち、違うんだフローラさん!」

「え、ええ!?」

「いや、違うっていうのは、あれだ。その、君との結婚が嫌ってワケじゃなくて」

「ええっ、そうなんですか!!?」

「――そうだよっ!!!」

 

 言ってから、首を傾げた。いや、そうじゃないはずだ。待て、『そう』って何がだ?

 

「そうだよってのは……そう、だよ。いや、でも君だって、会ったばかりの、よくも知らない旅人となんて……嫌、だろう?」

「えっ?」

「……え?」

「あ、いえ! そうではなく! いえいえ、そうでないというわけでもないのですが!!」

 

 フローラは目をぐるぐる回しながら、必死に言葉を探す。が、空っぽになった頭の中からは何も拾い出せない。そもそも自分が何を言いたいのかも見失っていた。一体『そう』って何なのかしら?

 

「あ、ああ、あの! わ、わたくし、失礼しますっ!」

「お、落ち着こうフローラさん。俺も落ち着くから……あっ」

 

 立ち上がろうとしたイーサンの懐から、ころんと何かが地面に落ちる。それは赤色に輝く綺麗な指輪だった。

 

「ゆ、ゆ、指輪ああぁぁあ~~~~!?」

「フローラさん!? これは―――」

「い、いけませんわ! わ、わ、わたくしまだ、心の準備があぁぁぁ~~~~!!」

 

 彼女は耳まで真っ赤になった顔を隠し、先日愛犬を追いかけていたときの倍くらいの速さで屋敷の中に走り去っていった。

 残されたイーサンは、指輪を拾い上げ、じっとそれを見つめた。

 

「……結局、何がどうなったんだろ」

 

 陽が傾き、眼下に広がるレンガの街並みは優しい赤色に染められていく。

 

「結局……。フローラさんは、あの子だった……?」

 

 胸の鼓動が高鳴る。いや違う、さっきからとっくに高鳴っていたのに、たった今気付いたのだ。

 

「うん、うん。フローラさんは、あの子だったんだ!」

 

 

  *  *

 

 

「――はっ!?」

 

 自室の布団に顔をうずめていた当のフローラさんは、驚くべき速度で冷静になっていった。

 

「お父様がおっしゃっていましたわ……、花婿候補の試練とは指輪を集めることだって」

 

 そう、先ほどのあれは決してダイナミック求婚などではない。遅まきながら彼女はそれを理解した。

 

「ああもうっ! わたくしったら……!」

 

 急いで窓に駆け寄り、玄関先を見下ろす。しかし、そこにもう彼の姿はなかった。

 

「やってしまいましたわ……。ほんと、ばか……」

 

 フローラは窓辺にうなだれた。人見知りが激しく、すぐアタフタしてしまう自分の性格を、今日ほど悔やんだことはない。せっかく、せっかく楽しくおしゃべりができていたのに……。

 フローラは再びベッドに倒れ込み、大きな枕を抱きしめる。

 

「でもやはり、イーサンさんは……」

 

 父のめちゃくちゃな花婿探しの方法に乗り、課題である指輪をも実際に集めてきた彼は……やはり望んでいるのだろう。自分と、結ばれることを。

 

「~~~~~~~っ!!」

 

 思わず枕に顔を押し付け、それでもなお収まらない謎の感情に押し流されるように布団の上をごろごろと転がった。

 

 その後、お茶を淹れに来たメイドはベッドの上で唸り声を上げながら蠢くお嬢様を見て、初めて食器を割ったという。

 

 

  *  *

 

 

 夜。街が寝静まるころ、イーサンは馬車の扉を開け放った。

 

「聞いてくれみんなっ!!」

「びっっっっっっくりしたニャ!?」

「旦那……、今日は随分、遅かったな……」

「もう、何ニャンニャ!? また変なヤツにでも絡まれたニャン!?」

「フローラさんは、あの子、だったんだよ!」

「はあ~!?」

 

 イーサンは荷台に飛び乗り腰をおろす。

 

「よしわかったニャ。いやわかんないけど、とりあえず何があったか教えてニャ」

「うん。だから俺考えたんだ。ずっと。噴水の周りを何周したんだっけ。もう数えるのも途中で辞めてね、考えたんだ。そしたら街の人に変な目で見られるだろ? 当たり前だよな。だから今度は街のあちこちを回りながら考えた。これなら通行人からも不審がられずに済むってね。もうぐるぐるだよ、ぐるぐる。頭の中も足取りも――」

「短めに教えてニャ」

「あ、うん、ごめん。色々考えて、決めた。はっきりとね。ちょうど、当初の目的とも、相違ないし――」

 

 

 

「俺、俺……。フローラさんと、け…………、………。……結婚、したい」

 

 

 

 最後の方は恐ろしく小声だったが、仲間たちの耳にはしっかり届いた。

 

「――んンぅっ!」

 

 そして彼は顔を真っ赤にしながら荷台を転がり、開いたドアの向こうに落ちていった。

 

「……こいつメダパニでも食らってるんじゃないのかニャ?」

「魔力 反応 ナシ! マスター は 正気 ナリ!」

「まあ、なんにせよ……だ」

 

 マービンが腰を上げ、右手をドアの外に差し出した。

 

「旦那が決めたって言うんなら、オレたちは応援するだけだぜ……」

「マービン……」

 

 イーサンは彼の手を掴み、再び荷台に上がる。

 

「ありがとう。正直、不安しかないけどね……。今日だって話してる途中で……なんか逃げられちゃったし」

「そんなことで何を後ろ向きになってるニャ。カボチ村の洞窟で一晩中メタルスライムを追い回した男のセリフとは思えないニャ」

「う……」

「それに旦那は……『炎のリング』も手に入れてる……。資格も、半分示せている……。自信を、持て……」

「まあ、それは、確かに」

「マスター は 無敵 ナリ!」

『キキッ!』

 

 仲間たちの言葉を受け、改めて覚悟した。うん、一度心が『そう』だと決めてしまったからには、理性や理屈ではどうしようもないのだ。

 

「そうだな……そうだよなあ!!」

 

 

  *  *

 

 

 翌日。改めて経過報告に訪れたイーサンに対し、ルドマン氏は冷たく言い放った。

 

「――帰れ。二度とこの屋敷に近付くんじゃない」

 

 差し出した『炎のリング』は叩き落とされ、石畳を転がるか細い金属音が耳に不快な余韻を残す。

 

「……え?」

 

 

 



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2-7. 途絶えた道


 こんばんは。実は一昨日から家を空けていまして、週末一杯までは怒濤の予約投稿でやってます。イチゴころころです。

 当初は『フローラといちゃいちゃしたいなぁ』という邪も甚だしい動機で書き始めたこの物語ですが、連載開始から1週間、章にして2章の途中でようやく初登場するヒロインってどうなんでしょうね。これでも少年時代とかニセたいこうとか色んなものを犠牲にしてきているのにね……。




 

 

「――帰れ。二度とこの屋敷に近付くんじゃない」

 

 

 

 ルドマン氏の言葉はイーサンの頭の中をこんこんと反響し、飲み込むのに数秒の時間を要した。

 

「え、……え、な、なん……?」

 

 慌てて『炎のリング』を拾い上げる。これは大切なものだ。イーサンがフローラと結婚する資格を示すための、大切なものなのだ。

 

「彼の言った通りだったか。残念だよ、イーサン君。私は非常に残念だ」

「ど――」

 

 散らかる脳内を必死に整理しながら、強張った喉元からなんとか言葉を絞り出した。

 

「どういう、ことですか? なんで、そんなことを……」

「私を、このルドマン家を騙そうとしたようだが当てが外れたな。うん?いいか?()()()『炎のリング』はつい昨晩、私の元に届けられたのだよ。――アルフレッド君からね」

「……!」

「そのとき彼は私にこう教えてくれた。『旅人のイーサンは信用できない。彼は偽物のリングを作り、ルドマン家を乗っ取ろうとしている』とね。忠告を残し、アルフレッド君はすぐさま『水のリング』を探しに旅立っていった。まさかとは思ったが、本当にのこのこ偽物のリングを持ってやってくるとはね。非常に……屈辱的だよイーサン君」

 

 血の気が引いていくのを感じる。ルドマン氏は苛立たしげに拳を回し、イーサンに憤怒の目線を送る。

 

「そんな人間を一瞬でも信じ、あろうことか我が娘と結婚させようなどとその選択肢に入れてしまったと思うと、非常に……非常に! おぞましい! 朝から玄関で待ち構えていて正解だった。君のような奴を、娘の視界に間違っても入れるわけにはいかないからね!」

「ま、待ってください!」

 

 必死に頭を回転させ、誤解を解くためのセリフを考える。しかしどうしてもうまくまとまらず、イーサンはたまらず大声を上げた。

 

「嘘をついているのはアルフレッドの方だ! あいつの持ってきたリングこそ偽物なんです! そしてあいつは、あいつは――」

 

 イーサンは完全に頭に血が上っていた。アルフレッドが吐いた身の毛もよだつ言葉の数々、嗜虐的な視線、このままではそれが彼女に、フローラに向けられてしまう。そのことを考えると、イーサンの心は保身よりも怒りを優先した。

 

「あいつは、フローラさんを都合の良い玩具にするつもりだ! だましているのはあいつなんだ! あいつは彼女を愛してなんかいない! このままじゃフローラさんが――」

「黙りたまえ!!」

 

 ルドマン氏の背後から銀製の槍が伸びてきて、今にも掴みかかろうとしていたイーサンの首元に突き付けられた。槍を構えているのは昨日会ったメイド、アイナだった。彼女はその無表情に明確な敵意を含ませ、構えられた槍の先は微かに震えていた。

 

「アルフレッド君はこうも言っていた。『街のはずれに魔物を匿う馬車を見つけた。サラボナに邪悪な魔物使いが、旅人に扮して潜んでいるかもしれない』。……君の事じゃあないのかね? ええ?」

「……あっ」

「図星か……。本当に……、この私を、ルドマン家をコケにするのも大概にしてもらいたい! 君は魔物を引き連れ、私と娘を騙しこのルドマン家に取り入ろうとした!! ご丁寧に偽物のリングまで用意してな! そのあとはどうするつもりだった? ああ? サラボナの民たちをひとりずつ魔物のエサにでもするつもりだったのか?」

「ちがう! ちがうんです!」

「我が盟友サラザール殿のお坊ちゃんは真にフローラを想い、我々一家を守ってくれた。今度は私が娘を、サラボナの民を守る番だ。……邪悪な魔物使いめ、この街から出て行け!!」

 

 ルドマン氏は懐から短剣を取り出し、イーサンに突き付けてきた。メイドも主人を守ろうと、槍を握る手に力を込めた。ふたつの刃がイーサンを押し返し、敷地の外まで追いやってゆく。

 

「……街のど真ん中で凄惨な光景を生んでしまうのも本意ではない。私の気が変わらぬうちに、目の前から消え失せたまえ……! そして、二度とこの街に近付かないでもらおう!」

 

 反論の言葉も憎悪の視線に抑え込まれ、イーサンは唇に血をにじませながら、ゆっくりと屋敷を後にした。

 

 

  *  *

 

 

 頭の中がぐるぐると混ざり合うのを感じながら、イーサンは街の出口に向かって歩いていた。――自分は何をしている? 何を引き下がっている? このままでは彼女を、フローラを守れない。言われるがまま街を出るなんてとんでもない。今からでも屋敷に戻って説得を……、

 

――邪悪な魔物使いめ!

 

 ルドマン氏の言葉が胸の中で弾け、弱々しくも築かれかけていた思考を再びバラバラに散らかしていく。でも、だって、このままじゃ……。思考がループする、してはいけない箇所をぐるぐると、ループし続ける。

 

「――やあ、昨日ぶりだねえイーサン君」

「あ……」

「僕もびっくりしたんだよ? 昨日“たまたま”魔物とつるむ不審者とその馬車を見つけたものだから、僕は良心のままに領主殿に報告したのだが、まさか君だったとは」

 

 アルフレッドは街灯に背を預け、にこやかな笑みをイーサンに向けていた。

 

「だから言っただろう? 僕の持つリングこそが本物となる。誰もが信じ疑わない、とね」

 

 イーサンの散らかった脳内が、たちまち収束していく。こいつが、こいつが俺を嵌め、ルドマン氏に出鱈目を吹き込んだんだ……!

 

「おまええええぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

 目の前の青年に向かって駆け出し、拳を振りかぶった。折れた剣を馬車に置いてきたのは幸運だった。背負っているのが天空の剣だけでなければ、イーサンは間違いなく馴染んだ動きで父の剣を抜刀していただろう。

 

「――!?」

 

 しかしイーサンの拳がアルフレッドに届くことはなかった。黒服の大柄な男たちが建物の影から現れ、彼を押さえつけたからだ。

 

「う、……ぐっ」

 

 そのまま無抵抗で腹を殴りつけられ、イーサンの視界は一瞬黄色く染まる。

 

「なにをそんなに怒っているんだい? ……僕だってねえ、これでも結構頭に来てるんだよ?」

 

 アルフレッドが街灯から背を離し、白い手袋を取り出しながら動けないイーサンに向かって歩いてくる。

 

「てっきり試練を降りたとばかり思ってたのに、ひょっこり本物のリング持ってきちゃうんだからこっちも大変だったんだぜ? 業者に頼んで赤いほうだけでもって大急ぎで完成させてもらってさ、追加でチップをはずむ羽目になったんだ。まったく、ただでさえ挙式の準備で忙しいってのに、時間とゴールドのいらない浪費だった……よっ!!」

 

 手袋に包まれた拳がイーサンの顔面を叩く。

 

「おかげでさっ、指輪の出来もっ、結構粗くなっちゃって……さっ! ……ふう、でも。ルドマンの親父が馬鹿で助かった。僕の言葉をすんなりと信じて、ロクに調べもせずに君を追放してくれた。まったく、親父たちの築いてくれた信頼関係に感謝だよ。お陰で僕はこんなにも、生きやすい!」

 

 押さえられたまま腹を殴りつけられた。逃がせなかった衝撃が体内を反響し、イーサンの視界は黄色に瞬く。

 

「いいかい? いつだか言ってたよなあ? 『お金持ちと旅人が結婚しちゃいけないのか』って。……わかったろ、()()()()()()。フローラ嬢も、この街でさえも君を拒絶した。どっちが本物だとか、偽物だとか、関係ないんだよ。人々は信じたいものを信じる。それが本物となるんだよ」

 

 イーサンの体が無様に転がる。アルフレッドは汚れた手袋を外し、傍らの黒服に押し付けた。

 

「ああ、でも街から追放はやりすぎかもな。僕もここまでさせる気はなかったのに、ルドマンの親父はよほど気に食わなかったらしい。なんせ君が街からいなくなったら、君を僕たちの結婚式に招待することができなくなってしまうじゃないか! 実は密かに楽しみにしていたんだ! 君の目の前でフローラ嬢と愛を誓い、その目に僕らの口づけを刻み付けることをね! あっはっはっはっは!」

 

 イーサンが力なく顔を上げると、両目を見開き下品に笑うアルフレッドが目に入った。

 

「いや、いいことを思いついた。イーサン君、サラザール家に雇われる気はないかい? 旅人の君には使い走りも務まらないだろうがね。給料代わりに毎日見せつけてやるよ、僕とフローラ嬢の愛の営みを! 少しずつ僕に汚され、壊れていく彼女の様子を特等席で! それを見る君の様子を観察するのも、悪くない!!」

 

 頭の中でぐるぐると回っていた思考が消え、一瞬で真っ黒になった。

 

「おおおおおおおお!!」

 

 再び飛び掛かろうとするも黒服に殴られ、またもや体を石畳に叩き付けられる。

 

「……冗談だよ。こんな危険なヤツ、我が家の敷地に入れたくもない。君も、僕に構ってる暇なんてないと思うよ?」

「なん、だって……?」

「ああ、イーサン君。僕は本当に君と友達になれると思っていたんだ。そのよしみで最後に教えてあげるよ。いいかい? サラボナの市民は結構過激なんだ。自分たちの優雅な暮らしを、誰にも阻まれたくないと思っている。特に魔物にはね。そんな彼らが街外れに魔物を連れ込んだ馬車があると知って、黙っていると思うかい? そして君はこんなところで僕と遊んでる場合かな? 昨日馬車のお友達と、それはそれは仲良さそうに話してたよなぁ?」

「――!」

 

 アルフレッドの目は暗にこう告げていた。さっさと消えろ、薄汚い魔物使い。

 イーサンは怒りに顔を歪ませ、彼を背にして走り出した。背後から高笑いが聞こえるが、無視した。気にしないようにした。それでもその笑い声は、しばらく耳にこびりついていた。

 

 

  *  *

 

 

 馬車は無残に破壊されていた。リズたち、そしてパトリシアの姿もない。逃げたか、それとも――、

 

「……っく」

 

 嫌なイメージを反射的に振り払う。しかしここには誰もいない。毎日荷台を覗くイーサンにかけられていた声は、今はどこからも聞くことができない。馬車の残骸には、イーサンが買いそろえた本が雑に破られて散乱していた。

 

「………な、ん」

 

 言葉を失い、ふらふらと辺りを見渡す。サラボナの入口が目に入った。通行人はいない。カラフルな塀の向こうから頭を出すカラフルな屋根たち。緩やかな丘に沿って並ぶ街並み。遠くにそびえる屋敷。もはや見慣れた景色だが、とても冷たい印象を受ける。そうだ。ルドマン氏やアルフレッドの言う通り、今やこの街自体が、イーサンを拒絶しているのだ。否応なしにそれを実感できた。

 

 陽の落ちかけた空から雫が落ち、さわさわと雨が降り出した。その雨音は声のように思えた。ルドマン氏、アルフレッド、そしてフローラ。この街のすべてが声を合わせ、さわさわと耳に語り掛けてくるかのようだった。

 

 

――早く、出ていけ。

 

 

 ぷつりと、胸の奥で張っていた糸が切れた気がした。その不快な声から逃げるように、イーサンは草原に向かって走り出した。

 

 

 

 人に嫌われるのは慣れている。

 魔物使いという職業は知名度があまりにも低く、人から疎まれる存在だというのはとっくの昔に理解していた。悲しくはあったが、イーサンにとっては今ついてきてくれる仲間たちの方が大切だったし、ヘンリーとマリア、このかけがえのない親友たちが理解してくれてるだけで十分だとさえ思っていた。だがすべてを否定され、生まれて初めて好きになった女性にも拒絶され、イーサンはついさっき完全にひとりになった。人に嫌われるのは慣れている、つもりだった。

 

 

 

 辺りは暗闇に包まれ、さわさわとした雨は薄い霧をも生み、イーサンの周囲を窮屈に包んでいる。ここがどこなのか、どこまで走ってきたのか、もうわからない。

 がさり。魔物の気配がした。

 

「あ……!」

 

 咄嗟に武器を構えようとした。しかしパパスの剣は手元にない。あるのは、相変わらず鞘の中で黙り込んでいる天空の剣だけだ。

 霧の向こうから複数体の魔物の影が姿を見せた。知っている。“骸骨兵”。マービンら“腐った死体”と同じく呪いで蘇った死者の魔物だ。その数は4体。背筋が凍る。

 

「くそ…くそ!」

 

 天空の剣を取り出し、鞘に手をかける。

 

「なんで……、俺は魔物使いなんだよ……! なんで俺は天空の勇者じゃないんだよ! 俺が勇者なら、勇者なら! この剣が使える、母さんも助けられる! サラボナの人たちも……フローラさんも……」

 

 きっと、自分を喜んで受け入れただろう。だって天空の勇者は伝説の英雄。世界中の人に称えられる存在なのだから。

 

「抜けろよ、抜けろよ! なんで、なんで俺じゃないんだよ!! くっそおおおお!!」

 

 剣は抜けない。今まで通り、無慈悲な沈黙を貫いている。否、“邪悪な魔物使いに使えるわけがないだろう”と、呟いた気がした。

 

「――うわあああああああ!!!!!」

 

 骸骨兵の繰り出す槍が肩口を穿ち、激痛が走る。さらに脇腹、太もも、腕、ざくりざくりという生々しい音と共に、血と雨水と泥が跳ねる。

 

 ついに力尽きたイーサンは斜面を転がり、川に落ちた。幸いにも浅い川で溺れはしなかったが、立ち上がる力はもう残っていなかった。魔物たちは満足したのか、ここまで追ってはこなかった。

 

「……今、……! ちょっと、……、………。……丈夫!?」

 

 遠くから声がした気がする。だがもう指一本動かせない。体力的にも精神的にも限界を迎え、イーサンはその意識を手放そうとしていた。

 

「大丈夫!? ねえ!?」

 

 肩を掴まれ、引っ張られる。やがてごつごつとした石の感覚が背中に当たった。川辺まで引き上げられたみたいだ。

 

「カイルさん、荷車こっちまで持ってきて! この人、ケガしてる!」

 

 薄く目を開けると、雨が瞼の中に入ってきた。声の主の顔は視界が歪んで見えない。少し頭を動かすと、目に入った水が流れ出た、幾分か視界がクリアになる。

 

「あ、気が付いた!? 大丈夫、無理しないで。村まで連れて行ってあげるからね!」

 

 全身の激痛を抑えて顔を上げると、雨に濡れた前髪を拭う女性と目が合った。

 

「――え?」

 

 彼女が首を傾げると、首元から短く編まれた後ろ髪がするりと垂れてきた。

 

「嘘。キミ、イーサン?」

 

 見開かれる両目。

 イーサンも意識を失う寸前、思わず唇を動かした。

 

 

 

――ビアンカ?

 

 

 

 

 



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2-8. 山奥の再会


 こんばんは。イチゴころころです。

 ドラクエのカジノってなんであんなに楽しいんでしょうね。
 ドラクエ4のエンドール、11のソルティコなどでは何時間も籠もってコイン稼ぎしましたし、同じく11のグロッタでは忘れられない思い出もできました。ちなみにオラクルベリーでは破産しました。

 いつかカジノシーン書きたいなあ。






 

 

 夢を見た。

 波の音。泣きじゃくる自分。差し出される手。何度も見てきた夢だ。

 

――だいじょうぶ?

 

 この声を聞くと勇気が湧いてくる。世界にどんな悪者がいても、どんな恐怖が襲い掛かって来ようとも、その手を握り返すためならなんだってできる。そう思った。

 

――やだ、ちかよらないで。

 

 しかし、その手は目の前で引っ込んでいった。輪郭のはっきりしないその少女は、冷ややかな目線をこちらに向けていた。

 なんで? いつもは手を繋げた。伸ばした手は届いた。なんで届かない?

 少女が再び口を開いた、さわさわと、耳障りなくぐもった声が零れ落ちる。

 

――失せろ。邪悪な魔物使い。

 

 

 

「うわあああ!!?」

 

 目が覚めた。冷え切った汗が体中を伝い、包帯を巻かれた箇所がずきりと悲鳴を上げた。

 

「ちょっと大丈夫!?」

 

 部屋のドアが開き、薄金色の髪の女性が洗濯籠片手に飛び込んできた。

 

「ああ、良かった! 目が覚めたのね。えっと、ちょっと待ってね……、はい、これ」

 

 洗濯籠から取り出されたタオルが差し出される。乾きたてのそのタオルは、ほんのりとぶどうの香りがした。

 

「すぐに動いちゃだめだよ? これ畳んだらご飯用意するから、ゆっくり休んでて。また声かけるから」

 

 しばらくすると再びドア越しに声を掛けられ、イーサンは部屋を出る。

 テーブルに、シチューを入れた木皿が差し出された。

 

「味の保証はしないけど、体はあったまるはずよ」

「……ありがとう。いただきます」

 

 シチューを口に運ぶ。質素だが、おいしい。素直にそう思えた。

 

「……あのさ」

「なにっ?」

 

 イーサンが口を開くと、食い気味に返事をされる。“聞きたいことは山ほどあるけど相手は病み上がりだし我慢しよう”みたいな気持ちがその顔に出ていた。

 

「あの、君、ビアンカ、だよね……?」

「……!」

 

 彼女は両目を輝かせる。

 

「うん、うん! そうよ! 幼馴染のビアンカよ! ああ、やっぱりイーサンじゃない! 良かった生きててくれて~~~~!!」 

 

 彼女、ビアンカはテーブルを飛び越えイーサンに抱き着いてきた。ぎゅうぎゅうと全身が圧迫され傷口が軋む。

 

「痛い、痛い!」

「あ、ご、ごめん! 私、つい、あはは……」

 

 飛び退いた彼女はくしゃりとはにかんで、右肩に垂れる三つ編みの先をくるくるといじった。見覚えのある、彼女の癖だった。

 

 

  *  *

 

 

 ビアンカは家族ぐるみでアルカパの宿屋を経営していた。サンタローズの隣の街ということもあり、パパスとも交流が深かった。イーサンとビアンカは出会ってすぐ仲良しになり、幼少期は会うたびに遊んでいたらしい。もっとも、イーサンにはお化け退治以外の記憶は朧気だ。

 

 パパスとイーサンがラインハットへ向かった頃、ビアンカの一家もアルカパの街を離れることとなる。彼女の父、ダンカン氏の持病が悪化し、宿屋の経営が難しくなったそうだ。そして土地を売ったゴールドを用いてこの大陸まで渡り、この山奥の閑静な村で療養生活をしているとのことだった。

 

「だから父さんは向こうの部屋で寝てるの。あとで顔を見せてあげて、父さんもきっと喜ぶから」

「うん……。あの、お母さんは?」

「……死んだよ、3年前。父さんの看病に、よっぽど無理をしてたみたい」

「そう、か……」

「私も子供だったんだよね。母さんに無理させちゃってた。でも、もう私は大人になった。母さんの分まで、しっかり父さんの面倒を見るんだ」

 

 ビアンカは微笑む。見た目こそ幼年期の面影を残しているが、その言葉と眼差しは間違いなく、立派な大人のそれだった。

 

「ねえ」

 

 彼女の声色が変わり、イーサンの胸がきゅっと締まる。

 

「今度はキミの話を聞かせてよ、イーサン。引っ越してすぐキミ宛に手紙を書いたのに、サンタローズの村はもうないっていう知らせしか返ってこなかった。……なにがあったの?」

「……長くなるよ?」

「上等よ。今日は村の頼まれごと全部断ったんだから、いくらでも付き合ってあげるわ」

 

 イーサンは幼少期にビアンカと別れてからの経緯を語った。

 ラインハットでのヘンリーとの出会い。父の死と、10年にも及ぶ奴隷生活。脱出。魔物使いとしての旅立ち。父の手紙――。

 その突拍子もない話の連続に、ビアンカは茶々を入れることもなく相槌を繰り返していた。

 

「それじゃあイーサン。キミが持っていたそれが、その、天空の剣だっていうの?」

「ああ、ああ、それだよ。それが天空の剣。天空の勇者に繋がる手掛かりのひとつで、母さんを助ける道しるべ、だ……」

 

 壁に立てかけられた剣を一瞥した。骸骨兵に刺された傷口がちくりと痛む。

 

「なるほど、ね……」

「あれ、あんまり驚いてない? 俺の話ヘンリーたちには好評だったんだけど、つまらなかったかな。それとも、ぶっ飛びすぎてて信じられないとか――」

「そんなことないよ」

 

 ビアンカの声にイーサンの軽口は阻まれた。彼女の声にははっきりとした圧があった。ビアンカはテーブルに肘をついたまま頬に手を当て、じっとイーサンを見つめる。その瞳は涙で潤んでいた。

 

「私は、アルカパを離れた後もずっとこの村で過ごしてきた。平穏に、平和にね。母さんを亡くしたときも、村のみんなが優しく支えてくれて、前を向くことができたの。だから、だからね。イーサンが体験してきたこと、その苦労とか痛みとか、私は知らないんだ。幼馴染のくせに、キミより年上のくせに、10年以上キミの事ほったらかしにしていた私にはわからないの。すごく、悔しいけどね。イーサンの旅にも人生にも、私は口を出す権利がない」

 

 こぼれかけた涙を彼女は指ですくった。でもね、と彼女は続ける。

 

「キミの話を聞いて確かにびっくりはしたけど、違和感も覚えたの。()()()()()()()って」

「……?」

「パパスさんの手紙を読んで、キミは旅立った。お母さんを……マーサさんをその手で救うために。そんなキミが、キミがだよ。目の前でずっと、私の知らない目をしてるの。全部を投げ出して諦めちゃったみたいな、そんな目をしているのよ。それがどうしても繋がらない。納得、できない」

 

 ビアンカは先ほどとは一転、力強い視線を向けてきた。

 

「え、えっと……」

「観念して教えなさい。お姉ちゃんはなんでもお見通しなんだからね?」

 

 

 

 観念した。イーサンはこの大陸、というより、サラボナに着いてからのことをかいつまんで説明した。フローラとの結婚のチャンスと、すべてを失った、言うなれば失恋までの経緯だ。

 

「結局、魔物使いなんて物騒な肩書を背負った旅人なんかが富豪の娘さんと結婚しようと思ったのが間違いだったんだ。いや、たとえ相手がお金持ちじゃなくても、俺は受け入れられなかっただろうね……。アルフレッドは最低のゲス野郎だけど、何も間違ったことは言ってないんだよ」

 

 話しながら、体が重くなっていった。胸の奥が、じわじわと痛みを思い出していく。

 

「それで自棄になって死にかけたところを、ビアンカに助けられたってこと。終わり。……うん、ほんと、カッコ悪い。みじめだよ、どうしようもなく」

 

 ビアンカはくいくいと首を縦に揺らしながら聴いていた。その表情からは彼女が何を考えているのか、絶妙にわからない。

 

「………で?」

 

 彼女はそんな言葉と共に再び目線をくれた。

 

「いや、で? って? 終わりだよ、人々は俺を拒絶し、俺は派手に失恋した。それだけ」

「それだけなワケないじゃない。それは周りの人たちの話でしょ? 私が聞きたいのは、キミの気持ち」

「俺の……?」

「そうよ。それで、()()()()()()()()()? 最低のゲス野郎に、彼女を取られてもいいの?」

 

 イーサンの胸の奥が静かに跳ねる。

 

「いや、でも、俺にはどうしようも――」

「ねえ、お化け退治に行ったときのこと覚えてる?」

 

 ビアンカは立ち上がり、イーサンの隣に腰をおろした。お化け退治? いきなりなんで昔のことを?

 

「良かった。さすがに覚えてるわよね、うん。じゃあさ、()()()お化け退治に行くことになったかは? 覚えてるかな?」

「え? それは確か、街の子たちに子猫がいじめられてて……ええっと」

「そうよ。子猫がいじめられてたの。アルカパでも名の知れたいじめっ子3人に。でね、私の幼馴染はね、その子猫を庇いに行ったのよ」

「……え?」

「私よりも小さなその男の子は、私よりも大きないじめっ子たちに向かって『やめろ』って、そう言ったの」

 

 必死で記憶を検索する。確かに、と、いじめっ子たちのシルエットが頭の中にぼんやりと浮かび上がった。

 

「いじめっ子たちは子猫をいじめるのをやめる代わりに、レヌール城のお化けを退治して来いって言った。するとその男の子は受けて立ったの。もう、即答よ。いじめっ子たちは指をさして笑ってたけど、彼は至って真剣で。お姉ちゃんは呆れたわ。でも、その子について行こうと思った」

 

 ビアンカはイーサンの肩にそっと手を置いた。手のひらを通じて彼女のぬくもりが伝わってくるようだった。

 

「私の好きなイーサンは、そういう男の子だったの。ねえ、もう一度聞くわ。()()()()()()()()()?」

 

 ぱちぱちと、朧気な記憶たちが脳内を交錯した。視線がビアンカの瞳に吸い込まれ、胸の奥がゆっくりと熱を帯びていくのがわかる。

 

「お、俺は……」

 

 しかしふたりの会話は、窓から飛び込んできた声に阻まれた。

 

「――魔物だ! 魔物が出たぞ!」

 

「「……え?」」

 

 ビアンカが驚いて立ち上がる。

 

「嘘でしょ? この辺りには出たことないのに……、え、ちょ、イーサン!?」

 

 今しがた隣に座っていたイーサンが、ケガをしているのも忘れたのか家の外に飛び出していった。

 ビアンカの家は、緩やかな斜面を描く村の一番高いところにあった。イーサンが坂道を見下ろすと、畑の間に人だかりができているのが見えた。そしてその中央には見覚えのある魔物の姿が。

 

「……みんな」

 

 イーサンが坂を駆け下りていくのと、ビアンカが玄関を開けるのはほぼ同時だった。

 

「ちょっとイーサン! ……もうっ!」

 

 村人たちは魔物の群れを取り囲んでいた。各々の手には武器代わりの農具が握られている。

 

「聞いて……くれ。オレたちは、危害を加えるつもりは、ない……。用が済んだら、出ていく。人を、探している、だけだ……」

「パトリシアがおびえてるから、そのブッソウなものをおろしてほしいニャ。あと、どさくさに紛れてトレヴァまでおびえないでほしいニャ……」

『キィ……』

 

 目の前の魔物が喋ったことにより、村人たちは驚きと戸惑いを見せる。

 

「ま、こうにゃるニャア……。ねえ宝石袋、ほんとにご主人はここにいるのかニャ?」

「…… マスター の 魔力 を 感知! 進行形 で こちらに 向かってる ナリ!」

「――やめろ!」

 

 人だかりの向こうから声が聞こえたかと思うと、体のあちこちに包帯を巻いたイーサンが姿を現した。彼は人ごみをかき分け、魔物たちとの間に割り込む。

 

「やめてください! こいつらは俺の友達です、人間には危害を加えない!」

 

 村人たちがざわめく。――だれだあいつ、――確か昨日運ばれた、――ビアンカちゃんの、――大丈夫なの?

 

「……迷惑だったら、すぐ、出ていくので……。でも、だから……」

「――お願いします!!」

 

 再び声が上がる。村人たちが一斉に振り返ると、そこには薄金色の髪の女性。

 

「彼は私の幼馴染です。信用に値する人物よ」

 

 ビアンカは道を開けた村人たちの間を通り、イーサンの隣にやってくる。

 

「でも彼はケガをしているの。魔物も彼も私が責任を持って、みんなに迷惑はかけないようにするから。……だからお願いします。信じてください」

 

 そして深々と頭を下げた。――ビアンカちゃんがそう言うなら、――畑さえ荒らされなければ別に、――ていうか誰? 恋人? 

 村人たちはざわざわと言葉を転がしながら、少しずつ去っていく。そして何事もなかったかのように、もとの生活に戻っていった。

 

「……良かった。ここの人たち、他の街に比べて寛容というか、のんびりしてるからね」

「「ご主人! / マスター!」」

 

 リズとロランが主に駆け寄る。トレヴァも嬉しそうにぱたぱたと羽ばたいている。マービンはパトリシアを引きつつ、こちらに笑みを向けていた。

 

「良かった、みんな……」

「ゴメンニャ! あのあと突然馬車が襲われて、みんなで必死に逃げて、でもご主人と離れ離れになっちゃって! ずっと探してたけどたくさん時間が経っちゃったニャ! ご主人、こんなにケガしてるニャ!? すぐに回復を――」

「大丈夫」

 

 珍しく荒ぶるリズの頭をわしゃっと撫でて制す。昔から彼女はこうすると大人しくなる。

 

「俺は大丈夫。……大丈夫に、なった」

 

 立ち上がり、ビアンカの方を向く。彼女は三つ編みをいじりながらそわそわと立っていた。

 

「ビアンカ」

「……何?」

 

 イーサンの視線を受け止めて、ビアンカはとても懐かしい気持ちになった。そうよ、この目。私はよく知っている。

 

「俺は、アルフレッドの悪事を暴く。どんなにみじめでも、無様でも、……誰に嫌われても。それでも俺は、フローラさんに幸せになってほしいから」

「……そう」

 

 この目だった。幼いビアンカを悪名高いレヌール城に立ち向かわせたのは、宿屋の娘の心を震わせたのは。間違いなくこの眼差しだ。

 

「そうね、それでこそ私の幼馴染よ! ……イーサン!」

 

 

 



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2-9. 花嫁への道① 水のリングを求めて


 こんばんは。怒濤の予約投稿が上手くいってよかった……。イチゴころころです。

 ビアンカを喋らせるのが楽しすぎて結婚したい。




 

 

「えーい!!」

 

 ビアンカの指先から大量の炎が射出され、徒党を組んで意気揚々とボートを襲ってきた“マーマン”の群れは焼き魚の盛り合わせへと変貌した。えーいなんていう可愛らしい声とは裏腹に広がった残虐な光景を見て、イーサンは引きつった笑みを浮かべた。

 

「す、すごいじゃんビアンカ……」

「ふっふーん♪ だから言ったでしょ?」

 

 彼女はボートの先端部分をくるくると回り、こちらにピースサインを向ける。

 

「お化け退治のときの私の活躍、忘れたの?」

「あー、うん思い出した。ゴーストに連れ去られて墓石の下で半べそかいてた君の大活躍――」

「なーっ! なんでそんなこと覚えてるの!? て、てか泣いてない! 捏造だわ!!」

「いったぁ! 暴れるなって、転覆する転覆!!」

 

 イーサンたちを乗せたボートは山奥の村の北、名もなき大きな湖を突っ切り、とある滝つぼを目指していた。通称『滝の洞窟』。村人たちのみぞ知る水に囲まれた聖域、そこに『水のリング』があると言う。

 

 

  *  *

 

 

 1日前。仲間たちと再会を果たしたイーサンは、再びビアンカの家に厄介になっていた。

 

「いいかお前ら、向こうの部屋でビアンカの父さんが寝込んでるんだ。くれぐれも騒がないように。特にロラン。間違っても変な呪文は唱えるなよ」

「じゅもん つかうな! 承知 ナリ!」

「あれ、マービンはどこに行った?」

「彼なら農家のカイルさんの手伝いに行ったわよ。さっき薪を持って下ってったわ。あ、はい、これ」

「あいつの社交性どうなってんだ……。って、これは?」

「キミの服。今日は朝から晴れてたからね。すぐ乾いて良かったわ」

 

 渡されたのは綺麗に畳まれたイーサンの一張羅だった。そう言えば、今着ているのは薄手の部屋着である。

 

「洗ってくれたのか……。ありがとう、ビアンカ」

 

 ビアンカはウインクで返答し、他の洗濯物を抱えて奥の部屋へ戻っていった。

 ……妙な既視感を覚えて記憶を辿ると、海辺の修道院で目覚めた日のことを思い出した。あのときもシスターさんに服を、着替えさせられて……?

 

――わたしが、着替えさせていただきました。……ぽっ。

 

「うっそだろう……。俺これ生涯で何回経験するのかな……」

 

 恥ずかしさを通り越して情けなく思えてくる。確かにビアンカは年上でお姉ちゃんだが、幼馴染の女の子に着替えさせられる光景はとてもじゃないが想像したくない。

 

「なんか言ったー?」

「いや、なんというか……。その、着替えまでやってくれてありがとう、ごめん」

「え……あ、はぁっ!?」

 

 ビアンカが廊下から顔を出した。鼻の先が微かに赤い。

 

「急に何言ってんの! わ、私は何も見てないわよばか! ばーか!」

「え、えぇ……?」

 

 イーサンとしては素直な感謝のつもりだったのだが、これに関してはタイミングと言葉選びが良くなかったと言える。

 

「イチャイチャしてるとこ失礼するニャ。ご主人、体の具合は大丈夫ニャ?」

「イチャイチャしてない。ケガは……ほら」

 

 肩の包帯を外す。傷口はなく、ほんのりと赤い跡が残っているだけだった。

 

「トレヴァがずっと回復かけてくれたからね」

『キキッキキッ』

 

 以前ルラフェンでベネットじいさんに教えてもらった話では、イーサンの使う“ホイミ”などの呪文には自然治癒力を促す効果があって、それこそが回復の仕組みだそうだ。上級呪文になるほど回復速度が高く、トレヴァの使う“ベホイミ”であれば全身を槍で刺された大けがも数十分で治すことができる。

 

「応急手当がしっかりしてたお陰、ってトレヴァは言ってるニャ」

 

 しかしあくまで自然治癒力を促進するだけの呪文で、しかも治すケガを目視で認識する必要がある。そもそも治らないくらいの酷いケガ、または損傷個所を目視できないもの、例えばマリアの足の症状や諸々の病気には効果がない。回復呪文は万能ではなく、故に今でも研究が進められているのだとベネットじいさんは語っていた。

 

「うん、じゃあこれもビアンカのお陰ってわけだ……。ほんと頭が上がらないよ……」

「そうでしょそうでしょ? もっと言ってくれて良いのよ?」

 

 ビアンカが大きな鍋を持って歩いてきた。香ばしい香りが食欲を刺激する。

 

「昼間のシチュー、味付け変えてみたの。モンスターさんたちの口に合うかな?」

 

 ふたりと3匹で食卓を囲みながら、これからのことを話すことにした。ちなみにマービンはカイル氏に大変気に入られたらしく、向こうの食卓にお世話になるらしい。

 

「それでどうするニャ? あのクソイカレボンボンヤロウをどうやってシッキャクさせるか、何か考えはあるニャン?」

「イーサン、その言葉遣いキミが教えたの?」

「違う。勝手に覚えたんだ」

「アルフレッド 狡猾 ナリ! 英雄 の 風上 にも 置けん ナリ!」

『キキーッ!』

 

 みんなも相当彼がお気に召さないみたいだ。シチューを器用に食べながら好戦的な表情を向けてくる。

 

「俺が考えてるのは……、とりあえず、あいつの用意してる偽物のリングのことをバラすのが一番確実だと思う」

「私も思った。その人、イーサンにひどい仕打ちはしているけど街の人たちにはなにも迷惑かけてないのよね。腹立たしいことに」

 

 リズが首を傾げた。

 

「ご主人の話だとソイツはやたらお喋りみたいだし、そのうち勝手に自滅しそうニャン?」

「いや、そんな馬鹿な真似をするやつならサラボナでそれなりに慕われるような立場にいないだろうよ。あいつがベラベラ喋ったのは、俺が地位もなにもない旅人で、誰かに告げ口しても信用されないのをわかってのことだ。きっと切り替えの激しい人間なんだよな。調子に乗せればなんでも喋ってくれそうだけど」

「どこまでいってもコズルイ人間ニャ……」」

「ああ。確かにあいつの性格はゴミだけど、ルドマンさんやサラボナの人たちは少なくともそんなことは知らない。あいつが起こした明確な悪事はリングを偽装したことだけなんだよな」

「十分すぎるわよ。嘘ついて結婚を迫るなんて……最低」

「あとご主人にヌレギヌを着せたニャ! 許せないニャ!」

 

 イーサンはシチューを平らげ、木製のコップに注がれた水も飲み干す。

 

「……だからそのことを何とかルドマンさんに伝え、信じてもらう必要がある」

「口で言うのは簡単ニャア……特に後半部分」

「本物 の 『リング』 が 必須 ナリ!」

「そうだ。幸い『炎のリング』の方はある。これらは世界にひとつしかない品だ。魔法に詳しい人にちょっと見てもらえば作り物との違いはすぐわかるはず。そうしたら――」

「御曹司クンの野望は破れ、晴れてキミがフローラさんと結ばれる。ってことね」

 

 大雑把に切られたジャガイモをほおばりながらビアンカが口をはさんできた。

 

「……いや、それはどうだろう」

「え、違うの?」

「敵意の有無はどうあれ、俺が魔物使いであることは変わらない。そして俺はそのことを隠して彼女と接していたんだ。そういう点では、俺もアルフレッドも大差ない……」

「……もう、大事なのはキミの気持ちだって言ったでしょ? 御曹司クンの魔の手から彼女を救ったってなったら、イーサンの信用だってきっと回復するわ。だから……。イーサンはさ、フローラさんが好き?」

 

 ビアンカの鋭い視線が刺さる。

 

「……うん。好き……だよ。結婚したいって思ったのは、本当のことだし」

「そう」

 

 彼女は手に持ったコップを口に運ぶ。

 

「じゃあなおさら! いい、御曹司クンをぶっ倒したら、誤解を解いて改めてプロポーズ! ゴール地点はフローラさんと結婚! 目標は高く明確に、よ! いいね? 異論はないわね!?」

「わかった、わかったって」

 

 ビアンカは満足したように笑うと、座りなおして三つ編みを撫でた。

 

「で、肝心の『水のリング』ニャ。なにか手掛かりはあるニャン?」

「いやぁ……」

 

 イーサンはうなだれた。一番の問題はそこである。偽装を暴き真実を白日の下にさらすためには、正真正銘本物の『水のリング』が必要なのだ。それは『炎のリング』と対になる幻のアクセサリ。闇雲に探して手に入るような代物ではない。

 

「そこだよそこ。本物がないと話にならない。『炎のリング』だけ見せに行ったとして、どうしても説得力に欠けてしまう。奴は『偽物の水のリング』ももうすぐ完成させるんだ。てか、そうだよ、そっちが完成したらフローラさんとの結婚が成立してしまう。だから情報収集するにも時間がなさすぎる。そしてお尋ね者の俺は、なんとサラボナの街を歩けない」

 

 確かに口で言うだけは簡単だった。考えれば考えるほど詰んでいるのがわかる。

 

「……ねえイーサン」

「なに……」

「確か『炎のリング』は、火山の洞窟の神殿みたいなところに祀られてたのよね?」

「そうだよ。そう考えるなら『水のリング』の方も、たぶん水に囲まれるような場所にできた神殿、の跡地みたいなところにあるとは思うんだけど、そんな場所がそう簡単に――」

「知ってるんだけど、そこ」

 

 空気が止まった。ビアンカはまるで“名産品売ってるお店、うちの近くにあるんだけど”みたいな表情でイーサンを見ていた。

 

「……ほんと?」

「……ほんと」

 

 

  *  *

 

 

 そして現在、イーサンはトレヴァ、ロラン、そしてビアンカを連れてボートを駆っている。目的地は湖の北岸、秘境『滝の洞窟』である。

 

「もう一度聞くよビアンカ。そこには『水流原人』とか、『湖で溺れ死んだ人たちの怨念』とか、そういう言い伝えはないんだね?」

「しつこいわねぇ何回聞くのよ」

「大事なこと、文字通り死活問題なんだよ。どうせ凍える吹雪のブレスとか吐いてくるんだ。どうせ3体くらい出てくるんだ。ボートの定員的に今回はフルメンバーじゃないし……」

「大丈夫だって。年に一度村のみんなでピクニックに行くような場所よ? そんな物騒なところなワケないじゃない」

「ピクニックぅ!?」

「ちゃんと神殿っぽい瓦礫も見覚えあるわよ。その先は神聖な場所だから入るなって言われたけどね」

「うわぁ微妙だ。微妙な言い方だ……本当にいないよな『水流原人』……」

「心配しすぎ。もしそんなのがいたらその時はちゃんと私のこと守ってね。おっと!」

 

 そんなことを言いつつも、進行方向から飛び出してきた貝の魔物に火の玉を投げつけるビアンカ。この人ならどんな原人が出てきても大丈夫なんじゃないかな、と少し思う。

 

「てかそんなピクニック感覚で行けるような場所に『水のリング』があるとして、よく他の人に見つからなかったね」

 

 ルドマン氏は私設の調査隊を派遣して、『炎のリング』のありそうな場所として死の火山を割り出したというが。

 

「サラボナの人たちって潔癖なところがあるみたいなのよ。自然に囲まれて~とかいう場所が嫌いみたいで、うちの村とは仲良くないの。交流もはるか昔に途絶えちゃってて」

「うわ、人間社会って怖いな」

 

 サラボナ民たちに破壊されたであろう自分の馬車のことを思い出した。あそこは実際ラインハットの城下町よりも美しく整えられた街だ。なまじ街の中で十分不自由なく、それどころか優雅に暮らせるだけあって、外のものに対しては無関心、もしくは排他的なのかもしれない。

 

 

 

 大滝の脇にボートを停め、ピクニックにもってこいな岩場を通り抜けると、特徴的な瓦礫が転がる洞窟の入口に辿り着いた。ビアンカの予想通り、死の火山内部で見た神殿の雰囲気に酷似していた。

 

「すごい、すごいよビアンカ……! これはありそうな予感がする」

「いいねぇもっと褒めて。でもここからは私も知らない領域よ。なんちゃら原人が出てきても文句は言わないでよね」

「まあ……今回はロランが最初からフルパワーで戦えるし、なんとかなるとは思うけどね……。頼むよ、本当。トレヴァもね」

『キィ……!』

「英雄 ロラン は 無敵 ナリ!!」

 

 

 

 しかし洞窟の中は思った以上にのどかで、死の火山と対をなすダンジョンなのが嘘みたいだった。そこは流れる水が長い年月をかけて削り出した巨大な洞窟。ところどころ開いた穴から陽の光が差し込み、ちろちろと流れる水に反射して神秘的な光景を生み出していた。遭遇する魔物も大人しいものが多く、本当にピクニックの延長のような気分になった。

 

「んんーベギラマ!」

「だから雑なんだって! そんなに気安く唱えるものじゃないでしょ!?」

「えへへ、ごめんごめん。最近覚えたばっかりだからさ」

「魔力持つの?」

「あ、帰りの分はないかも……」

 

 ビアンカは人差し指の先に小さく灯していた炎を慌てて消す。

 

「ごめんイーサン……。魔法の聖水、くれる? ちゃんとあとで返すから」

「いや、大丈夫だよ。ここの敵なら打撃で十分事足りるから、たぶんアイテムを使うまでもないと思う。たくさん出てきたら頼らせてもらうから、それまでは温存しておいて」

「……へえ」

 

 彼女は見開いた目をすうっと細めて笑いかけてきた。

 

「な、なに」

「いや、ほんと、随分たくましくなったなーって。レヌール城の時はブルッブルのガッタガタだったもんね。ただでさえ少ない魔力が早々に枯れて、お化けの宿屋にまんまと騙されて」

「懐かしいな。でも俺だって伊達に2年弱も旅をしてないんだ。効率の良い戦闘のこなし方とか、これでも色々学んだんだぜ?」

「……そうよね。もう、私に守られるキミじゃないもんね」

「ん? なに?」

「なんでもないっ! うーんベギラマ!!」

「話聞いてた!? ねえ!?」

 

 実際、群れを成して出てくる敵もロランが半数眠らせ、トレヴァがブレスで吹き飛ばすだけで事足りてしまう。火山で剣を失ったイーサンは今トレヴァからブーメランを借りているが、使うこともなさそうだ。後方から指示を出すだけで戦闘が終わってしまう。

 

 幾何学的な模様を描く岩壁を通り過ぎ、円柱状に切り出した岩を飛びわたり、水に浅く沈んだ道を裸足で進みながら、一行は奥を目指す。

 

「ん~~気持ちいい!! こんないい場所だって知ってたら絶対水着とかサンダルとか持ってきてたのに! 今度のピクニックは水浴びで決まりね!」

「大丈夫なの? 一応、神聖な場所なんだよねここ」

「今思いっきり侵入してるキミが心配すること? あーでも、村の人たち大人ばっかりだからなぁ……。こういうのあんまりかもなあ……」

「あの村には若い人そんなにいなかったよね」

「村自体が秘境とも言える僻地だからね。若者はみーんな大きな街に行っちゃうんだって。私はあの雰囲気好きなんだけどなぁ」

 

 確かあの村ではビアンカが最年少で、その次に若いのは妻子持ちのカイル氏らしい。彼の息子がビアンカより年下だったらしいのだが、数年前にサラボナへ就職したのだとか。

 

「そう言えばビアンカはどうなの? ……恋人とか、いるの?」

「あら、心配してくれるなんて偉くなったじゃない?」

「そんなんじゃないよ。気になっただけ。その、幼馴染として、というか」

「プロポーズもためらっちゃうようなヘタレ君に心配されるようじゃ私もオシマイよ」

「言ってくれるね……。てか、その言い方だと……?」

「ふふん、どうかしらね。イーサンの想像にお任せする――うひゃあぁ!?」

 

 下目使いでどや顔をするビアンカの姿が突如、視界から消えた。

 

「ビアンカ!?」

 

 足元を見ると斜め下に伸びる横穴を見つけた。ここに落ちていったらしい。

 

「大丈夫か、ビアンカ!」

 

 少しして、水しぶきの音と彼女の悲鳴が聞こえてきた。

 

――いったぁ~! もう最悪!

 

「今行く! そこを動かないで!」

 

 イーサンは手荷物をトレヴァに持たせ、意を決して穴に飛び込んだ。するすると滑りゆく体はどんどん加速していき、広い空間に投げ出されたかと思うとお腹から水に叩き付けられた。

 

「!!?!?」

 

 衝撃で意識が持ってかれそうになるのを必死で耐え、手足を全力で動かしながら水面を探した。

 なんとか水から顔を出すと、ビアンカが水面を叩きながら笑っていた。

 

「受け身ヘタ過ぎでしょ!! っく、あははははははは!!」

「……人の気も知らないで。心配したんだからな」

「わかってるって。ありがとねっ」

 

 見渡すと陸地、もとい足場があった。この半球状の空間はちょうど半分が水没し、もう半分は足場でできているようだった。そして、

 

「ねえ、見て。イーサン」

「……うん」

 

 水から上がるのも忘れて見惚れてしまった。

 壁面には大きな穴が開いていて、そこから見えるのは大量の落ち行く水。恐らくは外から見えた巨大な滝だ。その裏側に隠し部屋のように開いたこの場所にたまたま落ちてきたのだ。太陽の光が水のカーテンに散らされて、いくつかの光の筋となってこの空間を照らしていた。ふたりは今、降るような光と透き通る水に囲まれている。

 

「……綺麗」

 

 ぽつり。ビアンカがつぶやいた。その声が何だか泣き出しそうなものだったから、イーサンは少し不思議に思う。

 

「……ビアンカ?」

「あっ! ねえ、ちょっと、あれじゃない?」

 

 言及する暇もないまま、彼女は何かを見つけ水から上がっていった。イーサンもそれを追う。

 

「あっ、えっ、おおおおおおお!?」

 

 そして声を上げて驚く。景色に見惚れて気付かなかったが、足場の中央には小さな祭壇状の台座があり、きらきらと輝く碧い指輪がはめ込まれていた。

 

「え、ホントに! これってアタリ!?」

「アタリもアタリ、大アタリだよビアンカ!!」

「「やったあああああああ!!」」

 

 ふたりは大きく振りかぶって互いの両手を合わせた。ぱちーんという景気の良い音と共に水しぶきが跳ねる。

 

「ほんとに見つけちゃった! ねえ、ねえ! これって私のお陰よね!」

「お見それしたよ! 今回ばかりはビアンカのズッコケのお陰だ!」

「ズッコケじゃありませーんピピっと感じたからわざと落ちたんですー!」

 

 ふたりは祭壇の周りを飛び跳ねながら喜び合った。イーサンはなんとなく、こうして誰かと笑うのがとても久しぶりのように思えた。

 

『キキー!!』

 

 見上げると、荷物袋を首から下げたトレヴァが天井の穴から飛んできたところだった。背中にはロランもちょこんと乗っている。イーサンは祭壇からリングを外し、彼らに向かって掲げた。

 

「祝福 ナリ! 目的 を 達成 ナリ! 邪悪な 気配 も 感知 できず! 周囲 は 至って 安全 ナリ!!」

 

 ロランが自分の宝石たちを嬉しそうに振り回し、トレヴァも歓声を上げながら旋回した。

 

「荷物を彼女に預けたのは正解だった。なんとなく下は水場なんだなって予想してたんだ」

「その割には受け身取れてなかったけどね。うっ、くく、ふふっふ……」

「もういいだろそれ!」

 

 そのとき外に繋がる穴から風が吹き込み、ふたりは同時に身を震わせた。

 

「……着替え、持ってきてないわよね」

「……生憎と」

「うぅ~、やっぱり水着持ってくるべきだったなぁ……」

「目的は達成できた。風邪ひかないうちにとっとと帰ろう」

 

 イーサンがトレヴァに合図を出すと、忠実なキメラはゆっくりと降下してきた。その様子を、ビアンカはじっと見つめる。

 

「ねえ、イーサン」

「どうした?」

 

 目が合うと彼女はついっと目を伏せた。右手の指は三つ編みの先に絡ませてあった。

 

「……悔いのない選択をするのよ?」

「え、なにが?」

 

 彼女はゆっくり目を閉じ、開いた。

 

「……好きなことして生きろってこと! これたぶん、偉い人の言葉! だから私も”そう”する! 悔いのないように、今から好きなことするけど許してね!」

 

 そう言うと彼女は水辺まで駆けていき、脱いだフードで水をすくうとイーサンに投げつけてきた。

 

「ぶわぁ!?」

「あっはっはっはっは!!」

「風邪ひかないようにって言ったそばからこれかよ!!」

「油断してるからよっ!」

 

 笑い声が滝の裏側に反響する。

 彼女にかけられた言葉の意味。それをイーサンが理解するのはもう少し先のことだ。

 

 



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2-10. 花嫁への道② サラボナ侵入


 こんばんは。初めてのドラクエ5は小5の夏。イチゴころころです。

 『今回はフローラと結婚しよう!』とか『絶対デボラ!』みたいに決意して冒険の書を作る度、山奥の村~滝の洞窟ですっかりメロメロになり結局めちゃくちゃ悩みます。そこまでテンプレです。




 

 

 ビアンカの父ダンカンはベッドに横たわりながら、かつて息子同然に可愛がった青年を見上げる。

 

「いやはや、本当に懐かしい。まさかまた会えるとは、夢にも思わなんだよ」

「あはは。ダンカンさん、そのセリフ3回目くらいですよ?」

「歳を取るとね、同じことをつい何度も口に出してしまうものだ。キミも気をつけなさい」

「肝に銘じておきます」

 

 彼の姿はイーサンの記憶と比べて確かに痩せこけ弱々しく見えたが、肌の色は健康的で言葉も視線もはっきりしていた。ビアンカ、それに彼女の母の看病の賜物だろう。体力が落ちているだけで、彼はまだまだ長生きする。そんな印象を抱いた。

 

「ようやくこうしてお話ができたところなんですけど……俺たちは今夜ここを出ます。また必ず、顔を出しますから」

「そうだな……さっき娘からも話があった。どうしてもやらなきゃいけないことがあるから少し留守にさせてって」

「……すみません。彼女はあなたのそばに居るべきなのに、連れ出すような真似をしてしまって……」

「とんでもない」

 

 ダンカンはゆっくりと体を起こした。

 

「ビアンカがそばに居るべきだなんて、私はこれっぽっちも思っちゃいないさ。むしろ、娘には自由に生きてほしい。だから嬉しかったんだ。外出を許してって言われたとき、なんだが久しぶりにビアンカのわがままを聴いた気がしてね」

 

 彼の目線を追うと、壁のコルク板に押し花が飾られていた。ひどく古ぼけてはいるが、それは確かアルカパの広場に咲いていた花だ。隅には大きく『ぱぱへ』と書いてある。

 

「昔を思い出すなぁ。キミとビアンカが街を抜け出してお化け退治に行った夜。あのときも私は布団に横たわって呑気に夢を見ていた……。今と似ているな。あの頃に戻った気分だ」

「……今回も、詳しくは言えませんが決して安全な遊びではありません。ですがビアンカは必ず……守ります」

 

 真剣なイーサンの言葉を聞いてなお、ダンカンは明るく笑った。

 

「キミたちが今度は何を退治してくるのか、楽しみだ。また是非、武勇伝を聞かせてもらいたいね」

 

 イーサンが部屋を出る直前、ダンカンに改めて声をかけられた。

 

「ビアンカは、少しばかり早く大人になってしまった。でもここ数日、久々に娘のはしゃぐ姿を見られて嬉しかったよ。……どうか、娘をよろしく頼む」

 

 

 

 空は闇に包まれ、山の輪郭に沿ってうっすら赤い光が漏れるだけとなる時間。イーサンが村の出口に向かうと、仲間たち、そしてビアンカが待ちわびたような顔を向けてくれた。パトリシアの背後には大きな荷台があった。昨日イーサンたちが『滝の洞窟』を探検している間、マービンとリズが村人たちと協力して作ってくれたらしい。

 

「ありがとね。父さんとお話ししてくれて」

「……ビアンカ、俺は――」

「くどい。昨日決めたでしょ、この作戦は私抜きじゃ成立しない。自分の身は自分で守れるし、いざとなったらキミが助けてくれる。違う?」

「……わかった。頼りにしてる」

 

 イーサンが目配せすると、仲間たちは次々と馬車に乗り込んだ。久しぶりの荷台に、彼らも少し嬉しそうだ。

 

「――さあ」

「ええ」

 

 山の斜面から見下ろすと遠くに街灯りが見えた。その灯りは着くころには消えているだろう。

 

 10年以上も昔、手を取り合って夜の森を進んだふたりは、時を超えて再び暗闇に立ち向かう。今回退治するのは悪戯好きなお化けではなく、悪逆非道の人間である。

 

 

「反撃開始だ」

 

 

 

 

 

  *  *

 

 

 夜が更け、街が寝静まる頃。フローラは出された紅茶に手も付けず、胸の締め付けられるような思いに苛まれていた。

 

「喜べフローラ! アルフレッド君から連絡があった。ついに『水のリング』を見つけたそうだ! 明日、朝一でこちらに直々に届けてくれるらしい。いやぁめでたい。そうしたらすぐさま式の準備に取り掛からねば! 忙しくなるぞ……!」

 

 父はとてもご機嫌だ。広間の端から端を行き来しながら、式の準備についてああでもないこうでもないと独り言を吐き出し続けている。

「あの……お父様」

 

 思い切って呼びかける。声は微かに震えていた。

 

「なんだいフローラ」

「あの、えっと……今回のお話、ですが……。その……。白紙……にすることはできないのでしょうか……?」

「な、何を言っているのだね!?」

 

 大声を張り上げる父に、臆病な心が屈してしまいそうになる。フローラはいつもこうだった。悪意の有無は関係なしに、大きな声を出されると心が折れてすぐ従ってしまう。でも今回は、もう少しばかり勇気を出した。出すことができた。

 

「えっと! 色々考えたんですけど……やはりわたくし、何というか……自分のお慕い申し上げる方と……、その、自分自身の感情に、えっと……」

 

 “好きになった人と結婚しなさい”、昔誰かに言われた言葉だ。しかし今のフローラははっきりと口にすることができない。

 

「フローラ。それはまさか、あの旅人のことかね」

「……っ! そ、その――」

「ああフローラ。可哀そうな我が娘よ。お前は騙されていたのだ、あの邪悪な魔物使いに。奴はこのルドマン家に取り入り、破滅させようとしていたのだよ? 私もお前も、無事でいられたかどうか……」

「っか、彼はそんな方じゃ――」

「フローラ、確かにお前の気持ちもわかる。お前も年頃の女の子なのだ。優しい顔をして近づいてきた旅人を好きになってしまうのも仕方ないかもしれん。だが、物事には正義と悪がある。たとえ娘の意志を否定することになっても、悪者に身を預けるのを黙って見過ごすわけにはいかん。父親としてね」

「……」

 

 ちがうのに……。膨らみかけた勇気は瞬く間にしぼんでいった。父の言うことはいつも正しかった。ここまで彼の言うことに反抗したくなったのは初めてだが、今までの人生で父の言葉を信じ続けた心がそれを阻んでいる。

 

「それにアルフレッド君は素晴らしい殿方だ。お前も何度か会ったことがあるだろう?いいか、彼はお前のことを本気で想ってくれている。だからこそ幻のリングをふたつも集めてきてくれたのだ。こんな気概のある男はそうはおらん。そうだな……明日にでも、しっかり腰を据えてお話する機会を設けよう。きっと彼のことも気に入るはずだ」

 

 確かに、社交界やパーティなどで何度か顔を合わせたことはあった。昔から爽やかな青年だが、フローラは彼のことを正直苦手に思っていた。

 

「わかってくれるな? ()()()()()()()()()()()

 どくん、と心臓が脈打つ。小さい頃から何度も聞いてきた言葉。いつからか、その言葉を聞くたびに胸がもやもやするようになった。そして脈絡もなしに、木陰のベンチでお喋りをしたときの『彼』の顔が思い出される。

 

「――違います!!」

 

 フローラの大声が広間に響き渡る。ルドマンも、すぐそばでモップ掛けをしていたメイドのアイナも、その目を丸くし硬直した。

 

「わたくしのためわたくしのためって……そう言われてしまったらもう逆らえないじゃありませんか! でもって言うのも、だけどって言うのも……悪いことになってしまうじゃないですか!! だったら、わたくしのためになんてならなくていい! わたくしも、みんなも……誰もが自分のためだけを考えて生きてはいけないんですか!!」

 

 父もメイドも、彼女の声に気おされて黙ってしまった。その光景を見てフローラも我に返る。自分が今言った支離滅裂な言葉、荒唐無稽なセリフ。もう自分が何を考えているのか、伝えたいのか、自分でも見つけられなくなってしまった。

 

「……うっ、ううっ……!」

 

 言葉にしきれなかった想いが涙となって溢れる。知らない感情だった。父は決して、娘を自分の型に押し込むような人間ではない。彼女の意志を尊重しつつ、本当に娘のためを思って振る舞う人格者だ。それはフローラ自身も理解している。理解しているからこそ、アルフレッドとの結婚を頑なに拒む自分の心がわからなかったし、父に大声を張り上げた自分の行動に嫌気がさしていた。

 

「フローラ……」

 

 ルドマン氏は泣き崩れる彼女の肩を抱き、ハンカチを差し出す。

 

「結婚を控え、不安になることは誰にだってある。今日はもう何も考えず、ゆっくりと寝なさい? 一晩落ち着いて休めば、見えてくるものもあろう。……アイナ、フローラの部屋へ行き就寝の支度を。私らもすぐに向かおう」

「……かしこまりました」

「う……く、うぅ……!」

 

 違うのです、お父様……。と、声に出すことはできなかった。この不毛ないたちごっこを終わらせるには自分が折れるしかない。彼女はそう悟っていた。自分が我慢すればみんなが幸せになる。そうだ。それに父の言う通り、アルフレッドは名家の息子で素晴らしい男性だ。きっと好きになれる。そうに違いない。……胸の痛みをもみ消すように、次々と理論が積み上げられていった。そして搾りかすとなった本音が最後に小さく、口から零れた。誰にも聞こえないほどの、フローラ本人も見失いそうなほどの小さな声で、彼の名前を――。

 

 

 

「――アイナ? どうした?」

 

 

 

 父の怪訝そうな声が耳に届き、ふと顔を上げる。

 広間から廊下へ出る扉。たった今アイナが出ていったはずの扉が半開きにされていた。その隙間からは暗闇しか見えない。廊下の電気は、点けられていないようだ。妙に静かだった。リンリンと、虫の鳴く声が耳に障る。

 

「アイナ?」

 

 ルドマンが立ち上がり、扉へ向かう。フローラは思わず口を結んだ。涙は止まっていた。リンリンという鳴き声が執拗に不安を煽る。視線は父と、その扉に釘付けになっていた。

 父が半開きの扉を開ける。ブーツが見えた。続いて白いタイツ、フリル付のスカート。

 

 ――アイナが、死んだように倒れていた。

 

「な、にぃ……!」

「アイナ!?」

 

 父がメイドを抱き起こし、同時にフローラは立ち上がる。ふらり、めまいがした。立ち眩みではない。体が重かった。言うなればこれは眠気に近い。リンリンという鳴き声が耳をつく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「耳を塞ぐのだ、フローラ!」

 

 咄嗟に耳を塞ぐ。父がアイナを抱き上げたまま扉を閉め、こちらへと下がってきた。不快な鳴き声が遠ざかっていくのを感じた。

 

「ど、どういうことですの!?」

「わからん! だがこの呪文は昔見たことがある! アイナは眠らされただけだ。恐らく、他のみんなも――」

 

 直後、ガラスの割れる音が広間に響き渡った。音源は近い。というか、真後ろだ。

 

「な、ん――ひゃあ!?」

 

 背後から現れた黒いマントの男に抱きかかえられる。その男はフローラが抵抗する暇も与えず割られた窓から飛び出してゆく。

 

「賊か! いかん、フローラ――!!」

 

 父の叫び声が遠ざかる。恐怖のまま目を瞑っていると、その男から声をかけられた。……びっくりするくらい、優しい声だった。

 

「――怖がらないで。すぐ終わるから」

「え――?」

 

 思わず目を開ける。彼は仮面で目元を隠していて、顔を判別することはできない。ただ少しだけ、ほんの少しだけ心の奥が安らいだ気がした。

 

 

  *  *

 

 

 時を同じくして、サラボナ南街区の中央に構えられた豪邸。そこはルドマン家に次いでサラボナを代表する富豪、サラザール家の邸宅である。当主の息子であるアルフレッドは遅めの食事を済ませ、広間へと向かっていた。

 

「待ちわびたよ……いよいよ明日。フローラが僕のものになる」

 

 広間の中央には車輪の付いた台座が置かれていた。そこには職人に秘密裏に発注した『水のリング』が飾られている。

 

「適当に式さえ済ませれば彼女も、あの家の財産もすべて手に入る。ふふ……まずはどんなことをして遊ぼうかな……。僕の考えた『遊び』、彼女は気に入ってくれるだろうか。ふふ、あはは!」

 

 本当に愉快だった。とめどなく笑い声が溢れてくる。

 

「ああ、美しい彼女の心を壊すだなんて僕はなんて悪い男なんだ! でも心配することはない。ルドマン家の財産をも手に入れた僕に逆らえる人間なんてこの街には……いないのだからね!」

 

 広間が笑い声に包まれる。彼のこの姿を知るものは誰一人として存在しない。彼の心はフローラとは対照的に――皮肉なほどに――自由だった。

 

 

 

 そして、彼の自由も突如飛び込んできた破砕音に遮られることとなる。

 

 

 

 広間の壁の真ん中、家紋が描かれた巨大なステンドグラスが派手に砕け散ったかと思うと、全身に黒い装束を纏った女性が舞い降りてきた。

 

「え……!?」

 

 あまりの出来事に声を失うアルフレッド。その女性は美しい金髪を夜風になびかせ、目元には仮面が当てられていた。

 

「……うっわ」

 

 彼女は辺りを見回し、仮面越しにでもわかるほど嬉々とした表情を浮かべる。

 

「すごい、すごいすごい! ほんとにやっちゃった! ねえ見た!? めちゃめちゃカッコよかったわよね!? 着地も完璧だし! この作戦思いついた私、やっぱ天才かもしれないわ!!」

「ンニャ―! はしゃいでる場合かニャ!!」

 

 彼女の肩からひょっこり顔を出したのはネコ型の魔物、プリズニャンだ。見慣れない魔物の姿を見てアルフレッドは我に返った。

 

「な、な、なんなんだお前はーーー!!!」

「おっとそうだった。これよねこれ」

 

 黒装束の女性は跳ねるように横移動すると、台座の上から『水のリング』を取り上げた。

 

「なっ!」

「言い忘れてたわ。んっうんっ! 我こそは、悪逆を叩き正義を貫く正義の怪盗リズ&チロル! 私の信じる愛のため未来のため、このリングは戴いていくわ!」

「ノリノリだニャ!? 『正義』が2回も出てきてる上に知らん間にリズが頭数に入ってるニャ!? しかもなんでリズだけ本名ニャ!? ていうかその口上いつ考えたニャ!?」

「挨拶代わりの“ベギラマ”よ、受け取りなさいっ!!」

 

 律儀に全部拾ったネコを無視して炎の呪文が放たれ、アルフレッドは後退せざるを得ない。炎が晴れるとそこに彼女の姿はなく、代わりに目に映るのは割られたガラスの向こうに飛び去るキメラの姿。さらに、それにぶら下がる女性の影だった。

 

「この……馬鹿にしやがって……!!」

 

 アルフレッドは血相を変え、屋敷を飛び出していく。

 

 一方、正義の怪盗リズ&チロルことリズとビアンカは、夜空を飛ぶトレヴァの尻尾に掴まりながら街の中心に向かっていた。

 

「ビアンカ、ふざけすぎニャ!!」

 

 リズがぺしぺしと頭を叩いてくる。

 

「ごめんごめん! でも一度やってみたかったのよこういうの。なんかヒーローって感じしてわくわくしない? 昔よく読んだのよ、なかよし4人組のヒーローのお話!」

 

 にこやかに話すビアンカの真横を街灯のアタマがすり抜けていった。……なんだか思ったより低い場所を飛んでいる気がする。

 

「ちょ、トレヴァ!? どうしたのよ!」

『キ、キィ……』

 

 彼女は申し訳なさそうな目線を向ける。

 

「え、何、落ちるの!? まずいって、まだ全然進んでないよ!? ていうか何よそれ、私が重いってこと!? 失礼じゃない!?」

 

 キメラは決して大型の魔物ではない。倍以上の体格の人間を吊るして飛ぶのは無理があったのかもしれない。と、今更ながらに納得した。

 

「いたっ!」

 

 たまらず手を放し、石畳の上を転がるビアンカ。サラザール邸からはさほど離れられてはいない。後方から追手の足音が聞こえてくる。

 

「ビアンカ!!」

 

 トレヴァの背中に飛び乗ったリズが上空から声をかけてきた。

 

「行って! まだ作戦は終わっていないわ! 彼を……導いてあげて!!」

 

 その言葉を聞いたトレヴァは短く鳴き、北へと飛び去って行った。……追手の足音が近づいてくる。

 

「さてと、私は少しでも時間稼ぎ……を?」

 

 思わず手のひらを凝視した。たった今放出しようとした魔力が指先から出ていかない。どんなに集中しても、小さな炎すら生むことができなくなっている。

 

「コケにしてくれたね……この汚らわしい賊が」

 

 振り返ると道の先、屋敷の方面から追手であるアルフレッドが姿を現した。手には仰々しい頭蓋骨が象られた杖が握られている。咄嗟に距離を取ろうとしたら足首が悲鳴を上げた。どうやら落ちた時に痛めてしまったらしい。

 

「呪文封じ……ね。ピンチ、ってやつかしら。これは怒られちゃうなぁ……」

 

 北の空を一瞥する。夜闇で何も見えないが、街一番の豪邸がある方角だ。

 ……頼んだわよ、イーサン。迫りくる魔の手を目の前に、ビアンカは心の中でつぶやいた。

 

 

  *  *

 

 

 南の空に浮かぶ合図を確認し、頬を冷や汗が伝うのを感じた。――向こうで何かがあった。早鐘を打つ心臓に対し彼は今、急ぐことができない。ここで自分が焦ったら、すべてが水の泡になる。

 イーサンはルドマン邸付近の噴水広場、何度も歩いた石畳の広場の真ん中に立っていた。

 

「……」

 

 抱きかかえられたフローラは怯えと疑問の視線を投げかけながらも、特に抵抗はしてこない。……暴れられようものなら彼女も呪文で眠らせるしかなかったが、正直それはしたくなかったのでちょうど良かった。

 

「はあ……はあ……! 待ちたまえ!」

 

 通りの角からルドマン氏が姿を現した。短剣を片手に鬼の形相で向かってきている。彼はかつて高名な冒険家だったそうだが、それも遥か昔の話である。必死に動かされる両足に反して、足並みはお世辞にも速いとは言えない。

 

「……よし」

 

 念のため、と辺りを見やっても彼以外の追手は確認できない。ルドマン家の使用人たちはロランの魔法によって今頃夢の中なのだ。――それでいい。大人数で追いかけ回されるわけにはいかない。”逃走経路”は、イーサンが決めなくてはならない。

 ルドマン氏がこの広場に到達するのと同時に、イーサンも再び走り出す。南の空を見上げた。合図を確認し、通りを駆け抜ける。

 ……持ちこたえてくれ、ビアンカ。

 遠ざかる追手を見やり、()()()()()()、イーサンは心の中で祈った。

 

 

  *  *

 

 

 頭部に鈍い衝撃が与えられ、目元を覆っていた仮面が吹っ飛んだ。ビアンカは再び石畳に膝をつく。

 

「いたぁ……。女の子殴るとか、アンタ結構最低なことしてる自覚あるワケ……?」

「犯罪者の君に言われたくはないね」

 

 頭蓋骨の杖が容赦なく振り下ろされる。何とか身をひねって躱すも、足首がずきりと痛んでバランスを崩した。

 

「さあ、盗んだものを出したまえ。君が気を失うまで殴りつけてから奪い返すという選択肢もあるが、僕は心が広い。そんな真似は……本当はしたいところだけど我慢しているんだ、さあ」

「あら、我慢ができるなんて意外だわ。そんな風には見えなかったから」

「わからないかな……僕は結構、頭に来てるんだ、よっ!」

 

 放たれた蹴りを両腕で受け止める。しかし相手は男性だ、体格や筋力の差はどうしても覆すことができない。

 

「うぅっ!」

 

 弾かれたビアンカは街灯に背中から叩きつけられた。思わず手を掲げ、呪文の詠唱を始めるが……。

 

「無駄だ!」

 

 魔力は一滴も指先から出て行かず、大きな隙を晒したビアンカは振り抜かれた杖の一撃をまともに受けてしまう。ふらついた彼女の顔面にさらに一撃、拳が炸裂した。

 

「得意なのは呪文だけか、ああ? それを封じられた君に何ができる? うん? 見せてくれよ、正義の怪盗さんよぉ!」

 

 地面に伏したビアンカの足首に、杖の下端が突き立てられた。骨が軋むような痛みに、ビアンカは声にならない叫びを上げる。

 

「おっといけない。……ああ、ははっ。大声で叫ばれたら近所迷惑だったけど、空気を読んでくれたようで助かったよ。良かった良かった本当にっ!」

 

 乱暴な蹴りが次々とビアンカの全身を打ち付ける。しばらくしてアルフレッドは満足したのか、乱れた襟を整え短くため息をついた。

 

「うん、すっきりした。君に割られたステンドグラスも、僕に対する無礼の数々も、今の君の無様な姿で帳消しかな。なかなか素敵だったよ。ふふ、はははは!! ああ、でも盗んだものは返してもらおう。あれは大事なものなんだ」

「……、……い、やだと、言ったら……?」

「……」

 

 アルフレッドはビアンカの胸ぐらを掴み上げる。

 

「まだわからないかな、君は“詰んで”いるんだよ。拒否する余裕も、権利もないって自覚できてる? ……まったく不思議だよ、ただの泥棒にしては歯切れが悪すぎる。なあ、何が目的なんだ? なあ!」

 

 彼女の纏っていた黒装束を引き裂いた。ビアンカの私服、質素な旅装が露わになり、リングが地面に転がり落ちた。

 

「あっ……」

「なあ。金目のものなら、こんなリングよりもめぼしいものがいくらでもあった。なぜこれにこだわる? このリングが、僕とフローラ嬢が結婚する条件だって知っているのか? 君はサラボナの人間ではない。なぜ知っている、誰から聞いた?」

「……!」 

 

 ビアンカは思わず拳を振り上げる。しかしアルフレッドに突き飛ばされ、またもや地面に倒れ伏した。

 

「うーん? さっき魔物を引き連れてたよなあ……。ははっ、見えてきたぞ。“あいつ”の差し金かぁ。浅はかだ。実に浅はかで……滑稽だ!! 誰だか知らないが、よりにもよってこんなプレゼントを仕向けてくれるとはね!!!」

 

 アルフレッドは落ちたリングを無造作に拾い上げた。

 

「決めたぞ! 君も我が屋敷に迎え入れよう! そして馬鹿丸出しなルドマン家の娘ともども、この僕が可愛がってあげるよ! もちろんイーサンも捕らえる。あいつの目の前で見せつけてやるんだ、君たちが僕に汚される様を!」

 

 ビアンカは奥歯を噛み締める。立ち上がろうにも、体が言うことを聞かない。

 

「どこまでも……最低、ね。結婚を控えてる、男のセリフとは、思えないわ……」

 

 青年の顔が歪な笑みを浮かべる。

 

「何とでも言え、男に嬲られるために生まれてきたちっぽけな生き物の分際で。所詮フローラ嬢だっておまけなんだ。ルドマン家の財産のついでに手に入る、ちょっと質のいいおもちゃに過ぎない! まあ、君たちのお陰でおまけが増えたけどね! ははははは! 安い安い! 偽のリングをたったふたつ作らせただけの出費で、莫大な富と、地位と! 使い捨ての可愛いおもちゃも手に入るんだから!!」

 

 歯を食いしばりながら項垂れる彼女を見て、アルフレッドは勝ち誇ったように目を見開いた。あとはこの『おもちゃ』を連れ帰り、何事もなかったかのように明日を迎えるだけだ。彼はしゃがみ込み、ふと、顔を上げた。

 

 

 

 通りの先に、信じられないものを見るような視線を向けるルドマン氏と、困惑と怒りの混ざった表情を浮かべるフローラの姿があった。

 

 

 

「…………え?」

 

 アルフレッドもまた、この場にあるはずもない姿を目にし引きつった笑みのまま硬直する。

 

「……私は、何が何やら、理解が追い付かぬ。フローラ、これはどういうことだね?」

 

 ルドマン氏はつい数分前、すぐそこのベンチに座る娘と再会した。フローラもまた、黒衣の男にそこで待つように言われ、ぽかんとひとりで待っていたところだったのだ。再会した父娘は不審な声を耳にし、この通りを覗きに来たのである。

 

「わたくしにも、わかりませんわ……。でも“あの人”はわたくしを抱えたまま、お父様が追い付くのを何度も待っていました。まるでわたくしたちを導いているように……。恐らく、この場所、この光景まで」

「……さすがは私の娘だな。父も今、同じことを思っていたところだ」

 

 ルドマン氏が向かってくる。フローラも後に続く。

 青年がわけもわからず足元を見ると、アザだらけの顔が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 



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2-11. 花嫁への道③ リベレーション


 こんばんは。イチゴころころです。

 最近ドラクエ11Sを始めました。無印は数年前にクリア済みでしたが、やっぱCVつくのって良いな……と思いました。
 ドラクエ5にもCVついてくれないかな……。


 

 

――あいつに全部喋ってもらえばいいんじゃない?

 

 洞窟から帰った後、ビアンカの何気ない一言からこの作戦は始まった。

 

「イーサンの話だと、御曹司クンって市民の前でネコ被ってるだけなのよね?」

 

 びしょ濡れになった髪をタオルで拭きつつ彼女は続ける。呼ばれたと勘違いして寄ってきたリズの頭を撫で、イーサンは首を横に振った。

 

「確かにルドマンさんの前とかで本性を表してくれればそれだけで全部解決するけど、あいつの性格的にそんなこと絶対しないよ」

「でも旅人の前だと本性丸出しなのよね。適当に挑発して喋らせて、その様子をルドマンさんに見せれば可能じゃないかしら」

「いやいや、そんな。言うのは簡単だけどね? ショーか何かじゃあるまいし」

「……」

「……ビアンカ?」

 

 彼女は少し考え込んだ後、口の端をきゅっとつり上げた。

 

「案外いけるかもしれないわよ?」

 

 

  *  *

 

 

 近付いてくるルドマン氏の眉間にははっきりと皺が寄っていた。少なくとも、娘の婚約者に向ける表情ではない。それはアルフレッドにも理解できた。

 

「ほんっと、イーサンの言う通り、ね……。面白いくらい、喋ってくれちゃって……。レディに対する暴力も、破られた服も……、今のアンタの、無様な顔で、帳消しだわ……」

 

 弱々しいビアンカの声が頭の中をこれでもかと反響する。アルフレッドは自分が嵌められたことをじわじわと実感していた。

 

「この、おま……、ふざけ――」

「アルフレッド君だね?」

 

 ルドマン氏のどすの効いた声が投げかけられる。彼の一歩後ろから、フローラの鋭い視線が刺さる。

 

「先ほどのセリフに、そちらの女性。……どういうことだか教えていただこうか?」

 

 思わず後ずさる。どう言い逃れるべきかと脳がひたすら回転するも、答えは何も出てこない。アルフレッドが距離を取ったのを見て、傷だらけで倒れているビアンカにフローラが駆け寄った。

 

「……アルフレッドさん。これは貴方が、やったのですか?」

「……ち、が――」

「貴方の持っているそれは、“偽物の”リング、なのですよね?」

 

 彼女の声は小さく、しかし確かな圧を感じられた。

 アルフレッドは自分の両手を見た。左手には件のリング、右手には頭蓋骨の杖。先ほどまで目の前の女性をいたぶるのに使っていたその杖の先には、少しだけ血の跡も付いている。

 

「ぁ、う……これ、は」

 

 動揺のあまり自分が物的証拠をふたつも持っていたことを忘れていた。咄嗟に背中に手を回し隠したが、もう遅い。それどころかその挙動さえ裏目であることに遅れて気付く。

 

「……アルフレッド君。君の今の姿、そしてこの状況から察するに、我々は騙されていたと見て良いだろうね? うん? 君とも古い付き合いだ。一体どこから、いつから嘘をついていたのか、じっくり話を聞かせてもらいたいものだが?」

「ひどいです……貴方は、そんなことを思って……それをひた隠しにして……お父様や、サラボナのみんなと何食わぬ顔で接していたというのですか……?」

 

 ふたりの視線がアルフレッドの精神をえぐる。それはもう、彼の求める自由が、優雅な暮らしが彼の信用と共に、この先永遠に失われたことを意味していた。

 

「――まれ、だぁまれぇ!!」

 

 アルフレッドは手に持っていたリングを叩きつけた。作り物の指輪は粉々に砕け石畳の上を舞う。そして、驚いた隙を逃さずフローラに掴みかかった!

 

「あうっ」

「フローラ!?」

 

 彼女の手首を締め上げ、首筋に杖の先をあてがった。ルドマン氏、それと立ち上がろうとしたビアンカもその動きに制される。

 

「動くな、動くなよ……。この娘の首が切られるのを見たくなかったら、お前ら、ぼ、僕に従うんだ……。いいか、僕には資格があるんだ……。彼女に相応しい結婚相手は、僕なんだ……! 僕だけなんだあぁぁ!!」

 

 錯乱したアルフレッドは杖を振り上げる。ふたりの見開かれた目が視界に焼き付いた。

 

『キッキー!!』

 

 しかし、突如魔物が飛来したかと思うと振り上げた杖が取り上げられる。さらにバランスを崩したアルフレッドに、民家の影から現れた黒衣の男が体当たりをしてきた。

 

「うおおおおぉぉぉ!!」

 

 弾き飛ばされたアルフレッドはフローラを手放し、彼女は黒衣の男に抱きとめられる。衝撃で仮面が外れ、見覚えのある旅人の顔が夜闇に浮かび上がった。

 

「お前、イーサン……!」

 

 黒衣の男は無表情のままゆっくりと近づいてくる。その姿を見て、アルフレッドは感情を爆発させた。

 

「よくも、僕を嵌めたな! 報復のつもりか。そんなにフローラと結ばれたいか!? 汚らわしい魔物使いの分際で! 僕は、お前を……僕は! この街のためになることをしただけだ! 何が悪い!! こんなのお前のエゴで――」

 

 イーサンの渾身の拳がアルフレッドの顔面にめり込み、彼の言葉、そして意識は遮られる。

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 コミカルさすら感じる軌道で宙を舞ったアルフレッドは石畳に叩き付けられ、痙攣をしつつも動かなくなった。

 

「これはお前がビアンカを殴った分だ」

 

 

 

 悪逆の男が痛快な一撃に沈むさまを、父娘はあっけにとられ眺めていた。

 イーサンが振り返る。その顔を見たフローラは一気に緊張が解け、胸に込み上げる気持ちを抑えてその場にへたり込んだ。

 

「やっぱり……貴方だったんですね、イーサンさん」

「うん……。怖がらせてごめん」

 

 彼は片膝をつくビアンカに駆け寄り、肩を支えた。

 

「無茶しやがってこの馬鹿。だから俺は反対したんだ」

「えへへ……でも面白いくらい思い通りに誘導できたわ。名女優ビアンカって呼んでくれてもいいのよ?」

「……本当、君には敵わないな」

 

 イーサンが口笛を吹くと、物陰からぞろぞろと魔物が集まってきた。この作戦を影でサポートした、彼の仲間たちである。

 

「……ルドマンさん」

「な、なんだね」

 

 戸惑いを隠しきれないルドマン氏に、イーサンは手を上げて敵意がないことを示す。

 

「この騒動は、すべて俺が起こしたことです。ただ俺は真実を知ってほしかった。あなたと、フローラさんに」

「……」

「お父様……」

 

 フローラが不安そうに父の顔を見上げる。

 

「……わかった。だがここではなんだ。屋敷で話を聞かせてもらおう。ひとまずけが人をふたり、運ぶのを手伝ってくれるかね?」

 

 イーサンはビアンカと顔を見合わせる。そして、静かに頷いた。

 

 

  *  *

 

 

 日付はとっくに変わっていた。イーサンたちは馬車番をしていたマービンとも合流し、ルドマン邸の広間に集まっていた。テーブルの向こうにルドマン氏とフローラが座り、少し離れた別の机では眠りから覚めたメイドが椅子に座るビアンカの手当をしている。アルフレッドはとりあえず厳重な個室に運び込まれたようだ。

 

「アルフレッド君の父上殿は私の古い友人だ。だが、少し前から体を壊していてな、今回の件には関わっていないと踏んでいる。いや、私がそうだと信じたいだけだな……。まったく、歳を取ると先入観に逆らえなくなってしまう。いかんな、これでは君を追い出した時と何も変わらぬ。……すまなかった」

 

 ルドマン氏は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 

「いえ、顔を上げてください。俺だって、魔物使いであることを隠していたわけですし」

「君の後ろで心配そうに待っている彼らを見れば、邪悪な魔物などとはとても思えぬよ。それも私の偏見と先入観だ。どうか許してくれ。そして……。娘を、このルドマン家を守ってくれて感謝する」

 

 フローラも追って頭を下げた。

 

「……俺から話せるのは以上です。というより、先ほどアルフレッドが喋ったことが全てです。それ以上はありません。何度も言うように俺はただ……あいつの手からフローラさんを守りたかっただけなんです」

 

 蒼い髪の娘はほんのりと顔を赤らめた。

 

 消毒の痛みを我慢しながらその様子を眺めていたビアンカは、なんだ、脈アリなんじゃない? と思った。これで晴れて、イーサンが彼女と結ばれる。めでたいことだ。そう思った。右手で三つ編みをくるくるしながらぼんやりと考える。――いいの、私も“悔いのないように生きる”って言ったわけだし。これが私の選択なのよ。

 

 イーサンが懐から何かを取り出す。それは一対の指輪だ。正真正銘本物の、花婿候補としての試練の証が彼の手に握られていた。ビアンカの見立て通りイーサンの信用は回復しきったと見ていいだろう。彼が改めてプロポーズをし、作戦は真の意味で完遂するのだ。

 

()()()()()()()()

 

 しかし彼の口から出てきた意外すぎる一言に、ビアンカの思考は真っ白になった。

 

「南の火山と北の湖で手に入れた、本物のリングです。魔法に詳しい人に見てもらえればわかると思いますが、それぞれ対応する属性の効果を打ち消す加護が付いています。決して、作り物ではありません」

 

 驚愕の表情を浮かべるルドマン氏の手のひらに、幻のリングが握らされる。

 

「割ってしまった窓。あとサラザール邸の窓も弁償できるゴールドは、俺は持っていませんので……。数々の無礼も含めて、これでお詫びとさせていただきます。それから……」

 

 フローラを一瞥すると、ぱちぱちと目を瞬かせる彼女と目が合う。

 

「フローラさんには、是非自由な恋をさせてあげてください。今回の件があったからというわけではなく……。領主の娘さんとなれば世間の目もあるでしょうが、それでも、フローラさん自身が、良いと思った方と結婚するのが一番だと思います」

 

 そう言うと、それが別れのあいさつの代わりとでも言うようにイーサンは踵を返す。その姿を見て、ビアンカの心は大きく跳ねた。

 

「――待ちなさいよ!!」

 

 思わず立ち上がる。体のあちこちが痛むのもお構いなしに、目の前の男へ掴みかかった。

 

「何考えてるのばか!! ここまで来てのこのこ帰るつもり!?」

「いいんだビアンカ。俺は――」

「よくないっ!!」

 

 イーサンを突き飛ばし、ルドマン氏とフローラの方を向き直る。

 

「もういい、私が全部言うわ」

「ビアンカ――!」

「ルドマンさん!!」

「は、はい!?」

 

 あまりの剣幕に、父娘は姿勢を正した。イーサンの手を振り払い、彼女はずかずかと歩み寄る。

 

「いいですか。こいつは能天気でばかでヘタレだけど、本気で、もう本っ気でフローラさんを想っています! そのために、フローラさんと結ばれるために! ひどい仕打ちにも耐えてばか正直にリングを集めて、無茶な方法でアナタたちを守ったんです!!」

 

 イーサンが頭を抱え、フローラの目は見開かれた。

 

「でもこいつはばかだから! どうせ自分が旅人で魔物使いだからってカッコつけて、告白する勇気も放り投げて帰ろうとしただけなんです! だからさっきのは聞かなかったことにしてください! こいつは筋金入りのばかで、でも……すごく、いい奴なんです……!」

 

 ビアンカが頭を下げた。

 広間がしんと静まり返る。イーサンはバツが悪そうに視線を落とし、フローラは首のあたりが熱くなっているのを感じていた。他の者はあっけにとられ、口をぽかんと開けていた。

 静寂を破り、優しく語り出したのはルドマンだった。

 

「お嬢さん、顔を上げなさい。貴女のおかげで、私もやるべきことがようやく見えた。……イーサン君」

「は、はい」

「身を引こうとする君の気持ち、葛藤。責任の一端はやはり私にあるのだろう。改めて謝罪させてくれ。そして……私の方からお願いさせてほしい。娘に、フローラに自由な恋をしてほしいというのが君の想いであるならば――」

 

 ルドマンは娘を見やる。彼女の想いは、つい数時間前に目の当たりにしたばかりだ。

 

「どうか、フローラと結婚してほしい」

「え、ええっ!」

「お父様!?」

 

 悲鳴に近い声を上げるふたり。ビアンカも思わず顔を上げる。

 

「フローラはずっと、私が君を追い出したことに心を痛めていた。この子が私にあそこまで反抗したのは初めてだ。私の勘違いでなければ彼女の想いは……本物なのだ。そうだろう、フローラ?」

「あ、う……」

 

 フローラは視線を泳がせていたが、ぴたり、イーサンと目が合ったところでその視線を停める。

 

「……はい。イーサンさんを、お、お……お慕い、申し上げております……」

「……!?」

 

 硬直するイーサン。こちらにはビアンカが言葉を促す。

 

「ほらっ」

「う、うん。……どうか、どうかこんな俺で良ければ、ですけど……」

「うむ……! 大歓迎である、イーサン君!!」

「……!!」

 

 イーサンの表情が歓喜に緩んでいく。魔物使いとしてずっと日陰を歩いてきた彼が、多くの支えを得ながらも、父娘の心を動かした瞬間である。

 感極まり言葉を失うイーサンの肩に、ビアンカはそっと手を置いた。

 

「……いい? 『こんな俺』なんてどこにもいないのよ。今私の目の前にいるのは、逆境も乗り越えて愛する人を救った勇敢な旅人。キミはね、もっと自信を持っていいの」

 

 

 

 満足げに笑みを浮かべる父の横で、フローラは彼女のその表情を見た。

 たった今想いが通じ合った男性。彼の横にいる、恐らく彼の協力者であろう女性。フローラは彼女にも感謝していた。イーサンがここに辿り着くために、体を張ってその道を支えた彼女に敬意さえ表していた。

 

 彼女がイーサンを励まし、焚きつける。その表情を見てフローラは悟ってしまった。自分たちのキューピッドとも言える彼女の、胸に秘めた想い。

 

 フローラは、想い人と理不尽に引き裂かれる苦しみを知っていた。それはついさっきまで自分を苛んでいたものだ。きっと“彼女”も、もうすぐその苦しみを知るだろう。

 

 

 

「――待ってください!」

 

 

 

 そう思ったら、口が勝手に動いてしまった。

 

 

 

 



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2-12. 愛の旋律


 こんばんは。イチゴころころです。

 ついにここまできましたー! 気付いたら1章の3倍近く長くなってた2章、泥臭い恋のお話もいよいよ大詰めです。

 
 
 『愛の旋律』流しながら書いた。めっちゃ楽しかった(自己満足)。




 

 

 朝日が昇る。

 早朝、まだ街の人たちがぎりぎり目覚めてこない時間帯。イーサンは柔らかい朝日と静けさに包まれる広場にたたずんでいた。昨日はルドマン邸の客室に泊めてもらうことになったのだが、まるで眠れなかった。空が白み始めるのを見て、そそくさと外へ出てきたのだ。

 

「大変な展開になったニャン」

「リズ……」

「心配ご無用ニャ。街の人たちが起き出す頃には退散するニャ」

 

 軽快に塀の上に飛び乗った彼女は、イーサンと同じ高さの目線を向けてくる。

 

「眠れなかった。朝日を浴びてみようと思ってね。頭がすっきりするかも」

「なんて言って、顔を合わせるのが怖いニャン?」

「……」

 

 イーサンは項垂れ、そのままベンチに力なく座り込んだ。

 

「言い返さないのは重症ニャァ……。ご主人、大丈夫かニャ?」

「……大丈夫じゃねえ」

 

 

  *  *

 

 

「――待ってください!」

 

 フローラの声に、再び静まり返る広間。何かを察したのか、ビアンカの表情が微かに強張ったのを覚えている。

 

「ビアンカさん、貴女は」

「やめて」

「貴女は、イーサンさんのことを――」

「やめて!!」

「……っ! や、やめません! こんなの、見過ごせませんわ! ビアンカさん、貴女も、()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 その場にいる誰もが凍り付いた。そのことに気付いてしまったのは、どうやらフローラただひとりだったらしい。

 

「それを、その気持ちを! 見て見ぬフリなんてできません! ビアンカさん、貴女は身を削ってイーサンさんを支えた。わたくしは……わたくしは彼を想いながらも、何もできなかった! 迷惑を、かけさえしました……。彼と結ばれるのは、貴女の方が相応しいと思います!」

 

 ビアンカは口元を手で隠しながら黙って聞いていたが、フローラの衝撃的な一言に怒りを露わにする。

 

「な、何を言っているの!! フローラさん、こいつのこと好きなんじゃなかったの!? どうしてそんな意味不明なセリフが出てくるのよ!」

「好きだからですわ!」

「……っ! なによ……そんな真っ直ぐ言うなんて……卑怯じゃない……!」

 

 ふるふると振り返るビアンカと目が合った。瞳が潤んでいる。その目をイーサンは見たことがあった。『滝の洞窟』で、いや、村で再会してから何度も。会話の節々に、彼女が微かに見せた目がそこにはあった。か細い彼女の想いがようやく胸の奥に到達し、心臓が大きく脈打つ。

 

「じゃあっ! 私が、……こいつと、イーサンと結婚しても良いのね! 本当に……しちゃうからね! それでも良いってワケ!?」

「っ……それは嫌ですわ!!」

「そうでしょうね!! ええそうでしょう! 私だって……私だってそうだもの!!」

 

 散々叫んだ挙句、ふたりの女性はへなへなと座り込んでしまった。

 彼女たちの大胆な言葉の嵐に曝されたイーサンはすっかり放心してしまい、めまいすら覚えていた。……特にビアンカだ。幼馴染で、良き理解者で、3人目の“親友”。そう思っていた彼女の想いに揺さぶられ、彼の心は巨大なオールでかき回されるように混沌へと落ちていく。

 

「……何やらとんだ展開になってしまったが」

 

 いち早く困惑から抜け出したのはルドマンだった。いくつもの視線が彼に集まる。

 

「私もこの際、偏見や先入観を捨てさせてもらおう。誰が誰と結ばれる『べき』か、そう言った考えは無しにする。たとえ我が娘の事であっても。いいね、フローラ?」

「……はい、お父様」

 

 落ち着いた返答をするフローラと、目を伏せるビアンカ。イーサンはその表情の意味が分からなかった。話が全く見えてこない。

 

「……これはイーサン君が決めることだ」

「…………え?」

「君がさっき言ったことだ。フローラに、良いと思った人と結婚するように、とね。その言葉がたった今、なんと逆転してしまったのだよ。イーサン君、君が選ぶのだ」

 

 ビアンカとフローラ、ふたりの弱々しい目線が向けられる。選ぶって、結婚相手を、自分の手で……?

 

「君は私たちの恩人であり、私は敬意を表している。……約束しよう、例え君がどちらを選んでも私は全力で応援する。挙式の準備は任せて、君はしっかり考えて決断すると良い」

「……そんな、だめです、だめですよ、ルドマンさん。私は……」

「ビアンカ嬢。貴女もだ、貴女もこの家の恩人だ。そんな女性が勇気を出して伝えてくれた想いを無下にはできん。私がフローラの父親であることは忘れたまえ。若者の恋を見守るのは、大人の役目だ」

 

 ビアンカは観念したように静かに目を閉じた。

 

「よし、今日はもう遅い。イーサン君も、お仲間も、ここの客室を使ってくれ。そして明日、いや、もう今日か……。まあ良い、次の日没だ。日没にイーサン君の答えを聞こう。君は濡れ衣だったと街中に便りを出しておく。明日、好きに過ごしながらじっくり考えるがよい。繰り返すが、地位や、周りの目、『べきだ』という考えは捨てなさい。大事なのは気持ちだ。君の気持ちを私は尊重する」

 

 

  *  *

 

 

 座り込むイーサンの姿勢はどんどん低くなっていく。このままでは石畳に埋もれてしまいそうだとリズは思った。

 

「ま、精一杯悩むと良いニャン。最悪リズがケッコンしてあげるから安心ニャ」

「……その威勢がなんだかとっても頼もしいよ」

「そんなふにゃふにゃ具合じゃどっちを選んでも嫌われちゃうニャ? しっかり納得のいく答えを出せるよう、一同応援してるニャン」

 

 そう言うとリズは塀を降り、晴れかかった朝霧の中を戻っていく。

 

「待ってよぉ~~リズぅ、ひとりにしないでくれよぉ~~~……」

 

 主の情けない声を尻目に、小さな従者は立ち去って行った。正直リズとしてはちょっぴり心配だったのだが、『過保護になりすぎるのもよくない』とマービンに釘を刺されていた。

 

 

 

 昼。時間はどんどん過ぎていくが、イーサンの胸の中はぐちゃぐちゃしたままで一向に片付いていかない。ビアンカとフローラ、どちらと結婚したいかなんて、選べない。どちらもイーサンにとってとても魅力的な女性なのだ。……でも選ばなくてはならない。そうしたら彼女らのどちらかは必ず、傷付くこととなる。

 

 道行く人の視線が刺さる。ルドマン氏の言った通り、イーサンが邪悪な魔物使いであることは誤解であるという知らせは行き届いているようだったが、それでも市民たちの疑念がすべて晴れたわけではないのだ。

 

 ……そんな自分がもしフローラと結婚するとなったら、少なからず非難されるのではないだろうか? ふとそんな考えを巡らせる。自分は良い。人に白い目で見られるのは今回の件を経て割り切ることができるようになった。しかしフローラは嫌がるかもしれない。そして由緒あるルドマン家の名に、泥を塗ってしまったら?

 

「……ルドマンさん、先入観を捨てるって、めちゃくちゃ難しいじゃないですか……」

 

 家柄が家柄なだけに、周りの目がどうしても気になってしまう。

 こうしてイーサンの思考は一巡し、ドツボにはまっていくのだった。

 

 

 

 答えが見つからないままさらに数時間ふらふらと歩いていると、なんとフローラとばったり出くわした。

 

「「あっ……」」

 

 彼女は桃色と白の二色を基調とした落ち着いたワンピースを身に着けていた。

 

「……やあ」

「イーサンさん……その、調子はいかがですか?」

「うーん……まずまず」

 

 それから何気なしに、ふたりで歩くこととなった。結婚の件は話題に挙がらない。

 

「そっか、アンディさん、目が覚めたんだね」

「ええ。父が今朝アルフレッドさんに事情聴取をしたところ、どうやらアンディさんを襲ったのも彼の仕業だと分かったみたいで……。お詫びもかねて、お見舞いに行ってきたところです」

「なるほど……」

 

 火山に赴いて全身打撲。妙な矛盾の正体は悪辣な策略だったというわけだ。

 

「ルドマンさんは?」

「父は、サラザール邸を訪問している頃かと思います。彼のお父上殿と、色々お話ししたいそうで。……きっと父は、今回の騒動をいち早く治めようとしてくれているのですわ」

「そうだね……感謝しないと」

 

 それはきっと、自分たちのためだ。フローラ、ビアンカ、それにイーサンが心置きなく自分たちの道を選択できるように。周囲のごちゃごちゃしたことをまとめようとしてくれている。

 

「あ、ここまでで大丈夫ですわ」

「そう? 帰り道、わかる?」

「も、もうイーサンさん。わたくしだってそこまで方向音痴じゃありませんっ」

「あはは、ごめんごめん。じゃあ俺はもうちょっとその辺を歩いてくよ。日没までまだ時間あるし……」

「あ……」

 

 言ってから気付く。そう、決断の時間は迫ってきているのだ。

 

「あの、イーサンさん」

「……なに?」

「ビアンカさんは、貴方の古い友人、なのですよね?」

「うん。一応……幼馴染」

「そうですか……」

「そういえば、ビアンカは?」

「お屋敷でゆっくりしていられるかと思います。お怪我はひとまず治りましたが、疲れが残っているそうで」

「そう、だよね」

 

 ビアンカが屋敷から出ないのは疲れだけだろうか? 根拠も無しにそんな疑問に駆られる。彼女は今、何を思っているのか。イーサンはわからない。ただそのことを思うと、またも心が締め付けられる。

 

「……わたくしは、ビアンカさんを選ぶべきだと思います」

「え?」

 

 フローラが突然そんなことを言うものだから、イーサンは面食らってしまう。

 

「幼馴染だと聞いて納得しました。きっとわたくしが知らない、おふたりで歩んだ軌跡、過ごした時間があるのですね。……それを無下にするのは、とてももったいないことだと思います」

 

 フローラは淡々と告げる。

 

「わたくしの気持ちも、その……昨日聞いていただいた通りです。でも実は嬉しいのです。わたくしが、貴方と数えるくらいしか言葉を交わしたことのないこのわたくしが……、貴方の昔からの付き合いであるビアンカさんと同じ土俵に立てているのですから。貴方が、今も必死に迷ってくれているのですから。とても光栄なことです。それだけで……充分ですわ」

 

 ビアンカと冒険した日々を思い出す。

 幼いころレヌール城を探検したこと。山奥の村で再会して、絶望していた自分を励ましてくれたこと。洞窟の中から滝を見て、一緒に笑ってくれたこと――。

 

 フローラの言う通り、ビアンカは自分にとって大きな存在になっていた。自分のこれまでの人生は、彼女なしでは語れない。

 だがフローラを見ると、胸に刺すような痛みが広がる。

 

「……悩ましいな」

「いいえ、悩むことなどありませんわ。わたくしはもう――」

「悩むよ。そんな顔で言われたら」

「……!」

 

 彼女の表情は、先ほどの澄ましたセリフとは何も一致していなかった。『それだけで充分だ』と満たされている様子はどこにもなく、令嬢らしい優雅で余裕な佇まいも全く見えない。そこにはただ、板挟みの想いに苦しみ、怯える女の子の表情があった。

 

「あ、あの、わたくし……!」

「ごめんよ。俺も精一杯悩ませてもらう。今すぐ答えは出ないけど、必ず出す。だから……日没までもう少し、屋敷で待っててほしい」

「……はい。お待ちして、おりますわ……」

 

 フローラはとゆっくりと屋敷に向かって去っていく。

 太陽は、山の向こうに沈みつつあった。

 

 

  *  *

 

 

 サラボナ唯一の診療所では、全身に包帯を纏ったアンディがベッドの上から出迎えてくれた。

 

「それはまた、とんでもないことになっていますね、イーサン殿」

「ごめんない、俺の変な話に付き合ってもらって……」

「いいんですよ。さっき見舞いに来てくれたフローラ嬢もなんだかおかしな様子だったし、何事かとは思っていたんです。それに、長いこと寝込んだままだとどうにも退屈で」

 

 フローラの前であんなことを言ったにも関わらず結局ひとりでは答えを出せなかったイーサンは、藁にも縋る思いで彼の元を訪れたのである。見舞いとは名目も甚だしい。

 

「……それで、フローラ嬢とその幼馴染の彼女、ふたりに迫られて困っているのですね。はは、羨ましい限りです」

「自分でも……贅沢なことで悩んでる自覚はあります……。でも、どうしても、わからなくて」

「わからないというのは、自分の気持ちがですか?」

「はい……。俺は、情けないことに、選びたくないと思ったんです。片方を選んで、どっちかが傷付くのを見たくない。みんな俺の気持ちが一番だって言うけれど、それこそが俺の気持ちなんです。フローラさんのことも、その、好きだけど。今までの人生の多くを支えてくれたビアンカの気持ちも裏切りたくない。義務とか責任とかじゃなくて、彼女が大切だから、なんです……」

「難しい問題ですね。……ふと思ったのですが、逆だとどうなりますか? フローラ嬢が君の思い出を支えた幼馴染で、ビアンカさんは知り合ったばかりだけどとても魅力的な女性。そうなっても君は、幼馴染と過ごした時間を大切にしますか?」

 

 イメージしてみたが、うまくまとまらない。アンディの視線が刺さる。

 

「えっと……?」

「ではもうひとつ質問をしますね。実はボクはフローラ嬢と幼馴染なんです。家柄の関係で接点はほとんどありませんでしたけど、昔はよく遊んだりもしました。イーサン殿。今の話を聞いて、フローラ嬢はボクと結婚するべきだと思いましたか?」

「あ……」

 

 一瞬、それが一番なのではないかと思った。しかし――

 

「はい。()()()()()()()()()

 

 確かにおかしな話である。それではまるでビアンカもフローラも関係なく、幼馴染かどうかが重要みたいではないか。

 

「もちろんそういった、過去の積み重ねを大切にするのも正しいことです。しかし今の君を取り巻く状況はあまりにも複雑だ。比較……っていう言葉は少し不適切かもですが、全くタイプの違う彼女たちを選ぶには比較の仕方にも工夫が必要かと。より悔いのない選択をするなら、先入観も人の目も、自分の過去すら脱ぎ捨てた丸裸な気持ち。それを探るのが良いのではないでしょうか」

 

 イーサンは考える。あらゆるものを取り除いた率直な気持ち。その気持ちを持って彼女たちを見ることが、果たしてできるのだろうか。

 

「あ、すみません偉そうに。ボクだって若輩者です。どうか深く考えず、参考程度に思っていただければ」

「いえ、ありがとうアンディさん……。でも、やっぱ難しいですね、あはは」

 

 それでも、イーサンは逡巡しているようだった。泳ぐ目が、彼の心を表している。

 

「……イーサン殿。君は旅人なんですよね?」

「え、そうですが……?」

「君が何を目的としているかはわかりませんが……。()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 泳いでた瞳が、ぴたりと止まる。

 

「いえ、まだ……終わり、は、しない、です……」

 

 ふたりの青年はそれ以上何も語らなかった。イーサンは横たわる彼に一礼し、診療所を飛び出していった。窓の外では、夕暮れの空も黒く染まりつつあった。

 

「……ええ、そうですよね。知っていましたとも。健闘を祈ります、イーサン殿」

 

 

  *  *

 

 

 広間の大きな窓から覗く空は闇に落ちていた。

 イーサンの前にはふたりの女性がいた。今から、彼女らのどちらかを選ばなくてはならない。

 

 手に持った小箱を見つめた。そこに入っているのは『水のリング』だ。もともと、花婿候補が集めたふたつのリングはそのまま婚約指輪になる予定だったらしい。イーサンがこの指輪を誰に渡すかで、結婚相手が決まる。

 

 肩越しに後ろを振り返ると、ルドマン氏と、メイドのアイナ、それから魔物の仲間たちがこちらに注目していた。ルドマン氏はゆっくりと頷いてくれた。“君の気持ちを尊重する”と、彼が言ってくれたことを思い出す。それを受けて、イーサンは前を向き直った。

 

 

 

 フローラを見た。

 昼過ぎに見せた表情をまだ引きずっているようで、震える瞳と目が合うときゅっとそれを閉じてしまう。でも彼女は、街外れの坂道で初めて会ったときからずっと純粋で、素直な言葉と気持ちで接してくれた。彼女の想い、自分を好きでいてくれていることと、身を引こうとしてくれた葛藤も、偽りはないのだと確信している。

 

 そして、ビアンカを見た。

 目が合うと、彼女は薄く微笑んだ。目元にアザが少し残っているが、とても大人びた綺麗な笑みだった。しかし彼女はすました風を装っているだけで、おへそのまえで組んだ手が震えているのがわかる。

 

 ……『大切』。アンディの言う、あらゆる枷を取り除いた丸裸な気持ち。それを探った結果、ビアンカに対する自分の気持ちは『大切』。それに尽きた。幼馴染だからではない。彼女の明るさ、前向きでユーモラスで、でもお姉ちゃんとしてしっかりしていて、誰かのために本気で体を張れるビアンカが、何よりも大切である。そう思った。

 

 そっと小箱を開け、歩き出す。……答えは決まっていた。今となっては、この答えは生まれた時から決まっていた気さえする。

 

 

 

「――え?」

 

 

 

 近付く足音に目を開けた蒼い髪の彼女は、小さく驚きの声を漏らす。彼女の目の前に、澄んだ輝きを放つ指輪が差し出された。

 

「……うそ。本当に? 本当にわたくしで、いいの?」

 

 イーサンは片足を下げ、跪いた。全てを忘れ、過去も未来も、旅の目的もなにもかもを忘れ、言葉をかける。

 

「どうか、俺と結婚してください。貴女と、ずっと一緒にいたい」

 

 それが彼女に対する、イーサンの丸裸な気持ちだった。ただただ、『一緒にいたい』。優しくて素直で、可愛らしく笑う彼女の隣を歩き、色々なことを話したい。それこそが、出会った時から一度も変わったことのないイーサンの気持ちである。

 

「……っ!」

 

 フローラの震える手が伸ばされる。その手はあまりにもか細く、触れれば壊れてしまいそうなほどだ。

 

「わたくしは……守ってもらうことしかできない女ですのよ……? それでもわたくしを、選んでくださるの……?」

 

 出会ったばかりで、彼女との思い出らしい思い出もない。だが、“旅はここで終わりはしない”。思い出ならこれからたくさん、いくらでも作っていける。

 

「うん」

 

 そっと彼女の手を取り、指輪を握らせた。ぬくもりが伝わる。きっと自分の体温や震えも、彼女に伝わったのだろう。

 

 拍手が起こる。広間にいた誰もが、イーサンとフローラに祝福の拍手を送っていた。しかしふたりの耳にはそれは届いていなかった。丸裸な気持ち同士がぶつかり合って柔らかく溶けていく。ふたりだけの世界がそこにはあった。

 それだけで充分だった。

 

 



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2-13. 船上の花嫁


 『結婚ワルツ』流しながら書きました。楽しい(満足)。

 イチゴころころです。こんばんは。
 原作ゲームでの決断前夜、ビアンカが「なんだかねむれなくって」みたいなこと言っているのに対しフローラは普通に寝てるのなんかちょっと面白いですよね。




 

 

 陶器のカップに紅茶が注がれていた。ほのかに果実の香りがする。イーサンは紅茶に詳しくなかったが、それがきっと高級なものであるということは分かった。カップを持ち、口に運ぶ。しかし、今まさに飲もうと口を付けた時には、中の紅茶は先ほどの半分も入っていなかった。

 

「……?」

「――小首傾げてんじゃねぇーっ! 零し過ぎだ! どんだけ緊張してんだお前!! ほら立て、早く! ああ、よかった……! 召し物は汚れてない……! イーサンお前なに突っ立ってんだ! いや違う手伝うな! テーブルは俺が拭くからあっち行ってろ!」

「……ヘンリー、うるさい。もう少し落ち着いてくれないか」

「お前が言うなぁーーー!」

 

 

 

 ルドマン邸でのプロポーズから4日。今日は待ちに待ったイーサンとフローラの結婚式である。

 

「……ていうか、俺は零してない。船が揺れたんだ」

「そんな事実はねぇ。まったく。嫁さんも手鏡割ったみたいで、さっきマリアが慌ててたぞ。夫婦そろって動揺しすぎだろう。まあお前らしいっちゃお前らしいが」

「まだ、夫婦じゃない。結婚式は、これからで……」

「数時間後には夫婦だ。誤差みたいなもんだろ」

「……」

「わーったわーった! そんな怖い顔をするな! こだわりたいんだな! わかるよ、……俺もそうだったしな」

 

 この数日間は激動の毎日だった。晴れて結ばれたイーサンとフローラのために大急ぎで結婚式の準備が進められた。もともとアルフレッドが勝手に進めていた話があり、ルドマン氏がそれをごく自然な流れで乗っ取った、もとい乗っかった。そのせいか予想以上のペースで準備が整っていった。これに関してはアルフレッド様様と言える。

 

 件の彼だが、父親であるサラザール氏が息子の暴挙に対し、病床の苦しみも吹き飛ばす勢いで激怒したらしい。そのまま氏は息子を勘当、最低限の旅装と資金を持たされサラボナの街を追放されたのが2日前のことである。街を追い出されることへの痛みをイーサンは知っていたが、残念ながら同情はできなかった。それでもまあ、道中で魔物のエサにならないことくらいは祈ろうと思った。

 

 結婚式の準備にはビアンカも積極的に参加してくれた。各方面への連絡や報告、業者への根回しなど、彼女のフットワークの軽さとコミュニケーション能力が大活躍したらしい。イーサンはイーサンで服の採寸、挨拶回りなどで忙しかったため、彼女とはあれ以来まともに話せていない。

 

「……」

 

 正直なところ、彼女はこうなることがわかっていたような気がする。

 あの日、ルドマン邸の広間で指輪を片手に目配せしたときのことだ。既にイーサンの気持ちは決まっていた。ビアンカはそのとき微笑んで見せたのだ。なんとなくだが、そこで何かが通じ合った気がした。だから彼女は指輪を渡されなかったことに驚く様子はなかったし、その後さっそく挙式の準備に取り掛かろうとするルドマン氏に『私も手伝います』と明るく声をかけられたのだろう。最後の最後まで、イーサンは年上のお姉ちゃんに甘えてしまう形となった。……だが、悩むべき場面はとっくに過ぎているのも事実だ。幸運なことに限りなく後腐れがない形で収まることができている。ビアンカともまたいつか、親友としてゆっくりおしゃべりをする時間を作りたいと思っていた。

 

「なにやら色々とドラマがあったみたいじゃないか? なあイーサン。落ち着いたらまたラインハットに来てくれよ。もちろん嫁さん……に、これからなるあの人も一緒にな。またお前の話をじっくりと聞かせてもらいたいね」

「いいけど、たぶんこれぶっちぎりの超大作だから。夜通し語り明かすのを覚悟しておいてよ?」

「いいね、徹夜とかわくわくするじゃんか! 楽しみにしてるぜ相棒」

 

 そして今、イーサンは結婚式の会場である『カジノ船』という施設に来ている。本来ならばサラボナの大聖堂で挙式する予定だったのだが、イーサンの持つとある古代魔法の存在が判明したことで話が思いっきり変わってしまった。

 

 プロポーズの翌日、思わぬ空き時間を得たイーサンはふと思い立ってラインハットに“飛んだ”。式の日程は決まっていたのでラインハット王宮の方々、せめてヘンリーとマリアだけでも来てほしいと直々に連絡しに行ったのだ。そしてまた当日迎えに来ると約束をし、サラボナに飛んで帰ってきた。

 ……その様子、正確には着地の瞬間をルドマン氏に発見され、なんやかんやあって『ルーラ』の存在が明るみに出たのだ。

 

 それを知ったルドマン氏は『もっとすっごいところで式、挙げてみたい!(意訳)』と有頂天になり、なんやかんやあって遥か北東の海に浮かぶ娯楽施設『カジノ船』が会場に選ばれたわけである。ちなみにここも若いころのルドマン氏が投資をして成り立たせた施設であり、この馬鹿でかい船ごとルドマン家の所有物だそうだ。貸切るのも容易なわけだ。世界一の富豪の力は未だ底知れない。

 

「なあヘンリー、髪形乱れてないよな? あとこの服似合ってるよな?」

「それ何回目だ。大丈夫だからいい加減シャキっとしやがれ。……もうすぐだぞ」

「うそ、だろ……」

「はあ、だめだこりゃ。まあいいや、どうせ始まったらなるようになるだろ」

 

 本当に大変だったのはそれからで、なにせルドマン氏の思い付きで会場が変わってしまったのでみんな大慌てだ。式の段取り、会場設営の云々がまるで変ってしまう上に、なまじ話が途中まで進んでいたために各業者が東奔西走、街中がてんてこ舞いになった。元凶たるルドマン氏が連絡役のビアンカに2時間余り説教される様子が昨日、フローラによって目撃されている。

 思い付きの余波は当日の朝まで続く。参列者や業者、遠方からの招待者をこの会場に運ぶためにイーサンはおびただしい量の魔力をルーラの宝玉に注ぐこととなった。最初の一回はルドマン氏の記憶と魔力をもとに詠唱したが、そこから先はイーサンのピストン運動だ。ばびゅんばびゅーんという特徴的な発動音が今も耳に残っている。世界広しと言えど、関係者全員を自ら会場に送り届けた花婿はイーサンだけだろう。これに関しても、ルドマン氏が花嫁フローラに説教される様子が今朝、マリアによって目撃されている。

 

 そんな激動の日々を乗り越え、イーサンは今ここにいる。あまり実感がないなとは思っていたが、紅茶を零したりひたすら髪形が気になったりする辺りどうやら平常ではないみたいだ。

 

「じゃあ俺は一足先に上に行ってるぜ。時間になったら迎えが来るだろうから、それまで落ち着いて待ってろよ?」

「……善処するよ」

「ははっ。お前の晴れ姿楽しみにしてるぜ、色男」

 

 そう言い残してヘンリーは控室を出ていった。上の階からは人々のざわめきが聞こえるが、とても静かになったように感じた。

 

「……ふぅ」

 

 懐から紙切れを取り出した。サンタローズの洞窟で見つけた、パパスからの手紙だ。旅をする中で何度も読み返し、イーサンはその内容をほとんど暗記してしまっている。

 ……式の参列者の中には、ルドマン氏はもちろんフローラの母であるルドマン夫人の姿もある。挨拶回りの時に初めて顔を合わせたが、彼女もまた娘の結婚に喜びを表していた。そんなフローラの両親のことを見ていると、この場に自分の肉親がいないのが少し寂しく思えた。父は故人、母は行方不明なのだ。結婚は人生で一番の転機。自分の晴れ姿を、父と母にも見せたかった。イーサンはそれだけが心残りだった。

 

「母さん、どうか、どうか待っていてください……。必ず、俺の成長した姿を見せますから……」

 

 もともと、ルドマン氏の所有する『天空の盾』を巡って始まったこの一連の騒動。天空の勇者を探し出し、母を助ける。その目標は当然変わりない。そして……もうすぐ自分の妻となる彼女を、自分が愛した女性だと胸を張って紹介するのだ。イーサンは改めて決意し、手紙をしまった。

 

「イーサン様、お時間でございます」

 

 ドアの向こうから声がする。いよいよだ。イーサンは大きく息を吸い、部屋を後にした。

 

 

  *  *

 

 

 甲板に出ると、参列者の視線が一斉に集まった。思わず肩が強張ったが、彼らは拍手で迎えてくれていた。いつも人の目を気にして旅をしていたが、この注目は、気分の悪いものではなかった。

 

 人だかりの間に道ができていた。まっすぐ甲板の先まで続いている。ヴァージンロードというやつだろう。イーサンは高鳴る心臓を抑え、ゆっくりと歩いていく。

 祭壇に辿り着く。フローラの姿はまだない。話では、このあと花嫁が父ルドマンと共にヴァージンロードを歩いてくる段取りとなっていた。もどかしい気持ちを紛らわすために、少し辺りを見渡す。

 

 大多数がルドマン家の関係者だろう、イーサンの知り合いはほとんどいなかった。ヘンリーとマリアが仲睦まじく並んで立っている。ヘンリーはもう既に涙目だった。その後ろにはアンディの姿が。無理をして来たのだろう。大きな松葉杖を持って、従者らしき人に支えてもらっている。2階のテラスからは、リズたちが顔を覗かせていた。流石に騒ぎになっては困るからと、彼らにはテラスからひっそりと祝ってもらうこととなっている。当人たちは満更でもなさそうだ。ロランが高く跳ね、慌ててトレヴァに押さえ込まれた。その様子を見てイーサンは不覚にも笑ってしまう。

 ……そしてビアンカの姿も見つけた。彼女は祭壇から少し離れた場所、甲板の縁に背を預けながら拍手を送ってくれていた。彼女は大きな目を細め、唇を動かした。“肩の力抜きなさいな”。それから悪戯っぽく舌を出した。本当の本当に、彼女には敵わない……。

 

 やがて船の後方から歓声と拍手が聞こえてくる。花嫁の入場だ。人々の視線が一斉にそちらを向く。人だかりでイーサンからはまだ何も見えない。しかしそれもわずかな間のことで……。

 

「……ぁ」

 

 道の先に、彼女はいた。

 純白のドレスに身を包んだ彼女は、祭壇の下から優しい微笑みを投げかけてくれていた。ヴェール越しの瞳はまっすぐイーサンを見つめ、束ねられた蒼い髪は海風に撫でられきらきらとなびいていた。頬が若干赤い気がするのは、化粧のせいだけではないだろう。

 ――綺麗だ。そう思った。サラボナの街角で会ったときからずっと感じていた。彼女は美しい。それに、どこか懐かしさすら感じる。その魅力こそ、イーサンの心を惹き付けてやまないのだ。

 

 そして花婿と花嫁、ふたりは祭壇に並び立った。

 神父が口を開く。

 

「おお、神よ。この良き日、良き場所に、この花嫁と花婿が導かれました。このふたりの出会いをどうぞ……祝福してください」

 

 船上が静まり返る。誰もがこのふたりの、人生で一番大事な瞬間に注目していた。

 

「さあそれでは……おふたりの誓いの言葉を」

 

 ふたりは向かい合った。フローラと目が合う。その上目遣いに吸い込まれてしまいそうになる。とめどなく高鳴り続ける鼓動を感じつつ、イーサンは神父の声に耳を傾けた。

 

「汝、イーサンはフローラを妻とし……、健やかなる時も病める時も、その身を共にすることを誓いますか?」

 

 ゆっくりと息を吸う。答えるまでもない言葉だが、大切に大切に、声に出した。

 

「……誓います」

 

 フローラの瞳が震え出すのが見て取れた。ここ数日で気付いたことだが、彼女は感極まるとそれを全部表情に出す癖がある。それを必死で抑えているように見えて、その様子がとても愛おしく思えた。

 

「汝、フローラはイーサンを夫とし……、健やかなる時も病める時も、その身を共にすることを誓いますか?」

 

 彼女は目を閉じた。一拍置いて、ゆっくり開かれる。もう、瞳は震えてはいなかった。

 

「はい。誓います」

 

 その短い言葉を聞き、言葉にできない感情がイーサンの全身を駆け巡る。何とか堪えたが、感情を抑えきれていなかったら自分はこの場で爆発か何かをしていた気がする。フローラのことを言えたものじゃない。そんな自分がおかしくてたまらなかった。

 

 神父の言葉に従い、指輪の交換が始まる。フローラは燃えるように輝くリングをイーサンの指にはめ、イーサンは碧く透き通るようなリングをフローラの指にはめた。リングから伝わる温かさが、お互いの気持ちを表しているようだった。

 

「それでは……、神の御前にて、ふたりが夫婦となることの証をお見せなさい。さあ、誓いの口づけを……」

 

 ヴェールに手をかける。手がありえないくらいに震えていた。フローラがその手を一瞥し、優しく微笑む。そして静かに目を閉じ、愛する男性に身を委ねた。彼女がすべてを託してくれたのを感じ取ると、イーサンの心は凪ぐように落ち着いていった。彼女との大きな約束を、この場でしっかりと結ぶのだ。

 唇が重なる。

 たくさんの想いを受けて不器用に進んできたイーサンの恋路が今、ひとつの終着点を迎えた。

 

 花火が揚がった。船上は歓声と拍手に包まれ、神父も笑顔で祝福の言葉を述べ始める。イーサンは唇を離し、改めて彼女の顔を見た。フローラは何を言うでもなく、ただただ幸せを噛みしめるようにこちらに笑顔を向けていた。

 ふたりは手を繋ぎ、ヴァージンロードを降りていく。たくさんの祝福の言葉が投げかけられた。号泣するヘンリーを支えながらマリアが声をかけてくれた。ビアンカはなんと縁の上に立ち、笑顔でおめでとうと叫んでいた。見たこともない高さで飛ぶ宝石袋が、視界の端に映った。

 

 多くの祝福に包まれながら、突然船が小さく揺れた。ここは海上、少し大きな波がぶつかってきたのだろう。人々は若干どよめく程度だったが、緊張と興奮で浮足立っていたイーサンは思わず膝をついてしまう。……さすがに恥ずかしかった。これじゃあ締まるものも締まらないなぁと心の中で頭を抱えていると、フローラが身を屈めて手を差し伸べてくれた。

 

 

 

「――大丈夫ですか?」

 

 

 

 言葉を失った。

 今まで何度も見てきた“船上の夢”。ぼんやりとした姿で語り掛けてくれた夢の中のあの少女が、目の前の花嫁と完全に一致する。そしてそれに呼応するように、朧げに描かれた記憶がゆっくりと整えられ、夢の少女の姿がはっきりとした輪郭を帯びていった。それは蒼い髪の女の子。差し出された幼い手の向こうには、優しげな蒼い瞳と大きなリボンが見えた。

 

 ――そうだ。この手だ。あのときも俺は、この手を握り返すためにと無限に勇気を振り絞ったんだ。その子を笑顔にするためにと、小さな体を奮い立たせて立ち上がったんだ。

 花嫁の手を握る。お互いの指にはめられたリングが、陽の光を受けてきらりと輝いた。

 

「君……だったんだね、フローラ」

 

 彼女は一瞬きょとんとした顔をするが、すぐに笑顔になった。

 フローラが声を上げて笑う。まるで陽の光と一緒に、世界中の幸せがその身にすべて集まったかのように、無邪気に笑い声を上げ続けた。

 

 小さく浮かんだ涙を拭いながら、彼女は応えた。

 

「……気付くのが、遅すぎですわ」

 

 

  *  *

 

 

 離れていく港を、幼い少女はぼんやりと見つめていた。

 

――あまり端に行き過ぎては危ないよ。

 

 父に声を掛けられ、彼のもとに駆け寄る。父に尋ねてみた、“あの子”はどこへ行くの、と。

 

――彼らは旅人だ。どうやら人探しをしているようだが……幼子を連れての旅は過酷だろうに。きっととても大切な旅なのだろうね。

 

 では、もう会えないのだろうか。不安に思った少女は再び父に尋ねる。

 

――旅人とは、とても不思議な人たちなんだ。もう二度と会えないかと思えば、ある日突然、その辺の道端で会うことだってある。お前が良い子にしていたら、いつか神様が導いてきてくれるかもしれないね。

 

 じゃあ、良い子になります。そう父に約束した。父は嬉しそうに笑うと、大きな手で少女の頭を撫でた。頭のリボンが揺れる。それから少女はもう一度、彼が降りていった港の方を見た。豆粒くらいに小さくなった港を見つめながら、幼い手を胸の前で組む。彼と手を繋いだ時のぬくもりがまだ残っているような気がした。

 

 

 

「かみさま。いつかまた、あえますように――」

 

 

 

 

 

 

第2章 人生最大の決断  ~fin.~

 

 



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第3章 箱入り娘の冒険
3-1. 箱入り娘の決意



 3章突入! 読んでいただける皆様のお陰でここまでモチベが保てました。
 いつもありがとうございます。
 イチゴころころです。こんばんは。

 ようやくフローラとの冒険が幕を開けますぞ~。
 
 口から砂糖出そうになりながら書きました。
 たぶん3章全般で、いちゃいちゃ注意!




 

 

 窓から差し込む日差しが瞼をくすぐった。

 目を開けると豪奢なシャンデリアが静かにたたずんでいるのが目に入る。夢うつつの状態から、ゆっくりと意識が覚醒していった。

 

 イーサンはサラボナの南街区、川辺にあるルドマン家の別荘にいた。寝室にある巨大なベッド、優しい手触りの布団と毛布に囲まれて目が覚めた。……どうやってここに来たのか、心当たりはまるでなかったが。

 

 ふと、右腕が柔らかいぬくもりに縛られて動かないことに気付く。そちらに頭を傾けると、綺麗な蒼い髪が目と鼻の先にあった。フローラだ。彼女は両腕でイーサンの右腕をがっちりとホールドし、彼の肩に顔をうずめる形ですやすやと眠っていた。思った以上に近い距離にいたので、イーサンは思わずどきりとする。彼女の呼吸に合わせて二の腕が圧迫され、微かに心音も感じられた。一束の髪が顔の前に垂れ下がり、彼女の鼻から下を隠していた。

 

「……」

 

 イーサンは動かせる左手で、フローラの顔を隠している髪をそっとどけた。

 

「ん……?」

 

 ふわり、と彼女の目が開く。眠そうに半分だけ開かれた両目は虚空を見つめ、しばらくしてイーサンの視線を捉えた。

 

「ごめん。起こしちゃったね」

「いえ……、だいじょうぶです……。おはようございます……」

 

 意識の大部分はまだ夢の中にいるのか、フローラは頭をゆらゆらと揺らしながら両腕を組みなおした。

 

「えっと……」

「ごめんなさい……。わたくし、もうすこしだけ、ねさせていただきた、い……あら?」

 

 さらに両足までイーサンの腕に絡ませたところで、ようやく違和感に気付いたらしい。フローラは頭をもたげ、たった今自分が抱きしめているものを数秒間、確認した。

 

 

 

――きゃああぁあぁあぁ~~~~~~~~っっ!!

 

 

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! わたくしったら何てはしたないことを!! あ、あの! 昔からの癖で、寝相、あまりよろしくなくて、えっと、えっと! え、あ、あぁ!?」

 

 フローラはぱたぱたと手を動かしながらベッドの隅まで後退し、そのままベッドから落下していった。

 

「フローラ!? フローラ落ち着いて!!」

 

 急いで彼女を救出する。再びベッドに上がる頃には、フローラもいくらか落ち着きを取り戻したみたいだ。

 

「は、恥ずかしいです……。もうお嫁に行けませんわ……」

「いやいや、行かなくていいよ」

「……?」

「だってもう嫁でしょ?」

「あ……」

 

 彼女の頬がほのかに色づいた。それを見て、イーサンも少しだけ恥ずかしさを感じる。

 

「おはよう。……フローラ」

 

 

  *  *

 

 

 昨日、『カジノ船』での結婚式を華々しく終えたイーサンは、参列者をそれぞれ街に送り届けるためにその日2回目のルーラピストン運動をし、魔力も枯れてへとへとになりながらもサラボナに帰還した。そしたらルドマン邸では宴という名の二次会が待っていたのだ。興奮も冷めやらぬまま酒を入れ、妻となったフローラと杯を交わしながらひたすらに語り合い……。

 そこから先の記憶はない。記憶はないが、なんとなく推測できる。

 

「もう太陽もあんなに高い……お昼くらいか、結構寝ちゃったなあ」

「昨日あんなに飲むからです。たくさん動いてお疲れだったでしょうに。お若いのに無理は禁物ですよ?」

 

「そうそう、フローラって年上だったんだよね。昨日知って本当にびっくりした」

「うふふ、そうですわよ?実はわたくし、イーサンさんよりふたつもお姉さんなのです。でもこの際関係ありませんわ。だってわたくしたち……ふ、夫婦っ、なのですから」

 

 自分で言って恥ずかしくなったのか、フローラは毛布の束を抱えながら顔をそむけた。ふたりとも意識は完全に覚醒していたが、久しぶりのゆったりとした時間に異様なほど心地が良くなり、ベッドから起き上がれずにいる。

 

「俺、ここに来た記憶がないんだけど、宴の後どうなったか覚えてる?」

「えっと、わたくしもくたくたでしたからそこまで覚えてはいないのですが……。この別荘に来るときはもう、東の空が白くなっていましたわ」

「とんでもないこと聞いちまった。お酒の力ってすごいな」

「お父様がおっしゃるには、今日1日はゆっくり休んでいて良いそうですわ。式の後始末や片付け、イーサンさんのお仲間さんのお世話などはお父様たちが済ませてくれるそうです」

「すっごく申し訳ないけど、ありがたい。俺もうこのベッドから出られないもん」

「うふふ、そうですわね。せっかく頂いた機会ですし。ふたりでゆっくり過ごしましょう?」

 

 それからふたりはとりとめもない話をしながらゆらゆらとベッドの上を転がった。なにぶんイーサンのサラボナ侵入からプロポーズ、結婚式まで本当に休みなしで駆け抜けてきたのだ。フローラにも恋の病に苛まれていた時期があり、ふたりしてかなりの長期間、張り詰めた日々を送ったことになる。この1日だけ糸の切れた人形のような時間を過ごしてもバチは当たるまい。

 

「フロー……ラっ!? ちょっ、フローラ服! 服!」

 

 ふと、彼女の肌着がはだけているのに気づいてイーサンは焦る。……ごろごろと転がっていたら当然といえば当然だ。彼女もあわてて乱れを直す。

 

「ていうか冷静に考えておかしくない? お互いなんでこんなにぺらっぺらなの!?」

 

 今まで毛布を被っていたせいもあり気付かなかったが、フローラは薄手のネグリジェ1枚、イーサンもふわふわしたガウン1枚という情熱的な格好をしていた。これでは『ゆうべはお楽しみでしたね』とか言われても文句言えない。

 

「え、い、い、良いのではないでしょうか。ふ、夫婦、ですし?」

「夫婦って言えばなんでも良いとか思ってるよね?」

「そ、そんなことないです。確かにこの格好は恥ずかしい、ですけど。でも、その、イーサンさんだったら……」

「え!? ちょ、だ、大胆だな。意外と……」

「嫌、ですか……?」

「嫌じゃないよむしろ好きだ! でも目のやり場に困るからこれ羽織ってこれ!」

 

 傍から見たら爆発呪文でもぶつけられそうなほどのイチャイチャっぷりだが、当の本人たちが無限に幸せそうな上にここには誰もいない。結局彼らは日没までこんな調子で、たった1日の束の間の休息を最後まで満喫した。

 

 

 

「……ねえ、イーサンさん。わたくしやっぱり、貴方の旅のお手伝いがしたいです」

 

 備え付けの食料で夕食を取り、いよいよ明日に備えて寝ようとしたところで、フローラがそんなことを言ってきた。

 

「昨日聞いて、初めて知りました。貴方が旅をする理由……。お母さまを、探し出すためなのですよね。きっとあの日、船の上で初めて会ったときから、ずっと……」

「うん。そのときの記憶はほとんどないけど、俺は小さいころから父さんに連れられて旅をしていた。それは全部、母さんを見つけて邪悪な手から救い出すためだ」

 

 昨日、宴の席でイーサンは全てを打ち明けた。幼少期の冒険、奴隷としての生活。誰かにこういった身の上話をするのは慣れているので、酔いながらもまとまった話ができたと思う。騒がしい宴会のなかでも、フローラは真摯に耳を傾けてくれていた。

 

「貴方は明日にでも旅に出るのですよね。……貴方が命を懸けて旅を続けるというのに、わたくしだけ家で待っているなんて、嫌なのです」

 

 フローラは体を起こし、真っ直ぐにイーサンを見つめてきた。

 

「足手まといなのは重々承知ですわ。でもわたくし、頑張ります。旅の仕方、身の守り方、戦い方……全部覚えます。わがままも言いません。どんなに過酷な道でも、我慢します。いえ、我慢できます、貴方となら……!」

 

 イーサンも無意識に体を起こしていた。フローラが手を取り、きゅっと握りしめてくる。

 

「どうかわたくしも、貴方の旅に連れていってください……!」

 

 目を瞑る彼女の顔をしばらく見つめ、短い溜息をつきながらその手を優しく握り返した。……お願いされるまでもないことだ。

 

「言っただろ、『ずっと一緒にいたい』って。君とは会ったばかりで、ろくに話したこともなかった。でもだからこそ夫婦として、残りの旅路、人生を共に立って歩きたいって思ったんだ。――ありがとう、是非、付いてきてほしい」

 

 フローラの顔がぱあっと明るくなる。

 

「ほんとうに!? わあ、ありがとうイーサンさん! わたくし、きっと良い妻になりますわ!」

「でも、あれだね。真に説得するべき相手ってきっと……」

 

 イーサンが目を逸らすと、彼女も困ったように肩をすくめた。

 

「ええ。お父様、ですね……」

 

 

  *  *

 

 

 翌日。ルドマン邸を訪れたふたりの提案に、彼女の父親は案の定難色を示していた。

 

「フローラ。旅というものはそう気軽に付いて行けるものではない。私も若いころは……」

「承知しております、お父様。幼いころ、お父様は旅のお話を何度も語って聞かせてくれたではありませんか」

「だがそれで分かった気になってもらっては困るのだ」

「そのようなつもりはございません。自分が若輩者であることは理解しております。だからこそ、夫である彼に支えていただき、わたくしなりに成長していけたらと思っているのですわ」

「イーサン君の旅は彼のものだ。生半可な覚悟で足を引っ張ってしまうのは……」

「ですから、足を引っ張ってしまわないようわたくしも研鑽を……」

「だが――」

「でも――」

 

 その親子喧嘩二歩手前くらいの迫力のある言い合いに、イーサンは口をはさむこともできずに部屋の隅で震えていた。

 

「そこまで言うのなら覚悟を示してもらおう!」

「望むところですわ!」

 

 そして知らない間に話がすごい方向に向かっていた。

 

「え、ちょっと待ってください。どういうことですか?」

 

 ルドマン氏は咳ばらいをし、イーサンに向き直る。

 

「実は、イーサン君に少し頼まれてほしいことがあってね。北の湖のほとりに我がルドマン家の私有地があるのだが、そこの様子を見てきてほしいのだ」

「見てくる……といいますと?」

「私有地と言っても小さな祠だ。その奥にとあるツボが祀られているのだが、それが割れていたり、盗まれていたり……要は異常がないかを確認してほしい」

「ああ、なるほど……?」

「なに、歴戦の旅人である君にとっては何てことない依頼だろうて。だが、それに娘も同行させてやってほしい」

 

 彼の背後で、フローラが大きく目を見開く。

 

「そうだな……うむ。そのツボには魔力が込められていて、淡く光を帯びている。それが何色だったかを報告するのだ。それを課題とする。旅のあれこれを学ぶにはおあつらえ向きな行程だろう。イーサン君、彼女に手取り足取り教えてやってくれ。……もちろん、彼女がこの先の旅に『ついて行けないだろう』と判断した場合は正直に教えること。これはフローラの力と覚悟を示す試練でもあるのだ。いいね?」

「……わかりました」

「や、やった! 良いのですね! ありがとう、お父様!」

「喜ぶのは早いぞフローラ。まだ旅立ちを許したわけではないのだからな」

「もちろんです! きっと成し遂げてみせますわ! ではイーサンさん、早速身支度をしてまいりますね!」

 

 フローラは弾む足取りで廊下に飛び出していった。まだ一緒に旅に出れると決まったわけではないが、よほど嬉しかったのだろう。

 

「……こうやって子は成長していくのだな。君と出会ってからフローラは、よくこの父に反抗するようになった」

「あ、あはは……。でも意外です。条件付きとはいえ、存外あっさり許してくれましたね?」

「子は親元を離れていくものだ。かつての私もそうだった」

「……彼女は俺が必ず守ります。どんなに危険なことがあっても」

「うむ、夫として当然だ。だが守るだけではいけない。真にフローラのことを想うのなら、一方通行の夫婦になってはいけないよ?」

「……?」

 

 その言葉にイーサンは首を傾げた。夫としてももちろんだが、そもそも旅人としての経験値もある。フローラを守ることはいけないことではないはずだが?

 

「それに、今回の試練は是非厳しくお願いしたい。先ほども言ったが、彼女がこの先同行するのは無理があると思ったのなら、潔く諦めなさい。君たちふたりのためだ」

「……はい。わかっています」

「お待たせしましたわ! 行きましょう、イーサンさん!」

 

 イーサンが固く約束したのと同時に、フローラが戻ってきた。

 

「……え?」

「……む?」

 

 彼女は冬場の病人だったとしてもでもやりすぎな程に重ね着をし、雪男ばりのシルエットでよちよちと歩いてきた。右手にはモップ。左手には紅茶などを置くトレイが握られている。

 

「準備は万全です。魔物の大群もどーんと来いですわ!」

「うん、すごいね。置いてこようか」

「えぇっ!? でも、これなら非力なわたくしでも戦闘が――」

「置いてこようか」

「これだけ着込めば身の守りも安心ですのよ……?」

「旅装は街で見繕うよ。置いてこようか」

 

 フローラは肩を落とし、よちよちと自室に戻っていった。

 

「……ルドマンさん」

「なんだね」

「あなたの娘さん、めちゃくちゃ可愛いです」

「知ってる」

 

 

 



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3-2. 箱入り娘の初デート


 こんばんは。イチゴころころです。

 攻略本のサラボナ周辺の地図とにらめっっこしながら書きました。
 フローラかわいい。




 

 

 フローラの旅装も含めた旅の準備をするために、ふたりは街へ繰り出した。

 以前買った武具やもともと持っていた物資などは、先代の馬車が破壊されたときに残念ながら失われてしまっている。せっかくなので、思い切って色々買いこんでしまおうと思ったのだ。ちなみに、折れたパパスの剣や桜の一枝をはじめとする大事なものは、馬車から逃げるときに仲間たちが持って行ってくれたので無事である。どうやらロランが“収納”して持ち運んでいたらしい。詰め込み過ぎて苦しくないのかと聞いたら『懐 は 無限 ナリ!』と答えられた。なんじゃそりゃ。

 

 何だかんだで、サラボナの街をゆっくり巡るのは初めてだ。地図を片手にフローラが案内をしてくれた。彼女は方向音痴ではあるが、幼少期からここで育った言わば生粋のサラボナっ娘である。道がわからないだけで色々なことを教えてくれた。『こっちの店は薬草の品ぞろえが豊富』『生活用品を買うならあっちの店の方がお買い得』などなど。有名人なだけあって顔も利き、値切り交渉などもお手の物だった。道はわからないが。

 

「ちょっと意外だな」

「何がですか?」

「いや、安く売っているお店とか、さっきの鮮やかな値切りとか? ルドマン家の令嬢さんなんだしあんまり気にしなくてもいいように思って。これって偏見かな……?」

「そんなことありませんわ。確かにルドマン家に財産の蓄えは多くありますが、父が湯水のように使ってしまうものですから……。それに、こういった感性はこの先の旅においても必要でしょう?」

「恐れ入ったよ。さっそく役に立ってもらってる」

 

 ある程度の物資を買いそろえ、いよいよフローラの旅装を残すのみとなった。モップにトレイに雑な重ね着という摩訶不思議な格好で、愛する人を野原に解き放つわけにはいかない。

 

「呪文は使える?」

「簡単なものですが心得はあります。戦闘で役に立たないということはないと思いますが……」

「わかった、あとで見せてもらうよ。じゃあやっぱりあまり前に出ない方がいいかな」

 

 サラボナの武器屋には飛び道具や杖などの後衛用の武器が置いてなかったので、逆にあっさりと決まった。呪文が使えるとのことなので、護身用のナイフのみ持たせておく。

 

 問題は防具だ。彼女の筋力的に重装備は選択肢から外れ、軽めの旅装に絞られてくるのだが、これが信じられないほどに種類があった。

 

「女性でしたらこちらの身躱しの加護付きのトップスがおすすめです。シャツ・ブラウス・ベスト・カーディガン・セーター。タイプ別に各色取り揃えております。さらに柄物もございまして、今年はこちらのチェック柄がトレンドで――」

「すみません、何の呪文ですか?」

「……?? 呪文が気になるようでしたらボトムスで調節するのが良いかと。先日入荷したこちらのレギンスは呪文の効果を軽減する素材で作られていて通気性も抜群、こちらのカーゴパンツには――」

「フローラ! フローラわかる? 翻訳して!」

「わあ、この胸当て可愛い!」

「お目が高いですね奥様。ですがそちらは属性耐性に偏りがあって少々扱いが難しいのです。是非、インナーとの組み合わせで考えていただけると」

「うーん……属性、というのはよくわかりませんね。イーサンさん、差し支えなければ、その……い、インナーから選んでくださるかしら」

「ああよかった分かる単語が出てきた。いいよ、良い旅は良い属性耐性から。そういうことなら任せてくれ。せっかくだからそのインナー? とやらから選んでやろうじゃないか」

「まあ、旦那様がお選びになるので? おアツいですね! ささ、こちらへどうぞ!」

「ん? なにがですか?」

 

 フローラがぽっ、と顔を赤らめる。このあと女性ものの下着コーナーへ連れていかれる運命を、イーサンは知る由もない。

 

 

  *  *

 

 

 その後、下着コーナーのレジをメタルスライムばりの素早さで駆け抜けたり、試着室を十数往復したりと様々なドラマを経て、ようやくフローラの旅装が完成した。

 

 空色のブラウスに、白い革製の胸当て。薄紫のスカートは丈がかなり短めものを選んだが、その下に膝丈ほどのアンダースコートを身に着けている。不自然にならない色合いの膝当て、耐久性に優れた小さなブーツ。赤色がアクセントのベルト。トレードマークのリボンも新調し、蒼い長髪を後ろで束ねられるようになっている。

 

「ど、どうですか……似合って、ますか?」

 

 彼女は普段着であるパステルカラーのワンピースが似合う印象が強い。機能性や防御力はもちろんだが、そんな彼女のイメージをなるべく崩したくないとイーサンは密かに画策していたのだ。似合わない道理はない。

 

「うん。素敵だよ」

「ああ、ありがとうございます! 大切に使いますね!」

「でも……今考えると色合いとかはフローラが選んだ方が良かったかもね。ほら、ファッションとか、君の方が詳しいだろ?」

 

 そう聞くと彼女はうつむき、上目遣いで答えた。

 

「だって……貴方に選んでほしかったんですもの。新しい服、とっても嬉しいわ」

 

 そう言われてしまったら満更でもない。奥様方の白い視線に耐え、下着コーナーを徘徊した甲斐があったというものだ。ちなみにどんなインナーを選んだのかは内緒だ。

 

 

  *  *

 

 

 ぴかぴかの旅装に身を包んだフローラは大変ご機嫌で、道行く知り合いに片っ端から『選んでもらったんです』と自慢した。イーサンはその度に脇腹をくすぐられるような感覚を覚えたが、当のフローラが嬉しそうなので良しとした。

 

 そうして、弾む足取りで街中を進み、街外れの馬車小屋に辿り着く。ルドマン氏の依頼のことはみんなも承知済みだ。リズたちは既に出発の準備を整えてくれていた。

 

「あ、あのっ。今回からわたくしも、みなさんとご一緒させていただくことになりました! えっと、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします!」

 

 深々と頭を下げるフローラを、温かい笑顔で迎える仲間たち。ただひとり、最古参のリズだけは渋い表情を向けていた。

 

「ナーン? フローラちゃんのことはご主人のハナヨメだとは認めたけど旅の仲間と認めたつもりはないニャ? 言っておくけどチュートハンパな気持ちで付いてこられても迷惑なだけニャン」

「う……」

 

 フローラが顔を伏せる。イーサンは呆れて諫めようとしたが、マービンがリズの頭を押さえつけた。

 

「こらこら……。そんな、ツンツンした言い方をするものじゃあない……。お嬢、リズ先輩はこうは言っているが……、本当はあんたの加入を、嬉しく思っているはずだ……。オレたちはずっと、旦那の恋を応援してきた。……みんな、大歓迎だ」

 

 そんな死体の言葉を聞いて、フローラの頬が緩む。

 

「そうでしたね……ありがとう、マービンさん。リズちゃんも、よろしくね」

「ふん、リズはそんな甘い考えなんてちっとも……ンニャアァァ……」

 

 フローラに首元を撫でられ、威勢もむなしく無力化されるリズ。

 

「こちらこそ……、よろしくだ、お嬢……」

 

 というか、マービンのこの呼び方は何なのだろう。これだとフローラがイーサンの娘みたいになってしまうが……。

 

「まあ、いいか。さて、ざっくりと行程の説明をするぞ」

 

 イーサンは地図を広げる。仲間たち、それにフローラも加わり、地図を覗き込む。

 

「目的地はこの辺り。北の湖の西側にあるという祠だな。ここのツボの色を確認してくるのが……フローラに課せられた試練の内容だ」

 

 フローラにとって初めて見る旅人用の地図では、その場所が果たしてどのくらい遠いのかは見当もつかない。ごくり、彼女は唾を飲み込んだ。

 

「この距離だと……だいたい……1日くらいか?」

「だんだん分かってきたなマービン。そうだ、見立てでは片道で丸1日かかるだろう。しかも今日はもう昼過ぎだ。だから一旦ビアンカの村に一泊して、そこで補給をしよう」

「……」

 

 フローラは少しだけもやもやとした気持ちになった。経緯はどうあれ、フローラは彼女からイーサンを取ってしまったことに少なからず負い目を感じている。ビアンカは結婚式の後、イーサンの送迎ですぐに村へ戻っていった。多忙な準備期間もあり、彼女とはほとんど話したことがない。……こんなにすぐ、彼女に会いに行って良いのだろうか。自分には、彼女に向ける顔はあるのだろうか。

 

「ずいぶんのんびりニャ? その気になれば休憩なしでもすぐ帰ってこれると思うニャ……」

「うん。でも今回はフローラも一緒だ。甘やかしたいとかじゃなく、彼女も交えた隊列とか戦略も探っていこうと思って。だから今回は道中の魔物をできる限り無視しないで行く。俺も新しい武器を試したいし。そういう意味でも今回はのんびり、というかじっくり行く」

「そういうことなら納得ニャ。フローラちゃんのお手並み拝見ニャ」

「道はこう。川沿いにこう進んで……せっかくだしこの林に寄って行こう。少し遠回りだけど、魔物との戦いの練習にはうってつけなはずだ。トレヴァ、いつも通り先導と索敵を頼む」

『キキッキー!』

「マービンはいつも通り馬車番……と、覚えられそうならパトリシアの扱いも少しずつ覚えていこうか。最近仲が良いみたいだし、いざというときに馬車を動かせるメンバーがいると助かるかもしれないからな」

「わかった……善処しよう」

「リズとロランは、移動中は待機。ロラン、フローラにちょっかいかけるなよ……?」

「マスター 目 が 本気 ナリ! 承知 ナリ!」

「フローラも移動中は待機。魔物と遭遇しても、最初は馬車から見てるだけでいい。魔物との戦いがどんなものか、まずは自分の目で見ること。いいね」

「わ、わかりました……!」

 

 イーサンが合図をすると仲間たちは意気揚々と馬車に乗り込み、トレヴァは翼を広げて飛び立っていく。こういうのを作戦会議、と言うのだろうか。スムーズかつ無駄のないやりとりを見ていたフローラは、夫とその仲間たちの絆を垣間見た気がした。

 

「……緊張してる?」

 

 そんな夫が優しく声をかけてくる。

 

「え、ええ。少し……。でも、大丈夫です。実は、少しわくわくもしているのです」

「わくわく?」

「好きな人とお出かけすることを、デートと呼ぶらしいのです。だからこれは、その……わたくしの生まれて初めてのデートでもあって……。少し、壮大なデートにはなりましたが、とてもそのことが、心躍ると言うか……」

 

 束ねられた蒼い髪が、そよ風に煽られて楽しそうに揺れた。

 

「それは、とんだ初デートになっちゃったな……。でも、俺も同じ気持ちだよ。君と一緒に行けるなんて、うん、夢みたいだ。ただ、ルドマンさんの課題もちゃんとクリアしないとな」

「もちろんですわ。よろしくお願いしますね。イーサンさん」

「うん。じゃあフローラも、早速馬車に乗ってくれ……!」

 

 気合を新たにし、荷台へと乗り込むフローラ。

 

「……? ……??」

 

 荷台の中は、クマでも暴れまわったんじゃないかというほどぐちゃぐちゃに散らかっていた。

 

「フローラちゃん、どうしたニャ?」

「い、いえ……大丈夫です」

 

 ふるふると首を振り、足場を探しながら奥へと進むフローラ。仲間たちは、空になった袋や用途不明の布などを雑に敷いて、各々くつろいでいる。

 

「(こ……これも経験です。旅人としての常識ですわ! 精進精進!)」

 

 ちなみにだが、馬車か草むらか洞窟でしか寝泊まりをしたことのないイーサンには、整理整頓という概念はない。

 

 

  *  *

 

 

「――ふっ!」

 

 イーサンが剣を振り払うと、徒党を組んでいた“ベロゴン”の群れがまとめて弾け飛ぶ。実戦で剣を扱うのは火山以来だが、太刀筋は衰えてはいなかった。

 

_______________________

 

 ◎イーサン 18歳 男

 ・肩書き  さすらいの魔物使い

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:D すばやさ:C

 ちから:B みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 破邪の剣

 ・特技 バギマ、ホイミ

_______________________ 

 

 衰えてはいないのだが、サラボナで購入した『破邪の剣』はお世辞にも扱いやすいとは言えなかった。筋力的に重すぎるというわけではないが、なにぶん大きすぎる。イーサンの体格とバランスが合っていないその得物は、軽々と振り回せる代物ではない。

 

「タイミングが合わないか……。フォロー!」

 

 押し寄せる第二の群れに、ロランが幻惑呪文“マヌーサ”をぶつけて撹乱する。さらにリズが飛び掛かり、後方からはトレヴァの放つブーメランが飛来した。

 

_______________________

 

 ◎リズ ??歳 メス

 ・肩書き  頼もしいプリズニャン

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:D すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:D かしこさ:C

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャド、甘い息

 

 ◎トレヴァ ??歳 メス

 ・肩書き  心優しきキメラ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:B すばやさ:B

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 刃のブーメラン

 ・特技 ベホイミ、氷の息

 

 ◎ロラン ??歳 男

 ・肩書き  忠実な踊る宝石

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:A すばやさ:A

 ちから:C みのまもり:A かしこさ:C

 ・武器 宝石の加護

 ・特技 ラリホーマ、メダパニ、その他多数

_______________________

 

 

 さらにイーサンは『破邪の剣』を地面に突き立てる。柄にはめ込まれた宝玉が光を帯び始めた。

 

「みんな、下がれ!」

 

 仲間たちが飛び退くのと同時に、剣から炎が噴き出した。既に満身創痍だった敵の群れは、その炎にたちまち焼かれていく。

 イーサンは前方を見やる。そこには魔物の群れの最後の一匹、大型の“ダークマンモス”が憤怒の形相で構えていた。

 

「ここらでどうだ……フローラ!」

 

 遥か後方、馬車に向かって呼びかける。

 

「は、はい!」

 

 馬車の横では緊張した面持ちのフローラが、マービンに付き添われて立っていた。

 

_______________________

 

 ◎マービン ??歳 男性

 ・肩書き  馬車守の死体

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:B

 ・武器 素手(右手のみ)

 ・特技 毒攻撃、冷たい息

_______________________

 

 

「さあ、お嬢……肩の力を抜くんだ。一発で倒そうとは、考えるな……。旦那も言っていたように、お嬢の役割は牽制だ……。重く考えなくていい。あんたなら、きっとできる」

「はい……行きます!」

 

 魔力を練る。落ち着いて、指先に集中した。

 サラボナを発ってから数時間。何度かイーサンの戦いを見てきた。彼は指揮官として非常に優秀で、自らが前線に立ちながらも仲間に的確な指示を出していた。彼らのコンビネーションには、野生の魔物の群れなど太刀打ちできるはずもなかった。しかしそれはイーサンの力だけではない。イーサンが仲間を信頼し、仲間も彼の信頼通りに動くからこそ、無敵とも思える戦い方ができるのだ。そして今度はフローラの番だ。彼に、愛する夫の信頼に応えるために、自分に出来ることをするまでだ。

 

「――はっ!」

 

 両手を頭上に掲げると、巨大な火の玉が形成される。火球呪文“メラミ”。広範囲を焼き払うビアンカの“ベギラマ”と違い、炎を凝縮させることによって一点突破で対象を焼き尽くす強力な呪文だ。

 

「す……すごいニャ……!」

 

 前線にも圧倒的な存在感を与えてくる火の玉を目の当たりにし、リズは思わずつぶやいた。ここまでの大きさのものを見るのは、イーサンたちも初めてである。誰もがフローラの頭上の火球に注目した。

 

 冷静に魔力を注ぎ、目の前を見る。前線の仲間たちのさらに先に、今にも暴れ出しそうなダークマンモスを捉える。狙うは、あの凶暴な魔物……!

 

「……っ! い、行っけぇ、“メラミ”!!」

 

 両腕を前にかざし、渾身の呪文を放つ。術者のもとを離れた火球は大砲の弾の如く高速で飛来し――。

 

 

 

 ダークマンモスの数メートル横を通り過ぎ、遥か遠くの地面に着弾した。

 

 

 

「……え?」

「……ニャ?」

『……キッ?』

「…… ナリ?」

 

 前方の仲間たち、当のダークマンモスまでもが、衝撃的な射角で放たれた火の玉の軌跡を茫然と見つめていた。

 

「え、え……ええええぇぇぇぇええ~~~~!!」

 

 

  *  *

 

 

 苦い初陣を飾ったフローラは、林へ向かう一行を重い足取りで追っていた。

 

「……で、フローラちゃん。さっきの大ポカはどう説明してくれるニャ?」

「ご、ごめんなさい……。実戦で使うのは初めてで……」

「まあ、いいじゃないかリズ。今まで火属性の攻撃が使える仲間がいなかったんだ。当てることさえできるようになれば、フローラもかなりの戦力になる」

「でも、ご主人だって使えるようになったニャ。炎の攻撃」

 

 イーサンは『破邪の剣』を抜く。やはり、パパスの剣に比べてかなり大きい。

 

「うん。ここにある宝玉のお陰で、魔力消費無しで“ギラ”相当の攻撃ができる。でも、その程度じゃ雑魚処理くらいにしか使えないし、これ自体がでかすぎるから前みたいに素早い打撃はできないかも……」

「ぴったり な 大きさ の 武器 を 買えば 良い ナリ!」

「これしかなかったんだ。オーダーメイドにしようとしたら時間がかかるし。仕方ないからしばらく我慢するよ。俺の戦力が落ちた分、なおさらフローラには頑張ってもらわないと」

「う……」

 

 彼女が目を伏せると、頭のリボンもしょんぼりと揺れる。

 

「一回の失敗くらい気にするなって。これから練習していけばいい。そのためにわざわざこの林に寄ったんだ。……一緒に頑張ろう、フローラ」

 

 イーサンが手を握る。そうされるだけで、フローラは勇気が湧いてくるようだった。顔を上げ、その手を強く握り返した。

 

「はい……! よろしくお願いします!」

 

 

 

 しかしそれからさらに数時間、フローラ渾身の呪文は一向に敵に着弾しない。

 

「“メラミ”!!」

 

 スモールグールの横をすり抜け燃え尽きる。

 

「“メラミ”!!!」

 

 上空の蛇コウモリではなく何故かトレヴァを掠める。後にトレヴァ涙目の抗議。

 

「“メラミ”!!!!」

 

 ベロゴンの群れの手前で謎の失速。地面を穿つ。

 

「“メ ラ ミ” ! !」

 

 真上に射出。木々をすり抜け大空へ。

 

「“メラミ”ぃ~~~!!!!」

 

 不自然な軌道を描き馬車に着弾。発火。リズとトレヴァが急いで消火。パトリシア激怒。

 

「うぅん“メラミ”っ!!」

 

 グレゴールの横を当然のように通り過ぎ木に着弾。発火。みんなで慌てて消火するも危うく山火事一歩手前。

 

「“メ~~~ラ~~~ミ~~~”っ!!」

 

 まさかのイーサンに着弾。夫気絶。トレヴァが手当てするも旅人のマントが焼失し、ここでフローラの心が折れる。

 

 

  *  *

 

 

「イーサンじゃない! 早速旅に出たんだね。こんなに早く顔が見られるなんて嬉しいわ! ……って、なんでそんなにボロボロなワケ?」

 

 夜。山奥の村にて笑顔で出迎えてくれたビアンカに対し、イーサンは煤だらけの顔で苦笑いを返した。

 

「やあビアンカ。まあ……色々あってね。突然で申し訳ないんだけど、宿を紹介してくれないか?この村の構造、まだよくわかってなくて」

「もう、何水臭いこと言ってるのよ。ウチに泊めてあげるわ。リズにゃんたちも、あとフローラさんもいるんでしょ? せっかくだしみんなで……あれ? フローラさん? ねえ、ちょっと、どうしたの!?」

 

 イーサンの後ろ。一同の最後尾には、顔面蒼白のフローラが虚ろな目をして佇んでいた。

 

「ちょっとこの子大丈夫!? イーサン、キミ彼女に何したの!? 説明しなさい!!」

 

 ビアンカが肩を揺さぶると、パラパラと煤が舞い落ちた。

 

「まあ……色々、あったんだよ。うん」

 

 

 



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3-3. ガールズトーク


 こんばんは。諸事情により徹夜明けです。イチゴころころです。

 山奥の村といえば……アレですよね? え、違う?




 

 

 ビアンカが洗濯物を畳んでいると、奥の部屋からイーサンが戻ってきた。

 

「ダンカンさんも変わらずで何よりだよ。俺、病気のこととかあまり詳しくないんだけど、良くなってはいるの?」

「どうかしら……。でも少しずつ体力も戻ってきているし、そのうちサラボナに行って医者に診てもらおうって考えてるわ」

「なるほどね。……あれ、フローラは?」

「あそこ」

 

 ビアンカが部屋の隅を指さす。フローラは角にひっそりとうずくまっていた。いつものワンピース姿にいつの間にか戻っていて、テーブルの端には昼間買った旅装が畳まれて置いてある。

 

「イーサンさん……言いたいことは分かります……。わたくしは何の役にも立てない、無能な女ですわ……」

「ずっとこんな感じよ。まったくもう、昨日までお嬢様だったフローラさんを急に連れ出すなんて、さすがに可愛そうよ?」

 

 ビアンカがじとっとした目線を向けてくる。

 

「い、いや……これにはワケがあってさ……」

「どんなワケでも結構。こんなとき、声をかけられない夫でどうするの?」

「でもなんて声をかけたら――」

「だーもうっ! 結婚までしてそんなナヨナヨしいこと言わないでよ! 胸張って、気持ち伝える! おわり! さんざんやってきたでしょうが!」

 

 ビアンカの言葉が刺さる。経緯が経緯なだけあって、一言一言の重みが違う。イーサンは意を決して、彼女に声をかけてみた。

 

「フローラ? なあフローラ。大丈夫だって、背中を焼かれたことは怒ってないし、気にしてもないから」

「うっ……」

 

 ぐさぁという効果音が聞こえてきそうなほどフローラが狼狽え、ビアンカは頭を抱えた。……ってか何よ背中焼いたって、どんなことしてきたの本当。

 

「大丈夫。また明日練習しよう? 今度は俺も背後に注意するし、心配せずに練習してくれて構わないから。あと、燃え移りそうな場所も避けるから」

「うぅ……」

 

 イーサンの言葉が着実にダメージを与えているのが目に見えるようだった。見かねたビアンカは彼の首根っこを掴んで引き離す。

 

「やめなさいよもう、見てらんないわ。はあ……、さっきリズにゃんたちがカイルさんのところにお邪魔しに行ったから、迎えに行ってあげて」

「え、ええ?」

「下の畑の近くのとんがり屋根の家よ。マービンがすっかり仲良くなっちゃって、夕飯にお呼ばれしたの。せっかくだからキミもカイルさんと話してきなさい」

「いや、なんだって俺が……」

「いい? キミは女心を学びなさい。これ、私からの課題ね。どんな事情があったかは知らないけど、この先もフローラさんと一緒に旅をしたいのであれば、それは必須科目だからね? わかった?」

「でもじゃあフローラは……」

「いいから行きなさいって。今回だけサービス、お姉ちゃんが丸くおさめたげる。ほら、行った行った!」

 

 イーサンを半ば締め出すようにカイル宅へ向かわせ、ビアンカは短い溜息をつく。

 振り返ると、隅でうずくまる蒼い髪の女性が目に入る。フローラはどんよりとした負の空気を纏い、放っておいたら床の隙間に溶けて消えていってしまいそうだった。

 

「フローラさん、何があったの? 話してみて?」

「わ、わたくし……」

 

 ぽつぽつと、彼女はこれまでの経緯を説明した。

 

「――と、言うわけなのです……」

「あっちゃあ……。なるほどね。背中を焼いたってそういうことか。ようやく腑に落ちたわ」

「わたくしは……イーサンさんを傷つけてしまいました……。すぐにトレヴァちゃんが手当てをしてくれたから良かったのですが……。それだけではありませんわ。わたくしは、結局何の役にも立てなかった。せっかく服を選んでくれたのに、わたくしのために、良い旅ができるようにって……でも……うぅ」

 

 フローラがテーブルの上を一瞥する。視線を追うと、畳まれた旅装が目に入った。イーサンがフローラのため選んだという旅装。まだ汚れもほとんど付いていない小綺麗なそれは、心なしか寂しそうに見えた。

 

「わたくしには、あれを着る資格なんて……、いえ、いえ。そもそもイーサンさんと旅をする資格すら……」

 

 ずるりずるりと、彼女の気力が目に見えて沈んでいく。ビアンカは少し考え、フローラの両肩に手を置いた。いや叩きつけた。結構な勢いで。

 

「フローラさん!!」

「ふ、え、はいっ!?」

「お風呂行くわよ!!」

「ええっ!? はいっ!! えぇっ!?」

 

 

 

 この村には温泉が湧いている。宿屋が管理している村人憩いの場だ。温泉の成分は体に良く効くとの評判があり、ダンカンの療養にこの村を選んだ理由のひとつでもあった。しっかり宣伝などをすれば観光地としてそこそこ繁盛しそうだが、スローライフを地で行くここの住人にはそのような発想はないらしい。

 

「わあ……!」

 

 バスタオルに身を包んだフローラは寒さも忘れ、岩場の隙間から覗く澄んだ水面と湯煙に釘付けになっていた。

 

「どう? さすがのルドマン家にも、ここまでのお風呂はないでしょう?」

「ええ、ええ! すごいです、わたくし、天然の温泉なんて初めて見ましたわ!」

「ふっふーん、そうでしょそうでしょ」

 

 ビアンカは得意げに鼻を鳴らし、バスタオルを脱ぎ捨てじゃぶじゃぶと温泉に入っていった。

 

「え、あ、あの、ビアンカさん……!?」

 

 その堂々たる振る舞いに、フローラは目を丸くする。

 

「気にしなくていいわよ? ここ本当は混浴だけど、この時間には誰も来ないから」

「え、こ、混浴なのですか!?」

「ふふ、だから大丈夫だって。こんな夜更けにはみんなそもそも家から出てこないもの。だから私はよくこの時間帯を狙って入るの。ばったりハプニングなんて今までなかったから、心配しなくていいわ」

 

 それとこれとは話がちがうのですが……と、フローラはバスタオルを取らずに温泉に足を踏み入れた。じんわり。体の奥深くまで染み渡るような温かさに、心が穏やかになっていくのを感じた。

 そして、冷静になって思い返す。先ほどビアンカ宅で喋ったことを。イーサンに服を選んでもらったことや、ここに来るまでにあったこと。それは所謂“のろけ”というものである。しかも相手は、自分と同じくイーサンを想っていた女性。花嫁候補として、フローラと競い合った相手なのだ。

 

「(わ、わたくしは何てことを喋ってしまったのでしょう……。落ち込んでいたとはいえ、こ、こんなのまるで当てつけじゃない……! 最低だわ、わたくし……)」

 

 浮きかけていた気分が一気に降下し、それに合わせてフローラの姿勢も落ちる。ばしゃり。頭の半分以上が湯船に沈んだ。

 

「ちょっとフローラさん大丈夫!? うーん、温泉じゃあ元気になれなかったかな…?」

「ぷあっ……! だ、大丈夫です。えっと、そうではなくて……」

「そうではなくて……何?」

 

 首を傾げるビアンカの視線がぶつかり、目を逸らす。

 

「えっと……わたくしと、イーサンさんのことで……」

「……うん」

「その、なんて言ったらいいか……」

「……先に言っておくけど、謝ったりしたら怒るわよ?」

「……っ!」

 

 フローラもそんなことは分かっていた。だがビアンカの鋭い言葉を受け、不覚にもぎくりとしてしまった。

 

「あ、あの……うぅ……ごめんなさい」

「はあ……なんだか、アナタがあいつと気が合ったの、わかる気がするわ……」

「え……?」

「だって似てるもん、キミたち」

 

 ビアンカが口角を上げ、悪戯っぽく笑う。

 

「胸を張りなさいよ、フローラ。アナタはあいつのお嫁さん。私はあいつの幼馴染。でもそれだけよ。肩書きに囚われて、居心地が悪くなっちゃうなんてもったいないわ」

 

 彼女はすいすいと、空を見上げながら泳ぎ始めた。

 

「私も、イーサンも、なんだかよくわからないけど割り切ることができた。だからアナタも、過ぎたことは気にせずに胸を張ってあいつの隣を歩いてちょうだい。そうでもしてくれないと、私の調子も狂っちゃうわ」

 

 フローラは俯いて、彼女の言葉を噛み締める。

 

「……ありがとう、ビアンカさん」

「呼び捨てで良いわ。知ってた? 実は私たち、もうとっくにお友達なのよ」

「ふふ、そうね。……ビアンカ、貴女に会えてよかった。わたくしは本当に、素敵な出会いに恵まれてるわ」

「ふふんっ、そうこなくちゃ!」

 

 ビアンカは立ち上がり、再びフローラの隣に来る。後ろから肩を掴まれ、フローラは思わずどきりとする。

 

「さあ、今一度聞かせてもらうわよ。イーサンの背中焼いたって話。さっきは空気読んで堪えたけど、そのネタかなりの爆笑ものよ? もう一度丁寧に話してもらえるかしら?」

「も、もう! そんな笑い事じゃありませんわ! わたくしは危うく夫を丸焼きにしかけたのですよ! しかも結婚して3日目で!」

「あっはっはっはっはっはっは!!」

 

 ビアンカはお腹を抱えて笑い、フローラの白い肩をばしばしと叩いた。

 

「痛い、痛いです!」

「ごめんごめん! え、それで? イーサンの報告次第では一緒に旅に出られなくなるんだっけ? ルドマンさんの課題なんだよね、ここに来たのも」

「そ、そうです……。これはわたくしが、ちゃんと旅に付いていけるかを示す試練。夫と林を焼きかけたと知られたら、きっと旅には出させてくれませんわ……」

「親って過保護だよね本当。でも大丈夫なんじゃない? イーサンのことだし、そんなフローラも許してくれるって。で、なんやかんやルドマンさんを説得しそう。無駄に口が達者だからねあいつ」

「それでは駄目なのです!」

 

 感極まったのか、今度はフローラが立ち上がった。

 

「それではわたくしが、イーサンさんに甘える一方になってしまいますわ! そんなの嫌なのです。わたくしは、こんなわたくしでも認めてくれたイーサンさんと、共に立って歩くって決めたのです! わたくしは箱入り娘です。父に、アイナに、サラボナのみんなに守られて育ってきた世間知らずの娘です。でももう、守られるだけの女にはなりたくないのです……!」

 

 あまりの迫力に、ビアンカは目を瞬かせる。それから、にやりと笑みを浮かべた。

 

「いいね、本音が出てきたじゃない。タオル落ちてるのお気付きかしら?」

「え、あ、え!?」

「ダメ、隠すな! うん、うん、いいね。これが温泉の力。ハダカの付き合いの効力ってやつよ。観念なさいフローラ。この場では隠し事は許されないわよ?」

「う、うぅ~~」

 

 それに、とビアンカは彼女の手を握る。

 

「さっきのアナタの本音、素敵だったわ。前にあいつにも言ったけど、大事なのは気持ち。それを曲げずに前を向き続ければ、いつかは結果が付いてくるって」

「で、でも、いつかでは駄目なのです……。ここで結果を出さないと、わたくしは置いていかれてしまう。ただでさえ、わたくしには旅の知識がないのです。これ以上、過ちは重ねられませんし……」

「うーん……」

 

 しばらく考え込むも、長いこと浸かっていたせいか頭が熱くなってきた。ビアンカは湯船から上がり、岩場に腰掛ける。フローラも彼女を追い、ひとつ隣の岩に座り込んだ。

 

「思ったんだけどさ。役に立つって、戦い以外じゃ駄目なの?」

「え?」

「例えば、料理とか、身の回りの世話とか。家事の心得はあるでしょ? そういうのでも役に立てればいいと思うけど」

 

 家事の心得はある。父が家のことに手を付けない人間ということもあり、フローラは幼少から母やアイナの手伝いをしてきた。料理に関しては未だに苦手と言わざるを得ないが、洗濯物など一通りの家事はこなすことができる。

 

「ですが……何度も言うようにわたくしには旅の知識、セオリーなどがわかりません。出しゃばった真似をしてかえって迷惑になってしまったら……」

「ふふ、ねえフローラ。旅のセオリーなんて一体誰が決めたのかしら?」

 

 ビアンカの言葉に、沈みかけていた思考が止まる。

 

「旅人って、びっくりするくらい自由な生き物なの。私もあいつとちょっとだけ旅したことがあって、そのときに知ったんだけどね。誰にも何にも縛られず、自分の目的を自分のペースで目指していく。そんな旅人っていう生き物が、ルールだのセオリーだの持ち合わせてると思う?」

「た、確かに……。では、それならわたくしも……」

 

 フローラは夜空を見上げ、考えを巡らせる。もっと自由な発想で、自分が役に立てることはあるのだろうか?

 

「それを見つけるのが、今後の小さな目標かしら?」

「ええ……! わたくし、色々考えてみます。戦い以外でも、わたくしにできることを……!」

 

 フローラが岩の上に立つ。むき出しの肌の間を夜風が吹き抜け、心地よく全身をくすぐった。ビアンカも岩の間を器用に渡り、彼女の隣にやってくる。

 

「元気になってよかったわ。ハダカの付き合いってのも、なかなか悪くないでしょう?」

「……もう、わたくしは今でもちょっと恥ずかしいんですからね?」

「恥ずかしがることないわ! ほーら隠さない! イイ体しちゃって、このこの~!」

「ちょ、やめてくださいビアンカ! ふふ、あはは!」

 

 フローラに笑顔が灯り、ビアンカはそれを見て安心する。……本当に、世話の焼ける夫婦だわ。

 するとそんな彼女らの後方、脱衣所へと繋がる戸が急に開け放たれた。

 

 

 

「へえ、これが温泉か! カイルさんの言った通り、結構趣があるなあ! ビアンカも教えてくれれば良かった、の……に――」

 

 

 

 岩の上のふたりが振り返ると、たった今脱衣所から出てきたイーサンと目が合った。当然、今にも温泉に入ろうとしていた彼は生まれたままの姿である。そして美女ふたりに関しても、しとやかにバスタオルを纏っていたのは遠い昔の話である。

 イーサンは目を見開いたまま硬直し、フローラはわなわなとその瞳を震わせる。そしてビアンカは落ち着いた挙動で片手を伸ばし、淡々と指先に魔力を集め始めた。

 膨れ上がる炎が、一糸まとわぬ3人の肢体を淡く照らす。

 

「――死ねえぇぇぇえええ!!!!!」

 

 余談だが、村ではこの後半年間に渡り『深夜、温泉に現れる奇怪なヒトダマ』のウワサが大流行したらしい。

 

 

 



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3-4. わたくしにできること


イチゴころころです。徹夜した次の夜はとても気持ちよく眠れますね。

 フローラの旅装は水色や藍色で可愛らしく染色された『かわのよろい』みたいなイメージです。それから戦闘時には髪を結びます。私の趣味です。かわいい。




 

 

 翌朝。イーサンがリズたちと共に馬車へ向かうと、旅装姿のフローラが出迎えてくれた。

 

「え、フローラ?」

「おはようございます、イーサンさん。少し、荷台をお掃除させていただきましたわ」

 

 彼女に促されるまま荷台を覗くと、そこには信じられないほど綺麗に整頓された空間が広がっていた。

 

「奥の箱にはそれぞれ食料、装備品がまとめてあります。薬草などの消耗品はこちらの袋に。衣料などの生活用品はすぐ取り出せるように手前の小さな箱に入れました。毛布などはまとめて隅に置いたので、荷台で休まれる場合は適宜使ってください。あと、貴重品はこっちの頑丈な木箱にまとめました。まだスペースに余裕があるので、今後大切なものが増えても、それに入れてくれればと思います」

「…………」

 

 今までは物資が縦横無尽に散乱しているのが当たり前だったので、イーサンはもちろん仲間たちもあんぐりと口を開けて固まっていた。

 

「す……すごいニャ。この干し草はリズの寝床ニャ? こんなに広々と使えるなんて夢のようニャ」

「オレも知らなかった……。荷台は、こんなにも……広かったんだな」

「すごい……すごいよフローラ! これで薬草とか聖水とかいちいち探さずに済む! ていうかこの馬車こんなに綺麗になるんだな!」

 

 イーサンは大はしゃぎで、フローラの両手を握りながら跳ねていた。

 

「ふふ、お役に立てたのなら良かったです……!」

「どーお? フローラのサプライズプレゼントは?」

 

 声に振り返ると、寝間着にケープを羽織ったビアンカが坂を下ってきたところだった。

 

「おはよ、ふたりとも。お陰で冒険の準備はばっちりなんじゃない?」

「見ろよビアンカ! 俺の馬車がかつてないほど豪華になってる!」

「大げさねぇ。ま、旅しか知らないキミには整理整頓とか無理そうだもんね。フローラにちゃあんと、感謝しなさいよ」

「もちろんだよ! ありがとう、フローラ!」

 

 仲間たちは早速荷台に乗り込み、広く綺麗になった寝床を堪能している。

 

「……良かったねフローラ。ふたりしてハダカを見られた甲斐、あったわね」

「う、そ、その話はやめましょう……」

「あははっ。ねえふたりとも、また暇があったらこの村に寄ってよね。今度はイーサンを縛り付けてから温泉に行きましょ、フローラ。あとこいつ普通にむっつりスケベなところあるから……気を付けてね?」

「言いがかりだ!」

「い、イーサンさんはそんな方では……」

 

 そんなことを言い合いながら一行は旅の支度を済ませ、ビアンカにお礼と別れを告げて去っていった。

 

 遠ざかる馬車を見つめ、ビアンカはため息をついた。

 

「ほんっと似た者同士よね……」

 

 ふと、また三つ編みをいじっている自分の手に気付き、そっと下ろした。

 

「……卒業しなきゃね、私も」

 

 それは癖だ。イーサンはよく知っている動作なのだが、実は他の知人はほとんど見たことがない。なぜなら、それは彼女が特別な感情を抱いた時に見せる癖だからだ。

 

「いってらっしゃい、イーサン、フローラ。私の大切な……友達。またいつか、たくさんお喋りできるといいな――」

 

 ビアンカは踵を返し、家に向かう坂を歩いていく。

 視線は上を向いている。振り返りはしなかった。

 

 

  *  *

 

 

「リズちゃん、ほら、使ったおもちゃはこっちに片付けて」

「うぅ、フローラちゃんが厳しいニャ……」

「ふふふ、大丈夫。慣れてしまえば面倒でもなくなるわ。そうしないと、またすぐ散らかってしまいますわよ?」

 

 そんな会話が荷台の方から聞こえてくる。イーサンは手綱を握りながら、フローラのことについて考える。

 昨日のことについてはイーサンも彼なりに反省していた(湯煙のびっくりハプニングのことではない。それはそれで反省しているが)。旅に出てから数えきれないほど魔物と戦ってきたイーサンにとって、旅に出ることと戦うことは同一のものだった。ルドマン氏に課題を出されこうして湖を目指す道中も、知らず知らずのうちに彼女を『戦力』として数えてしまっていたのかもしれない。……人には得手不得手がある。イーサンが旅人としての生き方しか知らないように、フローラだってお嬢様としての生き方しか知らないのだ。

 そして今朝、フローラはお嬢様なりの、戦い以外での在り方を示してくれた。

 

『キキー!』

 

 前方を飛んでいたトレヴァから合図が入る。『向こうの草原に魔物の群れを見つけた』らしい。昨日であればフローラの練習のためにとこちらから仕掛けに行ったのだが……。

 

「……」

 

 幌をまくり、荷台を覗き込む。フローラはリズを膝に乗せ、にこにこと微笑みながら彼女を撫でていた。

 

「あら、イーサンさん。どうされました?」

「いや……なんだかんだ仲良いねふたりとも」

「そんなんじゃにゃいニャ……。リズはまだ認めてなんかニャァア~~……」

 

 フローラが首元を撫でまわすとリズが秒で屈する。

 

「うふふ、リズちゃん可愛いわ」

「はは、楽しそうでなによりだよ……」

 

 フローラを見る。彼女は旅装ではあるが、頭のリボンは外して髪を下ろしていた。

 昨日はかなり参っていたはずなのに、普通に元気になっている。ビアンカの言う通り『丸くおさまった』のだろうか? 彼女らが何を話したのかは知る由もないが、フローラの今朝の活躍もあったことだし、彼女は彼女で戦う以外の答えというものを見つけたのかもしれないな、とイーサンは改めて納得する。

 

「あの……イーサンさん?」

 

 考えながらじっと彼女を見つめていたので、フローラは顔を赤らめ身をすくませてしまった。

 

「まさか……いやらしいことでも考えているのですか?」

「そ、そんなワケないでしょう!!」

「……むっつりスケベ」

「だから言いがかりだって!」

 

 幌から頭を引っ込め、上空のトレヴァに合図を返す。『魔物は無視! 先に進もう』。

 

 

  *  *

 

 

 湖のほとりを西に進み、ツタの生い茂る密林に入る。馬車は通れそうになかったので、例の如くマービンに留守を任せて徒歩で進んだ。フローラも一緒だ。少し悩んだが、ツボの色を確認することはフローラに課せられた使命である。彼女が一緒でなければ意味がない。道中の戦闘は、彼女に無理をさせないように上手く立ち回ろうと思っていた。

しかしその心構えに反し、何事もなく目的地である祠に辿り着いた。

 

「……魔物、全然いなかったな。ロラン、何かわかるか?」

「高濃度 魔力 感知! 魔物 気配 ナシ! 不思議 ナリ!」

「どういうことでしょうか? 確かにこの密林、静かすぎるとは思いましたが……」

「フローラ、下がってて……。俺たちで安全を確かめてくる」

 

 ここから見る限り祠はそれほど広くはない。民家の敷地くらいの広さに敷き詰められた古いタイルと、その中央に地下への階段があるだけだ。恐らくその階段を下った先に、目的のツボがあるはずだ。しかしその階段も含め、祠全体がおびただしい量のツタで覆われている。もうかなりの年月、放置されていることがわかる。イーサンはツタをかき分けながら階段を目指して進んだ。リズ、ロラン、トレヴァも後に続く。

 

 マッチを一本擦り、ツタの間から地下に投げ入れた。どうやら階段は大きく弧を描いているみたいだった。マッチの灯りはそこそこの距離を落下し、止まる。

 

「結構深いけど、障害物とかはなさそうだな……。あとはこのツタを――」

「マスター! 魔力濃度 増大! 下がる ナリ!!」

 

 ロランの叫びに辺りを見回すと、周囲のツタが蠢いているのが見て取れた。そしてすぐ正面、階段の向こう側にあるツタが膨れ上がったかと思うと、巨大な植物のツボミが姿を見せる。多数のツタを触手のようにうねらせ、眠りを妨げてきた侵入者に明確な殺意を向けてきた。

 

「……簡単に入らせてはくれないってことか! フローラ! 安全なところまで下がるんだ!」

「は、はいっ!」

 

 その号令を合図に、仲間たちも臨戦態勢を取る。ツボミの魔物は触手を動かし、イーサンたちを捕えようと襲い掛かってきた。

 

「防御っ!」

 

 イーサンは『破邪の剣』を振り払い、襲い来る複数本の触手をはじき返した。リズとロランは得意の敏捷性でそれらを躱し、トレヴァは猛スピードで上空へ飛び上がった。

 

「……数が多すぎるニャ!」

「凌げ! 隙を見て反撃する!」

 

 一方、祠から少し離れた気の陰に隠れたフローラは、震える足を押さえつけながら深く呼吸をした。

 

「(こ……怖い。でも……わたくしはわたくしにできることでイーサンさんを支えないと……!)」

 

 懐から一冊の本を取り出す。イーサンが昔から愛用しているという『モンスター図鑑』だ。古の旅人が魔法を以って作成したというその図鑑は、古今東西あらゆる魔物のデータが載っている。そして使用者の近くにいる魔物を自動で感知・検索し、その情報をページに写し出す効果がある。馬車を出るとき、密かに持ち出していたのだ

 

「これが……今のわたくしにできること! あの魔物の弱点を……え?」

 

 しかし、白紙のページをいくら注視しても、その弱点や対処法はおろか、名前すらそこに浮かび上がってこない。

 

「な、なんですのこれ!? 使い方、間違っていないはずなのに……!」

 

 取り乱してばしばしと本を叩くと、うっすらと文字が浮かんできた。『該当なし』と。

 

「え……?」

 

 震える手を尻目に必死で頭を働かせる。この図鑑の著者が見落としをしていなければ、図鑑には世界の全ての魔物のデータが載っているはずだ。しかし『該当なし』。そもそもサラボナの令嬢として、西の大陸に関しては一般人以上の教養があるはずのフローラでさえ、湖のほとりに棲む植物の魔物なんて聞いたことがない。つまり……。

 

「新種……と、言うことですの……?」

 

 そうなれば納得がいく。そして同時に、フローラが持ち出したこの図鑑が全くの無意味であることもわかってしまった。

 

「ど、どうすれば……やはりわたくしも、でも……!」

 

 両手を見つめる。……できるのか。出しゃばってまた迷惑をかけるのではないか。昨日なら良い。失敗しても彼がフォローしてくれた。だが今回は相手が相手だ。もし失敗したら、……生死に関わるかもしれない。

 

 木の陰から前線を見る。イーサンたちは苦戦こそしていないが、防戦一方といった様子だった。攻撃役のリズとトレヴァが主に扱うのは氷属性だが、ツボミの魔物には効果が薄いみたいである。そしてロランの防御と妨害に偏った能力は言わずもがな。イーサンは降りかかる触手を順調に斬り飛ばしてはいるが、末端部分をいくら破壊しても本体にはダメージが届かないようだ。触手を掻い潜り本体であるツボミにダメージをぶつけるには……飛び道具、フローラの扱う攻撃呪文こそが最適なのだ。

 

 ……ならば、やるしかない。腰に吊るした道具入れから昨日買ったリボンを取り出す。それをしばし握りしめてから、フローラは髪を束ねた。

 

「やってやりますわ……。ビアンカ、わたくしに勇気をください!」

 

 

  *  *

 

 

 前日。湯煙のびっくりハプニングの後の事である。再び煤だらけになった破廉恥男を湯船に叩き込み、ビアンカとフローラは家に戻っていた。

 

「すごいねフローラ。“メラミ”が使えるんだ! 私はまだなのに……」

「使いこなせなくては意味がないですわ……。今日は結局、一度も当てることができませんでした……」

「ふうん。そんなに難しいものかな」

 

 ビアンカが人差し指を立てると、小さな火の玉が発生した。初歩の攻撃呪文“メラ”である。お化け退治の時から使ってきたビアンカの得意技だが、“メラミ”ほどの大きさの火球は未だに作れたことがなかった。

 

「“ベギラマ”に使う炎の量で、もうちょっと上手に凝縮できれば私も使えるようになるんだけどな」

 

 そのまま指先を払うと、小さな火の玉は開いた窓から外に飛んでいき、庭にある岩に着弾した。フローラは思わず拍手を送る。無駄のない綺麗な挙動だ。

 

「いや、大げさねぇ。でもまあ、私はこの呪文を外したことはないわよ。“メラミ”は使えないけどね」

「お、教えていただけますか! 何か、コツとかあれば……」

 

 フローラは思わず立ち上がり、ビアンカは目を丸くした。

 

「いえ、さっきはああ言いましたけど……。やっぱりわたくし、戦いでもイーサンさんの役に立ちたくて……旅をする以上、どうしても諦めきれなくて……」

「うーん、コツねえ……」

 

 ビアンカは考えながら、再び指先に火を灯した。

 

「魔力って目に見えないから、扱いが難しいのよね。結構イメージ? みたいなところに頼ることが多いかも。だから強いて言うなら、ボールを投げる感覚かしら」

「ボール、ですか? 確かにわたくしは、幼いころからボール遊びは苦手でしたが……」

「あははっ。運動神経とはたぶん別だから安心して。もっと単純な話よ。ボールを投げるとき、投げたい方向を見るでしょ? それと同じ」

「あ……」

「例えば魔物なら、当てたい魔物をちゃんと見る。目を瞑ってボール投げしたら、運動神経良い人でもきっと外すわよね。そんな感じ。どうフローラ。アナタ、魔物が怖かったんじゃない?」

「う……」

 

 心当たりはある。フローラにとって魔物とまみえるのは初めてのことだった。一歩間違えると死に直結する戦場に、こちらを亡きものにしようと殺意をむき出しにする魔物。ただでさえ魔物に対して排他的なサラボナで育ったフローラが、彼らを恐れないはずがなかった。呪文を当てるべき敵を、今日の自分はしっかり見られていただろうか。

 

「ということは、わたくしもちゃんと敵を見据えて……」

「ま、いきなりは無理でしょ。こればっかりは慣れよ、慣れ」

「うぅ……」

 

 フローラは項垂れる。そしてふと、あることに疑問を抱いた。

 

「ビアンカは、幼いころから“メラ”が使えたんですよね? そのときは、その……魔物が怖くなかったのですか?」

「怖いに決まってるじゃない。お化け退治に出たのなんか8歳よ。我ながら無謀にも程があったわね」

「じゃあ、どうして……」

「え……」

 

 ビアンカは目を逸らし、肩に下ろした髪をくるくるといじった。その癖の意味をフローラは知らない。

 

「……それ聞いちゃう? 私は別に話してもいいけど。ふふっ、さっきのおノロケのお返しにもなるしね♪」

 

 

  *  *

 

 

 フローラは木の陰から飛び出し、祠の入口まで駆けだしていった。

 

「敵を見る……しっかり、見る!」

 

 手のひらを向かい合わせ、魔力を練る。凝縮された炎が渦を巻き、火球が形成されていく。

 

「イーサンさん!」

 

 前線で戦う彼に呼びかける。イーサンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに前を向き直り、襲い来る触手を斬り払った。

 

 ……彼のことを考えると勇気が湧いてくる。ビアンカが教えてくれたヒント。それを胸に抱き、両手の先に巨大な火球を作り上げた。

 

「(足が震える……手も……! でもやるしかない。()()()()()()()。わたくしにできること、それを精一杯やるだけですわ!)」

 

 遥か遠くにそびえる巨大なツボミを見る。ソレは周囲を動き回る侵入者に苛立つかのようにふるふると揺れていた。

 

「……行きます、“メラミ”!! お願い当たってっ!!」

 

 放たれた火球はツタの隙間を一直線に飛び――ツボミの本体に直撃した!

 

「や、やった、やりましたわ!!」

 

 ツボミの魔物は苦しげに体を揺らしたが、まだ倒せたわけではない。フローラはその勢いのまま、再び魔力を練り始めた。

 本体のダメージに合わせて触手の動きが鈍くなり、その隙をついて前線の仲間たちがさらに追撃を加えた。すると魔物は苦しみながらツボミをゆっくりと開いていく。その隙間から見えたのは、どくどくと脈打つ黄土色の器官。フローラは直感で理解した。あれが弱点だ。

 

「このまま一気に行きますわ……!“メ――”!!」

 

 改めて敵を見据えたフローラの目に映ったのは、ツボミを開ききった魔物の本体。牙のように禍々しく並ぶ棘に、血のように赤い花びら。中央で脈打つ器官にこびりついているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――!?」

 

 鳥肌が全身を駆け巡るのを感じる。この密林には不自然なほど魔物がいなかった。当然だ。――密林のヌシが、他の魔物を食べ尽くしていたのだから。

 真っ赤な花びらが傾き、こちらを向いた。先ほどツボミの表面を焼いた憎き人間に、この距離からでも伝わる敵意を向けてきた。

 

「ひいっ!?」

 

 恐怖のままに詠唱中の呪文を放った。しかしそれは明後日の方向へ飛んでいき、腰を抜かしたフローラは尻もちをついてしまう。

 

「(だめ、だめです……! 落ち着いて、しっかり敵を見るのですフローラ! さっきは当てられた、わたくしはできる! もういちど、お、落ち着いて……)」

 

 手を掲げる。しかし、放出した魔力は練ったそばから散っていき、火球を作ることもできない。

 

「あ……!」

 

 見上げると、大量の触手がこちらに向かって伸びてきていた。腰を抜かしたままのフローラはその場を動くことができない。

 

「ロラァァン! フローラを守れええええ!」

 

 イーサンの叫びと共に白い影が飛来し、襲い来る触手に次々と体当たりをしていく。それでも捌ききれない触手に、駆け付けたイーサンが剣戟を与えて凌ぎ切った。

 

「い、イーサンさん、わたくし……!」

「十分だ! なんとかして後ろまで下がっててくれ……うあっ!?」

 

 触手の第二波にさらされ、イーサンの体が絡めとられる。そのまま彼は上空に持ち上げられてしまった。

 

「イーサンさん!」

 

 彼は必死に抵抗するが、大量の触手に巻き付かれて身動きが取れない。ロランやリズ、トレヴァが助けに向かうも、別の触手に阻まれてしまう。

 

「た、助けないと……! 今度こそわたくしが!」

 

 本体を倒せば触手も止まる。それは間違いない。尻もちをついたまま、みたび魔力を練り、真っ赤な花びらに向けて火球を射出する。

 ……が、火球は本体の横を素通りし、木々の間に消えていった。

 

「……っ!」

 

 原因はわかっていた。射出の瞬間に目を瞑ってしまっていたのだ。先ほど強引に押さえつけた恐怖心が、堰を切ったようにあふれ出てくる。

 

「“メラミ”っっ!!!!」

 

 火球は当たらない。魔物は体を震わせ、花びらをゆっくり閉じ始める。

 

「あ、だ、だめっ! “メラミ”! ううぅっ、当たって、当たってよ! “メラミ”!! “メラミ”!!! “メラミ”ぃ!!」

 

 焦れば焦るほど視界がブレていく。そして一度も当てられないまま花びらは閉じ、弱点は強固なツボミに再び覆われてしまった。

 

「あ、ああ、ああぁぁぁぁ……!」

 

 フローラは地面を殴りつけた。チャンスをふいにしてしまった、それどころか……。

 

「イーサンさん……っ!」

 

 未だに触手に縛られている彼は、顔を真っ赤にしながら必死に抵抗していた。ぎりぎりと、彼の体を締めつける音がこちらにまで聞こえてくる。

 

 ――自分のせいだ。そう思った。

 

 余計な手出しをしなければ、助けに来てくれた彼が逆にピンチになることはなかった。恐らく、最初にツボミに当てられたのはまぐれと言うものなのだろう。臆病なフローラには根本的に呪文を当てる才能がない。否応なしにそれを感じた。敵をしっかり見られなければ、どんな強力な大呪文も当たらない。

 

「……あ」

 

 ふと、苦しむイーサンの方を見る。何もできない自分に胸が痛んだが、そう、イーサンなら見ていられるのだ。結婚する前から、街角で会ったときから、つい彼のことを目で追ってしまう自分がいた。フローラはイーサンが好きなのだ。昨日、誤って彼を傷つけてしまったのも、それが関係しているのだろう。なにせ呪文はボール遊びのボールと同じで、視線の先に飛んでいくものなのだ。

 

 ……イーサンに火球を当てても仕様がない。でもせめて、彼に何かできたら……きっと、きっと自分は、()()()()()()()()()()()()()()

 

「う……うぅっ」

 

 ぼろぼろと涙を流しながら、フローラは魔力を練る。手のひらの間には炎はできず、ただただ形のない魔力が集まっていく。 

 目に見えない魔力を扱うのはイメージの力だと、ビアンカは言った。だからイメージを手のひらに注ぐ。愛する彼が助かるイメージ、助かってほしいというフローラの想いだ。

 

 両手をイーサンに向ける。涙で視界が潤むが、視線はしっかりと彼を捉える。触手に締め上げられて苦しむ彼に、自分ができることはもう、これしかない。

 

「――お願い、届いて。イーサンさんを、助けて……!」

 

 絞り出すような声と共に、魔力を放つ。柔らかい光が音もなく真っ直ぐに飛んでいき、――イーサンの体を包み込んだ。

 

「……??」

 

 長い間締め付けられ息も絶え絶えになっていたイーサンは、なぜか急に苦しくなくなったことに戸惑いを覚えていた。触手が全力で締め上げてきているのはわかる。だが試しに縛られた左腕を動かそうとしてみると、鋼鉄の針金のように思えた触手が面白いくらい簡単に千切れ飛んでいった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――うおらぁ!!」

 

 全身に力を込め、触手を振り払う。巻き付いていた触手は紙か何かでできていたかと錯覚するほどあっけなくバラバラに解けていく。

 さらに襲い来る触手に、高速の剣技を叩きつけて細切れにした。あれほど重く、大きく感じた『破邪の剣』が、棒切れのように軽く感じた。

 着地した直後、体を包んでいた優しい光が消える。

 

「今のは……フローラ、君がやったのか……?」

 

 彼女の方を振り返ると、フローラは地面に倒れたまま、涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向けていた。そこには安堵の表情。イーサンが助かって良かったと、心からの喜びが見て取れる。

 ――それだけで、イーサンは全てを理解した。

 

「フローラがくれたチャンスだ。行くぞみんな!」

 

 イーサンは駆け出す。目標は魔物の本体。弱点を覆うツボミである。

 突然の反撃に狼狽えた様子の魔物だったが、向かってくる侵入者を再び捕えようを大量の触手を伸ばす。

 

「リズ!」

 

 主の呼びかけに応え、リズが襲い来る触手を弾き飛ばした。彼女の俊足の前に、一本また一本とツタが弾かれていく。走り続けるイーサンを、触手は捉えることができない。

 

 魔物は体を震わせ、ツボミの先をイーサンに向けた。見たこともない動作だが、イーサンは瞬時に予測した。

 

「ロラン!」

 

 彼の意図を汲み取ったロランが、ツボミの前に幻惑のモヤを展開した。その直後、種子の弾丸が放たれる。しかし、“マヌーサ”によって狙いを逸らされた弾丸はイーサンを掠めもしなかった。

 

 ツボミの手前に辿り着く、すると地面が隆起し、何本もの根がイーサンを貫こうと飛び出してきた。

 

「トレヴァ!!」

 

 飛び出した根っこの隙間を器用に滑空してきたトレヴァ。彼女の尻尾に掴まり、イーサンは地面を蹴った。叩きつけられる根っこをすり抜け、再び着地する。

 

 目の前には巨大なツボミ。わずか十数秒にして、イーサンは射程距離に本体を捉える!

 剣を逆手に持ち、ツボミの隙間に突き立てた。がりっ、という鈍い音と共に、剣の先端だけが食い込む。このままでは弱点には届かない。そう、このままでは――。

 

 

()()()()!!」

 

 

 遥か後方、フローラは彼の呼びかけを、確かに受け止めた。

 

 手を構える。魔力を練る。恐怖で手が震えた。足が震えた。視界もブレた。でも、愛する人だから、愛した人だから。自分が選び、自分を選んでくれた大好きな人だから。視線を離すわけにはいかない。だから離さない。離さない!

 

 淡い光が指先から放たれ、一直線にイーサンへぶつかっていった。

 

「おおおおおおお!!」

 

 ずどんっ! という音と共に剣が根元まで深々と突き刺さる。

ツボミの隙間から黄色い液体が噴き出し、魔物がのたうち回る。さらにイーサンは『破邪の剣』の宝玉を起動し、剣をツボミに刺したまま“ギラ”を放つ。

 弱点を貫かれ、さらに内側から焼き尽くされた魔物は悲痛な叫び声を上げ、周囲に浮かんでいた大量の触手と共に地面に倒れ伏した。

 

「はあ……はあ……」

 

 全力を出し切ったイーサンは尻もちをつきながら、自らが一瞬で駆け抜けた道筋を振り返った。トレヴァもリズも疲労と安堵の表情を浮かべ、ロランは勝利を謳いながら跳ねまわっていた。

 

 そして一番遠くに、同じく倒れたままのフローラを見つける。彼女は緊張の糸が切れたのか、茫然とこちらを眺めていた。

 

「フローラ!」

 

 声をかけると、彼女の目の焦点が自分に合うのを感じた。

 

「ナイス……アシスト!」

 

 親指を立てた拳を突き出すと、彼女の顔がみるみる明るくなっていった。

 

「ナイスファイト……ですわ!」

 

 そうして彼女もグーサインを返してくる。見様見真似なのか、拳が若干斜めだった。

 

 

  *  *

 

 

 こうして一同は祠のツボの安否を確認し、当然のようにルーラでサラボナへ帰っていった。『そういえばわたくしの、戦闘の練習はもう良いのですか?』という問いには『もう十分すぎるよ』と答えた。フローラは嬉しそうに笑った。

 

 そして娘の帰りを待つルドマン氏に一同揃って報告をすると、ルドマン氏は誇らしそうな寂しそうな、複雑な表情を浮かべながら首を縦に振った。フローラは飛び上がって喜び、抱き着いてきた。胸当てがぶつかって痛かったが、イーサンも同じくらい嬉しかった。

 

 少しずつ、ひとつずつ。わたくしにできることを探したい。遥かなる未来と旅路に、箱入り娘は小さく、そして強く決意するのであった。

 

 

_______________________

 

 ◎フローラ 20歳 女

 ・肩書き  イーサンの妻

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:E    MP:C すばやさ:D

 ちから:E みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 ブロンズナイフ

 ・特技 メラミ、バイキルト

_______________________

 

 

 

 

 

第3章 箱入り娘の冒険  ~fin.~

 

 

 

 



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第4章 大海原へ
4-1. 忍び寄る手



 こんばんは。イチゴころころです。

 そんなこんなで新章突入です。長すぎた2章にくらべて3章はサクッと終わりましたが、そのあたりは私の匙加減なので悪しからず。

 そして今回のお話もそんな匙加減でかなーりコンパクトに終了したので、19時に4-2.を投稿する予定です。併せてお楽しみください。




 

 

 月明りに照らされて、いくつもの巨木が浮かび上がる。どちらを向いても同じ風景に見える。迂闊に森へ入るべきではなかったと、駆け出しの旅人は後悔した。

 

「くそっ! どこへ行ったあのごろつきども!」

 

 彼は数日前まで名の知れた大富豪だった青年、アルフレッドである。着たこともない質素な旅装に身を包み、夜の森を駆け抜ける。

 

「うあっ!?」

 

 木の根に足を取られ、派手に転んだ。湿った土が口に入り、不快な気分になる。

 

 ここはルラフェンの南、かつてあのイーサンもサラボナを目指して通った大きな森の中である。なし崩し的に旅人になったアルフレッドは知る由もなかったが、大陸北部は全体的に治安が悪く、特にここは盗賊が出ることで有名な森だったのだ。ここの盗賊はとても狡猾で、歴戦の風格を纏い魔物をも引き連れるような旅人には見向きもしないが、アルフレッドのような駆け出しの旅人は格好の餌食となる。彼も今しがた、鮮やかな手口で持ち物をすべて奪われたところだ。

 

「最悪だ……。どうして僕がこんな目に……!」

 

 闇雲に盗賊を追い、森の深いところまで来てしまった。正直追い付く見込みはないし、追い付いたところでどうにかなる気もしない。下手に帰れなくなる前に引き返すのが無難かもしれないと、合理的思考を持つアルフレッドは肩を落とした。

 しかし、それも少し遅かったみたいだ。

 

「……え?」

 

 すぐそこの草むらが不気味に揺れた。それを皮切りに周囲の、あらゆる方向から草の擦れる音が鳴り響く。邪悪な気配を感じる。これはそう、魔物の気配だ。

 

「ああ、もう、くそっ!!」

 

 護身用の武器や道具はついさっき奪われたばかりだ。それがあればまだしも、丸腰で夜の魔物に挑むのは自殺行為である。アルフレッドは踵を返し、再び走り出す。

 

 がさがさという音は執拗に追ってきている。なにせ人の寄り付かない森だ、久しぶりの獲物に心が踊っているのだろう。迫ってくる不気味な音もどこか楽しげに聞こえた。

 

「……!?」

 

 足を踏み外し、小さな崖を転げ落ちた。受け身も取れず地面にぶつかり、視界がぐらつく。木の枝に腕を引っ掻かれ、鋭い痛みが走る。魔物がすぐそこまで迫っているのを感じた。だが、脳がふらついていてうまく立ち上がることができない。

 

「最悪だ、最悪だ! 全部あいつのせいだ! あいつが、サラボナに来てから全部狂ってしまった! 殺してやる……絶対に殺してやるぅぅ……!!」

 

 背後から獣の唸り声が聞こえた。振り返らずとも容易に想像できる。魔物の口が開き、涎と共に牙がむき出しにされ、それは今に自分の体を貫く――。ああ、ちがった、殺されるのは自分の方じゃないか。

 

「いやだ、死にたくない――!!」

「下がりなさい!!」

 

 ふいに何者かに突き飛ばされたかと思うと、鈍い光と共に魔物の気配が消え去った。一瞬のことで何が何やらわからなかったが、とりあえず助かったということは理解できた。

 

「ご無事でよかった。さあ、こちらを飲みなさい。気分が良くなるでしょう」

 

 差し出されたビンを夢中で飲み干す。実は喉が渇いていたんだと、身体が思い出したかのようだった。

 

「はあ……はあ……、君は……?」

「名乗るほどのものではございません。しがない旅の者でございます」

 

 その男は立ち上がり辺りを見渡した。彼は深紅の法衣を身にまとい、頭にも同じ色の被り物をしていた。物腰の柔らかい声色に反してガタイはよく、アルフレッドよりも背が高いように見える。

 

「礼を言う……。お陰で助かったよ。ははは……旅人にしてはずいぶん、変わった格好をしているね。僕は旅装には詳しくないが……、教会にでもいる方が似合ってるんじゃないか?」

 

 緊張の糸が切れたのかアルフレッドのお喋り癖が顔を出していた。つい先日もこの悪癖のお陰ですべてを失うことになったのだが、彼はまだ自覚していないようだ。

 しかし彼の無礼な態度にも、男は微笑みを返す。

 

「ええ。何せ神に仕える身でもありますからね。……おや、ケガをしていますね。失礼、見せてみなさい」

 

 彼はしゃがみ込み、アルフレッドの腕の傷を眺めた。手当までしてくれるとは殊勝なことだと、アルフレッドも彼なりにありがたく思った。しかし彼は傷口をじっと見つめたままで、手当てを始める気配はない。

 

「……どうやら貴方は、高貴な血筋をお持ちのようですね。なぜ、このような場所に?」

「は? なんでそのことを――、うぐっ!?」

 

 男の指先が額に触れると、ばちん! と頭の奥に激痛が走った。思わず頭を抱え、再び地面に倒れ込む。

 

「い、た……! な、なにしやが……」

「失礼。少々”覗かせて”いただきました。……ふむ、なるほど。おイタがばれてお父上に勘当され……。なるほど、なるほどなるほど」

 

 背筋が凍り付く。咄嗟に逃げようとするも、なぜか体に力が入らない。崖を落ちたときの痛みはもうない。では――。

 

「おまえ……、さっき、何飲ませやがった……!」

「ですがそれもお父上の愛ゆえの様子。あえて突き放し、旅に出すことで見聞を広めさせ、心を入れ替えてほしいと思っていたそうですよ? ほっほっほ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もっとも、当の息子にその想いは伝わっていないようですが」

 

 薬が回る。体を起こすどころか、指一本動かすことができない。男の姿を必死で視界に捉えると、彼はいつの間にすくい上げたのか、指先に付着させたアルフレッドの血をまじまじと眺めていた。

 

「それに、この血統……。なんと、おお、なんと! レヌール王家の遠縁ではありませんか! まさかこのような場所でお目にかかるとは! 道理でいくら探しても見つからないはずです。分派とはいえ由緒ある血統の末裔が没落を重ね、地方の二流貴族へと成り下がっているのですからねぇ!」

 

 彼は不気味な笑い声を上げ、地面を滑るようにして近づいてきた。月明りに照らされて初めて彼の顔をはっきりと見た。ひどく痩せこけ血色も悪いそれは、とても人間のものとは思えなかった。

 

「……! ……、……!?」

 

 もはや声も出せないアルフレッドの頭に彼が再び触れると、視界がゆっくりと黒く染まっていく。

 

「私と一緒に来ていただきますよ? 貴方は我々が長らく探していた()()()()()の可能性があります。ですがご安心なさい。もし”そう”でなかった場合でも、大切な労働力としてたっぷり使い潰して差し上げますからね……?」

 

 失われていくのは視界だけではない。父の顔、母の声、生まれ育った街。アルフレッドの思い出とも言える記憶の数々が、バケツの中の泥をひっくり返したかのように塗りつぶされていく。

 

「……、……。――」

 

 声にならない叫びを最後に、アルフレッドの意識は闇に落ちた。

 

 

  *  *

 

 

「ふむ……?」

 

 紅い法衣の男は首を傾げた。先ほど”覗いた”アルフレッドの記憶、そこに少しだけ映り込んだ青年の姿に見覚えがあったからだ。

 

「なにやら懐かしい顔がありましたね……。『処分された』と、聞いていたのですが」

 

 足音に振り返ると、緑色の髪をした青年がうつろな目をこちらに向けていた。

 

「まあ、良いでしょう。折を見て貴方の故郷にも、布教しに行かなければなりませんねぇ」

「――全ては 我らが神の 世界のために」

 

 無機質な声色に、思わず笑みが零れる。

 

「ようこそ、光の教団へ。アルフレッド卿」

「どうか私を お導きください ――ゲマ卿」

 

 

 



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4-2. イーサンの生い立ち


 こんばんは。初の1日2話投稿、イチゴころころです。
 4-1.はほぼイントロでしたのでね。

 改めて、新章開幕です。原作ゲームでは船で数分でたどり着くテルパドールへの船旅ですが、なんか色々とやりたいことが浮かんだので章単位で引き延ばしてやりたい放題します。気分はアニオリです。いや普段からアニオリみたいなモンか……。
 と言うことでいつも以上にやりたい放題しますが、楽しんでいただけたら幸いです。




 

 

 酒場の2階テラスからステージを見下ろすと、踊り子のおっぱいが覗けるらしい。

 

 1年前、初めて訪れたポートセルミでその噂を聞きつけ、すぐさま酒場に向かったのを覚えている。確かその時は、テラスの中央に長蛇の列ができていた。どきどきしながら並ぶも、半分も進まないうちにショーが終わってしまい非常に悔しい思いをした。

 

 それからしばらく港町を拠点に聞き込みなどをしていたのだが、ある日酒場でごろつきに絡まれ返り討ちにし、その様子を見てた男に用心棒として雇われ、カボチ村へ向かうことになったのだ。そしてその道中で奇妙な英雄に出会う。……あれから1年も経っているなんて、正直信じられなかった。

 

「……なるほどね、こういうのをむっつりスケベって言うのか」

 

 そして今、1年ぶりに港町を訪れたイーサンは、かつて立つことのできなかった高みからステージを見下ろしている。どうやら最近モーニングショーというのを始めたらしく、朝っぱらからお色気たっぷりのダンスショーを拝めるという世紀末のような状態になっている。街の子供たちの未来が心配である。

 

 ステージ上を華麗に舞う踊り子さんたちを眺めつつ、イーサンは昨日のルドマン邸での会話を思い出した。

 

 

  *  *

 

 

「イーサン君、我が家宝『天空の盾』だ。持って行きなさい」

「え、いいのですか……俺が持って行ってしまって」

「うむ。フローラから聞いた。君は母上を救うために、天空の勇者を探しているのだね」

「あ……ごめんなさい。隠しているつもりはなかったのですが……」

「良いのだ。だが、そういうことならこれは君が持っていた方が良い。それに君はもう私の家族なのだよ? 遠慮はいらん。その『天空の剣』と共に、旅の標となるだろう」

「……ありがとうございます」

「だが気をつけなさい。それは常人には装備することができない」

 

 イーサンは盾の裏側を見た。基本的に、盾の裏側には腕にはめ込むためのバンドが付いている。そのバンドを緩めたり締めたりと調節しながら装備するのが普通だ。そしてこの『天空の盾』にも、立派なバンドが付いているのだが……。

 

「なるほど。腕を通すことができないですね」

 

 それは隙間なくぴっちりと締まっていて、さらにどうやっても緩めることができない。無理やり使おうとしたら普通に手で持つしかなさそうだが、そもそもこの大盾は両手で持つので精一杯になる上にそんなんじゃ戦えたものじゃない。『天空の剣』と同じく、扱えるのは天空の勇者だけということだ。

 

「伝承では、天空の武具はあとふたつ。『兜』と『鎧』があるはずだ。だがいずれも、天空人の血を引く伝説の勇者しか使いこなすことができないそうだ」

「天空の勇者の伝説……。その昔、世界を滅ぼそうとした魔王を、天空人の血を引く勇者が倒したっていう話ですよね?そして、自らの力を4つの武具に宿したとか」

 

 この世界で知らない人はいない有名な伝説だが、意外にも今言ったこと以上のことは知られていない。この1年半ほどの旅で色々な人に聞き込みをしたが、これ以上の情報は得られなかった。

 

「うむ、だが魔王とは何者なのか、そもそも天空人とは何なのか。私にもわからん。なにぶん遥か太古の説話だ。語り継がれるうちに薄れてしまったのだろうな」

「ええ、でも……」

 

 イーサンにはひとつ気になることがあった。父の残した手紙に従い、がむしゃらに天空の勇者を探して旅をしてきたが、そのことにうっすらと違和感を覚えていたのだ。恐らく、サンタローズの洞窟で初めて手紙を読んだときからずっと。

 

「……ルドマンさん。邪悪な手のものってなんなのでしょうか?」

「ふむ?」

「父の手紙に書いてあったのです。俺の母さんは邪悪な手のものに攫われた。それを助けられるのは天空の勇者だけだって。……なんで天空の勇者”だけ”なんでしょうか?それってつまり母さんを攫ったのは、……魔王、ってことになってしまいませんか?」

「……!」

 

 ルドマン氏の顔が強張る。これこそがイーサンの抱いていた疑問。違和感の正体だ。

 

「……伝承では、魔王を倒せるのは天空の勇者だけ。……手紙の内容と一致するな」

 

 魔王。その単語だけは昔から知っていた。それは勇者と同じく架空の存在で、小説に出てくる悪者の親玉くらいの印象しかなかった。だが天空の勇者、それに通じる伝説の武具が実在すると言うことは、魔王の存在も肯定できてしまう。それは世界を滅ぼす邪悪なる王。母マーサは、そんなとんでもないものに攫われていることになる。

 

「そして……そう考えるうちにもうひとつ、疑問が生まれました。……『俺の両親は一体何者なんだろうか』って」

「ふむ。なるほどな……」

「はい。片や伝説の魔王に攫われた母。片や妻を攫った者の正体を知る父。なんで母さんは攫われたのか、父さんは何を知っていたのか。俺には、なにひとつわかっていないんです……」

 

 声が震えていた。自分はもしかしたら、想像もつかないような事件に手を出そうとしているのではないか。

 

「……イーサン君。確か君の父上は、パパスという名だったね」

「ええ。そうですが……?」

 

 そしてルドマン氏の口からは、さらに信じられない言葉が飛び出してきた。

 

 

 

「それはグランバニアの賢王、『パパス王』のことではないのかね?」

 

 

 

「………え?」

「……東の大陸の軍事国家、グランバニアの先代の王の名だ。噂では20年ほど前、謎の失踪を遂げている。イーサン君、話では君は物心ついた時から親子で旅をしていたそうだが……、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 喉の奥が急速に乾いていくのを感じた。必死で記憶を検索する。ビアンカとのお化け退治。その前はサンタローズにいた。洞窟探検をして遊んだ記憶があり、その村に自宅もあった。だから……生まれた場所はサンタローズだ。そう信じて疑ってこなかった。だが、違う。船上の夢は、幼いフローラと初めて出会ったのは、()()()()()()()()()。イーサンは船に乗って、ビスタの港に降り立ったのだ。じゃあ、その船は一体どこから来たのだ?

 

「イーサン君っ!」

 

 めまいで倒れそうになり、ルドマン氏に支えられた。額を押さえると、びっくりするくらい冷たかった。

 

「すまない。混乱させるようなことを言ってしまった……。これはもしもの話だ。たまたま同じ名前だった可能性もある……というか、その可能性の方が高い。だが、君が目的を達成するためには、君の生い立ちも探る必要が出てきてしまったな」

 

 ルドマン氏に肩を支えてもらい、差し出された水を飲む。かなり衝撃的な情報を得たが、お陰でだいぶ落ち着いた。

 

「ええ。でも、気になりますね……そのグランバニアという国。現在はどんな様子なんですか?」

「それがわからんのだ」

 

 彼は困ったように顔をしかめた。

 

「もう何十年も前からのことだ。4大国、いや今は3大国か。国家間の交流は衰退する一方で、私が当主になったころにはもう、ほとんど交流が途絶えていたのだ。交易が盛んな経済国家であるラインハットも、10年ほど前に音沙汰がなくなってしまった。最近は交易が復活しつつあるがね。王族の人たちも君たちの結婚式に快く招待されてくれた」

 

 ヘンリーが政治に復帰してから、ラインハットはじわじわと交流の手を伸ばしつつある。それはイーサンも知っていた。

 

「そもそもなぜ、交流が途絶えてしまったのでしょうか」

「交流の必要がなくなったからだ。それぞれ独自の文化が発展し、経済も成長し、国家間でわざわざ手を取り合わなくても不自由なく暮らせるようになった。平和と言えば聞こえはいいが、そうやって誰もが、自分の殻に閉じこもっていったのだ。サラボナと、この私を含めてな」

 

 街を追い出されるときに感じた排他的な雰囲気。それはここに限ったものではないのかもしれないと、イーサンは思った。

 

「だから東の大陸の現状も、グランバニア王国の現在も、私にはわからない。すまないね、肝心なことに答えられなくて」

「いえいえ、十分です。何はともあれ、今後はそのグランバニアを目指して見ようと思います。……俺の両親のことはともかく、なにか、わかるかもしれないので」

「うむ。だが東の大陸は果てしなく遠い。手始めに南の大陸のテルパドールという王国を目指すがよい。そことも交流がない故、なにも情報はあげられないが……。神話や伝承を重んじる国だと聞いている。天空の勇者の伝説について有益な情報が得られるかもしれん」

「テルパドール、ですね。わかりました。じゃあさっそく船乗りを雇わないとだな……。それから船も、なんとかして手配しないと……」

 

 そう零すと、ルドマン氏は目を丸くした。

 

「何を言っているのだね?」

 

 そして口角を上げ、にやりと微笑む。

 

「私を誰だと思っておる」

 

 

  *  *

 

 

 世界一の大富豪は、娘夫婦に船を一隻渡すことなど造作もないらしい。お駄賃感覚で船の所有権をもらったイーサンは、今朝がたこの港町に飛んできた。今ごろドックでは、イーサンの船の出港準備が進められているはずだ。

 

「難しいなぁ……」

 

 ここ最近は結婚のこと云々で忙しかったが、昨日話した内容は想像以上に重たい。旅の目的は母マーサを救うこと。そのためには天空の勇者を見つけ出すことが必要で、その足掛かりになるのが天空の武具。そして天空の勇者の伝説を紐解き、両親にまつわる謎も解明しなければならない。やることは山積みで、しかもひとつひとつが途方もない話だ。……頼りになる仲間たちや素敵なお嫁さんがいなかったら、イーサンはこの旅を投げ出していたかもしれない。改めて、良い縁に恵まれたなとしみじみ思った。

 

「ああ、難しいな。だがコツがあるんだ」

「……へ?」

 

 ふと横を見ると、見知らぬ男が立っていた。少し酒臭い。

 

「おめぇもクラリスのムネを見に来たクチだろ? でも前評判に比べて覗くのって意外と難しいんだよな」

「え、あ、え?」

 

 そう言えば、たった今自分が立っているのは知る人ぞ知るミラクルスポットであった。男が身を乗り出す。

 

「タイミングがあるんだ、見てろ、そろそろだ。曲が転調したら、踊り子たちが中央に集まって身を屈めるんだ。そこで見える」

「本当か」

「本当だ。ほら、来るぞ、よく見てろ、瞬き禁止だぜ」

 

 イーサンは手すりから身を乗り出し、ステージを注視した。そして――、

 

「ほらっ、今だ!」

「ほ、ほんとだ、見えた!! うっはぁ、すごい! 見えちゃった!」

「――何がですの?」

 

 鋭い言葉に全身が強張り、ゆっくりと振り返る。

 ドックの様子を見に行っていたはずのフローラが、満面の笑みで後ろに立っていた。

 

「ふ――」

「うふふふふ! イーサンさん、一体何が“見えちゃった”のか、このフローラにイチから説明してくださいます?」

 

 

  *  *

 

 

 イーサンとフローラはポートセルミの活気のある屋台通りを歩いていた。つかつかと、顔を真っ赤にしたフローラが先行して歩いている。

 

「出航の準備ができたそうですわ。すぐにでも海に出られるそうです」

「あの~、なんか距離を感じるんですが……」

「ふん」

 

 彼女はぷいとそっぽを向く。彼女は笑顔で怒るタイプらしい。先ほどの圧は、密林のヌシなんかよりもよっぽど怖かった。……迂闊だったなぁ、とイーサンは反省した。

 

「この前わたくしのを見たくせに、物足りないということですの……? ぶつぶつ……」

「うん? 今なんて?」

「な、なんでもありませんっ」

 

 フローラはさらに歩を速め、ふいに立ち止まった。とある屋台の方をじっと見ている。

 

「……?」

 

 彼女の視線を辿ると、店先に飾られているビンの置物が目に入った。寝かされたビンの中に、精巧な船の模型が入れられている。ポートセルミの名産品、ボトルシップである。1年前に初めて見たときは高くて買えたものじゃなかったが。……フローラはそれを、瞳をきらきらさせながら見つめていた。

 

「……」

 

 イーサンは何気なく店の主人に声をかけ、そのボトルシップを購入した。数多の死線を潜り抜け、資金も潤沢になった今のイーサンには、このくらいの出費は気にするほどでもない。

 

「はい、どうぞ」

「え、ええっ!? いいんですの! もらってしまって!!」

「もちろん。割れ物だから気を付けてね」

「ええ、そうするわ! ありがとうイーサンさん! わあ……」

 

 なんだか物で釣ってしまったみたいで申し訳なかったが、ここまで喜んでくれるなら買った甲斐があったというものだ。

 

「機嫌損ねちゃったお詫びも兼ねてだけど、気に入ってくれて良かったよ」

「え? あ、う……」

 

 そして当のフローラも忘れていたみたいなので関係なかったようだ。

 

「こ、今回だけですからね……」

「うん。可愛いね」

 

 声に出てた。突然の告白を受けたフローラは顔を伏せ、てくてくと歩いていった。『最近ウチのご主人が嫁にゾッコンすぎて困る』とは、とある従者(ネコ)の談である。

 

 しばらくしてドックに辿り着く。綺麗な青色で塗装された帆船が、新しい主の乗船を待っていた。

 

「『クイーン・ゼノビア号』か。すごい……これが俺の船……!」

 

 カジノ船ほどではないが、この船もかなり大きい。

 

「そうですわよ。所有権譲渡の契約書にはわたくしが署名したので書類上はわたくしのものということになっていますが……夫婦なので」

 

 ぽっ。フローラが肩をすくめる。こういった手続き関連はイーサンにはチンプンカンプンだったので、彼女が色々と済ませてくれていた。彼女が同行できるようになって良かったと、心の底から思える。

 スロープを登り甲板に立つと、小太りの船乗りが声をかけてきた。

 

「はじめまして船長! 航海士のザックっス! 先ほど、食料、物資、あと船長の馬車の搬入を完了しました! もちろん、船長のお仲間さんたちも既に乗船済みっス!」

「お、俺が船長か……なんか、感慨深いな。ちょっと前まで奴隷だったのに」

「会えて嬉しいっス! 次の船長は『底辺の身分から這い上がり、死の火山に巣食う悪霊を撃滅した勇姿を以ってあのフローラ嬢のハートを射止めた、奴隷出身の魔物使い』って聞いてたんで、どんなやべー奴の下で働けるのか、ジブンわくわくしてたんスよ!」

「フローラ、これ俺褒められてる? それとも馬鹿にされてる?」

「そうですわ」

「え、どっち……?」

 

 そんなことを話していると、イーサンは重要なことに気がついた。

 

「ん? 俺、船長なんだよね? 船の操縦なんてしたことないよ? それどころか、船旅の経験も一回だけだし、そのときもラインハットの人たちに乗せてもらっただけだから船旅の事とかほとんど知らないよ? 大丈夫なの?」

「ああ、それなら心配いらないっス。ルドマンさんのとこから、一等航海士が派遣されているので」

「一等航海士?」

「――おはようございます。お嬢様、若旦那様」

 

 船内へ続く階段から姿を見せたのは、ひとりの小柄な女性。豪奢な赤い服に頭には羽根つきの帽子と、いかにも貴族の船乗りという出で立ちだが、その黒髪と鉄仮面のような無表情に、ふたりは見覚えがあった。

 

「「アイナ!?/アイナさん!?」」

「船長としての知識・技術をお持ちでない若旦那様に代わり、『クイーン・ゼノビア』の指揮を執ることになりました。メイド改め一等航海士のアイナです。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 アイナは羽根帽子を外し、深々と礼をした。

 

「ああ、そう言えばアイナは一等航海士の資格を持っていましたね。すっかり忘れていましたわ……」

「ええ。ジブンらはぐれと違って、その土地の領主から正式に認められた船乗り、それが一等航海士っス!」

「な、なるほど……それは頼りになるな。よろしく、アイ――」

「お嬢様、どうぞこちらへ。手荷物をお預かりいたします。お部屋へご案内いたしましょう」

 

 アイナは差し出されたイーサンの手を華麗に無視し、フローラの手を引いて船内へ入っていった。

 

「……あれ?」

 

 

  *  *

 

 

 それから30分もしないうちに、『クイーン・ゼノビア』は出港した。目的地は遥か南、テルパドール王国だ。こうして海に出るのは実に1年半ぶりである。ビスタの港からポートセルミに着くまでも半年を要した。国家間交流が不要とされてから久しい現代において、大陸間を結ぶ航路は歴史の闇に埋もれたらしい。今回の船旅はそんな航路を改めて開拓しながら行うもので、到着までに少なく見積もっても1年はかかるだろうとのことだ。

 イーサンは潮の香りをゆっくりと吸い込み、まだ見ぬ大陸に想いを馳せた。

 

「お待たせいたしました。若旦那様」

 

 声の主はアイナである。彼女は肩口に切りそろえた黒髪を潮風になびかせ、相変わらずの無表情でイーサンを見ていた。彼女がフローラを部屋に案内した後すぐに出航の時間が来てしまい、イーサンは甲板に置き去りにされていたところである。

 

 出航時も彼女は通りの良い大きな声で指示を出し、ザックら船乗りたちを的確に動かしつつスマートに段取りを完遂した。さすがは公式の一等航海士。その手腕は本物らしい。

 

「若旦那様のお部屋にご案内いたします」

「うん。……改めてよろしく」

 

 再び差し出された手を一瞥だけし、アイナは歩き出す。イーサンは短くため息をつき、彼女の後を追った。

 

 大きな船だけあって、船内もかなり広かった。船乗りもそれなりの数乗っているので当然と言えば当然か。なるべく早く構造を覚えて迷わないようにしないとな、とイーサンは思う。

 

「こちらでございます。船長室は上階にありますが、こちらは若旦那様の私室になります」

 

 小綺麗な机にベッド、テーブルというシンプルな部屋だった。馬車の荷台が主な寝床だったイーサンにとっては十分すぎる待遇である。

 

「……あれ、フローラは?」

 

 しかしその部屋はどう見てもひとり用だった。

 

「お嬢様のお部屋は最上階になります」

 

 別室か……と、イーサンは少し残念に思った。結婚後の寝泊まりはずっと南街区の別荘だったので、フローラと過ごすのが当たり前になっていた。

 

「そ、そっか。別に同じ部屋でも良いんじゃないかな……? 一応、俺たち夫婦――」

「お嬢様にもプライベート、お嬢様の時間というものがあります。夫といえど、それを侵害する権利などないと思いますが?」

 

 彼女の声色がイヤに強い。そう言えば、イーサンの手荷物はイーサンが持ったままである。

 

「は、はあ……」

「では失礼。夕食時には炊事係がお呼びに上がりますので、それまでおくつろぎくださいませ」

 

 アイナは短く礼をし、廊下を戻っていく。

 

「――それから」

 

 そしてふと立ち止まり、肩ごしにイーサンを振り返った。

 

「私は貴方を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「え……」

「旦那様の意思には反しますが、私は今でも、魔物使いである貴方を信用するつもりはございません。便宜上は貴方が船長ですが、『クイーン・ゼノビア』の総合指揮権は私にあります。お嬢様に手を出そうなどとは、ゆめゆめ思いませぬよう」

 

 そう言い残し、アイナは今度こそ去っていった。

 

「……」

 

 イーサンは小窓から外を眺めた。ポートセルミの港が遠くに見える。確かこの船旅の期間は少なく見積もっても1年という話だったと、改めて思い返す。

 

「……大丈夫かなぁ、この船旅」

 

 

 

 



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4-3. アイナの思惑


こんばんは。イチゴころころです。

ドラクエの海の曲ってどれも素敵ですよね。
特に好きなのは『エーゲ海に船出して(6)』と、
4章タイトルでもある『大海原へ(5)』です。




 

 

 出港から2日。イーサンは甲板の縁から海を眺めていた。

 

「はぁー、やりづれぇ……」

 

 アイナはとても優秀な女性だ。それはメイドとしてルドマン邸で働く姿を見たときから薄々わかっていた。合理的で、仕事をそつなくこなす。それは航海士として働く今でも健在で、よく気が回り、部下のミスをも華麗にフォローする彼女は船乗りたちにも尊敬されていた。

 だが、イーサンへの当たりは明らかにキツイ。目の敵にしている、と言うのが正しいか。

 

 理屈はわかる。一度はお尋ね者として街を追放されたイーサンの誤解が解けたのは、暴虐の貴公子アルフレッドの化けの皮を暴くことができたからだ。それを目の前で見ていたルドマン氏やフローラは、彼と彼の仲間の魔物が悪者ではないことをわかっている。だがアイナはそのとき、ロランの呪文で眠らされていたのだ。彼女からしたら、突然屋敷を襲撃された挙句眠らされて、目が覚めたときには件の魔物使いが家族として迎えられようとしていた。と、見えてしまう。そう考えると仕方ないのかもしれない。かもしれないが、船の上という狭い世界で、イーサンは否応なしに居心地の悪さを感じていた。

 

「魔物使いってどこへ行ってもこうなんだよなぁ。なあトレヴァ」

『キッキ! マスター 悪くない マスター とても 良い人』

 

 傍らのトレヴァがパタパタと励ましてくる。密林の祠を出るあたりから、彼女は少しずつ喋れるようになっていった。さすがは賢さに定評のあるキメラ、仲間たちの中でも言語の習得が一番早い(もちろん最初から何故か喋れたロランは例外だ)。

 

「はあ、めっちゃ良い子だなトレヴァ……もっと早く喋れるようになってくれればよかったのに……」

『ごめんね。 喋る 難しい。 でも マスターの 言葉 ずっと わかってた よ』

「ああ、君は仲間になった時から利口だったもんな。どこぞの英雄様とは違って」

『ロラン 悪気 ない。 今では すごく 頼れる 仲間』

「その通りだ……」

 

 こうして言葉を交わす前から分かっていたことだが、このキメラは聖人のような心を持っている。臆病で気弱なところもあるが、『死の火山』、『滝の洞窟』などのいくつもの死線を真面目に健気に支えてくれた。……魔物とはいえ、彼女が人を襲う姿なんて想像できない。

 

「リズの調子は?」

『リズ お船 苦手……。 マービン 付き添う リズ』

 

 前回の船旅で判明したのだが、リズは船の揺れが苦手だ。前回はずっと船酔いに苦しんでいた。だから魔物に襲われたときは基本的にマービンとふたりで戦っていたのだ。マービンの左腕が喪われたのは、そのとき無理をさせちゃったせいだとイーサンもリズも少し反省していた。しかし当の本人は『海の湿気で腐敗が進んだだけだから気にするな』と笑っている。

 

「その様子だと、海上の戦いは今回も待機かな。まあ仕方ない。リズは普段頑張ってくれているし、今回はロランも、トレヴァもいるしな」

『キキ! 頼りにされて 嬉しい。 ワタシ 頑張るね』

「あとフローラも……」

 

 密林での戦いのときに、フローラは勝利に貢献してくれた。まだまだ攻撃呪文は不安定だが、イーサンは十分背中を預けるに値すると思っている。彼女も立派な戦力なのだ。

 ……なのだが。

 

『フローラ いない? マスター 一緒じゃない?』

「驚くなかれトレヴァ。この狭い船上で、俺は妻に3回くらいしか会えていない」

 

 何回かフローラの部屋を訪ねたのだが、いずれもアイナに阻まれている。『お休み中ですのでお引き取り下さい』『留守です』『航路のことでご相談が』などなど、のらりくらりと躱されている印象だ。イーサンに出港初日に言い放ったことを、彼女は持ち前の勤勉さで実行に移している。食事は夫婦一緒に摂れるのだが、そのときもアイナが見張りとばかりに同席しているので、イーサンはどうにも落ち着けない。

 

『アイナ。 マスター 嫌い。 フローラ 好き。 ワタシ 悲しい』

「よくわかってるじゃんトレヴァ、さすがだよ。はあ……フローラに会いたいなぁ……」

 

 イーサンが手すりに項垂れたとき、船乗りの声が甲板にこだました。

 

 

 

「魔物だ!魔物が襲ってきたぞおお!!」

 

 

 

 船乗りたちがざわめく。声は船首の方から聞こえた。

 

『マスター!』

「うん、行こう」

 

 悲鳴や叫び声が飛び交う甲板で、イーサンは冷静に剣を引き抜く。

 

「船旅知識ゼロの無能船長、満を持しての出番ってわけだな!」

 

 

  *  *

 

 

「ひいいっ、そんな、魔物の出る海域はもう少し先のはずなのに……! き、聞いてないっスよぉ~~!」

「ザック、大丈夫か!?」

「船長!!」

 

 へっぴり腰で斧を構えていたザックの元に、イーサンが駆け寄る。

 

「魔物は?」

「あ、あれっス!」

 

 見ると、人間より一回り大きい半魚人の魔物が4体、甲板に上がってくるところだった。

 

「“マーマン”か……!」

 

 前回の船旅やサラボナ北の湖で既に遭遇したことがあったのですぐに分かった。数もそれほど多くはない。だが……。

 

「何してる! みんな、はやく逃げろ!」

 

 魔物の周囲には数名、逃げ遅れた船乗りたちがいた。“マーマン”の群れは、今にも彼らを襲おうとしている。

 

「トレヴァ、少し引き付けろ! 俺は船乗りたちの避難を誘導する!」

『キキー!』

 

 イーサンはトレヴァが飛び出すのを確認し、腰を抜かした船乗りに駆け寄った。

 

「おい、大丈夫か?」

「す、すんません船長! なにぶん突然のことで……」

 

 肩を貸し、船首から離れる。すると、2階のテラスに出てきたフローラと目が合った。

 

「イーサンさん!」

「あ、フローラ!」

 

 彼女はワンピース姿ではあったが、手にはモンスター図鑑を持ち髪はリボンで束ねてある。戦う準備はばっちりだ。イーサンはそんな彼女の意欲、そして何より彼女の姿を見られたことが嬉しかった。

 

「図鑑はひとまず大丈夫! そこから“バイキルト”で援護を頼む!」

「わかりましたわ!」

 

 船乗りを船内に放り込み、イーサンは再び船首へ向き直る。思わず口角が上がった。後ろには愛する妻が付いている。それだけで、無限に勇気が湧いてくるようだった。再び、頭上のフローラに声をかけた。

 

「秒で終わらせる! 合図したら詠唱を!」

「ええ!」

 

 そしてイーサンは剣を構え――。

 

「――いえ。その必要はございません」

「……え?」

 

 背後から声がしたと思ったら、イーサンの脇を猛スピードで通り抜ける赤い影が。

 

「あ、アイナさん!?」

 

 彼女は銀色に輝く槍を握りしめ、船主の魔物の群れに突撃していった。

 

「――ふっ」

 

 そしてその勢いのまま、群れを成す“マーマン”のうち1体をくし刺しにした。

 

『キッ!?』

 

 トレヴァも、彼女に翻弄されていた魔物の群れも乱入者に驚き戸惑う。その隙を逃すまいと、アイナは目にも止まらぬ槍さばきでもう2体、息の根を止める。

 最後に残ったマーマンは怒り狂いながら彼女に襲い掛かったが、アイナは華麗なステップでそのツメの一撃を躱す。そして態勢を崩した魔物の胸を、一突きで貫いた。

 

「……」

 

 イーサンも、甲板に残っていた船乗りたちも、その凄まじい戦いぶりに目を奪われていた。頭上を飛ぶトレヴァも、その目を丸くして茫然としていた。

 

「……航海士のみなさん、聞こえますか!」

 

 アイナは槍に付いた血を振り払い、圧のある声色で叫んだ。

 

「帆を張りなさい! 1時間以内にこの海域を抜けます! 再度の襲撃には十分警戒を! 敵影を見つけたらすぐに報告ください! 伝達の遅れは許しません!」

 

 そう言うと、彼女は何事もなかったかのようにこちらへ引き返してきた。船乗りたちも、そそくさと持ち場へ戻っていく。

 

「……お嬢様、どうかお部屋へお戻りください。しばらくは警戒態勢が続きます」

「え、ええ。ありがとう、アイナ」

 

 そのままアイナはイーサンの隣に来ると、小声でささやいてきた。

 

「質問があります、若旦那様」

「な、なんでしょう」

「……まさかとは思いますが、今の魔物、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「それ……本気で言ってる?」

「……」

 

 ふたりの視線がぶつかった。アイナは目を細め、しばらくして前を向き直る。

 

「……もしまた魔物が現れても、余計な手出しはしないでいただけますか。船を壊されでもしたら、旦那様が悲しみますので」

 

 そう冷たく言い放ち、アイナは船内へ戻っていった。

 

 

  *  *

 

 

 その夜。結局あの後魔物の襲撃はなかったが、念のためと見張りが増員され、明日の朝まで警戒態勢が続くこととなった。

 

「――“フローミ”」

 

 自室で紅茶を淹れ終えたアイナは海図に手をかざし、現在地検索の呪文を唱えた。

 

「やはりここも安全海域……魔物の出る海域はもう少し先のはずなのに。最近魔物の勢力範囲が広がっているという噂はよく聞くけど。……それともやはり」

 

 アイナが顔をしかめるのと同時に、自室の扉がノックされる。扉越しに名を呼ばれた。声の主はイーサンである。

 

「……」

 

 アイナは海図を畳み、扉を少しだけ開けた。

 

「……いかがいたしましたか?」

「ザックからおすすめの酒をもらったんだ。良かったら一杯――」

「要件はなんですか?」

 

 イーサンは差し出しかけたボトルを下ろし、ため息とともに肩をすくめた。

 

「……誤解を解きに来た」

「でしたらお引き取りください。徒労になるかと」

「待って、待ってくれアイナさん。話を聞いてくれ……」

「……聞くだけでしたら」

 

 アイナはしぶしぶ扉を開き、イーサンを自室に迎え入れた。

 

「ありがとう。えっと、せっかくだし酒も――」

「手短にお願いします」

「……じゃあ、ざっくばらんに行こうか。アイナさん、俺のことを目の敵にしているよね?」

「はい」

「はは、即答ね。……どうして?」

「どうして? 貴方のことを信用していないからですが?」

「それは……俺が魔物使いだから?」

「……」

 

 アイナは顔を背け、窓の外の夜闇に目をやった。

 

「気持ちはわかる。俺が人々をおびやかす魔物を従えてるのは、事実だ。それにあの日、アルフレッドの正体を暴くためとはいえ君たちを襲ったのも事実。君は他の使用人と一緒に眠らされてたから……諸々のいきさつを話でしか聞いていない。納得がいかないのもわかるよ」

「……ご理解がおありのようで」

「でも、そんな君がなんでここにいるのかがわからないんだ」

「と、言いますと?」

「君は俺のことを嫌いながらも、俺の旅の手助けをしてくれている。航海士として、俺を導いてくれている。……どうして? フローラのため? きっとルドマン家には一等航海士の資格を持つ人は他にもいた。わざわざここに来て、嫌いなヤツの旅の手伝いをするのはなぜだ? ……君の本音が見えない。君は一体、何を考えている?」

「何を考えているか、ですか……?」

 

 アイナは再びイーサンを見やる。その拳は握られ、微かに震えていた。

 

「それはこちらのセリフです……!」

「え……」

「旦那様も、お嬢様も。貴方を信用しきっている。ルドマン家に取り入り、あまつさえお嬢様を連れ去ろうとしている輩を! おふたりに何を吹き込んだのです……? どんなことを嘯き、お嬢様を洗脳したのです? 私たち家族を引き裂いて、貴方こそ何を企んでいるというのですか!!」

「違う! それは誤解だ!」

「誤解なものか!」

 

 逆上したアイナはイーサンの胸ぐらを掴み上げ、怒りを露わにする。

 

「みんな既に貴方を信用している。私も表立って動けない。だから、これはチャンスなのです。船の上という狭い世界で、お嬢様をお守りしながら貴方がボロを出すのを待てる絶好のチャンス。私は、私は必ず、貴方の化けの皮をはがす!」

「アイナさん……」

 

 イーサンは彼女の目を見る。そして複雑な感情を抱いた。彼女の言っていることは完全なる誤解で、フローラからしても見当違いの大きなお世話というやつだ。しかし、かつて悪逆の貴族に自分が抱いた想いと同じものを、彼女の瞳に感じた。

 

「じゃあ、俺がボロを出さなかったら?」

「……は?」

「船旅を通して俺のことを監視するんだよね? もし俺がなにも起こさず、健全な若旦那のままで船旅を終えたらどうするつもり?」

「……そのあとも付いて行くだけです。貴方が本性をあらわすまで、私がお嬢様をお守りし続ける……!」

「君の仕事は一等航海士だ。船を離れるわけにはいかないんじゃないかな?」

「……何が言いたいのですか」

「俺と勝負してほしい」

 

 アイナが目を見開く。

 

「君は俺がその本性とやらを出すのを監視する。そして俺は、何としてでも君の誤解を解き納得させる。期限はこの船旅が終わるまで、勝敗は君の判断だ。シロだと君が納得したら、その時点で俺の勝ち」

「そんな口車に乗るとでも……」

「逆に乗らないの? 目の前にいる悪党が、正体を暴く機会をあげるって言ってるのに」

「……貴方がクロだと確信したら?」

「刺し殺すなり、海に沈めるなり好きにすればいい」

「……!」

 

 アイナはイーサンの胸から手を離した。解放された彼は呼吸を整える。

 

「……お嬢様は私が守る。貴方は私が……倒す」

「うん。……時間を取らせてしまってすまなかった。酒は置いてくよ。実はそんなに得意じゃなくてね。じゃあ、おやすみ」

 

 イーサンは静かに部屋を出ていった。残されたアイナは机に置かれたボトルをしばし見つめる。

 ある記憶がフラッシュバックした。全身から冷や汗が噴き出し、アイナはそのボトルを窓から投げ捨てた。

 

「……お嬢様は、私が守って差し上げなくては……。必ず……必ず……」

 

 

  *  *

 

 

 夜風を浴びながら甲板を歩くイーサンに、心配性なキメラが声をかけた。

 

『マスター 大丈夫? 勝負 勝てる?』

「聞いてたのか……。うーんまあ、負けることはないだろうな。実際俺はシロなんだし、ボロの出しようがないんだって」

 

 アイナの決意、覚悟は本物だった。これは言葉ではなく行動で示した方が良いと、イーサンは思ったのだ。

 

『アルフレッド 卑怯だった。 また 嘘 でっちあげられたら……』

 

 確かに相手がアルフレッドのような奴ならこんな勝負、逆効果だったろう。実際に彼は話術と謀略で、シロのイーサンをクロにしてしまったのだから。

 

「彼女はすごく真面目だから、そんなことはしない。そういう人なら最初から、俺を陥れにきてるよ」

『心配。 マスター 負けず嫌い。 さっきのマスター 喧嘩腰。 危ない……』

「あ、あはは……確かに色々言われてちょっとムカッと来たのは認めるよ……。挑発、しすぎたかもな……」

 

 苦笑いを浮かべながら頭をかいていると、視界の端に白いものが映り込んだ気がした。

 

「ん?」

 

 そちらを向いても、特に何もない。たぶん帆の端か何かが目に入っただけだろう。

 

『頑張って マスター』

「うん。まあ何とかなるさ」

 

 イーサンは伸びをして、短く笑った

 そんな彼らを物陰から見つめる視線に、本人たちは最後まで気付けなかった。

 

 

_______________________

 

 ◎アイナ  23歳 女

 ・肩書き   不愛想な一等航海士

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:D すばやさ:B

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:C

 ・武器 銀の槍

 ・特技 フローミ、インパス

_______________________

 

 

 



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4-4. お化けパニック


こんばんは。イチゴころころです。

ドラクエ11初出の『メイデンドール』というモンスターがめちゃくちゃ好きということで私の中で話題になっています。
結構ホラーな見た目なので苦手な人は本当に苦手かも。私にはめっちゃ刺さりましたが。

しかも11Sなら乗れる。さらに色違いボスのメルトアには声もついてる。最高ですね。




 

 

 翌朝。

 アイナの献身的な妨害、もとい護衛によってなかなか妻に会えないイーサンにとって、唯一合法的に(?)フローラに会える食事の時間は何よりの楽しみであった。

 

「フローラ、体調はどう?」

「まずまず、ですわ。でもやっぱり慣れていなくて……」

 

 彼女に会えない理由がもうひとつ、それはフローラの体調不良である。慣れない船旅で船酔いが発症し、彼女もあまり自由に動けないのだ。本音を言うとアイナなんて張り倒して付きっきりで看病したいのだが、フローラの体調を鑑みると揉め事を起こすわけにもいかない。

 

「若旦那様にはもう少し自重していただきたく存じます。お嬢様の体調は万全ではない故、本来ならお食事もお部屋で取っていただくべきです(はやくボロを出してほしい。そうすれば心置きなく海に落とせるのに……)」

「ああ、申し訳ないねアイナさん(フローラの前だから何も言い返さないけど今に見てろよこんにゃろう)」

「いいのよアイナ。わたくしだってできるだけイーサンさんと顔を合わせていたいし(なんだか最近あまりお話ができていない気がするわ……はやく体を治さなきゃ)」

「ありがとうフローラ(可愛いなフローラ。ああ可愛い)」

 

 と、フローラの知らないところで静かなる攻防を繰り広げるふたり。その様子を遠目に見ていたトレヴァは、深くため息をついた。

 

「トレヴァ? マスター 何事 ナリ?」

『マスター アイナ に 喧嘩 売った。 アイナ 買った。 ふたり ばちばち』

「ケンカ! 楽しそう ナリ!」

『ロラン 邪魔 しないで ね? マスター 正々堂々 真剣 勝負』

「じゃあ トレヴァ! 英雄 ロランと 勝負 ナリ!」

『それは 遠慮 する……』

 

 

  *  *

 

 

 昼。いつものように甲板から海を眺めるイーサンに、休憩中のザックが話しかけた。

 

「船長。昨日はどうも、助かったっス」

「あ、うん。みんな無事で良かったよ」

「いやぁしかし、姐御の戦いっぷり、すごかったっスね!」

「姐御?」

「アイナさんの事っス。あんなにちっちゃくて可愛らしいのにてきぱき仕事ができて、さすがは一等航海士っス! しかもあんなにお強いなんて! もう船乗りみんなの憧れっスよ」

「あー、うん。まあ優秀な人ではあるよね」

「それと比べちゃうとちょっと……。船長って、前評判に反して存外普通っスね」

「ふっ……!?」

 

 突然鋭い言葉が飛んできたものだからイーサンは面食らってしまう。危うく縁から落ちようになった。

 

「あ、すんません! でもやっぱ『歴戦にして最強の魔物使い』みたいな触れ込みだったんで、もっととんでもないお方なのかと思ってました。マーマンごとき眼力で追い払うのかなとか思ってたんス……」

「そうなったら俺もう人間じゃないよ。そもそも、魔物使いから魔物取ったらただの人だからね? 昨日はトレヴァがいてくれたけど、俺ひとりの戦闘力なんてたかが知れてる」

 

 イーサン自身にも人並み以上に鍛えられた身体や技能はあるのだが、彼の本領は仲間たちとのコンビネーションだ。それは自分でも十分理解していた。

 

「言われてみればそうっスけど……ま、なんであれ船長にも助けられたことは事実っスからね! それに、ジブン的には良かったと思ってるっス! 船長が気さくな方で!」

 

 ザックは口を大きく開けて笑った。

 

「俺は魔物使いだけど……。君は嫌ったりしないでくれて助かるよ」

「魔物は怖いっスよ。船乗りしてるともう、何度も襲われますからね。でも、逆に慣れてるっていうか……。とにかく、船長は悪い人じゃねえって直感でわかるんス! ジブンの同僚たちだってきっとそうっス。船乗りなんてみんな、そんな大雑把な直感で生きてるんスから!」

「はは、胸に沁みるなぁその言葉……アイナさんもそうだったらいいんだけど……」

「そういえば船長と姐御、なんか仲悪いっスよね。何かあったんで? ひょっとして、色恋沙汰っスか?」

「じょーだん」

「まあ、あんま姐御を怒らせない方が良いっスよ? 昨日のマーマンみたく、串刺しにされちまいますからね」

 

 イーサンが乾いた笑いを返すも、ザックは気にせず話を続けた。

 

「そういや知ってます? パーシーが見たっていう幽霊の話」

 

 思わず首を傾げる。パーシーって誰だ。

 

「なんか、甲板に現れたらしいっすよ。幽霊」

「なんじゃそりゃ。現れたって……この船に?」

「ええ、なんでも船尾を白い影が横切ったって! パーシーのやつビビっちまって、船室で血相変えて喚き散らして! もうケッサクでしたよ」

 

 ザックが面白そうに笑う。そもそもパーシーがどんなやつなのか知らないんだけどなあ……。

 

「もしかして、この船呪われてたりしてな」

「ははは! 船長、ご自分の船に言うもんじゃありませんて! ま、悪い幽霊なんていたとして、姐御がさくっと串刺しにしてくれますよきっと!」

「好きだなそのフレーズ……ぅんっ!?」

 

 ザックの肩越しにその視線と目が合う。タルの陰に潜む……アイナの視線だ。

 

「どうしました船長?」

「いや、……なんでも?」

 

 しばらくして、休憩時間を終えたザックは持ち場に帰っていった。タルの陰からアイナが姿を見せる。

 

「……彼らの間で君、串刺しの姐御として通っちゃってるみたいだけど大丈夫?」

「汚らわしい男の言うことなど気にしません」

「ひでぇ言われようだ……。もしかしてだけどさ、俺のことこんな感じでずっと見張ってるつもり?」

「その許可をくれたのは貴方のはずですが?」

「まあそうなんだけど……一等航海士って、実は暇?」

「この場で刺されたいのですか」

 

 

  *  *

 

 

 それからというもの、アイナは徹底的にイーサンを監視してきた。甲板の散歩も、リズのお見舞いも、あわやお手洗いにまでついてこようとするものだから、正直イーサンは辟易している(お手洗いについてはさすがに引いてもらった。『そう言って、お手洗いで怪しい動きをされたら見落とすわけにはいきません』と言われたが『そんなに見たければ見るか? ああ?』と開き直ったら顔を赤らめて引き下がった。彼女にも恥じらいがあって良かったと思っている)。

 よほどイーサンがクロ、つまり悪者であるという証拠を見つけたいのだろう。しかし当然ながらイーサンはシロであり、すなわち無実というか全部アイナの勘違いである。昨日もトレヴァに言ったが、ボロなんて出しようがない。

 

「これで諦めてくれればいいんだけどなあ……」

 

 昨日は『何としてでも誤解を解く』と豪語したのだが、ここまできたらもう勝手に諦めてくれることを願うしかない。自分で自分を納得させない限り、アイナは折れないだろう。

 

『マスター 喧嘩腰 良くない。 愛妻家 アピール 大事』

 

 見かねたトレヴァが声をかけてくれた。最近彼女はよくイーサンに構ってくれている。リズがダウン、マービンが看病。ロランは奔放に遊びまわり、妻のフローラともあまり会えない。そんな主が寂しい思いをしないようにという、彼女なりの気づかいである。それに、喋れるようになって嬉しい気持ちもあるようだ。

 

「うー……ごもっともだよなぁ。ここまで徹底的に見られると、心象が大事なのはわかるけど」

『じゃあ そうするべき。 仲良く 仲良く』

「でも向こうだって敵意丸出しなんだ。俺だけが歩み寄るのも癪じゃないか」

『それは マスターの わがまま』

「はい……果てしなく正論です」

 

 

  *  *

 

 

 それからさらに4日後の夜。ストーカー一歩手前なアイナの監視にさらされ続けたイーサンは、今日も疲れ果てて自室のベッドに倒れ込んだ。

 

「だぁーーーーーしぶとい」

 

 何日も視線を浴び続けるのはさすがにストレスだ。あの女本当に航海士の仕事してるんだろうな? と思ったが要領の良い彼女のことだからきっと支障を出してはいまい。

 

「気が狂いそうだ……まさかそれが狙いか?」

 

 もはや一周回って根比べな気がしてきた。アイナは果たしていつまで、この出てこないボロを探し続けるのか。気が遠くなりそうな考えを辞め、イーサンは布団に潜り込む。

 

「……うん?」

 

 ふと、廊下の方から足音が聞こえた。その足音はイーサンの部屋の前まで来て、止まる。ノックの音はない。

 

「(まさかアイナさん、俺が寝てるとこまで監視するつもりじゃないだろうな……)」

 

 イーサンは頭を抱えた。眠りまで妨げられるとなったら、数日中にでも発狂してしまうだろう。……お帰りいただこう、最低限の安寧のためだ。とイーサンは身を起こす。彼女はすぐには納得しないだろうが、なんとか説得しなくては。肩を落とし、扉を開けた。

 

「アイナさ――」

 

 

 

 しかし、扉の前には誰もいなかった。

 

 

 

「……え?」

 

 左右を見る。それなりに長い廊下だ。一瞬で走り去るなんて不可能だし、そもそもそうしたら足音がするはずだ。廊下にはほかにもいくつか部屋があるのだが、いずれも今は使用していない部屋で、鍵がかかっている。扉の開閉音もしなかった。廊下には気味が悪いほどの静寂が広がっている。

 

「……」

 

 気のせい? いや、足音は確かに聞いた。本当に足音だった? いや、先ほども述べたようにこのフロアはイーサンの自室以外に使われてる部屋はない。だから基本的に物音はせず、何か別の音を聞き間違えることもないはずだ。先ほど聞いたぺたぺたという規則的な音は、誰かが歩く音以外の何物でもない。

 

 ……ぺたぺた?

 

 違和感を覚える。あの音は、擬音で表すなら間違いなく“ぺたぺた”である。しかしおかしい。それではまるで、裸足で歩いているみたいじゃないか。

 ぞくり。寒気がした。

 

「……はは。まさか、俺もう発狂してたりしないよな? ちがうよな……?」

 

 イーサンはランタンに明かりをつけ、廊下を歩きだす。

 

 この船は客室3階、船倉2階の構造になっている。イーサンの部屋は客室1階。廊下の突き当りを右に曲がれば甲板に、逆方向の突き当りを左に曲がることで上階への階段に差し掛かる。上階はアイナの自室と船長室。その上はフローラの部屋である。甲板から別の階段を下れば船倉へ降りることができ、そこは食堂などの公共空間。最下層は船乗りたちの居住フロアである。

 

 少し考え、甲板に向かう。アイナやフローラの方も気になったが、甲板には見張りの船乗りがいる。何か怪しい者がいたとしたら、彼らが見ているかもしれない。

 甲板に出る。夜風が頬を叩く。防寒具を持ってくれば良かったと、少し後悔した。

 

「せんちょー?」

 

 上から声がした。マストの中ほどに見張り台が設置されていて、そこに今日の見張りがいるはずだ。

 

「どうしましたぁ? 奥さんのお部屋なら廊下の反対側ですよ?」

「いや。……なあ、さっき誰か客室の方に行かなかったか?」

「えぇ? 何も見てませんけど。ザックがトイレに行ったくらいで。……そういや遅ぇなアイツ。一杯ひっかけてんじゃねえよなぁ……」

 

 今日の見張り担当は、彼とザックのようだ。

 

「……ザックはどこに行ったって?」

「『下』っすよ。たぶんみんなもう寝てるから、誰かの懐から酒でもパクってるんじゃないですかねえ? もし見かけたら、俺にも半分くれって言っといてくれません?」

「ああ、言っとくよ。ありがとう。……本当に何も見てないんだな? 怪しい影とか見つけたら、すぐ報告してくれ」

「りょーかいでっす。へへ、船長も信じてるんですかい? パーシーの言う幽霊ってやつ」

 

 そう言えば、数日前にそんな噂を聞いた。船上に浮かぶ白い影。眉唾物だと思っていたが、先ほどの不気味な物音を思い出した。イーサンはごくりと喉を鳴らす。

 

「そのパーシーに言っといてくれないか。今度幽霊に会ったら目的と思惑と、好きな異性のタイプを聞き取るようにって」

「へっへっへ! りょーかいっす!」

 

 けらけら笑う見張りを尻目に、イーサンは船倉へ向かう階段を降りていく。彼は明らかに飲酒していたが、今は不問とした。

 

 食堂に降りると、大きな木製の長机と、その間に同じく木製の丸イスが所狭しと並んでいる。基本的にイーサンは客室2階の空き部屋でフローラ・アイナと食事をとるので、ここにはあまり来たことがない。今でこそ静まり返っているが、就寝直前まで船乗りたちが宴会をしていたのだろう。食べ物と酒の匂いが微かに残っている。

 

 奥の方にお手洗いがあるのだが、人の気配はしない。見張りになると宴会には参加できなくなるので、ザックは本当に寝込みの酒をパクりに行ったのかもしれない。

 

 ……本当に気のせいなのかも。寒さに震え、イーサンは思った。足音を聞いたのも一瞬のことだし、それ以降特に変なことは起きていない。今日はせいぜい、ザックともうひとりの彼にちゃんと仕事をするように言い聞かせ、自分も寝た方が良いかもしれない。……アイナの視線にさらされ続け、いよいよ疲れが出ているだけだ。ならばなおさら、今日もしっかり休んで明日以降のストーキングに備えよう。そう思った。

 

 そう思った直後、イーサンの耳にまたもや音が届く。

 

――、――!

 

 それは悲鳴だ。階段の奥、下の階から聞こえた。

 

「この声、ザックか……!」

 

 乱雑に置かれてる丸イスをかき分け、階段を降りる。

 

 

 

 居住フロアの廊下には人だかりができていた。先ほどの悲鳴で目を覚ました船乗りたちが集まってきたのだろう。

 

「おい、どうした! 何があった!?」

「せ、船長……ザックが……!」

「ザック!?」

 

 人ごみの先に、ザックが倒れていた。不自然に体を痙攣させて、苦しそうに悶えている。

 

「大丈夫か、ザック? ザック!」

 

 声をかけると彼と目が合った。パクパクと口を動かしているが、小さなうめき声が聞こえてくるだけだ。汗が彼の頬を伝う。

 

「意識はある……けど尋常じゃない。ザック! いい、落ち着け! おい、医務室に運んでやれ!」

「へ、へい!」

 

 ザックは震えとも見えるほど体を痙攣させながら、他の船乗りたちに運ばれていった。

 

「……きっと呪いだ」

 

 集まった船乗りたちの中で、誰かがそう言った。

 

「おいパーシー、やめろ」

「だってそうだろ! ザックのやつ……怯えてるみたいだった。きっと幽霊にやられたんだ! 呪われて、体の自由と声を奪われたんだよ……」

 

 そう叫ぶと、のっぽの船乗りが頭を抱えてうずくまる。きっと彼がパーシーなのだろう。数日前に、白い影を見たという。

 

「ったく。船長、こいつの言うことは気にしないでやって下せえ。ザックはきっと、酒の飲み過ぎでぶっ倒れただけですって」

 

 船乗りたちの間に、嘲笑と安堵の声が湧く。しかし――、

 

――、――!!

 

「なっ!?」

 

 また悲鳴。今度は上からだ。

 戸惑う船乗りたちを尻目に走り出す。階段を越え、食堂を駆け抜けて甲板へ出た。

 

 先ほどの見張りが、マストの上から落ちてくるところだった。

 

「おいっ――!?」

 

 咄嗟に駆け寄るが、間に合わない。彼は積み上げられたタルの上に落下し、派手な音と共に破壊された木片が飛び散る。

 

「大丈夫か!?」

「あ……う…ぁ、……」

 

 タルが上手いことクッションになったようで、ほとんど外傷はなかった。しかし先ほどのザックと同じく、体をがたがたと痙攣させて、声も出ないようだった。

 

「何事です!?」 

 

 客室1階の扉が開かれ、ケープ姿のアイナが飛び出してきた。彼女は倒れている見張り、次に彼を抱きかかえるイーサンを見た。その表情が、困惑から怒りへ変わっていく。

 

「何を、しているのです……。なぜ貴方がここにいるのです……!!」

 

 彼女は立てかけられたモリを手にし、イーサンに突き付けてきた。

 

「違うアイナさん! 彼は――」

「黙れ下郎! ようやく動いたかこの――」

「船長!!」

 

 船倉からぞろぞろと船乗りたちが出てきた。アイナが再び、困惑を露わにする。

 

「リッキー!? 大丈夫か! せ、船長……それに姐御も!? い、一体何が!?」

「わからない。彼も医務室に連れて行ってやってくれ。……ザックと症状が同じだ」

 

 大柄な船乗りがふたり前に出て、見張りのリッキーを下へ運んでいった。

 

「い、一体、どういうことです……」

「アイナさん。君の望む展開でなくて申し訳ないけど、彼らを襲ったのは俺じゃない」

 

 イーサンはそう言うと、階段の横で震えているパーシーを見やる。

 

「……ゆ、幽霊の仕業だ。この船は、呪われてるんだ……」

 

 それから再び、アイナと目を合わせた。

 

「と、言うことらしい」

「ふざけるな……そんな世迷言に騙されるか。彼が襲われた場所に貴方もいた、それが動かぬ証拠だ!」

 

 改めてモリを構えるアイナを、船乗りのひとりが呼び止める。

 

「せ、船長はオレらと一緒に居ました! リッキーの悲鳴が聞こえた時、です!」

「なんだと……」

「アイナさん。この短時間でふたり、船員がやられた。それだけが事実だ。ここで俺を刺し殺してもいいが、その後船員たちが襲われない保証はどこにもないよ」

「じゃあ誰がやったというのです! ここにはポートセルミで乗船した乗組員しかいない!」

「わからない、けど。パーシーの言うことが本当なら……幽霊、だろうね」

 

 あたりが静まり返る。散々パーシーを馬鹿にしていた船乗りたちも、この状況を目の当たりにして軽口など叩けるはずがなかった。

 

「……しばらく、見張りの人数を増やそう。ザックもリッキーも、ひとりになったところを襲われた。今夜はとりあえず……えっと、そこの4人で。突然のことで申し訳はないけど、よろしく頼むよ?」

「り、りょうかいです、船長」

「今後、夜はなるべく部屋を出ないように。お手洗いとか、やむなく外出する場合もふたり以上で行動しよう。……アイナさん」

「えっ」

「恥ずかしながら俺は船乗りたちの業務を把握しきれていない。彼らの仕事に支障が出ない程度に、4人ひと組としての見張りのスケジュールを組み直してもらえるかい?」

「え、ええ。承知しました……」

「でも船長、どうすんですかい! この、幽霊を野放しにしたら……」

「わかってる。……()()退()()()()

「ええっ!?」

「これでも幽霊退治経験者なんだ。まあ、まだ本当に犯人が幽霊って決まったわけじゃないけどね。そろそろ無能船長を脱却して、船旅に貢献しないと」

 

 船乗りたちが顔を見合わせる。

 

「だから君たちは船のこと、それから君たち自身の安全を守ってくれ。犯人は俺が何とかする。なにか手伝ってほしいことがあったら声をかけさせてもらうから、随時協力をよろしくね。……よし、今日は解散」

 

 船乗りたちは小気味よく返事をし、各々船倉へ帰っていった。

 彼らを見届けたのち、アイナが口を開く。

 

「どういうおつもりですか……。一体何を企んで――」

「やめろよ。もうわかってるんだろ?」

「……」

「もし俺が本当に君の言うような悪党なら、初手で一般船員なんか狙わない。しかも特に慕ってくれてるザックなんてなおさらだ。……最初に襲うなら君のはずだ。違うかい?」

 

 ぎり、とアイナは奥歯を噛み締める。

 

「このまま船員たちが襲われ続けると船旅の続行すら危うくなる。無知な俺でもそれくらいは分かるさ。だから……退治する。俺とフローラの旅は『クイーン・ゼノビア』とそのクルーなしでは成り立たないんだ。俺は俺のやり方で、船を守る」

 

 飛び散ったタルのカケラをくず物入れに放り込み、イーサンは踵を返した。

 

「……お待ちください」

 

 アイナが呼び止めてきた。手に持ったモリを、ぐっと握りしめているように見える。

 

「貴方の好きにはさせない……。私は、貴方の正体を見極める義務がある。お嬢様に仕える者として、一等航海士として、貴方を野放しにするわけにはいかない、だから――」

「……」

「だから、()()()()()()()()()()()

 

 彼女の言葉に、イーサンは目を丸くした。

 

「船員を襲ったのが貴方でないと、私はまだ信用できません。だから貴方と一緒に、この事件を捜査します。その顛末を以って……貴方がシロかクロか判断いたしましょう」

 

 この数日、一向にボロを出さないイーサンに対しアイナ自身も辟易していたのだ。そしてこの事件は、平行線を辿っていたふたりの勝負を動かすチャンス。

 

「……これで俺への誤解が解けることを祈ろうか。じゃあ今一度……よろしく、アイナさん」

 

 イーサンが手を差し出す。アイナはその手を、たっぷりの懐疑と敵意をもって握り返した。

 

 

 



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4-5. お化け退治アゲイン


こんばんは。イチゴころころです。

海編こと第4章が始まって数日経ち、『これ、ごく自然な流れで水着回やれたんじゃね?』と今更のように思い至りました。しかし本編はイイ感じに引き締まってきているのでもう遅し……。

水着回やりてェーーーー。フローラにあぶない水着着てほしいなァーーーーー(欲望の権化)。
いつか幕間みたいなノリで差し込みます。絶対。





 

 

 乗組員が襲撃された翌日、イーサンたちは早速聞き込み調査を開始した。

 

「あ、船長。それに姐御も。どうもお疲れ様です」

 

 真っ先に向かったのはもちろん、第一発見者のパーシーの元だ。

 

「……パーシー君。お聞きしたいことがあります」

「ええ、わかってます。ゆ、幽霊の事ですよね……。僕も、昨日はよく眠れなくて、次に自分が襲われたらと思うと……」

「余計な言の葉は結構です。聞かれたことだけに答えてください。どこで、何を見たというのです?」

「え、ええっと……この辺です。た、確かあのマストとマストの間をこう、すーって横切ったんです。白い影が」

「証言が不明瞭ですね。そんな不確かなことだけで、幽霊だと吹聴して回ったというのですか?」

「え、ええっ!?」

「第一発見者はすなわち、容疑者でもあるということです。返答次第では、貴官を捕縛しますからそのつもりで」

 

 見かねたイーサンがふたりの間に割って入る。

 

「待ってアイナさん! 初っ端からなんでそんなに喧嘩腰なの!?」

「……彼が容疑者だからですが?」

「そんな圧迫感満載な聞き方したら彼だって萎縮しちゃうでしょ!」

「容疑者を庇うというのですか? でしたら貴方も……」

「客観的に見て! 頼むから! 今、この場で一番タチが悪いのは誰!?」

 

 アイナは少し目を見開き、バツが悪そうに視線を落とした。

 

「とにかく聞き込みは俺がやるから。パーシー、もう一度聞かせてくれないか、君が見たっていう幽霊の話――」

 

 イーサンがゆっくり語り掛ける様子を、アイナはメモを取りながら観察していた。パーシーと別れた後も、彼はテンポよく聞き込みを続ける。

 意外にも、『謎の白い影』の目撃証言は多くあった。どこそこを横切った、視界の端に映ったなど、見かけた船乗りはそれなりにいるらしい。幽霊だと気にしているのがパーシーというだけで、みんな帆や布と見間違えただけだと思っていたらしい。……もちろん、昨日の事件が起きるまでは、だ。

 

 医務室に運ばれたザックとリッキーの様子も見に行った。彼らは命に別状はないらしいが、やはり声が出せず、体の自由も利かない状態だ。さらに謎の痙攣は収まっておらず、体力を消耗する一方だという。鎮静剤を打ち、救護係が付きっきりで様子を見ている。

 

 完全にメモ要因となったアイナは、イーサンについて考える。

 彼女は根本的に男性というものを信用していない。主であるルドマン氏は例外だが、部下である他の船乗りたちのことも、ビジネスパートナー以上のことを思っていない。先ほどパーシーに言った通り、この船、引いてはルドマン家に不利益を被る輩を発見したら、問答無用で牢に入れるつもりで乗船している。

 

 そしてこの、フローラの夫になった男のことも、結婚式を経た今でさえ信用していなかった。フローラに言い寄る男は誰もが、ルドマン家の財産かフローラの容姿のみに惹かれたくず人間に違いない、男とはそういう生き物なのだからと、そう思っていた。加えて魔物使いの旅人という彼の経歴。彼女が敵意を向けるに十分である。だからこうやって船旅に出たのも、何か悪辣な思惑があるに違いないと、自ら名乗りを上げて航海士の任に就いたのだが。

 

「――さん、アイナさん?」

「えっ」

「どう思う? この幽霊の正体。あ、俺が犯人ってのはナシでお願い。話が進まないからね。船乗りの中に犯人がいるのか、はたまた魔物の仕業なのか。それとも、本当に幽霊がいるのか、とか」

「え、ええ。……少なくとも本物の幽霊の線はないでしょう。あれは小説の中だけに出てくる代物です」

「うーんどうかな」

 

 首を傾げるイーサンに、アイナは疑念の視線を向ける。

 

「昔、会ったことがあるんだ、幽霊。それも呪いで魔物になったとかじゃなくて、亡くなった人の魂が本当にそこにいるのを」

「ばかばかしいですね」

「レヌール王国、聞いたことない?」

「……数十年前に滅びたという、北の大陸の国ですね」

「そこの王様と王妃様、彼らの幽霊に会ったことがある。廃墟のレヌール城は魔物の棲みかになってしまってて、安らかに眠りたい彼らは困ってたみたいなんだ」

「レヌール領は今や誰も寄り付かない地と聞きました。そんな場所に、わざわざ旅に出向いたというのですか?」

「実はこれ、子供の頃の話。お化け退治に行ったんだよ。ちょうどレヌール領のすぐ近くに街があって」

「おひとりで、ですか?」

「いや、幼馴染と」

「なるほど、さすがに幼子ひとりでは危険が過ぎます。ふたりになったところで危ないのは否めません……が……」

 

 アイナは我に返る。いつの間にか、彼の話に耳を傾ける自分がいた。

 

「余計な話は結構です! 私は幽霊なんて信じません。犯行の手口からして、魔物の線で捜査を進めるのが良いでしょう」

「うん、だよね。俺もそう思ってたところ」

「なっ……」

 

 じゃあ今の話は何だったのかと睨み付けたら、イーサンは悪戯っぽく笑う。

 

「船に魔物が忍び込んでるってなったら、それはそれで大問題だ。行こうか、アイナさん」

「行くって、どこへですか」

「心当たり。というか、わかりそうな人を知ってるからさ。人? 袋? うーん……」

 

 

  *  *

 

 

 船倉最下層。船乗りの居住フロアを抜けた先の貨物室が、イーサンの仲間モンスターの寝床だった。本当は客室に専用の部屋が用意されているのだが、慣れ親しんだ馬車とパトリシアと一緒にいる方が落ち着くと、みんなここに集まっていた。

 

「ニャア……なんだが久しぶりニャ、ご主人……」

 

 積み上げられた毛布の上に、顔面蒼白のリズが横たわっていた。マービンは隣に座り、本を読んでいる。

 

「リズ。ちゃんとご飯食べてるか? 体調が悪いからって、最低限は摂らないとだめだからな」

 

 イーサンが首を撫でると、リズは気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。

 

「大丈夫、だ……。それに旦那が買いそろえてくれた本のお陰で、オレも先輩も、退屈せずに済んでいる……」

「それは良かったよ。ふたりとも、まだまだ先は長いけどよろしくな。……で、ロランはどこに行った?」

「あの新米は……いつも動き回っている……今もどこかで、遊んでいるだろうさ……」

 

 イーサンは肩をすくめた。まあ、だろうね。

 

 その後、トレヴァに協力してもらい彼の姿を散策。しばらくして廊下をぴょんぴょん跳ねるロランを発見した。

 

「……ふと思ったんだけどお前じゃないよな、幽霊の正体」

「ナリ?」

 

 しかしロランには船員を襲う動機も手段もない。

 

「魔物には可能だと思いますが? 船員の動きを封じることなどたやすいのでは」

「ロランの習得呪文はメダパニ・ラリホーマ・マヌーサ・マホトーンだ。あんな症状引き起こすことはできないよ。……白い影だけなら、こいつの可能性もあるけどね」

「英雄 ロラン は 無辜 の 民 を 傷つけない ナリ!」

「……まあ良いでしょう。それで若旦那様、彼が犯人に繋がるとは、どういうことなのですか?」

「よし。ロラン、この船全体で、妙な魔力反応がないか調べてくれないか?」

 

 ロランは魔力に敏感だ。恐らくは彼の自我、能力が魔力そのものであるからだろう。実際、トレヴァに次ぐ索敵要因として普段から役に立ってもらっているし、山奥の村にいるイーサンを見つけたのも、彼がイーサンの魔力を辿ったからである。

 ロランは快く引き受けると、目を閉じてふるふると身を震わせた。だがしばらくして目を開け、申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「魔力 反応 ナシ ……。 異常 検知 できず ……」

「え、本当? ちゃんと隅々まで見た?」

「マスター リズ マービン トレヴァ フローラ パトリシア あと ニンゲン たくさん 以上 ナリ」

 

 当てが外れたか……何か魔物が潜んでいたり、本物の幽霊だったりした場合、ロランのレーダーに引っかかると踏んでいたのだが。

 

「よしわかった。ありがとうロラン。君もなにかわかったらすぐ教えてくれ。あ、それと、船乗りたちを脅かしたりするなよ? 幽霊に勘違いされるかもしれないからな」

「了解 ナリ!」

 

 ロランは楽しそうに跳ねて去っていった。ともあれ、捜査は振り出しに戻るのである。

 

 

  *  *

 

 

 陽が傾くころ、ベッドに横たわるフローラは夫の顔を見て歓喜した。イーサンがこの部屋を訪ねるのは通算2回目である。理由は言わずもがな。アイナは部屋の入口に立ち、その目を光らせている。

 

「イーサンさん! 来てくれたのですね!」

「フローラ……なんか悪化してない?」

 

 彼女は恥ずかしそうに、毛布で口元を隠した。

 

「どうしても波の揺れに慣れないのです……。今は大丈夫ですが、頭痛も少しあって……」

「そっか……。まあ、無理しないようにね」

「実はここ数日、波が荒れ始めています。無理もありません。お嬢様を責めるのは筋違いではないかと」

「わ、わかってるって。ていうか大丈夫なの? 嵐でも来るの?」

「予兆はあります。が、潮の流れから鑑みるに、直撃を回避することは可能です。ご心配なさらず」

「すごい、一等航海士みたいなこと言ってる」

「紛れもなく一等航海士ですが?」

 

 ばちばちと視線を交わしていると、フローラがくすりと笑う。

 

「ど、どうしたのフローラ」

「いえ、なんだか嬉しくって。ふたりとも、いつの間に仲良しになったのです?」

「「仲良しに見える?/お嬢様、お戯れを」」

 

 抗議の声が重なる。その様子に、フローラは再びくすりとした。

 

「はあ……わたくしも体調が万全でしたら、イーサンさんと一緒に捜査ができましたのに……。ねえ、わたくしに何か手伝えることはありませんか?」

「いや、無理しなくていいからね?」

「嫌ですわ……せっかくわたくしにも、イーサンさんと一緒にお化け退治ができるチャンスが巡ってきたのに……。これを逃したら、今度いつお化けが出てくるかわからないのですよ……?」

「そう簡単に出てこられても困るでしょ……。フローラは、自分の健康第一で」

「うぅ……嫌ですわ……あんまりですわ……」

 

 ごねるフローラをあやし、一行は部屋を後にした。

 

 

  *  *

 

 

 甲板に戻ると、船首に人だかりを見つける。イーサンは嫌な予感がした。

 

「船長、姐御!」

 

 駆け寄ると、昨日と同じ症状に倒れる船員を発見した。しかも、4人。

 

「こいつら、ここで水嚢の運搬をしてたんだ……。でも、少し目を離したらこうなってて……。なあ、幽霊は夜しか現れないんじゃなかったのか!? 複数人でいたら大丈夫なんじゃなかったのか!? どうなってんだ……どうなってんだよこれ!!」

「落ち着け!」

 

 イーサンの声に、不安げなざわめきが収まる。

 

「医務室、まだ空いているな。はやく連れて行ってやれ。……それと、今日はもうみんな部屋に戻ろう。鍵をかけて、部屋の中でも交代で見張りを立てつつ休んでくれ」

「でも船長……このままじゃ――」

「わかってる。航海の続行に支障が出る。俺とアイナさんでどうするか話し合って、今夜中には答えを出そうと思う。みんな、これ以上の被害者が出ないよう護身に勤めてくれ……。アイナさんもそれでいいね?」

 

 彼女は傍らで、強張った表情のまま震えている。

 

「アイナさん?」

「う……え、はい。そうしましょう。みなさん、片づけを済ませ次第、各自部屋に戻るように」

 

 ざわざわと、船乗りたちが散っていく、その足取りはどれも重い。不安を煽るように船が揺れた。いつもより落ち着きのない波音が、乗組員たちの胸をねっとりとくすぐった。

 

 そして夜。イーサンはロラン、トレヴァと共にアイナの自室に集まっていた。ゆらりゆらりと、船が不快に揺れている。

 

「嵐が近い……。これ以上の進行は厳しいです。引き返すしか、ありません」

「回避できるというのは?」

「的確に船を動かすには航海士全員の協力が必要不可欠です。幽霊騒動でそもそもの人手が不足している上、士気も低下しています。とても、嵐を回避できる余裕があるとは思えません……」

 

 アイナが悔しげに目を背けた。

 

「でも引き返すとなると相当な時間を食うわけで、物資や食料の貯蔵量からして……ポートセルミまで戻らなきゃならない、そういうこと?」

 

 赤い羽根帽子の航海士は俯いた。肯定と捉えて良いだろう。

 イーサンとしても、それはなるべく避けたかった。既に出航してから10日近く経過している。ここまでの苦労と時間を、水の泡になどしたくはない。

 

「それに……このまま進むとして、もうひとつ気になることが」

「うん?」

 

 アイナは海図を開く。これまで数多の船乗りたちが記録してきたのだろう、海域ごとに色分けがされていて、魔物が出やすい海域ほど、濃い色が使用されているようだ。

 

「失礼。……“フローミ”」

 

 アイナが魔力を海図に注ぐ。現在地を示すその呪文が発動すると、暗めの赤色に染まった箇所に、光る点が浮かび上がった。

 

「これが今、我々のいる場所です。……本来ならば、とっくに魔物の出やすい要注意海域に突入しています。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 イーサンの頬を、冷や汗が伝うのを感じる。アイナはさらに、現在地の少し西側、何も色付けされていない箇所を指さした。

 

「そして……ここが先日、“マーマン”の襲撃にあった場所です」

「……!」

「明らかにおかしい。魔物の生息域が、我々の知るものと違っています」

「この海図、大昔のものなんだよね? 航路の記録が失われる前の……。時代が変わって、生息域も変化したっていう可能性は?」

「無いとも言い切れません。しかし大陸全体で魔物が活発になっている近代の海洋理論において、沖の方が安全というのは不自然が過ぎる……。仮に嵐がなかったとしてもこの先に進むのは……リスクが高すぎます。せめて、せめてこんな幽霊騒動さえなければ……!」

 

 アイナは感情的に机を殴りつけた。彼女は一等航海士だ。領主であり自らの主でもあるルドマン氏に認められた船乗りとして、プライドがあるのだろう。

 ……そしてその怒りは、歪にねじ曲がり目の前の男へと向けられることになる。

 

「……いい加減に、してください」

「え……?」

「貴方がっ、この幽霊騒動の犯人だ! 証拠も証言も出尽くした、もう他に考えられない!」

 

 彼女は怒りに顔を歪ませ、イーサンに詰め寄る。

 

「私を、私たちを弄んで何が楽しい! こうやってひとりずつ船員たちを襲っていって、私を精神的に追い詰める算段か!? ああ!!」

「違う。そんな根拠はどこにもないだろう。アイナさん、君だってわかってるはずだ」

「わからないから困っているのだ!」

 

 アイナは声を張り上げる。その剣幕に、ロランもトレヴァも硬直していた。

 

「……頼む、頼む。落ち着いてくれ、アイナ!!」

 

 イーサンが彼女の肩を掴む。その瞬間、びくりと彼女の体が震えた。

 

「――、――………」

 

 アイナの顔が青ざめる。ぱちぱちと、嫌な記憶が呼び起こされる。

 

「触らないで!!」

 

 咄嗟にイーサンの手を振り払った。その様子にイーサンは少し驚く。ついさっきまでの取り乱し方と、何かが違う気がした。

 

「触ら、ないで……。貴方は、お嬢様と結婚するべきではなかった、この船に、乗るべきではなかった……。自分の利益と、快楽しか頭にない、腐れきった男の分際でぇっ!!」

 

 支離滅裂な叫びにイーサンは目を丸くする。彼女の声には明らかな怯えと、悲痛さが入り混じっていた。

 

 

 

「――撤回しなさい、アイナ!!」

 

 

 

 突然の怒声に振り返ると、開かれたドアの向こうにフローラがいた。不規則に揺れる船内で彼女の顔色は悪く、今も柱に寄りかかっている状態だったが、その視線ははっきりと、戸惑うアイナを見据えていた。

 

「おじょ――」

「これ以上、わたくしの夫を侮辱する言葉は許しません」

「し、しかし、こいつは――」

()()()

 

 フローラの声は小さく、しかし圧倒的な凄みを感じさせるものがあった。

 

「アイナ、なぜ? 貴女はわたくしが幼いころから、ずっとお世話をしてくれた。お父様のお仕事の手伝いをしながら、わたくしのことも見守ってくれて……。貴女は何でもできる素晴らしい女性です。それはひとえに……周りを見る目に長けているから、わたくしはそう思っていました」

 

 静かに、フローラは語りかける。アイナの震えが少しずつ大きくなっていく。

 

「でも、なぜなのです? 今の貴女は……イーサンさんを”見ていない”。彼を通して、別の何かを見ているようにさえ思えます。アイナ……彼はこんなにも、わたくしたちとこの船のことを考えてくれています。ずっと寝込んでいただけのわたくしにだってわかるのです。でも今、貴女のその慧眼に、イーサンさんはどう映っていますの?」

「それは……いえ、これはお嬢様のためで――」

「やめなさい」

 

 つい口が滑り、アイナはどきりとする。フローラはこのフレーズが嫌いだ。それは分かっていたはずなのに。

 

「わたくしを言い訳にしないで。確かにわたくしは、守られるだけの女でした。こうやって船に乗るだけで体を壊し、未だに呪文すら満足に扱えない。でももう支えてくれる、いえ、一緒に支え合えるお方ができました。……お父様や、貴女に守られる幼い少女では、もうないのです」

「……っ!」

「わたくしは、幽霊騒動のことを良く知りません。誰が犯人かなんて見当もつかない。でも彼が犯人じゃないことだけは、胸を張って断言できますわ。証拠は……ありませんけどね」

 

 フローラはおどけて肩をすくめ、姉同様に慕ってきたアイナを再び見据える。彼女は短く唸り、頭を掻きむしった。立派な羽根帽子が、ふわりと床に落ちる。

 

「――ごめんなさい、お嬢様……!」

 

 涙声だった。アイナは顔を伏せたまま駆け出し、部屋を飛び出していった。

 

「あ、アイナ!」

「待ってフローラ」

 

 追おうとしたフローラの腕をイーサンが掴む。直後めまいに襲われ、そのまま彼にもたれかかった。

 

「あ……ぅ……」

「体調も万全じゃないのに無理するからだよ。でも……ありがとう。嬉しかった」

「イーサンさん……」

「あとは俺に任せて、部屋で休んでいて。トレヴァ、看病をお願い」

『任せて マスター』

「……それからロラン」

『ナリ ??』

 

 きょとんとするロランにあることを耳打ちし、疲れ切った様子のフローラを再び見る。

 

「イーサンさん、アイナは……」

「うん。今度は俺が、彼女と話さないとな」

 

 フローラは額に汗を浮かべながらも優しく微笑み、トレヴァと共に自室へ戻っていった。

 

「……アイナ」

 

 イーサンはゆっくりと息をつき、階段を降りていく。

 この勝負に、決着をつけるときが来たようだ。

 

 

 



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4-6. 交わる刃と心


 どうもこんばんは。イチゴころころです。

 オリキャラにして4章メインキャラのアイナちゃんが結構お気に入りです。オリキャラなのに、いやオリキャラだからか。

 本業はお屋敷のメイドですが、ルドマン家の使用人の内、特に能力の高い人物は何かしらの資格を取得することが推奨されます。『その人の資質はルドマン家の敷地内にとどまらずサラボナ、ひいては西の大陸全土に貢献させるべきものである』というルドマン氏の意向です。一等航海士の他には建築士・薬剤師・ゴールド銀行員などがあり、使用人としての職務とローテーションしています。

 大陸間航行の廃れた現代においてアイナちゃんの『一等航海士』の資格はほぼ死にスキルのようなもので、ポートセルミの漁師がちょっと遠出するときに声が掛かるかなーくらいのものでした。しかし彼女自身はこの副業にある程度誇りを持っているようです。

 語っちゃった/// 
 こんな感じで色々妄想してます。本編とあわせて楽しんでくれると嬉しいな。





 

 

 ぐちゃぐちゃと、思い出したくもない記憶が頭の中を掻きまわしていく。

 アイナは甲板の(へり)にもたれ、心を締め付ける嫌悪感と戦っていた。そしてそれに屈し、海に向かって嘔吐する。

 

「はあ、はあ……! えぁ、っ、あぁ……!」

 

 そのまま膝から崩れ落ちた。乱れた呼吸は一向に治まってくれない。

 

「もう、……捨てられるのは、嫌だ……置いていかれるのは、嫌だ……! フローラ、お嬢様……。ああ、捨てられたくない。私は、もう……!」

「――フローラは、別に君を捨てるつもりも、置いていくつもりもないと思う」

「……!」

 

 声の主はイーサン。手すりに掴まり揺れを抑えつつ、もう片方の手でタオルを差し出している。

 

「くるな……!」

 

 手を振り払い、距離を取る。しかし船が大きく揺れ、バランスを崩したアイナは無様に転がった。

 

「アイ――」

「私は!」

 

 仰向けになったまま、彼女は叫ぶ。イーサンに、そして自分にも言い聞かせるように。

 

「……幼いころ母を亡くした私は、父とふたりで暮らしていた。ポートセルミのはずれの、吹き溜まりのような質素な小屋が我が家だった」

 

 荒れる波の音に彼女の声がかき消されそうになる。しかしイーサンは、アイナの言葉にしっかりと耳を傾けた。

 

「そんな父は、私を捨てて去っていった。ある日、突然! ようやく家事を覚えたばかりの、無力な私をひとり残して!!」

 

 彼女の叫びが、波の音を切り裂いていく。

 

「それからの私の毎日を、お前に想像ができるか!? 港のごろつきどもに叩き付けられる暴力を、肉欲を! 自分の体をドブさらいのようにかき回される恐怖を! 男の、お前に! ……理解ができるか!?」

 

 イーサンは喉の奥が乾いていくのを感じた。似た感覚は知っているはずだ。彼もまた幼少期を奴隷として過ごした経験がある。だが……イーサンは男だ。近い境遇にあったマリアならともかく、今の自分には、目の前の小さな女性が抱いていた恐怖を受け止めるには、重すぎるように感じた。

 

「そんな私を……お嬢様が、救ってくれたのだ……」

 

 

 

 絶望すら通り越して虚無の境地に陥っていた当時のアイナは、その日その日の食を繋ぐことで精一杯だった。毎日体を貪りに来る男たちに抵抗しなかったのも、彼らを喜ばせれば食べ物を分けてもらえることが多かったからだ。否、絶え間なくぶつけられる暴力に、抵抗する力と心を削ぎ落されてしまっていたのかもしれない。

 しかしその日、路地裏に顔を出したのはいつもの悪漢ではなく、蒼い髪をした幼い少女だった。

 

『おとうさま、あのひとを、たすけてあげたいです』

 

 父と呼ばれた男性は驚きを露わにし、少女を優しく諭す。

 

『どうしたんだい、いきなりそんなことを言って』

『だってかわいそうです。みすてたくないです。わたし……()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉の意味をアイナは知る由もなかったが。彼女の父は誇らしそうに、娘の頭を撫でた。

 

『わかった……私が何とかしてみよう』

 

 かくして吹き溜まりにうずくまるように生きてきた少女は、世界一の大富豪に拾われることとなった。すべてを嫌い、拒絶するかのように凝り固まったアイナの心は、彼女より一回りも幼いフローラの澄み切った心に触れ、少しずつ、少しずつ、彩を取り戻していくのである。

 

 

 

「私は決めた……私を、ごみ溜めの底から救い出してくれた彼女に、すべてを捧げて尽くすと。私の魂は死んでいた。今、この魂の炎は、お嬢様にくべられたものだ……! だから私は、この魂をお嬢様のために使う。そう決意した……」

 

 アイナの声が沈んでいき、再び波音に呑まれていく。

 

「それ、なのに……」

 

 “貴女に守られる幼い少女では、もうないのです”

 

 フローラに言われた言葉が胸を刺す。

 

「彼女も、彼女の想いも、私自身の過去をも言い訳にして、私はあらゆることから目を背けていた……。守られているのは、私の方だった……」

 

 絞り出すような彼女の言葉を、イーサンは静かに受け止めた。

 

「――私の負けです、イーサン様」

「あ……」

「アルフレッドの凶行を、貴方は身を挺して暴いた。その命を懸けて、お嬢様と旦那様に真実を伝えた。……私にはそれができなかった。みんなに信用されているあなたを表立って糾弾すれば私の方が白い目で見られる、かつての貴方のように。……それが怖かった。だから船旅などという言い訳を以って、姑息な手段で貴方を追い出そうとした。この船に乗った時点で……私の負けなのです。数々の無礼、疑ったこと、どうかお許しください……」

 

 アイナはふらふらと立ち上がる。

 

「でも――」

 

 そして懐から、銀色に光る槍を取り出した。

 

「それでも私は! お嬢様を私たちの元から連れ出した貴方を、一発ぶん殴らないと気が済まないのです!!」

「……え?」

 

 思わぬ一言に、イーサンは目を見開く。アイナの目には大粒の涙と、確かな覚悟が浮かんでいた。

 

「剣を抜きなさい、イーサン!! 最後にこの私と、本気の勝負をしてもらいます!!」

 

 高波が船体に当たり、水しぶきがふたりを包む。彼女の銀色の槍が、海水に濡れてギラリと光る。

 

「……な、るほどね。無茶苦茶な展開だけど、そういう雑な発想は嫌いじゃないよ」

 

 観念したように『破邪の剣』を引き抜いた。切っ先で床を引っ掻き、腰を低く構える。

 

「――いざ」

「――いざ!」

 

 

 

「「――勝負!!」」

 

 

 

  *  *

 

 

 幾重にも重なる銀色の軌跡が、イーサンの体を穿とうと飛来する。剣で弾き、受け止め、時には躱し、その必殺の一撃をいなしていく。

 

 正直、防御で手一杯だった。

 彼女の繰り出す槍の一撃はひとつひとつが凄まじい正確性と速度を誇る。対して、イーサンの扱う『破邪の剣』はやはり扱い慣れないのか、重鈍さが目立つ。今まではフローラの“バイキルト”や仲間のフォローを以ってその隙を埋めていたのだ。

 

「――っふ!」

 

 アイナが床を蹴り、体を浮かせると、その瞬間に船体が揺れる。バランスを崩したイーサンに槍の一撃が飛来し、彼は床を転がることで何とか避ける。

 

「波の予測もお手の物ってわけね、さすがは航海士!」

「“一等”航海士です、お間違えなきよう!」

 

 揺れる船上での戦いは、アイナとイーサンでは経験値が違う。ただでさえ不安定な足場を巧みに移動し、波音から揺れをも予測し常に有利に立ち回る、それがアイナの戦い方だった。

 

 薙ぎ払いに弾き飛ばされ、イーサンは再び距離を取る。

 

「こっちにも魔物使いとしての戦い方をさせてもらいたいとこなんだけど、さすがに興ざめだよな!」

「構いませんが? 何匹でも、まとめてお相手して差し上げます」

「言ってくれるね! でも生憎、みんな別件で忙しいんだ! 俺ひとりだけど、我慢してよね!」

「ではっ、大人しくっ、殴られてっ、欲しいものですねっ!」

 

 咄嗟に片足を上げると、すぐ下の床が槍に穿たれた。

 

「『殴る』って……さっきから殺す気満々だよね!? ケガでもしたらどうするの!」

「お友達のキメラが、回復をかけてくれるでしょうよ!」

「雑だな! でもまあそういうことなら……俺もその気で行くからね!」

 

 振り下ろされる槍を剣で受け止めると、返す刀で柄の宝玉を起動した。不意打ちのようで気が引けたが、こうでもしないと割と本気で殺されかねない。

 だが――。

 

「“ギラ”ですね? 見切っています」

 

 完璧なタイミングでアイナは飛び退き、吹き出す炎を余裕で回避した。……この剣の性能を知っていなければ、わかるはずのないタイミングだ。

 

「……?」

 

 ふと違和感を覚えて己の得物を見ると、薄い魔力の光に包まれているのがわかる。

 

「……『破邪の剣』。刃渡り150㎝、重量大。素材は玉鋼を基盤にした特殊合成金属。宝玉の属性は“炎”。道具として使用することで“ギラ”を放つことができる」

 

 彼女の片目が、剣を包む光と同じ色に輝いていた。鑑定呪文“インパス”、対象の情報や状態を把握する、彼女の得意呪文のひとつだ。

 

「手の内はバレてるってか……? いよいよ笑ってられないぞ!」

 

 そのままイーサンはあれよあれよと、船首まで追い詰められた。これ以上下がれば、荒れ狂う海の底まで一直線である。

 

「恐れ入ったよ。船上での戦い方、今度ご教授願いたいね……」

「では、勝負ありということで。流石に刃では殴りません、ご安心を」

「まだ降参って言ってないけど?」

「何を言うのです……かっ」

 

 アイナが波の音を捉え、小さく腰を落とした。

――その隙を、イーサンは逃さない。

 

「……“バギ”!!」

「!?」

 

 『波を予測する彼女の動き』を予測し、浮いた彼女の足元につむじ風を叩きつけた。空中で回避などできるはずもなく、小さな体は宙を舞う。船体が揺れイーサンも大きくバランスを崩すが、片膝をつくだけのイーサンと風に吹き上げられたアイナとでは、隙の大きさも段違いだ。

 

「あうっ!」

 

 背中から床に落下し、アイナの視界はぐらぐらと揺れる。

 そしてようやく定まった視線の目の前には、剣の切っ先が突き付けられていた。

 

「う……」

「勝負ありって言いたければ、ここまでしないとね」

 

 アイナは槍を手放し、両手を上げて項垂れた。

 

「完敗……ですね」

「何を言う、君の圧勝だった。ほんの少し、俺の工夫が上手くいっただけだ」

「いえ……」

 

 顔を上げるアイナと目が合う。今までの彼女からは見たこともない、穏やかな表情だった。

 

「きっとこれが“差”です。踏み込んだ貴方と、踏み込めなかった私の。ですので納得です。貴方は……強い」

「……最初はどうなるかと思ったけど、結果的にはこの勝負、やって良かったのかな。……ほら、アイナ」

 

 イーサンが剣をしまい、手を差し出す。アイナはその手のひらをしばし見つめ、ゆっくりと、自らの手も差し伸べた……。

 

 

 

 しかしその手は繋がれることはなく、イーサンの体はバチンという不自然な音と共に崩れ落ちた。

 

 

 

「……!? イーサン様!?」

 

 彼は苦しげに、手足を痙攣させて悶えている。この症状を、アイナは嫌というほど見てきた。

 

「これは、幽霊か!?」

 

 顔を上げると目の端に白い影が映り込んだ。それはゆらゆらと、物陰の向こうへ去っていく。……完全に忘れていた。アイナは自分の気持ちのことで精一杯で、今この船を脅かす存在に完全に後れを取ってしまった。

 

「まずいっ!! 待て――」

「いい、アイナ……!」

 

 そんな彼女を呼び止めたのは、他でもないイーサンだ。

 

「だい、じょ、ぶ……! ()()()()()! ……ロラン!!」

 

 直後、リリーンという妙に穏やかな音が聞こえてきたかと思うと、去り行く白い影がべしゃりと床に落下した。そして、すぐそこのタルの陰から宝石袋が顔を出す。彼のラリホーマによって、襲撃者は鮮やかに無力化された。

 

「マスター! 無事 ナリ!?」

「い、や……ぜんっ、ぜ……!」

「元気 何より ナリ!」

 

 アイナは胸を撫でおろし、その場にへたり込んだ。皆が部屋に閉じこもる今、甲板に出れば間違いなく”狙われる”……彼はこうなることも想定して、あらかじめこの従者を隠れさせていたというのか。

 

「イーサン様。さすがです。やはり、私の完敗ですね……」

「はは……見直し、て、くれて……良かっ……。ア、イナ、はや、犯人、を……」

「ええ、すぐに貴方様も処置します、しばしお待ちを」

 

 アイナは傍らの宝石袋と目配せをして、眠りこけているはずの襲撃者に、慎重に歩み寄った。そして、目を疑う。

 

「これが……幽霊騒動の犯人……?」

 

 白い艶やかな体に、細くしなやかな触手。ワインボトルほどの全長のそれは、海上でも最弱クラスの魔物である。

 

 

 

 たった一匹の“しびれクラゲ”が、静かに寝息を立てていた。

 

 

 

 

 



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4-7. 嵐、夜空を喰らう


 こんばんは。イチゴころころです。
 前回の前書きではつい語り過ぎたような気がしましたが、今回も懲りずに語ります。

 前回、対人戦で鑑定呪文”インパス”を活用したアイナちゃんですが、あれは『戦闘向きじゃない呪文を戦闘に活かして戦うのって、かっこよくね?』という私の願望から生まれました。

 この世界の”インパス”は対象の情報・状態を視界に表示する呪文です。文字通り物品の鑑定や耐久度チェック、原料判別など幅広く使えるので各地の商人たちには必須の呪文ですね。ルドマン家の使用人として就職する上での必修呪文にも指定されていて、アイナちゃんもその関係で覚えました。
 ちなみに2章で偽のリングを提出したアルフレッドは『これはインパスを使ってちゃんと鑑定しました。担当者:○○○』みたいな偽のインパス証明書も同時に提出しています。

 アイナちゃん自身が頭の回転が速いのとそれなりに博識なのもあり、戦闘に応用させて使っています。もちろん原作の通り宝箱に化けたモンスターの判別にも使えます。

 とまあ今日はこの辺りにして、本編行きましょう。
 幽霊騒動の結末や如何に。





 

 

 アイナの部屋に搬送されたイーサンは『満月草』を摂取し、全身を蝕む呪縛から解放された。渡された水筒の水を飲み、額の汗を拭う。

 

「まさか、“幽霊の呪い”の正体がマヒ毒だったとはなぁ……」

「満月草の備蓄は十分にあります。先ほど医務室の方にも伝えたので、乗組員の皆さんもすぐに助かるでしょう」

 

 どうにも幽霊という先入観があったせいか、ザックら乗組員たちの症状がマヒであることに絶妙に気付けなかった。正体不明の症状に、下手な治療も憚られたしまったというのもある。

 

「しかし、イーサン様」

 

 アイナは部屋の隅に目をやった。そこにはそんな幽霊騒動の犯人、眠りから目覚めたしびれクラゲがふるふると身を震わせていた。

 

「なぜ奴を船内へ招き入れたのですか? 幽霊騒動の犯人にして、この船の航行計画に多大なダメージを及ぼした凶悪な魔物です。ここで倒すのが道理かと。それとも貴方は、魔物使いという名を被った魔物愛護団体の会長か何かですか?」

「そうじゃない。少し気になることがあって……」

 

 イーサンはフローラから借りたモンスター図鑑を取り出し、“しびれクラゲ”の項目を開く。前回の船旅で既に遭遇しているので、そのデータはすぐに表示された。

 

「……一等航海士であるアイナの方が詳しいかもしれないけど、“しびれクラゲ”は海上で最も危険度が低い魔物だ。マヒ毒は確かに厄介だけど、そもそも気性が穏やかで滅多に人間を襲わない。それどころか怖がって逃げることの方が多いとある。ロランの探知にかからなかったのも納得だよ。そんな魔物がなぜ、幽霊騒動なんかを引き起こしたのか――」

 

 イーサンは傍らのトレヴァに目配せする。聡明なキメラは主の意図を汲み取り、ぱたぱたとその“しびれクラゲ”に近付いていった。

 

『キキッ』

『るん………?』

「……彼女はまさか、“翻訳”をしていると言うのですか」

「うん。人語を覚えていない魔物でも、魔物同士なら意思疎通の難易度は低い。賢いトレヴァにかかればなおさらだ。どうにかして、この魔物の真意を知りたくてね」

「そこまで深い意味があるとも、とても思えませんが……」

「この幽霊騒動、そもそも歯切れが悪かったと思わない? 命に関わるような被害は出さず……なんていうか本当に、『怖がらせる』ことを目的としていたような」

 

 被害者が出るタイミング。手法。そして回数を重ねるごとに増える被害者の数。船内の士気がみるみる下がっていく様を思い出す。そして実際にイーサンたちは、得体のしれない襲撃者を恐れ、引き返すことを決めかけていたのだ。

 

「まあ、魔物に詳しい貴方がそう言うのなら……。その魔物ももう害意はないようですし、気が済むまでお調べになるのが良いでしょう。ただし、責任を以って監視はしていただきますよ」

 

 彼女の言葉は相変わらず辛辣だったが、声色に以前までの刺々しさは感じられない。そんな彼女の横顔を見て、イーサンは安堵の微笑みを浮かべた。

 その直後、木のきしむ音と共に船体が大きく傾く。咄嗟に柱に掴まって耐えたが、テーブルの上の物が軒並み床に落ちてしまった。ころころと、水筒が部屋の端まで転がっていく。

 

「くっ、いよいよって感じだな……。アイナ、犯人も捕まったし、ザックたちのマヒが治ったらすぐにでも航行準備を進めてくれないか? 本当に嵐が直撃しそうだ」

「ええ、そのつもりです。……どうやらこの嵐、思った以上に速度がある。何とか離脱はして見せますが、ある程度煽られるのは覚悟していただけると」

「うん。よろしく頼むよ、一等航海士どの」

 

 ふと、床に落ちた海図を見つけた。今の揺れでテーブルから落ちたのだろう。畳まれた海図は半開きになり、赤黒く塗られた海域がちょうど見える。先ほどアイナが“フローミ”を使って割り出した現在地。本来なら魔物が多数出現する要注意海域らしいが、なぜかイーサンたちは襲撃を受けていない。それこそ、この“しびれクラゲ”くらいのものだ。

 ……改めてその海図が目に入り、イーサンは違和感を覚えた。いや、違和感というよりは、既視感に、近い……。

 

「魔物がいるはずなのに、……いない?」

「イーサン様?」

「……アイナごめん。今すぐ、船を動かせる? すぐにここを離れたい。嫌な予感がする」

 

 その言葉にアイナが首を傾げると、しびれクラゲと意思疎通を図っていたトレヴァが声を上げた。

 

『マスター! アイナ! この子 ……!』

『る……るん……!』

 

 その小さな魔物は頭を抱えるようにうずくまり、人間には理解できない言葉で語り出す。

 

『るん…るん……』

『“にげて、ほしかった”』

『るるる……るん……!』

『“ふね、たび、やめて、ほしかった”』

 

 ぽつりぽつりと、しびれクラゲは想いを伝える。その魔物が幽霊騒動を引き起こし、イーサンたちを恐怖に陥れた理由。

 

『“かえる、べき、だった”』

 

 船が傾く。ばたばたと、雨粒が窓を叩く。

 

『“もう、おそい、()()が、くる”』

 

 その言葉は、トレヴァにしかわからない。しかし、その魔物の表情が恐怖と絶望を表していたのは、イーサンとアイナにも理解できた。

 

 

 

『“みんな、あらし、に、たべられる――!!”』

 

 

 

 直後、船体が大きく揺れた。今までとは比べ物にならない激しい揺れ。イーサンは今度こそ尻餅をつく。

 

「アイナ、今のは――!?」

「波の揺れじゃない! 何かが、ぶつかった――!?」

 

 ふたりは目を合わせ、頷く。そして仲間たちを引き連れ、再び夜の甲板へ飛び出した。

 

 

  *  *

 

 

 外に出ると、強風と水しぶきに真横から殴りつけられた。この水が雨なのか海水なのか、もはや判断がつかない。

 クイーン・ゼノビアはまさに嵐の真っただ中にいるようだった。雨音と波の砕ける音、風の吹きつける音が重なり、不快な轟音として一同を包む。夜闇に加えて大雨も視界を遮り、夜間灯の明かりもほとんど意味をなしていない。

 

「くそっ、どうなっている!?」

「わかりません!! 嵐が、こんなに速くぶつかってくるなんてありえない!」

「ロラン! 魔力は!? まさか、『いる』のか!!」

 

 呼びかけに応え、ロランが魔力探知を行う。彼は目を見開き、大きく飛び跳ねながら叫んだ。

 

「魔力 反応 大! すぐ そこ ナリ!」

「なにっ」

 

 彼の視線を追い、目の前のマストを見やる。否、こんなところにマストなんてなかったはずだ。高くそびえたつソレは、ぬらりと不敵に光る巨大な触手――。

 

「まずい、避けろみんな!!!」

 

 その極太の影が傾き、こちらに向かって叩きつけられた。甲板を転がって避けるも、大きな振動に襲われ体が跳ねた。タルや縁が砕け散り、木片が強風に巻き上げられる。

 

 雷鳴が轟き、空が光る。その一瞬で浮かび上がる姿を、誰もが見逃さなかった。

 

 船の横にそびえる『塔』のような胴体に、充血した大きな双眸。触手は既に船体のあちこちに絡みつき、ぎりぎりと悲鳴を上げるクイーン・ゼノビアを弄んでいるかのようだ。

 嵐と共に現れた大海のヌシ。巨大なイカの魔物が、今まさにイーサンたちを海に引きずり込もうとしていた。

 

「戦闘、態勢ぃ!!!」

 

 イーサンの叫びと共に、ロランとトレヴァが散開する。トレヴァが近場の触手をクチバシで穿ち、ロランは妨害呪文の詠唱を開始する。その隙にイーサンは図鑑を取り出し、目の前の脅威を注視した。

 

「やはり『該当なし』……。新種ってやつか!!」

 

 抱いていた既視感の答えは、サラボナ北西の密林であった。本来魔物がいるであろうその場所に何故か生まれ落ちた『新種』。それは周囲の魔物すら喰らい、自らの領域としてその場所を支配する。図鑑にデータは乗っていないが、その凶暴さ、凶悪さだけは密林のヌシが証明済みだ。

 

「“マホトーン” 効果 ナシ! マスター! 奴 が 何か 唱える ナリ!!」

「くっ、動向に注意! 回避と防御に専念しろ! アイナも!!」

「ええ、わかっています!」

 

 ヌシの両目が不気味に光り、詠唱の完了した呪文が放たれる。甲板全体に叩き付けられる雨粒が一瞬で凍り付き、幾重ものツララとなってイーサンたちに降り注いだ。ひとつひとつは小さな塊だが、眼前の雨粒すべてが氷塊に変換されたのだ。暴力的な一撃が船全体を揺らす。

 

「“ギラ”!!」

 

 咄嗟に剣の宝玉を起動、降り注ぐ氷塊を溶かす。アイナも槍を巧みに振り回し直撃を避ける。

 

「“ヒャダルコ”くらいか……リズが見たら悔しがるだろうなこれ……」

 

 直撃は避けたものの、イーサンたちの立っている甲板はまとめて氷漬けにされてしまった。周囲の気温がさらに下がり、イーサンは寒さに身を震わせる。

 

「イーサン様!」

 

 アイナが駆け寄ってきた。服はあちこち破けているが、致命的なケガは負っていないようだ。

 

「“インパス”で走査したのですが、この船の耐久力が著しく低下しています! このままでは、沈没は免れません……!」

 

 イーサンは生唾を飲み込んだ。この船には船乗りたちやリズ・マービン、それにフローラが乗っている。

 

「何よりも船体に絡みついている触手を引きはがさないといけません! 船が持たない!」

「よし……。ロラン、トレヴァ!! 触手を狙え! 船を守るんだ!!」

「イーサン様、跳んで!!」

 

 アイナの叫びに合わせ、咄嗟に床を蹴る。高波に煽られ、船が傾くところだった。

 

「ひゅうっ。仲間になると頼もしいね、一等航海士どの!」

「御託は結構です! 行きますよ!」

 

 

 

 ヌシの挙動は重鈍で、時折“ヒャダルコ”を唱えてくる以外はほとんど動かない。イーサンたちは降り注ぐ氷塊を躱し、そこら中に絡みついている触手を一本ずつ狙っていく。触手はその極太の見た目に反し、ある程度ダメージを与えるとそれを嫌がるように海に戻っていった。

 

「あと2本! アイナ、船首のやつは頼む!」

「はい!」

 

 彼女が船首に向かって駆け出し、イーサンはトレヴァと協力し目の前のマストに巻き付いている触手に斬撃を与える。彼らに向かって氷塊が放たれるも、高速で飛びまわるロランがそれらを弾き飛ばして援護した。

 

「食らえ――!」

 

 深々と突き刺した『破邪の剣』を引き抜き、同時に“ギラ”を起動。触手はのたうつように、黒く染まった海へと引っ込んでいった。振り返ると、アイナの方も最後の触手を引きはがしたところだった。

 

「よし! アイナ、次は――」

 

 イーサンの歓喜の叫びは遮られた。

 船を囲むように伸び上がった大量の触手が、再び船を締め上げたからだ。

 

「なにいいいいいい!!」

 

 叩きつけられる大質量にイーサンたちは弾き飛ばされる。甲板中ほどのマストが悲鳴を上げ、根元から折れるのが見えた。

 

「く、そ……! 耐久力、初期の半分以下まで低下! まずいです!」

 

 イーサンはヌシの本体を見た。どこを見ているのかもわからない無感情な眼が、くすくすと嘲笑っているように見えた。

 

「この野郎、アジな真似を……!」

『マスター! 気を付けて! 呪文 くるよ!』

 

 態勢を整えるや否や、上空から大量の氷塊が降り注いだ。イーサンもアイナも、各々の得物でそれらをはじき返す。が――、

 

「……!?」

 

 腕と脇腹に刺すような痛み。見ると、その箇所に細いツララが突き刺さっている。横のアイナも、痛みに顔を歪めてふらついている。……躱し、切れなかった。

 

「嫌に大人しいと思ったらそういうこと……。俺らを倒そうと躍起にならなくても、俺らは勝手に倒れていくってか……」

 

 実を言うと指先とつま先の感覚がない。高位の氷塊呪文“ヒャダルコ”はイーサンたちに直撃こそしていないが、甲板全体を氷の世界に作り替えていた。吐く息が白く色づき、吹き付ける雨は体に触れたそばから薄く凍り付いていく。体の末端が無意識に震え、あと数分もすれば剣を握る力も失われるだろう。大海のヌシは静かに、確実に、船とその守護者たちを蝕んでいた。

 

 すると、紅蓮に染まる火球が突如飛来し、イーサンたちの真横の床に激突した。じゅうっという小気味の良い音と共に、その一帯の氷が一瞬で解けた。

 

「この呪文は……」

「お嬢様!?」

 

 2階のテラスに、手すりにしがみついたフローラが立っていた。寒さと酔いで顔は青ざめてはいるが、懸命に魔力を練っている。

 

「これが今、わたくしにできることですわ……!」

 

 練り上げた魔力から“メラミ”を連打。精密なコントロールの効かない火球は甲板中にバラまかれ、氷漬けになった世界を元に戻していく。

 

「よし……!」

 

 いくらか感覚の戻った手で剣を握りしめ、イーサンはあることを思いつく。

 

「フローラ、そのまま俺を狙ってくれ!!」

「ええっ、でも――」

「大丈夫! 信じて!!」

「うぅ……め、“メラミ”っ!」

 

 戸惑いながらも、フローラは夫を見据えて火球を射出した。この時に限り、彼女は人並み以上のコントロールを発揮する。

 

「良い軌道だ! ……“バギマ”!!」

 

 飛来する火球に対し、やや角度をつけて竜巻の呪文を放った。激突したふたりの呪文は軌道を変えつつ混ざり合い、炎を孕んだ竜巻となって船体横の本体、大海のヌシの顔面へと直撃した!

 

――!?

 

 驚いた魔物が身をよじる。詠唱中の“ヒャダルコ”が中断され、空中の氷塊がただの水に戻っていく。その様子を見て、イーサンは走り出した。

 

「フローラ! もう一発頼む、今度は“バイキルト”だ!」

 

 彼女はもう限界に近い。船酔いに翻弄された体に豪雨と強風を浴び、呪文の連続詠唱。体力はもう消耗しきっているだろう。しかし彼女の精神は、夫の支えとなることでいくらでも強くなれる。

 

「まかせて、ください……。“バイキルト”!!」

 

 フローラの加護が全身を包み、イーサンの筋力が何倍にも跳ね上がる。普段は両手持ちで振るう『破邪の剣』を片手に持ち替え、甲板に横たわる触手に力を込めて振り下ろした。

 

「はっ!!!」

 

 叩き付けられたイーサンの渾身の一撃は触手を文字通り一刀両断し、千切れ飛んだ触手は巨大な見た目に似合わない勢いで海の向こうに消えていった。

 

「もう、一発!!」

 

 イーサンはその勢いのまま、すぐ横の触手をもう一本、軽快に斬り飛ばした。さらにもう一本。……“バイキルト”の効果が切れる数秒の間に、彼は計6本、船体を締め上げる触手を海の藻屑へと変えた。

 

――ィィィィィィィィアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 今まで静かに佇むだけだったヌシが苦痛の叫び声を上げる。すると魔物の上空、嵐を纏う雷雲が不気味に渦を巻いた。『破邪の剣』が、不自然にかたかたと震え始める。イーサンは嫌な予感を覚えた。

 

「マスター! 剣 を 離す ナリ!!」

「――!!」

 

 ロランの気迫にすべてを悟り、イーサンは剣を思いきり投げ捨てた。直後に雷雲が閃き、『破邪の剣』目掛けて青白い稲妻が振り下ろされた。けたたましい雷鳴が耳をつんざく。

 

「あ、危なかった! アイナ――!」

 

 そしてもう一度、雷雲が渦を巻く。標的は銀製の槍の使い手、アイナだ。

 

「――っ!?」

 

 彼女は慌てて得物を離す。が、少し遅い。アイナの真横、ほんの数センチ横の床に稲妻が突き刺さる。

 

「うっ、ああああああああぁぁぁぁぁぁあ!!?」

 

 雷撃の余波に吹き飛ばされ、アイナの小さな体はマストに叩き付けられた。電流に体内を焼かれ、激しく吐血する。

 

「くっ、アイナ――!」

『“ベホイミ”ーーーっ!!』

 

 すぐさまトレヴァが駆け付け治療を始める。

 

『アイナ は 任せて! マスター は 奴を!』

「ああ……頼んだ!」

 

 大海のヌシは苦しげに身をよじり、船に張り付いていた残りの触手を離すと自ら海に沈んでいった。

 

「くそ、どこへ行っ……うわ!?」

 

 船が不自然に傾き、不快にきしむ音と共に荒れ狂う海を割って進み始めた。

 

「距離を取ろうとするアイツに、ロープか何かが引っかかっているのか……!? このままじゃ船が壊れるどころか、引きずりこまれるぞ!!」

 

 傾いた甲板に高波が覆いかぶさる。イーサンはマストにしがみつき、テラスに目を向けた。フローラも必死で手すりに掴まっているが、いつまで持つか。

 

「(引っかかったモノを除去しないと……でもどうする!? それはどこにある!? それにこの揺れ……マストから手を離した瞬間海に落ちるのが関の山だ……)」

「――“インパス”!!」

 

 声に振り返ると、段差の隙間に倒れているアイナが必死に顔を上げたところだった。

 

「アイナ!?」

「右舷、後方に……牽引力を、感知……! 折れた、マストのロープです……イーサン様!」

 

 血涙を滲ませる彼女の左目は、魔力の加護を受けて淡く光っていた。

 

「聞こえたか、トレヴァ、ロラン!」

 

 ふたりの従者はその声を聞くや否や動き出し、物陰の向こうに姿を消した。その直後、小さな振動と共に速度が落ち、傾いていた船は元の向きに戻っていった。

 

「ふう……本当に危ないところだった……。アイナのお陰だ」

「ええ、ですがまだ……!」

 

 甲板に再び氷塊が飛来し、着弾した箇所が白く凍った。方角は、船首の向こうだ。

 

「ああ。根本的な解決にはなってないよな……!!」

 

 イーサンはふらつくアイナをマストに寄りかからせ、船首へと向かう。荒れ狂う海と空の遥か向こうに、不気味に蠢くシルエットを見つけた。その両目が赤く光り、上空からツララが降り注いできた。

 

「あの野郎……!」

 

 遠距離からの攻撃なので、“ヒャダルコ”の狙いは曖昧だ。船体に着弾するのは僅かな数で、他はクイーン・ゼノビアの横を通り抜けて海に消えていく。だがイーサンたちからは、そもそもあの距離を攻撃する手段がない。

 

――ァァァァァァァァァァァァァ!!!

 

 さらにそのシルエットは身を震わせ、ゆっくりと船に向かってきた。否、ゆっくりではない。高波を切り裂き豪雨を弾き、見た目以上の速度でこちらへ突き進んでくる。

 

「あ………」

 

 あんなものに体当たりをされたら船は一撃で粉々になる。そして当然、嵐に揉まれるクイーン・ゼノビアにはそれを回避する術がない。

 

「イーサン様!!!」

 

 振り返ると、再び銀の槍を手にしたアイナがこちらを見据えていた。稲妻のダメージが残っている彼女は体の至る所から血を流し、左目も半分閉じている。しかしその眼差しは力強くイーサンを見据えていた。アイナは呼吸を整え、つま先でとんとんと、床を叩く。

 

「まさか――!」

()()()()()()……!」

 

 彼女の意図と覚悟が伝わり、イーサンは目を見開く。テラスの上のフローラもそれを悟ったのか、困惑の表情を浮かべつつも静かに頷いた。

 

 イーサンは両手を組んで下ろし、腰を落として構えた。アイナが銀の槍を握りしめたまま走り出し、フローラは全力で呪文を射出した。助走をつけたアイナがその勢いを殺さぬままイーサンの手に片足をかけた瞬間“バイキルト”の加護がイーサンを包む。そしてイーサンは全力で、両腕を振り上げた!

 

「いっけえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 空気が震え、周囲の雨粒があまりの衝撃に吹き飛んだ。アイナは凄まじい速度で空を裂き、魔物の顔面目掛けて飛んでいく。その姿はさながら砲弾、銀色に輝く必殺の弾丸だ。

 

 全身を叩く雨粒と桁外れの速度に意識を奪われそうになるのをこらえ、アイナはしっかりと槍を握りしめた。

 

「守る……お嬢様は! お嬢様と、彼女の愛した人は……私が守る!! この命で……救ってもらったこの魂で!! 今度は私が、お嬢様を救う番だああああああ!!!」

 

 アイナが絶叫と共に両腕を突き出し、銀色の軌跡は魔物の片目、真っ赤に充血した右目に着弾した。ぱぁん、と風船の割れるような音と共に眼球が弾け飛び、銀の槍が深々と突き刺さる。大海のヌシは悲痛の絶叫を上げ、怒りのままに稲妻を呼び起こす。しかし稲妻は銀の槍、それが突き刺さったままのヌシの右目に引き寄せられた。

 

――!!?

 

 立て続けに3発、激しい稲妻がヌシの脳天を直撃した。高圧の電流が内臓を焼き払い、一瞬にしてヌシの命を奪い去る。大海を統べる魔物は断末魔を上げる暇もなく絶命し、その巨体はクイーン・ゼノビアのすぐ手前、憎き獲物まであと一歩のところで海に呑まれていった。

 

 

 

 着弾の反動で空高く打ち上げられたアイナは、なおも降り続く稲妻に穿たれながら沈んでいくヌシと、その横を通り過ぎるクイーン・ゼノビアを見下ろしていた。

 

「――………」

 

 声を出す力もない。アイナは強風に煽られながら、未だに暴れまわる海面を目掛けて落ちていく。最後の気力を振り絞り船の上を探すと、風になびく蒼い髪が目に入った。

 

……これでいい。

 

 アイナは微笑み、ゆっくりと目を閉じた。

 小さな体が波に呑まれ、漆黒の海底へと沈んでいく。彼女の穏やかな微笑みは、誰の目にも映ることなく闇の底へ消えていった。

 

 

 



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4-8. 嵐の後は晴れ


 こんばんは。イチゴころころです。
 先日ドラクエ11S攻略に際し、人食い火竜に串刺しにされました。

 今更ですが3章の密林のヌシに続いて、大海のヌシもオリジナルモンスターでしたね。
本編で紹介する余裕がなかったのですが、前者は『デッドプラント』、後者は『クイーンアーノン』といった具合で名前をつけていました。いわゆる”だいおうイカ系”の襲撃はお約束ですよね。

 そんなクイーンアーノンちゃんですが、当初は『だいおうイカの死骸を操る寄生虫タイプの海洋生物』という設定があったのですが、「いやそれはきっとロケットランチャーとかで倒すやつ」「出てくるゲームを間違えてる」と思い直しあんな感じになりました。危うくタグにクロスオーバーとバイオハザードが追加されるところだったぜ……。

 と言うわけで本編です。
 クイーンアーノン撃滅後。イーサンたちの船旅はどうなるのか。





 

 

 汗が頬を伝うのを感じながら、彼女は目の前を凝視する。

 運命とか宿命とか、そう言った言葉は常々耳にするけれど、そんなものは結局気持ちの問題で、自分の道は自分で掴み取るものだと思う。そうでなければ今の自分の人生はない、彼女はそう思っていた。そんな曖昧な運命、もしくは宿命が今、目の前で決まろうとしている。

 

 回り続けるリールが徐々に速度を落とし、止まる。――『7』が、5つ揃った。

 

「きゃあ~~~~~!!! やりましたわイーサンさん!!! ああっ、コインが!コインが溢れてしまいます!! イーサンさん、新しいトレイを!!!」

「なんで!? なんでなの!? 俺がタコ負けして失ったコインが桁ふたつ飛び越えて返ってきたよ!! どうなってるのフローラの右手!! レバーをひねるその右手!! 何か宿ってるよね! 絶対そうだよね!!」

 

 イーサンがトレイを差し出すと、トレイは一瞬で満杯になった。

 

「きっと才能の差ですわ!!!」

「あっはっはっはっはっはっは!! 大好きだフローラ!!!」

「うふふふふふ!!!!」

 

 夫婦は狂喜乱舞し、山積みのトレイに囲まれながら飛び跳ねて抱き合った。

 

「支配人! もうこんな10コインスロットなどに用はございませんわ!! ご自慢の100コインスロットとやらに、早く案内してくださいまし!!」

「は、はい……。あちらでございます、フローラ様……」

 

 夫婦が腕を組みながら100コインスロットへ向かい、バニーガールたちが山積みのトレイをカートで運んでいった。去り際に『この調子でここ破産させちゃおうか!!』『やってやりますわ!!』と聞こえ、支配人は震えが止まらなくなる。

 

 

  *  *

 

 

 大海のヌシの襲撃を受けた海域から少し東に、『カジノ船』がある。満身創痍のクイーン・ゼノビアは何とか航路を取り、本来寄る予定のなかったかつてのふたりの結婚式場に辿り着いたのである。

 

 『カジノ船』はその名の通り船が本体ではあるのだが、その船は小さな島に停泊する形になっている。船内は娯楽一色で、コインの購入、交換はこちらの島で行うらしい。

 

「はあ~~~、なんだか揺れない足元が逆に違和感ニャ……」

 

 嵐と魔物の襲撃を受け人生最大の揺れを味わったリズは、砂浜にたてられたパラソルの影に寝そべり、現在進行形で修理されている青い塗装の船をマービンと共にぼんやりと眺めている。

 

「もしかして先輩、揺れに慣れてきてたんじゃ、ないか……?」

「まさか。イッショウ慣れる気がしないニャ。てかそのサングラスどこで手に入れたニャ……?」

「ザックに、もらったんだ……。先輩のも、もらってこようか?」

「いらにゃい」

「というか……せっかくの機会だ。先輩も、遊んでいけば……良いと思うぞ」

 

 リズはくるりと寝返りを打つ。

 

「にゃ~ん。リズはここで次の船出に備えるニャ。ゆっくりするニャ。ご主人たちは元気で良いニャァ……あんな目にあったのに」

「ああ……。ザックたちも、今度は自分らが働いて……船に貢献したいと言っていた。俺たちはあの夜、旦那たちの命がけの戦いに救われたんだからな……」

 

 クイーン・ゼノビアの甲板ではザックをはじめとする船乗りたちがせっせと動き回り、船の修理に勤めている。彼らをまとめる赤い羽根帽子の姿は、そこにはなかった。

 

 

  *  *

 

 

――アイナの幸運が、1下がった!!

 

「……は?」

 

 人を馬鹿にしたような(少なくともそう聞こえた)声が響き渡り、アイナは眉間にしわを寄せた。足元の『!』マークがてらてらと光っている。

 

「……基準が不明瞭ですね。何をもって幸運とするのか、説明を求めます。十分な論理も説明も無しに、人の不幸を笑うのは横暴が過ぎると思いますが?」

『アイナ 誰と 喋ってるの……?』

 

 観客席のキメラが引きつった笑みと共に喋りかけてきた。

 

『気にしない で。 サイコロ 振ろう?』

「……トレヴァ。これは私が引き受けた挑戦です。どう攻略するかは私に委ねられている。余計な口出しは控えていただきたいで……ひゃあっ!?」

 

 アイナは首筋に這わされた冷たい感触に驚き、そして自分の出した情けない声に赤面した。振り返ると、一匹のしびれクラゲと目が合う。触られた首筋が若干ピリピリした。

 

「な、何をするのですか!!」

『るるんっ!』

 

 小さな魔物は声をかけられたのが嬉しいのか、笑顔で触手を振るう。

 

『こら アイナ。 レックラは アイナの 恩人。 邪険に しちゃ だめだよ?』

「くぅ……!」

 

 大海のヌシを倒した後、波に呑まれたアイナを助けたのは幽霊騒動の犯人、あのしびれクラゲだった。嵐が晴れた後、漂流物に寝かせられていたアイナをイーサンが発見。功労者であるしびれクラゲはレックラと名付けられ、イーサンたちの仲間として迎え入れられた。

 

『るん……♪』

 

 トレヴァによると、レックラは船上で戦うアイナの姿に心を打たれ、なんとびっくり”恋”に落ちたそうだ。仲間になった後も、彼(たぶん彼でいい)はずっとアイナに付いている。今も、片手をギプスで吊っているアイナの補佐として彼女と一緒にすごろくを攻略中だ。

 

『すごろく 本当は ひとりだけ。 でも アイナ ケガしてるから 特別に レックラも ついて行けるように なった』

「……不要だと言ったはずです」

『戦闘の マスに 止まったら どうするつもり?』

「う……」

 

 顔を伏せると、レックラが心配そうにのぞき込んできた。無垢な瞳が、真っ直ぐにアイナを捉える。

 

「わかりました! やればいいのでしょう、やれば!」

 

 自棄になってサイコロを振った。出目は『4』。その通りに進むと、何もないマスに到達する。

 

「ん? なんですかここ。何もありませんが……」

『るん?』

『あ。 ふたりとも そこは……』

 

――なんと、落とし穴が現れた!

 

 陽気なアナウンスと共に、足元のパネルが左右に開く。

 

「はあぁ~~~~~!!?」

 

 アイナの怒りの叫びが、床下に吸い込まれていった。

 

 

 

 トレヴァが下の階に駆け付けると、クッション材に埋もれたアイナがもがいていた。

 

「そもそも! なぜ私がこんな!! お遊びに付き合わなければならないのです!! 修理の手伝いくらい私にも!! ……うぅ、立てない! 誰か手を貸してぇ!!」

『るんっ!!』

「ひゃぁうぅっ!? ちょっと、その体質どうにかならないの!!」

 

 何とか立ち上がったアイナは、ふくれっ面で俯いた。

 

「……帰る」

『えぇ……』

「というかフローラ様も病み上がりのはず。彼女はまだお休みになっているべきです。……イーサン様が息抜きをさせたいとおっしゃるのもわかりますが、フローラ様を無理やりこんな騒がしいところに連れ出すなど、いちメイドとして見過ごすわけには――」

 

 

――きゃあっ、きゃあ~~~~~っ! 見てイーサンさん!! レバーをひねればひねるほどコインが湧いてきますわ!! まるで魔法ね!! あははははははは!!

 

 

「……」

 

 階段の向こうから狂気的な叫び声。その声は、アイナもよく知る人物のものである。

 

「……レックラ」

『るん?』

「……行きましょう。すごろく券はまだありますね? しっかり準備を整えてください。一片のミスも許しません。必ず、このすごろく場を踏破します!!」

『るんっ! るるんっ!!』

 

 怪我人がクラゲを引き連れ、階段を駆け上がっていく。その様子を見たトレヴァは小さくため息をついた。

 

 

  *  *

 

 

 数日後。

 修理の完了したクイーン・ゼノビアの甲板から、イーサンは沈みゆく夕日を眺めていた。船の青い塗装も、真っ赤な夕焼けに塗りつぶされている。

 

「イーサン様」

 

 振り返ると、赤い羽根帽子の女性。彼女は片腕をギプスで吊られたまま、設備の最終チェックを終わらせたところである。

 

「明日、出航します。今日はもうお休みになられますよう」

「うん。俺の荷物、もうあそこに運んである?」

「……いえ、客室1階は全て倉庫に致しました。カジノ船のスタッフの皆様から大量の物資を分けていただいたので」

「え。俺の部屋、なくなってるの……?」

「ですので、イーサン様の荷物は客室最上階に運ばせてあります」

 

 相変わらず無表情なアイナを見て、イーサンは首を傾げた。

 

「うん? そこはフローラの部屋なんじゃなかったっけ?」

「はあ……」

 

 アイナは目を逸らした。無表情が、少しだけ崩れる。

 

「みなまで言わせないでください。……おふたりは、夫婦でしょう?」

「あっ……」

 

 彼女の真意に気付く。イーサンの胸が、とくんと脈打った。

 

「ほ、ほんと!? やった! ありがとうアイナ!!」

「私は貴方を認めたわけではありませんのでゆめゆめ――」

「フローラ今行くよーーっ!!」

 

 アイナの声を無視してイーサンが駆け出す。彼女はその首根っこを掴み、咄嗟に動きを制した。

 

「あぁもう話を聞きなさい! あっ、痛……」

「アイナ!? ごめん、腕……」

 

 彼女は顔をしかめたが、イーサンが立ち止まったのを見てすぐに姿勢を改めた。

 

「構いません。ですが話だけ聞いていただけますか。……私の、父のことです」

「……」

 

 嵐の夜、断片的に聞いた彼女の過去。イーサンの肩が、ほんの少し強張った。

 

「昨日、貴方の過去の話をお聞きして思い出したことがあります。……貴方の旅には何の足掛かりにもならない話でしょうが、どうか、耳を傾けてくれると幸いです」

「……うん」

 

 ルドマン氏やフローラも知り得なかった彼女の過去の真実。アイナは静かに、語り出した。

 

「父は、口は悪くも心優しい船乗りでした。しかしいわゆる“はぐれ”というものです。もともと収入は細く、母が亡くなってからは海にも出なくなりました。当時の私は知る由もなかったのですが、それは幼い私の面倒を母に代わって見るためでしょう」

 

 船乗りの仕事は常に危険が伴う。アイナの幼少期には既に魔物が増え始めていたそうなのでなおさらだ。娘一人残して出ることなどできはしないだろう。

 

「そんな父が突然家を去り、私はひとり残された。でも、突然ではなかったのです。予兆はあった。私には……いえ、きっと誰が見ても何でもなく見えたでしょう。今の今まで忘れてしまっていたほど、それは何でもないことでした」

 

 彼女の瞳が、悔しげに震えた。

 

「家を去る少し前。父は街角である男と話していました。普段見かけない姿だったので恐らく旅の者なのでしょう。どんな話をしていたのか、全部聞いたわけではありません。そもそも当時の私は父の会話よりも、その日のお使いをこなすことに興味がありましたからね。……でも一言だけ、その男の言葉を聞きました。『()()()()()()()()()()()()()()()()()』と。彼は確かに言ったのです」

「……!」

 

 全身から血の気が引いていくのを感じる。そうだ。きっと幼い少女には、何でもないただの……宗教勧誘に見えただろう。

 

「その後、父は姿を消しました。残された私はフローラ様に出会うまで、ひとりで生きていくことになったのです……」

 

 そう言って、アイナは言葉を締める。

 

「アイナ……」

「イーサン様。奴らは、何者なのですか……?」

「わからない。ただ奴らは、確実に世界を蝕んでいる。新興宗教の皮を被り、世界中に邪悪な種を撒いているんだ……。いや、アイナや俺が幼いころから奴らは動いていた。その種はもしかしたら、十分に根を張り巡らせているのかもしれない」

 

 ルドマン氏と話した『魔王』のことが頭をよぎる。まさかな、と思いつつも手のひらは汗で滲んでいく。

 

「話は以上です。……まあ、何はともあれ」

 

 アイナはそう言うと、イーサンの前に跪いた。帽子の羽根が、海風を受けて揺れる。

 

「私はフローラ様と、……貴方に仕える航海士。邪悪の手を振り払い、天空の勇者と母上殿の行方を追う旅路、水平線の果てまでこのアイナがお導きしましょう。この命、魂。おふたりに捧げると誓います」

 

 彼女の言葉を聞き届け、イーサンは微笑んだ。ポートセルミから始まった船旅は行程の半分も進んでいない。この先何度、あの嵐のような危険に見舞われるかはわからない。だが目の前の小さな航海士の姿は、きっとどんな荒波も乗り越え、嵐をも跳ね飛ばして目的地まで連れていってくれる。そう確信させるに十分だった。

 

「うん、よろしく。頼れる一等航海士どの」

 

 

  *  *

 

 

 時を同じくして、サラボナの街はラインハットとの交易が本格的に復活し、いつも以上の活気に満ち溢れていた。

 

「ふう……しかし交易っていうのも大変だなあ……」

 

 打撲から快復したアンディは『死の火山』に挑んだ勇敢さをルドマン氏に買われ、若くして交易の責任者に任命された。今も街に到着した馬車の一団を、検閲し終えたところだ。

 

「ラインハットから遠路はるばる来たみたいですね。貴方もお勤めご苦労様です」

 

 市民の言葉が疲れた体に沁みる。

 

「ははは……正直この任はボクには荷が重いような気もしますけど……。ルドマンさんに信頼していただいているので、精一杯やるだけです」

「しかし最近は、なにやら魔物が活発になっているみたいじゃないですか。交易も危険ではないのですか?」

 

 アンディは今日渡された書類に目を落とし、ため息をついた。

 

「そうなんです……さっきの商人たちも道中で激しい襲撃にあったみたいで。荷台がひとつ、荷物ごと失われてしまったんです。賠償手続きと、業者への連絡と……やることは増える一方ですね」

「それは……本当にお疲れ様です」

「あっ、すみません! なんか愚痴を言ってしまって……。おや?」

 

 アンディは振り返ると、少し首を傾げた。木陰のベンチに座っていたのはサラボナ市民ではなく、見知らぬ男だった。

 

「もしかして旅の方ですか!? な、なおさらすみません! お客人に聞かせるべきではないようなことをべらべらと喋ってしまって……。えっと、まあ少しゴタゴタしていますけど、ここは良い街ですよ! あはは……」

「お気になさらず。魔物に苦しめられているのは、どこも同じですからね」

「ああ、やっぱりどこもこんな感じなんですね……。貴方も、ここまで来るのに苦労したでしょうに」

「ええ。ルラフェンも、ポートセルミも、かのラインハットでさえ。日に日に凶暴さを増す魔物たちに頭を悩ませています。……ですが、私は大丈夫です。魔物を退ける方法を知っていますからね」

 

 アンディは目を見開いた。そんな方法があるのなら、すぐにでも実践したいものだ。

 

「……魔物を退ける方法ですか?貴方は、一体……?」

「失礼。名乗るほどのものではございません。しがない旅の……宣教師でございます」

 

 そう言うと彼は立ち上がる。アンディが見上げるほど、彼は背が高かった。

 

 

 

「……いかがでしょう。我らが神のご加護を信じてみませんか?」

 

 

 

 

 

第4章 大海原へ  ~fin.~

 

 



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第5章 天空の勇者と光の教団
5-1. 水平線の果て



 どうもイチゴころころです。

 ドラクエ11のロミアのお話が大好きで、5章は人魚モチーフのストーリーでも書こうかなとか思ってましたが『そんな調子じゃあ一生テルパドールにたどり着けない』と思い直し断念しました。

 ということで第5章、開幕!





 

 

 

 『カジノ船』を発ってから、1年と半年。水平線に新たな大地が見えた時の喜びは何にも代えがたいものだった。本来なら1年弱で辿り着くはずがやはりそう甘いものでもなく、道中様々なイベントやハプニングに見舞われた。名もなき島で水着だらけの水泳大会をしたり、廃墟の博物館で肝試し大会をした挙句そこの館長になったりと本当に色々あったのだが、それらはまた別のお話である。

 甲板から海を眺めるのはもはや日課となっていて、イーサンは今日も、近づいてくる大地を見つめている。……あと数時間ほどで目的の地、南の大陸のテルパドール地方に辿り着くのだ。

 

_______________________

 

 ◎イーサン 19歳 男

 ・肩書き  モンスターマスター

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:C すばやさ:C

 ちから:B みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 刃のブーメラン

 ・特技 バギマ、ホイミ

_______________________

 

 

「わあ……!もう着きますね、イーサンさん!」

 

 客室の扉から姿を見せたのは最愛の妻、フローラだ。彼女はお気に入りの旅装に身を包み、長い髪もお気に入りのリボンで束ねている。船酔いを克服してから、彼女も積極的に船乗りの手伝いや魔物の迎撃に参加するようになった。イーサンが後衛に下がったのも(『破邪の剣』を海に投げ捨てたのもあるが)、彼女の戦力が安定してきたことが大きい。……というかこと攻撃に関しては、今やフローラの右に出るものはいないのではないだろうか。

 

_______________________

 

 ◎フローラ 21歳 女

 ・肩書き  イーサンの妻

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:B すばやさ:C

 ちから:D みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 グリンガムの鞭

 ・特技 メラミ、バイキルト

_______________________

 

 『カジノ船』でまさかの才能に目覚めたフローラはあのままカジノを破産寸前にまで追い込み、未だかつて誰も交換したことのない伝説の武器『グリンガムの鞭』を有り余るコインを以って手に入れた(自らの父が経営する施設を潰しかけるのもおかしな話ではある)。この武器は非力な女性でも扱える軽量装備だが、伸縮性に富んだ謎の素材から繰り出される範囲攻撃はちょっと意味不明なほどの破壊力をたたき出す。さらに彼女が戦闘に慣れてきたこともあり、“メラミ”の命中率も格段に上がっていた。中衛に立つ彼女は群体に鞭、単体に火球と隙の無い構えを見せ、そして手が空いたらイーサンに愛のこもった“バイキルト”をかけてくれる。そして可愛い。まさに最強の花嫁である。

 

「フローラ。アイナが言うにはあと数時間で到着だそうだ。荷物の準備、部屋の片づけは済んだ?」

「荷物は既に、馬車に積んでおきました。ばっちりですわ」

「……どうでしょうね。これは忘れ物とお見受けしますが」

 

 声に振り返ると、黒髪の小柄な女性が、小さなビンを手にして立っていた。

 

「アイナ。それは……懐かしいな。俺があげたボトルシップじゃないか」

「ええっ、うそっ!? あ、そうでした……ずっと枕元に置いていて……」

「いらないのなら、私が処分いたしますが?」

「ああ~やめてぇ~!」

 

 フローラが慌ててボトルシップを取り返す。その様子を見て、アイナはくすりと笑った。

 

_______________________

 

 ◎アイナ  23歳 女

 ・肩書き   銀眼の姐御

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:D すばやさ:B

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 銀の槍

 ・特技 フローミ、インパス

_______________________

 

 

 アイナはこの1年半で、かなり印象が変わった。

 出港時には肩口ほどの長さであった黒髪は胸のあたりまで伸び、もともとそういう髪質だったのか先端が緩く巻かれている。毎日髪の手入れをしているフローラが散髪を申し出るもやんわりと断ったらしい。豪奢な航海服は度重なる戦闘でひどく消耗し、赤いジャケットはノースリーブのベストに大変身。シャツは失われたのでその下はさらし。ズボンは擦り切れ羽根帽子もいい具合に年季が入り、全体的にかなりワイルドな仕上がりになっている。こうなると航海士というより女海賊だ。しかし彼女も存外この格好を気に入っているらしく、予備の服も出さずに一張羅を貫いている。イーサンとしても、色々な偏見としがらみを脱し、吹っ切れた印象のあるこの格好の方が似合うと思っていた。

 

 ……そして、彼女の目だ。ややつり上がった切れ長の目、その片方は無骨な眼帯に覆われていた。“大海のヌシ”との戦いのときに落雷を受けた後遺症から彼女の左目の視力は落ちる一方で、今ではほとんど失われてしまったのだ。損傷した視神経をトレヴァが必死に治療し続けたのだが、やはり目視のできない体内のケガには回復呪文の効果が薄い。結果、彼女の世界は半分閉ざされることとなってしまった。

 

「うぅ……せっかくイーサンさんに買っていただいたのに、なんで忘れてしまったのでしょう」

「俺は悲しいよフローラ」

「ああ、ごめんなさい! わたくしったら本当に、昔からこういううっかりなところがあって! ううぅ……!」

「イーサン様、フローラ様をいじめないでください。これはベッドの下で見つけました。きっと波の揺れか何かで落ちてしまったのでしょう」

 

 アイナがとんとんと、左目の眼帯を指でたたいた。

 

「こんなこともあろうかと、お部屋を“インパス”で確認して正解ですね」

 

 船乗りの業務において視力は最も重要な能力のひとつだそうだが、物理法則を越えてモノを見ることができるアイナにはほとんど関係のないことだったようである。彼女が“インパス”を発動すると、黒い眼帯に鈍い銀色の文様が浮かび上がる。もともと状況を見る目に長けていたアイナにとって、これ以上に相性の良い呪文もないだろう。片目を失った今も、一等航海士としてその手腕を振るっている。

 

「さすがは“銀眼(ぎんがん)の姐御”だね」

「やめてください、恥ずかしい……」

 

 そんな彼女にいつの間にか船乗りたちが通り名をつけた。もともとが“串刺しの姐御”だったのだからだいぶマシにはなっただろう。口では嫌がるアイナも、まんざらではなさそうだ。

 

「……さて、いよいよですね」

 

 甲板で作業をしていた船乗りが何か叫び、周りの仲間たちも景気よく返事をした。新大陸に降り立つ準備が着々と進められる。

 

 

  *  *

 

 

 テルパドール地方の海岸には港らしい港がない。ルドマン氏の言うように国家間の交流が途絶えた影響か、それとも別の要因かはわからない。クイーン・ゼノビアは比較的潮の流れの穏やかな場所を見つけ、そこに停泊した。当然だが、海岸は浅くて大きな船では近づけない。

 

「トレヴァたちは馬車と共に、専用のボートで一足先に海岸へ向かいました。イーサン様、フローラ様はこちらへ」

 

 積載されていたボート群が列をなし、船乗りたちや物資を乗せて各々海岸を目指していた。イーサンたちもそのうちの一隻に腰をおろし、アイナの操縦で船を離れていく。

 

「こう見ると、乗組員のみなさんって結構たくさんいましたのね……。わたくしたちの船旅は、本当に多くの方に支えられていたのですわ」

「確か、簡単な港を造るんだっけ?」

「ええ、『カジノ船』の皆さんに建材を分けていただきましたので。私たちはいつでもここに船が泊まれるよう、テルパドール地方の窓口を作ります。領主であるテルパドール女王への許可願いはイーサン様の荷物に入れておきましたので、どうか渡していただけると」

 

 イーサンの旅の目的を知ったルドマン氏は考えを改め、今一度国家間、引いては大陸間の交流を復活させようと考えた。娘夫婦の旅路、そして世界の未来を知られざる脅威から守るためのささやかな一歩だと彼は言っている。

 

「ですのでおふたりは、到着したらすぐにテルパドール王国へ向かってください。南の大陸と東の大陸は地続きです。しかしグランバニア王国のある東の大陸は山で囲まれているため陸路でしか目指せません。……私どもが導けるのは、ここまでです」

「アイナ……お別れね」

「はい、フローラ様」

 

 もともとアイナの業務内容は旅のお供ではなく、”船旅”のお供なのだ。それに、クイーン・ゼノビアの実質的な責任者であるアイナは、船を離れるわけにはいかない。

 イーサンは遠ざかるクイーン・ゼノビアを見た。1年半という長いようで短い期間、彼らを雨風、魔物から守った青い塗装の帆船。一度は帆を折られ満身創痍になるも、船員たちの努力と共に息を吹き返してくれた。そして最後まで航海を共にしたその船に、イーサンは奇妙な友情さえ覚えていた。

 

「わたくしは……みなさんのことを忘れませんわ、ずっと……」

「やめてください。湿っぽいのは……苦手です」

 

 やがてボートは海岸に着く。岩場の向こうには、テルパドール地方が広がっているはずだ。馬車を引くパトリシアが、久々に大地を踏みしめることができて嬉しそうに立っている。船乗りたちは建材を並べ終えると、アイナと共に馬車の前に集まってきた。

 

「船長っ!」

 

 声をかけてきたのは、ひとりの陽気な航海士。

 

「……ザック」

「どうかお達者で! どこへ行ってもジブンらの船長は、……船長っス!」

 

 船乗りたちが口々に、別れと感謝を述べてくれた。それらを受けてイーサンは新鮮な気持ちを覚える。未だかつてこんなに多くの人に囲まれて、それも魔物使いとして邪険にされるのではなく、ひとりの仲間として言葉をかけてもらえたことがあっただろうか?

 

「……私たちはしばらく、この海岸で作業を続けます。貴方様は貴方様の旅を続けてください。私たちは船乗りとしてやるべきことをやるだけですから。……むさくるしい男所帯なのが、少し気になりますけどね」

 

 おどけるアイナに、船乗りたちの抗議の声が上がる。

 

「いいじゃないか。君も知っている通りみんないい奴だ。それに、今なら小さな騎士様だってついているだろう?」

『るんっ!』

 

 アイナの背後から顔を出したのは、しびれクラゲのレックラ。彼はアイナとお揃いの羽根帽子を被り、嬉しそうに触手を揺らしている。

 

「いいのですか? 彼は貴方が仲間にしたモンスターでしょうに」

「他でもないレックラが、君と一緒にいることを望んでいるんだ。俺は主として、その気持ちを尊重するだけ」

『アイナ! 好き、好き!』

 

 レックラが笑顔でそう叫び、彼女の肩に乗る。ひゅー、アツいね! と誰かが言った。アイナは目を逸らし、少しだけ頬を赤らめた。

 

「まったく……こんな言葉誰が教えたのです……」

 

 イーサンは思わず吹き出しそうになる。するとアイナが睨んできたので咄嗟に口をつぐみ、咳払いをした。

 

「……で、その後はどうするつもり?」

「我々は船乗りです、ここでの作業を終わらせたらすぐにでも出航します。まずはラインハットを目指そうかと。そうやって……内海の航路を結んでいきます。旦那様の意思を継ぎ、失われた大陸間の絆を再び結ぶことこそ、私たちに出来ることだと思いますので。それが巡り巡って、貴方様の旅の支えとなれれば幸いです」

「そうか……」

 

 南と東の大陸を踏破すれば、大陸を統べるすべての国を回ったことになる。“ルーラ”の使えるイーサンは、どこへでも自在に移動できる最強の旅人になれるのだ。しかし、そうなったらもう船は必要ない。この世の数多の旅人からしたら夢のような話だが、イーサンは少しだけ寂しさを覚えた。

 

「それでも、先ほどザック君が言ったように……私たちの船長は貴方です、イーサン様」

「あ……」

「この心、この魂は貴方と、フローラ様に捧げました。それはこれからも変わりません。道は違えども、共に立って歩める。……それが仲間というものでしょう?」

 

 イーサンは言葉を失った。1年半前、『貴方を信用する気はない』と言い放った不愛想な瞳は今はどこにもなく、旅立つ仲間の背中を押す、頼れる姐御の顔がそこにはあった。

 

「ありがとう、アイナ」

「……こちらこそ」

「じゃあ、行ってきます」

「ええ、お気をつけて」

 

 言葉を交わし、振り返るとフローラの姿。……涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 

「フローラ!? やけに静かだなと思ったら泣いてたんだ!?」

「だ、だって……アイナ、ずっ、一緒に、いてぇ……! わたくし、昔、かっ、アイ、いっ、う、うえぇ……っ!!」

 

 感極まったフローラがアイナに抱き着いた。胸当てがぶつかる鈍い音と共にアイナは一瞬顔をしかめたが、すぐにその表情は微笑みに変わる。フローラの背中をとんとんと叩く彼女を見て、まるで姉妹だな、とイーサンは思った。アイナの方が背は小さいけど……なんて言ったらきっと串刺しにされるから、胸にしまっておこう。

 

 かくしてクイーン・ゼノビアの旅は一度幕を下ろす。海と陸、ふたつに別れた道はもう交わることはないが、各々の意志もまた、分かたれることはない。

 

 

_______________________

 

 ◎レックラ  ??歳 たぶん男

 ・肩書き   恋するしびれクラゲ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:E    MP:C すばやさ:C

 ちから:E みのまもり:E かしこさ:D

 ・武器 石の牙

 ・特技 マヒ攻撃、キアリク

_______________________

 

 

 

 

 

 

 



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5-2. 神秘の大地 テルパドール


どうもこんばんは。イチゴころころです。

前回退場したアイナ×レックラのカップリングが好きです。幕間書きたいです。
再出航から1年間ほどかけて粘り散らかした結果、レックラは愛しの姉御の私室に寝床を置かせてもらえるようになったとか何とか。イーサン・フローラ・船乗りたちもノリノリで後押ししたみたいです。レックラの次の目標は『おてて、つなぐこと』だそうですが彼のしびれ体質もあり難航しているのだそう。……そんなお話書きたい。

ちなみにノリノリで後押ししていたフローラも「そういえばわたくしたちも、ちゃんとおてて……繋いだことないですわね」と悟り悶々とし始めます。


色々述べましたがこれらもまた別のお話……。どいつもこいつも爆発しろ!




 

 

 照りつける太陽が砂埃をも貫通し、むき出しの二の腕を焼いてくる。そんな陽光にぱんぱんに温められた砂の大地が、ブーツの下から足の裏を熱してくる。……この旅装はオールシーズン対応ってお店の方は言っていたけれど、どこまでの暑さなら対応できるのかしら。と、フローラは思う。

 

「――やあっ!“メラミ”!!」

 

 発射された火球は“オーク”の頭上を掠め、空に消えていった。

 

「いけない、やってしまいましたわ!」

 

 チャンスとばかりに距離を詰めてくるオークに、カウンターの要領でブーメランが激突する。

 

「大丈夫か、フローラ!?」

「ごめんなさい、ちょっとお洋服のことを考えていましたの!」

「はぁい!?」

「もう一度……“メラミ”!!」

 

 態勢を立て直したばかりのオークに今度こそ火球が直撃し、その体躯を消し炭に変えた。しかし息つく間もなくその背後から、3体の“炎の戦士”が飛び掛かってきた!

 

「しまっ――」

「まっかせるニャァーーーー!!!」

 

 フローラの眼前を白い影が横切ると、人間大のサイズを持つ氷塊が計5本、瞬く間に生成され“炎の戦士”の群れに襲い掛かる。炎を司る凶暴な魔物は、周囲の砂と共に瞬時に氷漬けにされてしまった。

 

「リズ!? お前いつの間に腕を上げたんだ!!」

「ふふーん♪ 今の今まで船酔いでダウンしてた分しっかり働かにゃいとね! さぁフローラちゃん。戦いにおいてどっちが先輩か、今一度わからせてやるニャン?」

「あ、これ冷たくて気持ちいいわ」

「聞けニャ!!」

 

 嫁とネコがそんな漫才のような掛け合いを繰り広げる一方、少し離れた場所ではロランとトレヴァ、マービンが襲い来るスライムの群れに囲まれていた。彼らはひとりの男性――なぜかこの砂漠のど真ん中で迷ったという商人を魔物から庇っている。

 

「おかしい わ。 スライムが こんなに たくさん……」

「無限 湧き 楽しい ナリ!」

「ロラン には 敵わない なぁ……」

 

 それぞれ高速移動と冷気のブレスでスライムたちを退けつつ、倒れ込む商人の周りを飛び回るふたり。防御と妨害に長けた彼らの陣を突破するのは、容易ではないだろう。

 

「ひ、ひええ……何がどうなってるんだよぉ……」

「商人の旦那、ほら……こっちだ、ひとまずオレたちの馬車まで来い……」

「は、はいぃ……!」

 

 マービンが彼の手を引き、商人を戦線から離脱させていく。

 

「フローラ、リズ! そっちはもう大丈夫だな」

「「ええ!/ばっちりニャン!」」

「じゃああっちの加勢に……ん?」

 

 スライムたちが不穏な動きを見せる。ロランとトレヴァに翻弄されていた大小さまざまなスライムが一か所に集まっていき、巨大な影を作り出している。

 

「すごい! すごい ナリ!!」

「ま マスター!? はやく こっちに 来てぇ~~~!!」

 

 トレヴァの涙声に応えるように、イーサンたちは駆け出した。

 

「フローラ、あれは?」

「えっと……“キングスライム”! スライム族を束ねる王者。危険度大! だそうですわ!」

 

 眼前の“キングスライム”が大きく飛び上がり、その巨体を地面に叩き付ける。地響きと共に砂埃が舞い上がり、トレヴァとロランが悲鳴(と歓声)と共に吹き飛ばされた。

 

「うん、確かに別格っぽいな……! 一撃で決めよう!」

 

 フローラが応答し、イーサンに“バイキルト”をかける。数段跳ね上がった筋力でイーサンはブーメランを投擲し、同時にリズが“ヒャダルコ”を発射した。砂丘に叩き付けられる氷塊と一閃のブーメラン。その渾身の攻撃を受けたキングスライムは巨体を保てずバラバラに散っていき――。

 

 一瞬で、もとの巨体を取り戻した。

 

「ええっ!?」

 

 こちらを嘲笑うかのように跳ねるキングスライムの背後から、数体の赤い魔物“ベホマスライム”が現れた。可愛らしい見た目とは裏腹に“ベホマ”という回復の最上位呪文、どんな傷も一瞬で治療してしまう禁術を操る危険な魔物である。

 

「そんなんずるじゃん!!」

 

 キングスライムがその巨体に反した速度で飛来し、イーサンたちに飛び掛かる。咄嗟にフローラを抱きかかえ距離を取ると、その直後、地響きと共にキングスライムがすぐそこの地面に着地した。

 

「あ……っぶなかった! フローラ、無事?」

「え、ええ。だだ、大胆ですわ、ね、イーサンさん……ぽっ」

「リズはほったらかしかニャーン! 薄情者!」

「くそ……あのインチキ呪文を止めないと……!」

「無視かニャ!」

 

 口笛を吹くと、ロランが猛烈な速度で戦線まで舞い戻ってくる。

 

「英雄 の 力 を 思い 知る が 良い! “マホトーン”!!」

 

 スライムの群れに、魔力の流れを止める呪文が降り注いだ。

 

「2匹 逃れた ナリ! トレヴァ!」

「任せて!」

 

 さらに急降下してきたトレヴァが、クチバシにくわえた『魔封じの杖』を起動。ロランの呪文を逃れた個体に、再び呪いがかけられる。

 群れを成す“ベホマスライム”たちは、名前にもなっている大呪文を封じられて困惑を隠しきれないようだ。

 

「今だ、フローラ!」

「はい! ――ん~~~~~、えいっ!!」

 

 距離を詰めたフローラが『グリンガムの鞭』を振り抜いた。

 無限に伸びる鞭の先にきらりと光る3つの鏃。三叉に分かれた必殺の鞭がベホマスライムたちに暴威の一撃を与える。

 

 すぱぱぱぱぱんっ、という軽快な音と共に、小さな魔物たちは弾け飛んでいった。『う~んやりましたっ』と笑顔でポーズを決めるフローラに、傍らのリズは若干の寒気を覚える。

 頼れる家臣を失ったスライム族の王は動揺を露わにし、自らにも降りかかる一撃に気付くのに、ワンテンポ遅れてしまう。

 

「――っふ!!」

 

 再び投擲されたブーメランがキングスライムの胴体を貫き、今度こそ体を保てなくなったその魔物は元の小さなスライムたちに分裂。ぴききー!? と悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 

「ふう……みんな、お疲れ様」

 

_______________________

 

 ◎リズ  ??歳 メス

 ・肩書き  歴戦のプリズニャン

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:C すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャダルコ、ベホイミ

 

 

 ◎ロラン ??歳 男

 ・肩書き  無敵の踊る宝石

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:A すばやさ:A

 ちから:C みのまもり:A かしこさ:C

 ・武器 宝石の加護

 ・特技 ラリホーマ、メダパニ、その他多数

 

 ◎トレヴァ ??歳 メス

 ・肩書き  聡明なキメラ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:B    MP:B すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 魔封じの杖

 ・特技 ベホイミ、氷の息

 

 ◎マービン ??歳 男性

 ・肩書き  馬車の番人

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:B

 ・武器 素手(右手のみ)

 ・特技 毒攻撃、猛毒の霧

_______________________

 

 

 馬車に戻ると、大きなリュックを背負った商人がぺこぺこ頭を下げてきた。

 

「ありがとうございます旅のお方!! いやぁ、まさか私もこんなところで魔物に襲われるなんて思ってもいませんでした……」

 

 どうやらこの大砂漠にはあちこちに小さな集落があるらしく、彼はそれらを転々とする商人なのだという。

 

「世界中で魔物の生息域に変化がみられるみたいですからね。あなたの集落まで案内してもらえますか? このままじゃまた襲われるかもわからないので俺たちが護衛します」

「ああ、本当に何から何までありがたいです」

「でも マスター。 お水 食べ物 足りる? 大丈夫 かしら」

「アイナにたくさん貰ったから大丈夫。テルパドールへは遠回りになるけど、人の命には代えられないだろ?」

「旅のお方、ひょっとして……、テルパドールに向かわれるので?」

「はい、そうですけど……?」

 

 商人は考え込むように目を伏せ、それから馬車の荷台に目配せした。

 

「まさか、あそこに積んであるのは『天空の剣』と『天空の盾』ではないですかい?」

「えっ!? なんで、それを――」

「うぅむ、どうやら本当のようだ。では女王様のおっしゃったとおり……うぅむ……」

 

 商人は顔を上げ、イーサンの目を覗き込む。

 

「……よし! 予定変更! 旅のお方、テルパドールへ案内いたしましょう!!」

「はい!? でも、あなたの集落は……」

「ふふふ、商人は世を忍ぶ仮の姿。申し遅れました、私はクルスム。テルパドール王宮、アイシス女王に仕える宮廷騎士です!」

 

 

  *  *

 

 

 クルスムの案内で砂漠を進むと、砂煙から浮かび上がるように巨大な王宮が姿を現した。『テルパドール王国』、南の大陸を統べる王国の、統治者が住まう王宮である。

 

「す、すごいですわ……。遠くからでは気付けませんでした。クルスムさんの案内がなければ、わたくしたち辿り着けたかもわかりませんわね……」

「この砂漠は広いうえに年中砂嵐が吹き荒れていますからね。山に囲まれたグランバニアが天然の要塞なら、ここは差し詰め天然の隠れ家、でしょうかね」

「でも、城下町らしい城下町が見えないけど……」

 

 見渡すと、王宮のほかには石造りの家が数件建っているだけだ。それが民家なのか何か別の施設なのかは見た目では判断できない。巨大な王宮は確かに荘厳ではあるが、ラインハット城下町やサラボナと比べるとどうしても活気に欠ける気がする。イーサンの疑問に、クルスムは肩をすくめて答えた。

 

「民のほとんどは集落をつくり、砂嵐を避けるように移動しながら暮らしています。そういう意味では大砂漠すべてが『テルパドール城下町』と言えます。だからここに定住しているのは王宮関係者くらいのものですね。それに、もともとテルパドールは人口が少ないんです。たぶん他の大国と比べて最下位だったと思います。だから単純な国力は国家間最低。でも十分なんですよね。過酷な大自然と共に、慎ましくも逞しく暮らすのが我々テルパドール民の生き様ですから」

 

 クルスムの話に感心しながらも、イーサンは少しばかり違和感を覚えた。ルドマン氏の話では、とうの昔に大国間の交流は途絶えたはずだ。実際、内海の沿岸には港はなかった。だからか、彼の『他の大国と比べると』という言い回しに引っ掛かりを感じる。彼の話し方も、とても外への興味を失った現代人のようには聞こえなかった。

 

「でも大変ではありませんか? 領主として民にお触れを出すときとか……広すぎて、しかもみなさん移動を続けているそうですし」

 

 フローラが領主の娘らしい疑問を投げかけると、クルスムは不敵に笑みを浮かべた。

 

「ふふ……それは我らがアイシス女王にお会いになれば、わかることですよ」

「「……??」」

 

 イーサンとフローラが顔を見合わせ、同時に首を傾げた。

 

 

  *  *

 

 

 王宮の中は意外にも涼しく、熱砂にあぶられ続けたイーサンたちは思わず感嘆の声を漏らした。通りがかる人たちも、珍しい来客に興味の視線を向けてくる。クルスムの言う通り、王宮関係者たちは建物内で砂嵐から身を守りながら暮らしているようだ。

 

「ようこそ、テルパドール王国へ。女王のアイシスと申します。お待ちしていました。()()()()殿()()()()()殿()

「え……」

「ふふ。なぜ? という顔をしていますね。テルパドールの王族は代々、遠く離れた場所を”視る”能力を有しているのです」

 

 玉座に座るアイシス女王は、褐色の肌にすらりと伸びるボディライン、艶やかな長い黒髪を持つ美女だった。

 

「遥かな海を渡りこのテルパドール王国へ参られたこと、女王として光栄に思います。北の沿岸に港をお造りになられているのも承知済みです。後ほど改めて書簡をいただきましょう。ですが……あなたがたの本当の目的は、『天空の武具』で相違ないですね?」

 

 ……これは本物だ。“千里眼”とは言葉でしか聞いたことがないが、ここまで的確に言い当てられたら信じるしかない。“インパス”でドヤ顔をしていたアイナが知ったら泣いて悔しがるだろう。

 

「おっしゃる通りです、女王様。俺たちは『天空の武具』とそれが指し示す『天空の勇者』の手掛かりを求めて――」

「そんなに緊張なさらないで、イーサン殿。……それに、フローラ殿も」

「ぇあうっ!?」

 

 隣に跪いていたフローラがそんな素っ頓狂な声を上げるので、イーサンは少しばかり焦ってしまう。

 

「(どうしたのフローラ?)」

「(ご、ごめんなさい。わたくし、王族、って言うんですの? そういったご身分の方とお話しするのは初めてで……緊張しちゃって……)」

「(いやいや、領主という意味ではフローラだって近いんだし。そんなに固くなることないって。政治の事とか、なんなら俺より君の方が詳しいし?)」

「(それとこれとは話が別ですわ!)」

 

 そんなことを耳打ちし合っていると、アイシス女王がくすりと微笑んだ。

 

「そうですね……玉座の間ではなんですし、落ち着けるところへ行きましょうか。積もる話も、そこで」

「あっ……えっと、かたじけない、です」

「(は、恥ずかしいですわ……気を使わせてしまいました)」

「(大丈夫、俺だって確かに緊張してたし。フローラのお陰でちょっと助かったかも)」

「(イーサンさん、お優しい方……。でもちょっと複雑ですわ)」

 

 ちなみにだが玉座の間は広く、小声も良く通る。近衛兵の何人かがいちゃつく会話を聞いて眉間にしわを寄せたのを、当の夫婦は知る由もない。

 

 

 

 



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5-3. 天空の勇者の伝説


こんばんは。イチゴころころです。

実際のプレイ時にもテルパドールへ向かう途中でカジノ船に寄り、狂ったようにカジノに嵌まってグリンガムのムチを交換してから先に進みました。

そしたらフローラが壊れちゃった。




 

 

 地下への階段を降りるとそこはまるでオアシス。泉の周りに美しい木が立ち並び、大理石でできた遊歩道を色とりどりの花壇が囲んでいる。ツボを持った美女の彫刻のそのツボから澄んだ水が流れ落ち、ちろちろと耳触りの良い音を奏でている。おしゃれな天蓋の中にこれまたおしゃれなベンチがあり、そこに座って手招きするは王国一の美女、アイシス女王である。

 テルパドール王宮の地下には楽園があった。

 

「いや、意味わかんないね」

「わたくしは……天国にでも来てしまったのでしょうか……」

「驚きましたか? 王宮外での職務も多い故、このような憩いの場を設けようと何代も前の王が造らせたそうです。玉座の間よりかは、幾分か腰を据えてお話ができるかと思いまして」

 

 女王の向かいのベンチに、イーサンとフローラは腰掛けた。仲間モンスターたちは各々、この地下の楽園を堪能している。

 

「さて、本題に入りましょうか。イーサン殿、改めてお伺いします。貴方が『天空の武具』を追う理由、このアイシスにお聞かせ願えますか?」

「えっと、まずは俺の生い立ちから……というか、女王様はどこまで知っているんですか?」

「王家の眼は万能ではありません。私が『視た』のは、砂漠の大地に降り立つつがいの旅人。その手に運ばれる天空の力。その目に宿る気高き心。以上でございますので」

「そ、そんな。照れちゃいますわ……(ぽっ)」

 

 フローラがどこに照れたのかはさておき、これはやはり、自分の旅の始まりから話す必要があるそうだ。

 

「では、長くなりますが聞いてください」

「わたくしの夫は語り部としての才能にも満ちておりますの。どうか楽しみにしていてくださいね」

「ちょ……っと静かにしてようか」

 

 

  *  *

 

 

「――と、いうわけです」

 

 イーサンが話し終えるのを、アイシス女王は最後まで静かに聞いていた。

 

「なるほど。事情は理解いたしました」

「女王様、単刀直入に聞きます。俺の母さんに繋がる手掛かり……、『天空の武具』の在りかを、知っていますか?」

 

 女王は少し間を開けて、口を開く。

 

「ええ。我々テルパドール王家は代々、伝説の武具のひとつ『天空の兜』を保有し、管理しています」

「「……!!」」

「もともとこの国の建国者は、古の世界で天空の勇者のお供をしていたという言い伝えがあります。故にテルパドールは言うなれば勇者ゆかりの地。天空の勇者が現れ、武具の力を必要とするその時まで、我々王家は兜をお守りする義務があるのです」

 

 ルドマン氏の言っていたように、この国が伝承を重んじる国だというのがようやく腑に落ちた。

 

「すみませんアイシス様。勇者様が『現れる』というのは、一体どういうことですの……?」

「うん。俺もずっと気になっていたところです。がむしゃらに旅を続けてきたけど、伝説の勇者がその辺を歩いているはずはない。一体勇者とは何者なんです? それによく聞く伝説に登場する『天空人(てんくうびと)』や『魔王』のことも……。どうか教えてください。俺は、母さんが何で攫われたのかさえ知らないんです」

 イーサンが頭を下げると、フローラも彼に倣った。アイシス女王は薄く微笑むと、ゆっくりと頷く。

 

「いいでしょう。今度は私がお話しする番ですね。しかし天空の勇者の伝説は太古から口伝えでのみ続く伝承。我々テルパドール王家でさえもその全貌は知り得ません。貴方たちの満足のいく話になるかはわかりませんが、どうかお聞きになってください」

 

 

 

 清流の音を背後に、砂漠の女王がゆっくりと語り出す。

 

「天空の勇者とは、文字通り天空人の血を引く勇者の事です。これは現代の言い伝えにもありますね。では天空人とは何者か。その答えは世界の中心、ここから遥か北東の海に浮かぶ5つ目の大陸にあります。……おふたりも、内海を渡ってきたのなら見たことがあるのではないですか? セントベレス大陸にそびえ立つ巨大な塔を」

 

 ふたりは顔を見合わせた。その大陸の近くを確かに通った。例の博物館廃墟のあった小島のすぐ近くだ。『セントベレス大陸』、内海のちょうど中心に浮かぶ未開の地である。雲をつく巨大な山と、同じくらい高くそびえる謎の塔が船の上からでも見えた。海路での侵入が不可能なほどの絶壁に囲まれているのに加え、その神々しい外観に人々は畏怖し、誰も寄り付かない神聖な大陸なのだとアイナが教えてくれた。

 ……もっとも、イーサンにとってはその巨大な山に強烈な既視感と嫌悪感を抱いたので塔の方については今の今まで忘れていた。

 

「あの塔は通称『天空への塔』。今は中ほどで崩落しているのが確認できますが、かつては天空人たちの居城にして地上を監視する神の座である『天空城』が塔の先にあったそうです」

 

 ぱっと思い出しただけでもあの塔は雲の上まで伸びていたように思えるが、あれで折れているというのはなかなか想像しがたい。というか確認できるって……? いや、女王には千里眼があったのだ、それくらいは何気なく確認できるのかもしれない。

 

「すなわち天空人とは神の使い。天空城から人々を見守り、世界を統べる高貴なる種族の事です。そして彼らの血を引き地上を脅かす邪悪を滅するのが『天空の勇者』というわけです」

「……でもその塔は、今は壊れているのですよね? 天空城と、天空人の方々はいったいどこへ……?」

「それはわかりません。私の持つ『王家の眼』の力は、過去を覗くことができないのです」

 

 アイシス女王は息をつき、しばらくして再び話し始めた。

 

「人々に知られる伝説では、古の世界で人間を滅ぼそうとした魔王を、天空の勇者が討伐したとありますが、魔王の正体はどこにも伝わっていません。しかし、我々の知る伝承にはこうあります。『再び世界が闇に脅かされしとき、天空の力を継ぐ者、高潔な血の元に誕生せり』」

「“誕生”、ですの……?」

「現れるって、そういう意味ですか」

 

 目を見開くふたりに、アイシス女王が頷く。

 

「その通りです。高潔な血、が何を指すのかは不明ですが、勇者も人の子。何かしらの条件で生まれてくるのだと我々は考えています。……世界の危機を察し、神が遣わせてくれるのです。我々の知る伝承は、ここまでになります。――ですので、ここからは『今』の話をいたしましょうか」

 

 改まる女王に、イーサンは思わず身構える。彼女の視線がまるで、“本題はここから”とでも言わんばかりに強張ったからだ。

 

「……今、我々の生きる今こそがまさに天空の勇者が誕生せし時、すなわち『世界の危機』であると私は考えています」

「「……!!」」

「私の『王家の眼』は歴代の王に比べて力が弱く、過去や未来を見ることができません。ですのでせめて『今』だけは、この眼で見続けようと若き日の私は決心しました。それでも遠く離れた大陸のことを視るのは相当な集中を要するのですが……。私はずっと、他の大陸のこと、世界のことを視てきたのです。来るべき危機に備えて」

 

 要は、彼女はその千里眼を以ってずっと世界中を視てきたのだ。どこまで詳細に視えるのかはわからないが、国家間の交流が途絶えた後もずっと、それらの動向に目を光らせてきた。クルスムが他国のことに詳しいのも、主である彼女のその能力と行動力のお陰というわけだ。……そしてその結果導き出された答えが、『今こそが世界の危機』ということだろう。

 嫌な予感がした。そしてその予感は、一瞬にして的中する。

 

「おふたりは旅を続けてきたのならご存じでしょうね。今、世界中でゆっくりと、確実に浸透しつつある邪悪な教えを」

「……『光の教団』、ですね」

 

 ぎりぎりと、奥歯を噛み締めつつ声を絞り出した。奴隷を脱した後もしつこく付きまとい、イーサンの旅路にうっすらと存在感を刻み続ける忌まわしい名。

 

「各地で信仰の根を広げる様子が確認されています。そして……約10年前から、各国の国力は衰退しているのです」

「それは……」

「……はい。()()()()()()()()。それも若者を中心に、幅広い世代で。意図が今まで掴めなかったのですが、イーサン殿の話を聞いてようやくわかりました。『光の教団』は信者を中心に人々を攫い、奴隷として何かしらの労働に用いている。恐らくは――」

「――セントベレス大陸の、山」

 

 女王の推測を、イーサンが締める。

 

「はい。……教団の売り文句によると、彼らの信仰する神の加護は、近年勢力を広げつつある魔物を退けるそうですね。ですが冷静に考えればおかしいのです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……なるほど」

 

 それは暗に、教団と魔物が繋がっているから。ということだろう。

 

「以上が、私の推測です。人間の世界に巧みに溶け込む魔の手……これを世界の危機といわずして何でしょうか」

 

 するとアイシス女王は、申し訳なさそうに肩を落とした。

 

「しかしながら、我々は国家としては弱小。国力が低く砂漠に適合した文明しか発展していないテルパドールでは、世界の危機を文字通り見守る事しかできないのです。国家間の交流が途絶えた今、船を造る技術もない私たちでは、世界の危機を退けることも、それを他国に知らせることもできないのです。……本当に、私は無力です」

「アイシス様……」

 

 フローラは肩を落とすアイシス女王になんて声をかけたらいいのかわからなかった。そして隣で俯くイーサンもまた、拳を握りしめ項垂れていた。

 

「本当に……どこまでも続くんだなあいつらとの因果は……」

「……」

 

 フローラはそんな夫の肩に、そっと手を置いた。ちくりと、胸の奥が痛む。

 彼女は教団の話をするときのイーサンが苦手だった。その時の彼はフローラが知らない……怖い顔をするのだ。奴隷としての壮絶な過去を持つイーサンの境遇からしたら当然だろうが、どうにもその表情を見ていると胸騒ぎがする。だから、肩に手を置かずにはいられなかったのだ。手を離したら、糸の切れた風船のようにどこかへ消えていってしまいそうだと思った。

 

 やがてイーサンは再び顔を上げた。そのときにはもう、フローラの良く知る優しくて勇ましい夫の顔に戻っていた。

 

「女王様。貴重なお話、ありがとうございます。……きっと俺が母さんの元に辿り着くためには、その『世界の危機』に対して俺なりに向き合う必要があるみたいです。女王様が感じ取った脅威、俺がみんなに伝えます」

「イーサン殿……」

「俺だって無力です。邪悪の手を振り払うのはあくまで勇者の役目。でも俺には“ルーラ”が使えます。西のサラボナと北のラインハット。そこの領主ともつながりがありますし……というかルドマンさんは俺の義父だし。とにかく、女王様の言葉を、明日にでもみんなに伝えてこようと思います」

「ありがとう、イーサン殿。しかし気を付けていただきたいのは……」

「それに、ラインハットは既に宗教改革を進めているんです。ヘンリーがもう、3年も前から始めています。あそこに関しては、教団の根はもう潰れていると――」

 

 

 

「なんですって!?」

 

 

 

 女王が声を荒げる。イーサンとフローラはその剣幕に目を丸くした。

 

「……私が覗き見た彼らの勧誘の手口は、一種の脅迫のような印象を受けました。『魔物に襲われたくなかったら、教団に入信しなさい』という、悪辣な手口です。もし、もし本当に彼らが魔物と繋がっていて、彼らの教えを表立って弾圧するような動きがあったら……」

 

 女王の言わんとしていることが、ようやくイーサンに伝わる。血の気が恐ろしい勢いで引いていくのを感じた。

 

「――っ」

 

 女王が立ち上がり、少し離れた泉に向かうとそこに手をかざす。泉の水がさわさわと波紋を浮かべると、鏡のような水面に映像が映し出される。テルパドールの王族に伝わる力『王家の眼』が発動した。

 

「これは……」

 

 そこはイーサンもよく知るラインハットの大きな門。塀の向こうにそびえるのは、彼の親友が住まう豪奢な城。そして……。

 

 

 

 大地を埋め尽くすほどの、大量の魔物の姿がそこにはあった。

 

 

 

「――か、ふっ」

 

 アイシス女王が膝をつき、ばしゃりという音と共にその映像が消える。女王にフローラが駆け寄るも、イーサンはふたりをそっちのけで階段に向かって走り出した。

 

「あ、え、イーサンさん!?」

「私のことは、構いません……。フローラ殿、どうかイーサン殿についてあげてください。……今の彼は、少々危うい」

「……!」

 

 尋常でない事態を察して集まってきた仲間たちと共に、イーサンは階段を駆け上がる。その横顔は、フローラの苦手な表情を宿していた。

 

「イーサン、さん……」

「行きなさい! はやく!!」

 

 不安に脈打つ胸の奥を抑え込み、フローラは走り出した。

 

 階段を上り外への扉を出ると、イーサンが北の空を見上げて立っていた。

 

「イーサンさん!!」

「フローラ、君はここで待っていてくれ。さっき見た映像の通りなら、魔物の数が尋常じゃない。さすがに危険すぎる」

「じょ、冗談でしょう!? わたくしも行きますわ、貴方と一緒に……」

「マービン、フローラを頼む」

「……了解だ、だが――」

「リズ、トレヴァ、ロラン! 準備は良いな! 気を引き締めろよ……!」

 

 制止も聞かず、イーサンは懐から取り出した宝玉を握りしめ走り出した。

 

「あ、だめっ! 待って、イーサンさ――!!」

 

 咄嗟に手を伸ばすも、彼らの体はまばゆい光に包まれ、激しい衝撃と共に舞い上がる砂埃に思わず目を瞑ってしまう。

 

 目を開けるころには、夫の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 



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5-4. ラインハット繚乱


どうも、イチゴころころです。

サブタイトルの通り、今回の舞台は久々のラインハットです。
国自体は久々ですがヘンリー・マリアに関しては結婚式に来てくれたのでそうでもないかも。あの夫婦好きなんですよね。特にマリアちゃん。奴隷時代からずっと色気がすごいから。





 

 

 イーサンたちが降り立ったのはラインハット王宮前の広場。約3年前、ヘンリーが民の心を動かした場所である。

 

「――くっ!?」

 

 広場のあちこちで兵士と魔物が戦闘を繰り広げていた。見渡すと火の手も見える。兵士たちの叫びと魔物の(いなな)き、逃げ惑う国民の悲鳴が不快なアンサンブルとなり、イーサンの胸を不安で煽る。

 

「リズ、ロラン、兵士たちに加勢しろ! ひとりでも多くの国民を救うんだ!」

「了解ニャン!」

「リズ 行く ナリ!!」

「トレヴァ、一緒に来てくれ。王宮内に入る。ヘンリーたちと合流するぞ!」

「わかった わ!」

 

 合図とともに仲間たちが散開する。イーサンは階段を駆け上がり、城門を目指した。門の前では、複数体のガーゴイルに門番と思しき兵士たちが囲まれていた。

 

「どけええええええ!!」

 

 力を込めてブーメランを投擲する。完全に不意を突かれたガーゴイルの群れはその一撃に態勢を崩され、トレヴァのブレスによる追撃に吹き飛ばされ撃沈した。

 

「あ、あ、あなた方は……イーサン殿!?」

「ヘンリーたちは無事か!?」

「はい……! 王宮中が大混乱で……でもヘンリー様とデール王が、事態の収拾を急いでくれています」

「俺も合流する。君たちは死ぬ気で城門を守ってくれ!」

「はい!!」

 

 城内も戦闘の跡だらけだった。恐らくは一度魔物の侵入を許し、どうにかして排斥したのだろう。壁や床に、飛散した血の跡がいくつも見える。……それが一体誰の血なのかは想像したくない。

 

「うっ マ マスター ……」

「……気張っていけよトレヴァ。思ってた以上に状況は凄まじいぞ」

 

 廊下を走り抜け、玉座へ続く階段を上る。すると、上階から火球が降り注いできた。

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に身を屈め、放たれた呪文を避ける。続いて上から、見知った声が。

 

「手ごたえ無し! クソッタレが! 魔物のやつ、また侵入してきやがった! 覚悟しろ、ここに足を踏み入れたことを後悔させてやらぁ!!」

「ヘンリーだな!? やめろ、俺だ!!」

「あぁ!?」

 

 返事と共に火球が再び放たれる。

 

「その声……イーサンか!?」

「あぶなっ! 確認しながら撃ちやがったな!!」

 

 玉座へと繋がる扉が開け放たれ、似合わないローブに身を包んだ青年が姿を見せた。

 

「なんでここにいやがるイーサン!!」

「色々あってね、助太刀に来た!」

「よっしゃ! まったくもって意味わかんねえが、今回はお前の神出鬼没ぶりにあやからせてもらうぜ! 入れ!」

 

 玉座の間は緊急の拠点になっていて、大臣、執事たちや連絡役の兵士がせわしなく行きかっていた。奥にある簡素なテーブルを、杖を突いた女性とビロードマントの男が囲んでいる。

 

「デール、マリア! 思わぬ加勢がきたぜ!」

「兄さ……イーサン殿!? どうしてここに」

「デール王、マリア。無事でよかった。詳しい話は後で。俺も状況を知りたい」

 

 促すと、デール王はテーブルに広げられた城下町の地図を指さした。

 

「突如現れた魔物の軍勢が城下町西門を破壊、城下町に侵入しました。西街区を中心に被害が増え続けています。ラインハット王国軍を王宮周辺に展開し、魔物の迎撃に勤めています」

「国民たちは臨時の避難所、被害が少ない東街区の教会に避難させた。逃げてきた西街区の連中もこの王宮の地下に避難させてある……。今じゃここが最前線だ。この王宮を落とされるわけにはいかねぇのはもちろん、これ以上魔物どもを東へ行かせるわけにもいかん」

「――マリア様!!」

 

 ある兵士が重傷を負った兵士を抱えて歩いてきて、マリアが医務室に誘導する。こうして話している間にも状況は動いていることが否応なしに感じ取られ、イーサンの頬を冷や汗が伝った。

 

「デール王、迎撃では足りません。軍勢を押し返し、魔物を街から追い出さなければ……」

「それができたら、私もそうしています……。でも、我々は出遅れてしまった。魔物の襲撃は、あまりにも突然だったのです」

「デール王! 西街区の教会から赤色の煙が……! 救難信号です! 逃げ遅れた人がいます!」

「なに……!?」

 

 大柄な兵士が部屋に飛び込んできた。確か名前はトムと言ったか。

 

「そちらに割いてる兵力はない。作戦の遂行を最優先してください」

「……っ! 了解、しました!」

 

 デール王の口から飛び出した指示に、イーサンは耳を疑った。

 

「で、デール王、何を――」

「そんな!! 私の弟が、まだあそこにいるんです!」

 

 王の言葉に悲鳴を上げたのはひとりのメイドだった。

 

「アレックスが、地下室にいなかったんです! きっと逃げ遅れて、助けを待っています! デール王、どうか――」

「聞こえなかったのですか!! 作戦の遂行が最優先です!!」

「……うっ、ううっ!」

 

 泣き崩れるメイドを、マリアが介抱し部屋の外へ連れて行った。信じがたい光景を見たイーサンは呆気にとられ、震える声を絞り出した

 

「……何を言っているのですデール王。助けを求めている人がすぐそこにいるのに!」

「よせイーサン」

「お前もだヘンリー! なんで見過ごせる! ……もういい、俺が助けに行く! トレヴァ!」

「待ちやがれイーサン、話を聞け!! どのみちここからじゃ間に合わん!」

 

 駆け出そうとするイーサンをヘンリーが制し、その胸ぐらを掴み上げた。

 

「作戦を成功させなきゃ王宮も持たん。もっとたくさんの被害者が出るんだ」

「作戦作戦って……なんなんだよそれ!!」

「西門の爆破です」

 

 デール王が、冷静に口を開いた。

 

「は……?」

「魔物の軍勢はとめどなく街に入り込んできている。このままではラインハットは壊滅します。そこで西門、厳密には西門周辺の城壁を爆破し、その瓦礫を以って侵入口を塞ぎます」

「無限に増援が来られちゃ、王国軍も対処しきれねえ。それどころか統率が乱れ、制御が効かなくなっちまう。だから後続を断ち、その上で各個撃破する。不幸中の幸いか、城壁を越えて空から侵入してくる魔物は数が少ないからな」

 

 ラインハット城下町はそもそもが城壁に囲まれている。堅牢で高さもあり、地上を行く魔物には侵入は困難だろう。破壊されてがら空きになった西門を再び塞ぐ。理には適っていた。

 

「でも、だからって逃げ遅れた人を見捨てるなんて……!」

「イーサン!」

「……!」

「既に……既に救えなかった命がある! 大衆のために切り捨てた声が、より多くを守るために振り払った手が、もう数えきれないほどな……! でも俺たちには個人的な感情に流されずに、この国を守り抜く義務があるんだ! ……それが為政者だ」

 

 ヘンリーの圧のある言葉に、イーサンは返す言葉を失う。

 

「……くそっ!」

 

 イーサンが彼の腕を払うと、ヘンリーも呼吸を整えて頭を掻いた。

 

「……すまん。旅人のお前に政治家の価値観を押し付けるのも変な話だったな。でも、お前もここに助太刀に来た以上、俺たちのやり方に合わせてほしい。……もっとも多くの国民を救う命令を、デールが王として、断腸の思いで決定したんだ。頼む、お前の力を貸してくれイーサン……!」

「わかった……わかったよ! 俺だって、そのためにここに来たんだ!」

 

 直後、上から激しい破壊音が聞こえてきた。

 

「襲撃……!? 屋上ですか!!」

「デール、俺が行く! お前は作戦の指揮に集中してろ! イーサン、一緒に来いッ!」

 

 ヘンリーの号令に合わせ、イーサンはトレヴァと目配せをした。そしてヘンリーの後を追っていく。

 

 

 

 屋上へ出ると、兵士たちがガーゴイルの群れを迎撃していた。敵は8体。いささか多い。

 

「おらおらおらぁ! 帰りやがれぇ!!」

 

 ヘンリーが騎士剣を片手に突撃していく、つられてイーサンも飛び出しそうになり、咄嗟に足踏みした。今の自分の得物はブーメランだ。距離を取らなきゃ攻撃ができない。

 

「……くっ、トレヴァ、あいつをフォローしてやってくれ! 俺は後方から援護する!」

「了解! ヘンリー さん! 落ち着いて!!」

 

 トレヴァが飛び立ち、ヘンリーに群がるガーゴイルを強襲していく。イーサンは狙いを定め、魔物の群れにブーメランを投げつけた。

 騎士剣の横薙ぎと杖による殴打、ブーメランの一閃が炸裂し、ガーゴイルの群れはまとめて吹き飛んでいった。

 

「なんだか懐かしいなイーサン! こんなクソみたいな状況じゃなきゃ、もうちょっと楽しめたんだが!」

「うん、まったく……っヘンリー、後ろ!!」

 

 まだ息があったのか、瀕死のガーゴイルがヘンリーの死角で呪文の詠唱をしていた。先ほど投げたブーメランはまだ戻ってきていない。間に合わない――!!

 

「“マホカンタ”――!!」

 

 身を屈めるヘンリーの体を光のバリアが包み、ガーゴイルの放った風の呪文を跳ね返す。自らの魔力に撃ち抜かれたガーゴイルは力尽き、弧を描いて落下していった。

 振り返ると、杖をついた金髪の女性、マリアが腕を掲げていた。

 

「マリア!」

「加勢にきたわ!」

 

 ヘンリーが騎士剣をしまい、マリアに駆け寄る。

 

「へへっ、さすがはマリアだぜ!」

「夫の尻拭いが、妻の役目ですからね」

 

 その様子を見て、イーサンは安堵のため息をついた。

 

「恐れ入ったよ……まさかマリアに助けられる日が来るなんて」

「おう、まったくだな」

「よく言うわ。私からしたら、しょっちゅう助けてあげてる気がするけど」

「……違いねぇな」

 

 ヘンリーがくすりと笑うと、ぱちぱちと、乾いた拍手が聞こえてきた。

 

 

 

「家族愛、か……。どうも俺には、その良さがわかんねえんだよなあ」

 

 

 

 声がしたのは上からだ。屋上に設置された小さな見張り塔。そのとんがり屋根のまさに先端に、黄土色の法衣を着た男が立っていた。

 

「『いつみてもいいものですね』って、俺も一度言ってみたかったんだが……。ま、わかんねえもんはしょうがねえよなぁ。むしろ、おぞましくて寒気がする」

 

 イーサンはブーメランを構え、その男に向けた。黄土色の被り物のせいで顔は見えないが……明らかに普通じゃない。

 

「誰だお前。……どこから入った」

 

 男はイーサンの言葉を無視し、驚いたように肩をすくめる。

 

「それに……やっぱり懐かしい顔だな。13年ぶり……? いや、15年だっけか。ま、どっちでもいいか。クヒヒ……どうも、()()()()()()()()()()()()

 

 ヘンリーも騎士剣を引き抜き、前に出る。

 

「何ぶつぶつ言ってやがる。俺はお前のような怪しい奴と知り合った覚えはねえぞ。何者だ?」

 

 男は法衣を翻し、塔の上から飛び降りた。イーサンたちの目の前に降り立ちフードを取ると、その荒々しい口調には似つかない柔和な微笑みを称えた男性の顔が現れた。その口がゆっくりと開かれる。

 

「――()()()。って名乗ったら、わかってもらえるか?」

 

 イーサンは息をのんだ。隣にいるヘンリーも、後方のマリアも目を見開く。その名前は、今やラインハットでは知らない人はいない。

 

「光の教団の……宣教師!!」

「ご名答! 先代の王とはそれなりに仲良くさせてもらった。お亡くなりになられたようで、俺も悲しい限りだよ」

「とぼけたこと言ってんじゃねえ……! お前が父上をたぶらかし、サンタローズを襲わせたんだろうが!」

「俺は噂話を教えただけ。勝手に信じ、勝手に出兵し、勝手に病んでったのは君の親父さ」

「この襲撃も、お前らの仕業か……!」

 

 黄土色の法衣の男、ジャミは顎をさすりわざとらしく首を傾げる。

 

「人聞きの悪いことを言うもんじゃない。俺は教団の宣教師として、布教に来ただけさ。どうやら我々の教えを弾圧する国があると聞いてな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()

 

 胸の中でアイシス女王の言葉が反芻される。――彼らの手口は脅迫のような印象を受けました。『魔物に襲われたくなかったら、教団に入信しなさい』という……。

 

「……ふざけてる。そうやってお前たちは、何の罪もない人々を陥れるのか!」

「おやおや、思惑が筒抜けだったとは。大したものだ、旧き友よ。……まさかあの時のガキどもが、こんなに逞しく成長しているとはなァ」

「黙れ!」

 

 イーサンは激昂し、男に歩み寄っていく。

 

「お前なんて知らない!! 人々を苦しめ、世界を蝕む教団の連中となんか、間違っても友になんてなるものか!!」

「そうか。じゃあ――」

 

 目の前の男の輪郭が、ぐにゃりと膨れ上がる

 

 

 

『――これなら、思い出してくれるかな?』

 

 

 

 ジャミの全身が一瞬黒いモヤに包まれたかと思うと、そこには法衣の男の姿はなく、代わりに醜悪な魔物の姿。筋骨隆々の体躯に、ぎょろりと見開かれた双眸。くすんだ白色の体表を持つ馬の魔物が、目の前に立っていた。

 

「――お前、お前は!!」

『久しぶりだなァ。ヘンリー王子。それに、”パパスの息子”』

 

 くぐもった魔物の声に、イーサンの記憶が鮮明に呼び起こされる。

 

 

  *  *

 

 

「イーサン! イーサン、聞こえるか!!」

 

 巨大な牛の魔物に武器を弾き飛ばされながらも、パパスは懸命に、息子に呼びかけた。

 

「父、さん……」

「いいか、お前の母さんは、まだ『生きて』いる!! だから――」

 

 倒れたパパスの背中を、()()()が踏みつけた。骨が砕ける嫌な音に、イーサンは目を背ける。

 

「だから……お前に託す! 成し遂げてくれ! 私の代わりに、お前が……!!」

「……っ!」

 

 思わず駆け寄ろうとするも、首元に鎌を当てられる。幼いイーサンとヘンリーを人質に取った紅い法衣の男は、にこやかな笑みと共に語り掛けてきた。

 

「じっとしていなさい?」

 

 その不気味なほど穏やかな声にイーサンは足がすくみ、それ以上動くことができなかった。続いて紅い法衣の男は、目の前で父を嬲る魔物に声をかける。

 

「もう良いでしょう。ふたりともお下がりなさい。……目当てのものは手に入りました」

 

 牛と馬の魔物が下がると、ぼろ雑巾のように叩きのめされたパパスが力なく倒れているのが目に入った。

 

『……ゲマ卿。そのガキが“そう”だと言うのですかい?』

「正統の王族ですからねぇ。可能性としては十分ありえます。仮に“そう”でなかったとしても、貴重な労働力になってもらうまでです。こちらの……彼のご子息共々ね」

 

 ゲマと呼ばれた男の言葉に、魔物たちは下品な笑い声を上げる。イーサンはわけもわからず、ただ俯いて泣くことしかできなかった。

 

「待て……」

 

 か細い声に顔を上げると、ふらふらとパパスが立ち上がろうとしていた。全身血まみれで、片足は不自然に折れ曲がっている。

 

「おやおや。まだ息がありましたか」

 

 ゲマが何気なく手を掲げると、巨大な火の玉が形成される。イーサンは目を見開いた。

 

「やめろ……」

「では、終わりにして差し上げましょう」

「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 直後、すべてを焼き尽くす爆発音と、父の絶叫が遺跡中に響き渡る。イーサンはもう、顔を上げることはできなかった。意識が闇に落ちる直前、ゲマの声を聞いた。

 

「ほっほっほ……子を想う親の気持ちは、いつ見ても良いものですね」

 

 

  *  *

 

 

 あのときの魔物。父を嬲り殺した魔物の片割れが今、目の前にいる。

 

「……ヘンリー」

「みなまで言うなイーサン。俺だって……忘れはしない」

 

 ぎりぎりと得物を握りしめる音が、後ろに控えるトレヴァとマリアの耳にも入った。

 

「あの野郎が、13年前と今を繋ぐ、元凶のひとつだってんだろ」

「ああ……ここで、こいつを倒すッ!!」

 

 ふたりの剣幕に、ジャミはその顔を歓喜に歪ませた。

 

『そう来なくっちゃなァ!! 布教だけのつもりが思わぬ出会いに恵まれた!! 少しばかり……遊んでやるよぉ!!』

 

 ジャミが身を震わせ、おぞましい雄たけびを上げた。邪悪な魔物の嘶きが、城下町に響き渡る。

 

「くらえぇ!!」

 

 イーサンが全力でブーメランを投げつける。数多の魔物を屠った刃の一撃、正確な狙いから放たれたブーメランは一直線にジャミの首元に向かっていき――。

 

 その手前で不自然に軌道を変え、明後日の方向に飛び去って行った。

 

「なにっ!?」

「おおおおおおおお!!」

 

 続いてヘンリーが騎士剣を引き抜き、ラインハット王宮仕込みの剣技を叩きつけた。彼もまた奴隷時代の過酷な労働で十分なほどに鍛えられた肉体を持っている。

 だが、ヘンリー渾身の剣技は、一撃たりともジャミの体に当たらなかった。

 

「どうなってん――」

『ぬるいぬるい!!』

 

 ジャミの拳がヘンリーの腹にめり込み、彼の体を吹き飛ばした。ヘンリーはそのままイーサンの脇を掠め、後方の壁に激突する。

 

「あなた!?」

 

 すぐにマリアが駆け寄り回復呪文をかける。ジャミはゆっくりとイーサンに向かってきた。……初手でブーメランを失い、今のイーサンは丸腰である。

 

「しまった……!」

「下がって マスター!!」

 

 トレヴァが上空から飛来し、ジャミに氷の息を吹きかけた。放たれた超低温のブレスは、勢いよくジャミの体を足元から凍らせる。

 が、馬の魔物が軽く身をよじっただけで、まとわりつく氷は粉々に砕け散る。力技で破壊したというより、やはり不思議な力でかき消された印象だ。

 

「な なんで ワタシの…… あうっ!?」

 

 戸惑うトレヴァをジャミが床に叩き落し、その首元を踏みつけた。

 

「キ キキっ ……!!」

「トレヴァ!?」

『ハン。魔物の面汚しが。ニンゲンに媚びを売るなんざ、気に食わねぇなァ?』

 

 ジャミが足に力を込め、トレヴァが苦しげに喘ぐ。

 

「彼女をはなせえええええええ!!!!」

 

 イーサンは手ぶらのままジャミに飛びかかる。そのまま素手で、ジャミの胸元を殴りつけた。

 

「……!」

 

 やはり、その拳も届かない。全力で振り抜いたパンチはジャミの体の数センチ手前で謎の失速をし、体表から薄皮1枚のところで止まっている。

 

『丸腰とは傑作だな!! だが何をしようが無駄――』

「これならどうだ……“バギマ”!!」

『……!?』

 

 拳の先、ジャミからほぼゼロ距離のところで竜巻の呪文が発動、荒ぶる風の魔力がジャミを包む。……当然謎の力によって風の刃は彼の皮膚を掠めることもできないが、至近距離から放たれた大質量の一撃がジャミの体を大きく弾き飛ばす。

 そのままジャミは後方の見張り塔に派手に激突した。自分で当たりに行ったからか、ダメージが通っているのが見られる。

 

 イーサンは倒れたトレヴァを抱きかかえ笑みを浮かべた。

 

「防御だけしても、単純な質量にパワー負けすることがある。……火山の怨霊と戦うときの必須知識だ、覚えておきなこのクソ野郎!」

『やってくれるなパパスの息子……。ならば――』

 

 ジャミが両手を掲げると、彼の頭上に大量の魔力が集められる。空気が歪むほどの濃度。ロランが大呪文を詠唱するときよりも、遥かに多いのが見て取れる。

 

『教えてやろう、風の魔力の正しい使い方を。……後ろの大事なお城を、せいぜい体を張って守るんだなァ!』

 

 集積された魔力が“バギ”に変換され、ジャミの頭上に真空の塊が作り出された。

 

「まずい――っ!」

 

 それはもはや建物のひとつやふたつ余裕で飲み込めるほどの大きさを持っていた。あんな呪文をまともに食らったら命はない。それどころか、背後に控える王宮すら木っ端微塵にされてしまうだろう。王宮にはデールや、逃げてきた街の人々がいる。どうする……!?

 必死に頭を働かせるも、無慈悲にも呪文の詠唱は完了した。

 

 

 

『――“バ ギ ク ロ ス”! !』

 

 

 

 極大化された風の呪文が発射され、イーサンたちの体を飲み込んだ。暴れまわる無数のつむじ風が、石造りの建物を粉々に破壊していく。

 

「……え?」

 

 咄嗟に目を瞑るも、イーサンは自分の体が無傷なことに気が付いた。

 目を開くと、王宮の屋上は確かに破壊され、今自分が立っている場所も含め瓦礫の山と化している。だが、それだけだ。すべてを飲み込む風の極大呪文は、屋上の一部を破壊するに留まったのだ。

 

「間に合って……よかった……」

 

 イーサンの目の前で、マリアが光の壁を展開していた。強大な魔力の塊を受け止めた輝くバリアはところどころがひび割れ、彼女のスカートから覗く片足、ケガをしている方の足からは、血が滴り落ちている。

 

「あな……た……」

 

 光のバリアが空気に溶けるように消え、力尽きたマリアはその場に倒れ込む。

 

「「マリア!!」」

 

 ヘンリーとイーサンが彼女に駆け寄る。彼女は小さく呻いた。……意識を失っただけのようだ。

 

『悪くねえ戦いぶりだな』

 

 極大呪文を跳ね返されたはずのジャミが、涼しげな顔でこちらを見下ろしていた。彼の背後にある見張り塔だけが、無残に破壊されている。

 

『だが、こちらも潮時みたいだ』

「なに……?」

 

 ジャミの視線を追うと、街のはずれ、西門の城壁が崩落しているのが目に入った。

 

「作戦が、成功したのか……! デール、よくやった……!」

「これで街の被害が食い止められる! 守り切ったんだ……!」

『そのようだな。ああ、そのようだ。クヒヒ……そうじゃなくちゃ困るってもんさ』

 

 西門の破壊を皮切りに、王宮から次々と兵士たちが街へ出ていく。その様子を見下ろし、ジャミは大きく笑い声を上げた。

 

『もともとラインハットを壊滅させる気なんて毛ほどもないってことだよ! ……大事な大事な、未来の信者たちだ。ここで滅びられたら、こっちだって困るのさ』

 

 彼の醜悪な肉体を再び黒いモヤが包み、彼は一瞬にして、黄土色の法衣を纏う人間の姿に戻っていった。

 

「なにぶん、俺たちゃ宣教師なんでね……。布教、言うなりゃ宣伝が我々の本分さ。言っただろう、『教えを拒むと、どうなるのか』。ラインハットの聡明な国民たちは嫌でも思い知っただろうな」

「お前……!」

「ゲマ卿の言う通り。俺たちは何も、力ずくでニンゲンを滅ぼす必要はない。やろうと思えばできるがね。でも、ちょっとだけ脅かして、臆病な心を刺激してやれば、ニンゲンは勝手にこちら側につき、勝手に滅んでいく。先代ラインハット王がそうだったようになァ!!」

 

 ヘンリーが雄たけびを上げて立ち上がるが、戦闘のダメージで足がもつれ、無様に倒れ込む。

 

「……なかなか楽しかったぞ、旧き友よ。また改めて布教に来てやろう。そのときは……良い答えを期待してるぜ? 全ては、我らが神の世界のために――」

 

 ジャミの体が澱んだ光に包まれ、彼は姿を消した。ヘンリーが瓦礫を殴りつけ、イーサンは奥歯を噛み締めた。

 

 街に入り込んだ魔物はまもなく掃討されるだろう。目に見える脅威は退けることができるが、たった今胸を締め付けているのは敗北の味に他ならなかった。

 

 

  *  *

 

 

 夜。テルパドールの女王アイシスは、王宮の中庭から月を見上げていた。この砂漠の砂嵐は、夜になると止むことが多い。

 

「……おや」

 

 夜空に流れ星が閃いたと思うと、その光がこの中庭に降り注いでくる。旅人とその仲間たちが、沈んだ面持ちで女王の目の前に降り立った。

 

「イーサン殿! ご無事で何よりです」

「女王様……」

「私も何度か『眼』を使って様子を見ていましたが、ラインハットは無事のようですね」

 

 イーサンは目を伏せる。

 

「なんとか、ですけどね。あのあとサラボナにも寄りましたが……既にあそこにも、教団の教えが広まりつつあります」

「そうですか……サラボナも」

「ルドマンさんにも俺たちが知っていることを教えました。でもやはり……表立った弾圧は難しいようです」

「……無理もありません」

 

 ラインハットの一件で、教団が実質的にその街の人たちを人質にしていることが明らかになった。教団の布教を妨げれば、魔物をけしかけられる。そのことを悟ったルドマン氏は頭を抱え、力なくイーサンに礼を述べたという。

 

「女王様、俺は――」

「言いたいことはわかります。ですが、今日はもうお休みになってください。今日貴方に話しそびれたことがいくつかありますが、詳しいことはまた明日。……それよりも、彼女のそばにいてあげてください」

「イーサンさんっ!?」

 

 扉が開け放たれると、そこにはフローラの姿があった。彼女は深夜にも関わらず旅装に身を包んでいる。『何かあったら、何かあったらわたくしが』と、彼女が泣きはらしながら着替えていた様子を、アイシス女王は思い出した。

 

「フローラ……」

「良かった……っ! 無事で、わたくし……、ぅ、く、っあ、あ――、―――!!」

 

 イーサンの胸にしがみつき、彼女は声にならない声を漏らす。ぱたぱたと、涙が床を濡らしていく。イーサンはそっと、揺れる彼女の蒼い髪に手を添えた。

 

「……っ」

 

 医務室のベッドに横たわるマリアの姿を思い出し、膨れ上がる感情に胸を貫かれた。

 

「フローラ……っ!」

 

 泣き崩れる妻を優しく抱きしめる。

 絶対に、彼女だけはこの手で守らないと。そう心に誓った。

 

 

 

 



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5-5. (はや)る呼吸


こんばんは。イチゴころころです。最近寝苦しさが緩和されてきてとても快適です。


前回は何気にジャミ初登場でしたね。今まで名前でしか出てきてなかったからね……。
ついでに最上位呪文も初登場だったはずです。”バギムーチョ”等は、当時のドラクエ作品にはなかったので”バギクロス”がいちおう最上位です。

……でもゆくゆくは”バギムーチョ”とか”メラガイアー”とか出したいなぁとか思っています。だってかっけーじゃん。





 

 

 久々に、悪い夢を見た気がする。

 奴隷時代の記憶、目の前で父を喪ったときの記憶。それらが歪に混ざり合い、自分の体を蝕んでいく。そんな夢だった。あれから13年。忌まわしき教団はずっと、自分の人生に纏わりついてくる。いや、母マーサを攫った邪悪な手の正体も教団であるなら、一体この因縁は、いつから続くものなのだろう。そして、いつまで続くものなのだろう。

 

「……う」

 

 目が覚める。客室の扉が開かれ、アイシス女王が入ってくるところだった。

 

「おや、起きていたのですかイーサン殿。おはようございます」

「ちょうど起きたところです……。おはようございます……」

「……えっと、それは?」

「……?」

 

 女王の視線の先、イーサンの右腕には、フローラがいつものように絡みつき、もとい抱き着いて寝息を立てていた。その目元は、少し赤く腫れている。

 

「……妻です」

「それは見ればわかります」

「フローラ、寝相が悪いそうなんです。抱き枕がないと眠れないとか……。よく自分のベッドを抜け出してきて、こうなるんですよ。……朝っぱらからすみません、こんな姿をお見せしてしまって」

 

 恥ずかしげに目を逸らすイーサンに、アイシス女王は薄く微笑んだ。

 

「良いではないですか、可愛らしい奥様で。……そうですね。昨日、話があると言いましたが、午前中はどうぞご夫婦でゆっくりなさってください」

「え、いいのですか?」

「私も少しばかり執務がございますので。何もない所ですが、王宮内を見て回ってはいかがでしょうか。……昨日のこともあります。奥様と一緒に過ごしてあげてください」

 

 女王の言葉、最後の方には少し棘を感じた。

 

「……わかりました」

「イーサン殿」

「なん、でしょうか……」

「フローラ殿は、貴方のことを心から想ってくれています。どうか、彼女のことを大切にしてあげてください」

「……」

 

 昨日の記憶がフラッシュバックする。寝込むマリア、泣き崩れるメイド、家族を失い途方に暮れる人々……。

 

「――もちろんです。真の脅威が明らかになった今、フローラを危険な目に合わせはしません。俺が必ず、この手で守ります」

 

 女王の目が、すうっと細まる。

 

「……そうですか」

 

 その様子にイーサンは首を傾げたが、アイシス女王はすぐに微笑みを取り戻した。

 

「では後ほど。ゆっくりと休養を取った後、玉座の間へといらしてください」

 

 

  *  *

 

 

 顔が熱い。頭蓋骨の代わりに蒸しパンでも入っているのではないかというほどほっかほかなので、たぶん傍から見ても真っ赤なのだろう。

 

「は、恥ずかしいですわ! わたくしがイーサンさんにその、だ、だ、抱きついている様子を、アイシス様に見られてしまうなんて……!」

 

 王宮の廊下を、フローラは顔を伏せてつかつかと歩く。

 

「もうっ、どうして起こしてくれなかったのです……!」

「ご、ごめんって。起こすの、悪いかなって思ってさ」

「うぅ~……他人様に寝顔を見られてしまうなんて……お嫁に行けませんわ……」

「だからもう嫁なんだって」

 

 イーサンはフローラの寝顔を思い出す。もう何回も、目覚めと共に見てきた顔だ。

 

「可愛いと思うんだけどな」

「かっ……!?」

 

 イーサンは自身の愛情に素直なので、よくこういったことを口に出す。その度に、フローラの首元はともしび小僧も一瞬で溶かすほどの発熱を起こすのだ。

 

「き、急にそんなこと、言わないでくださいまし……」

「うん。可愛いね」

「もうっ!」

 

 夫がけらけらと笑う。その表情に、フローラは心の中で安堵した。よく知る笑顔だ。昨日のことを思い出すと少しばかり胸が痛むが、それはきっとイーサンだって同じ。いや、ラインハットの惨状をその目で見てきた彼の方が辛いはずだ。フローラは込み上げかけた謎の感情をぐっと飲み込み、イーサンの後についていった。

 

 

 

「いらしゃませえ!」

 

 武器屋に寄ると、小さな女の子が出迎えてくれた。全長だけで言うと、リズと大差ない。

 

「あら、可愛らしい店主さんですね。お父様とお母様はいらっしゃるかしら?」

「シャヒーラが、みせばんしてるの!」

 

 短い髪を左右に束ねたその女の子は、腰に手を当てて得意げだ。

 

「おにーちゃんたちは、かっぷるですか?」

「「かっ……!?」」

 

 これには流石にフローラだけでなく、横にいる夫も口をあんぐりと開けた。

 

「お、俺たち、やっぱそう見えるのかな」

「なんだか照れちゃいますね……。シャヒーラちゃん、残念ながらわたくしたちはか、か……カップルではありませんの」

「じゃあ、あいじんですか?」

「「なんでっ!?」」

 

 一体どこでそんな物騒な言葉を覚えたのか。フローラはこの子の将来が少しだけ心配になる。

 

「えっと、俺たちは夫婦なんだ。ほら、指輪だってしてる」

 

 イーサンが指にはめた『炎のリング』を見せた。小さな武器屋さんは目を輝かせる。

 

「ふーふ! じゃあ、ぱぱと、ままだね!」

「それもちょっと違うけれど……わたくしたち、まだ子供もいませんし」

 

 フローラはそう言いながら、いつか自分たちも子供を授かるのかな、と想像し……、直後、石炭でもくべられたかのように顔が熱くなった。たまらず隣の夫を殴りつける。

 

「きゃあ~~っ、イーサンさんったら!」

「えぇなにが!?」

 

 するとシャヒーラは困ったように顔をしかめた。

 

「どうしよ……うちは“かっぷるわり”しかないし……。ごふーふさんは……えっと。うーん……。うんっ! おねーちゃんきれーだから、ぜんぶタダでいーよ!!」

「いや、だからなんでそうなるの!」

「まあ……」

「フローラ、ぽっ、ってしないで! 気付いてこの異常に!」

 

 そんなことを言い合っていると、店の奥から店主と思しき男性が出てきた。

 

「ああ、こらシャヒーラ。またお客様を困らせて……あれ、昨日の?」

「クルスムさん!」

「まあ、店主様はクルスムさんだったのですね」

 

 昨日とは違う装いなので気付きにくいが、そのやや垂れた細目は間違いなく昨日会った商人兼宮廷騎士である。

 

「ええ、まあ。宮廷騎士は仮の姿。本来の私は、王宮で武器屋を営む一児の父なのでした」

「仮の姿多すぎません?」

「はっはっは! テルパドール宮廷騎士のほとんどは、なにかしら副業を持っているものです。私なんて武器屋だけなので、楽な方ですよ」

 

 フローラは昨日聞いた話を思い出した。もともと人口が少ないうえに、砂嵐に隠された敷地には侵入者も少ない。市民のほとんどが専業で成り立つサラボナとは正反対だ。彼女は国民性の違いというものを改めて思い知る。

 

「シャヒーラ、みせばんできたよ、ぱぱ!」

「おぉ、偉いなシャヒーラ! でも……あははっ。全部タダはちょっとやりすぎだ。そんなんじゃ、立派なお店屋さんにはなれないぞ?」

「いいの! シャヒーラ、きしさまになるもん!ぱぱよりつよい、きしさまになるの!」

 

 クルスムが娘を抱き上げると、シャヒーラは嬉しそうにはしゃいだ。

 

「ふふ、素敵な娘さんですわね」

「ええそうですとも。もう可愛いのなんの。産んでくれた女房には感謝ですよほんと」

「奥さんはどちらに?」

「王宮付きの給仕係です。是非あとで食堂に寄ってください。あいつの作るサボテンステーキは絶品ですからね」

「シャヒーラ、ステーキ、だいすき!」

 

 あどけなく笑う少女に、心が癒されるのを感じる。

 

「そういえばここ、カップル割なんてやってるんですか?」

「ええ、カップルで来店されたお客様に、割引サービスをしているんです」

「素敵なサービスですわね。どういった意図がありまして?」

 

 クルスムは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 

「いやあ、やはりこの国は人口が少ないものですから。()()()()()()()()()()()()()()()()のせいで、子供の数が特にね……」

「え……」

 

 心の奥が急速に強張っていくのを感じた。イーサンに話を聞いたことがある。彼が旅に出始めた頃、ラインハットでも人さらいが流行ったと。つまりはこれも、教団の仕業である可能性が高い……?

 

「だからまあ、みんな積極的に恋をして、たくさん子供を産みましょう! みたいな意図です、はい。うちもシャヒーラっていう素敵な子供を授かったわけですし。少しでも若者の恋を応援したくて、カップル割を始めたんです。各集落から、王宮を訪れる国民も多いですから」

 

 クルスムの話を聞きつつ、フローラは視線をイーサンに向けた。昨日の今日で、またもや教団の影……。彼は今、どんな気持ちでいるのだろうか。

 

 しかし、イーサンの表情からは、昨日見たような危うさを感じることはなかった。

 

「そうですか……テルパドールも大変ですね。どうか気を付けて。シャヒーラちゃんを、健やかに育ててあげてください」

「はははっ、ありがとうございます」

「……」

 

 というより、『わからなかった』、と言った方が正しい。微笑みを称えるイーサンの表情は、しかしながらフローラには”虚無”に見えた。心がざわめく。彼の無機質な笑顔に逆に不安を感じる。今貴方は、本当は何を感じているの?

 

「すみません長話をしてしまって! さあいらっしゃいませ、ご夫婦ももちろん割引対象です。何をお探しで?」

「いやいやありがとうございます。新しい武器を探していて……。これ、いただけます?」

「毎度アリ! おや、でも昨日はブーメランを使っていましたよね? 良いのですか?」

「ええ。こっちも多少は使い慣れていますから。それに……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言ってイーサンが手に取ったのは一振りの長剣。細かいデザインは違うがサラボナで購入したのと同じ『破邪の剣』である。

 

 1年ほど前、『フローラが前にも増して強くなってくれたわけだし、甘えさせてもらおうかな。ありがとう』と、得意のブーメランを手にして後衛に下がった彼のはにかんだ顔を思い出す。

 頬を伝う汗は、思ったよりも冷たかった。

 

 

  *  *

 

 

 午後、イーサンたちはアイシス女王の案内で、王宮から少し離れた厳重な建物、テルパドール王国の宝物庫に通された。そこには、王家が代々守り続ける伝説の宝が収められている。

 

「これが……『天空の兜』」

 

 龍の咢を象った神々しい兜。よく防具屋で売られている一般的な兜は、装着者の頭部を覆いつくす所謂“フルフェイス”というものだが、今目の前の台座に祀られているそれは少し違う。額部分の宝玉から伸びる細い金具、それを頭に引っ掛ける形で装備するのだろう。印象としては冠、サークレットに近い。被覆面積の少なさから防御力には一見期待できなそうだが、そこは伝説の武具。きっと目には見えない加護で装着者を禍から守るのだろう。

 その存在感に、イーサンは思わず喉を鳴らした。

 

「既に『剣』と『盾』をお持ちのイーサン殿にはわかると思いますが、これは常人には装備できません。頭にはめ込もうとすると、不思議な力でそれを阻まれます」

 

 それも重々承知していた。天空の武具は、天空人の血を引く勇者にしか装備ができない。それはこの『兜』だってそうだし、まだ見ぬ『鎧』もきっとそうなのだろう。

 

「そしてイーサン殿……貴方の事情を知ったうえでも、この兜をお譲りすることはできません。兜をお守りするのが我々王家の使命なのです。何卒ご容赦ください」

「はい……。天空の武具は言わば俺にとっての“きっかけ”ですから。一番の目的は、母さんを救うことです」

「お母様、マーサ様ですね……」

 

 女王はそうつぶやくと、腕を組み顔を伏せた。

 

「実は、お話ししたいことというのは貴方のお母様についてです。天空の兜をお見せしたのも……そのためです」

 

 アイシス女王が改まるものだから、イーサンは眉を顰める。傍らのフローラも首を傾げた。

 

「15年前の事です――」

 

 女王は一呼吸置き、それから言った。

 

 

 

「15年前、『天空の武具』を探しているという旅人が、このテルパドールを訪れました。遥か東から、幼子を連れて」

 

 

 

「――」

 

 覚悟はしていた。だがイーサンの瞳は確実に震え始める。

 

「彼は言いました。『妻を助けたい』と。……彼は最後まで身分を明かさず、私のもとを去っていきました。そして同じころ、東の大国の若き王が失踪したとの噂が出回るのです。その名を『()()()()()』」

 

 フローラが息をのむ。ポートセルミを発つ前に、ルドマン氏から話された内容と一致する。

 

「当時の私は若輩者でした。彼が去り、その噂を知って初めて、“自分は何か大切なことを見落としたのではないか”と思ったのです。それから私は慣れない『王家の眼』の訓練をし、世界に何が起きようとしているのか、見守るようになりました」

「じゃあ、俺は……」

「はい」

 

 アイシス女王がイーサンを見据え、力強く言い放った。

 

「イーサン殿、東を目指すのです。貴方は、グランバニアの王子の可能性がある!」

 

 

  *  *

 

 

 テルパドールを発つ直前、アイシス女王はイーサンに砂漠の地図を手渡した。フローラたちは既に馬車に集合しているので、今この客室にいるのはふたりだけだ。

 

「この、赤い印は?」

「現在、集落のひとつがこの場所にいるはずです。もうすぐ陽が落ちます、ここで休息をとるのが良いでしょう」

「なるほど……しかしよくわかりますね。年中移動している集落の場所なんて……あっ」

「はい。『王家の眼』のお陰です。またこの力は、親しい人物とは離れていても会話ができます。集落の長たちとは、そうして連絡を取り合っているのです」

 

 クルスムが話してくれたことが腑に落ちた。その能力によって、広大な砂漠に散った国民たちをまとめているのだ。このような統治の仕方は、神秘の力に恵まれたテルパドールならではというものだろう。

 

「ほんと……恐れ入りました。素晴らしい力ですね、『王家の眼』」

「まあ、使いようです。若き日の私は国の内面しか見ていなかった。だから、貴方のお父様の足跡、軌跡を追う機会を見逃してしまったのです」

「……仕方ないですよ。今の時代はどこも、自分らの世界を閉ざしていますし」

 

 イーサンは地図を畳み、袋に入れた。

 

「このテルパドールとは正反対に、グランバニアは世界一の軍事国家です。最近は各国の例に漏れず衰退の兆しが見えていますが、人口も3大国で最大級の、武力に富んだ国。……そして、貴方の本当の故郷かもしれない国です」

「実感は全くないですけどね。俺が……王族かもしれないなんて」

「それは……行けばわかることでしょう。おそらくあの国に、すべての起源があります。イーサン殿の旅路。お父様の旅路。なぜお母様が教団に攫われたのか。なぜ彼が自ら旅に出て、身分を隠してご子息を連れ出したのか。……『王家の眼』でも見えないものが、あの場所にはあります。どうかあなた自身の目で、確かめてください」

「はい……。本当に、何から何までありがとうございます」

 

 イーサンは深々と頭を下げた。アイシス女王は少し間をおいて、再び語り掛ける。

 

「以上が、テルパドール女王としての助言です。……ここからは、個人としてお話ししますね」

「え、ええ。なんでしょうか」

「イーサン殿、貴方がグランバニアの王族の血を継いでいようと、過酷な運命を背負っていようと。……()()()()()()()。血統も、因果も、その背に収まっている剣と同じ。貴方が貴方自身の意志で扱うものです。それを忘れないでください」

「えっと……つまり?」

 

 女王は目を閉じ、微笑んだ。

 

「イーサン殿の気持ちを、何よりも大切にしなさい。という……そうですね、アドバイスです。人生の先輩からのありがたい言葉だと思って、心に留めておいてくださいね?」

 

 大切なのは自分の気持ちというのは、結婚の件で学んだことだ。イーサンは彼女の言葉にいまいち要領を得なかったが、かつて抱いた、たくさんの人に支えてもらった気持ちは揺るぎはしない。

 

「わかりました。俺の気持ちは変わりません。ひとりの夫として……フローラを守る。色々なことを考えなきゃならないのもそうですが、それだけは曲げてはいけませんよね」

「わかっておられるのなら、それで良いのです。ではお気をつけて。貴方の旅路に、神のご加護があらんことを」

 

 イーサンは女王に見送られ、客室を後にした。

 すべてが始まった地、グランバニア王国へ向けての旅路の幕開けである。

 

 

  *  *

 

 

 中継地点の集落に向かうまでに、何度か魔物の襲撃にあった。やはりというか、想定よりも激しい気がする。各地で耳にする『魔物の動きが活発』という話はこのテルパドール地方にも当てはまるようだ。そして恐らく、東の大陸のグランバニア地方も例外ではないだろう。

 

 人間の文明が、凶暴化し続ける魔物にゆっくりと圧迫されている。そしてその元凶となるのは『光の教団』に違いない。奴らは魔物と繋がっている。いや、幹部であるジャミがあのような禍々しい姿だったことから、そもそもが魔物の組織である可能性も十分あり得るのだ。勧誘・拉致による人口の減少、国力の衰退に合わせ、魔物の凶暴化。確実に、人間と魔物のバランスが傾いてきている。

 

「……はあっ!!!」

 

 イーサンは剣を振るう。苦手だとか、この際関係ないと思った。今目の前にいる魔物は教団の息のかかったものではないか? 魔物の目を通して、自分たちは監視されているのではないか? 一秒でも速く、一歩でも遠く、危険を退けなければ。誰よりも前線に立ち、立ちはだかる魔物を最速で、最短で斬り伏せていった。

 

「リズ、トレヴァ、フォロー! ロラン、後続の足止め!」

 

 最前線からひっきりなしにかけられる命令。仲間モンスターたちもついて行くのがやっとのようだった。……その様子を見ると、今までの自分の戦い方はややのんびりが過ぎたのではないかとさえ思った。魔物が活発に襲ってくるのなら、こちらもそれ相応のテンポで迎え撃つべきだ。一瞬たりとも、後れを取るわけにはいかない。なぜなら……。

 

「……ふう」

「あの……イーサンさん、わたくしは……」

「大丈夫だよフローラ、もう終わったから。君は馬車で休んでいてくれ。もうすぐ集落に着くはずだ」

 

 ……なぜなら次攫われるのは彼女かもしれない。そんなことは絶対にあってはならない。

 視線と肩を落とすフローラ。その髪を、イーサンは優しく撫でた。

 

「安心してくれ。君は俺が守るから」

 

 やがて陽が落ち、一行はアイシス女王に紹介された集落に辿り着いた。集落の長には既に女王からの連絡が言っていたようだ。イーサンたちは大きなテント状の宿に案内され、濃密な道中を経た仲間たちは各々眠りについていく。

 

 イーサンは就寝前に道具袋を確認した。南の大陸はまだまだ続く。それにグランバニア王国に行くためには山越えもしなくてはならないらしい。今一度消耗品の管理をしようと思ったのだ。

 

「あ、しまった。薬草……」

 

 集落は小さく、道具屋がない。民たちは不定期で訪れてくる巡回商人から物を買っているらしいので問題はないそうだが、イーサンたちはここで買い足すことができない。

 

「うっかりしてたな……王宮で買っておけばよかった」

 

 モンスター図鑑を調べると、どうやら砂漠に出没するモンスターが落とすことがあるらしい。実際今日も何度か入手した。しかし数をそろえるには、少々腰を据えた『狩り』が必要だ。

 

「……」

 

 部屋の隅のベッドで寝息を立てているフローラを一瞥し、少し考えた。……ただでさえ魔物の襲撃は激しい。今日は何とか彼女を戦線に出さずに済んだが、馬車の中とはいえあまり戦いに巻き込むわけにはいかない。

 

「……明日は、こっそり早起きかなあ」

 

 

  *  *

 

 

 空が白み始める頃に起き、イーサンは薬草集めに出かけた。少し目元が重く感じたが、泣き言など言ってられない。お供にはロランだけ連れていくことにした。彼はもともと生物ではないので睡眠が必要ない。でもみんなが寝ている時間は『楽しくない』とのことで、夜は大人しく寝たふりをしている。戦力的にも一番安定しているので、彼を連れていくくらいがこの程度の採集にはうってつけだと思った。

 

 その後、イーサンは砂漠地帯で適度に採集を済ませ宿に戻った。みんなが起きてくる少し前に戻ったつもりだったのだが、部屋では既にフローラが起きていた。イーサンは眠気の孕んだ目をこすりながら彼女に挨拶をし、一緒に朝食を取る。何を喋ったかは、よく覚えていない。

 

 朝の支度を終えると、いよいよ東へ向けての再出発である。

 

「マスター? なんか 疲れて ない?」

「ん……大丈夫。ちょっと明け方、買いそびれた消耗品を調達してきてね」

「そうなの…… 起こして くれれば 手伝った よ?」

「いやいや、テルパドールで買い忘れちゃったのは俺なんだしさ。今後、忘れ物には気を付けようっていう自戒も兼ねて、みたいな感じ。さあ出発しようか。砂漠を抜けても、南の大陸はまだまだ広い。いくつか中継地点を決めて……」

 

 荷台の縁に地図を広げ、行程を考える。すると視界の端にフローラが映った。こちらに背を向け、大きな道具袋を担いだところだ。

 

「うん……? フローラ?」

 

 声をかけると彼女は一瞬だけ動きを止めるが、すぐに道具袋を持ち替えて歩き出してしまう。そちらは北だ。彼女がいくら方向音痴とはいえ、行程の説明も受けずに違う方向へ歩き出すのはさすがにどうかと思った。

 イーサンは苦笑いを浮かべ、地図を畳んで彼女に歩み寄った。

 

「フローラ、どうしたの? そっちは北だよ?」

「……」

 

 彼女は立ち止まるも、返事はない。表情は見えない。

 

「フローラ――」

「わかっています。わたくしは北へ参ります。アイナたちがいる北岸へ――」

 

 

 

「――アイナにお願いして、サラボナまで送ってもらいますから」

 

 

 

「…………え?」

 

 耳を疑った。今の今まで、そんな話は一度たりとも出ていなかったはずだ。聞き逃したか、忘れていたか、必死で記憶を検索するが……やはり唐突過ぎる。脈絡のない彼女の宣言に、心臓があり得ない速さで脈打ち始める。

 

「ちょっと……どういうこと、フローラ、ねえ」

 

 再び歩き出すフローラ。表情はもちろん見えない。咄嗟に彼女の肩を掴み――。

 

()()()()()()()()

 

 ――振り払われた。そのはずみで彼女と目が合う。

 

「……!」

 

 知らない目だった。彼女の優しさも、明るさも、暖かさも感じられない、冷え切った目。そんな目で見られたことは一度もない。当然、彼女の瞳は震えているはずもなく、淡々と、冷ややかに、イーサンを見ていた。

 

「……お世話になりました」

 

 そう言ってフローラは歩き出した。かける声が喉まで出かかり、止まる。追おうとする足は砂の地面から一瞬だけ離れ、元に戻る。

 追えない。彼女を止めに行くことができない。

 

 今朝、朝食の時間に話した内容はよく覚えていない。寝不足で頭が働いていないせいだと思っていた。だがそもそも……、

 

 

 そもそも、会話などあっただろうか?

 

 

 

 

 

 



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5-6. すれ違う呼吸



こんばんは。イチゴころころです。

先日、『水の都の護神』を観てきました。今、映画館で昔のポケモン映画観られるんですよね。
めっちゃ面白かった……。これ20年前の作品ってびっくりする。





 

 

 フローラが怒った。

 それはわかる。今まで彼女の機嫌を損ねてしまったことは何度かある。フローラは聖人のように穏やかで優しい性格だが、彼女も人間だ。何かを嫌だと思うこともあるし、ことイーサンに対しては、そういったことへの表現が素直だったとさえ言える。大体イーサンが謝って、彼女が顔を赤らめながら許してくれるか、それか彼女の方から謝ってくるかだった。そのようなやり取りを見て、アイナが“仲良くて何より”とこぼしたこともある。

 

 でも、それとは違う。フローラは怒るとき、感情を全面に出してくれる。先ほど言ったように、彼女は素直なのだ。しかし今、ついさっきイーサンを見据えた目線は虚無以外の何物でもない。

 

「……」

 

 必死に頭を回転させた。

 きっと彼女は尋常じゃないくらい怒っている。もう、怒りを通り越して、無になってしまうほどに。……そうだ、あのフローラがひとりで帰るなんて言い出すくらいだから、相当なことがあったに違いない。……でも、なんだ?

 

 なんて声をかけたらいい? 彼女の機嫌を損ねたこと? でも、それはどこにあった?テルパドール王宮の商店街を回った時はこのようなことは感じなかった。ではその後だ。王宮を発って、何か彼女を傷つけるようなことをしただろうか? ……思い出せない。それもそうだ。昨日の自分は戦闘を早く終わらせることに、彼女を守ることに精一杯だったのだから。

 

「……おい」

 

 背後からマービンに声をかけられた。待ってくれよ今それどころじゃないんだよ――!

 

 

 

「――いい加減にしないか……このたわけ!!」

 

 

 

 振り返りざまに、マービンに顔面を殴りつけられた。視界が真上にかち上がり、受け身も取れぬまま砂の上を転がる。

 

「なに、すんだ。マービン……!」

「お前こそ、何をしているッ!!」

 

 彼の怒鳴り声に、思わず身がすくんだ。出会って3年、彼がここまでの大声を出すのは初めてだ。

 

「キッキ!? マ マスター!?」

「マービン! 何 する ナリ!!」

「ふたりとも落ち着くニャ……。いいんニャ、このままで」

 

 取り乱すロランとトレヴァをリズが制した。マービンは鬼の形相で、イーサンの胸ぐらを掴み上げる。

 

「旦那、なに……してるんだ!! 本当に、わからないのか!? 自分が何を、しでかしたか……。ここまでされても、わからなかったのか! ああ!?」

「なんだよ……! お前が何を知ってるって言うんだよ!」

「呆れたぞ……。少なくとも、今の旦那よりかは分かっている! ……お嬢の気持ち。本来夫であるお前が、誰よりも分かってあげなきゃいけないことを!」

 

 マービンに突き飛ばされ、再び地面を転がった。砂が口の中に入り込み、イーサンは咳き込む。

 

「目を覚ませ、イーサン……! お前は、今のお前は何も見ていない! お嬢の気持ちも、お前自身の気持ちも!!」

「俺の、気持ちだと……?」

 

 昨日、アイシス女王にもそれとなく諭されたことだ。

 

「俺の気持ちは変わるものか! 夫として、フローラを守る。それくらいはわかってる!!」

 

 そうだ。数々のしがらみを抱えつつも、揺らいではいけない気持ち。彼女を危険にさらすことは、夫として許されない。だが、それが何だというのだろう? わかりきっている自分の気持ちを確かめて何が変わるというのだろう。たった今、フローラの気持ちに寄り添えていないのに!

 

「……本当に、そう言うんだな。見損なったぞ、旦那……!」

「だから何なんだよ!! 今、重要なのは俺の気持ちなんかじゃない、フローラの気持ちだ! なあ、何か知っているのかマービン! 彼女が、彼女が怒ってしまった理由……教えてくれ……このままじゃ、フローラが……」

「理由だと……? そんなの、どこもかしこもだ!!」

 

 マービンの絶叫に心が震える。視界がぐるぐると回り出し、イーサンは胸を抑えた。

 

「まだわからないのか……。じゃあ、ひとつだけ教えてやる。こうやってお前がガキみたいに駄々をこねている間にも、お嬢は北岸へ向かっている……。今、お前はオレと問答なんてしている場合か? その言い訳以外の何物でもない言葉を、オレに向かって吐いてる暇があるのか? なあ、ここまで言わないと気付けないのか!! この大馬鹿野郎が!!」

「……!!」

 

 目を見開く。

 

 ……彼の言う通りだ。なぜ、彼女を呼び止める手を、下げてしまったのか。なぜ、自分はこんなところにいるのか。フローラの姿はもう、見えなくなっているというのに。

 

「……フローラ、フローラ!」

 

 たまらず駆け出した。気付くのが遅すぎる自分を、どうにかして殴ってやりたかった。

 

 

  *  *

 

 

「フローラ……どこまで行ったんだ……!」

 

 違う。さっきの自分が、思っている以上に長い時間硬直していただけだ。しびれを切らしたマービンが怒りを爆発させるのも当然だ。……いくらか冷静になった今は、走りながらでもそれくらい分析できる。

 大小さまざまな砂丘が点在する砂漠は意外にも見通しが悪く、フローラの背は未だに見えてこない。

 

 フローラのあの目。あれは確かに、“人を軽蔑する目”だ。怒るなんてものじゃない。……嫌われた、かもしれない。どうすればいいのだろう? もし、嫌われたままなら。

 ……自分たちはもう、終わりなのだろうか。

 

「――ちゃんと謝るんだ。反省を示せば……違う! もう反省している! それがわかってもらえたら、きっと……」

 

 でももし、許してもらえなかったら? 彼女の笑顔。いつもいつも笑いかけてくれた彼女の笑顔。その顔を、もう見ることはできないのだろうか。

 

「嫌だ……!」

 

 呼吸が限界を迎える直前、視界にフローラを捉えた。安堵と緊張がイーサンの胸の奥をかき混ぜる。

 

「フローラ!!」

 

 彼女は立ち止まり、振り返った。

 

「う……」

 

 その視線は、先ほど同様冷ややかなものだった。締まろうとする喉をこじ開け、声を絞り出す。

 

「ごめん、フローラ!! 謝る、謝るから、どうか……! 許してくれないか……」

 

 立ち止まり、頭を下げた。

 

「……何に謝るのか、わかって言っていますの?」

 

 イーサンの頭頂に、フローラの棘のある言葉が投げつけられた。

 図星にもほどがある。謝りたいという気持ちが先行して、根本のところを何も考えていなかった。

 

「……いや、わから、ない。ごめん」

「そう……」

「でも! 何か怒らせるようなこと……傷つけるようなことをしちゃったのはわかる! だからとにかく謝りたくて! 話を……したくて!」

 

 必死に言葉を紡ぎながら、イーサンは顔を上げた。

 ……そして目に入った。彼女の左手。澄んだ碧に輝くのは『水のリング』だ。イーサンが花嫁を決める際、彼女に手渡した幻の指輪。

 

「あ……」

 

 

 

 そのときイーサンは『ずっと一緒にいたい』と、そう言ったのだ。

 

 

 

「……」

 

 それが自分の、気持ちのはずだった。でもいつからだろう。教団の脅威に怯えてか、はたまた自分の傲慢さ故か、その気持ちは『彼女を守りたい』、いやむしろ『彼女を守ってあげなくてはならない』に変わっていった。

 ぱちん。と、体中を小さな電流が走った。

 

「お、俺は……」

 

 小さく、声を絞り出した。目の前の彼女に懺悔するように。

 

「君を……遠ざけてしまった。旅立つ前、君は、俺の支えになりたいって、言ってくれたのに。ふたりで、ルドマンさんも説得したのに……。君の覚悟も、想いも、勝手に全部忘れて。勝手に、君を、……庇護、してしまっていたんだ……」

 

 フローラは黙って、イーサンの言葉を聞いていた。そしてゆっくり口を開いた。

 

「今、気付いたのですね」

「――っ」

 

 彼女の視線と言葉が胸を刺す。その通りだ。マービンの言った通り、自分は何も見えていなかった。

 

「……ごめん」

「別に謝らなくてもいいですわ。……お父様との約束を、思い出しただけですから」

「約束……?」

「封印の祠に向かう際、お父様が言いましたわよね? 『旅についていけないと判断したら、やめるように』って。だから、これはわたくしの判断です。……辛くて、とてもじゃないけど()()()()()()()

 

 ずきん、ずきん。と、心臓が脈打つたびに鈍い痛みが胸に走る。

 

「わたくしは弱い。呪文も未だに、満足に使えない。守っていただけるのはとてもありがたいことです。でも……わたくしは物じゃないのですよ?」

「あ、あ……」

「こんなの、わがままなのはわかっています。でも、これがわがままに“なってしまう”のであれば、わたくしはもう旅のお供をするわけにはいかない。お互いのためにも、身を引くのが道理ですわ」

 

 血管に無数の針でも仕込まれたかのように、頭と胸に激痛を感じる。異常に辛い……耐えられない。

 

「ごめん……フローラ。でも俺は君が役立たずだなんて思ったことはない! 確かに呪文は不安定だけど上達してきてるし、補佐なんかではもう十分助かってる! 俺がちょっと……焦っていただけだ! これからはちゃんと、君も一緒に……!」

 

 完全に言い訳だ。ひどくカッコ悪く、情けないと思った。でももう、何でもいい。今はとにかく、一秒でもはやく、フローラの笑顔が見たい……!

 

「はあ……」

 

 こぼれる小さなため息が、重く鋭く貫いてくる。

 

「そんなにわたくしが、頼られなくて拗ねる子供に見えるのかしら?」

「いや、それは……」

「選ぶと言えば、満足すると思ったのですか? では言わせていただきますね」

 

 フローラが一呼吸置き、じとりとイーサンを見つめた。

 

「わたくしは、貴方に選んでいただいた妻です。それはとても……嬉しかった。何よりも幸せだった。でも……でも! 選ぶ権利があるのは貴方だけじゃない! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「あ……!」

 

 それが止めだった。

 フローラの言葉に心が突き放される。激しいめまいに屈し、イーサンは力なく膝をついた。

 

「え、イーサンさん……?」

 

 そうだった。当たり前のことだった。

 フローラはいつも健気に、自分を慕ってくれていた。いつしかそれが当たり前になっていたが、彼女だって人間だ。こちらが何もしなくても勝手に好きになってくれるわけじゃない。しっかりとお互いの心に向き合い、寄り添うことが必要だった。必要だったが、できていなかった。知らず知らずのうちに彼女に甘え、驕っていた心が『フローラを守る』などという自分勝手な気持ちを生み出し、結果、彼女を傷つけてしまった。

 

 さらに、イーサンは先ほどから胸を締め付ける恐怖の正体を悟る。父パパスが殺される前、彼はラインハットの街でいつものようにイーサンに笑いかけてくれていた。それが最後に見せた彼の笑顔。……イーサンは今、最愛の妻の笑顔をも永遠に失おうとしていることに気付いてしまった。

 膨れ上がる痛みと恐れが心の薄皮を突き破り、堰を切ったように涙が溢れだした。

 

「え……ちょっと、泣いていますの? ねえ……!?」

「ごめん……ごめん、フローラ……!」

「あ、あああ……そんな、泣かせるつもりでは………! ごめんなさい、言い過ぎましたわ……! ああ、イーサンさん、お、落ち着いて……!!」

 

 

 

 岩場に移動し、その日陰にイーサンたちは座り込んだ。いくらか落ち着いたものの、胸の痛みと涙は収まらない。

 

「俺は、怖かったんだ……フローラを失うのが。幼いころ目の前で父さんを殺されて……そんな奴らが、意外にも近いところにいるって知って。……弱気になってた。次はフローラが狙われるかもしれないって思うと……」

「そう……ですよね」

「ラインハットが教団に襲われてるってわかった時も、思わず君を遠ざけた。そのことで君が傷付いたってわかったのもついさっきのことだ……。そして、ラインハットの惨状を見てしまって……。俺の身勝手な気持ちは、エスカレートしていった……。フローラの笑顔が奪われるのだけは、許してはいけないって……」

「気持ちは、わかります。わたくしを守るために、イーサンさんが体を張ってくれていたことも。でも、それをひとりで抱えるのは、不公平じゃありませんか……。怖い思い、不安な気持ち、それを隠されて。何でもないように、乾いた笑顔を浮かべて……。わたくしは、辛かったですわ」

 

 フローラの言葉が肩にのしかかり、イーサンは顔を伏せた。

 

「わたくしは、親を殺されたことも、奴隷として扱われたこともない。のうのうと生きてきた女です。貴方の気持ちも分かってあげたいという想いはあります。……でも、でも逆に考えてみてください」

「……?」

「貴方がわたくしを置いてラインハットに向かったとき、魔物と遭遇して、ひとりで前線に走っていったとき……わたくしがどんな気持ちだったか分かりますか?」

 

 そのときの、フローラの気持ち……?

 数秒の後、イーサンは両目を大きく見開いた。

 

「あっ……!!」

「そうです、同じです! イーサンさんの顔、もう二度と見られないかもしれないって、本当に、本当に怖かったのですからね!!」

「そうだよ……そうだよな……」

「それに、今朝のことだって! 朝起きて……いえ、嘘です。いつものように、その……貴方の腕を探していたら……いたら! ベッドが空になっているのですよ? どれだけ驚いて、焦って、不安になったと思いますか! 澄ましたような書置きを読んで、わたくしは頭に血が上るということを始めて経験しましたわ! そんなの……嫌になるに決まっているじゃないですか……」

 

 彼女は顔をしかめ、拳を握りしめた。その姿に、またも胸が痛む。

 

「うぅ……ごめん……。本当に」

 

 項垂れるイーサン。出来ることなら、身勝手な考えしかできないこの頭を、この場でボコボコに殴り倒して消えてしまいたい。そう思った。

 

「でも……」

 

 フローラが改まる。心なしかその声色は柔らかく感じた。イーサンは頭を傾け、彼女の顔を覗き込む。

 

「わたくしも、その……言い過ぎました」

「フローラ……」

「貴方がそんなに焦っていて、貴方の心がそんなに追い詰められていたなんて……わたくしも気付いていませんでした。イーサンさん、平気を装うのが上手なんですもの。ちょっとの違和感しかわからなくて……わからないから、いらいらしてしまって……。怒りすぎました。ごめんなさい……」

 

 フローラが頭を下げる。側頭部のリボンがふわりと揺れた。

 何と言葉を返すか戸惑っていると、彼女はそっと、イーサンの手を握りしめた。

 

「でも、いつも貴方は……わたくしを守ろうとしてくれる。1年半前の夜、サラボナの屋敷からわたくしを強引に連れ出してくれたときから、貴方の根本は変わっていないのですね」

「……」

「今回はこのように……悲しいすれ違いになってしまったけれど。わたくしはその、危なっかしいほど真っ直ぐで、大切な人のためなら力ずくでも周りを引っ張っていく。貴方のそんなところが結局、たまらなく好きなのです」

 

 すとん。と、彼女の言葉が胸に響いていく。ぐちゃぐちゃに荒み切った心の砂漠に、一滴の水が落とされたように。

 

「……もう。何か言ってください。恥ずかしいですわ……」

「え、あ。えっと、じゃあ……その……?」

「はい」

 

 彼女は握りしめた手を、そのまま胸に当てがった。彼女の鼓動と体温が、静かに伝わってくる。

 

「わたくしはイーサンさんが好きです。大好きです。これまでも、これからも。貴方の元を離れる気などありませんわ。だから……これで仲直りとしましょう?」

「あ……」

 

 強張った体と表情が、緩んでいくのを感じた。きっと今、それこそ彼女にしか見せられないくらい情けない表情をしているのだろう。そして止まりかけていた涙も勢いを取り戻していく。

 

「フローラぁ……」

「だからなんで泣くのですか!? 情緒不安定過ぎですわイーサンさん!!」

 

 フローラがタオルを差し出そうと道具袋に手を入れ、弾みで中身をひっくり返してしまった。ふたりは慌ててそれらを拾い集める。イーサンは涙を拭いながら、フローラは頬を赤らめながら。再び噛み合った呼吸の歯車はゆっくりと回り出し、照り付ける陽光よりも柔らかいぬくもりでふたりを包んでいった。

 

 

 

 



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5-7. 愛する人へ


どうもこんばんは。イーサンとフローラが喧嘩しました。辛かったです。

今更ですが彼らはサラボナで出会ってから割とすぐに結婚したので、『恋人』という関係性をスキップして夫婦になりました。

なので戸籍上は夫婦ですが、精神的にはまだまだ未熟な恋人同士みたいな距離感なのかなぁとか、信頼と依存の棲み分けとかお互い難しいお年頃なのかなぁとか、私も若輩者なりに色々考えているのです。

ともあれ仲直りさせてあげられてよかった(前回までのあらすじ)。
そして爆発しろ(今回予告)。





 

 

 夜。テルパドール王宮から少し離れた集落にて。

 今日は結局一歩も進まなかった馬車の荷台の中で、仲間想いのキメラは涙を流し続けていた。

 

「よかった よかったぁ…… マスター フローラ 仲直り よかったよぉ……」

「……トレヴァ泣きすぎニャ。ほら、鼻水を拭くニャン」

「だってぇ…… びっくりしてぇ マービン マスター を 殺しちゃいそう だった からぁ……」

 

 隅の丸イスに腰掛ける死体がぎくりと体を震わせ、バツが悪そうに頭を掻いた。

 

「いや……オレも、ついカッとなって、な……?」

「フローラ も どこかに 行っちゃうし…… このまま ワタシたち ばらばらに なっちゃうかもって…… うえぇ……」

「マービンの気持ちもわかるけどニャア……。ここ最近のご主人は、なんだか好きじゃなかったニャン」

「わあああああん! お願い 好き で いてぇ!! リズ お願い だからぁ!」

「ニャアーっ! わかったから! 大丈夫。ご主人だって反省してるみたいだったし、それならリズも……す、好きでいるというかなんというか……。認められるから!」

 

 昼過ぎに帰還したイーサンは仲間たちに心から謝罪をし、それぞれの心労も考慮してもう1日、この集落で休むことを決めた。フローラまで『ご迷惑をお掛けしました』と頭を下げてきたので、もう言うことはないだろう。と、マービンとリズも納得したようだった。

 

「リズ リズ!」

「なんにゃ宝石袋」

「リズ は 気付いてたの? マスター の 気持ち!」

 

 イーサンの早起きに付き合ったロランは、皆の言う『イーサンの異常』があまりピンときていないようだ。

 

「違和感くらいのものニャ……。昨日はずっと、何かに追いかけられるみたいな道中だったから……。それに、リズたち魔物がご主人について行く理由ってそれぞれなんだろうけど、ひとつの共通点はあると思うのニャ」

「共通点 ナリ?」

「ニャン……。たぶん、ご主人の自由な雰囲気……。とんでもない過去とか、因縁とかを背負ってやがるくせに、自分のペースで歩いて、笑って、泣いて。軽口まで叩いて……。そんにゃ自由なココロに、魔物として惹かれるものがあったニャン?」

 

 リズの言葉にロラン、トレヴァ、マービンは顔を見合わせた。思い当たる所は、少なからずある。この場にいないレックラもきっと、同じ気持ちを抱くだろう。

 

「そんなご主人があんなにキリキリしちゃって、嫌でも違和感ニャ~」

 

 リズは干し草の上を転がった。彼女は仲間モンスターの中では、最もイーサンとの付き合いが長い。この長い旅路で彼女が学んだのは、人間の『言葉』だけではないのだ。

 

「……うえぇ」

「また泣いてる!? 今日のトレヴァ、なんかぶっ壊れてるニャ!?」

「リズが なんだか 頼もしくてぇ……」

「さりげなく失礼ニャ!!」

 

 そんなやり取りを横耳に、マービンは幌の隙間から宿屋を眺めた。せっかく仲直りしたのだし夫婦水入らずにしてあげようと、今日は馬車で寝ることをみんなで決めたのだ。今朝イーサンを殴りつけた片腕を一瞥し、彼は静かに微笑む。

 

「戻ってきてくれてよかったぜ、お嬢……。それに、旦那もな」

 

 

  *  *

 

 

 砂漠の夜空は綺麗だ。きっと日中吹き荒れる砂嵐が、空気の汚れを洗い流しているのだろう。

 フローラはベッドに横になり、テントの隙間から覗く夜空を見上げていた。

 

「……」

 

 今朝のことは、彼女も反省していた。喧嘩両成敗ということでふたりとも納得し、実際先ほども今まで通り……穏やかで楽しい夕食を済ませてきたところなのだが。……それにしても、言い過ぎてしまったと思う。彼にも落ち度があるとはいえ泣かせてしまうのは大人げないというか、流石に、やりすぎだったと反省している。

 

「……はあ」

 

 フローラとしても、あんなに怒ったのは生まれて初めてだと思う。慣れないことをするものじゃないわ。と思わずため息をついた。でも……心は疲れているもののとても穏やかだ。昨日初めてこの宿に泊まったときは、嫌な疲れ方をしていたせいもありすぐに眠ってしまった。

 こうして喧嘩をするのも、そう悪いことではないのかもしれない。実際にフローラの父と母もしょっちゅう喧嘩をしていた。フローラが諫めると決まって彼らは『心配し過ぎだ』と笑うのだ。……今ならそれが少しだけ、わかる気がする。イーサンと再び通わせた心が、今まで以上にとても愛おしく思えた。

 

「……?」

 

 そんなことを考えながらうとうとしていると、背後に気配を感じた。誰かが布団の中に入ってきているのがわかる。それはきっと……。

 

「……フローラ」

 

 耳の真後ろで小さな声がした。イーサンだ。密着はしていないが、この距離なら彼の体温も感じられる。

 

「……なに?」

 

 彼と同じくらいの声量で返事をした。彼はまさか本当に起きているとは思わなかったのか、驚いたのが息づかいから伝わってきた。イーサンは改めて、フローラに声をかけてくる。

 

「フローラ。今一度、誓わせてくれないか」

 

 何を、なんて聞くのも野暮だろう。フローラには、それくらいわかる。

 

「……はい」

 

 唾を飲み込む音が聞こえた。……まったく。何を今更緊張しているのかしら。と、フローラは少しおかしく思うが、彼は真剣そのものだと思うので黙っていた。

 

「俺は……君とずっと一緒にいたい。どっちが前でも後ろでもなく、上でも下でもなく。……隣で、これからも一緒に歩いていきたい。俺が君を守るから……」

 

 イーサンの手が、フローラの肩に置かれる。

 

「……どうか君も、俺のことを守ってほしい」

「……」

 

 フローラは肩に置かれた手を取り、胸の前に持ってきた。必然的に、イーサンが彼女を抱く形となる。背中に触れる彼の胸から、びっくりするくらい速い彼の鼓動を感じた。

 

「……ええ。こちらこそ、改めてよろしくお願いします。わたくしの……旦那様」

 

 彼の安堵のため息が首筋をくすぐる。……だから緊張しすぎです。と心の中で突っ込みつつも、フローラは幸せな気持ちでいっぱいになる。

 

 しかしふと、脈絡も無しにこれからのことを考えてしまった。フローラは明日から、夫と共に再び東を目指す。何日かかるかはわからないが、きっとふたりはグランバニアに辿り着くのだろう。……だがその後は、一体どうなるのか。すべての大陸を制したイーサンは、次はどこに向かうのか。そもそも、彼はグランバニアの王子の可能性がある。そうなったら……今までのように生活できるのか。彼と共に自由気ままに旅をする日々がフローラはとても好きだった。でもこの生活は、一体いつまで続くのだろう。

 

 考えるだけ無駄だと分かっていながらも一度落ちた不安の波紋は大きくなる一方で、フローラはどうにも落ち着かなくなってしまった。背後からはイーサンの呼吸と鼓動が聞こえる。……彼は今、どんな表情をしているのかな。

 

「ちょっと、失礼しますね……」

 

 小声でそう言い、体をよじる。もぞもぞと上半身をひねり、彼の顔を見ようと――。

 

 

 

「……あ、ん……?」

 

 

 

 唇が重なった。

 フローラは一瞬だけ目を見開き、それから無意識に、目を閉じた。

 

「――、―――」

 

 結婚式以来、2度目のキス。

 あのときは言わば式の段取りの一環で、大衆の目が恥ずかしかったのもあってすぐに顔を離したのを覚えている。でも今は……今は。

 

「………っ!」

 

 思わず手を伸ばし、彼の背中に回した。ごつごつした背中。見た目以上に備わっている彼の筋肉は、地獄のような奴隷時代に得たものである。そう思うとたまらなく愛おしくて、切なくて、悔しい。閉じた目の端に涙が浮かぶのを感じながら、フローラは彼を抱きしめる。

 彼がそれに応え、抱きしめ返してくる。力強い抱擁に、瞼の裏側がホワイトアウトした。彼が唇を離すと、一対の甘い吐息が零れる。

 

「フローラ」

 

 名前を呼ばれる。それだけで、胸の奥が熱くなる。溶けかけた心がやめてと叫んだ。やめて、その続きを言われたら、きっと崩れてしまうから――。

 

 

 

――、――――。

 

 

 

 消え入りそうなほど、小さくささやかれた言葉。フローラの耳は律儀にその言葉を拾う。そして彼女の心は、その言葉に呑まれて跡形もなく溶け落ちた。

 再び重なる唇。どちらが迎えに行ったのかももうわからない。それどころか、もはや上も下も、右も左もわからない。もうどうでもいい。不安も恐怖も、今この瞬間だけはどこにも存在しない。真っ白く点滅する視界の中で、ふたりの体温が溶けて 混ざり合う。 指先も、足先も、皮膚も心も 霧散していくのを感じた。 今 自分は彼と一緒だ。 一緒に どこまでも、どこまでも深くへ 崩れ落ち て  い   く ――、―……。

 

 

  *  *

 

 

 テルパドール王宮にて。アイシス女王はいつものように中庭から、夜空に浮かぶ月を見上げていた。

 

「……心配、いらなかったようですね」

 

 髪をかき上げ、中庭を後にする。

 

「……」

 

 彼女はある人物の顔、そして大昔の失敗を思い出した。テルパドールの統治者に即位したばかりの頃の、自分の驕りと過ち。結果的に失われた、若き日の恋心……。その失敗を境に彼女は『王家の眼』を使わなくなった。そしてその判断さえも、数年後に現れる子連れの旅人、その軌跡を見逃す原因となる。

 

「……恋は狂気ですね。見なくていいものばかり目について、見るべきことだけを見落とす。それを乗り越えられた、貴方たちが羨ましいわ」

 

 狂気から覚めたのは、もう修復できないほど手遅れになってからだった。だがそれも昔のことだ。彼女はとっくに苦い記憶と決別し、それ以降は女王として、テルパドールを導く役目をしっかりと果たしている。……そのはずだ。

 

「わっふ!?」

 

 廊下の曲がり角で、小さな何かとぶつかった。

 

「あ、アイシスさま!!」

「……シャヒーラ。どうしたのこんなところで」

 

 夜でもお手洗いに行けるようになったのが嬉しくて、シャヒーラはよく徘徊しているのだという。そんな彼女を優しく諫め、少し眠そうな彼女を抱きかかえて家まで送ることにした。

 

「アイシスさま」

「なあに?」

「アイシスさまは、なにしてたの?」

「ふふ……昔のことを、少し思い出していただけよ」

 

 王宮の廊下に、優しい足音が響く。その柔らかな音はさながら子守歌のようで、シャヒーラを温かく包んでいる。

 

「そっかぁ。……あれ?」

 

 眠りに落ちかけた彼女の目が見開かれる。

 

「アイシスさま……ないてるの?」

「え……」

 

 手をやると頬が濡れていた。アイシス女王は言葉を失う。

 

「だいじょうぶだよ……。シャヒーラ、きしさまになるから。じょおーさまと、おーきゅうをおまもりする、つよいきしさまになるの……。だから、なかないでアイシスさま……」

 

 シャヒーラの小さな手が頬に触れた。アイシス女王は彼女に微笑みかける。

 

「ええ、楽しみにしていますね。だから今日は、ゆっくりお休み?」

 

 腕の中ですやすや眠る少女を抱きかかえ、彼女を心配しているであろう家族の元へ足を向ける。

 

 恋とは、狂気だ。その過程で受けた傷は、呪いとなってずっと心に残り続ける。どれだけ時間が経っても。どれだけ心を入れ替えても。

 

「……イーサン殿、フローラ殿。貴方たちはきっとこれからも、素敵な軌跡を歩んでいけます。この私が、テルパドール女王アイシスが保証しましょう」

 

 根拠はない。自分の能力では未来など視えない。

 どうやら自分はまだ少しばかり、優しい呪いを引きずっているみたいだ。

 

 

 

 

 

第5章 天空の勇者と光の教団  ~fin.~

 

 



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第6章 グランバニアにて
6-1. 静観する邪悪



どうもイチゴころころです。

はやいものでもう6章ですね。
例によって今回はさくっとしたイントロにまとまったので、このあと19時に続きを投稿します。お楽しみに!

別ゲーですが『ザナルカンドにて』って本当に名曲ですよね。


 

 

「……ふむ」

 

 薄暗い広間。隅に置いてある燭台の炎が淡く照らすだけの空間。『光の教団』の宣教師であるジャミは中央の椅子に腰かけ、顎に手を添える。

 

「そいつらが新たな収穫ってわけか」

「……ああ」

 

 目の前には紫の法衣を纏った男が立っていた。彼はジャミの呼びかけにぶっきらぼうに答える。その男の背後には、質素な服装に身を包んだ少年少女たち10人ほどが身を震わせていた。

 

「まさかレヌール領の端にまだ村があったなんてなァ……。世界は広いということか」

「……大人たちは『神殿』の方に連れて行った。このガキどもはここで好きにしていいそうだ」

「教えを拒んだクチか……。ははっ、よく殺さずに連れてこられたな? 単細胞なりに頭が回るようになったじゃないか」

「……」

「クヒヒ……、そう怖い顔をするなゴンズ。褒めてやってるんだぜ? 忘れるなよ、今や俺の立場の方が上だ。俺はこうして、『デモンズタワー』を任されるようになった。布教も満足にできない下っ端が、歯向かっていい相手じゃない」

 

 紫の法衣の男、ゴンズは怒りに顔を歪ませた。

 

「貴様……!!」

「――おやめなさい、ふたりとも」

 

 一触即発のふたりを、突如響いてきた声が制す。連れてこられた子供たちが驚いて振り返ると、先ほどまで暗闇しかなかった背後の空間に深紅の法衣の男が立っていた。

 

「……ゲマ卿」

「ジャミ卿、ゴンズ卿。あなた方は我らが神に仕える身として、多くの信者の模範でなくてはなりません。子供たちもいる前で、はしたない姿を見せるべきではない。それに、我々は同志です。同じ志を持つ者には敬意を払いなさい。間違っても、我々が傷つけあうようなことがあってはなりません。……良いですね、ゴンズ卿?」

「……仰せのままに」

 

 今にもジャミに飛び掛かろうとしていたゴンズだが、ゲマの言葉を聞いて素直に引き下がった。

 

「それからジャミ卿。経過はどうなっていますか?」

「……グランバニアの守りは固い。魔物どもを何度かけしかけたが、城門を突破することもできねぇ」

「さすがは世界一の軍事国家。……あのパパスの率いた国というわけですねぇ」

「どうする? ”あっち”から何匹か呼び寄せるか?」

「それには及びません。以前にも言った通り貴方の役目は牽制と監視ですジャミ卿。いえむしろ……城門は突破してはいけない。突破されないギリギリのところで守らせ続けるのです。彼らは他国に救援を求めることもできず、孤独に消耗し、絶望し、やがて自ら魂を差し出すようになるでしょう。……愚かなラインハットの国民のようにね」

 

 不敵に笑うゲマに、ゴンズが声をかける。

 

「だがゲマ卿、グランバニア王家の血筋は途絶えたはずだ。賢王は死に、そのガキも“ハズレ”だった。もう用はない。叩き潰しても構わねぇんじゃないか?」

「ああゴンズ卿、滅多なことを言うものではありませんよ? 信者になり得る人間は貴重な労働力にして、大切なリソースです。貴方のその短絡的で、下品で、無粋な思考が、レヌール王国を無意味に滅ぼしてしまったことをお忘れですか?」

「……」

 

 ゲマの言葉にゴンズは奥歯を噛み締め、その様子を見ていたジャミはにやりと口の端を吊り上げた。

 

「それに、件のパパスの息子ですが……どうやら神殿を抜け出していたみたいです。少し前にジャミ卿がラインハットで出会ったと」

「ああ、間違いない。どこぞの単細胞と違って、俺は物覚えが良いからな」

「サラボナ市民の情報によると、彼はグランバニアに向かったと聞いています。まあ道理でしょう。そしてもうひとつ……彼は伴侶を得ています。サラボナの令嬢と契りを交わしたとか。この意味がわかりますね……?」

「「……!」」

「そうです。かの国の血筋は途絶えてはいない。我らが神のお通りになる道を築き、世界を創り直すことが我々の悲願。そのためには、“脅威”となるものはあらかじめ排除しなくてはなりません。……ジャミ卿?」

「ああ、引き続き監視と牽制だな。あの男の動向を探りつつ、グランバニアの国力をチーズを削るみてえに削ぎ落してやるよ」

「それからゴンズ卿。貴方も引き続き”布教”をお願いします。……数年前に見つけたレヌール王家の遠縁の彼もハズレでした。やはり正統でなくてはならないようです。そうなると残るはグランバニアと、未だに尻尾も掴ませてくれないテルパドールの方々だけですからね」

「……はっ」

 

 3人の宣教師が不敵に微笑む。その様子を見ていた子供たちのうち、ひとりの少女が震える足で立ち上がった。

 

「あ、あの……!」

「おや……?」

 

 ゲマが振り返る。その柔和な表情を見て、少女はほんの少しだけ緊張を緩めた。どうやら彼女は、この中で最年長のようだ。

 

「あの……みんなをおうちに返してくれませんか? わたしが! みんなの代わりに働きますから……!」

 

 震える声で叫ぶ少女を、周りの子供たちが不安げに見上げた。ゲマは穏やかに微笑み、滑るような挙動で少女の傍へやってくる。

 

「おやおや……なんと健気な。幼い子供たちのために、犠牲になろうとするなんて……」

「お、お願いです……! なんでも言うことを聞きますから……」

 

 少女の頬に、ゲマが手を添えた。驚いて目を見開くも、懸命に目の前の男を睨み付ける。

 

「ですが、貴女を犠牲にして助かったところで、子供たちは喜ぶでしょうか?」

「……! そ、それは……、そう、ですよ! みんな、生きていた方が良いに決まってます! だったら、わたしが犠牲になれれば……」

「では、聞いてみましょうか」

 

 背後の子供たちは今のやり取りを聞いて、顔を真っ青にしていた。幼いなりに、目の前の彼女が自分たちのことを身を挺して助けようとしてくれることに気付いているのだろう。

 

「どうでしょうかみなさん? 君たちは、彼女のことを犠牲にしてでも助かりたいですか? 彼女を見捨てて、おうちに帰りたいですか?」

 

 子供たちは涙を浮かべながら……首を横に振った。誰一人として、彼女の犠牲を望む者はいなかった。

 

「みんな……」

「なるほど……素晴らしい。私は感動しましたよ。人の絆が……これほどのものとはねぇ。お嬢さん、名前は?」

「あ……アニー」

「アニー……貴女は、みんなに愛されているのですね。そんな彼らの前で自分だけが犠牲になるなどと言うことがどれだけ悲しいことか、わかりましたか……?」

 

 ゲマは優しく、彼女の頭を撫でた。押さえ込んでいた恐怖が一気に緩み、アニーの両目から涙があふれだす。

 

「う、うぅ……!」

 

 その姿につられ、後ろの子供たちも声を上げて泣き出す。

 

「でも……わたしはおねえちゃんだから! みんなを、守らなきゃ……って……」

「ああ、素敵です。素敵ですよアニー。では……」

 

 ゲマは手を離し、彼女から離れていった。ふわりと解ける緊張に、子供たちの視線が上がる。

 

 

 

 次の瞬間、アニーの両腕が音もなく、肩口から切り落とされた。

 

 

 

「――え、あ?」

 

 広間に大絶叫が響き渡る。アニーが泡を吹いて倒れ、子供たちも各々悲鳴を上げる。

 

「さあ、子供たち。大変ですよ。君たちの大切なお姉ちゃんが、もう働けない体になってしまいました。どうしましょう。このままでは彼女は用済みとなって殺されてしまうでしょう。……さあ、大切な大切なお姉ちゃんの代わりに、身を粉にして働いてくれる子はいませんかねぇ……?」

 

 子供たちが一斉に泣き止んだ。一瞬前までの叫び声が広間に反響し、不快な耳触りを残す。今彼らの幼い思考の中にはふたつの感情があった。彼女を助けなくては、と、自分はこうなりたくない。というふたつの感情が。

 そのことを察したゲマは薄く微笑み、踵を返す。

 

「ようこそ小さな信者たちよ。――全ては、我らが神の世界のために」

 

 紅い法衣の宣教師は部下ひとりを引き連れ、その場を去っていく。

 もう子供たちの方など見てもいなかった。

 

 

 

 

 



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6-2. 旅路は山を越える


どうもさっきぶりです。

6章では新しいパーティメンバーが登場するよ!
メンバー増えるのいつ以来だ……?




 

 

 去り行く敵影を視界に捉えながら、イーサンは懸命に足を動かした。薄暗い洞窟、でこぼこの足場、敵の逃走経路……いくつもの思考を同時にこなし、脳の奥がちりちりと痛む。

 

_______________________

 

 ◎イーサン 20歳 男

 ・肩書き  モンスターマスター

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:B    MP:C すばやさ:C

 ちから:B みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 奇跡の剣、刃のブーメラン

 ・特技 バギマ、ホイミ

_______________________

 

 

「――ふっ!」

 

 走りながら、力を込めてブーメランを投げつけた。しかし敵はその一撃を難なく躱し、横穴に飛び込んだ。ブーメランは洞窟の壁に突き刺さる。

 

「さすがに無理があるか……! ロラン、逃がすな、追え!!」

「承知 ナリ!」

 

 隣にいたロランが閃光のような速度で駆け抜けていった。イーサンはブーメランを引き抜き、彼を追う。

 

_______________________

 

 ◎ロラン ??歳 男

 ・肩書き  感情豊かな踊る宝石

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:A すばやさ:A

 ちから:C みのまもり:A かしこさ:B

 ・武器 宝石の加護

 ・特技 ラリホーマ、メダパニ、その他多数

_______________________

 

 

 ロランは敵を追いながら、一瞬だけ焦りを覚える。

 

「は 速い ナリ……!!」

 

 かけっこには自信があった。実際リズにも、空を飛ぶトレヴァにも負けたことはない。だが今の敵は……ロランの素早さを上回っているように思える。狭い洞窟内だからこそ、ぎりぎりで追随できているのは間違いない。

 

「あはははっ! これぞ 英雄 の 試練 ナリ! 試練 を 乗り越え 英雄 は 強くなる!!」

 

 一瞬感じた焦りはすぐに『楽しい』に変わった。長旅を経て覚えた様々な感情、それらをすべて『楽しい』に繋げられることが、ロランの強さなのだ。

 敵影を追い、大きな吹き抜けに出た。しめたと、ロランは口角を上げる。

 

「トレヴァ! こっち ナリ!」

「ロラン!」

 

 呼びかけに応じ、吹き抜けで待機していたトレヴァが降下してきた。ロランは彼女の背に飛び乗る。

 

「上へ 向かった ナリ!」

「了解 先回り するわ」

 

 単純な能力で敵わなくても、工夫次第で対等以上に渡り合える。今まで何度も、自分らの主はそうやって危機を脱してきた。

 

_______________________

 

 ◎トレヴァ ??歳 メス

 ・肩書き  勇敢なキメラ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:B    MP:A すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 魔封じの杖

 ・特技 ベホイミ、氷の息

_______________________

 

 

 一階層上の横穴を抜けて広い空洞に出ると、リズが敵と戦っていた。敏捷に定評のある彼女であっても、敵の姿を視界に捉え続けることさえ難しいようだ。

 

「遅ぇニャ!!!」

「任せる ナリ!!」

 

 ロランが飛び出し、高速で敵とぶつかり合う。ガキガキガキンと、洞窟内に白と銀の軌跡が瞬いた。

 

「ニャーー!! 頑張るニャ、ロラン!!」

「ロラン 攻撃 苦手…… 大丈夫 かな……」

 

 スピード勝負に敗れたロランが振り切られ、敵の影は奥の横穴に逃げ込んでいく。

 

「しまった ナリ!?」

 

 しかし暗闇の奥から分厚い刀身の剣が振り下ろされ、逃げようとする敵の小さな体をはじき返した。

 

「「「マスター!/ご主人!」」」

「手ごたえあり! でもまだ倒れないか……!」

 

 驚いた敵は弾かれた勢いのまま、別の横穴に飛び込んでいく。

 

_______________________

 

 ◎リズ  ??歳 メス

 ・肩書き  イーサンの相棒

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:C すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャダルコ、ベホイミ

_______________________

 

 

「追うんだみんな! 絶対に逃がすな!!」

 

 イーサンの怒声が洞窟内にこだまする。仲間たちと共に、イーサンも再び駆け出した。

 

「絶対に……逃がすものか……!」

 

 敵影を追いつつ、イーサンは奥歯を噛み締める。幼少期の朧げな記憶のひとつ、父に言われたある言葉を思い出していた。

 

 

――なに? 大きくなったら父さんみたいな旅人になりたい?

 

――はっはっは! じゃあ私がひとつ教えてやろう。旅人になるための、大事な心掛けだ。

 

――いいかイーサン。その銀色の体を見つけたら。何があっても逃がしてはならない。

 

――全てをかなぐり捨てても倒すんだ。情けは無用。この世すべての敵だと思って全力で挑め。

 

 

「忘れないよ父さん……。絶対に倒す!」

 

 しかし敵の素早さは圧倒的で、今にも見失いそうだ。先頭を行くロランも、じわじわと距離を離されている。だが……。

 

「あと少し……!」

 

 横穴の先、逃げ行く敵のさらに先で、緊張した面持ちのフローラが姿を見せた。束ねた蒼い髪をなびかせ颯爽と登場する。

 

「作戦通り、ですわ!」

 

 敵は驚いたように速度を緩めたが、それも一瞬。なにぶん追手は4人。目の前にはたったひとり。ニンゲンの女ひとりくらい無傷で切り抜けられる。そう思ったのだろう。敵はすさまじい速度でフローラに向かっていった。――彼女の手に、何が握られているかも知らずに。

 

「いっけぇ、フローラぁ!!!」

「やああああああ!!!」

 

 彼女が握っていたのは鞭ではなく、小さなナイフ。いや、ナイフと言うにも細く、小さすぎる。言うなればそれはただの針だ。フローラは飛来する敵に向かってその針を突き出す。その先端は敵の胴体に吸い込まれるように向かっていき――。

 

 ちくっ。

 

 という音と共にその体を掠めた。それはあまりにも小さく、か弱い一撃。ましてロランを越える防御力を持つその敵には文字通りかすり傷にしかならないだろう。しかし。

 

――!?!?

 

 針の先端に仕込まれていた魔物用の毒が、一瞬で敵の体内を駆け巡る。毒はその小さな体を瞬時に蝕み、敵の息の根を止めた。

 

「あ……!」

 

 敵の体がぱぁんと弾け、銀色の魔力の搾りかすがフローラの周りに振りまかれた。

 

「や、やりました、の……?」

 

 唖然とするフローラの前に、息を切らしたイーサンたちが駆け込んできた。

 

「倒した……“はぐれメタル”を、倒した……!」

 

 イーサンの表情は歓喜に満ちていた。それを見たフローラも、胸に込み上げてくるものを感じる。

 

「イーサンさん!」

「フローラ……!」

 

「「やったあああああああああ~~~~~っっ!!」」

 

 ふたりは飛び上がり、笑顔で抱き合った。ロランも満面の笑みで跳ね、リズの短い腕とトレヴァの小さな翼がハイタッチをする。離れた場所でパトリシアの手綱を握るマービンも、満足そうに頷いていた。

 ひとしきりはしゃいだ後、未だに降り注ぐ銀色のきらきらを見つめ、イーサンはふと我に返った。

 

「……それで、これ、どうなるの?」

「さ、さあ……」

 

 

_______________________

 

 ◎フローラ 22歳 女

 ・肩書き  イーサンの妻

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:B すばやさ:B

 ちから:D みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 グリンガムの鞭、どくばり

 ・特技 メラミ、バイキルト

 

 

 ◎マービン ??歳 男性

 ・肩書き  手綱を握る者

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:B

 ・武器 素手(右手のみ)

 ・特技 毒攻撃、猛毒の霧

_______________________

 

 

 テルパドールの大砂漠を抜けてから約4か月。イーサン一行は南の大陸の荒野を越え、東の大陸との境目となるチゾット山、その山道を進んでいるところである。この山の真隣に連なるのが『グランバニア山』であり、その名の示す通り目的地であるグランバニア王国まで残る道筋は山越えのみの所まで辿り着いていた。

 

「マスター と みんな の 魔力 含有量 増大 を確認! “はぐれメタル” 討伐前 の 約 2倍 ナリ!!」

「そんなに!?」

 

 チゾットの“山道”と、近隣の村人はそう言っていたはずだったのだが、山道らしいのどかな道は早々に途絶え、今はこうして山の中の洞窟を進んでいるところである。イーサンたちは開けたところに簡単な陣を取り、焚火の炎と共に休憩をしていた。

 

「単純に、撃てる呪文の回数が倍になったってことニャン……?」

「みたいだな。図鑑にも、あのモンスターは特殊な魔力を帯びているとある。昔戦ったメタルスライムもそうだけど、なんか段違いみたい」

「そんなん倒し得ニャンね。気が触れたみたいに追いかけまわしていたけど、そんな秘密があったニャンて……」

「そうだと知っていたらもう少し頑張ったのに……。なんだか、ちょっと疲れてしまいましたわ……」

 

 そう言いつつフローラの手にあるのは金色の包装の小さなお菓子。荒野の真ん中にある謎の施設で購入した『メダル型チョコ』である。

 

「フローラ、それ好きだね」

「えっ、い、いえ。手が止まらなくて、つい……。はあ、間食はほどほどにしないといけないのに……」

「我慢は体に毒じゃない? 俺もいっこ食べよっと」

 

 けらけら笑う夫を尻目に、フローラはそっと自分のおなかに触れる。……最近ちょっと気になるのはきっとチョコの食べ過ぎだ。イーサンはああ言うけど、自分も女性の端くれとして気を付けなければ、と静かに思う。

 

『きゅ……ぴぃ……?』

 

 ふと馬車の荷台から顔を出したのは、深い紫色の体を持つ小さな魔物だ。

 

「あら、シモンズくん」

 

 彼はこの洞窟でひょっこり仲間になった魔物である。“ミニデーモン”という、その名の通り小悪魔のような姿をした可愛らしいモンスターだ。

 

『きゅぴ……』

 

 彼はよちよちと、フローラの元までやってきた。

 

「何? 貴方もこれが欲しいの?」

 

 フローラがチョコを差し出すとシモンズは一瞬だけ目を輝かせ、すぐに申し訳なさそうに顔を伏せた。

 

「ふふ。遠慮しなくていいのよ? はい、どうぞ」

 

 フローラは微笑み、手に持っていた残りのチョコ全てをシモンズに手渡した。持っているとまた手が出てしまうからと言う本音も少しあったが、それは内緒だ。

 

『きゅぴ……!』

 

 シモンズは嬉しそうに笑い、荷台に戻っていった。

 

「フローラちゃぁん、シモンズに甘すぎじゃないかニャア?」

「あ、ごめんなさい。リズちゃんも欲しかったわよね、チョコ」

「そうじゃないニャン! あいつ、未だに戦ってもいないニャ? かと言ってマービンみたいに馬車の操縦をするわけでもなく、フローラちゃんみたいに身の回りの世話をしてくれるわけでもない。ついてくるだけのヤツに施しを与えられるほど、リズたちに余裕があるワケでもないニャ」

 

 憤慨するリズを、イーサンが撫でて落ち着かせた。

 

「まあ、いいんじゃない? どうやらシモンズ、呪文とかも覚えていなくて戦えないらしいし」

「他のミニデーモンはあんなにアグレッシブに襲い掛かってくるのにニャ?」

「そういう個体もいるだろ。同じキメラでも、トレヴァみたいに優しい奴だっているんだしさ」

「マスター ……」

 

 トレヴァが頬を赤らめ、フローラはほんの少しだけむっとした。

 

「相変わらずリズ先輩は……新米に厳しいな。だがオレは知っているぞ、リズ先輩のその態度は……9割がた優しさでできている、ってな……」

「ほぼ全部ニャン!? てか、そ、そんなことあるワケニャイニャン!」

 

 焦るリズを見て、イーサンも微笑む。

 

「リズ、ロランにも最初きつかったしな。かけっこで負けてからずっと」

「は、はぁ!? リズはただ言うことを聞かないその宝石袋が気に食わなかっただけで!」

「大丈夫 リズ。 リズの 優しさ、 その健気さ、 英雄 ロランには ちゃんと 届いていた」

「ク ソ む か つ く ニ ャ ン !!!」

 

 フローラも、櫛で髪をとかしながらリズに笑いかけた。

 

「わたくしも最初は厳しくされましたわね。でもリズちゃんのその厳しい言葉のお陰で、わたくしが強くなれたのもありますわ。まあ実際はまだまだなわけですけれど。……ありがとうね、リズちゃん?」

「はぁっ!? な、なに言ってくれちゃってるニャン!? リズはただ、ご主人の迷惑になるようなヤツが許せないだけで……。だ、だって、リズはみんなの先輩だし? 先輩は、その、後輩の面倒を見るものニャ!!」

「お、今、面倒を見てたことは認めたぞ」

「ニャア~~~~!!!!!」

 

 リズが焚火の周りをころころと転がり、イーサンたちは笑い合う。

 ……その様子を、シモンズは幌の隙間から覗いていた。そして、不敵な笑みを浮かべる。

 

「……ケケケっ。呑気な連中だぜ」

 

 シモンズはそっと幌を閉じ、荷台の奥に向かう。誰にも聞かせたことのない、人語をつぶやきながら。

 

「ニンゲンってのは馬鹿ばっかりだ。上目遣いでちょっぴり媚びを売ってやれば、向こうから可愛がり、愛でてくれる」

 

 彼は干し草の上に寝転がり、大きなあくびをした。

 

「そして俺様の本性さえ、勝手に闇に包んでくれる……。だから俺様は誰にも気付かれることなく、『目的』を達成できるってワケだ」

 

 シモンズは懐からあるものを取り出した。それはまさに、先ほどフローラにもらったお菓子。一部の人間社会でも“幻のお菓子”と名高い、メダル王特製の『メダル型チョコ』である。

 

「俺様の長年の悲願……この伝説のお菓子! ああ、なんて神々しいお姿……。これを手に取る幸せを、食べられる尊さを、あの女は何も理解していないなんて……。でも大丈夫、俺様がしっかり、味わって食べてあげるからね……」

 

 シモンズは丁寧に包装をはがし、敬意を払いながらチョコを口に運んだ。そして、なんとも言えない多幸感に包まれる。

 

「ああっ……おいしい……!」

 

 そして瞬く間に、フローラからもらったチョコを食べ切った。

 

「こうして俺様は、誰にも悟られることなく……このチョコを食べる! ケケケっ、あのニンゲンについて行って正解だぜ。俺様はずっと、何の苦労もせずにこのチョコを味わって生きていけるんだからなァ!! ケケケケケケケケケっ!!!」

 

 シモンズが歪な笑顔と共に笑い声を上げた直後、幌が勢いよく開かれた。

 

「ケごぁっ!?!?」

「あら?どうしたのシモンズくん」

 

 幌を開けた張本人であるフローラは可愛らしく首を傾げた。

 

「ケ、き、ぅ……」

 

 とめどなく汗を流しながら、シモンズは表情筋をフル稼働して愛くるしい表情を作り、笑う喉元を強引に押さえ込む。

 

『きゅ……きゅぴ?』

 

 いつもよりその声は掠れていた気がしたが、目の前の彼女は気付いていないようである。

 

「よかったらシモンズくんもこっちへおいで? せっかく仲間になってくれたんですもの。皆さんで仲良く、焚火を囲みましょう」

 

 フローラの柔らかい笑顔に若干胸を刺されつつ、シモンズは彼女に促されるまま荷台を降りる。引きつった笑顔がどれくらい持つか、ちょっとだけ不安になった。

 

_______________________

 

 ◎シモンズ ??歳 たぶんオス

 ・肩書き  ずる賢いミニデーモン

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:C すばやさ:C

 ちから:D みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 なし(本当はバトルフォークが使える)

 ・特技 なし(本当はメラミ、イオラが使える)

_______________________

 

 

 

 

 

 



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6-3. ふたりで見る景色


こんばんは。イチゴころころです。

ドラクエ11Sがいよいよ真ラスボスの手前まで進みました。
はやく倒して結婚イベント見たい。倒さなくても見られるけど世界を平和にしてから見たい。




 

 

 

 それから一行はチゾットの山道、もとい洞窟を進んだ。話では、この山道を越えた先には小さな村があるらしい。極寒の山の中腹での人々の暮らしはイーサンたちにとって未知の世界だが、そのことが逆に冒険心をくすぐられる。2年弱旅を続けてきたフローラにも、その気持ちが少しずつ分かるようになってきていた。彼女自身、そのことが誇らしいと思っているようだ。

 

「えいっ!!」

 

 行く手を阻む“デッドエンペラー”の呪文をイーサンのバギマが相殺し、フローラがグリンガムの鞭で止めを刺す。

 

 テルパドールでの一件以降、イーサンは改めて戦闘での自分の立ち位置を見直した。自分に無理がなく、かつフローラと共に支え合える戦い方。考えた末、イーサンはブーメランを握りフローラの隣に立つことにした。だがそれだけではない。メダル王の城、と言う名前の小さな施設で手に入れた『奇跡の剣』が、彼に背負われている。苦手な剣だが、いざとなればそれをも引き抜いて戦う。それがイーサンの出した答えだ。

 

「ナイスアシスト、フローラ!」

「…………」

「フローラ?」

 

 彼女は鞭も仕舞わずぼうっと前を眺めていたが、はっとしてイーサンを見つめ返した。

 

「あ、ごめんなさい。イーサンさんも、ナイスファイトです!」

 

 彼女は微笑み、グーサインを出してくる。

 

「疲れた……?」

「ええ、少しだけ……。でも大丈夫です。もう少しで村に着くのですよね? この場所で下手に休憩をとる方が危険ですもの。わたくしはまだまだ歩けますわ」

 

 フローラも、今まで以上に思っていることを素直に言ってくれるようになったとイーサンは感じている。彼女は無理をしない。もっとも、無理をしてもすぐばれてしまうのでよくイーサンに注意される。だから一層、無理をしなくなったとも言える。

 

「ほんと、頼もしくなったね。フローラ」

「うふふ。旅に出たばかりのわたくしとは見違えるでしょう?」

「……洞窟の中なら高さを感じずに済むしね」

「あ、ぅ……」

 

 まだこの道が山道だった頃、イーサンはよく景色を見下ろしては感動していたものだ。この高さから見下ろす景色は圧巻の一言で、自分の歩んできた道をぼんやりとなぞるのが好きだった。……だが。

 

――む、無理です~~~! 見られませんわ~~~~!!

 

 フローラは高いところが苦手だったらしい。今でこそ平然としているが、山道を進むときの彼女の足取りは腰を壊してしまったんじゃないかと心配になるほどだった。

 

「そのことは言わないでくださいまし……。あのとき迷惑をかけてしまった分、今こうして取り返しているのですから」

「冗談だって。フローラは本当に頑張ってくれてる。実際山登りも、想定より速いペースで進めているし」

「ふふん。それはもう、ずっと歩いてきましたもの。意外と筋肉も備わってきていますのよ? ほら、触ってみてくださいな」

「え……」

 

 フローラがどや顔で山登り用の防寒具をまくり、太ももを差し出してきた。

 

「え、えっと……」

「……? イーサンさん?」

「いや、そ、そんな簡単に、足に触ってなんて言うものじゃないよ……?」

「え、あ、あぁっ」

 

 彼女も遅まきながら、自分の大胆なアプローチに気付いたみたいだ。

 

「ごめんなさいっ! わたくしったらはしたなく……!」

 

 慌てて防寒具を下ろし……何を思ってか再びまくり上げた。

 

「でもイーサンさんだったら、あの、いくらでも……(ぽっ)」

「――はいはいはーーーーーーーい。お二方、どうかヨソでやってくれませんかニャ?」

「「ぎゃああ!?」」

 

 驚いて距離を取る夫婦を見て、リズは遠い目でため息をつく。

 

 

 

「……おアツいねえ」

 

 荷台の幌から、シモンズがその様子を眺めていた。手にはチョコが握られている。

 

「呑気にはしゃぎやがって。……だが確かにこいつらの戦い慣れは異常だ。移動中は馬鹿丸出しなくせに、俺様さえ戦うのを躊躇う魔物どもをこうも簡単に蹴散らしていくとは。……俺様も企みがばれたら、命はないと思った方が良さそうだ」

 

 そう言いつつ、チョコを口に放り込んだ。そのおいしさに、表情が自然ととろけていくのを感じた。

 

「ん~~~~!! まあ、あんな馬鹿丸出しな様子じゃあ、俺様の企みに気付くなんざ夢のまた夢か! その強さとアホさを、せいぜい恨むんだなぁ! ケケケケケ!!」

 

 直後、勢いよく幌が開かれる。

 

「英雄 ロラン の 帰還 ナリ!!」

「聖水 取りに きたよ。 あれ シモンズ どうしたの? 顔 真っ赤 だよ?」

『きゅ、きゅぴぃ……』

 

 今にも爆発しそうな心臓を抑え、シモンズは目の前の宝石袋とキメラにつぶらな瞳を向けた。

 

「(俺様、大丈夫、だよな……?)」

 

 

  *  *

 

 

 数時間後、一行はようやく洞窟を抜けた。この高度ともなると相当な寒さだが、それ以上に久しぶりに浴びた陽光の暖かさに心地よさを感じた。ようやく到着かと、フローラが短くため息をつくと、足元の雪にパタパタと雫が落ちた。気になって首元を拭うと、汗で袖口がぐっしょりと濡れた。

 

「(う……、思ったより汗をかいてしまったわ。……。うん、お風呂……あるといいな……)」

「おやおや珍しい、旅の方がここまで登ってくるなんて! ようこそチゾットの村へ!」

 

 村人らしき人がイーサンに声をかけ、何かを喋っている。何を喋っているかいまいち聞こえなかったので、フローラは顔を上げた。しかし、視界も霞み、村人の顔もよく見えない。

 

「……お連れ様、大丈夫ですか!? 顔が真っ青ですよ!?」

 

 村人のそんな声が聞こえてきたので、フローラはゆっくり振り返った。後ろにはマービンがいる。

 

「(確かにマービンさんは顔色良くないけど……それは彼がゾンビだからですわよね……? あら、でもどうしたのかしら。マービンさん……なんだかとても……びっくりされているけれ……ど……。……)」

 

 意識が点滅した。直後、フローラの視界は一回転し、積もった雪の上に倒れ込む。

 

「フローラ!?」

 

 視界にイーサンの焦った顔が飛び込んでくる。

 

「あ……」

「すごい汗……。フローラ、大丈夫か。フローラ!」

 

 顔色が悪いというのが自分のことだと、彼女はこの時点で気が付いた。しかし夫の呼びかけに応答する気力はなく、彼女の意識はゆっくりと閉ざされていった。

 

 

  *  *

 

 

 夜。チゾットの村の小さな診療所にて。イーサンは村長と共に、待合室のベンチに腰かけていた。

 

「先ほど診療所の管理人に診てもらいましたが、ただの過労とのことです。まあ、若い体でここまで徒歩で来たのです。無理もないでしょう」

「そうですか……」

「ただ残念ながらこの村には医療の専門家がいないので……。快復なされた後も、気になるようでしたら医者に診てもらうことをお勧めします」

「そうします。ちょうどこれからグランバニアに向かうところですので」

「……なるほど。この村にも昔はグランバニアからの来訪客もいたのですがね。近頃めっきり途絶えていまして」

 

 肩を落とす村長。イーサンは孤立した世界情勢を知っているだけに、少しだけ胸が痛くなる。

 

「まあ、ゆっくりしていってください。なにせ久方ぶりの客人です。お仲間さんたちももう、村の人気者ですからね」

「……ここが魔物に寛容で助かりました。ありがとうございます」

「しかしまあ……ご夫婦で旅をされているので? 君は体格もいいし大丈夫でしょうが、奥様には少々無理があるのでは?」

「いえ……。男も女も関係ありません。彼女も立派な旅人ですから」

 

 イーサンが冷静に返すと、村長は目を丸くした。

 

「愚問だったようですね……失礼しました。彼女は素敵な夫に恵まれている。どうか一緒にいてやってください。ここには何日だって、居てくれていいですからね」

 

 村長は朗らかに笑い、診療所を後にした。

 イーサンは彼を見送り、それからフローラのいる部屋に静かに入った。

 

「あ……」

「フローラ……?」

 

 彼女は起きていた。そして何故か咄嗟に顔を隠し、分厚い毛布の下に潜り込んでいく。

 

「起きてたんだ……」

「え、ええ。たまたま目覚めて、ついさっき」

 

 毛布の端から、彼女が顔半分出してくる。額が真っ赤である。

 

「……焚火に炙られたのかってくらい真っ赤じゃないか。熱、あるのかな」

 

 額に手を当てた。熱があるというほどの熱さはない。むしろ、体温が低いようにも感じた。

 

「熱はないはず、ですわ……。ただ……。イーサンさんたちの会話が聞こえてきて、その、嬉しくって……」

「ああ……」

 

 イーサンは思い出し、先ほどの会話が彼女に聞かれていると知って少しだけ恥ずかしく感じた。

 

「まあ……本当のことだしね」

「イーサンさん……」

 

 フローラは額に置かれたイーサンの手を取り、頬を押し付けてきた。彼女の柔らかい肌が手のひらをくすぐる。

 

「ごめんなさい……もうすぐグランバニアに着くのに、また体を壊してしまって」

「気にするな、何に追われてるわけでもない。……ゆっくり休んで」

 

 フローラが小さく微笑んだ。こうして話せてはいるが、彼女の焦点は虚ろだ。

 

「えへへ……。なんだか、夢みたい……。イーサンさん……」

 

 そう呟き、彼女は再び眠りにつく。イーサンはそれを見届けると、ベッドの枠に引っ掛けてある手ぬぐいを手に取る。彼女の頬に浮かぶ汗をそれで拭い、その寝顔を優しく見守った。

 

 

  *  *

 

 

 同時刻。シモンズは診療所の屋根に寝転がり、山の中腹から見える降るような星空を見上げていた。

 

「あーあー、気に食わねえ。こういう家族愛? っての? 魔物の俺様にゃあ縁遠い話ですよっと。イーサンの野郎も、あの女も……。見てるだけでむずかゆくて仕方がねえ」

 

 夜風が吹き抜け、シモンズの尻尾が寒そうに震える。

 

「あんなんじゃあ……チョコをくすねに行くこともできねえじゃねえか……」

 

 本音を言えば、ニンゲンふたりくらいだったら不意打ちで倒せる自信はあった。しかし人里離れた洞窟の奥ならともかく、村のど真ん中でそんなことをする気は毛頭ない。シモンズは面倒ごとが嫌いだった。……それに、彼らは見た目以上に“強い”。下手を打って仕留め損ねたら自分の命が危ないことくらいシモンズにも理解できる。

 

「――ナンてこと言って、気を遣うなんて優しいニャン?」

 

 だから、隣からそんな声が聞こえた時は心底驚いた。

 

「んなっ、てめ、リズ!? あ、いや、え、きゅ……きゅぴ……」

「やめるニャ見苦しい。そんなキャラ合ってニャイニャ?」

 

 にししと笑うリズに反し、シモンズは本気で焦り始める。

 

「(まずい、ばれちまった……! どうする!? チクられたら終わりだ。ここは……致し方ねえ、死人に口なしだ。恨むなよネコ娘――)」

 

 咄嗟に小さな槍を振り上げ、呪文の詠唱を始める。しかし振り上げた手は動かず、練った魔力も上手くまとまらない。

 

「……!?」

「にゃーんだ、呪文使えたのかニャ。そのでっかいフォークも飾りじゃなくて良かったニャン」

 

 見上げると、振り上げた腕が槍ごと凍り付いていた。直感で理解する。これはリズの呪文によるものだ。

 

「……てめえ、何のつもりだ」

「んにゃ。別に? ただキミとお話ししたいだけニャ。その危ないものを仕舞って、オナカをぱっくりと割って話そうじゃにゃいかニャ?」

 

 リズはごろごろと首を掻く。いくらプリズニャンが氷の呪文を得意としているとはいえ、初手でここまで完封されるとは思っていなかった。……一体、どんな旅をしたらここまで強いプリズニャンが生まれるのだろうと、シモンズは戦慄する。

 

「んだよ……俺様は本音を隠してお前らに取り入るようなヤツだぞ。チクるなり追放するなり……殺すなりあるだろ。何を今更喋ることがあるってんだよ」

「確かに性格悪いとは思ったニャン。でもまあ、リズたち魔物がご主人についてく理由なんて人それぞれニャ。あ、いや、魔物それぞれって言うのかニャ?」

「はあ……?」

「にゃあシモンズ。キミ、ご主人がどう見えるニャ?」

 

 リズがずいと顔を近づけてきた。シモンズは眉をひそめる。

 

「……どうでもねえよ。アホみたいにお人好しで、緊張感のねえ馬鹿野郎だ。お陰で俺様も苦労することなく旅ができてる。戦いは面倒だからな。……どうだ、これで満足かよ?」

 

 シモンズが精一杯の挑発を向けても、リズは笑って返してきた。

 

「あはは、それ大体正解ニャン」

「なっ……」

「ご主人は別に支配欲があるワケじゃにゃい。魔物を率いて何をしようとか、手足のように働く駒がほしいとか。そういうことは多分全く考えてないニャ。……リズたちはみんな、勝手にあの人について行ってる。……思うに、本当に何かを率いる力がある人って、そういうもんなのかもニャ」

「……」

 

 リズが何を言いたいのか、シモンズは半分ほど理解できた。そして今、ぶつくさ文句を言いつつも彼らのそばに居る自分を思い返し、ごくりと喉を鳴らす。

 

「……話し込んじゃったニャン。付き合ってくれてありがとニャ。キミもそのうち、ご主人やフローラちゃんともオナカを割って話すと良いニャ」

「……フン。考えておくよ」

「良い子ニャ」

 

 リズが踵を返し、屋根から飛び降りていった。直後、腕に纏わりついていた氷が解かれ自由になる。冷やされ続けた指先がジンジンと痛む。

 

「なんなんだよ……なに考えてんだよあのネコは……!」

 

 平原の魔物プリズニャンに一方的に封じ込まれ説教された。そのことを改めて思い返すと悪魔の端くれとしてのプライドが折れかかっていることに気が付く。

 

「つぅか……何で何も言い返せないんだよ俺様はよぉ……!」

 

 シモンズは悔しさに顔を歪ませ、ぺちぺちと屋根を殴りつけた。

 

 

  *  *

 

 

 フローラが目を覚ますと、薄暗い天井と、うっすらと明るい窓辺が目に映った。ベッドの枠には、乾いた手ぬぐいが引っ掛けられてある。最後の記憶は、頬に押し付けたイーサンの手のひらである。

 

「……」

 

 ゆっくりと体を起こした。まだ全体的に気怠さがあるが、今ならここに着いた直後の自分がどれだけひどい状態だったかわかる。その程度には回復したというわけだ。

 ベッドから出ると、薄手の肌着一枚だったことに気付く。小さな机に、フローラの旅装が畳まれて置いてあった。畳み方が少し粗い。きっと慣れない手で畳んでいったのだろうと、フローラは頬を緩ませた。

 防具を除いて、いつものブラウスとスカート、インナーに着替えた。これらの旅装もすっかり年季が入り色落ちもしてきているが、フローラはそのことが嬉しかった。

 

 山用の防寒具を羽織り、診療所の外に出る。

 

「わあ……」

 

 一面の雪景色。白く染まったとんがり屋根がいくつも目に入り思わず感嘆の声を漏らす。吐く息が白く色づき、その風景に溶けだしていく。……チゾットの村。山と一体化した彼らの文化、その象徴ともいえる村の風景を目の当たりにし、フローラは胸の奥が暖かくなるのを感じた。

 

「わたくし……どのくらい眠っていたのかしら」

 

 空の色を見る限り、早朝のようだ。村も静まり返っているあたり、誰も起き出してきていないのがわかる。彼女はこの村の構造を知らない。イーサンたちは恐らく宿屋にいるのだろうが、探せる自信はなかった。

 

「あら……?」

 

 村の奥に、一本のつり橋が見える。長いつり橋だ。それは隣の山まで続いているように見える。……恐らくその山こそ『グランバニア山』。イーサンたちの目的地に最も近い、最後のダンジョンであろう。

 

「……」

 

 つり橋が陽光を受けて輝いているのが見えた。きっと朝日の輝き、山に阻まれているこの村には届かない太陽の光が、あのつり橋にだけ届いている状態だろう。フローラは防寒具のファーに首をうずめ、吸い込まれるようにつり橋に向かって歩き出した。

 

「う……」

 

 つり橋に足をかけ、後悔する。……高い。そんなの当たり前だが、なぜか足はこっちに向いていた。……もうちょっとだけ、もうちょっとだけ進もう、と、一歩一歩歩いていく。

 突如、柔らかな風が吹き抜ける。普段なら心地よさすら感じるほどの微風だが、つり橋を揺らして彼女の心を折るのに十分だった。

 

「あ……いや……」

 

 自分は何をやっているのだろう。チゾットの山道でさえあんなに怖がりながら歩いていたのに、こんなところのつり橋を歩こうとするなんて……。

 

「病み上がりで……ちょっとまだぼうっとしているから……。ああ、いけないわ……」

 

 ついに彼女の足は止まり、その場から動けなくなってしまった。進むことも、引き返すこともできない。

 

「う、く……」

 

 涙が溢れてくる。自分の愚かさ、言い表せない不安と、悲しみが胸を渦巻いているのがわかる。……今の自分はなにかおかしい。

 

「――フローラ」

「あ……」

 

 今にもうずくまってしまいそうな彼女の肩に、優しく手が添えられた。

 

「イーサンさん……」

「元気になって良かった。でも、ちょっと張り切りすぎ」

「――っ!」

 

 感極まって彼の胸に顔をうずめる。そっと髪を撫でられると、謎の不安に押しつぶされかけていた心がゆっくりと凪いでいった。

 

「フローラ。見てごらん、あれ」

「……怖いです。無理、です」

「大丈夫、離さないから」

 

 彼がそう言うと、本当に大丈夫になる気がする。フローラは彼の手を握りしめ、そっと顔を上げた。

 

 

 

「……!」

 

 

 

 まず目に映ったのは一筋の光。これは朝日だ。遥か向こうの山のさらに向こうから、ゆっくりと顔を覗かせる太陽。その光が一直線に、このつり橋まで届いているのが分かった。

 

 次に見えたのは緑。大地に広がる草木の緑だ。山に囲まれた広大な平原と、そこに点在する森や林。それらも太陽に照らされ、今まさに眠りから目覚めたように鮮やかな彩を描いている。

 

 そして最後に、鈍い灰色の城。そんな平原のちょうど中央に、巨大な城が見て取れる。この距離からでもわかる圧倒的な存在感は、まさしく世界一の軍事国家、グランバニアの王城だろう。

 

 今、フローラはグランバニア地方の全てを目にしていた。雄大な大地が視界に収まって見える。両手を広げれば抱えられそうなほどだ。

 

「……綺麗」

「でしょ? 勇気出して見て良かったでしょ」

 

 その後、ふたりはつり橋に腰を下ろし、大きな防寒具をふたりで一緒に羽織って寒さを凌ぎつつその景色を見下ろしていた。

 

「あれがグランバニア王国ですのね」

「うん。噂通り、城下町全体が要塞になっているみたいだ。ここから見ると、城があるだけにしか見えないわけだよな」

「貴方の……故郷かもしれない国、ですわよね」

「そうだね……未だに実感ないけど。ねえどうする? 実は俺があそこの王子様でした、なんてなったら」

「……多分、驚きはしませんわ」

「ほんと? アイシス女王の前ではあんなに緊張していたのに?」

「だって、王族だろうが何だろうが、貴方は貴方でしょ? かつてわたくしを、サラボナの令嬢ではなくひとりの人間として見てくれたように、わたくしもそうするだけですわ」

「フローラ……」

 

 彼女はイーサンの肩に頭を乗せた。ほんのりと、肩にぬくもりを感じる。

 

「……正直に言いますね。体調は万全ではありません。看病をしてくださったみなさんには申し訳が立たないのですが、未だに体が重いのは事実です。でも……」

 

 彼女が何を言いたいのかはこの時点で理解できた。だが、彼女の言葉を遮ることはせず、そっと肩に手を回して先を促す。

 

「わたくしはまだ、戦えますわ」

「……一応聞くけど、無理してない?」

「うーん、少し」

「おいおい……」

「でもきっと街に行った方が、満足な治療を受けられるでしょう? でしたら、もうちょっとだけ頑張らせていただきたいです。長い目で見ると、それが一番効率的ではなくて?」

 

 イーサンは目を閉じた。……完全に自分の思考と同じことを言われている。

 

「なんかちょっと嬉しいな。言ってることが完全に旅人のセリフだもん。地図も読めなかった君が、今こうして俺と同じ土俵に立ってる」

「貴方が引き上げてくれたからです」

「何か特別なことしたっけな」

「お気付きでなくって? わたくし実は、褒められて伸びるタイプですの」

「一昨日の村長との会話か。こうも覚えられてるとやっぱ恥ずかしいな」

「あー……丸一日寝ていたんですのね、わたくし」

「寝顔可愛かったよ」

「もう……」

 

 フローラが頭をもたげ、じっと見つめてくる。イーサンはどきりとした。……結婚して何年たつんだよ、しっかりしろ俺。

 

「……本当に無理だったら馬車で休むこと。約束ね?」

「ええ、仰せのままに。ですわ」

 

 イーサンは立ち上がり、フローラに手を差し伸べる。彼女はそっとその手を掴み、言うことを聞かなくなりつつある体を半ば無理やりに立ち上がらせた。しかし高所に対する恐怖は微塵もない。この手を握っている限り自分は無敵だと、フローラはそう思った。

 

「じゃあ……」

「はい。最後までよろしくね、イーサンさん……」

 

 母の行方を求める旅。父の軌跡を辿る旅。その終点にして始まりの地、グランバニア王国は目と鼻の先だ。イーサンとフローラ。不器用なふたりが描いてきた旅路は今、終幕へと向かっていた。

 

 

 

 



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6-4. グランバニア開城


どうもこんばんは。イチゴころころです。

グランバニア山の洞窟はあのはぐれメタルが出没するダンジョンですね。クリア後までお世話になった記憶があります。山ごもりです。

あとやたらと落下ポイント多いですよね。
チゾットの村で倒れた花嫁を連れて何度も『ぴゅーーん』するのはとても心苦しい……。体調不良の原因知っていると尚更ね……。




 

 

 チゾットの村のつり橋、隣のグランバニア山へ向かう橋を渡ると、またも洞窟の入口が現れた。一行は慎重に馬車を渡らせ、村長やお世話になった村人に各々別れを告げて、グランバニア山の洞窟に足を踏み入れた。

 

 不調のフローラを慮り、イーサンや仲間たちはいつも以上に懸命に戦闘をこなした。戦闘だけではない。彼女の待機する馬車がなるべく揺れない道はないかリズが先行して確認し、ロランも魔力探知をフル稼働して余計なエンカウントを避けようとしている。彼女の隣にはトレヴァが常に寄り添い、水分の差し入れなどの面倒を見た。マービンの駆るパトリシアも、いつも以上に慎重に歩みを進めている。

 

「すごいな。別に指示を出したわけじゃないのに。……みんなにとっても、もう君は大切な存在になったってことだね、フローラ」

「嬉しいわ……。本当にわたくしは、素敵な出会いに、恵まれています……」

 

 フローラはやはり本調子ではないようだ。洞窟に入って最初の何回かの戦闘に後方支援で参加したが、そこで限界を迎えたと判断した。魔力を練るのも体力がいる。命中率が著しく落ちているのを見て、彼女は泣く泣く馬車に引っ込むことを決めた。

 

「でも申し訳ないわ……。こうして座っている分には平気なのに……」

「ふらふらしながら言うものじゃないよ」

「体調が戻ったら、みなさんにお礼をして差し上げなきゃですね。もちろん、貴方にもですわ……」

「うん、楽しみにしておくね」

「旦那、ロランが敵影を……見つけたようだ。準備を、頼む」

「よし、行こうかトレヴァ」

「了解!」

「シモンズ、彼女を頼んだ」

『……きゅぴ!』

 

 そうしてイーサンとトレヴァが、フローラとシモンズを残して馬車から出ていく。フローラはこの現状に納得はしていたが、やはりやりきれない部分もあるのだろう。うつむきながら、シモンズの頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫ですからね、シモンズくん。……何も、怖くないわ」

『きゅぴ……』

 

 その言葉がどこか、彼女自身に言い聞かせているように聞こえ、シモンズはちくりと胸が痛むのを感じる。

 

「(いや、なにナイーブになってんだよ俺様は! 貧弱なニンゲンがこんな山なんざ登ろうとするから体を壊して当然だ、自業自得だろう!)」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でられながら、シモンズはふと考えた。

 数日前、自分の本性、イーサンたちについていくフリをして実は利用しているだけという思惑がリズにバレた。そのときの彼女の態度は未だに腑に落ちないが、やはりイーサンにばらされると思っていた。しかし、自分は今まで通りの立ち位置で彼らについていけている。……リズは何も喋っていない。今はチョコをくすねる程度だが、将来的にどんな不利益を与えるかわからない自分を野放しにしている。それがどんな意図によるものか、シモンズにはわからなかった。

 

「(それに……)」

 

 グランバニア山の洞窟に入ってから、シモンズはどうも落ち着かない。衰弱したフローラと、それをフォローするイーサンと仲間たち。彼らの前で、『何もできないか弱いシモンズ』を演じる度、先ほどのように胸がざわついた。その正体は、恐らく情だ。シモンズは頭が良い。少し考えたら理解できた、自分が彼女らに少しずつ、情を抱いていることに。

 

「(……ムカつく。要は餌付けされてたってことか俺様は? クソが。チョコを食べ過ぎるのも考え物だぜ……)」

 

 きりきりと、怒りがわいてくる。しかし彼の頭を撫でる手を、振り払うことはしなかった。

 

 

  *  *

 

 

 そして彼らは山を抜け、平原を越え、グランバニア城に辿り着く。巨大な城門の前で待ち受けていたのは、もはや慣れっこになっている仕打ちだった。

 

「……お前が引き連れているのは魔物だな? ここを通すわけにはいかん」

 

 イーサン率いる馬車の前に、十数人の兵士が立ちふさがっていた。彼らは武器を構え、目の前の不審者に向けている。イーサンは手を上げ敵意がないことを示しながらも、声色を強めた。

 

「中に病人がいる。一刻も早く医者に見せたいんだ。どうか中に入れてほしい。……どうか、彼女だけでも」

「黙れ。その病人とやらが人間に化けた魔物であったらたまらないからな。こちらとしても無用な争いは本意ではない。早急に立ち去ってもらおうか」

 

 イーサンは顔をしかめる。取り付く島もないとはこのことだ。よく見ると城門は傷だらけで、視界に映っている兵士たちにはケガをしている者もいた。直近で魔物の襲撃にあったことは容易に想像ができる。……ラインハットのように教団の洗礼を受けたのかもしれない。彼らが教団のことをどこまで知っていて、また警戒しているかはわからないが、少なくとも魔物の存在に敏感になっていることは確かだろう。

 

「――どうかお話を聞いてくださるかしら?」

 

 悶々と悩むイーサンの背後で声がしたと思ったら、フローラが馬車から出てきたところだった。髪は下ろしてあって、足取りもふらついている。

 

「フローラ……安静にしてなきゃだめだろう」

「もう。わたくしのことばかり気にするのはイーサンさんの悪い癖ですわ。……ここに来た本当の理由を話さないと」

「……でも」

「突然現れて“病人を匿ってほしい”とだけ言うなんて、怪しまれても仕方ないですわよ?」

「う、た、確かに……」

 

 ふらふらと前に出るフローラ。イーサンは見かねて彼女の背中を支える。

 

「兵士の皆さん、ごきげんよう。お勤めご苦労様ですわ」

 

 彼女がぺこりとお辞儀をする。グランバニアの兵士たちは目を見開いて硬直していた。

 

「単刀直入に申し上げますね。今こちらでわたくしの肩を支えてくれている逞しいお方……まあわたくしの夫なのですが、彼はパパス王のご子息かもしれないのです」

 

 フローラはたまに脈絡というものを忘れる。

 

「は、はあ?」

 

 一番前にいた兵士が目を丸くした。当然と言えば当然だが。

 

「じょ、冗談も休み休みに言いたまえ! 突然現れた旅人、しかも魔物を従えているようなヤツが、パパス王のご子息なはずがないだろう!」

「あら、ではやはり王子様も行方知れずなんですね」

「え……」

「だってそうじゃありませんか。パパス王が失踪した際、王子様がいらっしゃったなら王位を継いでいますもの。ここで貴方が取り乱すことなんてなかったはずですわ?」

 

 フローラの声色から圧を感じる。恐る恐る彼女の横顔を見たら、血の気はないもののとても可愛らしくにこにこしていた。ああ……怒ってらっしゃる。

 

「そ、そんな世迷言に騙されるか! いかなる理由があれども、不審な輩を国内に入れるわけにはいかない! さあ早く立ち去れ! 命が惜しければな!」

「~~~~っ!!」

 

 フローラはイーサンの手を振り払い、槍を構える兵士に歩み寄っていった。

 

「ちょ……!」

「ええ、ええ! わたくしを斬りたければそうしなさい。でも、よく考えてください、本当に槍を向けるべき相手は誰か!」

 

 面食らう兵士をよそに、フローラは槍の切っ先の一歩手前まで近づいた。鋭い先端に怯える素振りも見せない。

 

「本当に斬り捨てるべきは弱い心です、可能性から目を背ける臆病な心です! 違いますか!!」

 

 彼女の怒声がその場に響き渡った。足取りもおぼつかない小柄な女性。鎧を着こんだ何人もの兵士たちよりも、彼女の方が大きく見えた。

 目の前の兵士がゆっくり槍を下ろす。戸惑ったように目を泳がせた。

 

「自分は……どうしたらいい」

 

 そしてフローラも力尽きたのか、大きくよろめく。イーサンは彼女に駆け寄り抱きとめた。呼吸は荒く、焦点も虚ろだ。

 

「……妻にここまで言ってもらった俺も大概ダサいけど、君たちはどう思う? うん? これでも彼女が、人間に化けた魔物だと思う?」

「う……」

「そして件の、行方知れずの王子様だけど……ひょっとして名前は『イーサン』だったりするのかな?」

「……!!」

 

 兵士が口を大きく開けた。驚きと戸惑いの混じるかすれ声が聞こえてくる。……いよいよ、大当たりかもしれない。

 

 

 

「――坊ちゃま!!」

 

 

 

 ふと城門の方から、どこか間の抜けたような声が聞こえてきた。緑色の服に身を包んだ、ふくよかな男がこちらに向かって走ってきている。

 

「坊ちゃま……! ああ、本当に坊ちゃまだ! みなさん、武器を下ろしなさい! ああもう、早く、道も開けて! ……まさか本当に生きておられるとは! また、お会いできるとは!!」

 

 イーサンは彼の姿、声に覚えがあった。記憶が掘り起こされる。サンタローズの村の、イーサンの知り合いのひとり。いや、知り合いどころではない。父パパスと共に幼少期の面倒を見てくれた人。料理が絶妙においしくなくて、いつも父の顔を引きつらせていた人。

 

「……サンチョ!?」

「ああ、覚えてくださったのですね! イーサン坊ちゃま!」

 

 駆け寄ってきたサンチョはそのままイーサンの手を握った。彼は記憶よりも小さく見えた。だがそれ以外は、思い出の中の彼に相違ない。

 

「サンチョ、まさか君に会えるなんて……。でも、サンチョがここにいるってことは、やっぱり俺の父さんは……!」

「ええ、そうです。グランバニアの偉大な賢王、()()()()()()()()()()()()!」

「……!」

「ずっと探しておりました……。おふたりがラインハットへ向かって、程なくして消息を絶って……。もう亡くなられたかと諦めかけたこともあって……。申し訳ありません、坊ちゃまをずっと、ひとりにしてしまって!」

「サンチョ……」

「でも、それよりも、こうしてまたお会いすることができて……これほど嬉しいことはございません! ……ほら」

 

 サンチョの背後では、先ほどまで武器を構えていた兵士たちが、戸惑いつつも跪いていくのが見えた。

 

「……」

 

 それは圧巻だった。様々な情報の結びつきから本当に自分がグランバニアの王子かもしれないと薄々感じていたイーサンであったが、目の前の屈強な男たちが自分に平伏していく様を見て、ようやく実感が持てた。

 

「……お帰りなさい、イーサン王子。いえ、坊ちゃまと呼ばせてください」

 

 それにサンチョも続き、頭を下げた。そしてすぐに改まり、兵士たちに声をかける。

 

「さあ、何をしているのです! 王子様がお帰りになった、お迎えの準備をいたしましょう! ……坊ちゃま、こちらへ。お仲間さんも、奥様も。歓迎いたしますぞ」

 

 兵士たちがそそくさと城の中へ戻っていく。

 

「あ、待って、フローラを医者に――」

「いいんです、イーサンさん……」

 

 抱えられたままのフローラが、イーサンの袖をきゅっと掴む。

 

「ようやく、ここまで来れたのです……。わたくしたちふたりの、目的の地に……。せめて一緒に、門をくぐらせてください……。わたくしの、最後のわがままです、から……」

 

 彼女はもう息も絶え絶えだ。胸に込み上げてくるものをぐっと抑え、イーサンは彼女に応える。そしてフローラの膝元を抱え上げ、ゆっくり歩きだした。

 

「あ……。ふふ、なんだか、照れちゃいますね……」

「君のお陰で、ここに入れるようなものだからね。さっきの迫力、本当にかっこよかった。見違えたよ」

「だって……ここまで頑張ってきて門前払いなんて……悔しいじゃないですか……。怒りたくもなりますわ……。出過ぎた真似をして、ごめんなさい……」

「とんでもない。君のような芯のある女性に出会えて俺は本当に……幸せだと思う」

「……いま褒めるなんてずるいですわ」

「照れちゃう?」

「はい……かなり。でも……悪い気は……しませんわ……。もっと、褒めてくれても……いいんですよ……?」

「うん、うん……! いくらでも褒める、ふたりきりになれる場所で。もっと君と話したいから。これまでのこともこれからのことも。だからフローラ……頑張って……!」

「わたくしはどこにも行きませんわ……。だから、ね? どうか泣かないで……」

 

 ふたりはそのまま城門をくぐった。その直後、フローラは意識を失うこととなる。

 長い長い、数十歩だった。

 

 

 

 

 



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6-5. 20年前の真実


こんばんは。イチゴころころです。

ものすごく今更ですが初投稿から1ヶ月以上経ちました。
いつも読んでくださってありがとうございます。

こう考えると1日1話投稿って結構なペースで進みますね。
もうグランバニアか……。




 

 

 グランバニアは要塞都市だ。

 外から見れば巨大な城が建っているだけのように見えるが、城下町はそんな城の『中』にある。堅牢な城の内部に、国民を街ごとすっぽり覆っているのだ。そんな城下町は薄暗く、人でごった返している。まるで地底の街だな、とイーサンは思った。

 『失踪した王子の帰還』の噂は既に広まっているらしく、国の要人であるサンチョとその他の兵士たちに囲まれて歩くイーサンは道行く人の注目の的だった。

 

 そして王宮――城の中に城があるのも何とも不思議な感覚だが――まで案内され、現グランバニア王のオジロンと対面した。彼はパパスの弟だという。イーサンはまるで記憶になかったが、幼少期のイーサンを向こうは知っていた。……本当の本当に、イーサンはこの国の王子だということだ。そしてイーサンたちはサンチョ、オジロン王を交えて、物事のいきさつを話すこととなった。

 

「――以上が、俺の知っていることです。14年前、父さんとラインハットへ向かってから、ここに来るまでの」

 

 イーサンが話し終えると、ふたりは肩を落とし、目を伏せた。

 

「……そうか。兄上はやはり……。覚悟はしていたが……、ああ。たったひとりの兄弟だったのに……」

「王よ。過ぎたことは変えられません。……今はどうか、パパス王の息子である坊ちゃま、イーサン王子がこうして帰ってきてくれたことだけ、喜ぶべきです……」

「いや、やめてよサンチョ。……俺は王子、なんだろうけど、この国のために働いたことなんてないし……。それに、大切な人を失うことは、その……そうそう受け入れられることじゃない」

 

 そう言うと、オジロン王はかぶりを振ってイーサンを見た。

 

「……イーサン王子、本当に逞しくなった。私も落ち込んでばかりはいられないな。……今度は私たちが話す番だ。その様子だと君は知らないのだろう? 20年前、君の両親に……当時のグランバニアの王と王妃に何があったのかを」

「はい……。それが知りたくて、ここまで来たのです」

 

 改まるオジロン王に、サンチョが不安の視線を向けた。

 

「王。その話は彼には酷では……」

「いや。彼の目を見たまえサンチョ。もう、あの頃の幼い子供ではない」

「……坊ちゃま」

「大丈夫だから。……みんなにも聞かせていいですか? こいつらもそのために、ここまでついてきてくれたわけですから」

 

 後ろで控えていた仲間モンスターたちがおずおずと集まってきた。オジロン王は少々面食らったような顔をした後、ゆっくりと頷いた。

 

「……20年前、ちょうど君がこの王宮でお生まれになられたその日の夜のことだ。……マーサ王妃様が何者かに攫われた」

「……」

「兄上は……パパス王はすぐさま王妃様の行方を求め、国内を捜査したんだ。ここは要塞都市、それも王子が誕生すると大騒ぎしていた時期だ。外部からの侵入者は考えにくい。犯人は国内にいると踏んでいたんだ」

「そして、国内に蔓延るとある宗教に辿り着いたのです」

 

 サンチョの言葉に、イーサンは目を丸くする。

 

「まさか……『光の教団』?」

「その通りだ。当時は国のひとつの宗派として黙認されていたほど普及率のある宗教だった。だが、調べるとその信者たちに怪しい動きが見られることが判明した」

「それから数年、パパス様は坊ちゃまを育てる一方で徹底した宗教改革を行いました。情報収集も兼ねた『光の教団』の弾圧です」

「邪教の根は数年で潰した。だが王妃様の行方はまったく掴めず、代わりに判明したのはかの教団のおぞましい思惑の数々だった」

 

 イーサンは唾をのんだ。……『光の教団』はこれまで、お世辞にも大々的に流行している印象はなかった。表向きはどこまでも、細々と布教を続ける新興宗教以外の何物でもないと。しかし20年も前、ここグランバニアでは宗派のひとつとして認められるほどの認知度を誇っていたようだ。そしてその結果起こったのが……王妃の誘拐。明らかに何らかの思惑が働き、母マーサを周到な計画の元で攫ったと見て良いだろう。

 

 

 

「……彼らは、魔界の門を開こうとしている」

 

 

 

 オジロン王の口から出てきた言葉は、そんなイーサンさえ唖然とさせるようなものであった。

 

「彼らが魔物と通じているのは存外あっさりと判明した。だが『その先』がわからなかった……。せいぜい魔物をけしかけて世界征服を企んでいるとか、その程度のことだろうと思ったのだ。実際はそんなものじゃあない。彼らは魔界、……魔物の棲む暗黒の世界と“こちら”とを繋げ、その上で世界を支配しようと目論んでいる」

「ま、待ってください! それと、俺の母さんが攫われたのは何の関係が……!」

「王妃様は、そんな魔界に通じる力を持っていたらしい」

「はあ……!?」

「坊ちゃま……実は私どもも、マーサ様のことは詳しく知らないのです。……若き日のパパス様が恋に落ち、辺境の里から半ば強引に連れ出してきた女性。……その里の名は『エルヘブン』、とだけ知らされていました。マーサ様は多くを語る方ではございませんでしたし、私どももその村の名にどれほど重要な意味があるのか、知りもしませんでした……」

「そして王妃様は攫われた。……兄上はもうひとつ情報を掴んだ。魔界に棲む魔物は、『天空の勇者』でしか退けることはできない、とな」

「それで父さんは『天空の勇者』を……」

「ええ。程なくしてパパス様は旅立たれました。幼い坊ちゃまを連れて。……私は当時斥候を務めておりましたので、先行してサンタローズに拠点を築き、パパス様の補佐を任されていたのでございます。……そしておふたりがラインハットへ向かった後サンタローズが襲われ、ああ……おめおめとここに逃げ帰ってきたのです! なんと、情けない……! パパス様に合わせる顔がございません……!」

 

 サンチョが涙を流し、机を殴りつけた。オジロン王が彼の肩に手を置き、話を続ける。

 

「天空の勇者がどこにいるのかの手掛かりは武具しかない。だが教団も、自分らの思惑の最大の障害になるのはその勇者であることは分かっている。だから奴らも天空の勇者を狙うはずだ。もし教団が勇者を見つけ出し、倒しでもしてしまったら……」

「母さんを救う手立て、いや、世界そのものを救う希望を、俺たち人間は失うというわけですか……」

「そうだ。そして国全体でことを成すには、このグランバニアは少々大きくなり過ぎた。国ぐるみでこの問題を解決するには、様々な法案を通す必要がある。そんなことをしていたら、それだけでさらに数年を費やすことになる。……大国の宿命というやつだ。だから兄上は旅に出た。教団より先に天空の勇者を見つけ、世界と……最愛の人を救うために。私を国王代理にして、政治を任すことによってな」

「……」

 

 話の全容は見えた。膨大な情報を、イーサンは自分の脳がかちかちと整理しているのを感じた。しかし、あまりにも大きく、多すぎる情報は簡単には切り崩せず、いびつな形のままでイーサンの胸にのしかかってくる。

 

「これが、君のご両親に起こったことの全てだ。そこから先は、君の方が詳しいだろう。……先ほど話してくれた通りだ。兄上は身分を隠して旅をしていたはずだが、教団にも目をつけられていたのだろうな」

「私も戻ってきてから知ったことなのですが、グランバニアはあれから20年弱、魔物の襲撃に苛まれています。……恐らくはラインハットと同じく、『光の教団』の教えを拒んだ罰なのでしょう」

「情けないことに、私は戦が苦手だ。……というよりそもそも、兄上と違って私は王としての器を持っていないのだがね……。だがここは軍国グランバニアだ。指揮は軍師に任せているが、魔物に屈したことは一度もない。代わりに、他国に支援を求めに行く余裕も、失踪した王族を探しに行く余裕もなくなってしまったがね」

「20年も……?」

 

 それほど長い時間、彼らは襲い来る『教団の魔物』と戦い続けてきたのだ。城門前でのあの態度も、納得せざるを得ない。

 

「約7日おきに奴らは襲ってくる。城門を破られはしないが、日々怪我人の連続だ。数年前に屋上の見張り塔を増設した。奴らは北の川を越えた方角からやってくることも分かっている。まあ、本丸を叩きに行く余裕など、こちらにはないのだが……」

「……なるほど」

「我々から話せることは以上だ。……ともかくだ、イーサン王子。まだ実感がわかないだろうが、君はこの国の宝だ。そうやって、君の誕生は皆に祝福された。……グランバニアは君の故郷なんだ。このように物騒な場所ではあるのだが、どうかゆっくりしていってほしい」

 

 オジロン王の言葉を受け止め、イーサンはゆっくりと深呼吸をする。

 

「はい、そうします。……ここの王子っていう肩書には、あまり慣れる気がしないけど……。妻の体調もありますし、俺も俺でもっと情報収集がしたい。……それに、ここに来ることは俺たちにとって、ひとつの区切りでもありましたから。長いことご厄介になっても良いでしょうか?」

「何を言う。ここはもう、君の実家だ。これからも旅を続けるとしても、このグランバニアを、君の帰ってくる場所にしてくれればと思う」

「あ……」

 

 イーサンにとって『実家』という概念はなかった。唯一故郷だと思っていたサンタローズは滅び、旅人としてどこにも定住しない人生を送ってきた。近い感覚はサラボナにあるが、あそこはどうしてもフローラの実家だという印象がある。……だが、グランバニアは正真正銘、イーサンの故郷だった。このような、“帰ってくる場所”。それがこの国であるということは、彼にとって新鮮な気持ちを与える。

 

「(でも……)」

 

 ここの記憶がないイーサンには“初めての場所”でもある。それに、生まれてからずっと旅をしてきた彼は、王族として国に尽くしたことがひとつもない。ラインハットのヘンリーは最終的に国に帰り、故郷の政治の立て直しに貢献していた。でも自分は? 王妃のこととはいえ、自分の母親のためだけにずっと旅をして、20年も魔物に襲われるこの国に尽くすこともせず、今更のこのこ帰ってきた自分が、故郷だと言う資格はあるのだろうか……?

 

「……トレヴァ」

「キキ?」

「あとで兵舎まで案内してもらって、怪我人の治療を頼めないか?」

「うん お安い ご用だよ」

「坊ちゃま、何を――?」

「それからロラン、君は見張り塔に。君の魔力探知が、索敵に役立つだろうから。……一応、リズも監督役で付いていって」

「任せる ナリ!」

「ま、しょうがにゃいにゃ」

「マービン、シモンズを連れて馬小屋に。さっき見たら人手が足りてなさそうだったから、パトリシアの面倒のついでに他の馬も見てやってほしい」

「ああ、わかった……」

『きゅぴ……』

「い、イーサン王子、これは……?」

「オジロン王。俺は魔物使いですので、これくらいしかできることがありません。……記憶はないけど、幼い俺を育ててくれたこの国。そして今俺たちを受け入れ、……フローラの病気も見てくれているお礼と言うか。……俺にもこの国に、何かできることがないかなって思いまして。こんな形ではありますが」

「……とんでもない。そのお気持ち、ありがたく頂戴する」

「良かった。じゃあサンチョ。彼らをそれぞれ案内してやってほしい。突然魔物が現れたら流石にみんなもびっくりするだろうから」

「お任せを。坊ちゃま」

「みんな、迷わないようにな」

 

 仲間たちがサンチョの周りに集まっていくと、ふいに部屋のドアがノックされる。オジロン王が通すと、妙齢のメイドが入ってきた。

 

「フローラ様がお目覚めになられました」

「……! 彼女は無事ですか!?」

 

 イーサンがメイドに駆け寄ると、彼女はイーサンの肩を掴んで制した。

 

「どうか落ち着いてくださいな。なんてことはありませんでした」

 

 なんてことないわけない、とイーサンが困惑していると、メイドが微笑みを称えて続ける。

 

「……おめでたです」

「…………へ?」

「フローラ様は妊娠していらっしゃいました。……おめでとうございます、イーサン王子」

 

 理解するのに数秒を要した。でも理解した。してしまった。

 

「ええええええええええ~~~~~~~~~~っっ!?」

 

 

 

 



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6-6. 王家の試練① 国を統べるということ


どうも、イチゴころころです。

グランバニア編ということでモンスターチェスをどうやって本編に絡めようかずっと頭を悩ませていますが、だめそうです。





 

 

 王宮の屋上から見るグランバニアの夜景は幻想的以外の何物でもなかった。

 天井に覆われている城下町に夜景も何もないと思っていたが、時間帯によって照明の度合いを調節しているらしい。昼間もそこそこ薄暗かった街並みが夜の時間帯は一気に暗くなる。そして家々の灯りが代わりにつき始める。驚くべきことに城壁に沿って高い位置にまで家が建っているのがその灯りから見て取れた。天井に覆われて夜空は見えないが、そんなぽつぽつとした灯りが視界を埋め尽くし、その光景は星空に似ている気さえした。

 

「やあイーサン君」

 

 かけられた声に振り返るとオジロン王がいた。昼間は『ザ・王様』みたいなマントと冠をしていた彼だが、今は普通の布の服を身にまとっている。

 

「一杯どうかな? 酒には弱いだろう。……血筋がそうだからね、わかるよ」

「……まあ、強くはないですね」

「ははっ、やっぱりな。安心したまえ、弱いものを選んできている」

「ではありがたくいただきます」

 

 彼が持ってきた木製のコップに酒を注いでもらって、イーサンはそれを飲み干す。ほんのりと胸の奥が暖かくなった。

 

「失礼ですがオジロン王……。なんだか、昼間と比べてその、軽くないですか?ノリというか、なんというか」

「まあ、本来の私はこういう人間なのだよ。よく父上からも『威厳がない』とダメ出しを受けたね……」

「とんでもないダメ出しですね」

「まったくだ」

 

 オジロン王ははにかみ、あご髭をちりちりといじった。

 

「そういう君も、奥さんの前であんなに取り乱すなんて。そういう一面もあったんだねぇ」

「う……。仕方ないでしょう。だって、妊娠なんて……俺全然気づいていなくて」

 

 ベッドに横たわるフローラに向かって号泣しながら謝ったのはつい数時間前の話だ。

 

「まあ良かったじゃないか。おなかの中の赤ちゃんも奥さん自身も、特に異常は見られなかった。山越えをしてきたのにと、お医者さんが驚いていたよ。時期が良かったのもあるだろうけど、丈夫な体に恵まれた奥さんに感謝だね」

「ええ、ほんとうに……そうですね……」

「はははっ、だから君が落ち込むことないって。あの様子だと、奥さんに常日頃から注意されてるんじゃないかい? 私のことを気にしすぎるな、みたいに」

 

 図星である。

 

「はい……。もう、フローラが愛しくて愛しくて仕方なくて……」

 

 ちなみにこんな、リズあたりが聞いたら抱腹絶倒するようなセリフを吐いているのは酒のせいである。一杯目だが、彼の酒の弱さは伊達ではない。

 

「サラボナで出会ったとき……いや、あの船の上で初めて会ったときからそうなんです。フローラのことを思うと、こう、胸の奥が、何て言うか……ぐわってなるんです。理論も理屈も、過去も未来もどっかにいって、……彼女だけになるんです、心の中が。だから俺はフローラと結婚して……今も、こうし、て……?」

 

 そして酔うのがはやいということは、醒めるのもはやいということである。我に返ったイーサンの目の前には、にやにやと彼を見つめる無精髭のおじさんがいた。

 

「おおおおおう!? ご、ごめんなさい! こんなこっ恥ずかしいことを! 王様相手に!? お許しください! そして誰にも言わないでください絶対に!!」

「謝っているのに図々しいね君」

 

 オジロン王はけらけらと笑い、イーサンのコップに酒を注ぎ足した。

 

「でもまあ、君はやはりパパスに似ている」

「え……今のどこがですか」

「割と全部かな。マーサ殿に出会ったばかりの頃の兄さんは、だいたいあんな感じだったけど?」

 

 イーサンは絶句した。嫁バカぶりは日ごろから仲間モンスターたち(あとたまに嫁自身からも)からかわれているが、父にもそんな時期があったと? ……しかし不思議なことに、恥ずかしさではなく嬉しさを感じる自分もいる。そんなイーサンをよそに、オジロン王は話を続けた。

 

「若いころの兄さんはよく城を抜け出して彼女に会いに行っていた。『エルヘブン』……場所は未だにわからないけどきっとこの大陸のどこかにあるんだろうね。剣術の稽古も王政の座学もすっぽかして頻繁に抜け出すものだから、父上はもうカンカンさ。毎度コテンパンに叱られて尚、兄さんはめげなかった」

「思った以上にやんちゃですね……」

「王位を継いだときも、王様なら誰も逆らえないだろうみたいな、そんなことを言っていたよ」

「ええっ」

「ははは! まあ他にも色々と葛藤があったようだけど、愛する女性も理由のひとつだったんじゃないかな。……でも、そんな兄さんに国民はみんなついて行った。彼はグランバニアで最強の戦士でもあったが、決して政治に強い人間ではなかった。実際勉強なんてサボっていたわけだしね。……そんな彼は後に『賢王』と呼ばれる偉大な王様になったんだ。なぜだかわかるかい?」

「……えっと、王位を継いでから、色々頑張ったんじゃないですか? そうでもしないと、流石に立ち行かなそうだし」

 

 政治に詳しくないイーサンだが、何度かヘンリーとデールの王政の執り方を目の当たりにしている。国を統べると言うことは、簡単ではないと分かっているつもりだ。だがオジロン王は肩をすくめ、口角を吊り上げた。

 

「うーん、半分正解だ。いや、それもある、くらいのものかな。確かに王位を継いでから兄さんは政治を勉強しなおしたけど、まあ彼は理屈よりも感情が先行する人だったからね……。結構無茶ぶりに近い政策なんかを考えたりして、王宮はてんてこ舞いな毎日だったな」

「じゃあ、どうして……」

「イーサン君、いいかい。パパス王が『賢王』になったのは……、国民が()()()ついて行って、()()()そう呼んだからなのさ」

「……え?」

 

 オジロン王は塀に肘をつき、城下町を見下ろした。

 

「王宮には様々な人間がいる。政治に強い人、経済に精通している人、軍事、思想、その他諸々……。街まで広げるともっとだ。建築家、商人、鍛冶屋、農家やちょっぴり怪しい占い師まで。……そんな人たちがひとり残らず、パパス王を慕い、彼の意志について行った。どうだいイーサン君。これだけの人が力を合わせれば、無茶な政策のひとつやふたつどうってことないように思えないかい?」

「……」

 

 腑に落ちた。パパスは万能だった訳ではない。ただ彼の周りにいる人たちがそれぞれの持ち味を活かし、パパスの意志のままに力を振るうとなると……その能力の可能性は計り知れないだろう。

 

「……これが王政というものだ、イーサン君」

「なる、ほど……。父さんは、そういうような『人を動かす力』に長けていたと」

「ああ。カリスマという言葉があるが、兄さんは特にそんな魅力を持っていたんだ。……私には到底敵わない。政治と経済は正直兄さんより得意だが、私は手足になる側だ。むしろ、王という存在にとって一番大事なものはそのカリスマのみであるとさえ思える」

 

 オジロン王はそこまで言うとコップを置き、改まってイーサンの前に立った。

 

「イーサン王子」

「……?」

 

 急に彼の声色が変わり、イーサンは喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。

 

 

 

「……どうか、グランバニアの王位を継いでくれないか?」

 

 

 

「――え」

 

 一度酔って醒めたからか頭が幾分かクリアになっていて、その言葉をしっかりと受け止めてしまう。

 

「え、えっ!? いや、何を言っているんですかオジロン王!?」

「昼間、仲間の魔物たちに指示を出す姿を見て思ったんだ。君には素質がある。……国を統べる素質がね。やはり、血は争えない」

「いや、無理ですって! 俺は、奴隷と旅人しか経験してこなかったような人間です。そんな人間が政治とか経済とか、やりくりできるわけが……!」

「先ほど言ったように、王に求められる素質は『カリスマ』だ。周りの細々したことは臣下がやってくれる。適材適所で従者を動かすことは、魔物使いである君なら慣れているだろう」

「でも……」

 

 イーサンが食い下がると、オジロン王は深く頭を下げた。

 

「頼む……! 魔物の襲撃に苛まれ続け国民は生きる活力を失いつつあるんだ。今のグランバニアに必要なのは『王』だ。国を率い、人々の向くべき方向を教えてくれる存在。……君の力が、君と言う存在が、グランバニアに必要とされているんだ!」

「……」

 

 自分のカリスマ性なんて考えたこともなかった。だが、先ほどのオジロン王の話と共通する部分はある。リズにマービン、ロランにトレヴァ、シモンズと、それにレックラも。彼らは言うなれば『勝手に』ついてきた。そして少しずつ成長し、グランバニア山の洞窟では指示もしていないのにイーサンの意思を汲み取り、フローラを庇ってくれていた。 

 イーサンは万能な戦士ではないが、彼らのサポートを上手く噛み合わせることでどんな魔物の群れにも対処してきた。……これが本当にカリスマと言うのなら。言うのなら……。

 

「でもそれは魔物だから……魔物と人間とでは違ってくるものが……」

「君は魔物と人間を区別するのか? そんな風には見えなかったけどね」

「う……」

 

 見抜かれている。頭の中を色々な感情が行き来して、イーサンはその場に力なく座り込んだ。

 

「ああ、すまないイーサン君。いきなりのことで驚いただろう。……だが、私は本気だ。奥様のこともある。数日、ゆっくり考えると良い。私はいつでも玉座の間で待っているからね」

「はい……少し、考えさせていただきたいです……」

「ああ。……今日はありがとう。久々に、兄さんと話せた気がして嬉しかったよ」

 

 オジロン王は空になったボトルとコップを持ち、その場を後にした。イーサンは彼が去ったのを見届けた後、石畳に寝転がる。天井で薄明りを放つ照明が、小さな星に見えた。

 

「……とんでもないことになっちゃったな」

 

 

  *  *

 

 

「私は賛同しかねますな」

 

 翌日。悩み抜いた末、相談に訪れたイーサンに対し、オジロン王の隣に立つ大臣はそう言い放った。

 

「イーサン王子は旅人としての経験しか積んでおられない。王政を任せるには無理があると存じます」

 

 その言葉を聞き、イーサンは怒声を上げる。……オジロン王に向かって。

 

「ほら言わんこっちゃない! 俺も荷が重いと存じます!」

「ええ……なんで私こんなに責められてるの……」

 

 たじたじのオジロン王が傍らのサンチョに視線を送ると、その恰幅の良い従者は助け船を出した。

 

「私は坊ちゃ……あ、いえ。イーサン王子が王位を継ぐことには賛成ですがねぇ」

「え、サンチョまで!?」

「サンチョ殿、何を言っているのだ。我が国は魔物の襲撃に苛まれ続けている。上に立つ者の指揮がグランバニアの命運を分けていると言っても過言ではない。そんな中王位が代わってみろ、しかもこのような若輩者……失礼。とにかく、彼に国を任せるべきではない」

 

 大臣の言い草にイーサンはだいぶ腹が立ったが、だいたい本当のことだと思ったので何も言わなかった。代わりに口を開いたのはオジロン王。

 

「モーリッツ大臣。このような時世だからこそ……芯のある指導者が必要なのだ。そして彼には、イーサン王子にはその資格がある。パパス王が去ってからの20年、少しずつ確実にこの国は衰退している。……彼こそが、この国を立て直すきっかけになるのだ」

「むう……」

 

 王に強く言われ、大臣は眉間に皺を寄せながらも口を閉じた。

 

「あのう……」

 

 イーサンはおずおずと手を上げた。

 

「でもやっぱり、急な話で国民は不安になると思います。俺は魔物使いだし……」

「そうでしょうか? 坊ちゃまは街の人気者だと思ったのですが」

 

 サンチョの言う通り。今朝がたイーサンは気晴らしにと街を散策したのだが、『帰ってきた王子』のことはとうに知れ渡っていたようで、道行く人に片っ端から声をかけられたのだ。

 

「いやいや、ちょっと話をしただけだって……」

「その話が好評なのですよ。坊ちゃまの冒険譚。もう街の子供たちの間では有名です。それに、仲間のモンスターさんたちの活躍も使用人たちの間で評判がいい。……坊ちゃまは、既に民たちに認められつつあるのですよ」

「ああ、そんな君が戴冠したとなったら国民の士気も上がる。あ、すまない。もちろん君を王に推薦するのはそんな理由だけじゃないとも。先日話した通りだ。私は王の器ではないが、人を見る目にはそれなりに長けているつもりだ」

「……そんな人たちばかりじゃないでしょう。モーリッツ大臣のように、俺が上に立つことに、不安を覚える人だっている。ですよね、大臣?」

「……」

 

 大臣は応えず、しかめ面でイーサンを見返すだけだった。

 

「そんな状態じゃ国をまとめるばかりか……、無用な揉め事を起こしてしまう気がするんです。俺のことを認めてくれる人と、そうでない人……。国民がふたつに分かれてしまったら、それこそ立ち行かない。そうなるくらいだったら、俺は王位を継ぐべきじゃない」

「ふむ……」

 

 あごに手を当て考えつつ、オジロン王は驚愕していた。……目の前の青年は今――無意識だろうが――核心を突いた。政治、というより統治において最も重要な要因である『人の心』というものに寄り添った発言だ。むしろモーリッツ大臣、サンチョ、オジロン王を含めたこの中で最も、民意と言うものを汲み取って考えているとも言える。

 

「……君の言うことも尤もだ、イーサン君。では、こうしないか? ……君に王家の試練を受けてもらう」

「王家の試練……?」

 

 聞きなれない単語にイーサンは首を傾げる。視界の端ではサンチョとモーリッツが目を見開いた。

 

「……グランバニア王家は代々、王位と継ぐときにある試練を受けるというしきたりがある。いや……『あった』。城の遥か東に位置する遺跡、そこの最深部に祀られている王家の証を持ち帰るというものだ。……戦士の国らしい、言わば古臭いしきたりだ。その手間と危険性から何代も前に途絶え、似たような儀式を王宮内で執り行うだけになった」

 

 オジロン王は玉座から立ち上がり、イーサンの前まで歩いてくる。

 

「君の父、私の兄であるパパスはまあ……『せっかくあるのだからやってみよう』みたいな軽さで勝手に遺跡まで行って勝手に取ってきたのだけどね、王家の証。君が持ち帰ってきた剣があるだろう? 折れてしまっていたが、パパスの形見である剣だよ」

 

 イーサンは唾を飲み込んだ。『死の火山』で折れてしまったあの剣は今、王宮に預けてある。

 

「あの剣は、君の父上が持ち帰った『王家の証』を基盤に打たれた剣なんだ」

「……じゃあ、それって」

「ああ」

 

 オジロン王はイーサンの肩に手を置いた。

 

()()()()()()()、王家の試練を。そして王家の証を持ち帰って見せるんだ。かつて『賢王』となった彼と同じように。……潰えたとはいえ、グランバニア人なら誰もが知る試練の儀式、それを乗り越えたとなればもう、君を認めない者はいない。グランバニアの血は、王家の証を持つ者に従うようにできている」

「……!」

「それならどうでしょう、モーリッツ大臣。貴方も彼を認められるはずだ」

「……はい。それでしたら」

 

 大臣は顔を伏せる。サンチョは対照的に、青ざめた表情を王に向けていた。

 

「オジロン様! さすがに無茶が過ぎます! あそこはもう、何十年も手入れの行き届いていない地。世襲制が定まっていなかった時代には王権を巡って何人もの死者が出たという禁忌の遺跡なのですよ!!」

「わかっている。だからこそ、彼に行かせる意味があろう」

 

 オジロン王は再びイーサンを見た。

 

「どうだろう。……だが正直この試練は命に関わると、断言できる。君の意志で決めなさい。王位を継ぐこと自体、君の意思が大事なのだからね」

「……」

「だが忘れないでほしい。グランバニアは真の王を必要としていること。君には、国を統べる力があるということを」

「……はい。もう少し、考えてみます」

 

 イーサンは俯き、玉座の間を後にした。

 

 

  *  *

 

 

 王族用にあつらえられた豪華な部屋に戻り、懐からくしゃくしゃの便せんを取り出す。サンタローズの洞窟からずっと持ち歩いている、父のもうひとつの形見。その手紙を広げ、イーサンは静かに考える。

 

「……俺はどうしたらいい。父さん」

 

 やがて手紙を仕舞い、イーサンは立ち上がった。

 こういうときどうするべきか、イーサンの向かう先はひとつである。

 

 

 

 



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6-7. 王家の試練② 不揃いの足並み


どうもどうも、イチゴころころです。

ドラクエ10オフライン版がそろそろ発売されますね。
オンライン版もプレイしたことがある身として結構楽しみです。


9月はほしいゲームが多いよ……。





 

 

 シモンズは困惑していた。

 自分の役目はマービンの補佐だ。彼と共に馬小屋の馬たちのお世話をする。正直面倒極まりないのだが、従わない方が後々面倒になるだろうとしぶしぶ仕事をこなしていた。グランバニアはニンゲンがたくさんいて居心地の悪い場所だったが、夜は別に静かだし、シモンズは彼なりにグランバニアでの生活を堪能していたのだ。王宮で出される食事は馬車で摂るそれより当然豪華だったし、妊娠中とかでなかなか会えないけどフローラの部屋に顔を出せばチョコをもらうことだってできた。……ここで過ごすのも悪くない。そう思っていたのだが……。

 

「この平原もそれなりに高地にあるみたいだ。風が涼しくて気持ちいいな、シモンズ」

 

 そんなシモンズは今、主であるイーサンと共にグランバニア城の東へ向かっている。何でもそこには『試練の洞窟』なる遺跡があって、イーサンはそこから『王家の証』を持って帰ってくるというクエストを受けていて、本来ならひとりで挑むというしきたりがあるものの『魔物使い』という特殊な職業柄『魔物を一匹だけ』連れて行っていいという特別な措置が取られ、そんなイーサンのバディという大役を任されたのが『シモンズ』だったというわけだ。

 

「(いやいやいやワケわかんねえだろうが!!!! なんで俺様なんだよ!! 非戦闘員ぞ!! もっと他にいただろ!!)」

 

 シモンズも本当は戦えるが、そんなことはおくびにも出さずに彼らと接してきた。だからイーサンにとってのシモンズは『か弱いミニデーモンのシモンズくん』以外の何者でもないはずだ。

 

「(馬車番のマービンはないにしても……。イーサンと息ぴったりのリズネコ、オールラウンダーのトレヴァ、それに無敵のロランだっていただろうに! そんな連中放っておいて俺様を選ぶか普通!? てかその遺跡ヤバイんだろ!? 尚更おかしいだろうが!!)」

「どうしたシモンズ?」

「ぇあ!? あ、……『きゅぴ』」

「……ふふ。ま、気楽についてきてくれ」

「(ふふって言ったぞこいつ今!! ばれてる!? 俺様の本性がばれてるのか!? まさかあのネコ公、チクりやがったか!?)」

「遺跡までは半日もかからない。もう少ししたら食事にしよう。……ああ、安心してくれ、フローラからチョコの差し入れももらってる」

『きゅっぴぃ!』

 

 シモンズは必死につぶらな瞳を創り上げ、つかみどころのない笑顔を浮かべるイーサンに向けた。

 

「(や、やりづらい! やりづらいよぉ!! 助けて、誰か助けて!!)」

 

 

  *  *

 

 

 2日前の夜。イーサンから王位継承と王家の試練について話されたフローラは目を輝かせた。

 

「まあ……、じゃあもしかしてわたくし、王妃様になっちゃうのかしら」

「あれ、意外とまんざらでもない?」

「だってだって、お姫様になるのなんて世界中の女の子の憧れですのよ?」

「すっ飛ばして王妃様だけどね。それにもう女の子とかお姫様とかいう年齢じゃあ……」

()()()()()()?」

「すみませんでした」

 

 フローラは大きなベッドに横たわり、薄手のネグリジェの上から毛布を被っていた。お腹の辺りが膨らんできているのが伺える。

 

「うふふ。わたくしもまだまだぴちぴちですわ。……まあ、もうすぐお母さんになるのですが」

「フローラ……」

 

 彼女はお腹をさすり、部屋の隅にかけられた旅装を見やった。3年前、サラボナでイーサンが見繕ってくれた服。彼からの初めてのプレゼントだ。

 

「ごめんなさいイーサンさん。せっかく選んでくれたお洋服なのに、当分着られそうにありません……」

「ああ……いいんだよフローラ。君の体調も良くなって、こうしてまたお喋りができるだけで十分嬉しい。だから君は、俺たちの子供のために頑張ってくれ」

「ええ、もちろんです。……あ、じゃあこの子は王子様になるのかしら。いや王女様の可能性もありますわね。うーん、女の子だったらお姫様ですか……羨ましいわ」

 

 フローラはうきうきした視線を自分のお腹に向ける。イーサンは肩を落とした。

 

「いや……まだ俺が王様になるって決まったわけじゃないから」

 

 王家の試練のことを聞いた後、イーサンはこうしてフローラに会いに来たのだ。どうしようもなく考えが散らかったので、彼女に会いたくなったというのが本音だが。

 

「ですよね。なんだかここ数日、悩んでいらっしゃるようでしたから。きっと悩みに耐えられなくなって、わたくしの声が聞きたくなったのではなくて?」

「……図星でございます」

「やっぱり。ふふ、うふふふ……」

 

 フローラは自分の頬に手を置き、溶けたチーズのような顔をしている。

 

「……なんか嬉しそうだね」

「もちろんです。こうしてイーサンさんの方から相談しに来ることなんて滅多にありませんでしたから」

「そうだっけ……?」

「そうです。だから嬉しくて。なんだか、夫婦って感じがしますし」

「いや夫婦なんだけどね」

「そうですね。うふふふ……」

 

 溶けたチーズを表情から滴らせるフローラはそのまま、イーサンの手を握りしめた。ほんのりと温かい。イーサンは少しだけ、気分が落ち着くのを感じた。

 

「うーん、でも笑い事じゃないよフローラ……。俺本当に、どうしたらいいかわからなくて……」

「……ですわよね。グランバニアの王子様であったことは何となく覚悟ができていましたけど、間髪入れずに今度は王様ですものね」

「ああ、そうなんだよ。俺を認めてくれる人は多いし、認められない人も、その試練を俺が乗り越えられたら認めざるを得ない。それは理屈では分かっている。……でもどうしても自信がないんだ。一介の旅人で、魔物使いである俺が、国を引っ張っていく自信がさ……」

「うーん……」

 

 フローラはしばし考えた後、わざとらしく咳払いをした。

 

「……つまり、一番納得していないのは君自身なんじゃないかな?」

「え……フローラ?」

 

 聞いたこともないような低い声で喋りかけてくるものだから、イーサンは言葉を失ってしまう。構わずフローラは続けた。

 

「みんなに認められ、そうでない人も納得させる手段を知って尚踏み出す勇気が出ないのなら、残りは君自身の問題だと思うな。……何度も言うように『大事なのは気持ち』だ。でもその気持ちさえ迷子になっているようなら、とりあえずその試練とやらに挑戦してみてはどうだろう?」

 

 するりと、フローラの奇妙な口調から放たれる言葉が胸に染みわたっていく。

 

「いいかい、逆に考えてみよう。それが本当に王家の資格を示す試練であるなら、もし、もしそれを達成出来たら君は『真の王』なんだ。その結果に、君自身すら納得せざるを得ないだろうね。これは他人に示す試練じゃない。君自身の心に、君自身の資格を示す試練なんだと」

「……!」

 

 イーサンは目を見開いた。フローラは短く息をつき、恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 

「似てました?」

「……まさかとは思うけどそれ、俺の真似?」

「きっとわたくしが同じことで悩んでいたら、貴方はそう言ってくれるかなって思いまして」

「……」

 

 ぎくりと胸が鳴る。……妙に納得できたのはそのせいだ。彼女は客観的に見た、イーサンの状況を教えてくれたのだ。

 

「それに貴方が王子様だろうと王様だろうと……神様であったとしても、それ以前に貴方はわたくしの夫です。以前申した通り、わたくしにとってはひとりの夫に違いありませんから」

「そう、だよな……」

 

 イーサンは顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「何よりも俺自身を納得させるための試練か。うん、うん。腑に落ちた。……ありがとうフローラ」

「ふふ、モノマネ作戦大成功ですわね。貴方の喋り方には不思議な説得力がありますから、試してみて正解でした」

「いやいや、言っとくけど全然似てなかったと思うよ? 俺、あんなに偉そうには喋らないから」

 

 イーサンが鼻を鳴らすと、フローラは悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 

「あらあら、昨日リズちゃんに披露したときは大絶賛でしたのよ?」

「……え、そんなことしてたの」

「お腹を抱えて笑ってましたのに、わたくしもまだまだですわね……。今度はトレヴァちゃんに見てもらおうかしら。わたくしの隠し芸、イーサンさんのモノマネシリーズ」

「勘弁してください……」

 

 

  *  *

 

 

 かくして、イーサンは『王家の試練』に挑戦することを決意した。他でもない、迷う自分の心に資格を示すために。

 

 ……というのはなんとなく分かっていたのだが、どうしてもシモンズは自分がここにいることが理解できない。

 

「(ばれてるのか……。リズネコのやつ、チクる気はないみたいなこと言ってたのは嘘っぱちだったのか? どうなるんだ俺様は……)」

「なあシモンズ」

 

 昼。木陰で食事をとるイーサンはシモンズに『メダル型チョコ』を差し出しながら声をかけた。シモンズは戸惑いつつも、そのチョコを受け取る。

 

「……俺はグランバニア王になれるのかな」

『きゅぴ……?』

 

 何を言っているのか良く分からない、という表情を作りながら、シモンズは心の中で憤慨する。

 

「(知るかーーーー!!! ニンゲンの社会のことを俺様に聞くな!! 大体、資格があるかどうかの判断をするための試練なんだろうが!! こんなとこで弱音を吐くな!! そして俺にそんな反応に困るセリフを吐くなぁーーー!!)」

 

 そして、次にイーサンの口から出てきた言葉にシモンズの心臓は凍り付く。

 

「いや、良いからそう言うの。こっちは真剣に相談してるんだからさ。……()()()()()()()()()()()()()()()()?」

『ぇきゅっ……!?』

 

 恐る恐る彼の顔を覗き上げると、イーサンはにこにこと笑いながらもうひとつのチョコを差し出している。どことなく、怒った時のフローラに似ている気がした。

 

「…………」

「取って食ったりはしない。安心しなよシモンズ。ほら」

 

 シモンズは差し出されたチョコを手に取り、遂に観念した。

 

「……リズのやつにチクられたのかよ」

「へえ、リズも気付いていたのか。流石だな、彼女も賢くなった」

「ちっ、どいつもこいつも抜け目なさすぎるだろう……」

 

 チョコを口に放り、シモンズは槍を取り出した。

 

「で、なんだ? 俺様を同行者に選んだのはヒトケのない場所で始末するためだったってか?」

「まさか。言っただろう、別に取って食ったりなんかしないよ。……人気のない場所の方が、君の本音を聞けると思ってさ」

「……」

 

 両手を上げるイーサンに対し、シモンズは敵意の目線を送り続ける。

 

「俺様の本音はたったひとつ。お前らと行動した方が楽に生きられそうだったから、それだけだ。これじゃお気に召さねえかよ?」

「いや、むしろそういう雑な発想は嫌いじゃないよ。でも演技まで雑なのは反省点じゃないかな? 君のそのドライな視線、気付かないとでも思った?」

「……ご忠告どうも」

 

 言葉を交わしながら、サンドイッチを頬張るイーサン。シモンズは槍を構えたまま静かに動揺していた。彼の思惑が見えない。

 

「うん、おいしい。流石は王宮付きのメイドさんお手製と言ったところだな。味付けがしっかりしている。……でも俺はフローラのサンドイッチの方が好きだな。素材の味が活きているというか、何か癖になるんだよね、彼女の料理。……あ、こういうところが嫁バカなのかね」

 

 シモンズは槍を握る手に汗が浮かぶのを感じた。本当に彼には敵意がないのだ。不気味なほどに。

 

「……てめえ、何考えてやがる」

「半分くらいは『フローラ可愛い』ってこと。あ、でも今は王位継承の悩みの方が大きいかも」

 

 そんな馬鹿らしいことを淡々と喋るイーサン。

 

「他人事みたいに言ってる場合かよ。俺様は言わば裏切り者だぜ?」

「仲間に手を出すほど、俺は落ちぶれちゃいない。うん、うん。やっぱり君を同行者にして正解だったみたいだなぁ」

 

 イーサンは嬉しそうに笑いながら弁当箱を片付けた。立ち上がり、出発の支度を始める。

 

「本音を聞けて嬉しかったよシモンズ。じゃあ、行くか」

「なっ、てめえ! 本当にどういうつもりだ! さっきから言ってる意味が何もわかんねえぞ!」

「聡明な君なら分かってると思うけど、俺は今悩んでる。その答えを見つけることがこのクエストの主な目的だ。そのためにはシモンズ、君の力が必要かもしれなかったってこと。……まあさっき確信したけどね。君の力は必要不可欠だ」

「……言っとくが俺様は戦わないからな。危険が過ぎると判断したらお前なんか見捨ててひとりでも遺跡から逃げてやる。今は利用価値があるからついて行ってるだけでお前との関係性に義理も責任もねえからな」

「それでいい」

「……!」

 

 イーサンは『奇跡の剣』を背負い、東に向かって歩き出した。

 

「それと、君戦えたんだな。てっきり戦えないのは本当かと思っていたけど、是非今度暇なときにでも君の実力を見せてもらいたいね」

「てめえ……」

 

 カマをかけられていたことに気付くシモンズ。奥歯を噛みしめながら槍を仕舞い、歩き去るイーサンの後を追った。

 

 

  *  *

 

 

 『試練の洞窟』は、名前に洞窟とはあるが何度も出てきているように『遺跡』の方が印象としては相応しい。試練に挑むに当たりいくつか文献を調べたイーサンだったが、その起源はグランバニア建国まで遡るらしい。

 

 古の時代、ある高名な戦士が建国したグランバニア王国は、力で正義を示す戦士の国だった。歴史書の中には『剣闘士の国』と記述されていたものもあり、当初の王は決闘と言う名の殺し合いで決められていたそうだ。グランバニア人はそんな戦士たちの血を引いているということになる。世襲制が定められ時代に合わせた成長を遂げた今でさえ、世界一の軍事国家として名を馳せるのも納得と言える。

 

 数多の剣闘士たちが血を流した初代グランバニア城はあるとき、災害に見舞われて壊滅した。それは魔物の襲撃とも言われているし、豪雨と土砂崩れで城下町もろとも飲み込まれたとも言われている。諸説はあるが、それを機会に今のグランバニア城、平原の真ん中の要塞都市が築き上げられそちらに遷都したのだという。そして廃墟となった初代グランバニア城跡こそが現在の『試練の洞窟』であり、近代までの何人もの王を決めてきた由緒ある遺跡となったようだ。

 

「……確かに城跡に見えなくもないけど、門構えが禍々しすぎるな。サンチョの話だと遷都した後も何回か改築が行われて、『試練』専用にチューンナップされてるんだとか」

「ハン。物好きだねぇ昔のニンゲンも」

 

 イーサンとシモンズは今、そんな遺跡の入口に立っている。長い年月を経て遺跡は半分ほど山に埋もれていて、そこが『洞窟』と名付けられたのも『土砂崩れ』説が浮かんでいるのも納得できる。ツタが無造作に伸びる入口の奥には、不気味な暗闇が広がっていた。

 

「それからこれもサンチョの話なんだけど、不自然な死亡事故が改築以前から頻発してたんだって。遷都直後に『七王期』っていう、王を名乗るものが乱立して国が七つに分かれた時期があったみたい。それで、グランバニア統一をかけてこの遺跡で大規模な決闘をしたんだとか。それが『王家の試練』の起源。……でも一説によると、生き残った一人を除いて他の六王は戦闘以外の要因による不審死。その後の試練でも挑戦した王族が謎の死を遂げることが多かったらしい。国の伝統だったんだけど、廃止になったときは王族の皆様は安堵したらしいよ」

「……随分勉強熱心じゃねえか」

「サンチョにめちゃくちゃ釘を刺されたからね。それに下手な死に方したらフローラに殺される」

「文章壊れてるぞ。頭良いんだか悪いんだかわかんねえなお前」

「頭は良いんじゃない? 学がないだけで」

「自分で言うかよ……。で? その不審死の原因は?」

「不明らしい。共通する手掛かりは『精神を蝕まれた』っていう歴代王様の証言のみ」

「……対策はあんのか?」

「ない」

「はあ!?」

 

 自分がここに連れてこられた理由、もしかしたらその不審死に対する勝算に関係しているのではないかと少し考えていたシモンズだったが、どうやら見当違いだったようだ。

 

「お互い気を付けようぜシモンズ。じゃあ、入るか」

「俺様は確信したぞ。お前は馬鹿だ」

 

 

  *  *

 

 

 松明片手に洞窟を進む。『試練』専用に改築された遺跡は入り組んだ構造をしていて、行く手を阻む仕掛けも多い。鍵のかかった扉、首を回してスイッチ代わりになる石像、突如吹き出す炎など、その形態も様々だ。しかし幼少期からダンジョン探索の経験を積んできたイーサンには何てことないものがほとんどだった。その都度機転を利かし、トラップを乗り越えていく。

 

「ほらほら、頭良いだろ俺」

「だから自分で言うな。それは馬鹿のすることだ」

 

 当然、魔物も闊歩していた。シモンズは宣言通り一切戦闘には参加しなかったが、ひとりでも十分すぎるほど、イーサンの実力は本物だった。狭くて得意のブーメランは使えないイーサンであったが、松明で視界を得ながら器用に戦い、決してテンポが良いとは言えないまでも確実に、危なげなく魔物を退けている。

 

「……ふう、こうしてひとりで戦ってみると仲間の偉大さに気付かされるな。みんながいたらこんなダンジョン一瞬だよ一瞬」

「思わせぶりにこっち見んなよ。そんな目をされたところで宣言通り俺様は戦わねえからな」

「ばれたかー」

「厚かましいんだよ。演技が雑なのはどっちだっつの。……よっと」

 

 イーサンの前方をぱたぱたと飛んでいたシモンズだったが、段差に腰を下ろして息をついた。ミニデーモンの背中には可愛らしい翼があって浮遊もできるのだが、小さな翼では長くは飛んでいられない。

 

「なあ、イーサン。前々から思ってたんだけどよ」

「うん?」

「お前は魔物を従える魔物使いだが、こうして襲ってくる魔物は容赦なく斬り殺すだろ?」

「……」

「イーサン、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 松明に照らされるイーサンの横顔が、微かに引きつったように見えた。

 

「俺様も、リズネコやトレヴァも魔物だ。魔物同士で仲間割れも共食いもある。ニンゲンなんかと同じ死生観はもともと持ち合わせちゃいねえから、野生の魔物を殺すことに疑問は感じねえだろうけど。……お前はニンゲンだろ? しかも魔物に肩入れしている物好きなヤツだ。……お前は、何を考えて旅をしてきたんだ?」

「……」

 

 イーサンは静かに『奇跡の剣』を鞘に仕舞った。かたかたと金属のぶつかる音が聞こえたことから、彼の手が震えていたことがわかる。それからイーサンはゆっくりと口を開いた。

 

「……長年、リズを仲間にした時から気にしないようにしてきたことを、ずばり言い当てられるとはね。やっぱり君を連れてきたのは正解だった」

「ハン。またワケの分からんことを……。どーでもいいけどよぉ、お前これ、王になれるかどうかの試練なんだろ? てめえのことも満足に紐解けないようなヤツが、何かを統べることなんてできねえと思うぜ」

「……うん、分かっている」

 

 声の圧が目に見えて弱まった。ざまあみろとシモンズは心の中で舌を出す。しかし不思議に思っていたのも事実だ。イーサンは仲間と、そうでない魔物を不自然に線引きしている。襲い来る魔物は全力で迎撃し、“はぐれメタル”に至っては積極的に狩りに行った。かと言って仲間の魔物を、例えばグランバニア城門でのやり取りの時みたいに蔑ろにされたら怒りを露わにする。……それは言わば『矛盾』だ。自分の仲間になる魔物は良し、そうでないものは悪し、なのだから。そして魔物の端くれであるシモンズからは……『魔物的』とも言えると思った。だがこうして、王位継承のことや自身の矛盾に悩む姿は逆に『人間的』と言える。――どちら側の存在か。シモンズのその問いはイーサンの根本を問うものだったのだろう。そしてそれが自分自身で落とし込めない限り、イーサンは悩みを抜けることはできない。王位を継ぐことも、納得に至らないのだろう。

 

 ふと、前を歩くイーサンが剣を抜いた。何事かとシモンズが身構えると、道の後方、今まで歩いてきた方角から微かに物音が聞こえてくるのがわかる。

 

「……おいイーサン。これ」

「うん。追手だね。……シモンズ、何者かわかる?」

「ロランの魔物レーダーと同じに扱うんじゃねえ。……でもこれだけは言えるな、この遺跡の魔物とは匂いが違う」

「なるほど……」

「なんだよ。グランバニアの連中が心配で見に来たとかじゃないだろうな」

「多分逆だろ。……俺を殺しに来た」

「誰がそんなこと……」

「ひとつしかない」

 

 イーサンは剣を構えたまま振り返る。背後の暗闇からは、確かな複数の足音が聞こえてくる。

 

「――教団、だろうね」

 

 シモンズは全身から血の気が引くのを感じた。翼を動かし浮遊して、イーサンの後ろに回り込む。

 

「お、おい。俺様は戦わないからな! 宣言通りだからな!」

「大丈夫。君はそれでいい」

「スカシてんじゃねえぞ馬鹿野郎! 相手は複数だ、お前も逃げた方が良い!」

 

 くいくいと、シモンズはイーサンの襟を引っ張った、彼の首元が汗ばんでいるのがわかる。

 

「ここまで来て逃げられないよ。ここで迎え撃つ」

「なん――!?」

 

 松明の明かりの向こうに、ぼんやりと一対の影が現れた。追手の姿ははっきりとは見えないが、その歪なシルエットがニンゲンでないことだけは明らかだ。

 

「お、俺様は……俺様は知らないからな!!」

 

 シモンズはそう吐き捨て、近場の物陰に引っ込んでいった。残されたイーサンはじっと、目の前のぼんやりとした敵影を見る。

 

「……まったくさあ。こんなときくらい静かに悩ませてほしいんだけど」

 

 腰を落とし、剣の切っ先で床をちりりとひっかく。

 追手とイーサン。両者が飛び出すのは同時だった。

 

 

 

 

 



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6-8. 王家の試練③ イーサンの狂気


こんばんは。イチゴころころです。

ドラクエ11S、ついにニズゼルファ討伐しました。やったー。
これまでのラスボスとはあらゆる面で一風変わったニズゼルファが結構好きです。

そしてやっぱ11のストーリー全部見ると今度は3やりたくなるんですよねぇ……。




 

 

 敵の数は2体。両手に盾を持った獣人と、これまた両手に斧を持った怪人だ。どちらも見覚えのある魔物ではないが、イーサンはそれらが教団の差し金であると確信していた。

 

「(王という精神的支柱を得てグランバニアの人々が活気付くと、城を攻めに来る教団側からして不都合極まりないってわけね……。動機としては分かりやすい。じゃあ問題は……)」

 

 斧怪人が両手の斧を床に叩き付けた。派手な音と共に石畳が砕け散り、飛来する破片がイーサンの二の腕と脇腹をえぐった。

 

「――っ」

 

 イーサンは痛みに顔を歪ませつつも、隙を晒した斧怪人に剣技を浴びせる。

 

「(問題は俺が王家の試練を受けに来ることをどこで知ったかだ。やはりシモンズ? いや、彼の助言がなければこいつらの奇襲は成功していた。彼が教団と繋がっているとは考えにくい。俺が今ここにいることを、こいつらがどうやって掴んだか――)」

 

 鈍い金属音と共に、イーサンの振るう剣戟が弾かれる。割り込んできた盾獣人が、二枚の強固な盾で渾身の剣技を受け止めたのだ。イーサンの持つ『奇跡の剣』には、与えたダメージに応じて装備者の傷を癒す効果があるが、それは攻撃が通らないと意味をなさない。

 

「(もうひとつの問題は、こいつらが強すぎるということ……!! 連携が完璧すぎる! ここまでの打ち合いでわかった……俺は“勝てない”!!)」

 

 斧怪人がその得物を振り上げた。背筋が凍る。石造りの床を粉砕する一撃だ。そんなものをまともに食らったら、イーサンの体はバラバラになってしまう。

 

「くそっ!!」

 

 咄嗟に床を蹴って距離を取るイーサン。斧の一撃は躱したものの、その敵はもう一本の斧を既に振り上げていた。

 

「まず――!?」

 

 もう一本の斧がイーサンの斜め前、ひび割れた石柱を殴りつけた。怪力をふんだんに乗せた一撃はその石柱を破壊。破片が飛び散り、イーサンの全身を叩く。

 

「うぐっ――!!」

 

 彼の体は軽々と吹き飛ばされ、床の上を転がった。するとすぐそばのツボの裏から顔面蒼白のシモンズが飛び出してきた。

 

「だから言ったろ馬鹿野郎! 分が悪すぎる! 逃げるぞイーサン、はやく!!」

「……ちょっとだけ賛成。仕切り直しか」

 

 よろめくイーサンの肩をシモンズが支え、敵と反対方向の通路に逃げ込んでいった。それを眺めていた追手もまた、ゆっくりと彼らを追っていく。

 

 

  *  *

 

 

 通路を全力で走り、突き当りに辿り着いた。左右に通路が伸びている。

 

「ここは……さっきも通ったところかな。ってことは……」

「ああ、俺様も覚えてるぜ。こっちに行けば出口だ。ふう、助かったぜ……」

 

 翼が千切れ飛ぶほどの勢いで浮遊してきたシモンズは床に降り、大きくため息をついた。長く飛べないシモンズは逃げ切れるかどうかも不確定だったが、意外と近くに出口があったので安堵する。

 しかし傍らのイーサン、既に手負いとなった主は信じられないことを口走る。

 

「いや、出口には行かない。俺はこっちに進むよ」

「……は?」

「言っただろう。ここまで来て引き返すことなんてできない。あいつらを撒きながら……王家の証を探す」

 

 シモンズは肩を落とした。

 

「……馬鹿もここまでくると呆れるな。お前、本当に死ぬぞ?」

「……」

「もう意地なんだろ、それ。そんなつまらんことで命をドブに捨てるなんざ――」

「……!? シモンズ!!」

 

 イーサンがシモンズを突き飛ばす。直後、さっきまでシモンズが立っていた床に投げられた斧が突き刺さった。

 

「追い付かれたか……!」

 

 通路の向こうに、一対の影が見える。それらは静かに、しかし確実にこちらへ近づいてきている。

 

「……もう、お前との関係もここまでだ! 死にたいならひとりで死ね!!」

 

 シモンズが出口に向かって走り出そうとしたその時だった。

 床が傾き、下の空間に向かって崩れ始める。

 

「あ……」

 

 斧が突き刺さった影響か、老朽化した遺跡の床が限界を迎えたのだろう。斧を中心にぽっかりと、……ちょうどシモンズの立っている場所が崩れ落ちていく。

 

「(やっちまった……。もう、翼は動かねえか)」

 

 ついさっきまで全力で飛行していたせいで、背中の翼はしばらく動かない。自分でも驚くほど冷静になっているシモンズの視界には、目を見開くイーサンと、再び斧を投擲しようとする斧怪人の姿がスローで映し出される。

 

「(ああ、これじゃ飛べたとしても意味ねぇか……。はは、魔界の悪魔が高いところから落ちて死ぬとか、とんだ笑いものだぜ……)」

 

 一瞬の浮遊感の後、シモンズの体は眼下の闇に吸い込まれていく。

 

「(まったく……こうなるって知ってたら付いてこなきゃよかった……。ていうか、さっきの段階でさっさと逃げてればよかったのに……何やってんだか。やっぱり、チョコの食べ過ぎかなぁ……)」

 

 目を閉じようとしたシモンズの視界が、影に覆われた。それは手だ。差し伸べられた、イーサンの手。

 その手はシモンズの首を掴み、直後にシモンズは一瞬前とは逆の方向に引っ張られるのを感じた。

 

 

 

「――逃げろ、シモンズ!!」

 

 

 

 視界が1回転し、小さな体は床にたたきつけられた。

 

「なん――」

 

 すぐに頭を上げると、床に空いた穴が見て取れる。……咄嗟にイーサンが自分を引っ張り上げてくれたのだと、直感で理解した。だが……どこを見渡しても、イーサンの姿は見えない。

 

「え、え……?」

 

 シモンズは思わず穴の中を覗き込む。しかしそこには、沈黙する暗闇しか広がっていない。

 

「はは……なんだあの野郎。間抜けにも程があるだろ……。俺様なんかほっといてよ……目的のために動けばいいのによ……」

 

 背後からは追手の足音が聞こえる。気配もすぐそこまで迫っていることがわかる。

 

「行動に一貫性がねえんだよお前は……。ほんっと、気に食わねぇな……」

 

 そう呟きながら、シモンズは槍を握りしめた。

 

 

  *  *

 

 

「はあ……っはあ……!」

 

 穴に落ちたイーサンは瓦礫に身をもたげ、打撲箇所を“ホイミ”で治療していた。

 体感ではあるが落下距離はそれほどなく、瓦礫の斜面を転がり落ちてきた印象だ。幸いにも骨折や致命傷はない。打ち付けた痛みを回復呪文で和らげ、イーサンは頭上の暗闇を見上げた。

 

「とりあえず、追手は無し、か……。危なかった。シモンズが心配だけど……、上手いこと逃げてるって、祈るしかないか……」

 

 辺りを見渡す。既にかなりの広範囲を探索していたと思ってはいたのだが、まだ地下にこのような空間があることに驚きを感じた。しかもこの場所は少し、雰囲気が違う。

 

「……」

 

 肩を押さえながら立ち上がり、歩き出す。

 今まで探索してきた遺跡は、ツタの生い茂る石造りの施設だった。本当に『廃墟』という感じだ。だがここは違う。大理石の床、同じく大理石の壁、不規則に並び立つ石柱群も大理石でできている。そしてその大理石だが、奇妙なことに淡く発光しているのだ。松明はどこかに落としてきてしまったようだが、それでも辺りの様子を伺うことができるのはこのためだ。

 

 かつかつと、足音を反響させながらイーサンは歩いた。しばらく歩くと物々しい巨大な通路が姿を見せる。発光する大理石の壁はそこで途切れ、むき出しの岩壁が奥の暗闇に続いていた。そして通路の入口にはボロボロの紋章が刻まれている。イーサンには見覚えがあった。グランバニア王家の家紋である。

 

「……『アタリ』か。思わぬ近道になったってワケね」

 

 イーサンが通路に足を踏み入れようとしたとき、彼の耳が不審な物音を拾う。

 

「……誰だ?」

 

 振り返り、剣を引き抜く。たぶん教団の追手ではないだろうが、確かに気配を感じた。背後の石柱の裏だ。……そう簡単にゴールに向かわせてくれはしないだろうと思っていた。

 

「いるのは、わかっている……。もし俺の言葉がわかるなら、出てきてもらえると嬉しいんだけど?」

 

 反応はない。

 

「……」

 

 しびれを切らしてこちらから覗きに行こうとした瞬間、石柱の裏に隠れていた『それ』が姿を見せてきた。

 

 

 

 『それ』は、イーサンだった。

 

 

 

「え……」

 

 間違いない、自分だ。くすんだ白の旅装。青いマント。同じく青のターバン。黒い髪。背負っている『奇跡の剣』まで、全く同じだ。

 

「お前は……」

 

 あまりにも自分と瓜二つだったので、鏡に映っただけかと一瞬本気で思ったほどだ。しかしそれは間違いだとすぐに気付く。目の前の『自分』が、口の端を歪に吊り上げ話しかけてきたからだ。

 

『――オマエは、王になりたいのか?』

 

 少し低いように思えたが、間違いなく自分の声だった。全身に鳥肌が立つのを感じる。言葉を失うイーサンに、『彼』は再び声をかけてきた。

 

『王になりたくて、ここまで来たんだろう? ……なぜ王になろうとする?』

 

 イーサンは困惑しながらも、その問いには答えなければいけない気がした。その予覚のまま、静かに口を開く。

 

「……必要と、されたからだ」

『じゃあオマエ自身は、別に王になりたいワケじゃないと?』

「わからない……。俺自身の気持ち、それを探るためにここまで来た」

 

 すると自分の姿をした『彼』は、その両目をすうっと細める。

 

『違うな。オマエの気持ちはもう、決まっている』

「……?」

『……力が、欲しいだけなんだろう?』

「なんだと……」

 

 思いもよらぬ言葉。そのはずなのに、胸の奥がざわつくのを感じた。まるで“よくぞ言ってくれた”とでも言うように。

 

『旅の魔物使いイーサン。魔物を従え、手駒として操る。自分の手を汚さずに、安全地帯から指示を出し、自分にとって都合の悪い敵を屠ってきた』

「俺はそんなつもりじゃ――」

『オマエには確かに王の素質がある。でもそれは心優しい「賢王」の素質じゃない。玉座に腰掛け、国民を手足のように動かす「暴君」の素質だ』

 

 自分の姿をしたその男はゆっくりと歩き出し、イーサンのそばを周りながら淡々と、言葉を零していく。

 

『たった数匹の魔物だった手駒が、一気に数えきれないほどの国民になるんだ。グランバニアの王となり、意のままに国を動かす。その強大な力を得、誇示するためにオマエはここに来たんだよ』

「違うっ!!」

 

 イーサンは『彼』を睨み付けた。握りしめた拳に、汗がにじむのを感じる。

 

「俺が旅をする目的は、母さんを救うためだ! いや、もうそれだけじゃない。教団の魔の手から世界を……多くの命を救うために、俺は旅をしてきたんだ!!」

『それが今まで、何百もの魔物の命を絶ってきた男の言葉かい?』

「……!!」

 

 膝が震え出すのを感じる。『彼』の不敵な笑みが、胸の奥に突き刺さる。

 

『魔物にも命があり、意思がある。ルラフェン地方で斬り殺したキラーパンサーにも家族がいて、船の上で首を刎ねたマーマンは己が生きるために人間を襲っていた。……本当はとっくに気付いているんだろう? 自分の生き様の、どうしようもない矛盾に』

「……っ」

『母のため、人間の世界のためと、オマエは数えきれないほどの魔物を殺してきた。当然かもな。いかなる理由があるとはいえ、魔物は人間を襲う憎き敵なのだから。でもオマエは違う。自分を慕い、ついてきてくれる魔物には手を出さない。なぜなら、彼らはオマエにとって“都合のいい存在”だからだ。違うか?』

「……ちがう。俺はみんなを、そんな目で見たことはない……」

『仲間の魔物が、愛する妻に牙を突き立てても同じことが言えるか? オマエは躊躇わず、そいつの首を斬るだろうよ』

「……ちがう」

『人間だろうが魔物だろうが、自分に都合のいいものは受け入れ、都合の悪いものは斬り捨てる。それがオマエだ』

「だまれよ……」

『結局オマエは、教団の連中となんにも変わらない。自分の目的のために、周りの意思を引きずり込んで利用する。それがイーサンと言う「自分勝手な王様」の正体なんだよ』

「だまれえええええええ!!!」

 

 イーサンは剣を振りかぶり、目の前の『自分』に叩き付けた。……そう。これは本物の自分じゃない。魔物の見せる幻覚か、魔物の化けた姿だ。耳を貸す必要はない。こいつを倒し、王家の証を取りに行く、それでいいはずだ。

 目の前の『それ』に剣が不自然にめり込んだ。半分になった自分の顔の断面から、真っ赤なゼリー状の液体が流れ落ちる。

 

「……!?」

 

 見開かれた眼球からゼリー状の液体を垂れ流しながらも、『彼』は喋りかけてきた

 

『……ほうら、やっぱり』

「あ……」

『斬った斬った。そうやって、自分に都合の悪い存在を全部斬ってきたんだ。自分自身でさえも、都合が悪ければ斬り捨てる。次はダレだ? ダレを斬り捨てる? ニンゲンか? マモノか? それとも……フローラか?』

「あああああああああああ!!!!!!」

 

 剣を振り抜いた。水風船が弾けたかのように真っ赤な液体が飛び散る。目の前にいた『自分』は跡形もなく消え去ったが、床に散らばった肉塊のような物体から、くすくすと笑い声が聞こえてくる。

 

 

――認めろよ。数えきれないほどの屍の上で、オマエの玉座が待っているぞ?

 

 

「うあああああああああ!!!!」

 

 イーサンは絶叫し、逆方向に走り出した。たまらず耳を塞ぐ。しかし耳障りな笑い声はずっと、イーサンの脳裏にこびりついていた。必死で足を動かし続けたが、『彼』がずっとついてきているような気がした。

 

 

 



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6-9. 王家の試練④ ヒト/マモノ


どうもどうも。イチゴころころです。

グランバニア編はあの2章、サラボナ編に匹敵する長さになりそう。
青年時代前半において2大ターニングポイントみたいなところありますもんね、サラボナとグランバニア。




 

 

 瓦礫の隙間にうずくまり、がむしゃらにモンスター図鑑のページを検索した。震える手のせいで上手くページがめくれずに時間がかかり、収まらない吐き気はさらに手元を狂わせる。

 

「見つけた……“ジェリーマン”、こいつが……」

 

 先ほどイーサンの姿を真似た魔物の正体。特殊な魔力を帯びた不定形の肉体を持ち、その魔力を“モシャス”という禁呪に変換して対象の『姿』と『記憶』を模倣する。人間のように知能を持つ生物に対しては記憶の負の部分を掘り起こすことで精神を破壊し、知能のない、例えば獣や魔物に対しては純粋な暴力によってその命を狩り、捕食する。

 

「今まで出会った中でぶっちぎりでタチの悪い……吐き気を催すような魔物だな……全く……」

 

 モンスター図鑑を持ってきていたのは幸運だった。イーサンはあの『イーサン』の正体が魔物だと途中で気付き、破裂しかけた心を何とか抑え込んで逃げることに成功した。そして今、こうして敵の正体を掴むことができたのだ。

 

「でも、正体が分かったことと……乗り越えられるかどうかはまた……別問題か……」

 

 図鑑を閉じ、力なく瓦礫にもたれかかった。

 動悸が収まらない。全身から冷や汗が噴き出し、先ほど『自分』に言われた言葉が脳内をぐるぐると飛び交う。

 

「屍の上の玉座、か……言い得て妙だな……くそ……」

 

 リズやマービンを始めとして、これまでの旅路で何匹もの魔物と心を通わせてきた。本来、人間にとって憎むべき存在。そんな魔物ともイーサンは絆を結び、目的のために旅を続けてきた。だがその一方で、彼は多くの魔物の命を奪った。その線引きは『自分について来るか、自分を襲いに来るか』という酷く曖昧で、自分勝手なものである。もし3年前のあの日、草原で頬を寄せてきたプリズニャンがそのまま牙を剥き出しにしてきたとしたら……イーサンはきっと躊躇うことなく彼女の命を絶っただろう。

 

「……っ」

 

 考えただけで寒気がした。つまりそれは人間にも言えることである。何らかの理由で自分に剣を向ける相手がいたとしたら、イーサンはどうするだろうか。もしかしたらイーサンも本気で武器を構え、相手の命を奪いに行くかもしれない。

 ……いや、きっとそうする。サラボナで出会ったアルフレッドが良い例だ。事実、彼に嵌められて激昂したイーサンは、妨害がなければ彼のことを半殺しにしていたと思う。それに結果的に、イーサンは彼の人生を破滅させたと言っても過言ではない。彼の悪行に対する自業自得とも言えるが、イーサンの動機は『フローラを彼から救う』という、捉えようによっては自分勝手とも言えるものであったのだ。

 

 己の目的のために、人間だろうが魔物だろうが利用して、斬り捨てる。『イーサン』の言った通り。これでは本当に――。

 

「――教団の連中と何も変わらない?」

 

 再び吐き気に見舞われる。イーサンは胸を抑え込み、何度も首を振った。

 

「惑わされるな……。俺の目的は王家の試練に挑み、王位継承に対する自分の気持ちを見つけることだ……。グランバニアの王になるのは、俺が必要とされたからで……俺に……」

 

 その力があるから? 支配する力があるのなら、それに乗っかって権力を振るうのも悪くない?

 

「違う、違う……! 俺はあんな……あんな連中とは違う。力が欲しいんじゃない……ただ俺は母さんを、フローラを……大切な人たちが生きるこの世界を……守りたいんだ……!! そのためだったら……、あっ」

 

 咄嗟に自分の口を塞いだ。……今、俺は何を言おうとしていた? 『そのためだったら、何を斬り捨てたって構わない』。そんなことを言おうとしたのではないだろうか?

 

 ジェリーマンが口走るのはあくまで記憶のコピー。あのおぞましい言葉の数々が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだとしたら。目的のために障害を斬り捨てるという邪悪な思想は確かに……今、自分の中に存在しているのかもしれない。

 

「違う、違う! 落ち着け!!」

 

 砕けた石柱の破片を殴りつけた。手の甲から血が滴る。……何にせよ、『王家の証』を手に入れるためにはあの広間を越えなければならない。だがもう一度ジェリーマンの言葉を聞いたら……自分は耐えられるだろうか? 歴代の王はきっと、あの魔物の卑劣な攻撃を乗り越えたのだろう。だが今の自分に、同じことができるとは到底思えなかった。

 

「俺に、王となる資格は……ない、のかな……」

 

 だが問題はそれだけではない。なまじ王家の証を手に入れたとして、いや、ここで諦めて帰るにしてもだ。遺跡内には教団の追手がうろついている。今もきっとイーサンのことを探して、奥へ奥へと向かってきているだろう。奴らを掻い潜らないことには、生きて脱出することなどできはしない。

 

「どうする……どうする……!」

 

 そのとき、地面が揺れた。同時に何かが爆発するような音も聞こえてきた。イーサンは驚いて立ち上がる。不自然な揺れだ。……追手の可能性が高い。

 

「くそっ……!」

 

 その場を離れ、入り組んだ通路をひたすらに歩く。追手から離れているのかはたまた近づいてしまっているのかは不明だが、立ち止まるわけにもいかない。淡く輝く大理石の光を頼りに、イーサンは通路を進んでいった。

 

「……?」

 

 何かの声が聞こえた。微かだが聞き覚えのある声……シモンズの声だ。

 

「シモンズ? ……シモンズ! そこにいるのか!?」

 

 声のした方へ足を進める。しばらく進むと、満身創痍のシモンズが息を切らして走ってくるところに出くわした。

 

「シモン――」

「来るなぁっ!! 近付くんじゃねぇーーーっ!!!」

 

 彼は槍を構え、鬼の形相でイーサンに向けてきた。思わず立ち止まる。

 

「クソッタレが……今度はイーサンに化けやがったな……! 来るな、一歩でも進んでみろ、俺様の呪文で消し炭にしてやるからよォ!!」

 

 シモンズは錯乱した様子で、イーサンからじりじりと離れていく。それを見てすぐに理解できた。……彼もジェリーマンの襲撃を受けていたことに。

 

「よせシモンズ……。俺は本物だ」

「黙れニセモノのクソ野郎!! ……俺様は、俺様は落ちこぼれなんかじゃねえ!! 俺様はなあ……誰も傷つけたくなかっただけなんだよ!!」

「……!!」

 

 そしてシモンズも例に漏れず、ジェリーマンの精神攻撃を受けたと見て良いだろう。構えた槍の先は微かに震え、両耳はその声色とは裏腹に不安げに下を向いていた。

 

「シモンズ……君は……」

「黙れって言ってんだ!!!」

 

 彼が槍を突き立て、呪文の詠唱を開始した。……この距離では避けられない。

 

「待てシモンズ! ……クソっ!」

 

 イーサンは咄嗟に懐に手を伸ばし、あるものを彼に向かって投げつけた。それは床をころころと転がり、突き立てられた槍のすぐ手前でぱたりと倒れた。

 

「……あ」

 

 それは『メダル型チョコ』だった。シモンズを同行させると決めた際、フローラにお願いして分けてもらった……シモンズの好物である。

 

「頼む、シモンズ。……その呪文を撃つべきかどうかは、それを食べてから決めてくれ……!」

 

 槍に集まっていた魔力が霧散し、シモンズはチョコを拾い上げた。

 

「……本物だな。イーサン、お前なんだな……?」

「ああ、そうだ。ジェリーマン……あの魔物は、目視した相手しかコピーできない。そのはずだ」

「……」

「………」

 

 そしてふたり同時にため息をつき、へなへなとその場に座り込んだ。

 

「……なんでここにいるんだ、シモンズ」

「うっせぇ……」

「その傷……奴らと戦ったのか」

「手も足も出なかったがな。笑いたきゃ笑え」

「戦って、くれたんだな……」

「……」

 

 黙り込むシモンズ。イーサンはゆっくりと立ち上がり、彼を抱え上げる。

 

「物陰まで行こう。治療してやる」

「……放しやがれ」

「強がるなよ。ほら」

 

 シモンズは観念したのか、それとも単に抵抗する力もなかったのか、イーサンの腕に身を預けた。イーサンは足を引きずるようにして、その場を後にする。

 

 

  *  *

 

 

「……“モシャス”か。俺様も知識としては知っていたが、とんだ悪辣な魔物もいたもんだな」

 

 シモンズは“ホイミ”で応急手当をしてもらった腕をさすり、弱々しく呟いた。

 

「うん。きっとあの魔物の存在こそが、ここを『王家の試練』たらしめている所以なんだろうね。……そして不審死の正体も」

「ジェリーマンの囁きに耐えきれず自ら命を絶ったか、錯乱してそのまま事切れたか、だな」

 

 周囲で淡く光る大理石が、座り込むふたりの沈んだ表情を照らす。

 

「で、新たな王様候補のイーサン殿は、そんな魔物の囁きに――」

「――うん、屈した。逃げ帰ってこられたのは偶然さ。たぶん、次はない」

「……」

 

 イーサンは持ってきていた『魔法の聖水』を飲み干した。空になったビンを床に転がすと、からからと空虚な音が響いてくる。それが最後の一本だった。

 

「……シモンズこそ、よくあの追手と戦う気になったね。てっきり逃げたのかと」

「掘り返すんじゃねぇよ。言っとくがお前のためじゃねえからな……ムカついたから喧嘩を売っただけだ」

「勇気あるなあ……。あの連中、シモンズからみたら山みたいなものじゃないの?」

「遠回しに俺様のことチビだって言いてえのか?」

「ごめんごめん」

「実力で負けるつもりはなかったさ。俺様は勝てる戦いしかしないからな」

「へえ」

「でもあの盾野郎、したり顔で“マホカンタ”唱えてきやがったんだぜ? あんな頭の悪そうな面構えして、いっちょ前に呪文で対抗しやがった」

「それは……まあ、無理だな」

「ああ、そうだろ」

 

 ふたりの乾いた笑い声が転がる。それからしばらく、沈黙が続いた。

 

「……シモンズ。魔物って一体何なんだろうな」

 

 長く重い沈黙の後、そう口を開いたのはイーサンだ。

 

「何だよ藪から棒に……。学者にでも転向する気か?」

「俺は……魔物がわからない」

 

 イーサンは、そう自分で零した言葉がそのまま胸に沁み込んでいくのを感じた。シモンズは何も答えない。イーサンはそのまま続けた。

 

「人間は『国』を作って身を寄せ合い、魔物は『野原』を駆け回る。人間と魔物の領域はそうやって区別されているんだ。少なくとも今の世界では。でも俺はリズや君なんかを仲間にしながら、その一方で多くの魔物の命を奪ってきた。俺は“どっちの領域にもいない”んだ」

「……」

「『国』と『野原』。外側から見た人間と魔物の境界線は明確だ。でも内側は? ……何をもって人間と魔物を区別するんだ? どこまでが人間で、どこからが魔物なんだ? 俺は……」

 

 イーサンが言葉を切る。シモンズは片耳を立て、静かに先を促した。

 

「俺は、それがわからない自分が怖い。わからないまま先に進んだら……今度は人間を斬ってしまうかもしれない。王となり、国を動かす権力と振りかざすに足る強大な力を得たとして、……そんな大きすぎる力で、俺は人間を……大切な人たちを傷つけてしまうかもしれないんだ」

 

 膝を抱え、話を締めた。オチはない。いつも語り聞かせる冒険譚とは違い、これはイーサンの本音以外の何者でもないからだ。ぶつ切りの本音はばらばらに転がり、大理石の隙間から溶けて、消えていった。

 

「……姿、だろうな」

「え……」

 

 今度はシモンズが口を開いた。先ほどもらったチョコを食べもせず、指先でくるくるといじりながら彼は続ける。

 

「真面目な話で返すがな。ニンゲンと、俺様のような魔物を区別するのは姿以外にない。二本足で立ち、両手を器用に使い、揃いも揃って地味なツラをした生き物がニンゲンだ。だが……それも言うなりゃ外側の話だ。魔物の中にも社会を作って暮らすものもいる。俺様達ミニデーモンもそのひとつだ。そういう意味では……内面的な境界線なんてものは恐ろしく曖昧なんだろうな」

「……」

()()()()()。ヒトとマモノを区別する明確な境界線なんて。命の重みに優劣をつけるなんて神か何かの仕事だ。生き物の命に上手に線を引きましょうだなんて、思い上がりも甚だしい」

 

 シモンズの言葉が胸を刺す。自分の鼓動が、いつもよりも大きく聞こえた。

 

「俺様がニンゲンを嫌う理由はそこだ。あいつらは揃いも揃って、自分らを神か何かと勘違いしてやがる。魔物だから殺していい、ニンゲンだから、同じ種族だから殺しちゃいけない。そんな傲慢な考えを当然のように振りかざしてくる。そんなニンゲンが、俺様は嫌いで仕方がなかったんだよ。……お前に会うまではな」

 

 一呼吸遅れて、イーサンは顔を上げる。

 

「……俺?」

「魔物の仲間を従えながら、ニンゲンの社会を生きようとする。……とんでもない馬鹿が現れたと思ったけどな。でも今考えると、お前は世界中の誰よりも自由で、謙虚で……誇り高いニンゲンなんだなって思えるよ」

 

 シモンズは立ち上がり、ぱたぱたと浮遊してイーサンの前の瓦礫に腰掛けた。

 

()()()()()()()、イーサン。ニンゲンも魔物も関係ない。自分が生きるために、他の命を斬り捨てる。生き物として当然のことだ。何にも縛られず、自分の未来の方だけ向いてりゃいいんだよ」

「でも、それじゃだめだ!」

 

 つられてイーサンも立ち上がった。瓦礫に座るシモンズと、同じ高さで目が合う。

 

「それじゃあ、教団の連中と何も変わらない! 人間も魔物も見境なく利用して、斬り捨てて……。そんな血だまりの上に成り立った平和の中で、母さんが、フローラが……幸せでいられるわけがないだろう!!」

 

 イーサンの絶叫が通路にこだました。わんわんと反響するその声が鳴り止む頃、シモンズは短くため息をつく。

 

「……つくづく、ニンゲンってのは不便な生き物だな。お前でさえ、根本にあるのは種族特有の傲慢さか」

「なんだと……」

「母親やフローラの幸せだあ……? それをてめぇの裁量で決めつけるのが傲慢だって言ってんだよ」

「……」

 

 口をつぐむイーサンに、シモンズは槍を突き付ける。

 

「いいか。フローラはお前といるとき、溶けかけのチョコみたいな顔をするんだ。腹立たしいくらい幸せそうな笑顔を浮かべてな。……お前だって見てきてるだろう。思い出せよ、あれが、『他人をひたすらに斬り捨ててきただけの男』に寄り添う女の顔か?」

「あ……」

「視野が狭いんだよ。勝手にうぬぼれて、勝手に落ち込んで、勝手に自分の世界を狭めてる。その行為自体が、命を奪うことよりも何十倍も自分勝手だと、いい加減気付いたらどうだ!」

「……」

 

 視線を落とし、左手を見た。指には『炎のリング』がはめられている。それをしばし見つめ、イーサンはその場に立ち尽くした。

 

 しばらくして、イーサンは瓦礫に立てかけておいた『奇跡の剣』を手に取り、背負った。

 

「……行くのか」

「うん」

「答えは出たってか?」

「いや、全然。でもそれを見つけることが、本来の目的だから」

 

 イーサンの視線は未だに泳ぎがちで、指先も微かに震えている。シモンズはそれを見て少し考え込み、……人差し指をイーサンに向かって突き出した。

 

「――チョコ1年分だ!」

「……へ?」

「契約だ、イーサン。王位を継いだらメダル王の城との交易を最優先で復活させろ。それでチョコを1年分、俺様に捧げるんだ」

 

 ぱちくりと目を(しばた)かせるイーサンをよそに、シモンズは床に降り立った。

 

「……そう約束するのなら、追手の面倒は俺様が受け持ってやる」

「あ……」

 

 通路の向こうからは、ぴりぴりとした空気が漂ってくるように思えた。教団の刺客が、近くまで迫ってきているのは確かだろう。

 

「任せて……いいんだね」

「悪魔は契約を重んじるものだ。本当は一生分って言いたいとこだけど、サービスしといてやるよ」

「……わかった。約束しよう」

 

 イーサンは彼に背を向け、王家の証のある場所……ジェリーマンの待ち構える広間へと歩いていく。

 

「ちなみにだけど、勝算はあるわけ?」

「……お互い様だろうが」

 

 そう言い残し、ふたり同時に駆け出した。

 イーサンは左手の指輪を握りしめる。決して振り返りはしなかった。

 

 

 

 



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6-10. 王家の試練⑤ 半歩、境界線を越えて


どうも、イチゴころころです。

『試練の洞窟』といえばボスであるカンダタやシールドヒッポも印象的ですが、個人的にはジェリーマンが所見プレイ時一番の衝撃でした。そんな彼(彼?)に敬意を表した結果、本編ではすごい立ち位置になっちゃっています。






 

 

『……わからないな。迷いも晴れてないままここに来るなんて』

 

 柱の影から姿を見せた“ジェリーマン”は、やはりイーサンと同じ顔、同じ体で出迎えてきた。髪の毛の一本から衣料まですべて完璧にコピーしたそれは、数分も直視していたら気が触れそうなほどの不気味さを醸し出している。

 

『オマエは自分が王になりたいのかどうか、それすら分かっていない』

「……」

 

 額に汗が浮かぶのを感じた。『彼』は通路を遮るように立ってはいるものの、特に構えもせず、危害を与えてくる雰囲気もない。……脇を走り抜ければ、無視して王家の証を取りに行くこともできるだろう。そしてすべてをコピーした『彼』は恐らく、イーサンに追いつくことはできない。走力、持久力まで同じであるなら、離れた距離を詰められないのだ。理論上は、こんな問答をしなくても突破できる。……理論上は。

 

『それでもここに足を運んだのは、責任だ。王に“なりたい”のではなく、“ならなきゃいけない”。その責任にもっともらしい理由をこじつけるために、性懲りもなくここに来た。違う?』

「……その通りだよ」

 

 イーサンが王位継承を迷う一番の理由は、自信がないからだ。旅人として、魔物使いとしてしか生きてこなかった自分に、王として多くの人々を導く資格があるのかどうか。だがそれは……。

 

『でも逆に、資格があると分かってしまえばオマエは喜んで王位を継ぎ、国と言う力を嬉々として手に入れることを選ぶ。その一番わかりやすい“資格”が、王家の証ってワケだね』

「そうだ。……オジロン王の話を聞いた時、驚くと同時に……昂る自分がいた。グランバニア王国なんていう大きな国を……統べることができるかもしれないって」

 

 そう言うと、目の前の男はにやりと口を歪めた。

 

『それがオマエの本音だよ。咄嗟に邪魔した理性が、“迷い”なんてそれらしい感情で本音を隠した。本当のイーサンの心は、力が欲しくてたまらないんだよ』

「……」

『力を手に入れるんだ、イーサン。くだらない良心なんて捨ててしまえ。教団が憎いんだろ? 青春を滅茶苦茶にした教団が、大切な父の命を奪った教団が。母を攫った教団がさぁ。……奴らは組織で動いている。でも国を手に入れたら、世界最強の軍事力を手に入れたら……奴らに対抗できる。そうだろう? なあ』

 

 胸が震える。……そうだ。ラインハットのときのような大群を、イーサンと仲間のモンスターだけで相手取るのは無謀が過ぎる。……世界一と名高いグランバニア王国の軍隊。それを自分の意志で動かせるのなら、教団を潰すことだって……、

 

「……っ」

『今……認めかけたな』

 

 咄嗟に額を押さえた。寸でのところで振り払ったものの、目の前の『彼』の言葉、そして自分自身の心がちりちりと思考をかき混ぜていく。

 

『教団にどれだけの魔物がついていようと、その魔物たちの命にどれほどの価値があろうと、……関係ない。斬り捨てればいい。それだけじゃないぞ。オマエの理想のために戦う国民がどれほど命を散らそうとも……関係ない、斬り捨ててしまえばいい』

 

 どくりどくりと、心臓が脈打つ。はやく認めろと、心が滾る。イーサンは荒く呼吸をしながら、『彼』の言葉を一字一句受け止めていく。

 

『そうやってオマエは魔物の屍で城を造り、人間の屍でできた玉座に座り、血の海の上にできた楽園で家族と共に幸せに暮らせばいいんだよ!』

「――!!」

 

 その叫びがイーサンの心を激しく揺さぶり、視界がぱちぱちと点滅した。負の囁きに精神が切り崩され、両足から力が抜ける。ふらりとよろめくイーサンの目の前には、舌なめずりをする『自分』の顔があった。こうして獲物の精神を壊し、ゆっくりと捕食するのが“ジェリーマン”の狩りなのだ。この遺跡に巣をつくったのも、この通路で待ち伏せをしているのも、ここに来るのは決まって心に何らかの闇を抱えた“王の候補者”であることを知っているからだ。いや、もしかしたら太古の昔からだ。決闘と言う名の殺し合いを生業としていた古代グランバニア人は、彼らの恰好のエサだったのかもしれない。そんなことを考える余裕もなく、イーサンは大きく後ろに倒れ――、

 

 そして、踏みとどまった。

 

『なに……?』

 

 足を踏ん張り、崩れたバランスを整える。ゆっくり息を吸い、吐いた。先ほどまでと打って変わって、イーサンの心は海のように凪いでいた。

 

「……ようやくわかった。俺の本音。……俺は、俺自身が本当に何を考えているのか分からなかった。それが怖かった。……でも、たった今、君が教えてくれた」

『オレが……教えただと?』

「君の“モシャス”は人の心までコピーする呪文だ。そしてその心の、負の側面から言葉を吐いて攻撃してくる。……心なんて言うあやふやなものに依存している人間にとって、とんでもなく恐ろしい呪文だよ……。でも、チャンスでもあったんだ。……如何せん心なんてものはあやふや過ぎて、自分ですら自分の本音に気付けないんだからね」

 

 テルパドールでフローラと喧嘩をしたとき、彼女はイーサンに『平気を装うのが上手』と言った。確かにその通りだ。現にイーサンは自分自身にすら、本音を覆い隠していたのだから。

 

「そして気付いた。“イーサンの心は決して綺麗なものなんかじゃない”ってね。それを認めた瞬間、不思議と楽になったんだ。君のお陰さ……ありがとう」

『……!』

 

 数分前とは反転、動揺を見せる『彼』に対し、イーサンは落ち着いた視線を向ける。その先には自分の影、そして王家の証への通路がある。

 

「俺は……()()()()()()()()()()()

『なっ……!?』

 

 驚愕を露わにする自分の顔。そのまま『彼』は奥歯を噛み締め、声を張り上げる。感情的になったときの自分に、そっくりだと思った。

 

『なぜだ!? オマエには……王になる資格なんてない!! 目的のために他者を利用して、邪魔するものは斬り捨てて、人間と魔物の境目すらはっきりとわかっていない!! そんな、危ないくらいにふらふらした奴が……王になって良いわけがない!!』

「そうだね……」

『なんで……なんでそんな澄ました顔でいられるんだ! それじゃあ本当に……っ!』

 

 胸ぐらを掴まれる、今にも泣きそうな『自分』の顔が、こちらを睨み付けてきている。

 

『本当に……教団と同じじゃないか……!』

 

 ちくりと、胸を刺される。イーサンは数秒目を閉じ、再び開いた。

 

「そうだ……俺は教団と同じかもしれない。軍事力を手にして敵対する組織と渡り合うために……、グランバニアの民の心を利用するのだから」

『なら……!』

「でもひとつだけ、ひとつだけ違うところがある」

 

 イーサンは『彼』の肩を掴んだ。目の前の男を通じて自分にも言い聞かせるように。

 

「俺はたくさんの魔物の命を奪った。障害となる魔物を斬り捨て、時には人間も……アルフレッドの人生すらも斬り捨てた。どうしようもなく、自分勝手な旅路さ。……そこだけ見れば、ね」

『……?』

「俺はヘンリーをラインハットへ送り届けた。その過程でデール王たちと知り合って、マリアの結婚も見守った。サラボナではルドマンさんやアンディさん、アイナと出会い、ビアンカとも再会して。……そして何よりフローラと結ばれることができた。テルパドールのアイシス女王、グランバニアのサンチョ、オジロン王。それ以外にも、リズやマービン、シモンズ……魔物の仲間もできたんだ」

『何が……言いたい』

「俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだ。挙げればきりがないけどね……。君も俺の記憶を少し深くさらえばわかるはずだ。“モシャス”がコピーするのは、負の記憶だけじゃないだろう?」

『あ……』

「それが教団との違いだ。奴らは魔物や信者たちと徒党を組んではいるけど……使い捨てるように消費している。だから俺は教団とは違う。そのたった一点だけだけど、違うと断言できる」

 

 イーサンは掴んでいた手を放す。『彼』は額を押さえ、ふらふらとよろめいた。

 

「人間も魔物も、……縁を結べるなら結ぶ。そうでないなら振り払って斬り捨てる。大切な家族と、仲間たちのために。その矛盾が俺の醜さだというのなら……俺は醜いまま前に進む。結んだ縁も、斬り捨てた命も全部引きずり込んで……俺は未来に進みたい!」

 

 それがイーサンの本音。表の本音と裏の本音をつぎはぎした、驚くほど歪でどうしようもなく純粋な、自分自身の答えだった。

 

『ウ……ウァァァァアアァ!!』

 

 目の前の自分が人とは思えない雄たけびを上げる。……苦しんでいる。コピーした心が軋み、苦痛を訴えているのだろう。ついさっきまで、自分自身が同じ痛みを抱えていたからよくわかる。

 

「もう十分だ……ありがとう。そして、ごめん」

『――!』

 

 刹那、刃が閃いた。イーサンの突き出した剣が『彼』の胸を貫き、悶えていた体の動きを止める。先ほどがむしゃらに斬り払ったときとは違う確実な手ごたえを感じた。ごぽり、と目の前の自分の口元から赤い液体が流れ落ちる。震える瞳をこちらに向け、『彼』は弱々しく言葉を絞り出した。

 

『……いいのかよ。人も魔物も関係なく、斬り捨て、結ぶ。その選択は……その答えは……。オマエ自身、人間としての輪郭を、人間であることすらも……かなぐり捨てたようなものなんだぞ……』

「もともと人間と魔物の境目なんて、ひどく曖昧なものだと思う。でも、もし確かな線引きがどこかにあるのだとしたら。……“半歩”だ。俺は半歩だけ、その境界線を踏み越えて見せよう」

『……オマエは、狂ってる。とんでもなく傲慢で、自分勝手で、愚かな男だ』

 

 “モシャス”の魔力を維持できないのか、剣で刺し貫かれたその体は徐々に崩れ、もとの赤い液体に戻っていく。

 そして最後、微かに形を残した『イーサン』の口元が薄く微笑むのを、視界の端に捉えた気がした。

 

『でも……国を統べることができるのは、やっぱりそういう男なのかもしれないな……』

 

 剣に乗っていた重みが消え、パシャリと赤い液体が地面に広がる。絶命する直前の『彼』の言葉は恐らく、コピーした心ではなく“彼”自身の……。

 

「……タチの悪い能力だけど、嫌いじゃなかったよ。場所が違えば、仲間になれたかもしれないね、“ジェリーマン”……。ありがとう……ごめんね」

 

 感謝と、謝罪。己の矛盾を象徴するような言葉を、イーサンは再び口にした。そうやってイーサンはたった今斬り捨てた“彼”の命を背負って歩き出す。

 目指すは通路の先、『王家の証』のある場所だ。自覚したばかりのちくはぐな本音を心にそっとしまい、眼前の暗闇をしっかりと見据えていた。

 

 

  *  *

 

 

「なあ……! おい斧野郎、お前も“あっち”から来たんだろ! なあ!」

 

 乱れる呼吸の合間を縫い、シモンズは敵に呼びかける。返事はなく、代わりに苦悶の悲鳴が聞こえてきた。たった今、斧怪人の左腕が『振り下ろされた別の斧』によって斬り飛ばされたのだ。

 

「“あっち”はどうだ? 相も変わらず陰湿でじめじめした、地の底みたいな場所だろうがな!」

 

 盾の獣人は既に事切れている。自慢の大盾も、怪力の乗った無数の斧には数発も耐えられなかったようだ。シモンズは残った敵に声をかけつつ、千切れそうなほど酷使した翼を無理やり動かして飛び上がった。ついさっき立っていた地面に、3発の“メラミ”が直撃する。

 

「応える余裕も無しか! ケケッ、いい気味だぜ! ……ここまで数が多いとは、俺様も誤算だったがな!!」

 

 イーサンと別れた後、再び教団の刺客と対峙したシモンズは完膚なきまでに叩きのめされ、敗走した。だがそれは彼の作戦で、追手を上手いことこの場所、“ジェリーマン”の棲み処へ誘導したのだ。……自分の力で倒せないほど強力な相手なら、『同じ力』で相手取ってもらおうというわけだ。現在、斧怪人は総勢8体の『斧怪人』に取り囲まれ、シモンズも10体以上の『シモンズ』に囁かれながら命を狙われている。盾獣人をコピーした個体は既に元の姿に戻り、無残に絶命したコピー元を捕食中である。

 

「しぶとかったが……へへ、もう虫の息か。追手を潰すっていう目的は達成だろうが……」

 

 コピーが放つ火球が背中を掠めた。直撃はしなかったが、爆風に煽られて地面に叩き付けられる。

 

「ぐぅ……! 俺様も、ここまでか……。クソッタレが。これじゃああのスカシ野郎に……無駄に命捧げただけじゃねえか……」

 

 ミニデーモンの姿をした“ジェリーマン”たちが倒れたシモンズを囲む。『彼ら』はしきりにシモンズへ罵詈雑言を囁いているが、今の彼には気にしている余裕もない。

 

「……ムカつく。なんであんな、クソみたいな契約持ち出しちまったのかなァ……。1年分のチョコも、食べれずに、終わるなんて……ムカつく、ムカつく……」

 

 耳をつんざく絶叫と共に、視界の端に血が飛び散った。斧怪人も止めを刺されたと見て良いだろう。シモンズは最後の力を振り絞り、槍の先から魔力を放出した。

 

「ただで終わる俺様だと思うなよ……“イオラ”!!」

 

 無軌道に放たれた魔力は部屋中に大爆発を引き起こし、“ジェリーマン”の群れを吹き飛ばしていく。そこら中で真っ赤な液体が飛び交い、淡く光る石柱を何本も破壊した。

 倒しきれなかった“ジェリーマン”たちが赤い液を滴らせながら立ち上がる一方、爆発による多大な衝撃を受けたこの部屋全体が大きく揺れ、ゆっくりと崩れ始めた。

 

「はは、どうだ……思い知ったかクソッタレ……」

 

 仰向けに寝転がるシモンズにもはや立ち上がる気力はなく、彼は先ほどイーサンに渡されたチョコを手に取る。

 

「まあ……この味と共にくたばることができるのは……本望か。……これでお前も失敗してたら……あの世で思いっきり……馬鹿にしてやるからな……」

 

 しかし遠のく意識は、崩壊音に紛れた足音に引き戻された。

 

「――シモンズ!!」

 

 名前を呼ぶ声と共に、温かい腕に抱えられるのを感じた。

 

「よくやってくれた……本当に! ここから出るぞ! ……グランバニアに帰ろう!」

 

 別に帰る場所でもなんでもねえよ。と心の中で返すも言葉にはできず、シモンズはにやりと微笑みながら意識を預けた。

 

 

  *  *

 

 

 崩落を逃れ、満身創痍のふたりが『試練の洞窟』を出る頃には、辺りはすっかり夜になっていた。月の位置からして、深夜であることが伺える。イーサンは目を覚ましたシモンズを下ろし、遥か遠くに浮かぶグランバニア城の灯りを見やる。

 

「……ルーラがあって本当に良かった。ここから歩いて城まで帰った歴代の王様たちには頭が上がらないな」

「……そいつらに倣って徒歩で帰るとか言わねえよな?」

「まさか。俺は余計な労力は削る主義なんでね」

「殊勝なこって」

 

 シモンズは木に寄りかかるイーサンを横目で見た。……洞窟深部の通路で別れた時と比べて少しだけ、雰囲気が変わった気がする。

 

「王家の証は……聞くまでもねえか」

「うん。おかげさまでね」

「分かったのかよ、ヒトとマモノの境界線とやらは」

「……いや。でも乗り越えたよ。……半歩だけね」

「ハン」

 

 シモンズは乾いた笑みを浮かべ、イーサンの肩に飛び乗った。

 

「やっぱり、俺様はお前が“嫌い”だ。このスカシ野郎」

「でもついてきてくれる、そうだろう?」

「悪魔は契約を違えない。……せいぜい満了までくたばるんじゃねえぞ。その欺瞞と矛盾に満ちた王道がどこまで持つか、きっちり楽しませてもらうからよ」

「ははっ」

 

 イーサンは嬉しそうに微笑むと、懐からルーラの宝玉を取り出す。

 

「やっぱり君を連れてきて正解だった、シモンズ」

「……結局俺様を選んだ理由って何なんだよ。最後まで意味不明なんだが?」

 

 宝玉が淡く光り出し、古代魔法の輝きがふたりを包んだ。

 

「……内緒だ」

「はあ?」

「せいぜい考えてくれ。聡明な悪魔どのになら余裕なんじゃない?」

 

 辺りが光で満ち、再び夜の静寂に包まれる頃にはふたりの姿はそこにはなかった。こうして『試練の洞窟』として数十年ぶりに来客を迎えた初代グランバニア城は、ひとたびその役目を終えることとなる。そして長い年月をかけ、再び新たな王が訪れるその時まで、ゆっくりと試練の牙を研ぎ続けるのだ。

 

 

 

 

 



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6-11. 戴冠


こんばんは。故あって17時45分にこの前書き書いてます。イチゴころころです。あぶねえ。

少し前に、『6章は2章に匹敵する長さになりそう』みたいなことのたまった私ですが、現在鋭意執筆中の7章も同じくらい長くなりそうです。

何割かは(お約束の)オリジナル展開の余波ですけどね!





 

 

 “バニアライト”という鉱石がある。

 

 鋼鉄よりも硬く、淡いえんじ色に輝くその鉱石は、宝石商たちの間では「カネのなる石」として有名で、一方占い師たちの間では「不吉な血染めの宝石」として有名だ。しかし存在自体の知名度に反して、“バニアライト”という名前はほとんど知られていない。原産地は東の大陸、グランバニア山脈。古代グランバニア王国では主力となる鉱産資源だったそうだが、遷都後は鉱脈から離れたこと、鍛冶産業がより加工しやすい鉄と銅に移っていったことからぱったりと流通がなくなっている。

 

 

――まるで星空だ。

 

 

 ジェリーマンを退けた後、仄暗い洞窟の最深部でイーサンを待ち受けていたのは淡く瞬く星々。長い年月を経て凝縮されたその鉱石たちの中で一際大きく、存在感を放つ石をイーサンは丁寧に削り取り、懐に入れた。王家の証とは、歴史に埋もれた“バニアライト”そのものだったのだ。

 

「――………」

 

 そして今、グランバニア王宮から城下町を見下ろすイーサンは、要塞の外壁に沿って立ち並ぶ家々の光を見て、既視感を覚えていた。

 

 ……似ている。試練の洞窟の最深部、王家の証の眠る鉱脈で見た光景と。初めて城下町の夜景を見た時も『星空』を連想した。ここに遷都をした頃の記録はほとんど残っていないが、かつての王はどんな気持ちで城下町の設計をしたのだろう。……どんな気持ちで、この場に立ったのだろう。

 

「イーサン殿、こちらに」

 

 モーリッツ大臣が堅苦しい口調でイーサンを促した。その言葉を受け、イーサンは前へ、バルコニーの壇上へと歩を進めた。

 王宮前広場には、溢れんばかりの国民が集まっていた。恐らくほぼ全国民だ。彼らの視線が一点に集まる。

 イーサンは今まさに、グランバニアの王位を継ごうとしていた。

 

「我らが同志、愛すべきグランバニアの民よ。今日、誇りある我らの歴史に新たな名が刻まれる」

 

 オジロン王。パパスの実弟にしてイーサンの数少ない血縁である彼は、恐らく性分ではないであろう、これまた堅苦しい口調で国民に語り掛けている。王宮のとあるメイドに聞いた話だが、オジロンが王の器からズレていることはどうやら王宮内でも暗黙の了解として知れ渡っていたことらしい。そして本人も、そのことを承知の上で王政に取り組んでいた。

 

「(でも、そうでもしなければ魔物の襲撃から国を守り続けることはできなかった。オジロンさんがいなければ俺は帰る場所を失っていたかもしれない。――貴方は立派な王だ。間違いなく)」

 

 口上を終えたオジロンがゆっくりと、王冠を外した。この瞬間から彼は王ではなくなり、その計り知れない重圧から解放される。彼が視線を落とすのを、壇上のイーサンは横目で捉えた。その瞳にどのような感情が宿っているかは、イーサンには知り得ない。

 

 拍手が起こった。しっとりとしたものだ。さわさわと、穏やかな波のように広がった拍手は王国中を包み込んだ。華やかなものではなかったが、確かにそこには、国民たちからの敬意と感謝が込められていた。

 

「イーサン君」

 

 壇上に上がってきたオジロンが、イーサンの目を見据えて呟く。手には王冠。イーサンはこれからその王冠と共に、たった今オジロンがその身から切り離した膨大な責任と重圧を受け取ることになる。

 

「……はい」

 

 イーサンの前に大きな台座が運ばれてきた。オジロンが王冠を台座に乗せる。王冠の縁と台座の縁はぴったりと合わさり、ひとつの盃としてその形を成す。

 

「偉大なる英知を!」

 

 オジロンが盃を掲げた。王冠が国民たちの視線の先できらりと輝く。

 

「……揺るがない力を」

 

 イーサンは懐から“バニアライト”、王家の証を取り出し、盃に入れた。

 オジロンから短剣を渡される。イーサンはそれを受け取り、左手首に当てがった。

 

「そしてここに、我が誇りを」

 

 盃の上でくるりと一周、自らの手首を斬りつけた。ぱちりと痛みが響き、イーサンは一瞬目を閉じた。戴冠式の前に痛み止めを飲んではいたのだが、目の前では自分の血が盃を満たそうとしている。こんなのは普通だったら大けがの部類に入るだろう、とぼんやりと分析をした。

 

 実際、イーサンの背後に控えていたオジロンとサンチョは目を丸くしていた。本来そこまでする必要はなく、手首を一周、浅く斬りつけて血を数滴垂らすだけで良い。王の血で盃を満たすというのは、歴史書の謳い文句でしかないのだ。しかしイーサンは持ち前の生真面目さゆえか、はたまた単なるミスなのかは知る由もないが、近くの者が本気で心配する量の血を流している。

 

 オジロンとサンチョは互いに目配せをした。死ぬ……ことはないにしてもこの出血量では気を失いかねない。かといってこの場で儀式を遮るわけにもいかない。どうしたものかと考えるも時すでに遅し。彼らの目の前でイーサンの体がふらりと倒れ始める。

 

「――! 坊ちゃ――!!」

 

 

  *  *

 

 

 薄れゆく意識の中で、イーサンは手を伸ばしていた。

 目の前には川があった。川には澄んだ空が映っていて、川の流れに合わせて、鏡写しの空もふわふわと揺れていた。

 

 昔の記憶だ。妖精の国での冒険を終え、パパスと共にラインハットの関所を訪れた時の記憶。

 

「どうして、人は手を伸ばすと思う?」

 

 振り返ると父がいた。父の肩にはまだ幼い……、ひとりでは手すりの向こうの川を見ることもできない頃の自分が乗っていて、不思議そうな目でこちらを見ている。

 

「届かないからだ。届くほど近くにあるものには、そもそも手を伸ばす必要がない。手を伸ばしている時点で、それには届かないと自分で証明しているのだ」

「……」

「イーサン」

 

 夢だとわかっていた。儀式の不思議な力によって父の魂と巡り合えたみたいな、そんな都合の良い話はない。これは失血によって意識を失いかけている自分の、言わば走馬灯だ。それでも……。

 

「大きくなったな、イーサン。もう肩を貸す必要はないか」

「違うよ……。俺はまだ、あなたの足元にも追い付いていない。あなたと、母さんのことを、まだ何も掴めていない……。だって……!!」

 

 イーサンは咄嗟に、手を伸ばしていた。目の前の、父の幻影に向かって。手を伸ばした瞬間、届かないことを既に認めているのだ。

 

「だって俺は……まだ……」

「とーさん」

 

 父の肩に乗っていた幼い自分が、父に呼びかける。父は薄く微笑んで、少年を地面に下ろした。少年はそのまま小走りでこちらへと近づき、伸ばしたイーサンの手を、少し背伸びして握り返した。

 

「……」

 

 きらきらと、川面の空よりも澄んだ瞳と目が合う。

 ふと顔を上げると、父の姿はなくなっていた。その白んだ虚空に向かって、イーサンはもう一度、手を伸ばした。

 

 

  *  *

 

 

「あ……」

 

 イーサンに駆け寄ろうとしたサンチョはオジロンに制され、目の前の青年が踏みとどまった姿を口をあんぐりと開けて見上げていた。

 

「……俺は」

 

 我に返ったイーサンの視線の先には伸ばされた自身の左手。手首からは尚も血を流し、視界の端は黄色くなりつつある。でも倒れない、倒れるわけにはいかない。

 

「俺の名前は、イーサン。パパスの息子……」

 

 声は小さかった。しかし国民たちの耳にその言葉はしっかりと響き、大きくなりかけていたざわめきは彼の声に溶けて消えていく。

 

「このグランバニアの、新たな王だ……!」

 

 イーサンは姿勢を持ち直し、眼前の星空、瞬く城下の輝きに向かって手を伸ばした。

 

「今、世界は未曽有の危機に瀕している! 北のラインハット、西のサラボナ、南のテルパドール。邪悪な手の者によって少しずつ、確実に俺たちの世界は蝕まれている!」

 

 届かないから手を伸ばす。だが、手を伸ばさなくては何にも届かない。

 

「俺は戦う。愛する妻と、()()()()のために。皆も周りを見渡してみてくれ。そこには誰がいる? 愛する家族、親友、恋人、隣人、誰でもいい。守りたいと思える人がいるはずだ。その人たちの未来を守りたいなら、力を貸してほしい。武器を取ることを恐れるな。守るための戦いは、我ら人間の誇るべき矛盾だ!」

 

 イーサンの声に対し、歓声が上がる。20年もの間魔物の襲撃に怯え、すり減った国民の魂に、グランバニアの武人としての闘志が蘇っていく。国民の歓声は城下町を埋め尽くし、要塞の壁や天井に反響して国全体を震わせた。

 

 

 

 

 かくして、さすらいの魔物使いイーサンは、グランバニアの国王に即位した。

 安寧を保ち続けてきた遷都後において、彼の治世は最も波乱に満ちたものであったと、後のグランバニア史には記される。数多くの戦死者を出し国力も大きく衰退する中、任期のほとんどを国外遠征に費やした彼のことを、『愚王』『放蕩王』と揶揄する学者もいるが、それは適切な表現ではない。彼の治世を生きた国民は彼が誰よりも優しく、人々の魂を進むべき前へと向かわせてくれた王だと知っている。口が悪く、王妃には頭が上がらず、お供の魔物にはいつも振り回されるものの、誰よりも人間らしい王であると、国民たちは知っているのだ。

 

 『勇王(ゆうおう)』イーサンと、彼がそう呼ばれるのはもう少し先の話である。

 

 

 

 

第6章 グランバニアにて  ~fin.~

 

 

 



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第7章 遙かなる旅路の終幕
7-1. フローラの告白



こんばんは。イチゴころころです。
ついに7章突入です! 

今回またちょっと短めですが、追加投稿はナシですのでまた明日以降、お楽しみいただければと思います!




 

 

 

「ねえ、あなた…。私、ずっと言いたかったことがあるの」

 

 

 

 おもむろに口を開くフローラに、イーサンは少し驚いた。

 彼女は自分のことを、滅多に『(わたし)』と呼ばない。フローラの一人称はもっぱら『わたくし』である。名家の令嬢として、修道院での花嫁修業も経験している彼女が、身につけるべくして身につけた言葉遣いだ。夫の前では砕けた口調になることも増えてきたフローラだが、その一人称が崩れるのはごく稀なことだ。

 ゆえにイーサンは戸惑った。だが表には出さず、王室のベッドに横たわる彼女の手を、そっと握って促した。

 

 試練の洞窟から生還したイーサンは、シモンズを医務室に叩き込んだ後にオジロン王と謁見。正式に王権の引継ぎを申し出た。そのまま数日のうちに諸々の手続きが進み、今は戴冠式の前夜である。午前中は式の段取りの最終確認、午後は()()()()()()()()()()に見舞われながらも準備を終え、就寝前にフローラの部屋に寄ったところだった。

 

 

 

「……私ね、本当は父と母の、実の娘じゃないのよ」

 

 

 

 ――部屋の燭台の炎が、微かに揺れた気がした。

 

「え……」

 

 見開かれたイーサンの目を、横になったままのフローラは伺うように横目で覗き込む。彼女から見た夫の様子は確かに面食らってはいたようだが、特に何も言ってはこない。……彼は無言で、“続けて”と伝えてくれている。フローラはひとまず安堵し、再び口を開いた。

 

「まだ赤ちゃんの時に、今の両親に拾われたの」

 

 ぽつぽつと零されるフローラの言葉に、イーサンは真剣に耳を傾けた。一言たりとも聞き逃すものかと、そう思った。

 

「私を修道院に預けたのは、有名な占い師のすすめだったんですって。……この子は不思議な運命を背負っているから、それに耐えられるような澄んだ心を持たせなさいって」

「……」

「私にはこの言葉の意味が分からなかった。運命とか宿命とか、そういった言葉が少し苦手なのもきっとそのせいね。でも今なら……少しだけその意味が分かる気がする」

 

 フローラは上体を起こした。ふわりと垂れ下がった蒼い髪を耳にかけ、少しだけ目を細める。

 

「先に断っておくけど、私、別にあなたとの旅が苦痛だったって言おうとしているわけじゃないのよ? 修道院で修行してなかったら耐えられなかったかもって。まあ、大変だったことは事実だけれど」

「わかってるって」

「ふふ、本当かしら。こうして釘を刺しておかないと、あなた泣いちゃうかもしれないでしょう」

「泣きません」

 

 くすくすとフローラは笑った。窓から漏れる夜間灯の明かりが彼女の手の指輪に反射した。

 

「でも、今はまだ少しだけ、しかわからない。私に課せられた不思議な運命が一体何なのか、その手掛かりと言うか、きっかけを見つけたに過ぎないわ。だから……答えが見つかったら、改めてお話させてもらうわね」

「わかった。待っているよ、フローラ。……それと、話してくれてありがとう」

「そう言えば……驚かないのですね。私の生い立ちを聞いて」

「まさか、驚いたさ。でも、ちょっとだけだ」

 

 フローラは孤児だった。彼女はルドマン家の血筋ではなく、ましてやサラボナ出身であるとも限らない。

 

「私は周囲の人たちが思うような、高貴な血筋のお嬢様ではない……。アイナでさえも知らない私の秘密です。……どうします? 私が身も凍るような、極悪人の血を引いていたとしたら」

「素性もわからない旅の魔物使いに熱烈なアプローチをしてきた女性の心配することじゃないだろう」

「ひどいわ。でも……ふふ、間違いないですね」

 

 再び彼女の手を握る。ふたつのリングがこつんと擦れ合った。

 

「今、あなたに話せて良かったわ。ほんの少しだけ不安に感じていたのだけれど、お陰様で大丈夫。……だから、今は一生懸命、……この子たちを育てます」

 

 繋げた手のすぐ隣で、寝息を立てるふたりの赤ん坊。イーサンは空いた方の手で彼らの頭を撫でた。フローラによると目元が父親そっくりらしいが、正直イーサンには良く分からない。

 

「ノウェル、イヴ」

 

 名前はあらかじめ決めてあった。フローラとの激しい議論の末、男の子ならノウェル、女の子ならイヴにしようと、昨夜ようやく決着がつく。そして蓋を開けてみたら、男の子と女の子の双子が生まれてくるのだから驚きだ。つい、今日のお昼過ぎのことだった。

 

「……」

 

 20年前、自分を産んだ父も同じ気持ちだったのだろうか。この言葉にできない気持ち、父なら何と言い表しただろう。そして……、出産に立ち会った父も、自分と同じように浅ましく取り乱したのだろうか。

 

「(まさかね……父さんのことだ。どっしりと、俺が生まれてくるのを待っていたに違いない)」

 

 自嘲するように微笑むイーサンの顔を見てフローラも頬を緩めた。そしてゆっくりと瞼を閉じていく。

 

「おっとごめん。もう寝なきゃだな。……ゆっくり休んで、フローラ」

「明日の……あなたの晴れ舞台。見に行けなくてごめんなさい……。ここから3人で……応援しているわね……」

「ありがとう。……おやすみ」

「おやすみ……」

 

 燭台の炎が消え、部屋は夜闇に沈んだ。窓の外からの灯りだけが彼らを包む。

 

 

 

 そこから戴冠式の朝まで、イーサンは一睡もできなかった。

 フローラが眠りについた瞬間、幸せな気持ちにほんの少しだけ亀裂が走ったからだ。

 

――”母マーサはイーサンを産んで、その日の夜に攫われた。”

 

 不意に思い出したその事実という名の亀裂はイーサンの心に纏わりつくように反響し、眠りに落ちようとする彼の脳を乱暴に揺さぶり続けた。

 窓から差し込む灯りはカーテンを閉めれば簡単に遮断できる。だができなかった。この部屋を完全に暗闇に堕としたら、そのまま全てを奪われる。そんな気がしたのだ。

 

 

 結局イーサンは壁にもたれたまま一夜を過ごし、何事もなく戴冠式を迎え、何事もなく王となる。愛する妻と子供たちは、国の新たな指導者として帰ってきたイーサンを変わらず笑顔で祝福してくれた。

 

 

 考えすぎだ、と思った。

 

 

 

 

 それが間違いだった。

 

 

 

 

 



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7-2. 王の初任務


こんばんは。イチゴころころです。

前回触れた花嫁の出自について、このあたりの事情って結構複雑なので、私も攻略本やら攻略サイトやらを見て頭を悩ませながら描写しているのですが、

そんなことしてるとドラクエ4とか6とかやりたくなってくるんですよね!
今はとにかくシンシアに会いたい! 生きろ!!




 

 

「いったぁ!!」

 

 逆手に構えていた練習用の剣が吹き飛ばされる。イーサンの視界はぐるりと一回転し、背中が地面に叩き付けられるのを感じた。

 

「完敗です!!」

 

 息も絶え絶えにそう叫ぶ。たった今イーサンを剣ごと吹き飛ばした張本人、グランバニア王宮兵士団長・パピンが得物である練習用両手剣を下ろすと、彼の顔のすぐ横をいつの間にか投擲されていた練習用ブーメランが掠めていった。

 

「油断も隙もなさ過ぎますぞ、我が王よ……」

「……今のが外れたのなら本当に打つ手なしだぁ。今度こそ完敗ですパピン団長」

 

 イーサンの宣言通り、パピンは今度こそ両手剣を仕舞い、仰向けに横たわる王に手を差し伸べた。

 

 

 

 戴冠式から3日。新王となったイーサンは今朝方この訓練場に呼ばれ、現グランバニア最強の戦士であるパピン団長と手合わせをしていた。

 

「坊ちゃま、お疲れ様です」

 

 傍らで見守っていたサンチョがタオルを差し出してくれる。イーサンはそれを受け取り短く礼を述べた。ちなみにサンチョのイーサンへの呼び方は『坊ちゃま』のままで確定。他でもないイーサン本人が好きに呼んでいいと快諾したためである。

 

「……で、今のところ0勝13敗なわけだけれども。俺、王位剥奪されたりしないよね?」

「ご安心ください坊ちゃま。オジロン様はパピン団長相手に0勝289敗という記録をお持ちになりながら立派に務めを果たされました」

「やっぱすごいなあの人。色々な意味で」

 

 イーサンは額の汗を拭い、地面に突き刺さった練習用ブーメランを拾い上げた。吹っ飛んでいった剣はかなり遠くに転がっていたので、拾いに向かいながら背中越しに声を掛ける。

 

「それでさ、パピン団長が強すぎるってのもあるとは思うけど。どうだったわけ? 俺の戦いぶりは」

「…………」

 

 剣を拾い振り返ると、パピンとサンチョは気まずそうに目を逸らす。

 

「いやいややめてよねそういう反応!? 一番傷つくんだからね!?」

「畏れながら……」

「パピン団長! 畏れるな! バシっと言ってくれバシっと」

「動きにとても無駄が多いです。足運びの時点で既にへっぴり腰で攻めの姿勢が欠片も見られず、防戦になるのも無理はないかと。そして防御のためとはいえ剣を逆手に持つことはとても非効率的であり、また刀身に対する斬撃の角度も――」

「あ、ごめんなさい。俺が悪かった。もうやめてください。これはこれで傷つくんだね……」

 

 イーサンが肩を落とし、武芸百般と名高いパピンは我に返った。

 

「も、申し訳ありません! とんだ無礼な真似を!」

「いやいや、俺が言えと言ったのだし。……やっぱ西の大陸を旅していたときに剣を上手く使えていた気がしたのは、俺じゃなくて剣の性能が良かったからなんだよね。父さんの剣。一応今でも『奇跡の剣』を使ってはいるけど、使いこなせていないのはどうしても自分で感じる」

「いかがしますか坊ちゃま。やはりブーメランにしておきますか?」

「んー、それも微妙なんだよね。俺が投げるブーメランは威力も命中精度も低い。ついさっきも外した訳だし、トレヴァが投げた方がよっぽど強いし当たるんだよね。普段は牽制としてしか使ってないんだ」

「むむぅ……」

 

 なぜ朝っぱらからこのような手合わせをしているのかというと、イーサンの武器を新調するためである。王家の試練で持ち帰り戴冠の儀式にも使用した“バニアライト”は、そのまま王を象徴する武器の素材になるのが習わしなのだ。実際、あの『パパスの剣』も素材はバニアライト。イーサンの父にして偉大な賢王が自ら持ち帰った王家の証が基盤となっている。

 

 そこで『イーサン王にも剣を』という話になったのだが『え、ホントに剣なの?』とイーサン本人が返したことにより彼の苦手意識が発覚し、生まれてこの方ちゃんとした戦闘訓練を受けたことのない彼の真の得意武器を見極めるためにこの場が設けられたのだ。

 

「しかしながらイーサン王、私に思い当たることがございます」

「お、なんだいパピン団長。申してみよ」

「確かにイーサン王の剣術は素人に毛が生えた程度のものをつまらない小細工と奇策で誤魔化しているという見るに堪えない有様でしたが――」

「ア、ハイ」

「やはり得意武器が剣ではないと結論づけるのが妥当かと」

「やっぱそうなるよね。……それで団長、まさか俺の得意武器をこの手合わせから見極められたと?」

 

 パピンは得意げに口角を上げた。

 

「ええ、これでも一通りの武器の扱いを極めた身ゆえ。失礼……」

 

 彼は軽く会釈をしてその場を離れた。訓練場の隅に並べてある武器掛けに向かう。

 

 そしてイーサンに渡されたのは柄から先端まで鉄で作られた棒、練習用の『鉄の杖』だった。

 

「え、杖……?」

「はい。私の見立てが間違いでなければ」

「俺、呪文も別に得意ではないよ? 回復は“ベホイミ”がまだ使えないし、中級呪文の“バギマ”は使えるけど、他の系統は初級のものすら使えない」

「いえ、魔法使いに転向しろと申しているわけではありません。後衛職御用達・呪文の補助アイテムと思われがちな『杖』ですが、これも立派な“武器”ですから」

 

 パピン団長の手には、イーサンに渡されたものと同じ『鉄の杖』。その先端は地面を突いている。

 

「先ほどの手合わせで気付いたのですが、イーサン王は剣を逆手に持つ癖がおありのようですね」

「あ……そうだね。正直、そっちの方が防御するには扱いやすいし、山を登るときなんかは……それこそ杖代わりに突いて使っていた。鍛冶職人が聞いたら怒りそうだな」

「まさにそれです。剣の逆手持ちはよほど特殊な必殺剣でも繰り出さない限りは非効率な使用方法ですが、杖は『剣を逆手に持つように持つ』のが正しい持ち方です。なぜなら王の申した通り、こと防御に関してはこちらの方が扱いやすいからです」

 

 イーサンはその言葉を聞きながらおもむろに鉄の杖を両手で握る。そして気がついた。先端と柄、それぞれを両手で握れることに。剣はその半分以上が刃できているため、こういった持ち方ができない。

 

「そうです。そして攻撃に関しても――」

 

 そう言うとパピンは片手で地面を突かせていた杖をくるりと反転させる。地面を突いていた先端が上を向いた。これは言わば『杖としての逆手』である。……そしてその構えは、まさに片手剣を振るうときと同じ構えだった。

 

「刺突」

 

 杖の先端が閃き、イーサンの顔を掠める。反応できなかった。彼がわざと外していなければイーサンの意識は彼方へと飛んでいたことだろう。

 

「それから殴打」

 

 パピンは続いて、虚空に向かって杖を振り下ろした。ぶぅぅんという鈍い風切り音が、その一撃の重みを証明していた。

 

「刃がついていないので斬撃はどうしてもできませんが、打撃でも十分な戦力になることはハンマー系の武器が証明済みです。それでも総合的な攻撃性能は剣に劣りますが、その分防御面を支えてくれる近接武器が『杖』なのです。……撃滅よりも生存。旅人として生きてきた貴方の戦闘スタイルにうってつけかと」

「なるほどね……」

 

 イーサンは彼に倣い、杖を構えてみた。なんとなくだが、気分が高揚しているのを感じる。

 

「そんじゃあまあ、杖同士でもう一本手合わせ願おうかパピン団長。勝てたら俺の特注武器はめっちゃかっこいい杖ってことで。サンチョ見届けよろしくね!」

 

 その後、朝食の支度がととのうまで手合わせは続いた。結局一度も勝つことはできず、挙げ句イーサンは気を失う羽目になるのだが、それは思わず本気を出したパピンの一撃が要因だったという。

 

 

  *  *

 

 

 その日の午後。

 

 グランバニア城下町、その王宮前広場は国民の憩いの場だ。

 要塞内都市として窮屈さが否めない城下町において、もっとも開けたスペースであるのがその理由のひとつであろう。戴冠式の時も、ほとんどの国民が(ぎゅうぎゅうになりながらではあったが)広場に集まっていたことからその広さが伺える。ある者は近所の友人と話し込み、ある者は王宮の兵士となるべく剣の稽古に励む。

 

 ちなみにだが、城下町の所謂“天井”には跳ね橋の機構が組み込まれていて、作動させることによって道具箱の上蓋の如く“開く”。魔物の襲撃に苛まれる近年では数日に一回程度と頻度こそ少ないが、日光を街に取り入れたり、夜間は換気のために開けたりもしているらしい。そしてそんな陽の光を遮るものなく浴びられるのもこの広場というわけだ。

 

 そんな王宮前広場だが、ここ数日はすっかり街の子供たちの溜まり場となっていた。

 

「――で、俺はマービンに合図を教えたんだ。敵が1体で襲ってきたら1回、2体なら2回、鍋を叩いて知らせろってね。平原で野宿するときはいつ襲われるか分かったものじゃないからな。その後あいつは人間の言葉を話せるようになったが、今でもよく使う共通の合図ってワケだ」

「すっげえ! 王さま頭良いな!」

「でもでも、それじゃあマービンさんが可哀そうよ! ずっと見張りをさせるなんて……」

「おお、いいところに気が付いたねルーシー。俺もそう思った、でもマービンは首を縦に振ったんだ。これは“大丈夫”のジェスチャーなんだ。あいつは死体だ。眠る必要がない。まあその理由に気付いたのは、あいつが喋れるようになってからだけどな」

 

 街の少女、ルーシーはそれを聞くと目を輝かせ、その様子を弟のジャックにからかわれる。

 

「ねーちゃん、ちょっと考えりゃわかるだろお。ハッソウリョクが足りねーんだよねーちゃんはよお」

「なによっ! 王さまの素敵なお考えが、あんたなんかにわかるもんですか!」

「こらこら喧嘩しないの……」

 

 もはや見慣れたこのやり取りの奥から、おずおずと顔を出す少年がいた。

 

「ん、どうしたピピン? 何か気付いたことでもあったのかな?」

「えっと……」

 

 このピピンという少年はあのパピンの子息である。気骨溢れる武人としての風格を持っていたパピンとは似ても似つかない雰囲気の、おどおどした男の子だ。

 

「どうしたら……王さまとか、お父さんみたいに……強くなれますか?」

「うーん……?」

 

 父の肩書きゆえだろうか、ピピンはどことなく、いつも自信なさげだ。

 

「ああん? ピピンてめえ、そんなの鍛錬に決まってんだろお! そんなこともわかんねえのか、おめーにはハッソウリョクが――」

「このおバカジャック!! なんてこというの! 黙りなさいよ!!!」

 

 豹変した姉に飛び掛かられる少年をよそに、ピピンはくいっと俯いた。

 

「まあ……強さにも色々あるだろうし、簡単に見つけられる答えではないねえ」

「……」

「でもピピン、忘れるなよ。そうやって疑問を持つこと自体が、強さに繋がっていくんだ」

 

 こげ茶色の髪の少年はゆっくりと顔を上げ、首を傾げた。

 

「考え続けることが大切ってことだよ。そういう意味では、ジャックの言っていた発想力って良いヒントかもな。ジャックの……おいルーシー、ほどほどにしなさい」

「はぁい、王さま♪」

「じゃあそろそろ王様は行くぞ」

 

 イーサンが立ち上がると子供たちから抗議の声が上がる。

 

「悪いが、そろそろノウェルとイヴが起きてくる時間なんだ」

「「「またーーー!?」」」

「君たちも親になればわかるとも。この、目に入れても痛くないほどの我が子の可愛さと言うものを……!」

「王さま、お顔とお台詞が大変気持ち悪いです。でもそういうところも素敵です」

「ルーシー俺は確信したぞ。君は強い」

 

 

  *  *

 

 

 子供たちに手を振って王宮内に戻ると、片眼鏡の男性が待ち構えていた。きつく結ばれた口元には皺が目立ち、髪には白髪が混じっている。彼は自室へ向かうイーサンの少し後ろを、全く同じ速度で歩いて付いてきた。

 

「……モーリッツ大臣」

「感心しませんぞ、王よ」

 

 イーサンが王家の試練を受ける際、真っ先に反対したのがモーリッツである。だが見事試練を乗り越え、証を持ち帰ったイーサンを彼は認め、特に戴冠式の準備では大いにお世話になった。オジロン前王の側近を務めていただけあって、かなり頼りになる人だ。……そしてこのように、相当厳格な人でもある。

 

「既に申した通り、まもなく魔物の襲撃が始まります。これまでの周期から明らかなことです。もう数日の猶予はありますが、逆に言うと数日しか猶予がない。イーサン王には迎え撃つ準備をしてもらわねば困ります。まして城下の子供たちとの歓談など……戦が始まる緊張感を持っていただきたいものですな」

「うう……おっしゃる通りです」

「山脈に囲われた地形に加え、もはや国民の生活の一部となった魔物の迎撃。我が国の国交はとうの昔に失われてしまった。……もっとも、貴方にはその方面のツテもおありのようですが」

「うん。昨日言った通り、俺にはルーラがある」

「……にわかには信じがたい話ですが」

「だろうね。でも本当だ。数日後に控える迎撃戦を乗り越えたら、一度各国に赴こうと思っている。すぐにとはいかないが、国交回復の足掛かりになればと思う」

 

 ふむ、と大臣は喉を鳴らした。片眼鏡の奥の瞳が、何かを考えるように宙を向く。

 

「特に西のサラボナ。ルドマンさんは俺の義父だ。……まあ嫁いだ娘が知らない間に一国の王妃になっているなんて知ったら卒倒しそうだけど。そういう報告も兼ねて足を運んでおきたい。彼は人格者だ。きっと国としても、いい関係を築けるはずだ」

「なるほど」

「件の教団についても情報共有したいしね。そのときには是非、モーリッツ大臣にも同行してもらいたい」

「……承知いたしました。我が王よ」

 

 彼はそう言うと足を止めた。このまま階段を上がればフローラの部屋に向かえる。

 

「では後ほど会議室でお会いしましょう。お昼のうちに、王子様方と会って来られるのが良いでしょう」

「えっ……いいの?」

 

 てっきりこのまま会議室に連行されるかと思っていた。

 

「なぜゆえ、執務の予定表に毎回“昼休み”が設けられているかご存じですか? パパス様の治世からの慣習です」

「父さんの?」

「パパス様は毎日、赤子である貴方のお顔を見に行っておられた。毎度毎度連れ帰ろうとする私めにしびれを切らして、自ら予定表にお暇を設けられたのですよ」

「うわあ……」

 

 王宮で聞く父の話は、大体こんな感じのものが多い。

 

「大変でしたね……モーリッツ大臣」

「……お戯れを」

 

 イーサンが苦笑し階段に足をかけた瞬間である。廊下に怒号が響き渡った。

 

「――伝令ですッッ!!!」

「!?」

「王の御前だ。何を慌てておる」

 

 伝令の兵士はモーリッツの低い声に一瞬だけ気圧されるが、その形相は事態がいかに切迫しているかを伝えるのに十分だった。

 

「いいんだモーリッツ。……続けてくれ」

「失礼いたしました、イーサン王……! 見張り塔の兵士からの伝令でございます! 北の大河に魔物の軍勢を確認しました!!」

 

 ぴりりと、胸の奥が焼け付く感覚がした。

 

「何を言っておる。周期ではまだ数日の猶予があるはずだ。見間違いではないのかね?」

「確かです! その数、1個大隊。川の向こうの森林地帯にも、後続が確認されます! 先発は既に大河を進行中、北方戦線到達まで、推定残り4時間です!!」

「早すぎるな……。イーサン王、いかがいたしますか?」

「……っ」

 

 モーリッツの鋭い眼光が若き王に突き刺さる。イーサンが即位した政治的理由は国民の士気向上であり、その中にはジリ貧になりつつあった迎撃戦の“流れ”を変えるというものも含まれている。極端な話、それが成せなければイーサンの王としての価値は無い。それが例え、予定にない奇襲に対する戦だとしても。

 

「……迎え撃ちます」

「前回の襲撃から5日。我がグランバニア軍は軍備、物資共に不足しています。補充する時間は無い。急な出兵に対応できる兵士の数は、最大数の約半分でしょう。前回の戦で負傷し、未だ医務室から出てきていない常駐の兵士を含めるとさらに減る……。率直にお伺いいたします、イーサン王。貴方にはこの危機を乗り越える力がおありか?」

 

 モーリッツの視線がイーサンの胸をえぐる。彼は4年前、ラインハットのデール王を失脚させようとしたあの官僚に似ている。当時は血も涙もない人間だと思ったが、その後のヘンリーたちを見るとそうも言えない。かつて相棒は教えてくれた。『それが政治だ』と。今、俺は品定めをされている。価値を問われている。

 

「……くどいぞ大臣。どのみち迎え撃つ以外の択はない。それに――」

 

 イーサンは階段の上を一瞥し、廊下の反対方向へ歩き出した。

 

「あるものだけを駆使して戦うのは慣れている。至急、会議室に召集をかけてくれ。戦える者、全員だ」

「えっ、全員、と言いますと……?」

「“全員”は“全員”だ。俺はまだ家臣みんなの名前を覚えたわけじゃあないからな」

 

 伝令の兵士は一瞬だけ青ざめ、疾風のごとき慌てぶりで廊下を走り去っていった。イーサンは大きく息を吸い、吐いた。

 

「初めての大仕事が戦とは、らしい開幕だよまったく。……やってやろう。伝説の魔物使い、その境界を越えられるところを見せてやるとも」

 

 

 

 

 



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7-3. 戦火を交えて


どうもです。イチゴころころです。

今回のお話はサブタイトル通り『戦火を交えて(ドラクエ5)』を流しながら書き始めましたが、気付いたらジョジョ5部の処刑用BGMを流していました。何を言っているか(以下略)



我ながら『5』しか合ってないの笑う。





 

 

 グランバニア北の大河。

 平原を東西に割く大きな川は山脈を越えた先で海に出るが、現代のグランバニアの人々からは川の果ては認識されていない。その川は深く流れもあり、内陸国であるグランバニアの技術では到底、川を渡れる装備は製造できないからだ。

 

 その川の北岸は森林地帯となっていて、同じくグランバニアの人々からしたら森林の奥は未知の領域だ。魔物の……、教団の拠点としてはうってつけの地形である。

 

『シュルルルルル……。第一陣が南岸に到着……。第二陣、進軍開始……』

 

 北岸の岩場に立ち、夕闇の彼方に光るグランバニア要塞を見つめるのは1匹の“メッサーラ”。今回の強襲の指揮官を任命された、羊顔の悪魔である。

 

『北方前線に、人影……ナシ……? シュルルルル……。やはりグランバニアの連中、間に合わなかったようだナ……』

 

 彼は頭部に装備した“呪いのマスク”を外す。それは彼らの主が調整した特注の呪具で、被ることで周囲の魔物の視界を借りることができる。普段なら最初にグランバニア軍と接敵するポイントに到達した先発部隊の魔物の眼には、どうやら何も映らなかったようだ。

 

『野営地も……倉庫も……前回のまま……。シュルッシュルッ! 派手に、派手にぶち壊したからなぁ……! 修復が、間に合わなかったみたいダ……。計画、通りダ……』

 

 彼が笑うと土色の皮膚が歪み、ひび割れる。

 

『“隊長、なんかありましたぜ”』

 

 呪いのマスク越しに、先頭を進んでいた魔物から呼びかけられる。彼の視界を借りて確認すると、前線基地の真ん中に奇妙な麻袋が置いてあった。

 

『……?』

『“ニンゲンどもの忘れモンですかね。どれ、中身はっと――”』

 

 ――そこで通信は切れた。借りていた視界は暗闇に染まり、音声もぶちりと切れる。

 

『ナ……!?』

 

 慌てて魔力を練り、他の魔物の視界を探る。しかし、うまく繋がらない。ガリガリ、ガリガリと、岩を引っ掻いたような不穏な音。それは呪いのマスクの“音信不通”のサインである。

 

『馬鹿な!? 一体、一体何ガ起きたんだ!?』

 

 一瞬、先発部隊の最後の1匹と繋がることができた。しかし一瞬だ。視界の端に映ったのは甲冑の人影。拾った音は獣の断末魔と――、()()()()()()()()()()()()()()

 

『だっ……第三陣ンンンンン!!!!!』

 

 呪いのマスクを外し、後方の木々の間に向かって叫ぶ。

 

『今スグ川を渡れエエエエエエエ!! 間に合っている、奴らは“間に合って”いる!!もたもたスルナ!!! 行けエエエエエエエ!!!』

 

 

 

「――フンっ!!」

 

 魔物の群れの最後の1匹を屠った兵団長パピンは、夜の色に染まりつつある川の方を見やった。既に次の群れが上陸しているのが確認できる。

 

 

  *  *

 

 

「奇襲をかけよう」

 

 会議室でイーサンがまず初めに提案した言葉に、パピンは首を傾げた。

 

「何を仰るのだイーサン王。奇襲をかけられているのは我々だ。このままでは北方前線に十分な兵力も送れるか怪しい。今考えるべきは、この奇襲をどう掻い潜るか、ではないのか」

「パピン団長の言う通りだ。だから奇襲を掻い潜るために、奇襲で返す。送れる人数が少ないのなら、物陰に隠れるのにちょうどいいだろう。団長、貴方の部隊は魔物の一個大隊を相手取れるかい?」

 

 パピンは少し考え、厳しい表情を作った。

 

「確かに不意を突けばある程度の物量差は埋められるだろう。しかしこちらも消耗は避けられない。敵の第二陣には対応できるかどうか……」

「その魔物の半数が、突然仲間割れを始めたとしたら――?」

 

 

  *  *

 

 

「……」

 

 彼は後方の部下たちに目配せをし耳栓を入れなおすと、部下たちもそれに倣う。次の瞬間、真っ白な宝石袋が彼の目の前を横切り、上陸したての魔物の群れに突っ込んでいった。

 

「……計画通り、だ。イーサン王、先手は取れたッ!!」

 

_______________________

 

 ◎ロラン ??歳 男

 ・肩書き  先陣を切る宝石袋

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:A すばやさ:A

 ちから:C みのまもり:A かしこさ:B

 ・武器 宝石の加護

 ・特技 ラリホーマ、メダパニ、その他多数

_______________________

 

 

 

 大河北岸。

 完全に出鼻を挫かれたメッサーラは焦っていた。そして憤りも感じていた。

 

『クソッタレのニンゲンどもガぁ……! この俺をコケにしやがって!』

 

 “マスク”を通して見る北方前線の戦況はひどい有様だった。第二陣のほとんどは上陸したそばから音信不通となり、甲冑に身を包んだ少数のニンゲンの部隊を、ひとりも屠れていない。相手がグランバニア軍のエースであるパピン隊であることをメッサーラは前情報から把握できたが、不可解な音信不通の正体がまるで見当もつかない。

 

『第三陣、第四陣!! 東から迂回シロォ!!! 川を行く速度は我々の方が速い!! 意味のワカラン前線基地を避けて進むのだぁあああああ!!!』

 

 彼の指示通り、第三陣の先頭は程なくしてパピン隊から離れた川岸に到達。上陸を開始した。

 

『“タイチョー! こっちにも! いますぜ!! ニンゲンのブタイがっ!!”』

 

 取り乱した先頭の声が聞こえるが、メッサーラは努めて冷静に返答した。

 

『先手を取れたから……後続の展開が間に合いやがったカ……!! シュルルル……想定内ダ! パピン隊より練度は低いッ! よく見ろ、奴らの顔を!』

 

 マスク越しに見るその人間たちは、パピン隊に比べて腰が引けているようだった。知識に長けたメッサーラは理解する。このニンゲンどもは“若い”。

 

『戦い慣れしてねぇ!! 道端の草も同然ダ! 蹴散らして進めえええええ!!』

 

 

  *  *

 

 

「――君たちは、新人の兵士かな?」

 

 あごに手を当てるイーサンに対し、新人兵士は震える声で肯定した。

 

「パピン隊が北方前線の主導権を獲ったら、きっと敵は横に広く展開するはずだ。君たちの部隊はこの中で一番若く、機動力がある。展開をした敵に追いつき、遊撃をお願いしたい。敵の全滅を目指さなくていい。少しちょっかいをかけて回るんだ。いけそうか?」

「で、でも自分たちは……実戦経験がないのであります」

「うーん……新人教育に適した頼れる先輩を知っているのだけど、良ければ一緒にどうだい?」

「先輩、でありますか?」

「うん。態度は厳しいけど、面倒見の良さは保証するよ。頑張って彼女に付いていってくれないか」

「彼女……?」

 

 

  *  *

 

 

「おっせえ!! オマエら揃いも揃って遅すぎニャ!!!!」

 

 兵士たちのお尻が浅く引っ搔かれる。同時に前方に放たれた氷塊が、魔物の群れを押し返した。

 

「一緒に氷漬けにされたいのかニャ~~~~~~ン? 嫌ならみっともなく震えてないで、足! その無駄に長ぇ足を動かし続けるニャ!!」

「ひ、ひいいいいいいい!?」

「危ないニャ!」

 

 氷塊を押しのけて兵士のひとりに飛び掛かったオークキングを、リズのツメが一閃。手負いの獣は俊足の一撃に沈む。

 

「リズさん……!」

「か、勘違いするニャ! ご主人に頼まれてるから仕方なく庇っただけニャァ!!」

「「「リズさん…! 俺たちどこまでもついて行きます!!」」」

 

 新人兵士たちは後に、あのときは何者にも負ける気がしなかったと語っている。

 

 

_______________________

 

 ◎リズ  ??歳 メス

 ・肩書き  頼れるプリズニャン

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:C    MP:C すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 牙とツメ

 ・特技 ヒャダルコ、ベホイミ

_______________________

 

 

 

『グルアアアアアアアア……!!!』

 

 メッサーラは怒りに顔を歪める。東から迂回した部隊たちは全滅こそしていないものの、若年兵士と侮っていた連中に上手いことはぐらかされ続け、進軍速度が一向に上がらない。

 

『奴らのォ……狙いは、時間稼ぎダ!! このままでは……クソがっ! これじゃあ、何のための奇襲ナンだァああああ!!!』

 

 この襲撃はグランバニア軍から常に先手を取り続けることが想定された作戦だ。川を渡る時点で見張りには見つかるが、普段の周期より早いタイミングの襲撃に消耗したグランバニア軍は対応しきれない。そのはずだったし、実際に初手で投入された兵士の数は少ない。しかしその物量差は時間が経つごとに縮まっていく。パピン隊の奇襲返しや遊撃隊の撹乱を経て、グランバニア軍は既に後続の軍備も整えていると見て良いだろう。

 

 

  *  *

 

 

 グランバニア城塞北口。そこには最終防衛ラインとも言える駐屯基地がある。イーサンはテントから出て北の方角を見つめた。既に陽は落ち、平原の先は見えない。しかし夜空の向こうから、一対の翼が飛来した。

 

「……トレヴァ。北方前線の様子はどう?」

「パピン たち 健闘。 一歩も 引いてないよ。 でも 敵も 途切れない」

「遊撃隊は?」

「少しずつ 押されていたけど みんな 無事だよ。 リズ すごい」

「了解だ。引き続き情報伝達を頼む。それと、もうひとつの頼み事も……」

「うん まかせて!」

 

 再びトレヴァが夜空に舞い上がり、やがて見えなくなった。

 

「さて、後続の準備は整った?」

 

 イーサンが振り返ると、息を切らしたサンチョが大勢の兵士、国民を引き連れて門から出てきたところだった。

 

「お陰様で、徴兵部隊も準備完了ですぞ!」

「よし……。みんな! 大体はサンチョから話してもらった通りだ! マービンの指示に従い馬車に乗り込み、最前線のパピン隊及び遊撃隊と交代してくれ! 北方前線は破られていないし、最年少の兵士たちが後続を押し留めているんだ!いいか、ここが腕の見せ所だぞ!!」

 

 国民たちは怒号と共に武器を掲げ、マービンの駆る馬車隊に乗って出発していった。

 

「しかし……これは夢か何かですか、坊ちゃま……」

「ん? なにが?」

「毎回、魔物の襲撃はこの駐屯基地が最前線になるのです。そして決まってここも破られ……要塞の外壁を囲まれます。城下町まで入られたことはありません。魔物どもはいつも、執拗に外壁を叩き、国民を怖がらせるだけ怖がらせて去ってゆくのです……」

 

 サンチョは俯き、そしてすぐに顔を上げた。

 

「ここまで健闘しているのは初めてですぞ! しかも今回は、奇襲に近い襲撃を受けているというのに!! このサンチョ、年甲斐もなく昂ってございます」

「はははっ! そうでしょそうでしょ! もっと褒めてくれてもいいんだよサンチョ!」

「本当に、逞しくなりましたね……。この程度の戦では動じない、貴方は(まこと)の指導者です、我らが王……!」

「……まさか」

 

 イーサンの声色が沈んだので、サンチョはぎょっとする。

 

「国民全体の命を背負った戦いだ、無理やりにでも気分を上げないと。本当は今にも、口から心臓が出そうだよ」

「……」

 

 サンチョはその表情に、幼き日のイーサンの面影を見た。人見知りが激しかったその少年は、いつも父親の背中に隠れていた。そして目の前の青年は“まだ”青年なんだと思い出し、サンチョは先ほどまで舞い上がっていた自分を恥じた。

 

「大丈夫です……。貴方には、パパス様が付いていますから……!」

「ああ……!」

 

_______________________

 

 ◎トレヴァ ??歳 メス

 ・肩書き  斥候キメラ

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:B    MP:A すばやさ:A

 ちから:B みのまもり:C かしこさ:B

 ・武器 魔封じの杖

 ・特技 ベホイミ、氷の息

 

 ◎マービン ??歳 男性

 ・肩書き  馬車隊の監督役

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:A    MP:E すばやさ:E

 ちから:A みのまもり:B かしこさ:B

 ・武器 素手(右手のみ)

 ・特技 毒攻撃、猛毒の霧

_______________________

 

 

 おかしい。とメッサーラはひび割れた頬に汗を滲ませる。

 既に第八陣まで南岸へ向かわせた。だが対応が早すぎるのだ。グランバニア軍の増援が間に合ってしまったのはわかる。後続のニンゲンたちは消耗しつつあったパピン隊及び若者の遊撃隊と交代し戦線を維持している。パピン本人や、何故か“向こう側”についている魔物など一部は戦場で戦い続けているが、グランバニア側の兵力は確実に増強されている。

 

『だガ、何故だ!? 増援があるのはこちらも同じこと! 夜目の利かないニンゲンが、何故我が部隊の上陸に迎撃を合わせラれるのだ!!』

 

 第五陣から、川に深く潜って進軍するよう指示を出した。敵の目を掻い潜り、側面及び後方から敵部隊を叩けと命令もした。しかしその命令は機能していない。こちらの部隊が岸に上がるとほぼ同時にニンゲンどもは索敵を始め、たちどころにこちらの動きを見破り迎撃する。タイミングが合い過ぎている。

 

『どうなってんだ……なぜ俺が、奇襲をかけたこの俺がァ!! ……なぜどこまでも後手に回ってンだ!!』

 

 

  *  *

 

 

「……ジャック! また川から出てきたわ! 群れが……ふたつ分!!」

「あいよお、まかせなねーちゃん!!」

 

 グランバニア要塞見張り塔にて、街の少年少女たちは双眼鏡片手に北の方角を見張っていた。姉の報告を聞いて、ジャックは力いっぱい鐘を叩く。数は二回、今日のお昼に、お話好きの王さまから教えてもらった通りに合図を出した。

 

「ね、ねえルーシー。それほんと? 大丈夫だよね? 間違っていたら僕たち迷惑に……」

「なによう、私の目を疑うってのピピン?」

「すごいのはねーちゃんじゃなくて双眼鏡な」

 

 要塞の見張り塔付き兵士という少数にしか配備されていないその双眼鏡にはバニアライトを用いた特別な加工がされていて、通常の物よりより遠く、より鮮明に見ることができる。数は少ないものの“誰でも”扱えるという点にイーサン王は着目した。

 

「大丈夫かな……下手なことしたら王さまと、父さんの迷惑になるんだよ……。それに僕、何の役にも立ってないし、もう帰った方が……」

「もう! うだうだ言わないでよ! 王さま言っていたでしょう? 私たちがここで見張りの代わりをすれば、本当の見張りの人が戦いに出られるって。あたしたちはいつも大人に守ってもらってたけど、こうやって役に立つことだってできるのよ!」

「ハッソウリョクだぜ、ピピン。これが俺たちの戦いなんだ! それに見ろ、これ、ほら!」

 

 ジャックに押し付けられた双眼鏡に目を通すと、川岸で魔物を相手取る甲冑の兵士の影が見えた。

 

「あ、父さん……!」

「グランバニアサイキョーの戦士は流石だな、おまえのとーちゃん! よぉく目ん玉と脳みそに焼き付けときなピピン!」

「ジャックもたまにはいいコト言うわね」

「へっへーん! 任せとけって!!」

 

 

  *  *

 

 

『第九陣!……クソ、もういい! 聞こえテいる奴、全員従え! 進軍はもう考えるな、ただ戦え! ひとりでも多くのニンゲンを殺せ! ソしてひとりでも多くを引きつけろ! シュルルル!! あとは()()()()……!!』

 

 メッサーラはマスク越しに、もう何匹が聞いているかわからない命令を出しながら高速で川面を移動していた。目指すは大河南岸、魔物の軍勢とグランバニア軍のどちらも展開していない西寄りの川岸である。

 

『(指揮官ダ……、このグランバニア軍の動き方はいつもの及び腰オジロンの動きじゃねぇ! 指揮官が変わったんだ!! それもムカつくほど性格の悪い奴に!)』

 

 そして上陸。こちら側の川岸は岩場が多く戦闘に適していないが、それはニンゲンにとっても同じ。お互い全くノーマークの地形である。そしてメッサーラの単独行動に加え岩場という視界を遮りやすい場所であることもあり、敵の謎の索敵にも引っかからないだろう。

 

『暗殺だ……暗殺しかねえ! この俺がニンゲン相手にコソコソするのは本当に癪だがな……! 指揮官以外はいツものグランバニア軍!! 最速で敵陣の最奥に突撃して指揮官を殺す!! そうして統率を乱し、この戦を制シテヤル!!』

 

 

 

「――同感だ。指揮官を潰せばこの戦は終わる」

 

 

 

 ……ある岩の裏手から声がした。その岩の影になった奥からきらりと光るものが見える。それは剣の切っ先だ。影に隠れたニンゲンはゆっくり姿を現す。青いマントを纏ったニンゲン。その顔をメッサーラは知らない。

 

「ただし、潰されるのは君の方だ」

『――ッ!!』

 

 咄嗟に片腕を振り上げると、何か重い金属の塊が弾き飛ばされ、それは彼らから少し離れた地面に突き刺さった。……ブーメランだ。目の前のニンゲンは自身の姿と得物をチラつかせながら、既にブーメランを投擲していたのだ。

 

『こんな安い不意打ちに引っかかると……シュルルル……本気デ思っていたのか?』

「……ちょっとだけ」

 

 必殺のブーメランを防がれて多少は狼狽えたようだが、彼はおどけて両手を振った。そしてメッサーラの瞳は確実に、彼の左手の傷を捉える。

 

『左手首を囲う傷……。キサマ、グランバニアの新しい王だな』

「ご名答。イーサンって言うんだけど知らない? てっきり君らにはもう伝わっているのかと」

『何故……俺がこっちカら回ってくるとわかった』

「優秀な斥候がいるんだよ。彼女からすれば情報伝達も、“魔物にしきりに話しかける魔物”を見つけることもたやすいのさ」

 

 嬉しそうに夜空を見上げるイーサン王。――その隙を、メッサーラは見逃さなかった。

 

「んっ!?」

 

 一瞬でイーサン王の懐まで距離を詰めると、渾身の力を込めた拳を一発。彼は持っている剣で何とか防ぐが、反動で数十メートルも後退、もとい吹き飛ばされる。

 

『ならその斥候には感謝だなァ!! おめおめとテメエの指揮官を俺の前まで連れてきてくれた!!』

 

 メッサーラはマスクを外し、不気味に光る双眸をイーサンに向ける。対象周囲の空気の流れが歪み、イーサン王の呪文に対する抵抗を下げる。そのまま魔力を練って火球を生成し、まだ態勢を立て直していないその青年に“メラミ”を撃ち込んだ。この間は1秒にも満たない。無論、並のニンゲンはこの流れるような彼の動きについてこられない。彼は普通のメッサーラとは違うのだ。彼の主は今頃拠点の最上階で自軍の勝利を待っている。主に力を分けてもらい、地上の全てのメッサーラの頂点に立つ力を手に入れた彼はこの戦いに勝つ責務があるのだ。

 

『新たな王!! キサマがのこのこ、ひとりで現れたのは失敗だったな!! キサマはこの俺に、初手で不意打ちをした! それは、正面からでは俺には勝てないと公言しているのと同じだ!! 消し炭になりやがれ、このド畜生があああああああ!!!』

「……いや違う。のこのこひとりで現れたのは君だ。――()()()()

 

 岩場の影から3発の火球が放たれメッサーラの“メラミ”と衝突。合計4つの火の玉は空中で爆裂し、周囲に火花を撒き散らして消滅した。

 

『は……?』

「ケケケっ。やはり安全地帯から一方的に撃つのがいいんだよなぁ、呪文ってのは」

 

 声のした方、具体的にはイーサン王のさらに後方の物陰に目をやると、平たい岩に寝転がりながらメダルのような何かをいじるミニデーモンが1匹視認できた。

 

「……で、羊顔の悪魔さんよぉ。アンタんとこのボスからどんな力受け取ったか知らねえが、()()()()()なァ。正直期待外れだぜ」

 

 口の端を吊り上げるミニデーモンに、メッサーラの眉間には皺が寄る。

 

『……なんだって?』

「俺様のメラミ三発分だぜ。……“たったの”な。どれほど作戦がお粗末でも一応敵さんの指揮官だ。どんな特別なチカラの魔物がやってくるかと思ったら“たったの”それだけだよ。魔力までお粗末たあ……所詮は下等悪魔だな、ええ?」

『グアアアアアアアアアアアアアーーーーー!!!!!』

 

 怒りのあまり言葉も忘れたメッサーラが地面を蹴った。直前まで彼が立っていた場所が砕け、砲弾のような勢いで目の前の魔物を轢殺しようと突進する。当然、魔力に秀でている分腕力と敏捷に劣るミニデーモンには、この攻撃を避けることも防ぐこともできないが……。

 

「そういうとこだよ下等悪魔。――“イオラ”」

 

 メッサーラが岩場に差し掛かった瞬間、彼の周囲の大岩が合計6つ、黄色い閃光と共に爆散した。爆発そのものと岩の破片、二重のダメージを受け勢いを殺された渾身の突進は、さらに割り込んできたイーサン王の剣に完璧に受け止められてしまう。

 

「シモンズ!」

「ほらよ“メラミ”」

 

 さらにそんなイーサン王を避けるようにして放たれる追撃。絶妙な弧を描いた4つの火球がメッサーラの四肢をえぐる。

 

『ゲエエエエガアアアアアア!!』

 

 飛び退くとともに咄嗟に唱えたのは“マホトーン”。対象の呪文詠唱を阻害する“魔封じの呪い”だが、こちらも華麗な足さばきで割り込んだイーサン王が代わりに受け止めた。そして火球がもう一発、メッサーラの顔面に直撃する。

 

『(か……勝てねえ。この俺が、ニンゲンと、クソみてえな魔物なんぞに……!)』

 

 草むらまで吹き飛ばされた羊顔の悪魔は全身に火傷を負いながら、呪いのマスクを装着した。

 

『全軍、撤退だアアアアアア!!! 今すぐ戦いを辞め、撤退を――』

 

 彼は叫ぶのをやめる。マスクと通じる部下の気配が――今度こそ本当に、全て消えてしまっていたからだ。

 

「……それを使って情報伝達をしていたのか。なるほどな」

 

 振り返ると、そこにはグランバニアの新たな王の姿。そして……、

 

「だが君は俺との戦いにかまけて指示を出すのを辞めてしまった。敗因はそれだ」

 

 イーサン王の周囲、否、メッサーラの周囲に彼を取り囲むようなニンゲンの気配を感じる。北方戦線、及び東のポイントで戦っていた彼の部下たちの消息は言うまでもないだろう。

 

「他にも色々あるが、それがトドメだろうな。君の言った通り、指揮官からの指示を失った部隊は崩壊する」

『ふざ……、ふざ……。オマエ、だって、俺と、戦っテいたじゃねえか……!』

「言っただろう」

 

 イーサン王は再び空を見上げる。彼の隙をつく力はもう、メッサーラには残っていない。

 

「俺には情報伝達が得意な素晴らしい斥候がいるって、ね」

『……この、クソッタ――!!!!!』

 

 憤怒の形相で立ち上がるメッサーラの首に、“既に”投擲していたであろうブーメランがめり込む。さらに真下の地面が閃光と共に爆裂し、視界が真っ赤に染まった。

 そうして魔物側の指揮官である羊顔の悪魔は断末魔を上げる余裕もないまま宙を舞い、グランバニア北の大河に沈んでいった。

 

 

_______________________

 

 ◎シモンズ ??歳 きっとオス

 ・肩書き  王と契約した悪魔

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:D    MP:C すばやさ:C

 ちから:D みのまもり:D かしこさ:B

 ・武器 バトルフォーク

 ・特技 メラミ、イオラ

 

 ◎イーサン 20歳 男

 ・肩書き  グランバニア王

 ・ステータス(A~E五段階)

  HP:B    MP:C すばやさ:C

 ちから:B みのまもり:E かしこさ:B

 ・武器 奇跡の剣、刃のブーメラン

 ・特技 バギマ、ホイミ

_______________________

 

  *  *

 

「おいイーサン。あいつ多分、まだ生きてるぜ」

「……?」

 

 シモンズの耳打ちを受け、イーサンは川の向こうの暗闇を見やる。

 

「追って止めを刺すか、そうでないなら尾行でもつけて敵の拠点を割り出した方がいいんじゃねえのか?」

 

 イーサンは少し考え、上空にいるトレヴァに“降りて”と合図をした。

 

「……それもアリだけど、今回は深追いはやめておこう。森の向こうは本当に未知の領域だし、陽も完全に落ちた。……それにこの戦はあくまで迎撃戦だ。こちらから仕掛けるのは、まだ先で良い」

「まあ、お前がそう言うならそうなんだろうよ」

「イーサン王!!」

 

 息を切らしたパピンが駆け寄ってきた。交代の援軍が来てからも戦い続けた彼の甲冑は傷だらけにはなっているが、大きなケガは負っていないようだ。

 

「先発隊、援軍、合わせて死傷者はゼロです! しかもほとんどすべて、北方戦線で押し留めることができた! ……ああ、こんなことは初めてです! なんと、なんと感謝を述べたらいいか!!」

「……そうか、よかった。みんなが頑張ってくれたお陰だよ。もちろん、貴方も含めてだ、パピン団長。……こちらこそありがとう」

「王……」

「それからさ、やっぱりこの剣、防御にしか使わなかったよ。明日辺りから本格的に杖での戦闘術の指導、お願いされてくれるかな」

「もちろんですとも! ではでは今は帰投しましょう。一刻も早くこの歴史的勝利を国のみんなに伝えなければ!」

 

 パピンの号令で、兵士たちが歩き出す。誰もが疲労困憊、満身創痍であったが、仲間を労う者、雄たけびをあげる者。誰もがまた、晴れやかな表情であった。

 

「言ったろ、シモンズ」

「フン」

「それにあのメッサーラだって。生きていればひょっこりこっちに来て、仲間になってくれるかもしれないだろ」

「……そういうとこだぞ。冗談も大概にしやがれ」

 

 ケラケラ笑うイーサンにシモンズは肩をすくめ、手にしたチョコを口に入れた。

 

 かくしてイーサン王の初陣は華々しい勝利に終わった。長年魔物に苦しめられてきたグランバニア国民はこの日、確かな自信を取り戻すのである。

 

 

  *  *

 

 

『ハアーーーーーッ、ハアーーーーーッ!!』

 

 北岸にて。

 瀕死のメッサーラはやっとの思いで岸に上がり、呼吸を整えていた。

 

『ほ、報告だ……。部隊は、全滅した……。アイツは、あの新たな王は、間違いなく、脅威だ。報告、せねば、ナラナイ……!!』

『“いらねえよ、このたわけ”』

 

 這うようにして森の奥へ向かう彼の頭に、突如声が響いてきた。声の主は通信用呪いのマスクの制作者であり、メッサーラの主である。

 

『ジャミ、卿……!』

『“すべて見ていたぞ。お前がことごとく裏目に回り、グランバニアのクソ共に出し抜かれる一部始終をな”』

『……!!』

 

 これまでにしくじった魔物たちは例外なく処分されている。その光景を、メッサーラは何度も目にしている。

 

『ジャミ卿、どうか私めに、力を――!! 力さえあれば、奴らに負けることはなかった!! あの新たナ王は想定外でしたがきっと……!』

『“イーサン王だろう。あんなもの想定外でもなんでもねぇ”』

『え……』

 

 耳を疑う。その名前は今まさに、自分が報告しようとしていたニンゲンの名前だからだ。

 

『“まだ気付かねえのか? だからお前は下っ端止まりなんだよマヌケ。この戦はイーサンに勝たせるためのものだ”』

『な、ん……』

『“言い換えれば、お前は負けるための指揮官だ。あのニンゲンのガキが即位したことも、この襲撃を防ぎ切られることも、全て承知の上、織り込み済みってワケ。ハハッ、下っ端にしては良い待遇だろ? まあこれほど完膚なきまでに叩きのめされるとは思ってなかったがな。お前の負けっぷりが一番想定外だよ”』

 

 みしっ、と脳の奥が軋む。視界の半分が暗転し、彼は頭を潰されかかっていることに気付いた。

 

『カ……グァ……』

 

 声をあげることもできない。見開かれた両目からは黄ばんだ涙が流れ落ちる。

 

――いつもこうだ。

――俺たちメッサーラという種族は、いつもこうだ。

――平原に巣食う悪魔。魔界から弾かれた悪魔。バルバロッサのなりそこない。

 

『“お疲れ様、みじめで哀れな下等悪魔くん。作戦自体は成功だし、良い見世物にもなった。誇って死ぬといい”』

 

――ようやく、ここまでこられたと思っていた。

――結局のところ弱い魔物は、強い魔物に従って、媚びて、生きていくしかない。

――だが どうだろう

――もしも もしもの話だ

――そんな弱い魔物でも平等に愛し 育ててくれる存在がいたとしたら

――例えば“彼”のような そんな主に出会えていたら

 

『―――……』

 

――下等悪魔(メッサーラ)でも 輝ける生き方が 未来が  あったのではないだろうか

 

 

  *  *

 

 

「さて」

 

 反応を示さなくなったマスクを放り投げ、宣教師ジャミは柔和な笑みを浮かべる。

 

「……ここからが本番だ」

 

 小窓から夜空を見上げると、暗雲が月明かりを隠したところだった。

 

 

 

 

 



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7-4. 闇に溶ける(あお)


仕方ないと言えばそうだけど、最近フローラをがっつりと本筋に絡める機会が減ってちょっと寂しいです。産後は安静にしないとですからね。

原作ゲームでも、花嫁はグランバニア到着直後から産休に入るのでパーティ離脱するんですよね。そう考えるとサラボナ出発~グランバニア到着という決して長くはない期間でハネムーンは終了です。まだ自由に世界中回れる訳でもないし、意外と短いのです。

本当はオラクル屋の暖簾に狂喜乱舞するフローラとか、鏡の前で寄り目にチャレンジするフローラとか、水着回とか色々描写したかったけれど、ここまできちゃったのならあとは突っ走るのみですね。

あっ水着回はそのうち必ずやります(早口)。




 

 

「……ん」

 

 不意に、イーサンは目を覚ました。

 上体を起こすと両肩がぎしぎしと痛む。どうやら長椅子に横たわって眠っていたようだ。見渡すとその場はグランバニア王宮の大食堂。長テーブルは豪勢な食事の跡で散らかっていて、テーブルに突っ伏す者、長椅子や床に横たわる者……見渡す限り誰もが思い思いの体勢で眠りこけていた。

 

「え、なにこれ。みんな羽目外しすぎでしょ……」

 

 そう呟き、自分も他人のことは言えないなと反省した。魔物の襲撃に完勝し、グランバニア王宮内で宴が開かれることになったのは憶えている。あれよあれよと準備が整い、慣れない乾杯の音頭をとり、コックが張り切ってこしらえた料理に舌鼓を打ったところも記憶しているが、そこから先の記憶がまったく無い。気付けばだらしなく雑魚寝の一員である。こんなの仮にも王宮の大食堂とは思えない光景だ。

 

「どんだけ飲んだんだろ……。てか今、深夜か……? 消灯時間過ぎてるよな」

 

 未だにふわふわと揺れる思考を押さえ込み、とりあえずフローラと子供たちの待つ寝室に戻って寝ようと立ち上がる。そこでふとテーブルの上の大鍋に目が行った。

 

「いやいや残しすぎだろ、もったいないな。……厨房に保管用倉庫あったよな」

 

 大の大人が揃いも揃って片付けまで怠るとか……と呆れながら鍋の取っ手を持つ。

 

「………………は?」

 

 ――温かい。そう感じた。鍋の取っ手は温かかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――ちがう。消灯時間なんて過ぎちゃいない、全然時間が経っていない。今はまだ、宴が始まった直後のはずだ!」

 

 宴が始まった後の記憶などない。なくて当然だ、始まった直後に何者かによって眠らされたのだから。しかも王宮にいる全員が!

 

「フローラ!」

 

 食堂を飛び出す。イーサンは直感で理解していた。これは間違いなく『光の教団』の仕業……。20年前、王子誕生の活気に満ちていた王国の隙をついて王妃マーサを攫った教団の悪辣な謀略に違いない。

 

 廊下を駆け、寝室を目指して大階段を登る。廊下や広間にも、気を失ったように倒れる兵士やメイドの姿があった。彼らの安否も気にはなったが、イーサン自身の症状から見て眠らされているだけの可能性が高い。それに今は何よりも、フローラと子供たちのことが最優先だ。

 

「無事か、フローラ!?」

 

 寝室の扉を開け放つ。

 窓際にある大きなベッド。そこに上体だけ起こしたフローラがいて、まどろむノウェルとイヴを優しく撫でながら空いた手の人差し指を口に当て、そっと微笑む――。

 

 そんな光景が一瞬だけ見えた気がした。その通りだったのならどれだけ良かっただろう。イーサンの空想の景色はゆらりと視界から消え、空になったベッドとくしゃくしゃのシーツ、不自然に半開きにされた窓だけが視界に残る。愛する人の姿も、子供たちの姿もそこにはなかった。

 

「――――」

 

 言葉を失い、めまいに襲われる感覚。イーサンは力なくその場に膝をついた。

 

「く、そ……」

 

 警戒はしていたつもりだった。母マーサはイーサン誕生の直後に攫われた。その事実がある以上、片時も油断なんてしてはいけないはずだった。実際イーサンは戴冠式の前日から教団の、それもイーサンに斧怪人と盾獣人をけしかけた内通者の存在を意識していた。今日の防衛戦の時も、寝室で待つフローラたちにメイドと近衛兵を配備し虚を突かれないようにしていた。

 それがどうだ。たったの一瞬、戦に勝利した直後のほんの一瞬の気の緩みを的確にかすめ取られていった。

 

「くっそおおおおおおお!!」

 

 絨毯を殴りつける。食いしばった奥歯からぎりぎりと軋む音が聞こえる。そのとき、

 

「イーサン王……?」

 

ベッドの下から探るような声。顔を上げるとそこにはフローラの世話役をしている中年のメイドの姿。ベッド下の暗闇に伏せる彼女の腕には、すやすやと寝息を立てるふたつの小さな人影が抱えられていた。

 

「あ、ノウェル、イヴ……!」

「ああよかった……イーサン王なのですね……! 申し訳ございません、じ、自分のせいで……フローラ王妃が……! ああ、ああああ……」

 

 這い出てきたメイドは双子をイーサンに預けると、押さえ込んでいた恐怖が堰を切ったように泣き出す。

 

「大丈夫、いったん落ち着いて。何があったのかを教えて欲しい」

「う、宴が……始まった直後のことです。自分はいつも通りこの部屋でフローラ王妃とこの子たちのお世話をしておりました。すると王妃様が突然、ノウェル様とイヴ様と一緒に隠れるよう命じられたのです……」

 

 彼女の視線がベッドの下、先ほどまで自身が隠れていた暗闇の方を向いた。

 

「王妃様の目は真剣そのものでございました。自分は命じられたとおり、そこで息を潜めていました。そのすぐ後です、『何者か』が部屋の扉を開け、入ってきました」

 

 ふるふると震える彼女の両手は、そのまま頭を抱えるように両目を覆い隠す。

 

「自分はそこで急激な睡魔に襲われ、ついさっき目が覚めるまでおめおめと眠りこけていたのです……! イーサン王がいらっしゃるまで、自分は恐怖でそこから出ることもできず、情けなくも震えていたのでございます……! 自分の、自分のせいで王妃様が!」

「大丈夫、大丈夫だから。子供たちを守ってくれてありがとう。その『何者か』が何か喋っていなかったか、フローラはどうなったとか、何でもいい。他には何か憶えていないかい?」

「……薄れる意識の中で、その者が『王子と王女はどこだ』というようなことを言っていたと記憶しています。その後、王妃様と一言二言交わし……ええ、そうです。すぐに立ち去ろうとしていました。何と言っていたのかは憶えておりませんが、焦っている様子でした」

「焦っている……?」

「ああ、イーサン王、なんということでございましょう……。これではまるで、20年前の……!」

「……っ」

 

 敵の真意はともかく、フローラが攫われたことだけは確かだろう。本当に20年前と同じだ。完全に後手に回ってしまった。

 そう思ったときだった。

 

 

 

「フローラ王妃!! 坊ちゃま~~~!!」

 

 

 

 ずばん!! と再び開け放たれる寝室の扉。声の主はサンチョだ。その後ろにはパピン団長を始め、先の防衛戦で勇敢に戦った兵士たちの姿。誰もがまさに寝起きのようなごちゃごちゃした佇まいだが、その目には確かな“意志”が宿っているように見えた。

 

「坊ちゃま、ご無事で良かった……!」

「サンチョ……でもフローラが――」

「ええ、状況はあらかた聞いております」

「え……?」

 

 聞いているって、誰に……? と首を傾げると、人だかりの足下を縫うように白い影がぴょこぴょこと姿を見せた。

 

「マスター!」

「ロランか!?」

 

 ロランはイーサンの足下までくると視線を上げる。その顔には『困惑』のような『後悔』のような表情が張り付いていた。こんな顔をする彼は初めて見る。

 

「マスター ……。 ゴメン。 気付くのが遅れた。 敵は“ラリホーマ”を 使った ナリ……。 英雄 ロラン は まさかと 思った ナリ。 でも 遅れた ナリ……」

 

 ロランが俯く。彼の中にある宝石が申し訳なさそうにちゃりんと鳴った。

 

「急いで この部屋 に 来た 。 でも もう フローラ も 敵も いなかった ナリ……。 見張り塔 に 登ったら 北に…… ()()()() ()()()()()()() ()()()()

「……!」

「でも 英雄 ロランは 追わなかった ナリ。 それより も ここにいる マスターの 仲間たちを 起こそう と 思った ナリ。 フローラ 助けなかった ロランは 英雄 失格 ナリ……」

「ロラン……」

 

 視線を落とすロランを抱き上げ、袋の口をわしゃわしゃと撫でた

 

「よくやってくれた。……英雄ロラン、お前の判断は正しい。お陰で……希望が繋がった」

「マスター ……」

 

 以前までの彼なら単身で敵を追っていただろう。いやもしかしたら『まさかと 思う』ことすらなかったかもしれない。

 顔を上げると、ロランに起こしてもらったと思しき人々がこちらに視線を向けていた。その目に宿る意志とはきっと――、

 

「イーサン王、どうかご指示を」

「会議室……いやそこのエントランスでいい。目覚めた者は全員集合だ。状況を整理し次第、即行動に移る」

 

――そうだ。この場にいるほとんどが『20年前の王妃誘拐』の当事者。赤子だったイーサン本人も含め、教団の謀略に出し抜かれたグランバニアの国民なのだ。

 

「そう何度も、奴らの思い通りにさせてたまるかよ」

 

  *  *

 

 見張り塔に派遣した数名の兵士を除き、2階エントランスには王宮の人員のほとんどが集まった。広めのスペースとはいえぎゅうぎゅうだ。リズやマービンたち仲間モンスターも申し訳なさそうにそばに来る。どうやらロラン以外本当に取りこぼしなく眠らされていたらしい。如何に強力な“ラリホーマ”を唱えられたとして、ここまで完璧に全ての人員を無力化できるだろうか? と考える。基本的に妨害呪文の一度の詠唱では、対象が増えるほど成功率は落ちる。あのロランのラリホーマやメダパニでさえ『何体か止まれば良い』くらいの使用感なのだ。

 

 その疑問はあっさりと解けた。先んじて侵入者の痕跡を探っていたオジロンが、厨房の床に『夢見の花』の茎が落ちているのを見つけたそうだ。王宮を挙げての宴となれば、その料理は関係者全員が口にする。そして王妃に接触するまでに出会うであろう廊下や別の部屋にいる数少ない人間は別途“ラリホーマ”で無力化する、ということだろう。

 

「宴の料理に細工なんて、そんな大胆な真似ができちゃうってことはさ……。やっぱりこれは『侵入者』じゃなくて『内通者』の仕業ってことだよね」

 

 イーサンの推理にサンチョが頷く。

 

「ええ、ですがこんなこと一体誰が――」

「答えはもう出ているよサンチョ」

「え――」

「俺は『全員集合』って言った。この場にいない奴がつまり、今頃せっせと北に向かって馬を駆ってるだろう内通者ってこと」

 

 辺りを見渡す。オジロンやパピンを始め、何人かはイーサン同様気付いているようだ。

 

「モーリッツ大臣だ。――彼が教団を手引きし、フローラを攫った」

「……!」

 

 場がざわめく。王宮に勤めるほとんどの者が、なんならイーサンよりもかの大臣のことをよく知っている。彼はパパスの時代から大臣に就いていた。件のマーサ王妃誘拐事件にも関わっている可能性すらあるのだ。

 

「オジロンさん、彼の私室ってどこだっけ?」

「2階、北東の角だ。部屋の鍵は大臣本人が常に持ち歩いているはずだけれど」

「ありがとう。……君たち、モーリッツ大臣の私室に行って調べてきてくれないかな? 彼の手記や、私物。何でもいい、情報が欲しいんだ。鍵は壊して構わないよ。俺が許可する」

 

 声を掛けられた若い兵士たちは小気味よく返事をし、大臣の私室に向かっていった。壁に背を預けたサンチョが頭を抱える。

 

「まさか彼が……一体なぜ、教団に与するようなことを……」

「王家の試練に教団が介入してきて以来、内通者を探らせていたけれどまったく手がかりが掴めなかった。それもそのはずだよね。内通者捜しはモーリッツ大臣に任せていたんだから。……思えば彼は自ら名乗りを上げていたよね」

 

 視界の端でオジロンが頭を掻いた。

 

「『新王の身辺整理がつくまでの間、独自に調査を進めておきましょう。諸々の事務が整い次第、改めて会議を開き内通者をあぶり出しましょう』だっけね、確かそんなこと言っていたな。……うまく丸め込まれたものだ。ちょうど今日、事務作業が一段落するところだったんだよ。その矢先に――」

「魔物の襲撃。そして俺たちはそれにまんまと完勝し、お祝いムードになってしまった。……何年も人の上に立ち王を支える仕事をしてきただけのことはある。どうすれば人が動くのか理解し尽くしているよ」

「イーサン王!」

 

 廊下の向こうから声。先ほど大臣の私室に向かわせた兵士がひとり、何かを抱えて走ってきていた。

 

「未だ捜査の途中ではありますが、不審物を発見したので報告に参りました!」

 

 差し出されたのは淡い黄金色の輝きを放つひも、のようなもの。本体もそれらを繋ぎ止める金具も不思議な気品を感じさせる。

 

「これは……手綱?」

「はい。これらが無造作に、机の上に置かれていました。机の引き出しが半開きになっていたので、そこから引っ張り出したものかと」

「手綱、ね……。彼は今馬で逃げているそうだし、自分が使うものをわざわざ出したってことかな。それも相当急いでいたみたい」

 

 証言によるとフローラと接触した直後に焦り出したらしい。時系列的からして、ロランの存在に感づいて焦りだしたのだということは想像できるが、それでわざわざ一旦私室に戻るだろうか? それも手綱のために。

 

「失礼します、王よ」

 

 傍らで待機させていた兵士のひとりに声を掛けられた。

 

「自分は騎馬隊所属、カインと申します。騎馬隊の先輩でもあるモーリッツ殿に、数年前まで師事を受けていました」

「……へえ。騎馬隊のね。それで、君はこの手綱に心当たりがあると?」

「はい! それは恐らく『黄金の手綱』と呼ばれる伝説の手綱です。それを付けられた馬はあらゆる山を越え、海をも渡れるようになるとの言い伝えで『空飛ぶ靴』とも呼ばれています! 自分も実在するとは思っていませんでしたが……その伝説を教えてくださったのが、他でもないモーリッツ殿であったので……」

「海をも、ね……なるほど。情報提供ありがとう、一旦下がって良いよ」

 

 イーサンが皆の方を向き直ると、膨れつつあったどよめきが引いていく。手に持った数本の『黄金の手綱』を掲げ、イーサンは声を張り上げた。

 

「困惑する者も多いだろう。君たちは俺よりもモーリッツとの付き合いが長い。彼自身、20年前の当事者でもある。だが躊躇は一旦捨て置いて欲しい。彼は俺たちを騙しフローラを攫った、それだけが事実だ。動機とか背景とかそういった細かいことは……彼をとっ捕まえてからじっくり聞くとしよう」

 

 困惑に歪んでいた兵士たちの顔が引き締まっていくのが見えた。

 

「黄金の手綱なんて仰々しい物を引っ張り出したからには彼の行き先は『川の向こう側』で間違いない。本来、魔物が襲いにやってくる方角。あの森の奥に何があるのかは分かっていないが、確実に()()はある」

 

 兵士たちが息をのむ。緊張感が皆の足下を駆け抜けてゆく。

 

「どうか力を貸して欲しい。我が愛する妻、このグランバニアの新しい王妃、フローラのために。……そしてどうだろう。もし万が一、川の向こうの『何か』までぶっ潰せちゃったらさ、もう襲われなくて済むかもしれない。確証なんて全くないけど、もしそうなったらすごくお得じゃない?」

 

 兵士たちの表情が、ほんの少しだけほぐれていった。場の緊張感はそのままに、余分な力だけが溶けて消えていく。

 

「では改めて、行こうみんな。今度はこちらから攻める番だ。20年前の悲劇を繰り返させないために!」

 

 振り上げられる王の拳に、集まった誰もが追随した。

 

「「「オオオオオオオ!!!!」」」

 

 この一体感はちょうど昼間に紡いだばかりのもの。イーサンという指導者のもと、各々の意志が流れるようにひとつにまとまっていった。

 

 そして、

 

 

――かん、かん、かん

 

 

その流れは突如飛び込んできた鐘の音に遮られた。誰もが――嫌と言うほど――聞き覚えのある、見張り塔の鐘のものだった。

 

「――――」

 

 誰からともなく顔を上げた。吹き抜けの向こう、見張り塔に繋がる廊下のバルコニー。

 

 そこにはひとりの兵士。先ほど見張り塔に派遣したうちのひとり。

 

 彼は息を切らして、苦悶の表情を浮かべながら口を開く。

 

 言われなくてもわかっていた。ここ20年、その鐘の音を聴き続けた彼らはもうその音が意味するものを知っている。彼の口から出てくるものなんてわかりきっている言葉なのだ。

 

 でも今だけは、“今度はこちらから攻める番だ”と思った今だけは、絶対に聞きたくない言葉だった。

 

 

 

 

「――敵襲ううぅぅぅぅ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 



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7-5. グランバニア新王第一次遠征


こんばんは。イチゴころころです。

ドラクエ11Sの結婚イベントで、教会の前をうろうろしているエマを見る度になんとも言えない気持ちになります。しかも主人公を見つけると毎回必ず手を振ってくるのが辛い。

それでいて恨み言ひとつ言わずいつも通りのノリで会話してくれるエマは幼なじみの鑑だと思います。




 

 

 イーサンとパピンが見張り塔から戻ると、兵士たちの視線が彼らに集まる。王は澄ました表情で口を開くが、彼の拳が震えているのに気付く兵士は少なくなかった。

 

「――敵の数はざっくり見て昼間の1.5倍ほどだ。ちょうど先頭がざぶざぶ川に入ったところだった。うかうかしていられないのは事実だけれど、昼間と同じ要領で支度をすれば北方戦線で迎え撃てるだろう。……オジロンさん、城下町の様子は?」

「各街区の区長に連絡済みだ。滞りなく、国民は南部の避難所に向かえるはずだよ」

「ありがとう。そういうことだみんな。今すぐ戦闘の準備を」

 

 目の前の王は淡々と述べる。このグランバニアを守るための最適な指示を出している、それは兵士たちには分かっていた。分かってはいたのだが……。

 

「大丈夫。今回も()()()()()()()。立て続けで大変だろうけれど、どうか頑張って欲しい。まずは今、この瞬間を、皆で生き延びよう!」

 

 声を張るイーサン。

 

 しかし、誰ひとりそこを動こうとしなかった。

 

「……あれ? 俺なにか間違ったこと言った?」

 

 イーサンの真横でパピンのため息が聞こえる。

 

「畏れながら王よ……間違いだらけでございます。皆が望んでいる号令はそれではない、だから誰もここを離れたがらない」

「え……」

()()()()()()()()()()()()()()()()。グランバニア王国は我々が守り抜く」

「……!」

 

 目を見開くイーサン。取り繕ったような、お供のミニデーモンの言葉を借りるなら『スカシた』表情が崩れるのを、兵士たちは見逃さない。

 

「イーサン王!」

 

 誰かが叫んだ。

 

「行ってください! ここは我々にお任せください!」

「城門は死守します!」

「どうかフローラ様を!」

「教団のくそったれに一泡吹かせたってくだせぇ!」

 

 兵士を中心に、その場にいたメイドや使用人も含め口々にそのようなことを叫んでいた。イーサンはついさっき押し込めた私情が揺さぶられるのを感じる。

 

「い、いやいや。何言ってるかわかってるのかみんな? 聞いていなかったのか? 敵の数は少なく見積もっても昼間の1.5倍。森の奥にまだ見えていない敵影があったとするなら2倍や3倍もいるかもしれない! こちらは昼間の消耗も癒えていないまま、しかも夜間の戦闘になる! 俺が指揮を執って、最適な采配を――」

「そんなこと言わないでください王!」

「遮るな! 俺が、王が喋っているでしょう!」

「『フローラ様救出を後回しにする』だなんて、そんな指示を最適だなんて言わないでください!!」

「――っ!?」

 

 イーサンの言葉が詰まる。これ幸いにと人々の怒号が飛び交った。

 

「そうだそうだ!」「王妃様悲しみますよ!」「普段あんだけイチャついておいてこんなときばっか硬派ぶるな!」「漢なら会いに行ってやれよ!」「カッコつけんな!」「爆発しろ!」「このヘタレ!」「ヘタレ!」

 

 ぶわりぶわりと膨れる声。イーサンの心臓がどくりと脈打つ。

 

「こ、の……言いたい放題言ってくれちゃって……! 途中からただの悪口じゃないか……!」

 

 かぶりを振った。使うことはないだろう、と仕舞っていた『黄金の手綱』を取り出し、再び頭上に掲げる。

 

「そこまで言うならお言葉に甘えさせてもらうからな!! さっきの指示は取り消し! 俺は王妃の救出に向かう! 皆の使命は王妃が帰ってくるこの場所を“綺麗に掃除”しておくことだ! 各員死力を尽くして、我らがグランバニア王国を死守せよ!」

 

 王の号令がその場にいた全員に染みこんでいく。誰もがこの言葉を待っていたのだ。

 

「「「ありがとうございます!!!」」」

 

 あまりの大声に床が揺れ、そのまま散開する兵士たちの足音でより大きく揺れる。その場を去る彼らの背中は不思議なほどに目映く、頼もしく見えた。

 

「ふう……。敵わないよこの国の人たちには。仮にも自国の王を追い出すような真似、するかね?」

 

 ため息をつくイーサンにパピンがくすりと笑いかける。

 

「皆、貴方に勇気をもらいました。戴冠式のお言葉、昼間の防衛戦、それに一度“こちらから攻める”と決められたとき。その勇気を途絶えさせたくない。自分も含め、グランバニアの民すべての想いでありましょう」

「……ここは頼みます、パピン団長」

「仰せのままに。この命に代えても必ず。……では失礼します」

 

 パピンが走り出し、少し進んだところでおもむろに振り返った。

 

「撤回致します王よ。この命には代えません。()()()()()()()()()()()()()()()()。妻と息子のために。それに自分はまだ、貴方に杖の扱い方を仕込まねばなりませんから」

「……そうだね」

「ですのでどうか、王もご無事で。良いですか、今回の我々の『完勝』とは、『王も王妃も無事に帰還すること』です。そうして初めて、我々は20年前の雪辱を果たせるのです」

 

 20年前、王妃を探しに遠征に出た王は帰らぬ人となった。それがどれだけこの国の人々に絶望を与えたか、イーサンは想像することしかできない。そんな過去を持つ他でもない国民たちが、フローラ救出のためにイーサンの道を用意してくれる。その想いと後悔を背負う責任が、今のイーサンにはあるのだ。

 

「……しかと聞き入れたよ。皆の意志は俺が繋ぐ」

 

 パピンは満足そうに頷き、その場を去った。

 

「イーサン君、さあこっちへ」

 

 もう一度大きく深呼吸をし、イーサンはオジロンについて厩舎(きゅうしゃ)へと向かった。

 

 

  *  *

 

 

 厩舎では既に仲間モンスターたちが出発の準備を始めていた。

 

「遅かったなぁ、くっだらねえ自己満足タイムは済んだのかよ」

「手を動かすニャ、シモンズ。でもまあ、この国の兵士たちが骨のあるレンチュウで良かったニャ。あのまま誰も何も言わなかったら、代わりにリズがご主人を往復でひっぱたいてやってたニャア」

「手厳しいなもう……ぐうの音も出ないよ」

「ケケッ、まだまだ精進が足りてねぇなイーサン王よ。まあそういうこったから毛繕いでもして待ってろよ。もうすぐ準備は整う」

 

 シモンズはイーサンの握っていた『黄金の手綱』をひったくり、リズと共に厩舎の奥へと向かっていった。

 

「つくづく君のお供には驚かされるよ、イーサン君」

「そうですか?」

「早馬の準備を手伝おうと思って君をここまで案内したのだが、先を越されていた」

「ああ……。ほんと、こいつら俺のこと大好き過ぎてなんでもお見通しなんですよね」

 

 『ちげえよ!/ニャ!』と、厩舎の奥から抗議の声が上がる。

 

「実のところ、みんながああも快く君を送り出したのは、彼らの存在も大きいと思う」

「こいつらの……ですか?」

「パパス王……兄上と幼い君を旅に送り出すときも、みんな不安でもあったが同じように背中を押したものだ。本人の実力もさることながら、斥候として同行するサンチョが当時その名を轟かせるツワモノだったからね」

「全然イメージできませんが……」

「ははっ。まあそんなわけで、結果的にパパスはこの世を去ってしまった。だから王を見送ったことを、本当はみんな後悔しているんだ。もし君が“ひとりで”旅をするような人だったら、誰もこの城から出してはくれなかっただろうね」

「……」

「あ マスター!」

「消耗品 取ってきた ナリ」

 

 ロランとトレヴァが道具袋を抱えてやってきた。同時に厩舎からは馬を2頭連れたマービンが姿を現す。リズとシモンズはその馬の背に乗り、『黄金の手綱』をかちゃかちゃといじっている。

 

「今回は……パトリシアは馬車と一緒に、留守番だ……。なるべくはやく、大臣に追いつくに……越したことはない、だろうからな」

「ああ、そうしよう。ありがとうマービン」

「そういや、進路はどうするニャ? 当然、敵の軍勢は避けにゃいとニャ」

「うん。このまま西門から出て、大回りして川を越える。すぐに出れば、今頃川を渡っている敵の集団と入れ違うくらいになるはずだ」

「その先は未知の領域って話だよなァ?」

「シモンズの言うとおりだ。本当に、何があるか見当もつかない。でもあれだけの軍勢が1日に2回も通ったんだ。足跡なり何なり、痕跡を辿れば迷うことはないだろう」

 

 かちりと音がして『黄金の手綱』の装備が完了した。2頭の馬がぶるると短く鳴く。

 

「リズは俺の後ろ、シモンズはマービンの後ろに乗ってくれ。ロランはトレヴァの背中。敵に気付かれたくないから松明は使わず、ロランの宝石の灯りを頼りに進む。ロラン、いつもより光は抑えめで。トレヴァも、先行距離は短めでお願い」

 

 仲間たちが頷くと、北の城門から鈍い地響きが伝わってきた。城門が開き、迎撃に向かう兵士たちが出発するのだろう。イーサンとマービンは馬に跨がり、仲間たちもそれに続く。

 

「では行こうか。オジロンさん、来てくれてありがとう。行ってきます」

「ああ、だが少し――」

 

 オジロンの視線は勝手口の方を向いていた。それを追うと、ちょうど扉の先からふたつの人影が見えたところだ。

 

「――君を見送りたい人がもう数名いるらしい」

 

 出てきたのは似合わない鎧に身を包んだサンチョと、もうひとり。フローラの世話役をしているあのメイドさんだ。

 

「坊ちゃま」

「来てくれたのかサンチョ……それに貴女も」

「イーサン王、引き留めてしまって申し訳ございません。ですがどうか少しだけ、この子たちとお話ししてあげてくださいませ……」

「あ……」

 

 彼女の腕にはイーサンとフローラの子供たち、ノウェルとイヴが抱えられていた。ふたりはころころとした瞳を馬上の父親に向けている。

 

「ノウェル、イヴ……」

 

 左手でふたりの頭を撫でた。ふたりはくすぐったそうに目を閉じ、ノウェルは薬指を、イヴは親指をきゅっと握りしめる。

 

「っ……! 行ってきます、ふたりとも。ふたりのお母さんは必ず連れて戻るから、待っててね」

 

 手を離す。父親の温もりが遠ざかると、ふたりは声を出して泣き始めた。メイドさんが「ようしよし、大丈夫だからね。パパもママもすぐに帰ってくるからね」と彼らをあやし、イーサンの胸はちくりと締め付けられた。

 

「……ふたりを頼みます」

「お任せくださいませ、イーサン王」

「オジロンさんもサンチョも改めて、行ってきます」

 

 オジロンはゆっくりと首を縦に振った。サンチョは西門の通用口へ向かい、その鉄格子を開け放つ。その先には暗闇に落ちた荒野が広がっていた。2頭の馬が並んで歩き出す。

 トレヴァが短く嘶き、ロランを乗せて荒野に飛び立った。彼女らを追うように2頭の馬はゆっくりと速度を上げ、横並びで通用口を抜けた。

 

「――坊ちゃま!」

 

 背後からサンチョの声。遠ざかる声は確かにイーサンの耳に届く。

 

「サンチョは……我々グランバニアの民は! 王と王妃の帰還をお待ちしておりますぞ! 必ず、必ず! 坊ちゃまの冒険譚を楽しみに待っておりますから!!」

 

 イーサンは振り返らず、代わりに片腕を上げた。背後で自分を見送る人影がどんな表情をしていたのかは見えない。ただ静かにその想いを握りしめる。

 

 通用口が閉じられる音と共に、荒野は闇に包まれた。

 

 

 

 

 



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7-6. デモンズタワー① マービンの矜持


こんばんは。イチゴころころです。

突然ではありますが、リアル多忙につき更新頻度を落とします。
具体的には、次回から【毎週日曜日18:00更新】に変更とします。

毎日読んでくださっている方もいる中でこのような形になってしまい本当に申し訳ありません……! 
ペースは落ちますが、イーサンとフローラが大魔王をぶっ潰すその時まで、楽しんで書き上げようと思っています。今後ともよろしくお願いします。




 

 

 サンタローズの洞窟、その深部。

 かつてはイーサンの父、パパスが『天空の剣』を隠すために拠点としていた場所。

 

 マービンはその場所で“腐った死体”として蘇った元・人間だ。

 生前の記憶はない。自分がどのような人生を歩み、後に『サンタローズの洞窟』と呼ばれる場所でどのように命を落としたのかはまるで分からない。そもそもこの『マービン』という名前も、主であるイーサンが『なんだか頼りになりそうな響きだから』とその場でつけてくれた呼び名であり、生前の本名など一文字たりとも覚えていないのだ。ただ名前とはやはり特別なもので、初めてその名で呼ばれたときは動かない心臓が脈打つような感覚と、血の通わなくなった血管が温まる感覚がした。お礼を言いたかったが、マービンが人としての会話の仕方を思い出すのはだいぶ後になってからだ。そしてその頃はちょうど西の大陸に向かう船の上で、イーサンもリズも初めての船旅でてんてこ舞いな毎日。お礼をしたいと思ったことなど記憶の彼方だった。

 

 

 

「……、…………」

 

 馬に揺られ『黄金の手綱』を片手で握りしめながら、マービンはおもむろにそんなことを考えていた。

 

「(お礼、か……。旦那に、名付けてもらったことへのお礼。すっかり忘れていたが、なぜ今思い出す……? こんな局面で、言えるわけないだろうに)」

 

 旅先で買った小説に書いてあった言葉を思い出す。それは所謂“死亡フラグ”というやつだ。そこまで考えてから自分はもう死んでいることを思い出し、マービンは思わず笑みをこぼす。

 

「どうしたマービン?」

 

 隣で馬を駆るイーサンに尋ねられ顔を上げる。2頭の馬は限られた視界の中とは思えない速度で北へ向かっていた。『黄金の手綱』の効力か、馬の身体能力も向上しているようだ。

 

「いや……なんでもない。少し夜風が……肌寒く感じただけだ」

「はだざむい……? そうか。そういうの、あったんだな」

「まあな」

 

 実際はそんなものはない。というか、“腐った死体”にはほぼすべての感覚が無い。何かモノに触れて、それが硬いのか柔らかいのかくらいはわかるが、熱い冷たい・痛い心地よいなどはわからないのだ。呪いか魔力か、はたまた怨念か何かで動いているだけで、身体はとうの昔に死んでいる。それが“腐った死体”をはじめとするゾンビ系の魔物なのだ。

 

「マスター みんな 見る ナリ ……!」

 

 張り詰めたロランの声に、一行は向かって右側、遙か遠くの暗闇に目を凝らした。星の灯りという弱々しい光源のなかで、地を這う巨大な影が確かに見えた。それはついさっき川を渡りきったであろう、教団の魔物の行進である。徒党を組んで進軍する異形の魔物たちは夜の闇の中でひとつの巨大な影となり、雪崩が如き勢いでグランバニア王国に向かっている。

 

「ご、ご主人……」

「静かにリズ。俺たちが見つかるわけにはいかない」

「でもあんな数……!」

「大丈夫。みんなは『国を守る』と言ってくれた。なら俺たちは信じて、『フローラを救う』って役割を果たさないと」

「……ニャン」

 

 走る馬の揺れに、魔物の軍団の足音であろう振動が加わる。すれ違うまでの間、一行は息を潜めて馬を走らせた。

 

「(役割か……)」

 

 マービンは手綱を握る自身の片腕を見つめた。

 

「(この旅路は、役割の連続だった……。きっと今回の、オレの役割は。……オレがここにいる意味は……)」

「川に到達した。渡るぞ」

 

 主の声がマービンの思考を遮った。前方を見やると、暗闇の中に星空を反射させる水面が見える。

 

「今更だけどこの『黄金の手綱』ちゃんと効果あるんだろうな……。このまま突っ込んで大丈夫なのか? マービン、そっちは何か変化ない?」

「いや……今のところは……、ん?」

「あっ……」

 

 イーサンとマービンは同時に声を上げた。自分たちが乗っている馬、その馬が地面を蹴る振動と足音が唐突になくなったからだ。心配そうに振り返っていたトレヴァとロランも目を見開く。川の手前にて、2頭の馬は確かに地面から浮かんでいた。

 

「――」

 

 ふたりの騎手は呆気にとられながらも手綱を振り、そのまま川の真上を走らせていく。

 

「ハン。理屈は知らねぇがニンゲンの伝説ってのも捨てたモンじゃあねえな!」

「ほんとその通りだよ。『空飛ぶ靴』っていう別名にも納得だ」

 

 勢いを殺さず北岸に着地し、一行は未開の森の木々の間を抜けていく。イーサンの言ったとおり、地面には大量の魔物の足跡がくっきりと刻まれていた。

 

「あとは大臣に追いつくだけだ。気を引き締めていくよみんな!」

 

  *  *

 

 月明かりも雲に隠れる夜の森を、ロランの出す光と足跡を頼りに進む。

 しばらくするとこぢんまりとした廃屋に辿り着いた。損壊が激しいが、面影からしてもともとは教会であったようだ。

 

「どういうことニャ? 森の奥は誰も行ったことがないミカイの地のはずニャ」

「わからない。けど、グランバニア王国も東の大陸の隅々まで知り尽くしているわけじゃない。母さんの故郷であるエルヘブンだって見つけられなかったらしいし。“グランバニア人にとって”未開の地ってだけで、ここで質素に暮らす人たちがいたのかもね」

「しかしこの様子だと……もう人はいなそうだな」

 

 そう呟きながらマービンはこっそり、敷地の端にある瓦礫の下を見やった。そこには恐らくかつてここで暮らしていた人“だったもの”が横たわっている。マービンの魔物としての能力か、もしくは曲がりなりにも『同族』としてのシンパシーなのか、彼はこのような“だったもの”を感じ取ることに長けている。我ながら自慢できるような特技ではないなと、このことは誰にも言ったことがない。

 

「おい!」

 

 敷地の外で待機していたシモンズが声を張り上げた。

 

「足跡の続きを見つけた! 森のもっと奥まで続いてやがる。ここはただの廃墟、ハズレだ。おセンチに浸ってる暇はねぇぞ。それともお祈りでもしてくってか?」

「ありがとうシモンズ、すぐ戻る!」

 

 馬に戻る主たち。マービンはもう一度瓦礫の下に視線を送り、彼らに続いた。

 

  *  *

 

 静寂に包まれた森。木々の間を馬で駆ける時間はとても長く感じた。

 実際には、川を飛び越え北岸に辿り着いてから10分も経っていないと思う。しかし限定された視界に変わらない景色。生き物の気配も感じられない森の中は不思議なほど穏やかで、時間の流れがここだけゆっくりになっているような錯覚を覚えた。その穏やかさは一行の胸中で『フローラの救出』という目的と混ざり合うことで不快な焦りへと反転する。いつになったら森を抜けられるのだろう、どこまで走ればフローラに追いつけるのだろう。手綱を握るイーサンの手には、きっと汗が滲んでいたと思う。

 

 故に、あまりにも唐突に森が開けたときは誰もが言葉を失った。

 風切り音に煽られながらイーサンは絞り出すように呟く。

 

「……塔?」

 

 開けた視界のど真ん中。仄暗い夜空を縦に割るその巨大なシルエットはまさしく『塔』のそれだった。いたずらっぽく顔を覗かせた月の光がその全容を照らすと、刺々しい装飾や禍々しい意匠が施された三つ叉の塔が夜空に浮かび上がる。今まで訪れたどの国の王宮よりも高くそびえ立つその塔は、ここが教団の拠点にして川の向こうの『何か』の正体であると、直感で理解させるに十分な佇まいだった。

 

「まるで……死の塔だな」

 

 マービンがそう呟く。彼の背にしがみつくシモンズは苛立たしげに喉を鳴らした。

 

「ああ。教団の拠点があンのは覚悟していたが、人里離れているのを良いことにずいぶんと思い切った建築をしたもんだなぁ。舐め腐ってやがるぜ」

 

 開けた荒れ地をしばらく進み、塔の正門と思しき場所の手前まで辿り着いた。イーサンが片手を上げて『止まれ』の合図を出すと、一行は歪んだ鉄格子で作られた巨大な門、そこからある程度の距離を保った位置で進行を止めた。

 

「グランバニアの城門よりおっきな門ニャ……」

「あれだけの数の魔物を一斉に進軍させるんだし、これでも小さいくらいなんじゃない? もう門なんてない方が良いような気もするけどね。奇妙な『余分』にこだわっているのも教団らしいというか」

「あっ、ご主人――!」

「……!」

 

 ぱきん。という金属音と共に、仰々しい正門が静かに傾く。両開きの鉄格子の真ん中に小さな隙間ができていた。人間ひとり通れる程度の大きさだ。これ見よがしに、まるで歓迎でもしているかのように、目の前の塔の入り口が開かれた。

 

「……なんとなくそうじゃないかなとは思っていたけど、これ」

 

 イーサンが馬を下りる。乾いた土をブーツが踏みしめる音が転がった。

 

「罠、だな。間違いなく」

「えっ ……?」

 

 そばで羽を休めていたトレヴァが目を見開いた。主について馬を下りたマービンも欠けた奥歯を噛みしめる。

 

「なんでフローラが攫われたのか、ずっと考えてたんだ」

 

 教団にとってイーサンが邪魔な存在なのは間違いない。それは王家の試練のときに魔物をけしかけて暗殺を企てたことからも明らかだ。ではフローラはどうだろう。そんなイーサンの妻であることから敵対すべき存在なことには違いないだろうが。

 

「なんでわざわざフローラを狙ったんだろうか。20年前、母さんが攫われた理由は母さんの持つ『魔界に関わる力』が狙いだ。だがフローラにはそんな力なんて――」

 

 イーサンは一呼吸置いて目を閉じ、開ける。戴冠式前夜の彼女の告白を思い出した。

 

 

――私ね、本当は父と母の、実の娘じゃないのよ。

 

 

「……まあ、そこに関しては断言できないか」

「ニャン?」

「いや、どのみち『魔界』だのなんだのにまつわることは如何せん情報が少なすぎる。焦って何かを決めつけるのはやめておいた方が良さそうだ。ただ問題は、仮にフローラに何かしらの利用価値があり、それを狙って誘拐したとして……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ」

 

 門の隙間から覗く暗闇をにらみ付ける。

 

「そもそもあのタイミングで魔物の軍勢を進行させる意味もよく分からない。そりゃあびっくりはしたけど、でも実際この拠点の守りは見るからに手薄になっている。『ここが付け入る隙です、はいどうぞ』っていう、そんな誰かのメッセージすら感じられるよ」

「ま まってマスター  それじゃあ フローラは!」

「うん。恐らく本当の狙いをおびき寄せるための餌。本命はさしずめ俺ってとこかな。……はぁ、言ってて腹立ってきた。人の妻を餌扱いかよ」

「……」

 

 一行に緊張が走った。未だに自分らは、教団の手のひらの上にいるのだ。

 

「まあ」

 

 おもむろにイーサンが剣を地面に突き立てる。乾いた音は気味の悪い緊張を幾分か和らげた気がした。

 

「罠とわかったとてやることは変わらないけどな。ここを攻略してフローラを救出する。それが俺たち遠征部隊の役割だ」

「役割……」

 

 目を伏せるマービンをよそに、主は門の方を向き直った。

 

「適当な木陰に馬を繋いだら突入だ。各自、手荷物の最終確認を――」

「旦那……少し良いか」

「うん?」

「『役割』について、ひとつ聞いて欲しいことが、あってな……」

「……」

 

 細められたイーサンの視線と落ちくぼんだマービンの視線が交わる。

 

 

 

「オレも、……連れて行ってくれないか?」

 

 

 

 イーサンの周囲で準備を始めようとしていた仲間たちが一斉に顔を上げる。驚きや疑問符が各々の表情にあった。

 

「……なに いってるの? マービン。 そんなの 当たり前 だよ?」

 

 最初に声を上げたのはトレヴァだ。彼女は翼を広げ、ぱたぱたとマービンの横を浮遊する。

 

「そんなの 一緒に行くに 決まってるじゃない。 みんなで一緒に フローラを 助けに行く。 そうでしょ? そのために みんなでここに来たんでしょ?」

 

 イーサンの方を向いた。彼はトレヴァの視線に目もくれず、静かにマービンの方を向いたままだ。

 

「そう、 なんだよね? マスター?」

「……違う」

 

 そして視線を外さぬまま、トレヴァの問いに答える。びっくりするほど淡々とした声色に、トレヴァは息が詰まるのを感じた。

 

「マービンの役割は今まで通り、……カボチ村の洞窟や封印のほこらのときと同じように、馬車番だ。ここでみんなの帰りを待つ。それが役割だ」

「え、 ど どうして……?」

「今回のダンジョン攻略がそれぞれの命に関わる危険なものだからだ」

「じゃあ なおさらでしょう!? えと…… なんて いうんだっけ。 火山のときと おなじ。 そう、 ソウリョクセン! フローラの ために チカラ あわせて――」

 

 必死に言葉を紡ぐトレヴァ。しかし主の視線は一向にぶれない。

 

「それに マービンは つよいよ! ワタシ 知ってるもの! 足手まといになんて ならないよ!」

「足手まといだとか強いとか弱いとか、そういう話をしてるんじゃない」

「じゃあどうして!? フローラのために――」

「フローラのためを想うのなら彼にはここに留まってもらわないと困るからだ!」

「う、え……?」

 

 イーサンの思わぬ気迫にトレヴァはたじろいだ。

 

「ワケ…… わからない よ マスター。 ねえ みんなも 何か言って、よ……」

 

 振り返るとリズは気まずそうに目を逸らした。シモンズは腕を組み、冷ややかな目線をこちらに向けている。あのロランでさえ、何かを察したように口を結んでいた。

 数秒の沈黙の後、イーサンが淡々と口を開く。

 

「わかってるはずだ、マービン」

 

 一行の視線がマービンに集まった。

 

「…………全滅の恐れがあるからだな?」

 

 主は肯定も否定もせず、ただ少しだけ目を細める。

 

「この塔は、尋常じゃあない……。今までのダンジョンで間違いなく……最難関と見て良いだろう。お嬢を……フローラを助け出すことは大前提として、その過程で誰が倒れるかわからない。……最悪の場合、お嬢以外全滅だ。そうなったらどうだ。彼女は……ここからどうやってグランバニアに帰る?」

「……」

「それにここまで大それた真似ができる教団の人物は……かなり絞られるだろうな。ゲマや、オレは直接会ってはいないがラインハットを襲ったジャミ、それからそいつと並ぶもうヒトリの幹部……。そんなのが待ち構えていてもおかしくない。そうなれば……無事に帰還できる可能性はさらに低くなる。だいたい合ってるか、旦那」

「だいたいどころか全問正解だよ。それに馬を動かせるのは俺を除けばお前だけだ」

「……それをすべて承知の上で、オレはお願いしている。もちろんだが足を引っ張るつもりはない。いざとなればみんなの盾になろう……。この状況で、指をくわえて待つことは……正直辛いものでな」

「だめだ。これはただの留守番じゃあない。『何かがあったときのための保険』なんだ」

「……」

 

 再び数秒の沈黙。トレヴァがぱたぱたとイーサンの前に出る。そこで初めてふたりの目が合った。彼女の目には涙が滲んでいた。

 

「じゃあ マスターは 『全滅したら フローラをつれて ひとりで逃げろ』って 言うの?」

「そうだ」

「『全滅したくないから 一緒に戦ってくれ』とは 言ってあげないの……!?」

「そうだ」

「全滅なんてしない! ワタシたちは誰も死なない! フローラを助けて みんなで一緒に帰るの!」

「もちろんそれが一番だ。俺もみんなも同じ気持ちだろう。でも気持ちだけじゃあ敵には勝てない。気持ちで教団を倒せるのなら……あの日父さんは殺されていない」

「――!!」

 

 すとん。と、トレヴァの胸にその一言が刺さる。

 なおも言葉を探して俯く彼女の頭に、骨張った手が優しく乗せられた。

 

「あ…… マービン」

「もう大丈夫だ。……ありがとうな、トレヴァ」

 

 マービンはそう言うと落ちくぼんだ目をイーサンに向ける。主はほんの少しだけ眉を寄せていた。

 

「それが、旦那のくれたオレの“役割”だと言うなら……その役割を全力で尽くそう」

「……まさかとは思うけど。俺のこと試したのか? マービン」

「どうだかな……。ただ、お前の覚悟が曇っていないようで安心した。これで心置きなく……ここで待っていられる」

 

 親指を立てるマービン。張り詰めていた空気が和らぐのを感じて、イーサンは大きく息を吐いた。

 

「はぁぁあもう、人が悪いぞマービン。俺こういう空気苦手なの知っているはずだろ」

「すまないな……。でも、半分は本音だ」

「本音……?」

「馬車で留守番をする度……違和感を覚える自分がいた。それが“もどかしさ”という……生前に置いてきたはずの感情だと気付いたのはサラボナでの封印のほこらあたりからだ。旦那たちが強く、滅多なことでは死なない奴だとはわかっていたが……そのどれもが命がけの現場だったことも事実。……待っている側というのは、とても苦しい」

「そうか……」

 

 テルパドールでフローラと喧嘩したときのことを思い出した。イーサンはフローラをひたすらに『待機』させ、結果彼女との軋轢を生む。そのときの彼女も今のマービンと同じような主張をしていた。

 

「そういや、テルパドールで最初に俺をひっぱたいてくれたのも、お前だったなマービン」

「そういうことだ」

「……気付かなくて悪かった」

「何を言う」

 

 マービンは髪をかき上げた。青白い顔がくしゃりとした笑みになる。

 

「生前の記憶も、心も、言葉も失っていたオレが……いっちょ前に“もどかしい”なんて言えるほどになったんだ。仲間のことを想うと、一滴も血の通っていないこの心臓が……熱くなるんだ。もう十分だろう、腐り果てたただの死体には過ぎた奇跡ってヤツさ。だから――」

「……」

「今一度指示を、オレにくれ。オレは……オレの役割は何だ? イーサン」

「――ここで待て。何かあったときだけ動け。それまで行動することは許さない。俺たちはお前が、『なるべく活躍しないように』全力を尽くそう」

 

 かけられたその言葉を飲み込むように目を閉じた。サンタローズの洞窟からここまで、彼らと歩んだ道のりを思い出す。……自分の歩みはここまでだ。胸の奥で『誰の役にも立てないのか』と自分の本音がささやき、ちくりと刺激した。その痛みが何よりも心地よかった。

 

「了解だ。……ありがとう」

「こっちの台詞だよ」

 

 イーサンが振り返ると、リズにロラン、シモンズに半泣きのトレヴァが隊列を組んで待っていた。

 

「ははっ。したたかな連中だよなまったく。俺とマービンの感動的な語らいの裏でちゃっかり突入準備を済ませてんだからさ」

「語らいにシュウチュウできるように計らってやっただけニャ? デキる従者は細かい時間を短縮するのニャア」

「とか言ってついさっきまで鼻すすってたの俺様は気付いてたからな」

「そんな事実はないニャ。凍らされたいのかこのエセ悪魔」

「なんだやんのか猫娘コラ」

 

 乳繰り合うふたりをよそに、イーサンはトレヴァの頭をそっと撫でた。心優しいキメラは涙を拭うように頭を動かす。そして再び顔を上げると、その目には涙ではなく闘志が宿っていた。

 

「……どいつもこいつも頼もしいな。なあ旦那」

「ああ、違いない」

 

 5つの影は背を向け、目の前の塔の門をくぐる。木陰に佇む“ひとりの”死体は、死地へと向かう仲間たちをただただ見守るのであった。

 

  *  *

 

 同時刻。マービンが『死の塔』と呼んだ塔、正式名称『デモンズタワー』の最上階にて。

 

「――フム」

 

 宣教師ジャミは監視用の“呪いのマスク”を外し、片目にかかった前髪を整える。脆弱で矮小なニンゲンの身体で過ごすのは嫌いだったが、呪いのマスクを使用する際に限ってはサイズ感がちょうど良いと彼は感じている。

 

「なにやら問答をしていたもんだから不安になっちまったじゃねえか。あそこで正門開けるのはあからさま過ぎたかなぁ、とか。まあでもそうだよな。アイツのことだし罠だと気付こうが向かってくるはずだよな」

 

 テーブルの向かいに座る人物に話しかける。少し前に差し出した杯には、なみなみと注がれた水がそのまま入っていた。

 

「どう見る? 奴らはここまで無事に来られそうかね? 串刺しか、丸焦げか、はたまたなけなしの残存兵にやられるか。それともやはり、無傷でこの場所まで辿り着くに一票入れとくか? そうしたいよなぁ、そうだよなぁ」

 

 デモンズタワーを設計した者として、遊び半分で作ったトラップがどこまで機能するのか興味はあった。しかし今、ジャミの興味の大半は目の前の人物に向けられている。

 

「なあなあ、目覚めたばっかのとこ悪いが、こっちも暇でしゃあねぇんだ。あいつらがここに来るにしても野垂れ死ぬにしても時間は……おっと、そんな怖い顔すんなよ。俺は客観的に見たホントのことを言っただけだぜ?」

 

 椅子から立ち上がり、その白い肩に手を置いた。ぴくりと、恐怖で震えるのが伝わる。

 

「時間はたっぷりある。お喋りしようや……()()()()()()

 

 名を呼ばれた彼女は上目遣いでジャミをにらみ付ける。蒼い前髪の下から覗くその瞳は微かに震えていた。

 

 

 

 





次回 《デモンズタワー② フローラvsジャミ》

9/25(日) 18:00~更新予定



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7-7. デモンズタワー② フローラvsジャミ


こんばんは。イチゴころころです。今日から日曜投稿開始です。改めてよろしくお願いします。
今回は久々にフローラがたくさん喋って嬉しいです。



ジャミってさぁ……ほんとおいしい役どころにいるよね……。何がとは言わないけどさぁ……。





 

 

「お喋りしようや……フローラ王妃」

 

 目の前の男、宣教師ジャミを見上げるフローラ。その男は一見、柔らかい顔立ちの中年男性でしかない。しかしその正体、黄土色の法衣に身を包んだ男の正体は当然イーサンから聞かされていた。13年前、イーサンの父パパスをなぶり殺し、つい数ヶ月前はラインハットを壊滅寸前に追い込んだ邪悪な魔物。如何なる術を用いてか姿を人間そっくりに変身させていて、その身体はあらゆる攻撃をかき消す不思議な加護に守られている。かのゲマに並ぶ、イーサンの因縁の相手である。

 

「フローラ、フローラ。フローラ嬢ねぇ……。サラボナ領主ルドマン家のご令嬢にして、現グランバニア王妃。改めて考えるとゴッテゴテの肩書きだなァ。そんなやんごとなき身分の方には、ただの水なんて無礼にも程があったか?」

 

 ジャミはテーブルに置かれた杯を拾い上げ、部屋の隅の棚まで歩いていく。

 

「やはり酒かい? ルラフェンから持ってきた極上の一杯があるぞ? 西の大陸出身なら聞いたことはあるんじゃないか? 通称“人生のオマケ”ってな。もしかしたらもうお飲みになられたことがおありかな?」

 

 頬に伝う汗を感じながら、フローラは現状を必死に整理していた。『夢見の花』の催眠作用と呪文によってグランバニア王宮が無力化されたとき、フローラは教団の刺客が自身と子供たちを襲いに来ることを“虫の知らせ”が如く察知した。なぜそれが予知できたのか自分でもよく分からないが、そのお陰でモーリッツが扉を開けるすんでの所でメイドとノウェル・イヴを隠れさせることに成功する。姿を見せた大臣としばし問答を繰り広げた末、しびれを切らした彼の“ラリホーマ”を受けて意識をなくした。

 

 目覚めたときにはこの部屋の、今座っているソファにもたれるように横たわっていて、目の前で奇怪なマスクを耳に当てていた宣教師ジャミと対面することとなる。

 

「(きっとここは教団の拠点……。どのくらい眠っていたかはわからないけれど、イーサンさんが来てくださっているらしいし、そこまで遠くはなさそうね。もしかしたら例の、森の奥なのかしら)」

 

 寝起きの頭を必死に回転させ、目の奥がちりちりと痛む。

 

「(それにこの感じ……きっとわたくしを狙ったのはイーサンさんをおびき寄せるため。でも何のために? それに今頃グランバニアは……ノウェルとイヴは無事なのかしら。……いえ、いえ。そこは今考えるべきことではないわ。今わたくしが考えるべきことは――)」

()()

「……っ!」

 

 ドスン。という音と共に杯が目の前に置かれる。妙に凄みのある声色で声を掛けられ、思わず悲鳴を上げそうになったのを何とか堪えた。

 

「ここまで徹底的にシカトされるとさすがの俺も傷つくんだがな。それとも何かい? 今頃この塔をいっしょーけんめいに登っている旦那さんなんてどうでも良いってことなのかい?」

「……ぃ…、え……」

 

 ジャミの見開かれた両目。見た目こそ人間ではあるがその奥からは決定的に何かが違う、どす黒いものを感じた。心臓が早鐘を打っている。半開きになった自分の口の奥からは、かたかたと歯がぶつかる音が聞こえた。

 

「(――今、わたくしが考えることはとにかく生きること。イーサンさんは来る。()()()())」

 

 別に手足を拘束されている訳ではない。しかし今のフローラは丸腰。武器であるグリンガムの鞭はもちろんのこと、そもそも着用しているのが寝間着として使っているネグリジェ一枚なのだ。もっとも、装備が万全だったとしてこの化け物には到底敵わないだろう。向こうもそれを承知の上で拘束などしていないはずだ。

 

「(イーサンさんは……どんなにボロボロになっても来てくれる。そういう人だから……。だからわたくしも、どんなに無様でも、不格好でも、今この場を生き延びる! そして……そしてひとつでも多くの情報を、教団の秘密を暴いて見せますわ!)」

 

「……あ?」

 

 苛立たしげにテーブルの端をタップしていたジャミは、目の前の女性がようやく口を開こうとしていることに気付く。しかしフローラが発したのは短い嗚咽。同時に、彼女の両目から涙が零れた。直前までのきりりとした表情から一変、フローラ自身も己の惨めすぎる姿に気がついたようだ。

 

「あ、ぇ……?」

「……はっ。おいおいなんだそりゃ! なあなあなあなあ、今何て言おうとした!? つい今し方まで『あなたには負けません屈しません』みたいなツラぁしてたよな!? どんなご立派なことのたまおうとしたんだよフローラ王妃サマよぉ!」

 

 フローラの視線が泳ぎ、口元はわなわなと震え始めていた。

 

「いや待て言うな、当ててやる。どうせあれだろ? 『イーサンが助けに来てくれる』とか『わたしはどうなっても構わない好きにしなさい』とか、そんなようなつまらん台詞だろう!? 実際に出てきたのが喉の鳴る滑稽な音と惨めな涙となっちゃあ、格好もつかないがなぁ! 今頃頑張ってるイーサンに示しがつかんとは思わんのか!? なあ、なあ、なあ!!」

 

 フローラの表情が悔しさに歪んだ。堰を切ったように大粒の涙が溢れ出す。

 顔を背けようとするフローラの顎を、ジャミは大きな手で鷲づかみにした。

 

「――んぅっ!?」

「いいぞ、いいぞフローラ王妃。思った以上に面白い逸材だ。単なる囮のはずが、思わぬ出会いに恵まれた。いいか、俺は高慢ちきなニンゲンが、てめぇの弱さにずぶずぶ溺れる様を見るのが好きなんだ。もっと見せてくれや、麗しき淑女の醜い本音というものを」

「うぁ――!?」

「ほうら死にたくないだろう? 今の俺は見た目こそ弱っちいニンゲンだが、ちょこーっと力を込めればお前の頭を花を摘むようにちぎり取ることができるんだぜ?」

「う、ううううう――!」

 

 ついにフローラの両目がきゅっと閉じられる。押し出された大量の涙が目尻から溢れ、彼女の頬を掴んでいたジャミの指先をくすぐった。

 

「し……しにたく、ない――」

「もっと、大きな声で、聞こえるように」

「しにたくないっ! わたくし……しにたくないです! う、うああああああ……!」

 

 フローラから零れ出た悲鳴。ジャミは心地よさそうに目を閉じ聞き入る。

 

「しにたく……ない、です。こんな……こんなはずじゃ、なかったのにぃ……」

「ふぅン、こんなはず、ねぇ……。続けて?」

「教団と……敵対するなんて、知らなかった……! グランバニアを、背負わないといけなくなる、なんて! しらなかった……! わたくしはただ、あの人と幸せに旅をしたかっただけなのに!」

「……ほう?」

 

 ジャミは目を細め、部屋の出入り口の方を見た。扉の向こうには何の気配もなく、件のイーサンがここに来るまでにはまだまだ時間が掛かりそうなのは言うまでもない。

 

「(……情報じゃあイーサンの野郎とは相当な信頼関係があるってはずだったが、こりゃとんでもない道化が現れたもんだなぁ。アイツ、口八丁で騙してまでこの女と結ばれたかったのか? それとも、噂のルドマン家の家宝っつぅ――)」

「こんなことになるのだったら……家宝も渡さなければよかった……! 天空の武具を、それも、()()()()()……」

「あぁ?」

 

 思わず手を離した。拘束から逃れたフローラは苦しそうに咳き込み、その両目からはなおも涙が流れている。

 

「おいフローラ。今何て言った?」

「え――」

「天空の、『武具』だぁ? それも『全部』って言ったなぁ? 全部ってそりゃあ、『(つるぎ)』と『兜』と『盾』のことだよなぁ?」

「……!」

「答えろ。ゲマ卿の掴んだ噂じゃあルドマン家が隠し持っているのは『盾』としか言われていなかった。ルドマン家はそれだけじゃなく、剣と兜まで持ってたってのか!? しかもそれをイーサンにくれてやったと? そうなんだな!?」

 

 フローラは口をきつく結び、瞳を震わせながら小さく頷いた。

 

「それはァ!!」

「ひっ……」

「それは今、どこにある? イーサンの野郎がわざわざ持ちっぱなしって訳でもないのだろう?」

「ぐ、グランバニア平原の東……旧グランバニア城跡……」

 

 ジャミの口角が吊り上がる。たった今自分は教団の大目的のひとつに単身で辿り着いたのだと、そう考えると笑みを零さずにはいられなかった。

 

「ふ――はははははははははははっはははははははははは!!」

「え……ぁ、わ、わたくし、いま……!」

「そのまさかだフローラ王妃!! お前はたった今、絶対に漏らしてはいけない情報を、絶対に漏らしてはいけない相手にぶちまけた! てめえの弱さに屈し、俺という恐怖にひれ伏し、夫とその父親の、何年だか知らねェが積年の努力をぶっ壊してくれちゃったのさぁ!!」

「――……」

 

 ジャミは見た。フローラの両目から光が失われつつあるのを確かに見た。これだからニンゲンは面白いのだ。奴らがしばしば口にする誇りだの気持ちだのといった低次元な概念など、ほんの少し脅すだけで簡単に瓦解する。この瞬間がたまらない。『子を想う親の気持ち』なんかよりも見ていてよっぽど良いものだ。

 

「ぁ……。あ、……」

「でもまあ、気にすることはないぞフローラ王妃よ」

 

 フローラの白い肩に手を置いた。もはや震えることもなく、壊れたからくり機械のようにぽろぽろと涙を流すだけの彼女の顔。その耳元でジャミは囁く。柔和な顔立ちに似合った、不気味なほど穏やかな声色で。

 

「どのみち君を騙して旅に連れ出すような男だ。裏切ったとて気に病むことは無い。君を先に裏切っていたのは彼なんだからな」

「……」

「君を囮にヤツをおびき出し、この手で始末して王に成り代わる。それが今回の計画だった。でも実はその先があってね。イーサンに擬態したままルドマン家……君の実家を訪問し、お邪魔な領主をも始末する。そうしてようやく『天空の盾』を手に入れられるって算段だったのさ」

「え……」

「おやおや、そんな顔をするんじゃあない。他でもない君の情報提供のお陰で、君のご両親にまで手を掛ける必要がなくなったんだ。喜べよ」

「で、も……それでは」

「だがそれも俺の気分次第といった所かな。イーサンは殺すぞ、邪魔だからな。だが俺がイーサンに成り代わった後、君の実家に“ごあいさつ”に行くかどうかは、俺の気分次第……。というより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だなぁ」

「……!」

()()()()?」

 

 力なく俯くフローラ。もう顔を覗き込まなくても分かる。彼女の心はたった今、完璧に折れた。

 

「じっくり考えておけよ。どう振る舞うべきか。俺は俺でやることができた。魔物どもとグランバニアの連中を遊ばせてる場合じゃない」

 

 通信用の呪いのマスクを手に取った。たった今グランバニア軍と戦っている部隊の進路を変え、イーサンが隠したという天空の武具を取りに行かせる。そうしたらジャミは天空の武具の『残るすべて』を教団に捧げたことになる。教祖様はさぞお喜びになるだろうし、いけ好かないゲマをも越える立場を手に入れられるかもしれない。

 

「あー、あー。聞こえるか野郎ども。いいか、今すぐ……」

 

 呪いのマスクを耳に当てたジャミが言葉を切る。俯いていたフローラは思わず顔を上げた。ジャミはマスクを下ろし、振り返らずに声を出す。

 

「…………旧グランバニア城跡、って言ったよな。隠し場所」

「……」

「そこって確か、『試練の洞窟』って場所じゃあなかったか? 魔物も闊歩する危険なダンジョン」

「……!」

「そんな場所に、イーサンが武具を隠した? ()()()()()()()の合間に、わざわざ隠したってのか? なあ――」

 

 振り返るジャミ。

 ――フローラが片手を振り上げこちらに駆けてきていた。

 

「な……!?」

「――“メラミ”!!!」

 

 彼女が手を振り下ろし、火球が爆裂する。

 ほぼ至近距離で放たれた火の呪文は、熱風となってフローラの髪をなびかせた。そして――、

 

「あうっ!?」

 

 爆風を割るように伸びてきた腕がフローラの首を掴み、華奢な身体を軽々と持ち上げた。

 

「……んんー、なんとまあ」

 

 黒煙が晴れるとそこには変わらず、黄土色の法衣をまとった宣教師の姿。フローラを締め上げる右手の甲には微かな火傷の跡があるものの、先ほどの不意打ちに文字通り動じていない様子だった。

 

「どこから嘘をついていたんだ? ん? フローラよ」

「か……ぁ、う」

 

 必死に爪を立て、足をばたばたと動かしても、首にかけられた指の力は一向に緩まない。

 

「まあ、最初からだろうなぁ。『こんなはずじゃなかった』ってとこから。さしずめ、あることないこと語り散らかしてこの俺を陽動するためのハッタリだったってことだな。あぶないあぶない、ほんっとに、抜け目のない女だこと」

 

 ジャミの指に力が込められる。苦痛に叫びだしそうになるが、締め上げが強すぎるからか声も出ない。

 

「残念だったねえフローラ。愛する夫を貶めるようなハッタリまでかましておいて、てんで通用しなかったのだから。なかなかに迫真の演技だったぜ? 娼館でもうまくやっていけそうじゃないか」

 

 視界の端が黄色く染まり始め、指先に力も入らなくなってきた。目の前のジャミは当然そんなこと気にもとめず、空いた方の手で顎をさすっている。

 

「てか、じゃあやっぱりルドマン家の家宝は『天空の盾』のみってことになるのかね? それは今イーサンが持ってるのか? それとも、それこそちゃんと隠したのか?」

 

 ジャミはこちらを見てもいない。フローラは飛びそうになる意識を集中させ、手のひらの先に再び火球を作る。しかし、

 

「ま、どっちでもいいかそんなこと」

 

ふいに、フローラを締め上げていた右手が離された。何でもないような、飲み干した酒瓶なんかを投げ捨てるような動作。そんな軽々しい動作でフローラの身体は宙を舞い、部屋の隅にあった石造りの柱に激突した。

 

「ぁ、ぐ……!?」

 

 鈍い衝突音と共に、柱にヒビが入る。黄色くなりつつあった視界が白く点滅し、フローラは受け身も取れぬまま床に頭から倒れ込んだ。

 

「決めたぞ。イーサンを殺して擬態したあとはお前の実家にいこう。くだらないハッタリでこの俺をコケにしようとしたお前に敬意を表して、夫も、両親も、目の前でこの俺が殺してやることにする」

 

 かつかつと、ジャミの足音が近づいてくる。しかしもう顔を上げる力は残っていない。それでもと、フローラは震える指先を動かそうとする。

 

「なあなあどんな気分だ? そんなにボロボロになって、必死に取り繕った大ハッタリもスカして。俺に一矢報いることもできずに惨めったらしくぶっ倒れるのはさぞおくやしいことだろうなァ! なあなあなあ!」

 

 ジャミの笑い声を聞きながら腕に力を込めた。重たくなった頭をなんとか持ち上げ、上体を起こす。そして、消え入りそうな声で、フローラは呟いた。

 

「て……『()()()()』、は……」

「……あ?」

 

 

 

「『天空の鎧』は……既に教団の、手の中に……ある。……そう……ですわね……?」

 

 

 

「お前、なぜそんなこと――」

 

 言いかけてジャミははっとした。先ほどの会話でジャミは天空の武具のことを『剣』、『兜』、『盾』とだけ言って問い質した。しかし本来、天空の武具は『鎧』を含めた4つ。その言葉選びと、他でもないジャミの食いつきようから、『鎧』の所在を予測されてもおかしくはない。

 

「……たいした推理だがそれでお前に何ができる? どこに保管されているのかも知らないだろうし、知ったところでお前らが手にするのは不可能だ」

「いえ……推理、などでは、ありませんわ……。これはただの、……()()()()()()()

「……は?」

 

 ガクガクと震える肘を立て、フローラはようやく顔を上げた。額からは一筋の血が線を引いていて、ふり乱れた髪は片目を隠している。しかしその口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 

「どんな気分かと……おっしゃいましたね……お答え致しますわ……。わたくしは今、()()()()()()()()()()……。目の前の貴方が、教団が……“存外大したことない”って、気付けたのですから」

 

 ぴくり、と。ジャミの片眉が震える。

 

「今、なんつった?」

「『鎧』を保持していること……それから、『鎧以外』について、わたくしも拍子抜けするくらい……何も知っていないこと。……他でもない貴方が、懇切丁寧に教えてくださいました。だから……わたくしは今とても、気分が良いのですわ」

「てめ――」

「世界中に信徒を持っていながら、グランバニアに内通者を忍ばせていながら、貴方たち教団はその“繋がり”を何も活かせていない……。ハッタリを見抜いたなどと大層ご満悦の所申し訳ありませんが、わたくしの虚言が『ハッタリ』として成立している時点で、己のお粗末さの証明になっていますのよ。お気づきでなくって?」

 

 焦点の定まらない視界を上に持ち上げる。視線の先のジャミは両目を見開き、その口はぱくぱくと震えていた。抵抗する力などもはや一滴も残っていないが、気力を振り絞って口を開く。

 

「お望みのつまらない台詞を言って差し上げますね。――『イーサンさんは必ず助けに来ます』そして、『彼は絶対に負けませんわ』」

「なん――!」

「数分前までならただの惨めな虚勢だったでしょう。しかし今のわたくしには根拠があり、自信があります。わたくしという、こんな取るに足らない人間相手に出し抜かれて言い負かされる。……そんなお馬鹿さん相手に、わたくしのイーサンさんが負ける道理がありませんから――!」

「――」

 

 直後、フローラの視界は不自然にかち上がる。天井と壁が一回転し、左半身を床に打ち付ける痛みを感じた。一瞬遅れてから鼻の奥に鈍痛が走り、そこでようやく自分が殴り飛ばされたのだと気付く。

 

「ぅあ……」

「――なんだ? オイ。なんだこれ。なんだこれは。……『敗北感』ってやつか?」

 

 首根っこを掴まれ再度持ち上げられる。ぱたぱたと床に滴ったのは、自身の鼻血だろうか。

 

「この俺が? ニンゲンに? いやいや、ねえだろ。そんな事実はなぁ、そんな事実はねぇんだよッ!!」

 

 ジャミの怒号と共に、再び頭部に衝撃が走った。壁か床か、石畳の何かが砕ける音が連続で響く。自分の身体がどうされているのかなどもうわからない。しかし痛みすらも感じなくなってきているのか、フローラの頭の中は幾分か冷静だった。

 

「(これで……これで良かったはずですわ……。本当の狙いがイーサンさんで、その彼が既にこっちへ向かっている以上、囮としてのわたくしの利用価値はとっくに終わり……。いつ殺されてもおかしくなかった。でも――)」

「もう頭ン中ぐるっぐるだろうが、簡単に失神してくれるなよ。()()()()()()。俺の気が収まるまで、ぐちゃぐちゃに嬲り潰してやる」

「(――でもこれで、ひとまず殺されずに済む。どんなにボロボロでも、確実に生きていられる。それに……わたくしの予想が正しければ……)」

 

 髪を掴まれ、引きずられているのを感じる。ごつんごつんと、むき出しの石畳に額を引っ掻かれながら、フローラは視線を動かしてジャミの方を見た。

 

「(……挑発、少しやりすぎちゃったな。だって許せなかったんですもの。怒られるかな……それとも少しだけでも、褒めてくださるかしら……。ああ、今は何よりも、はやく貴方に会いたいわ……イーサンさん……)」

 

 動かせなくなった自分の左手を見る。水のリングの輝きが、勇気を与えてくれたような気がした。

 

 

 





次回 《デモンズタワー③ ファースト・サーバント》

10/2(日) 18:00~更新予定



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7-8. デモンズタワー③ ファースト・サーバント


こんばんは。イチゴころころです。

遅ればせながら、ドラクエⅤ30周年! おめでとうございます。
おかげさまでこうして二次創作も楽しめています。


SNSで投稿されている色んなイラストを見ると、ああーいいねえこういうの描きたいねえってよく思います。素敵なイラストが多くてすごいほんと。




 

 

「トレヴァ。実はずっと言ってみたかったセリフがあるニャ」

 

 デモンズタワー、東の塔屋上にて。

 

「セリフ?」

「『ここは俺たちに任せて先に行け。安心しなすぐに追いつく』ってやつニャ」

「ああ…… さっき 言ってた」

 

 青と白の毛並みを持つプリズニャンは、傍らのキメラが首を傾げるのを横目で捉えた。

 

「いろんな小説によく出てくるお決まりのセリフニャン。だいたい犠牲になっちゃって追いつけないニャ」

「ええ…… 聞きたく なかったなぁ……」

 

 東の塔屋上、その端からは一本の跳ね橋が架かっていて、西の塔に続いている。リズとトレヴァはその跳ね橋に立ち塞がるように並んでいる。そして彼女らの目の前には、

 

『おい』

「大丈夫ニャ。リズたちは実際、さくっと()()()()をシバき倒してご主人たちに追いつく。……みんなで生き残って帰るニャン? トレヴァ」

「そうだよ ワタシは マスターのあの考えを 全部認めた訳じゃ ないから」

「それでいいニャ」

『おい……!』

 

ずしんと足踏みをする巨体。隣にいる“もう一体”も苛立たしげに翼を揺らす。リズとトレヴァ、彼女らの数倍の体躯を持つ“オーク”と“キメラ”が、憤怒の形相でこちらを見据えていた。

 

『儂らを前にしてのんきにお喋りとは、ずいぶんと舐めた真似をしてくれるじゃないか……!』

「リズたちの連携にたじたじになってご主人たちの先行を許すような雑兵、舐め散らかしても足りないくらいだニャン?」

『貴様――!』

「……そういうわけでトレヴァ。あっちは任せたニャ」

「うん。 リズも 気をつけてね」

 

 夜の暗闇にトレヴァが飛び立つ。ワンテンポ遅れて敵の“キメラ”も彼女を追い、闇夜に姿を消した。東の塔の屋上には2匹のけもの系モンスターが残された。

 

「ンじゃあ、こっちも始めようかニャ。言っとくけど――」

『……確かに貴様らの連携は素晴らしいものがあった』

「ニャン?」

『だが戦力を分散させたのは大きな間違いだ。全員ならともかく、たかだかプリズニャン一匹にこの儂が後れを取るわけがない。儂は一方的な殺戮は好まん。命乞いをするなら見逃してやってもいい』

 

 “オーク”はヤリを持ったイノシシ型の獣人だ。魔物の中でも珍しい社会性を持った種族で、ニンゲンを凌駕するフィジカルとそこそこの知能を併せ持っている。しかし目の前の“オーク”は通常のそれよりも二回りほど巨体で、リズと人語で会話ができているあたり知能も『そこそこ』では収まらないだろう。グランバニアを襲撃した“メッサーラ”と同様、あるいはそれ以上に強化を受けた個体であることは間違いない。

 

 当然、気性も穏やかで危険度も低く、平原にしか現れない“プリズニャン”には万に一つも勝ち目などないだろう。

 

「命乞い?」

 

 ただそれは、“普通のプリズニャン”相手の場合だ。

 

 

 

「するわけニャイだろうが、このクソッタレが」

 

 

 

『な――』

 

 オークがまばたきをする一瞬の間に放たれた3つの氷塊。弧を描くそれらは目の前の巨体を押しつぶそうと高速で飛来する。

 

『ちぃっ!?』

 

 咄嗟にヤリを振り回して氷塊を弾く。しかし、

 

『お……重い!!』

 

見た目以上に強烈な衝撃に顔をしかめた。しかも冷気の余波でヤリの柄と腕がところどころ凍り付いている。

 

「ン~~~? 雑兵に“ヒャダルコ”は早すぎたかニャン?」

 

 オークの周囲を円を描くように走りつつ、リズは2発目の“ヒャダルコ”を発射した。そしてそれを追うように走り出す。

 

「ッシャアアアア!!」

 

 氷塊とツメの同時攻撃。オークは先に飛来した“ヒャダルコ”は防ぐも、その隙をついたリズのツメが首元にヒットする。分厚い毛皮が削れ、焦げ茶色の毛が宙を舞った。

 

「フン。さすがに防御は硬そうニャ。それに……」

『いってえ……やってくれるじゃないか……』

 

振り返るオークはたった今傷ついた首元を片手でさすっている。その手の指先には淡い光が宿っていた。

 

「――っ! “ヒャド”!!」

 

 すぐさま呪文でその腕を凍らせるも、彼の首元の傷は既に塞がっていた。

 

『残念。少しだけ遅かったな』

「いっちょまえに“ベホイミ”が使えるなんて、伊達にここの守りを任されてないってことかニャ」

『儂の方こそ驚かされた。ここまで強いプリズニャンがいたとはな。前言撤回、楽しめそう――だッ』

「ぬかすニャ!!」

 

 再び激突する両者。オークは絶え間なく高速の突きを繰り出す。リズはそれを正確に躱し、往なし、舞うように跳ねながら氷の呪文やツメの攻撃でカウンターを仕掛けていく。

 

「(デカい図体に似合わず速いニャン――! でも捉えられないほどじゃない、リズの方が速い! ダメージは小さそうだけどリズの攻撃はちゃんと“入っている”ニャ! あとはベホイミのタイミングだけ注意して――)」

『――ベホイミさえ潰せば勝てる、とか思ってるだろう?』

「な――」

『ところで貴様は“ヒャダルコ”以外に何が使える? 回復呪文は覚えていそうだが、実は儂にももうひとつ、得意な呪文がある』

「(まず――!?)」

 

 オークが詠唱する直前に床を蹴って飛び退く。その瞬間、()()()()()その呪文の名を聞いた。

 

『――“ピオラ”』

「ぐ、あ……?」

 

 勢いのまま距離を取った。リズの背中、青と白の縞模様が裂かれ、決して浅いとは言えない傷がそこには刻まれていた。

 

「(危なかったニャ……。“ピオラ”か……敏捷とドータイシリョクを上げる呪文……。今のはたまたまかすっただけで済んだけど……()()()()()()のはさすがにヤバいニャ……)」

『さて……』

 

 顔を上げると片手でヤリをくるくると回すオークの姿。“ピオラ”によってブーストされた素早さで回されたヤリからは不気味なほどに高い風切り音が発されている。もう片方の手は呪文によって凍らされていたが、彼が軽く腕を振ると氷は砕けて剥がれ落ちた。そのまま“ベホイミ”を唱え、先ほどの打ち合いでリズが負わせたダメージも回復されたようだ。

 

『改めて勝負と行こうか。小さき者よ』

「……!」

 

 咄嗟に再び呪文を詠唱するリズ。同時に床を蹴ったオークは凄まじい速度で彼女に襲いかかる。

 

 

  *  *

 

 

 同時刻。教団の刺客をリズとトレヴァに任せ、中央の塔最上階をめざすイーサン・ロラン・シモンズ。

 

「――っしょ、っと」

 

 イーサンは大岩を押し、ドラゴンの顔を象った像の前に設置した。直後、ドラゴンの口から炎が噴射されるも、大岩に阻まれて散っていく。

 

「このトラップ好き過ぎるだろ、ここの設計者。これで何回目だよ、ったく」

「よほど自信があったんだろうね。これ見よがしに大岩をちりばめて、これ使えば防げるって思わせておいて、“ばくだん岩”を忍ばせておく2重のトラップ」

 

 東の塔攻略の際にも何度か遭遇したトラップであるが、ばくだん岩の存在に気付いたロランによって見事看破。得意技が自爆とかいう迷惑極まりない魔物とは一度もエンカウントせずに、火炎放射だけを綺麗に防いでここまできている。

 

「これに関してはロランとの相性が悪かったねえ。設計者には申し訳ないけど、食らってやる道理もないしこのままサクサク進ませてもらおう」

「ぜんぶ ばくだん岩 なら 進めなかった ナリ?」

「そこはアレだろうね。教団お得意の“遊び”って感じ。侵入者の排除を最優先にしたいなら、そもそも最初の部屋に釣り天井でも仕掛ければ済む話だ。戦力を削った上で、最上階まで来てほしいんだろう。そう考えるとあそこでリズとトレヴァと別れたのは敵の思うつぼかもだけど……こちらも時間が惜しい。一刻もはやくフローラのもとに行かないと」

 

 階段をのぼりながら、シモンズは首を傾げた。

 

「なあイーサン。あの猫娘、大丈夫だよな?」

「ん?」

「アイツの強さに関しては俺様も疑ってねぇ。間近で味わわされたこともあるしな。でもそれでも種族の限界はあるし、相性もある」

「……」

「あのでっけぇ“キメラ”にトレヴァをぶつけるのはわかる。空中戦できるのはアイツしかいねえしな。だがあの“オーク”、相当な使い手だぜ」

 

 通常のオークなら何度か戦闘したこともある。通常種の時点で、パワフルかつ素早い攻撃が得意だったと、シモンズは記憶している。

 

「相性で言うなら間違いなくロランが適任だ。ああいうパワータイプには妨害呪文が効く。オークには呪文が使える個体もいるが、ロランなら“マホトーン”でカバーできるしな」

「まあ……言いたいことはわかる」

 

 リズの素早さは間違いなく一級品で、彼女自身の攻撃性能も高い。しかし『パワーとスピードに長けたオークの強化個体』相手にパワーとスピードに定評のあるリズをぶつけて、もしその得意分野で競り負けた場合……待っているのは一方的な敗北だろう。

 

「ハン……わかった上での采配ってヤツかよ?」

「理由はふたつ。ひとつはまあ、ロランは最上階まで連れて行きたいから、ってところかな。待ち受けているのがジャミであれゲマであれ、もうひとりの奴であれ、教団の幹部クラスがいるのならロランはそこまで温存させておきたい」

「へえ」

「ナリ?」

「ちなみにシモンズも“温存組”だからな。そういう意味でも、さっきの2体は好都合な相手だった」

「何か策でもある風じゃねぇか。そっちはあとで聞かせてもらおうか」

「で、もうひとつの理由だけど……たぶんリズなら勝てる。そう思ったからだ」

 

 シモンズの片耳がぴくりと持ち上がる。

 階段をのぼりきると外。西の塔の外縁に辿り着いた。中央の塔へと向かう跳ね橋が上がっている。中央の塔に遮られ、件のリズたちのいる東の塔はここからでは見えない。

 

「……根拠は?」

「あいつは俺についてきてくれた初めてのモンスターだ」

「感情論……ってワケでもなさそうだが」

「ああ。オラクルベリーから、アルカパの街、ラインハット、ビスタの港……。彼女は俺と一緒に、最も多くの村・街・国を巡った。彼女にしかできない経験がある」

「ほう」

「彼女はたくさんの『ニンゲン』に会ってきている。そして彼らがどんな生活を営み、どんな考え方をし、どんな生き方をしているのかを、君たち仲間モンスターの中で最も多く見てきてるんだ」

「へえ……戦闘の経験値に加え、ニンゲンの強さや賢さを知ったあのリズだからこそ勝てる戦いがある、と」

「逆だよ」

「――は?」

 

 イーサンがレバーを倒すと、跳ね橋がゆっくりと降りていく。

 

「彼女はニンゲンの醜い部分と、愚かな部分をよーく知っている。その醜さや愚かさが、ときには最も有効な要素であることも含めて、ね」

 

 

 

 

 






次回 《デモンズタワー④ 『リズ』》

10/9(日) 18:00~更新予定




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7-9. デモンズタワー④ 『リズ』


こんばんはー。イチゴころころです。

リズ回後半戦ですが、文字数が想定の倍くらいになってびっくりしました。

デモンズタワー攻略を描くに当たって、オークレベル20とキメーラレベル35とのバトルは外せないなぁとかねてから思っていました。

てか「キメーラ」って何ぞ(小5以来の謎)。





 

 

 ヤリを振り抜く。

 “ピオラ”によって引き上げられた敏捷と動体視力。圧倒的速度で振り回される視界の中でもそのフォーカスは正確に獲物を捉える。甲高い風切り音と共に獲物の胴体を狙っていたヤリの切っ先は、しかし紙一重のところで致命傷を逃した。逃したと言っても完全に躱されはせず、獲物の身体に浅くはない傷を付けた。血しぶきが舞う様子もスローで流れ、獲物が飛び退くように距離を取ったところで加速が切れた。

 

『本当に驚きだ、小さき者よ』

 

 オークはヤリを肩に掛け、そう言った。目の前に倒れ伏した傷だらけのプリズニャンは息も絶え絶えで、たった今負った傷にも顔をしかめている所だった。

 

『儂のヤリ捌きは、もはや貴様の目には追えていないはずだ。実際、避け切れてはいない。だがその反射速度と、あとは獣の直感か。“ピオラ”を解禁して尚、ここまで時間を稼がれるとは思っていなかったぞ』

「くっ……」

『だがそれもここまでのようだな。たった今命中した箇所……。致命傷は避けられるものとして、あえて狙って正解だったようだ』

 

 リズは左の前足を舐める。じわりとした痛みはその傷がそれなりの深さまで達していることを表していた。オークの言うとおり彼女はほとんど直感で攻撃の軌道を読み、自慢の敏捷で無理矢理躱すことで何とか致命傷を避けてきた。しかし先ほどの一撃は“掠らせるための一撃”だったようだ。傷ついた前足で同じような挙動はできないだろう。

 

『平原の魔物が……相当な修行を積んだと見える。敵とはいえ、儂は強き者・誇り高き者は相応に評価する。儂にここまで時間を取らせたこと、誇りに思うがいい』

「……もう勝った気でいるニャ? ずいぶんと偉そうに、おめでたいことをペラペラ喋るニャァ……」

『強がりはよせ、呼吸ももう整えられぬだろうに。……小さき者よ、貴様は何のためにここまで強くなったのだ?』

「はぁ……?」

『さしずめ、“主のため”という具合だろう? 先ほどのニンゲンが貴様の主か』

「だったら、どうだってンニャ……」

『彼は良き主だ』

「……」

 

 リズはオークを睨むように見上げた。彼はヤリを突き立て、続ける。

 

『戦いぶりを見ていれば分かる。己の限界を越えるような境地には、並大抵の覚悟では至れん。主君のため誇り高く戦う者にこそ、その境地は開かれる。儂も同じだ。……己の信じる主君のため、その身を賭けて戦い抜く覚悟がある』

「主君……? ここの最上階で待っている、教団の奴のことニャ……?」

『そうだ。儂ら魔物に、チカラと居場所をお与えくださった』

「……」

『敬意を表するぞ、貴様にも、貴様の主にも。道は違えど、己が誇りのために戦う者同士。……その忠義と誇りを胸に、ここで死ぬがいい』

 

 ヤリを振り上げた。もう“ピオラ”をかける必要もない。この距離で心臓を正確に貫き屠る。その後は先行した『彼女の主』を追い、同様に撃滅するだけだ。

 だが――、

 

「知ったようなクチをきくニャ……己が誇りのために戦う者、“同士”……?」

『ん?』

 

 

 

「教団のレンチュウに誇りもクソもあるか!! 一緒にするニャこのバカヤロオオオオォォォ!!!!」

 

 

 

 顔を上げるリズ。彼女の手元には一本の“魔法の聖水”が握られている。

 

『むっ!?』

「“ヒャダルコ”!!!!」

 

 至近距離から突き上げるように放たれた氷塊。氷の刃はまっすぐにオークの喉元へ向かっていく。

 

『フンッ!!』

 

 ヤリを振り回し氷塊を弾いた。大量の破片がオークの視界を横切る。

 

『全然“軽い”! やはり限界のようだな小さき――、……むう!?』

 

 目の前が開けると、そこにリズの姿はなかった。彼女のものと思われる血が、転々と階段下まで続いている。

 

『逃走、だと……?』

 

 彼女に与えられた役割は『時間稼ぎ』のはずだ。そう会話しているのを実際に聞きもした。しかしリズが逃げていった方向はここ、東の塔の階下。このまま彼女を見逃し、跳ね橋の先へ向かえばあのニンゲンどもに追いつくことができる。この時点でオークの“勝ち”だ。先ほどまで心で語り合ったはずの彼女は、この土壇場で醜くも逃走を選択した。

 

『ふざ……けるな』

 

 しかし誇り高き“オーク”には、自分が認めたはずの強者がそのような醜い選択をとることが許せなかった。しかも吐き捨てるように、オーク自身の忠義も愚弄しておいて。

 

『耐えがたい、耐えがたいぞ小さき者おおおお! この儂と、儂の誇りを踏みにじったことを後悔させてやるぅぅアアア!!』

 

 怒りのままに雄叫びを上げるオーク。血痕を辿り、下へと伸びる階段を跳ぶように駆け下りた。

 

『どこだ!? どこにいる!』

 

 そこは8階、階段下の通路。広めの通路の先は吹き抜けエリアへ、逆側へ進めば外縁に出る扉があったはずだ。吹き抜けエリアへの扉の横には炎を吐くドラゴンの像。しかしその前には大岩が置かれている。それもそのはずこの通路は既にイーサンたちが通った後なのだ。ちょうどオークたちとまみえる直前、彼らがここのトラップを解除していったに違いない。

 

『血痕がない……。“ヒャド”で止血したか、小癪な真似を……!』

 

 床には一滴も跡がなかった。しかし“オーク”は獣のモンスター。嗅覚はニンゲンのそれよりも遙かに優秀だ。血の匂いを辿ることなど造作もない。

 

『吹き抜けの方角!』

 

 匂いを捉えると共に走り出した。勢いのままに扉を蹴破る。

 

『なに……!?』

 

 瞬間、視界が真っ白に染まる。

 目の前の全てが氷漬けにされていた。壁や床、柱。それ以外にも何本もの氷塊が床から突き出ていて、もはやそのエリアが本来どのような形をしていたかもわからない。床と天井から伸びる幾重ものツララが視界を遮る。

 

『まだ……ここまでの量を操る余力が残っていたか。む――』

 

 背後で足音。

 振り返るが誰の姿もない。いや、視界の端に影が映り込んだような気がした。しかしそこを注視しても氷の塊が突き出ているだけ。きらきらと輝く氷の表面は鏡のように光を反射している。……今視界に映った“影”は、本当にその場所にいた影なのだろうか。

 

『(この限定された視界に、氷塊ひとつひとつが別の方角の景色を映している。これでは目からの情報がほぼ機能せん……!)』

 

 ゆっくり息を吐くと、瞬く間に白く染まる。鼻から吸い込んだ空気は刺すような冷気となり、嗅覚も絶妙にはぐらかしてくる。オークは今、リズの気配を完全に見失っていた。

 

『姑息。姑息なり小さき者! 貴様はまだ戦う意志があった! あった上で儂を愚弄し、煽り、ここまでおびき寄せた! そしてこの、視覚も嗅覚も機能しないフィールドでこの儂を、不意打ちで倒そうと考えているのだろう! 戦術と呼ぶにも劣る、姑息極まる手段だ!』

 

 ヤリを両手に持ち直し、“ピオラ”を詠唱した。

 

『だが儂は安心している! 貴様にまだ闘志があったことを、心から嬉しいと感じている! だから儂は貴様の渾身の不意打ちを……正面から迎え撃ち叩き潰す!!! そして主に仕える者同士、儂が正しいということを証明して見せようぞ!!』

 

 腰を落とし、両目を見開く。白く色づいた冷気が、目の前をスローモーションで波打った。今なら空気を漂う塵の一粒一粒さえも見逃さない自信があった。

 

 匂いは辿れず、周囲は無数の氷塊。何より視界が最悪。しかしリズはきっと、直接攻撃でとどめを狙ってくるはずだ。彼女の“ヒャダルコ”ではオークの毛皮を一時的に凍らせることはできても、貫くことができない。さらに上位の呪文を隠している可能性もなくはないだろうが、吹き抜けエリア全体を氷漬けにした直後で有効な威力のものを撃てるとは思えない。

 

 そして、いくらこの場所を障害物だらけにしたところで、直接攻撃でとどめを刺しにくるのなら必ず一瞬、姿を見せる。遠くに見えた姿なら鏡像との判別がつかないが、とどめの一撃は必ず“実像”のはずなのだ。オークはそれを狙っている。リズの不意打ちを見極め、“ピオラ”による加速をもってカウンターで仕留める。その瞬間はすばやさ勝負だろうが、当然負けるつもりはない。

 

『(さあ……来い……!!)』

 

 空気が揺らめく。

 

『(……!)』

 

 背後の空気が微かに揺れるのがわかった。気配はなく殺気も完全に消されている。視界にも入っていない。完璧な方角からの奇襲だ。しかしオークには、極限までに集中したオークの目と肌には、リズが音もなく飛びかかってくる方角が正確に伝わってきた。

 

『(ここまで集中していなかったら、あるいは見抜けなかった。やはり貴様の強さ、戦闘のセンス、執念……それは尊敬に値するようだ。だが――)』

 

 背後の“彼女”が腰を落とし、飛びかかりの姿勢を伸ばす。この段階で一度見抜いてしまえば、元来の素早さに“ピオラ”も上乗せされたオークの速度に、とても追いつけるはずもない。

 

『儂の“勝ち”だっ! 死ねえええ!!』

 

 振り向きざまに全力でヤリを突き出す。切っ先は真後ろに迫る彼女の脳天をたやすく貫通し、背後にそびえる氷の塊を叩き割り、さらにその向こうの壁にまで深々と突き刺さった。

 

 しかしオークの表情は驚愕。たった今、すぐ後ろまで迫っていた彼女の、その額を貫いた瞬間の手応えが()()()()()()()()()からだ。増幅した動体視力と感覚は、彼女の額が『からっぽ』であることを否応なしに突きつけてくる。

 

『こ、これは――!?』

「氷で作ったダミーだニャ! 見事に騙されたニャア、このクソッタレ!」

 

 思わず顔を見上げる。吹き抜けエリアの天井、そこの梁に乗るリズがこちらを見下ろしていた。

 

「もう一発行くニャアアアア!」

『(なんだ……? 嵌められた? そうだ、嵌められた、また騙された。でも関係ない。わけがわからない。儂は完璧に嵌められた。でもなぜ、()()()()()()()()()()()()()? なぜ“ヒャダルコ”で追撃する? もうあの程度の大きさの物しか作れていない。直撃してもせいぜい数秒止まるだけだろう……? なんだ、何を考えている? 儂は今、何を、何を見落としている――!?)』

 

 本能のままに視線を動かす。先ほど貫いた“彼女のダミー”と、その先にある氷塊。これらを、さらに奥にある壁もろとも貫いた自身のヤリ。

 

 目と鼻の先にある“彼女”が砕け、壁を包む氷も砕け散る。“ピオラ”によって加速された世界の中で、氷の破片が砕け散っていく様ももどかしいくらいにゆっくりだ。そして考える。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『こ、これは――!!!』

 

 吹き抜けエリア。

 

 炎を吐くドラゴンの像。

 

 既に通過済みのイーサン。

 

 トラップ好きの主。

 

 あえて置いた大岩と、

 

 大岩に触れた者に向けた()()()()()()

 

 

『これはァ――!?』

 

 “ピオラ”が切れる。

 視界を遮っていた氷の破片はすべて吹き飛び、オークの目の前には『壁』だと思っていた手応えの正体。

 

 

 

 ヤリに片目を貫かれた“ばくだん岩”の、不気味な笑顔と目が合った。

 

 

 

『ウゥワアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!』

 

 渾身の力で突き出したヤリが簡単に抜けないのはわかりきっている。本能と恐怖のままにヤリから手を離そうとするのは当然の反応と言えるだろう。

 しかし、

 

「“ヒャダルコ”!」

 

柄を握りしめた腕に詠唱の完了した氷塊が振り下ろされる。中級呪文ではオークの毛皮を貫けない。せいぜい、『たった数秒』凍らせるくらいのものだろう。

 

『んなあああああ!?』

 

 再び顔を上げると、既にもう一発を詠唱し始めているプリズニャンの姿。梁の上という絶妙に離れた場所にいるのも、これから起こる大爆発を逃れるためということを今更過ぎるが理解した。そして彼女のその考えを理解し、オークは血の気が引いていくのを感じた。

 

『き、貴様!! こんな、こんな、こそ――』

「姑息? 卑怯? 何とでも言えニャ。いいか……」

 

 リズが咳き込み、短く吐血した。軽傷とは言えない身体で、連続して呪文を放ったことで彼女の体力も限界に近いだろう。

 

「ご主人は、ニンゲンはいつもそうやって生きてきた。ニンゲンは弱いニャ。チカラは低いし、精神だってヘナッヘナ。だからいつも機を覗って、裏をかいて、誰かに頼って、力を合わせて、そうやって毎日戦っているニャ。そうしないと、生き抜けないから――!」

 

 オークが腕に力を込めて氷を剥がす。しかし全く同じタイミングで“次のヒャダルコ”が叩き付けられ、一行にその場を離れられない。“ばくだん岩”は氷塊をものともせずに、大きくつり上げた口を動かしてぶつぶつと何かを呟いている。聞き取れはしないが、それがこのモンスターの名前の由来にもなっている厄災の呪文であることをオークは知っている。

 

「リズたちの生き様に『卑怯』も『姑息』も、『正しい』も『間違い』もない!! あるのは『全力』っ! ただそれだけニャアアアアアアアア!!」

『この氷をどけろおおおォォォォォォウオアアアアアアァァァァァアアアア――!!』

 

 

 瞬間、閃光が走る。

 

 ばくだん岩の莫大な生命エネルギーを乗せた自爆呪文“メガンテ”の詠唱が完了し、床も壁も、溶け残った氷も全てが光に飲み込まれる。衝撃波は塔を揺らし、静寂に包まれた周囲の森を激しく揺さぶる。

 

 それのほんの一瞬の出来事で、後には音すらも残らない。

 辺りは再び静寂に包まれていた。何も聞こえない。

 

 

  *  *

 

 

「今のは……ジャミ卿の酔狂な仕掛けがようやく作動しましたか」

 

 中央の塔、第六展望室にて。

 グランバニア王国でモーリッツと呼ばれていた大臣は小窓から東の塔を見下ろす。上司が直々に設計したこの塔は如何に“メガンテ”をもってしても当然倒壊などはせず、星明かりに照らされる東の塔は何事もなかったかのように佇んでいる。

 

「む……?」

 

 入り口の向こうから足音。今の爆発が東の塔に配置した手下たちによるものだとしたら、今ここにきているのは大本命こと、グランバニア王国では王と呼び仕えていた『彼』本人だろう。

 

 モーリッツは短く息を吐いた。

 

「さて、私ももう一仕事といきましょうか」

 

 

  *  *

 

 

 東の塔、4階外縁にて。

 

「ハァーーー、ハァーーー……」

 

 満身創痍のリズは身体を引きずるようにして最上階を目指していた。

 “メガンテ”によって塔そのものは倒壊しなかったものの吹き抜けエリアの内部がことごとく吹き飛び、真下に4階層分の大穴を開けるに至った。梁の上で直撃は避けたリズだったが爆風に煽られ、ここまで転がるように落ちてきたのだった。

 

「(“ばくだん岩”が命のキケンを感じてから自爆するまで何秒だったっけ……? 忘れたニャ。ご主人にならって、ちゃんと図鑑を読んどきゃよかったニャア……。あと一秒、あのばくだん岩が耐えていたら危なかった、もう呪文(ヒャダルコ)撃てなかったニャ……)」

 

 小窓から5階の内部を覗う。めちゃくちゃに崩れてはいるが、すぐそこの内階段は何とか原型を保っているようだ。

 

「とりあえず……トレヴァに合流ニャ。あの子、ここぞってときのキハクがにゃいから心配ニャ……。はは……こんな状態のリズに心配されるとか、トレヴァもかわいそうニャ……」

 

 崩れかけの階段に前足を掛け、ゆっくりのぼり始める。

 

「とにかく一発でも、ベホイミをかけてもら――」

 

 そして足を止めた。

 リズの真横。柱の陰。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『さすがに……ここまで近寄れば、気付くか……小さき、者よ……』

「あ、あああ……」

 

 恐る恐る顔を上げた。きっと笑えるくらいに、滑稽な表情をしていただろう。

 

「なんで……生きて――!?」

 

 オークの身体はリズ以上に酷い有様だった。立派な毛皮はほとんどが消し炭になり、大やけどを負ったむき出しの皮膚の所々から未だに黒煙が立ち上っている。顔面はもともとの顔立ちが分からなくなるほどに歪み、彼の片腕、ヤリを振り回していた利き腕と思われる方の腕は肩口から消失していた。

 

『なんで、生きているか……儂にもわからん。ただあのとき、夢中で腕を()()()()()()ことで……もう少し……ほんの少しだけ長く生きることを許された……ようだ』

「……!」

『貴様のように……致命傷を避けることは、できなかったがな……。もう呪文など撃てん。音も光も遠ざかるばかり……。儂はもうじき死ぬだろう。だが……』

 

 もう片方の腕の先、残った腕の先には瓦礫から拾ったのだろう、尖った鉄の棒が握られていた。

 

『だが、儂も貴様に教わったように……醜くかろうが、泥臭かろうが、最期まで”全力”で、戦うことにしたぞ……!』

「あ……!」

 

 オークは鉄の棒をヤリのように構え、振り上げた。この間合いで、しかも深手を負った状態では、リズがその一撃を避けることはできない。

 

 

 

 もともと、リズに与えられた役割は主の道を切り開くことだ。一刻も早くフローラの元へ向かうために、雑兵にかけている時間はイーサンにはないのだ。そのためにこのオークの相手はリズが請け負った。オークはきっと、この渾身の一撃でリズを屠った後に息絶える。主であるイーサンはオークの追撃を受けることなく、フローラの元へと向かえる。例え相打ちでも、ここで共倒れになったとしても、この時点でリズは役割を果たした。十分だ。滞りなく、今回の救出作戦に支障はない。

 

 ――それでも、

 

「(それでも、それでも――! ()()()()()()()! ()()()()()()! この一撃を受け流せるのならあとはもうどうなったって構わないっ!! 生き抜くためにもう一瞬、力を振り絞れリズううううう!!)」

 

 魔力を練る。頭の奥がチカチカと弾けるような感覚。危うく意識を飛ばしそうになるも、なんとか堪えて振り下ろされる得物の切っ先に全神経を集中させる。

 眼前で生成された氷塊はあまりにも小さく、弱々しい。しかしこれが『リズの全て』であり、これに文字通り己の命を賭けようとすることなど無謀を通り越して滑稽とさえ思う。

 

 死にたくないと思った。

 役割を終えても、使命を果たしても、ここで死にたくはないと思った。しかし目の前の、吹けば飛ぶような小ささの氷塊に心が折れそうになる。こんなものでは敵の最期の一撃にたやすく弾かれ、自分はここで死ぬ。そう想像すると悔しくてたまらない。

 

 それでも、それでもと思ったのだ。

 

 

 

――おつかれーリズ! ナイスアシストだったぞ。タイミングも狙いも完璧だなあ。

 

――なんだよヘンリー。別に俺は大げさになんて言ってないぞ。感じたままに褒めてるだけだ。

 

――なあリズ? そうだよなあ。うんうん、ほんとに、

 

 

 

――リズのヒャドは世界イチ、だよな!

 

 

 

『オオオオオオオオオオオオオンンンン!!』

「――ッシャアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 放たれた細い氷塊はオークの腕とかち合い、粉々に砕け散る。

 しかし振り下ろされる一撃の軌道は僅かに逸れ、鉄の棒はリズの真横、すぐ横の床に突き刺さった。同時にオークの両足から力が抜け、地響きと共にリズの目の前に倒れ伏す。彼の目に、もう光は宿っていなかった。

 

「う、ぐ……」

 

 突き刺さった棒に寄りかかるようにして倒れる。ゆっくりと呼吸を整えようとすると、喉の奥がごぽごぽと鳴った。

 

「能力も……覚悟も……オマエの方が上だった……。リズが勝てたのは……まぐれニャ。誰が見てもそう言うし……リズもそう思う……ニャ。でももし、差がついたと……するなら……」

 

 息をしなくなったオークの顔を見た。焼け焦げた片耳に金属製の札がついている。

 ニンゲンがよくお洒落で身につけるピアスのようにも見えるが、ひしゃげた札の表面には乱雑な字体で『No.20』とだけ刻まれていた。

 

「…………」

 

 彼は主のために戦うことを何よりも誇りにしていた。誇りを語る彼の表情を思い出す。

 

「なあ……『オマエ』は主に、……何て呼んで欲しかったニャン」

 

 

 

 

 





次回 《デモンズタワー⑤ ワタシの翼は絆の証》

10/23(日) 18:00~更新予定



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7-10. デモンズタワー⑤ ワタシの翼は絆の証


お久しぶりです。イチゴころころです。

デモンズタワー突入辺りから、残酷な描写タグがそれなりに生き生きし出した気がします。
みんなには頑張って欲しい、生きて欲しいと思いながら書いています。

サイコパスかもしれない。





 

 

 “キメラ”とは、“合成生物”の別称である。

 蛇の胴体に、ハゲタカの頭と翼を合成させられて生まれた魔物だ。しかしすべての個体が合成によって生み出されるわけではなく、現代の空を飛ぶキメラは例外なく、他の生物同様繁殖によって生を受けている。気が遠くなるほどの昔、何者がどんな意志を持ってハゲタカと蛇を合成したのかは不明だが、その歪とも取れる生命はひとつの『(しゅ)』として成立した。“アウルベアー”や“へびこうもり”など、複数の動物を掛け合わせて生まれたと思われるモンスターは数あれど、この蛇とハゲタカの合成獣のみが“合成生物(キメラ)”と呼ばれるのも、この種が最も古参にして始祖たる合成獣だという証左かもしれない。

 

 

 彼女は“トレヴァ”という名前をもらう前、何の変哲もない一羽のキメラだった。種族特有の高い知能を用いて群れを成し、集団で狩りをするルラフェン地方のキメラでしかなかった。木々の間を自由に飛び、小動物や木の実を食べて生きていた。たまに行商人が通りがかったときは、群れで襲いにいくこともざらだ。ただニンゲンを捕食対象としているわけではなく、狙うのはあくまで積み荷となっている食料の方だ。ニンゲンの方もそれをわかっているのか、平原を飛ぶ“キメラ”に関してそれほど脅威に感じることもなく、ただの迷惑なモンスターという認識だった。ニンゲンとキメラの間で、不思議な線引きがされていたのだ。“トレヴァ”になる前の彼女も、そのことを自然と理解していた。

 あの日までは。

 

 

――食べないで! 殺さないで!

 

 

 その日、運悪くキメラの群れに襲われた行商人の馬車隊。商人の子供であろうひとりの少年は滑空する彼女に向かってそう叫んだ。

 ニンゲンの言葉はまだ知らない。しかし目の前の無垢な少年は『捕食されること』と『命を失うこと』を恐れているのだと、彼女は直感で理解した。

 キメラがニンゲン本体を襲うことは少ない。リスクが高いことを知っているからだ。しかしそれは少なからず武装した“大人”相手の場合のみ通用する話であり、……目の前の少年は武装もせず、敵意もない。体格でさえ、キメラよりも一回り小さいのだ。その気になれば一撃で命を絶ち、巣に持ち帰ることができる。そこまで考えると、彼女は『かわいそうだからやめよう』と思い、少年に背を向けた。

 

 その瞬間である。

 

 

――――かわいそう、って なにが?

 

 

 彼女の脳裏は真っ白に染まった。今の今まで一度も、森に棲む小動物や湖を泳ぐ魚、たわわに実る木の実――。それらすべての()()()()()()()()()()()()に対して、一度もかわいそうなどと思ったことはなかったからだ。

 それから何日も、彼女はこれまでにないほど思考した。知能の高いキメラだが、彼女に芽生えた感情を群れの誰かに説明するほどの言語は得ていない。自分らは常に、生きるために誰かを、何かを傷つけないといけない。そのことが怖く、次第に食事すらも億劫になっていった。

 

 何度目かの日の出と共に、彼女は群れを去った。“このこと”に疑問も持たずに生きる同族が、とても恐ろしく思えたからだ。しかし既に食事を絶って数日。遠くまで飛んでいける体力はなく、力なく草むらの上に倒れ込む。目の前を一匹のウサギが通りかかった。咄嗟に食べたいと思い、そう思った自分を嫌悪した。このままでは死ぬ、そんなことはわかっている。きっと自分は生物として欠陥品なのだろうと、そう思うと悔しくて仕方がなかった。

 

 その数分後、彼女はとある出会いを果たし、晴れて“トレヴァ”となる。さすらいの魔物使いが差し出した魔物用のエサもまた、きっと多少なりとも誰かの命を削って作られた食料なのだろう。それでも、クチバシの間に広がるその食感はとても温かく感じた。

 

 

  *  *

 

 

「く――!?」

 

 夜の森。その上空を滑空するトレヴァは、背後から放たれた“ベギラマ”を紙一重で躱した。空中戦では背後についた方が有利である。呪文を撃つにせよ打撃を与えに行くにせよ、進行方向に放つ方が簡単だからだ。彼女は何度かこのポジションを覆そうとターンを仕掛けていたが、教団の刺客たる“巨大なキメラ”には速度でも旋回性能でも劣っていて背後を取れない。攻撃こそ受けてはいないが、防戦一方の状態だった。

 

「単純な能力 なら ……間違いなく不利!! でも マスター なら !!」

 

 トレヴァは翼をすぼめ急降下した。生い茂る枝と葉を器用に避け、森の中を低空飛行する。

 

「見失う ワケにはいかない でしょう。 追ってくるしか ない!」

 

 狙い通り、追跡者も高度を落として森の中に突入してくる。木々が大きく揺れ、何本もの枝がへし折れる音が聞こえた。

 

「――そして、ここなら。 森の中なら 身体の大きなアナタの方が不利っ!」

 

 枝の間から敵の姿が見えた瞬間、トレヴァは全力で翼を動かして旋回した。木の幹や枝を避けながらの、最短・最速の旋回だ。敵が体勢を整える前に背後につく。そうなればこのフィールドでは、易々と背後を取り返されはしない。

 

「(取った! この木の向こうに――――!)」

 

 一瞬の間だけトレヴァを見失っている敵がいるはず。しかしそこで彼女は寒気を覚えた。木の陰の向こうには確かに敵の気配があるが、その周囲の空気が微かに揺らめくのを感じたのだ。

 

「(これは――呪文!?)」

 

 次の瞬間、今まさにトレヴァが回り込もうとしていた大木が発火した。

 

「うああ!?」

 

 咄嗟に距離を取る。見れば先ほどの大木以外にも、トレヴァの前後左右、周囲の木のすべてに炎は燃え広がっていた。

 

「な、なああ!?」

 

 このままでは焼け死ぬことは免れない。トレヴァは翼をはためかせ、ついさっき潜ってきた枝の間を上昇していった。

 

 

 再び森の上空。空からの星明かりと森に広がる炎の灯りに照らされて、敵のキメラがこちらを見下ろしている。敵はトレヴァの狙いを悟った直後、森に“ベギラマ”を放ち、すぐに上空へと戻ったのだ。上手くいけば目障りな小さいキメラは焼死し、そうでなくとも不利なフィールドでの戦闘を無理矢理封じられる。障害物のない上空での戦闘では、単純な身体能力で劣る相手に背後を取らせはしないだろう。

 冷ややかな目でトレヴァを睨む敵に対し、トレヴァは怒りを露わにした。彼女の耳には、焼ける木々の軋む音と逃げ惑う動物たちの鳴き声が届いている。

 

「なんて こと……!」

 

 誰かを傷つけたくない。それが長い旅の果てに自覚した、彼女の行動原理だった。自分が食事を必要とする生物である以上、完璧にそれを成すことは不可能だということは重々承知している。その上で、誰かが傷つく場面は少しでも減らしたい。彼女はそう考えるようになった。全滅を前提にしたマービンの待機命令に納得がいかないのも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っているのもそれ故である。

 

 世の魔物が聞いたら、いや、これはニンゲンですら鼻で笑うだろう自己満足だ。流行り言葉では“エゴ”とも言うのだとか。しかし種族らしくなくて良いこと、矛盾していても良いということは他でもないイーサンが戴冠をもって教えてくれた。トレヴァは自分のこの考えを、時には主の命令に反するとわかっていながらも誇りに思っている。

 

 だからこそ許せないのだ。

 

「見境なく 森を焼くなんて! どうしてこんな ひどいことができるの!?」

『……』

 

 鬼気迫るトレヴァの表情に敵は少しだけ目を細め、ここで初めて言葉を発した。

 

『キミ やる気 あるの?』

「え……」

 

 たどたどしい人語。しかしその声色と表情からは、呆れと哀れみが伝わってくる。

 

『戦う 気 ないでしょ』

「なに 言って……」

『キミも ボクも 森、 リヨウした。 何が違う?』

「違う。 アナタのやり方は、 命を蔑ろに――」

『そうでしょ? どうでもいいでしょ。 他の命なんて』

「……」

 

 敵は翼を広げ、トレヴァの周りを滑空した。

 

『ボクは 生きるために 教団に入った。 その方が、 群れにいるより 生きやすいから。 それだけ。 それ以外 ない。 それ以外 どうでもいい。 ボクが無事に生きられれば それでいい』

 

 彼は間違ったことは言っていない。そう感じる。

 

No.20(オーク)の方は チュウギとか ホコリとか 何か色々言ってるけどね。 ボクは興味ない。 どうでもいい。 ()()()()()は 考えない方がいい。 その方が ずっと楽なんだ』

 

 ふらりと上空に舞う。翼を伸ばすと心地よかった。教団のお陰で大きくなった自分の翼。ただのキメラだった以前よりも格段に『生きやすい』。

 

「……その通り だね」

 

 眼下で俯く小さなキメラ。彼女はまさに過去のボクだなと、彼はそう思った。弱々しく、毎日が命がけ。必死で生きるしかない。とても哀れだと、そう思った。

 

「アナタは、 昔のワタシみたいだ」

 

 だから、目の前の彼女にそう言われたときは本当に驚いた。

 

『……うん?』

「否定しないよ。 アナタの考え。 昔のワタシそっくりだから」

 

 何を言っているのかわからなかった。逆だろ、そっちが昔のボクにそっくりなんだ。そう思った。さらに、ボクだったら昔の弱いボクは、生きづらいボクは否定したいのだと、そう思った。

 

「否定しないけど 許しもしない。 アナタは昔のワタシだから この手で倒して、 乗り越えるね」

『……!』

 

 トレヴァは首を捻り、首元の毛皮に隠していたブーメラン、イーサンに渡された予備の武器をくわえた。そして目の前の敵に向かって渾身の力で投げつけた!

 

『なに――!?』

「ふっ!!!」

 

 そして一瞬遅れて、弧を描くブーメランとは逆側から全速力で突撃する。投擲されたブーメランに目を奪われた敵はその動きへの反応ができない。

 

「生きづらくて 良いの! アナタの言う 余計なことを考えてるから こうやって ワタシは道具を使えるの!」

 

 そうしてトレヴァのクチバシが敵の首を捉える直前――、

 

 

 

敵は一瞬にして彼女の背後に回り、その片翼に食らいついていた。

 

 

 

「…………え?」

『やっぱ キミこそが昔のボクだ。 その程度が全速力で 生きづらくはないの?』

「やめ――」

『……“ベギラマ”』

 

 ゼロ距離で放たれた火炎放射は翼の根元を焼き千切り、衝撃波に吹き飛ばされた彼女の身体はくるくると円を描きながら、燃えさかる森の中へと落ちていった。

 

『ぺっ』

 

 彼は焼け残った彼女の片翼を無造作に吐き出し、遙か遠くに見えるデモンズタワーへ向けて翼を動かす。

 感傷はない。心底どうでもいい。この後もただ、命令通りにニンゲンどもの妨害をし、その褒美にきっとまた生きやすくなるクスリをもらえる。そのことが楽しみなだけだった。

 

『バイバイ 昔のボク』

 

 

 

 





次回 《デモンズタワー⑥ 50ゴールドの奇跡》

10/30(日) 18:00~更新予定




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