最強戦乙女の愚行記~ドMなTSっ娘は心配されながら傷つきたい~ (恥谷きゆう)
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太陽の如きお姉様
ドM乙女の心は複雑怪奇


 化け物と戦うことを宿命づけられた少女、天塚燐火は元男でマゾヒストだ。

彼女が己の性癖を開花させるに至ったのには、複雑な経緯がある。

 

 

 前世において、俺は男であった。健全に漫画やアニメを嗜み、美少女の戦う様に興奮した。魔法少女。戦うヒロイン。銃を持った女子高生。

 様々な作品を吟味した俺は、己の性癖を悟る。

 すなわち、美少女が傷つく様は美しい。手足を拘束される時、腹を殴られた時、手傷を負い痛みに顔をしかめる時、彼女らはもっとも輝く。

 

 そう悟った俺は、次々とそういったシーンを消費していった。ヒロピン、リョナ、触手。

 素晴らしかった。美しい少女の絶望顔。愛らしい女の子の苦痛に歪む顔。それを見る仲間たちも、まるで同じ痛みを受けているように苦痛の表情を浮かべる。

 

けれど、あらゆる性癖を食らい続けた俺は、やがて深い失望に包まれることになる。

 ――どうして俺は、美少女になってピンチに陥ることができないのか、と。

 

 

 俺を十年近く蝕んだ思考は、俺を狂わせた。自分が美少女だったなら、痛覚を、屈辱を心から堪能できるのに。それは渇望であった。灼熱の砂漠で三日間過ごした人間が水を求める如く、俺は美少女になって痛覚を得ることを渇望した。

 

 

 

 

「あれ!? 俺美少女になってる!? ひどい目に遭うことができる!?」

 

 夢は叶った。俺は歓喜し、その場で絶頂した。当然、比喩である。完璧な美少女たる俺は、簡単に淫らな姿を晒すわけにはいかないのだ。

口端に伝った唾液を拭って、俺改め私は一人深呼吸をして、息を整えた。

 

「スーッ……ハーッ……フヒッ」

 

 深呼吸すらまともにできないほどに俺は興奮していた。変な声が漏れる。

 

 そんな風にまだ見ぬヒロピンを想像してゾクゾクしていた俺は、数分かけてようやく己の現状の整理に頭を回し始めた。

 

「女子制服……この感じ、女子高生ってところか」

 

 上品な装いの制服を盛り上げる、胸部の膨らみを軽く掴む。微かな快感。けれど俺は、この胸を蹂躙するのは意に添わぬ、嫌悪するべき相手であるべきだと思っていた。例えばそう、下卑た顔で胸を鷲掴みするような下郎であるべきだ。

だから遊ぶのはほどほどにして、現状分析に戻る。

 

生徒手帳らしきものを開く。淵上高校一年、天塚燐火 おお、顔写真可愛い。凛とした顔立ちがいい味出してる。高校一年生かー、若いなー。とりあえずこれは仕舞っておこう。

 

 スカート丈は膝のあたり程度か。軽率に短く折らない様子は気品を演出している。――興奮する。

 スカートの脇には、制服にはあまりにも不釣り合いな日本刀が二本吊るされていた。丈はやや短い。小太刀、と分類されるのだろうか。

鞘に収まるそれはどうやら真剣のようだ。慣れた所作で一本を抜刀した俺は、刀身を眺めてそう分析する。

 

「……おお、やっぱり美しい顔だ」

 

 曇り一つない刀身に映った顔は、凛とした美少女だった。黒髪は艶艶としていて、烏の羽を思わせる。細められた目は、やや不機嫌そうに見えるだろうか。俺的には、今めちゃくちゃ興奮してるんだけどな。

 

「……というか、刀を持っているってことはやっぱりどこかに敵が……?」

 

 少女が戦う作品をたくさん食らってきた俺の直感的には、この体は戦うためにどこかに向かわなければならないのだと思うのだが……。

 

「おーい! そこのひと―!」

 

 遠くから、今の自分と同じ年代くらいの少女が近づいて来た。よく見れば、その身に纏う制服は俺と同じだ。

 

「ハァッ……ハァッ……探したよー? まったく、登校初日からおさぼりなんて、君いい度胸してるねー?」

 

 息を切らしながら俺の前まで来た少女は、俺に小言を言った。けれど、その口調はあくまで明るいままで、あまり怒っているという印象は受けなかった。

 

「えっと、あなたは……?」

 

 正直、ここに来るまでこの体がどうしていたのか全く分からない。俺の最後の記憶は、男の俺が――死んだところで終わっている。

 

「うん?」

 

困惑したような声をあげる少女。彼女は、愛らしい顔立ちの女の子だった。年は俺より少し上だろうか。幼げな顔だが、よく見れば体の発育など大人びたところがある。明るい茶色の髪が、サイドアップになっている。

 

「ふっふっふ! 今日からあなたのお姉様になる人です!」

 

 少女はなぜか得意げに胸をそらすと、自信満々に言った。

 

「えっと、お姉様?」

「うんうん! いいねいいね! もっと言って! もっとお姉様って呼んで!」

「お姉様」

「くーっ、この響き、先輩もこんな気持ちだったのかなー!」

「お姉様」

「はい、あなたのお姉様ですっ! どうしたのかな、愛おしい我が妹よ」

 

 あ、ようやく話を聞いてくれる姿勢になった。

 

「えっと、髪の色が違うんですけど本当にお姉様ですか?」

「ぇ?」

 

 天真爛漫、と言った様子だった少女の笑顔が、突然凍り付いた。

 

「妹じゃない……私に妹はいない……? っていうか君の名前は?」

「あ、はい。天塚燐火です。あの、名前を知らないのに姉を名乗っていたんですか?」

 

 この人怖い。不審者?

 けれど俺の言葉にも、彼女は得意げな笑みを見せたままだった。

 

「ふっふっふ。君と私が義姉妹になることは、ずっと前から決まっていたんだよ……! そう、これは絡まり合う因果律が生み出した奇跡の邂逅……! 時代の荒波に翻弄されながらも、ついに私たちは再び巡り合ったんだよ……!」

「ああ、なるほど。義姉妹制度ですか。学校から既に決められていたんですね。すいません、見落としてました」

 

 俺は彼女を放って学生帳を捲り、記載事項を改めて確認していた。そこには、見慣れない、義姉妹役、という欄があり、「桜ヶ丘真央」という名前が記載されていた。

 

「えっと、桜ヶ丘先輩で良かったですか? 入学初日から遅刻してしまい大変申し訳ございません。入学式の案内の用紙を紛失してしまいまして……」

「あらら、どうやら見かけによらずドジっ娘みたいだね。私の妹は」

 

 桜ヶ丘先輩は、妹、の部分をやけに強調して言った。

 

「仕方ない、私が連れてってあげるから、ほら、手」

「あの、幼児ではないので手を繋ぐ必要は……?」

「いいから、ほら! ドジっ娘ちゃんが転ばないように!」

「はい……」

 

 おずおずと、手を握る。あったかくて柔らかい。

そうしてから、ようやく気付く。

……これはもしかして、結構な羞恥プレイなのではないだろうか!?

 

 入学式に遅れて教室に入ってくる新入生。わざわざ上級生に手を引かれての登場。突き刺さる視線。呆れた目。叱咤。

 

 ……ゾクッ

 

 こんな快楽を簡単に味わっていいのか!? うおおお、美少女ライフ最高だー!

 

 

 興奮していたらいつの間にか目的地についていたらしい。

少女に連れられて到着したのは、大きな学校だった。四階建ての校舎は、味気ない白色。立派な正門。門の前の札には「淵上高校」と書かれていた。

 

「じゃあ、お姉ちゃんはこの辺で。クラスの皆と仲良くするんだぜ、愛しの妹よ」

 

 桜ヶ丘先輩は、あっさりと俺の手を離してしまった。……ああ、やっぱりそう上手くはいかないか。クラスメイトに初日から呆れた視線を向けてもらえると思ったのに、残念。

 

 けれど、個人的に桜ヶ丘先輩は短い間話しただけでも好感を覚えた。明るい口調、豊かな表情、話すたびにわちゃわちゃと動く腕。

 愛らしい、という言葉がまさしく似合うような人だった。

 ――あの人に、私が傷つく様を見届けて欲しい、と思えるほどには。

 

 今の俺はマゾヒストだが、単に自分が傷つけば満足、というわけではない。傷つく自分を心配してくれる人がいる方が、もっと興奮する。

 

 悲劇のヒロイン気取り? まあ、そう読み取ってもらってもいい。

でも俺自身の分析から言うと、それとはちょっと違う感情だ。

 

価値あるものが傷つき、貶められる方が興奮しないか?

 

 傷つくことを皆に心配してもらうほどの人間。貶められることを、誰かが代わりに怒ってくれるほどの存在。

そういう人が傷つき、苦悶の表情を浮かべることこそがもっとも美しい、と被虐趣味者的には思うのだ。

 

 だから俺は、自分がマゾヒストだ、なんて滅多な事がない限り言わないだろう。そんなこと言ったら、皆が俺を心配してくれなくなる。

 

「桜ヶ丘先輩」

「うん?」

 

 先輩に呼びかける。先輩には、私のために曇ってもらう要員の一人になってもらわなければ。だからここで、ちょっと媚を売っておこう。

 

「これからお願いしますね、お姉様」

 

 言い終えると同時に、最大限の笑みを。どうにも表情筋の硬いこの体にしては上手くいっただろう。

 桜ヶ丘先輩は、大きく目を見開いて呆然と俺を見つめていた。

 フッ、堕ちたな。

 

 謎の確信を得て、俺は教室へと向かって行った。

 

 

 

 

「いやあ、あの頃の燐火ちゃんは可愛かったなー。お姉様って! 私のことお姉様って言ってたもんなー!」

「い、イヤー! やめてください真央先輩! オレの黒歴史を掘り返さないでください!」

 

 真央先輩の前でだけ見せる素の俺の状態で、俺は絶叫した。

先輩は、俺の動揺する表情を見てケラケラ笑っていた。その元気な様子は、一年前とほとんど変わりない。ずっと可愛らしい彼女のままだ。

 

 さて、俺が戦乙女として戦い始めてから、一年が経った。

 淵上高校は、全寮制だ。寮の部屋は、そのほとんどが二人部屋だ。大抵の場合、義姉妹同士で同室になり、プライベートでも交流を深める。

 俺は唯一美少女への擬態を解くことができる自室で、桜ヶ丘真央先輩と話をしていた。

 

「本当に、あの頃のドジっ娘な燐火ちゃんはどこに行っちゃっただろうねえ。今じゃ撃破数ナンバー1の大エース様。お姉ちゃんはちょっと寂しいです」

 

 この体になってから俺は、皆に尊敬されて、頼りにされ、何よりも心配される人物になるために全力で頑張った。

 本当に頑張ったのだ。毎日欠かさず素振りとランニングをして、体力の向上に努めた。

 実戦では、誰よりも前で戦い続け、敵を屠り続けた。おかげで今では、真央先輩の言う通り、撃破数ナンバー1の大エース様だ。

 

 ……ぶっちゃけ、戦って負傷するのが気持ち良かっただけである。

美少女になった俺は無敵だった。ランニングで息が上がり、心臓が痛くなれば、それだけで気持ちよくなれる。素振りのし過ぎで血豆が潰れると、気持ち良さのあまり大笑いしてしまったものだ。

 

 何よりも、敵に攻撃される快感といったら……! もう、天国に昇ってしまいそうだった。足を斬られ、頭を殴られ、腹を刺された。そのたびに俺は歓喜した。ああ、これこそが快感。最高の痛みだ、ってな。

 

 ちなみに、そんなことをしていたおかげでいつしか俺は『血まみれ一等星』なんて物騒な名前で呼ばれ、恐れられるようになった。

 

 

「でもお、私は今でもあなたのお姉様なんだから、頼ってくれてもいいのよ? あ、またお姉様って呼んでくれたらハグしてあげる!」

 

 真央先輩は両手を大きく広げると、カモンカモン、と手をこまねいた。

 少しだけ心惹かれたが、俺はその気持ちをグッとこらえ、あくまで冷静に答える。

 

「いやですよ。そんなことしたら、最強の戦乙女の名折れじゃないですか」

「ええー! どれだけ強くても、燐火ちゃんは燐火ちゃんでしょ! もっと私に頼ってくれたっていいじゃない! もうっ!」

 

 ぷくっと可愛らしく頬を膨らませる先輩。そんな様子に、思わず口角が上がってしまう。

 

「もうオレは人の上に立つ人間ですからね。いつまでも妹分の身に甘えられませんよ」

「ええー、マゾヒストなのに?」

「……」

 

 そう言われると、何も言えない。

俺は俺の快楽のためにこの嗜好については誰にも教えないつもりだったが、真央先輩にだけは本当のことを話していた。先輩にだけは、もう何も隠したくなかった。

 

 そんな様子の俺を見て、真央先輩はまた優しい笑顔を見せてくれた。

 

「そんなに背伸びする必要ないと思うけどなあ。燐火ちゃんは燐火ちゃん。可愛くて、クールで、ちょっとドジで、そして困った趣味を持ってる子。最強だとかなんとかは、後からついてきた結果。それに囚われる必要なんてどこにもないんだよ?」

「……先輩は、相変わらず凄いですね」

 

 俺の悩みをあっさりと見抜いて、適切な助言をくれる。本当に、いつまでも頭が上がらない。

 

「さて、そろそろ寝る時間かな? 燐火ちゃん、今日は添い寝、する?」

「しませんよ! いつもしてるみたいな言い方しないでください!」

「ええー、強情だなー。じゃあ、こういうのはどう? ――失望した。添い寝してくれないなら、燐火ちゃんなんて嫌い」

「あふんっ……」

 

 真央先輩らしからぬ冷たい声だった。それに興奮した俺は、思わず変な声をあげてしまった。先輩は、そんな俺を見てちょっと眉を下げた。

 

「……燐火ちゃん、ちょっと気持ち悪かったよ」

「うぐっ……」

 

 先ほどの比ではない衝撃が、俺の胸を襲った。

 気持ち悪いって……真央先輩に気持ち悪いって言われた……! 基本的に人に蔑まれるのはウェルカムな俺だが、好きな人に言われると流石に傷つく。

 一年の時を経て、俺と真央先輩の関係は義姉妹、なんて言葉では言い表せないほどに深いものになっていた。

 

「ふふっ……ごめんごめん。好きな人にはちょっと意地悪なこと言っちゃうものなんだよ! さ、寝よ寝よ!」

 

 ころりと表情を変えた先輩は、明るい口調でそう呼びかけてきた。

好きな人、と言われた俺の気分は一瞬で回復する。我ながら現金なものだ。

 

「おやすみ、燐火ちゃん。……あっ、寝てる間に勝手にベッドに入ってきてもいいからね! むしろ来て! 妹を抱き枕にして寝るの私の夢だったんだ!」

 

 相変わらず、賑やかな人だ。

 



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ターゲットロックオン

 最近力が発現したばかりの戦乙女、光井優香は、今日初めて淵上学校を訪れた。

 

 淵上高校。人類の敵である『魔の者共』と戦う戦乙女たちが集められている学校。

 閉鎖空間であるそれについて、世間では様々な噂が飛び交っている。いわく、人類の防人たちの基地。いわく、百合の花咲き乱れる秘密の園。いわく、軍役を課された少女たちの牢獄。

 

 恐る恐るこの学校を訪れた優香の第一印象は、意外と普通の女子高っぽい、というものだった。

 見渡すばかりの、女子女子女子。廊下を歩くだけでも肩が触れていないかと気を遣う。人類を守るための戦いに明け暮れているはずの女子高生たちは、存外明るい表情をしていた。談話をしながら歩く集団。時折互いに小突きあったりして、楽しそうに笑っている。

 

 しかし、あまりにも混沌とした廊下は、どこに行けばいいのか分からない。今日初めてここに来た優香には、なかなかハードな場所だった。

 

 正直、幼馴染の果林が案内を買って出てくれなければどうすればいいのか分からず立ち往生していたかもしれない。

 

 果林は優香の手をしっかり握って、代わりに人混みを掻き分けてくれていた。果林の温かい手は、初めての場所に緊張していた優香の冷たい手を温めてくれた。

 

「すいませーん、通してくださーい」

「あれ果林、見ない顔だけど、その子がもしかして?」

 廊下を歩いていた女子生徒が果林に話しかけてくる。上級生らしく、果林は丁寧に対応していた。

「はい、コイツが噂の治癒能力持ちの戦乙女です。でも今は手続きしないとなのでまた後で……はい、はい」

 

 果林は優香と同じ一年生のはずだが、慣れた様子で人混みを捌いていた。上級生相手でも物怖じせず話して、道を開けてもらう。どうやら、昔から勝気で社交的な彼女の性格は変わっていないようだ。

 

「ありがとね、果林ちゃん。私一人だったら、今頃立ち往生してたよ」

「へへっ、いいってことよ。これからも、何か困ったことがあったら私を頼ってね!」

 

 元気よく答える果林は、いつもの勝気な笑顔を浮かべていた。

 自分にはない、そんな顔に、優香は羨望を覚える。ああ、あなたのように心が強かったなら、もう少し自分に自信が持てるのに、と。

 

 しかしそんな果林が、突如として表情を変えた。

 

「優香、脇に避けるよ! 『血みどろ一等星(ブラッディエース)』様が通るよ!」

「『血みどろ一等星(ブラッディエース)』? 随分物騒な名前だね」

 

 穏やかな響きではない。果林の言葉には、畏怖が滲んでいた。

 

「それだけ物騒な人だからそう呼ばれてるの。ここに来たばっかりのあんたは知らないかもしれないけど、『血みどろ一等星(ブラッディエース)』天塚燐火って言えば、二年生にして撃破数ぶっちぎり№1の大エース。尊敬はされてるけど、でも使えない仲間も一緒に斬り捨てちゃうって噂のおっかない人なんだから!」

「か、果林! 来てるよ! 本人っぽい人来てる!」

「え? ──ヒッ」

 

 果林が恐怖に息を吞んだ。

『魔の者共』との戦いを潜り抜け、数多くの戦いを生き抜いてきた勇敢な果林。一年生ながら、彼女は未来のエースと目されているほどだ。

 しかし、そんな彼女でも、背後に迫る存在はたまらなく恐ろしかった。

 

 天塚燐火は最強の戦乙女だ。

 果林は、その鮮烈な後ろ姿をよく覚えている。

 

 同じ人間とは思えない身体能力。駆ければあまりの速さに旋風が巻き起こる。振るう刀の速度は、同じ戦乙女でも目で追えないほどだ。

 

 戦闘スタイルは、近接一辺倒。二振りの小太刀を握り、敵に体当たりでもするみたいに近づいていく。しばらくすれば、彼女の目の前にいた敵は八つ裂きにされているのだ。

血みどろ一等星(ブラッディエース)』とは、彼女がいつも血塗れになって戦っていることからついた二つ名だ。

 敵に近づくあまり、彼女はいつも返り血で真っ赤だった。あまりにも血を浴びるので、彼女が出血していても誰も気づかないことすらある。

 

 そして何よりも、手傷を負うたびに、彼女は恐ろしい笑顔を浮かべるのだ。果林には、それが一番恐ろしかった。

 その笑みは、凄惨で、狂暴で、そしてどこか恍惚としているようにすら見えた。どうして手傷を負ってもそんな表情ができるのか、果林には分からなかった。

 

 魔の者共と戦う力を得た戦士、戦乙女と言えど、負傷すれば痛いし、血も出る。少なくない実戦経験のある果林には、それが良く分かっていた。

 けれど彼女は、どれだけ血に浸っても歩みを止めることはない。

 

 それは、とても同じ人間とは思えないほどに恐ろしいものだった。

 

「……」

 

 果林は恐怖のあまり固まってしまっていた。天塚燐火が、果林と優香の前で止まる。疑いようもなく、燐火は果林と優香のことを見ていた。

 

 それを見て、優香は静かに前に出た。それは、昔から果林の影に隠れてばかりの気弱な彼女らしからぬ、毅然とした態度だった。

 

「その、果林が無礼な事を言ったのは謝ります。だから、この場は許してくださいませんか?」

「優香……」

 

 優香は、恐る恐る、無表情で立っている天塚燐火の言葉を待った。近くで見ると、彼女は美しい少女だった。凛とした顔立ち。引き締まった体。無言で立つその姿からは、威厳すら感じる。

 

 やがて口を開いた燐火は、意外なことを言った。

 

「君の、名前は?」

「は、はい! 今日からこの学校に転校してきた、光井優香です」

「なるほど、君が例の治癒能力者か」

 

 興味深い、と言いたげに燐火が顔を近づけてくる。美しい顔がグッと近づいてきて、優香は動揺する。

 

「えっと……?」

「……期待しているよ。何か困ったことがあったら、私を頼るといい。これでも実戦経験は多いんだ」

 

 それだけ言うと、燐火はあっさりとその場を立ち去ってしまった。残ったのは、呆然とした顔で彼女の背中を見送る優香と、ようやく正気に戻り、幼馴染に彼女とどういう関係なのか問いただす果林だけだった。

 

「フフッ……君はいい曇り顔を見せてくれそうだね、優香ちゃん」

 

 燐火の呟きは、誰にも聞き咎められることはなかった。



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ドMが一番輝く場所

 21世紀、世界中に「大穴」が出現した。各国の中心都市に突如として現れたそれは、そこに住んでいた多くの住民を飲み込み、帰らぬ人とした。そして大穴からは、人間を襲う異形の軍勢が侵略してきたのだ。

 

 日本にある大穴は二つだ。東京の大穴。これはここ、淵上高校が対処を担当している。もう一つは京都。こちらはもう一つの高校の担当だ。

 

 大穴から這い出る敵、「魔の者共」の姿はさまざまだ。ゴブリン、オーク、リザードマン、といったファンタジー世界から飛び出してきたようなモンスターがいると思えば、河童、ぬりかべ、ろくろ首、といった妖怪のようなものまでいる。その他にもケルベロス、魔猪など、人とはかけ離れたものまでいる。

 

 彼らの進軍してくるさまは壮観だ。姿形のバラバラな異形の軍勢が、足並みを揃えて歩いてくる。彼らは皆、大穴から湧きだしてきている。

 

「優香! もたもたしないで! 死ぬよ!」

「か、果林ちゃんっ! そ、そんなこと言ったって……! はぁッ! みんな早いよお!」

 

 戦乙女はだいたい5人程度のグループで行動する。単独行動や少人数での戦闘行動に慣れたもの以外は、だいたい固まって行動しているものだ。(燐火などは、常に単独行動している)

 

 今日初めて戦場に立った優香は、前を行く四人の戦乙女の背中を必死に追っていた。果林が時折優香を振り返り、心配そうな顔を向けている。

 まだ敵からは遠い。けれどこのまま軍勢に近づけば、孤立した優香が殺されることは目に見えていた。

 

「総員、減速! 光井と足並みを合わせるぞ!」

 

 号令がかかり、部隊が減速する。しばらくすると、先頭を走っていた戦乙女がこちらに近づいて来た。優香の隣を走っていた果林が、背筋を伸ばす。

 

「光井! 大丈夫か?」

「は、はい! すいません、黒崎先輩!」

「いいから、落ち着いて行動しろ。私たちの今日の仕事は、初陣のお前を守ることなのだからな」

 

 隊長を務める戦乙女、少し怖い顔立ちをした黒崎夏美は優しく優香に語り掛けた。

 しかし優しい顔をしていた夏美は、急に厳しい表情になると、並走していた果林に話しかけた。

 

「おい小野寺! お前の幼馴染、守れるか!」

「はいっ! もちろんです!」

「いいか、絶対に目を離すんじゃないぞ! 光井は私たちが責任を持って守る。期待の星だ! 死なすなよ!」

「当然ですっ!」

「よし」

 

 夏美は満足したように頷くと、再び列の先頭へと去っていった。

 それを見送った果林は、露骨に肩の力を抜いた。

 

「はあー、緊張したー」

「……優しい人に見えたけど」

「それは優香が新人だから! いい? 最近入った戦乙女は、皆一度は黒崎先輩に怒られるものなんだからね!」

「そんなに偉い人なの?」

「なんてたって撃破数ナンバー2の猛者だからね! 『血みどろ一等星(ブラッディエース)』の次に強い人! チームで動く時は、あの人ほど頼りになる人はいないね! なんてったって、一度も隊員を死なせたことがない伝説の『切り込み隊長(ブレイブキャプテン)』様だからね!」

 

 果林の言葉からは、深い尊敬が感じ取れた。

 

「そんな人が、私なんかを先導してくれてるの?」

「あんたが新人だからこそ、だよ。護衛する上であの人ほど頼りになる人いないって!」

「おい一年生! そろそろ戦域に入る! 集中しろ!」

「はいっ!」

 

 優香が前を見据える。禍々しい姿をした、『魔の者共』。その近くには、一人の戦乙女がいた。

 

「あれ、でももう戦ってる人いるよ?」

「あいつ……また一人で……」

 夏美が忌々し気に呟く。その視線の先には、一人で『魔の者共』との戦闘を始めている天塚燐火の姿があった。彼女が目で追うのも困難なほどの速さで動くたび、血飛沫が上がる。

 

「……すごい」

 

 その様を見た優香の胸には、不思議な感情が湧き上がっていた。

 

 

 ◇

 

 

 大穴から這い出た直後の『魔の者共』は、人間を見つけると殺しに来る。その性質を利用して、戦乙女たちは大穴から這い出た『魔の者共』を引き付け、民間人に被害が出ないように勤めている。

 

 後方に防衛壁と呼ばれる防衛機構もあるが、その迎撃能力は、とても『魔の者共』の総攻撃に耐えられるものではない。そのため、手前で数を減らす必要がある。

 

 俺が切り込んだ異形共は、軍勢の中でも特に強そうに見えた奴らだ。

 俺は、あいつらいい攻撃持ってそうだなー、とまるで食い物の香りに引き寄せられる空腹の女の如く近寄って来た。……一応、他の戦乙女のために間引きしようという意図もある。本当だ。

 

「アッハハハハハハハ! 来い、化け物共!」

 

 唸り声と共に、『魔の者共』が俺に襲い掛かって来た。

 

 魔狼の振るった爪が俺の腕をひっかき、鮮血をまき散らす。鋭い痛みに喘ぐ。

 トロールの振った手が頭を掠り、意識を朦朧とさせる。酩酊の如き感覚に、俺の全身の細胞が歓喜する。

 攻撃を受けるのと同時に、両手の小太刀が閃き、化け物共に致命傷を与えていた。

 

 本当は、どれも避けられた攻撃だ。けれど、最短で敵を倒すのなら、避けない方が効率的だ。だから避けない。刺し違えるくらいの気持ちで戦う。

 

 ……半分噓だ。気持ちいいから避けてないだけ。

 

「ぐふっ……いたいいい! ふははははは! ヤバい! 気持ちよすぎて失神しそう!」

 

 特に強そうな敵、オーガに狙いを定める。全身の筋肉が隆起していて、切り刻むのには苦労しそうだ。パッと見た感じ、コイツが今日一番強い敵だろう。

 懐に入り込み、拳も届くくらいに密着する。こうでもしないと、俺の持っている小太刀じゃ届かない。リーチが短いのは不便と言えば不便だが、攻撃を食らいやすいという点は俺にとっての利点だ。気持ちいい。

 

「ぐおおおおおお!」

 

 雄叫びと共にオーガの体が動く。俺の二倍はあろうかという体躯は、剛腕を振るい俺の腹部を殴りつけた。

 

「ガハッ……! ハッ……あっはははははは! 腹パン……! やっぱり王道だよな!」

 

 ちょうど鳩尾のあたりに拳が突き刺さり、唾と一緒に酸素が強制的に吐き出される。痛みが全身に伝わり、一緒に快楽が頭を支配する。

 

 いい! やはり美少女は腹パンされてこそだよな……! 

 

 けれど、俺は殴られるのと時にオーガの突き出した右腕を切断していた。

 

「ぐお!? おおおおお!」

「おお、痛そうだな。いいなー、四肢を斬られる感触。それをさせると戦えなくなっちゃうからなー。いやでも皆曇ってくれそうだよなあ。惹かれるなー。四肢切断」

 

 言いながら、俺は両手の小太刀を次々と振るっていた。右手の横なぎ、左手の突き。右手の袈裟斬り。

 俺の操る二本の小太刀は、次々とオーガの体の表面を傷つけていった。傷が増えるたびに呻き声をあげるオーガに羨望を抱きながら、俺は攻撃を続ける。

 

 コイツはいいパンチを持っていたのでもう一回くらい腹パンしてくれないかなーと思っていたのだが、どうやらそんな余裕もなさそうだ。

 

「ぐお……おおおおお……」

 

 やがてオーガの巨体が倒れ込む。それを見送った俺は、前に向き直った。

 

 まだまだ敵は多い。他の戦乙女よりも遥かに前に出ている俺には、大穴から這い出た敵が一番集中している。ざっと見えただけでも三十以上。殺意に満ちた瞳が、俺を睨みつけている。

 

「……おお、壮観だな、涎でそう」

 

 嘯き、小太刀を構える。こう見えても真剣にやっている。

 こんなところで油断していたら死んでしまう。死ぬのは嫌だ。死の痛みってやつは死ぬほど気持ち良いに決まっているが、一度それを味わってしまえば、他の快感を味わうことができなくなってしまう。

 だから、死ねない。攻撃を受けるのは、あくまで勝つために。

 

「ッ!」

 

 異形の軍勢が、息を合わせて突撃してくる。地面からゴブリンが、空からハーピィが、地面からすら気配がする。

 

「おおおおお! 美少女ライフ最高! 戦い最高!」

 

 歓喜の言葉と共に、俺は『魔の者共』へと斬りかかった。



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義姉妹の契り

「『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」

 

 今日が初陣の優香は、なんとか詠唱を噛まずに言えたことに安堵した。彼女の武器は杖だ。身の丈ほどある木製のそれから放たれた白い光が、前線で戦う戦乙女の体にあたり、腕に刻まれた傷をみるみるうちに治した。

 

「おー! ありがとう後輩ちゃん! 評判に違わない腕前だね!」

「恐縮です!」

「後ろっ! なんか来てるぞ!」

「優香、3時方向に敵!」

「うんっ!」

 

 優香は幼馴染の言葉を信じて、素早く左に避ける。遅れて、衝撃。どこからともなく現れた蛇型の化け物が、優香たちのいる後方まで突っ込んできていた。

 

「優香に近づくな! はああああ!」

 

 果林の槍が唸る。それは的確に蛇の胴体を捉えると、一撃で絶命させた。

 

「優香、怪我はない!?」

「うんっ、ありがとう、果林ちゃん!」

「へへっ、少しはあんたのこと守れたかな」

 

 得意げにしていた果林だったが、すぐに真剣な表情に戻り、辺りの警戒と近づいてくる敵の殲滅に戻る。

 

「すごい……」

 

 優香にとって、初めて見る戦場の光景。それはあまりにも鮮烈で、凄惨だった。

 幸いにも、優香の視界の中では戦乙女は一人も犠牲になっていないようだった。

 

 常に五人のグループで戦っている戦乙女たちは、生存を第一の目標にして戦っているようだった。

 突出しない。無理しない。負傷者があれば、全員で引く。堅実な戦い方だったが、それは同時に戦場に残って戦い続けている戦乙女の負担が重くなっていくことを示していた。

 

「……あの人は、大丈夫なのかな……?」

 

 優香が不安げに呟く。その視線の先には、いまだ孤軍奮闘する天塚燐火の姿があった。

 

「──」

 

 遠くで戦っている彼女が何を言っているのかは、ここからは聞こえない。けれど、その戦い方がどこまでも自分の被害を度外視した無茶な戦い方であることはよく分かった。

 

 前提として、彼女の得物は短すぎるのだ。60cm程度しかない、二本の刀。それを敵に当てるために、彼女は常に敵の懐まで潜り込んでいた。

 拳でもぶつけるように接近しての、攻撃。当然、繰り返せば反撃はゼロではない。時折たたらを踏む様子から、少なくないダメージを受けているのは見て取れる。

 

「まるで、何かに駆り立てられているみたい」

 

 いっそ強迫的なその姿からは、焦燥のようなものを感じ取れた。

 

 ──治してあげたい。

 遠くから見ていた彼女は、漠然とそう思った。

 その傷を。その痛みを。そして、心を。

 

 放っておけなかった。優香が人を癒す力に目覚めたのはつい最近だが、傷ついている誰かがいれば救いたい、という想いは幼い頃からずっと持っていたものだった。

 ここに来る前、彼女はいじめられる子がいれば前に立って守り、悩んでいる子がいればそれとなく話を聞き、寂しそうな子がいれば傍にいた。

 

 光井優香が人を救うのは、治癒魔法に目覚めたからではない。救いたいからだ。

 持って生まれた優しさは、傷ついている人を救えない気質を持っていた。

 

 そしてそれは、不幸にも希代の被虐趣味者にも適用されてしまったのだ。

 

「おい! もう十分だ! 防衛壁まで戻るぞ!」

 

 この場の実質的なリーダーである黒崎夏美が大声をあげる。ハリのある、良く通る声だった。それを聞いた戦乙女たちは、素早く集結し、後退を始めていた。

 

「おい、私たちも戻るぞ。これだけ押し返せば、防衛壁でも守れるだろ」

 

 夏美が素早く辺りを見渡す。もう戦っている戦乙女はいない。……ただ一人を除いて。

 

「おい馬鹿! 帰るぞ!」

「……」

 

 燐火は、他の戦乙女の動きには目もくれず、目の前の敵と切り結び続けていた。

 

「燐火! 戻れ!」

 

 夏美が再び叫ぶ。名前を呼ばれて、ようやく燐火はハッとしたような顔を見せると、素早い動きで『魔の者共』の前から離脱した。

 

「……もう終わり?」

 

 燐火はわずかに不満げだった。その顔は、もっと戦いたい、と言っているようだった。

 

「足並みを揃えろ、馬鹿。いくらお前でも、死ぬぞ」

「そう」

 

 興味なさげに呟くと、燐火は学校のある方へと歩いていった。

 

「わ、私、ちょっと追ってくる!」

「ちょ、ちょっと優香!?」

 

 急に駆け出した優香を制止しようとした果林だったが、彼女は素早い動きで燐火の後を追ってしまった。戦いの後で疲労もある果林は、少し考えてから彼女を追うことを止める。

 

 その様を見た夏美は、呆れたように深いため息を吐いた。

 

「……黒崎先輩って、天塚先輩と仲良かったんですか?」

 

 突然、果林がそんなことを問いかけた。それに対して、夏美はキッと眉を吊り上げる。

 

「私とあいつが仲が良い? なんだその冗談は。つまらないぞ」

 

 ギロ、という視線には、怒りが籠っていた。歴戦の戦乙女に睨まれた果林は、その威圧感に怯えながら謝る。

 

「ヒッ……すいませんすいません。いやでも天塚先輩のこと名前で呼ぶ人ってほとんどいないなって思いまして。もしかして黒崎先輩は仲良いのかなとか思ったり」

 

 動揺しながらも、果林は必死に弁解していた。

 実際のところ、戦乙女の間で天塚燐火は恐怖や畏怖の対象だった。それは同級生でも、上級生ですら同じだ。皆が距離を置いて、簡単には話しかけられない人。果林はそういうものだと認識していた。

 

 果林の言葉に、夏美は不機嫌そうに答えた。

 

「チッ……昔、同じ義姉に師事を受けていたんだよ」

「えっ、そうだったんですか!?」

「この話はここで仕舞いだ! 帰るぞ!」

 

 果林は先を聞きたそうにしていたが、夏美は強引に話を打ち切ると、背中を向けた。その様子に、果林は諦めたように肩を下げた。

 

 

 ◇

 

 

「天塚先輩! 待ってください!」

 

 優香の制止する声に、燐火は怪訝な顔をしながら振り返った。

 

「はあ……はあ……どうして戦乙女って皆そんなに足速いんですか……」

「……あなたも戦乙女だったはずだけど?」

 

 息を切らす優香に、燐火は無表情に問いかけた。

 

「はあ……私、どうも皆よりも力に恵まれなかったらしくて、新人訓練でもいつもビリだったんです」

「それは災難だったね」

 

 今日初めて戦場に立った優香だが、訓練自体は前から受けていた。優香の身体能力は、決して常人に劣るようなものではなかったが、戦乙女の中では下から数えた方が早いような有り様だ。

 

「でも、あなたの治癒能力は歴代の戦乙女の中でも図抜けていると聞いた。そのために期待されているとも」

「い、意外と詳しいですね。そうなんです。なんかどんどん持ち上げられちゃって、『いつか死者も蘇らせるに違いない』とか言われちゃって……」

 

 彼女の言葉に、燐火が少しだけ目を見開いた。

 

「って! 私のことはどうでもいいんですよ! 天塚先輩、怪我してますよね!」

「え? ……ああ、よく分かったね」

 

 今の燐火は血塗れだ。そこら中に返り血を浴びているせいで、濃厚な血の匂いを纏っている。

 

「切り傷が多数、頭部に出血、肋骨も折れかけていますね。……どうしてそんな傷放置していたんですか! 重症じゃないですか!」

 

 その問いに、燐火はなぜか薄くほほ笑んだ。

 

「これが私の宿命だから」

 

 確固たる物言いに優香は少し気圧された。けれど、そんな彼女を放っておけなくて、優香は言い募る。

 

「でもっ! あんな戦い方していたらいつか死んでしまいます!」

 

 燐火の顔には、微笑みが浮かんだままだった。

 

「心配してくれるの? ありがとう。でも、私は強いから」

「……先輩は、なんだか放って置けない人ですね」

「そんなこと後輩に言われたのは初めてだよ」

 

 優香はそれ以上何か言うことはなく、無言で杖を構えた。

 

「『いと気高き癒しの光よ、彼の者に安寧を与え給え──ハイキュア』」

 

 詠唱を終えると、優香の杖から飛び出た光が、燐火の体を優しく包んだ。その途端、燐火の体中についた傷口は、次々と治っていった。その様は、まるで傷口の時間を巻き戻したようだった。

 

「これは……すごいね」

 

 思わず、燐火は呟いていた。

 

「もう痛いところはありませんか? 治し残しは?」

「十分だよ、ありがとう」

 

 優しく微笑みながら、燐火が礼を言う。いつも無表情な彼女がせた柔らかい笑顔に、優香は少しだけ頬を赤らめる。

 

「い、いえ。私なんかの力が役に立ったなら何よりです」

「私なんか、なんて言う必要ないよ。凄い力じゃないか」

「そう……なんでしょうか?」

「ああ、優香ちゃんは知らないのか。戦乙女の治癒能力者っていうのは、本来こんなに簡単に傷を治せないものなんだよ」

 

 燐火は優しい目で優香を見つめたままで話を続ける。

 優香は、その視線にどこか落ち着かないような気分を味わっていた。

 

「学校で待機してる治癒能力者でも、せいぜいできるのが、止血とか、これ以上ひどくしないための対症療法なんだよ」

 

 燐火は滔々と語る。彼女はやたらと治癒能力について詳しかった。

 曰く、戦乙女は医者の代わりにはならない。出血を止めることはできても、傷口を完全に塞ぐことはできない。

 

 簡単な切り傷くらいなら治すことはできる。でもそれは、従来の医療でもできたことだ。

 たとえば、切れた腕をくっつけるだとか、大傷を負った戦乙女を一瞬で戦場に立たせるだとか、そういう奇跡のような現象は起こせないらしい。

 

 優香は改めて聞く治癒能力者の現実に驚いた。同時に納得する。それは、自分の能力が持て囃されるわけだ、と。

 

 優香の魔法のような治癒は、かつて切断された腕をくっつけたことがあった。しかもそれは、優香が戦乙女として目覚めた直後にやってのけたことだ。力を磨けばできることが増えるかもしれない、と学者からは説明されていた。

 

「だから、優香ちゃんの力はこれから戦乙女の間で重宝されると思うよ。重症を負って、学校まで帰ることができずに息を引き取った戦乙女も多いからね」

 

 なんでもないことのように言った燐火の言葉に、優香は息を呑んだ。やはり。ここでは人が死んでいるのだ。

 

 予想はしていたことだが、改めてそう思うと暗い気持ちになってくる。今まで普通の女子高生として暮らしていた優香にとって、その事実は胸に深く突き刺さった。

 

 優香が落ち込む様子を見て、燐火は珍しく表情を変えて慌てだした。

 

「あ、ああ、でも最近は死者も全然出てないんだ! 大穴ができてもう四年だからね。戦乙女の間でも戦い方が確立されてきて、死亡率は激減してるんだ。君が今日見たように、五人一組で戦うのも策の一つさ」

 

 五人一組での戦闘が確立されたのは、黒崎夏美が実質的なトップになってからだ。それまでは、ツーマンセルやスリーマンセルが主流だった。

 

「……先輩は一人で戦うのに、ですか?」

「うぐっ」

 

 痛いところを突かれた、と言いたげに燐火が呻く。

 

「わ、私はあまりチーム戦が得意ではないからね。仕方ないのさ」

 

 明らかに動揺している燐火。心なしか、その声は震えていた。

 

「ふふ……あははははは!」

 

 思わず、優香は笑ってしまった。ちょっと前まで凄く強くて孤高の人だと思っていた燐火が、思ったよりも人間らしい人だと分かったからだ。

 

「わ、笑うことないだろ……!」

 

 燐火が少し頬を赤らめながら言う。その様は、とても『血みどろ一等星(ブラッディエース)』なんて呼ばれている大人物には見えなかった。

 接しているとどんどん人間性が見えてくる燐火の姿に、優香は気づけば夢中になっていた。

 

「……君は、私のことを怖がらないのだな」

 

 ポツリと、燐火が呟く。

 

「はい。噂を真に受けていたら、こうはならなかったかもしれませんね」

 

 確かに普段の燐火の振る舞いはとっつきにくい。佇まいには隙がないし、戦い方は荒々しいし、表情に変化がない。でも、今優香の目の前にいる彼女は、普通の女の子に見えた。

 

「優香ちゃん、君さえ良ければだけど──」

 

 唐突に、燐火が真剣な表情を浮かべた。その様子に、優香も思わず姿勢を正す。

 

「──私と、義姉妹の契りを交わしてくれないか?」

 

 まるで告白でもするみたいに真剣に言った燐火は、右手をそっと差し出した。

 

「義姉妹、ですか?」

 

 優香が困惑する。この学校に来て初めて聞く言葉だった。

 

「ああ、今は形骸化した制度なんだけどね。簡単に言うと、まあ、ちょっと仲の良い先輩後輩くらいの意味さ」

 

 そういう割には、燐火の表情は真剣だった。

 けれど、この不器用そうな先輩の頼み事なら聞いていいような気がする。優香は、不思議とそう思えてしまった。

 

「はい、よろしくお願いします、先輩」

 

 がっちりと、握手を交わす。燐火の手は、優香のそれよりも少しだけ大きかった。

 



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悪い女

「それでですね、その優香ちゃんの心配してくれる健気な顔が、もう、可愛くって可愛くって! ああ、妹ってこんな感じなんだなって興奮しちゃいました!」

「ムムムー」

 

 初めてできた妹分、優香ちゃんについて話すと、俺の姉貴分である真央先輩は可愛らしく頬を膨らました。

 

「燐火ちゃんが他の女の話してる……妬ましい……でも普段遠巻きに見られてる燐火ちゃんを慕ってくれる後輩は貴重だし……ムムム」

 

 悩ましい、と真央先輩は呻いていた。その様子が可愛らしくて、思わず頬が上がってしまう。

 

「でも、義姉妹の契りなんて優香ちゃんあっさり受け入れてくれたんだね」

「はい、多分詳しい意味を知らなかったんでしょう」

「うわああ! 燐火ちゃん悪い女!」

 

 俺の言葉を聞いた真央先輩は、大声を上げた。

 

 義姉妹の契り。一年ほど前までは、それは戦場で共に戦うチームメイトのことだった。

 五人一組になる以前の、ツーマンセル、ツーマンセルで戦っていた頃、先輩と後輩で肩を並べて戦う。そういう存在だった。俺と真央先輩もそういう関係だ。

 

 けれど、今では義姉妹制度は形骸化している。ペアなんて決めなくても五人組の中で連携を深めればいいだけだからだ。

 

 形骸化した結果、義姉妹制度は、副次的な意味だけが残った。

 すなわち、友人以上の関係。命をかけて戦う戦場にあって尚千切れない、赤い糸のようなもの。

 端的に言えば、疑似的な恋人関係だ。

 

「自分の義妹だって言えば、優香ちゃんを連れまわしても誰にも文句言われないですよね?」

「たしかにそうだけど……燐火ちゃん、本気で悪い女だね?」

「まあ、趣味を優先させるクソ野郎の自覚はありますよ」

「そこまで言ってないけど……」

 

 だって、優香ちゃんは最高の後輩なのだ。可愛いし、健気に俺を心配してくれるし、治療までしてくれる、男だったら放って置けないタイプの優しい女の子だ。元男の俺が言うのだから間違いない。

 できれば、手元に置いておいて、反応をじっくりと眺めていたい。愛でたい。

 

「まあ、本当に恋人になりたいなんて図々しいことは思っていませんよ。ただオレについてきて、色んなことに可愛らしい反応をしてほしいだけです」

「燐火ちゃんが悪い顔してる……」

「フッフッフ。オレから逃げられるとは思わない方がいいよ、優香ちゃん」

 

 これからの日々を想像して、笑う。多分その時の俺の顔は、めちゃくちゃ気持ち悪かっただろう。

 

 

 ◇

 

 

「それでさ、果林ちゃん、義姉妹の契りって、どういう意味なの?」

「へ? なんで急にそんなこと?」

 

 優香に与えられた寮の部屋は、果林と同室だった。元々の知り合いと一緒の方が気も休まるだろう、と学校側が気遣ってくれたのだろうか。

 

「いやあ、なんかそういう制度があるなら、果林ちゃんとも姉妹になりたいかなー、なんて」

 

 えへへ、と笑う優香に、果林は急に顔を真っ赤にした。見開いた目には、わずかに涙すら浮かんでいるように見える。それは、恋する乙女のような顔だった。

 

「へぁっ!? 待って、それって……え、あ、うん。その、優香さえ良ければ、私は望むところっていうかバッチコーイっていうか、え? 本当にいいの? じゃ、じゃあ、よろしくお願いしましゅっ!」

 

 急に狼狽しだした果林は、わちゃわちゃと両手を動かしながら早口で話していた。その顔の赤みは引くことを知らず、熱でもあるようだった。

 

「……果林ちゃんどうしたの?」

「へっ!? むしろなんで優香はそんな落ち着いてるの!?」

「いや、え? 義姉妹ってそんな重たいものなの?」

「…………え?」

 

 ピタ、と果林が動きを止めた。ポカンと口を開けた彼女は、呆然と優香を眺める。しばらくの、沈黙。

 優香もどうすればいいのか分からず、ただ能面のような無表情になってしまった果林をじっと見つめていた。

 

 やがて、果林が深々とため息を吐く。それは、例えるなら、一世一代の告白を断られた直後のような、深い深いため息だった。

 

「……優香はいつもそうだよね。持ち前の優しさとちょっと抜けた言動で、どんどん人を誑かして。自覚がないのは分かってるよ? 優香は優しすぎて、困っている人がいたら誰でも助けちゃうからね。まあ、下心なく助けるその姿勢に私は救われたから、それを止めろなんて言わないよ?」

 

 ブツブツと、焦点の合わない目と暗い口調で話す果林。それを心配した優香は、おずおずと彼女に近寄った。

 すると、急に果林がガバ、と立ち上がり、優香の肩をガッシリと掴んだ。

 

「でもさ! せめて自覚はしよう! 優香は結構な頻度で人を誑かしてるんだよ!? 私とか! 私とか!!」

「えっと……」

 

 困惑する。優香は、急にハイテンションになった幼馴染になんと声をかけたらいいのか分からなかった。

 

 しかし果林は勝手に落ち着き始めた。一通り叫んだことで、スッキリしたらしい。

 優香の言葉を、自分がどう勘違いしていたのか冷静に振り返った彼女は、優香が望んでいた説明を始めた。

 

「……優香、今の義姉妹っていうのはね、簡単に言えば恋人同士、みたいなものだよ」

「こいっ!?」

 

 今度は優香が赤面する番だった。みるみるうちに赤くなっていく優香の顔が面白くて、果林は少し笑ってしまう。

 

「で、でも! 淵上高校には女の子しかいないんでしょ!?」

「そうだよ? でもさ、私たちは命懸けの戦いをしているわけでしょ? そのことに怯えたり、不安になる人とかもいるわけ」

「まあ、それはなんとなく分かるけど」

 

 優香自身、今日初めて戦場に立ってその恐怖は分かった。異形の化け物たちが目の前で殺意をまき散らし、鮮血が飛ぶそこは、今まで普通の生活をしていた戦乙女を怯えさせるのには十分すぎるほどだ。

 

「そういう不安とかを、信頼できる人と共有したい、っていう気持ちになる戦乙女も少なくないわけ。たとえば、信頼できる先輩とか、背中を合わせて戦う友達とか。それが恋愛感情になっても、不思議じゃないでしょ?」

「うん。言われてもみればそうかもしれないね」

 

 あるいは、死ぬまでの刹那を恋人と過ごしたいという想いなのかもしれない。

 

「ああ、でも元々は正式に学校で決められる制度だったみたいだね。今の五人一組みたいな。……それで、優香はどこでそんな言葉聞いてきたの?」

「それがさ、今日天塚先輩と話していたら、『私の義妹にならない?』って」

「え? えええええええええええええ!?」

 

 今日の果林はよく叫ぶな。優香は吞気にそんなことを思っていた。

 

「あの天塚先輩から!? なんで!? 優香、あんな人をどうやって誑かしたの!?」

「いや、誑かしてないし……」

 

 人聞きの悪いことを言わないでくれ、と優香は果林を睨んだ。

 

「でもさ、果林の話聞きながらずっと天塚先輩はなんで義姉妹の契りなんて言ったんだろうって考えてたんだけど、もしかして単に戦う上でのバディみたいなものになってくれって意味だったんじゃないかな?」

「……そう?」

 

 果林はあくまで懐疑的だった。

 

「私の能力なら、怪我ばっかりする天塚先輩の役に立てるかもしれないからね。それに、話してみた感じ、天塚先輩は不器用な人だと思った。だから誤解されるんだと思う」

「天塚先輩が不器用……?」

 

 果林は何を言っているのか分からない、と言いたげに首をかしげた。

 

「皆に恐れられているのも、きっと勘違いなんじゃないかなーって」

「そう? ──でも私は、あの人が怖いよ」

 

 果林は、かつて見た燐火の姿を思い出していた。

 

「普通の戦乙女は、あんなに恐れを消せるものじゃない。そもそも私たち戦乙女は、数年前まで普通の女の子だったんだよ? 私は一年生だけど、もう結構な時間戦ってきた。それでも、あんなに『魔の者共』と直面できない。だって、五人で一緒にいても怖いんだよ? それを一人であんなに戦えるなんて、同じ人間とは思えない」

 

 畏れ。果林の中にあるその感情は、簡単には拭えないようだ。いつも勝気な彼女ですらそう思うのなら、きっと他の戦乙女も近いことを考えているのだろう。

 優香は少しだけ、燐火を取り巻く状況を理解した。

 




誰ですか! 幼馴染は負けヒロインとか言ったのは!?


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淵上高校

「おはよう、優香ちゃん。昨日は初陣だったけど、良く寝れた?」

「おはようございます。あ、はい。おかげさまでぐっすりと眠れました」

 

 翌日、俺は学校の玄関で優香ちゃんを待ち伏せして、なんでもないように挨拶をした。

 優香ちゃんは急に現れた俺に驚いたように目を見開いたが、やがて優しい笑みを向けると挨拶を返してくれた。

 

「ほ、本当に天塚先輩が話しかけてきている……!」

 

 優香ちゃんの隣にいた女子生徒が、何かショックを受けたような顔で立ち尽くしていた。

 

「行こうか、一年生の教室は上だったよね」

「は、はい」

 

 急に近づいて来た俺に困惑したような様子を見せた優香ちゃんだったが、すぐに笑顔を見せてくれた。

 並び立って歩く。優香ちゃんの小さな肩に引っ付くようにして、俺は歩いた。

 廊下を歩いていると、他の生徒の視線を感じる。元々俺は、この学校では有名人だ。撃破数ナンバー1のエース。誰も寄せ付けない孤高の一番星。

 注目を浴びるのはいつものことだったが、今日の視線は、優香ちゃんにも向いていた。

 

 いつも誰ともつるまない俺を歩いている新入生。あれは誰だ、とひそひそ話が聞こえてきた。

 

「……あの、天塚先輩は、どうして優香にそんなに関わろうとするんですか?」

 

 そんな様子を懸念したのか、優香ちゃんの隣にいる元気そうな子が、警戒したように前に出てきた。

 ……まずい。もしかして俺の下心がバレているんだろうか。優香ちゃんの曇った顔が見たい、という歪んだ思考がバレているんだろうか!? 

 

 心の中は動揺の嵐だったが、外面の俺はあくまで冷静なままだ。これこそ女になってから培ったポーカーフェイス。本性がバレないための擬態だ。

 

「ああ、彼女とは義姉妹の契りを交わした仲だからね。一緒にいるのも当然だろ?」

「なっ!?」

 

 何やら大きく目を見開く女生徒。衝撃を受けている彼女を放置して、俺は優香ちゃんと話を始める。

 

「優香ちゃんはクラスには馴染めそう? 他の戦乙女に会うのは初めてでしょ?」

「はい。でも、意外と皆普通の良い子みたいで、仲良くなれそうです」

「そっかそっか。でも、ちょっと気を付けた方がいいよ」

「はい?」

 

 俺は優香ちゃんの顔にぐっと近づくと、彼女の顎にそっと触れた。

 

「この学校には、女の子が好きな生徒が多いからね。油断してると、食べられちゃうよ?」

 

 俺の目の前で、優香ちゃんの白い頬がみるみる赤くなっていく。目を見つめると、そっと視線を逸らされた。

 

「ゆっ……優香から離れてください!」

 

 突然の声。見れば、さっきの女生徒が俺たちの間に入り込もうとしていた。

 

「ああ、ごめん、ところで君の名前は?」

「小野寺果林です! 優香の幼馴染です!」

 

 果林ちゃんが彼女が俺の前に立ちふさがった。その様は、まるで邪悪な心を持つ魔王から姫を守る騎士のようだ。勇ましい。

 

「幼馴染かー。それはいいね。素晴らしい。でも、それは義姉妹の関係を邪魔できるほどのものなのかな?」

「ッ!」

 

 俺が義姉妹、の部分を強調すると、果林ちゃんの顔が歪む。

 いい顔だ。美少女の苦しそうな顔は見ているだけで寿命が伸びる感じがするので最高だ。

 

「あ、あの天塚先輩。果林ちゃんをあんまり虐めないであげてください……」

 

 おっと、優香ちゃんに引かれるわけにはいかない。少しは自重しなければ。

 

「そうだね。じゃあ、優香ちゃんが私のことを名前で呼んでくれたら、やめようかな」

「えっ!?」

 

 その言葉を聞いて、優香ちゃんが頬を赤らめる。可愛らしい反応だ。

 しばらくの間、彼女は考え込んでいるようだった。やがて、おずおずと顔を上げた優香ちゃんは震えて唇で言葉を紡いだ。

 

「えっと、燐火、先輩?」

「お姉様は?」

「へっ!? 燐火お姉様……?」

 

 ……いい! めちゃくちゃ可愛い! 

 真央先輩がお姉様って呼ばれて喜ぶ気持ちが分かったかもしれない。年下の女の子にそう呼ばれるのは、言い表しがたい感動がある。

 

「ゆ、優香が……優香が先輩に取られた……!」

 

 何やらショックを受けている様子の果林ちゃん。そんな顔をしても、俺が喜ぶだけだぞ? 

 

 そんなことを話しているうちに、気づけば一年生の教室に到着していた。

 

「おっと。もう教室についたのか。優香ちゃんといる時間はあっという間だね」

「は、はい」

 

 じっと見つめてやると、簡単に頬を赤らめる優香ちゃん。可愛らしい。

 

「じゃあ、連絡先を交換しておかないか?」

「あ、はい。先輩が良ければ」

 

 おずおずと携帯端末を差し出した優香ちゃんの連絡先をゲットする。

 

「じゃあ、困ったことがあったらいつでも私を頼ってね。なんていったって、私は君のお姉様、なんだからね」

 

 お姉様、のところを強調して、俺はその場を後にした。背中に、複数の視線を浴びながら。

 

 

 ◇

 

 

「み、光井さん! 天塚先輩とどういう関係なの!?」

「『血みどろ一等星(ブラッディエース)』様とお話できるなんて何したらそんなことできるようになるの!?」

 

 教室に入った優香を迎えたのは、質問の嵐だった。あまり面識のないクラスメイトの興奮した様子に、優香はどうしたらいいのか分からず困惑していた。

 

「はいはい、皆落ち着いて。そんな興奮してたら優香も答えられないでしょ?」

 

 そんな様子を見かねた果林が声を張り上げクラスメイトたちを制止した。それを聞いて、ようやくクラスが落ち着きを取り戻す。

 

「うん、じゃあ、優香。説明してあげたら?」

「うん。私、燐火先輩と義姉妹になったの」

「き、キャアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 甲高い声。先ほどとは比べ物にならないほどの興奮だ。それもそのはず、義姉妹になった、とは今の学校ではほとんど恋人になった、と同義だ。

 ここいるのは、皆十代の少女。恋バナに飢えているのは当然と言えよう。

 これは収集つかないな、と果林がため息を吐いた。

 

「なんで!? どうやってあの方と義姉妹の契りを交わすほど仲良くなったの?」

「えっと、ていうか向こうから?」

「えええ!? きっかけは? 告白の言葉は!?」

「こっ、告白ってわけではなかったけど……その、真剣な顔で右手を差し出して、『私と義姉妹の契りを交わしてくれないか?』って」

「うわあああ! あの美しいお顔でそんなこと言われたら私なら卒倒しちゃうかもっ!」

 

 優香の言葉を聞いたクラスメイトが、顔を赤くする。

 

「それで、光井さんは天塚先輩のことをどう思っているの?」

 

 やや静かな声が、優香に問いかけた。それに対して、優香は少しだけ考えるような姿勢を見え、やがて答えを紡いだ。

 

「うーん、放って置けない人、かな」

 

 その言葉に、クラスメイトたちは意外そうに目を見開いた。

 

 

『魔の者共』と戦う戦乙女の所属する淵上高校では、普通の学校と変わらない通常授業が多い。これは、戦いが終わった後に戦乙女が困らないように、という配慮から行われたものだ。

 

 戦乙女は、その圧倒的な力から『自衛官として採用するべき』という声は根強い。スポーツ選手を優に超える膂力、脚力、反射神経。彼女らの持つ武器は、時に現代科学を越える力を見せることすらある。優香の杖がいい例だ。

 

 その他にも、警察から海外のPMCまで、戦乙女は引く手あまただ。

 けれど、淵上高校を運営する大人たちの思考としては、彼女らの進路を狭めたく無いと思っていた。

 普通に進学したり、普通に就職したり、普通に結婚したり、普通に子どもを作ったり。戦乙女たちにそういうことを諦めて欲しくない、という思考を持った良識ある大人たちが、学校を運営していた。

 

「うわあああ! 授業めんどくさいよー! なんで私たち戦乙女が勉強しないといけないわけー!」

 

 しかし、そんな大人たちの思惑など知らない果林は、嘆きの声をあげた。相変わらずな幼馴染の様子に、優香は苦笑いを浮かべた。

 

「まあまあ。これでも普通の高校よりは楽な方だよ?」

 

 平日週5日、だいたい5コマの授業。しかし『魔の者共』との戦いのある彼女らに配慮して宿題などは少なくなっているし、留年、なんてこともない。

 

「優香はいいよねえ、昔からコツコツ勉強するの得意だったもんね」

「ま、まあね。あ、分からないところがあったら、私が教えてあげるよ。寮に帰ってからでも、遠慮せずに声かけてね!」

「本当? 優香ありがとう! ふふ、同室なのは天塚先輩にはない特権だからね……存分に活かして先輩に勝つぞー!」

「あっははは……」

 

 何やら張り切ってしまった果林の様子に、優香は苦笑いを浮かべた。彼女としては、あまり親しい人のいなそうな燐火と果林にも仲良くしてもらえたら、と思っていたのだが、現実はなかなか難しい。

 

「そういえば、普通の授業の時の燐火先輩はどんな風に過ごしてるんだろ……」

 

 ふと気になった優香が、ぼそりと呟く。その言葉を聞いた果林が、嫉妬のあまり能面のような無表情になっていたことに優香は気づかなかった。

 



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黒崎夏美の懸念

 放課後の戦乙女たちの過ごし方は様々だ。街まで出て、遊びに出かける者。

 学校の敷地の中にあるカフェに行き、リラックスして過ごす者。(淵上高校は、商業施設を敷地内に所持している。服屋、美容院、食事処など、年頃の乙女が必要なものは一通り取り揃えていた)

 教室に残りダラダラとだべる集団。

 そして、そんな中にあって鍛錬を欠かさず、『魔の者共』との戦いに備える者たちだ。

 

「失礼しまーす……うわ、凄い人」

 

 鍛錬室には、ジムのような設備が整っている。ランニングマシーン、ダンベルなどオーソドックスなもの。奥の方では、どうやら戦乙女同士で組み手を行っているようだ。

 熱気に溢れるそこは、なんとしても『魔の者共』を倒して日本を恐怖から解放するのだ、という気概に溢れた戦乙女でいっぱいだった。

 

「おお光井、早くも鍛錬か? 精が出るな」

 

 見れば、昨日光井を導いてくれた先輩、撃破数ナンバー2の黒崎夏美が、優香に話しかけてきていた。

 

「は、はい。じつは、燐火先輩にここに来るように言われていて……」

「……燐火先輩?」

 

 優香の言葉を聞いた夏美が、眉を顰めた。目つきの悪い彼女がそんな仕草を見せると、それだけで威圧感がある。

 内心怯えながら、優香は答える。

 

「はい、実は昨日、燐火先輩に義姉妹にならないか、と誘われて、それで交流を持たせてもらうことになったんです」

 

 その言葉に、夏美はひどく驚いたような顔を見せた。

 

「あいつが、義姉妹……?」

「はい。……あの、何かおかしかったですか?」

「…………いや、珍しいこともあると思っただけだ」

 

 そう言うわりに、夏美は色々と考えることがあるようだ。腕を組んで、目を瞑る。いつもより怖そうな顔をしている、と優香は思った。

 

 やがて、躊躇しながらも、彼女は優香に静かに語り掛けた。

 

「ただ、一つ言えるとすれば、あいつの義妹なんて、オススメはできないぞ。あいつは常人とは違う。一緒にいても苦しいだけだ」

 

 苦々しそうな言葉。夏美の複雑な表情には、燐火への嫌悪が含まれているようだった。それに黙っていられずに、優香は声を荒げる。

 

「り、燐火先輩は勘違いされやすいだけでいい人です! どうしてそんなこと言うんですか!」

 

 優香の剣幕に、夏美は苦しそうに顔を歪めた。強気な様子だった夏美らしからぬ態度に、優香は少し違和感を覚える。

 

「お前に詳細を話すことはできないが、あいつは普通の奴が近づいていい奴じゃない! どっか狂ってんだよ。……半年前、私はそれを確信した」

「黒崎先輩……?」

 

 含みのある言葉。半年前に何があったのか、優香が尋ねようとした時。

 

「夏美、私の妹に何か用かな?」

 

 燐火の声が、鍛錬室に静かに響いた。

 彼女の姿を認めた夏美は少し動揺するような様子を見せたが、すぐに気を取り直して、彼女に食って掛かった。

 

「燐火……お前、義妹なんて正気か? コイツがお前と一緒に戦えると思ってんのか? 新入生をむざむざ死なせに行くのなら、私も黙っていないぞ」

 

 二人の視線が交錯する。夏美の鋭い視線に対して、燐火の目は普段と同じく、あまり感情を映していない。

 

「優香の力は凄い。五人一組のチームで安全に着実に経験を積んで、なんてやっていたらもったいない。私と一緒に来て、どんどん経験を積ませるべきだと思う」

「お前が今の戦乙女の戦い方に疑問を覚えているのは良く知っている。たしかに、今のままだと新人が経験を積むことができずに育成が難しい。でもそれは、命を優先してのことだ。それについてはお前も同意してくれたはずだ」

 

 燐火は静かに頷く。夏美の僅かな嫌悪を孕んだ目に貫かれても、燐火は少しも動揺していないようだった。

 

「夏美が苦心して今の制度を固めたことは良く知っている。そのことを全部否定する気はない。でも、優香の力は一つのチームに留めておくなんてもったいない。それこそ皆の命を考えたら愚策だよ」

「なに? お前、何考えてる?」

「簡単に言えば、私が優香を護衛しながら戦場を駆けまわって、治療が必要なチームのところに彼女を届ける。彼女は経験を積めるし、負傷して撤退するチームを減らすこともできる」

 

 現行の制度だと、チーム内に負傷者が出た場合は、五人全員で撤退することが推奨されている。戦乙女の命を考えれば、それは一番良い方法だ。

 

 負傷者を守りながら撤退するのは、一番難しい場面であり、全員で事に当たった方がいい。それに、チームに穴が開けば、他にも負傷者が出るかもしれない。

 

「今の制度で学校を守れるのならいい。だけど、あの日みたいなことがあったら、今の皆じゃ耐えられないと思う」

 

 夏美の表情に苦みが走る。

 

「だからこそ、安全な状況で一年生にどんどん経験を積んでもらっているんだろうが」

「あいつがいつ来るのか分からない。使える人材はどんどん伸ばして備えておくべき」

 

 そのために、優香の力を活かさない手はない、と燐火は語る。優香がいるチームは負傷者が出ても撤退せずに済むが、他のチームは優香の力の恩恵を受けられない。

 

「優香の力を皆に届けるには、今のチーム制度じゃなく、従来の義姉妹制度、ツーマンセルが最適だと思う。そして優香を守るのなら、私以上の適任はいない」

「──守れるのか」

 

 夏美の静かな問いに、今度は燐火が動揺するような様子を見せた。その様は普段堂々としている彼女らしくなくて、優香は少し驚いた。

 

「……守るよ。私の命に代えても」

「信じるぞ。守れなかったら、私がお前を今度こそ殺す」

 

 物騒な言葉だったが、夏美の表情はどこまでも真剣で殺気すら感じられるものだった。この場で燐火に斬りかかってもおかしくないほどだ。

 

 けれどそれを受けた燐火は、薄く笑みを浮かべた。それは、見ている者を不安にさせるような、いつも泰然とした彼女らしからぬ笑みだった。

 

「あなたには私を殺す権利がある。いつでもいい」

 

 

 ◇

 

 

 色々語ったが、半分くらいは優香ちゃんを独占するためだ。いやまあ嘘は一言も言ってないが。

 

「あの、先輩、本当にあんな啖呵切ってよかったんですか?」

 

 優香ちゃんが不安そうな顔でこちらを見ている。相変わらず可愛らしい。

 

「構わない。あれは全部私の本心」

「でも、なんか最後凄い険悪な雰囲気だったんですけど……」

 

 ああ、恐らく彼女が言っているのは、最後の殺す殺さないの話だろうか。

 

「元々私と夏美の関係性はあんなものだった。優香ちゃんが気にすることはない」

「で、でも! 喧嘩してるなら仲直りしないと……」

 

 健気な姿に、癒されてしまう。本当に、彼女は優しい子だ。

 

「喧嘩じゃないよ。──あれは、決別」

 

 俺と彼女の間にあるのは、喧嘩なんて生易しいものではない。そういう強い意思を籠めて言うと、優香ちゃんは困った表情で黙り込んでしまった。

 ……ああ、無駄に困らせてしまったな。俺が見たいのは美少女の曇り顔であって、困り顔ではないのだ。

 

 一度咳ばらいをして、彼女に呼びかける、意図的に声音を変えて。先ほどまでの話は終わりだと告げるように。

 

「ああそうだ、改めて聞きたいんだけど、さっき私が言ったこと、同意してくれる? 私と一緒に戦場を駆けまわってくれる?」

 

 うっかり先走ってしまったが、優香ちゃんにも聞いておくべきだった。今のチームで守ってくれる戦闘スタイルじゃなくて、私についてきてくれるのか。

 

「……今の私には先ほどの先輩方の話を完璧に理解できたわけではありません。でも、きっと先輩は、私が一番人を助けられる道を提示してくれているんですよね?」

 

 優香ちゃんの瞳には、強い意思が籠っていた。やっぱり、と俺は確信する。

 

 彼女は優しい。そして、何よりも人のために動くことができる人間だ。

 彼女の目を見て、俺は瞬時に確信した。なぜならば、瞳の光があまりにも真央先輩に似ていたからだ。

 真央先輩と同じ、何よりも人のために動くことが出来る人間。だからこそ俺は、優香ちゃんに惹かれたのだ。

 

「うん。優香ちゃんならそれを望むだろうと思ったから」

「なら、私に異議はありません」

 

 ああ、本当に真っすぐな子だ。歪み、捻じれた俺が嫉妬してしまうほどに。

 

「──よし。じゃあ、まずは今日のトレーニングメニューから行こうか。まずはランニング30km」

「……え?」

 

 あ、優香ちゃんの表情が消えた。いい表情だ。ご飯三杯はいけるね。

 



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過日

過去編です


 夏美と顔を合わせると、昔のことを思い出して少し懐かしくなる。あの頃の彼女とは、まだ決別していなかった。

 

 俺たちの入学直後、一年生だった頃。今とは違う、義姉妹という小さな隊で力を合わせて戦っていた頃のことだ。

 

 

 

 

 淵上高校への入学から数日。放課後の時間を利用して、俺は桜ヶ丘真央先輩に案内されるままに運動場へと連れてこられていた。

 

「よし、それじゃあ、私の妹ちゃん同士、まずは挨拶しようか」

 

 俺の目の前に立ったのは、やたらと目つきの悪い少女だった。俺が彼女と目を合わせようとすると、ギョロ、と睨まれた。

 

「真央先輩の義妹、黒崎夏美です。……あの、真央先輩。本当にこの入学初日に遅刻してくるような奴と組むんですか?」

「もうー! そういうこと言わないの。はい、じゃあ次は燐火ちゃん」

「先輩の義妹の天塚燐火です。あの、不満であれば私は一人でもやっていけますが」

「はいはいはい! 燐火ちゃんもいじけないの!」

 

 第一印象は最悪だったと思う。黒崎夏美は、俺のことを睨みつけていた。

 そんな視線を受けて俺は

 

 ヤバい……めっちゃ興奮する……

 

 外面には出さずに悦んでいた。

 黒崎夏美は俺と同じ高校一年生だ。背丈も顔立ちもまだ成長途中といった様子。

 そのくらいの年頃の子が睨んで来ても、俺からすれば背伸びしているみたいで可愛らしいだけだった。

 

「真央先輩、こんな奴を義妹にする必要なんてないと思います。無表情で何考えてるか分からないし、トロそうです。優しくて優秀な先輩に相応しいとは思えません」

「聞かれてもいないのに自分の意見を垂れ流すのは自己顕示欲の高い子どもの特徴だね」

「なっ!? 真央先輩! やっぱりコイツいらないですよ! 後方支援でもさせておけばいいんです!」

「あー、二人とも悪い子だなあ。まったく、仲良くしないとお姉さんは怒りますよ?」

 

 ぷくっと頬を膨らませる桜ヶ丘先輩。分かりやすい演技だったが、しかし黒崎夏美はそれに対して馬鹿正直に動揺していた。

 

「あ、あの真央先輩。私が悪かったですから。あまり気分を損ねないでください……」

「……ツーン」

 

 不安そうな顔で先輩を見る黒崎と、私怒ってます、という顔を作る桜ヶ丘先輩。

 

「フフッ……」

 

 その微笑ましい様子に、俺の口から笑い声が漏れてしまった。

 

「や、やめろ、笑うな。クッ、初めて見た表情が嘲笑とか本当に感じ悪い奴め……」

「まあまあ! 燐火ちゃんは表情に出づらいだけで優しい子だと思うよ? さあ、訓練を始めよっか!」

 

 俺と黒崎だけなら喧嘩ばかりでまともに話も進まなかっただろう。しかしふんわりとした表情で場を和ませてくれる桜ヶ丘先輩がいてくれたおかげで、俺たちはなんとか一緒にやることができた。

 

 

 真央先輩は見た目によらずスパルタらしい。顔合わせ、それから簡単な能力テストを終えると、俺と黒崎夏美は早速実戦の場に向かうことになった。

 どうやら、現在はひどい人手不足なので、使える人材が一日でも早く欲しいみたいだ。

 

「ほ、本当に私たちが『魔の者共』と戦うことができるんですか?」

 

 黒崎が心配そうに桜ヶ丘先輩に問いかける。それに対して、先輩は堂々とした様子で頷いた。

 

「二人の力はさっき確認した。……正直、驚いたよ。まだ鍛錬を積んでいない状態でも、十分実戦で通用すると思う。であれば、どんどん経験を積んで戦える戦乙女になってほしいんだ」

「ほ、本当ですか?」

 

 まだ不安げな黒崎。けれど、それも当然だと思う。

 目の前にいる『魔の者共』は、話に聞くよりもずっと恐ろしいものに見えた。遠くからでも伝わってくる獣じみた殺気と、大きな図体。

 ちょっと前まで中学生だった子にあれと戦え、と言うのだから世界はずいぶんと酷な事を要求してきている。

 

 とはいえ。

 

「先輩、いけます」

 

 ドM的にはむしろウェルカムである。あれに衣服を切り刻まれ、柔肌を蹂躙されることを想像するだけで興奮できる。というか興奮してきた。早く戦わせてくれ。

 

「お前……わ、私もやれます」

 

 俺の様子を見て触発されたらしい。黒崎も覚悟を決めたような顔を見せ、得物を手に取った。

 黒崎の武器はサーベル。俺の小太刀よりもだいぶ刀身が長い。先ほど扱っているところを簡単に見せてもらったが、人肉くらいなら容易く切り裂けそうだった。

 

「ふふ、二人とも見込み通りだね。後方支援は任せて! 危なくなったらすぐに私の方に逃げてくること! 私の命に代えてでも守ってあげる!」

 

 そういいながら、桜ヶ丘先輩は竹製の弓を構えた。その長さは優に身長を越えている。

 和弓。現代では弓道などに用いられるそれは、一見取り回しずらいように見えたが、桜ヶ丘先輩曰く『戦乙女の膂力で引くと凄い威力が出る』とのことだった。

 加えて、腰にある矢筒も戦乙女の特別性だ。いくら使っても矢が切れないという、摩訶不思議なものらしい。矢自体も非常に頑丈で、場合によっては矢を片手に近接戦闘することもあるそうだ。

 

「私からあまり離れすぎないでね。後は君たちの力なら、ちゃんと戦える。よしっ、行こう!」

 

 

 駆け寄る。既に先輩戦乙女たちが、化け物たちとの交戦を始めていた。俺たちが相手するのはその打ち漏らし。残党だ。

 

 こちらに向かって走ってくる緑色の矮躯。俺の初めての相手は、ゴブリンだった。ボロボロの腰布しか巻いていない体はひどく醜く、年頃の乙女なら嫌悪感を抱いたことであろう。

 

「……いい見た目をしている」

 

 俺的には色々な妄想が捗るのでむしろ好みだ。

 とはいえ、こいつは人類の敵なので殺さなければ。俺は右手に持った小太刀を握りしめると、小さな体の胴を薙いだ。

 

「ギギャ!」

 

 耳障りな声と共に、ゴブリンの血が臓腑と共に飛び散った。グロテスクな光景と異臭に顔をしかめる。なるほど、生き物を殺すとかこういうことなのか、と俺は改めて実感する。

 とどめに、左手で首を撥ねる。断末魔すら上げられなくなったゴブリンの胴体が、その場に倒れ込んだ。

 

「燐火ちゃん! 12時の方向!」

 

 桜ヶ丘先輩の声にハッと顔を上げると、こちらに猛然と襲い掛かってくる猪の姿があった。ゴブリンの死体に気を取られていた俺は、少し反応が遅れる。

 

「ふーっ……ッ!」

 

 しかし、桜ヶ丘先輩の強弓から放たれた矢が一瞬で飛翔し、猪の鼻っ面に直撃すると、その体を容易く貫通した。

 ……すごい。矢の軌道をほとんど目で追えなかった。

 

「せ、先輩、ありがとうございます!」

「燐火ちゃん、夏美ちゃんを助けてあげて! 彼女の体が壁になって援護してあげられない!」

 

 桜ヶ丘先輩が焦ったような声と共に黒崎の方へと走っている。

 見れば、黒崎も俺と同じようにゴブリンと戦っているようだった。しかし、様子がおかしい。ゴブリンは右腕を切断されて瀕死なのに、黒崎はなかなかトドメを刺そうとしないのだ。

 

「何してるのっ!」

「あ、天塚……! でも、でもこいつ、生き、て!」

 

 こちらを振り返り、何事か訴えかける黒崎。瀕死のゴブリンは、そんな一瞬の隙を見逃さなかった。

 

「危ない!」

 

 ゴブリンが手に持った短剣を振り上げ、黒崎に振り下ろす。

 一瞬で判断して、最適解を選び取る。咄嗟に彼女に体当たりした俺は背中にその刃を受けた。

 

「ぐぁ……」

 

 背中に走る鋭い痛み。同時に俺は、地面に倒れ込んだ。

 

「あ、天塚!?」

 

 涙目でこちらに呼びかけてくる黒崎。背中が焼けるように痛くて、俺はまともに受け答えすることすらできなかった。

 

 なるほど、これが切り傷の痛みという奴か。初めての感触に、感慨深くなる。

 肉体的な痛みを感じた俺は、同時にどうしようもないほどの多幸感に包まれてしまっていた。気持ちいい。俺の体が、美少女の体が、苦しんでいる。焼けるような痛みを訴えかけてきている。歪む視界の中で、黒崎が涙目で俺に呼びかけてきている。

 

 ああ、最高だ。そんなことを考えていたせいで、ゴブリンの次の行動に気づくことができなかった

 ゴブリンは、俺の背中に突き刺した短剣の柄を、思いっきり踏んづけた。

 

「が、ああああああ!」

 

 体内に一層侵入してくる刃が、俺にさらなる痛みをもたらした。かつて感じたことのない痛みに、俺の脳内が快楽物質でいっぱいになり、何も考えられなくなる。

 ──最高だ。まるで天国にでも登れるような、痛みと快感。視界が涙でいっぱいになり、何も見えない。耳鳴りがする。

 次の瞬間、桜ヶ丘先輩の放った矢がゴブリンの矮躯を吹き飛ばした。

 

「燐火ちゃん! 燐火ちゃん! 大丈夫!?」

「う……ぁ」

 

 必死な様子で呼びかけてくる桜ヶ丘先輩に答えを返すことができない。涙で視界がぼやけて彼女の顔が良く見えない。最悪だ。

 きっと彼女は、この上ない曇り顔を晒してくれているはずなのに。

 

「あ、ああああ……私のせいで、天塚が……」

 

 黒崎の絶望したような声。耳鳴りで良く聞こえない。最悪だ。彼女の泣き顔と共に、記憶にしっかりと焼き付けておきたかったのに。

 

 意識が遠のく。背中の傷は、思ったよりも深かったようだ。不甲斐ない。この程度で気絶していては、曇り顔を堪能することができないではないか。

 遠のく意識が最後に捉えたのは、黒崎のすすり泣きだった。ああ、やっぱり、美少女に心配されながら傷つくのは最高だなあ……。

 

 

「う……」

「燐火ちゃん!? 良かった、気づいたのね!」

 

 次に俺が見たのは、嬉しそうに俺を見つめる桜ヶ丘先輩の顔のドアップだった。ベッドに寝る俺を覗き込むようにして、彼女の可愛らしい顔がぐいと近づいてきている。

 

「先輩……近いですよ……」

「本当に良かった……! 燐火ちゃんが目覚めて良かった!」

 

 よく見れば、桜ヶ丘先輩の顔には泣きはらした跡があった。ああ、俺のために泣いてくれたのだろうか。だとしたら、こんなにも嬉しいことはないな。

 

「あま……つか……」

 

 震える声が、俺を呼んだ。見れば、そこには今にも泣きそうな黒崎の姿があった。その目元は、桜ヶ丘先輩なんて比じゃないほど真っ赤だ。

 

 俺と目が合うと、彼女の目に涙がじわ、と溢れてくる。

 

「黒崎、泣かなくていい」

「で、でもっ! 私のせいでお前はそんな重傷を負って……!」

 

 むしろこちらがご馳走様、と感謝の言葉を伝えたいくらいなのだが。黒崎は俺の負傷にひどく責任を感じているようだった。その様子自体はとても嬉しいのだが、あんまり泣かせるのも酷だろう。──本当に傷つくのは、俺だけでいい。

 

「あなたを庇ったのは、私が好きでやったこと。あなたが責任を感じることはない」

 

 この上なく本心から出た言葉だった。けれど黒崎はそれを慰めの言葉と受け取ったのか、結局顔を背けてまた泣いてしまった。

 

「……黒崎は見かけによらず泣き虫」

「う、うるさいっ! ぐすっ……」

 

 今の可愛らしい一面を見れただけでも、十分だ。

 そんなやり取りを黙って眺めていた桜ヶ丘先輩が、常とは違う元気のない口調で話し始めた。

 

「本当に、夏美ちゃんが責任を感じる必要なんてないんだよ。私の見立てが甘かった。二人が何か危機に陥ったら、私が遠くから助けられると思っていた。あんなに危機に陥るなんて計算外だった」

 

 下を向いてポツリポツリと話す桜ヶ丘先輩も、黒崎と同じくらい責任を感じているようだった。いつも元気な先輩らしからぬ態度に少し驚かされる。

 

「ぐすっ……でも先輩は、最初に忠告してくれていました。危なくなったら、先輩が援護できるように射線を開けること。もしくはその場から逃げ出すこと。そのどっちもできずに立ち竦んでしまったのは、私のミスでした」

 

 どうやら黒崎は、ずっと一人反省会していたらしい。下を向き、時々鼻をすすりながら話している様子からそんなことを推測する。

 

「ううん。初めてだからね。そういうこともあるよ。私は、夏美ちゃんの怯えを正しく汲んであげて、もっと段階を踏むべきだった。ごめん」

 

 陰鬱な沈黙が病室を支配した。桜ヶ丘先輩も黒崎も、下を向いて何も言わない。

 そんな空気に耐えられなかった俺は、殊更に明るい声で二人に呼びかけた。

 

「まあでも、私は生きて帰ってこれたんですから、そんなに気にする必要ないですよ」

 

 俺はむしろ傷ついて喜んでいるのだから、本当に気にする必要はない。

 

 俺は美少女の曇り顔が好きだが、ずっと沈痛な面持ちでいて欲しいわけではない。俺が危機に陥り、痛みに直面したその瞬間に曇って欲しいだけなのだ。むしろ、普段は明るくいてくれた方が、ギャップで興奮できる。

 

 だから、二人には元気を出して欲しかった。

 

「じゃあ、こういうのはどうですか? 二人は今度、私にとっておきのおめかしをした姿を見せてください。それでチャラにします」

「えっと、そんなことでいいの?」

 

 おずおずと聞いてくる桜ヶ丘先輩。

 

「はい。私、可愛い女の子が好きなので。男の人よりもずっと」

「「えっ!?」」

 

 顔を赤くした二人の声がハモる。実際のところ元々男だった俺にとっては、恋愛対象は女だ。下卑た男にぐちゃぐちゃにされる妄想もしないこともないが、純愛ならやっぱり可愛い女の子がいい。

 

「そ、それって……その……本気で……恋愛的な……えっと、あー、やっぱりなんでもない!」

 

 顔を赤くした桜ヶ丘先輩が何事か聞こうとして、結局やめた。

 黒崎もいつの間にか泣くことをやめて、赤い顔でこっちをチラチラと見ていた。

 

 俺のカミングアウトのおかげで、沈痛な雰囲気の代わり別の気まずい雰囲気が病室を支配した。

 




性癖特盛回でした
あなたがお持ちの性癖と合致した際はご一報ください
僕が喜びます


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ドMの考えた訓練

「じゃあ、優香ちゃん。今日もランニング30kmから行こうか」

 

 出会ってすぐにそんな言葉をかけると、優香ちゃんは虚ろな笑みを浮かべた。

 

「アハハ……やっぱりそうですよね。分かりました。行きます。いえ、期待なんてしてないですよ? たまには休んで二人でゆったりカフェとか行きたいなーとか全然思ってないですから」

 

 ああ、優香ちゃんの穏やかな顔が歪んでいる。まったく、誰のせいだ。

 

 学校の敷地の周囲をぐるっと囲うようにできた遊歩道は、一周するとだいたい4kmくらいになる。30kmなので、それを8周ほどだ。

 

「……ハッハッハッ」

 

 優香ちゃんの規則正しい呼吸を後ろに聞きながら、俺は彼女の前を走った。

 遊歩道では俺たちと同じようにランニングに励む戦乙女がいたが、大抵はすぐに俺たちに追い抜かされていく。

 同じ子を何周も抜かしていくと、徐々に表情が驚愕に変わっていくのは、見ていて爽快だ。

 

「り……燐火先輩、ちょっと速くないですか……?」

「優香ちゃんも成長している。今の君ならこれくらいできる」

「な、なんでこっちの限界を見極めるのそんなに上手いんですかあ!」

 

 それはもちろん、美少女の苦しそうな顔を観察するのは趣味だからだ。顔を見れば、優香ちゃんがどれくらい苦しいのかは分かる。今はわりと余裕がある方。もう少し呼吸の間隔が狭まってからが、彼女の限界ラインだ。

 

「ふふ……」

 

 時折振り返って、優香ちゃんの様子を確認する。苦しそうな顔だ。口を大きく開けて、必死に酸素を取り込んでいる。頬は上気し、目は何か諦めたように虚ろだ。

 ……いい表情だ。

 

 優香ちゃんのギリギリのラインを攻め続けて、ようやくランニングが終わる。ちなみに俺は、まだ余力がある。呼吸もほとんど乱れていなかった。

 

「十分間休憩にしよう」

「ふあああ……」

 

 待っていました、と言わんばかりに優香ちゃんが崩れ落ちる。そのまま、アスファルトの上に大の字になった。その口はずっと酸素を求めてパクパクと動いている。

 

「はい、飲み物」

「あ、ありがとうございます……」

 

 寝ころんだ彼女の頬に、買ってきたペットボトルを押し当てる。それを掴んだ彼女は、上体を起こして座り直すと、飲料を口にした。

 

「優香ちゃんもちょっとずつ体力がついてきたね」

「そう、なのでしょうか……正直、燐火先輩についていくのでいっぱいいっぱいで成長が実感できないのですが」

「ああ、そっか。まあまた身体測定があると思うから、その時にクラスの皆を驚かせるといいよ」

 

 戦乙女の身体能力は、こまめに検査されている。脚力や腕力などは、人によっては急成長していたりするからだ。

 そのデータは、チームを指揮しているベテラン戦乙女に渡され、戦術の参考にされる。

 

「燐火先輩は、一人でもこんな訓練をしていたんですか?」

「そうだね。まあ、私の場合はこの三倍くらいはやってるかな」

 

 ランニングだって一人でやってる時はもっと早く、もっと長くやっている。その他の筋力トレーニングなどももっと密度を上げてやっていた。

 

「に、三倍!? なんでそんな頑張れるんですか?」

「まあ、鍛えるのが好きだから、かな」

 

 正確には、苦しむのが好きなだけである。ランニングで息が上がり、呼吸が苦しくなると、だんだん興奮してくるのだ。息苦しさは、じわじわと来る苦しみなので、切り傷などとはまた違った快感なのだ。真綿で首を締めるような、という表現がしっくりくるかもしれない。

 

 限界を追い求めすぎた結果、簡単には息が上がらなくなったのは悲しい誤算だ。

 

「私と比べるのはあまり意味がないよ」

「そうですね、先輩を筋トレの目標にするのはやめます……」

 

 それがいい。ドMでもない人には無理だろう。

 

「じゃあ、次は鍛錬室だね行こうか」

 

 先日俺と夏美が軽い衝突をした場所、鍛錬室は様々なトレーニング器具が置いてある場所だ。イメージとしてはジムが一番近いかもしれない。

 

「ま、またあの重いダンベルを上げるんですね……うう、マッチョになったらいやだなあ……」

 

 優香ちゃんが自分の二の腕をぷにぷに触りながら言う。見たところ、白い腕は細く、マッチョとは程遠い。

 

「大丈夫。戦乙女は体形が変わりづらい」

「……それ、都市伝説じゃないんですか?」

「多分本当だと思う。だって、私がマッチョになってない」

「確かに……」

 

 もうずいぶん鍛えたはずだが、相変わらず俺の体は細いままだ。足とか太くなってないし。腹筋が薄っすらと割れたかなー、ってくらいだ。だから、戦乙女が体形が変わりづらいっていうのは本当だと思う。

 

「戦乙女は体形が変わりづらいから、胸が成長しづらい」

「え!? 本当ですか!?」

 

 今日一番の驚いた顔を見せる優香ちゃん。まさか、信じたくない、という表情だ。乙女的には大問題だろう。

 

「……こっちは確証はない。でも、そうじゃないと私の胸が成長しない理由がつかない」

「先輩……」

 

 優香ちゃんが憐れむような表情を向けてくる。

 ああ、その視線! ゾクゾクする! 普段優しい優香ちゃんとのギャップで興奮するー! 

 

 

 鍛錬室で筋力を鍛えた後は、お互いに武器を使った組み手の練習だ。これは今日初めて取り入れる訓練だ。優香ちゃんの体力がついてきたので、そろそろできるだろう、と俺は判断した。

 

 近接戦闘の技能は、魔法で援護する優香ちゃんには不要かもしれないが、身につけておいて損はない。

 

 

 これは俺が何度も『魔の者共』と戦っていて思ったことだが、戦場に出る以上、後衛だろうと一人で戦える力は身につけておいた方がいい。

 

 実戦には、あまりにも不測の事態が多すぎるのだ。悪天候による視界不良や、『魔の者共』の数が想像以上に多くて混戦になる場合。

 たとえ五人で戦っていたとしても、他の四人とはぐれる可能性がある。そんな時に一人で生還する力をつけて欲しい、と個人的には思っている。

 

 もうすでに辺りは暗くなっていた。今日の訓練はこれで最後だ。人気の少なくなった運動場の片隅で、俺は小太刀を構えて優香ちゃんと向き合っていた。

 

「ほ、本当に真剣でやるんですか?」

 

 自分の杖を構えた優香ちゃんは、怯えた声で俺に問いかけた。

 

「大丈夫。峰打ちで済ます」

「それってかなり痛いと思うんですけど!?」

「冗談。寸止めだから、大丈夫。でも、優香ちゃんには予め殺気っていうものに向き合っておいて欲しい」

「……殺気、ですか」

「うん。既に見たことあると思うけど、『魔の者共』は、優香ちゃんを本気で殺しに来る。正面から向き合うと、きっと最初は足が竦むと思う。頭が真っ白になるかもしれない。そういう時に動けなくなったら、君は死ぬ」

 

 死ぬ、とはっきり言葉にすると、優香ちゃんは息を吞んだ。

 初陣の夏美のようにならないためにも、この訓練は必要だ。

 

「だから、まずは私の殺気に慣れて欲しい」

 

 言って、静かに二つの剣を構える。優香ちゃんも覚悟を決めたのか、杖を自分の前にぐっと近づけた。

 お互いの視線が交錯し、緊張感が高まっていく。

 

 地面を蹴り、駆け出す。

 俺は優香ちゃんを睨みつけると、絶対に打ち倒す、という気概を籠めて小太刀を振るった。

 

「ッ!」

 

 優香ちゃんは驚いたように目を見開いたが、すぐに杖を持ち直すと、俺の攻撃を受け止めた。鈍い音。

 優香ちゃんの杖は木製だが、戦乙女の武器なので、刀と打ち合っても簡単に壊れることはないだろう。

 続けて、反対側から一閃。これにも反応して防御する優香ちゃん。やはり筋が良い。優香ちゃんは反射神経に優れているみたいだ。

 

 そこで俺は攻撃の手を止め、優香ちゃんを見た。

 

「どうしたの? 攻撃しないと勝てないよ」

「えっと……攻撃って……」

「その杖は、全力で振れば鈍器にもなる。私を殺すつもりで殴り掛かってみて」

「いえ……それはその……」

 

 歯切れ悪く言い、視線を漂わせる優香ちゃん。ああ、優しい彼女のことだ。予想はしていた。

 

「生き物を傷つけるのは、怖い?」

「ッ! ……はい、怖いです。人間を攻撃するのはもちろん怖いですし、それに相手が化け物だって、生き物を殺すのには躊躇すると思います」

 

 優香ちゃんの瞳は揺れ動いた。彼女の言葉に、俺は初陣の夏美の様子を思い出していた。ゴブリンを相手に、傷を負わせるもトドメを刺すのを躊躇っていた夏美。

 彼女もきっと、自分と同じくらいの大きさの生き物を殺すのに躊躇ったのだろう。

 

 きっとそれは当然の感覚だ。むしろ、簡単に慣れてしまう人間の方がおかしいのだろう。

 

「……まあ、私を殴っても『魔の者共』を殺せるのかはまた別問題か。でも、一つ覚えておいて。──戦場に立つ以上、君は殺すか殺されるかの選択を迫られる時が必ず来る。その時に勇気ある選択をできる戦乙女だけが、戦場の英雄になって、多くの人を救えるんだよ」

「……よく、分かりません」

「今はまだ仕方ない。じゃあ、優香ちゃんはとりあえず敵の攻撃をいなす練習だねっ!」

「ふっ!」

 

 言いながら俺は、再び右手の小太刀を振るった。固い感触。

 俺は次々と斬撃を繰り出すが、優香ちゃんは的確に杖を差し出して防御していた。

 夜の運動場に、二人の呼吸音と金属音のようなものが響く。

 

 右手の刃を下から突き上げる。左手の刃を横に振るう。空を切った左手の刃を素早く翻す。同時に右手の突き。

 

 優香ちゃんが隙を見せれば、俺は素早く近づき、彼女の体の目の前で刃を止めてみせた。本番だったら死んでいた、と示すと、彼女は少し息を呑んで、さらに真剣な表情になった。

 

 優香ちゃんの息が上がって来た頃、俺はようやく訓練終了を告げた。

 

 

「優香ちゃんお疲れ様。はい、タオル」

「ありがとうございます。……ふう、なんだかずっと緊張していたので、肩が凝りました」

「実戦みたいに緊張感持ってほしくてやってたからね。今日はハードだったでしょう? 明日は一日休みにしよう」

「本当ですか!? やった! じゃあ燐火先輩、お昼一緒に食べませんか?」

「え? 私と食べるの?」

「はい、先輩が良かったらですけど」

 

 先ほどの疲れた表情とは打って変わって、キラキラとした笑顔でこちらを誘ってくる優香ちゃん。

 

「構わないけど……他の子誘っていいんだよ? 休みの日まで私と一緒にいる必要ないよ?」

 

 というか、スパルタトレーニング課してくる先輩と休日も一緒なんて嫌じゃないのだろうか。愚痴とか言いたくならないのか? 

 

「はい。先輩とはトレーニングの話ばかりで、ちゃんとお話できていない気がするので。私、ずっとこの学校のカフェ行ってみたかったんですよー」

 

 笑顔で語る優香ちゃんは、どうやら本当に休みの日まで私と一緒に居たいらしい。その様子に、少しだけ口角が上がってしまう。

 

 ああ、真央先輩以外でこんなに仲良くしてくれる子は、久しぶりだなあ。

 



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最強の『特徴』

 現在、淵上高校の『魔の者共』との戦いは二週間に一度程度行われている。

 これはかなり頻度が減った方だ。現在は大穴から這い出てくる『魔の者共』の数が少なくて、余裕がある。(大穴から出てくる『魔の者共』の数には波のようなものがあるが、研究者たちは未だにそのパターンを解析しきれていない。大穴に関する研究はロクに進んでいないのが実情と言えた)

 

 そのため、新入生たちが経験を積むにはちょうど良い時期である、と言えよう。

 

「優香ちゃん、準備は大丈夫?」

「はい。……でも、緊張しています。初陣とはまた違った緊張ですね」

 

 身の丈にも近い杖を手に、優香は大穴の方を真っすぐに見つめていた。けれど、その顔は少しばかり強張っているようだった。胸の鼓動が少しだけ早い。

 

「とりあえず今回は、私が指示するところに飛んで行って、治療することを最優先すればいい。私が守る」

「はい!」

「じゃあ、走ろうか」

「え!? もうですか?」

 

 見れば、他の戦乙女たちはまだチームで何事か話し合っていた。

 

「私が戦う時間が増えれば、それだけ皆が死ぬ可能性が減る」

「先輩……」

 

 優香が目を見開き、燐火を見る。ああ、やっぱりこの人は、分かりづらいだけで本当は優しいんだ、と胸が暖かくなるような感覚を覚えた。

 凛とした顔で敵を見やる燐火の立ち姿は、いつも以上にかっこよく見えた。

 

「離れないでね! 切り込む!」

「はい!」

 

 小太刀を両手に、駆け出す燐火。その速度は並みの戦乙女ではついていけないほどだったが、鍛錬を重ねた優香はそれにぴったりとくっついていた。

 それを見ていた他の戦乙女は、驚いた表情を見せていた。

 

 

「こいつがこの群れのボスだと思う! 優香ちゃん、コイツからは目を離さないでね!」

「はい!」

 

 燐火が最初にターゲットにしたのは、三つの首を持つ犬、ケルベロスだった。燐火の言う通り、周囲の『魔の者共』はケルベロスに付き従うように進軍してきているようだ。

 

 ケルベロスの大型犬よりも一回り大きな体躯は威圧感がある。あれにのしかかられたら最後、押し倒され、喉笛を嚙みちぎられるのも待つしかないだろう。

 凶暴な表情をした三つの顔は、殺意に満ちていている。

 

 三つの顔が勇ましい鳴き声を上げ、燐火に嚙みつかんと迫ってくる。よく見れば、三つの攻撃は絶妙にタイミングがずれていて、簡単には搔い潜れないように工夫されていた。

 

「ガウッ!」

「小賢しい! ふっ!」

 

 しかし、最強の戦乙女である天塚燐火には関係がない。一つ、二つと噛みつきを避けた燐火は、三つの口に小太刀を差し込んで止めると、右手の小太刀で胴体を抉った。

 

「グルル……」

 

 弱りを見せるケルベロスに、連撃を仕掛けていく燐火。三つの首が絶えず攻撃を仕掛けてくるが、燐火は紙一重でそれを避けながら、体を刻んでいた。

 

「クッ……硬いな」

 

 しかし、ケルベロスの体は発達した筋肉に守られていて、なかなか倒せないようだ。

 そもそも、燐火の小太刀は短い。刃はたしかにケルベロスの体を切り裂き鮮血をまき散らしていたが、どれも浅い傷に留まっていた。

 

 優香はあたりを警戒しながらも、それを心配そうに見つめる。何もできない自分がもどかしい時間が続く。

 

 そして、遠くから見ていた優香だからこそ、ケルベロスの攻撃の前兆に気づいた。

 

「燐火先輩! 何か来ます!」

「ッ!」

 

 一瞬遅れて、燐火もそれに気づく。素早くバックステップで下がる。しかし、三つの口から放たれた炎の奔流が、燐火の体を包んだ。

 

「先輩!?」

 

 炎のブレス。御伽噺のようなそれが、小さな刀しか持たない燐火を襲った。優香が悲鳴のような声をあげる。

 轟轟と燃え盛る炎は、遠くにいる優香の方まで熱を伝えてきた。であれば、中心にいる燐火はどうなってしまうのか。

 

「先輩、燐火先輩!」

 

 炎が晴れる。燐火は、その場に立っていた。灼熱の中を、ただ顔を腕でガードするだけで乗り切ったらしい。しかしよく見れば、両手は真っ赤に焼け爛れていた。

 ひとまず生きているらしいことに安心した優香は、すぐに声をかける。

 

「待っててください! 今治療を!」

「いらない!」

「先輩!?」

 

 燐火の体が躍動する。目にも止まらぬ速さで、ケルベロスの目の前に。炎に焼かれていたダメージを感じさせない軽快な動きだ。

 

 先ほどまでとは明らかに速度が違った。一歩、二歩、と走るたびにどんどんと加速していく燐火の体。

 その最高速度のままに、右手から突きを放つ。中段から放たれたそれは、先ほどまで硬くて仕留めきれなかったケルベロスの体に突き刺さる。

 

「──とどめ」

 

 刀を突き刺し、獣の体を固定したままで左手の小太刀が閃く。ケルベロスの首が三つ同時に地面に落ちた。

 

 刀の血ぶりをする彼女の両手は、火傷の上からべっとりと血がついていた。よく見れば、服にも返り血の跡がそこら中にある。赤くないところの方が少ないくらいだ。

 優香は、燐火の『血みどろ一等星』という二つ名を思い出した。なるほど、戦うたびにこんなに真っ赤になるのなら、そう呼ばれるはずだ、と彼女は納得した。

 

「って、違う! 燐火先輩、治療します!」

「うん、ありがとう」

 

 思考を一旦断ち切った優香が詠唱すると、優しい光が燐火の体を包む。腕の火傷跡が、かすり傷が、みるみるうちに治っていく。

 

「先輩、どうして戦いの途中に治療するのを拒んだんですか?」

 

 どこか責めるような口調で、優香が問う。それに対して燐火は少し気まずそうに顔を逸らした。

 

「私の『特徴』のせい」

「『特徴』?」

「言ってなかったっけ? 一部の戦乙女が覚醒している、それぞれの強みみたいなもの」

 

『特徴』を発現させる戦乙女は、百人に一人いれば良い方だ。そのため、その存在はあまり知られていない。

 

「初耳ですけど……」

「そう。まあほとんどの人に関係のないことだしね。私の『特徴』は、傷を負えば負うほど強くなる」

「そ、そんなリスキーな力で戦ってたんですか!?」

 

 正確に言うならば、燐火の力は本人が興奮すればするほど身体能力などが上昇するものだ。戦いの興奮でもいいし、性的な興奮でもいい。

 

 傷を負えば負うほど強くなる、とは燐火に限っては嘘ではない。どんな傷であれ、燐火は興奮するからだ。そしてそれを仲間に心配されるともっと興奮する。

 困った性癖を持った奴にピッタリの『特性』だった。

 

 この『特徴』を得た時、燐火の頭には『心身合一』、という名前が頭に思い浮かんだ。どうやらそれが、燐火の『特性』の名前らしかった。しかしあまりむやみに名前を教えると、『特徴』の本質がバレてしまうのでごく一部の人間しか知らない。

 

「ただ、負傷したまま駆け回ると、出血がひどくてパフォーマンスが落ちる。だから優香ちゃんがいてくれると助かるよ」

「あ、ありがとうございます。……って! 今までは負傷して血を流しながら走り回ってたんですか!? ダメじゃないですか!」

 

 優香に怒られ、燐火が少しだけシュンとした表情を作る。

 ──この時、燐火は『心身合一』の力で身体能力が上がった。心配されて興奮したのだ。

 

「とにかく、今日一番ヤバい敵はもういない。後は、皆の援護に徹しよう」

「はい!」

 

 ここから自分の本領を発揮できる、と優香は張り切った。

 

 

「負傷した前衛は下がって! 援護する!」

「あ、天塚……! 山中、下がれ!」

 

 最初に向かった先にいるチームは、前衛にいる剣を持った少女が右腕から出血していた。傷が深く、絶え間なく流れる血に、顔色が悪い。

 

 周囲にいる敵の数が多すぎて、なかなか下がるに下がれないらしい。

 燐火はその場に突っ込むと、少女たちに群がっていた化け物たちをまとめて吹き飛ばした。

 

「優香ちゃん!」

「はい! 『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」

 

 剣を持っていた少女の出血が一瞬で止まる。少女は信じられない、と大きく目を見開いた。

 

「じゃあ、優香ちゃんはしばらく他の子の傷も見てあげてね」

「燐火先輩、どこに行くんですか!?」

 

 優香の言葉も聞かずに、燐火は先ほどまでチームを苦しめていた化け物たちへと斬り込んでいった。一瞬でその姿が群れの中に紛れ込み、優香からは見えなくなる。

 呆れたようなため息を吐いた優香は、気持ちを切り替えて、他の負傷者の傷を確認し始めた。

 

 

「フーッ……やばい! 優香ちゃんに心配されながら戦うのめちゃくちゃ気持ちいい!」

 

 燐火は、この上なく清々しい表情で言いながら、目の前の虫型の化け物を切り裂いた。その刃の切れ味は、最初にケルベロス相手に苦戦していた時よりもずっと増していた。

 端的に言えば、先ほどよりも興奮していた。

 

「しかし、思うままに叫びながら戦えないのは盲点だったな……」

 

 燐火にとって、気持ち良く戦えることは何よりも優先されることだ。それは『特徴』的にもそうだし、何よりも己の快楽のためには大事だった。

 

「しかし虫型……! 優香ちゃんが直面したらいい悲鳴上げてくれそうだなあ。うう、いい感じに気持ち悪い」

 

 目の前の巨大な芋虫を切り刻みながら、燐火は一人ごちる。一人で戦うようになってから、燐火は喋りながら戦うことがすっかり癖になっていた。

 

「はっ……んん? 悲鳴?」

 

 遠くで、甲高い悲鳴が聞こえた。間違いなく、先ほど助けたチームのものだろう。

 

「……優香ちゃんと皆が心配だな」

 

 燐火が見たいのは美少女の曇り顔であって死に顔ではない。周囲の虫たちを一瞬で殲滅した彼女は、素早く優香の元へと戻っていった。

 



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優香の覚悟

「い、いやっ! 来ないで! ダメ! 無理だよ! こんなの違うって!」

「わあああああああああ! 来るな来るな来るなあああああ!」

「皆さん、落ち着いてください!」

 

 優香が治療していたチームを襲ったのは、人の身長の二倍はある巨大なムカデの形をした化け物の群れだった。

 

 最悪の光景だった。ムカデたちの巨大な触覚とうねうねと動く足は、年頃の乙女が生理的な嫌悪を抱くのに十分すぎた。

 戦乙女たちの動きが鈍る。その隙を狙って、ムカデたちがうねうねと地を這いながら彼女らを襲った。

 

「ほ、『ホーリーレイ』!」

 

 優香が詠唱と共に杖を向けると、白色の光が一体のムカデに飛び、それを吹き飛ばした。

 優香の杖ができるのは、何も治癒だけではない。治癒魔法の練度には遠く及ばないが、彼女もまた攻撃手段を有していた。

 

「皆さん、落ち着いて戦いましょう! 決して勝てない相手ではないはずです!」

「……そうだね」

 

 一人の少女が呟く。目の前で優香がムカデを吹き飛ばしたことで、幾分か冷静さを取り戻したようだ。

 武器を構えるチームは、ようやく冷静さを取り戻していた。

 剣を振り回す少女。アサルトライフルを連射する少女。槌で虫を潰す少女。

 元々、ムカデ型の化け物は戦闘能力自体は大したことがなかった。緑色の血をまき散らしながら息絶えていく姿はグロテスクだったが、少女たちに動揺はなかった。

 

 そのまま、戦闘は順調に進むかに思えた。 

 

「……地震?」

 

 優香が足元の揺れに気づいた時には、それは既に迫っていた。

 

「ぶるううううううう!」

「がぁ……!」

 

 地面が突如として盛り上がる。優香の足元から突然現れたモグラのような化け物が、彼女の体を上空に吹き飛ばした。

 

「新入生! ……クッ」

 

 チームの面々は援護に向かおうとするが、依然としてムカデ型の化け物の数が多く、思うように動けない。

 

「がっ……」

 

 地面に叩きつけられた優香の口から、酸素が吐き出される。朦朧とする視界のうちで、体長二メートルはあろうかというモグラ型の化け物がこちらに駆け寄ってきている姿を確認する。

 

 逃げようとして、自分の体に力が入らないことに気づいた。痛みに痺れる体が、手足が、反応しない。

 

「な、なんで……なんで動かないの!?」

 

 その事実に、優香の胸に絶望が広がる。そうしている間にもモグラは猛然とこちらに走ってきていた。その前足には、人の首程度容易く切り裂けるような巨大な爪。

 

 ──殺される。

 

 優香は直感した。このまま、痛みのあまり地面にうつ伏せの自分は、モグラの鋭い爪に切り裂かれて、死ぬのだ。

 

「い……いや……!」

 

 そう思うが、体は動かない。手足はピクリとも動かず、魔法を使うこともできない。

 きっとこれは、恐怖だ。

 動けない原因にはもちろん痛みもあるが、それ以上に怖いのだ。

 

 自分を殺すつもりで迫る化け物がいるという状況が、たまらなく怖い。地を蹴り、目を殺意にギラギラと輝かせ、鋭利な爪を振り下ろす瞬間を今か今かと待っている『魔の者共』が、恐ろしい。

 

 目を閉じて耳を塞いで、現実逃避したくなる。

 

 ああ、結局自分は力を持っても臆病なままなのか、と絶望したくなってしまう。

 人生の最期の予感に、回想が始まる。臆病だった幼少期。幼い正義感に突き動かされ、皆を救おうとした頃。自分が人よりも出来が悪いことに気づいて、自信がなくなった頃。

 

 それから、ここに来て、不器用なお姉様に出会ったこと。

 ──そこまで考えて、彼女の言葉を思い出した。

 

「──戦場に立つ以上、君は殺すか殺されるかの選択を迫られる時が必ず来る。その時に勇気ある選択をできる戦乙女だけが、戦場の英雄になって、多くの人を救えるんだよ」

 

 燐火の言葉がリフレインする。殺すか、殺されるか。死ぬか、生きるか。自分は、今まさにその分岐点に立っている。

 この場で大人しく殺される。そのことに思いをはせた時、優香はここに立つ時に胸に抱いた己の想いを思い出した。

 

 戦場の英雄になるために、不器用で強い天塚燐火のために、ここで出会った人たちのために、大穴に怯えながら過ごす人たちのために、──何よりも、もっと多くの人を救うために。自分はここにいる。

 ──であれば、死ぬわけにはいかない。

 

 体に力が戻ってくる。しかし、まだ鈍い。手足はノロノロと動くだけ。このままじゃ間に合わない。

 死の恐怖に慄く体。それを叱咤するように、優香は喉が張り裂けるほど叫んだ。

 

「あ、ああ……あああああああああ!」

 

 立ち上がる。杖を構え、視線は前へ。大丈夫。燐火先輩の二振りの小太刀ほどに怖くはない。

 モグラのような化け物は、優香の首程度容易く千切れそうな鋭い爪を振り下してきていた。

 

「ああああああああ!」

 

 細かい技術は必要ない。戦乙女の武器である杖は、『魔の者共』相手に絶大な効果がある。

 身を屈め、爪の一閃を避ける。突風が優香の首筋を撫でた。

 敵の攻撃を潜り抜けた優香は、両手で振りかぶった杖を、最大限の力を使って振り下ろした。

 

 ボゴ、という嫌な感触。杖の先がモグラの頭に突き刺さり、頭蓋骨をへこませていた。頭部への強い衝撃に、崩れ落ちるモグラ。その瞳は、もう光を映していなかった。

 

「や、やった……」

 

 呆然と呟き、その場に座り込む優香。手のひらには、まだ嫌な感触が残り続けている。けれど、確かに成し遂げた。自らの手で、彼女は『魔の者共』を殺めたのだ。

 

「……」

 

 しかし、優香の胸に浮かんでいたのは達成感というよりもむしろ後味の悪い感触だった。呆然と、先ほど杖を握っていた両手を眺める。

 

「優香ちゃん、お疲れ様。かっこよかったよ」

 

 そんな彼女に、近づいて来た燐火がそっと声をかけてきた。

 いつもの平坦な声にわずかばかりの優しさを乗せて、彼女は優香をねぎらった。

 

「先ほどのチームの皆さんはもういいんですか?」

「うん、片づけた。……こんな時まで他人の心配? 本当に、優しい子だね」

「いえ、優しくなんてないですよ。だって、私は今、確かに一つの命を終わらせたんです」

 

 思い出す。優香に襲い掛かって来たあのモグラ型の化け物は、確かに生きていた。表情を作り、目に力を籠め、呼吸をしていた。ひょっとしたら、笑うことだってあったかもしれない。

 

「きっと、こんなこと考えてる私の方が馬鹿なんだと思います。『魔の者共』は人類の敵。戦うべき相手です」

「ううん。それで思考停止しないで、自分の頭で命の重さを考える優香ちゃんは、本当に優しい子だよ」

「……先輩、ありがとうございます」

「それに、優香ちゃんみたいなことを考える人だっている。たとえば、夏美なんかはそうだった」

「黒崎先輩が……?」

 

 正直、今の勇ましい姿からは想像できないことだ、と優香は思った。

 

「それに、私のお姉様も最初はそういうこと考えてたってさ」

 

 お姉様、と口にするとき、燐火は今まで見せたことのないような表情をしていた。

 

「皆優しすぎて生きづらそうだね。──ちょっと妬ましい」

「え?」

「それじゃあ、私についてきて。大丈夫、試練を乗り越えた優香ちゃんは、もう一人前の戦乙女だから、自信を持ってね」

「……はい! ありがとうございます!」

 

 返事をしながら、優香は真っすぐな笑みを浮かべた。燐火はそれを、少し眩しそうに眺めていた。

 

 

 結局のところ、その日の戦闘における人的被害はゼロ。最強の戦乙女、天塚燐火に付き従い、数多の戦乙女の傷を治した優香の名前は、戦場の聖女として皆の頭に刻まれた。

 




これにて一区切り、毎日投稿終了です
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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燐火の一日

 朝起きて一番最初に好きな人の顔を見れるというのは、本当に幸せなことだ。

 目覚めてすぐに、俺は部屋の反対側のベッドを見る。そこでは、相変わらず可愛らしい先輩が目を擦っていた。

 

「真央先輩、起きてください。朝ですよ」

「ううん……おはよう、燐火ちゃん……」

 

 ベッドから上体を起こした真央先輩はひどく眠たげだ。視界が定まらず、頭がフラフラしている。朝弱いのはいつものことだが、これでは二度寝してしまいそうだ。

 仕方ない。

 

「起きてください、お姉様」

「──今、お姉様って言った?」

 

 がば、と先輩が起きる。いつの間にか目がしゃっきりしていた。これくらいで起きれるのなら、最初からちゃんと起きてくれ。可愛いからいいけど。

 

「言ってませんよ。お寝坊さんな先輩は姉なんてガラじゃないですからね」

「い、いや、騙されないからね! 燐火ちゃんの貴重なお姉様呼び! 私は今絶対に聞いた! ねえ、もう一回! もう一回言って! さっきは寝ぼけててちゃんと聞いてなかった!」

「言いません。夏美にでも言ってもらえばいいじゃないですか。あいつ先輩にデレデレだからいくらでも言ってくれますよ」

 

 夏美の先輩への懐き方は異常なので、喜んで言ってくれるだろう。

 

「夏美ちゃんのお姉様呼びも可愛いけど、燐火ちゃんのそれにはまた違った可愛さがあるの! 夏美ちゃんが懐いてくれてる小型犬みたいな可愛さなら、燐火ちゃんのはいつもツンとしている猫が体擦り寄せてきたみたいな!」

「知りませんよ……」

 

 この人は朝から何を言っているんだろうか。

 

 そんなことを思いながら、朝の支度をこなす。寝間着を脱ぐと、外気が素肌を撫でた。真央先輩に裸を見られるなんて今更だ。一緒の風呂に入るという試練すら乗り越えた俺に怖いものはない。

 

「相変わらず綺麗な肌だねえ。一年前くらいはスキンケアの一つも知らない子だったのに。大きくなったもんだよ全く。お母さんは嬉しいです。うう……」

「姉なのか母なのかハッキリしてください」

 

 スカートを履きながら適当に突っ込む。丈は膝程度だ。

 

「とにかく、オレはもう行きますからね。先輩もちゃんと朝ごはん食べてくださいよ」

「ええー、相変わらず早いなあ。私を待ってくれてもいいんだよ? ……もしかして、お姉ちゃんと一緒にいるところを見られるの恥ずかしい?」

「……」

「いやあ、燐火ちゃんも大人びて見えて案外子どもだね! いいんだよ、たまには甘えてくれても。お姉ちゃんは君のどんな駄目なところも優しく抱きしめて愛してあげるからねえ……」

「駄目なところばっかりの先輩に甘えることなんてないですよ。後輩に毎朝起こされるなんて本当に義姉なんですか?」

「うぐっ。今日の燐火ちゃんはなんだか辛辣だなあ……」

 

 わざとらしく泣きまねをする真央先輩。見慣れた光景なのでスルーして支度を整える。

 

 けれど、ちょっと目を離したうちに真央先輩は真剣な空気を纏っていた。

 

「──でもさ、後輩の前でかっこつけるのって、結構疲れるんじゃない?」

「……そう、ですね」

 

 真剣な声音に、思わず手を止めて向き直る。

 先輩の言う通りだ。憧れの目線を向けられることにはもう慣れたつもりだったが、身近な人に向けられるそれは、少しだけ重苦しかった。

 

「私もそうだったから、その苦しみはちょっとは分かるつもり」

「……真央先輩も、そうだったんですか」

「そうだよ? 夏美ちゃんは私に憧れていたし、燐火ちゃんもなんだかんだ慕ってくれていた。それを分かっていたから、私はお姉ちゃんであろうと頑張った」

「過去形ですか」

「まあ、燐火ちゃんも夏美ちゃんも立派になっちゃって、私の出る幕もなくなっちゃたからね」

「そんなことないと思いますけどね」

 

 腕っぷしだけ強くなっても、俺の心は大して強くなってない。自分のことばっかりだ。

 

「でも、せめて弱音を吐くことを恐れないで。私たち戦乙女は強いけど、心は普通の女の子のままなんだから」

「──はい。ありがとうございます」

 

 真央先輩の優しい言葉は、いつだって俺の心に響く。ああ、どうしてこの人はこんなに人の心を解きほぐすのが得意なのだ、といつも感嘆してしまう。

 

「案外、弱さを見せた方が親しみやすいものだよ。たとえ上に立つ人でも、それは同じ」

「……じゃあたとえば、オレがドMなことを優香ちゃんに教えるとかですか?」

「う、うーん……それはちょっとどうかなあ……」

 

 真央先輩が急に視線を泳がせた。流石に引かれるか……。

 

「まあでも、何も分からないと親しみづらいものだよ。弱いところとか、趣味とか、好きなものとか、そういうところから打ち明けてみてもいいんじゃないかな」

「そう、ですね。……先輩、ありがとうございます」

「何、お姉ちゃんに任せとけって!」

 

 真央先輩の笑顔に癒される。身支度を終えた俺は、部屋のドアの前に立ち、最後にあいさつをした。

 

「では、先に失礼します──お姉様」

 

 ドアの向こうから元気な叫び声が聞こえてきて、俺は頬を緩めた。

 

 

 ◇

 

 

 教室に教師の平坦な声が響く。生徒たちはそれを聞きながら、黒板に書かれている内容をノートに書き記していた。一方の俺は、さっさと板書を終えてしまったので、暇している。

 

 授業はいつも退屈だ。そもそも、俺は前世で一度高校を卒業している。一度聞いた覚えのある授業というのは非常に退屈だ。

 だいたいいつも、虚空を見つめて妄想している。

 

 たとえば、優香ちゃんの目の前で俺が重傷を負う妄想とか。

 

「──燐火先輩! 燐火先輩! 大丈夫です!?」

「ごほっ……優香、ちゃん。不甲斐ない義姉で、ごめんね」

「そんなことないです! 先輩はいつだってかっこよかったです!」

 

 ニチャア……。

 我ながら気持ち悪い。しかしこれは前世から刻まれた性癖なので致し方ないのだ。

 

 後は、真央先輩を負傷しながら助ける妄想とか。

 

「真央先輩!」

「ッ! り、燐火ちゃん、ありがとう!」

「ふふっ、先輩のためならこれくらいお安い御用です」

「燐火ちゃん! 背中に血が……!」

「ああ、大丈夫、かすり傷です。先輩の命と比べたら、どうってないことですよ」

「ありがとう、燐火ちゃん!」

 

 ニタニタ。俺の脳内はフィーバー状態だったが、表情筋は全く動いていないだろう。美少女たる俺は、授業中の妄想で気持ち悪い笑い声をあげるわけにはいかないのだ。

 

「──それでは、ここの答えを天塚」

 

 おっと、教師が俺の名前を呼んでいる。一瞬で現実に帰った俺は、すまし顔で立ち上がり答えを言った。

 

「はい。『stupid』です」

「正解。相変わらず優等生だな。これで授業をサボらなければ完璧なんだがな……」

「申し訳ございません」

 

 俺が時々授業を抜け出してトレーニングしていることはだいたいの教師が知っている。それでもテストの点数は良いので、何も言えないらしい。

 仕方ないのだ。俺の心が、「もっと体をいじめたい!」と叫んでいるのだから。

 

 それに、俺は最強の戦乙女として知られている。俺が鍛錬することに対して文句は言いづらいのだろう。

 

 

 終業のチャイムが鳴ると、教室に弛緩した空気が流れる。担任教師から簡単な連絡事項が伝えられると、晴れて放課後となった。

 

 そこら中から楽し気な話し声が聞こえてくる。退屈な授業を乗り越えた彼女たちの表情は晴れやかだ。

 

「ふわああ! やっと終わった!」

「今日どこ行く?」

「久しぶりに外いかない? なんか新店オープンしたんじゃなかったっけ?」

 

 そんな喧騒を避けるように、一人で教室の外へ。今更俺に話しかけてくるようなクラスメイトはいない。皆、俺のことをトレーニング馬鹿だと知っているのだ。

 

 今日も今日とて鍛錬。強くなるため、というよりは、痛くなるため、である。我ながら最低だ。一応、最強であり続けるため、という理由もなくはない。

 

 

「はっ、はっ……」

 

 一時期は優香ちゃんとやっていたランニングだが、今は一人でやっている。流石に優香ちゃんが可哀想だったので解放してあげた。入学してずっとトレーニング漬けだと、俺みたいに友達がいなくなってしまう。

 

 でも彼女には、「体力を落とさないように自主練は欠かさないでね」と言い含めてある。毎週日曜日には一緒に鍛錬する約束を交わしているので、その時にチェックするつもりだ。

 

 ああ、楽しみだなあ。訓練から解放されて気の緩んだ優香ちゃんが、久しぶりの俺との訓練にヒーヒー言う姿が早く見たいなー。

 ──まあ、見た目に反して根性のある彼女のことだから、ちゃんと自分で鍛錬を積んでくることだろう。そう思ったから密着トレーニングから解放してあげたわけだし。

 

「はっ……はあっ……はあっ!」

 

 そんなことを考えながら走っていると、だんだんと体が重くなってくる。元々、今の俺は手足に重りを付けている。各部位に10kgずつ。それなりに重い。

 

 徐々に酸素が足りなくなってきて、口が開く。それでも走るペースは落とさないから、どんどんと息苦しくなっていく。心臓のあたりが痛い。

 

 ああ、この感覚。やっぱり最高だ。まるで首でも絞められているみたいに、薄くなっていく酸素。全身が重くなって、頭に靄でもかかったみたいにボーっとする。

 空を仰ぎ、己の身に襲い掛かる苦しみを存分に堪能する。

 ──酸欠に喘ぐ美少女、最高だ。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 限界が来た、と思ってからさらに遊歩道を一周して、ようやく俺はランニングを終えた。その場に座り込み、ゆっくりと呼吸を整える。

 

 走り始めた当初は真上にあった太陽も傾き始めて、橙色の光を放ちつつあった。

 

「さて、そろそろ訓練器具空いたかなー」

 

 重い体を動かして、俺は次の鍛錬へと向かった。

 

 こうして、俺の平日の一日は過ぎていった。

 



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告白される姉と覗き見する妹

 金曜日の学校というのはどこか浮ついた雰囲気がある。今日が終われば待ちに待った休日だからだろう。登校する戦乙女たちの表情もどこか明るい。

 

 そんな中にあって、優香と果林は今日も寮の自室から一緒に登校していた。

 

「優香、優香、土曜日はどこ行く?」

「ええー? 果林ちゃん、私の他に遊びたい子とかいないの?」

「いないわけじゃないけど、たまには優香と二人で遊びたいなーって」

 

 果林が元気よく言うと、優香も頬を緩める。淵上高校に来て大きく環境が変わった優香にとって、変わらない態度で接してくれる幼馴染の存在というのはありがたいものだった。

 

 最近の優香を取り巻く環境は、少しばかり変化があった。それは決して悪いものではなかったが、優香を困惑させていた。

 

「あ、あの子じゃない? 『血みどろ一等星(ブラッディエース)』様の妹君」

「ああ、孤高のエースを落としたっていう子?」

「そうそう! どんな傷も癒しちゃうっていう『聖女(ホーリーガール)』ちゃん!」

 

 周囲の目が、優香に向いていた。けれどその視線は決して悪いものではなく、むしろ好意的だった。

 

「フフン。ゆうか―、人気者だねー」

「か、果林ちゃんまで揶揄わないでよ……」

 

 どこか誇らしげに言う果林の言葉に、恥ずかしそうに下を向く優香。彼女に向けられている視線はほとんどが好意的なものだ。ひそひそ話も、ほとんどが彼女を賞賛するもの。けれど、元々あまり目立たない子どもだった優香にとって、今の状況はむずがゆいものがあった。

 

「まあでも、天塚燐火先輩に付き従う謎の一年生ってだけでも話題性抜群なのに、手当たり次第に皆の傷まで治しちゃうんだから、そりゃあ『聖女(ホーリーガール)』なんて呼ばれるでしょー」

「や、やめてよ! 果林ちゃんに二つ名で呼ばれるの凄い恥ずかしいよ!」

 

『聖女』とは戦乙女を分け隔てなく治療し、負傷者を元気づけるように笑顔を振りまく彼女の姿からついた名前だ。

 優香の心根の優しい部分も評価された、良い二つ名だ、と果林は思っていた。

 

「一等星に導かれ、救いを求める乙女の元に現れる聖女。可憐な口から紡がれる詠唱はまるで聖歌の如く、その杖より出る光は神の祝福の如く乙女を癒し──」

「果林ちゃんっ! 揶揄わないで!」

 

 優香がプリプリと怒っても、果林はケラケラと笑うだけだった。

 

「アッハハ! いい例えだと思うけどなあ」

「もう! そりゃあもちろん皆に感謝されて褒められるのは悪い気はしないよ? でもさ、急に『握手してください!』って言われても困惑するっていうかさ……」

「それは熱心な子もいたものだねー」

 

 年頃の乙女である戦乙女たちは話題性のあるものが大好きだ。今のトレンドと言えば、彗星の如く現れた聖女。それから孤高のエース、天塚燐火の突然の雪解けだ。

 

「それに、『天塚先輩に渡してください!』ってお菓子なんかもらってさ。嬉しいけど、直接渡した方が先輩は喜ぶのにな、とか思うんだよね」

「アハハ……いくら優香が一緒にいるとはいえ、近寄りがたいのは変わりないからね」

 

 そもそも天塚燐火に話しかける機会はそう多くない。燐火は授業時間以外ほとんどの時間を他人が見たらドン引きするような過酷な鍛錬に費やしている。邪魔をするのも気が引けるだろう。

 

「私は燐火先輩の受付嬢じゃないですよー……なんて言う度胸もなくて、手元にプレゼントがいっぱい溜まってる」

「あれ、最近話してないの?」

「今は燐火先輩と一緒にトレーニングするのも週一ペースだからね。それ以外の時間は会う機会がない。……ちょっと寂しい」

「……ふーん」

 

 少し不機嫌そうな果林、けれど優香がそれに気づいた様子はない。

 

「あ、燐火先輩だ!」

 

 そんなことを言っていると、下駄箱の前にいる燐火の姿があった。優香が嬉しそうな声をあげて、彼女に近寄ろうとする。

 

「燐火せんぱー……い?」

 

 呼びかけようとした優香の声が小さくなっていく。遠くからでも分かった。下駄箱を開けた燐火の手に、手紙のようなものがある。

 

「らぶ、れたー……?」

 

 優香の顔が驚愕に染まる。下駄箱に置手紙。それは、あまりにも古典的な告白のやり方だった。

 

 

「ど、どうしよう果林ちゃん! 燐火先輩が告白されてるっぽいんだけど!?」

「ど、どうって、どうもしないでしょ……」

 

 呆れたように言う果林だったが、優香は全く落ち着かない様子だった。

 

「で、でも! もし燐火先輩にか、彼女とかできたら、出来の悪い私なんて見向きもされなくなっちゃうよお!」

「優香の自己肯定感の低さは相変わらずだねえ。大丈夫だよー。優香は優しくて可愛い、いい子だよ!」

「いやでも、ここにいる人は私なんかよりずっと強い人とかカッコイイ人とか可愛い人とかいっぱいいるわけでしょ! そんな人が先輩と恋仲になったりお姉様の妹を名乗り出したら……うわああ! 私の義妹の立場、早くもピンチ!?」

「テンション高いね……」

 

 今のこの学校において、義姉妹関係とは恋人関係とほぼイコールだ。もっとも、燐火も優香も、お互いを戦闘時のバディだと思っているし、相手もそれだけを求めていると思っている。

 しかし、唯一無二の義妹というポジションは、優香にとって手放せないものだ。それがなくなってしまえば、あの放っておけない先輩と関わる大義名分を失ってしまう。

 

 果林の呆れたような目を気にも留めず、優香は決意を固めた。

 

「──よし! 告白の現場を覗き見しよう!」

「優香ちょっと大胆過ぎない!?」

 

 私の知っているお淑やかな優香はどこに、と果林は嘆く。知らない女と関わるうちにどんどんと変わっていく幼馴染の姿に、果林はどことない喪失感を覚えた。

 

 

 ◇

 

 

「この学校で告白といったら、やっぱり屋上でしょ。なんでって? 私も詳しくは知らないけど、義姉妹の契りは、屋上でやるのが慣習らしいよ?」

 

 優香は、噂話に詳しい果林から情報を仕入れた。

 

 それなら、私との義姉妹の契りも屋上でやってくれたら良かったのに、と優香は勝手にいじけた。

 

 放課後、そうそうに教室を抜け出してきた優香は、屋上の物陰に身を潜めた。もちろん、告白の現場を覗き見するためであった。

 罪悪感はある。けれど、自分の唯一の義妹という立場が脅かされる、と焦る彼女は色々なものが見えなくなっていた。

 

 ちなみに、果林は置いて来た。身を潜めるのに二人いてはマズいだろう、と優香は判断した。

 

「あ、燐火先輩来た」

 

 優香を除いて人影のない屋上に、燐火が入って来た。いつ見ても、凛とした立ち姿には隙がない。その手には、例の手紙が握られている。

 彼女は屋上の真ん中あたりで立ち止まると、その場で立ち止まった。入口の方へと向き直って、優香からは横顔が見えるようになる。何をするわけでもなく、空を見上げている燐火。

 

 その姿は、優香には少し気落ちしているように見えた。

 

「お、お待たせしましたっ!」

 

 上擦った声。見れば、入口に立った影は眼鏡をかけた一年生のようだった。同学年の優香にも見覚えがある。肩を強張らせる彼女は明らかに緊張していた。

 それに対して、燐火は安心させるように優しい表情で話しかけた。

 

「全然待ってないよ。手紙をくれたのは君でいいのかな?」

「は、はいっ……!」

 

 普段の隙の無い姿とは違った、優しい態度。それに頬を紅潮させた眼鏡の生徒は、感動のあまりわずかに涙を浮かべているようですらあった。それにたいして軽く微笑む燐火。

 

 その様子を遠くから窺っていた優香は、衝撃を受けていた。

 

「あれ、もしかしていい雰囲気……?」

 

 いつも他人との壁がある燐火。普段は硬い表情で、受け答えは最低限のことだけ。孤高のエース、と言われるのも納得の態度に、彼女の優しい顔ばかり見ていた優香は最初違和感を覚えたものだ。

 

 だから、告白もあっさりと断るのかと思っていた。しかし、なんだか風向きがおかしい。

 

「燐火先輩があの優しい顔を他の人に見せているところ、初めて見たな……」

 

 燐火の優しい笑みは、優香だけのものだと思っていた。燐火は優香以外と積極的にコミュニケーションを取ろうとしなかったし、だいたいいつも無表情だ。

 

 きっと、義妹にだけ見せる特別なものなんだと思っていた。驕っていた。

 その前提が、崩れた。優香は、急に燐火と自分との距離が遠いものに感じられてきた。

 

「その、お忙しい天塚先輩をお呼び立てして申し訳ありません。私のためにわざわざ足を運んでくださり、ありがとうございます」

「そんなに畏まる必要はないよ。私たちは同じ生徒で、肩を並べて戦う戦友だ」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 ずっと顔を真っ赤にしたままの眼鏡の生徒は、燐火に優しい言葉をかけられてひどく興奮しているようだった。それもそのはず。普段は同級生とすらまともに会話しない孤高のエースが、自分にだけ語り掛けてくれているのだから。

 

「手紙は読ませてもらったよ。まだ入学して間もないのに、私のことを色々調べてくれたみたいだね。賞賛は素直に受け取っておこう。ありがとう」

「は、はい! ……それで、その、恐れながらなのですが──」

 

 眼鏡の生徒が今までで一番緊張した様子を見せる。それに合わせて、物陰で観察している優香の緊張も一緒に高まった。告白。あるいは、義姉妹の契り。その本題が、今切り出されようとしていた。

 

「──私の、お姉様になってくださいませんか!?」

「──ごめんね」

 

 燐火は、先ほどまでと同じ優し気な表情のままで、ハッキリと断った。

 

「あ──」

「私は、君のお姉様になれるような大層な人間ではないよ。君には君の、もっと素敵な人がいるはずだ」

「天塚先輩は私の理想の戦乙女です! それに、光井さんはあなたの義妹になりました! 今まで孤高の一番星だったあなたが、初めて他人を受け入れました! ならっ!」

 

 涙声で言い募る声には、こちらも涙ぐんでしまうほどの切実さがあった。優香はなんとかすすり泣きを我慢しながら、じっと行く末を見守る。

 

「優香ちゃんは、私にとっての特別だ。私が戦うのになくてはならない存在だ。能力的にも、精神的にもね。彼女がいて初めて、私は全力で戦えている気がするんだ」

 

 晴れ晴れとした表情で、燐火は空を見上げた。その顔には、先ほどの優し気な笑みとはまた違った不思議な笑顔が浮かんでいた。

 物陰で見ていた優香は、その顔に思わず見惚れてしまう。

 

「そう、ですか……」

 

 その表情を見て、眼鏡の少女は完全に諦めがついてしまったらしい。

 頬の赤みが引く。下を向き、唇を嚙み締める。彼女の瞳には大粒の涙が浮かんできた。

 それを見て、燐火が慌てたような態度を見せる。

 

「あ、ごめ……」

「すみませんでしたっ! 失礼します!」

「あっ……」

 

 涙の浮かんだ顔を隠すように後ろを向き、その場から逃げ出してしまう眼鏡の生徒。それを止めようとした燐火は、しかし思い直したようにその場に留まると、大きく天を仰いだ。

 

「……また泣かせてしまった」

 

 どうしたらよかったのだろう、と独り言ちる燐火。その様が、まるで道に迷った幼子のようで、優香は思わず声をかけそうになった。

 しかし燐火は、無言でその場を去ってしまった。屋上に残ったのは、今更になって罪悪感に襲われる優香だけだった。

 

 

 ◇

 

 

 屋上から出て、いつものトレーニングに向かう途中。俺は一人で先ほどの出来事を反芻していた。

 

 罪悪感はある。けれども、やっぱり、それ以上に。

 

 告白に失敗して泣き出しちゃう女の子めっちゃ可愛いいいいい! 

 

 違うのだ。別に泣かせるつもりで断っているわけではない。でも、結果的にそうなってしまったので。どうせならその曇り顔を堪能しようと思ったのだ。

 

 改めて、告白してきてくれた少女の顔を思い出す。倒れてしまうのではないかというほど顔を真っ赤にして、目をうるうるさせていた。

 

 手紙も、素直な気持ちが丁寧な字で綴られていた。俺の戦う姿に見惚れた、とか。普段の立ち振る舞いに憧れた、とかだ。

 ちょっと俺のこと美化しすぎじゃない? とも思ったが、俺の美少女ロールプレイが完璧だった、ということだろう。鼻が高い。

 

 しかしやっぱり泣かれるのは罪悪感が残るなあ……。どうせなら「ひどいです!」とか言って張り手でもしてくれればいいのに。興奮するから。

 

「それにしても、あの気配、やっぱり優香ちゃんだったよな……?」

 

 俺も気づいたのは途中からだったが、屋上の隅に潜む生徒がいた気がするのだ。告白現場を出歯亀されるなんて珍しいことでもなかったので放置したが、あの生徒、やっぱり優香ちゃんだった気がする。

 

「もしかして、優香ちゃん少しくらい嫉妬してくれたのか?」

 

 だとしたら、嬉しい。ニヤニヤしちゃう。あえて告白を受けることで曇った顔を観察したくなっちゃう。

 ……いや、落ち着け俺。戦いながら守れるのは一人が限界だ。義妹はこれ以上増やせない。それに、優香ちゃん以上の適任もいないだろう。

 

「今度覗き見してたか探りを入れてみよう」

 

 慌てふためく優香ちゃんの顔が見れるかもしれない。

 

 



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少しだけ、曝け出して

 燐火が告白される場面を見届けた優香の胸には、新たな決意が浮かんでいた。

 燐火のことを、もっと知りたい。元々胸にあった欲求だったが、その思いは改めて増していた。

 

 燐火が優香以外にあんなに優しい顔を見せるなんて、初めて知ったのだ。もっと他の顔も見てみたい。もっと知って、唯一の義妹としてもっと関わりたい。

 あるいはそれは、嫉妬だったのかもしれない。

 

 日曜日の夕方。いつものように燐火とのハードなトレーニングを終えた優香は汗を拭いながら、燐火に話しかけた。ずっと気になっていたことを、聞いておこうと思ったのだ。

 

「燐火先輩。私が初陣を終えてから、私と少し距離取ろうとしてません?」

 

 優香が初陣を終えてから、もっと言えば、初めて『魔の者共』を殺した日から、毎日のように行われていた燐火と優香の合同トレーニングは週一回にまで減っていた。

 こうなると、優香は燐火と話す機会がなかなか取れなかった。学年が違う上、授業以外の時間はほとんど鍛錬している燐火には余暇がほとんどないからだ。

 

 しかし、時間がない以上に、燐火は優香と距離を取ろうとしているように見えたのだ。

 

「私と一緒に鍛錬して、試練を乗り越えた優香ちゃんは既に一人前の戦乙女だよ。私が付きっきりで見ている必要はもうない」

 

 燐火にしては珍しく、優香と視線を合わせなかった。その胸中には、優しくて普通の女の子な彼女を拘束してしまうことへの罪悪感があった。

 

「それに、優香ちゃんはここに来たばかり。私とばっかりいて、周囲に友達ができなかったら悲しい。私たちは戦うことを宿命づけられた戦乙女だけど、それ以上に青春を謳歌する女子高生であるべきだと思う」

 

 優香は、燐火の意外な気遣いに驚いた。鍛錬ばかりしている彼女は、青春とか友情とか眼中にないと思っていた。

 でも、彼女の言うことは少し的外れだ。

 

「私が燐火先輩と仲良くなりたいとは考えなかったんですか?」

 

 その言葉に、燐火が驚いたように目を見開いた。予想外の言葉だ、という反応だった。

 

「……私と?」

「はい。もっとお話したいのに、燐火先輩は一人で鍛錬ばっかりです。ちょっと寂しいです」

 

 冗談めかした口調だったが、それは本心だった。

 

「優香ちゃんみたいに優しくて可愛い人はわざわざ私と仲良くする必要なんてないんじゃない?」

「……前から思ってましたけど、先輩って意外と自己評価低いですよね」

「そんなことない。私は美少女」

「急に自信満々になった……」

 

 この人の自己評価のちぐはぐさは一体どうやってできたのだろう、と優香は頭を抱えた。

 

「とにかく、私は先輩のことが知りたいんです」

「ああ、だから私が告白されるのを覗き見してたんだ」

「そ、その件はもう勘弁してください……」

 

 燐火に散々怒られたので、優香はすっかり反省していた。一方の燐火的には、優香の独占欲にも似たものを見ることがでたので満足だった。

 

「だから先輩、今日は私とご飯食べてください。外でディナーです」

「まあそれくらいなら構わないけど」

 

 戦乙女の外出は決められた日にしかできない。いつ大穴から大規模侵攻があるか分からないからだ。しかし優香は、今日が燐火の外出可能日であることを既に調べていた。

 

「この間と同じと思わないでくださいね。今日は色んなことを話してもらいますからね」

「面白い話はできないと思うけど、いいよ」

 

 どこか凄みを感じさせる優香の態度に、燐火は静かに微笑んだ。

 

 

 優香は淵上高校の正門で燐火を待っていた。既にシャワーで鍛錬の汗を流して、私服に着替えてきた。

 

 優香の気合の入った私服は、華美さというよりも淑やかな美しさを演出していた。

 襟付き、白色のノースリーブシャツ。薄手の生地が、優香の女性らしい凹凸のある体つきを下品にならない程度に強調していた。銀色のネックレスが大人びた印象を見せる。

 

 空色のロングスカートが、ふんわりと細い足を覆っている。常人の数倍の走り込みを毎日こなしているはずの優香の足は、信じられないほど細い。足元の薄い赤色のミュールが涼しげな印象だ。

 

 薄っすらと化粧の施された顔は、いつもの気弱そうな印象を補い、自信に溢れているように見せていた。

 

 今日のファッションは果林のお墨付きも得たし、問題ないはずだ、と優香は落ち着かない気持ちをなんとか静めていた。

 

「ごめん優香ちゃん。遅くなったかな」

「あ、燐火先輩! ……ッ!」

 

 初めて見た燐火の私服姿に、優香は息を呑んだ。

 燐火の私服は、彼女の隙の無い佇まいを強調するようだった。

 

 まず目につくのは、すらりと伸びる足をぴっちりと覆う、黒色のパンツだろう。くるぶしほどまで丈のあるそれは、スリムな体つきの彼女のスマートな印象を加速させている。足元には、フォーマルな印象を受ける黒いパンプス。

 

 白色の半そでシャツが、彼女の細い体の美しさを強調している。

 そしてその上から、ふわりとした黒地の薄いジャケットを羽織っていた。

 短い髪も相まって、中性的な印象を受ける格好だった。

 

 その美しさの衝撃から我に返った優香は、なんとか言葉を紡ぐ。

 

「り、燐火先輩、ファッションに興味あったんですね……!」

「なんだか失礼な感想だね」

 

 優香の中の燐火の印象は、戦いと鍛錬にしか興味のない人だ。下手したらジャージ姿で来るんじゃないか、と優香は思っていた。

 

「私のお姉様はそういうことにうるさい人でね。色々教えてもらっているんだ」

「先輩の、お姉様……」

 

 己の義姉のことを語る時、燐火はひどく優しい顔をする。優香はそれに、なんだか落ち着かないような気分になった。

 

「今日も義妹と食事に行くんだ、って話をしたら『え!? 一大事じゃん! 燐火ちゃん、持ってる夏服全部出して! お姉ちゃんが指導してあげる!』ってえらく張り切っちゃって」

「あっはは。なんだか元気な人みたいですね」

 

 燐火は義姉の声真似をしているらしい。彼女らしからぬ元気な口調に、優香は思わず笑ってしまった。

 

「良かったら、先輩のお姉様、私にも会わせてください」

「うん、いずれね」

 

 燐火は微笑むと、くるりと後ろを向き歩きだした。優香はその横に並び、歩幅を合わせて歩き出す。向かうのは、淵上高校からもっとも近くにある繫華街だ。

 この日のために、優香はレストランを予約していた。少し値は張ったが、今の優香の懐事情なら問題なさそうだった。

 

「それにしても、戦乙女って結構お金もらえるんですね。私、ビックリしました」

「命懸けの戦いをしてるにしてはむしろ少ないくらいだけどね。まあ、女子高生が持つお金として妥当な金額ってところかな」

 

 正確に言えば、戦乙女たちには高校卒業の年齢になったら今までの戦いに対する報酬が一気に支払われる。

 高校生の年齢の間は大人たちの庇護下だが、それ以降は縛らない、ということなのだろう。とはいえ、高校卒業後も、戦乙女としての責務からは逃れられない。

 

「燐火先輩はどんなことにお金を使っているんですか?」

「プロテイン。あと完全栄養食」

「……先輩らしいですね」

 

 呆れた目の優香。今までの燐火なら、ここで話を打ち切っただろう。

 しかしここで、燐火は義姉の言葉を思い出した。弱さを曝け出してはどうか。彼女は、確かそう言っていた。だから燐火は、言葉を続けた。

 

「あと、漫画。アニメの円盤も。魔法少女が戦う奴が好き」

「……ええっ!?」

 

 思わぬ言葉に驚く優香。あまりにも意外過ぎて自分の耳を疑ったほどだ。おずおずと、正直な感想を述べる。

 

「えっと、あんまり想像つかないですね……」

「彼女たちの戦う姿には勇気づけられる。私なんかよりもずっと勇敢」

「へえ、本当に好きなんですね」

 

 燐火の熱の籠った話し方に、優香は感嘆する。言葉からは、たしかに作品に対する愛が感じられた。

 しかし、半分くらい嘘だ。彼女が一番注目しているのは、戦うヒロインたちが傷つくシーンだ。

 

「特に私は最近流行ってるダークな世界観の魔法少女ものが好きなんだ。人がバッタバッタ死ぬやつ」

 

 確実に美少女の曇り顔が見たいだけである。

 

「そんな流行りがあるんですね。私、漫画は読むんですけどそういうのは疎くて」

「読むと面白いよ。あくまで戦いの中のファンタジーだけど、彼女らの葛藤や苦しみには共感できるところがある」

 

 それらしいことを言っているが、美少女の曇り顔が見たいだけである。

 

「優香ちゃんはどういうのが好きなの?」

「はい、私が好きなのは王道の少女漫画ですね。特に──」

 

 それは、これまでの彼女らの会話よりも少し踏み込んだものだった。

 



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深淵を覗く

「あ、あれえ? なんか思ったより大人びた雰囲気のレストランだなあ……」

「……予約したのは優香ちゃんだよね?」

 

 店先で呆然と立ち尽くす優香に、燐火が呆れたような目を向ける。

 繫華街の一角、大通りから少し逸れたところに、その店は存在した。

 シックなインテリアに、落ち着いた色の灯りに照らされた店内。「パラディ」という名前のそこは、外観の洒落た雰囲気や客層などから、高級感が滲み出ていた。

 

「い、いや、写真で見た時はもう少し親しみやすいかんじに見えたんですよ」

「ここは女子高生には入るのにちょっと勇気がいる場所かもね。まあでも、行くよ」

「ええ!? 燐火先輩は気後れしないんですか?」

「私、美少女だから」

「また変な自信に溢れてる……」

 

 燐火は、己の外見への自信がやたらと高かった。

 

「それに、今の優香ちゃんはとっても可愛い。自信を持つといい」

「そ、それはありがとうございます」

 

 赤面しながら礼を言う優香。

 燐火が店の扉を開ける。二人一緒に中に入ると、執事のような恰好をした店員が二人を迎え入れた。

 

「いらっしゃいませ、お客様」

「二名で予約していた光井です」

「光井様、お待ちしておりました。お席の方にご案内いたします」

 

 慣れた様子で受け答えする燐火。

 それを横から眺めていた優香は、燐火が光井という苗字を名乗ったことに、意味もなくドキドキしていた。まるで夫婦みたいだ、なんて浮ついた妄想を振り切って、彼女は店員についていく。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 二人が座ったのを見届けて、優雅にお辞儀をして去っていく店員。人の目がなくなって少しだけ緊張の解けた優香が、慌てたように燐火に話しかけた。

 

「り、燐火先輩。なんかすごいところ入っちゃいましたね。どうしましょう」

「どうも何も、食事を楽しめばいいだけ。肩に力入りっぱなしじゃせっかくの料理が楽しめないよ?」

 

 優雅に水の入ったグラスを傾ける燐火。装いも相まって、ひどく様になっている。

 

「先輩は落ち着いてますね……以前も来たことが?」

「ないよ。こういうの私も初めて」

「な、なんでそんな落ち着いてるんですか!?」

「いや、急にこんなところに来たから結構動揺してるよ」

「とてもそうは見えないんですけど……」

 

 燐火の座っている様子は堂々としている。とてもティーンの少女には見えない。周囲の目線を気にしてびくびくしている優香とは大違いだ。

 

「優香ちゃん、私の処世術を教えてあげる。落ち着いているふり、慣れているふりをしていると、周りが勝手にいいように勘違いしてくれる。これは戦いの場で皆を安心させる時も同じこと」

「へえ……」

 

 優香にとって、燐火がそんなことを言うのは、意外だった。『魔の者共』と相対している時も全く恐れない様子から、怖いもの知らずなのだと思っていた。

 優香は、なんだか今日一日だけで燐火がひどく身近な存在になったような気がしていた。

 

「じゃあ、先輩の苦手なことってなんですか?」

「うーん、団体行動?」

「それは……大変ですね」

 

 並の戦乙女だったら致命的な欠点である。

 

「だいたい、皆私のことを怖がりすぎだと思う。もっと気軽に話しかけてくれたら、私も軽妙なジョークで場を和ませるのに」

「あっはは……たしかに先輩は対等に話す、っていうよりも憧れの存在として見られてますからね」

 

 淵上高校において、天塚燐火の名前は尊敬の対象でもあるが、同時に恐れられるものでもある。

 それは、本人の苛烈な戦い方から、怖い人に違いない、という風に思われていることが原因でもあった。

 

「お待たせいたしました」

 

 トレーを持ってきた店員の声に、二人の会話は中断される。テーブルに並べられる料理の数々。皿の上に色とりどりに並べられたそれは、食べてしまうのがもったいないほどだった。

 

「うわあ、すごい……」

 

 呆然とする優香に、燐火が呼びかける。

 

「じゃあ、食べよっか。いただきます」

「はい。いただきます」

 

 それから二人は、時折料理の感想を言い合いながら、食事にいそしんだ。

 

 

「うーん、最後まで美味しかったですね!」

「うん。期待以上だった。優香ちゃんの店選びが良かったね」

 

 デザートのケーキを摘まみながら、二人は、また雑談する雰囲気に戻っていた。空になった皿はすぐに片づけられたので、テーブルの上にはデザートと水だけだ。

 

「いやあ、それにしても、先輩をこういうことに誘うのってちょっと緊張しました」

「なんで?」

 

 純粋に疑問だ、という顔で聞き返す燐火。

 

「いやだって、こういうことにあんまり興味なさそうでしたし……」

「まあ、興味が薄いのは確かだね。あんまり出かけないし」

 

 そもそも燐火は淵上高校の最高戦力である以上、学校を離れることのできる日も少ない。それに、学校の敷地内にも店などは存在するが、そういったところに燐火が顔を出すことはほとんどない。

 

「でも、優香ちゃんと一緒なら悪くない、かな」

「……先輩は、平気で恥ずかしいセリフを言いますよね」

 

 わずかに顔を逸らす優香。その頬は少し赤い。

 

「でも、興味がないわけじゃないなら、たまにはこういうのもいいんじゃないですか? 先輩だって女子高生なんですから、青春を謳歌してもバチは当たらないと思います」

 

 トレーニングに明け暮れる燐火は、とても青春を謳歌しているようには見えない。優香は、そんな義姉が少しだけ心配だった。本当は無理をして、いつか限界が来てしまうのではないか、と。

 

 優香の言葉を聞いて、燐火は薄く笑った。

 それは、いつもの優しい笑みとは違う、彼女らしくない笑みだった。

 

「私には、それしかないから」

「……」

 

 その言葉に、優香は次の言葉を紡ぐのを躊躇った。けれど、恐る恐る問いかける。

 

「どうしてそんなに戦うことに、強くなることに執着するんですか?」

 

 過去、二週間ほどトレーニングを一緒にした優香には、燐火が生活のほとんどを戦いのために費やしているように見えた。

 

「楽しいからだよ」

 

 薄い笑みを浮かべた燐火の目は、優香を見ていなかった。

 

「鍛錬して、強くなって、『魔の者共』を殺す。それが楽しいから」

「そんなに、『魔の者共』が憎いんですか?」

 

 言いながら、きっとそれだけが理由ではないのだろう、と優香は直感していた。彼女の強さへの執着は、復讐とは少し違う気がした。

 

「憎いと言えば憎いよ。私の家族は、『魔の者共』に殺された被害者だからね」

 

 それは、優香が初めて聞く燐火の過去だった。初めて彼女の内面、その深いところを覗き込んだ気がして、優香は唾を飲む。

 

「昔。父と母。それから姉は、『魔の者共』に殺された」

 

 唐突に、燐火の雰囲気が変化する。彼女の激しい怒りを、優香は肌で感じ取った。表情はほとんど動かなかったが、纏う空気が明らかに変化したのだ。

 何よりも目が、雄弁に語っていたのだ。瞳の奥にある、ごうごうと燃え盛る憎悪。鋭い視線は、殺気すら籠っているようだった。

 

 燐火が初めて見せた表情に、優香は怯える。彼女が『魔の者共』を殺す時ですら見せない、恐ろしい顔だった。

 

「──でも一番憎いのは『魔の者共』じゃなくて私」

「え……?」

 

 優香の疑問の声には答えず、燐火は言葉を続ける。

 優香は、それ以上踏み込むことができなかった。

 

「だから私にここ以外の居場所なんてない。これ以外、ない」

 

 燐火の言葉に偽りはなかった。男の自我に目覚めた後に、彼女は己が孤児である事を教えられた。だから、彼女の居場所は淵上高校にしか、戦いにしかなかった。

 

 けれど、彼女の纏っていた凄みのある雰囲気は突如として霧散した。何か、大事なことを思い出したように、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「──でも、私のお姉様はそんな私を受け入れてくれた」

 

 戦乙女の義姉妹のことだろう。ああ、家族を亡くした彼女は信頼できる人を見つけられたのか、と優香は安心した。

 

 それを語る燐火の笑みは、いつもの優しいものだった。──けれど、優香にはその笑みがどこか虚ろなものに見えた。

 




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その輝きは永遠に

 優香ちゃんと一緒に行ったレストランから帰って、入浴などを手早く済ませる。

 俺はウキウキとした気分で、真央先輩とのお話を始めた。

 

「燐火ちゃん、今日は楽しそうだね。どこに行ってたの?」

「はい! いやあ、久しぶりに学校の外に出たんですけど、いい店でしたよ! 『パラディ』っていうところなんですけど、雰囲気は落ち着いていて、料理が美味しかったです。何よりも店内の雰囲気に優香ちゃんがずっとびくびくしていて可愛かったんです! でも料理食べると目をキラキラさせて喜びだして、頬なんか押さえちゃって、それも可愛かったです!」

「ふふ、なんかすごい嬉しそうだね」

「いやあ、優香ちゃんの嬉しそうな顔を見れて何よりでした。だって、その後に最高の曇り顔を見せてくれましたから!」

「うわあ、いい笑顔……何となく予想できるけど、何があったの?」

 

 真央先輩は呆れたように聞いて来た。

 

「オレの過去とかについてちょっと話しました。両親が亡くなったこととか。後、オレが戦う理由について。ああもちろんぼかして話しましたけど」

 

 当然、優香ちゃんに『痛いのが好きだから戦ってる』とは言えなかった。

 多分ドン引きしてくれるとは思うが、下手すれば彼女が離れていってしまう。俺はまだじっくりと彼女と交流して色々な表情を見たいのだ。

 

「俺には他に居場所がない、みたいな話をすると、優香ちゃんすごい悲痛そうな顔で俯いちゃって、その様子がもう抱きしめてあげたいほど可愛かったんですよ!」

「相変わらずひどい趣味だね……。まあでも嘘は言ってないっぽいのが何とも度し難い……」

「そうです、嘘はついてません」

 

 だから無罪です、と胸を張ると、真央先輩にジト目で見つめられた。

 

「それにしても、燐火ちゃんが自分の内面をそんなに深く話すなんて珍しいね」

「まあ、先輩にアドバイスもらいましたからね。優香ちゃんがオレと仲良くしてくれようとしているなら、少しくらい自分を見せてもいいかなって。まあでもそのかいはありましたよ。──急にクソ重い過去を話された優香ちゃん、めちゃくちゃいい曇り顔してたんですからっ!」

 

 思い出すと今でも興奮してしまう。急に過去語りを始めた俺に、優香ちゃんは明らかに動揺していた。マズいことを聞いたかな、という罪悪感と、同情にも似た悲しみ。それは俺の性癖を大いに満足させるものだった。

 

「同僚の悲しき境遇に悲痛な顔を浮かべる美少女……クーッ! あれこそが美少女になった醍醐味です!」

「うん、率直に言って最低だね」

「あふんっ!」

 

 真央先輩からの思わぬ攻撃に、俺は快楽を覚えた。好きな人に蔑まれる感覚……これもまた美少女の特権……! 

 

「あんまり優香ちゃんを虐めてあげないでね? 優しい子なんでしょ?」

「そうですね。流石のオレも、まだ罪悪感は持っているつもりですから」

「本当かな……さっきめちゃくちゃいい笑顔だったんだけど……」

 

 真央先輩の返答は元気がないように見えた。きっと、夜も遅いし眠いのだろう。

 

 そんな風に今日のことを話しながら、自分の頭を整理する。両親と姉のこと。居場所がないこと。先輩だけが居場所なこと。

 

「……あれ?」

 

 それだけだったか。なんだか感情が昂ってしまい反省した気がするのだが、俺はいったい何を話していたんだっけ。

 ふわふわとした頭で言葉を紡ぐ。

 

「まあでも、今のオレには先輩がいるから大丈夫だって伝わったはずです。優香ちゃんを心配させることはないと思います。──本当に、先輩はオレの居場所です」

「うん。私でよければ、いくらでも居場所になってあげる」

 

 控えめに笑う真央先輩。

 

「先輩はオレにとっての太陽です。いつも頭上で燦燦と輝いていて、オレの人生を照らしてくれる。日が沈み夜になろうとも、太陽はそこにある」

 

 ありのままの俺を受け入れてくれた大事な人。その場にいるだけで皆を勇気づけてしまう、太陽のような人。大好きな人。

 一年と少し彼女と一緒に過ごしただけで、俺はもう真央先輩なしでは生きていけないほどに魅了されてしまっていた。

 

 そう、その輝きは俺の人生を永遠に照らすものだ。

 

「──でも、太陽の輝きは永遠じゃない」

「え?」

 

 一瞬、誰が言ったんだろう、と思った。

 真央先輩のものとは思わないほどに、冷たくて、平坦で、おぞましい語調。

 俺は、恐る恐る真央先輩を見る。その顔は、恐ろしいほどの無表情だった。

 

「まお……せんぱい……?」

「燐火ちゃんの居場所はつねにそこにあるわけではない。いずれ終わりが来る」

 

 全身が冷えていくような感覚。足場が消失したような、底知れない恐怖。

 

「……ちがう、真央先輩はそんなこと言わない」

「……」

 

 真央先輩が無表情のまま黙る。その虚ろな目だけが俺を捉えている。

 手が震える。目の前にいる人物が突然別人に変わってしまったような恐ろしさ。

 

「ち、違う違う違う! そんなの真央先輩じゃない! 真央先輩は! 真央先輩はもっと優しい! もっと美しい! ──オレの、お姉様は!」

 

 途端に、視界がぐにゃりと歪む。自分が立っているのか座っているのかすら分からなくなり、意識が暗転する。最後まで、真央先輩の虚ろな目は俺を無機質に捉え続けていた。

 

 

 次に気づいた時には、俺はベッドの上に横たわっていた。

 

「夢……?」

 

 寝汗がひどい。夢の内容を思い出すと、汗がひどく冷たく感じる。

 

 無性に真央先輩の顔が見たくなって、隣を見る。ベッドは空。真央先輩は、既にどこかに出かけているようだった。

 

「……まあ、夜また話せばいいだけか」

 

 恐怖を抑え込むために、自分に言い聞かせるように言う。

 起き上がり、大きく伸び。

 先ほどまで見ていた夢を思い出す。真央先輩が、急に別人みたいになって変なことを言い出してしまう夢。

 

「──先輩が何と言おうとも、あなたは私の太陽です」

 

 意味もなく、呟く。両親が殺されるまでもなく、記憶すらなくこの世界に生まれてしまった時点で俺は天涯孤独だ。見知った人など一人もいなくて、保護者も存在しない。頼れるのは、お姉様だけだ。

 

「……暗い思考はやめやめ! さて、今日はどんな痛みを実感できるかなーっと!」

 

 独り言を言いながら、俺は朝の支度を再開する。変な夢を見たせいで変なこと考えるなんて俺らしくもない。

 

 俺はただ、この授かった美少女としての生を、精一杯満喫するのだ。傷を受け、痛みを覚え、皆に心配される。

 理解される必要なんてない。理解してくれるのは真央先輩だけでいい。

 

「あ、そうだ。今度優香ちゃんの目の前で治癒魔法の練習台と称して自傷行為をしてみよう! 優香ちゃんきっと心配してくれるぞー!」

 

 最低な発想の思い浮かんだ俺は、それだけで気分が上がってしまう。というか既に興奮してきた。我ながら名案だ。

 優香ちゃんに「もっと自分を大切にしてください!」とか言われたら嬉しすぎて笑っちゃうかもしれない。

 

 意気揚々と部屋を出る。さあ、いつも通り早朝トレーニングだ。

 

 



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偉大なる我が義姉

 ちょっと大人びたレストランに二人で行ってから、俺と優香ちゃんの仲は少しずつ深まっていた。四六時中一緒にいるというわけではない。それでも、週に一回の訓練以外にも、優香ちゃんが俺を昼食に誘ったりしてくれるようになった。

 友達の少ない俺は、喜んで招待されるのであった。

 

 今日優香ちゃんが招いてくれたのは、春の暖かい風が吹く屋上だった。俺たち以外に人っ子一人いない屋上はがらんとしていて、穏やかな雰囲気だ。

 

 静かな環境に穏やかな気候。なんだか眠ってしまいそうだ。俺は空をぼんやりと見上げながら、そんなことを思っていた。

 

「燐火先輩、もしかして眠いんですか?」

「ん? ああ、ちょっとね」

 

 ぼんやりとしたまま返事をして、空を見る。優香ちゃんは、手作りらしい弁当を摘まみながらも、俺に話しかけてきてくれた。一方の俺は、完全栄養食を謳うパンをモソモソと食べていた。

 

「最近、ずっと眠そうですよね。たまにお見かけする時も、少しボーっとしているようですし。何かありましたか?」

「うーん。ちょっと寝つきが悪いとか、その程度だよ」

「そうですか……」

 

 さすがに、慕ってくれている後輩に『悪夢がひどくて眠れない』とは恥ずかしく言えなかった。義姉となかなか話せていないだけで眠れなくなってしまうなんて、まるで幼子みたいだ。

 空から目を下ろして、優香ちゃんを見る。こちらを見るその目は、俺の様子を窺っているようだった。

 

「優香ちゃん、私がずっと眠そうだなんて良く分かったね。クラスの皆も、授業してる先生たちも、一人も指摘してこなかったのに」

「あっはは……燐火先輩は分かりづらいですからね」

 

 デフォルトが無表情の俺は、何を考えているのか分かりづらいらしい。もっとも、本心を見抜かれたら全校生徒から軽蔑されてしまうので、(それはそれで興奮するが)好都合と言えよう。

 

「私の表情を見抜けた優香ちゃんには、『天塚燐火検定2級』の称号を授けよう」

「なんですかそれ……?」

 

 眠さに任せて適当な冗談を抜かすと、優香ちゃんが困惑したような声を出す。

 

「国家認定資格だよ。誇っていい。この資格を持っているのは、優香ちゃん以外に二人だけだから」

「へえ……ちなみに誰が?」

「一人は夏美。優香ちゃんと同じ2級を取得している」

「黒崎先輩が……私と同じように先輩の本心を見抜けるってことですか?」

「そんな感じ。夏美とは、同じお姉様を抱いた仲だったからね。今はもう決別したわけだけど」

 

 パンを咥え、モグモグと食す。ぱさぱさとした食感は、相変わらず美味とは言い難かった。箸を進める優香ちゃんは、何を言うべきか迷っているようだった。だから、俺が言葉を続ける。

 

「それから、唯一の1級取得者の桜ヶ丘真央先輩。私のお姉様」

「1級ですか……そんなに燐火先輩のこと理解してるんですね」

「それはもう。恥ずかしいところまで全部見せあった仲」

「きゅ……急に何の話ですか!?」

 

 顔を真っ赤にした優香ちゃんが大声を出す。その様子があまりにも可愛らしくて、俺は少しだけ嗜虐心をくすぐられた。

 

「お姉様と私は、義姉妹をも超えた仲だと自負している。何も言わなくても言いたいことは伝わるし、一緒に過ごした時間の濃さはそこらの義姉妹とは比べ物にならない。夜も同じ部屋で仲良くやっている」

「え!? え!?」

 

 優香ちゃんはキャパオーバーしてしまったらしく、目をグルグルと回していた。茹で上がった顔は、まるでタコみたいに真っ赤だった。

 

「フフ……ただ同室ってだけだよ」

「あっ……もう! 揶揄わないでください!」

 

 プンプンと怒る優香ちゃんが可愛くて、つい笑ってしまう。

 

 そんな風に揶揄って、パンを頬張る。穏やかな春の風が、俺たちの間を吹き抜けていった。

 

 風が止むと、突如として沈黙が下りた。会話が途切れた隙間。お互いに食事を進める時間。

 

「燐火先輩は、本当にお姉様について話す時は楽しそうですよね」

「え、そうかな?」

 

 それは少し照れるな。俺はちょっとだけ視線を逸らす。

 

「どんな人なんですか?」

「うーん、そうだな。──ちょっと昔話をしようか」

「……昔?」

 

 俺は空を見上げて、真央先輩の下、夏美と肩を並べて戦っていた頃のことを思い出した。

 

 

 ◇

 

 

 たしか、俺が入学してから半年経ったくらいだっただろうか。

 

 瞳に殺意をぎらつかせて『魔の者共』が侵攻してくる。ファンタジーの世界から飛び出てきたような化け物共が地を駆ける姿は壮観だ。

 

 それを迎え撃つのは、年頃の少女たち、戦乙女だ。二人か三人で固まって、各々の得物を構えている。義姉妹、という枠組みで定められたチームだ。

 

 義姉妹の契りで結ばれた戦乙女は、戦場では一蓮托生だ。信頼して、助け合い、背中を預ける。命を懸けた戦いを共にすることで、義姉妹の絆は深まっていく。信頼の感情が育ち、時には恋愛感情にすら発展することがある。

 

 二振りの小太刀を構えて、俺は目の前の化け物を睨みつけた。後ろからは、頼もしい真央先輩の声が聞こえてきた。

 

「燐火ちゃんは左のミノタウロスを、夏美ちゃんは右のオークを倒して! 他は全部私が抑える!」

「了解です!」

 

 声と同時に、真央先輩の強弓が激しい音を立てた。飛び出した矢が、目で追うのも困難な速度で襲い掛かり、前方にいたゴブリンの矮躯を吹き飛ばした。

 

「さすが真央先輩……!」

 

 呟きながら、俺はミノタウロスに飛び掛かる。左手で斧の一撃を受け止め、右手の小太刀を振るう。狙い通り、切っ先がミノタウロスの両目を切り裂いた。

 

「グオオオ!?」

 

 痛みにバタバタと動くミノタウロスの体。好機とみて追撃を試みた俺。しかし、視界を失ったミノタウロスがバタバタと動かしていた足が、奇跡的に俺の顔面に突き刺さった。

 

「ごぼっ……」

 

 顔のど真ん中への衝撃に、鼻血が飛び出す。痛みに顔を顰めながらも、俺の頭の中は一つの思考に支配されていた。

 

 顔面強打の痛み……気持ちいい……! 

 

「フッ!」

 

 真央先輩も夏美もそばにいる以上、大声を出してハッスルするわけにはいかない。痛みを存分に堪能しながらも、俺は二振りの小太刀を力強く振るった。

 

「グオオオ……」

 

 胸部を交差する傷口ができたミノタウロスが、その場に倒れ込む。起き上がる様子はない。

 

 ……前々から思ってたけど、俺やっぱり傷受けてる時の方が強くなってる気がする。戦乙女の力だろうか、それとも俺の性癖の力だろうか。

 鼻血を拭いながら、そんなことを思う。

 

「り、燐火ちゃん血! 大丈夫なの!?」

 

 真央先輩の心配してくれる声に、飛び上がりそうなほどに嬉しくなる。ああ、やっぱり自分が傷ついて心配されるのは最高だなあ……。

 

「問題ありません」

 

 努めて冷静な声を出しながら、次の敵の方に向き直る。

 そうこうしているうちにも、真央先輩の強弓から離れた矢が、『魔の者共』の体に突き刺さる。

 

 夏美の方も、一体片づけ終わったようだ。彼女らしい豪快な太刀筋が、オークの体を吹き飛ばしていた。

 

 それにしても、相変わらず真央先輩の敵を殲滅する速度は、俺と夏美を遥かに超えている。矢の威力も凄まじく、ほとんどの敵は一撃だ。

 

 正直なところ、上級生を含めた戦乙女と比べても、真央先輩の技量はかなり上の方に来るのではないかと思っている。

 さらに社交的で皆を元気づけてくれるのだからもう最高だ。最高のお姉様だ。

 

「スーッ……ハッ!」

 

 後ろで奮闘する真央先輩に勇気づけられて、俺も目の前の敵を一撃で斬り捨てる。小太刀の刀身は短いが、その分扱いやすい。急所を的確に狙うのには適している。意識を集中させて一振りすれば、最短で終わらせられる。

 

 ……しかし、それだとちょっと物足りない。やっぱり俺が何回か攻撃を受けてボロボロになるくらいがちょうどいいんだけどなあ……。

 

「お、ちょうどいい奴がいた」

 

 見れば、前方には一際大きな熊のような化け物がいた。その体長は、3メートルを超えるだろうか。獰猛そうな目がこちらを見る。ちらと後ろを確認すると、真央先輩も夏美も目の前の敵で手一杯のようだ。

 

「仕方ないね。うん、これは仕方ない。決して自らピンチに陥りに行っているわけじゃないから!」

 

 ぴゅう、とその場から走り出し、俺は見るからに強敵な巨大熊と対峙した。

 

 

 ◇

 

 

 ほどほどに戦って、それなりに気持ちいい思いをしてから、俺たちは学校に帰還することになった。ちなみに今回の俺の負傷は、鼻血、足の打撲。内臓の軽微な損傷。それから軽い切り傷だ。

 

 

「燐火ちゃん、あんまり無理しちゃだめだよ?」

「ご心配いただきありがとうございます。でも私は大丈夫です」

 

 実際のところ大丈夫じゃない。痛みが、じゃなくて興奮が。そこら中がズキズキ痛いし、真央先輩は心配そうな顔でこっちをずっと見つめているし、夏美は心配だけど心配してることを悟らせないためにチラチラとこちらを見てきている。

 

 ……最高か? 俺はいっぱい痛みを感じられて、先輩も同僚も心配してくれる。ここが天国だろうか。

 

「燐火、何度も言ってるが突っ込みすぎだ。そのうち死ぬぞ?」

「死んでもいい。『魔の者共』を一体でも多く屠れるなら本望」

 

 どのみち一度死んだ身だ。もう一度死ぬのは怖いと言えば怖いが、俺が死ぬ時の皆の曇り顔を想像すれば、恐怖も和らぐというものだ。

 

「燐火ちゃん、私もちょっと不安だな。今日だってそんなボロボロになって、無理してない?」

「真央先輩、ありがとうございます。でも、家族を殺された私にとって、これが存在意義ですから」

 

 家族を『魔の者共』に殺されたことは、すでに二人に話してある。

 

「燐火ちゃん……」

 

 そんな俺の言葉を聞いて、真央先輩のいつも明るい顔が曇っている。形のいい眉が下がって、痛ましげに目を細めている。

 ──ああ、あなたのそんな顔が俺に向けられるのなら、俺の二度目の生にも価値があるというものだ。

 

 

「あ、いたいた! 真央! ちょっといい?」

 

 お通夜のような雰囲気になってしまった俺たちの元に、突然遠くから声がかかった。真央先輩の同級生だろうか。こちらに歩いてくるその足には、痛々しい打撲跡があった。

 

「ちょっと春奈、その傷大丈夫なの?」

「あっはは。いつも傷だらけで帰ってくるあんたの義妹ほどじゃないって。ってそれはどうでもいいんだ。ちょっと今日の戦いで分かった問題点について相談したいんだけど、後で時間取れない?」

「うん、また後で声かけてくれれば相談に乗るよ?」

「ありがとう! いつもごめんね? じゃあまた!」

 

 慌ただしく去っていく二年生。

 

「真央先輩は相変わらず人気者ですね。皆に頼りにされてるじゃないですか」

 

 俺の身を案じる二人がいつまでも暗い雰囲気なのも気の毒なので、適当に話題を振る。

 

「え? あはは、燐火ちゃんに素直に褒められると照れるなあ……」

 

 頬を掻きながらちょっと視線を逸らす真央先輩。可愛い。

 そんな様子を見て、夏美も声をかけた。

 

「でも、先輩が皆に慕われてるのは見てれば分かりますよ。先輩の『燦燦たる太陽(アワサン)』っていう二つ名、私はとても良く似合っていると思います。そこにいるだけで皆を明るくしてしまうのは、まさしく太陽の輝きみたいです!」

 

 夏美は相変わらず真央先輩に心酔しているようだ。そのうち告白でもしてしまうのではなかろうか。

 

「うぅ……」

 

 あ、真央先輩が顔を真っ赤にして俯いた。さらに可愛い。

 これは……攻め時だな? 

 

「それに慕われてるだけじゃなく、直接的な戦闘力も高くて、三年生にも認められてるじゃないですか。人によっては、先輩が今のエースだって言うくらいですよ。私から見ても、先輩の実力は三年生にも劣っていません。先輩の弓を引く姿は堂々としていて、見惚れてしまうほどですよ」

「う、うぅ……」

 

 真っ赤になった顔を覆ってしまった真央先輩。その様子があまりにも可愛らしくて、俺はつい笑い声をあげてしまった。

 

「フフ……アハハハハ!」

「り、燐火ちゃん、揶揄ったな! この、姉に逆らうとは悪い妹め!」

 

 真央先輩は俺の方に駆け寄ってくると、頬を引っ張り始めた。

 

「いひゃい、いひゃい。ひぇんはい、いひゃいです」

「何をー、可愛い声だしやがって。これくらいで許してやると思うなよ?」

 

 真央先輩は、今度は俺の脇をくすぐりだした。

 

「あはは! せんぱいっ、ダメです! あは……あはははははは!」

 

 これはまずい……! 俺の性癖が微妙に反応してる! 酸欠という責め苦は俺には効いてしまうー! 

 

「燐火のそんな声初めて聞いたぞ……」

「ほら、暴れるな。このスレンダー美少女め、普段はすまし顔してるくせにいい笑顔するじゃねえか。こちょこちょこちょ!」

「あはははははははは! 無理! 無理です! あは、あははははは!」

 

 あ、待ってヤバい! 大好きなお姉様に責められているという感覚におかしくなりそう! さっき鼻血出した時とは比べ物にならないほど気持ちいい! 

 

「ふう……これで分かったかね? お姉様の威厳というものが」

 

 くすぐりからようやく解放された俺は、凄まじい疲労感とともに肩で息をしていた。

 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……先輩はもしかしてドSなんですか?」

「解放された途端に失礼なこと言い出しやがるなこの後輩は。違うわ」

 

 それは残念。

 

「燐火お前、そんなに笑えたのか……」

「夏美も真央先輩のくすぐりを食らえば同じ目に遭う。試しにやってみるといい」

「ナイスアイディア」

 

 俺の言葉に目を光らせた真央先輩が、手をワキワキさせながら夏美にじわじわと近づいていった。

 

「い、いや! 私はいい! 真央先輩! いいですって! っていうか私は別に先輩を揶揄ったりしてないじゃないですか! おい燐火、余計なこと言うな! あああ、待ってください先輩……あっ、あはははははは!」

 

 

 ◇

 

 

「なんだか、楽しそうな人たちですね」

「うん。真央先輩がいると、その場が明るくなる。あの無愛想な夏美ですらも饒舌になる」

「それはなんだか想像がつかないですね」

 

 笑う優香ちゃん。真央先輩が皆を元気づけるのは、何も義姉妹間だけではない。同級生と話す時も、上級生と話す時も、相手を笑顔にしてしまうのは天賦の才と言えよう。

 

「それに、真央先輩は戦乙女としても一流。あれほど遠距離攻撃に優れた戦乙女は他に見たことがない」

「へえ……」

 

 真央先輩の強みは、攻撃の鋭さと正確さ。それから常に冷静に周囲を見ている落ち着きだ。

 普段の元気な姿からは想像もつかないが、真央先輩はどんな苦境だろうと冷静な判断を下せる才能がある。

 

「何よりも、私にとって大事な人」

 

 それだけは、確かに言える。

 

「ふふっ、燐火先輩、本当に嬉しそうですね。ちょっと妬いちゃいます」

「まあね」

「今度、私にも会わせてくださいね」

「そのうちね」

 

 ああ、なんだか久しぶりに真央先輩とじっくり話したくなったなあ。

 




真央先輩にいっぱい言及してもらえたから出番を増やしました!


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逸る一等星

「……優香ちゃん、今日はちょっとハードかもしれないよ」

「え?」

 

 優香ちゃんに警告を促して、俺は前を見る。その先には、『魔の者共』の軍勢があった。その姿は、いつもよりも恐ろし気に見えた。

 

「優香ちゃんは突出するのはちょっと抑えて、厳しそうなチームの援護に当たろう。随時指示する。私が一番ヤバそうなのを叩いてくる」

「そんなに、厳しい戦いなら、私を連れて行ってください! お役に立てます!」

「――ダメだっ!」

 

 俺の口から大声で出て、優香ちゃんがびくりと肩を震わせる。それを見て、俺は己の失態を悟った。

 

「……あ、ごめん。でも、今日は危ないから。私一人で前に行く優香ちゃんはちょっと離れてついてきて」

「……はい」

 

 優香ちゃんは少し考えるように下を向くと、やがておずおずと問いかけてきた。

 

「先輩、なんだか少し様子がおかしくないですか? 多分あの日、一緒にレストラン行った日からだと思うんですけど、何か気に障ることがありましたか?」

「ああ、ちょっと夢見が悪くてね。気が立っているのかもしれない」

 

 あの日からしばらく、真央先輩の夢を見るようになっていた。真央先輩が俺を否定する夢だ。

そして、現実の真央先輩も忙しいらしくてあまり話せていない。顔の広いあの人のことだから、きっと誰かのために働いているのだろう。

 

真央先輩は、お姉様は、俺の居場所だ。

それが揺らいで、ちょっとだけ動揺している。

 過去を語るなんてらしくもないことをして、少し感傷的になっただろうか。反省する。

 

「さて、どうでもいいおしゃべりはここまでにして、行くよ」

「はい」

 

 眼前に広がるのは、異形の軍勢。『魔の者共』と呼ばれるそれは、今の俺の家族を奪ったらしい。

正直記憶はないが、そのことに対して不思議と怒りがあるのだ。この体の記憶、と言えばいいのか。天塚燐火の体が、家族を殺されたことを覚えていて、『魔の者共』に復讐したいと叫んでいるのかもしれない。

 

体と心が乖離しているなんて自我の危機な気もするが、俺みたいな楽天的な人間にとってはわりとどうでもいいことだ。結局のところ、自分が気持ちよくなれて、皆が曇ってくれればそれでいいのだ。

 

「――天塚燐火! 推して参る!」

 

 叫びを上げ、前に出る。こうして俺の動きを伝えておけば、夏美も指揮を取りやすいだろう。あとはまあ、ファンサービスみたいなものだ。かっこいい俺を見せておくことで、傷ついた時に心配してもらうため。

 

 走る。超人的な脚力で走る俺の視界の端では、景色が高速で流れていく。

 後ろを走る優香ちゃんは、言いつけ通り少し距離を取っているようだ。……この分なら、ちょっとハッスルして叫んでも大丈夫そうだ。

 

 『魔の者共』の群れを前にして、俺は自分の直感が正しかったことを悟る。足並みが揃いすぎている。前方には、耐久力に優れた種族が並んでいる。スライム。丸々と肥えたオーク。キメラ。生命力に溢れるそれらは、一刀で斬り伏せる、とはいかなそうだ。

 

その後ろに高い攻撃力を持った種族が控えている。巨人族。ゴースト。……隣にいるのは、落ち武者だろうか。幽霊に分類されているそれは、高い知性を持つ厄介な相手だ。

二段構え。近づかないと攻撃できない俺にとっては少々厄介だ。

 

しかし。

「――この程度で止められるのなら、最強なんて名乗ってない」

 

 飛び込み、一撃。スライムの弾力のある体に、小太刀がめり込む。予想通り、核となる部分までは届かなかった。すぐさま反応した『魔の者共』が押し寄せてくる。

 

「ハッ!」

 

 左手の刃はスライムに突き刺したまま、俺の右腕は閃く。最初に飛び込んできたのは、ゴースト。半透明で素早く動くそれに、刃が突き刺さる。(戦乙女の武器は幽霊などの実態のない敵にも有効だ。しかし、たとえば戦乙女がゴーストを素手で殴り付けようとすると、すり抜けることとなる)

 

「おおおおおお!」

 

 手ごたえは確かだった。断末魔の悲鳴を上げて二度目の死を迎える半透明の霊。しかし、俺の刀は二本しかない。次に襲い掛かった落ち武者の刃。それを俺は肩を突き出して受け止めた。

 

「グッ……」

「燐火先輩!?」

 

 肩口に、刃が浅く突き刺さる。落ち武者の刀は手入れされていないらしく、刃がギザギザしている。まるでのこぎりでも押し当てられたような痛み。全身を駆け巡る痛覚という麻薬に俺は歓喜した。

 

「ふ……あっはははは! ――なまくらっ!」

 

 右手の小太刀を手元に戻し、袈裟斬り。先ほどの彼と同じように肩口から斬り込んだ刃は、そこで止まることはなく落ち武者の上半身を斜めに真っ二つにするような傷跡が出来た。

 

「ミゴト、ナリ……」

 

 うわ言の如く呟いた落ち武者は、命を失うと霧の如く消えていった。どれだけ外見が人間に近くても、やはりあれは人間とは異なる存在、『魔の者共』なのだろう。俺は確信を深めた。

 

 そこまで来て、ようやく俺の左腕に貫かれたスライムがうごめきだした。水色の体が一瞬で姿を変えたかと思うと、俺の左腕を飲み込んだ。すぐに、俺の左腕に奇妙な感覚が走る。ぬるぬるとした感触。おそらく、少しずつ溶かされている。

 

 スライムの攻撃方法はほぼ一つだ。捕食と、融解。その粘性の体に飲み込まれた戦乙女は、肉と骨をしゃぶりつくされることになる。

 

 ……俺は、この生き物が嫌いだった。分かっていない。

 

「毎回思うけど……お前らの仕事は服を溶かすことだろうが!」

 

 叫びながら、小太刀を突き刺す。既に弱点である核の位置は確認している。突き出した刃がそれを貫くと、スライムは液体となり、地面のシミになった。

 

「燐火先輩、もう一体です!」

 

 優香ちゃんの警告。大丈夫、もう見えてる。

 

 背後をつき、斧を振りかぶったオークが、俺を叩き潰さんと襲い掛かってきていた。

けれど予めそれを分かっていた俺は、左手の小太刀を投擲した。

 

「ハッ!」

「ぶおっ!?」

 

 予想外の反撃だったのだろう。戦乙女の武器は戦いの必需品。手放せば無防備になるだけだ。しかし、俺の武器は二本。一本くらい、くれてやる。

 小太刀が凄まじい勢いで飛ぶ。弾丸の如く空を切ったそれは、オークの鼻っ面に突き刺さると、脳天をぶち抜いた。

 

「ぐお……」

 

 力なく倒れ伏したオークを一瞥して、あたりを見渡す。一段落。周囲の『魔の者共』は、今の一幕を見てやや怯えているようだ。オークの頭から小太刀を回収して、血ぶりをする。

 

「燐火先輩、治療します」

 

 近づいて来た優香ちゃんの言葉と共に、温かい光が俺を包んだ。そこまで来て、ようやく俺は先ほど肩を斬られたことを思い出した。

 

「優香ちゃん、他の皆も交戦を始めた。危なそうなチームがないか観察してあげて」

「危なっかしいお姉様ならここにいますけどね」

 

 ふくれっ面の優香ちゃん。可愛い。

 

「前も説明したけど、私にとってはピンチはチャンス。傷つくほど強くなるから、見た目ほどヤバい状況でもない」

「でも……痛いんですよね?」

「痛いよ」

 

 痛くないと意味がないではないか。気持ちよくない。

 

「先輩……自分を大切にしてくださいね」

「フフッ、心配してくれてありがとう」

 

 できるだけ優しく微笑みながら返事をする。

ああ、この前弱みなんて晒したせいで、いらない心配をさせてしまっただろうか。これでは最強の戦乙女失格だ。

 

……でも、興奮してきた。

うおおお、優香ちゃんが心配そうにこっちを見ている! これならいくらでも戦えるぞ!

 

「じゃあ、行くよ」

「あっ、燐火先輩! 待ってください!」

 

 走る。敵の殺意を身に浴びながら。楽しみはまだまだこれから。この群れの奥に、ボスがいるはずだ。

 



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甘美なる痛みよ

「予想通り、いたね」

 

 俺の視界の先にいたのは、大型の野獣だった。キメラ、としか言いようのない、不気味な化け物だ。ライオンの頭。馬の胴体。狼の手足。色も毛並みを違うそれらが、同じ体にくっついている。

 

 四足歩行にも関わらず、その頭は俺の頭上。地上三メートルほどの位置に存在した。

 

「燐火先輩、あれ、なんか雰囲気が違います。危なそうです」

「良く分かったね」

 

 あれは明らかに格が違う。先日の群れのボスだったケルベロスなど比ではない。

 

「あれが上級種。戦乙女十人分の力を持つとされている、『魔の者共』の精鋭だよ」

 

 上級種は、滅多に観測されることのない強敵だ。最後に確認されたのは、半年前だろうか。

 

「じゃ、じゃあ! 他の人たちを呼んでこないと!」

 

 優香ちゃんが焦ったように言うが、俺は落ち着いて抜刀し、目の前の化け物と相対した。

 

「大丈夫。私を信じて」

 

 優香ちゃんにいっぱい心配してもらったおかげで、俺の興奮も十分。そして、体も治療されたおかげで全快だ。

 これは過去類を見ないベストコンディションと言えよう。俺の『特性』である『心身合一』は、興奮するほど戦闘力が向上する。俺の場合、負傷しないとなかなか興奮できないのだ。そのため、『特性』のギアが上がる頃には、大抵俺の体はボロボロだ。(とは言っても、万全の時より全然強い)

 

 優香ちゃんとぃう治癒術者がいたことで、最高の状態で戦いに臨める。

 

「優香ちゃんは、近くのチームと合流して。こいつ相手じゃ守れない」

 

 上級種。狩るのは初めてではないが、苦戦は強いられるだろう。

 

「でも! 先輩が傷を負ったらどうするんですか!?」

「優香ちゃんは心配性だね。ありがとう。その気遣いだけで十分だよ」

 

 気遣いだけで十分、っていうのは別に遠慮してるわけではなく、百パーセント俺の本心だ。だってそんな目を向けてもらえるだけで興奮してくるのだから。

 

「ゴオオオオオオオ!」

 

 いつまでもかかってこない獲物にしびれをきらしたらしく、キメラが吼えた。体がビリビリと震えるような、凄まじい咆哮だ。そして、突進を開始。

 

「──行って!」

「はい……お姉様! お気を付けてください!」

 

 その言葉に、俺は口角が上がるのを我慢できなかった。

 お姉様! 優香ちゃんみたいに優しい子が、俺なんかを姉と言ってくれている! なんて幸せ! テンション上がってきた! 

 

「おうデカブツ! お前にこの気持ちが受け止められるかな!?」

 

 優香ちゃんが遠ざかったので、遠慮なく叫んで、俺はキメラに向かって突進した。デカい。近づくと、その頭に見下ろされるような形になる。

 

「ゴオッ!」

 

 狼の爪の一閃。並みの敵の数倍は早い動きも、『心身合一』の恩恵を受けている今の俺にとっては避けるのは容易い。身をよじり、最小限の動きで回避。髪が数本切られる。

 

「お前……この髪維持するのにどんだけ苦労してると思ってんだ! どうせ切るなら服にしろ!」

 

 攻撃の隙をつき、胴体の下に潜り込む。狙うは俺の頭の上に存在する腹部だ。

 手始めに、一撃。そして二撃。体の捻りを活かして、回転するようにして小太刀を押し付ける。

 腹部から鮮血が噴き出し、キメラがおぞましい悲鳴をあげた。

 

「ゴオオオオオ!」

「クソッ……図体がデカいと刃が届きづらい……!」

 

 手ごたえは薄い。表層を斬っただけだ。体の下に潜り込んだ俺に対して、狼の後ろ脚が飛んでくる。弾丸の如く迫る爪先に、俺は小太刀を突き出した。

 甲高い金属音が響いた。爪と小太刀が激しくぶつかり合う。俺の足が、大きく地面を滑った。

 

 両腕で後ろ脚の蹴りを抑えている状態から、俺は左手を離し、毛むくじゃらの足に小太刀を突き立てた。

 

「フンッ!」

「ごおっ!?」

 

 悲鳴を上げるキメラ。腹部を斬った時よりも手ごたえがある。

 細い部分を狙った方が効果的か? 

 

「それなら……!」

 

 素早く足元から離脱し、キメラと距離を取る。

 呼吸を整え、意識を集中させる。

 

 上級種であるキメラは強い。攻撃一つ一つが鋭くて、致命傷になり得る。俺の快楽のためにホイホイ食らうわけにはいかない。

 

 まだ死ぬわけにはいかないのだ。死ぬのは楽しくない。気持ち良くない。

 ──それに、血塗れの誰かに、生きて欲しいと言われた気がする。

 

「──ハッ!」

 

 跳躍。5メートルは飛んだか、という俺の体は、やがて重力の力を借りて、キメラの真上へと落下していった。

 狙うは首筋。生物共通の弱点だ。

 

「おおおおおお!」

 

 狙いは上々。自由落下の力を借りた俺は、目にも止まらぬ速さでキメラの首を両断──するはずだった。

 

「ゴォオオオッ!」

「なっ!?」

 

 キメラが身を引き、前脚が持ち上がる。巨体に見合わぬ俊敏な動きに虚を突かれる。

 まるで乗り手を振り下ろさんとする暴れ馬の如き体勢になったキメラは、後ろの二本脚で立ち上がると、俺をギラリと睨みつけた。空中で目が合う。──マズい。

「ゴオオッ!」

「──ガハッ!」

 

 振り下ろした前脚が、鉄槌の如く俺に降りかかる。空中にいる俺は、その一撃を避けることができなかった。

 腹が弾けたのではないか。という衝撃が俺を襲った。遅れて、地面に叩きつけられた背中にも激しい衝撃。肺の中の空気が強制的に吐き出されて、目の前が真っ赤に染まる。

 

「ヒューッ……ヒューッ……ハッ……」

 

 生命を繋げ止めるために、必死に呼吸をする。視界が霞む。このままでは死んでしまう、と俺の頭が警鐘を鳴らしていた。

 同時に苦痛に起因する快楽物質が俺の頭を駆け巡る。痛みと快楽の狭間で、おかしくなってしまいそうだった。

 

 しかし、俺を襲う攻撃はそれで終わりではなかった。

 地面に横たわる俺と、キメラの目が合う。再び振り上げられる前脚。マズい、と思った時にはもう遅かった。巨大な脚が俺の腹の上にのしかかり、全体重を押し付けてきた。

 

「がっ……ああああああ!」

 

 腹に大穴でも開いたのではないか、という痛み。それが継続的に俺を襲った。

 必死に取り込んだ酸素が逃げていく。呼吸が浅くなる。痛みの感覚すら鈍くなっていく。

 

 冗談じゃなく、命の危機だった。危機感と同時に、達してしまいそうなほどの快楽に思考を停止してしまいたくなる。ああ、このまま死ぬまで痛みを感じられたら、どれほど幸福だろうか、と。

 

 その甘美な誘惑を脇に置き、必死に状況を整理する。

 拘束されているという状況が最悪だ。俺の『特徴』である『心身合一』は、俺の性癖と合わせれば、傷を負えば負うほど強くなる、起死回生の能力となる。

 

 しかし、動けない状態だと話は別だ。腹のど真ん中を踏みつけられた今の俺は、起死回生の手を講じることも難しい。

 

 有象無象の敵ならともかく、相手は上級種。こいつと力比べするなら、戦乙女10人分の膂力が必要だ。

 

「カハッ……」

 

 内臓を潰される痛みに血反吐を吐く。己の根幹が傷つけられる感覚は、取り返しのつかない破滅の道を進んでいるようだ。興奮はしている。『心身合一』は力を発揮している。

 しかし、抜け出せない。震える手で腹の足を掴むが、びくともしない。

 

「これは……さすがに死んだか……?」

 

 己の現状を冷静に観察して、俺は自嘲気味に呟く。視界がぼやける。腹部の感覚は既になく、ただ痛覚が存在していることだけが認識できた。

 こちらを見つめるキメラの目には、純然たる殺意があった。多分俺は、死ぬまでこのままだ。

 

「カハッ……ハッ……オレだけが……死ぬなら……それでいいさ」

 

 どのみち、一度終わった命だ。死ぬのは楽しくないので嫌だったが、どうにもならなくなると途端にそれがひどく甘美なものに思えてくる。痛みの極限である死。ああ、俺の死に顔を見た皆は、どんな顔をしてくれるだろうか。

 優香ちゃんは、泣くだろうか。夏美は怒るだろうか。真央先輩は、悲しんでくれるだろうか。ああ、見たかったなあ。皆の曇り顔。

 

 天高く、右手を突き上げる。燦燦と輝く、太陽に向かって。

 

「今、そこに──」

 

 身を犯す快楽に、笑みすら浮かべながら、俺は死を受け入れようとしていた。

 

「──お姉様!」

 

 声がした。可愛らしくて、でも強い意思の籠った、それは、俺の近くからした。

 

「……優香、ちゃん?」

「死なせません! まだ全部教わってないです! まだまだ遊び足りないです! まだ、何も聞いてません!」

 

 優香ちゃんが走ってくる。俺に、治癒魔法を届けるために。

 キメラの目が、優香ちゃんに向く。

 その光景を見た俺は、最悪の展開を予想した。

 

 ──キメラの狙いが変わる。優香ちゃんが危ない。

 

 震える声で、俺は自分を鼓舞する。もうすでに、諦めは捨て去った。あるのは、覚悟のみ。

 

「応えろ、オレの業」

 

『心身合一』に呼びかける。

 大木の如く脚を掴んだ。手は、もう震えていない。

 

「もう繰り返さない」

 

 掴んだ腕に力を籠める。俺ならできる。今の俺なら。

 

「傷つくのはッ、オレだけでいいッ!」

 

 持ち上げる。先ほどまでびくともしなかった巨大な脚は、ゆっくりと上がっていった。

 

「ごお!?」

「ゴホッ……」

 

 血反吐を吐きながら、足元に落ちていた小太刀を手に取る。

 

「うちの義妹に手を出すなああああああああ!」

 

 脚部を一瞬で駆けあがり、キメラの顔に接近。振るった小太刀は、銀色の光を残して閃いた。

 

「ごあ……」

 

 キメラの首が転がり落ちる。地面に落ちると、ずん、という重たい音が経った。

 

「はっ……はっ……」

 

 地面に降り立ちそれを見届けてから、俺は忘れていた呼吸を再開した。脚部を駆けあがってから攻撃するまで、息をすることすら忘れるほど集中していたらしい。

 

「……あれ?」

 

 キメラの体から飛び降りた俺は、不思議な感覚に襲われた。体が軽い。頭がふわふわしていて、天国にでも登ってしまいそうだ。

 

「ごぼっ……」

 

 口から、するりと血が流れた。ああ、痛みのあまりおかしくなっていただけか、と悟ると、急に視界が不透明になっていく。体から力が抜けて、その場に倒れ込む。

 

 辛うじて、こちらに泣きながら近づいてくる優香ちゃんが見えた。ああ、優香ちゃんがそんな顔してくれるなら、生きたかいがあったなあ、と最後に思って、俺の意識は途切れた。

 

 



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太陽が没した日

「燐火先輩……」

 

 呆然と、優香は呟く。先ほどまで凄惨な戦いを繰り広げていた燐火は、優香の治癒魔法を受けても目を覚ますことはなかった。

 

 その顔は、一見穏やかであるようだった。しかし、その口端には血が伝った後がある。腹部は血でいっぱいだ。正直なところ、死んでいないのが不思議なくらいの出血量だ。

 

「どうして、そんなになるまで戦うんですか」

 

 血反吐を吐き、視界すら定まらない状態になっても彼女の闘志は幾分も揺らぐことがなかった。

 

「どうして、そんなに頑張れるんですか」

 

 燐火の不屈の意思は、もはや敵が憎い、なんていう次元ではないように見えた。最後の時、彼女の体を動かしていたのはそれ以外の感情だった。

 あえて言葉にするなら、恐れ、だろうか。おぞましいほどの恐れが、彼女の体を支えているように見えた。

 

「……知りたい」

 

 もっと、知りたい。何が義姉の体を突き動かしていたのか。──いったい、何を恐れているのか。

 

 

 ◇

 

 

 上級種が出現した戦いの翌日。未だに、燐火は目を覚まさなかった。彼女のことが心配だった優香だったが、ひとまず授業に集中することにした。

 

 優香たち一年生は、通常の授業に加えて「戦乙女学」という座学がある。

 戦乙女のそれぞれの武器の特徴や、確認されている『魔の者共』の特徴。今まで有効だった戦術など、『魔の者共』と戦う際に役立つ知識を教員がまとめ上げ、戦乙女たちに伝える授業だ。

 

 しかしこの座学は、戦乙女の間でそれほど重要視されていない。

 戦乙女と大人たちが話し合った結果、「実戦に慣れるのが一番の訓練だ」ということが確認されているからだ。

 

 そもそも、戦乙女の力や『魔の者共』について分かっていることがあまりにも少ないのだ。

 大穴の発現以来、その淵に近づけた人類は皆無。『魔の者共』の捕獲なども行われているが、その凶暴さゆえに研究は困難を極めている。

 

 結局のところ、実戦で得た知識が一番の教師なのだ。

 それでも、座学が全く役に立たないわけではない。優香はこの授業では、いつも真剣な表情でメモを取っていた。

 

「さて、これまでの授業で、戦乙女の力と『魔の者共』について、科学的に判明している部分については概ね説明し終わった。まあ、『ほとんど何も分かりません』という説明だったがな。不甲斐ない限りだ。私たち大人が君たちのような若者に頼るしかないような切羽詰まった状態だ、ということは伝わったと思う」

 

 自嘲気な笑みを浮かべた教師の女は、少し表情を引き締めて続ける。

 

「しかし、私たちだからこそ伝えられることもある。君たちの先輩たちはあまり話したがらないことだ。──君たちは知っておく必要がある。この学校で最も多くの戦乙女が死んだ戦いについて、だ」

 

 教師の言葉は淡々としてたが、思わず聞き入ってしまうような凄みがあった。

 

「半年前だ。あの冬の夜、かつてないほどの『魔の者共』が殺到して、淵上高校は混乱に陥った。地を埋め尽くさんばかりの奴らの影。精強な化け物共。何よりも恐ろしかったのは、それが統率の取れた軍隊だったことだ」

 

 通常の『魔の者共』は、群れる程度の知性はあるが、基本的には人間を殺すこと以外頭にない。野生動物と大差ない、と言えよう。一部の強い個体は多少の賢さを見せることもあるが、同胞を指揮するほどのものではない。

 

「かつてない動きに翻弄された戦乙女たちは、順番に撃破されていった。当時の戦乙女は『義姉妹制度』を採用していて、二人から三人の少数グループで戦っていた。そのため、連携して動く相手に包囲され、一組、二組と撃破されていった──結果、現在の三年生、それとその上の学年の八割が死亡した」

「八割──!?」

 

 驚愕を隠せない生徒たちから驚きの声が上がる。

 それもそのはず、今年度の戦乙女の死者数は、未だにゼロだ。重傷者や、戦場に二度と立てなくなる者が出ることはあったが、死んだ戦乙女は一年生の記憶に一人もいない。

 

「群れを率いていたのは、人型の化け物だった。詳細は分からない。ただ恐ろしく強く、何人もの戦乙女が殺された。当時の中心人物、『燦燦たる太陽(アワサン)』という二つ名を持った戦乙女が、命を引き換えにした一撃で手傷を負わせ、撤退に追い込んだらしい。そのことから、あの事件は『太陽が没した日』と呼ばれている」

 

 息を吞む。自分たちが戦っていた相手の恐ろしさを改めて突き付けられたような、そんな空気が教室を支配していた。

 

「今までにない侵攻だったので、当時の一年生は出撃を制限されたそうだ。未熟な者を犠牲にするわけにはいかない、とな。だから、犠牲者のほとんどは今の三年生とその上の学年だった。現在中心となっている黒崎夏美や、エースである天塚燐火が二年生なのはそういう事情もある」

「……」

 

 一年生の間にも、漠然とした疑問はあった。どうして中心になっているのが二年生なのか。どうして三年生を見かけることが少ないのか。その答えが、今示された。

 

「もっとも、あの戦いに参加したから、黒崎夏美や天塚燐火は腕を上げたとも言えよう。奴らは死線を潜り抜けた数少ない生き残りだ」

「燐火先輩が……」

 

 優香が呆然と呟く。己の義姉の強さの一端を盗み見てしまったような感覚に、彼女は少しだけ罪悪感を覚えた。

 

「とにかく、またああいったことがいつ起こるか分からない。現在はチーム制の整備などで死傷者は激減しているが、君たち戦乙女は常に死のリスクと共にあるということは心の片隅に置いておいてくれ。……これ以上、死者は見たくないからな」

 

 そう言って、教師は授業を締めくくった。

 チャイムが鳴る。授業が終わったというのに、教室は重苦しい雰囲気だった。

 

「優香、深刻な顔だね」

「果林ちゃんだって」

 

 二人して黙り込む。いつも明るい果林も、今日ばかりは静かだ。嫌な沈黙。しかし、優香は静かに覚悟を決めていた。

 

「果林ちゃん。私、決めたよ」

「なに?」

「燐火先輩に、当時のこと聞いてみる」

 

 決意の籠った優香の瞳に、果林は驚いた。

 

「その前に、話を聞くべき人がいる」

 



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殺意と心配

 撃破数ナンバー2の戦乙女、黒崎夏美は忙しい。早朝は自主トレーニング。走り込みに筋トレ、素振りなどを朝食前の二時間程度でこなす。

 

 日中は真面目に授業を受ける。生真面目な夏美は、燐火のように授業をサボったりしない。成績の方も上々。教師の評判は良い。

 

 放課後には、他の戦乙女への聞き取り調査。夏美は実質的な現場指揮官だ。

 普段『魔の者共』と戦うチームのリーダーに、現在どんなことが困っているのか、不安点はないか、など聞き取りを行い、指揮の参考にする。

 

 そんな彼女は、鍛錬馬鹿の燐火と同じく中々捕まえるのが難しい。優香が彼女と話す機会を持てたのは、「太陽が没した日」の話を聞いてから三日後のことだった。

 

 約束通り、夏美は学内のカフェで待っていてくれた。優香が到着すると、彼女は足組みをして、しかめっ面でブラックコーヒーを飲んでいた。

 

「先輩、お待たせしました。今日はお忙しいところありがとうございます」

「いいんだ。後輩の話を聞くのは私たちの務めだ」

 

 カップを下ろし、優香を見る夏美。相変わらず目が怖い、と優香は率直な感想を抱いた。刺すような視線は、人によっては怒っているように見えるだろう。

 

 とはいえ、これが彼女の素なのだろうと優香はなんとなく察していた。

 ほとんど接したことのない夏美の表情が読めたのは、表情の分かりづらい燐火と長い間付き合っていたからだろう。

 

「それで光井、私に何か用か?」

「はい、燐火先輩についてです」

 

 自らの義姉の名前を口にすると、夏美は少しだけ表情を緩めた。厳しい顔、という印象が幾ばくは緩む。

 

「そういえば、光井はよく燐火についていっているな。あいつと組める奴なんてそういない。本人に代わって、礼を言おう」

「そんな、先輩が礼を言うことなんて……」

 

 夏美の様子は、以前燐火に対して殺意を向けていた時の印象とはひどく異なった。

 

「燐火はちょっと……いやだいぶ変な奴だが、根は優しい奴だ。君みたいな子がそばに居てやれば、あいつも喜ぶだろう」

「……黒崎先輩は、燐火先輩が嫌いなのではなかったのですか?」

「ああ、殺すとか言った話か。別に嫌ってはいない。──ただ、赦せないだけだ」

 

 夏美の言葉に籠った重みに、優香は口を噤む。

 

「あいつは私の大切なものを奪った。それも、あいつのどうしようもない愚かな行いによってだ。たとえあいつが地面に額を擦りつけて詫びたとしても、私はあいつを赦せない」

「……いったい何があったのか、教えてもらえませんか?」

 

 意を決して、優香は踏み込んだ。

 

「ダメだ。光井には関係のないことだ」

 

 夏美の表情は硬い。

 

「でも、私は燐火先輩のことを全然知りません! 何を思って戦っているのか、何を恐れているのか、見当がつかないから、黒崎先輩に助けて欲しいんです! お姉様は、最近ずっと苦しそうです! もしかして、黒崎先輩の大切なものを奪ってしまったことをずっと気に病んでいるのではないですか!?」

 

 燐火が何を思っているのか、優香に与えられたヒントはあまりにも少なかった。だから、燐火の過去を知っているだろう夏美に話を聞きに来たのだ。

 

「……燐火は、苦しんでいるのか?」

「はい。少し前から、様子がおかしいです。眠れてないみたいでよくボーっとしていましたし、戦う時もいつもより無理をしています。……それから、よく自分のお姉様の話をするようになりました」

「お姉様の……」

 

 夏美が何か考えだす。優香は真剣な表情で、彼女の言葉の続きを待った。

 

「……あいつは、お姉様についてどんなことを話していた?」

「はい。明るい人で、そこにいるだけで皆を照らす太陽みたいな人だって語ってました。また、とても大事な人だ、とも。私はまだ会ったことがないですけど、きっと素敵な人なんだろうと先輩の言葉から感じ取れました」

「──私はまだ会ったことがない、か」

 

 夏美は、確かめるように優香の言葉を復唱した。優香は少し首をかしげながら、それを肯定する。

 

 夏美は目を閉じて黙り込んでしまった。腕を組み、眉間に皺がよる。何か大事な決断を迷っているような雰囲気。

 優香は、それを静かに待ち続けた。

 

「光井。お前は、あいつの内面の奥深くまで踏み込むつもりか? ……たとえ、後悔するとしても」

「私は燐火先輩のためになるならなんでもできます」

 

 優香の言葉に迷いはなかった。危なっかしい義姉のためなら、きっと何でもできる。

 優香は直感していたのだ。燐火は自分が救わなければいけない人なのだ、と。

 

「……でも、本当は黒崎先輩が自分でやりたいことなんじゃないですか?」

 

 夏美もまた、燐火の様子を心配している様子を見せていた。赦せない、と口にしながらも燐火のことが心配なのだろう。

 まだほとんど話したことのない優香でも、それは分かっていた。

 

「光井は鋭いな。しかし、それはできない。私はもう、あいつのために動くなんてことする資格はないからな」

「どうして、そんなこと言うんですか?」

 

 夏美の視線が少し宙を彷徨う。どうやら、過去に思いをはせているようだった。

 

「かつて、私は本気であいつを殺そうとした。本気だった。本気で、あの愚か者を殺してやろうと思っていた。そして、その寸前まで行った。……あいつは、抵抗しなかった。むしろ、笑ってすらいた」

 

 夏美の表情は、苦しそうだった。

 

「あいつにとって自らの生とはさほど執着のあるものではないらしい。そして、どうやらその根底には自己嫌悪、自己否定のようなものがあるらしい」

「……私も、燐火先輩がどこか自己嫌悪を抱えていることは、言葉の端々からなんとなく感じていました」

 

 優香は燐火と話していた時のことを思い出していた。

 なぜか自分が優香と仲良くすることが迷惑だと思っているような態度。それは、普段孤独だから、ということだけでは説明がつかないように感じた。

 

「恥ずかしながら、私が燐火の歪みに気づいたのは、あいつと決別した後だった。だから詳しくは知らない。でも、私たちが気づけなかった燐火の歪みに気づくことができた光井なら、もしかしたらもっと深みに触れることができるかもしれない」

 

 夏美は、大空を見上げた。空の青は深く、奥まで見通すことができなかった。

 

「黒崎先輩は、燐火先輩の歪みについてどう考えているんですか」

「……それはきっと、君の方が良く知っているはずだ。光井。あいつ唯一の義妹。君ならば、きっとあいつが無くしてしまった私とあいつの大事なものが分かっているはずだ」

「はい。……教えては、くれないんですね」

「ああ。私の口からあいつ最大の愚行について語るのは、卑怯というものだ」

 

 ああ、黒崎先輩は、本当に燐火先輩のことを考えているのだな、と優香は改めて確認した。燐火と似た不器用さを持ったこの先輩は、燐火のことを憎みきれていないのだ。

 

「でも、私は自信が持てました。燐火先輩の過去を知るあなたが肯定してくれるのなら、私は自信を持って燐火先輩に踏み込めます」

 

 優香の表情に、夏美は優しく微笑んだ。それは、普段から鋭い目つきをした彼女らしからぬ表情だった。

 ああ、無表情な燐火が優しい笑みを浮かべるのによく似ている。優香はぼんやりとそう感じた。やっぱり、不器用な先輩二人はよく似ている。

 

「あいつを、頼んだぞ」

「はい。先輩に踏み込んでみせます。そしたら、黒崎先輩と仲直りさせてみせます」

 

 優香はいたずらなウインクをした。夏美は、何も言わずにただ苦笑してブラックコーヒーを啜った。

 

 



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真実

 淵上高校の外周、ランニングに適した遊歩道は、利用しすぎて景色もすっかり見慣れてしまった。

 今日の予定分の走り込みを終えた俺は、同じく走り終えた優香ちゃんに声をかけた。

 

「優香ちゃんお疲れ様。……大丈夫?」

「ぜえ……ぜえ……はい、なんとか……」

 

 膝に手を当てて呼吸を整えている優香ちゃん。顔はすっかり真っ赤で、額には汗が滲んでいる。

 

「でも、足が生まれたての小鹿みたいになってるよ?」

「ぜえ……はい……でも大丈夫です……」

 

 どうみても大丈夫じゃない。しかし優香ちゃんは気丈にこちらを見て、返事をしている。

 ……そそるな。

 

 酸欠の苦しみに耐え、震える足で辛うじて立っているその姿は、俺の理想とする戦うヒロインの姿に似ている。やばい、興奮してきた。やはり優香ちゃんは俺の最高の義妹だ。

 

「それにしても、また合同トレーニングしたいなんて優香ちゃんも物好きだね。……ひょっとして被虐趣味なの?」

 

 もしや、俺と同じ趣味なのではないか!? 唐突に浮かんできた突拍子もないアイデア。俺は、期待を込めて優香ちゃんに問いかけた。あくまで落ち着いている風に。

 

「あっはは……そんなのじゃないですよ」

 

 ……そんなのって言った? 今、被虐趣味のことをそんなのって言った!? うおおお、間接的になじられた気がする! 興奮してきた! 

 

「そういう燐火先輩は、Sっぽいですよね。私に過酷なトレーニング課して少しだけ嬉しそうですし」

「え? 私嬉しそうだった?」

 

 馬鹿な!? 俺の鍛え上げた美少女ポーカーフェイスが破られただと!? 

 

「まあ、表面上はほとんど変わらなかったですけど。でも最近よく先輩を観察していたので、気づきました」

「……き、気のせいじゃナイカナー?」

 

 まずい、語尾が震えてきた。優香ちゃんに内面を見破られたのは初めてなので動揺が止まらない。

 やばい、俺が義姉なんてガラじゃないクソ野郎だということがばれてしまう! 

 

「まあ先輩の場合は、私が成長しているのが嬉しい、みたいな感情が伝わってきますからね。Sっていうよりは、そういう嬉しさなんですよね?」

「はは……そう簡単に見抜かれると照れるね」

 

 あ、あぶねえ! 内面のダメさが露呈するところだった。

 優香ちゃんが意外と鋭くて驚く。思ったよりも俺のことを観察しているようだ。真央先輩ですら、俺の内面の一端に触れるのに三ヶ月はかかったのに。

 

 俺がS、サディストっぽいというのは間違っていない。俺にとって、マゾヒストであることとサディストであることは両立するのだ。

 

 前提として、俺が好きなのは苦しんだり苦悩したり曇ったりする美少女だ。

 俺は、自分を含めて美少女が傷つく姿が好きなのだ。だから、他の子相手なら多少Sっぽくなるし、自分のことになるとドMになる。

 この辺の感覚は俺が急に別人の体に生まれ変わったことが関係していそうだ。他人と自分の境界線が曖昧、みたいな。

 そんなことを考えていると。

 

「先輩」

 

 突如として、優香ちゃんの語調が変わる。そこには、言い表しようのない迫力のようなものが存在した。

 

 風が吹く。生暖かい風は、なぜか今の俺にはひどく不気味に感じられた。

 

「先輩のこと、色々聞いてきました。上級生の皆さんに、あなたがどんな風に戦ってきたのか聞いてきました」

 

 冷や汗。正体不明の恐れが、俺を支配する。

 

「……興味を持ってもらえるのは嬉しいけど、そんなことするほど面白いことはしてないよ」

「いいえ。皆、あなたがどれだけ勇敢だったか語ってくれましたよ。──『太陽が没した日も』」

「……」

 

 その言葉に、脳が拒絶反応を起こす。やめろ、優香ちゃんの口から、そんな言葉聞きたくない。

 しかし、優香ちゃんはそれ以上話を続けることはなく、少しだけ俺の表情を見た。その顔には、こちらを気遣うような色が見られる。

 

 ああ、今の俺は、きっとひどい顔をしているのだろう。本性を隠すポーカーフェイスが役に立たない。

 愚かな俺が、怖がりの俺の姿が、優香ちゃんに見られてしまう。君にだけは、見られたくなかったのに。

 

 優香ちゃんは、意を決したように口を開いた。

 

「先輩が以前楽しそうに話してくれたお姉様の名前は、『桜ヶ丘真央』先輩で間違いないですよね」

 

 黙って頷く。言葉を発すれば、情けない震え声が出てしまいそうだった。

 

「その名前を聞くと、皆楽しそうに話してくれました。優しい人。明るい人。こっちまで元気になってしまうような魅力的な人。太陽みたいな人。燐火先輩の話した通りの人だと思いました。でも──」

 

 優香ちゃんの瞳に、強い意志が籠る。そんな彼女が次の言葉を紡ぐことを止めることは、今の俺にはできなかった。

 

「──桜ヶ丘真央先輩は、半年前に死亡している。先輩はずっと、桜ヶ丘先輩が生きていると思い込もうとしていた」

 

 生温い風に、俺は身を震わせた。

 

「……ち、ちがうっ!」

 

 震える声で、精一杯に叫ぶ。否定しなければ、どうにかなってしまいそうだったからだ。

 

「ちがう、ちがう、ちがうっ! 真央先輩は死んでない! 部屋に帰ればいつも先輩が優しい笑みを浮かべながら私を待ってくれている! 私の話を聞いてくれる! あの人だけがっ、私を認めてくれる!」

「……それが、先輩の本当の姿なんですね」

 

 優香ちゃんは静かに呟くと、俺へと一歩踏み出してきた。

 

「でも、もういない。いないんですよ、先輩。桜ヶ丘真央先輩は、あなたの太陽は、もう没してしまった」

「やめろやめろやめろ! ちがうっ! ちがうのに! どうして分かってくれないんだ! ちがうって言ってるだろおおおおお!」

 

 駄々をこねるように叫ぶ。いつの間にか、頬に涙が伝っていた。泣きたくなんてないはずだったのに、涙が止まらない。みっともない。こんなところ、優香ちゃんに見られたくなかったのに。

 ゆっくりと近づいてきた優香ちゃんが、静かに俺の震える体を抱いた。

 

「先輩の涙、初めて見ました」

「う、ああ……違う、違うんだ優香ちゃん。先輩は生きている。私を見てくれる。私を愛してくれる。お姉様って呼んだら嬉しそうに笑うし、すぐに嫉妬するし、可愛く笑ってくれる。先輩は私の全部を受け入れてくれる。先輩だけだ。先輩だけがこの真っ暗な世界の太陽なんだ……」

 

 優香が燐火を抱きしめる腕の力が増す。燐火の体は小刻みに震えていた。

 

「でも、もういない。辛いけど、先輩は現実を直視しないといけない。──そうしないと、本当に壊れてしまうから」

 

 いつの間にか、優香ちゃんの頬にも涙があった。俺の体を、きつくきつく抱きしめてくれる彼女は、まるで俺がどこかに行ってしまうのを恐れているようだった。

 

「嫌だ! 現実なんてもう見たくない! 誰かの死に顔も、誰かの傷つく姿も、私の腕の中で死んでいく誰かも、もう見たくない! 見たくないんだよっ!」

「先輩……」

 

 あの日のことを思い出そうとすると、頭にノイズが走る。記憶を漁ろうとしても、うまく思い出せない。

 けれども、二度の人生の中で一番悲しかったことだけは、よく覚えている。

 

 俺が首吊って死んだ時だって、こんなに悲しくはなかった。

 

 呆然と、ただ思うままに言葉を紡ぐ。優香ちゃんの前ではお姉様らしくありたいと思っていたのに、そんなことすら思いつかないほどに動揺していた。

 

「先輩は私みたいに価値のない人間じゃなかった。私なんかのために死ぬべき人間じゃなかった。私はエースなんかじゃない。ただの快楽主義者なんだよ。真央先輩が生きるべきだった。俺が死ぬべきだったんだ」

「そんな悲しいこと、言わないでください」

 

 優香ちゃんが俺の体を抱きしめる。

 改めて現実を直視して、俺は少しずつあの日のことを思い出していた。「太陽が没した日」。東京の大穴最大の攻勢の日。

 

「先輩、私にその時のことを話してくれませんか? 先輩はきっと、一人で抱え込んで自分ばかり責めていたから歪んでしまったのではありませんか?」

「……いいよ。こうなったら全部話してあげる。そしたら、きっと優香ちゃんは私から離れていく。それでおしまい。優香ちゃんは義姉妹っていう楔から解放されて、私なんかとは違った人生を歩む」

「……」

 

 優香ちゃんは何も答えなかったが、その顔は少し怒っているように見えた。

 

 

「太陽が没した日、私たち義姉妹は、戦場にいた」

 



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愚行記①

過去編①です


 淵上高校最悪の一日、太陽が没した日。あの日は、月のない夜だった。

 

 集結した戦乙女たち。眼前には数多の「魔の者共」。

 いつもの光景だ。しかし、今日は何かが違う。死線を乗り越えてきた戦乙女たちは、それを肌で感じ取っていた。

 

「燐火ちゃんと夏美ちゃんは、本当に待機じゃなくて良かったの?」

 

 先輩方は、今日の戦いには経験の浅い一年生は参加させないこととしていた。未熟な戦乙女が出てきては、死人が出る、と判断したようだ。

 遠くから見るだけでも、『魔の者共』の練度が今までと段違いだと分かったのだ。足並みの揃い方や体躯の大きさから、危険を察知した。

 

「はい! 先輩の役に立ちたいですから」

 

 夏美が元気に答える。相変わらず、真央先輩と話している時はびっくりするくらい嬉しそうだ。普段は睨みつけるような目つきのくせに。

 

「燐火ちゃんは?」

「私だって先輩の役に立ちたいです。それに、『魔の者共』をたくさん殺せる最高の機会ですからね。引っ込んでるなんていう選択肢はありませんよ」

 

 真央先輩と夏美が、俺の言葉に少し悲しそうな表情を浮かべる。

 殺せるから、というよりも自分が傷つけるから、なのだが、勘違いしてもらった方が俺的には好都合なので黙っておこう。

 

「燐火ちゃん。今日は私の指示に従ってもらうからね。いくら燐火ちゃんでも、死んじゃうから」

「善処します。それに、私は死にませんよ」

 

 俺の魂は、一度死んだようなものだ。死人がどうやって死ねるというのか。

 俺の命が終わるとは、単に蛇足の如き人生のような何かが終了するだけだ。

 

「……燐火ちゃんに何かあったら、私許さないからね」

「私も、燐火が好き勝手に動くのは気に食わない! 今日も独断専行したら、真央先輩の義妹やめてもらうからな!」

 

 静かに言う真央先輩に、ツンツンしながらこちらを心配する夏美。

 ああ、やっぱり美少女に心配されている状況は楽しいなあ。こう、自分が価値ある人間になった気がしてくる。二人とも真剣な表情なので、ニヤニヤしそうになるのをなんとか抑える。

 

「総員交戦を開始しろ! 三年を中心に交戦、二年は援護にまわれ!」

 

 三年生の先輩が声を張り上げると、それを合図に戦乙女たちが飛び出した。

 

「私たちも、行きましょう」

「うん。……燐火ちゃん、気を付けてね」

「はい」

 

 ああ、真央先輩は心配性で可愛いなあ。悦びに緩みそうになる頬を引き締めて、俺は戦場を駆けだした。

 

 

「上級種! 三時方向にいる!」

「必ず十人以上集めてから交戦しろ! 上級種を侮るな!」

「こ……こっちにも上級種がいます! 10時方向!」

「上級種が二体!? そんな!」

 

 戦況は混沌としていた。今日の『魔の者共』は、その数が多いだけでなく質まで一級品だった。上級種が一日に複数確認されるなんて初めてだ。

 

 戦乙女十人で戦ってようやく倒せるか、という強敵である上級種は、せいぜい半年に一度確認される程度だった。

 上級種は、他の化け物の指揮をしているようだった。おかげで敵の動きは洗練されている。まるで、軍隊と戦っているみたいだ。

 

 そして、俺の目の前にいる敵も一筋縄ではいかないようだった。

 

「フッ……!」

 

 目の前にいる獣人に対して両手から挟み込むように斬撃を繰り出す。

 しかし、反応が早い。獣人は両手の鋭利な爪で刃を受け止めた。

 

「グルルルル……」

「二刀流同士とは、奇妙な偶然もあったものだな……!」

 

 睨み合い、次の一手を模索する。しかし、獣人にとって、武器は爪だけではなかった。

 

「グルウッ!」

 

 第三の武器は、牙。体毛に覆われた顔が下を向いたかと思うと、俺の右腕に噛みついて来た。

 

「ぐう……!」

 

 腕から新鮮な血が噴き出す。凄まじい顎の力だ。獣人の口の中にある右腕が、潰れるのではないかという痛みを訴えかけてきている。

 

 ──ああ、最高だ! 

 

「はっ……ハハハ! 噛みつき! カニバリズム! そういうのは考えたことなかったな!」

 

 獣人は、俺が痛みに怯むと思ったのだろう。俺の小太刀を抑える爪がおろそかになっている。

 それでは、『血みどろ新星(ブラッディルーキー)』と恐れられた変態の力を見せてやろう。

 

「味見はもう十分だろ? ほら、離せ!」

「グルッ!?」

 

 俺は血塗れの腕を力任せに引っこ抜いた。途端、まるでカッターを突き立ててギリギリと皮膚を切り裂いたような痛みが走った。予想外の動きに、獣人の反応が遅れる。

 

「ふはっ……痛い! ああ、血塗れの腕、裂傷跡! これこそヒロピン! オレが求めたものだあ!」

 

 高笑いしながら、俺は左手を振り上げて獣人の頭へと振り下ろした。強硬な頭蓋骨すら粉砕して、俺の小太刀は脳髄を破壊してみせた。

 

「はあ……はあ……やばい、ハッスルしすぎたか。真央先輩とかに聞こえてないよな?」

 

 そういえば、と気づいて俺は周囲を見渡した。後方を見れば、真央先輩が次々と矢を飛ばして『魔の者共』を吹き飛ばしているところだった。相変わらず、その立ち姿は美しい。

 戦場に立つ真央先輩は、普段の天真爛漫な様子からは一転、冷静沈着で確実に敵を屠るスナイパーだ。

 

「おい燐火! 大丈夫なのか!?」

 

 真央先輩の様子を見ていると、夏美が近づいてきていた。その視線は、俺の血塗れの腕に注がれていた。

 

「私は大丈夫。夏美の方こそ無理しないで」

「じゅ、重傷のお前に言われたくない! なんだその出血の量は!」

 

 会話中も腕を伝って血が流れていた。

 もっとも、頭の中は痛みと心配されたことの喜びでフィーバーなのであまり気にしていない。

 

「そんなこと言っても、夏美は疲労している。いつもより目に覇気がない」

「相変わらず憎らしいくらいに人の観察が上手いなお前は……!」

「夏美のことはいっぱい見てきたから、当然」

「クッ……コイツ、無表情で恥ずかしいこと言いやがる」

 

 夏美は少しだけ頬を赤らめて目を逸らした。ああ、この様子なら夏美はまだ大丈夫かな。

 

 それよりもまずいのは、周りの先輩方だろう。俺は周囲の状況を観察しながら、思う。

 明らかに、負傷者の数が多い。既に撤退してしまった義姉妹も多い。敵の数は衰える様子がなく、戦い続ける戦乙女の負担は増えるばかりだ。

 

「夏美、私はちょっと遠くまで行ってくるから、あなたは真央先輩の近くにいて」

「は? お前、さっき真央先輩に独断専行するなって釘さされたばっかじゃないか!」

 

 夏美が憤慨する。しかしその言葉裏には、心配するような感情があった。それに気分を良くした俺は、続けて言葉を紡ぐ。

 

「明らかに先輩方の旗色が悪い。余裕のある私が頑張るべき。指揮を出している群れのボスを倒せば、だいぶ楽になる」

「余裕があるってそんな傷で何を……」

 

 夏美は俺の血塗れの右腕に目をやった。

 

「見た目よりも傷が浅いから、大丈夫」

「いやダメだ、今日は流石にヤバい! 敵の動きが明らかに違う。いくらお前でも死ぬぞ!」

「戦いの中で死ぬならそれでいい」

 

 どのみち、一度死んだ後の蛇足みたいな人生だ。むしろ俺が死んで皆が曇るなら最高じゃないか。

 

「ッ……お前が死んだら、お前を心配する真央先輩はどうなるんだ」

「……」

 

 下を向いた夏美の言葉に、俺は返す言葉がなかった。真央先輩も、さらに言えば夏美も、きっと俺が心配したら悲しむだろう。そのことに罪悪感はある。

 

 ──でもそれ以上に、死んだ俺を悼んでくれることを考えればそれだけで興奮できる。我ながら最低だが、二人が心配してくれるなら本望だ。

 

 

 何も言わずに、駆け出す。夏美が背後で制止する声をあげていたが、追ってはこなかった。きっと、真央先輩が心配だったのだろう。

 

 ざっと戦場を見渡した感じ、余裕があるのは俺くらいだ。この戦況を変えられるのは俺しかいない。

 

 俺は皆に曇って欲しいが、肉体的に傷ついて欲しいわけじゃない。

 

 ……それはそうと、俺が一番考えているのは自分が気持ち良くなることだ。まだ見ぬ強敵。それがもたらす痛みやピンチに思いをはせると、それだけで興奮できる。

 

 足が軽い。やっぱり俺の体は、痛みを感じれば感じるほど……もっと言えば、興奮するほどに軽くなっている気がする。

 

『魔の者共』を縫うようにして進む。行く手を阻む者は、一太刀で斬り伏せた。途中に息を引き取った戦乙女が地べたに転がっているのも見て、俺はさらに先を急いだ。これ以上犠牲者が出る前に、大元を叩かなければ。

 

 

「上級種……お前が群れのボスだな?」

「ゥウウ……」

 

 軽い体で敵をバッサバッサと斬り捨てていくと、ようやくそれらしい敵の姿が見えてきた。

 

 群れのボスは、普段滅多に目にすることがない種類、赤鬼だった。威圧感が、明らかに他の『魔の者共』と違う。

 体長は2m以上ある。腰巻き以外には何も身に着けておらず、赤い筋肉質な体が剥き出しになっている。手に持つのは、巨大な棍棒。一メートルほどあるだろうか。

 

「……流石に強そうだな。あの棍棒に頭でもぶち抜かれたら達してしまいそうだ」

 

 棍棒のゴツゴツとした表面は、よく見れば赤い血がついていた。その傍らには、倒れた戦乙女の姿が二つ。……ひどい有様だ。もう息はないだろう。

 

 間に合わなかった。わずかに歯噛みして、俺は目の前の敵と向き合う。

 

「ゥウウウウ!」

 

 観察していると、赤鬼はこちらに突っ込んできた。その足は速く、地面を踏みしめるたびにドスンドスンと重苦しい音がした。

 

「オオオオ!」

 

 俺も武器を手に駆け出し、交錯。赤鬼の棍棒は俺の腕を掠め、横に逸れる。

 

「イッタ……掠っただけでこの威力とか、当たったらオレバラバラになるんじゃないか?」

 

 一方俺の小太刀。腹部への突きは弾かれ、左腕への斬撃は浅く切りつけるに留まった。

 ダメだ、皮膚が硬すぎる。俺の剣速は当初よりもずっと上がっているはずだ。自惚れでもなんでもなく、三年生の先輩をも超えるほどのはずだ。しかし、通らない。

 

「ゥウウウウウウウ!」

 

 赤鬼の体が動き出す。地面に叩きつけた棍棒を手元に戻し、上段から一撃。大きなガタイに見合わぬ素早い一撃。回避が間に合わないと判断した俺は、右手の小太刀でそれを受け止めた。

 

「ぐう……」

 

 重たすぎる一撃は、落石でも受け止めているような気分だった。棍棒を受け止めている右腕がブルブルと震え出す。

 直に限界が来る。次の一手を打たなくては。

 しかし、判断は赤鬼の方が早かった。

 

「ゥウッ!」

 

 丸太のような脚が跳ねあがる。密着状態の俺の腹部に、赤鬼の膝が直撃した。

 

「ゴハッ……!」

 

 腹の中で何かが爆発したような痛みが俺を襲った。全身が揺さぶられるような感触。口から血混じりの何かが飛び出す。

 

「腹蹴りとはいいセンスしてるな……!」

 

 個人的には腹パンの次くらいに点数高い。

 しかし、変態がその程度で止まると思うな。

 

 痛みと同時に快楽を覚え、すぐさま反撃に向かう。

 密着状態から、小太刀を振るう。狙うは顔面、その中でも目玉だ。

 

 刃が躍る。俺の動きは、蹴りを食らう前よりも明らかに速さが増している。赤鬼のいかつい顔に次々と傷をつけていった。

 

「ゥウ……」

 

 咄嗟に手を出して顔面を防御したが、刃は赤鬼の左目を捉え、視界の半分を潰した。

 

「ゥウ……ウウウウウ!」

 

 怒りの咆哮と共に、赤鬼が高速で棍棒を振るう。横なぎ。振り下ろし。振り上げ。そこに挟んだ蹴り、殴り、体当たり。

 それら全てを、俺は紙一重で避けていく。今までになく頭が冴えている。棍棒の端が掠め、打撃を浅く食らう。

 しかし、それに合わせて俺も反撃を繰り返していた。腕を切りつけ、腹部を突き刺し、足を払う。

 

 上級種、ということで警戒していたが、俺のエンジンがかかってきた今なら勝てそうな予感があった。一挙手一投足が見える。敵の動きが手に取るように分かる。

 

「ッ……ハッ……どうした、そろそろ限界じゃないのか?」

「ゥウ……」

 

 体中から出血する赤鬼は、既に戦意が衰えてきているように見えた。見た目の雄々しさに反して臆病な奴だ。

 次の動きを観察していると、赤鬼はくるりと背を向けて逃げ出した。

 

「ウ……ウウウウウ!」

「なっ!? 待て!」

 

 あいつを放っておけば、他の戦乙女が死ぬかもしれない。

 踏み出す。地面を踏み抜かんばかりで駆け出した俺は、一気に駆け出す。最高速度のまま、最速で突き。かつてない速度で放たれたそれは、硬い筋肉の鎧を貫通し、心臓を破壊した。

 

「ウ……ウウウゥ……」

「はあ……はあ……」

 

 忘れていた呼吸を再開して、俺は赤鬼を観察する。どうやら無事に仕留められたみたいだ。山場を越えられた安堵に、一息つく。

 

 

 ──その隙は、あまりにも致命的だった。

 



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愚行記②

過去編の二話目です


 ──その隙は、あまりにも致命的だった。

 

「は……?」

 

 突如飛来した黒い槍。それは、今の俺にすら目で追えないほどの一撃だった。

 

 ──ああ、死んだ。

 俺はすぐに直感した。回避は不可能。勝利した瞬間の気の緩みが、俺に死をもたらす。

 

 まあでも、それなりに満足じゃないか。いっぱい痛みを感じて、いっぱい気持ち良くなって、いっぱい心配された。

 だから俺は、死を受け入れていた。

 

 ──予想外だったのは、俺が死ぬことを望んでいない人がすぐそばまで来ていたこと。

 

「燐火ちゃんッ!」

 

 背後から走って来た真央先輩が、俺を突き飛ばす。彼女の胸部を、黒い槍が貫いた。

 

「──え?」

 

 真央先輩の体から噴き出した血が、俺の顔を濡らした。

 

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。信じたくない。こんなこと、あってはならない。

 現実が受け止められなくて、俺はその場から動くことができなかった。

 

 真央先輩は顔を真っ青にしながらもよろよろと立ち上がった。

 

「コホッ……」

 

 血を吐いた先輩は、立つことすら苦しそうだった。

 

「ま、真央先輩! なんで……なんで私なんか庇ったんですか!? なんであなたが……なんで価値のある人間であるあなたが……! 違うのに……私は救われる価値なんてない人間なのに!」

「燐火、ちゃん……?」

 

 俺が叫び続けていると、前方から、こちらに飛んでくる影があった。

 

 その影は、伝承に言われる悪魔の姿をしていた。黒い体。背中から生えた翼。その顔には、ニタニタという笑みが浮かんでいた。

 ──強い。一目見て確信できるほどに、その化け物は力に満ちていた。今の俺では、きっと一分と経たずに殺される。

 

 

「やあやあ! ご機嫌よう、人類の皆さん! 相変わらず血塗れの顔が良く似合っていますね!」

「『魔の者共』が……しゃべった……?」

 

 それは、信じがたい光景だった。人類の敵である『魔の者共』には、対話できるほどの知性はない。それが人類の共通認識だった。

 

「私は他のケダモノ共とは違うので。どうか、『喜悦の悪魔』とでもお呼びください」

 

 深々と丁寧なお辞儀をする喜悦の悪魔。しかし、この場でそんなことをしても慇懃無礼、という印象しか受けなかった。

 

「しかし、私の槍を受けて立っている人間がいるとは……やはりあなたは戦乙女の中でも厄介な相手だったようですね」

「あはは……敵に褒められても嬉しくないよ?」

 

 血の気の引いた顔で、真央先輩が笑う。明らかに致命傷を負っているにも関わらず、その体は未だに活力に満ちていた。いったい、何が彼女の体を支えているのだろうか。

 

「しかし、そんな優秀なあなたもここで終わりですね。今の貴女たちに私を倒すのは不可能です」

 

 その言葉の通り、悪魔の身に宿る力は、桁違いのように見えた。あいつと比べれば、先ほどの上級種すらも生易しい敵だったようだ。

 

「ふふ……本当に勝てると思う?」

 

 真央先輩は、胸に穴が開いたままで不敵に笑った。それを見た悪魔は、不快そうに眉を顰める。

 

「ふむ、瀕死の貴女と、呆けた戦乙女。勝敗は既に決したものだと思いますがね」

「知ってる? ──お姉ちゃんっていうのは、妹のためならどこまでも頑張れるものなの」

「……真央、先輩?」

 

 言葉に不穏な気配を感じて、俺は震える声で彼女を呼んだ。

 絶体絶命の窮地とは思えない不敵な笑みを浮かべたままで、真央先輩が話し出す。

 

「極まった戦乙女は『特徴』と呼ばれる力に目覚めることがある。燐火ちゃんが傷だらけになるとむしろ強くなるのは、きっとこれのおかげだろうね」

「それで? あなたはその力でこの状況を打破できると?」

 

 悪魔は真央先輩の言葉を嘲った。

 真央先輩は黙って弓を構えた。しかし、傷によってその手は震えていた。

 

「応えて……『献身一矢』」

 

 真央先輩がそう言った途端、雰囲気が一変した。ただ弓を構えているだけなのに、それを見ていると圧倒されるような気配。その体には、今まで見たこともないほどの力が籠っている。まるで、光り輝く神体でも見ているようだった。

 

「なっ!?」

 

 悪魔が驚いたように声をあげる。先ほどまで余裕綽々だったが、身の危機を感じたらしい。先ほど真央先輩を貫いた黒い槍を手元に出現させる。禍々しい雰囲気を纏った、恐ろしい武器だった。

 悪魔はそれを、真央先輩に向かって投げ込んだ。

 

「フーッ……ッ!」

 

 気迫の溢れる真央先輩の弓から放たれた矢は、今まで見たこともないほどに力強いものだった。空を切り、鋭い音を立てて一直線に喜悦の悪魔に迫る。

 

 迎え撃ったのは、喜悦の悪魔の投げた黒い槍だった。先ほど真央先輩の胸を貫いた槍が、俺の目で追うことも困難なほどの速度で迫る。ギアの入った俺ですら、それを止めるのは不可能だっただろう。

 

 交錯する。槍と矢のせめぎ合い。轟音を立てるそれは、もはや誰にも止めることができないほどの威力を秘めていた。

 勝ったのは、真央先輩の矢だった。黒い槍を粉々に打ち砕き、全く威力が衰えないままに目標に迫る。

 

 空を裂く矢が悪魔に迫る。咄嗟に右に飛ぶ悪魔。しかし、真っ直ぐに飛んでいった矢は、その右腕をあっさりと吹き飛ばした。

 

「ぐ……あああああ!」

 

 悲鳴をあげる喜悦の悪魔。それを見届けた真央先輩が、わずかに体の力を抜いた。

 肩から先のなくなった右腕の付け根を抑えながら、悪魔は話す。赤黒い血が流れ続けていたが、致命傷にはならなかったようだ。

 

「ふふ……予想外の反撃でしたね。仕方がありません。今日は仕切り直しとしておきましょうか」

 

 翼をはためかせる。

 それを見た真央先輩は、再び矢をつがえた。

 

「口ほどにもないね。一回攻撃を受けただけで撤退?」

 

 真央先輩らしからぬ、挑発的な口調。しかし声は震えていて、彼女の傷の影響を窺わせた。

 

「ええ。今のあなたはまさしく歴代最強の戦乙女と言うに相応しい。『特性』がよほどうまく嚙み合ったのでしょう。放っておけば死ぬというのに強敵と戦うほど愚かではありません」

「──え?」

 

 真央先輩が、死ぬ。悪魔の言葉に、激しく心が揺さぶられる。

 

「あなたが死ねば、私を止められる人類などいない。少しばかり、療養期間としますよ」

「負け犬の遠吠えだね。逃がすと思う?」

 

 真央先輩が弓を引く。その体には、先ほど同様見たこともないほどの凄まじい力が籠められていた。

 

「強がりはよしてください。矢を放つ前に死ぬでしょう」

「試してみる? 大切なものが後ろにいる人間の可能性を」

 

 真央先輩の声は痛みに震えていたが、しかし確固たる自信に満ちていた。

 しかし、悪魔は黙って背中を向けるだけだった。

 

「それでは、また会いましょう。滅びに抗う乙女たち。愚かな人類の防人たちよ」

 

 翼をはためかせ去っていく喜悦の悪魔。それを見た瞬間、真央先輩はその場に崩れ落ちた。

 

「真央先輩!」

 

 慌てて駆け寄り、彼女の体を支える。その顔は、既に真っ青だった。

 

「待っててください! すぐに学校まで連れていきますから!」

「いいの、燐火ちゃん。……私はここで、おしまいだから」

「なっ……そんなことないです! 学校で治癒を受けて! ちゃんと療養すれば胸の傷だって……」

「違うの。胸の傷じゃなくて、私の『特徴』のせいなの」

「え?」

「『献身一矢』。私の力の本質は、誰かのために身を捧げることにある。ゲホッ……」

 

 真央先輩が血を吐く。俺の中の焦りが加速する。

 

「先輩! もうしゃべらなくていいです! 私が今──」

「──聞いて!」

「ッ!」

 

 真央先輩の今まで見たこともないような剣幕に、俺は押し黙った。

 

「私は私の力ゆえにここで死ぬ。誰のせいでもない。後悔はないの。そうじゃないと、あの喋る『魔の者共』に皆殺しにされていたから」 

 

 確かに、あの悪魔の力は規格外だった。普段の真央先輩の矢では倒すことができなかっただろう。

 そして、真央先輩ですら倒せない敵となれば、もはや戦乙女総出でも倒せるか怪しいと言えよう。

 

「違います……! 先輩がここで倒れているのは、私の独断専行のせいです! 私が無理しなければ、先輩は死ななかった! ──死ぬべきは、オレだったんです!」

 

 俺の言葉を聞いた真央先輩は、少し目を開くと、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ああ、やっと本当の燐火ちゃんが見れたね」

「なにを……」

「クールでかっこいい燐火ちゃん。私の大事な義妹。あなたに何か隠していることがあること、私は知っていたよ」

「……ッ!」

 

 ああ、やっぱり真央先輩は賢い。俺がひた隠しにしてきた前世のこと、悟っていたみたいだ。

 

「じゃあ、私から、愛しの妹に最期のお願い」

「さ、最期……? 

 

 その言葉は、到底受け入れられるものではなかった。

 

「い、いやです! なんで真央先輩が死ななくちゃならないんですか! どうしてオレじゃないんですか! 死ぬのはオレでいいって……ッ」

 

 真央先輩の震える指が、俺の唇にそっと触れた。柔らかい感触に、俺は口を閉じる。

 

「それ。私のお願いは、それをやめて欲しいってこと」

「え?」

 

 真央先輩は穏やかに微笑んだ。

 

「死ぬべきとか、死にたいとか、戦いの中で死ねるなら本望とか、そういうこと言わないで。──あなたは、生きて」

 

 俺の唇につけた指を、そっと自分の唇へ。まるで愛おしいものにくちづけするようだった。

 

「ふふん……私のファーストキスは、永遠に燐火ちゃんのものだよ……間接キスだけどね」

「ッ!」

 

 ああ、どんな時でも、真央先輩は優しい。どうして、こんな人が死ななくてはならないのだろう。──俺のせいだ。

 

「……お姉様」

「うん。なあに?」

 

 真央先輩が目を閉じる。きっともう二度と目が開くことはないのだろう。俺は本能的に悟ってしまった。

 

「大好きです」

「うん。私も」

 

 ああ、きっと違うのだ。俺の大好きと、お姉様の大好きは違う。そして、お姉様がそれに気づくことはない。だって俺は、かつて男だったことすら打ち明けることができなかった。

 

 真央先輩の体から力が抜ける。

 

 こうして、俺の太陽はこの世界から消えた。

 

 

 

 

「燐火! 燐火どこだ!?」

 

 遠くから夏美の声が聞こえてくる。俺は、よろよろと立ち上がり夏美を迎えた。

 

「燐火! 無事だったか! …………まお、せんぱいは?」

 

 夏美の目線が、俺の傍らで倒れている人影に向く。

 

「死んだよ」

 

 努めて冷たい口調を作って、俺は真実を告げた。

 

「私たちのお姉様は、私を庇って死んだ」

「ッ……!」

 

 そこで言葉を止めれば、きっと夏美は一緒に真央先輩の死を悼んでくれたのだろう。

 けれど、俺はそうしなかった。

 

「真央先輩は私のせいで死んだ。私は、自分が気持ち良くなりたいから群れのボスを探していた」

「なにを……」

「私はいわゆるマゾヒストだから、ただ痛くなって気持ち良くなりたいから戦っていた。『魔の者共』が憎いとかは全部嘘。真央先輩は、そんな私の我儘に巻き込まれて死んだ」

「……は?」

「だから、真央先輩が死んだのは私の我儘のため。誰よりも立派だった彼女は、私の愚かな行いゆえに死んだ」

「ッ!」

 

 夏美が無言でこちらに駆けだしてきた。俺は何もせずにそれを眺めていた。

 

「燐火あああああ!」

 

 夏美の振りかぶった拳が、俺の頬に突き刺さる。本気の力の籠った拳は、俺の体を吹き飛ばし、地面を二回三回と転がした。頬が熱を持つ。己のうちに滾る感情のままに、俺は叫んだ。

 

「ふふ……ははは……あははははははは! 気持ち良いよ夏美! あなたに殴られて、私は今最高の気分だっ!」

「お前っ!」

 

 地面に転がる俺の上に、夏美がのしかかる。マウントを取った夏美は、俺の襟を掴んだ。そのまま、俺の顔を激しく揺さぶる。遠慮などなく、彼女は本気で怒っていた。

 

「なんで真央先輩が死んだのにそんなにヘラヘラしてるんだ! 何がそんなに面白いって言うんだっ!」

「だって、私を信頼してくれていた夏美が、私を本気で憎み、痛めつけてくれている! これほどの幸福は今までない!」

 

 口角が上がる。笑い声が抑えられない。

 ──いつの間にか、涙が溢れ出してきていた。

 

「……なんで、笑いながら泣いてるんだ」

「あはは……分からないよ。分からない。真央先輩が死んで悲しいはずなのに、大きな喪失に胸を痛める私自身に興奮している。……ねえ夏美、こんなどうしようもない私を、殺してくれない?」

「……は?」

 

 俺は夏美の手をそっと取ると、自分の首を握らせた。

 

「よく考えて。夏美。私が戦っているのは、単なる自己満足。そのために、真央先輩は心を痛め、心配して、庇うことすらしてみせた。それに対して私は、そんな人が死んでもヘラヘラ笑っている。──ねえ夏美。ここで今私を殺しても、『魔の者共』のせいにできる。私たちの太陽を奪った原因に、復讐しない?」

「ああ……」

 

 夏美の手に力が籠る。両手が俺の首を絞め始める。

 

「あああああああああ!」

 

 ──ああ、酸欠の苦しみ! 呼吸という自身の存在を維持するものが阻害されている感覚! 

 

「はは……はははははは!」

 

 笑いが止まらなかった。夏美が、憎悪に染まった瞳で俺を睨みつけている。

 

「そう……もっと……」

 

 こうしていると、思い出す。男だった頃の最後、首吊って死んだ時のこと。首にかかる縄の冷たい感覚。不安定な足元。ドアの向こうから聞こえる怒号。

 思い出すと、歓喜にどうにかなってしまいそうだ。

 あの時も、俺はこの世界から消えることができることへの高揚感に溢れていた。

 

「コハッ……ッ……」

 

 笑う余裕がなくなってくる。息が苦しい。頭がぼうっとしてくる。涙にぼやける視界の中で、夏美は一層俺の首に力を籠め──

 

 ──俺の意識がなくなる直前、手を離した。

 

「はっ……ゴホッゴホッゴホッ……」

 

 俺の体は本能的に酸素を欲し、激しく咳き込む。そんな俺を、夏美は冷たい顔で見下ろしていた。

 

「……どうして、殺してくれなかったの」

「知るか。死にたきゃ一人で死ね」

 

 冷たい目は、俺が死のうと死ぬまいとどちらでもいいと思っているようだった。

 

「ただ、お前が死んだらお姉様だったら悲しむだろうと思っただけだ」

「……」

 

 ああ、あなたに殺されるなら、許してくれると思ったのに。真央先輩の信頼したあなたの判断なら、彼女も納得してくれると思ったのに。

 

 涙がポロポロと落ちてくる。

 

「うう……うううううう……あああああ!」

 

 俺は、自分がなんで泣いているのか分からなかった。

 



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新しい目標

 真央先輩がいなくなった。俺のせいだ。

 

 そんな事実、俺には耐えられなかった。

 学校に帰っても、ご飯を食べていても、放課後になっても、真央先輩がいない。

 

 おかしくなってしまいそうだ。だから、俺は自らおかしくなることにした。

 

 真央先輩がそこにいると仮定して、空想の話し相手にする。

 一人部屋だった俺は、一人で会話のふりをしても誰かに怪訝な目で見られることがなかった。

 

 イメージが固まってくると、そのうち俺自身がそれを信じるようになった。

 

 ああ、なんて愚かな、なんていう葛藤もなくなった。

 

 嘘は、俺の中で真実になってしまった。

 

 

 ◇

 

 

「つまり、私はただ、痛いのが好きだから戦っていた。自分が気持ち良くなりたいから戦っていた。でも、そのせいで私なんかとは比べ物にならないほど立派な人だったお姉様が死んでしまった。これが私の過ち。もっと愚かな行い」

「……」

 

 語り終え、一呼吸つく。いつの間にか、涙は止まっていた。

 優香ちゃんは、真剣な表情のままで俺を見つめていた。

 

「それでも、私は生きなければならない。お姉様がそう願ったから。たとえ価値がなかったとしても、私は生き続ける。痛みに喜ぶというどうしようもない性格をかかえて」

 

 俺の言葉を聞いた優香ちゃんは、しかし失望するような態度を見せることもなく、凛とした声で俺に問いかけてきた。

 

「どうして燐火先輩は、そんなに自分の価値を低く見ているんですか? 私が見るに、あなたの自己嫌悪は、きっと大事なお姉様を死なせてしまった以前から存在していたことなんですよね」

 

 その言葉に、俺は久しぶりに前世のことを思い出した。男だった頃。どうしようもない俺ができてしまった原点だ。

 

「……ああ。かつて私は、両親に望まれたように生きることができなかった。……些細なことだったけどね。ただ、医者だった父とは違って私の頭の出来は良くなかった。それだけだよ」

 

 それは、天塚燐火としての記憶ではなく、俺の生まれの記憶だ。

 

「勉強。入学試験。それらをこなす才能が私にはなかった。よくなじられたよ。どうしてお前はそんなに出来が悪いのか。欠陥品って言われていた」

「そんな……」

 

 多分あの人たちにとっては、子どもとは自らの優秀さを示すアクセサリーだったのだ。親と同じ優秀な道を行き、両親の教えが正しかったことを証明する。そのために生を受け、そして失敗した。

 

「両親の提示する価値になれなかった私は、全てを放棄して自室に籠った。死ぬことばかり考えて、結局死にそこなった」

「……」

 

 あの時、俺は確かに足場を蹴飛ばして首を吊ったはずだった。しかし目が覚めたらこの体になっていた。

 喜びはあった。大好きな美少女の体になって、価値ある人間になって、やり直せるんだって思った。

 でも、真央先輩を死なせてしまったことで実感した。ああ、結局俺は、元のダメで価値のない人間だったのだ、と。

 

「人を救う医者になれなかった私は、間接的に人を殺した。あの時私が死んでいたなら、真央先輩が死ぬことはなかったのに」

 

 私の代わりに真央先輩が死ぬなんて、価値が全く釣り合っていない。

 悔いても悔いても、真央先輩は帰ってこない。俺の命を捧げて彼女が帰ってくるのなら、喜んで捧げるのに。

 しかし、優香ちゃんは俺の言葉を聞いて尚諦めなかった。

 

「……あなたのお姉様は、そうやって苦しくなるほどに悩むことを望みながら亡くなったのですか?」

「……え?」

 

 思わぬ言葉を言われて、俺の思考が止まった。

 優香ちゃんが畳みかけてくる。

 

「桜ヶ丘真央先輩に、私は会ったことがありません。でも、先輩方は皆彼女のことを尊敬していたようでした。強くて、優しくて、周囲を明るくしてしまう、太陽みたいな人。そんな人が、燐火先輩が自分を責めることを望んでいたとは思えません! 先輩は今、桜ヶ丘先輩の望みを裏切っているのではないです!?」

 

 優香ちゃんの言葉に、己の何か深いところが揺さぶられる。

 真央先輩は、きっと俺が懊悩することを望まない。それは俺が目を逸らし続けていた事実だった。

 でも、認められない。

 

「──それは、真央先輩が私のことを何も知らなかったからだ! 自己満足のために戦っていることや、心配されていい気になっていること、価値がない人間であることを告げる前に逝ってしまった! 今の私を見たら、真央先輩でさえも失望するに決まっている!」

 

 吐く息が荒い。自分の感情をコントロールできない。

 

「いいえ、今の燐火先輩に価値がないなんてことはありません。だってあなたは、失ってしまったものよりも多くを救っています。エース、なんて呼ばれてもまだ、自分には価値がないと思うのですか?」

「そんなの……たまたま力があっただけだ! 何度でも言うけど、私が力を振るうのは自分のためだ! 救った命があったとしても自分のため! 自分が尊敬されて気持ち良くなりたいだけだ!」

 

 興奮している自分に気づき、呼吸を整える。ああ、お姉様を名乗っておきながらこんな体たらく。やっぱり俺は、真央先輩みたいに素晴らしい人間にはなれないみたいだ。

 

「ダメなんだよ私は……今更どれだけ『魔の者共』を倒したって関係ない。真央先輩はもう死んでしまった。こんな私はさっさと死んだほうが良かったんだ」

 

 ああ、なんておぞましい独り言だろうか。己の弱いところをひたすら垂れ流して、自己満足している。こんな姿、誰にも見られたくなかった。

 

 けれど、優香ちゃんはまた一歩踏み出してきた。

 

「──じゃあ、私が先輩を肯定します」

「……え?」

 

 顔を上げる。優香ちゃんの顔には、強い意志が籠っていた。

 

「たとえ愚かでも、弱くても、価値がないと思っていても、私があなたを肯定して認めます。あなたは、私の唯一無二のお姉様です」

「どう、して……」

 

 どうして、こんな俺を見てもなお手を差し伸べてくるのか。もう既に俺の愚かさは曝け出した後なのに。

 

「そんなの、決まってます。今まで過ごしてきた中で、先輩は私のお姉様にたる人物と確信しました。だから、誰が何を言おうと私は肯定します」

「でも、さっき言ったように私の本心は……」

「誰にでも欠点の一つくらいあるし、それで失敗ぐらいします。先輩は自己肯定感が低すぎて重く見すぎてるんじゃないですか?」

「ちがうっ! だって、真央先輩が死んで……」

「……桜ヶ丘先輩は、あなたのせいにするために死んだんですか。あなたに自分を責めて欲しくて死んだんですか?」

「……違う」

 

 それは絶対に違う。真央先輩はそんなこと思わない。

 

「じゃあ、前を向いてもいいと思います。先輩には、前を向く権利があります」

「……」

 

 ああ、そうか。

 

「……優香ちゃん。私は、ずっと真央先輩の死に囚われ続けていた」

「はい。先輩は、真摯に向き合いすぎたんだと思います」

 

 ああ、過去に囚われた気持ちが、少しだけ解放された気がする。

 

「──そうだね。私はもう、真央先輩の言葉に縛られて生きることを止めるよ」

「先輩……!」

 

 ああ、そうだ。俺を庇って死んだ真央先輩は確かに俺に生きて欲しいと願った。

 でも、俺はもう過去に囚われなくていいんだ。

 

 気分が晴れる。薄暗い曇天の空に陽光が一条差したような、新しい救いを見つけたような気分だった。

 

「ありがとう。優香ちゃん。君みたいに素敵な人にそこまで言ってもらえて、私は幸せだよ」

「そ、そこまで言わなくても……」

 

 赤面する優香ちゃんの様子が微笑ましいい。

 

 そうだ。もういない真央先輩のために生きるのは止めよう。先輩はそんなこと願っていなかった。

 

 私が生きるのは、私を救ってくれた義妹のために。──そして、そのために死ぬのだ。

 

 ありがとう優香ちゃん。俺の新しい目的ができた。

 

 俺は、君のために死にたい。

 




当初想定していた一章部分はこれで終了です
ここまでありがとうございました


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一等星と狂犬と聖女
生まれ変わった燐火


第二章です


 淵上高校の乙女たちにとっては死活問題だ。なにせ、俺たちは『魔の者共』と戦うために長時間屋外で戦わなければならない。お肌のシミなど、年頃の乙女にとって許せるものではないのだ。

 

 暑さのせいか、放課後になっても生徒たちはなかなか教室から出ようとしなかった。冷房の効いた教室から暑い廊下に出るのは、それだけで気が重いのだろう。

 一年生の教室でもそれは同様らしく、放課後の教室には多くの生徒が残っていた。

 

「ゆうかー、あついよー」

「か、果林ちゃん……暑いなら離れてよ……余計暑いよ……」

 

 優香ちゃんの幼馴染、小野寺果林が、優香ちゃんにじゃれついていた。頭部をぐりぐりと優香ちゃんの胸に押し付けている。まるで犬みたいだ。

 あつい、と口にしながらも、優香ちゃんもまんざらでもない様子だ。

 

 その様子を眺めながら、俺は特に躊躇いなしに一年生の教室に侵入した。一部の生徒が俺に気づいて驚いたような顔を見せるが、無視する。

 俺は目の前の幼馴染をどうしたらいいか分からずまごついている優香ちゃんに後ろから近付いた。

 

「優香ちゃん、私も暑い」

 

 ひし、と優香ちゃんの後ろから抱きつく。彼女の制汗剤の匂いが鼻をくすぐった。

 

「ええー、もっと暑いよー……って燐火先輩!?」

 

 びくん、と体を震わせた優香ちゃんが振り返る。

 

「うん、優香ちゃんのおねーさまだよ」

 

 彼女の背中に頭をぐりぐりと押し付けながら、俺は答える。いい匂いだ。

 

「ちょっと、先輩そんなキャラじゃなかったじゃないですか! 離れてください! 皆に凄い目で見られてますって!」

「優香ちゃん、私がいるのに他の女に目を向けるなんて、悪い子だね」

 

 咎めるように、ぐりぐりと頭を押し付ける。

 

「天塚先輩が陥落してる!? 優香、いったい何をしたの!」

 

 小野寺果林が凄い表情で優香ちゃんを問い詰めている。まるで浮気してきた夫を問い詰める妻のようだ。

 

「べ、別に何もしてないよ。ただいっぱいお話して、お互いのことを深く知ったっていうか」

「優香ちゃんは私の全てを受け入れてくれた。私たちは本当の義姉妹になった」

「ええ!? ……それってまさか……まさか!」

 

 愕然とした表情で、小野寺果林は固まってしまった。まるで、大切なものを気づかないうちに誰かに奪われてしまったような顔だ。

 

「小野寺さんの想像通り、私たちはお互いに全てを詳らかにした。夜通し語り合って以来、知らないことはない」

「わあ、わあああああああああ!」

「むぐ……」

 

 優香ちゃんの柔らかい手のひらが俺の口を塞いだ。

 

「どうして燐火先輩は毎回誤解されるような言葉を選ぶんですか! 普通に話をしただけです!」

 

 口を塞ぐ優香ちゃんの手をそっとどかして、俺は言葉を紡ぐ。

 

「でも、優香ちゃんは私の全てを受け入れてくれた。ありのままの、裸の私を」

「だからっ! 言葉選びに悪意があるんですって!」

「はだかの……はだかのわたし……ゆうかもはだか……」

 

 小野寺さんが焦点の合わない瞳でブツブツ呟いている。KO寸前といったところか。

 

「もう! ふざけすぎです! 私だって怒ることくらいあるんですからね!」

 

 優香ちゃんが怒る……怒る……蔑み……お仕置き……うおおおお! なんだそれ、見たいぞ! 

 

「へえ、じゃあ優香ちゃんはどうするの?」

 

 興奮のままに、俺は優香ちゃんの顎を掴み、ぐいと顔を近づけた。

 みるみるうちに優香ちゃんの顔が真っ赤に染まる。熟れたトマトみたいな顔色は、初々しさを感じさせる。

 

「それは……その……口をきいてあげません」

「……」

 

 ……ちがうっ! そういうのじゃない! もっとあるじゃん! 

 蔑みの目で見るとか、罵倒するとか、ビンタするとか、腹パンするとか、鞭打ちするとか、首絞めるとか、色々あるじゃん! 

 

「まあ、分かったよ。冗談だよ冗談。小野寺さんも安心して」

 

 落胆を隠して、俺は呼びかけた。優香ちゃんの本気で怒ったところ、一回くらい見てみたかったんだけどな。絶対普段とのギャップで凄く良い感じになると思うんだよな。

 

 俺の言葉でようやく揶揄われたことに気づいた小野寺さんは、安堵のため息を吐いた。

 

「なんだ……はあ、天塚先輩も冗談とか言うんですね」

「燐火先輩の冗談は分かりづらいからね……」

 

 あはは、と笑う優香ちゃん。

 

「そう、私の冗談は分かりづらい。……優香ちゃん、大好きだよ」

 

 声音を変えて、優香ちゃんに想いを伝える。表情は真剣に、目は真っ直ぐに彼女を捉えたまま。

 

「その、それも冗談なんですよね?」

 

 優香ちゃんが赤面しながらも、確認してくる。

 俺は、できるだけ優雅に微笑みながら、答えを返した。

 

「もちろん、本気だよ?」

 

 君のために死にたいと思う程度には、俺は本気だ。

 優香ちゃんが黙って顔を逸らす。

 

 あ、小野寺さんの表情が死んだ。目がグルグルしているし、口はぱっくり開いたままだ。

 まるで意中の人が目の前で取られた瞬間みたいな顔をしている。最高だ。ご飯三杯はいけるね。

 

 一年生の教室を出て、優香ちゃんと二人で廊下を歩く。今日は二人で一緒に鍛錬をする日だ。現在、俺と優香ちゃんは週に4日程度は一緒に鍛錬に励んでいた。

 

「それじゃ優香ちゃん、今日も暑いけど頑張ろうか」

「はい。……その、燐火先輩はあんなセリフ言っても冷静な顔ですね」

 

 そう言う優香ちゃんは、少しだけ顔が赤い。さっきの俺の告白でも思い出したのだろうか。

 

「優香ちゃんには私のもっとも醜いところを教えた。今更恥ずかしいことなんてない」

 

 あれ以上に隠すべきことなど、他にないだろう。

 

「醜い……先日のお話のことですよね。その、よく分からなかったのですが、先輩の『痛いのが好き』ってどういうことなんですか?」

 

 純粋な瞳で、優香ちゃんが問いかけてくる。

 ……なんだろう。優香ちゃんみたいに優しい子に説明するのは凄く気が引けるな。こう、白地の布に墨汁を垂らすような背徳感がある。

 

 そうだ、分かりやすい説明方法があった。

 

「こういうのが好きってこと」

 

 俺は小太刀を抜き出すと、己の左腕に勢い良く刺した。刃は深々と突き刺さり、二の腕のあたりから、鮮血が噴き出す。

 

「なっ……なにやってるんですか!?」

 

 痛み。それと同時に、快楽物質が俺の脳内を支配した。

 

「これで私は幸せ。こういうのがマゾヒスト」

「いやっ、限度があります! 普通の人はこんなことしません!」

「私は自分に価値がないと思っている。傷ついて当然」

「ッ……『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」

 

 何か言いかけた優香ちゃんは、しかし先に治癒魔法を使った。

 それを見た俺は、言いようのない幸福感に包まれた。ああ、俺は痛みを感じられて、優香ちゃんは俺を心配してくれている。最高じゃないか。

 

「ごめんね優香ちゃん。無駄に力を使わせて」

「そんなことどうでもいいです! 燐火先輩は私に謝る前に自分を大切にしてください!」

「でも優香ちゃん、私は醜いから、今優香ちゃんに心配されていることを喜んでいる。価値のない己が認められている気がして、安心している」

「そんなこと……そんなこと、当たり前です」

 

 ああ、優香ちゃんはまだ俺のことを良く分かっていないみたいだな。でも、詳しく説明するのも難しい。

 

「だから、優香ちゃんが心を痛める必要なんてないよ」

 

 とりあえず、伝えるべきことを伝える。

 

「燐火先輩」

 

 優香ちゃんの声は、ひどく冷たかった。その顔には、どこか怒りのようなものが見える。

 ああ、ようやく理解して、俺のことを軽蔑したかな。諦観と共に、そんな風に推測する。

 

 しかし、優香ちゃんの行動は俺の予想を大きく外れた。

 

「まだ分かっていないみたいなのでハッキリ言いますが、私はあなたが大好きです」

「えっ!?」

 

 不意に伝えられた言葉。真剣な表情には、冗談の気配なんて少しもない。

 おかしい。頬が暑い。胸がドキドキする。痛みを感じた時とはまた違う、温かみを伴う鼓動だった。

 

「クールでかっこいいところ。ちょっと不器用なところ。冷たく見えるけど、気配りを欠かさないところ。意外とお茶目で冗談が好きなところ。全部好きです」

「ゆ、優香ちゃん! 急にどうしたの!?」

 

 声が上擦る。優香ちゃんを直視できない。

 

「先輩は自分のことを嫌いかもしれませんが、私は先輩のことが大好きです。だから、先輩が傷ついたら嫌ですし、心配します。先輩が痛いのが好きとか、関係ないです」

 

 優香ちゃんの様子は、常の少し自信なさげな態度とは大きく異なっていた。己の言葉を少しも恥じることなく、ただ真っ直ぐに俺の目を見据えている。

 

「それでも先輩は、まだ痛いのがいいって言いますか?」

 

 問いかける彼女は、けれど俺の答えを悟っているようだった。

 

「……ごめん」

 

 今更やめられない。変われない。それが俺の答えだった。

 

「そうですか……なら」

 

 優香ちゃんの瞳に妖しい光が灯る。

 

「──私が、先輩を痛くしてあげます」

 

 優香ちゃんの細い腕が、静かに俺の首に触れた。首を包み込むように添えられた手は、ひんやりと冷たい。

 優香ちゃんの目が爛々と輝く。その目は、真っ直ぐに俺を見つめていた。

 

 

 ──ヤバい。何もできない。おかしくなってしまいそうだ。

 夏美に絞め殺されかけた時にも、こんなに興奮しなかった。

 吐く息が荒い。頭が沸騰しそうだ。薄っすらと涙が出てくる。心臓がバクバクと五月蠅い。

 

「──私を、殺してくれるの?」

 

 優香ちゃんのために死にたい。その願いがこんな形で叶うのなら、これほど嬉しいことはない。

 

 けれど、優香ちゃんは俺の言葉に大きく目を開いた。すると、それまで彼女が纏っていた冷たい雰囲気は消え去った。

 優香ちゃんは、静かに腕を下ろした。

 

「やっぱり先輩は……いえ、すいません。悪ふざけが過ぎました」

 

 優香ちゃんは肩を落としているようだった。

 

「先にランニングの準備してます。変なこと言ってすいませんでした」

 

 黙って去っていく優香ちゃん。彼女を見送った俺は、その場で先ほどの出来事を思い返していた。

 

 優香ちゃんのドS姿、たまんねえええええ! 

 

 まさか彼女があんな素質を持っていたとは。正直涎が垂れていないか心配だった。

 何よりも良かったのは、あの目だ。こちらを冷たく見据える瞳。たとえ俺をあの場で殺そうとも、なんとも思わないだろう、というほどの冷徹さが窺えた。

 それに、体全体で纏っていた空気が、独特の威圧感を醸し出していた。それは、逆らう気力すらなくしてしまうほどの圧力だった。

 

 すごかったなあ。彼女の手の感覚を振り返るように、己の首に手を当てる。

 

「おっと、まだ昼間だ。後で部屋でたっぷり振り返ろう」

 

 とりあえず、優香ちゃんとの鍛錬に集中しよう。俺は何度か深呼吸して興奮を少し抑えると、スキップしてしまいそうな気分で優香ちゃんの後を追った。

 



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策略の兆し

「優香ちゃん、今日の敵は数が多い。一緒に行動しよう」

「はい。そういう先輩も、出すぎないでくださいよ?」

「状況によるね」

 

 正直、気持ち良くなれそうだったら自分を抑えられる自信がない。

 

 今日の大穴からの侵攻は、夜だった。

 夜闇に乗じて現れたのは、ゾンビの大群だった。夜闇に浮かぶ歩く死体の姿は、言いようのない恐怖をそそる。

 

 いつになくホラーチックな光景に、背後に控える戦乙女たちにも怯えの感情が感じ取れる。

 

「ああいうのは映画だけで十分だと思わない?」

「はい。腐臭がここまで漂ってきています。臭いですね……」

 

 優香ちゃんは少し顔を顰めて鼻を抑えた。

 ……なんだろう、その表情いいな。

 うおおお! 俺も優香ちゃんに臭いって言われたい! 顔を顰めながら嫌悪丸出しにしてほしいぞ! 

 

 ワクワクする心が顔に出ないように努力しながら、俺は言葉を紡ぐ。

 

「優香ちゃん。私はどんな匂い?」

「え? そうですねえ……冷たいようで優しい匂いがします。夜空から私たちを見守ってくれる三日月みたいです」

「……そ、そっか」

 

 意外と好意的な反応が返ってきて普通に照れてしまった。少しだけ顔を逸らす。

 

「星みたい、と言われることはあるけど、月に例えられたのは初めてだな」

「そうですか? 先輩の良く言われる一等星、っていう比喩は、独りで生きていけそう、みたいな意味も籠められていそうですね」

 

 夜空に煌々と輝く一等星。月とは違い自ら光を発する恒星であるそれは、陽光がなくてもキラキラと輝く。

 

「でも、月っていうのは私も自分に似合うと思っている。月は、太陽の輝きがないとすぐに夜闇に紛れてしまうから」

 

 空を見上げる。今日の夜空には月は出ていなかった。きっと、太陽の光が地球に遮られているのだろう。

 

「私には、太陽が必要だよ」

 

 

 夜闇に紛れてゾンビが歩く。ズルズル、と足を引きずっている彼らは、極めて醜い恰好だった。ボロボロの衣服。腐った皮。目玉すらゴロリと落ちてしまいそうな腐食具合だ。

 

「まるでパニック映画のワンシーンだね」

「はい。いつもの『魔の者共』も怖いですが、今日は特に怖いです。……皆、大丈夫かな」

 

 戦乙女は、数年前までただの女の子だった普通の少女たちだ。痛いのは嫌だし、怖いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だろう。

 

 だから、俺みたいな異端者がやらなければ。

 

「優香ちゃん、今日は固まって動こう。それから、今日は優香ちゃんの攻撃魔法も有効だと思うから、その準備もしておいてね」

「そうなんですか?」

「アンデッドには聖女の魔法が効く。ファンタジーのお約束でしょ?」

 

 少し冗談めかして言ってから、俺は『魔の者共』を迎え撃つべく走り出した。

 

 

「はああああ!」

 

 ゾンビの大群に斬り込んだ俺を迎えたのは、無数の腕だった。光に集る羽虫の如く迫って来たそれを、俺は片っ端から斬り捨てた。

 

「ウウウ……」

 

 右腕を失った女。左手の取れた男。右足を無くした少女。しかしそれら動く屍はまるで痛みを感じていないように俺へと迫ってくる。

 

「……困ったな。攻撃を食らえば押し倒されて一巻の終わりだ」

 

 別に死ぬのはいいが、できれば優香ちゃんの顔が良く見えるように死にたい。優しい優香ちゃんは、きっと俺の死を悲しんでくれるだろう。ああ、考えていただけで興奮してきたなあ。

 

 気合を入れて、加速する。切り口はより鋭く。足さばきが洗練され、敵の動きが止まって見える。

 ひとつ、ふたつ、と深く斬ってやると、動かなくなる個体が現れる。生命力に優れるゾンビたちだが、無敵というわけではないようだ。

 

「『ホーリーレイ』!」

 

 優香ちゃんの凛とした声が後ろからすると、光線が夜闇を切り裂いた。直撃したゾンビは、死体を残すことすらなく、その場から消え去った。

 

「ほ、本当に効いた……!」

 

 魔法を放った優香ちゃんは自分で驚くような声をあげると、続けて詠唱を始めた。

 今夜の優香ちゃんは、積極的に攻撃に出るのが良さそうだ。

 

「さて、妹が頑張ってるんだから、私はもっと頑張らないとなあ」

 

「ウウウ……!」

 

 緩慢な動きだったゾンビたちが、突如として動きを変えた。フラフラと宙を彷徨っていた視線が俺に突き刺さる。ただ本能のままに人間を襲っていた先ほどまでとは違う。

 

「……なにかいつもと違うな」

 

 強いて言えば、意思を感じる。本能のままに襲ってくる『魔の者共』からは絶対に感じない何か。

 

「ウウウウウ!」

 

 ゾンビが、走った。先ほどまでの緩慢な動きからは一転、不気味な走行姿勢の奴らは俺に向かって走ってくる。

 

「それもパニック映画の定番だよな……映画の危機感を煽る演出だ。──でも、変態とシリアスは相性悪いんだよなあ!」

 

 走る化け物たちに、向かって行く。早速、ゾンビの手が俺の腕を掴んだ。途端、二の腕におぞましい感覚が走った。まるで、皮膚が溶けているような感覚。

 

「は、ははは! ドエムに死角なし! そういうのも受け付けてるぞ!」

 

 しかし、俺にとってそれは手を止める理由にはならない。

 自らの腕を引きよせると、ゾンビの体がよろめき俺に倒れ込んでくる。途端に強くなる腐臭。しかし俺は、空いている手で小太刀を振るうと、腐り切った体を斬り捨てた。

 

 動きを止めた死体を乱暴に蹴り飛ばして、次に備える。

 

「ウウウゥ……」

 

 ゾンビの群れは途切れることなく俺を襲っていた。

 

「まだまだ! 後ろに好きな人を背負う乙女の力を思い知れ!」

 

 嚙みついてきたゾンビの顎を、あえて肩を突き出して受け止める。

 

「がっ……」

 

 これが映画のワンシーンであれば、きっと俺は今頃歩く屍の仲間入りだっただろう。

 

 しかし、これは現実。奴らはただ、人類を滅ぼさんとする敵。ただのモンスターだ。

 

「フンッ!」

 

 俺の肩に嚙みついて離れないゾンビの腹部に、小太刀を突き刺す。

 苦し気なうめき声を上げながら崩れ落ちるのを一瞥すると、俺は前を向いた。

 

 

「ウウウウウ!」

 

 意味のない言葉をあげるゾンビたち。俺は疾走するそれらの間を縫うように走ると、素早く斬りつけていった。

 

「フッ……フッ……! 手ごたえがないな!」

 

 斬りつけるたびにうめき声をあげ倒れていくゾンビたち。

 最初に相対した時には嫌な予感がしたものだが、実際戦ってみると大したことはない。

 

 正面から駆け寄って来た男の喉仏を切り裂く。背後から迫って来た子どものゾンビは、一突きで吹き飛ばす。攻撃の隙をつこうと低い体勢で突っ込んできた男は、腹を蹴り上げてから落ちてきた体を串刺しにする。

 

 快調だ。優香ちゃんも魔法を放ち確実に敵の数を減らしている。俺たちの少し後ろで戦っている他の戦乙女たちも落ち着いて対処している。

 

 しかし、俺はふと手を止めることになる。まるで、自らの心臓が止まってしまったような衝撃を受けたからだ。

 

「真央、先輩……?」

 

 ゾンビの一体に目が留まる。淵上高校の制服、明るそうな顔立ち。胸に空いた大穴。

 体が腐ってもなお、面影のある好きな人。

 

「ッ!」

 

 手が止まる。息が詰まる。

 

 動きを止めた俺に、ゾンビたちが殺到した。

 

「がっ……」

 

 地面に押し倒されると、這いつくばった俺に覆いかぶさるようにしてゾンビが襲い掛かってくる。

 腐臭と共に訪れる痛み。普段なら、その状況に快楽すら覚えていたことだろう。

 しかし、今の俺は真央先輩によく似た死体に気を取られて、それどころではなかった。

 

「燐火先輩!? 燐火先輩!」

 

 優香ちゃんの声が聞こえる。しかし俺の心は、真央先輩に似た死体に取り憑かれていた。

 

「真央先輩……私を、恨んでいるんですか?」

 

 そんなはずはない。真央先輩は、死の間際まで俺のことを気遣ってくれる優しい人だった。

 胸中ではそう思いながらも、もしかしたら、という想いが離れない。

 

「真央先輩、あなたが私を殺してくれるのですか?」

 

 ゾンビの群れから、真っ白な腕が突き出してきて、俺の首を掴む。懐かしい感覚に、俺はそれが真央先輩の腕であると確信した。

 

「カハッ……」

 

 ああ、やっぱり首を絞められる感覚は一番好きだ。もっとも高揚していた瞬間、自殺した瞬間のことを思い出せる。

 

「ああ……」

 

 こんなに幸せな死にざまがあるだろうか。大好きな人に、殺してもらえる。ああ、今まで価値のない生を続けていたかいがあった。

 意識が朦朧としていく。視界が真っ黒になっていく。

 

「──燐火先輩!」

 

 遠くから、誰かの声がした気がした。けれど俺にとっては、目の前の幸福のほうが大事だった。

 

「──!」

 

 息が苦しくなってくると、次第にその声も聞こえなくなっていく。

 まるで深海のような静けさ。それとは裏腹に鼓動は早くなっていく。体は生命活動を維持せんと呼吸を求めるが、気道を抑える真央先輩の手がそれを許さない。

 

「かっ、はっ」

 

 涙が浮かぶ、それが苦痛によって湧き出た生理的なものだったのか、歓喜によるものだったのか自分でも分からなかった。

 

 幸福の頂点のままに生を終わらせようとしていたその時、俺の耳に優香ちゃんの言葉が飛び込んできた。

 

「──私のために生きてください、お姉様!」

 

 ──ああ、そうだった。

 俺は、優香ちゃんのために死ぬのだった。

 

「はな、れろおおおおおおお!」

 

 弛緩していた体に力を籠める。既に十分興奮しているので、『心身合一』はフル稼働だ。

 

「ウウウウウ……」

 

 俺の体に覆いかぶさっていたゾンビたちが吹き飛ぶ。

 

「燐火先輩!」

「ありがとう優香ちゃん。目が覚めた」

 

 そうだ。過去には囚われない。懐かしむことはあっても、枷になってはいけない。

 

 向き合う。その先には、真央先輩によく似たゾンビ。

 でも、よく見れば分かる。こんなの、全然お姉様じゃない。

 

「……さようなら」

 

 胸に一突き。崩れ落ちた屍を一瞥して、俺は次の敵へと駆け出した。

 

 

 ◇

 

 

「ふむ! なるほどなるほど。最愛の人に良く似た死体程度では、あの化け物は止められませんか」

 

『魔の者共』が這い出る場所、大穴の底では、一人の悪魔が上機嫌に独り言をつぶやいていた。

 人類の誰も到達できていない深淵、大穴の底にはどこまでも暗闇が広がっている。暗がりからは時々唸り声のようなものが聞こえてきて、侵攻を控えた『魔の者共』が待機していることが分かる。

 

「邪悪な試みが、麗しい姉妹愛の前に敗れる。なるほど。これが人間の言う『テンプレート』というやつなのでしょうな。……反吐が出る」

 

 言葉を話す『魔の者共』は、世界で三体しか確認されていない。しかしそのどれもが凄まじい力を持っていると報告されていて、未だに討伐記録は残されていない。それら壊滅的な強さを持つ化け物たちは、『破滅級』と呼ばれ、完全に自由にしてしまえば国一つ滅ぶとすら言われている。

 

 世界で二度目に確認された『破滅級』、喜悦の悪魔は大穴の底で戦闘状況を分析していた。目線の先には、水晶玉が存在していた。

 その中に映るのは、ゾンビの群れを凄まじい勢いで殲滅している天塚燐火の姿だった。

 

「他の有象無象はともかく、あれは危険ですね。一体どんな祝福を受けたらあんな強さになるのやら」

 

 悪魔は左腕を顎に持ってきて思案する。もう片方の右腕は存在しない。右腕は、半年前に桜ヶ丘真央に吹き飛ばされて以来再生していない。

 喜悦の悪魔の力をもってすれば、片腕の再生程度容易いはずだった。しかし、『燦燦たる太陽』の最期の一撃は、単なる外傷にとどまらない傷を与えていた。

 

「……計画の次の段階を進めますか」

 

 喜悦の悪魔の強みは、他の『魔の者共』と違い人間の感情が分かることだ。人間を弄ぶ存在と言い伝えられた悪魔だからこそ、そのような力を得た。

 

「心を惑わすことこそが私の特技──あんな分かりやすいトラウマを抱えた小娘、容易くへし折ってみせましょう」

 

 



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背負ったもの

 真央先輩のもとで、夏美と一緒に切磋琢磨していた時のことは、たまに思い出す。

 あの頃の夏美は、俺に突っかかってくることも多かったが、その瞳の奥には俺への信頼のようなものがあったように感じる。

 

 だから俺は、その信頼を裏切ったことをいつまでも忘れてはならないだろう。

 

 

 六月の雨が、ざあざあと降っていた。俺と夏美は、学校の玄関で呆然とそれを眺めていた。今日の合同鍛錬は中止、と先ほど真央先輩から連絡のあったところだ。真央先輩を待っていた俺たち二人は、突然手持ち無沙汰になってここに佇んでいる、というわけだ。

 

「夏美。今日も眉間に皺寄ってるね」

「放っておけ。そういうお前は、相変わらずの無表情だな」

 

 二人の間を取り持つように巧みに会話を回している真央先輩がいないと、元々口数の多い方ではない俺たちの間にはあまり会話は生まれなかった。

 でも、それでいいと思った。目の前では、地面を穿つ雨音。沈黙を取り持つように音を鳴らす雨が、ひどく心地よかった。

 

「夏美は、さ」

「ああ」

 

 心地よい雨音の間を縫うように、俺は言葉を紡ぐ。

 

「真央先輩のことが大好きなんだよね」

「ッ……ゴホッゴホッ……ああ、好きだが」

 

 突然の言葉に動揺した夏美が顔を逸らす。その頬はわずかに赤い。

 

「じゃあ、私は邪魔? 真央先輩と二人っきりになれないから嫌い?」

 

 きっと肯定されると思った。でも、肯定してくれれば俺も諦めが付くと思った。価値のない俺と、実直な夏美。どちらが真央先輩にふさわしいのか、なんてハッキリしていたからだ。

 でも。

 

「いいや。真央先輩はきっと、私もお前もいる方が幸せだと思う。だから、お前がいてもいい。……いや、いた方がいい」

「……」

 

 意外だった。きっと夏美は、俺の事が嫌いだと思っていたからだ。

 

「夏美は、本当に真央先輩のことを考えているんだね」

「お前だって大して変わらないだろ」

 

 違うよ。俺は俺のために生きているどうしようもない人間だ。

 俺は、夏美の期待しているような人間じゃないんだ。──真央先輩が死んだ日、夏美はそのことを悟ったのだろう。

 

 

 ◇

 

 

「燐火先輩、今日の放課後、屋上にきて下さい」

 

 朝登校すると、先に登校していた優香ちゃんにそんなことを言われた。いつもは俺が彼女を待ち伏せしている(一緒に来る優香ちゃんの幼馴染には威嚇するように睨まれる)ので、意表を突かれた形だ。

 

「何か用があるの? 今聞いてもいいけど」

「いいえ。その、先輩に会って欲しい人がいまして」

「それは随分珍しい話だね」

 

 優香ちゃんがそんなこと言ってるの聞いたの、初めてだ。また彼女の新しい顔が見れたかもしれない、と少し嬉しくなる。

 

 

 いつも通りに授業をボーッとしながらうけ、放課後は屋上へ。すると俺は、思ってもみない人物と遭遇した。

 

「夏美……」

「燐火」

 

 硬い表情で優香ちゃんの隣に立っていたのは、かつて同じ義姉を仰いだ黒崎夏美だった。

 

「優香ちゃん、夏美と話をするなら私はここにいない方がいい」

 

 足を扉の方へと向ける。きっと優香ちゃんは何か勘違いしているのだろう、と思った。

 でも、優香ちゃんは引き下がらなかった。

 

「待ってください! 今日は、燐火先輩に黒崎先輩と話し合って欲しくて来てもらったんです!」

「え……?」

 

 見れば、夏美はその言葉を驚きもせずに聞いていた。どうやら彼女はそれを了承しているらしい。

 その事実に、俺は何よりも驚いた。夏美が俺と向き合って話をしようとするなんて、考えてもみなかった。

 夏美が口を開く。その瞳は、真っ直ぐに俺を捉えていた。

 

「燐火。私とお前は、ずっとあの日のことから逃げ続けていた」

「それ、は……」

 

 夏美にその事実を突きつけられて、俺は息が詰まった。確かに、俺はずっと真央先輩の死から逃げ続けていた。彼女が死んでないと思い込み、想像上の彼女と会話すらしていた。

 

「燐火……お前のそんなに動揺する姿、初めて見たな」

 

 夏美が不器用に笑う。

 

「でも、私は向き合うと決めた。お前はどうだ、燐火」

「……夏美がそう言うのなら」

 

 けれど、自信はない。他ならぬ夏美と腹を割って話すことを、俺はこれ以上なく恐れていた。

 そんなことを考えていると、ふと優香ちゃんの顔が目に入った。

 

「燐火先輩、黒崎先輩にもう一度歩み寄ってみてください」

「──そんなの、ゆるされていいはずがない」

 

 言葉は、俺の口から自然と出たようだった。

 

「え?」

「ゆるされていいはずがない。だって夏美は、大切なものを失った」

 

 俺にとって真央先輩が太陽だったように、夏美にとっても彼女は大好きなお姉様だったはずだ。その想いは、ひょっとしたら俺以上だったかもしれない。

 けれど、優香ちゃんはあくまで優しい表情で俺に語り掛けてきた。

 

「……燐火先輩は、いつも難しく考えすぎだと思います」

「難しく……?」

「はい。ただ、黒崎先輩は燐火先輩を赦すタイミングを探していて、燐火先輩は黒崎先輩に負い目を感じている。それだけなんですから、ちゃんと話し合えばいいだけだと思います」

 

 夏美の顔を見ると、彼女はただ静かに頷いているだけだった。どうやら、彼女も同意見らしい。

 どういう事情なのか知らないが、二人は十分話し合った上でこの場に臨んでいるみたいだ。

 

 夏美の鋭い目が俺を捉える。懐かしい、睨むような目。下級生にはよく勘違いされている目だ。

 けれどその中には、俺を責めるような色はなかった。

 

「燐火。私はかつて、お前を殺そうとした」

 

 黙って頷く。

 

「……あれは、私が間違っていた。お前の言葉を真に受けて、冷静さを欠いた。もっとお前の話を聞くべきだった」

「──それは、違う!」

 

 声が荒れる。今の夏美の言葉は、俺にとって看過することができなかった。

 

「あの時、私は真央先輩を殺した! 私のせいだ!」

「それでも、私にそれを咎める資格などなかった……! 私とて、お姉様を守れなかった一人なのだから!」

「ッ!」

 

 夏美の顔は、後悔に満ちていた。その表情に、俺はひどく衝撃を受ける。

 ああ、夏美もまた、真央先輩の死に責任を感じていたのだ。

 もっと自分が強かったら、真央先輩に頼ってもらえたら、あんなことにならなかったのに。そんな想いを抱えながら、今日まで生きてきた。

 結局、俺と同じだったのだ。

 

「夏美……あの時は、怒らせるようなこと言ってごめん」

 

 半年以上出てこなかった謝罪の言葉は、存外すんなりと出てきた。

 

「私も冷静ではなかった。お前が誰よりもお姉様の死を悲しんでいることくらい、分かったはずなのにな」

 

 力なく笑う夏美。いつの間にか、目の険は取れていた。

 

「でもね、夏美。私があの時言ったことは、嘘じゃない。自己満足のために戦っているのは本当」

 

 これだけは、はっきりと伝えなければ。

 

「ふん、それは真実で、そしてお前が皆に傷ついて欲しくないのも真実だ。違うか?」

「……いいや、違うとは言えない」

 

 皆が傷つくのは、気持ち良くない。彼女らには、俺が傷つく様を見て顔を曇らせるくらいの小さな不幸が似合う。それを優しさと言えるのかなんて分からないけど。

 でも、夏美は俺の内心を見抜いているような顔をしていた。

 

「なら、それで十分だろ。それなら、私からこれ以上言うことはない。……もとの関係に戻ろう。いい加減、お前をゆるさないのも疲れたんだ」

「そんなに……そんなにあっさりとゆるされていいものなの?」

「自分の義妹にも言われていただろう。お前は難しく考えすぎる。──いいんだよ。お前だけがお姉様の死を背負わなくて」

「夏美……」

 

 ああ、君のそんな不器用な笑み、初めて見たな。常にしかめっ面で、真央先輩の前でだけ輝くような笑みを見せていた彼女は、初めて俺に本当の笑顔を見せてくれた気がした。

 

「ありがとう」

 

 礼を述べる。不器用に唇を上げて、夏美に歩み寄る。

 

 ──未だに胸の奥に巣食う罪悪感を覆い隠しながら。

 

 ああ夏美。あなたは本当に優しい人だ。

 

 でも、俺は真央先輩の死を背負わずにはいられない。たとえ君がゆるしてくれても、だ。

 



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危険な転校生

 うだるような暑さにも、いい加減慣れてきた頃だ。九月の頭の頃、優香は幼馴染である果林と一緒に廊下を歩いていた。今日は燐火との合同鍛錬もなし。一日フリーの日だ。

 

 寮までの道を、果林と優香の二人が歩く。

 久しぶりに幼馴染と二人っきりの時間を確保できたことに少し浮かれていた果林は、優香に最近仕入れた噂話について語っていた。

 

「転校生?」

「うん。皆噂してるよ。なんかドイツから凄い人が来るって。たしか、『エルナ・フェッセル』って言ったっけ」

「へえ、海外からなんて珍しいね」

 

 国家防衛の要である戦乙女が渡航することなどほとんどない。多くの国において、戦乙女は厳重に管理されている。国によっては、軟禁に近い状態におかれている戦乙女もいるくらいだ。

 

「噂によると、実力はあるけど協調性に難があって、そのせいでこっちに追い出されてきたんだって。……なんだかどっかのエース様に似ているね」

「あっはは……果林ちゃんは燐火先輩にあたりが強いね」

「だって! 優香と知らないうちにどんどん仲良くなってるんだもん! 私の方が先に仲良かったのに!」

 

 果林は頬を膨らませてみせた。優香はそれを受けて、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 

「それでその、ドイツから来たフェッセルさんは『ここで一番強い奴と決闘したい』って言ってるんだって。だから、そう遠くないうちに天塚先輩とぶつかることになるかもね」

「随分血の気の多い人なんだね……」

 

 そんなセリフ、漫画の中の不良くらいしか言わないと思っていた、と優香は呆れる。

 しかし自らの義姉の名前を挙げられては自分も無関係とは言えないだろう。頭の片隅くらいには置いておこう、と彼女は考えていた。

 

 この時まで、優香にとって転校生の噂は他人事のようなものだった。

 

「おい」

 

 話をしている二人の前に、一人の生徒が立ちふさがった。

 

「ッ!」

 

 その姿を見た瞬間、優香は思わず息を飲んだ。

 

 見事な金髪の女生徒が、少し上から優香たちを見下ろしていた。堂々たる立ち姿。ウェーブのかかった髪。キッと吊り上がった碧眼には威圧感がある。腕組みをしているので、豊満な胸部がいっそう強調されている。

 

「光井優香はお前か」

「え? はい、そうですけど……」

 

 困惑しながら返答する優香。

 

「天塚燐火を呼べ。私と決闘させろ」

 

 あまりにも唐突な物言いに、優香は何と返せばいいのか分からなくなってしまった。

 

「きゅ、急に失礼じゃないですか? あなた、転校してきたっていうフェッセルさんですよね!?」

 

 困惑する優香に代わって声をあげたのは、果林だった。

 

「優香だって困ってるじゃないですか! それに、急に来て天塚先輩と戦わせろって……手順ってものがあるでしょ、手順ってものが!」

 

 金髪の生徒、エルナ・フェッセルは、話している果林を上から睨みつけた。その瞬間、果林は言いようのない恐怖に襲われた。例えるなら、腹をすかせた猛獣がこちらを見ているような、そんな根源的な恐怖だ。

 

 果林の体が小刻みに震える。『魔の者共』との命懸けの戦いを最前線で経験してきた果林をもってしても、目の前の少女の殺気は耐え難いものだった。

 

「あ、あの。燐火先輩を呼びつけて一体どうしたいんですか? 決闘、なんて言ってましたけど、それをやったら燐火先輩が何か得をするんですか?」

「……ほう」

 

 果林が怯んでしまった威圧的な瞳に対して、優香は毅然と自らの意見を口にしていた。それを見たエルナが、獰猛な笑みを浮かべる。

 

「その胆力に免じて答えよう。私と戦うことで、どっちが最強なのかハッキリさせることができる。ここで一番上の奴か誰なのか分からなくては、有象無象が誰に従えばいいか混乱するだろう」

「皆のことを有象無象なんて呼ぶ人に、誰も従わないと思いますけどね」

 

 反論されて尚、金髪の女生徒の獰猛な笑みはまったく揺るがなかった。

 

「いいや、従う。人は、命の危機に瀕した時には絶対的強者に縋りたくなるものだ」

 

 ああ、この人は、燐火先輩とは似て非なる人だ。優香は直感した。

 どちらとも強くて、確固たる己を持っている。

 けれど、その根底に優しさがあるか否か、そこが決定的な差異だ。

 

 金髪の女生徒には、冷たさしかない。

 

「それで、お前には天塚燐火を呼ぶ気があるのか、ないのか。どっちなんだ」

「会わせるのは結構ですが、少し待ってください。私と燐火先輩にも、予定というものがあります」

「──ダメだ」

 

 突然、どん、という音がした。やや遅れて、優香はエルナが拳銃を持っていることに気づいた。オートマチック、黒塗りのそれは、戦乙女の武器だろう。

 

 銃痕は、優香の足元。銃口からは薄っすら煙が出ていた。

 

「ッ!」

 

 事態に気づいた瞬間、優香と果林は己の得物を構えていた。果林は槍の穂先をエルナに向け、優香は杖を手に取る。

 

「いい反応だ。しかし、私とやり合うのは少々役不足ではないか?」

 

 にやりと笑い、二丁の拳銃を構える金髪の女生徒。片手に一丁ずつ構えられた銃口は、真っ直ぐに優香たちの頭に向いている。

 しかし、果林は銃口にも全く怯むことはなかった。

 

「いいこと教えてあげますよ、外国人さん。日本語の『役不足』は、元々『楽勝だ』って意味ですよ!」

 

 果林が勢いよく飛び出す。会話していた時と同じ間合いであれば、果林の槍の方が早い。踏み出す足と同時に、穂先が太もものあたりを狙う。

 

「ふんっ……甘いな!」

 

 弾丸が飛ぶ。一瞬で銃口の向きを変えたエルナの放った銃弾は、果林の腕を捉えた。

 

「ツゥ……」

「ははは! いい顔だ! もっと見せろ!」

 

 先ほどまでの冷静な様子から一転、昂った様子で叫ぶエルナ。どうやら彼女は、人を傷つけることがひどく好きなようだった。

 

「果林ちゃん! 『癒しの光よ、彼の者に安寧を──キュア』」

 

 しかし、優香の杖から光が飛び出すと、果林の腕にできた傷口を一瞬で治した。

 

「優香……ありがとう!」

「ほう……これは凄まじい力だな」

 

 優香の治癒魔法を見たエルナは、目を見開いた。優香の人を瞬時に回復させる力は、世界的に見ても珍しいものだった。

 エルナが何かを思いついたような顔をする。彼女は、敵対する二人を前に断言した。

 

「決めたぞ。天塚燐火が私よりも弱かったら、お前を私のシュヴェスターにしよう」

「シュヴェスター?」

「貴様らは義姉妹、と呼んでいたものだ。戦場において共に行動する、姉妹に似た固い結束を持つペアのことだ」

「そ、そんなの勝手に決めないでください!」

 

 それは、燐火とだけ結んだ大事な関係だ。優香は、大事なものを奪おうとする目の前の女に動揺した。

 しかしエルナは、あくまで余裕の表情で答えた。

 

「お前のように優れた者は強い者のために力を振るうべきだ。そうすれば死ぬ人間を減らすことができる」

「ッ!」

 

 咄嗟に言い返す言葉が浮かばなかった優香は、少し黙った。

 しかし代わりに、槍を構えた果林が声をあげた。

 

「それで、あんたは本当に天塚先輩よりも強いわけ!?」

「試してみるがいい」

 

 果林の体が舞う。彼女の動きは、既に優香が初めて見た時よりもずっと洗練されていた。果林とて、天塚燐火や黒崎夏美には及ばずとも、強くなるために努力してきたのだ。

 

 基礎トレーニング。武器の扱い方。実戦経験。黒崎夏美のチームにつきメキメキと頭角を現している彼女は、次世代のエース候補とすら持ち上げられることすらあった。

 

「はあああああ!」

 

 果林の槍が飛び出す。切っ先は一瞬で目標へ。弾丸の如き勢いは、生半可な防御では防ぎきれないだろう。

 その一撃は、少しでも近接戦闘に覚えのある戦乙女なら見事、と称するだろう会心の一撃だ。

 しかし、相手が悪かった。

 

 間合いのうちまで迫ってくるのをただ見ていたエルナは、そこで初めて動きを見せた。

 

「ふっ」

 

 槍の動きをギリギリまで見極めていたエルナは、最小限の動きで突きを避けると、左手の拳銃を果林の腹にめり込ませた。

 

「ぐふっ!?」

 

 遅れて、射撃音。果林の体が、軽々と吹き飛ばされた。

 

「果林ちゃん!」

 

 弾は貫通していないらしい。(戦乙女の武器は、通常の物理法則で動く武器とは異なる。例えば銃弾の威力を調整する力を持つ戦乙女も珍しくない)

 

「ごほっ……」

 

 果林は腹部を抑えてうずくまってしまった。優香は治癒魔法をかけたが、果林はなかなか立ち上がれずにいた。

 

 優香の治癒魔法は瞬時に傷を癒すが、痛みまで消すわけではない。強烈な一撃をもらえば、回復しても戦闘不能になる、ということも珍しくない。

 ──回復されればどんな傷を受けていても戦えるのは、ドMの変態くらいのものだ。

 

 果林が倒れ込んでいる様子を見て、エルナが凄惨な笑みを浮かべた。

 傷つけることそれ自体が目的であるかのような表情に、優香はうすら寒いものを覚える。

 

「くっ……」

 

 果林が脱落し、一人になった優香が杖を自分の体の前に構える。その構えは、燐火との鍛錬の成果から隙のないものになっていた。

 

「ほう……ただ強き者に守られるだけかと思えば、案外戦えそうだな」

 

 しかし、悠然と近づいてくるエルナは、それ以上に隙のない立ち姿だった。二丁の拳銃は優香にピタリと合わされているが、発砲する気配はない。むしろ、優香が近づいてくるのを待っているようだった。

 エルナの身から湧き出る暴力的な香りが、優香の精神を蝕む。それは、意思なき化け物である『魔の者共』と戦っている時には決して感じることのできない代物だった。

 

「……ッ!」

 

 睨み合いに先に痺れを切らしたのは優香だった。あるいは、エルナの雰囲気に圧倒された、と言ってもいいかもしれない。

 杖を真っ直ぐにエルナに向け、詠唱する。

 

「『ホーリーレイ』!」

 

 杖から飛び出した光線は、エルナの打ち出す弾丸にも近い速度だった。しかし、目線と杖の向きから軌道を読んでいたエルナは、横に逸れることでそれを回避すると、一瞬で優香に肉薄した。

 優香の杖が動くよりも早く、エルナの拳銃が優香の腹部に押し込まれた。ちょうど、先ほど果林が倒された時と同じような構図だった。

 

「まずっ……!」

「沈め」

 

 射撃音。途端、優香の腹部に凄まじい痛みが走った。槍にでも貫かれたような痛みに、優香はその場に倒れ込んだ。

 

「ぐ……」

 

 呼吸が苦しい。腹部の違和感に頭がボーっとする。

 ああ、燐火先輩はいつもこんな痛みを抱えながら戦っていたのだろうか。優香は朦朧とする意識でそんなことを考えた。

 

「……ほう、いい顔をするな」

 

 エルナは倒れ込んだ優香に近づいていくと、その顎をぐいと持ち上げ、優香の顔を観察し始めた。

 

「回復術者。もっと苦しそうな顔をしろ。私は貴様らが苦しむ顔こそみたいのだ。悶えろ。懊悩しろ。絶望し、床に額を擦りつけろ。──ああそうだ。どうせ治せるのならもう少しやってもいいか」

 

 乾いた銃声。それは優香の手のひらを貫いた。

 

「あ、ああああ!」

 

 優香が痛みに絶叫すると、エルナは恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「ああ、いいぞ! そうだ! その表情だ! もっと見せろ!」

 

 再びの銃声。それは優香の太ももを貫いた。

 

「うっ……あああああ!」

「はっ……アッハッハッハ! そうだ! 泣け、喚け、私の力に怯え跪けええええ!」

 

 高笑いするエルナの頬は真っ赤だった。その目には薄っすら涙すら浮かんでいて、彼女の興奮具合が見える。──エルナ・フェッセルは、どうしようもないほどのサディストだった。

 

「これで力の差は分かっただろう? お前は、私のものだ」

 

 エルナが優香の髪を乱暴に掴む。優香のうめき声に、エルナは高揚感に浸っていた。

 ああ、これこそ自分の求めていたものだ、と彼女は一人ごちる。己の力を存分に振るい、他人を従える。これ以上の幸福がこの世にあるだろうか。

 

 

 しかし、彼女の時間は突如として終わりを告げる。

 

「私の義妹から離れろ、転校生」

 

 底冷えするような声が、その場に響いた。憤怒と殺気の混ざった、凄まじい迫力のある声だった。

 同時に飛来した小太刀が、エルナの頬を掠めた。

 しかし最初から攻撃されたことを分かっていたように悠然と振り替えったエルナは、堂々と闖入者に問いかけた。

 

「お前が、天塚燐火だな」

 

 いつになく冷たい表情をした燐火が、そこに立っていた。

 



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ドSとドMが出会う時、決闘が始まる

「燐火先輩……」

 

 地面に倒れ込んだ優香ちゃんが、俺の名前を呼んでいる。しかしその声は震えている。体には多くの傷跡。

 見るだけで怒りがふつふつと湧いて来た。優香ちゃんはこんな目に遭っていい子じゃない。

 さらに近くには、もう一人の戦乙女がうずくまっている。どちらも、この危険な目をした転校生がやったのだろう。

 

「エルナ・フェッセル。お前の蛮行の報い、その身に教えてやる」

 

 小太刀を構える。一本は投擲したので、手元には一本だけ、けれど、それで十分だ。身の内にある怒りを目の前の女に叩きつけるのに不足はない。

 

「ハハッ! それは素晴らしい! しかし、そんな貴様に一つ提案があるぞ」

「聞きたくもない。黙れ」

「いいや、私にもお前にも得のある話だ。──三日後、衆人環視の中で私とお前で決闘をするのはどうだ? 有象無象どもに、どちらが上なのかハッキリと見せつけてやるのだ。敗者には屈辱を、勝者には栄誉を与える素晴らしい提案だと思うのだが、どうだ?」

 

 エルナの話に、俺は少し黙った。

 確かに、今ここでコイツをぶちのめすよりも力の差をハッキリさせる方が効果的かもしれない。今後もこういったことがないように釘を差すことができる。

 

 そしてなによりも。

 ──敗者には屈辱を、か……興奮するな。

 

 皆が見守っている中で突然現れた転校生に敗北を喫す俺……アリだな。おお、なんか想像しただけで興奮してきた。

 というか、エルナの言葉の端々に嗜虐心のようなものを感じる。

 ……もしやコイツ、ドSなんじゃないか? 俺のドMアンテナが激しく反応している。だとしたら、まずい。俺の性癖を抑えられる自信がない。

 

 努めて冷静な顔を作って、俺は転校生と会話をする。

 

「いいだろう。ただし、お前が負けたら今度校内で一切暴力沙汰を起こさないことを約束しろ」

「構わん。それでは、貴様が負けたらそこで這いつくばる回復術者を手放せ」

「……なに?」

 

 優香ちゃんを手放す? それは、聞き逃せないな。

 

「あの能力は素晴らしい。人類のために、最も強い者の後ろにいるべきだ。貴様もそう思ったから、あれと義姉妹の契りを結んだのだろう?」

「……否定はしない。しかし、お前の優香ちゃんの自由意志を認めないような物言いは気に食わない」

 

 コイツは、まるで義姉妹のことを奴隷か何かだと思っているようだった。

 

「ハッ! 自由意志! 戦場と化した世界において、己の意思を突き通せるのは強者のみだ。弱者に許されるのは、強者に守られるか死ぬかのどちらかのみだ」

「そんな自分勝手な理屈を振り回していたから国に見捨てられたんじゃないか?」

 

 俺の言葉を聞いた途端、エルナの目に激しい怒りが籠った。

 

「国が私のことを認めなかったのは、あいつらが馬鹿だからだ! 連携連携と口うるさく弱者の理論を振りかざし、私の献身を認めようとしなかった! この国ではそんなこと言わせない。最強と言われるお前を打ちのめして、私が正しいと証明してやる」

 

 激しい憤りの籠った言葉を聞いていた俺は、なんとなく彼女のことが分かってきたような気がした。

 彼女にとって、信頼できるのは強さだけなのだ。人との信頼関係や、友情、愛情のような一切が信じられない。そのありようは、あまりにも痛々しくて──

 

「哀れだな」

 

 思わず口をついて出た言葉に、エルナは凄まじい表情になった。メラメラと燃える激情の炎を内包した瞳が、俺を睨む。

 

「貴様……貴様も私を憐れむのか? ──許さん」

 

 言葉に籠る激しい熱。彼女にとって、憐れみの感情を向けられることは何よりも許容できないことのようだった。

 

「三日後に力の差をハッキリと見せつけてやる。血塗れでこうべを垂れる貴様に謝罪の言葉を言わせてやる」

 

 背後を向き、その場を去ろうとするエルナ。

 しかし、俺は最後に言葉を投げかけた。

 

「エルナ・フェッセル」

「なんだ、まだ用か──」

 

 駆け出す。振り返ったエルナに肉薄し、小太刀を一突き。切っ先は、エルナの太ももを軽く抉った。真っ赤な血が噴き出し、エルナの顔が歪む。

 

「グッ……」

「決闘前に、義妹の痛みを少しでも返しておく」

 

 三日も復讐を待てるほど、俺は大人ではないのだ。俺が傷つくのは構わないが、優香ちゃんが傷ついたのは許容できなかった。

 

「次はこうはいかんぞ」

「知っている」

 

 それ以上何かを言うことはなく、エルナは少し足を引きずりながらその場を去った。

 

 

 

 

 転校してきて数日で暴力沙汰を起こしたという『狂犬(フェアリクターフンド)』エルナ・フェッセルと淵上高校の誇る最強の戦乙女、『血みどろ一等星(ブラッディエース)』天塚燐火が決闘する、という情報は瞬く間に学校中を駆け巡った。

 

 人同士で戦う、などという蛮行に眉をひそめる者もいたが、多くの戦乙女は決闘を楽しむことにしたようだ。

 なにせ、戦場を縦横無尽に駆け回る天塚燐火の本気が見られるかもしれないのだ。苛烈で華麗な彼女の戦う姿は、実情を知らない戦乙女たちにとって憧れの的なのだ。

 

 

 

 

 決闘の舞台に選ばれた場所、淵上高校の体育館には、既に多くの生徒たちが集っていた。淵上高校の体育館は特別性で、戦乙女の身体能力で暴れまわっても簡単には壊れないようにできている。

 だだっ広い一階の空間をぐるりと取り囲むようにして作られた二階デッキには、多くの生徒が集っていた。

 ぐるりと輪を描き下を見下ろす生徒の中央には、堂々たる立ち姿をしたエルナ・フェッセルの姿があった。

 

 一見なんでもないように立っているが、その姿には一切の隙が見えない。

 きっと、彼女を取り囲む生徒に突然襲われても何とかしてみせるだろうという威圧感があった。

 

「待ったかな、『狂犬(フェアリクターフンド)』さん」

 

 『狂犬』とは、エルナがドイツにいた頃に呼ばれていた二つ名だ。獣の如き勇ましさから、そういった名前をつけられたらしい。

 

「ああ、待ちくたびれたぜ。さっさと最強の看板を明け渡して欲しいものだね」

 

 エルナのもとに歩いて来たのは、二本の刀を鞘に納めた戦乙女、天塚燐火だ。いつも無表情で感情の読みづらい彼女だが、今日の様子は少し違った。

 観衆は、それを敏感に感じ取っていた。端的に言えば、無表情の中に怒りのようなものを感じ取れたのだ。

 

 事情通の生徒は、その様子にやはりか、と頷いた。

 そもそも天塚燐火が決闘することになったのは、大切な義妹を傷つけられたからだ、というのは情報収集に勤しむ生徒なら知っていることだった。

 

 孤独に戦っていたエースが、唯一傍にいることを許した戦乙女、光井優香。

 星を落とした女、などと冗談めかして語られる彼女が、天塚燐火に殊更に大事にされていることは淵上高校にいる生徒ならほとんど知っていることだ。

 

 そんな彼女が害されて、天塚燐火は怒っている。そういった外野の予想は、概ね当たっていた。

 

 常ならば怒りなどまず見せない燐火だが、優香を傷つけられたことには人並みに腹を立てていた。エルナにはきっちり落とし前をつけさせてやる、と思っている。

 

 けれど、威圧感の正体はそれだけではなかった。

 

 ──彼女は、サディストと合法的に戦えることに興奮していたのだ。

 

 ヤバい、エルナの怒った目が俺を見ている。ああ、早く俺のことを痛めつけてくれないか!? メス豚と詰ってくれないかなあ!? 

 

 その情熱は外へと漏れ出し、前のめりな姿勢はエルナへの怒りだと解釈された。

 それも当然だろう。燐火の凛とした表情には、邪念や下心など一切見受けられない。ひそかにドキドキしながら痛めつけられるのを待っている女には、全く見えなかった。

 

 一番近くで見てきた優香でさえも、『燐火先輩気合入ってるな……』くらいにしか思っていなかった。

 

「随分と情熱的じゃないか、エース様。そんなに私が憎いか?」

「まさか。多少怒ったりはしたが、憎むなんてとんでもないよ」

「チッ……相変わらずいけ好かない奴だ」

 

 むしろ憎んでほしいのはこっちだ、と燐火は思った。憎しみの目でこちらを睨みつけながら、頬でもビンタしてほしい。そしてお前は阿呆だと罵って欲しい。

 今日の彼女の頭は、ずっとお花畑のままだった。

 

 

 燐火が、エルナから十歩程度離れたところで立ち止まる。その途端、おしゃべりをしよう、という雰囲気は一瞬で消え去った。

 それは、嵐の前の静けさによく似ていた。

 

 エルナは静かに二丁拳銃を胸のあたりまで持ち上げる。隙のない構え。銃口は真っ直ぐに相手に向いている。

 今の彼女なら、飛んでいる羽虫すらも撃ち落すのではないかと思わせた。

 

 対する燐火がゆっくりと抜刀する。二本の刀をだらんとぶら下げて、目線だけエルナに向ける。ただならぬ雰囲気の姿は、日本一有名な剣豪を彷彿とさせた。

 

 沈黙。オーディエンスすらも、ただならぬ緊張感に押し黙った。

 誰かが唾を飲む。息をすることすら憚れるような静けさが、体育館を支配した。

 

 

 ──決闘の開始を告げたのは、エルナの罵声だった。

 

「いくぞマゾ豚ああああああ!」

「フヒッ!?」

 

 燐火の情けない声は、鳴り響く銃声に掻き消された。

 



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需要と供給

 最初に放たれた弾丸を辛うじて躱した燐火は、自分の心臓が激しく鼓動していることに気づいた。

 

 マゾ豚って……マゾ豚って呼んでもらえた! うわあああ、どうしよう。ありがとう、と土下座すればいいのか!? それともブヒッて鳴けばいいのか!? 

 

 

 頭の中は暴走状態だったが、体は冷静な行動を取り始める。それは、数多の修羅場を乗り越えた燐火だからこそできたことだった。

 相手は銃器。接近しなければ勝ち目はない。身を低くし前進する燐火に、エルナは引き金を連続で引く。

 

 しかし燐火は、目にも止まらぬ速さで両手を振るうと迫り来る銃弾を全て打ち落としてしまった。

 

「おおお!」

 

 ギャラリーから歓声が上がる。銃弾を剣で撃ち落とすなんて芸当、普通の戦乙女には無理だ。せいぜいが身を翻し回避する程度だろう。

 

「チッ……マゾ豚のくせによくやるじゃないか」

 

 燐火が再び目を輝かせたことに、エルナは全く気付いていなかった。

 

 相手のことを罵倒するのは、エルナが戦う時の癖のようなものだった。

 エルナの『特徴』である『嗜虐の獣』は、エルナの嗜虐心が昂れば昂るほどに力が強まる。これは、エルナ生来のサディスティックな気質に極めて合致していた。

 相手が『魔の者共』であろうと戦乙女であろうと、エルナが傷つけることが好きなことに変わりはない。

 

 ──そういう関わり方以外、エルナは知らないのだから。

 

 弾を撃ち終えたエルナが、右手の拳銃のマガジンを交換する。マガジンは、エルナの手の中にどこからともなく現れていた。桜ヶ丘真央の尽きない矢に似た現象だ。

 

 空いている左手の拳銃は、変わらず燐火に攻撃を加えていた。隙を見せない構えに、燐火は接近するタイミングを見失っていた。

 

「防いでばっかじゃねえか! そんなに防御が好きか!? まさか、本当にマゾなのか!?」

 

 まったくもってその通りだった。しかし、ギャラリーがそのことに気づいた様子はない。燐火の目はキラキラと輝いていたが、ハイレベルな激しい攻防に目を奪われた戦乙女たちは、それどころではなかった。

 

 金属音と発砲音が重なり合う。エルナは絶え間なく引き金を引き続けていたが、一度として燐火の体を捉えることができなかった。銃器と刀という本来戦いにもならないはずの二つの武器は、この場において拮抗状態を演出していた。

 

 しかし、弾丸を弾き続けていると燐火はある異変に気づいた。

 

 弾が、さっきより速くなっている……? 

 

 銃弾の速度が変わるなど、普通の銃ならあり得ない現象だった。しかし、戦乙女の武器なら十分にあり得る。

 優香の魔法の飛び出す杖のように、戦乙女の武器は現代科学でも説明できない現象を引き起こす。

 

 燐火の感覚に狂いはなかった。エルナの気持ちが昂れば昂るほどに、弾丸の速度は上がり続けていた。エルナが嗜虐的な笑みを深める。彼女のサディスティックな欲望が加速していく。

 

 やがてそれは、燐火の対応力を超えはじめた。

 

「クッ……」

 

 燐火の肩口から血が噴き出した。ギャラリーからは、悲鳴とも歓声ともつかぬ声が上がる。

 

 そしてエルナは、目の前の女を傷つけられたことに誰よりも興奮していた。

 ああ、あの強そうな雰囲気を纏った女が、自分の弾丸に苦痛の表情を浮かべている! なんという征服感! なんという幸福か! エルナはこの瞬間、世界に生まれたことを感謝していた。

 

 一方の燐火もまた、激しく興奮していた。

 ああ、目の前の女が、自分の傷つく様に激しく昂っている。野獣の如く目を輝かせ、息を荒げ、豪雨の如く弾丸をばら撒いている。

 燐火はこの瞬間、ここで死んでもいいかもしれないと思っていた。それほどに、彼女は今幸せだった。

 

 鉛玉が飛ぶ。燐火の小太刀がそれを弾く。重苦しい発砲音と、甲高い金属音が混ざり合う。繰り広げられる攻防があまりにも早くて、ギャラリーは目で追うことで精一杯だった。

 燐火は持てる力全てを使って刀を振るっていた。しかし、一つ、二つ、と防御を掻い潜る弾があった。それは燐火の頬を掠め、太ももを抉り、脇腹を貫通した。

 

「ハッハッハハハハハハ! まだまだ! 簡単に死なせてなどやらないぞ!」

「……ッ」

 

 燐火の吐く息が乱れる。四肢を穿った弾丸の痕から、血が噴き出る。少しずつ、彼女の体を穿つ鉛玉は増えていた。四つの傷が、八つに。十六に。弾丸の加速に、燐火の動きが追いつけなくなりつつあった。

 

 燐火の『心身合一』は、正しく効果を発揮していた。今の燐火は、普通に『魔の者共』と戦っている時よりも興奮している。そのため普段よりも身体能力が高くなっているはずだった。しかし、エルナの『嗜虐の獣』は、それ以上の効果を発揮していた。

 

 エルナにとって最も傷つけたい相手とは、自分が負けることなど想像もしていなそうな傲慢な奴だ。

 弱者をいたぶるよりも強者を上から征服することが好みの彼女にとって、燐火は理想の相手だった。

 

 引き金を引きながら、エルナは燐火についての情報を集めていた時のことを思い出していた。突然現れた転校生に困惑しながらも、彼女たちが教えてくれたのだ。

 

「天塚先輩は、皆の憧れです!」

「『血みどろ一等星(ブラッディエース)』? ああ、怖い人だね。……でも、戦場では一番頼りになる、かな。だって、いつも先頭に立っているからね」 

 

 ──なんて、妬ましい。強くて、それでいて認められている。まるで、自分が欲しかったもの全部持ってるみたいじゃないか。

 自分は、強さを得れば得るほど人が離れていったというのに。

 

「はじけろおおおおお!」

 

 鉛玉が、ついに燐火の体の芯を捉える。腹部の衝撃に燐火がうめき、動きを止める。そこを狙い打った弾は、燐火の頭を掠めて彼女の脳を揺らした。

 

「かっ……」

 

 鮮血で顔を濡らした燐火がたたらを踏む。好機と見たエルナは、己の有利な距離を捨てた。一瞬で肉薄すると、隙だらけの燐火の前でくるりと回る。見事な金髪がふわりと舞ったかと思うと、強烈な回し蹴りを燐火の側頭部に叩き込んだ。

 

「あああっ!」

 

 ごつ、という痛々しい音。あまりに強烈な一撃に、一部のギャラリーは燐火の身を心配した。また一部の戦乙女は、「それでも、あの『血みどろ一等星(ブラッディエース)』なら」と彼女が再び立ち上がることを期待した。

 

 そして燐火本人は、ぐわんぐわんと頭が揺れる気持ちの悪い感覚に、激しい興奮を覚えていた。

 

 すごい……! 戦乙女の本気で蹴られたのは初めてだ……! 

 

 がんがんと痛みを訴えかける頭はもちろんのこと、何よりも燐火が気に入ったのは、エルナの獣のような形相だった。まるで、親の仇でも殺すかのような態度は、燐火を徹底的に痛めつけてやろうという意思を感じた。

 

 バランスを崩し、地面を這いつくばり、感じた痛みと蔑みの目を存分に堪能する。チカチカする視界の端に、ゆっくりと近づいてくるエルナの姿を確認した燐火は、更なる妙案を思いついた。

 

 ──このまま観衆の前で無様に敗北すれば、最高の屈辱を感じることができるのではないか……? 

 

 そんな燐火の考えが伝わったかのように、エルナは燐火の方へとゆっくりと近づいてくると、燐火の頭を踏みつけた。

 

「あ……」

 

 燐火の全身に、感じたことのないような多幸感が溢れだした。頭を踏みつけるということ自体の征服された感覚。髪が土足に踏みつけられるという屈辱感。

 

「どうした、もうおしまいか? 最強の看板を下ろす準備はできたのか?」

 

 もとより、ここで最強であることにさほどこだわりはない。むしろ燐火の考え方としては、最強の戦乙女とは今も昔も桜ヶ丘真央のことで、自分にはその称号は畏れおおいくらいだった。

 

 エルナは、心から失望した、という目で燐火のことを見下ろしていた。まるで自分のこれまでの人生全てを否定されているかのような冷たい目に、燐火の心臓はバクバクと激しい音を立てていた。

 

「なんとか言ったらどうなんだ!?」

 

 エルナが引き金を引く。銃弾は、燐火の腹を激しく叩いた。

 

「ぁ……」

 

 貫通せず、腹にずっしりとめり込んだ弾丸に、燐火が息を止める。頭が真っ白になる。

 酸欠は、燐火にとって最も好きな痛みだ。意識が遠のく感じ。息苦しさ。何よりも、かつての燐火が首を吊った時の多幸感を思い出すことができる。

 

 燐火にとって、自殺した瞬間とは絶望のどん底にあるものではない。あの瞬間は、ただ終われることへの喜びでいっぱいだった。

 

「は、ははは……アッハハハハハハ!」

 

 抵抗しない燐火を見たエルナは、タガが外れたように笑い始めた。

 

「そうか! お前は最強の看板が要らないか! なら、代わりに私がもらってやろう」

 

 連射する。乾いた銃声が鳴るたび、地面に転がる燐火が小さく身じろぎをした。血は出ていない。しかし、燐火の体は痛みに苦しむように小刻みに痙攣していた。

 

 ギャラリーが沈黙する。ひょっとしたらエルナは燐火を殺すのではないか。そういう懸念を持った戦乙女も少なくなったが、エルナのあまりにも恐ろしい様子に誰も動けなかった。

 

 ──しかし、群衆の中に混ざって戦いを見守っていた優香は居ても立っても居られなかった。息を吞む群衆を搔き分け、最前列に立った彼女は大声で叫んだ。

 

「何やってるんですか! 私の大好きなお姉様を見せてくださいっ!」

 

 虚ろな目をしていた燐火の雰囲気が、一転した。



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少女の叫び

 時は少し遡る。

 

 銃声が連続する。戦いは、いつの間にか一方的なものになっていた。

 

 エルナの攻撃が身を撃ち、激しい痛みを与えてくる。燐火は、できることなら鉛玉にキスでもしたい気分だった。

 

 観衆の前で、完膚なきまでに叩き伏せられる。それは、前世の燐火が好きなシチュエーションの一つだった。紙面の上で繰り広げられるその場面に、当時の燐火は「なんて屈辱的なシチュエーションか」と身を震わせたものだ。

 

「ごほっ……」

 

 鳩尾のあたりに弾丸がめり込み、燐火は血を吐いた。それを見たエルナが、一層笑みを深める。残虐で、傲慢で、嗜虐的な笑顔だった。

 

「はっ! もっと顔を見せろ!」

 

 三日前に優香にしていたように、エルナは燐火の短髪を掴んだ。ぐい、と燐火の顔を引き寄せたエルナは、額に銃口をくっつけると、躊躇なく発砲した。

 

「きゃあああ!?」

 

 燐火の後頭部が凄まじい勢いで押し出され、床に激突した。

 殺したのではないか、と思ったギャラリーが悲鳴を上げた。

 しかし弾丸は貫通しておらず、燐火の意識は辛うじて保たれていた。あるいは、エルナが気絶させることを望まなかったか。

 

「そうだ! もっと無様な姿を見せて私を満足させろ!」

「……はは」

 

 くらくらする頭で、燐火はぼんやりと思考をしていた。そうだ。これこそが自分の望んだ世界ではなかったか。目の前には自分を傷つけ、そのことに喜ぶ女。皆が、自分の無様な姿を見ている。

 そうだ。最初から最強の看板なんて、憧れなんて、信頼なんて、いらなかった。だって自分には、元々価値なんてないのだから。ただ蔑まれ、傷つけられ、最後に殺してくれればそれでよかった。

 銃弾は密度を増し、燐火の体を打つ。四肢を貫通する弾。貫通せず、内臓のあたりを打撃する弾丸。エルナは、人を気絶させずに傷つける手管を熟知していた。

 もういいか、と力を緩める。得物を手放そうとする。

 

 

 それでも、今の燐火にはそれを良しとしない人がいた。

 

「──何やってるんですか! 私の大好きなお姉様を見せてください!」

 

 その声は、銃声にも負けずに燐火の耳に届いていた。

 優香が、好きな人が、自分の姿を見たいと言ってくれている。期待されている。こんな自分に、期待してくれている。

 

 ──それは、燐火にとって痛みを感じること以上の幸福だった。

 

「……なんだ?」

 

 引き金を引き続けるエルナが眉をひそめる。

 

 突如として、燐火の雰囲気が一変した。

 躾を大人しく受ける飼い犬のごとき雰囲気から、勇ましい猟犬のような様子に。

 

「ああああああああ!」

 

 吼える。燐火の傷だらけの体に、力が漲る。

 見る者に寒気を覚えさせるような恐ろしい迫力を纏う。戦いを見ていた観客は、その異様な空気に思わず息を呑んだ。相対していたエルナも、本能的な恐怖に脚を一歩引いた。

 

 しかし、エルナが危機感を覚えた頃には、燐火は既に彼女の背後にまわっていた。

 

「──は?」

 

 背後に気配を感じた瞬間、エルナはあり得ない、と思った。正確な射撃で標的を撃ち抜くエルナの動体視力は超人的だ。どんな素早い攻撃だろうと、彼女が相手を見失ったことは一度としてなかった。

 彼女自身、自分の強さは優れた動体視力があるからこそ成り立っているものだという自負があった。

 

 それが、一瞬で破られた。

 

「ッ!」

 

 もはや直感のみを頼りにして、エルナはその場に屈んでいた。わずかに遅れて振るわれた刀が、彼女の金髪を数本切った。

 肝が冷える。自分が恐怖を覚えているという事実に、エルナは驚愕と憤怒を覚えた。

 

「ふ、ふざけるなあああああ!」

 

 怒りのままに銃口を合わせ、指を切る。エルナの力の込め方によって威力の変わる弾丸は、その時過去最速を叩きだしていた。

 しかし、燐火の動きはそれをはるかに超えていた。

 

「……遅い」

 

 もはや弾くだけにとどまらず、彼女の振るう小太刀はエルナの弾丸を()()()()()

 

「がっ!?」

 

 銃弾が、エルナの柔肌を食い破った。足の辺りから出血する。

 エルナは、自分が鉛弾を受けたことなど一度としてなかった。その新鮮で耐え難い痛みに、彼女の思考は一瞬停止してしまった。

 

 今の燐火が、それを見逃すはずがなかった。

 

「おおおおおおお!」

 

 信じられない速度でエルナに肉薄、逆手に持ちかえた小太刀の峰で、胸部を激しく叩いた。

 

「こっ……」

 

 激しい痛みに、エルナが怯む。続けて燐火は、反対側の得物の柄の底、(かしら)でエルナの顎を叩き上げた。

 

「ッ……!」

 

 エルナの脳が激しく揺さぶられる。思考が纏まらない。反撃の手だてを、組み立てられない。

 あるいは、万全の状態のエルナですらも、勝利の糸口すら掴めなかったかもしれない。それほどまでに、今の燐火は圧倒的な強さだった。

 

「おわりだな」

 

 燐火の鋭い目線が、エルナを貫く。見たこともないほど苛烈な攻撃をしてくる彼女の存在感は、相対しているだけで膝をついてしまいそうだった。

 

「ヒッ」

 

 エルナの喉から悲鳴が漏れ出る。彼女自身、その事実に驚愕する。そして彼女のうちから涌き出てきたのは、情けない自分への怒りだった。

 

「ふざ、けるな……!」

 

 やがてそれは、燐火への怒りへと変わった。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるな! なんだその強さは!? 最初は手加減していたとでも言うのか!?」

 

 燐火は何も答えず、ただ静かにエルナを見つめるだけだった。

 

「見下していたのか!? ちっぽけな強さに酔い、お前をいたぶることに浸っていた私を嘲笑していたのか!?」

 

 エルナの言葉には、ともすれば泣き出してしまいそうな切実さがあった。それは、先ほどまでの強気な態度とは全く違って見えた。

 

「お前も私を見下すのか! お前もお前もお前もお前も、最初から私が負けると分かっていたのか!? ここにいるやつは皆皆私を馬鹿にしていたのか!?」

 

 燐火に続いて観客の方を指さして、エルナは叫んだ。強迫的と思える物言いだが、エルナは本当にそう思っているようだった。唾を飛ばしながら、必死に叫ぶ。ギャラリーは、その痛々しいに黙り込んでしまった。

 

「……憐れだね」

 

 やがて響いた燐火の静かな言葉に、エルナは顔を真っ赤にした。

 

「ああああああ!」

 

 もはや、エルナの中にあった畏れはどこかに消えていた。あるのは、憤りのみ。

 

 人に見下されると、思い出すのだ。母にゴミでも見るような目で見られていた時のこと。ことあるごとに兄と比べられ、出来の悪さを嘲笑されたこと。

 ぼろぼろの服しか与えられず、学校で嘲笑われたこと。クラスの皆が自分を見てひそひそと話していたこと。

 

 全部全部、エルナの大嫌いな記憶だ。

 

「死ねえええええええっ!」

 

 掠れた絶叫と共に、銃弾を撃ちだす。数は6。唸りをあげる弾丸が、燐火のもとに殺到する。

 

 迎え撃つ燐火は、静かにエルナの元へと駆け出した。

 弾丸が迫ると、彼女は最小限の動きでそれを回避した。首を傾け、身を翻す。まるで流れる水の如き動きに、鉛玉は翻弄されているようですらあった。

 

「ッ! くるなああああ!」

 

 慟哭と共に最後の一発。燐火の顔に迫ったそれは、姿の搔き消えた燐火を前に、虚しく空を切った。

 また消えた、と思った瞬間には、エルナの目の前には拳を振りかぶった燐火の姿があった。

 

「──い、いやだっ」

 

 暴力を振るわれるのは嫌いだ。幼い頃、母に叩かれたことを思い出すからだ。だからエルナは、他人を見下し、傷つけ、自分を守った。彼女は、そういう方法しか知らなかった。

 

 目を瞑ったエルナの顔面に、燐火の拳が突き刺さった。



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蛇とカエル

「立てるか?」

 

 俺の最後の一撃を食らった後、エルナはピクリとも動かず地べたに横たわっていた。

 ……あれ、もしかしてやりすぎたか? 結構思いっきり殴っちゃったけど、大丈夫かな。

 

「おい、立てるか?」

 

 肩を叩く。すると、エルナはびくりと体を震わせた。おずおずと顔をあげた彼女に手を差しのべる。

 掴んだ手は、思ったよりも小さかった。

 

「……」

「……」

 

 エルナの手を引き、彼女を立たせる。しかしお互いに無言のままだ。

 ……なんか喋ってくれ。こういう時どういう言葉をかければいいのか分からないんだから。

 エルナの表情は、先ほどまでの好戦的な表情とは打って変わってひどく大人しいものだった。それが、俺のリズムを崩していた。

 

「燐火先輩、お疲れ様です。傷、治しますね」

 

 いつの間にか優香ちゃんがすぐそばまで寄ってきていた。詠唱と共に、俺の体を眩い光が包み、気持ち良い痛みを訴えてきていた傷が治っていく。

 そのまますぐにエルナのことも治すのかな、と思ったが、しかし優香ちゃんは真剣な表情でエルナに語りかけた。

 

「もう燐火先輩を、皆を、傷つけようとしませんか?」

 

 コクン、と頷くエルナの様子を見ると、優香ちゃんは再び詠唱を始めた。

 エルナの傷が治っていく。肉体が再生していく様子に、彼女は目を見開いた。

 

「これでお話できますね? じゃあまずは、燐火先輩に謝ってください」

「……どうやって?」

 

 幼子のような言葉だったが、優香はそれに真摯に答えた。

 

「自分の行いで悪かったと思ったことをはっきり口に出して、謝ればいいんです」

「……でも、私はいっぱい傷つけた」

「だからこそ、です」

 

 優香ちゃんは毅然と言い放つと、エルナの瞳を真っ直ぐに見据えた。少しだけ黙ったエルナは、やがて俺に向き直った。

 

「私の勝手な欲望でお前を傷つけてすまなかった」

「……別に、私が負けかけただけだから気にしてない」

 

 優香ちゃんを傷つけたことにはそれなりに怒っているが、俺自身については割とどうでもいい。

 というよりも、むしろ感謝を述べたいくらいだ。あんなに激しくて気持ちの良い責めは初めてだった。できることなら、あと一時間くらいは続けて欲しいくらいだった。

 

 とはいえ今更ドMを告白するのはとても恥ずかしいので、別の言葉を口にした。

 

「私としては、むしろ優香ちゃんと小野寺さんに謝ってほしい」

 

 俺に会わせろ、と言ってエルナが二人に暴力を振るったことを俺は忘れていない。

 

「……相変わらず燐火先輩は他の人のことばっかりですね」

 

 優香ちゃんは呆れたようにそう言っていた。

 けれど、どちらに価値があるかを考えれば、それも自然なことだろう。

 エルナは俺の言葉に静かに頷くと、口を開いた。

 

「光井優香。すまなかった。お前の友人にも、後ほど謝罪しよう」

「はい」

 

 小さく頷いた優香ちゃんに、エルナは、安堵したように胸を撫でおろした。

 

「なんだか、戦う前とだいぶ印象が違うね。ええと、フェッセルさん」

「エルナで構わない」

 

 なんだか調子が狂うな。さっきまではもっと敵愾心に溢れていて、嚙みついてきそうなくらいだった気がするんだが。

 少し俯いたままで、エルナはぼそぼそと話し始めた。

 

「ただ、己の無力を悟っただけだ。私は本国では敵なしだったが、他の国へ行けばもっと凄い奴がいたんだって分かった」

「……いや、でもさっきのは出来過ぎだったくらいだぞ。私がお前に負けかけていたのは本当だったし」

 

 正直なところ、エルナの力は普段の俺の実力を超えていると思った。もう一度戦えば、どちらが勝つか分からないくらいだ。

 

「そういえば、いくら燐火先輩と言えどあんなに素早く動いているところは初めて見ましたね。……なにかまだ力を隠していたんですか?」

「いや、というよりも……」

 

 あの時のことを思い出す。優香ちゃんの声。体に漲った力。

 

「強いて言えば、想いの力というか……」

「おもい?」

 

 きょとんとした顔の優香ちゃんを見ていると、なんだか言おうとしていたことがとても恥ずかしい事に思えてきて、口を閉ざす。

 

 優香ちゃんに──大好きな人に声をかけてもらえただけで強くなれる、なんて本人を前にして口するのは躊躇われた。

 

 先ほどの言葉を誤魔化すように、俺はエルナの方に向き直った。

 

「んんっ……とにかく、さっきのはたまたまだから、そんなに意気消沈しないでくれ。私相手に勝つことにこだわるんじゃなくて、『魔の者共』と戦う時に力を発揮してくれ」

「……」

 

 とってつけたように言うが、エルナは黙ったままだ。

 

「そんなに最強の看板が必要だったのか?」

 

 戦いのさなかの言動から察するに、エルナは戦乙女最強の称号を欲しがっているようだった。

 

「力なきものに権利などない。それが、私がこれまでの人生で得た教訓だ。力さえあれば、自由が許される。好きに戦える。……見下されない。だから私は、最強の戦乙女になる必要があった」

 

 しみじみと、噛み締めるように彼女は言葉を紡いだ。

 察するに、エルナにとっては見下されないことは何よりも優先度の高いことらしかった。被虐趣味者の俺にとっては、あまり理解できない思想だ。

 

 エルナの言葉を聞いた優香ちゃんは、硬い表情で彼女に語り掛けた。

 

「──強いことは、傷つけていいことにはならないと思います。少なくとも燐火先輩は、そんなことしようとしませんでした」

 

 優香ちゃんの瞳は真剣で、本気でそう思っていることがひしひしと伝わって来た。エルナもその言葉に何か感じるものがあったのか、大きく目を見開く。何か重要な事実を悟ったような、そんな衝撃が感じ取れる表情だった。

 

 そして俺は。

 その言葉はとても嬉しいが……

 俺、人の心が傷ついて顔が曇ることを悦ぶ変態野郎なんだよな……。

 いやあ、いたたまれない。二人の真剣な顔を見るのがつらい。

 優香ちゃんの信頼が痛い。ごめんね、こんな奴で……。

 尊敬の念が重い。ごめんね、こんなお姉様で……。

 

 俺が非常に居心地の悪い思いをしているうちに、二人の会話は進んでいた。

 

「それにしても、エルナさんは燐火先輩に随分執着しているように見えました。もしかして、誰かに何か言われたんですか?」

 

 優香ちゃんの鋭い視線に、エルナは少しだけ考えるように黙ると、やがて口を開いた。

 

「茶髪にお下げの生徒に……言われたんだ」

「え?」

「天塚燐火は皆の思っているような良い人じゃない。不利になれば戦乙女を見捨てるクズで、皆を見下してるって。実際、昔の義姉が彼女のせいで亡くなっていると言っていた」

「ッ」

 

 思わぬ言葉を言われて、息が詰まった。そんな俺を、優香ちゃんは心配そうな顔で見つめてくれていた。

 

「でも、今話している感じお前はそういう人間じゃない気がする」

「燐火先輩をそんな風に言う人なんて淵上高校にはほとんどいないと思うんですけど……茶髪の生徒、ですか。燐火先輩に心当たりはありますか?」

「恨みを買ったことがない、と言えば嘘になる。でも、茶髪にお下げの生徒に覚えはないかな」

 

 俺を恨んでいる生徒と言えば、真央先輩と仲の良かった子とかだろうか。しかしそういう生徒のなかに茶髪の生徒なんていただろうか。

 

「別に、彼女の言葉に責任転嫁する気はない。私がお前たちを傷つけたのは、紛れもなく私の意思だ」

 

 そこで少し黙ったエルナは、やがて吐き捨てるように言った。

 

「……お前が妬ましかったんだ」

 

 彼女が何を言いたいのか分からなかった俺は、少し首をかしげる。それに対して、エルナは少し目を伏せた。

 

「私は、ドイツで確かに強さを認められていた。でも、人望なんてなかった。当然だな。話せば人を傷つけ、味方を顧みず、迷惑をかけた。──でも、私も皆に認めて欲しかった」

 

 最後の言葉は、まるで母親に褒めて欲しい幼子のようだった。

 

「だから、全部持っているお前が妬ましかった。強さも、名声も、人望も、全部持ってるお前が憎かった。……思えば、茶髪の生徒の言葉なんて、単に私の背を押したに過ぎないのかもしれないな」

「私は、お前が思うようななんでも持っている人間じゃないよ」

 

 どれだけ外面を取り繕うのが上手くなったところで、結局のところ俺は俺だ。内面はどこまでも醜くて、皆を騙しているだけだ。

 

「そうか? 少なくとも、周りはそう思っているみたいだぞ」

「……お前がそう思うなら、そういうことにしてもいい」

 

 私の評価について、他人と言い争う気はない。実情を知らない誰かと言い合うのは時間の無駄だ。

 

 とりあえず、エルナが戦いの場で役に立ってくれるのなら、それでいい。

 

「とにかく、これから肩を並べて戦うんだからよろしく頼むよ」

 

 和解の意味も籠めて手を差し出すと、エルナはそれを嫌そうな顔をしながらも握ってくれた。

 

 

 

 

「お疲れ様でした、燐火先輩。今日は大変でしたね」

「ありがとう。まあでも、『魔の者共』と戦うよりは全然マシだよ」

 

 何が違うかと言えば、他の子の命がかかっているか否かだ。決闘の場において、エルナが傷つけようとしているのは俺のみ。後ろに守るもののない戦いは、気が楽だ。

 

「それにしても、燐火先輩は決闘中どこか嬉しそうでしたね」

「……え、本当に?」

 

 優香ちゃんの顔は、どこか不満げだった。

 しかし、優香ちゃんから見ても俺の嬉しそうな様子がばれていたとなると、少しマズい。もう少し抑えるべきだっただろうか。

 俺の本性は、できれば皆には知られたくない。その方が尊敬を集められるからだ。俺の性癖的に好都合である。

 

 思考する俺を、優香ちゃんはじっと観察していた。いつもと雰囲気が違う。どこか冷たさを感じらせる瞳は、優しい彼女には不似合いに見えた。

 

「……優香ちゃん?」

「ひとつ、聞きたいのですが」

 

 彼女が俺に問いを投げかける。無機質な声質に、俺は違和感を覚えた。平静を装って返事する。

 

「うん、何かな?」

「──お姉様は、傷つけてくれるなら誰でもいいんですか?」

 

 言葉に、詰まる。それを見た優香ちゃんは、静かに俺に近づいて来た。それは、蛇が獲物に音もなく近寄る様子に似ていた。

 優香ちゃんの細い指が、俺の顎を静かに掴む。ひんやりとした感覚が伝わってくる。

 

「そんな、ことは……」

 

 俺の反論は、唇にそっと触れた指に阻まれた。

 

「うそ、ですよね。だって先輩は、エルナさんに傷つけられて喜んでいたじゃないですか」

「……」

 

 優香ちゃんの冷たい瞳は、俺の目をじっと見据えたままだった。その視線は、俺の醜い内面全てを見抜いているようですらあった。

 

「あんまり節操ないと、無理やりにでも私のものにしちゃいたくなっちゃいますからね」

 

 優香ちゃんの言葉に喉が鳴る。冷たい目線で俺を欲しがる彼女の様子は、俺にとってあまりにも魅力的に過ぎた。

 

 しかし、優香ちゃんはそれ以上何も言うことなく俺に背中を向けてその場を去った。

 まるで、俺が一番欲しいものを分かった上であえて与えていないようだ。俺は、無理やりでも君のものになりたいというのに。

 

 

 異様な雰囲気を纏った優香ちゃんが去ってからも、バクバクと音を立てる心臓がひどくうるさかった。いつの間にか背中が汗でびっしょりだ。

 

 彼女に取り残された俺は、周囲に誰もいないことを確認すると、思いっきり叫んだ。

 

「わあああ、なんだアレ、すごくいい! 優香ちゃんに無理やりモノにされたい!!」

 

 まったく、君はどれだけ俺を魅了すれば気が済むのだろうか。



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破滅の予感

「ふむふむ。なるほど、概ね予想通りと言えましょうか。よくやりました、『影』」

 

 人類が未だ到達できていない大穴の底、どこまでも広がる深淵の中で、隻腕の悪魔が上機嫌に話していた。その正体は、国一つ滅ぼしかねないと言い伝えられる破滅級の『魔の者共』、かつて桜ヶ丘真央を殺した喜悦の悪魔だ。

 その対面に立つのは、信じたいことに()()であるようだった。

 

「お褒めにあずかり光栄です」

 

 茶髪にお下げの女子高生は、淵上高校の制服を着ていた。人類の仇敵、『魔の者共』その中でも最強のものと相対しているにも関わらず、その顔に動揺の色はない。

 

「それでは計画の第二段階に移行します。次はこの生徒に化けてください」

 

 悪魔は手元の水晶玉を掲げる。その中には、淵上高校の様子が映し出されていた。一人の生徒が映し出されている。

 

「こちらの金髪の生徒ですか? かしこまりました」

 

 言うと、女生徒の姿は一瞬で黒い影のような何かと化した。のっぺらぼうの顔。不定形の人型。あまりも不気味な姿は、まさしく『魔の者共』と呼ぶに相応しいものだった。

 しかしすぐさま、その不気味な様は姿を変える。その姿は、一瞬でエルナ・フィッセルの姿に変わった。一見すると、本人との違いが全く分からない。

 

「本人の特徴は捉えられましたか?」

「は、部分的には分かりました。しかし、なにぶん短時間の接触だったゆえ、完全に模倣できるとは言い難いでしょう。申し訳ございません」

「良いです。姿を模倣できるだけで人間は簡単に信じるでしょう。なにせ、こちらに来て日の浅い転校生です。違和感を覚える人間も少ないでしょう」

「さすがの慧眼かと。やはりあなた様には、我々にはない視点があるようです」

 

 自在に姿を変える化け物──ドッペルゲンガーは、恭しく答えた。

 

「そもそも私は、人の心を惑わす存在として認識されていましたからね。そのようにできているのです」

 

 なんでもないような物言いには、確固たる自信と傲慢さが透けて見えた。

 

「それでは、攪乱を開始いたしましょう。伏線は既に張りました。今回の作戦における目標は、人間同士の不和を引き出すことです」

 

 悪魔が笑う。その恐ろしくて冷たい笑みは、まさしく邪悪な悪魔に相応しいものだった。

 

 

 ◇

 

 

「ユウカ、今日も一緒に昼を食べてもいいか?」

「え、エルナさん、また来たんですか?」

「そうだが……もしかして、迷惑だっただろうか」

 

 しゅん、とした顔を見せるエルナ。その様子に、優香ちゃんは慌てたような様子を見せた。

 

「い、いえいえ! 迷惑なんてことないですよ! 燐火先輩も、エルナさんが一緒でもいいですよね?」

「まあ、優香ちゃんがいいなら構わないよ」

「よかった……」

 

 最近、というかあの決闘の日以降、俺と優香ちゃんはちょくちょく一緒に昼食を取るようになっていた。彼女の中で何か心境の変化があったのだろうか。

 そして、それについてくるようにして、エルナもよく近づいてくるようになった。

 しかし、別に俺とエルナが仲良くなった、というわけでもない。エルナが懐いているのは、優香ちゃんに対してだ。

 

「ユウカの弁当はいつでも美味しそうだな」 

「あっはは。いつも早起きして作ってますから。やっぱり、お昼ご飯は自分の好きなものを食べたいので」

 

 そうは言いつつ、彼女の弁当は色とりどりで栄養バランスが良さそうだ。美味しそうなご飯や肉と一緒に、野菜が添えられている。

 

「そう言うエルナさんの昼食も、おいしそうですよ。良かったら一口もらえませんか?」

「お弁当をシェアするだと……そんなおいしいシチュエーション……ゴホン、いいだろう。ユウカには私のとっておきのサンドイッチをやろう」

 

 エルナは、黒色のサンドイッチを優香ちゃんに差し出した。そこそこ大きなそれを、エルナは三つほど持ってきているようだ。彼女の今日の昼食はサンドイッチのみのようだった。

 

「ま、まるまる一個くれるんですか?」

「なに? なにかマナー違反があっただろうか? お弁当のシェアとはどうするのだ?」

 

 エルナが首をかしげる。その顔は、少し不安げだ。

 

「い、いえいえ、別にマナーがどうとか言う話ではないですよ。ただ、エルナさんのご飯が足りなくならないか不安で。あ、良かったら私のおかずあげますね」

 

 優香ちゃんは、自分の弁当を目に落とす。

 

「優香ちゃん、エルナは箸もフォークも持っていない。どうやって渡すつもり?」

「あ、そうでしたね……」

 

 サンドイッチしか持ってきていない彼女は食器を持ち合わせていない。

 ……あいつ、まさか優香ちゃんのアーンを狙ってやったのだろうか? 許さんぞ! 俺の目の前で優香ちゃんとイチャイチャするのは絶対に許さん! 

 

「エルナには私の惣菜パンを上げよう。感謝するといい」

 

 ぞんざいに焼きそばパンを投げ捨てる。今日の朝、購買で買って来たものだ。これで優香ちゃんのアーンは阻止できるだろう。

 

「……なんだこれは」

 

 エルナが俺の投げ捨てたパンをじっと見つめる。

 

「焼きそばパン」

「なぜパンの間に麺が挟まっている」

「美味しいから」

「……?」 

 

 エルナはしばらく固まっていたが、やがてパンの包装を開けるとおずおずと食べ始めた。

 

「あ、じゃあ燐火先輩に私のおかずあげますね」

 

 ククク、計画通り! これで優香ちゃんのアーンは私のものだ。

 優香ちゃんの箸が、ミニトマトを摘まむ。下に手を添え、俺の口に持ってくる。

 体が少し熱い。動揺を隠しながら、俺はそれを大きく口を開けて迎え入れた。

 ……美味しい。ミニトマトってこんなに美味しかったっけ。やっぱり好きな人に食べさせてもらったものって特別なのだろうか。

 

「燐火先輩……なんだか嬉しそうですね」

 

 そういう優香ちゃんも、どこか嬉しそうだ。どちらともなく、視線を交錯させる。彼女の頬が赤くなっている。

 心地の良い沈黙。しかし、そんなところに空気の読めない声が響いた。

 

「リンカ、このパン麺がボロボロ落ちてくるのだが、どうすればいいのだ」

「……下手くそ」

「なんだと!?」

 

 食べるのも、空気を読むのも、下手くそだ。

 

 

 

 

「そういえば、エルナさんはどうして日本に来ることになったんですか?」

 

 全員の食事が終わり、エルナのこぼした焼きそばを片づけた頃、優香ちゃんがそんな話を聞きだした。

 

「それは……私がドイツを追い出されたからで……うっ……」

「わああ、違います違います! どうして日本だったのか聞きたかっただけなんです! どうしましょう燐火先輩、エルナさん結構扱いづらい人みたいです!」

「まあ、性癖拗らせた人間なんて扱いづらいものだと思うよ?」

 

 多分俺も、大概めんどくさい性格をしている。

 

「エルナさんみたいに強い人なら他にも行先はあるはずですよね? 燐火先輩だっているし、東京は別に逼迫した状況にあるわけじゃないと思うんですけど」

 

 性格を考えるとちょっと難しいところだけどね……。そんなことを思いながら、俺は口を開いた。

 

「ああ、それは私の上げた報告が関係あるね」

「燐火先輩の報告ですか?」

「うん。まず最初に、ちょっと前に上級種の『魔の者共』を見た」

「ああ、燐火先輩がボロボロになりながら勝った奴ですね」

 

 以前見た、キメラのことだ。戦乙女10人分の力を持つと言われ、まだ世界でも数十体しか確認されていない。

 

「上級種か……私もドイツにいた頃に一度だけ戦ったが、強かったな。私一人では倒せなかったかもしれない」

 

 エルナが過去を思い返すように視線を漂わせる。プライドの高そうな彼女が素直に認めている。どの国においても、上級種は危険な相手のようだ。

 

「上級種の出現は、破滅級の出現の前兆の可能性がある。実際のところ、過去に出現した破滅級は、三度ともその直前に上級種が出現している」

 

 そのため、上級種の出現は報告することが義務づけられている。破滅級の出現に備えて、戦力を増強する必要があるからだ。

 

「なるほど、それでエルナさんがこちらに来たんですね」

「そうだと思う。それに、この前のゾンビの群れの動きにも違和感があった。本能的に動くいつもの『魔の者共』とは違う。戦略性、策略のようなものを感じた」

「……言われてみれば、そうだったかもしれません」

「知性のある『魔の者共』。それはかつて東京の大穴に現れた破滅級、知性を持ち、言葉を話し、人を弄ぶ。『喜悦の悪魔』を思い出される」

 

 無意識に、噛み締めた俺の歯がギリギリと音を立てた。

 その名前を出すと、思い出す。何もできなかった自分。圧倒的な戦力差。

 胸を貫かれた、真央先輩。

 

「燐火先輩……?」

「ああ、ごめん。とにかく、かつて確認された破滅級、『喜悦の悪魔』の出現の可能性を、私が報告した。だからエルナが派遣された可能性が高い」

「なるほど……」

 

 真央先輩を殺した化け物と決着をつけられるかもしれない。そう思うと、俺の心の中には暗い喜びのようなものが湧き上がって来た。



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変わりゆく狂犬

 エルナがこちらに転校してきてから、数週間が経過した。当初は危ない人間として認識されていた彼女だったが、俺との決闘以来問題を起こすことはなくなった。

 

 ここのところ、『魔の者共』の動きがやけに少ない。いつもなら週に一回は戦いに出向き数を減らさなくてはならなかった。しかしそれも減り、直近の出撃は三週間前だ。

 

「平和だな。せっかく私が来たというのに、腕を振るう機会が全然ないではないか」

 

 エルナが不満げに呟き外を見る。その先は、彼女の不満を示すようにあいにくの雨だった。

 

「戦わなくて良いのならそれでいいじゃないか」

「悠長だな、最強の戦乙女ともあろうものが」

「まさか。もしかしたら明日破滅級が現れるかもしれない。休める時に休むべきだと思っているだけだ」

 

 ここのところ、ずっと嫌な予感がしている。『魔の者共』の侵攻が減ったのは、敵が戦力を蓄え始めた兆候にしか思えないのだ。二年近くあいつらと戦ってきた経験から、俺はそう推測せざるを得なかった。

 

「案外臆病なんだな、最強の戦乙女は」

「しつこいな、エルナ。お前のように勇敢な奴は頼もしい限りだ。しかし、私はともかく他のみんなが傷つくのは許容できない。強敵に備える必要がある」

「チッ、相変わらず綺麗事を臆面もなく吐くんだな。やっぱりお前は嫌いだ」

「優香ちゃんがいないと口が悪いな。リードを手放された飼い犬みたいだ」

「またお前は私を馬鹿にして……!」

 

 ギリギリ、とエルナが歯ぎしりする。険悪な様子は、いまにも拳銃を取り出してもおかしくないほどだ。けれど、そんな態度にももう慣れた。

 

「それで、なんでお前は嫌いな私に話しかけてきたんだ?」

「ああ、生徒の間で最近ある噂を聞きつけてな。なんでも、お前とユウカは恋仲だそうだじゃないか」

 

 思わぬ人からの思わぬ言葉に、俺はむせた。

 

「ゴホッゴホッ……どこでそんな噂聞いた。友達いないくせに」

「なんだと貴様!?」

 

 憤慨するエルナ。いちいちオーバーリアクションな奴だ。

 

「なぜそんなことを聞いてくる?」

「なに、少し釘を刺そうと思ってな。お前、色恋などに現を抜かし、無様な負けざまを晒すなよ」

 

 無様な負けざまはこの前お前と戦った時に晒したけどな! いやまったく、あれは最高の体験だった。できることなら、負けても失うものが何もない状態でコイツともう一回戦いたいものだ。

 

「私に優香ちゃんとの恋に夢中になるな、などと言いつつ、お前の方が優香ちゃんに魅了されているじゃないか」

「なっ!? そ、そんなことない! 私はあくまで友人として、ユウカと接している」

 

 どうだか。頬を赤らめながらあたふたするエルナの様子からは、とてもそうとは思えない。けれど、別に本当に恋愛感情を抱いているとは思わない。

 

 大方、キツイ性格のせいでまともに人付き合いをしたことがなかったのだろう。そのため、優しく話しかけてくる優香ちゃんが気に入ってしまったのだろう。

 

「ハッキリ言うが、私はお前が優香ちゃんにしたことを忘れていないからな」

「……分かっている。出会いの時点から、私と彼女は対等ではない」

 

 エルナが少しうつむく。少しいじめすぎただろうか。

 俺は、ここにいる皆よりも少しだけ人生経験が豊富なつもりだ。だから、彼女らのやることは大抵笑って流せる。

 でも、エルナだけは別だ。何の罪もない優香ちゃんを傷つけたこと、未だによく覚えている。

 

「とにかく、私はお前が友情だと愛情だのというくだらないもののために失敗を犯すことを懸念している。この学校は緩すぎるのだ」

 

 エルナが、廊下を一瞬見渡す。放課後の廊下の喧騒。最近出撃がないせいか、あいにくの雨にも関わらず皆の表情は明るい。

 

「ドイツはもっと、常に緊張感が漂っていた。上級生が通れば大声で挨拶をし、決められた食事を取り、消灯時間には全員就寝した。学校というよりも軍隊だった。私たちが直面している状況を鑑みれば、それも当然だろう。なにせ、私たちが負ければ都市一つ落ちるのだ」

 

 エルナの言うことは理にかなっていた。けれど、それはここ淵上高校の理念とは異なっているようだった。

 

「思春期の少女を抑制し続けてもいいことなどない。私たちのメンタルは、何よりも重要視されるべきものだ。少なくとも、ここの上層部はそう考えている」

 

 効率だけ考えるなら、普通の学校みたいな授業なんて廃止して、訓練にのみ時間を費やした方がいい。けれど、俺たち人間にとって効率のためだけに尽くすのはきついものだ。特に十代の少女には、息抜きも必要だ。

 

「ハッ、誰よりも自分を追い込むように訓練を続けるお前の口からそんな言葉が出ると皮肉にしか聞こえないな」

「皮肉など言っていない。人には人のペースがある。私は人よりも努力する才能があっただけだ」

 

 努力する才能、などと口にしたが正確には気持ちいいからトレーニングしているだけだ。長時間のランニングも、キツイ筋トレも、全部楽しいからいくらでもできる。

 

「チッ……本当に気に食わない聖人ぶりだな……!」

「聖人?」

 

 彼女はなにか勘違いしているようだ。けれど俺がそれを正すより前に、彼女は別のことを口にした。

 

「そういえばリンカ、最近妙な話を聞くんだが」

「なんだ?」

「私の覚えのないことで、私の噂話がある」

「なんだそれ。自意識過剰?」

「違うわ! 私も疑ったが、どうやら本当みたいなんだよ……!」

 

 エルナの目には、案外切実な困惑があるようだった。眉は下がっているし、声音には少し勢いがない。

 

「中庭で私に文句を言われたという噂があった。真偽を確かめたが、どうやら本当だったらしい。訓練室の場所の取り合いで横暴な態度を取られたという報告を上げられた。私はそんなことしていない」

「……そんなくだらない噂話する生徒がいたか?」

 

 どうにも、信じられない。この学校では、そういうことはあまり起こらない。それに、あまりに調和を乱す生徒がいればしかるべき罰を受けている。俺たちの不仲は戦場での生き死に直結するからだ。

 

「まあ、私の最初の横暴な態度が原因かもしれないな。変なこと聞いて悪かった」

 

 そう言って、エルナはどこかに去ってしまった。やはり彼女は、当初の彼女とはどこか違う。

 

「……あいつも、変わろうとしているということか」

 

 人を見下し、ただ傷付けようとするだけだった彼女は、優香ちゃんと関わって変わったように見える。俺個人としてはまだ警戒心があるが、少しくらいは認めてやってもいいかもしれない。

 



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淵上高校騒動

 日本に来て優香に会ってからというもの、エルナは目が覚めたような気分だった。それまでの自分勝手な自分が、ひどく愚かしい存在であることに気づけたのだ。

 あの日もらった優香の言葉が、彼女の奥深くまで突き刺さった。

 

『──強いことは、傷つけていいことにはならないと思います。少なくとも燐火先輩は、そんなことしようとしませんでした』

 

 エルナの中にある燐火への感情は複雑だ。まず大前提として、ひどく妬ましいという感情。

 強いだけでなく、人格まで備わっているというそれは、エルナのプライドと、ナイフのように尖った劣等感をひどく刺激した。

 ──エルナの目には、日本の最強の戦乙女である燐火は強さに驕らず弱者のために尽くすことのできる聖人のように映っていた。

 

 遊びに勤しむ同胞を尻目に、誰よりも多く訓練をこなし、それに文句の一つも言わない。ここの生徒たちは、恐れながらも誰よりも勇ましい彼女を慕っているようだった。

 

 エルナとて、ドイツでは最強と謳われた戦乙女だ。負けられないと思った。だからこそ、他の生徒を傷つけてでも決闘を急いだ。

 

 けれど、あの決闘で負けてから、彼女に勝てるビジョンが思い浮かばないのだ。最後の最後、燐火が見せた動きは今もエルナの脳裏に焼き付いている。とある掛け声一つで別人のように変わった彼女の姿。

 強いとはこういうものだ、と示されたような気分だった。

 あの瞬間、エルナの中にあった自分は強者であるというプライドは打ち砕かれてしまったのだ。

 

 自分よりも強くて、自分より努力していて、自分より慕われていて、自分より優しい。そんなの、勝てっこない。

 

 だからせめて、エルナは燐火を見習おうと思った。弱者を見下さず、努力し、人に優しくする。そうすれば、憧れる彼女に少しでも近づけると思った。

 

 エルナがとりわけこだわったのは、人格的な面だ。

 たとえば、廊下を歩いている何気ない時でも、彼女は気配りを忘れなかった。

 

「おい、ハンカチ。落としたぞ」

「フェッセルさん……? あ、ありがとうございます……」

 

 不器用ながら、彼女の優しさは少しずつ芽生えていた。常人にはごく普通のことかもしれない。けれどそれは、戦乙女としての力に目覚めて以来ずっと自分勝手に人を傷つけながら生きてきた彼女の初めての変化だった。

 ──しかし、彼女の些細な努力は嘲笑われる結果となる。

 

 

「──フェ、フェッセルさんにみんな撃たれたんです! 天塚先輩、助けてください!」

 

 燐火の元に走って来た戦乙女の発した第一声は、悲痛に満ちていた。

 

「彼女が急に私たちのところに来て、銃を取り出して、それで、それで……!」

 

 焦りのせいで、彼女は冷静に言葉を紡ぐことができていないようだった。顔は血の気が引いていて、吐く息は荒い。

 燐火は、それに対して穏やかな表情でなだめた。

 

「落ち着いて、一つ一つハッキリと言ってもらえないと分からないよ」

 

 燐火の本心としては、信じがたいという思いだった。別人と見間違えたのだろうとすら考えた。

 確かにエルナは性格が悪く、自分の性癖を満たすために人を傷つけるような人間だったが、最近はその攻撃性も鳴りを潜めている。むしろ優しい一面すら見せ始めているのだ。不器用な気遣いをするさまは、

 

「は、はい。まず、屋上で──きゃああああ!」

 

 視覚外で響いた銃声に、燐火は最初反応することができなかった。

 しかし、目の前で話をしていた生徒が倒れ込んだことだけは確認できた。彼女を庇うように前に出つつ、攻撃した主を探す。廊下を見た燐火の視界の端に、特徴的な金髪が舞っているのが見えた。

 

「待て!」

 

 信じられない、という思いを胸に仕舞い、燐火は後をつける。

 最強の戦乙女の名に相応しい俊敏な動きだったが、生徒の溢れる校内では、全力で走ることができない。猛スピードで駆ける燐火の姿に、悲鳴が上がる。人が邪魔で、思うように前に進めない。チラチラと見える金髪を見失いそうになる。

 なんとか追いかけ、角を曲がったところで、燐火はようやくエルナの姿を捉えることができた。他に生徒は一人しかいない。茶色がかった髪の生徒。追っていたのは彼女ではないだろう。となれば。

 

「エルナ!」

「リンカ? ああ、見てくれ! 今私は、落ちていた缶をゴミ箱に──」

「──失望したぞ!」

 

 エルナの嬉しそうな声は、燐火の叫びに遮られた。

 

「……え?」 

 

 エルナの顔が、一瞬で無表情に変わる。何を言われたのか理解できない、理解したくない、という顔だった。

 燐火は一瞬でエルナに接近すると、彼女の体を押し倒した。

 燐火はそのまま馬乗りになってエルナを拘束した。

 

「リンカ……?」

「抵抗しても無駄だ。この距離なら私の方が早い」

 

 燐火が手に小太刀を構える。そこまで来てようやく、エルナは事態に気づくことができた。

 

「ま、まてリンカ……」

「話はあとで聞く」

 

 打撲音。燐火の小太刀の柄の一撃を額に食らったエルナは、後頭部を床にぶつけ、なすすべもなく気を失った。

 

 

 ◇

 

 

「天塚先輩が追っていたのは、間違いなくフェッセルさんでした」

 

 その時廊下に居合わせた多くの生徒が、そう証言した。他の言葉を期待していた燐火は、静かにその言葉を飲み込んだ。

 

 

「私たちはフェッセルさんに攻撃されました。間違いないです。彼女は笑っていました。私たちを傷つけて、楽しそうに笑っていました」

 

 襲われた生徒は、そう証言した。彼女は、その時のことを思い出したのか小刻みに震えていた。その様は、とても嘘を言っているようには見えなかった。

 

 

「フェッセルさんの銃弾で、五人の戦乙女が負傷しました。幸い急所は外れていて死者はおらず、治療は完了しました。しかし一人はすっかり怯えてしまって、戦いに出向くことはしばらく難しいでしょう」

 

 その後、燐火はこんな報告を受けた。

 淵上高校には、『聖女(ホーリーガール)』光井優香がいる。治療という面で言えば、普通の病院以上だ。

 傷は無事に治療された。けれど、いくら彼女といえど心までは癒せない。

 

 同じ人間に、戦乙女に傷つけられた。それは、仲間に背中を預けることができなくなるほどの衝撃だったのだろう。おそらくその一人は、自分たちが人を簡単に傷つけることができる力を持っているという事実を改めて突き付けられてしまったのだろう。

 

 

 淵上高校の実質的なリーダー、黒崎夏美はその報告を重く受け止めた。戦乙女一人の戦線離脱。それは、彼女の将来性も加味すると非常に重い事実だ。

 夏美によって下された裁決は、エルナ・フェッセルの拘束。淵上高校に存在する、戦乙女をも拘束する監禁部屋への投獄だった。

 

 

 燐火がエルナとの面会を取り付けることができたのは、それから一週間後のことだった。面会室、と称された教室に入った燐火の目に入ったのは、手錠で拘束されたエルナと、そんな彼女を厳しい目で見つめる黒崎夏美の姿だった。

 

「コイツを長々と外に出しておくのは危険だ。燐火、手短に済ませよ」

 

 夏美が重々しい声で語り掛ける。燐火はそれに無言で頷くと、後ろにいる人物を呼んだ。

 

「優香ちゃん、入ってきていいよ」

「はい」

 

 優香の姿を認めると、エルナはすぐさま立ち上がった。

 

「ユウカ! 聞いてくれ私は……!」

「許可なく動くな」

 

 しかし、夏美の冷たい声が響いた。エルナはそれにハッとしたような表情を見せると、静かに座り直した。

 

 燐火と優香が、エルナの対面に座る。燐火の両手は、小太刀に添えたままだった。

 

「エルナさん、何があったんですか?」

 

 優香が問いかける。その瞳は真剣で、エルナのことを見抜こうという意思が感じ取れた。

 

「分からないんだ……私は何もしていないはずだ。だけど、私は今ここで拘束され、無実を証明できないでいる。何が起こっているのか、分からないんだ。……それが、たまらなく悔しい」

 

 エルナの様子は、本当に困惑しているようだった。優香がわずかに目を見開く。燐火は、静かに目を細めた。

 

「黒崎先輩、エルナさんの件はちゃんと調べたんですか?」

「ああ。本人があくまで否認しているからな。入念に調査したとも。その結果、黒だと判断した」

 

 夏美は淡々と語り出した。

 

「まず、被害にあった小林たちのグループの証言。フェッセルが発砲したときの状況の証言は、全て一致した。嘘を言っていた様子もない。続けて、それ以前のフェッセルの素行の問題がある」

「そ、それは燐火先輩との決闘以来改善して……」

「いいや、そうでもなかったようだ。決闘後も嫌がらせをされたという証言。威圧的な態度だったという証言。罵倒されたという証言が多数上がっている」

「そんな……」

 

 優香ちゃんは信じられない、という表情を見せた。エルナは静かに首を振る。

 場が沈痛な沈黙に包まれる。今度は、燐火が重々しく口を開いた。

 

「客観的事実は分かった。その上で、夏美は自分の主観でもエルナが黒だと思っているの?」

 

 夏美は少し考えるような表情を見せたが、やがて毅然とした態度で話し始めた。

 

「ああ、そうだ。私は長い間ここのみんなのことを見てきた。彼女らの怯えは、憤りは、本物だ。嘘を言っているようには見えなかった。彼女らは確かにエルナ・フェッセルを恐れていた。光井の言葉やフェッセルの否認を無視するわけではない。けれど、私は多数の意見を尊重したい。──それが、私が真央先輩から受け継いだみんなをまとめる責務だと思っている」

 

 夏美の言葉には、言い表しようのない重みが存在していた。燐火はそれが、少し眩しく感じた。ああ、彼女なら本当に真央先輩みたいになれるかもしれない。みんなを照らす、太陽みたいな戦乙女に。

 

「エルナをこのまま拘束しておくってこと?」

「ああ。少なくともひと月程度は考えている。その後フェッセルの行動次第で制限は緩めるかもしれないが、戦場には出さない予定だ。味方を背中から撃ちかねない奴を命の取り合いに参加させるわけにはいかない」

 

 エルナが唇を噛む。戦場に悦楽を見出した彼女にとって、それはあまりにも残酷な宣言だと言えよう。

 

「分かった。じゃあ、私はこれで」

 

 燐火が席を立つ。その淡白な様子に、夏美は驚いたような顔を見せた。

 

「もういいのか? お前たち、仲良かったんじゃないのか?」

「エルナが仲良かったのは優香ちゃん。私じゃない」

 

 燐火の物言いは淡々としていて、冷たさすら感じさせるほどだった。エルナがわずかに下を向く。

 

「珍しいな。怒っているのか?」

 

 夏美が無表情で問いかけると、彼女は似たような顔で返した。

 

「エルナは優香ちゃんの優しさを、赦しを無駄にした」

 

 そう口にしつつも、燐火の本心は少しだけ異なった。

 彼女自身もまた、エルナに期待していたのだ。優香に諭されて、彼女は変わったのではないかと。それが裏切られたと思って、彼女は珍しく怒っていた。燐火は、自分で思ってたよりもずっとエルナに情を移していたのだ。

 

「リンカ……」

 

 エルナがひどくショックを受けたような顔を見せる。その内面には、深い絶望。突然身に覚えのない罪で拘束された時だって、こんなに悲しくはなかった。

 彼女にとって、憧れすら覚えていた燐火に否定されることはひどく辛いことだった。身を引き裂かれるような思いに、俯き無言になる。

 

 燐火が出口の方へと真っ直ぐに歩いていく。彼女らしからぬ怒りが、背中から感じ取れる。彼女がその場からの時まで、誰も口を開くことができなかった。



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あの日の屈辱は彼女らの胸に

 エルナが暴力事件により拘束されてから、一週間が経過した。

 彼女が校内から姿を消してからというものの、これといった騒ぎは起きることがなく、平和な学校が維持されていた。

『魔の者共』の動きが不気味なほどに静かで、ここ最近の出撃はゼロだ。戦いから遠ざかることができた戦乙女たちは、高校生活を謳歌している。

 しかし、この平和は単なる嵐の前の静けさに過ぎなかった。 

 

 その日、淵上高校には突如として校内放送が響いた。普段ほとんど活用されていない校内放送は、生徒たちの耳にはひどく異質なものとして聞こえた。

 

「異常事態宣言。多数の『魔の者共』の襲来が観測されました。戦乙女は直ちに出撃準備をしてください」

 

 一年生にとって、そんな言葉を聞いたのは初めてだった。緊迫した声にただ事ではない予感を感じる。

 そして、あの日のことを知っている二年生、三年生の緊張感はその比ではなかった。

 この状況は淵上高校最悪の日、破滅級が現れた『太陽が没した日』と同じだ。

 

 

「燐火」

「ああ。夏美、気を引き締めよう」

 

 俺が静かに頷くと、夏美は表情を引き締めた。きっと彼女も、あの日のことを思い出しているのだろう。

 冷静な顔を作ってはいるが、俺は内心の昂りを抑えきれずにいた。異常事態宣言がだされるほどの事態。それは、魔の者共を率いることができる化け物、喜悦の悪魔の出現に違いないと思ったからだ。

 

「戦力が必要。エルナを出すことはできる?」

「……無理だ。分かっているだろう。仲間を背後から撃つかもしれない奴なんて、自由にさせられない」

 

 やはり、夏美ならそう言うか。彼女はみんなのリーダーだ。一人で戦う俺と意見が合わないのも当然だ。

 

「皆がいてもどうにもならない敵もいる。破滅級なんて最たる例だ。それでも夏美は、規律を選ぶというの?」

 

 少しきつめに問うが、彼女の答えは変わらなかった。

 

「ああ。皆が力を発揮できなければ、防御壁が崩壊する。強大な個は危険だが、私たちは通常の敵にも対処しなくてはならない。それは、たとえお前が二人いても同じことだ」

 

 夏美がそこまで言うのなら、俺も覚悟を決めよう。孤独に生き、好きに戦っていた俺には見えないものが、彼女の目には映っているのだろう。

 

 

 外に出ると、縁起の悪いことに雨がぱらついていた。近いうちに本降りになるかもしれない。

 

 校庭に集った戦乙女は、みんなどこか不安そうな顔をしている。

 そんな様子を見た夏美は、少し表情を変えて問いかけた。

 

「みんな、既に揃っているな」

 

 夏美が来たことに気づいた戦乙女たちが、彼女に向き直る。雨に濡れる彼女らは不安げな顔のままだ。雰囲気が重たい。

 

 しかしあくまで冷静な顔を崩さない夏美は、皆の視線を集めると、大地を震わさんばかりの大声で演説を始めた。

 

「──聞いてくれ! 一年生には分からないかもしれないが、今日はあの最悪の日と良く似ている。我らが太陽が没し、多くの戦乙女が犠牲になったあの日のことだ。我々は、真央先輩の命を懸けた一撃によって辛うじて今を生きている」

 

 夏美の言葉には、聞く者の背筋すら震わせるほどの冷たい響きがあった。

 彼女の無念、自責、後悔。そういったもの全てが凝縮されているようだ。

 

「原因は、破滅級の出現だ。喜悦の悪魔を名乗っていたあいつのせいで、私たちは言い訳のしようのない敗北を喫したのだ」

 

 夏美の言葉を聞く生徒が息を呑む。忸怩たる思いが、その場にいなかった者にまで伝わってくるようだった。

 しかし、夏美は勇ましく声を張り上げる。あの時とは違うのだ、と示すために。

 

「しかし! 私たちは強くなった! あの敗北の日を忘れたことはない! 親しい人を失った経験は、私たちの心を強くした! そして、私たちの後ろで平和に生きる人々に同じ思いをさせたくないと誓ったはずだ!」

 

 その言葉に、何人もの生徒が頷いた。皆、あの日敗北を経験して尚戦い続ける者たちだ。その胸にあるのは、決意。大事な人を奪われる悔しさを誰にも味わわせないために、彼女らは戦っているのだろう。

 胸を打たれる。そうだ。彼女たちは、俺なんかよりもずっと強い心を持っているじゃないか。

 

「もう負けることはない! なにも失わない! 我々はあの日の雪辱を果たし、あのふざけた化け物共に打ち勝つのだ!」

 

 夏美が拳を握る。冷徹な瞳には、普段見られないほどの熱量。その様子を見た生徒が息を呑む。

 夏美だって、悔しかったのだろう。真央先輩についていくことができず、彼女を死なせてしまったことが。

 

 ──でも、それを言うなら俺の方が悔しい。

 

「──私も」

 

 俺の大声に、多くの生徒が振り返った。驚いたような顔。俺がみんなに話しかけるなんて珍しいのだろう。

 

「悔しかった。あの日真央先輩を死なせたことが。自分の無力が。だから、力を貸してほしい。今まで散々自分勝手に戦ってきて今更何をって言うかもしれないけど、みんなの力が必要だと思う。たとえ破滅級が出てきたとしても、私が倒す。だから、みんなについてきてほしい」

 

 夏美の言う通りだ。今の演説を聞いて俺は自分の勘違いを恥じた。

 俺たちは、破滅級を倒すのと同時にこの国を守らなくてはならないのだ。必要なのは、復讐ではなく勝利。そして、俺たち全員が生き残ることだ。

 

「夏美のことを信じて、全力を尽くしてほしい。皆で明日を迎えるには、各々が持てる最大の力を発揮する必要がある。だから、勝とう。私たちは、もう二度と負けない」

 

 語り終わって周囲の顔を確認すると、相変わらず驚いたような雰囲気を見せつつも納得してくれたみたいだった。

 少し安堵する。自分があんまり信頼されているとは思えなかったからな。

 

「燐火先輩! お待たせしました!」

 

 そんなことを思っていると、優香ちゃんが走って来た。

 

「珍しいね優香ちゃん。遅刻?」

「あはは……ちょっと行くところがあって、遅れちゃいました」

 

 誤魔化すように曖昧に笑いながら言う優香ちゃん。彼女が隠し事なんて珍しい。

 

「燐火、今まで通りに行くぞ。お前たち二人は遊撃して敵を間引いてくれ。私がみんなの指揮を執って、撃ち漏らしを処理する。──それから、あのクソ悪魔を見かけたらすぐに教えてくれ。私も行く」

 

 彼女らしかぬ獰猛な笑みに、俺も自然と笑顔になる。

 

「それじゃあ夏美、行こうか。私たちの雪辱戦。真央先輩の仇を取る戦いに」



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破滅は再び訪れる

 意気込みを新たにして戦いに出た私たちを迎えたのは、おびただしい数の『魔の者共』だった。

 

「これは……あの日以上だな」

「うん。相手の戦意も高い。みんなが持つか不安だね。夏美、ちゃんとフォローしてあげてね」

「もちろんだ」

 

 夏美の頼もしい言葉を背に、俺は静かに前へと歩く。

 後ろから優香ちゃんがついてきてくれているのを確認して、俺は静かに二振りの小太刀を手に取った。

 

「これを倒せば、あいつを……」

 

 昂る。己が傷つけられている時とはまた違った、胸のうちから湧き上がる炎のようなもの。

 

 敵を観察する。みんなが手こずるような強敵を素早く仕留め、指揮官をしているであろう喜悦の悪魔を叩く。

 

「いくよっ、優香ちゃん!」

「はい!」

 

 さあ、あの日の喪失を返しに行こう。

 

 

 

 

「はああああああ!」

 

 湧き上がる力のままに、突進する。最初に目の前に現れたのは、獣人だった。

 

「Grrrrrrrrr!」

 

 屈強な体つき。今まで戦った獣人とは明らかに雰囲気が違う。

 大きな槍を隙なく構えている。間合い的には不利と言えるだろう。

 

「関係ない!」

 

 振り切る。大地を震わさんばかりに踏み込んだ脚が加速を生む。

 ひゅうひゅうという風音を耳で聞きながら、懐へと接近。勢いそのままに、袈裟斬りを繰り出した。

 

「G、Grrrr!」

 

 防御させる間もなく、一瞬で腹部に届く刃。深手を負ったはずの獣人だったが、その目は死んではいなかった。間合いの不利を悟り、素早く槍を捨て、鋭いジャブを繰り出してきた。

 

「ッ!」

 

 鋭い爪が、俺の腕を軽く抉る。鋭利な爪を持つ獣人は、軽い攻撃でも致命傷になり得る厄介な相手だ。

 しかし、俺のつけた腹部の傷は深い。腸すら出てきそうな傷口だったが、しかし獣人は吐血しながらも連続で爪を繰り出してきた。

 

「クッ……早いな」

 

 まるでプロボクサーの連続パンチを見ているようだ。目で追うのも精一杯な両手の動きは、取り回しの良い小太刀二本を以てしても防ぐので精一杯だった。

 

 やはり、一撃デカいのを食らって『特徴』を発動させるべきだろうか。『心身合一』の力を引き出せば、俺の動きも加速する。

 しかし今日は長期戦が予想される。できれば出血は最低限にしておきたいところだが……。

 

「――燐火先輩! 伏せて!」

 

 突如聞こえてきた優香ちゃんの声に、俺は反射的に頭を下げた。

 次の瞬間、俺の頭上を眩い光線が通り過ぎた。

 

「Grrrrrrr!」

 

 直撃。光が顔面に直撃した獣人は、大きくのけぞる。

 その隙を突き、俺は大きく前に脚を突き出す。大上段から振り下ろした二振りの小太刀は、獣人の頭蓋骨に深々と突き刺さった。

 

「Grr……」

 

 今後こそ沈黙した獣人は、その場に倒れ込み二度と動くことはなかった。

 

「……随分しぶとかったですね」

「うん。強かった。優香ちゃんの援護に助けられた」

 

 手ごたえとしては、普通の群れのボスくらいだろうか。いつか見たケルベロスと同じくらい。こんなのが沢山いるとなれば、今日はやはりいつもと違う。

 

「先を急ごう、優香ちゃん。私が頑張らないと」

「はい!」

 

 

 ◇

 

 

「第12チーム、第6チームを援護してくれ! 第8チームは少し下げれ!」

 

 戦場に夏美の怒号が飛ぶ。拡声器も使っていないのに、彼女の低い声は良く響く。そこに籠められているのは、一人たりとも死なせてたまるかという決意だ。

 

「黒崎先輩! た、高橋先輩が重症です!」

 

 夏美のいる第1チームに駆け寄ってくる影があった。

 見れば、視線の先には力なく目を閉じる二年生の姿。彼女を担いでそれを報告する一年生は、瞳いっぱいに涙を溜めていた。

 

「せ、先輩が私を庇って……それで、それで……!」

 

 よく見れば、おぶられている生徒の腹部からは大量の血が流れ出ている。その場にいる戦乙女たちの表情が変わる。顔は真っ青で、命の危機すら感じさせる重症だ。おぶっている生徒の背中は、傷口にくっついているので既に真っ赤だ。

 

「落ち着け。安心しろ」

 

 夏美は堂々とした口調で話す。絶対助けられる、と確信しているように。涙に濡れた瞳が、夏美を見上げる。

 夏美は前を向いたかと思うと鼓膜をビリビリと揺らすような大声で叫んだ。

 

「燐火! 重症人が出た! 光井をよこせ!」

 

 その声が響いた途端、前線に変化があった。かつてない密度で襲い掛かる『魔の者共』。その中心が、急激に割けていく。その場にいる敵が、一瞬で切り伏せられているのだ。

 まるで柔らかいスポンジケーキに包丁を入れるようなその変化に、その場にいたものが目を見開く。

 

「夏美!」

 

 前方から姿を現した燐火は、躊躇いもなく優香の体を抱きかかえると、夏美の方に投げてよこした。

 

「うわっ……わ、私の扱いーッ!」

 

 20メートルは飛んだだろうか。悲鳴を上げながらも、優香は空中で姿勢を整えると、二本足で着地を決めてみせた。それを見ることすらなく、燐火は手薄になった第4チームのもとへ駆けて行った。

 

「見せてください」

「は、はい!」

 

 優香は重症の戦乙女を見てわずかに目を細めた。傷口が広い。出血多量による衰弱がひどい。

 これは気合を入れないと助けられないぞ、と気を引き締めて、彼女は口を開いた。

 

「『いと気高き癒しの光よ、彼の者に安寧を与え給え、ハイキュア』」 

 

 瞬間、小雨のぱらつく戦場に奇跡が訪れた。目を瞑った優香の手に持つ杖が光る。光は目を閉じた怪我人を優しく包み込む。ぼう、と光る傷口が、みるみるうちに塞がっていく。彼女を包み込む光は、それを祝福しているようだった。

 それはまるで、この世に天使が降臨したかと思わせるほど神秘的な光景だった。

 

「……あれ、もう天国についたの?」

 

 やがて目を覚ました生徒が呆然と呟くと、それに安心したように優しく微笑んだ一年生が、黙って彼女の体を抱きしめた。

 

 

 

 

 人類を滅ぼさんとする化け物の住処、大穴の底は常に闇に満ちている。その奥には化け物たちの呻き声が響いている。地の底から湧き上がってくるような威嚇の唸り。狂人のような甲高い叫び。

 多種多様な気配が、闇の中の不気味な雰囲気を醸し出している。地獄というものが存在するのなら、きっとこのような景色なのだろう。

 

「それでは東日本自浄機構拡張計画について、最終確認を致しましょう。とはいっても、まともに会話できるのは私とあなたくらい。悪の親玉の作戦会議にはあまりにも華が足りないですね」

 

 そんな中にあって、喜悦の悪魔は堂々とした佇まいで腰かけていた。傍らに直立不動で立つのは、人型に蠢く黒い物体。ドッペルゲンガーの『影』だ。

 

「改めての確認です。今私たちがいる場所、自浄機構は戦乙女がいなければ今以上に拡張することができます。なので私たちの目標は、大穴近辺にいる戦乙女を退けること、または殺すことです」

 

 自浄機構、人間の言うところの大穴は、『魔の者共』を生み出す機能を持っている。それが広がれば、さらに多くの『魔の者共』が世に放たれることになる。そのことは、大穴の封じ込めに失敗した他国の例から燐火たちも良く分かっていた。

 

「それでは『影』私たちの最大の障害はなんでしたか?」 

「ハッ、喜悦の悪魔様。淵上高校における最大の障害は二つ。一つ目は、ドイツからの転校生エルナ・フェッセルです。特に多数との戦いに圧倒的な強さを誇る戦乙女で、今まで集めてきた軍勢を丸ごと滅ぼされる危険性があります」

「その通りです」

 

 エルナの強みは攻撃の密度、頻度だ。

 多くの戦乙女が剣や槍などの原始的な武器で戦う中、拳銃という現代兵器を用いて戦っている。

 

「戦乙女が現代兵器を持ってもあまり力を発揮できないはずですが、その銃弾は、既に数多くの『魔の者共』を滅ぼしています」

「あれは例外でしょう。特別大きな感情を持って生まれた特殊個体。考えるだけ無駄です」 

 

 戦乙女の力の本質は感情だ。希望。勇気。愛。あるいは、憤怒。嫉妬。劣情。それが武器の形で出現する。だからこそ、直接力を叩きつけるような近接武器の方が力を出しやすい。戦乙女の武器は、単なる物理法則では語れない。だから刀が銃に勝つこともあり得るし、杖から魔法が飛び出すことがある、

 

「しかし、あなた様の策略で封じ込めに成功しました。馬鹿な人類は内紛を起こし、あれを監禁する始末。まったく愚かなものです」

 

 エルナの暴力事件を引き起こしたのはドッペルゲンガーの影だ。茶髪の生徒の姿になった影は、戦場から帰還する戦乙女のなかに紛れ込み渕上高校に潜入。その後エルナの姿を模倣して、屋上にいた生徒を無差別に攻撃した。

 

「ええ。あなたの功績で作戦の第一段階は成功しました。そして我々の作戦最大の障害、天塚燐火が残ったわけです」

 

 作戦の第二段階。それは天塚燐火の封じ込め、もしくは殺害だ。

 

「必要なのはタイミングです。あの厄介な相手を、身体的ではなく心理的に叩きのめす。そのために、これから布石を打とうというわけです。そろそろ雑魚どもが消耗してきた頃です。――仕掛けます。私たちも出ますよ」

「はい」

 

 

 

 

片腕の悪魔を発見した。その報告は、燐火と夏美の心を激しく昂らせた。




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培った絆

 片腕の悪魔を発見した。その報告は燐火と夏美の心を激しく昂らせた。

 他のあの日を知る他の戦乙女たちは、わずかに体を固くした。

 

「それで、被害は!?」

「安心してちょうだい。夏美の警告通りに撤退したので誰も死んでないわ。でも、あのまま挑みかかっていたら誰かが死んでいたと思う。それだけの迫力だった」

 

 報告に来た第二チームの隊長は、黒崎夏美にそう報告した。

 夏美はその言葉に少し顔を緩めたが、すぐに引き締まった表情を作った。

 

「報告助かる。そして、よく帰ってきてくれた。――みんな、再度周知するが、隻腕の悪魔は私と燐火、そして光井の三人で対処する! 隻腕の悪魔を倒せばこの手強い軍勢は瓦解するだろう。私たちは今日この日、人類で初めての破滅級の撃破を成す!」

 

 手強い敵に少し士気が下がっていた戦乙女たちが、再び顔を上げた。

 夏美の力強い言葉は、淵上高校の戦乙女たちにとって何よりの希望だった。『切り込み隊長(ブレイブキャプテン)』の名前は、彼女の人望を表した二つ名だ。

 

 先ほどまで防戦一方だった戦乙女たちは、反撃のために準備を整え始めた。特に経験豊富な二年生、三年生が多いチームが前に。一年生たちは防衛線を縮小し、絶対に守り切れる範囲だけを守る構えだ。

 

「ここからが本番だ! 行くぞっ!」

 

 

 

 

「第一チームは私に続け! 斬り込むぞ!」

「「はいっ!」」

 

 行く手を遮る「魔の者共」を前に最初に前に出たのは、戦乙女のリーダー、黒崎夏美が直々に率いる第一チームだ。

 

「小野寺っ!」

「はいっ!」

 

 夏美の声に応えたのは、優香の幼馴染み、小野寺果林だ。身の丈を超える大きな槍を体の前に構えた彼女は、身をかがめて突貫すると、真正面にいたゴブリンに向けて鋭い突きを放った。

 

「ハッ!」

「グギャ……」

 

 汚い悲鳴を上げて倒れ込むゴブリン。しかし、果林の目の前には攻撃後の無防備な彼女を狙おうとするケンタウロスが突進してきていた。

 

「斎藤!」

「はい!」

 

 ボウガンを持った少女が引き金を引く。矢は綺麗な弾道を描き、ケンタウロスの胴体に直撃した。

 それを分かっていたかのように、果林はひるんだケンタウロスに槍を突き出し仕留めきった。

 

 チームメイトが奮戦するうちに、リーダーの黒崎夏美はサーベルを手に鋭い切り込みを試みていた。

 

「おおおおおお!」

 

 彼女の動きは、他のどの仲間よりも洗練されていていた。果林たちの動きに目を奪われている『魔の者共』に地を這うように接近。真っ先に最も大きな体躯を誇る巨人の腹を搔っ捌いた。

 

「ぐおおお……」

 

 それに反応して夏美に襲い掛かったのは、小さな虫の群れだった。一つ一つが拳ほどの大きさのそれは、巨大化した蜂だった。不気味な羽音をまき散らす軍隊は、剣一本しか持たない夏美に容赦なく襲い掛かった。

 蜂たちの針に充填されるのは、戦乙女すら死に追い込む猛毒。針が皮膚を貫通すれば最後、優香が治療に来る前に死に至るだろう。

 

 しかし、夏美はそれを一瞥のみすると、サーベルをただ一度のみ振るった。

 

「……!」

 

 竜巻のような暴風が、宙を飛ぶ羽虫を襲った。信じられない速度で振るわれた夏美のサーベルが突風を巻き起こし、その場にいた大型の『魔の者共』すらたたらを踏ませた。

 怯みをみせた『魔の者共』を前に、夏美は仲間たちに指示を出した。

 

「第一チーム、パターンベータ! 斎藤は私の援護につけ!」

 

 声に応え、第一チームは素早く動きを見せた。果林は夏美の作った隙に切り込むように槍を構え突貫し、斎藤はボウガンを立て続けに発射し、夏美の道を切り開いた。

 そして夏美は、さらに一歩切り込んだ。飛来した鳥形の化け物を一撃で切り伏せ、屈強な狼の体を一刀両断し、後衛に襲い掛かろうとしたカエルを蹴り飛ばした。

 

 

「……燐火先輩、黒崎先輩たちって凄いんですね」

 

 呆然と、優香が呟く。彼女は常に最前線にいる燐火の下で戦っていたので、後ろにいる戦乙女たちの戦いをきちんと見たことがなかったのだ。

 少しだけ微笑んで、燐火が言葉を返した。

 

「夏美が強いのは、本人の強さはもちろんのこと、集団での戦い方がうまいことだね。全体を俯瞰するのはもちろんのこと、チームのほかの四人の強みを最大限活かす戦い方をしている」

 

 真央先輩が死んでからの夏美の努力は凄まじいものだった。上の学年が一気にいなくなって、みんなを束ねる存在が消えた。戦力のダウンと結束力の低下から、次の死者が出るのは時間の問題ですらあった。

 

 その状況をどうにかしようと奮起したのが、当時一年生の黒崎夏美だった。大量に戦乙女がいなくなった淵上高校において、チーム制を整備して戦乙女を束ねた。上級生が多く消えた当時、義姉妹制度は崩壊寸前だったのだ。

 

「夏美が『太陽が没した日』から淵上高校を立て直していなかったら、優香ちゃんが来る前に東京は陥落していたと思う。……さて、夏美が奮闘しているんだから、私も頑張らないとね」

「そうですね。負けてられないです」

 

 優香ちゃんと軽く顔を合わせ、少し笑う。彼女らの雄姿に、少し感化されたのだ。

 

 

 

 

 先陣を切り刀を振るう。体は軽い。硬い敵も簡単に切り裂ける。これならば、届くかもしれない。真央先輩でも敵わなかった化け物。喜悦の悪魔に。

 

 いつもより手強い『魔の者共』を相手にして前に進めるのかは正直不安だったが、俺たちは群れの奥深くまで侵入することができた。

 敵陣のど真ん中。退路は、ついてきてくれたみんなが死ぬ気で作ってくれている。しかしいつまで保つかは分からない。どちらにせよ、俺が喜悦の悪魔を倒せなければみんなここで死ぬことになる。

 

 途中から『魔の者共』の動きがおかしいことには気づいていた。自ら道を譲り、まるで俺たちをどこかに誘導しているようだったのだ。罠か、とも疑ったがしかし俺の直感はこう告げていた。

 この先、あいつがいる。

 

 やがて見つけた影は、俺がずっと殺したくてしかたないものの姿だった。

 

「半年ぶり、クソ悪魔」

 

 黒い影がこちらを見る。まるで地を這う蟻でも見るような目だった。

 

「おお、今回は勢揃いでのおいでですね! ようこそようこそ、あなたたちの破滅の地へ! 盛大におもてなししましょう。絶望と絶叫のプレゼントを以って!」

 

 それ――喜悦の悪魔は、恭しい態度で礼をした。

 それを見た夏美が静かに手を上げると、私と夏美、優香ちゃんを残して、みんなが後ろに下がった。彼女らの役目は、こちらに他の『魔の者共』が来れないように援護だ。

 

 改めて、喜悦の悪魔の様子を観察する。ツヤツヤとした黒肌。仰々しい翼。こちらを見下す冷たい目。

 

 半年以上かかっての再会に、胸のうちに炎が湧き上がる。憎悪が、復讐心が、燃え上がる。

 唇がめくれ上がりそうになるのを必死に抑えながら、俺は努めて冷静そうに言葉を告げた。

 

「片腕なくしたわりに元気だね。虚勢張ってるの?」

 

 薄ら笑いを浮かべていた悪魔が少し真顔になる。しかしすぐに、軽薄な笑みを浮かべ直した。

 

「……ハッハ! あの時後ろでブルブル震えていることしかできなかった貴様が大口を叩くな。 貴様がいなければ、桜ヶ丘真央は死ななかった。そうだろう?」

「ッ……!」

 

 その言葉に、俺の体は過剰反応した。自分の歯がギリギリと音を立てているのがわかる。脳内で熱がグングンと上がっていくのがわかる。

 そうだ。俺のせいだ。でも、お前にだけは言われたくない。

 

「おい燐火、落ち着け。お前らしくもない」

 

 夏美に肩を叩かれ、ハッとする。戦いの前に怒りで我を失うなんて、今までなかった。

 これではいけない、と俺は幾ばくか冷静さを取り戻す。

 

「それにしても、『魔の者共』っていうのは話すとそんな感じなんだね。ここらで一つ、君たちがどうして地球に現れたのか話してみる気はない?」

 

『魔の者共』、およびそれを生み出す大穴はいまだにそれが何なのか分かっていない。危険すぎてまともに調査が進んでいないのだ。

 

「ふむふむ。どうせ死ぬのに教えるのも手間ですが――強いて言えば人類の自業自得ですね」

「……は?」

 

 なんだそれは、と問うまでもなく悪魔は片腕を大きく振り上げた。

 

「さて。さあ決戦! と意気込む皆様方に、一つサプライズプレゼントがあります」

 

 芝居がかった様子で悪魔が片腕を上げると、後ろに控える『魔の者共』が道を開けた。

 

 あの余裕綽々という態度、まさかもう一体破滅級が出てくるってことはないよな。内心戦々恐々としながら、俺は何が出てくるのかと慎重に観察した。

 

 しかし俺の最悪の予想は、さらに最悪の形で裏切られることになった。

 

「真央、先輩……?」

 

 明るい人柄を示すような茶髪のサイドテール。淵上高校の制服。ほころぶような笑み。

『魔の者共』の中から悠然と出てきたのは、俺の最愛の人だった。



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最強の弱点

 死んだはずの真央先輩の姿を認めて、俺の心は激しく動揺した。心が整理できないままに、俺はある過去を思い出した。

 

 ――疑念。動揺。狼狽。それらの感情は、敵を打ち倒す際にはあまりにも不要なものだ。それを、俺は他ならぬ真央先輩から教わった。

 

 

 この記憶を思い出す時は、射場に響く弓の音が思い出される。

 

 袴を穿いた彼女が、両手で持った和弓をゆっくりと持ち上げる。ちょうどバンザイするような形だ。もっとも、厳かな雰囲気はそれとは程遠い。

 番えられた矢が頭の上まで来た頃に、彼女は大きな弓を大きく引き始めた。

 

 キリキリ、と弦が鳴る。静かに、だが確実に弓がしなっていく。ゆっくりと動いていく彼女の両手が、静かにそれを支えていた。

 やがて限界まで弓が引き絞られ、ついに矢が離れる時が来る。

 弦が解放され弓を叩きパチッ、という乾いた音を立てる。矢がひゅう、と鋭い音を立てて宙を飛ぶ。

 的に矢が中る小気味良い音。

 

 真央先輩は、中った、中らないにかかわらず、静かに残心をとって的を見据えていた。

 

「真央先輩、中っても全然嬉しそうにしないですよね」

 

 凛とした顔の真央先輩も好きだが、せっかくだから可愛い笑顔を見せてくれてもいいのに。

 白い道着を着ている彼女は、あまり表情を動かさなくなる。普段と装いも態度も違う彼女は、なんだか別人と接しているような気がして落ち着かない。

 

「燐火ちゃん。弓道における思考っていうのは、簡単に言えば無心になることを是としているの。当てようとするんじゃなくて、最高の射をやり遂げて、その結果として矢は中る。それは敵を射抜く時にも同じ」

「……よく分からない考え方ですね」

 

 だから、真央先輩は『魔の者共』と戦う時にもいつも冷静なのだろうか。

 自分が気持ちよくなるために戦っている俺には、まったく分からない考え方だ。

 

「弓道は立禅なんて言われたりする。座ってする座禅に対して、立ってする立禅。弓の道を以って、人は成長する。中った外れたに一喜一憂するために弓を引いてるんじゃない。……もしかしたら、燐火ちゃんもやった方がいいかもしれないよ。弓道」

「え、なんでですか?」

「感情の制御がうまくなるからだよ。燐火ちゃん、普段は冷静だけど戦いになると周りが見えなくなるところがあるでしょ?」

「うっ」

 

 それを言われると、痛い。

 

「動揺している時、感情を揺さぶられている時、っていうのはピンチに陥っていることが多い。そういう時こそ、一呼吸置く冷静さが必要になるんだよ。そして、それは分かっていても簡単にできることじゃない。普段からのトレーニングが必要になる」

「……たしかに、私には必要なことかもしれないですね」 

 

 結局のところ、俺が真央先輩から弓を教わる機会はなかった。俺も彼女も忙しくて、なかなか時間が取れなかったのだ。

 

 動揺を克服する術を、俺は最後まで彼女に教わることができなかった。

 

 

 

 

「久しぶりだね燐火ちゃん。夏美ちゃんも」

 

 聞きなれた声。ありえない人の声。

 そして、そこに籠るありえない感情。真央先輩の声音には、仇敵に向けるような激しい憎悪が籠められていた。

 

「まお、せんぱい……?」

「そんなはずは……」

 

 激しく動揺する。そんなことはありえない。理性がそう訴えかけてきているが、視覚がそれを否定する。目の前にいるのは、紛れもなくあの日死んだ桜ヶ丘真央に見えた。

 彼女が声を発する。あの日の姿のまま。

 

「みんな、あの日から生き残れたんだね」

 

 その声は、恐ろしいほどに無感情だった。まるで、溢れ出そうな感情を抑え込んでいるようだ。

 

「私だけを差し置いて、みんな幸せになった……! 私が、私だけが……!」

「真央先輩……?」

 

 彼女の中にある憎悪があふれ始める。

 

「みんなのためにと思って死ぬ気で戦って! そうして死んで! そしてみんなは私の死なんて忘れてのうのうと生きている!」

 

 誰かが息を吞む。罪悪感はあの日あの場にいた誰もが抱いていた。

 誰よりもみんなのために戦っていた彼女が死んで自分たちだけ生き残ってしまったという自責が刺激される。

 

「……ほ、本当に死んだのなら、どうしてここにいるんですか?」

 

 震える声で、それでもはっきりと自分の言葉を口にしたのは、優香ちゃんだった。

 真央先輩は、それに対して凍てつくような目線を向けた。それは、同じ人間に向けるものとはとても思えなかった。

 

「『魔の者共』とはすなわち歴史上人類に恐れられている化け物たちが顕現した姿。だから、復讐のために蘇った亡霊がここにいても不思議じゃないでしょ?」

「それ、は……」

 

 優香ちゃんは、咄嗟にその言葉を否定できないようだった。

 

「安穏と生きている愚昧なあなたたちに、真実を教えてあげる。あの日の真実。私の死に関する本当のことを」

 

 真央先輩は、俺の姿を認めるとやがて全員に向かって言い放った。

 

「私、桜ヶ丘真央は天塚燐火に殺された」

 

 その言葉に、その場にいた全員が凍り付いた。

 

 

 

 

「そんなことは……そんなことはない!」

 

 最初に声を上げたのは、夏美だった。

 

「でも、夏美ちゃんはその場にいなかったでしょ」

「ッ……」

 

 夏美がその場にいなかったことまで知っている。その事実が、目の前に立っている真央先輩が本物であることを裏付けていた。

 

「燐火! お前からはっきり否定しろ!」

 

 夏美が激しい言葉で俺に呼びかけてくる。彼女もまた、俺と同じく動揺しているようだった。

 

「でも――私が殺されそうになったから、真央先輩が死んで、それで、私だけが生き残って……」

「燐火……」

 

 動揺しているうちにも、真央先輩はさらに言葉を紡ぎ出す。その顔を憎悪に歪ませて。

 

「だから私はここに蘇った。復讐を果たすために。天塚燐火を殺すために」

 

 真央先輩が弓を取り出す。見慣れた彼女の得物。

 

「だから、死んでね。燐火ちゃん」

 

 放たれた矢は真っ直ぐに俺の胸に。呆然と受け止めようとした俺の目の前に立ちふさがったのは、夏美だった。サーベルを振るい、矢を弾き飛ばす。

 

「おい燐火、戦うぞ!」

「夏美……」

「戦うんだよ! 何が起こっているのか分からない! どうして真央先輩がそんなことを言うのか分からない! それでも、目の前には喜悦の悪魔がいる! 私たちが戦うのに必要なのは、それだけだ!」

「ッ……」

 

 その言葉を聞き、半ば無意識に剣を握る。しかし、指先に思うように力が入らない。

 夏美が真央先輩に向かって突撃していく。しかし彼女の動きも少し鈍い。

 

「……とにかく、私は悪魔を倒せばいい」

 

 一旦思考を止めろ。夏美が真央先輩を抑えている今がチャンスだ。

 

 覚悟を決め地を駆け出す俺を、悪魔は悠然とした笑顔で迎え入れた。

 

「『槍よ』」

 

 その手元に禍々しい槍が顕現する。そのまま、勢い良く俺に向かって投げてきた。

 真央先輩を殺した攻撃だ。体に力が籠る。

 

「ッ」

 

 飛来する槍の速度は、決闘の際のエルナの弾丸にも匹敵するような速度だった。

 小太刀を合わせ辛うじて槍を逸らすが、肩先を掠め、鋭い痛みを走る。

 しかし俺は、二撃目が来る前に悪魔に肉薄する。

 間近に相対すると、分かる。体から迸る圧倒的な力。剝き出しの黒い肉体は、まるで立ちはだかる巨大な岩壁のように感じられた。

 

「フッ!」

 

 斬撃を叩き込んだ俺を迎え入れたのは、先ほど投擲したはずの禍々しい槍だった。

 

「あまりにも甘い……あくびが出るかと思いました」

 

 二刀を受け止めた悪魔が躍動する。一瞬力を抜き刀をいなすと、素早い突きを放った。俺の足のあたりを浅く貫く穂先。

 痛みに反応して、『特徴』が効果を発揮する。痛みに応じて上がる身体能力。しかしいつもより体の動きが鈍い。

 

 きっと、先ほど言われた言葉が飲み込みきれていないからだ。

 

「考え事ですか? 余裕ですねえ!」

「チッ……」

 

 悪魔の近接戦闘力は脅威だった。凄まじく力が強いというより、こちらが嫌がることをすることが異常に上手いのだ。

 攻撃はいなされ、隙ができたところを鋭い攻撃に転じてくる。隻腕の槍さばきは巧みで、攻略しきれない。

 

 こちらが防御に徹すれば、一瞬俺から離れ、遠距離攻撃を仕掛ける姿勢を見せる。

 

 今まで見た感じ、喜悦の悪魔がもっとも脅威なのは、投擲攻撃だ。無限に出てくる槍を用いた遠距離攻撃。不意を打たれれば、万全の俺ですら避けられるか怪しい。もし仮に、背後に放たれれば確実に誰かが死ぬ。それだけは、避けなければ。

 

 俺は自分が傷つくのは嬉しいが、他人が傷つくのは大嫌いだ。

 そう思い剣を振るうが、やがて綻びが生まれる。

 

「――これはこれは、私の策略がうまくはまりすぎましたね」

「ッ……」

 

 油断した。隙をつき背後に下がった悪魔は、十分な予備動作を経て、投擲。

 投げ出された槍が俺の顔面めがけて飛んでくる。二本の小太刀をクロスさせ、受け止める。背後に飛ばすわけにはいかない。

 

 「ぐっ……ああああああああ!」

 

 今まで感じたこともない圧力に、俺は絶叫した。真央先輩の胸を貫いた槍は、全身の力を総動員しても抑えきれるものではない。なんとか力を逸らす、上へと飛ばす。

 

 激しく荒れた呼吸を整える。この場に倒れ込んでしまいたいくらいの疲労度だ。

 しかし前を見ると、悪魔は二本目の槍を構えていた。

 

「ッ!」

「押しつぶれろっ!」

 

 再びの激突。先ほどよりも槍の力が増している。刀越しに感じる禍々しい空気に、俺はそれを辛うじて横に逸らした。

 

「ああっ!」

 

 後ろから響く悲鳴。見れば、ひとりの女生徒が、肩から血を流して倒している。先ほど逸らした槍が当たったようだ。

 

 ――俺が、完全に逸らせていれば。もっとうまくやっていれば、彼女は傷つかなかったのに。

 自責の感情に、自分の体から力が抜けていくのが分かる。俺の『特徴』心身合一は、自分が興奮すればするほど身体能力が上がるもの。その逆、気持ちが落ち込めば落ち込むほど力が弱まるという特性も併せ持つ。真央先輩が自分のせいで死んで以来、俺は自分のせいで誰かが傷つくのが嫌で仕方がなかった。

 

「ちがっ、私は私が傷つけばよかったのに……」

「三撃目」

 

 今度こそ受け止める、と思い刀を正面に構え、意識を集中させる。しかし悪魔が狙ったのは、俺ではなかった。

 

「ッァ」

「――優香ちゃんッ!」

 

 矛先は、俺の大事な大事な義妹へと向かっていた。辛うじて身を翻した優香ちゃんは、脇腹のあたりを抉られたようだった。

 激しく動揺する。体の力が著しく低下する。

 

「ハッ……アッハハハハ! なんて無様な顔か! ねえ、あなたは最強の戦乙女なんですよね!?」

 

 今度の攻撃は、俺に直接飛んできた。肉薄してきた悪魔が、槍を振るう。

 先ほどまでと違い目で追えない。なすすべもなく、俺は腹部を貫かれた。

 

「ガハッ……」

 

 内臓が損傷する嫌な感覚。血が噴き出す。けれど、俺にはもはや抵抗する気力すら湧いてこなかった。

 

「フッ……ハハハ!」

 

 二度、三度と貫かれる。

 気持ち良くない。けれど、確実に死に向かっている感触は俺に昏い喜びをもたらした。

 

「燐火……先輩……!」

「カッ……」

 

 血反吐を吐く。視界が点滅する。

 朦朧とする意識の中で思い出したのは、先ほど真央先輩が言った言葉だった。

 

『私、桜ヶ丘真央は天塚燐火に殺された』

 

 その通りだ。俺は、自分の愚行が原因で真央先輩を殺した。

 だから、俺が死ぬのは当然のことだ。

 

「コハッ……」

 

 もう何度槍を突き刺されたのか覚えていない。

 血がとめどなく噴き出て、倒れ込んだ俺を中心に赤い水たまりを作る。

 

「愚かですね。天塚燐火」

 

 最後に、背中から一突き。それを以って、俺の視界は黒く閉ざされ、何も聞こえなくなった。




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戦乙女の絶望

 優香は、かつてこんなにも混沌とした戦場を見たことがなかった。

 

「先輩、ケルベロスが抜け出します!」

「人数をかけて絶対に阻止しろ! 天塚と黒崎のところに近づけるな!」

「はいっ!」

 

 黒崎夏美は、目の前にいるかつての義姉をけん制し続けながら、後ろにいる仲間たちに指示を出していた。

 後ろに控えていた彼女たちのもとには、『魔の者共』が大群で押し寄せてきていた。ちょうど、喜悦の悪魔と戦う燐火を守るような形での戦いだ。周囲から押し寄せる敵を燐火に近づけさせないように、彼女らは必死に戦う。

 

 夏美もまた、目の前にいる桜ヶ丘真央を止めるのに必死だった。連続して矢を放つ彼女はなかなか接近する隙を与えてくれず、夏美のサーベルが届かない。――もっとも、夏美が相手を傷つけるのを躊躇っているというのもまた事実だ。

 

 黒崎夏美の戦いから一旦目を離し、優香は自らの義姉を見る。

 

「燐火先輩……」

 

 彼女らの戦いが報われるのかは、ひとえに燐火が破滅級を倒せるかどうかにかかっていた。

 

「光井さん! 松原さんが怪我してる! お願い!」

「はいっ!」

 

 すぐに意識を切り替え、優香は駆け出し、負傷者の元へと駆け寄る。

 しかし走る彼女のもとに、背後から迫る影があった。

 

「ッ!」

 

 優香の後ろから音もなく忍び寄った巨大なカマキリが、前脚の刃を振りかぶる。人間以上の大きな体躯のそれは、優香の細い体など一撃で真っ二つにしてしまいそうなほどの迫力があった。

 

 しかし、素早く振り返った優香は身をかがめ刃を回避。腰の捻りを利用してフルスイングした杖が、カマキリの頭をあっさりと潰した。

 轟音を立てて倒れ込む巨大カマキリ。

 それに目もくれず、優香は負傷者のもとへと急いだ。

 

「大丈夫ですか!? 今治癒を!」

「あ、ありがとう……」

 

 少女は、足に大きな傷を負いその場に寝かされていた。

 優香が詠唱する様子を黙って観察する戦乙女。周囲では、変わらず他の戦乙女が押し寄せる『魔の者共』相手に奮戦していた。

 

「ねえ、光井さん。この戦い、勝てると思う?」

 

負傷した少女がポツリと呟いた言葉は、少し震えていた。

 

「……勝てます。燐火先輩なら」

 

 優香は信じている。自分の義姉を。

 

「……でも、今日の天塚はどこか動きがおかしいよ。それに、さっきの真央先輩の言葉が本当だったら……」

「そんなわけ、ないです!」

 

 優香の声が少し大きくなる。けれど、上級生はそれに完全に納得できていないようだった。

 

「けど、あなたは知らないかもしれないけど、真央先輩は本当に明るくて素敵な人だった! みんなの憧れだった! そんな人があんなこと言うのなら……それは、それは……」

「……」

 

 狼狽する戦乙女の瞳は、大きく揺れていた。今のエースと、かつてのエース。どちらを信じていいのか、分からなくなっているようだった。

 優香は桜ヶ丘真央の与えた影響を改めて実感した。彼女を知る者たちにとって、その存在はあまりにも大きすぎたのだ。

 

「痛みはすぐに引くと思うので、少し休んでいてください。私は燐火先輩のところに行きます」

 

 優香が立ち上がる。その目線の先には、燐火の姿。過去最悪の敵と戦う義姉の援護をするために、優香は再び駆けだした。

 

 

 

 

 目先には、片腕で器用に槍を扱う悪魔の姿があった。その動きに迷いはなく、一撃一撃が苛烈だ。仮に優香が一人で正面に立ったなら、三合と保たずに切り捨てられるだろう。

 あの燐火ですらも、悪魔の槍術に手を焼いているようだった。二つの小太刀は悪魔の体を捉えんと激しく振るわれているが、当たっている様子はない。

 

 急がなければ。先ほどの上級生も言っていたが、今の燐火の動きはとても危うい。いつもの彼女とは明らかに違う。ずっと彼女を見てきた優香には、それがよくわかった。

 普段の燐火の雰囲気が頑丈で切れ味鋭い日本刀だとすれば、今の燐火は氷でできた剣のようだ。脆くて今にも崩れてしまいそうな雰囲気。

 

 そして、優香が近づく前に決定的瞬間は訪れた。

 

「燐火先輩!?」

 

 燐火の体に、槍が直撃する。悪魔がにやりと口角を上げた。

 一撃で倒れ込んだ彼女の体に、二つ、三つと槍が突き刺さる。どれも体の中心に刺さっている。――燐火の顔は、少し笑っているようにも見えた。

 悪魔は、投げ捨てたそばから新たな槍を生成し、燐火に向かって投げつけていた。倒れ込む燐火の体は、さながら剣山のような有様だ。

 数多の槍が突き刺さった体から血だまりが一瞬で広がり、燐火はぴくりとも動かなくなった。

 

「ッ……待っててください! 今治癒を……」

「無駄ですよ」

 

 答えたのは、喜悦の悪魔だった。

 話しかけてきた敵に、優香は杖を油断なく構えながら近づく。近づけば分かる。その体からは禍々しいまでの圧力が放たれていて、相対しているだけでも正気を失いそうだ。

 

「彼女はもう死にました。私の槍に籠められた呪いに、彼女は耐えられなかったのです」

「そんなわけ……」

 

 仰々しく、まるで舞台役者のように悪魔は語った。誇らしげに掲げる槍は禍々しい雰囲気で、たしかに呪いが籠められいるようにも見えた。

 

「ああ、都合の悪い事実は見ない。信じない。これこそまさに愚かな人間の習性というべきでしょうか。それならば、自分の手で触れ、確かめればよろしいのではないでしょうか?」

 

 悪魔は少し下がると、優香に道を開けた。訝しみながらも、優香は燐火へと近づいていく。たとえ罠であろうとも、治癒をかける機会を見過ごすわけにはいかなかった。

 燐火の体に手を当て、優香は怪我の状況を確認する。腹部に大量に空いた穴。それらから血がだくだくと流れ出して――

 

「……鼓動が、ない?」

 

 嘘だ、と反射的に思って、優香は燐火の手首を掴む。冷たくて、脈が感じられない。呼吸の音が聞こえない。

 

「う、嘘だ、噓だ、嘘だ!」

 

 優香が杖を構える。ありったけの想いを籠めて、治癒を始めた。

 

「『いと気高き癒しの光よ、彼の者に安寧を与え給え、ハイキュア』 ……そんな」

 

 光が燐火を包み込む。傷がすぐに塞がるが、燐火の体はピクリとも動かないままだった。心臓に手を当てるが、鼓動が感じられない。呼吸の音がない。

 

「そんなっ、はずはっ!」

 

 再び、詠唱。光は間違いなく燐火の体を包み傷を癒しているはずだったが、彼女は全く動きださない。

 

「クッ……アッハハハハ! 最高ですよ、人間! あなたのその無様な狼狽は最高に滑稽です!」

 

 悪魔の哄笑が響く。優香はそれに、きつく唇を嚙み締めた。まるで、目の前が真っ暗になったような感覚だ。全身から力が抜ける。

 

「最高の喜劇を見せてくださったお礼に、この世界の秘密を教えて差し上げましょう。――他の有象無象どもも、聞け」

 

 悪魔の声は、異様によく通った。戦場にいる戦乙女たちが顔を上げる。『魔の者共』も、自分たちの主の言葉に耳を傾けているようだった。

聞きたくなくても聞かずにはいられないような、不思議な響きを持つ音。しかしそこには、隠そうともしない嘲りの色が含まれていた。

 

「貴様ら戦乙女の力の本質は、感情、想いの力だ。希望を持てば持つほど力が増し、絶望を抱けば抱くほど力が弱まる。貴様らが『特徴』と呼ぶものは、それが顕著に表れた例にすぎない」

 

 悪魔が語っているのは、あくまで真実だった。人間の英知、科学すら明かせなかった事実を。事もなげに言い放つ。

 

 それは傲慢さの発露というよりもむしろ策略だった。

 

「私が何を言いたいかわかるか? 貴様らが頼りにしていた最強の戦乙女、天塚燐火は死んだ。そこの回復術者ですらもう治せない。貴様らはその事実を嚙み締めれば嚙み締めるほどに、絶望するだろう。なにせ、私を倒せる戦乙女はもう存在しない。絶望しろ。そして、絶望すればするほどに貴様らの力は弱くなっていくという事実に打ちのめされろ。私は人間の絶望が大好きだ。そのように語られたからな」

 

 悪魔はそこで言葉を切ったが、誰も反応することすらできなかった。

 

「――明日の夜。私たちは再び攻め入り、淵上高校にいる人間を皆殺しにするだろう。そしてその勢いのまま、この国を蹂躙する。その時を、雪山で死にゆく登山者のように震えながら待て」

 

 

 それだけ言うと、悪魔は翼をはためかせて去っていった。その背中には未練など欠片も見られない。今ここで立ち去って、絶望を噛み締めた戦乙女を踏み潰す方が容易い。そう考えているのだろう。

 

 他の『魔の者共』も、それに追従するように撤退していく。

 

「……」

 

 後の残ったのは、戦乙女たちの重い沈黙だけだった。

 

 誰もが下を向き、目の力がなかった。天塚燐火は死んだ。その事実は、戦乙女たちに大きな衝撃を与えたのだ。皆の支柱、黒崎夏美すらも黙っている。

 絶望に体が重くなる。諦観に息が詰まる。

 

 ――けれども、光井優香だけは。天塚燐火唯一の義妹だけは、まだ目に希望を宿していた。



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彼女たちが立ち上がる理由

 戦いが終わり、淵上高校に撤退していく戦乙女たちの雰囲気は、重苦しいものだった。

 誰もが無言で足を引きずるように歩いている。先ほどの戦いが厳しいものだったのはもちろんのこと、何よりも戦場全体に響き渡った悪魔の言葉が衝撃的だったのだ。

 

 天塚燐火は死んだ。もういない。反射的に嘘だと思っても、光井優香が抱きかかえてきた彼女の遺体が何よりの証拠だった。噂は静かに広がっていき、やがてほとんどの戦乙女に知れ渡った。

 

 黒崎夏美が、傍らを歩く光井優香を見る。

 優香は、目を閉じ動かない燐火の体を、大事な宝物のようにしっかりと抱きかかえていた。

 

「……光井。私が運ぼうか。重いだろう」

「いいえ、大丈夫です」

 

 優香の声は静かだった。それは、諦観の底に沈んでいるというよりはむしろ荒ぶる感情を必死に抑えているようだった。

 

 しかしそれを聞く夏美は彼女の様子に気づく様子すらない。彼女の中にあるのは、あまりにも深い絶望だった。

 夏美にとって、桜ヶ丘真央と敵対するということの意味はあまりにも重かった。

 彼女と刃を交えるだけでも精神を疲弊し、今の彼女はもうサーベルを持ち上げる気力すらないほどだった。

 

 そして訪れた、天塚燐火の死という出来事。何よりも、誰よりも仲間を大事にしていた夏美にとって、それはあまりにも耐え難いものだった。いっそ全部投げ出せたらどれだけ楽だろうか。夏美は、みんなを導いていた時には一度も考えたことがないことを本気で考えていた。

 

 いつもの覇気がなく、まるで抜け殻のような様子の夏美に、優香は静かに語り掛けた。

 

「黒崎先輩」

「……なんだ」

 

 夏美の声は、まるで決められた音声に応える機械のようだった。

 

「本当に、何もかも終わりだと思って諦めているんですか?」

 

 その言葉に、夏美が顔を上げる。それは、図星を突かれて居ても立っても居られなくなった、というような様子だった。

 

「――仕方ないだろ! 燐火は死んだ! あの化け物は未だ健在だ! 燐火が死んだ今、一番強い戦乙女である私があいつを倒さなければならない! ――無理なんだよ! 私は、燐火のように怖いもの知らずの鋼の精神を持っているわけじゃない! 真央先輩みたいに研ぎ澄まされた心を作れない! ――怖いんだよ! あいつに、破滅級なんてあんな化け物には勝てないと心の奥底で思っている! 私はっ、みんながいないと何もできない臆病者なんだっ!」

 

 薄っすらと涙を浮かべた夏美は、荒くなった息を整えるように言葉を止めた。

 しかし、またすぐに激しく言葉を吐きだす。

 

「さらに! 真央先輩は私たちに復讐したがっている! 私があの時先輩を助けられなかったからだ!」

 

 黒崎夏美にとって、桜ヶ丘真央の最期に立ち会えなかったことは何よりも大きな傷になっていた。彼女のために何もできなかったという負い目。

 そして、その後真央の後を引き継いでからも、ずっと自問自答してきた。どうして自分が先頭に立っているのか。どうして真央先輩がいないのか。先輩が今の自分を見たら、どう思うのか。

 

「……先輩が私を否定するのなら、私がやってきたことに意味などなかったのだ。みんなをまとめたことも、全部無意味だったんだ。やはり私は間違っていた。あの日真央先輩を死なせてしまった時から、ずっと間違っていたんだ」

 

 夏美の独白を、優香はじっと黙って聞いていた。しかし夏美が黙って俯いてしまったことを確認すると、口を開いた。

 

「……どうして先輩たちは、そんなに死んでしまった先輩に囚われてるんですか?」

「なに?」

 

 夏美の声が大きくなる。しかし優香は、それに全くひるまなかった。

 

「燐火先輩も黒崎先輩も、それにほかの先輩たちも、まるで神様のことでも語っているみたいに桜ヶ丘真央先輩のことを語ります。でも」

 

 優香は、そこで言葉を切り夏美の顔をじっと見た。

 

「先輩たちは、死んでしまった人を乗り越えられる力を既に持っているじゃないですか」

 

 優香の瞳は澄んでいて、自分の言葉を確信しているようだった。

 

「それに、燐火先輩にも黒崎先輩にもこんなに好かれていた桜ヶ丘真央先輩が、あんなこと言うと思いますか」

「しかしあれは……」

「黒崎先輩だって、違和感を覚えていたんじゃないですか? 戦う姿や立ち振舞いは、本当に生前の彼女と同じでしたか?」

 

 瞬間、夏美は自分の中に蓄積していた違和感について思い出した。

 真央と相対した時のこと。

 

「真央先輩は、もっと強かった。単に技術的にではなく、精神的にも強かった。あんな……あんな憎悪に支配されるはずがない」

 

 天真爛漫に感情を露にする普段と違い、ひとたび弓を持てばどんな状況でも冷静沈着だった。

 その弓から放たれる矢は鋭くて、そしてたとえ間合いに踏み込まれたとしても、近接戦闘で対処してきていた。

 

「――それでも、あれが本当に真央先輩だったのなら私はどうしたらいいんだ」

 

 怖いのだ、と夏美は先ほども吐いた言葉を繰り返した。

 自分がもっとも尊敬していた義姉に刃を向けるなど、考えたくもない。彼女の瞳はそう語っているようだった。

 けれども、優香は揺るがない。

 

「一つ、確かに言えることがあります」

「……それは?」

 

 夏美の言葉は、微かに期待が混じっていた。

 

「桜ヶ丘真央先輩がどれほど素晴らしい人だったとしても、黒崎先輩のやってきたことが否定されるわけではありません。私は知っています。先輩は、十分胸を張れるだけのことをやってきたじゃないですか」

 

 怖い、と口にする彼女は、自分を卑下しているように見えた。

 けれどそうではない、と桜ヶ丘真央を知らない優香だからこそ言える。呪縛を、解ける。

 

「過去の亡霊が否定するのなら、自分たちのやってきたことを声高に主張すればいいんです。自分の行いは正しいんだって堂々と言えばいい。――それに、あの桜ヶ丘先輩が言ったことが確かなら、なおさらあの人は偽物の可能性が高いです」

「と言うのは?」

「『魔の者共』は人間が恐れた化け物の顕現。そういう仮説自体は、前からありましたよね。それが事実なら、桜ヶ丘真央先輩に化けていた怪物がいたとしても不思議じゃありません。化け狐や化け狸みたいに、そういう伝承はいっぱいありますよね?」

 

 立て続けに提示された、夏美が諦めない理由、それに何よりも、優香の静かながらも確かな自信にあふれた声は、少しずつ凍り付いた夏美の心を溶かしていた。

 夏美は悟る。自分は今、目を曇らせて現実逃避していたのだと。

 

「ああ。認めよう。確かに私は、目を曇らせていたようだ……ありがとう。正直、あの日初めて戦場に立った光井からは、今のお前は想像できなかったよ」

 

 呪縛から解き放たれた夏美は、清々しい顔で言う。

 

 夏美の印象では、光井優香は気弱で戦いに向かない戦乙女だった。誰かと話す時は言葉尻が震えていて、戦場に立つ時は足が震えていた。

 それが今では、戦乙女として多くの経験を積んだ夏美をも越える胆力を発揮した。それは、恐るべき成長を遂げたと言えることだっただろう。

 

「私が桜ヶ丘真央先輩を知らないっていうのが大きいと思いますけどね。……でも、一番は、大好きな人のために何かしたいっていう想いです」

「……しかし、燐火は」

「黒崎先輩。私が入学してきた時、なんて言われてたか覚えてますか? ――私の治癒魔法なら、死者蘇生すらできるかもしれない。今日、想いの力でそれを実現してみせます」

 

 

 ◇

 

 

 淵上高校の前、普段出撃する際に集っている広場には、肩を落とした戦乙女たちが所在なさげに集まっていた。誰もが俯き、言葉を発さない。

 

 重い雰囲気が漂うその場に、夏美と優香が連れたって現れた。戦乙女たちの視線がそちらに向く。優香の抱きかかえる燐火のぴくりとも動かない姿に、沈痛な表情を見せる。

 

 しかし夏美は、毅然とした前を向いたままでよく通る声を発した。その姿には、もう先ほどまでの気弱な姿は見られない。

 

 「みんな、聞いてくれ。知っての通り、状況は絶望的だ。破滅級の出現。敵の想像以上の練度。何よりも、天塚燐火の死。すべてを諦めたくなる状況だ。私だって、さっきまでは諦めかけていた」

 

 改めて現状を確認した戦乙女たちがうつむく。

 

「だが、それでも私は言おう。――諦めるな。希望を胸に、この現状を自分たちが変えてやろうという気概を以って戦え」

「そ、そんなの、できるはずがないっ!」

 

 立ち上がったのは、数少ない三年生、『太陽が没した日』の生き残りの戦乙女だった。

 

「黒崎だって見ただろう! あの日以来の大軍勢は、戦略的に動いて私たちを翻弄した。いったい何人の戦乙女が重傷でこっちに運ばれたのかお前は把握しているのか!? 未だに死者が出ていないのはまさしく奇跡だ! きっと次はこうはいかない!」

 

 数人の戦乙女が静かに頷く。同僚が倒れる姿を直視した彼女たちは、既に戦う勇気を失いつつあった。喜悦の悪魔の策略通り、絶望に囚われた状態と言えよう。

 

「黒崎は未だ誰も倒したことのない破滅級を、この状況で倒せると思っているのか!? 真央はもういない、天塚ですら敵わなかった! こんな状況で、どうやって希望を胸に戦えと言うんだ!」

 

 彼女の激しい言葉に、複数の戦乙女が静かに頷いた。それは、今日を生き抜いた彼女たちの総意とも言える言葉だった。

 絶望が彼女たちの胸を蝕み、力を奪っていく。感情こそが力の源である彼女たちは、もはや『魔の者共』一体も倒せないほどに弱っていた。

 

 ――だからこそ、黒崎夏美が発破をかけなければ。みんなの太陽であった義姉のようになると誓った彼女が。一度諦めて、後輩に叱咤されて、これで奮起しなければ何が『切り込み隊長(ブレイブキャプテン)』だ。

 

「私たちがこれまでにやってきたことを思い出せ! 真央先輩が死んだ時、どうやって立ち直った! 私たちはあの日、今日以上の絶望を経験して、それでもなおここに立ち戦っている! わかっているからだ! 私たちがやらなければ、多くの人が死ぬ! 世界が終わってしまう! ――それに、隣に立つ大切な人すら死んでしまう!」

 

 最後の言葉に、幾人かの戦乙女が顔を上げた。そして、数人が顔を見合わせる。

 

「死なないために、死なせないために希望を捨てるな! どれだけの絶望の底にいようとも、一握の希望を手にするために死力を尽くせ! 私たちは戦乙女! 人類最後の希望にして、隣にいる誰かの明日のために戦うどこにでもいる女子高生だ!」

 

 夏美の言葉に、俯いていた戦乙女たちが顔を上げる。世界を救うために戦っている。それは紛れもなく彼女たち戦乙女の真実だが、同時に彼女たちは元を正せば普通の少女だ。そしてだからこそ、隣にいる誰かのために頑張れる。世界を救うという崇高な目的よりも、友達のため、好きな人のためという卑俗な目的の方が、彼女たちには合っていた。

 

 そして、彼女たちの希望はもう一つ。それは、圧倒的な強者の存在だ。例えるなら真昼に燦燦と輝く太陽のような、例えるなら夜空に堂々と光る一等星のような、そういう存在こそが彼女たちを勇気づけてきた。

 

「――そして、私たちの仰ぎ見た一等星は今一度蘇る」

 



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私のものです

「光井。死者蘇生の魔法について、今一度説明してくれるか?」

「はい」

 

 先ほどまで声をあげていた夏美に代わって前に出たのは、燐火の遺体を抱えたままの優香だった。たくさんの戦乙女たちに視線を向けられる状況は以前までの彼女なら物怖じしそうなものだったが、彼女は堂々と立っていた。

 

「まず前提として、悪魔の言った戦乙女の力が感情を元にしているという話は真実です。希望は戦乙女の力を強め、絶望は私たちを弱くします」

 

 動揺が広がる。それが事実なら、彼女たちの士気の下がった現状はかなりまずい。

 

「先ほど顕現した私の『特徴』においても、感情は重要な要素です」

 

 優香の言葉に戦乙女たちがざわめく。『特徴』の顕現。それは、燐火や夏美などの限られた戦乙女のみが会得している奇跡の力だ。かつてない治癒魔法を操る優香の『特徴』とは何なのか、戦乙女たちの注目が集まる。

 

「その名前は、『想い束ねる祈り人』。人の正の感情、すなわち想いを束ねて奇跡へと転化する力です。端的に言えば、死者蘇生の奇跡を起こすために皆さんの祈りを貸して欲しいんです」

 

 何だか分からないが、他ならぬ燐火が蘇るのなら、協力するしかない。戦乙女たちの顔はそう語っているようだった。

 優香は彼女たちの様子を確認すると、静かに燐火の遺体を地面に横たえた。丁重で、まるでガラス細工でも扱っているかのような手つきだった。

 

「祈りと言っても、何か決まった所作があるわけじゃありません。祈るために必要なのは、皆さんの真摯な感情だけです」

 

 優香の目が、集った戦乙女たちを見る。優香はひどく落ち着いていて、超然としているようですらあった。

 

「思い浮かべてください。皆さんが常に背中を見ていた、燐火先輩の姿を。戦場において最も強かった戦乙女の姿を」

 

 優香が杖を両手に持ち、燐火のもとにひざまずく。静かに目を閉じる彼女は、確かに真摯に祈っているようだった。

 それに倣い、戦乙女たちは各々が思う祈りの姿勢を取った。ある者は両手を合わせ、ある者は目を閉じ、各々が燐火への想いを胸に浮かべた。

 

「『これより始めるは、神の如き御業。我が力を以って人智を超えた奇跡を起こさん』」

 

 厳かで、確固たる自信に溢れた優香の詠唱が夜の空に響いた。途端、優香の体からぼんやりとした光が立ち始める。それは普段治癒をする際に出ている光によく似ていたが、しかしその濃度は圧倒的に今の方が高かった。

 

 祈り、と言われてもあまりピンと来ていなかった戦乙女たちは、その光を見て自分たちがなすべきことを理解した。

 あの光は、優香の純然たる祈り、正の感情から発生しているものだ。本能的にそれを理解したのだ。

 

「『我ら守護者たる戦乙女、ここに祈りを束ね奇跡の糧とせん。我らが力の根源たる想いを贄とせん』」

 

 既に、戦乙女たちは誰もが夢中で祈っていた。自分たちの希望たる一等星を、もう一度蘇らせるために。

 

 すると、優香以外の戦乙女たちの体からも、少しずつ光が漏れ出るようになった。優香が魔法を使う時と同じ光だ。それらは宙に浮かぶと、優香の元へと集まっていった。

 

「……ッ」

 

 祈りが、優香の元へと集約する。優香は、今までぼんやりと感じていた魔力の流れというものを改めて感じていた。優香の体に祈りは集約され、そしてそれは杖の先にゆっくりと束ねられていた。

 

「『願う奇跡は人体蘇生。道半ばで沈んだ戦乙女を、今一度蘇らせたまえ』」

 

 それは、既に奇跡と言って差し支えない光景だった。その場に集う百人に近い戦乙女全員の体から光が溢れ出し、優香へと集まっていく。

 優香の体から漏れ出る光は、既に直視できないほど眩いばかりになっていた。

 

「『束ねよ。束ねよ。束ねよ。祈りは一つに、想いは一つに』」

 

 祈りを捧げる戦乙女の一人、黒崎夏美は、自分がずっと見てきた燐火のことを思い浮かべていた。

 一年生の時に初めて会った時のこと。自分が敬愛する真央と仲良くするのを邪魔する存在だとしか思っていなかった。けれども、彼女は誰よりも勇敢だった。その蛮勇の内面を、結局彼女は測りかねていたが、しかし確かに分かることが一つあった。

 

 燐火は、自分以外の誰かが傷つかないために頑張っていた。その根底には、優しさ、自分たちに傷ついてほしくないという想いがあった。

 だからこそ、黒崎夏美は祈る。燐火に。勇気あるようで、実際は脆くて、自分に厳しく他人に優しい彼女のために。

 

「『今ここに我らの祈りを結実させ、奇跡を顕現せん!』」

 

 凝縮された光が、ついに解き放たれた。眩くて温かいそれが、燐火は体を包む。集った戦乙女たちは、自分たちの祈りの行先を固唾を飲んで見守った。

 

「……あ、れ?」

 

 燐火がゆっくりと体を起こす。それを見た優香は、目に涙を浮かべながら、彼女に抱きついた。

 

 

 ◇

 

 

 起き上がった燐火は、ひとまず体に異常がないか確認するために保健室のベッドへと連れていかれていた。

 

 集まっていた戦乙女は一旦解散し、寝床へと戻っている。しかしそれは、諦観というよりも明日に備えてのことだった。

 奇跡を目の当たりにした彼女たちは、既に先ほどまでの諦めはなかった。

 自分たちが願えば、奇跡は起きる。それを確信できたのだ。

 

 ベッドに横たわる燐火に、脇にいる優香が覗き込むようにして近づいている。

 

「……ちゃんと傷は塞がってますね。よかった」

 

 てきぱきと触診を済ませた優香は、そう言って燐火の体から手を離した。

 まだ力が戻らない燐火は、横になったままだ。あるいは、起き上がる気力すらない、と言った方が正しいかもしれない。

 

「優香ちゃん、あの時私は確かに死んだはずじゃ」

 

 燐火の顔には、隠し切れない落胆が隠れているようだった。

 それに対して優香は、わずかに顔を下に向けて答える。

 

「はい。確かに燐火先輩の心臓は一度完全に止まっていました。でも私の『特徴』のおかげで、奇跡を起こせました」

「そっか」

 

 傍迷惑な奇跡だ、とでも言いたげな素っ気ない言葉だった。

 

「燐火先輩、らしくないですね」

 

 優香の言葉もまた、冷え切っている。いつもの温かい雰囲気とはまるで違う会話は、きっかけがあればすぐに爆発しそうだった。

 

「らしくない? 優香ちゃんは、私の何を知ってるの?」

「何をって……燐火先輩はあの時話してくれたじゃないですか。自分の本心を。内心の奥底を」

 

 あの日、優香が桜ヶ丘真央の真実を暴いた時、彼女はたしかに燐火のことを分かったはずだった。

 しかし、根っこのところで誤解があった。燐火の中にある自己否定は、未だに彼女の奥底に根付いたままなのだ。

 

「違う! 本当にわかっているのなら私なんかについてきてくれるはずがない!」

 

 燐火の声に感情が灯る。普段他人に激しい感情を向けることなどほとんどない彼女の激昂。しかしそれは、迷子になった幼子のように頼りないものだった。

 

「どうして醜い私を晒したはずなのに信頼の目を向けてくるんだ! どうして私なんかを肯定するんだ! どうして、どうして、どうして!」

「……燐火先輩がそんなことを言いだすのは、あの桜ヶ丘真央先輩に何か言われたからですか?」

「ッ!」

 

 図星を突かれた燐火が一瞬言葉に詰まる。しかし、すぐに己のうちにある心を吐き出した。

 

「そうだよ! 真央先輩が、初めてこの私を肯定してくれた真央先輩が、他ならぬあの人が私を恨んでいたのなら、私にはもうすでに価値なんていないんだよ!」

「……たとえ、私があなたを肯定すると言ってもですか?」

「違うんだ! 違う、違うんだ……優香ちゃんがどうとかじゃなく……真央先輩が、真央先輩が……」

 

 燐火の頭は、もう既にまともな思考能力を残していなかった。他ならぬ真央に否定されたという事実が、彼女を自己否定の渦へと巻き込んでいた。

 その様子に、優香は今ここで桜ヶ丘真央が偽物である可能性を指摘しても無駄であると確信した。

 

「やっぱり、燐火先輩は本当の意味で桜ヶ丘先輩の死から心を解放できたわけじゃなかったんですね」

 

 優香のために生き、そして死ぬと決意した燐火だったが、真央本人が目の前に現れるという事態を前にして、再び決意が揺らいでいた。

 

 そんな燐火の様に、優香は耐え難い感情に襲われた。優しい彼女が今まで無縁だった感情。愛というには醜くて、ドロドロとした感情。──それは嫉妬、あるいは独占欲だった。

 

「やっぱり、私はあの時に死ぬべきだったんだ」

「お姉様」

 

 優香の声に、かつてない感情が籠る。艶やかで、重苦しくて、複雑な感情の籠った声。茫然自失だった燐火ですらも、思わず優香の顔を見た。

 

「そんなに、前のお姉様が忘れられませんか?」

「ゆ……優香、ちゃん……?」

 

 燐火の顔に、優香の顔がぐいと近づいてくる。燐火の目に映る優香の瞳の中には、ドス黒い炎が渦巻いていた。

 

「私があれだけ想いを伝えたのにまだ分からないっていうのなら、まだ生きることからの逃避を考えるっていうのなら──私が、ゆるしません」

 

 燐火の目が大きく見開く。優香の両手が、燐火の柔らかい頬をがっちりと固定し、逃げられないようにする。

 ゆっくりと近づいてきた優香の唇が、静かに燐火の唇を奪った。

 

「ッ──」

 

 視線が交錯する。驚愕する燐火の瞳。微笑むように細められる優香の瞳。

 唇を交えて、何秒経っただろうか。静かな息遣いと衣が擦れる音だけが保健室に存在していた。

 

「ッはーっ」

「ッ……はっはっ……」

 

 激しい息遣い。頬を薄っすら赤く上気させた二人は、熱っぽい視線を交錯させる。

 

「ゆうか、ちゃん……?」

 

 茫然と、燐火が問いかける。けれどその様子は、先ほどまでの絶望に我を忘れている時とはまた違ったものだった。

 

「お姉様の物分かりがあまりにも悪いから、初めてのキス、しちゃいました」

 

 優香が妖艶にほほ笑む。

 

「な、なんで……」

「──これで、お姉さまはもう私のものです。たとえ愛するあなたであろうとも、勝手に死なせるのはゆるしません。……もう、私のものです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、燐火の胸中には激しい衝撃が走った。

 所有権を主張する、まるでモノを扱うが如き物言い。それは今までの優しい優香とは明らかに違う踏み込み方だった。

 

「優香ちゃんの、もの……」

 

 燐火の被虐趣味が激しく刺激される。優香の目は、嗜虐的な光に爛々と輝いていた。

 

「はい。私のものだから、勝手に死ぬのはゆるしません。勝手に傷つくのはゆるしません。傷つけていいのは、私だけです」

 

 瞳を潤ませた優香が、燐火の顎をそっと持ち上げる。奇しくも、それは燐火がかつて優香にした仕草だった。

 

「燐火先輩。あの悪魔を倒せたら、私がとっておきのお仕置きをしてあげます」

「おし、おき……」

 

 それは、燐火にとってあまりにも甘美な響きだった。鼓動が早くなる。想像が、妄想が頭を駆け巡る。

 

「だから燐火先輩、死ぬのはゆるしません。もう、私のものですから」

 

 優香の熱のこもった瞳が優香を捉える。燐火は、それに熱の籠った目線で応えていた。

 

 この瞬間、二人は本当の姉妹のようで、同時にそれ以上に深い関係だった。




所有欲と被虐趣味の相性は抜群

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一夜明けて

 既に夜をも通り過ぎて朝日がわずかに登りつつあった。普段なら、そろそろ早起きの人間が起きてくるような時間帯だろうか。

 しかし淵上高校には、既に動き回る人影があった。

 

 明日の夜の破滅級との戦いに備え、早くに起きて準備を整えている人員だ。特に多いのは、戦乙女ではない、大人の職員だ。

 外部との連携を取り、戦乙女の増援を呼べないか連絡を取るもの。それから、近隣に住む住民に警告を伝える手筈を整えるもの。

 

 それとは別に、黒崎夏美は朝早くから起きて対策を練っていた。廊下を足早に歩く彼女の表情は引き締まっている。

 そんな彼女の前で、保健室のドアが開き、天塚燐火が出てきた。

 

「おお、燐火もう体は大丈夫なのか? ……燐火?」

 

 昨晩の奇跡の復活から回復したらしい燐火を労うよう声をかけるが、彼女の様子は何かおかしかった。頬が赤くて、心ここにあらずといった様子だ。

 その後ろから、優香の姿。彼女もまた、様子がおかしい。頬を赤らめ、燐火の背中をじっと見つめている。

 

「……ああ夏美。おはよう」

 

 燐火の目がようやく夏美を捉え、挨拶をする。

 

「早いね。大丈夫? ちゃんと休めてる?」

「いや、むしろ私はお前の方が心配だぞ。ボーっとしていたようだが、夜に戦えるのか?」

 

 夏美の指摘に、燐火は少し動揺を見せた。

 

「い、いや、別にそんなに体調的には問題ないよ。しっかり眠れた。むしろ調子が良いくらいだ。うん」

「……どうした燐火。なんか変だぞ。たしかに調子が悪いって感じはしないが」

 

 挙動不審な燐火に代わって夏美に話しかけたのは、後ろに控えていた優香だった。控え目な笑みを見せながら、前に出てくる。

 

「私の目から見ても、燐火先輩はもう十分に戦えると思います。蘇生魔法は無事に作用していて、体に不自然な点はありませんでした」

「そうか。……ちなみに聞くが、あれは、人体蘇生の奇跡は、もう一度起こせるものなのか?」

 

 夏美の問いかけに、優香は少しだけ黙り込んで考え、やがて答えを出した。

 

「……かなり難しいですね。まず、遺体の損壊が激しかったり腐敗が進んでいると、正しく作用するのが難しいです。今回はすぐに死後すぐに治癒魔法をかけたので、条件が良かったです。蘇生魔法が難しい要因はもう一つあります。蘇生魔法の発動には私の『特徴』の発動が必須ですが、あれほどの出力を出すのはかなり難しいです」

「光井の『特徴』と言うと……『想い束ねる祈り人』だったか」

 

 夏美が夜に聞いた名前を出すと、優香は頷いた。

 

「はい。『特徴』によって私の治癒魔法はみんなの想い、祈りを受け取れば受け取るほどに効果を増します。蘇生魔法は、あくまで治癒魔法の延長線上、その頂点に存在するものです。だから、発動するのに莫大な祈り、言い換えれば魔力が必要になります。つまり、蘇生される人に向けられる正の感情が必要なんです」

「……たしかに、あの夜空に浮かぶ祈りの光は、凄まじいエネルギーだったな。燐火にも見せてやりたかったぞ」

「……私にそんな祈りが集まるの?」

 

 懐疑的な目をする燐火に、優香は呆れたような顔を向けた。

 

「燐火先輩があそこまで慕われているから、蘇生魔法は成功したんですよ?」

「でも、みんな私を怖がっていると思っていた」

 

 燐火の主観では、同級生も下級生も話しかけても堅い口調で返事するばかりだったので、普段の戦いぶりからドン引きされているものだと思ったのだ。

 

「そういう感情もありますけど……でも、それだけじゃなかったって話です」

「燐火。怖がられているとお前は言うが、畏怖という言葉もあるぞ。怖がっているということは、そのまま嫌っていることを意味するわけじゃない。畏れ多いだとか、憧憬だとか、そういう感情がお前に向けられていたんだ。淵上高校のエース様は、お前が思っていたよりもずっと人気者だったってことだ」

 

 冗談めかした夏美の物言いに、燐火は無表情で物思いにふけった。

 

 今までの燐火なら、有り得ないと一蹴していたことだろう。

 しかし優香の灼熱の如き感情の籠った瞳に貫かれ、口付けで激しい想いを告げられて、彼女も中にヘドロのように溜まっていた自己嫌悪は、わずかな変化が生じていた。

 優香のモノとしての自分ならば、少しくらい肯定してもいいかもしれない。それは相変わらず歪んだ価値観だったが、しかし元々歪んでいた彼女にとっては進歩と言って良いものだった。

 

 あるいは依存と言えるのかもしれない。生まれて初めて、すべてをさらけ出し、それでもなお自分を受け入れると言ってくれた優香に全身を預けるという気持ち。

 あるいは見栄か。自分を慕ってくれる優香の前だけでは、自分は自分を正さなければならないという意地。それこそが優香のお姉さまたる彼女を突き動かす新しいものなのかもしれない。

 あるいは執着。自分にとって最も大事な優香を失いたくない、離れたくないという気持ち。そして、優香のもたらすよろこびを残さず感じたいという情動こそが、彼女の新しい生きる意味となり得るものになっていた。

 

 総じていえば、それは愛だったのかもしれない。

 

 

 黙り込んでしまった燐火を置いて、優香と夏美は会話を再開していた。

 

「とにかく、燐火先輩は最強の戦乙女として名高いので、祈りが集まりやすかったです。他の人でも同じようにいくかと言われたら、かなり厳しいでしょう」

「そうか……たとえ燐火が復活しても厳しい戦いになるだろうから、蘇生魔法が使えれば心強かったんだがな」

 

 優香の死者蘇生の魔法は、一夜の奇跡とも言えよう。優香の破格の治癒魔法と『特徴』が嚙み合って実現したもの。仲間の命を預かる夏美としては、喉から手が出るほどに欲しい奇跡だった。

 

「死んだ人はもう蘇らせることはできませんが、生きた人をもう一度立ち上がらせることならできるかもしれません」

「……光井?」

 

 優香が微笑を浮かべる。そのまま優香は夏美にある提案を突き付けた。

 

 

 ◇ 

 

 時は遡り、破滅級との戦いの直前で人気のなくなった淵上高校での出来事。

 

 優香はエルナの閉じ込められている部屋を訪れていた。

 破滅級との戦いの直前に、優香はエルナ・フェッセルを脱走させて戦ってもらおうという算段を立てていた。

 

 バレれば怒られるでは済まない蛮行は、優香にとってエルナの傷害事件が全く納得いかないものだったからだ。

 エルナは無罪に違いないと信じて、優香はエルナの許を訪れた。

 

 その会話を、優香はよく覚えている。

 

「エルナさん。私は、あなたを信じています。今ならここで、あなたを解放することができます。これからの戦いでエルナさんが戦果を挙げれば、きっとあなたを責める人なんて誰もいないでしょう。それでも尚、ここに留まるといいますか?」

 

 優香は、黒崎夏美の判断に納得できていなかった。エルナを解放せず、信頼できる仲間たちで戦う。それは素晴らしいことだが、同時に優香はリスクを感じていた。

 破滅級がかつての燐火ですら敵わなかった強敵だというのなら、戦力は一人でも多いほうがいい。特にエルナほどの実力者ならなおさらだ。

 

「……ああ。私がいたところで、何になるというんだ。リンカもいるんだろ」

 

 エルナの焦燥は、優香の想像以上だった。自信に溢れていた目は力なく伏せられ、体から活力を感じない。

 

「……エルナさんの頑張りを裏切ってしまった淵上高校に不信感を覚えるのは分かります。けれど、今ここで立ち上がってみんなを助けられたら、エルナさんへの信頼も帰ってくるとは思いませんか?」

「違うんだ……私はもう頑張れない。リンカすら私を否定するのなら、もう私は……」

「エルナさん……」

 

 エルナの憔悴は、優香が想像していた以上だった。普段自信に溢れている彼女なら、簡単に立ち直ってしまうだろうと想像していたのだ。しかし違った。

 

 エルナの溢れる自信は、己の強さへの信頼からきているものだった。ドイツにおいて敵なしの戦乙女だったエルナ。実力と名声が上がるにつれて、エルナのプライドは形成されていった。もともと他人に蔑まれることが嫌でたまらなかったエルナにとって、他人を見下すのは麻薬のような快楽だった。

 

 その自信が、一度燐火との決闘で打ち砕かれた。

 それでもエルナは挫けなかった。燐火のようになろうと、決意したのだ。

 しかしながら、努力をしても結局あの事件で燐火に否定されるという結果になった。

 燐火の『失望した』という言葉。それはエルナに立ち直ることすら難しい状態に貶めた。

 こんな自分が頑張っても無駄だったのではないか。ここに一人で閉じ込められているうち、そんな無力感が、彼女を包み込んでしまった。

 

 

「もう時間がないので、ここで決断を迫ることはしません。きっと、今のエルナさんに私から何を言っても無駄でしょう」

 

 あまり遅いと怪しまれる。

 優香は、ここでエルナと徹底的に対話したい気持ちを抑えて、最小限の言葉だけを残した。

 

「でも、これだけは覚えていてください。──あなたの強さを、私は信じています」

「私の、強さ……?」

 

 エルナが何事か考えだす。優香はそれを見届けると、その場を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 あれから一夜が明けて、優香は再びエルナのもとを訪れていた。今度の侵入は、黒崎夏美の許可済み。堂々とした足取りで、優香はエルナに近づいて行った。

 

「エルナさん。私の言ったこと、考えてくださいましたか?」

 

 問いを投げ掛けながらも、優香は既にその答えを確信していた。

 エルナの目が、元に戻っている。いっそ不遜なまでにギラギラ輝く瞳が全てを物語っていた。

 

「一晩、考えたんだ。ここに来るまでのこと。ここに来たあとのこと。……私の持つ、最も大事なものについて。それは結局のところ変わっていなくて、私の胸の中に変わらず存在していた」

 

 言葉に確かな自信が戻っている。己の原点に立ち返った彼女は、もう過去に囚われることはなかった。

 

「──私は、もう弱い私は嫌だ」

「それなら……!」

「ああ、ユウカの頼みなら、私はたとえこの学校のすべての戦乙女を敵に回してでもお前の敵を打ち倒してみせよう」

 

 エルナの目はあまりにも真剣で、優香も気圧されてしまうほどだった。

 だからこそ、優香は次の言葉を発するのを少し躊躇った。

 

「あ、あの……黒崎先輩の説得はもう済んでいるのでみんなを敵に回す必要はないです」

「え……あっ」

 

 気まずい。二人の思いが重なった瞬間だった。



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決戦の幕が上がる

 黒崎夏美はもう一度戦う決意を固め、天塚燐火は蘇り、エルナ・フェッセルは戦う理由を思い出した。

 

 そうして、再び夜が訪れた。昨夜と同じ真っ暗な空。敗北を喫した昨日と同じだ。

 けれども、戦乙女たちの胸には決意があった。

 

「燐火、いよいよだな」

 

 夏美の顔は、引き締まっているのと同時にある程度の柔らかさがあった。頼もしさを感じながら俺は返事をする。

 

「うん。私の準備は万端だよ。ゆ、優香ちゃんは?」

 

 ああ、まずい。優香ちゃんに話しかけようとすると、緊張してしまう。

 こんな情けない姿は彼女には見られたくないのに。けれども優香ちゃんは、そんな俺の葛藤をも見透かすように薄く笑ってみせた。

 

「私も、燐火先輩を精一杯フォローする準備はできています。エルナさんも、もう体調は十分そうですね」

 

 優香ちゃんの目が、隣に立つエルナの方に向く。その事実に、自分の中に少しだけ苛立ちが湧き上がってしまう。小さな嫉妬だ。

 

「ああ。優香のおかげであの部屋から出られたからな。──それに今は、復讐するべき相手が分かったことで気分が昂っている」

 

 エルナの瞳が獰猛に光る。それは、軟禁されていた時のしおれていた姿とは全く違って、とても彼女らしいものだった。

 

「エルナには、段取り通りに真央先輩の偽物が現れたら戦ってもらう。真央先輩と戦うとなると、私含めて躊躇う戦乙女も多いからな」

 

 夏美の言葉に、俺は静かに頷く。特に二年生以上の生徒に尊敬していた真央先輩と戦え、というのは酷というものだ。一年生にやらせるにしても、少々荷が重い。

 

 人間そっくりに化けるなんて過去見たことのない能力を持った『魔の者共』だ。決して弱くはないだろう。

 

「おそらく、エルナに化けて傷害事件を起こしたのも同じ相手だろう。人に化けるなんて破格の能力を持つ『魔の者共』が複数いたのなら、淵上高校はとうの昔に内側から瓦解しているはずだからな」

 

 今までの事件を整理して、俺たちは敵の今までの動きにある程度の仮説を立てた。

 敵はむやみに人に化けることはせずに、こちらの最大戦力を戦わせないためだけに使っている。

 まず狙われたのはエルナ。入学当初のイメージを利用して、彼女に決定的な事件を起こさせる。

 いくら強いエルナと言えど、淵上高校全体から睨まれればもうまともに戦えない。敵の思惑通り、エルナは囚われの身となった。

 

 そして次に狙われたのは、俺、天塚燐火だった。精神的な弱点ともいえる。真央先輩の死。それを知っていたあの悪魔は、真央先輩の偽物をしたためた。

 効果は抜群だった。俺の動揺だけでなく、真央先輩を知る戦乙女たちの動揺までもさそった。正直なところ、優香ちゃんがいなければ俺たちはあのまま終わっていたのではないかとすら思える。

 

 夏美が、気まずそうにエルナに話しかけた。

 

「……その、フェッセル。今更だったが、お前の無罪を信じれなくて悪かったな」

「ああ、別にいい。憤りがないとは言わないが、今はそれどころではないことくらい分かっている。それに、この怒りはすべて偽物にぶつけると決めた」

 

 エルナの淡白な様子は、この話はここでおしまいだと言っているようだった。

 けれども俺も、何か一言言わなければならないような気がした。

 

「私も、変わろうとしていたエルナを信じることができなかった。ごめん」

「いいと言っているだろう。しつこいぞ」

 

 俺の言葉に、エルナが視線を逸らしながら答える。

 少しだけ、夏美に謝罪された時とは反応が違う気がして、俺は少し彼女を観察する。

 

「……失望したっていう言葉は、取り消すよ。私が間違っていた」

 

 その瞬間、大きく見開かれたエルナの目がまっすぐに俺を貫いた。

 ああ、きっとエルナを蝕んでいたのは、俺の発したこの言葉だったのだ。

 

 当初のエルナの様子、他人に暴力を振るい、最強の看板を奪い取らんとする姿は、誰もに承認され、慕われるような人間になりたいという焦りのようなものも感じられた。

 

『力なきものに権利などない。それが、私がこれまでの人生で得た教訓だ。力さえあれば、自由が許される。好きに戦える。……見下されない。だから私は、最強の戦乙女になる必要があった』

 

 そう語るほどに力を求めていた彼女のうちにあったのは、誰かに認められたいという原始的な欲求だったのだ。だから、失望した、なんて言って欲しくなかった。

 証拠はない。けれども、かつてこの体になる以前、両親の承認が欲しくてたまらなくて机にかじりつくように勉強していた俺には、なんとなく分かる気がしたのだ。

 

 エルナが勝気に笑う。その体には、先ほどまでよりもさらに覇気が漲っているようだった。

 

「取り消す程度では足りないな。この戦いが終わったら、私はお前にもう一度決闘を挑んでやる。その時、お前に私は強いと言わせてやる」

 

 

 ◇ 

 

 

 そうこうしている内に、遠見の能力を持つ戦乙女から報告が上がった。

 

「敵影見えました! 昨夜のように列をなしてこちらにむかってくる『魔の者共』の軍勢! 先頭に立っているのは、例の片腕の悪魔、それと桜ヶ丘真央先輩の偽物です!」

「来たな……!」

「──みんな、準備はいいか?」

 

 夏美がスマホ越しに呼びかける。普段、戦場をビリビリと震わせるような大声で指揮を取っている彼女らしからぬ小さな声。

 すでに各所に散らばった戦乙女たちにその声は届いているのだろう。

 

 普段みんなで固まって『魔の者共』を迎え撃つ淵上高校。しかし、今夜だけは事情が違った。

 敵が戦略的に動くのなら、こちらが先に不意を突いて仕掛けて、敵の思惑どおりに動かないようにすればいい。

 

 淵上高校の西側、すなわち大穴の方向には、『魔の者共』の侵攻によって廃墟となった東京の街並みがある。

 瓦礫は片づけられることもなく、無秩序に散らばっている。少女たちが隠れるのには丁度いい。

 

『第三チーム、配置につきました』

『第二チーム、準備完了です』

 

 緊張感に満ちた声が返ってくる。夏美はそれを確認すると、俺の方に向き直った。

 

「それじゃあ燐火、後は頼んだぞ」

「うん」

 

 俺は意を決して、ゆっくりと敵の軍勢へと歩みを進めた。近づくたびに、威圧感が身を襲う。攻撃はされなかった。

 俺でさえも、無防備に立っていたらあっさりと殺されそうな迫力。けれども、今の俺にはもはや恐れはなかった。

 

「……おやおやおや! 誰かと思えば、あの時死んだはずの木偶人形ではありませんか!? おや、これはいったいどんなマジックを使ったので? カツラでも被って仮装パーティーですか?」

「……」

 

 俺が蘇ったことを知っても、喜悦の悪魔はそこまで動揺した様子を見せなかった。

 俺を殺すことには失敗したが、自分さえいれば人類など簡単に滅ぼせるとでも言いたげな態度だ。

 さあ、俺はどう出るのかと冷静に観察している。

 

 しかし俺は、悪魔の目の前まで無防備に近づくと、降参するように両手を上げた。

 

「どうしましたか最強の戦乙女様。まさか奇跡の生還を果たしたというのにもう諦めたのですか?」

「……うん」

 

 素直に答える。

 

「私はあの時死ねなかった。真央先輩を死なせてしまった罪を償うことができなかった。だから、ここで今罪を償うことにした」

「……なに?」

 

 意外そうに、そして不服そうに、悪魔は首を傾げた。一瞬の沈黙。人類の敵である『魔の者共』の目が、無防備な俺に集中する。

 次の瞬間、俺の体は悪魔の隻腕によって叩き伏せられていた。

 

「グッ……」

「なぜもっと無様にあがかないのです? 無様に抵抗する人間の死にざまを、私は楽しみにここに来たんですよ」

 

 地面に押し付けられた顔に砂利が当たり、ひりひりと痛む。頭の上に乗っかった黒い腕は、痛いくらいに俺を押さえつけてきていた。

 憎くてたまらない、最愛の人の仇に、押さえつけられている。

 

 屈辱感に、体のうちから熱が湧き上がる。『特徴』の効果で、力が溢れ出してくる。

 これを待っていた。喜悦の悪魔の性格からして、俺にさっさとトドメをさすことはないだろうと思っていた。俺を真央先輩の偽物に鉢合わせた時の嗜虐的な笑みから、それくらいは分かる。

 

「……」

 

 地面に伏せたまま静かに力を籠め、密かに小太刀を握る。悪魔の体を眺める。人間の1.5倍はあるかという巨大な体。

 

 ──まだ、足りない。この程度の昂ぶりでは、この敵に傷を与えることすらできない。

 そうだ、昨日の夜のことを思い出せばいい。近づいてきた優香ちゃんの顔。唇の感触。……彼女の口から出た『お仕置き』の言葉。

 

「……お、おおおおおおお!」

「なっ、馬鹿な!?」

 

 うおおお、興奮してきた! 今ならなんでもできそうだ! 

 

 力のままに立ち上がると、悪魔の腕がはじかれたように上に向く。

 体勢を崩した悪魔に向き直り、二振りの小太刀を振りかぶる。

 振り下ろした刃は、稲妻の如き速さで黒い体に叩き込まれた。

 

「ぐっ……ああああああ!」

 

 吹き飛ぶ悪魔を追って、俺はその場から駆け出した。

 



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エルナの再出発

「燐火が行ったぞ! 私たちも出る!」

 

 夏美の大声に、周囲に控えていた戦乙女たちが一斉に飛び出す。その中でももっとも素早く敵に近づいていったのは、エルナだった。

 

「ハッ……ははははは! 見つけたぞ! 偽物がああああああ!」

 

 桜ヶ丘真央の元に銃弾が飛ぶ。走って接近しながら引き金を引き続けるエルナだったが、しかしその狙いは的確で確実に真央の姿をした敵を捉えていた。

 

「ぐっ……怪物たち、私を庇って!」

 

 周りに控えていた『魔の者共』が真央の前に立ち銃弾を受ける。自己犠牲。今まで見たことのない動きだ。

 エルナは舌打ちすると、肉壁を突破するためにさらに接近を始めた。

 

「私も出るぞ。光井、お前は燐火の元へと行くんだったな」

「はい」

 

 燐火は、自らの手で吹き飛ばした悪魔を追って奥まで行ってしまった。

 優香一人で燐火を追うことに不安を示した夏美だったが、しかし彼女の決意に籠った瞳を見てすぐに止めるのをやめた。

 

「では……私たちもあいつらに負けないように奮闘するとするか」

 

 サーベルを持った夏美は不敵に笑うと、その場から一瞬で消え去った。

 優香が次に夏美の姿を捉えた時、彼女はすでに敵前方にいた敵に向けて攻撃を放っているところだった。

 敵──落ち武者を鎧ごと切り裂くサーベル。血飛沫と断末魔と共に敵の姿が消える。

 

「私に続け、勇敢なる戦乙女たち!」

 

 落ち武者を切り裂いたサーベルを高々と掲げ、夏美が声を張り上げる。物陰から飛び出し奇襲を仕掛けたほかの戦乙女たちは、それに呼応するようにさらに激しい攻撃を加えて居るようだった。

 前夜は集団行動で戦乙女たちを翻弄していた『魔の者共』だったが、奇襲を前にして陣形を崩壊させていた。近接戦闘に優れた『魔の者共』が敵前逃亡をはじめ、後方に控えていた遠距離型の敵と入り混じる。

 

 まるで羊を追い立てる犬のように、戦乙女たちは確実に敵を追い詰めていた。

 

 

 その集団から少し離れたところ、激戦を繰り広げているのはエルナだ。真央の偽物、ドッペルゲンガーと戦っている彼女は、激しい怒りを顔に浮かべながら戦っていた。

 

「く……私の言葉を忘れたの!? 私は、あなたたちに尽くしたのに結局裏切られて……」

「知らん! 私はその顔の奴に会ったことなどない!」

 

 エルナの弾丸が、ドッペルゲンガーの体を掠める。すかさずドッペルゲンガーを庇うようにオークが前に出てくるが、エルナの激しい銃撃を前にあっさりと倒れ込んだ。

 

「っ……なら……!」

 

 ドッペルゲンガーの持った弓から続けて飛び出した三本の矢。エルナはそれを鼻で笑うと、素早い動きで回避した。

 

「こんなのがリンカの尊敬していた戦乙女だと? そんなわけがないだろ!」

 

 再び、引き金を引く。鉛弾が体の中心を捉えると、真央の姿に揺らぎが生じる。ドッペルゲンガーがあまりのダメージに変身を維持できなくなっている証拠だ。

 

「ッ……それなら……!」

 

 劣勢を悟ったドッペルゲンガーが、怪物たちをけしかける。

 犬の姿をした複数の敵がエルナに襲いかかるが、すぐに銃声が響き全て倒れてしまう。

 

「次はお前だな……なんだその姿は」

 

 エルナの目の前に立っていたのは、エルナの姿をした人間だった。鏡写しのような状況。ドッペルゲンガーが高笑いする。

 

「ハハハ! 見ろ、まごうことなきお前自身の姿だ! これを傷つけられるのか!? お前は自分自身を撃てるのか!?」

「うるさいぞ偽物っ!」

 

 あっさりと引き金を引く。エルナの偽物ながら綺麗な顔に、不自然なひびが入った。

 

「あ……な、なぜ……」

「そんな怯えた顔をするのは私ではない。消えろ」

 

 再び直撃した銃弾と共に、ドッペルゲンガーの顔が砕け散る。

 しかしながら、ドッペルゲンガーはそれで終わらなかった。

 

「ふ……ふふ……」

 

 再び顔を上げたドッペルゲンガーの顔は、茶髪にお下げの生徒の顔だった。

 

「やはり、あれもお前だったのか」

 

 それは、エルナに対して燐火と決闘するようそそのかした生徒の姿だった。

 自分が燐火と敵対するところから、既に敵の策略の中だった。

 それを悟ったエルナの表情には、あまり変化がないように見えた。

 

「ええ……ええ! 私の言葉に翻弄されてピエロを演じるあなたは、あまりにも滑稽で笑えましたよ! 特にあの、暴力事件の容疑者として天塚燐火に捕らえられた時の狼狽具合といったら……ふふ……あっははははは!」

 

 ドッペルゲンガーが大袈裟に挑発しているのには訳があった。

 エルナは精神攻撃に弱い。特に己が笑われる、馬鹿にされるような状況になるとひどく狼狽する。燐火の決闘を見ていた者なら誰でも分かることだ。

 

「……」

 

 エルナが沈黙する。わずかに銃口が下がった。

 間違いない。動揺している。手ごたえを感じたドッペルゲンガーは、さらに言葉をつづけた。

 

「何よりも滑稽だったのは……そう! 天塚燐火に敗れた時のことでしょう! 慣習に惨めにも笑われながら地面に倒れ込んだあなたはまさに──」

「──黙れ」

 

 エルナの全身から溢れ出す殺気に、ドッペルゲンガーの口はピタリと止まった。

 次の瞬間、口内に冷たい感触。エルナの持った拳銃が、ドッペルゲンガーの口の中に差し込まれた。

 

「ッ……」

「消えろ」

 

 皮膚の内側から爆ぜた銃火が、内側から脳味噌を貫く。それだけでは飽き足らず、エルナは心臓のあたりにもう片方の拳銃を押し当てると、何度も引き金を引いた。

 エルナが嗜虐的に笑う。飛んできた血肉を浴びながら、彼女は凄惨に笑っていた。

 

「ハッ……ハッハハハハ! 消えろ消えろ消えろ消えろ!」

 

 茶髪の少女の姿をしていたドッペルゲンガーは、雨のように浴びせられた銃弾のせいで既に血まみれの肉塊と成り果てていた。普通の人間ならとうの昔に死んでいただろう。しかし、元々人間ではないドッペルゲンガーはまだ死んでいなかった。

 

「あなたは……」

「しぶといな。傷つけるかいがある」

 

 銃弾を一発。口の部分を貫く。

 しかし、肉塊は別の部分から声を出し始めた。

 

「あなたは、人間を傷つけることを躊躇わないのですか?」

「愚問だな……楽しいに決まっている」

 

 弾丸を一つ。しかし、ドッペルゲンガーは黙らない。エルナを動揺させなければ、勝ち目はない。

 しかしエルナは怒りを露にしながらも揺らぎはなかった。

 

「そんな腐った性根で、あの人たちと仲良くしようとしていたのですか?」

「ふん……私は、私のゆるせないものを傷つけるだけだ。それがお前みたいな奴……人を傷つけてニヤニヤしているようなクズだ」

 

 エルナは、無防備で無垢な相手を傷つけて自らの欲を満たしたいのではない。そんなものは、もうやめた。

 彼女が傷つけたいのは、自分と同じクズ。他人を傷つけて喜んでいる奴、そして、自らは手を下すことはなく他人を操りニタニタしているようなクズだ。

 

 銃弾をもう一度浴びせると、ドッペルゲンガーの様子に変化があった。肉片が収束し、黒色に変化していく。ドッペルゲンガーの本質は影。もともと、不定形のものだ。

 

「Arrrrrrrrrrrrrrrrrr!」

 

 ひび割れた、不気味な声が響く。影は大きく広がり、宙に浮かびながらエルナを取り囲む。まるで、巨大なクラゲの足のようだった。うねうねと動く触手が、エルナを取り囲む。

 

「……ははっ、ついに醜い本性を晒したな」

 

 触手の数はざっと見ただけで20本はある。一斉に襲い掛かれば、二丁の拳銃を以てしても捌ききれるか怪しいほどだ。

 

「A……Arrrrrrrrrrr!」

 

 触手たちは、一斉にエルナに向けて襲い掛かった。

 

 ドッペルゲンガーは、激痛の中で必死に思考を繋ぎとめた。元々、ドッペルゲンガーの自然な形は人型だ。そう語られた歴史がある以上、形に縛られる。

 

 エルナの度重なる銃撃で、既に体力は限界。影を広げてしまった今、おそらくドッペルゲンガーは元の姿に戻ることなく四散するだろう。

 しかし、それでもいいとドッペルゲンガーは思考する。目の前に立つ、エルナ・フェッセルという強い人間を殺して、初めてドッペルゲンガーは自らが『本物』だったことを立証できるのだ。はじめから人間の偽物として生まれ落ちたドッペルゲンガーは、ここで人間を殺すことで世界に影響を与え、自らの存在を刻み込む。

 瀕死のドッペルゲンガーに残された欲求は、ただ世界に認められたいという一心だけだった。

 

「Arrrrrrr!」

 

 触手の動きを観察していたエルナが動く。流れるように動いた銃口が、正確無比に触手を打ち抜く。

 身をかわして、背後に一発。身をかがめて頭の上に一発。触手の数と同じだけの銃声が響いた後、エルナに襲い掛かる影は、手のひらほどのサイズの小さな球体になっていた。

 

「……」

 

 もはや言葉を発する機能すら失ったドッペルゲンガーに、エルナは表情の向け落ちた顔で銃口を向けた。

 

「お前も、私と同じだったのだな。認められたくて、だから誰かを傷つける。私と同じ、クズだ」

 

 最後の銃声とともに、影はまったく動かなくなった。



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呪縛は解かれた

 俺の一撃は、喜悦の悪魔の体を大きく後ろに吹き飛ばした。追撃するために俺はそれを追って走り出す。

 

「ぐっ……人類ごときが舐めるなあああ!」

 

 渾身の一撃で吹き飛ばしてなお、悪魔の力は弱まっていなかった。翼をはためかせて威力を軽減。そのまま槍を投擲してきた。

 

「……ッ」

 

 小太刀を振り、飛んできた槍を上にそらす。再び加速して、俺は悪魔の懐に飛び込んだ。

 

 死ね悪魔。優香ちゃんのお仕置きのために! 

 

 二振りの小太刀が黒い体に迫る。一方は再び現れた槍に防がれ、もう一方は表層に傷をつけるに留まった。

 

「チッ……足りないか」

 

 悪魔が投擲する隙を与えない間合いを維持しながら、俺は敵が次にどう動くのか観察する。

 対する悪魔は、ひどく動揺しているようだった。

 

「……なぜですか。いくらあなたが強いとはいえ、ここまでではなかったはずです。大穴より選ばれた戦士たる私が傷をつけられるほどではなかった」

「なぜ、人間の強さが同じだと思っていた? 人間は成長する。そんなことも知らなかったの?」

 

 そう、俺はもはや今までの俺ではない。今までの価値のない俺ではなく、優香ちゃんのモノだ。

 そう思った途端、体に力が漲っているのが分かるのだ。

 

「ハッ! 成長! 成長と言いましたか! なんとくだらない戯言でしょうか!?」

 

 言葉と共に、悪魔の振るう槍が俺を襲う。切っ先は先ほどまでよりも鋭く、俺は回避に徹した。

 

「いいですか、思いあがった人類に一つ大事な事実を教えてあげましょう! ──この星はあなたがたを見限りました。大穴、そしてそこから生まれる『魔の者共』とはすなわち地球の自浄機構。星のガン細胞たるあなたがたを抹殺するために出来上がった天罰に他ならないのです!」

 

 悪魔の言うことは、大袈裟な与太話が好きな人間を中心に伝わっているこの説と一致していた。

 人間のみを殺す『魔の者共』という存在。地球の都市部に突然空いた大穴。それは、この星そのものが人間を殺そうとしているのではないかと思わせた。

 

「でも、それだけなら人間に抵抗する力なんて与えられなかったはず。戦乙女の力についての説明ができていないその言葉は、あくまで一面を捉えているに過ぎない」

 

 振るわれる槍を弾きながら、俺は反論する。

 

 人類がただ虐殺されるだけだったのなら、たしかにこの星が俺たちを殺そうとしていると言えただろう。

 けれども、人類には希望が残されていた。戦乙女の力だけが、『魔の者共』に抵抗することができたのだ。

 

「ふん、たしかに戦乙女の出現は地球の別側面による救いだと言えましょう。人間の恐れを具現化した我々『魔の者共』と、あなたたち人間の希望を具現化した存在、『戦乙女』で力比べをさせることで、どちらに天秤が傾くのかを観察しているのでしょう」

「随分回りくどい方法を取るんだね」

 

 絶滅させたいのなら、手っ取り早く皆殺しにすればいいのに。

 

「ええ。私はただ、脆弱なあなたたちを蹂躙できればよかったのですがねっ!」

 

 言葉と共に突き出された槍を受け流しながら、小太刀を振るう。切っ先が真っ黒の体に薄い傷を作る。

 

「人間が間違っているだとかガンだとか、そんなのはお前に決めつけられる筋合いはない。ましてやこの星にすら、そんな裁きを下せる権利なんてない」

「ああ、本当に吐き気がするほどに傲慢ですね!」

 

 何度目かも分からない刺突を避けて、悪魔の体に肉薄する。

 

「一つ、言えることがある。お前は確かに強い。しかし、他人を傷つけることばかりに執着していて自分が傷つけられることを全く考慮していない奴は、弱い!」

 

 体の捻りを活かして、二連撃。悪魔の黒い体から赤い血が噴き出る。

 

「ッ……馬鹿な……」

「私のお仕置きのために、ここで滅びろおおおお!」

 

 続けて、首のあたりを狙って突きを放つ。これも命中するが、しかし致命傷を与えられたという実感はなかった。

 

「案外大したことないね、破滅級」

 

 確かに、動きは今まで見た敵の中で一番早い。攻撃の一つ一つが並の戦乙女なら一撃で倒されてしまいそうなほどだ。

 けれども、それ以上に俺の動きのキレが格段に上がっている。

 これは多分、俺の『特徴』がかつてないほどに効果を発揮しているからだろう。

 

『心身合一』の効果は、気分が昂れば昂るほどに身体能力が上がるもの。今までの俺は敵の攻撃を受けることで興奮を覚え、力を上昇させていた。

 けれども今は違う。今の俺は好きな人にお仕置きしてもらえるという悦びで戦っていた。

 体のうちから無限に興奮と力が湧いてくる。

 

 多分、敵に傷つけられる悦びと好きな人に傷つけてもらえるという悦びは、質的に全然違うものなのだろう。

 今は胸のうちからぼんやりとした熱のようなものが湧き上がってきて、体中に力を与えてくれている。

 

「おおおおお!」

 

 連撃を繰り出す。悪魔は俺の動きに全くついていけていないようだった。黒い体に次々と赤い線が走る。

 

「人類如きが……思いあがるなあああああ!」

 

 悪魔の動きが変わる。俺の攻撃を避けずに、強引に接近。至近距離から槍をまるでハンマーのように振り下ろしてきた。

 

「……ッ」

 

 頭を上から殴打されて、わずかに視界が揺らぐ。血が流れてきて、額を濡らした。

 

「この程度の痛み……優香ちゃんのくれるだろう喜びに比べればなんでもない!」

「が、あああああ!」

 

 切り返す。今度の傷は深い。

 悪魔の苦しみ方が明らかに変わった。傷口を抑えながら後ろに下がっていく。それを追うと、次々と槍を投げられた。

 俺はそれを、一つ一つ弾いていく。

 

「クソッ、クソッ! なぜだ、私は地球の代行者、最も強い生物だぞ……!」

 

 悪魔が翼をはためかせる。

 飛んで逃げられるとまずい、と直感した俺は足に力を籠めて跳躍する。浮き上がり始めた悪魔の元へと飛ぶと、翼の付け根を切り裂いた。

 

「あ、ああああああああ!」

 

 翼を失った悪魔が墜落する。ズン、という重い音と土埃。

 俺はそれと共に落ちていくと、重力の力を借りて刀を背中に突きたてた。

 

「ゴッ……」

 

 体の中心のあたりを貫く刃。生々しい肉の感覚に、自分が悪魔を追い詰めているということを実感する。

 

「真央先輩を殺したのは自分勝手な行動をした私だ。でも、その死にかかわったお前に当然恨みはある──ここで死ね、喜悦の悪魔。もう二度と人間を弄ぶな」

「がっ……ああああ……」

 

 悪魔の体から力が抜けていくのが分かる。けれども、足りない。最後の一押しが足りない。

 

 悪魔の弱点とはなんだ。契約か? 悪魔祓いか? 

 

 そう思考を巡らせていると、遠くから声がした。

 

「──燐火先輩!」

「優香ちゃん!」

 

 わずかに声が弾んでしまうのが分かる。

 

「無事ですか……ってもう倒してる!?」

 

 悪魔に馬乗りになって刀を突きたてている俺を見て、優香ちゃんは驚いた声を上げた。

 

「いや、それがコイツしぶとくてさ……優香ちゃん、悪魔祓いの魔法とかないかな?」

「あ、悪魔祓いですか? うーん……」

 

 考える優香ちゃんも可愛い、と彼女を見つめると、俺の下で悪魔が動いた。

 

「──死ね!」

 

 どこにそんな力が残っていたのか、悪魔は手元に槍を出現させると、優香ちゃんに投げようとした。

 しかし俺は、それが投擲される前に悪魔の残った片腕を斬り飛ばした。

 

「っ……あああああ!」

 

 ついに両方の腕を失った悪魔が悲鳴を上げる。

 やや遅れて、俺の中には激しい怒りが湧き上がってきた。

 

「──ふざけるな! 私から二度も大切な人を奪う気か!? ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」

 

 何度も何度も、倒れ込んだ悪魔の背中に小太刀を突き刺す。こんな感情、他者に向けるのは初めてだ。

 女になって以来、何かあってもどこか他人事のように感じていた。だから、他者への怒りはあまり感じたことのないものだった。あるとすれば、自分への怒りだけ。

 

 けれども、優香ちゃんが傷つけられそうになって、俺は本気で怒っていた。

 

「燐火先輩……」

「っ……フーッ」

 

 乱れた息を整える。悪魔の背中はすでにズタズタだった。

 

「優香ちゃん、トドメをお願いできそう?」

「は、はい。やってみます」

 

 優香ちゃんが杖を前に出して、詠唱を始めた。

 

「『神聖なる光よ、この世の穢れを浄化せよ』」

 

 光が溢れ出し、悪魔の身を包んだ。光は柱になり、天へと昇っていく。

 

「──があああああああああ!」

 

 俺に斬られた時とは違う苦しみ方だった。存在そのものが揺らいでいるような声の震え。

 悪魔の体は、外側から少しずつ消えて行っているようだった。消えた部分は光と共に天へと昇っていっているようだった。

 

「っ……」

 

 巨大な光の柱を維持している優香ちゃんが少し苦しそうな声を出した。

 俺はせめて彼女の力になりたいと思い、その肩にそっと手を添えた。

 優香ちゃんは一瞬背後の俺を見ると、力強く頷いた。

 

「はああああああ!」

 

 光の奔流がさらに勢いを増す。悪魔の苦しみの声がさらに大きくなった。

 

「クソ……劣等種どもが……ふざけるな! ああああああ!」

 

 やがて、悪魔の体はほとんどすべてが空へと昇って行った。

 最後の残ったのは、顔だけだ。激しい怒りを灯した目を見つめる。

 

「──貴様ら傲慢な人間の未来に呪いあれ」

 

 最期まで、悪魔は俺たち人間のことを憎んでいるようだった。

 言葉を紡ぐ口すら消え失せ、喜悦の悪魔は完全にこの世から消え失せた。

 

「……真央先輩、仇を取れました。遅れてすいません」

 

 悪魔が消えていった空に向けて、語り掛ける。

 すぐに夜空から目を逸らすと、俺は優香ちゃんに話しかけた。

 

「じゃあ優香ちゃん、帰ろう」

 

 胸のうちにあるのは、深い充足感。

 俺は、ようやく真央先輩を死なせてしまった呪縛を解けた気がした。



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私の幸せ

 喜悦の悪魔が消え、そして人間に化ける敵もエルナによって倒され、『魔の者共』は連携を失った。

 散り散りになっていく敵を掃討してから、俺たちは淵上高校へと帰った。

 

 世界で初めての破滅級討伐の報告は、淵上高校、そして世界中を駆け巡った。

 いつ終わるとも分からない『魔の者共』との戦いを強いられている人々にとって、それは大きな希望となっているようだった。

 

 東京の大穴は、あの日から動きが沈静化している。喜悦の悪魔との戦いを繰り広げた二日間で、俺たちは相当な数の『魔の者共』を倒したはずだ。

 しばらくは安泰だろう。

 

 俺たちは、太陽が没した日から続いた因縁に終止符を打つことができたのだ。

 単に喜悦の悪魔を倒せたというだけではない。

 優香ちゃんのおかげで、俺はずっとつき纏っていた自己嫌悪に折り合いをつけることができた。

 

 

 ◇

 

 

「結局のところ、燐火ちゃんは救われることができたのかな」

 

 これが夢だ、とすぐに気づいてしまうことがある。

 俺の目の前には、ニコニコ笑う真央先輩の姿があった。

 

 俺の妄想の彼女ではない、本物の真央先輩だ。そう直感して、その体に抱き着こうとする。けれど真央先輩の体は半透明に透けると、俺の腕をすり抜けた。

 

「あっはは。燐火ちゃん、再会して最初のリアクションがハグとか、結構大胆だよね」

「……もう、隠すこともないってことに気づきましたからね。オレは真央先輩が大好きですから」

 

 泣きたいのを堪えて、素直な気持ちを伝える。

 

「あっはは……そんな正面切って言われると照れるね」

 

 わずかに頬を赤くする真央先輩。その頬に触れて熱を感じたい、と思う。しかし、触れることは叶わない。

 

 これはいったいどういうことなんだろう、とあたりを見渡すと、淵上高校の俺の自室だった。

 ベッドは二つ。真央先輩と同じ部屋で生活していた頃と同じだ。

 

「……死んだ人との会話の場所にしては、味気ないですね」

「そう? いつも通りっていうのも悪くないと思うけど」

 

 立ち上がった真央先輩が、狭い部屋の中を歩き回る。

 

「それで燐火ちゃん、どうなのかな。あなたは結局、救われたのかな?」

 

 救われたのか。そう聞くと、なんだか大袈裟な気がする。

 

「まあ、前よりはずっと幸福ですよ。夏美もエルナもみんな生き残って、そして優香ちゃんはオレを認めてくれる。優香ちゃんのモノとして自分を認識することで、俺は自己嫌悪の呪縛からある程度解放されました」

 

 けれどもそれは救われた、なんて綺麗な言葉で言い表すのは少々躊躇われた。

 

「別に何かが革新的に変わったわけじゃないです。ただどうしようもない人間だったオレと地続きのところに天塚燐火があって、未だにどうしようもない人間なのは確かです」

「案外冷静だね。もっとこう、優香ちゃんって子に夢中で、今が最高! って感じのテンションだと思ってた」

「あれ、嫉妬ですか?」

 

 俺が問いかけると、真央先輩はピタリと足を止めて俺を振り返った。

 

「ぜ、全然! 別に私なんて所詮昔の女なんだね……とかいじけたりしてないから!」

 

 真央先輩が真っ赤な顔でぶんぶんと手を振る。

 ああ、相変わらず可愛いな。

 

「真央先輩は、心配してくれたんですね。オレが本当に幸せになれるのか気になって、わざわざこんなところに来てくれんでしょ?」

「……まあね。結局最後まで腹の内を見せなかった燐火ちゃんのことだから、新しい女の元でうまくやれるのか心配で。元カノとしてはね!」

 

 ……うん、まだ少し言葉に棘があるな。

 

「幸せか不幸せかで言えば、幸せですよ。それは確かです。ああ、最初の問いは結局救われたのか、でしたっけ」

 

 考えるまでもなく、言葉は自然と出てきた。

 

「救われた、というほどではないですけど、まあ、愚かなオレにとっては最善の未来を生きているつもりですよ」

 

 あなたが傍にいないことを除けば、という言葉は胸中にとどめる。

 俺の言葉を聞いた真央先輩は、安心したような笑みを浮かべた。

 

「そっか、良かったよ。これで安心していける」

 

 真央先輩が天井を見つめる。

 

「真央先輩。来世ってやつがあったら、また会いましょうね」

「ええー? そんなのないでしょ」

「あるんですよ」

 

 俺ですら死んでももう一度チャンスをもらえたんだ。善人の真央先輩なら、また幸せな人生を送れる。

 

「じゃあ、燐火ちゃん。元気でね」

「はい。お姉さまも」

 

 夢が覚める。

 目を開けると、透明な雫が滴り落ちた。

 

「真央先輩。私は今、幸せです」

 

 

 ◇ 

 

 

 喜悦の悪魔を倒して以来、東京の大穴からは敵がほとんど出てこなくなった。原因は分からないが、俺たちが暇になったのは事実だ。

 そういうわけで、俺たち戦乙女は長い休暇をもらっていた。

 大型ショッピングモールの一角、とある女性向けの服屋で、俺と優香ちゃんは買い物を楽しんでいた。

 

「優香ちゃん、この服なんか似合うんじゃない?」

「ええ? ……ちょっと可愛すぎないですか?」

「いや、大丈夫大丈夫。私の見立てを信じてよ」

 

 男としても女としても、この服は優香ちゃんに合うと確信できる。試着室に向かう優香ちゃんに、俺はひらひらと手を振った。

 

「どうですか?」

 

 もこもことした生地。ふんわりとした装いが優香ちゃんの可愛さを際立てている。完璧だ。

 

「うん、やっぱり似合うね。とってもかわいいよ」

「……本当に、先輩はなんでもないような顔で恥ずかしいセリフを吐けますね」

 

 思ったままを言っているだけだ。恥ずかしがることはない。

 

「でもそんな燐火先輩にも、今日はとびっきりの恥ずかしい思いをしてもらいますからね。なんていったって今日は──お仕置きのために来たんですからね」

「……ッ!」

 

 優香ちゃんの目がこちらを見つめている。濃密な感情の籠ったそれに、唾をのむ。激しい興奮と、抑えきれない期待。ああ、彼女はいったいどんなお仕置きをしてくれるのだろう、と俺は固唾を飲んで見守っていた。

 

 

 

 

「ゆ、うかちゃん、これは……さすがに……!」

「ええー? 燐火先輩は、最強の戦乙女なのにこの程度で降参ですか?」

「ッ!」

 

 いつになく意地悪な優香ちゃんの姿。羞恥に体が熱くなる。

 

「フーッ……だ、めだよ……!」

「ふふ、燐火先輩──可愛いですよ」

「で、でも流石にこれは…………ミニスカートがお仕置きは流石にないんじゃないかな!?」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶが、優香ちゃんはニコニコと笑うだけで全く取り合ってくれなかった。

 

「だから、本当に似合ってるって言ってるじゃないですか」

「いや、違うんだよ……これは私のプライドというか、そういうのが許容できないっていうか、こういういかにも女の子な服装はダメなんだって」

「制服はスカートじゃないですか」

「あれは義務だから仕方ないけど……外で着るのはまた違った恥ずかしさがあるんだよ……!」

 

 強制されて着るのとプライベートで着るのとでは、全く意味が違う。

 

「じゃあ、燐火先輩は今日帰るまでそのままです。これが私の考えた先輩へのお仕置きです」

「そ、そんな……! そんなひどいお仕置きだったのか……!?」

 

 俺が妄想してたのと全然違う! もっとこう、直接的な痛みをともなうやつだと思っていたのに……! 

 

「じゃあ、他のところも見に行きましょう。ミニスカートが似合う燐火先輩?」

 

 しかし優香ちゃんが本当に楽しそうにしているのを見ると、案外こういうのも悪くないなと思えてしまうのだった。

 

 

「燐火先輩、歩きづらそうですね」

「いやだって、ちょっと歩いたら中身が見えそうだから……」

 

 くっ、顔の熱が全く引かない。周囲の人の目がこちらを向いているような気がしてくる。

 

 特に何かが欲しいというわけでもなく、ただ二人で店をぶらつく。

 こんな瞬間を二人で過ごすこと。それができるのは、あの時喜悦の悪魔を倒すことができたからだろう。

 そしてそれは、優香ちゃんが俺のことを助けてくれたおかげだ。

 

「優香ちゃん、これが欲しいの?」

「え? ……はい、でも高いので、買うのはやめます」

 

 優香ちゃんが眺めていたのは、お洒落な柄のポーチだった。

 

「……私が買うよ」

「え? でも」

「優香ちゃんには感謝してるんだ。ほんの気持ちとして受け取ってほしい」

 

 きっと、優香ちゃんがいなければあの日淵上高校は崩壊していたのだろう。夏美は自分の無力に押し潰され、エルナは密室に閉じこもり続けて、俺は勝手に諦めて勝手に死んでいた。

 そういう意志を目に籠めて優香ちゃんを見る。

 

「……ありがとうございます。大事にします」

 

 俺の想いが伝わったのか、優香ちゃんは静かに俺の言葉を受け入れた。

 

 その後もショッピングモールを歩き続けていると、あっという間に日が暮れるような時間になってしまった。

 

 

「燐火先輩、ちょっとここで待っていてくれませんか?」

「うん、いいよ」

 

 優香ちゃんがなぜか俺に一緒に来ないように言うと、雑貨屋の中へと入っていった。

 

「……」

 

 ミニスカートのすそを少し抑えながら、人の流れをぼんやりと眺める。

 平和な週末を楽しむ人たち。俺たちが『魔の者共』を撃退しなければ、ここのショッピングモールは敵の侵攻により廃墟になっていたのだろう。

 こういう風景を見て、自分が守ったものを改めて実感するのも良いものだ。

 

「お待たせしました!」

 

 優香ちゃんが小走りで戻ってくる。

 何を買ったのだろう、と見ていると彼女は手元に持ったものを俺の方へと差し出した。

 

「これ、私からのプレゼントです」

「さっきのプレゼントなら、気にしなくていいよ。あれは私の感謝の気持ちだから」

 

 お返しはいらない、と伝えたつもりだったが、優香ちゃんは首を横に振った。

 

「いいえ。これは私が燐火先輩につけてもらいたいから、あげるんです」

 

 優香ちゃんがプレゼントを俺に突き出してくる。

 

「……これは?」

 

 ちょっと見ただけでは何か分からず、俺は彼女に問いかける。

 

「チョーカーです」

「チョーカー?」

「はい。首につけるアクセサリーです」

 

 ああ、ネックレスみたいな奴かと思ったが、受け取ったそれはだいぶ形状が異なっていた。

 黒いわっかに、小さな光る石が一つだけつけられている。

 

「……これでいいのかな?」

 

 首につけると、わずかに締まる感覚があった。ほのかに体に熱を覚える。それはまるで、ゆっくりと首を絞められているようだったからだ。

 ああ、きっとこれを贈ってくれた優香ちゃんは、俺がこうやって悦ぶのを分かっていて渡してきたのだろう。

 確認するように見ると、優香ちゃんはわずかに唇を上げて笑った。

 

「それじゃあ燐火先輩、これから待ちに待ったお仕置きですね」

「え? お仕置きはミニスカートじゃ……」

「どうしてたったそれだけでお仕置きがおしまいだと思ったんですか? むしろそれは準備です。──楽しみにしていてくださいね」

 

 体が沸騰するような熱を覚える。期待に胸がバクバクと鳴り出す。

 

 ああ、こんなに幸せな気分なのは、初めてだ。




この物語はここで終了です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!

番外編もネタがあればやりたいなあなどと


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番外 燐火の甘い日々

やたら遅くなって申し訳ない


 破滅級の敵、喜悦の悪魔を討伐して以来、燐火たちの所属する淵上高校は穏やかな日々を迎えていた。

 東京に存在する大穴は、しばらく活動していない。『魔の者共』が出てこなくて、戦乙女の仕事は開店休業状態だ。

 

 近く、東京の大穴には研究者を中心とした調査団が派遣される予定だ。

 地球上で初めての大穴の調査。大穴から『魔の者共』が出てこなくなることなど、今までなかった。

 破滅級を倒すことで、大穴は活動を停止するのではないか、というのが科学者の仮説だ。

 

 淵上高校は、現在ではほとんど普通の女子高と同じような時間が流れていた。

 時間ができた戦乙女は、女子高生らしく噂話にいそしんでいた。

 

「ねえねえ、天塚先輩ってどこか変わったよね」

「分かる分かる。なんていうの、柔らかくなったっていうか、笑顔が増えたっていうか……綺麗になった?」

「あ、そうそう! 前から綺麗な人だと思ってたけど、肌とかツヤツヤしてもっと綺麗になった!」

 

 噂をしている二人の女子生徒のそばを、とある人影が通る。

 彼女は短い髪を揺らしながらキビキビと歩いていた。

 

「あっ、天塚先輩!? あの、今のは……」

 

 まずい、噂話を本人に聞かれたか。そう焦る片方の女子生徒。

 

「ん? どうかした?」

 

 わずかに微笑み、問いかける燐火。その柔らかい様子を見たもう片方の女子生徒は、思い切って彼女に直接問いかけた。

 

「あの、天塚先輩が光井さんと最近深い関係になったって本当なんですか!?」

「ちょっと真奈美!?」

 

 驚いて真奈美を止めようとする女子生徒。しかし真奈美は止まらない。噂話に飢えた女子高生の勢いは、まるで興奮した猪のようだった。

 

「恋は人を綺麗にするって言いますよね! 燐火先輩が綺麗になったのは、ズバリ恋の、愛のおかげだと私は推測するんです! そこのところ、どうなんですか!?」

 

 燐火の形の良い顔がピタリと固まる。片割れの女子生徒は、ハラハラとそれを見守っていた。

 

 燐火は怒るかもしれない。『魔の者共』と戦っている時の彼女の形相は、それはそれは恐ろしいものだった。

 そんな彼女が自分たちに向けられると考えると、寒気がする。

 

 しかし燐火の無表情は、次第に赤く染まっていった。やがて、彼女の整った顔は熟れたリンゴのように真っ赤になってしまった。

 

 相対する二人の顔が驚きに染まる。それは、普段一般生徒はまず見ない顔だった。

 

「い、いやいや。優香ちゃんとはあくまでバディ。義姉妹と言ってもそういうことではないよ」

「じゃ、じゃあその反応はなんですか、天塚先輩! とても血みどろ一等星(ブラッディエース)と呼ばれたあなたには見えません! やはりあなたは変わった……いや、変われたのではありませんか!?」

 

 前提として、二人の女子生徒は天塚燐火が恋しているなら応援する気でいた。

 彼女たちなりに感謝しているのだ。幾度となく戦乙女たちのピンチを救った燐火が幸せになれるのなら、応援するに決まっている。

 だからこそ、燐火の口からどういうことなのか聞きたかったのだ。

 

「……」

 

 燐火が赤い顔をそっと逸らす。

 わずかな沈黙。燐火の次の言葉に注目が集まる。

 やがて、彼女の震える唇が動き出した。

 

「わ、私は用事があったんだった! ごめん、二人とも。この話はまた今度で!」

「え? ……あ、天塚先輩が逃げた!」

 

 ぴゅう、と最強の戦乙女に恥じない足の速さを見せて廊下を駆けていく燐火。二人の女子生徒は、それを追うことができなかった。

 

 

 

 

「――いやあ、天塚先輩絶対結構進んでるよね」

「だよね! 私の見立てではBくらいまでは……」

「Bって……ええ? まさか!」

 

 先ほど話していた女子生徒たちの声が遠くに聞こえる。

 その場から逃げ出した俺は、その声を余すことなく聞き取っていた。

 俺の戦乙女としての『特徴』である『心身合一』は、興奮すればするほど身体能力が上がる。

 

 要するに、俺は言葉責めによる羞恥プレイで『特徴』を発動、底上げされた聴力で彼女らの会話を余すことなく聞き届けていた。

 

 ……うーん、恥ずかしい。頬がまた熱くなるのを感じる。

 痛めつけられるのとはまた違う、もどかしい快楽だ。

 

「さてと、優香ちゃんは今日は図書室だったかな」

 

 愛しい彼女と合流するために、俺は廊下を歩く。彼女のことを考えていると、無意識に手が首に巻いたチョーカーに触れていた。

 

 静かな図書室の扉を開けると、一人の少女の姿が目に入ってきた。

 手に持った本から顔を上げて、窓の向こう側の夕陽を見ている。

 

「優香ちゃん、お待たせ」

 

 彼女が振り返る。俺の姿を認めた優香ちゃんは、頬を綻ばせた。

 

「燐火先輩。来てくれたんですね。良かったです」

「よかったって……私が来ないとでも思った?」

 

 一歩、二歩と近づきながら彼女と会話する。優香ちゃんの顔は、少しだけ元気がないように見えた。

 

「……沈んでいく太陽を見ていると、ふと思ったんです。燐火先輩が私を、私だけを特別な目で見てくれる。こんな奇跡は、ある時ふとした瞬間に終わってしまうんじゃないかって。太陽ですら沈むように、燐火先輩もいなくなってしまうんじゃないかって」

「太陽は、いつか没するものだよ」

 

 私は、一度失った人間だ。だから、そのことは十分分かっている。

 

「……すいません。本を読んでいたららしくもないことを考えてしまったんです。さっきのは忘れてください」

「いいよ。そういうこともある」

「――素直に、燐火先輩が待ち遠しかったって言えばよかったんですね」

「ッ……!」

 

 ああ、そんな不意打ちズルいじゃないか。

 優香ちゃんの顔は夕陽に照らされて赤く染まっている。俺の顔の方は……確認するまでもないことだろう。

 

 

 

 

 寮までの道は、二人でゆっくり談笑しながら歩くにはあまりにも短すぎる。

 ゆっくりと過ごしたい私たちは、必然的に校内にあるカフェへと二人で入るのだった。

 

 店内の落ち着いた雰囲気は居心地が良い。きゃあきゃあ、という女子高生らしい高くて大きな声は聞こえない。ひそひそと、みんながこの空間の空気を守ろうとするようにお淑やかに過ごしていた。

 

「そういえば燐火先輩、私たちの海外行きの話はまとまったんですか?」

「いや、戦乙女の国境移動なんて初めての試みだからね。まだ調整中」

 

 破滅級の討伐に特に貢献したとされた俺と優香ちゃんの義姉妹は、他地域や国の破滅級の討伐のために力をふるってほしいという依頼が来ていた。

 俺としてはもちろんやぶさかではないし、優香ちゃんもそれで人が助けられるなら、と快諾した。

 

 注文をしてすぐに飲み物が届く。

 私が頼んだのは、コーヒーとショートケーキ。ちょっと前までなら余分な糖分を取ると戦いに影響しそうだったのでケーキなど食べなかったが、今なら大丈夫だと思う。

 コーヒーにはミルクを少々。男だった頃にブラックコーヒーをがぶがぶ飲んで勉強に集中しようとしていた頃が懐かしい。

 

「優香ちゃんは相変わらず私と一緒?」

「はい。正直、こういうところでどんなもの頼んだらいいか分からないんですよね」

 

 恥ずかしそうに優香ちゃんが笑う。こういうところで初心なところを見せてくる彼女が愛おしい。

 そして同時に、俺の中で嗜虐心が湧いてきた。

 

「優香ちゃん、こういうところでは食べさせあいっこするのが礼儀なんだよ。だからはい。私のショートケーキ、食べて」

「えっ? 私たちのメニューは同じで……」

「私のケーキが食べられないの?」

 

 ケーキを載せたフォークを突き出して少しだけ眉を下げてみせる。

 やがて観念したように優香ちゃんが小さな口を開けて俺のケーキを食べてくれた。

 

「……もぐもぐ」

 

 ちょっと不満そうに俺を見てくる優香ちゃん。

 俺は、それに対してちょっとした優越感を持ってコーヒーを啜るのだった。

 

「……燐火先輩、じゃあ私のケーキも食べてください」

 

 今度は優香ちゃんが自分のケーキを突き出してくる。

 しかし俺は、それに対して用意していた決まり文句を言った。

 

「ごめん優香ちゃん。私はもうお腹いっぱいになっちゃった」

 

 無表情でお腹をぽんぽんと撫でる。当然膨らんでなどいない。俺が食べたものは、大抵その日のランニングで全部消化されるはずだ。

 

「……先輩は本当に噓つきですね」

「あれ、嫌いになった?」

「そんなわけないじゃないですか。ほら、これも私がこう言うって分かってて言ってる」

「ははっ。優香ちゃんは思い通りのリアクションをしてくれるからね。つい楽しくなっちゃって」

 

 あんまり揶揄うのを可哀そうだな、と思った俺は少しだけ身を乗り出してケーキを差し出されるのを待った。

 優香ちゃんはちょっと不満そうな顔でケーキを出す――ものだと思っていた。

 しかし、彼女は蛇のように俺の体に手を近づけると、俺の首にそっと手を添えた。

 

「ッ……」

 

 彼女のくれたチョーカーは、要するに俺の従属の証だ。

 それに触れられた時点で、俺と彼女はもう義姉妹ではない。それ以上の関係だ。

 

 優香ちゃんが妖艶な笑みを浮かべる。細められた目が、じっと俺を観察する。

 自分の心臓がバクバクと音を立て始めたのが分かる。まだ夜ですらないのに、体温が上がって仕方ない。

 

 ニヤリと笑い、彼女は言葉を口にした。

 

「先輩、罰としてこの場でキスしてください」

 

 こく、と頷く。反論などできるわけがない。期待に体が沸騰するように熱い。

 席を立ち、優香ちゃんの正面に。彼女は座ったまま俺を待っている。

 

 覆いかぶさるようにして、俺は彼女の唇に唇を合わせた。愛おしい柔らかい感覚に、脳内の幸福が絶頂に至る。コーヒーよりもずっと熱くて、ケーキよりもずっと甘い口付け。

 

 熱に浸りながら、俺はふらふらと自分の席へと戻った。優香ちゃんは、俺を冷静な顔で観察してクスクスと笑っていた。

 

「燐火先輩。私たちがこんなことしてること、みんなにいつバレますかね」

 

 ああ、彼女は俺がどうすれれば喜ぶのか知り尽くしている。

 俺がこの学校で築き上げた孤高のエースというイメージ。それを自らで覆すことを、彼女は望んでいるのだ。

 すべて、俺を喜ばせる(きずつける)ため。

 

 彼女は俺を知り尽くしている。

 チョーカーに手を当てる。胸の高鳴りは、いつまで経っても落ち着きそうになかった。




「TSっ娘ハーレムとか正気か?~世界救って女の子に囲まれるはずが、パーティーは全員元男だったんだがどうすればいいですか~」という作品を投稿しているので、そちらもお願い致します


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